(3)  萬葉集 卷第十
 
(5)概説
 
 卷十は、雜歌・相聞を、更に四季によつて區分したもの、春雜歌・春相聞・夏雜歌・夏相聞・秋雜歌・秋相聞・冬雜歌・冬相聞となつてゐる。即ち、卷八の部類と全く同じである。しかし、それぞれの部における排列は、卷八では年代順になつてゐるが、この卷ではまづ柿本人麿歌集及び古歌集の歌をあげ、その他は、題材によつて排列してゐる。題材による排列は、既に卷七に見えたところである。しかして雜歌は、詠鳥・詠花・詠露・詠風などとあり、相聞は、寄鳥・寄花・寄露・寄風などとなつてゐる。その他にそれぞれの部類の中に、旋頭歌・譬喩歌・問答などがいささかながら混入してゐる。
 歌數は、長歌三首、旋頭歌四首、短歌五百三十二首、都合五百三十九首で、部類によつて分けると次の如くである。
 
        短歌 長歌  旋頭歌   計  備考
 春  雜歌  七六       二  七八  譬喩歌一首
    相聞  四七          四七  問答十一首
 夏  雜歌  四一  一       四二  問答二首譬喩歌一首
    相聞  一七          一七
(6)  秋  雜歌 二四一 二     二四三
      相聞  七一     二   七三 譬喩歌一首
 冬  雜歌  二一          二一
    相聞  一八          一八
 計     五三二  三    四 五三九
 
 全二十卷の中で歌數の多いのは、卷十一、十二、七、四等で、これらはいづれも三百首以上あるが、五百首以上に及ぶのは、この卷十の一卷のみである。
 この卷の歌は、すべて作者を記さず、年代も明示されてゐないが、柿本人麿歌集の歌は、人麿時代またはそれ以前、即ち藤原宮時代もしくはそれ以前の作であり、秋雜歌の七夕の歌の中に庚辰年とあるのは、天武天皇九年の作であると思はれる。しかし、大部分は奈良時代初期の作であつて、作者の身分のひくい爲に知られなくなつたものも多いのであらう。(二三一五の左註には「或本云三方沙彌作」とある)
 長歌は僅に三首で、中二首は七夕を詠じたものである。
 短歌としてすぐれた歌には、
  ひさかたのあめの香具山このゆふべ霞たなびく春立つらしも   一八一二
  春霞流るるなべに青柳の枝くひ持ちて鶯鳴くも         一八二一
  さくらばな時は過ぎねど見る人の戀の盛と今し散るらむ     一八五五
  いつしかもこの夜の明けむ鶯のこづたひ散らす梅の花見む    一八七三
  百磯城の大宮人は暇あれや梅をかざしてここにつどへる     一八八三
(7)  春山の霧にまどへるうぐひすも我にまさりて物思はめや   一八九二
  梅の花しだり柳に折りまじへ花に供養せば君に逢はむかも    一九〇四
  春雨に衣はいたく通らめや七日し零らば七夜こじとや      一九一七
  木高くは曾て本植ゑじ霍公鳥來鳴きとよめて戀まさらしむ    一九四六
  吾こそは憎くもあらめ吾が屋前の花橘を見には來じとや     一九九〇
  ひさかたの天つしるしと水無河隔てて置きし神代し恨めし    二〇〇七
  秋風の吹きただよはす白雲はたなばたつめの天つ領巾かも    二〇四一
  はたもののふみ木持ち行きて天の河打橋わたす君が來む爲    二〇六二
  足玉も手珠もゆらに織る機を君が御衣に縫ひあへむかも     二〇六五
  渡守舟はや渡せ一年に二たび通ふ君にあらなくに        二〇七七
  天の河河門八十ありいづくにか君がみ舟をわが待ちをらむ    二〇八二
  吾が衣摺れるにはあらず高松の野邊行きしかば萩の摺れるぞ   二一〇一
  人皆は萩を秋と云ふよし吾は尾花がうれを秋とは言はむ     二一一〇
  白露を玉になしたる九月のありあけのつく夜見れど飽かぬかも  二二二九
  九月の時雨の雨の山霧のいぶせき吾が胸誰を見ばやまむ     二二六三
  雨ふればたぎつ山川いはに觸れ君がくだかむこころは持たじ   二三〇八
 以上の中にも七夕の歌六首を抄出したが、この卷には、上述の長歌二首をも加へて、七夕の歌が九十八首の多きに及んでをる。それは當時流行した神仙思想と同じ傾向とも見るべきであるが、この大陸渡來の新風習は、年中行事化して、風雅を好む人々に喜ばれた。清い天上の戀、しかも一年に一度あふといふ二星のこころがさまざまに想像され(8)て、歌の題材となつたのであつた。
 この卷の用字法には著しい特色が見える。「諸手《まで》」(一九九七)「美人部師《をみなへし》」(二一一五)「下風《あらし》」(二三五〇)などの義訓、借訓があり、またその訓の根據としては、「金風《あきかぜ》」(二〇一三)「金山《あきやま》」(二二三九)「金待難《あきまちがたし》」(二〇九五)「白芽子《あきはぎ》」(二〇一四)「告火《つげなむ》」(一九九八)のごとく五行説に基づくもの、「織大王《おりてし》」(二〇六四)「定大王《さだめてし》」(二〇九二)のごとく書道に關するもの、及び「暮三伏一向夜《ゆふづくよ》」(一八七四)「切木四之泣《かりがね》」(二一三一)のごとく遊戯に關するものがあるなど、樣々の用字が見られる。
 
(9)萬葉集 卷第十
 
  春雜歌《はるのざふか》
 
1812 ひさかたの天《あめ》の香具《かぐ》山このゆふべ霞たなびく春立つらしも
 
〔譯〕 天の香具山に、この夕方、霞がたなびいてゐる。もういよいよ春になつたらしいな。
〔評〕 藤原の京のあたりに住む人が、朝夕に眺める香具山に、今までは殆ど氣づかなかつたが、今日夕方近く、薄い霞がたなびいてゐるのを見て、春のおとづれを意識したのである。辭句も調子も共に悠揚として、風韻縹渺、春立つ頃の大和國原の氣分をさながらに現はしてゐる。
〔語〕 ○ひさかたの 天の枕詞。○香具山 「一三」參照。○春立つらしも 「立つ」は、その時を起點として春が出發する意。「も」は感動の助詞。
〔訓〕 ○かぐ山 白文「芳山」。芳はカグハシキの意から、カグの音を借りたものである。
 
1813 卷向《まきむく》の檜原《ひはら》に立てる春霞|欝《おぼ》にし思《も》はばなづみ來《こ》めやも
 
〔譯〕 卷向の檜原の山にぼんやりと霞が立つてゐるが、その霞のやうに、ぼんやりとそなたを思つてゐる程ならば、こんなに苦しい思ひをしてまで、何に來ようぞ。決して來はせぬ。
〔評〕 卷向の檜原のほとりに住む愛人のもとへ、苦勞をしつつ通つて來た男の歌である。折からたなびいてゐる霞を(10)序に用ゐたところ、類想はあるが適切であり、悠揚として高い歌品を示してゐる。
〔語〕 ○卷向の檜原 大和國磯城郡纒向村。「一〇九二」參照。○春霞 初句からここまでl「おほ」にかかる序。○おほにし思はば 「おほ」は上からはおぼほしきの意でつづき、下にはおほよそに、よい加減にの意となる。「し」は強意の助詞。○なづみ 難澁する、苦しい思をする意。「二一三」參照。
〔訓〕 ○來めやも 白文「米八方」で、古義は「米」を「來」の誤とし、新考は「米」の上に「來」を脱したるかといつてゐる。姑くもとのままにして訓讀しておく。
 
1814 古《いにしへ》の人の植ゑけむ杉が枝《え》に霞たなびく春は來《き》ぬらし
 
〔譯〕 遠い昔の人が植ゑたと思はれる杉の木の枝に、霞がたなびいてゐる。もう春が來たらしい。
〔評〕 天を摩する老杉の枝に霞のたなびくさまは、靜穩にして悠久感を誘ふ眺である。その杉を仰ぎ見て、植ゑた古人を想像したところ、地上の春を感じると共に、仰いで幾百回の春の深みを冥想するかと思はれる。渾厚の作である。
〔語〕 ○古の人の植ゑけむ ただ年を經たのをいふだけといふ説(略解)もあるが、文字通りに古人の植ゑたと解すべきである。○霞たなびく 「たなびく」は「春」にかかる連體法のやうにもちよつと取れるが、さうでなく、終止法で四句切れである。
 
1815 子等が手を卷向《まきむく》山に春されば木の葉|凌《しの》ぎて霞たなびく
 
〔譯〕 卷向山に春が來て見ると、木の葉を押し靡かせて濃く霞がたなびいてゐる。
〔評〕 深く立ちこめた霞の中に、木の葉も靡いてあるやうに見えたのである。おほらかな調子が、いかにも靜かな春らしい氣分を釀して居り、殊に、子らが手を纒くとかかつた句も非常によくきいて、全體を一層情趣的なものにして(11)ゐる。
〔語〕○凌ぎて 押し靡けて。霞が深く立ちこめた?態の形容。「奧山の眞木の葉凌ぎ零る雪の」(一〇一〇)參照。
 
1816 玉かぎる夕さり來《く》れば獵人《さつひと》の弓月《ゆつき》が嶽《たけ》に霞たなびく
 
〔譯〕 だんだん、夕方になつて見ると、あの弓月が嶽に、霞がたなびいてゐることである。
〔評〕 内容は實に單純な歌であるが、二つの枕詞が一首に趣を添へてをり、穩かな春の氣分にふさはしい縹渺たる趣致を漂はしてゐる。しかも三句の枕詞は、弓月が嶽の雄偉な山容をおのづからに想像させ、極めて効果的な用法である。
〔語〕 ○玉かぎる 枕詞。「四五」參照。○獵人の 枕詞。「さつ」は「さつ矢」の「さつ」に同じく、幸、即ち漁獵の獲物の義。「さつひと」は獵師で、弓を持つてゐる所から弓につづく。○弓月が嶽 纒向山の最高峰。「一〇八七」參照。
 
1817 今朝行きて明日は來牟等云子鹿丹|朝妻山《あさづまやま》に霞たなびく
〔譯〕 ‥‥朝妻山に霞がたなびいてゐることである。
〔評〕 全釋のごとく後朝の悲哀を敍したと見ないまでも、離別の哀感の感ぜられる歌であるが、第二句から三句へかけて頗る訓み難いので、恐らく誤脱があらうと推測せられる。舊訓はアスハコムトイフコカニとあるが、コカニの意が通じない。「來牟等」を元暦校本、類聚古集には「來年等」とある。それによればコネトと訓まれる。次の「子鹿丹」は、元暦校本に「子庶」とあつて「丹」が無く、それでシカスガニと訓んであるが、無理である。古義は「子鹿丹」を「愛也子」の誤でハシキヤシ、又は「左丹頬歴」の誤でサニヅラフかとして居り、生田耕一氏は、第二句をア(12)スハコネトイフとし、第三句を「子等鹿名之」の五字としてコラガナノと訓み、次の「朝妻」にかかる序としてゐるが、いづれも定説とはしがたい。
 要するに前後は頗る明瞭でありながら、中間僅かの部分の定訓が得られない爲、脈絡を一貫させることが出來ないのは遺憾であるが、後考を待つ外はない。
〔語〕 ○朝妻山 大和國南葛城郡葛城村大字朝妻の地に在つて、金剛山に連なる。
 
1818 子等が名に懸けの宜しき朝妻の片山ぎしに霞たなびく
     右は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
〔譯〕 女たちの名の上に冠らせて呼ぶにふさはしい言葉の朝妻、それと同じ名の朝妻山の山そひの崖に、霞がたなびいてゐることである。
〔評〕 一二句の序の用法が巧みで、しかもこれは單なる形式的のものでなく、朝妻の里に愛人が住んでゐたといふやうな、何かさうした現實味をもつたものなることを想像させる。「片山ぎし」も清新である。明朗にして柔軟、みづみづしくほのぼのとした春の曙を思はせる秀作である。
〔語〕 ○子等が名に懸けの宜しき 序詞。妻といふ語は愛する女の名の上に冠らせて呼ぶに似合はしいとの意。「かけ」は「玉襷かけの宜しく」(五)參照。○朝妻の 前の歌の朝妻山。○片山ぎし 片山は平地に面した山。きしは崖。
 
    鳥を詠める
1819 うち靡く春立ちぬらし吾が門の柳の末《うれ》に鶯鳴きつ
 
〔譯〕 もういよいよ春になつたらしい。自分の家の門口にある柳の梢に來て、鶯が鳴いた。
(13)【評】新しい緑に染まつた柳の枝に、鶯が來て鳴いた。もう春であると、春立つ喜を強く意識せずにはゐられなかつたのである。明るく朗かな作である。
〔語〕 ○うち靡く 枕詞。「二六〇」參照。
 
1820 梅の花咲ける岡邊に家居れば乏しくもあらず鶯の聲
 
〔譯〕 梅の花の咲いてゐる岡のあたりに住んでゐると、鶯の鳴く聲は珍らしいとも思はれないほど毎日きこえるが、まことに樂しいことである。
〔評〕 珍らしくないと云つても、勿論聞き飽きて厭になつたといふのではない。絶えず鶯の聲を聞くことの出來る住家をほめて、誇りかに歌つてゐるのである。句法は、下の、「戀ひつつも稻葉かきわけ家をれば乏しくもあらず秋の夕風」(二二三〇)と同型である。
〔語〕 ○乏しくもあらず 「ともし」は、珍らしいものとして、羨ましく欲しいものと思はれる。
〔訓〕 ○家居れば 白文「家居者」で、舊訓イヘヰセバ、考イヘシヲレバは、共にふさはしくない。略解による。○乏しくもあらず 白文「乏毛不有」で、舊訓トモシクモアラジは不可。また、古義の如くトモシクモアラヌと連體形にするよりも、この句で切る古葉略類聚鈔の訓がよい。
 
1821 春霞流るるなべに青柳《あをやぎ》の枝|啄《く》ひ持ちて鶯鳴くも
 
〔譯〕 春霞がゆるやかに動いてゆくにつれて、柳の枝をくはへながら、鶯が鳴いてゐることである。
〔評〕 春霞が靜かに移動しつつ、春光の中に融けあつてゐる。駘蕩たる春風の中に、青柳の絲が靡く。その枝をくはへたり、愛らしくついばんだりして、鳴きながら鶯が遊んでゐる。陶然、人を醉はしめるやうな情景である。「枝く(14)ひ持ちて」は、正倉院御物中の琴の紋樣の花喰鳥などから思ひついたものであらうか。實際に鶯が枝をくはへて鳴く筈はないが、枝をつついては鳴き、つついては鳴きする樣を云つたのであらう。しかも、鶯の愛らしい身ぶりがよく聯想される。
〔語〕 ○流るるなべに 「なべ」は、につれての意。「九一三」參照。○枝くひ持ちて 枝を口に銜へ持つての意であるが、前述のごとく譬喩的にいつたのである。同じ語でも「池神の力士※[人偏+舞]かも白鷺の桙くひ持ちて飛びわたるらむ」(三八三一)の方は、事實、桙を銜へ持つ意である。
 
1822 吾が背子をな巨勢《こせ》の山の喚子鳥《よぶこどり》君よびかへせ夜のふけぬとに
 
〔譯〕 私の夫に、いらつしやつてはいけませんと言つてゐるやうな名の巨勢山に鳴いてゐる喚子鳥よ、どうか私の夫を喚び返しておくれ、夜のふけないうちに。
〔評〕 巨勢山を越えて旅に出ようとする夫を思つて詠んだもの。「吾背子を、な」までが序で、「なこせ」(莫越せ)を巨勢山に云ひかけ、喚子鳥から喚び返せと連ねた故巧であるが、しかもよく眞情をあらはしてゐて、ただに巧みなのみではなく、情趣纒綿たる歌になつてゐる。
〔語〕 ○吾が背子をな巨勢の山 こすな、お出にはなるなの意を地名の巨勢にいひ懸けたもの。「を」は詠歎の助詞。巨勢は大和國高市郡。「五四」參照。「吾が背子をこち巨勢山と人は云へど君も來まさず山の名にあらし」(一〇九七)。○喚子鳥 「七〇」參照。○夜のふげぬとに 「と」は從來多く「時に」の略(代匠記)と解されてゐるが、ときの「と」とは特殊假名遣から見ると別語らしい。あちらを内に、此方を外《と》にしていふ言で、「とに」も「うちに」も意は同じといふ説(記傳)ならば、假名の點では問題がない。「と」を所とし、間、うちと解するのも一説であるが、なほ研究の餘地がある。「わが宿の松の葉見つつ吾待たむ早歸りませ戀ひ死なぬとに」(三七四七)參照。
 
(15)1823 朝ゐでに來《き》鳴く貌鳥《かほどり》汝《なれ》だにも君に戀ふれや時|終《を》へず鳴く
 
〔譯〕 朝の井堰に來て鳴く貌鳥よ、お前までがあの方を戀ひ慕つて、止む時もなく鳴いてゐるのであらうか。
〔評〕 ひそかなる思を胸に秘めてゐると、無心に鳴く鳥の音さへ、同じ思に惱み鳴くかと同情される。女らしい、優雅で哀切な歌。類歌には、「湯の原に鳴くあしたづは吾が如く妹に戀ふれや時わかず鳴く」(九六一)、「朝に行く雁の鳴く音は吾が如く物おもへかも聲の悲しき」(二一三七)などがある。前者は大伴旅人、後者は作者不詳。
〔語〕 ○朝ゐでに 朝のゐでに 「ゐで」は井堰。ゐせきと同じく川をせきとめた處。「一一〇八」參照。○貌鳥 「三七二」參照。○汝だにも お前さへも。但「だに」「だにも」の用例の中では、この歌は特異なものに屬する。○時をへず鳴く 鳴き終へる時なく、いつまでも頻に鳴く意。
 
1824 冬ごもり春さり來《く》らしあしひきの山にも野にもうぐひす鳴くも
 
〔譯〕 いよいよもう春が來たらしい。山にも野にも盛んに鶯が鳴いてゐることである。
〔評〕 春告鳥をもつて來て、早春の長閑な明るい氣分を描いてゐる。鶯を以て春を表はすのは古今を通じて用ゐられる技法であるが、この歌には、上代の現世主義的な明朗さが横溢してゐるとごろがよい。歌格も大きい。鶯を春鳥の魁とすることは、次の歌によつても知られる。「春されば先づ鳴く鳥の鶯の言先立ちし君をし待たむ」(一九三五)。
〔語〕 ○多ごもり 「春」の枕詞。「一六」參照。
 
1825 紫草《むらさき》の根延《ねば》ふ横野の春野には君を懸《か》けつつ鶯鳴くも
 
〔譯〕 紫草の根が延《は》うてゐる横野の、今やまさに春景色となつたこの野では、あなたを心にかけてゐるらしい聲で、(16)鶯が鳴いてゐることである。
〔評〕 人を戀して春の野に立てば、鶯の聲までも、同じ心でなくかと聞きなされる。外景の花やかなるべき春の野の鶯の聲にまで、自己の内心の思がひろがつて行つたのである。
〔語〕 ○紫草 「二一」參照。○根ばふ 根の長く延び生えてゐるの意。序詞とすべきではない。紫は根を染料とする。○横野の春野 横野なる春の野の意。横野は地名。延喜式神名帳に、「河内國澁川部横野神社」とある神社が、今、中河内郡巽村|大地《おほち》にあるから、その附近と思はれる。○君をかけつつ 君を心にかけつつの義。
 
1826 春されば妻を求むと鶯の木未《こぬれ》を傳ひ鳴きつつもとな
 
〔譯〕 春になつたので、妻をさがさうとて、鶯が木の梢をあちらこちらと傳つては、よしもなく鳴き暮らしてゐることである。
〔評〕 妻を求めて鳴く鶯の聲に、作者自身も妻戀しさの心を頻りにそそられたことであらう。否、戀に惱む眼をもつて眺めると、木末を傳ふ鶯の姿さへ、妻を求めて彷徨するかと思ひなされたのである。
〔語〕 ○木末 木のうれの義。木の尖瑞。梢。○鳴きつつもとな 「もとな鳴きつつ」の意。「もとな」は、よしなくの義。「二三〇」參照。「鳴きつつ」は繰返し鳴くをいふ。
〔訓〕 ○春されば 白文「春之在者」で、在は元暦校本等による。字の通りならば、ハルシアレバであるが、ハルサレバと訓む。流布本には「在」を「去」とある。
 
1827 春日《かすが》なる羽易《はがひ》の山ゆ佐保の内へ鳴き行くななは誰喚子鳥《たれよぶこどり》
 
〔譯〕 春日にある羽易の山から、佐保の内へ鳴いて行くのは、誰を呼ばうとする喚子鳥であらう。
(17)〔評〕 卷九の「瀧の上の三船の山ゆ秋津|邊《へ》に來鳴きわたるは誰《たれ》呼子鳥」(一七一三)と同型である。敍景歌の中に、「誰」の一語を點じたのみで。複雜な抒情味を加へた手法はおもしろい。
〔語〕 ○羽易の山 今の白毫寺の上方の山(森口奈良吉氏説)と思はれるが、現在の嫩草山とする説(坂口保氏萬葉集地理辭典)もある。「大鳥の羽易の山」(二一〇)參照。○佐保の内 佐保の山のうちの義ではなく、佐保の里の附近、佐保山と佐保の間の地(總釋)をいふか。「佐保のうちの里を行き過ぎ」(三九五七)ともある。○誰喚子鳥 誰を呼ぶ喚子鳥なのか、の意。
 
1828 答へぬにな喚《よ》びとよめそ喚子鳥《よぶこどり》佐保の山邊を上《のぼ》り下《くだ》りに
 
〔譯〕 いかに呼んだからとて誰も答へもせぬのに、聲を響かせて喚び騷ぐな、喚千鳥よ、佐保山のあたりをそのやうに上つたり下つたりしながら。
〔評〕 佐保山のあたりを鳴いては上り、鳴いては下りする喚子鳥を、たしなめるやうに、又あはれむやうに詠んだのであるが、作者自身むなしく片思ひに歎いてゐる心もちをこめて、且は自嘲し且は自慰してゐるやうな趣が感じられる。牧歌的・童謠的な甘いうら悲しさである。
〔語〕 ○な喚びとよめそ 喚んで響かしむること勿れの意。「とよめ」は下二段活用「とよむ」の連用形で、使役の意を有する他動詞。
 
1829 梓弓春山近く家|居《を》らし續《つ》ぎて聞くらむ鶯のこゑ
 
〔譯〕 春の山近くにあなたは住んでいらつしやつて、鶯の聲を絶えずお聞きになつていらつしやることでせう、うらやましいことです。
(18)〔評〕 春の季節となつた頃、山邊に家居をしてゐる人にむかつて詠み贈つた歌であらう。新古今集には、赤人の歌として「梓弓春山ちかく家居してたえず聞きつる鶯の聲」となつて出てゐるが、僅かの字句の相違で風調全く碎け、意味も自他轉換して平凡化してしまつた。
〔語〕 ○梓弓 張るの意で、同音の「春」にかかる枕詞。○つぎて 引續きて、絶えず。
〔訓〕 ○家居らし 白文「家居之」で、代匠記は「之」の下に「?」或は「天」などの脱とし、略解所引宣長説は「之」を「者」の誤といつてゐる。このままでは、舊訓のやうにイヘヰシテと訓むことは無理である。「之」を虚字としてイヘヲレバと訓む説(總釋)もあるが、從ひ難い。今は古義のイヘヲラシによるが、「居る」の敬語「居らす」と説くところに、なほ考ふべき點がある。
 
1830 うち靡く春さり來《く》れば小竹《しの》の末《うれ》に尾羽《をは》うち觸《ふ》れて鶯鳴くも
 
〔譯〕 うららかな春の季節になつて來ると、篠笹《しのざさ》の葉のさきに、尾を觸れ羽を觸れして、頻りに鶯が鳴くことである。
〔評〕 觀察の緻密な歌である。輕く身を躍らせつつ枝移りして鳴く鶯の敏捷な動作が、眼前に活寫されて居り、それを中心として、おのづから春の情趣が、ふはりと大きく展げられてゐるやうな感じがする。
〔語〕 ○うち靡く 枕詞。「二六〇」參照。○尾羽うち觸れて 「うち」は接頭辭。尾や羽をちらちらと觸れて。「觸る」は古くは四段活用であつたとする説もある。
 
1831 朝霧にしののにぬれて喚子鳥《よぶこどり》三船の山ゆ鳴き渡る見ゆ
 
〔譯〕 朝霧にしつとりと濡れて、喚子鳥が三船の山から鳴きつつ飛んで行くのが見える。
〔評〕 吉野の幽谷の探く立ちこめた朝霧に濡れそぼちつつ、喚子鳥が鳴いて行く。單純な敍景ながら、靜中ただ一個(19)の動を點出して、深山の朝の幽寂を的確に描破してゐる。「朝露にしののにぬれて」の表現は巧妙で、印象も極めて明瞭である。
〔語〕 ○しののに しつとりと。びつしよりとなる位に。○三船の山ゆ 「ゆ」は、を通つての意。三船山は吉野、宮瀧の對岸にある。「二四二」參照。
 
    雪を詠める
1832 うち靡く春さり來《く》ればしかすがに天雲《あまぐも》霧《きら》ひ雪はふりつつ
 
〔譯〕 春になつて來て見ると、それでも今日は又空が冴え返つて、雲が立ちこめ、雪はちらちらと降りつづいてゐることである。
〔評〕 春は立つても、餘寒なは去りやらぬ頃の雪景色を詠んだもの。上代人らしい單純さと素朴さとが見られるが、別に優れたといふ點はない。
〔語〕 ○春さり來れば 春が來て見るとの意。○しかすがに そんな筈は無いのに、それでもやはり、それなのにの意。「三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ」(四〇七九)も同型の語法であるが、上の「來れば」と「しかすがに」以下の事實が相應しないと考へて誤字説を主張する人もある。併し、これは常套の語句を組合せたまでのものと思はれる。○天雲きらひ 空が曇つて。
 
1833 梅の花|零《ふ》り蔽《おほ》ふ雪を裹《つつ》み持ち君に見せむと取れば消《け》につつ
 
〔譯〕 梅の花に降り積つてゐる雪を、包んで行つてあなたにお見せ申さうと思ひ、手に取ると、忽ち消えてしまふことである。
(20)〔評〕 子供のやうに純情のあらはれた、明るく愛すべく、ほほゑましい歌である。「ゆふ占問ふ吾が袖に置く白露を君に見せむと取れば消につつ」(二六八六)は相似た歌で關係があるかも知れぬが、前後は知り難い。
〔訓〕 ○つつみもち 古義はツツミモテと訓んでゐる。
 
1834 梅の花咲き散り過ぎぬしかすがに白雪庭にふり重《しき》りつつ
 
〔譯〕 梅の花は、咲いて既に散り過ぎてしまつた。それなのに、今日はまた雪が庭に降り頻つてゐることである。
〔評〕 梅の花は咲き散つても、再び冴え返つて、霏々として雪の舞ひ來る早春の庭前風景である。平明素朴であるが、取り立てていふほどの歌でもない。
〔語〕 ○ふり重りつつ 頻りに降る、盛に降る意。
 
1835 今更に雪ふらめやもかぎろひのもゆる春べとなりにしものを
 
〔譯〕 今頃になつて雪が降るといふことがあらうか、ちらちらと陽炎の立つ春になつてしまつてゐるものを。
〔評〕 もういよいよ樂しい春であると喜んでゐたところに、俄にまた冬に還つたやうに雪が降り出したのを怪しんだ口吻の中に、また恨むが如き氣特も籠つてゐる。特に結句の語尾には、作者の春にあこがれる強い情が動いてゐる。
〔語〕 ○降らめやも 「や」は反語。直譯すれば「降らうか、降りはせぬ」であるが、ここは「降るべきものであらうか」と怪しみ咎めるやうな意がある。○かぎろひ 陽炎、かげろふのこと。地上から水蒸氣の立つに依つて、地物がゆらゆらする樣に見える現象をいふ。
 
1836 風まじり雪はふりつつしかすがに霞たなびき春さりにけり
 
(21)【譯】 まだ時として風まじりに雪はちらつきちらつきする。しかし季節はさすがに爭はれぬもので、今日は霞が薄くたなびいて、いよいよ春が來たことである。
〔評〕 初二句の現象と四五句の現象とが、同時に起つてゐるかのごとくである。しかし、風のまにまに雪の舞ひ落ちて來る日もまたあるが、今朝は薄く霞がたなびいて、春の生色がほのめいてゐる、と明るい喜を歌つたものと見るべきである。さう見ると、單純の表現中に、春への強い憧憬が躍動してゐるのを感ずる。
〔語〕 ○春さりにけり 春が來たわいの意。
 
1837 山の際《ま》に鶯鳴きてうち靡く春とおもへど雪降りしきぬ
 
〔譯〕 この頃は、山間では鶯が鳴き出して、もはや春になつたと思つてゐるが、また冴え返つて雪がはげしく降つたことである。
〔評〕 この數日、谷間を出た鶯が朗らかに鳴き出したので、その聲を聞いた作者は、春を強く意識した。そこへ又再び雪が降つて來たので、意外の感に打たれた。早春らしい變調に輕い興味をもつた、その感じがよく現はれてゐる。
〔語〕 ○雪降りしきぬ 「しき」は動詞「頻《し》く」の連用形。地上に敷く意ではない。頻りに降るの意。
 
1838 峯《を》の上《うへ》に零《ふ》り置ける雪し風の共《むた》此處《ここ》に散るらし春にはあれども
     右の一首は筑波山にて作れり。
 
〔譯〕 山の上に降り積つてゐる雪が、風につれて此處まで散つて來るのらしい。もう春で雪のちらつく時分ではないけれど。
〔評〕 結句に、既に春になつたのに雪が散り落ちて來るのは、空から降つて來るのではあるまい、といふ心を含めて(22)ゐるのである。季節の矛盾に對する詩的の想像で、筑波山の高さ大きさをもおのづから言外にあらはしてゐる。
〔語〕 ○峯の上 「を」は山の高處をいふ。○むた 共に、一緒にの意。
 
1839 君がため山田の澤に惠具《ゑぐ》採《つ》むと雪消《ゆきげ》の水に裳の裾ぬれぬ
 
〔譯〕 あなたの爲に、山あひの田の澤で惠具を摘まうとして、冷たい雪消の水で裳裾を濡らしたことである。
〔評〕 山田のほとりの澤の冷たい雪消の水に足を浸し、裳の裾を濡らして、惠具を摘んだ里少女の姿が、可憐に偲ばれる。卷七には、「君がため浮沼《うきぬ》の池の菱つむと我が染めし袖ぬれにけるかも」(一二四九)とあるが、情趣は染めし袖の濡れた方にあり、眞實味は此の方がまさつてゐる。
〔語〕 ○惠具 芹の異名とする説と、鴉芋(くろくわゐ)のこととする説とがある。。
 
1840 梅が枝《え》に鳴きて移ろふ鶯の羽《はね》しろたへに沫雪ぞ降る
 
〔譯〕 梅の枝から枝に、鳴きながら移つてゐる鶯の、羽も眞白《まつしろ》になるほど、春の沫雪が降ることである。
〔評〕 「羽しろたへに」の句には、觀察の精妙さがある。印象鮮麗で、さながら日本畫を見るやうな美しい歌である。
〔語〕 ○鳴きて移ろふ 「移ろふ」は古く延言と稱せられたのであるが、「移る」に動作の反覆、又は繼續を表はす「ふ」のついたもの。即ち、枝から枝へ鳴いて移り移りする意。
 
1841 山高み降り來《く》る雪を梅の花散りかも來《く》ると念《おも》ひつるかも【一に云ふ、梅の花咲きかもちると】
 
〔譯〕 山が高いので、春になつてもまだちらちらと降つて來る雪を、梅の花が散つて來るのかと思つたことであるよ。
〔評〕 山に近い里の早春の景である。八の卷なる「吾が屋前《には》の冬木の上にふる雪を梅の花かとうち見つるかも」(一(23)六四五)と同工異曲であるが、いづれも平庸の作たるを免れない。尤も梅は外來植物で、當時まだ珍奇なものであつたことは考慮に入れておかねばならぬ。別傳「咲きかも散る」にしても、たいした變化はない。
〔語〕 ○山高み 山が高いゆゑに。○散りかも來ると 散つても來るのであらうかと。「か」は疑問「も」は詠歎の助詞。結句の「かも」は全くの詠歎である。
 
1842 雪をおきて梅をな戀ひそあしひきの山|片附《かたつ》きて家居せる君
     右の二首は問答。
 
〔譯〕 あなたは雪を見て梅の花のやうであると仰しやるが、その美しい雪景色を棄ておいて、梅の花ばかり慕つてはいけませぬ。山に片寄つて住居をしてゐられる君よ。
〔評〕 前の歌の、早春の山里に居て梅の花を待ち望んでゐるらしい友に、その美しい雪景色を見過すなと云ひ贈つたもの、風流な贈答と云ふべきであるが、歌は秀作とはいひ難い。
〔語〕 ○雪をおきて 雪をさしおいて。○山片附きて 山に片寄りついて、山にくつついての意。「海片附きて」(一〇六二)參照。
 
    霞を詠める
1843 昨日こそ年は極《は》てしか春霞|春日《かすが》の山にはや立ちにけり
 
〔譯〕 ほんの昨日、年が暮れたばかりであると思ふのに、春霞が春日の山に、早くも立ち渡つたことである。
〔評〕 時の流の速さに驚きつつも、春立つ喜をあらはした歌で、上代人らしい單純さがよい。この種の歌は、今は陳腐としか感ぜられないが、ここらが濫觴で、以後、模倣踏襲された結果さうなつたのである。古今集の「昨日こそ(24)さ苗とりしかいつのまに稻葉そよぎて秋風の吹く」も、恐らくこの換骨奪胎であらう。
 
1844 寒《ふゆ》過ぎて暖《はる》來《きた》るらし朝烏《あさひ》さす滓鹿《かすが》の山に霞たなびく
 
〔譯〕 冬が過ぎていよいよ春が來たらしい。朝日の光のうらうらとさす春日山に、霞がたなびいてをることである。
〔評〕 春日山の霞を眺めて、春のおとづれを心躍るばかり喜んだのである。上の「ひさかたの天の香具山このゆふべ霞たなびく春立つらしも」(一八一二)が藤原の都での作であるのに對して、これは奈良の都の人の作なること、いふまでも無い。三句以下の明朗な調は、如何にも盛りあがる喜を思はしめるが、初句は蛇足に近い。これ上の香具山の歌の渾然たる風韻に一籌を輸する所以であらう。
〔訓〕 ○寒をフユ、暖をハル、烏をヒと訓むのは義訓。烏は金烏即ち日輪の意である。「寒」「暖」をフユ、ハルとよむのは他に一例あるのみ。朝鳥、滓鹿とかいたのはここのみである。漢學趣味の人の作などで、もとの字のままに書き寫したのであらう。
 
1845 鶯の春になるらし春日《かすが》山霞たなびく夜目《よめ》に見れども
 
〔譯〕 鶯の鳴き囀る春にもういよいよなるらしい。春日山lには著しく霞がたなびいてゐる。夜見ても知られるほどに。
〔評〕 夜目にもしるく霞が立ち渡つて、ほのかな暖みが流れる頃、四季の移り變りに敏感な日本人は、上代からこの事をいきいきと感じたのである。「鶯の春」も面白い辭樣である。四五句の倒置も一首を引締めて、大いなる効果を擧げてゐる。
〔語〕 ○鶯の春 鶯のなく春。「露霜の秋」(一〇四七)と同工の修辭である。
 
    柳を詠める
(25)1846 霜枯れし冬の柳は見る人の蘰《かづら》にすべくもえにけるかも
 
〔譯〕 今まで霜枯れてゐた冬の柳は、もう見る人が折つて蘰にすることが出來るくらゐに美しく萌え出たことである。
〔評〕 鮮かな緑にもえ出たしだり柳は、早くも蘰にすべく大宮人を誘ひ、春の行樂を思はせたのである。悠揚たる調子が内容にふさはしく、よく春の氣分を表はしてゐる。
〔語〕 ○霜枯れし 霜の爲にいためられて枯木のやうになつてゐたのをいふ。○蘰にすべく 髪に卷附けて飾とすることの出來るくらゐにの意。
〔訓〕 ○霜枯れし 「霜干」の「干」は元暦校本等による。通行本に「十」とあるのは、誤刻である。○もえにけるかも 白文「目生來鴨」で、この歌及び「一八四七」「一八四九」の歌にこの字面がある。字に即しては、メバエケルカモであるが、モエニケルカモと訓む方が妥當である。卷六に「草木尚春者生管」の生をモエと訓んでゐる。
 
1847 淺緑|染《し》めかけたりと見るまでに春の楊《やなぎ》はもえにけるかも
 
〔譯〕 絲を淺緑色に染めて掛け干してゐると思はれるほど、春の柳は美しくもえ出たことである。
〔評〕 眠さむるばかりに色彩鮮麗な作である。譬喩も多く模倣されたので平凡化したが、當初としては斬新適切であつた。古今集の「淺みどり糸よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か」は、これに影響を受けたのではないかと思はれる。
〔語〕 ○淺緑染めかけたりと 薄い緑色に糸を染めて掛けたのかと。○見るまでに 思はれるまでに。
 
1848 山の際《ま》に雪はふりつつしかすがにこの河楊《かはやぎ》はもえにけるかも
 
(26)〔譯〕 山あひではまだ雪が降り降りしてゐる。それでも季節はもう爭はれぬもので、この河楊は美しく萠え出て來たことである。
〔評〕 遠くの山際には、雪が降つてゐる。雪の殘つてゐる河畔に、それでも猫柳が早くも愛らしい芽を出した。動くとも見えぬ天地の春は、いつの間にかそこらの枝頭に忍び寄つてゐるのである。新鮮な歌。
〔語〕 ○河楊 カハヤナギと普通にいひ、「水楊」とも書く。柳のやうには枝を垂れない。多く水邊に生じ、ネコヤナギともいふ。
 
1849 山の際《ま》の雪は消《け》ざるをみなぎらふ川の楊《やなぎ》はもえにけるかも
 
〔譯〕 遠くに見える山間の雪はまた消えないでゐるのに、泡立ち流れるこの川の岸邊の柳は、青々ともえ出たことである。
〔評〕 上の歌と殆ど同想であるが、餘韻乏しく、歌品も低いのは、あまりに克明に描かうとし、語調緊迫し、餘裕を失つた爲であらう。
〔訓〕 ○みなぎらふ 白文「水飯合」で諸本皆斯くあつて、この儘では解し難いので種々の誤字説があるが、考は「飯」を「激」の誤としてミナギラフと訓み、古義は文字のみ考の説を承認し、訓はタギチアフとしてゐる。考による。○川の柳は 白文「川之副者」で、これも諸本一致してゐるがこのままでは解し難い。考は「川副楊」と改め、童蒙抄、古義は「川之楊」と改めてゐる。暫く後説による。
 
1850 朝旦《あさなさな》吾が見る柳うぐひすの來居《きゐ》て鳴くべき森に早なれ
 
〔譯〕 毎朝毎朝自分が眺めてゐるこの柳は、早く茂つて、鶯の來て鳴くやうな森になつてくれよ。
(27)〔評〕 率直單純、意は極めて平明であり、調もおほらかに暢び暢びとしてゐる。いかにも上代人らしい、のどかな歌である。
〔語〕 ○朝旦 「あきなさな」は朝な朝なの約。毎朝の意。○森 樹木の欝蒼と茂つた樣にいふ。
 
1851 青柳の絲の細《くは》しさ春風に亂れぬい間《ま》に見せむ子もがも
 
〔譯〕 この青柳のしだれた絲の、細く美しいことよ。今に茂り過ぎて春風に吹き亂されさうであるが、さうならぬうちに、見せてやるかはゆい人でもをればよい。
〔評〕 春の微風に靡く柳の絲の妙なる風情が浮んで來る。これがやがて風に吹き亂されるであらうと思ひやる心づかひも優しく、この柳のやうな若々しくたをやかな少女を心に描いてゐる氣持も推測される。
〔語〕 ○細しさ 「くはし」は美しい意で、特に繊細美をいふ。○亂れぬい間に 「い」は調子をば整へる接頭辭。「花待つい間」(一三五九)參照。
〔訓〕 ○くはしa 白文「細紗」で舊訓はホソサヲ。古義所引の大神眞潮説により改める。
 
1852 百磯城の大宮人の蘰《かづら》けるしだり柳は見れど飽かぬかも
 
〔譯〕 大宮人たちの頭の飾にしてゐるしだり柳は、まことに美しくて、いくら見ても見飽きないことである。
〔評〕 遲々たる春日、駘蕩たる惠風に袂を弄ばせつつ、美しい青柳を蘰として緩歩する貴公子達の姿が目前に浮ぶ。下にある「百敷の大宮人は暇あれや梅をかざして此處につどへる」(一八八三)と共通するものであり、咲く花のにほふがごとくであつた寧樂《なら》の盛時が偲ばれる。
〔語〕 ○百磯城の 「大宮」の枕詞。「二九」參照。○蘰ける 頭髪の飾にしてゐる意。名詞の「蘰」をカ行四段動(28)詞に活用させた「蘰く」に、完了の助動詞「り」を添へたもの。「る」はその連體形。
 
1853 梅の花取り持ち見れば吾が屋前《には》の柳の眉しおもほゆるかも
 
〔譯〕 梅の花を手に折り取つて見ると、自分の家の柳も既に眉のやうに萠え出したであらうと、遙に思ひやられることである。
〔評〕 旅さきの歌であらう。梅の花を手にとつて懷かしむにつけても、わが家の柳が思はれ、その春色が想像されたのである。梅と柳を愛した萬葉人には、當然の聯想であつたらう。
〔語〕 ○柳の眉し 柳の眉は柳の若芽。柳眉といふ語と關聯させ、美貌の妻をかねていふと見る(代匠記)のは穿ち過ぎである。旅にあつて家の柳を思つたと單純に見るがよい。
 
    花を詠める
1854 鶯の木傳《こづた》ふ梅のうつろへば櫻の花の時|片設《かたま》けぬ
 
〔譯〕 鶯の枝移りをして鳴く梅の木の、その花も散り過ぎたので、もう櫻の花の咲く時が近づいて來た。
〔評〕 梅が散つても、櫻の花の咲く時か來る。春の樂みは盡きないと喜んでゐるのである。胸も躍るばかりの快さが籠つてゐる。「梅の花咲きて散りなば櫻花繼ぎて咲くべくなりにてあらずや」(八二九)と同想であるが、彼よりも此の方が柔味があり趣致に富んでゐる。
〔語〕 ○うつろへば ここは衰へる、盛を過ぎるの意。○片設けぬ 「春冬片設けて」(一九一)「春片設けて」(八三八)參照。ある時期又は季節の近づいた意。
 
1855 櫻ばな時は過ぎねど見る人の戀の盛と今し散るらむ
 
(29)〔譯〕 この櫻の花は、盛を過ぎたといふ程でもないけれども、今が人々の花を慕ふ絶頂であると思つて、飽かれぬうちにかうして散つてゐるのであらう。
〔評〕 櫻の散ることの潔さを稱へたもの。人に惜しまれようと殊更に早く散つてゆく、といふやうに見たのである。いささか理智的であるが、古今集の「いざ櫻われも散りなむ一盛ありなば人にうき目見えなむ」、「なごりなく散るぞめでたき櫻花ありて世の中はてのうければ」などの、身のはてを憂しとし、世の中をはかなむ悲觀的色調にくらべると、明朗快活、やはり上代風と頷かれる。
〔語〕 ○戀の盛 戀ひしがり賞美することの最も盛んな時。「めでの盛」(八九四)と同趣の語。
 
1856 我が挿《さ》しし柳の絲を吹き亂る風にか妹が梅の散るらむ
 
〔譯〕 自分が挿して植ゑたこの柳の木の細い枝を吹き亂す風で、いとしい妹が大事にしてゐる梅の花が散ることであらうか。
〔評〕 春風に庭前の柳の絲が縺れるのを見るにつけて、愛人の庭を思ひ、柳にならべられる梅の花を思ひやつたのである。當時、柳の挿木といふことが行はれてゐたのを知ることが出來る。
〔語〕 ○我が挿しし 挿木としたの意。○吹き亂る 吹き亂すの意。「亂」の活用は、今は他動がサ行であるが、古くは、自動、他動共にラ行で、自動は下二段、他動は四段であつたので、ここは他動の連體形である。
〔訓〕 ○我が挿しし 白文「我刺」で、舊訓ワガカザスは、文字からも趣からも穩かでなく、類聚古集や略解のワガサセルも不適、新考のワガサシシがよい。
 
1857 毎年《としのは》に梅は咲けどもうつせみの世の人君し春なかりけり
 
(30)〔譯〕 毎年春になると梅は咲くけれども、實世間の生活に没頭してゐるあなたには、樂しい春といふものがまるでないのですね。
〔評〕 人事、生活の繁劇、もしくは窮乏を云つて同情したものであらう。「百磯城の大宮人は暇あれや梅をかざしてここにつどへる」(一八八三)と比べて見ると、咲く花のにほふが如くであつた天平時代の生活にも、かやうな一面があつたことを語る特異の作である。
〔語〕 ○年のはに 毎年。「四一六八」の註に「毎年謂2之等之乃波1」とある。○うつせみの 單なる「世」の枕詞とも見られるが、ここは現實世界の人と解する方がよいやうである。
〔訓〕 ○君し 白文「君羊蹄」で「君」は「吾」の誤かといふ説(代匠記精撰本)もあるが、一も證本がないので從へない。羊蹄《シ》は菜草の名。
 
1858 うつたへに鳥は喫《は》まねど繩《しめ》延《は》へて守《も》らまく欲《ほ》しき梅の花かも
 
〔譯〕 決して鳥は啄ばまないけれども、しめ繩を引き張つて番をしたく思ふ、この大切な梅の花ではあるわい。
〔評〕 梅は當時まだ珍奇な觀賞木であつたから、作者はそれを愛重したことは勿論であるが、この歌は單にそれだけでなく、梅をわが愛する女にたとへたもののやうに解される。
〔語〕 ○うつたへに 全く、專らなどの意。「五一七」參照。但、かりそめに、未だ必ずしも、などの意とする考へもある。
 
1859 馬竝めて高き山邊を白たへに艶《にほ》はしたるは梅の花かも
 
〔譯〕 高い山のあたりを眞白に色どつてゐるのは、あれは梅の花であらうか。
(31)〔評〕 梅は上にもいふ通り、外來の花として當時珍重されたもので、かくのごとく多く山野に自生してをるのはいかがはしいから、梅は櫻の誤であらうとの説(略解)がある。
〔訓〕 ○馬竝めて高き山邊を 二句の間の續きがらがわからないので、略解所引宣長説は、初句の白文の「馬竝而」の馬を忍の誤としてオシナベテとよんでゐる。二句は、大矢本以下「高山部乎」とあるが、元暦校本等には皆「高山乎」とあるから、高の上に※[獣偏+葛]の字のおちたとみれば「馬なめてかりたか山を」としてととのつたよい歌となる。しかし、さういふ文獻の存しないのは遺憾である。
 
1860 花咲きて實《み》はならねども長さ日《け》におもほゆるかも山振《やまぶき》の花
 
〔譯〕 山吹は、花が咲いても實はならないものであるが、自分は、實のなる時もあらうと、長い月日の間思ひつづけてゐる。
〔評〕 女と約束のみして、未だ逢ふことが出來ぬのを、何時かは逢へようと待つてゐる譬喩の歌であらう。しかし、さう解しないで、山吹は、花がさいても實のならぬものではあるが、長い間なつかしく思はれると、單に山吹を愛好した歌ともとられる。
〔語〕 ○良き日に 長い月日の間。○おもほゆるかも 思はれることであるよの意。
 
1861 能登河《のとがは》の水《みな》底さへに光《て》るまでに三笠の山は咲きにけるかも
 
〔譯〕 能登河の水底まで光り輝くほどに、三笠山の櫻の花は爛漫と咲いたことである。
〔評〕 三笠山の櫻の能登河に映じた佳景が、眼前に展開される。櫻花と流水との明るさ麗しさが巧みに描かれ、「さへ」の一語によつて景觀は更に擴大されてゐるし、三笠の山が咲いたといふ放膽な表現も、それに適應して大まかで(32)よい。
〔語〕 ○能登河 春日山から出て、高圓山と三笠山との間を流れ、奈良市に入り、末は佐保川に合する川。○水底さへに あたり一帶は勿論、川底までもの意。
 
1862 雪見ればいまだ冬なりしかすがに春霞立ち梅は散りつつ
 
〔譯〕 消え殘つてゐる雪を見ると、まだ冬である。しかし、さすがに季節は爭はれないもので今日は春霞が立ち、梅の花はもう散つてゐる。
〔評〕 上にあつた「梅の花咲き散り過ぎぬしかすがに白雪庭に零りしきりつつ」(一八三四)と同樣の景色であつて、それを反對に詠んだ觀がある。但、「雪見れば」は、精しくいへば、殘雪か、遠山の雪か、それとも現に降つてゐる泡雪か曖昧で、從つて一首の解釋を缺く憾がある。
 
1863 去年《こぞ》咲《さ》きし久木《ひさぎ》今咲く徒《いたづ》らに地《つち》にやおちむ見る人なしに
 
〔譯〕 去年咲いた久木の花が、今また咲いた。しかし、むなしくこのまま地に落ちてしまふことであらうか、眺める人もなしに。
〔評〕 人に知られず咲いて、人に知られず散つてゆく久木に對する愛惜の情をのべたもので、別に寓意がありさうにも思はれない。或は花そのものは何でもないが、去年咲いた時は共に眺める人があつたのに、今年はそれがゐないといふ惆悵の情をこめたものかとも想像される。
〔語〕 ○久木 「九二五」に述べたごとく、赤目柏といふ説が有力で、又キササゲともいふが、いづれにしても惜しいほどの花は咲かない。從つて誤字説も多いが、今はこのままとし、後考を待たう。
(33)〔訓〕 ○こぞ咲きし久木今さく 白文「去年咲之久木今開」で、考は「久木」を「冬木」又は「文木」の誤と見てウメハイマサクかとし、或は「之久木」を「左久樂」の誤でサクラかとも疑つてゐる。古義は「足氷」の誤でアシビとし、新考は「去年殖之若木」の誤でコゾウヱシワカキとする等、諸説がある。
 
1864 あしひきの山の間照らす櫻花この春雨に散り去《ゆ》かむかも
 
〔譯〕 山あひを照らすほど美しく咲いてゐる櫻の花も、しとしとと降り出したこの春雨に、散つてしまふことであらうか。
〔評〕 黄葉が時雨に誘はれて色づき、櫻花が春雨に催されて咲くやうにうたはれてゐるが、一度、黄葉し或は花咲いた後は、時雨や春雨がそれらを散らすとも見たのは自然である。この歌、櫻花に對する愛がよく現はれてゐる。
〔訓〕 ○山の間 白文「山間」で、古義ヤマカヒとよみ改めたが、舊訓のままでよい。○ちりゆかむかも 白文「散去鴨」で、類聚古集などの古訓はチリヌラムカモとあり、考はチリニケムカモと訓んでゐるが、通行本などの仙覺の訓が最も穩かである。
 
1865 うち靡く春さり來《く》らし山の際《ま》の遠き木未《こぬれ》の咲き行く見れば
 
〔譯〕 いよいよ春がやつて來るらしい。山あひの遠く連なる樹々の梢が、次第に咲いて行くのを見ると。
 
〔評〕 この歌は「うち靡く春來るらし山の際《ま》の遠き木末《こぬれ》の咲き行く見れば」(一四二二)の異傳である。
〔訓〕 ○遠きこぬれの 白文「最木末之」で、類聚古集はタカキコズヱノと訓み、他の諸本はヒサギノスヱノと訓んでゐるが、後者は全く誤である。諸註の中、代匠記精撰本のホツキノウレノ、改訓抄のイトモコズヱノは共に不適で、考のトホキコズヱノも定訓とはなし難いが「最」は適當な訓がないので「一四二二」の「遠木末乃」に據つて、姑く(34)トホキコヌレノと訓んでおく。
 
1866 春※[矢+鳥]《きぎし》鳴く高圓《たかまと》の邊《べ》にさくら花散りて流《なが》らふ見む人もがも
 
〔譯〕 雉の鳴く高圓の野邊あたりに、櫻の花が散つて、まるで春風に流れるやうである。この美しい景色を見る人でもあればよいのに。
〔評〕 折々雉が鳴いて、落花は流れるやうに風に飄へる高圓の野の春色が、巧みに描かれてゐる。寂寞として然ものどやかな春晝に一人立つて、他にこの佳景を見る人無きを惜しんだもので、萬葉人の單純素朴な自然愛があふれてゐる。
〔語〕 ○高圓の邊 高圓山から、山裾の野へかけてのあたり一帶をいふ。○流らふ 後から後からと花の散りつづく意。「流る」は花の散り、時雨や雪などの降るさまに用ゐられてゐる。「ふ」は「流る」の反覆、又は繼續をあらはす。
 
1867 阿保山の櫻の花は今日もかも散り亂るらむ見る人無しに
 
〔譯〕 阿保山の櫻の花は、今日この頃はまあ美しく散り亂れてゐることであらう、誰も見る人はなくて。
〔評〕 嘗て見た阿保山の櫻の花が、見る人もなく散つてゆくのを想像して、惜しんでゐるのである。「今日もかも」の一句で、現實味をぐつと強化してゐる。
〔語〕 ○阿保山 阿保は山城にも伊賀にもあるが(略解)、此の前後の歌に詠まれてゐる地名はいづれも大和の國内のものであるから、これも佐保村不退寺の丘陵とする説(大日本地名辭書)が有力である。
〔訓〕 ○櫻の花は 白文「佐宿木花」で、諸本皆かうなつてをり、舊訓サネキノハナハとあるが、解し難い。考は「宿木」を「樂」の誤としてサクラノハナと訓み、古義もこれに賛し、又別案を試みてやはりサクラとしてゐる。今姑く考の説に從ふ。
 
(35)1868 かはづ鳴く吉野の河の瀧《たき》の上《うへ》の馬酔木《あしび》の花ぞ地《つち》に置くなゆめ
 
〔譯〕 河鹿の鳴く吉野河の瀧のほとりに咲いてゐる馬醉木《あしび》の花である、これは。この美しい花を、地上に散らしてはならない、決して。
〔評〕 吉野川の激流のほとり、たわわに咲き滿ちてをる馬醉木の花を愛でた歌、率直無技巧である。清い河鹿の聲、たぎつ流、眞白な珠を綴る馬醉木の花、それらの綜合が構成する情景は頗る印象的で美しいが、文字に疑問があつて定訓を得難いのは遺憾である。
〔語〕 ○かはづ 河鹿のこと。○地に置くなゆめ 決して地上に散らすなの意。また、散らずにいつまでも梢にあれの意(古義)とも、麁末にあつかふなの意(總釋)とも説く。
〔訓〕 ○地に置くなゆめ 白文「置末勿勤」で、この儘では訓み難いので、契沖以來誤字説が多いが、略解が或人、古義が大神眞潮の説として擧げた「末」は「土」の誤でツチニオクナユメと訓むべしといふのが穩かと思はれる。
 
1869 春雨に爭ひかねて吾が屋前《には》の櫻の花は咲き始《そ》めにけり
 
〔譯〕 降りつづく春雨に、さからふことが出來ないで、わが家の庭の櫻の花は、やつと咲き始めたことである。
〔評〕 しめやかな春の雨が、櫻の花を誘ふやうに降りつづく。その雨の誘ひには心強く反抗しかねて、つひに咲き始めたと見たのである。花を待つ心の切なるさまが想像される。
〔語〕 ○爭ひかねて 春雨が花を咲かせようとしてゐる、それに抵抗しかねて。
 
1870 春雨は甚《いた》くなふりそ櫻花いまだ見なくに散らまく惜しも
 
(36)〔譯〕 春雨はひどく降つてくれるな。櫻の花をまだ見にも行かないのに、そんなに降ると散つてしまふたらうが、實に惜しいことである。
〔評〕 内容は極めて平庸であるが、情は甚だ自然である。「いまだ見なくに」は、櫻が咲いたといふ噂を聞いたが、連日の雨にさへぎられて、見に行けぬ遺憾の心もちをよく表現し得てゐる。
 
1871 春されば散らまく惜しき梅の花|暫《しまし》は咲かず含《ふふ》みてもがも
 
〔譯〕 春になると咲いて程なく散るのが惜しい梅の花よ。暫くは咲かずに、蕾のままででもゐてくれればよい。
〔評〕 咲くのは嬉しいが、吹いたものはやがて散る。その散るのが惜しいので、暫しは蕾のままでゐてくれといふのは、如何にも純な古代人らしい願である。特に當時、外來の珍奇な花としてもてはやされた梅花であるといふことも思ふべきであらう。
〔語〕 ○含みてもがも 含《ふふ》むは蕾んでゐること。咲かずにゐて欲しいの意。
 
1872 見渡せば春日《かすが》の野邊に霞立ち咲きにほへるは櫻花かも
 
〔譯〕 見渡すと、春日野のあたりに霞が立つて、その中に美しく咲いてゐるのは、櫻の花かまあ。實にすぼらしいことである。
〔評〕 遠く霞の中に咲きにほふ櫻花の眺め、今も昔も美しい日本の春の典型的な景色である。
〔語〕 ○櫻花かも 事實では、櫻の花だらうかと怪しむやうな場合ではないから、純粋の詠歎と見るのが自然ともいへるが、「は‥‥かも」は、形式としては疑問の意味のふくまる構成である。
 
(37)1873 いつしかもこの夜の明けむ鶯の木傳《こづた》ひ散らす梅の花見む
 
〔譯〕 いつまあ此の夜が明けることであちらか。どうか早く明けてくれ。鶯が枝移りをしながら散らす梅の花の風情を見たいものである。
〔評〕 夜半に目が覺めて庭の梅を思ひ、夜の明けるのももどかしく感じたのである。鶯が愛らしい足で踏み散らす梅の花、或はその羽振《はぶり》に散る花、――繪のやうな風情を脳裡に描きつつある萬葉人の自然愛が、ほほ笑ましく偲ばれる。
〔語〕 ○いつしかもこの夜の明けむ 「し」は強意の助詞。この夜はいつ明けるだらうかの意で、早く明けてほしいの心もちを含めてゐる。
 
    月を詠める
1874 春霞たなびく今日の夕月夜《ゆふづくよ》清く照るらむ高松の野に
 
〔譯〕 春霞の薄々とたなびいてゐる今日の夕月の光は、さだめし美しく照ることであらう、高松の野邊一面に。
〔評〕 霞たなびく野に月が清く照るとは矛盾のやうであるが、これは同時の事と解さなくてもよい。霞のたなびいてゐる今日のなごやかさから、今夜は夕月が美しく照るたらうと思ひやつたのである。春の靜かな氣分がよく出てゐる。
〔語〕 ○夕月夜 ここはただ夕月の意で「夜」は輕く添へたもの。○高松の野 高圓野のこと。「二三〇」參照。
〔訓〕 ○夕月夜 白文「暮三伏一向夜」で、暮はユフ。「三伏一向」は當時行はれてゐた博奕に基づくもので、「折木四《カリ》」(九四八)、「一伏三向《コロ》」(三二八四)の類である。當時四枚の木片を投じ、その表裏の數によつて勝敗を爭つたものらしく、三箇裏を出し、一箇表を見せたものをツクとよび、その反對の場合を、コロとよんだものと推測される。狩谷※[木+夜]齋の箋註倭名類聚鈔及び「天平文化」なる高楠博士の「天平時代を中心とした印度と日本の關係」等に詳しい。
 
(38)1875 春されば樹《き》の木《こ》の暗《くれ》の夕月夜《ゆふづくよ》おほつかなしも山|陰《かげ》にして【一に云ふ、春されば木がくれ多きゆふづく夜】
 
〔譯〕 春になつたので、樹木の下の欝蒼たるところにさす夕月は、薄暗くおぼつかないことである、しかも此處は、山陰であるから。
〔評〕 非常に織細鋭敏な感覺で、情趣は頗る幽婉である。「樹の木の暗」は意味は通ずるものの、一に云ふ「木がくれ多き」の方が穩かである。
〔語〕 ○本の暗の 樹の茂つて暗いこと。木の下闇。○夕月夜 ここは夕月そのものをいふ。「夜」は輕く添へた接尾辭。○おほつかなしも はつきりしないことよ。
〔訓〕 ○木がくれ多き 白文「木陰多」代匠記にはコカゲノオホキ、今舊訓による。
 
1876 朝霞|春日《はるひ》の晩《く》れば木《こ》の間《ま》よりうつろふ月をいつとか待たむ
 
〔譯〕 朝霞のたなびくこの春の日が暮れたならば、木の間を傳ひ移つて出て來る月が美しいたらうが、その月をいつのことと自分は待たうか。春の日は中々暮れ難く待ち遠しいことである。
〔評〕 靜かな朧月夜の美觀と情趣とにあこがれて、春日の遲々たるを恨むがごとき心もちは、既に著しく歌人的意識の發達したことを感じさせる。
〔語〕 ○朝霞 枕詞と見る説もあるが、やはり朝霞のたつ春の日とつづけた實景と見るべきである。○春日の晩れば 「晩れ」を名詞とし、「木の暗」のくれと同じく、朝霞の薄暗い時分の意と解する説(略解所引宣長説)、「晩れば」で、朝から霞がたつてこんなに薄暗いから、日が暗れてしまつたならばどんなに暗いだらうと解する説(古義)など種々あるが、今は「晩れば」とよみ、その意義は前述の如く解した。○木の間より この「より」は、を通つての意。(39「雲間より渡らふ月の」(一三五)參照。 
 
    雨を詠める
1877 春の雨にありけるものを立ち隱り妹が家|道《ぢ》にこの日暮らしつ
 
〔譯〕この雨は長くつづく春の雨であつたのに、うつかりと、今に止むかと雨宿りをしてゐて、女の家へ行く途中で、この一日を暮らしてしまつたことである。
〔評〕 春雨は降り出したら容易に止まぬものであるのに、今に止むかと雨宿りをして時を移すといふのは、今の我々にもあることで首肯される。併し「この日暮らしつ」に至つては悠長である。のどかな古代人の生活ぶりが想像される。面白い捉へどころであるが、併し表現は十分とはいひ難い。
〔語〕 ○春の雨に 春雨は絶間なく、長くしとしと降るものとの意を含めてゐる。はかばかしくふらぬものを(代匠記)は從ひ難い。○立隱り 雨宿りをしてゐたこと。
 
    河を詠める
1878 今|往《ゆ》きて聞くものにもが明日香川《あすかがは》春雨ふりて激《たぎ》つ瀬の音《と》を
 
〔譯〕 今これから行つて聞きたいものである。明日香川の、春雨が降つたので水量が増して激流をなし、泡立ち流れる爽快な音を。
〔評〕 日を連ねて春雨の降る頃、水量を増した故郷の明日香川の流を偲んだ歌で、單純率直、壯快な氣分に滿ちた作である。
〔語〕 ○聞くものにもが 直譯すれば、聞くものであつてほしいの意。從つて、聞きたいといふ希望になる。
 
(40)    煙を詠める
1879 春日野《かすがの》に煙立つ見ゆ※[女+感]嬬等《をとめら》し春野の菟芽子《うはぎ》採みて煮《に》らしも
 
〔譯〕 春日野に、煙の立つのが見える。さては少女《をとめ》たちが、樂しい摘草に出て、春野の嫁菜を摘んで煮てゐるらしいよ。
〔評〕 長閑な春晝、奈良の都から眺めると、春日野の若草緑なる彼方に、煙が細く淡く立ち昇つてゐる。野遊の少女達が、摘み取つた嫁菜を煮てたべてゐるのであらうと、作者は推量したのである。緑の野に映える赤裳の裾、春の日ざしに頬もほてり、笑ひさざめきつつ嫁菜を煮る少女らの姿も浮んで來るやうである。
〔語〕 ○兔芽子 今いふ嫁菜のことで、ウハギ、オハギ、ヨメガハギなどともいふ。「二二一」參照。○煮らしも 推量の助動詞「らし」は動詞の終止形を承けるのであるが、上一段活の動詞では、かく連用形を承けることもある。古格である。
 
    野邊
1880 春日野の淺茅《あさぢ》が上に思ふどち遊べる今日は忘らえめやも
 
〔譯〕 春日野の淺茅原の上で、親しい友だち同士が遊んでゐる今日の面白さは、何で忘れられようか。
〔評〕 春日野に出て、茅花を拔いたりなどして遊んだのであらう。淺茅と聞けば、直にすがれた秋の野を思ふのは、後世の歌に馴れた故である。
〔語〕 ○淺茅 淺は丈の短い義で、必ずしも疎生の意ではない。茅は元來丈が長くならないものゆゑ、特に淺茅といふのである。
(41)〔訓〕 ○遊べる今日は 白文「遊今日」で、類聚古古集などの訓による。通行本等の仙覺本はアソブケフヲバとあり、古義はアソブコノヒノと改めてゐる。
 
1881 春霞立つ春日野を往き還り吾は相見むいや年のはに
 
〔譯〕 春霞の長閑に立つ春日野を、往きつ戻りつして、自分は友達と一緒にこのよい景色を見たいものである、この後いつまでも毎年毎年かはらずに。
〔評〕 友とうち連れて春日野に野遊をした樂しさに、この後も長く變ることなく行樂を共にしようといふので、誰でもがもつ共通的の念願であり、それだけに類型的な表現でもある。
〔語〕 ○往き還り 往つたり來たりして。○相見む 友と一緒に見よう。○いや年のはに 毎年毎年。「いや」は、いよいよ、ますますの意。
 
1882 春の野に心のべむと思ふどち來《こ》し今日の日は晩《く》れずもあらぬか
 
〔譯〕 春の野で心をのびのびさせようとて、親しい友達同士で遊びに來た今日の日は、いつまでも日が暮れずにゐてほしいものであるよ。
〔評〕 春の野の行樂に、長い日もなほ飽きならぬ思ひである。家持の、「もみち葉の過ぎまく惜しみ思ふどち遊ぶこよひは明けずもあらぬか」(一五九一)はこれに似てゐる。
〔語〕 ○心のべむと 心をのんびりさせようと、憂さを晴らさうと。○暮れずもあらぬか 暮れずにゐないものかなあ、願はくは暮れずにあれかしといふ願望の意。「人も無き國もあらぬか」(七二八)參照。
〔訓〕 ○來し今日の日は 白文「來之今日」で、キタリシケフハともよめる。
 
(42)1883 百磯城《ももしき》の大宮人は暇あれや梅を挿頭《かざ》してここに集《つど》へる
 
〔譯〕 宮中に仕へてゐる方々は、今日は暇《ひま》があるからであらうか、梅の花を冠に挿して、ここにつどうて居る。
〔評〕 春光麗かな春の野に、梅花を冠に挿した大宮人が群れ集つてゐるのである。當時の大宮人の生活を語るのどかな作である。新古今集には、これを赤人の作として、四五句を「櫻かざして今日も暮しつ」として載せてある。奈良時代と平安時代との時代の好尚の相違を示してをり、また歌の調の大いなる相違をも示してゐる。
〔語〕 ○百磯城の 宮にかかる枕詞。「二九」參照。○暇あれや 暇あればにやの意。「ば」を用ゐないのは古格である。多くは下に「や」「こそ」「かも」等が來る場合である。「斯く戀ふれこそぬばたまの夢に見えつつ」(六三九)參照。「や」は疑問の助詞。
 
    舊《ふ》りにしを歎く
1884 冬過ぎて春し來《きた》れば年月は新たなれども人は舊《ふ》りゆく
 
〔譯〕 冬が過ぎて春が來ると、年月は新しくなるのであるけれども、人間はだんだん舊くなつて、年をとるばかりである。
〔評〕 老人が我が身を顧みて述懷したもの。集中には珍らしい歌である。快活で現實的であつた上代人は、その境地に應じてそれぞれ現實を樂しんでゐたので、自己の老を嘆くといふやうなことは稀であつたが、佛教思想の薫染などによつて、漸次さういふ傾向も生じて來たのである。併し、この歌などは多少の感慨はあるが、まだ著しい悲調は帶びてゐない。古今集の「百千鳥さへづる春は物ごとにあらたまれども我ぞふりゆく」は、これに似てゐる。
〔訓〕 ○あらたなれども 白文「雖新有」で、舊訓アラタマレドモであるが、代匠記に從ふ。
 
(43)1885 物皆は新《あらた》しき良《よ》しただ人は舊《ふ》りぬるのみし宜しかるべし
 
〔譯〕 世の中の物はすべて新しいものがよい。ただ人間だけは、古くなり年功を積んだのに限るであらう。
〔評〕 これも亦珍らしい歌である。いかにも萬葉人らしいおほどかな心境であつて、その中に眞理も含まれてゐる。契沖が擧げたやうに、尚書中の「人(ハ)惟(レ)求(ム)v舊(キヲ)、器(ハ)非(ズ)v求(ムルニ)v舊(キヲ)惟(レ)新(キヲス)」に似たところがある。
〔訓〕 ○新しき良し 白文「新吉」で、舊訓アタラシキヨシとあるが、古義がアラタシキヨシと改めたのに據る。集中アタラ、アタラシ、アタラシキと用ゐられたのは、すべて惜しむべしの意である。「新」はアラタ、アラタシであつたのが、その形容詞は、後世音が轉換してアタラシとなつたものと推察される。類聚名義抄では、「新」にアラタシキの訓がある一方、アタラシの訓も「新」「更」「革」等につけられてゐる。本集では確實な假名書の例はないが、アラタシに據るべきであらう。
 
    逢へるを懽《よろこ》ぶ
1886 住吉《すみのえ》の里行きしかば春花のいやめづらしき君に逢へるかも
 
〔譯〕 住吉の里を歩いてゐたところ、春の花のやうにめづらしいあなたに、偶然にもお目にかかつたことであるよ、まあ。
〔評〕 相識る人に意外な處でゆくりなくもめぐり逢うた喜が、語尾に躍動してゐる。「春花の」といふ枕詞も、頗る有機的によく利いてゐる。
〔語〕 ○春花の 枕詞。春の花の愛づらしき意で、めづらしきにかかる。
〔訓〕 ○行きしかば 白文「行之鹿齒」で、「行」は諸本悉く「得」とあつて解し難い。暫く考の説に從つて「行」(44)とし、後考を待つ外はない。
 
    旋頭歌
1887 春日なる三笠の山に月も出でぬかも佐紀《さき》山に咲ける櫻の花の見ゆべく
 
〔譯〕 春日にある三笠山に、月が出てほしいものである。佐紀山に咲いてゐる櫻の花が見えるやうに。
〔評〕 奈良の北部なる佐紀山の夜櫻を月下に眺めようとして、三笠山から出る月を待つてゐるのである。本集には櫻の歌は意外に少く、たまたまあつても香雲靉靆といふ趣を詠じたのは稀であるが、この歌はその稀な中の一つである。明朗爽快な作。
〔語〕 ○出でぬかも 出ないものかなあ、出てほしいものであるの意。○佐紀山 佐保山の西に連なる丘陵。
 
1888 白雪の常《つね》敷《し》く冬は過ぎにけらしも春霞たなびく野邊の鶯鳴くを
 
〔譯〕 白雪の常に降りしきる冬は、もういよいよ、過ぎてしまつたらしいなあ。春霞のたなびく野邊の鶯が鳴いてゐるのだもの。
〔評〕 内容は何の奇も無いが、調が頗る引緊つてゐて、巧みな表現である。春來るといふ明るい喜が生き生きと躍動してゐる。大和盆地の烈しい寒氣に閉ぢこめられてゐた人の、やつと解放されるといふ心もちと思ふべきである。
〔語〕 ○常敷く 常なる?態に於いて在るの意で、ここは常に降りつづくをいふ。「太しく」「高しく」なども同樣、「太」「高」といふ?態に於いて存在する義である。○鶯鳴くを 「を」は詠歎の助詞。
〔訓〕 ○鳴くを 白文「鳴焉」で、舊訓ナクモ、考はナキヌと訓む。「一八一九」によつてナキツとも訓める。「焉」は漢文流の助字であるが、ここではヲと訓むのがまさつてゐる。
 
(45)    譬喩の歌
1889 吾が屋前《には》の毛桃《けもも》の下に月夜《つくよ》さし下心《したこころ》吉《よ》しうたて此の頃
 
〔譯〕 わが家の庭の毛桃の下に月の光がさして、何となく心ひそかに愉快である。平素と變つて此の頃は。
〔評〕 柔かな和毛《にこげ》におほほれた桃の球が、月の光にくつきりと浮びあがつてゐる。その美しい庭の眺めを、そのまま取り用ゐて譬喩としたもので、豐かな實をふくよかな少女の肉體に比してゐるのであらう。素朴な官能的な匂の強い歌である。
〔語〕 ○毛桃 桃の一種。「一三五八」參照。○月夜さし ここは月の光の意。以上三句を「下心」の序と見る説(略解所引、宣長説)もあるが、ただ庭前の景とし、全體を暗喩と解すべきである。○うたて ここでは厭はしいの意ではなく、「うたた」と同じ。尋常でなくあやしい、平常と變つての意。「みか月のさやにも見えず雲隱り見まくぞほしきうたて此の頃」(二四六四)參照。
 
  春相聞《はるのさうもに》
 
1890 春日野に友鶯の鳴き別れ歸ります間《ま》も思ほせ吾を
 
{譯〕 春日野で鶯の仲間が鳴きつつ別れるやうに、私等二人は、泣いて別れますが、あなたはお歸りになる途中も、(46)どうか思つてゐて下さいませ、この私を。
〔評〕 巧妙で優美な歌。下の敬語も婦人らしく哀艶である。春日野の友鶯を序としたのは、嘗て共に手を携へてその野を逍遙した折があつて、その時の囑目を今持ち來つたものとも解されるが、やはり眼前の光景と見る方がよい。
〔語〕 ○友鶯 友千鳥と同じく、つれだつてゐる鶯。併し鶯は群居するものでないから、二羽くらゐの場合であらう。○鳴き別れ 鶯の啼きつつ別れるやうに、泣き別れたのをいつたもの。
〔訓〕 ○友鶯 類聚古集による。諸本みな「友」を「犬」とあるのは誤である。
 
1891 冬ごもり春咲く花を手折《たを》り持ち千遍《ちたび》の限こひ渡るかも
 
〔譯〕 美しい春の花を折つて手に持ちつつ、いつまででも眺め愛玩してゐるが、その花のやうに美しい愛人を、常住不斷に戀ひつづけてゐることである。
〔評〕 春の花の美しさに、戀人の婉容を聯想したのである。萬葉的な單純な表現は、愛すべきものがある。
〔語〕 ○冬ごもり 春にかかる枕詞。「一六」參照。ここは枕詞でないとする説(新考)もある。○千度の限 千度に及ぶまでもの意。限は果の意。併し、戀ふるといふ精神作用は、百度千度と回數を以て數へるべきことではないので、ここは、いつまでも、常住不斷にと解すべきであらう。
 
1892 春山の霧に感《まど》へるうぐひすも我にまさりて物思はめや
 
〔譯〕 春の山の霧の中に迷ひこんで鳴いてゐる鶯も、自分以上に物思をしようか。決して、自分ほどに苦しんではゐまい。
〔評〕 丹比眞人の「宇陀の野の秋萩凌ぎ鳴く鹿も妻に戀ふらく我には益さじ」(一六〇九)と春秋の差あるのみで、(47)全く同型であるが、「春山の霧にまどへる鶯」が、類想を離れて斬新な趣向であり、また適切な譬喩でもある。
〔語〕 ○春山の霧 後世は霞は春のもの、霧は秋のものと固定的にしてしまつたが、古昔は霞と霧と必しも嚴格に區別しなかたつこと「霞立つ春日の霧れる」(二九)、「秋の田の穗の上に霧らふ朝霞」(八八)等の例でもわかる。尤も實際に於いて、霧は秋に限つたものではないので、ここはやはり本當の霧と見るべきである。
〔訓〕 ○この春相聞の七首は人麿歌集所出のもので、漢字が多く假名が少いが、ことに此の歌は「春山霧惑在鶯我益物念哉」と十一字にかいてある。
 
1893 出でて見る向ひの岡に本《もと》繁《しげ》く咲きたる花の成らずは止《や》まじ
 
〔譯〕 家から出ると見える向うの岡に、幹もいつぱいに咲いてゐる花は、やがて實になるであらうが、丁度そのやうに自分等の戀も、成就し計ければ決して思ひとどまるまい。
〔評〕 この戀を遂げずにはおくまいと心に誓つて、きつと打ち眺めた向うの岡には、花が美しぐ咲き滿ちてゐた。直ちにそれを序として歌ひあげたのてあらうと思はれる。類歌としては「はしきやし吾家の毛桃本しげみ花のみ咲きてならざらめやも」(一三五八)「大和の室原の毛桃本繁くいひてしものを成らずは止まじ」(二八三四)などあるが、その先後はわからない。
〔語〕 ○本繁く 幹のあたりにも花が盛に咲いてゐる樣で、花の多く咲いてゐる意。○咲きたる花の 咲いてゐる花が實のなるやうに、吾が戀も成功しなければの意。
〔訓〕 ○咲きたる花の 白文「開在花」で、略解は「開在桃」と改め」濱臣(同書所引)は更に「在」を「毛」の誤としてゐるが、これらの説は前掲の類歌と結びつけて解するからであるが、根據としては薄弱である。原文のままで差支ない。
 
(48)1894 霞立つ春の永日を戀ひ暮らし夜のふけ行きて妹に逢へるかも
 
〔譯〕 霞の立つ春の長い一日を、戀しく思ひ暮らして、しかも夜がふけてしまつてから、やつと愛人に逢つたことである。
〔評〕 霞がおぼほしく立ちこめた長い春の一日を戀に惱み暮らしただけに、相逢うた時の喜もまた深いものがあつたであらう。一二三句は各々別であるが、結句の餘情に歡喜を託したこの種の作には、「大原のこの市柴のいつしかと吾がもふ妹に今夜逢へるかも」(五一三)、「天の河川門に居りて年月を戀ひ來し君に今夜逢へるかも」(二〇四九)のごとき類歌もある。
〔訓〕 ○春の永日を 白文「春永日」で、古義にナガキハルヒヲの誤としたのは別として、類聚古集、拾穗抄のハルノナガキヒの訓も多く行はれてゐるが、舊訓の方が優れてゐる。「霞立つ春の長日を」(三一五〇)の例もある。なほ四句は、考の訓によつたが、代匠記は四五句をヨノフケユカバイモニアハムカモとよんでゐる。
 
1895 春されば先づ三枝《さきくさ》の幸《さき》くあらば後にも逢はむ莫《な》戀ひそ吾妹《わぎも》
 
〔譯〕 春になると先づ三枝《さきくさ》が目につくが、そのさきくさといふ名のやうに、幸《さき》く無事でさへゐたらば、後に逢ふ機會もあらう。そのやうに戀しがるな、わがいとしい妻よ。
〔評〕 後の逢瀬を契つて、愛する女をいひ慰めたもの。逢瀬ままならぬ仲の常套語ではあるが、眞實である。序は同音の爲に用ゐたものであるが、佳調である。
〔語〕 ○三枝の 三枝は「九〇四」に述べたやうに、諸説の中、山百合説が有力であるが、それでは此の歌には適しない。そこで「春さればまづ」を「さき」にかかる序と見る説(全釋)もあり、又ここは傳説的に傳へられてゐる瑞(49)草で、それを春のものとして取出して「さきくさの」だけを「さきく」にかけ、「春されば」云々は春になつたので、先づ無事でさへあればの意と解する説(總釋)もある。誤字説(宣長)や三葉芹とする説(新考)は從ひ難い。
 
1896 番さればしだり柳のとををにも妹は心に乘りにけるかも
     右は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
〔譯〕 春になるとしだり柳がたわむが、丁度そのやうに、たわたわと、あのかはゆい女は、自分の心に乘りかかつてしまつてゐることである。自分の心は、あの女のことでいつぱいである。
〔評〕 一二三の序が柔軟優美で、しかも極めて適切に四五の句に對して利いて居り、感覺的にじわじわと重みが乘り移つて來るやうに感じられる。「東人の荷前の箱の荷の緒にも妹は心に乘りにけるかも」(一〇〇)「うぢ川の瀬瀬のしき浪しくしくに妹は心に乘りにけるかも」(二四二七)「大舟に葦荷刈り積みしみみにも妹は心に乘りにけるかも」(二七四八)等、四五句は全く同型であるが、一二三句との相關に於いて、この歌が、一頭地を拔いてゐると考へられる。
〔語〕 ○春さればしだり柳の 「とをを」にかかる序。○とをを たわわに同じ。しなやかに撓む意。
〔訓〕 ○妹は心に 舊訓イモガココロニであつたのを改めた。「一〇〇」參照。
 
    鳥に寄す
1897 春されば百舌鳥《もず》の草《くさ》ぐき見えずとも吾は見|遣《や》らむ君が邊《あたり》をば
 
〔譯〕 春になると、百舌鳥は草に潜つてしまひ、姿は見えないが、ちやうどそのやうに、目には見えなくても、自分は眺めて居らうと思ふ、そなたの家の方をば。
(50)〔評〕 序の取材が珍奇であり、集中唯一の例として、珍重される。居ながらにして名所を知ると誇つた後世の貴族歌人などと違ひ、萬葉歌人の生活が、自然の中に融合してゐたことの想像される一例である。
〔語〕 ○草ぐき 草にくぐり隱れることの意。俊頼髄脳などに、もずのはやにへともいひ、蟲、蛙などを捕へ、木の枝に貫いておくことをいふ、とあるのは誤で、袖中抄などにいふが如く「ぐき」は潜る意「とびくく」(三九六九)參照。
〔訓〕 ○君が邊をば 白文「君之當乎婆」で、「乎」は通行本はじめ仙覺本には無いが、元暦校本等によつて補ふ。
 
1898 容鳥《かほどり》の間《ま》無《な》く數《しば》鳴《な》く春の野の草根《くさね》の繁き戀もするかも
 
〔譯〕 客鳥が絶間なく鳴き續けてゐる春の野には、草が一面に生えてゐるが、その草の繁き根のやうに、苦勞の多い戀を自分はすることであるよ。
〔評〕 序が巧緻である。草の根の繁きに戀の根深さと、その惱み亂れた樣とを象徴してゐるが、春の野の修飾句なる「容鳥の間無くしば鳴く」にも、戀の嘆きがそれとなく云ひこめられてゐるやうである。
〔語〕 ○容鳥 かつぽ烏のこと(眞淵の説)。○しば鳴く 「しば」は頻りに、繰返して。
 
    花に寄す
1899 春さればうの花ぐたし吾が越えし妹が垣間は荒れにけるかも
 
〔譯〕 春になると、卯の花を腐らして雨が降りつづき、自分が嘗て忍んで越えた女の家の垣根は、すつかり荒れてしまつたことである。
〔評〕 愛人の垣根の近くの卯の花が雨に痛められてゐる頃、その垣根のあたりに立ち寄り、嘗てこの垣をひそかに忍び越えて通つたことなどを思ひ、感慨に耽つたのであらう。
(51)〔語〕 ○卯の花ぐたし 卯の花は卯木《うつぎ》の花。ぐたしは腐らして、の意。「卯の花を腐す霖雨《ながめ》の」(四二一七)の例はあるが、ここは雨があらはされてゐない。或はただ、踏みしだき、枯らして、などの意かも知れぬ。○垣間 垣根の間。
〔訓〕 ○うの花 白文「宇乃花」で、卯の花は初夏の花で「春されば」に相應せぬとして、宇の下に「毎」などを補ひ、ウメノハナとする説(童蒙抄)もあるが、宣長(略解所引)が四月頃まで大やうに春といつたのが古意であるとしてゐるのに從ふべきであらう。
 
1900 梅の花咲き散る苑に吾《われ》行かむ君が使を片待ちがてり
 
〔譯〕 梅の花の咲いては散る園に、私は行つて見ませう、あなたからの使を心から待つにつけて。
〔評〕 懷かしい人の音信を期して待ちながら、春風に梅の花の散る園に歩を運んで行くのである。歩むともなく足を進めて行くのどかな樣が思ひやられる。卷十八に、「梅の花さきちる園にわれゆかむ君が使を片持ちがてら」(四〇四一)として田邊福麿の歌になつてゐるが、福麿が此の古歌を誦したのであらう。ただ福麿の場合、君は必ずしも女でなく、この歌の場合、作者が男でなければならないことはない。
〔語〕 ○片持ちがてり 片まつは、片よつて一心に待つ意。「一二〇〇」參照。がてりは、その序に、加へて。
 
1901 藤波の咲ける春野に蔓《は》ふ葛《くず》の下《した》よし戀ひば久しくもあらむ
 
〔譯〕 藤の花の咲いてゐる春の野の葛は、下にかくれてはつてゐるが、ちやうどそのやうに、心の底でばかり戀してゐたらば、思ひを遂げるまでには、久しくかかるであらう。
〔評〕 胸中深く秘めた戀の苦しさ、さりとてうちあけることも出來ぬ少女心のつつましさ、あはれさ、獨り惱み歎いてゐる其のため息も聞えるばかりである。序詞の幽婉さも、内容にふさはしくてよい。寄花に入れたのは、藤浪にひ(52)かれたのであらう。
〔語〕 ○下よし 表に現はれない所から。内心で。「よ」は「ゆ」に同じく、よりの意。しは助辭。
〔訓〕 ○咲ける春野に 白文「咲春野爾」、舊訓による。佐伯氏はサキノハルノニと訓まれた。○蔓ふ葛 白文「蔓葛」舊訓による。一二句對してカヅラと訓む説(新考)もある。○下よし戀ひば 白文「下夜之戀者」舊訓シタヨノコヒハは非。○久しくも在らむ 白文「久雲在」で、舊訓ヒサシクモアリは非。今、考の訓に從ふ。
 
1902 春の野に霞たなびき咲く花の斯《か》くなるまでに逢はぬ君かも
 
〔譯〕 春の野に霞がたなびき、咲く花がこんなに爛漫と盛になるまでも、お目にかかれないあなたでありますよ。
〔評〕 相逢うて樂しい語らひをしたのは、いつのことであつたか、春の花のまだ咲かぬ頃からうち絶えてゐた愛人を待ちわびてゐる女が、花の盛になつたのに驚いて、その逢はれぬ恨を訴へたもの。淡々たる表現の中に、纒綿の情緒をこめてゐる。「萩が花咲けるを見れば君に逢はずまことも久になりにけるかも」(二二八〇)はこれに似てゐるが、聊か説明に傾いて情趣が乏しい。
〔語〕 ○斯くなるまでに 「なる」を實になると解する説(略解)もあるが、花がもうこんなに盛となるまでと解する方(代匠記)が、自然であり、趣も深い。
 
1903 吾が背子に吾が戀ふらくは奧山の馬醉木《あしび》の花の今盛なり
 
〔譯〕 私のおもふ人を私が戀ひ慕うておることは、奧山の馬醉木の花が今さかりであるやうに、これ以上の慕ひやうはありません。
〔評〕 愛人を慕ふこと、今がさかりだといふのは、ややいぶかしいいひ方であるが、もうこれ以上の慕ひやうはない、(53)熱愛の限を傾けてゐるといふ意なのであらう。「茅花拔く淺茅が原のつぼ菫いま盛なり吾が戀ふらくは」(一四四九)に似て、原型らしい單純さがある。
〔語〕 ○戀ふらくは 戀しく思ふことは、の意。
 
1904 梅の花しだり柳に折り雜《まじ》へ花に供養《くやう》せば君に逢はむかも
 
〔譯〕 梅の花をしだり柳に折りまぜ、花として供養したならば、佛のおかげを蒙つて、あなたにお逢ひ出來ませうかしら。
〔評〕 純情可憐な女人の作。寧ろ幼稚に近いほど素直である。神に祈る歌は多いが、佛に花を供養して戀の成就を願ふといふのは稀で、且「供養」といふことが歌によまれてゐる集中唯一の例である。但、供養の語は「一五九四」の左註にもある。
〔語〕 ○花に供養せば、佛に奉る花として、供養したならば。○君 ここは女から愛人をさす。
〔訓〕 ○花に供養せば 白文「花爾供養者」で、略解「花爾」を「神爾」の誤とするのは誤である。古くハナニソナヘバとよみ、考にハナニタムケバと訓んでゐるが、供養は佛語であり、文字どほり字音によむがよい。他にも、餓鬼(六〇八)、布施(九〇六)、檀越《だにをち》(三八四七)の佛語も詠まれてゐる。
 
1905 をみなへしさき野《の》に生ふる白《しら》躑躅知らぬこと以《も》ち言《い》はえし吾背
 
〔譯〕 さき野にはえてゐそ白躑躅ではないが、私の知らぬことで、人にとやかくといはれましたよ、あなた。
〔評〕 自らの一向知らぬことで、あなたゆゑに噂を立てられたと、いかにも當惑したらしい恨めしげな調子の中に、甘えてもたれかかるやうな媚を湛へてゐる。但、「をみなへし」は、固定的に「さき」の枕詞となつてゐたものとお(54)ぼしく、卷四にも「をみなへしさき澤におふる花がつみかつても知らぬ戀もするかも」(六七五)とありはするが、序詞として白躑躅もあり、とにかく修飾的語句として一首中に季節を異にする二つの花を詠み込んだのは、讀者の心を亂す嫌があり、巧な手法とはいひ難い。
〔語〕 ○をみなへし 「咲き」の意で、さき野にかける枕詞。○さき野 佐紀なちば、奈良の都の北方、佐保の西につづく、今の都跡村大字佐紀附近であるが、「咲き」と「佐紀」とでは、「き」の特殊假名遣がちがふ。「六七五」と共に考ふべきである。以上三句は、同音「しら」の反復により、四句「知らぬ」にかかる序詞。○言はえし普背 「いはえ」は「いはれ」に同じ。「し」は「き」の連體形であるが、吾が背にかかるのでない。いはれましたよ、わが夫よの意。
 
1906 梅の花吾は散らさじあをによし平城《なら》なる人の來つつ見るがね
 
〔譯〕 梅の花を、私は散らさず大切にしておかう。奈良にゐるあのお方が時々通つて來て見られるやうに。
〔評〕 この歌は、普通の友人關係か何かで男子の作かとも取れるが、やはり女の作で、思ふ人の音づれを待つ氣持と見るのが自然であらう。素直に優しく、眞情もこもつた歌である。
〔語〕 ○來つつ見るがね 「がね」は、見ることができるやうに、と希望する意。「春し來らば立ち隱るがね」(五二九)參照。
〔訓〕 ○平城なる人 白文「平城之人」で、この句やや訓み難いので、「之」の下に「在」の字落ちたるか(代匠記初稿本)、「里」の字の脱(精撰本)、「之」は「在」の誤か(略解)等の説がある。元暦校本の赭の訓や類聚古集にナラノサトビトとあるから、「里」を補ふのは多少の根據は認められるが、なほ舊訓のごとく、ナラナルヒトノで差支あるまい。
 
(55)1907 如是《かく》しあらば何か植ゑけむ山振《やまぶき》の止《や》む時もなく戀ふらく念《おも》へば
 
〔譯〕 こんなことならば、何で山吹を植ゑたのであらうか。折角見せようと思つた人は通つても來ず、かうして止む時もなくあの人を戀しがつてゐることを思ふと。
〔評〕 山吹は、恐らく愛人の最も好きな花であつたのであらう。それゆゑにこそ、花の盛を見せたいと思つて庭に植ゑたその山吹が、今はむなしく咲き散つて、待つ人は來ず、只われに戀ひまさらしめるのみであるのを嘆いたのである。あはれな眞情がよくあらはれてゐる。
〔語〕 ○かくしあらば こんなことであるならば。何の爲に植ゑたのであつたか、まるで無意味であるの意。○やまぶきの 類音を繰返して「止む」に懸つてゐるが、單なる序詞でなく、實際に植ゑたのが山吹である。
 
    霜に寄す
1908 春されば水草《みくさ》が上に置く霜の消《け》つつも我は戀ひ渡るかも
 
〔譯〕 春になると、水草の葉に置く霜が消えるやうに、心も消えるばかりのさまで、私はあなたを戀ひつづけることであります。
〔評〕 純情な可憐な歌で、語句も流麗にして柔味があり、特に序に風致がある。類歌には「秋づけば尾花が上に置く露の消ぬべくも吾は念ほゆるかも」(一五六四)。「秋の田の穗の上に置ける白露の消ぬべく吾ほおもほゆるかも」(二二四六)などがある。
〔語〕 ○水草 春の草と解く説(代匠記)もあるが、ここは文字通り、水に生ふる草と解するがよい。初句以下三句まで「消つつ」にかかる譬喩的の序。
 
(56)    霞に寄す
1909 春霞山にたなびきおほほしく妹を相見て後《のち》戀ひむかも
 
〔譯〕 春霞が山にたなびいてぼんやりと見える、ちやうど其のやうに、ほのかに妹を見たばかりで、後になつてさぞ戀しくなることであらうよ。
〔評〕 實景に即した序であらう。假初の逢ひに飽き足らぬ心が、上品に歌はれてゐる。結句は集中の成語ながら、なほ餘情をつつんだ趣がある。
〔語〕 ○春霞山にたなびき 「おほほしく」に懸る序。○おほほしく ぼんやりと、おぼろげに。
 
1910 春霞立ちにし日より今日までに吾が戀ひ止《や》まず本《もと》の繁けば【一に云ふ、片念にして】
 
〔譯〕 春霞の立つた日から今日までの間、自分の戀は止まない。心のもとが繁くあるので。
〔評〕 「もとの繋げば」といふ語があまりはつきりしないし、霞に寄すといふ意も聊か稀薄である。一に云ふは「片思ひであつて」の意で、よく通ずるけれども、説明に墮した感がある。
〔語〕 ○本の繋けば 本は、木の幹に譬へて、心の本幹をいふ。「しげけ」は「戀ひしけば形見にせむと」(一四七一)の「戀ひしけ」などと同じく、形容詞の古い一つの形。「れ」が省かれたと説明するのは正しくないが、意は「茂ければ」といふに等しい。
 
1911 さ丹《に》つらふ妹をおもふと霞立つ春日《はるひ》もくれに戀ひわたるかも
 
〔譯〕 血色美しいあの可憐な愛人を思ふとて、霞立つこの春の日が薄暗く感じられてしまふほど、暗く沈んだ心で戀(57)ひつづけてゐることである。
〔評〕 霞立つ春の日には、何となき一脈の愁がある。紅顔かがやく美しい少女を一人思ひ續ける胸には、もはや何の明るさをも覺えないのであらう。
〔語〕 ○さ丹つらふ 顔が紅の色をして生き生きとかがやいてゐること、「四二〇」參照。○春日もくれに 「くれ」は薄暗く、おぼつかないこと。「くれくれと」(八八八)參照。「春日もくれに」は、春の日も暗くおぼつかなく思はれるばかりにの意。
 
1912 たまきはる吾が山の上《うへ》に立つ霞立つとも坐《う》とも君がまにまに
 
〔譯〕 私の住んでゐる山の上に立つ霞の、その「立つ」といふやうに、立つも坐るも、あなたの御意のままに、私はなりませう。
〔評〕 心も身も愛人に委せきつた女が、自分の住んでゐるあたりの山に、霞のたなびくのを眺めながら詠んだもの。從順な女の姿が浮んで來る。
〔語〕 ○たまきはる 命に冠らせるのが通例であるが、ここは、命に限のある吾とつづく枕詞であらうか。宣長は、吾を春の誤かというてをる。
 
1913 見渡せば春日《かすが》の野邊に立つ霞見まくの欲《ほ》しき君が容儀《すがた》か
 
〔譯〕 見渡すと、春日野のあたりに霞が立つてをり、よい眺である。その美しい眺を見たく思ふやうに、いつもあなたのお姿を見たく思ふことである。
〔評〕 春日野の春色はまことに繪のごとく、今でも恍惚と眺め入りたい景趣である。そのよい景色の見飽かぬのを、(58)愛人の姿に譬へたもの。輕快にして、調子の張つた歌である。
〔語〕 ○見まくのほしき 見むことのほしき。見たいと思ふ。○君がすがたか 「か」は疑問の助詞で感動の氣持をこめてゐる。「君」は男女共に用ゐた語なので、ここは女の美しい姿に譬へた男の歌とも取れるが、用例の多きに從つて、やはり男に對する女の作と解したい。
 
1914 戀ひつつも今日は暮らしつ霞立つ明日の春日《はるひ》を如何にくらさむ
 
〔譯〕 戀しい男に惱みながらも、今日一日はやつと日を暮らした。霞の立つ明日の長い一日を、さていかに暮らしたものであらうか。
〔評〕 霞が立ちこめて唯さへ物憂い春の長い日を、戀に惱みつつ日を暮らしかねた男の嘆聲である。悠長な時代の相を語つてゐるが、感覺的に遣瀬なさの心持を搖曳させて、近代人の情緒に觸れるものがある。
 
    雨に寄す
1915 吾が背子に戀ひて術《すべ》なみ春雨のふる別《わき》知らず出でて來《こ》しかも
 
〔譯〕 わが思ふ人が戀しくてどうにも仕方が無いので、春雨が降つてゐるかどうか、の見さかひも附かずに、家を出て來たことではある。
〔評〕 戀の惱みを忍びかねて、空模樣をも考へずに、あくがれ出たのである。氣がついてみると、降るとも見えぬ春雨が、煙るやうに降つてゐたのであらう。
〔語〕 ○戀ひて術なみ 戀しくて何とも仕樣のなさに。○ふるわき知らず 降つてゐるかどうか、その判斷さへつかずに。
 
(59)1916 今更に君はい往《ゆ》かじ春雨の情《こころ》を人の知らざらなくに
 
〔譯〕 今更あなたは、此處を出てはいらつしやらないでせう。歸すまいとして降る春雨の氣持を、あなたがおわかりにならぬ筈はありますまいに。
〔評〕 降り出した春雨を冒して歸らうとする男に向つて、詠みかけた女の歌。折角の嬉しい此の雨、それがわからぬほどなあなたでもないのに、しかもなほ氣強くお出かけとは、あまりに無情なとの恨み言で、情痴纒綿の趣がある。
〔語〕 ○君はい往かじ 「い」は接頭辭。○春雨の情を 君をやるまいとして降り出した春雨の心。○人の ここは相手の男をさす。○知らざらなくに 知らずあらなくに、知らないわけではないのに。
 
1917 春雨に衣《ころも》は甚《いた》く通《とほ》らめや七日し零《ふ》らば七夜|來《こ》じとや
 
〔譯〕 春の雨ぐらゐで、お召物が濡れとほるやうなことがありませうか。では、もしも七日降り續きましたらば、七晩いらつしやるまいと仰しやるのですか。
〔評〕 閨怨の情であるが、理詰めに詰めて出たところ、皮肉もあれば嫉妬もあり、上の歌と同じ情痴の境、しかも、才氣に富んだ女の面目が窺はれる。
〔語〕 ○春雨に 春雨のために。○七日 七夜の七は、勿論幾日も幾晩もの意で、必ずしも七といふ數に限らぬが、しかもここでは、最も適切な數として實によくきいてゐる。
〔訓〕 ○七夜、「七日」と元暦校本にある。
 
1918 梅の花散らす春雨|多《いた》く零《ふ》る旅にや君が廬《いほり》せるらむ
 
(60)〔譯〕 梅の花を散らす春雨が、ひどく降つてゐますが、このやうな雨の旅中で、私の夫は小屋を造つて、凌いでをられるのでせうか。
〔評〕 しとしとと春雨の降る日に、旅なる夫の假菴の憂さを思ひやつたのである。婦人らしい優しみが溢れてゐる。
〔訓〕 ○多く零る 白文「多零」で、イタクフルは元暦校本、童蒙抄等の訓による。類聚古集は「おほくふる」と訓み、通行本等はサハニと訓んでゐる。誤字説は、從ひ難い。
 
    草に寄す
1919 國栖等《くにすら》が春菜|採《つ》むらむ司馬《しま》の野のしばしば君を思ふこの頃
 
〔譯〕 國栖人《くずびと》らが春菜を採んでゐるであらう司馬《しま》の野邊の、その「しま」といふ言葉のごとく、頻りにあなたを戀しく思ふこの頃であります。
〔評〕 國栖が住んでゐた地方の司馬の野を取つて序としたのである。國栖人は吉野の奧に住んでゐて、當時、異人種として扱はれてゐたのである。この歌、内容は極めて簡單でなるが、國栖を取り用ゐた點で素材的に變つた作である。
〔語〕 ○國栖 應神紀には國樔と見え、吉野の國樔人をさす。國樔は今の吉野郡國樔村で、宮瀧の上流。「夫國樔者、其爲v人甚淳朴也。毎取2山菓1食、亦煮2蝦蟇1爲2上味1、名曰2毛瀰1。其土自v京東南隔v山而居2吉野河上1。峯嶮谷深、道路狹※[山+獻]。」(應神紀)。○司馬の野 古義に、島の野の意とあるが、吉野の地名であらう。今所在不明。以上は序詞。
〔訓〕 ○しまの 白文「司馬乃」で、舊訓シバノであるが、「馬」を漢音でバとよんだのは集中に例がない。シマノ(童蒙抄、古義)に從ふ。さて、「しばしば」へ類音の繰返しとして續く。童蒙抄はシマシマとしたが、集中の假名の例はすべてシバシバである。
 
(61)1920 春草の繁き吾が戀大海の方《へ》にゆく浪の千重《ちへ》に積りぬ
 
〔譯〕 春の草の繁つてゐるやうに繁き私の戀は、大海の岸に寄り來る浪のごとく、幾重にも積つたことである。
〔評〕 枕詞と序とを巧妙にあやなしてゐるが、内容には何等の特異性もなく、寧ろ平凡な歌である。
〔語〕 ○春草の 枕詞。「繁く」につづく。○大海のへに行く浪の へは邊で、沖に對して渚の方をいふ。「千重」にかかる序詞。
 
1921 おほほしく君を相見て菅の根の長き春日《はるひ》を戀ひかたるかも
 
〔譯〕 ほんのちらりとあなたにお目にかかつて、永い春の日を戀ひ續けてゐることでありますよ。
〔評〕 なまじひにちよつと相見たことが、却つて戀の思を増さしめ、物憂い春の日を惱み暮らすといふので、心理はつぶさに表現されてゐる。
〔語〕 ○おほほしく ほのかに、ぼんやりとの意であるが、ここは、ちよつと、ちらりとなどの意に解すべきである。○菅の根の 枕詞。「長き」にかかる。
 
    松に寄す
1922 梅の花咲きて散りなば吾妹子を來《こ》むか來《こ》じかと吾が松の木ぞ
 
〔譯〕 梅の花が咲いて散つてしまつたならば、そなたを、來るだらうか、來ないたらうかと、わが家の松の木がひたすらに待つてをる。そして自分も、ひたすら待つてをる。
〔評〕 梅の花が咲いてゐる間は、梅に牽かれて吾妹子の訪ふこともあつたが、花が散つてしまつては、もう來るやら(62)來ないやら疑はれるといふのである。「待つ」を松に云ひかけた技巧は、後世風に近いものである。
〔語〕 ○吾が松の木ぞ 松は「待つ」にかけ、梅が散つてからは待つのは松ばかりであるの意で、待つのは自分ばかりとの意を寓してゐる。
 
    雲に寄す
1923 白檀弓《しらまゆみ》いま春山に行く雲の行きや別れむ戀《こほ》しきものを
 
〔譯〕 いま春の山に雲が行くが、その雲の行つて還らぬやうに、自分は別れて行くことであらうか。こんなにそなたが戀しいのに。
〔評〕 愛人に別れて遠く旅に出で立つ男の歌であろ。眼前屬目の景を取つて序としたところ、巧妙で適切で、しかも情趣縹緲、饒かに浪漫的氣分を湛へてゐる。
〔語〕 ○白檀弓 弓を張る意で同音の「春」にかけた枕詞。○ゆく雲の 初句からここまでの三句「行き」にかけた序詞。類音の反復による。○行きや別れむ 「や」は疑問の助詞。行き別るは別れて他所へ行くこと。
 
    蘰《かづら》を贈る
1924 丈夫《ますらを》が伏し居《ゐ》嘆きて造りたるしだり柳の蘰《かづら》せ吾妹《わぎも》
 
〔譯〕 大丈夫たるこの自分が、そなたを思つて、心弱くも、伏しては嘆き、坐つては嘆きながら造つたしだり柳の蘰なのである、これは。どうか蘰にして下さい、自分の愛するそなたよ。
〔評〕 戀に惱みながら愛人のために造つた蘰、その蘰に添へて贈つた歌である。一氣呵成に詠み下して、調子極めて遒勁、男性的で、眞に萬葉ぶりの作である。
(63)〔語〕 ○伏し居嘆きて 夜伏しては歎き、晝坐ては歎きと解する説と、身を悶え歎くとする説とあるが、後説の方がよい。貌
 
    別を悲しむ
1925 朝戸出の君が容儀《すがた》をよく見ずて長き春日《はるひ》を戀ひや暮らさむ
 
〔譯〕 朝別れてお歸りになるあなたのお姿を、よくも見ることができないで、この永い春の一日を、戀ひ暮らすことであらうか。
〔評〕 きぬぎぬの餘情を、別れの際のものたりなさにかこつけたのである。まだほの暗い明方の光に、歸りゆく夫の姿が、さだかに見られなかつたのが、心殘りの種で、せめてよく見ておいたらば、かうも戀しいことはあるまいにと まれる、女性らしい可憐な作である。
〔語〕 ○朝戸出 朝戸をあけて立ち出ること。ここは妻の家に一夜を明した夫が、早朝歸りゆくのをいふ。
 
    問答
1926 春山の馬醉木《あしび》の花の惡《あ》しからぬ君にはしゑやよさゆともよし
 
〔譯〕 春の山に咲く馬醉木《あしび》の花の「あし」といふ如く、惡しくないあなたには、ええままよ、私は、關係があると人から言ひ立てられてもよろしうございます。
〔評〕 四五句に、危惧も外聞も一切をかなぐり捨てて、愛人の懷に飛び込まうとする女の、捨身な情熱が見られる。まことに緊張した歌である。
〔語〕 ○春山の馬醉木の花の 同音反復により「あしからぬ」にかかる序。あしびは今あせみといふ。「一六六」參(64)照。○惡しからぬ わるくはない。○しゑや 歎息をあらはす。「しゑや吾背子」(六五九)參照。○よゆともよし よさゆは、言ひ寄せられる、寄せ言はれるの意。結びつけて評判を立てられても構はない。「よそり妻」(三五一二)「汝によそりけめ」(三四六八)に從つて解する説もある。
〔訓〕 ○惡しからぬ 白文「不惡」で、舊訓ニクカラヌは非。今、改訓抄による。「山も狹に咲ける馬醉木の不惡君を」(一四二八)參照。○よさゆともよし 白文「所因友好」で、通行本などはヨリヌトモヨシ、元暦校本「よそふともよし」、考ヨスルトモヨシ、略解ヨセヌトモヨシ等の諸訓はいづれも不適。語釋に掲げた卷十四の諸例によつてヨソルトモヨシの訓もある。
 
1927 石上《いそのかみ》布留《ふる》の神《かむ》杉|神《かむ》びにし吾やさらさら戀に逢ひにける
     右の一首は春の歌にあらず、しかれども猶和なるを以ちて、故この次に載す。
 
〔譯〕 石上の布留の社の神杉のやうに、年をとつてしまつたこの自分が、今になつてまた新しく戀に出逢つたといふのであらうか。
〔評〕 老年の戀で、われと我が戀をいぶかつてゐる。戀そのものを擬人して、はからずもそれに出逢つたと云つてゐるところにも、半は自嘲的に反省してゐる氣分が見える。「石上布留の神杉神さびし戀をも我は更にするかも」(二四一七)の類歌があり、なほ大伴百代の戀の歌、「事も無く生ひ來しものを老なみにかかる戀にも吾は遇へるかも」(五五九)も、これらに據つたものか。
〔語〕 ○石上布留の神杉 大和山邊郡山邊村(今の丹波市)の布留神社なる神杉。石上布留は「四二二」參照。○神びにし 「神さびにし」に同じど思はれる。ここは年老いた意。○さらさら 今さら、あらためての意。
〔訓〕 ○神びにし 白文「神備西」で、「西」は元暦校本・類聚古集による。通行本「而」に作るはわるい。通行本の(65)「而」により、種々の訓があるが、類聚古集には「かみさびにし」とある。「伊久代神備曾」(四〇二六)の例によつて、カムビニシと訓むべきであらう。
 
1928 狹野方《さのかた》は實《み》に成らずとも花のみに咲きて見えこそ戀の慰《なぐさ》に
 
〔譯〕 狹野方は、たとひ實にならずとも、花ばかりでも咲いて見せてくれ、戀の慰めに。
〔評〕 報いられぬ戀に思ひ惱んで、眞の戀は成就せずとも、せめて表面だけでも親しくしてほしい、との切なる心を愬へたものと思はれる。衷情まことにあはれであるが、初句の意、明瞭を缺くのは遺憾である。
〔語〕 ○狹野方 下に、「沙額田の野邊の秋はぎ」(二一〇六)とあり、卷十三に「しな立つ筑摩左野方息長の遠智の小菅」(三三二三)ともある。これによつて地名として、滋賀縣坂田郡にありともいひ、又「さ」は接頭辭で、大和の生駒郡の額田ともいふ。但、額田と野方では、一はヌ、一はノで、必ずしも同一ではない。狹野方は、春の草又は木の名と解するのがよからう。○見えこそ 「こそ」は願望の意をあらはす助詞。○戀のなぐさに かくも遣瀬なく戀ひ慕つてゐる心を慰めるためにの意。
 
1929 狹野方《さのかた》は實《み》になりにしを今更に春雨ふりて花咲かめやも
 
〔譯〕 狹野方は、もう實になつてしまつたものを、今更春雨が降つたとて、何で花が咲きませうか。
〔評〕 前の歌の答である。二人の中は既に眞實になつてゐるのに、今更、春雨が降つて花の咲くやうに、うはべばかりの體裁のいい言葉など、何の必要がありませうかと、二つの歌の意が反對になつてゐるが、女は眞實まだ靡いてゐないので、男の鋭鋒を、柳に風と巧みに受け流したものと解せられる。
 
(66)1930 梓弓|引津《ひきつ》の邊《べ》なる莫告藻《なのりそ》の花咲くまでに逢はぬ君かも
 
〔譯〕 引津のあたりにある莫告藻《なのりそ》の花がやつと咲いたが、あの花の咲くまでも、あなたは逢つてくださらぬことですねえ。
〔評〕 序詞と枕詞とを巧に用ゐてゐる點、既に一つの型をなしたもので、一二三句は卷七の旋頭歌、「梓弓引津の邊なる莫告藻の花つむまでに逢はざらめやも莫告藻の花」(一二七九)に似てをり、格調と内容は、「春の野に霞たなびき咲く花の斯くなるまでに逢はぬ君かも」(一九〇二)に似てをる。
〔語〕 ○梓弓引津 一句は枕詞。引津は、福岡縣糸崎郡小富士村附近の海濱であるといふ。○莫告藻 今いふホンダハラのこと。「三六二」參照。
 
1931 川の上《ヘ》のいつ藻の花のいつもいつも來ませ吾背子時じけめやも
 
〔譯〕 川のほとりのいつ藻の花の、いつでもいらつしやいませ、あなた。來てわるいといふ時がありませうか。
〔評〕 吹※[草がんむり/欠]《ふぶき》刀自の歌(四九一)と全く同じである。これは前の歌に對する女からの返歌であると思はれるが、或は古歌をそのまま借り用ゐたものかも知れない。
 
1932 春雨の止まず零《ふ》る零《ふ》る吾が戀ふる人の目すらを相見せなくに
 
〔譯〕 春雨がをやみもなく降りに降つて、私の戀してゐる人の顔すら、見せてくれぬことである。
〔評〕 降りつづく春雨のために、戀人に逢へぬ嘆を述べたもの。雨を恨む女の心が、幼く素直に表はれ、しとしととをやみなく降る春雨の空を仰いで、獨り氣をいらだててゐる樣子など、情景の髣髴と浮んで來るものがある。
(67)〔語〕 ○止まず零る零る やまずしきりに降りつつの意。○人の目すらを 打解けて逢ふことはさておき、戀しい人の顔すらもの意。○相見せなくに 逢はせないことよの意。戀人が通つて來ないで逢へないとの意。
〔訓〕 ○ふるふる 白文「零零」で、考のフリツツは字面に忠でない。元暦校本・童蒙抄等に「ふりふる」としたのも、一首の趣にふさはしくない。終止形を重ねて、降り降りしてと副詞的に用ゐたものである。○相見せなくに 白文「不怜相見」でアヒミシメナクとも訓む。
 
1933 吾妹子に戀ひつつをれば春雨の彼《そ》も知るごとく止《や》まずふりつつ
 
〔譯〕 いとしいそなたに戀ひこがれてをると、春雨が、あれも自分の心を知るかのやうに、をやみもなく降り降りしてをることである。
〔評〕 涙を流すとはいつてゐないが、戀になげく自分の心に同情して、春雨も涙のやうに降ると見てゐるのである。
〔語〕 ○彼《そ》も その雨もの意。
〔訓〕 ○そも 白文「彼毛」ソレモシルゴト、カレモシルゴトと訓む説がある。
 
1934 相|念《おも》はぬ妹をやもとな菅の根の長き春日をおもひ暮らさむ
 
〔譯〕 先方では何とも思つてもくれぬ女であるのに、甲斐もなく、長い春の日を、かうして思ひ暮らすことであらうか。
〔評〕 長い春の日にもてあぐむ片戀の惱みを歌つたものであるが、内容にも表現にも特異なものは無い。
〔語〕 ○妹をやもとな 「や」は疑問の助詞。「もとな」は徒らに、よしなく、効果もなく等の意。卷四には、「相念はぬ人をやもとな白妙の袖ひづまでに哭《ね》のみし泣くも」(六一四)とある。
 
(68)1935 春されば先《ま》づ鳴く鳥も鶯の言《こと》先立《さきだ》ちし君をし待たむ
 
〔譯) 春になると、先づ第一に鳴く鳥は鶯であるが、その鶯のやうに、先にお言ひ出しになつたあなたが、これからどうなさらうといふのか、私はおとなしく待つてをりませう。
〔評〕 逢はうと言ひ出したのは男である。女は受身で、男の更に積極的に動いて來るのを待つてゐるので、さりげないのは、決してつれないのではない。つつましく控へ目な女性の心理が、よく表はれてゐる。
〔語〕 ○先づ鳴く鳥の鶯の 初句以下これまで「言先だちし」にかかる序詞。百鳥の中で春最初に鳴く鳥、それは鶯であるとの意。○言先立ちし 最初に言ひ出したの意。
〔訓〕 ○言先立ちし 白文「事先立之」で、舊訓コトサキダテシはよくない。略解の訓による。
 
1936 相|念《おも》はずあるらむ兒ゆゑ玉の緒の長き春日を念《おも》ひ暮らさく
 
〔譯〕 こちらが思つても、先方では何とも思つてゐないらしい女のために、永い春の日を思ひ暮らすことである。
〔評〕 上の「相念はぬ妹をやもとな菅の根の長き春日を思ひ暮らさむ」(一九三四)と同型同趣であるが、修辭はこの方が巧である。
〔語〕 ○兒ゆゑ 兒は娘子をさしてゐる。「ゆゑ」は「を原因として」の意。後に、「そんなことのために」から「結局はそんなことであるのに」の意となる。○玉の緒の 枕詞。○暮らさく 暮らすことよ、の意。
 
(69)  夏雜歌《なつのざふか》
 
    鳥を詠める
1937 丈夫《ますらを》の 出で立ち向ふ 故郷《ふるさと》の 神名備《かむなび》山に 明け來《く》れば 柘《つみ》の小枝《さえだ》に 夕されば 小松の未《うれ》に 里人の 聞き戀ふるまで 山びこの 答ふるまで 霍公鳥《ほととぎす》 妻戀《つまごひ》すらし さ夜中に鳴く
 
〔譯〕 男子たるこの自分が、戸外に出ると、向うに見える飛鳥の舊都にある神名備山では、夜が明けると柘《つみ》の枝にゐて、又、夕方になると松の梢で、村人たちが聞いてなつかしがるくらゐに、また山彦が答へるくらゐに、盛んに時鳥が鳴いてゐる。その時鳥は、妻を戀ひ慕つて鳴くらしい、今もこの夜中に鳴いてゐることである。
〔評〕 反歌の趣から推すと、作者は旅中と思はれる。一歩外へ出ると、舊都飛鳥の神名備山が見える、そこでは、この日頃頻りに霍公烏が鳴く。今夜も夜深く目ざめてその聲を聞いてゐるのである。「明け來れば」「夕されば」と對句にして、一般的に詠みおろしたのは日頃のことを述べたので、結句に至つて「さ夜中に鳴く」といつたのは今の現實であり、これで作者の位置を示し、感銘を切實ならしめてゐる。霍公鳥に妻戀すらしと同情したのは、畢竟旅中なる自己の心情を述べた自慰の言葉に外ならない。
〔語〕 ○丈夫の出でたち向ふ 丈夫である自分が家の外に出て立ち向ふの義で、即ち向うに見えてゐるの意。○「出(70)でたち」は、男女に限らぬことであるが、男は日々に外に出で、女は内にこもつてゐるから、特に「丈夫の出立ち向ふ」といつたのであらうと、古義は解してゐるが、ここはそんなに深い意はなく、たまたま作者が男子であつたから、かくいつたと解してよ、い。○故郷 昔都のあつた地、ここでは飛鳥の故京をさす。○神名備山 飛鳥の神奈備山、即ち雷岳をさす。○柘 山桑の古名。「三八六」參照。
〔訓〕 ○丈夫の 白文「丈夫之」で、「之」は元暦校本・類聚古集による。通行本等の「丹」は誤。○答ふるまで 白文「答響萬田」で、元暦校本「たにひびくまで」、通行本コタフルマデニ、代匠記精撰本アヒトヨムマデ、略解コタヘスルマデの諸訓がある。
 
    反歌
1938 旅にして妻|戀《ごひ》すらしほととぎす神名備《かむなび》山にさ夜ふけて鳴く
     右は、古歌集中に出づ。
 
〔譯〕 旅の空で、妻を戀しがつてゐるらしい、霍公鳥が、神名備山でこんなに夜ふけて鳴いてゐることである。
〔評〕 旅に寢て家なる妻を戀ひ慕つてゐる作者の主觀が、深夜に鳴く霍公鳥にそのまま移つて行つたのである。「旅にして」の一語は、作者自身の上をにほはせたもので、長歌の不足を補つて一入あはれが深い。
 
1939 ほととぎす汝《な》が初聲は吾にもが五月《さつき》の珠に交《まじ》へて貫《ぬ》かむ
 
〔譯〕 霍公鳥よ、お前の初聲は自分に得させてもらひたいものだ。さうしたらば、その聲を五月の藥玉に交ぜて絲に貫かうよ。
〔評〕 霍公鳥の聲を五月の藥玉に交へて貫くといふ、幼くて美しく愛らしい空想は、集中に多く見える。藤原夫人の(71)「霍公鳥いたくな鳴きそ汝が聲を五月の玉に相貫くまでに」(一四六五)もこの歌と同趣である。
〔語〕 ○吾にもが 自分に欲しいの意。古義は「吾」を「花」の誤かとしてゐるが從へない。新校のワガニモガは、わがものであつてほしいの意になる。
 
1940 朝霞たなびく野邊にあしひきの山ほととぎすいつか來鳴かむ
 
〔譯〕 朝霞のたなびく野邊に、霍公鳥はいつになつたら來て鳴くであらうか。早く來て鳴けばよいになあ。
〔評〕 簡素でしかも暢達した詞調である。霍公鳥を待つてゐる心もちが、淡々たる表現の中に籠つてゐる。
〔語〕 ○朝霞 當時は霞を春に限つてはゐなかつた。○いつか來鳴かむ いつ來て鳴くだらうかの意で、早く來て鳴けかしの意が言外に含まれてゐる。
 
1941 朝霞八重山越えて喚子鳥《よぶこどり》啼きや汝《な》が來《く》る屋戸《やど》もあらなくに
 
〔譯〕 幾重にも重なつた山を飛び越えて、喚子鳥よ、呼びながらお前は來るのか。宿るべき家もないのに。
〔評〕 幾重にも重なつた山々を越えながら、喚子鳥の鳴いて來るのを見た旅人が、自分の身にひき比べて、鳥に同情を寄せたのである。「宿もあらなくに」は、今自分の歩いてゐる所が寂寞たる山中で、宿るべき里も無いので、自身の主觀がおのづから鳥への同情となつたのである。
〔語〕 ○朝霞 枕詞。「八重」にかかる。○八重山 幾重にも重なつた山。○喚子鳥 「七〇」參照。
〔訓〕 ○なきや汝が來る 白文「吟八汝來」、舊訓による。「吟」は新撰字鏡に「呻也、嘆也、歌也」とあるが、ヨブに轉用したものと見てヨビヤと訓む説もある。或は類聚名義抄にナゲク、カナシブとあるのにより、ナゲキヤと訓むべきか。
 
(72)1942 ほととぎす鳴く聲聞くや卯の花の咲き散る丘《をか》に田草《くさ》引く※[女+感]嬬《をとめ》
 
〔譯〕 そなたは霍公烏の鳴く聲を聞くかどうか。卯の花の咲いては散る丘で草を引いてゐる少女よ。
〔評〕 卯の花は霍公鳥に配せられて、密接な關係を保つてゐる花であるから、卯の花の咲いてゐる丘で田草を引いてゐる少女に、霍公鳥はこのあたりに來て鳴いたかと問ひかけたのである。霍公鳥を待つ人の心である。新緑の丘に、咲き滿ちた眞白な卯の花の散りかかるほとり、里の少女の姿も可憐に浮んでくる。
〔訓〕 ○きくや 白文「聞哉」でキケヤとよむ説もある。○くさ 白文「田草」で、文字通りに解すれば田の草であるが略解に源康定説として、「草」は「葛」の誤としてゐる。集中「くず」を田葛と記す例があり、又「劍の後《しり》鞘に納野《いりの》に葛引く吾妹」(一二七二)などともあるので、これに從ふ説も多い。
 
1943 月夜《つくよ》よみ鳴く霍公鳥《ほととぎす》見まく欲《ほ》り吾《われ》草取れり見む人もがも
 
〔譯〕 月のよい晩であるから、鳴いて通る霍公鳥を見たいと思つて、自分は庭に出て、草を取つてゐる。共に見る人があればよいがなあ。
〔評〕 霍公鳥を賞美する心もちはわかるが、「吾草取れり」について、諸説あり、義、明確を缺くものがあるので、詳評は出來ない。
〔語〕 ○吾草とれり 卷十九なる「ほととぎす來鳴きとよめば草とらむ花橘を宿にはうゑずて」(四一七二)と共に、草とるの義が明かでない。宣長は「草とるは鳥の木の枝にとまりゐることなり」といひ、清水濱臣は、飛ぶ鳥が空で物を捕る意の「空とる」と對する語で、手捕にする意と解してゐるが、猶考ふべきである。
 
(73)1944 藤浪の散らまく惜しみ霍公鳥|今城《いまき》の岳《をか》を鳴きて越ゆなり
 
〔譯〕 藤の花の散るのを惜しがつて、霍公鳥は、今城の岡を鳴きながら飛び越えて行くやうである。
〔評〕 ほろほろと藤の花のこぼれ落ちる岡のほとりに立つて、霍公鳥の聲を聞き、鳥も花の散るを惜しんで鳴くと思ひなしたのである。優美な情趣である。
〔語〕 ○散らまく惜しみ 「まく」は「むこと」の意、散ることが惜しいのでの意。○今城の岳 大和國吉野郡大濱村にあるとも、山城の宇治にある山ともいふ。「いまき」を今來の意にかけたと解する説(略解)もあ」るが從ひ難い。○鳴きて越ゆなり 「なり」は、聲を聞いて、岡を越える霍公鳥を思ひやる意。
 
1945 朝霧の八重山越えてほととぎす卯の花|邊《べ》から鳴きて越え來《き》ぬ
 
〔譯〕 幾重にも重なつた山を飛び越えて、ほととぎすが、卯の花の咲いてゐるあたりから、鳴いてやつて來た。
〔評〕 霍公鳥が幾重もの丘や山を越えて來て、卯の花の匂ふ野邊を、聲もはるけく飛んで行く。八重山は、萬葉的な修辭法であるが、廣い平原に起伏する丘陵を云ふにかなひ、大和平原らしいのびやかな情趣を示してゐる。
〔語〕 ○朝霧の 「八重」にかかる枕詞。「朝霞八重山越えて」(一九四一)に同じ。
〔訓〕 ○朝霧の 白文「旦霧」で、通行本等の「且霧」は誤。元暦校本等による。略解の「旦霞」の誤とするのもよくない。○卯の花 白文「宇能花」で「宇」は元暦校本其他の古寫本による。通行本に「字」とあるは誤。○鳴きて越え來ぬ 白文「鳴越來」で、通行本の訓ナキテコユラシは非。文字から見ても無理であり、内容からいつても推量にしてはよくない。コエケリとよむ説もある。
 
(74)1946 木高《こだか》くは曾《かつ》て木植ゑじほととぎす來鳴き響《とよ》めて戀まさらしむ
 
〔譯〕 丈の高い木は一切植ゑまい。高い木を植ゑておくと、霍公鳥が來て鳴いて、聲を響かせて、人戀しさを一層増させるから。
〔評〕 戀に惱んでゐる人の歌。霍公烏の聲に戀情を深められる趣は、大伴坂上郎女も詠んでゐる。「何しかもここだく戀ふる霍公鳥鳴く聲聞けば戀こそまされ」(一四七五)。
〔語〕 ○木高くは曾て木植ゑじ 丈の高い木は決して植ゑまい。「かつて」はここは、一切、さらさら、決しての意。○響めて とよませ響かせての意。
 
1947 逢ひ難き君に逢へる夜《よ》ほととぎす他時《こととき》よりは今こそ鳴かめ
 
〔譯〕 逢ひ難いあなたにやつと逢つた嬉しい今夜、霍公鳥は他の時よりは、こんな時にこそ鳴くべきである。
〔評〕 家持の弟なる書持の歌、「我|屋前《には》の花橘に霍公烏今こそ鳴かめ友に遇へる時」(一四八一)は、これを粉本としたものであらう。
〔語〕 ○こと時 他の時。○今こそ鳴かめ 「め」は「む」の已然形。「む」は推量の助動詞であるが、かやうに「こそ」を伴ふ場合には「べし」の如く當然の意が強くあらはれる。
 
1948 木《こ》の晩《くれ》の暮闇《ゆふやみ》なるに【一に云ふなれば】ほととぎす何處《いづく》を家と鳴き渡るらむ
 
〔譯〕 木が深く茂つて暗く、しかも夕闇になつたのに、あの霍公鳥は、何處をわが家と目ざして、鳴いて行くのであらう。
(75)〔評〕 青葉が深く茂りあつて、蒼然と暮れて行く宵、聲のみ漏れて來る霍公鳥をあはれんだもので、初夏の薄暮の情景、作者の感傷などが、むしろ單調な此の作の裏づけとなつて、縹緲たる韻致を釀し出してゐる。第二句の「一に云ふ」に「暮闇なれば」とあるのは、結句の疑問に對して不適、本文の方がすぐれてゐる。
〔語〕 ○本の晩の暮闇なるに 木立茂つて暗い上に、夕闇であるのにの意。
〔訓〕 ○鳴き渡るらむ 白文「鳴渡良武」で、「武」は通行本等の「哉」とあるのは誤とはいへないが、「哉」を「ム」の假字に用ゐることは集中稀であり、元暦校本などの「武」に據る方が穩當である。
 
1949 ほととぎす今朝の朝|明《け》に鳴きつるは君聞きけむか朝|宿《い》か寐けむ
 
〔譯〕 霍公鳥がけさ夜明け方に鳴いたのは、あなたはお聞きになつたであらうか、それとも朝寢をしておいでだつたであらうか。
〔評〕 霍公鳥の聲を珍重した悠長な時代が想像され、又、おほどかな上代人の氣分が、朗らかに浮んで來る。
〔訓〕 ○君聞きけむか 白文「君將聞可」で、舊訓キミキクラムカとあり、結句もヌラムとあるが、二三句の趣に對しても、ここは過去にいふべきであるから、キキケムカ、ネケムとした古義の訓に從ふべきである。
 
1950 ほととぎす花橘の枝に居て鳴き響《とよ》もせば花は散りつつ
 
〔譯〕 ほととぎすが花橘の枝にとまつてゐて、あたりを響かせて鳴くと、花は頻りに散つてゐる。
 
〔評〕 ありのままの素描である。素地《きぢ》の清らかな歌。これに優美な色彩を加へたのが、家持の、「ほととぎす鳴く羽振《はぶり》にも散りにけり盛過ぐらし藤浪の花」(四一九三)である。
 
(76)1951 慨《うれた》きや醜《しこ》ほととぎす今こそは聲の嗄《か》るがに來|喧《な》き響《とよ》まめ
 
〔譯〕 癪にさはる霍公鳥め、今こそ聲が嗄れるほど、來て鳴き響かせるがよいのに、まだ來て鳴かないとは、憎らしい奴だ。
〔評〕 霍公鳥を懷かしんで待ちあぐみ、つひに罵るに至つた、可愛さ餘つての激語で、却つて親愛の情を感ぜしめる。面白い辭樣である。
〔語〕 ○うれたきや 歎かはしいことよの意。家持の長歌にも「うれたきや醜霍公鳥」(一五〇七)と、同じ語がある。○聲のかるがに 聲の嗄れるほどにの意。
 
1952 今夜《こよひ》のおほつかなきに霍公鳥《ほととぎす》喧《な》くなる聲の音の遙《はる》けさ
 
〔譯〕 今夜は暗くてあたりの樣子もよくわからないのに、霍公鳥がどこをさして行くのやら、鳴いてゐる聲が遙かに聞えるやうである。
〔評〕 暗い空から遙に洩れて來る霍公鳥の聲を、この暗いのに何處をさして飛び行くのかと、同情して聞いてゐるのである。初夏の曇り夜のおぼつかない風情も、ほのかに浮んで來るやうである。しかし、「聲の」「音の」は、重複の感があるも、上代人の彫琢を加へぬ歌とみるべきであらう。
〔語〕 ○おほつかなきに ここは、闇夜で暗くはつきりしない、不安な感じをいふ。○音の遙けさ 新考に「音乃」を衍「喧」の下に「而去」の脱としてナキテユクナルコヱノハルケサとしたのは私意で透る。
〔訓〕 ○こよひの 白文「今夜乃」で、元暦校本「こよひこの」、通行本コノヨラノ、改訓抄コノヨルノとある。コノヨヒノともよめるが、卷四の「五四八」によつてコヨヒノと訓んだ。
 
(77)1953 五月《さつき》山卯の花|月夜《づくよ》ほととぎす聞けども飽かずまた鳴かぬかも
 
〔譯〕 五月の山は卯の花が盛で、美しい月夜である。このよい月夜に、霍公鳥が鳴く。いくら聞いても、聞き飽きない。また鳴いてくれないかなあ。
〔評〕 單調で印象明瞭。卯の花月夜の一句は、よく情景を展開して、美しい詩境に、讀者の情緒を誘ふ。この歌は、五句悉く切れてゐて、しかも意は繋がり、支離滅裂とならず統一を保つてゐるところ、珍らしい句法である。
〔語〕 ○五月山 五月頃の山。○鳴かぬかも 「ぬかも」は願望を表はす。鳴かないかなあ。「吾が待つ月も早も照らぬか」(一三七四)も同じである。
〔訓〕 ○鳴かぬかも 白文「鳴鴨」で、舊訓ナカムカモは非。今、略解による。
 
1954 ほととぎす來居《きゐ》も鳴かぬか吾が屋前《には》の花橘の地《つち》に落《ち》らむ見む
 
〔譯〕 霍公鳥が來てとまつて鳴いてくれないかなあ。うちの庭の花橘が、その羽振りで地に落ち散るのを見ように。
〔評〕 霍公鳥の羽振りで花橘が散る、繪のやうな眺めを希求してゐるのである。
〔語〕 ○來居も鳴かぬか 來て、花橘の枝にゐて、鳴かないかなあの意。「來」は從屬的の動作で 「居」がこの場合主たることは勿論である。「も」は詠歎の助詞。
〔訓〕 ○來居も嶋かぬか 白文「來居裳鳴香」で、舊訓キヰテモナクカとあるが、前の歌に倣ひ、この歌もナカヌカとすべきである。「不」が無くて願望の「ぬか」に訓むのは、例が多い。
 
1955 ほととぎす厭ふ時無し菖蒲《あやめぐさ》蘰《かづら》にせむ日|此《こ》ゆ鳴き渡れ
 
(78)〔譯〕 霍公鳥は、いつ來て鳴いてもいやな時はない。しかし、同じく鳴くならば、菖蒲を蘰にする五月五日といふ日に、此處を鳴いてとほつてくれ。
〔評〕 端午の菖蒲と、霍公烏との配合を愛づる心から發した歌である。田邊福麿が、「ほととぎす厭ふ時なし菖蒲草かづらにきむ日此ゆ鳴き渡れ」(四〇三五)と詠んでゐるのは、古歌としてこの歌を誦したものであらう。
〔話〕 ○厭ふ時無し この下に、しかし同じ事ならばの意を補つて解する。○菖蒲草かづらにせむ日 五月五日を、いふ。○此ゆ 此處を通つての意。「ゆ」は、通過する場所を示す助詞。
 
1956 大和には啼きてか來《く》らむ霍公鳥《ほととぎす》汝《な》が鳴く毎《ごと》に亡《な》き人念《おも》ほゆ
 
〔譯〕 大和の自分の家のあたりへは、今頃鳴いて來ることであらう、霍公鳥よ、お前が鳴くごとに、自分は、亡くなつた人が思ひ出されて悲しいのである。
〔評〕 大和の人々は、今頃盛んに霍公鳥の聲をもてはやしてゐることであらうか。自分は旅でその聲を聞いて、亡き人の思ひ出に堪へぬ、といふのである。
〔語〕 ○啼きてか來らむ 大和はわが家郷であるから、大和を内にして「來らむ」といつたのである。普通ならば「行くらむ」である。「大和には鳴きてか來《く》らむ呼子鳥きさの中山呼びぞ越ゆなる」(七〇)に同じ。
 
1957 卯の花の散らまく惜しみ霍公鳥野に出《で》山に入り來鳴き饗《とよ》もす
 
〔譯〕 卯の花の散るのが惜しさに、霍公鳥は、野に出たり山に入つたりして、此のあたりに來て鳴き、聲を響かしてゐる。
〔評〕 卯の花の咲く野や山を翔りつつ、霍公鳥の鳴く樣を、素朴な語句で寫してゐる。「野に出山に入り」は、無技(79)巧でしかも的確これに過ぐるは無く、寫實の生彩を發揮してゐる。大和平原らしい廣々としたのびやかな景趣が目前に浮んで來る。
 
1958 橘の林を植ゑむほととぎす常に冬まで住みわたるがね
 
〔譯〕 橘を澤山庭に植ゑて林を造らう。ほととぎすが、常に冬までも住みつづけてくれるやうに。
〔評〕 橘と霍公鳥とを離すことの出來ぬほど密接なものと見て、幼く趣向をめぐらしたのである。霍公鳥を詠んだ長歌の中にも「――幣《まひ》はせむ遠くな行きそ 吾が屋戸《やど》の花橘に 住み渡れ鳥」(一七五五)などとあつて、當時の好尚を察することが出來る。
〔語〕 ○住みわたるがね 長く住んでもらひたい、そのためにの意。
 
1959 雨はれし雲に副《たぐ》ひてほととぎす春日《かすが》を指《さ》して此《こ》ゆ鳴き渡る
 
〔譯〕 雨晴れの雲の動きと一緒に、霍公鳥が春日山を指して、此處を鳴いてとほることである。
〔評〕 雨あがりの空は青く澄んで、名殘の雲が春日山をさして走つて行く。折から霍公鳥もその雲と共に飛び過ぎて行く。一讀、雨後のすがすがしさを感じさせる歌である。殊に、初二句の措寫は巧みである。
〔語〕 ○副ひて 伴なつて、一緒に。○此ゆ 「一九五五」參照。
 
1960 物|念《おも》ふと宿《い》ねぬ朝|明《け》にほととぎす鳴きてさ渡る術《すべ》なきまでに
 
〔譯〕 物思をして眠られなかつた明け方に、霍公鳥が鳴いて通る。悲しくてたまらないくらゐに。
〔評〕 戀の惱みに明しかねた曉方、たまたま鳴き過ぎる霍公鳥の聲に、心は一しほ掻きむしられる思である。四句ま(80)で一氣に押して行つて、ずばりと打切り、「すべなきまでに」と呻くがごとき一句を添加したのは千鈞の力がある。
〔語〕 ○術なきまでに 何とも仕方のないほどに。
 
1961 吾が衣《ころも》君に著せよとほととぎす吾《われ》を領《うしは》く袖に來居《きゐ》つつ
 
〔譯〕 私の着物をあなたに着せよと、霍公鳥が私に指圖いたします、袖に來てとまつては。
〔評〕 もとより霍公鳥は、人の身邊にとまる鳥ではないが、近くに來て鳴いたのを、かく戯れて云つたのであらう。併し、この歌の眞意はよく分らない。何か當時の俗信とか傳説とかいふやうなものが背景になつてゐるのではあるまいか。姑く後考を俟つ。
〔語〕 ○吾をうしはく 「うしはく」は支配するの意。「領き坐す諸の大御神たち」(八九四)參照。ここは命令するなどの意。○袖に來ゐつつ 霍公鳥は人に馴れぬ鳥であるから、袖に來るとは竿に懸け干した袖であらうとある代匠記の説はいかがであらう。ここは戯れに言つたもので、必ずしも事實と解すべきではあるまい。
〔訓〕 ○吾衣 白文のままによむ。ワガキヌヲともよめる。○吾を領く 白文「吾乎領」新考には「ワレヲウナガス」と訓んでをり、誤字説もあるが、領はウシハクとすべきである。
 
1962 本《もと》つ人ほととぎすをや希《めづ》らしみ今や汝《な》が來《く》る戀ひつつ居《を》れば
 
〔譯〕 昔馴染の友なる霍公鳥を珍らしがつて、その霍公鳥の聲を聞き妃、今しもそなたが自分の家へ來るであらうか。自分がこんなに戀しがつてゐると。
〔評〕 この歌も極めて難解で、從來首肯すべき説を見ないが、假に右の如き一解を試みる。嘗て、我が家の花橘にゐて鳴く霍公鳥の聲を共に聞いた人、今その人を思つて、これほど戀しがつてゐるのだから、昔馴染の霍公鳥を聞きに、(81)今にも來さうな氣がする。と言ひ送つた歌ではあるまいか。
〔語〕 ○本つ人 昔から知つてゐる人の意で、霍公鳥をさす。「遠つ人鴈が來鳴かむ」(三九四七)の類。○ほととぎすをや 「や」は疑問の助詞で「今や汝が來る」にかかると解したい。略解は宣長説として「をや」は「よや」に同じく呼掛の語といひ、古義も、ほととぎすに呼び掛けたもので「やよ」と云はむが如しだ説いてゐる。新考の誤字説は甚しい獨斷である。
 
1963 斯《か》くばかり雨の零らくに霍公鳥卯の花山になほか鳴くらむ
 
〔譯〕 こんなに雨が零るのは、霍公鳥は卯の花の咲いてゐる山で、やはりぬれつつ鳴いてゐるであらうか。
〔評〕 雨中の霍公鳥を思ひやつて、素朴な愛情に滿ちた作である。「卯の花山」は印象極めて明瞭である。
〔語〕 ○雨のふらくに 兩の降ることなるに。○なほか 「か」は疑問の助詞。
 
    蝉《ひぐらし》を詠める
1964 黙然《もだ》もあらむ時も鳴かなむ晩蝉《ひぐらし》のもの念《も》ふ時に鳴きつつもとな
 
〔譯〕 何もせずにゐる時にでも鳴けばよいに、蜩が、自分の物思ひに沈んである時に鳴いて、よしないことである。
〔評〕 清く涼しい蜩の音も、物思ふ耳もとで鳴かれたのでは、うるさいのみか、物思を妨げて、憎くさへなるであらう。大神女郎が家持に贈つた歌、「さ夜中に友喚ぶ千鳥もの念ふとわび居る時に鳴きつつもとな」(六一八)は、或はこれを粉本としたものであらう。
〔語〕 ○もだもあらむ 「もだ」は原義はだまつてゐることの意であるが、ここは何もしないでゐることをいふ。○鳴かなむ 鳴いてもらひたいものだ、の意。
 
(82)    榛《はり》を詠める
1965 思ふ子が衣《ころも》摺《す》らむに匂ひこそ島の榛原《はりはら》秋立たずとも
 
〔譯〕 愛する女の着物を染めてやらうと思ふから、早く美しい色に咲き匂つてくれよ。島の萩原は、まだ秋にはならなくても。
〔評〕 優婉にして可憐、調が洗煉されてゐて、寧ろ典型的にまでなつてゐるのは、或は民謠風のものであつたかを想像させる。
〔語〕 ○匂ひこそ 「こそ」は連用形をうけて、他人の行爲を希望する意をあらはす助詞。○島の榛原 島は大和高市郡島の庄。榛は、ここは萩と解すべきである。
〔訓〕 ○匂ひこそ 白文「爾保比與」で、「與」を「乞」、「南」等の誤といつてゐるが」「我告與」(一二四八)の例に據り、このままでよい。ニホヒコセともよめる。
 
    花を詠める
1966 風に散る花橘を袖に受けて君が御《み》跡と思《しの》ひつるかも
 
〔譯〕 風に吹かれて散る橘の花を袖に受けて、ここはあなたが嘗ておいでになつた所であると懷かしく思ひました。
〔評〕 懷かしい人の舊宅か、或はゆかりの地に立つての感慨である。情趣優婉にして表現もこれに件なひ、特に二三句のあたり巧妙で、作者の楚々たる婉容もほの浮んで來る。
〔語〕 ○君が御跡と 嘗て君の縁故のあつた土地としての意。
〔訓〕 ○君が御跡と 白文「爲君御跡」で、代匠記精撰本に「君御爲跡」の誤としてゐる。舊訓キミガミタメトとあ(83)り、誤字説はこれに據つてゐるのであるが、元のままで解すべきである。新考のタテマツラムトは原字に遠い。○しのひつるかも。白文「思鶴鴨」で、思は、舊訓オモヒとあるが、古義の訓がよい。
 
1967 かぐはしき花橘を玉に貫《ぬ》き送らむ妹は羸《みつ》れてもあるか
 
〔譯〕 かぐはしい花橘を、玉のやうに絲に貫きとほして、送つて來るはずの妹は、今、病みつかれてでもゐるのであらうか。
〔評〕 いつも花橘の頃になると送つて來るのに、今年はまだ玉に貫いた花橘が屆かない。近頃女からの消息も絶えてあることから、もしや病氣かと思つたのである。思つてみれば、氣がかりである。簡素な表現に、心理の經緯をたたんだ歌である。
〔語〕 ○みつれ 病んでやつれること。「七一九」參照。
 
1968 ほととぎす來《き》鳴きとよもす橘の花散る庭を見む人や誰《たれ》
 
〔譯〕 霍公鳥が來て、聲を響かせて鳴いてゐる、その聲で橘の花が散つてゐる庭を、見に來る人は誰でせう。あなたより外にはありませぬ。
〔評〕 この頃おとづれることも稀になつた男に對して、婉曲に誘ひかけた歌、女らしくつつましやかな點に、作者の人柄も見えるやうである。
〔語〕 ○見む人や誰 君こそその人であるの意を含めてゐる。
 
1969 吾が屋前《には》の花橘は散りにけり悔《くや》しき時に逢へる君かも
 
(84)〔譯〕 私の家の庭の花橘は、すつかり散つてしまひました。あなたは、殘念な時にを出で下さいましたことよ。
〔評〕 待つてゐた人が、橘の花の散つた頃、おとづれて來た。共に眺めることの出來なかつたのを悔んだのである。直截簡勁な表現に、力がある。卷八なる遊行女婦の、「君が家の花橘はなりにけり花なる時に逢はましものを」(一四九二)は、これに基づいたのであらう。句法は相似て趣は異なり、腕美な手弱女ぶりである。
 
1970 見渡せば向ひの野邊《のべ》の石竹《なでしこ》の散らまく惜しも雨なふりそね
 
〔譯〕 見渡すと、向うの野邊に撫子が咲いてゐるが、あの花の散るのが惜しい。雨よ降つてくれるな。
〔評〕 姿の可憐な野の花に對する愛情が、優しく滿ち溢れた歌である。素朴な半面にかうした優雅な心持をいだいてゐた上代人の風  ボウがなつかしまれる。
〔語〕 ○ふりそね 「ね」は願望の助詞。
〔訓〕 ○雨な零りそね 白文「雨莫零行年」。行年をソネとよむことは、「二九九」參照。
 
1971 雨間《あまま》開《あ》けて國見もせむを故郷の花橘は散りにけむかも
 
〔譯〕 雨の晴れ間になつたら、岡に登つてあたりを見渡さうと思つてゐるのに、この雨では、舊都の花橘はもう散つてしまつたであらうかなあ。
〔評〕 神名備山などに登つて、花橘の咲く飛鳥のあたりを眺め渡さうと思つてゐたのに、雨が晴れないので、むなしく故京の樣子を想像してゐるのである。
〔語〕 ○雨間開けて 雨間は降り續いてゐる雨のやんだ間で、雨が晴れて後の意。○國見 「二」參照。但、ここは單に高い處に登つてあたりの樣子を見渡すこと。○故郷 舊都、故京の意。ここは飛鳥の地をさすと思はれる。
(85)〔訓〕 白文「開而」。類聚古集に「闕而」とあるにより、カケテとよむ説もある。
 
1972 野邊《のべ》見れば瞿麥《なでしこ》の花咲きにけり吾が待つ秋は近づくらしも
 
〔譯〕 野邊を見ると、撫子の花がすつかり咲いてゐる。私の待つてゐる秋は、だんだん近づいて來るらしい。
〔評〕 第三句で切れる新風の調子が、この前後に著しく目につく。爽やかな新秋のおとづれを待つ喜が、詞句の間に溢れてゐるやうである。
 
1973 吾妹子にあふちの花は散り過ぎず今咲ける如《ごと》在《あ》りこせぬかも
 
〔譯〕 楝の花は、散り過ぎないで、今咲いてゐるやうに、いつまでも咲いてゐてくれないかなあ。
〔評〕 薄紫の楝の花はあまり目たたないものであるが、萬葉人の清楚な趣味に合つたのであらう、集中多く歌はれてをる。この歌、小野老の「梅の花今咲ける如《ごと》散り過ぎず我が家《へ》の苑にありこせぬかも」(八一六)と句法がよく似てゐる。
〔語〕 ○普妹子に 妹に逢ふの意で「あふち」にかけた枕詞。○あふち 今いふセンダンのこと。「七九八」參照。
 
1974 春日野の藤は散りにて何をかも御狩《みかり》の人の折りて挿頭《かざ》さむ
 
〔譯〕 春日野の藤の花はもう散つてしまつて、これからは何をまあ、御狩の人たちが折つて、挿頭《かざし》にされることであらうか。
〔評〕 平明淡雅の調である。大宮人の行樂の樣子もしのばれ、晩春の春日野一帶の落ちついた景趣も目前にあるやうな感がする。
(89)〔語〕 ○散りにて 散つてしまつての意。「に」は完了の助動詞。○御狩の人 高貴な方の御遊獵の扈從である。
〔訓〕 ○散りにて 白文「散去而」で、仙覺本の訓はチリユキテとあるが、代匠記精撰本のチリニテがよい。誤字説は諾け難い。
 
1975 時ならず玉をぞ貫《ぬ》ける卯の花の五月《さつき》を待たば久しかるべみ
 
〔譯〕 時節はづれの四月であるのに、玉を貫いたやうな卯の花が藥玉の形に咲いてゐる。五月を待つてゐては、待ち遠しからうと思はれるので。
〔評〕 卯の花のさきの方がまるく撓んで、こんもりと球?に花を綴つてゐるのを、大きな藥玉に見立てて、「玉をぞぬける」と詠んだのである。年中行事なども極めて簡素であつた上代にあつては、その時期の至るのが待遠しい思で待たれたことが想像される。
〔語〕 ○時ならず 時節はづれにの意。藥玉は五月の物である。○玉をぞぬける 玉は藥玉。○卯の花の この句「鶯の春」の如く、卯の花の咲く五月の意に解する説(古義)もあるが、それよりも、下の「の」は主語で、二句の貫けるを述語とすべく、一二句は卯の花の枝に連り咲くのを玉に貫くといつたものとする説(新考)がよい。但、新考が略解の説を非難したのは誤解で、結局略解は新考と同じ意見に歸するのである。
 
    問答
1976 卯の花の咲き散る岳《をか》ゆ霍公鳥鳴きてさ渡る君は聞きつや
 
〔譯〕 卯の花の咲いて散る岡を通つて、霍公鳥が鳴いて行く。あなたは聞きましたか。
〔評〕 霍公鳥の聲をめづらしがつて、人に云ひ贈つた歌。「君」は男女共にいふ語であるが、ここは男からその愛人(87)に言ひやつたものと解するのが自然であり、趣も深いと思はれる。
 
1977 聞きつやと君が問はせる霍公鳥《ほととぎす》しののに沾《ぬ》れて此《こ》ゆ鳴き渡る
 
〔譯〕 聞いたかとあなたがお問ひになりました霍公鳥は、雨にいたく濡れて、ここを鳴いてとほりました。
〔評〕 前の歌に對する答で、氣分からいつても、調子から見ても、女の歌とおもはれる。五月雨に濡れつつ鳴き行く霍公鳥、しかも懷かしい人の聞いた霍公鳥を、あはれと眺めたのである。
〔語〕 ○しののに しつとりと、しとどに、「一八三一」參照。○此ゆ鳴き渡る 「ゆ」は「を通つて」の意。
 
    譬喩歌
1978 橘の花散る里に通ひなば山ほととぎす響《とよ》もさむかも
 
〔譯〕 橘の花の散る里に自分がかよつて行つたらば、山の霍公鳥が高音に鳴きたてることであらうかなあ。
〔評〕 寓意明瞭、自分が女の所へ通つて行つたらば、人がさぞやかましくいひ騷ぐことであらう、といふので、表面の風趣も極めて自然である。
〔語〕 ○桶の花散る里 いとしい女に譬へたもの。
 
  夏相聞《なつのさうもに》
 
(88)    鳥に寄す
1979 春されば※[虫+果]〓《すがる》なす野のほととぎすほとほと妹に逢はず來《き》にけり
 
〔譯〕 春になると、※[虫+果]〓《すがる》のやうに痩せてゐる野のほととぎすではないが、ほとほと、もう少しのことで、女に逢はずに來てしまふところであつた。からうじて逢へてよかつた。
〔評〕 序が奇拔であるが、少しく解し難い點がある。
〔語〕 ○すがるなす すがるはジガバチのことといふ。「一七三八」參照。「すがる」の名は巣借るの義で、春巣を借りて生れ、霍公鳥も鶯の巣を借りて生れるゆゑ、春のすがるの如く、の意とする説(略解)、巣立つ頃の霍公鳥は、鳴く聲がじが蜂に似てゐるといふ説(古義)、春の霍公鳥は痩せて小さく、じが蜂に似てゐるといふ説(全釋)等諸説があり、今假に全釋に據つた。これらは、「なす」を、の如くと解するものであるが、武田博士は、鳴すとして、すがるの聲を立てる野と解された。猶後考を俟たねばならぬ。○ほととぎす 初句以下ここまで、類音で「ほとほと」に懸る序詞。○ほとほと 殆ど、もうすこしのことで、危くも、などの意。卷七「ほとほとしくに」(一四〇三)參照。
 
1980 五月山《さつきやま》花橘にほととぎす隱《かく》らふ時に逢へる君かも
 
〔譯〕 五月の山に花橘が咲いて、霍公烏がそれに隱れて頻りに鳴くこの季節に、かうしてお目にかかつたあなたは、おなつかしいことです。
〔評〕 青葉若葉の茂つた五月の山、滴る翠色に交つて白く咲いた花橘、葉隱れに洩れて來る霍公鳥の聲。人戀しさもまさるその頃に、思ふ人に逢ふことのできた喜が躍動してゐる。四圍の風情も浮んで、印象の新鮮な作である。
〔語〕 ○五月山 五月頃の山。○隱らふ 霍公鳥が橘の木の繁みの中にゐるのを、修辭的に隱れるといつたもの。(89)「隱らふ」は「隱る」の反復繼續の?態を表はす。
 
1981 ほととぎす來《き》鳴く五月の短夜も獨し宿《ぬ》れば明《あか》しかねつも
 
〔譯〕 霍公鳥が來て鳴く五月の短夜も、一人で寢るので、夜の明けるのが待遠しくて、あかしかねることである。
〔評〕 戀に惱む男の歌である。輾轉反側する若人のため息も聞えるやうにおもはれる。
 
    蝉《ひぐらし》に寄す
1982 晩蝉《ひぐらし》は時と鳴けども戀ふるにし手弱女《たわやめ》我《われ》は時わかず泣く
 
〔譯〕 蜩は鳴くべき時が來たといふので鳴いてゐるが、人戀しさの爲に、かよわい女である私は、いつといふきまりもなく、始終泣いてゐることである。
〔評〕 もの悲しげな蜩の聲を聞きつつ、戀に惱む自らの身のあはれさを強調したのである。譬喩も適切、調も緊密で、あはれが深い。
〔語〕 ○戀ふるにし しは意を強める助辭。○時わかず泣く 何時と定まつた時もなく、常に泣いてゐるとの意。
〔訓〕 ○戀ふるにし 白文「於戀」は元暦校本によつた。元暦校本の傍書によれば、「物戀に」とよめる。流布本の「我戀」はよくない。○時わかず 白文「不定」(九六一)の「時不定鳴」によつてよむといふ代匠記精撰本の説がよい。サダマラズナクと訓んではおちつかない。
 
    草に寄す
1983 人|言《ごと》は夏野の草の繁くとも妹と吾とし携《たづさ》はり宿《ね》ば
 
(90)〔譯〕 人の噂は、夏の野の草のやうに繁からうとも、いとしい女と自分と一緒に寢さへしたらば、それでよい。人の噂などはかまはない。
〔評〕 率直明快、何の顧眄する所もない男性的な歌、燃えるばかりの情熱を藏してゐる。結句の言ひさしも、餘韻に富んでよい。
〔語〕 ○真野の草の 下の「の」は、の如くの意。○携はり 伴ひ、つれ添ふの意で、ここは一緒にである。
〔訓〕 ○妹と吾とし 白文「妹與吾師」で、「師」は仙覺本には無いが、元暦校本・類聚古集等によつて補ふ。
 
1984 この頃《ころ》の戀の繁けく夏草の苅り掃《はら》へども生ひしく如し
 
〔譯〕 この頃の自分の戀心の繁さは、夏草が幾ら苅り掃つても、又、あとからあとから生え繁るやうなものである。
〔評〕 夏草を苅る農人の思によそへたので、いかにも適切な譬喩であるが、類歌がある。「吾背子に吾が戀ふらくは夏草の苅りそくれども生ひしく如し」(二七六九)或は民謠として田園にうたひひろめられてゐた爲に、語句に小異を生じたのかも知れない。
〔話〕 ○戀の繁けく 戀ふることの頻りなることはの意。○生ひしく如し 「しく」は動作作用の反復される意。後から後から頻りに生えるやうであるの意。
〔訓〕 おひしくごとし 白文「生布如」で、舊訓オヒシクガゴトでもよいが、今は古義の訓による。
 
1985 眞田葛《まくず》延《は》ふ夏野の繁く斯《か》く戀ひばまこと吾が命常ならめやも
 
〔譯〕 眞葛の這ひ廣がつてゐる夏野のやうに、こんなに繁く戀をしたならば、まことに自分の命は、長く續かうか。戀死をする外はあるまい。
(91)〔評〕 熱情的な歌で、譬喩もおもしろいが、やはり卷十二に類歌がある。「あらたまの年の緒長く斯く戀ひばまこと吾が命全からめやも」(二八九一)。しかし、譬喩があるだけに、本卷の歌の方が優れてゐる。
〔語〕 ○眞田葛延ふ夏野の繁く 「眞田葛延ふ」は枕詞と見る人もあるが、寫實である。「夏野の」までを「繁く」に懸けた譬喩的序詞と見るべきである。
〔訓〕 ○まこと吾が命 白文「信吾命」で「信」をサネと訓む童蒙抄の説は比較的多く行はれてゐるが、舊訓の方がよい。「一三五〇」「二八五九」「二八九一」などに「信」をマコトと訓んでゐる。
 
1986 吾のみや斯く戀すらむ杜若《かきつばた》丹《に》つらふ妹は如何にかあらむ
 
〔譯〕 自分ばかりがこんなに戀をしてゐるのたらうか。美しい紅顔の妹はどうなのであらう。やはり自分を思つてくれてゐるのであらうか。
〔評〕 自分の戀の劇しさを省みて、これを愛人の心に比べ、相手の熱情を疑ふやうに思ひやつたのである。戀する人の常情であらう。これを斷定的に云つたのが、大伴坂上郎女の歌で、男女地位を逆にしてゐる。「吾のみぞ君には戀ふる吾背子が戀ふといふことは言の慰《なぐさ》ぞ」(六五六)。
〔語〕 ○杜若 「丹つらふ」につづく枕詞。○丹つらふ 頬の血色よく美しいこと。「四二〇」參照。
 
    花に寄す
1987 片搓《かたよ》りに絲をぞ吾が搓《よ》る吾背子が花橘を貫《ぬ》かむと思《も》ひて
 
〔譯〕 片方からばかり搓りをかけて私は絲を搓つてゐる。思ふお方の家の花橘をこれに貫きとほさうと思つて。
〔評〕 片搓りに絲を搓ることに、片戀の意を含めたのである。技巧はすぐれてゐるが、かうした譬喩を弄ぶ餘裕があ(92)るのは、それだけ眞劍味に缺ける點が感じられる。「紫の絲をぞ吾が搓るあしひきの山橘を貫かむと念ひて」(一三四〇)を粉本としたものであらうが、譬喩歌でない原歌の美しさに遠く及ばない。
〔語〕 ○吾背子が 「が」は主格助詞でなく、所有格を表はす。
 
1988 鶯の通ふ垣根の卯の花の厭《う》き事あれや君が來まさぬ
 
〔譯〕 鶯が通つて來る私の家の垣根に咲く卯の花、その「う」といふごとく、何か心|厭《う》く私を思はれることでもあるのであらうか、あの方はおいでにならない。
〔評〕 調子の快い歌。序は眼前の實景を以てした所謂有心の序でもあらうか。小治田廣耳の、「ほととぎす鳴く峯《を》の上の卯の花のうきことあれや君が來まさぬ」(一五〇一)に似てゐるが、「う」の音韻を重ねる上からは、鶯が効果的である。但、拾遺集に第一句を「ほととぎす」に改めて採録してゐるのは、鶯と卯の花との配合をいぶかしんだ故であらう。
〔語〕 ○鶯の通ふ垣根の卯の花の 「うき」にかかる序詞。鶯は來るが、あなたは來ないの意に解する説(略解)は考へ過ぎであらう。
 
1989 卯の花の咲くとは無しにある人に戀ひや渡らむ獨念《かたもひ》にして
 
〔譯〕 卯の花の開《さ》く、その「開《さ》く」といふほどに私にあはうといふ心がまた開けてゐない人に、かうして私は戀ひ續けることであらうか、片思のままに。
〔評〕 一二三句の譬喩は、男の態度を描き得てよい。片戀に惱む女性の、ひそかなため息が聞えるやうである。
〔語〕 ○卯の花の 卯の花のやうにの意。○さくとはなしに さくとは、心を開いて戀に應ずるの意を譬へたもの。
 
(93)1990 吾こそは憎《にく》くもあらめ吾が屋前《には》の花橘を見には來《こ》じとや
 
〔譯〕 私をこそ憎いとも思召しませうが、私の家の庭の花橘を見にはいらつしやらないのでせうか。花に何の罪がありませう。
〔評〕 つんと拗《す》ねて、嫌味を含めた怨言である。優しい中に時に發露する婦人らしい一面が如實にあらはれてゐる。紀女郎の、「闇夜ならばうべも來まさじ梅の花咲ける月夜に出でまさじとや」(一四五二)と似てゐるが、彼は婉曲にして美しく、此は詰問的にして強い。
〔語〕 ○憎くもあらめ 憎くもあらめどの意で、下に續く語氣。
 
1991 ほととぎす來《き》鳴き響《とよ》もす岡邊なる藤波見には君は來《こ》じとや
 
〔譯〕 霍公鳥が來て鳴き立ててゐるこの岡邊の、こんな美しい藤の花を見に、あなたはいらつしやるまいと仰しやるのですか。
〔評〕 上の歌と同樣に、私に用はなくとも、藤の花を見においでになりさうなものといふ、皮肉をこめた怨言である。しかし「吾こそは憎くもあらめ」などと言はぬところが餘程婉曲で、男に對しては却つて効果的であらう。
 
1992 隱《こも》りのみ戀ふれば苦し瞿麥《なでしこ》の花に咲き出《で》よ朝旦《あさなさな》見む
 
〔譯〕 人目に隱れてばかり戀してゐると、實に苦しい。いつそのこと、なでしこが花に現はれて咲き出るやうに、うちあけておしまひなさい。さうしたらば、晴れて毎朝逢ひませうに。
〔評〕 忍ぶ戀路は苦しいながら、女は小心で用心ぶかい。男は堪へかねて、いつそ打明けた上、天下晴れての仲にな(94)りたいといふ。兩者の心理の動きが巧みに描かれてゐる。
〔語〕 ○隱りのみ 人目を忍んでばかり。○花に咲き出よ 花となつて咲き出るやうに、外部にあらはせの意。
 
1993 外《よそ》のみに見つつを戀ひむくれなゐの末採《すゑつ》む花の色に出でずとも
 
〔譯〕 よそ目にばかりあなたを見て、ひそかに戀ひ慕つてをりませう。末を摘み取るあの紅《べに》花が鮮かな色に出るやうに、表面に出ずとも、私は我慢いたしませう。
〔評〕 前の歌に對する女の答と見られぬこともないが、これは又、別な歌であらう。つつましい女性の控目な戀心があはれである。
〔語〕 ○よそのみに見つつを戀ひむ 人目を憚る意。「を」は詠歎の助詞。○くれなゐの末つむ花の 紅花《べにばな》をいふ。莖頭を摘んで染料とする爲である。「の」は、の如くの意。
〔訓〕 ○見つつを戀ひむ 白文「見筒戀牟」で、通行本に、「筒」を「箇」に作るは誤。紀州本その他多くは「筒」とある。舊訓ミツツヤコヒムであるが、代匠記精撰本の一訓による。他にミツツコヒナムとも訓んでゐる。○すゑつむ花 白文「末採花」で、中世の源氏物語の卷の名などにもあるに據る。宣長説(略解)では、ウレツムハナと訓んでゐる。
 
    露に寄す
1994 夏草の露分衣《つゆわけごろも》著《つ》けなくに我が衣手の干《ふ》る時もなき
 
〔譯〕 夏草の露を分けて來た着物を着てゐるのでもないのに、私の袖は乾く間の無いことである。
〔評〕 君を戀ふる涙のゆゑにといふことを愬《うつた》へたもの。夏草の露分衣の譬喩は、優婉である。「ひさかたの雨には着(95)ぬをあやしくも吾が衣手は干る時なきか」(一三七一)に似て、風趣に於いてまさつてゐるが、「雨には着ぬを」の方が素朴であるから、時代が古いのであらう。
〔語〕 ○露分衣 草木を押し分けて行つて、その露にぬれた衣服。
〔訓〕 ○着けなくに 白文「不着爾」で、舊訓キモセヌニは平俗。略解のケセナクニは敬語となるので從ひ難い。ツケナクニと訓むべきであらう。
 
    日に寄す
1995 六月《みなづき》の地《つち》さへ割《さ》けて照る日にも吾が袖|乾《ひ》めや君に逢はずして
 
〔譯〕 大地《だいぢ》までも龜裂を生ずるほど、強く照りつける六月の日光にあたつても、涙にぬれた私の袖は乾きませうか。思ふお方に逢はないでは。
〔評〕 灼熱の情炎、まことに盛夏六月の太陽のごとくである。誇張などといふ感を踏み越えて、その激情、人を壓倒するものがあり、萬葉ならでは見られぬ壯觀といふべきである。
〔語〕 ○地さへ割けて 地面が乾燥して龜裂を生ずる意で、これは後世慣用語となつてゐるが、その出典はここである。
 
  秋雜歌《あきのざふか》
 
(96)    七夕
1996 天漢《あまのがは》水さへに照る舟競《ふなぎほ》ひ舟こぐ人は妹とみえきや
 
〔譯〕 天の河の水までが照るやうに、澤山の照り輝く美しい舟を競ひつつ、舟を漕いで行つた人――彦星は、妻なる織女と相逢うたであらうか。
〔評〕 天の河を美しい舟を漕ぎ競うてゆく彦星の、晴の舟出の喜を想像し、彦星が多くの從者を引き連れて行くといふ風に見立てて「舟競ひ」といつたのであらう。但、この歌、訓に諸説があつて決し難いので、解釋も一樣ではない。
〔語〕 ○水さへにてる 懷風藻なる七夕の詩に「玲瓏映2彩舟1」とあると同想で、舟が彩られてゐるため、水まで照るやうなのをいふ。○舟こぐ人 牽牛星をさす。
〔訓〕 ○水さへに 白文「水左閇而」とある。而は「賂敍手而在」(二〇〇五)によつてニと訓んだ。○舟ぎほひ 白文「舟競」は温故堂本によつた。他本は竟とあり、また赤人集に「天の河水底までにてらす舟つひに舟人妹とみえずや」とあるのを傍證とし、また卷十に 「水底さへに光《て》るまでに」(一八六一)の句もあるにより、「水」の下に「底」の字を脱したとして「天の川水底さへに照らす舟|竟《は》てし舟人妹とみえきや」とよむ説がある。
 
1997 ひさかたの天漢原《あまのかはら》にぬえ鳥のうら歎《な》けましつ羨《とも》しきまでに
 
〔譯〕 天の河原にゐて、棚機は彦星の來るのを待ちかねて、忍び音に泣いてをられた、よそ目に見ても羨ましい仲と思はれるほどに。
〔評〕 織女の彦星を待ち戀ふる樣を想像して、その仲らひのこまやかさを羨んだものであらう。結句は適切の用語といひ難く、解釋上、異説を生じてゐるが、古義の説が穩かであらう。
(97)〔語〕 ○ぬえ鳥の 枕詞。「ぬえこどり」(五)「うらなけをりて」(二〇三一)參照。○ともしきまでに 外《よそ》にゐて見る人の羨しく思はれるまでと解する説(古義)、この「ともし」は珍らしいの意とし、こんな戀はたぐひ少く珍しいまでにとする説(代匠記)、その他誤字説によつて、哀しきまでにとする説(新考)などあるが、古義の説に從ひたい。
 
1998 吾が戀を嬬《つま》は知れるを行く船の過ぎて來《く》べしや言《こと》も告《つ》げなむ
 
〔譯〕 私が戀しがつてゐることを、夫の彦星は知つて居られるのに、こんなに時過ぎていらつしやるべきでありませうか。おくれるならば言傳でもしていただきたいものです。
〔評〕 この歌も疑義があつて、解釋上異説があるのは、畢竟表現力が不十分といふ外はない。
〔語〕 ○嬬 ここは借字で、夫のこと。彦星をさす。○往く舟の過ぎて來べしや 夜が明けて行き過ぎて後又來るべきか云々と解する代匠記精撰本の説は牽強である。「往く舟の」は枕詞で、時過ぎて來べしやの意とする説(古義)が穩かである。○ことも告げなむ 「なむ」は他に希望する意を表はす助詞、隨つて上の「告げ」は未然形である。
〔訓〕 ○ことも告げなむ 白文「事毛告火」で事は言の借り字。「火」は五行説により方角に配すれば南にあたるからナムと訓む説(訓義辨證)がよい。卷十三にも「死なむよ吾妹」を「二二火四吾妹」(三二九八)とある。舊訓ツゲラヒは義を成さず、「哭」と改めて、ツゲナクと訓む説もよくない。
 
1999 あからひくしきたへの子を?《しば》見れば人妻ゆゑに吾《われ》戀ひぬべし
 
〔譯〕 顔の色のあかく美しい、やはらかい織物のやうなあの女をしばしば見ると、人妻であるその女に、自分は牽きつけられて戀しくなつてしまひさうである。
〔評〕 これは七夕の歌ではなく、人妻を戀ふる歌がまぎれこんだものとも思はれるが、「あからひくしきたへの子」(98)は織女のことで、彦星以外の男の星が、織女の美しさに見とれたものと考へられもする。
〔語〕 ○あからひく 赤みを帶びて血色のよいこと。ここは枕詞といふべきではない。「六一九」參照。○しきたへの子 美しい女。「しき」は重浪《しきなみ》の重《しき》「たへ」は微妙《くはしたへ》といふ説もあるが、「しきたへ」は多く、袖、衣、などにかけた枕詞として用ゐられてをり、しなやかで織目のしげくある織物の意と思はれるので、「しきたへの子」は、敷妙のごとく美しい女と見る方がよいとの説によつた。○人妻ゆゑに 他人の妻である女のゆゑに。ここは後世の如く、人妻であるのにとも解し得る。
 
2000 天漢《あまのがは》安《やす》の渡《わたり》に船|浮《う》けて秋立つ待つと殊に告げこそ
 
〔譯〕 天の河の安の渡に船を浮べて、秋の來るのを待ちわびてゐると、自分の妻に告げてくれ。
〔評〕 彦星の歌で、船に乘つて秋の立つのを待つとは、年に一度逢ふ瀬を許された七月七日を待ちわびて、早く天の河を渡らうとする意である。妻は勿論織女のことであるが、その織女に告げてくれといふのは、誰に向つて頼むのか明かでない。風雲におほせるのであらうと新考は云つてゐる。尚、安の渡は、古事記の高天原なる天の安の河から出たもので、日本の神話中の地名と、七夕傳説とが混じあつたのが面白く思はれる。
〔語〕 ○安の渡 天の河の渡河地點の名。神代紀に「于v時、八百萬神、會2合於天安河邊1、計2其可v?之方1。」とあるのを、七夕傳説に融合させたものとおもはれる。○浮けて 浮かべて。「浮け」は下二段活用。○告げこそ 「こそ」は願望の助詞。
〔訓〕 ○告げこそ 白文「告與具」で、諸本皆この通りであり、卷十三にも「眞福在與具」とあるが、ともに訓みがたい。略解は「告乞其」の誤といつてゐるが、二字にわたる改訂に從ひがたい。「與」をコソと訓む例は、「九九五」「二八五〇」にもある。「具」は「其」を誤つたもので「二〇八九」に具穗船の例もある。「與」の一字でコソと訓み(99)「其」を添へたものかとも思はれる。舊訓は字面に即してツゲヨク、元暦校本はこのままで「つげこそ」と訓み、略解は文字を前記の如く改めてツゲコソと訓んでゐる。
 
2001 蒼天《おほぞら》ゆ通ふ吾すら汝《な》がゆゑに天漢路《あまのかはぢ》をなづみてぞ來《こ》し
 
〔譯〕 空を飛んで通ふことの出來る自分でさへも、そなたゆゑには、天の河の道を、歩き惱みつつたどつて來たのである。
〔評〕 彦星が、大空を自在に飛行し得る身でありながら、戀なればこそ、馴れぬ河を渡つて來るといふ辛酸を、織女に向つて訴へたのである。固より條理にあてはまらぬところはあるが、幼くて可隣な想像である。
〔語〕 ○大空ゆ 「ゆ」は「より」の義であるが、「鄙の長道ゆ戀ひ來れば」(二五五)、「空ゆと來ぬよ」(三四二五)等のやうな用法もあつて、動作の行はれる範圍を動的に示すもの、即ち「を通つて」の意。○なづみてぞ來し 苦勞をして、辛うじてやつと來たの意。
〔訓〕 ○蒼天ゆ 白文「從蒼天」で、舊訓オホゾラニ。今、代匠記精撰本に從ふ。○汝がゆゑに 白文「汝故」で、舊訓ナレユヱニ。今、略解に從ふ。○なづみてぞ來し 白文「名積而敍來」舊訓ナヅミテゾクル。今、考の訓を採る。
 
2002 八千戈《やちほこ》の神の御世より乏《とも》し※[女+麗]《づま》人知りにけり繼ぎてし思へば
 
〔譯〕 遠い八千戈の神の御代から、自分のいとしい妻を、人は皆知つてしまつたことである。自分が絶えず思ひつづけてゐるので。
〔評〕 七夕の傳説の古さ、人口に言ひはやされることの久しさから、その戀の長久を、彦星が歎じてゐるのである。八千戈の神、即ち大國主命の御代よりと歌つて、大陸傳來の説話を日本化したのが、作者の機智である。
(100)〔語〕 ○八千戈の神 大國主命の別名。「一〇六五」參照。○ともしづま いとしく懷かしい妻の意で、ここは織女をさす。○繼ぎてし思へば ずつと續いて戀ひ慕つてゐるので。
 
2003 吾が戀ふる丹《に》のほの面《おもわ》今夕《こよひ》もか天漢原《あまのかはら》に石枕《いはまくら》纒《ま》く
 
〔譯〕 自分が戀しく思ふあの美しい顔色の織女は、今宵しも、天の河原に石を枕として、寢てゐることであらうか。
〔評〕 天の河原に待つ織女の面影を想像しつつ、ひた急ぐ彦星の心の焦躁がよく現れてゐる。「ひさかたの天の河瀬に船うけて今夜か君が我がり來まさむ」(一五一九)とは、男女互に立場をかへた趣である。
〔語〕 ○丹のほの面 丹の秀の面なるわが妻織女の義。「丹のほ」は赤い色の著しく美しいことで、即ち血色美しい顔。「八〇四」參照。面はオモテとも訓めるが、卷十九の長歌(四一六九)の自註に、「御面謂2之|美於毛和《ミオモワ》1」とあるに從ふ。○今夕もか 今晩かまあの意。「も」は詠歎「か」は疑問の助詞で結句に呼應する。
〔訓〕 ○丹のほの 白文「丹穗」ニホヘルとよむ説もある。○石枕 舊訓イソマクラ。今、代匠記精撰本による。
 
2004 己《おの》が夫《つま》乏《とも》しむ子等《こら》は泊《は》てむ津の荒磯《ありそ》枕《ま》きて寢む君待ちがてに
 
〔譯〕 夫の彦星を懷かしがつてゐるあの織女は、夫の舟が着く天の河の船着場の荒磯を枕にして、寢ることであらう。その懷かしい夫を待ちかねて。
〔評〕 彦星を待ち焦れる織女星に同情を寄せた歌であるが、修辭が稚拙佶屈で、趣致に乏しい作である。
〔語〕 ○己が夫 自分のをつと、彦星のこと。○乏しむ子等 「ともしむ」は愛しなつかしむ意。「子等」は織女をさす。「ら」は口調の爲の接尾辭、複數ではない。○泊てむ津の 彦星の船が着く筈の天の河の般着場の意。
〔訓〕 ○己が夫乏しむ 白文「己※[女+麗]乏」。オノヅマニトモシム、又トモシキとよむ説もある。○泊てむ津 白文「竟(101)津」で、代匠記は「竟」の上に「舟」の上に舟の脱と見、考は「竟」を「立見」の誤としてゐる。舊訓アラソヒツでは意を成さず、代匠記及び考は誤字説によりフネハテツ、タチテミツなど訓んだが、このまま古義の如くハテムツノと訓むがよい。
 
2005 天地と別れし時ゆおのが※[女+麗]《つま》然《しか》ぞ手に在《あ》る秋待つ吾は
 
〔譯〕 天と地と相別れた遠い昔から、織女は自分の妻として、かうして自分の掌中にある。であるから、やがて妻に逢へる秋を樂しみに待つてゐるのである、自分は。
〔評〕 七夕の歌は、多くはその悲戀を憐む同情を基調とtてゐるが、これは趣を異にして彦星の心の平安を歌つてゐる。なるほど年に一夜の逢瀬しか許されないといふことは、悲しい戀には相違ないが、しかし又一面から見れば、永久にわたるその契の固いこと、安定してゐることを思はせるのである。この歌は全體に快活の響があり、「秋待つ吾は」にも、安んじて秋を樂しむ感じが受取られる。
〔語〕 ○天地と別れし時ゆ 天地開闢の遠い昔から。○然ぞ手に在る このやうに自分の妻として定つてゐるの意。
〔裙〕 ○秋まつ吾は 白文「金持吾者」。「金」は、五行を四季に配すれば金が秋に當るからである。
 
2006 彦星は嘆かす※[女+麗]《つま》に言だにも告げにぞ來つる見れば苦しみ
 
〔譯〕 彦星は嘆いて居られる妻に、慰めの言葉だけでもと思つて、それを言ひに來た。妻の樣子を見ると苦しいので。
〔評〕 織女に對する彦星の暖かい思ひやりを第三者が詠んだものであるが、條理が徹しない憾がある。特に「告げにぞ來つる」の行動と「見れば苦しみ」の條件とは明かに時間的矛盾であり、「歎かす」の理由も曖昧である。要するに拙作であらう。
(102)〔語〕 ○歎かす 「歎く」の敬語であるが、ここは親愛の心持を表はす。○見れば苦しみ 歎くのを見てゐるのが苦しいのでの意。新考に「不」を補つて「見ずば苦しみ」と解したのは、前後に感じられる矛盾を除く意圖に出たと思はれるが、それは輕々には賛し難い。
〔訓〕 ○告げにぞ 白文「告爾敍」。告はノリとも訓める。「爾」を通行本「余」に作るは誤。元暦校本によつて訂す。
 
2007 ひさかたの天《あま》つ印《しるし》と水無川《みなしがは》隔てて置きし神代し恨めし
 
〔譯〕 天上のしるしとして、水の無い天の河を、私たち二人の間に隔てて置いた神代が恨めしいことである。
〔評〕 これは第三者としての歌でなく、彦星か織女かの心になつての作である。天の河を隔てて夫婦交會の難いのを歎くあまりに、「神代し恨めし」と、運命を恨むことになつた。素朴な上代人の心に、この傳説の及ぼした悲哀の切實さが想像される。しかも大陸の傳説に、「神代」と日本化したのは注意すべきである。「水無」といふのは、下界から見た感じでいうたのであらうか。天の川を船して渡り、或は渡舟にのつてわたり、或はかちわたりし、此の歌のごとく、水の無き川と樣々に空想のつばさをはせてゐるのはおもしろい。
〔語〕 ○天つしるしと 彦星と織女とを隔てる天上での標としての意。下にも「久方の天つ驗と定めてし天の河原に」(二〇九二)とある。
 
2008 ぬばたまの夜霧隱《よぎりがく》りて遠くとも妹が傳《つたへ》は早く告げこせ
 
〔譯〕 夜霧が立ちこめ、その上自分のゐるところは遠くても、いとしい妻の傳言は、早く自分に聞かせてくれ。
〔評〕 地上の戀人同士のやうに、彦星が織女からの文使を待ちわびてゐる心を敍べたもので、當時七夕傳説が樣々に詠まれ、形を變へて想像されてゐたことが知られる。
(103)〔語〕 ○ぬばたまの 「夜」にかかる枕詞。「八九」參照。○妹が傳 妻即ち織女からの傳言の意。○告げて下さいの意。「こせ」は「一一九」參照。
〔訓〕 ○がくりて 白文「隱」。ガクリニとよむ説もある。○つたへは 白文「傳」。卷十二に「何の傳言《つてごと》」(三〇六九)卷十九に「傳言に吾に語らひ」(四二一四)とあるにより、ここも「イモガツテゴト」とよむ説もある。○告げこせ 白文「告與」。ツゲコソとよむ説もある。
 
2009 汝《な》が戀ふる妹の命《みこと》は飽き足《た》りに袖|振《ふ》る見えつ雲|隱《がく》るまで
 
〔譯〕 あなたが戀ひ慕ふ妻の織女の君は、十分滿足するまで袖を振るのが見えました。あなたの姿が遠く雲に隱れて見えなくなるまで。
〔評〕 織女が曉の別れに際して思ひきり袖を振るのを見た人、恐らく彦星の從者などが、それを彦星に告げた趣の歌である。飽くまでも人間界の戀の樣子に想像したところに、現實的な上代人の面目が窺はれる。
〔語〕 ○妹のみことは、現代語で「奧樣は」といふほどの意。織女をさす。○飽き足りに 十分滿足するほどに。○雲隱るまで 彦星の姿が雲に隱れて見えなくなるまで。「隱る」は古くは四段活用。
〔訓〕 ○飽き足りに 白文「飽足爾」。舊訓アクマデニは不可。古義は「飽迄爾」の誤としてゐるが、諾けがたい。
 
2010 夕星《ゆふづつ》も通ふ天道《あまぢ》を何時《いつ》までか仰ぎて待たむ月人壯子《つきひとをとこ》
 
〔譯〕 日が暮れて、宵の明星も空の道を通ふ頃となつたのに、いつまでまあ私は空を仰いで、彦星の君を待つことでせうか。ねえ、お月樣。
〔評〕 空には宵の明星も輝き出した。月も出た。彦星はまだお見えにならぬ。私は何時まで待つてゐなくてはならぬ(104)のかと、織女が焦慮を月に愬《うつた》へたのであらう。童話的な可憐な趣がある。或は、「三六一一」によるに、月人を彦星にたとへたものとも解される。古義には、月を待つ歌が誤つて入つたものと解して居る。
〔語〕 ○夕星 太白星即ち金星のこと。「一九六」參照。○月入壯子 月を人格化した語で、下にも「二〇四三」「二〇五一」「二二二三」等に見える。ここは呼びかけとして上述の如く解した。
 
2011 天漢《あまのかは》い向ひ立ちて戀ふとにし言《こと》だに告げむ※[女+麗]《つま》とふまでは
 
〔譯〕 天の河の岸に向ひ立つて、織女を戀ひ慕つてをるといふ、せめてそのことを傳言だけでもして置きたい、七夕の夜が來て親しく妻を訪ふまでは。
〔評〕 相會ふのは年に一度であるが、それまでの間には、地上の戀人同士のやうに、文使を通はしてゐるといふ風に見たので、これも上代人の現實的な解釋である。
〔語〕 ○い向ひ い「は」接頭辭。○戀ふとにし 戀うてをると。○※[女+麗]とふまでは 直接妻をおとづれるまでは。
〔訓〕 ○戀ふとにし 白文「戀等爾」今「し」を訓みそへた。考は「戀樂爾」の誤、古義は「戀從者」或は「戀自者」の誤としてゐる。代匠記はコフルトニ。それを「夜の更けぬとに」(一八二二)の「と」と同じと見るのは假名遣上いかがである。○※[女+麗]とふ 白文「嬬言」。ツマトイフともよめるが、ツマトフと訓み、妻を問ふの義に解した。
 
2012 白玉《しらたま》の五百《いは》つ集《つどひ》を解きも見ず吾《あ》は干しかたぬ逢はむ日待つに
 
〔譯〕 白玉を澤山貫いて飾つた紐を解いて、二人でうちとけて寢ることもなく、私は涙に濡れた袖を干しかねることである。戀しい夫に逢ふ日を待つのに。
〔評〕 彦星を待ちかねた織女の心で、白玉の五百つつどひは、天女の袋にふさはしい想像である。彦星の歌と見られ(105)ないこともないが、全體の氣分から女性の作と取るのが自然であらう。
〔語〕 ○白玉の五百つつどひ 白玉を多く貫き集めた首飾。古事記上卷に「八尺《やさか》の勾※[王+總の旁]《まがたま》の五百津御統《いほつみすまる》」とある。○解きも見ず 紐を解いても見ないで。うちくつろいで寢もしないでの意を含んでゐる。○ほしかたぬ ほすことが出來ないの意。「かたぬ」は「かてぬ」(九八)に同じと思はれる。「かつ」は成し得るの意で、通常下二段活用であるが、ここの例によると、四段にも活用したものであらうか。この句は「袖」を補つて解せねばならぬ。
 
2013 天漢《あまのがは》水陰草《みづかげぐさ》の秋風に靡かふ見れば時は來にけり
 
〔譯〕 天の河の水のほとりに生えてゐる草が、秋風にそよそよと靡いてゐるのを見ると、なつかしい吾が夫、彦星のお出になる時が來たのである。嬉しいことである。
〔評〕 前出「二〇〇七」の「水無河《みなしがは》」以外は、七夕の歌では皆天河に水のあることを敍べてゐるが、この歌は全く地上の河の眺をそのまま天界に移した感があつて、七夕に近い初秋の頃の川邊の風趣が爽かに浮んでくる。内容も純粹で聲調も頗る流麗である。
〔語〕 ○水陰草 新解には水に影のうつる草、即ち岸邊の草といひ、全釋は水邊の物かげに生ずる草としてゐる。考や古義はミゴモリグサと訓んでゐるが、それでは水中に没してゐる水草になつて、秋風に靡くといふに相應しない。○靡かふ見れば 靡いてゐるのを見れば。○時は來にけり 彦星に會ふ時が來たの意。
〔訓〕 ○水陰草 大矢本、京大本に「陰」を「隱」に作り、古義はこれに從つてゐるが、一首の意からも、多數古寫本に照して見ても採り難い。○時は來にけり 白文「時來々」通行本は「時來之」とある。今、元暦校本・類聚古集・紀州本等による。舊訓は「時來之」により「トキハキヌラシ」とあるが、今、元暦校本等の本文に從ひ、新訓を施す。
 
(106)2014 吾が待ちし秋萩咲きぬ今だにも染《にほ》ひに行かな遠方人《をちかたびと》に
 
〔譯〕 自分の待つてわた秋萩の花が咲いた。せめて今でも、花に袂を染めがてら、逢ひに行かうよ。天の河のあちらにゐる人に。
〔評〕 これも亦地上の秋色をその儘に、架空の世界に移したもので、彦星の心を詠んだものであらう。率直に見れば、七夕の歌ではないやうにも思はれるが、つまり稚拙な歌なのである。
〔語〕 ○今だにも せめて今なりとも、即ち平常は行けないが、萩の花咲く秋になつたこの時にでもの意。○染ひに行かな 「にほふ」は衣に色を染めつける意。ここは萩の花に自分の袖を染めに行く意、妻に會ひに行く意を寓してゐるのであらう。四句を紀州本の訓に從つてニホヒテユカナとすれば全體の解は明瞭になるのであるが、本文に一も證本が無いので遽に採用し難い。○遠方人 「をちかた」の本義は、あちらで、ここは天の河のあちらにゐる人の意で、織女をさすと解すべきである。
 
2015 吾背子にうら戀ひ居れば天の河夜船《よふね》榜《こ》ぎ動《とよ》む楫《かぢ》の音《と》聞ゆ
 
〔譯〕 なつかしい私の夫を心のうちで戀ひ慕つてゐると、天の河で、夜船を漕ぎ騷ぐ櫂の音が聞える。さては夫の船か、嬉しいことである。
〔評〕 夜船をこぐ楫の音に、夫を待ち戀ふる織女の胸も高鳴るかと感じられる。奇按な着想ではないが、雄渾な格調に饒かな情趣が流れてゐる。
〔語〕 ○吾背子 織女から彦星をさす。○うら戀ひ居れば 心の中で戀しがつてゐればの意。「うら」は心の意。
 
(107)2016 まけ長く戀ふる心ゆ秋風に妹が音《おと》聞《きこ》ゆ紐解きゆかな
 
〔譯〕 今まで時長く戀ひ慕つてゐる自分の心から、秋風の吹くにつれて、妻の織女の聲が聞えて來る。さあ、着物の紐を解いて逢ひに出かけよう。
〔評〕 あまりに思ひつめてゐる心の迷ひから、ふと、秋風が妻の聲を傳へて來るやうに聞きなされたといふのは、頗る感覺的である。心に美しい妻の聲を聞き、妻のにほひを感じて、心の躍つた樣が、よく現はれてゐる。
〔語〕 ○まけ長く 長い時の間。「ま」は接頭辭。○戀ふる心ゆ 戀しがつてゐる心からして、心のせゐでの意。○秋風に 秋風につれて、秋風に吹き送られて。○紐解きゆかな 衣の紐を解いて逢ひに行かうよ。「な」は願望の助詞。「家きかな」(一)參照。
〔訓〕 ○心ゆ 白文「心自」ココロヨともよめる。○ゆかな 白文「往名」。略解所引宣長説に「待名」の誤としてマタナ、古義に「枉名」の誤としてマケナと改めたが、舊訓のままでよい。
 
2017 戀ひしくは日《け》長きものを今だにも乏しむべしや逢ふべき夜《よ》だに
 
〔譯〕 戀しく思うたのは、長い間でありましたものを、今になつてまで、不滿な思ひを私におさせなさるといふことがありませうか。いよいよ逢へるといふ今夜だけでも、せめてじらさずに逢つて下さい。
〔評〕 織女の心で、まことに情痴纒綿の趣がある。由來七夕の歌には、作爲が多くて眞情の流露したものが少いのであるが、これなどは異數に屬する。尤もこれは七夕の歌とせずとも、普通の相聞としてでも立派に通るのである。下に、「戀ふる日は日《け》長きものを今夜だに乏しむべしや逢ふべきものを」(二〇七九)の類歌がある。
〔語〕 ○戀しくは 戀しがつてゐたことはの意。「し」は過去の助動詞、「く」は用言に接してこれを「こと」の意で(108)體言化する語。「散らく」(八二三)・「寢なく」(八三一)・「惡しけく」(九〇四)・「善けく」(同)なども、皆同じ。○乏しむべしや 乏しむを「乏しく思ふ」と解して、不滿足に思つてよいであらうか、何で不滿に思はうの意とする説と、「乏しがらせる」と解して、不滿に思はせるべきであらうか、否、不滿を感じさせてはならぬの意とする説とがある。今、後説による。○逢ふべき夜だに、折角逢へる筈の今夜だけでもせめて、私に不滿を感じさせないで早く逢つて下さいとの意。
 
2018 天漢《あまのがは》去歳《こぞ》の渡《わた》りで遷《うつ》ろへば河瀬を踏《ふ》むに夜ぞ深《ふ》けにける
 
〔譯〕 天の河の去年渡つた場所が、今年は變つてしまつたので、河の淺瀬を踏んで、あちこちと捜すうちに、夜がふけてしまつたことである。
〔評〕 現實の人間の經驗を天界に應用した構想で、奇拔な趣である。彦星の苦心困惑の?が巧みに描かれて居り、調も緊密にしてよい。
〔語〕 ○去歳の渡りで 去年の七夕に渡つた渡り瀬の意。仁コ紀の歌に「和多利涅《ワタリデ》」とあるところを、古事記では「和多理是《ワタリゼ》」としてゐるので、この兩語は同じであることが察せられる。○河瀬を踏むに 淺い所を捜さうと瀬踏みをしてゐるうちに。
〔訓〕 ○渡りで 白文「渡代」、類集古集・紀州本・西本願寺本などによる。通行本「渡伐」に作るはわるい。「伐」による舊訓ワタリバは不可。「代」はデの假字として集中用例があるからワタリデと訓むべしといふ古義の説がよい。
 
2019 古《いにしへ》ゆ擧《あ》げてし機《はた》も顧みず天《あま》の河津《かはつ》に年ぞ經《へ》にける
 
〔譯〕 ずつと以前から織らうと思つてかけておいた機も、私はそのまま打捨てて置いて、彦星のおいでを待つために、(109)天の河の船着場で、空しく年を過ぐしてしまつたことである。
〔評〕 第三者が、戀ゆゑに務をも忘れてゐる織女を詠じたものとも解せられるが、織女自身の詠歎と見るのが自然であらう。但、着想は奇であるが、あまりに誇張に過ぎて同感を惹き難い。
〔語〕 ○いにしへゆ はやくからの意を大げさにいつたもの。○擧げてし機も 織らうとしかけて置いた機をもの意。「擧げ」は經絲を機に上せる意。○顧みず 織らずに捨て置いて。
 
2020 天漢《あまのがは》夜船《よふね》を榜《こ》ぎて明《あ》けぬとも逢はむと念《も》ふ夜《よ》袖|交《か》へずあらむ
 
〔譯〕 天の河に夜船を漕いで、たとひ夜が明けてしまつても、戀しい織女に逢はうと思ふ今夜なのである。袖をかはして寢ずにおかうか。
〔評〕 夜船を漕ぐうちに時を過して、夜は次第にふけて行く。それについて彦星の焦燥はいよいよ激しくなつてゆく。只逢ひたさの一念で、時間的の矛盾などはまるで念頭に置いてゐない、強く張り切つた語句聲調の中に、よく心もちが現れてゐる。
〔語〕 ○明けぬとも 夜が明けてしまつてもの意。「ぬ」は完了の助動詞の終止形。○袖交へずあらむ 袖を交して共に寢ないでゐようか、寢ずにはゐないの意。
〔訓〕 袖かへずあらむ 白文「袖易受將有」で、代匠記はこの下に哉の脱とした。「袖かへずあらむ」たけでは、反語にとることがむづかしいので、ソデカヘズアレヤ、アラメヤとする説がある。
 
2021 遠妻《とほづま》と手《た》枕|交《か》へて寐たる夜は鷄《とり》が音《ね》な動《とよ》み明《あ》けは明《あ》くとも
 
〔譯〕 遠く離れてゐた妻と、手枕をかはして寢た晩は、鷄は鳴き騷がないでくれ、夜は明けても。
(110)〔評〕 湯原王の、「織女《たなばた》の袖つぐ三更《よひ》のあかときは河瀬の鶴は鳴かずともよし」(一五四五)と似た思を、彦星の心として詠んだものである。結句が極めて安定して居り、千鈞の力がある。
〔語〕 ○遠妻 遠くにゐる妻。織女をさす。○鷄が音なとよみ 鷄の聲は騷がしく啼き立てるな。普通は「なとよみそ」といふが「そ」は禁止の意に必ず伴ふものではない。
 
2022 相見らく飽き足《た》らねどもいなのめの明け行きにけり船出《ふなで》せむ※[女+麗]《つま》
 
〔譯〕 お前とかうして相見ることは、まだ飽き足らないけれども、もう夜が明けて來たよ。船出をして自分は歸らう、いとしい妻よ。
〔評〕 訣別に臨んでの彦星の心で、綿々として盡きぬ惜別の情が、典雅流麗な調子の中に盛られてゐる。四句まで一氣に淀みなく感懷を敍して句を切り、新たに起した結句を更に二つに切つて自分の決心をいひ、妻へ呼び掛けて結收た句法は、頗る變化に富んで面白く、結句が實によく安定して力がある。
〔語〕 ○相見らく 互に相見ることはの意。○いなのめの 「明け」につづく枕詞。意は諸説あるが、寢《いね》の目の明くと解する冠辭考の説が比較的穩かであらう。○船出せむ 船出をして自分は歸らうとの意。○※[女+麗] 妻よ、と呼びかけた語。
 
2023 さ寐《ね》そめて幾何《いくだ》もあらねば白たへの帶乞ふべしや戀もすぎねば
 
〔譯〕 寢たばかりでまだ幾らもたたないのに、もう歸り支度で、御自分の白たへの帶を返してくれなど仰しやることがございますものか。戀しい思がまだ盡きもしませんのに。
〔評〕 これも切實な地上の戀の實感を天界に移して想像したもので、織女に寄せた作者の同情の聲である。切實では(111)あるが、露骨に過ぎてゐる。
〔語〕 ○さねそめて 寢始めて。寢たばかりで。「さ」は接頭辭。○いくだもあらねば まだ幾らも時がたたないのにの意。「ねば」は「‥‥ないで居るうちに」の意。○白たへの 枕詞のやうにも見られるが、ここは白い栲と解すべきであらう。○帶乞ふべしや 帶を出してくれといつて歸えい支度をなさるべきであらうか、まだそんな事をなさるべきではないの意。○戀もすぎねば 戀しい思もまだ滿足しないで居るうちに。滿足しないのに。
〔訓〕 ○過ぎねば 白文「不過者」通行本には「不遏者」とあり、ツキネバと訓んでゐるが、元暦校本等により、スギネバがよい。
 
2024 萬世《よろづよ》に携《たづさ》はり居《ゐ》て相見とも思ひ過ぐべき戀にあらなくに
 
〔譯〕 萬年の末までも手を取りあつて、共に暮してゐても、それで思が晴れるやうな、そんな淺い私たちの戀ではありませぬ。
〔評〕 これは普通に人間界の戀の歌としてもみられるが、「萬世に携はりゐて」の悠久性は、天上の戀がふさはしいのである。四五句は赤人の、「明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき戀にあらなくに」(三二五)と同樣である。
〔語〕 ○携はり居て 手をつなぎ合つて、共にゐて。○相見とも 相見つつ同棲してゐても。「見とも」は「見るとも」の古格。「九二一」參照。○思ひ過ぐべき 思が無くなるやうな。「三二五」參照。
 
2025 萬世に照るべき月も雲|隱《がく》り苦しきものぞ逢はむと念《おも》へど
 
〔譯〕 萬年の後まで變らず照るべき月でも、時として雲に隱れて、氣づまりなものである。自分たちも萬年の末までも逢はうと思つてゐるけれども――かうして一年に一夜だけで別れるのは苦しいことである。
(112)〔評〕 初句以下四句までは譬喩であつて、主意は最後の一句に託した極めて大膽な省略法といふべきであるが、晦澁の氣味があり、成功までには、なほ幾歩の距離がある。
〔語〕 ○雲隱り 時に雲に隱れることがあつての意。○苦しきものぞ 憂鬱なもの、いやなもの、の意。○逢はむと思へど 上の譬喩を承けて、そのやうに自分たちも萬世まで渝ることなく逢はうと思ふけれども、宿命的な障りがあつて、意のままにならないのは、苦痛なものであるとの意を寓してゐる。
 
2026 白雲の五百重隱《いほへがく》りて遠けども夜去《よひさ》らず見む妹が邊《あたり》は
 
〔譯〕 既に別れて來ると、白雲が幾重にも幾重にも立つ中に隱れて遠いけれども、一夜も缺かさず自分は眺めてゐよう、妻の織女が住んでゐるあたりは。
〔評〕 「白雲の五百重がくりて」は古典的な莊重な句である。内容も自然であるし、調子も全體に古朴な趣があつてよい。
〔語〕 ○遠けども 遠いけれども。「遠け」は形容詞の古い活用形の一で、當時はまだ「遠けれ」といふ已然形は發達してゐなかつたと思はれる。○よひ去らず 一夜も缺かさず。毎晩毎晩。「夕さらず」(三五六)參照。
〔訓〕 ○五百夜隱りて 白文「五百重隱」、元暦校本・西本願寺本等、古寫本は多くイホヘカクレテと訓み、通行本はイホヘカクシテとあるが、今、考の訓を採る。
 
2027 我がためと織女《たなばたつめ》のその屋戸《やど》に織る白|布《たへ》は織りてけむかも
 
〔譯〕 自分に着せる爲といつて、織女がその家で織つてゐる白い布は、今はもう織り上げたことであらうか。早く見たいものである。
(113)〔評〕 内容、表現、ともに極めて單純素朴で、何らの技巧もないのが好ましい。
〔訓〕 ○織れる白布は 白文「織白布」略解の訓による。古義にはオレルシロタヘとある。
 
2028 君に逢はず久しき時ゆ織る機《はた》の白たへ衣《ごろも》垢《あか》づくまでに
 
〔譯〕 あなたにお目にかからないままに、久しい以前から織つて居ります私の機の、この白い布の着物地は、空しく機の上で垢がつくまでになりました。
〔評〕 前の歌の答歌とも見れば見られる。要するに「二〇一九」の歌と同工異曲であり、戀しいあなたに逢へない憂鬱さに、機も打捨て置いて埃だらけにしてしまつたといふのである。
〔語〕 ○君に逢はず 君に逢はずしての意で、白栲衣が垢づくまでになつたといふ四五句に對する條件の副詞句をなすものと見るべきである。○垢づくまでに この下に「なりぬ」の語が省かれてゐる。織らずに打捨ててあるから垢づいたのである。
〔訓〕 ○織る機の 白文「織服」。オリキタル、オリキテシとよむ説もある。
 
2029 天漢《あまのがは》楫《かぢ》の音《と》聞ゆ彦星と織女《たなばたつめ》と今夕《こよひ》逢《あ》ふらしも
 
〔譯〕 天の河に、船を漕ぐ櫂の音が聞える。彦星と織女とが、今晩樂しく逢ふらしいなあ。
〔評〕 簡明率直の作。「楫の音聞ゆ」は單なる作者の空想と見るべく、風の音か何かを聞いて譬喩的にいつた、とさう窮屈に穿鑿立てせずともよからうと思ふ。雁の聲が艪の音に擬せられることは白樂天などの句にもあり、源氏物語などにも見えるが、ここはそれと見るには、全釋も云つてゐる通り、季節が猶早い。
〔語〕 ○楫の音聞ゆ 「楫」は艪又は櫂のこと。舵ではない。○今夕逢ふらしも 「らし」は根據をあげて想像を表は(114)す助動詞。即ち楫の音を開いて、逢ふらしと推量するのである。
 
2030 秋されば川ぞ霧《き》らへる天の川河に向ひ居《ゐ》て戀ふる夜多し
 
〔譯〕 秋になつたので、河が一面に霧立つてゐる。その天の河に向つてゐて、私は夫を戀しがる夜が多いことである。
〔評〕 漸く近づいて來る七夕の逢瀬を思ひ、天の河に向つて夜な夜な待ちわびてゐる織女の面影が、可憐に描かれてゐる。「河」の語の反復も力強く利いてゐるし、四五句の表現も素直で好ましい。
〔語〕 ○秋されば 秋が來ると。秋になると。「秋さらば」(八四)、「秋されば」(九二三)、「夕されば」(一三八)など用例が夥しい。○河ぞ霧らへる 河が霧だつてゐる。
〔訓〕 ○川ぞ霧らへる 白文「川霧」で、温故堂本この下に「立」があり、これを正しいとする説もある。舊訓「カハギリタチテ」とあるが、温故堂本に據らない限り無理で、赤人集に「河霧わたる」とあるのも同樣である。今、原字の儘に新訓を試みた。
 
2031 よしゑやし直《ただ》ならずともぬえ鳥のうら嘆《な》け居《を》りと告げむ子もがも
 
〔譯〕 たとひ直接には逢へないにしても、私があなたを戀ひ慕つて忍び音に嘆いてゐるといふことを知らせる使に行つてくれる子がゐてほしいものであるよ。
〔評〕 逢瀬がままならぬのみでなく、音信の道さへ絶えて、悶々の情に堪へかねてゐる織女を想像して同情を寄せたのである。調子が頗る古雅で落ちついてゐる點、爭はれぬ時代の古さを語つてゐる。
〔語〕 ○よしゑやし よしや、たとひの意。「一三一」その他集中用例が多い。○直ならずとも 直接に逢へずともの意とする古義の説がよい。○ぬえ鳥の 枕詞。「五」參照。○うらなけ居りと 忍泣きしてゐると。「うら」は心の(115)義。「うらなけ居れば」(五)參照。○告げむ子もがも 告げる爲に使に行つてくれる者が欲しいとの意。「子」は妹をさすといふ略解の説は誤。
 
2032 一年に七夕《なぬかのよ》のみ逢ふ人の戀も過ぎねば夜《よ》はふけゆくも【一に云ふ、盡きねばさ夜ぞあけにける】
 
〔譯〕 一年のうちに、七月七日の夜だけ逢ふ彦星と織女との、戀しい思もまだ晴れないのに、夜はふけてゆくことである。(一本の方では、戀しい思もまだ盡きないのに、もう夜が明けてしまつたわい。)
〔評〕 七日の夜のふけてゆくにつれ、又は明けゆくにつれ、如何に當時の多感な人々が天上の戀に同情して胸を痛めたかが、推察される。素直にして哀韻の長い作である。
〔語〕 ○七夕のみ逢ふ人 彦星と織女との夫婦をいふ。○戀も過ぎねば 戀しい思も無くならずにあるうちに。この句は「二〇二三」にも見えた。
〔訓〕 ○過ぎねば 白文「不過者」、元暦校本・類聚古集・紀州本等による。通行本に「過」を「遏」に作つてゐるのは、一に云ふの「盡」、と同訓同義となるので如何と思はれる。
 
2033 天漢《あまのがは》安《やす》の川原に定まりて神競《かむつきほひ》は時待たなくに
     この歌一首は、庚辰の年之を作れり。
     右は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
〔譯〕 天の河の安の川原で開くことに定まつてゐて、神々の御意見を競《きほ》ひ戰はしなさる會合は、一定の時を待つといふこともなく、事あれば何時でも開かれるのになあ。私たちの會合は、如何に望んでも、年に一夜ときまつてゐるのが悲しい。
(116)〔評〕 この歌は頗る趣向を凝した歌のやうであるが、四句の訓に疑義があつて、難解になつてゐる。姑く右のやうに釋してみたが、尚後考を俟つべきであらう。
〔語〕 ○安の川原 天の安の河の河原に八百萬の神を神集へに集へるといふことが記紀に見えてゐる。○神競 意見を競ひ述べあうて相談する意で、神集《かむつどひ》をさすものと思はれる。○時待たなくに 一定の時期を待つことなく、隨時行はれるとの意。
〔訓〕 ○神競 神をココロともよむから(二九〇七參照)ココロクラベともよめる、カミシキホヘバともよむ説もある。多少の疑點はあるが、姑く上記のやうによんだ。○時待たなくに 白文「磨待無」、今、元暦校本・紀州本・西本願寺本等に從ふ。但。「とぐ」の「と」と時又は年の「と」とは假名遣上異なり、定訓とはなし難い。
〔左註〕 此歌一首云々 「二〇三三」の歌一首は庚辰の年に作つたとの意。庚辰は天武天皇の八年である。右は柿本朝臣云々 一九九六以下の七夕の歌三十八首は人麿歌集に出てゐるとの意。但、この中に人麿自身の作が幾首あるかは不明で、大部分は他の作と考へられる。
 
2034 棚機の五百機《いほはた》立てて織る布《ぬの》の秋さり衣《ごろも》誰《たれ》か取り見む
 
〔譯〕 織女が澤山の機を立てて織つてゐる布で作つた秋の着物は、誰が手に取つて見て着ることであらう。無論それは、彦星が着るのである。
〔評〕 織女が五百機を立てて織るといふのは、面白い想像である。それほど骨折りいそしんでゐるのも、畢竟愛する夫一人へ奉仕する以外に、何物もないといふ織女の誠實と貞淑とを第三者が禮讃したのである。
〔語〕 ○棚磯の ここは棚機女《たなばたつめ》の意。○五百機 五百は數多い意。○秋さり衣 秋になつて着る衣「さり」は、「夕されば」(一三八)「春さり來れば」(一六)などの「さり」と考へられる。○誰か取り見む 誰が手に取つて見て着(117)るのであらう。それは彦星に外ならないの意。
 
2035 年にありて今か纒《ま》くらむぬばたまの夜霧隱《よぎりがく》りに遠妻《とほづま》の手を
 
〔譯〕 一年の久しい間に於いて、今こそ彦星は、夜霧に隱れた天の河のほとりで、平素遠く離れ住んでゐる妻の手を枕にして、打くつろいで寢ることであらうか。
〔評〕 天の河を仰いで彦星の歡喜を想像したもので、感情が大きく波打ち、調子も高く張つて、一首が生動してゐる。
〔語〕 ○年にありて 一年間に於いて。一年間待つてゐて。○今か纒くらむ 今こそ枕として寢てゐるであらうか、多分さうでからうの意。○夜霧隱りに 夜霧に隱された天の河原に於いての意。
 
2036 吾が待ちし秋は來りぬ妹と吾《われ》何事あれぞ紐解かざらむ
 
〔譯〕 自分が待ちに待つてゐた秋は來た。妻と自分とは、何事があつてまあ、着物の紐を解かないでゐようか。どんな事があらうとも、紐を解いてゆつくり寢るのである。
〔評〕 一年の間待ちこがれた一夜の交會である。彦星の歡喜が、官能的な激情の嵐となつて發したのである。或は地上の戀にままならぬ歎を重ねた作者の思が裏付けになつてゐるのではないかと感じられるほど、力強い響がある。
〔語〕 ○何事あれぞ 何事あればぞの意。どんなことがあるからとて。○紐解かざらむ 下紐を解いて寢ないことがあらうか、必ず寢るぞといふ強い意志を表はしてゐる。
 
2037 年の戀|今夜《こよひ》盡《つ》くして明日よりは常の如くや吾が戀ひ居《を》らむ
 
〔譯〕 一年中の戀ひ焦れる思を、今夜すつかり晴らしてしまつて、明日からは又いつもの如く、私はあなたを戀ひ暮(118)らすことでありませうか。
〔評〕 男女いづれの心とも解せられるが、このしんみりした調子は、織女の歎を歌つたものと見る方がふさはしい。或は前の歌と應酬をなすものと見ても面白くはあるまいか、即ち男は刹那の喜に浸つて激情の頂點に在るのに、女は反省的で、歡樂極まつて哀情多き明日以後を思つてゐるのである。
〔語〕 ○年の戀 一年中の長い戀の意でこころの深い句である。○常の如くや いつもの通りに。「や」は疑問の助詞で、結句に呼應する。
 
2038 逢はなくは日《け》長きものを天漢《あまのがは》隔てて又や吾が戀ひ居らむ
 
〔譯〕 逢はずにゐるのは長い間であるのに、今夜逢つた後は、天の河を隔てて、又も私は一年の間戀ひ暮らしてゐることであらうか。
〔評〕 やはり織女の心を詠じたものであらう。前の歌と同工異曲である。
〔語〕 ○逢はなくは 逢はぬことはの意。「なく」は上の語を打消して體言化する語。「道の知らなく」(一五八)、「逢はなく思へば」(一四一〇)などの「なく」に同じ。○け長きものを 長い時間であるのにの意。以上二句を過去一年間のことに解して、永い間逢はずにをつたのにと釋するのは誤である。これは過去將來に亙つて普遍的事實をいつてゐるのである。
 
2039 戀《こほ》しけくけ長さものを逢ふべかる夕《よひ》だに君が來《き》まさざるらむ
 
〔譯〕 戀しく思はれることは長い時間であるのに、僅か一年に一度逢ふことの出來る今夜でさへも、あのお方は、またお出にならないといふのであらう。
(119)〔評〕 待つ身のすべなさをかこつた織女の心である。如何にも女性らしい神經の細かさが見られる。上に出た、「戀しくはけ長きものを今だにも乏しむべしや逢ふべき夜だに」(二〇一七)と同想で、殆ど甲乙を判じかねる作である。
〔語〕 ○戀しけく 戀しきことはの意。「惡しけくも善けくも見むと」(九〇四)參照。○來まさざるらむ この上に「何故に」を補つて見よとの説があり、初學には分り易いが、語法としてはさうではない。來ることの遲いのを恨んで、「來て下さらない」と強くいふところを、推量の「らむ」で少し柔らげた表現である。
 
2040 牽牛《ひこほし》と織女《たなばたつめ》と今夜《こよひ》逢ふ天漢門《あまのかはと》に波立つなゆめ
 
〔譯〕 彦星と織女とが、今夜樂しく逢ふ天の河の舟着場に、波が立たないでくれ、きつと。
〔評〕 素朴單純な歌で、二星に對する深い同情が表はれてゐる。表現が稍平板に流れた嫌はあるが、眞實のこもつた點がよい。
〔語〕 ○天漢門 「川門」は通例、川の落合や川口をいふが、ここは渡場をさしてゐる。渡船の發着點を出入口と見立てたのである。○波立つなゆめ 「ゆめ」は、決して、必ずなどの意。
 
2041 秋風の吹きただよはす白雲はたなばたつめの天つ領巾《ひれ》かも
 
〔譯〕 秋風が大空に吹き漂はしてゐるあの美しい白雲は、織女の首に懸けてゐる飾の領巾であらうかなあ。
〔評〕 初秋の碧空に漂ふ薄物のやうな白雲の爽かさを描いて、如何にも的確巧妙である。調の流麗清雅なことも匹儔稀である。正面から七夕傳説を主題としたものではないが、それだけに、とらはれる所がなく、この一群中での秀作といつてよい。
〔語〕 ○天つ領巾 領巾は上代の女装で、肩や頸にかけた細長い布である。「二一〇」參照。ここは天上のものの意(120)で「天つ」と冠した。
 
2042 ?《しばしば》も相見ぬ君を天漢《あまのがは》舟出早|爲《せ》よ夜《よ》の深《ふ》けぬ間《ま》に
 
〔譯〕 度々お目にかかれるお方でもないのに、今夜は天の河に舟出を早くなすつて、急いでお出下さればよいに。夜が更けないうちに。
〔評〕 清楚平明の調で、人を待つ心の喜悦と焦躁とが巧みに表現されてゐる。「舟出早せよ」とあつても、織女が夫に言ひ送つて促したのではなく、織女の獨白的希望である。
〔語〕 ○相見ぬ君を 逢へない君であるものをの意。○舟出早せよ 舟出を早くして逢ひに來て下さいとの意で、織女の心中の念願である。
 
2043 秋風の清きゆふべに天漢《あまのがは》舟|榜《こ》ぎ渡る月人壯子《つきひとをとこ》
 
〔譯〕 秋風の爽やかに吹く夕方に、天の河を靜かに漕ぎ渡つてゆくお月樣はまあ。
〔評〕 空を仰ぐと、夕月が船のやうな形をして、天の河のあたりに懸つてゐる。見たままの爽凉な景趣を素直に敍したもので、まだ若々しいといふ感じの上弦の月に對して「月人壯子」の擬人法がよく利いてゐる。この歌は必ずしも七夕の歌ではないが、陰暦七月七日ごろは、日没の後、中天やや過ぎて天の川のあたりに半月が見られよう。
〔語〕 ○月人壯子 月を擬人していふ。集中用例が多い。しかし、彦星と解するのも一説といへる。
〔訓〕 ○清きゆふべに、白文「清夕」、考のサヤケキヨヒニ、古義のサヤケキユフベ等もわるくないが、舊訓のままで差支がない。
 
(121)2044 天漢《あまのがは》霧立ち渡り牽牛《ひこぼし》の楫《かぢ》の音《と》聞ゆ夜の深《ふ》けゆけば
 
〔譯〕 天の河に、ほのぼのと霧が立ち渡つて、彦星の乘つてゐる舟の櫂の音が聞える。夜がふけたので。
〔評〕 天の河の楫の音は、「二〇二九」にも見えたが、作者の空想と見るべきであらう。霧は彦星の漕ぐ櫂の飛沫をさう見立てたと解する説が多い。この次の歌その他、いかにもその趣に詠んだ歌もあるが、さりとて天の河の霧は盡くさうであると考へるのは拘泥も甚しい。且、その形容自身が聊か誇張に過ぎた不自然なものであり、また現に上の「二〇〇八」「二〇三〇」「二〇三五」など、明かに本當の霧もある。今この歌でも、普通の霧と見た方が、少くとも情景が自然で、細工がないだけ趣は深い。
〔語〕 ○霧立ち渡り 霧が一ぱいに立ちわたる意。
 
2045 君が舟今こぎ來らし天漢《あまのがは》霧立ち渡るこの川の瀬に
 
〔譯〕 なつかしいお方の舟が今漕いで來るらしい。天の河に霧が一面に立つて來た。この川の渡り瀬のあたりに。
〔評〕 これは彦星の舟で漕ぐ櫂の飛沫を、霧と見なしたのである。憶良の、「牽牛の嬬迎へ船榜ぎ出《づ》らし天の河原に霧の立てるは」(一五二七)に似て、その趣を織女の側から詠んだのである。
〔語〕 ○榜ぎ來らし 漕いで來るやうである。○天漢 この第三句は後世風に見ると、上を承けて「今榜ぎ來らし天漢を」の意に誤解されさうである。しかしこれは完全な五七調をなしてゐるので、當然下に續けて「天漢に霧立ち渡る」と解すべき句法である。
 
2046 秋風に河浪立ちぬ暫《しまし》くは八十の舟津《ふなつ》に御舟《みふね》とどめよ
 
(122)〔譯〕 秋風のために、天の河の河浪が立つて來た。暫くの間は、澤山ある舟着場の何處かに、御舟をばを着けなさいませ。
〔評〕 これは夫の難航を氣遣ふ織女の心で、「御舟とどめよ」とは勿論直接夫に向つて言つてゐるのではなく、心中密かに念じてあるのである。天の河に多くの舟着場があると見たのは、珍らしい想像である。
〔語〕 ○しましくは 暫くは。○八十の船津 八十は數多い意。古義に、安の船津で、安は天の安河のこととしたのはよくない。
 
2047 天漢《あまのがは》川音《かはと》情《さや》けし牽牛《ひこほし》の速《はや》榜《こ》ぐ船の波のさわきか
 
〔譯〕 天の河に、川の水音がはつきり聞える。あれは彦星が織女に逢はうと、急いで漕いでゆく舟の立てる浪の騷ぐ音であらうか。
〔評〕 これは全くの空想で、天の河のほとりに立つ人の心になつて詠じたもの、現實の地上の經驗を、天界に結び付けたものである。
〔語〕 ○川音さやけし 川の水の音がさやかに聞えるの意。○浪のさわきか 浪のざわめきであらうか。「か」は疑問の助詞。
〔訓〕 ○速榜ぐ船 白文「秋榜船」略解所引宣長説に「秋」は「速」の誤かとある。直接證本はないが、すぐ下(二〇五二)に「早榜船之」ともあるので、これに從つた。
 
2048 天漢《あまのがは》川門《かはと》に立ちて吾が戀ひし君|來《き》ますなり紐解き待たむ【一に云ふ、天の河川に向き立ち】
 
〔譯〕 天の河の舟着場に立つて、いつも私が戀ひ慕つてわた夫が、今夜いよいよいらつしやるのである。着物の紐を(123)解いて待つてゐよう。(一本には、天の河のほとりで、川に向つて立ちながら云々)
〔評〕 待ちに待つて、やつと戀しい夫を待ちつけた織女の喜で、四五句の間に、心もそぞろな樣がよく出てゐる。一に云ふの方に從へば、憶良の「天漢相向き立ちて(一に云ふ。河に向ひて)吾が戀ひし君來ますなり紐解きまけな」(一五一八)と殆ど同じ趣である。
〔語〕 ○川門に立ちて 「川門」は「二〇四〇」參照。○吾が戀ひし これまで常に戀ひ慕つてゐたの意。
 
2049 天淺《あまのがは》川門《かはと》に坐《を》りて年月を戀ひ來《こ》し君に今夜《こよひ》逢へるかも
 
〔譯〕 天の河の船着場のあたりにゐて、長い間、戀ひこがれて來たあなたに、やつと今夜逢ひましたことよ。
〔評〕 これも久しぶりに戀しい夫に逢へた織女の歡喜である。「こよひ逢へるかも」と概念的の言葉であるが、調がひきしまつてゐる。
〔語〕 ○川門に坐りて 船着場のところに何時もゐての意。
 
2050 明日よりほ吾が玉|床《どこ》をうち拂ひ君と宿《い》ねずて獨かも寐《ね》む
 
〔譯〕 明日からは又、私は私の床の塵を拂つて、あなたとは寢ないで、さびしく一人寢ることでありませうか。
〔評〕 限りなき一夜の歡喜にひたつてゐる中にも、明日以後の永い寂寥の生活を思へば、堪へ難い。特に女性にこの感は深いのである。上の「二〇三七」の歌を、一層感覺的にしたやうな作であるが、類型的な語句の使用が多い爲、割合に迫る力は稀薄である。
〔語〕 ○吾が玉床を 「玉」は美稱。
 
(124)2051 天《あま》の原往きてを射《い》むと白檀弓《しらまゆみ》ひきて隱せり月人壯子《つきひとをとこ》
 
〔譯〕 大空に出かけて行つて射ようとて、白木の弓に弦を張つて、隱し持つてゐるよ。あの月人壯子は。
〔評〕 七月七日の夕月が、白木の弓に弦を張つたのを隱し持つて、これから天の原にいつて、射てやるぞといふやうな威勢を示してをるといふ、めづらしい觀察である。七夕の月を眺めての作。
〔語〕 ○天の原往きてを射むと 大空に出て行つて弓を射るとて。「を」は助辭。○白檀弓 「ま」は美稱。白木の弓。七日の弦月を譬へていふ。
〔訓〕 ○往きてを射むと 白文「往射跡」。種々の説があるが採りがない。○隱せり 白文「隱在」。コモレリ、コモレルと訓んで、月が入ることに解する説もあるが、今は弓を隱し持つと解して四句切に訓んだ。
 
2052 このゆふべ零《ふ》り來《く》る雨は彦星の早《はや》榜《こ》ぐ船の櫂《かい》の散沫《ちり》かも
 
〔譯〕 この七月七日の夕方に降つて來る雨は、彦星が少しでも早く妻に逢ひたいと思つて、天の河を急いで榜いでゆく船の櫂の雫の飛沫であらうかなあ。
〔評〕 面白い想像で、情熱極めて饒かであり、詞も流麗にしてしかも緊密である。古今集・伊勢物語等に、「わがうへに露ぞ置くなる天の川とわたる舟の櫂のしづくか」とあるのは、恐らくこの歌に胚胎したものであらう。
〔語〕 ○このゆふべ 七月七日の夕方をさす。○櫂の散沫かも 櫂の雫の飛散したものであらうかの意。
 
2053 天漢《あまのがは》八十瀬《やそせ》霧《き》らへり彦星の時待つ船は今し榜《こ》ぐらし
 
〔譯〕 天の河の方々の渡り瀬は、皆霧が棚引いてゐる。妻に逢ふ時を待つてゐた彦星の船は、今こそ漕ぎ出たらしい。
(125)〔評〕 天の河の霧を、彦星の船の櫂のしぶきと見た同想の歌は多いが、やや誇張に過ぎて不自然の感を免れない。
〔語〕 ○八十瀬 多數の渡り瀬の意。○霧らへり 方々から霧が廣がつて來て、一面に棚引く意。
〔訓〕 ○霧らへり 白文「霧合」、舊訓キリアフ。略解キラヒヌ。古義の訓による。
 
2054 風吹きて河波立ちぬ引船《ひきふね》に渡りも來《き》ませ夜《よ》の更《ふ》けぬ間《ま》に
 
〔譯〕 風が吹いて天の河の河浪が立つて來た。船を漕ぐのは定めて難儀でありませうから、引船で渡つていらつしやいませ。夜がふけないうちに。
〔評〕 天の河の引船は奇警な着想である。夫の勞苦を思ひやる女性の優しさが、或程度まで出てゐる。
〔語〕 ○引舟に 曳船をして。曳船は普通綱をつけて陸上から曳く船をいふが、それは岸に沿うて溯る時にすること。ここは河を横ぎる場合であるから、先行の丈夫な船に曳かせるものと考へるべきであらう。
 
2055 天の河《がは》遠き渡《わたり》は無けれども君が舟出《ふなで》は年にこそ待て
 
〔譯〕 天の河には距離の遠い渡場は無いので、造作なく渡れさうであるけれども、戀しいあのお方の船出は、一年もの永い間、私は待つてゐる。
〔評〕 この歌では、天の河をあまり大きなものと考へてゐないのが、かはつてゐる。同想の歌に、「たぶてにも投げ越しつべき天漢」(一五二二)や、「袖振らば見もかはしつべく近けども」(一五二五)など、、他にもありはする。なほ此の歌は、後撰集によみ人しらずとして此のままに載せ、拾遺集には柿本人麿とし、二三句を「遠きわたりにあらねども」として載せてある。
〔語〕 ○遠き渡は無けれども 距離の遠い渡場は無い、即ち川幅は廣くないので、筒單に渡つて來られさうだけれど(126)もの意。○年にこそ待て 一年に一度やつと待つことが出來るの意で、もつと度々來ていただけさうなものなのにとの餘意を含む。
 
2056 天の河《がは》打橋《うちはし》渡し妹が家|道《ぢ》止《や》まず通はむ時待たずとも
 
〔譯〕 天の河に打橋を渡して、妻の家に絶えず通はう、七月七日の時を待たなくても。
〔評〕 天の河に打橋渡しといふのは、廣からぬ川幅を想像してゐるのである。一年一度のはかない逢瀬に、戀々の情抑へ難い彦星の思慕が、力強く表はれてゐる。神代紀國讓の條に、「於2天安河1亦造2打橋1」 とあるのから構想を得たかも知れぬと全釋に言つてゐる。
〔語〕 ○打橋 簡單に架けはづしの出來る板橋。「一九六」參照。○時待たずとも 定められた交會の時期、即ち七月七日の夜を待たないでもの意。
〔訓〕 ○打橋わたし 白文「打橋度」。古くはウチハシワタセと訓んでゐる。
 
2057 月かさね吾が思《も》ふ妹に逢へる夜は今し七夜《ななよ》を續《つ》ぎこせぬかも
 
〔譯〕 多くの月を重ねて、自分が戀しく思つてゐる妻にやつと逢つた今夜は、このまま、もう七夜も續いてくれないかなあ。
〔評〕 湯原王が「今夜の長さ五百夜繼ぎこそ」(九八五)と祈つたのは、月の美しさをいつまでも賞でようが爲であつた。「秋の夜の百夜の長さありこせぬかも」(五四六)と愬へたのは、やはり今の歌の場合と同じく戀ゆゑである。理性を超えた幼さの中に、却つて情熱がこもつて面白いのである。
〔語〕 ○月重ね 多くの月、即ち十二の月の數を重ねたわけである。○今し七夜を 「七」は數の多いことをいふ。(127)「七日し降らば七夜來じとや」(一九一七)なども同じ。○續ぎこせぬかも 續けてくれないかなあ。續いて欲しいものであるの意。「一九七三」參照。
 
2058 年に艤《よそ》ふ吾が舟|榜《こ》がむ天の河風は吹くとも浪立つなゆめ
 
〔譯〕 一年に一度船よそひをする自分の舟を、今こそ漕ぎ出さう。天の河には、たとひ風は吹いても、浪は立つてくれるな、決して。
〔評〕 妻戀に心頻りにあせる彦星の歌である。風は吹いても浪は立つなとは無理な注文であるが、後世の俚謠などにもあつて、條理を顧慮せぬ一途さである。
〔語〕 ○年に艤ふ 一年に一度船出の支度をするの意。○吾が舟こがむ 二句切れである。下の「天の河」に續く連體形ではない。
 
2059 天の河浪は立つとも吾が舟はいざ榜《こ》ぎ出でむ夜のふけぬ間《ま》に
 
〔譯〕 天の河にたとひ浪は立つても、自分の乘る舟は、さあ漕ぎ出さう、夜がふけないうちに。
〔評〕 彦星の心。一年にただ一夜の歡會であつてみれば、浪の荒さぐらゐを間題にしてはゐられないのである。平明流暢の作、但、あまり強い迫力は感じられない。
 
2060 直《ただ》今夜《こよひ》逢ひたる兒等に言《こと》どひもいまだ爲《せ》ずしてさ夜ぞ明けにける
 
〔譯〕 ほんのただ今夜だけ逢つたいとしい妻に、十分話もまだしないで、夜は惜しくも明けてしまつたわい。
〔評〕 喜びの期待が大きかつただけに、明け果てた夜はあつけないものであつた。これも僞らぬ自然の情であらう。(128)物足らぬ彦星の心もちがよく出てゐる。
〔語〕 ○直今夜 唯ほんの今夜。○兒等 愛する女を親しんでいふ語で集中に用例が多い。ここは織女をさす。○言どひも未だせずして 話もまだ十分にしないでの意。
 
2061 天の河白浪高し吾が戀ふる君が舟出は今し爲《す》らしも
 
〔譯〕 天の河に白浪が高く立つてゐる。私が戀ひ慕つてゐるあのお方の舟出は、今なさるさうな。
〔評〕 白浪の騷ぎ立つのを、彦星が舟を漕いで來る爲と見たのである。憶良の、「天の河浮津の浪音騷くなり吾が待つ君し舟出すらしも」(一五二九)と似てゐる。
〔語〕 ○今しすらしも 今しの「し」はつよめの助詞。
 
2062 機《はたもの》の※[足+榻の旁]木《ふみき》持ち行きて天の河|打橋《うちはし》わたす君が來《こ》む爲
 
〔譯〕 私は私の機の踏木を持つて行つて、天の河に打橋を架けよう。あのお方がお出になる爲に。
〔評〕 機智に富んだ奇拔な織女である。但、天の河の幅があまりに狹くなつてゐる。七夕傳説が、多くの人によつて樣々の想像を加へて詠まれてゐるのは、甚だ興味深く思はれる。
〔語〕 ○機 はた(服布)を織るものの意。○※[足+榻の旁]木 機織り機械の足で踏まへる木の板であらう。
 
2063 天漢《あまのがは》霧立ち上《のぼ》る棚機女《たなばた》の雲の衣の瓢《かへ》る袖かも
 
〔譯〕 天の河に霧が立ちのぼる。あれは霧ではなくて、或は、棚機つ女《め》の着てゐる雲の衣の、風に飜る袖であらうかなあ。
 
(129)〔評〕 七夕の夜、天の河を仰いでの作で、優美な詩趣に富んだ想像であるが、「秋風の吹きただよはす白雲はたなばつめの天つ領巾かも」(二〇四一)に比すると、價値の上に格段の相違があるのは、彼の形容が自然であるに反し、此の空想には著しい作爲があるからである。
〔語〕 ○雲の衣 漢語の霓裳などと似た言葉で、天界の人にふさはしく思はれる。
 
2064 いにしへに織りてしはたをこの暮《ゆふべ》衣《ころも》に縫ひて君待つ吾を
 
〔譯〕 ずつと以前に織つておいた布を、この七夕の晩に着物に縫つて、戀しい夫のお出を待つてゐる私であるのに。
〔評〕 樂しい平和な氣持で夫を待つてゐる我が身の幸福をいとほしんでゐるやうな、優しさが見える。「古ゆ擧げてし機を顧みず天の河津に年ぞ經にける」(二〇一九)。「君に逢はず久しき時ゆ織る機の白たへ衣垢づくまでに」(二〇二八)などに比べて見ると、奇趣がないたけに、平淡ではあるが、感情の素直さに於いて、眞實味のまさることが認められる。
〔語〕 ○いにしへに はやく以前にの意。○織りてしはた 織つて置いた布帛の意。○君待つ吾を 「を」は詠歎の助詞。「月待つと人にはいひて妹待つ吾を」(三〇〇二)も同じ例である。
〔訓〕 ○てし 白文「義之」。王羲之は書家即ち手師であるから、同音を借用した戯書で、同じ例が「三九四」「六六四」等にある。
 
2065 足|玉《だま》も手珠《ただま》もゆらに織るはたを君が御衣《みけし》に縫ひ堪《あ》へむかも
 
〔譯〕 足につけた飾の玉も、手につけた飾の玉も、ゆらゆらと鳴るほどにして私が織つた此の布を、いとしい夫のお召物に、お出の時までに縫ひ上げられようかなあ。
(130)〔評〕 織女の愛すべき獨り言のやうに聞きなされ、樂しみつつ希望を以て仕事にいそしむ樣が見えて、まことにほほ笑ましい作である。殊に、「足玉も手珠もゆらに織る」は、當時の女装考の資料としても興味があり、玉の觸れあふ響も聞えるやうである。七夕の歌の中での傑作の一つ。
〔語〕 ○足玉も手玉も 足玉、手玉は上代人が手足に纒いて装飾とした玉。○ゆらに 神代紀に「手玉もゆらに織《はた》おる少女は誰が女ぞ」とあり、古事記上卷には「御頸の珠の緒もゆらに取りゆらかして」と見える。ゆらは、玉の相觸れる音の擬聲。○縫ひあへむかも 七日の夜、彦星の來られる時までに縫ひ上げることが出來ようか、心配であるの意。
 
2066 月日|擇《え》り逢ひてしあれば別《わかれ》の惜《を》しかる君は明日さへもがも
 
〔譯〕 七月七日といふ月日を選んで逢ひ、その外の日は逢へないのですから、お別れすることの惜しいあなたなので、どうかあなたは、もう一日、せめて明日まででもお留まり下さいませ。
〔評〕 年に稀な逢瀬のあきたらなさ、歸したくない名殘惜しさ、千古渝らぬ人情の自然である。但、表現は巧とはいひ難く、寧ろ無器用である。
〔語〕 ○月日えり 一年のうちで月日を擇んで、即ち七月七日と定めること。○明日さへもがも 更に明日までも留まつてほしいの意。
〔訓〕 ○別の 白文「別乃」童蒙抄には「別」の下に「路」或は「道」の誤脱かとし、略解は「乃」を「久」の誤といつてゐるが、いづれも根據が無い。諸本ワカレヂノと訓み、童蒙抄はこれによつて字を補つたのであるが、ワカレノと四音に訓む代匠記説に從ふべきであらう。略解のワカレマクは從ひ難い。ワカレムノとよむ説もある。
 
2067 天漢《あまのがは》渡瀬《わたりせ》ふかみ船うけて榜《こ》ぎ來《く》る君が楫の音《と》聞ゆ
 
(131)〔譯〕 天の河は渡る瀬が深くて、かちわたりが出來ないので、船を浮べて漕いで來るいとしいお方の櫂の音が聞えることである。
〔評〕 「渡瀬ふかみ」と「船泛けて」との因果關係はわかるが、表現としては決して巧みなものではない。要するに常套的である。
 
2068 天の原ふりさけ見れば天漢《あまのがは》霧立ち渡る君は來《き》ぬらし
 
〔譯〕 大空を遙かに振り仰いで見れば、天の河には霧が一面に立つてゐる。さては戀しいわが夫は、いよいよいらつしやつたらしい。
〔評〕 舟を漕ぐ水のしぶきを川霧の立つと見立てた常套的趣向で、彦星を待ちわびる織女の心を詠んだものであるが、「天の原ふりさけ見れば」の句は、第三者が地上からの觀察を敍したかと誤解されさうで、現に略解にはさう説いてゐる。
〔語〕 ○ふりさけ見れば 遠く見やれば。○霧立ち渡る 彦星の舟漕ぐ櫂の飛沫を霧に見立てていふ。
 
2069 天漢《あまのがは》瀬《せ》ごとに幣《ぬさ》を奉るこころは君を幸《さき》く來《き》ませと
 
〔譯〕 天の河の渡り瀬といふ渡り瀬には、皆幣をささげて、私は神樣にお願ひをする。その心もちは、いとしいあのお方を、どうか御無事で來てくだきるやうにといふに外ならないのである。
〔評〕 織女の心である。渡り預ごとに川の神に幣を奉るといふ想は、やや新味がある。
〔語〕 ○瀬ごとに どこの渡り瀬から漕いで來られるか分らないから、渡り瀬ごとに幣を捧げるといふのである。○幣 神にささげる麻、木綿、帛などの類をいふ。「三〇〇」參照。
(132)〔訓〕 ○瀬ごとに 白文「瀬毎」古義はこの上に「渡」を補つて、ワタリセゴトニと訓んでゐるが、文字を加へるのはよくない。
 
2070 ひさかたの天《あま》の河津《かはつ》に舟|泛《う》けて君待つ夜らは明《あ》けずもあらぬか
 
〔譯〕 天の河の舟着場に私が迎舟を浮べて、戀しいあのお方のお出を待つてゐるこの夜は、いつまでも明けずにゐてくれないかなあ。
〔評〕 織女が天の河に彦星の迎船を漕ぎ出すといふのは、奇警でめづらしい。空想ではあるが聊かも不自然でなく、その上、格調も甚だ優雅である。
〔語〕 ○天の河津 天の河の渡り場所。○夜ら 「ら」は調子を整へる爲の接尾辭。○明けずもあらぬか 明けずにゐてくれないものかなあ、明けずにゐてほしい。
 
2071 天の河足|沾《ぬ》れ渡り君が手もいまだ枕《ま》かねば夜の深《ふ》けぬらく
 
〔譯〕 天の河を、足をぬらしつつかち渡りして來て、いとしい妻の手をまだ枕にして寢もしないのに、既に夜がふけてしまつたことである。
〔評〕 これは彦星が天の河を徒渉するやうに想像したものであつて、變つた趣向である。憶良の、「霞立つ天の河原に君待つとい往き還るに裳の裾濡れぬ」(一五二八)が織女の歌であるのに比し、反對の立場から詠じたものである。
〔語〕 ○君が手も 「君」は女から男を呼ぶ場合が大多數であるが、それに反することも往々ある。ここはその一例。○未だまかねば 未だ枕にして寢もしないのに。○ふけぬらく ふけぬることよの意。
〔訓〕 ○足ぬれ 白文「足沾」。アヌラシ、ナヅサヒともよめる。
 
(133)2072 渡守《わたりもり》船わたせをと呼ぶ聲の至らねばかも楫《かぢ》の聲《と》のせぬ
 
〔譯〕 渡守よ、船を渡してくれよ、と自分の呼ぶ聲が、向岸に屆かないからであらうか、漕いで來る櫂の音もしない。
〔評〕 呼べば答へるといふやうに、これも天の河を狹い川幅と考へてゐる。また彦星が自身で船よそひをせず、渡船に便乘するやうに想像したのも特異である。七夕の作ではないが、憶良の、「宇治河を船渡せをとよばへども聞えざるらし楫の音《と》もせず」(一一三八)と同趣同型である。
〔語〕 ○船わたせをと 船をこちらへ漕ぎ渡してくれよの意。「を」は詠歎の助詞。○至らねばかも 對岸に達しないからなのか。
 
2073 まけ長く河に向き立ち在りし袖|今夜《こよひ》纒《ま》かむと念《おも》はくがよさ
 
〔譯〕 長い間、天の河に向ひ立つて、自分を待つてゐたいとしい妻の袖を、今夜こそ、枕にして寢ようと思ふのが、たまらなく嬉しいことである。
〔評〕 彦星の心。一年ぶりの交會に急ぐ樂しさにつけ、久しく天の河を望んで待ち續けてゐた妻を想像したのも、情が深い。但、表現には稚態があり、巧妙とはいひ難い。
〔語〕 ○まけ長く 「二〇一六」參照。○河に向き立ち在りし袖 天の河の岸に立ち、前方を望んで、我を待つてゐた織女の袖の意。○念はくがよさ 念ふことが、甚だ喜ばしい。「念はく」は體言化する接尾辭「く」を添へた語。
〔訓〕 ○念はくがよさ 白文「念之吉沙」紀州本オモヒシガヨサとあるが、ここは完了や過去としていふべきではない。略解は四句のトを五句に入れて、トオモフガヨサとしてゐるが、助詞の「と」を句の頭によむことは、調子が好ましくなく、例にも乏しい。舊訓のオモヘルガヨサは、思つてゐると現在進行の形であるが、むしろ直に思ふのがと(134)して、オモハクガヨサと訓むが最も適當と信ずる。
 
2074 天漢《あまのがは》渡瀬《わたりせ》ごとに思ひつつ來《こ》しくもしるし逢へらく念《おも》へば
 
〔譯〕 天の河の渡り瀬を幾つも渡つて來たが、その渡り瀬ごとに、自分は妻を戀しく思ひ思ひして來たことも、甲斐が立派にあつた。かうして樂しく逢つてゐることを思ふと。
〔評〕 一つの渡り瀬を越す毎に、ほつとして、それだけ妻のもとに近づいたことと思ひ、次の渡り瀬を思つては又、危惧不安を感じ、かくも苦しく遠い浪路を凌いで來たことは、吾ながら大變であつたと思ふが、しかし、逢つて見ての喜に、今までの勞苦も酬いられたといふのである。彦星の歡喜がよく現はれてゐる。
〔語〕 ○來しくもしるし 來たのも甲斐があつたの意。「來しくもしるく逢へる君かも」(一五七七)ともある。○逢へらく思へば こんなに嬉しく樂しく逢つてゐることを思ふと。「天地の榮ゆる時に遇へらく念へば」(九九六)參照。
 
2075 人さへや見繼がずあらむ牽牛《ひこほし》のつまよぶ舟の近づき往《ゆ》くを【一に云ふ、見つつあるらむ】
 
〔譯〕 下界の人までも見まもらずにゐようか、皆注目してゐるであらう。彦星の妻を迎へにゆく舟が次第に近づいて行くのを。
〔評〕 彦星の船が岸邊に近づいてゆくのを、天の河のほとりに住む人が眺めてゐると想像し、その人が更に下界の人を想像するやうに詠みなしたものであらう。複雜な趣向であるが、稍解しにくい表現で、優れた作といへない。
〔語〕 ○人さへや 織女のみでなく、下界の人までもの意であらう。「や」は反語で次の句の末に附けて見るがよい。○見繼がずあらむ 上の「や」と共に、見まもらずに居らうか、見まもりつづけるに相違ないの意。「見繼ぐ」は見ることを繼續する。○つまよぶ舟の 彦星が妻を迎へにゆく舟。普通には彦星が織女のもとへ通ふと考へられてゐた(135)やうであるが、「彦星の妻迎へ船こぎ出らし」(一五二七)とも見える通り、妻を迎へにゆくといふ想像もあつたのである。○見つつあるらむ 第二句の異傳であるが、本文の反語法を、見つづけて居ることであらうかと、單なる疑問にしただけである。
〔訓〕 ○つまよぶ舟の 白文「嬬喚舟之」。代匠記精撰本ツマヨビフネノ、考ツマドフフネノ、全釋ツてヨバフフネノなどあるが、舊訓のままでよい。
 
2076 天漢《あまのがは》瀬を早みかもぬばたまの夜は闌《ふ》けにつつ逢はぬ牽牛《ひこほし》
 
〔譯〕 天の河は瀬が早いからであらうか、渡りかねてゐるうちに、夜は次第に更けてゆくにも拘はらず、まだ彦星は妻の織女に逢へないでゐる。
〔評〕 夜は更けてゆくのに、まだ二星の河を隔ててきらめいてゐるのを見やつての作であらうか。實際上、二里は七夕の頃、日出より前に地平線に没する。
〔語〕 ○夜は闌けにつつ 夜は更けてゆくにも拘はらずの意。「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。「につつ」は動作の反覆や繼續を示すのであるが、意味の關係から、反戻の意を伴ふ場合もある。「泊瀬山いつかも越えむ夜はふけにつつ」(二八二)參照。○逢はぬ牽牛 彼女に逢はぬ牽牛よの意。
〔訓〕 ○夜は更けにつつ 白文「夜者闌爾乍」元暦校本等に闌を開に作るによれば、アケニツツと訓まれる。
 
2077 渡守《わたりもり》舟はや渡せ一年に二たび通ふ君にあらなくに
 
〔譯〕 渡守よ、舟を早く渡しておくれ。一年に二度と通つていらつしやる私の夫ではないのであるから。
〔評〕 夫を待ちこがれてゐる織女のこらへかねた獨語である。勿論渡守に向つて直接命じてゐるのではなく、心の中(136)の念願である。情懷自然にしてあはれが深い。古今集の、「聲たえず鳴けやうぐひす一年にふたたびとだに來べき春かは」は、技法を比べると實によく似てゐる。或はこれに學んだものか。
〔語〕 ○渡守 後世「わたしもり」といふに同じ。○舟はや渡せ 彦星の乘つてをられる舟を早く渡してくれの意で、織女の心中の希望を、命令の語形で表はしたもの。
 
2078 玉葛《たまかづら》絶えぬものからさ宿《ぬ》らくは年の渡《わたり》にただ一夜《ひとよ》のみ
 
〔譯〕 私たち二人の契は、永久に絶えはしないものの、共に寢ることは、一年一度天の河を渡つてこられる時、ただ一晩だけなのである。
〔評〕 二星の悲戀に同情して第三者が一般的に詠んだものとする見解もあるが、織女が、自らの上をあぢきなく感じて詠んだものと見る方が、感じが切實になつて「あはれも深いのである。聲調が甚だ流麗でよい。
〔語〕 ○玉かづら 玉は美稱。葛の蔓の長いことから「絶えぬ」につづく枕詞。○絶えぬものから 絶えぬものの。絶えないけれども。○さぬらくは 共寢をすることはの意。「さ」は接頭辭。「宿らく」の「らく」は「見らく少なく戀ふらくの多き」(一三九四)などの「らく」、「夜渡る月の隱らく惜しも」(一六九)などの「く」に同じく「こと」の意である。○年の渡 「わたり」は時の經過の意と、川を渡る意と兩義ある。ここは、一年に一度天の河を渡ることと解すべきである。
 
2079 戀ふる日は日《け》長きものを今夜《こよひ》だに乏《とも》しむべしや逢ふべきものを
 
〔譯〕 戀しく思ふ日數は隨分長い間であるのに、せめて今夜だげでも、物足らぬ思ひをさせるといふことがありませうか。晴れて逢はれる筈であるのに。
(137)〔評〕 この歌は、前出「戀しくは日《け》長きものを今だにも乏しむべしや逢ふべき夜だに」(二〇一七)と少異あるのみで、同一歌の異傳であらう。
 
2080 織女《たなばた》の今夜《こよひ》逢ひなば常のごと明日《あす》を隔てて年は長けむ
 
〔譯〕 織女が今夜彦星と逢つたならば、今までのやうに、この次にあふまでには、明日を境として月日が長くかかることであらう。
〔評〕 前出「二〇三七」と似た内容であるが、表現は可なり違つてゐる。四五句の間に、織女への同情が、ゆたかに流れてゐる。
〔語〕 ○常のごと 今までの例年の如くの意。○明日を隔てて 明日を境として。これは寧ろ「今日を隔てて」でありさうに思はれるが、今日を隔てて明日からといふ意を、大まかにかういつたのであらう。
 
2081 天漢《あまのがは》棚橋わたせ織女《たなばた》のい渡らさむに棚橋わたせ
 
〔譯〕 人々よ、天の河に棚橋を架けてくれ。織女がお渡りなさるであらうに、どうか棚橋を架けてくれ。
〔評〕 これは作者が織女に同情した結果、人々に向つて、橋を架けてあげよと、誂へた歌である。前出「二〇五六」の歌は、彦星自身が通ふ爲に「天の河打橋渡し」といつたのであるが、これは反對に、織女を渡らせようといふのである。奇拔な空想であるが、唯それだけのものである。但、句法は典型的な五七調二句切れの繰返し「櫻田へ鶴なきわたる年魚市潟潮干にけらし鶴なきわたる」(二七一)の型で、甚だ快適である。
〔語〕 ○棚橋 板橋の意。形が棚のやうであるからいふ。○い渡らさむに お渡りなさらうからの意。「い」は接頭辭で意味はない。「渡らさ」は「渡る」の敬語「渡らす」の未然形。
 
(138)2082 天漢《あまのがは》河門《かはと》八十《やそ》あり何處《いづく》にか君がみ船を吾が待ち居《を》らむ
 
〔譯〕 天の河には、船着場が澤山にある。何處にゐて夫君の御船を、私は待つてゐようかなあ。
〔評〕 廣い天の河を隔てて戀しい夫を待つ織女の、女性らしい心もとなさを詠んだものである。「近江の海湊は八十ありいづくにか君が船泊て草結びけむ」(一一六九)は、いづれかが學んだものと思はれる。
〔語〕 ○河門 船の發着出入する所。ここは湊と同じに解してよい。「二〇四〇」參照。
 
2083 秋風の吹きにし日より天漢《あまのがは》瀬《せ》に出立《いでた》ちて待つと告げこそ
 
〔譯〕 秋風が吹き始めた日から、私は天の河の瀬に出で立ちながら、戀しいあなたのお出を待つてをりますと、あのお方にお知らせして貰ひたいものである。
〔評〕 織女が綿々の思を使に託する趣で、流麗な聲調は人を牽く力がある。古今集の、「秋風の吹きにし日より久方の天の河原に立たぬ日はなし」は、これの飜案かとも思はれる。
〔語〕 ○瀬に出で立ちて 渡り瀬のあたりに出て立ちながら。○待つと告げこそ 私が待つてゐると、告げてくれよの意。
〔訓〕 ○瀬 この上に「河」を補ふ古義の説、又「濱」の誤とする新考の説は、共に無用の變改である。
 
2084 天漢《あまのがは》去年《こぞ》の渡瀬《わたりぜ》荒れにけり君が來まさむ道の知らなく
 
〔譯〕 天の河の、去年夫が渡つて來られた渡り瀬は荒れてしまつた。それで、戀しい夫の今度お出になる道が、何處であるか、分らないことである。
(139)〔評〕 前出「二〇一八」の歌と上半は同じ著想であるが、下半の四五句に至つて全く趣を轉換して、即ち彼は彦星が自身の心もとなさを敍し、此は織女の可憐な心づかひを詠じてゐる。句法は完全な三句切れになつてゐる。
〔語〕 ○去年の渡瀬 去年夫の渡つて來た渡り瀬の意。○道の知らなく 道が私には知れない。「山清水汲みに行かめど道の知らなく」(一五八)參照。
〔訓〕 ○荒れにけり 白文「有二家里」、考は「有」を「絶」に改め、その他この字を「荒」に借り用ゐるのを無理として、種々の誤字説が出てゐるが、却つて強ひてゐる。もとのままで差支ない。
 
2085 天漢《あまのがは》湍瀬《せぜ》に白浪高けどもただ渡り來《き》ぬ待たば苦しみ
 
〔譯〕 天の河の、早瀬に白浪が高く立つてゐるけれども、一路眞直に自分は渡つて來た。時を待つてゐては、とてもたまらないので。
〔評〕 彦星の熱情と、敢爲な行動とが、鮮明に描かれてゐる。この熱情、この敢爲は何の爲か、浪の靜まるのを待つのがとても待つてはゐられない、畢竟それは我を待つ妻を思ひやればこそである。
〔語〕 ○ただ渡り來ぬ 顧慮する所もなく、いちづにずんずん渡つて來た。○待たば苦しみ 待つてゐるとしては、とてもやりきれないので、の意。「三九九八」參照。君の來るのを、または妻が自分の來るのを待たばとも解せられるが、波の靜まる時を待つと解すべきであらう。
 
2086 牽牛《ひこほし》の嬬《つま》喚《よ》ぶ舟の引綱《ひきづな》の絶えむと君を吾が念《も》はなくに
 
〔譯〕 彦星の妻を迎へにゆく舟を曳く曳綱が決して切れないやうに、あなたのことを私は切れようなどとは思つてをりませぬ。
(140)〔評〕 これは七夕傳説を序詞に用ゐた相聞歌で、本當の七夕の歌ではないが、他の歌と伺じ七夕の夜に詠まれたか何かの關係で、編入されたものであらう。
〔語〕 ○嬬喚ぶ舟 妻を喚び迎へにゆく舟。「二〇七五」參照。○引綱の 舟を曳く綱の強くして絶えぬが如くの意で、初句からここまで「絶えむと君を吾が念はなくに」の全體にかけた序詞。
 
2087 渡守《わたりもり》舟出《ふなで》し出でむ今夜《こよひ》のみ相見て後は逢はじものかも
 
〔譯〕 渡守よ、さあ舟出をして歸途に就かう。今夜一晩妻に逢つて、この後は永久に逢はれまいといふのであらうか。否、さうでなく、來年はまた逢へるのであるから。
〔評〕 後朝の別れにあたつて、何とも仕方がないままに、彦星が遂にあきらめて、自分に云ひ聞かせるといふ趣である。これはまた夜深いうちに歸つてゆくやうに取れるが、かはつた構想である。
〔訓〕 ○出でむ、白文「將出」、考は「出」を「去」に改め、略解も一本「去」とあるに據る旨述べてゐるが、さる本は無いので、もとのままに解すべきである。
 
2088 吾が隱せる楫《かぢ》棹《さを》無くて渡守《わたりもり》舟貸さめやも須臾《しまし》はあり待て
 
〔譯〕 私の隱して置いた櫂や棹が無くては、あなたが歸らうとなさつても、渡守がどうして舟に乘せてくれませう、もう暫くはさうして待つていらつしやいませ。
〔評〕 前の彦星の歌に對する織女の答とも見るべきであらう。可憐な女性心理が巧みに描かれてゐる。殊に初二句のごとき、人間の情痴をそのまま天界に持つて行つたのが面白い。
〔語〕 ○舟貸さめやも 船頭があなたに船を貸してくれようか、貸しはせぬ。即ち船に乘せてはくれぬの意。○須臾(141)はあり待て」も少しの間そのまま待つていらつしやい。「あり」は「あり通ひつつ」(一四五)、「あり立たし」(五二)などあるごとく、動作を表はす動詞と複合してそのままの?態を繼續する心持を表はす。
〔訓〕○貸さめ 白文「將借」、通行本「借」を「惜」に作るは誤。今、多くの古寫本によつて訂す。古くは「貸」「借」兩字通用で、ここは「貸」の意。
 
2089 乾坤《あめつち》の はじめの時ゆ 天漢《あまのがは》 い向ひ居りて一年に 二遍《ふたたぴ》逢はぬ 妻戀《つまごひ》に もの念《おも》ふ人 天漢《あまのがは》 安の川原の 在《あ》り通《がよ》ふ 年の渡《わたり》に そほ船の 艫《とも》にも舳《へ》にも 船艤《ふなよそ》ひ 眞楫《まかぢ》繁《しじぬ》拔き はた芒《すすき》 本葉《もとば》もそよに 秋風の 吹き來《く》る夕《よひ》に 天の川 白浪|凌《しの》ぎ 落ち激《たぎ》つ 早瀬|渉《わた》りて 稚《わか》草の 妻が手|枕《ま》かむと 大船の 思ひ憑《たの》みて 榜《こ》ぎ來《く》らむ その夫《つま》の子が あらたまの 年の緒長く 思ひ來《こ》し 戀を盡《つ》くさむ 七月《ふみづき》の 七日の夕《よひ》は 吾も悲しも
 
〔譯〕 天地開闢の當初から、天の河の兩岸に向きあつてゐて、一年に二度とは逢へない妻を戀ひつつ懊惱してゐる彦星であるが、その彦星は、天の河の、毎年變らず通ふ一年にたつた一度の渡船に、赤く塗つた船の艫にも舳にも美しく船飾をし、多くの櫂を兩舷に仕立てて、薄《すすき》の根本《もと》に近い葉も、そよそよとそよぐばかりに秋風が吹いて來る夕方に、天の河の白浪を凌ぎ、激しく流れ落ちる早瀬を渡つて、かはゆい織女の手を枕にして樂しく寢ようとあてにしきつて、漕いで來るに違ひないその夫の彦星が、一年の長い間、思ひ續けて來た戀々の情を、すつかり晴らすであらう七月七日の今夜は、空を仰いで想像してゐる自分も、しみじみとあはれを催すことである。
〔評〕 平弱冗漫に流れた嫌はあるが、彦星を中心にして七夕の夜の交會を想像した情景が一通り描き出されてゐる。高古莊重の響に乏しいのは、時代の新しさゆゑで如何ともし難い。
(142)〔語〕 ○い向ひ居りて 二星天の河の兩岸に相對して立つてゐて。「い」は接頭辭。○一年に二たび逢はぬ 七夕の晩のみで、一年の間に二度とは逢へない。○もの念ふ人 煩悶してゐる人で、彦星をさす。○年の渡に 一年一度の天の河の渡船に。○そほ船の 朱塗の船。「二七〇」參照。○旗芒 穗が旗のやうに長く伸びた芒。○稚草の 「妻」の枕詞。「一五三」參照。○大船の 「思ひ憑みて」にかけた枕詞。「一六七」參照。
〔訓〕 ○年の渡に 白文「歳乃渡丹」、「歳」は諸本「出々」とある。童蒙抄は「世世」の誤と見てゐるが、今は考の説に從ひ「歳」の誤とする。○そほ船 白文「其穗船」、諸本「其」を「具」に作るは解し難い。考は「曾」、古義は「意」の誤としてゐるが、今、略解所引宣長説による。○はた芒 白文「旗芒」、「芒」は諸本「荒」とあり、略解は「荻」の誤とし、古義は次の句の「本」を「木」の誤とし、「旗荒木《ハタススキ》」としてゐるが、今、考の説を採る。○そよに 白文「其世丹」、「其」は諸本「具」とあり、考は「曾」の誤といつてゐるが、略解一説に從ふ。○悲しも 白文「悲焉」の「焉」は元暦校本等による。通行本「烏」に作るは誤。
 
    反歌
2090 高麗錦《こまにしき》紐《ひも》解《と》き交《かは》し天人《あめひと》の妻問《つまど》ふ夕《よひ》ぞ吾も偲《しの》はむ
 
〔譯〕 高麗錦の紐を互に解きあつて、天上の彦星が織女と交會する晩である。自分も、その喜を此處から遙かに想像しよう。
〔評〕 長歌の趣を要約したものである。「高麗錦紐解きかはし」は、いかにも天人の装にふさはしく華麗でよい。
〔語〕 ○高麗錦 「紐」の枕詞と見る説もあるが、ここは天人の服装を具體的に敍したものと解するがよい。○天人 彦星をさす。
 
(143)2091 彦星の川瀬を渡るさ小舟《をぶね》の行き行きて泊《は》てむ河津《かはつ》し念《おも》ほゆ
 
〔譯〕 彦星が天の河の川瀬を渡つてゆくその舟の、行き行いてとまる舟着場の樣子が想像される。
〔評〕 一年ぶりに相逢ふ埠頭の歡喜、それは想像にも餘るものであらう。調子の悠揚として迫らぬところ、頗る雅揚の趣がある。
〔語〕 ○さ小舟 「さ」「小」共に接頭辭。必ずしも小さな舟といふのではない。○河津し念ほゆ 舟着場の光景がどうであるか想像される、いかに喜ばしいことであらうの意。
〔訓〕 ○行き行きて 白文「行々而」。諸本「得行而」とあるが、通じ難い。「一八八六」の「里得之鹿齒」の「得」が「行」の誤とおぼしい例もあるから改めた。
 
2092 天地と 別れし時ゆ ひさかたの 天《あま》つしるしと 定めてし 天《あま》の河原《かはら》に あらたまの 月を累《かさ》ねて 妹に逢ふ 時|候《さもら》ふと 立ち待つに 吾が衣手に 秋風の 吹き反《かへ》らへば 立ちて坐《ゐ》て たどきを知らに むらぎもの 心いさよひ 解衣《ときぎぬ》の 思ひ亂れて いつしかと 吾が待つ今夜《こよひ》 この川の 行きの長くも ありこせぬかも
 
〔譯〕 天は天、地は地と別れて世界が出來た時から、天上で二星を隔てる境界の印として神樣の定めておかれた天の河の河原に、數多の月を重ね、妻に逢ふ時を待つとて、立つて待つてゐると、自分の着物の袖に秋風が絶えず吹いて來るので、立つても居ても何とも仕樣がなくて、心もそぞろに、思ひは亂れて、逢へるのは一體いつのことかと自分が待ちこがれてゐた今夜なのである。その待望の今夜は、天の河の流のやうに、長く長く續いてくれないものかなあ。
(144)〔評〕 前の長歌は第三者が彦星に同情して詠んだものであるが、これは彦星自身の感懷である。部分的に見ると、一の卷の軍王の作「五」から詞句を剪裁したやうにもみえるが、とにかく巧みに纒まり、前の長歌よりも勝れてゐる。
〔語〕 ○天つしるしと 彦星と織女とを隔てる天上の境界の印として。「二〇〇七」參照。○あらたまの 枕詞。普通「年」にかかるが、ここは「月」にかけてゐる。「四四三」參照。○時さもらふと 時を待つとて。「さもらふ」は待ち受ける意。「一八四」參照。○吹き反らへば 繰返し繰返し吹くので。「ふ」は動作の繼續を表はす。○たどきを知らに 手段方法も分らないので。「たづきを知らに」(五)に同じ。○むらぎもの 「心」の枕詞。「五」參照。○心いさよひ 心が定まらずためらふ意。○解衣の 解きほぐした着物の亂れる意で「亂れ」にかかる枕詞。○この川の行きの長くも この川の流れの長いやうにの意。
〔訓〕 ○定めてし 白文「定大王」の「定」は元暦校本等による。通行本等「弖」に作るは誤。「大王」は王羲之をさす。手師の意で「テシ」の假名に用ゐた。○吹き反らへば 白文「吹反者」。舊訓フキシカヘセバは非。「衣手」にとあるによつて、考の訓に從ふ。○心いさよひ 白文「心不欲」。諸訓があり誤字説もあるが、義を以て、イサヨヒ又はタユタヒと訓むがよいとおもふ。○ゆきの長くもありこせぬかも 白文「行長有不得鴨」。これも諸訓があり誤字説が多いが、「行長」を略解補正にユキノナガケクと訓んだのをナガクモと改めた。ユクゴトナガクとよむ説もある。總索引には、「行」の字を類聚名義抄などにナガレとあるによつてナガレノナガクと訓んでゐる。アリコセヌカモは、原文「有得鴨」の「得」の上に「不」を脱したとする古義の説によつた。
 
    反歌
2093 妹に逢ふ時片待つとひさかたの天漢原《あまのかはら》に月ぞ經にける
 
〔譯〕 妻に逢ふ時をひたすら待つとて、自分は天の河原に立つて、幾月も月がたつてしまつたことである。
(145)〔評〕 渡るべき時、即ち七月七日の夕べの來るのを彦星が天の河原で待つといふ、稍かはつた構想である。
 以上が七夕の歌で、長歌二首、短歌九十五首、玉石同架といつても、玉は寧ろ少數である。中に人麿歌集所出のもあり、それらは古歌と思はれるが、他は比較的時代の新しいものである。大陸輸入の七夕傳説に就いて、當時の人々の樣々な見方が網羅されて居り、とにかく、文化史また傳説研究の見地から興味が深い。
〔語〕 ○片待つ ひたすら待つの意。「一二〇〇」參照。
 
    花を詠める
2094 さを鹿のこころ相念《あひおも》ふ秋萩の時雨《しぐれ》のふるに散らくし惜しも
 
〔題〕 花を詠める 以下三十四首は花を詠じた歌であるが、そのうち、朝顔・尾花・女郎花各一首あり、他の三十一首は、悉く萩の歌である。以て萩に對する上代人の好尚が窺はれる。
〔譯〕 男鹿が、心を通はして思ひあつてゐる秋萩の花が、時雨の降るのに散るのは、惜しいことであるよ。
〔評〕 妻を慕つて男鹿が哀音を發するのは、萩の花の時期であり、どちらも同じ山野のものであるから、兩者親しいものとして眺められた。後世萩を、鹿の花妻のやうにいうたのは、既に本集のこれらの歌に胚胎してゐるのである。時雨は後世は晩秋初冬のものとしてあるが、この當時は一般に秋の雨を稱してゐる。
〔語〕 ○こころ相念ふ 牡鹿と秋萩とが心で互に思ひ合つてゐるの意。○散らくし惜しも 散ることが惜しいなあ。「散らく」は、散ることの意。「し」は強意の助詞。
〔訓〕 ○散らくし惜しも 白文「落僧惜毛」。舊訓チリソフヲシモ。元暦校本等はチラマクヲシモとある。「僧」は、考に「倶」、古義に「信」の誤としてゐるが、卷四に「知僧裳無跡《シルシモナシト》」(六五八)の例があり、法師の義から、シの假字に假り用ゐたものとすべきである。
 
(146)2095 夕されば野邊の秋萩うら若み露に枯れつつ秋待ち難し
     右の二首は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
〔譯〕 夕方になると、まだ野邊の秋萩は若々しくかよわいので、おく露に葉が枯れて、花の咲く秋まで堪へきれないやうな風情である。
〔評〕 夕霧が重げに置いて、たわわに萎えた萩の枝をあはれと眺めた趣、如何にも優婉な感じである。萩の葉が黄ばんで色づくのを、「露に枯れつつ」といつた簡潔な表現もよい。何となくうら若い女性の作のやうな感を與へる。
〔語〕 ○夕されば 夕方になると。「一三八」その他、集中非常に用例が多い。○うら若み まだ若々しいので。
〔訓〕 ○露に枯れつつ 白文「露枯」、略解所引宣長説では「枯」を「沾」の誤と見てゐる。舊訓ツユニシカレテは拙。考ツユニシヲレテは聊か無理で、今、代匠記精撰本の訓に從ふ。
 
2096 眞葛原なびく秋風吹くごとに阿太《あだ》の大野の萩の花散る
 
〔譯〕 一面に葛の生えてゐる處をさわさわと靡かせて秋風が吹くごとに、この阿太の大野では、萩の花がほろほろとこぼれて散ることである。
〔評〕 葛の葉裏をほの白く飜して、秋風が渡ると、廣野の一隅では、咲き滿ちた萩の花が散る。優美にして、しかも爽涼の秋色が 首に躍動してゐる。「眞葛原」は、葛の繁茂してゐるあたりといふほどの意で、勿論阿太の大野の一部分であり、別の野原ではない。
〔語〕 ○眞葛原なびく秋風 眞葛の群がさわさわと靡く秋風、即ち眞葛を吹き靡かせる秋風である。○阿太の大野 和名抄に「大和國宇智郡阿陀」とあり、今の宇智郡大阿太村、南阿太村地方で、吉野川の沿岸。
 
(147)2097 鴈がねの來喧《きな》かむ日まで見つつあらむ此の萩原に雨なふりそね
 
〔譯〕 やがて雁が來て鳴くであらうが、その頃まで眺めでゐようと思ふこの美しい萩の原に、どうか雨は降つてくれるなよ。
〔評〕 美しい萩の花を眺めつつ雁の聲を聞いてみたいといふのである。同じ季節に前後する景物を、並べて鑑賞したいといふ自然愛の發露で、上代から日本人の抱いてゐる優雅な心情である。
 
2098 奧山に住むとふ鹿の初夜《よひ》去らず妻間《つまど》ふ萩の散ちまく惜しも
 
〔譯〕 奧山に住むといふ鹿が、毎晩缺かさず自分の妻と思つておとづれて來るが、その花妻である萩の散るのは、惜しいことであるよ。
〔評〕 美しい萩の花の散るのが惜しい、それはやさしい花妻を失ふ鹿の爲にも可愛さうである、といふ自然愛と動物愛との融合した温かい上代人の心情である。
〔語〕 ○初夜去らず 必しも「初夜」の文字に拘はらなくてもよい。ここは單に夜の意で、即ち、毎夜毎夜缺かさずの意。○妻どふ萩 鹿が自分の妻としておとづれるその萩。鹿が萩の原に寢に歸るのを譬へていふ。
 
2099 白露の置かまく惜しみ秋萩を折りのみ折りて置きや枯らさむ
 
〔譯〕 白露が一ぱいに置いて花をいためるのが惜しさに、秋萩を折り取つて來るだけは來て、あとはそのまま枯らしてしまふのではないだらうか。
〔評〕 露に痛められて葉が次第に枯れてゆくのが惜しいから、折り取つて室の中で眺めようといふのはよいが、結局(148)それでそのまま置いたら、却つてすつかり枯らすことになるであらう。やはり萩は、白露のおく野にあるままに眺めた方がよかつたのであらうかといふのである。
〔語〕 ○折りのみ折りて 折るだけは折つて。折ることだけを考へてのことである。○置きや枯らさむ そのまま置いて枯らしてしまふことであらうか。
 
2100 秋田刈る假廬《かりほ》の宿《やどり》にほふまで咲ける秋萩見れど飽かぬかも
 
〔譯〕 秋の田を刈り取る爲に造つた假小屋の、あたりも照り映えるぐらゐに美しく咲いてゐるこの秋萩の花は、いくら見ても見飽きないことであるよ。
〔評〕 收穫期も近づいたので、田の畔に假小屋を造つて番をする。あたりには、萩の花が咲いてゐて、見すぼらしい掘立小屋も趣を加へ、いぶせき宿りも慰められるのである。苦しい勞働生活の中にも、自然の風趣を懷かしんだ上代農民の淳朴さが思はれる。
〔語〕 ○假廬のやどり 急造の假小屋で、見張りをしたり、收穫物や農具などを入れるためのもの。○にほふまで 色が美しく照り映えるぐらゐに。「にほふ」は、色の美しく映ずること、色に染まることの兩義あるが、ここは前者である。
 
2101 吾が衣《ころも》摺《す》れるにはあらず高松《たかまつ》の野邊行きしかば萩の摺《す》れるぞ
 
〔譯〕 自分のこの着物は、人が此の美しい模樣を摺り出したのではない。高圓の野邊を通つたところ、萩の花が摺つてくれたのである。
〔評〕 新らしい萩の花摺の着物を褒められた人の、無邪氣な誇であらう。いかに多く咲き亂れた萩原を押分けて通つ(149)ても、それで着物に色が染むなどといふことは、勿論ある筈はないが、萩の花を愛好した當時の人々の誇張的空想で、まことに美しい表現であり、聊かの不自然さをも感じさせない。その輕快な調子には、秋の情趣が滿ち溢れてゐる。
〔語〕 ○摺れるにはあらず 特に人爲的に萩の花摺にしたわけではないとの意。實際はさうしたのであるが、わざと戯れていふのである。○高松 高圓の借字として古來解せられてゐるが、文字の通りタカマツと訓んで、高圓の義としてよい。○萩の摺れるぞ 萩の花の中を分けて行つたので、自然に花の汁に染つたのであると、誇張していひなしたもの。
〔訓〕 ○吾が衣 白文「吾衣」、考のワガコロモによる。代匠記精撰本の一訓ワガキヌハ。○高松の 白文「高松之」、元暦校本・袖中抄等の訓タカマトノ。類聚古集・紀州本等はタカマツノ。○行きしかば 白文「行之者」。代匠記には「香」を補ふべしとあるが、このままで、カを添へ訓んでもよいと思はれる。
 
2102 この暮《ゆふべ》秋風吹きぬ白露にあらそふ萩の明日咲かむ見む
 
〔譯〕 この夕方秋風が吹きそめた。開花を促す白露に、萩が明日はいよいよ咲くであらうから、それを自分は見よう。
〔評〕 白露にあらそふ萩は、前に、「春雨に爭ひかねて吾が屋前《には》の櫻の花は咲きをめにけり」(一八六九)とあつたやうに、花を待ちわびる心から、白露が花を咲かせようと促すのを、花が咲くまいと拮抗してゐるといふ風に見たのである。併し、いよいよ秋になつたので、その萩も爭ひかねて明日は咲くであらう。それを見るのが樂しみである、というたもの、極めて純にして素直な自然愛の心が溢れてゐる。
〔語〕 ○秋風吹きぬ 秋風が吹き始めた。即ちいよいよ秋になつたと感じた趣である。○白露にあらそふ萩の 露が花を咲かせようとし、花は莟んでゐようとする意であるとする考の説、白露が花の咲かうとするを止める意と見る略解、露と萩と美をあらそふ意と解する古義の中山嚴水説などあるが、上に引いた櫻の歌や、又この下にも「白露に爭(150)ひかねて咲ける萩」(二一一六)などあるのを見れば、考の説に從ふべきである。○明日咲かむ見む 明日咲かむを見むの義。
 
2103 秋風は冷《すず》しくなりぬ馬|竝《な》めていざ野に行かな萩の花見に
 
〔譯〕 秋風は冷え冷えとして來た。馬を竝べて、さあ野邊に行かう、萩の花を見に。
 
〔評〕 爽やかな秋風に吹かれつつ、友を顧み、安らかにふと口ずさんだと思はれるやうな歌である。いささかの作爲も修飾もない。實に自然清淡の調であり、やがて白馬をつらねて萩の野を分け行く若い貴公子らの、颯爽たる風姿も浮んで來る。
〔語〕 ○いざ野に行かな さあ、野原へ行かうよ。「行かな」の「な」は動詞の未然形を受けて希望をあらはす助詞。「家聞かな」(一)參照。
 
2104 朝顔は朝露|負《お》ひて咲くと云へど夕|陰《かげ》にこそ咲きまさりけれ
 
〔譯〕 朝顔の花は、朝の露に濡れて美しく咲くものであるといふけれども、このとほり、夕方の日ざしに咲いてゐる方が、一層咲きまさりがして美しいものだつたのだ。
〔評〕 素朴な表現であるが、四五句の觀照と描寫とはまことに精緻的確である。朝顔については諸説區々で、容易に決し難いが、この歌では、牽牛花とは絶對に考へられない。桔梗として最も適切なのを覺える。
〔語〕 ○朝顔 ここは桔梗をさす。「一五三八」參照。○夕かげ かげりゆく夕方の薄い日ざし。夕方の物かげといふ説はわるい。「陰」は「影」の借字と見るべきである。○咲きまさりけれ 咲きぶりが一層まさつて見えるものであることがわかつたの意。
 
(151)2105 春されば霞隱《かすみがく》りて見えざりし秋萩咲けり折りて挿頭《かざ》さむ
 
〔譯〕 春になると、霞に隱れて見えなかつた秋萩が、今や美しく咲いてゐる。折り取つて頭に挿さうわい。
〔評〕 野邊の萩は、春にあつては、まだ短い莖に葉が萠え出たばかりで、殆ど存在が目だたないのであるが、それを美化して「霞がくりて見えざりし」といつたのは、幼げに云ひなした表現である。稚拙の作。
〔語〕 ○折りてかざさむ 一枝手折つて髪の飾に挿さうの意。
 
2106 沙額田《さぬかだ》の野邊の秋萩時なれば今盛なり折りて挿頭《かざ》さむ
 
〔譯〕 沙額田の野邊の秋萩は、時期であるから、今や眞盛りである。一枝折り取つて頭に挿さう。
〔評〕 沙額田の野邊に亂れ咲く萩の花に感興を催したのであるが、歌は平淡に過ぎ、結句も類型以外に出てゐない。
〔語〕 ○沙額田 近江國坂田郡か、或は大和國生駒郡の額田のことか。
〔訓〕 ○時なれば 白文「時有者」舊訓トキシアレバ。今、童蒙抄の訓による。
 
2107 殊更に衣《ころも》は摺らじをみなへしさき野の萩ににほひて居《を》らむ
 
〔譯〕 わざわざ自分は着物は摺るまい。さき野の萩の咲き亂れた中に入つて、自然に花の色に染ませてゐよう。
〔評〕 當時萩の花摺衣が愛用されたといふことが、これ等の歌によつて想像される。但この歌は普通の出來で、取りたてていふ程のことも無い。
〔語〕 ○をみなへし 女郎花が咲くの意で、「さき野」にかける枕詞。「一九〇五」參照。○にほひて居らむ 「にほはせて居らむ」を?態的に言ひ換へたもの。萩の花の中に分け入つて眺め弄び、その結果、着物が花に染まるのに任(152)せてゐようとの意。「三八〇一」參照。
 
2108 秋風は急《と》くとく吹き來《こ》萩の花散らまく惜しみ競《きほ》ひ立つ見む
 
〔譯〕 秋風は早く吹いて來てくれ。萩の花が散るのを惜しがつて、風にさわだつて爭ふ樣を自分は眺めようと思ふのである。
〔評〕 この歌は四五句甚だ難解であり、殊に結句には文字の疑問もあるので、決定的の訓釋を下すことは困難である。萩が自身に散るまいと努力して風に逆らひ、うねりさわ立つ樣に解されてゐるが、特異な趣向である。
〔語〕 ○散らまく惜しみ 萩自身が散ることを惜しがつての意と解さねばならぬ。○競ひ立つ見む 風に散らされまいと萩が爭ひ立つのを、眺めようとの意であらう。
〔訓〕 ○とくとく 白文「急々」、通行本・西本願寺本等に「急之」とあるは解し難い。今、元暦校本等による。○競ひ立つ見む 白文「競立見」の「競」を紀州本は「鏡」の草體に、類聚古集は同じ「競」の略體に作る外、諸本悉く「競竟」とあつて訓み難い。略解は「競弖見」に、新考は「競覽」に改めてゐるが、「竟」を「立見」の誤寫とする考の説が最も穩かであらう。舊訓オボロオボロニ、元暦校本等のキホヒキホヒニはいづれも意を成さない。今、考によつて本文を改め、考の訓キソヒタツミムをキホヒタツミムと改めた。
 
2109 我が屋前《には》の萩の末《うれ》長し秋風の吹きなむ時に咲かむと思ひて
 
〔譯〕 わが庭にある萩の枝の末が長く伸びてゐる。今に秋風が吹いて來る時になつたらば、咲かうといふつもりで。
〔評〕 長く伸びて撓んだ萩の末に、やがてそれが花をつけて秋風に搖れる風情を想像して、樂しんでゐるのである。萩が秋の晴の装の身支度を整へてゐると、萩の心になつて見たのも面白い。
 
(153)2110 人皆は萩を秋と云ふ縱《よ》し吾は尾花が末《うれ》を秋とは言はむ
 
〔譯〕 世間の人は皆、萩を秋の花の第一のものといふ。人は何といはうともかまはない、自分は、尾花の穗先の風に靡く風情を、秋の景物の極致といはう。
〔評〕 萬葉時代は、秋の花として萩が一般に愛好されてゐたことは、集中、植物を詠じた歌全體を通じて、萩の歌が首位を占めてゐることでも察せられよう。尾花は、秋の花の中では、萩に次いで多く歌はれて居り、萩よりも更に簡素なその風趣に對する當時の人々の嗜好の度をも示してゐる。風に靡く薄の穗先に、そこはかとなき秋の風情を深くも味解し得たこの歌は、表現は素朴直截であるが、雄健率直な半面に、ささやかな姿が暗示する象徴的の美をも鋭く感受した上代人の感覺の新鮮さをも語つてゐる。なほ中世の更科日記に、春秋の優劣をいひ爭つたをりに、一人が、「人は皆春に心を寄せつめり我のみや見む秋の夜の月」とよんだのは、趣の似たところがある。
〔語〕 ○萩を秋といふ 萩の花を秋の景物中の第一のものといつてゐるとの意。○よし吾は さういふなら言ふに任せて置かう、併し自分はとの意。○尾花がうれを 薄の穗先が風に靡く風情をの意。
 
2111 玉|梓《づさ》の君が使の手折《たを》りけるこの秋萩は見れど飽かぬかも
 
〔譯〕 あなたのお使が手折つて持つて來てくれたこの秋萩の花は、いくら見ても見飽きませぬことよ。
〔評〕 萩の花を使に持たせて、贈つてくれた人に對する感謝の挨拶である。「君が使のたをりける」といふと、使が折つたやうに解されるが、作者がいまだしくていひ得なかつたものと思はれる。
〔語〕 ○玉梓の 「使」の枕詞。「二〇七」參照。
 
(154)2112 吾が屋前《には》に咲ける秋萩常ならば我が待つ人に見せましものを
 
〔譯〕 私の庭に咲いてゐる秋萩の花が、いつも散らないであるものならば、私が待つてゐるあのお方にお見せしようものをなあ。
〔評〕 女性の作であらう。この美しい萩の花も、常に咲いてゐるものでないから、たまにしか來ぬ人に、見せることが出來ないと歎いたのである。花と人と、雙方に對する温い愛の心が流れて、女らしく、しをらしい歌である。
〔語〕 ○常ならば いつも變らないものならば、即ち、いつまでも散らずにあるものならば。○見せましものを 見せたいものであるがなあ、しかし、見せることの出來ないのが殘念である、との意。「まし」は、事實ならぬ事柄を想像する助動詞。
 
2113 手もすまに植ゑしも著《しる》く出で見れば屋前《には》の早萩《わさはぎ》咲きにけるかも
 
〔譯〕 手も休めずに、骨折つて植ゑた効果も歴然、出て見ると、庭の早咲きの萩が、もう咲いたことである。
〔評〕 手づから植ゑた花木の、初めて花咲き或は實を結ぶ喜は、いひ知れぬものであること、誰も體驗するところである。この歌、素直な感情を平明な調に托して、朗かな歡喜が生動してゐる。
〔語〕 ○手もすまに 語義は十分に究明されてゐないが、手も休めずの意と古來解されてゐる。「一四六〇」參照。○早萩 早咲の萩。
〔訓〕 ○手もすまに 白文「手寸十名相」集中の訓み難いものの一である。元暦校本等の訓はテモスマニとあるのを、仙覺は文字通りにタキソナヘと訓み、たぎはあぐるで、あげそなへの義として、草木は深く植ゑるのは惡いと註し、代匠記はこの訓に從ひ、草木の遲速淺深數を具へてと解してゐる。古義は南部嚴男説により「手文寸麻仁」の誤とし、(155)難語難訓攷には「乎寸名十相《ヲキナソヘ》」の誤で、「招《ヲ》く」の連用形、「月立ちし日より招きつつ」(四一九六)の如く、離れた所のものを自分の方へ引き附け自分のものとする義で、移し植ゑと解し、ナゾヘは擬への義で、早咲きの萩に思ふ少女を擬へ、女の成長を待つ意と解してゐる。いづれも牽強の嫌がある。この字面では如何にも訓み難いが、姑く古點に從ふこととする。○うゑしも著く 白文「殖之名知久」とあるも、「名」は「毛」の誤とする略解説によつておく。
 
2114 吾が屋外《やど》に植ゑ生《おほ》したる秋萩を誰《たれ》か標《しめ》刺《さ》す吾に知らえず
 
〔譯〕 自分の家の庭に、植ゑ育てておいた秋萩を、誰が標を立てて、我が物としたのであらう。自分に知れないやうにして。
〔評〕 これは、譬喩歌の中に入れるべきものである。萩を女に譬へ、今まで大事に守つてゐた女を、自分の知らぬ間に、他の男がひそかに領じたのに氣づいて、驚きああてたのである。譬喩に託してゐるだけに、實感はよほど稀薄になつてゐる。
〔語〕 ○誰か標刺す 誰が標を立てて己の所有としたのであるかの意。「標」は占有を示す標。「一三三七」參照。
 
2115 手に取れば袖さへ匂ふ女郎花《をみなへし》この白露に散らまく惜しも
 
〔譯〕 手に折り取ると、袖までもその色に染まりさうに美しい女郎花が、この重く置いた露のために、散るのは惜しいことであるよ。
〔評〕 玉と輝く白露を重たげに負うて、色深くたをやかに咲いた女郎花の婉容を描いて遺憾がない。但、「散る」といふ語は、女郎花に對して稍妥當を缺くかと思はれる。
(156)〔語〕 ○袖さへにほふ 着物の袖までも、花の色に染まるの意。
 
2116 白露に爭ひかねて咲ける萩散らば惜しけむ雨なふりそね
 
〔譯〕 開花を促がす白露に、遂にさからひきれないで咲いた萩が、散つてしまつたらば惜しからう。どうか雨よ降つてくれるな。
〔評〕 花を愛するがゆゑに、雨を忌避するのは、古今渝らぬ人情で、この卷にも上に、「見渡せば向ひの野べのなでしこの散らまく惜しも雨な降りそね」(一九七〇)「雁がねの來鳴かむ日まで見つつあらむこの萩原に雨な降りそね」(二〇九七)などの類歌がある。一二句も、前の「白露にあらそふ萩」(二一〇二)と同想である。
〔語〕 ○爭ひかねて 逆らひきれないで。「二一〇二」參照。○散らば惜しげむ 散つたらば惜しからうの意。「惜しけむ」は、「惜しからむ」に同じ。「惜しけ」は、形容詞「惜し」の古い未然形である。
 
2117 をとめ等に行相《ゆきあひ》の早稻《わせ》を苅る時に成りにけらしも萩の花咲く
 
〔譯〕 夏と秋とが行きかふ初秋の頃にみのる早稻を苅る季節になつたらしい。あんなに美しく萩の花が咲いてゐる。
〔評〕 萩の花が咲いたのを見て、早稻を苅る時期の到來を意識したもので、内容は單純であるが、「をとめ等に」といふ枕詞や、「行相の早稻」といふやうな珍らしい辭樣が、特異な色調を織りなしてゐて、一種の快い諧調を成してゐる。
〔語〕 ○をとめ等に 「行相」にかかる枕詞と見る代匠記の説がよい。ヲトメラガと訓んで三句「苅る」の主語と見るのはよくない。○行相の早稻 夏田を植ゑる時、苗が足らないと、同じ苗でないのを植ゑつけるをいふとする代匠記初稿本の説は疑はしく、夏と秋と行合ふ頃みのる早稻と解した略解説によるべきであらう。「行相」を地名で立田(157)山の附近とする袖中抄の説も從ひ難い。九の卷に「いゆきあひの坂の麓」(一七五二)の句があるが、旅人の行きあふ意で、地名ではない。その「いゆきあひ」と同じく、少女らに行きあふ途中の田と解く説もある。
 
2118 朝霧のたなびく小野の萩の花今や散るらむいまだ飽かなくに
 
〔譯〕 朝霧のたなびくあの野邊に咲き乱れてゐる萩の花は、今頃はもう散つてゐるであらうか、まだ見飽きないのに。
〔評〕 初二句は實景を眺めた印象描寫であり、四五句で、殆ど連日出遊して萩の花に親しんでゐる趣が察せられる。イマヤ、イマダと類音を重ねたのも、恐らく意あつての事であらうが、面白い頭韻を成してゐる。
〔語〕 ○今や散るらむ 今まさに散つてゐるであらうかの意。「らむ」は現在推量の助動詞。
 
2119 戀しくは形見にせよと吾背子が植ゑし秋萩花咲きにけり
 
〔譯〕 戀しかつたならば、形見として眺めるがよいといつて、別れる時に私の夫が植ゑた秋萩が、花が咲き出したことであるよ。
〔評〕 愛する人の形見として花木を植ゑるといふことは、上代によく行はれた風習と思はれ、ここにも、我が上代人の優雅な趣味性情が窺はれるのである。「秋さらば見つつしのへと妹が植ゑしにはのなでしこ咲きにけるかも」(四六四)「戀しけば形見にせむと吾が屋戸に植ゑし藤浪いま咲きにけり」(一四七一)などある。前者は家持、後者は赤人の作であるが、今のこの歌と頗る似てゐる。
〔語〕 ○戀しくは 別れて後戀しくなつたならばの意。
 
2120 秋萩に戀|盡《つく》さじと念《おも》へどもしゑや惜《あたら》しまた逢はめやも
 
(158)〔譯〕 秋萩の花に、そんなに戀しがつて心を惱ましたりなどしまいと自分は思ふけれども、ええもう、やつぱり惜しいわい。この花が散つたらば、逢へはしないのだからなあ。
〔評〕 散りゆく萩の花に對して、まるで戀人にでも別れるやうな切ない心もちで名殘を惜しんでゐる。それが聊かも誇張とも不自然とも感じさせないのは、やはりこの花に對する作者の愛着の眞實さゆゑである。二句四句など、切實にして熱と力とを帶びたその語氣が、明かにそれを語つてゐる。
〔語〕 ○戀盡さじと 戀心を傾け盡すまいとの意。○しゑや 詠歎の語。ええもう。「六五九」參照。○あたらし 惜しい。花のちるのが惜しいの意。○また逢はめやも 今散つたらば二度と見られようかの意。
 
2121 秋風は日《ひ》にけに吹きぬ高|圓《まと》の野邊の秋萩散らまく惜しも
 
〔譯〕 秋風は、日増しに吹きつのつてゐる。高圓の野邊の秋萩が、この風で散るであらうが、それが惜しいことであるよ。
〔評〕 清楚淡遠、平明のうちに、酌めども盡きぬ情趣を湛へてゐる。それは、典型的五七調の快適な旋律が齎らす表現効果である。
〔語〕 ○日にけに吹きぬ 日増しにいよいよ吹きつのつてゐるの意。「いや日けに」(四七五)參照。
 
2122 丈夫《ますらを》の心は無くて秋萩の戀のみにやもなづみてありなむ
 
〔譯〕 自分は男子としての雄々しい心は無くなつて、いたづらに婦女子などのやうに、秋萩を戀することにばかり惱んでゐてよいものであらうか。そんなことではならぬ筈であるが、しかし、あの美しい花は、やはり忘れかねることである。
(159)〔評〕 萩の花に對する愛着も極まれりといふべきである。上の「二一二〇」の歌と同想であるが、表現は、一層熱狂的である。但ここに至つては、聊か誇張に過ぎる感もないではない。
〔語〕 ○丈夫の心は無くて 男一匹としての堂々たる気象は失つてまつて。○なづみてありなむ 拘泥してゐてよいものであらうか、否、それではいけないの意。上の「やも」を受けて反語に解する。
〔訓〕 ○心は無くて 白文「心者無而」來訓ココロハナシニとあるが、今、元暦校本等の訓、及び代匠記の説に從ふ。
 
2123 吾が待ちし秋は來りぬ然れども萩の花ぞも未だ咲かずける
 
〔譯〕 自分の待つてゐた秋は來た。けれども、どうしたものか、萩の花はまだ咲かないなあ。
〔評) 待ちこがれた秋は來たが、愛する萩の花がまだ咲かないといふ物足りなさを、獨り呟いてゐるのである。四五句の辭樣が素朴で、全體の調も頗る引締つてゐる。
〔語〕 ○萩の花ぞも 「も」は感動の助詞。○咲かずける 咲かずにゐることであつたわい。「ずけり」は古格で、平安時代以後には用ゐられない。
 
2124 見まく欲《ほ》り吾が待ち戀ひし秋萩は枝も繁《しみ》みに花咲きにけり
 
〔譯〕 見たく思つて私が待ち焦れてゐた秋萩は、枝も一ぱいに花が咲いたことである。
〔評〕 前の歌とは正反對に、愛する花の咲いたのを喜んだのである。「枝もしみみに」の描寫は、簡潔にして生動の妙があり、全體に何の技巧も無いところ、却つて童心的の歡喜が溢れてゐる。
〔語〕 ○見まくほり 見むことを欲しての意。「一六四」參照。○枝しみみに 枝が一ぱいになるほど繁く。「四六〇」參照。
 
(160)2125 春日野の萩し散りなば朝|東風《ごち》の風に副《たぐ》ひて此處《ここ》に散《ち》り來《こ》ね
 
〔譯〕 春日野の萩の花は、散るとしたらば、朝吹く東風につれて、此處へ散つて來てくれよ。
〔評〕 奈良の都に住む人の作である。勿論、春日野を吹き渡る東風に乘つて、さほど遠くまで萩の花が飛んで行くことは出來る筈もないが、かく幼げに不修理を敢へていふところ、花に對する熱愛の度が見えて面白い。
〔語〕 ○朝東風 朝吹く東の風。「こち」は東方から吹く風をいふ。○風に副ひて 風と一緒になつて。風につれて。○散りこね 散つて來いよの意。「ね」は他に求め望む意の助詞。
 
2126 秋萩は鴈に逢はじと言へればか【一に云ふ、言へれかも】聲を聞きては花に散りぬる
 
〔譯〕 秋萩の花は、雁に逢ふまいと言つたことでもあるのであらうか、雁の鳴く聲を聞くと、むなしく散つてしまふことである。
〔評〕 萩は秋の初めに花が咲き、雁は秋風が寒くなるにつれて鳴いて來るものである。この趣のある二つの景物が前後してゐることに、新しく驚異の眼を見張つたので、その童謠的な幼い表現が甚だ興味が深い。ことに二三句がよい。
〔語〕 ○雁に逢はじと 雁に逢ふまいと。雁と萩とを男女に見立てたものと思はれるが、「逢ふ」を直ちに結婚する意と見るには及ぶまい。○いへればか いつたから、その爲なのかの意。一に云ふの「言へれかも」も同意。○花に散りぬる はかなく散つてしまつたの意。
 
2127 秋さらば妹に見せむと植ゑし萩|露霜《つゆじも》負《お》ひて散りにけるかも
 
〔譯〕 秋になつたならば、妻に見せようと思つて植ゑた萩が、露霜をおつて、散つてしまつたことである。
(161)〔評〕 愛する人に見せようと思つて植ゑた萩であつたが、見せる機會もなく徒らに散つてしまつたのである。平淡に敍し去つてゐるが、そこはかとない遺憾の心もちが漂つてゐる。しかしそれは、強い情熱的な感情ではないのである。
〔語〕 露霜負ひて 露霜を一ぱいかぶつて。「露霜」はツユシモと訓んで、露及び霜の二物とも解されるが、ツユジモと濁り、秋深くなつて霜に變らうとする露、即ちミヅシモの義に取るのが通説である。宣長は玉勝間に、ツユジモは普通の露のことと主張し、全釋はそれを支持してゐる。
 
    雁を詠める
2128 秋風に大和へ越ゆる雁がねはいや遠ざかる雲がくりつつ
 
〔譯〕 秋風の吹き渡る空に、大和の方をさして越えてゆく雁は、いよいよ遠ざかつて行く、雲の中に隱れながら。
〔評〕 遙かに故郷大和の方を望めば、連山波涛の如き上を、雁の一列が越えて行く。その姿は見る間に小さくなりつつ、やがて雲の中に没し、聲は猶折々かすかに秋風に運ばれて來る。單純な描寫であるが、情景躍動して格調清遠、そぞろに旅愁の全幅に漂ふ趣がある。
〔語〕 ○雁がね、ここは雁の聲でなく雁その物をいふ。實際には聲も聞えたことは勿論であるが、語としてはそれは表はされてゐない。
 
2129 明闇《あけぐれ》の朝霧|隱《がく》り鳴きて行く雁は吾が戀を妹に告げこそ
 
〔譯〕 ほの暗い夜明け時の、朝霧に隱れて鳴き行く雁は、自分のかくも戀ひこがれてゐる心持を、妻のもとへ告げてくれよ。
〔譯〕 曉かけて旅行く人の歌と見てゐる註もあるが、必ずしも旅人とは思はれない。寧ろ離れ住む戀人を思ふ歌と解(162)した方が、趣深いやうに感じられる。四句はやや窮屈である。
〔語〕 ○あけぐれ 夜あけ方の薄闇。「ゆふぐれ」に對する語。「あけくれ」とは別語で、ぐれと濁音によむ。
〔訓〕 ○吾戀 「吾」は元暦校本による。通行本等に「言」とあるのも、漢字の古い用法に從へばワレ、ワガと訓み、現に集中にも「二五三三」「二五三五」その他用例があるので、誤とはいへない。舊訓ワガコヒ、略解ワガコフル、古義アガコフ、新考ワガコフトなど諸訓區々であるが、ヲをよみ添へてワガコヒヲと訓むのが最も妥當と思はれる。
 
2130 吾が屋戸《やど》に鳴きし雁がね雲の上に今夜《こよひ》なくなり國へかも行く
 
〔譯〕 今までわが家のあたりで鳴いてゐた雁が、雲の上で今夜鳴いてゐる。本國へでも歸つて行くのであらうか。
〔評〕 嘗て自宅に在つて雁の聲を聞いた作者が、今は旅中にそれを聞いて感慨に耽つてゐる趣である。勿論兩者同一の雁と信じてゐるわけではなく、家の方でも鳴いてゐたが、今夜ここでも鳴いてゐるといふほどの意なのである。雁の歸るのは春であることは後世定まつた事ではなく、上代の作者といへども知らぬ筈はないが、「國へかもゆく」と想像したのは、畢竟旅中にゐる自分の主觀から發したのであつて、敢へて條理に拘はらぬところが寧ろ自然である。
〔語〕 ○國へかも行く 雁がその本國へ歸つてゆくのか知らんの意。「か」は疑問。「も」は詠歎の助詞。
〔訓〕 ○國へかもゆく 白文「國方可聞遊群」の「遊群」の二字を、諸本いづれも別行とし、題詞のごとく書いてゐるが、童豪抄によつて訂された。
 
2131 さを鹿の妻どふ時に月をよみ雁が音《ね》聞ゆ今し來《く》らしも
 
〔譯〕 男鹿が妻をたづねて鳴く時に、月がよいので、雁の聲も聞える。今や雁も、いよいよ渡つて來るらしい。
〔評〕 靜かな月明の下、哀婉かぎりなき鹿の聲と、清亮幽寂な雁の聲とが二重秦をなして、身も引締まるやうな情趣(163)である。感動の中心が二つに分裂せずして巧みに融合調和してゐるのは、老手といつてよく、「月をよみ」と中間においたのがよい。
〔語〕 雁が音聞ゆ 雁の鳴く聲が聞える。この「かりがね」は雁の聲をいふ。○今し來らしも 今やいよいよ今年の雁も渡つて來るやうになつたらしいと、季節の推移を感じた意。
〔訓〕 ○雁が音 白文「切木四之泣」。切木四はカリで、樗蒲の具。「折木四哭」(九四八)參照。之はガ、泣はネ。
 
2132 天空《あまぐも》の外《よそ》に雁が音《ね》聞きしよりはだれ霜ふり塞しこの夜は【一に云ふ、いやますますに戀こそまされ】
 
〔譯〕 雲のかなた遙かに雁の鳴く聲を聞いてからは、薄霜が降つて、寒いことである、この頃の夜々は。(一に云ふ、いよいよますます、戀心が募つてゆくことである。)
〔評〕 これも季節の推移をしみじみと感じた歌である。調が素朴で、迫力がある。特に、五句の倒装法は頗る効果を收めて、よく安定してゐる。別傳の方は、一二三句と四五句との聯絡に密接でないところがある。
〔語〕 ○天雲のよそに 天涯遙かに。○はだれ霜ふり 薄霜がまだらに置いて。○寒しこの夜は 今日の一夜のみをさすのではない。○いやますますに戀こそまされ 四五句の異傳で、意は明かであるが、全く別の歌になつてしまふ。
 
2133 秋の田を吾が苅りばかの過ぎぬれば雁が喧《ね》聞ゆ冬|片設《かたま》けて
 
〔譯〕 秋の田を刈るに、私の刈り分の刈取りがすんでしまふと、ちやうど、雁の鳴く聲が聞えて來る、冬がもう近づいて來て。
〔評〕 晩秋の田園情調である。今までは多忙で一切を忘れてゐた農夫が、收穫も終るとほつとして、俄に周圍の情景に耳目を配つて、雁の聲に心づき、冬の音づれをしみじみ思ふといふ、いかにも自然な、安らかな氣分である。
(164)〔語〕 ○苅りばか 一人の刈るべき仕事の分量、又は刈るべき區域をいふ。「五一二」參照。○冬片設けて 冬がぐんぐん近づいて。「一八五四」參照。
 
2134 葦邊なる荻《をぎ》の葉さやぎ秋風の吹き來《く》るなべに雁鳴き渡る【一に云ふ、秋風に雁が音聞ゆ今し來らしも】
 
〔譯〕 葦のはえてゐる岸邊の荻の葉がそよめいて、秋風が吹いて來ると、それにつれて雁が鳴いて通ることである。(一に云ふ、秋風に雁の聲が聞える。さては今いよいよ雁が渡つて來るらしい。)
〔評〕 水邊の荻の葉ずれの音、秋風と共に渡る雁の聲、さわやかに聽覺に迫る佳調がある。葦邊と荻とを同時に竝べて描いてゐるなどは、萬葉的な率直さであつて、技巧を重視した後世には無いところである。異傳の方は上の「二一三一」に四五句は酷似してゐるが、本文の方が緊密でまさつてゐる。
〔語〕 ○吹き來るなべに 吹いて來ると同時に。吹いて來るにつれて。「神ながら思ほすなべに」(五〇)、「足引の山川の瀬の鳴るなべに」(一〇八八)等參照。
 
2135 おし照《て》る難波堀江の葦邊には雁|宿《ね》たるかも霜のふらくに
 
〔譯〕 難波の堀江の葦のはえてゐる岸邊には、雁が寢てゐるのであらうか、この霜の降るのに。
〔評〕 難波の海邊の霜夜に一夜の旅寢をした人が、自分の身の寒さから、しみじみと雁に同情を寄せたものである。作者自身の寒さわびしさは全く影を没して、雁に對する愛情が明るく暖く流れて居り、自然と融合した上代人の生活も窺はれる歌である。
〔語〕 ○おし照る 「難波」の枕詞。「四四三」參照。○難波堀江 淀川の下流、天滿川のあたりといふ。「一一四三」參照。
165)〔訓〕 ○宿たるかも 白文「宿有疑」舊訓による。古義はネタルラシと訓む。「二二〇七」參照。ラムともよめる。
 
2136 秋風に山飛び越ゆる雁がねの聲遠ざかる雲|隱《がく》るらし
 
〔譯〕 秋風の吹き渡る中を、山を飛び越えてゆく雁の、鳴く聲が遠ざかつてゆく。さては、次第に雲の中に隱れ去るらしい。
〔評〕 「秋風に大和へ越ゆる雁がねはいや遠ざかる雲がくりつつ」(二一二八)の異傳とも見られるが、僅かの字句の相違によつて、彼は視覺の歌、此は聽覺の歌になつてゐる。それだけ彼が印象明瞭なのに比し、此は力が弱い。且、これは、四五句は想像でありながら、初二句は實景を見てゐるのかとも疑はれる表現であり、要するに不統一の評を免れない。
 
2137 朝に行く雁の鳴く音《ね》は吾が如くもの念《おも》へかも聲の悲しき
 
〔譯〕 朝早く空を飛んで行く雁の鳴く音は、私のやうに物思をしてゐる爲であらうか、その聲がまことに悲しいことである。
〔評〕 作者の物思は、やはり戀ゆゑであらう。特に「朝に行く」としなのは、雁その物にとつては夜でも夕でも差支なく、別に必然性ある語ではないが、恐らく作者自身が早朝戀人に別れて歸る時、たまたま雁の聲を聞いたのであらうか。それとも男の歸つていつた朝の女の心であらうか。いづれにしてもわが思に引き較べて、雁の身をもあはれんだのである。
〔訓〕 ○朝にゆく 白文「朝爾往」で、舊訓ツトニユク。元暦校本等にケサニユク。紀州本等によれば江家の本にはアサニユクとあつたらしく、ケサが古點、アサが次點かと思はれる。今アサに從ふ。
 
(166)2138 鶴《たづ》がねの今朝鳴くなべに雁がねは何處《いづく》指《さ》してか雲|隱《がく》るらむ
 
〔譯〕 鶴の聲が今朝聞えたかと思ふ途端に、雁の聲は聞えなくなつた。雁は一體、何處を目ざして雲の中に隱れて行くのであらうかなあ。
〔評〕 鶴が鳴いて來ると同時に、常にこのあたりに來て鳴いてゐた雁は、何處かへ、飛び去つたらしい。鶴と雁との去來に、因果關係があるのでは勿論ない。唯偶然の事であるが、それをありのままに詠んで、あの雁は何處へ行つたのであらうかと思ひやつたところ、如何にも上代人らしい素朴さである。
〔語〕 ○鶴がね ここは鶴そのものをさすやうに見えるが、さうではない。鶴の聲がすることを一種の重言でかくいうたのである。「雁がね」も同樣であつたのが、頻繁に用ゐられる間に、變化して、雁その物の意にもなつたのである。○鳴くなべに 鳴くと同時に。「二一三四」參照。
〔訓〕 ○雲隱るらむ 白文「雲隱良武」、通行本等は「武」を「哉」に作る。今、元暦校本等の古本に從ふ。
 
2139 ぬばたまの夜渡る雁はおほほしく幾夜を經てか己《おの》が名を告《の》る
 
〔譯〕 夜の空を飛んで行くあの雁は、いぶかしくも、幾晩も幾晩も、あんなに、かりかりと自分の名を名のるのであらうか。
〔評〕 「かり」といふ名稱は、その鳴き聲に由來するは勿論である。この歌はそれを逆に、なぜ自分の名をああして幾夜も名のりつづけるのかと、幼い疑問にしたところが、無邪氣な上代人らしくて面白い。
〔語〕 ○おほほしく おぼつかなく、不確になどの義、ここは、幾夜鳴きつづけるかと作者がおぼつかなく思ふ心持である。○己が名をのる 雁といふ名も、元來はその鳴き聲から來た擬聲語であらうが、ここは逆に、自らその名を(167)呼び續けてゐると聞いた諧謔である。
 
2140 あらたまの年の經《へ》行けばあともふと夜《よ》渡る吾を問ふ人や誰《たれ》
 
〔譯〕 段々月日がたつので、友を引連れて行かうとて、夜空を飛びながら名のつてゆくのを、不思議さうに尋ねる人は、一體誰ですか。
〔評〕 前の歌に雁が答へた趣向である。常世の國を出て久しくなるので、もう歸らうと、友を呼び集めてゐるのであるといふのは、いかにも素朴な想像で、童話的な面白味がある。
〔語〕 ○あらたまの 「年」の枕詞。○年の經行けば 年が經過したから、即ち、この國に來て久しくなつたのでの意。○あともふと 「あともふ」は召集する、引連れるの意。「御軍をあともひ賜ひ」(一九九)參照。
 
    鹿鳴《しか》を詠める
2141 この頃《ごろ》の秋の朝|明《け》に霧|隱《がく》り妻呼ぶ雄鹿《しか》の聲のさやけさ
 
〔譯〕 この頃の秋の夜明け時に、霧の中で妻を呼んでゐる雄鹿の聲の、何とまあ澄んで響くことであらう。
〔評〕 一誦、清澄冷徹な空氣が身邊を包むのを感じる。格調もよく引締つてめでたい。「この頃の朝けに聞けばあしひきの山を響《とよ》もしさを鹿鳴くも」(一六〇三)はこれを粉本としたかと思はれる。
 
2142 さを鹿の妻ととのふと鳴く聲の至らむ極《きはみ》なびけ萩原
 
〔譯〕 牡鹿が妻を呼び寄せようとして鳴く聲の屆く果まで、聲をさへぎらないやうに靡け、萩原よ。
〔評〕 鹿の鳴く聲にも靡きさうな、なよやかな萩の風情がよく描き出されてゐて、優美、しかも雄大である。妻戀の(168)鹿に對する思ひやりも優しくうるはしい。
〔語〕 ○妻ととのふと 妻どふとて、妻を求めての意。類聚名義抄には「妻」にトトノフの訓がある。「ととのふ」は諧和の樣にすることであらう。「ととのふる鼓の音は」(一九九)「網子ととのふる海人の呼び聲」(二三八)參照。
 
2143 君に戀ひうらぶれ居《を》れば敷《しき》の野の秋萩|凌《しの》ぎさを鹿鳴くも
 
〔譯〕 あのお方に戀ひこがれて、悄然としてゐると、敷の野の秋萩を押し分けて、牡鹿が鳴いてゐることである。
〔評〕 男女いづれの歌とも解されるが、一首の調からいつても、「君」の普通な用法からいつても、女の作と見るが妥當であらう。自らは夫にこがれてゐるが、あの鹿は妻を慕つてゐるのである――さう思ふにつけわが夫は私を思つて下さらぬと、そこまで女は思ひ歎いてゐるかも知れない。しかしそこまでは必ずしも考へなくても趣は十分である。
〔語〕 ○うらぶれ居れば 意氣銷沈して、しよんぼりしてゐるとの意。○敷の野 所在は明かでない。或は大和國磯城郡の野かともいはれるが、假名遣上では疑はしい。○秋萩凌ぎ 萩原を押分け踏み分けての意。
 
2144 雁は來《き》ぬ萩は散りぬとさを鹿の鳴くなる音《こゑ》もうらぶれにけり
 
〔譯〕 雁は既にやつて來た、萩の花はもう散つてしまつたと、牡鹿が鳴き悲しんでゐる聲も、元氣なくしをれきつてしまつたなあ。
〔評〕 雁が來、萩が散つて秋は漸く深くなつてゆく。折から鹿の聲も聞えて來ると、あはれはいよいよ深くなつて、人は傷心に堪へない。うらぶれてゐるのは、實は作者自身であるのを、恰も、行く秋を惜しんで鹿がうらぶれ鳴くかのごとくにいつたのは、例は多いが面白い技巧である。
〔訓〕 ○雁は來ぬ 白文「鴈來」、略解にカリキタリと改訓したのは却つて拙い。元暦校本等の訓カリモキヌも非。(169)ここは舊訓が最もよい。
 
2145 秋萩の戀も盡《つ》きねばさを鹿の聲い續《つ》ぎい續《つ》ぎ戀こそ益《まさ》
 
〔譯〕 秋萩の花に對する戀心もまだ失せきらないのに、牡鹿の鳴く聲がつぎつぎと聞えて、自分も更に妻の戀しさがつのつて來ることである。
〔評〕 萬葉人の萩の花に對する愛好は、集中多數の萩の歌によつて凡そ想像されるが、「秋萩の戀」といふ語のごときは、最も端的にこれを語つてゐる。その萩を愛でつつ鹿の哀音に耳を傾けては、獨り愁緒を絞つてゐる若い作者の面影が浮んで來る。四五句の措辭に特異な風格を藏して興が深い。
〔語〕 ○戀も盡きねば 戀しく思ふ心もまだ消え失せずにをるうちにの意。○聲い續ぎい續ぎ 聲があとからあとからと引き續いての意。「い」は接頭辭。
 
2146 山近く家や居《を》るべきさを鹿の音《こゑ》を聞きつつ宿《い》ねかてぬかも
 
〔譯〕 山の近くに住むものであらうか。山近く自分は住んでゐるので、牡鹿の鳴く聲を聞き聞きして、安眠も出來ないことである。
〔評〕 鹿の哀音に眠を妨げられるからといつて、山里の住居を眞に厭うてゐるのでは無論ない。實はこの哀愁に浸つて詩情を滿足させでゐるのであつて、「木高くは曾て木植ゑじ霍公鳥來鳴きとよめて戀まさらしむ」(一九四六)「世の中に絶えて櫻のなかりせば春の心はのどけからまし」(古今集)などの類で、一種の反語的放言が逆効果を奏して面白いのである。
〔語〕 ○家や居るべき 住居すべきであらうか、否、住むべきではないとの意。「や」は反語の助詞。
 
(170)2147 山の邊《へ》にい行く獵夫《さつを》は多かれど山にも野にもさを鹿鳴くも
 
〔譯〕 山のあたりに出かけて行く獵師は多いのだけれども、それでも、山にも野にも、妻呼ぶ牡鹿が鳴いてゐることである。
〔評〕 聲を立てれば射られるのはわかりきつてゐるが、それでもやはり鳴かずにはゐられぬと見えると、一途に妻戀ひに鳴きつづけてゐる鹿をあはれんだのである。温い同情が、寧ろ稚拙に近い修辭の間に、却つてよく現はれてゐる。
〔語〕 ○い行く獵夫 狩をしに行く獵師。「い」は接頭辭。「獵夫」のサツは海幸、山幸、即ち漁獵の獲物を意味するサチと同語である。「二六七」參照。
 
2148 あしひきの山より來《き》せばさを鹿の妻呼ぶ聲を聞かましものを
 
〔譯〕 山を通つて此處へ來たならば、牡鹿が妻を呼んで鳴く聲を聞くことが出來たであらうになあ。
〔評〕 哀切な鹿の聲を聞いて秋の情緒を味ひたいといふのも多感な詩人の念願なのであるが、それを聞きそこなつたのである。事實に即した歌であるが、取立てて佳作といふ程のこともない。
〔語〕 ○山より來せば 「より」はそこを通つての意。「せ」は過去の助動詞「き」の古い未然形と考へる説と、サ變の動詞とする説とがある。「梁打つ人の無かりせば」(三八七)、「筑波嶺にわが行けりせば」(一四九七)等も同例。「まそかば」「ませば」と同樣に用ゐられる。○聞かましものを 聞いたであらうものを、聞かないで殘念なことをしたの意。「まし」は事實に反する假説の助動詞。
 
2149 山邊には獵夫《さつを》のねらひ恐《かしこ》けど牡鹿《をじか》鳴くなり妻の眼を欲《ほ》り
 
(171)〔譯〕 山のあたりでは、獵師の狙ひが恐しいが、それを顧慮する餘裕もなく、壯鹿が鳴いてゐることである。妻に逢ひたさに。
〔評〕 上の「二一四七」と同想であるが、これは結句ではつきり「妻の眼をほり」といつたのが、少しく説明に過ぎた嫌があり、「それだけ餘韻の乏しい憾を免れない。
〔語〕 ○妻の眼をほり 妻の姿を見たく思つての意。「然ぞ待つらむ君が目を欲り」(七六六)參照。
 
2150 秋萩の散《ち》りぬる見ればおほほしみ妻|戀《ごひ》すらしさを鹿鳴くも
 
〔譯〕 秋萩の花の散つてしまふのを見ると、悲しみに心も欝々とするので、萩の花妻を戀しがつてゐるのらしい、あのやうに牡鹿が鳴いてゐる。
〔評〕 萩を鹿の花妻と見、鹿の鳴く音を聞いて、萩の散るのを鹿が惜しむと想像したのである。古義は、花妻でなく眞の己が妻と解してゐる。「散りぬる見れば」は鹿の動作であるが、わるぐすると「妻戀ひすらし」といふ作者の推量に對する詞詞で、作者自身の動作のやうにも誤解される可能性があり、完璧の句法とはいへない。
〔語〕 ○散りぬる見れば 鹿が萩の散るのを見るとの意。○おほほしみ 氣がふさいで。欝々としての意。
〔訓〕 ○散りぬる見れば 白文「散去見」、舊訓チリユクミレバ、元暦校本等のチリユクヲミテもわるくはないが、聲調の上から、今は新考の訓に從ふ。
 
2151 山遠き京《みやこ》にしあればさを鹿の妻呼ぶ聲は乏《とも》しくもあるか
 
〔譯〕 此處は山に遠い都であるから、牡鹿の妻を呼んで鳴く聲は稀にしか聞えないので、聞きたいものに思はれることである。
(172)〔評〕 人家稠密な都の中にゐて、鹿の聲の稀なのをあきたらず思つたのである。いふまでもなく、奈良の都は今日の奈良市ではなく、ずつと西寄りの都跡村一帶であるから、近くに丘陵はあるものの、鹿の出没することは多くなかつたのであらう。歌としては平板に過ぎ、取立てていふ程のこともない。
〔語〕 ○乏しくもあるか 聞くことが稀で、なつかしく聞きたく思はれることであるわい。「も」「か」は詠歎。
 
2152 秋萩の散り過ぎぬればさを鹿は佗鳴《わびなき》せむな見ねば乏《とも》しみ
 
〔譯〕 秋萩の花が散り過ぎてしまつたので、牡鹿は定めてわびしく悲しんで鳴くであらうよ。萩の花を見ないで物たりなく思つて。
〔評〕 これも秋萩を牡鹿の妻と見て、鹿が、花妻に別れることを歎くであらうと想像し、同情したのである。類型的で表現も理に落ちた觀がある。
〔語〕 ○散り過ぎぬれば 散り過ぎてしまつたので。○わびなきせむな 苦痛に思つて鳴くであらうよ。「な」は詠歎の助詞。○見ねば乏しみ 萩の花を見ないのであきたらず思つての意。
〔訓〕 ○散り過ぎぬれば 白文「散過去者」、舊訓チリスギユケバ。チリスギユカバと假定に訓む説もあるが、力が弱くなるので從ひ難い。今、元暦校本等による。○見ねば 白文「不見者」。ミズハともよめる。
 
2153 秋萩の咲きたる野邊はさを鹿ぞ露を別《わ》けつつ妻問《つまどひ》しける
 
〔譯〕 秋萩の咲いてゐるこの野邊では、牡鹿が露を押し分けつつ、妻を尋ね求めることである。
〔評〕 萩の花の咲き亂れた中を、折々露を分けて鹿が通る。それを、男鹿の優しい妻どひと見たところに、上代人の温かな自然愛、動物愛の心が見られるのである。
(173)〔語〕 ○つまどひしける 妻のもとをたづねてゆくのであつたの意。この「ける」は過去の或る時を指すのでなく、事柄に氣がついて詠歎するのである。
 
2154 何《な》ぞ鹿の佗鳴《わびなき》すなる蓋《けだし》くも秋野の萩や繁く散るらむ
 
〔譯〕 どうして、鹿はあんなに困つたやうな鳴きかたをしてゐるのであらうか。多分、秋の野の萩が、盛んに散つてゐるためであらう。
〔評〕 現實に鹿の音を聞きつつ、その鳴く理由を疑ひ、次いで、自らそれに答へたのである。類想は多いが、表現が美しく、格調も甚だ緊密で耳に快い。
〔語〕 ○なぞ どうして、何故に。○蓋くも 思ふに、恐らく、多分の意。
〔訓〕 ○何ぞ鹿の 白文「奈何牡鹿之」、舊訓ナニシカノは不可。今、元暦校本及び考の訓に從ふ。類聚古集・童豪抄のナドシカノも惡くない。
 
2155 秋萩の咲きたる野邊にさを鹿は散らまく惜しみ鳴きゆくものを
 
〔譯〕 秋萩の花が美しく咲いてゐる野邊で、牡鹿は花の散るのが惜しいので、頻りに鳴いてゐることであるよ。
〔評〕 萩と鹿との配合であつて、新味も發見されない。結句が稍かはつた語法であるけれどだ、それも一首の價値を高めるといふ程のものでもない。屬目の實景を詠じたのであらう。
〔訓〕 ○なきゆく 白文「鳴去」。舊訓による。略解はナキヌルと訓んでゐる。
 
2156 あしひきの山のと陰《かげ》に鳴く鹿の聲聞かすやも山田守らす兒
 
(174)〔譯〕 山の入り込んだ陰に鳴いてゐる鹿の聲を、聞きなさるかね、山田の番をしておいでの娘さんよ。
〔評〕 作者が遠い鹿の哀音を聞きつつ、そこに假小屋を作つて山田の番をしてゐる女に問ひかけた趣向である。「山田守らす兒」は農家の少女であらう。さう解して始めて、妻どふ鹿の哀音をお前さんも聞きなさるかといふ問が生きて來るのである。敬語を用ゐてゐるのも、ここは寧ろ親しみの心持を表はしたもので、やはり相手が若い女性であつて、始めて自然に思はれるのである。
〔語〕 ○山のと陰 山の灣入した陰。「一四七〇」參照。○聞かすやも お聞きなさるかね、どうですの意。「聞かす」は「聞く」の敬語。ここは親しみを表はす。「や」は疑問の助詞。○山田守らす兒 山田の見張をしてゐられる娘さんよ。「もらす」は「守る」の敬語で、ここは親しんでいふ。「兒」は親稱。「この岳に菜摘ます兒」(一)と同じく、若い女性と見るべきである。
 
    蝉《ひぐらし》を詠める
2157 暮影《ゆふかげ》に來《き》鳴くひぐらし幾許《ここだく》も日毎に聞けど飽かぬ聲かも
 
〔譯〕 夕方時分に來て鳴く蜩の聲は、隨分澤山、毎日毎日聞くけれども、いくら聞いても、少しも聞き飽きない聲であるよ。
〔評〕 極めて單純であるが、格調清亮。金鈴を振る蜩の聲が、さながら耳朶に觸れるやうで、歌品が高い。
〔語〕 ○夕影 夕方の日影。薄暮の頃。「一六二二」參照。○ひぐらし 茅蜩。かなかな蝉。○幾許も 多數に。
 
    蟋蟀《こほろぎ》を詠める
2158 秋風の寒く吹くなべ吾が屋前《には》の淺茅がもとに蟋蟀《こほろぎ》鳴くも
 
(175)〔譯〕 秋風が寒く吹くにつれて、わが家の庭のまばらに生えた茅の下で、蟋蟀が鳴いてゐることである。
〔評〕 簡素な内容で、格調は極めて温雅流麗、爽涼の秋氣が身邊に忍び寄る感がある。湯原王の「夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも」(一五五二)と情趣が相似て、一段と表現が質實である。
〔語〕 ○寒く吹くなべ 寒く吹くにつれて。寒く吹くと同時に。○蟋蟀 平安時代以後の歌では、今の「こほろぎ」を「きりぎりす」といつてゐるが、本集の蟋蟀は、やはり今のこほろぎである。
〔訓〕 ○蟋蟀 以下三首、舊訓に皆キリギリスとあるは非。元暦校本のヒグラシも誤。今、童蒙抄による。
 
2159 影草《かげくさ》の生ひたる屋外《やど》の暮陰《ゆふかげ》に鳴く蟋蟀は聞けど飽かぬかも
 
〔譯〕 陰草のはえてゐるこの家の庭で、夕方鳴いてゐる蟋蟀の聲は、いくら聞いても聞き飽きないことである。
〔評〕 閑寂な夕暮、物陰の草の中に鳴く蟋蟀の細い聲に耳を傾けてゐる作者の面影が浮んで來る。清純にして風韻に富み、聊かの感傷もないのが快い。
〔語〕 ○影草 建物や塀やその他の物陰に生えてゐる草。
 
2160 庭草に村雨《むらさめ》ふりてこほろぎの鳴く聲聞けば秋づきにけり
 
〔譯〕 庭の草に村雨が降りそそいで、蟋蟀が鳴いてゐるが、その聲を聞くと、すつかりもう秋めいて來たことである。
〔評〕 淡々として清く、落ちついた氣韻があつて、まことに歌品が高い。庭草といふ語も、自然な表現であつて、「大雪」(一〇三)などと同じく、千年以前から用ゐられ來た語である。
〔語〕 ○村雨 ひとしきりづつふる雨、俄雨のこと。
 
    蝦《かはづ》を詠める
(176)2161 み吉野の石本《いはもと》去《さ》らず鳴く蝦《かはづ》うべも鳴きけり河を情《さや》けみ
 
〔譯〕 吉野川の石のもとを離れずに鳴いてゐる河鹿は、鳴くのも尤であるよ。こんなに河の水が清いのであるから。
〔評〕 吉野の清流の河鹿の聲に感興をそそられたのであるが、四五句、聊か理におちてゐる。「皆人の戀ふるみ吉野今日見ればうべも戀ひけり山川清み」(一一三一)と内容は勿論異なるが、場所が同じ吉野であり、辭樣句法もよく似てゐる。
〔語〕 ○いはもと、石のもと。○かはづ 蛙でなく、河鹿のこと。○河をさやけみ 河の水が清く澄んでゐるので。
 
2162 神《かむ》名火の山下|響《とよ》み行く水にかはづなくなり秋と云はむとや
 
〔譯〕 神名火の山の麓を、音立てて流れ行く水に、河鹿が鳴いてゐる。もう秋であると、人に知らせようとしてであらうか。
〔評〕 調子がよく引締つて居り、特に結句が特異な表現で面白い。かつ河鹿は、七八月ごろ盛んに鳴くので、今は夏の景物と考へられてゐるが、この歌では秋のものとしてゐるのは、今の吾人の季節感からいへば、腑に落ちないやうである。しかし、七夕や盂蘭盆が初秋に屬したのであるから、河鹿の清音を新秋の前奏曲とするのに不思議はない。
〔語〕 ○神名火 この神名火は恐らく飛鳥の神名火、即ち雷山をさすのであらう。○秋と云はむとや もう秋であると、人に告げ知らせようとてであらうかの意。
 
2163 草枕旅に物|念《おも》ひ吾が聞けば夕《ゆふ》片設《かたま》けて鳴くかはづかも
 
〔譯〕 旅にゐていろいろと物思をしながら自分が聞いてゐると、夕方近くになつて河鹿が鳴いてゐることである。
(177)〔評〕 旅宿の夕べに、靜かに河鹿の聲を聞いてゐるのであるが、觀察、表現、共に特異な點も認められない。平板な作である。
〔語〕 ○夕片まけて 夕方近くなつての意。前出「冬片設けて」(二一三三)參照。
 
2164 瀬を速《はや》み落ち激《たぎ》ちたる白浪にかはづ鳴くなり朝|夕《よひ》ごとに
 
〔譯〕 瀬が早いので、流れ落ち泡立つてゐる白浪の中で、毎朝毎晩、河鹿が鳴いておるわい。
〔評〕 寫實的でありながら、觀照未だ徹せず、確實な把握が缺けてゐる。平庸の作といふ外はない。
 
2165 上《かみ》つ瀬にかはづ妻呼ぶ夕されば衣手寒み妻まかむとか
 
〔譯〕 上流の方で、河鹿が妻を呼んで鳴いてゐる。夕方になると袖のあたりが寒いので、妻と共寢をしようといふつもりであらうか。
〔評〕 河鹿を擬人化した點に聊か興味はあるが、あまり自然な着想とはいひ難いであらう。恐らく旅中にあつて、遠妻を思つてゐる作者自身の實感が反映してゐるものと思はれる。「衣手寒み」も、奇拔といへば奇拔であるが、水中にゐる動物に對して適切とは思はれない。
〔語〕 ○上つ瀬 上手の方の淺瀬。上流。○妻まかむとか 妻と共に寢ようとしてであらうか。
 
    鳥を詠める
2166 妹が手を取石《とろし》の池の浪の間ゆ鳥が音《ね》異《け》に鳴く秋過ぎぬらし
 
〔譯〕 取石の池の浪の間から、水鳥の聲が、今までとは違つたやうに聞えてくる。さてはもう秋も過ぎてしまつたら(178)しいなあ。
〔評〕 いかにも自然と融合した生活をしてゐた上代人の作らしい。自然の動きを聽覺によつて捉へたのは、甚だ敏感である。枕詞も、作者の創作であらうが面白い。
〔語〕 ○妹が手を 妻の手を取るの意で「取石の池」につづけた枕詞。○取石の池 今の和泉國泉北郡取石村。續紀神龜元年の條に「行還2至和泉國取石頓宮1」とある。なほ難語難訓攷には取石はトロシ、トリシ何れでもよく、チヤム語で渡來神を意味するトルシの轉であるといつてゐる。○鳥が音異に鳴く 鳥の聲が今までと違つて鳴くの意。
〔訓〕 ○浪の間ゆ 白文「浪間從」舊訓「ナミマヨリ」。略解による。
 
2167 秋の野の尾花が末《うれ》に鳴く百舌鳥《もず》の聲聞くらむか片待《かたま》つ吾妹《わぎも》
 
〔譯〕 秋の野邊の尾花の末にゐて鳴く百舌鳥の聲を聞いてゐるであらうか、ひたすら自分を待ちこがれてゐる妻は。
〔評〕 薄のおふる野に鋭い百舌鳥の聲を聞きつつ、しみじみと秋を感じ、旅愁そぞろに湧いて、家郷の妻を思つたのである。取材極めて清新で、表現も素朴にしてよく意を盡してゐる。
〔語〕 ○尾花がうれに 穗薄の先端に。○片待つ我妹 旅なる自分を、只管に待つてゐるわが妻の意。「一二〇〇」參照。
〔訓〕 ○片待つ 白文「片聞」、この字面では解し難いので、略解所引宣長説の「片待」の誤とするのによる。
 
    露を詠める
2168 秋萩における白露朝なさな珠としぞ見る置ける白露
 
〔譯〕 秋萩の上に宿つてゐる白露を、自分は、毎朝毎朝まるで珠と見ることである、この宿つてゐる白露を。
(179)〔評〕 單純にして輕快、童心の溢れた作である。二句と五句とに同句を重ねた修辭も、よく安定して効果的である。
〔語〕 ○珠としぞ見る 白露をさながら珠と思つて見るの意で、換言すれば白露が珠と見えるの意。
〔訓〕 ○珠としぞ見る 白文で「珠年曾見流」、諸本すべてタマトゾミユルと訓み、通行本は「年」を「斗」に作る。訓は捨て難いが、今、元暦校本等の「年」に從ふ。
 
2169 夕立の雨降るごとに【一に云ふ、うちふれば】春日野の尾花が上の白露おもほゆ
 
〔譯〕 夕立の雨が降るたびごとに、春日野の尾花の上に宿る白露の風情が、どんなに面白いかと思ひやられる。
〔評〕 雨の後の春日野の、薄の上の白露を思ひやつたのである。同じ歌、(第二句は一に云ふの方)「三八一九」にも見え、それは左註に、小鯛王が、宴席で琴を取るごとに吟詠したと出てゐる。素朴單純にして古調愛すべきところがある。
〔語〕 ○夕立の雨 俄に雲が起つて四面暗澹となり、夕暮のごとく、即ち夕だちて降る雨の義で、古くは必ずしも夏季に限つて言つたのではない。ここも秋の驟雨である。
 
2170 秋萩の枝もとををに露霜おき寒くも時はなりにけるかも
 
〔譯〕 秋萩の枝もたわたわとしなふ程に水霜が宿つて、季節は寒くまあ、なつたことであるよ。
〔評〕 一讀爽涼、歌調の悠揚として迫らぬところ、古色を帶びて快い。三句の字餘りも極めて自然に聞え、「寒くも時は」と抑へたいひ方も、力強く安定してゐる。
〔語〕 ○枝もとををに 「とをを」は、たわわに同じく、たわたわと撓みしなふ樣をいふ。○露霜 水霜のこと。「二一二七」參照。
 
(180)2171 白露と秋の萩とは戀ひ亂れ別《わ》くこと難き吾が情《こころ》かも
 
〔譯〕 白露と秋の萩とは、どちらも好《す》きで、心が亂れ迷つて、結局いづれがよいとも、自分の心では判定することがむづかしいことであるよ。
〔評〕 「戀ひ亂れ」は、露と萩とが心も亂れるほど戀しあつてゐるやうに解されるが、それでは、四五句との聯絡が困難である。「うち靡く春の柳と吾が宿の梅の花とをいかにか分かむ」(八二六)と同じ構想と見るべきであらう。
〔語〕 ○戀ひ亂れ 露と萩とを共にいたく愛する意とした代匠記説に據る外はあるまい。○別くこと難き いづれがよいとも判別しかねるとの意。
 
2172 吾が屋戸《やど》の尾花おし靡《な》べ置く露に手觸れ吾妹子散らまくも見む
 
〔譯〕 わが家の尾花を押し靡かして一ぱいに置いてゐる露に、手を觸れて御覽よ、お前。露のこぼれるのを、自分は見よう。
〔評〕 尾花の末に置く露は、白玉のやうに光つてゐる。朝の庭におり立つ妻に呼びかけて、その白く美しい指が觸れたらば、散る露を眺めようといふので、優雅可憐な趣味である。
〔語〕 ○尾花おしなべ 尾花を露の重みで押し靡かせる程にの意。○手觸れ吾妹子 手を觸れてみよ、わが妻よの意。「觸れ」は「觸る」の命令形。「觸る」は四段活用として用ゐられた例もあるが、下二段活用としても、その命令形は、古くは必ずしも「よ」を添へなかつた。
 
2173 白露を取らば消《け》ぬべしいざ子《こ》等《ども》露に競《きほ》ひて萩の遊《あそび》せむ
 
(181)〔譯〕 白露を手に取つたらば、消えてしまふであらう。だから、さあ若者たちよ、あの露と爭うて、露の消えないうちに、萩の花見をしようよ。
〔評〕 白露を負うて咲き亂れた萩の花の風情は、全く優雅そのものといひたい。これを眺めつつ、若い人達を誘ひ立てて、ああ樂しい遊をしよう、といつてゐるのは、長老らしい大宮人であらう。大和繪を見るやうな風雅な歌である。
〔話〕 ○いざ子ども さあ若い人達よ。長者が下僚その他若い者どもを親しんでいふ。「いざ子ども早く日本へ」(六三)參照。○露に競ひて 露の消えるのと先を爭つての意とした古義の説がよい。あとからあとからと置く露に負けずにと解する新考の説は賛し難い。○萩の遊 ここは萩の宴と思はれる。
 
2174 秋田苅る假廬《かりほ》を作り吾が居《を》れば衣手寒く露ぞ置きにける
 
〔譯〕 秋の田を苅る爲の見張の假小屋を造つて、自分がそこに居ると、着物の袖が冷え冷えとして、露が置いたことである。
〔評〕 素朴單純であるが、しみじみと實感が溢れ、秋の田を守る農人の辛苦が、想像される。後撰集は、天智天皇の御製として收めた「秋の田のかりほの庵のとまを荒らみわが衣手は露にぬれつつ」は此の歌の改作であらう。勿論、御製ではない。
〔語〕 ○秋田苅る僻廬を作り 秋の田を刈るに就いての番小屋を作つての意。アキタカルトと新考に改めたのは無用の鑿説である。
 
2175 此の頃《ころ》の秋風寒し萩が花散らす白露おきにけらしも
 
〔譯〕 この頃の秋風は、寒いことである。萩の花を散らす白露が、もうおいたらしいなあ。
(182)〔評〕 萩や露を目前に見てゐるのではなく、どこかの野邊の萩原に、秋がふけて行くのを想像したのであらう。調は流麗であるが、内容が平淡に過ぎるやうである。
〔語〕 ○おきにけらしも 白露が置いたやうであるよ。「けらし」は「けるらし」の約で「らし」は根據ある推量の助動詞。即ち秋風が寒いといふ事實から、露が置いたらしいと想像するのである。「も」は詠歎の助詞。
 
2176 秋田苅る苫手《とまで》搖《うご》くなり白露し置く穗田《ほだ》なしと告げに來《き》ぬらし【一に云ふ、告げに來らしも】
 
〔譯〕 秋の田を刈るとて小屋の中に宿つてをると、屋根の苫のはしが動くことである。白露が、どこの田も刈り盡されて、置くべき穗のある田が無いと訴へに來たのらしい。
〔評〕 この歌は第二句に疑問の文字があるので、定解を得るに困難である。苫手は、略解に、「帆手綱手などの手に同じく、手は瑞をいふべし」といふ説によつておく。
〔語〕 ○苫手 白文には「※[草がんむり/店]手」とあるが、「※[草がんむり/店]」は字書にも見えぬので、代匠記に、苫と同字と見てゐる。苫は和名抄に、「編2菅茅1以覆v屋也」とある。○穗田 稻穗の出た田の意。
〔訓〕 ○とま手 白文「苫手」は、上述のごとく代匠記による。この二句は種々改字改訓説がある。○白露し 白文「白露之」は元暦校本等による。流布本には白露者とある。
 
    山を詠める
2177 春は萠《も》え夏は緑にくれなゐの綵色《まだら》に見ゆる秋の山かも
 
〔譯〕 春は新芽が萠え、夏は緑になり、それが又移つて、紅の色がまだらに美しく見える秋の山であるよ。
〔評〕 四季の變化によつて移り行く山の景色をほめたもので、表現は寧ろ稚拙であるが、そこに又古朴の面白味があ(183)る。文章法から正直に見ると「秋の山」が全體の主語になつてゐるので、春萠え、夏緑になるのも秋の山であるやうに取れるが、そこが上代人らしい古朴さで、さう窮屈に解すべきではあるまい。
〔語〕 ○綵色に見ゆる 濃淡混交して、さまざまの色に見えるの意。
〔訓〕 ○綵色 舊訓ニシキ、古義はマダラと訓んでゐる。元暦校本・吉葉略類聚鈔などの古訓及び童蒙抄にはイロイロとある。またシミイロの訓もある。なほこの字面は「一二五五」にも見える。
 
    黄葉を詠める
2178 妻ごもる矢野の神山露霜ににほひそめたり散らまく惜しも
 
〔譯〕 矢野の神山が、露霜に美しく色づき始めた。散るのは惜しいことであるよ。
〔評〕 内容があまりに單調であるのみならず、表現も枕詞の故巧以外、何等特異なものなく、平庸の作と評すべきであらう。
〔語〕 ○妻ごもる 妻とこもる屋の意から、同音で「矢野」の「矢」にかけた枕詞。○矢野の神山 和名抄によれば、備後甲努郡及び伊豫喜多郡に矢野があり、出雲國神門郡並に播磨國赤穗郡に八野の地がある。大日本地名辭書には伊勢度會郡矢野であらうとし、今矢野の南に大字|山神《ヤマカミ》があるといつてゐるが、いづれと決定すべき確證はない。○霧霜 ここでは水霜のことと限定的に考へるよりも、寧ろ露や霜と廣く解するのが、實際に照して自然なやうに思はれる。
 
2179 朝露ににほひそめたる秋山に時雨な零《ふりそ在り渡るがね
     右の二首は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
〔譯〕 朝露に色づき初めた秋の山に、どうか時雨は降つてくれるな、黄葉が散らずに、いつまでもあるやうに。
(184)〔評〕 これも黄葉の散るのを惜しむ歌で、内容は單純であるが、表現の上に工夫があり、殊に結句に古趣を帶びて、いちじるしく歌品を高めてゐる。
〔語〕 ○在り渡るがね 永く存續してほしい、そのために、の意。「渡る」は?態が引續く意を表はす。
 
2180 九月《ながつき》の時雨の雨にぬれとほり春日の山は色づきにけり
 
〔譯〕 九月の時雨のあめに、木の葉がすつかりぬれとほつて、春日の山は美しく色づいたことである。
〔評〕 一見平庸な作のやうに見えるが、單純な景觀の美をしつかり捉へてゐる。それは全く「ぬれとほり」の一句が的確な寫生として生きてゐるからである。
〔語〕 ○ぬれとほり しめやかな秋霖に、山の心《しん》まですつかり濡れ徹つての意。
 
2181 鴈《かり》が鳴《ね》の寒き朝|明《け》の露ならし春日の山をにほはすものは
 
〔譯〕 雁の聲の薄ら寒く聞える夜の引明に降る露であるらしい。春日山をあんなに美しく黄葉に染めるものは。
〔評〕 極めて自然な想像であつて、少しも技巧的に姿態を作つたところが無い。古今集の、「秋の夜の露をば露とおきながら鴈の涙や野べをそむらむ」と並べ誦すれば、時代の相違がはつきりと分る。句法は三句切れであるが、倒装法によつて一首を引締めてゐるところ、老手である。
〔語〕 ○露ならし 「露なるらし」の約。露であるさうなの意。○にほはすものは 黄葉を染めるものはの意。
〔訓〕 ○にほはすものは 白文「令黄物者」。後撰集に、春日山を立田山に代へて、この歌を載せ、結句を「もみだすものは」とあり、元暦校本も赭の訓はさうなつてゐる。元暦校本・紀州本の訓による。
 
(185)2182 此の頃《ころ》の曉露《あかときつゆ》に吾が庭前《には》の萩の下葉は色づきにけり
 
〔譯〕 この頃の夜明け方に降る露の爲に、わが庭の萩の下葉は、色づいて來たことである。
〔評〕 露と黄葉とに深い關はりがあると見たのは當時の通念で、既に上にも類想の歌が多くあり、以下にも見える。この歌もそれに基づいたもので、特にいふ程のこともない。
 
2183 雁がねは今は來《き》鳴きぬ吾が待ちし黄葉《もみち》はや繼げ待たば苦しも
 
〔譯〕 雁は既に渡つて來て鳴くやうになつた。自分の待ちこがれてゐた黄葉は、早く雁に續いて色づいてくれ。待つてゐるのでは苦しいことである。
〔評〕 耳に雁の聲が聞えると、秋も漸く深くなつてゆく。やがて目に美しい紅葉の世界が展開される。聽覺と視覺と双方を通して、秋の情緒を滿喫しようといふ詩人の熱望が、一首の上に溢れてゐる。
〔語〕 ○黄葉はや繼げ 黄葉よ、早く雁の後を繼げの意。
 
2184 秋山をゆめ人|懸《か》くな忘れにしそのもみち葉の思ほゆらくに
 
〔譯〕 秋の山の美しいことを、決して人よ口に出して言つてくれるな。忘れてゐたあの黄葉の美しい景色が思ひ出されて、心を惱ます種になるから。
〔評〕 秋山の黄葉を愛でるあまりた、心の惱まされるのを恐れて、寧ろ忘れ去らうと努力する心理は、恰も戀人に對する心もちに似たものがある。
〔語〕 ○ゆめ人懸くな 決して人々よ口にかけていふなの意。○思ほゆらくに 思はれるのにの意。思ひ出されて却(186)つて苦痛であるのにの意。
〔訓〕 ○思ほゆらくに 白文「所思君」、舊訓オモホユルキミは非。今、西本願寺本等の訓、及び考の説による。
 
2185 大坂を吾が越え來《く》れば二上《ふたがみ》にもみち葉流る時雨ふりつつ
 
〔譯〕 大坂の峠を自分が越えて來ると、この二上山では、黄葉が流れるやうに散つてゐる、時雨が降りながら。
〔評〕 時雨に濡れながら、黄葉の盛んに散りかふ峠路を越えて行く實景が、ありのままに淡々と描き出されてゐる。素直でよい歌である。
〔話〕 ○大坂 今、奈良縣北葛城都下田村の大字に逢坂がある。大和から河内へ出る道で、二上山の北方に接してゐる。しかし古への道は、二上村大字穴蟲の大坂山口神社の前から穴蟲峠へ出る道であらうと、萬葉集大和地理辭典には云つてゐる。「おほさかに遇ふや孃子を道とへばただにはのらず當麻道を告《の》る」と古事記にも見える。○もみち葉流る 流れるやうにあとからあとからと黄葉の散ること。「あわ雪流る」(二三一四)參照。
 
2186 秋されば置く白露に吾が門の淺|茅《ぢ》が末葉《うらば》色づきにけり
 
〔譯〕 秋になつたので、置く白露の爲に、わが門前に疎らに生えてゐる茅のさきの方の葉も、赤く色づいて來たことである。
〔評〕 調は流麗であるが、内容は例の陳套に屬して居り、「二一八二」の歌に比し、萩と淺茅との相違のみで、全く同想といつてよい。
 
2187 妹が袖|卷來《まきき》の山の朝露ににほふ黄葉の散らまく惜しも
 
(187)〔譯〕 卷來山の朝露に染まつて美しく色づいた黄葉が、今にも散らうとしてゐるのは惜しいことであるよ。
〔評〕 類型的であるが、歌調暢達にして枕詞の用法など巧妙である。なほ内容は違ふけれども、「玉勝間阿倍島山の夕露に旅寢えせめや長きこの夜を」(三一五二)と一二三句が全く同形である。
〔語〕 ○妹が袖 妻の袖を枕くの意で「卷來の山」にかけた枕詞。○卷來の山 所在不明。「妹が袖卷」までを序詞とし、筑前の城《き》の山とする考の説もあるが、この前後いづれも大和、或はその附近の歌であり、また「來」と「城」とは、假名がちがふから、疑はしい。
 
2188 もみち葉のにほひは繁し然れども妻梨の木を手《た》折り挿頭《かざ》さむ
 
〔譯〕 黄葉の色あひはさまざま多い。しかし自分は、この梨の木の黄葉を折つて髪に挿さうよ。
〔評〕 梨の木の黄葉を特に取上げるなどは、後世の歌人から見れば甚だ奇とすべきであらう。「四二五九」の家持の作も、左註によると梨の黄葉とある。萬葉人が種々の黄葉を愛したことが知られはするが、ここでは作者が妻を失うた爲に、こと更にいうたものと思はれる。
〔語〕 ○にほひは繁し 色彩光澤が種々豐富であるとの意。○妻梨の木 「つま」は妻無しとつづけたもの。
 
2189 露霜のさむき夕《ゆふべ》の秋風にもみちにけりも妻梨の木は
 
〔譯〕 水霜が置いて寒い夕方に吹く秋風で、すつかり黄葉してしまつたことである、この梨の木は。
〔評〕 前と連作で、妻の無い夫ゆゑ、一二三句、寒いというたのであらう。
〔語〕 ○もみちにけりも 黄葉してしまつたことである。「もみち」は動詞の連用形。「も」は感動の助詞。
 
(188)2190 吾が門の淺茅色づく吉隱《よなばり》の浪柴の野のもみち散るらし
 
〔譯〕 わが門のあたりのまばらに生えた茅の葉が色づいた。さては、吉隱の浪柴の野邊の黄葉は、今頃はもう散るであらう。
〔評〕 家にあつて、遠い浪柴の野の黄葉を想像してゐるのである。この句法は下にも、「吾が屋戸の淺茅色づく吉隱の夏身の上に時雨ふるかも」(二二〇七)「八田の野の淺茅色づく有乳山峰の沫雪寒くふるらし」(二三三一)など用ゐられて居り、また、句の位置は逆であるが、古今集の、「み山には霰ふるらし外山なる正木のかづら色づきにけり」なども同じ構想である。
〔語〕 ○吉隱の浪柴の野 吉隱は大和國磯城郡、今の初瀬町の東一里の處にあり、「吉隱の猪養の岡」(二〇三)、「吉名張の猪養の山」(一五六一)などとも見える。浪柴野は大和志に、「吉隱村の上方の野をいふ」とある。
 
2191 雁が音を聞きつるなべに高松の野の上《へ》の草ぞ色づきにける
 
〔譯〕 雁の聲を聞いたが、それと同時に、高松の野邊のあたりの草が美しく色づいたことである。
〔評〕 雁が鳴いて來る頃になると、野邊の草も黄色に染まる。聞いたまま見たままの自然を素直に敍した、平淡な作である。
〔語〕 ○聞きつるなべに 聞いたと同時に。○高松の野 上の「二一〇一」にもあり、下にも見える。
 
2192 吾背子が白たへ衣往き觸れば染《にほ》ひぬべくももみつ山かも
 
〔譯〕 いとしいあのお方の白い着物が、通りすがりに觸れたならば、染まつてしまひさうにまあ、美しくもみぢして(189)ゐる山であることよ。
〔評〕 旅立つ夫を送り出して後、前方なる美しい黄葉の山を眺めながら、その黄葉の下かげを歩みゆく夫の姿を想像して詠んだ歌であらう。笠金村の、「草枕旅行く人も行き觸らばにほひぬべくも咲ける萩かも」(一五三二)と同想であるが、黄葉の歌としては珍しく、かつ妻の温情も溢れてゐる。
〔語〕 白たへ衣 白い栲の衣。栲は楮の繊維を晒して織つた布をいふ。○往き觸れば 通りがかりにさはつたならばの意。○もみつ山かも 「もみつ」は木の葉の色の美しく變ずること。四段活用の連體形。
 
2193 秋風の日にけに吹けば水莖《みづぐき》の岡の木葉《このは》も色づきにけり
 
〔譯〕 秋風が日ましに冷え冷えと吹くので、水ぐきの岡の上の木々の葉も美しく色づいたことである。
〔評〕 流麗清純な格調が、蕭索たる秋風の感じとしつくり合致して、高い氣韻を釀し出してゐる。初二句も淡々として、しかも的確な寫生である。
〔語〕 ○日にけに 日ましに。○水莖の岡 「水莖の」を、みづみづしき莖の稚《ワカ》の意でワカの類音ヲカに冠した枕詞であると宣長はいつてをる。しかし作者の住んでをつた大和のうちのいづこかの地名と見た方がよからう。卷七に「水ぐきの岡のみなとに」とある岡は、筑前國の地名である。
 
2194 鴈がねの來鳴きしなべに韓衣《からころも》龍田《もたつた》の山はもみち始《そ》めたり
 
〔譯〕 雁が鳴いて來たのと共に、龍田の山は、美しく黄葉し始めたことである。
〔評〕 類型の多い歌で、作者の表現上の苦心といふやうなものも認められない。唯ありのままの平庸な作である。
〔語〕 ○韓衣 枕詞。衣を裁つ意で「龍田山」にかける。
(190)〔訓〕 ○來鳴きしなべに 白文「來鳴之共」、類聚古集キナケルナベニ、代匠記精撰本はキナキシムタニ、考はキナキシナベニと改めた。
 
2195 鴈がねの聲聞くなべに明日よりは春日の山はもみち始《そ》めなむ
 
〔譯〕 雁の聲が聞えるが、これにつれて、明日からは、春日山は黄葉し始めることであらう。
〔評〕 これも前の歌と山の名がかはり、現在が未來になつてゐるだけの相違で、尋常の作に過ぎない。
〔語〕 ○もみち始めなむ 紅葉しはじめるに違ひない。「な」は完了助動詞「ぬ」の未然形、「む」は推量助動詞で、事がたしかにさうなることを推測する。
 
2196 時雨の雨|間《ま》無くしふれば眞木の葉もあらそひかねて色づさにけり
 
〔譯〕 時雨の雨が絶え間なく降るので、檜の木の葉も、抵抗しきれずに、色づいて來たことである。
〔評〕 時雨が黄葉を誘ふといふ考に基づいたものである。檜や杉は常緑樹であるが、晩秋から嚴冬にかけては、著しく赤味を帶びるやうになる。作者がそこに着眼したのは、こまかな自然觀察といつてよい。
〔語〕 ○眞木 檜の古名。檜は建築用材として最も賞美されるので、美稱していふのである。○あらそひかねて 抵抗しかねて、負けての意。
 
2197 いちしろく時雨の雨は零《ふ》らなくに大城《おほき》の山は色づきにけり
〔譯〕 そんなにたいして時雨の雨は降りもしないのに、大城の山は美しく色づいたことである。
〔評〕 恐らく太宰府にゐた官人の作であらう。時雨が木々の黄葉を誘ふものといふ通念があつ爲に、一面にかう(191)した怪訝も生ずるのであるが、聊か理に墜ちた作である。
大野山頂1。號2大城1者也。」と註がある。
〔語〕 ○大城の山 太宰府の背後の山。大野山(七九九)に同じ。元暦校本以下の古寫本、すべてこの次に「謂(ルハ)2大城山(ト)1者、在(リ)2筑前國御笠郡之大野山頂(ニ)1。號(ヲ)曰2大城(ト)1者也。」と註がある。
 
2198 風吹けば黄葉《もみち》ちりつつ少《しまし》くも吾《あが》の松原清からなくに
 
〔譯〕 風が吹くごとに、黄葉が絶えず散つて、暫くの間は、吾の松原は清らかではないなあ。
〔評〕 散り敷く黄葉のために、吾の松原の白砂が、暫くも清く保たれてゐない、といふのであらう。しかし白砂に黄葉が散つたらば一層美しい筈であるのに、清くないといつたのは、特異な觀察をしたものである。
〔語〕 ○吾の松原 「妹に戀ひ吾《あが》の松原」(一〇三〇)とあるには、その左註に「吾松原在2三重郡1」と見え、伊勢の地名と知られるが、所在明らかでない。ここのもそれと同處なるか、否か、詳かに知り難い。
 
2199 もの念《も》ふと隱《こも》らひ居《を》りて今日見れば春日の山は色づきにけり
 
〔譯〕 物思ひのために、今まで家に閉ぢ籠つてゐて、今日久しぶりに出て見ると、春日山は美しく紅葉してゐることである。
〔評〕 ありのままの素直な表現がよい。「今日見れば」のごとき無造作な句で、時間的推移を描いてゐるのも巧みである。家持の、「雨ごもり心いぶせみ出で見れば春日の山は色づきにけり」(一五六八)と酷似して居り、彼は雨ごもりの後、此は物思ひの後であるが、共に結ぼれた心の後に眺めた紅葉が、いかに鮮麗に眼に映じたかが察せられる。
〔語〕 ○ものもふと 物を思うて。○隱らひ居りて 引籠つてゐての意。「こもらふ」は、こもるといふ動作の繼續する意を表はす。
 
(192)2200 九月《ながつき》の白露|負《お》ひてあしひきの山のもみたむ見まくしも良《よ》し
 
〔譯〕 九月の頃の白露を一ぱい浴びて、山が黄葉しようとするのを見るのは、まことに面白い。
〔評〕 もみぢを待ち焦れる熱心が、一首の上に溢れてゐる。初二句の措辭は清爽の氣に富み、結句は少しく説明に落ちてゐる。
〔語〕 ○山のもみたむ 山の木々が黄いろくなるのをの意。○見まくしも良し 見ることはよいの意。「見まく」は、見むことの義。「し」は強意の助詞。
 
2201 妹|許《がり》と馬に鞍置きて射駒山うち越え來《く》れば紅葉ちりつつ
 
〔譯〕 妻のもとに行かうとして、馬に乘つて射駒山を越えてくると、山中では紅葉が頻りに散つてゐることである。
〔評〕 寫實の歌で、平明優雅の調をなして居り、上代生活の長閑な氣分が現はれてゐる。
〔語〕 ○妹がりと馬に鞍置きて 以上二句を序詞とし、「い」の一字にかけたとする代匠記精撰本の説は諾け難い。○射駒山 生駒山のこと。奈良の西方に聳え、大和・河内の國境をなしてゐる。○紅葉 「もみち」は集中の用字例では殆ど全部「黄葉」とあり、「紅葉」と書いたのはこの一例のみで、他に「赤葉」、「赤」がある。
 
2202 もみちする時になるらし月人のかつらの枝の色づく見れば
 
〔譯〕 下界の草木も、紅葉する季節になるらしい。月の中にある桂の枚が色づいて、そのために、月の光が明るくなつたのを見ると。
即ちその桂の樹が紅葉した爲に、月光が明るく(193)照り映えるものと見たので、古今集の、「久方の月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ」は、この歌を粉本としたかとも思はれる。
〔語〕 ○月人 月を擬人していふ。「月人をとこ」(二〇一〇)の用例もある。○かつらの枝の 和名抄に「楓、乎加豆良。桂、女加豆良」とあり、本集では「楓」をすべてカツラと訓んでゐる。今いふ桂は山地に自生する落葉喬木で、高さ十餘丈、周圍丈餘に達するものもある。なほ「六三二」參照。
 
2203 里ごとに霜は置くらし高松の野山づかさの色づく見れば
 
〔譯〕 どこの里にも、もう霜が置くらしい。高松の野山の高い處の木々が、美しく染まるのを見ると。
〔評〕 遠く野山の紅葉を眺めつつ、漸く秋の深みゆく趣を痛感したのである。「里ごとに霜はおくらし」の具體的な想像が、一首の上に確實性を與へて、作者の感じをはつきり出し得てゐるのである。
〔語〕 ○高松 高圓のことといはれるが未詳。「二一〇一」「二一九一」參照。○野山づかさ 野山の少し高くなつてゐる所。
〔訓〕 ○里ごとに 白文「里異」、舊訓サトモケニも棄て難いが、仙覺抄によれば、古點はサトゴトニとあつたらしく、現存の元暦校本等にも同樣の訓があるので、今、それに從ふ。「異」を「毎」の意に用ゐた例は他に無いが、唯一の用法であるといふ理由で否定することが出來ないのは、この例のみでない。○高松の野山づかさ 白文「高松野山司」、舊訓タカマトノヤマノツカサとあるが、「野」は助詞のノには用ゐ難い。「高松」の二字でタカマツノと訓むべきである。
 
2204 秋風の日にけに吹けば露しげみ萩の下葉は色づきにけり
 
(194)〔譯〕 秋風が日ましにつめたく吹いてゐるうちに、露が繁く置くので、萩の下葉は色づいで來たことである。
〔評〕 初二句及び四五句は極めて類型的の語句で、新味が見出されない。只三句によつて僅かに一首を引立ててゐる觀がある。
〔訓〕 ○露しげみ 白文「露重」、舊訓ツユオモミ、元暦校本ツユヲオモミは不適。類聚古集及び古義の訓による。ツユシキリとも訓める。
 
2205 秋萩の下葉もみちぬあらたまの月の經去《へゆ》けば風を疾《いた》みかも
 
〔譯〕 萩の下葉が色づいて來た。それは、月が經つて秋が次第に深くなつてゆくにつれて、風のあたりが強いせゐなのであらうか。
〔評〕 内容は「二二〇四」と同じであるが、表現の句法や辭樣が著しく違つてゐるので、おのづから氣分の異なる歌となつてゐる。即ち、五七調が素朴雄健の感を與へるのである。
〔語〕 ○あらたまの 枕詞。普通「年」に冠するが、ここは、「月」にかけてゐる。
 
2206 まそかがみ南淵《みなぶち》山は今日もかも白露置きて黄葉《もみち》ちるらむ
 
〔譯〕 あの南淵山では、今日あたりは露がおりて、紅葉が散つてゐることであらうか。
〔評〕 嘗て見て知つてゐる南淵山の紅葉の風情を、今行つて見ることが出來ず、想像してせめて心をやつてゐるのである。「名兒の海の朝げのなごり今日もかも磯の浦回に亂れてあらむ」(一一五五)、「屋戸にある櫻の花は今もかも松風はやみ地に落つらむ」(一四五八)、「阿保山の櫻の花は今月もかも散り亂るらむ見る人なしに」(一八六七)など、形式、句法、全く同型である。
(195)〔語〕 ○まそかがみ 鏡を見るの意で「南淵」の「み」につづけた枕詞。○南淵山 大和高市郡にあり、今は稻淵山といふ。「一七〇九」參照。○今日もかも 今日このごろは云々してゐることであらうの意。「ちるらむ」と相應ずる語。
 
2207 吾が屋戸《やど》の淺茅《あさぢ》色づく吉隱《よなばり》の夏身の上に時雨ふるらし
 
〔譯〕 わが家の庭に、まばらに生えてゐる茅が赤く色づいた。もうあの吉隱の夏身のあたりには、時雨が降つてゐるのであらう。
〔評〕 庭の淺茅の色づいたのを見て、つくづくと季節の推移を感じ、曾遊の勝地の時雨を思ひやつたのである。「吾が門の淺茅色づくよなばりの浪柴の野のもみぢ散るらし」(二一九〇)に酷似してをる。
〔語〕 ○吉隱の夏身 吉隱は大和磯城郡、名張川の支流と青蓮寺川の合流するところ。
〔訓〕 ○ふるらし 白文「零疑」舊訓による。「二二一〇」も同じ。「二一三五」の宿有疑(ネタルカモ)によりて、カモと訓む説もある。
 
2208 鴈がねの寒く鳴きしゆ水莖の岡の葛葉は色づきにけり
 
〔譯〕 雁の越えが寒さうに鳴き渡つてから、岡の葛の葉は次第に色づいて來たことである。
〔評〕 「秋風の日にけに吹けば水莖の岡の木の葉も色づきにけり」(二一九三)の異傳かとも見られるほど似てゐるが、雁の聲を取り入れた點に作者のはたらきがある。
〔語〕 ○寒く鳴きしゆ 寒げに鳴いた時からの意。○水莖の ここは岡の枕詞として用ゐた。
 
2209 秋萩の下葉のもみち花に繼《つ》ぐ時過ぎ行かば後《のち》戀むむかも
 
(196)〔譯〕 萩の下葉の黄葉が、花の散つたあとにつづいて美しくなるが、その時期も過ぎてしまつたなら、後になつて戀しく思はれることであらうなあ。
〔評〕 今は萩の花が美しく咲いてゐる。この花が散つても、なほ下葉のもみぢといふ期待があるので、心を慰めるすべはあるが、それも過ぎた後のわびしさ、戀しさはどんなものかと、自ら想像したのである。秋萩への愛着の心もちがよく出て居り、表現も面白い。
〔語〕 ○花に繼ぐ 花の散つた後を繼ぐの意。この「繼ぐ」は連體形で、下の「時」につづく。○後戀ひむかも 後になつて萩を戀しがることであらうよの意。
 
2210 明日香《あすか》河もみち葉ながる葛城《かづらき》の山の木葉《このは》は今し散るらし
 
〔譯〕 明日香河に紅葉が流れてゐる。上流の方の葛城山の木の葉は、今頃しきりに散つてゐるのであらう。
〔評〕 まのあたり明日香川を流れる紅葉の美觀を眺めて、葛城山の紅葉をも聯想したのである。葛城山で散つた紅葉が、今ここに流れて來たものと想像してゐるのではないが、この表現ではその邊が少し曖昧にも聞える。
〔語〕 ○明日香川 これを大和の飛鳥川とすると、地理が合はない。全釋に、河内國南河内郡駒谷村なる飛鳥川で、この川の水源は二上山の西側より發してゐるといふ説に從ふべきである。即ち、葛城山といふも葛城郡にある山の義で、二上をさすものと考へられる。「一六五」の題詞には「葛城の二上山」とある。
 
2211 妹が紐解くと結びて立田山今こそ黄葉《もみち》はじめてありけれ
 
〔譯〕 妻が衣の紐を解くとして、また結ばうとして立つ、その「たつ」といふ名の立田山は、今こそ紅葉し始めたことである。
(197)〔評〕 紅葉の名所の立田山が、今まさに色づき始めたその美觀を、極めて單純化して表現したのであるが、序が巧妙で生彩がある。
〔語〕 ○妹が紐解くと結びて 解くとてまた結ぶとての義。一二句、夫が妻の着物の紐を解いたり結んだりするといふ解もある。○今こそもみちはじめたりけれ この「もみち」は名詞でなく、動詞の連用形と見るべきである。
〔訓〕 ○結びて 白文「結而」、この歌は後撰集に「妹が紐とくとむすぶと立田山今ぞ紅葉の錦織りける」とあるので、略解はこれに據り、「而」は「等」の誤かといつてゐる。新校は「解」の上に「莫」を補ひナトキトユヒテと訓む。
 
2212 雁がねのね喧《な》きにしより春日なる三笠の山は色づきにけり
 
〔譯〕 雁が鳴いてから、春日にある三笠の山は、美しく紅葉したことである。
〔評〕 「雁がねの聲聞くなべに明日よりは春月の山はもみぢ始めなむ」(二一九五)は期待をかけた推量であるに對し、これは現在の實景を實景として詠んだ歌である。但、類歌が多くて新味は無い。
〔語〕 ○ねなきにしより 聲をあげて鳴いてからの意。
〔訓〕 ○ね喧きにしより 白文「喧之從」、代匠記精撰本は「來喧之從」キナキニシヨリ、略解は「喧之日從」ナキニシヒヨリの誤としてゐる。舊訓サワギニシヨリ、類聚古集ナキキニシヨリ等は從ひ難い。「喧」は通常ナクであるが、ここは音調の上から、ネナキニシヨリと訓むべきであらう。
 
2213 此の頃のあかとき露に吾が屋戸《やど》の秋の萩原色づきにけり
 
〔譯〕 この頃の曉に置く露で、わが家の萩の茂みは、黄色に染まつて來たことである。
〔評〕 「此の頃のあかとき露にわが屋前の萩の下葉は色づきにけり」(二一八二)と同一歌の異傳であらう。ともかく(198)類型の多い歌で、平庸といふ外はない。
〔語〕 ○秋の萩原 萩の茂つた一むらの意。
 
2214 夕されば雁が越えゆくたつた山時雨に競《きほ》ひ色づさにけり
 
〔譯〕 夕方になると、雁の飛び越えて行くあの立田山は、時雨と先を爭つて美しく色づいたことである。
〔評〕 これも類型的の内容ではあるが、初二旬が立田山の風景を生動させてゐるのがよい。
〔語〕 ○時雨にきほひ 時雨が降るのに木の葉も負けないと、先を爭つての意。時雨に催されて木の葉が互に競つてと解するのはよくない。
 
2215 さ夜ふけて時雨なふりそ秋萩の本葉《もとば》の黄葉《もみち》ちらまく惜しも
 
〔譯〕 夜がふけて降つてゐる時雨よ、そんなに降つてくれるな。萩の下葉のもみぢの散りさうなのが、惜しいことである。
〔評〕 美しい萩の黄葉が、たまたま降り出した深夜の時雨で、すつかり散らされさうなのを、あやぶんだのである。こまやかな感情が、一首の上に生き生きと脈搏つてをる。
〔語〕 ○本葉 根もとに近い葉。下葉に同じ。末葉の對。
 
2216 ふるさとの初もみち葉を手《た》折り持ち今日ぞ吾が來《こ》し見ぬ人の爲
 
〔譯〕 もとの都の初紅葉を手折つて、それを持つて今日こそ自分は此處へ來た。まだ見ない人に見せようと思つて。
故京をおとづれ、初紅葉の一枝を手折つて、わざわざこの里に來たのは、戀しい人に見せる爲である。都遷り(199)があつてまだ程遠からぬ頃、誰もまだもとの京に強い愛着を繋いでゐるといふやうな事情も窺はれる。優雅な感情のゆたかに流れた歌である。
〔語〕 ○ふるさと 古京、舊都。ここは恐らく飛鳥あたりをさすものと思はれる。○見ぬ人の爲 故京へ行つて紅葉を見ない人の爲に。この「人」は特定の人で、恐らく戀人であらう。
〔訓〕 ○手折り持ち 白文「手折以」、通行本等この下に「而」があるが、今、元暦校本等に從つて削る。
 
2217 君が家の初|黄葉《もみちば》は早くふる時雨の雨に沾《ぬ》れにけらしも
 
〔譯〕 あなたの家の初紅葉は、早く降り出した時雨にぬれて、こんなに色づいてゐるのでせう。
〔評〕 友の家などで初紅葉を見てゐるのであらう。よそよりも早く色づいてゐるので、早い時雨に濡れた結果と想像したのである。素朴な表現である。
〔訓〕 ○初もみち葉は 白文「初黄葉」、諸本「之黄葉」とあつて解し難い。紀州本には「之」が無い。姑く「之」を「初」の誤として解する。
 
2218 一|年《とせ》にふたたび行かぬ秋山を情《こころ》に飽かず過《すぐ》しつるかも
 
〔譯〕 一年に二度とはめぐつて來ない秋、その秋の山の美しい景色を、心に滿足するほど眺めもせずに、むなしく過してしまつたことである。
〔評〕 「秋山われは」と額田王もいはれたやうに、秋の山の風情はおもしろい。しかも一年に二度と見られる秋山ではない、心ゆくまで見たいと思つたのに、おちおち眺めることも出來ずに過したといふ心殘りが、痛切に一首の上に現はれてゐる。初二句の表現は、卷四に、「うつせみの世やも二行く」(七三三)のたぐひである。
(200)〔語〕 ○ふたたび行かぬ 「行く」は時の經過する義。「秋」にかかる。○心に飽かず 心の中に滿足せぬの意。
 
    水田《こなた》を詠める
2219 あしひきの山田作る子|秀《ひ》でずとも繩《なは》だに延《は》へよ守《も》ると知るがね
 
〔題〕 水田 舊訓スイデムとあるが、代匠記は、和名抄に「水田【古奈太】」とあるのを引いて、コナタと訓んだ。
〔譯〕 山の田を作る人よ、まだ稻の穗は伸びないにしても、繩だけでも張つて置くがいい。番をしてゐると、他人にわかるやうに。
〔評〕 「いそのかみ布留のわさ田を秀でずとも繩だに延へよ守りつつ居らむ」(一三五三)とよく似てゐる。水田を詠じたものとあるけれども、やはり譬喩歌であらう。即ち、あなたがあの子を妻にしようと思ふならば、まだ年は若いけれども、早く約束だけでもして、主あることを明かにしてお置きなさいとの意と思はれる。
〔語〕 ○秀でずとも 稻穩がまだ出ないでも。
〔訓〕 ○作る 白文「佃」、ツクルと訓むのは、和名抄に「佃、音與v田同、和名豆久利太。作田也」とあるに據る。集中唯一の用例である。○繩 舊訓シメ、壘聚古集等ツナとあるが、文字通りに訓んでよい。
 
2220 さを鹿の妻|喚《よ》ぶ山の岳邊《をかべ》なる早田《わさだ》は苅らじ霜はふるとも
 
〔譯〕 男鹿が妻を喚んで鳴いてゐる山の、その岡のほとりにある早稻田は、自分は苅らないで置かう、たとひ霜が降つて收穫時期が過ぎても。
〔評〕 妻呼ぶ鹿を驚かすまいといふ、若人の思ひやりであらう。理を越えた稚態といふよりは、聊か誇張に過ぎ、作爲に傾いたもので、後世風を馴致するものといふべきである。
 
(201)2221 我が門に禁《も》る田を見れば佐保の内の秋萩すすき念《おも》ほゆるかも
 
〔譯〕 わが家の門前に、假小屋を作つて人の見張をしてゐる稻田を見ると、なつかしい佐保の内の萩や薄も、今頃は盛であらうと、その風情が思ひやられることである。
〔評〕 門前の稻田の熟したのから秋の酣なるを感じて、佐保あたりの秋色をなつかしんだのである。佐保を本郷とする人が、別莊などに移り住んでゐて詠んだものか、もしくは、佐保の地に愛人などをもつてゐる人の作ででもあらうか。素朴にして自然なところがよい。
〔語〕 ○我が門に禁る田を見れば 門前一面に實つてゐる田を、假小屋を建てて人が番をしてゐる。それを見ればの意。○佐保の内 佐保の里中の意。「一八二七」參照。
 
    河を詠める
2222 夕さらず河蝦《かはづ》鳴くなる三輪河の清き瀬の音《と》を聞かくし宜《よ》しも
 
〔譯〕 夕方はいつもきまつて河鹿の鳴く三輪河の、さやかな瀬の音を聞くのは、實によい氣持である。
〔評〕 詞句が洗練されて清澄の感じを與へる。さわやかな水の音と、涼しい河鹿の聲との二重奏が耳にあるやうである。佳作である。
〔語〕 ○三輪河 初瀬川が三輪附近を流れる時の部分約稱呼。○聞かくしよしも 聞くことが甚だよいの意。「聞かく」は聞くことの意で「行かくしえしも」(三五三〇)などと同じ語法。「し」は強意の助詞。
 
    月を詠める
(202)2223 天《あめ》の海に月の船浮け桂|楫《かぢ》かけて榜《こ》ぐ見ゆ月人|壯子《をとこ》
 
〔譯〕 天の海に月の船を浮べ、桂の木で造つた櫂をつけて、月の中にゐる月人男が漕いでゆくのが見える。
〔評〕 人麿歌集所出の、「天の海に雲の波立ち月の船星の林にこぎ隱る見ゆ」(一〇六八)に似て、更に漢文學の影響が濃い。懷風藻なる文武天皇の御製にも、「月舟移2霧渚1、楓※[楫+戈]泛2霞濱1」と見える。
〔語〕 ○桂楫 桂で作つた櫂、即ち楓※[楫+戈]である。○月人壯子 第二句に「月の船」といつて月を船に譬へてゐるのであるから、月人をとこは、月を人格化して呼んだのでなく、月中の壯士の意に取るべきであらう。
 
2224 此の夜らはさ夜ふけぬらし鴈が音の聞ゆる空ゆ月立ち渡る
 
〔譯〕 今夜はもう夜がふけてしまつたらしい。雁の聲の聞える空を、月が移つて行く。
〔評) 靜かな情趣のゆたかな歌であるが、弓削皇子の、「さ夜中と夜はふけぬらし雁が音の聞ゆる空に月渡る見ゆ」(一七〇一)の異傳かと思はれるくらゐ酷似してゐる。但、弓削皇子の作の方が、一段と優れてゐることはいふまでもない。
〔語〕 ○この夜ら 「ら」は接尾辭で、調を整へる以外に意味はない。○聞ゆる空ゆ 聞える空をとほつての意。
 
2225 吾背子が挿頭《かざし》の萩におく露をさやかに見よと月は照るらし
 
〔譯〕 わが友が冠の飾に挿した萩の花に宿つてゐる露を、はつきり見よと、今夜の月はこんなに明らかに照つてゐるのであらう。
〔評〕 月下に宴樂する大宮人達のみやび姿が眼前に髣髴する。明るい月影にきらめく挿頭の萩の露は、想像するだに(203)清麗優雅の限りである。
〔語〕 ○吾背子 宴席などで、親しい友をさしたものと思はれる。女性の作ではあるまい。
 
2226 心なき秋の月夜《つくよ》のもの念《も》ふと寐《い》のねらえぬに照りつつもとな
 
〔譯〕 同情のない秋の月が、物思をして自分の眠られないでゐるのに、よしなくも照り渡つて、一層眠らせないことである。
〔評〕 物思ふ身は、美しい秋の月に慰められないのみか、却つて悲しみを唆られ、「心なき月」との感をさへ深くしたのである。凡そ愁人の爲には、如何なる物も、愁緒の媒介とならずにはゐない。「さ夜中に友よぶ千鳥もの念ふとわび居る時に鳴きつつもとな」(六一八)「もだもあらむ時も鳴かなむひぐらしの物もふ時に鳴きつつもとな」(一九六四)など、似た構想である。
〔語〕 ○心なき 同情心のない。察しのない。○秋の月夜 「夜」は輕く添へた接尾辭的のもの。○照りつつもとな よしなくも照るよの意。「何しかももとな言へる」(二三〇)參照。
 
2227 思はぬに時雨の雨はふりたれど天雲《あまぐも》霽《は》れて月夜《つくよ》さやけし
 
〔譯〕 思ひもかけず時雨の雨は降つたけれども、すぐに空の雲が晴れて、もう月の光が鮮かに照つてゐる。
〔評〕 突如降りかかつて來て、卒然として晴れた時雨のあとの、洗ひ出されたやうな月の新鮮さ。滿地の清光、魂を澄ましめる感がある。
〔語〕 ○思はぬに 思ひがけなく。意外にも。略解及び古義に、この何を「天雲はれて」にかけて解いたのは誤つてゐる。○月夜をやけし 月の光が明かである。「夜」は接尾辭。
(204)〔訓〕 ○月夜さやけし 白文「月夜清焉」、「焉」は元暦校本等による。サヤケシは、元暦校本及び代匠記精撰本により、「月夜」はツクヨと訓むべきである。
 
2228 萩が花咲きのををりを見よとかも月夜《つくよ》の清き戀|益《まさ》らくに
 
〔譯〕 萩の花が咲いて、枝もたわわに撓《しな》つてゐるのを見よといふので、月がこんなに清く照つてゐるのであらうか。かうして萩の花を眺めてゐると、いよいよ戀しさがまさるのに。
〔評〕 清光の下、微風にうねる萩の花の風情が眼前に浮ぶ。表現清新にして情趣まことに饒かである。
〔語〕 ○咲きのををり 一ぱいに咲き撓つてゐる様。「ををり」は動詞「ををる」の名詞形。「一四二一」參照。○見よとかも月夜の清き 見よと月夜の清きかもの義。○まさらくに まさるのに。
〔訓〕 ○ををり 白文「乎再入」「再」を考は「乎」の誤、略解は「烏」の誤としたのは却つて誤である。守部の鐘の響及び木村博士の訓義辨證にいふ通り、「再」は「乎」を再び繰返す意で書いたのである。
 
2229 白露を玉になしたる九月《ながつき》のありあけの月夜《つくよ》見れど飽かぬかも
 
〔譯〕 白露を美しい玉に見せてゐる晩秋九月の夜明け方の月は、いくら見ても見飽きないことである。
〔評〕 すがすがしい情景である。極度に單純化された内容を、流麗暢達な詞句に盛つて、縹緲の韻致を搖曳させてゐる。佳作である。
 
    風を詠める
2230 戀ひつつも稻葉かき別《わ》け家|居《を》れば乏しくもあらず秋の夕風
 
(205)〔譯〕 そよ吹く風を戀しく思うて、稻葉をかき分けてその中に住んでゐると、よく吹いて來て、珍しがりなつかしがるほどのこともない、秋の夕風は。
〔評〕 素朴明快の歌で、農民生活の安らかな一面があらはれてゐる。秋の田の假廬は、晩夏の頃から作つたものと思はれる。句法から見れば、「梅の花咲ける岡邊に家をれば乏しくもあらず鶯の聲」(一八二〇)に似てゐる。
〔語〕 ○稻葉かきわけ家居れば 稻田のほとりに假屋を作つて居ればの意。○乏しくもあらず 不足ではない、十分であるの意。この「ともし」は羨ましいの意ではない。
 
2231 萩の花咲きたる野邊にひぐらしの鳴くなるなべに秋の風吹く
 
〔譯〕 萩の花の咲き亂れてゐる野邊に、ひぐらしが鳴く。それにつれて、秋の風が吹いてゐる。
〔評〕 一讀すると、爽かな中にも一脈の哀愁を含んだ初秋の風を、さながら肌に覺えるやうである。あの哀韻を奏でるひぐらしの聲も、恰も秋風を呼ぶかと思はれる。巧まずして情趣の溢れた歌である。
〔語〕 ○鳴くなるなべに 鳴くのと同時にの意。
〔訓〕 ○鳴くなるなべに 白文「鳴奈流共」、舊訓ナクナルトモニは不可。考の訓による。代匠記精撰本にはムタニと訓んでゐる。
 
2232 秋山の木葉《このは》もいまだもみたねば今旦《けさ》吹く風は霜も置きぬべく
 
〔譯〕 秋山の木の葉はまだ紅葉もしないのに、今朝吹く風は、まるで霜でも置きさうに寒いことである。
〔評〕 俄に襲ひ來つた秋冷に對する驚きを、ありのままに詠んだもので、率直平明の裡に實感が溢れてゐる。結句のいひさしも婉曲で餘韻がある。
(206)〔語〕 ○もみたねば 紅葉しないでゐるうちにの意。
 
    芳《かをり》を詠める
2233 高松のこの峯も狹《せ》に笠立てて盈《み》ち盛《さか》りたる秋の香の吉《よ》さ
 
〔題〕 芳 松茸のことであるが、略解所引宣長説に「茸」の誤寫としてゐる。しかし大矢本・京大本等にカホリの傍訓を附してあるのを以ても、誤寫とは考へられない。
〔譯〕 高松山のこの山も狹いくらゐに笠を立てて、そこら一ぱい盛んに生えてゐる松茸の秋の香のよいことである。
〔評〕 松茸にこもる秋の香の高さ、格調も亦これにふさはしく、殊に「この峯も狹に笠立てて」の寫生は的確で面白い。めづらしい題材で、松茸を詠じた歌の最も古いものである。
〔語〕 ○高松 高圓の借字と從來見られたが、疑問である。「二一〇一」參照。○笠立てて 笠を竝べたやうな茸の様子をいふ。
 
    雨を詠める
2234 一日には千重しくしくに我が戀ふる妹があたりに時雨ふれ見む
     右の一首は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
〔譯〕 一日のうちには、千度も繰返し繰返し、自分の戀しく思つてゐる女の家のあたりに、時雨よ降れ。自分は此處から眺めてゐようと思ふ。
〔評〕 一二句には古典的成語を用ゐてのびやかに詠み下し、四五句に緊密な敍述を見せてゐる。愛人の住む里のあたりに、しみじみと降りそそぐ時雨の細い絲を見ようといふのは、何かの支障で逢瀬のままならぬため息であらう。し(207)めやかな情緒が浮んでゐる。
〔訓〕 ○降れ 白文「零禮」略解に「禮」は「所」の誤といつてゐるが、このまま解し得られる。無用の改字である。
 
2235 秋田刈る旅の廬《いほり》に時雨ふり我が袖ぬれぬ干《ほ》す人無しに
 
〔譯〕 秋の田を苅る爲の假小屋にゐると、時雨が降つて、自分の着物の袖は濡れてしまつた。干してくれる妻もゐないのに。
〔評〕 秋の田の假廬に旅寢をする農夫の辛苦が偲ばれる。前の、「秋田苅る假廬を作り吾が居れば衣手寒く露ぞ置きにける」(二一七四)に似たところがある。
〔語〕 ○旅の廬に 旅寢をしてゐるこの假小屋に。「旅」は今日の觀念とは違ひ、古くは自宅以外に寢ることは、皆旅寢といつたのである。
 
2236 玉|襷《だすき》かけぬ時なし吾が戀は時雨し零《ふ》らば沾《ぬ》れつつも行かむ
 
〔譯〕 自分は、心にかけて思はぬ時は暫くもないのである。それほど自分の戀は眞劍で、もし時雨が降つたらば、ぬれながらでも逢ひに行かう。
〔評〕 單刀直入、戀の熱意を描いてゐる。太い線と亂いタツチとで頗る男性的な歌を成してゐる。ことに、五句の字あまりがよい。
〔語〕 ○玉襷 枕詞。襷を掛ける意から「かけ」に冠らせた。
 
2237 もみち葉を散らす時雨のふるなべに夜《よ》さへぞ寒き一人し宿《ぬ》れば
 
(208)〔譯〕 紅葉を散らす時雨が降るにつれて、夜までも寒いことである。唯一人で寢てみるので。
〔評〕 落葉の音、時雨の音、さびしい冬の音なひを聞きながら、獨寢の寒さをわびてゐるのであるが、悲觀的な弱々しさは無い。調が安定して居り、凛として冴えた氣韻がある。
〔語〕 ○ふるなべに 降るにつれて。降ると同時に。○夜さへぞ寒き 「さへ」は同じ?態の更に増し加はる意であり、晝よりも夜の寒いのは當然であるから、この「さへ」は一見不合理のやうに見えるが、總釋にいふ如く、夜は共寢をすれば暖かいものといふ潜在意識に基づくと解すれば、心理的には無理とはいへないであらう。
〔訓〕 ○夜さへぞ寒き 白文「夜副衣寒」で、元暦校本の一訓等にフスマモサムシとあり、古義もこれを支持してゐるのは「さへ」の用法に疑を挾んだ結果であらうが、他に用例もなく、かつ前記の如く解し得られるのであるから、舊訓に從ふのが穩かである。
 
    霜を詠める
2238 天《あま》飛ぶや雁のつばさの覆羽《おほひば》の何處《いづく》漏りてか霜のふりけむ
 
〔譯〕 空を飛んで行く雁が翼を並べて天を覆つてゐて、隙間がないはずであるのに、どこから洩れて、霜がこんなに降つたのであらうか。
〔評〕 奇想天外といふべきである。群れ飛ぶ雁の翼の隙間から霜が降ると空想しやのは、上代人らしい稚態といふよりは、寧ろ後世風な甚しい誇張と感じられる。格調の雄健なのはさすがであるが。
〔語〕 ○天飛ぶや 「や」は語調を整へる爲の助詞。「天飛ぶや輕の路は」(二〇七)ともあり、「石見のや」(一三二)、「淡海のや」(一三五〇)なども同じである。○覆羽 群をなして天を一杯覆うてゐる羽の意。
 
(209)  秋相聞《あきのさうもに》
 
2239 金《あき》山のしたひが下《した》に鳴く鳥の登だに聞かばなにか嘆かむ
 
〔譯〕 秋山の紅葉の照り映える下蔭に鳴く鳥のやうな、あのやさしい人の聲だけでも聞いたならば、何の嘆くことがあらうぞ。
〔評〕 序がまことに美しい。單なる形式的の技巧でなしに、これによつて美しい女性の、かはいらしい聲を暗示してゐる。下に、「朝霞香火屋が下に鳴くかはづ聲だに聞かば吾戀ひめやも」(二二六五)とあるに似た型である。
〔語〕 ○金山のしたひが下に鳴く鳥の 「聲」にかけた序。「金」は五行説によれば、西であり、秋の方となるので、秋の意に用ゐた。「したひ」は四段の動詞「したふ」の名詞形。紅葉の照り輝く意。「秋山のしたへる妹」(二一七)や、古事記の「秋山之|下氷壯夫《シタヒヲトコ》」などの「したふ」も同語である。
 
2240 誰を彼《かれ》と我をな問ひそ九月《ながつき》の露にぬれつつ君待つ吾を
 
〔譯〕 「あれは誰である」などと私のことを問はないで下さい。九月の夜露にぬれながら、戀しいお方を待つてゐる私なのですよ。
〔評〕 戸外に立つて戀人を待つ女の心が、可憐にもまた巧みに表はされてゐる。必ずしも人に見咎められたのではな(210)く、もし人が見つけても見のがしてほしいといふ心の中の念願を、かく歌つたのである。民謠風な甘美な調が面白い。
〔語〕 ○君待つ我を この「君」は「我にな問ひそ」といつてゐる相手とは別人で、女の戀人である。「を」は感動の助詞。「衣に縫ひて君待つ吾を」(二〇六四)に同じ。
 
2241 秋の夜の霧立ちわたりおほほしく夢《いめ》にぞ見つる妹がすがたを
 
〔譯〕 秋の夜の夜霧が一面に立ちつづいて、ぼんやりしてゐるやうに、ぼんやりと自分は夢に見たことである、いとしい女の姿を。
〔評〕 おぼつかなく夢に見た愛人の姿を、覺めて後思ひ出さううつとめてゐる趣である。序はその時節に即して用ゐたのであらう。一通りの作である。
〔語〕 ○秋の夜の霧立ち渡り 次の「おほほしく」にかけた序。○おほほしく ぼんやりと。明瞭でない様。
〔訓〕 ○秋の夜の 白文「秋夜」で、アキノヨハとも訓める。○おほほしく 白文「凡凡」、諸本「夙夙」とあるが、「夙《はや》く起きつつ」(二五六三)の如く、「夙」は朝早くの意で、このままは解し難い。姑く考に從ひ、「凡凡」の誤とする。
 
2242 秋の野の尾花が末《うれ》の生《お》ひ靡き心は妹に寄りにけるかも
 
〔譯〕 秋の野の尾花の穗さきが生ひ靡いてゐるやうに、すつかり靡いて、月分の心は、いとしい人の方に寄つてしまつたことである。
〔評〕 季節の景物を序に用ゐて、巧みに心情を描いてゐる。但、四五句は、「明日香河瀬瀬の珠藻のうち靡きこころは妹によりにけるかも」(三二六七)と同一で、上の序の技巧が異なるのみである。
(211)〔語〕 ○秋の野の尾花が末の生ひ靡き 以上を譬喩とする代匠記の説もあるが、序と見るがよい。又「生ひ」までを序とする説もあるが、諾ひ難い。
 
2243 秋山に霜ふり覆《おほ》ひ木葉《このは》散り歳は行くとも我《われ》忘れめや
     右は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
〔譯〕 秋の山に霜が一面に降り覆ひ、木の葉は散つて、次第に年は過ぎても、自分は愛する人を忘れようか、忘れはせぬ。
〔評〕 眼前に轉變する事象をとらへて時の推移を敍し、その時の變化に拘はることなく、わが心の變るまじきを切言してゐる。敍法に流動性があつて平庸を脱してゐる。
〔語〕 ○秋山に霜ふり覆ひ木葉散り 以上三句を、女の老いたのに譬へたものとする代匠記精撰本の説は思ひ過ぎといふべく、單なる序と見る全釋の説も賛し難い。これを眼前の?景とし、かくして年は過ぐともの意に解するが自然である。
 
    水田に寄す
2244 住吉《すみのえ》の芹を田に墾《は》り蒔きし稻のしか苅るまでに逢はぬ君かも
 
〔譯〕 住吉の岸のあたりを田に開墾して、そこに蒔いた稻がみのり、こんなに苅り取るやうになるまでも、あなたは逢つて下さらないことよ。
〔評〕 住吉附近の農人の女の作かと思はれるが、或は民謠として、少しづつ語句を變へて、各地に謠はれたものかも知れない。「春の野に霞たなびき咲く花の斯くなるまでに逢はぬ君かも」(一九〇二)「梓弓引津の邊《へ》なる莫告藻《なのりそ》の花(212)咲くまでに逢はぬ君かも」(一九三〇)など、いづれも同型である。
〔語〕 ○田に墾り 開墾して田にしての意。○しか苅るまでに そんなに苅り取るまでもの長い間。
 
2245 劔《たち》の後《しり》玉|纒《まき》田井《たゐ》に何時《いつ》までか妹を相見ず家戀ひ居《を》らむ
 
〔譯〕 纒《まき》の田で久しく日を送つて、いつまでまあ、自分は妻に逢はずに、かうして家を戀しがつてゐることであらう。
〔評〕 略解に「是は班田使などにて、其の田居に月を經て詠めるならむ」とある。愛慕の情まことに痛切であるが、とにかく、第二句に明解を得難いのは遺憾である。
〔語〕 ○劔の後 「玉纒」につづけた枕詞。劔の鞘の尾部に玉を纒き、飾としたものと思はれる。「劔たち鞘ゆ入野の」(一二七二)と序にも用ゐてある。○玉纒田井 代匠記は全體を地名と見、古義は「玉」は稻玉で、稻種を蒔く田とし、考は「まきた」は地名といひ、新考は穗田に置いた露を玉と見做して、「玉撒く田居」といつたものと解し、全釋は、ここは元來水田に寄せた歌で、田井は即ち田のことであるから、地名とするならばマキといふ地名と考へるべきである、といつてゐる。比較的穩當と思はれる全釋説に姑く從つておく。さすれば「劔の後玉」までが序となつて、「劔たち鞘ゆ」と同じ技法となる。
 
2246 秋の田の穗の上《へ》に置ける白露の消《け》ぬべく吾はおもほゆるかも
 
〔譯〕 秋の田の稻穗の上に置いた白露のやうに、今に命も消えてしまひさうに、私の身は思はれることであります。
〔評〕 全體の調子から見て女性の作と思はれる。ままならぬ戀ゆゑに、身も心も細りゆく人の姿が見えるやうである。「秋づけば尾花が上に置く露の消ぬべくも吾は念ほゆるかも」(一五六四)に比して四五句は全く同じで、上の序も を以てしたことに變りはないが、彼の優婉な歌調に對して、これはやや硬くて、明確な調子を持つてゐる。
 
(213)2247 秋の田の穗向《ほむき》の依《よ》れる片よりに吾は物|念《も》ふつれなきものを
 
〔譯〕 秋の田の稻穗の向きが一方ばかりに片寄るやうに、あのお方の事にのみ片寄つて私は物思ひをすることである。あのお方は私に冷淡であるのに。
〔評〕 序句は極めて巧妙であるが、但馬皇女の「秋の田の穗向のよれる片縁りに君によりなな言痛かりとも」(一一四)と全く同じで、それに學んだか、或は更に典據があつたのかも知れない。
 
2248 秋の田を假廬《かりいほ》つくり廬《いほり》してあるらむ君を見むよしもがも
 
〔譯〕 秋の田を苅る爲に假小屋を作り、そこに宿つていらつしやるに違ひない戀しいひとに、早くお目にかかりたいものであるよ。
〔評〕 山田を守る農人の妻の歌と見るのは恐らく誤であり、略解の説のごとく、班田使の妻などの作と思はれる。何となれば、農人の妻ならば、自宅と假屋とは近距離で、夫がそこにゐることは確實に知つてゐるはずであるから「在るらむ君」とはいふまい。この語調では、遠隔の妻が遙かに夫の上を想像したものと解されるからである。「神風の伊勢の濱荻折りふせて旅寢やすらむ荒き濱邊に」(五〇〇)を參照すれば明白である。
〔語〕 ○かりいほ 苅と假との意をかけてゐる。
 
2249 鶴《たづ》が音《ね》の聞ゆる田井に廬《いほり》して吾《われ》旅なりと妹に告げこそ
 
〔譯〕 鶴の聲の聞えて來る田のほとりに假屋を造つて、自分が旅寢をしてゐると、誰か妻に知らせてくれよ。
〔評〕 自宅以外に寢るのは、古くは皆旅寢といつたので、これもそんな風に見て、見張小屋に起臥する農人の作、又(214)は班田使の作と解されぬこともないが、やはり遠い旅路に出てゐる人がたまたま田のほとりに一宿して懷郷の情を敍べたものであらう。「妹につげこそ」は、誰に向つて訴へたといふのでなく、漠然といつたのではあらうが、表現不足の評を免れ難い。
〔語〕 ○田井 田圃のこと。「一七五八」參照。○廬して ここは一宿してといふ程の意。
 
2250 春霞たなびく田居に廬《いほ》つきて秋田苅るまで思はしむらく
 
〔譯〕 春霞の棚引いてゐる田圃に假小屋を作つて、そこについて以來、秋になつてその田を苅り取るまで、いとしい妻とは、ゆつくり逢ふことが出來なくて、自分に戀ひ焦れさすことである。
〔評〕 春、籾を蒔いた頃から秋の收穫の時まで、田に小屋を作つて起臥しつつ世話しつづけるにしても、その長い期間、妻に全く逢はずにゐるといふやうに解いた註釋は誤つてゐる。おちおち逢へない戀しさを、こんな風に表現したので、それは決して不自然ではなく、普通な創作心理である。機械的に言葉に囚はれてはならない。
〔語〕 ○思はしむらく 自分をして戀ひしく思はしめることよの意。
 
2251 たちばなを守部《もりべ》の里の門田|早稻《わせ》苅る時過ぎぬ來《こ》じとすらしも
 
〔譯〕 守部の里のわが門邊にある田の早稻は、もう苅る時が過ぎてしまつた。早稻を苅る頃には來ようとのことであつたのに、まだ見えない。この樣子では、來まいとなさるのであらう。
〔評〕 約束の時すぎても猶音づれぬ男を怨んだ女の作と思はれる。素朴にして實感が溢れて居り、枕詞もかはつてをる。橘の實を人が盗まないやうに守部を置いて守らせたことから、さういふ地名も生じたかとおもはれ、さすれば、文化史的にも興味ある資料を提供するわけである。
(215)〔語〕 ○守部の里 地名であらう。集中に守部王といふ名の見えるのも、この地名を以て名づけられたと思はれるが、位地は不明。代匠記には、大和のうちであらうとしてゐる。或は大和丹波市附近の守目堂村あたりかとの説もある。
〔訓〕 ○里 白文「五十戸」、舊訓イヘ。今代匠記精撰本の訓を採る。「五十戸良我許惠波」(八九二)參照。
 
    露に寄す
2252 秋萩の咲き散る野邊の夕露にぬれつつ來ませ夜はふけぬとも
 
〔譯〕 萩の花の咲いては散る野邊の夕露に、濡れながらお出でなさいませ。たとひ夜はふけてしまつても。
〔評〕 戀しい男の音づれを待つ女の心である。秋萩の露に濡れつつ來ませとは、如何にも風流であり、詞句語調もそれにふさはしく優雅である。古今集に、「萩が花散るらむ小野の夕露にぬれてを行かむさ夜はふくとも」とあるのは男の歌で、恐らく今の歌からの換骨奪胎であらう。
〔語〕 ○咲き散る 咲いてゐる萩が散つてゐるの意で、「散る」に重點がある。
 
2253 色づかふ秋の露霜な零《ふ》りそね妹が袂を纒《ま》かぬ今夜《こよひ》は
 
〔譯〕 草や木の葉の色づく秋の水霜は、どうぞ降らないでくれ。妻の袂を枕にしないで、唯一人さびしく寢る今夜は。
〔評〕 肌寒い獨寢の寂しさを歎いた男の歌。上三句によつて歌が複雜化され、それに反映されて又、情緒に切實味を増してゐる。
〔語〕 ○色づかふ 草木の葉がその露霜によつて色づくの意。「つかふ」は「附く」の再活用。○露霜 露のこととの解もあるが、ここは、水霜と解するのが自然なやうである。
 
(216)2254 秋萩の上に置きたる白露の消《け》かもしなまし戀ひつつあらずは
 
〔譯〕 秋萩の上に置いた白露の消えるやうに、いつそのこと消えてしまつた方がよからうか、こんなに戀ひこがれて苦しんでばかりゐないで。
〔評〕 卷八の弓削皇子の歌(一六〇八)と全く同じである。うたひ傳へられたのを重載したのであらう。
〔訓〕 ○「戀ひつつ」 白文「戀乍」。元暦校本による。通行本は「爾」。
 
2255 吾が屋前《には》の秋萩の上に置く露のいちしろくしも吾《われ》戀ひめやも
 
〔譯〕 私の家の庭の萩の上に置く露のやうに、いちじるしく人目につくやうにはつきりと、私は戀をしようか。決してそんなことはない。苦しくとも、ひそかに戀ひ續けてゐよう。
〔評〕 色に顯はさじと忍ぶ戀である。つつましい女性の姿が髣髴として浮び、調子もなよやかで内容にふさはしい。
 
2256 秋の穗をしのにおしなべ置く露の消《け》かもしなまし戀ひつつからずは
 
〔譯〕 秋の稻穗を、しなふ程に押し靡かせつつ置いてゐる露が、やがて消えるやうに、いつそ私も消えてしまつた方がよからうか、こんなに戀ひ焦れてばかりゐないで。
〔評〕 三句以下のこの表現は、當時の類型的成句として盛んに用ゐられたものらしく、上の弓削皇子のにも、又一首置いて次の歌にもある。或は民謠風に、隨時僅かに字句を變へて謠はれたものとも思はれる。但、「秋の穗をしのに押しなべ」は、四五句のなよなよとした情緒をあらはす序としては、力強きに失するやうである。
〔語〕 ○秋の穗 秋の稻穗。○しのにおしなべ しなふ程に押し靡けて。○置く露の 以上三句「消」にかけた譬喩(217)的の序。○戀ひつつあらずは 戀ひ焦れて居らずしての意。「は」は強意の助詞。
 
2257 露霜に衣手ぬれて今だにも妹がり行かな夜は深《ふ》けぬとも
 
〔譯〕 露霜に着物の袖を濡らして、せめて今からでも女のもとへ行かう。夜はたとへふけてしまはうとも。
〔評〕 前の「二二五二」は婦人の歌で、纒綿の情が優婉な調にこめられてゐるが、これは男子の歌で、朴直な調子の中に、男性的な底力のある愛情が盛られてゐる。
〔語〕 ○妹がり行かな 妹のもとへ行かうよ。「な」は願望の助詞。「家聞かな」(一)參照。
 
2258 秋萩の枝もとををに置く露の消《け》かもしなまし戀ひつつあらずは
 
〔譯〕 秋萩の枝もたわたわとなる程に置いてゐる露が、やがては消えるやうに、いつそ消えてしまつたらよからうか、こんなに戀ひこがれてばかりゐないで。
〔評〕 上の「二二五四」の異傳と見てもよい程、酷似してゐる。只「枝もとををに」といふのは、たとへ露とはいへ、積極的に或る強さを意識させるところがあるので、「消かもしなまし」といふやうな心持とは稍乖離を感ずる。それだけ「二二五四」の歌に、一等を輸するものであらう。
 
2259 秋萩の上に白露置くごとに見つつぞしのふ君が光儀《すがた》を
 
〔譯〕 秋萩の上に白露が宿るごとに、それを見ながら自分は思ひ浮べるのである、そなたの美しい姿を。
〔評〕 白露の重みにもしなふ秋萩の風情に、美しい女のなよびかな姿が思ひ出されたのである。うつくしい想像である。第二句の句割れは平衡を破つたやうであるが、小波瀾を起して、却つて句法に變化を與へ、結果としては面白く(218)なつてゐる。
 
    風に寄す
2260 我妹子は衣《きぬ》にあらなむ秋風の寒きこのころ下《した》に著ましを
 
〔譯〕 自分のいとしいあの女は、着物であつてほしいものである。さうしたならば、秋風の寒く吹く此の頃は、下に着て肌身離さずにゐようものを。
〔評〕 秋風の寒く吹くにつけて、妻と離れてゐる物足りなさを、ひしひしと感じたのである。「秋風の寒き此の頃」がよくきいて、「下に著ましを」の結句を感覺的に生かしてゐる。
〔語〕 ○下に著ましを 下着にして肌につけてゐようものをの意。さう出來ない、のが殘念であるとの意を含んでゐるのは、假設をあらはす助動詞「まし」の作用である。
 
2261 泊瀬《はつせ》風かく吹く三更《よる》は何時《いつ》までか衣《ころも》片敷《かたし》き吾がひとり宿《ね》む
 
〔譯〕 泊瀬の里の風がこんなに寒く吹く夜は、いつまで着物の片袖を下に敷いて、自分は獨寢をすることか、わびしいことであるよ。
〔評〕 泊瀬の里に旅寢をしてゐる男が、獨寢のわびしさをかこつ心である。四五句はもはや成句化された、幾分類型的のものになつてゐるが、二句の切實味によつて全體的に救はれてゐる。
〔語〕 ○泊瀬風 泊瀬の里に吹く風の意。「明日香風」(五一)「佐保風」(九七九)の類。
 
雨に寄す
(219)2262 秋萩を散らす長雨《ながめ》の零《ぐ》る頃は一人起き居て戀ふる夜ぞ多き
 
〔譯〕 萩の花を散らす長雨が降り續く頃は、ただ一人起きてゐて、人を戀しく思ふ夜が多いことである。
〔評〕 何らの技巧の痕跡もなく、ありのままに詠みあげた自然な素直さの中の、季節の寂しみと戀の惱ましさとが、にじみ出てゐて、ひそひそとした愁緒を感じさせる。
 
2263 九月《ながつき》の時雨の雨の山霧のいぶせき吾が胸|誰《たれ》を見ば息《や》まむ【一に云ふ、十月《かむなづき》時雨の雨降り】
 
〔譯〕 晩秋九月の時雨が降り、立ちこめた山霧が欝陶しいやうに、いつも欝陶しい私の胸は、誰に逢つたらば、一體晴れるのでせう。あなたのお顔を見なければ、とても晴れは致しませぬ。
〔評〕 序の疊みかけた調子が、結句の強い趣にかなつて、一讀欝結した情熱がたぎり立つのを覺えさせる。また序の情趣も、心理の象徴として頗る効果的である。別傳の方も、九月と十月との相違のみで、意に大差はないが、聲調の上から見て、本文の方が優れてゐる。
〔語〕 ○九月の時雨の雨の山霧の 霧の立ちこめて欝陶しい意で、「いぶせき」にかけた譬喩的の序。○誰を見ばやまむ 誰に逢つたらば、癒えることか、即ち、君の姿を見る以外にこの思ひの晴れる方法は無いとの意。以上は女性の歌として説いたが、「誰を見ば」といふ句調によつて、男性の作ともとれる。
〔訓〕 ○いぶせき吾が胸 白文「煙寸吾※[匈/月]」、通行本等「吾」の下に「告」とあり、元暦校本等は「吉」となつてゐるが、兩者いづれも解し難い。今、略解の説に從ひ衍とした。考は「等」の誤としてゐる。
 
    蟋蟀に寄す
(220)2264 こほろぎの待ち歡《よろこ》ぶる秋の夜を寐《ぬ》るしるしなし枕と吾は
 
〔譯〕 蟋蟀は秋の來たのを待ちつけて、喜んで鳴いてゐるが、その樂しさうな秋の夜を、寢る甲斐もなく、つまらないことである、枕と共寢をする自分は。
〔評〕 時を得がほの蟋蟀の聲は、いかにも喜ばしさうであるのに、獨り枕を抱いて寢るわが姿が、甚だわびしくわが目に映じたのである。枕と吾はの結句が巧妙で、端的に生きてゐる。但この歌、歎きは歎きながら、非常に深刻とはいへず、「枕と吾は」の語に自嘲的の一味の明るいユーモアも感じられて面白いのである。男の歌であらう。
〔語〕 ○枕と吾は 坂上郎女の「枕と吾はいざ二人寢む」(六五二)は、愛娘に對する場合であるが、詞はよく似てゐる。
〔訓〕 ○待ち歡ぶる 白文「待歡。」舊訓マチヨロコベル。「よろこぶ」が古く上二段活用であつた所から、マチヨロコブルとする有坂博士の説による。
 
    蝦《かはづ》に寄す
2265 朝霞|香火屋《かひや》が下《した》に鳴くかはづ聲だに聞かば吾《われ》戀ひあやも
 
〔譯〕 香火屋の下で鳴く河鹿の聲ではないが、戀しい人の聲だけでもせめて聞いたらば、自分はどうしてこれほど戀ひ焦れよう。逢ふことは勿論、聲さへ聞くことが出來ないので、戀しさはつのるばかりである。
〔評〕 序に用ゐた材料が極めて奇拔である。形式は前の、「秋山のしたひが下に鳴く鳥の聲だに聞かばなにか嘆かむ」(二二三九)に似てゐる。男の歌である。
〔語〕 ○朝霞 枕詞であらう。朝霞のかをるといふ意で、下を略して「か」の一語にかけたと冠辭考にあるが、猶考(221)ふべきである。○鹿火屋 古來集中の難語として、諸説多く、未だ定説を見ない。その中主なものを擧げると、鹿猪を追ひ拂ふ爲に火を焚く爲の家(古來風體抄)、魚を捕る爲に河もしくは江などに簀を立て廻し、口を一方あけおき、鳥などの寄り來ぬやうに番人を置くので、その上に作つた家(奧義抄)、岸のはたの意で岸などの崩れた處をいふ(袖中抄引用和語抄説)、今信州で、かべ屋と稱して藁葺の片屋根で、蘿匍、蕪青などを貯へ置く小屋があり、これ即ち「かひや」の轉訛であらう(古風土記逸文考證引用説)等、又、淺く廣きを澤といひ、深く狹きをかひやといふ常陸風土記に基づく登蓮法師説(袖中抄所引)を敷衍して、「かひ」は峽、「や」は谷《ヤツ》の意とする萬葉難語難訓考の説もある。○鳴くかはづ 「かはづ」は河鹿のこと。初句以下これまで「聲」にかけた序詞。
 
    雁に寄す
2266 出でて去《い》なば天《あま》飛ぶ雁のなきぬべみ今日今日といふに年ぞ經にける
 
〔譯〕 自分が旅に出て行つたらば、大空を飛びゆく雁のやうに、妻が泣くであらうから、今日は今日はといつて、一日延ばしにしてゐるうちに、一年も經つてしまつたことである。
〔評〕 妻のあまりに物怨じするのがうるさきに、打捨てて出て行かうとする男が、さすがに馴れた愛にひかれて、思ひ立つ日とてもなく、むなしく年を經た、といふ意に解した代匠記の説は諾け難い。これは遠い旅に出ようとする人が、妻の心細さ、寂しさを思ふあまり、一日一日と荏苒日を過して、さて自ら驚いた趣である。
 
    鹿に寄す
2267 さを鹿の朝伏す小野の草若み隱ろひかねて人に知らゆな
 
〔譯〕 男鹿の朝寢てゐる野の草が、まだ若くて丈低い爲に、鹿の身體が隱れかねてゐるが、丁度そのやうに、私たち(222)の仲も、隱れ忍びかねて人にさとられさうであるが、氣をつけて感づかれないやうになさい。
〔評〕 序のよつて生かされた歌である。若草の中に伏す鹿は優雅にして清新であり、これが爲に印象鮮かな歌になつてゐる。
〔語〕 ○さを鹿の朝伏す小野の草若み 草の丈が低くて、鹿が隱れかねる意で、次の「隱ろひかねて」につづけた序詞。○人に知らゆな 二人の戀仲を他人にさとられるなの意。
 
2268 ささを鹿の小野の草伏《くさぶし》いちしろく吾が問はなくに人の知れらく
 
〔譯〕 男鹿が野邊の草の上に寢たその跡は、はつきりと目だつが、丁度そのやうに、目だつほど自分はそなたを音づれはしないのに、二人の仲を人は知つてしまつてゐる。
〔評〕 これも序の譬喩が巧妙である。但、上の歌とこれとは贈答唱和と見るべきであらう。さう見ることを誤とした全釋の説は却つて諾け難い。即ち、上のは女から男へ人目を警戒すべきことを注意してやつたもの。この歌はそれに對して、既に覺悟をきめた男の答である。
〔語〕 ○さ男鹿の小野の草伏 男鹿の寢た跡は草が伏してゐて、人目に明かに知られる意で、次の「いちしろく」につづけた序詞。○いちしろく 歴然と、目立つて。○わが問はなくに 代匠記は、自分は人に言はぬのにの意に解し、古義もそれに從つてゐるが、「言問ふ」は物云ふの意であつても、單に「問ふ」だけではさうは解し難い。妻どふの意とする略解の解が穩かである。○人の知れらく 人々が二人の關係を既に知つてゐることよの意。
 
    鶴《たづ》に寄す
2269 この夜らの曉《あかとき》降《くだ》ち鳴く鶴《たづ》の念《おもひ》は過ぎず戀こそまされ
 
(223)〔譯〕 今夜は既にふけて曉方になり、鶴が鳴いてゆくが、自分もあの鶴のやうに、心の思は晴れずに、戀心がまさるばかりである。
〔評〕 戀の惱みに一夜を明した曉方、鳴きゆく鶴を自分のやうに惱み明して鳴くものと聞いたのである。その聲の悲しく響くのを直ちにとつて序とし、自分の思を託したところに、哀婉の情切なるものがある。
〔語〕 ○曉くだち 夜がふけ曉となつての意。○鳴く鶴の 鳴く鶴の如くの意。初句以下ここまで譬喩的序詞で、四句を隔てて五句にかかる。○思ひは過ぎず 思は盡きず。心が晴れやらぬ意。
〔訓〕 ○この夜らの 白文「今夜乃」、紀州本コノヨヒノはわるくない。コヨヒノと四音に訓む説もあるが、今、舊訓に從ふ。
 
    草に寄す
2270 道の邊の尾花が下《もと》の思草今さらになど物か念《おも》はむ
 
〔譯〕 道ばたの尾花がもとにはえてゐる思草の「おもひ」といふやうに、今更何とて私が物思ひを致しませうぞ。安心してあなたを信頼して居ります。
〔評) 愛する人に全幅の信頼を寄せて、安心してゐる女の心は幸福である。歌の内容は安倍女郎の、「今更に何をか念はむうち靡き心は君によりにしものを」(五〇五)と同じであるが、これは、新奇な序を用ゐた點に變化がある。なほ、思草を詠んだのは、集中この一首のみである。
〔語〕 ○思草 女郎花・紫苑・龍膽等の異名とする説もあるが、根據に乏しい。玉勝間に引く田中道麿説には、野菰(ナンバンギセル)としてゐる。初句以下これまで「念はむ」の序。
 
(224)    花に寄す
2271 草深みこほろぎ多《さは》に鳴く屋前《には》の萩見に君は何時《いつ》か來まさむ
 
〔譯〕 草が深く茂つてゐるので、蟋蟀が澤山鳴いてゐる私の庭の萩の花を見に、あのお方は、いついらつしやるであらうか。
〔評〕 草深い秋の庭に立ち、耳にこほろぎの聲を聞き、目に萩の花を見つつ、ひたぶるに戀人を待つ女の心情、あはれである。字句は巧緻ではないが、質素でしかも優婉な風情を失はないところがよい。
〔訓〕 ○こほろぎさはに 白文「蟋多」、舊訓キリギザスイタク、類聚古集キリギリスオホク、その他「蟋」は諸本皆キリギリスと訓んでゐるが、蟋蟀はコホロギである。今、考の訓に從ふ。
 
2272 秋づけば水草《みくさ》の花のあえぬがに思ふと知らじ直《ただ》に逢はざれば
 
〔譯〕 秋になると、水草の花が落ちてなくなつてしまふが、丁度そのやうに、私は身もなくなる程に思ひ焦れてゐるけれども、あのお方は御存じないであらう。直接逢つてお語をしないのだから。
〔評〕 内容は特にいふ程のこともないが、序は類型的でないだけに、清新の感じがする。しかし「水草」が明確でないため、序詞としての價値も十分でない。ここは、秋になると花のほろほろとこぼれることが著しく目立つ或る特定な草の名を以てしなければ、序としては適正とはいひ難いところである。
〔語〕 ○水草の花の 「み」を代匠記は美稱と見てゐるが、古義は水中の草と解してゐる。以上二句は「あえぬがに」の序。○あえぬがに 熟してこぼれ落ちてしまふほどにの意。「あえぬがに花咲きにけり」(一五〇七)ともある。
〔訓〕 ○おもふと 白文「思跡」。オモヘドともよめる。
 
(225)2273 何すとか君を厭はむ秋萩のその初花の歡《うれ》しきものを
 
〔譯〕 何として私があなたを嫌ひませう。あなたにお目にかかれば、秋萩の初花を見るやうに、私は嬉しうございます。
〔評〕 「秋萩のその初花」が新鮮な感覺を唆る。從つて「うれしきものを」の結句も、素朴直截の中に鮮かに感情が生動してゐる。久しぶりで戀人に逢つた女が、戀人の輕い疑惑を打消さうとして躍起となつてゐるやうな趣が見える。
〔語〕 ○何すとか 何をしようとして。何の爲に。どうして。○その初花の、その初咲きの花の如くの意。
 
2274 展轉《こいまろ》び戀ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝貌《あさがほ》の花
 
〔譯〕 たとひ自分は、轉げまはつて身悶えしつつ戀死はしようとも、はつきりと顔色には顯すまい。朝貌の花の、はつきりと目立つやうな、あんなふうには。
〔評〕 譬喩として美しい朝貌の花を拉して來たのは、或は女性の作かと思はせる點もあるが、一二句など、やはり男の歌であらう。「岩が根のこごしき山を越えかねてねには泣くとも色に出でめやも」(三〇一)と似た心境である。譬喩としての「朝貌の花」を結句に据ゑたのは、ちよつと珍らしい句法である。
〔語〕 ○展轉び 「こい」はヤ行上二段の動詞「臥《こ》ゆ」の連用形。輾轉反側して苦悶する?をいふ。○朝貌の花 朝顔の花の著しく色に出るやうに、そんなやうにはの意。朝顔は今の桔梗か。「一五三八」參照。
 
2275 言に出でて云はばゆゆしみ朝貌の穗には咲き出《で》ぬ戀もするかも
 
〔譯〕 口に出して云ふと大變なことであるから、朝貌の花の上ぺに顯れて咲き出すやうに、そんなやうには表面に現(226)はさないで、心のうち深く秘めた戀を自分はしてをる。實に苦しいことである。
〔評〕 忍ぶ戀の歌としては、既に一種の型を成した格調であつて、「言に出でていはばゆゆしみ山川のたぎつ心をせきあへてあり」(二四三二)「石上布留のわさ田の穗には出でず心のうちに戀ふるこの頃」(一七六八)などの類である。
〔語〕 ○朝貌の 「穗には咲き出」までに懸けた序である。形は枕詞のやうであるが、用法は序詞と見ねばならぬ。○穗には咲き出ぬ 朝顔は表面に咲き出るが、そんなやうに表面には顯れないの意。穗は秀《ほ》の義で、上べに顯れた處をいふ。
 
2276 雁がねの初聲聞きて咲き出《で》たる屋前《には》の秋萩見に來《こ》わが背子
 
〔譯〕 雁の鳴く初音を聞いて咲き出した庭の萩の花を、早く見にいらつしやいませ、私のいとしいあなたよ。
〔評〕 雁の初聲が聞えて然る後、といふ意を、雁を擬人して「初聲聞きて」としたのは面白い技巧で、一首に生動の趣を與へてゐる。萩の花を見に入らつしやいは、無論私を訪ねて下さいの謎で、これも女性らしい婉曲な技巧――といふより、つつましい表現がよい。
〔語〕 雁がね ここは雁そのものをさしてゐる。
 
2277 さを鹿の入野《いりの》のすすき初尾花いつしか妹が手を枕かむ
 
〔譯〕 男鹿の分け入る入野の薄に初尾花が咲き出る頃となつた、――いつか早く、自分はいとしい女の手を枕にして寢ることが出來ようかなあ。
〔評〕 逢ひ難い戀に焦慮してゐる男の心で、主意は四五句だけの單純なものであるが、技巧的な序と相俟つて、格調(227)がいかにも流麗である。
〔語〕 ○入野 山城國乙訓郡大原村に入野神社がある。その附近と思はれる。「劔たち鞘ゆ入野」(一二七二)とあつたのも同處であらう。○初尾花 初句からここまでは序詞。但、かかり方に就いては諸説あり、代匠記は、初尾花のごとくやはらかな妹が手を、いつか枕にせむの意と解き、古義の一説には、尾花の秀《ほ》にあらはれて、いつしか妹と夫婦となりて相宿せむといふ意を含めたものかというてをる。
〔訓〕 ○いつしか妹が手を枕かむ 白文「何時加妹之手將枕」で「加」を「如」とある本もあるが、多本による。「手將枕」は元暦校本等に從ふ。代匠記精撰本の一訓にはイヅレノトキカイモガテマカンとある。「枕かむ」は「四三九」「八一〇」「四一六三」に用例がある。
 
2278 戀《こ》ふる日のけ長くしあれば吾《わが》苑圃《その》の韓藍《からあゐ》の花の色に出でにけり
 
〔譯〕 戀ひ焦れてゐる日數が、あまりに長いので、私は遂に堪へかねて、わが園なる鷄冠《けいとう》の花のやうに、はつきりと顔色にあらはして、人に覺られてしまつたことである。
〔評〕 忍ぶ戀の苦しさに、遂に負けてしまつた人の、しみじみとした述懷である。男女いづれの歌とも考へられるが、調子からいうて、女の作と見るのが自然であらう。二句四句も字あまりであるが、結句の字餘りは一首を安定させる爲に頗る效果的である。
〔語〕 ○韓藍の花の 結句にかけた序。「韓藍」は鷄頭花のこと、「三八四」參照。
〔訓〕 ○け長くしあれば 白文「氣長有者」。「九四〇」はケナガク、「三六六八」はケナガクシアレバとある。
 
2279 吾が郷《さと》に今咲く花のをみなへし堪《あ》へぬ情《こころ》になほ戀ひにけり
(228)〔譯〕自分の里に、今新たに咲き出した花の女郎花を、あまりに美しいので、自分はたまらない心もちで、やつぱり戀しがつてゐることである。
〔評〕 年頃になつて急に美しさを増した里の娘子を、女郎花に譬へた歌である。特異なところはないが、平明な調の中に、素朴で自然な心情が流れてゐる。
〔語〕 ○今咲く花の女郎花 新たに咲き出した花で、それは女郎花といふ花の意。年頃になつた美しい女を譬へたもの。○あへぬこころに 堪へ得ないおもひに。
 
2280 萩が花咲けるを見れば君に逢はずまことも久になりにけるかも
 
〔譯〕 萩の花が既に咲いてゐるのを見ると、戀しいお方に逢はずに、本當にもう久しくなつたことであるよ。
〔評〕 庭に咲き出た萩の花を眺め、はじめて時の經過を強く意識するといふ趣が、ありのままに素直な語調で、自然に歌はれてゐる。久しく逢はぬ人に對する思慕の心もちが、女らしい優雅な氣品を保ちながら表現されてゐる。
〔語〕 ○まことも久に ほんたうにまあ久しくの意。
 
2281 朝露に咲きすさびたる鴨頭草《つきくさ》の日|斜《くだ》つなべに消《け》ぬべく念《おも》ほゆ
 
〔譯〕 朝露に濡れて咲き誇つてゐるつき草が、夕方になるにつれて凋んでしまふが、丁度そのやうに、私も日が傾くと共に、人戀しさに命も消えてしまひさうな心もちがする。
〔評〕 「いつはしも戀ひぬ時とはあらねども夕かたまけて戀はすべなし」(二三七三)とあるやうに、まことに戀する人の心は、夕方になるにつれて、寂しさ遣る瀬なさに苛まれて、命も消えさうに思はれるのである。序がこの心もちにぴつたりはまつて、しかも清新であり、調子も全體にしつかり張つてゐる。
 
(229)〔語〕 ○咲きすさびたる 盛に咲き誇つてゐる。「すさぶ」はその?態のいよいよ進む意。○日くだつなべに 日が傾いて夕方になると共に。
(229)〔語〕 ○咲きすさびたる 盛に咲き誇つてゐる 「すさぶ」はその?態のいよいよ進む意。○日くだつなべに 日が傾いて夕方になると共に。
〔訓〕 ○日くだつなべに 白文「日斜共」、舊訓ヒタクルトモニは不可。代匠記精撰本にはヒノクダツムタとある。今は略解の訓による。
 
2282 長き夜を君に戀ひつつ生《い》けらずは咲きて散りにし花ならましを
 
〔譯〕 長い夜どほし、つれないお方に戀ひ焦れつつ生きてゐないで、いつそのこと、私は咲いて散つてしまつたあの花であればよかつたのになあ。
〔評〕 煩悶懊惱に堪へかねた結果は、いつそ人間でなければよいと思ふのは、古今渝らぬ人情で、この歌もそれであり、弓削皇子の、「吾妹子に戀ひつつあらずは秋萩の咲きで散りぬる花ならましを」(一二〇)とよく似てゐる。この歌の「花」が何の花とも明かでないのに、秋の部に入れたのは、「長き夜」が秋を語つてゐる爲であり、從つて花はやはり萩をいつたのであらう。
 
2283 吾妹子に相坂《あふさか》山のはたすすき穗には咲き出でず戀ひわたるかも
 
〔譯〕 妻にあふといふ名の逢坂山にはえてゐる旗薄は、穗に咲き出てゐるが、その穗のやうに、上べには顯さずに、心の中で戀ひ續けてゐることであるよ。
〔評〕 序の取材が異なるのみで、内容も表現も、「二二七五」や「二三一一」と同種である。この歌では序中に更に枕詞を含み、技巧が甚だ複雜になつてゐる。
〔語〕 ○吾妹子に 妹に逢ふ意で「あふ坂山」につづけた枕詞。○はたすすき 旗のやうに白く靡いて見える薄。初(230)句以下これまで「穗には咲き出で」にかけた序詞、「ず」までは掛からない。
 
2284 いささめに今も見が欲《ほ》し秋萩のしなひにあらむ妹がすがたを
 
〔譯〕 ちよつとでもいいから、今ここで見たいものであるよ。秋萩のやうに、しなやかに美しいことであらうあのいとしいひとの姿を。
〔評〕 三四句は、如何にも楚々たる佳人の婉容を思はせ、優麗、繪のやうてある。萩の枝に附けて女のもとへ贈つたと見る説もあるが、とにかく萩の花を眺めながらの獨語ではなく、必ず女に示した歌であらうことは想像に難くない。
〔語〕 ○いささめに かりそめに、ちよつと。○しなひにあらむ、起居動作がしなやかにあるであらうの意。
 
2285 款萩の花野のすすき穗には出でず吾が戀ひわたる隱嬬《こもりづま》はも
 
〔譯〕 萩の花の咲いてゐる野邊の薄は穗に出てゐるが、そのやうに上べには顯さずに、自分が心ひそかに戀ひ暮してゐるあの内證の妻はまあ。
〔評〕 秋萩の花はこもり妻の艶冶な容姿を暗示してゐるやうで、美しいには美しいが、しかも序中にあつては、飽くまで薄が主で、萩は副でなければならない。然るにこの儘の敍法では、副の印象があまり明瞭過ぎて對立的となり、危く中心分裂になりさうである。上乘の表現とはいひ難いであらう。
〔語〕 ○秋萩の花野のすすき 秋萩の花咲く野邊の一隅に生えた薄。以上「穗には出で」にかけた序。
 
2286 吾が屋戸《やど》に咲きし秋萩散り過ぎて實《み》になるまでに君に逢はぬかも
 
〔譯〕 私の家に咲いた萩の花が散り過ぎてしまつて、實になるまでもの長い間、戀しいお方にお目にかからないこと(231)である。
〔評〕 「住吉《すみのえ》の岸を田に墾り蒔きし稻のしか刈るまでに逢はぬ君かも」(二二四四)などと同工異曲である。萩の花を詠んだ歌は集中に非常に多いが、實を詠じたのは珍しく、この外に、卷七に一首「一三六五」があるのみである。
〔語〕 ○君に逢はぬかも 戀しいあなたに逢はないことである、といふのは實は婉曲な表現で、換言すれば、戀しい人は來てくれない、どうしたのだらうとの意。
 
2287 吾が屋前《には》の萩咲きにけり散らぬ間《ま》に早來て見べし平城《なら》の里人
 
〔譯〕 自分の庭の萩の花が咲いた。此の花の散らないうちに、早く來て見るとよい。奈良の里に住む戀人よ。
〔評〕 率直平明の作で、何の曲もないやうであるが、その中に素朴質實な情感が溢れてゐる。「早來て見べし」の男らしいいひかた、また「奈良の里人」などいふ、さりげない表現も凡手ではない。
〔語〕 ○早來て見べし 早く來て見るがよいの意。上一段の動詞は、連用形に助動詞「らむ」「べし」、又は助詞「とも」を伴ふのが古格である。「往き來と見らむ紀人ともしも」(五五)「萬代に見とも飽かめや」(九二一)など、その例が多い。
 
2288 石走《いはばし》り間間《まま》に生《お》ひたる貌花《かはばな》の花にしありけり在りつつ見れば
 
〔譯〕 石に激して流れる河の處々に生えてゐる貌花のやうに、女の姿はうはべの花やかさのみで、あだなものであつたわい、かうして永く見てゐると。
〔評〕 相馴れ見つつ、つくづく幻滅を感じた男の歌である。源氏物語帚木の卷の、木枯の女などが聯想されて面白いが、とにかく歌としては珍しい内容である。
(232)〔語〕 ○貌花 晝顔《ひるがほ》のこと。一二三句は序。○花にしありけり 浮華輕佻で眞實味が乏しいとの意。
〔訓〕 ○いはばしり 白文「石走」。イハバシルともよむ。イハバシノとよんで、川中の踏石と解く説もある。
 
2289 藤原の古《ふ》りにし郷《さと》の秋萩は咲きて散りにき君待ちかねて
 
〔譯〕 藤原の舊都の秋萩は、美しく咲いてもはや散つてしまひました。あなたのお出を待ちきれないで。
〔評〕 藤原の故京に住む女が、男の久しく音づれて來ないのを怨んで、詠み送つた歌と思はれる。萩の花に託して、さりげなくあつさりと述べてはゐるが、底に無量の思を含めてゐることが看取される。美しいつつましやかな怨言である。
〔語〕 ○藤原 香久山の麓、持統天皇の皇居の地で、今の磯城郡鴨公村の内。○古りにし郷 舊都。
 
2290 秋萩を散り過ぎぬべみ手《た》折り持ち見れども不樂《さぶ》し君にしあらねば
 
〔譯〕 秋萩の花を、散り過ぎてしまふのが惜しいので折り取つて手に持つて見るけれども、やはり何だか物たりないことである。この花はいとしいお方ではないのだから。
〔評〕 萩にたとへなのであるから、「君にしあらねば」は女を指したやうで、一見これは男の作かとも思はれるが、さうではない。この可憐な動作から推して、女の歌としなければならぬ。すると萩に比せられた男の優雅な容姿も、ほのかに想像される。暫く逢瀬の絶えた戀人に對する思慕の情が滲み出てゐて、哀艶の佳調を成してゐる。
〔語〕 ○散り過ぎぬべみ 散り過ぎてしまひさうに思はれて、惜しくて。○見れどもさぶし いくら眺めても心が樂しまず、物足りないの意。
 
(233)2291 朝《あした》咲き夕《ゆふべ》は消《け》ぬる鴨頭草《つきくさ》の消《け》ぬべき戀も吾はするかも
 
〔譯〕 朝咲いて夕方は凋んでしまふ鴨頭草の花のやうに、身も心も消えてしまひさうな苦しい戀をも自分はすることである。
〔評〕 四五句、特に萬葉的色調の濃い簡勁な調子であるが、上の優婉な序詞によつて、いかにも温雅な風情になつてゐる。
〔語〕 ○鴨頭草の 初句からこれまでは序。鴨頭草は露草のこと。○消ぬべき戀 苦しさの爲に命も絶えさうなはげしい戀の意。
 
2292 秋津野《あきつの》の尾花苅り副へ秋萩の花を葺《ふ》かさね君が假廬《かりいほ》に
 
〔譯〕 秋津野の尾花を苅り添へて、美しい萩の花を屋根にお葺きなさいませ。あなたがあの邊へ旅寐ををさる折の假小屋には、さうして旅情をお慰めなさいませ。
〔評〕 吉野地方へ旅立たうとする人に贈つた歌と思はれる。「秋の野のみ草苅りふき宿れりし宇治の都の假廬しおもほゆ」(七)も聯想され、自然の中に融け入つてゐた上代人の生活がゆかしく感じられる。
〔語〕 ○秋津野 吉野川のほとり、宮瀧附近にある野。「三六」參照。○花を葺かさね 花を屋根にお葺きなさいませ。
〔訓〕 ○假いほに 白文「借廬」。カリイホでもよいが、ニを訓み添へた。
 
2293 咲《さ》けりとも知らずしあらば黙然《もだ》もあらむこの秋萩を見せつつもとな
 
〔譯〕 咲いてゐるといふことをも知らずにゐたらば、私はそのまま何の思もなくて居りませうのに、あなたは、この(234)秋萩をお見せになつて、よしなくも私に戀しい思をおさせなさいますことよ。
〔評〕 男から萩の枝を贈られたのに對して、女の詠んだものとおもはれる。どうせ逢へないくらゐならば、なまじひに思ひ出させてくれない方がいいとは、痴情の世界に於いて古今かはらぬ人情である。穩かな語句の中に、哀韻の切なるものがある。
〔語〕 ○もだもあらむ その儘だまつて何事もなく過すことも出來よう。○見せつつもとな なまじひに見せてよしない物思をさせるとの意。「もとな」は、みだりに、徒らに、よしなくなどの意。
 
    山に寄す
2294 秋されば雁飛び越ゆる龍田《たつた》山立ちても居ても君をしぞ念《おも》ふ
 
〔譯〕 秋になると雁の飛び越えてゆくあの龍田山の名の「たつ」といふ詞のやうに、立つても居ても、絶えず私は、あなたを思ひつづけて居りますよ。
〔評〕 内容も枝巧も類型的である。一二三句は、前に「夕されば雁が越えゆく立田山」(二二一四)とあり、四五句もこれと同一、もしくは類似のものが「五六八」「二四五三」「三〇八九」などに見える。
 
    黄葉に寄す
2295 我が屋戸《やど》の田葛葉《くずは》日にけに色づきぬ來まさぬ君は何情《なにごころ》ぞも
 
〔譯〕 私の家の葛の葉が、日増しに色づいて來ました。こんなに日數がたつまでも、お出でにならないあなたは、まあ、どういふお氣持なのでせうか。
〔評〕 眼前に移りゆく時の經過に驚いて、そのまま直截に詠みあげた趣である。何の技巧も弄しないところに、強い(235)感動が籠つてゐる。
〔語〕 ○日にけに 日増しに。
〔訓〕 ○來まさぬ君は 白文「不來座君者」の「來」は通行本には無い。今、元暦校本等によつて補ふ。
 
2296 あしひきの山さな葛《かづら》もみつまで妹に逢はずや吾が戀ひ居《を》らむ
 
〔譯〕 山のさなかづらが黄葉するまでも、いとしいあの女に逢はずに、自分は、かうして戀ひ續けてゐることであらうか。
〔評〕 さねかづらは常緑植物であるが、秋深くなると幾分黄ばむので、それを「もみつ」といつたのである。山里にゐて常にさね葛を見てゐる人が、時の推移に驚き、思ふ女に逢瀬の稀なのを嗟歎したのである。素朴質實な點がよい。
〔語〕 ○山さなかづら 山のさなかづら。「さなかづら」は「さねかづら」のこと。美男かづらともいふ。「九四」參照。○もみつまで 紅葉するまで。「もみつ」はここは四段活用の動詞の連體形と見るべきである。○妹に逢はずや 「や」は疑問の助詞で、結句に呼應する。
 
2297 もみち葉の過ぎかてぬ兒を人妻と見つつやあらむ戀しきものを
 
〔譯〕 もみぢ葉のやうに美くしくて、見過しては置けないあの女を、今では人妻として、自分は眺めてゐることであらうか。これほど戀しいのになあ。
〔評〕 内容は單純であるが、いかにも流麗な、すつきりとした歌である。完全な五七の調子が一首を引緊めて居り、枕詞の使用も巧妙である。
〔語〕 ○もみち葉の 紅葉が散り過ぎる意から「過ぎ」にかけた枕詞。○過ぎかてぬ兒を そのまま見過すことので(236)きぬ美しい女を。
 
    月に寄す
2298 君に戀ひしなえうらぶれ吾が居《を》れば秋風吹きて月|斜《かたぶ》きぬ
 
〔譯〕 あのお方に戀ひ焦れつつ、身も心も萎れきつて私がゐると、秋風がさびしく吹いて、月も西に傾いてしまつたことである。
〔評〕 何の技巧も粉飾もなく、情を抒べること最も自然率直、景を描くこと甚だ端的簡淨、その情と景とがぴつたり融合して、いふべからざる妙趣を發揮してゐる。蓋し集中にあつても醇粹なものの一である。
〔語〕 ○しなえうらぶれ 草木の萎えたやうになつてゐる樣。「うらぶれ」は心悲しく思ふの意。
 
2299 秋の夜の月かも君は雲|隱《がく》りしましも見ねば幾許《ここだ》戀《こほ》しき
 
〔譯〕 秋の夜のお月樣であらうかまあ、私のいとしいお方は。雲に隱れて、少しでも月が見えないと戀しいやうに、暫くでもお姿を見ないと、大變に戀しいことである。
〔評〕 流麗輕快な調で、構想に稚態のあるところ、民謠的な匂が濃く漂つてゐる。第三句の倒装法なども、齒切れがよくて、なかなか老手である。
〔語〕 ○月かも君は 倒装法で、君は月かもの意。○雲隱り 月の雲に隱れて見えぬ意を、男の少しも姿を見せぬのに懸けていふ。
 
2300 九月《ながつき》のありあけの月夜《つくよ》ありつつも君が來まさば吾《われ》戀ひめやも
 
(237)〔譯〕 晩秋九月の有明の月夜ではないが、在りながらへて、いつもかうして始終あなたがお出で下さるならば、私は何のこんなに戀ひ焦れませう。
〔評〕 有明の月夜は、「あり」の音を繰り返す爲の序であるが、秋の長夜を待ち明す氣分も漂つてゐるやうに思はれる。流麗な調子に綿々の情緒が纒はりついてゐる。
〔語〕 ○九月のありあけの月夜 同音を繰返して「あり」につづけた序詞。○ありつつも かうして現在の?態がいつまでも續いて。○吾戀ひめやも 私が何のこれ程までに戀しがりませう。「や」は反語、「も」は詠歎の助詞。
 
    夜に寄す
2301 よしゑやし戀ひじとすれど秋風の寒く吹く夜は君をしぞ念《も》ふ
 
〔譯〕 もういい、戀しがつたりなどしまい、と、さうは思ふけれども、秋風の寒く吹く晩は、やはり、あなたを戀しく思ふことであります。
〔評〕 片戀の切なさか、逢ひ難い仲のため息か、肌寒く吹く秋の夜風に、あきらめがたい思慕の情が頻りに動く。情は哀切にして、表現は質實、放膽にいひ捨てた初句が、特に効果的である。
〔語〕 ○よしゑやし もうよい、どうともなれの意。「ゑ」「や」「し」は詠歎の助詞。「一三一」參照。
〔訓〕 ○よしゑやし 白文「忍咲八師」の「忍」は、紀州本「思」につくる。ヨにあてた字が落ちたのか。全釋は、オシをヨシと通はせ訓ませたのかとし、略解は「吉」の誤としてゐる。
 
2302 よそ人しあな情《こころ》なと念《おも》ふらむ秋の長夜を寐ね臥してのみ
 
〔譯〕 よその人は、私をまあ無風流なと思つてゐるであらう。長い秋の夜を寢てばかりゐるので。
(238)〔評〕 うち臥してのみゐるのは、戀の惱みに悶々としてゐるのである。しかし事情を知らぬ他人は、秋夜の清興を樂しむことをも知らぬ者と思つてゐるであらう、との意中はまことにあはれである。
〔語〕 ○よそ人 外の他人。○あな情なと まあ風雅の心のない人よと。「あな」は感嘆詞。○寐ね臥してのみ 戀の苦惱ゆゑに寢ね臥してのみゐるからとの意。
〔訓〕 ○よそ人 白文「或者」は元暦校本による。流布本には「惑者」とある。「或」と「惑」は通じるから、いづれにしてもワビビトと訓むといふ説がある。略解所引宣長説には、卷十八に「惑はせる」の意を「左度波世流」(四一〇六)とあるから、サトビト、里人と解してゐるが、それではサドビトではなからうか。ヨソビトといふ集中の用例はないが、ヨソの語は多數あるから、義訓としての假案をたてて姑くかく訓んでおく。○寐ね臥してのみ 白文「寢臥耳」。元暦校本等による。「耳」を通行本「師」に作るは誤。
 
2303 秋の夜を長しと言へど積《つも》りにし戀を盡《つく》せば短くありけり
 
〔譯〕 秋の夜を長いと人はいふけれども、積り積つた戀心を晴らさうとしてゐると、まことに短いことであつた。
〔評〕 積る話もまだ盡きないのに、早くも夜が明けたといふ歎は、戀する人の常套語ではあるが、やはり眞實の聲である。この歌、質素無技巧の詞句が却つてかうした常情を寫すに適してゐる。古今集の、「秋の夜も名のみなりけり逢ふといへばことぞともなく明けぬるものを」は同工異曲で、やはり表現手法の上に時代の差が見られる。
 
    衣に寄す
2304 蜻蛉羽《あきつば》ににほへるころも吾は著《き》じ君に奉《まつ》らば夜《よる》も著るがね
 
〔譯〕 蜻蛉の羽根のやうに色の美しいこの着物、これは私は着ますまい。これを差し上げたならば、夜もお召しに(239)なつていただけるやうに。
〔評〕 婦人にとつて第一の魅力である美しい衣を、しかも自分は着ないで、愛する人の夜の召料に似合はしいと見立てたところ、如何にも女らしい情趣の溢れた、やさしく艶麓な歌である。格調の古雅なところも、一首に品位を與へてゐる。
〔語〕 ○蜻蛉羽に 蜻蛉の羽のやうにの意。「蜻蛉羽の袖振る妹」(三七六)ともある。秋の相聞の部にあるから、秋つ葉即ち紅葉のごとく紅い衣と解すべしといふ代匠記の説は考へすぎであらう。他に紅葉を秋つ葉といつた例がない。この部立《ぶだて》はさほど嚴重なものでなく、蜻蛉は秋の蟲だからとして解決できる。○夜も着るがね 夜も着る料に。夜も着ていただけるやうに。
(訓〕 ○君に奉らば 白文「於吾奉者」、舊訓キミニマタセバ。仙覺抄キミニマタサバ。今、元暦校本の赭の訓、及び類聚古集による。この訓は、西本願寺本にも貼紙に古點とtて載つて居り、穩かである。
 
    問答
2305 旅にすら紐解くものを事しげみ丸寢《まろね》吾《われ》はす長きこの夜を
 
〔譯〕 旅に出てさへ、着物の紐を解いてゆつくり寢ることもあるのに、いろいろ支障が多くて、御身のもとへも行けず、獨りわびしく丸寢をしてゐますよ、この長い秋の夜を。
〔評〕 秋の長夜の獨寢の憂さを訴へて語調極めて切實である。「旅にすら紐解くものを」といふ具體的比較が、實感を出す上に一層効果を奏してゐる。
〔語〕 ○事しげみ いろいろの事、即ち支障が多いので。「こと」は或はこの下、「二三〇七」の結句のやうに、人言の意にも解せられる。○丸寢吾はす 倒置法で、吾は丸寢すの義。通うて行くこと能はぬ歎を言外に含めてゐる。
(240)〔訓〕○丸寢吾はす 白文「丸宿吾爲」。マロネゾワガスル、ともよめる。
 
2306 時雨ふる曉月夜《あかときづくよ》紐解かず戀ふらむ君と居らましものを
 
〔譯〕 時雨のそぼ降り夜明け方の月夜に、着物の紐も解かずにおやすみになつて、私を思つて下さるといふあなたと、御一緒にゐたうございますのに。
〔評〕 これは女の答である。初二句は、相手に對する同情であると共に、また自身の心もちをも語つて、寂しい情景が身に沁み徹る趣があり、頗る清新である。
〔語〕 ○時雨ふる曉月夜 こまかい時雨が降るともなく降つてゐて、月光が薄々と冷たく流れてゐる曉で、初冬によく見るところである。
 
2307 もみち葉に置く白露の色葉《にほひ》にも出でじと念《おも》へばことの繁けく
 
〔譯〕 黄葉の上に貫く白露が染つて見えるが、私は君を慕つてゐるとは色にも出すまいと思つてゐると、いつしか人に知られて、噂が繁く立つやうになつたことである。
〔評〕 忍ぶ戀が現はれたのを歎く歌は集中にも無數にあつて、これもその一である。構想の上に何の奇趣もないが、序は清新にして一種の氣品がある。
〔語〕 ○もみち葉に置く白露の 黄葉の上の白露が色づいて見えるのにより、第三句にかけた序詞。○色葉にも出でじと 顔色にも出すまいと。○ことの繁けく 人言の繁きことであるよ。
〔訓〕 ○にほひにも 白文「色葉二毛」、舊訓イロハニモ。今、考の訓による。略解所引宣長説には「色二葉毛」の誤としてイロニハモとしてゐる。
 
(241)2308 雨ふれば激《たぎ》つ山川|石《いは》に觸《ふ》れ君が摧《くだ》かむ情《こころ》は持たじ
右の一首は、秋の歌に類せず、しかも和なるを以ちて之を載す。
 
〔譯〕 雨が降ると、泡立ち流れる山川の水が、石に觸れて碎けるが、あなたが心を碎いて御心配なさるやうな、そんな心は私は持ちはしますまい。
〔評〕 これも一二三句は序で、内容は別に新奇なものでなく、東歌の中にも、「鎌倉のみこしの崎の岩崩えの君が悔ゆべき心は持たじ」(三三六五)の類想がある。但、序は雄勁にして頗る力がある。
〔語〕 ○君がくだかむ あなたが心をくだいて、御案じになるやうな。○こころは持たじ そんな薄情な心は、此の後とも決して持ちはしますまいの意。
〔訓〕 ○くだかむ 白文「摧」、代匠記精撰本に、クダケムとしてをる。それによれば、君が、心碎けて悲しまれるやうなの意となるも、從ひがたい。舊訓による。
〔左註〕 右の一首云々 この歌は秋の歌らしくないけれども、上の歌の答歌であるからここに載せるとの意。
 
    譬喩歌
2309 祝部等《はふりら》が齋《いは》ふ社のもみち葉も標繩《しめなは》越えて散るといふものを
 
〔譯〕 神官達の大事にお祀りしてゐる神社の神木の黄葉でも、標繩を越えて外の方に散るといふのに、親達が大事にまもり育ててゐる娘のそなたでも、その監視をくぐつて逢へないといふことが何であらう。自分は御身に逢はずには置くまい。
〔評〕 親などに嚴しく守られてゐる女が、ままならぬ事情を訴へて來たのに對して、男のやつた歌であらう。譬喩は(242)巧妙適切、表現も質實である。
〔語〕 ○祝部 神に奉仕する人。神職。○標繩 不淨を忌み、人を近づけない爲に神域に張り渡す繩。
 
    旋頭歌
2310 蟋蟀《こほろぎ》の吾が床《とこ》の邊《へ》に鳴きつつもとな起《お》き居つつ君に戀ふるに寐《い》ねかてなくに
 
〔譯〕 蟋蟀が私の床のあたりに近く鳴きながら、よしなく物を思はせることである。私は獨り起きてゐて、あのお方に思ひ焦れてゐるので、安眠も出來ないのに。
〔評〕 床のほとりに蟋蟀が鳴くといふので、野趣ある住居の樣子が想像される。源氏物語夕顔の卷に、「蟲の聲々みだりがはしく、壁の中のきりぎりすだに間遠に聞きならひ給へる御耳に、さしあてたるやうに鳴き亂るるを」云々とあるに似た趣である。蟲聲に眠を成さずして獨り輾轉反側する人の吐息も聞えるやうである。
〔語〕 ○鳴きつつもとな よしなくも鳴くことよの意で、「もとな鳴きつつ」に同じ。
 
2311 はた薄《すすき》穗には咲き出《で》ぬ戀を吾《われ》はす玉かぎるただ一目《ひとめ》のみ見し人ゆゑに
 
〔譯〕 薄は穗に出てあらはれるが、そのやうに外にあらはれないひそかな戀を自分はしてゐることである。それは、ちらりと只一目見ただけの人のために。
〔評〕 一目見た人の姿が忘れ難いといふことは實際にあらうし、素朴誠實であつた古人には、殊にさうした純な戀に惱むといふことも多かつたであらう。しかしこの歌は、整つてはゐるが、觀念的、形式的で、熱も力も感じられない。
恐らく感情を弄んだ誇張の作であらう。
〔語〕 ○はた薄 旗の如く靡く薄の意で、「穗に咲く」にかけた枕詞。「四五」參照。○玉かぎる 枕詞。「玉かぎる(243)岩垣淵の」(二〇七)參照。ここは、玉のかすかに輝くの意で「ただ一目のみ」にかけたと思はれる。
〔訓〕 ○吾はす 白文「吾爲」。ワガスルとも訓める。
 
  冬雜歌《ふゆのざふか》
 
2312 我が袖に霰たばしる卷《ま》き隱し消《け》たずてあらむ妹が見むため
 
〔譯〕 自分の着物の袖に、霰が飛び散つて來る。それを袖で纒ひ隱して、消さずにおかう。いとしい妻が見るやうに。
〔評〕 袖にたばしる霰を愛でて、妻に見せるまで大事にして消さないで置かうといふのは、明朗素朴にして、童心に近い上代人の心もちが、ほほゑましい。
〔語〕 ○卷き隱し 袖を卷き、その中に包み隱して。
 
2313 あしひきの山かも高さ卷向《まきむく》の岸の子松にみ雪降り來《く》る
 
〔譯〕 山が高いからなのであらうか、卷向川の岸に生えてをる小松に、雪がちらちらと降つて來るのは。
〔評〕 卷向山の頂を越えて、山麓の小松原に雪が降つて來るのである。ありのままの實景をとらへた歌、雪の降る原因を山の高いのに歸したところは、やや唐突の感もあるが、言外に寒さをにほはせたものと解してよからう。
〔語〕 ○卷向の岸 卷向川の岸と思はれる。卷向川は「卷向の痛足《あなし》の川」(一一〇〇)のことであらう。「卷向の川音(244)高しも」(一一〇一)ともある。
〔訓〕 ○降り來る 白文「落來」、舊訓その他多くフリケリとあるが、一首の趣から見て、元暦校本の訓に從ふ、
 
2314 卷向《まきむく》の檜原《ひはら》もいまだ雲|居《ゐ》ねば子松が末《うれ》ゆ沫彗《あわゆき》流る
 
〔譯〕 卷向の檜原の山にまだ雲がかかりもしないのに、ここでは小松の梢にちらちらと沫雪が降つてゐることである。
〔評〕 卷向の檜原は、この邊で天候觀測の目標であり、雨や雪の場合には先づそこに雲が懸るといふのが普通なのであらう。然るに今、一片の雪雲も見えないのに、麓の里では何處からともなく、小松の梢に沫雪が流れ落ちて來る或日の特異な自然現象に對する作者の輕い驚異が、新鮮率直に表出され、實景がさながら眼前に見るやうである。新古今集には、大伴家持の作として、「卷向の檜原も未だくもらねば小松が原にあわ雪ぞ降る」と改めて出してあるが、さうなると萬葉的なにほひはすつかり無くなつてしまふ。
〔語〕 ○卷向の檜原 卷向山の南、三輪山に連る。「卷向の檜原の山を」(一〇九二)參照。○雲居ねば 雪雲がかかつてゐないのに。かからないでゐるうちに。この「ねば」の用法は、「五七九」その他集中に例が多い。○小松が末ゆ沫雪流る 小松の枝先に觸れつつ、沫雪が斜に降る意。「ゆ」は移動通過の場所を示す。
 
2315 あしひきの山道も知らず白橿《しらかし》の枝もとををに雪の降れれば【或は云ふ、枝もたわたわ】
     右は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。但、件の一首は、或本に云ふ、三方沙彌の作なりと。
 
〔譯〕 山道もすつかりわからなくなつてしまつた。白橿の枝もたわたわにしわつて、雪が降り積つてゐるので。
〔評〕 雪の山道の凄寥な光景が、鮮かに寫し取られてゐる。極めて單純な境地を描くに、簡素な表現を以てし、しかも直截で鋭い味があり、技法すぐれた藝術寫眞を見るやうな心地がする。
(245)〔語〕 ○白橿 樫の一種。葉の裏が灰白色である。○枝もとををに 枝もたわむほど。下の註によると、或本には、この句「枝もたわたわ」となつてゐるといふ。但、元暦校本にはこの註が見えない。
〔訓〕 ○しらかしの 白文「白杜杙」。宣長は「〓〓」即ちかし(船を繋ぐ杙)を「橿」の音に借りたものとしてゐる。
〔左註〕 右は云々 右の歌は柿本人麿歌集に出てゐるといふのであるが、「右」とは「二三一二」以下の四首を指すのであらう。しかして最後の一首は或本には三方沙彌の作となつてゐるといふのである。三方沙彌は「一二三」參照。「件」の字諸本に無いが、元暦校本等によつて補ふ。
 
    雪を詠める
2316 奈良山の峯なほ霧《き》らふうべしこそ間垣《まがき》が下《もと》の雪は消《け》ずけれ
 
〔譯〕 奈良山の峯は、まだ雪氣に曇つてゐる。道理でまあ、私の庭では、垣根の雪が消えずにゐるのであつた。
〔評〕 奈良の都の人が、雪もよひの奈良山のあたりを仰ぎつつ、わが庭におり立つて詠んだもの。眼前の即詠であるが、初二句の寫生が確實でよい。
〔語〕 ○霧らふ 霧、霞、靄などで曇ることをいふが、ここは雪もよひに曇つてゐる意。○うべしこそ 道理で。「し」は強意の助詞。
 
2317 こと降らば袖さへぬれてとほるべく降りなむ雪の空に消《け》につつ
 
〔譯〕 どうせ降るぐらゐならば、袖までもぬれとほるほど降ればいいと思ふ雪が、空の途中で消え消えして、あつけないことである。
〔評〕 雪がまだ珍しい初冬の朝などであらう。冬に入つて既に   ?々降雪を見た後の作とは考へられない。寒さなどは(246)忘れて打興じてゐる童心的の情緒が、素直に明朗に描き出されてゐる。
〔語〕 ○こと降らば 同じく降るならば。「ことさけば」(一四〇二)參照。○降りなむ雪 降るでもあらう雪。「降らなむ」とはちがふが、期待の心持のあるものと解すべきである。
 
2318 夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり【一に云ふ、庭もほどろに雪ぞふりたる】
 
〔譯〕 夜が寒かつたので、朝になつて戸をあけて出て見ると、庭がまだら模樣になるやうに薄く雪が降り積つてゐる。
〔評〕 簡素な表現で、風趣は清新、肌に朝の冷氣が沁むやうに感じられる。もの珍しい感じが言外に流露してゐて、やはり初雪などの場合と思はれる。
〔語〕 ○朝戸 朝になつて開ける戸の意。「朝戸開かむ」(一四九九)、「朝戸あけて」(一五七九)參照。○はだら まだらの意と普通に解されてゐるが、異説もある。「沫雪かはだれに零ると」(一四二〇)參照。「はだれ」も「ほどろ」も同義と思はれる。
 
2319 夕されば衣手寒し高松の山の木ごとに雪ぞ降りたる
 
〔譯〕 夕方になると、着物の袖がそぞろ寒い。ふと見れば、高松山の木といふ木には、皆雪が降り積つてゐるわい。
〔評〕 實情實景に即してありのままに詠じてゐるが、小巧を弄せぬところ、格調が高い。「山の木ごとに」と、手堅く對象を捉へたのも、一首の印象を鮮明ならしめ、よく焦點を定めたものである。
〔語〕 ○高松 タカマトと訓んで高圓山のこととする説が多い。猶研究の餘地があらう。
 
2320 吾が袖に降りつる雪も流れ去《ゆ》きて妹が袂にい行き觸れぬか
 
(247)〔譯〕 自分の袖に降り積つたこの雪も、今一度ここから流れて行つて、いとしい妻の袂に降りかかつてくないかなあ。
〔評〕 珍しい構想である。代匠記初稿本に「袖にかかりて寒き心ならば、ゆきて妹が袖にふれて寒さをしらせよ。さらばそれにつきて、妹もわが如く思ひ出でむの心なるべし」とあるは、理に落ちた解釋である。これはそんな理窟でなく、相愛の仲の何事も共にしようとの單純な心持で、「妹に戀ひ寢ねぬ朝に吹く風の妹にし觸れば吾さへに觸れ」(二八五八)などと同じに見るべきである。
〔語〕 ○流れゆきて 自分の袖から更に流れて行つて。「流る」は雪、時雨、落花などに用ゐてゐる。○い行きふれぬか 行つて觸れてくれないかなあ、どうぞ行つて觸れてくれ。「い」は接頭辭。
〔訓〕 ○流れゆきて 白文「流去而」。考はナガレイニテと訓んでゐるが、二句の雪を、三句またまた五句に同音を重ねたものと見た方がよからう。
 
2321 沫雪は今日はな零《ふ》りそ白妙の袖まき干《ほ》さむ人もあらなくに
 
〔譯〕 沫雪は今日は降つてくれるな。袖を身に卷いて寢て、自然に乾かしてくれる人もゐないのに。
〔評〕 妻と別れてゐる男の歌であるが、必しも旅中の作とは限らない。孤棲の歎を雪に托してもらしたのがあはれである。
〔語〕 ○白妙の 「袖」の枕詞。
〔訓〕 ○あらなくに 白文「不有君」は、類聚古集等による。
 
2322 はなはだも降らぬ雪ゆゑこちたくも天《あま》つみ空は陰《くも》らひにつつ
 
(248)〔譯〕 そんなに甚しくも降らない雪のために、大層にまあ空は曇つて來たことである。
〔評〕 雪雲が一面に空を覆うて、しかも雪はたいして降るでもなく、大地はかじけて四邊生色を見ない、落寞陰惨な冬の日が浮んで來る。この簡素單純な手法は、及び難いものがある。
〔語〕 ○雪ゆゑ 雪のことで、雪のためにの意。「人妻ゆゑに」(二一)、「甚だも降らぬ雨ゆゑ」(一三七〇)などと同じく、下に「であるのに」の心持が感ぜられる。
〔訓〕 ○くもらひにつつ 白文「陰相管」は、元暦校本等による。クモリアヒツツともよめる。
 
2323 吾背子を今か今かと出で見れば沫雪ふれり庭もほどろに
 
〔譯〕 戀しい夫を、今か今かと待ちあぐんで出て見ると、外《そと》はいつの間にか沫雪が降つてゐる。庭がまだら模樣になるほどに。
〔評〕 愛人を待つ若い女性の楚々たる姿が、眼前に髣髴として浮ぶ。纒綿たる情緒を清雅な詞句に托して、まことに可憐に、かつ氣品高き調を成してゐる。
〔語〕 ○ほどろに 「はだらに」「はだれに」に同じ。「一四二〇」及び「二三一八」參照。
 
2324 あしひきの山に白きは我が屋戸《やど》に昨日の暮《ゆふべ》ふりし雪かも
 
〔譯〕 山々に白く見えるのは、自分の家に昨日の夕方降つたあの雪であらうかなあ。
〔評〕 早朝起き出て遠山を一瞥し、一夜の中に現出した雪の美觀に驚喜したのである。昨夜庭前の雪は殆ど跡を留めない程の沫雪で、それが山々には美しい薄化粧を見せてゐたのである。幼きまでに素直な詞でありのままを敍し、却つて清楚な調を成してゐる。
 
(249)    花を詠める
2325 誰《た》が苑の梅の花ぞもひさかたの清き月夜《つくよ》に幾許《ここだ》散り來る
 
〔譯〕 誰の庭園の梅の花なのであらう、この澄みきつた美しい月夜に、ひらひらと澤山散つて來ることである。
〔評〕 早春月明の夜、何處からともなく微風に乘つて舞ひ落ちて來る梅の花の清らかさ。一誦してその芳香も感ぜられるばかり、氣韻高雅な歌である。
〔訓〕 ○梅の花ぞも 白文「梅花毛」、略解に「花」の下「曾」の脱、或は「毛」は「毳」(ハナカモ)の誤かといつてゐる。
 
2326 梅の花先づ咲く枝を手折《たを》りては裹《つと》と名づけて比《よそ》へてむかも
 
〔譯〕 梅の花のまづ咲いた枝を自分が手折つたならば、あの女にやる土産なのだと人がいひはやして、二人を相思の中に擬らへて噂するであらうか。
〔評〕 四句が稍曖昧なので、種々に解せられるが、今は姑く古義の説に從つて解しておく。これは角廣辨の雪の梅の歌、「沫雪に降らえて咲ける梅の花君がり遣らばよそへてむかも」(一六四一)と同工と見てよい。然らば古義の説が穩當と思はれる。
〔語〕 ○よそへてむかも あの女を自分の戀人に擬して、かれこれ評判するであらうか、の意。梅の枝を贈るにつけ、我が戀心をそれに託して知らせるとする説は從ひ難い。
 
2327 誰《た》が苑の梅にかありけむ幾許《ここだく》も開《さ》きにたるかも見が欲《ほ》しまでに
 
(250)〔譯〕 これは誰の園にさいてゐた梅だつたのであらう。枝一ぱいに咲いてゐることである。その園に行つてみたく思ふくらゐに。
〔評〕 第二句の過去表現と、第四句の現在とが打合はないやうであるが、咲きこぼれるほど花についてゐる梅の折枝を見て、それがあつた園の美觀を想像して、見たいと思うたのであらう。五句は十分な表現とはいひ難い。略解は、前の歌の答であらうとしてゐる。
〔訓〕 ○見がほしまでに 白文「見我欲左右手二」。諸訓ミガホシキマデニとあるも、見がほし山(三八二)見がほし君(二五一二)見がほし御おもわ(四一六九)等により、キを省き訓んだ。マデを左右手としたのは義訓。
 
2328 來て見べき人もあらなくに吾家《わぎへ》なる梅の早花《はつはな》散りぬともよし
 
〔譯〕 來て見るやうな人もありはしないのに、私の家に咲いてゐる梅の初花は、もう散つてしまつてもよい。
〔評〕 折角咲いた梅の初花も、見はやしてくれる人が無くては可愛さうである。色をも香をも知つてゐる筈と思ふ人を心待ちにしてゐるが、來てくれない。ままよ、構ふことはない、散つてしまへとの激語は、怨言として面白く、卷六なる「わが屋戸の梅咲きたりと告げやらば來とふに似たり散りぬともよし」(一〇一一)と同工異曲である。但、來て見べきの作は、素朴ではあるが、措辭の洗煉が足りない所、卷六の歌に一籌を輸する所以である。
〔語〕 ○來て見べき 「來て見るべき」に同じで、一種の古格である。
〔訓〕 ○早花 全釋は、早田《わさだ》(一三五三)、早穗《わさほ》(一六二五)、早飯《わさいひ》(一六三五)、早芽子《わさはぎ》(二一一三)などを例に引いて、ワサハナと訓むべきかといつてゐる。
 
2329 雪寒み咲きには咲かず梅の花|縱《よ》しこの頃はさてもあるがね
 
(251)〔譯〕 雪が降つて寒いので、まだ十分に梅の花は咲かない。まあそれもいい。こんな寒い頃は、そのままさうしてゐるがよい。
〔評〕 梅の花の滿開を待ちながら、しかもそれが雪に痛められさうなのを愛惜して、まあ今暫くその儘にしてゐるのもいいと容したのは、畢竟強ひて諦めつつ自らに言ひ聞かせてゐる慰めの言葉である。心もちはわかるが、聊か理に墮して含蓄に乏しい憾みがある。
〔語〕 ○咲きには咲かず、次々と咲くにはまだ至らないの意。○あるがね ある料として。あるために。あつてくれよと願ふ心持がある。
〔訓〕 ○咲きには咲かず 白文「咲者不開」、舊訓サキニハサカデは不可。今、古義に從ふ。代匠記精撰本にはサキハヒラケズと訓んでゐる。
 
    露を詠める
2330 妹がため上枝《ほつえ》の梅を手《た》折るとは下枝《しづえ》の露にぬれにけるかも
 
〔譯〕 いとしいひとの爲に、上の枝の梅を手折らうとして、下の方の枝に置いた露に濡れたことであるよ。
〔評〕 梅の初花を、愛人に見せようと、苦勞して折つてゐる若い人の姿が浮ぶ。梅に宿る露の輝きも思はれ、冬の靜かな情景が眼に映る。露といへば後世は秋のものだしてゐるが、型に囚はれず自由に眞實を見てゐた時代である。
〔語〕 ○手折るとは 手折らうとしては。「は」は強意の助詞。
 
    黄葉《もみち》を詠める
2331 八田《やた》の野の淺|茅《ぢ》色づく有乳《あらち》山峰の沫雪寒くふるらん
 
(252)〔譯〕 この八田の野の淺茅がもう赤くなつて來た。今頃、夫が越えて居られるかも知れない越前の有乳山では、峰の沫雪が冷くちらついてゐることであらう。
〔評〕 越路の旅にある夫の上を遠く思ひやつて、大和なる妻が詠んだ歌と察せられる。情味ゆたかで詞句も洗煉せられ、格調極めて緊密である。表現形式は、「吾が屋戸《やど》の淺茅色づく吉隱《よなばり》の夏身の上に時雨ふるらし」(二二〇七)に似てゐるが、それは單なる敍景で、兩者その趣は別である。
〔語〕 ○八田の野 大和國生駒郡矢田村。今、郡山の西方に矢田村がある。名所方角抄に越前とし、有乳山の北にあるとしてゐるのは疑はしい。○有乳山 近江高島郡と越前敦賀郡との境の山。古昔ここに愛發《あらち》關があつたが、その阯は今明かでない。
 
    月を詠める
2332 さ夜|深《ふ》けば出で來《こ》む月を高山の峯の白雲隱すらむかも
 
〔譯〕 夜がふけたならば出て來るはずの月であるのに、高山の頂の白雲が隱してゐるのであらうかなあ。
〔評〕 遲い月の出を待つ心もちで、極めて單純ではあるが、平明清澄、一種の風韻がある。
〔語〕 ○出で來む月を 出て來る筈の月であるのに。「月を」には「月なるものを」の心持がある。○隱すらむかも 既に出てゐる月を隱してゐるのであらうかの意。「らむ」は現在推量の助動詞。
〔訓〕 ○隱すらむかも 白文「將隱鴨」。カクシナムカモともよめる。
 
(253)  冬相聞《ふゆのさうもに》
 
2333 ふる雪の空に消《け》ぬべく戀ふれども逢ふよしなしに月ぞ經にたる
 
〔譯〕 降る雪が中途の空で消えるのもあるやうに、私も思をとげないうちに命が消えてしまひさうに戀ひ慕うてゐるけれども、戀しい人に逢ふ手段もなくて、月が經つてしまつたことである。
〔評〕 戀する人の常情で、何の寄趣もない。序の譬喩は適切ではあるが、一通りの歌である。
 
2334 沫雪は千重にふり敷《し》け戀ひしくのけ長き我は見つつ偲《しの》はむ
     右は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
〔譯〕 沫雪は、幾重にも幾重にも降り重つてくれ。日久しく人を戀しく思つてゐた自分は、せめてその雪でも見ながら心を慰めように。
〔評〕 措辭格調共に著しく古風を帶びてゐる所に、一種の味がある。大原今城の、「初雪は千重に降りしけ戀しくの多かる吾は見つつ偲はむ」(四四七五)は、これを聊か歌ひ變へたものであらう。
〔語〕 ○千重にふりしけ 後から後から幾重にも頻りに降れとの意。○戀ひしくのけ長き我 戀しくのは、「二〇一七」參照。け長きは、日數の長い。戀しく思つてゐたことの久しい、即ち久しい日數を戀うてゐた自分は。
(254)〔左註〕 右の二首は柿本人麿の歌集に出てゐるといふのであるが、歌風から見ると人麿の作ではない。
 
    露に寄す
2335 咲き出《で》照る梅の下枝《しづえ》に置く露の消ぬべく妹に戀ふる此の頃
 
〔譯〕 花が咲き出て朝日に照つてゐる梅のその下枝に置いた露が消える、ちやうどそのやうに、自分は命も消えてしまひさうに、いとしい女に戀ひ焦れてゐるこの頃なのである。
〔評〕 眼前の實景をとつて序としたものであるが、これも主想は極めて簡單にして、表現も類型的である。
〔語〕 ○咲き出照る 花が咲き出て朝日に光つてゐるの意。これは白梅であらう。以下第三句まで「消」にかけた序詞。
〔訓〕 ○咲き出照る 白文「咲出照」、古義は「照」を「有」の誤とし、その他にも誤字説があるが、もとのままでよい。
 
    霜に寄す
2336 はなはだも夜|深《ふ》けてな行き道の邊《べ》のゆ小竹《ささ》が上に霜の降る夜を
 
〔譯〕 こんなにまあひどく夜がふけてから、お歸りなさいますな。道ばたの繁つた笹の上に、今夜もきつと霜の降る晩ですのに。
〔評〕 愛人を歸しかねて、何とかして引き留めようとするやさしい女の纒綿たる心情が、極めて眞率に、力強く表現されてゐる。「夕闇は道たつたづし月待ちて行かせ我が背子その間にも見む」(七〇九)「櫻麻の苧生の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも」(二六八七)などと並べて誦すると、同じ心情でもそれぞれ舞臺面が違つて別樣の趣(255)があり、「秋萩の咲き散る野邊夕露にぬれつつ來ませ夜はふけぬとも」(二二五二)に比すると、そこにまた對照の妙がある。
〔語〕 ○ゆ小竹 繁つた笹。「ゆ」は「や」(八、彌)の轉と見た。「いほ」の約とする説はうけ難い。「齋《ゆ》」と解しても、ここは必ずしも神事に用ゐるものではなからう。
 
    雪に寄す
2337 小竹《ささ》の葉にはだれふり覆《おほ》ひ消《け》なばかも忘れむといへば益《ま》して念《おも》ほゆ
 
〔譯〕 笹の葉に薄雪が降りかぶさつて、やがてそれが消える。そのやうに私の命が消えてしまつたならば、或はあなたのことを忘れもしませうが、生きてゐては決して忘れられません、と女がいふので、尚更かはゆく思はれることである。
〔評〕 可なり複雜なことを一首に纒め、しかも、悠々たる序まで用ゐてゐる手腕は、或る程度まで認めてよい。但、措辭が聊か混雜して佶屈晦澁に陷り、この種の歌に特に要望される餘韻含蓄が乏しい。
 
2338 霰ふり甚《いた》も風吹き寒き夜や旗野に今夜《こよひ》吾が獨寐む
 
〔譯〕 霰が降り、ひどくまあ風が吹いて、寒い晩であるが、今夜こんな晩に、この旗野では自分一人で寢ることであらうか。
〔評〕 何の構想もない平語に近いが、各の夜の旅寢の苦痛がしみじみと感じられる。旗野が何處で如何なる地か判明すれば、或はこの歌は、もつと内容が饒かになるかも知れない。「み吉野の山のあらしの寒けくにはたや今夜も我がひとり寢む」(七四)に似たところがある。
(256)〔語〕 ○旗野 和名抄に見える大和國高市郡波多かといふ説が多いが、決定的にはいへない。そこは今の高取町に當り、隣接する高市村大字畑に神名帳に見える波多神社がある。
〔訓〕 ○いたも 白文「板敢」考は「敢」を「玖《ク》」の誤かと見てゐるが、「聞《モ》」の誤とする古義の説に姑く從つておく。
 
2339 吉隱《よなばり》の野木《のぎ》に零《ふ》りおほふ白雪のいちしろくしも戀ひむ吾かも
 
〔譯〕 この吉隱の野邊の木々に降り覆ふ白雪のいちじるしく目立つやうに、そんなに人目に立つやうに戀ひ焦れる私でせうか。私はひそかに思を焦してゐるのです。
〔評〕 序の景色が、眼前に浮ぶやうに鮮かである。作者は吉隱附近に住む人で、この序は實景を捉へ來たものと思はれるが、男女いづれとも判じ難い。内容表現共に普遍性が濃厚であるところから見ると、この地方の民謠かと見た全釋の説が肯はれる。
〔語〕 ○吉隱 大和磯城那初瀬の東方。「二〇三」參照。○戀ひむ吾かも 戀ひ焦れる吾であらうか、さうではないの意。これを「吾戀ひむかも」の如く見て、憚らず自分は戀をしようと解する説もあるが、諾け難い。
 
2340 一目見し人に戀ふらく天霧《あまぎ》らしふり來《く》る雪の消《け》ぬべく念ほゆ
 
〔譯〕 ちらりと一目見た人に思ひこがれるにつけては、空一ぱい曇らして降つて來る雪がやがて消えるやうに、自分の命も消えてしまひさうに思はれることである。
〔評〕 男の歌であらう。前にも旋頭歌(二三一一)に一目見た人に戀する趣が歌はれてゐたが、その他にも、「ふりさけてみか月見れば一目見し人の眉引おもほゆるかも」(九九四)、「足引の山鳥の尾の一峯《ひとを》越え一目見し子に戀ふべ   古人の純情を語つてゐる。前者は家持の作であるが、今のこの作や「足引の」(257)は著しく民謠の匂がする。
〔語〕 ○一目見し人に戀ふらく 一目見た女に戀ふること、その事についての意。○天霧らしふり來る雪の 「消」につづけた序詞。空を一面にかき曇らせて降つて來る雪、それもやがては消えるやうにの意。
 
2341 思ひ出づる時は術《すべ》なみ豐國の木綿《ゆふ》山雪の消《け》ぬべく念ほゆ
 
〔譯〕 いとしい人を思ひ出す時は、戀しさにどうしようもなく、豐國の木綿山の雪ではないが、自分は命も消えてしまひさうに思はれる。
〔評〕 地名が詠みこまれてゐるのみで、内容、表現、共に類型的な歌である。その地方の民謠かと思はれる。
〔語〕 ○豐國 豐前・豐後兩國の總稱。○木綿山 大分縣速見郡。別府温泉の後方に聳える由布嶽で、俗に豐後富士ともいふ。「一二四四」參照。この第三四の句は「消」にかけた序で、主想は初、二、結句である。
〔訓〕 ゆふ山雪 白文「木綿山雪」、ユフヤマノユキとよむべきであるが、民謠風の調子の上から、省いたとも解され、また、明日香風、夕浪千鳥のやうな造語ともみられる。
 
2342 夢《いめ》の如《ごと》君を相見て天霧《あまぎ》らし降り來《く》る雪の消《け》ぬべく念ほゆ
 
〔譯〕 夢のやうにはかなく君と相逢うたばかりに、空一ぱい曇らして降つて來る雪が、やがては消えるやうに、命も消えてしまひさうに思はれることである。
〔評〕 一首隔てて前の「二三四〇」と初二句が異なるのみで、恐らく同一歌を臨機に歌ひかへたまでであらう。いづれにしても個性の無い歌である。
 
(258)2343 吾背子が言《こと》愛《うるは》しみ出でて行かば裳引《もびき》しるけむ雪な零《ふ》りそね
 
〔譯〕 いとしいお方の言葉が嬉しさに、表まで逢ひに行きたいが、出て行つたならば、雪の上では裳裾を曳いた跡が人に感づかれよう。雪よ、そんなに降つてくれるな。
〔評〕 愛人からの優しい便りに、氣もいそいそと出かけようとする。折から降り出したあいにくの雪である。どうか早くやんでくれ、といふ心中の願がおのづから口頭に洩れたのである。勿論、實際の雪の上に裳裾を曳いて行くのではないが、美化した表現が清新でよい。
〔語〕 ○裳引しるけむ 裳を雪の上に曳いて行つた痕跡がはつきり見えて、噂を立てられるであらうの意。
〔訓〕 ○うるはしみ 白文「愛美」。ウツクシミとも訓める。○しるけむ 白文「將知」。シラエムとも訓める。
 
2344 梅の花それとも見えずふる雪のいちしろけむな閏使《まづかひ》やらば【一に云ふ、ふる雪に間使やらばそれしるけむな】
 
〔譯〕 梅の花が梅やら何やらわからぬくらゐひどく降りおほふ雪は人目につくが、それと同じやうに、人目につくであらう、あのお方の處へ使を遣つたならば。(一に云ふ、この雪の降るのは使をやつたらば、二人の間の使であると人にはつきりわかるであらうよ。)
〔評〕 本行の歌は、梅の花もまぎれるほど降り頻る雪に對して、人を思ひつつ、音信をかはすこともままならぬ焦慮をかこつてゐるのである。序は勿論眼前の實景であらう。別傳の方は、第三句まで序でなく、純粹に敍景となつてゐる。一首の意も變つてくる。
〔語〕 ○いちしろけむな 人目につくであらうなあの意。「な」は感動の助詞。○間使 二人の間を通ふ使。
 
(259)2345 天霧《あまぎ》らひ降りくる雪の消えぬとも君に逢はむとながらへ渡る
 
〔譯〕 空一ぱいかき曇つて降つて來る雪もやがて消えるが、そのやうに、私の命も、たとへ消えてしまはうとも、戀しいあなたに逢ひたいと、かうして生き長らへてゐるのです。
〔評〕 片戀の惱みか、逢瀬ままならぬ仲か、一夜の交會の爲に百年の命をも賭けて悔いぬといふ思ひつめた女の情熱があはれに表現されてをり、殊に、四五句極めて切實にして迫力に富み、上の序の類型的短所を償つて餘がある。
〔訓〕 ○消えぬとも 白文「消友」、舊訓キユレドモは不可。考はキエメドモ、略解はケナメドモと改めた。今、元暦校本の訓を採る。
 
2346 窺狙《うかねら》ふ鳥見《とみ》山雪のいちしろぐ戀ひば妹が名人知らむかも
 
〔譯〕 鳥見山に積つた雪がはつきり目立つが、ちやうどそのやうに、はつきり目立つて戀をしたらば、いとしい女の名を人が知り出すであらうなあ。
〔評〕 鳥見山附近に住む男の作であらう。女の名は、古代は、親か夫かでなければ知らない筈のものであつた。女が男に名を知られることは、その男に許すことを意味したのである。この歌は、我が密かに思つてゐる女を、もしや人も名を知つて自由にするやうなことはないかと危んだのである。
〔訓〕 ○とみ山雪 白文「跡見山雪」、トミヤマノユキともよめる。「鳥見山雪」は、「二三四一」の木綿山雪と同じ句法である。
〔語〕 ○窺狙ふ 狩獵で鳥獣の跡を窺ひ狙ふ意で「跡見」につづける枕詞。「一五七六」參照。○跡見山 磯城郡磯城島村大字|外山《とび》にある山。「跡見庄」(七二三題詞)參照。
 
(260)2347 海小船《あまをぶね》泊瀬《はつせ》の山に降る雪のけ長く戀ひし君が音《おと》ぞする
 
〔譯〕 日數を重ねて長い間、私の戀ひ慕つてゐたなつかしいお方が、今お出でなさる物音がする。まあ嬉しいことである。
〔評〕 初瀬のあたりに住む女の詠と思はれる。長い間の思がやつと叶つて、喜びに小さな胸を躍らせてゐる可憐な人の姿が、素朴な言葉遣ひの四五句の中にありありと看取される。初瀬に對して「海小船」といふ枕詞はめづらしい。
〔語〕 ○あま小船 船が泊つの意から「初瀬」につづけた枕詞。○降る雪の 雪の消《ケ》を「日」にかけた。○君が音ぞする 君の訪ねて來る物音がするの意と解した古義説がよい。「音」をおとづれとする代匠記説は不可。
 
2348 和射美《わざみ》の嶺《みね》行き過ぎて降る雪の厭《いと》ひもなしと白《まを》せその兒《こ》に
 
〔譯〕 和射美の嶺を通り過ぎる時に降る雪は厭はしいが、自分がそなたの所へ通うて行くのは、少しも厭ふことはない、と傳へてくれられよ、その女に。
〔評〕 作者は?々和射美の嶺を越えて、時に雪に惱んだことのある人、從つて、この附近の住人であつて旅人ではあるまい。このあたりは今でも特に雪の深い處であるから、この序は強い實感であらう。結句の辭樣も、かはつてゐて面白い。
〔語〕 ○和射美の 四音の句。美濃國不破郡にある。「わざみが原」(一九九)參照。○ふる雪の 初句以下これまで「厭ひ」にかけた序。○厭ひもなしと やや不明である。
 
    花に寄す
(261)2349 吾が屋戸《やど》に咲きたる梅を月夜《つくよ》よみ夕夕《よひよひ》見せむ君をこそ待て
 
〔譯〕 私の家に咲いてゐる梅を、この頃月がよいので、毎晩毎晩お見せ申したくて、あなたをお待ちして居りますよ。
〔評〕 何の作爲もない自然な心持を、いかにも素直な言葉と調子とで表現してゐる。優しい情緒の溢れた温雅な作で、歌品も低くない。
〔語〕 ○月夜よみ この頃月の風情がよいので。これは或る一夜だけの事でなく、下の「夕夕」の語から見て連續的の事と見られるのである。
〔訓〕 ○君をこそ 白文「君乎祚」、代匠記精撰本に「祚」の上に「許」などの脱か、或は「社」の誤としてゐて、後説に從ふ人が多い。
 
    夜に寄す
2350 あしひきの山の下風《あらし》は吹かねども君なき夕《よひ》は豫《かね》て寒しも
 
〔譯〕 山からの烈しい風は吹かないけれども、あなたのいらつしやらない晩は、嵐の吹かない前から、寒いことでありますよ。
〔評〕 男に對する激情とか強い怨言とかいふのでなく、そこはかとないうら寂しさ、物たりなさを、獨寢のうそ寒さに托して訴へたのである。これは、恐らく永い間相馴れた仲らひで、作者は申年の女であらう。しなやかにやさしい人柄が想見される。
 
(262)萬葉集 卷第十 終
 
(263)萬葉集 卷第十一
 
(265)概説
 
 卷十一は、卷十二と共に、古今相聞往來歌類(上・下)となつてゐる。萬葉集の一部に編入せられた頃には、二卷が一括せられてゐたかとも思はれるが、重出歌のあることなどによれば、最初は別々に成立したもので、恐らく卷十二は卷十一の續編的のものであらう。
 卷十一はすべて相聞歌で、人麿歌集及び古歌集に出づる歌の部と其の他の歌の部とに大別され、前者は旋頭歌と短歌とに、更に短歌は正述心緒・寄物陳思・問答に分たれてゐる。後者はすべて短歌で、正述心緒・寄物陳思・問答・譬喩歌と四分してゐる。その歌數は、旋頭歌十七首、短歌四百七十三首、計四百九十首で、内譯は次のごとくである。
 
     人麿歌集  古歌集   其他    計   備考
旋頭歌    一二    五        一七
短歌
 正述心緒  四七        一〇二 一四九
 寄物陳思  九三        一八九 二八二 目録に三〇二首とあるは誤
 問答     九         二〇  三九
 譬喩歌              一三  一三
  計   一六一    五   三二四 四九〇
 
(266) 短歌は、本文では人麿歌集所出と其の他とが別の部になつてゐるが、目録にはそれを合せて、旋頭歌・正述心緒・寄物陳思・問答・譬喩歌の五項にまとめてゐる。目録に、寄物陳思三百二首とあるのは、後の寄物陳思の次にある問答二十首を、誤つて加算した爲であらう。
 その部類のうち、正述心緒と寄物陳思とは、卷十一に至つて初めて見る稱呼である。正述心緒は、思ふ心を直接に表現するもので、特に命名する必要はないのであるが、次の寄物陳思に對して區別したのである。寄物陳思は、外界の物象をとりあげて、それによつて思ふ心の敍述に及ぶ表現法である。しかして譬喩歌は、「物に寄せて思を喩ふ」とあり、外界の事象の敍述にわが思ふ心を託するのであるが、譬喩としては、直喩、隱喩、諷喩がある。中には、正述心緒と寄物陳思と譬喩とを區別しがたいものもある。
 なほ寄物陳思の部は前(人麿集所出)のも後のも、それぞれ内容によつて分類排次されてゐる。この卷の譬喩また卷七の譬喩などではその分類が標出されてゐるが、この前後二部の寄物陳思では標目がない。しかして前の寄物陳思は、神、天地、地理、天文、植物(草、木)動物(鳥、獣、虫)人倫、器財、人事(占)の順で、後の寄物陳思の分類序次よりも整へられた觀がある。後の方で、服飾、器財、殊に衣が最初に掲げられてゐるのは、卷七及びこの卷の譬喩、卷十二の寄物陳思以下の各部に通ずることである。これらの分類には、漢土の類書の影響があるものと認められる。
 次に歌の年代を見るに、左註に唯一箇所「右一首、或云石川君子朝臣作v之」とあるのみで、すべて作者不明であり、從つて年代も明らかでないが、人麿歌集所出の歌は、少くとも人麿時代及びそれ以前の作とすべく、眞淵の言うたごとく、大體舒明天皇の御代から奈良時代初期までのものであらう。しかしてその多くは、當時の民謠と思はれるものもあり、また廣く人口に膾炙された歌も存したらしく、卷四その他に、模倣と考へられる歌か散見する。
 秀歌としては、旋頭歌には、
(267)  新室を踏みしづめ子し手玉鳴らすも玉の如照らせる君を内にとまをせ         二三五二
何せむに命をもとな永く欲りせむ生けりとも吾が念《も》ふ妹に安く逢はなくに       二三五八
  玉垂の小簾《をす》の隙《すけき》に入り通ひ來《こ》ね垂乳根の母が問はさば風とまをさむ  二三六四
 短歌には
  吾ゆ後生れむ人は吾が如く戀する道にあひこすなゆめ                   二三七五
  うち日さす宮道《みやぢ》を人は滿ち行けど吾が念ふ公《きみ》はただ一人のみ        二三八二
  いはほすら行き通るべきますらをも戀とふ事は後悔いにけり                 二三八六
  天地といふ名の絶えてあらばこそ汝《いまし》と吾と逢ふこと止まめ             二四一九
  山科の木幡の山を馬はあれど歩《かち》ゆ吾が來し汝《な》を念ひかね            二四二五
  大船の香取の海に碇おろしいかなる人か物おもはざらむ                   二四三六
  大地も採り盡さめど世の中に盡し得ぬものは戀にしありけり                 二四四二
  ぬばたまの黒髪山の山|草《すげ》に小雨ふりしきしくしく思ほゆ              二四五六
  たらちねの母が養《か》ふ蠶《こ》の眉隱《まよごも》りこもれる妹を見むよしもがも     二四九五
  待つらむに到らば妹がうれしみとゑまむ姿を往きて早見む                  二五六二
  おもはぬに到らば妹がうれしみとゑまむ眉曳《まよぴき》思ほゆるかも            二五四六
  百世しも千代しも生きてあらめやも吾が念ふ妹を置きて嘆かむ                二六〇〇
  梓弓引きみ弛べみ來ずは來ず來ばこ其《そ》をなど來ずは來ば其《そ》を           二六四八
  かにかくに物は念はず飛騨人の打つ墨繩のただ一道に                    二六四〇
 用字法は、原歌集によつたものと考へられる。この卷に採られた人麿歌集所出の歌は、活用語尾、助辭などは殆ど(268)文字の上に表はされてをらず、字數が極めて少く、中には、
  年切、及世定、恃、公依、事繁     二三九八
  春楊、葛山、發雲、立座、妹念     二四五三
  妹當、遠見者、恠、吾戀、相依無    二四〇二
のごとく、短歌一首を十字又は十一字で記したものもあり、定訓の得難いものが少くない。
 また「火氣《けぶり》」(二七四二)「水手《こぐ》」(二七四七)「多集《すだく》」(二八三三)「開木《やま》」(二三六二)「留牛馬《つな》」(二七四三)「二五《とを》」(二七一〇)「八十一《くく》」(二五四二)「義之《てし》」(二五七八)「大王《てし》」(二八三四)「牛鳴《む》」(二八三九)「追馬喚犬《そま》」(三六四五)「犬馬鏡《まそかがみ》」(二八一〇)のごとき、義訓、戯書もある。
 
(269)萬葉集 卷第十一
 
   旋頭歌《せどうか》
 
2351 新室《にひむろ》の壁草《かべくさ》刈りに坐《いま》し給はね草の如《ごと》依り合ふ未通女《をとめ》は君がまにまに
 
〔譯〕 新築の家の壁草を苅る手傳にいらつしやいませ。その草の靡くやうに、なよなよと立ち振舞つてゐる少女達もゐて、それはあなたのお心まかせですよ。
〔評〕 これは恐らく民謠で、今いふ上棟式の祝宴などの席上で謠はれたものであらう。若く美しい少女達も多く立ちまじつて、賑やかに笑ひさざめきつつ働いてゐる明朗な光景が眼前に展開され、豐かな上代庶民生活の一樣相が想像されて「まことに面白い。
〔語〕 ○新室 新築の家。「新室の言壽《ことき》に到れば」(三五〇六)とも見える。○壁草苅りに、壁草については異説が多い。今いふスサのこととする略解の説、壁をまだ塗らない間に草を刈つて圍つておくものとする同書所引藤塚知明の説、これは薄のことで、壁下地のこまひの材料と見た新考の説、壁土を付ける料に草を結びつけてあるのが、土を塗つた上に現はれてゐるのを苅り取ることで、つまり新築の家の壁の仕上げを壁草刈りといふとする新解の説、カベとカキとはもと同一語で、上代の垣がさうであつたやうに、壁も亦萱、薄、葦などで作られた、その壁を云つたとする全釋の説など實に區々である。延喜式の踐祚大甞祭式にも「壁蔀」といふものが見えるから、全釋の説が妥當に近いかも知れぬ。○いまし給はね 御出でになつて下さいなの意。「ね」は「名告らさね」(一)參照。○草の如依り合ふ(270)をとめ 草の靡くやうに大勢寄り集り、容儀しなやかに立ち振舞うてゐる少女達。
 
2352 新室を踏《ふ》み鎭《しづ》め子し手玉《ただま》鳴《な》らすも玉の如《ごと》照らせる君を内にと白《まを》せ
 
〔譯〕 新築の家を踏み鎭める娘が、舞の手振のまに/\兩手の飾り玉を鳴らしてゐるよ。その玉のやうに照り輝いていらつしやる美しいお方が來られた、そのお方を、どうぞ内へと御案内申せよ。
〔評〕 上の三句は、新築の地鎭祭に玉の飾りを鳴らしつつ踊る美しい巫女の風俗を描き、下三句をその玉を譬喩として客を讃へ、歡待の心を現したのである。牧歌的に朗らかな情景が、古雅な詞調から浮びあがつて來て、恰も童話の世界をのぞく思がする。
〔語〕 ○踏み鎭《しづ》め子し 災厄などの起らぬやうに、新築の地面を踏み鎭める巫女達が。○手玉 飾として手につけてゐる玉。「二〇六五」參照。○照らせる君 照り輝くやうな立派な君で、來客をいふのであらう。
〔訓〕 ○踏み鎭め子し 白文「踏靜子之」で、舊訓フムシヅノコシ、略解フミシヅノコガ、古義フミシヅムコガなど諸訓ある。
 
2353 長谷《はつせ》の齋槻《ゆつき》が下《もと》に吾が隱せる妻|茜《あかね》さし照れる月夜に人見てむかも【一に云ふ、人見つらむか】
 
〔譯〕 長谷の槻の神木のあたりに、自分が密かに隱してゐる妻、あの妻を、明るく照り渡るこの月夜に、誰か人が見つけ出しでもしようかなあ。
〔評〕 古義にいふ如く、男が女を密かに連れ出して、長谷の齋槻のあたりに隱したのであらう。其處に住んでゐる女を或る男が隱し妻にしてゐる意に見る説もあるが、それならば自分が忍んで行くのを見咎められようかとの心配こそあれ、元からゐる女を見咎めはせぬかと怖れる筈はない。又「照れる月夜に人見てむかも」とは如何なることか、夜(271)ならずとも晝見れば猶更明かなわけであるとして、それは月夜に連れ出し、暫く槻の蔭に身を潜めてゐるのであると解する説もあるが、それは餘りに字句の拘泥してゐるであらう。晝は事に紛れてゐた男が、夜になつて獨り明るい月光の下に長谷の空を眺めつつ、今頃いとしい妻も門に出てこの月を見て自分の事を思つてゐないか、そんな事をして、もしや人に姿を見られはせぬかと、かつ戀ひかつ案じてゐるものと解すれば、興趣が深いのである。
〔語〕 ○長谷 初瀬に同じ。この字面は地形が初瀬川に沿うて長い谷をなしてゐるからであるといふ。○齋槻 「ゆ槻」は、五百槻《いほつき》の約で、枝葉の繁つた槻とする略解の説、原本に「弓槻」とあるにより、弓材にする槻とする代匠記の説、又齋槻の意で、樹木信仰から出た語とする口譯萬葉集並に新解の説等がある。上に「湯小竹《ゆささ》」(二三三六)とあるのも、同義のゆか否か猶考ふべきである。○隱せる妻 他から連れて來て此處に暫く隱して置いた妻であらう。さうして男は同棲してゐるのでなく、稍離れて住んでゐるらしいことが想像される。○茜さし 「照れる月」の枕詞。ここはあかあかとの意で、「照れる」の形容に用ゐられたとの説もある。「五六五」參照。○一に云ふ、人見つらむか 結句の異傳で、人が見たでからうかなあ。本行と比較すれば、未來と過去との相違であるが、歌としては、いづれでも甲乙はない。
 
2354 健男《ますらを》の念《おも》ひ亂れて隱せるその妻天地に徹《とほ》り照るとも顯《あら》はれめやも【一に云ふ、丈夫の思ひ健びて】
 
〔譯〕 立派な男のあなたが、さまざまに心配して隱したその妻なのです。月の光が天地に徹つて輝いても、何でこの隱れ場所が顯はれませうぞ。大丈夫ですよ。
〔評〕 この歌は、代匠記、古義、いづれも前のと同一作者の連作と見てゐる。なるほど一旦は危惧したものの、又思ひ返して自ら慰めてゐるのである、と取つても面白いが、しかし女の和へた歌と見た新考の説がより妥當と思はれる。男をあくまで信頼し、時としては弱氣にも傾かうとすす男を、いざとなれば却つて勵ますが如き、しつかりした女性(272)心理がよく描き出されてゐる。
〔語〕 ○念ひ亂れて いろいろと心が亂れ思案して。○天地に徹り照るとも 略解は日の光が徹り照る意に見てゐるが、前の歌を承けて月の光をさしたと見るべきである。○一に云ふ、思ひ健びて 強くしつかりと考を据ゑて。
 
2355 うつくしと吾が念《も》ふ妹は早も死ねやも生《い》けりとも吾《われ》に依《よ》るべしと人の言はなくに
 
〔譯〕 かはいいと自分が思つてゐるあの女は、早く死んでしまへ。たとへ生きてゐたとて、自分に靡き寄つて來るだらうとは、誰も人が言はないのであるから。
〔評〕 驚くべき激語であるが、眞實恨んでゐるのでないから、陰慘な呪ひの氣持などは全然なく、また本當に女の死を望んでゐるのでもない。只むかつ腹の罵倒に過ぎないのである。教養ある人では、心に思つても口には現はし得ないことで、これは直情そのものである。この放膽無比の言葉には、人の心の奧に潜む感情を暴露したところがあり、理智や嗜みによつて意識から葬られようとしてゐる憎しみを、まざまざと指摘して人を狼狽させるものがある。その點、痛快といへば痛快である。才女大伴坂上郎女は、これを粉本として、「今は吾《あ》は死なむよ吾背生けりとも吾に縁《よ》るべしと言ふといはなくに」(六八四)と詠み、自己獨特の思ひをこめておのづから別趣を示した。
〔語〕 ○うつくしと 可愛いいと、いとしいと。○吾に依るべしと 女が自分に靡き寄るであらうと。○人の言はなくに 世間の人が誰も言はないから。
〔訓〕 ○うつくしと 白文「惠得」で舊訓メグマムトは意が通じない。今、代匠記の訓に從ふ。(類衆名義抄には惠にウツクシブの訓があり、續日本紀宣命では惠備をウツクシビと訓む。)但、メグシトと四音に訓む案もある。○早裳死耶 舊訓ハヤクモシネヤ、新考はヤモシネヤ、澤瀉氏説ハヤモシナヌカなどある。ヤの下にモを訓みそへたものとする古義の訓によつた。
 
(273)2356 高麗《こま》錦紐の片方《かたへ》ぞ床《とこ》に落ちにける明日《あす》の夜《よ》し來《こ》むとし言はば取り置き待たむ
 
〔譯〕 あなたの高麗錦の襟紐の片方が、床の上に落ちましたよ。明日の晩また來ようと仰しやるならば、取つて置いて、お待ち致しませう。
〔評〕 「高腰錦紐の片方ぞ」には、時代の風俗の片鱗が窺はれる。三句以下には、若い女の美しい嬌態が品よく描き出されてゐる。どうしたはづみか、取れて落ちた男の襟紐の一方を、そつと拾ひあげ、好い質物を取つたとばかり、につこり笑つて甘えつつ、男にまた明日來るとの約束を迫つてゐるのである。男の歸つた後に殘された紐を見て言ひ送つた體とするのは誤である。
〔語〕 ○高麗錦 高麗から舶載した錦。または高麗風の錦。○紐の片方 これは上衣の襟紐で、左右兩方につけてあつて胸元で結ぶ、その紐の片方。
 
2357 朝戸出の君が足結《あゆひ》を潤《ぬ》らす露原早く起き出でつつ吾も裳裾|潤《ぬ》らさな
 
〔譯〕 朝早くお出かけになるいとしいお方の足給《あゆひ》をぬらす露一ぱいの草の原、どれ、早く起きて出て行つて、私も裳の裾を濡らして歩いて見ようよ。
〔評〕 朝歸りの夫を出してやつた後の妻の獨語、まことに可憐な心情である。まづ滿ち足りた愛情の中に浸つて、相睦びあふ若い二人の姿が浮ぶ。結句を、濡れて歸る夫をいとほしみ、せめて自分も一緒に濡れて勞苦を分たうといふ、やさしい心と見る説もあるが、考へ過ぎであらう。戀しい人の名殘を猶なつかしむ若妻らしい心で、何となく夫の歸つて行つたその邊の道を歩いてみようといふだけである。裾を濡らすのが目的ではなく、草原を歩けば自然にぬれるので、言葉の綾でかういつたに過ぎない。明朗可憐な抒情詩である。
(274)〔語〕 ○朝戸出 朝戸をあけて立ち出ること。ここは夫が早朝妻の家から歸るをいふ。「一九二五」參照。○足結 男子の袴を膝の下で結ぶ紐。「一一一〇」參照。
〔訓〕 ○裳裾潤らさな 白文「裳下閏奈」、舊訓モノスソヌレナ。ぬるに、ぬらすの意もあるが、考による。
 
2358 何せむに命をもとな永く欲《ほ》りせむ生《い》けりとも吾が念《も》ふ妹に易《やす》く逢はなくに
 
〔譯〕 何しに命を長く保ちたいなどと、よしもなく望まうぞ。生きてゐたとて、自分の思ふあの女に容易に逢へもしないのに。
〔評〕 前の「二三五五」に比べると、何と驚くべき強弱の差であらう。いづれも男の片戀であるが、前のは、相手に死ぬといひ、これは自分が死なうといふ。どちらも眞實の心持に變りはないが、こんな兩極端になるのは、要するに作者の性格によるので、前のは飽くまで線の太い奈良式であり、これは線の細い平安型に近い人物である。
〔語〕 ○何せむに 何しに。何の爲に。下の「永く欲りせむ」にかかる。○命をもとな 命を徒らに。「二三〇」參照。
 
2359 息の緒に吾は念《おも》へど人目多みこそ吹く風にあらば?《しばしば》逢ふべきものを
 
〔譯〕 命にかけて私はあのお方を思つてゐるけれども、人目が多いので、逢へない。この身がそよ吹く風だつたらば、度々忍んで行つて逢はうのになあ。
〔評〕 人目をつつむは戀の常で、殊に女の方にその用意は深い。この歌は男女いづれの作とも決し難いが、さういふ觀點から、女の作らしく感じられる。「吹く風にあらば」の繊細巧緻も、女性のものであらう。美しい痴情を敍して切實、今日なほ新しさを失はない表現である。
(275)〔語〕 ○息の緒に 命がけに。「六四四」參照。○人目多みこそ 人目が多くてうるさいので。この下に「え逢はね」などの語を略してゐる。
 
2360 人の親の未通女兒《をとめご》居《す》ゑて守《もる》山邊から朝朝《あさなさな》通《かよ》ひし君が來《こ》ねば哀《かな》しも
 
〔譯〕 親が若い娘を深窓に置いて大事に守る――とこいふことが聯想される守山のあたりをとほつて、毎朝毎朝通はれたあなたが、此の頃いらつしやらないので悲しうございます。
〔評〕 戀人を待つ若い女の歌、或は民謠かも知れない。初二句の序が特異で甚だ面白い。旋頭歌は第三句で切れるのが本來の歌格であるが、これはその儘下に續いてゐるのは、破格といふべきである。
〔語〕 ○人の親の未通女兒すゑて 少女を持つ親が大事に守つてゐる意で、「守る」につづけた序詞。「人の」は「人の子」などの場合と同じく、輕く添へた語。「すゑて」は居させて、即ち深窓に置いて。○守山邊から 守山のあたりを通つて。守山は山の名と思はれる。代匠記は「三諸は人の守る山」(三二二二)により、これを三諸山の別名と考へてゐる。「みもろ」の「み」を接頭辭と見れば「もろ」と「もる」と近似音であるから、或は代匠記説の如くであるかも知れない。
 
2361 天《あめ》なる一つ棚橋《たなはし》いかにか行かむ若草の妻《つま》がりといはば足|莊嚴《よそひ》せむ
 
〔譯〕 あの一枚板の危い棚橋を、どうして渡つて行つたものだらうか。かはゆい妻のもとへゆくといふならば、すつかり足ごしらへをして行かう。
〔評〕 末の二句の訓法に疑問があるが、姑く右のごとく解すると、妻のもとへならば、どんな危い棚橋を渡つても行かうといふ決意を詠んだもの、となる。
(276)〔語〕 ○天なる 枕詞。天に在る日の意で「ひ」の一音にかけ、それを「一つ」とつづけたのであるが、「天なる」はいかにも奇拔である。○棚橋 棚のやうに板を架け渡した假橋。○若草の みづみづしく愛らしい意で「妻」にかける枕詞。○足よそひせむ 足の支度をしよう。足結《あゆひ》などして足ごしらへをしよう。
〔訓〕 ○妻がりといはば足莊嚴せむ 白文「妻所云足莊嚴」。「所云」は「二四三五」と對照して訓んだ。「莊嚴」の字面は集中他に所見はないが、古義その他の誤字説は從ふべきでなく、ヨソヒでよい。しかして「所云」を「二四五五」ではイハレシと訓んでゐるから、それによれば、ツマガイヘラクアシヨソヒセヨと訓まれる。
 
2362 山城の久世《くせ》の若子《わくご》が欲《ほ》しといふ余《われ》をあふさわに吾《われ》を欲《ほ》しといふ山城の久世《くせ》
     右の十二首は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
〔譯〕 山城の久世の里の若い男が、私を妻に欲しいといふ。かろがろしくも、私を妻に欲しいといふ、山城の久世の里の若い男が。
〔評〕 久世地方の民謠であつたらう。輕妙な調子が、音樂的に快く、いたづららしく笑ひくづれる若い娘子の嬌笑を聞く思がある。催馬樂の「山城の狛のわたりの瓜作り我を欲しと言ふ如何にせむ瓜立つまでに」、古今集の、「足引の山田のそほづおのれさへ吾をほしてふうれはしきこと」など、いづれも古朴の味がある。
〔語〕 ○久世の若子 「久世」は山城國久世郷、今の久世郡久津川村大字久世。「若子」は若い男子、若者。○あふさわに ほしいままに、たわやすく、かろがろしく、の間の意であらう。「一五四七」も同じ。
 
2363 岡ざきのたみたる道を人な通ひそ在りつつも君が來まさむ避道《よきみち》にせむ
 
〔譯〕 岡の鼻の折れ曲つた道を人は通るな。そのままでいつまでも、いとしいあのお方の通うていらつしやる時の、(277)一目を忍ぶよけ道にしようと思ふ。
〔評〕 單純素朴な稚態の中に、田舍少女の純情が籠つてゐる。やはり民謠として傳誦されたものであらう。
〔語〕 ○岡ざき、岡が平地に突き出たその先の邊。○たみたる道 廻つてゐる道。○在りつつも 引き續いて。「五二九」參照。○避道 人目を避け行く道。間道。
 
2364 玉|垂《だれ》の小簾《をす》の隙《すけき》に入り通ひ來《こ》ね垂乳根《たらちね》の母が問《と》はさば風と申《まを》さむ
 
〔譯〕 簾の隙間から、そつとはいつていらつしやいませ。お母さんが物音に氣づいて、何かとお聞きになつたらば、風ですよと申しませう。
〔評〕 輕快明朗にして、覺えず微笑の誘はれる歌である。語調の爽かさも氣特がよい。戀愛は、單純な娘子にもかかる機智を昔から教へたのである。
〔語〕 ○玉垂の 玉垂の緒の意で、同音の「を」につづけた枕詞。○すけき 隙《すき》の粗《あら》い容子をいふ語。
 
2365 うち日さす宮|道《ぢ》に逢ひし人妻|故《ゆゑ》に玉の緒の念《おも》ひ亂れて寢《ぬ》る夜《よ》しぞ多き
 
〔譯〕 御所へ參内する道で行きあつたあの美しい人妻の爲に、自分はこの頃心が亂れ、煩悶しつつ寢る夜が多いことである。
〔評〕 行きずりに見た人妻の艶容に心を動かして、夜も輾轉反側することが多いといふ激情は、かねて見まほしく思うてゐたのに、宮道で逢つた故のひたむきの心であらう。人麿歌集の「うち日さす宮路を行くに吾が裳は破れぬ玉の緒の念ひしなえて家に在らましを」(一二八〇)は女の作であり、これは、かねて知つてをつて、逢ひがたいために度々道に出て逢はうとしたのである。
(278)〔語〕 ○うち日さす 「うち」は接頭語であまねくの義がある。あまねく日のさす宮とつづく枕詞。○玉の緒の 「亂」にかけた枕詞。
〔訓〕 ○人妻故に 白文「人妻※[女+后]」、「※[女+后]」をユヱと訓むことは、清水濱臣は略解の追加に「故」と「※[女+后]」と相通じ、ユヱと訓むべしとし、木村博士の訓義辨證には「妬」を「※[女+后]」と書いたのは六朝の俗字であらうとある。
 
2366 まそ鏡見しかと念《おも》ふ妹も逢はぬかも玉の緒の絶えたる戀の繁き此の頃
 
〔譯〕 見たい見たいと思ふあのいとしい女に逢へないものかなあ。一時中絶してゐた戀しさが又蘇つて、頻りに焦れる此の頃ではある。
〔評〕 一たび絶えて、更に燃えさかる胸の苦しさを訴へたものであるが、その急迫した激情の十分表現されてゐない憾がある。
〔語〕 ○まそ鏡 「見」にかけた枕詞。○見しか 見たい。○妹も逢はぬかも 女に逢はないものかなあ、何とぞ逢ふ折があれかしの意。○玉の緒の 「絶え」にかけた枕詞。
〔訓〕 ○妹に逢はぬかも 白文「妹相可聞」、舊訓イモニアハムカモ、略解イモニアヘルカモ、いづれも不可。「一二八七」の「人相鴨」をヒトモアハヌカモと訓むに同じい。
 
2367 海原の路《みち》に乘りてや吾が戀ひ居《を》らむ大船のゆたにあるらむ人の兒ゆゑに
     右の五首は、古歌集の中に出づ。
 
〔譯〕 海路に乘り出したやうに、かうも頼りなく自分は戀しがつてだけゐなければならないのであらうか。大船のやうにのんびりとかまへたあの美しい子の爲に。
(279)〔評〕 句法からは、三句で切れ、四五句は結句にかかるものと見るのが自然である。しかし、一旦三句で切り、四五句に更に作者自身の心持を抒べた漸層法と解する考もある。弓削皇子の、「大船のはつる泊のたゆたひに物念ひ痩せぬ人の兒ゆゑに」(一二二)も思ひ合はされる。
〔語〕 ○大船のゆたに 大船がゆつたりと浮んでゐるやうに。「ゆたに」は寛かに、のんびりとの意。○人の兒ゆゑに 美しいあの子のせゐで。人妻と解する説もあるが、必ずしもさうとらずともよい。
〔訓〕 ○路に乘りてや 吾が戀ひをらむ 白文「路爾乘哉吾戀居」。略解に「ミチニノレレヤワガコヒヲリテ」と下へ續けて訓んでゐるが、舊訓の方がよい。
 
  正《ただ》に心緒《おもひ》を述《の》ぶ
 
2368 垂乳根《たらちね》の母が手|放《はな》れ斯《か》くばかり術《すべ》なき事はいまだ爲《せ》なくに
 
〔題〕 正に心緒を述ぶ 「正に」は、直ちに、直接にの意。直接に思想感情を表現して、序詞や譬喩を借りぬこと。後にある「物に寄せて思を述ぶ」に對する。
〔譯〕 お母さんの手もとを離れて、私はこんなにまで苦しく遣瀬ないことは、まだ嘗てしなかつたのに。戀は苦しいものである。
〔評〕 慈母手中の珠として、無心に幸福に深窓で育つて來た少女であつたが、春の目ざめに人思ふ身となつた。樂し(280)くも苦しいあやしの亂れ心である。すべてを母のおもむけに任せきつてゐた身が、今はそのなつかしい母に秘めてする冒險である。小さな心一つに負ひきれさうにも思へない苦惱ゆゑに、おのづから漏れ出た吐息で、力づよく人の胸を打つ。
〔語〕 ○垂乳根の 「母」の枕詞。「四四三」參招。○すべなき 施すべき手段もない、何とも仕方のない。○いまだせなくに まだせぬことであるのに。
 
2369 人の寐《ぬ》る味宿《うまい》は寢《ね》ずて愛《は》しきやし君が目すらを欲りし嘆かふ【或本の歌に云ふ 君を思ふに明けにけるかも】
 
〔譯〕 世間の人の寢るやうな熟睡は出來ないで、いとしいあなたに、ただお目にかかるだけでもとさへ願つて、私は溜息をついてゐますことよ。(或本の四五句は、あなたを思つてゐるうちに、夜が明けてしまひましたことよ、まあ)。
〔評〕 内容は珍しくないが、緊密な調によく切迫した情熱を漲らしてゐる。「はしきやし」は多くは女についていふが、時に男にも用ゐるし、反對に「君」は女から男にいふのが普通で、稀には男から女にもいふ。從つてこの歌は、言葉からも内容からも、男女いづれの作かを決することは困難であるが、今は姑く女の歌と見ておく。初二句は「二九六三」「三二七四」などの類句がある。
〔語〕 ○はしきやし かはゆい、いとしい。
〔訓〕 ○欲りし嘆かふ 白文「欲嘆」。略解にはホリテナゲクモとある。それよりはホリシナゲクモとよむがよい。
 
2370 戀ひ死なば戀ひも死ねとや玉|桙《ほこ》の路行人《みちゆきびと》の言も告げなく
 
〔譯〕 焦れ死ぬならば勝手に焦れ死ねとでもいふのであらうか、道を通る人が、あのお方の言葉をも傳へてくれない。
〔評〕 此處を通るならば、我が愛人の傳言を聞いて來てくれるくらゐの親切はありさうなもの、それをしてくれない(281)のは同情のない仕打である。と恨んでゐるこの無理稚態は、所謂戀は盲目の諺を裏書したもので面白い。初二句は強烈な表現であるが、下にも、「戀ひ死なば戀ひも死ねとや我妹子が吾家の門を過ぎて行くらむ」(二四〇一)「戀ひ死なば戀ひも死ねとやほととぎす物もふ時に來鳴きとよむる」(三七八〇)などともあつて、いづれが覺先か明かでないが、多く踏襲されてゐる。
〔語〕 ○言も告げなく 戀人からの傳言を持つて來てくれないの意。
 
2371 心には千遍《ちたび》念《おも》へど人に云はぬ吾《わが》戀※[女+麗]《こひづま》を見むよしもがも
 
〔譯〕 心の中では常に繰返し繰返し思つてゐるが、人にはいはない自分の戀しい妻に、逢ふ手段があればよいがなあ。
〔評〕 若い男の初心な戀があはれに同情される。獨り思ひに餘つてゐながら容易に逢ひ難い人に逢はうものと、密かに心を碎いてゐる樣が想像される。
〔訓〕 ○わが戀づまを 白文「吾戀※[女+麗]」、略解のワガコフツマヲ、新考のワガコフルツマは共によくない。
 
2372 斯《か》くばかり戀ひむものとし知らませば遠く見るべくありけるものを
 
〔譯〕 あのお方に逢つて後、これ程までに戀しくなるものと、前に知つてゐたらば、遠くよそながら見てゐるのであつたのに。
〔評〕 片時逢はねば遣瀬ない戀の苦惱に堪へかねて、寧ろ逢はずにゐればよかつたとは、戀する人の常套語であり、それだけに痛切な實感であることも爭はれない。中臣宅守の、「かくばかり戀ひむとかねて知らませば妹をば見ずぞあるべくありける」(三七三九)は或はこの歌に據つたものか。
〔訓〕 ○遠く見るべく 白文「遠可見」、舊訓ヨソニミルベク、今、略解による。
 
(282)2373 何時《いつ》はしも戀ひぬ時とはあらねども夕片設《ゆふかたま》けて戀は術《すべ》無し
 
〔譯〕 いつといつて、あのお方を戀しく思はない時はないけれども、殊に夕方になつては、私の戀心はもう、何ともしやうがなくなつて來るのである。
〔評〕 戀する人の眞情を道破してゐる。晝間は事繁きに紛れもしようが、灯ともし頃のうら悲しさ、ものさびしさには、忽ち心火は燃えさかつて消すよしもないのである。「いつはなも戀ひずありとはあらねどもうたて此の頃戀の繁しも」(二八七七)よりは、簡素で情を盡したところが優れてゐる。
〔語〕 ○夕片設けて もとの意は、夕方を片より待ちてであるが、夕方になつてと解してよい。
 
2374 斯《か》くのみし戀ひや渡らむたまきはる命も知らず歳は經につつ
 
〔譯〕 こんなにばかりして、私はいつまでも戀ひつづけることであらうか。命がいつ終るかといふことも氣づかずに、むなしく年月を送りながら。
〔評〕 初二句は既に集中の成句となつてゐて、類例が多い。中に、「あらたまの年の緒永くいつまでか我が戀ひ居らむいのち知らずて」(二九三五)が似てゐる。要するに、苦しい眞實ではあるが、作品としては一通りである。
〔語〕 ○たまきはる 「命」の枕詞U「四」參照。
 
2375 吾《われ》ゆ後生れむ人は吾が如く戀する道にあひこすなゆめ
 
〔譯〕 自分より後にこの世に生れて來る人は、自分のやうに、戀をするといふこんな苦しい道に決してあひなさるな。
〔評〕 つぶさに戀の辛苦を嘗めた人の悲痛な叫である。諄々として後世の人を誡めるといふやうな、そんな教訓的な(283)氣持ではない。唯あまりの苦しさのまぎれに、こんな苦勞は誰にもさせたくないといふ、しみじみとした實感を洩したのである。因みに、古義の著者鹿持雅澄の辭世、「吾ゆのち生れむ人は古事の吾が墾《はり》道に草なおほしそ」は、この歌に負ふものであらう。
〔語〕 ○あひこすなゆめ 決して遭遇なさるな。「こす」は來るの敬語と解する。「ゆめ」は禁止の副詞。
 
2376 健男《ますらを》の現《うつ》し心も吾は無し夜晝《よるひる》といはず戀ひしわたれば
 
〔譯〕 立派な男としての本心も、自分はもう無くしてしまつた。かうして夜といはず晝といはず、戀ひこがれつづけてゐるので。
〔評〕 「健男の現し心も吾は無し」は、「丈夫のこころは無しに」(九三五)や「丈夫とおもへる吾や」(九六八)などと共に、大丈夫の意識の上に立つものとして、萬葉男子の強い自尊心を知るに足る語である。その自尊心も、戀ゆゑには崩れがちなことを告白してゐる萬葉人は、まことに率直にして天眞爛漫である。「うつせみの現しごころも吾は無し妹を相見ずて年の經ぬれば」(二九六〇)も同想で、語句も似てゐる。
 
2377 何せむに命|繼《つ》ぎけむ吾妹子に戀ひざる前《さき》に死なましものを
 
〔譯〕 何の爲に自分は今までかうして生き長らへて來たのであらう。あのいとしい女に戀をしない前に死んでしまふべきであつたのに。
〔評〕 思ひあまり、思ひくづほれた男の詠歎である。戀に惱む人情の通有性に觸れたものがあり、上の「二三五八」の旋頭歌と同工異曲である。
〔語〕 ○命繼ぎけむ 命を續けて生きて來たであらう、の意。○死なましものを 死んでしまふべきであつたのに、(284)かうして生きてゐるのが却つてうらめしい。
 
2378 よしゑやし來《き》まさぬ君を何せむに厭《いと》はず吾は戀ひつつ居らむ
 
〔譯〕 ええままよ、いくらお待ちしてゐても、來ても下さらないお方を、何のためにいつまでも辛抱づよく、私は慕ひ續けてをりませうぞ。
〔評〕 戀に破れた女の自棄の叫が、あはれに力強く響いて來る。まだ絶望までには至つてゐない、一縷の未練を繋いでゐるらしい口吻が殊にあはれである。
〔語〕 ○よしゑやし ままよ。どうならうとかまひはせぬの意。「ゑ」も「やし」も感動の助詞。
 
2379 見わたせば近きわたりを徘徊《たもとほ》り今や來《き》ますと戀ひつつぞ居《を》る
 
〔譯〕 見渡すとすぐ近い渡り場であるのに、人目を避けてあちこち歩きまはつて、もうおいでなさりさうなものと、戀ひこがれてゐます。
〔評〕 川一筋を隔てて近くに住む戀人の、來ること遲きにじれて、とつおいつ思案しながら待つ女の姿が想像される。男が今來訪の途上にあるかどうか、わからないのであるが、人目を忍ぶ爲のまはり道などを空想してゐるところ、こまかい女性心理をよく描き出してゐる。「見渡せば近き里みをたもとほり今ぞ我が來る領巾振りし野に」(一二四三)と似てゐるが、一首の作意は別である。
〔語〕 ○近きわたりを 近い渡り場であるのに。「わたり」は水邊の渡り場をいふ。「あたり」の意に用ゐるのは平安時代以後てある。○徘徊り あちこちとゆきつもどりつして。
 
(285)2380 愛《は》しきやし誰《た》が障《さ》ふれかも玉|桙《ほこ》の路《みち》見忘れて君が來まさぬ
 
〔譯〕 誰が邪魔するからであらうか、ここにおいでの道を見忘れて、なつかしいあなたが少しもいらつしやらないことよ。
〔評〕 男の疎遠に對して、女が娩曲に恨みを述べたのである。「誰が障ふれかも」の輕い皮肉、「路見忘れて」のとぼけた言葉など、一見輕く穩かなやうで、實は機鋒甚だ鋭いものがある。初句は、五句の「君」へかかると一般に解かれてゐるが、「愛しきやし誰が」とかかるとすると、一層痛切な皮肉となる。
〔語〕 ○愛しきやし 可愛い、いとしい。○路見忘れて 總釋では「道見忘れてかも」の意を略してかく言ひ」「誰が障ふれかも」「道見忘れて(かも)」の兩對立句を「君が來まさぬ」の結句で承けたものと見てゐるが、語法的には無理であらう。
 
2381 君が目の見まく欲《ほ》しけくこの二夜千歳の如《ごと》も吾が戀ふるかも
 
〔譯〕 あなたのお姿の見たさ。この二夜といふもの、千年も過すやうな氣持で、私は焦れてゐることであります。
〔評〕 二夜と限定したのは、無論事實に即しての語であらう。所謂一日千秋の思は、戀する男女にとつて常套語に外ならないが、事實を訴へた「二夜」がよく利いてゐる。「ただ一夜隔てしからにあらたまの月か經ぬると心はまどふ」(六三八)も同じ感情である。
〔語〕 ○見まく欲しけく 見たいと思ふこと。
 
2382 うち日さす宮|道《ぢ》を人は滿《み》ち行けど吾が念《おも》ふ公《きみ》はただ一人のみ
 
(286)〔譯〕 御所への大通りを、人は一ぱいに歩いてゐるけれども、私の心に思つてゐるお方はただ一人、あなたばかりであります。
〔評〕 單純にして率直、戀する女性のひたむきな眞情が強く人を搏つ。思ひつめた感情であるだけに、家持の、「百磯城の大宮人は多かれどこころに乘りて念ほゆる妹」(六九一)よりも、情熱に於て數段まさつてゐる。「敷島のやまとの國に人二人ありとし念はば何か歎かむ」(三二四九)と並べ稱すべき佳作である。
〔語〕 ○うち日さす 宮にかかる枕詞。「四六〇」參照。
 
2383 世の中し常斯くのみと念《おも》へども半手《かたて》忘れず猶戀ひにけり
 
〔譯〕 世の中は常に斯くままならぬものと觀念してゐるけれども、一方では又、忘れられないで、やはりあなたを戀しく思うてゐます。
〔評〕 障りの多い戀に惱む人の、且思ひ且諦め、反復して環の瑞なきが如く、心を千々に勞する樣があはれである。すぽりと投げ出したやうな四五句の表現が、却つて効果を擧げてゐる。
〔語〕 ○半手忘れず 片一方では忘れないでの意と思はれる。「かたて」は集中他に用例はないが、有り得ぬ語ではあるまい。源氏物語紅葉賀の卷に、源氏に對して頭中將のことを、「片手もけしうはあらずこそ見えつれ」とあるのは同意である。
〔訓〕 ○半手 改字説が多いが、肯ひがたい。二手また左右手をマデと訓んでゐる「二三八」「一一八九」から「カタテ」といふ語もあつたと考へられる。ハタワスラレズ、ハタワスレズテと半手をハタとよむ説もある。
 
2384 我背子は幸《さき》く坐《いま》すと遍《かへ》り來《き》て我に告げ來《こ》む人も來《こ》ぬかも
 
(287)〔譯〕 私の夫は無事でいらつしやると、旅先から歸つて來て、私に知らせに來る人が來ないかなあ。誰か來てくれればよいのに。
〔評〕 旅にある夫の身を案じ暮してゐる妻の心である。一たび家を離れると、歸宅まで杳として夫の消息を知ることの出來ない妻の身としては、せめて夫が旅先で偶然逢つた知人に托した傳言でもと、あいな頼みをかけるのも、まことに無理ならぬ眞情であらう。
〔訓〕 ○人も來ぬかも 白文「人來鴨」。今、古義の訓に從ふ。「二三六六」參照。
 
2385 あらたまの五年|經《ふ》れど吾が戀の跡無さ戀は止《や》まず恠《あや》しも
 
〔譯〕 五年といふ長い年月がたつたけれども、自分の戀の、此の遂げられない厄介な戀は、思ひ諦められないのが、實に不思議なことであるよ。
〔評〕 五年の永い月日を空しい片戀に惱んでゐる人の、なほ思ひ斷ちがたい我が心を省みて自らいぶかつた歌である。愛慾の根づよさと悠々たる時代相とが思はれる。
〔語〕 ○あらたまの 「年」の枕詞。「四四三」參照。○跡無き戀 何の効果もない戀の意で、片戀のこと。
〔訓〕 ○吾が戀の 白文「吾戀」、舊訓ワガコフルに從ふ人が多いが、調の上から代匠記初稿本の書入ワガコヒノに從ひ、次の句と同格の疊語とする方が面白い。
 
2386 石《いはほ》すら行き通《とほ》るべき健男《ますらを》も戀とふ事は後悔いにけり
 
〔譯〕 大磐石でさへも尚突き破つて通つてゆくやうな偉丈夫でも、戀といふことになると、つい不覺な振舞もして、後で悔むものであつたよ。
(288)〔評〕 大丈夫の矜持も、戀の前には脆くも屈するといふ趣を敍した作は集中に少くないが、この歌は殊に心理的に面白い。一二句に表はされた、何物にも屈せぬ丈夫の意氣が、猪突的であるだけに、それが戀愛によつてはじめて躓き、意のままにならぬことを知つたのは、大きな痛手であつたに相違ない。その太い呻吟の聲が、即ちこの歌であつた。
〔語〕 ○いはほすら 大きな磐石でさへも尚且つ。○行き通るべき 突破して通過するやうな。
 
2387 日暮れなば人知りぬべし今日《けふ》の日の千歳の如も在りこせぬかも
 
〔譯〕 日が暮れてしまふと、人目が多くなつて人が知つてしまふであらう。今日の一日が暮れずに、千年のやうに長くあつてくれないかなあ。
〔評〕 晝間戀人に逢うてゐる喜びを側面から語つてゐる。初二句の眞意は捕捉に困難であるが、何か日が暮れたらば却つて人目につき易い特殊な事情でもあつたものか、と略解は疑つてゐる。三句以下の表現は、すらりとして自然なところがよい。
〔語〕 ○在りこせぬかも あつて欲しいものであるの意。「一一九」參照。
〔訓〕 ○日暮れなば 白文「日※[人偏+弖]」は、西本願寺本の頭書による。※[人偏+弖]は「低」の異體字で、日の沈みゆくをあらはしたものと思はれる。
 
2388 立ちて坐《ゐ》てたどきも知らず思へども妹に告げねば間使《まづかひ》も來ず
 
〔譯〕 立つたり坐つたりして、とるべき手だてもわからないほど、自分は戀しく思つてゐるけれども、女にそれを打明けてやらないので、先方からは使も來ないことであるよ。
〔評〕 結句はやや唐突の感がないでもない。使も來ないといふのは勿論片恋戀ではなく、既に交情はありながら、女よ(289)りも男の方がより熱してゐる場合と思はれる。
〔語〕 ○たどきも知らず なすべき手段方法もわからず。○間使 兩者の間を往來する使。「二三四四」參照。
 
2389 ぬばたまのこの夜な明けそ朱《あか》らひく朝行く君を待たば苦しも
 
〔譯〕 どうか今夜はこのまま明けてくれるな。朝歸つて行かれるいとしいお方を、また夜いらつしやるまで待つてゐては、やりきれないことであるから。
〔評〕 甘くなつてしまひさうな境地であるが、聊かもその弊に墮してゐないのは、作者の人がらによるのであらう。湯原王の、「天にます月讀をとこまひはせむこよひの長さ五百夜繼ぎこそ」(九八五)は月をめづる爲の希望であり、これは戀に焦るるが故の念願で、共に空想ではあるが、切なる心情が溢れて強く人に迫るものがある。
〔語〕 ○ぬばたまの 「夜」の枕詞。○あからひく 赤らに光る義で、明けゆく日の光より朝につづく枕詞。ぬば玉の夜と、あからひく朝とを對照させたもの。
〔訓〕 ○待たば苦しも 白文「待苦」、舊訓はマテバクルシモ。今、代匠記による。「三六八二」「三九九八」參照。
 
2390 戀するに死《しに》するものにあらませば我が身は千遍《ちたび》死反《しにかへ》らまし
 
〔譯〕 戀の爲に焦れ死《じに》をするものであるならば、自分の身は、千|遍《べん》も死んでは死に、死んでは死にすることであらう。
〔評〕 戀の苦惱に喘ぐ人が、命も死にさうであるといふのは實感であり、しかも自分の死なずにゐるのを、むしろ不思議と思ふのも僞りのないことであらう。この歌は、その僞らぬ心もちを敍して頗る熱烈なやうに見えるが、しかし再誦すると、假設法などを用ゐ、理路に墮した作爲があり、感情を弄んだ傾は覆ひ難い。笠女郎の、「思ふにし死するものにあらませば千たびぞ吾は死かへらまし」(六〇三)は、この歌をそのまま借り用ゐて、二三の文字を換へた(290)のみである。
〔語〕 ○死する 「鯨魚取り海や死《しに》する」(三八五二)に同じ。○死反らまし 死ぬことを繰返してゐることであつたらう。
 
2391 玉ゆらに昨日の夕《ゆふべ》見しものを今日の朝《あした》に戀ふべきものか
 
〔譯〕 ほんの暫くの間ながら昨日の夕方お逢ひしたばかりであるのに、今朝このやうに戀しく思ふといふことがあるものか。我ながら不思議である。
〔評〕 相見ても相見てもあきたらないのは、戀する男女の眞情であらう。僅かに半夜を隔ててまた思慕の心やみがたくなる自らを、且怪しみ且叱りたしなめてゐるところ、讀者の同情を惹くに値するものがある。
〔語〕 ○玉ゆらに しばしの程。玉と玉とが觸れて鳴る僅かの時間の義とされるが、上代、他に用例はない。
〔訓〕 ○玉ゆらに 白文「玉響」、荒木田久老はタマサカニ、新校はマサヤカニと訓むが肯ひがたい。
 
2392 なかなかに見ざりしよりは相見ては戀《こほ》しき心まして念《おも》ほゆ
 
〔譯〕 まだ逢はずにゐた時分より、逢つてから後は却つて戀しい心がはげしくなつたやうに思はれることである。
〔評〕 いつの世にも變らぬ愛戀の道の惱みである。藤原敦忠の、「逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」(拾遺集)は同想の歌で特に人口に膾炙してゐるが、本集中にも、「相見てはしましく戀はなぎむかと思へどいよよ戀ひまさりけり」(七五三)「相見ては戀慰むと人は言へど見て後にぞも戀ひまさりける」(二五六七)など類歌が尠くない。
 
(291)2393 玉|桙《ほこ》の道行かずしてあらませば惻隱《ねもころ》斯《か》かる戀に逢はざらむ
 
〔譯〕 道などに出て行かないでゐたらば、しみじみと切ないほどにこんな戀に逢ふことはなかつたらうに。たまたま外出して美しい人を見たばかりに、かうも苦しい思をする。
〔評〕 行きずりに一目見たばかりの戀に苦しんで、道などに出なかつたらばと後悔するまでの情には、古人のひたむきの眞實と、單純さとがよく想像される。詞調切實な歌である。
〔訓〕 ○ねもころ 白文「惻隱」、舊訓シノビニは非。今、考の訓による。この字面をネモコロと訓むべき證は「二四七二」「二四七三」等にある。○戀に逢はざらむ 白文「戀不相」、舊訓コヒニアハマシヤは、字面に忠ならぬ憾がある。代匠記のコヒニハアハジヲ、考のコヒニハアハジ等は、聲調の上からコヒニアハザラムと訓むの強きに若かないであらう。
 
2394 朝影に吾が身はなりぬ玉|耀《かぎ》るほのかに見えて去《い》にし子故に
 
〔譯〕 朝日にうつる影のやうに、自分の身は細々とやせてしまつた。ほんのちらりと見えたばかりで、通り過ぎて行つた女だのに、その女の爲に。
〔評〕 前のと同じやうに、一目見た戀であるが、これは更に思に痩せ細つて影のやうになつたといふのである。流麗清雅、二句切れの倒装法も落ちついて力がある。
〔語〕 ○朝影に吾が身はなりぬ 朝日を受けた人影の細長く地上に映ることから、痩せ衰へたことをいふ。○玉耀る 枕詞。「四五」參照。
〔訓〕 ○ほのかに見えて 白文「風所見」、この歌は卷十二「三〇八五」と詞句等しいので、それによつて訓む。
 
(292)2395 行けど行けど逢はぬ妹ゆゑひさかたの天《あめ》の露霜にぬれにけるかも
 
〔譯〕 幾ら道を行つても行つても逢ふことのない女のために、空から降る冷い露に濡れたことではある。
〔評〕 簡淨素朴な表現の中に、磨き上げられたやうな微妙な光澤がある。おほらかに迫らぬ聲調にも、ほのかな哀韻が籠つて、情趣清醇と評すべきである。度重ねて訪れる度につれなく會つてくれぬと解するよりも、道に出逢ふことを期待して、空しく歩きつづけたと見る方があはれである。
〔語〕 ○逢はぬ妹ゆゑ 逢ふことのない、そんな妹のために。○露霜 ここは只露の意に見るべきであらう。
〔訓〕 ○ゆけどゆけど 白文「行行」通行本による。代匠記初稿本にユキユキテとある。ユクユクトと訓んで、滯りもなく、心ゆくばかりと解することも出來る。
 
2396 邂逅《たまさか》に吾が見し人を如何《いか》ならむ縁《よし》を以《も》ちてか亦一目見む
 
〔譯〕 偶然の機會で逢つた人を、これからどんな手段を用ゐて、また一目でも見ることが出來ようかなあ。
〔評〕 何の奇趣もない。ありの儘の表現で、戀する人の眞情ではあるが、ただそれだけの作である。
〔話〕 ○たまさかに 偶然に。ふとした機會で。今の口語にも用ゐるに同じい。
 
2397 暫《しまし》くも見ねば戀《こほ》しき吾妹子を日に日に來《く》れば言《こと》の繋けく
 
〔譯〕 暫くの間でも逢はないでゐると戀しい自分の愛人だのに、逢ひに毎日くると、世間の口がうるさいこと。
〔評〕 これも戀する人の惱みとして共通の情である。取り立てていふ程のこともない歌である。
〔語〕 ○吾妹子を 吾妹子なるものを。○日に日に 毎日の意、集中に用例が多い。
 
(293)2398 年きはる世まで定めて恃《たの》めたる君によりてし言《こと》の繁けく
 
〔譯〕 命の盡きる世まで變るまいと約束して、私に信頼させてゐるあのお方ゆゑに、人の評判がほんにうるさいこと。
〔評〕 一體に使用字數の少い人麿集の中でも、これは極端に尠くて、「年切及世定恃公依事繁」の僅々十字に過ぎない。それで讀み添への語如何によつて訓も種々になり、從つて歌意にも相違を來すわけであるから、十分な批評を下すことは困難である。
〔語〕 ○年きはる 年齡の極まる、命が盡きるの意と思はれるが、他に用例を見ない。○恃めたる たのみにさせた、信頼させたの意。
〔訓〕 ○年きはる 白文「年切」、略解に「年」は「玉」の誤としてゐるが、諸本皆この通りである。この儘でよいのであらう。
 
2399 朱《あか》らひく膚《はだ》にも觸れず寢たれども心を異《け》しく我が念《も》はなくに
 
〔譯〕 美しいそなたの膚に觸れないで獨寢をしてゐるけれども、これは餘儀ない事情ゆゑであつて、そなた以外に心を分けて思つてゐることではない。
〔評〕 一二三句は可なり官能の匂が強いが、若い男の障る事があつて妻のもとに行かれずにゐる悶々と、ひたすら妻の機嫌を損じまいとする焦慮とが痛切に出てゐる。
〔語〕 ○朱らひく 美しぐ赤味を帶びてゐる膚とかかる枕詞。他、普通の修飾語と見る説もある。
〔訓〕 ○膚にも觸れず 白文「秦不經」。ハダニフレズテとも訓める。○心をけしく 白文「心異」。ココロヲコトニとも訓める。
 
(294)2400 いで如何《いか》に極太《ここだ》甚《はなはだ》利心《とごころ》の失《う》するまで念《も》ふ戀ふらくの故
 
〔譯〕 いやもうどうして、かうも大變に甚しく、自分は平素のしつかりした心が無くなつてしまふ程、深く思ひ込んでゐることであらう、人に戀するといふことの爲に。
〔評〕 人戀しさの思に理性も意地も失せ果てたのを、我といぶかつたのである。常は益良雄を以て任じてゐる身が、この始末はどうした事ぞといふ自責自悔の念が、太い吐息となつて漏れてゐる。初二句の佶屈にして直線的な語調は頗る力があり、四句まで一氣に押し下して打切り、更に一句を打返して結收した句法も甚だ効果的である。
〔語〕 ○極太甚 かくも大變に甚しくの意で、下の「念ふ」にかかる副詞。○利心 しつかりした心。今日云ふ理性といふに近い語。○戀ふらく 戀ふることの義で、名詞格。
〔訓〕 ○ここだ 白文「極太」、「極此疑伊豫の高嶺の」(三二二)でコゴシカモと訓んでゐるのに徴すれば、ココダと訓んでよい。
 
2401 戀ひ死なば戀ひも死ねとや我妹子が吾家《わぎへ》の門を過ぎて行くらむ
 
〔譯〕 戀ひ焦れて死ぬならば、焦れて死ねとでもいふつもりで、自分の思ふ女は、あのやうに、自分の家に立寄りもしないで、門前を通り過ぎてゆくのであらうか。
〔評〕 冷淡な女に對する男の恨が、婦人の行動を具體的に描寫した四五句によつて、いきいきと現はされてゐる。但、「戀ひ死なば戀ひも死ねとや」は「二三七〇」「三七八〇」にもあつて、既に成句となつてゐたものとも思はれるが、この歌は、聲調の諧和といふ點で一頭地を拔いてゐる。
〔語〕 ○過ぎて行くらむ 「らむ」は、門を過ぎ行く女の心を推量するものである。
 
(295)2402 妹があたり遠く見ゆれば恠《あや》しくも吾はぞ戀ふる逢ふ由を無み
 
〔譯〕 いとしい女の家の邊が遙かに見えると、吾ながら不思議なほど、自分はあの女を戀しく思ふことである、あふべき手段がないので。
〔評〕 逢へぬとは知りつつ、せめてはなつかしい女の家のあたりでも望み見ようとして、出かけた途中での作か。或は他の用で出て、途中女の家を遠望したのででもあらうか。平淡な作である。
〔訓〕 ○遠く見ゆれば 白文「遠見者」。略解にトホクシミレバと改めたが、舊訓の方がよい。
 
2403 玉|久世《くせ》の清き河原に身祓《みそぎ》して齋《いは》ふいのちは妹が爲こそ
 
〔譯〕 玉久世の清い河原でみそぎをして、自分の命が長かれと祈るのも、愛する女の爲なのである。
〔評〕 上代の禊祓の風習が想ひやられ、また當時の人々の神に對する敬虔の念がよく表はれてゐる。四五句の調子が張りきつて、いかにも男性的の歌である。「三二〇一」の歌も同じ構想で、四五句も同じい。
〔語〕 ○玉久世の清き河原 玉は美稱で、山城久世郡の久世河。「一七〇七」に「久世の鷺坂」とある。クセを河原の同義とする説は肯ひがたい。○齋ふいのち 「いはふ」は不淨を祓ひ淨めること。それによつて身命を守る意で、即ち人が命を殞すのは、穢に犯される爲と考へたのである。「齋ふいのち」の句は「四四〇二」にもある。
〔訓〕 ○妹が爲こそ 白文「妹爲」、考の訓による。通行本イモガタメナリ。
 
2404 思ひ依《よ》り見依りにものはありなむを一日の間《ほど》も忘れて念《おも》へや
 
〔譯〕 すべての物事は、思へばますます接近し、見ればいよいよ近寄るものであらうのを、自分はそなたを、一日の(296)間でも忘れようか、決して忘れはしないのに。
〔評〕 この歌は字面があまりに簡單である爲に、一二三句が訓み難く、隨つて解釋も種々あるが、いまだ拍案の説に接しない。
〔語〕 ○思ひ依り 思ふが故に、心がその方へ寄り添ふ意。○見依りに物はありなむを 見るが故に心がその方へ牽かれるといふやうに、何事もあるのであらうに。○忘れて念へや 忘れて思はむや、即ち、忘れむやの意。
〔訓〕 ○思ひ依り 白文「思依」、今、嘉暦本、古義の訓等による。特殊假名遣では、依るのヨと、助詞よりのヨとは類を異にするので、舊訓オモフヨリは不適當である。
 
2405 垣穗なす人は言へども高麗《こま》錦紐解き開《あ》けし君ならなくに
 
〔譯〕 高い垣根のやうに、繁くうるさく、二人の間を人は噂してゐますけれども、高麗錦の紐を解きあけて相寢たといふあなたでもありませんのに、恨めしいことです。
〔評〕 その實はないのに、早くも噂が立つたことを迷惑がり恨んだとみるは淺い解釋である。浮名のみ立ちながら實のないのをもどかしがつて、にえきらぬ男に迫つたものと見るべきである。
〔語〕 ○垣穗なす 垣の高く繁い如くの意。穗は秀である。この句は、「七一三」「一七九三」「一八〇九」にも用ゐられてゐる。○高麗錦 高麗で織つた錦の意。ここは「紐」の枕詞。
〔訓〕 ○ひもときあけし 白文「紐解開」。通行本ヒモトキアクル、考ヒモトキサケシ。略解による。○君ならなくに 白文「公無」。考による。これを「五〇六」の「火にも水にも吾なけなくに」によつて「君なけなくに」とよむ時は、「相寢たあなたが無いではない。あなたのことでありますから、どんなにいはれても我慢をしてゐます」の意になる。次の歌の評の終に記すやうに、次のと連作と見る時は、「ならなくに」の方がよいと思はれる。
 
(297)2406 高麗錦紐解き開《あ》けて夕《ゆふべ》とも知らざる命戀ひつつかあらむ
 
〔譯〕 高麗錦の紐を解きあけて、私は夕方まで保たれようとも分らぬ命であるのに、かうしてあのお方を戀ひ慕つてゐることかなあ。
〔評〕 戀に悶え苦しむあまりに、わが命の絶えむかとまでに思ひつつ、來ぬ人を待をわびてゐる女の優婉な姿が、物あはれに浮んで來る。「紐解きあけて」の句が極めて自然に讀者に受け入れられるまでに突きつめた心情である。結句の詠歎もよく利いてゐる。前の歌の三四句とこの歌の初二の句と同じいのは、前の歌と二首の連作とも見られる。或は、同じ句を用ひてあるから並べ載せたのであらうか。
〔訓〕 ○ゆふべとも 白文「夕戸」、上代特殊假名遣では、「戸」は助詞のトとも、「ユフヘ」のヘとむ類を異にするので、「谷」の誤とする考の説、或偲「友」の誤といふ略解補正の説に從ふべきかとも思はれるが、姑くこのまま舊訓に從ふ。「二一二」に「生跡毛無」、また「二二七」には「生刀毛無」とし、跡、刀、兩類に屬する假名を用ゐたと同じく、トについては比較的早く混同された例かとも思はれる。
 
2407 百積《ももさか》の船こぎ入るる彌占指《やうらさ》し母は問ふとも其の名は謂《の》らじ
 
〔譯〕 大船の漕ぎ入れる浦――そのウラではないが、色々と多くの占をして、母は問うても、私は決してあなたの名は申しますまい。
〔評〕 女がその戀人に誓ふ歌である。卜占を重んじた上代民間の風俗習慣も窺はれて面白く、正述心緒の歌としては長い序を用ゐた點も變つてゐる。
〔語〕 ○百積の船 大船をいふ。「百さか」は、代匠記に、百|斛《さか》又は百|尺《さか》の意としてゐる。前者ならば百石積む船、(298)後者ならば百尺の船の義となる。○彌占指し 多くの占にかけて判斷しての意。「浦」の同音から聯想して「占」につづけたもの。
〔訓〕 ○こぎ入るる 白文「潜納」、潜入の義であらう。古義には、「漕納」の誤としてゐる。
 
2408 眉根《まよね》掻《か》き嚔《はな》ひ紐|解《と》け待つらむか何時《いつ》かも見むと念《おも》へる吾を
 
〔譯〕 眉を掻いたり、嚔をしたり、下紐が解けたりして、待つてゐてくれるであらうか。いつまあ逢へるか、早く逢ひたいと思ひ焦れてゐる自分のことを。
〔評〕 上代の俗信で眉が痒くなつたり、嚔が出たり、下紐が解けたりするのは、人に戀せられる兆と考へられてゐたことは、集中多くの例歌によつて知られる。この歌は、かかる俗信の集大成か、標本とも思はれて興味が深い。但、「二八〇八」の歌はこの歌の異傳であらう。
〔語〕 ○眉根掻き 「五六二」「九九三」「二六一四」等參照。○嚔ひ くさめをする。「二六三七」參照。
 
2409 君に戀ひうらぶれ居《を》れば悔しくも我が下紐の結《ゆ》ふ手|徒《いたづ》らに
 
〔譯〕 あなたに戀ひ焦れて思ひしをれてゐると、悔しいことにまあ、私の下紐が結んでも結んでも解けて、結ぶ手がむだでありますよ。
〔評〕 戀人を待ちわびてをる宵の、おのづから解ける下紐を引結びつつ、嬉しい期待をもつてゐたものの、時刻のたつにつれて空しいあいなだのみに、心も萎れてゆく樣が、あはれ深く描き出されてゐる。結句の字餘りも、次第に消えてゆく餘韻を曳いて、絶え入るやうな遣瀬なさの思を寫すにかなつてゐる。
〔語〕 ○うらぶれ居れば 悄然と思ひしをれてゐると。「八八七」參照。○我が下紐の 下紐の解けるのは人に戀せ(299)られてゐるといふ前掲の俗信に基づいていふ。下紐は衣の外部に見えぬ紐。○結ふ手徒らに いくら結んでも徒勞である、即ち逢へさうな前兆だけで、實際に來て下さらないから、何にもならぬの意。
 
2410 あらたまの年は果《は》つれど敷妙の袖|交《か》へし子を忘れて念《おも》へや
 
〔譯〕 年は果てて、今年もいよいよ終になつたが、袖をさし交はして共寢をした、あのいとしい女を自分は忘れようか、決して忘れはしない。
〔評〕 年末の感としてめづらしいと思はれるが、いとしい女に逢ひ初めた年が、名殘惜しくも將に暮れようとするのに對する、眞面目な感慨で、心を打つものがある。
〔語〕 ○敷妙の ここは「袖」の枕詞。「七二」參照。○忘れて念へや 忘れようか、忘れはせじの意。「六八」參照。
 
2411 白細布《しろたへ》の袖はつはつに見しからに斯《か》かる戀をも吾はするかも
 
〔譯〕 あの美しい人の袖をほんのちらりと見たばかりで、こんな遣瀬ない戀をまあ自分はすることかまあ。
〔評〕 ほのかに見た人に對する愛着を自らいぶかつたのである。女の姿を直接に描かず、「白たへの袖」とした象徴的手法は極めて巧みで、一首の上に効果を齎してゐる。心にくい至りである。
〔訓〕 ○袖はつはつに 白文「袖小端」、舊訓ソデヲハツカニ。略解ソデヲハツハツ。
 
2412 我妹子に戀ひて術《すべ》なみ夢《いめ》見むと吾は念《おも》へど寐《い》ねらえなくに
 
〔譯〕 あの女が戀しくて何とも仕方がないので、せめて夢にでも見ようと自分は思ふけれども、戀しい思で眠ることも出來ないことである。
(300)〔評〕 我妹子は妻とも戀人とも解されるが、後者と見た方が一首の趣からふさはしいやうに思はれる。
〔訓〕 ○戀ひてすべなみ 白文「戀無乏」舊訓による。「三〇三四」「三九七五」によつてコヒスベナカリと略解は訓んでゐる。但「乏」をスベとよむについては定説がない。○夢みむと 白文「夢見」イメニミムトと訓んでもよい。
 
2413 故も無く吾が下紐を解けしめつ人にな知らせ直《ただ》に逢ふまでに
 
〔譯〕 何の故もなく自然に私の下紐を解けさせたのは、あなたが私を思つて下さる證據でせうが、浮名が立つては困りますから、人に知らせないやうにして下さいませ、本當に逢ひますまでは。
〔評〕 人に戀せられる時おのづから下紐が解けるといふ信仰に基づいたものであつて、かなり複雜な心理を詠んでゐるが、聊か表現に洗練を缺いた點がある。
〔訓〕 ○解けしめつ 白文「令解」、嘉暦本には、トカシメテとある。代匠記精撰本による。○人にな知らせ 白文「人莫知」、古義の訓に從ふ。
 
2414 戀ふること意《こころ》遣《や》りかね出で行けば山も川をも知らず來にけり
 
〔譯〕 戀しさの心をどうにも晴らしかねて、家を出て行くと、途中の山も川も目にとまらず、こんな處まで來てしまつたことである。
〔評〕 戀の懊惱に堪へかねて、心も空にさまよひ歩く一人の若い男が浮ぶが、それは細々とした弱い姿でなく、率直素朴な人間の姿である。端的直截に近代性に富んだ表現が、強く讀者の共感を誘ふ。四五句が殊に優れてゐる。
〔語〕 ○意遣りかね 苦しい心持を抛擲しかねての義で、心を晴らし慰めることが出來ないで。
 
(301)   物《もの》に寄《よ》せて思《おもひ》を陳《の》ぶ
 
2415 處女等《をとめら》を袖|布留山《ふるやま》の瑞《みづ》垣の久しき時ゆ念《おも》ひけり吾は
 
〔題〕 「物に寄せて思を陳ぶ」は前の「正に心緒を述ぶ」に對する部立で、外の事物にことよせて、我が内心の思想感情を陳べる意である。
〔譯〕 少女達の袖を振るといふことから聯想される布留山の社の瑞垣が久しいやうに、久しい以前からあなたを思つてゐた、自分は。
〔評〕 「をとめ等が袖振山の瑞籬の久しき時ゆ思ひき吾は」(五〇一)と同一の歌で、少異あるに過ぎない。
〔語〕 ○處女等を 少女達よ、その少女達がといふ程の意で、「を」は詠嘆の助詞。
 
2416 ちはやぶる神の持《も》たせる命をも誰《た》が爲にかは長く欲りせむ
 
〔譯〕 神樣の御手の中にあつて、人力では如何ともし難いこの命を、誰の爲にか、長く生きるやうにと祈らうぞ、唯あなた一人の爲なのです。
〔評〕 人力では如何ともし難い生命をさへ、神に縋つてでも長くしようとする。それも自分一身の爲でなく、愛する人の爲であるといふところに、上代人の眞劍さ、純一さが窺はれる。「二四〇三」「三二〇一」などと同工異曲である。
(302)〔語〕 ○神の持たせる 神樣が持つていらつしやる、即ち神の掌握し給ふの意。
 
2417 石上《いそのかみ》布留《ふる》の神《かむ》杉|神《かむ》さびし戀をも我は更にするかも
 
〔譯〕 いそのかみの布留の社の神杉が神々しく古びてゐるやうに、こんな古びた年になつての戀を、自分は今更することかなあ。
〔評〕 老年に及んで戀をする率直な告白であるが、「一九二七」と殆ど同一歌の異傳と見てよい。
 
2418 如何《いか》ならむ名に負ふ神に手向《たむけ》せば吾が念《も》ふ妹を夢《いめ》にだに見む
 
〔譯〕 何といふ名を負ひ持つてをられる神樣に、幣帛を捧げてお祈りしたらば、自分の思つてゐるいとしい女を、せめて夢にでも見ることが出來るであらうか。
〔評〕 「如何ならむ名に負ふ神に」と新しい神を求めてゐるところ、既に多くの神々に祈つた末であることがわかる。また、「夢にだに」と最小限度を求めてゐるのは、現に逢ふことを願つたが、かなへられなかつたのを物語つてゐる。逢瀬の難さを喞つた痛切な歌である。
 
2419 天地といふ名の絶えてあらばこそ汝《いまし》と吾《われ》と逢ふこと止《や》まめ
 
〔譯〕 天地といふ名が絶えてしまつたらば、その時こそ、そなたと自分と逢ふことが止みもしよう。天地のあらむ限り、自分達の逢瀬は變りはしない。
〔評〕 壯大な氣格、如何にも丈夫の戀にふさはしい感がある。後なる「三〇〇四」の歌と比肩すべきものである。
〔語〕 ○天地といふ名の絶えてあらばこそ 天地といふものが無くなつたらばの意。
 
(303)2420 月見れば國は同《おや》じを山|隔《へな》り愛《うつく》し妹は隔《へな》りたるかも
 
〔譯〕 月を見ると何處も變らぬ光で、彼處も此處も國は同じであるのに、間に山が横はつてゐて、自分のかはゆい妻は遠く懸け離れてゐることであるよ。
〔評〕 月を仰いで遠妻を思ふ歌。初二句の詠歎は單純幼稚なやうで眞情が流露して居り、上代人の素直さが躍如としてゐる。「月見れば同じ國なり山こそは君があたりを隔てたりけれ」(四〇七三)を古人の作として載せてあるのは、この歌を指すのであらう。「隔り」を二つ重ねなのは、巧まずして自然のよき諧調をなしてゐる。
 
2421 木幡路《こはたぢ》は石《いは》踏《ふ》む山の無くもがも吾が待つ君が馬|躓《つまづ》くに
 
〔譯〕 木幡からこちらへ來る道には、岩石のごつごつした山が無ければよいのに。私が待つてゐるあのお方の馬がつまづくといけないから。
〔評〕 山城の木幡を越えて通つて來る愛人を待つ女のやさしい心が溢れてゐる。三句切れではあるが、上下の句の倒置法がよく利いて、格調も整つてゐる。
〔訓〕 ○木幡路は 白文「?路者」、「?」は旗布の平幅の意であるから、木幡をかくかいたとする定本の訓によつた。代匠記は「繰」の誤と見て「來《く》る」の意としてゐる。猶考ふべきである。
 
2422 石根《いはね》踏《ふ》み隔《へな》れる山はあらねども逢はぬ日|數多《まね》み戀ひわたるかも
 
〔譯〕 岩石を踏んで行くやうな、邪魔する山が途中に重なつてゐるわけではないけれども、あのお方と逢はぬ日數が積つたので、戀しく思ひ暮してゐることである。
(304)〔評〕 前の歌と似た語句はあるが、別な歌で、新考に前の歌の答と見たのは誤である。何か支障があつて逢へぬのを歎いたもの、一通りの作である。
〔語〕 ○へなれる山 兩人の間に重なり隔てる山。
 
2423 路《みち》の後《しり》深津島山|暫《しまし》くも君が目見ねば苦しかりけり
 
〔譯〕 備後の國の深津島山といふ名のやうに、暫くの間も、あなたのお姿を見ないと、苦しいことであります。
〔評〕 單純な普汎的の内容を、平明な調で歌つてゐる。序からの續き工合が輕快であるが、かうした固有の地名が詠み込まれてゐるのは、恐らくその地方の俚謠であつたらう。
〔語〕 ○路の後 すべて一國の内で京に遠い方面をいふ。道の口・道の中に對する語。ここは吉備の道の後、即ち備後國をさす。○深津島山 和名抄に、備後國深津郡布加津をあるところ、今は安那郡と合併して深安郡となつてゐる。島山は今の福山市附近の隆起したところで、古昔この邊まで海が入り込んでゐたのであらうと考へられる。以上二句、シマの音を繰返して「しましくも」に懸けた序。
 
2424 紐鏡|能登香《のとか》の山は誰《たれ》ゆゑか君來ませるに紐あけず寐《ね》む
 
〔譯〕 能登香の山は、紐を解くなといふ名の山であるが、折角あなたがお出になつたのに、紐をあけずに寢ようとは、一體誰のためなのであらう。
〔評〕 美作地方に行はれた俚謠であらう。いかにも民謠らしい開放的な調子で、普汎的な情痴を歌つてゐる。
〔語〕 ○紐鏡 裏面の紐に紐のついた鏡。ここはその紐を解くなの意の「な解き」から類音の「能登香」の枕詞とした。能登香の山 美作名所栞によれば、美作國津山市附近で今の二子山のこと、山上に二祠あり、一を能登香の神(305)といひ、よく膏雨を降らし、一を早風の神といひ、よく暴風を鎭めるとある。
 
2425 山科《やましな》の木幡《こはた》の山を馬はあれど歩《かち》ゆ吾が來し汝《な》を念《おも》ひかね
 
〔譯〕 山科の木幡の山を、馬は持つてゐるけれども、支度するのももどかしくて、徒歩で自分はやつて來ましたよ。そなたを思つて、じつとして居られないで。
〔評〕 これも民謠風の調子がある。但、理窟をいへば、戀人に逢ふ爲それほど心がせくならば、徒歩でゆくよりも、多少支度に時を費さうとも、馬でゆく方が早い筈であるが、ここは理窟を拔きにして、矢も楯もたまらずに、飛び出して來たといふ氣持を誇張していつたものと解すべきであらう。尚この歌は拾遺集に、「山科の木幡の里に馬はあれど歩よりぞ來る君を思へば」として載せられて以來有名となつて、源氏物語を始め、平治物語、謠曲、淨瑠璃、長唄等にまで引用されてゐる。
〔語〕 ○山科の木幡の山 山城國にあり、古昔京都から宇治へ行く途中に越えた山、今は宇治町に屬する。○歩ゆ吾が來し 徒歩で自分は來たの意。「ゆ」は「より」に同じく、行旅の手段方法を示す。後の徒然草には「徒より詣でけり」などあり、今も長崎地方その他の方言には「汽車からゆく」「船から行く」などの言方がある。○汝を念ひかね お前を思ふに堪へかねて。
 
2426 遠山に霞|被《たなび》きいや遠《とほ》に妹が目見ずて吾は戀ふるかも
 
〔譯〕 遠山に霞がかぶさつていよいよ遠く見えるやうに、逢つた日も遠ざかり、長い間いとしい女の姿を見ないで、自分は戀ひ焦れてゐることである。
〔評〕 ありふれた内容で、その表現も、四五句の主要部分は特にいふべきことも無い。しかし、縹緲たる序詞の幽韻(306)が、一首の上に少なからぬ効果を將來してゐる。
〔語〕 ○遠山に霞たなびき 「いや遠」に懸けた序。
〔訓〕 ○霞たなびき 白文「霞被」、舊訓による。
 
2427 是川《うぢがは》の瀬瀬《せぜ》のしき浪しくしくに妹は心に乘りにけるかも
 
〔譯〕 宇治川の瀬瀬に頻りに立つ浪のやうに、この頃頻りにいとしいあの女が自分の心に乘りかかつて、戀しく思はれることである。
〔評〕 この歌の本意は四五句にあつて、極めて普通の内容ではあるが、特異な表現が面白い。その爲であらうか「一〇〇」を始として「一八九六」「二七四八」「二七四九」「三一七四」など全く同一の句が、模倣襲用されて、どれが先鞭か知る由もなくなつたが、各序詞の巧拙で一首の價値に等差がついてゐるのは興味が深い。
〔語〕 ○瀬瀬のしき浪 初句以下これまで「しくしくに」にかかる序。○しくしくに 頻りに、絶間なくの意。「二〇六」參思。○妹は心に乘りにけるかも 愛する女が、自分の念頭に乘つて來て思考を支配する意。「一〇〇」參照。○是川 舊訓コノカハとあるが、略解所引春滿の説にウヂガハと訓むとあつて、「氏」と「是」とは通用の文字とし、和訓栞にもその由が見え、更に訓義辨證に漢書地理志の注等を引いて、この兩字の通用することを論じてゐる。○妹は心に 白文「妹心」從來イモガと訓んでゐるが、今、佐伯梅友氏の説に從ふ。詠歎の「かも」の結に對して「が」を用ゐることはないといふのである。
 
2428 ちはや人宇治の渡《わたり》のはやき瀬に逢はずありとも後は我が妻
 
〔譯〕 宇治川の渡り場の瀬の早いやうに、早い時期に逢はずにゐても、そなたは後には必ず自分の妻なのである。
(307)〔評〕 強ひても支障を排して早く逢はうといふ一途な女のあせり心を、自分も苦しさに堪へつつ、さすがに十分の思慮を落ちつけて宥めてゐる男の歌である。いかにも確信に滿ちてゐるやうな口吻の中に、頼もしさが感じられる。
〔語〕 ○ちはや人 枕詞。いちはやき人即ち勇猛な人の義で「氏」にかける。「一一三九」參照。○宇治の渡の 初句以下ここまで、「早き瀬」にかかる序。○はやき瀬 人言の繁き意とする代匠記の説は採らない。下に「後は我が妻」とあるから、早い時期の意と見られる。
 
2429 愛《は》しきやし逢はぬ子ゆゑに徒《いたづ》らに是川《うぢがは》の瀬に裳裾|潤《ぬ》らしつ
 
〔譯〕 なつかしい、しかし自分に逢つてもくれないあの女のために、何とかして逢はうと思つて、結局むだだつたのに、宇治川の瀬を渡つて着物の裾を濡らしてしまつた。
〔評〕 つれない女に思を焦しつつ、空しい努力を重ねる男の姿が見える。自棄や自嘲でなく、眞實な愛に執する人の歎聲である。「二七〇五」と同じ歌の異傳と思はれる。
〔語〕 ○愛しきやし 愛すべき、なつかしきの意。「一三八」參照。○徒らに 空しく、結局は何の役にも立たなかつたの意。
 
2430 是《うぢ》川の水泡《みなわ》逆卷《さかま》き行く水のこと反《かへ》らずぞ思ひ始《そ》めてし
 
〔譯〕 宇治川に浮ぶ水の泡が、逆卷きつつ流れて行く、その水の再び返らぬやうに、どんな事があつても思ひ返さぬ決心で、私はあなたを思ひそめたのであります。
〔評〕 女性の歌と思はれる。作者は恐らく宇治附近にゐたのであらうが、一すぢに思ひつめた強い心持が、おのづからこの強い譬喩を見出したものであり、それが歌詞の上にも傳はつてゐる。
(308)〔語〕 ○こと反らずぞ 言葉が變らないやうに、即ち思ひ翻すことのないやうに。
〔訓〕 ○こと反らずぞ 白文「事不反」、舊訓コトカヘサズゾも意は同じに歸するが、調子の上から新考の訓に從ふ。
 
2431 鴨川の後瀬靜けく後も逢はむ妹には我は今ならずとも
 
〔譯〕 鴨川の後瀬が靜かに流れるやうに、人の風評も靜まつた後に、あの女に逢はうと思ふ。とやかくと面倒の多い今、強ひてあはなくとも。
〔評〕 悠揚迫らぬ襟度に於いて、これ亦男性的の作といふべきであらう。但、四五句は既に成語化してゐたもので、「三〇一八」の如く三句以下全く同じものがあり、「五四一」「六九九」等にも類似の句がある。
〔語〕 ○鴨川 京都の賀茂川をさす。○後瀬靜けく 下流の瀬が靜かになるが如く、後日に至り人の風評が靜まつてからの意で、譬喩。
 
2432 言に出でて云はばゆゆしみ山川の激《たぎ》つ心を塞《せ》きあへにたり
 
〔譯〕 言葉に出して言つては障りがあるので、山川のわき立つやうな、はやる心をば、やつとのことでせきとめて耐へてゐることである。
〔評〕 「嘆きせば人知りぬべみ山川の激つ情を塞かへたるかも」(一三八三)と同趣であるが、彼がどこともなく女性らしい柔らかみのある歌調であるに比して、此は著しく男性的な強さが感じられる。
〔語〕 ○山川の 山川の如きの意。「山川」は山中を流れる川でヤマガハと訓む。
〔訓〕 ○塞きあへにたり 白文「塞耐在」、舊訓セキゾカネタルは不可。略解セキアヘテケリ、古義セカヘタリケリ、新考セキゾアヘタル、總釋セキアヘテアリなど諸訓がある。「在」をケリと訓むのはよくない。
 
(309)2433 水の上に數|書《か》く如き吾が命を妹に逢はむと祈誓《うけ》つるかも
 
〔譯〕 水の上に數を書くやうな、はかない自分の命であるのに、いとしい女に逢はうと、神に誓を立てて祈つたことである。
〔評〕 人の命のはかなさを、水の上に物書くことに譬へなのは、契沖も指摘したやうに佛典から得た知識である。しかしこの歌全體としては、佛教的無常觀の上に立つものではなく、やはり上代人らしい戀愛を表はしてゐるのである。四五句を味へば這般の消息がよく了解されよう。要するにこの譬喩は當時の尖端的知識であつて、作者はこの句を得て、道破し得たりと自ら會心の笑を漏らしたのではあるまいか。なほ、換骨奪胎ではあるが、古今集にもこの句は、「ゆく水に數書くよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり」として襲用されてゐる。
〔語〕 ○水の上に數書く如き はかないことの譬。代匠記に、涅槃經の句「是身無常念念不v住、猶如2電光・暴水・幻炎1、亦如2畫v水隨畫隨合1」から思ひついたものと説いてゐる。「數書く」は、物の數を一つ二つと數へながら線を書付けること。水の上に物を書くといふことを印象的にする爲に數といつたのであるが、文字や繪をいふよりは、當時としては、實際的であつたであらう。
 
2434 荒磯《ありそ》越《こ》え外《ほか》ゆく波の外《ほか》ごころ吾は思はじ戀ひて死ぬとも
 
〔譯〕 荒磯を越えて外に溢れ行く波のやうに、他人に移りゆくやうなあだし心は、自分は思ひも寄らない。よしや戀ひこがれて死んでしまはうとも。
〔評〕 「戀ひて死ぬとも」「戀ひは死ぬとも」は集中一種の型を成して多くあるが、この歌は序中の譬喩が極めて巧みであり、張り切つた格調も大によく、熱と力とが籠つてゐる。
(310)〔語〕 ○荒磯越え外ゆく波の この二句は「ほか」につづく序。
 
2435 淡海《あふみ》の海おきつ白波知らねども妹がりといはば七日越え來《こ》む
 
〔譯〕 近江の海に立つ白浪、その「しら」といふ音のやうに、女の住むところは知らないけれども、女のもとにといふならば、七日かかつても海山を越えて行かうとおもふ。
〔評〕 近江地方の俗謠ででもあらうか。旅などで逢つた女に、そなたのところはと聞くと、近江であるといふ。それならば幾日かかつても、海山を越えてでもそなたのところに行かうとの全釋の説によつて解した。
〔訓〕 ○妹がりといはば七日越え來む 白文「妹所云七日越來」で、イモガリトイヘバナヌカコエキヌとも訓まれる。「所云」を「二三六一」の訓の終に云うたごとくよむならば、イモガイヘラクナヌカコエコヨと訓まれる。
 
2436 大船の香取の海に碇《いかり》おろし如何《いか》なる人か物|念《おも》はざらむ
 
〔譯〕 香取の海に船が碇をおろすが、その「いかり」の「いか」といふ詞のやうに、いかなる人なのであらう、物思をせずにゐられるのは。羨ましいことである。
〔評〕 戀の物思に惱んでゐる人が、おのづから漏らした歎息であらう。四五句を、いかなる人が物思はぬことがあらうぞ、誰も皆物思をするものであると諦念の意に解する説もあるが、前に掲げた譯の方がよい。、いづれにしても、序は同音を重ねた技巧であるが、單にそれだけではなく、大船のどつしりと碇をおろした樣が象徴的に一首の上に働いて巧みである。「大船のたゆたふ海に碇おろし如何にせばかも吾が戀ひ止まむ」(二七三八)ともある。
〔語〕 ○大船の 大船の楫取《かぢとり》の省かれた「かとり」の枕詞。○香取の海 前後の關係から見て、下總の香取でなく、「いづくにか船乗しけむ高島の香取の浦ゆ漕ぎ出くる船」(一一七二)と洞じ琵琶湖西岸の一部と思はれる。○碇お(311)ろし 初句以下ここまで「如何なる」にかかる序。
 
2437 沖つ藻を隱さふ浪の五百重浪千重しくしくに戀ひわたるかも
 
〔譯〕 沖の藻を隱す浪が幾重とも數限り無く頻りに立つやうに、自分は幾重にも繁く絶間なく戀ひつづけてゐることである。
〔評〕 詞句は優雅に、聲調は暢達してゐる。しかしやや形式的に流れて、眞實味に乏しい憾がある。
 
2438 人|言《ごと》は暫《しま》しぞ吾妹《わぎも》繩手《つなで》引く海ゆ益《まさ》りて深くし念《おも》ふを
 
〔譯〕 人がかれこれと噂するのは暫くの間である。氣に懸けることはない。綱手を引いて舟を漕ぐあの海よりも、もつと深く自分はお前を思つてゐるのであるよ。
〔評〕 世間の風評を氣にして逡巡してゐる女に對し、信頼させ激勵する男の熱心な態度が看取される。
〔語〕 ○繩手引く 枕詞風の用法ではあるが、やはり實際的修飾の意味を持つたものと見たい。
 
2439 淡海《あふみ》の海おきつ島山奧まけて吾が念《も》ふ妹に言《こと》の繋けく
 
〔譯〕 近江の湖の沖の島山、その「おき」といふ詞のやうに、奧深く心の中で自分が思うてゐる女のことに就いて、人がとやかくと、うるさく言ひ騷ぐことである。
〔評〕 後に出づる「二七二八」の歌は、同一の歌の異傳である。又、序のこれに似た歌には、「長門なる沖つ借島奧まへて吾が念ふ君は千歳にもがも」(一〇二四)がある。要するに民謠として一つの型を成してゐるもので、地名を取換へて各地で歌はれたものであらう。
(312)〔語〕 ○おきつ島山 沖の方にある島山。延喜式神名帳に近江國蒲生郡奧津島神社とあり、今も湖上にある沖之島をいふ。以上「おき」と「おく」との類似音反覆によつてかけた序。○奧まけて 「奧まへて」に同じく、奧深くの意。或は、將來を期しての意とする。「まけて」は「夕かたまけて」の「まけ」と同じ。
 
2440 近江の海おきこぐ船に碇《いかり》おろし藏《をさ》めて君が言《こと》待つ吾ぞ
 
〔譯〕 近江の湖の沖を漕ぐ船に碇をおろして、船をおちつけるやうに、ゆつくり心を落ちつけてあなたからの嬉しいお言葉を待つ私なのであります。
〔評〕 序の續け方が巧妙とはいひ難いやうであるが、これも湖畔地方の俚謠であらう。
〔訓〕 ○をさめて君が 白文「歳公之」、舊訓カクレテキミガとあるが、「玉藻苅藏」(三六〇)、「苅將藏」(一七一〇)等の例に據り、ヲサメテと訓む。
 
2441 隱沼《こもりぬ》の下ゆ戀ふればすべを無《な》み妹が名|告《の》りつ忌むべきものを
 
〔譯〕 心の底で窃かに戀ひ慕つてゐると、苦しくて仕方がないので、つい、いとしい女の名を口に出してしまつた。憚るべきことであるのに。
〔評〕 忍ぶ戀の苦みに堪へかねて、心に秘めた愛人の名を口に出してしまつた不覺を後悔する男の歌である。枕詞以外には何の技巧もなく、率直にいひ放つたひたむきな所に力がある。なほ「二七一九」の歌は異傳と思はれ、「二九四七」は類歌である。
 
2442 大地《おほつち》も採《と》り盡《つく》さめど世の中の盡し得ぬものは戀にしありけり
 
(313)〔譯〕 大地でさへも、崩し採つてゆけばいつかは採り盡せるであらうが、この世の中で最も盡し得ないものは、戀といふものである。
〔評〕 構想が頗る雄大であり、表現は率直端的である。古今集の、「わが戀はよむとも盡きじ荒磯海の濱の眞砂はよみつくすとも」に比すると、似た構想でありながら、萬葉と古今との相違がはつきりわかる。
〔訓〕 ○採り盡さめど 以下二三四句、白文「採雖盡世中盡不得」、萬葉古徑二の訓により、以下舊訓による。
 
2443 隱處《こもりど》の澤泉《さはいづみ》なる石根《いはね》をも通して念ふ吾が戀ふらくは
 
〔譯〕 草に隱れた處にある澤の、泉のほとりめ横はる岩根でさへも、貫き通すやうな勢で一途に思ふことである、自分が戀ひ慕ふことは。
〔評〕 語句にも訓法にも疑問があり、從つて解釋も因難であるから、徹底した批評も下されない。「二七九四」にある歌も、同じ歌の異傳である。
〔語〕 ○隱處の 隱れた處の。「澤」の修飾語。○澤泉 地名ではない。澤にある泉の意。
 
2444 白檀弓《しらまゆみ》石邊《いそべ》の山の常盤《ときは》なる命なれやも戀ひつつ居《を》らむ
 
〔譯〕 あの石邊の山のやうに、いつもかはらぬ命であるからとて、かやうにいつまでもひとり戀しく思つてをらねばならぬといふのであらうか。自分は人の命を短くはかないものと思ふと、早く逢つてこの戀しさきやめたい。
〔評〕 戀する人の焦躁は常に本能的のものであるが、流石に人間は時に理性に醒めると、省みてこれに理由づけようと試みるのである。この歌もそれであつて、必ずしも深く無常觀に徹してゐるのではない。
〔語〕 ○白檀弓 枕詞。「二八九」參照。ここは弓を射る意で、石邊の「い」に懸けた。○石邊の山 固有名詞と思(314)はれるが明かでない。
〔訓〕 ○命なれやも 白文「命哉」で、種々によまれる。童蒙抄にイノチヲモガナとあるによつて、イノチニモガモとよみ改めてもよいが、「に」になほ甘心せぬ點がある。
 
2445 淡海《あふみ》の海|沈著《しづ》く白玉知らずして戀せしよりは今こそ益れ
 
〔譯〕 近江の湖に沈んでゐる美しい白玉といふ詞のやうに、まだ十分知らずに戀をしてゐた時よりは、逢つた後の今が、いよいよ愛情が増して來たことである。
〔評〕 見ぬ戀にあこがれてゐた時よりも、逢ひ見た後に増す思は、いつの世にも共通の戀愛心理である。
〔語〕 ○淡海の海しづく白玉 序詞。シラの同音を繰返して「知らず」に續けた形式的技巧で、女の譬喩としたのではないが、しかし間接的には、やはり女の美しさを匂はしてゐると取れる。
 
2446 白玉を纒《ま》きてぞ持《も》たる今よりは吾が玉にせむしれる時だに
 
〔譯〕 自分は白玉のやうな美しい女を手に入れてもつてゐる。今からは自分の玉として大事にしよう。後はともかくも、かうしてしつかり持つてゐる間だけでも。
〔評〕 この歌は寧ろ譬喩歌の部類に入れるべきものである。美しい女、得難い女を手に入れた嬉しさに心は躍つてゐるのであるが、自分には過ぎた女なので、いつ吾が手をそれてゆくか分らぬといふ不安がある。「しれる時だに」の語は、痛切にそれを語つてゐるのであるが、從來これを「領れる」の意であることに氣づかなかつたので、この歌の眞意を卿り得なかつたのである。
〔語〕 ○しれる時だに せめて我が物と領じてゐる間だけでもの意。この「しれる」は相知る意でなく、「葛城の高間(315)間の草野はやしりて」(一三三七)に同じく、領有する意。
 
2447 白玉を手に纒《ま》きしよれ忘れじと念《おも》ひしことは何時《いつ》か畢《をは》らむ
 
〔譯〕 白玉のやうな美しい女を手に入れてから、この女を忘れはすまいと思ひ詰めたことは、いつになつて止まるか、決して止まうとは思はれない。
〔評〕 前の歌と共に寧ろ譬喩歌に入るべきものである。表記法が簡略であるが、前の歌と合せて、上述の如く解すべきである。我身に不相應な女を得た時の心もちである。
 
2448 ぬば玉の間《あひだ》開《あ》けつつ貫《ぬ》ける緒も縛《くく》りよすれば後《のち》逢ふものを
 
〔譯〕 烏扇の玉の、間隔をあけて貫いた緒も、くくりよせると、後では玉が一緒になるものであるのを、それと同じやうに、私達二人の仲も今は隔てられてゐるが、後にはきつと一緒になれるのである。
〔評〕 これも完全に譬喩歌になつてゐる。こまかな觀察、面白い譬喩である。「玉の緒のくくり寄せつつ末つひに行きは分れず同じ緒にあらむ」(二七九〇)も同工異曲の歌である。
〔語〕 ○ぬば玉 ここは枕詞ではなく、射干、即ち烏扇の實。これを緒に貫いて弄んだものと思はれる。○間開けつつ 間隔をおいての意で、間に管玉などを交へ貫いたのであらう。即ち、烏羽玉が管玉に隔てられてゐるのを、相思の二人が隔てられてゐる譬喩としたと見るべきである。
 
2449 香具山に雲居たなびき欝《おほほ》しく相見し子らを後戀ひむかも
 
〔譯〕香具山に雲がたなびいて、ぼんやり見えるやうに、ちよつとした機會に、ぼんやりと相見たあの美しい女を、(316)後になつても自分は戀しく思ふことであらうなあ。
〔評〕 あこがれてゐたものを眺め得た滿足の頂上に於いても、時過ぎて後の戀しさを豫想して「後戀ひむかも」と長大息したのである。心飽き足るまで眺め得た時ですら、この豫感を伴ふのに、「はつはつに」見、「おほほしく」相見た後には、その戀慕の情のそそられることは、更に切なるものがあらう。「一九〇九」の歌は同歌の異傳であらう。その他「後戀ひむかも」を用ゐた歌は少くない。
 
2450 雲間よりさ渡る月の、欝《おほほ》しく相見し子らを見むよしもがも
 
〔譯〕 雲間を通つて渡りゆく月がほんのり見えるやうに、ほのかに相見た女を、今一度見る手だてがあつてほしいものであるよ。
〔評〕 おぼつかなく相見た女に對する憬れから、再會の機を冀つたもので、内容はありふれてゐるが、序が象徴的に慟いて、おぼつかなさの氣分を描き出すに有効である。
〔語〕 ○雲間よりさ渡る月の 「おほほしく」にかかる序。「より」は「鄙の長道ゆ戀ひ來れば」(二五五)の「ゆ」と同じ用法で、そこを通つての意。
 
2451 天雲《あまぐも》の依《よ》り合《あ》ひ遠み逢はずとも異手枕《ことたまくら》を吾《われ》纏《ま》かめやも
 
〔譯〕 空の雲が地と相接する遙かな極地ほど、二人の住む處が遠く隔つてゐるので、逢ふことは出來ないが、それにしても、ほかの女の手枕をして自分が寢るやうなことは決してありはせぬ。
〔評〕 上句の譬喩が極めて雄大で、それに對して下句はまた頗る具象的に力強く言ひ切つてゐる。如何にも益良雄ぷりの戀の迫力が漲つてをるのを感ずる。
(317)〔語〕 ○天雲の依り合ひ遠み 天の雲と地と相接する處の如く遠いのでの意。代匠記精撰本に、「或は東西或は南北にある雲の遠くて依り相はぬを借りて久しくあはずともと云ふによそふるなり」といひ、古義にも「天の雲と國土とはるかに離れ隔りて、依合ふ事の遠きよしのつづけなるべし」とあるのは、共に諾け難い。「依り合ひ」までは 「遠み」に對して序となつてゐるのである。○異手枕 他の人の手枕。他の女と共寢をするの意。
 
2452 雲だにも著《しる》くし發《た》たば意《こころ》遣《や》り見つつも居《を》らむ直《ただ》に逢ふまでに
 
〔譯〕 戀しい人の住む方に、せめて雲だけでも著しく立つならば、私は氣を晴らし慰めてそれを見てゐませう。直接戀しい人に逢ふまでは。
〔評〕 頗る古趣を帶びて、格調抑揚に富み、眞摯な戀情がつつましく一首の上に流れてゐる。落ちついた婦人の作であらう。齊明紀なる天皇の御製、「いまきなるをむれがうへに雲だにもしるくし立たば何か歎かむ」とあるに學んだことは明かである。
〔訓〕 ○みつつも居らむ 白文「見乍爲」。「爲」は「居」の誤とする考の説によつた。
 
2453 春楊《はるやなぎ》葛城《かづらき》山に發《た》つ雲の立ちても坐《ゐ》ても妹をしぞ念ふ
 
〔譯〕 葛城山に立つ雲のやうに、自分は立つても坐つても、常住不斷あのいとしい女のことばかり思つてゐる。
〔評〕 單純な内容と類型的な表現であるが、序が、恐らくは作者眼前の實景を以てしたものと思はれ、それだけに清新味を吹き込まれ、かつ枕詞をも寫實的に生かした巧妙な表現によつて、全體が美化され、朗々誦すべき歌となつた。類歌中の白眉である。
〔語〕 ○春楊 春の柳を折つて蘰にする意から、「葛城」につづけた枕詞。「春柳蘰に折りし」(八四〇)參照。○た(318)つ雲の 同音を重ねて「立ちても」に懸けた枕詞。
 
2454 春日山雲居がくりて遠けども家は思はず君をしぞ念ふ
 
〔譯〕 故郷の春日山は雲に隱れて遠いけれども、その遠い家のことは思はずに、今は一途にそなたのことのみ思つてゐる。
〔評〕 歌調も頗る流麗。旅路の戀ではあるが實感が漲つて居り、言葉の裏に遊子の旅情を慰めてゐる優しい女性の姿も、髣髴として浮んで來る。
〔語〕 ○雲居がくりて 雲に隱れての意。「雲居がくる」は後世の「雲がくる」に同じ。
 
2455 我が故に云はれし妹は高山の岑《みぬ》の朝霧過ぎにけむかも
 
〔譯〕 自分の爲に、人にとやかくと噂をされたあのいとしい女は、それを氣に病んで、高山の峯の朝霧が消え失せるやうに、遂に失せてしまつたのであらうかまあ。
〔評〕 悲しい戀の回想である。平明な語句、暢やかな格調の中に、悲痛の感情が波打つてゐる。今は離れ住んでゐて、女の死を聞いたのである。
〔語〕 ○高山の岑の朝霧 「過ぎ」に懸けた譬喩的の序。
 
2456 ぬばたまの黒髪山の山|草《すげ》に小雨《こさめ》零《ふ》りしきしくしく思ほゆ
 
〔譯〕 黒髪山の草を濡らして、小雨が頻りに降りそそぐが、その小雨の繁きが如く、いよいよ繁くあの女のことが思はれることである。
(319)〔評〕 主想はただ「しくしく思ほゆ」といふだけの、簡單なものであるが、「ぬばたまの黒髪山」に、女の美しい容姿が想像され、山草に小雨が降りそそぐといふことに、しみじみと惱み萎れてゐる風情が浮んで來る。まことに繊細で、感覺的に生きた序である。序が象徴的に働いて、その効果を極度にまで發揮した作といつてよい。
〔語〕 ○ぬばたまの 「黒髪」に懸けた枕詞。「八九」參照。○黒髪山 奈良市の北佐保山の一部。「一二四一」參照。
〔訓〕 ○山すげ 白文「山草」。ヤマクサと訓む説もある。草をスゲとよむ理由はさだかでないが、舊訓に從つておく。古義に、「草」を「菅」の誤としたのはよくない。
 
2457 大野に小雨降りしく木《こ》の下《もと》に時と依《よ》り來《こ》よ我が念《おも》ふ人
 
〔譯〕 廣い野原に小雨が降りしきつてゐる。かやうな時は、木の下に人がたよつて來るものであるが、今こそあなたも、寄るべき時として、私のもとへお出でなさいませ、私のいとしい方よ。
〔評〕 譬喩的の序が氣が利いてゐる。四五句あたりの調子は著しく民謠風の匂を帶びてゐる。
〔語〕 ○木の下に 木蔭に。作者自身を、雨中に陰と頼むべき樹に比したのである。○時と依り來よ 依るべき時として私を頼んで來よとの意。
〔訓〕 ○大野に 白文「大野」、舊訓オホノラノ。ラを訓み添へることも不可ではない。オホノナルと訓んで、「降りしく木の下」と續けて解することも出來る。
 
2458 朝霜の消《け》なば消《け》ぬべく念《おも》ひつついかに此の夜を明《あか》しなむかも
 
〔譯〕 苦しい思の爲に、いつその事、この身も消えるなら消えてしまへとまで思ひながら、どうして私は、此の夜を明かすことができようか。
(320)〔評〕 獨寢の憂愁に悶える女性の歌と見るべきであらう。暢やかな調子の中に、訴へるやうな怨情が痛切にあらはされてゐる。
〔語〕 ○朝霜の 「消」につづけた枕詞。
 
2459 吾背子が濱行く風のいや急《はや》に急事《はやごと》益《ま》して逢はずかもあらむ
 
〔譯〕 あなたが、濱を吹きゆく風のやうに、一層急激に、事をお急ぎになつて、却つてうまく行かずに、私達は逢へなくなるかも知れません。時をお待ちなさいませ。
〔評〕 心いられして却つて事を破りさうな男の態度をたしなめた女の歌とはわかるが、四五句の訓が確定的でないのは遺憾である。
〔語〕 ○濱行く風の 「いや急」を導く序。○急事益して 急いだ遣口を重ねての意。
〔訓〕 ○急事まして逢はずかもあらむ 白文「急事益不相有」、略解のハヤコトナサバイヤアハザランは、ナサバを補ひよみ、益をイヤとよんだのである。
 
2460 遠妹《とほづま》の振仰《ふりさ》け見つつ偲《しの》ふらむこの月の面《おも》に雲な棚引き
 
〔譯〕 遠くにゐる妻が、仰ぎ見ては自分のことを思ひ出してゐるであらうこの月の面に、雲よ棚引かずにゐてくれ。
〔評〕 相思の人が遠く離れてゐて、同じ月影を仰いで思を馳せ合ふといふことは、古今東西に亙つて變らぬ人情であらう。「この月の面に雲な棚引き」によつて、月が曇つたらば妻の心も曇らうにといふ餘情を湛へてゐて可憐である。「吾背子がふりさけ見つつ嘆くらむ清き月夜に雲な棚引き」(二六六九)は、男女位置を換へたものであるが、共に(321)佳調である。
 
2461 山の端《は》にさし出づる月のはつはつに妹をぞ見つる戀《こほ》しきまでに
 
〔譯〕 山際に出て來る月がちらりと見えるやうに、ほんのちらりと、あの女の姿を見たことである。あとで、かうも戀しく思はれるまでに。
〔評〕 純眞な、極めて初心らしい戀情が、素直な言葉で歌はれてゐる。序も流麗で、女の若い清楚な容姿を暗示してゐるやうで、効果的である。
 
2462 我妹子し吾を念《おも》はばまそ鏡照り出づる月の影に見え來《こ》ね
 
〔譯〕 自分のいとしい女が、本當に自分を思つてゐるならば、清く照り出でる月の影のやうに、面影となつて目の前に見えてくれ。
〔評〕 愛する女への戀情を傾けて、せめてはその姿が幻となつてでも現はれよ、といふ熱望を吐露したものである。
〔語〕 ○まそ鏡 「照り」に續く枕詞。○照り出づる月の 「影」を導く序。○影に見え來ね この影は、鏡に寫る映像と同じで、月の面へ姿がうつり出よの意であると總釋に説いてゐるが、從ひ難い。「影に見えつつ忘らえぬかも」(一四九)と同じく面影の義である。
 
2463 ひさかたの天《あま》光《て》る月の隱りなば何になぞへて妹を偲《しの》はむ
 
〔譯〕 空に照つてゐるこの月が隱れてしまつたらば、自分は何になぞらへて、わがいとしい女を思ひ續けよう。
〔評〕 愛する女と遠く離れて、一人さびしく月を見てゐる男の歌であるが、旅中といふやうな場合でなく、逢瀬の難(322)い仲であらう。燃えるやうな情熱は無いが、素直な純眞さがよい。〔語〕 ○なぞへて なぞらへて、擬して、託してなどの意。或る一つの物を、他の或る物と思ひなし、それに直接向けがたい心意を代りにこれに注がうとするのである。月が隱れては愛人を偲ぶよすがを失ふのである。
 
2464 若月《みかづき》の清《さや》にも見えず雲|隱《がく》り見まくぞ欲《ほ》しきうたて此の頃
 
〔譯〕 三日月がはつきりと見えず、雲に隱れてゐるやうに、相見ることが出來なくて、何とかして逢ひたくてたまらない。やたらに此の頃は、一層さう思はれる。
〔評〕 序が象徴的にはたらいて、効果を擧げてゐる。しかし三句以下の表現は稍あらはに過ぎ、句法も内容に對しては聊か柔かみを缺く嫌があらう。
〔語〕 ○雲隱り 初句以下ここまでを、すべて序と見る説と、女の逢ひ難きに比した譬喩と見る説とある。序と見るにしても、それは單なる機械的の技巧でなく、所謂有心の序として、多分に譬喩の氣特を含んでゐると解するのがよい。
 
2465 我背子に吾が戀ひ居《を》れば吾が屋戸《やど》の草さへ思ひうらぶれにけり
 
〔譯〕 いとしい夫に私が戀ひ焦れてゐると、私の家の庭の草までが、思ひ惱んで萎れてしまつたことであるよ。
〔評〕 戀の惱みに憔悴した佳人の姿があはれに目に浮んで來る。我が物思ひの爲に庭の草さへも生色が無くなつたと驚いたところ、自然も自己と融けあつてゐる如くに感じたので、上代人の素朴な純情が如實に歌はれてゐる。更に表現の上から見ても、上三句に「吾が」を反復して頭韻を成した語調の妙は、額田王の「君待つと吾が戀ひ居れば吾が宿の」(四八八)の粉本があつたにしても、四五句の素直な調子が嫋々たる餘韻を曳いて、いふべからざる趣がある。
〔語〕 ○うらぶれにけり うち萎れて、しよんぼりなつてしまつたわいの意。
(323)〔訓〕 ○うらぶれにけり 白文「浦乾來」、舊訓ウラガレニケリ。橋本進吉博士の上代特殊假名遣の研究によつて定訓が得られることになつた。
 
2466 淺茅原《あさぢはら》小野《をの》に標繩《しめ》結《ゆ》ふ空言《むなごと》をいかなりといひて君をし待たむ
 
〔譯〕 あなたに逢ふ爲には、淺茅の生えた野原に標繩を結ふやうな、取り留めもない嘘の口實をいはねばなりませんが、それには一體どんな事情だとごまかし繕つて、あなたをお待ちしたものでせう。
〔評〕 人に悟られぬやうな、うまい口實を考へてをるので、忍ぶ戀に焦慮してゐる女性心理が、如何にもと首肯される。但、「あしひきの山より出づる月待つと人にはいひて妹待つ吾を」(三〇〇二)の巧妙にして情趣饒かなのに比すれば、表現が晦澁であるが、この序は、「三〇六三」に、一二三句が同じく用ゐられてをり、また「二四八一」の歌を參照して考へると、民俗的な根據があるのであらう。
 
2467 路《みち》の邊《べ》の草深百合《くさふかゆり》の後《ゆり》にとふ妹がいのちを我《われ》知らめやも
 
〔譯〕 路ばたの深い叢に咲いてゐる百合といふ名の如く、ゆり(後)に逢はうといふ女の命も、いつまでと自分には知られない。さういふ人間の命であるから、早く逢ひたいものである。
〔評〕 障りの多い戀に對する焦躁感の遣瀬なさを叫んだもので、戀する人の共通心理である。「一五〇三」の歌と、序の技巧は同じであるが、「草深百合」は、楚々たる女の容姿を暗示してゐるやうでよい。
〔語〕 ○草深百合 草の深い所に咲いてゐる百合の意で、同音を繰り返した序。
 
2468 潮葦《みなとあし》に交《まじ》れる草の知草《しりくさ》の人みな知りぬ吾が下思《したもひ》は
 
(324)〔譯〕 河口の葦の中にまじつてゐる草で、名は知草、その「しり」といふ名のやうに、もう人が皆知つてしまつた、自分の心中の物思をば。
〔評〕 忍ぶ戀を人に知られて當惑した口吻である。しかし痛切な述懷といふではなく、一通りの作に過ぎない。尚これは、知草といふものを詠み入れた集中唯一の例である。
〔語〕 ○一二三句、同音反復により「知りぬ」を導く序。「みなと葦」は河口に生えてゐる葦。「知草」は和名抄にあつて、藺《ゐ》のことと代匠記にいつてゐる。
 
2469 山|萵苣《ちさ》の白露しげみうらぶれて心に深く吾が戀|止《や》まず
 
〔譯〕 山萵苣の花が、白露のしげみによつて萎れうなだれるやうに、しよんぼりうちしをれて、心の奧深くで、自分の戀しく思ふことは止む時がない。
〔評〕 一二句は、類型を脱して、新味に富んだ序である。三句以下も率直自然で、特に結句の直線的な表現は、力があつてよい。
〔語〕 ○山萵苣 エゴの木で、今九州中國邊でいふ蔬菜のチシヤではなからう。「一三六〇」參照。但、前後皆、草に寄せた歌であるから、これも草であらうといふ説がある。○白露しげみ 一二句は「うらぶれ」に懸けた序。
〔訓〕 ○白露しげみ 白文「白露重」。舊訓シラツユオモミとある。
 
2470 潮《みなと》にさね延《は》ふ小菅《こすげ》しのびずて君に戀ひつつ在《あ》りかてぬかも
 
〔譯〕 河口に根を張る小菅は、葉がしなふといひますが、私は心の中に忍び隱せないで、あなたに戀ひ焦れながら、このままではとてもゐられないことでありますよ。
(325)〔評〕 女の作と思はれる。内容は極めて單純であるが、纒綿たる情懷が、迂餘暢達の語句聲調の間に流れてゐる。
〔語〕 ○一二句 小菅の葉がしなふ意。類音の「しのび」にかけて序としたもの。○しのびずて 心中にこめおくに堪へずして。人にも知られるばかりの戀を、遂げずには生きてをられないといふのである。
 
2471 山城の泉の小菅おしなみに妹が心を吾が念《も》はなくに
〔譯〕 山城の泉の地の小菅が、押し靡《な》みに靡くが、その「なみ」といふ詞のやうに、並大抵には、そなたの心もちを自分は思つてはゐないのに。
〔評〕 普汎的戀情を抒べるのに「地名を詠み込んで序としたのは、その地方に行はれた民謠であつたことを思はせる。それだけに調子が滑らかに磨き上げられてゐる。
〔語〕 ○山城の泉の小菅 泉は泉川の沿岸。以上二句、小菅がおし靡く意で「おしなみ」につづけた序。○おしなみに 並々に、普通にの意。
〔訓〕 ○妹が心を 白文「妹心」、古義の如くイモヲココロニと訓めば一首の意味が變る。今、舊訓を採る。
 
2472 見渡しの三室《みむろ》の山の石穗菅《いはほすげ》ねもころ吾は片思ぞする【一に云ふ、三諸の山の石小菅】
 
〔譯〕 向うに見渡される三室山の石穗菅、その「根」から思ひ寄せられるやうに、ねんごろに一所懸命、自分は片思をしてゐることである。
〔評〕 共通的の戀情を歌つた作。「一に云ふ」の如く、部分的に辭句の小異があるのは、廣く傳誦された證左と見られる。
〔語〕 ○三室の山の石穗菅 三室はここは三輪山であらう。石穗菅は巖石の上に生えてゐる菅。「根」の意によつて、(326)「ねもころ」に懸けた序。
 
2473 菅《すが》の根の惻隱《ねもころ》君が結《むす》びてし我が紐の緒は解く人あらじ
 
〔譯〕 ねんごろに心をこめてあなたが結んで下さつた私の着物の紐は、あなたの外に解く人は決してありませぬ。
〔評〕 男が旅などに出よう上するのに、名殘を惜しみ、かつ歸期の早からんことを願つた女の心情である。平明な内容で、表現にも特異といふべき點は無いが、しみじみと眞情の流露してゐるのがよい。
〔語〕 ○菅の根の 同音反復で、「ねもころ」の「ね」に懸けた枕詞。○解く人あらじ 直譯すれば、解く人はあるまい、であるが、解く人はありませぬ、あなたの外の誰に解かせるものですか、といふ強い意志を、かく柔げて表現したのである。
〔訓〕 ○わが紐の緒はとく人あらじ 白文「我紐緒解人不有」で、ワガヒモノヲヲトクヒトハアラジともよめる。
 
2474 山菅《やますげ》の亂れ戀のみ爲《せ》しめつつ逢はぬ妹かも年は經につつ
 
〔譯〕 心も亂れ、氣も狂ふほど遣瀬ない戀ばかり自分にさせて、一向に逢つてくれないことかまあ、あの女は、こんなに年がたつのに。
〔評〕 男の煩悶懊惱に比して、女は頗る冷靜の態度をつづけてゐるやうである。その冷靜を女に責める語氣は更に見えず、獨り窃かに怨みをつぶやいてゐるのは、戀する人の弱さをあらはしてあはれである。
〔語〕 ○山菅の みだれにかかる枕詞。
 
2475 我が屋戸《やど》の軒の子太草《しだくさ》生《お》ひたれど戀忘草見るに未だ生《お》ひず
 
(327)〔譯〕 自分の家の軒には齒朶《しだ》草が生えてゐるけれども、戀を忘れるといふ忘草は、さがして見てもまだ生えてゐない。
〔評〕 忘草や忘貝から、さまざまの憂愁苦惱を忘れるといふことに聯想を馳せるのは常套的で、集中、類例が多い。
要するに、上代人の言靈信仰の一面のあらはれに外ならない。
〔語〕 ○軒の子太草 屋根の軒に生える一種の草。代匠記にはシノブ草のこととしてゐるが、シノブをシダ草と稱したかは疑はしい。齒朶とする説もあるが、齒朶は山中のもので軒に生える草ではない。齒朶に似た一種の小さな草であらう。下草の意とする説は從ひ難い。○戀忘草 戀を忘れるといふ名の忘草。萱草のこと。「三三四」參照。
〔訓〕 ○見るにいまだ生ひず 白文「見未生」、ミレドイマダオヒズともよまれる。
 
2476 打《う》ちし田に稗《ひえ》は數多《あまた》にありといへど擇《え》らえし我ぞ夜《よる》ひとり宿《ぬ》る
 
〔譯〕 打つて耕した田に、稻にまじつて稗は澤山あるといふけれども、拔き棄てられもせずにあるのに、擇り捨てられた自分は、夜を一人で寂しく寢ることである。
〔評〕 素朴な内容を、如何にも率直に、吐き出すやうにいつてのけたところ、不平と自嘲との中にユーモアも含まれてゐる。序は農人の生活に即したもので、野趣があつて愉快である。「水を多み上《あげ》に種蒔き稗を多み擇らえし業ぞ吾がひとり寢る」(二九九九)の類歌もあるが、修辭は、今の歌がまさつてゐる。
〔語〕 ○打ちし田 打ち耕した田の意で、ここは單に田のこと。○稗は數多にありといへど 稻の中に生じる稗は稻に害をなすので拔き棄てられるもの、それがなほ拔かれもせずに澤山混つてゐるがの意。
〔訓〕 ○打ちし田 白文「打田」、舊訓ウツタニモ。ウツタニ或はウチタニと四音に訓んでもよい。
 
2477 あしひきの名におふ山菅《やますげ》おしふせて君し結ばば逢はざらめやも
 
(328)〔譯〕 足引のといふ語にふさはしい名の山菅を、押し伏せて葉を結ぶやうに、強ひてもあなたが、しつかりと縁を結ぶおつもりならば、遂には一緒になれないことがありませうか。
〔評〕 この歌は難解であり、特に初句の枕詞が、第二句へどう懸るのかが明かでないので、誤字説や義訓説が行はれてゐる。第三句にも異訓がある。草結びの習俗を譬喩的の序に用ゐて、女から男の強い決意を要求したもののやうに考へられるので、右の試解を施した。
〔語〕 ○名におふ山菅 山といふ名を負つてゐるの意か。猶考ふべきである。○おしふせて 山菅の葉を結ぶ爲に押伏せる意で、強ひて、無理にもの譬喩と解すべきであらう。○君し結ばば 草結びをするが如く、あなたが私と二人の仲をしつかり結んで下さるならばの意であらう。
 
2478 秋柏《あきがしは》潤和《うるわ》川邊のしののめの人にはしのび君に堪《あ》へなく
 
〔譯〕 潤和川のほとりの篠の群ではないが、ほかの人には忍び隱れてゐるのですが、あなたの戀しさには堪へきれないのです。
〔評〕 これも難訓難解の歌で、區々の説があり、明確に解しがたい。序のこれに似たのは、「朝柏閏八河邊の小竹の芽の思《しの》ひて寢れば夢に見えけり」(二七五四)とある。潤和川と閏八川とは似てゐるが、同じか否かは明かでない。
〔語〕 ○秋柏 枕詞ではあるが、下への續き方は明かでない。商ひ物の柏を賣るとかかるといふ考の説、明り柏、即ち清淨なる柏の葉が光り潤つてゐる義とする古義の説などある。秋の日に紅葉した柏が美はしいといふ意で川の名のうるはにかけたとする福井久藏博士の説が比校的穩かであらう。○潤和川 所在不明、大日本地名辭書に、駿河國富士郡|潤《ウルヒ》川かとあるも根據不十分である。○君にあへなく 君を戀ふる心に堪へないの意。
〔訓〕 ○人にはしのび 白文「人不顔面」。考の訓シヌベバを採り、上二段活用の連用形に訓み改めた。定本には四(329)を代匠記に從ひ、シノノメニヒトニハアハジキミニアヘナクとした。猶考ふべきである。
 
2479 さね葛《かづら》のちも逢はむと夢《いめ》のみに祈誓《うけ》ひぞわたる年は經《へ》につつ
 
〔譯〕 今こそ戀しい人に逢へないが、後になつて必ず逢はうと、末を頼みにして、せめて夢だけで逢ひたいと、神樣に誓ひ續けてをる。年月は經過しつつ。
〔評〕 障礙の多い今は、せめて夢裡の遭逢にでも心を慰めつつ、じつと將來を待たうといふ苦患と忍耐とは、通常といふべき戀愛心理ではあるが、また強い眞實である。その眞實が率直に力強く語られてゐる。
〔語〕 ○さね葛 枕詞。さね葛が別れ別れに伸びても、後に又逢ふことがあるの意。「二〇七」參照。
〔訓〕 ○うけひぞわたる 白文「受日度」舊訓によつた。考にはウケヒワタリテとある。
 
2480 路の邊の壹師《いちし》の花の灼然《いちしろ》く人皆知りぬ我が戀妻は【或本の歌に曰く、いちしろく人知りにけり繼ぎてし念へば】
 
〔譯〕 道ばたに吹く壹師の花といふ名の如く、いちじるく明白に人が皆知つてしまつた。自分の戀女房のことをば。或本の歌――すつかり人が知つてしまつたことである、たえまなしに思ひ焦れてゐるので。
〔評〕 ひそかなる戀妻のことを、ふとした事から人に知られてしまつたのは、甚しい當惑であり、それに就いては自身の不用意を悔いてゐるのであるが、しかし戀する人の心理は又反對にも働く。戀妻といふほどのいとしい女であればある程、よしそれが秘すべきものであつても、「ままよ見しやれ」といふやうな氣持にも時としてはならう。「人皆知りぬ我が戀妻は」の口吻には、さうした困惑の半面に、また棄鉢的な誇も看取されるやうである。
〔語〕 ○路の邊の壹師の花の 「いち」の同音を繰返した序。壹師は羊蹄《ぎしぎし》のこと。蓼科の草本で四五月頃花が咲く。
 
(330)2481 大野にたどきも知らず標繩《しめ》結《ゆ》ひて在りもかねつつ吾がかへり見し
 
〔譯〕 廣い野原にとりとめもなく標繩を張つたやうに、おぼつかない約束をして、さて不安さにじつとして居られないで、自分はまた女の所へ引返して行つて見たことであつた。
〔評〕 戀しい女に辛うじて思がかなつたものの、まだ女の心を確保したといふ自信にまで達してゐない男の、不安焦燥が、珍しい譬喩でよく現はされてゐる。
〔語〕 ○たどき 方便、手がかり。○吾がかへり見し 女の處へまた行つてみたと解したが、猶考ふべきである。誤字の説もある。
〔訓〕 ○大野に 白文「大野」、舊訓オホノラノ、略解オホノラニとあるが、四音に訓んで差支ない。
 
2482 水底に生ふる玉藻のうち靡き心は寄りて戀ふるこの頃
 
〔譯〕 水底に生えてゐる玉藻が打靡くやうに、私の心はすつかりあのお方に靡き頼つて、戀ひ焦れてゐるこの頃ではある。
〔評〕 類歌の多い型ではあるが、序が適切で極めて有効にはたらいてゐる點、この種の歌の典型的なものであらう。この序の一二句は「二七七八」にも用ゐられてゐる。
 
2483 敷たへの衣手|離《か》れて玉藻なす靡きか寢《ぬ》らむ吾《わ》を待ちかてに
 
〔譯〕 いとしいあの女は、此の頃自分の袖に離れてゐて、玉藻の靡くが如くに打萎れつつ横になつて寢てゐるであらうか、自分の行くのを待つても甲斐がなくて。
(331)〔評〕 典型的な五七調で、緊密な聲調をなしてゐる。儘ならぬ支障で暫く逢へずにゐる女への思慕と同情とが、しんみりと現はされてゐるところ、練熟の手腕である。0
〔語〕 ○敷妙の ここは「衣」の枕詞。○衣手かれて 自分の衣の袖に接することが出來ないで、即ち自分が行かないのでの意。
 
2484 君|來《こ》ずは形見にせむと我《わが》二人植ゑし松の木君を待ち出でむ
 
〔譯〕 あなたがお出でにならない時は、あなたの代りに眺めようと、あなたと私と二人で植ゑた松の木なのです。松よ、お前は「まつ」といふ名であるから、多分、あなたのお出を待ちつけるであらう。きつとあなたはお出でになるでありませう。
〔評〕 君の姿の見えぬ時は、せめて一緒に植ゑた松の木をその人とも見て慰まうといふのは優しい女心である。松に呼びかけ、頼んでゐるやうな口吻が特に同情を牽く。
〔語〕 ○形見にせむと 君の代りとして眺めたいとて。○君を待ち出でむ 「まつ」といふ名の通りに、君の來訪を待ちつけ得るであらうの意。
 
2485 袖振りて見ゆべきかぎり吾はあれど其の松が枝《え》に隱《かく》りたりけり
 
〔譯〕 あなたから見えてゐさうな間、私は袖を振つてゐたのですが、あなたの方からは、私の姿は、あの松の枝に隱れてゐるのでした。
〔評〕 旅に出でゆく男を送る女の歌である。女は最後の一瞥にこたへようと袖を振つてゐたが、男は、それを認めた樣子もなく遠ざかつた。それを、自分の姿はあの松の枝に隱れてしまつてゐたのかと、幼く斷じたのであらう。四句(332)の「その」は印象的に効果があるやうである。
〔語〕 ○其の松が枝ニ あそこにある松の木の枝に。
〔訓〕 一句を「袖ふるが」とよむと、出立する男の歌になる。しかし、三句は女の歌と解するのがよいので、上記の訓によつた。仙覺本にはソデフルヲミルベキ、澤潟博士はソデフラバとある。
 
2486 血沼《ちぬ》の海の濱邊の小松根深めて吾《われ》戀ひわたる人の子ゆゑに
     或本の歌に曰く
   血沼の海の潮干《しほひ》の小松|懇《ねもころ》に戀ひやわたらむ人の兒ゆゑに
 
〔譯〕 血沼の海の濱邊の小松の根が深くなつてゐるやうに、深く思ひこんで自分は戀ひつづけてゐる。どうにもならぬ人の妻であるのに。
 或本の歌――血沼の海の潮干の濱にある小松の根、その「ね」ではないが、ねんごろに心の底から、いつまで自分は戀ひつづけることだらう。どうにもならぬ人妻であるのに。
〔評〕 血沼の海の沿岸地方に行はれた民謠らしい。内容は個人的の特殊感情でなく、人妻に思を馳せるといふ共通情痴であり、表現も形式的に齊整されてをる。ある本の歌も同樣である。
〔語〕 ○血沼の海 茅渟の海。今の大阪灣の一部、堺市方面をいつた。「一一四五」參照。○根深めて 初句以下「根」までが「深めて」の序となつてゐる。心の底から深くの意。○人の子ゆゑに 如何ともし難い人妻だのに。○血沼の海の潮干の小松 小松の根といふ意から「ねもころ」に懸けた序。○戀ひやわたらむ 戀ひつづけることであらうかなあ、自分ながらあぢきないことであるとの意。
 
(333)2487 奈良山の小松が末《うれ》の何《うれむ》ぞは我が思《も》ふ妹に逢はず止《や》みなむ
 
〔譯〕 どうしてまあ、自分の戀ひ慕ふあの女に逢はずに止まうか。自分は斷じて逢はずにはおかない。
〔評〕 簡單な内容であるが、思ふ女に逢はずにはやまぬといふ強い意志が、作者の意圖のままに、十分効果的に表現されてゐる。「うれむぞは」といふ珍しい語の強い響も、格調を引締める上に大いに役立つてゐる。
〔語〕 ○小松がうれ 同音を繰返して「うれむぞ」につづけた序。○うれむぞ 如何ぞ、いづくんぞの意。「うれむぞこれが蘇りなむ」(三二七)ともある。用例は集中この二箇所のみで、珍しい語である。
 
2488 磯の上《へ》に立てる廻香樹《むろのき》心いたく何に深めて思ひ始《そ》めけむ
 
〔譯〕 磯の上に立つてゐる廻香樹が、あぶなさうで人に心を痛ませるが、そのやうに、自分は心を痛めて、何でまあこんなに深くあの女を思ひそめたことであらう。
〔評〕 眞率ではあるが、表現は聊か整はぬふしがある。序は磯の上に根もあらはに立つてゐる室の木から受けた實感を、そのまま應用したのであらう。
〔語〕 ○立てる廻香樹 むろの木は杜松《ねず》の木であらうといふ。「四四六」參照。初句以下ここまで序。磯の上に立つてゐるむろの木は、見るも痛ましい意で「心いたく」に續けたのであらう。
〔訓〕 ○たてるむろの樹 白文「廻香樹」通行本「樹」が「瀧」とある。考に「廻香樹」に改め、「吾妹子が見し鞆の浦の天木香樹《ムロノキ》は」(四四六)とあるのに同じ木と見て、クテルムロノキとよむ説に從ふ。
 
2489 橘の下《もと》に我《われ》立ち下枝《しづえ》取り成らむや君と問ひし子らはも
 
(334)〔譯〕 橘の木の下に自分が立つてをつたに、あの女が、下の方の枝に手を觸れつつ、「この橘の實のなるやうに、私達の戀も成就するでせうか、あなた。」と問うたことであつたが、あの女はまあ。
〔評〕 橘の木の下蔭で相逢うて睦まじく語つてゐる若い男女の姿が、繪のやうに眼前に浮んで來る。橘は當時街路樹として植ゑられたものであるから、恐らくさういふ場面に於ける素朴な戀であらう。但、二句の「我」を男自身のことと見、「我立ち」で小休止の形として前述のやうに説いたが、「我」を女自身が立つてゐてと解する説もある。また新校は、「我を立て」と訓んでゐる。
 
2490 天雲《あまぐも》に翼《はね》うちつけて飛ぶ鶴《たづ》のたづたづしかも君|坐《いま》さねば
 
〔譯〕 空ゆく雲に翼をうちつけるほどに高く飛ぶ鶴《たづ》、その「たづ」といふ言葉のやうに、たづたづしく、たよりない氣がいたします、あなたがいらつしやらないので。
〔評〕 序はまことに高雅秀拔であるが、内容は單純である。しかして序は全く機械的に「たづ」の同音を導くだけの作用に過ぎないので、折角の美しい序が、比較的効果が擧つてゐないのは惜しむべきである。
 
2491 妹に戀ひ寐《い》ぬぬ朝|明《け》に鴛鴦《おしどり》のここゆわたるは妹が使か
 
〔譯〕 戀人の上を思つてよく眠られなかつた明方に、鴛鴦が、ここを通つて飛んでゆくが、あれはやはり自分のことを思ひ明したであらうあの女からの使であらうか。
〔評〕 繪のやうな美しい情景である。鴛鴦は古へから雌雄むつまじい鳥とされてゐるので、同じ思に不眠の一夜を明した相思の人からの使と見立てたのも、頗るふさはしい感がある。
 
(335)2492 念《おも》ふにし餘りにしかば鳰鳥の足|沾《ぬ》れ來《こ》しを人見けむかも
 
〔譯〕 いとしい女のことを思ひ、思案にあまつたので、鳰鳥の足が濡れるやうに、自分は露に足を濡らして來たが、その自分の姿を、人が見たであらうか。
〔評〕 人目を忍ぶ戀で、ひそかに通つて來た男の作と思はれる。朝露に濡れて女の家から歸つて來た時の作と解する説もあるが、夜露に濡れて女の家にたどり着いた時と見る方が自然でもあり、趣が深いやうに思ふ。但、これは人麿歌集所出の「思ふにし餘りにしかば鳰鳥のなづさひ來しを人見けむかも」(二九四七の左)と同一歌の異傳であることはいふまでもない。
〔語〕 ○鳰鳥の 鳰鳥の如くの意。或は枕詞とも見られる。鳰鳥はカイツブリのこと。
〔訓〕 ○足ぬれ 白文「足沾」。ナヅサヒと訓む説もある。
 
2493 高山の岑《みね》行くししの友を多み袖振らず來ぬ忘ると念ふな
 
〔譯〕 高い山の峯を行く鹿猪《しし》が大勢友を引連れてゆくやうに、自分は連の人が多かつたので、同行者に見とがめられるのを恐れて、振りたい袖を振らないで來た。そなたを忘れてゐると思うてくれるな。
〔評〕 序が類型を脱した珍しいものであり、詞句は素朴にして眞實である。狩獵を業とする山間の人などに歌はれた民謠であらう。作者を男と見て上述のやうに解したが、作者を女と見る説もある。袖をふるは男女共に行はれてゐた。
 
2494 大船に眞楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き榜《こ》ぐ間《ほど》もここだく戀《こほ》し年にあらば如何《いか》に
 
〔譯〕 これから自分は暫くの旅に出るのであるが、大船に兩側の艪を澤山取りつけて、漕いでゐる間にさへも、大層(336)妻が戀しい。もしこれが一年も逢へないといふのだつたら、どんな氣持だらうなあ。
〔評〕 略解は、海路の旅から歸る途上の歌といふやうに見てゐるが、反對に、出發の後、間もない程の作のやうに思はれる。
〔訓〕 ○ここだくこほし 白文「極太戀」。「二四〇〇」に極太をココダと訓んでゐる。
 
2495五 たらちねの母が養《か》ふ蠶《こ》の繭隱《まよごも》りこもれる妹を見むよしもがも
 
〔譯〕 母親が飼つてゐる蠶が繭に籠る、そのやうに、深窓に閉ぢ籠つてゐるあのいとしい女に逢ふたよりがあればよいがなあ。
〔評〕 三句までの序は、作者の生活を反映したものであらう。これによつて當時既に養蠶の業が民間に相當行はれてゐたことが知られる。蠶の繭にこもる樣が、即物的に極めて適切な譬喩となつてゐる。「たらちねの母が養ふ蠶の繭ごもりいぶせくもあるか妹に逢はずて」(二九九一)ともあつて、これは氣分の上に譬喩になつてゐる。
 
2496 肥人《ひびと》の額髪《ぬかがみ》結《ゆ》へる染木綿《しめゆふ》の染《し》みにしこころ我《われ》忘れめや【一に云ふ、忘らえめやも】
 
〔譯〕 肥人が額に束ね上げた髪を結んだ染木綿ではないが、しみじみとそなたを戀しく思ふ心を、自分が忘れようか、決して忘れはしない。
〔評〕 當時の異種族であつた肥人の風俗が、都會人の目には、あやしく珍しく映じたことが思ひやられる。文化史的見地から、貴重な資料として興味深い。
〔語〕 ○肥人 古へ九州肥の國を中心として住んでゐた種族の名。○額髪結へる染木綿の 額髪は額の所に束ね結ふ  の習俗として、額髪を染木綿で結んだものらく、魏志に倭人の事を記した中に、「以2木緜1招頭」とある(337)のがそれであると、喜田貞吉博士は述べてゐる。以上「染み」にかけた序。○しみにし心 深くしみついた思慕の心の意。○一に云ふの「忘らえめやも」 忘れられようか、否、忘れることは出來ないの意。
〔訓〕 ○肥人 舊訓コマビト。喜田博士は、クマビトと訓み、九州南部に住んだ種族で、今の地名球磨と關係があるといひ、春日政治博士は、大矢透博士の説を引き、「肥」にコマカニ又はコマヤカニの訓があつて、肥人にコマビトの訓は有り得べく、しかしてそのコマは高麗でなく、クマの音韻變化として、喜田博士説に加擔された。しかし今は岩橋小彌太博士の説によつてヒビトと訓む。肥人は大寶令集解に夷人雜類の一とし、本朝書籍目録に、肥人書・薩人書と並べ掲げてある。
 
2497 隼人《はやひと》の名に負《お》ふ夜聲《よごゑ》いちしろく吾が名は告《の》りつ妻と恃《たの》ませ
 
〔譯〕 夜の宮門を守る隼人が、其の名にそむかぬ夜聲をはつきりと立てるやうに、はつきりと私の名前は申し上げました。この上は、私を妻として信頼して下さいませ。
〔評〕「吾が名はのりつ妻と恃ませ」は、一生を託すべき男に對する女性の聲として、如何にも眞實に響く。また序は、前の歌の場合と同樣に、異種族の異風習に興味を感じたもので、やはり文化史的に價値がある。
〔語〕 ○隼人の名に負ふ夜聲 隼人は上古、薩摩・大隅地方に住んだ種族で、神代紀下、海宮の條の一書にも、大嘗會式にもあつて、古くから宮中に仕へ、警衛の任にあたり、夜番の時、高く犬の吠聲を發した。それは著しく明瞭に聞えるので、次の「いちしろく」の序とした。「名に負ふ」は名にそむかぬの意。○吾が名はのりつ 女が男に名を告げるのは、婚を許諾する意であつた。
 
2498 劔刀《つるぎたち》諸刃《もろは》の利《と》きに足|踏《ふ》みて死《しに》にし死《し》なむ君に依りては
 
(338)〔譯〕 劍太刀の諸刃の鋭利な上にでも、足を踏みつけて、わたくしは一氣に死んでもしまひませう。あなたの事によつてならば。
〔評〕 思ふ人の爲には白刃を踏んで敢然として死にもしようといふ氣魄は、まことに凛乎たるものである。「君」の語は本集では男女兩用とはいへ、女から男にいふ場合が多い。この歌でも、女の作と見る方がふさはしいと思はれる。類歌「二六三六」よりもまさつてゐる。
〔語〕 ○諸刃 兩刃のこと。片刃に對していふ。○死《しに》にし死なむ 死なむといふ事を強く言つたので、敢然として死にもしようの意。
 
2499 我妹子に戀ひし渡れば劔刀《つるぎたち》名の惜しけくも念《おも》ひかねつも
 
〔譯〕 いとしい女に、かうして戀ひ續けてゐると、自分はもう、浮名の立つのが殘念だなどと、顧慮してはゐられなくなつてしまつた。
〔評〕 ひたむきに思ひつめた若き日の戀は、命さへも惜しいと思はない。況んや名などは顧慮する暇がない。最も強い眞實をうやつたのである。「六一六」「二九八四」にも類歌はあるが、熱と力とに於いて、この歌が勝れてゐる。
〔語〕 ○戀ひし渡れば 戀ひつづけると。「戀ひ」は動詞の連用形であつて、名詞ではない。○劍刀 「名」にかかる枕詞。刀劔には草薙劔といふやうに名のあるものゆゑかけるといふ。
 
2500 朝づく日向|《むか》ふ黄楊櫛《つげぐし》舊《ふ》りぬれど何しか君が見るに飽かざらむ
 
〔譯〕 毎朝私が向ふ櫛匣の黄楊櫛のやうに、私達の中は隨分古くなりましたが、どうしてあなたは、幾ら見ても見飽きないのでせう。
(339)〔評〕 序は作者の生活に即したもので、清新味がある。また、全體に浮いた情痴の世界でなく、本當の愛と理解とに滿ちた正しい戀愛で、しつとりと落ちついた心境であるのも氣持がよい。
〔語〕 ○朝づく日 朝に附く日の義。ここでは朝日に向ふの意の枕詞。○向ふ黄楊櫛 序で、櫛は垢づき古び易い意で、「舊りぬれど」につづけた。
 
2501 里遠みうらぶれにけりまそ鑑|床《とこ》のへ去らず夢《いめ》に見えこそ
 
〔譯〕 いとしい方の住む里が遠いので、心わびしくしてゐることである。あの方のお姿が、床のあたりを離れず、絶えず夢に見えて欲しいことよ。
〔評〕 あはれな婦人の思ひがつつましく描かれてをる。それと同時に、鏡を床のあたりにおいて大事にしてゐたゆかしい習俗が偲ばれる。後出の、「里遠み戀ひわびにけりまそ鏡面影去らず夢に見えこそ」(二六三四)は類似した歌である。
〔語〕 ○まそ鏡 鏡を床のほとり去らずに置く意でつづける枕詞。まそは、ますみ(眞澄)の意。
〔訓〕 ○里遠みうらぶれにけり 白文「里遠眷浦輕」、古義は、「二四八一」の「吾眷」をひき、かへりみ慕ふ意で、コヒウラブレヌと訓んでゐるが、舊訓に從ふ。
 
2502 まそ鏡手に取り持ちて朝朝《あさなさな》見れども君は飽くこともなし
 
〔譯〕 まそ鏡を手に取り持つて朝毎に見るやうに、毎朝見るけれども、あなたは見飽きることがない。
〔評〕 詞調明朗。盡きせぬ歡喜の情が、快くながれてをる。
〔語〕 ○まそ鏡手に取り持ちて 三四句に掛つて行く序。
 
(340)2503 夕されば床《とこ》のへ去らヌ黄楊《つげ》枕いつしか汝主《きみ》を待てば苦しも
 
〔譯〕 夕方になると、床のあたりを離さずに置いてある黄楊の枕よ。いつおいでになるかと、お前の主人を待つてゐると、ほんたうに心苦しいことよ。
〔評〕 艶めかしい歌である。主なき枕にむかつて云ひ聞かせる麗人の風姿が想像され、抑揚に富んだ華やかな調をなしてをる。
〔語〕 ○黄楊枕 黄楊で作つた枕。この句は「黄楊枕よ」と呼びかけた形。○いつしか ここは、いつしかと、の意。
 
2504 解衣《ときぎぬ》の戀ひ亂れつつ浮沙《うきまなご》生《い》きても吾はありわたるかも
 
〔譯〕 私の胸は戀に亂れつつも、浮沙の水の上に浮んで生きてをるやうに、なほながらへ續けてゐることよまあ。
〔評〕 枕詞を二つまで用ゐて、調子を圓滑にしてゐる。かかる潤色のある歌は、平安時代の女流の愛誦したものであらう。古今六帖に「解き衣の思ひ亂れて浮草の浮きても吾はありわたるかも」とある。「浮沙」は「二七三四」にも「水沫に浮ぶまなごにも」とあるが、「生きても」が雅馴でないので、「浮きても」の誤とする説もすてがたい。
〔語〕 ○解衣 「亂れ」にかかる枕詞。「二〇九二」參照。○浮沙 水の沫のわきかへる所に、繊沙の浮いてゐるにたとへたとする代匠記の解に從ふ。
〔訓〕 ○浮沙いきても 白文「浮沙生」、古義は「浮草浮」に改めてゐるが、三句を「浮草」と改めるのは、上出の六帖の歌によつたのであるが、よくない。「生」は猶考ふべきである。
 
2505 梓弓引きて縱《ゆる》さずあらませば斯かる戀には遇《あ》はざらむかも
 
(341)〔譯〕 梓弓を引きしぼつてゆるめぬやうに、はじめ、戀をすまいと思つたままの心であつたならば、こんな苦しい戀にはあはなかつたであらう。
〔評〕 序の詞句に、凛乎として犯しがたい氣象がうかがはれる。「梓弓引きてゆるさぬ丈夫《ま寸らを》や戀とふものを忍びかねてむ」(二九八七)の類歌がある。
〔語〕 ○梓弓引きて 「ゆるさず」にかかる序。梓弓をひいて、放ちゆるめずの意でかけたもの。○ゆるさず この句を拒絶すると解して、始め承知したのを後に悔ゆるの意の女の歌とみる略解の説もよいと思ふが、今は代匠記の説によつた。
〔訓〕 ○あはざらむかも 白文「不相鴨」、類聚古集によつた。通行本には「不相」とあつてアハザラマシヲと訓んでゐる。
 
2506 言靈《ことだま》の八十《やそ》の衢《ちまた》に夕占《ゆふけ》問《と》ふ占《うら》正《まさ》に告《の》る妹は相寄らむ
 
〔譯〕 道の幾つにも分れてゐる辻に來て、言葉にこもる靈力でうらなふ夕占の方法で判じて見たに、その占は確かに告げたことである、女は自分に心を寄せるであらうと。
〔評〕 當時上下にわたつて廣く行はれてゐた種々の卜占習俗の、その一面を示す作として、文化史の方面からも注意すべき歌である。自分の望みどほりの卦を得て喜んでゐる男の姿が眼に浮ぶ。
〔語〕 ○言靈の 二句を中にはさんで第三句「夕占」にかかるべき語。言靈は言語の持つ靈力を云ひ、この信仰はながく日本民族の心に根ざして來た。好去好來歌(八九四)參照。○八十の衢 多方面に道の分れてゐる辻。○夕占問ふ 夕占によつて吉凶成否を判斷する。「夕占」は夕方の辻や門に立つて、道行く人の言葉かち占ふ方法。「四二〇」參照。○占正に告る 占は確かにいつた、の意。「占」は、占兆、即ち占の判斷に出た事柄。
(342)〔訓〕 ○言靈の 白文「言靈」、古義コトダマヲ、新考コトダマニと訓んでゐるが、今舊訓による。
 
2507 玉|桙《ほこ》の路往占《みちゆきうら》にうらなへば妹は逢はむと我に告《の》りつる
 
〔譯〕 道を行く人の言葉で判斷する路往占の方法でうらなつて見ると、女は自分に逢ふであらうと告げたことである。
〔評〕 路往占をしてみると、女に逢へるといふ吉兆が出た、といふので、前の歌と同じ内容である。特に素朴にとめた結句に喜びが躍つてをる。
〔語〕 ○玉桙の 路にかかる枕詞。「七九」參照。○路往占 往來の人の言葉により判斷する卜占の方法で、前の「夕占」と同じものであらう。
 
   問答《もにたふ》
 
2508 皇祖《すめろき》の神の御門《みかど》を懼《かしこ》みと侍從《さもら》ふ時に逢へる君かも
 
〔譯〕 天子樣の御所におそれ謹んでお仕へしてゐる時に、あなたにお目にかかつたことよ、まあ。
〔評〕 宮中で神聖な職掌に奉仕する女性、或は内侍などが、勤めの際に、時も所もあらうに、愛人に逢うたのである。小説的な事情が裏づげとなつてゐる歌で、嚴肅な勤務の責任と、それ故になほ激しい情熱とははさまれた、若い女性の心事が哀れに描かれてをる。
(343)〔語〕 ○すめろき  ここでは天皇を指し奉る。○神の御門 神は天皇を尊崇する思想から出たもの。「みかど」は御殿をさす。○かしこみと 畏みて、の意。
 
2509 まそ鏡見とも言はめや玉|耀《かぎ》る石垣淵《いはがきふち》の隱《こも》りたる妻
     右二首。
 
〔譯〕 そなたを見たとて、人に言はうか、決していひはせぬ。岩で圍まれた淵のやうに、隱れてゐて世間に知られてをらぬ妻よ。
〔評〕 人には言はぬ、安心せよと、女を慰めたのである。前の歌と問答の體をなしてをる。
〔語〕 ○まそ鏡 「見」にかかる枕詞。○玉かぎる 枕詞。玉のかがやくやうに透き徹つた淵とつづくか。「四五」「二〇七」參照。
 
2510 赤駒の足掻《あがき》速《はや》けば雲居にも隱り往《ゆ》かむぞ袖まけ吾味《わぎも》
 
〔譯〕 我が乘る赤馬の足の運びが早いので、今旅立つてゆくと、すぐに空の彼方はるかに隱れて行かうぞ。いつまでも別を惜んで袖を振つてはゐずに、卷き收めるがよい、我が妻よ。
〔評〕 細節にかかはらぬ濶達さがみえる。人麿の「青駒のあがきを速み雲居にぞ妹があたりを過ぎて來にける」(一三六)を下にふまへて詠んだ歌であらう。「雲居にも隱りゆかむぞ」には、赤駒の駿足を誇つて妻をおどしたやうな、明るい諧謔的な氣分が浮んでゐる。結句には異訓の説もあつて、猶おちつかぬ心地はする。
〔訓〕 ○袖まけ 白文「袖卷」、宣長は「卷」は「擧」の誤とし、フレとよんでゐる。略解は、ソデマカンとしてゐる。ソデマケと命令形に訓むべきかと思ふ。
 
(344)2511 隱口《こもりく》の豐泊瀬道《とよはつせぢ》は常滑《とこなめ》の恐《かしこ》き道ぞ戀ふらくはゆめ
 
〔譯〕 泊瀬の道は、川瀬の石が常になめらかで、滑り易い恐ろしい道であります。私を思つてくださるならば、強ひて無理なことをゆめゆめなさいますな。
〔評〕 旅の道中を案じる女らしい心づかひである。前の男の力づよい歌に對する答として味ふ時、いかにもやさしい女の歌と思はれる。
〔語〕 ○隱口の 「泊瀬」の枕詞。○豐泊瀬道 豐は美稱。泊瀬街道といふ程の意。泊瀬へ行く道。○常滑 「三七」參照。○戀ふらくはゆめ 代匠記初稿本に、「我を戀ふる心の切なるままに、しひて渡りて危き事し給ふなとなり」とあるのが穩かである。
〔訓〕 ○戀ふらくはゆめ 白文「戀由眼」、「戀」に就いて、誤字説もあるが、舊本を改めるだけの根據ある説はない。
 
2512 味酒《うまざけ》の三諸《みもろ》の山に立つ月の見が欲《ほ》し君が馬の音《おと》ぞする
     右三首。
 
〔譯〕 三諸の山に立ち出づる月のやうに、見たいと戀しく思つてゐたあなたの馬の音がすることよ。
〔評〕 ありのままに事實を寫して、五句に胸の躍るやうな喜びを秘めた歌。同型の歌に「二三四七」がある。問答の歌には似ないが、赤駒の歌の縁か、作者を同じくする縁かで、ここに合せ掲げたものであらう。
〔語〕 ○味酒の 三諸の山の枕詞。「三輪」にかかるのであるが、三輪山の別名ゆゑ「三諸山」にかけたのである。
〔訓〕 ○立つ月の 白文「立月」、考は「光月」の誤かといつてゐる。○馬の音ぞする 白文「馬之音曾爲」、嘉暦本による。他の諸本「之」の下に「足」がある。
 
(345)2513 雷神《なるかみ》の少し動《とよ》みてさし曇《くも》り雨も零《ふ》らぬか君を留《とど》めむ
 
〔譯〕 雷がほんの少々鳴りはためき、空が曇つて雨が降つてくれぬかしら、あなたをお留めしように。
〔評〕 戀しい人を留めむために、恐ろしい雷も鳴れかし、と願ふ。しかし、大きな雷鳴は嫌である。そこで「少しとよみて」と言うたのが面白く、優しい女らしい歌である。「さし曇り」といつて「かき曇り」とは言はぬあたりも味はふべきである。
〔訓〕 ○雨も零らぬか君をとどめむ 白文「雨零耶君將留」、アメノフラヌカキミガトマラムとも、四句アメモフレヤモともよめる。
 
2514 雷神《なるかみ》の少し動《とよ》みて零《ふ》らずとも吾は留《とま》らむ妹し留《とど》めば
     右二首。
 
〔譯〕 雷が少々鳴り轟いて雨が降るならばといふが、そんなに降らなくとも、自分は留らう、お前が引きとめてさへくれるならば。
〔評〕 愛情のあふれた明るく快い歌。女の歌詞をとつて繰り返したのも、その言葉を愛でるやうな響があつてよい。
 
2515 布綿布《しきたへ》の枕動きて夜《と》も寐《い》ねず思ふ人には後も逢はむもの
 
〔譯〕 枕が動いて夜も寢られぬほどに自分の戀ひごがれるそなたには、後にも逢ひたいものだ。
〔評〕 やるせない戀慕の情に夜もすがら寢返りをうつのを、枕が動いて寢られぬと云うたのは、簡にして清新、稚拙にして巧妙な表現である。後出「敷妙の枕動きていねらえず物もふこよひ早も明けぬかも」(二五九三)ともある。
(346)〔語〕 ○しきたへの 「枕」にかかる枕詞。○枕動きて 物思ひに寢ねられず、輾轉反側することをいつたもの。
〔訓〕 ○後もあはむもの 白文「後相物」、舊訓ノチモアハムモ。集中にある二百餘個の「物」の字中、「モ」の假字に用ゐたのは卷二・九・十三・十七等に數例存するのみゆゑ、ここでもモノと訓んだ。
 
2516 しきたへの枕は人に言《こと》問《と》へや其の枕には苔生しにたり
     右二首。
     以前一百四十九首は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
〔譯〕 あなたは枕が動くとおつしやいますが、枕が人と物言ふなどといふことがあるでせうか。物をいふどころか、その枕には苔がはえて、ゐますよ、きつと。
〔評〕 枕に苔が生えるとは奇想である。古調のなかに新趣のある歌。下にも「結へる紐解かむ日遠み敷妙の吾が木《こ》枕は苔むしにけり」(二六三〇)とある。
〔訓〕 ○枕は人に 白文「枕人」、舊訓マクラセシヒト。略解はマクラニヒトハ、佐伯氏はマクラトヒトノ。○言とへや 白文「事問哉」。定本コトトフヤ。
 
   正《ただ》に心緒《おもひ》を述《の》ぶ
 
(347)2517 たらちねの母に障らばいたづらに汝《いまし》も吾《われ》も事成べしや
 
〔譯〕 母に憚つて愚圖々々してゐては、唯むなしく、そなたも自分も、思を遂げることが出來ようか。出來ないであらう。
〔評〕 少女と戀をする時、まづ當面の障りは、その子を守る母親である。從つて、男女いづれのがはからも、母親を問題にした歌が多い。この歌は、男が娘をそそのかして、その決心をうながしたのである。類歌、「たらちねの母にまをさば君も我も逢ふとは無しに年ぞ經ぬべき」(二五五七)がある。
〔語〕 ○たらちねの 「母」にかかる枕詞。「四四三」參照。○母に障らば 母を憚つたならば、の意。
 
2518 吾妹子が吾を送ると白|細布《たへ》の袖|漬《ひ》づまでに哭《な》きし念《おも》ほゆ
 
〔譯〕 我が妻が自分を見送る時に、別を悲しんで、袖がぬれるほど泣いたことが思ひ出される。
〔評〕 何ら表現に趣向をめぐらすことなく、ありのままの事實を追想して、悲哀が色濃くあらはれてゐる。永遠に人を打つ眞心の力がある。
 
2519 奧山の眞木の板戸をおし開きしゑや出で來《こ》ね後は何せむ
 
〔譯〕 檜の板の戸をおし開いて、音が立たうとええままよ、出ておいで、後では何にもならぬ。
〔評〕 今がよいをりだと、男が女を誘ひだす歌。上句の重々しい詞調もほほ笑ましく、田園の戀の緊張した一場面を描いてをる。
〔語〕 ○奧山の 眞木にかかる枕詞。○しゑや 「よしゑやし」(一三一)などと同じく強く言つた詞。「六五九」參(348)照。○後は何せむ 後には何にならうぞ、の意。「戀死なむ後は何せむ」(五六〇)參照。
 
2520 苅薦《かりこも》の一重を敷きてさ眠《ぬ》れども君とし宿《ぬ》れば寒けくもなし
 
〔譯〕 苅つた薦で作つた蓆を唯一枚敷いて寢たけれども、あなたと寢たので寒いこともありません。
〔評〕 眞率自然、上代庶民の野性的な生活と心情とを、さながらに眺める心地がする。
〔語〕 ○苅薦の 苅つた薦で作つた蓆。
 
2521 杜若《かきつばた》丹《に》つらふ君をいささめに思ひ出でつつ嘆きつるかも
 
〔譯〕 顔色のあかく美しいそなたを、ふと思ひ出して歎息をしたことよまあ。
〔評〕 ふと眼に浮ぶ愛人の面影に、覺えず歎息をもらした男の樣子が躍如としてゐる。一二句、若々しく健康さうな少女の姿がよく寫されてをる。
〔語〕 ○杜若 枕詞。その花の美しい意で「丹つらふ」につづく。○丹つらふ 顔の紅く美しいこと。「さ丹つらふ」(四二〇)等に同じ。あかい色を美しとする思想から讃美の情を多く含む語。○いささめに ふと、かりそめにの意。
 
2522 恨めしと思ひて背《せ》なはありしかば外《よそ》のみぞ見し心は念《も》へど
 
〔譯〕 あなたは私を恨めしいと思つてをられると聞きましたので、私は氣おくれがして、お目にかかりながら、よそばかりを見てをりました。心の中ではお話をしたいと思つて居りましたが。
〔評〕 複雜な心理が素朴な表現に盛られてゐるので、微妙な戀愛の感情を寫しながら、解りにくい歌となつてをる。優しくつつましい娘子の風姿が目に浮ぶのを覺える。
(349)〔訓〕 ○思ひて背なは 白文「思狹名盤」、全註釋にはオモホサクナハとある。
 
2523 さ丹《に》つらふ色には出でず少くも心のうちに吾が念《も》はなくに
 
〔譯〕 私は顔色にはあらはしませぬ。心のうちであなたを思つてゐることは、決して少々ではありませんが。
〔評〕 深く思つてゐるのをおし隱して、顔色には見せぬ、といふのである。勝氣な、それでゐて情のあつい歌である。この四五句は、「二五八一」「二九一一」にも見出される。
〔語〕 ○さ丹つらふ 「色」にかかる枕詞。○少くも 少くは、の意。
 
2524 吾背子に直に逢はばこそ名は立ため言《こと》の通《かよひ》に何《なに》ぞ其《そこ》故《ゆゑ》
 
〔譯〕 私の愛するお方に、直接に逢ふならばこそ名も立ちませう。たた言葉を通はしてゐるのみであるのに、それゆゑにどうして二人の名が立つたのであらう。
〔評〕 何故噂が立つたのであらうぞ、といふ語を省いて匂はせた手法がよい。いぶかる心をたくみに表はしてゐる。不思議さうに考へこんで、獨白が消えていつたやうな語感がある。
〔語〕 ○言の通ひに 言葉のみ通はしてゐるのに。○そこ故 それだけの故に。
 
2525 ねもころに片思《かたもひ》すれか此頃の吾が心神《こころど》の生けるともなき
 
〔譯〕 心の底から片思をしてゐる爲であらうか、この頃の自分の心魂は、生きてをるやうでもないことよ。
〔評〕 簡明な歌。集中の成句を以て、類型的に詠んでをる。
〔語〕 こころど たましひ、精神、氣力、の意。○生けるともなき 「二二七」參照。
 
(350)2526 待つらむに到らば妹が懽《うれ》しみと咲《ゑ》まむ姿を往きて早見む
 
〔譯〕 待つてをるだらうに、自分が行つたならば、嬉しさにほほ笑むであらうあの女の姿を、早くいつて見よう。
〔評〕 單純にして明朗、讀む者をすらほほ笑ましめる純眞な快さがある。「二五四六」の歌に似てをつて、いささかたがふところがある。
 
2527 誰《たれ》ぞ此の吾が屋戸《やど》に來喚《きよ》ぶ垂乳根《たらちね》の母に嘖《ころ》はえ物思ふ吾を
 
〔譯〕 どなたですか。私の家に來て私を呼ぶ人は。あなた故に母に叱られて困つてをります私なのに。
〔評〕 上代の農村の或る日の一挿話であると共に、現代の田園にも決して見かけぬ事件とはいへない。母には叱られ、戀人には外から誘はれる。思ひ困じた田舍娘の心があはれであるが、その素朴さのために、ほのかな滑稽味も感じられる歌。東歌の中に「誰ぞこの屋の戸押そぶる新嘗に我が背を遣りて齋ふこの戸を」(三四六〇)と構想や表現に似通つたものがあるが、この東歌の場合は、宗教的な背景からにじみ出る嚴肅感がもとになつてゐる。
 
2528 さ宿《ぬ》ぬ夜は千夜もありとも我背子が思ひ悔ゆべき心は持たじ
 
〔譯〕 たとひ共に寢ぬ夜が千晩あらうとも、あなたが後悔なさるやうな心は、私は決して持ちますまい。
〔評〕 變ることのない女の眞心を、凛乎とした詞調によつてうたひ出でたもの。一二句のあたりに、世話物風な情趣が漂うてをる。
 
2529 家人は路《みち》もしみみに通へども吾が待つ妹が使|來《こ》ぬかも
 
(351)〔譯〕 家の人は、このあたりの路を頻繁に通うてゐるが、自分が待つてゐる女からの使は來ぬことよ、まあ。
〔評〕 簡潔な詞句の中に、よく情景が浮んでゐる。但、「家人」に就いて、男の家の人々とする説、相手の女の家人とする説、及び新考の「里人」の誤とする説等がある。
 
2530 あらたまの柵戸《きへ》が竹垣《たかがき》編目《あみめ》ゆも妹し見えなば吾《われ》戀ひあやも
 
〔譯〕 あらたまの柵戸《きへ》のやうな、竹垣の編目からでも、せめて自分の愛する人の姿が見えたならば、かくも戀しく思はうか。
〔評〕 あらたまの柵戸の竹垣は、都會人の間に珍しいものとして、言ひ傳へられてゐたのであらう。すでに歌枕風な表現であつて、當時の東國的色彩を取りいれた面白い序である。
〔語〕 ○あらたまの 和名抄に「遠江國麁玉郡阿良多末、今稱2有玉1」とある地で、今は引佐郡、濱名郡、磐田郡に編入されてゐる。續紀に見える荒玉河の流域であるが、この河は今、荒玉川と稱し、流域も往古とは異つてゐる。○柵戸 蝦夷を防ぐため東國に設けられた簡單な城塞が柵《き》で、それに附屬した民家を柵戸といふ。孝コ紀に「大化三年造2渟蘆柵1。置2柵戸1。四年治2磐舟柵1。以備2蝦夷1。」とある。東歌の遠江國の歌に「あらたまのきへの林に」(三三五三)とも、「きへ人のまだら衾に」(三三五四)とも見える。遠江國濱名郡豐西村に大字貴平があるから、「きへ」を地名とする説もあるが、從ひ難い。「あらたまの柵戸が」は、柵戸そのものの實際の構造から聯想して、竹垣へつづく序。
 
2531 吾背子が其の名|告《の》らじとたまきはる命は棄てつ忘れたまふな
 
〔譯〕 私は戀しいあなたの名を人に言ふまいと決心して、そのためには、命をも棄てるつもりでゐます。どうか私をお忘れ下さいますな。
(352)〔評〕 愛する人の名譽のためには、自分の命をも惜まぬといふ、「命はすてつ」の句、悲壯な響を傳へてゐる。しかも結句の「忘れたまふな」に短くこめられた切實な哀願の詞調が、この一首を限りなく可憐なものにしてゐる。
〔語〕 ○玉きはる 命にかかる枕詞。○命は棄てつ 新考に「親に責問されてせむ方なきに身を棄てし時の歌ならむ」と小説的な内容を想像してゐるが、ただ、「命をかけてゐる」の義と見てよい。
 
2532 凡《おほ》ならば誰《た》が見むとかもぬばたまの我が黒髪を靡けて居《を》らむ
 
〔譯〕 並たいていに思つてをりますぐらゐならば、誰に見せようとて、私の黒髪を靡かしてをりませうぞ。あなたを心から思へばこそ、この黒髪の長い姿をお見せしようとて、髪を束ねずに靡かしてをるのであります。
〔評〕 戀に惱む娘子の眞心が、長い黒髪にかけた誇と共に、あはれに歌はれてをる。ほのかな喜びを胸にひめてゐるのである。彼の播磨娘子とは、境遇は違ふが、「君なくはなぞ身よそはむ櫛笥なる黄楊のを櫛も取らむとも念《も》はず」(一七七七)の歌も思はれ、女人の心を永遠に傳へるものである。
〔語〕 ○凡ならば おほよそに思ふならば。おろそかに考へてゐるならば。「九六五」參照。
 
2533 面忘れ如何《いか》なる人の爲《す》るものぞ吾《われ》は爲《し》かねつ繼《つ》ぎてし念へば
 
〔譯〕 戀しい人の顔を忘れるなどといふことは、一體、如何なる人がすることであらうぞ。自分には、面忘れなど、とても出來ぬことである。絶えずつづけて戀ひ慕うてをるので。
〔評〕 三句で切る簡勁の格調を以て、やすむ時もない戀慕の情が歌はれてをる。
〔語〕 ○面忘 他の容貌を見忘れること。「二五七四」參照。
 
(353)2534 相思はぬ人の故にかあらたまの年の緒長く吾が戀ひ居《を》らむ
 
〔譯〕 自分を思つてもくれぬ人の爲に、こんなに長年の間、私は戀ひ續けてをることであらうか。
〔評〕 相思はぬ人を戀するなげきを詠じたもの、男の歌である。「一九三四」の歌に似たものがある。
 
2535 凡《おほよそ》の行《わざ》は念《おも》はじ吾《われ》故《ゆゑ》に人に言痛《こちた》く云はれしものを
 
〔譯〕 あなたに就いて、たいていのことは何とも思ひますまい。私ゆゑに、あなたは人にかしましく噂をされたのでしたもの。
〔評〕 男に對して、何か不滿に思ふことがあつたのであらう。それはよく反省して見れば、「凡のわざ」であつたのである。その反省に導いたものは、「人にこちたく云はれし」頃の苦しさの思ひ出であつた。人情の機微を巧にとらへた歌。
〔語〕 ○凡のわざは念はじ 男の行爲に恨むべき事もあるが、此處にはいふまい、の意と解する考の説がよい。
〔訓〕 ○わざは念はじ 白文「行者不念」、古義はワザトハモハジとよんでゐる。
 
2536 氣《いき》の緒に妹をし念《も》へば年月の社《ゆ》くらむ別《わき》も念《おも》ほえぬかも
 
〔譯〕 命をかけて愛人を思つてゐるので、年月のたつて行くけぢめも思ひ分けられぬことよ。
〔評〕 おぼほしき心で、年月も分らずに日を送るのである。「中々に死なば安けむ出づる日の入る別《わき》知らぬ吾し苦しも」(二九四〇)は、この情の昂じたものであらうか。
〔語〕 ○往くらむ別《わき》も 「わき」は區別の意。「春雨の降る別《わき》知らず」(一九一五)參照。
 
(354)2537 たらちねの母に知らえず吾が持《も》てる心はよしゑ君がまにまに
 
〔譯〕 母にも知られずに、私が秘め持つてゐる此の心は、ええ、ままよ、あなたの思ふ儘になりませう。
〔評〕 惱みぬいた娘が、遂に熱情の奔流するがままに向はむとするのである。「三二八五」に類歌がある。
〔語〕 ○よしゑ 「よしゑやし」「しゑや」等に同じ。ここは、え、もう構はぬ、の意で間投詞的に用ゐられてゐる。
〔訓〕 もてる 白文「持留」、流布本モタルとある。大野晋君の説に、假名書の例なく、語法上モテルをよしとするといふによる。
 
2538 獨|寢《ぬ》と薦《こも》朽《く》ちめやも綾席《あやむしろ》緒《を》に成るまでに君をし待たむ
 
〔譯〕 私が獨で寢たとて、蓆は朽ちはしますまい。綾織の筵がすりきれて、編み絲ばかりになつてしまふまで、私はあなたをお待ちしませう。
〔評〕 薦は下敷であり、藺をいろいろに染めて織りなした綾筵は上敷であつて、當時の室内生活を偲ぶことが出來る。この綾筵には、我が待つ人との思ひ出が殘つてゐるのであらう。婦人らしい眞情と野趣とのこもつた作である。
 
2539 相見ては千歳や去《い》ぬる否をかも我《われ》や然《しか》念《も》ふ君待ちかてに
 
〔譯〕 相見てから千年も過ぎたのであらうか。否さうではなく、私がさう思ふのであらうか。あなたのおいでを待ちかねて。
〔評〕 待つ日の長さを嘆じて、措辭も巧妙である。大伴坂上郎女の「六八六」の歌は、これに酷似してゐる。しかして此の「二五三九」の歌は、「三四七〇」と全く同歌であつて、それによると、人麿歌集に出てをることが知られる。
(355)〔語〕 ○否をかも 「を」を諾の意に解する説(古義)は從ひ難い。間投助詞で詠歎の意。いや、さうでなからうか、の意。
 
2540 振分の髪を短み青草を髪に綰《た》くらむ妹をしぞおもふ
 
〔譯〕 振分の髪が短いので、それに青い草を添へて束ねようとするあの少女を、懷かしく思ふことである。
〔評〕 美しい抒情詩である。青々と草の萠えてゐる野で、大人らしい装ひを眞似てする田舍娘の、可憐なしぐさを追想して、今あの少女はどうしてゐるかと懷かしんだのである。
〔語〕 ○振分の髪 古へは、八歳ぐらゐまでは髪の末を肩に比べて切つて、頂から兩方へ分けて垂らしてゐたのをいふ。○髪にたくらむ 青草を添へて髪を束ねようとすること。「一二三」參照。
〔訓〕 ○青草 「青」を「春」とした本もあるが、多本による。又ワカクサとも訓んでゐる。
 
2541 徘徊《たもとほ》り往箕《ゆきみ》の里に妹を置きて心空なり土は踏めども
 
〔譯〕 往箕の里に愛人を殘し置いて、別れて來ると、心はうはの空になつてをる。足だけは土を踏んでゐるけれども。
〔評〕 面白い表現であるが、「立ちてゐてたどきも知らず吾がこころ天つ空なり土はふめども」(二八八七)「吾妹子が夜戸出の姿見てしよりこころ空なり地はふめども」(二九五〇)などと歌はれてをる。
〔語〕 ○たもとほり あちこち歩き廻ること。行きめぐる意の「行きみ」から、地名「往箕」にかけた枕詞。○往箕の里 地名と思はれるが、所在未詳。
 
2542 若草の新手枕《にひたまくら》を纒《ま》き初《そ》めて夜をや隔てむ憎くあらなくに
 
(356)〔譯〕 はじめて手枕をまき共寢をしてから、幾夜も隔てて逢へぬといふことがあらうか。憎くはなく、戀しいのに。
〔評〕 ややあらはな表現であるが、それだけに野趣掬すべきものがある。
〔語〕 ○若草 「新」につづく枕詞。
〔訓〕 ○にくく 白文「二八十一」。「八十一」は九九八十一の意で戯書。卷三(二三九)では、鹿猪《しし》の字に「十六」をあててゐる。
 
2543 吾が戀ひし事も語らひ慰めむ君が使を待ちやかねてむ
 
〔譯〕 せめてあなたからのお使に、自分が戀しく思つてゐたことを語つて、心を慰めようと思ふ、そのお使を待ちつけることができないのでせうか。
〔評〕 戀人には逢へずとも、せめて使になりと思ひを語つて慰めようと思つて待つてゐるが、その使さへも來ぬ、といふのである。
 
2544 寤《うつつ》には逢ふ縁《よし》も無し夢《いめ》にだに間無《まな》く見え君戀に死ぬべし
 
〔譯〕 現實には逢ふ方法もない。せめて夢にでも絶間なく見えて下さい、あなたよ。さもなければ、戀死に死ぬことでありませう。
〔評〕 まなく見えよと命令形にいひ、さなくば「戀に死ぬべし」と強くいひきつたところがよい。但、「八〇七」「二八五〇」「二九五九」に類歌がある。
〔訓〕 ○間なく見え君 白文「間無見君」、舊訓マナクミムキミ、代匠記精撰本にはマナクミエヨキミと訓んでゐる。古義に從つた。
 
(357)2545 誰《た》そ彼《かれ》と問はば答へむ術《すべ》を無み君が使を還《かへ》しつるかも
 
〔譯〕 あれは誰ぞと、他の人が問うたならば、その時に答へやうを知らぬので、名殘惜しくもあなたからのお使を返してしまひましたことよ。引きとめておいて、あななの御樣子をも伺ひたかつたのに。
〔評〕 つつましい婦人の態度である。人目を憚り、胸騷ぎを覺えつつ戀人からの使者を迎へたことであらう。
 
2546 念《おも》はぬに到らば妹が歡《うれ》しみと咲《ゑ》まむ眉曳《まよびき》思ほゆるかも
 
〔譯〕 來ようと思つてもゐないところへ、突然自分がおとづれて行つたならば、あの女が嬉しさにほほ笑むであらう顔が思はれる。
〔評〕「待つらむに到らば妹が懽《うれ》しみと咲《え》まむ姿を往きて早見む」(二五二六)の類歌である。「待つらむに到」る喜びも想像されるが、「おもはぬに到」る時の喜びの眉は、更に美しいものがあらう。麗しい想像である。
〔語〕 ○眉曳 眉墨を畫き引いたことがもとの意で、眉、目つき、顔の意に用ゐられた。
 
2547 斯《か》くばかり戀ひむものぞと念《おも》はねば妹が袂を纒《ま》かぬ夜もありき
 
〔譯〕 別れて後、これほど戀しく思ふであらうとは思はなかつたので、愛人の袂を枕にしなかつた夜もあつた。
〔評〕 逢へる時に、飽足るほど逢つておくはずであつたものを、の意。別れて後の思ひ出、質實の中に眞心がこもり、人情の機微にふれてをる。「二九二四」に類歌がある。
 
2548 斯《か》くだにも吾は戀ひなむ玉|梓《づさ》の君が使を待ちやかねてむ
 
(358)〔譯〕 ただこのやうにして、私は戀ひこがれてゐることでせう。心のうちでは、あなたからの使でもと待つてゐるのですが、それさへも待ち受けることが出來ないのでせうか。
〔評〕 四五句は、前出の「二五四三」に同じく、三句以下は「三一〇三」にも似てをる。ただ、初二句に力が入つてをる。
〔語〕 ○吾は戀ひなむ この「なむ」を動詞として「祈《の》む」の義とする説もあるが、普通の助動詞と見るべきである。○玉梓の 使の枕詞。○持ちやかねてむ 待ちかねる、即ち期待しながら、しかも結局待ち迎へることができないであらうか、の意。
〔訓〕 ○玉づさ 白文「玉梓」。嘉暦本等に「玉桙」とある。
 
2549 妹に戀ひ吾が哭《な》く涙しきたへの木《こ》枕|通《とほ》り袖さへ沾《ぬ》れぬ【或本の歌に云ふ、枕通りてまけば寒しも】
 
〔譯〕 愛人を戀うて自分が泣く涙は、木の枕をとほして、袖までもぬらしたことよ。
 或本の歌−涙が枕をとほして、その枕をすると、寒いことよ。
〔評〕 萬葉男子の作としては柔弱に見えるほど、ひたぶるな戀情である。誇張のあとも見えるが、詞調はなほ朴直で、後世の歌の比ではない。或本の歌は、感覺的になつてをる。
〔語〕 ○しきたへの 衣、枕、袖、床等にかかる枕詞。
〔訓〕 ○木枕とほり 白文「木枕通」、嘉暦本による。通行本には「通」の下に「而」がある。
 
2550 立ちて念《、おも》ひ居《ゐ》てもぞ念《おも》ふくれなゐの赤裳《あかも》裾引《すそび》き去《い》にし姿を
 
〔譯〕 立つても思ひ、坐つても思ふことである。紅の赤い裳の裾を引心て去つたあの女の姿を。
(359)〔評〕 印象の鮮明な、感情の高調した歌である。一二句は、ゐても立つても居られぬ憔悴を敍し、一轉、三句以下は、楚々として去つた娘子の姿を寫してゐる。結句「去にし姿を」にこめられた餘韻も深く、あはれである。
〔訓〕 ○赤裳裾引き 白文「赤案下引」、源氏物語眞木柱の卷に「赤裳たれ引きいにし姿をと、にくげなる古言なれど、御言ぐさになりてなむ、ながめさせ給ひける」とあり、古今六帖も「たれひき」とある。當時さやうに訓んだことが知られる。
 
2551 念《おも》ふにし餘りにしかば術《すべ》を無み出でてぞ行きし其の門を見に
 
〔譯〕 戀しい思ひに堪へかねたので、せむ術《すべ》なさに、せめてもと思つて、出かけて行つたことである、愛人の門を見に。
〔評〕 いかにも制御しがたい心を敍して、眞率至純の作。「二九四七」の「一云」には、五句が「家のあたり見に」として出てゐる。
 
2552 情《こころ》には千遍《ちへ》頻々《しくしく》に念《おも》へども使を遣《や》らむ術《すべ》の知らなく
 
〔譯〕 心の中では頻りに思つてゐるが、その思ひを告げるべき使をやる方法が分らぬことであるよ。
〔評〕 他人に知られぬやうに、女のもとへ使を遣ることのむつかしさを嘆いたもの。「二五四五」と對照させると興味が深い。二句はよい句であるが、「二二三四」の人麿集の歌の句を襲つたものであらう。「二四三七」にもある。
〔訓〕 ○ちへしくしくに 白文「千遍敷及」、通行本のチヘニシクシクよりは、調べの上で、童蒙抄、古義の訓の方がよいので、それによつた。
 
(360)2553 夢《いめ》のみに見てすら幾許《ここだ》戀ふる吾は寤《うつつ》に見てはまして如何《いか》ならむ
 
〔譯〕 夢に見るさへ甚しく戀しく思つてゐる自分は、實際に逢うたならば、まして、どんなに戀しいことであらうか。
〔評〕 ありのままに自分の戀の激しさをいぶかつた平易の歌。結句の字餘りは、單純な構想の中にも力が籠つてをることを感じさせる。
〔訓〕 ○見てすら 白文「見尚」、ミルスラともよめる。
 
2554 相見ては面隱さるるものからに繼ぎて見まくの欲《ほ》しさ君かも
 
〔譯〕 お遇ひすれば、恥しくて顔を隱さずにはゐられないのに、つづいてあなたにお目にかかりたいと思はれることよ。
〔評〕 世づかぬ手弱女の、嬌羞を含んだ優美の風姿を見るやうである。調子もまた柔軟で、流麗な美しさを具へてゐる。たをやかさの中に、一脈の才氣のとほつた詠みぶりと云へよう。
〔語〕 ○ものからに ものであるのにそれに、の意。
 
2555 朝戸を早くな開《あ》けそ味《あぢ》さはふ目がほる君し今夜《こよひ》來《き》ませり
 
〔譯〕 夜があけても朝の戸を早く開けないやうに。私がお目にかかりたく思ふお方が、今夜は來ていらつしやるから。
〔評〕 珍しくおとづれて來た愛人を、少しでも長くとめておかうとする心づかひである。
〔語〕 ○あぢさはふ 目にかかる枕詞。「一九六」參照。○目がほる 「ほる」は欲するの意。見たいと思ふ。
〔訓〕 ○朝戸を 白文「旦戸乎」、アサノトヲとも訓める。通行本の「旦戸遣乎」に作るのは誤である。
 
(361)2556 玉|垂《だれ》の小簾《をす》の垂簾《たれす》を往《ゆ》きかてに寐《い》はなさずとも君は通はせ
 
〔譯〕 簾が垂らしてあるから、とほると簾の音がしてとほりにくいので、中に入つてお寢《やす》みになるといふことはなくとも、どうか折々に通つて來てくださいませ。
〔評〕 三句が難解であるが、代匠記の説に從つて説けば、意味の全くとれぬことはない。
〔語〕 ○玉垂の 「緒」につづく枕詞。その音感から「小簾」につづく。○をすのたれす 小さい簾のたらしてある簾の義、音調を反覆させただけで、垂簾だけに意がある。○往きかてに 代匠記の、來るを往くといふから、來がての意とする説に從ふ。○いはなさずとも 「なす」は「寢る」の敬語。
〔訓〕 ○往きかてに 白文「往褐」、改字改訓諸説ある中に、舊訓カチニをカテニと訓む代匠記の説によつた。
 
2557 たらちねの母に白《まを》さな君も我も逢ふとは無しに年は經ぬべし
 
〔譯〕 母に二人の仲を打明けて申しませう。さうしないと、あなたも私も、逢ふことが出來ずにゐる中に、年ばかり過ぎてしまふでせうから。
〔評〕 むすめ心の、はやく逢ひたい爲に、母に打あけていはうとするのである。これを、二句をハハニマヲサバの文字によつて訓むと、母の反對を恐れてうちあけかねる意となる。歌は一音一字によつて、その意味がかくも異なることがある。
〔訓〕 ○母にまをさな 白文「母白七」。「七」は嘉暦本による。通行本には「者」とある。それによればハハニマヲサバである。○年は經ぬべし 白文「年可經」。トシゾヘヌベキとも訓める。
 
(362)2558 愛《うつく》しと思へりけらし莫《な》忘れと結びし紐の解くらく念《も》へば
 
〔譯〕 妻は、自分を戀しいと思つてゐるのであつたらしい。別れる時に、お忘れなさるなと云つて妻が結んでくれた、この着物の紐が、自然に解けるのを考へてみると。
〔評〕 紐の解けるのは人が自分を思ふ兆である、といふ俗信に基づいてをるが、旅立ちに際して妹が紐を結ぶといふ風習をも詠みいれてゐて、旅情のにほふ歌である。人麿の?旅歌に「淡路の野島の崎の濱風に妹が結びし紐吹きかへす」(二五一)とある。
 
2559 昨日見て今日こそ隔《へだ》て吾妹子が幾許《ここだく》繼ぎて見まくし欲《ほ》しも
 
〔譯〕 昨日逢つて、たつた今日一日を隔てただけなのである。しかも、自分の愛人が、頻りにつづいて見たいことよ。
〔評〕 激しい戀に惱むものの心は、いつの世にもかうしたものであらう。率直な詠みぶりである。
〔訓〕 ○今日こそ隔て 白文「今日社間」、舊訓ケフコソアヒダとあるが、童蒙抄の如く「間」はヘダテと訓むのがよい。「一三一〇」參照。
 
2560 人も無き古《ふ》りにし郷《さと》にある人を愍《めぐ》くや君が戀に死なする
 
〔譯〕 人も住まぬ古い都にさびしく暮してゐる私を、まあかはいさうに、あなたは戀死に死なせるのでせうか。
〔評〕 舊都の飛鳥あたりに住んで、男の通うて來るのを寂しく待ち暮してをる女の怨み言が、哀切の調に、強い情をこめて歌はれてをる。三句「ある我を」といふべきを、わざと「ある人を」というたのである。
〔語〕 ○めぐくや 「めぐく」は見る目くるしくの義で、かはいさうに、むごいことに、の意。
 
(363)2561 人言《ひとごと》のしげき間《ま》守《も》りて逢ひぬとも八反《やへ》吾が上に言《こと》の繁《しげ》けむ
 
〔譯〕 人の噂のやかましい隙をうかがつて逢つたとしましても、更に幾重にも、私の身の上に噂が立つことでありませう。
〔評〕 いかにしてももがれがたい人目の恐しさをいつて、ひそかに逢はうと云ひ寄る男に和へた歌であらう。
〔訓〕 ○やへ 白文「八反」、八重の義。古義は「反」を「多」の誤とし、ハタと訓んで、また更にの義と解してゐる。
 
2562 里人の言縁妻《ことよせづま》を荒垣《あらがき》の外《よそ》にや吾が見む憎《にく》からなくに
 
〔譯〕 里人が、あれこれ自分との仲をいひ騷いでゐる妻を、よそにのみ見て逢はずにをることか、憎からずかはゆく思ふのに。
〔評〕 前の歌は女性、これは男性の作であるが、同じく人言を恐れて逢ひ得ぬ嘆聲である。
〔語〕 ○言縁妻 世人が自分と關係のあるやうに噂してゐる女。「一一〇九」の「縁言」參照。○あら垣の 粗垣で、目のあらい垣。垣は内外を隔てる意から「よそ」の枕詞とした。
 
2563 他眼《ひとめ》守《も》る君がまにまに吾さへに夙《はや》く起きつつ裳裾ぬらしつ
 
〔譯〕 人目を憚つて朝早く歸つて行かれるあなたと共に、私までも早く起きて、草の露で裳の裾をぬらしました。
〔評〕 朝露のごとき清麗な歌品である。前出の「朝戸出の君が足結をぬらす露原早く起き出でつつ吾も裳裾ぬらさな」(二三五七)の旋頭歌の趣旨を、そのままに實行した觀がある。
(364)〔語〕 ○他眼《ひとめ》守《も》る 人目を注意して、人目を覗ひ。○君がまにまに あなたに從つて。
 
2564 ぬばたまの妹が黒髪|今夜《こよひ》もか吾《かれ》無き床《とこ》に靡けて宿《ぬ》らむ
 
〔譯〕 いとしい妻は、その黒髪を今夜もまあ、自分のをらぬ床の上になびかせて、獨寢をしてゐることであらうか。
〔評〕 妻の艶なる風姿を思ひやるにつけて、自分も獨寢をするやるせなさが、一層なやましく切實になつて來る。逢へぬ夜の詠嘆か、?旅での作であらうか。
〔語〕 ○ぬば玉の 枕詞。妹を隔てて、「黒」にかかる。
 
2565 花ぐはし葦垣|越《ご》しにただ一目相見し兒ゆゑ千遍《ちたび》嘆きつ
 
〔譯〕 葦垣の垣根ごしにただ一目見たばかりの女、ただそれだけの女の戀しさのために、千度も嘆いたことである。
〔評〕 葦垣越しに見初めた農村の戀である。一目といひ千度といふあたり、民謠風の作である。
〔語〕 ○花ぐはし 枕詞。允恭紀に「花ぐはし櫻のめで」とあるやうに、此の歌も蘆の花の美しいのを讃美したものといふ代匠記の説がよい。民謠であつて、うたひだしに美しい句を置いたものと見るべきである。
 
2566 色に出でて戀ひば人見て知りぬべみ情《こころ》のうちの隱妻《こもりづま》はも
 
〔譯〕 顔色に出して戀をしたならば、人が見て知りさわぐことであらうからとて、心のうちに秘めて隱してをる妻よ、あはれかの女はまあ。
〔評〕 一般的な内容で、「秋萩の花野のすすき穗には出でず吾が戀ひわたる隱妻はも」(二二八五)などの類歌かある。
〔語〕 ○こもり妻 心の中にこめておもふ妻、「四一四八」にもある。
(365)〔訓〕 ○知りぬべみ 白文「應知」、舊訓シリヌベシと切つてゐる。下を「はも」と結ぶ歌では、中に切れ目のないのが常である。「べみ」を受けることは、「三五一二」の「ものから」を受けるのに似た例であを。○こもり妻 白文「隱妻」。嘉暦本に「しのひつま」とよんでゐる。隱をシノビとよむ例は「二七五二」にある。
 
2567 相見ては戀慰むと人は言へど見て後にぞも戀ひまさりける
 
〔譯〕 逢つたならば戀の心が慰むと人は言ふが、見て後に却つて戀がまさつたことである。
〔評〕 類歌に「相見てはしましく戀はなぎむかと思へどいよよ戀ひまきりけり」(七五三)、「中々に見ざりしよりは相見ては戀しき心まして念ほゆ」(二三九二)がある。
 
2568 おほろかに吾《われ》し念《おも》はば斯《か》くばかり難き御門を退《まか》り出《で》めやも
 
〔譯〕 なみなみに自分がそなたを思つてゐるならば、あれほど出入の嚴重な御所の御門を拔け出して、逢ひに來ることがあらうか。
〔評〕 宿直の官人が、御所の門を拔け出して、愛人に逢うた時の感想であらう。かかる事實はありさうなことながら、かかる歌を採録したところに、明朗でもあり奔放でもあつた時代の特色があらはれてゐる。
〔語〕 ○難き御門 出入の嚴重な宮廷の御門。
〔訓〕 ○おほろかに 白文「凡」、「九七四」參照。通行本にはオホヨソニとある。
 
2569 念《おも》ふらむ其の人なれやぬばたまの夜毎に君が夢《いめ》にし見ゆる【或本の歌に云ふ、夜晝と云はず我が戀ひ渡る】
 
〔譯〕 私を思つてゐてくれるやうなその人であらうか、否、思つてゐてはくだきらぬ人であるのに、毎夜あの人が、(366)私の夢に見えることよ。まことに不思議なことである。
〔評〕 夜も晝もたえず戀ひつづけてをる片思の人を、夢に見たいぶかしみである。心理上、或る人が夢に現はれるのは、自分がその人を思ふ故であつて、何ら異とするに足らぬことである。しかし萬葉人は、夢を現實的に考へてゐて、或る人が自分の夢に見えて來るのは、その人が自分を思ふ故に、その意志が通うて來ると信じてゐた。そこで、自分を愛してくれぬ人が夢に現はれたのを、怪しんでゐるのである。以上は「なれや」を反語とし、相念ふ人でもないのに、の意とする考、略解の説によつたのであるが(「四一六四」參照)、なればにや、の意と解する代匠記の説もある。一二句は他によみ方はない。畢竟、作者が未熟の爲に不明ないひざまをしたものと見るべきである。「その人」は相手の男をさしたとする一般の説がよい。新考に「第三者なり」とあるはよくない。
 
2570 斯《か》くのみし戀ひば死ぬべみたらちねの母にも告げつ止《や》まず通はせ
 
〔譯〕こんなに戀しく思つてばかりゐては、遂に戀ひ死ぬでありませうから、すべてを母に告げました。どうぞこれからは、絶えず通つて來て下さいませ。
〔評〕 當時の戀愛する若い人々にとつて、最も難關なのは、内の母と、外の人目とであつた。その母にも打ちあけたから、もう天下晴れてといふ氣持が躍動してゐるのを覺える。
〔訓〕 ○戀ひば死ぬべみ 白文「戀者可死」、舊訓はコヒバシヌベシである。
 
2571 丈夫《ますらを》は友の騷《さわき》に慰もる心もあらむ我ぞ苦しき
 
〔譯〕 男子であられるあなたは、お友達上のつきあひに心を慰めることも出來ませう。それに反して、唯ひとり家にをらねばならぬ女の身の私は、苦しいことであります。
(367)〔評〕 婦人の地位は、萬葉集の昔からかうしたものと、一つの社會相が知られる歌である。歴史をこえて、一般の日本女性の言ひたいところを、代表してゐる觀さへある。二句の「友の騷」も辛辣である。
〔訓〕 ○友の騷 白文「友之驂」 驂の字は、「一一八四」に倣ひ、代匠記精撰本の訓による。
 
2572 僞も似つきてぞ爲《す》る何時《いつ》よりか見ぬ人戀ふに人の死《しに》せし
 
〔譯〕 嘘をいふにも、少しは本當らしいことをいふものですよ。いつの世に、見たこともない人に戀ひこがれて、死んだ人がありますか。
〔評〕 女の歌とみる。戀の苦しみを「戀死なむ」、などと誇張して、口さき巧みに言ひ寄る男を、手ひどくきめつけた歌である。「嘘も休み休み言ふがよい」といつた語氣、婦人としては驚くほど鋭い皮肉ぶりで、才氣換發の慨がある。次に掲げる大伴家持の歌は、恐らくこれに學んでゐよう。「僞も似つきてぞするうつしくもまこと吾妹子吾に戀ひめや」(七七一)。
〔語〕 ○僞も似つきてぞする 初から嘘とわかるやうな言葉をあざけつたもの。
 
2573 情《こころ》さへ奉《まつ》れる君に何をかも言《い》はず言《い》ひしと吾が食言《ぬすま》はむ
 
〔譯〕 この身ばかりか、心までも差上げたあなたに、何をまあ、言はないでおいて、しかも言つたなどと、私が僞を申しませう。
〔評〕 心から眞面目に戀してゐる婦人が、眞劔になつて男の誤解を釋かうとする態度である。四五句が殊に哀れに、たどたどしく感じられる。
〔語〕 ○食言《ぬすま》はむ 「ぬすむ」に、動作の反覆持續を示す「ふ」をつけたもの。「ぬすむ」は、ここは虚言する、うし(368)ろぐらいことをする意。「二八三二」參照。
 
2574 面《おも》忘れだにも得《え》爲《す》やと手握《たにぎ》りて打てどもこりず戀といふ奴《やつこ》
 
〔譯〕 せめて顔を忘れるだけでも忘れることが出來るかと思つて、拳《こぶし》を固めて打ちたたくが、少しも懲りぬことである、この戀といふ奴は。
〔評〕 自嘲的に己が戀を「奴」にたとへた例は、穗積親王の愛吟した歌と傳へられるものに「家にありし櫃に?刺しをさめてし戀の奴のつかみかかりて」(三八一六)がある。奴婢の階級が、極めて低い地位におかれてゐたことは、正倉院文書の東大寺奴婢籍帳が物語るところである。奴婢を拳をかなめて打ちたたいた社會生活の一斷面が、この歌に示されてゐる。
〔訓〕 ○こりず 白文「不寒」。寒は凝るから懲るに假借したもの、また寒中に水が氷るからこりといつたものなどの説がある。○戀といふ奴 白文「戀云奴」。嘉暦本等による。通行本は「云」を「之」とあつて、コヒノヤツコはとよんでゐるのはよくない。
 
2575 めづらしき君を見むとぞ左手《ひだりて》の弓|執《と》る方の眉根かきつれ
 
〔譯〕 めづらしいあなたに逢ふ前兆とて、左手の弓を執る方の眉がかゆくて、掻いたことである。
〔評〕 眉がかゆいのは、思ふ人に逢ふことの出來る前兆であるといふ俗信に基づいた歌。「五六二」「二八〇八」參照。女の歌とおもはれるが、「左手の弓執る方の」といふ大げさな言ひ方が面白い。
〔訓〕 ○君を見むとぞ 白文「君乎見常衣」、常衣をトゾと訓んでは、下に「つれ」とあるのに照應しない。從つて、かきつれ、白文「掻禮」の禮を「類」の誤とする略解、「鶴」の誤とする新考等の説があり、又「常」をトコ「衣」(369)をソとよむことも出來るが、今はゾに對してレと結んだ特殊なものとしておく。
 
2576 人間《ひとま》守《も》り葦垣|越《ご》しに吾妹子を相見しからに言《こと》ぞさだ多き
 
〔譯〕 人目の隙をうかがつて、葦垣越しに愛する女に逢うた、ただそれだけのために、世の人の噂がやかましいことである。
〔評〕 早くも立つた噂に驚いた歌。前出の「花ぐはし葦垣|越《ご》しに」(二五六五)に似て、農村の戀を面白く描いてゐる。
〔訓〕 ○さだ 白文「定」、定めの語幹で、評判の意。
 
2577 今だにも目《め》な乏《とも》しめそ相見ずて戀ひむ年月久しけまくに
 
〔譯〕 せめて今のうちだけでも、間を置かず十分に逢つて下さいませ。これからは、お目にかからずに、戀しく思ふ年月も久しいことでありませうに。
〔評〕 旅などに出ようとする男に、名殘を惜しむ女の歌と思はれる。哀婉の調が、あはれ深い。
〔語〕 ○目なともしめそ 相見ることを乏しからしめるな、の意。○久しけまくに 「まく」は助動詞「む」の未然形に、動詞助動詞を體言化する助詞「く」のついたもの。久しからうことであるに、の意。
 
2578 朝寢髪吾は梳《けづ》らじ愛《うつく》しき君が手枕《たまくら》觸《ふ》れてしものを
 
〔譯〕 この朝の寢亂れた髪を、私はくしけづりますまい。戀しいあなたの手枕の觸れたものでありますから。
〔評〕 甘美な哀艶が極まつて、やるせないものを感じさせる歌。別れたあとの戀人のけはひを懷かしんで、その手の觸れた髪の亂れさへも消さじとする、女の心がよくあらはれてゐて、時代を超えた感覺の新しさがある。
(370)〔訓〕 ○觸れてしものを 白文「觸義之鬼尾」、舊訓による。「義之」は王義之が有名な能書家、即ち手師であつたことから出來タ戯訓で、「三九四」以下數ケ所に見られる。「鬼」を「もの」とよむは、日本紀に、邪鬼をアシキモノとよませてあり、物のけのモノも同じい。これも戯訓である。
 
2579 早行きて何時《いつ》しか君を相見むと念《おも》ひし情《こころ》今ぞなぎぬる
 
〔譯〕 早く行つて、何時になつたらそなたに逢はうかと思つてゐた自分の心は、今、やつと落ちついたことである。
〔評〕 女に逢つた喜びが、結句にのびのびと躍つてをる。
〔訓〕 ○なぎぬる 白文「水葱少熱」、一種の戯書である。
 
2580 面形《おもがた》の忘るとあらばあづき無く男《をのこ》じものや戀ひつつ居《を》らむ
 
〔譯〕 愛する人の顔形を忘れる時がある位ならば、無益にも、男子たる自分がのめのめと戀ひ慕うてゐようか。
〔評〕 忘れられぬ戀に惱む自分と、所謂「丈夫と思へる我」の自覺との間に身を置いて、やや自棄的になつた男の歌である。「女の顔など、少したてば忘れてしまふものだ」などと他人からいはれでもしたものか。
〔語〕 ○面形 容貌。○あづきなく 詮なく、無益に、つまらなく。○男じものも男たるもの。「二一〇」參照。
〔訓〕 ○忘るとあらば 白文「忘戸在者」舊訓ワスルトナラバ。戸の字により、忘るる時あらばと解する。○あづきなく 白文「小豆鳴」。アヂキナクが本來の語であるが、訛つてアヅキナクといつたものとおもはれる。
 
2581 言《こと》に云へば耳に容易《たやす》し少くも心のうちに我が念《も》はなくに
 
〔譯〕 唯、戀しく思つてをると口に出して云へば、聞く人の耳には、何でもない一通りのとに聞える。自分は心の(371)うちであなたを淺くは決して思つてはをりませぬのに。
〔評〕 口に出して云はねば心は通はず、口に出せば輕々しと侮られる。戀の思ひを表はすことの困難を歌つたもので、措辭も巧妙といつてよい。
〔語〕 ○少くも 「も」は詠歎の助詞。少くは、輕くは、の意。「念はなくに」にかかる。
〔訓〕 原文に、三・三・二・八・四・九・二。九・二と、多數の數字を用ゐた書き方がかはつてゐる。
 
2582 あづき無く何の枉言《たはごと》いま更に小童言《わらはごと》する老人《おいびと》にして
 
〔譯〕 つまらなく、何といふたはごとを言つたものぞ、今更に子供じみたことを云つたものだ、老人のくせに。
〔評〕 代匠記に述べてゐるやうに、この歌は、老人が戀をいひ寄つた後に、反省して自嘲した歌とも、又、老人に言ひ寄られた女が、拒否する歌とも見られる。前説の方がよい。
〔語〕 ○何のたは言 何のたは言をいひしものぞ、と、自らの痴愚を罵るものと思はれる。○わらは言する 子供の言ふやうな若々しい戀の言葉をいうたものぞ、の意。
〔訓〕 ○この歌にも、九・二・四などの數字が入つてをる。朝ね髪以下の五首は、戯書を好む人が書きとめたのを、さながら書いたものとおもはれる。
 
2583 相見ては幾《いくば》く久もあらなくに年月の如《ごと》思ほゆるかも
 
〔譯〕 お逢ひしてから、まだ幾らも長い時が經つてもゐないのに、長く年月がたつたやうに思はれますことよ。
〔評〕 戀をする人の常の情であり、卒直な詠みぶりがよい。卷四には、「五七九」「六六六」「七五一」に類歌が見られる。
(372)〔訓〕 ○相見ては 白文、「相見而」。「相」の上に「不」の脱といふ代匠記精撰本の説、又、文字通りアヒミテと四字の句とする説もある。
 
2584 丈夫《ますらを》と念《おも》へる吾を斯くばかり戀せしむるは小可《あし》くはありけり
 
〔譯〕 あつぱれな丈夫と思つてをる自分を、これほどまでに戀ひこがれさせるのは、よくないことであるよ。
〔評〕 この時代の男性が意識し自負してゐた「丈夫」の自覺が、不甲斐なくも戀ひ焦れてゐる時に多くよみがへつてくる。類歌、「一一七」「七一九」がある。
〔訓〕 ○あしくはありけり 白文「小可者在來」。「小可」を、考は「苛」の誤としカラクと訓んでゐる。小は少に通じ、否定の意に用ゐられてゐると見て「アシクと訓んだ定本の訓による。
 
2585 斯くしつつ吾が待つしるしあらぬかも世の人皆の常ならなくに
 
〔譯〕 かうして待つ効《かひ》があつて、また無事に逢ふことが出來ればよいがなあ。世の中の人皆の命は、常にあるものではなく、はかないものであるのに。
〔評〕 無常觀によつて、人の命のはかなさを思ふにつけ、はかどらぬ戀がかへりみられ、悠揚迫らぬ萬葉人も、不安と焦慮とを感じたのであらう。
〔語〕 ○あらぬかも あつて欲しい、の意。○常ならなくに 無常なものであるのに、の意。
 
2586 人言を繁みと君に玉|梓《づさ》の使も遣《や》らず忘ると思ふな
 
〔譯〕 世間のうはさがやかましいので、そなたに使をやらなかつた。忘れたなどと思ひなさるな。
(373)〔評〕 人言の繁さに、しばらく控へてゐるのであると、男から女に穩かに言ひ聞かせるやうな口調である。
〔語〕 ○玉梓の 「使」につづく枕詞。
 
2587 大原の古《ふ》りにし郷《さと》に妹を置きて吾《われ》寐《い》ねかねつ夢《いめ》に見えこそ
 
〔譯〕 大原のさびれた里に妻を殘して來て、自分は眠ることが出來ぬ。せめて夢にでも見えてくれ。
〔評〕 實情實感をのべて、自然な無我巧な手法であるが、底に一脈の哀調が流れてをるのは見のがせない。
〔語〕 ○大原のふりにし郷 「一〇三」參照。○夢に見えこそ この「こそ」は、希望の意を表はす助詞。
 
2588 夕されば君來まさむと待ちし夜のなごりぞ今も寢《い》ねかてにする
 
〔譯〕 夕方になると、あなたがお出にならうと待つてゐたあの頃の夜の名殘で、今もやはり眠られないことよ。
〔評〕 別れた戀人に贈つたものであらう。二人の仲が親しかつた頃は、夕方になると愛人が來るのを待つてゐた。今は仲が絶えてゐるが、その頃の名殘で、夜おそくまで待つ心になつて眠られない、といふのである。人の心の微妙な動きをよくとらへてゐる。類歌「二九四五」がある。
 
2589 相思はず君はあるらしぬばたまの夢《いめ》にも見えず誓約《うけ》ひて寢《ぬ》れど
 
〔譯〕 私のことなど、今では何とも思はずに、あなたはいらつしやるらしい。夢にさへお見えにならぬ。神樣に誓つて、しるしの見えることを期して寢るのだけれども。
〔評〕 家持の「七六七」の歌と類似してをる。萬葉人は、相手が戀しく思つてゐれば、自ら夢の中に見えて來ると考へてをつたので、かうした構想の歌が少からず殘つてをるのであらう。
 
(374)2590 石根《いはね》踏《ふ》み夜道行かじと念《おも》へれど妹によりては忍《しの》びかねつも
 
〔譯〕 岩を踏んで、危い夜道は行くまいと思つてゐるのであるが、愛する女のためには、こらへかねて出かけて行くことであるよ。
〔評〕 夜の山道をたどつて、愛人のもとに通うて行く男の眞情である。
〔訓〕 ○夜道ゆかじと 白文「夜道不行」。ヨミチハとハを訓みそふる説もある。
 
2591 人言《ひとごと》の繁き間《ま》守《も》ると逢はずあらば終《つひ》にや子等が面《おも》忘《わす》れなむ
 
〔譯〕 世間の人々の噂のやかましい隙をうかがふとて、逢はずにゐると、つひにはあの女は、自分の顔を忘れてしまひはしないであらうか。
〔評〕 久しく女に逢はぬ男が、かうしてゐると、女が自分の顔を見忘れはすまいかと、ふと想像してあせり心を起したのである。
〔訓〕 ○終にや子らが 白文「終八子等」。ツヒニヤツコラともよめる。
 
2592 戀ひ死なむ後は何せむ吾が命の生《い》ける日にこそ見まく欲《ほ》りすれ
 
〔譯〕 戀死をした後は何にならう。自分の命が生きてゐる日のうちに、愛人に逢ひたいと思ふのである。
〔評〕 萬葉人の現世的思想のいちじるしく現はれたもの。大伴百代の「五六〇」の歌と類似してゐる。
 
2593 しきたへの枕動きて寢《い》ねらえず物|思《も》ふ此夕《こよひ》早も明《あ》けぬかも
 
(375)〔譯〕 枕が動いて眠ることも出來ないで、物思をしてゐる今夜は、早く明けてくれればよいがなあ。
〔評〕 眠られぬ夜の燥、ひたすらに夜明けを待ち望む氣分がよく現はれてをる。前出の「二五一五」と同型であるから、彼の歌を參照されたい。
 
2594 往かぬ吾《われ》來《こ》むとか夜《よる》も門|閉《さ》さずあはれ吾妹子待ちつつあらむ
 
〔譯〕 障りがあつて今夜はおとづれ行かぬ自分を、來るかと思つて、夜も門をしめず、ああ、いとしい女は待つてゐることであらうか。
〔評〕 行き得ぬ男の惱みが、女の心を想像することによつて、哀切にほどばしり出た歌である。歌詞流麗、しかも第四句の感緒の高潮によつて、抑揚の妙をなしてをる。
〔訓〕 ○ゆかぬ吾 白文「不往吾」。ユカヌワレヲとよんでもよい。
 
2595 夢《いめ》にだに何かも見えぬ見ゆれども吾かも迷《まど》ふ戀の繁きに
 
〔譯〕 せめて夢にでも、愛人はどうして見えないのであらうか。夢には見えてゐるのに、自分の心が亂れまどうてゐるのでそれがわからぬのか、戀の心があまりに激しい爲に。
〔評〕 戀に心も欝悶して、夢さへしづかに樂しめぬといふやうな戀ひ亂れた氣分が、よく浮き出てをる。たたみかけた歌調も、その心にふさはしい。「二九一七」と類似してゐる。
 
2596 慰もる心は無《な》しに斯《か》くのみし戀ひや渡らむ月に日にけに【或本の歌に云ふ、沖つ浪しきてのみやも戀渡りなむ】
 
〔譯〕 心の慰むこともなく、こんなにしてまあ戀しく思ひ暮すことであらうか、月日が立てば立つほど。
(376) 或本歌 沖の浪のしきるやうに、頻りに戀ひつづけることであらうか。
〔評〕 戀の惱みのうちに日を送る歌の典型的なもの。
 
2597 いかにして忘るるものぞ吾妹子に戀は益《まさ》れど忘らえなくに
 
〔譯〕 如何にしたならば、忘れることが出來るであらうか。自分の愛人に戀する心は、ますます激しくなつてくるが、少しも忘れられぬことよ。
〔評〕 哀切な戀慕の苦悶が、洗錬された平明な詞調のおくにしみ込んで、沈痛な響となつてをる。
 
2598 遠くあれど君にぞ戀ふる玉|桙《ほこ》の里人皆に吾《われ》戀ひめやも
 
〔譯〕 遠く隔たつてはゐますけれど、あなたを戀うてをります。里の人々皆などを、どうして戀しく思ひませうぞ、あなた一人だけを思つて居るのです。
〔評〕 「二三八二」と同じ心で、これは田舍娘子の作、稚拙である。男から、お前は里の人のどの人をも思うてをるなどいひおこせたに答へたものであらう。
〔語〕 ○玉ほこの 道にかけるのを轉じて、里にも用ゐたものとみる全釋の説が、穩かである。
 
2599 驗《しるし》無き戀をもするか夕されば人の手まきて寐《ね》なむ兒ゆゑに
 
〔譯〕 思つても何の効《かひ》もなき戀をすることよ。夕べともなれば、他の人の手枕に寐るであらうあの女のために。
〔評〕 人妻を戀ひした男の作。露骨で、うちつけな感想であるが、格調は萬葉らしく張つてをる。
 
(377)2600 百世しも千代しも生《い》きてあらめやも吾が念《も》ふ妹を置きて嘆かむ
 
〔譯〕 百代も千代も生きてゐられようか。はかない人の命であるのに、自分はこんなに戀しく思ふ女に逢はずに、徒らに嘆いてばかり居らうか。
〔評〕 無常觀によつて、優柔な戀を奮ひ立たせた歌。「生きてあらめやも」「置きて嘆かむ」と、二樣の反語を並用して、その間に語を省略したのは、頗る雄勁な手法である。
〔語〕 ○置きて嘆かむ 三句で切つて、この句の前に「いかで」などを補つて反語に解すべき語勢である。
 
2601 現にも夢《いめ》にむ吾は思はざりき舊《ふ》りたる君に此處《ここ》に會《あ》はむとは
 
〔譯〕 現實には勿論のこと、夢にも私は思ひませんでしな、昔馴染のあなたに此處でお目にかからうとは。
〔評〕 絶えて久しい古い馴染の人との意外な面會を喜んだ女の歌で、思ふ所を率直に詠み上げてゐる。賀茂女王の、「秋の野を朝行く鹿の跡もなく念ひし君に逢へる今夜か」(一六一三)と似た内容であるが、それに比して、この歌は粉飾がないだけに、却つて眞情の掬すべきものがある。
 
2602 黒髪の白髪《しろかみ》までと結びてし心ひとつを今|解《と》かめやも
 
〔譯〕 黒い髪の毛が白髪になつてしまふまで變るまいと、固く結び誓つた私の心一つを、何の今更解き緩めて、あなたにそむくやうなことを致しませうぞ。
〔評〕 女の作である。二人の堅い契を述べて、愛人に安心を與へたのであるが、黒髪と白髪、結ぶと解くなど相對せしめたあたりに、細かな技巧が窺はれる。なほ、「結びてし心ひとつ」には草を紐び、松の枝を結び、衣の紐を結ぶ(378)等、無事長壽を祈り願ふ俗信が背景となつてゐるのであらう。
〔訓〕 ○結びてし 白文「結大王」。大王は書聖王羲之のこと。その子王献之を小王と呼ぶに對する。書家即ち手師といふのを助動詞のテシに借りた戯書である。
 
2603 心をし君に奉《まつ》ると念《おも》へれば縱《よ》し此頃は戀ひつつをあらむ
 
〔譯〕 心のすべてをあなたにささげ盡くしてゐると私は思つてをりますので、よしや、此の頃お出がなくても、ただ一人で戀しがつて居りませうよ。
〔評〕 身も心も捧げた愛人の心變りを、慍らず怨みず、しかも忘れずに戀ひ暮らさう、といふやさしい婉容は、強く出るよりも却つて男を反省させる力があるであらう。
 
2604 思ひ出でて哭《ね》には泣くともいちしろく人の知るべく嘆かすな謹《ゆめ》
 
〔譯〕 自分のことを思ひ出して、聲を出して泣きはしても、際立つて人が感づくやうに嘆息しなさるなよ、決して。
〔評〕 忍ぶ戀を人に覺られないやうにと、愛人をいましめた男の作である。女の歌とする説は採らない。「三〇一」に「ねにはなくとも」といふ同じ句があるが、それは自らのことをいうたのである。
〔訓〕 ○なげかすなゆめ 白文「嘆爲勿謹」。舊訓のナゲキスナユメもよいが、今、古義の訓による。
 
2605 玉ほこの道行きぶりに思はぬに妹を相見て戀ふる頃かも
 
〔譯〕 道の行きずりに、思ひも寄らず自分はいとしく思ふあの女に逢つて、この頃戀ひ焦れてゐることである。
〔評〕 嘗て心を動かした女に、偶然道で逢つて以來、戀しさは愈増して懊惱するやうになつた趣である。前出「玉桙(379)の道行かずしてあらませばねもころ斯かる戀に逢はざらむ」(二三九三)と同一境地の歌と見る註もあるが、それは途中初めて見た女であり、これは初見ではない。
 
2606 人目多み常|斯《か》くのみし候《さもら》はばいづれの時か吾が戀ひざらむ
 
〔譯〕 人目が多いので、常にかうして隙を窺つてばかりゐる?態だつたら、いつになつたらば思ふやうに逢へて、戀ひ焦れずにすむやうになるであらう。
〔評〕 忍ぶ戀が容易に目的を遂げ難い焦慮に惱みつつ、一方に己が態度の優柔不斷を勵まさうとする作者の意力が感じられる。古義に「今は人目をも憚らじと思ふ下心なり」とある。
〔語〕 ○候はば 實際には逢へないで空しく隙をうかがつてゐるこんな?態ならばの意。「候ふ」はある時機を待つてゐること。待機してゐること。「二〇九二」參照。
 
2607 しきたへの衣手|離《か》れて吾《わ》を待つと在るらむ子らは面影に見ゆ
 
〔譯〕 今は互に別れてゐて、しかもやはり自分を待つてゐるであらうあのいとしい女は、いつも自分の眼の前にちらついて見えることである。
〔評〕 靈魂の交感を信じてゐた上代人は、我を待つ戀人の眞心が通じて、面影に現れた、と見てゐるのである。平明にして純情に滿ちた作。
〔語〕 ○敷たへ 織目の茂くある織物。「衣」につづく枕詞。○衣手離れて 互に袖が遠く離れて、相別れて居つて。
 
2608 妹が袖別れし日より白たへの衣片敷き戀ひつつぞ寐《ぬ》る
 
(380)〔譯〕 いとしいあの女と別れた日から、自分は着物の袖を片敷いて、戀ひ焦れながらいつも寢ることであるよ。
〔評〕 巧緻なところは無いが、獨寢のわびしさを率直に描いて居り、そこはかとなき心の陰影を宿した歌となつてゐる。
 
2609 白たへの袖は紕《まゆ》ひぬ我妹子が家のあたりを止まず振りしに
 
〔譯〕 自分の白い着物の袖は、絲が片寄りほつれて地が薄くなつてしまつたことである。いとしい妻の家のあたりを望んで、絶えず振つてゐた爲に。
〔評〕 熱烈な愛情の表現である。男が愛する女に合圖るため、袖を振る歌は集中に少くないが、この歌ほどひたぶるに振つたのは珍しい。無論詩人の誇張ではあるが、その素朴な誇大さが却つて面白い。
〔語〕 ○紕ひぬ 「まゆふ」は「まよふ」に同じ。一織糸が摺れ片寄つて織地が薄くなるをいふ。「肩のまよひ」(一二六五)參照。○家のあたりを 家のあたりを懷かしみ望んでの意で「を」の助詞を用ゐた一種の省略法。
 
2610 ぬばたまの吾が黒髪を引きぬらし亂れてさらに戀ひわたるかも
 
〔譯〕 私の黒髪を解けたままに引き靡かせ、それと共に心も亂れて、一層私は焦れつづけてゐることです。
〔評〕 頗る洗煉された故巧で、待てど來ぬ戀人をなほ待ち續けて、千々に思ひ亂れた佳人の心と姿とが、さながらに描き出されてゐる。
〔語〕 ○引きぬらし 「ひき」は接頭語。「ぬる」はすべりぬける、とけさがる。「ぬらす」はその他動詞、束ねずに解き靡かすこと。「たけばぬれ」(一二三)參照。○亂れてさらに 黒髪と共に心も亂れて一層にの意。
〔訓〕 ○さらに 白文「反」。種々の説がある。他に例はないも、サラニと訓んで然るべく、意味の上からも妥當と(381)おもふ。
 
2611 今更に君が手枕|纒《ま》き宿《ね》めや吾が紐の緒の解けつつもとな
 
〔譯〕 今更あなたの手枕をして寢るといふことがあり得ませうか。そんな筈はもうないのに、私の着物の紐の緒が、よしなくも自然に解け解けすることであります。
〔評〕 着物の紐がおのづから解けるのは、戀しい人に逢ふ前兆と信ぜられてゐた。しかし、作者は愛人との仲が既に疎隔して、再び逢ふ希望も殆ど絶えてゐるのである。それであるに紐の緒がおのづから解けるのは、どうしたことかと、かつ怪しみかつ嘆きつつも、なほ一縷の望に縋らうとする執着さへ見えて、可憐な作。
 
2612 白細布《しろたへ》の袖に觸れてよ吾背子に吾が戀ふらくは止《や》む時もなし
 
〔譯〕 あの方の白い衣の袖に觸れてから、私の戀ひ焦れることは、止む時もありませぬ。
〔評〕 一たび逢ひ初めてより、戀しい思が日に募つてゆくといふ女性心理が、何の粉飾もなく素直に語られてゐる。
〔訓〕 ○ふれてよ 白文「觸而夜」、「夜」は假名で、「より」の意の「よ」と解する略解補正の説がよい。特殊假名遣の上からも差さはりがない。
 
2613 夕卜《ゆふけ》にも占《うら》にも吉《よ》くある今夜《こよひ》だに來まさぬ君を何時《いつ》とか待たむ
 
〔譯〕 夕方の辻占にも、その他の卜筮にも、吉兆が出た今晩でさへお出でにならないあなたを、いついらつしやるものと思つて、お待ちしますことでせうか。
〔評〕 吉と出た待人の辻占に胸を躍らせてゐた夜が、今はむなしくふけてゆく。今更、いつと期待が懸けられよう。
 
           (382)あてどの無い悲しみに、氣落ちのした心があはれである。
〔語〕 ○夕卜 夕方の辻占。「四二〇」、參照。○占にも吉くある その他の占卜にも吉兆が現はれたとの意。
〔訓〕 ○よくある 白文「吉有」。嘉暦本による。通行本の「告有」はノレルとよむべきであるが、拾遺集に、此の歌を「夕け問ふ卜にもよくあり今宵だに來ざらむ君をいつか待つべき」として載せてゐるに徴すれば、嘉暦本のが原形と思はれる。
 
2614 眉根《まゆね》掻《か》き下《した》いふかしみ思へるにいにしへ人を相見つるかも
     或本の歌に曰く
   眉根《まよね》掻《か》き誰をか見むと思ひつつけ長く戀ひし妹に逢へるかも
     一書の歌に曰く
   眉根掻き下《した》いふかしみおもへりし妹が容儀《すがた》を今日見つるかも
 
〔譯〕 眉を掻きながら、心の中でどうしたことかと怪しんでゐたところ、かうして昔馴染の人に逢つて嬉しいことであるよ。
  或本の歌 眉を掻きながら誰に逢へる前兆かと思つてゐたのに、長い間戀ひ慕つてゐたいとしい女に逢へて嬉しいことである。
  一書の歌 眉を掻きながら、本當に逢へるかどうかと心の中であやぶんでゐたいとしい女の姿を、今日こそ見ることが出來て嬉しいことである。
〔評〕 眉が痒いのは思ふ人に逢ふ前兆といふ俗間信仰が當時あつたことは、集中の歌に、既に幾つも例證があつた。(383)この歌は、それが實現した喜を歌つたもの。一書のは、小異あるのみで異傳と見てよいが、或本のは別手に出でた囘想の作と考へるのが妥當であらう。
 
2615 敷たへの枕を纒《ま》きて妹と吾《われ》と寐《ぬ》る夜は無くて年ぞ經にける
 
〔譯〕 枕をして、いとしい女と自分と寢る夜は少しも無く、年月が經《た》つてしまつた、つらいことである。
〔評〕 率直な表現で、あまりに覆ふところの無い露骨さが、詩味を稀薄ならしめてゐる。
〔訓〕 ○枕をまきて 白文「枕卷而」、古義は「手枕纏而」の誤としてゐる。
 
2616 奧山の眞木の板戸を音|速《はや》み妹があたりの霜の上《へ》に宿《ね》ぬ
 
〔譯〕 折角逢ひに來たものの、檜の板戸を敲いたらば音がはげしくて人に知られる恐があるからとて、躊躇して、いとしい女の家の附近の、、冷い霜の上に寢て明したことである。
〔評〕 忍ぶ戀、とりわき内氣な若い男の心と姿とが、目に見る如く描き出されてゐる。
〔語〕 ○奧山の 「眞木」にかかる枕詞。眞木は、主として檜をさす美稱。○音速み 著しい音がすぐ響くので。
 
2617 あしひきの山櫻戸を開《あ》け置きて吾が待つ君を誰か留《とど》むる
 
〔譯〕 山櫻の板で造つた戸をそつとあけて置いて、私が待つてゐるあのお方を、誰が引留めて、よこさないのでありませうか。
〔評〕 待つてゐるのに來ない男の無情を、うちつけには恨み得ないうひうひしさが可憐である。素直な語句の中に艶冶な風情をも含んだ歌。
 
(384)2618 月夜《つくよ》よみ妹に逢はむと直道《ただぢ》から吾は來つれど夜ぞふけにける
 
〔譯〕 月がよいので、いとしいあの女に逢はうと思つて、近道から眞直に自分は來たけれども、こんなにもう、夜がふけてしまつたことである。
〔評〕 月明に誘はれて遙かな愛人をおとづれようと、ひたぶるに急ぎゆく男の心持がよくわかる。月は既に天心に達して、清光愈澄みまさるに、妹が門邊はまだ距離がある。しかしこの歌には、聊かも憂愁苦惱の影はさしてゐない。それは悲痛とか儘ならぬとかいふ戀ではなく、寧ろ幸福な仲らしいので、唯當面の問題として、そこはかとなき焦慮がきざしてゐるに過ぎないからである。清麗な調子がよい。
〔語〕 ○ただ道から まはり道や寄り道をせず、一番近い道を眞直に來ての意。
〔訓〕 ○きつれど 白文「雖來」。クレドモともよめる。
 
  物に寄せて思を述ぶ
 
2619 朝影に吾が身は成りぬ韓衣《からごろも》裾の合はずて久しくなれば
 
〔譯〕 朝日にうつる影のやうに、自分の身は細々と痩せたことである。韓衣の裾が合はないやうに、いとしい女に逢はずに久しくなつたので。
(385)〔評〕 逢はれぬ戀の苦惱に、身の痩せ細るのを歎じた歌は集中に多い。この歌もその一であるが、恰も「朝影に吾が身は成りぬ玉耀るほのかに見えていにし子ゆゑに」(二三九四)「韓衣裾のうち交へ合はねどもけしき心を吾が思はなくに」(三四八二)の二首を取合した趣がある。いづれが先蹤か斷定は困難であるが、初二句も序の用法も、渾然たる點に於いて、引用の二首に及ばぬのを見ると、恐らくこの歌が後出のものと推測される。
〔語〕 ○朝影に 朝日にうつる影のやうにやせ細り、憔悴した姿の形容。○から衣裾の合はずて 當時の大陸風の衣は裾の合はない制であつた。「三四八二」參照。
 
2620 解衣《ときぎぬ》の思ひ亂れて戀ふれども何《な》ぞ汝《な》が故と問ふ人もなし
 
〔譯〕 自分はこれほど思ひ亂れてそなたに戀ひ焦れてゐるけれども、「お前が思ひ亂れてゐるのは、一體どうしたわけか」と問ひ慰めてくれる人もない。
〔評〕 苦しい時に救を求めたいのは人情の常である。言葉の上だけの慰めでも、受ける方の身は嬉しい。それに問うてくれる人もないと歎じた作。「解衣の思ひ亂れて戀ふれども何の故ぞと問ふ人もなし」(二九六九)は同一歌の異傳である。
〔語〕 ○解衣の 「亂れ」につづけた枕詞。○何ぞ汝が故と 汝の(惱んでゐる)わけは何かと。
 
2621 摺衣《すりごろも》著《け》りと夢《いめ》見《み》つうつつには誰《たれ》しの人の言か繁けむ
 
〔譯〕 摺衣を着てゐると私は夢に見た。それでは、實際には私の相手に誰の評判が繁く立つてゐるのであらうなあ。
〔評〕 これは難解の歌である。摺衣を着る夢を見るのは、人に噂を立てられる兆とする俗信が當時あつたものと、代匠記は説いてゐる。その夢を見た作者は、誰の噂が立つのであらうかと危惧しつつ、噂をされる弱味のあることを、(386)おのづから語るに落ちてゐるのである。
〔語〕 ○摺衣 山藍、榛、黄土などで摺つて模樣をあらはした着物。○著《け》り 「著《き》あり」の約で着てゐるの意。「三六六七」參照。○誰しの人も 誰といふ人。「二六二八」參照。
 
2622 志賀《しか》の白水邸《あま》の鹽燒衣《しほやきごろも》穢《な》れぬれど戀とふものは忘れかねつも
 
〔譯〕 志賀の海人の鹽燒く時の着物は穢《な》れてゐる、それではないが、互にもう馴れてゐるけれども、戀といふものは不思議なもので、忘れかねることである。
〔評〕 情熱の燃えるところ、馴れて愈々愛着を増すこころもちである。類歌に、「大君の鹽燒く海人の藤衣|穢《な》るとはすれどいやめづらしも」(二九七一)とある。序は「須磨の海人の鹽燒衣のなれなばか」(九七四)と同一の型である。
〔語〕 ○志賀のあまの鹽燒衣 衣を着古して穢《な》れたのを、馴れ親しむ意に懸けた序。志賀は筑前國博多灣口にある。
 
2623 くれなゐの八鹽《やしほ》の衣《ころも》朝旦《あさなさな》穢《な》るとはすれどいやめづらしも
 
〔譯〕 紅花で幾度も染めた美しい着物を毎朝毎朝着馴れるが、そのやうに、自分はあの女と日毎に馴れては行くけれども、いよいよ目新しくて可愛いことである。
〔評〕 これも、前の歌と内容は同じである。序はおのづから女の容色の美しさを暗示してゐるやうに思はれて、頗る優婉である。或はこの序を作者自身の生活に即したものと見れば、女の作とも考へられる。さすれば前の歌と問答の作と見られる。四五句は、前歌の條に引いた「二九七一」と同じである。
〔語〕 ○八しほ 八鹽入りの略。幾度も染汁に浸して染め上げた濃い色。
〔訓〕 ○なるとはすれど 白文「穢者離爲」、舊訓の如くナレハスレドモともよめる。
 
(387)2624 くれなゐの濃染《こぞめ》の衣《ころも》色深く染《し》みにしかばか忘れかねつる
 
〔譯〕 くれなゐの濃染の着物の色が深いやうに、深く心にしみてあのお方を思ひこんだゆゑか、何としても忘れかねることである。
〔評〕 忘れかねる戀の心を我とあやしんだ歌。紅の濃染の衣に、おのづから熱い心を通はせたのであらう。しかし、構想、表現、共に平板を免れない。
 
2625 逢はなくに夕占《ゆふけ》を問ふと幣《ぬさ》に置くに吾が衣手は又ぞ續《つ》ぐべき
 
〔譯〕 戀しい人に逢へないで、夕方の辻占を問うて見ようとして、衣の袖を幣として神樣に供へるが、それでも逢ふことが出來ないので、私の袖は、續けて幣に置かなければなりますまい。
〔評〕 難解な歌の一つである。夕占を問ふ場合、衣服の袖を神に供へて祈るといふ習俗を假想しなければ、解きやうがない。
〔語〕 ○又ぞ續ぐべき 前の折に問うた夕占には、逢はれるとの告があつたに拘はらず、その驗がなかつたので、續いて袖を幣に置き、重ねて夕占を聞かうとの意とする代匠記の説に從ふべきであらう。
 
2626 古衣《ふるごろも》打棄《うつちつ》る人は秋風の立ち來《こ》む時にもの念《も》ふものぞ
 
〔譯〕 古い着物を棄てる人は、秋風の吹き出して來るであらう時に、心配するものですよ。それと同じく、古妻を未練もなく棄てる人は、若い盛を過ぎて、後悔するものですよ。
〔評〕「古衣」を「打ち棄る」の枕詞と見る説もあるが、古妻に譬へたと見るのが妥當であらう。さうすればこの歌(388)は、寄物陳思でなく、譬喩歌の中に入れるべきであるが、さういふ分類の誤や、不適當は他にも幾らもある。
〔語〕 ○古衣打棄る人 古妻、即ち私を打棄てた人の意と解するがよい。うちつるは、うちうつるの略。
〔訓〕 ○うちつる人 白文「打棄人」。舊訓ウチステビト、略解ウツテシヒト。
 
2627 はね蘰《かづら》今する妹がうら若み咲《ゑ》みみ慍《いか》りみ著《つ》けし紐解く
 
〔譯〕 はね蘰を、今つけはじめたいとしい女が、まだ年が若いので、笑つたり怒つたりしながら、着物の紐を解く、可愛いことである。
〔評〕 若い女のうひうひしい嬌態が、あらはに描き出されてゐる。四五句は極めて官能的で、しかも的確に焦點を捉へてゐるところ、民謠風の色彩が著しい。
〔語〕 ○はね蘰 少女が、年頃になつて着ける髪飾と思はれる。「七〇五」參照。○咲みみ慍りみ これを作者のする動作と解した新考の説は誤で、女の動作である。
 
2628 いにしへの倭文機《しづはた》帶を結び垂れ誰《たれ》とふ人も君には益《ま》さじ
     一書の歌に云ふ
    古《いにしへ》の狹織《さおり》の帶を結び垂れ誰《たれ》しの人も君には益《ま》さじ
 
〔譯〕 古風な倭文布の帶を結び垂れる、その「たれ」から聯想される「誰」だつてあなたにまさる懷かしい人はない。
〔評〕 女の作であらう。内容はありふれた感情に過ぎないが、序がめづらしく、上代の服装を察する一資料となる。但、これは書紀に「大君の御帶の倭文機結び垂れ誰やし人も相思はなくに」(武烈紀)「やすみしし吾が大君の帶ばせ(389)る娑佐羅の御帶の結び垂れ誰やし人も上に出て歎く」(繼體紀)等の先蹤があり、極めて古い形の序である。一書の歌も二句四句に小異はあるが、意味の上には差異はない。
〔語〕 ○古の倭文機帶を結び垂れ 同音を反覆して「誰」にかけた序。倭文機帶は倭文布の帶で、倭文は栲、麻、苧等の緯を青、赤等に染めて交織にしたもの。「四三一」參照。○誰とふ人も 何人と雖もの意。○狹織 狹く織つた倭文布。
 
2629 逢はずとも吾は怨みじ此の枕吾と思ひて纒《ま》きてさ寢《ね》ませ
 
〔譯〕 逢はずにゐても、私はあなたが來て下さらないなどと怨みますまい。どうかあなたもせめて、さしあげる此の枕を私と思つて、枕にしておやすみ下さいませ。
〔評〕 暫く逢はぬ戀人に枕を送つたものと見えるが、古くはさういふ習俗があつたものか。女らしい哀艶な情緒が、平明な詞句、暢達な聲調の中に漂つてゐる。「吾が衣形見に奉る敷妙の枕を離れず纒きてさ宿ませ」(六三六)は相似た趣がある。
 
2630 結《ゆ》ひし紐|解《と》かむ日遠み敷たへの吾が木枕《こまくら》は蘿《こけ》生《む》しにけり
 
〔譯〕 夫の旅立に際して結んでくれた此の着物の紐は、夫の歸りを待つて解くのであるが、その日がまだ遙かなことなので、私の木の枕は苔が生えてしまつたことである。
〔評〕 作者を旅にある男と見る説は、いかがであらう。さうすると、旅中に木枕を携帶してゐるものとせねばならぬ。夫を旅に出して留守居をしてゐる妻の心と見る方が自然である。人麿集の「しきたへの枕は人に言とへやその枕には苔むしにたり」(二五一六)から出た歌であらう。
 
(390)2631 ぬばたまの黒髪敷きて長き夜を手枕の上《へ》に妹待つらむか
 
〔譯〕 黒髪を敷いて、この長い夜どほし假寢の手枕をして、いとしいあの女は待つてゐるであらうかなあ。
〔評〕 愛する女の獨寢をやさしく思ひやつた歌である。男は、逢ひに行きたくても行けない事情があるのであらう。女は怨んでゐるかも知れない。さう思ふと男の心持は堪へ難い。平明な敍述の中によく感情が現されてゐる。前出の「二五六四」に似たものがある。
〔語〕 ○手枕の上に 手枕をしての意を、手枕の上に身を横へてといふやうに言ひなしたのであらう。この句を初句の上にめぐらして解かうとする略解の説は、語法上無理である。
 
2632 まそ鏡|直《ただ》にし妹を相見ずは我が戀|止《や》まじ年は經ぬとも
 
〔譯〕 直接にいとしい女に逢はない限りは、自分の戀心は止まないであらう、たとひ年月は經過しても。
〔評〕 内容は單純で表現は平明であるが、率直にして力の籠つた歌である。四五句の倒置もよく利いて、格調に些の弛みがない。
〔語〕 ○まそ鏡 二句を隔てて三句の「見」にかかる枕詞。○直にし妹を相見ずは 直接逢ふのでなければの意。
 
2633 まそ鏡手に取り持ちて朝旦《あさなさな》見む時さへや戀の繁けむ
 
〔譯〕 鏡を手に取り持つて毎朝見るやうに、毎朝君のお姿が見られるやうになる時でさへも、私の戀心は、ますます繁くなるでありませう。
〔評〕 今自由に逢はれぬ身であることは明白であるが、現在を悲歎してゐるのではなく、やがて晴れては朝夕戀しい(391)人の顔が見られるといふ未來に、希望を抱いてゐるのである。婚約の間にある少女の心境であらうか。日々相馴れて愈々戀しさが増すであらうといふ想像は、如何にも少女らしい純情である。家持が坂上大孃に贈つた「朝夕に見む時さへや吾妹子が見とも見ぬ如なほ戀しけむ」(七四五)はこれと全く同想であり、或はこの歌からヒントを得たかとも思はれる。人麿歌集の「まそ鏡手に取り持ちて朝朝見れども君は飽くこともなし」(二五〇二)は未來の想像から更に一歩を進めて、現實を肯定したものである。
 
2634 里遠み戀ひわびにけりまそ鏡面影去らず夢《いめ》に見えこそ
     右の一首は、上に柿本朝臣人麻呂の歌の中に見えたり。但、句句相換れるを以ちて、故茲に載す。
 
〔譯〕 住む里が遠く隔つてゐるので、自分は始終焦れ惱んでゐることである。どうかあのいとしい姿が眠の前を離れず、いつも夢に見えてくれよ。
〔評〕 前出の「二五〇一」の異傳であることが左註によつてわかる。二句と四句との小異に過ぎず、別評を下す程のこともない。
〔左註〕 右の一首は云々 「人麿歌中」とあるのは、「歌」の下「集」の字を脱した、と代匠記にある。
 
2635 劔刀《つるぎたち》身に佩《は》き副ふる丈夫《ますらを》や戀とふものを忍《しの》びかねてむ
 
〔譯〕 劔太刀を身邊に帶び著けてゐるあつぱれ男子たるものが、戀といふものを辛抱しきれないといふことがあらうか。そんな筈はないと思ふのだが、しかしやつぱり駄目であらうか。
〔評〕 丈夫としての矜持を常に失はなかつた萬葉人は、大伴旅人ならずとも「ますらをと思へるわれや」と氣負うてゐたのである。さうして「劔刀身に佩き副ふる丈夫や」は更にそれよりも一層丈夫意識を強調したもので、それによ(392)つて女々しい戀情を克服しようとする意志の力を、一段と鮮明に表現してゐる。しかしさうした丈夫も、不可思議の魔力を有する「戀の奴」に?みかかられては、まゐつてしまふ。だがこの歌は、まだその大詰まで行かず、なほ己の意力に一縷の頼みを繋いでゐるところ、男性的の爽快さがある。
 
2636 劔|刀《たち》諸刃《もろは》の上に行き觸れて死にかも死なむ戀ひつつあらずは
 
〔譯〕 劔太刀の兩刃の上に自分はぶつかつて行つて、一と思に死んでものけようか、こんなに戀に惱みつづけてゐないで。
〔評〕 丈夫の豪快な苦悶の表現である。「諸刃の上に行き觸れて」といふあたりは、前出人麿歌集中の「劔刀諸刃の利きに足踏みて」(二四九八)とあつた以上に、すさまじい形相が思はれる。
〔語〕 ○諸刃 兩刃。○行き觸れて 此方から進んで行つて觸れて。○死にかも死なむ 「死なむか」を強く言ひ表しのたもの。
 
2637 うちはなひ鼻をぞ嚔《ひ》つる劔たち身に副ふ妹し思ひけらしも
 
〔譯〕 突然今嚔が出た。さては、いつも自分の身に副うて離れぬやうに思ふ愛人が、自分のことを思つてゐるらしい。
〔評〕 嚔をするのは人に思はれてゐる兆、といふ俗信がこの歌の背景をなしてゐるのである。作品としてはいふ程のこともないが、風俗資料としての價値が認められる。
〔語〕 ○うちはなひ 「うち」は接頭辭。「はなひ」は嚔をする意。次の句と同語を重疊して、唐突の樣を現はしたもの。
〔訓〕 ○うちはなひ 古葉略類聚鈔の本文「※[口+而/一]」により、龍龕手鑑、一切經音義等から考證された訓義辨證の説に從(393)ふが、定本では嘉暦本等に「哂」とするによつてウチヱマヒとよんだ。
 
2638 梓弓末の腹野《はらの》に鳥獵《とがり》する君が弓弦《ゆづる》の絶えむと念《も》へや
 
〔譯〕 末の腹野で小鳥狩をなさるあなたの弓弦、それは切れることもありませうが、私達の仲がそんなに切れるなどと考へませうか。決して切れようとは思ひませぬ。
〔評〕 主想は只結末の一句にあるのみで、極めて單純であるが、この歌の面白味は、長い序にあつて、それは單なる音調的技巧に留まらず、ゆたかな實際的背景を構成してゐるのである。
〔語〕 ○梓弓 「末」にかかる枕詞。○末の腹野 末といふ地の腹野と稱へる野、もしくは、原野の義ともとれる。「末」といふ地名は和泉、山城、近江その他諸國に見える。
〔訓〕 ○鳥狩する 白文「鷹田爲」、諸本トガリスルとある。「田」は狩の總名で、説文に狩を犬田とも註してゐる。
 
2639 葛城《かづらき》の襲津彦《そつひこ》眞弓荒木にも憑《たの》めや君が吾が名|告《の》りけむ
 
〔譯〕 葛城の襲津彦が執《と》り持つ弓の、まして新しい弓は強く頼もしいが、ちやうどそのやうに、私を十分信頼なさるので、あのお方が私の名をいとしいものとして、人にお洩らしなされたのであらうか。
〔評〕 この序が男性的であるといふ理由で、これを男の作と解する説は採らない。女の歌として「君」を男と見るべきである。女は男を十分信頼して、何時でも正式に結婚しようといふ心組でゐることを男も認めたのである。それで安心して他人に女の名を洩らした。その男の心持を想像して女は無上に嬉しくおもふ。さうした背景を想像して味ふべきである。葛城襲津彦は、古代の武將として歴史上に名高い人でぁるから、その弓勢を稱へて、強弓を襲津彦眞弓といつたのは、「夕浪千鳥」や「飛鳥風」などの類で、面白い萬葉式造語であり、又かうした序を用ゐたのは、武勇(394)を尚び記念する上代國民の性格の一面の現はれである。
〔語〕 ○葛城の襲津彦 仁コ天皇の皇后磐之孃の父で、武内宿禰の男。新羅に遣はされ勇名を轟かした人で、弓勢も強く、從つて當時襲津彦眞弓といへば、強弓の譽高かつたものと思はれる。○荒木にも まだ引き馴れない弓の如くの意。元來強い襲津彦眞弓の、しかも新木の弓と語を重ねて強さを示し、それを譬喩として強くしつかりと頼みにする意につづけた。
 
2640 梓弓引きみ弛《ゆる》べみ來《こ》ずは來《こ》ず來《こ》ば來《こ》其《そ》を何《な》ぞ來《こ》ずは來《こ》ば其《そ》を
 
〔譯〕 梓弓を引いてみたり、弛めてみたりするやうに、あなたは私をじらしなさるのが憎らしい。來ないなら來ないし、來るならば來るがいいのに。それを何事ですか。ほんに來ないなら來ない、來るなら來るで、それをはつきりして下さればいいに。
〔評〕 遊戯的な言語の技巧が主となつてゐることは否めないが、誠意のない相手になぶられてゐるやうな苦痛に堪へかねて、強く詰問した女の心持も同情される。作者はもう相當の年配に違ひない。大伴坂上郎女の、「來むといふも來ぬ時あるを來じといふを來むとは待たじ來じといふものを」(五二七)は恐らくこの歌から胚胎したものであらう。
〔語〕 ○引きみ弛べみ 樣々に駈引をして氣を揉ませるの意。○來ずは來ず 來ないのなら來ないで。○來ば來 來るならば來なさいの意。下の、「來」は命命形。○其を何ぞ それを何でまあ來たり來なかつたりなさるのかの意。ここで句が切れる。○來ずは來ば其を 上の「來ずは來ず來ば來其を何ぞ」の半分づつを略して繰返したのである。
〔訓〕 ○來ば來 白文「來者來」、下の「來」は古葉略類聚鈔による。他の諸本は「其」とあつてコバゾとよめる。
 
2641 時|守《もり》の打ち鳴《な》す鼓|數《よ》み見れば時にはなりぬ逢はなくも恠《あや》し
 
(395)〔譯〕 時を知らせる役人の打ち鳴らす鼓の音を數へてみると、もう約束の時間になつた。それだのに、あのお方が逢ひに來てくれないのは、いぶかしいことである。どうしたのであらう。
〔評〕 約束の時間に姿を見せぬ愛人を心もとながる女の心持は、古今變るところのない人情であるが、當時漏刻の制が定められてまだ程遠からぬ際であつたことを考へると、時守の鳴らす鼓の音を數へるといふのが、特別の興味を唆る。當代文化の一資料である。
〔語〕 ○時守 職員令に「守辰丁」とあるもの、二十人と規定されてゐる。漏剋博士に從ひ、漏刻の目盛を見守つてゐて、時刻に鐘鼓を鳴らして時を告げた。漏刻は水時計で、齊明夫皇紀に、皇太子(天智天皇)が始めて製作して人民に時を知らせ給うたとあり、更に天智天皇紀に、十年夏四月それを新築の臺上に据ゑ、用ゐて鐘鼓を鳴らし時を報じた由が見える。○打ち鳴す 「なす」は鳴らすの意。○數み見れば 數へてみると。「よむ」は數を計算すること。
 
2642 燈《ともしび》のかげに耀《かがよ》ふうつせみの妹が咲《ゑまひ》しおもかげに見ゆ
 
〔譯〕 燈火の光に、耀くばかり美しい、現實の人間であるいとしい女の笑顔が、今幻となつて目先にちらついて見えることである。
〔評〕 感覺のこまやかさ、表現の的確さ、まことに間然するところなく、寧ろ整ひ過ぎた感さへある。美しい燈火の光に浮き出た佳人の婉容が、今現實に讀者の前に動いてゐる感がある。「うつせみの」は幻の「面影」と對照の妙があり、頗る効果がある。
 
2643 玉ほこの道行き疲れ稻莚《いなむしろ》しきても君を見むよしもがも
 
〔譯〕 道を行き草臥れて稻莚を敷き休む、その「しき」ではないが、打頻つて戀しいお方に度々逢ふてだてがほしい(396)ものであるよ。
〔評〕 男女いづれの歌であらうか。「君」は本集では女から男を呼ぶ場合があいが、反對の用例もある。しかしここはやはり普通に從つて、男を待つ女の歌と解して差支あるまい。單純な内容を序によつて生かさうとした作であるが、この序は、男の通ひ來る道の勞苦を察したもので、心理的に内容と繋がりを持つてゐるやうである。珍しくはあるが、作爲的技巧が目立ち、十分それが融合成功したものとはいひ難い。
〔語〕 ○稻莚 初句以下、敷いて息ふ意を以て「しき」を導き出す序。「いなむしろ」は、稻の藁で作つた莚。
 
2644 小墾《をはり》田の板田の橋の壞《こぼ》れなば桁《けた》より行かむな戀ひぞ吾妹《わぎも》
 
〔譯〕 あの小墾田の板田の橋がもしこはれたらば、橋桁を傳ひながら行かう。そんなに思ひ焦れないがいい、可愛いわが妻よ。
〔評〕 橋板が朽ちたら橋桁傳ひにでも通はうといふのは、素朴にしてひたぶるな眞情の現はれであり、また都遷りの後、漸く荒れまさつて行く小墾田地方の風趣も間接に描き出されてゐる。なほこの歌は、古今六帖、狹衣物語などにも引かれてゐる。
〔語〕 ○小墾田 大和國高市郡飛鳥。推古天皇の小墾田宮のあつた地。○板田の橋 考は、推古紀に「坂田尼寺」といふのが見えるから、坂田の誤で、その附近の橋であらうと説いてゐるが、この儘で不明として置くべきであらう。狹衣にも「板田」とあつて、古くから疑問を挿まなかつたのである。
 
2645 宮材《みやぎ》引く泉の杣に立つ民の息《いこ》ふ時無く戀ひわたるかも
 
〔譯〕 宮中の御用材を伐つて引き出す泉の杣山に立ち働く人民達が、休む時もないやうに、自分は止む時もなく、あ(397)の女に戀ひつづけてゐることであるよ。
 
〔譯〕 譬喩に用ゐた序の内容が注意される。當時、?々遷都が行はれ、それに關聯して大寺院の創設や移轉等もあり、大建築の造營が頻繁であつた爲に、これに奉仕する民衆の勞苦が一通りのものでなかつたといふやうな事情が、この序から十分讀み取られる。當時の社會?勢の一斷面を物語る史的資料と見られるのである。
〔話〕 ○宮材引く 宮殿造營の爲の用材を伐採して山から曳き出す意。○泉の杣に 「泉」は山城國相樂郡の地名。「杣」は杣山即ち材木を伐り出す山。○立つ民の 賦役に立ち働く庶民達が。初句からこれまで四句の譬喩的序。
〔訓〕 ○杣 白文「追馬喚犬」、戯書でソマ。當時馬を追ふにソといひ、犬を喚ぶ時マと唱へたによる。○いこふ時なく 白文「息時無」ヤスムトキナク、ヤムトキモナクともよめる。
 
2646 住吉《すみのえ》の津守網引《つもりあびき》の泛子《うけ》の緒の浮《うか》れか行かむ戀ひつつからずは
 
〔譯〕 住の江の津守が網引をするその網の浮標《うき》ではないが、自分はいつそ何處かへ浮かれて行つてしまはうか。かうして徒らに戀しくばかり思つてゐないで。
〔評〕 序の取材が特殊性を帶びてゐる。作者は住吉のあたりに住んで常に網曳の光景を見てゐたか、或は都人がたまたま住吉に遊び、網曳の面白さを見て、それが深く印象に殘つてゐたか、いづれかであらう。この傍觀的の敍法から察すると、作者自らの實生活とは考へられない。この序の含む譬喩は面白くはあるが、内容から遊離して與味本位に走つた嫌がないでもない。
〔語〕 ○津守 住吉の津の番人。和名抄に西成郡津守郷とあり、姓氏録に津守氏とあるはその縁の名と思はれる。○泛子の緒の 「泛子」は網の浮標《うき》。初句からこれまで「浮かれ」につづく序。
 
(398)2647 東細布《よこぐも》の空ゆ延《ひ》き越《こ》し遠みこそ目言《めごと》疎からめ絶ゆと問はすや
 
〔譯〕 横雲が空を長々と延びて遠く續いてゐるやうに、互の住家が遠いから、逢ふことも語ることも、疎くなるのであらう。それを御身は、仲が絶えると思つて問ひなさるのか。そんな事はありはせぬ。
〔評〕 佶屈な辭樣に一脈の掬すべき素朴さはあるが、作品としては生硬の評を免れ難い。結句の「問」と「間」とは僅に一畫の相違であるが、何れを採るかで、一首の意に變勤が及ぶ。今「問」に從つたが、猶考究の餘地はあらう。
〔語〕 ○横雲の空ゆ延き越し 次の「遠み」にかけた序。この「ゆ」は移動する場所を示すもので、横雲が空を通つて長く延びて行くやうにの意。「越し」を山を越す意に拘つて解するのはよくない。○絶ゆと問はすや 互の仲が絶えると心配して問はれるのか、そんな事はないとの意。「絶ゆや」と女が作者に問うたので、それを反撥し否定して答へたのである。
〔訓〕 ○よこぐもの 白文「東細布」、武田博士が前後器財の部なるを指摘し、細布の類として訓むべしとされたのは從ふべきである(訓はテツクリノ)。細布はタヘと訓まれてゐる。東は東の光の義でテルタヘノ或はアカルタヘ、もしくは五行の青でアヲタヘノと訓むか、暫く試訓として掲げ、本文は仙覺の新點によつておく。○とはすや 白文「問也」、「問」は通行本「間」に作り、ヘダツヤと訓んでゐる。今、類聚古集等による。○疎からめ 白文「疎良米」。略解にはカルラメとした。カリ活用の語尾ラを送つた例は、「八九二」の「寒良牟」がある。
 
2648 かにかくに物は念《おも》はじ飛騨人《ひだびと》の打つ墨繩のただ一道に
 
〔譯〕 あれこれと私は心配は致しませぬ。飛騨の匠が打つ墨繩のやうに、たた一筋にあなたを思ひつめてをります。
〔評〕 ひたぶるに男に信頼してゐる女の歌で、純一な情熱を、一氣に歌ひあげてゐる。三四句の序も邇切であり、格(399)調も墨繩の如く張つて頗る力がある。此の序によつて、飛騨の深山から建築用材を出したこと、從つてその國人が多く工匠を業としたこと、當時宮殿寺院等の造營が多かつた爲に、その飛騨匠達が如何に多數都に入りこんでゐたかといふやうなことが想像されて、さういふ社會文化史的立場から見ても、豐かな暗示を與へるものである。
〔語〕 ○打つ墨繩の 墨繩は工匠が直線を作るに用ゐる具。その如くの意。初句以下これまで「一道」にかかる序。
 
2649 あしひきの山田|守《も》る翁《をぢ》が置く蚊火《かび》の下焦《したこが》れのみ我が戀ひ居《を》らく
 
〔譯〕 山田の見張りをする老人が焚いてゐる蚊遣火の、底ばかり焦れてゐるやうに、うはべに出さず、心の底で焦れながら私は戀してゐることである。
〔評〕 この序も上代農民の實生活を素材としてゐる。表現は無器用であるが着實で、山田の假廬の中に籠つて蚊遣火をくゆらして見る老翁の姿が眼に浮ぶ。古今六帖、及び新古今集に載せてをり、その他の書にも引かれてをるのは、田園生活を語るものとして特に親しまれた歌なのであらう。
〔語〕 ○蚊火 蚊遣火。鹿火の借字で猪鹿を逐ふ火と解する説もあるが從ひ難い。「二二六五」參照。
 
2650 そき板|以《も》ち葺《ふ》ける板目のあはせずは如何にせむとか吾が宿始《ねそ》めけむ
 
〔譯〕 そき板を以て葺いた屋根の板目は合ふが、もしも親達が二人の中を隔てて、逢はせてくれなかつたらば、その時は一體どうするつもりで、私はあのお方と親しく始めたことであらう。氣がかりなことであるよ。
〔評〕 序の譬喩が、いかにも庶民階級の人の作らしい野趣を帶びてゐる。前後の考もなく、ひたぶるな心で男に逢つたものの、親などの監視を氣遣つてゐるので、四五句の後悔めいた嘆息の中にも、世慣れぬ少女の切ない心があはれに描かれてゐる。
(400)〔語〕 ○そき板 薄くそいで作つた板。こけら。○葺ける板目の 葺き合はせた板と板との合はせ目の意。初句以下これまで「あはせ」にかけた序。
〔訓〕 あはせずは 白文「不令相者」。嘉暦本等に「令」を「合」とあるによれば、アハザラバである。
 
2651 難波人《なにはびと》葦火|焚《た》く屋の煤《す》してあれど己《おの》が妻こそ常《とこ》めづらしき
 
〔譯〕 難波の浦人が葦火を焚く低い家が煤けてゐるやうに、家のことにかまけて煤け古びてはゐるけれども、自分の妻は、いつも變らず可愛く思はれることである。
〔評〕 序が傍觀的敍法を採つてゐるのは、難波に往來する都人の作といふことを思はしめる。葦火を焚くといふことは都會人には珍しいことであつたらう。煤けた古屋を己が古妻に比べた譬喩は、微苦笑を催させる。しかも古代人の素朴な明るい家庭生活が、この一首から懷かしく想像され、集中に溢れる逞しい現實肯定の意欲が感じられる。
〔語〕 ○難波人葦火たく屋の 難波の浦は「葦が散る難波」といつたほどで葦が多く、それを燃料にも用ゐたものと思はれる。その煙で家が煤けてゐる意で「煤して」の序とした。○煤してあれど 煤けてゐるが。古ぼけてゐるが。○常めづらしき いつも見飽きることなく可愛いとの意。「こそ」の係に對して「めづらしき」で結んであるのは破格ではなく、當時まだ「けれ」の形が發達してゐなかつたのである。
〔訓〕 ○とこ 白文「常」、ツネともよめる。日本書紀古點や平安時代の歌語には「とこめづらなり」の語がある。
 
2652 妹が髪|上竹葉野《あげたかばの》の放《はな》ち駒《ごま》荒らびにけらし逢はなく思《も》へば
 
〔譯〕 いとしい人が髪を上げてたがねるといふことが聯想される竹葉野の放牧の駒が荒れてはせまはるやうに、あの人の心も荒び疎くなつて、自分から離れて行つたらしい。この頃少しも逢つてくれないことを思ふと。
(401)〔評〕初二句から察すると男の歌と判斷される。女が故意にか、親達の監視を憚つてか、以前のやうには逢つてくれないのを怪しみ且怨んでゐるのである。序中更に序があつて複雜な技巧を成してゐるが、竹葉野は二人の住所から遠くない熟知の廣野で、放牧場であつたらう。從つてこの序は、内容に密接な關係を保ち、一首の上に有力な効果を與へてゐるのである。
〔語〕 ○妹が髪あげ竹葉野 「妹が髪上」までは、髪を束ねることをタクといふので、髪をあげて束ねる意を以て「竹葉野」にかけた序。タカハ或はタカバといふ地名は山城、豐前等にあり、いづことも決し難い。○放ち駒 放牧の馬。初句からこれまで序。
〔訓〕 ○上竹葉野 諸本「上竹」の間に「小」があり、舊訓アゲササバノとするによれば、上小竹葉をその儘地名と見る外はない。今、信濃漫録所引の城戸千楯の説により、「小」を衍としてアゲタカバノと訓んだが、なほ考究を要する。○荒らびにけらし 白文「蕩去家良思」、今、略解によつたが、舊訓のやうにアレユキケラシとも訓める。
 
2653 馬の音《と》のとどともすれば松蔭に出でてぞ見つる蓋《けだ》し君かと
 
〔譯〕 馬の足音がたつたつたつと聞えでもすると、私は松の木蔭に出て見ました。多分あなたであらうかと思つて。
〔評〕 蹄の音と共に轟く胸をおさへて、松蔭に出て見る女の可憐な心と姿とが思はれる。感情の眞實性は永遠に新しく、いつまでも人の心を搏つものがある。格調が引締り、「とどともすれば」の擬聲語も的確で、一首を生動せしめる活文字である。
〔語〕 ○とどともすれば 「とど」は馬蹄のたつたつたつといふ音で擬聲音。東歌の中に「眞木の板戸をとどとして」(三四六七)とあるも同じ。○蓋し おそらく、多分など推定する副詞。
 
(402)2654 君に戀ひ寢《い》ねぬ朝|明《け》に誰《た》が乘《の》れる馬の足音《あのと》ぞ吾に聞かする
 
〔譯〕 君に思ひ焦れて眠られなかつた明方に、一體誰の乘つてゐる馬の足音が、あんなに當てつけがましく私に聞かせるのだらうか。
〔評〕 一夜を待ち明しつつ人のつれなさを恨み歎く時しも、遠くから響いて來る馬蹄の音は、はつと胸にこたへる。あれは多分戀人の家から歸る人であらうが、折も折とて、腹立たしくも羨ましい、といふ意を籠めたもので、我が愛人への怨み、他人の戀への妬みが、遣瀬ないまでに愬へられてゐて、緊密な聲調もめでたく、眞情躍動してゐる。
〔語〕 ○吾に聞かする これ聞けがしに私に當てつけるやうにの意がこもつてゐる。
 
2655 紅の裾引く道を中に置きて妾《われ》や通はむ君や來まさむ【一に云ふ、裾つく川を、又曰ふ、待ちにか待たむ】
 
〔譯〕 二人の家の間には、くれなゐの裳裾を引いて行く道が横たはつてゐるが、その道を私の方から通うて行かうか。それともあのお方が來て下さるか知らん。
〔評〕 内容が單純であるが、表現に何となく情緒がある。二三句は二人の住所が隔つてゐることを指したものであるが、作者が女性であるから、紅の裾引く道と云つたのであつて、續日本紀の童謠にも「玉の兒の裾牽く坊に、牛車は善けむや」とある。「君や來む我や行かむのいさよひに眞木の板戸もささず寢にけり」(古今集)も或はこれから換骨奪胎したものか。反對に、異傳の方の結句は、磐媛皇后の「君が行きけ長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ」(八五)を學んだかと思はれる。又二句の異傳「裾つく川」は七夕傳説を下に思つてゐるらしくも感じられる。
〔語〕 ○紅の裾引く道 人の行き通ふ道であるが、作者自ら女であるから紅の裳裾を曳いて通ふと美化したのである。○中に置きて 二人の中に隔てての意。○裾漬く川 「裾引く道を」の異傳。紅の裳裾がつかつて濡れる川の意。
 
(403)2656 天《あま》飛ぶや輕の社の齋槻《いはひつき》幾世まであらむ隱嬬《こもりづま》ぞも
 
〔譯〕 輕の社の神木として祀られてゐる槻の木は、幾世も榮えてゐるが、幾世の末までこの儘にして置かねばならぬ自分の隱し妻かまあ。かはいさうなことである。
〔評〕 愛する女を、いつまでも隱し妻にして置くことに堪へかね、神木の槻の樹齡の年久しきにかけて嘆じたのである。この秘めたる愛の巣が、恐らく輕の地附近にあつたのであらう。珍しい序ではないが、内容とよく融和して居り、格調の重厚な點もよい。
〔語〕 ○天飛ぶや 「輕」の枕詞。「二〇七」參照。○輕の社 延喜式に「大和國高市郡輕樹村坐神二座」とある社であらう。今は白樫村大字池尻にある。
 
2657 神名火《かむなび》に神籬《ひもろき》立てて齋《いは》へども人の心は守り敢《あ》へずも
 
〔譯〕 神の森に神座とする常盤木を立てて、神樣をお祀りして祈つても、變りゆく人の心は、結局守りきれぬことよ。
〔評〕 神の力にすがつても猶留めかねた愛人の心がはりを歎いた歌、女の作であらう。
〔語〕 ○神南備 神を齋き祀る森。略解に飛鳥の神南備山、即ち雷の岡のこととしてゐるが、固有名詞ではない。
〔訓〕 ○守りあへずも 白文「間守不敢物」マモリアヘヌモノとも訓める。
 
2658 天雲《あまぐも》の八重雲|隱《がく》り鳴る神の音のみにやも聞き渡りなむ
 
〔譯〕 大空の雲、幾重にも重なつてゐる、その雲の中に鳴る雷の音ばかりするやうに、噂にばかり聞いて、逢ふ手段もなく、空しく自分は日を送ることであらうか。
(404)〔評〕 序が壯大で、格調も雄渾であるのは、男の作である。内容は簡單で、こまかな心理の動きは寫されてゐない。
 
2659 爭へば神も惡《にく》ますよしゑやしよそふる君が惡《にく》からなくに
 
〔譯〕 何事でも、爭へば神樣もお憎しみなさるのである。まあいい、世間の噂に辯解はやめよう。私の戀人のやうにいうて、世間でかれこれ取沙汰するあのお方が、私は憎くないのであるから。
〔評〕 現代の新しい小説に見るやうな心理描寫であつて、婦人らしい複雜微妙な心持が、萬葉特有の簡潔な語句を以て表現されてゐる。「爭へば神もにくます」とは、神ながら言擧せぬ國の、平和を愛した上代國民性をおのづからにして示したやさしい語と見られる。
〔語〕 ○爭へば神も惡ます 爭といふことは、神樣もお憎みなさるの意。○よそふる 「一六四一」參照。
 
2660 夜竝《よなら》べて君を來ませとちはやぶる神の社を祈《の》まぬ日は無し
 
〔譯〕 毎晩毎晩、戀しいあのお方がいらつしやるやうにと、私は神樣のお社を念じない日はありませぬ。
〔評〕 内容は眞實に違はないが、唯それだけで、何の特異な點もなく、散文的な、平板な作。調も引締つたところが無い。
 
2661 靈幸《たまちは》ふ神も吾をば打棄《うつ》てこそしゑや命の惜しけくも無し
 
〔譯〕 幸を下さる神樣も、どうぞ私をお見捨て下さいませ。ええもうかうなつては、命の惜しいこともありませぬ。
〔評〕 戀に破れた女の物狂はしい自棄の聲が、なまなましい響を以て、綴られてゐる。眞實そのものを、何の顧慮も粉飾もなくそのまま打出すところ、萬葉の多くの作が、「時」といふ障壁を超えて、常に我等の心に直接的な共鳴を(405)感ぜしめる所以である。
〔語〕 ○靈幸ふ 「ちはふ」は靈力が幸を與へる義で、人の靈を幸ならしめる意。○しゑや 「よしゑやし」に同じ。「六五九」「二一二〇」「二五一九」參照。
 
2662 吾妹子にまたも逢はむとちはやぶる神の社を祈《の》まぬ日はなし
 
〔譯〕 自分のいとしいあの女に再び逢ひたいものと、自分はあの恐れ多い神の社を念じ拜まぬ日はない。
〔評〕 これは前の「夜竝べて」(二六六〇)と同趣で、ただ男子の作である點が違つてゐるのみである。このやうな内容の歌は、いろいろに歌ひ換へられたことが想像される。
 
2663 ちはやぶる神の齋垣《いがき》も越えぬべし今は吾が名の惜しけくも無し
 
〔譯〕 神樣の神聖な垣でも踏みこえてしまひさうな程、自分の心はたかぶつてゐる。越えなば越えよ、もうかうなつては、自分の名が惜しいとも思はない。
〔評〕 如何なる禁制を犯してもこの戀は遂げざるを得ないまでに押しつめられた、禁を犯す報はもとより覺悟の前、名の立つことなどは問題でないといふので、奔騰する情熱をそのままに叫びあげたものである。敬神の念の厚かつた萬葉人の作中に、往々神の尊嚴を冒すやうな思ひ切つた譬喩を見受けるのは、いかに神々に對する信仰が彼等の精神生活に絶對的な重壓となつて存在したかを如實に示すものといふべきであらう。「木綿懸けて齋ふこの神社《もり》も超えぬべく念ほゆるかも戀の繁きに」(一三七八)も類想であるが、それよりもこれは直截な點で優つてゐる。
〔語〕 ○齋短 いみ垣の義で神聖な垣。○越えぬべし 越えてしまひさうである。何物も止めがたい勢を示す。
 
(406)2664 夕|月《づく》夜あかとき闇の朝影に吾が身はなりぬ汝《な》を念ひかねに
 
〔譯〕 夕月夜の頃には、曉方には闇となつてやがて明けてゆく、その朝の日にうつる影のやうな、痩せ細つた姿に、私の身體はなつてしまひました。そなたを思ふ心に堪へきれないで。
〔評〕 序は「夕月夜曉闇のおほほしく」(三〇〇三)ともあつて、類型踏襲かとも思はれるし、又ここは「朝」を導き出す爲の形式的技巧に過ぎないやうでもあるが、猶よく味へば、戀しい人を夜もすがら思ひ明した實情を暗示してゐるやうで、内容に對して不即不離の關係が認められ、優婉巧緻といふべきである。憔悴した身を朝影に譬へたのは、既に「二三九四」・「二六一九」等にも見えてゐるが、頗る印象的である。
〔訓〕 ○念ひかねに 白文「念金丹」。「に」の用法が特殊なので、丹を衍字としてオモヒカネ、手の誤字としてオモヒカネテとする説がある。
 
2665 月しあれば明《あ》くらむ別《わき》も知らずして寐《ね》て吾が來《こ》しを人見けむかも
 
〔譯〕 月が出てゐたので、夜が明けるだらうといふけぢめも氣づかないで、戀人のもとに寐て自分が來たのを、人が見咎めたであらうかなあ。
〔評〕 女と逢つた夜は、月の明るさに安心して、曉の空の白むのも氣づかなかつたといふのは、如何にも民謠的情調であるが、しかし、寧ろ佶屈に近いその辭樣から察すると、民謠ではなかつたと思はれる。「玉くしげあけば君が名立ちぬべみ夜深く來しを人見けむかも」(古今集)とあるのは、この歌の逆である。
 
2666 妹が目の見まく欲《ほ》しけく夕闇の木《こ》の葉隱《はごも》れる月待つが如
 
(407)〔譯〕 いとしい女の顔が見たく思はれるのは、夕闇の頃、木の葉にこもつてゐる月を待つてゐるやうな氣持である。
〔評〕 優雅適切な譬喩が、流麗な聲調に託せられてゐる。情は純粹、調は清新である。
 
2667 眞袖もち床《とこ》うち拂ひ君待つと居《を》りし間《あひだ》に月かたぶきぬ
 
〔譯〕 兩方の袖でもつて床の塵を拂ひ、いとしいを方のお出を待つとて坐つてゐた間に、月がもうあんなに傾いてしまつた。
〔評〕 純情一途の歌である。必ずおとづれて來るものと信じ、いそいそと愛人を迎へる準備をして待つてゐる。時は刻々と移つてゆく。しかも懷かしの姿は見えず、月は漸く傾きかけて來た。けれどもまだ斷念する氣にはなれないのである。勿論素直な女の心には、一點の恨みがましい氣持などは萠してゐないのである。同じ境地ながら、赤染衛門の「やすらはで寐なましものをさ夜ふけて傾くまでの月を見しかな」(後拾遺集)は、理智に墮して情熱なく、所詮作爲の戀であることが感ぜられる。今この歌は、事實をそのままに直敍して聊かも感情語を交へず、却つてあはれが深いのは、いふまでもなく眞實の力である。
〔語〕 ○眞袖もち 「眞」は完全の義で、「片」に對し兩方の意。「眞楫」もその意であり、助詞の「まで」に「左右手」(二三二七)「二手」(七九)等の文字を宛てたのも同意である。
 
2668 二上《ふたがみ》に隱らふ月の惜しけども妹が袂を離《か》るる此の頃
 
〔譯〕 二上山に隱れてゆく月が惜しいやうに、まことに惜しいけれども、いとしい女の袂を枕にすることもなく、此の頃は別れ暮してゐる。
〔評〕 この序の風趣を味ふと、大和平原に住んで、二上山の姿に馴染んでゐる人々の間に諷誦された民謠の匂がする(408)やうである。單純平明であるが、捨て難い趣がある。
〔語〕 ○二上 大和國北葛城郡の二上山「一六五」參照。
 
2669 吾背子がふり放《さ》け見つつ嘆くらむ清き月夜《つくよ》に雲な棚引き
 
〔譯〕 私のなつかしい夫が、今頃は定めて振り仰いで眺めながら、私のことを思つて嘆息していらつしやるであらう。この清らかな月に、雲よ、棚引いてくれるな。
〔評〕 前出、「遠妹の振さけ見つつ偲ふらむこの月の面に雲な棚引き」(二四六〇)と、男女地を換へた趣の歌。離れ住む愛人か、旅中の夫を思つたのである。
 
2670 まそ鏡清き月夜《つくよ》の移《ゆつ》りなば念《おも》ひは止《や》まず戀こそ益《ま》さめ
 
〔譯〕 この清らかな月が次第に移り傾いて行つたらば、今のこの思は止まないで、猶更戀しさが増すばかりであらう。
〔評〕 月明の夜、愛人を待つてゐる女の歌。月が傾いてゆく、それは待つ人の來ぬままに空しく時が過ぎるのである。時が經れば消えうせるやうな思であらうか、諦めかねる心に、却つて戀しさは倍してゆく。情と景と相俟つてあはれな作である。一二三句は「二六七三」に、四五句は、「二二六九」に類型がある。
 
2671 今夜《こよひ》の在明|月夜《づくよ》在りつつも君をおきては待つ人も無し
 
〔譯〕 今晩の有明月夜の頃まで私は待ちました。かうしてをりつつも、あなたの外には待つ人はありませぬ。
〔評〕 一筋に男に信頼してゐる女の誠實がつつましく的確不動に歌はれてゐる。序も、「在明月夜ありつつ」と同音を反覆したのみではなく、「今夜の」で明白なやうに、一晩中待ち明したのであり、まことに活きた序で、よく氣持(409)をあらはしてゐる。
〔語〕 ○在りつつも かうして待ちつづけてまあ。○君をおきて あなたを除いては、あなた以外には。
 
2672 此の山の嶺に近しと吾が見つる月の空なる戀もするかも
 
〔譯〕 この山の頂上に近く出てゐると私の見てゐた月が、いつの間にか中空高く昇つた、ちやうどそのやうに、私は心も空にあこがれるやうな戀をまあすることであるよ。
〔評〕 一目逢うて後、心も空にあこがれるといふ趣の歌は集中にも少くないが、この歌は序が清新で、類型を離れた點がまさつてゐる。
〔語〕 ○月の空なる 月の出てゐる空といふ意を以て、初句以下「月の」まで「空なる」につづけた序。空なるは、心が落ちつかず上の空になるの意。「心空なり土は踏めども」(二五四一)參照。
 
2673 ぬばたまの夜渡る月の移《ゆつ》りなば更にや妹に吾が戀ひ居《を》らむ
 
〔譯〕 夜空を渡つてゆく月が、次第に移り傾いてしまつたら、今夜はもう逢ふ望も絶えたままに、猶一層いとしい女に、自分は焦れつづけることであらうか。
〔評〕 これは上の「まそ鏡」の歌(二六七〇)と同想であるが、この作者は男である。何か障りがあつて逢ひに行けなかつたけれども、なほ斷念しかねてゐたのが、こんなに月が傾いてはもう愈々仕方もないといふ、諦められぬ諦めの心持であらう。
 
2674 朽網山《くたみやま》夕|居《ゐ》る雲の薄れ往《ゆ》かば我は戀ひむな君が目を欲《ほ》り
 
(410)〔譯〕 朽網山に、夕方かかつてゐる雲が薄れて行く、そのやうにあなたのお心が薄らいだならば、私は一層戀しく思ふことでせう、あなたに逢ひたくて。
〔評〕 三句までは實景と見ることも出來るが、さうすると四句との聯絡が、心理的にはともかく、言葉の上からは稍明瞭を缺く嫌があるので、やはり初二句は「薄れ往かば」の序と解する方が穩かであらう。内容、表現共に、民謠の匂をもつてゐる。
〔語〕 ○朽網山 豐後國直入郡久住山の古名といふ。豐後の最高峯で火山。
 
2675 君が著《き》る三笠の山に居《ゐ》る雲の立てば繼がるる戀もするかも
 
〔譯〕 三笠の山にかかつてゐる雲が、立つとまた後から繼いで來るやうに、私は續いて絶間のない戀をまあすることであるよ。
〔評〕 作者は恐らく奈良の都に住む人であらう。奈良人にとつて最も親しく懷かしい三笠山を序として用ゐたのは、不即不離の技巧手段である。赤人の「高?の三笠の山に鳴く鳥の止めば繼がるる戀もするかも」(三七三)と同想であるが、時代は此の歌の方が古いのかも知れない。
〔語〕 ○君が著る 「御笠」につづく枕詞。○たてば繼がるる 雲が立てばその後から又續いて立つ意。
 
2676 ひさかたの天《あま》飛ぶ雲にありてしか君を相見む闕《お》つる日無しに
 
〔譯〕 空を飛ぶ雲でありたいなあ。さうしたら私は戀しいお方の處へ行つてお目にかからう、毎日缺ける日も無しに。
〔評〕 これは古今東西を問はず、何人にも相通ずる感情であり、表現である。類歌に、「‥‥み空ゆく雲にもがも高飛ぶ鳥にもがも明日ゆきて妹に言問ひ‥‥」(五三四)「み空行く雲にもがもな今日行きて妹に言問ひ明日歸り來む」(411)(三五一〇)などある。
 
2677 佐保の内ゆ嵐の風の吹きぬれば還《かへ》りは知《し》らに歎く夜ぞ多き
 
〔譯〕 佐保の里の内で嵐の風が寒く吹くと、いつも自分は思ひ切つて歸ることが出來ずに、歎息をする晩が多いことである。
〔評〕 訓み方も樣々で、難解な歌であるが、右の如く訓んで一通り解せられると思ふ。佐保の里に住む女のもとに通つてゐる男が、冬の夜風の寒さを佗びて、女と別れては歸り難いといふのであらう。辭句が十分でない嫌もあるが、それは作者の力量によるものであつて、敢へて誤字説を持ち出す必要もないと考へられる。
〔評〕 ○佐保の内ゆ 佐保の里の内で「ゆ」はここでは通過する場所を示す助詞。○還りは知らに 歸ることが出來ないものだから。
 
2678 愛《は》しきやし吹かぬ風ゆゑ玉|匣《くしげ》開《あ》けてさ宿《ね》にし吾ぞ悔しき
 
〔譯〕 凉しくて氣持のいい風、しかし吹いて來もせぬその凉風の爲に、戸を開けて寢てゐた私は、空しい待ちぼけで、くやしいことである。
〔評〕 爽快な夏の夜の凉風を「愛しきやし」と形容したのは、集中他に用例を見ない變つた辭樣である。しかしそれでいとしい戀を聯想させてゐるので、特殊用法とも見るべきであらうか。四五句、風を怨むに托して男の無情を婉曲に責めてゐるのは、巧妙な技巧といふべきである。
〔語〕 ○吹かぬ風ゆゑ 吹きもしない風の爲に。男を凉風に譬へて、來もせぬあなたゆゑにの意を匂はしたもの。
 
(412)2679 窓|越《ご》しに月おし照りてあしひきの嵐吹く夜は君をしぞ念ふ
 
〔譯〕 窓越しに見ると、月の光が一面に照りわたつて、山の嵐が寒く吹く夜は、しみじみとあなたを思ふことです。
〔評〕 皎々と照りわたる晩秋の冷かな月夜、聞えるものは山の木々を吹き過ぐる嵐の音である。かうした中にあつて戀人を思ふ女の姿は、一途の熱情を超えて、更に切實なものをしみじみと讀者の心に與へる。哀愁に徹した作である、
〔語〕 ○月おし照りて 「おし」は強意の接頭辭。○あしひきの 山の枕詞を、直に山その物の意に用ゐた。「草枕」を旅の意に、「たらちね」を母又は親の意に用ゐるのと同じである。
 
2680 河千鳥住む澤の上《へ》に立つ霧のいちしろけむな相言ひ始《そ》めては
 
〔譯〕 河千鳥の住んでゐる澤の上に立ちこめる霧ではないが、隨分目立つことであらうなあ、二人が親しい言葉をかはし始めたならば。
〔評〕 著しいものの譬喩的序として霧を持つて來たのは、珍しい工夫でもないが、この序の辭樣は少しかはつてゐる。まづ「河千鳥」が何でもないやうであつて、集中他に用例のない語、次に河千鳥がゐるのは河でありさうなのに「澤」とあるのもいぶかしく、それならば寧ろ「澤千鳥」といつて然るべきかと思はれる。とにかく作者がいまだしいのであらう。
 
2681 吾背子が使を待つと笠も著《き》ず出でつつぞ見し雨の降らくに
 
〔譯〕 戀しいあなたからの使を待つとて、私は笠もかぶらずに、出ては見、出ては見してゐました。雨の降るのに。
〔評〕 うぶな純情と素朴な表現とで、可憐な一首を成してゐる。この歌は「三一二一」に、問答として、重載されて(413)ゐる。
 
2682 韓衣《からごろも》君にうち著《き》せ見まく欲《ほ》り戀ひぞ暮らしし雨の零《ふ》る日を
 
〔譯〕 仕立て上げた韓衣を、あなたに著せて見たいと思つて、私は待ち焦れて暮らしましたよ。この雨の降る日に。
〔評〕 縫ひ上げた著物を早く着せて喜ばせ、且その立派な姿をも見たい心一ぱいで、待ち暮らしてゐるといふのは、如何にも優しい女性心理で、しみじみとした愛情が漲つてゐる。かういふ作になると、女性の獨擅場であり、絢爛さはないが、眞面目な戀情がなつかしく思はれる。初二句は「見まく欲り」の序と見ることも不可能ではないが、實際のことと解する方が趣が深い。
〔語〕 ○雨の零る日を 待ち暮らすことと、雨と、別に必然の關係があるのではないが、折からの事實をいつたまでである。
 
2683 彼方《をちかた》の赤土《はにふ》の小屋《をや》に※[雨/泳]霖《ひさめ》零《ふ》り床《とこ》さへ沾《ぬ》れぬ身に副へ我妹《わぎも》
 
〔譯〕 家から遠く離れた此の里の埴生の小屋に、大雨が降り込んで、二人の床まで濡れてしまつた。もつと自分の身近く寄り添ふがいい、いとしいそなたよ。
〔評〕 我が里を離れた田舍家に戀人を誘ひ出して、一夜宿つたといふやうな場合であらうか。折からの烈しい雨に、埴生の小屋は雨漏りや飛沫などで臥所さへ濡れるわびしさに、しみじみと女をいたはる男の優しい心持である。結句簡にして眞情が溢れてゐる。愛人夕顔を誘ひ、密かになにがしの院に宿つた源氏の君の心が聯想されるが、どこまでも素朴で率直なところが、やはり萬葉である。
〔語〕 ○彼方 あちらの方。我が家から離れた場所。○はにふの小屋 代匠記は土で塗つた小屋と解し、考は土の上(414)に藁莚などを敷いて住む片山里の貧しい家と見てゐるが、考の説が妥當である。○ひさめ 甚しくふる雨。「二三〇」參照。
〔訓〕 ○ひさめ 白文「※[雨/泳]霖」嘉暦本等による。通行本等「※[雨/脉]霖」とし、コサメと訓んでゐるが、ヒサメの方が意味の方からいつてよい。
 
2684 笠|無《な》みと人には言ひて雨《あま》づつみ留《とま》りし君が容儀《すがた》し念《おも》ほゆ
 
〔譯〕 笠が無いから歸れないと人には言つて、雨籠りをして、私の家に泊つて行かれたあのお方の姿が、今も懷かしく思はれることである。
〔評〕 折からの雨に、笠が無いといふ口實で一夜とまつた人。その夜姿と心もちとが忘れ難いといふ、まことに纒綿たる情緒である。
〔語〕 ○雨づつみ 雨にふりこめられて屋内にこもりをること。つつみは、障りなづむこと。「五一九」參照。
 
2685 妹が門行き過ぎかねつひさかたの雨も零《ふ》らぬか其《そ》を因《よし》にせむ
 
〔譯〕 いとしい女の門の前を、素通りしかねる。雨が降つてくれないかなあ。さうしたらば、それを口實にして立寄らうに。
〔評〕 雨にかこつけ、雨宿りをするふりをして戀しい人の家に立ち寄らうとは、古今變らぬ人情を穿つた歌で、甘いながら僞らぬ告白、おのづから微苦笑を禁じ得ない。催馬樂の「妹之門」は、この歌を粉本としたものであらう。
 
2686 夜占《ゆふけ》問《と》ふ吾が袖に置く白露を君に見せむと取れば消《け》につつ
 
(415)〔譯〕 逢へるかどうかと、夜の辻占で占ふ爲に、戸外に立つてゐる私の袖に露が置く、その露をあのお方にお見せしようと思つて、手に取ると、すぐ消え消えすることであるよ。
〔評〕 夜ふけるまで戸外に立つて、夜占をしたその眞心の證として、袖に宿つた夜露を愛人に見せようといふのは、可憐な女心である。類歌に「一八三三」「二三一二」がある。
 
2687 櫻麻《さくらあさ》の苧原《をふ》の下草露しあれば明《あか》してい行け母は知るとも
 
〔譯〕 お歸りになる途中の麻畑の下草には、まだ露がありますから、ゆつくり夜を明していらつしやいませ。たとひ私の母は氣づきましても。
〔評〕 田舍少女の眞情が、新鮮な野趣となつて一首の上に漲つてゐる。秘密を母に知られるはつらい。しかし愛する男が裾を濡らして歸る惱みを思ひ、また一刻でも引延べたいきぬぎぬの別を思ふ時、ままよと却つて肚の据るのも、かうした場合の女性心理である。初二句は、「三〇四九」には序となつてゐるので、此の歌でもさう見られなくもないが、なほ實況とした方が趣が深い。又この歌の四句を「明してゆかむ」と歌ひ換へ、男の歌として、古今六帖、和歌童蒙抄、袖中抄等に載せ、枕草子にも「道の程も心もとなく、をふの下草など口ずさびて」とあるなどから察すると、廣く一般に親しまれた歌であつたと思はれる。但、男の歌としては此の歌の價値は半減する。
〔語〕 ○櫻麻の をふの枕詞。櫻色の麻、花のさく雄麻、その他種々の説がある。○苧原の下草 「苧原」は苧生、即ち麻畑の意。「下草」はその下に生える雜草。
 
2688 待ちかねて内には入らじ白細布《しろたへ》の吾が衣手に露は置きぬとも
 
〔譯〕 あなたのお出が待ちきれないで、家の内へ入るといふやうなことは、私はしますまい。たとひ私の袖に、露は(416)置きませうとも。
〔評〕 夜深く露のおりるまで戸外に立ち盡して、愛人のおとづれを待つ女の心は眞劍である。懷かしの姿を見るまでは、屋内へも入るまいといふのも、誇張ではない。ひたむきな眞實さと緊密な格調とで、重厚な一首を成してゐる。「君來ずは閨へも入らじ濃紫わが元結に霜はおくとも」(古今集)はこれを綺麗にしたものであらう。
 
2689 朝露の消易《けやす》き吾が身老いぬともまた若《を》ちかへり君をし待たむ
 
〔譯〕 はかなく消え易い私の身は、あなたがおいでにならないうちに、年をとつてしまふかも知れません。たとひ、さうとしても、また若返つて、おとづれて下さるまであなたをお待ちいたしませう。
〔評〕 疎々しくなつた男に對して、猶斷ち難い愛着をもつ女のため息とも、久々に男からたよりのあつた時の歌とも解される。とにかく、佛教的な無常觀と變若の神仙思想とを混和して、知的に一首を纒めたやうな觀があつて、胸を刺すやうな悲痛な響はこの歌から受取れない。なほ「三〇四三」には、初句を「露霜」と僅かに二音の相違で重出してゐる。
 
2690 白細布《しろたへ》の吾が衣手に露は置けど妹は逢はさずたゆたひにして
 
〔譯〕 家の外に立ち盡して待つてゐる自分の袖に、露は置くが、それでもいとしい女は出て逢つてくれない。人目を憚り躊躇してゐて。
〔評〕 折角逢ひに行つたにも拘はらず、女は中々姿を見せない。勿論人目を恐れてのことであらうが、男の焦慮は一通りではない。表現に一脈の稚さが漂つて、實際ほどの切實味は感じられないが、素直で上品な點が取得であらう。
〔語〕 ○妹は逢はさず 戀人は出て來て逢つて下さらぬとの意。「逢はす」は「逢ふ」の敬語。親愛の氣持をふくめ(417)てゐる。
 
2691 彼《か》に此《かく》に物は念《おも》はじ朝露の吾が身一つは君がまにまに
 
〔譯〕 とやかくと物は案じますまい。朝露のやうにはかない私の一身は、どうともあなたの思召次第であります。
〔評〕 身も心も投げ出して、愛する男にひたすら依り憑んでゐる女の純情が、己が身を朝露と觀ずるはかな心と共にあはれに歌はれてをり、優婉な調がよく内容と相應してゐる。
 
2692 夕凝《ゆふこり》の霜置きにけり朝戸出《あさとで》に甚《はなはだ》踐《ふ》みて人に知らゆな
 
〔譯〕 夕方結んだ霜が、そこら一面に置いてゐます。朝戸をあけてお歸りの時に、ひどく踏み散らして人に氣づかれないやうになさいませ。
〔評〕 まだ明けきらぬ薄らあかりの中に、霜柱が光つて見える朝、戀人を密かに歸す女のこまかな心遣ひがよく描かれてゐる。初二句、四句等の特色ある言葉遣ひが、女性の歌と思へぬほど、一首に勁健の趣を附加してゐる。
〔語〕 ○夕凝の 夜の間に凝り結んだの意。面白くめづらしい語で、集中他に用例がない。
 
2693 斯《か》くばかり戀ひつつあらずは朝に日《け》に妹が履《ふ》むらむ地《つち》ならましを
 
〔譯〕 かうして戀ひ焦れてばかりゐないで、いつそのこと、毎朝毎日、自分はいとしいあの女が履む地面になつてゐたいものだのになあ。
〔評〕 初二句は磐姫皇后の御作(八六)以來、類型化されてゐるが、「妹が履むらむ地ならましを」は隨分思ひ切つた奇拔な着想である。毎日田畑に出て土に親しんでゐる農人の戀かとも想像される。とにかく逞しく線の太い、萬葉(418)的特色の濃厚な歌といつてよい。
〔語〕 ○地ならましを 地面でありたいの意であるが、「まし」の作用によつて、地面であり得ないのが殘念だとの餘意を含むのである。
 
2694 あしひきの山鳥の尾の一峯《ひとを》越え一目見し兒に戀ふべきものか
 
〔譯〕 ただ一目見ただけの女に、これ程までに戀ひ焦れるといふことがあるべきであらうか。自分ながら不思議な心持である。
〔評〕 行きずりに見た娘子に思を懸けて懊惱するといふのは、集中多く見る歌であるが、これは序が極めて複雜である。「一目」を導く爲に「一峰」といひ、その一峰の爲に「山鳥の尾」を拉し來り、更に冠するに枕詞「あしひきの」を以てしたのは、あまりにも繁褥な技巧である。山鳥は雌雄谷を隔てて相思慕するといふ傳説があるので、それを幾分内容に投影させてゐるやうでもあるが、それにしても手のこみ過ぎた割合に、効果の擧らぬ勞力と評すべきである。
 
2695 吾妹子に逢ふ縁《よし》を無《な》み駿河なる不盡《ふじ》の高嶺の燒《も》えつつかあらむ
 
〔譯〕 自分のかはいいあの女に逢ふ手段がないので、駿河の國にある富士の高嶺の燃えてゐるやうに、いつまでも心が燃え焦れつづけてゐることであらうか。
〔評〕 構想が壯大で、格調にも悠揚迫らぬものがある。燃ゆる思を山の噴火に擬へるのは後世では陳套の技巧に過ぎないが、當初は最も自然で適切かつ新鮮な形容であつたに相違ない。さうしてその代表としては富士に如《し》く山はなかつた譯である。かくて富士を見たこともない都人にまで、往々譬喩として襲用されるに至つたであらうことは、想像に、難くないのである。
 
(419)2696 荒熊の住むとふ山の師齒迫《しはせ》山|責《し》ひて問ふとも汝《な》が名は告《の》らじ
 
〔譯〕 恐しい熊の住むといふ山の、その名は師齒迫《しはせ》山、それではないが、強ひて責めて親達が問うても、あなたの名は私は洩らしますまい。
〔評〕 愛人の名を他に洩らすといふことを、男女共に極力戒愼したことは、集中「我が名洩すな」「汝が名は告らじ」等の語句が、枚擧に遑ないのに徴しても、事實は、我々の想像以上であつたらうと思はれる。これは女の歌であらう。大がかりな序は、強い詰問におぴえてゐる女の心持を、おのづから暗示してゐるやうで効果的である。
〔語〕 ○師齒迫山 所在不明。八雲御抄に駿河とあるのは、この邊の歌の配列によつての故かと思はれる。「しはせ」から「しひて」の序としたもの。
 
2697 妹が名も吾が名も立たば惜しみこそ布仕《ふじ》の高嶺の燒《も》えつつ渡れ
     或る歌に曰ふ
    君が名も妾《わ》が名も立たば惜しみこそ不盡の高|山《ね》の燒えつつも居《を》れ
 
〔譯〕 いとしい女の名も自分の名も、世間の噂に立つたらしいからこそ、自分は富士の高嶺ではないが、かうして、一人心の中で燃え焦れてゐるのである。
〔評〕 男女共に名の立つのを恐れ憚つたとはいつても、女の方がより以上強く警戒したことは勿論である。しかしいざとなれば、「今は我が名の惜しけくもなし」(二六六三)とも決心するのである。此の歌の作者は、うぶな内氣な若者で、人の噂を氣にして密かに胸を焦してゐるといふのである。並べ掲げた或る歌は、「妹」を「君」、「渡れ」を「居れ」とうたひかへた返歌であらう。
 
(420)2698 往《ゆ》きて見て來《く》れば戀《こほ》しき朝香潟山《ご》しに置きて宿《い》ねかてぬかも
 
〔譯〕 往つて、いとしい女に逢つて歸つて來ると更に戀しい朝、その朝と名のつく朝香潟のあたりた住む女を、山の彼方に置いて、夜も安眠しかねることであるよ。
〔評〕 序が複雜であるが、「朝」といふ語感も、序全體の爽やかな音調も、いとしい女を聯想させるにふさはしい。この歌を、朝香潟のほとりの家に妹を殘して來た旅人の、遣瀬ない旅愁を詠じたといふやうに解する説もあるが、さうではあるまい。四五句を靜かに味つてみると、作者は刻々位置を移動してゐる旅人ではなく、同處に靜止してゐる人でなければならない。即ち、遠く山一つ隔て住んで、たまにしか逢へない仲といふことが察せられる。
〔語〕 ○朝香潟 未詳「住吉の淺香の浦に」(一二一)とある地かとの説は「山越しに」といふ地形に合はない。伊勢國一志郡の阿射加かとの説もあるが、分布の廣い地名であるから、決定は困難である。
〔訓〕 ○くれば戀しき 白文「來戀敷」、略解の訓による。舊訓キテゾコヒシキによれば二句切となる。
 
2699 安太人《あだびと》の魚梁《やな》うち渡す瀬をはやみ意《こころ》は念《も》へど直《ただ》に逢はぬかも
 
〔譯〕 安太人達が魚梁を架け渡す川瀬が早いやうに、心では逸りあせるが、あのいとしい女に直接に逢へぬことよ。
〔評〕 安太は吉野川北岸の地で、その里人は川瀬に魚梁を設けて魚を捕へることが、普く世に知られてゐたのであらう。同じ吉野の柘枝傳説中の漁夫味稻(三八五)の事も聯想される。四五句は、人麿の作にも「三熊野の浦の濱木綿百重なす心は念へど直に逢はぬかも」(四九六)とあつて、その先後は審かにし難いが、要するに單純な思想であるから、これ等の歌の面白味は、序の巧拙如何に係つてゐる譯である。
〔語〕 ○安太人 安太の地方に住む人。安太は大和國宇智郡。「阿太の大野」(二〇九六)參照。○魚梁うち渡す 「魚(421)染」は、上流から來る魚を簀の中に追ひ込んで捕る装置。それを仕掛けることを「渡す」とも「打つ」ともいふ。「三八六」參照。古事記神武天皇の條に「阿陀の鵜飼の祖」のことがある如く、吉野地方の住民は、魚梁を掛けて、魚を捕ることを業としてゐた。
 
2700 玉耀《たまかぎ》る石《いは》垣淵の隱《こもり》には伏して死ぬとも汝《な》が名は告《の》らじ
 
〔譯〕 岩に圍まれた淵の水が、中にこもつて人目につかぬやうに、私も人目を忍ぶ?態で、戀に病み臥しつつ死にませうとも、あなたの名は人に洩らしますまい。
〔評} これは、序も全體の構想も、人麿歌集の「まそ鏡見とも言はめや玉耀る石垣淵の隱りたる妻」(二五〇九)に影響されたものと想像される。戀の惱みに病づき死なうとするほどの熱情の内潜を象徴するに、この物々しい序は、ふさはしい感がする。
〔語〕 ○玉耀る石垣淵の 岩に圍まれた淵の中に水がこもつてゐる意を以て、「隱り」に續けた序。初句は枕詞。「二〇七」參照。
 
2701 明日香川明日も渡らむ石走《いはばし》り遠き心は思ほえぬかも
 
〔譯〕 明日香川を明日にでも渡つて逢ひに行かう。幾日たつてから逢はうなどとは、思はれぬことであるよ。
〔評〕 明日香川を隔てて通ふ男の心。實際に渡つて通ふ石走りを枕詞に用ゐたのは、よい思ひつきである。初句と二句との頭韻の快い調べも、謠ふ場合を考へると効果的である。
〔語〕 ○石走り遠き心 「石走り間近き君に」(五九七)とあるので、この句を石走の間近いやうに、明日にでも渡つて行かうの意と解する代匠記の説と、「遠き心は思ほえぬかも」全體にかける枕詞と解する全釋の説とがある。前者(422)は字句を補ひすぎた解であり、後者は枕詞の例から見て從ふべしとは思はれない。石走は、飛石のやうな橋(一一二六參照)で、間近いのも間遠いのもあるべきであるから、遠きの枕詞として差支ないといふ新考の説にも幾分疑はあるが、暫くこれによる。○遠き心 成ることを遠きにおく心持。ながき心に同じ。
 
2702 飛鳥《あすか》川水|往《ゆ》き増《まさ》りいや日《ひ》けに戀の増《まさ》らば在りかつましじ
 
〔譯〕 飛鳥川の水の流が増して行くやうに、日増しに戀がまさつたならば、遂には生きてゐることも出來まい、焦れ死をするであらう。
〔評〕 日毎に増して行く水量を眺めながら詠んだもので、飛鳥川の川邊に住む人の實感がこもつてをり、思ひ切つて渡つて行くことの出來ぬ焦慮さへも暗示されてゐるやうな序の詠みぶりである。
〔話〕 ○飛鳥川水往き増り 第四句「まさらば」にかかる序。○いや日けに いよいよ日ましに。○ありかつましじ 生きながらへ得まい、の意。「九四」參照。
 
2703 眞薦《なこも》刈る大野川原の水隱《みごも》りに戀ひ來《こ》し妹が紐解く吾は
 
〔譯〕 眞薦を刈る大野川原の水ごもりのやうに、苦しく隱れ忍んで戀うて來た女の着物の紐を、今日こそ解くことである、自分は。
〔評〕 戀の成つた時の歡喜を詠んだもので、序の響の重苦しさに、隱れ忍ぶ心がよくあらはれてをる。官能の香の強い歌である。この歌は古今六帖や夫木抄等に收められてをる。
〔語〕 ○大野川原 大和國法隆寺の傍を流れる富の小川の下流をいふ。大和川に注ぐ。○水ごもりに 河原に於いて水に潜りひそむ意味の「水ごもり」と解したい。苦しく人目を忍び、の意。
 
(423)2704 あしひきの山下|動《とよ》みゆく水の時ともなくも戀ひわたるかも
 
〔譯〕 山の麓を響きとよもして流れ行く水の絶え間もないやうに、時を限らず、いつでも戀しく思ひ暮すことよ。
〔評〕 一二三句に描かれた水勢の激しさに、おのづから戀の熱情も暗示され、心臓の高鳴りをきく樣である。拾遺集や古今六帖等に載つてをる。
 
2705 愛《は》しきやし逢はぬ君ゆゑ徒《いたづ》らに此の川の瀬に玉裳ぬらしつ
 
〔譯〕 いとしい、逢うて下さらぬあなたゆゑ、むなしくこの川の瀬で裳の裾をぬらしてしまひました。
〔評〕 「二四二九」の「愛しきやし逢はぬ子ゆゑに徒らに是川《うぢがは》の瀬に裳裾ぬらしつ」の類歌で、これは女の歌になつてをる。
 
2706 泊瀬《はつせ》川|速《はや》み早瀬を掬《むす》びあげて飽かずや妹と問ひし君はも
 
〔譯〕 泊瀬川の速い早瀬の水をすくひあげて、この水に飽きないやうに飽きはせぬか、そなた、とやさしく云うて下されたあのお方よ、まあ。其の後は何のおたよりもないが。
〔評〕 中の絶えた男を怨む、うら悲しい女心を詠み出でた歌。一二三句の序は、水清き泊瀬川のほとりの、過ぎし日の語らひを思はせる。手法は「橘の本に我立ち下枝取り成らむや君と問ひし子らはも」(二四八九)と同じ型である。また伊勢物語塗籠本には「大原やせがゐの水を掬びあげて飽くやと言ひし人はいづらか」といふ歌があり、男が女をつれて行く途中に清水を掬つて飲ませたが、女が後に死んだので、男がもとの清水の所へ來て詠んだといふことになつてゐる。萬葉の歌から轉じたものであらうか。
(424)〔語〕 ○速み早瀬を 早き早瀬を、の意。「速み濱風」(七三)參照。○問ひし君はも 「問ふ」はいひかけるの意。
 
2707 青山の石《いは》垣沼の水隱《みごも》りに戀ひや渡らむ逢ふ縁《よし》を無《な》み
 
〔譯〕 青々と茂つた山の、岩にかこまれた沼の水に隱れるやうに、苦しくも隱れ忍んで、戀ひ暮すことであらうか、逢ふ方法《よし》のなさに。
〔評〕 青山の木々を映《うつ》して暗くよどんだ沼が、忍ぶ戀の思ひを陰欝に象徴してをる。古今六帖にも拾遺集にも人麿として出てをる。序の結構は、前の「二七〇三」に似てをるが、それよりも品格が高く、調子もよい。
 
2708 しなが鳥|猪名山《ゐなやま》饗《とよ》に行く水の名のみ縁《よ》さえし内妻《こもりづま》はも【一に云ふ、名のみよさえて戀ひつつやあらむ】
 
〔譯〕 猪名山が響くばかり音を立てて流れゆく水のやうに、評判ばかり高く、自分との關係を云ひはやされた、あの父母の秘藏娘はどうしたであらうか、なあ。
  一云 四五句の異傳。名ばかりたかく言ひはやされて、むなしく戀ひつつみることか。
〔評〕 世間の評判ばかり高く その實は父母がきびしく守つてゐて、逢はずに終つた女を思ひ浮べたもの。一二三句の比喩が巧みである。
〔語〕 ○しなが鳥 鳰の一名であらう。「ゐな」にかかる枕詞。「一一四〇」參照。○猪名山 攝津國池田町北方の山。○とよに 鳴りとよむばかりに。○よさえし 寄せいはれたの意。○こもり妻 男の隱しておく妻の義であるが、ここは、父母の守る女をいつたものと思はれる。
〔訓〕 ○一に云ふ、名のみよさえて 白文「名耳之所縁而」嘉暦傳承本に之のなきによる。舊訓ナノミシヨセテ。
 
(425)2709 吾妹子に吾が戀ふらくは水ならば柵《しがらみ》越《こ》えて行くべくぞ思《も》ふ【或本の歌の發句に云ふ、相思はぬ人を思はく】
 
〔譯〕 愛する女に自分が戀ひ焦れてゐることは、もし此の身が水であつたならば、柵を乘り越えても流れて行くにちがひないと思ふほどである。
 或本歌 一二句の異傳、自分を思つてもくれぬ人を戀ひすることは、の意。次へのつづきは妥當でない。
〔評〕 塞きとめ難くたぎつ心を奔流に譬へたもの。戀慕の情の激しさがよくあらはれてゐる。
〔語〕 ○しがらみ 川の中に材を打ち、それに竹柴などをつけて、水を塞きとめるもの。
 
2710 犬上《いぬがみ》の鳥籠《とこ》の山なる不知也《いさや》河|不知《いさ》とを聞《き》こせ我が名|告《の》らすな
 
〔譯〕 犬上の鳥籠の山を流れる不知也河といふ名のやうに、いさ(知らぬ)とお言ひなさいませ。決して私の名をいつて下さいますな、人がたづねましても。
〔評〕 近江地方に行はれた民謠であらうか。序の用ゐかたも全體の構想も典型的な歌である。古今集の卷未なる墨滅歌の中に出てゐて、下句が「いさと答へよ我が名もらすな」とあり、左註に「此の歌、ある人、あめの帝の近江の采女に賜へると」とあつて、采女の歌が添うてゐる。その他、源氏物語や枕草子などにも引かれてをる。
〔語〕 ○犬上 近江國犬上郡。今の彦根附近。○鳥籠の山 坂田郡鳥居本村の南、正法寺山の古名で、附近を流れる大堀川、一名芹川がいさや川に當るといふ。上三句は「いさ」の音を繰返して次の句にかかる序。
〔訓〕 ○いさとを 白文「不知二五」二五は九九によつたもの。
 
2711 奧山の木の葉|隱《がく》りて、行く水の音聞きしより常忘らえず
 
(426)〔譯〕 奧山の木の葉の下を、隱れて流れ行く水の音のやうに、人の評判に聞いてから、戀しくて常に忘れられない。
〔評〕 名のみ聞いて見ぬ戀にあこがれる心が、序によく云ひ含められてをる。奧山といひ、木の葉がくりてといひ、共に逢はれぬ趣をあらはしてをる。
 
2712 言《こと》とくは中は不通《よど》ませ水無河《みなしがは》絶ゆとふことを有りこすな勤《ユメ》
 
〔譯〕 人の口がやかましいならば、一時お通ひになるのを中止なさいませ。けれど、このまま絶えてしまふ、といふことは、なさいますな、決して。
〔評〕 人のうるさい口を恐れて、一時逢ふことを見合はせようといふ切ない女の願ひである。しかも關係の切れることを恐れてゐる弱い戀、苦しい戀である。枕詞の水無河に、縁語として「よどむ」というたのは珍しい用例である。
 
2713 明日香河行く瀬を早み速《はや》けむと待つらむ妹を此の日暮らしつ
 
〔譯〕 明日香河の流れる瀬が早いので、そのやうに早く來るであらうと待つてゐる愛人であるのに、自分は事に障つて、この日をむなしく暮してしまつた。
〔評〕 明日香河は單なる序ではなくて、實際にこの河を渡つて通ふ男の歌と思はれる。
 
2714 もののふの八十氏川《やそうぢがは》の早き瀬に立ち得ぬ戀も吾はするかも【一に云ふ、立ちても君は忘れかねつも】
 
〔譯〕 宇治川の早い瀬に押し流されて立ち難いやうに、こらへられぬやうな苦しい戀を自分はすることである。
  一云、四五句の異傳、早い瀬に立つやうな時も、あなたを忘れかねたことよ。
〔評〕 奇拔な序であるが、河を徒渉する經驗がにじみ出てゐて、いかにも上代人らしい歌である。踏みとどまらうと(427)あせればあせるほど、足もとの危くなるのが戀であらうか。
〔語〕 ○もののふの八十氏川 八十までは序。○早き瀬に 「立ち得ぬ」を起す序。
 
2715 神名火《かむなび》の打廻《うちみ》の埼の石《いは》淵の隱《こも》りてのみや吾が戀ひ居《を》らむ
 
〔譯〕 神名火の打廻の埼の岩にかこまれた淵のやうに、隱れてばかり自分は戀うてゐることであらうか。
〔評〕 忍ぶ戀ではいつまでも限りがないゆゑ、思ひ切つてあらはに戀をした方がよいのかしらと云ふ心もちで、序の用法は類型的である。
〔語〕 ○神名火の打廻《うちみ》の埼 大和國飛鳥の神名火で、飛鳥川に沿うた埼。○石淵 石垣淵と同義で、石でかこまれた淵。以上、「隱り」につづく序。
 
2716 高山ゆ出で來《く》る水の岩に觸れ破《わ》れてぞ念《おも》ふ妹に逢はぬ夕《よひ》は
 
〔譯〕 高山から出て來る水が岩に觸れて碎けるやうに、心を碎いて種々に物を思ふことよ、愛《いと》しい女に逢はぬ夜は。
〔評〕 序は「雨零れば激《たぎ》つ山川いはに觸れ」(二三〇八)に似てをるが、激流のはげしさが戀のはげしさを暗示してゐる。
 
2717 朝東風《あさごち》に井堤《ゐで》越《こ》す波のよそ目にも逢はぬものゆゑ瀧《たき》もとどろに
 
〔譯〕 朝吹く東風にゐせぎを越す浪の――よそながらも逢はぬのに、瀧のとどろくやうに、人に噂をなてられる事よ。
〔評〕 一二句の序がさはやかである。「瀧もとどろに」は、ゐで越す浪に對して縁語的に用ゐられてゐる。
〔語〕 ○ゐで ゐせぎ。水をせきとめた處。○よそ目にも よそながら見ること。「二八八三」「二九四六」參照。こ(428)こは、浪がよそに流れる意から、外《よそ》ながらもとつづく。
〔訓〕 ○よそめにも 白文、「世蝶似裳」。「世蝶」は、舊訓セテフで、解しがたいので誤字説が多い。今は、考の「蝶」を「染」と改める説によつて説いたが、定本では、古葉略類聚鈔に「世?」とあるによつて、セガキニモと訓んでゐる。
 
2718 高山の石本《いはもと》激《たぎ》ちゆく水の音には立てじ戀ひて死ぬとも
 
〔譯〕 高山の岩の裾をたぎり流れる高い水音のやうに、音に立てて――人に云うて、世間の評判になるやうなことはすまい、たとひ戀ひ焦れて死なうとも。
〔評〕 女性の堪へ忍ぶ情で、序が溪流の瀬の音の烈しさを強く現はしてゐるだけに、非壯なものさへ漂うてゐるのをおぼえる。古今集なる 「吉野川岩切り通し行く水の音には立てじ戀は死ぬとも」「山高み下ゆく水の下にのみ流れてこひむ戀ひは死ぬとも」は、共に此の萬葉の歌によつたのである。
 
2719 隱沼《こもりぬ》の下《した》に戀ふれば飽足《あきた》らず人に語りつ忌《い》むべきものを
 
〔譯〕 心のうちに忍んで戀うてゐては飽き足らないので、人に自分の戀を語つてしまつた。忌まねばならぬことであるのに。
〔評〕 「二四四一」の「隱沼の下ゆ戀ふればすべを無み妹が名告りつ忌むべきものを」の類歌。或は「二四四一」に對して、これは女の歌かとも思はれる。「忌むべきものを」といふ末句は、後悔の心もちをあらはしてをる。
 
2720 水鳥の鴨の住む池の下樋《したひ》無《な》みいぶせき君を今日見つるかも
 
(429)〔譯〕 水鳥の鴨の住む池に伏せた下樋がないので水がこもつてゐる樣に、逢ひたさに私の心がふさいでゐたあなたに今日お逢したことよ。
〔評〕 下樋が無くて流れ出ることなく澱んでゐる池水は、欝屈した心の象徴としてふさはしく、歡喜にみちた第五句と照應して巧妙な序である。
〔語〕 ○下樋なみ 池の水をひく爲、土中に埋めた樋。下樋がないと水が停滞する意で「いぶせき」につづけた。
 
2721 玉藻刈る井堤《ゐで》の柵《しがらみ》薄《うす》みかも戀の淀める吾がこころかも
 
〔譯〕 水の淀み溢れるやうに我が戀の世間に知られたのは、玉藻を刈るゐせぎの柵の塞きとめる力が簿かつたからであらうか。それとも、自分の心のせいであらうか。
〔評〕 人知れずこそと思うてゐたに、はや洩れてゐた己の戀の評判に驚いたのである。詞調が音樂的に流麗で、快い歌となつてをる。
〔語〕 ○玉藻刈るゐでの柵 うつくしい藻を刈るゐせぎの柵のやうに、塞きとめる心が、「薄みかも」の意で、譬喩といつた方がよからう。○戀の淀める 「淀む」はここでは、たたへ澱んだ結果、滿ち溢れる、の意。
 
2722 吾妹子が笠の借手《かりて》の和?野《わざみの》に吾《われ》は入りぬと妹に告げこそ
 
〔譯〕 吾が愛《いと》しい妻の冠る笠の借手の輪ではないが、和?野に自分が入《はい》つたと、家に留守をしてをる妻に告げてほしいことである。
〔評〕 妻に別れて旅に出た人が、行き行きて今日は美濃國の和?野にさしかかつた。「吾妹子が笠の借手の」と歌つて、地名への聯想をしてゐるうちに、妹を思ふ心が募つていつたのである。
(430)〔語〕 ○笠の借手の 笠の裏にとりつけて笠紐をつける小さい輪。「わざみ野」の「わ」に、同音でかけた序。○和?野 美濃國不破郡。「一九九」參照。
 
2723 數多あらぬ名をしも惜しみ埋木《うもれぎ》の下《した》ゆぞ戀ふる行方《ゆくへ》知らずて
 
〔譯〕 唯一つの名の惜しさに、心のうちで戀ひ慕ふことである。遂にはどうなるかも知らずに。
〔評〕 戀する情と名を惜しむ心との相剋を歎いた歌は多いが、これには特に、上代人が名譽を愛する念が著く現はれてをる。「數多あらぬ名」とは、含蓄のあるいひ方である。
〔語〕 ○數多あらぬ 吾身一つに二つとは無い、即ちかけがへの無い名。一度惡い世評がたてば取り返しのつかぬ意。○埋木の 「下」につづく枕詞。「一三八五」參照。○行方知らずて 行末どうなるかもわからないで、の意。
 
2724 秋風の千江《ちえ》の浦|回《み》の木積《こづみ》なす心は依りぬ後は知らねど
 
〔譯〕 秋風の吹く千江の浦のめぐりの木屑のやうに、私の心はあなたに寄つてしまひました。行末はどうなるか知りませぬけれども。
〔評〕 秋風に濱邊へ吹き寄せられた木屑をわが姿と見詰めつつ、かくまで何もかも男に頼つてしまつたものの、後のことは計り知られぬのを嘆いた、その女心があはれである。一二三句の譬喩は美しくはなく、素朴なものである。
〔語〕 ○秋風の 從來枕詞とされてゐたが、秋風の吹く千江の浦回の略とみる新考の説がよい。
 
2725 白細砂《しらまなご》三津の黄土《はにふ》の色に出でて云はなくのみぞ我が戀ふらくは
 
〔譯〕 砂の白い三津の濱の岸の黄土のあざやかな色の、それではないが、顔色に出して言はぬだけである。自分が戀(431)してゐることは。
〔評〕 美しい序に始まつて、悠々として流れてゆく情の流が四五句にいたつて瀧となつた樣に激しく力強くひびいてゐる。口に出して言はねば憂もなげに見えふうがと、本心を披瀝した歌。東歌の「眞金ふく丹生の眞そほの色にでていはなくのみぞあが戀ふらくは」(三五六〇)と同型であるところから見ても、民謠體であつたらうと想像される。
〔語〕 ○白細砂 白い砂の滿とかかる枕詞といふ説もあるが、單に白い砂濱なる三津とみる方がよい。○三津の黄土の 三津は攝津國住吉の三津。「住吉の岸の黄土ににほひて行かむ」(一〇〇二)參照。以上「色に出でで」の序。
 
2726 風吹かぬ浦に波立つ無き名をも吾は負《お》へるか逢ふとはなしに【一に云ふ、女と思ひて】
 
〔譯〕 風が吹かぬ浦に浪が立つやうに、自分は實のない浮名を負うたことよ、逢ひもせぬのに。
〔評〕 眞に逢ひもせぬに名が立つたことを、風が吹かずして浪の立つに譬へたのは、後世風な輕い味さへ見えて巧妙である。古今集なる「かねてより風にさきだつ浪なれや逢ふことなきにまたき立つらむ」に比べて、着想は同じでも、萬葉人の作には力強い調子がある。
 一云 第五句の一異傳と思はれる。種々の説があつて決しがたい。
 
2727 管《すが》島の夏身の浦に寄する浪|間《あひだ》も置きて吾が念はなくに
 
〔譯〕 菅島の夏身の浦に間なく寄せる浪のやうに、間をおいて自分は念うてをるのではないのに。
〔評〕 絶間なく、戀ひ焦れてゐることである、の意。極めて一般的な句法である。
〔語〕 ○菅島の夏身の浦 所在不明で、紀伊、近江、志摩などいはれてゐる。
 
(432)2728 淡海《あふみ》の海おきつ島山おくまへて我が念ふ妹が言《こと》の繁けく
 
〔譯〕 近江の海の沖の島山のそれのやうに、心の奧深く自分が思ふ愛人を、人がうるさく言ひ騷ぐことである。
〔評〕 前出「淡海の海おきつ島山奧まけて吾が念ふ妹に言の繁けく」(二四三九)の異傳。
 
2729 霰|降《ふ》り遠つ大浦に寄する浪よしも寄すとも憎《にく》からなくに
 
〔譯〕 大浦に寄せる浪ではないが、よしや人が言ひ騷がうとも、あなたを憎くは思ひませぬものを。
〔評〕 寄する、よしも、よすともと、「よ」の音を繰返して調子がよい。四五句の投げ出したやうな言ひ樣が極めて力強く、思ひ入つた熱情を含んでをる。
〔語〕 ○霰ふり 「一二九三」に「霰ふり遠つあふみの」とある如く「音《と》」にかかる枕詞。○遠つ大浦 紀伊、また近江との説があるも、所在不明。○寄する波 寄すともにかかる序。○よしも寄すとも 「よし」は「よしゑやし」の「よし」に同じ。「寄す」は人と關係あると噂する意。
 
2730 紀の海の名高の浦に寄する浪音高きかも逢はぬ子ゆゑに
 
〔譯〕 紀伊の海の名高の浦に打ち寄せる浪の音が高いやうに、音高く自分は言ひ騷がれることよ。逢ひもしない女のために。
〔評〕 名高の浦のといふ地名も、序を受けて「音高きかも」と四句の張つた調子も、噂の高いことを巧に表現してをる。四句切の特質を十分に發揮して強い調子が出てゐる。
〔語〕 ○名高の浦 紀伊國海草郡内海町のあたりの海をいふ。「紫の名高の涌」(一三九二)參照。
 
(433)2731 牛窓の浪の潮騷《しほさゐ》島|響《とよ》みよさえし君に逢はずかもあらむ
 
〔譯〕 牛窓の浪の潮騷が島もとどろに鳴り響かせてをるやうに、人々にやかましく言ひ騷がれたあなたに、逢ふこともなくてゐることか、まあ。
〔評〕 噂はひどく立てられた、そのうへ逢ふことも出來ずに悶々の日を過す、さうした人のあきらめが結句に漂うてゐる。簡勁な中に、序の措寫など生彩があつて、牛窓の浦の景色が目に見えるやうである。
〔語〕 ○牛窓 備前國邑久郡にある港。○浪の潮騷 浪の騷ぎ鳴ること。○島響み 島が鳴り響くほど激しく潮が騷ぐ意で、世評の高く響くに轉じたもの。○よさえし いひよせられた、寄せいはれたの意。○逢はずかもあらむ 「かも」は從來「やは」と同じで反語と解されてゐるが、疑問と解する方が至當であらう。「天の原富士の柴山このくれの時移りなば逢はずかもあらむ」(三三五五)參照。
〔訓〕 ○よさえし 白文「所依之」「二七〇八」參照。
 
2732 おきつ波|邊《へ》浪の來寄《きよ》る左太《さだ》の浦のこの時《さだ》過ぎて後戀ひむかも
 
〔譯〕 沖の波や岸の浪が寄せて來る左太の浦といふ名のやうに、この機會《さだ》を空しく過して、後に戀しく思ふことであらうかなか。
〔評〕 女に逢ふことは逢ひながら、なほ思ひを晴らすことの出來ぬいらだたしさを詠んだもの。左太の浦に沖の浪や岸の浪の寄せる廣々とした景色たけでなく、浪の動きに戀の心の脈々として動くのを感ずる。
〔語〕 ○佐太の浦 佐太は和泉、土佐、出雲などにあつて、佐太・佐田・佐陀・狹田・佐多・蹉※[足+蛇の旁]などと書いてある。○此のさだ過ぎて 「さだ」は「時」の古語。東歌に「あが面の忘れむ之太《シダ》は」(三五一五)とある「しだ」と同じ。
 
(434)2733白浪の來寄《きよ》する島の荒磯《ありソ》にもあらましものを戀ひつつあらずは
 
〔譯〕 いつそ、白波が打ち寄せて來る島の荒磯にでもなつてゐたいものを。このやうに戀しく思つてばかりゐないで。
〔評〕 心ない荒磯であつたならば、何の物思もなくてよからう、の意。型は極めて類型的ながら、奇拔な表現である。
 
2734 潮|滿《み》てば水沫《みなわ》に浮ぶ細砂《まなご》にも吾は生《い》けるか戀ひは死なずて
 
〔譯〕 潮が滿ちて來ると、水沫のやうに浮ぶこまかい砂にも似て、漂ひながら自分は生きてゐることか、まあ、焦れ死もせずに。
〔評〕 さきの「解衣の戀ひ亂れつつ浮沙《うきまなご》浮ても吾はありわたるかも」(二五〇四)と共に、珍しい素材である。精緻な自然觀照と云ふやうな感じよりも、自然そのものであつた上代人の生活がうかがはれて懷かしい。譬喩はすばらしくよい。
 
2735 住吉《すみのえ》の岸の浦|回《み》に重《し》く波のしくしく妹を見むよしもがも
 
〔譯〕 住の江の岸の浦のめぐりに次々と重ねて寄せる浪のやうに、いとしい人をしばしば見る術《すべ》もあればよいがなあ。
〔評〕 この種の歌の典型的のもの。類歌、「ほととぎす飛幡の浦にしく浪のしばしば君を見むよしもがも」(三一六五)「しく」といふ音の繰返しが音樂約價値を發揮してゐる。
 
2736 風をいたみ甚振《いたぶ》る浪の間《あひだ》無《な》く吾が念《も》ふ君は相|念《おも》ふらむか
 
〔譯〕 風が烈しいので甚しく立つ浪のやうに、絶間なく自分が思ひ焦れてゐるあなたは、同じ心に自分を思つてゐて(435)くださるであらうか。
〔評〕 絶間なく思ふ情を、浪の立つことに寄せた歌は集中にも多い。しかし、この歌は序に特殊な趣があつて、いかにも、波の激しさを巧に表現してをる。波の激しいことは、同時に戀心の激しさをあらはしてゐるのである。
 
2737 大伴も三津の白浪|間《あひだ》無《な》く我が戀ふらくを人の知らなく
 
〔譯〕 大伴の三津の濱に浪の寄せるやうに、絶間無く自分が戀しいと思うてゐるのを、あの人が知らないことよ。
〔評〕 序は平凡であるが、結句を淡然と云ひ放つてゐるところに、深い味ひがある。
〔語〕 ○大伴の三津の白浪 「間なく」につづく序。大伴の三津は「六三」參照。
 
2738 大船のたゆたふ海に碇《いかり》下《おろ》し如何《いか》にせばかも吾が戀ひ止《や〉》まむ
 
〔譯〕 大船が漂うてをる海に碇をおろす、その「いかり」といふ詞に調べの通ふ、いかにしたならば、自分の戀ひこがれる思ひが、やむことであらうか。
〔評〕 さきの「大船の香取の海に碇おろしいかなる人か物念はざらむ」(二四三六)と類似した構想である。しかし、「大船のたゆたふ海」が戀に動搖して止まぬ心の姿にふさはしく、從つて「碇おろし」はそれを鎭めようとする心もちがうかがはれ、頗る暗示的な効果を持つ序である。
〔訓〕 ○いかにせばかも 白文「何如爲鴨」イカニシテカモ、イカニスレカモともよめる。
 
2739 みさご居《ゐ》る沖の荒磯《ありそ》に寄する浪|行方《ゆくへ》も知らず吾が戀ふらくは
 
〔譯〕 みさごの居る沖の荒磯に打ち寄せる浪の行方の知れぬやうに、行末どうなるかも知らぬことである、自分が戀(436)ふるのは。
〔評〕 猛禽の棲む沖の荒磯の岩に、寄せては碎け、碎けては散る浪の姿は、何か物凄い、いはば絶望的なものをさへ感ぜしめるのである。行方も知らぬ戀をいふにふさはしい。孤獨感を深める風景を採つたところに長所がある。
 
2740 大船の臚《とも》にも舳《へ》にも寄する浪よすとも吾は君がまにまに
 
〔譯〕 大船の臚にも舳にも打ち寄せる浪のやうに、たとひ世間の人が二人の仲を言ひ寄せて騷がうとも、私はあなたのお心のままに從ひませう。
〔評〕 臚にも舳にもと大きく云うた序は、人言を氣にかけまいと思ひ決めた心にふさはしく、婦人の純情を盡した、あはれ深い歌である。
〔訓〕 ○ともにもへにも 白文「臚毛舳毛」。嘉暦本等による。
 
2741 大海に立つらむ浪は間《あひだ》あらむ君に戀ふらく止《や》む時も無し
 
〔譯〕 大海に立つ浪は、絶間がないといはれるが、それでも、時には立たぬ間もあらう。あなたを戀ひ慕ふことは、止む時もない。
〔評〕 一般的な詠みぶりであるが、絶間ないものとして用ゐられて來た浪に、なほ、絶間を見出したところがよい。この歌は、古今六帖、新千載集等に載せられてをる。
 
2742 志珂《しか》の海人《あま》の火氣《けぶり》燒《や》き立てて燒《や》く鹽の辛《から》き戀をも吾はするかも
     右の一首、或は云ふ、石川君子朝臣之を作る。
 
(437)〔譯〕 志珂の海人が煙を燒き立ててやく鹽のやうに、からい、つらく苦しい戀を自分はすることよ、まあ。
〔評〕 第二句「けぶりやき立てて」は序であるが、からき戀を一層けぶたくしたもので、敍景と抒情と共に適切にあらはれてゐる。「三六五二」、「三九三二」の歌はこれと同型である。
〔語〕 ○志珂の海人 志珂は筑前國。「二六二二」參照。
〔左註〕 石川君子云々 石川君子は、卷三に石川少郎の歌一首として「志可の海人は藻苅り鹽燒き暇なみ髪梳の小櫛取りも見なくに」(二七八)を掲げ、その左註に「右今案ずるに、石川朝臣君子、號を少郎子といへり」とある。卷十二に、作者に就いて註したものはこれ一つである。
 
2743 なかなかに君に戀ひずは比良《ひら》の浦の白水郎《あま》ならましを玉藻刈りつつ
     或本の歌に曰く
  なかなかに君に戀ひずは留牛馬《なは》の浦の海人《あま》ならましを玉藻刈る刈る
 
〔譯〕 なまなかにあなたに戀をしてゐないで、いつそのこと、比良の浦の海人ででもあればよいものを、玉藻を刈りつつをらうに。
〔評〕 海人にも、海人の苦しみや惱みはあらう。しかし、洗錬された都會人の眼に映じた海人の姿は、たくましくも氣樂げで、物思ひなどといふこまかな感覺があらうとは見えなかつたのである。たとひ苦しみはあつても、都會人とは性質を異にしてゐた。類歌、「おくれ居て戀ひつつあらずは田子の浦の海人ならましを珠藻苅る苅る」(三二〇五)がある。
〔語〕 ○ひらの浦 近江の比良と思はれる。
   或本 ○なはの涌 土佐、また攝津との説がある。卷三の「三五四」「三五七」にもよまれてゐる。○玉藻刈る刈(438)る 藻を刈り刈りして。
〔訓〕 ○なはの浦 白文「留牛馬浦」。嘉暦本による。牛馬を留める「なは」といふ語の證には、馬自物繩取附(一〇一九)がある。なほ、流布本には留鳥浦とあり、アミノウラと訓んでゐる。
 
2744 鱸《すずき》とる海人《あま》のともし火|外《よそ》にだに見ぬ人ゆゑに戀ふる此の頃
 
〔譯〕 鱸をとる海人の燈火はよそ目にも見られるが、よそ目にさへ見たことのないといふそんな人の故に、この頃は戀ひなやんでゐることである。
〔評〕 明滅する海人の漁火は、何とはなく哀愁をそそるものである。その灯に、見ぬ戀に惱む此頃の心を托したもの。
〔語〕 ○鱸とる海人の燈火 「よそに見る」とつづく序。遙かなる海上の漁火は外にも見える意。
 
2745 湊入りの葦わけ小舟|障《さはり》多み吾が念《も》ふ君に逢はぬ頃かも
 
〔譯〕 河口の葦をかき分けて進む小舟のやうに、さはりが多くて、この頃は思ふかたに逢はぬことであるよ。
〔評〕 難波あたりの人の作であらうか。序が寫質的にこまかく、生彩をおびてゐて、いかにもふさはしい。湊近くにすむ作者の生活も偲ばれる。この序は、「二九九八」にも用ゐられてをる。
〔語〕 ○湊入の葦わけ小舟 「障多み」を導く序。河口に入る舟が葦を分けて進む景を、障多いといつたもの。
 
2746 には淨《きよ》み沖へ榜《こ》ぎ出《づ》る海士|舟《ぶね》の梶|執《と》る間《ま》無き戀もするかも
 
〔譯〕 海上が清く靜かに穩かであるから、沖へ漕いで出る海士舟の、櫂を操る手に間のないやうに、絶間のない戀をすることよ、まあ。
(439)〔評〕 小刻みに律動する歌調を以てした漁舟の描寫が、たちまち主觀に移つて行くあたり、巧妙な序の効果である。戀歌といつてよいか船歌といつてよいか分らぬほどに、序の効果が大きい。「三一七三」「三九六一」等に類歌がある。
 
2747 味鎌《あぢかま》の鹽津を指してこぐ船の名は告《の》りてしを逢はざらめやも
 
〔譯〕 味鎌の鹽津を指してこぐ船の名ではないが、名をば、あの女は自分に告げたのに、逢はぬといふことがあるものか。
〔訓〕 女が自分にその名をうち明けたからには、必ず逢ふであらうに、といふ意。序は、古へも船名といふもののあつたことは、此の歌及び「鴨といふ船」(三八六六)などが語つてゐる。
〔語〕 ○味鎌の鹽津 味鎌は所在未詳。代匠記は東歌の中に二ケ所「三五五一」「三五五三」あるから、東國かと思はれるとある。鹽津も近江に同名があるも、不明。
 
2748 大船に葦荷《あしに》刈り積みしみみにも妹は心に乘りにけるかも
 
〔譯〕 大船に葦を刈つた荷を繁く積みあげるやうに、いとしい女は、自分の心に一ぱいに乘りかかつてしまつてゐることよ、まあ。
〔評〕 集中の一定型に從つた表現であるが、序の、水郷風な田園調が面白く、大船に葦荷を積みあげた上代の湊の、素朴にも活氣に滿ちた樣がしのばれる。
 
2749 驛路《はゆまぢ》に引舟《ひきふね》渡し直乘《ただのり》に妹は情《こころ》に乘りにけるかも
 
〔譯〕 舟着きの驛路に引舟を渡して乘る、といふやうに、ひたすらに乘りかかつて、愛人のことが自分の心に浮んで(440)くることよ。
〔評〕 當時の驛傳の制を素材とした、面白い序。「乘る」といふ語の縁によつて引舟を持つて來たのは有効である。
〔語〕 ○驛路に引舟渡し、驛路は驛を設けた官道。またその驛。引舟は曳綱を附け陸から曳くやうにした舟。ここは水驛に用意した舟で、水驛は厩牧令に「凡(ソ)水驛不v配(セ)v馬處、量(リテ)2閑繁(ヲ)1驛別置(ク)2船四隻以下二隻以上(ヲ)1、隨(ヒテ)v船配(シ)v丁(ヲ)驛長(ハ)准(シテ)2陸路(ニ)1置(ク)」とある。以上「直乘」といふ爲めの序調。○直乘に ひたすらに乘る意。五句につづく。
〔訓〕 はゆまぢ 白文「驛路」、ウマヤヂとよむ説もある。
 
2750 吾妹子に逢はず久しも甘美物《うましもの》阿倍《あべ》橘の蘿《こけ》生《む》すまでに
 
〔譯〕 自分の愛人に逢はぬことが久しくなつたことよ。阿倍橘の木が何時の間にか蘿がはえるまでに。
〔評〕 街路樹なる阿倍橘が、苔のはえる老木となるまで逢はぬことを悲しんだので、門部王の「ひむかしの市の植木の木垂るまで逢はず久しみうべ戀ひにけり」(三一〇)に似た趣である。「苔むすまでに」が少し誇張した詞のやうである。しかし何十年などを意味するのでなく、季節的なものかも知れぬ。
〔語〕 ○うまし物 枕詞。うまいものの阿傳橘とつづく。○阿倍桶 和名抄は橙とし、代匠記は花柚、考は今の橘、箋註倭名類聚鈔は九年母としてゐる。「あべ」の語源については、地名とも饗《アヘ》の義ともいひ、明かでない。
 
2751 あぢの住む渚沙《すさ》の入江の荒磯《ありそ》松|我《あ》を待つ兒らはただ一人のみ
 
〔譯〕 味鳧の住む渚沙の入江の荒磯松の「まつ」といふ詞のやうに、自分を待つ女はただ一人、そなたのみである。
〔評〕 「松」を「待つ」にかける修辭法の古い歴史を物語る歌であり、音樂的に快い調である。松と待との同音繰返しの外に、荒磯《ありそ》の「あ」と我《あ》との同音繰返しもあるため、調子がよいのである。
(441)〔語〕 ○あぢの住む須沙の入江 「あぢ」は味鳧。須沙の入江は、東歌の中に「あぢの住む須沙の入江」(三五四七)とあり、延喜式神名帳には紀伊國有田郡須左神社があるが、未詳。
 
2752 吾妹子を聞き都賀野邊《つがのべ》のしなひ合歡木《ねぶ》吾《あ》は隱《しの》び得ず間無《なな》くし念《も》へば
 
〔譯〕 自分の愛しい人のことを聞き繼ぐといふ名の都賀野のなよやかに美しい合歡木のしなひではないが、自分はしのび隱し切れない、絶えず思つてゐるので。
〔評〕 序中に更に序のある技巧的な歌で、「しのび得ず」を起すための「しなひ合歡木」は珍しい素材であり、手弱女の風姿もしのばれる。また、「吾妹子を聞きつが」といふ序の中にも、戀の歌としての實質が含まれてゐる。
〔語〕 ○都賀野 考は神功皇后紀、仁コ紀の菟餓野かといふ。さすれば攝津で、今の大阪附近である。代匠記精撰本は、東歌に「都武賀野」(三四三八)とあるところかともいふ。前に東歌に同じ地名が見えるからである。○しなひ合歡木 「しなひ」を「しのび」の序とした。
〔訓〕 ○しなひねぶあはしのび 白文「靡合歡木吾者隱」、ナビキネブアハコモリとよむ説もある。
 
2753 浪の間ゆ見ゆる小島の濱久木久しくなりぬ君に逢はずして
 
〔譯〕 浪間から遙かに見える小島の磯の濱久木、その名のやうに久しくなつたことである、いとしい人に逢はないで。
〔評〕 無技巧なありのままの序の、最も美しい一つである。沖の小島を眺めながら、戀人に逢はうにも遙かな島にゐるさまで、いはゆるとりつく島もないといつた趣も見える。伊勢物語、拾遺集、中世の歌論書に引かれてをる。
〔語〕 ○濱久木 濱に生えてゐる楸で、海邊の老木の意ではない。「九二五」參照。
 
(442)2754 朝|柏《ガシハ》閏八河邊《うるやかはべ》の小竹《しの》の芽《め》の思《しの》ひて宿《ぬ》れば夢《いめ》に見えけり
 
〔譯〕 閏八河邊の小竹《しの》の芽の、「しの」といふ詞の調べのかよふ、偲《しノ》び慕うて寢たので、愛人が夢に見えたことである。
〔評〕 小竹の新芽も鮮かに萠える頃の思ひであらう。序の印象の爽やかさと相待つて、結句には、せめてもの夢の逢ひを喜ぶ情が、あはれに見えてをる。序は、前出の「二四七八」と同趣である。
〔語〕 ○朝柏閏八河邊の小竹の芽の 「朝柏」は「閏八」の枕詞。閏八河の所在は不明。
 
2755 淺茅原|假標《かりしめ》さして空言《むなごと》もよさえし君が辭《こと》をし待たむ
 
〔譯〕 廣い淺茅原に假の標《しめ》を立てて見てもむなしいことであるが、そのやうに、むなしい評判たけでも世間の人から言《こと》寄せていひ騷がれた二人ゆゑ、あなたよりのよいお便りを待ちませう。
〔評〕 虚言でも人にいひ騷がれたからには、ふと氣が變つて思うてくれることがないともいへぬゆゑ、それを當てにして待たうと云ふので、あてのない男心を頼りにする、あはれな心理描寫である。女の心理は、男に迫る執心が感ぜられるのではなからうか。序は前出の「二四六六」に似て意味の深い珍しい趣向である。
 
2756 鴨頭草《つきくさ》の假れる命にある人をいかに知りてか後も逢はむといふ
 
〔譯〕 鴨頭草のやうにはかない無常な假の命をもつ人間の身であるものを、いつまで生きられると知つて、後に逢はうなどといふのであらうか。
〔評〕 あきらかに佛教的な無常觀が現はれてをる。しかしそれは未だ切實さに乏しく、思ふやうに逢うてくれぬ人を(443)なじる程度の深さしか持つてゐない。
 
2757 王《おほきみ》の御笠に縫へる有馬|菅《すげ》ありつつ見れど事なき吾妹《わぎも》
 
〔譯〕 大君の御笠に縫うてをる有馬の菅――ありつつ常に見てゐるけれども、非のうなどころのないわが妻よ。
〔評〕 「唐衣きつつ馴れにし」とたとへられる睦び馴れた妻を愛する歌、さきの「難波人」の歌(二六五一)と同型である。しかして、歌の調が悠々とした氣分に滿ちてをるのも、序の効果である。
〔語〕 ○有馬菅 有馬地方で産する菅。有馬は攝津の地名。○事なき とりたてて言ふ所のないの意。
〔訓〕 ○ことなきわぎも 白文「事無吾妹」。古義はロトナシワギモと訓んでゐる。
 
2758 菅《すが》の根のねもころ妹に戀ふるにし丈夫心《ますらをごころ》念《おも》ほえぬかも
 
〔譯〕 心から眞面目にあの女に戀ひこがれてゐるから、ますらをの雄々しい心ありと自ら思ふ確信を持ち得ない。
〔評〕 菅の根を同音の「ね」につづく枕詞に用ゐたのみで、寄せる心は殆どなく、歌意歌調ともに平明である。
〔訓〕 ○ますらを心 白文「益卜男心」。通行本等「益卜思而心」とある。略解所引の宣長説によつて改めた。
 
2759 吾が屋戸《やど》の穗蓼《ほたで》古幹《ふるから》採《つ》み生《おほ》し實になるまでに君をし待たむ
 
〔譯〕 私の家の穗蓼の古い莖の實を摘み、蒔いて生やし、實になるといふことばのやうに、戀の實を結ぶまで、氣長にあなたを待つてをりませう。
〔評〕 營々としてつとめる農人の生活が、おのづから序の中に滲透してゐるのを感ずる。但、この表現法は舍人皇子の「冬ごもり春べを戀ひて植ゑし木の實になる時を片待つ吾ぞ」(一七〇五)と同型で、特にこの歌では氣長な心が(444)強調されてをり、古い戀に生氣を吹き込む樣な趣を感じさせる。
〔語〕 ○穗蓼古幹 穗蓼は蓼の一種で、花の穗のやうになるのをいふものと思はれる。古幹は古い枯れた去年の莖。
〔訓〕 ○つみおほし 白文「採生之」、舊訓ツミハヤシ。
 
2760 あしひきの山澤ゑぐを採《つ》みに行かむ日だにも逢はせ母は責むとも
 
〔譯〕 山の澤に生えてをるゑぐを採みに行く日にでも、逢つてほしい。たとへ見つかつて、母は叱りなさらうとも。
〔評〕 卷十の歌「一八三九」によつて見ると、ゑぐの實を摘むのは雪消の頃である。早春の光あふれる澤邊に出でて逢はうといふ、はりつめた心もちがあふれてゐる。貴族生活に偏して單調になつた平安文學に比して、萬葉歌の貴さが知られる。
〔語〕 ○山澤ゑぐ 山の澤邊に生ふる烏芋《くろくわゐ》。「一八三九」參照。○摘みに行かむ 「む」は連體格、「日」につづく。○逢はせ 逢はすは逢ふの敬語。ここはその命令形で、女に頼むやうの氣分が感ぜられる。
〔訓〕 ○日だにもあはせ 白文「日答毛相爲」。「爲」は嘉暦本、類聚古集による。通行本等は「相將」に作り、アハムとある。アハセは男、アハムは女、唯一字の相違によつて、作者が男女異なることとなる。
 
2761 奧山の石《いは》もと菅《すげ》の根深くも思ほゆるかも吾が念妻《おもひヅマ》は
 
〔譯〕 奧山の岩もとにはえてゐる菅の底深い根のやうに、心探クも懷かしく思はれることよ、自分が妻と愛する女は。
〔評〕 定型的な序を用ゐた定型的な歌。笠女郎が家持に贈つた三首の歌の中に、「奧山の磐もと菅を棍深めて結びしこころ忘れかねつも」(三九七)といフのがある。
 
(445)2762 蘆垣の中《なか》の似兒草《にこぐさ》莞爾《にこよか》に我《われ》と咲《ゑ》まして人に知らゆな
 
〔譯〕 蘆垣の中の似兒草のにこにこと、私と顔を見合せて微笑みなさつて、二人のことを人に知らせて下さるな。
〔評〕 田園調に富んだ戀の歌である。大伴坂上郎女の「青山を横切る雲の著ろく吾とゑまして人に知らゆな」(六八八)と類型であるが、また別な趣がある。一二句のこまかい實感は極めて面白い。
〔語〕 ○似兒草 箱根草のことといふ説もあるが、新解のやうに、荒草に對する語で、葉や莖の柔軟な草をいふかとも思はれる。「秋風になびく川びの似兒事の」(四三〇九)。○我とゑまして 「我と」は、自分からひとりでに、の意と解する新解の説と、我と相見て共にの意とする古義の説とがある。原文の「我共」から考へて後説によつた。
 
2763 くれなゐの淺葉《あさは》の野らに苅る草の束《つか》の間《あひだ》も吾《わ》を忘らすな
 
〔譯〕 淺葉の野に苅る草の束《つか》――つかの間も私を忘れてくださいますな。
〔評〕 農耕生活の實感がこもつた、民謠らしい色調がある。「一一〇」の歌と同型である。
〔話〕 ○紅の 紅の色の淺い意で「淺葉」につづく枕詞。○淺葉の野ら 淺葉は、和名抄によると、今の川越市附近の坂戸町にあたる。また、遠江國磐田郡にも淺羽庄があり、今の袋井町の南にあたる。いづれとも決しかねる。「野ら」の、「ら」は接尾辭。○刈る草の 「束」にかかる。○束の間 「束」は一握の長さをいひ、轉じて、短い時間の意に用ゐる。
 
2674 妹がため壽《いのち》遺《のこ》せり苅薦《かりこも》のおもひみだれて死ぬべきものを
 
〔譯〕 そなたの爲、そなたに逢ひたいばつかりに、自分は命をつないでをるのである。思ひ亂れて死ぬるはずであつ(446)たものを。
〔評〕 戀に懊惱する男の心の激しい告白である。一二句五句は、やや誇張したいひざまであるが、二句は新味があり、五旬も力づよい。
 
2675 吾妹子に戀ひつつあらずは苅薦《かりこも》の思ひみたれて死ぬべきものを
 
〔譯〕 自分の愛人に戀うてばかりゐないで、むしろ思ひ亂れて、戀死にに死ぬはずであつたのに。
〔評〕 一二句が類型的であるだけに、前歌よりも平凡になつてをる。
 
2766 三島江の入江の薦《こも》をかりにこそ吾をば君はおもひたりけれ
 
〔譯〕 三島江の入江の薦を苅りに――假初に私をあなたは思うていらつしやつたことよ。
〔評〕 男の淺い心を恨んだもので、苅りを假にかけ用ゐた序は輕妙である。
〔語〕 ○三島江 大阪府三島郡。「一三四八」參照。
 
2767 あしひきの山橘の色に出《い》でて吾《わ》が戀ひなむをやめがたみすな
 
〔譯〕 籔柑子の美しい色のやうに、顔色にあらはして自分が戀ふることになりさうだが、それを、やめることの出來ないものとは思ひなさるな。
〔評〕 會ひたい時に會つてくれさへすれば、自分は戀しさのあまり人前をこらへず、心中を知られるやうな顔附をせずともをられよう。もしそなたが我々の仲を人に知られるのがいやとなら、むつかしいことはない、自分に早く會つて、この戀心をなだめてくれればよいのだと、人目をはばかる女の心を裏からせめたてたのである。
(447)〔訓〕 ○やめがたみすな 白文「八目難爲名」「八」を「人」の誤としてヒトメカタミスナと考には訓んでゐるが、改めずとも解される。
 
2768 葦鶴《あしたづ》の騷く入江の白菅《しらすげ》の知られむ爲と言痛《こちた》かるかも
 
〔譯〕 葦鶴の騷く入江の白菅の――自分の思を知つてもらはうとて、世間の人に喧しく言ひさわがれることかまあ。
〔評〕 葦鶴の鳴き騷ぐ入江の景は、人言のやかましさを思はせ、白菅はもとより縁語ながら、やさしい女性の姿を聯想させる。
〔語〕 ○白菅 濕地に生ずる多年生の草本。○知られむ爲と 戀の深さをあなたに知つていただかうとて。
 
2769 吾背子に吾が戀ふらくは夏草の苅り除《そ》くれども生《お》ひ及《し》く如し
 
〔譯〕 私の愛人に私が戀うてゐることは、夏草が、苅りのぞいてもすぐ續いてはえて來るやうなもので、忘れようとしても忘れられない。
〔評〕 卷十なる「この頃の戀の繁けく夏草の苅り掃へども生ひしく如し」(一九八四)の類歌。譬喩が適切である。
 
2770 道の邊《べ》のいつしば原のいつもいつも人の許さむことをし待たむ
 
〔譯〕 道のほとりのいつしば原の――いつでもよいから、あの人が承知してくれる言葉を待つてをらう。
〔評〕 あせらず騷がず、戀の成就を待たむとする態度がなつかしい。誠意を示して相手の感應するのを期待する心である。
〔語〕 ○いつしば原 繁く柴(雜木)のはえてをる原。「一六四三」參照。○いつもいつも いつにてもの意(代匠記)。
 
(448)2771 吾妹子が袖をたのみて眞野の浦の小菅《こすげ》の笠を著《き》ずて來にけり
 
〔譯〕 歸りに雨が降つたならば、いとしいそなたの着物の袖をかぶつて歸らうと、それをたよりにして、眞野の浦の小菅でつくつた笠をかぶらずに來たことよ。
〔評〕 快活な嬉戯の調子がある。袖をたのみてといふところ、情趣ゆたかである。
〔語〕 ○眞野の浦 眞野は攝津武庫郡、今、神戸市に屬し、長田の南に當る。
 
2772 眞野の池の小菅を笠に縫はずして人の遠名《とほな》を立つべきものか
 
〔譯〕 眞野の池の小菅を笠に縫はないやうに、彼女と契を結ばないで、自分の名が遠くまで廣がるやうに、名を立てるといふことがあるものか。
〔評〕 契も結ばぬに、早くも世間で言ひはやすことを、腹だたしげに歌つたもの。女にわざわざいひ送つたとも、世間への抗議ともききなされる。「笠にも編まず」(一二八四)「笠に縫ひ着む日」(二八一八)參照。
〔語〕 ○眞野の池 前掲と同所であらう。○人の遠名 人は男自身をさす。遠名は虚名と解する説(代匠記)もあるが、廣く立つ名(考)と解する方がよい。
 
2773 さす竹の葉隱《はごも》りてあれ吾背子が吾許《わがり》し來《こ》ずは吾《われ》戀ひめやも
 
〔譯〕 竹の葉の繁くこもつてをるやうに、あなたは籠つていらつしやいませ。あなたが私のもとにおいでにならないならば、私はこんなにまで戀しく思ひませうか。逢へばなかなかに思がまして苦しいから、いつそ逢はない方がましです。
(449)〔評〕 やや誇張もあらうが、「相見ては戀しき心まして念ほゆ」(二三九二)「相見ずは戀ひざらましを」(五八六)などいふ、戀愛の通有性に根ざしてをる。本心は來てもらひたいのであるが、わざとかういつたのである。吾を繰返してゐるのも、わざとであらう。
〔語〕 ○さす竹の さすは發する意で、根ざした竹の葉の繁き意。葉隱りにつづく。
 
2774 神南備《かむなび》の淺小竹原《あさしのはら》のうるはしみ妾《わ》が思《も》ふ君が聲の著《しる》けく
 
〔譯〕 神南備にあるまばらな小竹原の美しいやうに、なつかしく私が思ふあなたのお聲が、多くの人の中でもはつきりと聞えますことよ。
〔評〕 思ふ人の聲をよそに聞いて、胸のとよめく感じを傳へた、女らしく愛らしい歌である。序は神域の莊嚴なところを歌つてをる。
〔語〕 ○神南備 飛鳥の神南備で、雷岳をさすものかと思はれる。○聲のしるけく 確に其の人の聲とわかる意。
 
2775 山高み谷邊にはへる玉蔓《かづら》絶ゆる時なく見むよしもがも
 
〔譯〕 山が高いので、谷べから長くはひ上つてをる蔓のやうに、絶える時なく逢ひ見るてだてがあればよいがなあ。
〔評〕 序に自然觀照の精神がある。相似た序の歌は、「三〇六七」「三五〇七」にあるが、それは「谷狹み」とあつて山と谷とが反對になつてゐる。
 
2776 道の邊の草を冬野に履《ふ》み枯らし吾《われ》立ち待つと妹に告げこそ
 
〔譯〕 道ばたの草を、冬の野のやうに、長い間踏みつけてゐて枯らして、自分が立つて待つてゐると、愛人に告げて(450)ほしい。
〔評〕 誇大ないひざまであつても、その素朴さは愛すべきものがある。嫌味を感ぜしめず、獨創的なところに感心させられる。
 
2777 疊薦《たたみこも》へだて編む數通はさば道のしば草生ひざらましを
 
〔譯〕 疊にする薦を一筋ごとに苧を隔てて編む數ほども、繁く私の家にお通ひになつたならば、道ばたの芝草も生えないでありませうものを。
〔評〕 疊薦を編むことを序に取りいれて、野趣を織りなしてをる。農人の女の歌と思はれる素朴な着想である。薦疊を編む勞働が非常に根氣を要するものであるといふ實感をもつ人にして、はじめてよく理解のできる歌である。
〔語〕 ○へだて編む數 薦は、若干づつの隔をおいて多くの節に編分けるからと新考にある。
 
2778 水《みな》底に生《お》ふる玉藻の生ひ出でず縱《よ》し此の頃は斯《か》くて通はむ
 
〔譯〕 水の底に生えてをる玉藻が、表面に生ひ出ず人目に立たぬやうに、よろしい、自分も當分の間は、不自由でもかうして忍んで通はう。
〔評〕 晴れて女のもとに通ふことの出來ぬ男が、しばらくは忍んで不自由な戀をつづけつつ、時を待たうと云ふのである。たとへも巧妙で、自然觀照のくはしさを語つてをる。その上、三句までを、第五句で「かくて」と承けて、第四句を距ててゐる句法が新鮮味を帶びてをる。
 
2779 海原《うなばら》の沖つ繩苔《なはのり》うち靡き心も萎《しの》におもほゆるかも
 
(451)〔譯〕 海原の沖に生えてをる繩のりのやうに、力無くなよなよと、心も萎えしをれるばかり戀しく思はれることよ。
〔評〕 藻を以て、靡くことの譬喩とした歌は多いが、繩のりをとらへたのが特色である。
 
2780 紫の名高の浦の靡藻《なびきも》の心は妹に依りにしものを
 
〔譯〕 名高の浦の靡き藻のやうに、心はあの女にすつかり依つてしまつたのに。とやかく物は思ふまい。
〔評〕 男子の作としては、序も詞調も優婉繊細にすぎる。安倍女郎は、「今更に何をか念はむうち靡きこころは君に縁りにしものを」(五〇五)、と詠んでゐる。
〔語〕 ○紫の 紫は名高くよい色ゆゑかかる枕詞。名高の浦は、紀伊國和歌の浦の南方。「一三九二」參照。
 
2781 海《わた》の底沖を深めて生《お》ふる藻の最《もと》も今こそ戀はすべなき
 
〔譯〕 海の底の沖深くはえてゐる藻の――最も今こそ、戀しさが、しやうのないことである。
〔評〕 序は「最も」へかける縁語であるが、海の底にあつて、浮び出むすべもなく、依るべき方もないさまを、結句の「すべなき」にはたらきかけて巧妙である。
 
2782 さ寢《ぬ》がには誰《たれ》とも宿《ね》めど沖つ藻の靡きし君が言《こと》待つ吾を
 
〔譯〕 寢られるやうにと期する分には、誰とでも寢ようが、しかし、沖の藻のやうに、自分に靡き依つたそなたが、妻になるといふ言葉を待つ自分であるよ。
〔評〕 一二句、いはゆるふてくされになつた女の言葉ととれぬこともないが、男がおどかすやうにいうた句として、四句を我に靡きし君の意とし、男の作とみる方がよからう。
(452)〔語〕 ○さ寢がには 「さ」は接頭辭。「がに」は「三四五二」にあるに似た用法として、寢られるやうにとならばの義と解する。なほ後考をまつべきである。○言待つ吾を 言は言葉また便。「を」は詠歎の助詞。
〔訓〕 ○さ寢がには 白文「左寐蟹齒」、舊訓サネカニハ、代匠記精撰本にサネカネハ、今は初稿本の書入による。
 
2783 吾妹子が何とも吾を思はねば含《ふふ》める花の穗に咲きぬべし
 
〔譯〕 自分の愛する女が、何とも自分を思はないので、もはや忍び切れず、含んだ花が穗に咲き出すやうに、表にあらはして戀をするであらう。
〔評〕 四五句、隱喩を用ゐたので、普通の譬喩を用ゐた場合以上に、強い決心で突進する氣持がよくあらはれてゐる。
〔訓〕 ○何とも吾を 白文「奈何跡裳吾」。イカニトモアヲとも訓める。
 
2784四 隱《こも》りには戀ひて死ぬとも御苑生《みそのふ》の鷄冠草《からあゐ》の花の色に出でめやも
 
〔譯〕 心のうちに包みかくし忍んでゐて、たとひ戀ひ死にませうとも、あなたのお庭の鷄冠草の花のやうに、色にあらはすやうなことをいたしませぬ。
〔評〕 忍ぶ戀の悲痛さ、むしろ、意地になつた女の歌といふ感がある。鷄冠《けいとう》の花の鮮明な色を譬喩に用ゐたところ、情趣豐かである。類歌に「二二七八」がある。
〔訓〕 ○第五句の下に、通行本に「類聚古集云、鴨頭草又作鷄冠草云云 依此義者可和月草歟」と二行小字に記してあるが、いふまでもなく類聚古集は藤原敦隆(保安元年卒)の著で、それ以後の註であることは明かであるから、嘉暦本等に無いのが正しい。西本願寺本等には朱書されをり、或は仙覺によつて附せられたものかと思はれる。
 
(453)2785 咲く花は過《す》ぐる時あれど我が戀ふる心の中《うち》は止《や》む時もなし
 
〔譯〕 咲く花は散る時があるが、自分が戀しく思ふ心のうちは、止む時もない。
〔評〕 前出の「二七四一」をはじめ、類型の多い構想であるが、咲く花を用ゐたのが珍しい。平明な上に優美な歌である。その點では、平安時代的であるといへるであらう。
〔語〕 ○過ぐる ここでは花の散ること。
 
2786 山吹のにほへる妹が唐棣花色《はねずいろ》の赤裳のすがた夢《いめ》に見えつつ
 
〔譯〕 山吹の花のやうに美しい女の、唐棣花色の赤裳をつけた姿が夢に見えて、まことに懷かしい。
〔評〕 山吹・唐棣花とうるはしい色彩をまじへた歌で、「赤裳のすがた」が魅力に富んでゐたことを語つてをる。
〔語〕 ○山吹の 枕詞。にほへるにつづく。「つつじ花にほへる君が」(四四三)の類。○唐棣花色 紅の色。
 
2787 天地《あめつち》の依《よ》り合《あ》ひの極《きはみ》玉の緒の絶えじとおもふ妹があたり見つ
 
〔譯〕 天と地が合して一つになる最後の時まで、天地のあらむ限り、玉を貫く緒の絶えぬやうに、中は絶えまいと思ふ愛人の家のあたりを、自分は懷かしく見たことである。
〔評〕 一二句が莊重雄大に過ぎるが、その物々しい誇大さが却つて面白い。ただ、末句が少しあつけない感じがする。
 
2788 生《いき》の緒に念《おも》へば苦し玉の緒の絶えて亂れな知らば知るとも
 
〔譯〕 命にかけて思つてをれば、あまりにも苦しい。むしろ、玉の緒の絶えて玉が亂れるやうに、亂れて、あらはに(454)戀をしよう。人が知るならば知つてもかまはぬ。
〔評〕 情熱にもえた表現。生の緒に重ねて、玉の緒を用ゐたあたりの手法も凡手ではない。古今集の「下にのみ戀ふれば苦し玉の緒の絶えて亂れむ人なとがめそ」はこれに依つたものであるが、萬葉と古今との調の差がよくわかる。
 
2789 玉の緒の絶えたる戀の亂れには死なまくのみぞ又も逢はずして
 
〔譯〕 中の絶えた戀の心の亂れには、ただ死なうと思ふばかりである、ふたたびはもう逢はずに。
〔評〕 一句から四句にかけて、句々熱情がみなぎりあふれてゐる。五句の字あまりも、柔かな中に重味を含んでをる。
〔訓〕 みだれには 白文「亂者」、ミダルレバともよめる。
 
2790 玉の緒のくくり寄せつつ未つひに去《ゆ》きは分れず同《おや》じ緒にあらむ
 
〔譯〕 玉の緒は兩端をくくり寄せて、しまひには、玉が別々に離れ去らず同じ緒にあるやうに、私どもも、樣々の障りはあつても、つひには一つになりませう。
〔評〕 装身の玉を弄びつつ詠んだ婦人の姿もしのばれる。前出の「二四四八」に似たところがある。
 
2791 片絲もち貫《ぬ》きたる玉の緒を弱み亂れやしなむ人の知るべく
 
〔譯〕 縒り合せない絲を以て貫いた玉の緒が弱いので、切れて、玉が亂れるやうに、心が亂れでもしないことであらうか、人が知るほどに。
〔評〕 巧妙な序、適切な譬喩。心の弱さを譬へるに、片糸の玉の緒ほどに適切なものは考へられない。
 
(455)2792 玉の緒のうつし心や年月の行き易《かは》るまで妹に逢はざらむ
 
〔譯〕 しつかりした正氣の心では、年月が移るまでも、愛人に逢はずにゐなければならないのであらうか。
〔評〕 心が狂へばともかくも、いつまでも正氣で逢はずにゐられようか、といふのであらう。
〔語〕 ○玉の緒のうつし心や 解し難く種々の誤字説のある句。うつし心は「一三四三」「三二一一」參照。代匠記には舊訓により、「玉の緒はくくる時にしめるから、思ひ亂れようとする心をしめて忍ぶ意」とある。
〔訓〕 ○うつし心や 白文「嶋心哉」。舊訓シマココロニヤ。宣長(略解所引)の「寫心」の誤とするによる。
 
2793 玉の緒の間《あひだ》も置かず見まく欲《ほ》り吾が思《も》ふ妹は家遠く在りて
 
〔譯〕 間もおかずにいつも見たく自分が思つてをる愛人は、家が遠く隔つてをつて。
〔評〕 結句の字あまりに云ひさしたところに、強調と餘韻とがからみあつてをり、含蓄のある詞遣ひである。
〔語〕 ○玉の緒の間も置かず 玉の緒のは枕詞。緒に貫いた玉と玉とが間を離れずに並んでゐる意。
 
2794 隱津《こもりづ》の澤たつみなる石根《いはね》ゆも通《とほ》しておもふ君に逢はまくは
 
〔譯〕 隱れた處に湧く澤の泉なる水が、石根をもとほすやうに、深く思つてをる。あなたに逢ひたいことを。
〔評〕 上出の「隱處の澤泉なる石根をも通して念ふ吾が戀ふらくは」(二四四三)の類歌。
〔語〕 ○隱津 山澤のかくれた場所。引きこもつた、又は草木の下にかくれて見えぬ處。○澤たつみ 澤にでて湧く水の義と思はれる。にはたづみの類であらう。
 
(456)2795 紀の國の飽等《あくら》の濱の忘貝我は忘れじ年は經ぬとも
〔譯〕 紀の國の飽等の濱の忘貝――自分は愛人を忘れはすまい、年月は經ようとも。
〔評〕 集中の定型をなした序の用法である。
〔語〕 ○飽等の濱 紀伊國。「一一八七」參照。○忘貝 以上「忘れず」にかかる序。「六八」參照。
 
2796 水|潜《くく》る玉にまじれる磯貝の片戀のみに年は經につつ
 
〔譯〕 水底に没してをる玉にまじつた磯貝の――片戀ばかりをして、年は經つて行くことであるよ。
〔評〕 鰒の類を片思ひの譬喩に用ゐたもの。「水潜る玉にまじれる」は、磯貝を美化し、景を敍し、歌の内容を豐富にしてゐる。
〔語〕 ○磯貝 石貝で鰒(略解)、何貝でも石についてゐる貝を廣くさす(古義)等、諸説がある。
 
2797 住吉《すみのえ》の濱に縁《よ》るとふ空石花貝《うつせがひ》實《み》なき言《こと》以《も》ち我《われ》戀ひめやも
 
〔譯〕 住の江の濱に寄るといふうつせ貝のやうに、實のない言葉で自分が戀ひようか。
〔評〕 序は適切、取材は新奇。うつせ貝は集中唯一の例である。「とふ」といふ語があるので、直接見たやうには聞えないが、見てもなかなか歌へないすぐれた技巧を示してゐる。
〔語〕 ○うつせ貝 實なきにつづく序。空になつた貝。(代匠記)○實なき言 眞實の籠らない言葉。
 
2798 伊勢の白水郎《あま》の朝魚《あさな》夕菜《ゆふな》に潜《かづ》くとふ鰒《あはび》の貝の獨念《かたもひ》にして
 
(457)〔譯〕 伊勢の海人が、朝夕の食料にとて、水に潜つて取るといふ鰒の貝のやうに、片思ひであつて。
〔評〕 序の趣向のみの歌。俗諺の源泉の遠さが思はれる。海人の生活まで詠みこんでゐるところに、取材の廣さが知られる。後世の交學では、海人の生活は輕蔑せられてゐて、こんなに眞劍に扱はれたものを見ない。
〔語〕 ○朝魚夕菜に この「な」は、よなよなのなと同じく助詞といふ説(考)もあるが、魚菜の字が用ゐてあるから、副食物として副へる魚菜の意(代匠記初稿本)と解する。○鰒の貝の 鰒の貝殻は一枚であるから、二枚貝に比して、片思の序としたもの。
 
2799 人言を繁みと君を鶉鳴く人の古家《ふるへ》に語らひて遣《や》りつ
 
〔譯〕 人言がやかましいので、あなたを、鶉の鳴くやうな古い他人の空家につれこんで、語をして歸したことである。
〔評〕 田舍人の戀で、前出の「彼方《をちかた》の赤土《はにふ》の小屋に」(二六八三)も聯想される。物足りなさを歎く歌で、ことに野趣が溢れてゐる。
 
2800 旭時《あかとき》と鷄《かけ》は鳴くなりよしゑやし獨|宿《ぬ》る夜は明けは明けぬとも
 
〔譯〕 夜明けになつたと鷄が鳴いてゐる。ええよろしい。獨で寢る夜は、明けるならば明けてしまつても。
〔評〕 惜しくも何ともない、といふ意を含んでをる。素朴單直で、力づよい歌ひ方である。卷十五の遣新羅使人の作中の旋頭歌(三六六二)は、この歌に依つたものと思はれる。
 
2801 大海の荒磯《ありそ》の渚鳥《すどり》朝旦《あさなさな》見まく欲《ほ》しきを見えぬ君かも
 
〔譯〕 大海の荒磯の渚にゐる鳥を朝毎に見るやうに、朝毎に見たく思ふのに、お見えなさらぬあなたであることよ。
(458)〔評〕 序の景が大きく爽やかで、調ものびらかである。萬里の波涛荒磯を噛む雄大さに、渚烏を點じた男性的な美を展開して、通うて來てほしい男を戀ひ慕ふとは、よくも歌つたものである。
〔語〕 ○大海の荒磯の渚鳥 序であることに疑ないが、かかり方に、ついて諸説あり、洲にゐる鳥があさるといふ意で朝な朝なにつづく(管見)、洲崎などにゐる鳥を朝な朝な見たいとつづく(代匠記初稿本)、朝な朝な見るにかかる(新考)等の説がある。最後の説が穩かである。
 
2802 念《おも》へども念《おも》ひもかねつあしひきの山鳥の尾の永きこの夜を
     或本の歌に曰ふ
   あしひきの山鳥の尾の垂《しだ》り尾の長き永夜《ながよ》を獨かも宿《ね》む
 
〔譯〕 いくら思つても、思ひに堪へがたい。山鳥の尾のやうに永い此の夜を。
  或本の歌、山鳥のあの長く垂れた尾のやうにも長い長いこの夜を、ひとりで寢ることかまあ。
〔評〕 戀ふまいとは思ふが、堪へかねて長い夜を惱みとほすといふので、歌格端正、古典的のかをりが懷かしまれる。山鳥の尾は、永いもののたとへとしては上乘のものである。或本の方は、垂り尾とまで疊み重ねて、技巧が多いので、後世特に認められたのであらう。拾遺集に四句を「長々し夜を」とし、人麿の歌として載せられ、有名である。
〔訓〕 ○長き永夜を 白文「長永夜」、舊訓ナガナガシヨヲとある。ながながしは「遠々し越の國」、「かなし妹」等の例もあり、必ずしも誤ではないが、語調から考へて、宣長(詞の玉緒)の改訓によつたのである。
 
2803 里中に鳴くなる鷄《かけ》の喚《よ》び立てて甚《いた》くは鳴かぬ隱妻《こもりづま》はも【一に云ふ、里とよみ鳴くなる鷄の】
 
(459)〔譯〕 里中で鳴いてゐるあの鷄がよび立てるやうに、いたく聲をあげては泣かぬ自分の隱し妻よまあ。
〔評〕 人目を忍んで、戀しさに聲をあげても泣かぬ隱し妻の可憐さ。野趣のある譬喩も巧妙である。鷄の鳴くこゑは野趣を帶びてゐるだけでなく、戀する人には無關心でゐられないのである。
 
2804 高山に?《たかべ》さ渡り高高《たかだか》に我が待つ君を待ち出でむかも
 
〔譯〕 高山にたかべ(小鴨)、が高々と飛び渡るやうに、高々と望をかけて私が待つてをるあなたを、待つてゐて逢ふことができませうかしら。
〔評〕 高山、たかべ、高々、待つ君、待ち出でむと、重ねたところに諧調がある。「白雲の棚引く山の高高に吾が念ふ妹を見むよしもがも」(七五八)、その他の類型の作の秀逸である。内容においても、通うて來る男を象徴したやうな序の力強さを感ずる。
 
2805 伊勢の海ゆ鳴き來《く》る鶴《たづ》の音《おと》どろも君が聞《き》かさば吾《われ》戀ひめやも
 
〔譯〕 伊勢の海から鳴いて來る鶴の――音信でもせめてあなたがお聞きにならば、私はこんなに戀しく思ひませうか。
〔評〕 夫の旅先なる伊勢の海の方から鳴いて來る鶴を眺めつつ、音信をやるべきあてもない心細さを詠じたものか。
〔語〕 ○音どろ 難解の語で定説はないが、おとづれの意(童蒙抄)と解しておく。トドロと關係のある語との解もある。
〔訓〕 ○きかさば 白文「所聞者」、キコエバ、キコサバとよむ説もある。
 
2806 吾妹子に戀ふれにかあらむ沖に住む鴨の浮宿《うきね》の安けくもなし
 
〔譯〕 此の頃自分は、あの女を戀しく思つてゐるからであらうか。沖に住む鴨が、波のまにまに浮寢をするやうに、(460)安らかに眠ることも、できぬことである。
〔評〕 おちついたうまみのある歌で、練達の手腕が思はれる。たとへも斬新であり、「戀ふれにかあらむ」と、我が戀に心づかぬやうにおほどかに云ひなしたのも、一種の技巧である。
 
2807 明《あ》けぬべく千鳥|數鳴《しばな》く白たへの君が手《た》枕いまだ厭《あ》かなくに、
 
〔譯〕 夜が明けるのを知らせるやうに、種々の鳥が頻りに鳴く。あなたの手枕がまだ飽きないのに。
〔評〕 明くる夜の恨みが、かすかに哀韻を含んだ調子にあらはれてゐる。想は後世もよく歌はれたが、二句切で強い調子であることは、後世の企て及ばないところである。
〔語〕 ○千烏しば鳴く 此の千鳥は多くの鳥の意で、「吾が門に千鳥しばなく」(三八七三)と同じとする説(代匠記)が有力である。○白たへの 枕につづく枕詞。
 
   問答《もにたふ》
 
2808 眉根掻き嚔《はな》ひ紐|解《と》け待てりやも何時《いつ》かも見むと戀ひ來《こ》し吾を
     右、上に柿本朝臣人麻呂の歌の中に見ゆ。但、問答なるを以ちて、累ねて茲に載す。
 
〔譯〕 眉を掻いたり、嚔《くさめ》をしたり、着物の紐が解けたり、そなたにも前兆があつて、待つてゐましたか。いつになつ(461)たら見ることが出來ようかと、戀ひ慕うて來た自分を。
〔評〕 次に掲げる人麿歌集中の歌の類歌であるが、これは、愛人を訪ねた男が問ひかけたものである。
〔左註〕 「眉根掻き嚔ひ紐解け待つらむかいつかも見むと念ふ我君」(二四〇八)をさすものと思はれる。
 
2809 今日なれば嚔《はな》ひ嚔《はな》ひし眉|痒《かゆ》み思ひしことは君にしありけり
     右二首。
 
〔譯〕 うれしい今日のために、嚔をしたり眉が痒かつたりしたのでせう。嚔が出、眉が痒くていぶかしく思つてゐたことは、あなたにお目にかかる前兆でありましたことよ。
〔評〕 問はれるままに、逢うた今日の喜びにつけても、思ひ合はされる前兆を語つてゐるのである。上代人の信仰生活を知ることができ、文化史的價値のある問答歌である。
〔語〕 ○嚔ひ嚔ひし 嚔をつづけること。○眉痒み ここは、眉が痒くの意。「ので」の意ではない。○思ひしことは 恠しいと思つたことはの意(代匠記)。
〔訓〕 ○はなひはなひし 白文「鼻火々々之」、諸本「鼻之々々火」では意義が取り難い。目しひのしひとしては假名が疑はしい。暫く代匠記精撰本の朱の修正によつて字を改めることとした。古義は「鼻火之鼻火」と改めてゐる。
 
2810 音のみを聞きてや戀ひむまそ鏡目に直《ただ》にあひて戀ひまくも多く
 
〔譯〕 うはさにばかり聞いて人を戀ふるものであらうか。直接に逢つてこそ、戀ふることも多からう。
〔評〕 理は辛うじて通じるものの、たどたどしい句法である。
〔語〕 ○まそ鏡 普通見とつづくが、それを目に轉用したものと思はれる。
 
(462)2811 この言《こと》を聞かむとならむまそ鏡照れる月夜《つくよ》も闇のみに見つ
     右二首。
 
〔譯〕 この優しいあなたのお言葉を聞かうとでありませう。私もあなたを戀しく思うて、照つてゐる月夜も、涙のために闇のやうにばかり見てをりました。
〔評〕 男の消息に深く感謝をささげたのである。上下の關係が理に適つてをらぬが、女らしい幼い趣きはあらう。前の歌との關係は「まそ鏡」といふ語によつて附けてあるが、しつくりしない點もある。
〔訓〕 ○聞かむとならむ 白文「聞跡牟」、諸説がある。通行本の「乎」を「平」と改める説もある。
 
2812 吾妹子に戀ひて術《すべ》なみ白細布《しろたへ》の袖|反《かへ》ししは夢《いめ》に見えきや
 
〔譯〕 そなたが戀しくてしかたがないので、夢に逢はうと思つて、袖を反して寢たのはそなたの夢に見えたかしら。
〔評〕 當時の俗信に依つた歌。古今集には「いとせめて戀しき時はぬばたまのよるの衣をかへしてぞぬる」とある。古今集の歌もすぐれてゐるが、萬葉の方は熱情があふれてゐて、男性的の強さがある。
〔語〕 ○袖反ししは 袖をかへして寢ると、思ふ人を夢に見るといふ信仰による。「二九三七」參照。
 
2813 吾が背子が袖|反《かへ》す夜の夢《いめ》ならしまことも君に逢へりし如し
     右二首。
 
〔譯〕 あなたが袖を反しておやすみになつた夜の夢でありませう。本當にまああなたにお目にかかつたやうでありました。あなたのお心が通じたものと見えます。
(463)〔評〕 響の物に應ずるが如く答へたと云ふべきである。しつくりと相和して、隙間もない。かう心靈の融會した境地は、幸福の極致であらう。
 
2814 吾が戀は慰めかねつまけ長く夢《いめ》に見えずて年の經ぬれば
 
〔譯〕 自分の戀は、慰めかねたことである。長い間そなたを夢にも見ないで、年が經つたので。
〔評〕 夢にも戀人に逢はぬ恨みを述べたもの。「年の經ぬれば」といふ末句によつて、男の心の惱ましさの程が察せられる。
〔語〕 ○まけ長く 「け」は日の意。まは接頭辭。
 
2815 まけ長く夢《いめ》にも見えず絶えたれど吾が片戀は止《や》む時もあらず
     右二首。
 
〔譯〕 日數長く、夢でも逢はずに中が絶えましたが、私の片思ひは止む時もありませぬ。
〔評〕 互に同じことを言ひつつ相手を恨みあつてゐるやうである。「わが片戀」と答へるところに、男に對する強い恨みが表明せられてゐる。男が「慰めかねつ」と言つてゐるのよりも深刻である。
〔訓〕 ○絶えたれど 白文「雖絶」、舊訓タユレドモ。今、考の訓に從ふ。
 
2816 うらぶれて物な念《おも》ほし天雲《あまぐも》のたゆたふ心吾が念《も》はなくに
 
〔譯〕 憂へしをれて、物思ひをしなさるな。天雲が漂ふやうな浮いた心を、自分はもつてゐないのに。
〔評〕 男らしい確乎たる愛情のあらはれた歌である。二句切の急迫した感じのうちに、所信をしつかりと表白してゐ(464)る點が、まづ女に安心させる所以である。
 
2817 うらぶれて物は念《おも》はじ水無瀬川《みなせがは》在りても水は逝《ゆ》くとふものを
     右二首。
 
〔譯〕 憂へしをれて物を思ひますまい。水無瀬川は、水が無いやうに見えても、やはり水は下を流れて行くといひますものを。人目を忍んで表は絶えたやうに見えましても、心は互に通うてをりますので、物思ひは致しませぬ。
〔評〕 たとへが巧妙で、しとやかさの中に、一脈の才氣をつつんだ女性の面影がうかがはれる。古今集の「水無瀬川在りて逝く水なくはこそ終に吾が身を絶えぬと思はめ」は、これによるものであらう。
 
2818 社若《かきつばた》開沼《さきぬ》の菅《すげ》を笠に縫ひ著む日を待つに年ぞ經にける
 
〔譯〕 開沼の菅を笠に編んで、それを着る日を待つうちに、むなしく年が經つてしまつた。約束は出來たが、晴れて添ふ日を待つうちに年が經つたことよ。
〔評〕 杜若とうたひだした句が、一首を美化してをる。
〔語〕 ○杜若 咲くにかかる枕詞。○開沼 所在不明。從來、佐紀あたりの沼と解せられてゐるが、開のキは甲類、佐紀のキは乙類で相叶はない。「六七五」參照。
 
2819 押照《おして》る難波菅笠《なにはすががさ》置き古《ふる》し後は誰《た》が著《き》む笠ならなくに
     右二首。
 
〔譯〕 難波の菅でつくつた笠は、置きふるしてそれから後に、よその誰が著る笠でありませうぞ。あなた以外には著(465)る人はない。あなたは約束をしただけで老いさせておきますが、老いた後にも結局私は外の誰のものでもなく、あなたのものであります。
〔評〕 才氣頴脱。柔軟腕曲の調子で、男をおどした手腕は非凡である。
〔語〕 ○押照る 難波の枕詞。「四四三」參照。○置き古し 捨てておいて古くし。顧りみないで老いさせたの意。
 
2820 斯《か》くだにも妹を待ちなむさ夜ふけて出で來《こ》し月の傾《かたぶ》くまでに
 
〔譯〕 こんなにおそくなるまでも、そなたが家を出て來るのを氣長く待つてゐよう。夜がふけて、出て來た月が西に傾くまでも。
〔評〕 男が愛人の家の門口のあたりに來て、女のしのび出るのを待つ歌である。
 
2821 木間《このま》よりうつろふ月の影惜しみ徘徊《たちもとほ》るにさ夜ふけにけり
     右二首。
 
〔譯〕 私は早く家を出てあなたに逢はうと思ひましたが、木の間から移つてさして來る月の影が惜しさに、眺めつつあちこち歩き廻つてをるうちに、夜がふけたのであります。
〔評〕 守る人目をうかがふうちに遲くなつたのを、月影を眺めることに云ひなしたのである。婉曲でつつましやかな歌。
 
2822 たく領巾《ひれ》の白濱浪の寄りも肯《あ》へず荒《あら》ぶる妹に戀ひつつぞ居《を》る【一に云ふ戀ふる頃かも】
 
〔譯〕 白濱にうち寄せる浪の――寄りつかれぬほどに、自分を疎んずるそなたに、戀うてゐることである。
(466)〔評〕 情の強いすげない女に云ひ贈つて、機智に富んだ構想である。枕詞は、美しい女性の服装を思ひおこさせる語であつて、内容にふさはしい。
〔語〕 ○たくひれの 枕詞。たくは栲で、穀《かぢ》に同じ。その樹の皮で織つた領巾は白いから白にかかる。○白濱浪の 寄りにかかる序。白濱は地名ではなく、砂の白い濱の意と思はれる。○寄りも肯へず 寄ることも承諾せず。○荒ぶる 心の離れてゆくの意。
 
2823 かへらまに君こそ吾にたく領巾《ひれ》の白濱波の寄る時も無き
     右二首。
 
〔譯〕 却つてあなたこそ私に――白濱波の――寄つて親しくして下さる時もありませぬ。
〔評〕 相手の言葉を取つて巧みにやりかへした手練と云ひ、才氣に滿ちた輕快な歌調と云ひ、「寄り肯へ」ぬ婦人の面目が躍如としてをる。この答歌をよむと、男の歌を利用して強く言つた調子からして、男の方がいつも受太刀であつたらしい。
〔語〕 ○かへらまに かへらまの「ま」は、あはずま、こりずまのまの類で、却つての意(代匠記初稿本)。
 
2824 思ふ人|來《こ》むと知りせば八重|葎《むぐら》おほへる庭に珠|敷《し》かましを
 
〔譯〕 私がお慕ひ申してゐる、あなたがおいでにならうとかねて知つたならば、むぐらが八重におほうてをる庭ではありますが、玉を敷いてお待ちしませうものを。
〔評〕 思ひもかけず訪れた人を歡び迎へる明るい氣分の歌。「一〇一三」「四二七〇」に類歌があるが、この「思ふ人」の歌を模して作つたものであらう。
(467)〔語〕 ○八重葎 八重に繁つた雜草。「七五九」の葎の註參照。
2825 玉敷ける家も何せむ八重葎おほへる小屋《をや》も妹とし居《を》らば
     右二首。
 
〔譯〕 玉を敷いた庭も何にしようぞ。八重むぐらの生ひ繁つてをる小屋であらうとも、そなたと一緒にをりさへすれば、自分は滿足である。
〔評〕 金殿玉樓も何かせむ。相逢うた夜の歡びをのべで、何ものにも代へ難い愛の至情が、清純の光を放つてをる。この問答歌は、皮肉な點がなく、よく融和した明朗な問答である。
 
2826 斯《か》くしつつ在り慰めて玉の緒の絶えて別れば術《すべ》なかるべし
 
〔譯〕 かうして今まで共に暮して慰めあつて來て、しかもこれきり絶えて別れてしまつたならば、悲しくてしかたがありますまい。
〔評〕 家庭生活の和樂を驚かす夫の旅行に、不安な豫感が悲しくひろがつて行くのである。たをやかで哀切の音にしめつた歌調は、消ぬべくも打ち惱む女の面影を寫してをる。旅立つ夫に贈る歌であることは、答の歌によつてはじめて判定がつく。
〔語〕 ○あり慰めて ありは繼續をあらはす、かうしての意。○玉の緒の 絶えの枕詞。
 
2827 紅《くれなゐ》の花にしあらば衣手に染《し》めつけ持ちて行くべくおもほゆ
     右二首。
 
(468)〔譯〕 そなたが紅の花――紅藍花《べにばな》――であるならば、旅衣の袖に染めつけて、著て行きたく思はれる。
〔評〕 當時の風習からは極めて自然な思ひつきであらうが、嘆きに沈んだ美しい妻の姿に、衣に染む紅花が感じられたことと思はれる。女の歌よりも遙かに優美な歌である。
 
  譬喩《ひゆ》
 
2828 くれなゐの濃染《こぞめ》の衣《きぬ》を下に著《き》ば人の見らくににほひ出でむかも
 
〔譯〕 紅の濃く染めた衣を下に著たならば、人が見るのに、色が表にうつり出るであらうか。美しいそなたと契を結んだならば、包み隱してゐても、あらはれて人目に立つであらうなあ。
〔評〕 譬喩は巧妙的確。人目にたつ女の美しさも思はれる。
 
2829 衣《ころも》しも多くあらなむ取り易《か》へて著なばや君が面《おも》忘れたらむ
     右の二首は、衣に寄せて思を喩《たと》ふ。
 
〔譯〕 着物を著變へると人はよく見違へるものであるが、私の着物が澤山あればよい。取りかへて着たならば、あなたは私の顔を見忘れていらつしやるかもしれぬ。あなたのやうな淺いお心では、私の顔をよくも覺えてはおいでなさるまいから。
(469)〔評〕 男の薄情を揶揄した歌。穿つた理屈、鋭い皮肉の中に、衣服を多く持たぬ階級の女の夢想が現はれてゐて、あはれである。
 
2830 梓弓|弓束《ゆづか》卷き易《か》へ中見《なかみ》刺《さ》し更に引くとも君がまにまに
     右の一首は、、弓に寄せて思を喩ふ。
 
〔譯〕 梓弓の古くなつた握革を新しいものに卷きかへ、中見をさして再びお引きになつても、それはあなたのお心まかせです。古い妻であ、る私を新しい妻とおかへになり、その後再び私を妻となさつても、あなたのお心のままで、私は何とも異存を申しませぬ。
〔評〕 一旦他に心のうつつた男の心が、再び向いて來た時に、女の歌つたものと考へられる。
〔語〕 ○弓束卷きかへ 弓束は弓の握り。そこに卷く革を新しいものとかへる意。○中見さし 東大寺獻物帳に、弓について目刺とあるのと關係があらう。目刺は、目じるしをつけることをいふとおもはれる。
〔訓〕 ○中見さし 白文「中見刺」、類聚古集等による。「刺」は舊本「判」に作る。
 
2831 みさご居《ゐ》る渚《す》に坐《ゐ》る船の夕潮を待つらむよりは吾こそ益《まさ》れ
     右の一首は、船に寄せて思を喩ふ。
 
〔譯〕 みさごが居る渚に坐つてゐる船が夕潮を待つてゐるのは、待ち遠いものであらうが、自分があなたを待つのは、更にそれよりも益つてをる。
〔評〕 漁村の戀か。たとへが斬新で、うがつてをる。夕潮を待つは、男が來る夕暮を待つ心に適うてをるやうである。初句は單なる修飾でなく、敍景によつて内容を豐かにしてゐる。
(470)〔語〕 ○渚にゐる船 ゐるは、船が沙に着いて行かぬこと。擱坐。
 
2832 山河《やまがは》に筌《うへ》を伏《ふ》せ置きて守《も》り敢《あ》へず年の八歳《やとせ》を吾《わが》竊《ぬす》まひし
     右の一首は、魚に寄せて思を喩ふ。
 
〔譯〕 山川に魚を取るために筌を伏せて置いて、魚がとれても番がしきれずにゐるのを、長年の間、自分はその魚を盗んで取つてをつた。父母が守つてゐる女に、隙をうかがつて、長年自分は通うてゐた。
〔評〕 野人の生活があらはれた生彩のある譬喩。得意顔の田舍男の風貌が、躍如としてゐる。筌を伏せて魚を捕るのをぬすむといふことが上代人にもあつたのか。後世人にも共鳴させられる野人生活である。
〔語〕 ○筌 魚を捕る竹製の器具。後世うけと云ふ。○年の八歳を 數多の歳の意。
〔訓〕 ○伏せ置きて 白文「伏而」、代匠記初稿本書入に「伏」の下「置」の脱かとある。
 
2833 葦鴨《あしがも》の多集《すだ》く池水|溢《あふ》るとも儲溝《まけみぞ》の方《へ》に吾《われ》越えめやも
     右の一首は、水に寄せて思を喩ふ。
 
〔譯〕 葦鴨があつまる池水は、溢れても、かねて設けてある溝の方へ流れてゆくものであるが、自分は、戀の心があふれて思ひ餘つても、他へ心を移しはせぬ。
〔評〕 譬喩精妙、農人の生活に近い取材で、趣旨は似てゐても「荒磯越え外ゆく波の外《ほか》ごころ吾は思はじ戀ひて死ぬとも」(二四三四)よりも的確で面白い。
〔語〕 ○儲溝 池水の多い時、塘をそこなはないやうに、豫め設け置く溝(代匠記)。
 
(471)2834 大和《やまと》の室原《むろふ》の毛桃|本《もと》繁《しげ》く言ひてしものを成らずは止《や》まじ
     右の一首は、菓《このみ》に寄せて思を喩ふ。
 
〔譯〕 大和の室原の毛桃の幹が繁つてゐるやうに、繁く言ひかはしたのであるから、成就せずには止めまい。
〔評〕 類歌に「愛しきやし吾家の毛桃本しげみ花のみ咲きてならざらめやも」(一三五八)がある。この歌は地名を詠み込んであるだけに、地方的な特殊性がある。
〔語〕 ○室原の毛桃 室原は大和國宇陀郡室生村。室生寺のある地。毛桃は桃の一種で、實に毛のあるもの。
 
2835 眞葛《まくず》延《は》ふ小野の淺茅《あさぢ》を心ゆも人引かあやも吾《われ》無《な》けなくに
 
〔譯〕 眞葛が延ふ野の淺茅を、心のままに人が引くことが出來ようか、自分が無いのではないのに。
〔評〕 古雅の格調のある歌。淺茅を婦人になぞらへたものは、卷七にも「君に似る草と見しより我がしめし野山の淺茅人な苅りそね」(一三四七)がある。
 
2836 三島|菅《すげ》いまだ苗なり時待たば着《き》ずやなりなむ三島|菅笠《すががさ》
 
〔譯〕 三島の菅はまだ苗である。しかし笠に編む時を待つてゐたならば、人に取られて著ずになつてしまふかも知れぬ、あの三島の菅笠を。
〔評〕 菅を若い女に譬へ、まだ早いが、大きくなつてから妻にしようと待つてゐたならば、人に取られてしまふかも知れぬと案じてゐるのである。爽やかな野趣があり、歌詞も流麗である。民謠として三島地方に謠はれたものであらう。
(472)〔話〕 ○三島菅 三島は攝津國八部郡。「一三四八」參照。
 
2837 み吉野の水隈《みくま》が菅《すげ》を編《あ》まなくに苅りのみ苅りて亂りなむとや
 
〔譯〕 吉野の水隈の菅を編みもせずに、刈り取つたばかりで、亂れるにまかせようといふのでせうか。夫婦の約束をしたばかりで、そのままにしておいて、私の心を亂さうとなきるのでせうか。
〔評〕 歌調に、哀怨の旋律がかぼそく流れてをる。結句の「とや」にも、無量の思ひが籠つてゐて、あはれが深い。これを男の歌と解しては、歌の内容の特殊價値を没却してしまふ。
〔語〕 ○水隈 河の曲り入つた處。河隈(七九)に同じ。○編まなくに 笠に編むの意(代匠記)ではなく、薦の意(古義)と思はれる。
 
2838 河上《かはかみ》に洗ふ若菜の流れ來《き》て妹があたりの瀬にこそ寄らめ
     右の四首は、草に寄せて思を喩ふ。
 
〔譯〕 川上で洗ふ若菜が流れて來て、わが思ふ女のおり立つてゐる瀬に寄りとまるが、あのやうに、自分も思ふ人のそばによりたいものである。
〔評〕 河で少女が物を洗つてをる。上流で洗つてをる若菜が流れて來て、少女の手のあたりに寄りとまる。河ぞひの道を通りかかつた若い農人が、それを見て立ちどまつた。ささやかな此の事象は、戀に惱む彼の心をいたく動かしたのである。何げないささやかな事象をとらへて、自分があの若菜であつたらばといふ情をにほはせたところ、たくまざるたくみといふべきである。
 
(473)2839 斯《か》くしてや猶や守らむ大荒木《おほあらき》の浮田の社《もり》の標《しめ》にあらなくに
     右の一首は、標《しめ》に寄せて思を喩ふ。
 
〔譯〕 かうして猶も人を守つてゐることであらうか、自分は、大荒木の浮田の杜の標繩ではないのに。
〔評〕 かけたままで朽ちてゆく浮田の杜の標繩をたとへにとつて、契のみ結んで戀をとげずに年を經るのを嘆じたのである。類歌に、「斯くしてや猶や老いなむみ雪零る大荒木野の小竹にあらなくに」(一三四九)がある。愛する女を他の男に奪はれないやうに守りつづけながら、逢ふことのできぬのは苦しいことであらう。
〔語〕 ○大荒木の浮田の杜 大和國字智郡字智村大字今井の荒木神社といふ。「一三四九」參照。
〔訓〕 ○猶や守らむ 白文「猶八戍牛鳴」、「戍」は紀州本による。「牛鳴」をムと訓むのは玉篇に「牟亡侯切牛鳴」とある。
 
2840 幾多《いくばく》も零《ふ》らぬ雨ゆゑ吾背子が御名《みな》の幾許《ここだく》瀧もとどろに
     右の一首は、瀧に寄せて思を喩ふ。
 
〔譯〕 澤山に零らぬ雨のために(繁くも逢はないのに)、私の思ふかたのお名前が、大變に、瀧もとどろに、世間に言ひ立てられたことよ。
〔評〕 型は前出の「朝東風にゐで越す浪のまさかにも逢はぬものゆゑ瀧もとどろに」(二七一七)に似てをる。しかし、男の名の立つのを悲しんだところに、つつましい女の眞情が現はれてゐて、あはれが深い。女性は、男性よりもわが名を惜しむのが常であるのに、此の歌主の心がけは、けなげである。
 
(474)萬葉集 卷第十一 終
 
(3)萬葉集 卷第十二
 
(5)概説
 
 卷頭に「古今相聞往來歌類之下」とあり、卷十一と共に一部をなしてゐたやうに見えるが、これは、後に二十卷にまとめられた時に附けられたものであつて、上下ではない。
 卷十二は、編纂法を異にする二部より成り、前半は卷十一と同一の部類法をとつてゐるが、後半は、素材も部類法も趣を異にしてゐる。且つ卷十一・十二の兩卷には同じ歌が重出してゐて、一方は正述心緒とし、他方は寄物陳思としてゐることなどから考へるに、兩卷は同一の人があつめたのでないと思はれる。卷十一・十二の重出歌には、「二三九四・三〇八五」「二四九二・二九四七」「二六八一・三一二一」「二七三二・三一六〇」等があり、少異歌には、「二四〇八・二八〇八」「二六八九・三〇四三」「二七四三・三二〇五」等があり、類歌はおびただしい。(萬葉集類歌類句攷參照)
 歌數は三百八十首で、前半は「相聞往來」であり、後半は※[羈の馬が奇]旅に關するものである。前半の「相聞往來」は、柿本人麿歌集所出歌と其の他とにわかれ、人麿歌集所出歌は、正述心緒・寄物陳思の二部、其の他も正述心緒・寄物陳思・問答歌の三部に分たれてゐる。また、※[羈の馬が奇]旅に關するものは、覇旅發思・悲別歌・問答歌と三分せられてゐるが、人麿歌集所出歌は、※[羈の馬が奇]旅發思の中に左註で區別せられてゐる。その部類及び歌數を表示すれば次の如くである。
      人麿歌集所出 正述心緒……………………………………………一〇首
             寄物陳思……………………………………………一三首
 
(6)相聞往來        正述心緒…………………………………………一〇〇首
      其の他    寄物陳思…………………………………………一三七首               問答歌………………………………………………二六首
 
         ※[羈の馬が奇]旅發思  人麿歌集所出…………………四首
※[羈の馬が奇]              其の他………………………四九首            悲別歌…………………………………………………………三一首
         問答歌…………………………………………………………一〇首
 歌の時代及び作者はすべて不明であり、唯一個所左註に「右一首、平群文屋朝臣益人傳云‥‥」とあるにより、時代が推定せられる程度である。歌風から推察するに、藤原時代の作が多く、奈良時代初期に及んでをり、天平の初年にはすでに一卷としてまとめられてをり、それが大伴家にあつて愛誦せられてゐたとおぼしく、大伴家の一族が、模倣してよんだ歌が多い(卷十一もさうである。萬葉集類歌類句攷參照)。なほ天智紀の童謠や催馬樂や古今集の大歌所歌の中に同歌・類似歌の存すること、庶民の生活に關する作が少くなく、それは、民謠風のものの多いことを示してをる。實際に民謠として歌はれてゐたことを證する歌としては、「二四三一」の鴨川が「三〇一八」では能登瀬川に、「二七四三」の枚の浦が「三二〇五」では田籠の浦に謠ひかへて、その土地で謠はれたことを語つてをる。
 卷中の秀歌を抄出する。
  我背子が朝けのすがたよく見ずて今日の間を戀ひ暮らすかも      二八四一
  忘るやと物語りしてこころ遣り過ぐせど過ぎず猶戀ひにけり      二八四五
  里人も謂《かた》り繼ぐがねよしゑやし戀ひても死なむ誰が名ならめや 二八七三
(7)  天地に少しいたらぬますらをと思ひし吾や雄心もなき       二八七五
  立ちて居てたどきも知らず吾が心天つ空なり土はふめども       二八八七
  人の見て言咎めせぬ夢に吾今夜至らむ屋戸さすな勤《ゆめ》      二九一二
  うつせみの常の辭とおもへども繼ぎてし聞けば心惑ひぬ        二九六一
  針はあれど妹しなければつけめやと吾をなやまし絶ゆる紐の緒     二九八二
  ひさかたの天つみ空に照れる日の失せなむ日こそ吾が戀止まめ     三〇〇四
  佐保河の河浪立たず靜けくも君にたぐひて明日さへもがも       三〇一〇
  さ檜の隈檜の隈川に馬駐め馬に水かへわれよそに見む         三〇九七
  おもはぬを思ふといはば眞鳥住む卯名手の社の神し知らさむ      三一〇〇
  み雪ふる越の大山行き過ぎていづれの日にかわが里を見む       三一五三
  いで吾が駒早く行きこそ眞土山待つらむ妹を行きて早見む       三一五四
  國遠み思ひなわびそ風のむた雲の行くなす言は通はむ         三一七八
 次に、庶民の生活に觸れた歌、俗語をよみ入れた歌等を擧げる。
  新墾《にひはり》の今作る路さやかにも聞きてけるかも妹が上のことを 二八五五
  をとめ等が績麻《うみを》の絡?《たをり》打麻《うちそ》懸《か》け績む時なしに戀ひわたるかも                                  二九九〇
  たらちねの母が養《か》ふ蠶《こ》の繭|隱《ごも》りいぶせくもあるか妹に逢はずて 二九九一
  なかなかに人とあらずは桑子にもならましものを玉の緒ばかり     三〇八六
  逢ふよしの出で來むまでは疊薦《たたみこも》重ね編む數夢にし見てむ 二九九五
  水を多み上《あげ》に種蒔き稗を多み擇擢《えら》えし業ぞ吾が獨ぬる 二九九九
(8)  靈《たま》あはば相ねむものを小山田の鹿猪田《ししだ》禁《も》るごと母し守らすも 三〇〇〇
  橡《つるばみ》の衣解き洗ひまつち山もとつ人にはなほしかずけり   三〇〇九
  洗ひぎぬ取替河の河淀のよどまむ心思ひかねつも           三〇一九
  ひさかたの雨のふる日を我が門に蓑笠著ずて來る人や誰        三一二五
  門たてて戸はさしたれど盗人のゑれる穴より入りて見えけむ      三一一八
  馬柵越しに麥はむ駒の詈《の》らゆれど猶し戀しくしのひかてなく   三〇九六
   おのれゆゑ詈《の》らえてをればあを馬の面高ぶだに乘りて來べしや 三〇九八
 この卷の用字法は、人麿歌集所出歌は、卷十一の場合と同じく、文字數が著しく少く、十一字又は十二字のものもある。また、「且今且今《いまかいまか》」(二八六四)「毛人髪《こちた》」(二九三八)「希將見《めづらし》」(二九七一)「景迹《こころ》」(二九八三)「水手《こぎ》」(三一七一)「白銅鏡《まそかがみ》」(三一八五)「異母《いも》」(二九九一)「今夕彈《こよひだに》」(三一一九)「湯鞍干《ゆくらかに》」(三一七四)「一伏三起《ころ》」(二九八八)「結義之《むすぴてし》」(三〇二八)「何時左右鹿《いつまでか》」(二九三五)「犬馬鏡《まそかがみ》」(二九八〇)「馬聲蜂音石花蜘※[虫+厨]荒鹿《いぶせくもあるか》」(二九九一)の如き義訓、借字、戯書が混用せられてゐる。
 
(9)萬葉葉 卷第十二
 
  正《ただ》に心緒《おもひ》を述《の》ぶ
 
2841 我背子が朝けの形《すがた》よく見ずて今日の間《あひだ》を戀ひ暮すかも
 
〔譯〕 私の夫が朝早く歸られる姿をよく見ないでしまつて、今日一日中戀しく思ひ暮すことよ。
〔評〕 類歌、「朝戸出の君が容儀をよく見ずて長き春日を戀ひや暮さむ」(一九二五)はあるが、それよりも感情の切迫した樣が見える。それは第五句、ことに「かも」といふ助詞の強みにかかる。
〔語〕 ○朝けのすがた 朝けは朝明の約、夜明け方。夜が明けて女のところから歸つて行く男の姿。
 
2842 我が心と望みし念《おも》ふ新夜《あらたよ》の一夜も闕《お》ちず夢《いめ》に見えこそ
 
〔譯〕 私自身の心から望んでをります。次々にあらたまつて經過してゆく夜の、一夜も洩れずに夢に見えて下さいませ。
〔評〕 單純に夢の逢ひを望んだ歌。「我が心と望みし念ふ」も「新夜の一夜もおちず」も、共に特殊な表現である。そこに、單純でも強味が加はつてゐる。
〔訓〕 ○のぞみし念ふ 白文「望使念」、ノゾミシオモハバともよめる。武田博士はネガヒシオモハバとよまれた。
 
2843 愛《うつく》しみ我が念《も》ふ妹を人皆の行く如《ごと》見めや手に纏《ま》かずして
 
(10)〔譯〕 愛らしく自分が思ふ女を、世間なみの人が通るのを見ると同じやうに、よそながら見てをらうか。玉のやうに手にもまかないで。
〔評〕 愛人が道を行くのを見て、嘆じた作。第五句は譬喩となつてゐる爲に露骨でなく、女を、玉に譬へてゐるので美しい。
 
2844 此の頃の寢《い》の寢《ね》らえぬは敷細布《しきたへ》の手《た》枕まきて寢《ね》まく欲《ほ》れこそ
 
〔譯〕 此の頃の夜ねむられぬのは、戀しい女の手枕をして寢たく思ふからである。
〔評〕 上代人らしいあらはな感情ではあるが、表現は和やかで、よく練れてをる。露骨なのは、民謠であつたからであらう。
 
2845 忘るやと物語《ものがた》りして意遣《こころや》り過ぐせど過ぎず猶戀ひにけり
 
〔譯〕 忘れるかと思つて、友達と話などして、氣をまぎらさうとするけれども、まぎれずにやはり戀しいことである。
〔評〕 「ますらをは友の騷に慰もる心もあらむ我ぞくるしき」(二五七一)といふ女の歌にこたへたといふ觀がある。悶々の情の切迫した趣が、一首のうちに漲つてゐる。その強さがこの歌の生命である。
 
2846 夜《よる》も寢《ね》ず安くもあらず白細布《しろたへ》の衣《ころも》も脱《ぬ》がず直《ただ》に逢ふまでに
 
〔譯〕 夜も寢ない。心も安らかではない。着物をぬいでゆつくりとも寢ない。直接に戀人に逢ふまでは。
〔評〕 初句と二句と四句で切り、たたみかけて感情の高まりを自ら示して、女に迫るやうな感じのする歌。
〔訓〕 ○夜もねず 白文「夜不寐」、ヨモイネズとも訓める。
 
(11)2847 後も逢はむ吾《われ》にな戀ひと妹は言へど戀ふる間《あひだ》に年は經につつ
 
〔譯〕 「後にでも逢ひませう、私をそんなに戀しく思うて下さるな」と女はいふが、戀しく思ふうちに、むなしく年が經つてゆくことよ。
〔評〕 女の慰めに心たらはず、逢はで空しく過ぎてゆく年月を嘆じなのである。二句は「勿念ひと君はいへども逢はむ時いつと知りてか吾が戀ひざらむ」(一四〇)に似たものがある。
 
2848 直《たた》に逢はず在るは諾《うべ》なり夢《いめ》にだに何しか人の言の繁けむ【或本の歌に云ふ、現にはうべも會はなく夢にさへ】
 
〔譯〕 直接に逢はずにゐるのは尤なことである。夢の中でさへも、どうして人の噂がやかましいのであらうか。
〔評〕 夢の中でなりと逢ひたいが、逢はれぬは、夢の中でさへも人言が繁いとみえるといふので、これが技巧的になつたのが、古今集の「住の江の岸による波よるさへや夢の通路人めよくらむ」である。
 
2849 ぬばたまのその夢《いめ》にだに見え繼ぐや袖|乾《ふ》る日無く吾は戀ふるを
 
〔譯〕 あなたの夢にだけでも、私の姿は毎夜續けて見えてゐるであらうか。袖が乾く日も無く、戀うてゐるのですが。
〔評〕 戀ふる心が相手に通じて、その夢に見えるといふ信仰に基づいてをる。歌詞がしなやかで優婉である。内容、調子、ともに女性らしい作で、殊に三句切であることが歌調をしなやかにしてゐる。
〔訓〕 ○見えつぐや 白文「見繼哉」、ミエツグヤ、ミツギキヤともよめる。
 
2850 現には直《ただ》に逢はなく夢《いめ》にだに逢ふと見えこそ我が戀ふらくに
 
(12)〔譯〕 現實には、直接に逢ふことが出來ぬ。せめて夢にでも逢ふと見えてくれ、これほど自分が戀うてゐるのに。
〔評〕 歌調に小刻みに搖れる快さがある。類歌、「うつつには逢ふよしも無し夢にだに間無く見え君戀に死ぬべし」(二五四四)。
 
  物に寄せて思を陳《の》ぶ
 
2851 人に見ゆる表《うへ》は結《むす》びて人の見ぬ裏紐《したひも》あけて戀ふる日ぞ多き
 
〔譯〕 人に見える上着の紐は結んで、人が見ぬ下着の紐を解きあけて、戀しく思ふ日が多いことです。
〔評〕 紐が解けるのは戀人に逢ふ前兆であるといふ俗信に從つて、自ら下紐を解いておいて、もしや逢へるかと待つ心が、幼くてあはれである。ことに一二句が女らしい。
 
2852 人言の繁《しげ》かる時に吾妹子し衣《きぬ》にありせば下《した》に著ましを
 
〔譯〕 人言が繁くて思ふままに逢はれぬ時に、自分のいとしい女が、着物であつたならば、下に著ようものを。
〔評〕 下に著るといふ意に、人に秘した確得の感が籠つてをる。「斯くのみに在りける君を衣ならば下にも着むと吾が念へりける」(二九六四)の三四句と同趣である。又「四三六」參照。
 
(13)2853 眞珠《またま》つく遠《をち》をしかねておもふにぞ一重衣《ひとへごろも》を一人著て寢《ぬ》る
 
〔譯〕 今強ひて逢はうとはせずに、遠く行末をかけて思へばこそ、一重の着物を唯一人で着て寢ることであるよ。
〔評〕 行末の戀の成就を望んで、妨げが來ぬやうに、現在逢はうとする心をひかへたもので、いはゆる遠き慮のある歌。眞珠つくといふ枕詞も、服装のことに託して歌つてゐる一首にふさはしく、四五句は獨寢のさびしさわびしさが思ひやられてあはれである。
〔語〕 ○眞珠つく 眞珠をつける緒の意で、遠につづく枕詞。○遠をしかねて 將來のことを考へての意。「ねもころに奧をなかねそ」(三四一〇)參照。
〔訓〕 ○眞珠つく 白文「眞珠服」、「服」は古葉略類聚鈔により、訓は考に「附」の誤としてをるによる。通行本等は「眼」とある。○おもひつつ 白文「念」、オモヘレバ、オモヒツツとよむ説もある。
 
2854 白細布《しろたへ》の我が紐の緒の絶えぬ間《ま》に戀結びせむ逢はむ日までに
 
〔譯〕 自分の紐の緒が切れぬうちに、戀結びのまじなひをしよう、逢ふ日まで變りがないやうに。
〔評〕 紐の緒が切れるのは、戀の破れる前兆とする俗信によつて、切れぬうちに戀結びをしておかうといふのである。當時の禁咒《まじなひ》の風習が見られる。
〔語〕 ○白細布の 紐の枕詞。○戀結びせむ 上代には紐や草木などを結ぶ禁咒が行はれたので、神に祈つて結んでおかうといふのである。
 
2855 新墾《にひばり》の今作る路《みち》さやかにも聞きてけるかも妹が上のことを
 
(14)〔譯〕 新しくきりひらいて最近に作つた道の、はつきりしてをるやうに、はつきりと聞いたことである、わが思ふ女の上のことをば。
〔評〕 新道路開拓の事業がおこされた時代の樣を語る序で、文化史的の價値がある。第四句までは路のことを歌ひ、最後に妹のことに飛躍してゐる。そのうつり方の巧みさに魅了せられる。
〔語〕 ○新墾の今作る路 「信濃路は今の墾道」(三三九九)。「今つくる久邇の都は」(一〇三七)と同じく、新に作つたの意。新道は雜草、塵芥などもなく見るからに清いの意で、さやかにかかる序。
 
2856 山城の石田《いはた》の社《もり》に心|鈍《おそ》く手向《たむけ》したれや妹に逢ひ難き
 
〔譯〕 山城の石田の森の神樣に、熱心が足らずに手向をしたから、戀しい女に逢へないのであらうか。
〔評〕 戀人に逢ふことを神に祈つて、かなへられなかつたが、神を恨まずに自己の祈願の熱誠の足らぬことを反省したのが、上代人らしい。
〔語〕 ○山城の石田の社 「山科の石田の社」(一七三一)とあるのと同所と思はれる。宇治郡醍醐村にある。
 
2857 菅《すが》の根のねもころごろに照る日にも乾《ひ》めや吾が袖妹に逢はずして
 
〔譯〕 よく照る日にあたつても乾かうか、泣きぬれた自分の袖は。いとしい女に逢はないで。
〔評〕 「六月の地さへ割けて照る日にも吾が袖乾めや君に逢はずして」(一九九五)に似て、強さにおいて稍劣る。
〔語〕 ○ねもころごろ ねもころに同じ。「五八〇」參照。ここは、よくよく、などの意。
 
2858 妹に戀ひ寢《い》ねぬ朝《あした》に吹く風は妹にし觸れば吾さへに觸れ
 
(15)〔譯〕 愛人を思うて眠らずにあかした朝、吹いて來る風は、愛人に觸れて來たならば、自分にも觸れてくれよ。
〔評〕 せめて愛人に觸れたと同じ風に吹かれて、戀しさをまぎらさう、と云ふのである。古くして永遠に若く新しい詩趣がある。戀ひ明した朝のつめたい風にでも、愛人に觸れる氣特で觸れようとする男の心の弱さ悲しさに同情させられる。
 
2859 飛鳥河《あすかがは》高川避《たかがはよ》かし越え來《こ》しをまこと今夜《こよひ》は明けず行かめや
 
〔譯〕 水が高く出た飛鳥河を避けて、まはり道をして來たのであるから、まことに今夜は夜が明けぬうちは歸らない。
〔評〕 かかる際に夜道は危險であるから、明かして行くといふのである。女のもとに通うて來た男の歌で、何か口實を設けてでも、少しも長くをりたい心もちである。
〔語〕 ○高川避かし 高川は水量の増した河。「避かし」は考の訓であるが、避けるやうにしての意とする。
 
2860 八釣河《やつりがは》水底絶えず行く水の續《つ》ぎてぞ戀ふるこの年來《としごろ》を【或る本の歌に曰く水尾も絶えせず】
 
〔譯〕 八釣河の水底を絶えず流れて行く水のやうに、絶えず戀ひ續けてをることである。此の年頃は。
〔評〕 平明端正の作といふべきである。
〔語〕 ○八釣川 飛鳥の東北、八釣山(二六二)の附近を流れる河。○この年ごろを 「を」は感動の助詞。
 
2861 磯の上に生ふる小松の名を惜しみ人に知らえず戀ひわたるかも
     或本の歌に曰く
   巖《いは》の上に立てる小松の名を惜しみ人には云はず戀ひわたるかも
 
(16)〔譯〕 磯の上に生えてをる小松の――名が立つのが惜しさに、人には知られずに戀ひつづけてをることよ。
〔評〕 一二句はさはやかな感じであるが、序詞の續き方が明らかでない。小松の根と名と音が通ふからとの中山嚴水の説等がある。
 
2862 山川の水陰《みづかげ》に生ふる山草《やますげ》の止《や》まずも妹がおもほゆるかも
 
〔譯〕 山川の水ぎはのかげに生えてゐる山菅の――止まずに、いとしい女のことが思はれる。
〔評〕 清楚な序で、婦人の風姿も聯想される。
 
2863 淺葉野《あさはの》に立ち神《かむ》さぶる菅の根のねもころ誰《たれ》ゆゑ吾《わが》戀ひなくに【或本の歌に云ふ誰葉野に立ちしなひたる】
     右の二十三首は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
〔譯〕 淺葉野に生えて神々しく古めいた菅の根の――かやうにねんごろに戀しく思ふのは誰の故にでもない。ただそなたひとりの爲なのである。
〔評〕 四五句に力がこもつてゐて、男らしい作。
〔語〕 ○淺葉野 未詳。武蔵入間郡とも遠江磐田郡ともいふ。○誰葉野に立ちしなひたる 初二句の異傳。誰葉野は未詳。豐前田河郡の野か。
〔訓〕 ○立ち神さぶる 白文「立神古」古義は「神」の下に「左」の脱としてゐるが、人麿集の歌ゆゑ、省略したと見なして説いた。○戀ひなくに 白文「不戀」舊訓コヒザラム。「一三二〇」の類歌による。
 
(17)  正《ただ》に心緒《おもひ》を述《の》ぶ
 
2864 吾背子を今か今かと待ち居《を》るに夜のふけぬれば嘆きつるかも
〔譯〕 おもふ人のおいでを今か今かと待つてゐるのに、夜がふけてしまふので、私はつい嘆息が出たことである。
〔評〕 幼くありのままで、眞情流露の作。
 
2865 玉くしろ纒《ま》き宿《ぬ》る妹もあらばこを夜《よ》の長けくも歡《うれ》しかるべき
 
〔譯〕 共寢をする女があるならば、夜の長いこともうれしいであらう。獨寢には夜の長いのがわびしい。
〔評〕 「長き永夜を一人かも宿む」(二八〇二・或本)の趣を、反語的に露骨に表現したものである。
〔語〕 ○玉くしろ 釧は手にまくものであるから、捲くの枕詞とした。「四一」參照。
 
2866 人妻に言《い》ふは誰《た》が言《こと》さ衣《ごろも》のこの紐|解《と》けと言ふは誰が言
 
〔譯〕 人妻である私に言ひよるのは、誰の言葉ですか。着物の此の紐を解けといふのは誰の言葉ですか。
〔評〕 上代婦人の貞操觀があらはれた歌で、その繰り返しに凛乎たるひびきがある。男を詰問するにふさはしい語氣である。
 
(18)2867 斯《か》くばかり戀ひむものぞと知らませばその夜は寛《ゆた》にあらましものを
 
〔詳〕 これほど戀しく思ふことと豫め知つてゐたならば、久しぶりで逢うたあの夜は、もつとゆつくりしてゐるはずであつたのに。
〔評〕 たまたま逢うた夜、あわただしく別れた後の戀の烈しさと、胸をさいなむ悔とをうたつて、痛切である。
 
2868 戀ひつつも後も逢はむと思へこそ己《おの》が命を長く欲《ほ》りすれ
 
〔譯〕 かうして戀ひながらも、後にまた逢ふ時があると思へばこそ、自分の命を長かれと願ふのである。
〔評〕 未來に戀の成就の望みをかけて、惱みの中にもおのれの身をいたはりつつ生きる人の聲である。「三九三三」「四一一五」に類想がある。
 
2869 今は吾《あ》は死なむよ吾味《わぎも》逢はずして念《おも》ひわたれば安けくもなし
 
〔譯〕 今はもう自分は死なうよ、わが愛人よ。そなたに逢はないで戀しく思ひ續けてゐると、心が安まるまもない。
〔評〕 逢ふことの出來ぬ苦しみに、むしろ死を欲する強い叫びである。「二九三六」「三二九八」に類歌がある。
 
2870 我背子が來《こ》むと語りし夜は過ぎぬしゑやさらさらしこり來《こ》めやも
 
〔譯〕 あの方が來ようと約束なさつた夜は、空しく過ぎてしまつた。ええもう決して、間違つてもおいでにはなるはずがない。
〔評〕 三句までで事實を着實に説明し、四句五句は腹だたしげにいつたので、切實なさけびといふべきである。
(19)〔語〕 ○しゑやさらさら しゑやは嘆息の語。「一九二六」參照。さらさらは決して決して。○しこり來めやも しこりは頻りの意(代匠記)との説があるが、しそこなひの意(古義)とするのがよい。「買へりし絹の商じこりかも」(一二六四)の「しこり」と同語として、間違つても來られることはあるまいと解する。
 
2871 人言の讒《よこ》すを聞きて玉|桙《ほこ》の道にも逢はじと云へりし吾妹《わぎも》
 
〔譯〕 世間の人が、まちがつたよこしま言をいふのを聞いて、これからは道ででも逢ひますまいと云つたあのいとしい女よ。
〔評〕 人の中傷を信じて腹を立て、もう逢ふまいと拗ねた女の言葉を詠み入れたのである。一つづきの詞を「吾妹」でとどめたところ、一首の調子は強い。
〔語〕 ○讒す 應神紀、齊明紀、催馬樂葦垣にもあり、新撰字鏡に「讒、【毀也、與己須】」とある。あしざまに言ふの意。
 
2872 逢はなくも憂《う》しと念《おも》へばいや益《ま》しに人言繁く聞え來《く》るかも
 
〔譯〕 逢はないのを幸いと思つてゐると、その上に、彌盆《いやまし》に人言が繁く聞えて來ることである。
〔評〕 逢はれぬ苦しみに加へて、人言のかしましさを聞くつらさを眞率に詠嘆して、緊張した歌になつてをる。
 
2873 里人も謂《かた》り繼《つ》ぐがねよしゑやし戀ひても死なむ誰が名ならめや
 
〔譯〕 里人も、後の世まで語り傳へるやうに。ええもうかまはぬ、戀死《こひじに》に死なう。私が戀死をしたならば、その爲に立つのは、誰の名でもない、あななの名である。
〔評〕 無情な相手を脅かしてゐるのである。第四句まで死を覺悟した激しさを歌ひ、更に第五句で寸鐡人を殺すやう(20)に迫つた歌である。「三一〇五」に類歌がある。
 
2874 慥《たしか》なる使を無《な》みと情《こころ》をぞ使に遣《や》りし夢《いめ》に見えきや
 
〔譯〕 しつかりした使がないので、心を使としてやりましたが、夢に見えましたか。
〔評〕 心が通じて夢に現はれるといふ、靈の感應を信じてゐた上代人の心理を語る代表的な作である。
 
2875 天地に少《すこ》し至らぬ丈夫《ますらを》と思ひし吾や雄心もなき
 
〔譯〕 此の天地の廣く大いなるに比べて、少し及ばぬほどの大丈夫であると思つてゐた自分が、此のやうに男らしい心もなくなつたことではある。
〔評〕 理智的にも道コ的にも、反省を加へることが少く、熾烈な戀愛の惱みを詠じた萬葉人も、ただ一つ、ますらを意識、即ち男子の自尊心に立つて反省をした。しかもなほ、敗れてゆく自尊心の痛手に堪へかねて自嘲的になつた歌は、集中に多く、萬葉獨特のものであるが、「天地に少し至らぬ」といふほど丈夫の誇の高調せられた尊大の語句はない。上代人の氣宇を知るに足る作である。
 
2876 里近く家や居《を》るべきこの吾が目人目をしつつ戀の繁けく
 
〔譯〕 人里近くに住んでをるべきではない。この自分の目は、人目を憚つてゐて、戀しさが増すばかりである。
〔評〕 まはりの人間を恐れて、寂しい所に住みたい、といふのである。特異な感想ではあるが、神經のとがつて來た時の作品である。
 
(2877) 何時《いつ》はなも戀ひずありとはあらねどもうたて此の頃戀の繁しも
 
〔譯〕 いつの日どの時刻には戀しく思はずにをるといふのでは無いが、なんとも此の頃は、戀しさが繁いことである。
〔評〕 一首の調子の迫つて強い趣は、強い戀心のあらはれであらう。「二三七三」は類歌である。
 
2878 ぬばたまの宿《い》ねてし晩《よひ》の物|思《もひ》に割《さ》けにし胸は息《や》む時もなし
 
〔譯〕 惱んで寢た夜の物思のために、はり割けた私の胸は、いつまでもなほる時がなく、苦しんでゐることであるよ。
〔評〕 強く烈しい表現は、下の「二八九四」に似てをる。命がけで、全身全靈を戀に打込んでゐる純情に動かされる。
〔語〕 ○ぬばたまの 語を隔てて晩《よひ》につづく枕詞。
〔訓〕 ○いねてし晩の 白文「宿而之晩乃」、ネテノユフベノ、ネテシユフベノともよめる。
 
2879 み空行く名の惜しけくも吾はなし逢はぬ日|數多《まね》く年の經ぬれば
 
〔譯〕 空にものぼるやうに、世間に廣がつてゆく私の浮名をも、今は惜しいとも思ひませぬ。いとしい方に逢はぬ日が多くて、年が經てゆきますので。
〔評〕 逢ひたいといふ一事ばかりで、何よりも惜しい名をも惜しまない、といふのである。類歌、「劔太刀名の惜しけくも吾は無し君に逢はずて年の經ぬれば」(六一六)がある。
 
2880 現にも今も見てしか夢《いめ》のみに袂|纒《ま》き宿《ぬ》と見るは苦しも【或本の歌、發句に云ふ、吾妹兒を】
 
(22)〔譯〕 實際に、今すぐにも逢ひ見たいものである。夢ばかりに、戀人の袂を枕にして寢たと見るのは、苦しいことである。
〔評〕 「夢の逢は苦しかりけり」(七四一)とあるやうに、夢に見るのみでは滿たされぬ官能的情熱をふくんだ歌である。四句、眞賞味をもつてゐる。
 
2881 立ちて居て術《すべ》のたどきも今はなし妹に逢はずて月の經ぬれば【或本の歌に云ふ、君が目見ずて月の經ぬれば】
 
〔譯〕 立つても坐つても、今は何ともしやうがない。いとしい女に逢はずに月が經つてしまふので。
〔評〕 逢はずして月を經る苦しみを詠じた歌。「二八九二」に類歌がある。
 
2882 逢はずして戀ひわたるとも忘れめやいや日にけには思ひ益《ま》すとも
 
〔譯〕 逢はないで戀ひ暮らすとも、忘れようか。いよいよ日ごとに思ひが益すことはあらうとも。
 
〔評〕 笠女郎の「吾命の全けむ限忘れめやいや日にけには思ひ益すとも」(五九五)は、これに依つて一層強く歌つたものである。
 
2883 外目《よそめ》にも君が光儀《すがた》を見てばこそ吾が戀|止《や》まめ命死なずは【一に云ふ、いのちに向ふわが戀止まめ】
 
〔譯〕 よそながらもあなたのお姿を見たならば、自分の苦しい戀心も休まるであらう。命が死なないで。
〔評〕 よそ目にも見たいと願ふ女性らしさが柔かく歌はれてゐて、特殊の境地が拓かれてゐる。このまま君を見ずにゐたら、戀死に死ぬにちがひない。見たらば、死なずに戀止むことが出來よう、といふのである。「六七八」「二九七九」などに似た句法がある。
 
(23)2884 戀ひつつも今日はあらめど玉匣《たまくしげ》明《あ》けなむ明日をいかに暮らさむ
 
〔譯〕 戀ひしく思ひながらも、今日一日はどうやら暮らせませうが、明ける明日の日をばどうして暮らしませうか。
〔評〕 「一九一四」に類歌があり、その方が第二句がすぐれてをる。しかし此の歌の「玉くしげ」の枕詞は、女の歌としてよい。
 
2885 さ夜ふけて妹を思ひ出《で》敷妙の枕もそよに嘆きつるかも
 
〔譯〕 夜がふけて、いとしい女のことを思ひ出して、枕がそよと音を立てるまでも、嘆いたことであるよ。
〔評〕 戀しさに枕を搖がして惱む男の聲があはれである。
〔語〕 ○敷妙の 枕に續く枕詞。○枕もそよに そよは枕の鳴る音の形容。身悶えする爲に音をたてるのであらう。
 
2886 他言《ひとごと》はまこと言痛《こちた》くなりぬとも彼所《そこ》に障《さは》らむ吾にあらなくに
 
〔譯〕 たとひ人言がまことに甚しくなつても、それに妨げられるやうな自分ではない。
〔評〕 男らしい熱情が、明快にあらはれた歌である。一首の調子も、その内容にふさはしく強い。
〔語〕 ○こちたく ひどく、うるさく。○そこに障らむ 其の點に邪魔されるやうな、の意。
 
2887 立ちて居《ゐ》てたどきも知らず吾が意《こころ》天《あま》つ空なり土は踐《ふ》めども
 
〔譯〕 立つても居ても、どうしてよいか、でだても知らないほどに、自分の心は、大空に浮いて居るやうである。足は大地を踏んで居るけれども。
(24)〔評〕 立つても坐つても、なすべき術を知らない苦悶の心理がよくうたはれてゐる。「二五四一」「二九五〇」に類歌があるが、最もすぐれてゐる。
 
2888 世のなかの人の辭《ことば》と思ほすなまことぞ戀ひし逢はぬ日を多み
 
〔譯〕 世間の人の、通り一遍な普通の言葉とお思ひなさるな。眞實戀しく惱んでゐたのである、逢はぬ日が多いので。
〔評〕 我が戀心のまことを表現するすべのないのを嘆じたのである。口に云へば、世間並みの戀といふ語より外には無い。それ故に、「言に云へば耳にたやすし」(二五八一)「戀といへば薄き事なり」(二九三九)といふ嘆聲ともなるのである。眞に命がけの言葉である。
 
2889 いで如何《いか》に吾が幾許《ここだ》戀ふる吾妹子が逢はじと言へることもあらなくに
 
〔譯〕 さあどうして、自分が甚しく戀しく思ふのであらう。いとしい女が逢ふまいと言つたことも無いのに。
〔評〕 一二句は、「二四〇〇」の歌に似てゐるが、更に佶屈である。佶屈なのが、驚いて物言はうとして口ごもり、どもりつついふ調子になつてゐて適切である。
 
2890 ぬばたまの夜を長みかも吾背子が夢《いめ》に夢《いめ》にし見え還《かへ》るらむ
 
〔譯〕 夜が長いために、私の思ふ方が、夢に幾度も繰返し見えるのであらうか。
〔評〕 長い夜を戀人を夢に見つづける獨寢の女の嘆きが、幼なげに表現されてをる。「夢に夢にし」と重ねて、たどたどしい可憐の趣を浮べたのも、ひそかな技巧と思はれる。
〔語〕 ○夢に夢にし 「し」は強意の助詞。頻りに夢に見る意。○見え還る 幾度も見える、の意。
 
(25)2891 あらたまの年の緒長く斯く戀ひばまこと吾が命|全《また》からめやも
 
〔譯〕 年長くこんなに戀しく思ふならば、本當に自分の命は無事でゐることが出來ようか。こがれ死《じに》することであらう。
〔評〕 類歌に「一九八五」がある。形の素朴さから見ると、これが原型ではないかと思はれる。戀愛が必死の努力であることが、如實にあらはれてゐる歌。
 
2892 思ひ遣《や》るすべのたどきも吾はなし逢はずて數多《まね》く月の經ぬれば
 
〔譯〕 思ひを晴らすてだても自分にはない。逢はないで多くの月が經つてしまふので。
〔評〕 「二八八一」「二九四一」に類歌がある。このやうな歌が、その場合々々で少しづつ句を異にして歌はれてゐたもので、上代の民謠の面影が知られる。
〔訓〕 ○あはずてまねく 白文「不相敷」、アハズテアマタとも、アハナクマネクともよまれる。
 
2893 朝《あした》去《ゆ》きて夕《ゆふべ》は來ます君ゆゑにゆゆしくも吾《あ》は歎きつるかも
 
〔譯〕 朝はお歸りになつても夕方には又おいでになるあなたであるのに、そのあなたを思うて、あさましいほど私は歎いたことであるよ。
〔評〕 晝の間だけの別であるのに、それを歎くなどは愼まねばならぬことであらうが、長い別をでもするやうに歎いてしまつたことを、自ら怪しんだのである。自然眞率、しかも哀切。
 
(26)2894 聞きしより物を念《おも》へば我が胸は破《わ》れて推《くだ》けて利心《とごころ》もなし
 
〔譯〕 いとしい女のことを聞いてから、物思ひをするので、自分の胸は、破れて摧けて、今はしつかりした心もない。
〔評〕 萬葉獨特の雄健な詞調の戀の歌である。源實朝の「大海の磯もとどろによする浪われて碎けてさけて散るかも」の四句は、これに依つたのであらうか。
 
2895 人言を繁み言痛《こちた》み我妹子に去《い》にし月よりいまだ逢はぬかも
 
〔譯〕 人言が繁く甚しいので、いとしい女に、前の月から自分はまだ逢はぬことである。
〔評〕 ありのままに詠んだものであるに相連ないが「いにし月より」といふのに苦悶の激しさを歌つてゐる。類歌に「二九三八」がある。
 
2896 うたがたも言ひつつもあるか吾ならば地《つち》には落ちず空に消《け》なまし
 
〔譯〕 自分たちの戀の行末が恐らくあぶないかのやうにそなたは言うてをられる。しかし、他人は知らず、自分は、むなしく失敗することはあるまい。もし成就せぬならば、途中で死んでしまはう。
〔評〕 佶屈苦澁な句法である。下二句は譬喩的ないひざまになつてをる。
〔語〕 ○うたがたも 「うたがた」は、名詞の場合は水沫の意であるが、このやうな副詞の場合は甚だ難解で、古來種々の説がでてゐる。けだし、あそらく、の意で、その下に、不安定に、危げなやうに、の意が添ふものと解したが、「未必」をウツタヘニ、ウタガタモとする古訓があり、かりそめに、が當るとも思はれる。
 
(27)2897 如何《いか》ならむ日の時にかも吾妹子が裳引《もひき》の容儀《すがた》朝にけに見む
 
〔譯〕 いかなる日のいかなる時になつたならば、愛人が裳の裾を長く引いた美しい姿を、朝ごと日ごとに見ることが出來ようか。
 
〔評〕 綿々たる思慕の情を、悠容迫らぬ古雅の調に表現したもの。「いかにあらむ日の時にかも聲知らむ人の膝の上吾が枕かむ」(八一〇)はこれに學んだものか。「吾が枕かむ」に比べると、裳引の容儀《すがた》の方が優美で上品である。
 
2898 獨居て戀ふれば苦し玉|襷《だすき》かけず忘れむ事計《ことはかり》もが
 
〔譯〕 獨をつて戀しく思うてをると苦しいことである。心にかけず忘れる方法があるとよいが。
〔評〕 簡勁明快の句法。「玉だすきかけず忘れむ」もよい。
 
2899 なかなかに黙然《もだ》もあらましをあづきなく相見|始《そ》めても吾は戀ふるか
 
〔譯〕 却つて、逢はうなどとはせずに黙つてゐたらばよかつたのに。詮なくも逢ひ初めて、戀しく思ふことである。
〔評〕 「六一二」の家持の歌は、これを粉本としたものであらう。その他にも、類似の構想の歌がある。戀の情熱は一片の理性によつては、どうにもならぬものであるといふことを語つてゐる。
 
2900 吾妹子が咲《ゑま》ひ眉引《まよびき》面影にかかりてもとなおもほゆるかも
 
〔譯〕 愛人の笑顔と眉引とが、限の前にちらついて、いたづらに戀しく思はれることである。
〔評〕 單純にして平明、調はのびやかである。「ゑまひ」や「まよびき」など、容貌のうちの特色あるものの強い印(28)象がいつまでも去らないのである。
〔語〕 ○眉引 眉墨で畫き引いた眉。○もとな よしなくも、わけもなく、などの意。
 
2901 あかねさす日の暮れぬれば術《すべ》を無み千遍《ちたび》嘆きて戀ひつつぞ居《を》る
 
〔譯〕 日が暮れてしまふと、寂しさにどうしやうも無いので、千度も繰返して嘆息しながら、戀ひ焦れてゐることである。
〔評〕 晝の間は物にまぎれて幾らか薄らいでゐた戀心が、日が暮れると共に、おさへ難くなるといふのは戀する人の常情で、内容は類型的であるが、淡々たる歌ひ方に類を見ないよい味がある。
 
2902 吾が戀は夜晝《よるひる》別《わ》かず百重なす情《こころ》し念《も》へばいたも術《すべ》なし
 
〔譯〕 私の戀は、夜晝の區別もなく、幾重にも繁く思つてゐるので、何ともしやうが無く苦しいことである。
〔評〕 一般的な敍述ではあるが、端正な格調であつて、人麿の「百重なす心は念へど」(四九六)の歌が聯想される。しかし「百重なす」に人麿の歌の樣な美しい修飾がかかつてゐないので、妙味は劣つてゐる。
 
2903 いとのきて薄き眉根《まよね》をいたづらに掻《か》かしめつつも逢はぬ人かも
 
〔譯〕 極めて薄い私の眉をいたづらに掻かせて、いよいよ薄くさせるばかりで、少しも逢つてくれぬ恨めしいお方であることよ。
〔評〕 眉の痒いのは思ふ人に逢へる前兆であるといふ俗信が當時あつたのに基づいて、男の冷淡を怨んでゐる歌。「五六二」の歌はこれを模倣しなのである。
(29)〔語〕 ○いとのきて 甚除きての義で、いやが上に、甚しくなどの意。○かかしめつつも かかせはするものの、唯それだけで。
 
2904 戀ひ戀ひて後も逢はむと慰もる心しなくは生《い》きてあらあやも
 
〔譯〕 戀ひ焦れてゐながら、後には逢へようと自ら慰めてゐるが、この心がもしも無かつならば、かうして生きてゐられようか、生きてはゐられまい。
〔評〕 未來に希望をかけて現在の苦しい戀に堪へてゐる趣は、前の「二八六八」に似てゐるが、端的であり、眞率な點で一段と哀切さを加へてゐる。大伴家持の「七三九」と「四一一五」は、これを典故としたことが明かである。
 
2905 いくばくも生《い》けらじ命を戀ひつつぞ吾は氣衝《いきづ》く人に知らえず
 
〔譯〕 いくらも生きてはゐまい命であるのに、こんなに戀に苦しみつつ自分は嘆息してゐることである。相手の人には知られずに。
〔評〕 無常觀と戀愛の成就し難い焦慮とを綯ひまぜて深い溜息を洩らしたのである。勝鹿の眞間娘子を詠んだ長歌の中にも、「――幾許も生けらじものを 何すとか身をたな知りて――」(一八〇七)とある。しかし、それに比べて「吾は氣衝く」といふ所に、生きることの苦しさの現實感が強く出てゐる。
 
2906 他國《ひとぐに》に結婚《よばひ》に行きて太刀《たち》が緒もいまだ解かねばさ夜ぞ明けにける
 
〔譯〕 遠い地方に住む女のもとに逢ひに行つて、やつとたどり着き、佩《は》いてゐる太刀の紐もまだ解かずにゐるうちに、もう夜が明けてしまつた。殘念なことではある。
(30)〔評〕 八千矛神が越の國の沼河比賣のもとに求婚に行かれた時の長歌は、古事記上卷に載つて居り、記紀歌謠中でも特に著名なものであるが、今のはそれを短歌形式に纒めたといふ觀がある。蓋し、その傳説を詠んだもので、當時の實生活からの取材ではあるまい。スケールが大きくて舞臺効果を期待することのできるやうな内容である。
 
2907 丈夫《ますらを》の聽《さと》き心も今は無し戀の奴《やつこ》に吾は死ぬべし
 
〔譯〕 大丈夫としてのしつかりした氣象も、今は自分には無い。戀といふものの奴隷として、死んでしまふだらう。口惜しい次第である。
〔評〕 戀を擬人化して、その奴隷にわが身をなぞらへたもの。堂々たる大丈夫と自信してゐた身が、戀の驅使に打ち負けるといふ自尊心の苦痛を痛嘆し、腑甲斐なさを自嘲したのである。
 
2908 常|斯《か》くし戀ふれば苦し暫《しまし》くも心やすめむ事計《ことはかり》せよ
 
〔譯〕 常住かやうに戀ひ焦れてゐると、苦しくてやりきれない。せめて暫くでも心の安まるやうな方法を講じてくれ。
〔評〕 戀心の苦しいあまり、助けを求める趣がよくあらはれてゐる。類歌に 「二八九八」がある。「七五六」は、此の歌の模倣である。
 
2909 凡《おほろか》に吾し念《おも》はば人妻にありとふ妹に戀ひつつあらめや
 
〔譯〕 好い加減に自分が思つてゐるのならば、人妻にどうしてかうまで戀ひこがれてゐようか。
〔評〕 人妻に對する戀を、大膽率直に披瀝した歌。表現的技巧は劣つてゐるが、「二一」の「紫の匂へる妹を」といふに同じ内容である。
 
(31)2910 心には千重に百重に思へれど人目を多み妹に逢はぬかも
 
〔譯〕 心の中では千重にも百重にも思ひ續けてゐるけれども、人目が多いので、自分はじつとこらへて、そなたに逢はずにゐるのである。
〔評〕 逢ふ瀬の難い女に切ない心を告げやつたもの、平庸の作ではあるが、眞率である。
 
2911 人目多み眼こそ忍《しの》ぶれすくなくも心のうちに吾が念はなくに
 
〔譯〕 人目が多いので、目の色には表はさぬやうに忍んでゐるのですが、心のうちで私の思つてゐることは、ほんの少しばかりなどといふわけではないのです。
〔評〕 内容は平明であるが、表現が素朴で古色がある。家持の「七七〇」の作は、此の歌の模倣である。類歌に「二五二二」「二五八一」がある。
 
2912 人の見て言咎《こととが》めせね夢《いめ》に吾《われ》今夜《こよひ》至らむ屋戸《やど》閉《さ》すな勤《ゆめ》
 
〔譯〕 人が見ても咎め立てをすることのない夢の中で、自分は今夜そなたのもとへ行かうと思ふ。家の戸は閉めずにおいてくれ、きつと。
〔評〕 遊仙窟の「今宵莫v閉v戸、夢裏向2渠邊1」から著想を得たものと思はれるが、その根底には、夢を現實的なものと考へてゐた上代人の思想も認められる。家持の「七四四」の歌は、彼我の位置を代へた換骨奪胎と見られる。
 
2913 いつまでに生《い》かむ命ぞ凡《おほよそ》は戀ひつつあらずは死なむ勝《まさ》れり
 
(32)〔譯〕 いつまで一體生きてゐる命であらう。どうせ長くもない命だとすれば、大概にいつて、こんなに戀に苦しんでゐないで、いつそ死んでしまつた方がましである。
〔評〕 初二句は「いくばくも生けらじ命を」(二九〇五)と同じ無常觀である。自棄的な情熱を單純率直に打ち上げて、特に結末に力がある。
 
2914 愛《うつく》しと念《おも》ふ吾妹《わぎも》を夢《いめ》に見て起《お》きて探るに無きがさぶしさ
 
〔譯〕 かはゆいと思ふ愛人を夢に見て、本當に逢つたやうな氣がしてゐたに、眼が覺めて、暗闇を手探りに探つて見ると、誰もゐないのが寂しいことである。
〔評〕 遊仙窟に「驚覺攪v之、忽然空v手、心中悵怏、復何可v論」とあるのからヒントを得たものであらう。「七四一」の大伴家持の作は、遊仙窟と同時に、この歌の影響もあらうと思はれる。
 
2915 妹と言ふは無禮《なめ》し恐《かしこ》ししかすがに懸《か》けまく欲《ほ》しき言にあるかも
 
〔譯〕 身分の劣つてゐる自分が、家がらのよいあの女を、「妻」といふのは失禮である、勿體ない。とは云ふものの、やはり「妻」とは、口に懸けていひたい言葉である。
〔評〕 低い階級の人が、おのが身分を顧みながら、なほ抑へ難い戀々の情を吐露したもので、素朴な語句に、切實の感が滿ちてゐる。「妹」といふ言葉の有する微妙な味はひのわかる歌である。
 
2916 玉勝間《たまかつま》逢はむといふは誰《たれ》なるか逢へる時さへ面隱《おもがく》しする
 
〔譯〕 逢はう逢はうといふのは、一體誰なのですか。たまに逢つた時さへ顔を隱して自分に見せないなどとは、逢ひ(33)たがつてゐた人とも思はれない。
〔評〕 嬌羞をおびた娘子の風姿が、明朗の語句聲調に躍如として描き出されてゐる。この歌の字面だけを見ると、女の親しまぬのをなじる樣であるが、女の羞恥心に愛着を感じて歌つたものであらう。
〔話〕 ○玉勝間 玉は美稱。「かつま」は籠。籠の蓋と身の會ふ意から、「逢ふ」の枕詞としたもの。
 
2917 現《うつつ》にか妹が來ませる夢《いめ》にかも吾か惑《まど》へる戀の繁きに
 
〔譯〕 實際に、いとしいそなたが來なさつたのか。それとも戀心の繁さに、夢の中でそなたが來たと自分が錯覺をしてゐるのか、夢と現の區別さへはつきりしないことである。
〔評〕 愛人の意外な來訪を夢かとばかり驚喜した男の激情が、かなり誇張されながら、しかも不自然と感じさせないやうに表現されてゐる。男から女を訪ねるのならば當然であるが、女から男を訪ねたので、男の喜びやうは格別であり、殊に「來ませる」の句で、その女は男より身分も高いらしく考へられるにおいては、男の喜ぶことは尚更である。
 
2918 大方は何かも戀ひむ言擧《ことあげ》せず妹に依り宿《ね》む年は近きを
 
〔譯〕 大體からいへば、何でまあ、こんなに戀しがることがあらう、ありはせぬ。文句なしに、あの女を妻として、よりそふ年はもう近い、のだもの。
 
〔譯〕 恐らくは父母の許可をも得て、公然と妻にする日が近づいて來てゐるのに、なほ頻りに戀しく思ふ心を自ら怪しんだのである。
〔語〕 ○言擧せず 何やかやと論議するまでもなくの義で、ここは、文句なしにの意。「九七二」參照。
〔訓〕 ○年は近きを 白文「年者近綬」。元暦校本等により、古訓によつてよむ。略解は「浸」の誤とし、ヅクと訓(34)んでゐる。
 
2919 二人して結びし紐を一人して吾は解き見じ直《ただ》に逢ふまでは
 
〔譯〕 別れる時に二人で結んだ着物の紐を、一人では自分は解いて見ない、二人がまた直接に逢ふまでは。
〔評〕 旅にある男の歌と解してよくわかるが、必ずしも旅中と見ずともよい。類歌に「一七八九」がある。伊勢物語に女の答へた歌として「二人して結びし紐を一人してあひ見るまでは解かじとぞ思ふ」とあるのは、此の歌が傳説化せられたのである。
 
2920 死なむ命|此《ここ》は念《おも》はずただにしも妹に逢はざる事をしぞ念ふ
 
〔譯〕 戀の惱みに死んでしまひさうな自分の命、これはもう何とも思はない。唯々いとしい女に逢はないことだけを悲しく思ふのである。
〔評〕 死をも恐れぬ激しい戀の熱情を、端的簡勁な詞句格調に表現して力がある。「ここ」といふ代名詞が力強く響いてゐて、効果的である。
〔語〕 ○此は念はず 「死なむ命」を承けて、この點はの意。○ただにしも 「し」は強意、「も」は感動の助詞。
 
2921 幼婦《をとめご》は同《おや》じ情《こころ》に須臾《しましく》も止む時もなく見なむとぞ念ふ
 
〔譯〕 少女子のこの私は、あなたと同じ心もちで、ちよつとの間も絶える時なく、あなたにお逢ひしたいと存じます。
〔評〕 自ら、をとめごと呼んで、戀しさを述べた、素朴純眞、可憐な作である。三四句のかさね方もよい。
〔訓〕 ○幼婦 代匠記には、タヲヤメハと訓んでゐる。
 
(35)2922 夕さらば君に逢はむと念《おも》へこそ日の募るらくも嬉しかりけれ
 
〔譯〕 夕方になつたらば、あなたにお目にかからうと思へばこそ、日の暮れるのも私は嬉しいことであります。
〔評〕 内容語句共に素直にして、稚氣を留めてゐるところ、少女の純情が溢れ出てゐる。
 
2923 直《ただ》今日も君には逢はめど人言を繁み逢はずて戀ひわたるかも
 
〔譯〕 すぐに今日でもあなたに逢へば逢へるでせうけれども、人の噂がやかましいので、逢はずに一人で戀ひ續けてゐることです。
〔評〕 これも初心な女の作で、感情は率直にして純であるが、表現が稚拙であり、四句の「繁み逢はずて」が、所謂句割れになつてゐる。
〔語〕 ○たた今日も 直ちに、今日でもの意。「ただ今夜あひたる子らに」(二〇六〇)の類例がある。
 
2924 世のなかに戀繁けむと思はねば君が袂を纒《ま》かぬ夜もありき
 
〔譯〕 この世の中で、このやうに戀の心が繁からうものとは思はなかつたので、そなたの袂を枕にしない夜もあつたのであつた。(こんなに戀しいものならば、毎晩逢つておくのだつた。)
〔評〕 思ふままに逢はれぬ時は、さほどにも思はず、逢はれぬとなると、むやみに戀しくなるのが人情である。類歌「二五四七」と比べると、解釋もよくわかると思ふが、これの異傳かとも思はれる。
 
2925 緑兒の爲こそ乳母《おも》は求《もと》むと云《い》へ乳《ち》飲《の》めや君が乳母《おも》求むらむ
 
(36)〔譯〕 赤ん坊の爲にこそ、乳母はさがすものと世間では申します。私みたいな婆さんに御執心とは、さてはあなたは乳をお飲みになるので、乳母をお求めなさるのですね。
〔評〕 年下の男に戀をしかけられた女が、輕く相手を揶揄した歌で、まことに巧みな皮肉である。うけとつた方では相當痛かつたことであらうと微笑される。
〔話〕 ○おも おもは元來母のことで「四四〇二」にも母父《おもちち》とあり、乳母は和名抄にチオモとある。さういふべきを、略してオモといつたものと思はれる。
 
2926 悔しくも老いにけるかも我背子が求むる乳母《おも》に行かましものを
 
〔譯〕 殘念にも私は年をとつてしまひましたよ。もつと若かつたらば、あなたのさがしていらつしやる乳母になつて、雇はれて參りませうものを。
〔評〕 前の歌と連作。もう老い果てて乳母にもなれませぬと、婉曲に男の申出を拒んだのである。勿論まだ美くしさは保つてゐたものの、年上の引け目を感じたのであらう。分別のある落ちついた態度で、歌も練熟してゐる。
 
2927 うらぶれて離《か》れにし袖をまた纒《ま》かば過ぎにし戀《こひ》い亂れ來《こ》むかも
 
〔譯〕 心憂く思ひくづほれて、遠のいてしまつた戀人の袖を、今また枕としたならば、過ぎた昔の戀心が再び狂ひ亂れてくるであらうか。さうなつては又苦しいことであらう。
〔評〕 絶えた關係を復活させたらば、再び昔の戀の苦患が身をさいなむであらうと豫想して、躊躇逡巡してゐる複雜な心理である。戀を擬人化して、「亂れ來むかも」と云つたのも面白い。うらぶれて離れたといふ句のうちには、深い事情や、苦しい立場も想像することができる。
(37)〔語〕 ○過ぎにし戀い ずぎにしは、過ぎた昔のあきらめてしまつてゐる戀。「い」は助詞。「それが」と主格を強く示す。「志斐いはまをせ」(二三七)參照。
〔訓〕 ○戀い 白文「戀以」。「以」は元暦校本による。通行本には「也」とあるが、「や」では下の「かも」と打合はない。
 
2928 己《おの》がじし人|死《しに》すらし妹に戀ひ日にけに痩せぬ人に知らえず
 
〔譯〕 人は各々自分の心からして死にもするものらしい、自分はあの女にこれほど戀ひ焦れて、日増しに痩せてしまつた、相手には知られずに。
〔評〕 なるほど戀死《こひじに》といふことはあるらしい、自分もこの樣子では、やがて死ぬであらうと、片戀に惱む心弱い男の感傷である。笠女郎の「五九八」の歌はこれを粉本としたものと思はれる。
 
2929 夕夕《よひよひ》に吾が立ち待つに若《けだ》しくも君來まさずは苦しかるべし
 
〔譯〕 毎晩毎晩、私が門口に立つてお待ちしてゐますのに、もしや今夜もあなたがいらつしやらなければ、私は苦しいことでありませう。
〔評〕 來ぬ夜あまたの男を待つあいなだのみは、若い初心な娘子にとつて、堪へ難い苦痛であらう。哀韻長く、女性的な弱々しさを語つてをる。
 
2930 生《い》ける代に戀とふものを相見ねば戀の中《うち》にも吾ぞ苦しき
 
〔譯〕 今までの自分の生涯に、戀といふものに嘗て出會つたことがなかつたので、今出あつてみると、凡そ世の人の(38)する戀の中でも、自分のが最も苦しいとおもふ。
〔評〕 初めて戀を知つた人の告白として端的率直であり、その物々しい表現の中に純な稚氣を藏してゐて微笑を誘ふ。
 
2931 念《おも》ひつつ坐《を》れば苦しもぬばたまの夜《よる》に至らば吾こそ行かめ
 
〔譯〕 あなたのことを、一所懸命思ひながらじつとして居るのは、苦しいことです。夜になりましたら、私の方から思ひきつて出かけて參りませう。
〔評〕 男の來るのを待ちかねて女が男の方へ出かけようといふのである。待ちかねる焦慮が、結句の大膽な詞句の中によく現はれてゐる。
 
2932 情《こころ》には燃《も》えておもへどうつせみの人目を繁み妹に逢はぬかも
 
〔譯〕 心の中では燃えるやうに戀ひ慕つてゐるけれども、世間の人目が多いので、自分は女に逢はないでゐるが、苦しいことである。
〔評〕 「二九一〇」の作に比較すると、二句と四句とに段落をおいた調子が上代的に整つてはゐるが、平庸の作である。
 
2933 相思はず君は坐《ま》さめど片戀に吾はぞ戀ふる君が光儀《すがた》に
 
〔譯〕 あなたは何とも私のことを思つていらつしやらないでせうが、私は、片思に戀ひこがれて居ります、あなたのお姿を。
〔評〕 ありのままの情を素直に述べて、女らしい優しさの中に熟と力がこもつてゐる。
〔訓〕 ○まさめど 白文「雖座」、マセドモ、イマセドともよめる。
 
(39)2934 あぢさはふ目には飽けども携《たづさ》はり車問はなくも苦しかりけり
 
〔譯〕 いとしい人の姿を目では飽きるほど見てゐるけれども、互に手を取りあつて語らふことがないといふのも、實に苦しいことである。
〔評〕 眼前になつかしい姿を見てゐながら、親しい言葉もかはされない焦慮は堪へ難い。身分の相違か、まだ戀の十分に發展せぬためか、とにかく、もどかしいことである。
〔語〕 ○あぢさはふ 「め」につづく枕詞。「一九六」參照。「うまさはふ」と訓む説もある。
〔訓〕 ○事とはなくも 白文「不問事毛」、トハレヌコトモ、コトトハザルモともよめる。
 
2935 あらたまの年の緒永く何時《いつ》までか我が戀ひ居《を》らむ壽《いのち》知らずて
 
〔譯〕 年月長く、いつまでまあ、あの人を戀してゐることであらうか。命の限あることも知らないで。
〔評〕 秘めた戀を切り出しかねてゐる心弱さを自ら叱りつつ、猶且ためらうてゐるのである。「二三七四」と同趣である。氣の早い現代人と比較して味はふと興味がある。
 
2936 今は吾《あ》は死なむよ我背戀すれば一夜一日も安けくもなし
 
〔譯〕 今はもう私は死んでしまひませうよ、あなた。こんなに戀ひ焦れてばかりゐると、ただの一日一夜も心の安らかなことがありませぬ。
〔評〕 頗る情熱の高ぶつた歌であるが、「今は吾は死なむよ吾妹逢はずして念ひわたれば安けくもなし」(二八六九)とは、女の歌になつてゐるだけの相違である。三四句の表現に少し細かい點はあるが、要するに何れかが臨機に古歌(40)を少し改作して借用したのであらう。
 
2937 白細布《しろたへ》の袖折り反《かへ》し戀ふればか妹が容儀《すがた》の夢《いめ》にし見ゆる
 
〔譯〕 着物の袖を折り反して寢て、これほど戀しがつてゐるからであらうか、いとしい女の姿が夢に見えることよ。
〔評〕 當時の袖は手よりも裄が長かつたので、たやすく折り反されたのである。袖を折り反して寢ると、思ふ人と夢に逢へるといふのは當時の俗信であつた。逢瀬稀なる仲をはかなんで、男が袖を反して寢るといふやうな婦女の態を學ぶのも、戀なればこそである。
 
2938 人言を繁みこちたみ我背子を目には見れども逢ふよしもなし
 
〔譯〕 人の噂が繁くうるさいので、いとしいお方を目には見てゐるけれども、逢ふてだてもない。
〔評〕 類型的で平庸の作である。類歌なる「二八九五」の作に比すれば、格調の緊密な點をまされりとすべきであらう。
〔訓〕 ○こちたみ 白文「毛人髪三」、コチタミと訓む理由は、毛人は蝦夷即ちアイヌで、蝦夷は身體に毛が多いので、その髪のうるさいほど澤山ある意から、義訓にしたので、集中唯一の用例である。
 
2939 戀といへば薄《うす》き事なり然れども我は忘れじ戀ひは死ぬとも
 
〔譯〕 一口に戀と云へば、淺い無雜作なことのやうである。けれども、私のは尋常一樣の戀ではないので、決して忘れない、たとひ戀ひ死をしようとも。
〔評〕 初二句、自己の思を表現するに言葉の足らぬことを歎じてゐるが、この感は、時に臨んで何人も經瞼する所で(41)ある。「言に云へば耳に容易し」(二五八一)、「旅といへば言にぞ易き」(三七四三)なども思ひ合せられる。
 
2940 なかなかに死なば安けむ出づる日の入る別《わき》知らぬ吾し苦しも
 
〔譯〕 却つて死んでしまつたらば安らかにならう。物思の爲に茫然としてをつて、出て來た太陽が入るやら入らないやら、晝夜の區別も分らずに戀に惱んでゐる私は、實に苦しいことである。
〔評〕 三四句は甚しい誇張であるが、それを空疎な技巧と感ぜしめないのは、奔流の如き熱情と緊張した修辭との力に外ならない。
 
2941 念《おも》ひ遣《や》るたどきも我は今は無し妹に逢はずて年の經行けば
 
〔譯〕 この苦しい思を晴らすてだても、自分にはもはや無い。いとしい女に逢はないで、年月が段々過ぎて行くので。
〔評〕 これも珍しい内容ではなく、語句も類型が多い。本卷にも、「二八八一」「二八九二」などがあつて、互に甲乙のない作である。
 
2942 吾背子に戀ふとにしあらし小兒《みどりご》の夜哭《よなき》をしつつ宿《い》ねかてなくは
 
〔譯〕 わが思ふ人に、戀ひこがれてゐるのであるさうな。子供のやうに、毎晩私が夜泣をして、寢ることができないのは。
〔評〕 この頃めつたに通つて來ぬ男を恨む趣である。夜毎に戀泣をするのを、子供の夜泣に譬へたのは面白く、「吾背子に戀ふとにしあらし」とさりげなく他事のやうに云ひなしてゐる所に、却つて抑へられるだけ抑へてゐる情炎がほの見える。
 
(42)2943 我が命の長く欲《ほ》しけく僞を好《よ》くする人を執《と》らふばかりを
 
〔譯〕 私の命の長かれと望まれることであります。來るといつて來ない、さういふうその上手なあなたをつかまへて、責めて上げることが出來るまで。
〔評〕 男に捨てられた女が、男に執りついてやる爲に生きてゐたいといふのであるが、凄味よりも辛辣な皮肉に聞えるので、受取つた男はその意味で悚然たるものがあつたらう。讀者は輕いユーモアを感じて洒脱な年増女の風?を想像するのである。
 
2944 人言を繁みと妹に逢はずして情《こころ》の裏《うち》に戀ふる此の頃
 
〔譯〕 人の噂がうるさいので、いとしい女に逢はないでゐて、心のうちで此の頃は頻りに戀ひ焦れてゐることである。
 
〔評〕 平易素朴といふのみで、特に優れた點もない。「一七六八」と四五句が同じい。
 
2945 玉|梓《づさ》の君が使を待ちし夜の名殘ぞ今も宿《い》ねぬ夜の多き
 
〔譯〕 戀しいお方からの便りの使が來るのを待つてゐた毎夜の習はしの名殘で、仲の絶えてしまつた今でも、寢られない晩が多いことである。
〔評〕 既に男と仲の絶えた後も猶、樂しかつた當時の追憶に生きてゐる女心があはれである。「二五八八」の歌の異傳といふ説もあるが、別の歌であらう。
〔語〕 ○玉梓の 「使」にかかる枕詞。「二〇七」參照。
 
(43)2946 玉|桙《ほこ》の道に行き合ひて外目《よそめ》にも見ればよき兒を何時《いつ》とか待たむ
 
〔譯〕 途中で行き逢つて、ちよつと外目に見たたけでもかはゆいあの女を、わが手に入れる日を、いつと當てにして待たう、氣がかりなことである。
〔評〕 道行く美しい少女を見初めて思を懸けた歌である。どうして手に入れようか、果してわが掌中の珠となるであらうか、希望と不安との交錯した心持が讀まれる。
〔語〕 ○玉桙の 「道」の枕詞。○よそ目にも ちよつとよそ目に見ただけでも、の意。
 
2947 おもふにし餘《あま》りにしかば術《すべ》を無み吾は言ひてき忌《い》むべきものを
     或本の歌に曰く、門に出でてわがこい伏すを人見けむかも。一に云ふ、すべを無み出でてぞ行きし家のあたり見に。柿本朝臣人麻呂歌集に云ふ、鳰鳥のなづさひ來《こ》しを人見けむかも。
 
〔譯〕 心のうちに思ひ餘つたので、何とも仕方がなくて、自分はいとしい女の名を云つてしまつた。忌みつつしみ、愼重にしなくてはならなかつたものを。
 或本の歌−門口に出て自分が轉び臥したのを、人が見たことだらうかなあ。
 一に云ふ−何とも手段がなくで、遂に自分は出て行つた、女の家のあたりでも見ようと思つて。
 人麿歌集−鳰鳥が川を難儀してのぼる如く、苦勞してやつて來たのを、人が見つけたであらうかなあ。
〔評〕 左註に示すやうにこの歌に類した歌が澤山あつたことが知られる。これは民謠の一の特色である。他にも「二四九二」「二四四一」があつて、右の二首をとつて一つにしたやうな作である。
〔語〕 ○わがこい伏すを 放心?態で、つい立つてゐられず、轉び仆れてゐるのを。「こい」は轉ぶ意。
 
(44)2948 明日《あす》の日は其の門行かむ出でて見よ戀ひたる容儀《すがた》數多《あまた》著《しる》けむ
 
〔譯〕 明日は、そなたの家の門前を通るであらう。出て御覽なさい。そなたを戀ひ慕つてやつれはてた自分の姿が、大へんよくわかることであらう。
〔評〕 異色のある句法で、一見無器用なたどたどしい表現のやうでゐて、句切れが多く言葉のぶつぶつ切れてゐるのは、感情の切迫した趣を現してゐる。住吉物語の「君が門今ぞ過ぎ行く出でて見よ戀する人の成れるすがたを」は、この歌の改作で、流麗優雅ではあるが、原型の素朴さには及ばない。
 
2949 うたてけに心|欝悒《おはほ》し事計《ことはかり》よくせ吾背子逢へる時だに
 
〔譯〕 私は益々ひどく心が憂欝になつてまゐります。取り成しをもつとよくして下さいませ、あなた。かうしてたまに逢つてをります時だけでも。
〔評〕 たまたま逢つた時さへ、どうした事か、わつさりと打ち解けてくれぬ男に、愛撫を要求してをる。簡潔の句を連ねながら、甘い媚態が目に見えるやうで、男の心を搖り動かさずにはおかなかつたであらう。
〔語〕 ○うたてけに 殊更に、益々甚しくなどの意。○事計 「つぎて相見む事計せよ」(七五六)ともあつて、事の計畫の義であるが、ここは取り成し、愛撫を意味する。
 
2950 吾妹子が夜戸出《よとで》の光儀《すがた》見てしより情《こころ》空《そら》なり地《つち》は蹈めども
 
〔譯〕 自分のかはゆい女が、夜分外へ出て行く美しい姿を見てから、恍惚として氣もそぞろである。足は土を踏んでゐるけれども。
(45)〔評〕 愛人の夜戸出の姿をちらと見て、その美しさに引きつけられたのである。四五句は、「二五四一」「二八八七」にも類歌がある。
 
2951 海石榴市《つばいち》の八十《やそ》の衢《ちまた》に立ち平《牡ら》し結びし紐を解かまく惜しも
 
〔譯〕 海石榴市の幾つにも道のわかれた辻の廣場で、歌垣の中にまじつて地を踏みならし踊りつつ、男の結んでくれた着物の紐を、今解くのは惜しいことである。
〔評〕 歌垣の場で親しくなつた男に結んで貰つた紐を、その後男との中は絶えてか、一人して解かうとしつつ、過ぎし樂しい會合を偲んで、解きかねてゐる心もちであらう。或は新しい求婚者の爲に解かうとするのは惜しいといふ解釋もある。いづれにしても甘い哀愁に滿ちて、上代の風俗のしのばれる作である。但、この歌を歌垣の歌とするのは何の證據もないといふ説もある。しかし、歌詞に歌垣といふ語は見えないが、歌垣の場合と考へることが適當な内容である。
〔語〕 ○海石榴市 今の大和國磯城郡三輪村大字金屋の地。武烈紀にも「海柘榴市巷」と見え、古く繁華の地で、歌垣も行はれた。下なる「三一〇一」にも見え、平安朝の枕草紙の「市は」の條にも、源氏物語玉鬘の卷にも見えてをる。海石榴は椿で、市に椿が植ゑてあつたから、この名がついたのであらう。
 
2952 吾が齡し衰へぬれば白細布《しろたへ》の袖の狎《な》れにし君をしぞ念《おも》ふ
 
〔譯〕 私の齡がこんなに衰へてしまひましたので、永い間馴れ親しんで來たあなたを、いよいよ懷かしく思ひます。
〔評〕 年たけて、多年馴れ親しんだ連れ合ひがいよいよ戀しくなるといふ、いかにも上代人らしいまめやかな述懷である。
(46)〔語〕 ○白細布の袖の 衣の古びたのを「褻《な》る」といふに馴るをかけて、次の句の序としたもの。
〔訓〕 ○君をしぞ念ふ 白文「君乎准其念」、「君乎」の下に「母」の字が諸本にあるが、衍字とする説に從ふ。「准」は集中他に用例のない字であるが、字音辨證によつて「シ」とよむこととする。
 
2953 君に戀ひ吾が哭《な》く涙しろたへの袖さへひぢて爲《せ》む術《すべ》もなし
 
〔譯〕 あなたを戀ひ慕つて、私の泣く涙に、衣の袖までも濡れて、何とも致し方がありませぬ。
〔評〕 「二五四九」の歌に似てゐるが、「せむすべもなし」の一句が、女性の心のせつなさをあらはしてあはれである。
 
2954 今よりは逢はじとすれや白妙の我が衣手の干《ふ》る時もなき
 
〔譯〕 もうこれからは、あなたが私に逢ふまいとなさるからであらうか、私の着物の袖は涙で乾く時もありませぬ。
〔評〕 不思議なまでに涙が落ちるに、不吉な豫感を覺えた特殊な感慨であらう。
 
2955 夢《いめ》かと情《こころ》は惑《まど》ふ月|數多《あまた》離《か》れにし君が言の通へば
 
〔譯〕 夢ではないかと、私は驚きと喜びとで、心がどぎまぎして迷ひました。幾月も打ち絶えてゐたあなたのお便りがありましたので。
〔評〕 空谷の跫音とは、まことにかういふ場合をいふのであらう。「二六〇一」に似て、彼は偶然の會合であるが、此は男の誠意からである。夢かと喜んだ女の心持がよく分る。初二句でいきなり高潮した感情を叫びあげた句法、その初句の字足らずなど、皆作者の此の時の息づかひを感ぜしめる。
 
(47)2956 あらたまの年月かねてぬばたまの夢《いめ》にぞ見えし君が容儀《すがた》は
 
〔譯〕 永い年月かけて、久しい間私の夢に見えてゐたのです。なつかしいあなたのお姿は。
〔評〕 極めて單純な内容で、特異な點もなく、殊に枕詞の靈感を覺えることの少くなつた後世人には、あまりぴんと來ない歌である。
〔訓〕 ○夢にぞ見えし 白文「夢爾所見」。舊訓、ユメニぞミユルとあるが、新考にミエシと過去に訓み、始めて逢ひし時の歌なりと註してゐるによる。
 
2957 今よりは戀ふとも妹に逢はめやも床《とこ》の邊《べ》離《さ》らず夢《いめ》に見えこそ
 
〔譯〕 旅に出てしまつたらば、今からはどんなに戀しく思つても、そなたに逢ふことがどうして出來よう。だから、自分の床のあたりを離れず、いつも夢に姿が見えてくれよ。
〔評〕 暫く女に別れて旅立つ時の作であらうか。四五句は「二五〇一」と全く同じである。
 
2958 人の見て言とがあせぬ夢《いめ》にだに止《や》まず見えこそ我が戀|息《や》まむ【或本の歌頭に云ふ、人目多み直にはあはず】
 
〔譯〕 人が見て咎めだてをしない夢の中にでも、せめて愛する女の姿が絶えず見えてくれ。さうしたらば、私の遣瀬ないこの戀心も少しはおちつきやすまることであらう。
 或本の歌−人の見る目が多いので、直接にはあの女と逢はれない。
〔評〕 人目の關のきびしさに、せめては夢の世界の自由でも樂しまうといふのである。「二九一二」と一二三句は殆ど同じである。
 
(48)2959 現には言絶えにたり夢《いめ》にだに續《つ》ぎて見えこそ直《ただ》に逢ふまでに
 
〔譯〕 現實にはあのお方と消息をかはすことも絶えてしまつた。何とかして夢にでも續いてお姿が見えてほしい。再び縁があつて直接にお逢ひすすまでは。
〔評〕 故あつて一旦は絶えた仲であるが、女は斷念してゐない。互の仲の復活をあいなだのみに待つて、せめてそれまでは夢にでも愛する人の幻影を守らうといふ心があはれである。「八〇七」「二五四四」「二八五〇」など類歌も多いが、結句の眞實さが此の歌の勝る點である。
 
2960 うつせみの現《うつ》し情《ごころ》も吾は無し妹を相見ずて年の經ぬれば
 
〔譯〕 生きてゐる人間の正氣な心も、今ではもう自分は無くなつてしまつた。いとしい女と逢はずに年が經つたので。
〔評〕 平板の作で、「二三七六」をはじめ、類似の趣の歌が多い。
 
2961 うつせみの常の辭《ことば》とおもへども繼《つ》ぎてし聞けば心|惑《まど》ひぬ
 
〔譯〕 あなたのおつしやることは、世間の人の竝々のお世辭とは思つて居りますけれども、續いてお聞きすると、或は本當かなあと、何だかわからなくなつてしまひました。
〔評〕 相手の甘い言葉を、氣安めかお世辭かとは聞きながらも、やはりいつとなく引入れられてゆくのは、戀する人の弱みである。人情の機微と捉へた歌である。
 
2962 白たへの袖|數《な》めずて宿《ぬ》るぬばたまの今夜《こよひ》ははやも明けば明けなむ
 
(49)〔譯〕戀しい女と袖をならべないで、自分獨寢る今夜は、早く明けるなら明けてしまつてくれ。
〔評〕 獨寢のわびしさを詠んでゐるが、語氣から推すと、いつも獨寢がちといふのでなく、寧ろたまの獨寢に腹立つてゐるやうな稚氣が見える。
〔訓〕 ○袖なめずてぬる 白文「袖不數而宿」。細井本による。「馬數而《ウマナメテ》」(四)とあるによつてよんだ代匠記の説による。古義は義訓としてソデカレテヌルと訓む。
 
2963 白たへの袂ゆたけく人の宿《ぬ》る味寐《うまい》は寢《ね》ずや戀ひわたりなむ
 
〔譯〕 袂をゆつくりとして、うちくつろいで人の寢る快い安眠はせずに、戀ひつづけてゆくことであらうか。
〔評〕 戀の悶えに安眠の出來ぬ嗟嘆であつて、初句から四句へかけての表現は巧妙である。但、三四句は「二三六九」の一二句にもあるが、その前後は分らない。
 
  物に寄せて思を陳《の》ぶ
 
2964 斯くのみに在りける君を衣《きぬ》ならば下にも著むと吾が念《も》へりける
 
〔譯〕 こんなにまあ薄情だつたあなたなのに、さうとは知らず、もしあなたが着物ででもあつたら、こつそり下に着て肌身離すまいと私は思つてゐたことでした。くやしいことです。
(50)〔評〕 男の無情を恨みつつも、猶纒綿の情緒を絶たぬところ、女性心理を語つてゐる。下に著るには、他人に秘して確得する意と、肌身を放さぬ愛撫の情とが籠つてをり、譬喩が適切でよい。手法は「三八〇四」と同型である。
 
2965 橡《つるばみ》の袷の衣《ころも》裏にせば吾《われ》強《し》ひめやも君が來《き》まさぬ
 
〔譯〕 橡染の袷の裏のやうに、あなたを裏にして粗末に思ひますならば、何の私が無理にあなたの御出を願ひませうぞ。こんなに大事に思つて居りますのに、あなたはお出で下さいませぬことよ。
〔評〕 心から思ひ慕ひつつ待つに猶來ぬ愛人を恨む歌。賤者の着る橡染の衣を序にとつたのは、作者の身分を語つてゐるものであらうか。語句の素朴にして修辭も洗煉されてゐないながら、眞實味の濃厚な點からも、さう感じられる。
〔語〕 ○橡の袷の衣 橡はドングリの笠で染めた色。「一三一一」參照。以上「裏」にかかる序。
 
2966 くれなゐの薄染衣《うすぞめごろも》淺らかに相見し人に戀ふる頃かも
 
〔譯〕 くれなゐの薄染の着物ではないが、あつさりと氣にも留めずに互に見てゐた人に、どうしたものか、この頃頻りに戀心が湧いて來たことである。
〔評〕 今までさほど心に懸けてもゐなかつた人に、次第に深い愛着を感じて行くといふ心持の自然さが、巧みに表現されてゐる。この序は、下の「桃花褐《ももぞめ》の淺らの衣淺らかに」(二九七〇)と共に、相手の婦人の服装から直ちに取り用ゐたものと思はれ、その麗人の容姿も想像されるやうである。
 
2967 年の經ば見つつ偲《しの》へと妹が言ひし衣の縫目《ぬひめ》見れば哀《かな》しも
 
〔譯〕 旅に出て年が經つならば、これを見て私を思ひ出して下さいといつて、妻が縫つてくれた着物の縫目が、今は(51)もう綻びかかつて來たのを見ると、家が戀しくて悲しいことである。
〔評〕 綻びかかつた旅衣の縫目に涙する遊子望郷の情、あまりに感傷に過ぎると見るのは、時代を解しないものである。行路の不安、宿舍の不便は、今日から到底想像も及ばなかつたのである。
 
2968 橡《つるばみ》の一重の衣《ころも》うらもなくあるらむ兒ゆゑ戀ひ渡るかも
 
〔譯〕 橡の一重の着物ではないが、うらもなく無邪氣でゐるやうなあの女なので、かはゆくて自分は戀ひ暮してゐることである。
〔評〕 純眞にして無邪氣な女性は、まことに現世の光であり、花である。それに戀する資格のある者は、やはり純情の若人でなければならない。この作者はその人といつていい。美しい眞實の歌である。
〔語〕 ○うらもなく 心の表裏なしの意といふ説(古義)はよくない。「うら」は心の意で、何心なく、無心にの意。
 
2969 解衣《ときぎぬ》のおもひ亂れて戀ふれども何の故ぞと問ふ人もなし
 
〔譯〕 解き衣の亂れるやうに、あの人ゆゑに自分は心が亂れて戀ひ焦れてゐるけれども、何の爲の物思ひかと尋ねてくれる人もない。無情な人ばかりであるよ。
〔譯〕 惱みある人にとつては、唯一言の同情も無上の慰めであり感激であるが、反對に又、惱みある時、傍から一言もかげて貰はぬことは、不滿であり憤懣さへも感ずるのは、我儘とはいへ自然の人情である。この歌、この間の機微をよく穿つてゐる。「二六二〇」はこの歌の異傳である。
 
2970 桃花褐《ももぞめ》の淺《あさ》らの衣《ころも》淺らかに念ひて妹に逢はむものかも
 
(52)〔譯〕 桃花褐の淺い色の着物のやうに、淺く好い加減に思つてゐて女に逢ふなどといふことが出來ようか。勿論自分は深く思つてのことである。
〔評〕 桃花褐の着物を着た娘子の風姿が眼前に浮ぶ美しい歌である。しかし上の「くれなゐの薄染衣」(二九六六)の歌に比すれば、自然さが失はれ、著しく形式化してゐる。
〔訓〕 ○桃花褐 舊訓アラゾメノ、元暦校本、類聚古集、モヽノハナ等あるが、今、紀州本の訓に從ふ。
 
2971 大王《おほきみ》の鹽燒く海人《あま》の藤衣《ふぢごろも》穢《な》るとはすれどいやめづらしも
 
〔譯〕 大君の御料の鹽を燒く海人の着てゐる藤衣の「褻《な》れる」といふ如くに、馴れ親しむやうになつたが、あの女はいよいよめづらしく可憐に思はれることである。
〔評〕 「須磨の海人の鹽燒衣の藤服」(四一三)及び「穢るとはすれどいやめづらしも」(二六二三)の二首をとつて一つにした觀がある。しかして、初句はいかにも事々しきに過ぎて、適切とはいひ雖い。形式的序の弊に陷つたものである。
〔語〕 ○大王の鹽燒く海人の藤衣 武烈紀に、角鹿の鹽は天皇に食《め》され、他の鹽は天皇は忌み給ふとあるのを本とし、ここは、敦賀の海の海人をさしたものと代匠記にいつてゐる。藤衣は、葛布で作つた衣、賤者の着るもの、又は喪服。以上、蕗衣の「褻る」に馴れ親しむ意をかけ、次の句の序とした。
 
2972 赤帛《あかぎぬ》の純真《ひたうら》の衣《ころも》ながく欲《ほ》り我が念《も》ふ君が見えぬ頃かも
 
〔譯〕 赤い色の帛の裏も表も同じ色の着物が長いやうに、長くいつまでも親しみたいと私が願ひ思ふあなたは、此の頃ちつともお見えにならぬことよまあ。
(53)〔評〕 長くと欲して待つてゐたのに、男が通はずになつたのを恨んだ歌。四五句は平庸であるが、序が珍しくてよい。
〔語〕 ○赤帛の 紅といはず赤帛とあるは緋色の衣である(考)。○ひたうら 表も裳も同色のもの。(「三七九一」によれば、ヒツラともよめる。)初句以下これまで、衣の長いによつて次句の序とした。
 
2793 眞玉つく遠近《をちこち》かねて結びつる吾が下紐の解くる日あらめや
 
〔譯〕 遠く行末をかけて契りつつ固く結んだ私の着物の下紐が、又あなたと逢ふまで解ける日がありませうか。あなた以外の人の爲に解けるやうなことは決してありませぬ。
〔評〕 貞潔の誓であり、また戀の永續の祈でもある。大伴坂上郎女の、「六七四」の歌は、この一二句に擧んだものであらう。
〔語〕 ○眞玉つく 玉をつける緒と「遠近」の「を」にかかる枕詞。○遠近かねて 現在未來にかけて、行末長く、の意。
 
2974 紫の帯の結《むすび》も解きも見ずもとなや妹に戀ひわたりなむ
 
〔譯〕 自分は、紫の帯の結び目をいつ迄も解きもしないで、むなしくまあ、あの可憐な女に戀ひつづけることであらうか。
〔評〕 紫の帯は若く美しい女性を思はせる。これは男の歌であるから、作者は貴公子めいた人であらう。逢はざる戀を歎いたもので、一通りの作である。
〔語〕 ○もとな よしなく。はつきりした理虫や結果を知ることが出來ぬ心持。「二三〇」參照。
 
(54)2975 高麗錦紐の姑《むすび》も解き放《さ》けず齋《いは》ひて待てどしるしなきかも
 
〔譯〕 二人で結んだ着物の高麗錦の紐の結び目を、その後解きあけて共寢をもせずに、神樣にお祈りして、逢ふ日を待つてゐるが、一向效果がないことであるよ。
〔評〕 高麗錦の紐を用ゐてゐるのは、やはり身分ある人であらう。これも平庸の作に過ぎない。
〔語〕 ○高麗錦 高麗から渡來した錦。「二〇九〇」參照。○齋ひて待てど 神を祭り、戀人に逢ふ時の來るのを祈る意。
 
2976 紫の我が下紐の色に出でず戀ひかも痩《や》せむ逢ふよしを無み
 
〔譯〕 紫の私の着物の下紐の色は鮮かだが、私は顔色には表はさないままに、かうして戀ひ痩せることであらうかまあ、戀人に逢ふ方法が無いので。
〔評〕 身も痩せるばかりの忍ぶ戀で、内容は何の奇もないが、眞率で、四五句の倒置はよく利いて力がある。
 
2977 何故か思はずあらむ紐の緒の心に入りて戀《こほ》しきものを
 
〔譯〕 何が故にあなたを思はずにゐるなどといふことがありませうか。心にしみこんでこんなに戀しいのに。
〔評〕 誠意を疑つた相手に對して、その情熱を強調したのであらう。序の用例が珍しい。優しい語調が女の作らしく想像させる。
〔語〕 ○紐の緒の 折り曲げた紐の端をわなにとほすを心に入るといひ、それで、枕詞としたといふ説(新考)がよい。
 
(55)2978 まそ鏡見ませ吾背子わが形見|持《も》てらむ時に逢はざらめやも
 
〔譯〕 この鏡を持つてゐて、いつも私と思つて御覽なさいませよ、あなた。私の形見を持つていらつしやるからには、また逢ふことが出來ないといふわけはありますまい。
〔評〕 旅に出ようとする夫に、形見を贈る妻の眞情であらう。鏡が靈代として用ゐられた古代信仰の一端を語るものとしても、この歌は注意される。
 
2979 まそ鏡|直目《ただめ》に君を見てばこそ命に對《むか》ふ吾が戀止まめ
 
〔譯〕 戀しく思ふあなたを、直接に私のこの目で見ましたらば、その時こそ、命がけの私の戀心も、少しはやすまることでせう。
〔評〕 「直に逢ひて見てばのみこそたまきはる命に向ふ吾が戀止まめ」(六七八)と同一歌の遺傳と思はれる。併し、格調が緊張して、熱と力とに富む點で、此の「まそ鏡」の歌の方が優れてゐる。
 
2980 まそ鏡見飽かぬ妹に逢はずして月の經ぬれば生《い》けりともなし
 
〔譯〕 いくら見ても見飽かぬあのかはゆい女に、此の頃少しも逢はずに月日がすぎてしまふので、自分はまるで生きてゐるやうな心地もしないことである。
〔評〕 内容はありふれた單純なもので、四五句も類型が多いが、初二句の表現に聊か特色が認められる。五句は、「二一二」等參照。
 
(56)2981 祝部等《はふりら》が齋《いは》ふ御室《みもろ》のまそ鏡懸けてぞ偲《しの》ふ逢ふ人ごとに
 
〔譯〕 神職達のいつき祭る神殿の御鏡が常に懸けてある如く、自分は心に懸けてそなたを思ふことである。道で人に逢ふごとに。
〔評〕 戀人を心に懸けて思ふといふだけの單純な内容であるが、結句の、人に逢ふたびに戀人の面影に思ひをはせるといふ點がよく、この一句によつてこの歌は生きてゐる。
〔語〕 ○御室 神をいつき祀るところ。神社・神座。ここは三諸山のことではない。「御室を立てて」(四二〇)參照。
 
2982 針はあれど妹し無ければ著《つ》けめやと吾を煩《なや》まし絶ゆる紐の緒
 
〔譯〕 針はあるが、旅さきのこととて、妻が一緒にゐないので、どうせつけることは出來まいとばかりに、自分をなやまし困らせて、こんなに切れる着物の紐、意地のわるい紐の緒ではある。
〔評〕 恰も自分を困らせるやうに、意地惡くも着物の紐が切れた、非情な紐を恨んでゐるところに切實な思がこもつてゐる。馴れぬ手つきで無器用にもてあぐむ樣子も思はれ、旅の憂愁が哀れに漂つてゐる。
 
2983 高麗劔《こまつるぎ》わが心から外《よそ》のみに見つつや君を戀ひわたりなむ
 
〔譯〕 深く思つてゐるくせに、意氣地のない私の心からして、かうしていつもよそながら見るばかりで、あのお方を戀ひ續けることであらうか。あぢきない事ではある。
〔評〕 女の心弱さを自ら叱り自ら欺いた歌。わが心ゆゑに誰を恨みやうもない遣瀬なさの心持がよく出てゐる。
〔語〕 ○高麗劍 「わ」につづく枕詞。「一九九」參照。○よそのみに 直接でなく、外からばかり。
 
(57)2984 釼太刀名の惜しけくも吾はなし此の頃の間《ま》の戀の繁きに
 
〔譯〕 名譽が惜しいとも、なんとも自分は思はない。この日頃の戀心があまりに繁いので、もうどんなに浮名が立つても構ふものか。
〔評〕 情熱は漲つてゐるが、類想が多く、「二四九九」「二八七九」の二首を一つにしたやうな歌。「六一六」の歌も似てゐる。
〔語〕 ○劍太刀 刀劍には、草薙劍といふやうに名のある故に、「名」にかかる枕詞。
 
2985 梓弓末はし知らず然れどもまさかは吾に縁《よ》りにしものを
     一本の歌に云ふ
    梓弓末のたづきは知らねども心は君に繰《よ》りにしものを
 
〔譯〕 末々はどうなるかわからない。けれども現在は、自分に身も心もひたすら靡き寄つてゐるものを。
 一本の歌――行末の身の振方はどうなるやら分りませぬが、私の心は一途《いちづ》にあなたに頼りきつて居りますものを。
〔評〕 思慮のある男性の作で、二句は、末はどうならうともしらぬといふのではない。さきのことは何ともいへぬが、の意である。一本の歌は、これは女性の作。第二句に、將來の生活などはどうならうともと、心身を打込んで男に頼つてゐる心持が切實に表はれてゐて、別箇の歌である。
〔語〕 ○梓弓 弓の上端を弓末《ゆずゑ》といふので、「末」にかかる枕詞。○まさか 目前、現在の意。「奧をなかねそまさかしよかば」(三四一〇)ともある。
〔訓〕 ○まさかは吾に 白文「眞坂者吾爾」、「吾」を通行本には「君」とあるが、古本による。
 
(58)2986 枠弓引きみ弛《ゆる》べみ思ひ見てすでに心は縁《よ》りにしものを
 
〔譯〕 梓弓を引いたり、ゆるべたりするやうに、とつおいつ考へてみました結果、既に私の心はあなたに寄つてしまひましたものを。
〔評〕 百方考慮の末に決心した戀であるから、變ることはないといふ強い女性心理の一面を、表現してゐる。
〔訓〕 ○ゆるべみ 白文「縱見」、ユルシミとよむ説もある。
 
2987 梓弓引きて縱《ゆる》さぬ丈夫《ますらを》や戀とふものを忍《しの》びかねてむ
〔譯〕 梓弓を引き絞つて放たずにゐるやうな、張りきつた雄々しい心の男子たる自分が、戀などといふめめしいものを、下に隱しおふすことが出來ないのであらうか。そんな意氣地なしの自分ではない筈である。
〔評〕 堂々たる丈夫の身として戀々の情に引きずられる女々しさを自ら叱りながら、しかも如何ともし難い歎息を漏したもの。「二六三五」は初二句が、「釼刀身に佩き副ふる」とあるのみで、以下同一である。二首の間に聯關があるのであらうが、初二句いづれも甲乙なく、共に凛乎たる益良雄ぶりである。
 
2988 梓弓|未《すゑ》の中ごろ不通《よど》めりし君には逢ひぬ嘆は息《や》めむ
 
〔譯〕 中頃、一時打絶えて通つていらつしやらなかつたあなたに、久しぶりに逢ひました。もう歎くのはよしませう。
〔評〕 絶望とあきらめてゐたのに、再び男が姿を見せた。男の眞意はよく分らぬながら、ともかくも嬉しいのは女心である。十分安心しきつてよいかどうかは知らぬが、「歎きは止めむ」といふ心持が素直で同情を惹く。
〔語〕 ○梓弓末の中頃 初句は「末」の枕詞であるが、「末の中頃」の句がおちつかぬ。通つてきた盛の末の頃、又、(59)弓に「末の中」といふ所があつたといふ説がある。
〔訓〕 ○末の中ごろ 白文「末中一伏三起」、一伏三起は「一八七四」に述べた博奕の語で、四箇の木片を投げて、その表裏の出方によつて勝負を決するのに、木片の三箇伏して一箇仰いだのをツク、一筒伏して三箇仰いだのをコロといふから、「一伏三起」を「コロ」の假名に用ゐたのである。
 
2989 今更に何しか思はむ梓弓引きみ弛《ゆる》べみ縁《よ》りにしものを
 
〔譯〕 今更何のまあくよくよ物思を致しませうぞ。あなたとならばどうならうと滿足です。梓弓を引いたり弛めたりするやうに、色々と考へた上であなたに寄り靡いたのですもの。
〔評〕 上の「二九八六」の歌の異傳とも見れば見られる。「五〇五」の歌とも句法が似てゐる。
 
2990 をとめ等《ら》が績麻《うみを》の絡?《たたり》打麻《うちそ》懸《か》け績《う》む時なしに戀ひわたるかも
 
〔譯〕 少女等が麻を績むための絡?《たたり》に、打ち和らげた麻を懸けて絲を績むが、自分は倦む時もなく、いつもあの女を戀ひつづけてゐることである。
〔評〕 昔時の婦女の手業をとりいれた序が珍らしくて興味がある。文化史的に見ても面白い資料と云つてよい。
〔語〕 ○絡? 和名抄に引く揚氏漢語抄に多多理とある。絲を繰り取る爲の具で、臺に三本の柱を立てて、絲をこれに纒ひ懸けるのである。○打麻 打ち和らげた麻。
 
2991 たらちねの母が養ふ蠶《こ》の繭隱《まゆごも》りいぶせくもあるか妹に逢はずて
 
〔譯〕 母親の飼ふ蠶が繭の中に籠つて鬱陶しいやうに、自分も心が塞がつてくさくさすることであるよ、かはゆい女(60)に逢はないでゐると。
〔評〕 序が適切で、表現も巧妙である。恐らく作者の實生活に即したものであらう。「二四九五」と三句まで全く同じで、その先後は定め難いが、四五句がそれよりも一層切實で迫力がある。
〔訓〕 ○いぶせくもあるか 白文「馬聲蜂音石花蜘※[虫+厨]荒鹿」、馬の聲はイと聞え、蜂の音はブと聞えるから、「馬聲蜂音」をイブに借り、「石花」は石花《セ》貝の略で、岩に附着する貝の名、「三一九」にも「石花《セ》の海」とある。この句の表記法は蠶に聯關して、いづれも動物に因んだ戯書である。次なるイモをも異母とある。前の一伏三起と同じく戯書を好む人が、前のもこれをも書きとめたものと思はれる。
 
2992 玉|襷《だすき》懸《か》けねば苦し懸けたれば續《つ》ぎて見まくの欲《ほ》しさ君かも
 
〔譯〕 心に懸けて思ふまいとすれば苦痛であるし、懸けて思へば續けていつも見てゐたいあなた、ほんに戀しいお方ですこと。
〔評〕 忘れようとしても、思ひ續けても戀の苦しさは結局同じである。その心もちが暢達の歌詞に流れてゐる。しかし、稍巧妙に過ぎて、技巧が目に立つやうである。
 
2993 紫の綵色《しみいろ》の蘰《かづら》はなやかに今日見る人に後戀ひむかも
 
〔譯〕 紫の色に染めた美しい蘰のやうに、はなやかに美しいなあと今日見たあの女に、この後自分は戀ひ續けることであらうなあ。とても忘れられさうにもない。
〔評〕 初二句の序によつて、紫色のきぬを髪に卷いた美人が想像される。上代風俗研究の資料として面白い歌である。
〔語〕 ○紫の綵色の蘰 紫色に染めた髪かざりのかづら。「綵色の衣」(一二五五)參照。以上二句「はなやかに」の(61)序。
〔訓〕 ○綵色 考、古義、マダラノ等の諸訓があるが、日本書紀古寫本の訓によつてシミイロとよんだ。
 
2994 玉かづら懸けぬ時なく戀ふれどもいかにか妹に逢ふ時も無き
 
〔譯〕 自分は心に懸けぬ時もなく、こんなに始終戀しく思つてゐるけれども、どうしてあの女に逢ふ機會が無いのであらう。
〔評〕 思ひながら逢ひ難いのを歎じたもので、内容修辭共にありふれた歌である。
〔語〕 ○玉かづら 玉を緒に貫いて頭髪を飾るもの、髪にかける意から「懸け」の枕詞とした。
 
2995 逢ふよしの出で來《く》るまでは疊薦《たたみこも》重ね編《あ》む數|夢《いめ》にし見てむ
 
〔譯〕 戀しいあの人に逢ふ方法がいづれ出て來るであらうが、それまでは、疊薦を重ねて編む數ほど、自分は何度となく繰返して夢に見てゐよう。
〔評〕 農人らしい譬喩が、野趣を帶びて頗る素朴である。「疊薦へだて編む數通はさば」(二七七七)に似てゐる。
 
2996 しらか付《つ》く木綿《ゆふ》は花物《はなもの》言《こと》こそは何時《いつ》の眞枝《さえだ》も常《つね》忘らえね
 
〔譯〕 白紙をつけたやうな木綿の花は美しく花やかなものであるが、本當の花でない。それと同じやうに、あなたのお言葉は、お言葉としては親切で、何時《いつ》の一寸した間も忘れられませぬが、しかし眞實のお心なのでせうか。
〔評〕 技巧を凝らし過ぎて言葉が足らず、頗る難解になつた歌である。從つて人によつて解釋も異なるであらう。
〔語〕 ○しらか付く しらかは諸説があるも、白紙の説がおだやかであらう。「三七九」參照。神をまつる時に白紙(62)をつける木綿と枕詞とし、そのやうにうつくしいと解しておく。○木綿は花物 ここの木綿は木綿花、即ち木綿で作つた造花。花物は、花やかではあるが、あだあだしいものの意。「人は花物ぞ」(三三三二)ともある。 ○さえだ 「三四九三」の「椎のさえた」を引いて、小枝即ち一寸の意と解する全釋の説に從つておく。
 
2997 石上《いそのかみ》布留《ふる》の高橋|高高《たかだか》に妹が待つらむ夜ぞふけにける
 
〔譯〕 石上の布留の高橋の高いやうに、高々と爪立《つまだ》ち背伸をして、いとしい女が、自分を待ちわびてゐるに違ひない今夜は、もうすつかりふけてしまつたことである。
〔評〕 いとしい女のもとに通ふ道すがら、夜のふけたのに氣をいらちつつ足を早める男の姿が浮ぶ。高々に待つといつた例は「二八〇四」「三二二〇」その他集中に少くないが、當時有名であつた大和石上の布留川の高橋を序に採り用ゐたところに特色がある。
 
2998 湊入《みなといり》の葦別小船《あしわけをぶね》障《さはり》多みいま來《こ》む吾を不通《よど》むと思ふな
     或本の歌に日く、
   湊入に葦別小船障多み君に逢はずて年ぞ經にける
 
〔譯〕 湊に入る爲に葦の間を分けて來る小舟の邪魔が多いやうに、自分も餘儀ない故障があつて行けないが、今そのうちに行く筈の自分なのを、とどこほつて來なくなつたのだと思はないでゐてほしい。
 或本の歌――故障が多いので、思ふお方に逢へず、年月が過ぎてゆくことであるよ。
〔評〕 止むを得ぬ故障の爲に行けないのを、心變りかと女に疑はれるのは堪へ難い苦痛である。自分の本當の心持は(63)告げておかねばならぬ。「よどむと思ふな」の結句には、思ひ迫つた眞情が溢れて居り、序も適切巧妙である。或本の歌は、「二七四五」の歌に似てをる。
 
2999 水を多み高田《あげ》に種|蒔《ま》き稗《ひえ》を多み擇擢《えら》えし業《なり》ぞ吾が獨|宿《ぬ》る
 
〔譯〕 下田《くぼた》には水が多いので高田《あげた》に稻の種を蒔いて、そのはえた中に稗が澤山まじつてゐるから、それを擇み出して捨てるが、丁度そのごとく、私もあの人に擇み出され捨てられたので、かうして獨でさびしく寢てゐるのである。
〔評〕 農村の女の作であらう。譬喩が素朴かつ巧妙である。但、字句の洗煉が十分でなく、「業」といふ語もおちつかぬが、寧ろそれが自然であらう。「二四七六」の似通つた歌が本歌とおもはれる。
 
3000 靈《たま》合《あ》へば相|宿《ね》むものを小山田の鹿猪田《ししだ》禁《も》る如《ごと》母し守《も》らすも【一に云ふ、母が守らしし】
 
〔譯〕 二人の魂がしつくり合つてをるのであるから、一緒に寢ようものを、鹿や猪が出て來て荒らす山の田を番するやうに、母親が番をなさつてゐて、戀人に逢はせなさらぬことである。
〔評〕 田舍少女の束縛された戀への抗議である。三四句の誓喩は、作者の生活に即して野趣横溢、素朴にしてしかも適切である。初二句には古代人の靈魂觀が窺はれそ東歌の「三三九三」と對照してみるべき歌。
 
3001 春日野《かすがの》に照れる夕日の外《よそ》のみに君を相見て今ぞ悔しき
 
〔譯〕 春日野に照つてゐる夕日の景色は、都の内からいつもよそながら見てゐるが、恰もそのやうに、よそながら、あのお方を見たばかりで、近づくことも出來ず、今になつて悔しいことである。
〔評〕 もつと接近して思ふ心を打明けでもすればよかつた、と自らの引込思案を齒痒く殘念に思つたので、女らしい(64)つつましさと焦躁とがよく表はれてゐる。奈良の都人が遙かに眺める春日野に、夕日のさしてゐる景を採つて序としたのは、着想が面白い。
 
3002 あしひきの山より出づる月待つと人にはいひて妹待つ吾を
 
〔譯〕 山から出て來る月を待つてゐるのです、と、さりげなく人には云つて、實はいとしいあの女の來るのを待つてゐる自分なのである。
〔評〕 「斯くだにも妹を待ちなむさ夜ふけて出で來し月の傾くまでに」(二八二〇)のやうに、愛人を待つてゐるのである。美しい情痴が如何にも巧妙に、しかも上品に表現されて人を微笑させる。「三二七六」の長歌の終末の五句はこの歌と殆ど同じであるが、彼は此の民謠の短歌をとり入れたのであらう。
 
3003 夕月夜《ゆふづくよ》五更闇《あかときやみ》のおほほしく見し人ゆゑに戀ひわたるかも
 
〔譯〕 夕月夜の頃の明方の闇はほの暗いが、丁度そのやうに、ほのかに見たあの人の爲に、私はかうも戀ひ續けてゐることである。
〔評〕 ほのかなる片戀心である。「二六六四」の歌の一二句と同じであるが、適切で雅馴な用法である。
 
3004 ひさかたの天《あま》つみ空に照れる日の失《う》せなむ日こそ吾が戀ひ止《や》まめ
 
〔譯〕 あの大空に照り輝いてをる太陽の無くなつてしまふ日が來たらば、其の時こそ自分の戀も止むであらう。だが太陽が無くなる筈もないし、自分のこの戀心も止まうとも思はれない。
〔評〕 構想・意力ともに雄渾壯絶であつて、如何にも萬葉人の健康な逞しい情熱を語つてゐる。「天地といふ名の絶(65)えてあらばこそ汝と吾と逢ふこと止まめ」(二四一九)と並べ誦すべき歌であるが、それよりも更に直觀的であり、格調も張つてゐる。
〔訓〕 ○照れる日 白文「照日」、元暦校本・類聚古集等には、「照月」とあり、排列からいつても月の中に入つてをるが、その前の三首めには日の歌があるから、順序をたがへたものと見て、「日」の方によつた。
 
3005 望《もち》の日に出でにし月の高高《たかだか》に君を坐《いま》せて何をか思はむ
 
〔譯〕 十五日の夜に出た月のやうに、足を爪立ててお待ち申したあなたを、かうして來ていただいて、私はもう何を思ふことがありませう。
〔評〕 喜の情が躍動してゐる。十五夜の月が天心に上つたのを見るやうに、歌調も明朗で些の澁滯をも見ない。
〔語〕 ○高々に 足を爪立て、脊伸びをして待ち焦れるさまに用ゐる句。ここは待つ意に、月の高く昇つたやうに愛人を正座にすゑるといふ感じをかけて用ゐてゐる。
 
3006 月夜《つくよ》よみ門に出で立ち足占《あうら》して往《ゆ》く時さへや妹に逢はざらむ
 
〔譯〕 月がよいので、門前に立ち出で足占をして、吉兆が現はれたので出かけて行つた時でも、やはり愛人に逢ふことが出來ないといふのであらうか。
〔評〕 思ふ人に平素は容易に逢へないで、心|苛《い》られは止む時もない。今宵は美しい月の光に足占をして吉兆を得たのでいそいそと逢ひに行つたのに、その占が當らなかつた。これ程に心を盡しても猶かつ思の遂げられぬ失望と苦悶とが、語句の間に溢れてゐる。
〔語〕 ○足占 足の歩數によつて吉兆を卜する法。「七三六」參照。
 
(66)3007 ぬばたまの夜渡る月の清《きや》けくはよく見てましを君が光儀《すがた》を
 
〔譯〕 夜空を渡り行く月が、あの時清く照つてゐたらば、あなたのお姿をよく見るのでありましたのに。
〔評〕 月のない夜に相逢うて、愛人の姿をはつきり見ることの出來なかつた心殘りは、別れて後、また當分逢へないことを思へば、一層切實なものがあつたであらう。引緊つた格調がよい。
 
3008 あしひきの山を木高《こだか》み夕月を何時《いつ》かと君を待つが苦しさ
 
〔譯〕 山の木立が高いので、夕月の出るのをいつかいつかと待つてゐるやうに、いつはいらつしやるかと、あなたを待つのが苦しいことです。
〔評〕 愛人を待ち焦れてゐる婦人の情がよく表はれてゐる。一二三句の譬喩も巧みであるが、四五句の表現には、稍窮屈な所がある。「夕月を」「君を」と目的語を二つ重ねた點など煩しい。
 
3009 橡《つるばみ》の衣《きぬ》解《と》き洗ひ又打《まつち》山|本《もと》つ人にはなほ如《し》かずけり
 
〔譯〕 橡染の着物を解き洗つて又砧で打つといふ名のまつち山、その眞土山から聯想されるもとつ人、即ち古くからの馴染の妻には、やはりどの女も及ばぬことである。
〔評〕 橡の衣は卑賤の者の常用なので、序には下層階級の人らしいところが見えるが、この情は、戀愛心理の常であらう。「四一〇九」と内容が聊か似てゐる。
〔語〕 ○眞土山 大和から紀伊へ越える途中にある山。「五五」參照。ここでは「もとつ人」の序として用ゐたもの。かかり方に就いては、「まつち」と「もとつ」と音が相通ふからといふ略解の説に從つておく。
(67)3010 佐保川の川波立たず靜けくも君に副《たぐ》ひて明日さへもがも
 
〔譯〕 佐保川の川浪が立たず靜かであるが、そのやうに、靜かにあなたと一緒に明日もゐたいことです。
〔評〕 作者は流の靜かな佐保川のほとりに住んでゐた人ででもあらうか。既に灼熱の戀の  焔はをさまつて、しみじみとした愛情の中に靜かに滿足してゐる虔ましやかな女性の姿が、はつきりと浮んで來る。
 
3011 吾妹子に衣《ころも》春日《かすが》の宜寸《よしき》河よしもあらぬか妹が目を見む
 
〔譯〕 自分のいとしい女に、着物を貸すといふ詞に似た、なつかしい春日の宜寸河ではないが、その女に逢ふべきよし(手段、方法)も無いものかなあ。
〔評〕 内容は甚だ單純であるが、序中にまた序があり、複雜巧緻な技巧である。煩瑣な嫌味に陷らず、流麗な調子を成してゐる。
〔語〕 ○宜寸河 春日山の北方から流れ出で、水谷社の後を遶り、東大寺南大門の前から法蓮の東を經、奈良女子大學の北側で佐保川に合してゐる。次句の「よし」を導き出す爲の序。
 
3012 との曇《ぐも》り雨ふる河のさざれ浪|間《ま》無くも君はおもほゆるかも
 
〔譯〕 空一面に曇つて雨がふるが、それと同じ名の布留河に立つさざ浪が絶間も無いやうに、絶間なくいつもあなたは戀しく思はれることであります。
〔評〕 これも序中に序を重ねた技巧の歌で、内容は單純である。修辭、句法、破綻なく、渾然とした佳調である。
〔語〕 ○雨ふる河 雨の降る意から、地名の布留川に言ひかけたもの。布留河は大和國山邊郡。布留山に源を發し、(68)丹波市町大字布留附近で布留川といひ、磯城郡に入つて初瀬川に合する。
 
3013 吾妹子や吾《あ》を忘らすな石上《いそのかみ》袖布留《そでふる》河の絶えむと念へや
 
〔譯〕 自分のいとしい女よ、自分を忘れないで下さい。石上なる布留河の流が絶えることのないやうに、自分は決して絶えようとは思はない。
〔評〕 「吾妹子や」といふ呼び掛けといひ、「吾を志らすな」といふ語調といひ、やはらかな親しみを現はしてゐる中に、烈しい男の情熱を藏してゐる。
〔話〕 ○袖振川 布留に袖を振る意をかけて修飾したもの。「君松浦山」(八八三)の「君」の類である。
 
3014 神山の山下|響《とよ》み行く水の水脈《みを》し絶えずは後も吾が妻
 
〔譯〕 神山の山裾を鳴り響いて流れゆく水の水脈が絶えないやうに、そなたさへ絶えないならば、後々までも自分の妻なのである。
〔評〕 これは女よりも男の方が遙かに情熱に燃えてゐる戀といふことが想像される。四句の譬喩を、二人の仲がいつまでも絶えないならばといふ意に取る説もあるが、さうすると結句は當然過ぎる平凡な説明となり、全く蛇足といふ外はない。この結句は表面は男性らしく、うは手から大きく出てゐるが、女の心をそれさすまいと念願する男の苦しい焦慮を見逃してはならないのである。
〔語〕 ○神山 飛鳥の雷岳のことと思はれる。○絶えず そなたの心が絶えなかつたらば、の意。
 
3015 雷《かみ》の如《ごと》聞ゆる瀧《たき》の白浪の面《おも》知《し》る君が見えぬ此の頃
 
(69)〔譯〕 雷のやうにはげしく聞える激流の白浪の「しら」といふやうに、互に見知りあつてゐるあなたが、此の頃少しもお見えにならぬことよ。
〔評〕 序に爽快な響がある。併し、その序の懸り方に明瞭を缺く憾があつて、一首の上に及ぼす効果が切實でない。
 
3016 山川《やまがは》の瀧《たき》に益《まさ》れる戀すとぞ人知りにける間《ま》無く念《おも》へば
 
〔譯〕 山川の激流がたぎり立つてゐるにもました激しい戀をしてゐると、人が知つてしまつたことである。自分が絶間なく思ひ續けてをるので。
〔評〕 山川のはげしい流を譬喩に用ゐ、それにも益つた戀と、男性らしいいひざまである。
 
3017 あしひきの山川《やまがは》水の音《おと》に出でず人の子ゆゑに戀ひわたるかも
 
〔譯〕 山川の水の音は激しいが、自分は聲にも出さずに、あの娘ゆゑに、いつも戀ひつづけてゐることである。
〔評〕 ひそかに娘子を戀ふる歌で、また世馴れぬうら若い男の戀であらう。内容表現共に平庸である。
〔語〕 ○人の子ゆゑに あの娘のためにの意。必ずしも人妻と解すべきではない。
〔訓〕 ○戀ひわたるかも 白文「戀渡青頭鷄」、新考に「青頭鷄」は三國魏時代に行はれた鴨の俗稱なりとし、斐松之の三國志注に「青頭鷄者鴨也」とあるのを引いて證してゐる。
 
3018 巨勢《こせ》なる能登瀬《のとせ》の川の後も逢はむ妹には吾は今ならずとも
 
〔譯〕 巨勢にある能登瀬川の「のと」といふ如く、後々にでも自分は必ずあの女に逢はう、今すぐには逢へなくても。
〔評〕 逢瀬の難きを歎きつつも、じつと思ひ堪へてゐる心の緊張がよく現はれてゐる。「二四三一」に類歌がある。
(70)〔語〕 ○巨勢なる能登瀬の河 巨勢は大和國高市郡、以上「のと」「のち」と類音を續けて次句の序とした。
 
3019 あらひ衣《ぎぬ》取替《とりかひ》河の河淀の不通《よど》まむ心思ひかねつも
 
〔譯〕 取替河の河淀が澱み滯つてゐるやうに、そなたのもとへ通ひ澁るといふやうな心は、自分には考へられもしないよ。
〔評〕 「洗ひぎぬ取替河」は生活に即した修辭と思はれて、庶民階級に屬してゐたに違ひない作者の風   葬も窺はれる。結句の辭樣も千鈞の力がある。
〔語〕 ○取替河 所在不詳。この前後の歌には大和の地名が多いので、これも大和のうちで、作者の近邊の川であらう。鳥貝、鳥飼などと書かれもすべき名である。
 
3020 斑鳩《いかるが》の因可《よるか》の池の宜しくも君を言《い》はねば念《おも》ひぞ吾がする
 
〔譯〕 斑鳩の因可の池の「よる」といふやうに、宜しいやうにもあなたを世間の人が云はぬのに、私は戀しく思つてゐることです。
〔評〕 評判のよろしくない男に信頼してゐる女の歌である。一旦契つた男に、身も心もまかせきつた女性の素直な、しかも強い心持があはれである。
〔語〕 ○斑鳩の因可の池 斑鳩は大和國生駒郡で、聖コ太子の斑鳩宮のあつた處。因可の池は今所在不明。
 
3021 隱沼《こもりぬ》の下ゆは戀ひむいちしろく人の知るべく歎せめやも
 
〔譯〕 心のうちでひそかに戀ひ慕つて居らう。目立つて人が知る程、何で歎息をしようか。そんな素振りはしまい。
(71)〔評〕 如何に戀しぐと、も、じつと苦しさに堪へて、顯はすまいと思ひ定めた忍ぶ戀のあはれさである。但、類想は多く、表現の上にも特異な點は認められない。
〔語〕 ○隱沼の 「下」の枕詞。隱沼の水は表面動かず下を流れゆくからつづけたもの、「下」は、ひそかにの意と同じい。「は」は強調の心持を示す。○人の知るべく 人の知る程に。
 
3022 行方《ゆくへ》無《な》みこもれる小沼《をぬ》の下思《したもひ》に吾ぞもの思ふ此の頃の間《あひだ》
 
〔譯〕 水の流れ出る口もないので、こもつてゐる沼のやうに、心の底に深くこめて、私は物思をしてゐることである、この頃ひきつづいて。
〔評〕 これも忍ぶ戀の苦しさを洩らした歌である。下思ひの譬喩に隱沼を用ゐることは、常套手段といつてよい。
 
3023 こもり沼《ぬ》の下ゆ戀ひ餘《あま》り白浪のいちしろく出でぬ人の知るべく
 
〔譯〕 心の底深くひそかに戀してゐたのが溢れ餘つて、包み切れず、際立つて顔色に出てしまつたことである、人がそれと知る程に。
〔評〕 忍びかねて遂に色に現はれた戀の歌。一首の中に二箇の枕詞を用ゐてゐるが、うるさい感じは無い。卷十七に、平群女郎が大伴家持に贈つた歌十二首の中にこれと全く同じ歌が出てゐるが、それは恐らく女郎がこの歌をそのまま借り用ゐなのであらう。
 
3024 妹が目を見まくほり江のさざれ浪|重《し》きて戀ひつつありと告げこそ
 
〔譯〕 いとしい女の姿を見ようと欲りする、その「ほり」と同じ言葉の難波堀江のさざ波が頻りに立つやうに、自分(72)も頻りに戀ひ焦れてゐると、いとしい女に告げ知らせてほしい。
〔評〕「見まくほり」の欲りを「堀江」の堀にかけ用ゐ、「妹が目を見まくほり」が、序中の序でありながら、全體の歌意に通じてゐるところなど、巧みな技巧である。
 
3025 石走《いはばし》る垂水《たるみ》の水の愛《は》しきやし君に戀ふらく吾が情《こころ》から
 
〔譯〕 岩の上を走つて流れ落ちる瀑の水の美しいやうに、愛《は》しくおもふあなたに、戀ひ焦れてゐることです。これも自分の心からで。
〔評〕 序は極めて爽快な感じであるが、つづき方が聊か明瞭を缺く憾がある。三句以下の表現はよい。
〔語〕 ○垂水 瀑のこと。攝津國豐能郡豐津村字垂水とみる説もある。○はしきやし うるはしきで「や」も「し」も助辭。
 
3026 君は來《こ》ず吾は故《ゆゑ》無《な》み立つ浪のしくしく佗《わ》びし斯《か》くて來《こ》じとや
 
〔譯〕 あなたはお出でにならず、私は女の身であなたの處へ行く由が無いので、立つ浪の頻りなやうに、頻りに遣瀬ないことです。これでもかなたはいらつしやるまいとおつしやるのですか。
〔評〕 抑揚に富んだ巧妙な歌調に、哀怨の情が流れてゐる。「吾は故無み立つ浪の」とナミの同音を反覆した聲調の諧和もよく、結句の云ひ据ゑも、あきらめかねた女性心理のあはれさをよく語つてゐる。
〔語〕 ○吾は故無み 女なる私はあなたの方へ行く理由は無いからの意。當時は男が女のもとに通ふ習はしであつた。
 
3027 淡海《あふみ》の海|邊《へた》は人知る沖つ浪君をおきては知る人も無し
 
(73)〔譯〕 近江の湖の岸邊の景色は人が知つてゐるが、沖の浪の樣子は知る人も無い。その「おき」といふ如く、あなたをおきましては、私は思ふ人がありませぬ。唯あなただけです。
〔評〕 序中の「人知る」は、結句の「知る人も無し」に相對し、また「邊」につらねて「沖つ浪」を云ひおこして、「君をおきては」を誘ひ出す序としたのである。内容は何の奇もないが、技巧のすぐれた歌である。
 
3028 大海の底を深めて結びてし妹が心は疑もなし
 
〔譯〕 大海の底のやうに、心の底から深く契つたそなたの心は、少しの疑もない、自分は固く信じてをる。
〔評〕 愛人を信じきつた男の歌。序が雄大でいかにも男性的である。格調にも悠揚迫らぬ趣があつて、信じ安んじてゐる心境を寫すに適つてゐる。「五三〇」に類歌がある。
〔訓〕 ○結びてし 白文「結義之」、「義之」は王羲之で、書聖であるから、「手師」の意で、助動詞のテシに宛てた戯書。
 
3029 左太《さだ》の浦に寄する白浪|間《あひだ》なく思ふをいかに妹に逢ひ難き
 
〔譯〕 左太の浦に寄せる白浪の絶間ないやうに、絶間なく思つてゐるのに、どうしていとしい女に逢ひ難いことであらうか。
〔評〕 逢ひ難い仲のもどかしさを嘆じたもの。第三句以下端的率直で線が太く、如何にも男性的である。序もこれに適應して遒勁な調子がよい。
〔語〕 ○左太の浦 所在不明。「二七三二」參照。○依する白浪 以上二句「間なく」にかかる序。
 
(74)3030 思ひ出でて術《すべ》なき時は天雲《あまぐも》の奧處《おくか》も知らず戀ひつつぞ居る
 
〔譯〕 戀人を思ひ出して、何とも仕方のない時は、奧底も知れず際限もなく、ひたすら戀ひ焦れてゐることである。
〔評〕 逢ふ瀬もままならず、一人むなしく思ひつづけてゐる時のやりどころ無い思が「天雲の奧處も知らず」の譬喩に巧みに表現されてゐる。率直にして強く迫る力をもつた歌である。
〔語〕 ○天雲の 「奧處」にかかる枕詞。○おくか 果、眼などの意。「八八六」參照。
 
3031 天雲《あまぐも》のたゆたひやすき心あらば吾をな憑《たの》め待たば苦しも
 
〔譯〕 空の雲の漂ふやうに、ふらふらとした心をあなたが持つていらつしやるのならば、私を當てにさせるやうなことは仰しやらないで下さい。當てにして待つてゐるのでは苦しいのです。
〔評〕 空しく待つ苦しさと不安とは堪へ難いので、はつきりとした態度をきめてくれるやうに、男に望んで、念を押したのである。自分をいとほしむ心持から、哀訴するが如く、又その反省を促すが如く、綿々の愁緒は盡きない。胸の底からしぼり出したやうな結末の一句は、哀切にして力がある。
〔語〕 ○吾をな憑め 我をして頼ましむる勿れの意。
 
3032 君があたり見つつも居らむ生駒山《いこまやま》雲な蒙《たなび》き雨は零《ふ》るとも
 
〔譯〕 戀しいお方の家のあたりをせめて此處から眺めてゐませう。生駒山に雲よ棚引いてくれるな、たとへ雨は降つても。
〔評〕 生駒山のあたりに住む人を戀してゐる女の作である。伊勢物語には、河内國高安郡の女が大和の方を眺めて詠(75)んだ歌として載つてゐるが、勿論それは物語作者の創作である。雨が降れば山の見えなくなるは當然であるのに、雨は降つても雲だけは棚引くなとは不條理のやうであるが、小雨ぐらゐならば雲よりはましであるといふやうなあいなだのみで、深く條理を顧慮する餘裕をもたぬ程、つきつめた情が哀切である。
〔語〕 ○生駒山 奈良から西に當り、大和河内の國境にある山。「一〇四七」參照。
 
3033 なかなかに如何《いか》に知りけむ吾が山に燒《も》ゆる火氣《けぶり》の外《よそ》に見ましを
 
〔譯〕 なまじつか何であの人と親しくなつたのであらう。春になると私の山に燃える野火の煙をよそながら見てゐるやうに、無關係な人として離れて見てゐればよかつたのに。
〔評〕 儘ならぬ逢瀬を歎く戀の激情は、相知つたことを怨む場合さへある。常識を以ては律せられぬ情痴の世界である。春山を燒く野火の煙を序に用ゐたのは恰當にして清新の感がある。
〔訓〕 ○吾山 記傳に「吾」を「春」の誤として居り、その方が修辭としては趣が深いが、誤とすべき根據はない。
 
3034 吾妹子に戀ひ術《すべ》なかり胸を熱《あつ》み朝戸|開《あ》くれば見ゆる霧かも
 
〔譯〕 自分はあの女が戀しくてどうともしやうが無い。終夜睡れず胸が燒けるやうに熱いので、早朝に起き出て戸をあけると、あたり一面に見えるひどい霧である。自分の歎の息がこの霧になつたのではなからうか。
〔評〕 未明に起きて戸を開くと、外は濛々たる霧である。「我が歎く息嘯《おきそ》の風に霧立ち渡る」(七九九)といふ如く、これは一體自分の胸の底から噴出したのではあるまいかと疑はれるばかりである。熱情に燃えた表現で頗る力がある。
 
3035 曉《あかとき》の朝霧|隱《ごも》り反《かへ》りしに如何《いか》にか戀の色に出でにける
 
(76)〔譯〕 女の所から、夜明け方の朝霧にまぎれて歸つて來たのに、どうして二人の戀が外にあらはれたのであらうか。
〔評〕 人目を忍んでゐた戀が、外に現はれたのを怪しみ歎いたもの。率直端的な語句に力がある。
〔訓〕 ○かへりしに 白文「反爲二。」諸本「反羽二」とある。古義に「爲」に改めたによつた。カヘラハニとよんで、「二八二三」のカヘラマニと同語で反對にの意(全註釋)との説もある。
 
3036 思ひ出づる時は術《すべ》無み佐保山に立つ雨霧《あまぎり》の消《け》ぬべく念《おも》ほゆ
 
〔譯〕 戀人のことを思ひ出す時は、遣瀬無さに、佐保山に立つ雨霧の消えてゆくやうに、命も消えてしまひさうな感じがする。
〔評〕 ありふれた内容であり、三四句の序にも特異性は認められないが、眞率な點には心を惹かれる。「二三四一」に類歌があるが、民謠として謠はれて、地名だけがかへられたのであらう。
 
3037 殺目山《きりめやま》往反《ゆきかへ》る道の朝霞ほのかにだにや妹に逢はざらむ
 
〔譯〕 殺目山を往復する道にほのかに立つてゐる朝霞ではないが、せめてほのかに、ちらりとでも、いとしい女に逢へないといふのであらうか、逢ひたいものである。
〔評〕 契沖のいつてゐる通り、殺目山を越えて妹がり行き、逢はずして空しく歸る人の詠んだものと思はれる。即ち序は單なる修飾でなく、眼前の實景を捉へ、實情に即してゐる所に生趣がある。
〔語〕 ○殺目山 紀伊國日高郡切目村、後世、後鳥羽天皇の熊野御幸に歌會をあそばされた切目王子のある所。
 
3038 斯《か》く戀ひむものと知りせば夕《ゆふべ》置きて朝《あした》は消《け》ぬる露ならましを
 
(77)〔譯〕 これほどに戀に苦しむものと知つてゐたらば、いつそ夕方草葉に置いて朝は消える露であればよかつたものを。
〔評〕 戀の苦患に堪へかねた人の、寧ろ死を冀ふ眞實だけに、迫るものがある。調も優婉である。
 
3039 夕《ゆふべ》置きて朝《あした》は消《け》ぬる白露の消《け》ぬべき戀も吾はするかも
 
〔譯〕 夕方に置いて朝は消える白露の消え易いやうに、命も消えてしまふばかりの苦しい戀を私はすることである。
〔評〕 前の歌に句は似てをるものの、迫力が乏しい。「二二九一」に類歌がある。
 
3040 後つひに妹に逢はむと朝露の命は生《い》けり戀は繁けど
 
〔譯〕 後々は必ずいとしい女に逢へるであらうと、それを頼みに、朝霧のやうな消え易い命をつないでゐる。戀の思は繁くて苦しいけれども。
〔評〕 類想が多く、比喩も常套的ではあるが、句法の緊張してゐる點に多少の魅力がある。
 
3041 朝なさな草の上《へ》白く置く露の消《け》なば共にといひし君はも
 
〔譯〕 毎朝毎朝草葉の上に白く置く露の消えてゆくやうに、死ぬなら一緒にと契り交したあのお方はまあ、今はどうしてをられるやら。
〔評〕 格調優雅で、愛慕の情がこまやかに滿ち溢れてゐる。序の用ゐ方も珍しくはないが、甚だ巧妙である。
 
3042 朝日さす春日の小野《をの》に置く露の消《け》ぬべき吾が身惜しけくもなし
 
〔譯〕 朝日の光のさす春日野に置く露がやがて消えるやうに、消えてしまひさうな私の身は、惜しくも何ともない。
(78)〔評〕 失戀の苦杯をなめて、絶望に陷つた女の自棄の聲であらう。
 
3043 露霜の消《け》やすき我が身老いぬともまた若《を》ち反《かへ》り君をし待たむ
 
〔譯〕 露霜のやうに消え易い私の身は、思を遂げずに年をとつても、また若返つてあなたに逢ふ時を待ちませう。
〔評〕 「二六八九」の歌と、初句が「露霜」と「朝露」と僅かに異なるのみ、同一歌の異傳である。
 
3044 君待つと庭にし居《を》れば打靡く吾が黒髪に霜ぞ置きにける【或本の歌尾句に云ふ、白たへの我が衣手に露ぞ置きにける】
 
〔譯〕 あなたのお出でを待つとて、庭に立つてをりますと、長くふさふさと垂れ靡いてゐる私の黒髪に、霜が置きました。
 或本の歌――私の着物の袖に、露がしつとり置きました。
〔評〕 冴え凍る霜庭に、愛人を待つて庭に立ち盡くす黒髪長き佳人の姿があはれに目前に浮ぶ。袖に露が置くといふ或本の歌よりも、黒髪に霜のおく方が切實味があつて優れてゐる。
〔訓〕 ○庭にし 白文「庭耳」。「耳」はニであるが、シをよみそへたものとする。代匠記のノミとよむは字面に忠であるが、意がとほらぬ。「耳」を「西」の誤か、下に「之」の脱かと古義の説がある。
 
3045 朝霜の消《け》ぬべくのみや時無しに思ひわたらむ氣《いき》の緒にして
 
〔譯〕 朝霜の消えるやうに、命も消えてしまひさうに、何時《いつ》といふこともなく、絶えず私は思ひ續けてゐることであらうか、命がけで。
〔評〕 心弱い戀を顧みて、我と我が身を勵ますやうに詠じたのがあはれである。女の作であらう。
 
(79)3046 小浪《ささなみ》の波越す安暫《あざ》に降る小雨《こさめ》間《あひだ》も置きて吾が念《も》はなくに
 
〔譯〕 波の越して來る田の畦に降る小雨が隙《ひま》も無いやうに、絶間をおいてなど私は思つてをりませぬ、いつも思ひつづけてゐるのです。
〔評〕 序に素朴な味があり、五月雨頃の田園の風趣が眼の前に浮んでくる。作者は田舍女であらう。
〔語〕 ○小浪の 「ささなみ」は小さな浪の意と見る説(略解・古義)と、地名と見る説(新考)とある。田舍女の歌で、小さな波の波と重ねたものと思はれる。○あざ あぜ(畦)であらう。
 
3047 神《かむ》さびて巖に生《お》ふる松が根の君が心は忘れかねつも
 
〔譯〕 神々しい樣子に古びて巖の上に生えてゐる松の根のやうに、いつまでも變らぬあなたのお心は、私は忘れ得ぬことであります。
〔評〕 年久しく馴れ親しんだ夫婦の間のしみじみとした感謝の情を詠んだものであらう。聊かも浮いたところや華やかなところが無く、松の木のやうに質素で、澁い味の中に、眞情が深く滲んでゐる。
 
3048 御獵《みかり》する鴈羽《かりは》の小野の櫟柴《ならしば》の馴《な》れは益《まさ》らず戀こそまされ
 
〔譯〕 貴い方の御獵をなさる雁羽の野の櫟柴ではないが、あのお方と馴れ親しむことは益さずに、戀しい思だけが、徒らに益して行くことである。
〔評〕 人目の關に隔てられてか、相手の心が冷やかなのか、親しくはならずに、戀心のみ徒らに募つて行く焦慮は堪へ難いものがある。四五句にその切迫した感情がよく表はれてゐる。
(80)〔語〕 ○雁羽の小野 所在不明。○櫟柴 ならの木。櫟はイチヒであるが、同じぐ殻斗科で似てゐるから、古くは、イチヒ、ナラ、クヌギ等を總稱して、ナラと呼んだものと思はれる。柴は一般に雜木を總稱していふが、ここは接尾辭的用法。
 
3049 櫻麻《さくらあさ》の麻原《をふ》の下草早く生《お》ひば妹が下紐|解《と》かざらましを
 
〔譯〕 櫻麻の苧生《をふ》に下草がともすれば早くはえ伸びるやうに、うつかりしてゐる中に自分より先に他の男がいひ寄つてゐたらば、自分はこの女の下紐を解くこともできなかつたであらうに。
〔評〕 かはゆい女を妻とすることが出來た喜を歌つたものであらう。併し、序の用法が明瞭を缺く憾があるので、古來解釋が區々である。姑く古義の説に據つて、解いておく。
〔語〕 ○櫻麻の 花のさく雄麻の苧生《をふ》と續く枕詞とも、櫻といふ地から出る麻のはえる畑(麻原《をふ》)とも、諸説がある。
 
3050 春日野に淺茅《あさぢ》標《しめ》結《ゆ》ひ斷《た》えめやと吾が念《も》ふ人はいや遠長《とほなが》に
 
〔譯〕 春日野で淺茅に標を張つてその繩の絶えない事を冀ふやうに、二人の仲が何で斷えようぞと自分が思つてゐるあの女は、いよいよ末長く、自分に靡き寄るであらう。
〔評〕 二人の仲はいよいよ遠く長く續くであらうと信じながら、又一面に戀する人の常として一抹の不安もあり、その仲らひの永續を希望したのである。上の序には、女をわが物と領ずる意がこもつてゐる。
〔語〕 ○淺茅標結ひ 淺茅はまばらに生えた茅。「我が標めし野山の淺茅」(一三四七)、「淺茅原後見む爲に標結はましを」(一三四二)などあるから、ここも淺茅を女に譬へたものと見る説もある。
 
3051 あしひきの山|菅《すが》の根のねもころに吾はぞ戀ふる君が光僞《すがた》に【或本の歌に曰く、我が思ふ人を見むよしもがも】
 
〔譯〕 山菅の根の「ね」といふ如く、ねんごろに心から私は戀しく思つてをります、あなたのお姿を。
  或本の歌――私の思ふお方を、見るてだてがあればよいがなあ。
〔評〕 内容が常套的、序も類型的である。或本の歌は別の歌とも見られるが、これも特異な點は無い。
 
3052 杜若《かきつばた》開《さき》澤に生《お》ふる菅《すが》の根の絶ゆとや君が見えぬ此の頃
 
〔譯〕 さき澤に生えてゐる菅の根の引けば切れるやうに、私と切れようとてか、あなたは此頃少しもお見えになりませぬ。
〔評〕 平明であつて、男に棄てられようとしてゐる女の苦惱や煩悶乃至怨恨といふやうなものはあまり感じられない。
〔語〕 ○杜若 咲きの意で「さき澤」にかかる枕詞。「をみなへし咲澤に生ふる」(六七五)參照。
 
3053 あしひきの山|菅《すが》の根のねもころに止《や》まず思はば妹に逢はむかも
 
〔譯〕 山菅の根の「ね」といふ如く、ねんごろに心から絶えず思つてゐたならば、つひには心が通じて、戀しい女に逢ふことが出來ようかなあ。
〔評〕 内容表現共に類型を脱せず、平板にして殆ど感激のない作である。
 
3054 相思はずあるものをかも菅《すが》の根のねもころごろに吾が思《も》へるらむ
 
〔譯) あのお方は私のことを何とも思はずにゐられるものを、一所懸命に心から私は思ひ慕つてゐるのであらうか。
(82)〔評〕 片戀の遣瀬なさに、自らかへりみて我が思ひを怪しんでゐるのである。内容はありふれたものであるが、語句に熱を帶びて人に迫るところがある。「六八二」の家持の作は、これを粉本としたものであらうか。
 
3055 山|菅《すげ》の止《や》まずて君をおもへかも吾が心神《こころど》の此の頃は無き
 
〔譯〕 いつも止まず絶えずあなたを思つてゐる爲か、私のしつかりした魂が此の頃はまるで無くなつたことです。
〔評〕 「君をおもへかも」とよそごとの如く言ひなしてゐる所、控へ目な女性の心理が窺はれて却つてあはれである。自らふがひないと我が身を叱りつけたいまでに弱くなつた人の姿が巧に描かれてゐる。
 
3056 妹が門|去《ゆ》き過ぎかねて草結ぶ風吹き解くな又顧みむ【一に云ふ、ただにあふまでに】
 
〔譯〕 いとしい女の家の門前を、自分はそのまま通り過ぎかねて、傍なる草の葉をこのやうに結んでおく。風よ。どうかこれを吹き解いてくれるな。自分は又立ち歸つて相見ようと思ふのである。(一に云ふ――又直接逢ふ時まで)
〔評〕 草結びの咒術は上代人の信仰で集中多く詠まれてゐる。この歌は旅に出る男の作であらうか。草葉を結んでおいて、再び歸つて來た時それが猶結ばれたままであれば、思のかなふ吉兆としたのである。愛する女と當分相見るを得ぬ男の堪へ難い溜息が聞えるやうである。結句は別傳よりも本文の方が力があつてよい。
 
3057 淺茅原|茅生《ちふ》に足|蹈《ふ》み心ぐみ吾が念《も》ふ兒らが家のあたり見つ【一に云ふ、妹が家のあたり見つ】
 
〔譯〕 茅野原に足を踏み込んで心苦しく惱むやうに、怏々として心慰まずに、思ふ女の家のあたりを見やつたことである。
〔評〕 心の晴れぬままに門を出て野をさまよひ、逢へないまでも、せめてはよそながらでもと、遙かに戀しい女の家(83)のあたりを眺めた、といふのである。序は單なる技巧的のものでなく、作者の踏んでゐる淺茅原の實境であらう。
〔語〕 ○心ぐみ 心惱ましく思つての意。形容詞「心ぐし」の語幹に接尾辭「み」を添へたもの。
 
3058 うち日さす宮にはあれど鴨頭《つき》草の移ろふ情《こころ》吾が思《も》はなくに
 
〔譯〕 宮中に仕へて多くの人々の中には居りますが、鴨頭草の花のやうな移り易い心は、私は微塵も持つて居りませぬ。
〔評〕 宮廷に奉仕してゐる若い女が、愛人に二心のないことを誓つた歌。その生活に誘惑の多かつたことを示してゐるともいへよう。
 
3059 百《もも》に千《ち》に人は言ふともつき草の移《うつ》ろふこころ吾《われ》持ためやも
 
〔譯〕 色々に世間の人は言ひ立てても、つき草の花のやうな移り易い心を、何で私が持ちませうか。
〔評〕 平明率直で、そこに眞情が溢れてゐる。初二句の辭樣は巧まずして巧である。
 
3060 わすれ草吾が紐に著《つ》く時と無く思ひわたれば生《い》けりともなし
 
〔譯〕 物思を忘れさせるといふ忘れ草を、私は着物の紐につけて置く。こんなにいつといふこともなく絶えず戀ひつづけてゐては、苦しくて生きてゐるといふ心地もしないのである。
〔評〕 戀する人の苦惱を歌つたもので、同想は少くない。格調は、先づ端的に結語を下して第二句で切り、以下その理由を説明してゐる。「三三四」の歌は同型であるが、これを襲用したのであらう。
〔語〕 ○わすれ草 萱草。今クワンザウといふ。「三三四」參照。○時となく いつと定まつた時なく、絶えず。
 
(84)3061 五更《あかとき》の目不醉草《めざましぐさ》と此《これ》をだに見つつ坐《いま》して吾と偲《しの》はせ
 
〔譯〕 夜明け方の目醍しの料として、せめてこれでも御覽になりながら、私と思つてお偲び下さいませ。
〔評〕 何か記念となる物を贈つて、それに添へた歌で、上品に、情緒もゆたかである。但、「目ざまし草」は草の名ではないから、分類としてはここに入れたのは誤である。
〔語〕 ○目不醉草 目を醒まさせる爲の品の意。草は料の意で、草の名ではない。「手向ぐさ」のくさに同じ。
 
3062 わすれ草垣も繁森《しみみ》に植《う》ゑたれど醜《しこ》の醜草《しこぐさ》なほ戀ひにけり
 
〔譯〕 物思を忘れさせるといふ萱草を、垣根のあたり一ぱいに繁く植ゑたけれども、この馬鹿な草め、何のききめも無く、自分はやつぱり戀ひ焦れてゐるわい。
〔評〕 表面は草を罵りながら、實は戀に惱みぬいてゐる自分に對する自嘲である。「七二七」の家持の歌は、これと同工異曲で、此の歌を粉本にしたと思はれる。
〔語〕 ○醜の醜草 醜はみにくい、くだらないの意。わすれ草と名におひながら効果のないのを罵つていふ。
 
3063 淺茅原小野に標《しめ》結《ゆ》ふ空言《むなごと》も逢はむと聞《き》こせ戀の慰《なぐさ》に
  或本の歌に曰く、來むと知らせし君をし待たむ。また柿本朝臣人麻呂の歌集に見ゆ。然れども落句少しく異なれるのみ。
 
〔譯〕 まばらに茅の生えた野に標を結ふのは何にもならない事ですが、そのやうに、せめて空手形にでも、逢はうとおつしやつて下さいませ、私の切ない戀の慰めの爲に。
(85)  或本の歌――來ようとお知らせになつたあなたを私は待ちませう。
〔評〕 はかない戀の心なぐさに、うそにでも嬉しい言葉が聞きたいといふのは、いぢらしい望である。つつましい女性の姿が見える。或本の四五句は意を異にするので別の歌である。情の可憐なことは本文の方がまさつてゐる。人麿歌集中に見えるといふのは、「二四六六」を指す。「落句」は漢詩の用語で、結句のこと。
 
3064 人皆の笠に縫ふとふ有間|菅《すげ》在りて後にも逢はむとぞ思ふ
 
〔譯〕 世間の人が皆笠に縫ふといふ攝津の國の有間の菅の「あり」といふやうに、かうして在り永らへて年月が經つた後にでも、また逢はうと思つてゐる。
〔評〕 一二句の序に異色がある。「二七五七」にこの類歌はあるが、それよりも、此の歌の方が民衆生活に即した感がある。
 
3065 み吉野の蜻蛉《あきつ》の小野に刈る草《かや》の思ひ亂れてぬる夜しぞ多き
 
〔譯〕 吉野の蜻蛉の野邊で刈る萱の亂れ亂れてゐるやうに、君戀しさに心の亂れて寢る夜が多いことであります。
〔評〕 單純平明であるが、格調が流麗で氣分はよく出てゐる。四五句は「二三六五」の旋頭歌と同じである。
 
3066 妹待つと三笠の山の山|菅《すげ》の止《や》まずや戀ひむ命死なずは
 
〔譯〕 いとしい女に逢ふのを待つとて、三笠の山の山菅ではないが、止まずにいつまでも戀ひ續けることであらうか、命の絶えない限りは。
〔評〕 激しい戀情に自ら惱みつつある人の實感で、本人にとつては「命死なずは」も誇張ではなからう。序が中間に(86)あるところ、變つた句法が注意を惹く。
 
3067 谷|狹《せば》み峯|邊《べ》に延《は》へる玉|葛《かづら》蔓《は》へてしあらば年に來《こ》ずとも【一に云ふ、いはづなのはへてしあらば】
 
〔譯〕 谷が狹いために峯の邊に延び生えてゐる蔓草が長く續くやうに、二人の中が續いてさへゐたらば、たとへ一年間お出でにならなくとも辛抱してをります。
〔評〕 男の心がはりさへ無かつたらば、假令逢はずとも幾年でも待たうといふ、あはれな女心である。結句は言ひさして止め、餘情を含めたところ、趣があつてよい。この序は、「三五〇七」と同型である。
 
3068 水莖の岡のくず葉を吹きかへし面知《おもし》る兒らが見えぬ頃かも
 
〔譯〕 岡の葛の葉を秋風が吹き飜へして、目に立つやうに、よく目立つて顔を知つてゐるあの少女が、この頃ちつとも見えないことである。
〔評〕 序がすぐれて居り、葛の葉の白く裏がへるさま、印象爽快である。類歌に「三〇一五」がある。いづれかが本歌であらう。
〔語〕 ○水莖の 「岡」の枕詞。○面知る兒ら 顔を見知つてゐる女の意。「ら」は親しみの意を示す接尾辭。
 
3069 赤駒のい行き憚るまくず原何の傳言《つてごと》直《ただ》にし吉《え》けむ
 
〔譯〕 赤駒の行き惱んでゐる葛の茂つた原、その葛原の行きづらいやうに、ここへ來かねて、何でまあ傳言などを人に頼むのか。自分で來て直接に言へばよからうに。
〔評〕 これと同じ歌が、童謠として日本書紀天智天皇の卷に傳へられてゐる。古への童謠は多くは政治上の諷刺であ(87)るが、この歌は戀愛歌と思はれる。しかし、上の三句、また四五句にも、寓意があるともとられる。
〔語〕 ○赤駒の 「赤」は特に重要な意味はない。馬の毛色は赤が多いからいふ。
 
3070 木綿疊《ゆふだたみ》田上《たなかみ》山のさな葛《かづら》在りさりてしも今ならずとも
 
〔譯〕 田上山のさね葛の續いて絶えないやうに、かうして在り永らへてあなたにお逢ひしたいと思ひます。たとひ今直ぐではなくても。
〔評〕 類想はあるが、この歌の語句には多少の異色がある。即ち第四句は、後になつても逢はうといふので、珍らしく巧妙な省略法である。結句も力がある。
〔語〕 ○木綿疊 「た」にかかる枕詞。「木綿疊手向の山」(一〇一七)參照。○さな葛 つる草、さね葛ともいふ。○ありさり 「さり」は「春されば」と同じく時間の移動を表はす動詞で、在り經て、在り永らへての意。
 
3071 丹波道《たにはぢ》の大江の山の眞玉葛《またまづら》絶えむの心我が思《も》はなくに
 
〔譯〕 丹波へ行く道の大江山の玉葛は長くて絶えないが、あなたとの仲を絶やさうなどといふ心持は、私は思つても居りませぬ。
〔評〕 大江山を詠み入れた歌は、集中この一首のみである。民謠であつて、想も語句も類型的である。
 
3072 大埼の荒磯《ありそ》の渡《わたり》延《は》ふ葛《くず》の行方《ゆくへ》も無くや戀ひわたりなむ
 
〔譯〕 大埼の荒い磯邊の渡場に這つてゐる葛が、何處と方向も定めず延びてゆくやうに、行末の見當も分らず、ひたすらに戀ひつづけることであらうか。
(88)〔評〕 我ながら如何ともし難い戀情に惱みぬいてゐる人の苦患が、眞率に表はれてゐる。紀伊の國大埼附近で謠はれた民謠であらう。
 
3073 木綿裹《ゆふづつみ》【一に云ふ、疊】白月《しらつき》山のさな葛《かづら》後もかならず逢はむとぞ念ふ【或本の歌に曰く、絶えむと妹をわが念はなくに】
 
〔譯〕 白月山のさね葛が、延び分れて行つても又再び逢ふやうに、今はともかく、後になつても必ず戀人に逢はうと思ふ。
 或本の歌――さね葛の絶えないやうに、戀人との間が絶えようなどと決して思はない。
〔評〕 内容に特異性は何もないが、序中の白月山といふやうな地名がめづらしく、一種清爽な感じを誘つて面白い。
〔語〕 ○木綿裹 他に例の見えない語、或は木綿疊と同じともいふ(代匠記)。木綿は白いものゆゑ、「白月山」の枕詞とした。○白月山 所在不詳。
 
3074 唐棣花《はねず》色の移ろひ易き情《こころ》あれば年をぞ來經《きふ》る言は絶えずて
 
〔譯〕 唐棣花色のやうに移り易い心をあなたは持つていらつしやるので、逢つても下さらずに徒らに年を過すことです。音信だけは絶えないで。
〔評〕 目先だけうまくて實意のない男に對する怨言であるが、互に眞劍な戀でなく、女も幾分遊戯的な氣分で皮肉を言つてゐるやうに見える。
 
3075 斯くしてぞ人の死ぬとふ藤浪のただ一目のみ見し人ゆゑに
 
〔譯〕 こんな風で、自分のやうに人は焦れ死にをするものであるといひますよ。唯一目みた女ゆゑに。
(89)〔評〕 人目見たばかりの人を命をかけて戀ひ慕ふといふ情熱が溢れてゐる。これは獨白的の感懷でなく、切々の情を相手に愬へたもののやうに解される。
〔語〕 ○藤浪の 枕詞か譬喩であらうが、次の句とのつづきは明かでない。○人ゆゑに その人の爲にの意。「人」は、ここは女をさす。第二句の「人」は一般の人をいふ。
 
3076 住吉《すみのえ》の敷津《しきつ》の浦の名告藻《なのりそ》の名は告《の》りてしを逢はなくも恠《あや》し
 
〔譯〕 住の江の敷津の浦に生えてをる名告藻の「なのり」といふ如く、あの女は、自らの名を告《の》り明かしたのに、逢はないのはどうしたものであらう、不思議なことである。
〔評〕 上代の風習では、女が男に對して自らの名を告げるのは、身も心も許すといふことを意味したのである。海草の「なのりそ」から名告る、名告らぬに言ひつづける技巧は、當時の慣用で集中類例が多い。本卷にも「三一七七」は内容、外形、共に酷似してゐる。
 
3077 みさご居《ゐ》る荒磯《ありそ》に生ふる名告藻《なのりそ》の縱《よ》し名は告《の》らじ父母《おや》は知るとも
 
〔譯〕 みさごのをる荒磯に生えてゐる名告藻の「なのり」といふが、ままよ、あなたの名は申しますまい。たとへ親達が二人の中を知りましても。
〔評〕 よしや父母に感づかれようとも、愛人を大切にかばはうといふひたぶるな女心が、張り切つて出てゐる。「三六三」と酷似してゐる。傳承の間に少異を生じたのであらう。
 
3078 浪の共《むた》なびく玉藻の片思《かたもひ》に吾《わ》が思《も》ふ人の言の繁けく
 
(90)〔譯〕 浪のまにまに靡く玉藻の片方に寄るが如く、片思ひに私が思つてゐる人が、何やかやと噂のやかましいことである。
〔評〕 思ふ男について、世間の風評が近來高くなつて來た。そして、自らの名も時々引合に出されるやうなのに、小さな胸を痛めてゐる、如何にも若い女性らしい歌である。
 
3079 海若《わたつみ》の沖つ玉藻の靡き寢《ね》む早|來《き》ませ君待たば苦しも
 
〔譯〕 海の沖に生えてゐる玉藻の靡くやうに、うち靡いて寢ませう。早くいらつしやいませ、あなた。いつまでも待つてゐるのでは、苦しうございます。
〔評〕 熱情の昂騰がおのづから調子の上にあらはれて、三句以下盡く切れ、更に四句も小さく二つに切れて、切迫感が出てゐる。俗謠的な輕快さと露骨さとがある。
 
3080 わたつみの沖に生《お》ひたる繩苔《なはのり》の名は曾《かつ》て告《の》らじ戀ひは死ぬとも
 
〔譯〕 海の沖に生えてゐる繩のりではないが、戀人の名は決して告《の》り明かすまい、たとへ戀ひ死をしようとも。
〔評〕 序に繩苔を用ゐたのは變つてゐるが、全體としてはやはり類型的である。
〔語〕 ○繩のり 繩のやうに細長い海苔であらう。萬葉植物新考には「海そうめん」のことかとある。
 
3081 玉の緒を片緒に搓《よ》りて緒を弱み亂るる時に戀ひずあらめやも
 
〔譯〕 玉を貫く緒を片絲に搓り、その緒が弱い爲に、切れて玉が亂れ散るが、ちやうどそのやうに、二人の仲が破れて離れ離れになつたらば、その時に戀しく思はないでゐられようか。
(91)〔評〕 もしも二人の仲が絶えたら、別れ別れになつたら、とは想像するだけでも不吉な恐しいことであるが、戀人の常情で、樂しいにつけ苦しいにつけ、ふと不吉な場面にまで考へ到つて慄然とする。さうした繊細な感情がよく表はれてゐる。恐らく女人の作であらう。
 
3082 君に逢はず久しくなりぬ玉の緒の長き命の惜しけくもなし
 
〔譯〕 あなたに逢はないで隨分久しくなりました。これでは、玉の緒のやうに、末長い私の命が惜しくもありませぬ。いつそ死んでしまひたい程です。
〔評〕 戀する男に久しく逢ふ瀬の絶えた心細さ不安さは、遂に生の苦痛に堪へかねて、寧ろ死を希ふといふのも僞らぬ至情であらう。率直端的の作。
 
3083 戀ふること益《まさ》れる今は玉の緒の絶えて亂れて死ぬべく念《おも》ほゆ
 
〔譯〕 戀ひ焦れることのいよいよ募つて來た今では、玉を貫いた緒が切れて玉が散り亂れるやうに、私は心が亂れて、命も死にさうに思はれる。
〔評〕 類想の作はあるが、初二句の素朴無技巧、結句の直截、相俟つて一首に熱と力とを漲らせてゐる。
 
3084 海處女《あまをとめ》潜《かづ》き取るとふ忘貝世にも忘れじ妹が光儀《すがた》は
 
〔譯〕 海人の少女が海底に潜つて取つて來るといふ忘貝、その「わすれ」ではないが、自分は決して忘れはしまい、戀しいそなたの姿は。
〔評〕 平明にして流暢な歌である。内容については特にいふことも無い。「忘る」、「忘れず」の序に、忘貝や忘草を(92)用ゐるのは、當時の慣用であつた。
 
3085 朝影に吾が身はなりぬ玉蜻《たまかぎる》ほのかに見えて徃《い》にし兒ゆゑに
 
〔譯〕 朝日に映じた影法師のやうな痩せ細つた姿に、自分の身はなつてしまつた。ちらと見えて行き過ぎたあの美しい女ゆゑに。
〔評〕 「二三九四」と用字法に少異があるのみで全く同歌である。ここでは寄物陳思の部類の動物の中に入つてゐるが、それは「玉蜻」の文字によつたもの、蜻は蟲の名。
〔訓〕 ○玉かぎる 白文「玉蜻」、同歌なる「二三九四」には「玉垣入」とある。枕詞としては、玉のきらきらする光のほのかにとつづくと解するが、集中「玉蜻」「玉蜻※[虫+廷]」「蜻火」等の用例があつて、蜻がカキルとよばれたことが知られる。
 
3086 なかなかに人とあらずは桑子にもならましものを玉の緒ばかり
 
〔譯〕 なまじつか人間などでなくて、寧ろ蠶にでもなつたらばよからうなあ、ほんの暫しの間でも。
〔評〕 作者は恐らく農村の女で、實生活の體驗から生れた歌であらう。即ち、蠶を飼つてゐる女が、戀に惱んでゐる己を顧み、今眼前に物思も無げに桑をはみつづけてゐる蠶を羨んでゐるのである。取材が珍らしく、生活が浮び出てゐるのがよい。
 
3087 眞菅《ますが》よし宗我《そが》の河原に鳴く千鳥|間《な》無し吾背子わが戀ふらくは
 
〔譯〕 宗我の河原で鳴いてゐる千鳥の絶間もないやうに、絶間もありませぬ、あなたよ。私かあなたを戀しく思つて(93)をりますことは。
〔評〕 著想は新奇とはいへぬが、格調が、張りも抑揚もあつて、如何にも流麗である。「吾背子」と呼びかけの句を挿入したのも、單調を破つてよい。「三一六八」の類歌に比べると、生動の妙がある。
〔語〕 ○眞菅よし スガからソガの類音による枕詞。推古紀には「まそがよ蘇我」とある。○宗我の河原 大和國高市郡にある。能登瀬川の下流。
 
3088 戀|衣《ごろも》著《き》奈良の山に鳴く鳥の間無く時無し吾が態ふらくは
 
〔譯〕 戀衣を著馴らすといふ名の奈良山に鳴く鳥が、絶間もなく鳴いてゐるやうに、絶間もなければ、時のきまりも無い。私があの人を戀しく思ふことは。
〔評〕 四五句は類型的であるが、序中に更に序を用ゐて巧妙である。特に「戀衣著ならの山」とつづけたのがよい。
〔語〕 ○戀衣著奈良の山 「戀衣」は集中他に用例はないが、戀を着物にたとへたいひあらはし方で、戀をつづけてゐるの意であらう。衣を著ならす意で、同音の「奈良山」にかけた序。
 
3089 遠つ人|獵道《かりぢ》の池に住む鳥の立ちても居ても君をしぞ念《も》ふ
 
〔譯〕 獵道の池に住む鳥が飛び立つたり水上にゐたりするやうに、立つても坐つても、私はいつもあなたのことを思つてゐることです。
〔評〕 これも類想の多い歌で、序の如何によつて巧拙が分れる。「二二九四」「二四五三」などに比すると、それらは序が「立ちても」だけにかかつてゐるのに、此の歌は「ゐても」へもかかつてゐる點が適切で巧妙である。
〔語〕 ○遠つ人 遠くの人の意で、雁は遠國から飛んで來るから「雁」の枕詞としたもの、ほととぎすの枕詞として(94)「本つ人」(一九六二)といふのと同じ擬人法である。雁と獵との同音で、大和國磯城郡の獵路の池の枕詞に用ゐた。
 
3090 葦邊ゆく鴨の羽音の聲《おと》のみに聞きつつもとな戀ひわたるかも
 
〔譯〕 葦の茂つたあたりを飛びゆく鴨の羽音のやうに、音(噂)にばかり聞いてゐて、よしなくも戀ひつづけることであるよ。
〔評〕 美しい人、しとやかな女と、頻りに風評を聞いて、見ぬ戀にあこがれてゐるのである。形式には類似のものがあるが、序が珍しい。
〔語〕 ○葦邊ゆく鴨の羽音の 同意同音の語を重ねた序で次句の「おと」にかかる。○もとな わけもなく、徒らに。
 
3091 鴨すらも己《おの》が、つまどち求食《あさり》して後《おく》るる程に戀ふとふものを
 
〔譯〕 鴨でさへも、自分の夫婦どうし、共に餌を捜し歩いて、少しでも一方が後れる時は、戀しがつて鳴くといふものを。まして人たる身で、自分が妻と離れて歎かずに、ゐられようか。
〔評〕 鴨の習性を仔細に觀察し、巧みに描いて譬喩としてゐる。しかも、作者自身の本當の氣特は餘意として言外に匂はせたのみでありながら、何人にも同情を以てはつきり酌み取られる。「三九〇」と似た趣があり、更に、素朴で眞實味に富んでゐる。
 
3092 白眞弓《しらまゆみ》斐太《ひだ》の細江の菅《すが》鳥の妹に戀ふれや寢《い》を宿《ね》かねつる
 
〔譯〕 斐太の細江に住む菅鳥のやうに、自分は愛する女を思ひつめてゐるからか、こんなに眠りかねて輾轉反側してゐる。
(95)〔評〕 夜深く獨寢の夢を結びかねてゐる折から、遠く菅鳥の聲を聞いて詠んだものであらう。序に特色がある。
〔語〕 ○白眞弓 檀の白木で作つた弓。引くといふ意から「ひ」にかけた枕詞。○斐太の細江 所在不明。大和國とも飛騨國ともいふ。○菅鳥 不明。海録(山崎美成)にはヨシキリのことかとある。
 
3093 小竹《しの》の上に來居《きゐ》て鳴く鳥目を安み人妻ゆゑに吾《われ》戀ひにけり
 
〔譯〕 小竹の上に來てとまつて鳴く鳥ではないが、見た目が安らかで美しく、牽きつけられるので、人妻であるその人のために、自分は戀になやむことになつてしまつた。
〔評〕 美しい人妻に思を懸けてゐる歌であるが、序が新鮮にして爽かな爲に、内容と不即不離の趣があり、その美しさを象徴してゐるやうな感じがする。
〔語〕 ○小竹の上に來居て鳴く鳥 次の目にかかる序。冠辭考では「群」の約「め」が、同音のゆゑにつづくと説く。
 
3094 物|思《も》ふと宿《い》ねず起きたる朝けには佗《わ》びて鳴くなり鶏《にはつとり》さへ
 
〔譯〕 物を思ふとて終夜眠らずに起きでゐた朝方には、ものがなしげに鳴いてゐる、あの鷄までが。
〔評〕 わが心の惱みゆゑには、見るもの聞くもの、すべて傷心の種ならぬは無い。元氣よく曉を告げる鷄の聲さへもわびしげにきこえる。「二四六五」と同工異曲である。
〔語〕 ○庭つ鳥 人家の庭にゐる鳥の義で「かけ」の枕詞であつたのが、「かけ」その物の意に轉用された。
 
3095 朝烏早くな鳴きそ吾背子が朝けの容儀《すがた》見れば悲しも
 
〔譯〕 朝鴉よ、早く鳴いてくれるな。私の夫が起き出て歸つて行かれる朝方の姿を見ると、私は悲しいのであるから。
(96)〔評〕 一刻も長く引留めておきたい女の眞情が、よく表はれてゐる。「七〇九」は、これと朝夕で對をなすともいふべき同じ心境の歌である。
 
3096 馬柵越《うませご》しに麥|喰《は》む駒の詈《の》らゆれど猶し戀《こほ》しく思《しの》ひかてなく
 
〔譯〕 馬柵越しに麥を食ふ馬が罵られるやうに、私は親から叱られはするけれども、やはりあなたが戀しくて、どうにも思に堪へられぬことです。
〔評〕 農村の少女の戀である。野趣滿幅といふべく、譬喩も適切である。素朴で眞率な心から出た自然の聲であつて、企てて及ぶ表現ではない。
〔語〕 ○馬柵 馬を飼ふ周圍に作つた柵。「五三〇」、及び「三五三七」の或本の歌にもある。馬柵を白文には※[木+巨]?とあるが、欅の若木の義で、欅の若枝で馬柵を結つた故であらうといふ。
 
3097 さ檜《ひ》の隈檜の隈川に馬|駐《とど》め馬に水|飲《か》へ吾《われ》外《よそ》に見む
 
〔譯〕 あなたは、檜の隈川のほとりに馬をとめて、馬に水をお飲ませなさいませ。さうしたら私は、なつかしいお姿を、よそながらも見て居りませう。
〔評〕 馬に乘つて通つて來た愛人との名殘を惜しんだもので、纒綿の情緒と流麗な聲調とは、優しい佳人の風?を偲ばせる。古今集大歌所歌の中にも、「ささの隈ひの隈川に駒とめて暫し水かへ影をだに見む」となつて殘つて居り、更にそれが源氏物語の葵・椎本兩卷にも引かれてゐるのを見れば、如何に廣く愛誦されたかが察せられる。
〔話〕 ○さ檜の隈檜の隈川 同語を重ねて聲調を整へたもの、「さ」は接頭辭。檜の隈川は大和國高市郡阪合村|檜前《ひのくま》の傍を流れ、後に曾我川と合流する。「一一〇九」參照。
 
(97)3098 おのれゆゑ詈《の》らえて居《を》れば※[馬+総の旁]馬《あをうま》の面高夫駄《おもたかぶだ》に乘りて來《く》べしや
     右の一首は、平群文屋朝臣益人傳へ云ふ、昔聞きしくは、紀皇女竊に高安王に嫁きて、責めらえし時に、この歌を作り給ひき。但、高安王は、左降して伊與國の守に任けらえき。
 
〔譯〕 お前ゆゑに、親に叱られて私がゐるのに、私の氣も知らないで、首をあげて歩む駄馬の青い馬などに乘つて、意氣揚々とやつて來るなどと、そんなことが一體ありますか。
〔評〕 農家の娘の思ひあがつた氣特の女が、戀人に對してしかりつけるやうにうたひかけた歌と解しておもしろい。
〔語〕 ○おのれゆゑ お前のせゐで。「おのれ」はここは自稱でなく、對稱である。○面高ぶだに 「面高」は面を高く上げて歩む樣。「ぶだ」は夫役に使ふ駄馬であらう。驛路の荷を負はす小荷駄馬(略解所引宣長説)プチウマ(古義)などの説がある。○來べしや 「や」は反語、來るべきであるか、來るべきではないと咎める意(考)。
〔訓〕 ○※[馬+総の旁]馬 舊訓アシケウマとあるが、和名抄によつて、アヲウマと訓む(代匠記精撰本)のがよい。
〔左註〕 編者が、平群文屋益人から聞いたままに書き加へたもの。紀皇女は天武天皇の皇女、高安王は、養老三年に伊豫國守になられた。「左降」は左遷の意である。この傳へによれば、紀皇女の作であるが、さうではなく、農民の間にうたはれな民謠であらう。
 
3099 紫草《むらさき》を草と別《わ》く別《わ》く伏す鹿の野は異にして心は同《おや》じ
 
〔譯〕 紫草をなつかしんで他の雜草と區別して、擇り分け擇り分けしつつ其の上に寢る鹿が、寢る野は雌雄おのおの異なつてゐても、互に思ふ心は同じである。丁度そのやうに、あなたと私も、住む所は別々ですが、戀ひ慕ふ心は同じことです。
(98)〔評〕 何の爲に紫草と他の草とを區別して鹿が特に紫草の上に寢るのか、此の歌ではその點は明瞭を缺くが、「むらさきの匂へる妹」(二一)とある如く、尊ばれた草であるからであらう。四句は、鹿の雌雄野を異にして寢るといふ俗信があつたのであらう。
 
3100 おもはぬを想ふといはぼ眞鳥住む卯名手《うなて》の社《もり》の神し知らさむ
 
〔譯〕 思つてもゐないのに思つてゐますなどと、もし嘘をいひましたならば、あの鷲の住む卯名手の社の神樣が御照覽あつて、必ず罰をおあてになりませう。決してうそ僞は申しませぬ。
〔評〕 「眞鳥住む卯名手の社」の句が凄愴の感を與へて、神罰の恐しさを思はせるものがある。「五六一」の大伴百代の歌は、これを改作したもので、しかも劣つてゐる。
〔語〕 ○眞鳥住む卯名手の社 眞鳥は鷲。卯名手の社の森に鷲がゐたのであらう。社は大和國高市郡|雲梯《うなて》にあつた。「一三四四」參照。
 
  問答《もにたふ》の歌《うた》
 
3101 紫は灰|指《さ》すものぞ海石榴《つば》市の八十《やそ》の衢《ちまた》に逢へる兒《こ》や誰《たれ》
 
〔譯〕 紫の染汁には、椿の木を燒いた灰を加へるものである。その「つばき」から聯想される海石榴市の四通八達の(99)辻で、逢つた女、そなたは、何といふ名なのか。
〔評〕 大和の海石榴市で、古く歌垣が盛んに行はれたことは有名であり、上の「二九五一」の歌もそれと思はれるが、今この歌も、その歌垣の場に行き逢つた女の名を知りたいといふ歌であらう。序は當時の染色法を語つた珍しいもので、文化史的資料である。内容と格調と共に素朴古雅である。
〔話〕 ○紫は灰指すものぞ 紫色を染めるには、紫草の根の汁に椿の木を燒いた灰汁を加へたのである。その椿灰からの聯想で海石榴市につづけた。○海石柘市 椿市とも書く。今の三輪村大字金屋附近の地。○八十の衢 幾條にも道の分岐した處で賑かな地點。
 
3102 たらちねの母が召《よ》ぶ名を申《まを》さめど路《みち》行《ゆ》く人を誰と知りてか
     右二首。
 
〔譯〕 言へとならば、お母さんが私を呼ぶ時仰しやる名前を申しもしませうが、しかし途上で逢つたばかりの、馴染の淺いあなたを、一體誰と知つて、私の大事な名を申しませう。あなたこそさきにお名を仰しやいませ。
〔評〕 ありのまま何の技巧をも加へぬ詠みぶりであるが、愛すべぎ純情と眞率な表現とで、古雅掬すべき調をなしてゐる。「歌はかくこそあるべきなれ」と眞淵は評してゐる。
 
3103 逢はなくは然もありなむ玉|梓《づさ》の使をだにも待ちやかねてむ
 
〔譯〕 逢つて下さらないのは、定めし事情あつての事でせうから、それはそれでも構ひませぬ。しかし、使ぐらゐは下されさうなものを、それすら幾ら待つても結局は待ちぼうけなのでせうか。
〔評〕 久しくとだえて、たまたまの使さへ送らぬ男に對する女の不平である。下二句の體は、坂上郎女の「六一九」、(100)また「二五四三」等と同じ趣である。初二句あたりの物おだやかな語氣は、啻に戀する女の弱さといふのみでなく、つつましやかなこの女性の人柄をあらはしたものであらう。
 
3104 逢はむとは千遍《ちたび》おもへど在り通《かよ》ふ人目を多み戀ひつつぞ居《を》る
     右二首。
 
〔譯〕 そなたに逢はうとは何遍も何遍も絶えず思つてゐるけれども、道を常に行き通ふ人の目が多いので、出かけることも出來ず、むなしく戀ひ焦れてゐるのである。
〔評〕 平明な歌で、常套的の答ではあるが、眞實な男ごころで、聊かも浮薄な點のないのがよい。
 
3105 人目多み直《ただ》に逢はずて蓋《けだ》しくも吾が戀ひ死なば誰《た》が名ならむも
 
〔譯〕 人目が多いといつて、そなたが躊躇して直接自分に逢はないでゐて、もし萬一自分が焦れ死でもしたならば、その時、世間の人の口にのぼるのは、一體誰の名前であらう。そなたの名前にきまつてゐるよ。
〔評〕 人目を憚り人言を恐れて容易に逢はうとせぬ女に對する、皮肉なおどかし文句である。上の「里人もかたり繼ぐがねよしゑやし戀ひても死なむ誰が名ならめや」(二八七三)ほどの激情はないが、表現は巧みである。
 
3106 相見まく欲《ほ》しみもすれば君よりも吾ぞ益《まさ》りていふかしみする
     右二首。
 
〔譯〕 私はあなたにお目にかかりたく思つてゐますので、あなたよりも私の方が一倍増して、心が欝々とふさいでゐることです。
(101)〔評〕 相手の鋭鋒をうまくそらして、私こそ先に戀死をしさうなほど屈託してゐると答へたのは、巧妙な應酬である。しかもおのづから眞實味があり、後世のこの種の歌のやうな遊戯的氣分には墮してゐない。
〔語〕 ○いふかしみ 類聚名義抄に、鬱をイフカシとある。心の晴れぬこと。
〔訓〕 ○欲しみしすれば 白文「欲爲者」、舊訓による。考はホシケクスレバ、新校はホシキガタメハと訓んでゐる。
 
3107 うつせみの人目を繁み逢はずして年の經ぬれば生《い》けりともなし
 
〔譯〕 人目が多いので、戀しいそなたに逢はずに、こんなにもう年が經つたので、自分はまるで生きてゐるといふ氣持もしないことである。
〔評〕 内容に特異な點もなく、ありふれた戀情で、類歌も少くないが、眞率平明なところが取得であらう。男の作。
〔語〕 ○うつせみの ここは「人」の枕詞。
 
3108 うつせみの人目繁くはぬばたまの彼《よる》の夢《いめ》にを續《つ》ぎて見えこそ
     右二首。
 
〔譯〕 人目が繁くて逢へないといふのならば、せめて夜の夢にでも毎夜續けてお姿を見せて下さいませ。
〔評〕 女の答歌である。しんみりと優しい情がこもつて讀者の心を搏つものがある。三句以下は「八〇七」と同じである。
 
3109 ねもころに思ふ吾妹を人言の繁きによりて不通《よど》む頃かも
 
〔譯〕 心から深く思つてゐるいとしいそなたであるものを、世間の人の取沙汰がうるさいために、ためらうて逢はず(102)にゐるこの頃ではある。
〔評〕 逢ふ瀬ままならぬ間で、男から女へ贈つた歌。平坦な内容で、表現も流暢ではあるが、類型的である。主句以下は「六三〇」と同じである。
 
3110 人言の繁くしあらば君も吾も絶えむといひて逢ひしものかも
     右二首。
 
〔譯〕 人の取沙汰がもしうるさかつたらば、あなたにしても私にしても、別れてしまはうと、そんなことを言つて逢ひ始めた仲であつたでせうか。いいえ、決してさうではなかつたのです。
〔評〕 今更世間の風評を恐れて逢はぬといふのは卑怯でせうよと、優柔な男の態度をなじつた女の作である。傍理も明快であり、熱と力とに滿ちてゐる。
 
3111 すべもなき片戀をすと此の頃に吾が死ねべきは夢《いめ》に見えきや
 
〔譯〕 遣瀬もなく苦しい片思をしてゐる爲に、今にも私が焦れ死にさうになつてゐるのは、あなたの夢に見えましたか。
〔評〕 片思の懊惱を愬へた女の歌である。情熱的の表現であつて、小刻みに運んで行つた格調の間に、おのづから作者の苦しい息づかひが感ぜられるやうである。
 
3112 歩《いめ》に見て衣《ころも》を取り著《き》装《よそ》ふ間《ま》に妹が使だ先《さき》だちにける
     右二首。
(103)〔譯〕 夢にそなたの窶れた姿を見て驚き、あわてて逢ひに行かうと着物を取り上げ身支度をしてゐる間に、そなたの使が先に來て、このお歌をもつて來ました。
〔評〕 響の物に應ずるやうな答で、頗る機智に富んだ作である。格調も波瀾曲折ある間に、倉惶とした氣分をあらはしてゐる。
 
3113 在り在りて後も逢はむと言《こと》のみを堅くいひつつ逢ふとは無しに
 
〔譯〕 かうして辛抱し續けて、後には逢はうと、言葉だけはあなたは堅く言つてお置きになりながら、少しも逢はうとはなさらないで――。
〔評〕 一時のがれに言葉だけをうまく繕つてゐる男に對して、女の述べた怨言である。眞實な心持を優婉な詞調に托したところ、おのづから人の心を牽くものがある。
〔訓〕 ○堅くいひつつ 白文「堅要管」要は約束する意。「三一一六」にも不相登要之(あはじといひし)とある。
 
3114 極《きは》まりて吾も逢はむと思へども人の言こそ繁き君にあれl     右二首。
 
〔譯〕 是非自分も逢ひたいとは思つてゐるけれども、とかく人に評判されがちのそなたであるから、思ふやうに逢ひに行けないのである。
〔評〕 女の怨言に對する男の慰撫で、初二句のあたり、強調した言葉を用ゐてはゐるが、要するに紋切型の辨解で、一向に熟が無い。大伴坂上郎女の「心には忘るる日無く思へども人の言こそ繁き君にあれ」(六四七)はこれを模したものか、三句以下全く同じである。
(104)〔語〕 ○極まりて 必ず、是非にの意。
 
3115 氣《いき》の緒に吾が氣衝《いきづ》きし妹すらを人妻なりと聞けば悲しも
 
〔譯〕 命に懸けてまでため息をついて自分の戀ひ慕つてゐたそなたを、今ではもう人妻であると聞いては、悲しいことである。
〔評〕 戀ひ焦れてゐた女が、人妻になつたといふ噂を聞いた男の失望は、まことに同情に値する。初二句のあたり、切迫した氣持がよくあらはれてゐる。
 
3116 我が故に甚《いた》くな侘《わ》びそ後遂に逢はじといひしこともあらなくに
     右二首。
 
〔譯〕 私ゆゑに、そんなにひどく悲觀なさいますな。後々までも絶對にあなたに逢ふまいと私が申しましたこともないものですから。どんな境遇の變化などが起つて、逢へないとも限りませんのに。
〔評〕 人妻となつた女が、もとの愛人に苦惱を訴へられて、どうすることも出來ぬ現在の身で、纔かに洩した氣休めの詞である。いつかはもとの愛人に逢はうといふやうな不倫な意志をはつきり持つてゐるわけではなく、さりとて、愛人に對しては不實な虚僞を語つてゐるのでもない。ただこれが今は精一ぱいの言葉なのである。遂に境遇に負けて諦めに住するであらう弱い女性の姿が、まざまざと見える。
 
3117 門《かど》闔《た》てて戸も閉《さ》したるを何處《いづく》ゆか妹が入り來て夢《いめ》に見えつる
 
〔譯〕 門を締め切つて、扉の戸も錠をおろしてゐたのに、何處からまあ、いとしいそなたが入つて來て、自分の夢に(105)見えたのであらう。
〔評〕 女の姿を夢に見て、嬉しさのあまり戯れに詠んで贈つたのである、「二九一二」の歌と同じく、遊仙窟から影響を受けて、趣向を凝らしたものと思はれるが、夢を現實的に考へてゐた上代人の思想も窺はれて興が深い。
 
3118 門|闔《た》てて戸は閉《さ》したれど盗人《ぬすびと》の穿《ほ》れる穴より入りて見えけむ
     右二首。
 
〔譯〕 門を締めて戸は鎖してありましたが、多分、盗人の穿つた穴から私が入つて、あなたの夢に見えたのでありませう。
〔評〕 打てば響くといつたやうな、機智に富んだ答歌である。「盗人のほれる穴より」は殊に奇拔である。明るい諧謔味の饒かな問答であり、特に答歌の方が生氣溌剌として、後世、白波とか、緑の林などの譬喩的語句を用ゐたのとちがつて、いかにも現實的である。
〔語〕 ○盗人 和名抄に「愉兒【和名、奴須比止】」とある。○見えけむ 過去推量の語法を用ゐたのは、相手の夢に入つたことは、自分では關知せぬ事がらゆゑである。
 
3119 明日よりは戀ひつつ在らむ今夕《こよひ》だに速《はや》く初夜《よひ》より紐解け我妹《わぎも》
 
〔譯〕 明日からは遠く離れて、互に戀ひ暮すことであらう。せめて今夜一晩でも、早く宵のうちから着物の紐を解いてくれ。いとしいわが妻よ。
〔評〕 明日は遠い旅路に出ようとしてゐる男が、せめては名殘の一夜を妻と打解けてゆつくり語り明かさうといふので、古今東西渝ることのない人情であるが、表現が如何にも上代人らしい率直さである。
 
(106)3120 今更に寢《ね》めや我背子|新夜《あらたよ》の全夜《またよ》もおちず夢《いめ》に見えこそ
     右二首。
 
〔譯〕 今夜一晩といふ時になつて、今更早く寢てもどうしませう、あなた。別れて後は、過ぎて行く夜の一晩も缺かさずに、いつも私の夢に見えて下さいませ。
〔評〕 別離を前にして、せめては刹那の歡喜にも醉はうといふ男の現實的なのに對し、夢裡の遭逢でも永い悦樂を望む女の心もちは、一層精神的でうるはしい。
〔語〕 ○あらた夜 改まり行く夜。一夜一夜と過ぎゆく夜。「二八四二」參照。○また夜もおちず 一晩も洩れることなく、毎晩の意。「またよ」は全き夜の義で一晩中。
〔訓〕 ○あらた夜 白文「荒田夜之」「夜」は元暦校本による。通行本の「麻」では四句につづきがたい。○また夜 白文「全夜」童蒙抄にヒトヨと詠んでゐるが、正倉院文書に全をマタとよんでゐるから、古語を傳へたものと思ふ。
 
3121 わが背子が使を待つと笠も著《き》ず出でつつぞ見し雨の零《ふ》らくに
 
〔譯〕 戀しいあなたからのお使を待つとて、私は笠もかぶらず、外に出て見てゐました、雨が降るのに。
〔評〕 「二六八一」と同じ歌。彼は寄物陳思の部に入り、此は問答の中に入つてゐるのは、兩傳あつたのであらう。
 
3122 心なき雨にもあるか人目|守《も》り乏《とも》しき妹に今日だに逢はむを
     右二首。
 
〔譯〕 思ひ遣りもない雨であるよ。人目にかからぬ隙をうかがつて、たまにしか逢へないそなたに、せめて今日でも(107)逢はうと思ふのに。
〔評〕 前の歌の答としては、相そぐはない感じもする。全釋には、問答でないを誤傳によつて組合せたか、とあるが、雨にぬれつつ使を待つたといふ女の歌に對して、使どころか實は自身に出かけようとしたのに、情知らずの此の雨で、と答へたものと解すれば、不自然な點はない。
 
3123 ただ獨|宿《ぬ》れど寢《ね》かねて白たへの袖を笠に著ぬれつつぞ來《こ》し
 
〔譯〕 ただ一人で寢たが、どうしても眠れないで、着物の袖を笠にして、雨にぬれながら自分は來たのであるよ。
〔評〕 強い戀々の情が、張りきつた調子の中に溢れ出てゐる。單刀直入、いかにも萬葉人の戀らしい。
 
3124 雨も零《ふ》り夜もふけにけり今更に君|行《い》なめやも紐解き設《ま》けな
     右二首。
 
〔譯〕 雨も降るし、もう夜も更けました。今更お歸りになるといふことはありますまい。私はあなたをお歸しするものですか、歸しはしませぬ。さあ着物の紐を解いて、寢る支度をしませうよ。
〔評〕 雨の降る夜に音づれて來て、さて歸らうとする戀人を、女の引き留めようとする歌である。問答がしつくり合致してゐない嫌があるが、宣長は、今まで心の解けなかつた女が、今宵は男の雨に濡れて來たのをあはれに思つて、心の初めて解けた歌と解してゐる。
〔訓〕 ○いなめやも 白文「將行哉」。ユカメヤモとよめるが、古義に「三一九八」の將行《イナミ》乃河を引いた訓による。
 
3125 ひさかたの雨のふる日を我が門に蓑笠著ずて來《け》る人や誰《たれ》
 
(108)〔譯〕 こんなにひどく雨の降る日に、私の家の門に、蓑笠も着ずにたづねて來た人は、一體どなたですか。
〔評〕 雨に濡れるのも厭はずおとづれ來た戀人、無論それが誰であるか女にわからぬ筈はない。いそいそと飛び立つ思でありながら、それをじつと押し隱して、「どなた?」、と空とぼけたところ、明朗型の女の面影が生き生きと浮き出てゐる。
〔訓〕 ○ける人や誰 白文「來有人哉誰」、「三八三」の「なづみ來《け》るかも」「三九五七」の「使のければ」參照。略解所引宣長説に從つて、ケルヒトと訓む。考はキタルヒトと字餘りにする。
 
3126 纒向《まきむく》の痛足《あなし》の山に雲居つつ雨は零《ふ》れどもぬれつつぞ來《こ》し
     右二首。
 
〔譯〕 纒向の穴師の山に雲がかかつて、雨は降つてゐるが、いとしいそなたに逢はうと、濡れながら自分は來たのである。
〔評〕 蓑笠も取りあへず、急いで來た男の心持もよく現はれてをり、途中の情景も、はつきりと描き出されてゐる。質實にして素直な歌である。
〔語〕 ○纒向の痛足の山 纒向は大和國磯城郡纒向村。痛足は穴師とも書き、纒向村の大字。「一一〇〇」參照。
 
   ?旅《たび》に思《おもひ》を發《おこ》す
 
(109)3127 度會《わたらひ》の大川の邊《べ》の若久木《わかひさぎ》吾が久ならば妹戀ひむかも
 
〔題〕 ?旅に思を發す。旅中にあつて種々の感想を發して詠んだ歌の意。多くは戀の歌である。
〔譯〕 度會の大川のほとりの若久木、その「わかひさ」といふ如く、我が久しくこれからも旅にゐたならば、家なる妻は、さぞ自分を戀しがることであらう。
〔評〕 伊勢の旅路にある人が、家なる妻をしのんだ歌である。上三句は序を成してゐるが、屬目の實景を以てしたので、清新にして、一首の上に爽かな生氣を附與してゐる。「浪の間ゆ見ゆる小島の濱久木久しくなりぬ君に逢はずして」(二七五三)は、序の用法に於いて、今の歌と一味共通の點がある。
〔語〕 ○度會の大河 度會は伊勢國度會郡。大河は宮川であらう。○若久木 「ひさ」の同音を繰返して次句につづけた序。久木はアカメガシハ。「九二五」參照。
〔訓〕 ○久木 白文「歴木」、舊訓クヌギであるが、「久」の序として、「歴は久なり」(小爾雅)の訓をとるべきである。
 
3128 吾妹子を夢《いめ》に見え來《こ》と大和路の度瀬《わたりせ》ごとに手向《たむけ》吾がする
 
〔譯〕 いとしい妻が、自分の夢の中に現はれてくれるやうにと、大和へ通ふ路の川の渡り場所ごとに、神樣に幣をお手向して祈ることである。
〔評〕 率直にして眞實に滿ちた歌。旅の途上で、神を祀つて一路平安を祈つた古代の風習、素朴な信仰が窺はれて、文化史的の見地からも興味が多い。
 
(110)3129 櫻花咲きかも散ると見るまでに誰《たれ》かも此所《ここ》に見えて散り行く
 
〔譯〕 美しい櫻の花が、咲いて間もなく散つてゆくのかと思はれる程に、今此處に現はれたかと見れば、すぐ散り散りに別れて行くのは、一體誰であらう。いや誰も彼も皆さうである。
〔評〕 旅人が旅の先々で直面する慌しい遭逢離散の有樣を、折から目前にあつた櫻の花の倉惶として散りゆく名殘惜しさに見立てたのである。浪漫的な情趣を盛つた幽婉高雅な格調は、蓋し萬葉の歌としては異數に屬する。人生の旅、人間の運命などの上に靜かな思を誘ふやうな、深い暗示をも含んでゐる。或は、旅中にふと見た行きずりの美しい女を詠んだとも解されるが、上述の解し方をよいと思ふ。
 
3130 豐州《と上くに》の企玖《きく》の濱松こころ哀《いた》く何しか妹に相言《あひい》ひ始《そ》めけむ
     右の四首は、柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
〔譯〕 豐國の企玖の濱邊の松が荒い潮風に撓められてゐるのは、見るからに心を痛ませるが、自分はかくも心を痛めて、何でまあ、旅で逢つたあの女に、契りそめたことであらう。
〔評〕 旅にあつて女と親しみ、愛着の絆を絶ちかねて煩悶してゐる男の面影が浮んで來る。内容も序の用ゐ方も、「二四八八」の歌と酷似してゐる。豐前の國での作と思はれる。
〔話〕 ○豐國の企玖の濱松 豐前國企玖郡、今の小倉市附近の海岸の松並木であらう。「一三九三」參照。
〔訓〕 ○こころいたく 白文「心哀」。「哀」は元暦校本等により、訓は「四六七」「二四八八」による。
 
3131 月|易《か》へて君をば見むと念《おも》へかも日も易《か》へずして戀の繁けく
 
(111)〔譯〕 月がかはり、來月になつたらあなたにお目にかかれるであらうと思ふ。そのためでか、御出立といふ今日のうちから、私はこんなにも戀しさが繁いことです。
〔評〕 旅に出る夫が、來月にならなくては歸れぬといふのを、戀々の情に悶えつつ送る妻の歌であらう。「月易へて」に對して「日も易へずして」といつたところ、技巧的である。
〔語〕 ○月易へて 來月になつて。○日も易へずして 日も改まらぬ中から、即ち、出立の當日からすぐの意。
 
3132 な去《ゆ》きそと還《かへ》りも來《く》やと顧《かへり》みに行けども滿《あ》かず道の長道《ながて》を
 
〔譯〕 自分の出立を見送つて、さて別れていつたあの女が、行くのはお止しなさいといつて、或は留めに引返して來もしようか。さう思つて自分は振り返り振り返り、行くけれども、あの女は引返しても來ない。あきたらぬ氣持で自分は歩いて行くことである、長い長い此の道を。
〔評〕 複雜な心理描寫である。後髪引かれる思で人と別れゆく時の、人情の機微を巧みに穿つてゐる。留められても歸ることは出來ないのであるが、もし引返して來たらばと、心たゆたひつつ、顧みがちに行く人の姿が眼前に髣髴して來る。
〔訓〕 ○行けどもあかず 白文「雖往不滿」、「滿」は元暦校本等に從ひ、義訓としてアカズとよむ定本の訓による。通行本は「歸」に作り、ユケドカヘラズとあるがかへりも、かへりみ、かへらずと重ねたとも考へられるが、五句がおちつきがたい。
 
3133 旅にして妹を思ひ出《で》いちしろく人の知るべく歎せむかも
 
〔譯〕 自分はこれから旅に出て、家なる妻を思ひ出しては、はつきりと人の氣づくほど、歎き息づくことであらうか
(112)〔評〕 旅に出るに當つて、旅中常に起りさうな、妻に對する綿々の情を豫想した歌ながら、三句以下「二六〇四」「三〇二一」に似てをる。
{訓〕 ○旅にして 白文「去家而」、舊訓による。略解のイヘサリテは歌語として適しない。イヘヲイニテと訓むべきか。
 
3134 里|離《さか》り遠からなくに草枕旅とし思《も》へばなほ戀ひにけり
 
〔譯〕 故郷を離れてまだ遠くは來ないのに、旅であると思ふと、やはり家を戀しく思ふことであるよ。
〔評〕 旅行が今日のやうな容易なものでなく、甚だしい困苦を伴つたことを考へると、この氣持には同感される。しかし、表現が平板に過ぎて深みが足りない。
 
3135 近くあれば名のみも聞きて慰めつ今夜《こよひ》ゆ戀のいや益《まさ》りなむ
 
〔譯〕 今までは逢はなくても、女の家とは近いので、噂を聞くだけで心を慰めてゐた。しかし愈々自分は旅に出るので、今夜からは戀しさが一層増ることであらう。
〔評〕 これも旅に出ようとするに當つての感想で、眞實な人情ではあるが、表現が平庸で、強く人を牽く力は乏しい。
 
3136 旅に在りて戀ふれば苦しいつしかも京《みやこ》に行きて君が目を見む
 
〔譯〕 旅に出てゐて、こんなに戀ひ焦れてゐるのは苦しいものである。いつになつたら自分は都に歸つて、いとしいあの人の顔を見ることが出來るであらう。早く逢ひたいものであるよ。
〔評〕 長い旅を續けてゐる人の、僞らざる感懷である。或は任地に赴いてゐる地方官などの、都に殘してある女への(113)思慕を歌つたものかも知れない。但、表現は素直といふだけで、すぐれた點はない。
 
3137 遠くあれば光儀《すがた》は見えず常の加《ごと》妹がゑまひは面影にして
 
〔譯〕 自分は旅に出て、今遠く離れてゐるので、いとしい人の姿は、直接には見えない。いつものやうに、あの人のにこやかな笑顔は、幻となつて眼の前にちらついてゐても。
〔評〕 思ふままを素直に表現して、優婉な調を成してゐる。特異な點はないが眞實味のこもつてゐるところがよい。
 
3138 年も經ず歸り來《こ》なむと朝影に待つらむ妹し面影に見ゆ
 
〔譯〕 どうか今年のうちに歸つて來るやうにと念じながら、朝日に映る人影のやうに、やつれたさまで自分を待つてゐるに違ひない妻の姿が、眼の前にちらついて見えることである。
〔評〕 旅中にあつて、家なる妻が一日千秋の思で自分を待つ樣を想像するにつけ、その可憐な姿がありありと面影に見えたのである。強く烈しい戀情の迸り出た作で、人の心を搏つものがある。
〔語〕 ○歸り來なむと 夫が歸つて來て欲しいと心に念じての意。白文「來嘗」は、コナムともキナムとも訓める。コナムのナムは希求の助詞で、來てほしいの意、キナムのナムは未來完了の助動詞で、來るだらうの意、となる。ここは前者にとるのが一首の趣に叶ふ。
〔訓〕 ○妹し 白文「妹之」舊訓イモガ。佐伯梅友氏の説によつて訓んだ。
 
3139 玉|桙《ほこ》の道に出で立ち別れ來《こ》し日より思ふに忘る時無し
 
〔譯〕 旅への道に出發して、いとしい女と別れて來たその日から、かうして自分は思ひ續けてゐるので、少しも忘れ(114)る時は無い。
〔評〕 旅中にあつても思は絶えず家妻の上に馳せてゐる男の心持が、素直にしみじみと一首の上に流れてゐる。
〔訓〕 ○忘る時なし 「忘るる時」と訓まずに「忘る時」と訓むのは、上代には終止連體同形の、即ち四段活用の動詞「忘る」があつたと考へられるからである。但、その證は、「忘らじ」(神代記)「忘らしなむか」(八七七)「忘らえにけり」(八八〇)「忘らむと」(四三四四)などの未然形の例で、自然に忘れるでなく、忘れ去るの意といはれる。
 
3140 愛《は》しきやし然ある戀にもありしかも君におくれて戀《こほ》しき念《おも》へば
 
〔譯〕 いとしい我が夫よ。かうした因縁の戀であつたものとおもはれる。あなたが旅に出られ、私一人とり殘されて、かうも戀しい思に沈んでゐることを思ふと。
〔評〕 愛人を旅に送つて、獨り戀々の情に悶えてゐる女の感傷である。「然ある戀にもありしかも」とは、當時には珍しい宿命觀的な考である。但この歌は家にある女が旅の男を思つたので、?旅發思といふ部類の作にはふさはない。
〔語〕 ○はしきやし かはいいの意で「や」「し」は共に詠歎的助詞。この語は連體格であるから、句を隔てて四句の「君」にかけたと見る説もあるが、此の歌の句法は三句で切れてゐるから、この句の意味も三句までの間に絡止してゐるものと解すべきである。故に、愛しきことよと先づ云ひ擧げる語とした考の説に從ふべきであらう。
 
3141 草枕旅の悲しくあるなべに妹を相見て後戀ひむかも
 
〔譯〕 自分は旅が悲しくおもはれるに、それと共に、旅さきでこんなかはゆい女になじんで、別れた後にも忘れられないで、定めて戀ひ焦れることであらうかなあ。
〔評〕 絶えざる旅愁に加へて、旅の一夜に知つた女人への愛着が綿々として盡き難い。はかなく別れた後、行くにし(115)たがつて、更に加はるであらう感傷を豫想して長歎するところ、多感な萬葉人の人間性を語るものである。
 
3142 國遠み直《ただ》に逢はなく夢にだに吾に見えこそ逢はむ日までに
 
〔譯〕 自分は旅にゐて國が遠く隔つてゐるので、いとしい妻に直接に逢へない。せめて夢になりとその優しい姿が見えてくれ、家に歸つて再び逢ふ日までの間に。
〔評〕 旅中に於ける妻戀の歌。「二八五〇」の歌は、旅中の作ではないが、語句が類似してゐる。
 
3143 かく戀ひむものと知りせば吾妹子に言《こと》問《と》はましを今し悔しも
 
〔譯〕 旅に出てこんなに戀ひ焦れるものと知つてゐたらば、出發前に、自分は妻と十分に話をして來るのであつたものを。今となつては殘念なことであるよ。
〔評〕 初めて妻と別れて旅に出て、妻の戀しさが身に沁みたのである。平凡なやうであるが、人間共通の至情に觸れてゐる。「三四八一」と似た感情である。
 
3144 旅の夜の久しくなればさ丹《に》つらふ紐|聞《あ》け離《さ》けず戀ふる此の頃
 
〔譯〕 自分は旅寢をする夜が久しくなつたので、家妻のうつくしい赤い紐を解き放すことがなく、ただ其の面影のみを眼の前に思ひうかべて、戀ひ焦れてゐる此の頃ではある。
〔評〕 久しい旅寢を重ねてゐる男の歎聲である。女が男の着物につけてくれた赤い紐を解かず即ち打とけて寢ないでと解する説もあるが、今は古義の解によつた。
 
(116)3145 吾妹子し吾《あ》を偲《しの》ふらし草枕旅の丸寢《まろね》に下紐解けぬ
 
〔譯〕 家にゐる自分の妻が、旅なる自分を思つてゐるらしい。旅の宿りで一人わびしい丸寢をしてゐると、着物の下紐が自然に解けたことよ。
〔評〕 着物の紐がおのづから解けるのは、人に思はれてゐるしるしであるといふ俗信が上代にあつたことは、集中幾多の例歌が示してをる。人の思が感應することを信じたもので、素朴な古人の心理であつた。
 
3146 草枕旅の衣の紐解けぬ思ほゆるかもこの年頃は
 
〔譯〕 自分の旅の着物の紐が自然に解けてしまつた。しきりに思はれることである。妻と馴れ睦んできたこの年頃のことが。
〔評〕 二三句、いろいろの訓がある。三句「思ほせるかも」とよんで、妻に對して敬語を用ゐたもの、女の身分の低からぬことを語るものとみる説もある。しかし五句がおちつかない。「おもほゆるかも」とよむ方が、自然である。畢竟これらは、作者がいまだしいので、歌がよくととのはぬものと見てよからう。
 
3147 草まくら旅の紐解く家の妹し吾《わ》を待ちかねて嘆《なげ》かふらしも
 
〔譯〕 自分の旅の着物の紐が解ける。これは家なる妻が自分を待ちかねて、嘆いてゐるものらしい。
〔評〕 前の二首と同じ趣で、出來ばえからいつても甲乙はない。
〔訓〕 ○なげかふらしも 白文「歎良霜」。ナゲキスラシモ、ナゲカスラシモともよめる。
 
(117)3148 玉くしろ纒《ま》き寢《ね》し妹を月も經ず置きてや越えむこの山の岫《さき》
 
〔譯〕 手を纒いて共に寢た妻を、一箇月もたたぬうちに家に殘しておいて、自分は一人で越えて行くことか、この山の突端の處を。
〔評〕 新婚の夢まださめやらぬ仲で、公務か私用か、いとしい妻を殘して旅に出るのである。ありふれた事ではあるが、哀怨最も切なだけに、實感が溢れ、調も引緊つてゐる。
〔語〕 ○玉くしろ 「纒き」にかけた枕詞。釧は腕に纒くもの。「二八六五」參照。
〔訓〕 ○さき 白文「岫」。岫はくきで、山の穴ある處をいふので、「岬」の誤との説もあるが、岫、岬、相通じて使用されたものとみてよい。
 
3149 あづさ弓未は知らねど愛《うつく》しみ君に副《たぐ》ひて山路越え來《き》ぬ
 
〔譯〕 行末はどうなることか知りませんが、あなたのなつかしさに、あなたにつき隨つて、遙々と山路を越えて來ましたことよ。
〔評〕 地方官となつて遠く赴任する男に、連れ添うて行く女の歌であらうか。愛する男に滿腔の信頼を寄せつつも、さすがに女の氣弱さは、漠然たる一脈の不安を掃ひ盡し得ないのである。情緒纒綿、可憐な作である。
 
3150 霞立つ春の長日を奧處《おくか》なく知らぬ山|道《ぢ》を戀ひつつか來《こ》む
 
〔譯〕 霞の立ちこめた此の春の長い日に、自分は果てもなく、知らぬ山道を歩みつづけて、いとしい女を思ひつつ行くことかなあ。
(118)〔評〕 霞の立ちこめてをる春の山路を、一人歩みゆく旅人の感傷である。そこはかとなき春愁と、限りなき旅情と、遙かなる家郷の人への思慕とが混和して、縹緲なる情趣が表現せられてゐる。
〔語〕 ○奧處なく 極限《はて》もなくの意。○戀ひつつか來む 戀ひしく思ひながら行くことか。「來む」は、行かむに同じ意。
 
3151 よそのみに君を相見て木綿疊《ゆふだたみ》手向の山を明日か越え去《い》なむ
 
〔譯〕 ぢかに逢つて別れを惜しむことも出來ず、よそ目にばかり戀しい人を見て、手向の山を明日にも越えて行くことかなあ。
〔評〕 眞淵は、奈良の京の女が、父の任などに從つて地方へ行くのに、愛する男としみじみ別れの言葉を交はすことも出來ぬままに立つてゆくのを悲しんだ歌、と解してゐる。さうはつきりはいへぬが、やさしい女心のこもつた歌で、四句までやはらかないひざまであり、五句の字あまりも深い感情がこもつてゐる。
〔語〕 木綿疊 疊んだ木綿を神に手向ける意から「手向の山」にかけた枕詞。「一〇一七」參照。○手向山 奈良山の峠をさしたと思はれる。
 
3152 玉|勝間《かつま》安倍《あべ》島山の夕露に旅|宿《ね》得《え》せめや長きこの夜を
 
〔譯〕 安倍島山の繁く置いた夕露の中で、一人わびしい旅寢をすることが出來ようか、とても自分には出來まい、長いこの秋の夜であるを。
〔評〕 夕露しげく薄ら寒い山中に行き暮れて、ここに假寢の一夜を明かさうといふ旅人の感傷である。四句の反語が力強く、倒置法もよく据つてゐる。
(119)〔語〕 ○玉勝間 枕詞。記傳に、籠の目の堅く締つてゐる意で、語を隔てて「島」にかかるとの説がよいであらう。下にも「玉勝間島熊山の」(三一九三)とある。○安倍島山 「三五九」の阿倍の島と同じく、攝津かといふが、詳かでない。
 
3153 み雪ふる越《こし》の大山行き過ぎていづれの日にかわが里を見む
 
〔譯〕 自分は此の雪のふる越の國の大山を通り過ぎて、いつの日に故郷す土地を見ることが出來るであらう。まだなかなか遙かなことである。
〔評〕 考には、任國から京へ歸る人の作であらうとし、全釋には、初めて越の國へ入つた人が荒涼たる風物に接し、歸京の期の何時とも知られれを歎いたものとしてゐる。前説は四五句の嗟歎を、辛うじて家郷を見得ることの出來る時となつたに拘はらず、道遙かにして容易に到り難いといふ、内部に喜を包んだ焦慮と見たのであり、後説は單にいづれの日に再び家郷を見ることが出來よう、その時期は豫想すら許されないと、悲觀的に解したのである。四五句だけを見ると、全釋のやうにとれるのであるが、二三句の表現は、越へ向つて行くやうにとるよりも、考のやうに、歸京途上の人の作と見たい。表現に不徹底の點があり、初句も、眼前の實景とも、枕詞とも見られはするが、とにかく一首の調べはすぐれてをる。
〔語〕 ○み雪ふる 北越は雪の多い地方であるから、初め實際的修飾句として用ゐられたのが、後には「四〇一一」「四一一三」の如く枕詞となつた。ここは歌としては實景と見る方がよい。○越の大山 いづこと判然しがたい。
 
3154 いで吾《あ》が駒早く行きこそ眞土《まつち》山待つらむ妹を行きて早見む
 
〔譯〕 さあ、自分の乘つてゐる馬よ。早く行つてくれ。この眞土山の彼方で、山の名のやうに待ちこがれておるであ(120)らう妻を、早くいつてみようと思ふ。
〔評〕 紀州路の旅から眞土山を越えて、故郷の大和へ入らうとする時の作であらう。眞土山へかかればあとはもう一息と思ふので、歸心は一層そそられて、馬を急がせようとする心持がよく分る。輕快な調子の中に明るい喜が溢れてゐる。後に第二句を「早く行きこせ」として、催馬樂にも謠はれてゐるもので、當時民謠として處く行はれたことが想像される。
〔語〕 ○いで吾駒 「いで」は他に求める時の呼び掛けの語。行きこそ 「こそ」は願望の意。○眞土山 紀伊と大和との境にある山。「五五」參照。ここは「待つ」の枕詞のやうな用法になつてゐるが、實際に眞土山を越えつつあるので、面白い技巧である。
 
3155 惡木《あしき》山|木未《こぬれ》ことごと明日よりは靡きたりこそ妹があたり見む
 
〔譯〕 惡木山は、木々の梢がことごとく、明日からは低く靡き伏してゐてくれ。いとしい女の家のあたりを自分は見たいと思ふ。
〔評〕 人麿の「妹が門見む靡けこの山」(一三一)を粉本としたものと思はれるが、顧みがちに旅に出てゆく男の姿が浮んで、面白い歌である。但この歌では惡木山に靡けといふのではなく、木々の梢に靡けといつてゐるので見ると、女の家は山の中腹あたりの木々に隱見する處にあるのであらう。隨つて、作者は山を越えてゆくのでなく、數日間は惡木山が遠望されるやうな土地を歩みゆくものと見なければならぬ。でなければ「明日よりは」の句が解せられない。
〔語〕 ○惡木山 太宰府の東南なる蘆城山であらう。「一五三一」參照。○靡きたりこそ 靡きてあれかしの意。
 
3156 鈴鹿河八十瀬渡りて誰《たれ》故か夜越《よごえ》に越えむ妻もあらなくに
 
(121)〔譯〕 鈴鹿河の澤山ある渡り瀬を渡つて、一體誰の爲にまあ夜道を越えて自分は行かうぞ。家には待つてゐる妻もゐないのに。
〔評〕 考に「男の旅なるほどに妻の身まかりし後に歸るとてよめるか」と推測してゐるのは、卓見と思はれる。一首の語氣をよく味つてみると、大伯皇女の、「見まく欲りわがする君もあらなくに何しか來けむ馬疲るるに」(一六四)と相似た深い歎きが感じられる。この歌を、單なる獨身者が家に歸つてもつまらぬと解するのはよくない。それならばこんな強い切迫した言ひ方はしないとおもふ。
〔語〕 ○鈴鹿河 三重縣鈴鹿市の關・龜山あたりを經、東流して海に入る川。
 
3157 吾妹子にまたも近江の野洲《やす》の河安|寢《い》も宿《ね》ずに戀ひわたるかも
 
〔譯〕 自分のいとしい女に、また逢ふといふことが聯想されるこの近江の國の野洲川附近の旅寢に、自分は安らかに眠ることも出來ず、終夜戀ひ續けてゐることである。
〔評〕 近江の野洲のあたりを旅してゐる人の歌であらう。序中にまた序を用ゐ、それを縁語として働かせてゐるのは、集中に珍しい技巧的の作であり、既出の「妹が目を見まくほり江のさざれ浪しきて戀ひつつありと告げこそ」(三〇二四)とその巧緻さに於いて比肩する。しかしそれだけ眞實味の稀薄になつてゐることは爭へない。
〔語〕 ○野洲の川 近江國野洲郡の河。鎌が嶽に源を發し、守山驛の東北、野洲村の西を過ぎて琵琶湖に入る。
 
3158 旅にありて物をぞおもふ白波の邊《へ》にも沖にも寄るとはなしに
 
〔譯〕 旅にゐて自分はあれこれと物思をしてゐることである。ちやうど白浪が岸にも沖にもどちらに寄るともなく漂ふやうに、心が動搖して落ちつくことがなしに。
(122)〔評〕 旅中にあつて女に戀し、その成否の不安に心を勞してゐる樣といふやうに考は解してゐるが、はつきりさうとも定め難い。稍曖昧なところがある。
 
3159 湖廻《みなとみ》に滿ち來る潮のいや益《ま》しに戀はまされど忘らえぬかも
 
〔譯〕 河口の入り込んだ處に滿ちて來る潮が段々増して來るやうに、いとしい家郷の人に對する自分の戀心は、一層増しては來ても、忘れることは出來ぬわい。
〔評〕 何處かの河口あたりに旅寢をした時の作で、「戀」は家郷の女に對する思慕の意であらう。
 
3160 沖つ浪|邊《へ》浪の來寄《きよ》る左太《さだ》の浦のこの時《さだ》過ぎて後戀ひむかも
 
〔譯〕 沖の浪や岸の浪が寄せて來るこの左太の浦の「さだ」といふやうに、この時《さだ》が過ぎ、この地を去つて後に、自分は定めてこのかはゆい女を戀しく思ふことであらうなあ。
〔評〕 「二七三二」と全く同じ歌であるが、そこでは寄物陳思の中に載せてあり、この卷では?旅發思の部に收めてゐる。左太の浦をとほつた旅人が、その地で逢うた女に對する愛着を詠んだものであらう。
 
3161 在干潟《ありちがた》在り慰めて行かめども家なる妹い欝悒《おほほ》しみせむ
 
〔譯〕 自分はこの在干潟の風光を眺めて、かうして心を慰めつつ行きもしようけれども、留守居の妻は自分を待ちわびて、ふさぎこんでゐるであらうなあ。
〔評〕 旅の好景に接して自分の心は幾らか慰められつつも、家郷なる妻を思へば堪へ難い同情が湧くのである。眞情流露の作で、萬葉人の人間性が濃く漂つてゐる。
(123)〔語〕 ○在干潟 同音を反覆して「在り」にかけた枕詞。在千潟は所在明かでないが、作者はその地を旅してゐるものと解せられる。○在り慰めて かうして心を慰めての意。
 
3162 澪標《みをつくし》こころ盡《つく》して思へかも此處《ここ》にももとな夢《いめ》にし見ゆる
 
〔譯〕 海の中に立つてゐる澪標ではないが、家なる妻が、心を盡して自分のことを思つてゐるからか、遠い旅さきの此處までも、その優しい姿が自分の夢に見える。しかしそれも結局はよしないことであるが。
〔評〕 難波あたりを旅行してゐる人が澪標の立ち並んでゐるのを見ながら詠んだものであらうか。一通りの出來であるが、眞情はこもつてゐる。
〔語〕 ○澪標 同音を繰返して「盡し」に懸けた枕詞。澪標は「水脈《みを》つ串」の意で水路の標識。○此處にももとな 「ここ」は作者の今ゐる處。「もとな」は、仕方もないが、由もなく、の意。
 
3163 吾妹子に觸るとはなしに荒磯廻《ありそみ》に吾が衣手はぬれにけるかも
 
〔譯〕 かうして遠い旅にあるので、いとしい人に肌觸れることもなく、一人さびしく荒磯の曲折した道を歩みつつ、自分の袖は波のしぶきに濡れたことである。
〔評〕 初二句と三句以下との關係が稍遊離して、しつくりしないため、心持は同感出來るが、聊か表現不足といふべきであらう。
 
3164 室の浦の湍門《せと》の埼なる鳴島《なるしま》の磯越す浪にぬれにけるかも
 
〔譯〕 宝の浦の瀬戸の岬附近にある此の鳴島の、磯の岩を越す波のしぶきに、自分はわびしく濡れたことであるよ。
(124)〔評〕 平明に事實を直敍したのみのやうに見えるが、結句に、萬感を包み籠めてゐるのが感じられる。直線的に強く一氣に押して行つたのが甚だよい。
〔語〕 ○室の浦 播磨國揖保郡の室の津であらうか。但、この地には湍門といふべき程のものは無く、鳴島も今不明。或は紀州の牟婁郡ではないかとも思はれる。
 
3165 ほととぎす飛幡《とばた》の浦にしく浪のしばしば君を見むよしもがも
 
〔譯〕 飛幡の浦に頻りに立つ浪ではないが、しばしば戀しい人に逢ふ手だてがあればよいなあ。
〔評〕 旅してゐる所の地名を、直ちに取つて序に用ゐたもの。但、この表現法は既に形式化されたもので、「二七三五」を初め類歌が乏しくない。「君」は旅宿のあたりで思を寄せた人と古義は見てゐるが、家郷の人と見るのが自然であらう。
〔語〕 ○ほととぎす 霍公鳥の飛ぶといふ意で「飛幡」にかけた枕詞。○飛幡の浦にしく浪の 「しばしば」にかかる序。類音の反覆といふよりも、?立つ浪の意で續けたと見る方がよい。飛幡の浦は筑前國遠賀郡、今の戸畑市。海を隔てて若松市に對してゐる。
 
3166 吾妹子を外《よそ》のみや見む越《こし》の海の子難《こがた》の海の島ならなくに
 
〔譯〕 自分のいとしい人をよそ目にばかり見てゐられようか、とてもそれでは堪へられない。あの向うに見える越の海の子難の海の島ならば、よそ目に見て通るけれども、それではないのに。
〔評〕 子難の海に横たはる島をよそ目遙かに眺めつつ海濱の旅をゆく人が、直にその實際を取つて譬喩としたのであらう。「吾妹子」は家郷の妻とは考へられない。旅中に親しんだ女を指すと思はれるが、事情は明瞭でない。
(125)〔語〕 ○子難の海 不明。卷十六に粉滷の海「三八七〇」とあるのと同處と思はれる。
 
3167 波の間ゆ雲居に見ゆる粟島の逢はぬものゆゑ吾《わ》に依《よ》する兒ら
 
〔譯〕 浪の間から天空遙かに見えるあの粟島の「あは」といふやうに、まだ一度も逢はずにゐるのに、自分に關係でもあるやうに、あの女のことを他人がいひなすことである。
〔評〕 瀬戸内海の海路の旅の所見を以て序としたのであらう。旅の同行者などに答へた歌かと思はれる。
〔語〕 ○粟島 「三五八」の粟島と同じきか、詳かでない。
 
3168 衣手の眞若の浦のまなご路の間なく時なし吾が戀ふらくは
 
〔譯〕 若の浦の眞砂路《まなごぢ》の「まな」といふ如く、絶間なく、又いつときまつた時もないことである。自分が家郷の女を思ふ心は。
〔評〕 形式化された歌で、多分に民謠的調子が看取される。「三〇八八」の「戀衣著奈良の山に鳴く鳥の間無く時無し吾が戀ふらくは」と、内容形態共に全く同趣で、地名を異にするのみである。
〔語〕 ○衣手の眞若の浦のまなご路の 「衣手の」は「眞」に懸けた枕詞。兩袖を「眞袖」といふからである。「眞」は美辭、「若の浦」は紀伊の若の浦。「まなご」は眞砂の古言。
〔訓〕 ○わが戀ふらくは 白文「吾戀钁」。「钁」は細井本による。字鏡に钁、久波とある。集中唯一の用字例である。
 
3169 能登の海に釣する海人《あま》の漁火《いざりぴ》の光にい往《い》く月待ちがてり
 
〔譯〕 能登の海に釣をしてゐる漁師の漁火の光に頼つて、夜道をたどつて行くことである。月の出を待ちかたがた。
(126)〔評〕 海上に點々として散在する漁火が、海濱の夜道を照らすものとは思はれないが、全く闇黒の道をゆくよりは、遠い火光でも見つつ辿るのは、精神的にも不安を除去することが出來よう。
〔訓〕 ○いゆく 白文「伊往」、略解による。イマセ、イユケの諸訓がある。
 
3170 志珂《しか》の白水郎《あま》の釣《つり》し燭《とも》せる漁火《いざりび》の髣髴《ほのか》に妹を見むよしもがも
 
〔譯〕 志珂の漁師達が釣をするとて燭してゐる漁火がちらちらと見えるやうに、ちらりとでも戀しい人を見る手だてがほしいことである。
〔評〕 旅の歌とすれば、「妹」は家郷にゐる妻か、旅さきでなじんだ女か不明である。志珂の地名に引かれて分類を誤つたもので、筑前の民謠であらうか。
 
3171 難波潟こぎ出《で》し船のはろばろに別れ來ぬれど忘れかねつも
 
〔譯〕 難波潟を漕ぎ出た船がこんなに遠ざかり、妻に別れて遙々と來たが、妻のことを忘れかねてゐることである。
〔評〕 難波の浦から船出をして瀬戸内海を下り、遠く地方へ赴任する人などの作であらうか。
 
3172 浦|廻《み》榜《こ》ぐ熊野舟《くまのぶね》つきめづらしく懸《か》けておもはぬ月も日もなし
 
〔譯〕 浦のあたりを漕ぐ熊野舟が着いて、その恰好が、普通と變つて大層よいやうに、自分は家郷なる人を、うるはしい姿であると、心に懸けて思はぬ月も日もなく、始終思ひ續けてゐる。
〔評〕 熊野地方特有の船型のよろしさを取つて序に用ゐたところ、類型を脱して清新である。海岸を旅行しての所見であらう。四五句の表現にも新味がある。
 
(127)〔語〕 ○浦みこぐ熊野舟つき 「浦み」は、前後の歌から難波の海かと代匠記は推定してゐるが、必しもさうとは極められない。「つき」は顔つき、目つきの「つき」で樣子の意との説もあるが、他に用例は見當らない。舟が着く意と解するのがおだやかであらう。熊野船は熊野地方特有の船で、「九四四」「一〇三三」にもみえる。
 
3173 松浦舟《まつらぶね》亂《さわ》く堀江の水脉《みを》はやみ楫取る間なく念《おも》ほゆるかも
 
〔譯〕 松浦舟の入り亂れさわがしく漕ぎかはす難波堀江の水路の流が早いので、艫を取つて漕ぐ間もないやうに、自分には、始終絶間もなく、家郷にゐるいとしい女が思はれることである。
〔評〕 速く九州松浦のあたりから難波まで商人船が往復して、當時の難波堀江が殷盛を極めてゐた樣も想像される。「さ夜深けて堀江こぐなる松浦船楫の音高し水脈早みかも」(一一四三)とも見える。熊野舟が特有の形をもつてゐたやうに、松浦地方獨特の形で、他と識別し得られたものに相違ない。古代船舶史研究の一資料ともなる歌。
 
3174 漁《いざり》する海人《あま》の楫《かぢ》の音《と》ゆくらかに妹は心に乘りにけるかも
 
〔譯〕 漁をしてゐる海人の艫の音がゆるゆると聞えるやうに、いとしい人は自分の心にゆつたりと乘つてゐて、離れないことである。
〔評〕 海邊の旅路を歩いてゐる人が、眼前の實景を捉へて序とし詠んだものであらう。その序が適切に生かされてゐる。但、この四五句は既に成句となつて居り、「一〇〇」を初め、「一八九六」「二四二七」「二七四八」「二七四九」にある。
〔訓〕 ○妹は心に 白文「妹心」。「一〇〇」參照。
 
(128)3175 若の浦に袖さへぬれて忘貝拾へど妹は忘らえなくに【或本の歌、末句に云ふ、忘れかねつも】
 
〔譯〕 自分は旅ききのこの若の浦で、着物の袖まで波に濡らして忘貝を拾つてゐるけれど、家郷のいとしい人はどうしても忘れられないことである。
〔評〕 戀の苦惱を忘れようが爲に、忘貝を拾つたり、忘草を身に着けようとする趣向は、集中に多く歌はれてゐる。個人的な特殊な感情でなく、一般的、共通的な情緒であつて、或は地方地方でうたはれた民謠であらう。
〔語〕 ○若の浦 紀州若の浦。○忘貝 一種の貝の名とも、身の無くなつた美しい見穀のことともいふ。
 
3176 くさまくら旅にし居《を》れば刈薦《かりこも》の亂れて妹に戀ひぬ日はなし
 
〔譯〕 自分はかうして旅に出てゐるので、苅つた薦のやらに心が亂れて、家なる妻に戀ひ焦れない日とてはないことである。
〔評〕 極めて單純な内容を平明な言葉で表現したに過ぎず、調は流麗であるが、取り立てていふ程のことも無い。
 
3177 志珂の海人《あま》の磯に苅り干《ほ》す名告藻《なのりそ》の名は告《の》りてしをいかに逢ひ難き
 
〔譯〕 志珂の海人が苅り取つて磯に干す名告藻ではないが、いとしいあの女は、既に名告《なのり》をして家も名もうち明けてしまつたのに、どうして逢ふことがこんなにむつかしいのであらう。
〔評〕 志珂といふ地名があるので?旅の歌に入れたのであちう。上の「三〇七六」とよく似てゐる。内容外形共に形式化し、固定化したものが、廣く傳誦されるうちに、その土地土地で地名を換へて、民謠として謠はれたものと思はれる。
(129)〔語〕 ○名告藻 今いふホンダハラのこと。「名はのり」につづけた序。
 
3178 國遠み思ひな侘《わ》びそ風の共《むた》雲の行く如《な》す言は通はむ
 
〔譯〕 自分は今かうして旅にあるが、國が速く離れてゐるからとて、くよくよ思はないがいい。風につれて雲が行くやうに、これからも度々便りはしようから。
〔評〕 旅さきから故郷の妻にいひ送つた歌。三四句が自然でよく、五句は、此の後も度々音信をしようと、遠く慰めやつたのである。
 
3179 留《とま》りにし人を念《おも》ふに蜻蛉野《あきつの》に居《ゐ》る白雲の止む時もなし
 
〔譯〕 家に殘つたいとしい妻を思ふと、この吉野の蜻蛉野にかかつてゐる白雲の無くなる時がないのと同じ樣に、自分の思も止む時はない。
〔評〕 吉野方面に旅した人が、蜻蛉野のあたりで白雲を見て詠んだもの。平明暢達にして、迫力には乏しいが、眞情が流れてゐる。
〔語〕 ○蜻蛉野 吉野の宮瀧に近い地。
 
   別《わかれ》を悲しめる歌
 
(130)3180 うらもなく去《い》にし君ゆゑ朝旦《あさなさな》もとなぞ戀ふる逢ふとは無けど
 
〔譯〕 心なく、何とも思はぬやうに別れて行つてしまはれたあのお方、そんな人のために、毎朝毎朝、私は、よしなくも徒らに戀ひ苦しんでゐることである。また逢へるといふのでは無いが。
〔評〕 男は歸期もさだかに知れない長途の旅に出たか、或は地方官となつて赴任したなどいふ事情であらうか。男は女を冷酷に棄て去つたといふのではあるまいが、寂しく取り殘された女の身としては「うらもなく去にし君」といふやうな愚痴も出たのであらう。哀韻切なる歌である。
〔訓〕 ○もとなぞ戀ふる 白文「本名烏戀」、舊訓による。考は烏を曾の誤とし、全註釋はモトナヲコヒムとする。
 
3181 白たへの君が下紐吾さへに今日結びてな逢はむ日のため
 
〔譯〕 旅立をなさるあなたの下紐を、私も一緒に手を添へて、今日結んで置きませう。またお逢ひする日の爲に。
〔評〕 夫が旅衣の下紐を結ぶのを、妻も手を添へて共に結び、再び相逢ふ日まで、解くな解かじと誓ふのは、上代の習俗であつた。「二九一九」に「二人して結びし紐を一人して吾は解き見じ直に逢ふまでは」とも見え、夫婦生活の情のこまやかさが窺はれる。
〔語〕 ○白たへの 語を隔てて「紐」にかけた枕詞。○吾さへに 私も共にの意。「一〇九〇」參照。
 
3182 白たへの袖の別は惜しけども思ひ亂れてゆるしつるかも
 
〔譯〕 袂を分つて離れ離れになるのは、つらく惜しいけれども、あの時は悲しさに心も亂れて、どうしてよいかもわからず、つい、いとしいお方を行かせてしまつたことではある。引きとめるのであつたに。
(131)〔評〕 いとしい君を長途の旅に出してしまつたらば、いつ又逢へることか。何とかして引留めたい。しかし實際の事情はさうもならぬ。「うち日さす宮にゆく子をまがなしみ留むるは苦し遣るはすべなし」(五三二)といふやうな思に心は亂れ亂れて、うつかり男を手放してしまつた。さて別れて後の遣瀬なさ、やはり無理にも留めるのであつた、といふ悔恨に身を悶えてゐる女の姿が鮮かに描かれてゐる。
 
3183 京師邊《みやこべ》に君は去《い》にしを誰《たれ》解《と》けか吾が紐の緒の結《むす》ぶ手|懈《う》きも
 
〔譯〕 都の方へいとしいを方はもう歸つてしまはれたのに、一體誰が解くゆゑなのか、私の下紐は、こんなに結ぶ手も大儀なほど、頻りに解けるのであらう。解く人も無いのにおのづから解けるのは、あのお方が私を思つてゐて下さるのであらうか。
〔評〕 今まで馴染を重ねてゐた都人が、名殘を惜みつつも都へ歸つてしまつた。女は、そのなつかしい姿を胸に抱きしめて、獨り焦れてゐるのである。
〔訓〕 ○結ぶ手うきも 白文「結手懈毛」。古義はユフテタユキモと訓んでゐる。
 
3184 草枕旅行く君を人目多み袖振らずして數多|悔《くや》しも
 
〔譯〕 遠くお出かけになるいとしい方であるのは、人目が多いので、私は袖を振つて名殘を惜しむこともせず、返す返す殘念なことではある。
〔評〕 別れの際に袖を振るのは自然に出た動作で、戀しい思を表はすせめてもの手段であるが、人目を忍ぶ仲では、それすら出來ないのがあはれである。「九六五」の歌も思ひあはされる。
 
(132)3185 まそ鏡手に取り持ちて見れど飽かぬ君におくれて生《い》けりともなし
 
〔譯〕 鏡を手に取り持つて、幾ら見ても見飽きない、そのやうに見飽きることもない、いとしいあなたに取り殘されて、私は悲しさに、生きてゐるといふ氣も致しませぬ。
〔評〕 一見死別のやうにも取れるが、旅立つ夫に別離の悲みを訴へた歌である。類型的な作であるが、序はいかにも婦人らしい優しみがある。
 
3186 くもり夜のたどきも知らず山越えて往《い》ます君をば何《い》時とか待たむ
 
〔譯〕 曇つてをる夜のおぼつかないやうに、どうしてよいか見當もわかりません。これから山を越えて旅にお出かけになるあなたを、私はいつと思つてお歸りを待てばよいのでせう。心細いことであります。
〔評〕 旅に出る夫の辛苦を思ひやる眞情と、さだかなあてもなく歸期を待つ心細さとで、しみじみとした哀調が織り成されてゐる。
〔話〕 ○くもり夜の 枕詞。曇つた夜は物の區別も明かでなく、なすべき術も知らぬ意。「知らず」は作者の心である。紀州本はシラヌと訓み、山にかけてゐる。
 
3187 たたなづく青垣山の隔《へな》りなばしばしば君を言問《ことと》はじかも
 
〔譯〕 幾重にも疊まり重つて、青々と垣を廻らしたやうな山々が、これから旅に出られるあなたと、家に殘る私との間の隔てになつたらば、度々あなたにお便りをすることも出來ますまい。心ぼそいことです。
〔評〕 遠く幾山河を隔てても、せめて消息でも通はすことが出來れば心慰むこともあらうに、交通の不便さはそれさ(133)へ許さなかつたのである。つつましやかな、しかも深い嘆の聲で、いかにも女らしい哀婉の調をなしてゐる。
〔語〕 ○言問はじかも 音信をすることが出來ないことであらうか。「言問ふ」は物を言ひかけるの意。
 
3188 朝霞たなびく山を越えて去《い》なば吾は戀ひむな逢はむ日までに
 
〔譯〕 朝霞のたなびいてゐるあの山を、あなたが越えて旅に行つておしまひなされたらば、私はさぞ戀ひ焦れることでありませう。再びお目にかかれる日までは。
〔評〕 早朝旅立つてゆく夫を見送る妻の歌であらう。内容は單純であるが、率直にして眞情がこもつてゐる。「大船の思ひ憑みし君が去なば吾は戀ひむなただに逢ふまでに」(五五〇)はこれを粉本としたのであらうが、初二句は形式的の序であり、「朝霞たなびく山」は、事實を直寫して生命がある。
 
3189 あしひきの山は百重に隱すとも妹は忘れじ直《ただ》に逢ふまでに【一に云ふ、隱せども君をしのはく止む時もなし】
 
〔譯〕 山は幾重にも重なつて家のあたりを隱さうとも、自分はいとしい妻のことは忘れはしまい。歸つて再び直接に逢ふまでは。(一に云ふ――山は幾重にも重なつて、なつかしい夫の姿を隱してしまつたけれども、私が夫を思ふことは、暫くも止む時とてはありませぬ)。
〔評〕 本文の方は旅立つた夫が、うしろ髪曳かれる思で家郷の空を振返りつつ詠んだ趣であるが、一本の歌の方では、家に殘つた妻が旅立つた夫の上を慕ふ意になつてゐる。いづれも眞實の歌ではあるが、構想表現共に特にいふ程の作ではない。
 
3190 雲居なる海山越えていゆきなば吾は戀ひむな後は逢ひぬとも
 
(134)〔譯〕 空の彼方の遠い海山を越えて、あなたが旅に出ておしまひになつたら、私はさぞ戀しく思ふことでありませう、後にはまた逢へるにしましても。
〔評〕 「三一八八」の歌と同想同趣で、初二句はこの方が概念的敍述であるだけに、切實味が稀薄である。
 
3191 よしゑやし戀ひじとすれど木綿間《ゆふま》山越えにし君が思ほゆらくに
 
〔譯〕 ええもうままよ、戀ひ焦れる事はよさうとは思ふけれども、木綿間山を越えて行かれたいとしいお方が、やはり戀しく思はれることである。
〔評〕 遠く離れた人をいかに戀ひ慕つてみても仕方がない、とは考へても、忘れられぬのは人情である。「よしゑやし」と強くいひ放つて決意を示したところ、力があつてよく、しかし又直に「思ほゆらくに」とくづほれたのも頗る自然でよい。哀韻嫋々として眞實がこもつてゐる。
〔語〕 ○よしゑやし よいわ、ままよの意。「よし」は放任し許す意で、「ゑやし」は詠歎の助詞。「一三一」參照。○木綿間山 所在未詳。東歌の「三四七五」の中にも見え、未勘國の部に入つてゐる。
 
3192 草陰《くさかげ》の荒藺《あらゐ》の埼《さき》の笠島を見つつか君が山|道《ぢ》越ゆらむ【一に云ふ、み坂越ゆらむ】
 
〔譯〕 荒藺の埼にある笠島の景色を眺めながら、あのいとしいお方が、今頃は山道を越えていらつしやることであらうか。
〔評〕 今頃は山路を越えてゐられるであらうと、夫の上を想像した歌。「山科の石田の小野の柞原見つつや君が山道越ゆらむ」(一七三〇)と同工異曲である。
〔語〕 ○草陰の 枕詞。草の深いと、實景から地名につづけたのであらうか。○荒藺の埼の笠島 所在不明。
 
(135)3193 たまかつま島熊山の夕晩《ゆふぐれ》にひとりか君が山|道《ぢ》越ゆらむ【一に云ふ、夕霧に長戀しつついねかてぬかも】
 
〔譯〕 島熊山のさびしい夕暮に、唯一人で、私のいとしいお方が、山道を越えていらつしやることであらうか。
 一に云ふ――この島熊山の夕霧の中で、自分はいつまでも家なる妻を思ひ續けて、眠れないでゐることであるよ。
〔評〕 本文の歌は前の「草陰の」と類似の構想表現で、落ちついた調子の中に深い作者のため息が聞かれる。一本の方は、旅中の男の歌になつてゐるが、一通りの作である。
〔語〕 ○玉かつま 枕詞。「三一五二」參照。○島熊山 所在不明。○長戀しつつ いつまでも戀ひ續けつつの意。
 
3194 氣《いき》の緒に吾が思《も》ふ君は鷄《とり》が鳴く東方《あづま》の坂を今日か越ゆらむ
 
〔譯〕 命に懸けて私の戀ひ慕つてゐるお方は、吾妻の山坂を、今日あたり越えていらつしやるであらうか。
〔評〕 遙々と東國の旅に出て行つた夫の上を思ふ妻の眞情である。「吾背子はいづく行くらむおきつ藻の名張の山を今日か越ゆらむ」(四三)その他類想の作は集中に少くない。
〔語〕 ○鷄が鳴く 「あづま」の枕詞。「一九九」參照。○あづまの坂 單に東國の或る坂とも、日本武尊の「吾嬬はや」と御歎きになつた地をさすとも考へられるが、後者と見る方がよからう。しかしその坂も、書紀は碓氷峠とし、古事記は足柄峠と傳へて明かでない。
 
3195 磐城《いはき》山|直越《ただこ》え來ませ磯埼の許奴美《こぬみ》の濱に吾《われ》立ち待たむ
 
〔譯〕 旅からお歸りの時は、あの磐城山を眞直に越えて近道を取つていらつしやいませ。磯埼の許奴美の濱に出て、私は立つてお待ちいたしませう。
(136)〔評〕 夫の旅立に際して、妻が、その歸る折のことを約する歌である。典型的な五七の端正な格調に、優しい感情を沈潜せしめた、虔ましやかな詠みぶりである。
〔語〕 ○磐城山 駿河とも陸奧とも諸説がある。○磯崎の許奴美の濱 同じく諸説があつて不明。後世の歌のやうに名所を詠んだのでなく、作者の附近の地をうたひ入れたのであるから、不明なのが當然というてもよい。
 
3196 春日野の淺茅が原におくれ居て時ぞともなし吾が戀ふらくは
 
〔譯〕 いとしいお方は旅に出られたので、私は春日野の淺茅が原の中に一人さびしく取り殘されてゐて、いつときまりもないことです、私があのお方を戀しく思ふことは。
〔評〕 戀しい夫を長途の旅に送つて、一人佗び住んでゐるうら若い女の姿が見える。「春日野の淺茅が原」と呼びなした語にも、おのづから寂寞の氣分が漂つてゐる。
〔語〕 ○春日野の淺茅が原 津茅が原酢茅のまばらに生えてゐる野原の意。固有名詞として、今、春日神社の西南の地に充ててゐるのは、後人の所爲である。
 
3197 住吉《すみのえ》の崖《きし》に向へる淡路島|※[立心偏+可]怜《あはれ》と君を言《い》はぬ日はなし
 
〔譯〕 住の江の海岸に向ひ合つてゐる淡路島の「あは」ではないが、あはれ慕はしいことよと、あなたのことをいはぬ日とてはありませぬ。
〔評〕 住吉附近に行はれた民謠であつたかも知れない。素朴にして稚氣を帶びてゐる點に、なつかしさが感じられる。女の作と見る方が趣が深い。
 
(137)3198 明日よりは印南《いなみ》の河の出でて去《い》なば留《とま》れる吾は戀ひつつやあらむ
 
〔譯〕 印南の河の「いな」といふやうに、あなたが旅に出ていなれたならば、明日からは、あとに殘つてゐる私は、戀ひ焦れつつ暮すことでありませう。
〔評〕 これも恐らく、播磨の印南地方に行はれた民謠であつたらう。作者個人の感情を抒べたといふよりも、一般的共通情緒を歌つて、調子のなだらかさも、著しく歌謠的な趣を示してゐる。
〔語〕 ○印南の河の 「去なば」に懸けた序。印南の川は播磨國印南郡。今の加古川のことかといふ。
 
3199 海《わた》の底沖は恐《かしこ》し磯|廻《み》より榜《こ》ぎ運《た》み往《ゆ》かせ月は經ぬとも
 
〔譯〕 遠い沖の方は浪が荒くて危險です。磯邊の入り込みに治うて漕ぎ傳つていらつしやいませ、その爲に、たとひ月日はかかりましても。
〔評〕 女らしいこまかな心遣ひが、よく表はれてゐる。航海術の進歩してゐなかつた當時、特に婦人にとつて、海は最大恐怖の對象であつたに違ひない。
〔語〕 ○海の底 「沖」の枕詞。「海の底沖つ白浪たつた山」(八三)參照。
 
3200 飼飯《けひ》の浦に寄する白浪しくしくに妹が容儀《すがた》は念《おも》ほゆるかも
 
〔譯〕 飼飯の浦に寄せる白浪が頻りであるやうに、家なる妻の姿は頻りに思ひ出されることである。
〔評〕 越前の國府などに赴任してゐる人が、都に殘してゐる妻を思つて詠んだのでもあらうか。内容表現、共に類型的で、特異な點は無い。
(138)〔語〕 ○飼飯の浦に寄する白浪 「しくしく」に懸けた序。飼飯の浦は越前敦賀の海であらう。
 
3201 時つ風|吹飯《ふけひ》の濱に出で居つつ贖《あが》ふ命は妹が爲こそ
 
〔譯〕 吹飯の濱に出てをつて、神に供へ物をしてわが命の平安を祈るのは、そなたの爲である。
〔評〕 類歌に「玉久世の清き河原に身そぎしていはふいのちは妹が爲こそ」(二四〇三)がある。
〔語〕 ○時つ風 潮のさして來る時吹く風。風の吹くの意で吹飯にかけた枕詞。○吹飯の濱 和泉とも紀伊ともいはれる。○贖ふ命 自分の罪を謝するため、神に物を供へ、身の無事を祈るの意。
 
3202 柔田津《にきたづ》に舟乘《ふなの》りせむと聞きしなへ何ぞも君が見え來《こ》ざるらむ
 
〔譯〕 柔田津で船にお乘りなさると聞いたので、待つてをりますのに、どうしてあなたがお見えにならぬことでせう。
〔評〕 柔田津から船出をして歸路につくといふしらせがあつたので、待ち暮してゐるに、まだ歸りがない。途中變事があつたのではないかと案じた作。「なへ」の用法が、いささか他と趣を異にするが、聞くにつれて期待されたことが略されたのであらう。
 
3203 雎鳩《みさご》ゐる渚《す》にゐる舟の榜《こ》ぎ出《で》なばうら戀《こほ》しけむ後は逢ひぬとも
 
〔譯〕 雎鳩のゐる渚に擱座してゐる船が漕ぎ出たならば、心のうちに戀しいことであらう。後には逢へるとしても。
〔評〕 旅に出ようとする夫の船は、渚にゐて、潮時を待つてをる。やがて別れた後の心もちを豫想した歌。一二句は「二八三一」、四五句は「三一九〇」と似てをる。
 
(139)3204 玉|葛《かづら》さきく行かさね山|菅《すげ》の思ひ亂れて戀ひつつ待たむ
 
〔譯〕 御無事においでなさいませ。私は思ひ亂れて、戀しく思ひつつ待つてをりませう。
〔評〕 玉葛と山菅を枕詞に用ゐた、温雅な歌。
〔語〕 玉かづら 枕詞。蔓の長くはへのびるので、「いや遠長く」「はへ」などの枕詞ともなつてゐる。「さきく行く」にも、其の意でつづくと考へられる。
 
3205 おくれ居て戀ひつつあらずは田子の浦の海人《あま》ならましを珠藻《たまも》苅る苅る
 
〔譯〕 あとに殘されてゐて、戀しく思うてゐないで、いつそのこと、あの田子の浦の海人の、珠藻を苅りながら何の物思もなく、生活してゐる身であつたらよからうに。
〔評〕 「二七四三」の近江の民謠「なかなかに君に戀ひずは比良の浦の海士ならましを玉藻苅りつつ」を、地名をかへて駿河で謠つたのであらう。
 
3206 筑紫道《つくしぢ》の荒磯《ありそ》の玉藻苅るとかも君は久しく待てど來まさぬ
 
〔譯〕 筑紫からお歸りになる道の荒磯の玉藻をお苅りなさるとてであらうか、あなたは、私が久しく待つてをりますのに、お歸りなさらぬことよ。
〔評〕 旅の慰みに玉藻を苅つて遊んでいらつしやるので、歸りがおそいのであらうかと、待つ心を幼く上品に云ひなした流麗な作。或は、前の歌の「珠藻苅る苅る」とちがつて、途中で美しい女にでもお逢ひになつてといふ輕いねたみ心が底にあるのかとも解される。
 
(140)3207 あらたまの年の緒ながく照る月の厭《あ》かざる君や明日別れなむ
 
〔譯〕 年月長くなれ親しんで、飽かず慕はしいと思ふあなたが、明日は別れていつてしまはれるのでせうか。
〔評〕 長くなじんだ男の旅立つに別れを惜しんだ歌。哀婉の調がある。出立の前夜、折しも月がさやかに照してをつたので、三四句によみいれたとも思はれる。
 
3208 久ならむ君を思ふにひさかたの清き月夜《つくよ》も闇夜《やみ》のみに見ゆ
 
〔譯〕 久しく旅においでのはずのあなたのことを思ふと、今から悲しくて、今夜の此の清らかな月も、涙に曇つて、闇夜のやうに見えるばかりです。
〔評〕 長い旅に出ようとする夫との別れを惜しむ月夜の情景。四句は「二八一一」と似てをる。
 
3209 春日なる三笠の山にゐる雲を出で見るごとに君をしぞ念ふ
 
〔譯〕 春日の三笠山にたなびいてゐる雲を、出て見るごとに、旅なるかなたを思うてをります。
〔評〕 なぜ雲を見て思ふか、種々に推察される。白雲を眺めてのあこがれ心と想像しても、情緒はよくわかるのである。
 
3210 あしひきの片山|雉《きぎし》立ちゆかむ君におくれて顯《うつ》しけめやも
 
〔譯〕 片山にすむ雉の飛び立つやうに、旅立つて行かれるあなたに、あとにとり殘されて、どうして正氣でをられませうか。悲しさに心も亂れるやうです。
(141)〔評〕 一二句の序もめづらしく、五句に古語を用ゐた句法も古雅である。
〔語〕 ○片山 片側の山、平地に對した山。○顯しけめやも うつしは現し。正氣でゐられようか、生きた空もない。
 
   問答《もにたふ》の歌
 
3211 玉の緒の現《うつ》し心《ごころ》や八十楫《やそか》懸《か》け榜《こ》ぎ出《で》む船に後《おく》れて居《を》らむ
 
〔譯〕 確かな心、正氣でゐて、どうしてまあ、多くの櫓を取りかけて漕ぎ出ようとなさるあなたの船に、取り殘されてをられませうか。
〔評〕 船出せむとする愛人に悲しみを訴へた、情熱の息づかひが聞かれる。一二句は結句にかかるのである。
〔語〕 ○玉の緒の 靈の緒即ち命の意で、うつしみの「うつし」にかかる枕詞。
 
3212 八十揖《やそか》懸《か》け島|隱《がく》りなば吾妹子が留《とま》れと振らむ袖見えじかも
     右二首。
 
〔譯〕 多くの楫を取り懸けた自分の船が、島に隱れたならば、そなたが留れとて振る袖が見えぬことでもあらうか。
〔評〕 愛情のこもつた歌で、詞も調も清らかで、四五句に力がある。
 
(142)3213 十月《かむなづき》時雨《しぐれ》の雨にぬれつつや君が行くらむ宿か借《か》るらむ
 
〔譯〕 十月の時雨の雨が降つて來たらば、ぬれながら、あなたは旅をつづけようとなさることであらうか。それとも、宿を借りてやすまうとなさることであらうか。どうかお氣をおつけなさいませ。
〔評〕 頃しも時雨の候であつたので、旅ゆく辛苦を思ひやつたやさしい女心である。
 
3214 かむなづき雨間《あまま》もおかず零《ふ》りにせば誰《たれ》しの里の宿か借らまし
     右二首。
 
〔譯〕 十月の時雨が、雨の絶え間もなく降つたならば、どこの里の誰の家に宿を借りることであらうか。
〔評〕 雨に降られてはどのやうにか困るであらうと、旅のつらさを思ひやつた歌である。
〔訓〕 ○誰しの里の 白文「誰里之」。元暦校本等による。通行本に誰里之間とあるはよくない。「一一六七」參照。
 
3215 白たへの袖の別を難《かた》みして荒津の濱にやどりするかも
 
〔譯〕 そなたと袖を分つて別れがたいので、船出をせずに、荒津の濱で宿りをすることである。
〔評〕 太宰府から京に歸らうと、荒津の濱まで來た官人の作であらうか。答歌によると、愛人が送つて來たのであつて、愛人と名殘の一夜を明したのである。
〔語〕 ○荒津の濱 福岡市西公園東側の海岸。西公園の岡を荒戸山とよぶのは、その名殘といはれてゐる。
 
3216 草枕旅行く君を荒津まで送りぞ來《き》つる飽き足らねこそ
(143)     右二首。
 
〔譯〕 旅においでのあなたを、荒津までお送りして參りましたことよ。飽き足りませぬので。
〔評〕 太宰府の遊行女婦《うかれめ》などの作であらう。あまりにも淡々としてゐる。
 
3217 荒津の海|吾《われ》幣《ぬさ》奉《まつ》り齋《いは》ひてむ早|還《かへ》りませ面變《おもがは》りせず
 
〔譯〕 荒津の海の神樣に、私は幣を奉り、お祈りいたしませう。早くお歸りなさいませ。お顔付もお變りなく、どうか御無事で。
〔評〕 前の歌とちがつて、深い眞心のこもつた歌。結句によつて、長い旅であることがわかる。
 
3218 旦旦《あさなさな》筑紫《なつくし》の方を出で見つつ哭《ね》のみ吾が泣く甚《いた》も術《すべ》無《な》み
     右二首。
 
〔譯〕 朝毎に筑紫の方を出て眺めながら、聲をあげて自分は泣くのみである。何ともすべき術《すべ》の無さに。
〔評〕 即座に答へたのではなく、旅に出て程經て後に妻に贈つたもの。四五句があまりにたをやめぶりの歌である。
 
3219 豐國の企救《きく》の長濱行き暮らし日の昏《く》れぬれば妹をしぞ念ふ
 
〔譯〕 豐國の企救の長濱を通る間に、日が暮れてしまつたので、家なるいとしい妻を思ふことである。
〔評〕 旅の一日は長汀をたどるに暮れて、迫り來る寂寥に、暖い家が慕はれたのである。四五句は「三八九五」と似てをる。また「四〇二〇」も相似た情趣である。
(144)〔語〕 ○豐國の企救の長濱 「一三九三」參照。長濱は長くつづいた濱の意。
 
3220 豐國の企救《きく》の高濱|高高《たかだか》に君待つ夜らはさ夜ふけにけり
     右二首。
 
〔譯〕 豐國の企救の高濱――心からあなたのお歸りをお待ちしてゐる今夜も、もう夜がふけたことです。
〔評〕 夫から送つて來た歌を見て答へた心もちの歌であるが、上の「石上布留の高橋」(二九九七)と男女の作の相違はあるが、あまりにも似てをる。
〔語〕 ○豐國のきくの高濱 「高々」にかかる序。高濱は、風に吹き上げられて砂の高く盛り上つてゐる濱。○高々に 遠くある人を望み待つ意。○夜ら 「ら」は接尾辭で意味はない。
 
萬葉集 卷第十二 終
 
(145)   萬葉集 卷第十三
 
(147)概説
 
 この卷は、雜歌・相聞・問答・譬喩歌・挽歌の五部より成り、その歌數は、次の如くである。
 
     長歌  短歌  旋頭歌  計
 雜歌  一六  一〇   一  二七
 相聞  二九  二八      五七
 問答   七  一一      一八
 譬喩歌  一           一
 挽歌  一三  一一      二四
 計   六六  六〇   一 一二七
 
 即ち百二十七首のうち、長歌が過半數を占めてをるのみならず、短歌・旋頭歌は、長歌の反歌として添つてをるのであつて、他の諸卷とは性質を異にしてゐる。
 この一卷は作者未詳の歌のみて歌の時代は明かにしがたいが、長歌六十六首のうち、十二首は反歌がなく、また、歌句も五七調未整のものも少くないので、人麿時代又はそれ以前のものが多からうと思はれる。しかし、和銅元年に卒したとおぼしい三野王を悼んだ挽歌、同三年奈良遷都頃の作かと考へられる歌、養老六年佐渡に配流せられた穗積老の作と左註した歌などもあり、奈良時代初期までの歌が知られる。從つて卷一・二に續くものと考へることもでき(148)ようが、用字法の上で、卷一・二に見えない義訓・戯書が多く、彼は精選した集、これは雜然たる上代長歌集ともいふべく、佚名氏によつて一卷にまとめられてあつたのが、萬葉集二十卷の中の一卷として加へられたものと考へられる。しかして二三首づつ一括して「右何首」と左註してゐる樣式が、卷十一の問答・卷十二の問答歌などに一致してをるが、これは卷十一・十二が、卷十三に似たやうな材料の集から抄出したものと見るべきであらう。
 萬菓集の特色を、純情と素朴にあるとするならば、この卷の歌は、その最も代表的なものであらう。卷一・二よりも詠作年代はややおくれる歌があるにしても、歌の傾向を考へれぼ、むしろそれ以上である。長歌の發達、殊に反歌の成立などを見るには最も必要な卷である。
 なほ、この一卷を通讀してゆくと、古代の各地の民謠・童謠・諷刺歌・風景歌・旅中作等が交錯してをり、或は記紀時代の歌謠をうたひかへたもの、或は俳優風《わざをぎぶり》に歌つたとおぼしい問答歌、或は前半の脱落したかと思はれるのも入つてをる。また、語句内容の近似してをるのをあつめたところ(特に三二二七・三二三〇・三二三二・三二三四、また三二四六・三二四七、また三二四八・三二五〇・三二五三)もあるが、同一歌とおぼしいのを間をおいて載せもし、雜然としてをる。しかして數箇所に「今案ずるに」云々とことごとしく附記してある左註は、萬葉集中の一卷となる前に誰かが囑目して書き入れたのであらう。
 長歌のうちで秀歌として見るべき作を擧げよう。「三諸は」(三二二二)は八句の小長歌であるが餘情が深い。「斧取りて」(三二三二)は反歌として旋頭歌の添つてゐるのが珍らしい。「近江の海」(三二三九)は寓意の作としてよい。「百岐年」(三二四二)はわきがたい句はあるが、結末に力がこもつてをつて、或は人麿の「靡けこの山」の先蹤をなすものと見られる。「天橋も」(三二四五)は九句の小長歌で、變若思想を歌つてゐる。「葦原の」(三二五三)は、言靈思想を歌つた反歌とともに著名な作。「三諸の」(三二六八)は素朴純情の作。「さし燒かむ」(三二七〇)は妬み心に思ひ亂れた女のさまも思はれる。「うち日さつ」(三二九五)は母と子の問答體で、二首が書きつづけられてをる(149)のはめづらしい。「おしてる」(三三〇〇)は古雅な作。「紀の國の」(三三〇二)は内容がかはつてゐる。「里人の」(三三〇三)は沈痛な作。「つぎねふ」(三三一四)は旅商人の妻の歌として千古に傳ふべきもの。「しな立つ」(三三二三)は野趣に富んでをる。「百小竹の」(三三二七)は挽歌として異色がある。「高山と」(三三三二)は八句の小長歌で、長い意がよく壓搾してうたはれてゐる。「鳥が音の」(三三三六)は人麿の沙彌の島の作と双壁と稱すべきもの。「この月は」(三三四四)は悲痛な作である。
 短歌のうちですぐれた作を擧げる。
  山邊の石の御井はおのづから成れる錦を張れる山かも     作者未詳 三二三五
  相坂をうち出て見れば淡海の海白木綿花に浪立ちわたる    同    三二三八
  敷島の日本の國に人二人ありとし念はば何かなげかむ     同    三二四九
  敷島の日本の國は言靈の佑はふ國ぞまさきくありこそ     同    三二五四
  わがこころ嘆くも吾なりはしきやし君にこふるもわが心から  同    三二七一
  たらちねの母にもいはず包めりし心はよしゑ君がまにまに   同    三二八五
  泉川わたり瀬ふかみ吾背子が旅ゆき衣ひづちなむかも     同    三三一五
  まそ鏡持てれど吾はしるしなし君が歩行よりなづみ行く見れば 同    三三一六
  馬かはば妹歩行ならむよしゑやし石はふむとも吾は二人行かむ 同    三三一七
  母父も妻も子どもも高高に來むと待ちけむ人の悲しさ     同    三三三七
  葦邊ゆく雁の翅を見るごとに公が佩ばしし投箭し思ほゆ    同    三三四五
 なほ用字法を見るに「左右二《までに》」(三二二七)「胡粉《しらに》」(三二五五)「大分青馬《あしげのうま》」(三三二七)「喚犬迫馬鏡《まそかがみ》」(三三二四)「犬馬《まそ》鏡」(三二五〇)「八十一里喚?《くくりつつ》」(三三三〇)「十六待《ししまつ》」(三二七八)「聞之二二《きこしし》」(三三一八)「十五月《もちづき》」(三三(150)二四)「一伏三向《ころ》」(三二八四)「金《にし》」(三三二七)「角《ひむかし》」(三三二七)のごとき義訓・戯書が、少なからず見え、卷十一・十二に近い傾向を示してゐるが、また他の諸卷に用例のない文字も若干見える。
 
(151)萬葉集 卷第十三
 
  雜歌《ざふか》
 
3221 冬ごもり 春きり來《く》れば 朝《あした》には 白露置き 夕《ゆふべ》には 霞たなびく 風の吹く 木末《こぬれ》が下《した》に 鶯鳴くも
     右一首。
 
〔譯〕 春になつて來たので、朝には白露が置き、夕方には霞がたなびく。風のそよがす梢の上では、鶯が鳴くことよ。
〔評〕 調は古朴、自然觀照の態度は取りたてて珍らしくないが、こまかいものがある。
〔語〕 ○冬ごもり 枕詞。「一六」參照。○こぬれがした こぬれは梢、したは内がはの意。
〔訓〕 ○かぜの吹く 白文「汗湍能振」湍は細井本により、汗を音に、湍を訓とし、振は山吹を山振と書く例に倣ひ、代匠記の訓に從ふ。考はカミナミノ、宣長はミモロノヤ、古義はハツセノヤと字を改めて訓んでゐる。
 
3222 三諸《みもろ》は 人の守《も》る山 本邊《もとべ》は 馬醉木《あしぴ》花|開《さ》き 末邊《すゑべ》は 椿花|開《さ》く うら麗《くは》し 山ぞ 泣く兒守る山
     右一首。
 
〔譯〕 三諸山は、人が大事がつて番をして居る山である。麓の方には馬醉木の花が咲き、上の方では椿の花が咲いて(152)をる、美しい山である。泣く兒の守《もり》をするやうに人が大事がつてゐる山である。
 
〔評〕 表面は、神南備山の美しさ、やさしさを讃へながら、そのうらに、子のある人妻などをなつかしむ情をこめたものかと思はれる。「人のもる山」「泣く兒もる山」の素朴で古趣をおびた句法に、その觀が深い。人麿歌集中の旋頭歌では、この神南備山のことを「人の親のをとめ兒すゑてもる山邊から」と歌つてをる。
〔語〕 ○三諸 神の森のあるところの義。ここは飛鳥の神南備山をさすと思はれる(考)。○人のもる山 大事さうに守る人があつて、みだりに他人を近づけない山。○本邊 もとは麓の意。山の麓の方。○末邊 山の頂の方。○うらくはし くはしは、美麗の意。うらは心の意。うらがなし、うらさびしなどのうらに同じ。身にしみて美しいの意。○泣く兒もる山 わが子の泣くのを慰め守つてゐる女に喩へたものかと思はれる。
 
3223 霹靂《かむとけ》の 日かをる天《そら》の 九月《ながつき》の 時雨《しぐれ》の降れば 雁《かり》がねも いまだ來鳴《きな》かず 神南備《かむなび》の 清き御田屋《みたや》の 垣内田《かきつだ》の 池の堤の 百足《ももた》らず 齋槻《いつき》が枝に 瑞枝《みづえ》さす 秋の赤葉《もみちば》 まさき持つ 小鈴《こすず》もゆらに 手弱女《たわやめ》に 吾はあれども 引き攀《よ》ぢて 枝もとををに うち手《た》折り 吾《あ》は持ちて行く 君が挿頭《かざし》に
 
〔譯〕 雷が鳴つて日がかげり、曇る空のつねである九月の時雨が降れば、雁もまだ來鳴かない。神をまつる神南備山の清い神の田を守る小屋の垣の内の田の池の堤にある御神木の槻の枝に、瑞々しい杖をさし交してゐる秋の紅葉をば、私の手首に飾につけてゐる小鈴がゆらゆらと鳴るばかりに、弱々しい女とはいへ手にからめ引き寄せて枝もしわるまでに、折り取つて、私は持つてゆきます。あなた樣の挿頭にする料に。
〔評〕 神南備の神田の番をする家、その垣の内なる田に水を引く爲に掘つてある池の堤には、齋槻が茂つてをる。そ(153)の枝は今しも美しくもみぢしてをる。この神聖な所にふみ入つて、神木の枝を手弱女の身で折り取らうとするのも、戀するゆゑである。愛する君の挿頭にせむ爲である。格調は古雅、田舍の風趣が躍如としてをる。
〔語〕 ○かむとけの 雷解けの義で、雷の鳴り落ちること。この句を霹靂の光と見、「ひ」にかかる枕詞とする説もある。○日かをる 日の曇る。○清き御田屋 齋みきよめた御田屋。田屋は田を守る番小屋であるが、そこで神供とする稻の植付、刈入等の諸事を管理するのであるから、尊みいうたもの。○池の堤 神田に水をひく爲に掘つた池の堤。○百足らず 百に足らぬ五十とつづく枕詞。○まさき持つ 日本紀私記に「鈴の口さけたり、故《かれ》拆鈴《さくすず》と云ふ」とあるから、鈴をほめる枕詞と思はれる(代匠記精撰本)。マキモテルとよむ説もある。○小鈴もゆらに 腕につけた小鈴がゆらぐほどに。ゆらは鈴の音の擬聲。「手玉もゆらに」(二〇六五)參照。
〔訓〕 ○日かをる空の 白文「日香天之」。舊訓ヒカルミソラノ。天治本に「日」を「白」とあるのでヒカルソラシとよむ説もある。○雁がねもいまだ來鳴かず 白文「雁音文末來鳴」。考は時雨ふり紅葉した九月の末に雁の來ない所があらうかと疑ひ、改字説を出してゐるが、ここは來るべき時に來ないのを、特にあやしみ詠じたものと思はれる。○齋槻が枝に 白文「五十槻枝」五は諸本「三」とある。それによれば、ミソツキノエニと訓むべきであるが、考に「五」の誤とする説によつた。○枝も 白文「峯文」。者に峯は延多(枝)の誤かとあるによる。
 
    反歌
3224 獨のみ見れば戀《こほ》しみ神名火《かむなび》の山の黄葉《もみちば》手折《たを》りけり君
     右二首。
 
〔譯〕 ただ一人だけで見てゐては心飽かず、君に見せたいものと、君を戀ふる思がまさつて、神南備山の紅葉の枝を手折つてまゐりましたよ、あなた。
(154)〔評〕 長歌の要旨をまとめて、反覆したもの。結句の、君といふ呼びかけにも愛情が籠つてをる。
〔訓〕 ○手折りけり君 白文「手折來君」、「來」は諸説があるが、ケリ(考)を採る。○通行本等に、この次に「此一首入道殿讀出給」とあるは、もとより後人の註であつて、元暦校本等にないのがよい。「入道殿」といふは、御堂關白道長と思はれる。詞林采葉抄に次點の人名を擧げた中に、道長の名が見える。
 
3225 天雲《あまぐも》の 影さへ見ゆる 隱國《こもりく》の 長谷《はつせ》の河は 浦無みか 船の寄り來《こ》ぬ 磯|無《な》みか 海人《あま》の釣《つり》爲《せ》ぬ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 磯はなくとも おきつ浪 諍《きほ》ひ榜入《こぎ》り來《こ》 白水郎《あま》の釣船《つりぶね》
 
〔譯〕 空の雲の影までも映つて見える泊瀬の河は、よい浦がないからか、船が寄つて來ない。よい磯が無いからか、海人が釣をしない。よしや良い浦はなくとも、よしや良い磯は無くとも、競ひたつて元氣よく漕ぎ入つて來い、海人の釣船よ。
〔評〕 泊瀬の河に海士小船の無いことを物足らなく思つた歌で、無理な要求とも思はれるが、かく幼く願ふところに趣があらう。卷二の人麿の歌(一三一)と著しく辭句の似たものがある。かの歌により、大和人がうたひかへて民謠としたものであらう。
〔語〕 ○隱國の 長谷の枕詞。「七九」參照。○よしゑやし よしやの意。○おきつ浪 次句にかかる譬喩的枕詞。
〔訓〕 ○きほひこぎり來 白文「諍榜入來」。諍は西本願寺本により、訓は古義による。淨とある本によつてキヨクと訓んでは意味をなさぬ。
 
    反歌
(155)3226 さざれ浪浮きて流るる泊瀬《はつせ》河よるべき磯の無きがさぶしさ
     右二首。
 
〔譯〕 小波が浮き立つやうにして流れる泊瀬河に、海人の釣船が寄るやうな磯の無いのが物たらぬことであるよ。
〔評〕 「さざれ浪浮きて流るる」に、自然觀照のこまかさが見えておもしろい。
〔語〕 ○浮きて流るる 諸説があるが、波は水面に浮動するものとする全釋の説がよい。
 
3227 葦原の 瑞穗《みづほ》の國に 手向《たむけ》すと 天降《あも》りましけむ 五百萬《いほよろづ》 千萬神《ちよろづかみ》の 神代より 言《い》ひ續《つ》ぎ來《きた》る 甘南備《かむなび》の 三語《みもろ》の山は 春されば 春霞立ち 秋|往《ゆ》けば くれなゐにほふ 甘南備《かむなび》の 三諸《みもろ》の神の 帶にせる 明日香《あすか》の河の 水脈《みを》速《はや》み 生ひため難き 石《いは》枕 蘿《こけ》生《む》すまでに 新夜《あらたよ》の さきく通はむ 事計《ことはかり》 夢《いめ》に見せこそ 劍刀《つるぎたち》 齋《いは》ひ祭《まつ》れる 神にし坐《ま》せば
 
〔譯〕 葦原の瑞穗の國とたたへるこの日本の國に、神をお祭するからとて、多くの神々が天降り給うた神代から、口より口へと言ひ繼いで來てゐる、この甘南備の三諸の山は、春になれば春霞が立ち、秋が來れば紅に木の葉が色づく。その甘南備の三諸の山が、帶のやうにめぐらしてをる明日香川の水脈が早いので、苔がはえても留つて居られない川中の枕のやうな石に「苔がむすまで長い間、夜ごと夜ごとに平安に通つて來られるやうな手だてを、どうか夢に見せてもらひたい。刀劍を大切に思ふ、その大切におまつりしてゐるあらたかな神樣でいらつしやるのだから。
〔評〕 莊重にして、しかも流麗。三諸の山と、三諸の神が帶にした明日香の河の風致とを敍し、平安に絶えず通はむことを神に祈つて結んでをる。神代の古へより説きおこし、神を齋うて結んだのも整然たる格調である。また「水脈(156)速み生ひため難き、石枕こけむすまでに」は、奇趣賞すべきものがある。
〔語〕 ○葦原の瑞穗の國 我が國の稱。「一六七」參照。○手向すと 諸説があるが、手向を普通に神を祀り手向をすることと解し、「と」を「とて」の義とし、上の「に」はこの一句を隔てて「天降りましけむ」にかけるのがよいと思はれる。○天降り 高天原より下りましたこと。○甘南億の三諸の山 飛鳥雷岳をさす。○帶にせる明日香の河 明日香川が雷岳の麓をめぐり流れてゐるのを帶に譬へた。○水脈 水の深く船などの通ひ得るところ。○生ひため難き 苔がはえて生ひ留まり難い。○石枕 河岸の石で枕の形をしたものであらう。○新た夜 毎夜毎夜改まつて行く夜。○さきく 變らずに、無事にの意。○夢に見せこそ 夢に見せてもらひたい。「こそ」は願望の助詞。○劍刀 枕詞的のものと見る。
 
    反歌
3228 神南備《かむなび》の三諸《みもろ》の山に齋《いは》ふ杉おもひ過ぎめや蘿《こけ》生《む》すまでに
 
〔譯〕 甘南備の三諸の山に神木として大事にしてをる杉−その「すぎ」といふ詞のやうに、自分のこの物思は過ぎて無くなることは無いであらう、その杉の樹に苔がむすまでも。
〔評〕 「杉」を思ひ過ぐにかけた手法には、次の二首がある。「石上布留の山なる杉群の思ひ過ぐべき君にあらなくに」(四二二)「神南備の神依板にする杉の念ひも過ぎず戀のしげきに」(一七七三)。
〔語〕 ○齋ふ杉、神聖なものとして祀る杉の意。「七一二」參照。同音「すぎ」を繰返して序とした。 ○思ひすぎめや 「思ひすぐ」は思ひ忘れるの意。
 
3229 齋串《いぐし》立《た》て神酒《みわ》坐《す》ゑ奉《まつ》る神主部《かむぬし》の髻華《うず》の玉|蔭《かげ》見ればともしも
(157)     右三首。但、或書に、この短歌一首は之を載することある無し。
 
〔譯〕 幣帛などを挾んで立てる齋串を立て、神酒をいれた瓶をすゑて神にささげる神主の人の、髪のよそほひにつけてゐる玉のかざりを見ると、まことに珍らしく立派であることよ。
〔評〕 神を齋きまつる神主の装ひを讃めた歌で、歌詞莊重にして、暢やかに快い韻律がある。
〔語〕 ○齋串 幣、玉などをつけて神に供へる串。○髻華の玉蔭 うずにした玉蔭。髻華は、木の花や葉や、或は玉などを頭にさして飾としたもの。蔭は翳すものの義であらう。
〔訓〕 ○玉蔭 宣長は「玉」を「山」の誤とし、日かげのかづらの意としてゐるが、「玉かづらかげに見えつつ」(一四九)ともあるから、誤とするは早計と思はれる。○神主部 考にはハフリベと訓む。今、舊訓乃至古義によるが、神事を職とする部族の人々と解することは同じである。
 
3230 幣帛《みてぐら》を 奈良より出でて 水蓼《みづたで》 穗積に至り 鳥網《となみ》張《は》る 坂手を過ぎ 石走《いはばし》る 甘南備《かむなび》山に 朝宮に 仕へ奉《まつ》りて 吉野へと 入り坐《ま》す見れば 古《いにしへ》おもほゆ
 
〔譯〕 天皇が、奈良からお出になり、穗積に至り、坂手をお通りになり、甘南備山の行宮に御一泊なされ、侍臣は朝の御機嫌を奉伺し、それより吉野へとお入りになる、その壯觀を見ると、昔の代々の天皇もかくこそと、古のことが偲ばれる。
〔評〕 天皇が奈良を出御、飛鳥の神南備の行宮に入られ、翌日吉野離宮に赴き給ふ順路と、行幸の壯觀を詠じたもの。奈良遷都後の作たることが明かである。
〔語〕 ○幣帛 神に奉る幣帛を神前に竝べる意で「奈良」につづく枕詞。○水蓼 「穗」にかかる枕詞。○鳥網張る (158)「坂」の枕詞。山腹の坂に網を張つて鳥を捕へた故と思はれる。○石走る 枕詞。石走り激《たぎ》つ瀬の雷鳴振《かみなりぶる》とつづくと古義には説いてゐる。○甘南備山 ここは雷岳をいふ。
〔訓〕 ○幣帛を 白文「島※[口+立刀]」、「帛」は幣帛の意。「※[口+立刀]」をヲとよむは「一四〇五」等の例による。
 
    反歌
3231 月日《つきひ》はゆけども久に流らふる三諸《みもろ》の山の離宮地《とつみやどころ》
     右二首。但、或本の歌に、ふるき都のとつ宮どころと曰へり。
 
〔譯〕 月日は移つて行くけれども、いつまでも久しく續いてゐてかはらない三諸山の離宮の地である。
〔評〕 雷岳なる離宮の地を讃へた歌。枕草子に「月も日もかはりゆけども久にふるみむろの山のといふ古ことをゆるらかにうちよみ出し給へる」とあるのは、當時の時樣に、「みもろ」をも「みむろ」としてうたつたのである。
〔訓〕 ○月日は 白文「月日」、考の訓による。○行けども 白文「攝友」、類聚古集アラタマレドモ、天治本カハリユケドモは、禮記明堂位の孔疏に、攝、代也とあるによるかと思はれる。その意からユケドモと訓んだが、カハレドモともよめ、また或はウツレドモとも訓める。○久に流らふる 白文「久流經」、舊訓は「流經」が「經流」とあるにより、ヒサニフルとよんでゐるが、元暦校本等に「流經」とあるにより、「久」を上につけて訓み、「流經」をナガラフルと訓んだ。○この次に、通行本に「此歌入道殿讀出給」とあるが、「三二二四」の次なると兩樣、元暦校本等により省く。
 
3232 斧取りて 丹生《にふ》の檜山の 木|折《こ》り來《き》て 筏《いかだ》に作り 二楫《まかぢ》貫《ぬ》き 磯|榜《こ》ぎ廻《み》つつ 島|傳《づた》ひ 見れども飽かず み吉野の 瀧もとごろに 落つる白浪
 
(159)〔譯〕斧を取つて、丹生の檜山の木を伐つて來て、それを筏に作つて 左右に楫を取り附けて、吉野川の石の多い岸を漕ぎ廻つたり、川添の嶋のやうになつた所を傳つて、見ても見ても飽きない、この吉野川の激流もとどろくまでに落ちる白浪の壯快さは。
〔評〕 吉野の山水の美を讃へて、印象的で、短くまとまつた歌。
〔語〕 ○斧取りて 三句につづく。○丹生の檜山 丹生は吉野川上流の地名。「一三〇」參照。
〔訓〕 ○いかだ 白文「※[木+代]」。代匠記の説による。○みつつ 白文「廻乍」。有坂博士の説による。
 
    反歌
3233 み吉野の瀧もとどろに落つる白浪|留《とま》りにし妹に見せまく欲《ほ》しを白浪
     右二首。
 
〔譯〕 吉野川の激流もとどろくまでに落ちる白浪のおもしろさよ。家に殘つてをる妻に見せてやりたいと思はれる此の白浪のおもしろさよ。
〔評〕 上の三句に、長歌の終句をそのまま取つて反覆し、第四句より、長歌には見えてをらぬ新しい感想を云ひおこして、補ひのつとめを果したもの。旋頭歌である爲に、反歌としての効用が殊によく發揮されてをる。
 
3234 やすみしし わご大皇《おほきみ》 高照らす 日の皇子《みこ》の 聞《きこ》し食《を》す 御饌《みけ》つ國 神風《かむかぜ》の 伊勢の國は 國見ればしも 山見れば 高く貴《たふと》し 河見れば 見渡しの 島も名高し 此《ここ》をしも まぐはしみかも 五十師《いし》の原に うち日さす 大宮|仕《づか》へ 朝日なす まぐはしも 暮日《ゆふひ》なす うらぐはしも さやけく精し 水門《みなと》なす 海も廣し かけまくも あやにかしこき 山邊《やまのべ》の 五十師《いし》の原に うち日さす 大宮|仕《づか》へ 朝日なす まぐはしも 暮日《ゆふひ》なす うらぐはしも(160) 春山の しなひ榮えて 秋山の 色なつかしき 百磯城《ももしき》の 大宮人は 天地 日月《ひつき》と共に 萬代にもが
 
〔譯〕 安らかに治め給ふわが天皇、高く照り輝く日の皇子が、めしあがる御饌《みけ》の料を調《みつぎ》としてさしあげる伊勢の國は、國土を見渡せばまあ、山を見れば高く貴く、川を見れば瀬の音がさやかに、水の清く、湊をなしてをる海も廣く、遠く見渡される島も名高い。これらの點を御賞美あらせられてか、言葉にかけて申すもまことに恐れ多い此の山邊の五十師の原に、行宮をお造りになつた。この御殿は、朝日の照るやうにうるはしく、夕日の輝くやうにうるはしいことである。春山の花がなよやかにたをやぎ榮えるやうに、秋山の紅葉の色のやうにうつくしいよそほひをして、この御殿にお仕へ申す宮人たちは、天地、日月のあらむ限り、萬世にもお仕へ申させたいことである。
〔評〕 構想は整然として、詞調は流麗。殊に行宮の春秋の麗しさが、いつしか女官の風姿にうつつて行くあたりの、融け入るやうな句法の妙が感歎せられる。この山邊の行宮は、卷一の「八一」の條に解いた御井の附近で、その地は古くよりいひ傳へた河藝郡山邊村である。今も清水が湧き出てをり、秋の錦を張る山も低いが附近忙ある。「山みれば」は鈴鹿山が遠くそびえ「河みれば」は鈴鹿川が近く流れてをる。海と島とは、東方伊勢の海を隔てて見える知多半島をいうたものとおもふ。近年、一志郡の豐地村また新家村をいふとの説もあるが、玉勝間に述べてあるのによりたい。ことに新家村では長歌の情景は見がたい。五十師の原は石が多いのでいうたものとおぼしく、郡は違ふが附近に石藥師町がある。
〔語〕 ○やすみしし 「三」「四四」參照。○御饌つ國 御饌を奉る圖。「九三四」「一〇三三」參照。○神風の 伊勢の枕詞。「八一」參闇。○水門なす 湊を成すの意。○うち日さす 宮の枕詞。○大宮仕へ 行宮をお造りすること。○しなひ榮えて 「しなふ」はなよやかに、優艶の樣にあることをいふ。「二二八四」參照。○萬世にもが 大宮人が萬(161)世にあることを作者が望むのである。
〔訓〕 ○國見ればしも 白文「國見者之毛」、この下に脱字ありとする説、この句を衍とする説もあるが、かういふ句を置いたものと見てよい。
 
    反歌
3235 山邊《やまのべ》の石の御井《みゐ》はおのづから成れる錦を張れる山かも
     右二首。
 
〔譯〕 山邊の石の原の御井のあるところは、自然に織り成した錦をそのまま張つたやうな山であるよ。
〔評〕 石の御井のあたりの山の美しさを讃へて、簡素にして、また豐醇の格調である。長歌には、春山、秋山とあるが、秋の風景のやうに思はれる。
〔訓〕 ○通行本には此の下に「此歌入道殿下令讀出給」の十字があるが、元暦校本等により削る。
 
3236 空みつ 大和の國 あをによし 寧山《ならやま》越《こ》えて 山城の 管木《つつき》の原 ちはやぶる 宇治の渡《わたり》 瀧《たき》の屋の 阿後尼《あごね》の原を 千歳に 闕《お》つる事無く 萬歳《よろづよ》に 在り通《がよ》はむと 山科《やましな》の 石田《いはた》の社《もり》の 皇神《すめがみ》に 幣帛《ぬさ》取り向けて 吾は越え往《ゆ》く 相坂《あふさか》山を
 
〔譯〕 大和の國の奈良山を越えて、山城の管木の原や、宇治の渡や、瀧の屋の阿後尼の原を、千歳の後までも缺けること無く、萬歳にわたつて、このやうに通はうと、山科の石田の社の神に幣を手向けて、自分は越えて行く、相坂山を。
(162)〔評〕 奈良から近江へ赴く通路が克明に詠まれてをる。眞淵は「史生雜色の人など、近江を本屬にて、暇を給ひて通ひ行く時の歌か」と云うてをる。
〔語〕 ○なら山 今の奈良市の北方に長く連る丘陵。○管木の原 木津より宇治に通ずる街道附近。○ちはやぶる 勇猛な激しいの意から、軍士の「氏」につづく枕詞。ちはや人宇治「一一三九」參照。○瀧の屋の阿後尼の原 宇治の北、山科あたりと思はれる。○在り通はむと 變ることなくかうして通はうと。○山科の石田の森 「一七三〇」參照。○相坂山 山城と近江の境の山。
 
   或本の歌に曰く
3237 緑丹《あをに》よし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川渡り 未通女等《をとめら》に 相坂《あふさか》山に 手向草 絲取り置きて 我妹子に 淡海《あふみ》の海の 沖つ浪 來寄《きよ》る濱邊を くれくれと 獨ぞ我が來《く》る 妹が目を欲《ほ》り
 
〔譯〕 奈良山を過ぎて、宇治川を渡り、相坂山で手向の代に絲を取り置いて、近江の湖の沖の浪が寄せて來る濱べをたどり、心も暗く、唯一人で自分は來てゐるのだ、妻に逢ひたくて。
〔評〕 前の歌よりもやや修辭的になつてをる。
〔語〕 ○もののふの 「氏」(宇治)にかかる枕詞。○をとめ等に 逢ふの意で相坂にかかる枕詞。○手向草 神に供へる料の意。下に「として」の語を補ふ。○絲取り置きて 絲は誤字との説も多いが、絲を神に供へたものと解してよい。○我妹子に 「逢ふ」の意で「近江」にかかる枕詞。○くれくれと 心が晴れず悲しみにふさいで。「八八八」參照。
 
(163)    反歌
3238 相坂《あふさか》をうち出でて見れば淡海《あふみ》の海白木綿花《しらゆふはな》に浪立ち渡る
     右三首。
 
〔譯〕 相坂山を打越え出てみると、近江の湖は、白|木綿《ゆふ》でつくつた白い造花のやうに、浪が立ちつづいてゐることよ。
〔評〕 いぶせき山路を越えて、湖畔に出た時の爽快さが躍つてをる。源實朝の「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ」はこれに學んだものか。
〔語〕 ○白ゆふ花 楮の繊維を晒した白栲を以てこしらへた造花。「九〇九」參照。
 
3239 近江の海 泊《とまり》八十《やそ》あり 八十島の 島の埼埼《さきざき》 在り立てる 花橘を 末技《ほつえ》に 黐《もち》引き懸《か》け 仲つ技《え》に 斑鳩《いかるが》懸《か》け 下枝《しづえ》に ひめを懸け 己《し》が母を 捕《と》らくを知らに 己《し》が父を 捕《と》らくを知らに いそばひ居《を》るよ 斑鳩《いかるが》とひめと
     右一首。
 
〔譯〕 近江の湖には、船のつくところが澤山ある。その多くの島の崎ごとにある花橘の樹の、上の枝には鳥をとるための黐をつけ、中の枝には斑鳩の囮をとまらせ、下の枝にひめの囮の籠をかけてあるのだが、その囮の斑鳩とひめとは、自分の母鳥を捕へるのであることを知らず、自分の父鳥を補へるたくらみであることを知らないものだから、戯れあつてゐることである。
〔評〕 齊明紀、天智紀にある時代の諷刺歌のたぐひで、近江朝廷に關する作であらう。古義に、中山巖水の説を引き(164)「天武天皇の吉野に入りましし後、大友皇子の、天武天皇を襲ひたまはむとて、忍び忍びに軍の設などせさせたまふほど、高市皇子、大津皇子は其の事を知らせたまはずて、何心も無くておはするを見て、二人の皇子等に諷しまつれる歌なるべし」といひ、崇神紀の「みまき入彦はや」の歌と、譬へたる意相似たり、と評してゐる。二鳥を直ちに二皇子によそへたとはいひがたいとも思ふが、採るべき説である。
〔語〕 ○泊八十あり 「一一六」參照。○島の崎崎 島は岬や半島をも含めいふ。○在り立てる 「ありつつも」の「あり」に同じく、存在繼續の意を示す。生えて立つてゐる。○斑鳩 マメマハシのこと。○ひめ ※[旨+鳥]、シメともいふ。この二つを囮に用ゐたもの。○いそばひ 「い」は接頭辭。「そばふ」は戯れる、じやれる。
 
3240 大王《おほきみ》の 命《みこと》恐《かしこ》み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 眞木|積《つ》む 泉の河の 速《はや》き瀬を 竿《さを》さし渡り ちはやぶる 宇治の渡《わたり》の 激《たぎ》つ瀬を 見つつ渡りて 近江|道《ぢ》の 相坂《あふさか》山に 手向《たむけ》して 吾が越えゆけば 樂浪《きさなみ》の 志賀の韓埼《からさき》 幸《さき》くあらば また還《かへ》り見む 道の隈 八十隈|毎《ごと》に 嗟《なげ》きつつ 吾が過ぎ往《ゆ》けば いや遠に 里|離《さか》り來《き》ぬ 彌《いや》高に 山も越え來ぬ 劍刀 鞘《さや》ゆ拔《ぬ》き出でて 伊香胡《いかご》山 如何《いか》にか吾が爲《せ》む 行方《ゆくへ》知らずて
 
〔譯〕 天皇の御命令の恐多きに、見ても見ても飽きない奈良山を越えて、材木を積み下る泉川の速い瀬を舟に棹さして渡り、宇治川の激流を見ながら渡つて、近江の國に行く道の相坂山に、山の神に手向をして自分が越えて行けば、ささ浪の志賀の韓崎に出るが、その韓崎の幸《さき》く、即ち無事であつたならば、又歸つて來て見ようと、道の曲り角の、多くの曲り角毎に、歎息をしつつ自分が過ぎて行くと、いよいよ遠く自分の住む里は離れて來た。いよいよ高く山も越えて來た。劍太刀を鞘から拔き出して、撃つ名を負うた伊香胡山を今通つてゐるが、その山の名のやうに、いかや(165)うにこのさき自分はしたものであらう。行くさきのことを知らないで。
〔評〕 勅命によつて、奈良山を越え、泉河と宇治河を渡り、相坂山を越えて近江に出て、更に伊香胡山を越えて越路に入らうとする者の歌である。語句に人麿の作の影響が見える。「劍刀鞘ゆ拔き出でて伊香胡山」に奇趣がある。
〔話〕 ○まき 檜などの類。「五〇」參照。○ささ浪 今の大津附近の總名。○劍刀鞘ゆ拔き出でて伊香胡山 「拔き出でて」までは「いかご」につづく序。「いか」は、いかる、いかめし等の「いか」で威勢を張る意。○伊香胡山 賤が嶽に連なる一帶の山。
 
    反歌
3241 天地を歎き乞ひ?《の》み幸《さき》くあらばまた還《かへ》り見む志賀の韓埼《からさき》
     右二首。但、この短歌は、或書に云ふ、樺積朝臣|老《おゆ》の佐渡に配《なが》さえし時作れる歌なりと。
 
〔譯〕 天地の神に歎き乞ひ祈つて、無事であつたならば、又歸つて來て見よう、この志賀の韓崎を。
〔評〕 穗積老の「吾が命し眞幸くあらばまたも見む志賀の大津に寄する白浪」(二八八)と相通ずるものがある。
〔語〕 ○天地を 天神地祇を。天地の神を。○歎き乞ひのみ 「のむ」は?るの意。歎願して祈る。
〔訓〕 ○歎き乞ひ?み 白文「歎乞?」「歎」は諸本「難」とあるが、通じ難いので、考の誤字説に從ふ。
 
3242 百岐年《ももきね》 美濃《みの》の國の 高北の 八十一隣《くくり》の宮に 日向ひに 行き靡《なび》かくを ありとききて 吾が通ふ 道の 於吉蘇《おきそ》山 美濃《みの》の山 靡けと 人は踏《ふ》めども 斯《か》く依れと 人は衝《つ》けども 心|無《な》き 山の、於 蘇《おきそ》山 美濃《みの》の山
     右一首。
 
(166)〔譯〕 美濃の國の高北の泳《くくり》の宮に、日に向つて歩みゆくに、なよなよとして靡くやうな姿のよい少女があると聞いて、その少女に逢ひたいと自分が通うてゆく道には、大吉蘇山や美濃の山がある。あまりに高いから、越えやすいやうに横に靡けといつて人は踏むけれども、かう側へ寄れと人は突くけれども、情のない山である、平氣でゐる大吉蘇山や美濃の山は。                     
 
〔評〕 格調が古朴で、民謠的なにほひが濃い。「ありとききてわが通ふ道のおきそ山三野の山」の句の簡勁なる「靡けと人はふめども、かくよれと人はつけども」と轉じ來つた變化の妙、更に「心なき山のおきそ山みのの山」と前二句を反覆して結んだ句法が、些のゆるみもなく引きしまつた變化に富み、かつ、句中に三言四言六言の短句が多く、しかも全篇何等の不調和のあとがなく、かへつて錯雜の妙がある。かの人麿の作の「靡けこの山」の句はこの長歌に倣つたのであらうか。
〔語〕 ○百岐年 枕詞と思はれるが、かかり方は不明。○高北の八十一隣の宮 景行記に見える泳宮で、可兒郡にあつた上代行在所の名。高北はその邊の總名であらう。○日向ひ 日のさす方に向ふ意。西の方とする説もある。○行きなびかくを、諸説がある。假に以上のやうに説いた。○於吉蘇山 木曾南部の山山。
〔訓〕 ○ひむかひに 白文「日向爾」。考はヒムカシと訓んでゐる。○ゆきなびかくを 白文「行靡闕矣」。舊訓によつた。「矣」を「兒」の誤とし、ユキナビカクコと訓んではと考へもしたが、十分でない。闕を考の如く宮闕の意とし、ユキナムミヤヲと新訓には訓んだ。猶考ふべきである。○わが通ふ道の 白文「吾通道之」舊訓ワガカヨヒヂノ。
 
3243 處女等《をとめら》が 麻笥《をけ》に垂《た》れたる 績麻《うみを》なす 長門《ながと》の浦に 朝なぎに 滿ち來《く》る潮の 夕なぎに 寄り來《く》る波の その潮の いや益益に その浪の いや重重《しくしく》に 吾妹子に 戀ひつつ來《く》れば 阿胡《あご》の海の 荒磯《ありそ》の上に 濱菜つむ 海人處女《あまをとめ》ども 纓《うな》げる 領巾《ひれ》も光《て》るがに 手に纒《ま》ける (167)玉もゆららに 白たへの 袖振る見えつ 相思ふらしも
 
〔譯〕 處女等が麻笥に垂れた績んだ麻のやうに長い――長門の浦に、朝なぎに滿ちて來る潮のやうにいや益しに、夕なぎに寄つて來る波のやうにいよいよ繁く、いとしい妻に戀ひつつ來ると、阿胡の海の荒磯の上で、濱にはえてをる菜をつむ海人處女らが、首にかけてをる領巾も光り輝くほどに、手に纒いてをる玉もゆらゆらと音を立てて鳴るほどに、袖を振るのが見えた。自分を思うてゐるらしい。
〔評〕 瀬戸内海を京に向つて、妻を思ひながら歸航の途上、阿胡の海邊で、船を眺めて領巾を振る海人處女に心を慰めたのである。ほほゑましい情景で、娘子の風姿が美しく描かれてをる。
〔語〕 ○長門の浦 安藝國安藝郡倉橋島の南、今の本浦のことといふ。「三六二一」參照。○阿胡の海 攝津國住吉郡の海。○うなげる うなじに掛けてゐる。
 
    反歌
3244 阿胡《あご》の海の荒磯《ありそ》の上のさざれ浪吾が戀ふらくは息《や》む時もなし
     右二首。
 
〔譯〕 阿胡の海の荒磯の上に打ち寄せるさざ波のやうに、自分が戀しく思ふことは、止む時もない。
〔評〕 大伴郎女の「千鳥鳴く佐保の河瀬のさざれ浪止む時も無し吾が戀ふらくは」(五二六)と似てをる。
 
3245 天《あま》橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月《つく》よみの 持《も》てる變若水《をちみづ》 い取り來《き》て 公《きみ》に奉《まつ》りて 變若得《をちえ》てしかも
 
(168)〔譯〕 天に通ふ天橋も、もつと長くあつてほしい。高山ももつと高くあつてほしい。さうすれば、月の神の持つてをられる若がへりの水を取つて來て、君にさしあげて、若がへりが出來るやうにしたいものである。
〔評〕 若返りの水が月の世界にあると見たのは、外國思想に基づくものであらうが、月が常に若々しく見えることから發した想像とも見えて、自然の趣がある。
〔語〕 ○變若水 變若は「八四七」參照。それを飲むと若がへる水。○い取り來て 「い」は接頭辭。
〔訓〕 ○變若得てしかも 白文「越得之旱物」。旱は元暦校本による。流布本「早」とあるはわるい。
 
    反歌
3246六 天《あめ》なるや月日の如く吾が思《も》へる公《きみ》が日にけに老ゆらく惜しも
     右二首。
 
〔譯〕 天にある月や日のやうに大切に思つてゐる君が、一日一日と日ましに年をとつておいでになるのが惜しいことである。
〔評〕 あがめてをる人の老いるのを惜しんだ歌で、長歌の趣旨を補つたもの。この反歌があつて、長歌の變若水を欲する心が、いよいよ生きて來る。
 
3247 渟名《ぬな》河の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾《ひり》ひて 得まし玉かも 惜《あたら》しを 君が 老ゆらく惜しも
     右一首。
 
〔譯〕 渟名河の底にある玉は、求めて得られる玉であらうか、拾うて得られる玉であらうか。容易には得られない。(169)然るに、その玉のやうな、可惜《あたら》あなたが、年老いて行かれるのは惜しいことである。
〔評〕 浮名河の玉にたとへるべきよい人が老いるのを悲しんだ歌。變若水のことはうたはれてゐないが、前と同じく老を悲しむ歌ゆゑ、續けてあるものとおもはれる。
〔語〕 ○沼名河 攝津、また大和の地名とする説もあるが、代匠記精撰本に、神代紀上の天渟名井、また渟浪田等により、天上にある川と見る方がよい。考には、沼は瓊で玉である、故に瓊之川の名を負うたのであらうとある。○得まし玉かも 得られよう玉か。
 
  相聞《さうもに》
 
3248 敷島の 日本《やまと》の國に 人|多《さは》に 滿ちてあれども 藤波の 思ひ纒《まつ》はり 若草の 思ひつきにし 君が目に 戀ひや明《あ》かさむ 長きこの夜を
 
〔譯〕 日本の國のうちに、人は澤山に滿ちてをるけれども、藤の蔓のやうに思ひまつはり附き、若草のなよやかなやうに思ひなつき、心に染みついてゐたあなたにお目にかかりたいと、戀ひ明かすことであらうか、此の長い夜をば。
〔評〕 素朴な形式ながら、大きく詠みおこし、しかも柔かく麗しい感情の綾を織りなした歌。
 
    反歌
(170)3249 敷島の日本《やまと》の國に人二人ありとし念《も》はば何か嗟《なげ》かむ
     右二首。
 
〔譯〕 この廣い日本國中に、戀しいと思ふ人が二人あるものともし思うたならば、何とて嘆きはしようぞ。何も嘆くことはあるまいに。ただ一人のあなたゆゑ、かくは嘆かれるのである。
〔評〕 渾然たる格調に至純の情をたたへた哀嗟の聲は、千古にわたつて人の心を打つ。古今東西かぎり無き戀愛の嘆きも、歸するところはこれにある。ただ一人にささげた眞心である故に、かくも嘆きは深いのである。そのつきつめた嘆きを「しきしまのやまとの國に」とうたひ出したあたり、上代人の氣象にはつきりと接する思あらしめる。
〔語〕 ○人二人ありとし念はば 私の思ふ人があなたただ一人でなく、もし二人あると思ふならばの意。これを日本國の中に、慕ひあふ君と吾との二人ありと思ふならばの意と解して、戀の勝利をうたつたものと考へるのはよくない。代匠記に引いた遊仙窟の「天上無v雙、人間有v一」とおのづから似通つてをる。
 
3250 蜻蛉《あきつ》島 日本《やまと》の國は 神《かむ》からと 言擧《ことあげ》せぬ國 然れども 吾は言擧《ことあげ》す 天地の 神も甚《はなばだ》 吾が念《お払》ふ 心知らずや 往く影の 月も經往《へゆ》けば 玉|耀《かき》る 日も累《かさな》り 念《おも》へかも 胸安からぬ 戀ふれかも 心の痛き 末つひに 君に逢はずは 吾が命の 生《い》けらむ極《きはみ》 戀ひつつも 吾はわたらむ、まそ鏡 正目《ただめ》に君を 相見てばこそ 吾が戀止まめ
 
〔譯〕 わが日本國は、神樣の御心のままに、人々が言葉に出していひたてをしない國である。しかし私は言葉に出して言ひたてをします。それは、天地の神も、私の思つてゐる心の中を知られないのであらうか。年月も經て行き、日數もかさなつて、物思をする故であらうか、胸も安からず、戀ひ慕ふ故であらうか、心が痛いことである。これから(171)後遂に、君に逢はないとすれば、命のあらむ限りは、苦しい戀をしつつ年月を送ることであらう。まのあたり私の目であなたを見たならば、その時こそ私の戀は止むでせうが。
〔評〕 全篇これ熱情の叫びである。「神からと言擧せぬ國」なる神聖の傳銃に對して「然れども吾は言擧す」と敢へて言ひ放つたところ、「天地の神も甚、吾が念ふ心知らずや」と神に抗議をのべたところなど、大膽な態度である。戀の熱を病む人の聲である。終りの四句は「二九七九」と似てをる。かの短歌はこの長歌の終を一首としたものであらう。
〔語〕 ○神からと 神の國がらとして。○言擧 言葉に出してことごとしく論ずること。揚言。○吾は言擧す 以下、言擧の内容。○往く影の 影が空を動いてゆくの意で、「月」にかかる枕詞。○玉耀る 玉のきらきらする意。「日」にかかる枕詞。
〔訓〕 ○戀やまめ 白文「戀八鬼目」「鬼」は「魔」の誤とする説もあるが、略字とみてよい。○正目 童蒙抄以來タダメの訓が行はれてゐるが、論究には、夜目でなく現實に於いての意で、まそ鏡、まさめと韻を押したのであるから、舊訓マサメがよいとある。
 
    反歌
3251 大舟の思ひたのめる君ゆゑにつくす心は惜しけくもなし
 
〔譯〕 大船のやうに私が頼みに思つてをるあなたのためにさまざま心を盡すのは、更に惜しいとは思ひませぬ。
〔評〕 單調な太い線で、一氣に詠みあげた熱情の聲である。
 
3252 ひさかたの都を置きて草枕旅ゆく君をいつとか待たむ
 
(172)〔譯〕 この都をあとにして旅にお出になるあなたを、いつを歸りと知つてお待ちしてをりませうか。
〔評〕 平明淡雅の調に、そこはかとなき憂がしみとほつてをる。「ひさかたの都」というたのは珍しい。都を天と同樣に貴んだのであらう。
 
   柿本朝臣人麻呂の歌集の歌に曰く
3253 葦原の 水穗の國は 神《かむ》ながら 言擧《ことあげ》せぬ國 然れども 言擧《ことあげ》ぞ吾がする 言幸《こときき》く 眞福《まさき》く坐《ま》せと 恙《つつみ》なく 福《さき》く坐《いま》さば 荒磯《ありそ》浪 ありても見むと 百重波 千垂浪にしき 言擧《ことあげ》す吾は 言擧《ことあげ》す吾は
 
〔譯〕 この日本國は、神の御心のままでかつて、とやかくと言葉だてをしない國である。しかしながら自分は言葉に出して言擧をする。言葉に幸ひがあり、言靈の威コによつて、御無事であるやうにと、海上の旅行中、さはりなく無事であられたならば、歳月を經て後にもお目にかからうと、百重波千重波の頻りにうち寄せるやうに、重ねて言擧をすることである、言擧をすることである、自分は。
〔評〕 言擧を反覆して強調した、意力に滿ちた歌。「言擧す吾は」を調べ高らかに繰返し結んだ崇嚴な作で、その國民的自覺のあらはれたところ、荒磯浪・百重波・千重波と重ねたところなど、遣唐使の壯行歌とする豐田八十代氏の説が、げにと諾はれる。(かの憶良の好去好來歌(八九四)は此の長歌及び反歌を先蹤として詠んだものと思はれる。)
〔語〕 ○葦原の水穗の國 日本國の美稱。「一六七」參照。○神ながら 神として神の御意のままに。○つつみなく 無事に、恙なく。「つつみ」は、凶事、さはり。○荒磯浪 ありを繰返して下へかかる枕詞であるが、下の浪と共に海に縁ある語を用ゐたもの。○千重浪にしき 幾重にもよせて來る浪のやうに、幾度も繰返して。
(173)〔訓〕 ○言擧す吾は 白文「言上爲吾、言上爲吾」。元暦校本等に下の四字は小字で書いてある。反覆したのが原形で、小字で書かれたのは、佛足石歌の第六句を小字で書いたのと同じ例と思はれる。
 
    反歌
3254 敷島の日本《やまと》の國は言靈《ことだま》の佑《きき》はふ國ぞま福《きき》くありこそ
     右五首。
 
〔譯〕 わが日本國は、言葉に宿る神秘な力が、人を助けて、幸を與へる國である。自分が斯く眞心よりの言擧によつて、どうか幸福に無事に歸られるやうに。
〔評〕 言語の上に神靈がやどつて、靈妙な感應があると考へた上代人の言靈信仰の思想を高調して、まことに堂々としたますらをぶりの送別歌である。強い信念が、一切の女々しい感情を超えて、煙波漂渺たる大洋への船出を送らうとする、眞に古代人の偉容を仰ぐ思を禁じがたい。海外への旅が生命を賭けたものであつたからこそ、かうした全人格的な壯行歌も生れたのである。しかも此の歌を相聞の中に入れたのは、卷頭の解説に一言したごとく、敷島の日本の國(三二四八)、蜻蛉島日本の國(三二五〇)この葦原の水穗の國と、冒頭の語句の近似によるためであらう。
〔語〕 ○言靈の佑はふ國 言葉を發すると、その言靈が靈力を發揮して幸福をもたらす國の義。「八九四」參照。
〔訓〕 ○さきはふ 白文「所佑」。元暦校本による。通行本には「所佐」としタスクルと訓んでゐる。
 
3255 古《いにしへ》ゆ 言ひ續《つ》ぎ來《く》らく 戀すれば 安からぬものと 玉の緒の 繼《つ》ぎてはいへど 處女《をとめ》らが 心を知らに 其《そ》を知らむ よしの無ければ 夏麻《なつそ》引く 命かたまけ 刈薦《かりこも》の 心もしのに 人知れず もとなぞ戀ふる 氣《いき》の緒にして
 
(174)〔譯〕 昔から口より口に言ひ繼いで來たことには、戀をすると心が落ち着かぬものであると、言ひ繼いで來たが、あのをとめの心がわからず、知りたいと思うても知るてだてが無いによつて、命を專らよせ傾けて、心が萎れるまでに、人に知られず、よしなくも戀をしてをることである、命がけで。
〔評〕 相手の心を知らず、自分の心のうちを人に知られずに戀をする、といふのが一篇の趣意である。知らに・知らむ・知れずと用ゐたのは、一種の技巧であらう。この歌もまた、冒頭に「古ゆ言ひ續ぎ來らく」と、古い傳へを重んずる思想を現はしてをる。
〔語〕 ○玉の緒の 緒をつなぐ意で「つぎて」にかかる枕詞。○繼ぎてはいへど 上の言ひつぎ來らくに應じたもの。記紀に多い、某のいはく、かくかくといへり、の言ひ方に同じ。○夏麻引く 命にかかる枕詞。諸説があるが、夏麻引く糸の意で「い」にかかるとする論究の説がよからう。○命かたまけ 命を傾け、命を懸けて。○刈薦の しのにかかる枕詞。
 
    反歌
3256 しくしくに思はず人はあらめども暫《しまし》も吾は忘らえぬかも
 
〔譯〕 あの女は、自分のことをひつきりなしに思うてはゐないであらうが、自分は暫くの間もあの女のことを忘れることが出來ないのである。
〔評〕 長歌の主旨をまとめて片戀の苦しみを述べたもので、古調がある。
〔語〕 ○しくしくに 頻りに、重ねての意。
 
3257 直《ただ》に來《こ》ず此《こ》ゆ巨勢道《こせぢ》から石橋《いはばし》ふみなづみぞ吾が來《く》る戀ひて術《すべ》なみ
(175)     或本、この歌一首を以ちて、紀の國の濱に寄るとふ鰒珠拾ひにといひて往きし君いつ來まさむ、といふ歌の反歌と爲せり。具に下に見えたり。但、古本によりて亦累ねてここに載す。
     右三首。
 
〔譯〕 眞直には來ず廻り道をして、巨勢街道から、飛石の橋を踏み、難儀をしながら自分は來ることである。戀しくてしかたがないので。
〔評〕 人目を避けて曲り道をとり、難路を通つて逢ひにゆくのだといふのである。「一二五六」の歌に似て、かの歌よりも更に難澁なのである。
〔語〕 ○此ゆ巨勢道 此處より越すとかけた短い序。○石橋 河中に石を竝べて橋の如くしたもの。この河は能登瀬川と思はれる。
〔左註〕 或本にこの歌が「紀伊國の濱に寄るとふ」云々の歌の反歌となつてゐるが、古本によつて重ねてここに載せたといふのである。この卷の問答の最後に「木の國の濱に因るとふ」(三三一八)云々の反歌四首の中に「直に往かず此ゆ巨勢道から」云々と出てゐるが、兩者の間に語句の相違がある。ここに「或本」「古本」とあるのは、萬葉集卷十三が編纂せられる以前のものかと考へられるが、なほ研究すべきである。
 
3258 あらたまの 年は來去《きゆ》きて 玉|梓《づさ》の 使の來《こ》ねば 霞立つ 長を春日を 天地に 思ひ足《た》らはし たらちねの 母が養《か》ふ蠶《こ》の 眉隱《まよごも》り 氣衝《いきづ》きわたり 吾が戀ふる 心のうちを 人に言ふ ものにしあらねば 松が根の 待つこと遠み 天傳《あまづた》ふ 日の闇《く》れぬれば 白木綿《しろたへ》の 吾が衣手も 透《とほ》りてぬれぬ
 
(176)〔譯〕 年は來て又去つて長い間になるが、あなたからの使が來ないので、霞の立つ長い春の日を、天地に充ちわたるほどの思ひを抱いて、母が養ふ蠶が繭に籠つてゐるやうな、いぶせさの中に吐息をつき暮らし、私の戀ふる心のうちを人にいふべきものではないから、あなたを待ち受ける見込も遠いと思へば、空をわたる日が暮れてしまふといよいよ戀しくて、着物の袖も涙にぬれとほつてしまつた。
〔評〕 使の來ぬのを待ちわびる女の情が、哀婉のふるへをおびてうたはれてをる。「天地に思ひ足らはし」もあはれが深い。終りの句は、人麿が妻に別れて來る歌(一三五)の終りは、此の歌を先蹤としたのであらうか。
〔語〕 ○母が養ふ蠶の眉隱り 欝陶しくて心の晴れぬ意で、「いぶせき」にかかる序。「二九九一」參照。○松が根の 「待つ」にかかる枕詞。同音の反覆による。○白たへ 楮等の繊維をさらした木綿(ゆふ)で織つた白布。
〔訓〕 ○白たへ 白文「白木綿」舊訓シラユフを、訓義辨證の説によつて略解の訓に從ふ。
 
    反歌
3259 斯《か》くのみし相思はざらば天雲《あまぐも》の外《よそ》にぞ君はあるべかりける
     右二首
 
〔譯〕 これほどにあなたが同じこころにお思ひ下さらないことならば、始めからあなたは、空のかなたの、私とは無關係な人であるべきだつたのですね。
〔評〕 なかなかに知つて、しかも心の通じあはぬ戀人を恨んだもので、調子の上にも婦人らしい繰言のたどたどしさがあらはれてをる。
 
3260 小治田《をはりだ》の 年魚道《あゆち》の水を 間無《まな》くぞ 人は?《く》むとふ 時じくぞ 人は飲《の》むとふ ?《く》む人の (177)間無《まな》きが如《ごと》 飲む人の 時じきが如《ごと》 吾妹子に 吾が戀ふらくは 已《や》む時もなし
 
〔譯〕 小治田のあゆちの水を、間《あひだ》もなく人は汲むといふことである。時をかまはずに人は飲むといふことである。その水を汲む人の絶間の無いやうに、その水を飲む人のいつといふ定まつた時の無いやうに、愛するそなたに自分の戀ふるこころは、止む時もないことである。
〔評〕 民謠であらう。一篇の構成は、卷一の「二五」「二六」この卷の「三二九三」と同型である。
〔語〕 ○小治田 尾張とする説と大和とする二説がある。○年魚道 尾張ならば、愛知郡、大和ならば、「小治田の坂田の橋の」(二六四四)とあると同所で、飛鳥地方である。
 
    反歌
3261 思ひ遣る術《すべ》のたづきも今はなし君に逢はずて年の歴《へ》ぬれぼ
     今案ずるに、この反歌、君にあはずと謂《い》へるは、理に合はず。宜しく、妹にあはずといふべきなり。
 
〔譯〕 物思をはらす方法も今はありませぬ。あなたに逢はないで年を經たので。
〔評〕 初めからの反歌でなく、長歌にうたひ添へられたものであらう。類歌に「二八一一」「二八九二」「二九四一」がある。
〔左註〕 長歌に妹とあり、反歌に君とあるが、君は女から男への稱であるから、妹と改むべきであるとの註である。しかし、男から女を君といつた例は例外ながらありもするし、又、最初からこの長歌の反歌として成立してゐたと見ることが既に疑はしい。
     或本の反歌に曰く
 
(178)3262 ?垣《みづがき》の久しき時ゆ戀すれば吾が帶|緩《ゆる》ぶ朝|夕《よひ》ごとに
     右三首。
 
〔譯〕 久しい以前から戀しく思つてゐるので、次第に痩せ細つて、自分の帶はますますゆるくなつて行く。朝ごと夕ごとに。
〔評〕 遊仙窟の「日々衣寛、朝々帶緩」から得たものであらう。
〔語〕 ○みづ垣の 久しきにかかる枕詞。「五〇一」參照。
 
3263 隱國《こもりく》の 泊瀬《はつせ》の河の 上《かみ》つ瀬に い杭《くひ》を打ち 下つ瀬に 眞杭《まくひ》を打ち い杭には 鏡を懸け 眞杭には 眞玉を懸け 眞珠《またま》なす 我が念《も》ふ妹も 鏡なす 我が念《も》ふ妹も ありと 言はばこそ 國にも 家にも行かめ 誰《たれ》故か行かむ
     古事記を檢ふるに曰く、件の歌は、木梨の輕の太子のみづから身まかりし時作りし所なり。
 
〔譯〕 泊瀬の河の上の瀬に齋杭を打ち、下の瀬に眞杭を打ち、齋杭には鏡を懸け、眞杭には玉を懸け――その玉のやうに自分が大切に思ふ女、又その鏡のやうに自分が大切に思ふ妻が、をると云ふならば、それでこそ國にも家にも行かう。しかし、なつかしい女はをらぬので、誰の爲に歸らうぞ。
〔評〕 古事記の允恭天皇の條にある木梨の輕太子の歌と殆んど同樣で、その歌の終りが「家にも行かめ、國をもしのはめ」とあるに比べて、この歌の結びは破格で力が籠つてをる。
 
    反歌
(179)3264 年わたるまでにも人は有りとふを何時《いつ》の間《あひだ》ぞも吾《わ》が戀ひにける
 
〔譯〕 一年が經過するまでも人は堪へしのんで待つといふが、そなたに逢つたのはつい此の間であつたのに、いつの間にまあ、こんなに戀しくてたまらなくなつたのであらう。
〔評〕 右の反歌とは思はれぬ。なほ、藤原麿の「五二三」の作は、これに學んだことが明かである。
〔訓〕 ○あひだ 白文「間」。或はマニ、ホドとよむ。
 
   或書の反歌に曰く
3265 世間《よのなか》を倦《う》しと思ひて家出《いへで》せし吾や何にかかへりて成らむ
     右三首。
 
〔譯〕 世の中をつらいと思つて、家を出て佛門に入つた自分が、再び還俗して何に成らうか。還俗する考はない。
〔評〕 前の長歌の反歌と或書にあるは誤で、獨立した一首である。世を厭うて僧となつた出家に、還俗せよとすすめたに答へた作か。或は、もとの戀人などにめぐりあつて、還俗をといはれた折の複雜した心もちを歌つたものか。とにかく佛門に入る人の少くなかつた時代相をあらはし、かつ出家した人の心をうたつた歌として珍しい作である。
 
3266 春されば 花咲きををり 秋づけば 丹《に》の穗《ほ》にもみつ 味酒《うまさけ》を 神名火《かむなび》山の 帶にせる 明日香の河の 速《はや》き瀬に 生ふる玉藻の、うち靡き 情《こころ》は寄《よ》りて 朝露の 消《け》なば消《け》ぬべく 戀ふらくも しるくも逢へる 隱妻《こもりづま》かも
 
〔譯〕 春になれば花が咲きたわみ、秋になれば赤く色美しくもみぢする神名火山が、帶にしてめぐらしてをる明日香(180)の河の、速い瀬に生えてをる玉藻のやうに、うち靡き心は寄つて、命も消えるならば消えよとばかり、戀ひ慕つたかひがあつて、今逢うた、隱し妻よまあ。
〔評〕 流麗で、巧緻にまとまつた作ではあるが、措辭が類型的である。
〔語〕 ○丹の穗に 美しい赤い色に。○味酒を 美酒を釀むとつづく枕詞。○神名火山 ここは雷岳の稱。○生ふる玉藻の 以上十句「うち靡き」にかかる序。○しるくもあへる かひがあつて逢うた。○こもり妻 人目を忍んでゐる愛人、自分が世間に隱してある妻。親の守りこめておく女をいふとの略解の説は、他の例からみて從ひ難い。
〔訓〕 ○もみつ 白文「黄色」。三二二七によつて、ニホフとよんでもよい。
 
    反歌
3267 明日香河|瀬瀬《せぜ》の珠藻のうち靡き情《こころ》は妹に寄《よ》りにけるかも
     右二首。
 
〔譯〕 明日香河の瀬々の玉藻のやうに、うち靡いて、心は戀しい女に寄つてしまつたことであるよ。
〔評〕 類歌「秋の野の尾花が末の生ひ靡き心は妹に寄りにけるかも」(二二四二)がある。
 
3268 三諸《みもろ》の 神奈備《かむなび》山ゆ との曇《ぐも》り 雨は降り來《き》ぬ 雨霧《あまぎら》ひ 風さへ吹きぬ 大口の 眞神《まがみ》の原ゆ 思《しの》ひつつ 還《かへ》りにし人 家に到りきや
 
〔譯〕 三諸の神奈備山の方から、空が曇つて雨が降つて來た。雨が霧りあうて風さへ吹いて來た。眞神の原を通つて、心深く私の事を思ひながら歸つて行かれたお方は、もう家に着かれたでからうか。
〔評〕 愛人を送り出した後に、風さへ添うて雨が降つて來た。さはりなく家に歸られればよいがと案じた眞情流露の(181)作。卷八の「大口の眞神の原に降る雪はいたくなふりそ家もあらなくに」(一六三六)も思ひ合され、その名も凄い大口の眞神の原の風雨を冒して歸る愛人の身を氣づかふ女の心があはれである。
〔語〕 ○三諸の神奈備山 雷岳をさす。○とのぐもり 雨雲のたなびき曇り。○大口の 「眞神」の枕詞。眞神は狼のことで大口を持つ狼とつづけたもの。○眞神の原ゆ 今の飛鳥村附近。「ゆ」は「を通つて」の意。
 
    反歌
3269 還《かへ》りにし人を念《おも》ふとぬばたまの其の夜は吾も寐《い》も寢《ね》かねてき
     右二首。
 
〔譯〕 歸つてゆかれた人のことを思うて、その晩は、私も睡りかねたことでありました。
〔評〕 女らしく優しい眞心の籠つた歌。長歌を補ひ、相たすけて渾然たる名篇を成してをる。
 
3270 さし燒《や》かむ 少屋《をや》の醜屋《しきや》に かき棄《う》てむ 破薦《やれごも》を敷きて うち折らむ 醜《しこ》の醜手《しきて》を さし交《か》へて 宿《ぬ》らむ君ゆゑ あかねさす 晝はしみらに ぬばたまの 夜《よる》はすがらに この床《とこ》の ひしと鳴るまで 嘆きつるかも
 
〔譯〕 燒きすててしまひたいやうな小さなきたない小屋に、棄ててしまひたい破れごもを敷いて、折つてしまひたいみつともない手をさし交はして寢てゐるであらうあんなにくにくしい人のために、晝は終日、夜は終夜、私のをる此の床がみしみしと音のするまで、嘆いてしまつたことである。
〔評〕 愛人が、他の女と親しんでゐる樣子を想像に描いて、もだえに明し暮してをる女の歌である。少屋の醜屋・破薦・醜の醜手と殊更に醜い語をならべて、相手の女を罵つてをるところ、燃えさかる妬情をさながらに語つてをる。(182)相手の女の身分も賤しいであらうが、かく罵る本人の身分の教養の程も思はれる。
〔語〕 ○しみら 繁の意の「しみ」に接尾辭「ら」を添へたもの。ひまなく、引續いて。○ひしと鳴るまで 「ひし」は床の鳴る音。輾轉反側する樣。
〔訓〕 ○うちをらむ 白文「挌將折」。通行本に「所掻將折」とある折を析の俗字として、カカリサケム(皹り裂けむ)とよむ説がある。○ぬらむ 白文「將宿」。ネナムともよめる。
 
    反歌
3271 わが情《こころ》燒くも吾なり愛《は》しをやし君に戀ふるもわが心から
     右二首
 
〔譯〕 私の心を燒くほどに苦しめるのも、私が苦しめるのである。なつかしいあなたに戀をして此のやうに苦しむのも、私の心からである。ああどうしたらばよいであらうか。
〔評〕 心を燒くほど苦しむのも、戀するのも、おのれの心からで仕方がないと、あきらめるように言ひ捨てた歎聲が痛ましい。
 
3272 うち延《は》へて 思ひし小野は 遠からぬ その里人の 標《しめ》結《ゆ》ふと 聞きてし日より 立てらくの たづきも知らず 居《を》らくの 奧處《おくか》も知らず 親《むつ》ましき わが家すらを 草枕 旅|宿《ね》の如く 思ふそら 安からぬものを 嗟《なげ》くそら 過《す》ぐし得ぬものを 天雲《あまぐも》の ゆくらゆくらに 蘆垣の 思ひ亂れて 亂れ麻《を》の 司《つかさ》を無みと わが戀ふる 千重の一重も 人知れず もとなや戀ひむ 氣《いき》の緒にして
 
(183)〔譯〕 久しい以前から思つてゐた野(彼の女)は、間近い里人がわがものとして占め、繩を張つたと聞いたその日から、立つてもゐても立ちやうも知らず、坐つてゐようにもおぼつかなく、親しい我が家をさへ、旅宿のやうに、思ふ心も安からず、嘆く思も止めがたいのに、空にただよふ雲のやうに心を動かし、蘆の垣のやうに思ひ亂れ、亂れた麻の收めやうが無くて、自分の戀ふる千分の一も知られずに、よしなくも戀をすることであらうか。ただ戀に命をかけて。
〔評〕 自分の思ふ女を他人のものにせられて、惱み苦しむ男の歌。對句を多く用ゐたところにも、綿々の怨がもつれてをる。
〔語〕 ○しめゆふ わが物として領ずる意。「一三三七」參照。○奧かも知らに 奧かは窮まる處。究極に身を置く場所もわからないのでの意。○天雲のゆくらゆくらに 「天雲」は「行く」の枕詞。ゆくらゆくらは、心が定まらずたゆたふ意。○蘆垣の 「亂れ」につづく枕詞。○亂れ麻の 亂れた麻のごとく。○司を無みと つかさどるものなく、收めやうなくの意と解しておく。
〔訓〕 ○むつまじき 白文「親々」チチハハノ、オヤオヤノ等諸訓がある。○ゆくらゆくらに 白文「行莫々」諸訓がある。論究に、雲漠々の熟語を活用したものとの説による。マクマクの訓は採らぬ。○司を無みと 白文「司乎無登」。司は元暦校本等によるが、麻と「つかさどる」と戀心との關係に甘心し得ぬ點がある。通行本に「麻笥」とあるは、仙覺が改めたのであらう。司は笥の略とも見られるが、ヲケヲナミトにしても不通である。
 
    反歌
3273 二つなき戀をしすれば常の帶を三重結ぶべく我が身はなりぬ
     右二首。
 
(184)〔譯〕 二つと比べるものの無いはげしい戀をするので、心のなやみの爲に、常に締める帶を、今は三重まはして結ぶまでに、身體が痩せてしまつたことである。
〔評〕 二つ・三重の對照に技巧がある。「三二六二」にも類想の作があるが、「七四二」の歌はこの「二つなき」の歌に倣つて、しかも四五句が同じである。
 
3274 爲《せ》む術《すべ》の たづきを知らに 石《いは》がねの 凝《こご》しき道を 岩|床《どこ》の 根|延《は》へる門を 朝《あした》には 出で居て歎き 夕《ゆふべ》には 入り居て思《しの》ひ 白たへの わが衣手を 折り返《かへ》し 獨し寐《ぬ》れば ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寐《ぬ》る 味眠《うまい》は睡《ね》ずて 大舟の ゆくらゆくらに 思《しの》ひつつ 吾が睡《ぬ》る夜らを 數《よ》みも敢《あ》へむかも
 
〔譯〕 何としてよいか方法もわからないので、岩の凝り固まつて險しい道を、岩床が根延うてをる門を、朝には出て嘆き、夕方には入つてしのび、袖を折り返して獨で寢てゐると、外の人が黒髪を長く敷いて寢るやうな熟陸は出來ないで、心がゆらぎおちつかず、物思ひしながら、寢る夜の數は、數へきれようか。
〔評〕 「白たへのわが衣手を、折り返し獨し寢れば」の四句を除けば、殆どそのまま、下の挽歌「三三二九」の後半に出てをる。この歌は突如として「せむ術の」云々ではじまつてゐるのも異樣であり、このままでは解しかねる點もある。かの歌をちぢめて歌ひかへたものであらう。從つて語釋も「三三二九」に譲ることにする。
〔訓〕 ○朝には 白文「朝庭」。通行本には「朝庭丹」とあるが、「三三二九」では「ニハ」は助辭になつてをるから「丹」を衍とする説に從つた。
 
(185)    反歌
3275 獨¥寢《ぬ》る夜《よ》を算《かぞ》へむと思へども戀の繁きに情利《こころど》もなし
     右二首。
 
〔譯〕 獨寢る夜の數をかぞへようと思ふけれども、戀の心のはげしさに、魂のぬけたやうで、確かな心もないことである。
〔評〕 眠るともなく醒めるともなく、夜が明けたとも暮れたとも知らず、戀の惱みの爲に正氣もなくなつた心を、さながらに語つてをる。
 
3276 百足《ももた》らず 山田の道を浪雲《なみぐも》の 愛《うつく》し妻と 語らはず別れし來《く》れば 速《はや》川の 行《ゆ》くも知らず 衣手の 反《かへ》るも知らず 馬じもの 立ちて躓《つまづ》く 爲《せ》む術《すべ》の たづきを知らに 物部《もののふ》の 八十《やそ》の心を 天地に 念《おも》ひ足《た》らはし 魂《たま》相《あ》はば 君|來《き》ますやと 吾が嗟《なげ》く 八尺《やさか》の嗟《なげき》 玉|梓《ほこ》の 道來る人の 立ち留《とま》り いかにと問はば 答へ遣《や》る たづきを知らに さ丹《に》つらふ 君が名いはば 色に出でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人にはいひて 君待つ吾を
 
〔譯〕 山田の道を、愛する妻と話もせずに別れて來ると、行くことも知らず、歸ることも知らずに、立つて躓くことよ。何とも仕方がないので、樣々の心を天地に滿ちわたるほどに思ひ惱ましてゐるが――二人の魂が相合ひさへすれば、あなたがおいでになるであらうかと、私が嘆く長い歎息を、もしや道行く人が留つて如何なさつたかと問ふな(186)らば、答へるてだても知らないし、美しいあなたの名をいうたならば、外にあらはれて人が知つてしまひさうであるから、山から出る月を待つてゐるのだと人には言うて、門に出てあなたのおいでを待つてゐる私であるよ。
〔評〕 前半は、妻に別れて歸る男の作らしく、後半は門に出て待つ女の歌らしく思はれる。しかして女の心を敍べた部分は、心理描寫がこまかく調がなだらかであつて、しなやかにかぼそく、微風の渡る如く、ゆるやかな流水の行くが如く、しかも結句に近づくにつれて高まりつつうたひをさめられてをる。尚終りの五句はおのづから一首の短歌になつてゐて、これが卷十二「三〇〇二」に出てをる。全釋には、うつくし妻を夫とし、全部を女の歌と解してをる。しかし「馬じもの立ちてつまづく」「もののふの八十の心を天地に念ひ足らはし」などは男の歌と思はれる。この卷十三には、民謠として謠はれた歌が少くないから、男女二人のかけあひで、「念ひ足らはし」までを男が謠ふと、「たまあはば」から女がうたふ。もしくは「念ひたらはし」まで男の聲で強くうたひ、以下を女の聲でやさしく歌つたものと解してもよいであらう。(上述の「三〇〇二」の短歌は、女の歌の部分を「君」を「妹」と替へて歌つたのであらう)。なほ、「天地に念ひ足らはし」の前後で二首の長歌が混淆したものとの解も出來る。
〔語〕 ○百足らず 枕詞。「八十」とつづくのに基づき、「ヤ」に掛る枕詞としたもの。○山田の道 山田は地名かと思はれるが、大和・河内諸所にあつて決し難い。○浪雲の 「美し」にかかる譬喩的の枕詞。浪のやうな雲の意で、秋の夕べのいはゆるうろこ雲が浪の如く見えるのをいうたと思はれる、美しい新鮮な語である。「靡く藻」などの説はよくない。○速川の 「行く」の枕詞。○衣手の 袖の飜る意の枕詞。○馬じもの 馬ではないのに馬のやうに。「立ちて躓く」にかかる枕詞。○物部の 多くの意の「八十」につづく枕詞。○八十の心 あれこれと思ひ迷ふ心。○八尺の嗟 長い歎息。
 
    反歌
(187)3277 眠《い》をも睡《ね》ず吾が思《も》ふ君は何處邊《いづくへ》に今宵《こよひ》誰《たれ》とか待てど來《き》まさぬ
     右二首。
 
〔譯〕 眠りもせずに、私が思つてゐるあなたは、今宵はどこらあたりで誰と一緒なのでせうか、いくら待つてゐてもおいでにならぬのは。
〔評〕 婦人らしい猜疑をちらりとのぞかせて、しかも上品に、婉曲に詠み流した手なみは巧妙である。
 
3278 赤駒の 厩《うまや》を立《た》て 黒駒の 厩を立てて 其《そ》を飼ひ 吾が往《ゆ》く如 思ひ妻 心に乘りて 高山の 峯のたをりに 射目《いめ》立てて 猪鹿《しし》待つ如 床敷きて 吾が待つ君を 犬な吠えそね
 
〔譯〕 赤駒のための厩を立て、黒駒のための厩を立てて、その駒を飼ひ、自分が乘つて行く如く、いとしい妻が心にかかつて思はれるが――高い山の峰の、たわんで低くなつた所に狩の設備をして、猪や鹿の來るのを待つやうに床を敷いて私が待つてゐるあなたを、犬よ吠え立てるな。
〔評〕 上八句は男、下七句は女の歌ともおもはれる。上述の「百たらず山田の道を」の歌と同じく、男女二人のかけあひの歌、もしくは半より女性風に歌つたものとおぼしい。結びの「吾が待つ君を犬な吠えそね」に至つては自然眞率の妙、おぼえず人をして笑ましめる。
〔語〕 ○射目 狩で弓を用ゐるための設け。射部と解くは誤であるといふ大野晋氏の説による。
 
    反歌
3279 葦垣の末かき別けて君越ゆと人にな告げそ事はたな知れ
     右二首。
 
(188)〔譯〕 葦垣の上の方をかき分けて、私のいとしい方がひそかに越えて入られたとて、犬よ、吠え立てて人に告げてはならぬぞ。その事は十分に知つておいてくれ。
〔評〕 長歌の終りに「犬な吠えそね」とあるのを受け、犬に向つて注意する口吻である。野趣が深く、田舍娘らしい樣が看取せられる。狩獵に用ゐる犬は他に見えるが、番犬は此の歌のみである。
〔語〕 ○たな知れ 「たな」は、よく、十分に、の意。
 
3280 妾《わ》が背子《せこ》は 待てど來まきず 天の原 ふり放《さ》け見れば ぬばたまの 夜もふけにけり さ夜ふけて 嵐の吹けば 立ちとまり 待つわが袖に ふる雪は 凍《こほ》りわたりぬ 今更に 君來まさめや さな葛《かづら》 後も逢はむと 慰むる 心を持ちて み袖持ち 床《とこ》うち拂ふ 現《うつつ》には 君には逢はず 夢《いめ》にだに 逢ふと見えこそ 天《あめ》の足夜《たりよ》に
 
〔譯〕 私の待つ君は待つてをつても來られない。空を遙かに眺めやると、今夜ももうふけてしまつた。しかのみならず、夜がふけて、嵐が吹くので、戸外に出てじつと立つて待つてゐる私の袖に、降りかかる雪は凍りついてしまつた。今更に、おいでなさらぬであらう。明日の晩にでもお目にかからうと心を慰め、家に入り、袖を以て床の上を拂うて寢ようとする。現實にはあなたに逢へなかつたが、せめて夢の中にでも逢ふと見えてほしいものである。この良い夜であるものを。
〔評〕 男の來るのを待つ女の歌である。吹雪の寒夜を、待ちあぐんで戸外に出たが、遂に斷念して家に入り、せめて夢の中で逢はうと願ふ、切ない情緒である。
〔語〕 ○さなかづら 美男かづらのこと。蔓が分れて延びて行き、後に又合ふので枕詞とした。○み袖持ち 「み」(189)は接頭辭。○天のたり夜 「天の」は、神に祈る氣持で添へたので、祈る心から良い夜というたのである。「足」は、天足、國足、などと同じく、滿ち足りてよいの意。長い夜、全夜とする説はいかがと思ふ。
〔訓〕 ○床うち拂ふ 白文「床打拂」トコウチハラヒとも訓める。○たり夜 白文「足夜」タルヨとも訓める。
 
   或本の歌に曰く
3281 吾背子は 待てど來まきず 雁《かり》が音《ね》も とよみて寒し ぬばたまの 夜もふけにけり さ夜|深《ふ》くと 嵐の吹けば 立ち待つに わが衣手に 置く霜も 氷《ひ》に冴《さ》え渡り 降る雪も 凍《こほ》りわたりぬ 今更に 君來まさめや さな葛《かづら》 後も逢はむと 大舟の 思ひ憑《たの》めど 現には 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天《あめ》の足夜《たりよ》に
 
〔譯〕 私の待つ君は待つてをつても來られない。雁の聲も寒さうに響いてくる。夜もふけた。夜のふける上に、嵐も吹くから、戸外に出て待つてをると、私の袖におく霜も氷のやうに冴えわたり、降り積る雪も一面に凍つてしまつた。これでは、今更おいでなさらぬであらう。後に逢はうとそれを頼みに思ふが、現實には逢ふことがない。どうか夢の中にでも現はれて逢つてもらひたいものである。この良い夜であるに。
〔評〕 前の歌と同じく二十五句で、相違してゐるのは、雁が音、置く霜、思ひたのむなどの數句に過ぎず、異傳である。
〔語〕 ○氷に冴え渡り 寒く凍り渡るの意。○大舟の 「たのむ」にかかる枕詞。
 
    反歌
(190)3282 衣手にあらしの吹きて寒き夜を君|來《き》まさずは獨かも寢《ね》む
 
〔譯〕 着物の袖に嵐が吹きつけて寒い此の夜であるに、君がおいでにならぬとすれば、一人でわびしく寢なければならぬことであらうか。
〔評〕 前の長歌の意を要約したもの。女性としてのつつましやかな歌である。
〔訓〕 ○あらし 白文「山下」。和名抄に「嵐、山下出風也」とある。山下風と書くべきを省いたもの。
 
3283 今更に戀ふとも君に逢はめやも眠《ね》る夜を闕《お》ちず夢《いめ》に見えこそ
     右四首。
 
〔譯〕 今まで待つても無駄でした。今更いくら戀しく思つても、あなたに逢ふことがあるでせうか、この上はせめて、毎晩毎晩夢に見えてほしいものです。
〔評〕 長歌の末尾の意をくりかへし、たもの。現實に逢へないならば、夢の中でも逢ひたいと願ふ歌は、類歌が多い。
〔語〕 ○ぬる夜をおちず 寢る夜ごと、一晩もかかさずの意。
 
3284 菅《すが》の根の ねもころごろに 吾が念《も》へる 妹に縁《よ》りては 言《こと》の禁《いみ》も 無くありこそと 齋瓮《いはひべ》を 齋《いは》ひ掘り居《す》ゑ 竹珠《たかだま》を 間《ま》なく貫《ぬ》き垂《た》り 天地の 神祇《かみ》をぞ吾が祈《こ》ふ 甚《いた》も術《すべ》なみ
     今案ずるに、妹に因《よ》りてはといふべからず。まさに君に縁《よ》りてはといふべし。何ぞとならば、則ち、反歌に公《きみ》がまにまにといへり。
 
〔譯〕 心の底から深く思うてゐる女(君の誤か)によつては、言靈の災のないやうにと、齋瓮を齋み清めて地に掘り(191)据ゑ、竹の玉を澤山に絲にとほして垂らし、天地の神々にお祈りすることである。何ともしやうがないままに。 
〔評〕 言靈信仰と祭祀の儀式とが知られる歌である。しかして此の歌にある儀式がすべて女の業であるから、この歌も女の作とすべきであらうといふ全釋の解がよい。
〔語〕 ○菅の根の、「ね」にかかる枕詞。○ねもころごろに 懇に、心からの意。音調の爲に「ころ」を重ねたもの。○言の禁 言靈から受ける災。○無くありこそ 無いやうにしたい。「こそ」は希望の助詞。○齋瓮 神酒を盛つて神前に供へるもの。○竹珠 「三七九」參照。
〔訓〕 ○ねもころごろに 白文「根毛一伏三向凝呂爾」。「一伏三向」をコロと訓むのは、當時行はれた木片四枚を使用する博奕で、一枚伏し三枚表を向いた時をコロといひ、三枚伏し一枚表を向いた時をツクといひ、この博奕をカリといひ、切木四・折木四などの用字も集中に見える。「一八七四」參照。
〔左註〕 反歌に、「公が隨意」とあるによれば、この長歌は女の作とすべく、從つて第四句「妹に縁りては」とあるのは、「君に縁りては」となければならぬといふのである。後人の註であらうが、うべなはれる。但、この卷には、異つた時に詠まれた歌が一括せられてもゐるから、ここも長歌と反歌とが別々に詠まれたものとも思はれる。
 
    反歌
3285 たらちねの母にも謂《い》はず包めりし心はよしゑ公《きみ》がまにまに
 
〔譯〕 母親にもいはないで、今までつつみ隱して來た心は、もうかまひません、あなたの思ふ通りに致しませう。
〔評〕 長歌と同時の作とは考へられない。長歌を女の作と改めても、この反歌と氣分の上で一致しないものがある。かつ、「三五三七」にも異傳歌がある。
(192)〔語〕 ○心はよしゑ 「よしゑ」は、よろしい、えゝまゝよの意。「二五三七」參照。
 
     或本の歌に曰く
3286 玉|襷《だすき》 懸けぬ時なく 吾が念《も》へる 君に依《よ》りては 倭文幣《しつぬさ》を 手に取り持ちて 竹珠《たかだま》を 繁《しじ》に貫《ぬ》き垂り 天地の 神をぞ吾が乞《こ》ふ 甚《いた》も術《すべ》無《な》み
 
〔譯〕 心にかけて思はぬ時が無く、私の思うてゐるあなたのことによつては、倭文幣を手に取り持ち、竹珠を澤山にひもに通して垂れ、天地の神々に私はお祈りします。何ともしやうがないので。
〔評〕 前の長歌の「言の禁も無くありこそと」の句が無く、祭祀の樣式が少しく異る程度で、殆ど同じであるが、これは「君に依りては」とあり、明かに女の作となつてゐる。
「語〕 ○倭文幣を 倭文布を神に供へる爲に幣とした意。「倭文」はわが國固有のもので、縞の文樣のある布。
 
    反歌
3287 天地の神を ?《いの》りて吾が戀ふる公《きみ》い必ず逢はざらめやも
 
〔譯〕 天地の神々を此のやうにお祈りして、私の戀してゐるあなたが、逢つて下さらぬことがあらうか、必ず逢つて下さると思ふ。
〔評〕 前の長歌と反歌とは、しつくりしない點があつた。この反歌と長歌とはよく一致し、女の熱烈な情が出てゐる。
〔訓〕 ○公い必ず 白文「公以必」舊訓はキミニとよんでゐる。
 
(193)     或本の歌に曰く
3288 大船の 思ひたのみて 木妨己《さなかづら》 いや遠長く 我が念《も》へる 君に依りては ことの故も 無くありこそと 木綿襷《ゆふだすき》 肩に取り懸け 齋瓮《いはひベ》を 齋《いは》ひ掘り居《す》ゑ 天地の 神祇《かみ》にぞ吾が祈《こ》ふ 甚《いた》も術《すべ》無み
     右五首。
 
〔譯〕 深く頼みに思うて、長い間私が戀してゐるあなたのためには、言葉が二人の間に惡いことをもたらすやうなことのないやうにと、木綿だすきを肩に取りかけ、齋瓮をいみきよめて掘り据ゑ、天地の神々に私はお祈りして居ります、何ともしやうがないので。
〔評〕 「菅の根」の長歌と似てゐる。これには反歌がないが、それが原形であつたのではあるまいか。
〔語〕 ○大船の たのむにかかる枕詞。○さなかづら 「遠長く」にかけた枕詞。○言の故 前の歌には「言の禁」とあり、それと同義とすれば言靈信仰による言靈の災とすべきである。白文「故」をしばらく舊訓によつてユヱとよむが、「故」には禍災の義がある。言葉のあやまちから二人の間がさかれるといふやうなことであらう。
 
3289 御佩《みばかし》を 劍の池の 蓮葉《はちすば》に 渟《たま》れる水の 行方《ゆくへ》無み 我が爲《す》る時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寢《ね》そと 母|聞《きこ》せども わが情《こころ》 清隅《きよすみ》の池の 池の底 吾は忍びず 正《ただ》に逢ふまでに
 
〔譯〕 劍の池に生えてゐる蓮の葉の上にたまつた水がどちらへも流れて行けないやうに、私が途方にくれてゐる時に、逢はうといつて逢つてくださつたあなたと、共寢をしてはいけないと母がおつしやるけれども、私の心は清く、清隅(194)の池の底ほど深く思つてゐて、私は堪へ忍ぶことが出來ませぬ、直接にあなたに逢ひますまでは。
〔評〕 男と約束した女が、母親のとめるのを隱れて逢はうとする、若い女の一途な情である。「な寢そと母はきこせど」は露骨な表現であるが、何等の嫌惡を伴はないのは純樸な表現の爲である。なほ「吾がこころ清隅の池の」は美しい句である。
〔語〕 ○御佩を お佩をになる劍とかかる枕詞。「を」は詠歎の助詞。○劍の池 大和國高市郡にある。○蓮葉 舒明紀に「瑞蓮生2劍池1、一莖二花」、と見え、蓮がこの池に多かつた趣が知られる。○清隅の池 大和國添上郡にある。○池の底 池の底の深い意より、深い心の譬喩。
〔訓〕 ○吾は忍びず 白文「吾者不忍」。元暦校本等に「志」とある。「志」を「忘」の誤としてワレハワスレジとよむ説もある。
 
    反歌
3290 古《いにしへ》の神の時より逢ひけらし今のこころも常《つね》忘らえず
     右二首。
 
〔譯〕 太古の神代の時代から、私はあなたと契つてゐたやうである。現實の今でも常に忘れられないことを思ふと。
〔評〕 神代の時代から逢つてをつたのであらうといふ考は、理性をこえた信念ともいふべきである。
〔訓〕 ○いまの心も 白文「今心文」。新訓ではイマココロニモと訓んだ。今は舊訓によるが、心にもの意である。○常忘られず 白文「常不所忘」。諸本に「忘」が「念」とあるが、誤寫であらう。
 
3291 み芳野の 眞木立つ山に 青く生《お》ふる 山|菅《すが》の根の 慇懃《ねもころ》に 吾が念《も》ふ君は 天皇《おほきみ》の 遣《まけ》(195)のまにまに【或本に云ふ、大君のみことかしこみ】 夷離《ひなざか》る 國治めにと【或本に云ふ、天離る夷治めにと】 群《むら》鳥の 朝立ち行けば 後《おく》れたる 我《われ》か戀ひむな 旅なれば 君か思《しの》はむ 言はむ術《すべ》 せむ術《すべ》知らず【或書に、あしひきの山の木末にの句あり】 延《は》ふ蔦の歸《ゆ》きし【或本歸きしの句なし】 別《わかれ》の數多《あまた》 惜《を》しきものかも
 
〔譯〕 吉野の常緑樹の繁つてゐる山に青々と生えてゐる山菅の根ではないが――ねもころに心から私が慕つてゐるあなたは、天皇の御任命のままに、遠い邊鄙の國を治める爲にとて、朝出かけて行かれると、後に残された私は、戀ひ慕ふことであらうか、旅のことであるから、あなたも私のことを思ひ慕はれるであらうか。何といつてよいか、言ふべき言葉もなく、どうしたらよいか、なすべきてだても分らず、この別がまことに惜しいことでありますよ。
〔評〕 地方官となつて遠隔の地に赴任する夫との別離を悲しんだ妻の歌である。纒綿たる情緒は、平常の愛情の程を物語つてゐる。「後れたる我か戀ひむな」は、當然のことであるが、「旅なれば君かしのはむ」の句は、夫を信頼し切つてゐる眞情が遺憾なく發揮せられてゐる。表現も、冒頭四句の序をはじめ、「群鳥の」「はふ蔦の」など枕詞を巧みに用ゐてある。
〔語〕 ○ひなざかる 都から遠く隔つた。○歸きし 或書の如くない方がよい。○別の數多 「數多」は次の「惜しき」にかかる。
〔訓〕 ○青く生ふる 白文「青生」。「青」を「重」の誤として、シジニオフルとよむ説もある。○我か戀ひむな 白文「我可將戀奈」奈を戀につづけてコヒナムと訓む説もある。「か」をうけた「む」に「な」をつけた例が他にないからである。○旅なれば 白文「客有者」。新校はタビナルと訓む。
 
    反歌
(196)3292 うつせみの命を長くありこそと留《とま》れる吾は齋《いは》ひて待たむ
     右二首。
 
〔譯〕 現世の御壽命が長く御無事でありますやうにと、後に留つてゐる私は、神を齋つて、御歸りを待ちませう。
〔評〕 長歌では離別の悲しみを述べたが、反歌ではその後の心を述べてゐる。夫が無事に歸るやうにと、眞心をこめて神に祈るのであり、純情愛すべきである。
〔語〕 ○うつせみの命 「うつせみ」は現世。命は夫の命の義。わが命とするのはよくない。
 
3293 み吉野の 御金《みかね》の嶽《たけ》に 間《ま》無《な》くぞ 雨は降るとふ 時じくぞ 雪は降るとふ その雨の 間《ま》無をが如《ごと》 その雪の 時じきが如《ごと》 間《ま》も闕《お》ちず 吾はぞ戀ふる 妹が正香《ただか》に
 
〔譯〕 吉野の御金の嶽に絶間なく雨が降るといふ。時を分たず雪が降るといふ。その雨の絶間の無いやうに、その雪の時を分たぬやうに、絶えず自分は戀しく思つてゐる。いとしい女の身の上を。
〔評〕 卷一の天武天皇の御製(二五)と殆ど一致してゐる。なほ類歌としては「三二六〇」がある。
〔語〕 ○妹が正香に 「正香」は消息。動靜、そのままの姿等の意。「六九七」參照。
 
    反歌
3294四 み雪ふる吉野の岳《たけ》にゐる雲の外《よそ》に見し子に戀ひわたるかも
     右二首。
 
〔譯〕 雪の降る吉野の嶺にかかつてゐる雲のやうに、よそながら見た女に、自分は戀しく思ひつづけてゐることであ(197)るよ。
〔評〕 長歌と反歌と氣分の一致しない點がある。反歌は無かつたのが、後に合されたのであらう。
 
3295 うち日《ひ》さつ 三宅《みやけ》の原ゆ 直土《ひたつち》に 足踏み貫《ぬ》き 夏草を 腰になづみ 如何《いか》なるや 人の子ゆゑぞ 通はすも吾子《あこ》 諾《うべ》な諾《うべ》な 母は知らじ 諾《うべ》な諾《うべ》な 父は知らじ 蜷《みな》の腸《わた》 か黒き髪に 眞木綿《まゆふ》持《も》ち あざさ結《ゆ》ひ垂《た》り 大和の 黄楊《つげ》の小櫛《をぐし》を 抑《おさ》へ挿《さ》す 刺細《さすたへ》の子は それぞ吾が妻
 
〔譯〕 三宅の原を通つて、履物もはかずに土を踏みながら、生ひ繁つてをる夏草の中を腰までも入つて、苦しんで通ひなさるのは、對手《あひて》が1593どんな女だからといふのか。わが子よ。――ごもつともなことです、母もお知りなさるまい、ごもつともなことです、父もお知りなさるまい。眞黒な髪に木綿であざさを結び垂らし、大和の黄楊の小櫛を髪のおさへにしてをる美しい女、その女こそ自分のいとしい妻ですよ。
〔評〕 「通はすも吾子」までの九句と、その以下の十三句と、二つの長歌に分たれ、問答形式となつてゐる。問答形式の歌は、旋頭歌には多いが、長歌には稀で、かの貧窮問答歌(八九二)があるくらゐである。作者を異にする二首の長歌が、機會的に結合せられたものでなく、最初から同一作者によつたことは、「直土に足ふみぬき、夏草を腰になづみ」などの句によつて想像せられる。自己の客觀化もまた注意すべきである。
〔語〕 ○うち日さつ 「うち日さす」に同じ。「みや」にかかる枕詞「四六〇」參照。○三宅の原 大和磯城郡三宅村の地。○足ふみぬき 大地の中まで深く足を踏み込ませる。○如何なるや 「や」は添へた助詞。「如何なる人の子」とつづく。○通はすも吾子 通ふのであるか、吾が子よ。これまでが問である。○諾な諾な 尤もなことであるの意。(198)うべは是認し肯定する詞。○蜷の腸 「黒」にかかる枕詞。蜷といふ卷貝の腸が黒いによる。○あざさ 水草の名。?菜。婦人の頭髪の装飾にしたのであらう。○さすたへの子 美しい女をいうたのであらうが、さすたへの語義は明かでない。
 
    反歌
3296 父母に知らせぬ子ゆゑ三宅道《みやけぢ》の夏野の草をなづみ來《く》るかも
     右二首。
 
〔譯〕 父母に知らせずにゐた女であるから、自分は知られないやうに、三宅道の夏草の繁つてゐる野原を、苦しみながら通つて行くことであるよ。
〔評〕 長歌で問答體に説明したものを要約したものである。
 
3297 玉だすき かけぬ時無く 吾が念ふ 妹にし逢はねば 茜《あかね》さす 晝はしみらに ぬばたまの 夜《よる》はすがらに 眠《い》も睡《ね》ずに 妹に戀ふるに 生《い》けるすべなし
 
〔譯〕 心にかけて絶えず自分が思うてゐるそなたに、此頃逢はないので、晝は終日、夜は夜どほし、眠ることも出來ずに戀してゐるので、生きてゐるすべもない有樣である。
〔評〕 結末に強い言葉を用ゐてゐるが、表現が全體的に形式化されてゐて、熱情があらはれてゐない。
 
    反歌
3298 よしゑやし死なむよ吾妹《わぎも》生《い》けりとも斯《か》くのみこそ吾が戀ひ渡りなめ
(199)     右二首。
 
〔譯〕 ええよろしい、死んでしまはう、そなたよ。たとひ生きてゐたところで、かうして自分は逢へないで、戀しがつてばかり日を送るにちがひないから。
〔評〕 長歌と異なつて、強烈な熱情が遺憾なく發揮せられてゐる。しかし、「二八六九」「二九三六」の類歌がある。
〔訓〕 ○死なむよ 白文「二二火四」「二二」は九九により「四《シ》」「火」は五行説によれば、南に當るので、それを南《ナム》と音讀したもの。「事毛|告火《ツゲナム》」(一九九八)ともある。
 
3299 見渡しに 妹らは立たし この方に 吾は立ちて 思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からなくに さ丹漆《にぬり》の 小《を》舟もがも 玉|纏《まき》の 小※[楫+戈]《をかぢ》もがも こぎ渡りつつも 語らはましを
     或本の歌の頭句に云ふ。隱國《こもりく》の 泊瀬《はつせ》の河の 彼方《をちかた》に 妹らは立たし この方に 吾は立ちて
     右一首。
 
〔譯〕 見渡される向うに戀人は立つてをり、こちらに自分は立つてゐて、思ふ心は安からず騷ぎ、嘆く心も安からずにをる。朱ぬりの小舟でもあればよい。玉をまいた小さい櫂でもあればよい。向うへ漕ぎ渡つて行つて、共に語らはうに。
 或本の歌の頭句――初瀬川の向う岸に戀人は立つてをり、こちら岸に自分は立つてゐて‥‥
〔評〕 「見渡しに妹らは立たし」は、冒頭としてはやや不自然な感があるので、或本の歌の頭句を補ふといふ説もあるが、「さ丹ぬりの小舟」、「玉まきの小櫂」など、七夕の歌と考へられるから、或本のは、七夕の歌を初瀬川の歌に改めたのであらう。
(200)〔語〕 ○妹らは立たし 「ら」は語調をととのへるための接尾辭で、意味はない。「立たし」は「立つ」の敬語。
〔訓〕 ○語らはましを 白文「相語益遠」通行本は、益を妻とし、アヒカタラメヲと訓むが、假名の例にあはない。略解の説による。
 
3300 押照《おして》る 灘波の埼に 引き上《のぼ》る 赤《あけ》のそほ舟 そほ舟に 綱取り繋《か》け 引《ひこ》づらひ ありなみすれど 言ひづらひ ありなみすれど ありなみ得ずぞ 言《い》はえにし我が身
     右一首。
 
〔譯〕 難波の崎をのぼつてゆく赤くぬつた舟、そのあかい舟に綱を取りつけて無理に引つぱる。そのやうに、自分は無理やりに否定しつづけてゐたが、言ひ張り、否定しつづけてゐたが、遂に否みおほせずして、人に言ひ騷がれるやうになつたことである。
〔評〕 一篇がいかにも古雅で、上代歌謠の傾向に近く、此の卷の中でも注意すべき作である。
〔語〕 ○あけのそほ舟 赤くぬつた舟。「そほ」は「染む」の轉といふ説もあるが、赭色の土の名稱と考へられる。「三八四一」に眞朱《まそほ》とある。○ひこづらひ 引き張る。「つらふ」は「あげつらふ」「いひつらふ」の場合と同じく接尾辭で、強める意。人々が自分の戀に關してかれこれいふのを突張り否定するの意。○ありなみすれど 宣長の説の如く「有否み」で、たえず猪名定してゐるがの意。○言ひづらひ 強く言ひ張る、無理に主張する。○ありなみ得ず 否定しつづけることが出來ない。○いはえにし我が身 人に言ひ騷がれることになつてしまつた、自分は。「いはえ」は「いはれ」に同じ。
 
3301 神《かむ》風の 伊勢の海の 朝なぎに 來寄《きよ》る深海松《ふかみる》 夕なぎに 來寄るまた海松《みる》 深海松の 深(201)めし君を また海松の 復《また》往《ゆ》き反《かへ》り 妻といはじとかも 思ほせる君
     右一首。
 
〔譯〕 伊勢の海に、朝なぎに寄つて來る深海松、夕なぎに寄つて來る又海松、その深海松の名のやうに心深く思ひ入つてをる私であるのに、またみるといふ海藻の名のやうにまた歸つておいでになつてから、私を妻といふまいとまあ、思つていらつしやるのですか、あなたは。
〔評〕 伊勢の民謠であらう。旅立たうとする男が出立する前に、つれない言葉をいつたのを恨み腹だつた心持で、古格の歌である。人麿の長歌の「つのさはふ石見の海の」(一三五)の十二句、赤人の敏馬の浦を過ぐる時の歌「九四六」の深海松と名告藻を以て組み立てられてゐるなどは、この作に學んだものといはれてをる。從來の解釋に種々の解があるが以上のやうに解するをよいと思ふ。
〔語〕 ○深海松 深緑色の藻。深いところに生ふる海松の義。○また海松 みるの中で特に枝が多く出て肢になつたもの。○深海松 以上七句は「深めし」の序。○また深松の 前の序をうけて更に又につづく序としたもの。○またゆき返り 旅に出て歸つての義。古義に年月日の行き返りとあるは採らぬ。○思ほせる君 妻といはじと思ほせるか、君は、の意。
 
3302 紀の國の 室の江の邊に 千年に 障る事無く 萬世に 斯くしあらむと 大舟の 思ひたのみて 出で立ちの 清き渚《なぎさ》に 朝なぎに 來寄《きよ》る深海松《ふかみる》 夕なぎに 來寄る繩苔《なはのり》 深海松の 深めし子らを 繩苔《なはのり》の 引けば絶ゆとや 里人の 行きの集《つどひ》に 泣く兒《こ》なす 靱《ゆき》取りさぐり 梓弓 弓原《ゆはら》振り起《おこ》し 志乃岐羽《しのきは》を 二つ手狹《たばさ》み 離ちけむ 人し悔《くや》しも 戀ふらく(202)思へば
     右一首。
 
〔詳〕 紀伊の國の室の江の邊に、千年の間も障ることなく、萬世の後までもかうしてゐようと思ひ頼んで、出立《いでたち》の清い渚に朝なぎに深海松が寄り來。夕なぎに繩のりが寄り來るが、その深海松といふ名の如く深く思うてゐた女であるのを、そののりが引つぱるときれるやうに、自分らの中を引きさかうとすれば絶えるものと思うてか、里人らのあつまつてをるところに二人がをつたのを――靱をさぐつて、梓弓の弓末を振り立て、しのぎ羽を二つ手挾み、引き放つやうに二人を引き放して、女をつれていつたあの男がくやしい。このやうに戀ひしく思はれるにと思ふと。
〔評〕 前は伊勢の民謠、これは紀伊の民謠なので、竝べ載せたのであらう。「里人の」以下が難解で種々の解釋があるが、上述のやうに解した。歌垣などの里人のつどひに、戀人とうちつれ行つた折に、二人の戀中を割かうとする女の近親の誰かが、無理に引き放してつれ去つてしまつた。それを悔しく悲しく思ふ男の情があはれに歌はれてをる。混雜の中で靱を探つて弓を引きはなつ事は實際ではなく、いはばそのやうな無法なことをしてつれていつたといふ句中の序である。
〔語〕 ○室の江 今の牟婁郡の江で、田邊灣をさすものと思はれる。○大船の 枕詞。○出立 地名で田邊町の一部と見る説によつた。「一六七四」參照。雄略紀の「いでたちのよろしき山」の句によつて、地勢をほめる句とする説もある。○繩のり 繩のやうな海苔、紅色の藻。「二七七九」參照。○行きのつどひ 行き集まつてゐる處。○泣く兒なすゆきとりさぐり 泣く兒がはひ行き物を取り探るやうにとつづく。しかして「行き」を「靱」とし、靱を探つての意に用ゐたもの。「ゆきの」「ゆき」と同音を重ねて調をととのへてある。○弓腹振り起し 弓をふりたて。○しのぎ羽 矢の一種。風をよく凌ぎゆく意で鳥の風切羽でつくつた矢とする考の説がよいであらうが、なほ「の」の假(203)名に問題はある。○はなちけむ 手を放つやうに、二人の中を引き放ち、女をいづこへかつれていつた。○人しくやしも 人は女の近親であつて、引きはなされる時に男がどうとしやうもなかつたことを悔むのである。
〔訓〕 ○出立の 白文「出立之」イデタチシとよんで動詞と見る説もある。○しのき羽 白文「志乃岐羽」。元暦校本等による。通行本に「乃」を「之」としてをるのはよくない。
 
3303 里人の 吾に告ぐらく 汝《な》が戀ふる 愛夫《うつくしづま》は 黄葉《もみちは》の 散り亂れたる 神名火《かむなび》の この山邊から【或本に云ふその山邊】 ぬばたまの 黒馬《くろま》に乘りて 河の瀬を 七瀬渡りて うらぶれて 夫《つま》は逢ひきと 人ぞ告げつる
 
〔譯〕 里人が私に告げていふには「そなたの戀ひ慕うてをる愛人の夫君は、紅葉が散り亂れてをる神名火の此の山の邊から、眞黒な馬に乘つて、川の瀬を七瀬も渡つて、寂しげな樣子をして行かれる夫君に逢つたことである」と、里人が告げたことである。
〔評〕 一讀凄愴の感をあたへる作である。その荒涼として暗澹たる描寫には、漂泊放浪の人の面影が浮んでくる。眞淵はこれを挽歌としてをるが、それに從へば、幻想的象徴的な情趣となる。いづれと見ても、沈痛な佳作である。
〔語〕 ○うつくし夫 愛する夫の意。眞名に「愛妻」、「妻者會登」とあるので、妻と解する説もあるが、口誦を文字にうつす時にたがへたものとおもふ。上述のごとく、女の戀ふる男が家出したのに、里人の誰かが逢つたと女に告げたのを聞いて、女が詠んだものと解する説と、挽歌で夫の死後に妻が悼み詠んだ作との二つの解釋がある。○七瀬 多くの瀬。飛鳥川の瀬であらう。○うらぶれて 物思ひに沈んでゐる樣子。
 
    反歌
(204)3304 聞かずして黙然《もだ》あらましを何しかも公《きみ》が正香《ただか》を人の告げつる
     右二首。
 
〔譯〕 聞かないでじつとしてだまつてをつた方がよかつたものを、なぜにまあ里人は、夫君の樣子を私に告げたことであらう。
〔評〕 悄然としていつたといふ夫の樣を里人から聞いた妻のこの述懷の中には、内部にひそんでをる錯綜した事情が樣々に想像せられる。複雜な内容を暗示する歎聲であると思はれる。
〔語〕 ○公が正香を 「三二九三」參照。なほここに「公」とあるのが、前の長歌を女の作とする根據ともなる。
 
   問答《もにたふ》
 
3305 物|念《も》はず 道行くゆくも 青山を ふり放《さ》け見れば 躑躅《つつじ》花 香未通女《にほえをとめ》 櫻花 盛未通女《さかえをとめ》 汝《な》をぞも 吾《あ》に寄《よ》すとふ 吾《あ》をもぞ 汝《な》に寄《よ》すとふ 荒山も 人し寄すれば 寄《よ》そるとぞいふ 汝《な》が心ゆめ
 
〔譯〕 物思もなく道を歩いて行きながら、青々と木々の茂つてゐる山を遙かに見ると、躑躅の花が美しく咲いてゐるが、その花のやうな美しい處女、また櫻の花も美しく咲いてゐるが、その花のやうに美しざかりの處女よ、そなたを(205)世間の人が自分と關係があるやうに噂するさうである。また自分のことを、そなたと關係があるやうに噂するさうである。諺にも、人の通はないやうな荒山でも、山と山と關係があるやうに人が言ひはやすと、心ない山でも互に引きつけられて一つになつてしまふといふことである。ましてや心ある人間であるのだから、そなたも決して自分のことをあだに思はないでくれ。
〔評〕 「つつじ花にほひをとめ、櫻花さかえをとめ」とたたへて、自分のその處女に對する遣るせなき戀の惱みを、世間の噂にかこつけ、また諺を用ゐてうちあけたのである。
〔語〕 ○躑躅花 下に「のやうに」の語を補ふ。○香未通女 咲き匂ふやうに盛なる少女。○櫻花 これもつつじ花と同じく、眼前の景を以て枕詞式に用ゐたたの。○汝をぞも 「ぞ」は強意、「も」は詠歎の助詞。○吾に寄すとふ 「よす」は言よす(古義)、關係ありと噂する(全釋)などの義。○寄そる 寄せられる、一緒になるの意。○汝が心ゆめ 「ゆめ」は禁止の詞。汝が心は決して間違ふなの意。
〔訓〕 ○行くゆくも 白文「行去毛」舊訓ユキナムモ。終止形を重ねた副詞的用法としてユクユクモと訓んだ。
 
    反歌
3306 いかにして戀ひ止《や》むものぞ天地の神を  薦《いの》れど吾《あ》は思ひ益す
 
〔譯〕 どうしたらば戀は止むものであらう。天地の神を祈つても、自分は思ひが益るばかりである。
〔評〕 長歌の戀の惱みから脱れようとする心を強調して、神の力にすがつても詮のない苦しみを痛歎したもの。
 
3307 然《しか》れこそ 歳の八歳《やとせ》を 切る髪の 吾同子《上ちこ》を過ぎ 橘の 末枝《ほつえ》を過ぎて このの河の 下《した》に(206)も長く 汝《な》が情《こころ》待て
 
〔譯〕 さうでありますから、この八年間、髪を切り下げにしてゐる同じ年頃の少女よりも丈が高くなり、橘の木の上の枝よりも高くなつて、この川の水が川底を流れてゆくやうに、心の底ふかく、長い間あなたの心のうちあけられるのを待つてゐるのです。
〔評〕 振分髪の時代を過ぎ、丈も伸びた娘子が、愛人の云ひ寄るのを待つた心を歌つたもの。言葉の足らぬ感があつて、形式は整備してをらぬが、古趣掬すべきものがある。
〔語〕 ○然れこそ 前の歌をうけて、それだからこそといひ出したもの。○年の八歳を 八は數おほい意とも、八年間の意とも解される。○切る髪の 童女が振分髪を肩のあたりで剪り揃へてゐることをいふ。大きくなると切らずにのばし、少女になつて髪上げをする習慣であつた。○よちこ 同年輩の子の意。「八〇四」參照。○橘の末杖を過ぎ 橘の上枝を過ぎるほど成長したの意。○この河の下にも この河は女の家の邊に河があつたからと思はれる。「下」は下心の意。「この河の」は枕詞として用ゐたもの。○汝が情まて 汝の心を寄せるのを待つてゐるのだの意。「まて」とあるのは、上の「しかれこそ」の結びである。
 
    反歌
3308 天地の神をも吾は?《いの》りてき戀とふものはかつて止《や》まずけり
 
〔譯〕 天地の神さまをも私は祈りました。それでも戀といふものは、すこしも止むことがなかつたのでありました。
〔評〕 言葉をかへて、しかも前の反歌の趣旨と似てをる。
 
(207)   柿本朝臣人麻呂の集の歌
3309 物|念《も》はず 路《みち》行くゆくも 青山を ふり放《さ》け見れば 躑躅《つつじ》花 香少女《にほえをとめ》 櫻花 盛少女《さかえをとめ》 汝《な》をぞも 吾《あ》に依《よ》すとふ 吾《あ》をぞも 汝《な》に依《よ》すとふ 汝《な》はいかに念《おも》ふ 念へ《おも》へこそ 歳の八年《やとせ》を 切る髪の よちこを過ぐり 橘の 末技《ほつえ》を過ぐり この川の 下《した》にも長く 汝《な》が心待て
     右五首。
 
〔譯〕 ‥‥そなたはどう思ふか。(以下答)私もあなたを思ひますればこそ‥‥
〔評〕 前の問答の長歌が一首になつて人麿集の中に入つてをつたのである。「三二九五」と同型である。「三二九二」の「吾をもぞ」が「吾をぞも」となり、「荒山も」の三句がないだけである。
〔語〕 ○過ぐり 他に用例が無い。佐伯梅友氏は上二段活用の一種の連用形といつてをられる。
 
3310 隱國《こもりく》の 泊瀬《はつせ》の國に さ結婚《よばひ》に 吾が來《く》れば たなぐもり 雪はふり來《き》 さ曇《ぐも》り 雨は降り來《く》 野《の》つ鳥 雉《きぎし》はとよみ 家つ鳥 鷄《かけ》も鳴く さ夜は明け この夜は明けぬ 入りて且|眠《ね》む この戸開かせ
 
〔澤〕 泊瀬の國に、女をつまどふ爲に自分が來ると、雲が棚引き曇り、雪が降つて來、空が曇り、雨が降つて來た。途中でさうかうするうちに、雉は鳴きとよみ、鷄も鳴き出した。夜が明け、今夜も明けてしまつた。しかし自分は、女の家に入つて先づ寢ようと思ふ。この戸を開けなさい。
〔評〕 古事記上卷なる、八千矛神が沼河比賣の家に到つて詠まれた歌に似てをる。また「二九〇六」の短歌とも通ず(208)るものがある。
〔語〕 ○隱り國の泊瀬の國 「こもりく」は枕詞。國は里といふほどの意。○さよばひに さは接頭辭。よばひは求婚して女を呼ぶ義から轉じた語。「一〇八九」參照。○たなぐもり 一面に曇り。○さぐもり さは接頭辭。○野つ鳥 雉の枕詞。野の鳥の意。○家つ鳥 鷄の枕詞。○かけ 鷄の古名。鳴聲から來たものと思はれる。にはとりの名は庭の鳥の義。○且 まづ、しばらくなどの意。
 
    反歌
3311 隱國《こもりく》の泊瀬小國《はつせをぐに》に妻しあれば石は履《ふ》めども猶ぞ來にける
 
〔譯〕 泊瀬の國に妻があるので、河の瀬の石は踏んでも、それでも來たことである。
〔評〕 遠く來た道の辛苦をのべたもの。野趣に富んだ古調が愛せられる。
〔語〕 ○小國 「を」は接頭辭で意味はない。
 
3312 隱國《こもりく》の 長谷小國《はつせをぐに》に 結婚《よばひ》爲《せ》す 吾がすめろきよ 奧床《おくどこ》に 母は睡《ね》たり 外床《とどこ》に 父は寢たり 起き立たば 母知りぬべし 出で行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜は明け行きぬ 幾許《ここだく》も 念《おも》ふ如《ごと》ならぬ 隱夫《こもりづま》かも
 
〔譯〕 泊瀬の國に結婚にとおいでになつた尊い御方よ。奧の床には母が寢てをります。入口の方の床には父が寢てをります。私が起き立つならば、母が知るでありませう。出て行くならば、父が知るでありませう。ためらふうちに夜(209)は明けて行きました。あなたの愛人として人目を忍んでゐる女といふものは、ほんたうに思ひのままにならぬものですねえ。
〔評〕 貴い身分のしのび夫を戸の外に立たせ、いたづらに心のみあせる田舍少女の思ひをのべたもの。「夜は明けゆきぬ」と切つて「ここだくも念ふ如ならぬこもりづまかも」と嘆じたところ、無量の感がこもつてをる。前の歌とならべ誦して、一篇の物語が思はれる。
〔語〕 ○よばひせす 「す」は敬語助動詞。○わがすめろきよ かかる歌に「すめろき」とよぶことは畏いとして種々の誤字説がでてゐるが、傳承歌として考へれば怪しむべきではない。殊に田舍少女が身分の貴い方とだけ知つてゐて、さういふ詞をつかつたと見てよい。○奧床 次の外床に對し、戸口に遠い奧まつた場所の床。○ここだくも 甚だの意。次句にかかる。○こもりづま 白文「隱※[女+麗]」、舊訓カクリヅマ。シノビヅマと訓んで、男をいふと解する説もある。
 
    反歌
3313 川の瀬の石ふみ渡りぬばたまの黒馬《くろま》の來《く》る夜《上》は常にあらぬかも
     右四首。
 
〔譯〕 川の瀬の石を踏み渡つて、かなたがお乘りの黒馬の來る夜が、いつもあればよいになあ。
〔評〕 前の長歌にすぐつづいたものとは思はれぬ。大伴郎女の「佐保川の小石ふみ渡りぬばたまの黒馬の來る夜は年にもあらぬか」(五二五)は、この歌を襲ひ用ゐたもの。
 
3314 つぎねふ 山城|道《ぢ》を 他夫《ひとづま》の 馬より行くに 己夫《おのづま》し 歩《かち》より行けば 見るごとに 哭《ね》の(210)みし泣かゆ 其《そこ》思《も》ふに 心し痛し たらちねの 母が形見《かたみ》と 吾が持《も》てる まそみ鋸に 蜻蛉領巾《あきつひれ》 負《お》ひ竝《な》め持ちて 馬かへ吾背
 
〔譯〕 山城の方へ行く道を、よその夫が皆馬に乘つて行くのに、わが夫が歩いて行かれるので、それを見るたび毎に聲をあげて泣かれます。それを思ふと胸が痛みます。ここに、母の形見として大事にして持つてゐる清く澄んだ鏡があります。それにまた蜻蛉の羽のやうに美しい領巾がありますが、それを加へて一緒に持つておいでになつて、馬を買うてくださいませ、わが夫よ。
〔評〕 その純情と貞節は人を泣かしめる。後代の山内一豐の夫人の逸話も思ひ出される。しかもこれは當時の旅商人などの妻の詠んだものであらうが、その人妻の眞情に至つては同一である。眞淵は「歌も飾らず思ふ情をのみいひつづけたるに、姿よろしくあはれ深くおぼえらるるは、これらこそ歌てふものなれ」と評したのは至言である。
〔語〕 ○つぎねふ 山城にかかる枕詞。語義は諸説あつて定めにくい。冠辭考には「次嶺經」の文字の如く、多くつづいた嶺を經る故といひ、萬葉植物考には、つぎねは草木類で「ひとりしづか」のこと、つぎねの生ふる山といふとある。○馬より行くに よりは手段方法を示す助詞で、口語の「で」に當る。○そこ思ふに それを思ふに。○まそみ鏡 「ま」は接頭辭。よく澄んだ鏡。○蜻蛉領巾 蜻蛉の羽のやうに薄く美しい領巾。領巾は女が首にかけ、左右へ長くたらした布帛。○負ひ竝め持ちて 二つを合はせて、負ひ持つての意。「おひ」、を價、また價の不足の追加と解する説もある。○馬かへ吾背 字面に「替」とあるので、「かへ」は馬と交換せよの義(考)といはれてゐる。勿論交換であるが、代償を與へてわが物とする、即ち古義の如く、買への義でよいであらう。
 
    反歌
(211)3315 泉河|渡瀬《わたりせ》ふかみわが背子が旅ゆき衣《ごろも》ひづちなむかも
 
〔譯〕 泉川の川の渡るところが深いによつて、あなたの旅の着物が濡れひたることでありませう。
〔評〕 これは家にゐて、泉河をかち渡りする夫の辛勞を思ひやる樣に詠んだのであるが、それだからどうしても馬がなければ、の意が含まつてをると見てよい。
〔話〕 ○泉河 今の木津川。大和より山背への通路にある。
 
   或本の反歌に曰く
 
3316 まそ鏡持てれど吾はしるしなし君が歩行《かち》よりなづみ行く見れば
 
〔譯〕 このよく澄んだよい鏡を持つてゐますが、それでも、わたしは何のかひもありませぬ。あなたが歩いて難儀をして旅をなさるのを見てゐますと。
〔評〕 長歌の趣旨をとつて短歌にまとめたもので、その眞情が、ありのままの句法に流露してをる。
 
3317 馬かはば妹|歩行《かち》ならむよしゑやし石は履《ふ》むとも吾《あ》は二人行かむ
     右四首。
 
〔譯〕 そなたの志はまことに嬉しい。しかし馬を買うたにしても、二人で行く場合には、そなたは歩いて行かなければなるまい。よしや石を踏んで苦しくとも、そなたと二人で歩いて行かう。
〔評〕 これは夫のこたへた歌。長歌があつて傳はらなかつたのか、もとより無かつたのか、明かにしがたいが、大事な母の形見をも惜しとせぬ妻の眞心も哀切であるが、やさしく拒絶して、二人ともに苦難の道を行かうといふ、夫の(212)胸奧は深い愛情にあふれてをる。「よしゑやし石はふむとも」の素朴な表現の中に、上代庶民の盛んな生活意慾を感ずる思ひさへする。
 
3318 紀の國の 濱に寄るとふ 鰒珠《あはびだま》 拾《ひり》はむと云ひて 妹の山 勢の山越えて 行きし君 何時《いつ》來まさむと 玉|桙《ほこ》の 道に出で立ち 夕|卜《うら》を 吾が問ひしかば 夕卜の 吾に告《つ》ぐらく 吾妹子や 汝《な》が待つ君は 沖つ浪 來寄《きよ》る白珠《しらたま》 邊《へ》つ浪の 寄する白珠 求むとぞ 君が來まさぬ 拾《ひり》ふとぞ 君は來まさぬ 久ならば 今七日ばかり 早からば 今二日ばかり あらむとぞ 君は聞《きこ》しし な戀ひそ吾妹《わぎも》
 
〔譯〕 紀伊の國の濱に寄るといふ鰒の珠を拾はうと云うて、妹の山や背の山を越えて行かれたあなたは、いつ歸つてお出でになるだらうと、待ち遠しさに、道に出て夕方の卜を私が問うたところ、その卜者が私に告げて云ふには「そなたの待つてをられる方は、沖の浪の來寄せる白珠、岸の波の寄せる白珠を求めるというて、まだお歸りにならない。拾ふとてお歸りにならない。しかし、長かつたらもう七日ほど、早かつたらもう二日ほどかかるだらうと、仰つしやつた。であるから、そんなに心配をしなさるな」と夕卜の人はいひました。どうかその言葉のやうであつてほしいものです。
〔評〕 紀州の海岸に眞珠を採集に出た夫の歸りを待ちかねて、夕卜を問うた女の歌で、上代の風俗があらはれてゐる。ここの夕卜に出た語法を、家持は「四〇一一」の夢話に踏襲してをる。
〔語〕 ○鰒玉 眞珠。「九三三」參照。○妹の山背の山 紀伊國伊都郡。○夕|卜《うら》 夕方街路にゐてする占。「七三六」(213)のは簡單なやうであるが、ここのは卜者に問ひ、卜者の詞を次に敍したのである。○君はきこしし 「きこしし」はいふの敬語。「今二日ばかりあらむ、な戀ひそ吾妹と君はおつしやつた」と以上が夕卜の詞である。
 
    反歌
3319 杖|衝《つ》きも衝かずも吾は行かめども公《きみ》が來まさむ道の知らなく
 
〔譯〕 杖を突いても突かないでも、私は行きせうけれど、歸つておいでになる道の分らないのがつらいことです。
〔評〕 迎へに行つても、行き違ひになるとこまるといふのである。婦人らしい可憐な詠みぶりで、「道の知らなく」に幼い當惑の情があらはれてをる。
 
3320 直《ただ》に往《ゆ》かず此《こ》ゆ巨勢道《こせぢ》から石瀬《いはせ》踏《ふ》み求《と》めぞ吾が來《く》る戀ひて術《すべ》なみ
 
〔譯〕 ‥‥石の多い川の瀬を踏んで、あなたのあとを追ひ求めて來たことであります。‥‥「三二五七」の譯參照。
〔評〕 「三二五七」には三四句が「石《いは》橋踏みなづみぞ吾が來る」となつてゐて男の歌、ここは女の歌で、民謠として歌ひかへられてゐた、ことが知られる。
 
3321 さ夜ふけて今は明けぬと戸を開《あ》けて紀へ行く君を何時《いつ》とか待たむ
 
〔譯〕 夜がふけてもまだ夜なのに、もう今は夜が明けたというて、戸をあけて、紀の國へとお出かけになるあなたを、いつお歸りになることとお待ちすることであらう。
〔評〕 夜明け前に戸をあけて、紀伊に向つて旅立つ夫の歸りを、今から待ちわびる心もちである。格調に意を用ゐな(214)い、ありのままの云ひ樣である。
 
3322 門《かど》に居る娘子《をとめ》は内に至るとも甚《いた》くし戀ひば今還り來《こ》む
     右五首。
 
〔譯〕 門に出て自分を見送つてゐるをとめのそなたは、家の内に入つたとわかつても、そなたがはげしく戀しう思ふならば、すぐ歸つて來ることであらう。
〔評〕 この一首は反歌ではなく、出立の折に男のあわただしく詠んだ歌を竝べたのである。
〔訓〕 ○娘子 諸本「郎子」とあるが、この歌は女の歌でなく、訓は古寫本すべてヲトメとあるから、考の説の如く、「娘子」の誤と思はれる。
 
   譬喩歌《ひゆか》
 
3323 階立《しなた》つ 筑摩《つくま》左野方《まさのかた》 息長《おきなが》の 遠智《をち》の小菅《こすげ》 編《あ》まなくに い苅り持ち來《き》 敷かなくに い苅り持ち來て 置きて 吾を偲《しの》はす 息長《おきなが》の 遠智の小菅《こすげ》
     右一首。
 
〔譯〕 筑摩の左野方、息長の遠智の小さい菅、その菅を編みもせぬのに苅つて持つて來、敷きもせぬのに苅つて持つ(215)て來て、置いて、いかにも使ひさうにして置いて、自分に物思ひををせる息長の遠智の小菅よ。
〔評〕 女が靡き親しむやうな風情を見せるのみで、逢はずして物思ひをさせることよ、と歎じたのである。「一二八四」「二八三七」に似た句がある。
〔語〕 ○階立つ 枕詞であらう。筑摩の地形によるか。○筑摩左野方 筑摩は近江琵琶湖の湖畔の地名。左野方は菅の類の植物の名であらう。「一九二八」參照。地名で「二一〇六」の「沙額田」と同所とするのは、恐らく非。○息長 今の米原驛と醒が井驛の中間の地。○遠智の小菅 遠智は息長地方の名であらう。「一三四一」にも「をちの菅原」とある。○置きて 薦に編まないでそのまま置いての意。自らの女とならぬに譬へたもの。
 
   挽歌《ばにか》
 
3324 かけまくも あやにかしこし 藤原の 都しみみに、人はしも 滿ちてあれども 君はしも 多く坐《いま》せど 行き向ふ 年の緒長く 仕へ來《こ》し 君の御門《みかど》を 天《あめ》の如 仰ぎて見つつ 畏《かしこ》けど 思ひたのみて 何時《いつ》しかも 日足《ひた》らしまして 十五月《もちづき》の 滿《たた》はしけむと 吾が思ふ皇子《みこ》の命《みこと》は 春されば 植槻《うゑつき》が上《うへ》の 遠つ人 松の下道《したぢ》ゆ 登らして 國見あそばし、九月《ながつき》の 時雨《しぐれ》の秋は 大殿の 砌《みぎり》しみみに 露|負《お》ひて 靡ける萩を 玉だすき かけて偲《しの》はし (216)み雪ふる 冬の朝《あした》は 刺楊《さしやなぎ》 根張梓《ねばりあづさ》を 御手《みて》に 取らしたまひて 遊ばしし 我が王《おほきみ》を 煙《かすみ》立つ 春の日《ひ》暮《ぐらし》 まそ鏡 見れど飽かねば 萬歳《よろづよ》に 斯《か》くしもがもと 大船の たのめる時に 妖言《およづれ》か、目かも迷《まど》へる 大殿を ふり放《さ》け見れば 白栲《たへ》に 飾りまつりて うち日さす 宮の舍人《とねり》も【一に云ふ、は】 栲の穗《ほ》の 麻衣《あさぎぬ》著《け》るは 夢かも 現かもと 曇り夜の 迷《まど》へる間《ほど》に 麻裳よし 城上《きのへ》の道ゆ つのさはふ 石村《いはれ》を見つつ 神葬《かむはふ》り 葬《はふ》り奉《まつ》れば 往《ゆ》く道の たづをを知らに 思へども しるしを無み 嘆けども 奧處《おくか》を無み 御《み》袖の 行き觸れし松を 言《こと》問《と》はぬ 木にはあれども あらたまの 立つ月ごとに 天《あま》の原 ふり放《さ》け見つつ 玉だすき かけて思《しの》はな かしこかれども
 
〔譯〕 言葉にかけて申上げるのも本當に恐れ多いことであるが、藤原の都に繁く、人は滿ち充ちてをるけれども、貴い方は多くおいでになるけれども、來り迎へる年月長く、お仕へ申上げて來たわが君の御殿を、天を仰ぐやうに仰いで見ながら、恐れ多いことではあるがお恃み申上げて、いつかまあ御成長になつて、十五夜の滿月のやうに滿ち足り給ふであらうと、思うてをつた皇子樣は、春になれば、殖槻の上の松の下道から、お登りになつて國見を遊ばされ、九月の時雨の降る秋は、御殿の雨落ちのところに繁く、露を負つて靡いてゐる萩を御心にかけて御愛しになり、雪の降る冬の朝は、刺し柳が根を張るやうに張つた梓弓を、御手にお取りになつて、遊獵においで遊ばされゑ皇子樣であるのに、霞の立つ春の日の一日中、きれいな鏡のやうに見ても見ても、見飽き申すことがないから、萬代までもこのやうでありたいと、大船を頼むやうに頼みに思つて居た時に、迷はし言であるか、自分の目が迷つたのであらうか、(217)御殿を振り仰いで見ると、白い織物でお飾り申して、御殿の舍人も、眞白な麻衣を著てゐるのは、夢であるか、それとも現實であるかと、曇り夜のやうに迷つてゐる間に、城上《きのへ》の道を通つて石村《いはれ》を見ながら神葬にお葬り申しあげたので、自分の行く道のどちらへ行くかも知らず、思つてもそのかひが無く、嘆いてもはての無さに、皇子樣の御袖の行き觸れた松を、物を云はない木ではあるけれども、月が立つ毎に、大空を振り仰ぎ見ながら、心にかけてを偲び申し上げたい。恐れ多いことではあるけれども。
〔評〕 音樂的に流麗な調に哀韻をかなでつつ、うねりをうつて律動してゐる。「大殿の砌しみみに、露負ひて靡ける萩を」や「妖言か目かもまどへる」など、光つた語句もある。殊に終りの「御袖の行き觸れし松を、言問はぬ木にはあれども」せめては御形見として偲ばうと云ふに至つて、高潮に達してゐる。この歌の作者は誰で、何皇子の薨去を悼んだのかといふと、時代は藤原の都と冒頭にあり、人麿の「一九九」の高市皇子尊の殯宮の歌に似た句はあるが、「いつしかも日足らしまして」の句によると別の皇子であり、明かにしがたい。
〔語〕 ○行き向ふ 時の去り來る、經過する。○日足らしまして 天足らしと似て、日の如く滿ち足り給ふ意。○滿はしけむ 滿ち足りてあるであらう。偉大であらう。○殖槻が上 殖槻は郡山附近の地名。上はほとり。○遠つ人 待つにかかる枕詞。○麻裳よし 善い麻裳の出來る紀の國の「キ」から「城《き》」にかかる枕詞となつた。○城上の道 城上街道。「一九六」參照。○つのさはふ 「いはれ」の枕詞。「一三五」參照。○石村 磯城郡「二八二」參照。
〔訓〕 ○かすみたつ 白文「煙立」。煙霞といふので、カスミとよんだのであらう。○およづれか 白文「妖言」妖を通行本に涙とあるも、考の説によつて改める。オヨヅレニとも訓める。
 
    反歌
3325 つのさはふ石村《いはれ》の山に白たへに懸《かか》れる雲は吾《わが》王《おほきみ》かも
(218)     右二首。
 
〔譯〕 石村の山に白く懸つてなる雲は、わが皇子樣のおなごりであるかまあ、おなつかしいことである。
〔評〕 「四二八」「一四〇七」と同型であるが、彼らよりも格調が一段とおほどかに出來てをる。
〔訓〕 ○吾王かも 字面に「皇可聞」とあるので「皇」を「吾王」の誤とする考の説による。古義は「皇」の下「呂」の脱というてをる。
 
3326 磯城《しき》島の 大和の國に いかさまに おもほしめせか つれも無き 城上《きのへ》の宮に 大殿を 仕へ奉《まつ》りて 殿|隱《ごも》り 隱《こも》り在《いま》せば 朝《あした》は 召して使ひ 夕《ゆふべ》は 召して使ひ つかはしし 舍人《とねり》の子らは 行く鳥の 群がりて待ち 在《あ》り待てど 召し賜はねば 劍刀《つるぎたち》 磨《と》ぎし心を 天雲《あまぐも》に 念《おも》ひ散《はふ》らし 展轉《こいまろ》び ひづち哭《な》けども 飽き足らぬかも
     右一首。
 
〔譯〕 この大和の國で、所もあらうに、どのやうにお思ひになつたのか、これまで何のゆかりも無い城上の宮に、御墓の御殿を御造營になり、その中にお籠りになつたので、朝も夕も召してお使ひなさつた舍人どもは、空を行く鳥のやうに群つて御用をお待ち申し、ずつとそのままお待ちして居るが、お召しにならないから、劍太刀のやうに磨ぎすまして鋭く緊張してゐた心を、空のかなたに遠く故ち散らしてしまひ、臥しころがつて涙にぬれて泣いてをるが、泣いても泣いてもあきたらぬことである。
〔評〕 これは高市皇子尊の城上の殯宮の時の歌と推定される。短くまとまつた作で、「劍刀磨ぎし心を、天雲に念ひ(219)はふらし」といふ表現は非凡である。安積皇子の薨去の時に家持が詠んだ「四八〇」の作は、この心理と通ふものがある。
 
3327 百小竹《ももしの》の 三野《みの》の王《おほきみ》 西の厩《うまや》 立てて飼《か》ふ駒 東《ひむかし》の厩 立てて飼ふ駒 草こそは 取りて飼ふがに 水こそは ※[手偏+邑]《く》みて飼ふがに 何しかも 葦毛《あしげ》の馬の 嘶《いば》え立ちつる
 
〔譯〕 三野の王さまが、西の方に厩を建ててお飼ひになつてをる馬、東の方に厩を建ててお飼ひになつてをる馬、その馬には草を苅り取つて飼ふやうにしてあるものを、水を汲んで飼ふやうにしてあるものをそれであるに、なぜにまあ葦毛の馬がなき立てるのであらう。
〔評〕 三野王の東西の厩に飼つてある馬には、草も水も與へてある。それであるに、どうしてあんなに嘶え立つのであらうかと疑つてをる。しかも、疑ひを提出したのみで、遺愛の馬も心して王の卒去を悼むのであらうといふ、答となるべき裏の意を餘情として含めてゐる。世の常の哀悼の歌にみえる、悲しいとか、いたましいとかいふ主觀的の語を一切用ゐず、殊に、人間ならぬ馬の嘶えをのみ寫して、簡素な彫塑的手法に、情緒をくつきりと刻みつけた名作である。
〔話〕 ○百小竹の 多くの小竹の生える野とつづく枕詞。○三野王 橘諸兄の父で、和銅元年五月、從四位下で卒した方と思はれる。○何しかも この句の上に、それであるのにの意が省かれてゐる。○葦毛の馬 自毛に青色の美毛のある馬。○嘶え立ちつる いばえは馬の鳴くこと。
〔訓〕 ○西の厩 白文「金厩」五行を方角にあてると金は西となるからである。○東の厩 白文「角厩」五音を方角にあてると角が東にあたるからである。○飼ふがに 白文「飼旱」宣長は旱を嘗の誤としてカヒナメと訓んだ。「こ(220)そ」の結びとしてはその方がよいと思はれるが、しばらく舊訓による。「がに」は、飼ふべく(あれども)の意と解する。○あしげ 白文「大分青」。種々の訓があるが、古義の考證の如く、舊訓が穩かである。
 
    反歌
3328 衣手《ころもて》を葦毛《あしげ》の馬の嘶《いば》え聲|情《こころ》あれかも常ゆ異《け》に鳴く
     右二首。
 
〔譯〕 葦毛の馬の嘶く聲は、王樣をお慕ひ申す心があつて嘶く爲であらうか、平常とは變つた嘶き方をしてゐることである。
〔評〕 長歌の、言ひ殘しておいた、和《こた》へとなるべき意を詠じたもの。
〔語〕 ○衣手を 枕詞。衣手の色の葦毛とつづく(契沖説)。
 
3329 白雲の たなびく國の 青雲の 向伏《むかふ》す國の 天雲《あまぐも》の 下なる人は 妾《あ》のみかも 君に戀ふらむ 吾《あ》のみかも 夫君《きみ》に戀ふれば 天地に 滿《み》ち足《たら》はして 戀ふれかも 胸の病《や》める 念《おも》へかも 心の痛き 妾《あ》が戀ぞ 日にけに益《まさ》る 何時《いつ》はしも 戀ひぬ時とは あらねども この九月《ながつき》を わが背子が 偲《しの》ひにせよと 千世にも 偲《しの》ひわたれと 萬代に 語り績《つ》がへと 始めてし 此の九月《ながつき》の 過ぎまくを 甚《いた》も術《すべ》なみ あらたまの 月の易《かは》らば 爲《せ》む術《すべ》の たどきを知らに 石《いは》が根の 凝《こご》しき道の 石床《いはどこ》の 根延《ねば》へる門《かど》に 朝《あした》には 出で居て嘆き 夕《ゆふべ》(221)には 入り坐《ゐ》戀ひつつ ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寢《ぬ》る 味寢《うまい》は宿《ね》ずに 大船の ゆくらゆくらに 思《しの》ひつつ 吾が寢《ぬ》る夜らは 數《よ》みも散《あ》へぬかも
     右一首。
 
〔譯〕 白雲の棚引いてゐる國、青雲が地の上に向ひ伏してをる國の極みまで、天雲の下にゐる人々の中に、みづからだけが亡き夫を戀ひ慕うてをるのであらうか。みづからだけが夫を戀しう思うてゐるせゐであらうか、この天地の間に一ぱいに滿ちわたるほど戀しく思ふ故に、胸がなやましいのであらうか、念うてをる故に心が痛むのであらうか。みづからの戀しさは、日ましに増つてくる。いつと云つて、戀しく思はない時は無いが、中でもこの九月の月を、夫君がおなくなりになる前に、九月を思ひ出の月にせよと、千代までも偲ぶやうにせよと、萬代まで語り繼ぐやうにせよとて、おきめになつたこの九月といふ月の過ぎてゆくことが、まことに惜しくて仕樣がなく、月が變つたらどうすべきか、何の方法もわからないので、岩の凝り固まつて嶮しい道の、岩床が根延うてゐる墓所の門に、朝には門外に出て居て嘆き、夕方には門内に入つて戀ひ偲びつつ、他の人が黒髪を敷いて寢るやうな熟睡は出來ないで、心がゆらぎおちつかず、夫君を偲びつつ、みづからの寢る夜の數は、數へようとしても、幾夜とも數へきれないことである。
〔評〕 この挽歌、白雲の、青雲の、天雲のとうたひおこし、天地に、千世にも、萬代に語りつがへ、始めてし、など、莊嚴な句に富んでゐるのは、作者が女王などであり、亡き夫君も貴族であらうかと思はれるので、從來の「譯」の中の婦人自らの代名詞はすべて「私」としたのを、ここは「みづから」とした。しかも綿々たる至情が、優婉の詞調に、むせぶがごとく哀韻をもたらしてをるので、民間にも歌ひ傳へられ、上述の「三二七四」にも一部分が相聞歌としてうたはれたのかとおもふ。「いつはしも戀ひぬ時とはあらねども」の「あらねども」の破調は、作者の未だしいとこ(222)ろかとも思はれるが、「いつはしも」以下の十四句は、死といふことをいはずして、おのづからその意を現はしたすぐれた敍述である。
〔語〕 ○青雲の向伏す國 青空が地に向つて伏してゐる國、即ち地の果まで。○天雲の下なる人 この地上の人々。○いつはしもこひぬ時とはあらねども 「二三七三」「二八七七」に短歌の上句として用ゐられてをる。○始めてし 「天地《あめつち》の始の時」などのやうにおもおもしく用ゐて、夫なる人が九月に世を去る前、偲びにせよ、千世も云々といひ遺した月の義と解しておく。○石床の根延へる門 石床は平らな磐。根はふは横に長く延びてゐる意。山中に葬つた古代の墳墓の構造である。○大舟の 大船の動搖する意で「ゆくらゆくら」にかかる枕詞。○よみも 數へることも。
〔訓〕 ○みちたらはして 白文「滿足」。通行本に「滿言」とあるを、宣長の説のごとく改めた。新訓には「滿言」の字面をコトヲミテテとよみ、天地の間に言葉を滿たすやうに思うての義と解したが、今は上述の説によつた。○はじめてし 白文「始而之」「はじめ」の語義がおちつかぬので、「始」は「逝」の誤で、ユキテシと改めたいとも考へ、また「貽」で、オクリテシ、)コシテシかとも考へたが、猶もとのままにして解いた。
 
3330 隱國《こもりく》の 長谷《はつせ》の川の 上《かみ》つ瀬に 鵜を八頭《やつ》潜《かづ》け 下《しも》つ瀬に 鵜を八頭《やつ》潜《かづ》け 上つ瀬の 年魚《あゆ》を咋《く》はしめ 下《しも》つ瀬の 鮎を咋《く》はしめ 麗《くは》し妹に あゆを惜しみ 投《な》ぐる箭《さ》の 遠離《とほざか》り居て 思ふそら 安からなくに 嘆くそら 安からなくに 衣《きぬ》こそは それ破《や》れぬれば 續《つ》ぎつつも 又も逢ふと言《い》へ 玉こそは 緒の絶えぬれば 括《くく》りつつ またも逢ふと曰《い》へ またも 逢はぬものは ※[女+麗]《つま》にしありけり
 
(223)〔譯〕 初瀬川の上の瀬に鵜を澤山に水に潜らせ、下の瀬にも鵜を澤山に水に潜らせ、上の瀬の點をくはへて捕へさせ、下の瀬の鮎をくはへて捕へさせ――美しい妻に――鮎をとるに心をとらへられて日數を經て――遠ざかつてゐて(幽明、境を異にして)思ふ心も安らかでなく、嘆く心も安らかでない。着物といふものは、それが破れると、繼いでまた合ふものといひ、玉といふものはその紐が切れると、括つてまた逢ふものといふが、又逢ふことの出來ぬものといふのは死んだ妻のことであつた。
〔評〕 挽歌としては特異な構想の歌である。上の序も修辭的には珍しく、下の理窟も幼くて哀れであるが、民謠としてうたはれたものであらう。
〔語〕 ○鵜を八頭潜け 鵜飼をすること。八は數の多いこと。八頭は鳥を數へるのに、頭の字を添へたもの。「四一五八」參照。○鮎を咋はしめ 以上十句。同音を重ねて「くはし妹」を導く序。○鮎を惜しみ投ぐる箭の 鮎を妹に贈るのが惜しさに遠ざかつてゐると諧謔的にのべたもの(全釋)鮎を愛《を》しと妹の方へ投げやるといふ意を投ぐる箭にかけたもの(論究)などの説もあるが、今は代匠記精撰本の一説によつて解した。箭は天武紀にも一箭《ヒトサ》と訓んでゐる。「四四三〇」參照。
〔訓〕 ○あゆををしみ 白文「鮎遠惜」考は、「鮎」を「辭」に「惜」を「借」に改め、コトトホザカリと訓んだ。○括りつつ 白文「八十一里喚?」、「八十一」はクク、「喚?」はツツの戯書である。
 
3331 隱國《こもりく》の 長谷《はつせ》の山 青幡《あをはた》の 忍坂《おさか》の山は 走出《はしりで》の 宜しき山の 出立《いでたち》の 妙《くは》しき山ぞ 惜《あたら》しき 山の 荒れまく惜しも
 
〔譯〕 長谷の山、忍坂の山は、走り出ればすぐ見える地點にある形の良い山で、出で立つたところからすぐ見える、(224)すぐれた山である。その惜しい美しい山の荒れるのが惜しいことであるよ。
〔評〕 雄略紀の「隱國の長谷の山は出立の宜しき山」云々を典故として、挽歌に詠じたものと思はれる。奧津城のある山をいとほしみ、墓所の荒れることを惜しんで、簡素の中に哀切の情のただようた作である。
〔語〕 ○青幡の 青幡の如く青々したの意、山の緑を譬へたもの。「五〇九」參照。○忍坂の山 十市郡城島村大字忍坂附近の山。初瀬山の西南に當る。神武紀の「忍坂の大室屋」とあるのもここと思はれる。○走り出の 「二一〇」參照。
 
3332 高山と 海こそは 山ながら 斯《か》くも現《うつ》しく 海ながら 然《しか》眞《まこと》ならめ 人は花物ぞ うつせみの 世人
     右三首。
 
〔譯〕 高山と海こそは、山の本性からしてかやうに現實的であり、海の本性からしてそのやうに實在的であるのであらう。これに比べると、人間は、花のやうにはかない、失せやすいものである。この世の人は、ほんたうにはかないものである。
〔評〕 佛教の無常觀に基づいて、一般に人の命の無常を痛歎したもの。蒼古簡勁にして、底に雄渾の意力が潜んでゐる。
〔語〕 ○山ながら 山そのものの本性として現實的なものである故にの意。○然眞ならめ さやうにまことの存在であらうがの意。○花物 あだなるもの。「二九九六」參照。
〔訓〕 ○然まことならめ 白文「然眞有目」。通行本に「眞」を「直」とあつてシカモタダナラメと訓んでゐるが、(225)元暦校本等に從つた。○うつせみの世人 白文「空蝉與人」。ウツセミヨ(世)ヒトハともよめる。
 
3333 王《おほきみ》の 御命《みこと》恐《かしこ》み 秋津島 大和を過ぎて 大伴の 御津《みつ》の濱邊ゆ 大舟に 眞楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き 朝なぎに 水手《かこ》の音《こゑ》しつつ 夕なぎに 楫《かぢ》の音《と》しつつ 行きし君 何時《いつ》來《き》まさむと 大卜《うら》置《お》きて 齋《いは》ひ渡るに 枉言《まがこと》や 人の言ひつる わが心 筑紫《つくし》の山の 黄葉《もみちば》の 散《ち》り過ぎにきと 君が正香《ただか》を
 
〔譯〕 天子樣の仰せを畏こんで、大和を行き過ぎて、大伴の御津の濱邊から、大舟に兩舷の楫を澤山とほして、朝なぎに舟人が聲をあげ、夕なぎに楫の音を立てながら、旅に出て行かれた夫は、いつ歸つておいでにならうかと、大卜を置いて神樣を齋ひつつ暮してゐたのに、間違つたことを人が言うたのであらうか、私が心を盡してゐる夫は、旅さきの筑紫の山の黄葉の散るやうに死んでしまはれたと、夫の樣子を、聞いたことである。
〔評〕 官命によつて筑紫に赴いた夫が、彼の地で歿したといふ報に接し、悲傷して作つた妻の歌。「わが心筑紫の山の」といふ、おのづから巧みな懸詞は、集中でも珍らしい。
〔語〕 ○大伴の御津の濱 御津は攝津。「六三」參照。○大卜置きて 大卜を試みての意。卜は普通「とひ」とつづくが、方法によつては「置き」ともいつたものと思はれる。○枉言 曲つた言、間違つた言。「四二一」參照。
 
    反歌
3334 枉言《まがこと》や人の言ひつる玉の緒の長くと君は言ひてしものを
(226)     右二首。
 
〔譯〕 間違つたことを人が言うたのであらうか、長くいつまでもと夫は言うたものを。
〔評〕 末長くと誓つて旅に出た夫の言葉を思ふにつけて、その死の報が信ぜられぬといふ心である。あはれな歌。
〔語〕 ○玉の緒の 長くにかかか枕詞。「一九三四」參照。○長くと 長くもろともにと。
 
3335 玉|桙《ほこ》の 道行き人は あしひきの 山行き野《の》往《ゆ》き 直《ただ》海に 川|往《ゆ》き渡り 鯨魚《いさな》取り 海道《うみぢ》に出でて 惶《かしこ》きや 神の渡《わたり》は 吹く風も 和《のど》には吹かず 立つ浪も 凡《おほ》には立たず とゐ浪の 塞《ささ》ふる道を 誰《た》が心 いたはしとかも 直《ただ》渡りけむ 直《ただ》渡りけむ
 
〔譯〕 道中を行いた此の旅人は(家への歸りを急いで)山を行き野をとほり、ひたすら眞直に海へ出ようと急いで川を渡り、海邊に出て船に乘つたが、恐しい神の渡といふ所は、吹く風も靜かには吹かず、立つ浪も竝々でなく、とゐ波が行くてをささへるやうに立つ海路を、誰の心をいたはしいと思つて、この難所をひたすら渡つて、このやうに難航して溺死したのであらうか。
〔評〕 備後國の神島濱に漂着してをる屍を見て、哀悼の涙をそそいだもの。家に待つ人に早く逢ひたいと心いられのするままに、この難路なる神の渡を直《ただ》に渡つて、難破したものと想像したのである。この作者の同情の中には、暖い家庭生活と荒い外界とを對立させて、苦しい旅から家を懷しむ當時の人の心がよく現はれてをる。
〔語〕 ○ただ海に 誤字説もあるが、迂廻せず眞直に海邊に向ふ(總釋)と解することとする。○いさな取り 海の枕詞。「一三一」參照。○神の渡 恐しい海と解するよりは地名と見る方がよく、上述の神島あたりの海峽であらう。(227)○とゐ浪 とゐの意不明。北條忠雄氏はうねり撓み立つ浪と解された。「二二〇」の人麿の長歌にも同じ語がある。○塞ふる道 浪が高く立ちささへる海路。○たが心 誰はおそらく妻をさしたもの。○直渡りけむ 急いで難所をもかまはず眞直に渡つたのであらうか。
〔訓〕 ○直海に 白文「直海」。略解に「直渉」の誤としタダワタリと訓んでゐる。○とゐ浪 白文「跡座浪」者にシキナみと訓んでゐる。○ささふる道を 白文「塞道麻」。元暦校本等による。天治本等に立塞道麻とあるのによればタチサフルミチヲである。
 
3336 鳥が音の 聞《きこ》ゆる海に 高山を 障《へだて》になして 沖つ藻を 枕になし 蛾羽《ひむしは》の 衣《きぬ》だに著ずに 鯨魚《いさな》取り 海の濱邊に うらもなく 宿《い》ねたる人は 母父《おもちち》に 愛子《まなご》にかあらむ 若草の 妻かありけむ 思ほしき 言《こと》傳《つ》てむやと 家問へば 家をも告《の》らず 名を問へど 名だにも 告《の》らず 哭《な》く兒|如《な》す 言《こと》だに語《い》はず 思へども 悲しきものは 世間《よのなか》にあり 世間《よのなか》にあり
 
〔譯〕 鳥の鳴く音が寂しく聞える海邊に、高い山が屏風のやうにうしろに立つてゐるところに、濱に打上げられた沖の藻を枕として、蛾の羽のやうな短い着物さへ着ずに、濱べに屍となつて何心もなく寢てゐる人は、父母にとつて愛子であらう。妻もあつたらう。何か言ひたいと思ふことを傳へてあげようかと、家を問ふと家をも告げず、名を問うても名さへもいはず、泣きわめく子が言葉で物をいはないやうに、言葉を出すこともない。つくづくと考へて見ても、悲しいものは世の中である。世の中である。
〔評〕 讃岐狹岑島に石中の死人を視て作つた人麿の作(二二〇)を思はすものがある。死人に對して暖い家庭生活を(228)思ひやつたところ、かの作に似てをり、又これは萬葉を貫く人間愛であり、對人的禮節である。最後の歎聲は、人生行路難に對する痛切な叫びと聞かれて哀れである。
〔語) ○ひむし羽 ひむしは蛾。○若草の 妻の枕詞。「一五三」參照。
〔訓〕 ○世の中にあり 白文「世間有」。略解による。字面に忠實ではあるが、歌の調としては「四七八」「一〇三三」のナラシにより、ヨノナカナラシと新訓には訓んだ。總釋にはヨノナカニゾアルと訓んでゐる。なほ此の句通行本には繰返してないが、元暦校本等によつて反覆するのがよい。
 
    反歌
3337 母父《おもちち》も妻も子どもも高高《たかだか》に來《こ》むと待ちけむ人の悲しさ
 
〔譯〕 父母も妻子も、心から望んで歸つて來るであらうと待つてゐたにちがひないこの人のことを思へば悲しいことよ。
〔評〕 長歌の趣旨をまとめたもので、一氣に詠みおろした調に、同情がみなぎつてをる。
〔語〕 ○高高に 遙かに待ち望む意の副詞。「七五八」參照。
 
3338 あしひきの山|道《ぢ》は行かむ風吹けば波の塞《ささ》ふる海道《うみぢ》は行かじ
 
〔譯〕 山道を行かう。風が吹くと浪が立ち塞がつて通れないやうにする海路は行くまい。
〔評〕 屍を見て、いたくおそれ、自らいましめるに似てをる。
 
     或本の歌
(229)   備後國神島の濱にて、調使首《つきのおびと》、屍を見て作れる歌一首并に短歌
3339 玉|桙《ほこ》の 道に出で立ち あしひきの 野行き山行き 激《みなぎら》ふ 川|往《ゆ》き渉《わた》り 鯨魚《いさな》取り 海路に也でて 吹く風も のどには吹かず 立つ浪も のどには立たず 恐《かしこ》きや 神の渡《わたり》の 重浪《しきなみ》の 寄する濱邊に 高山を 隔《へだて》に置きて?潭《うらふち》を 枕に纒《ま》きて うらも無く 偃《こや》せる君は 母《おも》父の 愛子《まなご》にもあらむ 稚《わか》草の 妻もあるらむ 家問へど 家道《いへぢ》もいはず 名を問へど 名だにも告《の》らず 誰《た》が言《こと》を いたはしみかも 腫《たか》浪の 恐《かしこ》き海を 直渉《ただわた》りけむ
 
〔題〕 神島の浦 備後とあるが、神名帳下、續拾遺集賀等によれば、備中の誤とも思はれるが、或は、古は備後であつたかも知れない(代匠記精撰本)。今の笠島港の南にある島。調使首 傳未詳。或は卷一の調首淡海(五五)と同人か。
〔譯〕 ――前の長歌と似てをるので省略して、次の語釋で述べる。 ――
〔評〕 前の二つの長歌に似てをるが、これには作者も、詠んだ所も知られてゐ、かつこれは、句法が端正で緊張してをる。それに反して、かの二つは謠ひ物らしい色調がみえるから、これを原型として謠ひ變へたと見るべきであらう。
〔語〕 ○みなぎらふ 流がはげしくてしぶきが立つ。○しき浪 しきりによせくる浪。○?潭 入江になつた所に出來た淵。○こやせる 臥してをられる。○誰が言を 誰のいふ言葉を。○たか浪 高く盛りあがる浪。
〔訓〕 ○みなぎらふ 白文「激」。字面の潦を改めた略解による。潦としてニハタヅミとよみ、種々の解がある。○うらふち 白文「?潭」。イリフチとよむ説もある。○たか浪 白文「腫浪」。腫は、腫れると高くなるといふ義訓。
 
(230)    反歌
3340 母《おも》父も妻も子どもも高高《たかだか》に來《こ》むと待つらむ人の悲しさ
 
〔評〕 「三三三七」と同じ歌。
〔訓〕 ○來むと待つらむ 白文「來將跡待」。舊訓は「三三三七」の如くマチケムと訓んでゐるが、元暦校本等により、待つてをるであらうの意でマツラムと訓む。普通には來の上にあるべき將の字が下にあるのは、右の長歌でも同じ用例で、アラムを在將とある。
 
3341 家人の待つらむものをつれもなき荒磯《ありそ》を纒《ま》きて偃《ふ》せる公《きみ》かも
 
〔譯〕 家の人が待つてをるであらうに、何のゆかりもない荒い磯を枕にして寢て居られることよ。
〔評〕 讃岐狹岑島に於ける人麿の作の反歌「二二二」に似た句法である。
〔語〕 ○つれもなき つれは、ゆかり、關係などの意。「一六七」「四六〇」參照。
 
3342 ?潭《うらふち》に偃《こや》せる公《きみ》を今日今日と來《こ》むと待つらむ妻し悲しも
 
〔譯〕 入江の淵に寢て死んでをる君を、今日か今日かと歸りを待つてをるであらう此の人の妻は氣の毒なことである。
〔評〕 同情に富んだ、調子のなだらかな歌である。山上憶良の作「八九〇」はこれに似てゐる。
 
3343 ?《うら》浪の來寄する濱につれもなく偃《こや》せる公《きみ》が家|道《ぢ》知らずも
(231)     右九首。
 
〔譯〕 入江の浪が來て寄せる濱に、誰にもかかはりのないやうな樣子で冷然と寢てをるこの人の家に行く道の知られないことよ。
〔評〕 家人に告げてやりたいので、家道が知りたいといふ意をこめて、詠歎したのである。
 
3344 この月は 君來まさむと 大舟の 思ひたのみて いつしかと 吾が待ち居《を》れば 黄葉《もみちば》の 過ぎて行きぬと 玉|梓《づさ》の 使の云へば 螢|如《な》す ほのかに聞きて 大|地《つち》を 炎と踏《ふ》み 立ちて居《ゐ》て 行方《ゆくへ》も知らず 朝霧の 思ひ惑《まど》ひて 杖《つゑ》足《た》らず 八尺《やさか》の嘆 《なげき》嘆けども しるしを無《な》みと 何所《いづく》にか 君が坐《ま》さむと 天雲《あまぐも》の 行きのまにまに 射《い》ゆ猪鹿《しし》の 行きも死なむと 思へども 道し知らねば 獨居て 君に戀ふるに 哭《ね》のみし泣かゆ
 
〔譯〕 この月は、あなたがおいでになるであらうと、大船を頼むやうに頼みに思つて、いつかいつかと私が待つて居りますと、もみぢ葉の散るやうになくなられたと使がいふので、螢火のやうにほのかに聞いて、この大地をも炎のやうに踏んで、立つても居ても何ともしやうが無く、朝霧のやうに思ひ惑うて、長い長いため息をついて嘆いてもかひが無いので、何處にあなたがおいでになるであちうかと、空行く雲の行くままに、射られた鹿のやうに行き死にも死なうと思ふけれども、道が分らないので、獨をつて、あなたのことを戀ひ慕つて泣いてばかりゐることである。
〔評〕 「螢なすほのかに聞きて」といひ、しかも「大地を炎と踏み」と力づよくいうた所、熱情的な氣魄をはらんでゐて、強い哀調をあらはしてをる。眞に感慨の胸をうつものがある。
(232)〔語〕 ○大舟の 枕詞。○黄葉の 過ぎにつづく枕詞。○朝霧の まどひにかかる枕詞。○杖足らず 杖は一丈。一丈に足らぬ八尺とつづけた枕詞。○八尺の嘆 長い嘆。「三二七六」參照。○射ゆ猪鹿の 枕詞。射られた鹿が逃げて行き、やがて死ぬ意で、次の句につづく。○行きも死なむと 尋ねて行き死なうとも。
〔訓〕 ○大地を炎と踏み 白文「大土乎火穗跡」、「土」は諸本「士」とあるのを考により改め、「火」は通行本「太」とあるを元暦校本等により改めた。なほ誤字説も多い。
 
    反歌
3345 葦邊ゆく鴈の翅《つばさ》を見るごとに公《きみ》が佩《お》ばしし投箭《なぐや》し思ほゆ
     右二首。或は云ふ、この短歌は、防人の妻の作れるといへり。然らばすなはち、應に長歌もまたこれ同じく作れるを知るべし。
 
〔譯〕 葦のはえてをる邊を行く雁の翅を見る度ごとに、あなたが佩びておいでになつた投げる矢のことが思はれますことよ。
〔評〕 雁の翅を見て、矢の羽を聯想し、それを佩びてゐた生前の夫の姿を偲んだのである。敍情的ではなく即物的で、かはつた聯想ながら、心理的に感じ深く、また哀れである。
〔語〕 ○投箭 なげて敵を打つ箭と思はれる。「なぐるさ」(三三三〇)參照。
〔訓〕 ○佩ばしし 白文「佩具之」。「佩具」を義訓とし、オバシシ(略解)と訓むのがよい。
 
3346 見が欲《ほ》れば 雲居に見ゆる 愛《ううつく》しき 十羽《とば》の松原 少子《わらは》ども いざわ出で見む こと避《さ》け(233)ば 國に放《さ》けなむ こと避《さ》けば 家に放《さ》けなむ 乾坤《あめつち》の 神し恨めし 草枕 この旅の日《け》に 妻|避《さ》くべしや
 
〔譯〕 見たく思ふと、遠く遙かに見えるあのなつかしい十羽の松原を、子どもたちよ、さあ出て見よう。あそこに、そなたたちのお母さん――自分の妻を葬つてあるのである。同じ死に別れをさせるやうならば、國にをるうちに別れさせてくれればよかつた。同じ死に別れをさせるやうならば、家にをるうちに別れさせてくれればよかつた。天地の神さまも恨めしい、こんな旅の途中で妻に別れさせるといふことがあらうか。
〔評〕 子供をかかへて旅なる任國で當惑するところが主として描かれてをるが、その裏に悲愁の情が深く籠つてをる。妻との死別は家においても欲せぬことは勿論であるが、堪へがたい悲痛のあまりに、「こと避けば國に故けなむ、こと避けば家に放けなむ」の言ひまはしをする氣特は、心理的にうなづかれよう。大津の皇子を悲しまれた大來皇女の「見まく欲り吾がする君もあらなくに奈何にか來けむ馬疲るるに」(一六四)は、もとより馬の疲れるのを惜しむ功利的な氣持ではない。長途の旅を經て會ふことのできなかつた哀怨痛恨の情がかかる表現となつて、却つて藝術的効果を深めてをる。それと同樣に、旅において男の手に子供を殘された當惑「草枕この旅の日に、妻避くべしや」を強調することによつて、哀悼の情は言外に深くただよつてゐるのである。また十羽の松原は妻を葬つた所と思はれ、はるかにその地を望んで、母の手をはなれた子供をいつくしむ樣があはれである。男性的な語調の中に、惻々たる哀傷の迫る歌である。
〔語〕 ○十羽の松原 この地名は處々にあつて、明かでないが、「一七五七」の新治の鳥羽の淡海と同樣、常陸であらうか。○いざわ いざやと同じ、誘ふ語。○ことさけば 同じ引き離すならば。「一四〇二」參照。
(234)〔訓〕 ○わらは 白文「少子」。ワクコともよぬる。
 
    反歌
3347 草枕この旅の日《け》に妻|放《さか》り家道《いへぢ》思ふに生《い》ける術《すべ》無し【或本の歌に云ふ、旅のけにして】
     右二首。
 
〔譯〕 旅に出てをる日に妻と別れて、これから家に歸る道中を者へると、生きてをるすべもないことである。
〔評〕 任國において妻に死別れた官人が子供らを伴うて故郷に歸らうとする際の感慨が、沈痛の響をおびてゐる。手法は、人麿の作の「二一五」と同型である。
 
萬葉集 卷第十三 終
 
(235)   萬葉集 卷第十四
 
(237)概説
 
 この卷はすべて東歌、即ち東國の歌で、國の知られたる歌と未だ國を勘へ得ぬ歌とに二大別し、前者は、雜歌・相聞・譬喩に分類し、國順に排列し、後者は、雜歌・相聞・防人歌・譬喩・挽歌と分類し、素材順に排列してある。歌體はすべて短歌で、その歌數は次の如くである。
         雜歌   相聞  防人  譬喩  挽歌  計
國の知られたる歌  五   七六       九      九〇
國を勘へ得ざる歌 一七  一一二   五   五   一 一四〇
計        二二  一八八   五  一四   一 二三〇
 しかして前者は、雜歌、相聞、譬喩が、それぞれ、遠江、駿河、伊豆、相模、武藏、上總、下總、常陸、信濃、上野、下野、陸奧の順序になつてゐるが、最初の雜歌の部は、遠江から武藏までの五ケ國が無い。たまたまそれらの國の雜歌が無かつたのかも知れぬが、卷首にあるべき「雜歌」といふ見出しの無い點より考へるに、或はここに脱落が存するのではあるまいか。
 東歌の蒐集に關しては、地方官として東國に下つた歌人の採録したのではなからうか。それには、傳説をうたつた歌人であり、常陸風土記編纂に關係したと思はれる高橋蟲麿が、筆録したものではないかとの考は自分は夙く發表したことである。
(238) 相聞國分の順序が武藏を東海道にいれ、相模の次に列してあるのて寶龜二年十月以後の編纂とする山田孝雄博士の説は、傾聽すべき説であるが、それは後に誰かが原本に手を加へた時に順序をかへたもの、原本の編纂はそれよりもずつと以前であつたものとも考へ得られる。また、左註に右何首と記した樣式は、卷十一、十二及び卷十三と類似してをる。なほ、卷二十の防人歌の蒐集は、大伴家に此の一卷があつたので、それに興味を感じた家持が、防人たちに歌を出すやう部領使に命じたのではなからうかとおもふ。
 東歌は、いづれも作者を示してゐない。その大部分が東國でうたはれた民謠であるが、純粹に東國人の口に出でたもののみならず、人麿歌集の歌などの傳誦せられたものもあり、京から赴任した官人も、もしくは旅行者の詠んだものも混じてゐるであらう。しかし、全體を通じて、東國人の生活がうたはれてをるので、一種の野趣が横溢し、單純素朴、粗野強直な東國人の氣分感情のうかがはれるところに、言ひ知れぬおもしろみがある。
 秀歌として見るべきは次の如くである。
  鎌倉の見越の埼の岩くえの君が悔ゆべき心は持たじ       三三六五
  足柄の土肥の河内に出づる湯の世にもたよらに兒ろが言はなくに 三三六八
  多麻河にさらす手づくりさらさらに何ぞこの兒のここだ愛しき  三三七三
  葛飾の眞間の手兄名をまことかも吾に依すとふ眞間の手兒名を  三三八四
  鳰鳥の葛飾早稻を饗すとも其の愛しきを外に立てめやも     三三八六
  足の音せず行かむ駒もが葛飾の眞間の繼橋やまず通はむ     三三八七
  筑波嶺のをてもこのもに守部すゑ母い守れども魂ぞ逢ひにける  三三九三
  常陸なる浪逆の海の玉藻こそ引けば絶えすれあどか絶えせむ   三三九七
  信濃道は今の墾道刈ばねに足蹈ましなむ履はけ我が夫      三三九九
(239)  信濃なる筑摩の河の細石も君し踏みてば玉とひろはむ   三四〇〇
  伊香保嶺に雷な鳴りそね吾が上には故は無けども兒らに因りてぞ 三四二一
  下毛野安蘇の河原よ石踏まず空ゆと來ぬよ汝が心のれ      三四二五
  都武賀野に鈴が音きこゆ上志太の殿の仲子し鳥狩すらしも    三四三八
  鈴が音の早馬驛のつつみ井の水を賜へな妹が直手よ       三四三九
  左奈都良の岡に粟蒔きかなしきが駒はたぐとも吾はそともはじ  三四五一
  風の音の遠き我妹が著せし衣袂のくだりまよひ來にけり     三四五三
  稻つけばかかる我が手を今宵もか殿の稚子が取りて嘆かむ    三四五九
  誰ぞこの屋の戸押そぶる新甞に我が背を遣りて齋ふこの戸を   三四六〇
  からすとふ大をそ鳥のまさてにも來まさぬ君を兒ろ來とぞ鳴く  三五二一
  沼二つ通は鳥が巣我がこころ二行くなもと勿思はりそね     三五二六
  苗代の子水葱が花を衣に摺り馴るるまにまにあぜか悲しけ    三五七六
 この卷の用字法については、もと正訓が多かつたのが後に一音一字式に改められたとする説と、最初から一音一字式であつたと見る説、及び一部分は正字を用ゐ、一部分は一音一字式であつたのが、すべて一音一字式に改められたのであらうとする説など、諸説がある。自分は、蒐集した人が、都會語とちがふ關東のなまり詞にむしろ興味を感じ、それを正しく傳へようと、ことさらに大部分は一音一字を以てしるしたものと考へる。それで、最初から一音一字式のものが多く、正訓用字も多少混じてゐたのであらう。「ふらる」(三三五一)「にのほさるかも」(三三五一)「おしべ」(三三五九)「みそぐし」(三三六二)「あはなふ」(三三七五)「つくたし」(三三九五)「あひだよ」(三三九五)「ふろよき」(三四二三)「せみど」(三五四六)などの方言が少なからず存し、文法上にもかはつた用ゐざまのある(240)ことは、防人歌と共に注意せられる。
 また、風俗史、文化史、自然現象等の上から見て、「柵戸人の斑衾」(三三五四)「土肥の河内にいづる湯」(三三六八)「多摩川にさらす手づくり」(三三七三)「占へかたやき」(三三七四)「信濃路は今のはり道」(三三九九)「多胡の嶺によせ綱はへてよす」(三四二一)「八尺のゐでに立つ虹」(三四一四)「石ふまず空よときぬ」(三四二五)「鈴が音の早馬驛」(三四三九)「新甞」(三四六〇)「新室の言壽」(三五〇六)「布雲」(三五二二)「眞金吹く丹生の眞朱」(三五六〇)などがある。
 
(241)萬葉集 卷第十四
 
東歌《あづまうた》
 
3348 夏麻《なつそ》引《び》く海上潟《うなかみがた》の沖つ渚《す》に船はとどめむさ夜ふけにけり
     右の一種は上總《かみつふさ》國の歌。
 
〔譯〕 海上潟の沖の洲に船をどめよう。もう夜がふけてしまつたことである。
〔評〕 「夏そ引く海上潟の沖つ洲に鳥はすだけど君は音もせず」(一一七六)とその前後をわきまへがたい。結句は、黒人の歌(二七四)にも用ゐられてをるが、深夜の舟の旅の寂寥の氣分が、ひそひそと身にしむやうである。
〔語〕 ○なつそびく 枕詞。「一一七六」參照。○海上潟 上總國市原郡の海。但、下總にも同じ地名がある。
 
3349 葛飾《かづしか》の眞間《まま》の浦|廻《み》をこぐ船の船人騷く浪立つらしも
     右の一首は下總《しもつふさ》國の歌。
 
〔譯〕 葛飾の眞間の入江を漕いでゐる船の船頭が騷いでをる。あの樣子では、浪が立つてゐるらしい。
〔評〕 「風早の三穗の浦廻をこぐ舟の船人とよむ浪立つらしも」(一二二八)と同型である。地名をかへて民謠として歌はれたのである。
〔語〕 ○葛飾の眞間 今の市川市のうちで、國府臺の下。「四三一」參照。
(242)〔訓〕 ○浦廻 白文「宇良未」。「未」は諸本「末」とあり、論究の如く、うらまは、うらみの轉とも考へられるが「未」「末」は誤り易い字であるから、「未」の誤寫(古義)とする説による。
 
3350 筑波嶺《つくはね》の新桑蠶《にひぐはまよ》の衣《きぬ》はあれど君が御衣《みけし》しあやに著欲《きほ》しも【或本の歌に云ふ、たらちねの、又云ふ、數多著欲しも】
 
〔譯〕 筑波の山でとれる新しい桑繭で織つた着物はあるが、それよりもあなたの御召物の方が、大層著たく思はれますことよ。
〔評〕 筑波山の新桑蠶でつくつた晴着もあるが、それよりも戀しい人の着物を着たいといふのである。田舍少女の戀の情が、可憐に強くあらはれてをる。この歌を京より下つてゐる官人の衣服の美しいのを見て詠んだもの(略解所引宣長説)といふ説もあるが、男女互に衣を換へて着た風習によるものと解するのがよい。
〔語〕 ○新桑蠶 桑蠶は山繭の類で、山野の桑樹に野生する。從つてこの句を春初めて桑の若葉を以て飼つた蠶と解すること(代匠記)はできない。新しい桑蠶で作つたの意とすべきである。○あやに 不思議なほどに、無暗に。○たらちねの 母の枕詞より轉じて母の意としたもの。
 
3351 筑波嶺に雪かも降らる否をかも愛《かな》しを兒ろが布《にの》乾《ほ》さるかも
     右の二首は常陸國の歌。
 
〔譯〕 筑波山には、雪が降つたのであらうか。いやさうではないかも知れぬ。可愛いい女が、布を乾してゐるのであらうか。
〔評〕 筑波山上の雪を見て、愛する女が織つた布をほしたのではないかと、面白く疑つたのである。
〔語〕 ○降らる 降れるの轉訛。○否をかも 「を」は感動の助詞。諾の意(古義)とするは誤、かもは疑問の助詞。(243)○にのほさる 布干せるの東語。
 
3352 信濃《しなの》なる須賀《すが》の荒|野《の》にほととぎす鳴く聲きけば時すぎにけり
     右の一首は信濃《しなの》國の歌。
 
〔譯〕 この信濃の須賀の荒野に杜宇の鳴く聲がする。その聲を聞いてみると、女が逢はうと約束した時が過ぎてしまつてゐることである。
〔評〕 相聞の歌で、民謠としてうたはれたのであらう。都から來た官吏が、春は歸らうと思ひつつ、時のをくれたのを嘆じたとの説もある。
{語〕 ○須賀の荒野 行嚢抄には河中島附近、信濃地名考には伊奈郡下條とあるが、略解には、東筑摩郡で梓川と楢井川との間なる曠野と推定してゐる。○時過ぎにけり 旅にあつて歸らうとする時(考)、逢はうと約束した時(古義)、夫の歸つて來るべき時(新考)など推測されてゐる。
 
相聞《さうもに》
 
3353 あらたまの柵戸《きべ》の林に汝《な》を立てて行きかつましじわを先立《さきだ》たね
 
〔譯〕 麁玉郡の柵戸に近い林に、そなたを待たせておいて、自分は行くことが出來さうにない、待たずにさきに寢な(244)さい。
〔評〕 遠江の麁玉郡に、蝦夷を防ぐための柵を守る民家があつたとおもはれる。その附近の男の作で、東國の特色のあらはれた歌。
〔語〕 ○あらたまの 枕詞とする説(記傳)もあるが、郡名とする説(代匠記)がよい。○汝を立てて 汝を立たせて。「な」を名とする説もある。○行きかつましじ ましじは打消推量の助動詞、かつは敢へ堪ふの意の動詞。行くことはできまいの意。「九四」參照。○いを先立たね 先に早く寢よ。「い」は眠ること。
 
3354 柵戸人《きべひと》の斑衾《まだらぶすま》に綿|多《さはだ》入りなましもの妹が小床《をどこ》に
     右の二首は遠江《とほつあふみ》國の歌。
 
〔譯〕 柵戸人が著る、斑に摺つて染めた夜具には綿が多く入つてをるが、入りたいものである、戀しい女の床に。
〔評〕 柵戸人は官から特別の給與があつて、斑衾に綿を多く入れるやうな暮しをしてゐたのであらう。珍しい材料を序に取り入れたものである。
〔語〕 ○柵戸人 前掲の柵戸地方の人。○さはだ さはにの東語で多くの意。以上三句「入り」にかかる序。○小床 小は接頭辭。
 
3355 天《あま》の原富士の柴山|木《こ》の暗《くれ》の時|移《ゆつ》りなば逢はずかもからむ
 
〔譯〕 天の原に聳える富士の柴山の木の暗《くれ》ではないが、此の暮(今夜)の時がおそくなつたならば、女に逢はれぬかも知れない。
〔評〕 富士山麓に行はれた民謠か。木の鞍と此の暮とをかけ用ゐたのも巧妙である。
(245)〔語〕 ○柴山 柴の生えた山。富士の裾野につづく森林地帶をいうたもの。○木の暗の 茂つた木の下のをぐらいところ、「二五七」參照。上二句は序。
 
3356 不盡《ふじ》の嶺《ね》のいや遠長き山路をも妹がりとへばけによばず來《き》ぬ
 
〔譯〕 不盡山の麓の、まことに遠く長い山路をも、愛人のもとへと思へば、息づきうめくこともなくて來た。
〔評〕 富士山麓をめぐる長い山路をたどつて、女の所へ急ぐ男の樣子が浮んでくる。民謠的な普遍性を帶びてをる。
〔語〕 ○妹がりとへば 妹の所へといへば。○けによばず來ぬ この句、諸説がある。異に及ばずで變つた思案に及ばず(代匠記精撰本)、氣は心で思案に及ばず(久老)來經に及ばず、時を移さず(略解所引宣長説)、日に及ばず(全釋)、氣呼ばず、息づきわめかず(考)等の諸説の中、最後の呻ふは靈異記の訓釋に「呻【爾與フ】」とあるのによつたもの、氣呻ふの熟合の點に疑はあるが、穩かにおもはれる。
 
3357 霞ゐる富士の山傍《やまび》に我が來《き》なば何方《いづち》向きてか妹が嘆かむ
 
〔譯〕 霞がかかつてゐる富士山のあたりに自分が來たならば、何處の方を向いて、妻が嘆くことであらう。
〔評〕 かをりの高い敍情詩である。旅に出でゆく人の姿も、見送る人の姿も、ひろびろとうねる野に立ちたる縹緲の霞の中にとけいつて、うら哀しくやるせない春のにほひが胸にみちわたる。この時、「いづち向きてか妹が嘆かむ」の句の、あはれに美しい韻律が、その背景と相待つて、音樂的に甘美なすすり泣きをかなでるやうである。
〔語〕 ○山び 山邊、山の傍。
 
3358 さ寢《ぬ》らくは玉の緒ばかり戀ふらくは富士の高嶺の鳴澤《なるさは》の如《ごと》
(246)   或本の歌に曰く
  ま愛《かな》しみ寢《ぬ》らくはしけらくさならくは伊豆の高嶺の鳴澤|如《な》すよ
     一本の歌に曰く
  逢へらくは玉の緒しけや戀ふらくは富士の高嶺に降る雪|如《な》すも
〔譯〕 共寢をするのは、玉の緒のやうに短い間のことであるが、戀しく思ふことは、富士の高嶺にある鳴澤の鳴る音のやうにやむ時がない。
〔評〕 富士の高嶺の鳴澤といふ珍しいものを用ゐて異色がある。古今集の「あふことは玉の緒ばかり名の立つは吉野の川のたぎつせのごと」は此の歌に依つたもの。
〔語〕 ○さぬらくは さは接頭辭。共に寢ることは。○玉の緒ばかり 短いことを譬へていふ。○鳴澤の如 鳴澤は富士山西北の大壑の名。大澤といひ、俗に石瀧といふ。石の落下することやまず、激衝して轟鳴を發す、と大日本地名辭書にある。○ぬらくはしけらく 寢ることは寢たのであつた、それに、の意。○さならくは さは接頭辭。鳴り響くことは、評判は、の意。○伊豆の高嶺 伊豆人がうたふにうたひかへたものとおもはれる。日金山のこととの説もある。○鳴澤なすよ 鳴澤の如く絶えずの意。○玉の緒しけや しけやは、及ぼうか。玉の緒の短かさにも及びはすまいの意。
 
3359 駿河の海|磯邊《おしべ》に生《お》ふる濱つづら汝《いまし》を憑《たの》み母に違《たが》ひぬ【一に云ふ、親に違ひぬ】
       右の五首は駿河國の歌。
 
〔譯〕 駿河の海の磯邊に生えでゐる濱つづらのやうに、あなたの絶えないお心を頼みに思つて、母の心にそむいてし(247)まひました。
〔評〕 母の心にそむいて、他人には嫁がずあなたを待つてゐるといふのである。田舍をとめの純情が優美に詠まれてをる。
〔語〕 ○おしべ 磯邊の東國方言と思はれる。下に「おすひ」(三三八五)ともある。○濱つづら 濱邊に生える蔓草。以上三句、長くたえないの意にたとへた序詞。
 
3360 伊豆の海に立つ白波の在りつつも|繼《つ》ぎなむものを亂れしめめや
       或本の歌に云ふ、白雪の絶えつつも繼がむともへや亂れそめけむ
       右の一首は伊豆國の歌。
 
〔譯〕 伊豆の海に立つ白波の絶えぬやうに、かうしてゐて、續いて戀人に逢はうと思ふものを、どうして心が亂れはじめようか。
〔評〕 戀に心を亂さぬのは、絶えず逢はうと思ふ故であると、強い意力を語つてをる。
〔語)○伊豆の海に立つ白波の 初二句は序。つぎつぎ來る意で、句を隔ててつぎなむにかかる。○亂れしめめや 或本の歌の句によつてて亂れ初めめやの意とする。「や」は反語。○繼がむとおもへや 一旦は絶えても結局は續けようとて、一旦の亂れをしそめたのであらうか。
 
3361 足柄の彼面此面に刺す羂《わな》のかなる間しづみ兒《こ》ろ我《あれ》紐解く
 
〔譯〕 足柄山のあちらこちらに羂を張つて鳴りをしづめてうかがふやうに、人の騷ぎのしづまるのを待つて、女と自分とは紐を解くのである。
(248)〔評〕 足柄山に羂をかけて獣をうかがふ生活から取つた序で、四五句は露骨な云ひ樣である。
〔語〕 ○足柄の 相模の足柄山。○さすわなの さすは、わなを張る意。○かなる間しづみ かなるに諸説あるが、古義のかしましき音をしづめての解がよい。しづみは「五〇三」にもある。
 
3362 相模峯《さがむね》の小峯《をみね》見そくし忘れ來《く》る妹が名呼びて吾《あ》を哭《ね》し泣くな
     或本の歌に曰く
   武藏峯《むざしね》の小峯《をみね》見かくし忘れ行く君が名かけて吾《あ》を哭《ね》し泣くる
 
〔譯〕 相模峯の峯を見つつ過ぎてやうやく忘れかけて來た妻の名をいうて、道づれの人よ、自分を泣かせなさるな。
〔評〕 稚拙な表現に、東歌の色調の濃い歌である。
〔語〕 ○相模峯の小峯 相模の國の中央なる雨降山即ち大山のこと(考)。○見そぐし 見つつ過ぎて來て。○忘れ來る 記憶からうすれてくる。この下二段活用の忘るは、古く自然必然的現象としての忘却を表はし、忘れられるものが主語になる。他に四段活用の忘るがあり、今日の「を忘れる」の如く、人の行爲としての忘却を表はした。(有坂博士による)○吾をねし泣くな この「なく」は、下二段活用で、泣かせる意、「な」は禁止の意(略解)とするに從ふ。○君が名かけて 君の名を口にかけて。○吾をねし泣くる 吾を哭に泣かせるの意。
 
3363 吾背子を大和へ遣《や》りてまつしだす足柄山の杉の木《こ》の間か
 
〔譯〕 私の夫を大和へ旅立たせて、私がその歸りを待つて立つ、足柄山の杉の木の間なのであらうか。
〔評〕 簡捷の佳調に、女らしい優しみも含まれてをるが、三句五句の意が明かでない。
〔語〕 ○まつしだす 翳立(代匠記)待ちし立つ(同一説)、松し如す(考)、令待慕(古義)、待つ時《しだ》しの訛(全釋)(249)等の説がある。或は松し立すで、立すは立つの訛、一二句は待の意にかかる一種の序、松と杉とであやなしたものとみるべきか。○杉の木の間か 杉を過に、木の間を此の間にかけたといふ説(論究)もある。
 
3364 足柄の箱根の山に粟|蒔《ま》きて實《み》とはなれるを逢はなくも恠《あや》し
     或の歌の末句に云ふ、蔓《は》ふ葛の引かば依り來《こ》ね下なほなほに
 
〔譯〕 足柄の箱根の山に粟を蒔いて、それがすでに實となつてゐるのに、逢はないのは不思議である。
〔評〕 戀人と約束が出來てゐるのに、逢へないのは怪しいといぶかしんだ歌。「三〇七六」に似た手法であるが、粟の序が奇拔である。
〔語〕 ○粟蒔きて 以上三句は序。○實とはなれるを 交情の成立の意(略解)。幼い時から言ひ初めたのが、程よくなつたことに譬ふとの設(代匠記)もある。○ひかば依り來ね 自分が誘つたならば從ひ來よ。○下なほなほに 下は心の中、なほなほには素直に。
 
3365 鎌倉の見越《みこし》の埼の岩崩《いはくえ》の君が悔《く》ゆべき心は持たじ
 
〔譯〕 鎌倉の見越の埼の岩の崩《く》えたところのやうに、あなたが契つたあとで悔しくお思ひなさるやうな、あだな心は私は持ちますまい。
〔評〕 わが眞心をつゆ疑はぬやうにと、力づよく歌つたもの。卷三の、「妹も吾も清《きよみ》の河の河岸の妹がくゆべき心は持たじ」と同型である。しかして、「妹も吾も」のは古い歌であるから、都よりうたひ傳へられたその歌の句を襲ひ用ゐたのであらう。しかも、見越の崎の岩の崩れ、その眼前の實景によつて、崩るることなき誠をのべた思には、つきつめた情が汲まれる。序ではあるが、修飾に終つてゐない。
(250)〔語〕 ○見越の崎 新篇鎌倉志に「大佛の東の山を御輿が嶽と云ふ」とあるが、それとは別で、仙覺抄には今の腰越の岬のこととし、大日本地名辭書には稻村が崎の古名なるべしとある。○岩くえの 以上三句は「くゆ」にかかる序。
 
3366 ま愛《かな》しみさ寢《ね》に吾《わ》は行く鎌倉の美奈《みな》の瀬河《せがは》に潮滿つなむか
 
〔譯〕 女がいとしさに自分は寢に行く。途中のあの鎌倉の美奈の瀬河には潮が滿ちて渡ることが出來なくなつてゐるのではなからうか。
〔評〕 素朴で、田舍人らしい眞率の言ひざまである。
〔語〕 ○まかなしみ まは接頭辭。可愛さに。○美奈の瀬川 今の稻瀬川で、深澤の奧より發し、大佛の東を過ぎ、長谷の町を貫き、曲つて坂の下の東で海に入る(大日本地名辭書)。○滿つなむか なむは、らむにあたる東國方言。「こばのはなりが思ふなむ」(三四九六)參照。
 
3367 百《もも》づ島足柄|小船《をぶね》歩行《あるき》多み目こそ離《か》るらめ心は思《も》へど
 
〔譯〕 多くの島を行きめぐる足柄小船のやうに、あの人は、歩きまはる用が多いので、逢ふ折がなくなつてゐるのでせう。心の中では戀しく思つてはゐても。
〔評〕 逢はないことを恨まずに男を信じた純情の歌で、序が巧妙で適切である。
〔語〕 ○百づ島 多くの島を傳ひ足輕く行く舟とつづく枕詞。○足柄小舟 足柄山で作る舟。「鳥總たて足柄山に船木伐り」(三九一)參照。以上二句は船が島々を廻る意で「歩行多み」の序。○歩き多み 行く所の多さに。通ふ女が多いとすれば、一應男の薄情を恨むこととも解せられるが、今はとらぬ。○目こそかるらめ 目離るは相逢ふことの遠のくの意。
 
(251)3368 足柄《あしがり》の土肥《とひ》の河内《かふち》に出づる湯の世にも、たよらに兒《こ》ろが言はなくに
 
〔譯〕 足柄の土肥の河内に湧き出る温泉の湯が、ゆたかにあふれ出るやうに、ゆたかに力強くは、あの女が言はないことよ。それ故自分は樣々な物思をすることである。
〔評〕 温泉を詠んだ歌として異色がある。句法は、「三三九二」と同型である。
〔語〕 ○足柄の土肥 足柄下郡の土肥で、伊豆の土肥ではない。湯河原温泉のこと。○河内 川の兩岸に山のせまつた土地。○世にもたよらに 世にもは、實に、全く。たよらは、ほとばしり豐富な樣。ゆたかに、又、力強くの意。たゆたふ樣とする説もあるが、石塚龍麿の説に從ふ。
 
3369 足柄《あしがり》の麻萬《まま》の小菅《こすげ》の菅枕《すがまくら》何《あぜ》か纒《ま》かさむ兒《こ》ろせ手《た》枕
 
〔譯〕 足柄の麻萬にはえてをる菅を編んで作つた菅枕を、何しに枕にしなさるか。女よ、自分の手を手枕としなさい。
〔評〕 菅枕をするのをやめて、自分の手を枕にせよと云ひ寄る男の歌。民謠的な露骨さである。
〔語〕 ○足柄の麻萬 酒勾川の上流、福澤村※[土+盡]下といふ所(考)。或は、湯河原の儘根の湯か。また、地名でなく、斷崖、谷間、段畠とする説などある。○菅枕 菅で編んだ枕。○あぜか いかにしてかの意の東國方言。
 
3370 足柄《あしがり》の箱根の嶺《ね》ろの和草《にこぐさ》のはなつづまなれや紐解かず寢《ね》む
 
〔譯〕 足柄の箱根の嶺の和草のやうに、實のないあだ妻だから、紐を解かずに寢るといふのであらうか。あだな間柄でもないものを、さあ紐を解いて共寢をしよう。
〔評〕 牧歌的な作である。
(252)〔語〕 ○嶺ろ ろは添へていふ語。○和草 箱根草、はこね羊齒(古義)。柔かい草の義で、特定の草をさすのでない(論究)。○はなつづま 花つ妻で、あだな花のやうな妻、あだな女の義。
 
3371 足柄のみ坂かしこみ陰夜《くもりよ》の吾《あ》が下延《したば》へを言出《こちで》つるかも
 
〔譯〕 足柄の坂路の恐ろしさに、自分が心に包みかくしてゐる女のことを、口に出して言うたことであるよ。
〔評〕 特異な感情であるが、心理的にうなづかれよう。「畏みとのらずありしをみ越路のたむけに立ちて妹が名のりつ」(三七三〇)は、これに似て、更に情緒の高揚したものである。
〔語〕 ○くもり夜の 枕詞。曇つた夜は物が隱れて明かに見えぬ意で、下延につづく。○下延へ 心の中に隱し思つてゐること。
 
3372 相模路《さがむぢ》の餘綾《よろき》の濱の眞砂《まなご》なす兒らは愛《かな》しく思はるるかも
     右の十二首は相模國の歌。
 
〔譯〕 相模街道のよろぎの濱の眞砂は美しく愛らしいが、その眞砂のやうに、かの女は、いとしく思はれることよ。
〔評〕 「紫の名高の浦のまなごぢに袖のみ觸れて」(一三九二)ともある如く、上代人の感覺に、眞砂は愛撫すべきものであつたらう。その素朴さと、よどみのない歌調とは、まことに愛すべき眞砂に似た清らかな歌。
〔話〕 ○餘綾の濱 今の大磯より國府津あたりの間の海岸。○眞砂なす 眞砂に譬へ、愛子といひかけたもの(久老)。
 
3373 多麻河に曝《さら》す手作《てづくり》さらさらに何《なに》ぞこの兒《こ》の許多《ここだ》愛《かな》しき
 
〔譯〕 多摩河でさらす手織の布――更に更に、どうしてあの女が、ひどく戀しいのであらうか。
(253)〔評〕 多摩河に布をさらす娘をながめながら、それをそのまま序にとつて詠んだもののやうに思はれる。地方色の豐かな作である。さらさらにには水音も聞えるかの感じがあり、民謠らしく、音樂的に輕快である。
〔語〕 ○多摩河 甲斐國に發して關東山脈を出で、武藏野の南邊を東流して、羽田で東京灣に入る。○さらす手づくり てづくりは手織の麻布。今の、砧、調布などの地名は、多摩川附近で布をさらし、また武藏國貢調の布を出したのに基づくといふ。以上二句「さらさらに」の序。○ここだ愛しき ここだは甚しく。かなしはいとしい。
 
3374 武減野に占《うら》へかた灼《や》きまさでにも告《の》らぬ君が名|卜《うら》に出《で》にけり
 
〔譯〕 武藏野で占をし、占のあらはれる象《かた》をやいて、はつきりと人に告げたこともないあなたの名が、占に出てあらはれてしまひました。
〔評〕 「二四〇七」の「彌占指し」とともに、民間の風習のあらはれた歌で、特に東國の占卜法の明示されてゐる點、文化史的の價値がある。
〔語〕 ○占へかた灼き うらへは占令合の意(略解)、うらふの體言形(古義)、占合の略(全釋)等の説があるが、うらふといふ下二段活用の動詞の連用形とみてよい。かたやきは占形を灼くの意(代匠記、新考)と解するがよい。鹿の肩甲骨をやく占のこと(仙覺抄)といふ説は、古事記神代卷に「天の香具山の眞男鹿の肩をうつぬきに拔きて‥‥占へまかなはしめて」とあるのによつたので、古くは肩の骨で、後には象(形)の意に用ゐたのである。○まさでにも 眞實に、確かに、はつきりと。○のらぬ君が名 人前でいはなかつたあなたの名。
 
3375 武藏野の小岫《をぐき》が雉《きぎし》立ち別れ往《い》にし宵より夫《せ》ろに逢はなふよ
 
〔譯〕 武藏野の山ふところに住む雉のやうに、別れて行かれた晩から、私は夫に逢はないで戀しいことよ。
(254)〔評〕 ほのかな哀調をたたへた歌。「あしひきの片山雉立ちゆかむ君におくれてうつしけめやも」(三二一〇)に似た手法である。
〔語〕 ○小岫 「小」は接頭辭。和名抄に岫をクキとよむ。岫は山の洞のやうなところ。○きぎし 雉が飛立つ意より、立ち別れの序とした。○夫ろに逢はなふよ ろは接尾辭。なふは打消の助動詞で、東國の方言。「なは」「なふ」「なへ」と活用した例があるが、常の四段活用とは異なつてゐる。
 
3376 戀しけば袖も振らむを武藏野の朮《うけら》が花の色に出《づ》なゆめ
     或本の歌に曰く
  いかにして戀ひばか妹に武藏野の朮《うけら》が花の色に出《で》ずあらむ
 
〔譯〕 戀しくてたまらぬ時には、私は袖を振りませうに。あなたは武藏野の朮が花のやうに、顔色にあらはさないで下さい、決して。
〔評〕 人に見あらはされぬやうに忍んでゐてほしいというたのである。地方色の豐かな歌で、武藏野を背景とした可憐な戀がしのばれる。
〔語〕 ○戀しけば 戀しからば。○袖も振らむを 袖をふるは、人を招く時、別を惜しむ時、合圖をする時などに親しみをあらはしたもの。「二〇」參照。○朮が花 「をけら」ともいふ。菊科の植物で、秋、白又は淡紅色の頭?花を開く。今も武藏野に自生する。以上二句「色に出」の序。○色にづなゆめ 「ゆめ」は決して。「出づ」を「づ」といふ例は「三四四三」等東歌に少くない。○戀ひばか 戀をしたならばか。「か」は疑問の助詞。
 
3377 武藏野の草は諸向《もろむき》彼《か》も此《かく》も君がまにまに吾《わ》は依《よ》りにしを
 
(255)〔譯〕 武藏野の草は諸向――ああにでもかうにでもあなたのお心まかせに、私はあなたにたよつてゐましたものを。お棄てになるとは恨めしいことです。
〔評〕 「武藏野の草は諸向」といふ、大きな情景をとらへた野性的な云ひざまは、「秋の田の穗向の依れる片よりに」(一一四)の楚々たる風情と、面白い對照をなしてをる。
〔語〕 ○草は諸向 「は」を葉と解する説(古義)もあるが、助詞とする方が穩かである。諸向は一齊に向くといふ説よりも、あちらこちらへ向くといふ説がよい。以上二句、かもかくもにかかる序。○かもかくも どのやうにでも。
 
3378 入間道《いりまぢ》の大家《おほや》が原のいはゐづら引かばぬるぬる吾《わ》にな絶えはね
 
〔譯〕 入間道の大家が原のいはゐづらが、引くとずるずるすぼぬけてしまふやうに、あなたも引かれたらそれなりに、自分と縁を切らぬやうにして下さい。
〔評〕 感覺的に極めて面白い語法である。いはゐづらは沼地にあつて、引けば絶えやすい蔓草であつたらう。類歌には、「三四一六」「三五〇一」がある。
〔語〕 ○入間道の大家が原 和名抄に「武藏國入間郡大家【於保也介】」とある。川越より東南の大井村がこれであるといふ(大日本地名辭書)。○いはゐづら いかなる蔓草か未詳。すべりひゆ、石藺蔓など諸説がある。引かばの序。○ぬるぬる すぼぬける意の動詞「ぬる」の終止形を重ねて副詞的に用ゐたもの。ぬけつつの意。「一二三」參照。
 
3379 我背子を何《あ》どかもいはむ武藏野の朮《うけら》が花の時なきものを
 
〔譯〕 私があなたを思ふ心を、何と言ひませう。武藏野の朮の花がいつといふ時なくなつかしいやうに、いつも戀しいことである。
(256)〔評〕 武藏野の朮が花をとつたところに、地方色がある。
〔語〕 ○あどかもいはむ あどかは何とか。○朮が花の 三四句は序。
 
3380 埼玉《さきたま》の津に居《を》る船の風を疾《いた》み綱は絶ゆとも言《こと》な絶えそね
 
〔譯〕 埼玉の津に繋いである船が、風の烈しいので、もやひの綱は切れても、私どもの縁は長く續いて、おとづれが絶えぬやうにしたいものである。
〔評〕 たとへが極めて巧妙で、格調も雅正である。
〔語〕 ○埼玉の 和名抄に「武藏國埼玉郡【佐伊太末】」とあり、今の熊谷市の東にあたる。○津 津は利根川の舟つき場であらう。○言な絶えそね 「ね」は願望の助詞。便を絶やさないで下さい。
 
3381 夏麻引《なつそび》く宇奈比《うなひ》を指《さ》して飛ぶ鳥の到らむとぞよ吾《あ》が下延《したは》へし
     右の九首は武藏國の歌。
 
〔譯〕 宇奈比を指して飛ぶ鳥のやうに、そなたの所に行つて逢はうと思つて、自分は戀しさを心のうちに包んでゐたことである。
〔評〕 やがて思ひをとげむがために、情を制してゐるといふのである。理性的な歌。
〔語〕 ○夏麻びく 枕詞。「一一七六」參照。○宇奈比 地名であらうが、所在未詳。假名は違ふが、海邊と解される餘地はある。○飛ぶ鳥の 以上三句は序。飛ぶ鳥は何處にも到る意でつづく。○吾が下延へし 内心に思つても、言葉にあらはさぬこと。「一七九二」參照。
 
3382 馬來田《うまぐた》の嶺《ね》ろの笹葉《ささば》の露霜の濡《ぬ》れて吾《わ》來《き》なば汝《な》は戀ふばそも
 
(257)〔譯〕 馬來田の嶺の笹の葉が露に濡れてゐるやうに、涙に濡れて自分が別れて來たならばどうであらう。そなたは、そなたで戀しく思ふであらう。
〔評〕 旅に出ようとする男の歌で、たとへも幼く、用語も鄙びた中に、女をいたはる眞情が籠つてをる。
〔語〕 ○馬來田 和名抄に「上總國望陀【末宇太】」とある地。天武紀に大伴馬來田の名を後に大伴望多と記してゐるから、馬來田、望陀同地であることは疑がない。今の君津郡小櫃川の流域附近。木更津の東にある。馬來田の嶺ろは、大日本地名辭書に、今の根形村の岡巒かとある。○露霜の 露霜にぬれてと解すべきではない。露霜の置いたやうにぬれての意(略解所引宣長説)。○汝は戀ふばそも 汝は、戀しがるであらうぞと解しておく。
 
3383 馬來田《うまぐた》の嶺《ね》ろに隱《かく》り居《ゐ》斯《か》くだにも國の遠かば汝《な》が目ほりせむ
     右の二首は上總國の歌。
 
〔譯〕 馬來田の嶺に家の方が隱れて見えないが、これだけでさへもこんなに戀しいのに、國遠く離れて行つたならば、どんなにそなたに逢ひたく思ふであらう。
〔評〕 馬來田の嶺を越えて旅に出かけたのである。二三句のあたりに言葉が足らず、やや稚拙の感があるが、眞情は流露してをる。
〔語〕 ○馬來田の嶺ろに隱り居 望陀の嶺に家郷が隱れてゐて。かくりゐ、かくだにもと音調をつづけた。○國の遠かば 更に國が遠からば、國を遠く隔つたならば。
 
3384 葛飾《かづしか》の眞間《まま》の手兒名《てこな》をまことかも吾《われ》に依《よ》すとふ眞間の手兒名を
 
〔譯〕 葛飾の眞間の手兒名を、ほんたうであらうか、自分と關係があるやうに人が言ひ騷ぐといふ、あの名高い眞間(258)の手兒名を。
〔評〕 有名な美人と關係があるやうに言ひ騷がれると歡喜した歌。眞間の手兒名は傳説にいひ傳へられた美人であるのを、自分をその時代の人になぞらへてうたつた民謠であらう。
〔語〕 ○葛飾の眞間の手兒奈 「四三一」「一八〇七」參照。○吾に依すとふ とふは、といふの意。よすは、言ひ寄すの義で、「荒山も人し依すればよそるとぞいふ」(三三〇五)參照。
 
3385 葛飾《かづしか》の眞間の手兒名がありしかば眞間のおすひに波もとどろに
 
〔譯〕 葛飾の眞間の手兒名といふ美人が昔ゐた時には、眞間の磯邊に波がとどろくやうに、人が騷いで集つたことよ。
〔評〕 この作は傳説を詠んだもの。たとへに妙味がある。
〔語〕 ○おすひ 磯邊の東國方言とする説に從ふ。○波もとどろに 譬喩であるが、波の如く寄るの意(古義)とも、言ひ騷ぐの意(全釋)ともとれる。
〔訓〕 ○ありしかば 白文「安里之可婆」。細井本による。元暦校本は安里之波可。
 
3386 鳰鳥《にほどり》の葛飾|早稻《わせ》を饗《にへ》すとも其の愛《かな》しきを外《と》に立てめやも
 
〔譯〕 葛飾の早稻の稻を刈つて、新嘗祭を營む夜は、大切な夜ゆゑ外から來る人は家の内へ入れないのですが、その大事な夜であつても、いとしいあなたを外《そと》に立たせておくやうなことはどうして致しませう。きつとお入れ申します。
〔評〕 新嘗の祭は、朝廷はもとより民間にも行はれて、その夜は忌み愼しみ、よそ人を屋内に入れない習慣であつた。この神聖な祭の夜でも、愛人が來たならば、戸外には立てずに内へ入れよう、といふ農家の女の熱情の歌。常陸風土記の初嘗に關した傳説とあはせてこ、の歌をみると、女の眞情が更に哀切に感じられる。
(259)〔語〕 ○鳰鳥の 鳰鳥はかいつぶりのこと。鳰が水にかづき入る意で、葛飾につづく枕詞。○饗すとも 新穀を神に供へ饗すること。常陸風土記に、昔、祖神の尊が諸神のところを巡りたまうた時、駿河の國福慈の岳(富士山)に至り、日が暮れたので宿を請ひ給うた時、福慈の神が答へて「新粟の初嘗して家内諱忌せり。今日の間は冀はくは許しあへじ」というたので、祖神の尊が恨み嘆かれた由を傳へてゐる。○そのかなしきを 愛しいと思ふ人をの意。ここは男をさす。
 
3387 足《あ》の音《おと》せず行かむ駒もが葛飾の眞間の繼《つぎ》橋やまず通はむ
     右の四首は下總國の歌。
 
〔譯〕 蹄の音をたてないで行く馬があればよい。さうしたらばその馬に乘つて、あの葛飾の眞間の繼橋を、絶えず通つて行かうものを。
〔評〕 ここでは、「足の音せず行かむ駒」を空想してをる。平生、人目をしのんで通ふ身が、眞間の繼橋を渡る時にとどろく駒の足音に心を惱ましてゐたことが察せられ、その現實の惱みから、かやうな望を抱くに至る心理的徑路が自然であつて、空想ながら穿つたところがある。
〔語〕 ○繼橋 處い河原では、桂を立ててこれに横木を結びつけ、その上に板を架し、さうして幾枚も繼ぎ連ねた。これを繼橋といふ。
 
3388 筑波|嶺《ね》の嶺《ね》ろに霞ゐ過ぎかてに息づく君を率寢《ゐね》てやらさね
 
〔譯〕 筑波嶺の頂に霞がかかつてゐるやうに、行き過ぎかねて吐息をついてゐるあのお方を、家に連れて來て、共に寢て歸らせなさい。
(260)〔評〕 戀人の門前を行き過ぎかねてをる男をあはれんで、誰かが女に言ひかけた形で、そこに民謠らしい色調が濃く現はれてをる。
 
3389 妹が門いや遠そきぬ筑波山かくれぬ程に袖は振りてな
 
〔譯〕 別れてきた愛人の門は、いよいよ遠く離れてしまつた。あの家が筑波山の蔭に隱れぬうちに袖を振らう。
〔評〕 人麿の「我が振る袖を妹見つらむか」(一三二)は都會人の作。これは地方人らしい歌。
〔語〕 ○遠そきぬ そくは退く、放れるの意。○隱れぬほどに ほどは間の意。家が隱れないうちに。○袖は振りてな 「な」は自分の決意をあらはす助詞。「いざ結びてな」(一一)參照。
 
3390 筑波|嶺《ね》にかか鳴く鷲《わし》の音《ね》のみをかなき渡りなむ逢ふとは無しに
 
〔譯〕 筑波の嶺で大きな聲をたてて鳴く鷲のやうに、聲を出して泣いてばかり日を送ることであらうか、逢ふことはなくて。
〔評〕 筑波嶺の鷲が、鮮かな地方色を織りなしてゐて、格調の典雅な作である。
〔語〕 ○かか鳴く 和名抄に「嚇【加々奈久】」とあり、鷲のなく聲からきた詞。以上二句は序。
 
3391 筑波|嶺《ね》に背向《そがひ》に見ゆる葦穗《あしほ》山惡《あ》しかる咎《とが》も實《さね》見えなくに
 
〔譯〕 筑波嶺からうしろの方に見える葦穗山の名ではないが、あの女には、あしいといふ缺點も全く見えない。せめてよくない點があつたらば、あきらめられように。
〔評〕 女の容儀その他に非を打つべき點もないが、自分につれないのが缺點であると嘆じた男の歌である。
()〔語〕 ○葦穗山 筑波山の北方につづく山で、五六里に亘る横嶺の惣名、常陸國眞壁郡に屬する。同音を繰返して惡しかるの序とした。○さね 實に、まことに。
 
3392 筑波|嶺《ね》の石《いは》もとどろに落つる水世にもたゆらに我《わ》がおもはなくに
 
〔譯〕 筑波嶺の岩もとどろに鳴り響いて落ちる水が、勢よく豐かなやうに、全くゆつたりと力強くは自分には思はれぬことである。
〔評〕 類歌、「足柄の土肥の河内に出づる湯の世にもたよらに兒ろが言はなくに」(三三六八)がある。
〔語〕 ○筑波嶺の岩もとどろに落つる水 水のたぎち流れるのを「たよら」にかけたもの。常陸風土記に筑波山を記して「東の峰は四方磐石にして昇降り決屹しく、側に流泉あり、冬も夏も絶えず」とある。○世にも 強めいふ時に用ゐる副詞。○たゆらに 「たよら」に同じく、豐かに力強くの意。「三三六八」參照。
 
3393 筑波|嶺《ね》の彼面此面《をてもこのも》に守部《もりべ》居《す》ゑ母い守《も》れども魂《たま》ぞ逢ひにける
 
〔譯〕 筑波山のあちらの面、こちらの面に番人を置いて番をしてゐるやうに、母が番をしてをられるが、魂は自由に逢つてをることである。
〔評〕 田舍女の純情があはれにも強く叫ばれた歌。「靈合はば相ねむものを小山田の鹿猪田《ししだ》禁《も》るごと母し守《も》らすも」(三〇〇〇)と似て、それよりも可憐である。
〔語〕 ○彼面此面に あちらこちらに。「三三六一」參照。○守部すゑ 守部は狩獵に關するものでなく、山野の番人と思はれる。上三句は序。
〔訓〕 ○母い 白文「波播已」。已を誤字とする説はわるい。「い」は主語を示す助詞。
 
(262)3394 さ衣《ころも》の小筑波嶺《をづくはね》ろの山の岬《さき》わすら來《こ》ばこそ汝《な》を懸《か》けなはめ
 
〔譯〕 自分は、筑波嶺の山の鼻を通つてゐるが、殘して來たそなたのことを忘れて行かれるならば、そなたの名を口にかけて言はぬであらう。忘れぬから言ふのである。
〔評〕 別れて來た女の名を呼びつつ、筑波嶺の山鼻を過ぎて行くのである。四五句、東語でつづられてゐるが、詩情の高さが音樂的に流麗な表現をとつてをる。
〔語〕 ○さ衣の さ衣の緒とつづく枕詞。○を筑波嶺ろ をは接頭辭。○忘ら來ばこそ 忘れて來たならばこその意。忘らは忘れの訛と思はれる。○汝をかけなはめ 汝の名を口に懸けていはないであらうの意。「なは」は、打消の助動詞「なふ」の未然形。
〔訓〕 ○わすら來ばこそ 白文「和須良許婆古曾」。元暦校本、類聚古集等による。通行本、西本願寺本には「良」の下に「延」の字があり、ワスラエコバコソと訓んでゐる。
 
3395 小筑波《をづくは》の嶺《ね》ろに月《つく》立《た》し間夜《あひだよ》は多《さはだ》なりぬをまた寢てむかも
 
〔譯〕 筑波山の嶺に月が出て、會はないでゐる間の夜は、多くの數を重ねてしまつたが、また共寢をすることができることであらうか。
〔評〕 筑波山から上る月によつて、日數の經つたことを知る生活ぶりが思はれる。「また寢てむかも」の天眞さも、ほほゑましい。
〔語〕 ○つく立し 月立ちの東國方言と思はれる。○あひだよは あひだを逢ひての訛と見、よは、ゆ、よりに通ずる助詞とし、前に會つて後と解する説もある。○さはだなりぬを 日數が多く經たに。○また寢てむかも かもを疑(263)問の助詞とし、あやぶむ意とするのがよい。
 
3396 小筑波《をづくは》の繁き木《こ》の間《ま》よ立つ鳥の目ゆか汝《な》を見むき寢ざらなくに
 
〔譯〕 筑波山の繁き木の間から飛び立つ鳥の――目であなたを見るばかりであらうか、共に寢たことのない間柄でもないのに。
〔評〕 筑波山麓の木々の繁みから飛び立つ鳥の群も、眼前に浮ぶ序である。
〔語〕 ○目ゆか汝を見む 目でのみあなたを見ることか。○さ寢ざらなくに 寢ないといふわけではないのに。
 
3397 常陸なる浪逆《なさか》の海の玉藻こそ引けば絶えすれ何《あ》どか絶えせむ
     右の十首は常陸國の歌。
 
〔譯〕 常陸の國の浪逆の海の玉藻こそは、引けば切れるといふが、私はあなたとはどうして切れようぞ、決して切れはしませぬ。
〔評〕 民謠として歌ひ傳へられさうな詠みぶりである。仙覺抄には、この歌の浪逆の海を釋して甚だ詳しい。それによつて、仙覺は常陸に縁故のある人であつたらうとも云はれてゐる。
〔語〕 ○浪逆の海 鹿島郡北浦の南方といふ。○あどか 何故か、どうして。
 
3398 人みなの言《こと》は絶ゆとも埴科《はにしな》の石井の手兒《てこ》が言《こと》な絶えそね
 
〔譯〕 人みなの音信はすべて絶えてしまつても、埴科の石井の手兒とのたよりは絶えてくれるな。
〔評〕 埴科の石井の手兒は、葛飾の眞間の手兒名と同樣に、その地方の代表的美人で、傳説中の女であつたらう。そ(264)の時代の人に自己を擬して詠んだものか。
〔語〕 ○埴科の石井 埴科は信濃の郡名。川中島の南方。石井は磯部郷(今の戸倉)の井かと大日本地名辭書にある。
 
3399 信濃|道《ぢ》は今の墾道《はりみち》刈株《かりばね》に足|蹈《ふ》ましなむ履《くつ》著《は》け我が夫《せ》
 
〔譯〕 あなたのおいでになる信濃街道は、近い頃新しく拓いた道ですから、切株で怪我をなきるといけませぬ。沓をはいておいでなさいませ、あなたよ。
〔評〕 文武天皇の大寶二年十二月から、元明天皇の和銅六年七月まで、前後十二年かかつて完成した木曾街道、即ち、美濃と信濃の二國を通ずる吉蘇山道を指してゐる。新しく開かれた山道であるから、至る所に、木や竹の切株などが露出してゐたことが知られる。粗野な中に女心のやさしさがあふれ、二句から三句への轉じ方にいひしれぬ響がこもつてゐる。
〔語〕 ○今のはり道 新しく開拓された道路。○足踏ましなむ はだしでは、ふみぬきをなさるでせうの意。
〔訓〕 ○踏ましなむ 白文「布麻之奈牟」、通行本等に「奈牟」が「牟奈」となつてゐて、「しむ」を敬語の助動詞と考へられてきたが、宣長(玉勝間)の注意した如く、しむを敬語助動詞に用ゐた例は古く他にない。從つて元暦校本の「奈牟」によるのがよい。
 
3400 信濃なる筑摩《ちぐま》の河の細石《さざれし》も君し蹈《ふ》みてば玉と拾《ひろ》はむ
 
〔譯〕 この信濃の千曲川の河原のこまかい石も、わがいとしの君がお踏みになつたらば、玉と思つて拾ひませう。
〔評〕 すつきりと洗錬された歌で、千曲川を背景にした明るい戀物語の一こまが想像される。土のにほひをはなれて、まことに玉の如く光つた歌である。
(265)〔語〕 ○筑麿の河 甲信の國境より出で、小諸、上田を經て善光寺平に至り、犀川を併せて越後に入り、信濃川といふ。○さざれし さざれ石。○玉と拾はむ 玉と思つて拾はうの意。拾ふは、假名書の例が七例、その六例はいづれもヒリハム・ヒリヒテなどで、ヒロフはここの一例のみである。但、類聚古集には「里」とある。
 
3401 中麻奈《なかまな》に浮《う》き居《を》る船の漕ぎ出《で》なば逢ふこと難し今日にしあらずは
     右の四首は信濃國の歌
 
〔譯〕 自分が乘つて行くはずの中麻奈に浮いてをる船が、一度漕ぎ出たならば、もう逢ふことはむづかしい、今日でなくては。
〔評〕 明日は漕ぎ出るのであるから、今日のうちによく逢うてをかうと云ふのである。
〔語〕 ○中麻奈 地名と思はれるが不明。水内郡の中俣で、千曲川・犀川と裾花川の合流する川股であるともいふ。(信濃漫録)。
 
3402 日の暮《ぐれ》に碓氷《うすひ》の山を越ゆる日は夫《せな》のが袖もさやに振らしつ
 
〔譯〕 碓氷の山を越えて旅だち行かれる日には、夫も、袖を目立つほど烈しくお振りになつて、お出かけなされた。
〔評〕 旅に出で立つ夫を見送つた妻の歌。夫の樣子を寫した裏には、別を惜しんで自らも袖を振つたことはもとよりこもつてゐる。「越ゆる日」は譯のごとき意で、碓水峠を越えるとて袖を振るのが見えるはずはない。夫に別れた亂れ心で、いひざまもたどたどしいのであらう。(尾開關榮一郎氏の東歌論考にも「碓氷峠を越えることになる日」と解すべきである、とある。)
〔語〕 ○日のぐれに 碓氷に、夕暮の日の光の薄日をかけた枕詞。當時の旅行で、日の暮に碓氷峠を越えゆくことは(266)まづないであらう。なほ、「四四〇七」のひなぐもり碓氷參照。○せなの せなは夫。「の」は「志斐のが」(二三六)の「の」と同じく助詞。
 
3403 吾《あ》が戀は眼前《まさか》もかなし草枕|多胡《たこ》の入野《いりの》のおくもかなしも
 
〔譯〕 私の戀は、今もなつかしくあなたを思うてゐます。――多胡の入野の――この後もいつまでもなつかしく思ふのです。
〔評〕 今も後もあなたを思ふ戀は止まないといふ單純な趣を、風情ありげに詠みなした技巧の妙味を認むべきである。
〔語〕 ○まさかもかなし まさかは今。「二九八五」參照。かなしはいとしい。○草枕 すべて旅につづいてゐる枕詞であるに、これは多胡へのかかり方が不明である。思ふ男がいま旅をして多胡の野の邊にいつたのを思つたとも解される。○多胡の入野 多胡は上野國で、續紀和銅四年に多胡郡を置く由が見え、その時建てられた多胡の碑が現存してゐる。入野は山の間に入り込んだ野の義。○おくもかなしも おくは行末。かなしはいとしい。
〔訓〕 ○おくも 白文「於久母」。「久」は諸本「父」とある。代匠記の「久」の誤とするによる。
 
3404 上毛野《かみつけの》安蘇《あそ》の眞麻屯《まそむら》かき抱《むだ》き寢《ぬ》れど飽かぬを何《あ》どか吾《あ》がせむ
 
〔譯〕 上毛野の安蘇の麻の束をかき抱くやうに思ふ女を抱いて寢ても、なほ飽きたらずに戀しい。この上は、何と自分はしたらばよいのであらうか。
〔評〕 苅り取つた麻を束にして運ぶ動作をたとへにして、野趣に滿ちてをる。民謠らしく官能的に激しい歌。
〔語〕 ○安蘇 下野の西端の安蘇郡で、當時は上野國に屬したもの (古義、全釋)。今の佐野を中心とする地方。○眞麻むら まは美稱。麻の群り生えたのをいふ。三句へのつづきは、上野では、麻は刈らずに引拔くので、群生して(267)ゐる麻を左右の手に抱へて懷きながら後へ寢るやうにしてこく、それに譬へたといふ上野歌解の説がよいであらう。○かきむだき かきは接頭辭。むだきは抱くの古語。○あどか、などかに同じ。何とかの意。
 
3405 上毛野《かみつけの》乎度《をど》の多杼里《たどり》が川路にも兒《こ》らは逢はなも一人のみして
     或本の歌に曰く
   かみつけのを野の多杼里《たどり》が安波路《あはぢ》にも夫《せな》は逢はなも見る人なしに
 
〔譯〕 上毛野の平度の多杼里の川ぞひの路ででも、あの女に逢ひたいものである。しかも一人だけで。
〔評〕 人目のない道で、二人きりで女に逢ひたいといふ望が、可憐である。
〔語〕 ○乎度の多杼里 共に、地名又は川の名などと思はれるが不明。○逢はなも なもはなむに同じ。願望の助詞。
〔訓〕 ○あは路 白文「安波路」このままでは解し難く、可波路の誤か(考)と思はれる。
 
3406 上毛野《かみつけの》佐野の莖立《くくたち》折りはやし吾《あれ》は待たむゑ今年|來《こ》ずとも
 
〔譯〕 あなたのおすきな上毛野の佐野の莖立菜を、折つて調理をして、私はお待ちしてゐませうよ。今年あなたがおいでにならないでも。
〔評〕 旅に出た夫の歸りがおそいので、夫の好むくくだちを折つてそれをもてはやし料理をして、夫の無事を祈りながら待たう、といふのである。後世の、蔭膳をすゑていのるといふ氣持であらう。
〔語〕 ○佐野 上野國群馬郡佐野。高崎市の南約半里の地。○くくだち あをなの苗。專ら葉を食べる菜の一種(箋註倭名類聚抄)。白菜(白井光太郎博士)。北陸地方にある、たかなに似て小さくあをい食用菜(全釋)などの説がある。○折りはやし 「はやす」はもてはやす、大切に料理することであらう。但、はやすを切る、刻むの意に用ゐる(268)方言多く、また生命の力を盛にする宗教的なしぐさと見る説もある。○待たむゑ 「ゑ」は感動の助詞。
 
3407 上毛野《かみつけの》眞桑島門《まぐはしまど》に朝日さしまきらはしもな在りつつ見れば
 
〔譯〕 上毛野の眞桑島門に朝日がさすやぅに、まばゆい氣がいたしますことよ、かうして向ひあつてあなたを見てをりますと。
〔評〕 逢はぬ時は戀しいのに、逢つてみれば面はゆく恥かしいといふ、初々しい女の感情が現はれてをる。序が鮮麗、歌調も美しく快い。
〔語〕 ○眞桑島門 眞桑は地名、しまどは島門で、利根川の中島の船わたしの場所をいふのであらう。
 
3408 新田《にひた》山|嶺《ね》には著《つ》かなな吾《わ》によそりはしなる兒らしあやに愛《かな》しも
 
〔譯〕 新田山が、ほかの嶺にはつかずにひとり立つてゐるやうに、ほかの人にはつかないで自分に心をよせながら、結局どちらつかずでをる女が、不思議にかはゆいことよ。
〔評〕 言葉が足らず、句法が晦澁になつてゐるが、その無器用さにも東歌の色調が濃く現はれてをる。
〔語〕 ○新田山 上野國新田郡新田郷(和名抄)の山。今の大田町の脊後の金山で、周圍の山と離れて、孤立した山である。○嶺にはつかなな 他の嶺にはつかずに、獨立しての意。代匠記は、この句の上に雲を補つて釋するが、今は採らない。「なな」は「一一四」の例とは異なり、「三四六一」の「なに」と同じく、「ずに」に當る。上のなは打消の助動詞「ぬ」の未然形、下のなは、その反復とも、助詞「に」の轉とも見られる。略解は「つかなく」の意としてゐる。○吾によそり 自分に心を引きつけられてゐて。○はし どつちつかず、中間、中途半端の義。
 
3409 伊香保ろに天雲《あまぐも》い繼《つ》ぎかぬまづく人とおたはふいざ寢《ね》しめとら
 
(269)〔譯〕 あの伊香保の嶺に、天雲があとからあとからと立ちつづいて、上《かみ》の沼の方におりて着いてゐる。そのやうに人があなたと私のことをいひ騷ぐ。さあ寢るやうにといふのであらう。
〔評〕 難解な歌である。殊に三四五句の意が明にしがたいが、内容、用事ともに、東國民謠の特色が著しい。
〔語〕 ○伊香保ろ 「ろ」は接尾辭。伊香保は、今の伊香保温泉附近。○い繼ぎ 「い」は接頭辭。○かぬま 上《かみ》の沼《ぬま》で伊香保の沼のことであらう。○づく 着くの東訛であらう。○人と 「三五一八」のやうに「人ぞ」の誤か、訛か。○おたはふ おらぶと同じく、言ひ騷ぐの意(略解)であらう。○いざ寢しめとら 「いざ」は誘ふ意。寢しめは寢さしめる。「とら」は「とや」であらう。
 
3410 伊香保ろの傍《そひ》の榛原《はりはら》ねもころに奧をなかねそまさかし善《よ》かば
 
〔譯〕 伊香保あたりの榛原――懇ろに行末を深く心配なさるな、現在さへよければよいではないか。
〔評〕 伊香保附近に行はれた民謠であらう。眼前の戀に陶醉して、將來のことまでは考へまいとする、純眞な戀情である。行末のことを氣にする女性に對する男性の歌であらう。
〔語〕 ○そひの榛原 そひは傍。はりは萩であらう。萩の根から、ねもころにかかる序。○奧をなかねそ 行末をあらかじめ心配するな。○まさかし善かば 「まさか」は現在、眼前。「善かば」は善からば。
 
3411 多胡《たこ》の嶺《ね》に寄綱《よせづな》延《は》へて寄すれども豈《あに》來《く》やしづしそのかほよきに
 
〔譯〕 多胡の嶺に引綱をかけて引寄せようとするが、あの山はどうして寄つて來ようか、少しも動かない。その樣子だけは穩かさうであるが。あの女は、顔つきだけは靡きさうな樣子をしてゐるが、いくら呼びかけても寄つて來ない。
〔評〕 そぶりのみ從ひさうで強情な女を、絶對に動かない山に譬へたのが面白い。祈年祭の祝詞や出雲風土記の國引(270)傳説など、原始人の間には、綱を以て地面をも引よせるといふ思想があつたのである。 
〔語〕 ○多胡の嶺 多胡地方の山。東歌論考には、吉井町から見える牛伏山のこととある。○寄綱はへて 引寄せる爲に引く綱をかけて。○豈來やしづし 「豈來や」はどうして來ようか、來はしない。「や」は反語。「しづし」は他に用例がない。「靜し」であらうか。「沈石《しづし》」といふ説もある。○そのかほよきに その顔のみ穩かで、外見のみ靡きさうな樣子で。
 
3412 上毛野《かみつけの》久路保《くろほ》の嶺《ね》ろの久受葉我多《くずはがた》愛《かな》しけ兒らにいや離《ざか》り來《く》も
 
〔譯〕 上野國の久路保嶺にはえてゐるくずはがたではないが――可愛いい女をますます遠く離れて來たことであるよ。
〔評〕 久受葉我多は明かではないが、故郷の近くの黒檜山にあるもので、その附近で、いとしい妻と離れて來たのであらうか。妻のことを思ひながら歩いてゐるうちに、ふと振り返つて見ると、既に遠く來てしまつたと、我にかへつた時の詠歎であらう。
〔語〕 ○久路保の嶺ろ 赤城山群の最高峯黒檜嶽は、久路保を訛つたのであらう。「ろ」は接尾辭。○久受葉我多 葛葉如《くずはごと》の東語とも、葛の葉の形とも、地名とも諸説がある。一二三句は「愛しけ」にかかる序。○愛しけ兒らに 愛しけは愛しきの訛。兒は若いその妻をさす。
 
3413 利根河の河瀬も知らずただ渉《わた》り浪に遇《あ》ふ如《の》す逢へる君かも
 
〔譯〕 利根川の渡り瀬もかまはずむやみに渡つて、浪にぶつかつたやうに、危いところであなたに出會つたことよ。
〔評〕 浪に遇ふのすといふのは、浪にあつて危かつたやうに危い所で逢つた、もしか人目にかかつたらば大變であつたにと解すべきであらう。
(271)〔語〕 ○利根川 上野國利根郡から流れ、常陸下總の界をなして大洋に注ぐ坂東太郎である。○ただ渉り 淺さ深さをも考へず眞直にかちわたる。○浪にあふ如す 浪にであふ如くに。「のす」は「なす」に同じ。東國ではすべて「のす」である。
 
3414 伊香保ろの夜左可《やさか》の堰塞《ゐで》に立つ虹《のじ》の顯《あらは》ろまでもさ寢《ね》をさ寢てば
 
〔譯〕 伊香保のやさかのゐせきのあたりに立つ虹のやうに、顯はれて人に知られるやうになるまで、あなたと共寢をすることさへ出來たならば、顯はれることなどはもうかまひはしませぬ。
〔評〕 堰塞《ゐで》は、河水を塞《せ》きとめて水を田に引くやうにしたところで、塞《せき》より溢れだ水が常に飛沫をあげ、?々小規模の虹を出現したのであらう。この七色の美しい虹を、あらはるの序に用ゐたのは、いとしい女も聯想せられ、すぐれた手法である。なほ集中、虹を詠んだのは此の一首のみである。
〔語〕 ○夜左可の堰塞 夜左可は地名で、水澤(伊香保温泉の東南)の附近に八坂の塘の跡がある(上野歌解)。又、八尺《やさか》もある堰塞の意(古義)との説もある。○のじ 虹の方言。以上三句「顯る」にかかる序。○さ寢をさ寢てば 「さ」は接頭辭。重ねて意味を強めた言ひ方である。
 
3415 上毛野《かみつけの》伊香保の沼に殖子水葱《うゑこなぎ》かく戀ひむとや種求めけむ
 
〔譯〕 上野の伊香保の沼で栽培してゐる水葱《こなぎ》は、種を蒔いてあんなに茂るのであるが、それと同じく自分は、こんなに戀ひ焦れようが爲に、種を求めたのであつたらうか。これほど苦しまうとは思つてゐなかつた。
〔評〕 水葱は食用にも供するが、その花は紫色で美しく、衣にも摺りつけなどした。「三五七六」參照。うつくしい女にたとへたのである。
(272)〔語〕 ○伊香保の沼に 今の榛名湖。○うゑ子水葱 うゑてある小水葱。「四〇七」參照。
 
3416 上毛野《かみつけの》可保夜《かほや》が沼のいはゐづら引かばぬれつつ吾《あ》をな絶えそね
 
〔譯〕 上野の可保夜の沼に生えてゐるいはゐ蔓《づら》を、引き寄せようとすれば、拔けてしまふやうに、引けばそのまま自分と仲の絶えるやうなことをしてくれるな。
〔評〕 「三三七八」に入間路のとある歌と同じ着想で、地名をかへただけの歌、東國の民謠である。
〔語〕 ○可保夜が沼 所在不明。○いはゐづら 「三三七八」參照。
 
3417 上毛野《かみつけの》伊奈良《いなら》の沼の大藺草《おほゐぐさ》よそに見しよは今こそ勝《まさ》【柿本朝臣人麻呂歌集に出づ】
 
〔譯〕 上野の伊奈良の沼に生えてゐる大藺草のやうに、遠くによそに見てゐた時よりも、かうして近くで見ると、そなたは一層美しく見えることよ。
〔評〕 脚註によれば、柿本人麿歌集に出てをる歌であるといふ。後に出づる「三四四一」「三四七〇」「三四八一」等の人麿歌集の歌といふは、中央の歌が地方に傳はつて民謠的にうたはれたものと見るべきであるが、此の一首の一二句に上野の地名がよみいれてあるのは、東國の歌が中央に傳はり、人麿歌集に入つたのであらうか。
〔語〕 ○伊奈良の沼 邑樂郡にあつた廣大な沼の總稱であらう(東歌論考)。○大藺草 今の太藺《ふとゐ》で、莖を織つて、がまむしろを作つたのである。藺は水草で、手に取つて見られぬ意で序としたもの。
 
3418 上毛野《かみつけの》佐野田の苗の群苗《むらなへ》に事は定めつ今は如何《いか》にせも
 
〔譯〕 上野の佐野田の稻の群苗の卜によつて、私のとつぐ人をきめてしまひました。折角おつしやつても、今となつ(273)ては何とも致し方がありませぬ。
〔評〕 二人の男から言ひ寄られた女が、その身の處置を占卜で決定し、一方の男と結婚することにした後、他の男にこたへて贈つた歌であらう。上代人の信念のうかがはれる歌。
〔語〕 ○佐野田 高崎市の南方なる佐野の田であらう。○群苗に 群生した苗。ムラナヘをウラナヒの東語と見る説と、苗代から一握の苗を拔き取り、その數を調べて吉凶を判斷するといふ説とがある。
 
3419 伊香保風夜中吹き下《おろ》し思ひどろ隈《くま》こそしつと忘れ爲《せ》なふも
 
〔譯〕 伊香保おろしの風が、夜中に吹き下して寒いにつけても、思ひ出しておくれ。あの頃はお前に逢ふ爲に、よくあの山道の隈越しをしたものと、今もそなたのことを忘れないのであるよ。
〔評〕 難解の歌で諸説がある。何か障礙の爲に自由に逢へずにゐる戀仲の男から、女へ送つたものと見て解したのである。初二句は、善本の發見によつて訂された上でなくては、定解は得らるべくもない。
〔語〕 ○伊香保風 伊香保地方の風。初瀬風、飛鳥風、佐保風の用例がある。○思ひどろ 思ひ出《で》よの意か。或は思へども、思ひ出《づ》るなど解く説もある。ともかく東國の訛音。○くまこそしつと 山路の隈を越えて來たと、と解する。○忘れせなふも 忘れぬことよの意。「なふ」は打消の助動詞。「も」は詠歎の助詞。
〔訓〕 ○伊香保風夜中吹き下し 通行本には「伊加保世欲奈可中次下」とあつて訓み難い。從來は「欲」までを一句としてイカホセヨと訓み、伊香保夫よの意に解してゐたが、「次」が元暦校本等に「吹」とあるに心を惹かれるので、それを採り、意を以て初句に「加」を補ひ、イカホカゼとし、二句の「中」を衍と見てヨナカフキオロシとよんだが、一音一字であるべきに「吹下」がよくない。後考を俟つ。
 
(274)3420上毛野《かみつけの》佐野の舟《ふな》橋取り放《はな》し親は放《さ》くれど吾《わ》は放《さか》るがへ
 
〔譯〕 上野の佐野の舟橋は離れもする。そのやうに、親達は私たち二人の中を裂かうとするけれども、私は何で引離されよう、決して引離されはしない。
〔評〕 親の意志にも服しかねる戀の強さを詠じたもの。佐野地方の民謠であらう。序が適切で、且つ地方色がゆたかなのもよい。謠曲「船橋」はこれに基づいてゐる。
〔語〕 ○佐野の船橋 佐野は群馬郡の佐野町。船橋は橋柱の代りに船を竝べ、その上に板を渡したもの。川は烏川であらう。「取り放し」の序。○取り放し いつでも取りはなせる意から、相愛の間を引離す意にいひかけた。○さくれど 放す、遠ざけるの意。○吾はさかるがへ 自分は離されようか、否、離されはしない。「さかる」は受身で遠ざけられるの意、「がへ」は東國方言での反語を表はすものと思はれる。
 
3421 伊香保|嶺《ね》に雷《かみ》な鳴りそね吾が上《へ》には故は無《な》けども兒《こ》らに因《よ》りてぞ
 
〔譯〕 伊香保の峯に、雷よ、そんなに鳴つてくれるな。自分にとつては何のことはないが、一緒にゆく女がこはがるので。
〔評〕 「吾が上《へ》には故は無けども」と特にいひ添へたのが、稚氣があつて面白く、率直な上代東國人の面目躍如たるものがある。愛人に對する淳朴な愛情が、惜しみなく溢れてゐるところも微笑まれる。伊香保地方は、今も夏期雷鳴の多いので聞えてゐるが、千二百年前なほ同樣であつたことを思ふと、自然に變化なく、人間に轉變の多いことを思はずにはゐられない。
〔語〕 ○伊香保嶺 伊香保一帶の山を、いつたもの。○吾がへには 「へ」は上の意。自分にとつては。○兒ら 若い(275)女性を指す愛稱、複數ではない。
 
3422 伊香保風吹く日吹かぬ日ありといへど吾《あ》が戀のみし時無かりけり
 
〔譯〕 伊香保の土地に吹く風は、吹く日も吹かぬ日もあるけれども、自分がそなたにこがれる心ばかりは、いつと定まつた時もなく、常住不斷である。
〔評〕 内容は「三六七〇」「三八九一」など類歌があるも、二三句の語法調子に一脈の新味がある。
 
3423 上毛野《かみつけの》伊香保の嶺《ね》ろに降ろ雪《よき》の行き過ぎかてぬ妹が家のあたり
     右の二十二首は上野國の歌。
 
〔譯〕 上野の伊香保の峯に降り積つてゐる雪ではないが、自分は素通りして行き過ぎられないことである、いとしい女の家の附近を。
〔評〕 序は類音反復の技巧であるが、單にそれだけでなく、榛名富士の雪を見ながら、愛人の家のあたりを歩いてゐるものと見たい。すると、所謂有心の序となつて歌が一層生きて來る。
〔語〕 ○伊香保の嶺ろ ここは一つの山と見るべく、從つて榛名山のことであらう。○降ろ雪の 初句以下これまで「行き」の序。「ふろ」「よき」いづれも訛。○かてぬ 出來ない、敢へぬの意。「後の心を知りかてぬかも」(九八)その他用例が多い。
 
3424 下毛野《しもつけの》みかもの山の小楢《こなら》如《の》す目細《まぐは》し兒ろは誰《た》が笥《け》か持たむ
 
〔譯〕 下野の三鴨山の小楢のやうな、みづみづとした美しいあの子は、誰の處に嫁いで御飯ごしらへなどするやうに(276)なるのであらうか、羨ましいことである。
〔評〕 美しい少女を見て誰もが感ずることを率直に述べてゐる。誰の妻になるのかといふのを、誰の食器を捧げることになるかといつた間接敍法は、素朴で面白い。小楢の葉のやうな美しい少女といふのも、いかにもかうした山國の人達らしい形容で、新鮮味があり、生々?刺たる少女の健康美を的確に描き出してゐる。
〔語〕 ○みかもの山 下都賀郡の西部、岩舟驛の南一里にある小丘。延喜式に三鴨驛とあるは今の岩舟・小野寺・靜和等の諸村に當る。○小楢のす 小楢の如く。小楢は楢の若木。○まぐはし子ろ 美しい娘さんの意。「くはし」は精巧な、美しいの意。「ま」は目に見ての意。「ろ」は愛稱の接尾辭。○誰が笥か持たむ 誰の食器を持つであらうかで、食事の世話は主婦の役であるから、結句誰の妻になるやらの意(古義)。
 
3425 下毛野《しもつけの》安蘇《あそ》の河原よ石|踏《ふ》まず空ゆと來《き》ぬよ汝《な》が心|告《の》れ
     右の二首は下野國の歌。
 
〔譯〕 そなたを思へばこそあの安蘇の河原を、石ころなどを踏まずに、天を飛ぶやうな氣特でやつて來たのである。これほど思ふ自分に、早くそなたの心をうちあけてくれ。
〔評〕 迫つた息づかひを聞くやうな、激しい男心のたかぶりが、一二三四句と一氣に貫いて、それが結句で爆發したやうな聲調の流動は、美しさ、いふばかりない。作つて成る歌ではなく、眞心がよく成し得る、といふべきであらう。「二四五一」「二九五〇」に「心そらなり土はふめども」ともあるが、これは、河原の石ころも殆ど覺えずに空から飛んで來たといふのである。はやく神代記の歌に、「天《あま》はせ使」の句があり、神武紀に、天の磐船のことは見えてをるが、千二百年後の今日、人が飛行機に乘つて、大空をゆくことを、誰が想像してゐたらう。戀の心は高く天翔つて、上代の此の歌に、「空ゆと來ぬ」のごとき句が殘つてゐるのである。
(277)〔語〕 ○下毛野安蘇の河原よ 「三四〇四」に「上毛野安蘇」とあつたが、ここに下毛野安蘇となつてゐるのは、國界が變更されたのである。安蘇の河原は、今の安蘇郡佐野町を流れる秋山川のこと。「よ」は「より」に同じい。
 
3426 會津嶺《あひづね》の國をさ遠《どほ》み逢はなはば偲《しの》ひにせもと紐結ばさね
 
〔譯〕 會津嶺の聳えてゐる此の國が遠くなるので――自分が旅に出て久しくそなたに逢はなければ、その間、思ひ出す種にしようと思ふから、自分の着物の紐を結んで下さい。
〔評〕 夫の旅衣の紐を首途に際して妻が結んだ習俗は、次の歌その他集中に多く見られる。作者は、なつかしい會津嶺の麓の里を離れて遠い旅に出ようとしてゐるのである。歸期はいつになるか、それまではせめて妻の手で結んだ紐の緒によつて、その優しい面影を偲ばうといふ、つつましい心持がしみじみと流れてゐる。
〔語〕 ○會津嶺 會津の北なる磐梯山。○國をさ遠み 「さ」は接頭辭。○逢はなはば 逢はないならば。「なは」は打消の助動詞「なふ」の未然形。「三四七五」「三三九四」等參照。○偲ひにせもと 「と」の下に、思ふにといふ語を補つて解する。これを「とて」の意に取り、次の句に續けて解さうとすると、自他の混淆が生じて無理となる。
 
3427 筑紫《つくし》なるにほふ兒ゆゑに陸奧《みちのく》のかとり處女《をとめ》の結《ゆ》ひし紐解く
 
〔譯〕 筑紫の美しい女の爲に、つい自分は、故郷奧州の可刀利の女が折角結んでくれた此の紐を解いてしまつたことである。
〔評〕 防人の作と古くから考へられてゐたが、陸奧より防人の徴された記録はないから、防人ならぬ奧州人が、何かの用で筑紫へ旅したと見てよい。故郷を立ち出でるに當つては、可刀利處女と眞實をこめた誓も交したであらうに、長い獨旅の寂寥に堪へかねて、男は筑紫の花を手折つた。さりとて故郷の女の眞實を忘れてゐるわけではない。流麗(278)な調の裏に、純な男の強い自責の氣持が流れてゐる。
〔語〕 ○にほふ兒ゆゑに にほふは色にも香にもいふ。ここは遊女などであらうか。○かとり處女 代匠記は  練を織る女かと見てゐるが、かとりは地名であらう。全釋に下總の香取ではあるまいかとして、下總でも東海道の果の意で道の奧といつて差支あるまいと論じてゐるが、それはこの歌を防人の作ときめての上の説である。他に所見が無いからといつて、可刀利の地名が奧州にないとはいへまい。
 
3428 安太多良《あだたら》の嶺《ね》に伏す鹿猪《しし》の在りつつも吾《あれ》は到らむ寢處《ねど》な去《さ》りそね
     右の三首は陸奧《みちのく》國の歌。
 
〔譯〕 安太多良山の峯に伏す鹿や猪が、いつも同じ處に寢るやうに、いつまでも變らずに自分はそなたの所へ通つて行かう。そなたも寢處を外へ變へないでくれ。
〔評〕 頗る野人的の歌である。深山の野獣が寢所を忘れず、毎夜同じ處に歸つて來る習性を譬喩に取つたところに、狩獵などに經驗のある、もしくはさういふ山間に住んでゐた作者の生活も想像される。
〔語〕 ○安太多良 岩代の安達郡。今の安達太郎山であらう。「一三二九」參照。一二句は「在りつつも」の序。
 
   譬喩歌《ひゆか》
 
(279)3429 遠江《とほつあふみ》引佐《いなさ》細江の澪標《みをつくし》吾《あれ》を憑《たの》めてあさましものを
     右の一首は遠江國の歌。
 
〔譯〕 遠江の引佐細江の澪標は、深いところに立ててあるが、あなたも心深さうに私を頼みに思はせておきながら、淺いお心であつたものを。
〔評〕 音調頗る快美、濱名湖附近の民謠であつたと思はれる。
〔語〕 ○とほつあふみ 淡海《あふみ》は淡水湖で、都からの距離によつて、遠つ淡海の國、近つ淡海の國と呼ばれ「近つ」は略されもした。○引佐細江 濱名湖の東北、井伊谷川の河口。その邊を今も引佐郡といふ。○みをつくし 水脈つ串の義、舟の通行し得る水脈を示す爲の杭。○あさましものを 淺ましき、淺きものをの意と解する。
 
3430 志太の浦を朝漕ぐ船はよし無しに漕ぐらめかもよ由こさるらめ
     右の一首は駿河國の歌。
 
〔譯〕 志太の浦を朝漕いでゐる船は、何のわけもなしに漕いでゐようか、そんなことはない、ちやんときまつたわけがあるに違ひない。自分がこの邊を徘徊してをるのは、何の目的なしにそんな事をしようか。そなたに逢ひたい爲である。
〔評〕 自分の行動を朝こぐ舟にたとへ詠んで、女に贈つたものであらう。或は第三者として傍觀的立場からの作と見られないこともないが、恐らく前者であらう。
〔語〕 ○志太の浦 駿河國志太郡の浦。大井川の河口を中心とする海岸。○よし無しに 理由なしに。○漕ぐらめかもよ 漕ぐであらうか、いや、漕ぎはしまいよの意。「かも」は反語。○よしこさるらめ 古義は寄《よ》し來ざるらめで、(280)男の此處彼處歩きめぐつて、我が方へ寄り來ぬのを、怪しみ恨むに譬へたと解してゐるが、譬喩として適切でない。「由こそあるらめ」の約とした新考の解がよく、然るべき理由があつて漕ぐのであらうと、三四句の反語に對して自答したのである。
 
3431 足柄《あしがり》の安伎奈《あきな》の山に引《ひ》こ船の後引《しりひ》かしもよ幾許《ここば》來《こ》がたに
 
〔譯〕 足柄の安伎奈山で作つて、濱へ曳きおろす船が、尻重く引きずられることであるよ、大變に來にくさうな樣子で。(あのお方を私の許へ引寄せようと苦心しても、尻込みばかりなさる。さも來るのがむつかしいやうに。)
〔評〕 野調を帶びた素朴な歌で、おのづから微笑を禁じ得ない。殊に譬喩は特異で地方色に富み、それに當時の造船工事の樣子も今日と違ひ、船材を伐採したその山中で造り、それを海濱へ引きおろすといふやうな、かはつた方法が行はれてゐたことも知られて、文化史的にも興が深い。
〔語〕 ○安伎奈の山 所在不明。海岸に近い處であらう。○引こ舟の 引く舟の。山で作つた舟を海岸に引きおろすをいふ。「造(リテ)2官(ノ)船(ヲ)於此山(ニ)1令(メキ)2引(キ)下(サ)1。故(レ)曰(フ)2船引(ト)1」(播磨國風土記)とあるによつて當時の造船の樣がわかる。初句以下ここまで序としても解けるが、全體を船についての敍述と見るのが、譬喩歌として本格である。○後引かしもよ 舳の方へ綱をつけて引くと艫の方から引留めるやうに覺えて進み難い意とする古義の解がよい。「引かし」は「引かす」の東語であらう。「も」「よ」は共に詠歎の肋詞。○幾許來がたに 甚しく來難さうにしての意。「ここば」は「ここばく」に同じい。「三六八四」參照。「こがた」は子が爲にと解する代匠記の説は誤。「こがたに」は「きかてに」の東國方言であらう。來ることが出來ないでの意。
 
3432 足柄《あしがり》の吾《わ》を可鷄《かけ》山のかづの木の我《わ》をかづさねもかづさかずとも
 
(281)〔譯〕 足柄の可鷄山のかづの木ではないが、私を何處へでも、連れ出して下さいましな。連れ出しにくくても。
〔評〕 集中難解の歌の一で、從來多くは、考の説に基づいて、右のやうに解してゐるに從つた。
〔語〕 ○吾を可鷄山 布留川や松浦山を「袖振川」(三〇一三)「君松浦山」(八八三)などいふに同じく、吾と言葉にかけていふの意で言ひ懸けたもの、かけ山は相模足柄郡矢倉嶽の古名とも、小田原の向ひに見える聖が嶽ともいふ。○穀《かづ》の木 かぢの木の方言。相模地方の方言により「ぬるで」の異名とする説もある。三句まで、同音反覆による序。○かづさねも 「かどふ」「かどはかす」と同類語、かどはかし誘ひ出せよの意、(考)○かづさかずとも かどはし誘ひがたくともの意(考)。
 
3433 薪《たきぎ》樵《こ》る鎌倉山の木垂《こだ》る木をまつと汝《な》が言《い》はば戀ひつつや在らむ
     右の三首は相模國の歌。
 
〔譯〕 鎌倉山の、枝が垂れて繁つてをる樹、それは松であるが、その名のやうに、そなたが待つといつてくれたらば、自分は獨でこんなにこがれてをらうか。
〔評〕 一二三句は譬喩的序。旅に出る男が郷愁を豫想して詠んだとする註もあるが、それよりも、熱中してゐるだけに男の方が弱味を持つてゐて、比較的冷靜な態度の女に向つて、一言の愛の言葉を切願してゐると見る方がよからう。
〔語〕 ○薪樵る 「鎌」の枕詞。○木垂る木 校の垂れ下つた樹。「三一〇」參照。初句以下「まつ」にかけた序。
 
3434 上毛野《かみつけの》安蘇《あそ》山|黒葛《つづら》野を廣み延《は》ひにしものを何《あぜ》か絶えせむ
 
〔譯〕 上野の安蘇山の黒葛は、麓の野が廣いので、一面に延び廣がつてゐる、こんなに勢よく延びてゐるのに、何で途中で切れたりしようか。切れることはない。(私達二人の仲は、長く續いて來たのに、今更何で緑が切れたりしま(282)せう。決して切れはしません。)
〔評〕 二人の戀の持續を確信し、且つ祈る心を寓したものである。譬喩の取材が東歌らしい野趣を帶びてゐるところに興味はある。
〔語〕 ○安蘇山 後に國境が變つたので、前出「安蘇の河原」(三四二五)と同じく、今の下野佐野村附近の山。○延ひにしものを 黒葛が野の廣さに十分擴がつたのを、二人の戀に障礙のない譬とした。
 
3435 伊香保ろの傍《そひ》のはり原我が衣《きぬ》に著《つ》き宜《よら》しもよ純栲《ひたへ》と思《おも》へば
 
〔譯〕 伊香保の近傍の萩原の、その萩の花が、自分の着物に摺ると、實に附きよく、よく染まる。交りなしの栲織なので。(萩の花のやうなやさしいあの女が、自分には實に似合はしいと思ふ、純《ひた》ごころな女であるから。)
〔評〕 はり原の「はり」は、萩と解するのがよい。古義に、女が男を榛に擬し、わが夫としてふさはしいのを喜んだ歌と解してゐるが、さうでなく、男が女を萩によそへたものとする方が自然であらう。
〔語〕 ○着き宜しもよ 萩の花摺が着物によく染みつく意。愛する女が自分に似合つてゐることに譬へた。「よらし」はよろしの訛。○ひたへと思へば 栲のみで織つた純栲であるから。「思へば」は輕く添へた語、であるからの意。
 
3436 しらとほふ小新田《をにひた》山の守《も》る山の末枯《うらが》れ爲《せ》なな常葉《とこは》にもがも
     右の三首は上野國の歌。
 
〔譯〕 あの新田山――山番を置いて大事に守らしてゐる山が、うらがれしないで、いつも青々と茂つてゐてほしいものである。(自分の大事に守つてゐる可愛い女は、いつまでも容色が衰へないでゐてほしい。)
〔評〕 古義に、思ふ中らひの永續を祈る意思とあるが、愛人の容姿の不變を冀ふものとみる方がよい。
(283)〔語〕○しらとほふ 白砥掘ふの説が行はれてゐるが、常陸風土記に「白遠《しらとほ》新治之國」とあるによれば「新」の枕詞で「とほしろし」のごとく、雄大なの意味で新墾に續けたのであらうか。○小新田山、小は接頭辭。○うら枯せなな 木の先が枯れ凋まないで。容色が衰へないでの譬。「なな」は「三四〇八」參照。○常葉にもがも 常に變らず緑の葉であつてほしい、常に美しくあれの譬。この四五句を戀仲の變らぬやうにとの説もある。
 
3437 みちのくの安太多良《あだたら》眞弓|彈《はじ》き置きて撥《せ》らしめきなば弦《つら》著《は》かめかも
     右の一首は陸奧國の歌。
 
〔譯〕 奧州の安太多良の弓の弦をはづして置いて、そのまま弓をそらせて置いたらば、再び弦を張ることが出來ようか、容易に張られはしない。(二人が逢はずにゐて、いつとなく心持が疎隔して來たらば、もとの親しさに引戻すことはむづかしい。しげしげ逢つて、心持の離れないやうにしよう。)
〔評〕 民謠であらう。弓は用ゐない時に弦を張つたままで置くと、曲つたなりの癖がついて彈力が易くなるので、平素は弦をはづして置くのが常識であるが、安太多良の弓が特に強いので、弦を張ることの容易でないといふ點のみを捉へて喩としたものであらう。
〔語〕 ○安太多良眞弓 安達地方から出る弓。「一三二九」參照。○せらしめきなば 撥るに任せて置いたならばと解する。心の離反するに譬へた。
 
   雜歌《ざふか》
 
(284)3438 都武賀《つむが》野に鈴が音《おと》きこゆ上志田《かむしだ》の殿の仲子《なかち》し鳥狩《とがり》すらしも【或本の歌に曰く、みつつが野に、又曰く、わくごし】
 
〔譯〕 都武賀野で、鈴の音が聞える。上志太の殿の御次男樣が、鷹狩をしていらつしやるらしい。あれは、贋の尾につけた鈴の音である。
〔評〕 鷹狩の壯快な遊は、當時都の貴族間に流行した。都から赴任した地方官か、豪家などの子息の颯爽たる獵姿が、印象的に描き出されてをり、歌調も洗煉されてゐる。
〔語〕 都武賀野 不明。或本の美都我野といふのも未詳。○上志太 「三四三〇」にある志太の浦は駿河の志太であるが、志太郡が上下に別れてゐたものか。○殿の仲ちし 殿は郡司か、或はその地の豪家をいふのであらう。なかちは仲の子、次男。或本に「わくご」とあるのは若子、即ち若樣の意。しは張意の助詞。
 
3439 鈴が音《ね》の早馬驛家《はゆまうまや》のつつみ井の水を賜へな妹が直手《ただて》よ
 
〔譯〕 驛馬の鈴の音が氣持よくきこえる宿驛の、この石でつつまれた井の水を頂戴したいものだ。可愛いそなたの手から、ぢかに。
〔評〕 街道の宿驛、清列な水に喉を潤ほさうとして、井の水を汲みつつある娘の楚々たる容姿に目を留め、暫く郷愁を忘れた旅人の諧謔である。輕快な調で内容にも異色があり、上代風俗圖繪の一頁を見る心地がする。
〔語〕 ○早馬驛 「はゆま」は早馬で驛馬のこと。「うまや」は厩で宿驛。諸道約三十里毎にこれを置き、驛馬を備へ、驛使の役に供したことが厩牧令に見える。○つつみ井 石などで周圍を圍み包んだ井。○たまへな 頂きたいものだ。「な」は希望の助詞。「たまへ」は下二段の「たまふ」(「たばる」と同じく貰ふの敬語で、後世の「食ぶ」の源。)の未然形。
(285)3440 この河に朝菜洗ふ兒|汝《なれ》も吾《あれ》もよちをぞ持《も》てるいで兒|賜《たば》りに【一に云ふ、ましもあれも】
 
〔譯〕 この河で朝の食料の菜を流つてゐるそなたよ。そなたも自分も同じ年頃の子供を持つてゐる。そなたの娘さんを、どうか私の息子の嫁にほしいものである。
〔評〕 男が呼びかけた「兒」はいかにも若い女らしく、婚期に達した娘を持つ女を「兒」とはいへないとの説がある。しかし「兒」は親しんでいつたので、若くみえる母親と解してよい。
〔語〕 ○朝菜 朝の食事に用ゐる菜。○よち 「よちこ」(八〇四)の略で、同年輩の子。○いで兒賜りに さあその娘さんを頂きませうの意。「賜りに」は「賜《たば》らな」の訛であらう。○ましもあれも 汝も吾も。
 
3441 間遠《まどほ》くの雲居に見ゆる妹が家《へ》にいつか到らむ歩め吾《あ》が駒【柿本朝臣人麻呂歌集に曰く、遠くして、又曰く、歩め黒駒】
 
〔譯〕 あの遠くの空の彼方に見えるいとしい女の家に、いつ行き着くことか、もつと早く歩んでくれ、自分の乘つてゐる馬よ。
〔評〕 「一二七一」の「遠くありて雲居に見ゆる妹が家に早くいたらむ歩め黒駒」といふ人麿集の歌が關東に歌ひ傳へられて、民謠となつたのであらう。
 
3442 束路《あづまぢ》の手兒《てこ》の呼坂《よびさか》越えがねて山にか宿《ね》むも宿《やどり》は無しに
 
〔譯〕 東海道の此の手兒の呼坂を、自分は日一ぱいに越えきれないで、今晩は山の中に寢ることかなあ、とまる家はなくて。
〔評〕 手兒の呼坂といふ名は、駿河風土記にあるやうな傳説によつてか、或はてこ(美し女)が呼ぶといふ坂といふ(286)地名によつて一種の感情を起したのであらう。しかもその坂を越えかねて、半ば山中の野宿を觀念しつつゆく旅人の心情は、「二七五」「一一四〇」などに相通ふものがあり、四五句の表現も優れ、作者のため息が聞えるやうである。
〔語〕 ○手兒の呼坂 所在不明。大日本地名辭書には、蒲原驛の東、七難坂などの古名なるべしとある。略解所引宣長説にはタゴと訓んで、田子の浦と同處としたのはうべなひ難い。
 
3443 うらも無く我が行く道に青|柳《やぎ》の張りて立てればもの思《も》ひ出《づ》つも
 
〔譯〕 何心もなく自分の歩いて行く道に、柳が青々と芽を吹いて立つてゐるので、それを見て、ふと物思が胸に浮び出たことである。
〔評〕 四五句は東歌らしい。そこはかとなき春愁を催しつつ、樣々の思が心頭に上つて來るのである。近代的感覺に通ふものがある。
〔語〕 ○物思ひづつも 樣々の事が胸に浮んで來た。「づつ」は「いでつ」の訛であらう。「も」は詠歎の助詞。
 
3444 伎波都久《きはつく》の岡の莖韮《くくみら》我《われ》摘《つ》めど籠《こ》にも滿《み》たなふ夫《せな》と摘まさね
 
〔譯〕 きはつくの岡の莖韮は、私達が摘んでも、なかなか籠に一ぱいになりません。旦那樣と御一緒にお摘みなさいませ。
〔評〕 場所はさだかでないが、東國方言もあり、地方でうたはれた歌謠であらう。
〔語〕 ○きはつくの岡 仙覺抄に、常陸國眞壁郡の地名とあるが、不明。○くくみら くくは莖、みらは韮の古名。○滿たなふ 「なふ」は東國の打消助動詞。「三四二六」參照。三句の「吾」を複數として召使の少女の言葉と見れば、ここは主の女に言つたとする古義の解が自然に受取られる。
(287)〔訓〕 ○滿たなふ 白文「美多奈布」、「美」は諸本「乃」とあるが解し難い。ノタナフを方言とする説もいかがとおもふ。しばらく考の説に從ふこととする。
 
3445 水門《みなと》の葦《あし》がなかなる玉小菅《なまこすげ》苅り來《こ》わが背子《せこ》床《とこ》の隔《へだし》に
 
〔譯〕 河口の蘆の中に生えてゐるあの美しい小菅、あれを苅つてきて下さい、吾が夫よ。それを編んで、寢所を隔てる目かくしにしますから。
〔評〕 菅を編んで簾のやうにし、寢所の見えないやうにしようといふ、やさしい女心である。
〔語〕 ○みなとの 水の門の義で、河口。四字の句。○玉小菅 「玉」は美稱。○へだし へだちの東語。隔《へだて》の意。木の床の上に菅むしろを敷き、身と床の隔てにするといふ(代匠記)説もあるが、帳《とばり》の類とみる説による。
 
3446 妹なろがつかふ河津《かはづ》のささら荻《をぎ》蘆《あし》と他言《ひとごと》語りよらしも
 
〔譯〕 いとしいそなたが、いつも水を使ふあの河の船着場に生えてゐる小さな荻、それと蘆とが似よつてをるやうに、自分とそなたとも似合つた仲と、他言《ひとごと》――他人の評判がよいことである。
〔評〕 極めて難解の歌で、しひて右の如く解して見た。
〔語〕 ○妹なろ 「妹なね」(一八〇〇)と同じく親しみ呼ぶ語。汝《な》ろとも解される。○ささら荻 「ささら」は細小の義。○あしと他言語りよらしも 蘆と荻と似てゐる如く、妹と我とを似あふといふ、他人の言葉の評判がよいことよの意と解しておく。あしを惡し、よらしを寄らしと解する説もある。
 
3447 草蔭の安努《あの》な行かむと墾《は》りし道|阿努《あの》は行かずて荒草立《あらくさだ》ちぬ
 
(288)〔譯〕 安努に行かうと折角開墾した此の道を、阿努には行かないので、こんなに雜草が茂つてしまつた。
〔評〕 安努へ通ふ新道がついたのに、そこを通らないので、荒々しい雜草が茂つた、といふ裏に、折角女との約束が出來たに、まだ逢はぬ間に故障が起つたとやうの寓意があるのであらうか。
〔語〕 ○草蔭の 枕詞。倭姫命世紀に「草陰阿野國」ともある。「あ」を隔てて、草の繁つた野とつづくのであらうか。○安努な 駿河に阿野莊とあるそれならむ(新考)。「な」は助詞「に」に通ずる(代匠記)。
 
3448 花散らふこの向《むか》つ嶺《を》の乎那《をな》の嶺《を》の洲《ひじ》につくまで君が齡《よ》もがも
 
〔譯〕 花がうつくしく散りかふ此の向ひの峰なる乎那の峰が、海の洲として水につかるやうな、遠い遠い後の世までも、君の御壽命が續きますやうに。
〔評〕 不老長壽を祈る賀の歌として、規模雄大、格調も高古の趣を帶びてゐる。地方の豪族などを祝福した作であらう。
〔語〕 ○乎郡の峰 所在不詳。遠江國引佐郡の西なる尾奈か(全釋)。○ひじ 仙覺抄に大隅國風土記を引いて、海中の洲のことと説いてゐる。今これによつた。○つく 漬くで、つかるの意。又は着くで、低くなつて海の洲に着くとも解せられる。
 
3449 しろたへの衣《ころも》の袖を眞久良我《まくらが》よ海人《あま》こぎ來《く》見ゆ波立つなゆめ
 
〔譯〕 我が愛人の白い衣の袖を枕にするといふことの聯想される眞久良我の方から、海人達の舟を漕いで來るのが見える。浪よ立つな、決して。
〔評〕 若人らしい感傷で、愛人の袖を纏くといふ聯想を起させる地名に興味を覺えての作であらう。
(289)〔語〕 ○眞久良我よ 「眞久良我の許我の渡りの」(三五五八)とあると同處であらう。その許我を下總の古我とすれば、附近の總名を眞久良我と稱へたものと思はれる。よは、より。
 
3450 乎久佐正丁《をくさを》と乎具佐助丁《をぐさすけを》と潮舟《しほふね》の竝べて見れば乎具佐《をぐさ》勝《か》ちめり
 
〔譯〕 乎久佐|正丁《を》さんと乎具佐|次丁《すけを》さんと竝べて見ると、乎具佐次丁さんの方が、まさつてをるやうである。
〔評〕 内容の特異な點に興味が繋がる。戀物語の一節のやうで、作者(女)は助丁に心を寄せたのである。
〔語〕 ○乎久佐乎 乎久佐は地名。所在不明。次丁《すけを》に對して乎久佐乎とあるは、正丁であらう。正丁は公役を勤めるに堪へる壯年の男子。○乎具佐助丁 乎具佐も地名。所在不明。助丁は成年に近い男子。○潮舟の 潮の上に浮ぶ舟が幾艘も竝ぶ意で「竝べ」にかけた枕詞。○勝ちめり 「勝つめり」の訛として、「めり」を推量の助動詞と解する。但し、「めり」は上代の文獻を通じて他に用例がない。
〔訓〕 ○しほ舟 白文「斯抱布禰」。通行本「抱」を「乎」に誤つてゐる。類聚古集等による。○勝ちめり 白文「可利馬利」元暦校本の書入れ等によつて「可知」とする。
 
3451 左奈都良《さなつら》の岡に粟|蒔《ま》きかなしきが駒はたぐとも吾《あ》はそともはじ
 
〔譯〕 さなつらの岡に粟を蒔いたに、其處へ、いとしいあの方の馬が來てそれを食べたとしても、いとしい方の馬ならば、私はそれをしいしいと追ひやりはすまい。
〔評〕 山畑に粟を蒔きつつ、田舍娘子が描いた幻想である。野趣に富んだ作。
〔語〕 ○左奈都良 地名。所在不明。○たぐ 手綱を掻い繰る、食ふの二説があるが、後説による。○そともはじ 集中の戯書に「追馬」と書いてソと訓ませてあるから、「そ」は馬を追ふ聲で、そとも追はじの略とする本居大平の(290)説による。もはじをおはじの訛とも、其《そ》と思《も》はじとする説もある。
 
3452 おもしろき野をばな燒きそ古草《ふるくさ》に新草《にひくさ》まじり生《お》ひは生《お》ふるがに
 
〔譯〕 此の風情の面白い野原を、そんなに燒き拂ふなよ。このままにして置いても、去年の枯草に今年の新しい草がまじつて、生えようとすれば生えることが出來るやうに。
〔評〕 草は一面の黄色、滿目まだ冬枯の世界であるが、流石にそこはかとなく春意は動きそめてゐる。春草の萌えをよくするために野を燒いてをるのを見て、「野をばな燒きそ」ととめたのである。寓意がありさうでもあるが、このままの歌として見てもよい。
 
3453 風の音《と》の遠き我妹《わぎも》が著《き》せし衣《きぬ》袂の行《くだり》紕《まよ》ひ來にけり
 
〔譯〕 遠い故郷の自分の妻が、出發の折着せてくれたこの旅衣の袂は、もう絲がすり切れて來たことであるよ。
〔評〕 遠い旅にあつて、久しく妻に別れてゐる男のしみじみと洩したため息である。内容と表現とが如何にもよく融合してゐる。「風の音の遠き吾妹」と、これくらゐに枕詞も生かされると、象徴の域に入つたものといへる。四五句も無造作に敍し去つたやうで、無限の感愴をこめて居り、情熱的激語を用ゐないだけに、作者の人柄や年齡なども想像される。
〔語〕 ○袂のくだり 袂の縱の線。○まよひ 絲がよれよれになつて地の薄れること。「一二六五」參照。
 
3454 庭にたつ麻布小衾《あさてこぶすま》今夜《こよひ》だに夫《つま》よし來《こ》せね麻布小衾《あさてこぶすま》
 
〔譯〕 庭にはえてをる麻で織つた布の小衾よ。せめて今晩なりとも、戀しいあのお方を私の處へ引寄せ、來させてお(291)くれ、麻の布の小衾よ。
〔評〕 獨寢の幾夜を悶え明した末に、思ひ餘つて、親しい麻の小衾に呼びかけたのである。麻の小衾は私の氣持に同情もしてくれようと考へたのは、素朴な古代人としては不自然でない。第二句を結句で繰返したのは、感情を強調し聲調を整へるに有効である。
 
   相聞《さうもに》
 
3455 戀しけば來ませ我が背子|垣内楊《かきつやぎ》末《うれ》摘みからし我《われ》立ち待たむ
 
〔譯〕 戀しくお思ひになつたならば、いらつしやいませ、私のいとしいお方よ。私は垣根の内にあるやなぎの枝先をむしり枯らすくらゐ、いつまでも立つてお待ちして居りませう。
〔評〕 田舍少女の純情がほほゑましいまでに素直に表現されてゐる。楊の下に立つて葉をむしつてゐたといふところに、鄙びた自然さがある。
〔語〕 ○うれ摘み枯らし 枯れるほど枝さきをむしる意。時間の長いことを表はす。「刈らし」と見る説は採らない。「ふみからし」(二七七六)の句は、傍證としてよからう。
 
3456 うつせみの八十言《やそこと》のへは繁くとも爭ひかねて吾《あ》をことなすな
 
(292)〔譯〕 世間の人のうるさい取沙汰は、どんなに多くありませうとも、あなたはそれに抵抗しきれないで、私の名を口に出したりなどなさいますなよ。
〔評〕 世評に抗して飽くまでも押切れさうもない男の心弱さを激勵してゐるこの女性の心持は、強いとか勝氣とかいふよりも、ただ眞劍一途である。それがおのづから言葉や調子の上にも出てゐる。
〔語〕 ○うつせみの 世間の意。○八十言のへ いろいろな評判の言葉。「へ」は隔の意(代匠記)、上の意(考)、葉の轉(新考)、又は重とする説等がある。「練の言羽《ことば》は吾は頼まじ」(七七四)、防人の歌の「言ひし氣等婆《けとば》ぜ」(四三四六)から、「ことば」といふ語の存在は察せられるが、「ことのは」といつた例は上代に見當らない。恐らくは言の重であらう。○ことなすな 口に出していふな。「ことなす」は言成すで、口にする、又は言葉にあらはすの意。
 
3457 うち日《ひ》さす宮の吾背は大和女《やまとめ》の膝《ひざ》枕《ま》くごとに吾《あ》を忘らすな
 
〔譯〕 今、京に上つて宮仕に出てをられるあなたは、定めて大和の女と馴染んでをられるでせうが、せめてその人の膝を枕にする時ごとに、私のことを忘れず思ひ出して下さいませ。
〔評〕 作者は、衛士となつて上つた東國の若い男の戀人であらう。出立の際の作ではなく、後に程經て詠んだものであらう。都少女に心を惹かれてゐる愛人を想像しても、強ひて恨むではなく、靜かに思ひ諦めて、せめては思ひ出してほしいと願つてゐるところ、控へ目なしほらしい心が同情を牽く。優婉愛すべき調子の中に、「膝まくごとに」といふやうな印象的な描寫で、情痴の場面まで鮮かに浮き出させた手法は冴えてゐる。
〔語〕 ○うち日さす 「宮」にかかる枕詞。「四六〇」參照。○宮の吾背 恐らく衛士であらう。令義解に「凡兵士向v京者名2衛士1」とある。
 
(293)3458 汝兄《なせ》の子や等里《とり》の岡道《をかぢ》しなかだ折《を》れ吾《あ》を哭《ね》し泣くよ息衝《いくづ》くまでに
 
〔譯〕 いとしいあなたよ。とりの岡の道が途中で折れ曲つてゐて、あなたのうしろ姿を早くも見えなくして、私を聲をあげて泣かせることです。こんなにため息をつくまでに。
〔評〕 用語の明白ならぬところから、異説もある。
〔語〕 ○汝兄の子や 親しんで呼びかけた語。書紀に「吾夫君此(ニ)云(フ)2阿我儺勢《アガナセト》1」とある。「こ」は「背子」「吾妹子」などに同じ親愛の語。「や」は呼びかけの助詞。○とりの岡 所在不明。○なかだ折れ 中途で折れ曲つての意「だ」は東國語の接尾辭。半折れとみる説もある。○いく 息の訛。
 
3459 稻|舂《つ》けば皹《かか》る我《あ》が手を今宵もか殿の若子《わくご》が取りて嘆かむ
 
〔譯〕 いつもかうして稻をつくので、こんなにあかぎれのきれた私の手を、今晩は、御屋敷の若樣が取つて、かはいさうなとお嘆きなさることでもあらうか。
〔評〕 殿の若子は「三四三八」の「殿の仲子」と同じく、郡司の若樣とか、豪家の子息とかであらう。男の愛に浸つて身の賤しさも暫く忘れ、嬉しさ恥かしさに躍る小さな胸を抑へつつ、今宵の樂しさを空想してゐる少女の姿が生動してゐる。
〔語〕 ○かかる 赤ぎれが切れること。和名抄に「皹【音軍。阿加々利】手足折裂也」とある。○今宵もか 今晩はまあ。「か」は疑問の助詞で結句に應ずる。
 
3460 誰《たれ》ぞこの屋《や》の戸|押《お》そぶる新嘗《にふなみ》に我が背を遣《や》りて齋《いは》ふこの戸を
 
(294)〔譯〕 誰です、此の家の戸を推しゆすぶるのは。今夜は、新嘗のお祭に夫を出してやつて、私一人で忌み籠つてゐる此の家の戸ですのに、その戸をゆすぶるのは。
〔評〕 新嘗の祭は、古代にあつては最も大切な祭祀で、村々では集團的にも營まれたのである。この歌は、村で行はれる新嘗の祭に出かけた夫の留守中、人妻を誘惑しようとして來た忍び男を叱りたしなめたので、痛快な作である。新嘗祭が民間に行はれてゐた樣子のよくわかる歌で、文化史的にも、また庶民風俗史的にも、貴重な資料を提供するものである。
〔語〕 ○誰ぞ 誰だと咎める語。○おそぶる 押しゆすぶる。古事記上卷の八千矛神の歌にもある語。○新嘗 新穀を神に供へる祭。「にふなみ」は東國の訛音。「三三八六」參照。○いはふこの戸を 戸を閉ぢて潔齋してゐるこの家の戸であるに、それを。
 
3461 何《あぜ》と云へかさ寢《ね》に逢はなくに眞日《まひ》暮れて夜《よひ》なは來《こ》なに明けぬ時《しだ》來《く》る
 
〔譯〕 何だとて、あの人は、寢るために逢つてくれもせず、日が暮れて宵のうちには來ないで、夜の明けてしまつた時にくるのだらうか。
〔評〕 内容といひ用語といひ、いかにも東歌らしい。ほんのお體裁でくるにはくるが、夜は姿を見せぬ男に對する女の不滿と焦慮とがよくわかる。訥々とした言葉の中に、眞劍さがこもつてゐる。
〔語〕 ○あぜといへか なぜといへばか、どういふわけでか。○さねに 寢に。さは接頭語。○よひなは來なに 「よひな」の「な」は「朝な夕な」の「な」と同じとも、助詞「に」の轉とも見られる。「なに」は「ずに」の意。「三四〇八」の「なな」參照。○明けぬしだ 夜が明けてしまつた時。「ぬ」は打消でなく完了の助動詞。「ぬる」を用ゐるべきであるが、東國方言では連體的用法に終止形と同樣「る」が用ゐられない傾きがある。「しだ」は時。
 
(295)3462 あしひきの山澤|人《びと》の人|多《さは》にまなといふ兒があやに愛《かな》しさ
 
〔譯〕 人達が大勢で、可愛い可愛いといつてゐるあの子の、なんとも可愛いことよ。
〔評〕 誰も彼もが評判する美人を我がものとしてゐる男の、密かに洩らした得意の聲であるが、その中に、あまりにも人に騷がれるが故の不安も籠つでゐる。
〔語〕 ○あしひきの山澤人の 同音反復で「人さはに」を起す序。代匠記に山澤人を、多くの人と解してゐるが、古義所引中山嚴水説の如く、山澤に住む人の義で、形式的序と見るべきである。○まな 「まな子」の「まな」で、愛らしの意。
 
3463 ま遠《とほ》くの野にも逢はなむ心なく里の眞中《みなか》に逢へる夫《せな》かも
 
〔譯〕 折角逢ふならば、人里遠い野原ででも逢つて下さればよいに。思慮もなく、村の眞中で行き逢つた私のいとしいお方ではある。
〔譯〕 人目を忍ぶ仲の、たまたま逢ひは逢つても、里中では思ひのたけを語りあふことも出來ないとのふ、同情すべき不滿である。「三四〇五」の歌と男女の相違はあるが、事情は相ひとしいものがある。
 
3464 人言《ひとごと》の繁きによりて眞小薦《まをごも》の同《おや》じ枕に吾《わ》は纏《ま》かじやも
 
〔譯〕 世間の人の噂がやかましいからといつて、その爲に同じ薦枕で、自分はそなたと共寢しないといふことがあらうか。何も人の口などを氣にすることはない。
〔評〕 世評に屈せぬ男の情熱を端的にうち出したところに、野人らしさがあり、「まを薦の枕」にその生活の片鱗が(296)見える。
〔語〕 ○眞小ごもの 眞は美稱。小は接頭辭。薦を編んで作つたの意。○おやじ 同じの古語。○吾はまかじやも 自分は枕して共寢をしないであらうか。反語。
 
3465 高麗錦《こまにしき》紐解き放《さ》けて寢《ぬ》るが上《へ》に何《あ》ど爲《せ》ろとかもあやに愛《かな》しき
 
〔譯〕 紐を解き放して、共寢をしてゐるのに、その上どうしろといつてまあ、お前はかうもやたらに可愛いのだらう。
〔評〕 戀情の滿足に我を忘れた叫である。咽ぶばかりに激しい官能の句は、「三四〇四」と趣が等しい。野人の間にうたはれた民謠であらう。
〔語〕 ○高麗錦 高麗の歸化人が錦を織つて作つた紐の義では「紐」の枕詞。○あどせろとかも なにとせよとて。命令形に「ろ」を添へるのは、東歌及び防人の歌にのみ見え、後の關東語を思はせる。
 
3466 ま愛《かな》しみ寐《ぬ》れば言《こと》に出《づ》さ寢《ね》なへば心の緒ろに乘りてかなしも
 
〔譯〕 可愛さに共寢をすれば、世間の評判に立つ。といつて共寢をしないでゐると、あの女の姿が自分の心の上にのしかかつて、可愛くてならぬ。
〔評〕 人の評判などにかまつて、一つ薦枕をしないなどいふことがあるものか、と強く言ひ放つた若者もあつたが、これはその反對に、世間に氣がねをして、とつおいつ憂悶を重ねてゐる男の姿である。これもあはれな眞情に違ない。
〔語〕 ○さ寢なへば 寢なければ。「さ」は接頭辭。「なへ」は東語の打消助動詞。○心の緒ろに乘りて 常に心に懸る。「妹は心に乘りにけるかも」(一〇〇)參照。「緒ろ」の緒は「正述心緒」などの緒であらう(新考)。「ろ」は接尾辭。
 
(297)3467 奧山の眞木の板戸をとどとして我が開かむに入りて來て寢《な》さね
 
〔譯〕 奧山にはえてをる檜の板で作つた此の戸を、あなたがどんどんと敲いて音をおたてになつたらば、私がすぐ開けませうから、入つて來ておやすみなさいませ。
〔評〕 解釋に多少疑義はあるが、調子のしつかりと張つてゐるところ、爽快である。
〔語〕 ○とどとして この句の主語について、「とどとしては男のするなり。和我は女なり。此間を切りて心得べし」(考)女が内からとどとして開かむその時に入り來て寢給への意(古義)の二説がある。語句の上からいへば、古義の説が自然のやうであるが、「我が開かむに」を挿入句の如く見る考の説に從つた。○なさね 「なす」は寢《ぬ》の敬語。「いはなさずとも」(二五五六)參照。
 
3468 山鳥の尾《を》ろの秀《は》つ尾に鏡|懸《か》け唱《とな》ふべみこそ汝《な》によそりけめ
 
〔譯〕 山鳥の尾のその先に鏡を懸けると、聲高く唱へ鳴くが、そのやうに、自分の浮名を自分から世間に吹聽するために、そなたに心をひきつけられたやうなものだ。
〔評〕 大陸の山鳥傳説が、關東地方にもひろまつてゐたといふことに意義のある歌というてよい。解釋は註釋書によつてちがつてをる。
〔語〕 ○山鳥 雉に似て稍大きな野鳥。「一六二九」參照。尾ろのはつ尾「ろ」は接頭辭。はつ尾は、ほつ尾に同じく、長い尾の先端をいふ。○鏡かけ 代匠記に、「魏(ノ)時南方(ヨリ)献(ズ)2山鷄(ヲ)1、帝欲(スレドモ)2其(ノ)歌舞(センコトヲ)1而無(シ)v由、公子蒼舒令(ム)d以(テ)2大鏡(ヲ)1置(カ)c其前(ニ)u、山鷄鑑(ミテ)v形(ヲ)而舞(ヒテ)不v知(ラ)v止(ムコトヲ)、遂(ニ)至(ル)v死(ニ)、韋仲爲(ニ)v之(カ)賦(ス)」といふ中國の故事によつたものとある。この山鳥傳説は枕草紙にも「山鳥は友を戀ひてなくに、鏡を見せたれば慰むらむ、いとあはれなり」と見えてをり、比較的廣く知られて(298)ゐたと思はれる。○唱ふべみこそ 「唱ふ」は鳥の高らかに鳴く意を、人々に觸れまはることに懸けたもの。そなたに引きつけられたことは、結局自ら吹聽することになつたの意であらう。
 
3469 夕占《ゆふけ》にも今夜《こよひ》と告《の》らろ我が夫《せな》は何《あぜ》ぞも今夜《こよひ》よしろ來まさぬ
 
〔譯〕 夕方試みた辻占にも、今晩いらつしやるはずと出た、私のいとしいお方は、どうしてまあ、今晩こちらへおいでなさらないのであらう。
〔評〕 用語に、東國ぶりの色彩が濃厚である。さまざまな占卜法で戀人の音づれを占ひ、それによつて一喜一憂したので、「二六一三」と同工異曲、待つ身の焦慮が同情される。
〔語〕 ○夕占 黄昏時に衢に立つて、道行く人の言葉を聞いて判斷する占法。「四二〇」參照。○のらる 告《の》れるの東國方言。連體形で下につづく。○あぜぞも 何としてまあ。○よしろ來まさぬ 此方へ向つて寄つていらつしやらないのか。「よしろ」は「よそる」の訛。「よそる」は、近よる、靡き從ふなどの意。
 
3470 あひ見ては千年や去《い》ぬる否をかも我《あれ》や然《しか》思《も》ふ君待ちがてに【柿本朝臣人麻呂歌集に出づ】
 
〔譯〕 あなたとお目にかかつてから、千年もたつたでせうか。否、それとも、私だけそんな氣がするのでせうか、あなたのおいでが待ちきれないで。
〔評〕 「二五三九」と全く同じ歌である。そちらでは作者不明であるが、ここには人麿歌集所出とある。人麿歌集の歌が、民謠として關東に歌はれたのであらう。
 
3471 暫《しまら》くは寢つつもあらむを夢《いめ》のみにもとな見えつつ我《あ》を哭《ね》し泣くる
 
(299)〔譯〕 せめて暫くの間くらゐは、靜かに寢てもゐたいのに、夢にばかり、何の詮もないのに、いとしいを方の姿が見え見えして、私を、聲をあげて泣かせることである。
〔評〕 現實の交會が難ければ、せめて夢にいとしい人の姿を見たいと希ふのも戀の眞情であるが、あまりに繁き夢の逢ひは、徒らに覺めての後の思を増させるのみとわかれば、暫くは安らかにすべてを忘れる熟睡がほしいと嘆くのも、あはれな眞情に違ない。東國邊陬の婦人の作としては異色あるもの。
 
3472 人妻《ひとづま》と何《あぜ》か其《そ》を云はむ然《しか》らばか隣の衣《きぬ》を借《か》りて著《き》なはも
 
〔譯〕 人妻人妻と、手も觸れられないもののやうに、何であの女をいはねばならぬのか。それならば、隣の人の着物を借りて着ないだらうか。着ることもあるのに。
〔評〕 奔放な、本能的、原始的の歌で、東國の野人らしい面目がある。但、かうは放言したものの、必しも直にこれを實踐したと考へるのは當るまい。恐らくやはり最後の一歩を踏み切れないもどかしさに自ら惱んでゐればこそ、口先だけにでもかうした激語が出て來るのであらう。「五一七」の歌と反對の如くに見えて、同じであることを看取せねばならぬ。隣人の衣の譬喩は奇想天外である。
〔語〕 ○然らばか 人妻といつて、特別扱ひせねばならぬものならば。「か」は疑問の助詞。○借りて着なはも 上の「か」を加へて、「借りて着ざらむか」、即ち借りて着ることはなからうかの意。「なは」は東語の打消助動詞。「も」は推量の助動詞「む」の訛。
 
3473 佐野《さの》山に打つや斧音《をのと》の遠かども寢《ね》もとか子ろがおもに見えつる
 
〔譯〕 佐野山で打ちおろす斧の音が遠いやうに、今は遠くにゐるけれども、やがて共寢をしようとの前兆か、いとし(300)いあの子が、面影にちらついて見えた。
〔評〕 佐野山で木を伐る樵夫の斧の音の、遠くからかすかに聞えてゐたのは、恐らく實況であつたらう。それを直に捉へたのは、地方人らしい取材である。音調も朗々として爽快である。
〔語〕 ○佐野山 佐野の地名は諸國に多いが、東國では上野國のが最も知られてゐる。これを未勘國の中に入れたのは、分類の粗漏かも知れない。「さ」は接頭辭で單に野山の意といふ考の説は未勘國の中にあるからの考へ過ぎである。○打つや 「や」は間投の助詞。打つ斧音とつづく。○遠かども 遠けれども。○寢もとか 寢むとてか。「も」は助動詞「む」。○面に見えつる 面影に見えた、目先にちらついた。
〔訓〕 ○おもに 白文「於母爾」諸本「於由爾」とある。「由」を「母」の誤とする考の説に從ふ。
 
3474 殖竹《うゑたけ》の本《もと》さへ響《とよ》み出でて去《い》なば何方《いづし》向きてか妹が嘆かむ
 
〔譯〕 庭に植ゑた竹の幹までが風にざわつくやうに、ざわざわと慌しく自分が旅に出かけてしまつたならば、方角の見當もつかず、どちらを向いて妻が嘆き慕ふことであらうか。
〔評〕 俄かに旅だたねばならぬ事情があつて、留守居の妻の途方にくれるであらう姿を想像した、情あひが極めてこまやかで、庭前の實景を捉へたらしい序も巧妙である。四五句は「三三五七」と同じてあるが、先後いづれか明かでない。
〔語〕 ○殖竹の本さへとよみ 庭前に殖ゑてある竹が、葉だけでなく幹首でも風の爲に鳴る、それの如くにざわついて。○いづし いづちの訛。
 
3475 戀ひつつも居《を》らむとすれど木綿間《ゆふま》山隱れし君を思ひかねつも
 
(301)〔譯〕 戀ひこがれながらも、じつと辛抱してゐようと思ふけれど、木綿間山のあの山蔭に隱れておいでになつたお方を思つて、私はたまらなくなつて來ることである。
〔評〕 「三一二一」と字句に出入はあるが、かの歌が民謠としてうたはれたのであらう。靜かに落ちついた調子の中に、ほのかな哀韻が搖曳してゐる。
〔語〕 ○木綿間山 所在不明。○隱れし君 樹々の間に姿が隱れ去つた君の義。死して斂葬された君との説もある。
 
3476 諾《うべ》兒《こ》なは吾《わぬ》に戀《こ》ふなも立《た》と月《つく》ののがなへ行けば戀《こふ》しかるなも
     或本の歌の末句に曰く、ぬがなへ行けどわぬがゆのへは
 
〔譯〕 なるほどそなたは、自分にこがれてゐることであらう、それも尤である。立つ月がずんずんと經過して行くのだから、さぞ戀しく思はれることであらうなあ。
〔評〕 旅に在る夫が、家なる妻からの消息に和《こた》へたものかと考へられる。東國方言の中に、深い愛情が掬まれる。
〔語〕 ○うべ兒なは 尤である、可愛いそなたはの意。「こな」はこらに同じ。「四三五八」參照。「な」を汝と説く古義の説もある。○わぬに戀ふなも 自分を戀うてゐるであらう。「わぬ」は我。「なも」は「らむ」の東國語。「三三六六」參照。○たとつくの 立ちゆく月日が。「たと」は立つの訛。○のがなへ 流らへの訛。○戀しかるなも 「戀しかるらむ」の訛。
〔訓〕 ○わぬがゆのへは 白文「和奴賀由乃敝波」、このままでは解し難い。略解所引宣長説に「賀由」を轉倒とし、ワヌユガノヘバと訓み、「わが行かざれば」の意。ノヘは打消助動詞、ナヘの訛つたものとしてゐる。
 
3477 東道《あづまぢ》の手兒《てこ》の呼坂《よびさか》越えて去《い》なば我《あれ》は戀ひむな後は逢ひぬとも
 
(302)〔譯〕 東海道の手兒の呼坂を、あなたが越えて行つておしまひになつたらば、私はさぞ戀しく思ふことでせう。後にはきつと逢へると思ひましても。
〔評〕 防人などに行く悲別歌かと註した書もあるが、「三二〇三」と同じ形の民謠であらう。
〔語〕 ○手兒の呼坂 「三四四二」參照。○あひぬとも 逢つたとしたところで。「ぬ」は完了の助動詞。相寢ともの意とする説もあるが、「相寢」の語例は、古事記に地名として相寢の濱はあるのみで、本集には無い。
 
3478 遠しとふ故奈《こな》の白峯《しらね》に逢《あ》ほ時《しだ》も逢はのへ時《しだ》も汝《な》にこそよされ
 
〔譯〕 遠いといふ故奈の白峰に、あふ時でも逢はないでゐる時でも、私は一途にあなたにひきよせられてをります。
〔評〕 男を深く信頼してゐる女の眞心が、三句以下の素朴な言葉に、誠實に表現されてゐる。初二句は、遠い白峰にあふとつづく序詞とおもはれる。
〔語〕 ○こなの白峰 所在不明。日光にも群馬縣吾妻郡にも白根山はあり、伊豆の古奈温泉の背後の山を古く白根と呼んだといふ説もある。○逢ほ時も逢はのへしだも 「逢ほ」は「逢ふ」の訛。「のへ」は東語の打消助動詞「なへ」の訛。○よされ 「よそる」と同じ意味の「よさる」の已然形。ひきよせられる。
 
3479 安可見《あかみ》山草根刈り除《そ》け逢はすがへ爭ふ妹しあやに愛《かな》しも
 
〔譯〕 あかみ山の草の根を刈りのけて、そこで自分と逢つてくれてゐる上に、私の言葉を素直にばかり開かずに、爭つたりするお前は、なんとも可愛いなあ。
〔評〕 上代に於ける田園の野性的な戀愛が窺はれる。身も魂も男に委ねきつてゐながら、時に女は拗ねも爭ひもするのである。愛する女のさうした仕打を、時に却つて可愛いとさへ思ふのも男の不思議な心理である。そこを赤裸々に(303)寫したのがこの歌で、女が二人の間の事を他人に向つては言ひ爭ふとした在來の解は機微に通ぜぬ説である。
〔語〕 ○安可見山 所在不明。下野安蘇郡赤見村か(新考)。○逢はすがへ 逢つてゐるその上で。「がへ」は「が上に」の東語。「逢はす」は逢ふの敬語。がへを反語、逢はないと、と解く説もある。
 
3480 大君の命《みこと》かしこみ愛《かな》し妹が手枕《たまくら》離《はな》れよだち來《き》のかも
 
〔譯〕 天子樣の御命令の畏れ多さに、自分はあの可愛い妻の手枕を離れて、夜立をして來たことではある。
〔評〕 防人の歌であらう。禁闕守護の衛士といふ説もある。
〔語〕 ○かなし妹 かなしき妹の意。形容詞の語根から名詞に續けたもの。「うまし國」(二)の類。○よだち來のかも 「よだち」は代匠記に夜立、課役《えだち》兩説を擧げてゐる。夜をこめて立つ意とする考の説がよい。「來の」は、來ぬの訛、來ぬるの意。
 
3481 あり衣《ぎぬ》のさゑさゑ鎭《しづ》み家の妹に物|言《い》はず來《き》にて思ひ苦《ぐる》しも
     柿本朝臣人麻呂歌集の中に出づ。上に見ゆること已に記せり。
 
〔譯〕 鮮かな衣のさやさやと衣ずれの音を立てるやうに、泣き騷いでゐる妻を押し鎭めなだめて、しんみりと話もせずに別れて來てしまひ、今となつて思ふと、心ぐるしくつらい。
〔評〕 左註のやうに、卷四に「珠衣のさゐさゐ鎭み家の妹に物いはず來て思ひかねつも」(五〇三)とある歌が、いささかのたがひはあるが、東國地方に民謠として歌はれてゐたのであらう。この歌のみならず、他にも人麿歌集中の歌が東歌中に見えるといふことは、留意すべきである。
〔語〕 ○あり衣の 鮮かなる衣の意(玉勝間)。「三七九一」參照。○しづみ しづめての意と解する。○思ひ苦しも(304) 斷腸の思がする。
 
〔訓〕 ○記せり 白文「記也」。元暦校本による。通行本「詮也」は誤。類聚古集等には「訖也」とある。
 
3482 韓《から》衣|襴《すそ》のうち交《か》へあはねども異《け》しき心を我《あ》が思《も》はなくに
     或本の歌に曰く
   韓衣《からころも》襴《すそ》のうち交《か》ひあはなへば寢なへのからに言痛《ことた》かりつも
 
〔譯〕 大陸風の着物の裾の打合せが合はないやうに、久しくあなたにお逢ひしませんが、決して私は、あだし心を思つてはをりませぬ。
 或本の歌――唐衣の裾の打合せが合はないやうに、私は此頃あなたに逢はないから、共寢もしないのに、人の評判が彼是とうるさいことですわ。
〔評〕 序が變つてゐて珍しいが、内容は、「二三九九」の類型である。或本の歌は、序が同じといふまでで、別箇の歌とすべきである。
〔語〕 ○から衣すそのうち交へ 序。裾の上前と下前との交錯をいふ。考はこの序を「あふ」までにかけたとしてゐるが、唐製の衣は襴が合はないものであるから、「あはね」まで係けると見るべきである。「から衣すそのあはずて」(二六一九)參照。○うち交ひ 「うち交へ」に同じ。一は自動約、一は他動的にいうたもの。○あはなへば 逢はざればの意。「なへ」は東語の打消助動詞。○寢なへのからに 寢ざるながらに、共寢もしないのに。
 
3483 晝|解《と》けば解けなへ紐の我《わ》が夫《せな》に相|寄《よ》るとかも夜《よる》解けやすけ
 
(305)〔譯〕 晝解かうとすれば中々解けない紐が、私のいとしいお方に逢ふといふ前兆ででもあるのか、夜は自然に解けがちなことである。
〔評〕 紐の緒が自然に解けるのは、人に思はれてゐる兆としたのは當時の俗信で、「三一四五」等にある。今この歌は更に一歩を進めて、直接男に逢へる前兆と考へたところに、型を破つた實感の強さが表現されてゐる。
〔語〕 ○解けなへ紐の 直譯すれば「解けない紐の」であるが、實は、解けなかつた紐がである。常に晝は解けないのではなく、或日の事實である。○相寄るとかも 互に寄り合ふ、即ち相逢ふ前兆としてか。○やすけ 形容詞の連體形「き」を「け」といふのは、東國の特徴的な訛の一つであるが、方言でなくても「はしけやし」(六四〇)の如き例はある。
 
3484 麻苧《あさを》らを麻笥《をけ》に多《ふすさ》に績《う》ますとも明日《あす》著《き》せさめやいざせ小床《をどこ》に
 
〔譯〕 麻苧を麻笥《をけ》の中にそんなに澤山績《つむ》ぎなさつたとて、どうせ明日すぐに着物にして着なさるわけではなし、さあ、もう入らつしやい寢床に。
〔評〕 特異な取材で、古代の農村生活の一斷面が鮮かに描き出され、勤勉な農村女性のつつましい姿が髣髴として見える。官能の句の激しいのは、民謠なのであらう。
〔語〕 ○麻苧らを 「ら」は接尾辭。○麻笥にふすさに 麻笥は麻を績いで入れる器。ふすさは多く。○うますとも うますは績むの敬語。白文「宇麻受」を「うちひさ受」(八八六)の例によつて受を清音によんだが、うまずともと濁音によみ、そんなに績がなくても、ともみられる。○明日著せさめや 明日着給はめや、着なさらうか、の意で反語(新考、橋本博士)。「せさ」は「す」の敬語「せす」の未然形。「着せ(來せ)ざらめや」と説くのは、語法上從ひがたい。(306)○いざせ さあいらつしやい、の意。「いざ」は促し誘ふ意の感動詞。「せ」はサ變の動詞「す」の命令形で「行け」「來れ」などの代用である。
 
3485 劔刀《つるぎたち》身に副ふ妹をとりみがね哭《ね》をぞ泣きつを手兒《てこ》にあらなくに
 
〔譯〕 いつも身に添うて離れない可愛い妻を、十分世話してやることも出來ないで、自分は聲をあげて泣いたことである。小さい子でもないのに。
〔評〕 男一匹が、愛する女一人を不自由なく過させ、滿足させることも出來ない腑甲斐なさを、自ら嘆き憤つたのであつて、何か或る事態に臨んでの述懷であらう。變つた内容である。枕詞も、内容にふさはしく用ゐ生かされてゐる。
〔語〕 ○劔刀 枕詞。「身に副ふ」にかけた。「二六三七」參照。○とりみがね 世話し介抱することも出來ないのでの意とする橋本博士論による。「とり」を接頭辭と見、旅中にあつて相見るを得ぬ意に解する説(全釋)、面影にのみ立ちて、手に取り見かねるといふ説(榊原美蔭)もある。がねはかねの訛。○手兒 ここは母の手にあるほどの幼兒。
 
3486 愛《かな》し妹を弓束《ゆづか》竝《な》べまき知己男《もころを》の事とし云はば彌《いや》勝《か》たましに
 
〔譯〕 自分の可愛い女よ。相手が自分と同等の男であつたらば、互に弓束を竝べ卷いて、十分腕くらべをして、いやが上にも勝つのであるがなあ。お前には、とても勝てないよ。
〔評〕 堂々たる丈夫を以て自任してゐる身が、もろくも戀の虜となつた醜態を自嘲した歌は、「一一七」の作、その外少くない。今の歌も同工異曲、飽くまで男子の衿持を失はない半面に、自分の弱點は弱點として何ら取り繕ふことなく、あつさり認めてゐるとにろ、何處までも濶達な萬葉人の丈夫ぶりである。
〔語〕 ○かなし妹を 「を」は詠歎の助詞、目的格ではない。○弓束なべまき 弓の握革を斜に卷くと竝べたやうに(307)なるからの義(代匠記)。向きあひ戰ふ意で、「まき」は向きの東語であらうといふ説もある。的に向きといふ古義の説はよくない。○もころ男 もころは相似た意。「一八〇九」參照。○彌勝たましに いやが上にも勝つのだが、愛する女には勝てないの意。「いや」を射哉と解した考の説は肯ひ難い。
 
3487 梓弓未に玉|纒《ま》き斯《か》く爲《す》すぞ寢《ね》なな成りにしおくを兼《か》ぬ兼《か》ぬ
 
〔譯〕 梓弓の末弭に、玉の緒を纒いて飾とし大事にするやうに、かやうに行末を大事に思ひ思ひして、たうとう自分はあの女と共寢をしないでしまつたことである。唯將來のことばかりを心配して。
〔評〕 あまりに杞憂を重ねて遠慮がちであり、女との縁も切れてしまつた男が、自らの優柔不斷を難じたのである。修辭に變つた技巧を凝らし、同語同音を重疊して一種の韻を踏んだやうに見えるのは面白い。しかし、その外形の奇觀の爲に、内容の感銘を稀薄ならしめた嫌は免れない。
〔語〕 ○梓弓末に玉まき 譯に説いた如くである。玉をまき、それに掛ける鈴といふ意で下の「斯く爲す」を起す序と見る説があるが採らぬ。○かくすすぞ 「すす」はサ變の「す」を重ねたもの、しつつの意。「あどすすか」(三五六四)參照。○寢なななりにし 寢ないでしまつた。「なな」は「三四〇八」參照。○おくをかぬかぬ 將來を心配しいしいして。「かぬかぬ」は「すす」と同じ語法で、かねつつの意。
 
3488 おふ?《しもと》この本山《もとやま》の眞柴《ましば》にも告《の》らぬ妹が名《な》象《かた》に出でむかも
 
〔譯〕 この本山の眞柴ではないが、?々口に出して言ひもしないあの女の名が、占の表に現れるであらうか。氣がかりなことである。
〔評〕 人には秘して語らぬ戀人の名が、卜占によつて明るみに出ることを氣遣つてゐるのである。卜占の威力に信倚(308)してゐた古代人の恐怖と憂慮とが想像される。前出の「三三七四」に比べて、過去と未來との相違はあるが、同じ心理である。
〔語〕 ○おふ? 生ふる?の意で、類音を以て「本山」にかけた枕詞。終止形を以て連體形に代用することは往々ある。大?の意とする古義の説はよくない。「しもと」は若木また細い枝。○この本山 本山は山名と思はれるが、所在不明。或は「木之本山」とも者へられる。○ましばにも 上からの續きは眞柴であるが、下へは?々の意でつづく、「ま」は接頭辭。○かた 鹿骨。龜甲などに灼き出る形象で、それによつて吉凶を判ずる。
 
3489 あづさ弓|欲良《よら》の山邊の繁かくに妹ろを立ててさ寢所《ねど》拂《はら》ふも
 
〔譯〕 よらの山邊の木々の繁きあたりにいとしい妻を立たせて、寢床の支度をして塵を拂ふことである。
〔評〕 愛人を連れて來た男が、山の木の繁みに女を暫し立たせおき、寢所の設けをするのである。もし一二句を序とすれば、森の繁きごとく繁く通ひ來て、女を戸外に立たしめての意となる。
〔語〕 ○あづさ弓 引けば寄る意で「よら」の枕詞とした。○欲良 地名 所在不明。全釋には信濃小諸町の東部に與良の名が現存するとある。○繁かくに 繁けくに、繁き所に。○妹ろを立てて 「汝を立てて」(三五五三)參照。「ろ」は愛稀の接尾辭。
 
3490 梓弓末は寄り寢むまさかこそ人目を多み汝《な》をはしにおけれ【柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ】
 
〔譯〕 行末は一緒になつて共寢をしよう。現實の今こそ人目が多いので、そなたを中途半端な?態に置いてゐるけれども。
〔評〕 儘ならぬ戀仲で、世間を憚つてゐる爲に、女を思ふやうに遇するわけに行かない。その本意なさを嘆き、且つ(309)女を慰めてゐるのである。この歌を、忍んで來た男を暫く瑞近い處に待たせ、家人の隙を窺つてゐる女の作とした註は、「末」の語義を正解し得なかつたのである。
〔語〕 ○梓弓 末の枕詞。○まさか 目前、現在。○汝をはしにおけれ そなたを中途半端な?態にしてあるが。「三四〇八」參照。
 
3492 楊《やなぎ》こそ伐《き》れば生《は》えすれ世の人の戀に死なむを如何《いか》に爲《せ》よとぞ
 
〔譯〕 楊といふものは、伐れば又その切株から生えもする。しかし、死んだらば二度と生きてはこられない此の世の中の人の一人である身が、戀の爲に今にも死なうとしてゐるのに、一體どうせよといふのか。
〔評〕 片戀の苦惱を訴へ、今殆ど垂死の?にあるといふのは誇張であるが、それが恰も先方の責任であるかのやうな理不盡な言ひがかりをしてゐるところ、思ひ餘つて理性を忘れた人間の姿が目に浮ぶ。
 
3492 を山田の池の堤に刺《さ》す楊《やなぎ》成りも成らずも汝《な》と二人《ふたり》はも
 
〔譯〕 山田の池の堤に挿す楊は、結果がうまくゆくのもゆかないのもあらうが、うまくいつてもいかなくても、とにかくお前と自分とは、心は決して變るまいぞ。
〔評〕 内容の普遍單純、譬喩の樣式、音調の流動などの見地から見るに、民謠であらう。
〔語〕 ○を山田 山の裾から傾斜面にかけての田。「を」は接頭辭。地名とする説は採らぬ。○刺す楊 これまで序。挿木にする柳の根がつくか否かの意で、「成りも成らずも」に係けた。
 
3493 遲速《おそはや》も汝《な》をこそ待ため向つ峰《を》の椎の小枝《こやで》の逢ひは違《たげ》はじ
(310)     或本の歌に曰く
  遲速《おそはや》も君をし待たむ向つ峯《を》の椎の小枝《さえだ》の時は過ぐとも
 
〔譯〕 遲くとも速くとも、自分はいつまでもそなたを待つてゐよう。向うの峰の椎の小枝が茂つて相まじはるやうに、逢ふといふことは間違ひあるまいから。
 或本の歌――遲くても早くても、私はいつでもあなたをお待ち申しませう。向うの峯の椎の小枝が大きくなるに、時がかかるやうに、時は過ぎませうとも。
〔評〕 椎の小枝を用ゐたのは、素朴にして、田園の歌であることがうなづかれる。本文のは男の作で、汝をといひ、或本のは女の作で、君というてをる。男が贈り女が答へた歌とも考へられる。
〔語〕 ○椎のこやでの 椎の枝の繁り合ふ意で、「逢ひ」にかけたもの。「こやで」は小えだの訛。
 
3494 兒毛知山《こもちやま》若鷄冠木《わかかへるで》のもみつまで宿《ね》もと吾《わ》は思《も》ふ汝《な》は何《あ》どか思《も》ふ
 
〔譯〕 子持山の夏の初めの若い楓の木が、秋になつて美しく紅葉する時分まで、長い間を一緒に寢てゐたいと自分は思ふ。お前はどう思ふね。
 
〔評〕 内容といひ調子といひ、民謠である。官能的でありながら、全體が洗煉され、殊に「若かへるでのもみつまで」の美しい修辭で一首が詩化されてゐて、あくどさを感じない。子持山といふのも、表面はただ附近にみえる山の名を置いたに過ぎないが、意識の底には、子を持つといふ聯想が働いてゐたのであらう。
〔語〕 ○兒毛知山 群島縣澁川町の北方、伊香保に近い子持山がそれであらう。○もみつまで 紅葉する時まで。長(311)い時間を誇張していうたもの。○あどか思ふ どう思ふか。
 
3495 伊波保《いはほ》ろの傍《そひ》の若松かぎりとや君が來まさぬうらもとなくも
 
〔譯〕 巖にそうてをる傍の若松は、巖に限られてをるが、もうこれが限りといふので、あなたはいらつしやらないのだらうか。心もとないことである。
〔評〕 消息の絶えた男を待ちつつ、何かの事情で、「限りとや君が來まさぬ」と諦めようとするが、やはり、「うらもとなくも」と斷ち難い未練なのである。全體に優婉繊巧である。
〔語〕 ○いはほろ 「三四一〇」に「伊香保ろの傍の榛原」とあるから、これはそれをうたひなまつたのであらう。しかも「いはほろ」とうたひ、巖に限られたとかけたのである。○そひ 近傍のこと。
 
3496 橘の古婆《こば》のはなりが思ふなむ心|愛《うつく》しいで吾《あれ》は行《い》かな
 
〔譯〕 橘樹郡の古婆の里の童女が自分を思つてゐる、その氣持がまことにいとしい。どれ自分はあの子の處へ行かう。
〔評〕 まだすつかり女になりきらぬ程の、いたいけな少女の幼い戀に對して、それをいとほしむ男の心持が素直に表現されてゐる。同じ相聞歌でも極めて特殊なもので、清純な感じがする。
〔語〕 ○橘の 枕詞として、橘の「濃葉」とかけて髪の美しさに譬へたものといふ説(代匠記)よりも、武藏國橘樹郡とする説(考)がよい。○古婆のはなり 古婆、地名。所在不明。はなりは振分髪をいひ、髪をさげてゐる童女をもいふ。○思ふなむ 自分を思ひ慕つてゐるのであらう。「なむ」は「らむ」に同じ。「潮滿つなむか」(三三六六)參照。○いで ここは自らが自らにいひかけたもの。
 
3497 河上《かはかみ》の根白高草《ねじろたかがや》あやにあやにさ宿《ね》さ寐《ね》てこそ言《こと》に出《で》にしか
 
(312)〔譯〕 河の上流の根の白くて丈の高い萱が思ひ出されるが、ほんにほんに度々共寢をしたからこそ、自分達の仲は人の評判に立つたのであつた。
〔評〕 序は極めて感覺的に生動してゐる。「河上の根白高がや」といふやうな表現は、自然に深く親しんだ生活をしてゐる者でなくては、氣づかぬやうな微妙な觀察の所産であつて、清流に白い根を洗はれつつ生えてゐる萱の風情が、爽やかな感觸を帶びてをる。
〔語〕 ○根白高がや 水に洗はれて根の白くあらはれてゐる高い萱であるが、女の新鮮な象徴のやうにおもはれる。二句までが序。かかり方は、「かや」と「あや」との類似音の反復で「あやにあやに」にかけたもの。○あやにあやに、奇《あや》に奇《あや》にで、驚き感ずることば。
 
3498 海原《うなはら》のねやはら小菅《こすげ》あまたあれば君は忘らす吾《われ》忘るれや
 
〔譯〕 海岸にはえてをる根の柔かな小菅のやうな、若いなよやかに美しい人が澤山おありですから、あなたは私の事などお忘れになります。しかし私は、あなたを忘れませうか、決して忘れはしませぬ。
〔評〕 あだな男に對する女の怨みが、娩曲に述べられてゐる。新鮮にして生動せる譬喩、柔軟にして彈力に富んだ、語句音調である。古今集の「花がたみ目ならぶ人の數多あれば忘られぬらむ數ならぬ身は」は、同想であるが、理に墮ちて生命の躍動が見られない。萬葉と古今の差である。
〔語〕 ○海原の 海原に面した場所。或は「海原は?《かまめ》たちたつ」のやうに廣い池。○忘るれや 忘れるものか。反語。
 
3499 岡に寄せ我が刈る草《かや》のさね草《かや》のまこと柔《なごや》は寢《ね》ろとへなかも
 
〔譯〕 なごやかといへば、岡の方に片寄せて自分が刈つてゆく萱、靡き寢る萱のやうに、ほんにあの子は、なごやか(313)には、自分に共寢せよと云つてくれないことであるよ。
〔評〕 野人らしい作者の風?が躍動してゐる。草を刈りつつ、愛する女のことを思ひ出して口ずさんだものか。或は一種の勞働歌として謠はれたものか。
〔語〕 ○岡に寄せ 岡の方へ次第に片寄せて行つての意であらう。岡にて草を引き寄せ靡かせて刈る、又岡に身を寄せ刈るといふ説は採らぬ。○さねかやの 靡き似す萱のやうに。句を隔てて「寢ろ」に係けたもの。「さね」は「まこと」と同義ゆゑ「まこと」にかけたとする説は採らぬ。○まことなごやは 本當に穩かには。「なごやが下に」(五二四)參照。○寢ろとへなかも 寢よといはぬかも、の訛と解する。
 
3500 紫草《むらさき》は根をかも竟《を》ふる人の兒のうらがなしけを寢《ね》を竟《を》へなくに
 
〔譯〕 紫草は、取り盡くすまで根を掘り終へるだらうか、いや、さうはしない。その根を經へないといふやうに、あの娘さんの、紫草のやうに可愛らしいのを、一緒に寢終へないのが、殘念である。
〔評〕 いかにも土に親しんでゐる人の歌らしい著想である。稚氣に滿ちた理窟もほはゑましく、用語の上から見ても東歌的色調の濃厚な歌である。
〔語〕 ○紫草は根をかも竟ふる 紫草は根を染料として紫色を染める。「二一」參照。人が根を掘り採るが全部掘り盡さうか、さうはしないの意で反語。○人の兒のうらがなしけを うらがなしを人の兒をの意。「かなしけ」は「かなしき」の東語。「三四八三」參照。○寢を竟へなくに 共寢を仕遂げ得ないことよ。戀が成就せぬの意。
 
3501 安波《あは》をろのをろ田に生《お》はるたはみづら引かばぬるぬる吾《あ》を言《こと》な絶え
 
〔譯〕 安波の山の山田に生えてゐる多波美蔓のやうに、引かれてするずる拔けてしまつて、そのままたよりを絶つや(314)うなことをしてくれるな。
〔評〕 「三三七八」「三四一六」に類歌がある。「引かばぬるぬる」の句などが、民謠として喜ばれたのであらう。
〔語〕 ○安波をろ 安波は地名、安房と考にはある。をは峯また丘。ろは接頭辭。○をろ田 丘の田。○たはみづら 蔓草の名、ひるむしろのこと。その他諸説がある。○引かばぬるぬる ひいた時にするすると拔けて。「三三七八」參照。○吾を言な絶え 自分に音信を絶つな。 
 
3502 我が目妻《めづま》人は放《さ》くれど朝貌《あさがほ》の年さへこごと吾《あ》は放《さか》るがへ
 
〔譯〕 自分の愛する女との中を、人は割かうとするけれども、朝貌が年あまた、毎年さくが、長い月日の間を、自分は割かれてゐようか、割かれてゐはせぬ。
〔評〕 佶屈な句法で、東歌の色調の濃い歌。
〔語〕 ○目妻 眞妻(代匠記)、目につきて思ふ妻(略解所引宣長説)めづる妻(新考)等の諸説がある。めづ子「三八八〇」と同じく、めづ妻を略したといふ最後の説がよい。○朝貌の 朝貌は「一五三八」參照。下へのつづき方は「わが目妻」をたたへて象徴風においたものとも思へる。○年さへこごと 年さへ許多《ここだ》の意とする代匠記の説によつて譯した。コソトと訓む説もある。○吾はさかるがへ 「三四二〇」參照。
 
3503 安齊可潟《あせかがた》潮干のゆたに思へらば朮《うけら》が花の色に出《で》めやも
 
〔譯〕 あせか渇の潮干の廣々してゐるやうに、ゆつたりと思つてゐるならば、どうして顔色に出ようか、さしせまつて深く思へばこそ、顔色にあらはれて人に悟られることにもなるのである。
〔評〕 修辭の巧みな練達の手法である。
(315)〔語〕 ○安齋可潟 常陸風土記の香島郡なる安是湖かといはれてゐるが明かでない。○朮が花 「三三七六」參照。
 
3504 春べ咲く藤の末葉《うらは》のうら安にさ寢《ぬ》る夜ぞなき子ろをし思《も》へば
 
〔譯〕 春の頃に花咲く藤のうら葉の――心安らかに眠る夜もない。愛人のことを思つてゐるので。
〔評〕 美しくのどかな序で、調にも陶然たる甘美さがある。
〔語〕 ○藤のうら葉 藤の末の方の葉。以上二句は序。○子ろ 愛する女。
 
3505 うち日さつ宮の瀬川の貌花《かほばな》の戀ひてか寢《ぬ》らむ昨夜《きそ》も今夜《こよひ》も
 
〔譯〕 宮の瀬川の貌花の――戀うて寢ることであらうか、昨夜も今夜も、自分のことを思うて、あの女は。
〔評〕 障ることがあつて、昨夜も今夜も行かれなかつた男の歌。
〔語〕 ○うち日さつ うち日さすに同じ。宮の枕詞。「三二九五」參照。○宮の瀬川 所在不明。○貌花 晝顔のことであらう。「一六三〇」參照。四句へのつづきは諸説がある。ひるがほは日中咲き夕方には眠り萎むから、戀ひて眠るの枕詞としたもの(古義)の説によつておく。
 
3506 新室《にひむろ》の言壽《ことき》に到ればはだ薄《すすき》穗に出《で》し君が見えぬ比のころ
 
〔譯〕 新築の祝に行つて見ると、はだ薄が穗に楷るやうに、心を打ち明けあつた愛人が、この頃お見えにならぬことよ。
〔評〕 新室の言壽の句に、上代人の生活を語つてをる。人の多くつどうた、にぎやかな宴席に、思ふ男の姿のみえぬ寂しみに、心の沈んだ女の樣子が思ひやられる。
(316)〔語〕 ○新宝の言壽 こときを蠶時《こどき》とし、蠶を飼ふ時と解する説(代匠記)もあるが、言壽の意とする説(考)がよい。○はだ薄 「穗に出」にかかる枕詞。○穗に出し君 心を外にあらはした君。
 
3507 谷|狹《せば》み峰に延《は》ひたる玉葛《たまかづら》絶えむの心|吾《わ》が思《も》はなくに
 
〔譯〕 谷が狹いので、峰の方へと伸びて延うた玉葛――切れようといふ心を、自分は持たないのに、なぜに疑ふのであらう。
〔評〕 「三〇六七」と「三〇七一」の二首の上三句と下二句を取つて一つにした觀がある。
 
3508 芝付《しばつき》の美宇良埼《みうらさき》なる根都古草《ねつこぐさ》あひ見ずあらば我《あれ》戀ひめやも
 
〔譯〕 芝付のみうら崎なる根都古草――逢ひ見ることがなかつたならば、自分は、あの女を戀しく思はうか。逢つたから戀しいのである。
〔評〕 相逢うてより病みついた戀を詠んだもの。
〔語〕○芝付 地名。○美宇良崎 相模國の三浦崎か、陸奧國富山の麓三浦崎か。○根都古草 白頭翁《おきなぐさ》のことといふ。ねつこ草に寢をかけて「あひみ」とつづけたものか。ねつこ草の美しいのを女に譬へたものか(古義)。
 
3509 たく衾《ぶすま》白山《しらやま》風の宿《ね》なへども子ろが襲著《おそき》の有《あ》ろこそ善《え》しも
 
〔譯〕 白山から吹く風が寒い。それにつけて、自分は共寢をしてはゐないが、旅に出る時に妻のくれた上着があるのが、まことによい。
〔評〕 東國から越の國に旅して、白山おろしに旅の愁眼を破られながら、家なる妻の上着を身につけて、その情をし(317)のんだのである。
〔語〕 ○たく衾 栲で作つた衾。白にかかる枕詞。○白山風の 白山は加賀の白山といふ説が多い。次句との間に「寒きにつけては」などの意を補つて解する。○ねなへども子ろが 子ろを妻と解せず、まだ寐たことはないが、あのかはいい女が、と解く説もある。○おそき 襲ひ着る衣。表衣《うはぎ》のこと。○えしも 「えし」は善し。「こそ」の結びとしては「えき」となるはずで、これは方言的破格である。
 
3510 み空行く雲にもがもな今日行きて妹に言問《ことど》ひ明日歸り來《こ》む
 
〔譯〕 空をゆく雲でありたい。さうしたらば、今日空を飛んで國へ行つて妹と語りあひ、明日は歸つて來ようものを。
〔評〕 飛行自在な鳥や雲に羨みの情を馳せるのは、素朴な上代人には、極めて自然のことである。「五三四」の長歌にも「二六七六」の短歌にもある。しかも千二百年の後に、人間はみ空を行く雲と同じく、天空を飛行するやうになつたのである。
 
3511 青|嶺《ね》ろにたなびく雲のいさよひに物をぞ思ふ年のこの頃
 
〔譯〕 青々と繁つた嶺にたなびく雲のいさよふやうに、心が定まらずに物を思つてをる、この年頃を。
〔評〕 「一二二」の歌に似た趣であつて、東歌としては、洗煉せられた格調である。
〔語〕 ○青嶺ろ ろは接尾辭。○年の此頃 此の年頃といふに同じく、去年から今年にかけての意。
 
3512 一嶺《ひとね》ろに云はるものから青|嶺《ね》ろにいさよふ雲のよそり妻はも
 
〔譯〕 一つの嶺のやうに、一心同體の中であると口には云つてゐるものの、青々とした嶺にいさよふ雲のごとく、心(318)の定まらない、自分の思ひ妻はまあ。
〔評〕 「一嶺ろに」と云つて、「青嶺ろに」に對照させたところに技巧がある。
〔語〕 ○一嶺ろにいはるものから 一嶺ろは妹と我と親しくて、一つであること。いはるは言へるの方言形。○よそりづま 自分がすつかり心を引きよせられてゐる妻の意。
 
3513 夕さればみ山を去らぬ布雲《にのぐも》の何《あぜ》か絶えむと言ひし兒《こ》ろはも
 
〔譯〕 夕方になると山を去らずにたなびいてゐる布等のやうに、どうして中が絶えようぞと云うたあの女であつたがまあ。なぜ心變りをしたことか。
〔評〕 布雲をながめながら、たそがれゆく夕べに語りあつた日の甘美な思出に耽りつつ、現在を嘆いたもので、序が如何にも麗しい。
〔語〕 ○布雲 布のやうに長くたなびいてゐる雲。以上三句「絶え」の序。
 
3514 高き峰《ね》に雲の著《つ》く如《の》す我《われ》さへに君に著《つ》きなな高峰《たかね》と思《も》ひて
 
〔譯〕 高い峰に雲のかかりつくやうに、私も亦あなたに寄りつかうと思ひます。あなたを高峰と思ひ頼みまして。
〔評〕 愛人を慕ひ仰いで、すがり寄る女の情が、あたかも息をはずませたやうな小刻みの句法と、柔かなたわみを帶びた歌詞に、くつきりと浮んでをる。高峰を繰返して、「高峰と思ひて」と結んだ旋律がよい。
〔語〕 ○雲のつくのす 「のす」は「なす」に同じ。「の如くに」の意。○君につきなな 君に着かう。この「なな」は「三百〇八」等の用例と異なり、連用形につく。上の「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形、下の「な」は希望の助詞。てしまひたいの意。
 
(319)3515 我《あ》が面《おも》の忘れむ時《しだ》は國|溢《はふ》り峰《ね》に立つ雲を見つつ偲《しの》はせ
 
〔譯〕 遠くへおいでになつて、月日が立つて、私の顔が記憶から薄れた時には、國に溢れて峰に立つてゐる雲を見て、私を思ひ出して下さいませ。
〔評〕 防人に出ようとする愛人に贈つた作とおもはれる。雲を形見と眺めよというのである。今日から考へると異樣でもあるが、そこに上代人の幼さがうかがはれる。
〔語〕 ○しだ 時の意。○國溢り、國一面に。
 
3516 對馬《つしま》の嶺《ね》は下雲《したぐも》あらなふ上《かむ》の嶺《ね》にたなびく雲を見つつ偲《しの》はも
 
〔譯〕 對馬の嶺には、下の方にかかる雲はないのである。上の嶺にたなびいてをる雲を見ては、そなたを思ひ出すことにしよう。
〔評〕 對馬に行く防人の歌らしく思はれる。對馬の山のことは、前に行つた防人などから聞いてゐたものか。「わが面の」返歌と見られる。
〔語〕 ○對馬の嶺 對馬は西海道の對馬。○下雲あらなふ 下雲あらずに同じ。「なふ」は打消助動詞の終止形。
 
3517 白雲の絶えにし妹を何《あぜ》爲《せ》ろと心に乘りて許多《ここば》かなしけ
 
〔譯〕 中の絶えた女であるものを、何とせよとて、心にかかつて、こんなに甚だしく戀しう思はれることであらうか。
〔評〕 別れた女に對する未練を歌つて、音樂的に快い詞調である。
〔語〕 ○白雲の 絶えにつづく枕詞。○あぜせろと どうせよとて。○ここば ここだに同じ、甚しくの意。
 
(320)3518 岩の上《へ》にい懸《かか》る雲のかのまづく人ぞおたはふ、いざ寢《ね》しめとら
 
〔譯〕 岩の上にかかつてゐる雲が、上の沼にまで着いてをるが、そのやうに、人が我々の仲を言ひ騷ぐ。かうなつた上は、さあ共に度よう、女よ。
〔評〕 「伊香保ろに天雲い繼ぎかぬまづく人とおたはふいざ寢しめとら」(三四〇九)の類歌。
〔語〕 ○い懸る いは接頭辭。○かのまづく 「かぬまづく」と同じ。以下「三四〇九」參照。
 
3519 汝《な》が母に嘖《こ》られ吾《あ》は行く青雲のいで來《こ》吾妹子かひ見て行かむ
 
〔譯〕 そなたのおつかさんに叱られて、自分は歸つて行く。出て來なさい、自分のいとしい女よ。人目でも逢つてゆきたい。
〔評〕 女をつまどひに行つて、女の母に叱られ、すごすごと歸る男の歌。
〔語〕 ○こられ 罵られ、叱られ。「母にころばえ」(二五二七)參照。○青雲の 「いでこ」の枕詞。「一六一」參照。
 
3520 面形《おもかた》の忘れむ時《しだ》は大野ろにたなびく雲を見つつ偲《しの》はむ
〔譯〕 別れて久しくなつて、あなたの顔形が忘れられようとする時には、大野にたなびく雲を見つつ、あなたをなつかしみませう。
〔評〕 形見として眺めるもののないことを寂しがる上代人の即物的傾向を語るもの。
〔語〕 ○面形の 顔のやうすの意。「二五八〇」參照。「忘る」は「三三六二」「三五一五」參照。○大野ろ 「ろ」は接尾辭。
 
(321)3521 からすとふ大輕率鳥《おほをそどり》の眞實《まさで》にも來まさぬ君をころくとぞ鳴く
 
〔譯〕 鳥といふ大あわて者の鳥が、本當においでにならぬあなたであるものを、「兒ろ來《く》」と云うて鳴いてゐる。
〔評〕 野趣に滿ちた歌で、烏を惡鳥と見る考は、かういふ歌からもその源を發してをるのではなからうか。
〔語〕 ○大をそ鳥 「をそ」は從來虚言の義とされてゐたが、武田博士の、はやまる、あわてる、輕佻の義とされたのに從ふべきである。「六五四」參照。「烏といふ大をそ鳥の」の句は、靈異記中卷にも行基の作として見える。○まさでにも 實際にも。○ころくとぞなく 烏の鳴聲を「ころく」と聞きなしたもの。兒ろ來は、彼の君が來るの意。白文「許呂久」で、許の字は常に兒に用ゐないが、東歌には例があるので兒ろ來と解する。
 
3522 昨夜《きそ》こそは兒ろとさ宿《ね》しか雲の上《うへ》ゆ鳴き行く鶴《たづ》の間遠《まとほ》く思ほゆ
 
〔譯〕 愛人と寢たのは全く昨夜のことであつた。それであるに、雲の上を鳴いて行く鶴の遠くなるやうに、時久しくなつたやうに思はれることよ。
〔評〕 戀をする者の常情を、上品な序を挿んで歌つたもの。
 
3523 坂越えて安倍《あべ》の田の面《も》に居《ゐ》る鶴《たづ》のともしき君は明日《あす》さへもがも
 
〔譯〕 坂を越えて行く安倍の田の面に居る鶴のやうに、愛らしく慕はしいあなたは、今夜のみでなく、明日も通うておいで下さればよいがなあ。
〔評〕 飽かぬ熱情を、優雅な序を用ゐて歌ひなした作。
〔語〕 ○安倍の田の面 安倍は「駿河なる阿倍の市道」(二八四)と同地とすれば、今の靜岡市附近。
 
(322)3524 眞小薦《まをごも》の節《ふ》の間《ま》近《ちか》くて逢はなへば沖つ眞鴨《まかも》の嘆《なげき》ぞ吾《あ》がする
 
〔譯〕 薦の節の短いごとく、間近く見るばかりで、戀しいそなたに逢はないので、沖の眞鴨のするやうに歎息ばかりをすることよ。
〔評〕 二箇所にまで序を用ゐてをり、東歌として潤色された歌。その取材には豐かな野趣がある。
〔語〕 ○まを薦の 「ま」「を」共に接頭辭。○ふの間近くて ふは編目と編目との間、今いふ目にあたる。「ふの」までは間近くにかかる序。間近くては、女の住むあたりと遠からぬをいふ。○逢はなへば 逢はねばに同じ。○沖つ眞鴨の 嘆きにかかる序。鴨が水に入つてゐて、浮び上つては長い息をはくによせていふ。
 
3525 水久君《みくく》野に鴨の匍《は》ほ如《の》す兒《こ》ろが上《うへ》に言《こと》をろ延《は》へて未《いま》だ宿《ね》なふも
 
〔譯〕 みくく野に鴨が匍ふやうに、あの女には言葉をかけたばかりで、まだ寢ないことである。
〔評〕 戀をとげずして惱む男の作。晦澁で、土のにほひが滿ちてをる。
〔語〕 ○みくく野 地名と思はれる。水漬野で、卑濕の意との説(論究)もある。○言をろ延へて 「ろ」は間投の助辭。延へては、匍はせて、ゆきわたらせての意。
 
3526 沼二つ通《かよ》は鳥が巣《す》我《あ》がこころ二行《ふたゆ》くなもと勿《な》よ思《も》はりそね
 
〔譯〕 沼を二つかけて通ふ水鳥の巣のやうに、自分の心が二心あるのだらうと思つてゐては下さるな。
〔評〕 沼の多い地方に住む男の作と思はれる。面白い自然觀照が譬になつてをる。
〔語〕 ○沼二つ通は鳥が巣 二つの沼をあちらこちらと通ふ鳥の巣のやうにの意。下の二ゆくにかかる序。「が巣」(323)を「なす」の訛として、鳥のやうにと解く説もある。○二ゆくなもと 二ゆくらむに同じ。二心があるのだらうと。○なよもはりそね 「な」は禁止の助詞、「よ」は助詞。「よもはり」で「思へり」の訛とする説もある。
 
3527 沖に住も小鴨《をがも》のもころ八尺鳥《やさかどり》息づく妹を置きて來《き》のかも
 
〔譯〕 沖に住んでゐる小鴨のやうに、吐息をついて別れを悲しむ妻を、家に殘して置いて來たことであるよ。
〔評〕 小鴨のやうに可憐な妻に別れて、家より立ち出でた男の歌。素朴にして、感緒の高い作である。
〔語〕 ○住も 住むの東語。○もころ 如くの意。「三四八六」參照。○八尺鳥 八尺は「八尺のなげき」(三二七六)の如く、息の長い意に用ゐたもの。ここでは鴨をいふ。息づくにかかる枕詞。○きの きぬの訛。
 
3528 水鳥の立たむよそひに妹のらに物いはず來《き》にて思ひかねつも
 
〔譯〕 水鳥の飛び立つやうに、出立の旅よそひの騷ぎに、愛人に別れの言葉もしみじみ云はずに來て、悲しみに堪へられぬことよ。
〔評〕 防人の嘆きの聲である。卷二十なる防人の歌「水鳥のたちの急ぎに」(四三三七)に似てをる。また上の「あり衣のさゑさゑ鎭み」(三四八一)とも似たものがある。
〔語〕 ○よそひに 準備の意。装ひに同じ。○妹のら 妹なねに同じ。愛稱の語尾を附したもの。
 
3529 等夜《とや》の野に兎《をさぎ》窺《ねら》はりをさをさも寢なへ兒《こ》ゆゑに母に嘖《ころ》ばえ
 
〔譯〕 とやの野で兎《をさぎ》をねらつてゐて、その、をさをさ寢もせぬ女のために、あの女の母に叱られ追ひたてられて。
〔評〕 狩獵人らしいいひ振りで、苦笑ひをしつつ引あげて行く男の姿が浮んで來る。
(324)〔語〕 ○とやの野 岩代國信夫郡にあるが、明かでない。○兎ねらはり 「ねらへり」の訛。兎を窺つてゐる。以上二句は序。同音の反覆で、「をさぎ」を「をさをさ」にかけたもの。○をさをさ 十分に、殆ど、あんまりの意。常に下に打消が伴なふ。○寢なへ兒ゆゑに 寢ない女の爲に。○ころばえ 叱られ。
 
3530 さを鹿の伏《ふ》すや叢《くさむら》見えずとも兒《こ》ろが金門《かなど》よ行かくし好《え》しも
 
〔譯〕 さ牡鹿が伏す叢は、鹿の姿が見えぬ。そのやうに、姿は見えないでも、女の家の門のあたりを通るのは、よいもので、何となく通りたい。
〔評〕 戀しい女の姿は見えずとも、その門前でも通りたいと云ふのである。序が巧妙で、調子輕快である。
〔語〕 ○伏すや やは間投助詞。○金門よ 金門は門。「一七三九」參照。「よ」は、を通つて。
 
3531 妹をこそあひ見に來《こ》しか眉曳《まよびき》の横山|邊《へ》ろの鹿猪《しし》なす思《おも》へる
 
〔譯〕 自分は、女を見に來たのである。それであるに、自分をば、横山あたりの田畑を荒らす鹿猪のやうに、女の家の者が思つてをることよ。
〔評〕 女に逢ひに來て、その母などに手痛く叱りつけられたのを憤つた歌。しかし、一方から見れば、垣根を越えても侵入しかねまじい當時の若い男を、かく警戒するのも當然であつて、作者みづから自己を評し得て、妙と云はねばならぬ。
〔語〕 ○眉曳の 眉曳は眉のこと。「九九四」參照。ここは横に長い意で、次句の枕詞としたもの。○横山邊ろ 横に長い丘陵の意で、地名ではなからう。「ろ」は接尾辭。
 
(325)3532 春の野に草|食《は》む駒の口|息《や》まず吾《あ》を偲《しの》ふらむ家の兒ろはも
 
〔譯〕 春の野に草をたべてゐる馬が、口をやすめぬやうに、絶えず口に出し噂をして、自分のことをなつかしくしのんでをるであらう家の妻はまあ。
〔評〕 旅に出た男が、春の野で草を食む駒を眺めて詠んだものであらう。眼前の光景そのままを用ゐた譬喩に、自然天眞の妙があつて、技巧の企及しがたい趣である。
 
3533 人の兒の愛《かな》しけ時《しだ》は濱渚鳥《はますどり》足惱《あなゆ》む駒の愛《を》しけくもなし
 
〔譯〕 女が戀しい時は、濱の渚を歩む鳥のやうに、歩き惱む私の馬がかはいさうとも思はぬ。無理に歩かせて、女の所へ急いで行くことである。
〔評〕 ひたぶるに戀の熱情を語つて、濱渚鳥足惱むの云ひざまも巧みである。遊仙窟の「若使2人心密1。莫v惜2馬蹄穿1。」も對照されよう。〔語〕 ○かなしけしだは 戀しい時は。○濱渚鳥 濱の渚を歩む鳥が足を踏みこみ歩き惱む意から、足惱むの枕詞としたもの。○をしけくもなし かはいさうとは思はぬ。
 
3534 赤駒が門出《かどで》をしつつ出でかてに爲《せ》Lを見立てし家の兒らはも
 
〔譯〕 自分の乘つてをる赤駒が、門を出る時に、いかにも出にくさうにしてゐたのを、悲しげに立つて見送つた家の妻はまあ。
〔評〕 悲しい別離を追想して、家なる妻をいとほしんだもの。赤駒も心ありげに行き澁つた門出の樣が哀である。
 
(326)3535 己《おの》が男《を》を凡《おほ》にな思ひそ庭に立ち笑《ゑ》ますがからに駒に逢ふものを
 
〔譯〕 自分の男をおろそかには思ひ給ふな。庭に立ち出て、そなたがにつこりなさると、それだけですぐにそなたの前に自分の馬が現はれるのだから。
〔評〕 女の笑顔が見たくて、何かといへば飛んで行きたく思ふ心を、あはれと思へと云ひ贈つたものかと思ふが、第五句がおだやかでない。しかし、そのたどたどしく晦澁なのは、未熟の故でもあらう。
〔語〕 ○己が男を 御自分の男をば、わたしをばの意。古義は、女の歌として、わたしの夫よとのよびかけと見、下に、私をの意を補ひ解する。全註釋は、崇神記の歌によつて「己が命を」と解してゐる。
 
3536 赤駒を打ちてさ緒牽《をび》き心引《ひ》きいかなる背《せ》なか吾《わ》がり來《こ》むといふ
 
〔譯〕 赤駒を打つて手綱を引き、私の心を引いて、私のところへ來ようとおつしやいますのは、どういふお方ですか。
〔評〕 私の心を引いて戀を求めておいて、やがて通うて來ようとおつしやるのは、どなたでせうか。あなたは口さきばかりであてになりませぬ、とたしなめた歌。
〔語〕 ○さ緒 「さ」は接頭辭、緒は手綱。○心引き 心を引き誘ひの意。男が女をと一般に解してゐるが、この歌を媒介者にいふ語とし、この句は媒介者あなたがと解する説(論究)がある。
 
3537 垣越《くへご》しに麥|食《は》む小馬《こうま》のはつはつに相見し子らしあやに愛《かな》しも
     或本の歌に曰く
   馬桐《うませ》越《ぎ》し麥|食《は》む駒のはつはつに新膚《にひはだ》觸《ふ》れし兒《こ》ろし愛《かな》しも
 
(327)〔譯〕 垣越しに麥を食ふ小馬のやうに、ちよつと逢つた女が、不思議にかはゆいことよ。
〔評〕 「馬柵越しに麥喰む駒の富らゆれど」(三〇九六)の序に似て、農民らしい觀察である。
〔語〕 ○くへ越しに麥食む小馬の 垣の間から首を出して麥を食べてゐる小馬が、辛うじてわづかに食べる意で、はつはつの序とした。○はつはつに やうやく僅かに。○馬柵 馬屋の横にある垣。○新肌ふれし 新枕せしの意。
 
3538 ひろ橋を馬越しがねて心のみ妹《いも》がり遣《や》りて吾《わ》は此處《ここ》にして【或本の歌、發句にに曰く、を林に駒をはきさけ】
 
〔譯〕 ひろ橋を馬が越しかねて、渡ることが出來ず、心だけを女のもとへ通はせて、自分は此處にをつて思うてゐる。
〔評〕 馬に乘つて愛人のもとに通ふ男が、馬の渡りかねる橋のもとになづんで、心のみあせる樣を詠んだのである。
〔語〕 ○ひろ橋 尋橋で廣さ一ひろばかりの細き橋(代匠記)、その他諸説がある。廣い橋であるに、それに、の意に解してもよい。○はささけ はさせ上げ。はさせは、馳せさせ、走らせ。「三五四二」參照。あばれ馬を乘り入れたものと思はれる。
 
3539 崩岸《あず》の上《うへ》に駒を繋《つな》ぎて危《あや》ほかど他妻兒《ひとづまこ》ろを息《いき》に我がする
 
〔譯〕 くづれやすい斷崖の上に駒を繋いでおくやうに、危いけれども、人妻であるあの女を、自分の命と自分は思うてゐることよ。
〔評〕 序が的確巧妙、力強い表現の歌である。五句は「四二八一」のたぐひといへる。
〔語〕 ○あず くづれさうな崖。○危ほかど 危ふいけれども。○息に我がする 自分の生命にかかはるものと思ふ。
 
3540 左和多里《さわたり》の手兒《てこ》にい行き遇《あ》ひ赤駒が足掻《あがき》を速《はや》み言《こと》問《と》はず來《き》ぬ
 
(328)〔譯〕 さわたりの女に途中で行き遇うたけれども、赤駒の歩き方が早いので、物も言はずに別れて來てしまつた。
〔評〕 美人の噂の高いさわたりの里の女に行き遇ひながら、馬の歩みが早くて詞をかけ得ず、あとで殘念がつてゐるのである。田園の情景も浮ぶ面白い作。
〔語〕 ○左和多里 地名。所在不明。佐檜の隈の如くさは接頭辭で、わたりといふ地名か(古義)。
 
3541 崩岸方《あずへ》から駒の行《ゆ》こ如《の》す危《あや》はども人妻《ひとづま》兒《こ》ろをまゆかせらふも
 
〔譯〕 斷崖の方を通つて駒が行くやうに、危いけれども、人妻であるあの女をゆかしく思ふことである。
〔評〕 「崩岸《あず》の上に駒を繋ぎて」(三五三九)と同趣で、東語の特色が著しい。
〔語〕 ○まゆかせらふも 「ま」は接頭辭とし、「ゆかしぐせる」とする解(略解)が有力であるが、試みにいはば、「目《ま》ゆか反《せ》らふも」で、かは疑問の助詞、「せらふ」は「せらしめ」(三四三七)と關係ある語で、目から反れ離れることか、離れはせぬの意とも思はれる。
 
3542 細石《さざれいし》に駒を馳《は》させて心|痛《いた》み吾《あ》が思《も》ふ妹が家の邊《あたり》かも
 
〔譯〕 小石原に駒を走らせて、馬の蹄を傷つけはせぬかと心を痛めるやうに、心を痛めて自分が思ふ女の家のあたりであることよ。
〔評〕 二三句、いかにも農人らしい思ひやりのある序。作者が女の家をさして駒を馳せながら、その馬の上で詠んだものであらうと想像されるほど、四五句への連なりがつきづきしい。
〔語〕 ○馳させて 馳せさせて。以上二句、馬の足を痛めることから、心痛みにかける序。
 
(329)3543 むろがやの都留《つる》の堤の成りぬがに兒ろは言《い》へども未だ寢なくに
 
〔譯〕 都留の堤の工事が出來あがつた如く、二人の戀が成就したやうにあの女はいふけれども、まだ寢ぬことよ。
〔評〕 都留の堤の新たに成つたのを序にとり用ゐたのが面白い。
〔語〕 ○むろがやの 地名と思はれる。○都留の堤 都留は地名。甲斐國都留郡都留郷か。
 
3544 阿須可河《あすかがは》下《した》濁れるを知らずして背《せ》ななと二人さ宿《ね》て悔《くや》しも
 
〔譯〕 あすか河の底が濁つてゐるやうに、下の濁つた二心を持つてゐられるとは知らないで、あなたと二人で寢たのは悔しいことであるよ。
〔評〕 男の移り氣を恨んで、激しい敵意を含んでをる。古今六帖に「とね川は底はにごりてうはずみてありけるものをさねてくやしも」は、これに依つたもの。
〔語〕 ○阿須可河 大和の飛鳥河といふ説が多いが、東國にもあすか川といふ川があつたものとも思はれる。○背なな 背なねと同じく、男を親しんでいふ語。
 
3545 安須可《あすか》河|塞《せ》くと知りせば數多夜《あまたよ》も率寢《ゐね》て來《こ》ましを塞《せ》くと知りせば
 
〔譯〕 二人の間を塞《せ》くと知つてゐたならば、幾夜も連れ出していつて、寢て來たであらうものを。塞くと知つてゐたならば。
〔評〕 二句と結句との繰返しが如何にも殘念さうで、作者の眞劍な怨嗟の聲が聞かれる。
〔語〕 ○あすか河 塞くの枕詞。○塞く 流れを、行くことを妨げる、せきとめる。
 
(330)3546 青楊《あをやぎ》のはらろ川門《かはと》に汝《な》を待つと清水《せみど》は汲《く》まず立所《たちど》平《なら》すも
 
〔譯〕 楊の枝が芽を張り出した川の渡し場で、あなたをお待ちしてをるとて、汲みに來た清水は汲まないで、待ちこがれる心から、立つてをる場所を踏みならしてをりました。
〔評〕 青楊が鮮かな芽を吹いた、早春の河のほとりで、水を汲みに來た少女が、愛人の來るのを待ちわびてをる。水を汲むのも忘れて、いらだち心地で、頻りに足もとの土を踏んでをるのである。可憐な田園の戀愛の一場面が浮んで來る。
〔語〕 ○はらろ 張れるの東國方言。芽を張つたの意。○せみど しみづの東語。○立所ならすも 待ちこがれてあちらに行きこちらに行き、地を平にするまで踏むの意。
 
3547 味鳧《あぢ》の住む須沙《すさ》の入江の隱沼《こもりぬ》のあな息衝《いきづ》かし見ず久にして
 
〔譯〕 あぢ鴨の住む須沙の入江の隱沼が草にうもれてうつたうしいやうに、心も晴れずうつたうしく、ああ嘆かはしいことである、久しく逢はないで。
〔評〕 「隱沼の」を「いぶせき」の序に用ゐた歌は多い。いぶせき故に「あな息づかし」の詠歎となる。序からの連なりに飛躍があるやうで、實は自然なのが面白い。
〔語〕 ○あぢの住むすさの入江 「二七五一」のは紀伊有田郡であるが、この歌のは東國であらう。以上三句序。
 
3548 鳴瀬《なるせ》ろに木屑《こつ》の寄《よ》す如《な》すいとのきて愛《かな》しけ夫《せ》ろに人さへ寄《よ》すも
 
〔譯〕 音を立てて流れる瀬に木屑が寄るやうに、たださへ格別にかはゆいあの人に、ほかの人までも言ひ寄せ言ひた(331)てるので、ますますなつかしく思はれることよ。
〔評〕 さうでなくとも戀しいのに、人さへ評判をするのでいよいよ懷かしいといふのである。明るくなごやかな歌。
〔語〕 ○鳴瀬ろ 流の音の高くひびく瀬。ろは接尾辭。地名ではあるまい。○いとのきて 一層に。
 
3549 多由比潟《たゆひがた》潮滿ちわたる何處《いづ》ゆかも愛《かな》しき夫《せ》ろが吾《わ》がり通はむ
 
〔譯〕 多由比潟に潮が一面に滿ちて來た。何處からまあ、私の愛する夫が、私のもとへ通うておいでなさるであらう。
〔評〕 夫の通ひ路が無くなつたのを嘆いた純情の聲。
〔語〕 ○多由比潟 「三六六」の「手結が浦」は越前で、地形からもふさはしくない。○いづゆかも 何處からかまあ。
 
3550 押して否《いな》と稻は舂《つ》かねど波の穗のいたぶらしもよ昨夜《きそ》ひとり宿《ね》て
 
〔譯〕 無理にいやとて、私は稻を舂くのではありませんが、私の心は今あなたのいふことをきくことはできませぬ。昨夜あなたがおいでなさらずに一人寢ましたので。
〔評〕 男の誘ひに對して、女は稻をつきながら、前夜の獨寢の恨をのべ、すねて、にはかには應じない歌。農村の情景も浮んでくる。表現は古趣をおびて巧妙、いね、いな、いたぶらしと、音樂的快感のある歌調。
〔語〕 ○押して否と 強ひて厭との意。○浪の穗の 浪の高く立つた浪がしら。枕詞であるが、或は海邊の農村で浪の音なども聞えてゐたやうに思はれる。○いたぶらし 甚振らしで、「二七三六」の「いたぶる浪」は浪の動搖すること、ここは心の動搖するのをいうたのである。
 
3551 味鎌《あぢかま》の潟《かた》にさく波|平瀬《ひらせ》にも紐解くものかかなしけを措《お》きて
 
(332)〔譯〕 平瀬のやうな淺はかな他の男に紐を解きますものか、味鎌の潟に立つ、あの波のやうな立派なあなたをさしおいて。
〔評〕 愛人に誓つた女の歌。上二句にまづ愛人をなぞらへる句を置き、その波に對照させて平瀬と云ひ、それに他の男を象どりいうた手法が珍らしい。
〔語〕 ○味鎌 所在不明。「二七四七」の味鎌は近江であるが、それとはちがふ。○さく波 花のさくやうに白く美くしく見える波。「白波のいさきめぐれる」(九三一)。○平瀬 流の平らかな瀬。平凡な男の譬。一二句はかなしけの形容句で、愛する男に譬へたもの(代匠記)。
 
3552 松が浦に驟《さわ》ゑうらだち眞他言《まひとごと》思ほすなもろ我《あ》が思《も》ほ如《の》すも
 
〔譯〕 松が浦に浪が騷いで群がり立つやうに、かしましい人言を、あなたはうるさく思し召していらつしやることでせう、私が思ひますやうに。
〔評〕 東語の特色の著しい歌であるが、その鄙ぶりの中に、優しくしなやかな女の面影がほのめいてをる。
〔語〕 ○松が浦 地名。所在不明。磐城國相馬郡松が浦か。○さわゑうらだち 波のさわぎむらだつの義。うらは群の訛といふ古義の説がよい。○まひとごと まは接頭辭。他人のいふ言葉。○思ほすなもろ 思ほすらむよの意。思ほすの上に、うるさくの意を加へて解すべきところ。○我がもほのすも 私が思ふ如くにも。
 
3553 味鎌の可家《かけ》の水門《みなと》に入る潮の言《こて》たずくもか入りて寢まくも
 
〔譯〕 味鎌のかけの湊に入る潮のやうに、世間の人がいろいろ口に出してくることよ。そんなことよりも、入つて寢たいことよ。
(333)〔評〕 人言を恐れながらも、女に逢ひたいといふのであると思はれるが、難解の歌である。
〔語〕 ○味鎌のかけの湊 所在不明。○入る潮の 以上三句序。○こてたずくもか こてはこと(言)の訛。たずは出しの訛。くもかは來もで、かは詠歎。言を出し來ることよまあの意と解する。來《こ》でただに過ぐべきものかといふ説(久老)もある。
 
3554 妹が寢《ぬ》る床《とこ》のあたりに石泳《いはぐく》る水にもがもよ入りて寢まくも
 
〔譯〕 思ふ女の寢てゐる床のあたりに――岩の下をくぐる水にでもなりたい――もぐりこんて寢ようものを。
〔評〕 露骨で野鄙な歌。田舍人の考へさうな穿つたいひざまが、滑稽である。
 
3555 眞久良我《まくらが》の許我《こが》の渡《わたり》のから楫《かぢ》の音高《おとだか》しもな寢《ね》なへ兒《こ》ゆゑに
 
〔譯〕 まくらがのこがの渡の船のから楫の音のやうに、評判が高いことよ、共寢しない女であるのに。
〔評〕 歌詞暢達、句法明快。「紀の海の名高の浦に寄する浪音高きかも逢はぬ子故に」(二七三〇)と同巧である。
〔語〕 ○眞久良我の許我の渡 許我は今の下總の古河ならば、利根川の渡である。○から楫 和漢朗詠集の順の詩に「唐櫓高推入水煙」とあるのを引き、唐風の楫といふ説(代匠記)、碓、傘、犂などの如く柄のある楫といふ説(古義)とがある。
 
3556 潮船《しほぶね》の置かればかなしさ寢つれば人言《ひとごと》しげし汝《な》を何《ど》かも爲《し》む
 
〔譯〕 そのままに置いておけばいとしい。共寢をしてしまへば人言がうるさい。そなたをどうしたらばよからうか。
〔評〕 迷うて決せぬ心を詠んだもの、結句の歎聲もかはれである。
(334)〔語〕 ○潮船の 枕詞。潮に浮ぶべき船を海濱に竝べ置く意。○置かれば 置ければの訛。○なをどかもしむ 汝を何とかもせむの意。
 
3557 惱《なやま》しけ人妻《ひとづま》かもよ漕ぐ船の忘れは爲《せ》なな彌《いや》思《も》ひ増すに
 
〔譯〕 自分の心を苦しめて惱ましき人妻であるよまあ。こぐ船の中にあるやうに、忘れることはできないで、いよいよ思ひが増すのに。
〔評〕 忘れむとして忘られぬ人妻に對する戀が、惱ましげに歌はれてをる。
〔語〕 ○惱ましけ 惱ましきの訛。○漕ぐ船の 枕詞風に用ゐられてをる。こぐ船の中にあつては、寸時も船中にあることを忘れ得ないからであらうといふ解(全釋)によつた。或は、前後の歌から考へて、かつて人妻と共に渡し船などに乘つた思ひ出があるので、いや思ひますというたのであらうか。○忘れはせなな ななは「三四〇八」參照。忘れはしないで。
 
3558八 逢はずして行かば惜しけむ眞久良我《まくらが》の許我《こが》漕ぐ船に君も逢はぬかも
 
〔譯〕 逢はないで行くならば、口惜しいであらう。此のまくらがの許我を漕いでゐる船に、そなたが出會つてもくれないものか。どうか出會つてくれればよい。
〔評〕 船で旅に出ようとする男が、愛人に逢へなかつたので、せめて船中からでも見たいといふのである。
 
3559 大船を舳《へ》ゆもも艫《とも》ゆも堅《かた》めてし許曾《こそ》の里人|顯《あらは》さめかも
 
〔譯〕 大船を舳からも艫からも綱で結び堅めるやうに、自分が堅く口約束をして、もらさぬと誓はせたあのこその里(335)の人は、他人にいひあらはさうか、決して人にいふまいと安心してゐる。
〔評〕 許曾の里の女のもとへ、ひそかに通ふ男の歌。港内に碇泊してをる大船の物々しい樣をとつて序にしたところ、海村の人の作らしい。
〔語〕 ○許曾 地名。所在未詳。○顯さめかも 顯さうか、顯しはしまい、の意。
 
3560 眞金《まかね》吹く丹生《にふ》の眞朱《まそほ》の色に出《で》て言はなくのみぞ我《あ》が戀ふらくは
 
〔譯〕 鐵を吹き分けて鑄る丹生の山の赤色の土の――顔色に出して言はないだけであるよ。自分がそなたを戀しく思つてゐることは。
〔評〕 「二七二五」に類歌はあるが、技巧的な歌である。序句の「眞金吹く丹生の眞朱」が特異であつて、文化史的にも興味がある。
〔語〕 ○丹生 諸所にある地名であるが、ここは上野國北甘樂郡丹生村であらう(上野歌解)。
 
3561 金門田《かなとだ》をあらがきまゆみ日が照《と》れば雨を待《ま》と如《の》す君をと待《ま》とも
 
〔譯〕 門の前の田を新たにすきかへしたに、干われるほど日が照ると、雨の降るのをひたすら待つことであるが、そのやうに私はあなたをお待ちしてゐます。
〔評〕 日照りによつて新掻をした門田の土が干割れるのを序にしたところ、いかにも農家の娘らしい著想である。
〔語〕 ○金門田 門田。かなとは「三五三〇」參照。○あらがきまゆみ 難解の句であるが、本居大平が、伊勢の方言を證と七て説いたのによつた。代匠記には、門田の方を思ふ男が來るかと、荒垣の間から見るの意として、三四句のみを序とする、とある。○とれば 照ればの訛。
 
(336)3562 荒磯《ありそ》やに生《お》ふる玉藻のうち靡き獨や宿《ぬ》らむ吾《あ》を待ちかねて
 
〔詳〕 荒磯に生えてをる玉藻のやうに、長々と靡き臥して、獨で寢てゐることであらうか、自分を待ちかねて。
〔評〕 女のもとに通ふことの出來ないある夜、男が、女のなよやかな獨寢の姿を想像した歌。
〔語〕 ○荒磯やに やはただ添へた(間投助詞)と思はれる。谷《や》、即ちくぼみといふ説(論究)もある。
 
3563 比多潟《ひたがた》の磯の若布《わかめ》の立ち亂《みだ》え吾《わ》をか待つなも昨夜《きそ》も今夜《こよひ》も
 
〔譯〕 比多渇の磯のわかめの立ち亂れるやうに、思ひ亂れて自分を待つてゐるであらう、昨夜も今夜も。
〔評〕 波にもまれる若布を序にしたのが清新である。
〔語〕 ○比多渇 地名。所在未詳。○磯の若布の ここまで序。○立ち胤え 立ち亂れの訛。心をみだしての意。○待つなも 待つらむの訛。
 
3564 小菅《こすげ》ろの浦吹く風の何《あ》ど爲爲《すす》か愛《かな》しけ兒ろを思ひ過《すご》さむ
 
〔譯〕 小菅の浦を吹く風が過ぎるやうに、どうしたらば、愛する女を思ひ忘れて過ぎることができよう。
〔評〕 戀の苦痛のあまりに、何とかして思ひ忘れたいといふのである。
〔語〕 ○小菅ろ 「ろ」は接尾辭。小菅は地名。今の東京都千住の東の小菅といふ説(考)がある。小菅の末《うら》として地名に見ぬ説(久老)もある。○あどすすか 何としつつか(古義)。何をしながら。
 
3565 彼《か》の兒ろと宿《ね》ずやなりなむはだ薄《すすき》宇良野《うらの》の山に月《つく》片寄《かたよ》るも
 
(337)〔譯〕 あの女と今夜は寢ずにしまふことであらうか。うら野の山に月がもはや傾いてゐることよ。
〔評〕 女の家に逢ひに來て、戸外にたたずむうちに月が傾いたのを歎じたもの。圓熟の句法に萬感をこめてをる。
〔語〕 ○はだ薄 枕詞。薄の茂つてをると下に續く(新考)。○うら野 信濃國小縣郡浦野町の山か。○つく 月の訛。
 
3566 吾妹子《わぎもこ》に我《あ》が戀ひ死なばそわへかも神に負《おほ》せむ心知らずて
 
〔譯〕 戀人に戀ひこがれて、自分が戀ひ死んだならば、人はやかましくいひ騷いで、神樣の祟りであると云ふであらう。自分の心も知らないで。
〔評〕 神罰で死んだといはれるのを恐れた歌で、上代人らしい敬神の念がうかがはれる。伊勢物語の「人しれず吾が戀ひ死なばあぢきなくいづれの神になき名負せむ」は、これによつたもの。
〔語〕 ○そわへかも 難解な句で諸説があるが、そわへを「さばへ(五月蠅)」の訛とみる代匠記の説にしばらく依る。なほ後考をまつべきもの。
〔訓〕 ○かみ 白文「加未」。西本願寺本等による。通行本には「加米」とある。かめとしても、かみの訛と考へられる。
 
   防人《さきもり》の歌
 
(338)3567 置きて行《い》かば妹はまかなし持ちて行く梓の弓の弓束《ゆつか》にもがも
 
〔譯〕 妻を家に置いていつたらば、妻のことが戀しく思はれる。自分の持つて行く梓弓の弓束であるとよいがなあ。さうであつたらば、離さずにゐることができよう。
〔評〕 持つて行く梓の弓の弓束のやうに、しつかりと妻を握りしめて行きたいといふ愛情は、人をして泣かしめるものがある。格調はうちあがつて、哀韻のひそんでをる敍情詩である。
〔語〕 ○まかなし まは接頭辭。愛らしの意。○弓束 弓の握革のところ。
 
3568 おくれ居て戀ひば苦しも朝狩《あさがり》の君が弓にもならましものを
     右の二首、問答。
 
〔譯〕あなたのお立ちになつたあとに殘つて戀しう思うてゐるのだとすれば、どんなにか苦しいことであります。朝狩においでになる時のあなたの弓にでもなりたいものです。
〔評〕 いささかのすきもなく、うるはしく可憐に受けかへした和《こた》へで、相竝べうち誦して哀れが深い。
 
3569 防人に立ちし朝けの金門出《かなとで》に手放《たばな》れ惜しみ泣きし兒らはも
 
〔譯〕 自分が防人に召されて立つた朝の門出の時に、別れを惜んで泣いた妻はまあ。
〔評〕 かたく取り交した手を離したに、可憐な妻は聲をあげて泣いた。それを見捨てて立ち出でた若き防人の追想、千載の後にも人の胸を打つ。
〔語〕 ○金門出 門出 ○手放れ惜しみ 手を放ち別れるのを惜んで。
 
(339)3570 葦《あし》の葉に夕霧立ちて鴨が音《ね》の寒き夕《ゆふべ》し汝《な》をは偲《しの》はむ
 
〔譯〕 海邊に茂つてをる葦の葉に夕霧が立つて、鴨の鳴く聲の寒い夕方には、自分はそなたのことをなつかしく偲ぶことであらう。
〔評〕 行くべき方の旅の夕べ、難波わたりの海邊で、愛人への思慕の切なるを豫想したもの。詞調清澄、防人の作には珍らしい精錬の手なみである。
 
3571 己妻《おのづま》を他《ひと》の里《さと》に置きおほほしく見つつぞ來ぬる此の道の間《あひだ》
 
〔譯〕 自分の妻を他の里に置いたままで、心もおぼつかなく、その里の方を眺めながら來たことよ、この道の間を。
〔評〕 妻は離れた里においてあつたので、出立にあたつて別れを惜しむことも出來ず、はるかに妻の住む里をよそに眺めつつ來たと云ふのである。哀れな歌。
 
   譬喩歌《ひゆか》
 
3572 何《あ》ど思《も》へか阿自久麻《あじくま》山のゆづる葉の含《ふふ》まる時に風吹かずかも
 
〔譯〕 何と思うて、女にいふに早すぎるなどいふのか。あじくま山のゆづる葉がまだよく開かずにゐる時に、風が吹(340)かないことがあらうか。女に外からいひいれることもあろう。まだ若くとも、自分が言ひ寄るにさしつかへはあるまい。
〔評〕 ゆづる葉の若葉を少女にたとへたのは、めざめるばかり清新な心地がする。
〔語〕 ○阿自久麻山 所在不明。常陸筑波郡小田村の山か(大日本地名辭書)○ゆづる葉 今ゆづり葉といふ。
 
3573 あしひきの山葛蘿《やまかづらかげ》ましばにも得がたき蘿《かげ》を置きや枯らさむ
 
〔譯〕 山の日蔭の蘿《かづら》は、しばしば得がたい蘿であるのに、それをむなしく取らずに置いて枯らさうか。容易に得られぬ美しい女を、そのままにしておくのは惜しい。
〔評〕 譬喩は斬新で適切、調もすつきりとしてをる。
〔語〕 ○ましばにも しばしばの意。「三四八八」參照。○得がたき蘿 美しい女の譬喩。
 
3574 小里《をさと》なる花橘を引き攀《よ》ぢて折らむとすれどうら若みこそ
 
〔譯〕 里の花橘の枝だを、手をからめて引いて折らうとするけれども、まだ若いので、折ることができぬ――女の年が若いので、自分のものにしがたいことよ。
〔評) 譬喩は隱れもなく、穩當の作。
〔語〕 ○を里なる をは接頭辭。地名ではあるまい。「四二七三」の「樂しき小里」參照。
 
3575 美夜自呂《みやじろ》の岡|邊《へ》に立てる貌《かほ》が花|莫《な》咲き出でそね隱《こ》めて偲《しの》はむ
 
〔譯〕 みやじろの岡べに立つてゐる貌花よ。花には咲き出るな。人に隱してなつかしんでゐよう。――美しい女よ。(341)二人の戀を顔色に出すな。ひそかに思ひ合つてゐよう。
〔評〕 詞調優雅で、前の歌と共に東歌らしい色調は淡い。
〔語〕 ○美夜自呂 所在不明。宮代の名は、諸所にある。○貌が花 容花と同じく晝顔であらう。「一六三〇」參照。
〔訓〕 ○をかへ 白文「緒可敝」細井本による。類聚古集等は「緒」を「須」、西本願寺本は「渚」とある。
 
3576 苗代《なはしろ》の子水葱《こなぎ》が花を衣《きぬ》に摺《す》り馴るるまにまに何《あぜ》かかなしけ
 
〔譯〕 苗代にはえてゐる子水葱の花を着物に摺りつけ染めて、着馴れるやうに、女と馴れ親しむにつれて、いよいよ慕はしくなるのは、何故であらうか。
〔評〕 馴れるにつれていや益す思ひを詠んだ趣は珍しくないが、苗代のこなぎが花が初々しく美しい。
〔語〕 ○子水葱 水中に生ずる一年生草本。「三四一五」參照。○かなしけ 愛らしの意(考)。
 
   挽歌《ばにか》
 
3577 愛《かな》し妹を何處《いづち》行かめと山|菅《すげ》の背向《そがひ》に宿《ね》しく今し悔《くや》しも
     以前の歌詞は、いまだ國土山川の名を勘へ知ることを得ず。
 
〔譯〕 愛らしい我が妻が何處へ行くものかと思つて、背を向けて寢たのが、妻の死んだ今になつて、悔しいことよ。
(342)〔評〕 類歌としては「吾背子を何處行かめとさき竹の背向に宿しく今し悔しも」(一四一二)がある。
〔語〕 ○山菅の 枕詞。山菅の葉が此方彼方にわかれて靡くを、そがひにねることに譬へたもの(代匠記初稿本)。
○以前の歌詞 考に、この註は後人の附記したものと述べてゐる。
 
萬葉集卷 第十四 終
 
昭和二十七年四月五日印刷
昭和二十七年四月十日發行  佐佐木信網全集第五卷(第六回配本)
評釋萬葉集 卷五           定價四百八拾圓
著者  佐佐木信網
發行者 吉川 晋
印刷者 村尾一雄
印刷所 大日本印刷株式會社
 東京都新宿區市谷加賀町一ノ一二
發行所 株式會社六興出版社
東京都中央區日本橋蠣殻町
 
(3)   萬葉集 卷第十五
 
(5)概説
 
 卷十四までの諸卷は、萬葉集の一部に總括せられる以前に、既にそれぞれ一部の歌集を成してゐたものと考へられるが、この卷十五は、もと二部の小歌集であつたものを、二十卷の中に編入する際に一括したのであらう。即ち目録に、
 天平八年丙子夏六月、遣2使新羅國1之時、使人等各悲v別贈答、及海路之上慟v旅陳思作歌竝當所誦詠古歌一百四十五首
 中臣朝臣宅守、娶2藏部女嬬狹野弟上娘子1之時、勅斷2流罪1配2越前國1也、於是夫婦相2嘆易v別難1v合、各陳2慟情1贈答歌六十三首
 とあるごとく、天平八年に新羅に遣された使人の詠じた新しい歌、誦した古い歌、百四十五首(長歌五首、旋頭歌三首、短歌百三十七首)及び、天平十年前後に、中臣宅守と狹野弟上娘子とが贈答した六十三首(すべて短歌}の二集であつたと考へられる。
 前半なる遣新羅使人の誦詠したものは、古歌十二首を除いた百三十三首は、すべて新詠と考へられ、大使の阿倍繼麿、副使の大伴三中、大判官の壬生宇太麿以下十餘人の作者が知られ、無署名のは同一人の作で、それがこの前半の筆録者であらうとの説があり、また短歌二首を殘した大伴三中が筆録したものであらうとの説もある。おそらくは、一行中の誰かの筆録とすべく、無署名のすべてが同人の作であるならば、當然、それを筆録者に擬すべきであるが、(6)果して同一人の作であるか否かは決定できない。また、往路は對島までの作と、歸路は播磨の家島での作五首とであつて、惜しいことは、新羅に於いての作の傳はらぬことである。
 後半、中臣宅守と弟上娘子との贈答歌六十三首(宅守四十首、娘子二十三首)を筆録したのは、宅守が赦免の後に書きととのへておいたのであらうか。
 しかして、この二集を合せ、左註をも加へたのは、家持であらう。卷十四以前が、何等かの基準によつて分類せられてゐるに對し、この卷は、詠作の順に書き留めたのみであり、卷十七と類似してゐる。
 次に、秀歌を掲げる。
  武庫の浦の入江のす鳥羽ぐくもる君を離れて戀に死ぬべし       作者未詳  三五七八
  君が行く海邊の宿に霧立たば吾が立ち嘆く息と知りませ        同     三五八〇
  わが故に思ひな痩せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ       同     三五八六
  海原を八十島がくり來ぬれども奈良の都は忘れかねつも        同     三六一三
  わが故に妹歎くらし風早の浦の沖邊に霧たなびけり          同     三六一五
  旅にあれど夜は火ともし居る我を闇にや妹が戀ひつつかるらむ     壬生宇太麿 三六六九
  天飛ぶや雁を使に得てしかも奈良の都に言告げ遣らむ         作者未詳  三六七六
  竹敷の玉藻靡かしこぎ出なむ君が御船をいつとか待たむ        娘子玉槻  三七〇五
  君が行く道の長路を繰り疊ね燒き亡ぼさむ天の火もがも        弟上娘子  三七二四
  かくばかり戀ひむとかねて知らませば妹をば見ずぞあるべくありける  中臣宅守  三七三九
  ひと國は住み惡しとぞいふ速けく早歸りませ戀ひ死なぬとに      弟上娘子  三七四八
  逢はむ日の形見にせよとたわやめの思ひ亂れで鍵へる衣ぞ       同     三七五三
(7)  魂はあしたゆふべにたまふれど吾が胸痛し戀の繁きに        同     三七六七
  歸りける人來れりといひしかばほとほと死にき君かと思ひて      同     三七七二
  旅にして物思ふ時に郭公もとな勿鳴きそ吾が戀まさる         中臣宅守  三七八一
  こころなき鳥にぞありける郭公もの思ふ時に鳴くべきものか      同     三七八四
  郭公間しまし置け汝が鳴けば吾が思ふこころいたもすべなし      同     三七八五
 この卷の用字法は、一音一字式が大部分で、百二十餘首に及び、その他の歌には、正訓、借訓などを混じてゐるが、戯書などはない。
 
(9)萬葉集 卷十五
 
     新羅に遣さえし使人等、別を悲しみて贈答し、また海路に情を慟《いた》み思を陳《の》べ、并に所に當りて誦詠《うた》へる古歌
 
3578 武庫《むこ》の浦の入江の渚鳥《すどり》羽《は》ぐくもる君を離れて戀に死ぬべし
 
〔題〕 天平八年六月、新羅に遣はされた使人等が詠んだ歌、うたつた古歌をあつめしるしたものである。
〔譯〕 武庫の浦の入江の渚にをる水鳥が、親鳥の羽で包まれてやさしくされるやうに、私をやさしくいたはつて頂いたあなたが、遠い新羅への旅においでになつては、あなたの戀しさゆゑに、戀ひ死んでしまひさうに思ひます。
〔評〕 一行中の一人の妻が、夫の遠く旅立つて行くを悲しんだ作で、武庫の海は使人等の船出をする港、適切な譬喩と簡淨な手法とによつて、しみとほるやうに詠まれてをる。その眞情、千古にわたつて人の胸をうつ作である。
〔語〕 ○武庫の浦 今の兵庫、武庫川の河口から西、神戸港あたりまでをいふ。○羽ぐくもる 雛鳥が親鳥の羽の下に覆ひ含《くく》まれ、いつくしまれること。
 
3579 大船に妹乘るものにあらませば羽《は》ぐくみもちて行かましものを
 
〔譯〕 新羅へゆく大船に、そなたが乘つてゆかれるものならば、親鳥が雛鳥を羽で包むやうに、大事にして行かうも(10)のを。
〔評〕 前歌と竝べ誦して、美しい夫婦愛の歌。「妹乘るものにあらませば」の純眞の句法は、愛すべきものがある。
 
3580 君が行く海邊《うみべ》の宿に霧立たば吾《あ》が立ち嘆く息と知りませ
 
〔譯〕 あなたが船でお出になる海邊のやどるところで、霧が立ちましたならば、それは戀しい思に堪へかねた私が、立つて嘆いてゐる息であると思つて下さいませ。
〔評〕 卷五にある「大野山霧立ち渡る我が嘆くおきその風に霧立ちわたる」(七九九)に似た趣であるが、これは女の作だけに、情趣が繊細である。
 
3581 秋さらば相見むものを何しかも霧に立つべく嘆《なげき》しまさむ
 
〔譯〕 秋になつたならばやがて歸つて來て逢ふであらうに、どうして霧に立つやうに、歎きなさることがあらう。
〔評〕 夫の眞情が、手がたく現れた作。秋には歸る豫定であつたことは、「三五八六」の歌でも知られる。
 
3582 大船を荒海《あるみ》に出だしいます君|恙《つつ》むことなく早歸りませ
 
〔譯〕 大船を浪の荒い海に乘り出して新羅へいらつしやるあなたよ、お障りなく早くお歸りなさいませ。
〔評〕 婦人らしい優しみのなかに、眞情のこもつた歌である。
〔語〕 ○あるみ あらうみの略。○います君 行きます君、行き給ふ君。○つつむことなく 災難なく御無事で。
 
3583 眞幸《まさき》くて妹が齋《いは》はば沖つ浪千重に立つとも障《さはり》あらめやも
 
(11)〔譯〕 無事で、妻が忌みつつしみ神に祈つてゐるならば、たとひ沖の浪が千重に立つても、障りがあらうか。
〔評〕 「沖つ浪千重に立つとも」といふ古典的に莊重な句法も、新羅に渡るといふ、當時における大航海の實情からみれば、誇張の感がおこらず、堂々たる格調である。萬葉考に、「一わたりに見ば、まさきくと妹がいのらばと見るべけれど、こは妹がさきくありて、いはひ祈るならば、まこと互《かたみ》に幸《さき》からむとなり、古の妹背のむつび、おもひはかるべし」とある。
 
3584 別れなげうら悲《がな》しけむ吾《あ》が衣《ころも》したにを著《き》ませ直《ただ》に逢ふまでに
 
〔譯〕 お別れしましたならば、あなたはお心がなやましいことでありませう。この私の着物を下にお召しになつていらつしやいませ、ぢかにお逢ひしますまでは。
〔評〕 此の形見の衣を夫が身につけてほしいと頼んだ、愛情の發露した作。「うら悲し」を作者の心と解することも出來ようが、夫の心とする方がよい。
 
3585 我妹子がしたにも著《き》よと贈りたる衣の紐を吾《あれ》解かめやも
 
〔譯〕 そなたが、肌につけて著るやうにと贈つてくれた着物の紐を、旅にをる間に、自分はどうして解かうぞ。
〔評〕 ふかい親愛の情で誓約をこめたもの。以上八首は、女がさきに詠んで男が答へたもの。
 
3586 我《わ》が故に思ひな痩せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ
 
〔譯〕 自分を思うてくれるのは嬉しいが、あまりに心配して、その爲に痩せたりしてくれるな。秋風が吹くであらうその月には、無事に歸つて來て逢ふであらうから。
(12)〔評〕 「秋さらば相見むものを」(三五八一)と慰めた上に、更にいたはるやうにいひ加へたのである。
 
3587 たく衾《ぶすま》新羅《しらぎ》へいます君が目を今日か明日かと齋《いは》ひて待たむ
 
〔譯〕 遠い新羅の國へおいでになるあなたにお目にかかれる日を、今日か明日かと、身をきよめて待つて居りませう。
〔評〕 女の歌で、そのありのままの述懷に、眞情が籠つてをる。
〔語〕 ○たく衾 たくは樹の名。たくの繊維で織つた衾の白い意でつづく枕詞。○君が目を 五句の「待つ」にかかる。君にお目にかかることを。
 
3588 はろばろに思ほゆるかも然れども異《け》しき情《こころ》を我《あ》が思《も》はなくに
     右の十一首は、贈答
 
〔譯〕 あなたのおいでなさる新羅の國は、遙かに遠く思はれます。しかしながら、私は變つたあだし心などを、決して持ちはしませぬ。
〔評〕 當時、異國に夫を遣つて、その歸りを待たねばならぬ妻の心境を思ひやれば、藝術的評價よりもむしろ眞情のあはれまれる作である。
〔左註〕 以上の十一首は贈答の歌で、妻が六首、夫が五首、いづれも愛情のあふれた作である。
 
3589 夕されば茅蝉《ひぐらし》來鳴《きな》く生駒山《いこまやま》越えてぞ吾《あ》が來《く》る妹が目を欲《ほ》り
     右の一首は、秦間滿《はたのはしまろ》
 
〔驛〕 夕方になると、ひぐらしが來て鳴く生駒山を越えて、自分は行くことである。妻に逢ひたく思つて。
(13)〔評〕 難波で船出を待つうちに、奈良の都の妻に逢はうとして、茅蝉の鳴く生駒山を越えて來た、作者の姿が髣髴とする。
〔語〕 ○生駒山 大和と河内の國境にある。「一〇四七」參照。○來る 心が妻の側にあることをあらはすことば。
〔左註〕 ○間滿 はしまろ、ままろ、ともよめる。
 
3590 妹に逢はずあらば術無《すべな》み石根《いはね》履《ふ》む生駒の山を越えてぞ吾《あ》が來《く》る
     右の一首は、暫く私の家に還《かへ》りて思を陳《の》ぶ
 
〔譯〕 妻に逢はずにゐては、どうにもしかたがないので、岩を踏むけはしい生駒山を越えて、自分が行くことよ。
〔評〕 前の作と同樣。彼のひぐらしの鳴く生駒山の寂しさに對して、これは山のけはしさを云うてをる。
 
3591 妹と在りし時はあれども別れては衣手寒きものにぞありける
 
〔譯〕 妻と共に家にゐた時はさほどでもなかつたが、別れてみると、着物の袖が寒いものであることよ。
〔評〕 代匠記初稿本に「此の歌、夏なれば衣手寒きまではあるまじけれど、獨ぬることのわびしきをいふなり、意を得て言を忘るべし」とあるは至言である。
 
3592 海原に浮宿《うきね》せむ夜は沖つ風いたくな吹きそ妹もあらなくに
 
〔譯〕 海上の船の中で浮寢をする夜は、沖の風よ、烈しく吹くな。妻もゐないのであるものを。
〔評〕 海上の浮寢の、しかも獨寢のつらさを豫想したもので、せめては風よ吹くなと祈る心が痛ましい。
 
(14)3593 大伴の御津《みつ》に船乘《ふなの》りこぎ出《で》てはいづれの島に廬《いほり》せむ我《われ》
     右の三首は、臨發《ふなだち》の時作れる歌
 
〔譯〕 大伴の御津で船に乘つて漕ぎ出たならば、どこの島にいほりをするであらうか、自分は。
〔評〕 未知の大海に漕ぎ出むとするに當つての、前途に對する不安の感である。四五句は「一〇一七」と似てをる。
〔語〕 ○大伴の御津 今の大阪附近。「六三」參照。○いほりせむ 停船して假庵に宿ることであらう。
 
3594 潮待つとありける船を知らずして悔《くや》しく妹を別れ來にけり
 
〔譯〕 このやうに潮時を待つて海岸に逗留してをる船であつたものを、それを知らないで、殘念にも、急いで妻と別れて來たことであつた。
〔評〕 盡きぬ名殘を惜しみつつ難波に來て見ると、船はまだ出る樣子もない。もつと家にをればよかつたと悔まれる。當時の航海の實?を語つてゐて、あはれが深い。
 
3595 朝びらきこぎ出《で》て來《く》れば武庫《むこ》の浦の潮干の潟に鶴《たづ》が聲すも
 
〔譯〕 朝、船出をして漕いで來て見ると、武庫の浦の潮干の潟には、鶴の聲がすることよ。
〔評〕 出帆の朝のすがすがしさの中に、悲愁をおびた情趣があらはれて、印象爽澄。「武庫の浦の入江の渚鳥」と妻が詠んだのを思ひ浮べたのであらう。
〔語〕 ○朝びらき 朝、船が出港すること。「三五一」參照。
 
(15)3596 吾妹子が形見に見むを印南都麻《いなみつま》白浪高み外《よそ》にかも見む
 
〔譯〕 家に殘して來た妻の形見として見たいのに、印南都麻を、波が高いために、離れてよそに見ることかまあ。
〔評〕 印南都麻を遙かに眺めながら、波が高いので、その沖あひを通過する時の感緒が歌はれてをる。「つま」といふ名によつて直ちに妻を思ふところ、當時の旅の苦澁がしのばれる。
〔語〕 ○形見に見むを 形見は偲ぶよすがとなるもの。その名、印南都麻を妻に通はしていふ(代匠記)のである。○印南都麻 兵庫縣印南郡加古河の河口。つまは端《はし》の地。
 
3597 わたつみの沖つ白浪立ち來《く》らし海人少女《あまをとめ》ども島|隱《がく》る見ゆ
 
〔譯〕 海の沖の白浪が、立つて來るやうである。海人の少女らの舟が、島陰にかくれるのが見える。
〔評〕 海上の眺望で、この一聯の歌を讀みゆくにつれて、刻々に移動する風景がさながらに眼前に浮ぶ。
 
3598 ぬばたまの夜は明《あ》けぬらし多麻《たま》の浦に求食《あさり》する鶴《たづ》鳴き渡るなり
 
〔譯〕 くらい夜は明けたらしい。多麻の浦で、餌をあさる鶴が鳴いて行くことである。
〔評〕 浮寢の夢やぶれて、海上にきく昧爽の鶴の聲である。單純にして風趣が生動してをる。
〔語〕 ○多麻の浦 前に印南都麻があり、下に神島のあるより推して、岡山縣の玉島の浦であらうといふ。
 
3599 月《つく》よみの光を清み神島のいそみの浦ゆ船出《ふなで》す吾は
 
〔譯〕 月の光が清いので、神島の磯のめぐりの浦を通つてから、船出をすることである、自分は。
(16)〔評〕 神島の月明の船出の情懷である。清く照る月に、神の擁護を祈りつつ、それを前進の吉兆として、おごそかな氣持を抱いて、艫綱を解いたことであらう。明朗の中に嚴肅な感がこもつてをる。
〔語〕 ○月よみ 月のこと。「九八五」參照。○いそみの浦ゆ 地名との説もあるが、磯邊の意と思はれる。
 
3600 離磯《はなれそ》に立てる室《むろ》の木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも
 
〔譯〕 離れ磯に立つてゐる室の木は、危い樣子をしながら、久しい間を過ぎて來たことであらう。
〔評〕 離れ磯に落ちかかるばかりに危げに立つ室の木を眺めた感想で、大伴旅人が詠んだ鞆の浦の室の木(四四六)であらうとも云はれてをる。
〔語〕 ○室の木 ねずの木。「四四六」參照。○うたがたも すこしの間も、又、恐らくは、多分、又、危げになど種々の解がある。危げにの意に通じて、かりそめにの意にあたるとも思はれる。「二八九六」參照。
 
3601 暫《しまし》くも獨あり得《う》るものにあれや島の室《むろ》の木離れてあるらむ
     右の八首は、船に乘り海に入りて、路上に作れる歌
 
〔譯〕 暫くの間でも獨でをられるものだからであらうか、この島のむろの木は、ああして、獨ぼつちで離れて立つてゐるのは。自分には、とても獨ではをられないのだが。
〔評〕 妻に別れて來た孤獨の心には、今眼前の磯に見る一本の室の木が、いぶかしく感じられたのである。自分の思を以て外界を感じ、外界の事物から直ちに自己の内なる思を誘はれる。自然と人との間に殆ど距離を置いてゐなかつた古代人にとつて、これは、後世の我々が考へる擬人法以上の心境である。
 
     所に當りて誦詠せる古歌
 
(17)3602 あをによし奈良の都にたなびける天《あま》の白雲見れど飽かぬかも
     右の一首は、雲を詠める
 
〔題〕 所に當りて誦詠せる古歌 その場所場所に於いて、その情景にふさはしい古歌を、人々が思ひ出して誦詠したものとの意で、以下の十首をさす。
〔譯) うつくしい奈良の都の方に棚引いてゐる大空の白雲は、いくら見ても飽きないことである。
〔評〕 悠揚迫らぬ格調の中に、なつかしい都を離れてゐる人の望郷の念がゆたかに流れて居り、從つて當時の、咲く花のにほふが如き奈良の都の盛觀も偲ばれる。古歌とはいうても、これは奈良遷都以後の作で、さう古くはない。
〔語〕 ○あをによし 「奈良」の枕詞。「一七」參照。○奈良の都に 奈良の都の方角に當つての意。
 
3603 青楊《あをやぎ》の枝|伐《き》り下《おろ》し齋種《ゆだね》蒔《ま》き忌忌《ゆゆ》しく君に戀ひわたるかも
 
〔譯〕 青柳の杖を伐りおろして、苗代田に齋み清めた種を蒔く、そのやうに愼まねば畏れがあると思はれるほど、君に戀ひつづけてをることではある。
〔評〕 これは、何處でどんな場合に誦詠されたものか明かでないが、一日一日遠ざかりゆく寂しさに堪へずして、誦したものでもあらうか。一二三句に農人らしい趣が現はれてをり、上代農耕の一樣相が語られてゐる。
〔語〕 ○青楊の枝伐り下し 田や池の堤には多く柳を植ゑること、今日も見る通りで、集中の「三四九二」にもある。種々の説の中に、楊の枝を伐り苗代の水口に挿して神を齋ふことで、今も田を植ゑる初に、木の枝をさしていはふことがあるとの古義の説がよいであらう。
〔訓〕 ○ゆゆしく君に 白文「忌忌伎美爾」代匠記の訓による。舊訓ユユシキキミに。
 
(18)3604 妹が袖別れて久になりぬれど一日も妹を忘れておもへや
 
〔譯〕 妻と別れて來て、その袖を枕にして寢ることも出來ないで久しくなつたが、一日でも妻を忘れようか、忘れはしない。
〔評〕 旅にあつて妻を思ふ男の歌、單純ではあるが、誦詠者の氣特とぴつたり合つたのであらう。
 
3605 わたつみの海に出でたる飾磨河《しかまがは》絶えむ日にこそ吾《あ》が戀|止《や》まめ
     右の三首は、戀の歌
 
〔譯〕 遠く海に流れ出てゐる此の飾磨河の水が、絶えてしまふ日があつたらば、その時こそこの戀心も止むであらう。しかし、川の絶えることも、思のやむ日も、あらうとは自分には思はれない。
〔評〕 古歌とあるが、播磨地方の民謠であつたかも知れない。船が飾磨川のあたりにさしかかつた頃にうたつて、遙かなる愛人を偲んだのであらう。
〔語〕 ○わたつみの海に出でたる 「わたつみ」は海神の名であるが、後に海そのものの意に轉用された。いづれの川も末は皆海に注ぐが、今かういつたのは、深い意はなく、眼前の實際を直敍したに過ぎない。○飾磨河 今姫路の市中を流れ、飾磨町の西で海に注ぎ入る船場川の古名。
〔左註〕 右の三首は、戀の歌、以上の三首は古人の戀歌であるのを、時に臨んで人々が口ずさんだのである。
 
3606 玉藻刈る乎等女《をとめ》を過ぎて夏草の野島が埼に廬《いほり》す我《われ》は
     柿本朝臣人麻呂の歌に曰く、敏馬を過ぎて、又曰く、船近づきぬ
 
(19)〔譯〕 美しい藻を刈る乎等女の浦を通り過ぎて、夏草の繁る野島の岬に、假小屋を作つて旅寢をする、自分は。
〔評〕 人麿の作。「二五〇」の左註に、一本の歌として出てゐるものと全く同じである。嘗て人麿の通過した地點に來て、眼前の風光を賞し、くちずさんだのである。
〔語〕 ○玉藻刈る 枕詞とする説もあるが、こてはその地の實際を敍した修飾語と見るがよい。○乎等女 地名であるが、今は明かでない。葦屋の處女塚の所在地をいふのであらうとの説もある。「一八〇一」參照。○夏草の 枕詞。「二五〇」參照。○野島が埼 淡路の津名郡野島村の岬。
〔左註〕 柿本朝臣人麻呂の歌云々 人麿の歌に二句を「敏馬《みぬめ》を過ぎて」、五句を「船近づきぬ」とあると註したもの。以下、この誌は、集録者が書き添へたのではなく、萬葉集の編者が書き加へたものである。
 
3607 白たへの藤江の浦に漁《いざり》する海人《あま》とや見らむ旅行く吾《われ》を
     柿本朝臣人麻呂の歌に曰く、荒たへの、又曰く、鱸釣る海人とか見らむ
 
〔譯〕 藤江の浦で漁りをしてゐる海人とでも、他人は見るであらうか。かうした旅をしてゐる自分を。
〔評〕 これも人麿の作をゆかしがつて誦詠したもの。「二五二」の左註に掲げたのと、全く同じである。
〔語〕 ○白たへの 枕詞。一には「荒たへの」とある。○藤江の浦 明石市の西方に當る。
〔左註〕 柿本朝臣人麻呂の歌云々 人麿の歌に「初句と、三四句が、かくなつてゐるといふのである。
 
3608 天離《あまざか》る鄙《ひな》の長道《ながぢ》を戀ひ來《く》れば明石《あかし》の門《と》より家の邊《あたり》見ゆ
     柿本朝臣人麻呂の歌に曰く、大和島見ゆ
 
〔譯〕 田舍からの長い船路の道を、都戀しく思ひながら來ると、明石の海峽から、遙かに故郷の家のあたりが見える(20)ことである。
〔評〕 これも「二五五」の歌の別傳と大體同じで、ただ二句の「長道を」が、彼は「長道ゆ」となつてゐる。
〔語〕 ○天離る 「鄙」の枕詞。○家のあたり見ゆ 故郷の家のある方向が見え出した、の意。
〔左註〕 柿本朝臣人麻呂の歌云々 人麿の歌に、結句が「天和島見ゆ」となつてゐるとの意。「二五五」參照。
 
3609 武庫《むこ》の海のにはよくあらし漁《いざり》する海人《あま》の釣船浪の上《うへ》ゆ見ゆ
     柿本朝臣人麻呂の歌に曰く、氣比の海の、又曰く、刈薦の亂れて出づ見ゆ海人の釣船
 
〔譯〕 武庫の海の海上が、今日は穩かであるらしい。漁りをする海人の釣船が、波の上に見えてゐる。
〔評〕 「二五六」の歌の左に注した異傳と同じである。但、それには二句に説がある。その項參照。
〔語〕 ○にはよくあらし 海上が靜かであるらしいの意。「には」は一般に廣れ平面の義で、ここは海面をさす。「あらし」はあるらしの略。○浪の上ゆ見ゆ 浪の上を通して見えるの意。
〔左註〕 柿本朝臣人麻呂の歌云々 人麿の歌に、初句と三句以下とが、かはつてゐると註したのである。
 
3610 阿胡《あご》の浦に船乘《ふなの》りすらむ娘子《をとめ》らが赤裳の裾に潮滿つらむか
     柿本朝臣人麻呂の歌に曰く、網の浦、又曰く、玉裳の裾に
 
〔譯〕 阿胡の浦で船遊びをしてゐるであらう若い女達の赤裳の裾に、潮が青々と滿ちつつあるであらうか。
〔評〕 これも「四〇」に見える人麿の歌と同歌である。但、それは伊勢行幸に供奉した女官達の船遊びの樣を、都にあつて想像したのであるが、今瀬戸内海を航行してゐて、海士少女のさまを見つつ、聯想して吟誦したものであらう。
〔語〕 ○阿胡の浦 志摩國英虞の海。○少女ら 行幸に御供してゐる女官達をさす。
(21)〔左註〕 柿本朝臣人麻呂の歌云々 人麿の歌に、初句と四句がかくあるといふのである。
 
     七夕の歌一首
 
3611 大|船《ぶね》に眞楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き海原をこぎ出《で》て渡る月人壯子《つきひとをとこ》
     右は、柿本朝臣人麻呂の歌
 
〔題〕 七夕の歌 かく題してあるが、この歌は、七夕の歌らしい特徴はない。代匠記初稿本には、月人壯子は牽牛をいふと見えるとある。
〔譯〕 大船に左右の艪を澤山にとり着けて、廣々とした天の海原を漕いで行く月人男よ。
〔評〕 内容、表現、共に類型的で、人麿の作とも思はれない。或は人麿歌集中のものででもあつたか。尚これを七夕の歌としたのは、卷十に群出する七夕の歌の中に、「月人壯子」の語のあるものが數首あるので、これをも漫然誤つたのであらう。此の使人一行が七夕の日に際會したのは、九州筑紫舘に於いてであつたこと、下に明記があるから、この歌は、やはりもともと月の歌として、折からの月明の空を仰いで吟誦したのであらう。
〔語〕 ○眞楫繁貫き 兩舷の艪を澤山立てて。○月人壯子 月を擬人していふ。「二〇一〇」「二〇四二」等參照。
〔左註〕 右は柿本朝臣人麻呂の歌 船中で誦詠した人麿の歌は、皆集中の他の卷に出てゐるが、この一首は見えない。
 
     備後國|水調郡長井浦《みつきのこほりながゐのうら》に舶|泊《は》てし夜、作れる歌三首
 
3612 青丹《あをに》よし奈良の都に行く人もがも草枕旅行く船の泊《とまり》告げむに【旋頭歌なり】
     右の一首は、大判官
 
〔題〕 水調郡長井浦 今、御調郡とかく。長井浦は今の絲崎港。
(22)〔譯〕 奈良の都に行く人があればよい。さうしたらば、旅行く我々の船が、今此處に無事に碇泊してゐるといふことを、家人へ告げてやらうに。
〔評〕 旋頭歌である。自分の消息を家人に知らせやるすべもなく、しかも、前途は遠く萬里の波濤を凌いでゆかねばならぬのである。その心細さがしみじみと思はれる。
〔語〕 ○草枕 「旅」の枕詞。もと山野の旅の實情に即して生じた語であるが、かく、海上の旅にも用ゐられるのは、枕詞が固定的に形式化して行つたよい例證である。
〔左註〕 大判官 壬生|使主《おみ》宇太麿のこと。使主は姓《かばね》の名。宇太麿は、續紀天平九年正月の條に、從六位とある。
 
3613 海原を八十島|隱《がく》り來《き》ぬれども奈良の都は忘れかねつも
 
〔譯〕 海上を、數多の嶋々の陰を漕ぎつつ、よい景色に眼を樂しましめて來たが、なつかしい奈良の都のことは忘られない。
〔評〕 故郷をいよいよ遠く隔たつてゆくので、思慕の念も次第に薄らぐかと思つたのに、距離に反比例して、戀しさは増して來るといふのである。平明にして眞情流露の作。餘韻を言外に曳いて長い。
 
3614 歸るさに妹に見せむにわたつみの沖つ白玉|拾《ひり》ひて行かな
 
〔譯〕 任務を果して歸つた時に、いとしい妻に見せようもの、ここの海の沖の底にある白玉を拾つて行かう。
〔評〕 國家的使命を帶びて異域に向ふ官吏の情としては、甚だ悠長に過ぎるやうでもあるが、その率直さの中に、上代人の面目がはつきりと見えるやうである。
 
     風速《かざはやの》浦に舶泊《は》てし夜、作れる歌二首
 
(23)3615 わがゆゑに妹歎くらし風早《かざはや》の浦の沖邊に霧たなびけり
 
〔題〕 風速浦 廣島縣賀茂郡三津町の西方なる風早であらう。
〔譯〕 自分ゆゑに、家にゐる妻が歎息してゐるらしい。この風早の浦の沖邊に、霧がたなびいてゐる。
〔評〕 出發のをりに妻が、「君がゆく海邊の宿に」(三五八〇)と詠んだのを思うての作。兩者併せ誦すると、一層あはれが深い。息吹が霧となつて立ち靡くといふのは、古事記以來の思想であつた。今、沖の方から霧が立つて來たのを見て、作者は、家なる妻が歎いてゐると直感したのである。
 
3616 沖つ風いたく吹きせば吾妹子が歎《なけき》の霧に飽かましものを
 
〔譯〕 沖の方の風がひどく吹いたならば、その風が、いとしい妻の吐息から湧く霧を吹き寄せてくれて、自分は思ふ存分、その霧の中に浸つてをらうものを。
〔評〕 これも、前と同じ作者の連作である。沖邊の霧は見る見る消えてゆく。それは妻の形見の消えてゆくことで、如何にも惜しい。風よ強く吹いて、あの霧を此處まで吹き寄せてくれ。せめては懷かしい妻の吐息の中に包まれてゐたい、といふのである。理路を無視した稚態の中に、思ひ餘つた熱情の眞率さが酌まれてあはれである。
 
     安藝國|長門島《ながとのしま》にて、船を磯邊に泊《は》てて作れる歌五首
 
3617 石走《いはばし》る瀧《たき》もとどろに鳴く蝉の聲をし聞けば京都《みやこ》し思ほゆ
     右の一首は、大石蓑麻呂《おほいしのみのまろ》
 
〔題〕 安藝國長門島 廣島縣安藝郡の倉橋島。呉市の南に當る。「三二四三」參照。
(24)〔譯〕 岩の上を走り越えてゆく激流もとどろくばかりに、鳴く蝉の聲を聞くと、なつかしい都が思はれる。
〔評〕 蝉の聲から奈良の都を憶つたのであらうが、二句のいひざまもいまだしい。
〔語〕 ○瀧もとどろに 「瀧」は激流をいふ。瀑布ではない。「とどろ」は擬音。初句を序とする新考の説はよくない。激流の音と蝉の聲と共に響くのである。
 
3618 山|河《がは》の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも
 
〔譯〕 山の中を流れる河の、風致のおもしろい川瀬に遊んでも、なつかしい奈良の都は忘られがたい。
〔評〕 瀬戸内海の繪のやうな風光、碇泊地の山容水態も心を慰めたではあらうが、なほ都が忘れ難いのは、ただに咲く花の匂ふが如く今盛なるが故のみではなく、あらはに「妹」といはず「奈良の都」とぼかした處が、却つてあはれである。「三六一三」の歌と酷似してゐるが、同一作者が、同じ感情をさらに歌ひ換へたものであらう。
 
3619 磯の間《ま》ゆ激《たぎ》つ山河絶えずあらばまたも相見む秋かたまけて
 
〔譯〕 磯の間をとほつて激しく流れる此の山河の水が、絶えずにゐたらば、この水のやうに自分の命も絶えずにゐたらば、また再び歸途にも立ち寄つて眺めよう。秋になつた時に。
〔評〕 磯邊をゆくこの清流が、作者達の歸航豫定日まで絶える筈のないことは明白な事實であらう。それに「絶えずあらば」といつたのは、代匠記説の如く、定めない我が命が、この水の如く絶えずあらばと、旅路の平安を冀ふ心がおのづから下に働いてゐるのである。
〔語〕 ○秋かたまけて 秋になつてと、無事歸航の日を豫期していふ。
 
(25)3620 戀繁み慰めかねて茅蝉《ひぐらし》の鳴く島かげに廬《いほり》するかも
 
〔譯〕 都を思ふ戀心が頻りであるので、自ら慰めかねつつ、蜩の鳴いてゐる島陰に假屋を作り、旅寢をすることである。
〔評〕 何となく哀韻を帶びた蜩の聲に、そこはかとなき郷愁をそそられながら、異國への長い航路を控へて、寂しい島陰にいほりする人々の心緒は、今の我々にも想像が出來る。簡素な手法に、よくその心持が寫し出されてゐる。
 
3621 我が命を長門の島の小松原幾代を經てか神《かむ》さびわたる
 
〔譯〕 島の名を長門と聞くと、我が命も長かれと願はれるが、この島の松原は、幾代の間を經過して、かくも神々しく物ふりてゐるのであらう。
〔評〕 神さびた松の姿を見ては千代の命を思ひ、わが身もこれにあやからうと欲する一般的な感情であるが、初二句、はるかな船旅に出る作者の氣持をあらはし得てよい。
〔語〕 ○我が命を 「長門」の枕詞のやうに用ゐてあるが、普通の枕詞の如き形式的のものでなく、「長門」の語から、旅に出て我が命のさはりなく長からむことを祈る意識がはつきりとあつて、かく用ゐたと見るべきである。「を」は詠歎の助詞。○小松原 稚松ではなく、「小」はそへた詞と見る方がよい。○神さびわたる 神々しいほど古びてゐるの意。「わたる」は經過の意を表はす。神さびは、「二四五」參照。
 
     長門浦より舶出せし夜、月の光を仰ぎ觀て作れる歌三首
 
3622 月《つく》よみの光を清み夕なぎに水手《かこ》の聲呼び浦|廻《み》こぐかも
 
(26)〔題〕 長門浦 倉橋邊の南海岸なる本浦。
〔譯〕 月の光が清いので、この夕凪に、舟子達は声をあげて、浦傳ひに漕ぎ進んで行くことである。
〔評〕 月明の夜の航海の光景、目に見るが如くである。「月よみの光を清み」に、暫く郷愁を忘れた心境もおのづから語られて居り、「水手の聲呼び」に、賑かなさざめきも活寫されてゐて、風趣爽かな歌である。
〔語〕 ○水手の聲呼び 船頭が、互に何事かを大聲に呼びかはしてゐる意。「五〇九」の長歌にもある。
 
3623 山の端に月かたぶけば漁《いざり》する海人《あま》のともしび沖になづさふ
 
〔譯〕 山の端に月が傾くと、すなどりをしてをる海人の小舟の漁火が、沖の波間にちらほら漂うてをるのが見える。
〔評〕 これは純敍景の歌である。平素山にのみ圍まれ、海を見る機會のない奈良の都人にとつて、月下に展開する萬頃の靜波、沖あひに明滅する漁火の光は、旅愁といふものさへ忘れたならば、この上ない快適な景觀であつたに違ひない。作者はこの靜寂境に在り、澄みきつた心境に浸つて、眼前の風趣に鑑賞の眼を注いでゐるのである。
〔語〕 ○沖になづさふ 沖の浪間に漂つて見える意。「四三〇」參照。
 
3624 吾《われ》のみや夜船はこぐと思へれば沖邊の方に楫《かぢ》の音《おと》すなり
 
〔譯〕 自分らの船ばかりが夜船を漕いでゆくことと思つてゐると、沖の邊にもかすかに艪をこぐ音がしてゐる。
〔評〕 事實をありの儘に淡々と詠みあげながら、冥想的な深みにまで沁み徹つて行くといふ趣がある。夜の航海の旅愁の中に、暗い沖邊に艪の音を聞き、その情趣もしみじみと身に沁むと共に、延いて樣々の情懷が心頭に上つたことであらう。我と同じく夜船に身を托してゐる人の心事や運命も思はれたであらう。又同じ人生の波に漂ひ、同じ人生の旅をたどる人間同志が、互に認めあふこともなく行き別れることに、奇しき思も浮んだであらう。旅に於いて深く(27)なりまさる人間相互の好意、上代人らしい對人的温情が、簡素な詞調の底に脈々と波打つてゐる。
〔語〕 ○吾のみや 「や」は疑問の助詞。「こぐ」に呼應する。○楫、櫓、櫂。○なり いはゆる詠歎の助動詞。何か音がするのを、他の船の梶の音と聞き定める氣持である。
 
     古き挽歌一首并に短歌
 
3625 夕されば 葦邊に騷き 明け來《く》れば 沖になづさふ 鴨すらも 妻と副《たぐ》ひて 我が尾には 霜な降りそと 白たへの 羽《はね》指《さ》し交《か》へて 打ち拂ひ さ宿《ぬ》とふものを 逝《ゆ》く水の 還らぬ如く 吹く風の 見えぬが如く 跡も無き 世の人にして 別れにし 妹が著せてし 褻衣《なれごろも》 袖片敷きて 獨かも寢む
 
〔題〕 古き挽歌 亡妻を悼んだ古人の作である。「古」を通行本に「古」に作るは誤。西本願寺本等によつて訂す。
〔譯〕 夕方になると、葦の茂みのあたりに鳴き騷ぎ、夜明になると沖の方に泳いでゐる鴨でも、妻と一緒にゐて、自分達の尾には霜が降るなといひつつ、霜が置いて白い羽を互にさしかはして、霜を拂ひつつ仲よく寢るといふものを、流れゆく水の再び歸らないやうに、又、吹く風の目に見えないやうに、一たび死ねば影も形もなくなるこの世の人の習として、自分の目から姿を消して死に別れて行つた妻、そのいとしい妻が着せてくれた、着馴れた着物の片袖を下に敷いて、獨で寢ることか、さても悲しいことではある。
〔評〕 古人が亡き妻を悲しんだ歌であるが、これを誦詠したのは、遠く愛妻に別れて獨寢のわびしい夜々を重ねてゐる事情から、この歌の内容が身につまされた故であらう。この歌は、字句簡潔であるが、質實にしてよく情を盡してゐる。「妹が著せてしなれ衣袖片敷きて」は、この一行の人々の現?にも當てはまるので、一層切實の感に打たれた(28)ものと思はれる。
〔語〕 ○我が尾には 「我」を複數に我々と解する説に從ふべきである。○白妙の 鴨の羽根は普通白くないから、霜が降つて白い意とした略解の説がよいであらう。○逝く水の還らぬ如く 家持の、世間の無常を悲しむ歌に、「逝く水の止らぬ如く」(十九の四一六〇)とあるに同じ佛教的無常觀から出た語。「逝く水の」は枕詞。
 
     反歌一首
 
3626 鶴《たづ》が鳴き葦邊をさして飛び渡るあなたづたづし獨さ寢《ぬ》れば
     右は、丹比大夫の亡《す》ぎにし妻を悽《いた》み愴《なげ》く歌
 
〔譯〕 鶴の鳴く聲が、葦原のあたりをさして飛んでゆく。ああたどたどしく、たよりないことではある。獨で寢てゐるので。
〔評〕 主想は四五句にあつて極めて單純であるが、實感であるだけに力がある。一二三句は、たつたづしの序であるが、實景でもあつたと思はれる。長歌には鴨の動作を描いて譬喩としたが、水邊のことであるから、鶴もゐたであらう。反歌には、その鶴を序に用ゐ、おのづから表現に變化を求めたのである。
〔語〕 ○鶴が鳴き 「鳴き」は鳴く声。「葦邊をさして鶴鳴き渡る」の景であるが、聲を主に立ててゐる。
〔左註〕 丹比大夫 大夫は四位五位の人の敬稱。「二二六」「一六〇九」「一七二六」の丹比眞人と同一人か否か不明。
 
     物に屬《つ》きて思を發《おこ》せる歌一首井に短歌
 
3627 朝されば 妹が手に纒《ま》く 鏡なす 三津《みつ》の濱びに 大船に 眞楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き から國に 渡り行かむと 直向《ただむか》ふ 敏馬《みぬめ》をさして 潮待ちて 水脈《みを》びき行けば 沖邊には 白波高み 浦廻《うらみ》(29)より こぎて渡れば 吾妹子に 淡路の島は 夕されば 雲居|隱《がく》りぬ き夜ふけて 行方《ゆくへ》を 知らに 吾《あ》が心 明石《あかし》の浦に 船|泊《と》めて 浮宿《うきね》をしつつ わたつみの 沖邊を見れば 漁《いざり》する 海人《あす》の娘子《をとめ》は 小船乘《をぶねの》り つららに浮《う》けり 曉《あかとき》の 潮滿ち來《く》れば 葦邊には 鶴《たづ》鳴き渡る 朝なぎに 船出《ふなで》をせむと 船人も 水手《かこ》も聲よび 鳰鳥の なづさひ行けば 家島は 雲居に見えぬ 吾《あ》が思《も》へる 心|和《な》ぐやと 早く來て 見むと思ひて 大船を こぎ我《わ》が行けば 沖つ浪 高く立ち來《き》ぬ 外《よそ》のみに 見つつ過ぎ行き 多麻《たま》の浦に 船をとどめて 濱びより 浦磯を見つつ 哭《な》く兒なす 哭《ね》のみし泣かゆ 海神《わたつみ》の 手纒《たまき》の珠を 家づとに 妹に遺《や》らむと 拾《ひり》ひ取り 袖には入れて 返《かへ》し遣《や》る 使無ければ 持《も》てれども しるしを無みと また置きつるかも
 
〔譯〕 朝になるといつも妻が手に抱く、あの鏡のやうな三津の濱邊で、大船に兩舷の櫓をとりつけて、遠く韓國に渡らうと、まづ眞向ひの敏馬の浦をさして、潮加減を待ち、水脈に從つて漕いで行くと、沖邊には白浪が高いので、浦沿ひの方から漕いで渡ると、わが妻に逢ふといふ淡路の島は、夕方になると雲に隱れてしまつた。夜がふけて、行くべき方向も分らないので、明石の浦に船を停め、浪に搖られつつ寐てゐて、沖の方を見ると、漁りをする海人の娘達は、小舟に乘つて點々と火を連ねて浪の上に浮んでゐる。やがて夜明方の潮が滿ちて來ると、蘆の茂みの邊には鶴が啼き渡つてゆく。かくて朝凪時に船出をしようと、船頭も水手《かこ》も互に聲をあげて、鳰鳥のやうに浪間を縫うて行くと、家島は雲の彼方に見えて來た。家島といふので、家を戀しく思ふ自分の心が慰まるかと、早く行つて見ようと思つて、(30)大船を漕いで我々がゆくと、沖の方の浪が高く立つて來た。それで折角の家島も、空しくよそ目に見て通り過ぎ、玉の浦に舟をとめて、濱邊から浦の磯を見ながら、泣く兒のやうに自分は聲に出して泣けてくる。せめて海の神の手に卷いてゐる珠を、家への土産として妻に遣らうと、拾ひ取つて袖には入れたものの、都の方へ歸してやる使が無いので、持つてゐてもしかたがないと、又もとの處へ置いたことである。
〔評〕 難波の三津の濱から船出をして、瀬戸内海を漕ぎ進んでゆく船の航路と、海上の風光とが、よく描き出されてゐる。敍景から次第に抒情に移つてゆくあたりは巧みであり、家島の名に誘はれた郷愁の心理描寫も自然である。家なる妻に贈るべく折角拾ひ上げた珠を、屆けてやる使が無いことに思ひ當つて、また置いたと率直にいひ棄てた跡に、そこハか上なき哀韻が漂うてゐる。
〔語〕 ○朝されば妹が手に纒く鏡なす 鏡を「見」を三津の「三」にかけた序。「纒く」は手にかかへること。○直向ふ 眞向にある。○敏馬 攝津國武庫郡。「二五〇」參照。○水脈びき行けば ここは水脈に從つて漕ぎゆく意。○吾が心 吾が心明しの意で「明石」にかけた枕詞。○つららに浮けり 連り竝んで浮いてゐる意。但、深夜の海上であるから、漁火の點々としてゐる樣と見なければならぬ。○家島 播磨國揖保郡。室津の沖に當る。○多麻の浦 「三五九八」參照。○わたつみの手纒の珠 海の神の腕輪にしてゐる珠の義で、綺麗な貝殻などを、美化していつたもの。
 
     反歌二首
 
3628 多麻《たま》の浦の沖つ白珠《しらたま》拾《ひり》へれどまたぞ置きつる見る人を無み
 
〔譯〕 玉の浦の沖の白珠を拾つたが、又そのまま其處へ置いた。手に取つて愛玩する妻もここにはゐないので。
〔評〕 長歌の結末の意を、やや語句を變へて反覆したもので、これ亦反歌の一體である。
 
(31)3629 秋さらば我《わ》が船|泊《は》てむわすれ貝寄せ來て置《お》けれ沖つ白浪
 
〔譯〕 秋になつたらば、歸りがけに又我々の船は此處に碇泊するであらう。それまでに、忘貝を運び寄せて來て岸邊に置いておいてくれ、沖の白波よ。
〔評〕 沖の波に誂へいうた四五の句は、家妻への土産にする爲で、そこに濃やかな愛情の流露がある。
〔語〕 ○忘貝 殻は扁平で厚く、淡紫色で裏面は白い。瀬戸内海に多いといふ。
 
     周防國|玖珂《くが》郡|麻里布《まりふの》浦を行きし時、作れる歌八首
 
3630 眞揖《まかぢ》貫《ぬ》き船し行かずは見れど飽かぬ麻里布《まりふ》の浦にやどり爲《せ》ましを
 
〔題〕 玖珂都 養老五年四月、熊毛郡から分れて置かれたもの。麻里布今の岩國市の東方、室木の浦といふ。
〔譯〕 兩側の艪をとりつけて、我々の船が漕ぎ行くのでなかつたら、見ても飽きないこの麻里布の浦に、碇泊しようのに。
〔評〕 官命であるから優游ができず、好風景も空しく見過ぐさねばならぬのを惜しんだのである。
 
3631 いつしかも見むと思ひし粟島を外《よそ》にや戀ひむ行くよしを無み
 
〔譯〕 早く見たいと思つてゐた粟島を、近くを通りながら空しく戀しがつてゐる事だらうか、立寄るすべも無いので。
〔評〕 前の歌と同じ心情を陳べたものであるが、表現は平板、餘韻に乏しい憾がある。
〔語〕 ○粟島 山部赤人の「三五八」の歌のは淡路島附近。ここのは周防附近であらうが、所在未詳。
 
(32)3632 大船に〓〓《かし》振り立てて濱清《はまぎよ》き麻里布《まりふ》の浦にやどりか爲《せ》まし
 
〔譯〕 この大船を繋ぐ爲の杭を振り立てて、濱邊の清らかな麻里布の浦に、一夜の宿りをしたらよからうか。しかしさうもならぬのが殘念である。
〔評〕 前の歌と同工。結句は、事情が如何ともし難いので、餘儀なく諦めながら、猶長大息してゐる心境を敍してゐる。これを單に「宿りをしたいものだ」の願望と説くのは淺い。「まし」は事實に反する假想を現すので、一見願望と見えても、それは實現の不可能なことが知られてゐる場合で、言外に遺憾の情を含むのである。
 
3633 粟島の逢はじと思ふ妹にあれや安宿《やすい》も寢《ね》ずて吾《あ》が戀ひ渡る
 
〔譯〕 粟島といへば、そのあはの逢はないと思つてゐる妻であるからとて、安眠も出來ずに自分が焦れ續けてゐるのだらうか。逢はないといふわけではないのに、自分は戀しくてたまらないことである。
〔評〕 遙かに家郷なる妻の上に思を馳せては、眠を成しかねる旅の夜々のため息である。「逢はじと思ふ味にあれや」と、自らの心を疑ふやうに言ひなしたのも、あはれが深い。
〔語〕 ○粟島の 眼前屬目の島の名を探り、同音を利用して「逢はじ」に續けた枕詞。
 
3634 筑紫道《つくしぢ》の可太《かだ》の大島|暫《しまし》くも見ねば戀しき妹を置きて來《き》ぬ
 
〔譯〕 筑紫へ行く道の此の可太の大島を見るにつけても思ふが、しばらくも見ずにゐると戀しい妻を、家に殘して來たことである。
〔評〕 前の歌と同じく、處について感緒を述べたものである。序からの連ね樣は、「二四二三」に似てゐる。
(33)〔語〕 ○可太の大島 周防國玖珂郡の屋代島のこと。初二句は、眼前にした島の名を採り、同音「しま」を繰返して序とした。
 
3635 妹が家|道《ぢ》近くありせば見れど飽かぬ麻里布《まりふ》の浦を見せましものを
 
〔譯〕 妻の家へ行く道が近かつたならば、つれて來て、この幾ら見ても飽きない麻里布の浦の景色を、見せてやらうものを。
〔評〕 旅中、好風景に出合へば、家妻にも見せて樂しみを分ちたいといふのは、萬葉人とのみいはず、いつの世も變らぬ自然の人情であらう。心もちをありのままに述べた質實な作である。
 
3636 家人は歸り早|來《こ》と伊波比島《いはひじま》齋《いは》ひ待つらむ旅行く我《われ》を
 
〔譯〕 家族の者達は、早く歸つて來いと、この伊波比島の名のやうに、齋つて待つてゐるであらう、旅行をしてをる自分を。
〔評〕 旅人を送り出した家では、無事歸宅の日まで、ひたぶるに愼んで惡いことの起るきつかけを作らぬやうにし、平安を期してゐるのである。目にした島の名にちなみ、當時のさうした民俗信仰を語つてあはれが深い。
〔語〕 ○伊波比島 周防國熊毛郡の海上、長島の西方にある。同音を繰返して「齋ひ」につづけた序。
 
3637 草枕旅行く人をいはひ島幾代|經《ふ》るまで齋《いは》ひ來《き》にけむ
 
〔譯〕 多くの旅行く人々を、この伊波比島は、その名の通りに、幾年代の間、齋ひ護りつづけて來たことであらう。どうか、自分の旅路の平安をも、祝福し護つてほしい。
(34)〔評〕 遙かな波路を凌いでゆく苦しい旅で、その平安を祈る心が、おのづからこの島の名を聞いて慰められたであらう。且、その島の悠久の生命に思を馳せ、ひいて我より先に、この島のあたりを、同じ思を懷いて通り過ぎて行つたであらう幾多の旅人の運命をも想像したのである。
 
     大島の鳴門《なると》を過ぎて再宿を經たる後、追ひて作れる歌二首
 
3638 これやこの名に負《お》ふ鳴門《なると》の渦潮《うづしほ》に玉藻刈るとふ海人|娘子《をとめ》ども
     右の一首は、田邊秋庭
 
〔題) 大島の鳴門 「大島」は周防國大嶋郡の屋代島のことで、「鳴門」は、それと、柳井津の東なる玖珂郡大畠との間の海峽。今、大畠瀬戸といふ。この歌は、其處を過ぎて二日の後に作つたとの意。
〔譯〕 これがあの、かねて聞いてゐた、名前の通り潮が鳴る鳴門の瀬戸の渦卷き流れる潮の中で、美しい藻を苅つて生活するといふ海士の少女達なのか。隨分苦しいことであらうなあ。
〔評〕 高鳴る渦潮の中で海藻を刈る海女の生活は、都人にとつては珍らしくも恋しいものであつたに違ひない。話には聞いてゐたが、まのあたり見るは始めてである。率直な詞句の間に、作者の驚異感が強く描かれて居り、又かかる生活に對する同情の念がしみじみと言外に流れてゐる。
 
3639 波の上《うへ》に浮宿《うきね》せし夜《よひ》何《あ》ど思《も》へか心|愛《がな》しく夢《いめ》に見えつる
 
〔譯〕 船で搖られつつ浪の上に寢てゐた晩に、何と思つたものか、いとしくも自分の夢に妻が見えたことである。
〔評〕 夢に見るのは相手が此方を思つてゐる結果で、又此方が人を思へばおのづからその人の夢にも見えるものと考へたのは、古代人の信仰であつた。この歌は海上に漂ふ船中の眠に、家なる妻の姿を夢みたのを、ふと覺めた瞬間、(35)喜び懷かしみ且いぶかつたのである。更にその後に湧いて來る哀慕の心もちは、一層やるせないものがあつたであらう。妹といふ語を點出しない表現は、巧妙な省略といふではなく、未熟ゆゑの不備と評すべきであらう。
 
     熊毛《くまけの》浦に船|泊《は》てし夜、作れる歌四首
 
3640 都方《みやこべ》に行かむ船もが刈菰《かりこも》の亂れて思ふ言《こと》告《つ》げやらむ
     右の一首は、羽栗《はくり》
 
〔題〕 熊毛郡 周防國熊毛郡の南端にある。
〔譯〕 都の方へ行く船があればいい。さうしたらば、戀しさに、刈つた薦のやうに思ひ亂れてゐるこの心もちを、我が家へ傳言してやらうに。
〔評〕 「三六一二」と同想であり、その他、類歌が少くない。音信の不便な時代の樣子が察せられてあはれである。
〔語〕 言告げやらむ 言を告げてやらう、即ち音信をしようの意。「言」を事の意に見る説は不可。
〔左註〕 羽栗 代匠記は、續紀寶字元年十一月の遣唐使藤原清河を迎へる使に録事羽栗翔の名あるをいひ、板橋倫行氏は、圓仁の入唐記に、山東開元寺の壁畫願主として録事正六位上羽豐翔の名を見た記事あるを指摘された。
 
3641 曉《あかとき》の家戀しきに浦廻《うらみ》より楫《かぢ》の音《おと》するは海女《あま》少女かも
 
〔譯〕 夜明け方の家の戀しい折から、海岸近いあたりから艪の音がするのは、海女《あま》の娘が漕いでゐるのであらうか。
〔評〕 わびしい船中の寢覺の曉、聞えて來る艪の音に、作者はいよいよ郷愁をそそられてゐるのである。
 
3642 沖邊より潮滿ち來《く》らし可良《から》の浦に求食《あさり》する鶴《たづ》鳴きて騷きぬ
 
(36)〔譯〕 沖の方から段々と潮が滿ちて來るらしい。からの浦で餌をさがしてゐる鶴が、鳴きつつ群れ騷いでをる。
〔評〕 鶴は、上代では海邊や湖畔には殆ど隨處にゐた。旅中屬目の純敍景歌で、一通りの作である。
〔語〕 ○可良の浦 所在不明。熊毛の浦の附近と思はれる。○あさりする 餌を探してゐる。
 
3643 沖邊より船人《ふなびと》のぼる呼び寄せていざ告げ遣《や》らむ旅の宿《やどり》を【一に云ふ、旅のやどりをいざ告げやらな】
 
〔譯〕 沖の方を通つて、船人が都の方へ漕ぎ上つて行く。あの船を呼び寄せて、さあ都なる家の者へ告げてやらう。自分の旅の泊りの樣子を。
〔評〕 「一六一二」に「奈良の都に行く人もがも」と希ひ、「三六四〇」に「都べに行かむ船もが」と熱望した言がよい前兆をなして、沖邊を都へと漕ぎ上る官船を發見したのである。一行の狂喜はどのやうであつたらう。唐の詩人岑參は「故園東(ニ)望(メバ)路漫漫。雙袖龍鐘(トシテ)涙不v乾(カ)。馬上相逢(ウテ)無(シ)2紙筆1。憑(ツテ)v君(ニ)傳語(シテ)報(ゼシム)2平安(ヲ)1。」と歌つた。それは馬上、これは船中であるが、、遊子懷郷の情は變りがない。
〔語〕 ○いざ告げやらむ さあ言づてをしようの意。この句と結句とは、倒装法を用ゐたところに、感情の高揚が見られるのである。一に云ふの方は、普通の敍法であるため、平板の感を免れない。
 
     佐婆《さば》の海中《わたなか》にして忽に逆風み浪に遇ひ、漂流し宿を經て後、幸に順風を得、豐前國下毛郡|分間浦《わくまのうら》に到着す。是《ここ》に艱難を追ひ怛み悽惆して作れる歌八首
 
3644 大君の命《みこと》恐《かしこ》み大船の行きのまにまにやどりするかも
     右の一首は、雪宅麻呂《ゆきのやかまろ》
 
〔題〕 ○佐婆 周防國佐波郡、今の三田尻附近の海。下毛郡は今の大分縣下毛郡。○宿を經て後 一夜を過して後。(37)○分間浦 所在不明。九州萬葉手記には、下毛郡和田村の和間の海岸をいふとある。
〔譯〕 大君の御命令を奉じて、新羅へ向ふ大船の進み行くままに、我々はかうして具さに辛酸を嘗めつつ、何處にでも假泊をするのである。
〔評〕 風浪に翻弄されて、思ひもよらぬ處に漂着しながらも、ひたむきにその責務を思ふところ、萬葉人らしい忠誠の情が溢れてゐる。これに依つて、沈みくづほれようとする一行の士氣を引き立てる作者の意圖も見えるやうで、悲壯の調がこもつてゐる。
〔左註〕 雪宅麻呂 傳未詳。雪は壹岐氏であらう。懷風藻でも、本文に「伊支連」とあるを、目録に「雪連」とある。
 
3645 吾妹子は早も來《こ》ぬかと待つらむを沖にや住まむ家|附《づ》かずして
 
〔譯〕 自分の妻は、夫が早く歸つて來ないものかと、待ち焦れてゐるだらうに、自分はいつまでも、かうして風浪のために、大海の沖邊に滯留してゐることであらうか、我が家の方に近づき向はないで。
〔評〕 家なる妻は、月を數へて待つてゐるであらうに、前途なほ程遠く、まだ往路の半ばにも及ばないといふ焦慮は同情される。「沖にや住まむ」の句、稚拙のやうでしかも新味があり、心細い感じをよく現してゐる。
〔語〕 ○早も來ぬか 早く來ないものか、待望の意。○家つかずして 家の方へは近づかないでの意。「淡路島雲居に見えぬ家づくらしも」(三七二〇)參照。
 
3646 浦|廻《み》よりこぎ來《こ》し船を風早み沖つ御浦《みうら》にやどりするかも
 
〔譯〕 沿岸を通つて漕ぎ進んで來た我々の船であるに、風が早くて、沖の島の浦に假泊をすることである。
〔評〕 周防灘に漂流した擧句、からうじて姫島などの岸にたどり着いたのであらうか。表現は率直ながら粗笨である。
(38)〔語〕 沖つ御浦 諸説があるが、沖の小島にある浦の意と見た略解の説が妥當である。
 
3647 わぎもこが如何《いか》に思へかぬばたまの一夜も闕《お》ちず夢《いめ》にし見ゆる
 
〔譯〕 家なるいとしい妻が、どう思つてゐるからとて、かう一晩も缺けることなく、自分の夢に見えるのであらう。
〔評〕 久しい旅にあつては、たださへ家郷の妻のことが思はれる。まして、危險に瀕し、辛酸を嘗める折毎に、一層思が痛切になるのは、當然である。從つて、妻の姿が夢裡に入り來ることの頻繁なのを、例の古代信仰に基づいて斯く歌つたところに、萬葉人の眞實性が窺はれる。
 
3648 海原の沖邊に燭《とも》し漁《いざ》る火は明《あか》して燭《とも》せ大和島見む
 
〔譯〕 海上の沖の方で、點々とともして漁をしてゐる船の火は、もつと明るくしてともせよ。その火の光で、故郷の大和の方を見ようと思ふから。
〔評〕 暗い沖邊に見える漁火に、やるせない郷愁を燃え立たせつつ、大和は何處と望んだのである。わづかな漁火の光に大和の方を見ようといふ、理性を超越した稚態が、却つて深い眞情を藏して、人の胸臆を衝くのである。
〔語〕 ○大和島 大和國の意。「二五五」の人麿の「大和島見ゆ」などによつていうたのであらう。
 
3649 鴨じもの浮宿《うきね》をすれば蜷《みな》の腸《わた》か黒《ぐろ》き髪に露ぞ置きにける
 
〔譯〕 鴨のやうに波の上に浮寢をしてゐると、蜷の腸のやうに黒い髪に、露がしつとりと置いたことである。
〔評〕 素朴な語調で淡々と敍し去り、一片の感情語を著けてゐないが、わびしい海波の上の浮寢といふ特殊な?況が想像され、半夜眼を成しかねてゐる作者のため息も聞えるやうで、餘情のこもつた作である。
 
(39)3650 ひさかたの天《あま》照《て》る月は見つれども吾《あ》が思《も》ふ妹に逢はぬ頃かも
 
〔譯〕 美しく空に照る月は今晩見ることが出來たが、自分の戀しく思つてゐる妻に逢はないで日頃を經ることである。
〔評〕 一二三句は、荒天の爲に見られなかつた月を、今夜思ひがけなく仰ぎ得た喜を語つてゐる。そのめすらしい月光を見るにつけても、こみ上げて來るのは愛妻への思慕である。表現に稚拙さはあるが、眞率な點がよい。
 
3651 ぬばたまの夜渡《よわた》る月は早も出でぬかも海原の八十島の上《うへ》ゆ妹が邊《あたり》見む【旋頭歌なり】
 
〔譯〕 夜空を渡る月は早く出て來ないかなか。この海上の多くの島々の上を通して、妻の住むあたりを眺めように。
〔評〕 旋頭歌である。大和は既に遠く離れてゐるが、せめては月の光に、妻の住む故郷の方向でも眺めたいといふ心情が、思ひあまつてあはれである。「海原の八十島の上ゆ」は、簡淨にして巧みな表現、強く實感を裏づけてゐる。
 
     筑紫館《つくしのたち》に至り、遙に本郷を望み、悽《いた》み愴《なげ》きて作れる歌四首
 
3652 志珂《しか》の海人《あま》の一日も闕《お》ちず燒《や》く鹽の辛《から》き戀をも吾《あれ》はするかも
 
〔題〕 筑紫の館 筑前の博多に置かれた公設の對外的客館で、九州萬葉地理考引用の中山博士の説によると、正史に記載は無いが、大宰府の正廳都府樓や水城などと略《ほぼ》同時代、即ち天智天皇の頃に起工したものらしいといふ。
〔譯〕 志珂の海人が一日も缺かさず燒いてゐる鹽ではないが、からい苦しい戀を自分はすることである。
〔評〕 志珂の海人は集中にも多く詠まれてゐるが、作者は今實地に彼等の生活を目撃して、感緒を新たにしたに違ひない。しかしこの歌は、それによつて新たに詠み出したといふよりも、「二七四二」の歌を聯想して、聊か字句を換へ口吟したのである。上に人麿の諸作を、處につけて人々が思ひ出して誦詠したのと同じ意味に見てよい。
(40)〔語〕 ○志珂の海人 志珂は、筑前博多灣の前面にある志賀嶋。○燒く鹽の 「からき」につづけた序。○からき戀 原作では普通の意の苦しい戀であるが、ここは故郷の妻子に對する思慕の意にとつてゐる。
 
3653 志珂《しか》の浦に漁《いざり》する海人《あま》家人の待ち戀ふらむに明《あか》し釣《つ》る魚《うを》
 
〔譯〕 志珂の浦で漁をしてゐる漁夫は、家の妻が待ち戀うてゐるのであらうに、夜どほし、ああして魚を釣つてゐる。
〔評〕 荒浪を凌いで異國に使する自分達にひきくらべて、妻子を家に待たせ、終夜苦しい生業にいそしむ海人達の上に、同情をそそいでゐる。しみじみと温い人情の流れた作である。
〔語〕 ○明し釣る魚 夜どほし釣るの意。燈火を明くしてと見る説は誤。「魚」ととめたのは變つてゐる。
 
3654 可之布江《かしふえ》に鶴《たづ》鳴き渡る志珂《しか》の浦に沖つ白浪立ちし來《く》らしも【一に云ふ、滿ちし來ぬらし】
 
〔譯〕 可志布江に鶴が鳴きつつ飛んで行く。今滿潮になつて、志珂の浦に、沖の方の白浪が立つて來るらしい。
〔評〕 鶴の群が鳴きつつ渡るのを見て、潮の干滿を察するといふ類歌は集中に多く、一つの型をなしてゐた觀がある。この歌は、實景ではあるが、樣によつて胡蘆を描いたまでで、新味が見出されない。
〔語〕 ○可之布江 可之布は志賀の浦の對岸、糟屋郡の香椎潟のことといふ。○立ちし來らしも 上の「し」は強意の助詞と見る説による。代匠記に「立ち重くらしも」との解もある。
 
3655 今よりは秋づきぬらしあしひきの山松かげに茅蝉《ひぐらし》鳴きぬ
 
〔譯〕 今からは、すつかり秋らしくなつてゆくらしい。山の松蔭で、ひぐらしが鳴いてをる。
〔評〕 七月初旬、往路半ばにして筑紫の山陰に鳴く蜩の聲を開いて、しみじみと秋のけはひの至れるを意識したので(41)ある。出發に際しては「秋さらば相見むものを」(三五八一)などと豫期してゐた身にとつて、筑紫で秋の音づれを感じた時の思ひは、いかがであつたらう。淡々たる敍述の中に、長い哀韻を藏してゐる。
 
     七夕《なぬかのよひ》に、天漢《あまのがは》を仰ぎ觀て、各|所思《おもひ》を陳べて作れる歌三首
 
3656 秋萩ににほへる吾《わ》が裳ぬれぬとも君が御船の綱し取りてば
     右の一首は、大使
 
〔題〕 七夕云々 七月七日の夜、天の河を眺めつつ所感を抒べた歌。筑紫の舘に滯在中のことであらう。
〔譯〕 秋萩の花で美しく染まつた私の裳の裾は、よしや浪に濡れてもいとひはしませぬ。戀しい君の御舟の綱を執つて引き留めることがかなうたならば。
〔評〕 作者自ら織女の心になつて詠んだ歌であるが、その心の奧には、別れの際に於ける妻の嘆きの樣を描いてゐたのであらう。旅中の海邊に七夕を迎へ、天漢を仰いで歌を詠じた奈良朝文化人の風流韻事は、後世から見ても、實になつかしい。織女の姿態を描いた「秋萩ににほへる吾が裳」は、當時の上流婦人の婉容の楚々たるを思はしめる。
〔語〕 ○綱しとりてば この句を新考には、彦星の舟が著かうとする時、織女が水に下り立ち自ら舟の舳綱を引寄せる趣と解してゐるが、略解や古義の説の如く、彦星を引き留める爲と見る方が一層情味が深い。
〔左註〕 大使一行の長官安倍朝臣繼麿である。歸國の途中、對馬に客死した。この時同行した二男に妻があつたのを思へば、相當の齡であつたらしい。
 
3657 年にありて一夜妹に逢ふ牽牛《ひこほし》も我《われ》に益《まさ》りて思ふらめやも
 
〔譯〕 一年の間にただ一夜だけ妻に逢ふ彦星でも、自分以上に妻を戀しく思つてゐるであらうか。
(42)〔評〕 二星のはかない交會に同情を寄せつつも、今の我が身の思が、寧ろ彦星以上であるといつたのである。
 
3658 夕|月《づく》夜影立ち寄り合ひ天《あま》の河《がは》こぐ舟人を見るが羨《とも》しさ
 
〔譯〕 夕月の出てをる頃に、夕月の光に影が寄り合つて、天の河を漕いで妻のもとへ行く舟人、即ち彦星を眺めるのがまことに羨ましいことである。
〔評〕 妻や愛人に別れて遠く來、久しく日を經てゐる人達である。適々夫婦相逢ふ星合の空を眺めて、羨望の念を禁じ得なかつた、その心持は同情に値するが、二句のいひざまが拙い。
〔語〕 ○影立ち寄り合ひ この句は曖昧で、解釋上異説がある。「かげ」には(イ)光、(ロ)姿、(ハ)面影、(ニ)鏡や水面に映る形、(ホ)所謂影法師、(ヘ)物に蔽はれ又は光の當らぬ處、など種々の意義があるが、本集で用ゐられてゐるのは(イ)(ロ)が多い。この歌ではいづれを採るかによつて解釋がちがふ。上述のやうに解したが、人々の姿が立ち寄り合つて、即ち、人々數人あつまつて仰ぎ見てゐる樣と解する見かたもある。
 
     海邊に月を望みて作れる歌九首
 
3659 秋風は日《ひ》に異《け》に吹きぬ吾妹子は何時《いつ》とか我《われ》を齋《いは》ひ待つらむ
     大使の第二男
 
〔譯〕 秋風は一日一日と吹きまさつて來た。家にゐる折としい妻は、いつ頃歸ることかと思つて、物忌をしつつ自分を待つてゐることであらう。
〔評〕 秋風と共に歸れる豫定の旅であつた。今や七夕も過ぎ、秋風は日毎に吹きまさるのに、身はまだ筑紫の海邊にたゆたうてをる。妻はさうとも知らずに待つてゐるであらうと、眞情の流露した作。
(43)〔左註〕 大使の第二男 大使阿倍繼麿の次男であるが、名不詳。古義は、續紀にある阿部朝臣繼人かといつてゐる。
 
3660 神《かむ》さぶる荒津《あらつ》の埼に寄する浪|間《ま》無くや妹に戀ひ渡りなむ
     右の一首は、土師稻足《はにしのいなたり》
 
〔譯〕 神々しい景色の荒津の埼に寄せて來る浪の絶間がないやうに、これから歸京の時まで、絶間もなく妻にこがれつづけることであらうか。
〔評〕 眼前に眺める荒津の埼の景をとつて序に用ゐたものであるが、構想は類型的である。
〔語〕 ○神さぶる 岩石や樹木で神々しい意。○荒津の埼 福岡市西公園に當る邊といふ。
 
3661 風の共《むた》寄せ來《く》る浪に漁《いざり》する海人《あま》をとめ等《ら》が裳《も》の裾ぬれぬ【一に云ふ海人の處女が裳の裾ぬれぬ】
 
〔譯〕 風につれて寄せて來る浪で、漁をしてゐる海人の少女らの着物の裾が、すつかり濡れてしまつた。
〔評〕 平凡にして他奇なき情景であるが、平素海を見ない都人にとつては、興を惹いたのであらう。しかし、敍法も平凡である。
 
3662 天《あま》の原|振放《ふりさ》け見れば夜ぞふけにけるよしゑやし獨|寢《ぬ》る夜は明けば明けぬとも
     右の一首は、旋頭歌なり
 
〔譯〕 大空を遙かに仰いで見ると、夜はすつかりふけてしまつた。ええままよ、どうせ獨で寢る夜は、明けるなら明けても、かまふものか。
〔評〕 旋頭歌である。獨寢の旅では、夜が更けるも明けるも、何の拘はる所もないと、投げ出したやうな句が哀切に(44)響く。但、四句以下は、句は「二八〇〇」に學んだ跡が明かである。
 
3663 わたつみの沖つ繩海苔《なはのり》來《く》る時と妹が待つらむ月は經につつ
 
〔譯〕 海の沖の繩のやうに細長い海苔を手もとに繰りよせて採るやうに、自分の歸つてくる頃であると、いとしい妻が待つてゐるであらう、その豫定の月は、むなしく過ぎ去りつつある。
〔評〕 約した歸期のむなしく過ぎて行くのを歎いたもの。繩海苔を拉し來つて序としたのは、作者のはたらきである。五七調ではあるが、二句と四句で切れ、五句は添加したものと見ることは出來ない。「待つらむ」は連體形で、「月」に續けて解するをよしとする。
 
3664 志可《しか》の浦に漁《いざり》する海人《あま》明け來《く》れば浦|廻《み》こぐらし梶の音《おと》聞ゆ
 
〔譯〕 志可の浦で漁をする漁夫は、夜が明けてくると、浦のあたりを漕いでゐるらしい。艪の音が聞えて來る。
〔評〕 作者は曉の寢覺に、かすかな艪の音を聞いてゐるのである。夜もすがら沖邊に火をともして釣をしてゐた漁夫達が、夜明けと共に元氣よく漕ぎ歸る樣を想像してゐるので、さはやかな初秋の海邊の情趣に、暫く郷愁から解放されてゐるやうである。
 
3665 妹を思ひ寐《い》の寢《ね》らえぬに曉《あかとき》の朝霧|隱《ごも》り雁がねぞ鳴く
 
〔譯〕 いとしい妻のことを思つて、自分は眠れないでゐるのに、明方の霧の中で、雁が鳴いてゐる。
〔評〕 曉の旅愁を詠じて、そぞろに哀感が深い。構想にも表現にも新味はないが、眞率なのがよい。
 
(45)3666 夕されば秋風寒し吾妹子が解濯衣《ときあらひごろも》行きて早著む
 
〔譯〕 夕方になると秋風が身にしみて寒い。妻が、解いて洗つてくれた着物を、歸つて行つて早く着よう。
〔評〕 家なる妻が心づくしの仕立直しの着物を、秋風の肌寒さにつけて戀しがるところ、旅愁のみならず、しみじみとした生活の味が滲み出てゐて、あはれが深い。二句切れの緊密な調子もよく、三句以下の一氣に押通した敍法も力があり、特に四五句は素朴にして清新である。
 
3667 わが旅は久しくあらし此の吾《あ》が著《け》る妹が衣の垢《あか》つく見れば
 
〔譯〕 自分の旅は、思へば意外に久しくなつたらしい。この自分が着てゐる妻の下着の垢づいたのを見ると。
〔評〕 首途の際に、下に着て來た妻の形見の着物が、今は垢づいたのを見て、旅に日數を經たことを痛感したのである。防人古部蟲麿の「四三八八」の作と相似て、共にあはれである。
 
     筑前國志麻郡の韓革《からどまり》に到りて、船《ふね》泊《は》てて三日を經たり。時に夜月の光皎皎として流照す。奄《たちま》ち此の華《けはひ》に對して旅情悽噎し、各心緒を陳べて聊以ちて裁《つく》れる歌六首
 
3668 大君の遠《とほ》の朝廷《みかど》と思へれどけ長くしあれば戀ひにけるかも
     右の一首は、大使
 
〔題〕 志麻郡の韓亭 筑前絲島郡の北崎村唐泊で、福岡灣の西、能古島に對してゐる。○華 下の「三六九七」の題詞に「物華」とあるに同じく、風光の美をいふ。○悽噎 心を傷め咽び泣くの意。
〔譯〕 ここは大君の遠くの御役所の所在地、結構な土地とは思つてゐるけれども、もう旅の時間が久しくなるので、(46)自分は、都を戀しく思ふことである。
〔評〕 韓泊は、外蕃と直接交渉の官府たる太宰府管下であるから「大君の遠の朝廷」と云つたのである。歌の趣から察すると、設備萬端、相當に立派であつたと思はれる。歌は大使の作にふさはしい堂々たる格調である。
 
3669 旅にあれど夜《よる》は火《ひ》燭《とも》し居《を》る我《われ》を闇にや妹が戀ひつつあるらむ
     右の一首は、大判官
 
〔譯〕 旅にはゐるけれども、夜は燈火をともして、不自由なくしてゐる自分を、燈火もなく心もくれて家の妻が戀ひ慕つてゐることであらう、かはいさうに。
〔評〕 遣外使節の官船であるから、夜も不自由なく燈火をともしてゐる。それにつけても家なる妻のことが思ひやられる。燈油が貴重であつて、まだ一般に行き渡つてゐなかつた時代の背景を考へ合せると、四句が哀切である。
 
3670 韓亭《からとまり》能許《のこ》の浦波立たぬ日はあれども家に戀ひぬ日は無し
 
〔譯〕 この韓亭のそばの能許の浦波が、立たない日はあるけれども、自分が故郷の家を戀しく思はぬ日とては無い。
〔評〕 眼前の實景を譬喩に取つて感懷を抒べたところ、練達の手腕である。個性に乏しい憾はあるが、流麗の調愛すべく、古今集の「駿河なる田子の浦波たたぬ日はあれども君を戀ひぬ日はなし」は、これを改作したものと思はれる。
〔語〕 ○能許の浦 今は殘《のこの》島といひ、唐泊の東南、福岡灣口の中央にある。
 
3671 ぬばたまの夜《よ》渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて來《こ》ましを
 
〔譯〕 あの暗い夜空を渡る月で自分があつたらば、奈良の都まで行つて、留守居してゐる妻に逢つて來ようのに。
(47)〔評〕 交通不便な上代、遠く旅に出た人の心持は、今日の人の想像も及ばぬものであつたに違ひない。この歌は、希望の對象を月としたのが珍らしい。月は何處からでも見られ、從つて何處をも見ることが出來ると考へられるので、無理ならぬ念願であると云へよう。
 
3672 ひさかたの月は照りたりいとまなく海人《あま》の漁火《いざり》は燭《とも》し合へり見ゆ
 
〔譯〕 月は清く照つてゐる。海人の漁火は、間斷もなくちらちらと彼方此方に燭しあつてゐるのが見える。
〔評〕 月下の漁火は、暗い浪間に明滅するのとは又違つた一種の情景で、都人なる作者の目に物めづらしく映つたであらう。旅愁から全く解放された歌で、二句切れの調子がすつきりとして内容にふさはしく、快い響がある。
 
3673 風吹けば沖つ白波|恐《かしこ》みと能許《のこ》の亭《とまり》に數多夜《あまたよ》ぞ宿《ぬ》る
 
〔譯〕 風がひどく吹くので、沖に立つ白波の恐しさに、この能許の船つきで幾晩も寢ることである。
〔評〕 玄海の荒波を眺め暮しつつ、荏苒日を送る旅人の憂悶がよく表れてゐる。何等の技巧を用ゐてないが、四五句の敍法が、殊に自然にして感銘深いものがある。
 
     引津亭《ひきつのとまり》に船《ふね》泊《は》てて作れる歌七首
 
3674 草枕旅を苦しみ戀ひをれば可也《かや》の山邊にさを鹿鳴くも
 
〔題〕 引津亭 絲島郡の北、今も引津浦といふ。「梓弓引津野邊」(一二七九)とあるのも同處であらう。
〔譯〕 旅が苦しくて、しみじみ故郷を慕うてゐると、可也の山邊で男鹿が鳴いてゐる。あれも、妻を慕つてゐるのであらう。
(48)〔評〕 郷愁そぞろに湧いて、物悲しい夕べ、哀婉な鹿の聲を聞いたノである。敍法平明で、情趣哀切。
〔語〕 ○可也の山 絲島郡の北部に聳えて小富士の稱があり、引津浦からは東に當る山。
 
3675 沖つ浪高く立つ日に遇《あ》へりきと都の人は聞きてけむかも
     右の二首は、大判官
 
〔譯〕 あの沖の浪が高く立つた日に遭つて、苦しい航海をしてゐたのであつたといふことを、都の家人らは噂に聞いたであらうか。聞いて心配してゐはしないであらうか。
〔評〕 曩に佐婆の海上で逆風怒濤に遭ひ、豐前の下毛郡まで流されたあの難航海を、今しみじみと思ひ返しつつ、それにつけても偲ばれる家人への思慕を抒べたのである。
 
3676 天飛《あまと》ぶや雁を使に得てしかも奈良の都に言《こと》告《つ》げ遣《や》らむ
 
〔譯〕 天を飛んでゆくあの雁を、自分の使として得たいものである。それに頼んで、奈良の都の家に、音信を告げてやらうに。
〔評〕 雁を使とすることは、集中他にも「一七〇八」や「三九五三」に見えるが、いづれも中國の蘇武の雁信の故事にもとづいたもの。この歌を拾遺集に、「もろこしにて、柿本人丸」として「天とぶや雁の使にいつしかも奈良の都にことづてやらむ」として載せてある。當時の萬葉集に關する知識のいかに幼稚であつたかを知ることが出來る。
 
3677 秋の野をにほはす萩は咲《さ》けれども見るしるし無し旅にしあれば
 
〔譯〕 秋の野邊を一面に美しく色どる萩は咲いてゐるけれども、見てもかひが無い、家を離れた旅のことなので。
(49)〔評〕 萩は萬葉人の最も好きな花であつた。しかしその美觀を見ても、今は心が慰まない程の深い旅の憂悶である。平淡の裡に眞情流露した清雅な作。
 
3678 妹を思ひ寐《い》の寢《ね》らえぬに秋の野にさを鹿鳴きつ妻おもひかねて
 
〔譯〕 妻を思つて安眠も出來ないでゐると、秋の野に男鹿が鳴いた。自分と同じくやはり妻戀しさに堪へかねて。
〔評〕 前の「三六七四」が可也の山邊の鹿の聲に愁腸を絞つたのと同趣である。實感が眞率に流れ出てゐる。
 
3679 大船に眞楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き時待つと我《われ》は思へど月ぞ經にける
 
〔譯〕 大船に兩舷の艪をとりつけて、船出の時を待つのであると自分は思つてゐるが、思ひの外に、月がたつてしまつた。
〔評〕 船出が延びれば歸期もそれだけ遲れる。順風を待ちつつ、空しく引津の亭にたゆたうてゐる焦燥の作。
 
3680 夜を長み寐《い》の寢《ね》らえぬにあしひきの山彦《やまびこ》響《とよ》めさを鹿鳴くも
 
〔譯〕 夜が長いので、眠ることも出來ずにゐると、遙かに山彦を響かして、男鹿が鳴くことである。
〔評〕 前三首の鹿の聲を聞く歌と同趣である。ある註者は、斯かる歌からは切實な感を受けないと評してゐるが、それは現代人はかういふ體驗を持つ機會がないからである。作品の解釋鑑賞には、時代とその環境との理解洞察が必要である。これ無くして古歌の批判などは出來ない。
 
     肥前國松浦郡|狛島亭《こましまのとまり》に船《ふね》泊《は》てし夜、遙に海の浪を望みて、各旅の心を慟みて作れる歌七首
 
(50)3681 歸り來て見むと思ひしわが宿の秋萩|薄《すすき》散りにけむかも
     右の一首は、秦田麻呂《はだのたまろ》
 
〔題〕 狛島亭 所在不明。京大本に「柏島」とある。柏島は今の神集《かしは》島で、佐賀縣東松浦郡に屬してゐる。
〔譯〕 無事に任務を果して歸つて來て眺めようと思つてゐた我が家の秋萩や薄が、こんなに旅程が遲れてゐる間に、今頃はもう散つてしまつたであらう。
〔評〕 その焦慮と傷心、その望郷の涙を隱して、庭前の萩や薄の過ぎゆくを惜しんだのは、温藉な作者の風   葬が偲ばれる。格調も清麗流暢、老手といふべきである。
〔訓〕 ○やど 通行本に白文「夜等」とあるが、宿と解すれば、特殊假名遣上、類聚古集、西本願寺本等の「夜度」に據るべきである。
 
3682 天地の神を祈《こ》ひつつ吾《あれ》待たむ早來ませ君待たば苦しも
     右の一首は、娘子《をとめ》
 
〔譯〕 天地の神樣をお祈りして、私はお待ちしませう。早くを歸りなさいませ。長く待つてゐるのでは、苦しうございます。
〔評〕 狛島革に於ける一夜の宴飲に侍した遊行女婦の歌である。再會を希ふ情と、航路の平安を祈る心とがこもつて、この種の女性のお座なりの歌と思へないのは、やはり上古人心の誠實によるものであらう。
 
3683 君を思ひ吾《あ》が戀ひまくはあらたまの立つ月|毎《ごと》に避《よ》くる日もあらじ
 
(51)〔譯〕 あなたを思つて私が戀ひこがれるであらうことは、立ちかはる月毎にいつも同樣で、この日だけはさうでないと取り除ける日は、決してありますまい。
〔評〕 四五句が變つてゐる。歌の後に作者の名がないから、都の妻か愛人を思つた一行中の人の作と見るべきであるが、一首の趣からすれば、再會を希ふ女性の作らしく響く。かつ、獨白的に遠くの人を憶ふといふよりも、對話的に眼前の人に詠みかけた口吻のやうに感じられるから、作者の名が落ちたものと思ふ。
 
3684 秋の夜を長みにかあらむ何《な》ぞ幾許《ここば》寐《い》の寢《ね》らえぬも獨|宿《ぬ》ればか
〔譯〕 秋の夜が長いからであらうか。どうしてこんなに甚しく、安眠が出來ないのであらう。獨で寢てゐるからであらうか。
〔評〕 旅の丸寢に眠を成しかねての作。やや理路に落ちた嫌はあるが、特殊な句法に面白みがある。
〔語〕 ○ここば 「二二〇」の「ここだ」に同じく、多數の意から轉じて、甚しくの意。
 
3685 足姫《たらしひめ》御船《みふね》泊《は》てけむ松浦《まつら》の海《うみ》妹が待つべき月は經につつ
 
〔譯〕 神功皇后の御船が碇泊したであらう此の松浦の海の、「まつ」といふやうに、家の妻が自分を待つてゐる月は、段々經過して行くことである。
〔評〕 松浦から古い歴史を想ひ、その同音から聯想して、家人の待つにかけたのである。
 
3686 旅なれば思ひ絶えてもありつれど家に在る妹し思ひがなしも
 
〔譯〕 旅のことゆゑ、斷念し諦めてゐたけれど、家にある妻を思ふと、思ひやるに悲しい。
(52)〔評〕 自分の戀しさはそれとして置いて、遙かなる愛妻の心情を思ひやるところ、古人の純情まことに美しい。表現は寧ろ稚拙であるが、眞率な點によさがある。
 
3687 あしひきの山飛び越ゆる雁がねは都に行かば妹に逢ひて來《こ》ね
 
〔譯〕 山を飛び越えて行く雁は、都に行つたらば自分の妻に逢つて來てくれ。さうして妻の便りを持つて來てくれよ。
〔評〕 東の空をさして飛び行く雁に、やるせない望郷の思を托したもので、結句の幼い願望の中にもあはれが籠つてゐる。
 
     壹岐島に到りて、雪連宅滿《ゆきのむらじやかまろ》が忽に鬼病《えやみ》に遇ひて死去《みまか》りし時作れる歌一首并に短歌
 
3688 天皇《すめろき》の 遠《とほ》の朝廷《みかど》と 韓《から》國に わたる我兄《わがせ》は 家人の 齋《いは》ひ待たねか 正身《ただみ》かも 過《あやまち》しけむ 秋さらば 歸りまさむと たらちねの 母に申《まを》して 時も過ぎ 月も經ぬれば 今日か來《こ》む 明日かも來《こ》むと 家人は 待ち戀ふむむに 遠《とほ》の國 未だも着《つ》かず 大和をも 遠く離《さか》りて 石《いは》が根の 荒き島根に 宿《やどり》する君
 
〔題〕 雪宅滿 宅滿は「三六四四」に宅麿とある作者で、壹岐氏。疫病で急逝したのである。
〔譯〕 天皇の遠方の政廳として、命を奉じて韓國へ渡るわが親しい友は、家の人が、神に祈つて待つことを怠つてゐるせゐか、本人が何か過失をしたのであらうか。そんなことはなからうに。秋になつたらば歸らうと、母君に申して出掛けてから、時も過ぎ月も經つたので、今日は歸らうか、明日は歸つて來るだらうかと、家の人は待ち戀うて居るであらうに、遠い韓國へも未だ行き着かず、大和をも遠く離れて、岩石の荒涼たるこの島邊に、永久に宿つて歸るこ(53)ともない君よ、痛ましいことではある。
〔評〕 韓國をさして「すめろきの遠の朝廷」というた句は注意されるが、作者の措辭の未だしいために、「家人の」以下の四句も不十分であり、「歸りまさむと」も、故人に對して敬ひ用ゐたのであらうが、よくない。
〔語〕 ○天皇の遠の朝廷と 集中の用例では多く太宰府をさし、越中の國府にも用ゐてゐるが、ここは嘗て任那にあつた日本府を意味し、この頃は既にそれは廢されてゐたが、從來の習慣から、又當時も猶さういふ考を存してゐて、この語を用ゐたものと思はれる。○ただみかもあやまちしけむ ただみを正身とするは、定本萬葉集の説によつたものである。略解に疊と解した説は採らぬ。正身は本人自身をいふ。
 
     反歌二首
3689 石田《いはた》野に宿《やどり》する君家人のいづらと我《われ》を問はば如何《いか》に言はむ
 
〔譯〕 石田野に永久に宿りをしてゐる君よ、都に歸つてから、お宅の人達が、君は何處に居られるかと自分に問うたらば、何と答へてよいであらうか。
〔評〕 歸京の後、亡友の遺族に對面して、その客死の事情を語らねばならぬ苦衷を、今から豫想したのである。亡き友に助言を需めるやうに詠みなしたところ、哀痛の感が深い。
〔語〕 ○石田野 島の東南にある。○我を 「を」は「に向つて」の意。「二一四〇」參照。
 
3690 世の中は常かくのみと別れぬる君にやもとな吾《あ》が戀ひ行かむ
     右の三首は挽歌
 
〔譯〕 人生といふものは、常にかうした無常なものと諦めて、永久に別れてしまつた君に、よしなくも自分は思慕の(54)心を寄せつつ、旅路を行くことであらうか。
〔評〕 親しい友の永久に眠る邊境の孤島を見捨てて、遠く異國に渡らねばならぬ悲愴な情をのべたのである。
 
3691 天地と 共にもがもと 思ひつつ 在りけむものを 愛《は》しけやし 家を離れて 浪の上《うへ》ゆ なづさひ來《き》にて あらたまの 月日も來經《きへ》ぬ 雁がねも 續《つ》ぎて來《き》鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手ぬれて 幸《さき》くしも あるらむ如く 出で見つつ 待つらむものを 世の中の 人の歎《なげき》は 相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる 野邊の 初尾花 假廬《かりほ》に葺《ふ》きて 雲|離《ばな》れ 遠き國邊の 露霜の 寒き山邊に やどりせるらむ
 
〔譯〕 天地と共に長く生きてゐたいと思つてゐたであらうに、なつかしい家を離れて、波の上を渡つて來て、その間に月日も過ぎた。雁も續いて來て鳴くので、都では、母君も妻君も、朝露に裳の裾は濡れ、夕霧に着物の袖はしめるのも厭はず、君が無事にでもゐるやうに、門前に出て見ながら待つてゐるであらうに、生きてゐる人の歎は、何とも思はない君だからとて、それで、秋萩の花の散つてゐる野邊の、初尾花を假小屋の屋根に葺いて、都からは雲のよそに離れて遠い邊境の、しかも露霜のおく寒い山邊に、永久に歸ることなく留つてゐるのであららか。いやいや、君とても人の歎を思はぬではあるまいに、痛ましいことである。
〔評〕 線の太さ、力強さには缺けてゐるが、哀調が脈々として、しなやかに一篇の上に流れてゐる。「世の中の人の歎は、相思はぬ君にあれやも」といつた言葉も、理路を超えた眞情の叫びであり、「秋萩の散らへる野邊の、初尾花假廬に葺きて」と、悲しみの中にも美しい景を點出したところ、哀婉の詩情が深い。
 
(55)     反歌二首
 
3692 愛《は》しけやし妻も兒どもも高高《たかだか》に待つらむ君や島|隱《がく》れぬる
 
〔譯〕 可愛い妻も子供も、つまだちをし、のびあがつて、君の歸りを待つてゐるであらうに、その君が、かうして寂しい島の陰に永久に隱れてしまつたのであらうか。信じがたいことである。
〔評〕 都の留守宅に、何も知らずに、夫の歸り、父の鼠りを待ちわびてゐるに違ひない友の妻子を思へば、同情に堪へないのみならず、同じ旅にある身は、よそ事ならぬ心もちに、悚然たるものがあつたであらう。但この歌は、「三三四〇」の歌によつたのであらう。作歌事情もよく似てゐるのである。
〔語〕 ○高高に 待ち望む意を示す副詞。爪立つて、背伸びをしてなどの意。「七五八」參照。
 
3693 黄葉《もみちは》の散りなむ山に宿りぬる君を待つらむ人し悲しも
     右の三首は、葛井連子老《ふぢゐのむらじこおゆ》の作れる挽歌
 
〔譯〕 紅葉のやがて散つてしまふであらう此の寂しい山に、永久に宿つてゐる君を、都の家で何も知らずに待ちこがれてゐるに違ひない人達が、まことに痛ましく氣の毒なことである。
〔評〕 秋も漸く老いて、美しい黄葉もやがて散るであらう。一行が去つたあとの寂しい島陰に、獨り永久の眼を續ける友、それとも知らずに歸りを待ちわびてゐる人、いづれもあはれならぬはなく、「可(シ)v憐(ム)無定河邊(ノ)骨、猶是春閨夢裡(ノ)人」と歌つた唐の詩人の作も聯想される。
 
3694 わたつみの 恐《かしこ》き路《みち》を 安けくも 無く煩《なや》み來《き》て 今だにも 喪無《もな》く行かむと 壹岐《ゆき》の海(56)人《あま》の 上手《ほつて》の卜筮《うらへ》を 肩《かた》灼《や》きて 行かむとするに、夢《いめ》の如《ごと》 道の空路《そらぢ》に わかれする君
 
〔譯〕 海上の恐しい航路を、安らかな心も無く苦勞を重ねて此處まで來て、せめて今からでも禍無く無事に行きたいものと、それにつけては壹岐の海人の上手な占を、鹿の肩骨を燒いてして貰ひ、吉凶を判斷してさて出發しようとすると、まるで夢のやうに、この旅の空で永久の別をして行つてしまつた君よ。何と悲しいことであらう。
〔評〕 簡勁の手法に、沈痛の氣が漲つてをる。「わたつみの恐き路」の如きも、身命を賭した實感に裏付けられた語である。縱つて「今だにも喪なく行かむ」の力強さ、卜筮に吉凶を判じさせる眞劍さ、おのづから襟を正きしめる。それ程までに心を盡したに拘はらず、忽然として死んだ友を思へば、全く夢の心地であつたに違ひない。又「壹岐の海人のほつ手の卜筮」は、風俗史の資料としても興味がある。
〔語〕 ○安けくも無く煩み來て 安き心持もなく、苦しみ惱んで來ての意。海上の遭難などをさす。○ほつ手 秀《ほ》つ手で、秀でた技術の義。延喜式に、卜部に三國の卜術優長者を取るとして、伊豆、壹岐、對馬をあげてゐる。○肩灼きて 鹿の肩骨を燒き、その裂け目によつて吉凶を判ずること。「三三七四」參照。肩を象とする説もある。○道の空路に 道の中途での意。「路」は輕く添へたもの。源氏物語夕顔卷にも「かかる道の空にて」とある。
 
     反歌二首
 
3695 昔より言《い》ひける言《こと》の韓國《からくに》の辛《から》くも此處《ここ》に別するかも
 
〔譯〕 昔から稱へて來た言葉の韓《から》國といふ名前の國へ渡るのは困難が多く、からいと言ひ傳へたとほりに、からい別を、この壹岐の嶋ですることである。
〔評〕 しみじみとつらい別をするにつけて、この行の目的地たる韓國の語を聯想して、序としたのである。
 
(57)3696 新羅《しらぎ》へか家にか歸る壹岐《ゆき》の島|行《ゆ》かむたどきも思ひかねつも
     右の三首は、六鯖《むさば》の作れる挽歌
 
〔譯〕 新羅へ行くべきか、それとも家に歸ることにするか、自分はこの壹岐の島で友に死なれて、行くべき手だても思ひかね、判斷しかねてゐることである。
〔評〕 作者は官命によつて新羅へ使する身、今更遲疑する理由は無いのであるが、是非を超越した人情である。これを宅滿の亡魂が歸趨に迷つてゐる趣に解した代匠記の説も、一應は首肯されるが、前の反歌で「からくも此處に別するかも」といつた作者は、さて別れてこれから何方へ向はうかとの逡巡と見るのが穩當である。カヘルに續けてユキノシマ、ユカムと頭韻式に重ねた修辭は巧みであるが、後世風の技巧の先驅をなすもので、眞實味をそぐ嫌がある。
〔左註〕 六鯖 續紀の寶字八年にみえる六人部鯖麿の氏と名とを略稱したものか、と代匠記にいつてゐる。
 
     對馬島《つしま》の淺茅浦に到りて舶《ふね》泊《は》てし時、順風を得ず、經停《とど》まること五箇日《いつか》。ここに物華を瞻望し、各慟む心を陳《の》べて作れる歌三首
 
3697 百船の泊《は》つる對馬の淺茅山《あさぢやま》時雨の雨にもみたひにけり
 
〔題〕 淺茅浦 淺茅《あそう》灣内の入江、今いづれと知られない。○物華 紅葉や月明の美しさ。
〔譯〕 對島の淺茅山は、此頃の時雨の雨で、すつかり紅葉してしまつたことである。
〔評〕 順風を得ずして荏苒日を送る憂悶は、時の推移の速かなのに驚かれつつも、流石にまた島山の紅葉を眺めて慰むこともあつたであらう。暫く旅愁を忘れたさまの歌である。
〔語〕 ○百船の泊つる 多くの船の泊る津の意から、對馬の「つ」の一音にかけた序。○もみたひにけり 「もみた(58)ふ」は四段活用の「もみつ」に、動作の繼續又は反覆の意を表はす語尾「ふ」を伴つたもの。
 
3698 天離《あまざか》る鄙《ひな》にも月は照れれども妹ぞ遠くは別れ來にける
 
〔譯〕 こんな邊陬の地にも、都と同じく月は照つてゐるけれども、共に眺めた妻に遠く別れて來たことである。
〔評〕 旅にゐては、美しい月光を仰ぐにつけても、直に思ひ到るは遠い愛妻の上である。白樂天の「三五夜中新月(ノ)色、二千里外故人(ノ)心」は親友、これは夫婦といふ違ひはあるが、相通ふ眞情である。
〔語〕 ○天離る 「鄙」の枕詞。○妹ぞ 妹をぞの略で、次の「別れ來にける」の目的語。
 
3699 秋されば置く露霜に堪《あ》へずして京師《みやこ》の山は色づきぬらむ
 
〔譯〕 もう秋になつたので、置く露霜に堪へきれないで、都の山々は、今頃すつかり色づいたことであらう。
〔評〕 今美しい對馬の山の紅葉を見ながら、故郷奈良の都の秋色を想像したのである。淡々たる敍述の中にも、いひ知れぬ懷郷の心持が流れてゐる。
 
     竹敷《たかしきの》浦に舶泊てし時、各心緒を陳べて作れる歌十八首
 
3700 あしひきの山下《やました》輝《ひか》る黄葉《もみちば》の散《ち》りの亂《まがひ》は今日にもあるかも
     右の一首は、大使
 
〔題〕 竹敷の浦 對馬下縣郡の竹敷港である。
〔譯〕 山の下までが光るほど、全山あかあかと照り輝く一面の黄葉、その黄葉が風に亂れて舞ひ散るのは、まさに今日のことなのである。
(59)〔評〕 明るい秋天に閃いて亂れ散る黄葉の美觀に見入つて、暫く鬱懷を忘れてゐる風流大使の姿が、目に浮んで來る。印象明快にして、格調も頗る勁健である。
〔語〕 ○山したひかる 山の下までが照り輝くの意。卷六の「一〇五三」に「山下光り」とあるに同じい。○散りの亂は 散り亂れる最高潮は。
 
3701 竹敷《たかしき》の黄葉《もみち》を見れば吾妹子が待たむといひし時ぞ來にける
     右の一首は、副使
 
〔譯〕 竹敷の浦のこの黄葉を見ると、妻が「秋にはお歸りをお待ちしてゐます」といつた、その時の早くも來たことである。
〔評〕 想も詞も類型的ではあるが、豫定よりはるかに多くの日數を要したので、感慨深いものがある。
 
3702 竹敷《たかしき》の浦|廻《み》の黄葉《もみち》我《われ》行きて歸り來《く》るまで散りこすなゆめ
     右の一首は、大判官
 
〔譯〕 竹敷の浦の黄葉よ。自分が任を果して歸つて來るまで、決して散つてくれるなよ。
〔評〕 即興的な歌のやうである。或は宴席の作で、宴に侍した女、玉槻などに歌ひかけて、歸りくるまで心がはりすな、とのたはぶれの歌とも解される。
〔語〕 ○散りこなすなゆめ ゆめ散りこなすなで、禁止の句法。
 
3703 竹敷《たかしき》のうへかた山は紅《くれなゐ》の八入《やしほ》の色になりにけるかも
(60)     右の一首は、小判官
 
〔譯〕 竹敷のうへかた山は、くれなゐを幾度も染めたほどの濃い色になつたことよ。
〔評〕 宇敝可多山は、上方の山の意で也名ではないとする説もあるが、竹敷の地のいづこかの山をさしたのであらう。三句以下おほらかに心地よい。萬葉らしい、線の太い單純な驚きが、迫らぬ明るい聲調で歌ひあげられてをる。
 
3704 もみち葉の散らふ山邊ゆこぐ船のにほひに愛《め》でて出でて來にけり
 
〔譯〕 紅葉の散りちる山のあたりからこぎ出る船の、美しい色どりをめでて、お見送りに出てまゐりました。
〔評〕 色彩感の鮮明な、美しい歌である。めでて、いでて、と重なつてをるのも、さして耳に障らない。
〔語〕 ○にほひに愛でて 山と海との美しい色彩の反映の中に、船出する官船のどつしりした姿をいつたのであらう。
 
3705 竹敷《たかしき》の玉藻靡かしこぎ出《で》なむ君が御船をいつとか待たむ
     右の二首は、對馬娘子《つしまのをとめ》名は玉槻《たまつき》
 
〔譯〕 この竹敷の浦におふる美しい玉藻を靡かして、漕ぎ出で給ふであらう君が御船のお歸りの日を、いつと思うてお待ちすればよいのでありませう。
〔評〕 送別の宴に持した遊行女婦の作。美しい一首の調は、作者の美しさをも思はせる。一二句に實景をふまへ、ゆるやかに三四五句へ流動してゆく調のおほらかさを味ひたい。
〔語〕 ○玉藻靡かし 船の進むにつれて海底の美しい藻が搖れなびく、それを、玉藻を靡かしめて、と詠んだもの。○こぎ出なむ この三句で切れず、四句へつづく格。
 
(61)3706 玉敷ける清き渚を潮滿てば飽かず吾《われ》行く還《かへ》るさに見む
     右の一首は、大使
 
〔譯〕 玉を敷いたやうな清く美しい渚であるに、潮が滿ちてくるので、心ならずも去つてゆく。歸る時に立寄つて見よう。
〔評〕 假初に船泊りした此の地が、かくも別れがたき思をそそるのは、前途の難航を豫想し、さらに遙かなる異國の旅を思ふ情の切なるが爲である。「潮滿てば」吾は去りゆくのであるが、「飽か」ぬ心をとどめるといふ旅人の眞情を、「還るさに見む」といふ希望に託して、淡々としたあはれさが佳い。作者なる大使阿倍繼麿は、此の行ををへずして不歸の客となつたのであつて、結句に一しほ深き悲哀を覺える。
 
3707 秋山の黄葉《もみち》を挿頭《かざ》しわがをれば浦潮|滿《み》ち來《く》いまだ飽かなくに
     右の一首は、副使
 
〔譯〕 秋山の黄葉を髪にさして、海邊で宴を張つてをると、浦の潮が滿ちて來て船出の時が近づいた。樂しさは未だ十分に盡されてもをらぬのに。
〔評〕 歡樂は速かに果てて、訣別の時は迫つた。ひたひたと浦わによせくる潮は、やるせない焦慮の情をかきたてる。四句の休止は、その潮の色を見つめる作者の姿を如實にものがたつてゐるが故に、結句の獨自的な歎息が、いかにも寂しく、人の心に響くのである。かくの如き環境で詠まれた歌にも、眞摯な感動のこもつてをるところに、萬葉集の尊さがある。
〔語〕 ○かざし 時々の花や紅葉を以て頭髪を飾ること。
 
(62)3708 物|思《も》ふと人には見えじ下紐の下ゆ戀ふるに月ぞ經にける
     右の一首は、大使
 
〔譯〕 物を思うてをつても、他人にはさうと見せまい。しかし、心の中で慕つてをる間に、月日が過ぎたことである。
〔評〕 身は遣新羅大使の重任を帶び、多くの部下を從へて海外に赴くべき重責がある。輕々と哀別の情を顔にあらはして、一行の心を阻喪せしめてはならないと思ひつつ、猶家人は戀しいのである。人から戀ひられると解けるといふ、下紐にまつはる上代信仰の香もただよひ、結句の餘裕ある反省が、大使の年齡による人間的な深みも思はせ、落ちつきのある相聞歌となつた。
〔語〕 ○下紐の 同音を反覆させて、「下ゆ」にかかる枕詞。
 
3709 家づとに貝を拾《ひり》ふと沖邊より寄せ來《く》る浪に衣手ぬれぬ
 
〔譯〕 家への土産に貝を拾はうとして、沖の方から寄せて來る浪に、袖が濡れてしまつたことよ。
〔評〕 即興的な歌。「一一四五」にも類想の作はあるが、内に搖ぐ旅情が、この歌をよくしてゐる。
 
3710 潮干なばまたも吾《われ》來《こ》むいざ行かむ沖つ潮騷《しほさゐ》高く立ち來《き》ぬ
 
〔譯〕 潮が干たらば、又この濱邊に來よう。さあ一まづ去り行かう。沖の潮の鳴り騷ぐ音が、次第に高まつて來た。
〔評〕 二句三句は同じ「む」でかろやかに切れ、それをうけて、四五句全體が緊張した落ちつきを以て歌ひをさめられてをる。輕快であるが、浮薄ではない。四句から五句への緊密な高まりは、遠響きくる潮騷に、ひきしまるやうな壓迫感を感じてゐる作者その人の心である。
 
(63)3711 わが袖は袂とほりてぬれぬとも戀忘貝とらずは行かじ
 
〔譯〕 自分の袖は、袂までも潮にぬれとほらうとも、戀が忘られるといふ忘貝だけは、拾はないでは行き去るまい。
〔評〕 即興的な、輕妙の作。四五句、内容のため、輕躁に走りやすいのであるが、堅實な調であるのは好ましい。
 
3712 ぬばたまの妹が乾《ほ》すべくあらなくに我が衣手をぬれていかにせむ
 
〔譯〕 旅の身では、妻がほしてくれるわけでもないのに、此のわが袖を、かう濡らしてしまつてはどうしよう。
〔評〕 興にまかせて、貝を拾ふと、潮にぬれたので、ふと湧く輕い悔いごころを、家妻への戀慕へかぶせていつたもの。「ぬばたまの妹」は官能的な聯想である。全體を流れて嫋々とした、粘着力のある詞調が面白い。
〔語〕 ○ぬばたまの 常は黒髪にかかる枕詞であるが、ここはその聯想から妻へかけてゐる。○ぬれて ぬれるに任せてといふ程の意。
 
3713 もみち葉は今はうつろふ吾妹子が待たむといひし時の經ゆけば
 
〔譯〕 黄葉の美しさも、今は移ろひ衰へてゆくことよ。旅ゆく自分を、妻が「待ちませう」といつたその時期も、かくて過ぎゆくのであるから。
〔評〕 早くも幾月かを經過した。路次の目を樂しましめた黄葉の移ろひゆくにつけても、家なる妻と再會を的した日が、既に過ぎ去つてをるのである。自然もまた、落莫たる冬景色に變りつつあるに、前途はなほ遙かである。内心の焦慮を外界の推移に放つて、つつしみを失はぬ傷心の情が、しつとりと描かれてをる。「もみち葉は今は」と二つの「は」の響きあひが、やるせない詠歎をこめて、佳い効果を出してをる。
 
(64)3714 秋されば戀しみ妹を夢《いめ》にだに久しく見むを明けにけるかも
 
〔譯〕 旅の空に秋ともなつたので、せめてその夜長に、夢の中だけでも、戀しい妻をゆつくり見てゐようとする自分であるに、心なくも夜が明けはてて、夢から覺めたことであるよ。
〔評〕 かくも戀しく、切なく思ひつつ寢ねたが故に、かくもさだかに妻を夢みたのである。しかも明け離れゆく秋の朝のうらさびしさをうたつたもの。情緒はあつても、詞調が落ちつかぬ難がある。二句の「戀しみ」は妹にかかるものと見る。
 
3715 獨のみ著《き》ぬる衣の紐解かば誰《たれ》かも結《ゆ》はむ家|遠《どほ》くして
 
〔譯〕 一人で著てゐるこの衣の紐を解くならば、かく家遠く妻と別れ來た身に、誰が結うてくれようぞ。
〔評〕 妹の結んでくれた衣の紐の結び目には、結び松や草結びと同樣に、妻の魂がいはひこめられてをると信じられ、その和魂の幸によつて旅路の平安も約束されたのであつた。解き放つことは、その妻の心の守護を失ふやうな豫感さへも伴うてをるのであらう。貞實なこの夫には、妻に代つて紐を結ぶべき女性はないのである。郷愁はいよいよ深く、家妻を思ふ情もいよいよ切なのである。
 
3716 天雲《あまぐも》のたゆたひ來《く》れば九月《ながつき》の黄葉《もみち》の山もうつろひにけり
 
〔譯〕 天雲の漂ふに似て、ためらひがちに旅をつづけてゐると、いつか九月の黄葉に映えた山の美しさも衰へてしまつたことである。
〔評〕 初句は、枕詞として用ゐられてをると同時に、行雲流水にも比ぶべき旅のやるせなさが、實感として滲んでを(65)る。家を偲び、前途を思へば、ともすると心のたゆたひがちな旅の日數を重ねて、秋色やうやくあせゆく山を望んだのである。四五句、客觀的な描寫にとどめたため、却つて餘情が深い。
 
3717 旅にても喪《も》無く早|來《こ》と吾妹子が結びし紐は褻《な》れにけるかも
 
〔譯〕 旅にあつても、凶事無く、早く歸り來ませと、心をこめて妻の結んでくれた衣の紐は、萎えてしまつたことよ。
〔評〕 物の結び目におのが心のまことを封ずるといふ古代の習俗を、物語つてをる。妻のやさしい聲音はいまだ耳底を消えてゐないのに、いつか、その紐もなえしをれたのを見るにつけ、旅路はるけく來たことが思はれるのであつた。一二句の小刻みな、こまやかな聲調が、次の句の深い感慨を沈潜せしめてをる。以上で旅路の歌は終つてをる。新羅での作の傳はつてをらぬのは、まことに遺憾である。
 
     筑紫《つくし》に廻り來て海路より京に入るに、播磨國家島に到りし時、作れる歌五首
 
3718 家島は名にこそありけれ海原を吾《あ》が戀ひ來《き》つる妹もあらなくに
 
〔題〕 大使は對島で歿し、副使は病み、非運が重なつたが、漸く播磨の國まで歸つて來て、名も懷しい家島での作。家島は室津の南方、今も家島村がある。
〔譯〕 家島とは、名だけに過ぎなかつた。遙かな海路を自分が戀ひ慕うて來た妻がをるといふわけでもないのに。
〔評〕 家、妹、それがすべてのあこがれであつた長い旅路も、いよいよ終らうとしてをる際の思をうたつたもの。
 
3719 草枕旅に久しくあらめやと妹に言ひしを年の經ぬらく
 
〔譯〕 「旅に久しくをらうか、必ず早く歸つてくる」と妻に言つたのに、いつか年が過ぎてしまつたことよ。
(66)〔評〕 豫想外の時日を費したことが、淡々たる歌がらの中によく詠まれてをる。
〔語〕 ○年の經ぬらく 年内に歸れる豫定が翌年となつたのである。
 
3720 わぎもこを行きて早見む淡路島雲居に見えぬ家づくらしも
 
〔譯〕 吾が妻を、行つてはやく見よう。淡路島が雲のかなたに見えて來た。いよいよ家が近づいたらしい。
〔評〕 二句で切れ、三句に輕い休止があり、四句五句とこまかく切れてをるところに、おのづから躍動した欣びの眞情があふれて快い。旅路の終りを思はしめる心のやすらぎが、おのづから安らかな歌調をなしてをる。
 
3721 ぬばたまの夜明《よあか》しも船はこぎ行かな御津《みつ》の濱松待ち戀ひぬらむ
 
〔譯〕 徹夜をしても、船は漕いで行かう。船出した御津の濱邊の松が、待ち戀うてをることであらう。
〔評〕 家郷に近づいた感激が、素直に詠みいでられてをる。松青き攝津住吉の御津の濱邊の實景が、立ち竝んで送り迎へる人の姿にも通ふのであらう。四五句は、憶良の「六三」の歌の句をさながら用ゐたのである。
 
3722 大伴の御津《みつ》の泊《とまり》に船|泊《は》てて龍田《たつた》の山を何時《いつ》か越え往《い》かむ
 
〔譯〕 大伴の御津の濱に船がとまつて上陸し、いよいよ大和に入る龍田山を、いつ越えて行くことであらうか。
〔評〕 往きには、ひぐらしの鳴く生駒山を越えたのであつたが、歸路は龍田越が選ばれた。その山を越えて大和平野を望見する時のわが感動を豫想するだけでも、疲れはてた旅人は、胸のふくらむ思を禁じがたかつたことであらう。家島から淡路島、さらに御津の泊、夢路は、はや大和にあるのである。
 
     中臣朝臣|宅守《やかもり》、狹野弟上娘子《さののおとがみのをとめ》と贈り答ふる歌
 
(67)3723 あしひきの山路越えむとする君を心に持ちて安けくもなし
 
〔題〕 中臣宅守は奈良朝中期の人で、弟上根子との事件のため越前國に流罪となつた。赦免後、天平寶字七年には從五位下を授けられた。弟上娘子の傳は詳かでなく、西本願寺本等によれば「弟上」とあつてオトガミ、細井本に「茅上」とあるに從へばチガミである。この卷の目録によると、男子禁制の齋宮寮の藏部司に仕へた女嬬であつたので、それが宅守に會つたのは、神聖な齋宮の權威を冒涜した重罪であつた。しかも二人の歌が、徹底した人間肯定の戀愛の至情を以て貫かれてをるところに、萬葉獨自の迫力がある。神威を越える赤裸々な人間の叫びとして、この相聞歌群が傑出してをる所以は、ただにその量のみに留まるのではない。
〔譯〕 山路を越えて流されてゆかうとするあなたを、心の中にいだき持つてゐる私は、安き空とてもありませぬ。
〔評〕 以下四首、娘子から贈つた歌。一二三句の、素朴な詞調の中にこもる悲哀は深く、四句は新鮮な表現である。衝きあげてくる情緒の激しさを一歩踏みとどめて抑へたやうな歌がらが、却つて痛切である。
 
3724 君が行く道の長路《ながて》を繰《く》り疊《たた》ね燒き亡ぼさむ天《あめ》の火もがも
 
〔譯〕 あなたが流されてお出になる長い道を繰り寄せ疊んで、燒き亡ぼすやうな天の火が降つて來ないものでせうか。
〔評〕 構想といひ、格調といひ、一種悽愴な頽廢の氣が流動してをるのは、この戀が、禁斷の齋垣《いがき》を越えたものであつたからである。切れ目なく一息に、しかも次第に昂揚してゆく感情のはげしさが、天の炎を請ひ祈る空想となつて燃燒してゆく時、絶望の悲哀は、切々として此の一首を成した。相聞歌の少からぬ集中、一きは高く築かれた情炎の記念塔である。
〔語〕 ○繰り重ね 手ぐりよせ折りたたんで。○天の火 天から降りくだる火。
 
(68)3725 わが背子し蓋《けだ》し罷《まか》らば白たへの袖を振らさね見つつ慕《しの》はむ
 
〔譯〕 あなたが、もし、都を追はれてゆかれるのならば、白い衣の袖をお振りなさいませ。それを見つつ慕《しの》びませうから。
〔評〕 袖を振るのは、女性が領巾を振るのと同樣、男子の戀の信號であつた。「野守は見ずや君が袖振る」(二〇)と、額田王も愛人の振られた袖に目をとめてをる。力一杯に歌つてをるところが佳い。
〔語〕 ○蓋し罷らば 蓋しは、もし、恐らくは、と推定する時にゐる副詞。「豈」「うれむぞ」などと共に、漢文訓讀に用ゐられるやうな種類の語である。罷るは參るの反對で、貴いところから遠ざかる意、この場合、京師を追はれてゆくことになる。しかして、此の句には、流罪になつたといふことが信じられないといふ意が籠つてゐる。
 
3726 この頃は戀ひつつもあらむ玉匣《たまくしげ》明けてをちより術《すべ》なかるべし
     右の四首は、娘子の別に臨みて作れる歌
 
〔譯〕 今日この頃は、まだ都にあられることゆゑ、戀ひつつもなほ堪へてをられよう。しかし、夜が明けていよいよ遠くなられた後には、何ともしかたがないことであらう。
〔評〕 都の中にをられれば、なほ心の慰まる思ひがする。しかし、一夜あけて遙けく遠ざかられた時、禁斷の戀に身を燒いた者として世間からも蔑視されてをる身が、一體、何によりすがつて生きてゆかうといふのかと、結句に絶望の女心をこめた、悲壯な告白である。
〔語〕 ○をち 遠の義で、以後、といふほどの意。明日いよいよ別れてしまつて後には。
 
(69)3727 塵泥《ちりひぢ》の數にもあらぬ吾《われ》故《ゆゑ》に思ひわぶらむ妹が悲しさ
 
〔譯〕 塵や泥のやうに、物の數でもないこの自分ゆゑに、思ひ惱むであらうわが愛人のいとしいことよ。
〔評〕 以下、宅守の作。一二句のたとへには、絶望的な自棄の口吻が滲んではゐるが、どこか弱々しい宅守の性格的なものを感じさせる。
 
3728 あをによし奈良の大路は行きよけどこの山道は行き惡《あ》しかりけり
 
〔譯〕 あの奈良の都大路は歩みよい立派な道であるが、この山道は行きにくいことであるよ。
〔評〕 もとより、その都大路には、愛人との戀の甘美な追憶が今も匂うてをるのである。しかもこの山道は、流罪の身に越えゆく悲しみの旅であることを思へば、結句があはれである。
 
3729 愛《うるは》しと吾《あ》が思《も》ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行き惡《あ》しかるらむ
 
〔譯〕 いとしいと思ふ愛人を、心に思ひつつ旅を行く、それ故に、よしなくも此の道の行きがたく思はれるのであらうか。
〔評〕 ○前の歌と連作として解すべき歌。平凡なのを引き緊めて救うてゐるのは、四句の一種佶屈な句法である。
 
3730 畏《かしこ》みと告《の》らずありしをみ越路の手向《たむけ》に立ちて妹が名|告《の》りつ
     右の四首は、中臣朝臣|宅守《やかもり》、上道《みちだち》して作れる歌
 
〔譯〕 そなたの名を呼ぶことは、憚りあればとて堪へ忍んで來たのであるが、いよいよ越路に通ふ愛發《あらち》山の峠に立つ(70)に到り、遂にその名を呼んだことである。
〔評〕 結句、素朴にして沈痛、ふりしぼるやうな聲音を聽く思ひあらしめられる。
 
3731 思ふ故《ゑ》に逢ふものならば暫《しまし》くも妹が目|離《か》れて吾《あれ》居《を》らめやも
 
〔譯〕 慕はしく思ふが故に逢ひ得るものならば、自分は、しばらくたりとも、いとしい人の眼を離れてをらうか、必ず逢ふことが出來ように。
〔評〕 思へども逢ひ得ぬところに、戀のまことの相がある。戀は暫くも止む日なく、「妹が目離れて」時はすでに久しいのである。詮なき戀をあきらめきれぬ愚痴である。「三七三六」と相補ふと見てもよい。
〔語〕 ○妹が目離れて 目はその人の生命の象徴である。故に、妹と直接逢ふことなくして、の意。
 
3732 あかねさす晝は物|思《も》ひぬばたまの夜《よる》はすがらに哭《ね》のみし泣かゆ
 
〔譯〕 あかるい晝は戀しさに物思ひ暮らし、くらい夜は夜どほし聲をあげて泣かれることである。
〔評〕 あまりにも正直な、突きつめた心境の飾らぬ敍述を、二つの枕詞がからくも文學にしてをるやうな歌である。
 
3733 吾妹子が形見の衣《ころも》なかりせば何物もてか命繼がまし
 
〔譯〕 吾がいとしき女の贈つてくれた記念の衣が無かつたならば、何によつて、わが命を繼ぐことが出來ようぞ。
(評〕 唯この衣にまつはる思ひ出にたよる以外にはないとの、沈痛な思ひが「まし」の一語に生きてをる。
 
3734 遠き山關も越え來《き》ぬ今更に逢ふべきよしの無きが不樂《さぷ》しさ【一に云ふさびしさ】
 
(71)〔譯〕 遠い山や關をも越えて來た。今はもう、妹に逢ふことの出來る由もないのが、寂しいことである。
〔評〕 素朴な純なこころが、すなほに詠まれてをる。關は北陸道にこえる愛發の關をいうたのである。
 
3735 おもはずも實《まこと》あり得《え》むやさ寢《ぬ》る夜の夢《いめ》にも妹が見えざらなくに
 
〔譯〕 思はずにゐることが、實際に出來ようか。目のあたりに全く見えないならともかく、寢た夜の間の夢にも、愛人が見えないのではないから。
〔評〕 きびしい自問の形で、そのやるせない焦慮を抒べたものである。
〔語〕 ○見えざらなくに 「ざら」も「なくに」も共に打消で、二重打消となつて、見える意となつてをる。
 
3736 遠くあれば一日一夜も思はずてあるらむものと思ほしめすな
 
〔譯〕 遠く隔だつてをるから、一日や一夜ぐらゐは、そなたのことを思はずに在るであらうなどと思ひなさるな。
〔評〕 女々しいまでに痛切な、愛の誓である。結句に敬語を用ゐてをるのも、弱々しさを示してをる。
 
3737 他人《ひと》よりは妹ぞも惡《あ》しき戀もなくあらましものを思はしめつつ
 
〔譯〕 いとしい妹が、いつそ他人よりも惡いとさへ怨まれることである。戀の苦惱などなくて、やすらかに過すべき自分なのに、かく思ひなやましめるから。
〔評〕 戀の苦惱に堪へかねてではあらうが、痴愚の作ともいへる。
〔語〕 ○他人よりは ほかの者よりは。責むべきは誰でもなく、ただこのいとしいそなた一人、と思ひ迫つての句。
 
(72)3738 思ひつつ寢《ぬ》ればかもとなぬばたまの一夜も闕《お》ちず夢《いめ》にし見ゆる
 
〔譯〕 思ひ慕ひながら寢る故にか、よしなくも、一夜も缺かさずに、いとしいそなたが夢に見えることよ。
〔評〕 古今集なる小野小町の「思ひつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせば覺めざらましを」へ發展してゆくべき、實感よりは空想の機智に遊ぶやうな、類型的なものの芽生えが感ぜられる。
 
3739 かくばかり戀ひむと豫《かね》て知らませば妹をば見ずぞあるべくありける
 
〔譯〕 これほどまで、苦しく戀ひ慕ふことであらうと知つてゐたならば、むしろ、そなたをば見ないでゐる方がよかつたことである。
〔評〕 ますらをの戀としては、やや頼りない歎息であつて、宅守の性格的なものを感ぜしめる。
 
3740 天地の神なきものにあらばこそ吾《あ》が思《も》ふ妹に逢はず死《しに》せめ
 
〔譯〕 天神地祇のましまさぬものであつたならば、わが戀ひ慕ふそなたに逢はず死ぬこともあらう。しかし、まさしくいます神々の感應が、この戀のまごころに、あらはれぬ筈はない。
〔評〕 思ひ迫つては、半ば神を怨み、半ば神を頼んで、さりともと、自ら思ひ慰めてゐる。一二三句は力がある。
 
3741 命をし全《また》くしあらばかり衣《ぎぬ》のありて後にも逢はざらめやも【一に云ふ在りての後も】
 
〔譯〕 命さへ無事に全くてをるならば、世に在つて、後にも逢はぬことがあらうか、否、必ず逢へよう。
〔評〕 配所生活の身には、一二句の切なる思に哀感がこもつてゐる。四五句は「七六三」と同じい。
(73)〔語〕 ○命をし全くし 二つの「し」は共に強めの助詞。○あり衣の 鮮かな色の衣。「在りて」にかかる枕詞。
 
3742 逢はむ日をその日と知らず常闇《とこやみ》に、いづれの日まで吾《あれ》戀ひ居《を》らむ
 
〔譯〕 逢ひ見む日は、いづれの日とも知らずに、永久に光明のない闇の中にをるやうな思を抱いて、いつの日まで、自分は戀ひをることであらうか。
〔評〕 猶さりともと、遙かなる未來に希望を繋いで生き貫いては來たものの、絶望の苦惱が日々に深みゆくをいかにしようぞ。昨日も今日も、そして明日あらば明日も、常住の闇路をたどる如き煩悶の連續に對して、「常闇に」の句が、單純でありながら、極めて適切である。四五句に流動する頼りない聲調は、内なる不安の自らなる表出である。
 
3743 旅といへば言にぞ易き少くも妹に戀ひつつ術《すべ》無《な》けなくに
 
〔譯〕 苦しいのも戀しいのも、旅といつてしまへば、言葉の上では簡單だ。けれども自分は、いとしいそなたが少しばかり戀しくて、せむすべもないほど苦しんでゐるといふのではない。
〔評〕 自分のこの、旅の苦しさ、人の戀しさは、いささかの、かりそめのものではないといふのである。句法が佶屈な感じはするも、それだけに力がこもつてゐる。「少くも」の句は、「二五二三」「二五八一」にもある。
〔語〕 ○術無けなくに 方法がないのではないことよ。
 
3744 わぎもこに戀ふるに吾《あれ》はたまきはる短き命も惜しけくもなし
     右の十四首は、中臣朝臣宅守
 
〔譯〕 吾がいとしい人に戀ふるについては、短い命を捨てても、惜しいとは思はぬ。
(74)〔評〕 一途な情愛の至純を詠み出でた作であるが、一二句に「に」が重なり、命の枕詞の置きどころもよくない。
 
3745 命あらば逢ふこともあらむわが故にはだな思ひそ命だに經ば
 
〔譯〕 命があるならば、ふたたび逢ふ日もあらう。この私ゆゑに、それほどまでに、思ひ惱みなさいますな。命だにながらへてをるならば、逢へませうから。
〔評〕 以下、娘子の作。「君が行く道の長路を」と絶叫した弟上娘子も、ここではやさしくさとすやうなうたひざまである。初句を結句に強調したあたり、幾分技巧的なたくみさが表面に浮いてゐる。
〔語〕 ○はだな思ひそ 「はだ」は、はなはだの意で、詠歎の氣分が濃い。
 
3746 人の植《う》うる田は植ゑまさず今更に國別れして吾《あれ》はいかにせむ
 
〔譯〕 人々の植ゑる田はお植ゑなさらないで、今更に、住む國と國とを異にし、別れ別れに住んでゐて、私は一體、どうしたらよいのであらうか。
〔評〕 一二句、世間竝のことをなさらないでの譬喩で、はじめ宅守が逡巡してゐたのをさすのであらうか。
 
3747 わが宿の松の葉見つつ吾《あれ》待たむ早歸りませ戀ひ死なぬとに
 
〔譯〕 私の家の松の葉を見ながら、待つてをりませう。はやくお歸りなさいませ、私が戀死に死にませぬうちに。
〔評〕 松を「待つ」に懸ける技巧は、一般化してをるが、この歌で「松の葉」とこまかく描いてをるのは、作者の實感が基礎となつてをるのである。
〔語〕 ○戀ひ死なぬとに 「と」は、時、うち、その間などの意。「一八二二」參照。
 
(75)3748 他國《ひとぐlこ》は住み惡《あ》しとぞいふ速《すむや》けく早歸りませ戀ひ死なぬとに
 
〔譯〕 よその國は住み心地がわるいと聞いてをります。一日も早くお歸りなさいませ、私が戀ひ死にませぬうちに。
〔評〕 概念的な詠みぶりではあるが、一途な情熱をあやなす聲調の屈曲がある。
 
3749 他國《ひとぐに》に君をいませて何時《いつ》までか吾《あ》が戀ひ居《を》らむ時の知らなく
 
〔譯〕 よその國にあなたをお住ませして、いつまで、私が戀ひつづけてをることであらう。期限の知られないことよ。
〔評〕 一二句に、われゆゑに、といふ悔恨の情がこもつてをると共に、せむすべなきわが非力を歎く思が滲んでをる。
 
3750 天地の至極《そこひ》のうらに吾《あ》が如く君に戀ふらむ人は實《さね》あらじ
 
〔譯〕 この天地の果のうちに、私のやうに切實に君を戀ふる人は、眞にありますまい。
〔評〕 天上天下に、唯吾のみが君のまことの戀人と名乘りうる資格ありといひ切るまで、おのが思慕のまことを信じ得た娘子は、ある意味で、幸福な人であつたといはねばならぬ。結句の特異な句調も、痛切で佳い。同じ發想の作に「四二四七」があるが、それは遣唐使使人の一人が母に奉つた別れの歌であるから、聲調におのづからなる和敬の誠心があふれてをり、これは灼熱の思慕を高くみづから誇示した氣負ひが溢れてゐて、對照をなしてをる。
〔語〕 ○そこひのうらに 「そこひ」は果、極限。「うら」はうち。天地の範圍の内に於いては、の意。○さね まことに。
 
3751 白たへの吾《あ》が下衣《したごろも》失はず持《も》てれ我背子|直《ただ》に逢ふまでに
 
(76)〔譯〕 白い織物の私の下着を、失はずに持つていらつしやいませ、あなた。ぢかにお逢ひしますまで。
〔評〕 下衣を變らぬ愛のしるしとして贈つたことは、「三八〇九」 の例が示すところである。おだやかに高まつて來た一二句が、三句から四句への強い命令形になり、結句は靜かな詠歎で終るところ、聲調が自由で、充實した屈曲がある。
 
3752 春の日のうらがなしきにおくれ居て君に戀ひつつ現《うつ》しけめやも
 
〔譯〕 春の日はさらでだにうら悲しい哀感をそそるものなのに、かく私のみあとに殘つてゐて、君を戀ひ慕ひつつをる胸のうちは、うつつ心がありませぬ。
〔評〕 一二の句、駘蕩たる春日に底ごもる哀愁の情をのべて、萬葉人の純眞にして高雅な感受性が汲まれる。
〔語〕 ○うつしけめやも 現《うつ》しくあらめやも、の意で、反語。「三二一〇」に用例がある。
 
3753 逢はむ日の形見にせよと手弱女《たわやめ》の思ひ亂れて縫へる衣《ころも》ぞ
     右の九首は、娘子
 
〔譯〕 二たびお逢ひする日までの記念にと、かよわい女の私が、思ひ亂れつつ縫うた此の衣であります。
〔評〕 やさしい心の底に、力のこもつてをるのは、眞實から生れた故である。三四五句が特によい。
 
3754 過所《くわそ》無しに關飛び越ゆるほととぎすまねく我が子にも止《や》まず通はむ
 
〔譯〕 關所の手形も持たず、自由に關所を飛び越えてゆく杜宇よ、そなたは、止む時もなく、度々そなたの愛する子のもとに通ふことであらう。それであるに自分は、愛人のもとに通ふことはできぬ。
(77)〔評〕 以下、宅守の作。羨ましいといふ情が、稚拙といふべき四五句にあふれてをるが、この一首の生命は、一二句のうらづけとなる現實の悲哀である。「鳥にもがもや」の歎きにひたる罪人に、聲澄んで鳴きゆく杜宇の自由な姿は、どれほど切なく見えたことであらう。
〔語〕 ○過所 關所通行の證明の手形。○まねく 繁く、しばしば。
〔訓〕 ○過所 關所手形の意の熟語ゆゑ、字音のままにクワそと讀むべきである。○まねくわが子にも 白文「多我子爾毛」。異説多く誤字説も考へられるが、文字を改めずに訓んでおく。あまたが子にも、と西本願寺本にはある。
 
3755 うるはしと五《あ》が思《も》ふ妹を山川を中《なか》に隔《へな》りて安けくもなし
 
〔譯〕 いとしいと吾が慕ふ愛人よ、山や川を中に隔てて別れてゐて、心のやすい日はないことよ。
〔評〕 第二句の「を」は詠歎であるから、氣分の上での小休止がある。ここで切つて初めて一首が緊張する。
 
3756 向ひゐて一日も闕《お》ちず見しかども厭はぬ妹を月わたるまで
 
〔譯〕 京にあつては、向ひあうて一日も缺かきず相見たが、厭《あ》きることのなかつた愛人であるに、幾月を過すまで逢はぬことよ。
〔評〕 源氏物語桐壺の卷なる帝は、亡き更衣の上を回想しつつ、「時のまもおぼつかなかりしを、かくても月日は經にけり」と歎息してをられるが、これは更に率直な哀感に滿ちてをる。萬葉的なるものと、源氏的なる世界との差異は、ここにもうかがふことが出來る。
 
3757 吾《あ》が身こそ關山越えて此處《ここ》に在らめ心は妹に寄りにしものを
 
(78)〔譯〕 わが身體こそは、闕所のある山を越えて、ここに在りもしよう。しかし、わが心は、そなたに寄つてしまつたものを。
〔評〕 「こそ」の強めが「ここに在らめ」に響いて、輕い休止を保ちつつ四五句へ移つてゆくところはよい。
 
3758 刺竹《さすたけ》の大宮人は今もかも人なぶりのみ好みたるらむ【一に云ふ今さへや】
 
〔譯〕 殿上の若公達は、今頃はまあ、自分が宮中に在つた日のやうに、人の上をなぶりいぢめることを好んで、いとしいそなたを苦しめてをることであらうか。
〔評〕 率直にして眞摯、眞情が拓いた獨自の境地を遺憾なく發揮したもの。三四五句がよい。人なぶりはいきた句。
〔語〕 ○さす竹の 大宮の枕詞。○今さへや(一に云ふ) 今でもなほ。
 
3759 たちかへり泣けども吾《あれ》はしるし無《な》み思ひ佗《わ》ぶれて寢《ぬ》る夜しぞ多き
 
〔譯〕 くりかへして泣くけれども、自分にはその効が無いゆゑに、戀慕の思にどうしやうもなく、惱みつつ寢る夜の多いことよ。
〔評〕 諦念ともいふべき虚無感があつて、寂しい靜けさをたたへてをる。四句は珍しいいひざまである。
 
3760 さ寢《ぬ》る夜は多くあれども物|思《も》はず安く寢《ぬ》る夜は實《さね》なきものを
 
〔譯〕 寢る夜は多くあるけれども、何の物思もなくて安らかに寢るといふ夜は、實に無いものである。
〔評〕 配流の罪になつたのは男の側だけで、娘子は京に留つてゐただけに、歌に於いては娘子がまさり、情に於いては宅守がまさるともいひ得よう。この一首、稚拙ともいふべきであるが、技巧を超えた切實さがある。
(79)〔譯〕 世の中の一般の道理によつて、こんな風になつてしまつたのにちがひない。自分の蒔いた種子が原因となつて。
〔評〕 極めて素朴な因果論であるが、それだけに素直な哀愁となつて、人の胸を打つ。四句まで、一氣に詠みくだして、結句で、内省的にぽつりと止めたあたり、巧まぬ技巧である。「蒔かぬ種子ははえぬ」といふ俚諺が、その源は、かくも上代まで遡り得る。「なり來にけらし」の確定的な想像の詞調にも、作者の深い歎息が偲ばれる。
〔語〕 ○すゑし種子から 蒔いた種子が原因となつて。種蒔くことを、今でも、「据ゑる」といふ地方がある。
 
3762 吾妹子に逢坂山を越えて來て泣きつつ居《を》れど逢ふよしも無し
 
〔譯〕 愛人に逢ふといふ名の逢坂山を越えて遙かに來て、泣きながらをるが、まことに逢ふすべも無いことよ。
〔評〕 二句の逢坂山の懸詞を、あたかも註釋するかのやうに、結句で「逢ふよしも無し」と繰返したあたり、後世風な短歌の技巧からいへば稚拙であるが、この拙さが一種不思議な哀感となつて、讀む者の心に滲透してゆく。きりつとした娘子の歌に對して、柔かな歌ひぶりであるが、そこに宅守の人間性がみえる。
 
3763 旅といへば言《こと》にぞ易《やす》き術《すべ》もなく苦しき旅も言《こと》に益《ま》さめやも
 
〔譯〕 旅といふと、言葉では容易である。せむすべもなく苦しい旅も、さう言つてしまへば簡單であるが、その言葉にまさる表現は、あるのだらうか、ありはせぬ。
〔評〕 初二句は「三七四三」のそれと一致し、眞實な心の叫びである。結句のいひざまはたどたどしい。
 
(80)3764 山|川《かは》を中に隔《へな》りて遠くとも心を近くおもほせ吾味《わぎも》
 
〔譯〕 多くの山や川を互の中に隔てて、よし二人の間は遠くあらうとも、心のみは近く思つてゐて下さい、吾味よ。
〔評〕 ここにも、宅守の弱氣な善良さがあらはれてをる。「思ほせ」と敬語を用ゐてをるあたり、身も心もすべてを投げ出して、一人の女性に奉仕してゐるやうな心のあはれさが思はれる。
 
3765 まそ鏡かけて偲《しぬ》へとまつり出《だ》す形見の物を人に示すな
 
〔譯〕 心に懸けて思ひ出しなさいとさしあげるこの形見の品を、決して人に見せないやうに。
〔評〕 この贈り物は、極めて小さな鏡か、何かで、人に示すと靈力が失はれるといふ信仰があつたものであらう。
〔語〕 ○まそ鏡 「かけて」に懸かる枕詞。○まつりだす 奉り出すで、さしあげるの意。
〔訓〕 ○しぬへ 白文「之奴敝」。奴は努の誤寫で、シノヘであらう。
 
3766 愛《うるは》しとおもひしおもはば下紐に結《ゆ》ひ着《つ》け持ちて止《や》まず偲《しの》はせ
     右の十三首は、中臣朝臣宅守
 
〔譯〕 自分をいとしいと思うてくれられるならば、着物の下の紐に結びつけて、たえず自分を思つてゐてほしい。
〔評〕 前の歌との連關性によつて、鑑賞が可能になる。三句から四句へかけては、克明ないひざまである。
 
3767 魂《たましひ》はあしたゆふべに魂《たま》ふれど吾《あ》が胸痛し戀の繁きに
 
〔譯〕 思ひあくがれる私の魂を、朝に晩に、鎭魂《たましづめ》の祈りをして平靜ならしめようとつとめてゐますが、私の心はなご(81)まなれで、胸がいたい。戀の思がはげしいので。
〔評〕 以下八首は娘子の作。宅守の歌よりも、洗煉された巧みさが、この一連にもうかがはれる。新夕に鎭魂の行事をして、戀のほむらの鎭靜せむことを祈りつつ、神もまた救ひがたきおのが情熱の切なさを、遙かなるいとしき人へむしろ誇示したものといへよう。神を超えた人間の戀の激しさが、餘すところなくうたひあげられてゐる。
〔語〕 ○たまふれど 鎭魂祭をミタマフリといふから、鎭魂祭の祈?《いのり》をするけれどもの意(古義所引中山嚴水注)。
 
3768 この頃《ころ》は君を思ふと術《すべ》も無き戀のみしつつ哭《ね》のみしぞ泣く
 
〔譯〕 此頃は、あなたを思つて、なんとしようもない戀ばかりを思ひつづけて、聲をあげて泣いてをります。
〔評〕 靜かなあきらめとでも云ふべきものが底流れしてゐて、詞ほどに切迫したものが感じられない。
 
3769 ぬばたまの夜《よる》見し君を明《あ》くる朝《あした》逢はずまにして今ぞ悔しき
 
〔譯〕 かつて前夜に逢つたあなたを、その翌朝お逢ひせずに別れたことが、今になつて口惜しく思はれる。
〔評〕 複雜な時間的推移が深刻に描かれてをるやうであるが、おちつかぬ點がある。
〔語〕 ○夜見し君 この事件以前の體驗とする説と、宅守が配所へ行く前夜といふ説とある。○逢はずまにして 「ま」は接尾語、こりずといふを、こりずまといふに同じく、逢はずにしての意とする説に從ふ。
 
3770 あぢま野に宿れる君が歸り來《こ》む時の迎へを何時《いつ》とか待たむ
 
〔譯〕 越前の安治麻野に、配流の身を宿つてをられるあなたが、免されて都にお歸りになさるであらう其の時のお迎へを、いつの日と期して、なほ待ちつづけることであらう。
(82)〔評〕 流罪であるから、いつか赦免の日は期待してよい筈であるが、その日をいつと定めがたい絶望的な心である。三句で輕く屈曲しつつ、四句へ緩やかに響いてゆく調子は、巧まざる技巧の妙である。
〔語〕 ○安治麻野 越前國今立郡味眞郷の野。武生市の東南の地。
 
3771 宮人の安眠《やすい》も寢《ね》ずて今日今日と待つらむものを見えぬ君かも
 
〔譯〕 御所にお仕へのあなたのお友達が、安眠も出來ぬほど、今日か今日かとお歸りを待つてをられるであらうに、おみえにならないあなたよ。
〔評〕 吾のみか、君を知る人はかくも待つてをるに、といふ意で、宅守に對する友人達の支持を暗示し、宅守の人間的な善さを傳へてをると共に、天平十二年の大赦が、どれほど關係者を興奮せしめたかを物語るもので、次の歌と連作とみるべきもの。逆にいへば、友人達までかく眞劍に待つてをるあなたを、この私がどんなに戀ひしくお待ちしてをることか、の意である。
 
3772 歸りける人|來《きた》れりといひしかばほとほと死にき君かと思ひて
 
〔譯〕 赦免されて歸還した人が來たと人々が云うたので、あなたがお歸りになつたかと思ひまして、嬉しさにほとんど死んでしまふばかりになりました。それであるに、あなたはお歸りにならなかつたのです。
〔評〕 天平十二年六月の勅令によつて、流人穗積老、多治比祖人等の赦免が發表されたのであつたが、中臣宅守等は「赦す限に在らず」としてその選にもれてをる。その折の娘子の歡喜と失望とが率直眞摯に詠まれてゐる。一首の中心は第四句であつて、ほとほと死なむとしきの意を、端的に大膽に表現したのである。「ほとほと」の音調約効果もあはれ深い。
(83)〔語〕 ○ほとほと死にき 白文「保等保等之爾吉」。契沖は、「驚きて胸のほとばしるなり」と云ひ、宣長は「ふたふたと爲《し》にけり」で、あわてふためく意とした。しかるに眞淵は「殆將死なり」といつてをる。眞淵の學者らしい研究精神の底を貫く詩人的資質の高さが偲ばれる。
 
3773 君が共《むた》行かましものを同《おな》じこと後《おく》れて居《を》れど良《よ》きことも無し
 
〔譯〕 あなたと共に行けばよかつたらうに。苦しいことは、越路も京も同じで、あなたにおくれて、かやうに京にをるけれども、何のよいこともありませぬ。
〔評〕 宅守が、戀慕と望郷と失意とに心も狂ふほどであるのを、京にをつてもといひ慰めたのである。
 
3774 我背子が歸り來《き》まさむ時のため命殘さむ忘れたまふな
     右の八首は、娘子
 
〔譯〕 あなたが赦されてお歸りになるであらう其の時のために、苦しくて絶えようとする私の命をとりとめてゆきませう。どうか忘れないでゐてくださいませ。
〔評〕 かくの如き緊張した表現になると、娘子の獨壇場とさへ思はれる。詞調が緻密で、少しのたるみもなく、切迫した感情が、徐々に高まつてゆく感覺的な技法も着實である。靜かに、しかし切々と燃えつのりつつある女心を視る心地がせられる。
 
3775 あらたまの年の緒長く逢はざれど異《け》しき心を我《あ》が思《も》はなくに
 
〔譯〕 長い年月をそなたと逢はぬけれども、あだし心を自分がいだくことはない。
(84)〔評〕 宅守の歌になると、間延びした、人の善さが漂うてをる。四五句は、「三四八二」、「三五八八」にもある。
 
3776 今日もかも京《みやこ》なりせば見まく欲《ほ》り西の御厩《みまや》の外《と》に立てらまし
     右の二首は、中臣朝臣宅守
 
〔譯〕 今日このごろ、都にをるのであつたらば、娘子の見物にくる姿を見たく思うて、右馬寮の外《そと》に立つてをることであらうに。
〔評〕 京には、なにがしの節會が催される當日なのであらう。いとしい人は見物に出るであらう。いま遙かに遠流の罪人となつてをるわが胸は、かきむしられる心地がするのである。さきの「人なぶりのみ」と同樣、宮人宅守でなければ出來ぬ歌であり、「西の御厩の外」と適確に云ひきつてをるのが、印象的であはれ深い。
 
3777 昨日今日君に逢はずて爲《す》る術《すべ》のたどきを知らに哭《ね》のみしぞ泣く
 
〔譯〕 昨日今日は殊に戀しさに堪へられず、君に逢はないで、なすべき手だてもわからないものですから、ただ聲をたてて泣いてをります。
〔評〕 「ねのみしぞ泣く」にかかるべき「昨日今日」が初句に出てをるのがいまだしく、一首が散文化されてをる。
 
3778 しろたへの吾《あ》が衣手を取り持ちて齋《いは》へ我背子|直《ただ》に逢ふまでに
     右の二首は、娘子
 
〔譯〕 白い織物の私の形見の着物を取りもつて、齋ひ祈りなさいませ、あなた。直接お目にかかれる其の日まで。
〔評〕 互の肌に着けたものを交換し、そこに籠る魂の靈力によつて護りあはうとした古代信仰のあらはれである。
 
(85)3779 わが宿の花橘はいたづらに散りか過ぐらむ見る人無しに
 
〔譯〕 都なる我が家の橘の花は、むなしく散り過ぎることであらうか、見る人もなくて。
〔評〕 五月にきき句ふ花橘の香は、人戀しい情緒を呼びきます官能的なものを含んでをる。三句以下「二三一」と似よつた作であるが、宅守の事情を考へて味はふと、あはれが深い。都なる宅守の家には、橘の木があつたので、配流の身に、その花の盛を想像してをる。越路の初夏も、花の香は同じい。そこに沈痛な悲しみがあるのである。
 
3780 戀ひ死なば戀ひも死ねとやほととぎす物|思《も》ふ時に來鳴き響《とよ》むる
 
〔譯〕 戀ひ死ぬならば、戀ひ狂うて死ぬがよいとでも云ふのか、にくいほととぎすめ、選りに選つて、自分の物思ふ時に來鳴きとよもして、一層ものおもひを増させることである。
〔評〕 沈痛な杜宇の聲に、更に深い物思ひへ誘はれてゆくやるせない焦燥が、緻密な彈力性のある聲調で歌ひあげられてをる。ただし、その功の大部分は一二句の緊迫した句法に歸せらるべきであらうが、これも類型的な表現で、すでに「二三七〇」、「二四〇一」にも同じ句がある。
〔語〕 ○戀ひも死ねとや 「も」は強めの助詞。戀ひ戀ひて死ねといふのか、まあ、の意。
 
3781 旅にして物|思《も》ふ時にほととぎすもとな勿《な》鳴きそ吾《あ》が戀まさる
 
〔譯〕 旅にあつて物思に沈んでをる時に、杜宇よ、よしなくも鳴くな、そなたの聲を聽くと、わが物思は深まるから。
〔評〕 さらでだに苦しい當時の旅、まして、京なる愛人との仲を割かれた配流の旅である。戀ゆゑの苦惱の旅路である。するどく徹る杜宇の聲にかきたてられる哀しみは、單なる旅愁ではなく、流罪の身の、突きつめた慟哭なのであ(86)る。かく同情してみる時、宅守らしい類型的なこの一首からも、底ごもる熱い涙を掬むことが出來よう。
 
3782 雨隱《あまごも》り物|思《も》ふ時にほととぎすわが住む里に來鳴き響《とよ》もす
 
〔譯〕 雨にこもつて、物思に沈んでをる時に、杜宇は、わが住む里に來て、響むまでに鳴き立てることよ。
〔評〕 時は梅雨の頃、身は配流の身、沈鬱な杜宇の聲を聽く。景情共に愁深く、實感が一首の生命をなしてをる。
 
3783 旅にして妹に戀ふればほととぎすわが住む里に此《こ》よ鳴き渡る
 
〔譯〕 旅にあつて、愛人を戀ひ慕うてをると、杜宇が、わが住む里に、ここを通つて鳴き渡つて行くことよ。
〔評〕 「こよ」の「よ」は「ゆ」といふに同じく、ここに、即ちわがをる前を通つての意。契沖が「所しもこそあるべきにの心なり」というてをるのは、歌をよく味讀した評語である。
 
3784 心なき鳥にぞありけるほととぎす物|思《も》ふ時に鳴くべきものか
 
〔譯〕 情のない鳥であることよ、社宇は。選りに選つて、自分がかやうに物思ふ時に來鳴きとよもし、更に物思ひを増さしめてよいものか。
〔評〕 額田王の「三輪山をしかも隱すか」(一八)に比べれば、歌品が違ふのを如何ともすることは出來ない。しかし、稚拙なだけに、感慨の直接訴へるものがあり、結句の詰問的な句法も生きてゐて、それが宅守らしい特色をなしてをる。
〔語〕 ○鳴くべきものか 鳴くことが許されるものであるか否か、とつめよつて詰る意。許さるべきではない、のこころを含んでをる。
 
(87)3785 ほととぎす間《あひだ》しまし置け汝《な》が鳴けば吾《あ》が思《も》ふこころ甚《いた》も術《すべ》なし
     右の七首は、中臣朝臣宅守の、花鳥に寄せ思を陳べて作れる歌
 
〔譯〕 杜宇よ、しばらく間をおいて鳴くがよい。おまへが鳴くと、自分の物おもふ心が、何ともかともせむすべが無いから。
〔評〕 いかに詰り訴へても鳴きやめようとしない心ない鳥に、「せめて暫く間をおいて鳴けよ」と妥協をいひ入れたところが、古代人の眞面目な氣持をあらはしてをる。しかも杜宇は、いよいよ鋭く、いよいよ繁く鳴き立てて、この愁人の胸を、一層かきむしらせたことであらう。「いたも」は「いとも」といふに同じいが、この結句、力がこもつてゐてよい。
〔左註〕 以上の七首は、宅守が、花橘と杜宇との「花鳥」に托し、いはゆる寄物陳思の詠をなしたもの。かくて總計六十三首に及ぶ宅守と娘子との相聞歌群は終つてをる。茫々一千二百餘年、今に朽ちせぬ悲戀の情を留めてをるのがあはれである。
 
萬葉集 卷第十五 終
 
(89)   萬葉集 卷第十六
 
(91)概説
 
 卷頭に「有由縁并雜歌」とある。有由縁歌と雜歌との二部より成り、前半は有由縁歌、後半は雜歌と考へられるが、本文中に見出がなく、明確には區別しがたい。題詞の有無、そのかき方等から考へて、種々の資料から取入れたのを、寄せあつめた一卷といへる。
 歌數は、長歌七首、旋頭歌四首、短歌九十二首、佛足石歌體一首、都合百四首で、歌數は少いが、各種の歌體が見られ、その内容が種々の興味に富んでをり、萬葉集中、留意すべき一卷である。
 有由縁歌は、傳説を件ふ歌であり、題詞、左註は、單にその概要を記すのみでなく、當事者の意中をも述べてをり、一種の歌物語と見ることが出來、平安時代の伊勢物語、大和物語などの先驅をなすものとして注意せられる。
 雜歌は、卷一以下の諸卷に見えたものとは、内容を著しく異にしてゐる。即ち、この卷の雜歌には、宴居にうたつた歌、人を嗤ふ歌、品物歌、無心所著歌、地方の民謠、ほがひ人のうたつた歌、その他のものがあり、他の卷には見られない種類の歌が多く、古今集の誹諧歌などの餘技歌の萠芽をも、ここに見出すことができる。
 長歌のうちで注意すべきは、竹取翁の歌「三七九一」で、長さに於いても集中第二であり、特殊の文字も用ゐてあり、いちじるしく漢風を帶びてをる。この作者の作が他になほ傳はつてをらぬことが遺憾である。戀夫君歌「三八五七」は、七句で、集中最も短い長歌である。乞食者詠二首「三八八五・六」は、一はその長い序、對句を重ねたこと、二は對句また道行ぶりに異色がある。
(92) 短歌のうちで、種々の意味で注意すべきものをいささか抄出する。
  死も生も同じ心と結びてし友や違はむ我も依りなむ      作者未詳  三七九七
  安積香山影さへ見ゆる山の井の淺き心を吾が思はなくに    前采女   三八〇七
  商變り領らすとの御法あらばこそ吾が下衣返し賜らめ     作者未詳  三八〇九
  柄臼は田廬のもとにわが背子はにふぶに咲みて立ちませり見ゆ 同     三八一七
  夕づく日さすや河邊につくる屋の形を宜しみうべよそりけり  同     三八二〇
  玉掃苅り來鎌麻呂室の樹と棗が本をかき掃かむ爲       長意吉麿  三八三〇
  吾妹子が額に生ひたる雙六のことひの牛のくらの上の瘡    安倍子祖父 三八三八
  法師らが鬢の剃杭馬繋ぎいたくな引きそ僧半かむ       作者未詳  三八四六
  檀越や然もな言ひそ里長が課役徴らば汝も半かむ       同     三八四七
  生死の二つの海を厭はしみ潮干の山をしのひつるかも     同     三八四九
  石麻呂に吾物申す夏痩に良しといふ物ぞ鰻漁り食せ      大伴家持  三八五三
  痩す痩すも生けらばあらむを將や將鰻を漁ると河に流るな   同     三八五四
  波羅門の作れる小田をはむ烏瞼はれて幡幢に居り       高宮王   三八五六
 この卷の用字法は、一音一字式もあるが、正字を用ゐたのも少くない。殊に注意すべきは、雙六《スグロク》(三八二七)、香《カウ》(三八二八)、塔《タフ》(三八二八)、力士《リキシ》(三八三一)、餓鬼《カキ》(三八四〇)、法師《ホフシ》(三八四六)、檀越《ダニヲチ》(三八四七)、無何有《ムカウ》(三八五一)、藐孤※[身+矢]《ハコヤ》(三八五一)、波羅門《ハラモニ》(三八五六)、功《クウ》(三八五八)、五位《ゴヰ》(三八五八)、新羅《シラキ》(三八七八)の如く、外來語を少なからず用ゐてゐる。なほ義訓としては、「所聞多《カシマ》」(三八八〇)「神樂良《ササラ》」(三八八七)などが見える。
 
(93)萬葉集 卷第十六
 
由縁ある并に雜の歌
 
   昔者《むかし》娘子《をとめ》あり、字《な》を櫻兒《さくらこ》と曰《い》ひき。時に二《ふたり》の壯士《をとこ》あり。共に此娘を誂《つまど》ひて、生《いのち》を捐《す》てて挌競《あらそ》ひ、死を貪りて相敵《あた》みたりき。ここに娘子《をとめ》歔欷《なげ》きて曰く、古より今にいたるまで、未だ聞かず、未だ見ず、一《ひとり》の女の身にして、二つの門に往適《ゆ》くといふことを。方今《いま》壯士《をとこ》の意《こころ》和平《やはら》ぎ難きものあり。如《し》かじ、妾《あれ》死《みまか》りて、相害《あらそ》ふこと永く息《や》めむには、といひて、爾乃《すなはち》林の中に尋ね入りて、樹に懸りて經《わな》き死《し》にき。其|兩《ふたり》の壯士《をとこ》哀慟《かなしみ》に敢へず、血の泣《なみだ》襟《えり》に漣《したた》る。各心緒を陳《の》べて作れる歌二首
3786 春さらば挿頭《かざし》にせむと我が念《も》ひし櫻の花は散りにけるかも
 
〔題〕 昔、一人の娘子《をとめ》があつて、名を櫻兒と云つた。時に二人の壯士《をとこ》が、共に此の娘子に求婚し、命を捨てて競爭し、死を賭けて敵對するに到つた。それで、娘子が泣いて云ふには、「古へも今も、一人の女の身で、二つの家に嫁ぎゆくといふことは、見たこともなければ聞いたこともない。是二人の心はとてもやはらげがたい。いつそのこと、私が命を絶つて、お二人の害ひあはれることをやめたい」といつて、林の中に入り、樹にかかつて溢れ死んだ。二人の壯士は悲歎に堪へず、血涙は衿に流れるほどであつた。かくて二人が各々思を述べて作つた歌二首。
〔譯〕 春になつたならば、折つてかざさうと自分が思うてゐた櫻の花は、散つてしまつたことよ。
〔評〕 題詞は、簡明な漢文の美しさが味はれると共に、例へば伊勢物語をみるやうな、蒼古な傳説文學の面白さが現(94)はれてをつて、一種風格ある文章を成してをる。歌は春が來たならば、わが妻に迎へようとしてゐたのに、といふ心を婉曲に述べた、寫實の型を通した象徴である。
〔訓〕 ○ちりにけるかも 白文「散去香聞」。チリイニシカモとよめるが、仙覺本には、去の下に「流」がある。
 
3787 妹が名に懸《か》けたる櫻はな咲かば常にや戀ひむいや毎年《としのは》に
 
〔譯〕 かの娘子の名につけてある櫻の花がさいたならば、毎年毎年思ひ出しては戀しくてたまらぬことであらうか。
〔評〕 率直に胸中を語つてをる。これは、象徴の型を通した寫實といふべきである。なほ、畝傍山の近くに、櫻兒塚といはれる傳説地がある。
     或《あるひと》の曰く、昔|三《みたり》の男あり、同《とも》に一《ひとり》の女を娉《つまど》ひき。娘子《をとめ》嘆息《なげ》きて曰く、一《ひとり》の女の身は滅《け》易きこと露の如く、三《みたり》の雄《をとこ》の志は平《な》ぎ難きこと石《いは》の如しといひて、遂に池の上《ほとり》に※[人偏+方]※[人偏+皇]《もとほ》り水底《みなそこ》に沈没《しづ》みき。時に其の壯士等、哀頽の至に勝《あ》へず、各所心を陳べて作れる歌三首【娘子字を鬘兒と曰ふ】
 
3788 無耳《みみなし》の池し恨めし吾妹子が來つつ潜《かづ》かば水は涸《か》れなむ
 
〔題〕 或人の傳へに、昔、三人の男がゐて、共に一人の娘子に求婚した。娘子は嘆き悲しんで、「一人の女の命は露のやうに消えやすく、三人の壯子の志は石のやうに固くて動かしがたい」と云うて、池のほとりにさまよひ、水底深く沈んでしまつた。時に、その男たちは哀傷の至に堪へず、各の心を述べて作つた歌三首。娘子の名は鬘兒といつた。
〔譯〕 耳無の池こそは恨めしい。吾がいとしい娘子が來て身を投げたならば、水は涸れてほしいものだに。
〔評〕 漢文の序もすぐれてをり、此の歌また、三首中にすぐれてをる。
〔語〕 ○無耳の池 大和國の耳梨山の麓なる池。○潜かば 水に潜り入るならば、入水するならば。○涸れなむ 「な(95)む」は他に向つて誂へる助詞。
 
3789 あしひきの山|縵《かづら》の兒今日ゆくと吾《われ》に告げせば還り來《こ》ましを
 
〔譯〕 鬘兒が、「今日行く」と自分にもし告げてくれたならば、自分は、出さきから歸つてをつたであらうものを。留守中に世を去つたことよ。
〔評〕 初句から二句へかけての技巧は、いかにも素朴である。三句はいひざまが未だしい。死ぬといふことを、單に行くやうにいひなしたのである。
〔語〕 ○山かづらの兒 むすめの名に、山の植物で作つたかづらとかけたのである。
 
3790 あしひきの玉|縵《かづら》の兒今日の如《ごと》いづれの隈を見つつ來にけむ
 
〔譯〕 鬘兒は、今日の自分のやうに、どの道のまがりかどなどを見ながら、この池に來たことであらうか。
〔評〕 戀しさのあまりに、娘子と同じ道を踏んで耳梨の池に行つてみた、その途上の囑目を率直に詠み出たもので、あのまがりかども此のしげみなども、すべていとしい人の眼に觸れたものと思へば、見過しがたく胸をうつのであつた。素直な感慨が一筋に貫いてゐる。しかし傳誦歌であるので、あしひきの玉縵の兒といふつづきは無理ながら、前の歌とつづけうたはれたのであらう。
 
   昔|老翁《おきな》あり、號《な》を竹取《たけとり》の翁と曰《い》ひき。此の翁、季春の月に、丘に登りて遠く望むに、忽に羮《あつもの》を煮る九箇《ここのたり》の女子《をとめ》に値《あ》ひき。百の嬌《こび》儔《たぐひ》無く、花の容《かたち》止《や》むこと無し。時に娘子《をとめ》ら老翁《をぢ》を呼び嗤《わら》ひて曰く、叔父《をぢ》來て此の鍋の火《ひ》を吹けといふ。ここに翁|唯唯《をを》と曰ひて、漸《やゝやゝ》に?き徐《おもぶる》に行きて座の上に著接《まじは》る。良《やゝ》久しくして、娘子《をとめ》ら皆共に咲《ゑみ》を含み相|推讓《おしゆづ》りて曰く、阿誰《たれ》か此の翁を呼びしといふ。爾乃《すなはち》竹取の翁|謝《ことわ》りて曰く、非慮《おもは》(96)ざる外に偶|神仙《ひじり》に逢へり。迷惑《まど》へる心敢へて禁《ささ》ふる所なし。近く狎《な》れし罪は、希はくは贖《あかな》ふに歌を以ちてせむといひて、即ち作れる歌一首并に短歌
3791 緑子の 若子《わくご》が身には たらちし 母に懷《うだ》かえ ※[衣+差]繦《ひむつき》の 這兒《はふこ》が身には 木綿肩衣《ゆふかたぎぬ》 純裏《ひつら》に縫ひ著《き》 頸著《うなつき》の 童子《わらは》が身には 纐纈《ゆひはた》の 袖著衣《そでつけごろも》 著《き》し我《われ》を にほひよる 子等《こら》が同年輩《よち》には 蜷《みな》の腸《わた》 か黒《ぐろ》し髪を 眞櫛《まぐし》もち ここにかき垂《た》り 取り束《つか》ね 擧《あ》げても纒《ま》きみ 解き亂り 童兒《わらは》に成《な》しみ 羅《うすもの》の 丹《に》つかふ色に 懷《なつか》しき 紫の 大綾の衣《ころも》 住吉《すみのえ》の 遠里小野《とほさとをの》の 眞榛《まはり》もち にはしし衣《きぬ》に 高麗錦 紐に縫《ぬ》ひ著《つ》け 指《さ》さへ重《かさ》なへ 竝《な》み重ね著《き》 打麻《うつそ》やし 麻績《をみ》の兒等《こら》 あり衣《ぎぬ》の 寶の子等が 打栲《うつたへ》は へて織る布 日曝《ひざらし》の 麻紵《あさてづくり》を 信巾裳《ひらも》なす 愛《は》しきに取りしき 屋所《やど》に經《ふ》る 稻置丁女《いなきをみな》が つまどふと 我にぞ來《こ》し 彼方《をちかた》の 二綾襪《ふたあやしたぐつ》 飛ぶ鳥の 飛鳥壯士《あすかをとこ》が 霖禁《ながめい》み 縫ひし黒|沓《ぐつ》 指《さ》し穿《は》きて 庭に立たずめげ 退《まか》り勿《な》立ちと 障《さ》ふる少女《をとめ》が 髣髴聞《ほのき》きて、我にぞ來し 水縹《みはなだ》の 絹の帶を 引帶《ひきおび》なす 韓帶《からおび》に取らし 海神《わたつみ》の 殿の蓋《いらか》に 飛び翔《かけ》る 〓〓《すがる》の如き 腰|細《ぼそ》に 取り餝《かざ》らひ まそ鏡 取り雙《な》め懸けて 己が貌《かほ》 還《かへ》らひ見つつ 春さりて 野邊を廻《めぐ》れば おもしろみ 我を思へか さ野《の》つ鳥 來鳴き翔《かけ》らふ 秋さりて 山邊を往《ゆ》けば 懷《なつか》しと 我を思へか 天雲《あまぐも》も 行き棚引《たなび》く 還《かへ》り立ち 路《みち》を來《く》れば うち日さす 宮女《みやをみな》 さす竹の 舍人壯士《とねりをとこ》も 忍ぶらひ かへらひ見つつ (97)誰《た》が子ぞとや 思はえてある 斯《か》くぞ爲來《しこ》し 古《いにしへ》 ささきし我や 愛《は》しきやし 今日やも子等に 不知《いさ》にとや 思はえてある 斯《か》くぞ爲來《しこ》し 古《いにしへ》の 賢《さか》しき人も 後の世の かたみにせむと 老人を 送りし車 持ち還《かへ》り來し 持ち還り來し
 
〔序〕 昔、老翁があつて、竹取の翁と云つた。この翁が、三月のある日、丘に登つて遠くをながめたに、菜を煮てゐる九人の處女がをつた。彼女らの美しさ、花のやうな容《かたち》は竝ぶものもない。その時、處女らは翁を呼び、笑ひながら、「をぢさん、來て此の煮物の鍋の火を吹いて下さい」と云つた。老翁は「はい/\」と答へて、座にまじはつて、火をふいてゐた。しばらくして處女等は、皆共にふくみ笑をしながら讓りあつて、「誰がこんな爺さんを呼び寄せたのであらう」と云つた。翁は、この侮辱にも怒らず謝つて、「意外にもたま/\神仙に逢ひ、惑うた心を押へることが出來ずに、かくは推參しました。あまりに親しみ狎れすぎた非禮の罪は、歌を以て贖ひませう」と云つて作つた歌。
〔譯〕 赤ん坊の頃には母親に抱かれ、※[衣+差]繦《ひむつき》にくるまつて這ひ廻る幼兒の頃には、木綿で織つた袖なしの肩衣を總裏に縫つて著、髪が頸に着く少年の日には、纐纈《しぼりぞめ》の袖のついた衣服を著た自分である。美しくあつまつておいでのお前樣方と同じ年頃には、眞黒な髪を櫛でここに掻いて垂れ、取りつかねて、纒きあげても見、解き亂して下げ髪にしても見たり、うす物の赤みがかつた紫の織り模樣の大きい大綾の衣や、住吉の遠里小野の萩を摺つて美しく彩つた衣に、舶來の高麗錦を紐に縫ひ著《つ》け、さし重ね、いくへにも重ね著して、麻績《をみ》の兒等や寶の子等が、特別に絲にして織る布、さらしの麻の手織物を、禮装の裳のやうに美しく取りしいて、家に籠つてゐる稻置女が、求婚するとて自分のもとに來た。遠方で出來る二綾の上等な靴下をつけ、靴工の飛鳥の男が長雨を避けて心して縫つた黒沓をはいて、庭に佇んでをると、それを「あつちへ行つてはなりませぬ」と止められてをる深窓の少女が、ほのかに聞いて、自分のもとへ來た。水はなだの藍色の絹の帶を、引帶風の朝鮮帶に作つて、海神の御殿の屋根に飛びまはる蜂のやうな腰細にとり(98)装ひ、眞澄の鏡を二つ雙べかけて合せ鏡に自分の顔を顧みながら、春になつて野邊を巡ると、自分の姿をうつくしいと思つてか、情《こころ》ナい野の鳥も飛びかけつて來る。秋になつて山邊を行くと、自分をなつかしく思うてか、空の雲まで棚引いてゐる。還りたつて道を來ると、宮仕へする女も、舍人の男も、心の中に感情を抑へて自分をふりかへり見ながら、「一體どこの人であらう」と思はれた始末である。かやうにしてきた。以前そのやうにもてはやされ時めいてゐた自分が、今日はまあ、愛《いと》しいあなた方に「どこの老ぼれか」と冷く思はれてをることよ。これほど華やかな青春を過して來た自分である。昔の賢人も、後の世の手本にしようと、一度は棄てる氣で老人を送つた車を、また持ちかへつてきたのであつた。持ち歸つて來たのであつた。
〔評〕 難解ではあるが、平安時代に「物語のいできはじめの祖」といはれた竹取物語とのその名の關連性に就いても、當時知識階級から愛好された神仙思想のあらはれとして見ても、興味深い作品である。その文學作品として第一義的な興趣は、晩春の野邊に、一老翁と九人の美少女とを配して、一場の歌劇を觀るごとき華麗典雅な構想の美しさと、老翁が回顧談をなしつつ皮肉に笑つてをるやうな、その内容とがかもし出す光景である。はなやかな舞臺に展開される青春必衰の眞理は、素朴な上代人の心に、いかに深玄な感銘をもたらしてゐたことであらう。
 まづ漢文の序は、簡潔な描寫の中に委曲を盡してゐて、老翁の姿も、あてやかな娘子達のおもかげも、共に躍如として現はれてをる。長歌全篇をおほふ華やかな追憶談は、特に幼年期から少年期・青年期に到る服飾装身の美を傳へて餘すところがない。その意味では、貴重な文化史の資料でもある。最後に到つて、老人を尊ぶべき所以を説く條は、儒教的な立場から故事を引いて筆を收めてをる。終りに近く、二回繰りかへされる「斯くぞ爲來し」の句も、全篇のしみじみとした主題として味ふべきである。全體としてみて、作者は漢學に長けてをり、その華麗な内容と修辭とは、人麿にも憶良にも旅人にもなく、赤人には無論ない。後に九人の娘子に和歌せしめた構想は、卷五の遊於松浦河の神仙との贈答といささか似た趣がある。この作者の作がなほ數篇殘存してをつたならば、わが上代歌史にいかに異彩を(99)放つたことであらうと思ふに、遺憾に堪へない。
 なほ、竹取は借字で、神仙の藥とする菌芝《たけ》を求め採る義とする説もあるが、從ひがたい。
〔語〕 ○季春の月 舊暦三月。○たらちし 母の枕詞。○※[衣+差]繦 幼兒の衣。※[衣+差]は衣の長いかたち。○純裏 ヒツラはヒタウラで、全體に裏をつけた、當時としては贅澤な服。○頸著 髪のすゑが頸につくほどの意。○纐纈 絲で結んで染めた絞り染。○にほひよる 美しくより從ふ。○遠里小野 攝津住吉の南方の平地。○打麻やし 麻にかかる枕詞。○麻績の子ら 麻を績むことを職掌とした麻績氏の娘子ら。○あり衣の 寶にかかる枕詞。○寶の子ら 美しい織物を職掌とした寶氏の子ら。○へて織る布 經《たて》絲を引き張つて機に懸けて織つた布。○麻紵《あさてづくり》 麻を材料とした手作りの白布。○稻置丁女 村長である稻置の家の女。丁女は戸籍では二十一以上六十未滿の女をいふ。○霖禁み 皮の細工は雨を嫌ふゆゑ、五月雨の頃をさけて。○引帶 衣服に縫ひつけてある小帶。○さす竹の 宮にかかる枕詞であるが、その氣持をふくめて舍人にかけたもの。○しのぶらひ 耐へ忍ぶ、戀情を抑へる。上二段活用の「しのぶる」に繼續の「ふ」を伴つたもの。○ささきし我や 時めき騷がれたこの自分が。○愛しきやし 「今日やも」を飛ばして子等にかかる。○いさにとや どこの人が知らぬとか、まあ。○古の賢しき人も云々 孝子傳にある原穀の話。原穀の祖父が老い衰へた時、彼の父母はこれを嫌つて棄てようとした。十五歳の原穀は、泣いて諌めたが聞かれぬ。そこで輿をこしらへ、それに老祖父を載せて行つて棄てたのであつたが、穀は其の輿を持つて歸つて來た。父母がいやな顔をして、「何でまた、そんないまはしい道具を持つて歸つて來たか」と詰問したところ、原穀が「後になつて、父上が同じやうに老い衰へて同じ運命になられた時、自分には、こんな惨酷な輿を作ることは出來ますまい。ですから、その時の用意に、棄てずに持つて來たまでのことです」と云うた。父はこの言葉に感じ悟り、かつ愧ぢ、かつ懼れた。それで、祖父を再び載せて還つて孝養を盡した、といふ。この話を以て、老人をいたはり尊ぶべきことを訓して一篇の終りとしたのは、微笑ましい。(訓詁につき、ここに遺したので一五五頁に掲げる。)
 
(100)     反歌二首
3792 死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪《しろかみ》子等《こら》に生《お》ひざらめやも
 
〔譯〕 もし早死をするならば、互に見ずにもすまされよう。しかし、生きて居るならば、自分のやうな白髪が、遂には、あなた方にも生えずにゐようか、必ず同じ白髪となるであらう。
〔評) 命短くばいさ知らず、人竝に生きては誰か老いぬものがあらう――皮肉ではなく、しみじみと若き人々にさとしたのである。
〔語〕 ○子等 とりまいて嘲笑してをる娘子たちを指す。
 
3793 白髪《しろかみ》し子等《こら》も生《お》ひなば斯《か》くの如《ごと》若けむ子等《こら》に罵《の》らえかねめや
 
〔譯〕 もし白髪があなた方にはえる時まで生きたならば、あなた方もまた自分と同樣に、若い人々に罵られることをさけられようか、否か、やはり馬鹿にされることであらう。
〔評〕 前の歌からすぐつづいた連作である。やや理に墮ちたきらひはあるが、これも面白い。
 
     娘子等《をとめら》の和《こた》ふる歌九首
3794 愛《は》しきやし老夫《おきな》の歌に鬱悒《おほほ》しき九《ここの》の兒等《こら》や感《かま》けて居《お》らむ
 
〔題〕 長歌一首短歌二首から成る竹取翁の歌に對して、嘲笑した娘子九人が、それぞれに悔いて和《こた》へたやうに擬した作。
〔譯〕 この愛すべき翁の歌に對して、ぼんやりと夢見ごこちの私ら九人の痕子たちも、ただ感じてゐるだけのことでせうか、それではすみますまい。
(101)〔評〕 一番年かさの娘子の作にあてたものであらう。一同の懺悔の作を促すあたり、立派な先輩ぶりである。
 
3795 辱《はぢ》を忍《しの》び辱《はぢ》を黙《もだ》して事も無くもの言《い》はぬ先《さき》に我は依《よ》りなむ
 
〔譯〕 辱をも忍び、辱をも黙つて、おだやかに、何もいはないさきに、翁の言葉に依り從ひませう。
〔評〕 翁の長歌が漢風で、結末には、孝子傳の原穀の故事を引いてゐるから、この歌の一二句も、契沖のいうた如く、班昭の女誡七篇の第一に、「忍v辱含v垢常若2畏懼1」とあるに據つたのである。
 
3796 否《いな》も諸《う》も欲《ほり》するまにま赦《ゆる》すべき貌《かたち》は見ゆや我も依りなむ
 
〔譯〕 不承知も承知もなく、ただ願ふままに非禮の赦さるべきまじめな態度が、翁にはわかつてもらへるでせうか。私も翁に從ひたく思ふのです。
〔評〕 わざわざ呼びよせておいて、嘲笑した心苦しさに惱んでゐた娘子が、翁の寛容をひたすら願ふ樣である。
 
3797 死《しに》も生《いき》も同《おや》じ心と結びてし友や違《たが》はむ我も依りなむ
 
〔譯〕 死んだ後も生きてをるうちも一つ心にと誓つて結びついた此の友情に、なんで違《たが》ひ背《そむ》きませうぞ。私も皆さんと一緒に翁の言に從ひませう。
〔評〕 第二の娘子の歌に女誡の句を引いたので、これは、當時普通に用ゐられてゐた「生死同心」の語を詠み入れたのである。「生死同心」の語は、正倉院文書のうちには數個所出てをる。例へば、天平勝寶四年の高椅乙麿と三千代黒麿の文書の終に、「右二人生死同心」云々とある。但、歌の調子の爲に「死《しに》も生《いき》も」としたのである。
〔語〕 ○友や違はむ 友にや違はむ、違ひはせじの意。
 
(102)3798 何《なに》爲《せ》むと違《たが》ひは居《を》らむ否《いな》も諾《う》も友の並並《なみなみ》我も依りなむ
 
〔譯〕 何の爲にひとり違うて居ませうぞ。不承知も承知も、ただ友と同じやうに、友のいふままに、私も翁の言葉に從ひませう。
〔評〕 何のくつたくもない少女の明朗さで、ながながと説教じみた回顧談を聽かせて多少得意顔な翁と、まことに、面白い對照をなしてをる。
 
3799 豈《あに》もあらぬ自《おの》が身のから他《ひと》の子の言《こと》も盡《つく》さじ我も依りなむ
 
〔譯〕 何といふ能もないこの私ゆゑに、外の方々のやうな、いろいろと言葉を盡して述べることは、致しますまい。ただ、私も翁の言葉に從ひませう。
〔評〕 これは謙讓な、さつぱりした態度で、その率直さが愉快である。「他の子の言も盡さじ」を、他の人達にいろいろ言葉を盡して貰ふやうな、そんな面倒をかけるまでもあるまい、と解すると、「言も盡させじ」となければならぬので、以上のやうに解した。
 
3800 はだ薄《すすき》穗にはな出でと思ひてある情《こころ》は知らゆ我も依りなむ
 
〔譯〕 薄の穗のやうに、表面には感情を出すなと思うてをられる、皆さんがたの氣特は自然とわかります。私も翁の言葉に從ひませう。
 
〔評〕 複雜な心理描寫である。娘子たちにしてみれば、輕い座興の心もちであつたらうを、正面切つて詰め寄る翁の執拗な態度に、今度は別な反感を抱いてをる者もあつたに違ひない。氣のとがめる者が素直に降參してをる時、この(103)娘子のやうな冷靜で鋭い傍觀者があつたとする構想は面白い。理智型でありながら、あへてそれを主張しようとせず、むしろ靜かに周圍へ、融和してゆかうとするあたり、心にくいまでの淑女ぶりが表はされてゐる。
〔語〕 ○はだ薄 穗のひらいた薄。穗をおこす枕詞。○穗にはな出でと 外部に出すなかれと。
〔訓〕 ○情は知らゆ 白文「情者所知」。略解のココロハシレツを更に古代にして、ココロハシラユと訓んだ。
 
3801 住吉《すみのえ》の岸野の榛《はり》に染《にほ》ふれど染《にほ》はぬ我やにはひて居《を》らむ
 
〔譯〕 住の江の岸つづきの野原に咲いた萩の花で着物を美しく染めるが、私の心は他の人には染まない。その私も、翁に對しては染み從つてをりませう。
〔評〕 氣ぐらゐの高い、つんとした娘子の風  葬が四句までの間に躍如としてゐる。翁の長歌の「住吉」云々の句をとり、かつ、「にほふ」の語を重用して、種々の意にあやなしてゐる技巧は面白い。
〔語〕 ○染ふれど 染め附けるけれど。「染ふれ」は下二段の他動詞の已然形。○染はぬ 媚び從ひよらぬ意とする古義の説がよい。○にほひて そまつて、即ち、靡き從つて。
 
3802 春の野の下草靡き我も依りにほひ依《よ》りなむ友のまにまに
 
〔譯〕 春の野の下草が、靡くやうに、私も靡きよつて、從ひませう。友達と同じやうに。
〔評〕 以上の和歌九首は、竹取翁の言葉に感じた仙女達が、盡く心を寄せて靡き從ふことで終始してゐる。その答歌は、心からの感動を表はしてゐるのが少く、翁に威されたのが怖くて、機嫌を取る爲に從はうといふやうな樣子が見えるのみならず、多くは友に倣つてともかくも從はうといふやうになつてゐるが、表現上、九人のそれぞれに獨特のものを持たせるやうに苦心したあとが察せられる。翁と娘子との贈答は、全體がまことに異色のある雄篇で、内容か(104)ら表記法にまで幾多の問題を含み、大いに研究の餘地のある作である。
 
     昔《ムカシ》壯士《をとこ》と美女《をとめ》とありき。【姓名未だ詳ナラズ】二親《チチハハ》に告げずして竊に交接《まじはり》を爲しき。時に娘子《をとめ》の意《こころ》、親に知らせまく欲りして、因りて歌詠《うた》を作りて、其の夫《せ》に送り與へき。歌に曰く。
3803 隱《こも》りのみ戀ふれば苦し山の端《は》ゆ出で來《く》る月の顯《あらは》さば如何《いか》に
     右は或は曰く、男に答歌ありといへり。未だ探り求むることを得ず。
 
〔譯〕 隱れてばかり戀をしてゐると、苦しくてたまりません。山の端から出て來る月のやうに、いつそ親達に、はつきり打明けたらばどうでせうか。
〔評〕 一二句は「一九九二」と同じく、五句は「一二一五」に類型がある。
 
     昔者《むかし》壯士《をとこ》あり。新たに婚禮を成しき。未だ幾時《いくだ》も經ず、忽に驛使《ほゆまづかひ》となりて遠き境に遣さえき。公事、限有り、會ふ期、日無し。ここに娘子《をとめ》、感慟悽愴して疾※[病垂/尓]《やまひ》に沈み臥しき。年を累ねて後、壯士還り來て覆命《かへりごと》既《すで》に了りぬ。乃ち詣《いた》りて相視るに、娘子の姿容、疲羸甚異にして、言語哽咽せり。時に壯士哀み嘆き涙を流して歌を裁《つく》りて口號みき。其の歌一首
3804 斯《か》くのみにありけるものを猪名川《ゐながは》の奧《おき》を深めて吾が念へりける
 
〔題〕 ○驛使 驛路の馬に乘つて急行する公務の使者。○公事限有り、會ふ期日無し 公務のこととて出發の日限が定められてゐて、娘子にあふ日がなかつた。○覆命 歸つて來ての報告。○哽咽 咽び泣くこと。
〔譯〕 こんなにまでおもい病氣でかつたものを、それを知らないで、猪名川の沖が段々深くなつてゆくやうに、さきざきいよいよ深くお前を思つて愛してゆけるものと、思つてゐたことである。
(105)〔評〕 公の義務と個人の生活との間に生じた悲劇で、衷情まことにあはれである。
〔語〕 ○斯くのみに 深い遺憾の心持をこめてゐる。「四五五」「四七〇」「二九六四」等參照。○猪名川の 攝津國川邊郡、今の池田川のこと。攝津に派遣されたのであらう。
 
     娘子《をとめ》臥しながら夫君《せのきみ》の歌を聞きて、枕より頭を擧げ、聲に應《こた》へて和《こた》ふる歌一首
3805 ぬばたまの黒髪ぬれて沫雪の零《ふ》るにや來《き》ます幾許《ここだ》戀ふれば
     今案ふるに、この歌は、その夫、使を被りて既に累載を經、還る時に當りて雪落れる冬なり。これに因りて、娘子この沫雪の句を作れるか。
 
〔譯〕 黒い髪を濡らして、沫雪の降る中をお出になつたのでせうか、私がこんなにお慕ひ申してをりましたので。
〔評〕 垂死の我が身の事はおいて、遙々と歸つて來た夫の身をいたはるやうに詠んだ心情、その優しさがあはれである。但この歌は、上の歌の答としては、打合はぬ感がある。創作的意圖を以て強ひて番へたものと見るべきで、冬の夜、愛人の來るのを待ち焦れてゐた女の作と解するのが自然であらう。
 
3806 事しあらば小泊瀬《をはつせ》山の石城《いはき》にも隱《こも》らば共にな思ひ吾背
     右は伝へ云ふ。ある時|女子《をみな》あり。父母に知らせずして竊に壯士《をとこ》に接《あ》ひき。壯士其の親の呵嘖《ころび》を悚?《おそ》りて、稍猶豫の意あり。此《これ》に因りて、娘子此の歌を裁作《つく》りて、其の夫《せ》に贈り與へきといへり。
 
〔譯〕 いざとなつたらば、あの泊瀬山の岩窟の中にでも籠りませう、籠るとなつたら二人諸共に籠りませう、御心配なさいますな、あなた。
〔評〕 弱き者といはれる女性が、愛ゆゑには男よりも強くなることは珍しくない。狹野弟上娘子や紀女郎などのたぐ(106)ひである。但この歌は、常陸風土記新治郡の條に「こちたけば小泊瀬山の石城にも率《ゐ》てこもらなむな戀ひそ吾妹」とあるのと同一歌の異傳と見るべきであらう。第四句「隱らば」とあるのは初句「事しあらば」の條件に對する結びであると同時に、「共に‥‥」に對する條件となつてゐる。「事しあらば石城に籠らむ、石城に籠らば二人して共に籠らむ」の意である。かういふ表現法は、拙くはあるが、必ずしも文法上の誤りではない。
〔語〕 ○小泊瀬山の石城 「小」は接頭辭。「石城」は岩窟で、ここは墓のことと思はれる。
 
3807 安積香《かさか》山影さへ見ゆる山の井の淺き心を吾が念はなくに
     右の歌は、伝へ云ふ。葛城王《かづらぎのおほきみ》陸奧國に遣さえし時、國司|祗承《つか》ふること緩怠《おろそか》にして異に甚し。時に、王の意《こころ》悦《よろこ》びず、怒の色面に顯る。飲饌《みあへ》を設《ま》けしかども、宴樂し肯《あ》へず。ここに前《きき》の采女《うねめ》あり、風流の娘子なり。左の手に觴《さかづき》を捧《ささ》げ、右の手に水を持ち、王の膝を撃ちて、此の歌を詠みき。ここに乃ち王の意解け悦びて、樂飲すること終日なりき。
 
〔譯〕 安積山の影までも映つて見える山の井のやうな、淺い疎略な心を私は持つて居りませぬ。あなたさまを深くお思ひ申して居ります。
〔評〕 雄略記なる三重の采女の歌物語と共に、歌のコに關する傳説として有名な歌である。古今集の序に「難波津に咲くやこの花」の歌と共に、歌の父母として手習ふ人の始にも教へられたのであつた。典雅な調で、後世に喜ばれさうな柔かな感觸の歌である。
〔語〕 ○安積香山 岩代國安積郡にある山。○影さへ見ゆる 水の清澄なことを表はす。「天雲の影さへ見ゆる」(三二二五)ともある。○山の井 山の中に自然に湧く清水を湛へた所。掘井戸に比べて淺いので「淺き」の序とした。
〔左註〕 ○葛城王 釋日本紀所引伊豫國風土記、また天武紀八年と、本集「一〇〇九」の橘諸兄の前名と、三者同名(107)異人があるので、明かでない。○前采女 前に采女として都に在つたことのある者。采女は、郡の少領以上の姉妹子女で形容端正の者が貢せられた。○水を持ち「水」は液體の意で酒のこととする説もあるが、代匠記には、特に水を持つて出たものと解してゐる。
 
3808 住吉《すみのえ》の小集樂《をづめ》に出でて寤《うつつ》にも己妻《おのづま》すらを鏡と見つも
     右は傳へ云ふ。昔者《むかし》鄙人あり。姓名未だ詳ならず。時に郷里の男女、衆集ひて野遊しき。この會衆の中に鄙人の夫婦あり。其の婦、容姿《かたち》の端正《きらきら》しきこと衆諸《もろびと》に秀れたり。乃ち彼の鄙人の意、いよよ妻を愛《うつく》しむ情《こころ》増りて、斯《こ》の歌を作り、美貌を讃嘆したりき。
 
〔譯〕 住吉の集會に出て、確かにまのあたり、自分の妻を、妻ではあるが、鏡のやうに美しい者と見たことである。
〔評〕 群衆の中でも、自分の妻の美しさを見て、心窃かに得意に思ひ、優越を感じたので、ほこらしげな詠みぶりに面白みがある。
〔語〕 ○をづめ 天智紀に「打橋のつめの遊に」とある類で、※[女+燿の旁]歌《かがひ》などと同じく、男女あつまつて共に飲食歌舞したものと思はれる。○寤にも 現實に、夢でなく確に。
 
3809 商變《あきがは》り領《し》らすとの御法《みのり》あらばこそ吾が下衣《したごろも》返し賜《たば》らめ
     右は傳へ云ふ。ある時、幸《うるはしみ》せらえし娘子《をとめ》あり。【姓名未だ詳ならず】寵薄れにし後、寄物【俗にかたみと云ふ】を還し賜《たば》りき。ここに、娘子怨恨《うら》みて、聊か斯の歌を作りて獻上《たてまつ》りきといへり。
 
〔譯〕 商ひの取引が一旦濟んだものを、都合で變更してもよいといふ御規則が萬一ありましたらば、差上げた私の下衣をお返し下さるのも宜しうございませう。しかしそんな御規則があるではなし、さしあげたものを今更お返しにな(108)るとは、あまりにひどい御仕打でございます。
〔評〕 譬喩の取材が極めて奇警で、歌の中に法律のことがよみいれてあるのは珍しい。左註の敬語の使用法から推して、相手は高い身分、恐らくは尊貴な人であることも知られる。
〔語〕 ○商變り 物と價とを定めて交換して後、急に物が惡いといつて價を取り返し、又價を賤しいといつて物を取り返すことをいふ(代匠記の説)。○領らす 承知する、認める。
 
3810 味飯《うまいひ》を水に釀《か》み成し吾が待ちし代《かひ》は曾《かつ》て無し直《ただ》にしあらねば
     右は傳へ云ふ。昔娘子ありき。其の夫《せ》に相別れて、望み戀ふること年を經たりき。爾《その》時《とき》夫君《せのきみ》更に他妻《あだしつま》を娶《と》りて、正身《ただみ》は來《こ》ず、徒《ただ》裹物《つと》を贈りき。此《これ》に因りて、娘子此の恨の歌を作りて、還し酬いきといへり。
 
〔譯〕 おいしい飯を酒に釀し造つて、私がお待ち申してゐたかひは全くありませぬ。來たのは使だけで、貴方御自身いらつしつてくださらないのですから。
〔評〕 折角|待酒《まちざけ》まで釀して待つてゐた心づくしも、今は空しいものとなつたといふ失望と怨恨との名?し難い感情が、切實にあらはれてゐる。調子にも古朴の趣があつて、時代の古さを思はせるし、待酒といふやうな上代の習俗を示してもゐる。
〔語〕 ○水に釀み成し 酒に造つての意。「水」はここには液體の義。「君がため釀みし待酒」(五五五)參照。
 
   夫君《せのきみ》に戀ふる歌一首并に短歌
3811 さ丹《に》つらふ 君が御言《みこと》と 玉梓《たまづさ》の 使も來《こ》ねば 憶《おも》ひ病む 吾が身一つぞ ちはやぶる 神にもな負《おほ》せ 卜部《うらべ》坐《ま》せ 龜もな燒きそ 戀《こ》ひしくに 痛む吾が身ぞ いちしろく 身に染《し》(109)みとほり 村肝《むらきも》の 心碎けて 死なむ命 急《にはか》にになりぬ 今更に 君か吾《わ》を喚《よ》ぶ たらちねの 母の命《みこと》か 百足《ももた》らず 八十《やそ》の衢《ちまた》に 夕占《ゆふけ》にも 卜《うら》にもぞ問ふ 死ぬべき吾が故
 
〔譯〕 美しい貴方の御言葉だといつて、使の人も來ないので、一人で思ひ惱みつつ病み臥してゐる私なのです。私の病氣を神樣のせゐになさつてはいけません。また卜部の人を招き、龜の甲を燒いて私の病氣を占ふにも及びません。唯もう戀に惱んで來た故に今も苦しい私なのです。はつきりと戀しさが骨身に徹り、張りつめた心も碎けて、死にさうな命は目前に迫つて來ました。今更私を呼ぶ聲がするのは、貴方がお呼びになるのでせうか。それとも母上なのでせうか。あちこちの町に出て、夕占やその他の占に尋ねてでもゐるのでせうか。どうせ死んでゆくこの私のために。
〔評〕 死ぬる原因を探り求めたりするな、君への戀ゆゑにかくなつたのであると、戀の苦患懊惱を強調してゐるのである。許されなかつた戀に、片意地となつたひたむきな女心があはれに讀み取られる。父母に隱した愛人があつたのを、臨終に母が憐んで男を呼び寄せ、共に娘の枕頭に坐らしたものと思はれる。「今更に君か吾を喚ぶ、たらちねの母のみことか」のあたりは、哀調切々として同情の涙をそそる。
〔語〕 ○さ丹つらふ 若くて顔の血色よく美しいこと。「四二〇」參照。○戀ひしくに 戀ひ苦しんできたこと故にの意。「戀ひしくのけ長き我は」(二三三四)參照。○君か吾を喚ぶ 「か」は疑問の助詞。夢うつつの間に我が名を呼ぶやうな聲を聞いて、かくいふのである。○みこと 敬稱。
〔訓〕 ○しみとほり 白文「染登保里」。諸本「登」は無いが、その儘解し難いので、代匠記の説によつて補ふ。
 
     反歌
3812 卜部《うらべ》をも八十《やそ》の衢《ちまた》も占《うら》問《と》へど君をあひ見むたどき知らずも
 
(110)〔譯〕 卜部をも招き、辻にも出て夕古を判じさせて見たけれども、君を相見る手段が私にはわからないことである。
〔評〕 この歌は、右の長歌についた反歌としては適切でない。代匠記にはその點を助け解して、女がまだ病に罹らぬ前の事をいつたものとしてゐる。
 
     或本の反歌に曰く
3813 吾が命は惜しくもあらずさ丹《に》つらふ君に依りてぞ長く欲《ほ》りせし
     右は傳へ云ふ。ある時娘子あり。姓は車持氏なり。其の夫《せ》久しく年序《とし》を逕《へ》て往來《ゆきき》することを作《な》さず。時に娘子、係戀心を傷ましめ、痾※[病垂/尓]《やまひ》に沈み臥し、痩羸日に異にして忽ちに泉路《よみぢ》に臨みき。ここに使を遣して、其の夫君《せのきみ》を喚び來る。しかるに、歔欷流涕して斯の歌を口號み、登時《すなはち》逝没《みまか》りきといへり。
 
〔譯〕 私の命は、惜しくはありませぬ。長かれと望んでゐたのは、唯美しくなつかしい貴方ゆゑのことだつたのです。
〔評〕 内容の似た歌が他にもあつて、獨自性は乏しいが、力と熱とがこもり、眞實味を失はない。前の歌よりも反歌として遙かに適切である。末句「ほりする」と訓む時は、相當に味はひの異なることを注意すべきである。
 
     贈れる歌一首
3814 眞珠《しらたま》は緒絶《をだえ》しにきと聞きし故《ゆゑ》にその緒また貫《ぬ》き吾が玉にせむ
 
〔譯〕 眞珠は、貫いた緒が切れてしまつたと聞いたので、その緒をまた貫き直して、自分の玉にしませう。(美しいあなたの娘さんは離婚になつたと聞きましたので、自分の妻にしたいと思ひますが、いかがでせう。)
〔評〕 譬喩歌であつて、女を美しい白玉に比し、離婚を玉の緒絶に擬してゐる。「一三二六」に似てゐるが、彼は人妻に想を懸けてゐるもの、此は夫と別れた女の噂を聞いて、單刀直入にその父母に向つて結婚を申込んだ、萬葉人的(111)な率直な態度である。
 
     答ふる歌一首
3815 白玉の緒絶《をだえ》は信《まこと》しかれどもその緒また貫《ね》き人持ち去《い》にけり
     右は傳へ云ふ。ある時娘子あり。夫君《せのきみ》に棄てらえて、他氏《あだしうぢ》に改め適《ゆ》きき。時に或る壯士あり。改め適きしことを知らずして、此の歌を贈り遣して、女の父母に請ひ誂へき。ここに父母の意に、壯士未だ委曲《つばら》なる旨を開かずとして、乃ち彼《そ》の歌を作りて報へ送り、以ちて改め適きし縁《よし》を顯《あらは》しきといへり。
 
〔譯〕 白玉の緒の切れたことは事實です。しかしその緒はまた貫き直して、人が持つて行つてしまひました。(娘が夫に別れたのは事實ですが、また他の男が妻にして連れて行きました。)
〔評〕 「その緒また貫き人持ち去にけり」と端的に答へて、すましてゐる親は、頗るをほどかで、素朴な萬葉人らしい面目が躍如としてゐる。
 
     穗積親王《ほづみのみこ》の御歌一首
3816 家にありし櫃《ひつ》に?《かぎ》刺《さ》し藏《をさ》めてし戀の奴《やつこ》のつかみかかりて
     右の歌一首は、穗積親王、宴飲《うたげ》の日、酒酣なる時、好みて斯《こ》の歌を誦して、以ちて恒の賞《めで》と爲したまひき。
 
〔題〕 穗積親王 天武天皇の皇子。「二〇三」參照。
〔譯〕 家にあつた櫃に?をさしてて中にしめこんで置いた戀の奴めが、いつの間にか脱け出して、?みかかつて來て、實に、困つたことではある。
〔評〕 戀を擬人化して滑稽に述べ、自嘲した歌。一二三句は、一時これと戰つて打ち克ち、よく心を平靜に整へてゐ(112)たことを具體的に表現して居り、「鯉の奴」の語には、戀に惱むことを賤しむ益良雄心が見える。結句の「つかみかかりて」も面白い。戀は對人的關係によつて生ずるものであるから、突如として此方に襲ひかかつたやうに云つたのである。また、自己の力で完全に制御し難い故に、自己の外にある力と見たのであつて、心理的に觀照して興味ある歌である。廣河女王の「六九五」の作は、或はこれに學んだものか。元暦校本には、廣河女王を註して穗積皇子の孫女としてゐる。
〔語〕 ○藏めてし この句で切れるといふ古義の説は誤で、次句につづく連體格。
〔訓〕 ○? 尼崎本等にザウ、考にクギと訓んでゐる。童蒙抄による。
 
3817 柄臼《かるうす》は田廬《たぶせ》のもとにわが背子《せこ》は莞爾《にふぶ》に咲《ゑ》みて立ちませり見ゆ【田廬はたぶせの反なり】
 
〔譯〕 柄臼は田圃の伏屋のもとにおいてあり、私の夫はにこにこと笑つて、そこに立つておいでになるのが見える。
〔評〕 健康な田園の匂が充ち滿ちた歌である。夫をたづねて田圃の伏屋に來て見ると、まづ眼に映つたのは柄臼であり、夫であつた。臼も夫も一日の勞働を終り、臼はあるべき處に靜かに落ちついてゐる。夫はにこやかに戸口に立つて迎へてくれる。狹い靜かな小屋、滿ち足る平和な幸福感、明るい滑稽味も含まれてゐる。
〔語〕 ○柄臼《かるうす》 からうすのこと、足でふんでつく臼。語原については唐臼、柄臼、兩説ある。○反《かへし》なり 訓み方を註したもの、「と訓む」の義。「八九四」參照。
 
3818 朝霞|香火屋《かびや》が下《した》の鳴く蝦《かはづ》しのひつつありと告げむ兒もがも
     右の歌二首は、河村壬、宴居《うたげ》の時、琴を彈きて、即ち先づ此の歌を誦して、以ちて常の行《わざ》と爲しき。
 
〔譯〕 香火屋の下でひそかに鳴いてをる河鹿のやうに、思ひ慕つてゐると知らせてやるいとしい女がゐて欲しいもの(113)である。
〔評〕 愛の對象を持たぬ若い男の嘆きであるが、個性的實感でなく、一般的共通的感情であり、民謠風の古歌と思はれる。「二二六五」と序が同じである點も一般性を思はせる。
〔語〕 ○朝霞香火屋が下 朝霞のこめてゐる、猪や鹿をおどす爲に火をたいてをる家と解しておく。以上序詞。○しのひ 戀ひ慕ふ意。
〔左註〕○河村王 續紀記載の寶龜八年まで無位の人とすると、前後の歌と時代を比較して、若きに失するやうであるから、別人であらうか。
 
3819 夕立の雨うち零《ふ》れば春日野の草花《をばな》が末《うれ》の白露おもほゆ
 
〔譯〕 夕立の雨が降ると、春日野の尾花のさきに宿る露が、さぞ美しからうと思ひやられる。
〔評〕 この歌は、「二一六九」にあるのと酷似して居り、その「一に云ふ」に從へば、全く同一歌である。
 
3820 夕づく日さすや河邊に構《つく》る屋の形《かた》を宜《よろ》しみ諸《うべ》よそりけり
     右の歌二首は、小鯛王、宴居《うたげ》の日、琴を取る登時《すなはち》必ず先づ此の歌を吟詠せり。その小鯛王は、更《また》の名|置始多久美《おきそめのたくみ》といふ、この人なり。
 
〔譯〕 夕日の美しくさす河のほとりに作つた家の形が面白いので、道理で人々がこの家に寄つて來ることである。
〔評〕 夕日に照り映える新築の輪奐の美、歌調もそれにふさはしく鮮麗である。外來文化が、寺院建築をはじめ、宮殿その他の建造にも新しい多樣の型を示した時代の、歴史的背景を考へてこの歌を讀むと、感興は一層深い。なほ、朝日また夕日は、古歌謠の建築美によくうたはれてをる。
(114)〔語〕 ○うべよそりけり ひきつけられ近よつて來るのも尤もであるの意。
〔訓〕 ○うべよそりけり 白文「諸所因來」。ウベゾヨリクル、ウベヨサエケリ、ウベヨラエケリなど、諸訓がある。
〔左註〕 ○置始多久美 藤原武智麿傳に、神龜年間の人物を擧げた中に、置始工とあると同じ人であらう。
 
     兒部女王《こべのおほきみ》の嗤《あざけり》の歌一首
3821 美麗物《うましもの》何所《いづく》飽《あ》かじを尺度《さかと》らが角《つの》のふくれにしぐひあひにけむ
     右はある時娘子あり。姓《かばね》は尺度氏なり。此の娘子、高き姓の美人《うまびと》の誂《つまど》へるに聽《ゆる》さずして、下《ひく》き姓の※[女+鬼]士《しこを》の誂《つまど》ふに應へ許しき。ここに兒部女王、此の歌を裁《よ》み作りて、彼《そ》の愚しきを嗤り咲《わら》ひき。
 
〔題〕 兒部女王 傳不詳。「一五一五」の歌に註してある子部王と同人かともいはれる。
〔譯〕 美しい物は何處といつてあきたらない點もあるまいに、なぜにあの尺度といふ女は、あんな角のふくれたやうな醜い男に、くつ附いたのか、物ずきな女である。
〔評〕 人はどんな場合でも、美しい物を欲求するのに、娘子が、殊更に名門の美しい男の求婚を避け、好んで下賤の醜男に嫁いだので、その心事をいぶかつたのである。しかし、女王の作としては、粗野に過ぎた罵言と思はれる。
〔語〕 ○美麗物 美しい物の義で、身分高い美男を暗にさしてゐる。○尺度ら 尺度は氏、らは接尾辭。○ふくれ ふくれたもの。和名抄の※[暴+皮]の條に聲韻の「肉墳起也」をひいて、「ふくる」をあててゐる。瘤のこと。○しぐひあひにけむ 「しぐひあふ」は爲食《しく》ひ合ふの意と思はれる。
〔左註〕 ○高き姓の美人 名門の美男。○誂 つまどふ、求婚する。○※[女+鬼]士 醜士に同じ。
 
     古き歌に曰く
(115)3822 橘の寺の長屋に吾が率宿《ゐね》し童女放髪《うなゐはなり》は髪あげつらむか
     右の歌は、椎野連長年が脉《とりみ》て曰く、それ寺家の屋は俗人の寢處にあらず。また若冠の女を※[人偏+稱の旁]《い》ひて放髪丱といへり。然らば則ち腹句已に放髪丱といへれば、尾句に重ねて冠を著《つ》くる辭を云ふべからざるをや。
 
〔譯〕 橘寺の長屋に自分が連れて行つて共寢をしたあの振分髪の童女は、今頃はもう髪をあげて、すつかり女になつたであらうか。
〔評〕 直情で素朴で、野趣に滿ちた歌である。普通の家でなく、寺院の長屋であるに、敢へて意に介せずにうたつたところ、上代の野人らしい面目が躍如としてゐる。
〔語} ○橘の寺 橘は大和國高市郡高市村大字橋附近。今も橘寺がある。聖コ太子の建立せられたもの。○長屋 今いふ長屋に同じく、横長く造つた家。○童女放髪 「うなゐ」は頸居、髪を項《うなじ》のあたりに垂らしてゐるをいふ。「はなり」は放りで、髪の束ねないのをいふ。「一二四四」參照。○髪上げつらむか 一人前の女に成長して、髪を上げ結つたであらうか。
〔左註〕 右歌云々 この左註の意は、椎野連《むらじ》長年が云ふには、寺院の建物は僧侶でない者の寢る處ではないから、女を連れて行つて寢たといふのはいけない。また若冠の女を稱して放髪といふのだから、第四句に放髪といつた以上、結句に「髪上げつらむか」といふのは重複してをるといふのである。但しこれは妄説で、寺の長屋で密會することもあらうし、四五句を難じたのもウナヰハナリの意を誤解したのである。○椎野連長年 續紀神龜五年の條に見える歸化人の子などであらう。○腹句 一句は頭、二句は胸、三句は腹、四句は腰、五句が尾句であるが、ここでは代匠記精撰本の説のごとく、三四句をいうたものであらう。
〔訓〕 ○脉 代匠記に「説」の誤としてゐる。全註釋には、歸化人の子の醫師であつたので、脉曰としやれて書いた(116)のだらうとある。○放髪丱 「丱」は類聚古葉による。束髪兩角の髪の字。○腹句 西本願寺本書入には腰句とある。
 
     決《さだ》めて曰く
3823 橘の光《て》れる長屋にわが率寢《ゐね》し童女《うなゐ》放髪《はなり》に髪上げつらむか
 
〔題〕 ○決めて曰く 前述の理由によつて、長年が改作して、かう決定したとの意。
〔譯〕 橘の實が美しく照りかがやいてゐる長屋に、一緒にいつて寢た童女は、放髪《はなり》に髪を上げたであらうか。
〔評〕 これは長年の改作である。初二句は意を成さぬことはないが、四句の改作は、童女と切り、その童女が故髪にとしたのであらうが、意味をなさぬ。
 
     長忌寸意吉麻呂《ながのいみきおきまろ》の歌八首
3824 さしなべに湯|沸《わ》かせ子ども櫟津《いちひづ》の檜橋《ひぼし》より來《こ》む狐《きつ》に浴《あ》むさむ
     右の一首は、傳へ云ふ。一時《あるとき》衆集ひて宴飲《うたげ》しき。時に夜漏三更《さよなか》にして、狐の聲聞ゆ。爾乃《すなはち》衆諸《もろびと》奧麻呂《おきまろ》を誘ひて曰く、此の饌具の雜器、狐の聲、河、橋等の物に關《か》けて、但《ただ》に歌を作れといひき。即ち、聲に應へて此の歌を作りき。
 
〔題〕 長忌寸意吉麻呂 意吉麿は奧麿ともかいて、その作は、卷一・二・三・九に六首載つてゐるが、それはいづれも眞面目な歌。ここのは皆即興の作である。
〔譯〕 柄のついた鍋に湯を沸かしてくれ、若者達。櫟津の檜橋の方からやつて來る狐にあびせてやらう。
〔評〕 當意即妙、まことに達者な手腕で、奇想天外、しかも明るくとぼけた滑稽味の作である。
〔語〕 ○さしなべ 正倉院文書に「佐志奈閉一口」とある。○櫟津 地名。允恭紀にある櫟井と同地と推定される。(117)その櫟井は今の添上郡治道村。津は水邊で河の義に用ゐたのであらう。○檜橋 檜材で作つた橋。
〔左註〕 ○夜漏三更 夜の時刻が眞夜中との意。「漏」は漏刻のこと。三更は子の刻、今の十二時頃。○但に 直ちにの意に用ゐたのであらう。倶に、併せてなどとする説がある。
 
     行騰、蔓菁、食薦、屋※[木+梁]《やのうつばり》を詠める歌
3825 食薦《すごも》敷き蔓菁《あをな》煮持《にも》ち來《こう》※[木+梁]《うつばり》に行騰《むかばき》懸けて息《やす》む此の公《きみ》
 
〔譯〕 食事の時に下に敷く薦を敷いて設備を整へ、さうして青菜を煮て持つておいで。行騰を脱いで梁に懸けて休息してゐるこの君のもとに。
〔評〕 歌として優れたものでは勿論ないが、難題をよく詠みこなしてゐるのは老手である。萬葉人の衣食、生活樣式などが取り集めて知られ、文化史的立場から見て興味がある。
〔語〕 ○あを菜 仁コ記の歌にもある。○行騰 今日の脚絆のやうなもの。毛皮で作りもした。
 
     荷葉を詠める歌
3826 蓮葉《はちすば》は斯《か》くこそあるもの意吉麻呂《おきまろ》が家なるものは芋《うも》の葉に有《あ》らし
 
〔題〕 ○荷葉 蓮の葉のこと。食物を盛るに用ゐた。
〔譯〕 蓮の葉といふものは、こんなにこそあるべきものなのだ。意吉麻呂の家にあるのは、蓮の葉ではなくて、芋の葉であるらしい。
〔評〕 作者は、自宅にあるのを、蓮か芋か、よく知らないといふのでは無論ない。宴席の立派な蓮の葉を見て、これこそ本物だ。俺の家のあの貧弱な蓮の葉は、おほかた芋の葉であらう、と自嘲した洒々落々の作。
(118)〔語〕 ○斯くこそあるもの 下に「なれ」を略してゐる。○うも 「う」と「い」と通じて、芋すなはち里芋のこと。「あらし」はあるらしの略。
 
     雙六の頭《さえ》を詠める謌
3827 一《いち》二《に》の目のみにあらず五《ご》六《ろく》三《さむ》四《し》さへありけり雙六《すぐろく》の采《さえ》
 
〔題〕 雙六の頭 雙六は大陸渡來の遊戯で、當時既に盛に行はれたらしく、持統紀三年に雙六を禁斷する旨の記事が見え、正倉院にも雙六盤が傳はつてをる。頭はそれに使用する采である。
〔譯〕 一や二の目ばかりではない。五も六も三も、おまけに四まであることだ、雙六の采は。
〔評〕 目といへば二つときまつてゐるのに、雙六の采は一、二の目どころではなく、一から六まであると、巧みにその數を詠みこんでをる。平凡な物を新たな感覺で眺め、そこに滑稽味を發見してゐる。
〔語〕 ○五六三四さへありけり 五、六、三もあり、四までもあるわいの意。催馬樂大芹に、「五六返しの一六の賽や、四三賽や」とある。
〔訓〕 ○いちにの 白文「一二之」。數字は訓讀か、音讀か問題であるが、「采」を音讀することからも前記の催馬樂からも、また古寫本の訓に徴しても、舊訓の通り音讀するのがよい。
 
     香、塔、厠、屎、鮒、奴を詠める歌
3828 香《こり》塗れる塔《たふ》にな依りそ川隅《かはくま》の屎鮒《くそぶな》喫《は》める痛《いた》き女奴《めやつこ》
 
〔譯〕 香を塗つてある清淨な塔に、近よつてはいけない。川の曲り角の厠の附近にゐる屎鮒を食つた、けがらはしいひどい女奴よ。
(119)〔評〕 天平文化の粹を象徴する香塗れる塔と、それに配した當時の下層民中の最下位たる女奴。その對象が面白い上に、奴婢の生活?態があらはれてゐて、當時の社會生活の一面も覗き得られる。
〔語〕 ○香ぬれる 香をコリと訓むことは、齋宮式忌詞にも「堂稱2香燃《コリタキ》1」とある。香木を粉にして塔の一部に塗つたのであらう。○塔 卒塔婆の略。卒塔婆は梵語 stupa の漢譯で、高顯の意。佛舍利を收めたり、又は供養や報恩等の爲に建てるもの。○川隅 川の曲り角。「かは」は題詞の厠を表はしてゐる。○屎鮒 題は二つであるを一つにして、汚い所にゐる鮒を卑しめていつたもの。
 
     酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠める歌
3829 醤酢《ひしほす》に蒜《ひる》搗《つ》き合《か》てて鯛願ふ吾にな見えそ水葱《なぎ》の羮《あつもの》
 
〔譯〕 醤油《ひしほ》と酢と合せたものに蒜を搗きまぜて、それをかけて鯛が食べたいと願つてゐる自分の目に入つてきてくれるな、水葱の吸物などは。そんな物は欲しくない。
〔評〕 濃厚な味の食物を好む自分は、水葱の吸物のやうな淡々たるものは、見たくもないとの意で、作者の味覺の嗜好を巧みに詠み込み、その中におのづから當時の食物、調理などの樣子も窺はれて興味がある。宴會での作にふさはしい。
〔語〕 ○醤 小麥と大豆とで造つた麹に鹽水を加へて造る。今日の諸味のやうなもの。○蒜搗き合てて 蒜をつぶして混ぜ加へての意。蒜は山蒜。山野に自生する草で、今日も食料とする。「かて」はまぜ合せる意。(全註釋にはアヘテと訓んでゐる)。○水葱 水田、小川の汀などに自生する草。
 
     玉掃、鎌、天木香《むろ》、棗を詠める歌
(120)3830 玉掃《たまははき》苅り來《こ》鎌麻呂《かままろ》室《むろ》の樹と棗《なつめ》が本《もと》とかき掃《は》かむ爲
 
〔譯〕 帚草を苅り取つて來いよ、おい鎌麿。室の木と棗の木と茂つてゐる下を掃除するのだから。
〔評〕 機智縱横といふべく、特に、難物の鎌を擬人化して難關を切り拔けたのは面白い。滑稽と野趣があつて、その萬葉的明快さは、後世の企及し難い所である。
〔語〕 ○玉掃 帚を作る草で、今カウヤバウキといふ。玉は美稱。山林に自生する高さ二尺餘の落葉灌木。「四四九三」にある玉箒は、この草で作つて飾の玉を附けたもの、正倉院に實物が遺つてゐる。○苅り來鎌麻呂 苅つて來い、鎌麿よ。鎌を擬人化していふ。○室の樹 題詞には「天木香」とあり、「四四六」の歌にも同樣である。ネズムロのこと。その項參照。○棗 今も庭園に植ゑる落葉喬木。
 
     白鷺の木を啄《く》ひて飛ぶを詠める歌
3831 池神《いけがみ》の力士※[人偏+舞]《りきしまひ》かも白鷺《しらさぎ》の桙《ほこ》啄《く》ひ持ちて飛びわたるらむ
 
〔譯〕 池神の力士※[人偏+舞]の眞似でまあ、あの通りに白鷺が桙をくはへ持つて飛びわたつて行くのであらうか。
〔評〕 池神の力士※[人偏+舞]を採り入れたのは、舞樂史上の好資料である。鷺が巣を作らうとして、木の小枝をくはへて飛ぶのを、白い衣を着、※[手偏+孚]《ばち》のやうな桙を持つて舞ふ力士※[人偏+舞]に見立てたのは奇抜な著想で、童謠的な自然觀照である。この歌も傍人に慫慂されての即詠であらう。
〔語〕 ○池神 地名であらうが所在不明。○力士※[人偏+舞] 百濟人が傳へた呉樂の一曲。金剛力士に假装し、桙をとりて舞ふ。白衣を著てゐるので、白鷺に擬らへた。○桙啄ひ持ちて 木の小枝を啣へたのを桙に見立てたもの。「一八二一」には「枝くひもちて」の句がある。
 
(121)     忌部首《いみべのおびと》、數種の物を詠める歌一首 名亡失せり
3832 枳《からたち》の棘原《うばら》苅り除《そ》け倉立てむ屎《くそ》遠くまれ櫛造る刀自《とじ》
 
〔題〕 忌部首 「一〇〇八」「一五五六」「一六四七」「三八四八」の作者忌部首黒麻呂と同一人であらうか。
〔譯〕 枳のいばらのはえてゐるところを苅りのけて、そこに倉を建てようと思ふ。その邊に屎をせずに遠くに行つてしなさい、櫛を造るおかみさん。
〔評〕 これも自發的感興から成つた歌ではなく、宴席などで人に注文されての即興であらう。かうした遊戯的作品の常として、滑稽諧謔を主眼とするのは當然であり、これ等が後世江戸文學の狂歌、その他、滑稽洒落を弄した文學に一脈の絲を牽いたものと見られるのである。
〔語〕 ○枳 生籬として栽培される。○棘原苅り除け いばらを刈りのけての意。「うばら」はいばらに同じく、刺ある灌木の總稱。○まれ 排泄せよ。○刀自 主婦その他年輩の女をいふ。
 
     境部王《さかひべのおほきみ》、數種の物を詠める歌一首 【穗積親王の子なり】
3833 虎に乘り古屋《ふるや》を越えて青|淵《ぶち》に鮫龍《みづち》とり來《こ》む劔刀《つるぎたち》もが
 
〔題〕 境部王 穗積親王の子と注してあるが、皇胤紹運録には長皇子の子とある。
〔譯〕 虎に乘り、あの古屋を越えて、水の青々と深く湛へた淵で、鮫龍を捕へて來ようと思ふが、それに役立つやうなよい劍太刀が欲しいものである。
〔評〕 恐ろしい物づくめの特殊な題を與へられての作爲歌ではあるが、我が國にをらぬ虎に乘り、鮫龍を捕らうといふ丈夫心的空想を恣にしたところに、意氣軒昂の趣が見える。
(122)〔語〕 ○古屋を越えて 代匠記には履中紀「鷲住王、爲v人強力輕捷、由v足獨馳2越八尋屋1而遊行」を引いてゐる。地名であらうが所在不明。或は古屋峠ともいふべき險岨の地で、かつ古屋といふに荒凉たる意がこもつてゐたのでもあらう。○鮫龍 水の中に住む龍の類。
 
     作主未だ詳ならざる歌一首
3834 梨《なし》棗《なつめ》黍《きみ》に粟|嗣《つ》ぎ延《は》ふ田葛《くず》の後も逢はむと葵《あふひ》花咲く
 
〔譯〕 梨がみのり棗がみのり、黍に粟が引續いてみのり、君に逢ふことがつづいてゐるが、這ふ葛のやうに、後にも逢ふ日があるといふしるしに、葵の花が吹いてゐる。
〔評〕 種々の果實や穀類を取りまぜて、巧みに一首に纏めてゐる。席上の即興で、目にふれた物をよみこみ、主客の平安を壽いだものであらう。食物史の見地からも面白い資料を提供した歌である。
〔語〕 ○黍に粟嗣ぎ 「黍」を「君」にいひかけ、粟は黍に續いて熟するのにかけて、逢は續ぎといつたものと解した考の説がよい。○葵花咲く 葵は、蔬菜として葉を食用としたもの、今、冬葵といひ、カモアフヒ・ゼニアフヒ・タチアフヒなどとは違ふ。この「あふひ」には「逢ふ日」の意をかけてゐる。
 
     新田部親王《にひたべのみこ》に獻《たてまつ》れる歌一首 いまだ詳ならず
3835 勝間田《かつまた》の池は我《われ》知る蓮《はちす》無し然《しか》言《い》ふ君が鬢《ひげ》無き如し
     右或るは人あり。聞くに曰く、新田部親王《にひたべのみこ》、堵裡《みやこのうち》に出で遊び、勝間田の池を御見《みま》して御心の中《うち》に感緒《めで》ませり。彼《そ》の池より還りて、怜愛に忍びず、時に婦人《をみなめ》に語り給はく、今日遊行して勝間田の池を見る。水影濤濤として蓮花灼灼たり。可憐斷腸、言ふことを得べからずといふ。爾乃《すなはち》婦人、此の戯歌《たはれうた》を作りて、專輙《もはら》吟詠せるなり。
 
(123)〔題〕 新田部親王 天武天皇の第七皇子。母は鎌足の女。「二六一」參照。
〔譯〕 勝間田の池は、私はよく知つて居りますが、仰しやいますやうな蓮の花は、あの池にはございません。さう仰しやいますあなたさまが、お鬚の無いのと同樣でございます。
〔評〕 勝間田の池に蓮の花が澤山あつたことは、新田部親王が實見された通りである。それを、この婦人が無いといつたのは無論諧謔で、親王の鬚の濃いのを反語を用ゐて揶揄する爲なのである。明朗な、氣の利いた滑稽で、しかもなかなか辛辣である。わかり切つたことを反對に「蓮無し」と斷言しておいて、さて意表外の反語を以て、上の斷定を暗に覆した手練は老巧といふべきである。
〔語〕 ○勝間田の池 平城京の左京六條にあつた池で、藥師寺に近い。枕草子にも「池は、かつまだの池」云々と見える。○鬢無き如し 事實は親王は鬚が多かつたのを、わざと逆説したものと思はれる。
〔左註〕 ○堵裡 「堵」は「近江舊堵」(三二)などのごとく「都」に通用した。○婦人 側近に侍る寵愛の女性。○水影濤濤 水の滿々と湛へた樣。○灼灼 花の照りかがやくが如ぐ美しい樣。
 
     侫人を謗《あざけ》る歌一首
3836 奈良山の兒手柏《このてがしは》の兩面《ふたおも》に左《か》にも右《かく》にも侫人《ねぢけびと》の徒《とも》
     右の歌一首は、博士|消奈行文大夫《せなのぎやうもにのまへつきみ》作れり。
 
〔譯〕 奈良山の兒手柏の葉の表と裏とが區別しにくい如く、いづれへ向いてもよいやうなことをいひ、とにかくあの男は侫人どもの仲間なのだ。
〔評〕 侫人がどちらを向いても阿附追從を事としてゐるのを、兒手柏の兩面と罵つたので、語氣痛烈を極めてゐる。作者がこれを詠んだ動機は明かでないが、侫人に對する憤激が認められる。また時代を超越して、いつの世の侫人を(124)叱咤するにも適應した作である。
〔語〕 ○奈良山 奈良の京の北方の山。○兒手柏 諸説あり、小清水卓二氏によると、側柏のことで、奈良坂の式内社奈良豆比古神社の境内に、植ゑ繼がれてきたとおぼしい側柏があるといふ。琉球では側柏をフタオモといふ由である。コノテは、葉が小兒の掌の形をしてゐる所からの名である。○左にも右にも どの面からみても。
〔左註〕 博士消奈行文大夫 古葉略類聚鈔の注文に、新羅人也とある。懷風藻に詩が見え、從五位下大學助で年六十二とある。續紀によれば明經第二博士である。「大夫」は五位の通稱。
 
3837 ひさかたの雨も降らぬか蓮葉《はちすば》に渟《たま》れる水の玉にあらむ見む
     右の歌一首は、傳へ云ふ、右兵衛あり。【姓名未だ詳ならず】歌作の藝に多能なりき。時に府の家、酒食を備へ設け、府の官人等を饗宴す。ここに、饌食は盛るに皆荷葉を用ゐき。諸人酒酣にして謌舞絡繹す。乃ち兵衛を誘ひて云ふ、其の荷葉に關《か》けて歌を作れといひしかば、登時《すなはち》聲に應《こた》へて斯の歌を作りき。
 
〔譯〕 雨がまあ降つて來ないかなあ。蓮の葉にたまつてゐる水が、玉のやうであらうその樣を見ように。
〔評〕 宴席で人々の注文に應じて詠んだ即興の作である。蓮の葉の上に展轉する水玉の凉しげな風情を愛して、雨よ降れかしと望んだのであるが、句法は、「一六四二」と相似たところがある。府の長官邸の盛大な饗宴に、御馳走は皆蓮の葉に盛つてあつたといふのは、當時の素朴な風習が想像される。
〔左註〕 ○右兵衛 兵衛府の官人で、普通右兵衛尉をさす。○府家 兵衛府の長官邸であらう。○絡繹 參差錯雜、盛んに入り亂れる意。諸本「駱驛」とあるが、今、考の説によつて改めた。
 
     心の著《つ》く所無き歌二首
 
(125)3838 吾妹子が額《ぬか》に生《お》ひたる雙六《すぐろく》の牡牛《ことひのうし》のくらの上の瘡《かさ》
 
〔題〕 心の著く所無き歌 とりとめのない歌、意味の無い歌の意。
〔譯〕 自分のいとしい妻の額に生えてゐる雙六の、大きな牡牛の鞍の上に出來た腫物よ。
〔評〕 意味はないが、「吾妹子が額」といひ「生ひたる雙六」と轉じ、「牡牛」といふ、そこに企て及び難い滑稽味がある。
〔語) ○くらの上の瘡 底本に倉上とある。倉に鞍をかけ、しかも鞍の下といはず、わざと上といつたもの。瘡は腫物の總稱。
 
3839 吾背子が犢鼻《たふさぎ》にする圓石《つぶれいし》の吉野の山に氷魚《ひを》ぞ懸有《さがれ》る【懸有、反してさがれると云ふ】
     右の歌は、舍人親王《とねりのみこ》侍座に令して曰《のたまは》く、もし由る所無き歌を作る人あらば、賜ふに錢帛を以《も》ちてせむといひき。時に大舍人|安倍朝臣子祖父《あべのあそみこおぢ》、乃ち斯の歌を作りて獻上《たてまつ》りしかば、登時《そのとき》募れりし物錢|二千文《にせにもに》を給ひき。
 
〔譯〕 私の夫が犢鼻褌にする圖い石の、吉野の山に氷魚がさがつてゐる。
〔評〕 これも亦奇拔な作。しかして二首を、一は吾妹子が、一は吾背子が、というたのもたくみである。
〔語〕 ○犢鼻 ふんどし、まはしの類。○氷魚 琵琶湖、宇治川などに産する。白魚に似て小さい。
〔左註〕 ○舍人親王 天武天皇の皇子、「一一七」參照。○侍座 座に侍る人々。○大舍人 宮廷に奉仕する輕い役人。○子祖父 傳不詳。
 
     池田朝臣、大神朝臣奧守《おほみわのあそみおきもり》を嗤《わら》ふ歌一首【池田朝臣は名忘失せり】
(126)3840 寺寺《てらてら》の女餓鬼《めがき》申《まを》さく大神《おほみわ》の男餓鬼《をがき》賜《たば》りて其の子うまはむ
 
〔惡〕 ○池田朝臣 池田朝臣眞枚であらうと古義にあるが明かでない。○大神朝臣奧守 續紀に、天平寶字八年正六位下から從五位下に敍せられてゐる。
〔譯〕 方々の寺の女餓鬼たちが申しますには、あの痩男の大神の男餓鬼をお壻さんにいただいて、其の子を生まうと申します。
〔評〕 思ひ切つて辛竦な惡口で、戯謔を交して笑つてゐた悠長な時代相も窺はれる。
〔語〕 ○寺寺の女餓鬼申さく 諸方の寺にある女の餓鬼がいふには。餓鬼は佛教に所謂三惡道の一なる餓鬼道に墮ちて苦しんでゐるもの、その喉が針の如くにして飲食することを得ず、水を見れば忽ち火に變ずるといふ。鄙吝にして人に施與することなき者が墮したのである。當時の寺には、餓鬼道の有樣を塑像などに作つて飾つてあつた。「六〇八」參照。
 
     大神朝臣|奧守《おきもり》、報《こた》へ嗤《わら》ふ歌一首
3841 佛|造《つく》る眞朱《まそほ》足《た》らずは水|渟《たま》る池田のあそが鼻の上《へ》を穿《ほ》れ
 
〔譯〕 佛像を造る爲の、彩色用の朱の繪具が足りなければ、池田さんの鼻の上を掘るがいい。(あの赤鼻からは澤山の朱が出るよ。)
〔評〕 負けず劣らずの辛竦な揶揄である。まことに見事な太刀打で、しかも、寺々の餓鬼に對するに佛像を以てした應酬も氣がきいてゐる。なほこれらの作は、寺院や佛像の盛んに造られた當時の情勢を反映してゐることに注目すべきである。
(127)〔語〕 ○佛造る眞朱 「ま」は接頭辭「そほ」は朱又は赭土をいふ。「赤のそほ船」(二七〇)參照。○水渟る 「池」に係けた枕詞。○あそ 親しんでいふ詞。吾兄《あせ》の轉であらう。姓の下また名の下におく朝臣《あそみ》は「あそおみ」の約。
 
    或は云ふ
     平群朝臣《へぐりのあそみ》の笑ふ歌一首
3842 小兒《わらは》ども草はな苅りそ八穂蓼《やほたで》を穗積のあそが腋《わき》草を苅れ
 
〔題〕 平群朝臣 誰とも知られない。
〔譯〕 子供らよ、草は刈るな。草を刈るならば、穗積さんの腋草を刈るがいい。
〔評〕 機智に富んだ穿ち振りであるが、度を過せば猶及ぼざる如しの感を生ずる場合もある。この歌も稍行き過ぎて下品に墮し、朗らかに笑へない歌になつてゐる。
〔語〕 ○八穗蓼を 枕詞。多くの穗のある蓼をつむの意で係けたもの。「水蓼穗積に至り」(三二三〇)參照。○穗積の朝臣 誰とも知られない。○腋くさ 腋毛と腋臭と兩説があるが、腋毛の方がよいであらう。
 
     穗積朝臣の和ふる歌一首
3843 何所《いづく》ぞ眞朱《まそほ》穿《ほ》る丘《をか》薦疊《こもだたみ》平群《へぐり》のあそが鼻の上を穿《ほ》れ
 
〔譯〕 何爲だらう。繪具の原料の赭土を堀り出す岡は。何處彼處といはうより、赭土なら、平群さんの鼻の上を掘るがいい。
〔評〕 前の「三八四一」の歌と同趣で、同一歌の異傳とも見られる。
〔語〕 ○薦疊 「平群」の枕詞。「疊薦」ともいふ。薦で編んだ疊の重《へ》にかかる。「二七七七」參照。
(128)〔訓〕 ○いづくぞ 白文「何所曾」。古葉略類聚鈔には、イヅクニゾ、と訓んでゐる。
 
     黒色を嗤《わら》ふ歌一首
3844 ぬばたまの斐太《ひだ》の大黒《おほぐろ》見るごとに巨勢の小黒《をぐろ》し念《おも》ほゆるかも
 
〔譯〕 斐太の大黒を見るたびごとに、巨勢の小黒が聯想される。どちらもまるで黒馬みたやうな黒さだ。
〔評〕 大黒小黒と、馬になぞらへて揶揄したところが、この歌の山といふべきである。
〔語〕 ○ぬばたまの 語を隔て、て「黒」にかかる枕詞。○斐太の大黒 次の左註に、巨勢斐太朝臣とある。色の黒い大男であつたらう。當時飛騨に良馬を産した爲、こんな謔語をなしたのであらう。○巨勢の小黒し 「し」は強めの助詞。左註に、巨勢朝臣豊人とある人。色の黒い小男であつたらう。
 
     答ふる歌一首
3845 駒造る土師《はじ》の志婢麻呂《しびまろ》白くあれば諾《うべ》欲《ほ》しからむその黒色を
     右の歌は、傳へ云ふ。大舍人土師宿禰水通《はじのすくねみみち》あり。字《あざな》を志婢麻呂《しびまろ》と曰《い》ひき。時に大舍人巨勢朝臣豊人、字を正月麻呂《むつきまろ》といへる、巨勢斐太朝臣【名字を忘る、島村大夫の男なり】と兩人、并に此彼貌黒色なり。ここに、土師宿禰水通斯の歌を作りて嗤咲《あざわら》ふといへり。而して、巨勢朝臣豊人、聞きて、即ち和《こた》ふる歌《うた》を作りて酬い咲《わら》へるなり。
 
〔譯〕 駒を造る土偶作りの志婢麿よ、お前は色がなま白いから、成程欲しいだらう、こんな見事な黒い色が。
〔評〕 馬になぞらへて笑はれたので、相手が土師氏であるところから、土偶作りの造る駒に着想したのは、氣のきいた應酬である。
〔語〕 ○土師の志婢麻呂 左註に見える土師宿禰水通。水通は卷五の太宰府梅花宴にも列して歌を詠んでゐる。
(129)〔左註〕 ○右歌者云々 右二首の歌は、土師宿禰水通が、巨勢朝臣豊人・巨勢斐太朝臣の二人の顔色の黒いのを笑つて上の歌を詠んだのに對し、豊人がそれを聞いて後の歌を作つて笑ひ返したとの意。○大舍人 「三八三九」左註參照。○巨勢朝臣豊人 傳不詳。○島村大夫 續紀に、天平九年正六位下より外從五位下となつたことが見える。
 
     戯に僧《ほふし》を笑《わら》ふ歌一首
3846 法師《ほふし》らが鬢《ひげ》の剃杭《そりぐひ》馬|繋《つな》ぎいたくな引きそ僧《ほふし》半《なから》かむ
 
〔譯〕 坊さんの剃つたひげが杭のやうに伸びてゐるが、その剃り杭に馬を繋いで、あんまりひどく引張るなよ、坊さんが半分になるであらうから。
〔評〕 ひげの剃杭は實に奇想天外である。素朴な萬葉人の面影が躍如としてゐる。
〔語〕 ○法師らが 「ら」は複數ではない。「憶良らは」(三三七)參照。○鬢の剃杭 當時常人は髪をのばし、僧侶は鬚も髪も剃つたのである。然るに、その法師の太くこはい髪が、剃つて數日後、少し伸びたのを杭に見立てたもの。
〔訓〕 ○なからかむ 白文「半甘」。舊訓ナカラカモで、なから即ち半分にならむの意と代匠記初稿本にいひ、略解も同じ意に解してナカラカムと訓み改め、古義はナカラカムと訓んで半《ナカラ》缺《カカ》むの意とし、岡本保考ナキナム、敷田年治ハナカム(法師は泣かむ)、松岡調ナカマシ等ある。ナカラマシともよめる。略解説と敷田説とのいづれかであらう。
 
     法師の報《こた》ふる歌一首
3847 檀越《だにをち》や然《しか》もな言《い》ひそ里長《さとをさ》が課役《えつき》徴《はた》らば汝《な》も半《なから》かむ
 
〔譯〕 檀家さんよ、そんなに仰しやるな、村長さんが課税を徴收したらば、お前さんも半分になつてしまふであらう。
〔評〕 課税の義務のなかつた法師の身の氣安さから、在家の友人の冷評に一矢を報いたもので、うまく相手の急所を(130)衝いて居る。庶民にとつては、いつの時代も、納税の重荷はつらかつたことが知られる。
〔語〕 ○檀越や 檀越は梵語 D?napati の音譯で、玄弉の新譯では檀那といふ。施主の義で、僧侶から在家を呼ぶ語。今いふ檀家。「や」は呼びかけの語。○里長が 「八九二」參照。○課役 課と役。課は貢を約めしめること、役は賦役、勞力を徴すること。
〔訓〕 ○里長が 通行本「弖戸等我」を「五十戸長我」の誤とすることとした。
 
     夢の裏《うチ》に作れる歌一首
3848 新墾田《あらきだ》の鹿猪田《ししだ》の稻を倉に藏《つ》みてあなひねひねし吾が戀ふらくは
     右の歌一首は、忌部首黒麻呂《いみべのおびとくろまろ》、夢の裏に此の戀の歌を作りて友に贈り、覺めて誦み習はしむること前《《さき》の如し。
 
〔譯〕 新たに開墾した田の、鹿や猪が來て荒す田の稻を刈つて倉に貯藏して、もう久しくなるので、ひからびてしまつた。自分がお前を思ひつづけてゐることも、ああ最早古くさくなつたことだ。
〔評〕 遂げがたい戀に半ば自棄的となつて、それを夢のうちに歌によんで友に贈つたといふのであるが、目さめて誰にうたはしめたかが判然せぬ。「友」は「女」の誤寫であるといふ説がよい。鹿猪田は「三〇〇〇」にもある句。「ひねひねし」は、吐き出すやうな自嘲的口吻で悲痛味がある。なほ夢裏に歌詠をなした例は「一六二」にある。
〔訓〕 ○つみて 白文「擧藏而」古義コメテ。いま舊訓による。
〔左註〕 忌部首黒麻呂 天平寶字頃の人。「一〇〇八」參照。
 
     世間の常無きことを厭ふ歌二首
3849 生死《しやうじ》の二つの海を厭はしみ潮干《しほひ》の山をしのひつるかも
 
(131)〔譯〕 生と死との苦しみある二つの海――即ち人間の世が厭はしさに、潮の干てゐる山――即ち彼岸の淨土をなつかしく思ひあこがれてをることである。
〔評〕 集中、無常を詠んだ歌は少くないが、淨土への憧憬を述べたものは、他には見えない。これは次の歌と共に、世間の無常から起る厭世觀、ひいて彼岸への渇仰を歌つた點で留意すべき作である。
〔語〕 ○生死の二つの海 華嚴經に「何(クンカ)能(ク)度(リテ)2生死海ゐ1入(ラン)2佛智海(ニ)1」とある如く、海は深くして底なく、廣くして限なく、能く人を溺らすこと、恰も無邊の生死が衆生を沈没せしめるのに似てゐるから、人間世界を喩へたもの。○潮干の山 生死を海に喩へたのにつけて、海水の滿ちる時も山はさりげないやうに、涅槃究竟の處には生滅の動轉もないから涅槃山といふ、故に、生死の此岸から悟の世界をさして、假に潮干の山といつたもの、共に代匠記の説。
〔訓〕 ○生死之 舊訓イキシニノ。佛教語として、音讀した。
 
3850 世間《よのなか》の繁《しげ》き借廬《かりいほ》に住み住みて至らむ國のたづき知らずも
     右の歌二首は、河原寺の佛堂の裏《うち》に、倭琴の面にあり。
 
〔譯〕 この世の中といふ、煩はしい、事の繁い假廬のやうな處に住みつづけて、さて、行くべき極樂淨土への方法を知らないことである。
〔評〕 現實のこの穢土を厭うて淨土を欣求する思想が、色濃くあらはれてゐる。借廬の比喩もよい。思想的の歌として注意すべき一首である。
〔左註〕 河原寺 飛鳥川の西、橘寺の北、高市郡高市村大字河原にあつた。○倭琴 六絃の琴。
 
3851 心をし無何《むか》の有郷《うとさ》に置きてあらば藐姑射《はこや》の山を見まく近けむ
(132)     右の歌一首
 
〔譯〕 心を無爲自然の境地、即ち無何有の國に置いてゐたらバ、神仙のすむ靈山なる藐姑射の山を目の前に見ること、即ち神仙の境涯に達することも近いうちに出來るであらう。
〔評〕 無何有の郷、藐姑射の山は、共に莊子に見えるところ。當時儒佛の思想と共に、一方、老莊神仙の説が知識層の間に喜ばれてゐたことが想像される。
〔左註〕 右の歌一首 作者や作歌事情に就いて書かうとして判然しがたかつたもの、以下も同じい。
 
3852 鯨魚取《いさなと》り海や死《しに》する山や死《しニ》する死ぬれこそ海は潮干《しほひ》て山は枯《かれ》すれ
     右の歌一首
 
〔譯〕 海が死ぬといふことがあらうか、そんな事はない。山が死ぬといふことがあらうか、そんな事はない。いや、やつぱり死ぬのだ、死ぬからこそ、海は汐が干るし、山は草木が枯れるのである。
〔評〕 一見不變と見られる山や海でさへも、變化は免れないといふ事實を確認して、況や人間をや、と深くその無常を痛感したのてある。自問自答の形式で、しかも、肯定と否定とを交錯させた句法、旋頭歌としても頗る異色あるものである。
〔語〕 ○鯨魚とり 「海」の枕詞。「一三一」參照。○海や死する 「や」は反語。
 
     痩《や》せたる人《ひと》を嗤咲《わら》ふ歌二首
3853 石麻呂《いはまろ》に吾《われ》物《もの》申《まを》す夏|痩《やせ》に良《よ》しといふ物ぞ鰻《むなぎ》漁《と》り食せ【めせの反なり】
 
(133)〔譯〕 石麻呂さんに、自分は申し上げる。夏痩に大變よいといふものです。鰻を捕つておたべなさい。
〔評〕 甚だ親切らしく、第二句や結句のまじめくさつた鄭重な言葉遣など、好意に滿ちてゐるやうであるが、それは矢繼早の第二彈で手痛く揶揄する捜りであつた。又、後世の所謂土用鰻の起源が、こんなに遠くにあることも知られる。
〔語〕 ○鰻 胸黄の義といふ。今のウナギはこの轉訛。
 
3854 痩《や》す痩《や》すも生けらばあらむを將《はた》や將《はた》鰻《むなぎ》を漁《と》ると河に流るな
     右は、吉田|連《むらじ》老《おゆ》といふものあり。字を石麻呂と曰《い》へり。所謂|仁敬《ににきやう》の子なり。その老、人と爲り身體|甚《いた》く痩せたり。多く喫飲すれども形|飢饉《うゑびと》に似たり。此《これ》に因りて大伴宿禰家持、聊か斯《こ》の歌を作りて戯れ咲ふことを爲せり。
 
〔譯〕 痩せながらでも、生きてゐたらばそれでまあよいに、それだのに、はた又、鰻を捕らうとして、その痩せつぽちの身體《からだ》で、河に流れなさるなよ。
〔評〕 家持も、口の惡い點では人後に落ちなかつたことが知られる。四五句には、苧殻細工みたやうな、如何にも河に流れでもしさうな、痩せぎす男の飄々たる風姿が浮んでくる。氣の毒なのは石麻呂で、竹箆返しも出來なかつたらしい。この卷は、多くは家持の採録したものと考へられるが、答歌があつならば、雁令ひどい惡口でも、故意に省くやうなことはしなかつたであらう。飢人に似た風采の擧らぬこの人に、天は詩才をも惠まなかつたものか。
〔語〕 ○はたやはた 「はた」は、「また」に似て詠歎の意を含む語。ここはそれを重ねて意を強めたもの。
〔左註〕 吉田連老 傳不詳。仁敬は百濟の人であつた吉田宜であらうといはれてをる。宜については「八六四」參照。
 
     高宮王《たかみやのおほきみ》の數種の物を詠める歌二首
3855 ※[草がんむり/皀]莢《さうけふ》に延ひおほとれる屎葛《くそかづら》絶ゆることなく宮仕《みやづかへ》せむ
 
(134)〔題〕 高宮王 傳不詳。或は高安王の誤寫かともいふが、推測に止まる。
〔譯〕 ※[草がんむり/皀]莢に這ひかぶさつてゐる屎葛は、長々と蔓が絶えないが、そのやうに絶えることなく奉仕をしよう。
〔評〕 傍人の出題によつての作であらう。刺だらけのの※[草がんむり/皀]莢、葉にも莖にも惡臭のある屎葛を拉し來つて宮仕の序としたことは、出題に應じる爲のみでなく、寓意があるともとられる。
〔語〕 ○※[草がんむり/皀]莢 ※[草がんむり/皀]莢はカハラフヂといつて、サイカチのこと。○おほとれる おどろに被ひかぶさつてゐる。○屎葛 茜草科で、ヘクソカヅラのこと。
〔訓〕 ○※[草がんむり/皀]莢 カハラフヂとよむか、字音のままによむかであらう。
 
3856 波羅門《はらもに》の作れる小田を喫《は》む烏|瞼《まなぶた》腫《は》れて幡幢《はたほこ》に居《を》り
 
〔譯〕 波羅門僧正が作つてゐる田の稻を食ひ荒す鴉は、佛罰で、あのやうに瞼が腫れて、幡幢にじつととまつてゐる。
〔評〕 波羅門僧正の尊さと、烏の瞼が腫れぼつたいやうに見えるのとを取合せ、兩者を因縁づけて一首に詠んだもの、かつ「僧正が多くの尊崇を集めてゐたこと、寺院で幡幢を立てて法會が營まれたことなどが知られ、當時の佛教隆昌の樣を語る好箇の資料である。但この歌も、數種の物を詠んだもので、今現に正倉院にある伎樂面の波羅門が題になされたのを、僧正に係けて詠んだものと思はれる。なほ波羅門は古鈔本によつた。流布本には婆羅門とある。
〔語〕 ○波羅門 梵語 Brahmana に漢字を宛てたもの。印度四姓の一で、最上位に在る階級の名であるが、この歌では、中天竺の人|菩提僊那《ボーデイセーナ》、姓は婆羅遲《バラドワージヤ》を指す。菩提は、天平八年遣唐使の船が歸國する時、林邑の樂師佛哲を伴つて來朝した。聖武天皇は莊園を賜うて大安寺に居らしめ、東大寺大佛開眼には導師を命ぜられた。僧正に任ぜられ、波羅門僧正と呼ばれた。正倉院文書の優婆塞貢進解に「天平十四年十一月十五日大安寺僧菩提」とある。○作れる小田 僧正の故郷の印度は米の産地であるから、自ら耕作を試みてゐたかも知れぬ、と高楠博士の説である。○瞼 目(135)の蓋の義。○幡幢 幡を附ける桙で、法會、説法などの時、寺院の庭に立てたもの。
 
     夫君《せのきみ》に戀ふる歌一首
3857 飯《いひ》喫《は》めど 甘《うま》くもあらず 行き往けど 安くもあらず 茜《あかね》さす 君が情《こころ》し 忘れかねつも
     右の歌一首は、傳へ云ふ。佐爲王《さゐのおほきみ》近習《まかたち》の婢《をみなめ》ありき。時に宿直《とのゐ》遑《いとま》あらずして夫君《せのきみ》に遇《あ》ひ難く、感情馳せ結《むす》ぼほれ、係戀|實《まこと》に深し。ここに當宿《とのゐ》の夜、夢の裏《うち》に相見、覺寤《おどろ》きて探り抱くに曾て手に觸るることなし、爾乃《すなはち》哽咽歔欷して、高聲に此の歌を吟詠しき。因《かれ》、王《おほきみ》聞きて哀慟して、永く侍宿《とのゐ》を免しき。
 
〔譯〕 御飯を食べてもおいしくもない。歩いて行つても心が落ちつかない。美しい君のお心が忘れられないでゐることである。
〔評〕 勤めに自由を束縛されてゐる婦女の思ひ入つた戀が、あはれである。これは、長歌形式として最小のもの。無學な婦女の意餘つて言葉足らざる表現の稚さに眞情が漲り、主人の王の心を動かしたのである。
〔語〕 ○行き往けど 「行き往く」はどんどん往くことであるが、ここは語調の爲に重ねて云つたのみで、深い意はない。○茜さす 美しく赤みを帶びてゐる意で「君」に係けた。
〔左註〕 佐爲王 橘諸兄の弟。「一〇〇四」參照。
 
3858 此の頃の吾が戀力《こひぢから》記《しる》し集《あつ》め功《くう》に申さば五位の冠《かがふり》
 
〔譯〕 この頃の自分の戀の勞力は並大抵なものでなく、もし文書に記し集めて、功績を官府に上申したならば、五位の位階はいただけるであらう。
〔評〕 戀の苦惱を誇張した作とも、宴飲の席上の作ともとられるが、或は、官位を望んで得られぬ、自嘲、もしくは(136)つまらぬ男が五位を得たのを罵つた作とも解される。
〔語〕 ○五位の冠 五位の位階。推古天皇の時、十二階の冠を制定し、位階を冠によつて表はされたから、その後、冠を賜ふことが廢せられてからも、冠の語を殘してゐたのであつた。
〔訓〕 ○しるしあつめ 白文「記集」。舊訓による。古義はシルシツメ。
 
3859 此の頃の吾が戀力|給《たば》らずは京兆《みさとづかさ》に出でて訴《うた》へむ
     右の歌二首
 
〔譯〕 此の頃の自分の戀の勞力に對して、恩賞を賜はらなかつたならば、都の役所に出頭して訴へようと思ふ。
〔評〕 戀の勞苦を誇張して表現した歌は「六九四」にもあるが、これは上の歌と二首の連作である。
〔語〕 ○みさとづかさ 首都の行政を司る役所。令制では京職といふ。京兆の字面は唐名。「みさと」は皇都の意。
 
     筑前國|志賀《しか》の白水郎《あま》の歌十首
3860 王《おほきみ》の遣《つかは》さなくに情進《さかしら》に行きし荒雄《あらを》ら沖に袖振る
 
〔題〕 志賀白水郎歌 志賀は福岡縣糟屋郡志賀島。そこの漁夫荒雄についての歌の意。左註の終にあるやうに、山上憶良の作であらう。憶良には、五の卷に熊凝の爲にその志を述べた歌がある。これもそれと同じと見てよい。
〔譯〕 天子樣がお遣しになつたのでもないのに、自分の心から進んで船出して行つた荒雄が、沖で袖を振つてゐるよ。
〔評〕 志賀の漁夫荒雄が、友の依頼を引受け、代つて肥前から對馬に航し、途中暴風に遭つて難破した事件を詠んだ十首の連作の一である。結句は、風波の難に遭つて救を求める樣と解する説と、出發の際別れを惜しむ?と見る説とがある。「三八六四」の歌によつても、前説をとるべきであらう。以下の十首について、その順序を疑ふ説もあるが、(137)しひて改めるには及ばない。
〔語〕 ○精進に ここは自發的に自ら進んでの意に用ゐた。○荒雄ら 「ら」は接尾辭。「三三七」參照。
 
3861 荒雄らを來《こ》むか來《こ》じかと飯《いひ》盛《も》りて門に出で立ち待てど來《き》まさず
 
〔譯〕 船出をして行つた荒雄を、歸つて來るだらうか、來ないだらうかと、とつおいつ考へて、飯を盛つて、門に出て待つてゐるけれども、お見えにならない。
〔評〕 妻の心になつて詠んだ歌。死んだ人が歸つて來るかも知れないといふ心持は、古今に亙る共通の感情である。殊に此處では、船と共に沈んだと聞くのみで、妻子としてはその死を見たわけではないから、門に出て待つ氣持になるのも當然である。「來むか來じかと」の句、簡淨にして眞情を道破してゐる。また、留守中にその人の爲に飯を盛るのは、蔭膳として今も遺つてをる風俗であるが、上代風俗研究の資料として注意される。
 
3862 志賀《しか》の山いたくな伐《き》りそ荒雄らが所縁《よすが》の山と見つつ偲《しの》はむ
 
〔譯〕 志賀の山の木を、あまりひどく伐つてくださるな。荒雄が生前縁故の深かつた山として、私はいつむ眺めながら荒雄の面影を偲びたいのです。
〔評〕 荒雄が深い縁故をもつてゐた山が、濫伐によつてその山容をそこなはれることは、荒雄の面影を偲ばうとする家人にとつては、堪へ難いといふ氣持である。その眞情が、力強く端的に表現されてゐる。
〔語〕 ○所縁の山 諸説あるが、中平悦麿氏の傳説歌考に、荒雄が常に航行の目標とした山で、それが濫伐によつて山容の變ることを警めたものとする説が穩當であらう。
 
(138)3863 荒雄らが行きにし日より志賀の海人《あま》の大浦田沼《おほうらたぬ》は不樂《さぶ》しくもあるか
 
〔譯〕 荒雄が出かけて行つた日から、志賀の海人の住んでゐる大浦の田や沼は、ほんにまあ寂しくなつたことだ。
〔評〕 第四句が難解で種々の説があるが、大浦は地名、田沼は田や沼をいつた古言ととつてよいであらう。
 
3864 官《つかさ》こそさしてもやらめ情出《さかしら》に行きし荒雄ら波に袖振る
 
〔譯〕 役所こそ、命じて差し遣はしもしよう、官命ならば己むを得ないけれども、個人的に頼まれて進んで出かけて行つた荒雄が、船が難破して、波の上で袖を振つてゐることよ。
〔評〕 「三八六〇」の歌と同趣である。義侠的に出かけて行つて、むなしく犠牲となつた荒雄を惜しむ意を一層強調したもの。波に袖ふるの句はあはれである。
 
3865 荒雄らは妻子《めこ》の産業《なり》をば思はずろ年の八歳《やとせ》を待てど來《き》まさず
 
〔譯〕 あの荒雄は、家に殘つてゐる妻子の生業《なりはひ》のことを思はないのだよ。この長の年月、待てど暮せど歸つてお出でにならない。
〔評〕 妻子の身になつての作と見てもよいし、妻子に同情した第三者の詠と解してもよい。
〔語〕 ○思はずろ 「ろ」は方言的な助辭で、「よ」の如きものであらう。ここのやうな用法は他に例がない。「四四二〇」參照。○年の八歳を 必ずしも八年と限らず、長の年月。「二八三二」參照。
 
3866 沖つ鳥鴨といふ船の遠り來《こ》ば也良《やら》の埼守《さきもり》早く告げこそ
 
(139)〔譯〕 荒雄が乘つた鴨といふ名の船が歸つて來たらば、也良の岬の見張をしてゐる番人は、早く知らせてくれよ。
〔評〕 荒雄が乘つて行つた官船が、その名を、「鴨」といつたのは、よく水に浮く意で、祝福した名と思はれる。後世ならば「鴨丸」と稱するところであらう。沈んだと知りつつ、なほ歸りを待つのは人心で、也良の埼守への誂へも、痛切にして感慨が深い。
〔語〕 ○沖つ鳥 「鴨」の枕詞。○也良の埼 博多灣内の能古島(殘島)の北端の岬。
 
3867 沖つ鳥鴨といふ船は也良《やら》の埼|廻《た》みてこぎ來《く》と聞《きこ》え來《こ》ぬかも
 
〔譯〕 荒雄が乘つていた鴨といふ名の船は、也良の岬を廻つて、漕ぎ歸つて來ると、知らせて來ないものかなあ。
〔評〕 也良の埼守に呼びかけて頼んではみたが、期待は中々滿たされない。それでも猶一縷の望を係けて「聞え來ぬかも」と悶々の歎聲を發したのがあはれである。
〔訓〕 ○きこえこぬかも 白文「所聞許奴可聞」。尼崎本による。通行本等に 「所聞禮」とあるによれば「キカレ」である。古葉略類聚鈔に「所聞衣」とあるはよくない。尼崎本にも、右に朱で衣といふ書入があるが、それは別筆と認められる。
 
3868 沖行くや赤ら小船《をぶね》に裹《つと》遣《や詳らば若《けだ》し人見て解き披《あ》け見むかも
 
〔譯〕 沖を漕いで行く赤く塗つた官船に頼んで、荒雄の處へ包み物を送つてやつたらぼ、もしやひょつとあの人が見て、解きあけて見るだらうかなあ。
〔評〕 妻の心を詠んだもの。荒雄の死後、沖を行く官船を眺めると、嘗て官船に乘つて遠くへ行つた夫のことが思はれる。ふと夫はまだ生きて遠くにゐるといふ幻想に囚はれ、あの官船に託して物を贈りたい、と思ひ、贈つたらば、(140)荒雄があけて見るであらうかと思ふ心理の動きが、よく寫し出されてゐる。(「人見て」の「人」を、あゝ夫はゐない、もし他人が、ともとれる。)
 
3869 大船に小船《をぶね》引き副へ潜《かづ》くとも志賀の荒雄に潜《かづ》き遇《あ》はめやも
     右は、神龜年中を以ちて、大宰府、筑前國宗像郡の百姓宗形部津麻呂《おほみたからむなかたべのつまろ》を差して、對馬に粮《かて》を送る舶《ふね》の※[木+施の旁]師《かぢとり》に充《あ》てき。時に津麻呂|滓屋《かすやの》郡志賀村の白水郎《あま》荒雄の許《もと》に詣《いた》りて語りて曰く、僕《われ》小事《いささけごと》あり、若し疑はくは許さじかといふ。荒雄答へて曰く、走《やつがれ》、郡を異にすれども船を同《とも》にすること日久し。志|兄弟《はらから》よりも篤し、死に殉ふにあり。豈復辭まめやといふ。津麻呂曰く、府官僕を差して對馬に粮《かて》を送る船の※[木+施の旁]師《かぢとり》に充てしも、容齒衰へ老いて海路に堪へず。故《かれ》來て祗候す、願はくは相替ることを垂れよといふ。ここに荒雄、許し諾ひて遂に彼《そ》の事に從ひ、肥前國|松浦縣《まつらがた》美禰良久《みねらくの》埼より發舶《ふなだち》して、直《ただ》に對馬を射《さ》して海を渡る。登時《そのとき》忽に天|暗冥《くら》くして、暴風に雨を交へ、竟に順風無くして海中に沈み没《い》りき。斯《これ》に因りて、妻子等|犢《うしのこ》の慕《したひ》に勝《あ》へず、此の謌を裁《つく》り作《な》しき。或は云ふ、筑前國守山上憶良《の》臣、妻子の傷を悲感し、志を通べて此の歌を作れりといへり。
 
〔譯〕 大きい船に小さい舟を曳き連れて海上に漕ぎ出し、大勢の人が波を潜つて捜して見ても、志賀の荒雄に水中で遇ふことがあらうか、ありはしない。
〔評〕 氣の毒な事件に對して、當時の實況を想像し、事件の主人公を悼み、その妻子を憐み、作者はあらゆる角度から同情の涙を濺いで來たが、ここに至つて、その遺骸さへ覓め得られないと、絶望の聲を放つたのである。
〔左註〕 ○差して 差遣して。○對馬に粮を送る舶 延喜式に、筑前筑後等の國々から對馬の島司及び防人等の糧を毎年送らしめることがみえてをる。○※[木+施の旁]師 船頭。○僕小事あり云々 自分は少々御相談があるが、多分御承諾下さいますまいね。○走 やつがれ、自分の謙稱。○死に殉ふにあり 死なば諸共といふ心持でゐる。○故來て祗候す (141)そこ、でわざわざお伺ひした次第です。○相替ることを垂れよ どうか代つて行つて下さい。○美禰良久の崎 五島列島のうちの福江島の西北端、三井樂村。○犢の慕 小牛が母を慕ふやうに慕ふ心。
 
3870 紫の粉滷《こがた》の海に潜《かづ》く鳥|珠《たま》潜《かづ》き出でば吾が玉にせむ
     右の歌一首
 
〔譯〕 粉滷の海で海中に潜つてゐる鳥よ、もしお前が、海の底から美しい珠を持ち出して來たらば、自分の玉にして愛翫してやらう。
〔評〕 海中に潜り入つては浮び上る水鳥のさまが、恰も海人が鰒玉などを探つて來るのに似てゐるので、感興を覺えて詠んだものであらう。童謠的な、明るく無邪氣な歌である。女を譬喩的にいうたとの説は採りがたい。
〔語〕 ○紫の 枕詞。紫の濃《こ》の意でかけた。粉滷の海は、「越の海の子難の海」(三一六六)と同じ所であらうか。伊勢説、薩摩説等もある。
 
3871 角《つの》島の迫門《せと》の稚海藻《わかめ》は人の共《むた》荒《あら》かりしかど吾《わ》が共《むた》は和海藻《にきめ》       右の歌一首
 
〔譯〕 角島の海峽の苦海布《わかめ》は、他人と一緒にをる時は、荒々しくて靡かなかつたけれども、自分とでは、素直に靡く和海布《にきめ》であつてくれ。
〔評〕 角島あたりを旅行した男の作か。或はその地方の民謠であらう。「若海布」に「若女」を寄せた素朴な譬喩歌。
〔語〕 ○角島 山口縣豐浦郡の西北。○迫門 角島と本州との間の小海峽。○人の共 人と共にでは。他人に對しては。○和海藻 「柔かい海藻」に「なごめ」の命令をかけたものと解する。
 
(142)3872 吾が門の榎《え》の實《み》もり喫《は》む百千鳥《ももちどり》千鳥は來《く》れど君ぞ來まきぬ
 
〔譯〕 私の家の門前にある榎の木の實を啄み食ふ澤山の鳥、その澤山の鳥は來るが、戀しいあのお方はいらつしやらない。
〔評〕 待たぬに來て騷ぎ立てる小鳥のかしましさと、待つに來てくれぬ愛人とを對照したもの。「千鳥」の語の繰返しも、婉美な語調を成して耳に快い。榎の實の熟する秋晴の頃の季節の風趣も爽かに出てゐる。
〔語〕 ○榎の實 えのきの實は、甘味があるので鳥が好んで食べる。○もり喫む もりは守りで、じつと見つめてゐて啄む、また、ぽりぽりもりもりなどの擬音など諸説があるが、傳説歌考には、土佐の方言で「榎實もりに行かんか」などと使はれてゐるやうに、木からもぎ取つて食ふ意とある。木實や花、葉を摘むことを「もる」といふ方言は各地にある。○百千鳥 百千の鳥の意。○千鳥 語を反覆したもの、いはゆる千鳥ではない。
 
3873 吾が門に千鳥|數鳴《しばな》く起きよ起きよ我が一夜づま人に知らゆな
     右の歌二首
 
〔譯〕 自分の家の門前で、澤山の鳥がしきりに鳴いてをる。さあさあ起きなさい、起きなさい。自分の一夜の妻よ、人に氣附かれてはいけない。
〔評〕 情痴を歌つたところ、民謠風の匂が著しい。三句の反覆的呼びかけが、躍動的生氣を與へて一首の價値を高めてゐる。神樂歌の「庭鳥はかけろと鳴きぬ起きよ起きよ我が一夜づま人もこそ見れ」は、この改作であらう。
〔語〕 ○千鳥 多くの鳥。○一夜づま 一夜逢つた女。「二八〇七」の「あけぬべく千鳥しば鳴く」に關係があると思はれるので、妻と解した。原文「妻」とあるのを借字として、一夜の夫と解く説もある。
 
(143)3874 射《い》ゆ鹿《しし》をつなぐ河邊の和《にこ》草の身の若《わか》かへにさ宿《ね》し兒らはも
     右の歌一首
 
〔譯〕 射られた鹿を、その足跡を獵師が追うて尋ねる河邊の柔い若草ではないが、自分の若かつた頃に共寢をした女はまあ、今頃はどうしてゐることであらう。
〔評〕 青春の日を顧み、嘗て契つてはかなく別れた女を思ひ出した男が、甘い追憶の夢に浸りつつ、影のやうに胸を掠めた感傷に、ふと洩した詠歎であらう。
〔語〕 ○所射鹿 射られた鹿。「ゆ」は受身の助動詞。「射らゆる」とあるべきを、斯くいふは古格。○つなぐ 跡を追ふ。一二三句は「若」の序詞。この序は齊明紀に「射ゆ鹿をつなぐ河邊の若草の」とあるを用ゐたものと思はれる。○若かへに 若い時にの意と思はれる。雄略記に「引田の若栗栖原若くへに」とある「若くへ」と同語であらう。
〔訓〕 ○つなぐ 白文「認」。舊訓トムル。考の訓に從ふ。色葉字類抄に「認」をツナグと訓んでゐる。○和草 古義所引宣長説に、齊明紀に倣ひ「和加草」とあつたのを「加」を脱したとある。
 
3875 琴酒《ことさけ》を 押垂小野《おしたりをの》ゆ 出づる水 ぬるくは出でず 寒水《さむみづ》の 心もけやに 念《おも》ほゆる 音《おと》の少《すくな》き 道に逢はぬかも 少《すくな》きよ 道に逢はさば いろげせる 菅笠小笠《すががさをがさ》わが頸懸《うなげ》る 珠《たま》の七條《ななつを》 取り替《か》へも 申《まを》さむものを 少《すくな》き 道に逢はぬかも
     右の歌一首
 
〔譯〕 押垂小野から湧いて流れ出る水が、なまぬるくは出ず、冷い清水の、氣特もひやりと感ずるやうな快い音、その音ではないが、人音の少い道で、あのいとしい女に逢ひたいものだなあ。人音の少い道でお逢ひになつたら、その(144)かはゆい女の著てゐなさる菅の小笠と、自分の首にかけてゐる飾玉の七|條《すじ》とをお取り替へもいたさうに。人の少い道で逢ひたいものだなあ。
〔評〕 序は野中の清水の爽かに湧きあがる情景を敍してゐるが、これは機械的の序でなく、實地に取材した所謂有心の序であらう。この人眼の少い道で愛人に逢ひたいと切望し、逢へたらば、契を結ぶしるしに、愛人の菅笠と自分の珠とを交換しようといふのは、繪のやうな美しい空想である。詞句は簡淨で、句法に處々均齊を破つた所があるのは、古調却つて掬すべき味がある。
〔語〕 ○琴酒を 琴はおし、酒は垂れる物であるから、押垂といふ地名にかけた枕詞と解してよからう。○押垂小野 所在未詳。○けやに 雄略紀にあるけやかに同じく、潔い意。○念ほゆる 初からこの句まで七句は「音」にかかる序詞。○音の少き 人聲の少い義で、人の往來の少い意。○少きよ 「よ」は感動の助詞。前句を反覆し調子を整へたもの。○道に逢はさば 女が道に於て自分に出逢つたらばで、「逢はさ」は「逢ふ」の敬語。○いろげせる 「いろ」は「いろせ」「いろと」のいろで、相手を親しんでいふ語、「げせる」は「げ」が濁音であるが、「著たる」の敬語と解する。全註釋には、美しく色の榮える意の「いろげす」といふ動詞を推定してゐる。
〔訓〕 ○おしたり 白文「押垂」。オシタルとも訓める。○寒水 考シミヅノ、古義マシミヅノ。今、代匠記初稿本書入によつて字面のままに訓んだ。
 
3876 豐國の企玖の池なる菱の末《うれ》を採《つ》むとや妹が御《み》袖ぬれけむ
 
〔譯〕 豊國の企玖の池に生えてをる菱の葉のさきの實を摘まうとして、あの方のお袖が濡れたのであらうか。
〔評〕 「一二四九」の歌に似たところがある。海士のよんだ歌とはおもはれない。地方の美人などの池に身を投げた(145)のを惜しんだ民謠を、海士が歌つたのであらうか。
〔語〕 ○豐國の企玖の池 豐前國企救郡にある池。所在不明。
 
     豐前國の白水郎の歌一首
3877 くれなゐに染《し》めてし衣《ころも》雨|零《ふ》りてにほひはすとも移ろはめやも
 
〔譯〕 紅の色に染めたこの着物は、雨が降つて、色が一層うつくしくならうとも、色のあせるといふことがありませうか、ありませぬ。(深く思ひこんだ私の戀は、思い増しこそすれ、變ることは決してありませぬ。)
〔評〕 これも海士の歌らしい素朴味はない。その地方の遊女などの歌つたのを海士がうたつてをり、それを書きとめたものであらう。
 
     能登國の歌三首
3878 梯立《はしたて》の 熊來《ぐまき》のやらに 新羅斧《しらぎをの》墜《おと》し入れ わし 懸けて懸けて 勿《な》泣かしそね 浮き出づるやと見む わし
     右の歌一首は、傳へ云ふ。ある愚人、斧を海底に墮して、しかも鐡《かね》の沈《しづ》みて水に浮ぶ理なきことを解《さと》らざりしかば、聊か此の歌を作りて、口吟《くちずさ》みて喩すことを爲しき。
 
〔譯〕熊來の淺海の泥の底に、大事な新羅斧を落し込んで、さ。そんなにくよくよ心配してお泣きやるな、今に浮き出るかと見てをらうよ、さ。
〔評〕 「浮き出づるやと見む」は、斧を落した愚人が、浮き出る筈もないその斧を殘念がつて、いつまでも水面を覗き込んでゐるのを作者は笑つてゐるのであるが、恰もいたはり慰めてゐるやうな、とぼけた口吻である。なほ朝鮮式の(146)斧が當時こんな邊陬に用ゐられてゐたのは、この地方が當時朝鮮と直接交通してゐた事實を反映したもので、さうした見地からも、感興の深い作。旋頭歌の體である。
〔語〕 ○梯立の はしごをたててあがる倉とつづいた古い枕詞で、「一二八二」にも「梯立の倉椅山」とある。クラをクマと歌ひなまつたものか。又、梯は棧で組んであるから、組木を熊來に轉じたものか。○熊來のやら 「熊來」は鹿島郡熊木村附近。「四〇二七」にも見える。「やら」は全釋に、「七尾灣の最奧部で潮波の流動少く、河川の土砂が堆積して淺い海となつてゐるので、やらはその泥底の淺海の義らしい」とある。○新羅斧 新羅から渡來した斧。或は新羅風の斧。○浮き出づるやと 浮き出るであらうかと。標準的には「出づや」とあるべきところ。○わし 意味のない囃し詞。今ワツシヨイといふのと似たものであらう。○かけてかけて 心にかけて、即ち心配して。
〔左註〕 石歌一首云々 代匠記は、劍を水中に落して船に印をつけた楚人の故事を呂氏春秋から引いてゐる。この左註と事柄相通ずるものがある。能登に遊んだ知識人の、たはぶれに童話風に作つたのが、民謠として歌ひつがれたのであらう。
 
3879 梯立《はしたて》の 熊來酒屋《くまきさかや》に 眞罵《まぬ》らる奴《やつこ》 わし 誘《さす》ひ立て 率《ゐ》て來《き》なましを 眞罵《まぬ》らる奴《やつこ》 わし
     右一首
 
〔譯〕 熊來の、酒をつくる家で叱られてゐる奴よ。かはいさうだから、誘ひ出して連れて來ようものを、それも出來なかつた。かはいさうに、どなられてゐる奴よ。
〔評〕 旋頭歌に、「わし」のはやし詞をそへたもの。奴隷の境遇を憐んだ歌であるが、或は、前と同じく都人の作を民謠として歌うたのであらうか。
〔語〕 ○熊來酒屋 酒を賣る家でなく、酒を造る家のこと。播磨風土記に「是時造2酒殿1之處即號2酒屋村1」とある。(147)○ま罵らる 「ま」は接頭辭、「ぬらる」は罵られる。「ぬらるる」とあるべきところ。○奴 「一二七五」「一七八三」にもある。
 
3880 加島嶺《かしまね》の 机の島の 小螺《しただみ》を い拾《ひり》ひ持ち來て 石《いし》以《も》ち 啄《つつ》き破《やぶ》り 早川に 洗ひ濯《そそ》き 辛鹽《からしほ》に ここと揉《も》み 高杯《たかつき》に盛《も》り 机に立てて 母に奉《まつ》りつや めづ兒の刀自《とじ》 父に獻《まつ》りつや みめ兒の刀自《とじ》
 
〔譯〕 加島嶺に近い机の嶋のしただみを、拾つて持つて來て、石でつつき破り、早い流の川の水で洗つて、辛い鹽でごりごりと操《も》み、それを高杯に盛《も》り、机に据ゑて、母上に差上げたかえ、かはいいおかみさん。父上に差上げたかえ、愛らしいおかみさん。
〔評〕 若い美しい女に呼びかけて、小螺を、父母の食膳に供へたかと促してゐる、珍しい内容の歌で、平和な田舍の淳俗があらはれて居り、表現も極めて素朴で、上代の匂が濃い。又、しただみのたべ方がつぶさに敍べられ、食膳に供する方法まで寫されてゐるのは、風俗史的の立場から見ても面白い。
〔語〕 ○加島嶺 鹿島郡、今の七尾市附近であらう。○机の島 和倉温泉の海上十町ばかりのところに、机の島といふのがあるが、それとはつきり定めがたい。○しただみ 腰高雁空《こしだかがんがら》のことで、キシヤゴではないと全釋にある。○い拾ひ 「い」は接頭辭。○啄き破り つつき破つて。○ここと揉み 「ここ」は揉む音の擬聲。○高杯 食物を盛る器で、脚の高いもの。上代は土器、後世は木製漆塗。○めづ兒の刀自 めづ兒は愛づ兒で、愛らしい女、「刀自」はひろく婦人をさしていふ詞。「七二三」參照。
〔訓〕 ○破り 白文「破夫利」。略解はハフリ。今、舊訓による。「はふり」は、崇神記に「斬波布理」とある。○み(148)め兒の刀自 全註釋に、「み」は接頭話、「めこ」はメツマ(目妻)とあるに同じく目兒で、うつくしい兒の意とある。但し、その説は、原文「身女兒」の用字に疑點があり、大野晋氏のごとく「目豆兒」の誤字とする説もある。
 
     越中國の歌四首
3881 大野路《おほのぢ》は繁道《しげぢ》森徑《もりみち》繁くとも君し通はば徑《みち》は廣けむ
 
〔譯〕 大野への路は、草木の繁つた道で、森の中の細道であり、草木が繁つてゐても、君がお通ひになるならば、草木も踏まれて、道はおのづから廣くなりませう。
〔評〕 地方官か、地方の豪族などに親しんだ女の歌が、詞を重ね、調子がよいので、民謠として謠はれたのであらう。
〔語〕 ○大野路 大野へ行く道。大野は、倭名鈔に礪波郡大野があるが、今その地名を遺さない。
〔訓〕 ○しげぢもりみち 白文「繁道森徑」。總索引による。古義、シゲヂノモリヂ。
 
3882 澁溪《しぶたに》の二上《ふたがみ》山に鷲ぞ子《こ》産《む》とふ翳《さしは》にも君が御爲に鷲ぞ子《こ》生《む》とふ
 
〔譯〕 澁溪の二上山で、鷲が子を産むといふことだ。君にさしかける翳《さしは》の材料にもならうかと、君のお爲に、鷲が子を産むといふことだ。
〔評〕 旋頭歌で、第三句が重ねてある。貴人の頭上に翳をさしかけるのは、支那風の模倣であるが、當時、地方官でも、さういふ大袈裟な樣子をして威容を整へたといふことは、大陸文化崇拜の熱のいかに甚しかつたかが窺はれる。
〔語〕 ○澁溪 射水郡の射水川下流の北岸一帶の稱。○二上山 伏木町の西方の山で、頂上が二つに分れてゐる。○翳 さしかざす羽の意。鳥の羽、薄絹などで造つた柄の長い團扇やうのもの 侍者が貴人にさしかざす具。
〔訓〕 ○鷲ぞ子生とふ 白文「鷲曾子産跡云」。舊訓ワシゾコウムトイフ、仁コ記に「雁古牟登」とあるに倣ひ、ワ(149)シゾコムトフとする代匠記の説がよい。
 
3883 伊夜彦《いやひこ》おのれ神《かむ》さび青雲の棚引く日らに※[雨/沐]《こさめ》そぼ零《ふ》る【一に云ふ、あなにかむさび】
 
〔譯〕 彌彦山は、自分から神々しい姿に装つて、青い空に白い雲の棚引く晴れた日などに、小雨がしよぼしよぼと降つてゐる。
〔評〕 空の青々と晴れ渡つた日でさへ、高い樹木が鬱蒼と茂つてゐるので、山頂は雲を呼んで小雨がそぼ降るといふのは、彌彦山の崇高美を讃へたものである。
〔語〕 ○伊夜彦 越後の彌彦山のこと。この歌を越中國の歌に收めてあるのによつて、代匠記は、大寶二年に越中の四郡を分つて、越後に屬せしめられる以前の作と見てゐる。但し、その四郡には、延喜式において彌彦の屬する蒲原郡が含まれてゐないものと考へられる。○一に云ふ、あなに神さび はんたうに神々しい姿をしての意。この句は第二句の異傳とおもはれるが、次の歌と同樣に、所謂佛足石歌體として、第六句と見るべしとの説もある。
 
3884 伊夜彦《いやひこ》神の麓に今日らもか鹿の伏すらむ皮服《かはごろも》着《き》て角《つの》附《つ》きながら
 
〔譯〕 彌彦の山の麓で、今日あたりは鹿が寢てをることであらうか。毛皮の着物を着て、頭に角を附けたままで。
〔評〕 これは佛足石歌體で、六句の歌である。鹿が貴人の用として珍重される裘を着てをる、しかも異樣な角をつけながら、と童話風にいうたもの。
〔語〕 ○神の麓 山を直ちに神と見た古代思想のあらはれである。○今日ら 「ら」は接尾辭。
〔訓〕 ○しかのふすらむ 白文「鹿乃伏良武」。舊訓による。古義カノフセルラム、略解カノコヤスラム。
 
     乞食者《ほかひびと》の詠《うた》二首
(150)3885 愛子《いとこ》 汝夫《なせ》の君 居《を》り居《を》りて 物にい行くとは 韓《から》國の 虎とふ神を 生取《いけどり》に 八頭《やつ》取《と》り持ち來《き》 その皮を 疊に刺《さ》し 八重疊《やへだたみ》 平群《へぐり》の山に 四月《うづき》と 五月《さつき》の間《ほど》に 藥獵《くすりがり》 仕ふる時に あしひきの この片山に 二つ立つ 櫟《いちひ》が本《もと》に 梓弓 八《や》つ手挾《たばさ》み ひめ鏑《かぶら》 八つ手挾《たばさ》み 鹿《しし》待つと 吾が居《を》る時に さを鹿の 來立《きた》ち嘆《なげ》かく 頓《たちまち》に 吾は死ぬべし 大君に 吾は仕へむ 吾が角《つの》は 御笠《みかさ》のはやし 吾が耳は 御墨《みすみ》の坩《つぼ》 吾が目らは 眞澄の鏡 吾が爪は 御《み》弓の弓弭《ゆはず》 吾が毛らは 御筆《みふみて》はやし 吾が皮は 御箱《みはこ》の皮に 吾が肉《しし》は 御鱠《みなます》はやし 吾が肝《きも》も 御鱠《みなます》はやし 吾がみげは 御鹽《みしほ》のはやし 耆《お》いたる奴《やつこ》 吾が身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 白《まを》し賞《はや》さね 白《まを》し賞《はや》さね
     右の歌一首は、鹿の爲に痛を述べて作れり。
 
〔題〕 乞食者 ホカヒビトと訓む。壽詞《ほかひことば》を唱へて食を乞ひ歩いた者で、後世の萬歳、鳥追などの類に似てゐる。この歌は、乞食者の詠んだ歌の義ではなく、壽詞として歌つたのである。
〔譯〕 いとしい我が夫の君が、久しく家に居られたが、ある時旅立たれたについて、遠く朝鮮に到り、虎といふ恐ろしいものを生捕にして八匹も捕つて持つて來て、その皮を疊に縫ひ、それを八重にも敷いた、その八重疊の重《へ》ではないが、平群《へぐり》の山に、四月から五月の頃に、鹿の袋角を取る爲の藥狩をします時に、片側山の蔭に二本立つてゐる櫟《いちひ》の木のもとで、梓弓を八張も手に執り持ち、小さな鏑矢を八本も手にして、鹿を待ち伏せして自分がをります時に、男鹿がそこへ來て歎いていひますことには、忽ちに射殺されて、わたくしは死ぬことでありませう。しかし、死んでも(151)わたくしは大君の御用に奉仕いたしませう。まづわたくしの角はお笠の飾に、わたくしの耳はお墨壺に、わたくしの目は澄んだ鏡に、わたくしの爪はお弓の弭に、わたくしの毛はお筆の料に、わたくしの皮はお箱の皮に、わたくしの肉はお鱠の料に、わたくしの肝もお鱠の料に、わたくしの胃袋はお鹽辛の料になりませう。老いぼれたわたくしの身一つに、棄てる所もなくお役に立つことを思へば、まことに光榮で、七重にも八重にも、死に花が咲くと申すもの、どうか、申し上げて褒めはやして下さいませ。どうか褒めはやして下さいませ。
〔評〕 鹿の爲に痛みを述べて作つたと左註にあるが、鹿自身は、身の運命を歎きつつも、悲しんで傷らず、寧ろ大君の爲に死ぬことを光榮とし、老の死花を咲かせる明るい希望で終結してゐる。即ち、角・耳・目・爪・毛・皮・肉・臓腑がそれぞれ御料となるといふ效用を敍べ、死後の榮譽を喜んでゐるのである。平安朝時代まで、陸奧の國の鹿の?(肉の鹽漬)と、攝津の國の蟹の胥(蟹を舂いて鹽漬にしたもの)とを朝廷に奉つてゐることは、この歌と次の蟹の歌の裏附をしてゐる。しかして、八頭、八重疊、四月、五月、二つ、一ひ(櫟)八つ、八つ、一つに、七重花、八重花と、數字を多く重ねたのは、謠物として効果をあげてゐる。内容、表現共に集中に異彩を放つ作品である。
〔語〕 ○いと子 いとしき子の意。男女何れにも用ゐる。今は從兄弟姉妹にのみ用ゐるのは、意が狹く限られたのである。○汝夫の君 男子を親しんでいふ。○居り居りて 「在り在りて」に同じく、引き續いて家にゐて。○物にい行くとは どこかへ出かけるにつけてはの意。「もの」は何處と明かにささず、目的地を漠然といふ。「い」は接頭辭。○虎とふ神 虎は恐るべき強力なものであるから、神として畏れた。狼のことを、「大口の眞神」(一六三六)といつたのも同樣で、すべて超人間的威力を有するものを、上代人は神として敬ひ又は畏れた。○疊にさし 疊に刺し作つての意。ここまでの十句は全體には無意義で、ただ、次の句にかけた長い序詞。○八重疊 幾重にも重ね敷く意で、「重《へ》」と同音の「平群」につづく枕詞。古事記にも「疊薦平群の山」とある。○平群の山 法隆寺附近。○藥獵 鹿の若角を取る爲の狩獵。若角は鹿茸《ロクジヨウ》と稱して藥用にした。○八つ手挾み 多く手に持つて。○來立ち嘆かく 來て其(152)處に立ちながら歎くことにはの意。次の句以下、鹿の言葉である。○はやし 榮《はえ》あらしめる物の義で、装飾又は材料のこと。○御墨の坩 墨を磨り溜めて置く壺。鹿の耳と形が似てゐるのでいふ。○眞澄の鏡 目の清く澄んでゐるのを喩へいうたもの。○弓弭 弓の兩端の弦を掛ける處。獣の爪を嵌めて作ることもあつたと思はれる。或は爪を弓弭になぞらへていふとの説もある。○御ふみて ふみては筆の古語。○みげ 臓腑の一部分の食用となるもの。○御鹽 醢《ししびしほ》、即ち鹽辛のこと。
 
3886 押照《おして》るや 難波の小《を》江に 廬《いほ》作り、隱《なま》りて居る、葦蟹《あしがに》を 王《おほきみ》召《め》すと 何せむに 吾《わ》を召す らめや 明《あきら》けく 吾《わが》知ることを 歌人《うたびと》と 吾《わ》を召すらめや 笛吹《ふえふき》と 吾《わ》を召すらめや 琴彈《ことひき》と 吾《わ》を召すらめや 彼《か》も此《かく》も 命《みこと》受《う》けむと 今日今日と 飛鳥《あすか》に到り 立てども 置勿《おきな》に到り 策《つ》かねども 桃花鳥野《つくの》に到り 東《ひむかし》の 中門《なかのみかど》ゆ 參納《まゐ》り來《き》て 命《みこと》受くれば 馬にこそ 絆《ふもだし》掛《か》くもの 牛にこそ 鼻繩はくれ あしひきの この片山の もむ楡《にれ》を 五百枝《いほえ》剥《は》ぎ垂《た》り 天光《あまて》るや 日の氣《け》に干《ほ》し 囀《さひ》づるや 柄碓《からうす》に舂《つ》き 庭に立つ 碓子《すりうす》に舂《つ》き 押照《おして》るや 難波の小《を》江の 初垂鹽《はつたり》を 辛《から》く垂《た》り來て 陶人《すゑびと》の 作れる瓶を 今日|往《ゆ》き 明日|取《と》り持《も》ち來《き》 吾が自らに 鹽|漆《ぬ》り給《た》び もち賞《はや》すも もち賞《はや》すも
     右の歌一首は、蟹の爲に痛を述べて作れり。
 
〔譯〕 難波の海岸に小舍を作つて隱れ住んでゐる葦蟹を、大君がお召になるといふが、一體何の爲にこのわたしをお召になるのであらうか。何の能もない事は、わたし自身よく知つてゐる事だのになあ。さては、泡を吹く時音を立て(153)るので歌手《うたうたひ》としてお召になるのだらうか、或は笛吹としてお召になるのだらうか、又は琴爪をはめたやうに爪が長いから琴|彈《ひき》としてお召になるのだらうか。わたしはそんな能はないが、ともかくも仰を承らうと、今日今日と飛鳥に行き、立つてゐても置勿《おきな》に到り、突かないが都久野に到つて、さて東の中の御門からはいつて來て、仰をうけると、これはまた意外千萬。馬にこそ足を繋ぐ絆《ほだし》の繩を掛けるもの、牛にこそ鼻繩を取りつけもするが、馬でも牛でもない蟹のわたしを捕へて、この片側山の楡の木の皮を澤山|剥《は》いで來て、日光に干し、柄《から》臼で粗く搗いて、更に庭に据ゑてあるすり臼でこまかに搗いて、難波の浦の初出來の辛い鹽を十分に辛く垂らして、陶器を作る人の作つた瓶を、今日行つて大急ぎで翌日持つて來て、その瓶に楡の粉と私とを一緒に入れ、私の目に鹽をお塗りになつて、鹽辛にして御賞味なされることではある。ほんに御賞味なされることではある。
〔評〕 これは前の鹿の歌よりも一層滑稽で、輕快の調がある。大君のお召と聞いて、無器用な自分を先づ省み、「何せむに吾を召すらめや、明けく吾知ることを」と自ら卑下したところが、尤もらしく滑稽である。歌うたひとしてか、笛吹としてか、琴彈としてか、よもやそんなことではあるまいとは思ふものの、「かもかくも命受けむと」て出廬に及ぶ心理描寫も、甚だ巧みである。道中の敍述も輕妙で、後世の道行文の先驅の一つとも見られる。さて參内すれば、想像の出來たこととはまるで違つて、意外や食料にされるといふのが哀れにも滑稽であり、又召し捕へられるあたりの口吻も面白い。次に、楡の皮の干したのを臼で搗き、この楡粉と難波の鹽の垂《たれ》とを瓶に入れて、蟹の鹽辛を漬けるといふ調理法が記されてゐる。蟹は古くから賞味されて、應神記の御製にも見えるが、今も肥前、筑後地方に行はれる蟹《がに》の鹽辛と似た製法がかくも詳述されてゐるのは珍しい。また、蟹は辛い目に逢ふことを苦しがつてはゐるが、結末は前の鹿と同じく、大君の爲に死して餘榮ありと考へてゐる點は、精神史上注目すべく、更に蟹に同情を寄せた如き取材の奇に至つては、詩歌史上特筆するに足るであらう。歌としては「吾を召すらめや」を重ね、「今日今日と」以下地名三つに反對の枕詞を用ゐ、結末にも「今日ゆきて明日」とのべてゐる點、いかにも謠物らしい輕妙さである。
(154)〔語〕 ○押照るや 「難波」の枕詞。「九七七」參照。○小江 「小」は接頭辭。○廬作り 蟹が穴を作つてゐるのを人に擬していつた。○葦蟹 葦邊にゐる蟹。葦鶴の類。○置勿 地名。現在の位置は不明。○桃花鳥野 高市郡畝傍町大字鳥屋地方。○もむ楡 もむは百の轉か、揉むか。(代匠記)。○五百枝剥ぎ垂り 澤山の枝の皮を剥ぎ取つて垂らして。○さひづるや 唐人の語は鳥の囀るやうに聞えるので「から」の枕詞。○から碓 唐臼、柄臼の兩説あるが、今、後者即ち長い柄のついた踏臼としておく。
〔訓〕 ○すりうす 白文「碓子」。尼崎本には手碓子《てうす》とある。○もちはやすも 白文「時賞毛」。古義の訓に從ふ。額聚古集に「   騰賞毛」とあるのは研究すべきである。
 
     物に怕《おそ》るる歌三首
3887 天《あめ》なるや神樂良《ささら》の小野に茅草《ちがや》苅り草《かや》苅りばかに鶉《うづら》を立つも
 
〔題〕 物に怕るる歌 「怕」は「恐」に同じ。
〔譯〕 天上にある神樂良の小野で茅草を苅つて、その苅り場所で鶉を飛び立たせて膽をつぶした。
〔評〕 草群に潜んでゐて、足下から急に飛び立つて、鶉が人を驚かすことと、天上にある恐しい神樂良の小野に入り込んで茅草を苅るといふ想像とを結び合せて、ぞつとするやうな氣分を釀し出したものであらうか。神樂良の小野に就いて、何か怕しい傳説がありさうに思はれるが、それが知られない以上、この歌の解は完全には望めないであらう。
〔語〕 ○神樂良の小野 「四二〇」にもある。○草苅りばかに 茅草の苅場所での意。「五一二」參照。
 
3888 奧《おき》つ國|領《うしは》く君が染屋形《しめやかた》黄染《きしめ》の屋形《やかた》神の門《と》渡る
 
〔譯〕 沖の方の遠い國を支配しておいでになる君の乘つてゐる染屋形の船、それは黄色に染めた屋形船が、おそろし(155)い海峽を渡つてゆく。氣味のわるいことだ。
〔評〕 黄泉の國を支配する魔王が、黄染の屋形船に乘つて、神靈のやどつてゐる恐ろしい海峽を渡つてゆくといふ幻影をゑがいたものとおもはれる。
〔語〕 ○奧つ國 沖つ國。海上遠い國。黄泉をさす(考の説)。○黄染の屋形 黄色に染めた屋形船。前句を繰返して更に具體的に述べたもの。黄染は黄泉に關係があるのであらう。
 
3889 人魂《ひとだま》のさ青《を》なる君がただ獨逢へりし雨夜《あまよ》のはふりをぞ念《おも》ふ
 
〔譯〕 人魂のぬけ出した眞青な顔の人が、たつた一人で行き逢つた雨夜の葬式を、實に恐ろしく思つた。
〔評〕 一讀凄愴の鬼氣迫るを覺える作であるが、結句が解しにくいので、新しい説によつた。
〔語〕 ○人魂 死人の魂。○君が 「あふ」といふ動詞は豫期した會合には自分を主格として「誰に逢ふ」といひ、偶然の邂逅には先方を主格として「誰が逢ふ」といふ古い語法である。「大津の子が逢ひし日に」(二一九)參照。
〔訓〕 ○はふりをぞ念ふ 諸本すべて「葉非左思所念」とあるので、「非佐思久所思」(久しく思ほゆ)とした代匠記の訓によるのが通例であるが、類聚古集に「葉非戸曾所念」とあるを、「葉振乎曾所念」の誤とした石垣謙二氏の説に、今はよることとした。
 
(156)3791續 九九頁に掲ぐべきを遺したので、ここに載せる。
〔訓〕 ○ひむつき 白文「搓襁」。西本願寺本には※[衣+差]襁とある。古義スキカクル。今、定本に、額聚名義抄の襁の訓をとつたに從ふ。○にほひよる 白文「丹因」。舊訓ニヨレル。定本による。○にほしし衣 白文「丹穗之爲衣」。舊訓による。全註釋はニホハシシ。○うつそ 白文「打十」。舊訓ウチソ。○うつたへ 白文「打栲」。舊訓による。全註釋はウチタヘ。○ひらもなす愛しきに取りしき屋所に經る 白文「信巾裳成者之寸丹取爲支屋所經」。ひらもは全註釋による。舊訓シキモ。以下甚だ訓じ難いが、全註釋はハシキニトレバシキヤフルとしてゐる。今ハシキニは新訓、トリシキは舊訓、ヤドニフルは略解を採つた。但、なほ支の字に最も問題がある。○さふる少女 白文「禁尾迹女」。サフルは新訓。新考にはイサメヲトメ。○ゆきたなびく 白文「行田菜引」。舊訓ユキタナビキ、略解ユキタナビキヌ。新考に從つて終止形によみ切つた。○路を來れば 白文「路尾所來者」。全註釋はミチヲゾクレバ。なほ、この一首は全體に特殊の用字が多く、殊に假名はほとんど訓假名を用ゐてゐる。その間で、前掲の支の字、また所、故等の字は、更に研究を要するものである。
 
萬葉集 卷第十六 終
 
(157)萬葉集 卷第十七
 
(159)概説
 
 この卷以下の四卷は、卷十六までとは全く性質の異なる、いはば非撰集的のものである。即ち、部類せず、大伴家持が、その詠作を主とし、見聞した歌をも、年月の順に筆録したもので、所謂歌日記である。從つて、書牘文や漢詩なども入つてゐる。
 この卷十七は、天平二年、十年、十二年、十三年、十六年等の歌が卷首に收載せられ、ついで十八年越中守として赴任以後二十年春までの歌があり、越中在任中の歌が殊に多く、月日を追うて記してある。古歌は「隨2聞時1記2載茲1」と記してあるやうに、見聞に從つて、その位置に收録してある。天平二年より十六年までの三十餘首は、卷三、四、五、六、八等の諸卷に收録せられた歌と同時代のもので、それらの拾遺と目すべきものである。天平十八年以後の歌日記ができた後に、それ以前の未收歌があつめられて、卷十七の卷首に置かれたのではあるまいか。
 歌數は、短歌百二十七首、長歌十四首、旋頭歌一首、都合百四十二首であり、家持の作はその過半數八十二首に及んでゐる。その他も、家持とその周圍の人との贈答などの歌が多く、この卷の特質が明かにせられる。なほ家持と池主の七言詩が各一篇あり、漢文の序もある。また「二上山賦」(三九八五)「遊覽布勢水海賦」(三九九一)「立山賦」(四〇〇〇)などのごとく、長歌を賦と稱し、短歌を一絶二絶などと記してをり、漢文學の影響が著しい。
 萬葉集第四期の歌風を示すものが多く、素朴雄渾な作品は少くて、古歌を模倣したものが尠くない。
 秀歌として擧ぐべきは、
(160) 荒津の海潮干潮みち時はあれどいづれの時か吾が戀ひざらむ   作者未詳 三八九一
 ふる雪の白髪までに大皇に仕へまつれば貴くもあるか         橘諸兄  三九二二
 新たしき年のはじめに豊の年しるすとならし雪の降れるは       葛井諸會 三九二五
 大宮の内にも外《と》にも光るまで零《ふ》らす白雪見れど飽かぬかも 大伴家持 三九二六
 萬代と心は解けて我背子が拊《つ》みし手見つつ忍びかねつも     平群女郎 三九四〇
 松の花花數にしも我背子が思へらなくにもとな咲きつつ        同    三九四二
 春の花今はさかりににほふらむ折りてかざさむ手力もがも       大伴家持 三九六五
 春花のうつろふまでに相見ねば月日よみつつ妹待つらむぞ       同    三九八二
 立山に降り置ける雪をとこ夏に見れども飽かず神からならし      同    四〇〇一
 めひの野の薄押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思はゆ       高市黒人 四〇一六
 雄神河くれなゐにほふ少女らし葦附とると瀬に立たすらし       大伴家持 四〇二一
長歌としては、長逝せる弟を哀傷する歌(三九五七)放逸せる鷹を思ふ歌(四〇一一)がよい。
 この卷の用字法は、卷五、十四などの如く、一音一字式のものが大部分であるが、正訓も?々使用せられてゐる。戯書などはない。
 
(161)萬菓集 卷第十七
 
     天平二年庚午冬十一月、大宰帥大伴卿、大納言に任《ま》けらえ【帥を兼ぬること舊の如し】京に上りし時、※[人偏+兼]從等《つかひびとたち》、別に海路を取りて京に入りき。ここに?旅を悲しみ傷みて、各所心を陳べて作れる歌十首
3890 我|夫子《せこ》を我《あ》が松原よ見渡せば海人《あま》をとめども玉藻刈る見ゆ
     右の一首は三野連石守《みののむらじいそもり》の作
 
〔題〕 ○大宰帥大伴卿 大伴旅人のこと。卷三「四四六」卷六「九六五」によるに、旅人は十二月に上京したが、從者らは先だつて、十一月に出發したものと思はれる。○※[人偏+兼]從 從者の義。
〔譯〕 松原から見渡すと、海士の娘たちが、美しい藻を刈つてをるのが見える。
〔評〕 直接離愁を抒べたのでなく、淡々とその場の景を敍してゐる。「一〇三〇」と格調が似て、共に、情趣が爽かである。
〔語〕 ○我夫子をあが 以上序詞。「待つ」に「松」をかけたもので、「吾松原」といふ地名ではない。○松原よ 「よ」は「より」に同じ。
〔左註〕 三野連石守 部下の官吏であらうが、傳不詳。「一六四四」にも歌が一首ある。
 
3891 荒津《あらつ》の海潮|干《ひ》潮|滿《み》ち時はあれどいづれの時かわが戀ひざらむ
 
〔譯〕 荒津の海は、潮が干たり滿ちたりする一定の時はあるが、どんな時として、自分がそなたを戀しく思はぬ時が(162)あらうぞ。――いつも戀しく思つてをる。
〔評〕 行く人が留まる人に殘したのであらう。眼前の事象に即して主觀を牽き出し、譬喩は極めて明瞭。自然法則として一定の時を有する潮の滿干を取り上げたことが、一首にくつきりとした輸廓を與へ、更に質實の趣を帶びさせてゐる。三句の似た歌に「四三〇一」、四五句の全く同じ歌に「二六〇六」があるが、それ等に比して内面的の強みを持つてゐる。
〔語〕 ○荒津の海 福岡市の西公園附近。「三二一五」 「三二一七」等參照。
 
3892 磯ごとに海夫《あま》の釣船|泊《は》てにけり我が船|泊《は》てむ磯の知らなく
 
〔譯〕 どこの磯にも海人の釣舟が泊つてゐる。しかし、自分の舶の碇泊すべき磯が分らないのは心細い。
〔評〕 今まで賑かに海上に浮んでゐた漁船は、それぞれの磯に漕ぎ歸つた。それを眺めながら、蒼茫と暮色の迫りゆく海上を漕いでゆく船中の人々の寂寥感は、しみじみと同情される。この四五句に似た作に、「一七一九」「一七三二」などある。
 
3893 昨日こそ船出《ふなで》はせしか鯨魚取《いさなと》り比治奇《ひぢき》の灘《なだ》を今日見つるかも
 
〔譯〕 ほんの昨日、船出をしたばかりだと思つてゐるのに、比治奇の灘を早くも今日見たことである。
〔評〕 作者の胸中には、家郷に近づく喜が溢れつつあるのであらう。勿論、昨日といふのは、氣持をあらはすだけの詞である。
〔語〕 ○いさな取り 海に冠する枕詞、「一三一」參照。○比治奇の灘 響の灘のことであらうといふ。響の灘は、長門附近の玄海灘につづく海面と、播磨灘の高砂附近と二箇所あるが、次に淡路島の歌があるから、播磨であらう、
 
(163)3894 淡路島|門《と》渡る船の楫間《かぢま》にも吾は忘れず家をしぞ思ふ
 
〔譯〕 淡路島の海峽を通過するわが船の舟子達が、楫をあやつる絶間ほどの短い間も、自分は忘れずに家郷のことを思つてゐる。
〔評〕 久しく離れてゐた家郷の近づくにつれて、いよいよ募つて來る歸心は、矢のやうである。家持の「四〇四八」の歌はこれを粉本としたかとも思はれる。なほ「楫取る間なく」といふ句は集中多く用ゐられてゐるが、「楫間にも」といふ言ひ方は珍らしい。
 
3895 玉|映《は》やす武庫《むこ》の渡《わたり》に天《あま》づたふ日の暮れゆけば家をしぞ思ふ
 
〔譯〕 武庫の渡りに日が傾いて、だんだん暮れてゆくと、都の家のことがいよいよ思はれる。
〔評〕 武庫の近海から、難波を指して歸りゆく海上の作。枕詞を二つも用ゐてゐるが、却つて聲調を流麗ならしめ、ほのかな哀韻を搖曳させてゐる。
〔語〕 ○玉映やす 枕詞。「武庫」につづく理由は明かでない。玉の光をそふる椋《むく》といひかけ、むく、むこ、音の通ふままに轉じいうたのかとの説等がある。○武庫の渡り 今の兵庫附近の海。難波に向ふ航路に當るので、渡りといふのであらう。無論「あたり」の意ではない。○天づたふ 枕詞。空を渡る意で「日」につづく。
 
3896 家にてもたゆたふ命波の上に浮きてし居《を》れば奧處《おくか》知らずも
 
〔譯〕 我が家にゐてさへも、定めなく漂うてゐるやうな命であるが、かうして船に乘つて、浪の上に浮いてゐると、いつどうなることやら不安で、際限もわからないことであるよ。
(164)〔評〕 無常觀に航海の不安の絡みあつた、特色のある歌である。「たゆたふ」の語が、殊によく適してゐる。
 
3897 大海の奧處《おくか》も知らず行く我を何時《いつ》來まさむと問ひし兒らはも
 
〔譯〕 大海の、漕ぎゆくさきも分らないほど、遠く船に乘つてゆく自分であるものを、いつ又いらつしやるであらうかと、問うたあの女はまあ。
〔評〕 筑紫から出發する當時、遊行女婦か何かのいとしい女が別れを惜しんだことをなつかしんだ歌である。「兒らはも」といふ詠歎は、集中の一類型をなした結句であるが、無限の餘韻を含んだ妙趣がある。「四四三六」と、情懷も語句も相似たものがある。
 
3898 大船の上にし居《を》れば天雲《あまぐも》のたどきも知らず歌《うた》ひ乞《こそ》我が兄《せ》
 
〔譯〕 大船の上に乘つてゐるので、頼るべきところも知らず、心細いことである。船中の慰みに、歌でも謠つて下さい、我が友よ。
〔評〕 漫々たる大海に泛んで、わびしい日數を重ねてゐる氣特がよく現れてゐる。ただ、結句の訓方が決定的といへないのは遺憾である。
〔語〕 ○天雲の 枕詞。寄るべもなく漂ふ意から、譬喩的に二句に係けた。○たどき たより、寄るべ、手段。○歌ひこそ 歌つて下さいの意。○わがせ せは男性間に於いても親しみ呼ぶ語。
〔訓〕 ○うたひこそ 白文「歌乞」。諸訓があるが、ウタヒコソ、ウタヒコセ、ウタヘイデのうちであらう。乞は「二六六一」にはコソ、「八」「六六〇」「二八八九」「三一五四」にはイデと訓んでゐる。
 
(165)3899 海未通女《あまをとめ》漁《いざ》り焚《た》く火のおほほしく都努《つの》の松原おもほゆるかも
     右の九首の作者は、姓名を審にせず。
 
〔譯〕海人少女が、漁をする爲に焚く火のやうに、ぼんやりと、都努の松原が、それかと思はれることである。
〔評〕 都努の松原が、見えるでもなく、見えぬでもない模糊とした趣で、縹緲たる韻致がある。
〔語〕 ○都努の松原 今の西宮市字松原の附近。「二七九」參照。
〔左註〕 右の九首云々 最初の一首だけ作者が明かで、他の九首は作者不明、といふのである。
 
     十年七月七日の夜、獨|天漢《あまのがは》を仰ぎて聊か懷《おもひ》を述ぶる一首
3900 織女《たなばた》し船乘《ふなの》りすらしまそ鏡清き月夜《つくよ》に雲立ち渡る
     右の一首は、大伴宿禰家持
 
〔譯〕 織女が、今しも天の河で船に乘つてゆくらしい。清らかな月夜に、雲が立ち渡つてゐる。
〔評〕 七日の夕べ天の河を仰ぎつつ、雲の立ちわたる實景と、織女が船に乘るといふ想像とを結びつけて歌つたのである。即ち、船を漕ぐ爲に、天の河に雲の浪が立つと見立てたのである。「一五二七」「二〇五三」などは、いづれも彦星が船に乘つてをるのであるが、この歌は織女が船に乘ると見たもの。七夕傳説は、樣々の想像を加へて詠まれてゐるのである。高古にして素朴な格調は、家持の作としては珍らしい。
〔語〕 ○まそ鏡 眞澄鏡の意。「清き」にかけた枕詞。
 
     大宰の時の梅花に追和せる新しき歌六首
(168)3901 み冬つぎ春はきたれど梅の花君にしあらねばをる人もなし
 
〔題〕 卷五にある天平二年正月十三日大宰帥大伴旅人邸に於ける梅花宴の歌(八一五――八四六)に追和して作つた家持の歌である。卷十九にも、更に追和した歌(四一七四)がある。
〔譯〕 冬に續いて春は來たが、この梅の花を、風流な貴方でないので、折つてかざす人もない。
〔評〕 この一聯六首は、左註によれば十一月九日とあるから、春になつて梅が咲いてゐたのではなく、實は往時を追懷しての空想的詠作である。かの梅花宴は盛大を極めた雅筵であつたと思はれるが、當時まだ幼なかつた家持は、恐らくその席に列しなかつたであらう。けれども、幼な心にもその際の有樣は深く印象されてゐたので、多感な彼は、自ら歌作を試みる年齡になつて、今は亡き父の流風餘韻を懷かしむ心が殊に深く胸臆に徂徠したと思はれる。しかし、家持が若い頃の作なので、稚態を脱しきれぬ點もあるが、それは初期の習作として餘儀ないことであらう。この第一首は、紀卿の「八一五」に追和したものであらう。從つて、「君」は紀卿を指したものである。
〔訓〕 ○をる人 白文「遠流人」。元暦本には「遠久人」(招く人の義)とある。「八一五」の歌の四句も、元暦本には「をきつつ」とある。
 
3902 梅の花み山と繁《しみ》に有りともや斯《か》くのみ君は見れど飽《あ》かにせむ
 
〔譯〕 梅の花が、どんなに山のやうに繁くどつさり咲いてゐたにしても、ただこのやうに、あなたはいくら見ても、やはり飽きないのでせうか。
〔評〕 小野大夫の「八一六」の歌に和したものであらうが、上に「有りとも」と假定の前提法を用ゐながら、下に、常套句によつて「見れど」と已然形を使つてゐるあたり、不熱の作といふべきである。
(167)〔語〕 ○ありともや たとひ有つたにしても‥‥であらうか。「や」は疑問の助詞。○飽かにせむ 飽かざらむ、即ち飽かぬものと思ふてあらうの意。「に」は打消の「ず」の連用の古形。
 
3903 春雨に萌えし楊《やなぎ》か梅の花ともに後《おく》れぬ常の物かも
 
〔譯〕 梅の花が共におくれずに、その楊に吹き添うてゐるのは、春雨に促がされて早く萌え出た楊であらうか。それとも、普通の揚であらうか。
〔評〕 この歌は難解で諸説があるが、今は一首の構成を次の如く石上麻呂の作(四四)や、同じく家持の歌(一五九九)と同型の句法として解釋したのである。
  梅の花ともに後れぬ(は)‡−春雨に萠えし楊か
               −常の物かも
  大和の見えぬ(は)‡−吾妹子をいざみの山を高みかも  四四
            −國遠みかも
 
  秋萩の散り過ぎにける(は)‡−さを鹿の胸わけにかも 一五九九
                −盛かも去ぬる
 なほ、家持の「四一四〇」の作をも參考する必要がある。
 さてこの歌は、粟田大夫の「八一七」に追和したものであつて、梅の花の咲いた園に、縵《かづら》にしたいはど美しい芽をふいた楊は、春雨に促されて早く萌え出たのか、それとも通常のものかと、輕い疑問を提出して趣向を弄したのである。しかし、こんな煩瑣な技巧を用ゐねばならぬほどの優れた構想でもない。
〔語〕 ○梅の花共におくれぬ この兩句は、初二句と五句との共通の結びと解すること、評に述べるごとくである。(168)但し、梅花が咲けば定まつて萌える、例の普通の物と、第五句へかける解も成り立つ。○常の物かも 三、四句につづき、梅が後れず咲くのは、格別はやく芽を出した楊といふわけではなくて、普通の楊であらうかといふ意。
 
3904 梅の花|何時《いつ》は折らじと厭はねど咲《さき》の盛は惜しきものなり
 
〔譯〕 梅の花を、特にいつだけは折るまいといつて、敢へて折ることを厭ふわけではないが、眞盛に咲いてゐる時は、やはり折るのが惜しいものである。
〔評〕 滿開の梅の花を折ることの躊躇せられる氣特を詠じたもの、葛井大夫の「八二〇」に追和したのであらう。二三句は佶屈であるが、結句は素朴である。
 
3905 遊ぶ内の樂しき庭に梅柳折りかざしてば思ひ無《な》みかも
 
〔譯〕 遊ぶ現在の樂しい庭で、梅や柳を折つて、冠に挿したならば、心滿ち足りて、物思もないことであらうか。
〔評〕 この歌は笠沙彌の「八二一」に追和したもので、梅花宴の當日を思ひ、その一日の歡樂を想像した氣分が表はれてゐる。
〔語〕 ○うちの うちは「うつつ」と同じく、現實、現世の意。八九七の「内の限」參照。○思ひ無みかも この「みかも」は「國遠みかも」(四四)などの用法と違ひ、「なみかもせむ」の如きを略した形と解せられる。即ち「思ひなしとせむかも」である。
 
3906 御苑生《みそのふ》の百木《ももき》の梅の散る花の天《あめ》に飛びあがり雪と降りけむ
     右は、十二年十一月九日、大伴宿禰家持作れり。
 
(169)〔譯〕 御園内の多くの梅の木から散る花が、天に飛びあがつて、それがやがて雪となつで降つたのでせう。
〔評〕 父旅人の「八二二」の歌に和したのである。梅の花が散るが、實は天から雪が流れて來たのだらうといふ原歌に對し、これは逆に、その雪と降つて來たのは、多數の梅の花びらが空に舞ひ上つて雪となつたものと想像したのである。一二三句に「の」を重ねて、格調を柔くのびやかにし、次に、突如として「天に飛びあがり」といふ硬い句を連ねたのは奇警である。
〔左註〕 ○ 元暦校本には、十一月を十二月、家持を書持とある。
 
     三香原《みかのはら》の新たしき都を讃《ほ》むる歌一首并に短歌
3907 山城の 久邇《くに》の都は 春されば 花咲きををり 秋されば 黄葉《もみちば》にほひ 帶《お》ばせる 泉の河の 上《かみ》つ瀬に うち橋わたし 淀瀬には 浮橋わたし 在り通《がよ》ひ 仕へまつらむ 萬代までに
 
〔題〕 三香原の新たしき都 久邇の都(恭仁京)のことで、山城國相樂郡泉川のほとり。瓶原とも書く。「四七五」「一〇三七」等參照。
〔譯〕 山城の恭仁の都は、春になると枝も撓むばかりに花が咲きたわみ、秋になると紅葉が美しく色づき、實に結構な處である。傍を流れてゐる泉河の、上流には板をかけた橋を渡し、水の淀んでゐる處には浮橋を渡して、そこを行き通ひつつ、お仕へ申し上げよう、萬代の末までも。
〔評〕 人麿の芳野離宮從駕の歌「三六・三八」や、赤人の芳野離宮の作「九二三」の影響が明かに見られるが、簡素な敍法で、新都を讃美する情がよく表現されてゐる。打橋や浮橋を渡すといふことを、ただの客觀的の敍景にとどめ(170)ず、作者自身その上を渡つて、新都へ通ひ奉仕する趣に結んだところに、作者の働きを示してゐる。
〔語〕 ○帶ばせる 泉川が帶の如く都に沿うて流れてゐるのを、都について擬人していふ。○泉の河 今の木津川の古名。○打橋 架けはづしの自由に出來る橋。○浮橋 水面に浮んでゐる橋。舟や筏などの上に板を渡して、踏んで渡るやうにしたもの。
 
     反歌
3908 楯竝《たたな》めて泉の河の水脈《みを》絶えず仕へまつらむ大宮所
     右は、十三年二月、右馬頭境部宿禰|老麻呂《おゆまろ》の作れるなり。
 
〔譯〕 泉川の水脈がいつまでも絶えないやうに、絶えずを仕へ申さう、この大宮所に。
〔評〕 これも前の長歌と同じく、吉野離宮での人麿の作(三七)と同工で、いくらか變形されつつも踏襲されて來た型であるが、格調が端正であることは、稱するに足る。また集中に珍しい枕詞が、古典的で莊重な格調を一首の上に與へてゐる。
〔語〕 ○楯竝めて 枕詞。楯を竝べて射るの意で、泉河の「い」に係けた。古事記、神武天皇の御製に「たたなめていなさの山の」とあるのによつたもの。
〔左註〕 天平十三年云々 續紀に「十三年正月天皇始御2恭仁宮1受v朝」とあるから、この歌は遷都直後の作であることが知られる。作者は傳未詳。
 
     霍公鳥を詠める歌二首
3909 橘は常花《とこはな》にもがほととぎす住むと來鳴《きな》かば聞かぬ日なけむ
 
(171)〔譯〕 橘は、いつも散らずに常に咲いてゐる花であればいい。さうしたらば、ほととぎすが橘の枝に住まうと思つて來て鳴くであらうし、來て鳴いたらば、いつも其の聲が聞けるであらう。
〔評〕 花橘と霍公鳥と兩者の關係を密接不可分と見る奈良朝文人の定型的思想が、一首の基調をなしてゐる。その點で、「一七五五」「一九五八」などと同一系統に屬する構想である。作者は年少のせゐか、表現も生硬の域を脱しない。
〔語〕 ○なけむ 舊説では「無からむ」の約といはれたが、むしろ形容詞「無し」に「無け」といふ古い活用形を認めて、それに推量の助動詞「む」の接したものとすべきである。「よけむ」(二八九)・「さぶしけむ」(五七六)など皆同樣である。
 
3910 珠に貫《ぬ》く楝《あふち》を宅《いへ》に植ゑたらば山ほととぎす離《か》れず來《こ》むかも
     右は、四月二日、大伴宿禰|書持《ふみもち》、奈良の宅より兄家持に贈れり。
 
〔譯〕 藥玉の緒に貫きとほすあふちを、家の庭に植ゑて置いたらば、それをなつかしんで、山ほととぎすが絶えず來るでからうか。
〔評〕 これも、奈良の都の文化人の花鳥趣味で、表現は極めて平板である。
〔語〕 ○珠に貫く 五月五日に飾る藥玉の絲に、楝の花の蕾を貫いたもの。○植ゑたらば 「たらば」の用例は集中この一つのみである。
 
     橙橘初めて咲き、霍鳥飜り嚶《な》く。此の時候に對して、?《なに》ぞ志を暢《の》べざらむ。因りて三首の短歌を作りて、
以ちて鬱結《うちけち》の緒《を》を散らさくのみ。
3911 あしひきの山邊にをればほととぎす木《こ》の間《ま》立ち漏《く》き鳴かぬ日はなし
 
(172)〔題〕 ○橙橘 橙と橘と二物でなく、二字で橘のこと。○?ぞ どうして。○鬱結の緒 晴れやらぬ胸の思。戀緒、悲緒などともいうてをる。
〔譯〕 山の近くに住んで居ると、ほととぎすが、木々の間を潜《くぐ》つて鳴かぬ日はない。
〔評〕 恭仁の京に於ける家持の寓居は山に近かつたから、「七六九」「一六三二」の作にもあるが、この四句は、克明な寫生をしたのである。
 
3912 ほととぎす何のこころぞ橘の珠|貫《ぬ》く月し來鳴きとよむる
 
〔譯〕 ほととぎすはどんな心持なのか。橘の實を藥玉に貫きとほす、この趣深い五月に來て、聲を響かせて鳴くのは。
〔評〕 橘とほととぎすと、二つの風情ある景物が、同時に現はれて自然を飾り、人の心を惹くことの深いのを、改めて考へ直して感嘆したのである。誰もが、何の疑もなく一對のものとして愛賞してゐるのを、新しく疑問の目を以て見直した心理は、近代人に相通ずるものがある。
 
3913 ほととぎすあふちの枝に行きて居《ゐ》ば花は散らむな珠と見るまで
     右は、四月三日、内舍人《うどねり》大伴宿禰家持、久邇の京より弟|書特《ふみもち》に報《こた》へ送れり。
 
〔譯〕 ほととぎすが、あふちの枝に飛んで行つてとまつたら、花は散ることであらう、珠と見るまでに。
〔評〕 「ほととぎす花橘の枝に居て鳴きとよもせば花は散りつつ」(一九五〇)を粉本として、それに技巧を加へて表現したものであらう。
 
     霍公鳥を思《しの》ふ歌一首 田口朝臣|馬長《うまをさ》の作
(173)3914 ほととぎす今し來鳴かば萬代に語りつぐべく念《おも》ほゆるかも
     右は、傳へ云ふ、ある時交遊集宴しき。此の日此の處に霍公鳥鳴かず。仍りて件の歌を作りて思慕の意を陳べきといへり。但、その宴所并に年月、いまだ詳審にすることを得ず。
 
〔譯〕 ほととぎすが今此處に來て鳴いたらば、萬代までも語り繼ぐに値するものと思はれるなあ。
〔評〕 樂しい遊宴に唯一つ物足りないものは、この季節の代表者たる霍公鳥の鳴かないことであるから、今來て鳴いたらば後世まで語り草になるだらうといふので、三句以下は誇大な表現であるが、當時の文人趣味が語られてゐる。
 
     山部宿禰明人、春※[(貝+貝)/鳥]《うぐひす》を詠める歌一首
3915 あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鶯のこゑ
     右は、年月所處、いまだ詳審なることを得ず。但、聞きし時のまにまにここに記し載す。
 
〔題〕 山部宿禰明人 山部赤人のこと。同じ音によまれるので、「明」とかいたものと思はれる。
〔譯〕 山や谷を越えて、今ごろはもう野中の高い處に出て、鳴いてゐるであらう、あの鶯の美しい聲はまあ。なつかしいことである。
〔評〕 平明の作。何の技巧もないが、のびやかな感じである。
〔語〕 ○野づかさ 野の中の高い處。「四三一六」に家持が襲ひ用ゐてゐる。「二二〇三」には、野山づかさとある。
 
     十六年四月五日、獨|平城《なら》の故き宅に居て作れる歌六首
3916 橘のにほへる香かもほととぎす鳴く夜の雨にうつろひぬらむ
 
(174)〔題〕 十六年四月 二月に久邇の京から難波に遷都が行はれ、ついで天皇は、近江の紫香樂宮に行幸あらせられた。家持は何故か奈良にをつたのである。
〔譯〕 橘の咲いてゐる花の香が、ほととぎすの鳴く今夜の雨で、薄れ消えてしまつたことだらうか。
〔評〕 花橘に雨がそそぎ、闇空とほくほととぎすの聲も聞える。詩情のそそられる夜であつたらうが、説明に陷り、橘とほととぎすと中心が二つに分裂して、渾然たる統一を失つてゐる。
 
3917 ほととぎす夜音《よごゑ》なつかし網《あみ》ささば花は過ぐとも離《か》れずか鳴かむ
 
〔譯〕 庭に來てほととぎすの夜鳴く聲がなつかしい。そこらに網を張つたならば、橘の花は散つても、間をおかず絶えず鳴くことであらうか。
〔評〕 ほととぎすの聲を愛賞したことは、萬葉の昔から後世まで一貫して變らぬ文人趣味であるが、中でも家持には、「四一八二」「四一八三」の如き、熱狂ぶりの察せられる作がある。
 
3918 橘のにほへる苑にほととぎす鳴くと人告ぐ網ささましを
 
〔譯〕 橘の花が美しく咲いてゐる庭に、ほととぎすが來て鳴いてゐると人がいふ。逃がさぬやうに網を張つておいたらよかつたらうものを。
〔評〕 前の歌と同工異曲といつてよい。「鳴くと人告ぐ」に、聊か變化を試みてゐる。
 
3919 あをによし奈良の都は古《ふ》りぬれどもとほととぎす鳴かずあらくに
 
〔譯〕 奈良の都は、今では舊都となつて古びてしまつたけれども、古びたら古びたで昔のほととぎすが鳴ききうなも(175)のだが、一向に鳴かぬことである。
〔評〕 多感な作者が、そこはかとなき哀愁に胸をそそられての作であるが、やや不熟である。
〔語〕 ○あをによし 枕詞。「一七」參照。○もと霍公鳥 昔馴染の霍公鳥。「本つ人霍公鳥」(一九六二)ともある。
〔訓〕 ○あらくに 諸本「奈」の字はないが、訓はアラナクニとなつてゐるので、代匠記には「奈」の脱としてゐる。さすれば、都はさびれたが、昔馴染のほととぎすが鳴かないわけでもない、の意となる。
 
3920 うづら鳴き古《ふる》しと人はおもへれど花橘のにほふこの宿
 
〔譯〕 鶉が鳴きさうに古くさびれてゐると、よその人は思つてゐるけれども、花橘が美しく咲いてゐる。それがこの自分の家である。捨て難い風情もあるではないか。
〔評〕 廢園の花橘に、若き家持の詩情が動いたのである。しかし説明に墮して、折角の境地を生かし得てゐない。
〔語〕 ○うづら鳴き 鶉は草の深い、さびしい荒れた處などに鳴く故に、邸宅のさびれた樣を説明する材料として用ゐられてゐる。「二七九九」參照。
〔訓〕 ○うづらなき 白文「鶉鳴」。舊訓ウヅラナクも枕詞的用法として捨てがたいが、今は元暦校本の訓による。
 
3921 杜若《かきつばた》衣《きぬ》に摺りつけ丈夫《ますらを》のきそひ獵《がり》する月は來にけり
     右は、大伴宿禰家持作れり
 
〔譯〕 杜若の花を狩衣に摺りつけ、若人たちがそれを着飾つて、藥狩をする月はめぐつて來た。
〔評〕 貴公子たちが、杜若の花摺衣を着飾つて、颯爽として藥狩に出掛けた樣は、さながら一卷の繪卷の如くであつたらう。五月晴の空の下、若葉を渡る薫風に狩衣の袖を飜しつつ馳せ違ふ若人、新しく伸びた袋角を戴いて緑草に跳(176)る男鹿、男性的な行事が目前に浮んで、清婉の調を成してゐる。
〔語〕 ○きそひ獵する 「きそひ」は競ひではなく、著襲ふ意。「獵」は藥狩で、鹿の若角、即ち鹿茸を取る爲の獵。朝廷の行事としては五月五日に行はれるが、「三八八五」の長歌にもあるごとく、四月五月に行はれたのである。
 
     十八年正月、白雪|多《さは》に零《ふ》りて地《つち》に積むこと數寸なり。時に左大臣橘卿、大納言藤原豊成朝臣及び諸王臣等を率《ゐ》て、太上天皇の御在所【中院の西院】に參入《まゐ》りて、掃雪に供《つか》へ奉《まつ》りき。ここに詔を降して、大臣參議并に諸王は、大殿の上に侍《さもら》はしめ、諸卿大夫は南の細殿に侍はしめて、酒を賜ひて肆宴《とよのあかり》し給ひき。勅したまはく、汝諸王卿等、聊か此の雪を賦して各其の歌を奏せよといふ。
     左大臣橘宿禰、詔に應ふる歌一首
3922 ふる雪の白髪《しろかみ》までに大皇《おほきみ》に仕へまつれば貴くもあるか
 
〔題〕 ○十八年 天平十八年。○橘卿 諸兄のこと。諸兄の傳は卷六「一〇〇九」參照。○大納言藤原豊成朝臣 武智麿の嫡男。續紀によれば、この時は中納言の筈、且つ集中の例として、大納言以上は名を書かないのに、ここに明記してあるから、後に「大」にかき改めたのであらう。○太上天皇 元正天皇。○南の細殿 南にある廊。○肆宴 饗宴。
〔譯〕 降る雪のやうに、眞白な髪をいただくこの年になるまで、大君にお仕へ申して、御恩澤を蒙りますると、まことに貴く忝いことでございます。
〔評〕 諸兄は和銅三年の春從五位下を授けられてから、三十六年を經ていま五十八歳である。一首に忠誠篤敬の至情がこもり、當時國家の柱石と仰がれた、その風格と品位とが、おのづから備はつて、堂々たる歌である。眼前の雪をとつて、直ちに己が身のことに言ひかけたのは、時にとつて適切な譬喩である。
 
(177)     紀朝臣|清人《きよひと》、詔に應ふる歌一首
3923 天《あめ》の下すでに覆《おほ》ひて降る雪の光を見ればたふとくもあるか
 
〔題〕 紀朝臣清人 和銅七年三宅臣藤麿と共に國史撰修の命を蒙り、その後學士優遇の意によつて、穀・※[糸+施の旁]等を賜はり、東宮にも侍せしめられた。天平十三年治部大輔兼文章博士、天平勝寶五年七月卒した。
〔譯〕 天の下をすつかり覆ひ包んで降る雪の光を見ると、あまねき御威光も思はれて、いかにも尊いことである。
〔評〕 眼の前に滿地を覆ひ盡した白銀の世界を詠じつつ、おのづから、天の下を剰すところなく覆ひ給ふ御稜威と御恩澤とに思ひなぞらへたのであるが、その思考の推移が極めて自然であり、劈頭から雄渾な氣魄に滿ちてゐる。
〔語〕 ○すでに すつかり、ことごとくの意。時間的にいつたのではない。
 
     紀朝臣|男梶《をかぢ》、詔に應ふる歌一首
3924 山の峽《かひ》其處《そこ》とも見えず一昨日《をとつひ》も昨日も今日も雪の降れれば
 
〔題〕 紀朝臣男梶 續紀によれば、當時從五位下であつた。作は集中この一首のみである。
〔譯〕 山と山との間が、どこといふこともわからない。一昨日も昨日も今日も、雪が降つてゐるので。
〔評〕 單純で率直に事實をありのままに詠んで、しかも大雪の實感を巧みに出してゐる。
 
     葛井《ふぢゐ》連|諸會《もろあひ》、詔に應ふる歌一首
3925 新《あらた》しき年のはじめに豐の年しるすとならし雪の降れるは
 
〔題〕 葛井連諸會 續紀によれば、當時外從五位下である。經國集に、對策文を載せてある。
(178)〔譯〕 新しい年の始に、今年は豊年といふ瑞兆を示さうとの意味であるらしい、こんなに雪が降つてゐるのは。
〔評〕 大陸思想によつて新年の雪を詠んでゐる。雪を豐年の瑞とすることは、文選、謝惠運の雪賦に、「盈v尺則呈2瑞於豐年1」とあり、特に正月に雪の降るを佳瑞としたことは、孝武帝の大明五年正月朔日の條に見える。
 
     大伴宿禰家持、詔に應ふる歌一首
3926 大宮の内にも外《と》にも光るまで零《ふ》らす白雪見れど飽かぬかも
     藤原豐成朝臣、巨勢|奈弖麻呂《なでまろ》朝臣、大伴|牛養《うしかひ》宿禰、藤原仲麻呂朝臣、三原王、智奴《ちぬ》王、船王、邑知《おほち》王、小田王、林王、穗積朝臣|老《おゆ》、小田朝臣|諸人《もろひと》、小野朝臣|綱手《つなで》、高橋朝臣|國足《くにたり》、太朝臣|コ太理《とこたり》、高丘連|河内《かふち》、秦忌寸|朝元《てうぐゑに》、楢原造|東人《あづまひと》。
     右の件の王卿等、詔に應へて歌を作り次《つぎて》によりて奏しき。登時《そのとき》記さず、其の歌漏失せり。但《ただ》、秦忌寸朝元は、左大臣橘卿|謔《たはふ》れて曰く、歌を賦《よ》むに堪へずは、麝を以ちて贖へといふ。此に因りて黙止《もだ》をりき。
 
〔題〕 大伴宿禰家持 この時家持は從五位下であつたが、外從五位下であつた紀男梶や葛井諸會よりも下に記してある。これもこの卷が家持の手に成つた一證とされる所以である。
〔譯〕 御所の内にも外にも、光り輝くまでに美しく降つた白雪は、いくら見ても見飽きないことでございます。
〔評〕 單純な内容であるが、大らかに素直な歌ひぶりである。「光るまで」といふ表現も、大宮にふさはしい。
〔語〕 ○零らす 「零る」の敬語。雪に敬語を用ゐるのは如何かといふ説もあるが、大宮である故に語を鄭重にしたと考へられる。但、類聚古集には零流(フレル)とある。
〔左註〕 ○巨勢奈弖麻呂朝臣 續紀によると、從二位大納言で薨じた。○大伴牛養宿禰 正三位中納言で薨じた。○藤原仲麻呂 勅によつて惠美朝臣押勝といひ、大師、正一位に至つたが、謀反のこと顯はれ、近江に走つて斬られた。○三原王 舍人親王の子。「一五四三」參照。○智奴王 長親王の子。天平勝寶四年、「文室眞人」の姓を賜はつた。(179)藥師寺の佛足石造立の願主である。○船王 舍人親王の御子。「九九八」參照。○邑知王 長皇子の子。○小田王 天平勝寶元年十、一月正五位下となつた。○林王 三島王の子。○穗積朝臣老 「二八八」參照。○小田朝臣諸人 代匠記に小治田朝臣諸人の誤とあるのがよい。天平勝寶六年從五位上となつた。○小野朝臣綱手 天平十八年從五位下になつた。○高橋朝臣國足 天平十八年越後守となつた。○太朝臣コ太理 天平十八年從五位下となつた。○高丘連河内 「一〇三八」參照。○秦忌寸朝元 辨正法師の子で、唐土で生れた。養老五年正月、醫術從六位下秦朝元に物を賜ふ由續紀に見え、天平九年圖書頭、天平十八年主計頭となつた。○楢原造東人 天平十九年駿河守、天平勝寶二年、廬原郡多胡の濱で黄金を得て獻じたので「勒臣」の姓を賜はつた。○右の件の王卿等云々 右に擧げた人々が勅命によつて歌を作り、身分の順序に從つて奏上したが、當時記録しなかつたのでその作品が分らなくなつてしまつたとの意。○歌を賦むに堪へずは云々 歌が詠めないならば、代償として麝香を出しなさいの意。蓋し朝元は唐土に生れて歌は不得意であつたらうし、それに遣唐判官として近く歸朝したばかりの頃で、かの地から麝香を持ち歸つてゐたとおぼしく、諸兄がたはぶれいうたもの、雪後の賜宴のほほゑましい一場面である。
 
     大伴宿禰家持、閏七月を以ちて越中國守に任《ま》けらえ、即ち七月を取りて任所に赴く。時に姑《をば》大伴氏坂上郎女、家持に贈れる歌二首
 
3927 草枕旅ゆく君を幸《きき》くあれと齋瓮《いはひべ》すゑつ吾《あ》が床《とこ》の邊《べ》に
 
〔題〕 ○閏七月云々 この年の閏は九月にあり、かつ續紀には天平十八年六月從五位下大伴宿禰家持を越中守と爲す由の記事があるから、「夏六月」の誤とする古義の説がよい。○姑 玉篇に「父之姉妹」とあるから、叔母の意味に用ゐたもの。坂上郎女は家持の父旅人の妹である。しかし家持の妻坂上大孃の母であるから、所謂「しうとめ」でもあるが、ここはその意で用ゐたのではない。
(180)〔譯〕 長い旅路に上られるあなたを、無事なやうにと祈つて、酒を盛つた器を私は供へました、私の床のあたりに。
〔評〕 親しい甥であり、同時に可愛い娘の壻でもある若い家持を、一人遠く北陸の邊土にやる心持が推量される。緊張した調子もよい。且つ旅路の平安を祈る當時の風習も知られて、興味深い作である。
〔語〕 ○齋瓮 神を齋ふ爲に酒を盛つた器。○吾が床の邊に 床の邊に齋瓮を据ゑて神を祭つたのである。「齋瓮を床邊にすゑて」(四三三一)參照。
 
3928 今のごと戀《こひ》しく君が思ほえばいかにかもせむ爲《す》るすべのなさ
 
〔譯〕 今のやうに戀しく、あなたに別れた後もあなたのことが思はれたらば、どうしませう、なすべき手だてもないことです。
〔評〕 別離に際しての悲しみから、別後のやるせなさを推し量つて、その心緒を述べたのである。
 
     更に越中國に贈れる歌二首
3929 旅に去《い》にし君しも續《つ》ぎて夢《いめ》に見ゆ吾《あ》が片戀の繁ければかも
 
〔譯〕 旅に出て行つたあなたが、絶間もなく夢に見えます。あなたを思ふ私の片思が繁いからでせうか。
〔評〕 人が夢に見えるのは、その人が此方を思つてゐる故であると世間ではいふが、今は私の片思ひ故であらうかと、うち怨ずるやうに詠んだところ、娘壻に對する愛情と、上代人らしい若々しさとが見られる。
 
3930 道の中《なか》國つ御《み》神は旅|行《ゆき》も爲知《しし》らぬ君を惠みたまはな
 
〔譯〕越中の國土をお守りになる神樣は、長旅の經驗もまだないあなたを、どうか守つていただきたい。
(181)〔評〕 家持が少年であつた日に、「吾背子が著る衣薄し佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで」(九七九)と詠んだこの優しい叔母の愛情は、ここにもしみじみと現はれて、切實である。長上の婦人の若い肉身の者に對する思ひやりが滿ち溢れて、人間的の温か味が脈々と波打つてゐる。
〔語〕 ○爲知らぬ なすことを知らぬ義で、上の「し」は動詞「す」の連用形。「見知る」「聞き知らぬ」など同型の語法である。
 
     平群《へぐり》氏女郎、越中守大伴宿禰家持に贈れる歌十二首
3931 君により吾が名はすでに立田山絶えたる戀のしげき頃かも
 
〔譯〕 あなたゆゑに、私の名は既に早くも世間に、立田山のやうに立つてしまひました。しかも仲は絶えてその絶えた戀であるのに、殊に繁き思に沈んでゐる今日この頃でございます。
〔評〕 ここに立田山を拉して來たのは、略解にいふやうに、作者が平群氏であつて、その住所附近の名山だからと思はれる。立つのいひかけは後世風であり、下への懸り方は明瞭を缺くが、立つを斷つにかけて、絶えに重ねたと思はれるのも技巧的である。
〔訓〕 ○絶えたる 白文「絶多流」。新考には立田山を枕詞としてタチタルとよみ、思ひ絶ちたる義と解してゐる。
 
3932 須磨人《すまびと》の海|邊《ベ》常去らず燒く鹽の辛《から》き戀をも吾《あれ》はするかも
 
〔譯〕 須磨の浦の人達が、海邊をいつも離れずに燒いてゐる鹽、その鹽のやうにからい、苦しい戀を私はしてゐることでございます。
〔評〕 「二七四二」「三六五二」と單に地名の相違のみであるのは、民謠を借り用ゐたものかとも思はれる。
 
(182)3933 ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も繼《つ》ぎつつ渡れ
 
〔譯〕 かうして長らへてゐて、今は逢へないが、後になつてでも、必ず逢ふ機會があらうと思へばこそ、露のやうなはかない命も、生き續けて私は過してゐることでございます。
〔評〕 じつと堪へて氣を張りつめてゐる趣がよく見える。「三一一三」「七三九」の二首を合せたやうな趣はあるが、優婉である。
〔語〕 ○ありさりて このやうに過していつて。「七九〇」參照。
 
3934 なかなかに死なば安けむ君が目を見ず久ならば術《すべ》なかるべし
 
〔譯〕 却つて、死んでしまつたらば、樂でせう。生きてゐて、あなたにお目にかからないで、久しくなつたならば、やるせないことでございませう。
〔評〕 戀する人の思ひつめた心持で、浮華の趣がなく、調子の強い歌となつてゐる。初二句は、「二九四〇」の歌を學んだのであらう。
 
3935 隱沼《こもりぬ》の下ゆ戀ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
 
〔譯〕 出口のない沼の水が下を通るやうに、心のうちでひそかにあなたを戀してゐましたが、戀しさあまつて、白波のやうにはつきりと顔色に出してしまひました、人が感づく程に。
〔評〕 卷十二の「三〇二三」と同一の歌である。古歌を借りて家持に贈つたものであらう。
 
(183)3936 草枕旅にしばしば斯《か》くのみや君を遣《や》りつつ吾《あ》が戀ひをらむ
 
〔譯〕 旅に幾度もあなたをお出し申しては、いつもこのやうに、戀ひ焦れてばかりゐることでせうか、つらいことでございます。
〔評〕 行幸の供奉、恭仁の京や難波などへの旅行の爲、家持はしばしば奈良の都を離れたので、戀人からは、甚しい本意なさを感じたであらうことが想像される。「しばしば」は句をへだてて「君を遣りつつ」に、「かくのみや」は「あが戀ひをらむ」にかかるのであつて、この互ひ違ひになつた句法は、成功とはいひ難い。
 
3937 くさまくら族|去《い》にし君が歸りこむ月日を知らむすべの知らなく
 
〔譯〕 旅にお出かけになつたあなたのお歸りの月日を知るべき方法がわからず、心細いことでございます。
〔評〕 「來む」と「知らむ」と同じ語法の續出、「知らむ」と「知らなく」と同語の重複など、措辭が稚拙である。
 
3938 かくのみや吾《あ》が戀ひをらむぬばたまの夜《よる》の紐だに解き放《さ》けずして
 
〔譯〕 かうもまあ、私が戀ひ焦れてをることでせうか。夜の衣の紐さへもゆつくりと解き放さないで。
〔評〕 初二句は、未來を兼ねつつ現在の苦患を訴へ、四五句にくつろいで寢る時のないのをかこつたもの。ありふれた作である。
 
3939 里近く君が成りなば戀ひめやともとな思ひし吾《あれ》ぞ悔しき
 
〔譯〕 私の住んでをる里に近くあなたが又住むやうにおなりなされたらば、やるせなく戀ひ焦れることはあるまいと、(184)よしなくも思つてゐた私の心が、今となつては悔まれることでございます。
〔評〕 恭仁の京へ遷都の後も、作者は平群郡にゐて、新都に移り住んだ家持の上に絶えず思を馳せてゐたのであらう。恭仁の京が廢せられたことは、作者にとつては意外の喜であつたに、その喜も一瞬、家持は越中守として赴任し、期待は裏切られてしまつた。この事情を想像すれば「吾ぞ悔しき」の怨嗟もあはれである。
 
3940 萬代《よろづよ》と心は解けて我背子が拊《つ》みし手見つつ忍《しの》びかねつも
 
〔譯〕 千萬年もいつまでも一緒にと、すつかり心うち解けて、いとしいあなたがつめられた、その私の手を今一人で見ながら、戀しさに堪へかねてゐることでございます。
〔評〕 若い女の情熱的な戀心が、まざまざと見える。四句の官能的な表現は、集中にも後世にも類例の無い、特異な新しさである。
〔語〕 ○つみし 抓《つめ》つたの意。○忍びかねつも 忍ぶは、こらへる、我慢する。上二段活用。
 
3941 鶯の鳴くくら谷にうちはめて燒《や》けは死ぬとも君をし待たむ
 
〔譯〕 鶯の鳴く岩がけの深い谷に身を投げて、燒け死なうとも、私は一すぢにあなたのお歸りを待つて居りませう。
〔評〕 君を慕ふあまりに焦れ死んで、地獄のやうな火のもえる谷で燒け死んでも、なほ君を待つてゐようといふのは、まことに烈しい情熱である。人間の燒け死ぬやうな谷としては、「鶯の鳴く」といふ修飾語は、適切とは評しがたい。心餘つて、言葉が整はないのである。
〔語〕 ○鶯の鳴く 鶯は、深山より出るものであるから、谷といはむが爲に置いたといふ略解説が妥當である。歌を美化する爲と見るべきであらう。○くら谷 岩屋の谷。「くら」は岩の現はれた崖。地名に赤倉、底倉など多い。○(185)死ぬとも 「二二七四」に戀ひは死ぬともの例によつた。爲《し》ぬと解く説もある。
 
3942 松の花|花數《はなかず》にしも我背子が思へらなくにもとな咲きつつ
     右の件の十二首の歌は、時時に便使に寄せて來贈れり。一度に送れるにあらず。
 
〔譯〕 松の花は、あなたが花の數にも思つていらつしやらないのに、よしなくも猶咲いてをります。あなたは、私のことなど、何とも思つていらつしやらないのを、私は徒らに、猶あなたを戀しく思つてをります。
〔評〕 人目にたたぬ素朴な松の花に眼をつけた著想は清新であり、それに自分の身を譬へたのは、つつましく可憐である。優婉にしてたをやかな調子の中に、却つて強い怨情の含まれてゐるのが看取される。
〔語〕 ○松の花 俗に松のみどりといふ。花として殆ど認められぬ松の花に自分を卑しめ譬へたのである。
〔左註〕 右の件の十二首の歌云々 以上の歌は時折の便の使につけて越中なる家持に贈つたので、一度に贈つたのではないとの意。なほ、便使の使の字は元暦校本には無い。
 
     八月七日の夜、守大伴宿禰家持の館に集ひて宴する歌
3943 秋の田の穗|向《むき》見がてり我|兄子《せこ》がふさ手折りける女郎花《をみなへし》かも
     右の一首は、守大伴宿禰家持作れり
 
〔題〕 八月七日云々 家持が越中着任後初めての宴會で、國守の館は國府廳に近く、今の伏木町の背後の丘陵の上にあつたことは、後出の歌によつて知られる。
〔譯〕 秋の田の稻穗の出來ばえを見かたがた、あなたがどつさり折つて來たこの女郎花かまあ。美しい可憐な花ではある。
(186)〔評〕 初二句の中に、地方官として稻作に心を用ゐてゐる趣がおのづから現はれてゐる。收穫?況の檢察任務を行ひつつ、野邊の女郎花を手折るやさしい部下の風流をたたへ、それを贈られた厚意に感謝する意味もあり、巧妙な即興歌となつてゐる。
〔語〕 ○穗向見がてり 稻穗の向き方、即ち、稻の穗の樣子を見がてら。見かたがた。○我兄子 男子を親しみ呼ぶ語。同性間にも用ゐる。ここは池主をさす。○ふさ 澤山に。ふすさに(三四八四)と同語であらう。
 
3944 をみなへし咲きたる野邊を行きめぐり君を思ひ出《で》徘徊《たもとほ》り來《き》ぬ
 
〔譯〕 女郎花の咲いてゐる野邊を歩きめぐりながら、あなたのことを思ひ出したので、花を折り、まはり道をして、やつて來ました。
〔評〕 幾分表現不足の感はあるが、即興の歌として輕い情趣がある。女郎花を折つたことは言つてないが、その事は上の家持の歌で知られもし、この歌單獨に見ても、凡そ察せられる。
〔語〕 ○たもとほり もとほるは、あちこちすること。たは接頭辭とするが、或は「たみ、もとはり」の約か。
 
3945 秋の夜は曉《あかとき》さむし白たへの妹が衣手|著《き》むよしもがも
 
〔譯〕 秋の夜は明け方が寒い。妻の着物を借りて著るすべがあればよいのに。都と此處とではどうしやうも無いのがつらい。
〔評〕 越路の秋の曉は薄ら寒かつたでからう。寢覺のわびしさに、遠い都に殘して來た妻を思うたのである。
 
3946 ほととぎす鳴きて過ぎにし岡傍《をかび》から秋風吹きぬよしもあらなくに
(187)〔譯〕 夏の頃、ほととぎすの鳴いて通つていつた岡のあたりから、今は秋風が吹いて來た。なんとしようにも、しかたのないことである。
〔評〕 邊陬の住地に霍公鳥の聲を聞いて夏を送り、今や蕭條たる秋風に、遠く妻に離れて空しく過ぎゆく時の流の早いのに、無量の感慨を覺えたのである。前の歌と連作であつて、五句に妻といふ字は無いが、その意がこもつてゐる。
〔左註〕 掾大伴宿禰池主 掾は國司の第三等官、即ち守の次が介、その次が掾である。池主は家持の一族で、家持よりさきに越中の掾として赴任してをつた。二人の間の贈答が多く出てゐる。
 
3947 今朝の朝け秋風寒し遠つ人|鴈《かり》が來鳴かむ時近みかも
 
〔譯〕 今朝の明け方は、秋風がそぞろに寒い。あの遠來の雁が、來て鳴く時が近づいたのであらうか。
〔評〕 簡淨古樸で緊張した調子は、粛然とした肌寒い情趣に、ぴつたり適合してゐる。初めて迎へる越路の秋風を、身にしみじみと感じた若い國守の感慨が、爽やかに且つ寂しく出てゐる。
〔語〕 ○遠つ人 遠くから來る故舊の意で、雁は毎秋遠い北の國から來るものであるからいふ。
 
3948 天《あま》ざかる鄙《ひな》に月|歴《へ》ぬ然れども結《ゆ》ひてし紐を解きも開《あ》けなくに
     右の二首は、守大伴宿禰家持作れり
 
〔譯〕 この邊地に來て、既に一月たつた。けれども、家を出る時妻が結んでくれた著物の紐を、解きあけもしないことである。
〔評〕 着任早々の多忙な事務の裡に、一箇月はあわただしく過ぎてしまつた。さうした中にも、都に殘して來た妻の(188)ことを思うてゐるといふ心持を、やや誇張するやうに詠歎したのである。
〔語〕 ○天ざかる 枕詞。天の彼方に遠く離れたの意で「鄙」につづく。○解きもあけなくに これは言葉どほりに取るべきではなく、妻を思つて安らかに寢ることも出來ないといふ意である。
 
3949 天《あま》ざかる鄙にある我《われ》をうたがたも紐解き放《さ》けて思ほすらめや
     右の一首は、掾大伴宿禰池主
 
〔譯〕 この田舍にわびしく暮してゐる自分を、都の妻は、暫くでも、著物の紐を解きあけて、うちくつろいで思つておいでであらうか。きつと自分と同じく、丸寢をして只管に思つてゐてくれられることであらう。
〔評〕 家持の歌にうながされて詠んだ、即興の作であつて、妻に對して「おもほす」の敬語もいかがであり、要するに不熟な作である。
〔語〕 ○うたがたも かりそめに、又は、瞥くの意。「二八九六」「三六〇〇」等參照。
 
3950 家にして結《ゆ》ひてし紐を解き放《さ》けずおもふ心を誰か知らむも
     右の一首は、守大伴宿禰家持作れり
 
〔譯〕 首途の際に、家で妻が結んでくれた衣の紐を、今も解き放さないで、こんなに思うてゐる自分の心を、誰が知らうか。妻も知らずにゐるだらうなあ。
〔評〕 遠い邊境に於ける孤棲の寂莫を、都にゐる妻も、これ程とは知らずにゐることであらう、と池主の歌に對し、誇張していつたものと解される。
 
(189)3951 ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野邊を行きつつ見べし
     右の一首は、大目秦忌寸|八千烏《やちしま》
 
〔譯〕 蜩の鳴く夕暮時には、女郎花の咲いてゐる野邊を行きながら、その花を見て心を慰めませう。
〔評〕 國守の家持と、掾の池主と、二人の上官が遠く都にのこして來た愛妻を思うて、感傷的な氣分になつてゐるので、女《をみな》の名を帶んでをる、姿やさしい女郎花が席上にあるのに因んでよんだ即興で、稚拙な作。
〔左註〕 大目秦忌寸八千島 傳未詳。「大目」は、掾の次で、國司の第四等官。
 
     古歌一首【大原高安眞人の作】年月審ならず。但、聞く時のまにまにここに記し載す。
3952 妹が家に伊久里《いくり》の森の藤の花今|來《こ》む春も常|斯《か》くし見む
     右の一首、傳へ誦《よ》めるは僧玄勝なり。
 
〔題〕 大原高安眞人 高安王が姓を賜はつて後の名。「五七七」參照。五年前の天平十四年に卒してゐる。
〔譯〕 伊久里の森の美しい藤の花は、又めぐり來るこの後の春も、いつもかうして、樂しく眺めたいものである。
〔評〕 内容は極めて單純であるが、平明で情趣ゆたかな歌。妹が家に行くとかけた枕詞の巧妙な點も、この歌に潤ひを與へる有力な素因を成してゐる。
〔語〕 ○伊久里 大和、越後等諸説があるが、萬葉事實餘情は、東大寺文書に見える越中國礪波郡石栗庄と推定し、「故大原眞人麻呂地」とあるを引いて、麻呂は高安の子であらう、さうして父高安以來伊久里の地は所領であつたので、ここで詠んだ歌であらうと説いてゐる。
〔左註〕 右一首云々 右の古歌は、同席の僧玄勝が傳誦したものとの意。玄勝は傳未詳。國分寺の僧などであらう。
 
(190)3953 雁がねは使に來《こ》むと騷くらむ秋風寒みその河の邊《べ》に
 
〔譯〕 秋風が寒くなつたので、雁は、いよいよ使に出て來ようとして、その川のほとりで、鳴き騷いでゐることであらう。
〔評〕 前の「三九四七」の歌に似てゐる。雁の使は漢の蘇武の故事として有名であるので、趣向を弄んだもの。
〔語〕 ○雁がね 元來「雁が音」で雁の聲の意であるが、古くから雁の意にも轉用されてゐる。○その河のべ 「その」は、雁の今まで住んでゐた地を指していふ。
 
3954 馬|竝《な》めていざうち行かな澁溪《しぶたに》の清き磯|廻《み》に寄する波見に
     右の二首は、守大伴宿禰家持
 
〔譯〕 馬を竝べてさあ行かうよ。澁溪の風光明媚な磯のあたりに、打ち寄せる波の景色を見に。
〔評〕 宴席の即興の作としては上乘である。「磯み」「波」「見に」とmの音を重ねて、おのづから調子の綾を織りなしたのも効果的である。一首の構想は「二一〇三」に似た點がある。
〔語〕 ○澁溪 二上山の北麓、奇岩の多い磯である。伏木町の北の海岸。
 
3955 ぬばたまの夜はふけぬらし玉くしげ二上《ふたがみ》山に月かたぶきぬ
     右の一首は、史生|土師《はじの》宿禰|道良《みちよし》
 
〔譯〕 もう夜は更けてしまつたらしい。あのとほり、二上山にすつかり月が傾いてしまつた。
〔評〕 宴樂のうちに時の移るを忘れてゐたが、ふと見上げた二上山のあたりに、月が傾いてゐたので、既に夜の更け(191)たことに氣づいたのである。淡々とありのままに詠んで、しかも印象明かに情趣饒かで、さながら清光水の如き秋の月を思はせる歌である。
〔左註〕 史生土師宿禰道良 傳不詳。史生は書記。公文書を繕寫し、文案を署することなどを掌る。
 
     大目秦忌寸八千島の館に宴する歌一首
3956 奈呉《なご》の海人《あま》の釣する船は今こそは船竅sふなだな》打ちてあへて榜《こ》ぎ出《で》め
     右、舘の客屋は、居ながらに蒼海を望む。仍りて主人この歌を作れり。
 
〔譯〕 奈呉の漁夫たちの釣する船は、今や船竄叩いて、威勢よく漕ぎ出すことであらう。皆さん、よく御覽なさい。
〔評〕 客の爲に宴席の興を添へようとする主人の心づかひから生れた歌。
〔語〕 ○奈呉 今の新湊町(放生津)のあたりで、越中國府の東に當る。○船竄、ちて 屈原の漁父辭に「鼓v竡ァ去」、竄ヘ、船の左右につける旁板。「せがい」ともいふ。○あへて 思ひきつて、きほひての意。
〔左註〕 ○館の客屋 八千島の邸の客間は、坐して海を眺めることが出來たので、主人がこの歌を詠んだ、の意。
 
     長逝《みまか》れる弟を哀傷《いた》める歌一首井に短歌
3957 天離る《あまざか》 鄙《ひな》治《をさ》めにと 大王《おほきみ》の 任《まけ》のまにまに 出でて來《こ》し 吾《こわれ》を送ると あをによし 奈良山過ぎて 泉河 清き河原に 馬とどめ 別れし時に 好去《まさき》くて 吾《あれ》歸り來《こ》む 平《たひら》けく 齋《いは》ひて待てと 語らひて 來《こ》し日の極《きはみ》 玉|桙《ほこ》の 道をた遠《どほ》み 山河の 隔《へな》りてあれば 戀《こひ》しけく け長きものを 見まく欲《ほ》り 念《おも》ふ間《あひだ》に 玉|梓《づさ》の 使の來《け》れば 嬉しみと 吾《あ》が待ち問(192)ふに およづれの たは言とかも 愛《は》しきよし な弟《おと》の命《みこと》 何しかも 時しはあらむを はだ薄《すすき》 穗に出《づ》る秋の 萩の花|薫《にほ》へる屋戸《やど》を【言ふこころは、この人、人となり花草樹を好み愛でて多に寢院の庭に植う。故、花薫へる庭と謂へり。】朝庭に 出で立ち平《なら》し 夕庭に 踏み平《たひら》げず 佐保のうちの 里を行き過ぎ あしひきの 山の木未《こぬれ》に 白雲に 立ち棚引くと 吾《あれ》に吾げつる【佐保山に火葬せり。故、佐保の内の里を行き過ぎといへり。】
 
〔題〕 長逝れる弟云々 弟大伴書特の訃報を、突如として受取つた家持が、悲歎して詠んだ歌である。
〔譯〕 地方の國を治めにと、大君の御任命のままに出て來た自分を見送らうと、奈良山を過ぎて、泉河の清らかな河原に馬をとどめて別れた時に、「無事に行つて自分は歸つて來よう、平安に神に祈つて待つてゐよ」と、話をして別れて來た日を最後として、道が遠く、山河が隔つてゐるので、戀しいことは時長くなつたにつけ、逢ひたいと思つてゐるうちに、遙々と使が來たから、やれ嬉しやと、待ち受けて樣子を尋ねると、信じられない出たら目の言葉であらうか、愛する弟のそなたは、何としたことか、時もあらうに、薄が穗に出る秋の、萩の花が吹いてゐる家だのに、その朝の庭に出て歩き、夕方の庭に逍遥することもせず、佐保の内の里を通り過ぎて、火葬場に行き、山の木の梢に白雲となつて棚引いてゐると、使の者が自分に告げたことである。
〔評〕 彫飾のすくない質實平明な詞句の間に、悲哀が流露してゐる。最愛の弟を失つたといふ内面的痛苦が裏づけとなつてゐる爲に、この作者の往往にして陷る平弱冗長の弊がなく、全篇緊張を以て終始してゐる。弟との訣別の情景を思ひ起して筆を着け、花草花樹を愛した故人の平素を偲んだところは、心情殊にあはれで、且つ書持その人の幾分神經質らしく蒲柳の質であつたらしい風   葬も想像される。また、使者の語る詞を以て一篇を結び、直接に悲しいなどといふ主觀的の語を用ゐなかつたのは、却つて強く讀者の胸に迫るものがあり、實感のしみじみと傳はる歌である。
 
(193)〔語〕 ○使のければ 使が來たから。「けれ」は、「來」に「あり」の熟合したもの、即ち「來」の完了態。○およづれ 妖言。つくりごと。○たはこと 枉言。たはけた詞。○な弟のみこと 「な」は汝の意。親しみ添へた語。「みこと」は敬稱。○はだ薄 穗をはらんだ薄。○言ふこころは 以上細註は、家持の自記で、書持の平常を敍したもの。「寢院」は正殿のこと。○佐保の内 奈良市の北郊。「内」は區域内の義。當時廷臣の邸宅が多く、大伴氏の邸もここにあつた。
 
3958 ま幸《さき》くと言ひてしものを白雲に立ち棚引くと聞けば悲しも
 
〔譯〕 無事でをるやうにと、別れる時に自分がいつたものを、今は白雲となつて空に棚引いてゐると聞けば、悲しいことである。
〔評〕 邊陬の任地にゐて、突如、愛弟の死を聞いた驚愕と悲歎とが察せられる。
〔語〕 ○ま幸くと この語は書持が家持にとも、家持が書持にともとれるが、長歌によると、家持の詞である。
 
3959 かからむとかねて知りせば越《こし》の海の荒磯《ありそ》の波も見せましものを
     右は、天平十八年秋九月二十五日、越中守大伴宿禰家持、遙に弟の喪を聞き、感傷《かなし》みて作れるなり。
 
〔譯〕 こんなことにならうと前から知つてゐたらば、越中によびよせて、荒磯に寄せる波の景色も見せるのだつたに。
〔評〕 愛弟に對する優しい心遣ひが、しんみりと表はれてをる。但この歌の構想は「七九七」に、句法は「一五一」に似通うてをる。
 
     相歡ぶる歌二首
 
(194)3960 庭に降る雪は千重しく然《しか》のみに思ひて君を吾《あ》が待たなくに
 
〔譯〕 庭に降る雪は、千重にも積つてゐる。しかし自分は、その深く積つた雪ぐらゐに思つて待つてゐたのではない。もつと深く思つて、待つてゐたのである。
〔評〕 眼前に雪は深く積つてゐるが、その雪にもまして深く思ひつつ待つてゐた、と即興的に詠みあげて、巧に心情を抒べたのは、時にとつて機智のはたらきを示した歌である。
 
3961 白波の寄する磯|廻《み》をこぐ船の楫《かぢ》取る間なく思ほえし君
     右は、天平十八年八月を以ちて、掾大伴宿禰池主、大帳使に附きて京師に赴向き、而して同じき年十一月、本任に還り到りき。仍りて詩酒の宴を設け、彈絲飲樂しき。この日、白雪忽に降りて、地に積むこと尺餘なり。この時、漁夫の船、海に入り瀾に浮べり。ここに守大伴宿禰家持、情を二つの眺に寄せて、聊か所心を裁す。
 
〔譯〕 白波のうち寄せる磯のめぐりを漕いで行く船の、櫓をあやつる絶間のないやうに、絶間なく氣がかりに思はれてゐたあなたである。無事のお歸りが喜ばしい。
〔評〕 國守の館から眺めた眼前の實景を捉へて序詞とした即興歌で、友情は親切を極めてゐるが、類想は「二七四六」「三一七三」にもある。
〔左註〕 ○大帳使に附きて 大帳使の任に就いての意、大帳使に附隨してではない。大帳使は地方廳から中央に報告する四度の使(大帳使、正税使、調使、朝集使)の一で、大帳(計帳、大計帳とも)、即ち、歳入豫算、兼ねて人口調査の臺帳を、八月三十日を限として太政官に進める使。○彈絲 琴を彈くこと。
 
     忽ちに枉疾に沈み、殆《ほとほと》に泉路に臨みき。仍りて歌詞を作りて悲緒を申《の》ぶる一首并に短歌
(195)3962 大王《おほきみ》の 任《まけ》のまにまに 丈夫《ますらを》の 心振り起し あしひきの 山坂越えて 天《あま》ざかる 鄙《ひな》に 下《くだ》り來《き》 息だにも 未《いま》だ休めず 年月も いくらもあらぬに うつせみの 世の人なれば うち靡き 床に反倒《こいふ》し 痛《いた》けくし 日にけに益《まさ》る たらちねの 母の命《みこと》の 大船の ゆくらゆくらに 下戀《したごひ》に 何時《いつ》かも來《こ》むと 待たすらむ 情不樂《こころきぶ》しく 愛《は》しきよし 妻の命《みこと》も 明け來《く》れば 門に倚《よ》り立ち 衣手を 折り反《かへ》しつつ 夕されば 床打ち拂ひ ぬばたまの 黒髪敷きて いつしかと 嘆かすらむぞ 妹も兄《せ》も 若き兒どもは 彼此《をちこち》に 騷き泣くらむ 玉|桙《ほこ》の 道をた遠《どほ》み 間使《まづかひ》も 遣《や》るよしも無し おもほしき 言傳《ことつ》て遣《や》らず 戀ふるにし 情《こころ》は燃えぬ たまきはる 命惜しけど 爲《せ》むすべの たどきを知らに 斯《か》くしてや 荒夫《あらしを》すらに 嘆き臥《ふ》せらむ
 
〔譯〕 大君の御任命のままに、男子としての雄々しい心を振ひ起し、幾多の山坂を越えて、この越中の遠地に下つて來て、まだ落ちついて息を休める暇もなく、年月も幾らもたたないが、此の世の人間、生き身のからだであるから、はからずも病に仆れて床にふせり、苦痛は日増しに募つてゆく。都では母上が、樣々に心を盡し、心のうちで戀ひ慕ひ、いつになつたらば歸つて來るであらうかと、心さびしく待つていらつしやるであらう。可愛い妻も、夜が明けると門に寄り立つて、著物の袖を折り返しつつ、夕方になると、床の塵を拂ひ黒髪を敷いて寢ながら、いつか早くと歎息してゐるであらう。兄も妹も幼い子供達は、あちこちで騷ぎまはつて泣いてゐることであらう。しかし、道中が遠いので、間の使をも遣る手だてもない。思うてをる言葉をいひ送りもせず、故郷を慕ふ思ひで心は燃えてゐる。命は(196)惜しいけれども、どうしてよいか手段も分らないので、かうしてまあ、ますらをたる者が、空しく嘆き臥してゐることであらうか。
〔評〕 母や妻子を遠く都に置いて、交通の不便な當時、獨り北越の邊陬にゐるさへあるに、圖らずも垂死の病褥に呻吟するに至つたのは、同情に餘りある。しかし、やや安易に纒め過ぎた爲に、憶良の「八九七」の長歌などに比して、深刻味に缺けてゐる。
〔語〕 ○丈夫の心振り起し 男子としての雄々しい心を奮ひ起して。家持はこれと同じ句を「四七八」及び「四三九八」の長歌の中にも用ゐてゐる。○息だにも 憶良の「七九四」の長歌の句にある。○痛けく 痛きこと。○母のみこと 「みこと」は尊稱。○大船の 枕詞。○ゆくらゆくらに 心のゆらゆらと動搖するさま。「三二七四」參照。○下戀に 心のうちに戀しく思ひつつ。○待たすらむ心さぶしく 心さびしく待つてゐられるであらうの意。倒置句。○妹も兄も 家持の子永主とその妹のことと思はれる。○同使 彼方と此方との間を行き通ふ使。○荒し夫 荒い男。つよい男。「四三七二」參照。
 
3963 世間《よのなか》は數なきものか春花の散りのまがひに死ぬべきおもへば
 
〔譯〕 人生は短いものであるよ。春の花の散り亂れるにまぎれて、死んでゆくであらう定命を考へると。
〔評〕 家持がこの重病に惱んだのは、左註によれば二月下旬とあるから、北越の地も、やがて百花繚亂の時が近い。「春花の散りのまがひに」は、その間の消息を語つたもので、花やかな中に悲壯の趣が濃く漂つてゐる。
〔語〕 ○數なきものか 數のない短い義。「か」は詠歎の助詞。○散りのまがひに 花の散るまぎれに。
 
3964 山|河《かは》のそきへを遠み愛《は》しきよし妹を相見ず斯くや嘆かむ
(197)     右は、十九年春二月二十一日、越中國守の館にて、病に臥し悲み傷みて、聊か此の歌を作れり。
 
〔譯〕 山や河の隔たりが遠いので、いとしい妻をも見ないで、自分はかうして嘆いてゐることであらうか。
〔評〕 いつまでかうして獨り嘆かなくてはならぬのかといふ惆悵の意が深くこもり、盡きぬ哀韻が漂つてゐる。
〔語〕 ○そきへを遠み 隔たりが遠い故に。「そきへ」は「退《そ》く方」の義。○愛しきよし 「愛しきやし」に同じ。
 
     守大伴宿禰家持、掾大伴宿禰池主に贈れる悲の歌二首
     忽に枉疾に沈み、旬を累ねて痛苦す。百神を?《の》み恃みて、且|消損《い》ゆることを得たり。しかも由《なほ》身體|疼《いた》み羸《つか》れ、筋力怯軟にして、未だ展謝に堪へず。係戀彌深し。方今春の朝の春の花、馥を春の苑に流し、春の暮の春の鶯、聲を春の林に囀る。此の節候に對して琴衰繧ムつ可し。興に乘ずる感ありと雖も、杖を策《つ》く勞に耐へず。獨帷幄の裏に臥して、聊か寸分の歌を作り、輕《かろがろ》しく机下に奉り、玉頤を解かむことを犯す。其の詞に曰く
3965 春の花今は盛に匂ふらむ折りて插頭《かざ》さむ手力《たぢから》もがも
 
〔題〕 旬を重ねて、數十日の間の意。○消損ゆることを得たり 病苦が輕減することが出來たの意。○未だ展謝に堪へず 未だ挨拶の爲に參上することが出來ない。「展謝」は左傳哀公二十四年に見える語。陳謝の意。○係戀彌深し 貴方を戀ひ慕ふことが益々切である。○琴衰繧ムつ可し 琴を彈いたり、酒を飲んだりして樂しむべきである。「吹vは酒樽。○興に乘ずる感ありと雖も 感興は頻りに湧くけれども。○杖を策く勞に耐へず 杖をついて出かける元氣がない。○寸分の歌 短い歌。○玉頤を解かむことを犯す 失禮を顧みずお笑に供する。「玉」は美稱。「解頤」は人を笑はせること。
〔譯〕 春の花が今は盛んに咲き匂つてゐるであらう。折つて挿頭にするだけの手の力が欲しいものである。
(198)〔評〕 獨り病床に垂れこめつつ、空しく窓外の春光を想像してみる氣持が、しんみりと切實に表現されてゐる。
 
3966 うぐひすの鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折《たお》りかざさむ
     二月二十九日、大伴宿禰家持
 
〔譯〕 鶯が鳴いて散らすであらう春の花を、いつになつたら、君と共に手折つて挿頭すことが出來るであらう。
〔評〕 平淡な詞句の裡に、眞情が流露してゐる。二句がよい。しかして、三句につづくつづき方もよい。
〔語〕 ○鳴き散らすらむ 鳴きつつ花を散らすであらう。この句は連體法で次の「春の花」につづく。
〔左註〕 二月 諸本この上に「天平二十年」の五字があるも、元暦校本に從つて削る。二十年は十九年の誤である。
 
     忽に芳音を辱くす、翰苑雲を凌ぎ、兼ねて倭詩を垂る、詞林錦を舒べたり。以ちて吟じ以ちて詠じ、能く戀緒を※[益+蜀]《のぞ》く。春の樂しむ可きは、暮春の風景最も怜れむ可し。紅桃灼灼として戯蝶花を回りて※[人偏+舞]ひ、翠柳依依として嬌鶯葉に隱りて歌ふ。樂しむべきかも、淡交席を促《ちかづ》け、意を得て言を忘る。樂しきかも美しきかも、幽襟賞するに足れり。豈|慮《はか》りきや、蘭宦ヲ[草がんむり/聚]を隔て琴雛p無く、空しく令節を過して物の色人を輕みせむとは。怨むる所此にあり、黙止《もだを》ること能はず。俗の語に云ふ、藤を以ちて錦に續ぐといへり。聊か談咲に擬ふるのみ。
3967 山|峽《かひ》に咲ける櫻をただひと目君に見せてば何をか思はむ
 
〔題〕 以下池主よりの返書である。○芳書を辱くす 御手紙を有難く拜受したの意。○翰苑 翰は筆、翰苑は翰林に同じく文苑の義であるが、ここは文章の意に用ゐた。○雲を凌ぎ 空に上る義で、文章の優秀なのに喩へる。○倭詩 倭歌のこと。○詞林錦を舒べたり その詞藻は錦をひろげたやうに美しい。「詞林」は翰林と同じく文事の集りをい
ふが、ここは文章の意に用ゐた。○戀緒を※[益+蜀]く 戀々の思を除いて心を慰めた。○紅桃灼灼 灼灼は盛なる貌。○翠柳依依 新に萠えた柳はなよなよ風に靡きしなうて居る。「依々」は樹木の盛に茂るさま、また柔弱の樣。○淡交席を促け 淡々たる君子の交で親しく席をすすめる意。「淡交」は君子の交をいふ。莊子山木篇によつたもの。○意を得て言を忘る 心は互に相通じて言ふべき言葉もないほど樂しい。○幽襟 風雅な心。○蘭宦ヲ[草がんむり/聚]を隔て琴雛pなく 蘭と宸ニの芳草が、つまらぬ雜草に隔てられてゐるやうに、我々のよき交が病の爲に妨げられて、琴も酒も之を用ゐて相樂しむことが出來ずの意。※[草がんむり/聚]は叢に同じ。○令節 佳節に同じ。三月三日をさす。○物の色人を輕みせむとは 物色即ち折角の景物、風光を見ずに過して、その景物風光から、人即ち自分が輕く思はれようとは。○怨むる所此に有り この點が甚だ遺憾であつて。○藤を以ちて錦に續ぐ 粗末な藤衣を立派な錦に體ぎ足して縫ふの意で、わが拙作を以て家持の佳作に答へるに喩へる。○聊か談笑に擬するのみ ちよつとお笑草に供するといふわけです。
〔譯〕 山の峽に吹いてゐる櫻を、ただ一目だけでもあなたにお見せしたらば、自分は、何の思ふことがありませう。これをお目にかけ得ないのが殘念です。
〔評〕 淡々たる中に情のよく表はれた作である。家持が越路に來て迎へる最初の春であるから、初めての春の初めての櫻を、せめて一目でも見せたいといふ氣持は、池主としては極めて切實な希望であつたに相違ない。
 
3968 うぐひすの來鳴く山吹うたがたも君が手觸れず花ちらめやも
     姑洗《やよひ》二日、掾大伴宿禰池主
 
〔譯〕 鶯が慕つて來て鳴く庭の山吹は、暫くでもあなたが手を觸れないのに、花が散るといふことがありませうか。早く全快してこの美しい花を御覽なさいませ。
〔評〕 君が手を觸れないうちは花は散るまいと、あいなだのみをかけつつ、さうありたいことを希望してゐるのであ(200)つて、それは即ち、花の散らぬ間に君の病が癒え、共に相携へて樂しく花を見よう、といふのである。友情まことに懇切を極めてゐる。
〔語〕 ○うたがたも 暫くの間でも。上にも同じ池主の作(三九四九)にあつた。
〔左註〕 姑洗 三月の異名。諸本皆「姑」を「沽」に作るは誤。今、代匠記の説によつて改める。
 
     更に贈れる歌一首井に短歌
     含弘のコ、恩を蓬體に垂れ、不貲の思、隨心を報慰す。載《すなは》ち末眷を荷ひて、喩ふる所に堪ふること無し。但し稚き時遊藝の庭に渉《わた》らざりしを以ちて、横翰の藻おのづから彫蟲に乏しく、幼年いまだ山柿の門に逕《いた》らずして、裁歌の趣、詞を※[草がんむり/聚]林に失ふ。爰に藤を以ちて錦に續ぐ言を辱くし、更に石を將ちて瓊に間《まじ》ふる詠を題す。因《もと》より是、俗愚癖を懷きて黙止《もだを》ること能はず。仍りて、數行を捧げて、式《も》ちて嗤笑に酬ゆ。其の詞に曰く
3969 大君の 任《まけ》のまにまに 級離《しなざか》る 越を治めに 出でて來《こ》し 丈夫《ますら》吾《われ》すら 世の中の 常し無ければ うち靡き、床に反倒《こいふ》し 痛《いた》けくの 日にけに増せば 悲しけく 此處《ここ》に思ひ出《で》 苛《いら》なけく 其處《そこ》に念《おも》ひ出《で》 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山|來隔《きへな》りて 玉|梓《ほこ》の 道の遠けば 同使《まづかひ》も 遣《や》るよしも無み 思ほしき 言《こと》も通はず たまきはる 命惜しけど 爲《せ》むすべの たどきを知らに こもり居て 念《おも》ひ嘆かひ 慰むる 心は無しに 春花の 咲ける盛に 思ふどち 手《た》折りかざさず 春の野の 茂み飛びくく 鶯の 聲だに聞かず をとめ等《ら》が 春菜摘ますと くれなゐの 赤裳の裾の 春雨に にほひ(201)ひづちて 通ふらむ 時の盛を いらづらに 過ぐし遣《や》りつれ 思《しぬ》はせる 君が心を うるはしみ 此の夜すがちに 寐《い》も宿《ね》ずに 今日もしめらに 戀ひつつぞ居《を》る
 
〔題〕 ○含弘のコ 易にある語。萬物を包含する大なるコ。○蓬體 蓬の如きつまらぬ我が身體。○不貲の思 はからざる思。意外な御志。即ち返書を賜つたことをいふ。貲は※[此/言]に同じ。○陋心を報慰す 自分の卑しい心を慰めて下された。○末眷を荷ふ 恩顧を有り難く思ふ。「末眷」は惠のあまり。餘澤。但、諸本「未眷」とあるが意を成さないので、代匠記説に從ひ「末」とし、また略解所引宣長説によつて「眷」に改めた。○遊藝の庭に渉らざりしを以ちて 廣く學藝を修めなかつたので。論語述而篇に「遊(ブ)2於藝(ニ)1」とある。○横翰の藻 手紙の文詞。横翰は横に長い文書。○彫蟲に乏し 技巧に乏しく拙劣である。彫蟲は蟲が面白く喰ひ痕をつける如く、文を巧みに修飾すること。○山柿の門 山柿は山上憶良と柿本人麿とをいふ。山を山部赤人とする説が古くからあるが、家持は憶良の影響を多く受けてをる。赤人は時代がすこし若い。自分の著「山上憶良」に細説してある。○裁歌の趣 歌を作る趣向。○詞を※[草がんむり/聚]林に失ふ。詞句の使用法を十分に辨へない。※[草がんむり/聚]は藻の誤かと略解にいふ。○藤を以ちて錦に續ぐ言を辱くす 上の池主の返簡中の語を逆に用ゐて、吾が拙き言に、錦に繼ぐが如き美しき言を頂いた。○更に石を將ちて瓊に間ふる詠を題す 更に又、石の如き拙きわが歌を以て、玉に混同せしめるやうに、貴君の立派な歌に交へて作つた。○俗愚癖を懷きて 俗愚なる自分は歌を作る癖を持つてゐて。○式ちて嗤笑に酬ゆ そこでお笑草に應答する次第です。
〔譯〕 大君の御任命に從つて、遠く邊鄙な此の越の國を治めに來た男子なる自分であるが、世の中は無常なものであるから、病氣になつて床に横たはり、苦痛が日増しに加はつてゆくので、悲しい思で故郷をああも思ひ出し、苛立たしい心で、かうも思ひ出し、歎く樣子も安らかならず、思ふ心も苦しいのに、多くの山を越え隔つて故郷の方は道が遠いから、使を遣る手段もないので、思つてゐて消息を通はすことも出來ず、命は惜しいけれども、何とも執るべき(202)方法が分らなくて、家に引籠つてゐて思ひ嘆き、慰める心はなく、春の花の滿開の時に、親しい友とその花を手折つてかざすこともせず、春の野の茂みを飛びくぐる鶯の聲さへも聞かないで、又、若い女たちが若菜を摘むとて、その赤い裳裾を春雨に美しく濡して歩いてゐるであらう春の盛を、出て眺めもせず空しく過してしまつたから、それに同情して、自分の事をいろいろと思つて下さる貴君の心が嬉しさに、昨夜は夜どほし寢もせずに、今日も終日、君を戀しく思つて居ることであります。
〔評〕 表現が平板單調で、變化抑揚が無い。これは儀禮的に文字を弄した結果で、殊に、古人の成句や自己の舊作に用ゐた辭句が多いのは、著しく清新の氣を減殺する。しかし、その底を流れるしつとりとした一脈の哀感は、やはり家持獨自の持味である。
〔語〕 ○級離る 「級」lは階段で坂の意。都から多くの山坂を隔てた越とつづく枕詞。○うち靡き 以下四句は上の「三九六二」にも用ゐてゐる。○悲しけく此處に思ひ出苛なけく其處に思ひ出 悲しくいらだたしい心で、ああもかうも、樣々に思ひ出しての意。古事記中卷宇遲和紀郎子の歌句を借り用ゐてゐる。○嘆くそら安けなくに思ふそら苦しきものを 安貴王の歌「五三四」憶良の歌「一五二〇」及び「三二九九」等に類似の句が見える。○玉桙の 以下「たどきを知らに」までの十句は、「三九六二」の末尾に酷似してゐる。○春菜摘ますと 「摘ます」は「摘む」の敬語であるが、ここは寧ろ親愛の意を示すと見るべきである。○過しやりつれ 「やりつれ」は「やりつれば」の意に用ゐてある。○しめらに 「しみら」に同じく、すべての意。即ち終日の義。この前後の數句も 「三二九七」に據つたものと思はれる。
〔訓〕 ○問ふ 流布本に「同」とあるも、古寫本によつて改めた。
 
3970 あしひきの山櫻花ひと目だに君とし見てば吾《あれ》戀ひめやも
 
(203)〔譯〕 山に咲いてゐる櫻の花を、ただ一目だけでも、君と一緒に見たらば、こんなに花に思ひ焦れようか。
〔評〕 以下三首は、上の長歌の反歌であるが、普通の反歌形式と稍趣を異にし、この歌は上の「三九六七」の歌に和へたものである。
 
3971 山吹の茂み飛び潜《く》く鶯の聲を聞くらむ君は羨《とも》しも
 
〔譯〕 山吹の茂みを飛びくぐり鳴く鶯の、聲を聞いて居られるであらう君は、まことに羨ましいことです。
〔評〕 池主から贈られた「三九六八」の作に和へたもの。第二・三句は長歌の中に用ゐた語句を反復してゐる。
 
3972 出で立たむ力を無みと籠《こも》り居て君に戀ふるに心神《こころど》もなし
     三月三日、大伴宿禰家持
 
〔譯〕 家の外に出ようとする力もないので、引籠つてゐて、君を戀しく思つてゐると、我ながらしつかりした心もないことである。
〔評〕 結句は類型が多く概念的であるが、初二句は淡々と事實を直敍して、病中の感がよぐ現はれてゐる。
〔語〕 ○心神もなし しつかりした心も無い。「こころど」は確かな精神、氣丈な魂の意。「四五七」參照。
 
     七言、晩春の遊覽一首井に序
     上巳の名辰、暮春の麗景、桃花|瞼《まなぶた》を照して紅を分ち、柳色苔を含みて緑を競ふ。時に手を携へて曠《ひろ》く江河の畔を望み、酒を訪ひて?《はるか》に野客の家を過ぐ。既にして琴瑞ォを得、蘭契光を和ぐ。嗟乎《ああ》今日恨むる所はコ星已に少きことを。若し寂を扣《たた》き章を含まずは、何を以ちてか逍遥の趣を※[手偏+慮]《の》べむ。忽に短筆に課《おほ》せて、聊か四韻を勒すと云爾《いふ》。
(204)〔序〕 七言晩春の遊覽 七言律で晩春に野外に遊覽した趣を賦した詩の意。代匠記にはこの下に「詩」の字を脱したかとある。○上巳の名辰 上巳は三月三日のこと。名辰は佳日。○桃花瞼を照して紅を分ち 桃の花は眼に照り映えて、その紅の色を分明にあらはしてをり。○柳色苔を含みて 柳の葉の色が黛をつけたやうに美しくての意。「苔」は「黛」の誤と略解にある。○酒を訪ひて?に野客の家を過ぐ 酒を求めて、はるかに田舍人の家を過ぎた。○琴瑞ォを得 琴と酒樽とは各その本性を發揮して。即ち、琴を彈じ、酒を飲んで樂しむ意。○蘭契光を和ぐ 「蘭契」は清き交、「光を和ぐ」は、己の才能を外にあらはさず、共になごやかに親しむこと。○恨むる所はコ星已に少きことを、「コ星」は瑞星、ここは賢人に喩へたもの。殘念なことには、賢人の集合が甚だ少いといつて、家持の同行せざるを惜しんだ意。○寂を扣き章を含まずは 自分が貧しい文才を振ひ起して文章を作らなければ。○短筆に課せて四韻を勒す 拙い筆を驅つて、四個の押韻を定め、律詩一首を作つた。
     餘春の媚日は怜賞《あはれ》むに宜しく、上巳の風光は覽遊するに足れり 柳陌江に臨みて?服を縟《まだらか》にし 桃源海に通ひて仙舟を浮ぶ 雲罍に桂を酌めば三清湛ひ 羽爵人を催して九曲に流る 縱醉陶心して彼我を忘れ酩酊して處として掩留せずといふことなし
     三月四日、大伴宿禰池主
〔譯〕 晩春のうららかな日は愛で賞すべきである。三月三日の風光は遊覽するに足りる。河に臨む柳の路には美しい盛裝の人々が行き交ひ、桃源の仙境から流れる川は海に通じて仙人の乘る舟を浮べてゐる。雲雷の模樣を畫いた瓶に桂酒を酌むと、なみなみと清酒が湛へられて興は盡きず、雀の形をした杯は、人に詩を促しつつ幾曲りもして水の上を流れて來る。思ひのままに醉うて、心は陶然として彼我の別を忘れ、酩酊して何處にも留らぬといふ處はない。
〔語〕 ○餘春の媚日 晩春の美しい日。○柳陌 柳の植ゑてある路。○?服を縟《まだらか》にし 「?服」は盛服、晴れ着。「縟」はいろどる。○桃源 仙境で、所謂武陵桃源。ここではこの地を仙境に見做していふ。○雲罍 雲雷の模樣のついた(205)酒器。○桂 桂酒。よい酒。○三清 清酒をいふ。周禮による。○羽爵 頭尾羽翼などが著いて雀の形をした杯。○九曲に流る 杯が水上を幾曲りもして流れて來る。これは曲水宴、即ち杯を曲水に流し、それが自分の前に來るまでに詩一首を作つた遊寡の趣である。○縱醉陶然 ほしいままに醉ひ、心陶然として。○處として淹留せずといふことなし 留らぬ處はない。淹留は滯つて進まぬことで、ここは酩酊の態。
     昨日短懷を述べ、今朝耳目を?《けが》す。更に賜書を承り、且奉ること不次なり。死罪々々。
     下賤を遺《わす》れず、頻にコ音を惠む。英雲星氣、逸調人に過ぎたり。智水仁山、既に琳瑯《りんらう》の光彩を?《つつ》み、潘江陸海《はんかうりくかい》、おのづから詩書の廊廟に坐す。思を非常に騁せ、情を有理に託け、七歩章を成し、數篇紙に滿つ。巧に愁人の重患を遺り、能く戀者の積思を除く。山柿の謌泉、此に比ぶれば蔑《な》きが如し。彫龍の筆海粲然として看ることを得たり。方に僕の幸あるを知りぬ。敬みて和ふる歌。其の詞に云ふ。
〔序〕 ○短懷 拙い自分の考。○耳目を?す、つまらぬこの書を奉つてお耳やお目を汚します。○且奉ること不次なり 又うちつけに申し上げます。「且」は又、「不次」は順序によらぬこと、うちつけに、無作法に。○死罪々々 死罪に當る程の無禮があると謙遜の句。○下賤を遺れず 下賤な自分を忘れないで。○コ音 善言。ここでは御手紙。○英雲星氣 家持の詩文の優秀なことをたたへたもの。○智水仁山 家持の智と仁をいふ。○琳瑯の光彩を?み 美玉のやうな光をつつみ。「琳瑯」は玉の名。○潘江陸海 文選の作者で六朝の文人であつた潘岳と陸機との文才を江海に比したもの。江海の如き潘陸の文才にも似て。○おのづから詩書の廊廟に坐す 自然と詩文の堂奧に入つてゐる。○思を非常に騁せ その著想は非凡であつて。「非常」は珍らしいこと。○情を有理に託け 情を道理のある事にかこつけて述べる。即ちその情は條理にかなつてをつて。○七歩章を成し しかも速に文を作つて。魏の曹植が七歩を歩む間に詩を作つた故事による。○巧に愁人の重患を遣り うまく心に愁ある人の重い心痛を晴らし。○山柿の謌泉此に比ぶるに蔑きがごとし 人麿や憶良等の歌仙も之に比べると物の數でもない。○彫龍の筆海 龍を刻む如き文彩(206)のある言葉。
 
3973 大君の 命《みこと》かしこみ あしひきの 山野《やまの》障《さは》らず 天離《あまざか》る 鄙《ひな》も治《をさ》むる 丈夫《ますらを》や 何かもの思《も》ふ あをによし 奈良路|來通《きかよ》ふ 玉|梓《づさ》の 使絶えめや 籠り戀ひ 息づき渡り 下思《したもひ》に 嘆かふ吾が兄《せ》 古《いにしへ》ゆ 言ひ繼ぎ來《く》らし 世の中は かずなきものぞ 慰むる 事もあらむと 里人の 吾《あれ》に告ぐらく 山|傍《び》には 櫻|花《ばな》散り 貌鳥《かほどり》の 間《ま》なくしば鳴く 春の野に 菫を摘むと 白たへの 袖折り反《かへ》し くれなゐの 赤裳裾|引《ひ》き をとめらは 思ひ亂れて 君待つと うら戀《ごひ》すなり 心ぐし いざ見に行かな 事はたなゆひ
 
〔譯〕 大君の御命令を謹み守つて、山も野もかまはず踏み越えて來て、この邊鄙な地方をも治める男兒たるあなたが、何事をくよくよお思ひなされますか。奈良路から通うて來る故郷の使は絶えることがありませうか、絶えはしません。それであるに、家に籠つて故郷を戀ひ、ため息をして日を送り、心の中に歎思して居られる友よ。昔から言ひ傳へてゐるやうに、世の中は無常なものです。しかし病中のあなたを慰めることもあらうかと、里人が來て自分に告げますには、山の方には櫻の花が散り、貌鳥の絶えず鳴いてゐる春の野で菫を摘むといつて、白い衣の袖を折り返し、赤い裳裾を曳いて、か行きかく行き、若い女達は思ひ亂れながらあなたの御出を待つとて、心ひそかに戀しがつてゐるとのことです。さう聞くと心がくるしい。さあ一緒に見に行きませう。事はもうすつかりきまつたことです。
〔評〕 冒頭まづ家持の憂愁を慰め、次に病床に呻吟する樣を思ひ、延いて人生の無常に思ひ到り、國守の憂苦を慰めようとする里人の言葉を借り來つて、繪のやうな春の野山の美しさ、恰も國守の來遊を待つかの如き里少女らの可憐な風情などを敍して、家持の心を引立てつつ、早く野山を共に逍遥することが出來るやうにと、希望する意で結收し(207)てゐる。年若い同族の長にして直屬長官であり、同時に、心知る詞友でもある人を慰めるに、親愛と尊敬と情趣と、委曲を盡した作である。
〔語〕 ○山野障らず 山も野も妨げとならず、即ち山も野も構はず踏み越えて來て。○言ひ繼ぎ來らし 言ひ傳へてゐるらしい。ここは終止句になつてゐるが、いひついだ詞は、「世の中は數なきものぞ」であると解すべきである。○貌鳥 呼子鳥に同じかともいふが、明かでない。○心ぐし 心が切なく苦しい。「七三五」參照。○事はたなゆひ たなゆひは難解の句である。たなは添へた詞ながら、棚結といふ名詞形に、結《ゆ》うた、決着したの義に解しておく(代匠記説)。宣長説では、たなしれの誤として、「さやうに心得よと言ふに似たり」とある。
〔訓〕 ○下思に 白文「之多毛比余」。考が、余を爾の誤とするに從ふ。
 
3974 山吹は日に日に咲きぬ愛《うるは》しと我《あ》が思《も》ふ君はしくしく思ほゆ
 
〔譯〕 山吹の花は日に日に咲くことであります。懷かしいと思ふあなたのことは、重ね重ね思はれます。
〔評〕 山吹の日毎に咲き匂ふことと、頻りに人を思ふ心持とが、自然にまた巧妙に結びついてをり、「日に日に」と「しくしく」との對比も面白い格調を成してゐる。
 
3975 我が兄子《せこ》に戀すべなかり葦垣の外《ほか》になげかふ我《あれ》し悲しも
     三月五日、大伴宿禰池主
 
〔譯〕 かなたが戀しくて仕方がありません。かうして外に離れて嘆いてゐる自分は、まことに悲しいことです。
〔評〕 恰も異性に對する戀愛のやうな情熱が見られる。二句切れの愬へるやうな語氣の中に、切迫した感情が盛られ「我し悲しも」の結語も、古趣の掬すべきものがあつて、一首をよく落ちつかせてゐる。
(208)〔語〕 ○葦垣の 茸垣を隔ててゐるやうにの意で、「外」にかけた枕詞。
 
     昨暮の來使は、幸に晩春遊覽の詩を垂れ、今朝の累信は、辱くも相招望野の歌を?《たま》ふ。一たび玉藻を看て梢欝結を寫《のぞ》き、二たび秀句を吟じて、已に愁緒を?《のぞ》く。此の眺翫にあらずは、孰か能く心を暢べむ。但惟《ただ》下僕《やつがれ》、稟性彫り難く、闇神瑩くこと靡《な》し。翰を握《と》りて毫を腐し、研に對ひて渇くことを忘る。終日流を目して、綴れども能はず。所謂文章は天骨にして、之を習ひて得ず。豈字を探り韻を勒して雅篇に叶和するに堪へめや。抑も鄙里の小兒に聞く、古人は言酬いずといふこと無しといへり。聊か拙詠を裁し、敬みて解咲に擬す。【如今《いま》言を賦し韻を勒し、斯の雅作の篇に同するは、豈石を將ちて瓊に間《まじ》へ、聲を唱して曲に遊ぶに殊ならめや。抑も小兒の濫に謠ふに譬ふ。敬みて葉端に寫し、式ちて亂に擬す。曰く】
〔序〕 ○昨暮の來使 昨日の夕方の使、三月四日の夕暮に、池主が晩春遊覽の詩を贈つた使をいふ。○今朝の累信 今朝のかさねての音信。即ち五日の朝、家持の歌に和へて池主から贈つた歌。○辱くも相招望野の歌を?ふ 有難くもまあ、誘ひあつて共に野遊をしようといふ意の歌を下された。「?」は賜に同じ。○欝結を寫き 憂欝な氣分を散じ。「寫」は除の意。○愁緒を?く 愁の心持を晴らす。「?」も除の意。○此の眺翫にあらずは かういふ好い景色を眺め樂しむのでなければ。○禀性彫り難く、天性愚かで教へがたいの意。論語に「朽木不v可v彫也。」とあるに據る。○闇神瑩くこと靡し 暗愚の精神は磨くことがない。○翰を握りて毫を腐し 文才乏しいために筆を握つて考へ込んで居り、遂に穗先を腐らせる。「翰」は羽。昔は、鳥の羽を以て筆を製したので、翰を直ちに筆の意に用ゐる。「毫」は筆の毛。○所に對ひて渇を忘る 硯に向ひ徒らに時を費して、水の乾くのも氣づかない。○流を目して 水流を眺めつつの意。「四一五〇」の家持の歌で見ると、國司の舘から射水川が望まれたので、この流もそれであらう。通行本「因流」とあるは解し難い。今、神田本等による。○天骨 天性。「骨」は組立てたものの義。○字を探り韻を勒し 字の平仄を尋ね、韻を押して。即ち詩を作る意。○雅篇に叶和するに堪へめや 貴方の雅正な詩に和することが出來ようか、とても出來ない。「雅篇」は立派な作品、池主の詩をいふ。「叶」は協に同じ。○鄙里の小兒に聞く そ(209)の邊の子供に聞くに、次のやうな言葉があるの意、「諺に曰く」と同義。謙遜の辭。○古人言酬いずといふこと無し 古の人は人の言葉には必ず返事したものである。詩經による。○敬みて解咲に擬す 謹んでお笑草にあてる。「解咲」は頤をはづして笑ふこと。○如今言を賦し韻を勒し 今、詞を陳ね韻字を定め、即ち詩を作つての意。この句以下は、結末の數句の初稿とも見るべきもの。神田本には割注にしてある。○斯の雅作の篇に同じくす この貴下の立派な詩に竝べる。○聲を唱して曲に遊ぶに殊ならめや 聲を高く上げて音曲家の仲間入りをするのと違はうか。即ち徒らに声を出して、よき音樂家の中に交ること。但、諸本「遊走曲」とあるは解し難い。「走」は衍と見ておく。○葉端 紙の端。○式ちて亂に擬す もつて詩賦の亂辭になぞらへる。「亂」は賦の末に添へる短い歌。亂辭、また反辭ともいふ。(わが長歌の反歌は、反腰の反に傚つたものと考へられる。)
     七言一首
     杪《べう》春の餘日媚景|麗《うるは》し 初巳の和風拂ふこと自《おのづか》ら輕し 來燕泥を※[銜の金が缶]《ふく》みて宇《のき》を賀きて入り 歸鴻蘆を引きて?《はる》かに瀛に赴く 聞く君が嘯《せう》倡新たに曲を流《つた》ふることを 禊飲爵を催して河の清きに泛ぶ 良き此の宴を追尋せむと欲りすといへども 還りて知る懊に染みて脚の?※[足+丁]たることを
 
〔譯〕 晩春の餘つた日は風景が麗しく、三月三日のなごやかか風はおのづから輕く吹いてゐる。南の方から來た燕は、巣を作る爲に泥をくはへて恰もこの家を祝福するやうに入つて來、北の國へ歸りゆく雁は、蘆をくはへて遙かに海上をさして飛び去る。君が新たに曲水の宴を開いて詩歌を歌ひ、禊をし宴飲して、杯をとつて清らかな流に浮べ遊ばれると聞き、自分は良きこの宴を慕つて訪れようとは思ふが、顧みて病の爲に脚もとが定まらず、よろめくのを知り、如何とも仕方が無い。
〔評〕 ○杪春 晩春の意。流布本「抄」とあるは「杪」の誤。杪は末。○餘日 餘の日數。○初巳 上巳に同じ。○和風 やはらかな春風。○來燕 南方から來た燕。○宇を賀きて入り その家を祝福して入つて來る。淮南子に「大(210)※[尸/夏]成而燕雀相賀」とあるに據つたもの。○歸鴻蘆を引きて 北に歸りゆく雁は、蘆の葉をくはへて。淮南子に「雁銜v蘆而翔」とある。○  退かに瀛に赴く 遙かに大海をさして飛んでゆく。「  過」は通行本「廻」に作るは誤。今、元暦校本等によつて訂す。○嘯倡新たに曲を流ふ 歌の友と新たに曲水の宴を開く。「嘯倡」は詩歌を歌ふこと。「曲を流ふ」は流觴曲水、即ち曲水宴を開いたこと。○禊飲 みそぎをして酒を飲むこと。禊は即ち邪氣を拂ふ行事で、もと三月上巳の日に水邊でこれを行つた故にかくいふ。○爵を催して河の清きに泛ぶ。互に杯を勸めて清い河のそばで宴飲する。池主の詩の「羽爵人を催して九曲に流る」に對應せしめたもの。○懊に染みて 懊は惱むこと、病の意。○?※[足+丁] 足のよろめくさま。
 
     短歌二首
3976 さけりとも知らずしあらば黙《もだ》もあらむ此の山吹を見せつつもとな
 
〔題〕 短歌二首 右の詩と共に、書簡に添へて贈つた歌である。池主から山吹の花を贈つたことは、書簡にも詩にも見えないが、この歌によつてわかる。
〔譯〕 咲いてゐるといふことも寧ろ知らずにゐたらば、自分は、何とも思はずだまつてゐるであらうに、この美しい山吹を見せてくれて、自分はその爲によしない物思をすることである。
〔評〕 美しい山吹の花を贈られたので、病床の身が俄に戸外の勝景を思ひ出し、憧れの情を唆かされたのである。友の好意は嬉しいが、自身の病氣の長いことが悲しまれる。しかし、「二二九三」に「咲けりとも知らずしあらばもだもあらむこの秋萩を見せつつもとな」の類歌がある。家持は多作家であつた爲に、時宜に應じて他の作を借り、一二句を變へて用ゐたことが少くなかつたのであつた。「萬葉集類歌類句攷」參照。
(211)3977 葦垣の外《ほか》にも君が倚《よ》り立たし戀ひけれこそは夢《いめ》に見えけれ
     三月五日、大伴宿禰家持、病に臥して作れり
 
〔譯〕 葦垣の垣根のそとに君が寄り立つて、自分を戀ひ慕はれたからこそ、自分の夢に君が見えたのである。
〔評〕 池主の歌の句を受けて、想を構へたので、辭令的、技巧的の歌である。蓋しその趣旨は、先方で自分のことを思へば、此方でもその人を夢に見るといふ、當時の俗信に基づくもので、「六二一」「六三三」「六三九」「七二四」「三六四七」など、多く詠まれてゐる。要するに、人の精神は感應するといふ觀念に根ざして、それに夢といふ精神現象を神秘なものと見る感情が結びついて、形成せられた信仰であると考へられる。
〔語〕 ○葦垣の外にも君が 池主から贈られた歌の「葦垣の外に嘆かふ」を承けたのであるが、池主は「葦垣の」を枕詞に用ゐてゐるのを、ここは本當の蘆垣に取りなしたのである。
 
     戀緒を述ぶる歌一首并に短歌
3978 妹も吾も 心は同《おや》じ 副《たぐ》へれど いや懷《なつか》しく 相見れば 常《とこ》初花に 情《こころ》ぐし 眼《め》ぐしもなしに 愛《は》しけやし 吾《あ》が奧妻《おくづま》 大王《おほきみ》の 命《みこと》かしこみ あしひきの 山越え野行き 天離《あまざか》る 鄙《ひな》治《をさ》めにと 別れ來《こ》し 其の日の極《きはみ》 あらたまの 年|往《ゆ》き返《がへ》り 春花の うつろふまでに 相見ねば 甚《いた》もすべなみ 敷たへの 袖|反《かへ》しつつ 宿《ぬ》る夜|闕《お》ちず 夢《いめ》には見れど 現《うつつ》にし 直《ただ》にあらねば 戀しけく 千重につもりぬ 近からば かへりにだにも うち行きて 妹が 手《た》枕 指《さ》し交《か》へて 寢《ね》ても來《こ》ましを 玉ほこの 路《みち》はし遠く 關さへに 隔《へな》りてあれこそ (212)よしゑやし よしはあらむぞ ほととぎす 來鳴かむ月に いつしかも 早くなりなむ 卯の花の にほへる山を 外《よそ》のみも ふり放《さ》け見つつ 淡海路《あふみぢ》に い行きのり立ち あをによし 奈良の吾家《わぎへ》に ぬえ鳥《どり》の うらなけしつつ 下戀《したごひ》に 思ひうらぶれ 門に立ち 夕占《ゆふけ》問ひつつ 吾《あ》を待つと 寢《な》すらむ妹を 逢ひて早見む
 
〔譯〕 妻も自分も心持は同じことで、一緒に寄り添つて見てもいよいよ懷かしく、相違ふ時には、いつでも初花の如く珍しく、心に思うて苦しいことも無ければ、目に見て苦しいこともなく、可愛い、深く思うてゐる妻なのである。自分が大君の御命令を承つて、山を越え野を行き、遠い邊土を治める爲にと、別れて來たその日以後、年が改まつて、春の花の散つてしまふ時までも逢はないので、非常に苦しくて、妻の夢をみるやうにと、袖を折り返して寢る夜は、一夜も缺かさず夢には見るけれども、現實に直接逢ふのでないから、戀しさは積りに積つた。近い處ならば、立ち歸りにでも行つて、妻の手枕を差し交して寢ても來ようものを、道は遠いし、關所まで隔たつてゐるのでしかたがない。しかしまあ、方法はあるぞ。ほととぎすの來て鳴く月に、いつか早くなるとよい。さうしたらば、卯の花の美しく咲いてゐる山を、よそながらでも遠く見やりつつ、近江路に行き、琵琶湖を舟に乘つて渡り、奈良の我が家で、嘆きつつ心のうちに思ひ惱んで、門に立つて夕占を問うたりもして、自分を待つと、思ひ寢に寢てゐるであらういとしの妻を、早く逢つて見たいものである。
〔評〕 前後二段に分れ、前段では、都なる遠妻を思慕する綿々の情を抒べ、後段では一轉して、霍公鳥が來て鳴き、卯の花の咲き匂ふ頃都へ歸つて、自分を待ち暮してゐる妻に逢はう、といふ殆ど確定的な希望を以て結んでゐる。これは作者はこの年(天平十九年)五月に税帳使となつて上京することが豫定されてゐたからであらう。構成は複雜であるが、迫力に乏しく、強い感銘を與へることがないのは、古歌や自分の舊作中の詞句を剪裁踏襲して、清新の氣に(213)缺けてゐる爲である。又あまりに克明に説明し過ぎて、煩冗の感を招いてゐるのも調子を弛緩させる素因を成してゐる。
〔語〕 ○情ぐし 心が切なく苦しい。「七三五」參照。○めぐし 目に見るにつらい。○なしに 前の二つをうけて心の苦しいことも目の不快なこともなしになつかしく思ふの意となる。○吾が奧妻 心の奧深く大切に思ふ妻。○袖返しつつ 袖を折り反して寢ると、思ふ人を夢に見るといふ俗信が當時あつたによる。「二八三」「二九三七」參照。○近からば 以下六句は家持の作なる「一〇三六」に殆ど同じ。○關さへに この關は愛發《あらち》の關で、近江と越前との境にある。○隔りてあれこそ 「あれこそ」は、あればこその意。隔つてゐるからこそ、と言ひさして下に、せむ術もないの意を含めてゐる。○いゆきのりたち 行つて船に乘り湖水を渡つての意。「い」は接頭語。船にのるのではなく、ただ、進んでの意と解する説もある。○うらなけしつつ 忍び泣きしながら。「二〇三一」參照。「なけ」は自然に泣かれる意。○なすらむ味 おやすみであらう妹。「なす」は「ぬ」の敬語。
 
3979 あらたまの年かへるまで相見ねば心もしのに思ほゆるかも
 
〔譯〕 年が改まつて春になるまで妻に逢はずにゐるので心も萎れるばかり、戀しく思はれることよまあ。
〔評〕 感情は眞實であつても、熱と力とに乏しい。四句も、人麿の成句「二六六」をその儘用ゐてゐる。
 
3980 ぬばたまの夢《いめ》にはもとな相見れど直《ただ》にあらねば戀ひ止《や》まずけり
 
〔譯〕 夢の中ではいたづらに妻と相逢ふが、本當に逢ふのではないから、やはり戀ひ焦れてやまないことであつたよ。
〔評〕 長歌の中の一部を、短歌の形に纏めて繰返したに過ぎない。ただ結句の古風な語調に素朴味が感じられはする。
〔語〕 ○もとな 徒らに、よしなく、無駄に等の意。「二三〇」參照。○戀ひやまずけり ずけりは「三三〇八」「四〇四九」などに用例がある。平安朝以後には用ゐなくなつた。
 
(214)3981 あしひきの山|來《き》隔《へな》りて遠けども心し行けば夢《いめ》に見えけり
 
〔譯〕 多くの山を越えて來て、都とは隔たつて遠いけれども、心が通つて行くので、妻の姿が夢に見える。
〔評〕 かつて家持の詠じた「七六七」の歌とは反對の構想であつて、父旅人の「五五三」の作の三句四句を襲用してをる。
 
3982 春花のうつろふまでに相見ねば月日|數《よ》みつつ妹待つらむぞ
     右は、三月二十日の夜の裏《うち》に、忽に戀の情を起して作れり。大伴宿禰家持
 
〔譯〕 春の花が散つてしまふ頃までも逢はないので、月日を數へながら、妻が待つてゐることであらうなあ。
〔評〕 單純にして平明、遠く離れ住む愛妻の心を思ひやりつつ、自分も同じ心持でゐることを、語つてゐる。
〔左註〕 三月二十日の夜の裏に「夜の裏」は夜中に同じく、裏は添へた句。
 
     立夏四月、既に累日を經れども、しかも由《なほ》未だ霍公鳥の喧くを聞かず。因りて作れる恨の歌二首
3983 あしひきの山も近きをほととぎす月立つまでに何か來鳴かぬ
 
〔題〕 立夏四月 暦の上では夏になつた義で、この年は三月廿日過に立夏の季節に入つたのである。
〔譯〕 山も近いのに、ほととぎすが、四月の季節が來て夏になつても、何故來て鳴かないのか。
〔評〕 一二句は、國守の館のあつた丘陵が二上山に續いてゐたからである。特にほととぎすを愛好した家持が、この地で最初の夏を迎へて、その初聲を待ちわびる心の切に動いたことも察せられる。「一四八七」と、表現が似てゐる。
 
(215)3984 玉に貫《ぬ》く花橘を乏《とも》しみしこの我が里に來鳴かずあるらし
     霍公鳥は立夏の日來鳴くこと必定まれり。また越中の風土、橙橘のあること希なり。此《これ》に因りて、大伴宿禰家持、感を懷《こころ》に發して聊か此の歌を裁れり。【三月二十九日】
 
〔譯〕 玉に貫きとほす花橘が乏しいと思つて、それでほととぎすが、この自分の住む里に來て鳴かないらしい。
〔評〕 前の歌と連作で、時期になつても來鳴かないのをいぶかり、それに就いて自ら下した解釋である。立夏の節と霍公鳥との關係は、下の「四〇六八」の左註、「四一七一」の題詞にもある。一二句は左註の如く、花橘と霍公鳥との關係を基礎としての構想である。
 
     二上山の賦一首【この山は射水郡にあり】
3985 射水《いみづ》河 い行き廻《めぐ》れる 玉くしげ 二上《ふたがみ》山は 春花の 咲ける盛に 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて ふり放《さ》け見れば 神《かむ》からや 許多《そこば》貴《たふと》き 山からや 見が欲《ほ》しからむ 皇神《すめがみ》の 裾廻《すそみ》の山の 澁溪《しぶたに》の 埼の荒磯《ありそ》に 朝なぎに 寄する白波 夕なぎに 滿ち來る潮の いや増しに 絶ゆること無く 古《いにしへ》ゆ 今の現《をつつ》に 斯くしこそ 見る人ごとに 懸けて偲《しの》はめ
 
〔題〕 ○二上山 伏木町の西北、高岡市の北に當る。當時の國府はその東麓の丘陵にあつた。頂上が二つに分れてゐるから、名づけられたもの。○賦 漢詩の一體であるが、長歌をさして稱したのである。
〔譯〕 射水河が麓をゆきめぐつて流れてゐる二上山は、春の花の盛の時、秋の紅葉の美しく照つてゐる時に、館から立ち出でて眺め見ると、山の神靈のせゐでこんなに貴く思はれるのであらうか、山の姿の崇高な故に、いつも見たく(216)思はれるのであらうか。その神々しい山の裾つづきになつてゐる澁溪の崎の荒磯に、朝凪にうち寄せる白波、夕凪に滿ちて來る汐のやうに、しきりに絶えることなく、昔から現在まで、將來にも、かやうに見る人ごとに、心にかけて賞美することであらう。
〔評〕 古人の成句を借用したり模倣したりして、獨自性が稀薄である。しかし整然たる構成で、美しい對句なども多く用ゐられ、比較的よく古調を出だし、それによつて二上山の神さびた趣を寫し得てゐる。
〔語〕 ○射水河 今の小谷部川の下流、往時は庄川(飛騨の國から發して越中の礪波平野を北流する)の主流もこの河道をとつたらしい。二上山の南麓から東を廻つて海に入る。但し、現在の河口は明治以後の改修である。○神からや 二上山を領ずる神の故にかの意。上代人は山には神がゐ給ふものと信じ、山そのものをも神として崇敬したのである。○そこば そこばくと同じく、甚だの意。○山からか 山の姿が立派であるからか。○皇神の 山をうしはく神、轉じてここは山そのものをいふ。二上山の頂上には古くから二上の神が祀られてゐた。○裾み 裾のまはり。山麓の丘。○澁谷の埼 二上山の北の麓の海岸。奇巖怪石が峙つて絶景をなしてゐる。
 
3986 澁溪《しぶたに》の埼の荒磯《ありそ》に寄する波いやしくしくにいにしへ思ほゆ
 
〔譯〕 澁溪の埼の荒磯にうち寄せる波が頻りであるやうに、いよいよ頻りに、昔のことが思はれる。
〔評〕 萬葉考には、澁溪の崎に絡む傳説があつて、それを思つたものと見てゐるが、長歌の終の「古ゆ」をうけて、心にかけて偲び賞美したことをさしたものと見てよい。
 
3987 玉くしげ二上山に鳴く鳥の聲の戀《こひ》しき時は來にけり
     右は、三月三十日、興に依りて作れり。大伴宿禰家持
(217)〔譯〕 二上山に鳴く鳥の聲の、そぞろになつかしく思はれる時節が來たことである。
〔評〕 左註にあるやうに三月三十日の作で、いよいよ戀しく思つてゐるほととぎすが鳴いて來る四月だといふ喜の中に、早く鳴いてくれといふ希望を含めてゐる。單調ではあるが、素直に感じのよく表はれた作である。
〔語〕 ○玉くしげ、蓋《ふた》と二との同音によつてかけた枕詞。○鳴く鳥の この鳥はほととぎすを意味する。
 
     四月十六日、夜の裏《うち》に、遙に霍公鳥の喧くを聞きて、懷を述ぶる歌一首
3988 ぬばたまの月に向ひてほととぎす鳴く音《おと》はるけし里遠みかも
     右は、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 今宵の美しい月に向つて、ほととぎすの鳴いてゆく聲が遙かに聞える。あんなに微かに聞えるのは、自分の住む里から遠いゆゑであらうか。
〔評〕 待ち望んでゐたほととぎすの聲を、四月十六日の夜に至つて、やつと微かに聞いたのである。率直な表現の中に、棄て難い餘韻が漂つて居る。
〔語〕 ○ぬばたまの ここは月にかけた枕詞。○月に向ひて 「四一六六」「四一七七」にもこの句を用ゐてゐる。
 
     大目秦忌寸|八千島《やちしま》の館にて、守大伴宿禰家持を餞する宴の歌二首
3989 奈呉《なご》の海の沖つ白波しくしくに思ほえむかも立ち別れなば
 
〔題〕 大目秦忌寸八千島 「三九五一」の左註參照。八千島の館は、奈呉の海を見渡す處にあつたのである。
〔譯〕 奈呉の海の沖の白浪は頻りに寄せる、そのやうに、頻りに戀しく思はれるであらうなあ。別れていつたならば。
〔評〕 序の形式は「三二〇〇」の類型であるが、眼前の屬目であり、この好風景も當分は共に眺めることが出來ない(218)のだ、といふ感慨も含まれてゐるところに、實感味があり、五句の倒装法もよい。五句によつて家持の作と知られる。
〔語〕 ○奈呉の海 今の新湊放生津である。「三九五六」參照。
 
3990 我|兄《せ》子は玉にもがもな手に纒《ま》きて見つつ行かむを置きて往《い》かば惜し
     右は、守大伴宿禰家持、正税帳を以ちて京師に入らむとす。仍りて此の歌を作り、聊か相別るる嘆を陳ぶ【四月二十日】
 
〔譯〕 わが友は玉であつたらばいい。さうしたら、手に纒きつけて、いつも見ながら行かうものを。置いて行つたらば、惜しいことである。
〔評〕 先蹤が多くて清新味に乏しいが、句法には特色があり、二句と四句とで切つたこと、結句を殊更克明に木訥らしい言ひ方をした點など、一種古拙な味を出してゐる。類歌には、「一七六六」「四三七七」などある。
〔左註〕 正税帳 租税の出納を記した帳簿で、國内の官物目録と前年度の歳出との決算帳である。國司が太政官に進める四度の公文の一で、北陸諸國では四月末日を限とするのが例であつた。
 
     布勢水海《ふせのみづうみ》に遊覽する賦一首井に短歌【此海は射水郡舊江村にあり】
3991 もののふの 八十伴《やそとも》の緒の 思ふどち 心|遣《や》らむと 馬|竝《な》めて うちくちぶりの 白波の 荒磯《ありそ》に寄する 澁溪《しぶたに》の 埼|徘徊《たもとほ》り 松田江の 長濱過ぎて うなひ河 清き瀬ごとに 鵜河立ち 右往《かゆ》き左往《かくゆ》き 見つれども 其《そこ》も飽かにと 布勢の海に 船浮け居《す》ゑて 沖邊こぎ 邊《へ》にこぎ見れば 渚には あぢむら騷き 島|廻《み》には 木未《こぬれ》花咲き 許多《ここばく》も 見の清《さや》けきか 玉くしげ 二上《ふたがみ》山に 延《は》ふ蔦の 行きは別れず 在り通《がよ》ひ いや毎年《としのは》に 思ふどち 斯《か》くし(219)遊ばむ 今も見る如《ごと》
 
〔題〕 ○布勢水海 二上山の北方にあつた湖水で、今の氷見町の南方、窪村・布勢村・神代村・十二町村などに圍まれた低地がそれに當り、今は中央に一條の水路を殘し、十二町潟と稱してをり、鬼蓮の産地である。堯惠の寛正六年の紀行には、湖水であつた。その後、今日の如く干拓されたのである。○舊江村 湖水の南岸にあつた村。下の放逸せる鷹の長歌の中にも「葦鴨のすだく舊江に」とあり、その左註に、射水郡古江村とある。今の氷見郡は明治に射水郡から分れたものである。
〔譯〕 官吏の多くの人々の親しい同志が、心を慰めようと、馬を竝べて、あちらによせ、こちらによせ、白浪が荒磯に寄せる澁溪の崎を行きめぐり、松田江の長濱を過ぎて、宇奈比河の清らかな瀬ごとに鵜飼を催して、彼方に行き此方に行きして見たけれども、それも滿足できないので、布勢の湖に舟を浮べ、沖を漕いだり岸邊を漕いだりして眺めると、渚にはあぢ鴨の群が騷ぎ、島のめぐりには、木々の梢に花が咲いてゐて、大層に見る目がすがすがしいことよ。二上山に這つてをる蔦は先が別れ別れになるが、そのやうに我々は行き別れることなく、引き續き、毎年毎年此處に通つて來て、親しい同士で、かうして遊びたいものである、今見てゐると同じやうに。
〔評〕 布勢の湖の地方的特色が鮮明に描かれてゐるとはいひ難いが、遊覽の道筋の樣子が、詳細に述べられてゐて、平明に寫實的である。結尾のあたり、常套的な語句の多いことは、家持の弊である。それはともあれ、家持が税帳使として上京する前に、二上山の賦を作つたり、この水海遊覽の歌を詠じたりしたのは、都の人々に越中の勝景を紹介しようとの意圖であつたらうと思はれる。
〔語〕 ○もののふの八十伴の緒 朝廷に奉仕する文官武官の總稱。ここは越中國府の官人をさす。○うちくちぶり 難解の語であるが、代匠記及び古義の「彼此振《をちこちぶり》」といふ説がよからう。○松田江の長濱過ぎて 下にも「四〇一一」(220)に見える。今、この地名は殘つてゐないが、澁溪の磯から氷見町に至る間であらう。○うなひ河 氷見町の北二里の海岸の宇波村に、今もある宇波川のこと。○鵜河立ち 「鵜河」は今いふ鵜飼。「立つ」は、獵などを行ふ意。家持を歡待する爲に鵜飼が催されたのであらう。○味むら あぢかもの群。「二五七」參照。○島廻 島の廻り。島は當時湖岸の半島になつてゐたところ。○見のさやけきか 「か」は「ここばくも」の「も」をうけて詠歎の助詞。
 
3992 布勢の海の沖つ白波在り通《がよ》ひいや毎年《としのは》に見つつ偲《しの》はむ
    右は、守大伴宿禰家持作れり。【四月二十四日】
 
〔譯〕 布勢の海の沖の白波の景色の面白さ、引續き通つて來て、毎年毎年、眺めつつ愛で遊ばう。
〔評〕 長歌の末尾を聊か語を變へて反覆したのみで、平庸、ただ員に備へるといふだけである。
〔語〕 ○偲はむ 眺めつつ賞美しようの意。「黄葉をばとりてぞしのふ」(一の一六參照)
 
     敬みて和ふる布勢水海に遊覽する賦二首并に一絶
3993 藤波は 咲きて散りにき 卯の花は 今ぞ盛と あしひきの 山にも野にも ほととぎす 鳴きし響《とよ》めば うち靡く 心もしのに 其《そこ》をしも うら戀《ごひ》しみと 思ふどち 馬うち群れて 携《たづさ》はり 出で立ち見れば、射水河 湊の洲烏《すどり》 朝なぎに 潟に求食《あきり》し 潮滿てば 妻よび交《かは》す ともしきに 見つつ過ぎ行き 澁溪《しぶたに》の 荒磯《ありそ》の埼に 沖つ波 寄せ來る玉藻 片よりに 蘰《かづら》に作り 妹がため 手に纒《ま》き持ちて うらぐはし 布勢の水海に 海人《あま》船に 眞楫《まかぢ》かい貫《ぬ》き 白たへの 袖振り反《かへ》し 率《あとも》ひて わが漕ぎ行けば 乎布《をふ》の埼 花散りまがひ 渚には(221) 葦鴨騷き さざれ波 立ちても居ても 漕ぎ廻《めぐ》り 見れども飽かず 秋さらば 黄葉《もみぢ》の時に 春さらば 花の盛に かもかくも 君がまにまと 斯《か》くしこそ 見も明《あきら》めめ 絶ゆる日あらめや
 
〔題〕 ○敬みて和ふる 上の家持の布勢水海遊覽の長歌に和した池主の作である。池主がこの遊覽に同行したといふ明記はないが、思ふどち馬なめて行つたのであるから、池主の地位からいつても、家持との雅交から考へても、當然同行したと見てよい。○一絶 絶句一首の意。長歌を賦といつたので、反歌を絶句に擬したのである。
〔譯〕 藤の花は咲いて既に散つてしまつた。卯の花は今が盛であると、山にも野にもほととぎすが鳴き騷ぐので、心も靡きしをれるほど、それを懷かしく思つて、親しい同志で馬を竝べ、連れ立つていつて見ると、射水河の河口の洲にゐる鳥は、朝凪に干潟で餌をあさり、潮が滿ちて來ると妻をよびあつてゐる。それが珍らしいので、愛《め》で見ながら通り過ぎてゆき、澁溪の荒磯の埼に沖の波がうち寄せて來る玉藻を拾ひ、片|搓《よ》りに搓《よ》つて髪の飾の蘰《かづら》に作り、妻への土産に手に纒《ま》き持ち、うるはしい布勢の湖に來て、漁船に艪櫂を立て、白い着物の袖を振り飜しながら、幾艘も引連れて漕いでゆくと、乎布の崎では藤や卯の花が散り亂れ、渚には鴨が鳴き騷いでゐて、立つて眺めても坐つて眺めても、そこらを漕ぎ廻つて、幾ら眺めても飽きない。秋になつたらば紅葉の時分に、春になつたらば花の盛に、とにもかくにもあなたのお心のままに、自分はいつもお供をして、眺めて心を晴らしませう。この行樂の絶える日はありはしますまい。
〔評〕 唱和の作は多く追隨のかたちで、原作に及ばないのが普通であるが、これは家持のよりもすぐれてゐる。射水河の湊の洲鳥の樣を寫し、澁溪の磯に寄る玉藻を、妻の爲に蘰に作ると云ひ、乎布の埼の落花と、葦鴨と、小波との風致を描いたなど、情と景と錯綜して變化に富み、印象甚だ鮮麗である。特に冒頭がよい。ほととぎすの鳴きとよむ(222)季節の魅力が、心理的に巧みに描かれてゐる。もの惱ましいほととぎすの聲に、遠くへの憧れ心をかき立てられて、遊覽に出かけるといふのは、奇拔な心理描寫といつてよい。
〔語〕 ○うち靡く 心が花鳥に靡きよる意とした古義の説がよい。心も惱ましく戀しいこと。○そこ それ、そのことの意で、場所をさすのではない。○朝なぎに 以下の四句は、卷七の「一一六五」を模したもの。○ともしきに 珍らしく面白い眺めであるから。○片よりに 新考に、「片搓りに」の意で、二筋合せてその一筋にだけ搓をかけることか、として、「片搓りに絲をぞ吾が搓る」(一九八七)を引いてゐる説がよい。○うらぐはし 心細《うらくは》しの義。愛すべく見事であるの意。布勢の水海を褒めていふ。○眞楫櫂ぬき 楫と櫂とを船につけ。○わがこぎゆけば 池主自ら楫をとつたのではないが、池主をふくむ遊覽の人々を主に立てて「わが」といつたもの。○見も明らめめ 見明らめよう。即ち、十分に見て心を晴らさう。卷三の「四七八」參照。
 
3994 白波の寄せくる玉藻世の間《あひだ》も續《つ》ぎて見に來《こ》む清き濱|傍《び》を
    右は、掾大伴宿禰池主作れり【四月廿六日追和】
 
〔譯〕 白波が沖から寄せてくる玉藻の節《よ》ではないが、わが世の限り、引續いて見に來よう。風光明媚なこの濱邊を。
〔評〕 任期の長くない地方官吏の歌としては、三、四句は誇張に過ぎるやうであるが、舊套を破らうとの意圖から、殊更に素朴な辭樣を試みたのであらう。この散文的な直截な詞句が、澁い佶屈な調子を出して、強い表現になつてゐる。
〔語〕 ○世の間も 生ける世の限の義。藻には節があつて、節《ふし》と節との間を「よ」といふから、同音の「世」にかけたのである。「四二一一」には、「靡く珠藻の節《ふし》の間も」といふ句もある。
 
    四月二十六日、掾大伴宿禰池主の館にて、税帳使守大伴宿禰家持を餞する宴の歌、并に古き歌四首
(223)3995 玉ほこの道に出で立ち別れなば見ぬ日さ數多《まね》み戀《こひ》しけむかも【一に云ふ、見ぬ日久しみ戀しけむかも】
    右の一首は、大伴宿禰家持作れり。
 
〔題〕 税帳使 正税使に同じく、正税帳を持つて上京する使。○古き歌四首 この時の歌すべて四首、その中で「三九九八」の一首だけが古歌で、石川水通の作を主人池主が傳誦したのである。
〔譯〕 上京の途に出かけて別れたならば、逢ひ見ぬ日が多くなるので、戀しいことであらう。
〔評〕 別後の情を豫想して、著實に詠みあげてゐるところに、惜別の情がにじみ出てゐる。
〔語〕 ○見ぬ日さまねみ 逢ひ見ぬ日が多いといふので。「さ」は「あまねし」についた接頭語。「さまねみ」は、數多さにの意。
 
3996 我|兄子《せこ》が國へましなばほととぎす鳴かむ五月《さつき》は不樂《さぶ》しけむかも
    右の一首は、介内藏忌寸《すけうちのくらのいみき》繩麻呂作れり。
 
〔譯〕 あなたが奈良へお歸りになつたらば、ほととぎすが盛んに鳴く五月は、心が樂しまずに寂しいことでありませうかなあ。
〔評〕 一見甚だ幼稚平凡のごとくで、しかも素朴な純情の含まれた歌である。
〔左註〕 介内藏忌寸繩麻呂 傳未詳。介は國司の次の官。「四二〇〇」も此の人の作である。
 
3997 吾《あれ》なしとな侘《わ》び我|兄子《せこ》ほととぎす鳴かむ五月《さつき》は玉を貫《ぬ》かさね
    右の一首は、守大伴宿禰家持|和《こた》ふ
 
(224)〔譯〕 自分がゐないといつて、寂しがりなさるな、わが友よ。ほととぎすの鳴く五月には、橘を玉に貫き、藥玉を作つて慰んでゐなさるとよい。
〔評〕 儀禮の辭であるにしても、悠揚とした當時の官人の社交?態が想像される。
 
     石川朝臣|水道《みみち》の橘の歌一首
3998 我が宿の花橘を花ごめに玉にぞ吾《あ》が貫《ぬ》く待たば苦しみ
     右の一首は、傳へ誦めるは、主人大伴宿禰池主と云爾《しかいふ》
 
〔題〕 石川朝臣水通は傳未詳。題詞には古歌とあるが、さして古い歌とも思はれない。故人の歌の義であらう。
〔譯〕 わが家の花橘を、花ごと一緒に自分は玉に貫き、藥玉を作つて、心を慰める。待つてゐたらば苦しいので。
〔評〕 時宜に應じて古歌を利用したところ、機智に富んでゐる。花橘が實になるまで待つのは待ち遠くて堪へ難いから、花ごと玉に貫くといふのを、旅なる家持の歸りを待つのが苦しいから、花橘を玉に貫いて心を慰める意として誦したのである。
 
     守大伴宿禰家持の館にて飲宴する歌一首【四月二十六日】
3999 京方《みやこべ》に立つ日近づく飽くまでに相見て行かな戀ふる日多けむ
 
〔題〕 四月二十六日 前の池主の館の宴が同じ日であるから、歸館後、再び宴を開いたものと思はれる。
〔譯〕 都の方へ出發する日が近づいて來る。あくまで君たちと逢つておいて出かけよう。別れたあとでは戀しく思ふ日が多からうから。
〔評〕 句法の上から見ても、二句と四句とで切れてゐるのは迫り來る感情を切れ切れに洩らした自然な調子であり、(225)更に、それ自體獨立した第五句で強く結收してゐるのも、適切で迫力がある。
 
     立山《たちやま》の賦一首并に短歌【此の立山は新川郡にあり】
4000 天離《あまざか》る 鄙に名|懸《か》かす 越《こし》の中《なか》 國内《くぬち》ことごと 山はしも 繁《しじ》にあれども 川はしも 多《さは》に逝《ゆ》けども 皇神《すめがみ》の 領《うしは》き坐《いま》す 新川《にひかは》の その立山《たちやま》に 常夏《とこなつ》に 雪降り敷きて  帶《お》ばせる 可多加比《かたかひ》河の 清き瀬に 朝|夕《よひ》ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや 在り通《がよ》ひ いや毎年《としのは》に 外《よそ》のみも ふり放《さ》け見つつ 萬代の 話《かた》らひ草《ぐさ》と 未だ見ぬ 人にも告げむ 音のみも 名のみも聞きて 羨《とも》しぶるがね
 
〔題〕 ○立山 越中の南方に聳えてをる連峯で、主峯雄山は標高二九一二米である。今は、タテヤマとよぶが、集中には、タチヤマとある。○新川郡 今は、上中下の三郡に分れてゐる。
〔譯〕 邊鄙な地方にあつて、名高い立山、越中の國内に、山は多くあるけれども、川は幾らも流れてゐるけれども、神樣の領有していらつしやる新川郡なるその立山に、夏の間常に雪が降り積つて居り、帶のやうにその山裾をめぐつてゐる可多加比河の清らかな瀬には、朝夕ごとに霧が立つてゐるが、その霧の消え去るやうに、この山のことをどうして念頭から去らせることが出來よう。引續き通うて來て、毎年よそながらも遠く眺め見ながら、萬世までの話の種として、まだ見ない人にも話して聞かせよう。噂にだけでも、名ばかりでも聞いて、珍らしがり羨ましがるやうに。
〔評〕 冒頭の二句もおちつかず、全體に概念的の語句が多くて、立山の特徴の描き出されてゐないのは、國守の館から遠望して詠んだのであつて、迫力が乏しい。しかし精錬された格調を以て、嚴かに詞句を運んではある。結末の句は、近く上京して、都の人々に越中の景勝を紹介しようとする意圖を含んでゐる。なほ、立山に發し、立山をめぐる(226)河の中で、特に片貝川の選ばれた理由は明らかでない。
〔語〕 ○鄙に名懸かす 懸かすは懸くの敬語で、即ち鄙で名をかけてをられる、地方で名高いの意であらう。しかして、この句は、「越の中」よりも、下のその二句で小休止にいひ切り、「新川のその立山」に意味のつづくものと解すべく思はれるが、作者の獨合點ともいふべき句法である。○可多加比川 今の片貝川、立山の前方から發して、下新川郡を貫いて魚津町の東方で海に入る。延長約八里。○思ひ過ぎめや 思ひ忘れようか、忘れはせじの意。霧の過ぎ去り消えゆくに譬へて、念慮の忘失するをいふ。○羨しぶるがね 「羨しぶ」は羨しく思ふ意で、形容詞「羨し」を動詞化した語。「がね」は願望の助詞で、やうに、料に、の意。
 
4001 立《たち》山に降り置ける雪を常《とこ》夏に見れども飽かず神《かむ》からならし
 
〔譯〕 立山に降り積つてゐる雪を、夏中いつも見てゐても飽きることがない。この山の神としての本質の故であらう。
〔評〕 越路の山々の殘雪も既に消えた夏四月の末、直獨り銀色に輝いて碧空にそそりたつ立山の雄姿を仰いで、崇高の感にうたれた趣が、平明の詞句の間に鮮明に描かれてゐる。現代人からは特殊に感ぜられる「神から」といふ語も、ここにはぴつたり適合してゐる。
 
4002 可多加比《かたかひ》の河の瀬清く行く水の絶ゆることなく在り通《がよ》ひ見む
     四月二十七日、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 片貝河の瀬を清く行く水が、常に流れて絶えないやうに、この後も絶えることなく、引績き通つて來て、この立山を眺めよう。
〔評〕 吉野の離宮をたたへた人麿の「三七」の作以來踏襲されて來た形式であつて、新味はないが、「四一〇〇」「四(227)一五七」の類想を繰返してゐる。
 
     敬みて和ふる立山の賦一首并に二絶
4003 朝日さし 背向《そがひ》に見ゆる 神《かむ》ながら 御名《みな》に負《お》ばせる 白雲の 千重を押し別け 天《あま》そそり 高き立《たち》山 冬夏と 分《わ》くこともなく 白たへに 雪は降り置きて 古《いにしへ》ゆ 在り來にければ 凝《こご》しかも 巖《いは》の神《かむ》さび たまきはる 幾代經にけむ 立ちて居て 見れども奇《あや》し 峯|高《だか》み 谷を深みと 落ち激《たぎ》つ 清き河内《かふち》に 朝去らず 霧立ち渡り 夕されば 雲居棚引き 雲居なす 心もしのに 立つ霧の 思ひ過《すぐ》さず 行く水の 音も清《さや》けく 萬代に 言ひ績《つ》ぎ行かむ 河し絶えずは
 
〔譯〕 朝日がさして、横に見えてをる、神でましますままに空高く立つといふ御名を帶んでをる、白雲のうづだかく重なつてをるのを押し分け、天空に奪え立つてゐる高い立山は、冬夏といふ時の差別もなく、眞白に雪は降り積つてゐて、昔から今日までかうして引續き經て來たのであるから、嶮しい巖も神々しく、幾代を經過したことであらう。立つて眺めても坐つて眺めても靈妙である。峯は高く谷は深いので、その山から落ちて泡だち流れる清流のほとりには、朝ごとに霧が立ち渡り、夕方になると雲がたなびくのであるが、その雲の靡くやうに心の萎れるほど思ひ深く、立つ霧の消えるやうに思ひ忘れることもなく、流れ行く水の音の爽快なやうにはつきりと、萬代の後までも語り傳へて行くであらう。この河の絶えない限りは。
〔評〕 家持の立山の歌が、現地に赴き感激に滿ちて詠じたものでないから、作爲の跡は歴然たるものであるが、それに和したこの池主の作も、翌日直ちに作つて返したもので、實感味の乏しさは相似てゐる。しかし、前半に、立山の(228)?景が、よほど具象的に寫し出されてゐるのはよい。但、この歌の冒頭は稍解しにくいが、圖示すれば、
 朝日さしそがひに見ゆる
 神ながら御名に負ばせる       −立山
 白雲の千重を押し別け天そそり高き 
となるのであつて、その他、「凝しかも巖の神さび」のあたりや、「河し絶えずは」の末尾なども少しく明瞭を缺き、一體に句法が繁縟に傾いてゐる。
〔語〕 ○朝日さし 古義には枕詞としてゐるが、從ひ難い。國守の舘のあつた今の伏木町の背後の丘陵から見れば、立山は朝日のさす方に當るので、かくいつたのである。○背向 背向《せむかひ》の意で、背面と解されてゐるが、集中の用例を見ると、「一四一二」及びその類歌「三五七七」以外は、萬葉集難語難訓攷にいふが如く、斜又は横と解すべきである。○神ながら 神として、神の本性のままに。○峯だかみ 峯が高くて。かかる「た」を濁る例は、古事記に「やまだかみ」がある。
 
4004 立《たち》山に降り置ける雪の常《とこ》夏に消《け》ずてわたるは神《かむ》ながらとぞ
 
〔譯〕 立山に降り積つてゐる雪が、夏中消えないでゐるのは、神としての本性によることと云ひます。
〔評〕 家持の反歌の、「神からならし」と推量したのに對して、そのままそれを肯定して「神ながらとぞ」と唱和したのである。原歌から一歩も境地を打開することなく、辭句まで全くの追隨に終つてゐる。
 
4005 落ち激《たぎ》つ可多加比《かたかひ》河の絶えぬごと今見る人も止《や》まず通はむ
     右は、掾大伴宿禰池主和ふ。【四月廿八日】
 
(229)〔譯〕 落ちたぎち流れる片貝河がいつまでも絶えないやうに、今見てゐる我々も絶えず通うて來て、又眺めよう。
〔評〕 内容も譬喩も常套的で、僅かに「今見る人も」といふ句に一脈の新味を見ることが出來る。
〔語〕 ○今見る人も 今この景色を見る人もで、即ち、自分等もの意。新考に、今見る人は家持をさしたので、家持を祝したのであるといつてゐるが、考へ過ぎである。家持が「絶ゆることなく在り通ひ見む」といつたので、それを承けて池主も、仰の如く、自分等もいつまでも通ひ來て眺めませうと、合槌を打つたのである。それで間接に家持を祝する意は十分に表現されてゐるのである。
 
     京に入らむこと漸に近づきて、悲みの情|撥《はら》ひ難く、懷を述ぶる一首并に一絶
4006 かき數《かぞ》ふ 二上《ふたがみ》山に 神《かむ》さびて 立てる栂《つが》の木 幹《もと》も枝《え》も 同《おや》じ常盤《ときは》に 愛《は》しきよし 我|兄《せ》の君を 朝去らず 會《あ》ひて言問《ことど》ひ 夕されば 手|携《たづさ》はりて 射水河 清き河内《かふち》に 出で立ちて わが立ち見れば 東風《あゆのかぜ》 甚《いた》くし吹けば 水門《みなと》には 白波高み 妻よぶと 洲鳥《すどり》は騷く 葦刈ると 海人《あま》の小舟《をぶね》は 入江こぐ 楫《かぢ》の音《おと》高し 其《そこ》をしも あやにともしみ 偲《しの》ひつつ 遊ぶ盛を、天皇《すめろき》の 食國《をすくに》なれば 命《みこと》持ち 立ち別れなば 後《おく》れたる 君はあれども 玉ほこの 道行く我は 白雲の 棚引く山を 磐根《いはね》踏《ふ》み 越え隔《へな》りなば 戀しけく けの長けむぞ そこ思《も》へば 心し痛し ほととぎす 聲にあへ貫《ぬ》く 玉にもが 手に纒《ま》き持ちて、朝|夕《よひ》に 見つつ行かむを 置きて行《い》かば惜し
 
〔題〕 京に入らむこと云々、家持が上京の期が近くなつたので、池主に對して送つた歌である。
(230)〔譯〕 二上山に神々しく立つてゐる栂の木は、幹も枝も同じ常盤の姿に茂つてゐるが、その常盤なるやうにいつも思ふ親愛なる貴君と、朝ごとに逢つては話をし、夕方になれば、手を取りあつて、射水河の清く行きめぐつてをる地に出かけて、自分が立つて眺めると、東風がひどく吹くので、河口には白波が高く、妻を呼ぶとて洲にゐる水鳥は鳴き騷いでゐる。又、葦を刈るとて、海人の小舟は入江を漕いでゐる艪の音が高く響く。さうした情景を非常に面白く思ひ、なつかしみ賞しつつ二人で遊んでゐた最中であつたのに、天皇の治め給ふ國であるから、御命令を承つて都に上るべく、貴君と別れてゆくことになつたらば、あとに殘る貴君はよいであらうが、旅路を行く自分は、白雲の棚引く山を、岩根を踏んで、越えて遠ざかつて行つたらば、貴君の戀しさが時久しく續くであらう。それを思へば心が痛まれる。貴君がほととぎすの聲にまじへて藥玉に貫く玉であればよい。手に卷いて持つて、朝晩眺めながら行かうものを。あとに殘して行つたらば惜しいことである。
〔評〕 前半には、池主と共に越路に在つて、その景勝を賞美してゐたことを述べ、後半には、別れの名殘惜しさを敍したのである。平常の濃やかな交情が見られはするが、最後は「三九九〇」の自作を、殆どそつくり持つて來てはめ込んだ、例の安易さである。しかし季節のほととぎすの聲を配したのは、優美であり機智のある技巧でもある。表現技法の上から見ると、「我が立ち見れば」、「いたくし吹けば」、「食國なれば」、「立別れなば」、「越え隔りなば」、「そこ思へば」、と假定または確定の條件法を續け用ゐてゐるのは、抑揚變化を無くして調子を弛緩に導いた嫌ひがある。
〔語〕 ○かき數ふ 一つ二つと數へる意で、「二」にかけた枕詞。「かき」は接頭辭。○立てる栂の木 栂は、人麿の作の「樛の木のいやつぎつぎに」(二七)以來、いひ馴れてゐる。大伴氏の代々をいふと略解にいひ「幹も枝も」は大伴氏の嫡庶に譬へたものと代匠記初稿本にいうてをる。○我が背の君を 「を」は「たらちねの母を別れて」(四三四八)に同じぐ、「逢ひて」につづく。○東風 「四〇一七」に「越(ノ)俗語(ニ)東風謂(フ)2之(ヲ)安由乃可是(ト)1也」と家持は注してゐる。風位考資料によると、今も日本海沿岸には、アイ又はアイノカゼの語が分布し、富山附近では、北から東の風を(231)よぶものが多い。海岸沿ひに南下するもので、夏の季節風である。富山市では五六七月は北北東の風が最も多い。
 
4007 我|兄子《せこ》は玉にもがもなほととぎす聲にあへ貫《ぬ》き手に纒《ま》きて行かむ
     右は、大伴宿禰家持、掾大伴宿禰池主に贈れり【四月卅日】
 
〔譯〕 貴君は玉であつてほしい。さうしたならば、ほととぎすの聲にまじへ貫いて藥玉を作り、手に卷いて行かうに。
〔評〕 長歌の末尾を更に繰り返して、短歌に纒めたに過ぎない、安易な作である。
 
     忽に京に入らむとして懷を述ぶる作を見る。生別の悲み、腸を斷つこと萬廻、怨緒|禁《とど》め難し。聊か所心を奉る一首并に二絶
4008 あをによし 奈良を來離れ 天《あま》ざかる 鄙にはあれど 我|兄子《せこ》を 見つつし居《を》れば 思ひ遣《や》る 事もありしを 大君の 命《みこと》かしこみ 食《をす》國の 事|執《と》り持ちて 若草の 脚帶《あゆひ》手裝《たづく》り 群鳥《むらどり》の 朝|立《だ》ち去《い》なば 後《おく》れたる 我《あれ》や悲しき 旅に行く 君かも戀ひむ 思ふそら 安くあらねば 歎かくを 止《とど》めもかねて 見渡せば 卯の花山の ほととぎす 哭《ね》のみし泣かゆ 朝霧の 亂るる心 言《こと》に出でて 言《い》はばゆゆしみ 礪波《となみ》山 手向《たむけ》の神に 幣《ぬさ》奉《まつ》り 我《あ》が乞ひ 祈《の》まく 愛《は》しけやし 君が正香《ただか》を 眞幸《まさき》くも 在り徘徊《たもとほ》り 月立たば 時もかはさず なでしこが 花の盛に 相見しめとぞ
 
〔題〕 忽に京に入らむとして云々 家持が上京の期迫つて別離の情を陳べた歌に、池主が答へた歌。
(232)〔譯〕 奈良の都を離れて來て、遠い地方ではあるけれども、貴君を見て居たので、憂欝な心を晴らすこともあつたのを、大君の御命令を承つて、任國の事務を執り行つて、若草のやうな柔かな脚絆を整へ、群鳥のやうに朝立つて行かれたらば、あとに殘つた自分が悲しく思ふでせうか。それとも、旅に行かれる貴君が戀しく思はれるでせうか。思ふ心も安らかでないので、歎くことをとどめ得ず、思ひあまつて見渡すと、卯の花の咲いてゐる山にほととぎすが鳴いてをるが、そのやうに、自分は聲に出して泣かれます。朝霧のおぼつかないやうに茫然と亂れる心を、言葉に出して云ふと憚があるから、礪波山の手向の神に幣を奉つて、自分が祈り願ふことには、懷かしい貴君の姿を、無事に行つて旅路をお廻りになつて來て、來月になつたらば時をうつさず、間むなくなでしこの花の盛に、逢はせて下さるやうにと祈つてをります。
〔評〕 官吏としての關係のみでなく、心友であり、詩友でもある家持と別れる寂寥に堪へず、その歸任の日の早からむことを祈つたのであるが、辭令的で熱の乏しい嫌がある。
〔語〕 ○思ひやる 思ひを晴らす、心を慰める。○食園の事執り持ちて 天皇のしろしめす國の政務を執りもつて。家持が税帳使として上京することをさす。家持の長歌に「天皇の食國なれば御言持ち立ち別れなば」とあつたのを受けたもの。○若草の 古義は枕詞としてゐるが、麻の類から採つたやはらかい絲を以て脚帶を作るからといふ略解の説がよい。○後れたる我や悲しき 「三二九一」の古歌の句を學んだものであらう。○いはばゆゆしみ 取り亂した悲みごとをいふのは不吉であるから。○礪波山 越中と加賀との境の山で、今の倶利加羅峠。○手向の神に 越え行く山の坂路の登り果てた處に祭つてある神に幣の手向をしたから「たむけ」の名が起り、後に音便でタウゲとなつたもの。「三〇〇」參照。三代實録に「越中國手向神」とあるのは、この礪波山の峠の神である。○君がただ香を 君のまさしき姿を。「六九七」參照。○ありたもとほり このままずつと行きめぐつて來て。往復を一巡と見たもの。
 
(233)4009 玉ほこの道の神たち幣《まひ》はせむ我《あ》がおもふ君をなつかしみせよ
 
〔譯〕 道中の安全をお守りになる神樣たちよ、幣帛を奉りませう。自分の思ふ君を、親しみ愛してお守り下さいませ。
〔評〕 「幣はせむ」は、「九〇五」「九八五」の歌などによつたもの。長歌に礪波山の神といひ、更に、道の神たちとおしひろめていつたところはよい。
 
4010 うら戀《ごひ》し我|兄《せ》の君はなでしこが花にもがもな朝な朝《さ》な見む
    右は、大伴宿禰池主の報へ贈り和ふる歌【五月二日】
 
〔譯〕 心戀しい親愛なる貴君は、なでしこの花であつてほしい。さうであつたらば、自分は毎朝毎朝見ように。
〔評〕 やがてなでしこの花の咲くべき季節であつたから、長歌の末尾にも言及したのであるが、更に一歩を進めて、その優しい花であれかしと望んだのである。家持が坂上大孃に贈つた歌「四〇八」に類想がある。
 
     放逸《はういち》せる鷹を思《しの》ひ、夢《いめ》に見て感悦《よろこ》びて作れる歌一首并に短歌
4011 大君の 遠の長汀《みかど》ぞ み雪降る 越《こし》と名に負《お》へる 天《あま》ざかる 鄙にしあれば 山高み 河とほしろし 野を廣み 草こそ茂き 鮎走る 夏の盛と 嶋つ鳥 鵜養《うかひ》が伴《とも》は 行く河の 清き瀬ごとに 篝《かがり》さし なづさひ上《のぼ》る 露霜の 秋に至れば 野も多《さは》に 鳥|多集《すだ》けりと ますらをの 伴《とも》いざなひて 鷹はしも 數多《あまた》あれども 矢形尾《やかたを》の 我《あ》が大黒《おほくろ》に【大黒は蒼鷹の名なり】 白塗《しらぬり》の 鈴取り附けて 朝獵《あさがり》に 五百《いほ》つ鳥立て 夕獵《ゆふがり》に 千鳥踏み立て 追ふ毎《ごと》に 免《ゆる》すことなく 手放《たばな》れも 還來《をち》もか易き これを除《お》きで 又はあり難し さならへる 鷹は無けむと 情《こころ》に(234)は 思ひ誇りて 笑《ゑま》ひつつ 渡る間《あひだ》に 狂《たふ》れたる 醜《しこ》つ翁《おきな》の 言《こと》だにも 吾には告げず との曇《ぐも》り 雨の降る日を 鳥獵《とがり》すと 名のみを告《の》りて 三島野を 背向《そがひ》に見つつ 二上の 山飛び越えて 雲|隱《がく》り 翔《かけ》り去《い》にきと 歸り來て 咳《しはぶ》れ告ぐれ 招《を》くよしの そこに無ければ 言ふすべの たどきを知らに 心には 火さへ燃えつつ おもひ戀ひ 息|衝《づ》き餘り けだしくも 逢ふことありやと あしひきの 彼面此面《をてもこのも》に 鳥網《となみ》張り 守部《もりべ》を居《す》ゑて ちはやぶる 神の社に 照る鏡 倭文《しつ》に取り添へ 乞《こ》ひ祈《の》みて 吾《あ》が待つ時に 孃子《をとめ》らが 夢《いめ》に告ぐらく 汝《な》が戀ふる その秀《ほ》つ鷹は 松田江の 濱行き暮らし?《つなし》漁《と》る 氷見《ひみ》の江過ぎて 多古《たこ》の島 飛び徘徊《たもとほ》り 葦|鴨《がも》の 多集《すだ》く舊江《ふるえ》に 一昨日《をとつひ》も 昨日も在りつ 近くあらば 今|二日《ふつか》だめ 遠くあらば 七日《なぬか》のをちは 過ぎめやも 來《き》なむ吾|兄子《せこ》 懇《ねもころ》に な戀ひそよとぞ いめに告げつる
 
〔題〕 放逸せる麿を思ひ云々 家持が地方官としての樂みに、狩獵用のすばらしい鷹を持つてゐたのを、養吏の不注意で逃がした。それを捉へようと百方手を盡した末、夢裡の神託を得て喜ぶ意を詠じた歌である。
〔譯〕 この越中の國府は、大君の遠くの政廳である。雪の降る越といふ名をもつた邊陬の地であるから、山が高くて河は大きく、野が廣くて草は茂くはえてゐる。鮎の勢ひよく走る夏の盛には、鵜飼を職とするともがらは、河の清らかに流れる瀬ごとに篝火をさしかざして、水にひたりつつさかのぼつてゆく。露霜の置く秋になると、野邊に澤山の鳥が集まつてゐると、雄々しい男兒は友を誘つて狩に出かける。それに用ゐる鷹は數が多くあるが、中でも矢形尾の(235)大黒といふ鷹に、白く塗つた鈴を取りつけて、朝の狩に澤山の鳥を追ひ立て、夕方の狩に多くの鳥を蹈み立てて、追ふごとに逃がすことなく、手もとを離れてゆくことも、手もとに飛び還つて來ることも、容易でありすばやくある、この大黒を除いては又と無い。この大黒に竝ぶ鷹は無からうと、心の中に思ひ誇つてにこにこしながら月日を過してゐるうちに、物に狂つたやうに愚かな醜い老人が、一言も自分にことわらず、無斷で、空が一面に曇つて雨のそぼ降る日に、鷹狩をすると名前だけえらさうなことを云うて出かけ、やがて、「鷹が三島野を横に見ながら、二上山を飛び越えて、雲に隱れて飛んでいつてしまひました」と、歸つて來て、ごほごほと咳《せき》をしながら自分に告げた。それで、鷹を招き寄せる手だてが無いから、何といはうかいふべき言葉を知らず、心のうちには火が燃えるぐらゐに腹が立つて、あの大黒を戀ひ慕ひ、吐息をつき喘いで、もしや大黒に逢ふことも、あらうかと、山のあちらこちらに鳥網を張り、番人を置いて、社には、立派な清い鏡を倭文幣《しづぬさ》に取り添へささげて乞ひ祈りつつ自分が待つてゐる時に、夢に少女が現はれて告げることには、あなたの戀しく思ふあのすぐれた鷹は、松田江の濱を終日飛び暮らし、?《つなし》をとる氷見の江を過ぎ、多古の嶋を飛びまはつて、鴨の群れ集まつてゐる舊江に、一昨日も昨日もゐた。早ければここ二日ばかり、遲くとも七日の過ぎないうちに必ず歸つて來るであらう。あなたよ。そんなに一所懸命に戀しがりなさるな、と、夢の告《つけ》があつたことである。
〔評〕 邊陬の地にあつて、折々の鷹狩などに欝懷を慰めてゐた若い國守家持の面目がよく現はれてゐる。自慢の逸物なる大黒の鷹の描寫は最も精彩があり、それを逃がしたと聞いた時の憤激、痛惜の氣持もさながらに出てゐる。飼養の老人のおどおどした態度もよく寫されてゐる。捜索の手段を盡した揚句、神に祈つたのも古人の心理として自然であり、夢裡に靈驗があつて現はれた少女の神託を以て結んでゐるのは、父旅人相傳の神仙趣味ともいふべきである。長篇であるに拘はらず、弛緩の跡が無いのは、情熱の強く迸り出た故であらう。但、語句の連接法から見ると、晦澁混雜に陷つたところがあり、齊整の形式とは評し難いので、文意を明瞭ならしめる爲には、處々言葉を補足して見な(236)くてはならぬ。適度に語句を切ることなく、長く連ね過ぎる弊がある。この傾向は、憶良の長歌にも現はれてをり、憶良の歌風を學んだ家持に於いて、特に著しくなつてゐるが、この篇はその最も甚しい例である。なほ鷹狩は、仁コ天皇の朝に始まるといはれてゐるが、恐らく朝鮮から傳へたものであらう。佛教の隆盛と共に、殺生を禁ずる趣旨で養老五年、神龜五年に、鷹を飼ふことを禁ずる勅が下り、その後も、同樣の勅があつたのは、實際的効力の乏しかつたことを物語るのであらう。邊陬にある官人の娯樂として、これに及ぶものは蓋し少なかつたと想像される。
〔語〕 ○大君の遠の朝廷 人麿「三〇四」も憶良「七九四」も太宰府をさしていうてをるが、ここは越中の國府をさしたもの。「みかどぞ」と、初めに大きくいひ切つてをるのである。○河とほしろし 河が雄大である。「三二四」參照。○草こそ茂き 「こそ」のかかりに連體形でとめたのは、「二六五一」に例がある。○嶋つ鳥 「鵜」の枕詞。古事記にも「嶋つ鳥鵜飼が伴」と見える。○篝さし 「瀬毎に」とあるから、さしかざすと解するのがよい。○なづさひ 水にひたつて水中をおしわけ。○鳥すだけりと 「すだく」は群聚すること。鳴く意ではない。○矢形尾 尾の羽が矢の形をしたのをいうたのであらうが、明かでない。「四一五五」には、矢形尾の眞白の鷹ともある。○白塗の鈴取り附けて 白塗の鈴は鍍銀した鈴であらう。鳥を追うて行つた鷹の行方を知る爲に、その尾に附けたのである。○千鳥踏み立て 千鳥は鳥の名でなく、五百つ鳥と同じく澤山の鳥の義。ふみたては、草を踏んで、その中に隱れてゐる鳥を飛び立たせる。○手放れもをちもか易き 鷹が目的の鳥を狙つて手元から放れゆくことも、烏を捕へて手元に還つてくることも容易な。「をち」は「をつ」の名詞形。元に還ること。「かやすき」は敏捷で手のかからぬこと。○さならへる 比肩する、匹敵するの意。「さ」は接頭辭。○鳥狩すと名のみをのりて 烏狩をするど我が名だけをいひ置いてとも解されるが、譯に解いたやうな嘲る語氣と解する方がよい。○三島野を この句以下「翔り去にき」までは、翁の歸つて來ての報告である。三島は射水郡内の地、それも「四〇七九」によれば國司館より遙かに眺められたことは明かである。○咳れ告ぐれ 咳《せき》をしながら告げるの意で、「咳れ」はしはぶきに同じ。「告ぐれ」は告ぐればの(237)意。○息づきあまり 吐息をつくに餘つて。呼吸せはしく喘《あへ》ぐ意。「一三八四」參照。○あしひきの 「山」の枕詞であるが、ここは直ちに山の意に用ゐた。「二六七九」參照。○をてもこのも 彼面此面、ヲチオモ・コノオモで、あちらこちらの義。○照る鏡 照りかがやく清い鏡。○倭文 日本風の織物。○をとめら らは接尾辭で複數ではない。○? このしろのこと。○氷見の江 氷見の海と布勢水海とをつなぐ水路。○多古の嶋 二上山の西北麓に上田子、下田子の名がある。このあたりが往古の布勢水海の東南邊に當る多古の浦であり、多古の嶋も近くにあつたものと推測される。○今二日だめ 「だめ」は「ばかり」の意の當時の方言であらう。この句は「三三一八」に「早からば今二日ばかり」とあるに倣つたものと思はれる。○遠くあらば 日數が長くかかつても。○七日のをち をちは彼方の義で、七日以上。
〔訓〕 ○二上の山 諸本「二上山」に作り、元暦校本、類聚古集のみは「二山上」とある。フタヤマノウヘならば、二つの山と見るべきであるが、反歌にも「二上能」とあるから、二上をよしとする。○だめ 仙覺本には「太未」とあるが、類聚古集・元暦校本に「太米」とあるによつた。○いめ 考に伊米の誤としたによる。原文「伊麻」であつて、「一三五九」には「花まついまに」の句もあるが、反歌の第二に「伊米」とあるによるべきである。
 
4012 矢形尾《やかたを》の鷹を手に据《す》ゑ三島野に獵《か》らぬ日|數多《まね》く月ぞ經にける
 
〔譯〕 矢形尾の鷹を手に据ゑて、三島野で狩をしない日がこの頃多くなつて、もう一月も經つたことだ。
〔評〕 愛する鷹の逃げ去つたことを直接にいつてないが、淡々たる敍述の間に愛惜の情が十分表はれてゐる。調も頗る堅實と評してよい。但、四五句の辭樣は、「六五三」「一七九三」「二八七九」「二八九二」などに類例がある。
 
4013 二上《ふたがみ》の彼面此面《をてもこのも》に網さして吾《あ》が待つ鷹を夢《いめ》に告げつも
 
(238)〔譯〕 二上山のあちら側やこちら側に網を張つて、自分の捜して待つてゐる鷹の行方を、夢に少女が現はれて告げてくれた。嬉しいことである。
〔評〕 その趣旨も、語句も、長歌の中のを反覆してゐるのみである。
 
4014 松反《まつがへ》りしひにてあれかもさ山田の翁《をぢ》が其の日に求め逢はずけむ
 
〔譯〕 感覺がすつかり麻痺してゐたからであらうか、山田老人が鷹を遁した其の日に、捜し出すことが出來なかつたのは。
〔評〕 人磨歌集の中の、「松反りしひてありやは」(一七八三)の初二句に魅惑を感じて詠んだのであらう。老人に對する非難である。
〔語〕 ○松反り 鷹詞であらう。橋本進吉博士の説に、「鷹が鳥屋にゐて、夏の末から冬の初にかけて、羽毛の拔けかはるのを鳥屋《とや》がへりといひ、山にゐてこれをするを山がへりといふから、松に居て羽毛の拔け代りをするのを松がへりといふのであらう。しひは、目しひ、耳しひのしひに同じく、故障のある意であらう」とあるに從つて説いた。○あれかも 「あればかも」の略で、あるからかの意。○さ山田 「さ」は接頭辭。「山田」は左註にある山田史君麿をさす。○求め逢はずけむ 「ずけむ」は「ざりけむ」と同じ。
 
4015 情《こころ》にはゆるふことなく須加《すか》の山すかなくのみや戀ひ渡りなむ
     右は、射水郡古江村に蒼鷹を取り獲たり。形容美麗にして雉を鷙《と》ること群に秀でたり。時に養吏山田史君麻呂、調試節を失ひ、野獵候に乖く。風を搏つ翅、高く翔りて雲に匿れ、腐れる鼠の餌、呼び留むるに驗|靡《な》し。ここに羅網を張り設けて非常を窺ひ、神祇に奉幣して虞らざるを恃む。粤《ここ》に夢の裏に娘子あり。喩して曰く、使君苦念を作《な》して空しく精神を費すこと勿れ、放逸せる彼《そ》の鷹、獲り得むこと近からむかといふ。須臾に覺《おどろ》き寤め、(139)懷《こころ》に悦あり。因りて恨を却《しりぞ》くる歌を作りて、式《も》ちて感信を旌《あらは》す。守大伴宿禰家持【九月二十六日作れり。】
 
〔譯〕 心の中には、思ひやすめることなく、須加の山の名のやうに、すかなく、面白からずのみ思つて、遁げた鷹を戀ひつづけることであらうか。
〔評〕 附近にある須加の山といふ地名を應用して枕詞としたのは、當意即妙である。
〔語〕 ○ゆるふことなく ゆるめることなく。○須加の山 眼前の山の名を以て「すかなく」の枕詞に用ゐた。この山の所在について、正倉院文書に須加村、須加山の名が見え、また開田圖の一葉に須加山を記したものがある。今その地を明かにし得ないが、射水郡の國府から望まれる地點にあつたものと思はれる。○すかなく 古義に引いたごとく、字鏡に「??、心中不2悦樂1皃。坐歎皃。須加奈加留」。催馬樂蘆垣に、「菅の根のすかなき」とあるに同じく、心が樂しまず、つまらなくの義。
〔左註〕 ○蒼鷹 おほたか。又羽毛に蒼白色を帶びた鷹ともいふ。○養吏 鷹を飼ふ役人。即ち鷹匠。○調試節を失ひ 鷹を馴らし合せ試みることが節度を失つて、○野獵候に乖く 野に出て狩をすることが、時候に反してゐた。即ち天候の惡い、狩に適當でない日に狩をしたことをいふ。○風を搏つ翅 翅で風を搏つて勢よく飛び翔ること。莊子逍遥遊篇の語によつたもの。○腐れる鼠の餌呼び留むるに驗なし 腐つた鼠を餌としたのでは飛び去る鷹を呼び留めるに効果がないの意。莊子秋水篇によつた句。○虞らざるを恃む 思ひまうけぬ偶然を恃む。「恃」を通行本「特」に作るは誤。○粤に 諸本「奧」に作るは誤。略解の説に從つて改める。○使君 漢唐時代の州の長官の稱。ここでは國守家持をさした二人稱。○精神 「精」を通行本「情」に作る。類聚古集等による。○式ちて 以てに同じ。○感信を旌す 感激と信仰との氣持を表現する。○九月二十六日 税帳使としての家持の滯京期間は、明らかでないが、この日附は、既に歸任して後であることがわかる。
 
(240)     高市連黒人の歌一首 年月審ならず
4016 婦負《めひ》の野の薄《すすき》押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思はゆ
     右は、此の歌を傳へ誦めるは、三國眞人五百國《みくにのまひといほくに》なり。
 
〔題〕 高市連黒人 異色ある作家で、旅行の歌に秀作が多い。「五八」の歌によるに、人麿と同時代の人。
〔譯〕 婦負の野の薄をおし靡かせて降る雪の中で、旅の宿を借る今日は、心細く悲しく思はれる。
〔評〕 滿目荒涼たる冬の曠野の枯薄を、見る見る押し伏せて、雪は盛んに降つて來る。その雪の中に行き惱む一人の旅人の姿が、鮮かに目に浮ぶ。表現の上に何の奇もなく、單に情景を平敍してゐるのみであるが、悲愁の色が深く漂ひ、結句の直截な表現が極めて的確にして力がある。「九四〇」の作は、この歌に學ぶところが、あつたかと思はれる。
〔語〕 ○婦負の野 「婦負」は、延喜式や和名抄に「禰比」と訓まれ、今は、郡名をネビといふ。字面からはメヒとよまるべく、恐らくは、古く音を轉じたものであらう。婦負川は今の神通川であるが、この野は、富山市の西方の地であらう。○思はゆ 「思ほゆ」の原形。
〔訓〕 ○おもはゆ 白文「於毛倍遊」。「倍」は集中へ又はべの假名に用ゐられてゐるが、「四四六五」に「麻都呂倍奴」とかいた例もある。或は、オモヘユとよんで越の方言と解する説もある。
〔左註〕 三國眞人 三國は越前の地名にあるから、そこの名族であらうか。
 
4017 東風《あゆのかぜ》【越の俗語東風をあゆのかぜといへり】いたく吹くらし奈呉《なご》の海人《あま》の釣する小舟《をぶね》漕ぎ隱る見ゆ
 
〔譯〕 東風が、沖の方では強く吹いてゐるらしい。奈呉の漁夫の釣する小舟が、漕ぎ隱れてゆくのが見える。
〔評〕 漁船の動靜によつて、風波の激しさを思ふ歌には、「二九四」「三五九七」などの類想はあるが、奈呉といふ地(241)名や、アユノカゼといふ俗語を取入れた點などに、新鮮味が感ぜられる。
〔語〕 ○あゆの風 「四〇〇六」參照。○漕ぎ隱る見ゆ 浪が高いので、そのかげに舟が隱れるやうに見える。○奈呉の海人の 奈呉は、射水川河口の東。「三九五六」參照。
 
4018 みなと風寒く吹くらし奈呉の江に妻よび交《かは》し鶴《たづ》さはに鳴く【一に云ふ、たづさわくなり】
 
〔譯〕 河口の風が寒く吹いてゐるらしい。奈呉の江に、妻を呼びかはしつつ、鶴が澤山鳴いてゐる。
〔評〕 妻を呼ぶ鶴と風波との配合を詠んだ作、類型類想の歌は、「三五二」を初め少くない。
〔語〕 ○みなと風 河口のあたりの風。「みなと」は水門、河口のこと。ここは射水川の河口をさす。○奈呉の江 今の放生津潟にあとを殘す一帶の砂嘴湖であらう。○たづさわくなり 鶴の騷ぐ聲を耳に聞きとめてゐる心持である。結句の異傳であるが、後世風に近い調子であり、本文の方が、類型は多いが緊密である。
 
4019 天《あま》ざかる鄙《ひな》とも著《しる》くここだくも繁き戀かも和《な》ぐる日も無く
 
〔譯〕 ここは都から遠く離れた邊鄙な土地であるといふこともはつきりと感じられて、甚しくまあ都が戀しいことではある。心のなごみやはらぐ日もなくて。
〔評〕 越路に於いて二度目の春を迎へた家持は、しみじみと遙かなる鄙であるといふ意識を新にせずにはゐられなかつた。さうして、いよいよ痛切に都への思慕を覺えたのである。しるく・ここだく・なぐる・なくなど、同音の重用が一種の押韻をなしてゐる。
 
4020 越《こし》の海の信濃《しなの》【濱の名なり】の濱を行き暮らし長き春日も忘れておもへや
(242)     右の四首は、二十年春正月二十九日、大伴宿禰家持
 
〔譯〕 越の海の信濃の濱を歩いて日を暮したが、この長い春の日にも、どうして都のことを忘れてゐようか、片時も忘れられない。
〔評〕 春未だ寂寞として浪の音もきびしい日本海岸の長汀をたどる若い國守の姿を思はしめる。氣分も詞句も、「三二一九」に似てゐるが、「行き暮らしながき春日も」といふところ、行けども行けども長い眞砂路の果ないやうに、綿々として盡きぬ郷愁を思はせる。
〔語〕 ○信濃の濱 新湊町に近い地點と推測される。萬葉越路の栞に、「今も放生津新町に信濃祭といふ祭禮あり。土人は訛言してシナン祭と呼べり。此處と定め難けれど、此處ならむか」とある。○忘れて思へや 思ひ忘れむやといふに同じ。「六八」參照。
〔左註〕 右の四首は云々 以上四首は天平二十年の春正月の作。代匠記精撰本に「二十一年」の誤とし、古義もそれに從つてゐるが、「三九六六」の歌の左註に「天平二十年二月」とあるのが「十九年」の誤であることに氣づかなかつた爲である。
 
     礪波《となみ》郡雄神河の邊にて作れる歌一首
4021 雄神《をかみ》河くれなゐにほふ少女らし葦附《あしつき》【水松の類】採《と》ると瀬に立たすらし
 
〔題〕 ○礪波郡 射水郡の南に當り、明治二十五年東礪波郡と西礪波郡とに分れた。○雄神川 今の庄川で、飛騨の白川地方から發して北流し、雄神村の附近を流れてゐるので、この名があつた。この川は絶えず土砂を流出して伏木港口を淺くするので、明治三十二年に起工して、別に水路を作り、庄川と射水川とが別々に海に注ぐことになつた。
(243)〔譯〕 雄神河が、紅の色に照り映えてをる。少女らが葦附を採るとて、淺瀬におり立つてゐるらしい。
〔評〕 村の少女達が、笑ひさざめきながら、葦附を採つてゐる花やかな情景が、若い國守の詩情を動かしたことと想像される。印象頗る鮮明であるが、その表現法は、「一二一八」に似てゐる。しかし、地方色の豊かな點で、情趣は家持の作がまさつてゐる。
〔語〕 ○くれなゐにほふ 少女らの赤裳が川水に映じてゐるのである。○葦附 自註に「水松の類」とあるが、水前寺苔に似た海苔の一種。今も庄川堤防の外側から湧き出る寒冷な流の底の小石の表面、葦の根もとなどに附いてをるのを採つて食用にしてゐる。○瀬に立たすらし 「立たす」は「立つ」の敬語であるが、親しみの氣持で輕く用ゐたもの。旅人の「八五五」の作にも「立たせる妹が」の句がある。
 
     婦負《めひ》郡|※[盧+鳥]坂河《うさかがは》の邊にて作れる歌一首
4022 ※[盧+鳥]坂河《うさかがは》渡る瀬多みこの我《あ》が馬《ま》の足掻《あがき》の水に衣《きぬ》ぬれにけり
 
〔譯〕 鵜坂河は渡り通る瀬が多いので、この自分の乘つてゐる馬の足掻の爲にはねた水で、著物が濡れてしまつた。
〔評〕 「一一四一」の作に類してゐるが、それとは風趣を異にしてをり、三四句の調子もよい。
〔語〕 ○※[盧+鳥]坂河 富山市の南方鵜坂村を神通河が流れてをり、鵜坂神社の邊では河幅が廣く、瀬が幾筋にも分れてをる。※[盧+鳥]坂河即ち神通河であらう。
 
     ※[盧+鳥]を潜《かづ》くる人を見て作れる歌一首
4023 婦負河《めひがは》の早き瀬ごとに篝《かがり》さし八十伴《やそとも》の男は鵜河《うかは》立ちけり
 
〔題〕 ※[盧+鳥]を潜くる人 鵜を水中にくぐらせて魚を捕る、即ち鵜飼をする人々。
(244)〔譯〕 婦負河の早い瀬ごとに篝火をさしかざして、大勢の人々は面白さうに鵜飼をしてゐる。
〔評〕 婦負河畔の旅宿の一夜の慰みに、鵜飼をして遊んだ即興の作。但、「四〇一一」の長歌の句を用ゐてゐる。
〔語〕 ○婦負河 神通河のことで、鵜坂河の下流をかく呼んだものと推測される。○八十件の男 多くの役人たちの意。家持の部下、郡司などをいふのであらう。鵜を使ふのはいはゆる鵜匠がするのであるが、多くの人々も篝をさしかざして興じたので、かくいうたのであらう。○鵜川立ちけり 鵜飼を行ふこと。「三八」參照。
 
     新河《にひかは》郡|延槻河《はひつきがは》を渡る時作れる歌一首
 
4024 立山《たちやま》の雪し來《く》らしも延槻《はひつき》の河の渡瀬《わたりせ》鐙《あぶみ》浸《つ》かすも
 
〔題〕 ○新河郡 越中の東端なる大郡で、今は上中下の三郡に分れてゐる。○延槻河 今は早月川と呼ばれ、立山の北なる大日嶽から出て、北流して中新川、下新川兩郡の間を流れて海に入る。
〔譯〕 あの立山の雪が解けて流れて來るらしい。延槻河の渡り瀬は水が増して、自分の乘つてゐる馬の鐙まで水にひたすことである。
〔評〕 春の日影にきらめきつつ、雪消の水を湛へて流れる河を、馬の腹近くまで浸しながら渡りゆく官人の一行が、眼前に浮んで來る。恐らく足に沁む水の冷さに、立山の雪を感じて、遙かに彼方の山の雄姿を振りさけ見たことであらう。格調高古にして、印象清新の作。
〔語〕 ○雪し 「し」は強めの助詞。○鐙つかすも 河水が増して馬の鐙を水につからせる、水びたしにするの意。
 
     氣太神宮に赴き參り、海邊を行きし時作れる歌一首
4025 之乎路《しをぢ》から直《ただ》越え來《く》れば羽咋《はくひ》の海朝なぎしたり船|楫《かぢ》もがも
(245)〔題〕 氣太神宮 今の氣多神社で、能登羽咋郡一宮村の海岸に近い丘陵の上にある。能登は當時越中に併合されてゐたので、管下の神社に詣でたのである。
〔譯〕 志雄街道から、眞直に越えて來ると、目の前に羽咋の海が朝凪してゐる。ああ船や艪櫂が欲しいなあ。
〔評〕 山路を越えて來ると、眼前に展開したのは朝凪の海である。船があらば、眺望を樂しみつつ水路を行きたいと望んだのである。調子の上からは、取つてつけたやうなこの結句も、極めて切實なものとなつてゐる。
〔語〕 ○之乎路から 羽咋町の東南に今も志雄の地名がある。家持は富山灣側の氷見から志雄を經て能登半島の西岸へ出たのである。○羽咋の海 羽咋郡の海といふ説と、今の邑知潟が遙かに大きかつた時代のことといふ説とある。北陸萬葉古蹟研究には、後説を執つてゐる。
 
     能登郡|香島津《かしまのつ》より發船《ふなだち》して、熊來村《くまきのむら》を射《さ》して往きし時作れる歌二首
4026 鳥總《とぶさ》立《た》て船木《ふなぎ》伐《き》るといふ能登の島山今日見れば木立《こだち》繁しも幾代|神《かむ》びぞ
 
〔題〕 ○能登郡 今の香島郡に當る。○香島津 今の七尾港のこと。○熊來 今、熊木村の名を存してゐる。七尾灣の西灣の中央部、七尾の西北に當つて、海上約四里。「三八七九」參照。
〔譯〕 山神を祭る行事の木の枝を立てて、船材を伐るといふ能登の島山を今日來て見ると、木立が深く茂つてゐる。幾代を經た神々しさであらう。
〔評〕 水靜かな七尾灣内を、悠然と漕ぎつつ、能登の島山に向つて發した驚異の聲である。家持としては珍しい旋頭歌である。鬱葱として神さびた光景に對した、古代人の一種の信仰的な、莊重で崇高な感情を表はし得てゐる。
〔語〕 ○鳥總立て とぶさは梢の枝をいふ。杣人が船木を伐つた時、その梢の枝を折り、伐つた跡に立てて山神を祭る行事。○能登の島山 能登島をさす。七尾灣の東方にあつて周圖約十四里。當時は樹木繁茂して般材を伐り出すに(246)適してゐたのであらう。○神び びは「みやび」、「鄙び」の「び」に同じ。神々しくあることの意。
 
4027 香島より熊來《くまき》をさしてこぐ船の楫《かぢ》取る間《ま》なく京師《みやこ》し思ほゆ
 
〔譯〕 香島の津から熊來をさして漕いで行くこの船は、船人が艪櫂を取るのに絶間がないが、そのやうに絶間なく、都のことが思はれることである。
〔評〕 同じ作者の「三九六一」の作もあるが、今自分の乘つてゐる船中で、船子等の楫を取る樣を眺めつつ、直ちにそれを序に採り用ゐてゐる。從來多くある形式を踏襲したものではあるが、實情に即してゐるだけの強味がある。
 
     鳳至《ふげし》郡|饒石河《にぎしがは》を渡りし時作れる歌一首
4028 妹に逢はず久しくなりぬ饒石河《にぎしがは》清き瀬ごとに水占《みなうら》はへてな
 
〔題〕 ○鳳至郡 羽咋・鹿島二郡の北方にある郡で、今、フゲシと稱へてゐる。○饒石河 今、仁岸河といひ、能登半島の西海岸にそそぐ流域二里ばかりの河。熊木村に上陸して能登半島を斜に横斷し、西海岸傳ひに北上して、この河を渡つたものと思はれる。
〔譯〕 妻に逢はずにゐて久しくなつた。饒石河の清らかな瀬ごとにおり立つて、水占をして見よう。
〔評〕 水占は集中唯一の語であり、他にも所見がないので、その占ひ方については、知る術もない。件信友の正卜考の説のごとく、水中に繩をひきわたして流れかかつたものなどによつて卜ふことであらうか。又は石を投げる占で瀬毎にそれを試みるのであらうか。いづれにしても能登の僻陬の千年前の古俗が思ひやられる。天ざかる鄙のはたてを歴廻つて、荒涼索莫たる仁岸川のほとりに來た家持は、「妹に逢はず久しくなりぬ」ることを思うて、水占により、妻が恙なく暮してゐるかどうか、或は近く妻に逢へるか否かを占ひ知らうとしたのであらう。その心事を推察すれば(247)極めて自然でもある。
〔語〕 ○水占 略解には神武紀の嚴瓮を丹生の川に沈めて占ひ給うたことを引いてゐるが「はへてな」の説明にこまる。正卜考のは「はへて」は延へてで理解しやすいが、さうした證がないので、なほ定めがたい。
 
     珠洲《すす》郡より發船《ふなだち》して治布《ちふ》に還りし時、長濱(の)|灣《うら》に泊《は》てて月光を仰ぎ見て作れる歌一首
4029 珠洲《すす》の海に朝びらきして漕ぎ來《く》れば長濱の灣《うら》に月照りにけり
     右の件の歌詞は、春の出擧《すゐこ》に依りて諸郡を巡行す。當《その》時|當《その》所に屬目して作れり。大伴宿禰家持
 
〔題〕 ○珠洲郡 能登半島の東端にある。上代にあつた珠洲驛は、今の正院町のあたりと思はれる。○治布 長濱ともに諸説があるも、今その所在がさだかでない。全釋は、治布を治府の誤、即ち國府のこととしてゐる。
〔譯〕 珠洲の海に朝早く船出をして終日漕いで來ると、いつしか日も暮れて、長濱の浦に月が照つてゐるのであつた。
〔評〕 巡視の旅を終へて歸さの船の上に月光を仰ぎ見た、高朗な情懷が想像される。
〔語〕 ○朝びらき 朝船出すること。○月照りにけり 月が照つてゐるのを改めて仰いだ心持で、殘月ではない。
〔左註〕 出擧 スヰコと訓む。下民の窮乏を救ふ爲に、春耕作の時に貸與し、秋の收穫時に返濟せしめる。國守が、管内を巡行して、その?況を春秋に視察する。ここは春の巡行である。
〔訓〕 ○當時當所 當所の當は元暦校本による。
 
     鶯の晩く哢《な》くを怨むる歌一首
4030 うぐひすは今は鳴かむと片待てば霞たなびき月は經につつ
 
〔譯〕 鶯は今はもう鳴くであらうと、ひたすら待つてゐると、霞が棚引いて月は經過しながら、鳴きさうにない。
(248)〔評〕 遠く家郷を離れ邊域に住んでをる身の、殊に風流多感であつた作者は、折々の花の色、鳥の音によつて心を遣《や》らうとすることが切實であつたらうと思はれる。語尾をぼかし去つた結句に、怨嗟の餘韻が長く搖曳してゐる。
〔語〕 ○片待てば 片寄り待つ、即ち待つことに偏する義。○月は經につつ 餘意を含めたいひざま。
 
     酒を造る歌一首
4031 中臣《なかとみ》の太祝詞《ふとのりとごと》言《い》ひ祓《はら》へ贖《あが》ふいのちも誰《た》がために汝《なれ》
     右は、大伴宿禰家持作れり。
 
〔題〕 酒を造る歌 通常酒を造るのは秋であるが、神を祭る爲に、春、臨時に造つたものであらう。年月は記してないが、卷十八の冒頭の作に、天平二十年春三月とあるから、前のと共に春の作である。
〔譯〕 中臣の貴い祝詞をとなへて祓ひをし、齋み清めて造つた酒を贖物として、わが命の長からむことを神に祈るのも、誰の爲であらうか、全くそなたを思ふ爲なのである。
〔評〕 酒を造つて神に供へ、思ふ人の爲に我が身の長壽を祈つたのである。題詞には「造酒歌」とあつて、歌の中には酒のことを少しも言つてゐないが、酒を造るに當つて祝詞を唱へ、齋み清めて造り、それを神に捧げるのであるから、その趣が上半に寫されてゐるのである。愛する人の爲に自らの長壽を祈る心は、既に「二四〇三」「三二〇一」などの先蹤があつて、それを學んだものと思はれる。
〔語〕 ○中臣 天兒屋根命の裔。神を祭る家がらである。○太祝詞 「ふと」は美稱。○あがふ あがなふに同じ。物を代償として提出し、その罪を消すこと。○誰がために汝 誰が爲にであるか、外でもない汝の爲であるとの意。
 
萬葉集 卷第十七 終
 
(249)萬葉集 卷第十八
 
(251)概説
 
 卷十八は、卷十七以下一群四卷中の一卷で、その體裁は卷十七と同じである。即ち、部類せず、家持の作、並にその傳聞した作を、年代順に排列してゐる。
 その年代は、卷十七の後をうけて、天平二十年三月より天平勝寶二年二月までであるが、二十年四月より二十一年三月までは空白であるから、一年四ケ月の間の作が收められてゐるのである。當時家持は、越中守在任中である。
 歌數は、短歌九十七首、長歌十首、計百七首、中に家持の歌は六十九首の多きに達し、三分の二に近い。その他も、家持と密接な關係のある歌ばかりである。しかし、家持の手録そのままではなく、部下の誰かが集録もしくは筆記したものとおぼしく、文字の使用法が、他の十七・十九・二十とは違つてをる。かつ後に述べる大野晋氏の説によれば、平安時代の補綴改書があつたとおもはれる。
 當時すでに歌が上流社會の社交の具とせられるに至り、この卷には、「芳野離宮に幸行さむ時の爲に儲けて作れる歌」(四〇九八−四一〇〇)、「京に向はむ時‥‥の爲に儲けて作れる歌」(四一二〇−四一二一)の如く、實感から出てゐない歌も見られる。
 秀歌としては、長歌に、賀2陸奧國出v金詔書1歌(四〇九四)爲v贈2京家1願2眞珠1歌(四一〇一)教2喩史生尾張少咋1歌(四一〇六)橘歌(四一一一)雲歌(四一二二)などがある。「四〇九四」は東大寺の大佛鑄造といふ歴史上の大いなる出來事に關した歌として、また、「海ゆかば」の言立がよみこまれてゐ、武門の名家大伴氏の誇もうたは(252)れてをる。「四一〇一」は眞珠に關する歌として注意される。「四一〇六」は若くして風流才子であつた家持も、地方官としてその屬官に對する態度が知られ、初めに律の文、詔書などを引いたのもめづらしい。「四一一一」の橘の歌は田道間守をうたつて、千二百年後の今日も國産として榮えてゐる柑橘を讃へた作。「四一二二」の歌は、雨乞の歌の先蹤ともいふべく、また家持が良二千石であつたことを物語つてをる。
 短歌としてすぐれたものには、次の諸作がある。
  ほととぎす此よ鳴き渡れ燈火を月夜に比へその影も見む     家持   四〇五四
  橘の下照る庭に殿建てて酒みづきいます我が大君かも      河内女王 四〇五九
  朝びらき入江漕ぐなる楫の音のつばらつばらに吾家し思ほゆ   山上臣  四〇六五
  居り明しも今宵は飲まむほととぎす明けむあしたは鳴き渡らむぞ 家持   四〇六八
  片思を馬に太馬に負せ持て越邊に遣らば人?はむかも    坂上郎女 四〇八一
  あぶら火の光に見ゆる我が縵さ百合の花の笑まはしきかも    家持   四〇八六
  丈夫の心思ほゆ大君の御言の幸を聞けば貴み          同    四〇九五
  大伴の遠つ神祖の奧津城は著く標立て人の知るべく       同    四〇九六
  天皇の御代榮えむと東なるみちのく山に金花咲く        同    四〇九七
  くれなゐはうつろふものぞ橡のなれにし衣になほ若かめやも   同    四一〇九
  この見ゆる雲ほびこりてとの曇り雨も降らぬか心足らひに    同    四一二三
  我が欲りし雨は降り來ぬ斯くしあらば言擧せずとも年は榮えむ  同    四一二四
なほ、短歌の中には、坂上郎女と家持の贈答(四〇八〇−四〇八四)、家持の「四一〇八、四一一〇」、大伴池主の「四一二八−四一三三」など諧謔の作もある。
(253) この卷の用字法は、主として一音一字式で、それに正訓が混じてをることは、他の三卷と同趣であるが、仔細に檢すれば、應《オ》、介《ケ》、事《シ》、授《ズ》、川《ツ》、と、へ、など、他卷に見えない用字がある。大野晋氏は、「卷十八は、傳來の途中、五個所に損傷を得、平安朝の或る時期に於いて、恐らくは梨壺の加點の時に、そこが補修綴合せられたものであらう」とし、その五個所二十首の中に、上代特殊假名遣の例に合はぬものが二十餘ありと述べ、その五個所を、「四〇四四−四〇五一」、「四〇五五」、「四〇八一−四〇八二」、「四一〇六」、「四一一一−四一一八」としてをられる。(國語と國文學二十二卷三號)
 
(255)萬葉集 卷第十八
 
     天平二十年春三月二十三日、左大臣橘家の使者造酒司令史田邊史福麻呂を、守大伴宿禰家持の館に饗しき。爰に薪しき歌を作り、竝に使《たより》に古き詠を誦みて各心緒を述べき。
4032 奈呉《なご》の海に船|暫《しま》し借せ沖に出でて波立ち來《く》やと見て歸り來《こ》む
 
〔題〕 ○左大臣橘家 橘諸兄をさす。○造酒司《みきのつかさ》 宮内省に屬し、供奉・節會に用ゐる酒酢等を造る事を司る。職員令に「正一人、佑一人、令史一人、酒部六十人」と規定されてゐる。○田邊|史《ふひと》福統呂《さきまろ》傳不詳。卷六に田邊福麿歌集中出の歌二十一首あり、卷九にも田邊福麿集中出のもの十首があつて、これらもこの人の作と思はれる。通行本「史」の字無く、西本願寺本等に從つて補ふ。
〔譯〕 奈呉の海で船遊びをしようから、船を暫く借りたい。沖に出て行つて、波が立つて來るかどうかと、まづ樣子を見て來よう。
〔評〕 國守の館から見渡される廣々とした海の景色の珍らしさに興じて詠んだもの、海を見る機會の乏しい奈良人の作として、如何にもとうなづかれる。
〔語〕 ○奈呉の海 國府の前面に展開せる今の新湊市の海。○船暫し借せ 船をちよつと借りたいものだといふ程の意。命令法になつてゐるが、特定の誰かに命じてゐるのではない。
 
4033 波立てば奈呉の浦|廻《み》に寄る貝の間無《まな》き戀にぞ年は經にける
 
(256)〔譯〕 波が立つと、奈呉の浦のあたりに打寄せられる貝の絶間が無いやうに、貴君に對する絶間のない思慕に、幾年かを過したことであります。
〔評〕 家持と別れて以來戀しく思ひつつ年を送つたと云ふので、儀禮的の作ではあるが、本當の心持である。
〔語〕 寄る貝の 波に運ばれて岸に寄る貝の意で、初句以下これまで「間なき」の序。○間なき戀にぞ 間斷なく君を思慕する心持にの意。この戀は、家持に對する思慕である。
 
4034 奈呉の海に潮のはや干《ひ》ば求食《あさり》しに出でむと鶴《たづ》は今ぞ鳴くなる
 
〔譯〕 奈呉の海に潮が早く干ないものか、干たならば早速、餌を探しに出ようといふので、今盛んに鳴いてゐる鶴の聲が聞える。
〔評〕 渚に遊ぶ鶴の群を見、その清唳を聞いて、詩情を動かしたのである。恐らく作者は、難波潟や若の浦あたりで?見た景を、今また此處に見出して一入の趣を感じたことであらう。
 
4035 ほととぎす厭ふ時なし菖蒲草《あやめぐさ》鬘《かづら》にきむ日|此《こ》ゆ鳴き渡れ
     右の四首は、田邊史福麻呂
 
〔譯〕 ほととぎすの聲はいつ聞いてもめづらしく、いやといふ時はない。しかし、どうせ鳴くならば、菖蒲草を髪にかざりにつけて遊ぶ五月五日に、此處を鳴いてとほつてくれ。
〔評〕 時は三月二十三日と題詞にあつて、ほととぎすの鳴く時期ではないが、席上恐らくほととぎすのことが話題に上つたので、今それが鳴いてくれたらと思ひながら、この古詠(十の一九五五參照)を朗誦したのであらう。時にとつての機智は、一座の清興を湧かせたに相違ない。
(257)〔語〕 ○鬘にきむ日 かづらとして頭に着ける五月五日に。○此ゆ 此處を通つて。
 
     時に期《ちぎ》りて、明日|布勢水海《ふせのみづうみ》に遊覽せむとす。仍りて懷を述べて各作れる歌
4036 如何《いか》にある布勢の浦ぞも許多《ここだく》に君が見せむと我を留《とど》むる
     右の一首は、田邊史福麻呂
 
〔題〕 時に期りて云々 饗宴の席上、家持は福麿に、明日布勢の水海遊覽に行かうと約したので、福麿が喜んで歌を作り、家持も亦それに和したのである。
〔譯〕 どんなに景色のいい布勢の浦なのでせうか。頻りに貴君が見せようと、自分をお引止めなさるのは。
〔評〕 わが任國の誇として、何でもかでも布勢の水海を見せずには都に歸すまいと、家持が引留めた樣が想像される。それに對して、「如何にある布勢の浦ぞも」は、半ば好奇的質問で、どんな處なのかと尋ねると同時に、半ば肯定的詠歎で、さぞよい處でせうねと頷いてゐるのである。しかし歌として洗煉されたものとはいひ難く、所詮日常口頭語の域を脱してゐない。
〔語〕 ○許多に 甚しく。「ここだく」は數の多いことにいふが、程度の甚しいのにもいふ。
〔訓〕 ○いかにある 白文「伊可爾安流」。元暦校本・類聚古集等による。通行本「安」を「世」に作るは誤。
 
4037 乎敷《をふ》の埼こぎ徘徊《たもとほ》り終日《ひねもす》に見とも飽くべき浦にあらなくに【一に云ふ、君が問はすも】
     右の一首は、守大伴宿禰家持
 
〔譯〕 布勢の浦は、乎敷の埼あたりを漕ぎめぐつて、終日眺めても飽きるやうな浦ではないのです。
〔評〕 何の奇もない作。一に云ふの「君が問はすも」は、第二句の再案で、この方は「如何にある」の問に對して、(258)愚かにも君は問はれることであると、否定し威張つたかたちで、熱と力とがこもつてゐる。
〔語〕 ○見とも 見たところで。「見るとも」と同じであるが、集中「見とも」の方が多い。○一に云ふ、君が問はすも 第二句の異傳である。全釋は、第五句の次に置いて佛足石歌體と見るべきもの、との新説を出したが、短歌を以てした問に、異なつた歌體を以て答へるといふのはいかがであらう。
 
4038 玉くしげいつしか明けむ布勢の海の浦を行きつつ玉も拾《ひり》はむ
 
〔譯〕 いつになつたら夜が明けるのか、早く明ければいい。さうしたらば、布勢の海の浦づたひに歩きながら、美しい玉をも拾はうに。
〔評〕 見ぬ戀にあこがれる趣で、「玉も拾はむ」の句がよい。
〔語〕 ○玉くしげ 「あけむ」に係けた枕詞。○いつしかあけむ 今夜がいつ明けるであらうか、の意で、早く夜が明けよかしとの希望を含んだ語法。「玉」は海岸のうつくしい石。
 
4039 音のみに聞きて目に見ぬ布勢の浦を見ずは上《のぼ》らじ年は經ぬとも
 
〔譯〕 かねて評判にだけ聞いて、まだ實際に見たことのない布勢の浦を、どうしても見ないでは自分は都へ上るまい。たとひ一年たつても。
〔評〕 橘家の使者としての限られた滯在日數であつたらうに、「年は經ぬとも」といつた誇張は、醉のすさびの句といへよう。
 
4040 布勢の浦を行きてし見てばももしきの大宮人に語り繼ぎてむ
 
(259)〔譯〕布勢の浦の勝景を行つて見た上は、都に歸つて、宮中奉仕の人々に土産話として語り傳へるであらう。
〔評〕 まだ實景を眼前に見ての感激ではないに、大宮人に語りつぐであらうといふのは、これも醉のすさびの作である。
 
4041 梅の花咲き散る園にわれ行かむ君が使を片持ちがてら
 
〔譯〕 梅の花の咲いては散る園に、私は行つて見ませう。あなたからのお使をひたすら待ちながら。
〔評〕 最初の題詞にある「古き詠」で、卷十の「一九〇〇」の歌を朗誦したのである。三月下旬に梅の歌を誦したのは季節違ひのやうであるが、卷十九の「四二三八」の歌の左註に、「但、越中の風土、梅花柳絮三月に初めて咲くのみ」とある。しかし三月廿四日であるから、もう散り過ぎてゐたであらうが、庭前に梅樹があつて、それが十數日前まで美しい花を見せてゐたなどいふことが話題に上つたので、この古歌を思ひ出して誦したのではあるまいかとも思はれる。
〔語〕 ○咲き散る園に 「咲き」は極めて輕く添へた語で、重點は散る方にある。○片待ちがてら ひたすらに待ちながらの意。「片待つ」は「四〇三〇」にもあつた。
 
4042 藤波の咲き行く見ればほととぎす鳴くべき時に近づきにけり
     右の五首は、田邊史福麻呂
 
〔譯〕 藤の花の段々と咲いて行くのを見ると、ほととぎすの鳴くべき季節に近づいて來たことである。
〔評〕 咲き始めた藤の花を見て、ほととぎすの音づれを待ち望む心もちであるが、平凡な作。或はこれも話題によつて古歌を誦したのであらう。卷十九によれば、越中の藤は四月中のものと思はれる。
 
(260)4043 明目の日の布勢の浦|廻《み》の藤浪に蓋《けだ》し來鳴かず散らしてむかも【一に頭に云ふほととぎす】
     右の一首は、大伴宿禰家持|和《こた》へたり。
     前の件の十首の歌は、二十四日の宴に作れり。
 
〔譯〕 明日行つて見る布勢の浦のあたりの藤の花に、もしかするとほととぎすが來て鳴かないで、むなしく花を散らしてしまふであらうか。どうか、さうでなくて欲しいものである。
〔評〕 嘗て詠んだ自作「わが屋前《やど》の花橘をほととぎす來なかず地に散らしめむとか」(八の一四八六)に似てゐるが、家持は、越中の風土に馴染のない福麿が、藤の花を見てひそかにほととぎすの音づれを期待してゐるのに和へて、或はその一聲の聞かれぬこともあらうかと案じたのである。初句を「ほととぎす」と再考した方が、主格がはつきりしてゐるが、いづれにしても表現不足の憾がある。
〔左註〕 前の件の十首の歌云々 この左註は疑問である。「四〇三二」以下十二首の中、卷十所載の古歌二首を除いて數へたと見得るが、さうすれば題詞に二十三日とあるを二十四日の誤と見るか、或は左註の十首歌を八首歌の誤と見るか、もしくは「四〇三六」以下に二首の脱落があると見るかである。この卷の概説に紹介した大野氏の所謂損傷箇所の第一は、この左註のあたりを含むものと考へられてゐる。
 
     二十五日、布勢水海に往き、道中に馬の上に口|號《ずさ》める二首
4044 濱邊より我がうち行かば海邊より迎へも來《こ》ぬか海人《あま》の釣舟
 
〔譯〕 濱の方を通つて自分が行つたらば、海の方から迎へに來てくれないかなあ、海人の釣舟が。
〔評〕 恰も我が一行を迎へにでも來るやうに、沖の方から海人の釣舟が漕ぎ歸る風情を想像したのである。悠々たる(261)馬上の即興で、變つた想像がおもしろい。
〔語〕 ○うち行かば 「うち」は接頭辭で、ゆくをつよめたもの。鞭うち行つたらばと解するのはよくない。
 
4045 沖邊より滿ち來《く》る潮のいや増しに我《あ》が思《も》ふ君が御船《みふね》かも彼《かれ》
 
〔譯〕 沖の方から滿ちて來る潮がいよいよ増して來るやうに、いや増しに自分が慕はしく思ふ君のお乘りになる船であらうか、あれは。
〔評〕 君のお乘りになる船がお迎へに來たのではないかと、沖の方から漕ぎ來る船を眺めつつ輕く戯れたのである。上の序は卷四の「六一七」にも類型がある。以上二首は作者を明記してないが、目録には家持とある。しかし初めのが家持で、次のは福麿が和へうたつたものと解される。
 
     水海に至りて遊覽せし時、各懷を述べて作れる歌
4046 神《かむ》さぶる垂姫《たるひめ》の埼こぎめぐり見れども飽かず如何に我《われ》せむ
     右の一首は、田邊史福麻呂
 
〔題〕 ○水海 通行本等に「永邊」、「水邊」など誤つてゐる。今、元暦校本・西本願寺本等によつて訂す。
〔譯〕 ものふりて神々しく覺える垂姫の埼を漕ぎめぐつて、いくら眺めても飽きない。どんなに自分はすればよいのか。茫然自失するばかりである。
〔評〕 「如何に我せむ」の結句は、切實味があり、實感の尊さをおもはせる。内容は全然違ふが、卷十四の「三四〇四」と同型である。
〔語〕 ○神さぶる 老樹が繁り、岩石なども物古りてゐるのを神々しく感じたのである。○垂姫の埼 越中國式内等(262)舊社記によつて、布勢の海の南、二上山の北麓で、今の耳浦の地と全釋には推定してゐる。
 
4047 垂姫の浦をこぎつつ今日の日は樂しく遊べ言繼《いひつぎ》にせむ
     右の一首は、遊行女婦《うかれめ》土師《はにし》
 
〔譯〕 垂姫の浦をあちこち漕ぎまはつて、今日の一日は樂しくお遊びなさいませ。わたくしは、この清遊の模樣を後々までも語り傳へませう。
〔評〕 若い國守や都からの賓客に侍してこの勝地に來た遊行女婦にとつて、今日の遊覽は後々までの思出の種となつたことであらう。第五句がよい。
〔語〕 ○言繼にせむ 「語り繼ぎ言ひ繼ぎ行かむ」(三の三一七)とあるに同じく、後々に言ひ傳へようの意。
〔訓〕 ○垂姫の 白文「多流比賣野」。「の」の助詞に「野」を用ゐたのは、上代特殊假名通の例にあはないが、此の卷にはな怪四ケ所ある。概説參照。
〔左註〕 遊行女婦 宴席等に侍つて興を助ける婦女。卷六の「九六六」の左註參照。「土師」は姓か名か詳でない。
 
4048 垂姫の浦をこぐ船|楫間《かぢま》にも奈良の我家《わぎへ》を忘れて思へや
     右の一首は、大伴家持
 
〔譯〕 垂姫の浦を漕ぐ船の櫓を操る絶間のやうな短い間でも、奈良の我が家が忘れられようか、忘れることは出來ない。
〔評〕 多感な家持は、都人を迎へて、都への郷愁更に新たなものがあつたのであらう。卷十七の「三八九四」を粉本としたかとも思はれるが、四五句は、彼の平敍的なのに比し、此の古調にしてかつ反語を以てした感激的の敍述が、一層すぐれてゐる。
(263)〔語〕 ○忘れて思へや 忘れようか、寸時も忘れはせぬの意。「思へ」は輕く添へた語。
 
4049 おろかにぞ我は思ひし乎不《おふ》の浦の荒磯《ありそ》のめぐり見れど飽かずけり
     右の一首は、田邊史福麻呂
 
〔譯〕 好い加減に自分は高を括つてをりましたよ。ところが、この水海の乎不の浦の荒磯附近の景色は、いくら見ても見飽きないことである。
〔評〕 前日水海遊覽を約した時の作、「如何にある布勢の浦ぞも」(四〇三六)と並べ誦すれば、更に興味の深いものがある。作者は完全に降參した貌である。
〔語〕 ○おろかにぞ 疎かに、等閑に、いい加減にの意。○見れど飽かずけり 「ずけり」は集中用例の多い古調で、後世ならば「ざりけり」とあるところ、見飽きないことを今知つたといふ詠歎の意。
 
4050 めづらしき君が來まさば鳴けといひし山ほととぎす何か來鳴かぬ
     右の一首は、掾久米朝臣|廣繩《ひろなは》
 
〔譯〕 珍らしいを方がお見えになつたらば、鳴けといひつけておいたほととぎすは、なぜ來て鳴かないのか。
〔評〕 鳴けと豫め命じて置いたといふのは、珍客を歡待する熱意からの戯語であること、いふまでもない。ほととぎすにはまだ時期が早いと知りつつ、かくいつたのであらう。
〔語〕 ○めづらしき君 珍客。田邊福麿をさす。
〔左註〕 久米朝臣廣繩 傳不詳。これより先、越中國の掾は大伴池主であつたが、下の「四〇七三」の歌の題詞に「越前國掾大伴宿禰池主」とあるから、池主は越中から越前に轉任し、その後任として廣繩が來たのであらう。
 
(264)4051 多胡《たこ》の埼|木《こ》の暗《くれ》茂《しげ》にほととぎす來鳴き響《とよ》めばはだ戀ひめやも
     右の一首は、大伴宿禰家持
     前の件の十五首の歌は、二十五日に作れり。
 
〔譯〕 多胡の埼の樹木が欝葱と暗く茂つたあたりに、ほととぎすが來て高らかに聲を鳴き響かしたならば、此のやうにひどく戀しく思はうか。一向鳴かないのでこんなに思ひ焦れてゐる。
〔評〕 都よりの珍客を歡待する爲には、この美しい多胡の岬の風光に、更にほととぎすの一聲を添へ、畫龍に睛を點じて見せたいと考へたのも、自然の情であらう。
〔語〕 ○多胡の埼 布勢の水海の南岸、東寄りの半島で、放逸せる鷹を詠じた長歌(十七の四〇一一)に「多胡の島」とあつたのと同處。○とよめば 響かすならばの意。「とよめ」は下二段活用の他動詞の未然形である。○はだ 卷十五の「三七四五」のはだと同じく、甚だの意。はなはだ、さはだ、ここだなどの類。
〔訓〕 ○とよめばはだ 白文「等餘米婆波太」。「婆波」は元暦校本による。西本願寺本等は「波波」、通行本は「波婆」に作るが、いづれもよくない。
〔左註〕 前の件の十五首「四〇四四」以下をさすものと解すべきであるが、實際は八首である。中間の七首が脱落したのであらう。
 
     掾久米朝臣廣繩の館に、田邊史福麻呂を饗する宴の歌四首
4052 ほととぎす今鳴かずして明日越えむ山に鳴くともしるしあらめやも
     右の一首は、田邊史福麻呂
 
(265)〔題〕 福麿が明日歸京の途に就くので、廣繩の邸で送別の宴が開かれた。その時の主客の歌である。
〔譯〕 ほととぎすよ、お前が今この宴席で鳴かないで、明日自分が越えてゆく山の中で鳴いても、何の甲斐があらうか。同じ鳴くならば、今鳴いてくれ。
〔評〕 めづらしいほととぎすの初聲も、今夜の宴に、皆と共に聞いて樂しみたいといふので、一首に親愛の情が溢れて居り、「明日越えむ」の句に、別離の名殘惜しさもよく現はれてゐる。
 
4053 木《こ》の暗《くれ》になりぬるものをほととぎす何か來鳴かぬ君に逢へる時
     右の一首は、久米朝臣廣繩
 
〔譯〕 時は既に暮春、木の葉は暗く茂る頃になつたのに、ほととぎすはなぜ來て鳴かないのか。珍客に逢つて、かうして名殘の宴を催してゐる時に。
〔評〕 この歌は、家持の作の二首、「ほととぎす思はずありき木の暗のかくなるまでになどか來喧かぬ」(八の一四八七)「我が屋前の花橘にほととぎす今こそ鳴かめ友に遇へる時」(八の一四八一)を一つにまとめたやうな感がある。家持の面前ではあるし、恐らく作者は意識して、後世の所謂本歌取式の技巧を試みたのであらう。この頃になると、短歌制作の上に、さうした遊戯的氣分が發生しかけてゐたのである。
 
4054 ほととぎす此よ鳴き渡れ燈火《ともしび》を月夜《つくよ》に比《なぞ》へその影も見む
 
〔譯〕 ほととぎすよ、此處を通つて鳴いて行け。今晩は闇夜であるが、燈火の光を月夜に代へなぞらへて、お前の飛んでゆく姿をも見ように。
〔評〕 古代にあつては、燈油は貴重なものであつたが、その貴い油火を明くして、夜宴を開いてゐた當時の文化人の(266)面影が想像される。人工的に造り上げた月夜を誇つて、その光でほととぎすの姿を見ようといふのは、蓋し奇想といつてよい。緊密な二句切れの調も快い。
〔語〕 ○こよ 「よ」は「ゆ」に同じ。經由する地點を示す。○その影も見む 聲も聞かうし、その飛んでゆく姿も見よう、の意。
 
4055 可敝流廻《かへるみ》の道行かむ日は五幡《いつはた》の坂に袖振れ吾《われ》をしおもはば
     右の二首は、大伴宿禰家持
     前の件の歌は、二十六日作れり。
 
〔譯〕 君が出發して、可敝流のあたりの道を行かれる日には、五幡の坂で袖をお振りなさい。自分の事を思つてくれられるならば。
〔評〕 典型的な五七の調子が快美である。越前の五幡の坂から袖を振つても、越中まで見える道理はないのであるが、別離の名殘を惜しむには、袖を振るのが當時の習慣であつたから、心持の上からこんなこともいつたのであらう。
〔語〕 ○可敝流廻 「可倣流」は、和名抄に「越前國敦賀郡鹿蒜【加倍留】」とある地。今は南條郡に屬し、鹿蒜村大字歸の名が殘つてゐる(今の北陸線大桐と今庄との間)。延喜式神名帳にも加比留神社があり、古今集等に見える「歸る山」もこの地の山である。「み」は島廻、浦廻の「み」で、地名の下に添へた例は「千沼回《チヌミ》」(六の九九九)がある。○五幡 敦賀灣の東岸、敦賀郡東浦村にあり、式内五幡神社がある。卷三に「手結が浦」(三六七)と見えてゐる田結の北。鹿蒜から敦賀津へ越えるのに二途あり、一は南で木芽峠を越えるもの、一は北で五幡へ出るもの。今の北陸道は、鹿蒜を通らず、更に北で武生から直ちに敦賀灣側に入る。
〔訓〕 ○かへるみ 白文「可敝流未」。「未」は諸本「末」に作り、マと訓んで、代匠記初稿本には「ま」は助辭、歸(267)るさの道の意とし、精撰本には「歸る間」といひ、略解は鹿蒜の地として「ま」に同じと見てゐる。今、「未」の誤と見た古義の説に從ふ。
 
     太上皇《おほきすめらみこと》、難波宮に御在《ましまし》し時の歌七首【清足姫天皇なり】
     左大臣橘宿禰の歌一首
4056 堀江には玉敷かましを大皇《おほきみ》を御《み》船漕がむと豫《かね》て知りせば
 
〔題〕 以下七首は「傳へ誦する人は田邊史福麿なり」と左註にある如く、天平二十年三月越中に下つた福麿が、語り傳へたのを家持が録したのである。○太上皇は、清足姫天皇、即ち元正天皇。○左大臣は橘宿禰諸兄のこと。
〔譯〕 難波の堀江には、玉を敷き並べてお待ち申上げる筈でございましたものを。大君の御幸を、この堀江で御船をお漕ぎ遊ばすと豫め存じてをりましたならば。
〔評〕 儀禮歌の一典型であるが、渾厚莊重の趣致がある。作者は後にも同じ趣の歌を詠んでゐる。(十九の四二七〇)。
〔語〕 大君を 大君のことを、かくかくと知つてゐたならばの意。
 
     御製の歌一首 和へたまへる
4057 玉敷かず君が悔いていふ堀江には玉敷き滿《み》てて繼《つ》ぎて通はむ【或は云ふ玉こきしきて】
     右の二首、件の歌は、御船の江を泝りて遊宴しましし日、左大臣の奏せる、并に御製なり。
〔譯〕 玉を敷いて置かないで、そなたが後悔していふこの難波の堀江には、玉を一ぱい敷き滿たして置いて、今後も引續いて來て遊ばう。
〔評〕 そんなに後悔せずとも苦しくないと、老臣をおいたはりになつた、女帝らしい御心づかひの見える御製。
(268)〔語〕 ○玉こきしきて 第四句の異傳で、緒に貫いてある珠をしごき落しての意。
〔訓〕 ○右の二首 白文「右二首」。諸本に「一首」とある。代匠記によつて改める。
 
     御製の歌一首
4058 橘のとをのたちばな彌《や》つ代にも我《あれ》は忘れじこの橘を
 
〔譯〕 橘家にある、枝もたわわに實つてゐる橘を、いつの代までも忘れまい。この美しい橘を。
〔評〕 かがやくばかり美しく實つた橘に寄せて、左大臣橘卿を壽ぎ給うたのである。古典的格調をそなへて、音樂的に流麗であり、帝王の御風格と拜せられる。
〔語〕 ○とを とをを、たわわに同じく、撓むほどの意。○彌つ代 いよいよ久しい年月の後の義、永久に。
〔訓〕 ○登乎能 「乎」を「之」「能」「乃」などの誤とし、殿とする説はよくない。もとのままでよい。
 
     河内女王《かふちのひめみこ》の歌一首
4059 橘の下照る庭に殿建てて酒宴《きかみづき》います我が大君かも
 
〔題〕 河内女王 高市皇子の女。寶龜十年十二月、正三位で薨ぜられた。
〔譯〕 橘の實が下蔭も照り映えるほど美しく輝いてゐるこの橘家の庭に、御殿をお建てになつて、酒宴をしていらつしやるわが大君は、まことお樂しげに尊いことでいらつしやいます。
〔評〕 枝もたわわに色づいた橘の實の、地上に映ずる美しさ。これによつて、橘家の繁榮も象徴せられた趣がある。その邸に於ける宴會の、君臣和樂の有樣が想察される。
(269)〔語〕 ○下照る 下蔭が照り映えるの意。また、「秋山のしたひ」の「した」で 色美しく輝く意とする説もある。○殿建てて 臨幸を仰ぐ爲に諸兄が建てたのを、かく言ひなしたもの。○さかみづき 酒に漬る義。酒宴。
 
     粟田女王の歌一首
4060 月待ちて家には行かむ我が插《さ》せるあから橘影に見えつつ
     右の件の歌は、左大臣橘卿の宅《いへ》に在《いま》して、肆宴《とよのあかり》きこしめしし時の御歌、并に奏せる歌なり。
 
〔題〕 粟田女王 天平寶字八年五月、正三位で薨ぜられた。○一首 通行本にこの二字を脱してゐるが、西本願寺本等によつて補ふ。
〔譯〕 月の出るのを待つて、家へは歸ることにしよう。私の髪に挿してゐるつやのよい橘の實を、月影に輝かして見せながら。
〔評〕 悠揚として迫らぬ調子の歌。「あから橘」を、ほの白く照る花と見る説は、實際上からも語感の上からも首肯できない。
〔語〕 ○あから橘 色づいてつやつやしてゐる橘の實。花が明るいと解するのはよくない。○影に見えつつ 月影に照らされて、他人の目に見えるやうにしつつの意。換言すれば、月光に照らして見せつつである。
〔左註〕 右の件の歌は云々 右三首の歌は、左大臣橘諸兄の邸に行幸になり、御宴を賜うた際の御製と兩女王の御作であるの意。○肆宴 トヨノアカリと訓んで、豊の明の義、群臣に酒を賜ふ御宴をいふ。
 
4061 堀江より水脈引《みをび》きしつつ御《み》船さす賤男《しづを》の徒《とも》は河の瀬|申《まう》せ
 
〔譯〕 難波の堀江を通つて、水脈を引きながら御船を棹さしゆく船人どもは、河の瀬によく注意してお仕へ申上げよ。
(270)〔評〕 御船の水先案内をする船頭に向つて、粗相のないやうにと命じたのである。いかにも用意の周密な點、口吻の重厚な所、或は諸兄の作であらう。
〔語〕 ○みをびきしつつ 水脈に船のあとをひきのこしつつの義。「みを」は、水の路。水の深くなつて船の通るに便な水路をもいふ。「潮待ちて水脈びき行けば」(十五の三六二七)ともある。○御船さす 御船に棹さす。○賤男の徒 賤しい男のともがら。船頭どもはの意。○まうせ 仕へ奉れの義。「天の下申したまへば」(二の一九九)の「申す」に同じ。
 
4062 夏の夜は道たづたづし船に乘り河の瀬ごとに棹さし上《のぼ》れ
     右の件の歌は、御船綱手以ちて江を泝《のぼ》り遊宴しましし日作れり。傳へ誦める人は田邊史福麻呂なり。
 
〔譯〕 夏の夜は道がたどたどしくておぼつかない。御船に綱をかけ曳船をするのは止めて、船に乘り、河瀬のところは、どこでも、棹をさしてのぼるがいい。
〔評〕 五月闇の夜に、御船にあやまちなからしめようと船人に命じたもの、これも長者らしい風格がある。
〔語〕 ○道たづたづし 「たつたづし」は、たどたどしい、覺束ないの意。左註に「綱手以ちて江を泝り」とあるから、曳船をしてゆく川岸の道の危險を警めたのである。○河の瀬ごとに 河の淺瀬のところは皆。
〔左註〕 右の件の歌は云々 以上二首の歌は、曳船で難波堀江を上りつつ、太上天皇が遊宴をなされた時の作である。
○綱手 船の舳につけて治岸の道を行きつつ曳く綱。○傳へ誦める人云々 是等の歌を傳誦したのは田邊福磨であるとの意。但、福麿の傳誦したのは以上二首のみではなく、七首全部である。
 
     後に追和せる橘の歌二首
(271)4063 常世物《とこよもの》この橘のいや照りにわご大皇《おほきみ》は今も見る如《ごと》
 
〔題〕 後に追和せる云々 以下の二首は、その席にゐなかつた家持が、福麿の傳誦を聞いて、後から和した歌である。
〔譯〕 常世の國から渡來した物であるこの橘の實が、いよいよ美しく照り輝いてゐるやうに、わが大君は、今も自分が眼前にお見あげするとほり、永久にお榮え遊ばしませ。
〔評〕 歌を熱愛する家持は、福麿から傳聞して、黙止し得なかつたのであらう。かの太宰府の梅花宴の歌に追和したと同じ心持で、この作を成したのである。豐かに莊重な歌調で、よく原作に歩武を接するものと評してよい。
〔語〕 ○常世物 常世の國から將來した物の意。垂仁天皇の御代、勅を奉じて田道間守が橘を覓めに行き、辛苦の末、常世の國から之を持ち還つたことが、古事記に見える。常世の國は不老不死の仙郷の意であるが、實際的には大陸の或る一部と考へられる。下にも「田道間守常世に渡り八矛持ち參出來《まゐでこ》し非時《ときじく》の香《かく》の木の實を」(四一一一)とある。○この橘の 家持自身もその宴に侍してゐたやうな心持で「この」といつたのである。○わご 「わが」の轉音。卷一の「五二」參照。
 
4064 大皇《おほきみ》は常磐《ときは》に在《ま》さむ橘の殿のたちばな常照《ひたて》りにして
     右の二首は、大伴宿彌家持作れり。
 
〔譯〕 大君は永久にお榮えになるであらう。橘氏のお屋敷の橘が、ひたすら美しく照りに照つてゐるやうに。
〔評〕 前の歌と共に、河内女王の歌に追和したもの。内容は祝賀の歌の定石どほりを行つたのであるが、調のどつしりとしてゐる點はよい。
 
     射水郡の驛舘の屋の柱に題し著けたる歌一首
(272)4065 朝びらき入江こぐなる楫《かぢ》の音《おと》のつばらつばらに吾家《わぎへ》し思ほゆ
     右の一首は、山上臣《やまのうへのおみ》の作。名を審にせず。或は云ふ、憶良大夫の男といへり。但、其の正名は未だ詳ならず。
 
〔題〕 射水郡の驛館 射水郡では、亘理《わたり》、今の新湊市放生津が、延喜式に驛名として見え、かつ古の越中第一の要港であつた。全釋は、ここにいふ驛館を、亘理の驛館をさすものと推定してゐる。
〔譯〕 朝船出をして入江を漕いでゐる船の艪の音が、つばらつばらと聞えてくるやうに、自分は旅にゐて、つばらかに家のことが思ひ出されることである。
〔評〕 艪を漕ぐ音が、つばらつばらといふやうに聞えるのを、そのまま取つて序に用ゐたところ、面白い表現で、清新味がある。句法聲調、共に整つてゐる。
〔語〕 ○朝びらき入江漕ぐなる楫の音の 以上「つばらつばら」といふ爲の序であるが、眼前の實景を取つてゐる。○つばらつばらに 審かに、委しく、こまごまとの意であるが、上との聯絡は、艪の水をはねる音が、ちやぶちやぶいふのを、つばらつばらと聞きなして續けた技巧である。
〔左註〕 山上憶良が越中に行つたといふ形跡はないので、或はその子息かと考へたのであらう。これは福麿が、射水郡の驛館に宿つて、發見して家持に知らせたものであらう。
 
     四月一日、掾久米朝臣廣繩の舘にて宴せる歌四首
4066 卯の花の咲く月立ちぬほととぎす來鳴き響《とよ》めよ含《ふふ》みたりとも
     右の一首は、守大伴宿禰家持作れり。
 
〔題〕 四月一日 天平二十年の四月一日である。古義に、この歌以下四首を三月十六日の歌(四〇七九)の次に置き(273)換へてゐるが、三月十六日は、實は天平二十一年であるのを心附かなかつた結果、誤に陷つたものである。
〔譯〕 卯の花の咲く月になつた。ほととぎすよ、來て高く鳴いて聲を響かしてくれ。卯の花はまだ蕾んでゐても。
〔評〕 卯の花とほととぎすとの配合は、既に固定した花鳥趣味である。ただ二句切れは力がある。
〔訓〕 ○ふふみ 白文「敷布美」。通行本「美」を「里」とするは誤。元暦校本・頬聚古集等に據つて訂す。
 
4067 二上《ふたがみ》の山にこもれるほととぎす今も鳴かぬか君に聞かせむ
     右の一首は、遊行女婦土師《うかれめはにし》作れり。
 
〔譯〕 二上山の木蔭に隱れてゐるほととぎすよ。今此處で鳴いてくれないか。君にお聞かせ申さうに。
〔評〕 卷八の「一四七〇」に似てをり、平庸の作ではあるが、結句の「君に聞かせむ」は、極めて自然にして眞情が表はれ、巧まざるよさがある。
〔左註〕 遊行女婦土師 上の「四〇四七」に見えてをる。
 
4068 居《を》り明《あか》しも今宵は飲まむほととぎす明けむあしたは鳴き渡らむぞ
     二日は立夏の節に應《あた》る。故《かれ》、明旦喧かむとすといへり。
     右の一首は、守大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 ここにをつて、夜明して今夜は飲まう。ほととぎすは、明朝は立夏だから必ず鳴いて通るに違ひないぞ。
〔評〕 立夏の前夜の宴で、宴樂の果てるのを惜しむ氣持が十分表はれてゐるが、立夏と共にほととぎすが鳴くものとしてゐるところ、後世の「待郭公」の歌の先驅をなすものといつてよい。
〔語〕 ○居り明しも このまま起きてゐて夜を明しての意。「ゐ明して」(二の八九)に同じ。「も」は詠歎の助詞。(274)○明けむあした 明朝即ち二日。この日は立夏に當ることが左註に見える。
〔訓〕 ○居り明しも 白文「乎里安加之母」。通行本には「母」がない。類聚古集・西本願寺本等に從つて補ふ。、
〔左註〕 明旦云々 歌に「明けむあしたは鳴き渡らむぞ」といつた理由の説明である。これによつて、立夏の日からほととぎすが必ず鳴くと、當時既に云はれてゐたことがわかる。
 
4069 明日よりは繼《つ》ぎて聞《きこ》えむほととぎす一夜のからに戀ひ渡るかも
     右の一首は、羽咋《はぐひ》郡の擬主帳|能登臣乙美《のとのおみおとみ》作れり。
 
〔譯〕 明日からは毎日續いて聞えて來るに違ひないほととぎすだから、靜かに待てばよいのに、たつた一夜だけのことで、かうもあせつて戀しがつてゐることか、まあ。
〔評〕 これも、立夏と共にほととぎすが鳴き始めるものといふ既成觀念に基づいた歌で、「一夜のからに」といふ誇張も、後世風に近づいてゐる。
〔語〕 ○繼ぎて聞えむ 引繼いで毎日聞えるであらう。「聞えむ」は終止形とも連體形ともいづれとも取られるが、今は連體形と見たい。○一夜のからに からは故の意。ただ一晩のことゆゑに。
〔左註〕 ○羽咋郡 能登四郡の一。○擬主帳 假に主帳の役としてある者。主帳は書記で、帳簿文書を司る。
 
     庭中の牛麥《なでしこ》の花を詠める歌一首
4070 一もとのなでしこ植ゑし其の心誰に見せむと思ひ初《そ》めけむ
     右は、先の國師の從僧《ずそう》清見《せいけに》京都《みやこ》に入らむとす。因りて飲饌を設けて饗宴しき。時に主人大伴宿禰家持、此の歌詞を作りて、酒を清見に送れり。
 
(275)〔題〕 牛麥花 瞿麥花のこと。一切經音義第十二に「瞿此謂云v牛」とあり。牛を梵語で瞿といふので、瞿麥を牛麥とも書いたのであると代匠記にある。「花」は通行本にないが、西本願寺本等によつて補つた。
〔譯〕 一株の撫子を庭に植ゑた自分の心持は、誰に見せようと最初から思つたことであらう。ほかならぬ貴僧にお目にかけようためであつたに、その花のさく日も待たないで、都にお立ちとは、まことに殘念である。
〔評〕 いかにも貴公子らしい家持の優にやさしい一面がよくあらはれた歌であり、格調も内容に相應して幽婉柔軟で、著しく平安朝風の匂を漂はせてゐる。
〔左註〕 國師 國分寺の主僧をいふ。先とあるは先代、その侍者清見が京に還るので、家持は送別宴を催し、酒を勸めつつこの歌を詠んだのである。
 
4071 級離《しなざか》る越《こし》の君らと斯《か》くしこそ楊《やなぎ》蘰《かづら》き樂しく遊ばめ
     右は、郡司已下の子弟已上の諸人|多《さは》に此の會に集ひき。因りて守大伴宿禰家持、此の歌を作れり。
 
〔譯〕 越の園の諸君と一緒に、自分はかうして柳を蘰にして、いつも樂しく遊びたいものである。
〔評〕 内容は極めて單純であり、かうした席上での辭令の作に過ぎないが、楊を蘰きつつ樂しく遊ばうといふ具體的敍述が、一首の生命を救つてをる。
〔語〕 ○級離る 「越」の枕詞。卷十七の「三九六九」參照。○かくしこそ いつもこのやうにしての意。「し」は強意の助詞。○楊かづらき かはやなぎを髪にさして飾りとする意。
〔訓〕 ○君らと 白文「吉美良等」。「良」は元暦校本等の古寫本による。通行本「能」に作るは誤。
 
4072 ぬばたまの夜渡る月を幾夜|經《ふ》と數《よ》みつつ妹は我《われ》待つらむぞ
(276)     右は、此の夕、月光遲く流れて和風稍扇ぐ。即ち屬目に因りて、聊か此の歌を作れり。
 
〔譯〕 夜空を移つてゆく月を眺めて、別れて後幾夜過ぎたと數へながら、妻は自分を待つてゐることであらうよ。
〔評〕 清見が都に還るといふにつけて、作者が都なる妻の上に思を馳せたのは自然である。但、前にあつた自作(十七の三九八二)を聊か改造したのである。なほ以上三首は初夏の作。次の池主との贈答は、翌天平二十二年の作で、中間に約一ケ年に近い時日がある。この空白は、この卷の編纂者がおとしたのであらうか。或は概説に述べたやうに平安時代に寫し改める時おちたものであらうか。
〔語〕 ○和風稍扇ぐ 穩かな風がそよそよと吹く。○屬目に因りて 目に觸れた情景によつてこの歌を詠んだ。
 
     越前國掾大伴宿禰池主、來贈れる歌三首
     今月十四日を以ちて深見村に到り來、彼の北方を望拜し、常に芳コを念ふこと、いづれの日か能く休まむ。兼ねて隣近なるを以ちて、忽に戀緒を増す。加以《しかのみにあらず》先の書に云ふ。暮春惜む可し。膝を促《ちかづ》くること未だ期《ちぎ》らずといへり。生別の悲、それ復何とか言はむ。紙に臨みて悽斷《いた》む。?を奉ること不備なり。
       三月十五日、大伴宿禰池主
     一、古人の云へる
4073 月見れば同《おな》じ國なり山こそは君が邊《あたり》を隔てたりけれ
 
〔題〕 ○越前國掾 大伴池主は初め越中國の掾であつたが、越前に轉じたのである。○今月十四日云々 以下池主から家持に贈つた書簡。この前に家持から池主に與へた書簡のあつた趣が、この文中に見えるが、それはここに載せて無い。○深見村に到り來 池主が公用を帶びて深見村に來たのであらう。深見対は下の「四一三二」の題詞に「深海(277)村」とあるに同じ。延喜式の驛名。越前加賀郡、即ち、今の加賀國河北郡のうちで、大日本地名辭書は、津幡の邊と推定してゐる。越中國境まで二里。○彼の北方を望拜し 家持のゐる北の方を慕ひ拜して。○常に芳コを念ふ いつも家持の芳情を忘れたことはない。○兼ねて隣近なるを以て戀緒を増す その上、御近所まで來ましたので一層貴方が慕はしくなつた。「緒」は諸本に無いが、古義の説によつて補ふ。○先の書 以前家持から池主に送つた手紙をいふ。集中には掲げてない。○膝を促くること未だ期らず 膝を突き合せて語ることはまだいつとも分らない。○紙に臨みて悽斷む 手紙を書きながら戀しくて心がいたむ。○古人云 「月見れば國は同じを山|隔《へな》り愛《うるは》し味は隔《へな》りたるかも(十一の二四二〇)と同趣で、場合が相似てゐる所から、少しは改作してゐながら、猶古人の作として書き送つたのであらう。
〔譯〕 月を見ると變りもないので、そちらもこちらも、同じ國のやうな氣がします。ただ幾重にも連なるこの山が、貴君のお處を隔てて、容易に逢はせてくれないのが殘念です。
〔評〕 池主が家持に對して景慕と親愛とを傾けてゐたことは、前にも?々見えてをる。任地を異にして兩者の心持が一層深まつたことも容易に想像される。
 
     一、物に屬《つ》きて思を發《おこ》せる
4074 櫻花今ぞ盛と人は云へど我は不樂《さぶ》しも君とし在らねば
 
〔題〕 物に屬きて云々 眼前に見る物に寄せて所懷を述べるの意で、今、楔の花を見つつ感想を吐露したのである。
〔譯〕 櫻の花は今が盛であると、人はいつて、眺め樂しんでゐるけれども、自分は心が樂しまない。貴君と一緒にゐませんので。
〔評〕 爛漫たる櫻花を見ても、共に賞することを得ぬ本意なさをかこつたもので、單なる一片の辭令のみではなく、(278)四の「四八六」また、十の「二二九〇」に類似の語句はあるが、作者の眞情が表はれてゐる。
 
     一、所心の歌
4075 相おもはずあるらむ君をあやしくも嘆き渡るか人の問ふまで
 
〔題〕 所心の歌 心に思ふところを述べた歌の意。「歌」は通行本「耳」に作るは誤。神田本等による。
〔譯〕 自分の事は何とも思つてゐてくださらぬかも知れない君であるに、自分はわれながら不思議なくらゐ戀しくて、歎き過して居ります。何故の物思かと人が尋ねるほどに。
〔評〕 戀愛歌のやうな感を與へるが、それだけ兩者の交情の密であつたことを示すものであらう。或は、卷四の家持の歌「七一七」と似てをるのを見ると、意識的に模したかとも思はれる。
 
     越中國守大伴家持、報へ贈れる歌四首
     一、古人の云へるに答ふ
4076 かしひきの山は無くもが、月見れば同じき里を心隔てつ
 
〔題〕 この一聯四首は、池主から贈られた歌に對して家持が答へた歌。第一首は「四〇七三」の歌にこたへたもの。
〔譯〕 山が無ければよいのに。月を見ると、同じ光に照らされてゐる里であるに、互の心を山が隔てて、通はせないのが恨めしい。
「評〕 聊か理に墮してゐるのみならず、贈られた歌にあまり即き過ぎて窮屈になつてゐる。
 
     一、目を屬けて思を發せるに答へ、かねて、遷任《うつ》れる舊き宅の西北《いぬゐ》の隅の櫻の樹を詠みていふ
(279)4077 我が兄子《せこ》が古き垣内《かきつ》の櫻花いまだ含《ふふ》めり一目見に來《こ》ね
 
〔題〕 目に屬きて云々 池主から贈つた第二首目の歌に和し、併せて池主が轉任以前にゐた官邸の庭の西北隅にある櫻について詠んだとの意。「屬目」は池主の歌には「屬物」とあるので、ここもその誤といふ説もあるが、改めるには及ばない。
〔譯〕 親愛なる君が舊邸内の櫻の花は、まだ蕾んでゐて舊主を待ち顔である。早く一目見に來られよ。
〔評〕 花を見に來いといふのは、勿論久々で逢つて歡談したいといふのである。友情の溢れた歌で、詞句も流麗にして高雅である。
〔語〕 ○我が兄子 男子を親しんで呼ぶ語で、同性間にも用ゐる。ここでは池主をさす。○古きかきつ 「舊宅」の垣の内。
 
     一、所心に答ふ。即ち古人の跡を以ちて今日の意に代ふ
4078 戀《こ》ふと云ふはえも名づけたり言《い》ふすべのたづきも無きは我《あ》が身なりけり
 
〔題〕 ○所心に答ふ 池主の第三首に答へる。○古人の跡云々 古人の作を借りて今日の自分の心持を述べる。
〔譯〕 戀ひ慕ふといふことは、よくも名づけた言葉である。しかし自分は、そんな名のつけられるやうななまやさしいものではなく、何とも説明する方法も無いのは自分の思である。
〔評〕 これは男女間の相聞歌で、戀しい心を訴へて來たのに對して、自分のは戀しいどころではない、到底言葉ではいへないと答へたもの。戀する人の眞實ではあるが、四五句が著しく後世風で力弱い。古今集なる清原深養父の、「戀しとは誰が名づけけむ言ならむ死ぬとぞただにいふべかりける」は、或は、これの換骨奪胎かとも考へられる。(280)古歌とはあつても、家持の時代を距ること遠いものではない。
〔語〕 ○えも名づけたり 略解に「深くも名づけたるなり、えならずのえと同じ」とあるは不可。ここは、中世の否定を件ふ「え」とはちがふ。よくも名づけた、全くさうである、と一旦肯定しておいて、が併し云々と反戻してゆく語法である。
 
     一、更に目を矚《つ》く。
4079 三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ
     三月十六日
 
〔題〕 更に目を矚く 池主の三首に對して答歌三首を作つた上、更に眼前の光景を詠じて一首を添へるの意。
〔譯〕 三島野にこの日頃折々霞が棚引いて、もう春が來たと思つてゐるのに、それでもなほ、昨日も今日も雪が降つてゐる。
〔評〕 春も漸く酣ならむとする三月十六日に、なほ冴返つて雪が亂れ散るといふのは、正に北國風景である。句法緊密、詞句流麗にして、先蹤がなければ推賞に値する作であるが、卷五の「八二三」、卷八の「一四二七」、卷十の「一八三二」などに摸した形迹が著しいのは遺憾である。
〔語〕 ○三島野 越中の國府の南方一里餘の地、今の二口村附近。卷十七の「四〇一一」參照。
 
     姑《をば》大伴氏の坂上郎女、越中守大伴宿彌家持に來贈れる歌二首
4080 常人の戀ふと云ふよりは餘りにて我《われ》は死ぬべくなりにたらずや
 
〔題〕 姑 この字は今普通シウトメの意にのみ用ゐるが、ここはヲバと訓む。坂上郎女は旅人の妹、家持の叔母であ(281)り、後にはシウトメにもなつたのであるが、猶これはヲバとよむがよい。
〔譯〕 世間普通の人が戀ひ慕ふなどといふよりは、遙かにその上に出てしまつて、私はもう堪へきれず、死ぬほどになつてゐるではありませんか。
〔評〕 血縁の叔母として、坂上郎女がいかに家持を愛してゐたかは、既に見えた數々の詠作によつて知られる。まして今は愛する娘の壻として、しかも百里の山河を隔てて、相見ることを得ぬ境涯にあるので、思慕の情の堪へ難くなつたのも首肯される。上の「四〇七八」のところに引いた古今集の深養父の歌は、この郎女の作にも辭句の似た點がある。それで愈々深養父の作の根據がわかるやうに思はれる。
〔語〕 ○餘りにて 心が餘つて、即ちそれどころでなく、もつと以上にいつての意。「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。○なりにたらずや なつてゐるではないか。この「に」も完了の助動詞「ぬ」の連用形。
 
4081 片思《かたおもひ》を馬に太馬《ふつま》に負《おほ》せ持《も》て越邊《こしべ》に遣《や》らば人|?《かた》はむかも
 
〔譯〕 私の片思を、太く逞ましい馬に背負はせて、あなたのをられる越の國の方へやつたらば、人が重い荷物でよほどよい物と目をつけて、欺き取ることであらうか。
〔評〕 家持に對する愛情を、自ら「片思」といつてゐるのは、無意識の裡にその愛の深さを語つてゐて面白い。その片思を肥馬に積んで送るといふのは甚だ奇拔であるが、これは「戀草を力車に七草積みて戀ふらくわが心から」(四の六九四)の先蹤がある。併し「人?はむかも」に至つては眞に奇想天外で、その諧謔の中に、作者の洒脱な半面が窺はれる。
〔語〕 ○馬に太馬に 「籠もよみ籠持ち」(一の一)といふやうに、言葉を重ねて強調した語法。「ふつま」は太馬《ふとうま》の約。肥馬。○かたはむ かたふことであらう。「かたふ」は、かたる、かどはかすの類で、掠め奪ふの意とする。類聚名(282)義抄に、誘をカトフと訓んでゐる。
 
     越中守大伴宿彌家持の報ふる歌、并に所心三首
4082 天《あま》ざかる鄙の奴《やつこ》に天人《あめひと》し斯《か》く戀ひすらは生けるしるしかり
 
〔題〕 三首 「四〇八二」「四〇八三」の次に、所心一首が脱落したのであらう。(大野晋氏説)
〔譯〕 田舍の卑しい奴である自分に、天人のあなたがこれほど深く戀をしてくれられるのは、自分はこの世に生きてゐる甲斐がございます。
〔評〕 長い間の田舍住ひをしてゐる自分を、鄙の奴と自嘲し、都人たる叔母坂上郎女を天人に擬したところに諧謔味がある。これも一見戀愛歌のやうな感があるが、親しい間柄で調子を合せたのであらう。
〔語〕 ○奴 諧謔的自卑の語。○戀すらは 代匠記に、「良と留と同音なれば、こひするはなり」とあるによる。略解は、すらばとよみ、「するならばといふをはぶけるなり」としてゐる。○生けるしるしあり 「御民われ生けるしるしあり」(九九六)の句を用ゐたものと思はれる。
〔訓〕 ○やつこ 白文「夜都故」。諸本「都夜故」。とあつて、ミヤコと訓んでゐるが、「都」はミと訓むべきでなく、また、越中の國府を都とはいへない。本居大平の説の「夜都故」の誤といふに從つた。○すらは 白文「須良波」。古義は須良は勢列か世列の誤、新考は、波は久か玖の誤とし、大野氏は平安朝の補綴改書の際の誤かとしてゐる。
 
4083 常の戀いまだ止《や》まぬに都より馬に戀|來《こ》ば荷《にな》ひ堪《あ》へむかも
 
〔譯〕 平素あなたを戀しく思つてゐる自分の心がまだ止まないのに、その上、都から戀の重荷を馬に載せて送つて來たならば、どうして荷ひきれませうぞ。
(283)〔評〕 坂上郎女の才華と、好一對をなす輕妙な機智である。かやうな贈答に於ける奈良時代の文化人の才氣は、平安貴族のそれによほど接近して來て、著しく遊戯的になつてゐることが感ぜられる。
〔語〕 ○馬にこひ來ば 馬に負はせて戀の思を送つて來たらば。「こひ來ば」は戀しい心を寄せ來るの意。○荷ひ堪へむかも 荷ひきれようか、とても荷ひきれないの意。「か」は反語。
 
     別に所心一首
4084 曉《あかとき》に名|告《の》り鳴くなるほととぎすいやめづらしく思ほゆるかも
     右の四首は、使に附けて京師に贈り上《のぼ》せたり。
 
〔題〕 別に所心一首 三首の歌を贈られたに對して三首答へ、更に思ふ所を別に一首附加する意。
〔譯〕 夜の明け方に、ほととぎす、ほととぎすと我が名を唱へながら鳴いてゆく聲が聞える。その聲のやうに、あなたのお便りが一層めづらしく懷かしく思はれることであります。
〔評〕 折からほととぎすの鳴く頃であつたから、その聲に因んでなつかしい叔母であり、妻の母である坂上郎女の消息をめで喜んだのである。ここにも家持の例のほととぎす好《ごの》みが無意識の裡に表はれてゐる。
〔左註〕 右の四首 白文「右四首」。元暦校本による。通行本は「右四日」とあるので、代匠記は「四月」の誤とし、古義は四月四日の意であらうといつてゐる。上述の大野氏の説によれば「四首」がよい。
 
     天平感寶元年五月五日、東大寺の占墾地の使僧平榮等を饗しき。時に守大伴宿禰家持、酒を僧に送れる歌一首
4085 燒刀《やきたち》を礪波《となみ》の關に明日よりは守部《もりべ》遣《や》り副へ君を留《とど》めむ
 
(284)〔題〕 ○天平感寶元年 天平二十一年四月十四日に改元されたが、その年七月二日に再び天平勝寶と改元された。○東大寺 奈良の東大寺。越中國にも寺田を有した。○占墾地 諸寺が私に開墾し、私有することを許された地。天平感寶元年四月の勅に、等々に墾田地を許す旨が仰せられてある。從つて諸寺は、各地に墾田地を占むる爲に寺僧を派遣したので、この平榮等もその爲、越中に來たのである。「占」を通行本「古」に作るは誤。今、元暦校本等によつて訂す。○平榮 正倉院文書にしばしば見える名で、南京遺文に載せた越前足羽郡司解には、ここと同じ年同じ月に、寺家野占寺使法師平榮が、足羽郡で土地を定めたことが記されてある。
〔譯〕 あの礪波の關に、明日からは番人の數を増し派遣して、貴僧が奈良へ歸られるのを止めようと思ふ。
〔評〕 別れを惜しむ親愛の情を強調する爲、可なり趣向をめぐらした歌。四句は國守らしいいひざまである。
〔語〕 ○燒刀を 太刀の鋭い意で「利《と》」につづくとの説もあるが、鍛へた太刀を磨ぐ意で「砥」につづくと解すべきであらう。○礪波の關 越前への通路で、越中東礪波郡にあつた。
 
     同じき月九日、諸僚、少目|秦伊美吉石竹《はたいみきいはたけ》の館に會《つど》ひて飲宴しき。時に主人、百合の花|縵《かづら》三枚を造り、豆器《つき》に疊《かさ》ね置きて、賓客に捧げ贈る。各此の縵を賦して作れる三首
4086 あぶら火《び》の光に見ゆる我が縵《かづら》さ百合の花の笑《ゑ》まほしきかも
     右の一首は、守大伴宿禰家持
 
〔題〕 ○諸僚 國府の役人達。○少目 「目」はサクワンと訓み、國司の第四等官。目を大小に分つて二人置くのは大國である。卷十七の「三九五一」左註參照。○秦伊美吉石竹 天平寶字八年十月正六位より外從五位下を授けられ、寶龜七年三月播磨介となつた。○百合の花縵 百合の花で作つた鬘。○豆器 支那の祭器の一で、肉を盛る木製の器。ここは、日本の杯《つき》をみやびやかに豆器と書いたものと新考は見てゐる。杯は土器で飲食物を盛る、高杯はそれに臺を(285)添へたもの。
〔譯〕 燈火の光に照らされて見える我が花縵の百合の花が、まことに美しくて、見るもほはゑましい。
〔評〕 燈油が極めて貴重なものであつた時代の背景を考慮に入れて、味ふべき歌である。役人たち打ち集うて、油火の光のもとに花縵を愛でた夜宴の樣が偲ばれる。
〔語〕 ○あぶら火 油火、即ち油に燈心を浸してともした火。○さ百合 「さ」は接頭辭。
 
4087 燈火《ともしび》の光に見ゆるさ百合花|後《ゆり》も逢はむと思ひ初《そ》めてき
     右の一首は、介内藏伊美吉繩麻呂《すけうちのくらいみきなはまろ》
 
〔譯〕 燈火の光に照らされて見える美しい百合の花、その「ゆり」といふやうに、ゆり(後)もこんな樂しい遊宴をして、一同逢ひ語らひたいと思ひ始めたことです。
〔評〕 燈火の光に映える百合の花縵を、序とし用ゐて集宴の樂しさを語つてゐるのは巧妙である。百合を後の意に用ゐた手法は、卷八の「一五〇三」にある。
〔語〕 ○燈火の光に見ゆるさ百合花 以上三句、眼前の物を取り、同書を重ねて「ゆり」につづけた序詞。○ゆりも 「ゆり」は後の意の古語。
〔左註〕 介内藏伊美吉繩麻呂、國司の次官で、卷十七の「三九九六」卷十九の「四二〇〇」にも作がある。傳は不詳。
 
4088 さ百合花|後《ゆり》も逢はむと思へこそ今のまさかも愛《うるは》しみすれ
     右の一首は、大伴宿禰家持和ふ
 
〔譯〕 後もこのやうに樂しく相逢はうと思へばこそ、さしあたつての現在も、かうして、諸君と睦まじく語らふこと(286)である。
〔評〕 繩麿の歌に和したといふだけで、單なる儀禮的の歌。句法は、卷十二の「二八六八」に似てゐる。
〔語〕 ○まさか 現在。卷十二の「二九八五」、卷十四の「三四〇三」「三四一〇」參照。
 
     獨《ひとり幄《あげはり》の裏《うち》に居て、遙に霍公鳥の喧くを聞きて作れる歌一首并に短歌
 
4089 高御座《たかみくら》 天《あま》の日嗣と 天皇《すめろき》の 神の命《みこと》の 聞《きこ》し食《を》す 國の眞ほらに 山をしも さはに多みと 百鳥の 來居《きゐ》て鳴く聲 春されば 聞《きき》の愛《かな》しも いづれをか 別《わ》きてしのはむ 卯の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴くほととぎす 菖蒲草 珠|貫《ぬ》くまでに 昼暮らし 夜《よ》わたし聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と いはぬ時なし
 
〔題〕 幄の裏 幕を揚げて張りめぐらし作つた家の義。釋名に「幄、屋也、以v帛衣v板施v之、形、如v屋也」とある。
〔譯〕 高御座の上に天の日嗣としていらつしやる、神樣の天皇樣が、領有しておいでになるこのすぐれた國の眞中である越中の國には、山が非常に多いといふので、いろいろの鳥の來て鳴く聲が、春になると聞いてゐても實に可愛いい。しかしその春の鳥の中で、どれを取り立てて賞美しよう。どれも同じ程度であるが、卯の花の咲く四月になると、めづらしくほととぎすが鳴き出して、菖蒲草を藥玉に貫く端午の頃まで、昼も一日、夜も終夜聞くけれども、聞くたび毎に心がはげしく動いて、ああ可憐な鳥であるといはない時は無い。
〔評〕 春山に囀る鳥の聲は、明るく樂しい。しかし、特に優れてどれがよいといへぬ。初夏のほととぎすは、いつ聞いても、聞く毎に感興を催す、すぐれた鳥であると、例の極端なほととぎす贔屓である。ほととぎすの歌となると、家持の作には、不思議なぐらゐ熱と力とが加はつてくる。
(287)〔語〕 ○高御座 高い御座所の義で、皇位の尊嚴なるを象徴した語。○天の日嗣 日の御子として嗣ぎ給ふ御位。○國の眞ほら 「國の秀《ほ》」といふに同じく、國を讃美していふ語。「眞」は美稱。「ら」は接尾辭。古事記に「大和は國のまはろば」ともあり、卷五の「八〇〇」にもある。○菖蒲草玉貫く 卷八の「一四九〇」など用例が多い。○晝くらし 朝から夕方まで、終日。○夜わたし 夜どほし。○つごきて つごきは悸の古訓で、心の動き怖れる義。感動して。代匠記には「つ」は「う」の訛としてある。考に「宇」の誤としてあるのはよくない。
 
     反歌
4090 行方《ゆくへ》なくありわたるともほととぎす鳴きし渡らば斯くやしのはむ
 
〔譯〕 心の行方のわからぬやうに途方にくれて日を送つてゐても、ほととぎすが鳴いて通つたならば、誰もこのやうによい聲を賞美することであらう。
〔評〕 表現不足で晦澁な作。ほととぎすを特に愛する家持だけにわかる歌といへよう。
〔語〕 ○行方なく 行くべき方も知られず。○在り渡るとも 日を經過しようとも。○鳴きし 「し」は強めの助詞。
 
4091 卯の花の共にし鳴けばほととぎすいやめづらしも名|告《の》り鳴くなへ
 
〔譯〕 卯の花の咲くと同時に來て鳴くので、ほととぎすの聲はいよいよめづらしく面白く思はれる。しかも、自分の名を、ほととぎす、ほととぎすと呼びながら鳴くにつけて。
〔評〕 卯の花とほととぎすとの配合は、幾度か繰返されてゐる。後世の固定的な季節趣味の萠芽が、既にこの時分にあることが知られる。
〔語〕 ○卯の花の共にし鳴けば 卯の花の咲くと共に鳴くので。「し」は強意の助詞。「の共に」は「の連れ、の仲間(288)で(一緒に)」の意。この發想には、卷八の「一四七二」の影響がうかがはれる。○名のり鳴くなへ 自らの名を呼びつつ鳴くにつれて。
〔訓〕 ○とも 白文「登聞」。諸本「開」一字に作り、サクと訓んでゐるが、今、元暦校本に從ふ。
 
4092 ほととぎすいと嫉《ねた》けくは橘の花ちる時に來鳴き響《とよ》むる
     右の四首は、十日、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 ほととぎすが甚だ憎らしいことは、時もあらうに、橘の花が散る時に來て高音を鳴き響かせ、その爲に、一層自分の心を惱ますことよ。
〔評〕 橘の花の散るのが惜しいと心を惱ましてゐる時、更にほととぎすが鳴いて、聞く人を惱殺するのが憎いといつたのは、逆説的激語で、それほど、ほととぎすに愛着を持つてゐるからである。
 
     英遠浦に行きし日、作れる歌一首
4093 英遠《あを》の浦に寄する白波いや増しに立ち重《し》き寄せ來《く》東風《あゆ》を疾《いた》みかも
     右の一首は、大伴宿禰家持作れり。
 
〔題〕 英遠浦 越中氷見郡氷見町の北方、今は阿尾村といふ地の海岸。
〔譯〕 英遠の浦に寄せる白波が、いよいよ増して、立ち重ねて寄せて來る。東の風がひどく吹くからであらうか。
〔評〕 極めて單純な内容であるが、「立ち重き寄せ來」と小刻みに疊みかけて行つた句法が、この場合甚だ効果的で、風に煽られる白い波頭の律動が、巧みに描き出されてゐる。
 
(289)     陸奧國より金《くがね》を出《いだ》せる詔書を賀《ことほ》ぐ歌一首并に短歌
4094 葦原の 瑞穗の國を 天降《あまくだ》り しらしめける 天皇《すめろき》の 神の命《みこと》の 御代|重《かさ》ね 天《あま》の日嗣と しらし來《く》る 君の御代御代 敷きませる 四方の國には 山河を 廣み淳《あつ》みと 奉る 御調寶《みつきたから》は 數へ得ず 盡しも兼ねつ 然れども 吾が大王《おほきみ》の 諸人を 誘《いざな》ひ給ひ 善き事を 始め給ひて 金《くがね》かも たしけくあらむと 思ほして 下惱《したなや》ますに 鷄《とり》が鳴く 東《あづま》の國の 陸奧《みちのく》の 小田《をだ》なる山に 金《くがね》ありと 奏《まう》したまへれ 御《み》心を 明らめ給ひ 天地の 神|相納受《あひうづな》ひ 皇御祖《すめろき》の 御靈《みたま》助けて 遠き代に かかりし事を 朕《わ》が御世に 顯《あらは》してあれば 食國《をすくに》は 榮えむものと 神《かむ》ながら 思ほし召して もののふの 八十伴《やそとも》の雄を まつろへの むけのまにまに 老人も 女童兒《をみなわらは》も 其《し》が願ふ 心|足《だら》ひに 撫で給ひ 治め給へば 此《ここ》をしも あやに貴み 嬉しけく、愈《いよよ》思ひて 大伴の 遠つ神祖《かむおや》の その名をば 大來目主《おほくめぬし》と 負《お》ひ持ちて 仕へし官《つかさ》 海行かは 水漬《みづ》く屍《かばね》 山行かば 草|生《む》す屍 大皇《おほきみ》の 邊《へ》にこそ死なめ 顧みは爲《せ》じと言立《ことだ》て 丈夫《ますらを》の 清き彼《そ》の名を 古《いにしへ》よ 今の現《をつづ》に 流さへる 祖《おや》の子等《こども》ぞ 大伴と 佐伯《さへき》の氏は 人の祖《おや》の 立つる言立《ことだて》 人の子は 祖《おや》の名絶たず 大君に 奉仕《まつろ》ふものと 言《い》ひ繼げる 言《こと》の職《つかさ》ぞ 梓弓 手に取り持ちて 劔大刀 腰に取り佩《は》き 朝守り 夕《ゆふ》の守りよ 大王《おほきみ》の 御門《みかど》の守護《まもり》 我《われ》をおきて また人はあらじと 彌立《いやた》て 思ひし増《まさ》る 大皇《おほきみ》の 御言(290)の幸《さき》の 【一に云ふ、を】 聞けば貴《たふと》み 【一に云ふ、貴くしあれば】
 
〔題〕 陸奧の國より金を出せる云々 東大寺大佛造立に當り、黄金が缺乏したので、聖武天皇は宸襟を惱まされた折から、天平二十一年に陸奧國から黄金九百兩を貢したので、大いに喜び給うて、詔書を下された。家持は越中にあつてこの詔を拜し、賀意を陳べたのである。
〔譯〕 葦原の瑞穗の國を、天から降つてお治め遊ばされた皇祖の神々の御代を重ねて、天の日嗣の御位を御統治遊ばし來られた天皇の御代御代、お治めになつてゐる四方の國には、山も深く河も大きく廣くて、從つて各地から奉る貢物は數へることも出來ず、いひ盡すことも出來ない。しかしながら吾が大君が諸人をお導きなされ、大佛鑄造といふ善い事業をお始め遊ばされ、それにつけて黄金が十分であらうかどうであらうかと思召して、いろいろお心をおつかひになつていらつしやると、東の國なる陸奧の小田郡にある山に、黄金が出たと奏上したので、御心を晴々しくおぼしめされ、天地の神々が大佛鑄造の大願を御納受になり、皇祖の御靈もお助けになつて、遠い昔の世にあつた奇瑞《こと》を、この御代に表はしたので、お治めになつてゐる我が國は、愈々榮えるであらうと神のままに思召して、多くの伴の緒の人々を御從へになり御導きになるままに、老人も女や子供も、その願ふ心の滿足するやうに、御愛撫になり、お治めになるので、そのことを非常に有難がり、嬉しいことに愈々思つてゐるが、それにつけても我が大伴の一族は、遠い祖先の名を、大來目主と呼ばれて、朝廷に仕へた役がらであり、家訓として、海へ行つたらば水びたしの屍ともならう、山へ行つたらば草の生える屍ともならう、大君のおそばで死なう、うしろをかへりみるやうなことはすまい、と誓言して、大丈夫たる清いその名を、遠い昔から今の現在にまで、傳へて來た祖先の子孫である。大伴氏と佐伯氏とは、祖先の立てた誓言の通り、その子孫は祖先の名を絶やさぬやう立派に傳へて、大君にお仕へ申すものと言ひ繼いで來た、その言葉に背かぬ官職である。梓弓を手に執り持ち、劔太刀を腰に帶びて、朝の警護にも夕べの警護にも、(291)凡そ官門の守護に於いては、自分等を除いて他に人はあるまいと、愈々はつきりと家訓を押し立てて、御奉公申上げようといふ覺悟が増して來る次第である。此の度の大君の詔の御惠の忝さが、承るとまことに貴いので。
〔評〕 型式天皇が大佛鑄造の大悲願を發せられたのに、塗料の黄金が不足を來たした爲に御心を惱まされた折から、天平二十一年二月陸奧小田郡から黄金を獻じたことは、まことに空谷の跫音として、天皇の御滿悦は非常なものであつた。そこで東大寺に行幸あり、この書を佛前に白《まを》され、ついで諸王臣に詔を賜ひ、一般民衆にも優詔を下されたのであつた。この時に際し、天孫降臨以來の功臣たる大伴佐伯兩家の人々が位階昇敍の恩惠を荷ひ、家持も昇進の光榮に浴したことは、越中の邊土にあつた彼をいたく感激せしめたのである。宣命の中にも引かれた「海行かば水づく屍、山行かば草むす屍」の句は、祖先以來彼等が常に歌ひ傳へた辭立《ことだて》であるが故に、この歌の中にも擧げて、「大君のみ門のまもり」は、「我をおきてまた人はあらじ」といふ自尊心を振ひおこしたのである。この長篇の中に、眞に烈々たる家持の意氣精神を見ることが出來る。なほ、天平文化の象徴とも云ふべき大佛造立については、萬葉集中に多くの作があつて然るべく思はれるに、事實は、この長歌と卷十六に、大佛開眼の講師であつた波羅門僧正に關係のある高宮王の短歌があるのみである。されば、さういふ見地からも、この長歌は、文化史上貴重の作であるといはねばならぬ。かつ長歌としても、百七句から成つて、人麿の高市皇子の薨去を悼む長歌についでの長篇である。
〔語〕 ○葦原の瑞穗の國を わがこの日本の國土を。この句は、句を隔てて、「しらしめしける」に係る。○しらめしける 知り給ふ、即ち治め給ふの意、これが原形で、後に「しろしめす」となつた。○すめろきの神の命 ここは瓊瓊杵尊をさす。○山河を廣み淳みと ヤマカハとすんでよむ。山が厚く深く、河が廣いから。○奉る御調寶は 諸國から貢物として奉る寶は。○盡しもかねつ 言ひ盡すことも出來ない。○善き事 大佛御造營をさす。○たしけくあらむと 「たしけく」は、「たしか」の形容詞の形で、確かに、しつかりと、十分に、の意。即ち上の「か」を受けて、黄金が十分であらうか、の意。○とりがなく 「あづま」の枕詞。「一九九」參照。○陸奧の小田なる山 延喜式神名(292)帳に、小田郡黄金山神社とあるのが即ちその山に祀られたもので、今、宮城縣遠田郡涌谷町(小牛田の東方)の字黄金|迫《はざま》の地である。○奏し給へれ 奏し給へればの意。この給ふは特殊の用法で、奏し給ふで奏上することをいふ(十九の四二五四參照)。○遠き代にかかりし事を 遠い昔にやはり斯くあつた祥瑞をの意であらう。略解には「なかりし事」の誤としてゐる。○もののふの八十伴の雄 朝廷に奉仕する部族の多くの者たち。○まつろへのむけのまにまに 服從させ歸服せしめるままに。○しが願ふ 「し」は、それ自身の意。ここは老人や女、子供をいふ。○大來目主 天孫降臨から神武天皇の頃は、「みつみつし久米の子」と歌にも詠まれてゐるやうに、後世の近衛兵に當る軍隊を久米部と稱したので、道臣命はその軍團の統帥者であつたから、大來目主といはれたものと思はれる。○水づく屍 水に漬る屍。海中に死んで屍をそこに捨てる義。○草むす屍 草の生える屍。山野で死して屍をさらす義。○大皇の邊にこそ死なめ 天皇のお側で死なうの意。邊は後世の御膝元の義。○顧みはせじと言立て 後を振り返つて躊躇するなどいふ事はしまいと誓言して。「ことだて」は特に取り立てて言明すること。○大伴と佐伯の氏は 大伴氏は代々武を以て奉仕して來たが、雄略天皇の朝以來、分家の佐伯氏と相竝んで宮門警衛に當ることになつたのである。○言の職ぞ その言明した言葉のやうに代代忠實に仕へて來た官職であるぞ。その事の職分、と解する説もある。○一に云ふ、貴くしあれば 結句の異傳であるが、これを採るならば、上は「幸の」でなければならぬ。なほこの長歌は、當時の詔詞をここかしことりいれて歌つてあるが、今一々對照しなかつた。ただ一つを云はうならば、海ゆかばの終の句は、詔には「のどには死なじ」とあるが、五七の調にととのへる爲に「かへりみはせじ」としたのであらう。或はもとは、「のどには死なじ、かへりみはせじ」とあつたものとも思はれる。
〔訓〕 ○たしけく 白文「多之氣久」。元暦校本による。諸本多く「多能之氣久」とあるが、これを「樂しく」と解するのは、假名遣上採りがたい。
 
(293)     反歌三首
4095 丈夫《ますらを》の心思ほゆ大君の御言《みこと》の幸《さき》を【一に云ふ、、の】聞けば貴み【一に云ふ、貴くしあれば】
 
〔譯〕 大丈夫としての雄々しい心が、湧きあがつて來るのを感ずる。大君の御言の御意を承ると、まことに貴くおそれ多いので。
〔評〕 下三句は長歌の末尾を、そのまま踏襲したのてあるが、詔書に感激して、ますらを心の湧き上つて來るのを抑へかねた自然の熱情の發露といふことが感じられる。一氣に率直に歌ひ下したところ、奔流のやうな力強さがある。
〔語〕 ○丈夫の心思ほゆ 堂々たる男子としての心が振ひ立つのを覺える、の意。
 
4096 大伴の遠つ神祖《かむおや》の奧津城《おくつき》は著《しる》く標《しめ》立て人の知るべく
 
〔譯〕 わが大伴氏の遠い祖先の墳墓は、はつきりと標《しるし》を立てて置くがよい。人が見て、すぐそれとわかるやうに。
〔評〕 祖先の遺功を偲ぶ心は、おのづから、自重、自尊の念を振ひ立たしめ、更にその光輝を後世までも示さうとするに至らしめる。祖先を尊び、傳統を誇り、名譽を重んじた上代人の思想を語る典型的の歌である。
〔語〕 ○遠つ神祖 遠い祖先の神。天忍日命や道臣命などの祖先をさす。○奧津城 墓のこと。○著く標立て はつきりとわかるやうに標《しるし》を立てよの意。「立て」は命令形。
 
4097 天皇《すめろき》の御代榮えむと東《あづま》なるみちのく山に金《くがね》花咲く
     天平感寶元年五月十二日、越中國守の館にて大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 わが大君の御代が愈々榮えるであらう前兆として、東國地方なる奧州の山に、黄金の花が咲いたことである。
(294)〔評〕 典型的の五七調で、まことに堂々たる格調と評すべく、「くがね花咲く」の隱喩法も作者の創意で美しく適切である。その悠揚迫らぬ豐かさは、御代の榮えを壽ぐに眞に恰當の感が深い。
〔語〕 ○くがね花咲く 花の咲いたやうに黄金が湧き出したの意。
 
     芳野離宮《よしののとつみや》に幸行《いでま》さむ時の爲に、儲《ま》けて作れる歌一首并に短歌
4098 高御座 天《あま》の日嗣と 天《あめ》の下 知らしめしける 天皇《すめろき》の 神の命《みこと》の 畏《かしこ》くも 始め給ひて 貴くも 定め給へる み吉野の この大宮に 在り通《がよ》ひ 見《め》し給ふらし もののふの 八十伴《やそとも》の雄も 己《おの》が負《お》へる 己《おの》が名《な》負《お》ひ 大王《おほきみ》の 任《まけ》のまくまく 此の河の 絶ゆることなく 此の山の 彌《いや》つぎつぎに 斯《か》くしこそ 仕へ奉《まつ》らめ いや遠永に
 
〔題〕 芳野離宮に云々 やがて歸京して、芳野離宮へ行幸の御供も出來るであらうと豫想し、その時奉らうといふつもりで、豫め越中で芳野の歌を作つておいたのである。
〔譯〕 高御座の上に天の日嗣として、天下を御治めになつた昔の天皇が、恐多くもお始めになり、尊くもお定めになつた、吉野の此の離宮に、かうして引續き行幸あそばされ、山河の勝景を御覽なさるのであらう。百官群臣たちも、先祖から受け繼いでゐる自分の家の職名を負ひ持つて、天皇の任命のままに、この吉野川の水の絶えることがなく、この吉野山の長く連なり續いてゐるやうに、かやうに續いてお仕へ申さう。いよいよ遠く長くいつまでも。
〔評〕 題詞にあるやうに、實境の作でなく、豫想しての作である。元來がこの種の歌は形式的に流れ易い上に、作歌動機が右の如くであるから、猶さら實感味の稀薄なことは當然であらう。
〔語〕 ○畏くも始め給ひて 應神紀に、十九年冬十月吉野宮に幸されたことの見えるのが、吉野離宮行幸の初めと思(295)はれる。○己が名負ひ 往古は世襲制度であつて、家々氏々の職業は定まり、代々相繼いで奉仕したので、その職が即ちその家の名であるから、ここも自分の家の先祖より仕へて來たその職を負うての意とする記傳及び古義の説が妥當である。○任のまくまく 御委任のままに從つての意。「まくまく」は「まにまに」に同じと考へられる。前にも「おのがおへるおのが名おひ」、と重ね、ここも「まくまく」と重ねたのであらう。
〔訓〕 ○己が名負ひ 白文「於能我名負」。諸本多く「於能我名負名負」とあるが解し難い。今、類聚古集に下の「名負」が無いのに從ひ、解は記傳の説を採つた。○まくまく 白文「麻久麻久」。考は「麻尓麻尓」の誤としてゐる。澤潟氏は、卷十三の「三二七二」に「行莫美」とあるを誤讀したものとしてゐる。
 
     反歌
4099 いにしへを思ほすらしもわご大君吉野の宮を在り通《がよ》ひ見《め》す
 
〔譯〕 ここに離宮の造られた昔を懷かしくお偲び遊ばすらしい。わが大君は、吉野の宮に引續きお通ひになつて、美しい山川の風景を御覽なされる。
〔評〕 長歌の前半の部分を短歌に纏めたに過ぎず、これといふ特徴もない。
 
4100 もののふの八十《やそ》氏人も吉野河絶ゆることなく仕へつつ見む
 
〔譯〕 我等部族の多くの者たちも、吉野河の流の絶えないやうに、いつまでも絶えることなく奉仕しつつ、この好風景を眺めよう。
〔評〕 これも前と同じく、長歌の後半を短歌にし、八十件の雄を八十氏人とかへたのみで、人麿以來傳承されて來た典型を墨守したもの、新鮮味を缺いてゐる。
 
(296)     京《みやこ》の家に贈らむ爲に、眞珠を願ふ歌一首并に短歌
4101 珠洲《すす》の海人《あま》の 沖つ御《み》神に い渡りて 潜《かづ》き採《と》ると云ふ 鰒珠《あはびたま》 五百箇《いほち》もがも 愛《は》しきよし 妻の命《みこと》の 衣手の 別れし時よ ぬばたまの 夜床《よどこ》片《かた》さり 朝寢髪 掻《か》きも梳《けづ》らず 出でて來《こ》し 月日|數《よ》みつつ 歎くらむ 心|慰《なぐさ》よ ほととぎす 來鳴く五月《さつき》の 菖蒲草 花橘に 貫《ぬ》き交《まじ》へ 蘰《かづら》にせよと 包みて遣《や》らむ
 
〔題〕 京の家 奈良京の我が家。眞珠は、集中、またま、又、しらたまとよんである。日本紀私記に、眞珠とかいて、しらたまと訓んでゐる。
〔譯〕 珠洲の海人が、沖のおそろしい島に渡つて、水に潜つて取るといふ、鰒の珠を澤山にほしいものである。愛する妻が、袂を分つた時から、寢床の片方に獨寢て、朝の寢亂れ髪を梳りもせず、自分が出て來てからの日數を數へつつ、歎いてゐるであらう其の心を慰める爲に、ほととぎすが來て鳴く五月の、菖蒲草と花橘とにこの眞珠を貫き交へて、蘰にせよとて、包んで都に贈らう。
〔評〕 珠洲の海人の活躍を眺めたのではなく、聞くままに感興をそそられて詠んだものであるが、地方色が新鮮に出てをる。珍らしい見聞につけて、都の妻を思ふもあはれで、時も五月、菖蒲や花橘に眞珠を貫き交へるといふ空想は、當時の文化人らしくて面白い。
〔語〕 ○珠洲 能登半島の突端の郡名。當時、能登は越中に屬してゐた。○沖つ御神 海を即ち海神としていふとの説(略解)、海の波の荒く畏るべきところをいふとの説(古義)があるが、沖つ島山を神といふとの説(代匠記)に從ふべきである。反歌には「沖つ島」とある。鳳至郡輪島の北五里に七つの島があり、その又北六里に舳倉島があ(297)る。七島は古くは邊つ島といひ、それに對して舳倉島は奧津島というた。○鰒玉 眞珠。鰒貝より出るからこの名がある。○心慰よ 心慰は心を慰めるものの義。「よ」は感動の助詞。
〔訓〕 ○かたさり 白文「加多左里」。通行本等「加多古里」とあるが、代匠記の「左」の誤とする説に從ふ。
 
4102 白玉を包みて遣《や》らば菖蒲草花橘に合《あ》へも貫《ぬ》くがね
 
〔譯〕 眞珠を包んで都の妻に贈つてやつたらば、菖蒲草と橘の花とに交ぜて、玉の緒に貫くであらう。その爲に眞殊をほしいと思ふのである。
〔評〕 長歌の終りを反復したもので、卷十の「二三〇四」の句法に學んだあとがある。
〔語〕 ○ぬくがね 「がね」は冀望の意を表はす助詞。するやうに。「三六四」參照。
〔備考〕 この歌の前に「反歌」(考)或は「反歌四首」(古義)の脱といはれてゐるが、草稿のまま傳へたのであらう。
 
4103 沖つ島い行き渡りて潜《かづ》くちふ鰒珠《あはびたま》もが包みて遣《や》らむ
 
〔譯〕 沖の島へ渡つて行つて水に潜つて採るといふ鰒の玉がほしい。それを包んで妻に贈らう。
〔評〕 長歌の趣旨をまとめて敍べたに過ぎない。ただ、長歌には「沖つ御神」といつたのを、ここには「沖つ島」といつてをる。
 
4104 吾妹子が心|慰《なぐさ》に遣《や》らむため沖つ島なる白玉もがも
 
〔譯〕 家なる妻の心の慰みに贈つてやるために、沖の島にある眞珠がほしい。
〔評〕 これも長歌の主旨の反復である。
 
(298)4105 白玉の五百《いほ》つ集《つどひ》を手に結び遣《おこ》せむ海人《あま》はむかしくもあるか【一に云ふ我家むきはも】
     右は、五月十四日、大伴宿禰家持、興に依りて作れり。
 
〔譯〕 眞珠の澤山の集《あつ》まりを手ですくひ持つて、それをよこしてくれるであらう海人は、なつかしくもあることよ。
〔評〕 妻に贈るべき眞珠を、海人に命じてあつたと思はれる。一二句は、「二〇一二」にも用ゐられてをる。
〔語〕 ○手に結び むすびは、すくひの意。古義には、緒に貫いた玉を手にまとひつけて、としてゐる。○むかし 靈異記の訓証によるに、喜ばし、心にかなふなどの意。○我家むきはも 五句の別傳であるが、誤字があるのであらう。このままでは解しがたい。
 
     史生尾張小咋《をくひ》に教へ喩せる歌一首井に短歌
     七出の例に云ふ、
     但、一條を犯せらば、即ち出すべし。七出無くて輙《たやす》く棄《す》つる者は、徒《づ》一年半。
     三不去に云ふ、
     七出を犯すとも、棄つべからず。違《たが》へる者は杖一百、唯、?を犯せると惡疾とは、之を棄つることを得。
     兩の妻の例に云ふ、
     妻有り更に娶る者は、徒一年、女家は杖一百して離て。
     詔書に云ふ、
     義夫節婦を愍み賜ふ。
     謹みて案ふるに、先の件の數條は、法を建つる基、道に化《おもむ》くる源なり。然らば則、義夫の道は、情、別なきに存す。一つの家に財を同《とも》にす、豈舊きを忘れ新しきを愛づる志有らめや。所以《このゆゑ》に數行の歌を綴り(299)作し、舊きを棄つる惑を悔いしむ。其の詞に曰く、
〔題〕 ○史生は書記。「三九五五」參照。少咋は傳不詳。遊行女婦の左夫流兒《さぶるこ》に溺れてその本妻を忘れた少咋の爲に、家持は上官としてことさらに法律の文詞を引き、詔書をも掲げて教へ論したのである。
〔語〕 ○七出例云々 律に定めてあるやうに、女子についてよくない七出を一つでも犯したちば女を棄ててもよいが、さうでなくて女を棄てる男は、徒罪一年半を科せられる。○三不去云々 律にある三不去の女を棄てては男が杖罪をうける。○兩妻云々 妻あつて更に娶る男は徒罪一年、女の場合は杖罪一百。○一つの家に財を同《とも》にす 一つ家にをつて所有物を共有する。○舊きを忘れ云々 古い妻を忘れ新しい女を愛する志があつてよからうか、よくない。
4106 大己貴《おほなむち》 少彦名《すくなひこな》の 神代より 言ひ繼ぎけらく 父母を 見れば尊く 妻子《めこ》見れば 愛《かな》しく愍《めぐ》し うつせみの 世の理《ことわり》と かく樣《きま》に 言ひけるものを 世の人の 立つる言立《ことだて》 ちさの花 咲ける盛に 愛《は》しきよし その妻の兒と 朝|夕《よひ》に 笑《ゑ》みみ笑《ゑ》まずも うち歎き 語りけまくは 永久《とこしへ》に 斯くしもからめや 天地の 神こと依せて 春花の 盛もあらむと 待たしけむ 時の盛ぞ 離《はな》り居て 嘆かす妹が いつしかも 使の來《こ》むと 待たすらむ 心|不樂《さぶ》しく 南風《みなみ》吹き 雪|消《げ》まきりて 射水川《いみづがは》 流る水沫《みなわ》の よるべ無《な》み 左夫流《さぶる》その兒に 紐の渚の いつがり合ひて、鳰鳥《にほどり》の 二人|雙《なら》び坐《ゐ》 那呉《なご》の海の 沖を深めて 惑《さど》はせる 君が心の 術《すべ》もすべ無き【左夫流と言ふは、遊行女婦の字なり】
 
〔譯〕 大己貴の神、少彦名の神の神代から、言ひ繼いで來たことには、父母を見ると尊く妻や子を見ると愛らしくい(300)とほしまれる。これがこの世の道理であると、かやうに言ひ來つたものを、世の人皆が言立《ことだて》としていひ、そなたもいうたであらうやうに、ちさの花が咲いた盛の時に、愛らしいその妻と、朝晩に、或は笑ひ、或は笑はずに、歎息して語つたことは、永久に今のままの貧しさではあるまい、天地の神が言葉を寄せ助けて、春花の盛のやうな樂しい時もあるであらう、と待つてゐた其の盛りの時は今であるぞ。(そなたは今、越中の史生にあつて幸福な時である。)しかし、都に離れてゐて、歎いてをる妻が、いつそなたの迎への使が來るかと、待つてをるであらう心がいとほしく思はれるに、そなたは、南風が吹き、雪消の水がまさつて射水河を流れる水の沫のよるべなくただよひうかれるといふ名のさぶる兒と、紐の緒のやうにつながりあつて、鳰鳥のやうに二人むつまじく竝んでゐて、奈呉の海の沖のやうに深くも迷つてをるそなたの心は、何ともしやうのないことである。
〔評〕 大伴坂上大孃を妻とするに至つて青春の戀愛三味を清算した家持は、この時三十二歳と推定されるが、かたくるしい道コ家としてではなく、思ひ遣りをもつて少咋を眺めてをる。ここに描かれた少咋は、貧賤の境遇から身をおこし、官途に採用された人物であることが分る。然るに妻を離れて遠く越中にゐるので、うかれめの左夫流兒の誘惑に陷つて溺惑してゐるのである。それで過去の不遇時代を回想せしめ、いはゆる糟糠の妻を思ひやり、現在の「時の盛」において自重すべきを教へてをる。「南風吹き」以下「左夫流その兒に」までは、後世のかけ言葉を思はせるものがあるが、その輕妙さを認むべきである。
〔語〕 ○大己貴少彦名の 「三五五」參照。國土經營の功のあつた神代の代表的な神として、集中?々竝稱されてゐる。○父母を見れば 以下六句、卷五の憶良の令反惑情歌の「父母を見れば尊とし妻子見ればめぐしうつくし世の中はかくぞ理」(八〇〇)とあるによる。○言立 特にいひたてることの意。「四〇九四」參照。○ちさの花 ちしやの木、柿に似た喬木、花は夏白く密集する。「一三六〇」參照。○かくしもあらめや かうであらうか、かう貧しくはあるまい。○時の盛ぞ 盛の時ぞに同じ。待つてゐたその立身のできた幸福な時であるぞ。少咋が史生となつたこと(301)をいふ。○心さぶしく 樂しまぬ貌。次句との間に、さるを、を補ひ解する。○南風ふき この句以下「よるべなみ」まで「さぶる」にかかる序。○流る水沫の 「流る」は後の語法ならば「流るる」とあるべきところ。○よるべ無み 寄るべき方がないので。○左夫流その兒 「さぶる」はうかれめの名であるが、さびつつをらむ(五七二)などに通うて、さびしい意から、ただよひうかれるの義として序をうけたのであらう。○いつがる 「い」は接頭語。「つがる」はつながるの意。「一七六七」參照。○さどはせる 「さどふ」は迷ふの意。まどふに同じ。
〔訓〕 ○いひつぎけらく 白文「伊比都藝家良久」。「久」は元暦校本赭の書入による。通行本「之」に作る。○あらむと待たしけむ 白文「安良牟等末多之家牟」。通行本「牟等末」の三字がない。京大本の頭書によつて補ふ。○はなりゐて 白文 「波奈利居弖」。通行本「波居弖」とあるのを、二字を補つた。
 
   反歌三首
4107 あをによし奈良に在る妹が高高《たかだか》に待つらむ心|然《しか》にはあらじか
 
〔譯〕 奈良にをる妻が、心から待つてゐるのであらう心は、あはれである。さうではないか。
〔評〕 五句は憶良の「感情を反さしむる歌」(八〇〇)の終りの句に學んだのである。
〔語〕 ○高高に 待ち望む樣。「七五八」參照。○然にはあらじか さうではないか。念をおす意。
 
4108 里人の見る目はづかし左夫流兒《さぶるこ》に惑《さど》はす君が宮出後風《みやでしりぶり》
 
〔譯〕 里人の見る目もはづかしい。左夫流兒に迷つてをられる君が、女の家から役所に出勤するうしろ姿は。
〔評〕 國府の役人が、遊女の家から官廳に出勤する見苦しさに、里人がうしろ指をさして笑ふであらうと忠告をしたのである。かやうな作になると、家持獨自の諧謔味が發揮せられる。
(302)〔語〕 ○宮出後風 宮出は宮中へ出仕すること。ここは役所へ出ること。しりぶりはうしろ姿。古義に少咋が遊女の家に朝參するやうに通ふのを嘲哢して、わざと宮出といつたのであらうとあるが、考へすごしデあらう。
 
4109 くれなゐはうつろふものぞ橡《つるばみ》のなれにし衣《きぬ》になほ若《し》かめやも
     右は、五月十五日、守大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 紅は美しいけれども、色のあせるものである。橡の色の着ふるした着物に、やはり及ばうか。
〔評〕 教誡の歌ながら詩趣を失はない。卷十二に「橡の衣解き洗ひ」(三〇〇九)といふ歌があるが、紅を遊女、妻を橡にたとへたのは作者の創意で、時に臨んで適切な譬喩と云ふべきもの。
〔語〕 ○紅は 紅花をもつて染めたものは、現存の法隆寺裂などの古代裂によるも、褪色し易いことは明らかである(上村六郎氏)。○橡 橡は櫟の實、どんぐり。その實で染めた褐色をもいふ。當時下位のもののきる服で、堅牢な褪せ難い色である。○なれにし 馴る、褻る、いづれにも解せられるが、後説の方がよい。
 
     先の妻《め》、夫君《せのきみ》の喚使《めしつかひ》を待たず、みづから來し時作れる歌一首
4110 左夫流兒《きぶるこ》がいつきし殿に鈴掛けぬ早馬《はゆま》下《くだ》れり里もとどろに
     同じき月十七日、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 左夫流兒が大切にかしづいてゐた少咋の官舍に、鈴を掛けない早馬が下つて來た。里中が大騷ぎである。
〔評〕 左夫流兒が入りこんで、妻としてすましこんでゐた少咋の家に、本妻が乘りつけてきた後の騷ぎが思ひやられる。「鈴かけぬ早馬」は事實をそのままに詠んだものであるが、先ぶれもなく不意討ちに乘り込んできた趣にかなつてをる。かやうに機智のある輕妙な言ひ樣にかけては、家持の諧謔的才能は遺憾なく發揮せられるのである。上の歌(303)とならべて、好箇の短篇小説を讀む心地がする。社會制度や風俗などが、如實に生き生きと寫しだされてをるのも面白い。しかも、今日も市井で見聞するやうな人情の普遍性を持つてゐるので、この歌の中に描かれた人物が、血や肉をもつ生きた人間として我々の眼前にをどるのを覺える。
〔語〕 ○いつきし殿 いつくは齋く、大切に仕へる意。殿は少咋の家。略解、古義共にいつきをいつぎとし、長歌のいつがりと同樣に解いてをるのはよくない。特に古義に殿は遊女の家で、少咋が宮中へ朝參するやうに通ふのでわざと嘲つて殿といつたとするのはよくない。○鈴掛けぬ 鈴は驛鈴で、驛鈴は驛馬を徴發する時に用ゐる官許の鈴で、公用のうちの特別な場合にのみ賜はる。ここは私用だから用ゐない。○早馬 早馬は驛々でのり替へる馬の意。○里もとどろに 評判の高い意。里もなりひびく程である。
 
     橘の歌一首并に短歌
4111 かけまくも あやにかしこし 皇神祖《すめろき》の 神の大御代に 田道間守《たぢまもり》 常世《とこよ》世に渡り 八矛《やほこ》持ち 參出來《まゐでこ》し 時じくの 香《かく》の木《こ》の實《み》を かしこくも 遺《のこ》し給へれ 國も狹《せ》に 生《お》ひ立ち榮え 春されば 孫枝《ひこえ》萌《も》いつつ ほととぎす 鳴く五月《さつき》には 初花を 枝に手《た》折りて 少女|等《ら》に 裹《つと》にも遣《や》りみ 白たへの 袖にも扱入《こき》れ かぐはしみ 措《お》きて乾《か》らしみ 熟《あ》ゆる實《み》は 玉に貫《ぬ》きつつ 手に纏《ま》きて 見れども飽かず 秋づけば 時雨《しぐれ》の雨ふり かしひきの 山の木末《こぬれ》は紅《くれなゐ》に にほひ散れども 橘の 成れる其の實は 直《ひた》照りに 彌《いや》見が欲《ほ》しく み雪ふる 冬に到れば 霜置けども その葉も枯れず 常磐《ときは》なす いや榮《さか》はえに 然れこそ 神の御代より 宜《よろ》しなへ この橘を 時じくの 香《かく》の木《こ》の實《み》と 名づけけらしも
 
(304)〔譯〕 口にかけて申すのも、ほんたうに恐多いことである。昔の天皇(垂仁天皇)の御代に、田道間守が外國に渡り、多くの矛のやうな木を持つて來た、時ならぬに香の高い木の實を、恐多くも後世にお遺しになつたので、國も狹いほどに生ひ立ち榮え、春になると、小枝が萠え出し、ほととぎすの鳴く五月には、初めてさく花を枝ながら折つて、少女等に土産にも遣つたり、白い着物の袖に枝から扱きとつて入れ、さてはまた薫がよいので、枝において乾《から》したり、熟しおちた實は玉として絲に貫きつつ、手に纒いて、見ても飽くことがない。秋になると、時雨の雨がふり、山の木末は、紅にそまつて散るけれども、橘の木になつた實は、ひたすら照り輝いて、いよいよ見るに美しく、雪の降る冬になると、霜が置いても、その葉も枯れず、常磐の如くいよいよ榮え輝いて、さればこそ、古い昔の御代から、まことによろしくも、この橘を、時ならず香のよい木の實と名づけたことであるらしい。
〔評〕 垂仁天皇の朝に田道間守が常世の國から持ち來つた傳説を敍べ、その花と實をたたへ、雪や霜に堪へる葉を愛で、この橘を「時じくのかくの木の實」と名づけたことの適切精妙を稱へて結んでをる。葛城王等に姓橘氏を賜うた時の御製「橘は實さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の樹」」(一〇〇九)を長歌に敷衍したやうな作である。
〔語〕 ○皇祖神の神の大御代に 垂仁天皇の朝に田道間守を常世國に遣はしめ給うたに、其の木實を採り、縵八縵、矛八矛を持ち歸り來たのである。○田道間守 書紀によれば歸化人たる新羅の王子天之日矛の四代の孫である。○常世の國 卷九の水江浦島子の歌(一七四〇)にもある。田道間守の復命語に「見常世國、則神仙秘區。」とある。しかし、事實としていづれの地をさすかについて種々の説があり、支那の南方地方ともいはれるが、朝鮮の邊海といふ説(記傳、白井光太郎氏植物渡來考)がよるべきものと思はれる。○八矛持ち 前記の如く古事記には「縵八縵矛八矛」とある。○時じぐのかくの木の實 時じくは時ならずの意。橘は夏から秋冬にもあり、又採つて後も長く腐らぬからいふ(記傳)。かくは香のよいの意。○遺し給へれ 遺し給へればの意。古格の一。○國も狹に 日本國中の意。○孫枝 枝から出た小枝。「八一〇」參照。○萠いつつ 萠ゆは古く上二段にも活用したものか。しかし他に例はな(305)い。或は大野氏説のやらに、「もえ」を後の補綴改書の際誤り書いたものか。○枝に手折りて 枝ながら、枝のままにの意。○裹にも遣りみ おきてからしみと相對し、「み」は何々したりの意。○おきてからしみ おいてからしたり、「二〇九九」「三五七三」參照。○彌榮はえに 榮えに榮え。應神紀に「いざさかばえな」とある。○よろしなへ いかにもよろしきやうに、ふさはしく。「五二」參照。
〔訓〕 ○まゐでこしときじくの 白文「麻爲泥許之登吉時久能」。諸本「久」を「支」とあるが、「時じき」では語をなさない。「麻爲泥許之」までを五字の一句とし、「支」は「久」の誤とみてよい。大野氏説には、平安朝の補綴改書の際、「非時」の「非」が脱落したのを訓み得なくて「時支」としたのであつて、「まゐでこし時、非時《ときじく》の」であらうとしてゐる。○くれなゐに 白文「久禮奈爲爾」。元暦本等「禮奈爲」が脱してをるのを、仙覺が補つたのである。
 
   反歌一首
4112 橘は花にも實《み》にも見つれどもいや時じくに猶し見が欲《ほ》し
    閏五月二十三日、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 橘は、花の時にも實の時にも眺めたけれども、いつといふ定まつた時なく、なほ一層見たいものである。
〔評〕 時じくの香の木の實であるから、「いや時じくに」としたのが技巧である。二三句は「一六五二」に似てをる。
 
   庭中の花を見て作れる歌一首并に短歌
4113 大君の 遠の朝廷《みかど》と 任《ま》き給ふ 官《つかさ》のまにま み雪降る 越《こし》に下《くだ》り來《き》 あらたまの 年の五年《いつとせ》 敷たへの 手枕《たまくら》纏《ま》かず 紐解かず 丸寢《まろね》をすれば いぶせみと 情《こころ》慰《なぐさ》に なでしこを 屋戸《やど》に蒔《ま》き生《おほ》し 夏の野の さ百合《ゆり》引き植ゑて 咲く花を 出で見る毎《ごと》に なでしこが 其(306)の花妻《はなづま》に さ百合花《ゆりばな》 後《ゆり》も逢はむと 慰むる 心し無くは 天《あま》ざかる 鄙《ひな》に一日も 在るべくもあれや
 
〔譯〕 大君の遠くの役所としての越中の國府に、任命になる官職のままに、雪のふる越の國に下つて來て、年の五年の間、妻の手枕を枕とせず、著物の紐も解かず、獨まろ寢をしてをるので、氣がむすぼれるから、心を慰めるために、なでしこを家の庭に蒔いて生やし、夏の野の百合を引いて來て植ゑて、咲く花を出て見る毎に、なでしこの花のやうな美しい妻に、百合のやうに後も逢はうと、慰める心がないならば、邊土の地に一日でも居られるものか、後を思へばこそ、このやうに日を過すことが出來るのである。
〔評〕 越中に於ける風流の國司の生活ぶりのあらはれた歌。優美、繊麗の措辭で、なでしこと百合を擧げておいて、「なでしこが其の花妻に さ百合花ゆりも逢はむと」と照應せしめたのは巧みである。
〔語〕 ○年の五年 家持の越中赴任は天平十八年で、この年天平感寶元年までは足かけ四年であるが、大まかにいつたのであらう。○手枕纏かず 妻の手を枕として寢ないこと。○紐解かず 着物の紐を解かず。共寢をしないこと。「一七八七」參照。○ゆりも ゆりは後と同じ。○在るべくもあれや 在ることができようか、できないの意。
〔訓〕 ○庭中の花を見て作れる歌 白文「見庭中花作歌」。目録には「詠庭中花作歌」とあり、本文には「詠」の字がない。目録によれば「詠」と「作」と重復するし、「庭中花」のみては足りない。「詠」を「見」の誤とし、「見」を補ひ訓んでおく。○まきたまふ 白文「末支太末不」。平安朝の補綴改書の際「末氣」(マケ)をマキと誤讀して「末支」とかいたのではなからうか。(大野氏説)
 
   反歌二首
(307)4114 なでしこが花見る毎《ごと》にをとめらがゑまひのにほひ思ほゆるかも
 
〔譯〕 なでしこの花を見る度ごとに、わかい女の笑顔の美しさが思はれる。
〔評〕 おほまかに「をとめら」といふ言葉に、都の妻のことが含められてをるのは勿論である。すつきりとした歌で、「ゑまひのにほひ」といふ表現には、繊細な感覺が浮んでゐて、近代的なにほひがする。
〔語〕 ○をとめらが らは輕く添へた接尾語。「兒ろ」の「ろ」に同じ。○にほひ 輝くほど美しいこと。
 
4115 さ百合花《ゆりばな》後《ゆり》も逢はむと下延《したは》ふる心しなくは今日も經めやも
    同じき閏五月二十六日、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 後に妻に逢はうと、ひそかに思つてをる心がないならば、今日の一日も送ることができようか。否、一日も過ごされない。
〔評〕 長歌の終りの部分を短歌にまとめたもので、同時に長歌の主旨の反覆である。卷十二の「二九〇四」に似てゐるが、結句の「今日も經めやも」に哀れが深い。
〔語〕 ○下延ふる 「下」は心のうちの義。「はふる」はそれからそれと思ひつづける意。
 
   國の掾久米朝臣廣繩、天平二十年を以ちて朝集使に附きて京に入り、其の事|畢《をは》りて、天平感寶元年閏五月二十七日本任に還り到りき。仍りて長官の舘に詩酒の宴を設けて樂飲《うたげ》しき。時に主人守大伴宿禰家持の作れる歌一首并に短歌
4116 大君の 任《まき》のまにまに 執《と》り持ちて 仕ふる國の 年の内の 事かたね持ち 玉ほこの (308)道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都べに 參《まゐ》し我《わ》が兄《せ》を あらたまの 年|征《ゆ》き還《がへ》り 月かさね 見ぬ日さ數多《まね》み 戀ふるそら 安くしあらねば ほととぎす 來鳴く五月《さつき》の 菖蒲草 蓬《よもぎ》蘰《かづら》き 酒宴《さかみづき》 遊び慰《なぐ》れど 射水河、雪消《ゆきげ》溢《はふ》れて 逝《ゆ》く水の いや増しにのみ 鶴《たづ》が鳴く 奈呉江《なごえ》の菅《すげ》の 懃《ねもころ》に 思ひ結《むす》ぼれ 歎きつつ 我《あ》が待つ君が 事|畢《をは》り 歸り罷《まか》りて 夏の野の さ百合の花の 花|咲《ゑみ》に 莞爾《にふぶ》に笑《ゑ》みて 逢はしたる 今日を始めて 鑑なす 斯《か》くし常見む 面變《おもがは》りせず
 
〔題〕 朝集使 朝集帳を持參する使をいふ。地方廳一年間の政を中央政府に申送する重要な使節である。朝集帳は國内の池溝、官舍、國衙の器仗、公私船、驛馬、傳馬、神社、僧尼等の事を記した帳簿であつて、畿内は十月、七道は十一月、太政官に進める。廣繩は天平二十年の朝集使となり、翌年勝寶元年に歸任したのである。
〔譯〕 天皇の任命に從つて掌り執行して仕へてをる越中の國の、一年中の事をまとめて朝集使として旅に出で立ち、岩根を踏み、山を越え野を行き、都の方へ行つた我が友。年が改り月を重ねて貴君を見ぬ日が多いので、戀ふる心が安らかで無いから、ほととぎすが來て鳴く五月の菖蒲草や蓬を蘰とし、酒宴をして遊び慰めるけれども、射水河に雪消があふれて流れる水の増すやうに、戀しさがいや増しにつのるばかり、――鶴が鳴く奈呉江の菅の――ねんごろに――心深く思ひが結ぼれ、歎息しつつ待つてゐた貴君が、事が終つて都から歸つて來て、夏の野の百合の花の咲いたやうににこやかに笑つて逢つてくれられた今日を始めとして、鏡のやうに常にかうして見よう。お互に面變りをせずに。
〔評〕 朝集使として都に上つた貴君を、年が變るまで見なかつたので、酒宴をしても慰まずに待つてゐたところ、歸つて來られた。この樂しい再會の日を始めとして皆にこのままの若さでお目にかからう、といふのが一篇の主旨であ(309)る。それが辭句を飾つて敍べられたもの。
〔語〕 ○かたねもち 一まとめとし持つて、かたねは、代匠記初稿本に、江家次第に「於2宮中1被v結」とあるをひき、結束の義で、つかねかつむの意といふのがよい。伊呂波字類抄にも「結」をカタムとある。負ふ事を俗にかたげるといひ、北國ではかたねるといふから負ふ意とする説(略解)もあるが、かたねるは、かたげるの轉で、この場合には適當でない。○まゐし 參りしの意。參出《まゐで》、參上《まゐのぼ》る等、連語になつた例は他にもある。○年ゆきかへり 年が改まり。○戀ふるそら 戀ふる心。「三二九九」參照。○遊びなぐれど なぐは和げる、心を慰めるの意。○射水河雪消溢りて逝く水の 以上いや増しにかかる序。○鶴が鳴く奈呉江の菅の ねもころにつづく序詞。○夏の野のさ百合の花の さは接頭語。以上花咲みの序。○花ゑみに 「一二五七」參照。○にふぶ にこにこ笑つて。「三八一七」參照。○逢はしたる 逢つてくれられた。廣繩が自分達にの意。
〔訓〕 ○まきのまにまに 白文「末支能末爾々々」。「末支」は「末氣」を誤讀してかいたのであらう(大野氏説)。○山越え 白文「也末古衣」。越えのえはヤ行、衣はア行で假名が誤つてをる。後の寫し誤りであらう。
 
   反歌二首
4117 去年《こぞ》の秋相見しまにま今日見れば面《おも》や珍《めづ》らし都方人《みやこかたひと》
 
〔譯〕 去年の秋お互に逢つたままで、今日久しぶりに逢ふと、お顔がいよいよ珍らしく思はれる。すつかり都方の人になつた貴君よ。
〔評〕 去年から都に行つてをつた友が、すつかり都會人になつて歸つて來た。地方に住みわびた我らにとつて、珍らしくも懷かしい都のにほひである。都鄙の文化の縣隔の甚だしかつた當時に於いては、當然のことではあるが、やや諧謔的に「面や珍らし都方人」と笑ひながら、うたひかけたであらう面影が浮んでほほゑましい。
(310)〔語〕 ○面や珍らし 「や」はよに通ひ、感動の意(略解)、面輪に通ふ語(古義)などの説があるが、彌の意でいよいよ珍らしとする説(代匠記)がよい。
 
4118 斯《か》くしても相見るものを少くも年月|經《ふ》れば戀しけれやも
 
〔譯〕 かうして又も相見ることが出來るのに、別れて足かけ二年の年月が經つて見ると、少く戀しいということがあらうか、いや、戀しさはいささかばかりのことではないのである。
〔評〕 再會の席上、別れてゐた間のことを回想したもので、友情はあらはれてゐるが、句法は佶屈である。
〔語〕 ○少くも この句五句にかかる。「二五八一」參照。○戀しけれやも 戀しいことであらうか。「戀し」の已然形に助詞の「やも」で、反語。
 
   霍公鳥の喧くを聞きて作れる歌一首
4119 いにしへよ偲《しの》ひにければほととぎす鳴く聲聞きて戀しきものを
 
〔譯〕 昔から慕はしく思つてきたものであるから、ほととぎすの鳴く聲を聞いて、戀しいことである。
〔評〕 單にほととぎすを懷かしむのみの歌と解すべきであらう。略解には「未相見ずして、慕はしく思ひし人に逢ひて、詠める譬喩歌ならむか」とある。
〔語〕 ○いにしへよ 「よ」は、より、からの意。○しのひにければ したはしく思つてゐたのでの意。
 
   京に向はむ時、貴人《うまびと》を見、及《また》美《かほよ》き人に相《あ》ひて、飲宴せむ日の爲に、懷を述べて、儲けて作れる歌二首
4120 見まく欲《ほ》り思ひしなへに蘰《かづら》かけかぐはし君を相見つるかも
 
(311)〔譯〕 逢ひたいと思つたところに、髪に蘰をかけた美しいあなたに、お逢ひしましたことよ。
〔評〕 地方生活の無聊のままに、かかる日を空想したのであらう。調子のうるはしい歌。
〔語〕 ○思ひしなへに 思ひし上に、思つてゐたところへ。○蘰かけ 玉蘰をかけの意(古義)。○かぐはし 美しい。香のよいのをあらはす語であるが、稀には目で見て美しいことにも用ゐた。
 
4121 朝參《まゐり》の君が姿を見ず久に鄙にし住めば吾《あれ》戀ひにけり【一に頭に云ふ、はしきよし妹が姿を】
   同じき閏五月二十八日、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 朝廷へ參入せられるあなたの姿を久しい間見もせずに地方に住んでゐると、自分は實に戀しかつたことでした。
〔評〕 朝參といふめづらしい句が用ゐてある。
〔語〕 ○まゐり 考の訓による。テウサン、ミカドマヰリなどの訓もある。
 
   天平感寶元年閏五月六日以來、小旱起りて、百姓の田畝稍凋める色あり。六月朔日に至りて、忽に雨雲の氣を見る。仍りて作れる雲の歌一首短歌一絶
4122 天皇《すめろき》の 敷《し》きます國の 天《あめ》の下 四方の道には 馬の蹄《つめ》 い盡《つく》す極《きはみ》 船《ふな》の舳《へ》の い泊《は》つる までに 古《いにしへ》よ 今の現《をつづ》に 萬調《よろづつき》 奉《まつ》る長上《つかさ》と 作りたる 其の農業《なりはひ》を 雨降らず 日の重なれば 植ゑし田も 蒔きし畠《はたけ》も 朝ごとに 凋《しぼ》み枯れ行く 其《そ》を見れば 心を痛み 緑兒の 乳《ち》乞《こ》ふがごとく 天《あま》つ水 仰ぎてぞ待つ あしひきの 山のたをりに 彼《こ》の見ゆる 天《あま》の白雲 海神《わたつみ》の 沖つ宮邊に 立ち渡り との曇り合ひて 雨も賜はね
 
(312)〔題〕 短歌一絶 反歌一首の意。短歌を詩の絶句に擬して一絶とかいたもの。卷十七の「三九九三」「四〇〇六」にもある。
〔譯〕 大君のお治めになつてをる國の、天の下の四方の道々で、陸路は馬の蹄のいたるきはみ、海路は船の舳のゆきとまる果まで、古へから今の現在にいたるまで、いろいろと奉る貢物の中の第一のものとして、人々の作るその農業であるのを、雨が降らずに日が重なるので、植ゑた田も蒔いた畑も、朝ごとにますます凋んで枯れて行く。それを見ると、心が痛んで、赤兒が乳をほしがるやうに、雨の降らむことを天を仰いで待つてをる。山の窪みたわんだ處に見える白雲よ。海の神の沖の宮までたち渡り、どんより曇りあつて、雨を降らしていただきたい。、
〔評〕 管下の農作物と民の憂苦を思ふ若い國守の衷心は察すべきである。とかく散文的で詩趣に乏しくなつた萬葉長歌の衰頽期で、措辭冗長になりがちな家持の作中では、傑作といへる。ことに、地方長官の作として推重すべきである。かつ、雨乞のために歌や句を詠むことの先驅としても、注意せらるべき作である。
〔語〕 ○四方の道 東西南北四方の道、行政區割としていふ東海東山などの七道とは別である。○船の舳の 以下四句は、祈年祭の祝詞に「青海原は棹柁干さず舟艫の至り留まる極‥‥陸より往く道は‥‥馬の爪の至り留まる限」とあるによつたもの。○まつるつかさと 種々の貢物を奉るその最も主要なものとして。○なりはひを このなりはひは特に農業をいふ。崇神紀に「農天下之大本也」とあり、その農をなりはひと訓んでをる。「を」は、なるを、であるのにの意。○天つ水 天の水、雨の意。「天つ水仰ぎて待つに」(一六七)參照。○山のたをり 山の撓んだやうに曲つたところ。「三二七八」「四一六九」參照。○海神の 海神が雨を掌るといふことは、古事記の山幸彦が綿津宮に到る條にも見える。○との曇り 「との」は、たなに同じ。どんより曇ること。○雨も賜はね 「も」は感動の助詞、「ね」は願望の助詞。
 
(313)   反歌一首
4123 この見ゆる雲はびこりてとの曇《ぐも》り雨も降らぬか心|足《だら》ひに
    右の二首は、六月一日の晩頭、守大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 この見えてをる雲がひろがつて、空かき曇り、雨が降らぬものか、降つてほしい。心が滿ち足るほどに。
〔評〕 この見ゆるの句はいきいきしてをる。五句もすぐれてをる。四句の手法は、「一二二三」の「風も吹かぬか」に似てをる。
〔語〕 ○はびこりて はびこりひろがる意。○心だらひに 滿足するほど十分に。
〔左註〕 晩頭 夕方。暮れ方。頭はそへた文字。
 
   雨の落《ふ》るを賀《ことほ》く歌一首
4124 我が欲《ほ》りし雨は降り來《き》ぬ斯《か》くしあらば言擧《ことあげ》せずとも年は榮えむ
    右の一首は、同じき月四日、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 自分が望んだ雨は降つて來た。かくあるからは、とやかく言ひたてをせずとも、稻は豐かに稔るであらう。
〔評〕 長歌についで、それ以後の事實を詠んだ歌。歡喜の情が躍如としてをり、句々に力がこもつてをる。
〔語〕 ○言擧 口に出してかれこれといひたてる意。「九七二」參照。○年は榮えむ 年は稻のこと。稻の收穫がゆたかであらう。祈年祭の祝詞に「奧津御年を」云々とある。
 
   七夕の歌一首并に短歌
4125 天照《あまてら》す 神の御代より 安の河 中に隔てて 向ひ立ち 袖振り交《かは》し いきの緒に 歎か(314)す子ら 渡守《わたりもり》 船も設《まう》けず 橋だにも 渡してあらば その上《へ》ゆも い行き渡らし 携《たづさ》はり うながけり居て 思ほしき ことも語らひ 慰むる 心はあらむを 何しかも 秋にしあらねば 言問《ことどひ》の ともしき子ら うつせみの 世の人我も 此處《ここ》をしも あやにくすしみ 往《ゆ》き更《かは》る 毎年《としのは》ごとに 天《あま》の原 ふり放《さ》け見つつ 言ひ繼ぎにすれ
 
〔譯〕 天照大神の御代から、安の河を中に隔てて向ひあつて立ち、袖を振りかはして、命も絶えむばかりに歎かれる子らであるよ。渡守が船の用意もせず、橋でもかけてあるならば、其の上から渡つて行つて、手をつなぎあひ頸に手をかけあつてゐて、いひたいと思ふことも話をし、心を慰めることもあらうに、何故に秋でなくては語らふことの少い子らであるのか。この世の人である自分もこれを不思議に怪しむので、年が改つて七月七日になる毎に、大空をふり仰いで眺めつつ、この物語を言ひ繼いでゆくことである。
〔評〕 七夕を歌つた作として、措辭構想ともに新奇なものではないが、詞調に、作者獨自の哀感が流れてゐて、この天上の物語に對する人間的な同情が見える。
〔語〕 ○安の河 天にある川。ここでは銀河のことに用ゐてをる。「二〇八九」にもある。○いきの緒に 命にかけての意。「一三六〇」參照。○歎かす子ら 「す」は敬語助動詞。子らは牽牛織女の二つを親しみいふ稱。○言ひ繼ぎにすれ 上にこその係がなくてすれ已己然形に結んでゐるのは特例である。するの誤かとも思はれる。
〔訓〕 ○ここをしも 白文「許己乎之母」。「乎」は諸本「宇」に作るは誤寫と思はれる。代匠記精撰本による。
 
   反歌二首
4126 天の河橋渡せらば其の上《へ》ゆもい渡らさむを秋にあらずとも
 
(315)〔譯〕 天の河に橋を渡してあるならば、其の上からでもお渡りにならうに。秋でなくとも。
〔評〕 長歌の中の「橋だにも渡してあらば」以下の數句を短歌にまとめたもの。著想は「二〇五六」「二〇八一」に似てをる。
 
4127 安の河こ向ひ立ちて年の戀け長き子らが妻問《つまどひ》の夜《よ》ぞ
    右は七月七日、天感《あまのがは》を仰ぎ見て大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 安の河に向ひあつて立つて、一年の間の戀に長い月日を重ねて思ひあふ星らが、妻をおとづれて逢ふ夜である。さぞ嬉しいことであらう。
〔評〕 趣向も用語も斬新でないが、調子が流暢で抑揚の妙に富んでをる。
〔語〕 ○こ向ひ立ちて こは接頭語で意味はないと思はれるが、明らかでない。「二〇一一」の「己向ひ」を誤讀し、追隨したものといふ説(全釋澤瀉氏)もある。○年の戀 「二〇三七」參照。○け長き 久しい間逢はなかつた。
 
   越前國の掾大伴宿禰池主の來贈れる戯の歌四首
   忽ちに恩賜を辱くし、驚欣已に深し。心中咲を呑みて、獨座稍開けば、表裏同じからず、相違何ぞ異れる。所由を推し量るに、率爾に策を作《な》せるか。明かに知る、言を加ふること、豈他意有らめや。凡そ、本物を貿易《むやく》すること、其の罪輕からず。正※[貝+藏]倍※[貝+藏]、宜しく急に并せ滿たすべし。今風雲に勒して徴使を發遣す。早速に返報して、延廻すべからず。
     勝寶元年十一月十二日、物を貿易せらえし下吏、謹みて貿易の人を斷る官司の廳下に訴ふ。(316)別に白さく、可怜の意、黙止すること能はず、聊か四詠を述べて睡覺に准擬《なぞ》ふ。
4128 草枕旅の翁と思ほして針ぞ賜へる縫はむ物もが
 
〔序〕 以下四首は、大伴池主より家持に贈つて來た戯の歌で、その前に附せられたのは歌に添へた書簡である。しかしその主旨については、池主より家持のもとへ、針袋に縫はせて下さいと羅を遣つたが、家持のもとによい絹のあつたのを表とし、その羅を裏として、面白い袋を縫つて家持が贈つたのを、かう戯れて書いたものといふ説(代匠記精撰本)、それに略同じであるが、池主から送つた絹をそれよりもよい絹にとりかへて縫はせたものであらうとの説(古義)、家持が立派な袋物を作らせて池主へ贈つたのであるが、戯れて、その上包には別の名を書いて送つたのであるらしいといふ説(全釋)などがある。○忽ちに恩賜を辱くす 思ひがけず贈物にあづかるの意。○咲を含みて 咲は笑に同じ。○所由 理由。○率爾 輕卒。○策 ふだ。荷物につける札の意と思はれる。謀の意で貿易せることをいふとの説(略解)は從ひ難い。○明に知る言を加ふること豈他意あらめや お言葉を下されたことは、自分は別に別の意味がないとよく存じてをりますの意。○貿易 物をとりかへること。貿易は交易するの意。○正※[貝+藏] 盗品を其のままで償ふこと。○倍※[貝+藏] 盗品を償ふに、盗品の倍の品物をだして償はすこと。○并せ滿すべし どちらも揃へて償への意。○風雲に勒して 風雲に乘せて。風雲は馬の譬へ。或は書?のこと。○徴使 徴發する使。○延廻 延引。○勝寶元年十一月 この年の七月感寶元年を勝寶元年と改められた。○貿易の人を斷る 物をとりかへたものを裁判するの意。○可怜の意 おもしろいと思ふ心。○睡覺に准擬ふ 睡眠から覺めた時の料とする。
〔譯〕 旅の翁とお思ひになつて、自分に針を下さいました。ついでに縫ふものも欲しうございます。
〔評〕 池主の年輩は不明であるが、旅の翁と自分を呼んだのは戯れであらう。針を贈られて更に縫ふべき物を欲したのも洒脱である。
(317)〔訓〕 ○貿易の人を斷る 白文「貿易人斷」は「斷貿易人」とあるべきを、國語流に書いたもの。○ものもが 白文「物能毛賀」。「賀」を通行本、細井本「負」に作るは誤。元暦校本、西本願寺本等による。
 
4129 針袋《はりぶくろ》取あげ前に置きかへさへばおのともおのや裏も繼《つ》ぎたり
 
〔譯〕 くださつた針袋を手に取りあげて、前に置いて、裏がへして見ると、おやおや、驚いたとも驚いた。裏も繼ぎ合せてある。
〔評〕 これも輕い戯れである。第二句九音の字あまりも變つてをり、四句の物々しげな云ひ振りも滑稽にひびく。
〔語〕 ○針袋 針を入れる袋 針を旅行中持つてゐたことは「四四二〇」にも知られる。○おのともおのや 諸説があるが、新撰字鏡に「吁、疑怪之辭也、於乃」とあり、「おの」は驚き怪しむ時に發する語とする木村博士の説がよい。
 
4130 はり袋|帶《お》び續《つづ》けながら里ごとにてらさひ歩《ある》けど人も咎《とが》めず
 
〔譯〕 賜はつた針袋を腰に帶びつづけて、里ごとにみせびらかして歩くけれども、誰も注意して咎める者がない。それもそのはず、自分が身につけてゐるので、たいした品とは思はないのである。
〔評〕 贈られた針袋が、里人の眼を引かぬ。自分が帶びてゐるので、人が良いものと思はないからと戯れた歌。
〔語〕 ○てらさひ てらすに繼續の「ふ」のついたもの。てらすは衒ふ、みせぴらかす意。
 
4131 とりが鳴く東《あづま》を指してふさへしに行かむとおもへど由《よし》も實《さね》なし
    右の歌の返し報ふる歌は、脱ち漏れて探り求むることを得ず。
 
(318)〔譯〕 この針袋を帶びて、東國をさして幸を求めに行かうと思ふけれども、その方法がまつたくありませぬ。
〔評〕 當時の政府が、朝鮮半島を棄てて東北の經營に力を注いだ爲、奧州の拓殖事業が興り、手腕のある官吏は多く東北に派遣された。また帝都にある人が都會の生活難から脱れ、遺利を求める爲に東國の方へ行つた。かやうな歴史的事情を思ひあはすと、「ふさへしに」の意が明瞭になり、輕い氣分の作ながら、新興の天地に手腕を振ひたいといふ官吏としての希望も見えて面白い。
〔語〕 ○とりがなく 東の枕詞。卷二「一九九」參照。○ふさへしに ふさへの語は諸説のある中に、略解にふさへはふさはずの反對で、ふさはずは古事記にも見え、よろしからず、不祥の意。從つてふさへしに行くは幸を求めに行くであるとある。此の説を敷衍して上述のやうに説いた。新考には、この句は離騷の「余が飾の方壯なるに及びて周流して上下を見む」とあるによつたもので、ふさへはこの周流に當り、周流は歴遊の意で、遍歴に出ようと思ふがの意といふ説を出してゐる。○よしも實なし よしは由縁、手段、行くべき手段も實にない。
〔左註〕 右の歌云々 家持が書き添へたか、他の人の附記か詳でない。
 
   更に來り贈れる歌二首
   驛使を迎ふる事に依りて、今月十五日、部下の加賀郡の境に到來せり。面蔭に射水の郷を見、戀緒を深海の村に結ぶ。身は胡馬に異なれど、心は北風に悲しぶ。月に乘じて徘徊し、かつて爲す所無し。稍來封を開く。其の辭に云々といへり。著者先に奉る所の書、返りて畏る、疑に度れる歟。僕囑※[口+羅]を作し、且つ使君を惱す。夫れ水を乞ひて酒を得とは、從來能く口にす。論時に理に合はば、何ぞ強吏といはめや。尋ぎて針袋の詠を誦むに、詞の泉酌めども渇《ひ》ず、膝を抱きて獨り咲ひ、能く旅愁を?《のぞ》く。陶然として日を遣る。何をか慮らむ、何をか思はむ。短筆不宣。
        勝寶元年十二月十五日、物を徴《はた》りし下司、(319)謹みて不仗の使者の記室に上《たてまつ》る。
〔序〕 以下は、池主の手紙に對する家持の返書に對し、再び池主から家持に贈つた手紙と歌二首である。○驛使 驛馬を用ゐる官位、急用の文書を速達するもの、もしくは遠國の朝集使その他の官用で旅行するもの。ここは越中より越前に入る使である。○部下の加賀郡 部下は管轉内の意、加賀郡は、弘仁十四年江沼郡と共に越前より分れて加賀國をたてたのであつて、當時はなほ越前に屬してゐた。今の石川縣の石川、河北二郡に當る。○面影に射水郷を見 射水の郷が眼前にちらついて見えるの意。射水の郷は、「四〇一五」の左註にも見えた。越中の國府に近い處であつて、池主は越中より越前に轉じたのであるから、射水郷を懷しむのである。○戀緒を深海の村に結ぶ 深海村は「四〇七三」に深見村とあるに同じく、今の石川縣河北郡津幡附近で、越中との國境に近い。池主が今深見にあつて戀の思が絲のやうに結ぼほれるの意。戀緒の縁で結ぶといつたもの。「面影に見」も、「恋緒を結ぶ」も、共に本來の漢語ではなく、日本式の言ひ方であらう。○身は胡馬に異なれども心北風に悲しぶ 自分は北の國の馬ではないが、北風が吹くと悲しい。もとの郷越中の國を懷しみ悲しむの意。文選の古詩「胡馬依2北風1越鳥巣2南枝1」とあるに依る。○來封 家持から來た手紙。○其の辭云々 家持の手紙にこれこれとあつたの意。○著者 池主をいふ。○返りて畏る疑に虎《わた》れるか 却つて貴方の誤解を招いたかを畏れるの意。○囑※[口+羅]を作し 囑は請ふの意。※[口+羅]は騷々しいの意。やかましく頼むこと(新解)。○使君 敬稱。家持をさす。○水を乞ひて酒を得とは從來能く口にす 水を乞ひて酒を得る、つまらぬものを乞うてよいものを得るといふことは、昔からよく口にする所であるの意。遊仙窟に「乞v漿得v酒舊來神口」とあるによる。○論時に理に合はば 私のいふことが道理にあふならば。論は、家持のでなく、池主自身の論と解する説(新解)がよい。○強吏 無道の投入。○針袋の詠 家持から池主へ送つた針袋の歌。○物を徴りし下司 物を無理にねだつた下役人。○不仗の使君 仗は杖の通用で、誰にも杖を加へない寛大なる使君の意と思はれる(新考)。元暦校本等に仗を伏とあるにより、不伏は誰にも伏せざる尊貴の人をいふ(新解)との説もある。○(320)記室 書記の意。直接に宛てないで、傍の者を通じてさしあげるの意。
〔訓〕 ○北風 通行本のみ「比風」に作るは誤。元暦校本等による。○囑※[口+羅] 「※[口+羅]」は諸本いづれも「羅」とあるが、略解の説により「※[口+羅]」に改めた。又「羅」は「※[口+羅]」に通じるといふ註もある。○渇 温故堂本「竭」とあり、代匠記精撰本「竭」かとあるが、字書辨證下卷に渇は竭の古字とある。
 
   別に奉る云云。歌二首
4132 堅樣《たたさ》にも彼《か》にも横樣《よこさ》も奴《やつこ》とぞ吾《あれ》はありける主《ぬし》の殿門《よのど》に
 
〔題〕 云々 池主の文を誰かが省略したのである。
〔譯〕 縱から見ても、かうして横から見ても、どちらにしても、自分は奴である。貴下の御殿の門に立つてお仕へすべきである。
〔評〕 自ら卑下して、家持の奴隷の身の上であると云ふ。戯れの中に、大伴一族の棟領たる家持を信頼する意が籠つてをる。
〔語〕 ○横さも 横の樣にも。○殿門 殿外、殿戸とも見られるが、正倉院文書に殿門と宛名の下にかいたものがあつて、相手の尊稱である(全註釋)といふ説による。
 
4133 針袋これは賜《たば》りぬすり袋今は得てしか翁さびせむ
 
〔譯〕 針袋、これは頂戴いたしました。ついでにすり袋が今はほしいものであります。その二つを下げて、翁らしくいたしませう。
〔評〕 洒脱の面影が浮んで來る。更にすり袋を得て、老人ぶりを發揮せむとの戯言である。
(321)〔語〕 ○すり袋 今明らかでないが、代匠記初稿本には、布にしのぶなどを摺つた火打袋とし、古義には、※[竹/鹿]袋で旅行用の竹篋とある。○翁さびせむ 老人として行動する、老人らしくする、神さび、をとめさび、のさびに同じ。
 
   宴席に雪月梅花を詠める歌一首
4134 雪の上に照れる月夜《つくよ》に梅の花折りて賜らむ愛《は》しき兒もがも
    右の一首は、十二月、大伴宿禰家持作れり。
 
〔題〕 宴會の席上、雪と月と梅花とをよみいれて歌つたもの、卷十六の數種の物を詠む歌のたぐひである。
〔譯〕 雪の上に照つてをる月夜に、梅の花を折つて贈つてやるやうな愛らしい女があればよいが。
〔評〕 宴席の興をそへる爲に、たはぶれに詠んだ作ではあるが、清らかな風致といへる。
 
4135 我が兄子《せこ》が琴取るなへに常人の云ふ歎《なげき》しもいや重《し》き益すも
    右の一首は、少目秦伊美吉石竹の館の宴に、守大伴宿禰家持作れり。
 
〔評〕 我が友が琴を手に取つて彈くにつけても、世の一般の人が、琴を彈くと悲しみが涌くといふその歎きが、いよいよ頻りに益して來ることよ。
〔評〕 主人秦石竹が琴を彈ずるのを聽いて詠んだのであるが、北陬に年を送る國守が、琴の音に感傷する心緒は察するに難くはない。古今集の「わびびとの住むべきやどと見るなべに嘆きくははる琴の音ぞする」は、これらを學んでいよいよ唯美的傾向をたどつた歌である。
〔左註〕 石竹 「四〇八六」參照。
 
(322)   天平勝寶二年正月二日、國廳に饗を諸郡司等に給ふ宴の歌一首
4136 あしひきの山の木末《こぬれ》の寄生《ほよ》取りて插頭《かざ》しつらくは千年|壽《ホ》くとぞ
    右の一首は、守大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 山の木の枝さきにある寄生木を採つて挿頭にしたのは、千年の長壽を祝つてのことである。
〔評〕 寄生木を詠んだ唯一の歌。同じ作者の卷十九の「四二八九」の作と同樣の表親である。
〔語〕 ○ホよ 新撰字鏡に「寄生 保與」とある。榎・櫻・栗などに寄生する植物で、高さ二三尺、常緑植物である。
 
   判官久米朝臣廣繩の舘に宴せる歌一首
4137 正月《むつき》たつ春のはじめに斯《カ》くしつつ相《あひ》し笑《ゑ》みてば時じけめやも
    同じき月五日、守大伴宿禰家持作れり。
 
〔題〕 判官 掾同じい。久米朝臣廣繩「四〇五〇」參照。
〔譯〕 正月になつた春の始めに、かく宴會をしつつ互に笑みかはしてゐるならば、その時節にあはないといふことがあらうか。全く時節にふさはしいことといふべきである。
〔評〕 この宴會の樂しい氣分は、新年にふさはしいといふ明るい歌。太宰府の梅花の歌の中の「八一五」の影響が認められる。
〔語〕 ○時じけめやも 反語。時ならずといふことがあらうか、時節に恰當してゐるの意。「四九一」參照。
 
   墾田の地を檢察する事に縁《よ》りて、礪波郡の主帳|多治比部《たぢひべの》北里の家に宿りき。時に忽に風雨起りて、辭去することを得ずて作れる歌一首
4138 やぶなみの里に宿|借《か》り春雨に隱《こも》り障《つつ》むと妹に告げつや
    二月十八日、守大伴宿彌家持作れり。
 
〔題〕 墾田の地 「四〇八五」參照。寺領または庶人が開墾した田地を檢察する爲に、礪波郡の主帳(書記)の家に宿つたのである。
〔譯〕 やぶなみの里に宿を借り、春雨に降り籠められてゐると、留守居の妻に告げたか。案じてゐるであらうから、告げてやりたいことである。
〔評〕 留守居の妻を思ふ情がひそひそと底に流れてをるやうである。家持の妻大伴坂上大孃は、この頃は奈良から任地に來てゐたと推測される。新考には、屬僚の、妻を國府に置いた者にいふのである、と説いてゐる。
〔語〕 ○やぶなみ 延喜式神名帳に「越中國礪波郡荊波神社」とある地(古義)。但、今所在不明。今の藪波村は古名によつた新しい名である。○こもり障むと こもつて外に出ないこと。雨ごもり、雨づつみの語がある。
〔左註〕 主帳 「帳」は通行本「張」に誤る。元暦校本等による。
 
萬葉集卷第十八 終
 
昭和二十八年四月三十日印刷
昭和二十八年五月五日發行  佐佐木信網全集第六卷(第七回配本)
評釋萬葉集 卷六           定價四百八拾圓
著者  佐佐木信網
發行者 吉川 晋
印刷者 村尾一雄
印刷所 大日本印刷株式會社
 東京都新宿區市谷加賀町一ノ一二
發行所 株式會社六興出版社
東京都中央區日本橋蠣殻町
 
(3)   萬葉集 卷第十九
 
(5)概説
 
 この卷は、卷十七以下一聯の中に屬してをり、卷十七等と同じく、部類せず、大伴家持が、自詠竝に見聞した作品を、年月の順に書き留めたものである。
 この卷は、卷十八の後をうけて、天平勝寶二年三月、家持が越中守在任中より、翌三年七月少納言となつて歸京してから五年二月までの、約三年間の歌を收録したものであるが、中には、壬申の亂のをりの古歌も、傳聞のままに挿入してある。越中守時代に比して、歸京後の詠作が少いのは、公務も繁かつたのであらうが、その作に工夫をめぐらさうとした爲でもあつたと思はれる。
 歌數は、短歌百三十一首、長歌二十三首、計百五十四首で、家持の作は、短歌八十六首、長歌十七首、計百三首を占め、三分の二以上に達し、その他も、家持に關係のある歌が多く、家持の手記そのままというてよい。それは、卷尾に、「此卷中、不v※[人偏+稱の旁]2作者名字1、徒録2年月所處縁起1者、皆大伴宿彌家持裁作歌詞也」とあることによつてもわかるのである。
 秀歌としては、長歌に、「世間の常無きを悲しむ歌」(四一六〇)と「勇士の名を振ふことを慕ふ歌」(四一六四)とは、一は無常の思想、一は勇武の思想をうたつた歌として注意すべき作。雪の歌(四二二七)は、口語をさながらうつした點でも新しく、片歌と佛足石歌體とを合せた短い詩形も新しい。死にし妻を悲しみ傷む歌(四二三六)は、悲痛の作。入唐使に贈れる歌(四二四五)、入唐使に賜へる御歌(四二六四)は、ともに海外に出で立つ使臣への餞(6)の歌として、意義が深い。
短歌のすぐれたるには、次のごときがある。
  春の苑くれなゐにほふ桃の花した照る道に出で立つをとめ     大伴家持 四一三九
  わが園の李《すもも》の花か庭にちるはだれのいまだ殘りたるかも 同    四一四〇
  朝|床《どこ》に聞けば遙けし射水河あさ漕ぎしつつうたふ船人  同    四一五〇
  ますらをは名をし立つべし後の代に聞き繼ぐ人も語りつぐがね   同    四一六五
  藤波の影なす海の底清み沈著《しづ》く石をも珠とぞ吾が見る   同    四一九九
  澁溪をさして吾が行くこの濱に月夜飽きてむ馬暫し停め      同    四二〇六
  大船に眞楫しじ貫き此の吉《あ》子をから國へ遣るいはへ神たち  藤原太后 四二四〇
  いはせ野に秋萩凌ぎ馬なめて始鷹獵《はつとがり》だにせずや別れむ 大伴家持 四二四九
  大君は神にしませば赤駒のはらばふ田井を都となしつ       大伴御行 四二六〇
  大君は神にしませば水鳥のすだく水沼《みぬま》を都となしつ   末詳   四二六一
  から國に往きたらはして歸りこむますらをたけをに御酒《みき》たてまつる 多治比鷹主 四二六二
  天地にたらはし照りて吾が大君敷き坐《ま》せばかも樂しき小里  大伴家持 四二七二
  天《あめ》にはも五百《いほ》つ綱はふ萬代に國知らさむと五百つ綱はふ 石川年足 四二七四
  春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげにうぐひす鳴くも     大伴家持 四二九〇
  わがやどのいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも     同    四二九一
  うらうらに照れる春日に雲雀あがりこころ悲しも獨し思へば    同    四二九二
この卷の用字法は、主として一音一字式であるが、他の三卷に比して、意字がやや多く混じてゐるのが注意せられ(7)る。上述のごとく、家持の手記のままかと思はれる。中に、「四二六四」の遣唐使に賜はつた御製は、元暦校本などの古寫本には、助詞を右に寄せて、細字で、所謂宣命|書《がき》となつてゐるが、それが、下賜當時の原形を示すものであらう。
 なほ、家持の歌の作歌動機としては、「四一六四−六五」は山上憶良の作に、「四一七四」は大宰の時の梅の歌に追和し、「四二一一−一二」は處女墓の歌に追同したのである。また、「四一六三」「四一六六−六八」のやうに題詠的に作つたもの、「四二五四−五五」「四二五六」「四二六六−六七」のごとき預作、「四一六九−七〇」「四一九七−九八」のごとき、家婦に誂へられて作つた歌等もある。しかし、家持の歌に於ける多年の愛着と精進とは、上述の「四二九〇−九二」のごとき、萬葉集中の異彩ある作品を遺し、この卷の卷尾を飾つてをるのである。
 
(9)萬葉集 卷第十九              ′
 
   天平勝寶二年三月一日の暮《ゆふべ》に、春の苑の桃李の花を眺矚《なが》めて作れる歌二首
4139 春の苑《その》くれなゐにほふ桃の花した照る道に出で立つ※[女+感]嬬《をとめ》
 
〔譯〕 春の苑は紅に照り映えてゐる。桃の花が色美しく輝くばかりに咲きさかる道に出で立つてゐる少女。花と少女と、まことに此の苑の眺めは美しい。
〔評〕 ○繪を見るやうな美しい歌。家持の從來の作と違つて、艶麗なものがあり、その歌風の變化を示してゐる。但し、この歌の解としては、「くれなゐにほふ」を「桃の花」につづけて三句切のやうに見るのが普通であるが、卷十七の「四〇二一」と同じ句法の二句切で、花と少女との艶麗な照應を、「春の苑くれなゐにほふ」と大きく寫し取つたものとすべきである。もし、三句切れとすると、春の苑と桃の花と少女との三つの名詞が句切れにならぶことになつて、おもしろくない。春の苑と桃の花とは、單に少女に對する道具立てではない。
〔語〕 ○した照る道 美しく光り輝く道。「した」は「したへる妹」(二一七)のしたで、下ではなからう。
 
4140 吾が園の李《すもも》の花か庭に落《ふ》るはだれのいまだ殘りたるかも
 
〔譯〕 わが園の李の花であらうか、あれは。それとも庭に降つたまだら雪が、まだ殘つてゐるのででもあらうか。あれは。
〔評〕 すが/\しい風致、明淨の詞調。上下に重ねて疑問の形式にしたもの。卷八の「一四二〇」に似てをる。
(10)〔語〕 ○李の花か 「か」は疑問。實際は題詞の如く李の花を見てゐるのであるが、修辭上疑つてゐるやうに詠んだもの。二句で切れるので、「花か庭にちる」のやうに訓んで三句への係と見るは採らない。ここでは、前の「四一三九」とともに、二句切れとして味ふべきである。○はだれ はだれに降れる雪を略して名詞としたもの。はだれは、まばらに、まだらに、に同じい。卷八の「一四二〇」、卷九の「一七〇九」參照。
 
   翻《と》び翔《かけ》る鴫を見て作れる歌一首
4141 春まけて物がなしきにさ夜ふけて羽《は》ぶき鳴く鴫《シギ》誰《た》が田にか住む
 
〔題〕 翻は玉篇ニ飛也とあり、とぶの意。鴫は田鳥を扁旁に置いて作つた國字である(代匠記)。
〔譯〕 春になつてそぞろ物がなしいのに、夜がふけて羽ばタきをしながら鳴いてをる鴫は、誰の田に住んでゐるのであらう。
〔評〕 物惱ましい春の夜ふけに、靜けさを破る鴫の羽ぶきと鳴き聲を聞くといふ感傷であるが、題の「見て」といふのには合致しない。
〔語〕 ○春まけて 春の時を待ち得て。○さ夜ふけて 「三更而」とある。三更は夜半子の刻(午前零時)をいふ。
 
   二日、柳黛を攀ぢて京師を思《しの》ふ歌一首
4142 春の日に張れる柳を取り持ちて見れば京《みやこ》の大路おもほゆ
 
〔題〕 二日は三月二日。柳黛は、柳の若葉が、黛《マユズミ》デ書いた婦人の眉に似てゐるからいふ。擧ぢは引き寄せ折る意。
〔譯〕 春の日に、張やうに芽の萠え出した柳の枝を手に取り持つて見ると、奈良の都大路の柳並木の春景色が思はれる。
(11)〔評〕 さびしい北國にも春が來て、柳が芽を吹いた。鮮かな緑のやさしさに眼をとめて折り取つた風流の國守の胸に、ふと思ひ寄るあこがれである。春光麗かに並木の柳の緑が搖れる奈良の都の大路、その下を行きかふ若い男女の姿――夢みる眸をあげた國守の胸深く、邊土の寂しみがひしひしと滲み渡つたことであらう。
〔語〕 ○張れる柳 芽の萠えだした柳。卷十四の「三四四三」參照。○京の大路 當時都大路には、街路樹として柳や橘が植ゑてあつたからである。催馬樂に「大路にそひて上れる青柳が花や」、また「新京朱雀の垂り柳」とあるのは平安京のことであるが、平城京にも柳は植わつてゐたのである。
 
   堅香子《かたかご》草の花を攀ぢ折る歌一首
4143 もののふの八十《やそ》をとめ等《ら》が※[手偏+邑]《く》み亂《まが》ふ寺井の上《うへ》の堅香子《かたかご》の花
 
〔題〕 堅香子草 かたくりのこと。百合科、早春、おほぽこに似た葉の間から花莖が出て、薄紫色の六辨花を開く。
〔譯〕 多くの少女らが入り亂れてくみかはす寺の境内の井のほとりに、咲いてゐる堅香子の花の美しさよ。
〔評〕 印象鮮明。折り取られた可憐なその花の樣は、少女の姿そのものなのである。千年の時代のへだたりを感じさせぬほど新しく、今も少女等の嬌笑を耳に聞くかと思はれる。
〔語〕 ○もののふの 朝廷に仕へる部族の教の多い意から「やそ」につづく枕詞。卷一の「五〇」參照。○八十をとめら 八十は數多い意。○くみまがふ ※[手偏+邑]は酌の意。入りまじつてしきりに水を汲むこと。○寺井 寺の境内に清くわき出てをる井の義。地名ではない。
〔訓〕 ○やそをとめらが 白文「八十※[女+感]嬬等之」。仙覺本には「八十乃」と「乃」がある。元暦校本等にない方がよい。○くみまがふ 白文「※[手偏+邑]亂」。「亂」をまがふと訓むことは、萬葉學論纂の「萬葉集の訓義と古經卷の訓點」(春日政治氏)參照。
 
(12)   歸雁を見る歌二首
4144 燕|來《く》る時になりぬと雁がねは本郷《クニ》思《しの》ひつつ雲|隱《がく》り喧《な》く
 
〔譯〕 燕が來る時節になつたと、雁は本國を思ひつつ、雲に隱れた遠くで鳴いてをる。本國へ歸るのであらう。
〔評〕 燕と雁とが入れ替るといふ大陸流の季節觀念にもとづいてをる。そのことは、月令に、「孟春之月鴻雁來、仲春之月、是月也玄鳥去、注玄鳥燕也」とある。燕のことが詠み入れられた集中唯一の歌。尚この歌の形は卷八の「一四三九」卷十の「二一四四」に似てをる。
〔訓〕 ○くに 白文「本郷。」舊訓フルサトは從ひ難い。本郷の意に「くに」といつた例は卷十の「二一三〇」にもある。
 
4145 春|設《ま》けてかく歸るとも秋風に黄葉《もみち》の山を超《こ》え來《こ》ざらめや【一に云ふ、春されば歸るこの雁】
 
〔譯〕 春になつて雁はかやうに歸つても、秋風のふく頃に、黄葉してゐる山を越えて來ないことがあらうか。必ずくるであらう。
〔評〕 歸雁に對して秋のおとづれを強く約してをる。淡い惜別の情もひそんでゐるやうである。
〔訓〕 ○もみちの山 白文「黄葉山」。舊訓による。モミデム・モミヂム・モミツルなどの諸訓がある。
 
   夜の裏《うち》に千鳥の喧《な》くを聞く歌二首
4146 夜ぐたちに寢覺めてをれば河瀬|尋《と》め情《こころ》もしのに鳴く千鳥かも
 
〔題〕 夜の裏 夜半のこと
(13)〔譯〕 夜ふけに目覺めてゐると、河瀬を尋ねて、聞く者の心もしをれるばかりに鳴いてゐる千鳥であることよ。
〔評〕 卷七の「一一二四」と似たものがある。詩情が高く張つてをる作。
〔語〕 ○夜ぐたち 「ぐたち」はくだるの意。夜深く、夜ふけ。○河瀬とめ おりようとする河の瀬を求めて。
〔訓〕 ○しの 白文「之努」。元暦校本等による。通行本には「之奴」とある。
 
4147 夜ぐたちて鳴く河千鳥うべしこそ昔の人もしのひ來にけれ
 
〔譯〕 夜ふけに鳴いてをる河千鳥の聲は、あはれが深い。なるほど、昔の人もなつかしみ賞美して來たわけであつた。
〔評〕 夜の千鳥について歌はれた古人の歌などを思ひ浮べてゐるのである。
〔語〕 ○うべしこそ しは強意の助詞。尤なことであるの意。○しのひ めでなつかしむ意。
 
   曉に鳴く雉を聞く歌二首
4148 椙《すぎ》の野にさ躍《をど》る雉《きぎし》いちしろく啼《ね》にしも哭《な》かむ隱妻《こもりづま》かも
 
〔譯〕 椙の野で躍り騷いでゐる雉よ。お前は人目にたつやうに聲を出して鳴くべき隱り妻であらうか。隱り妻てあるお前は、鳴かずに黙つてをればよいに。
〔評〕 雉を隱り妻に見立てていましめるやうに詠んだ歌。構想を「里中に鳴くなる鷄のよび立てていたくは鳴かぬ隱り妻はも」(二八〇三)に負うて、巧みに新趣をめぐらしたものである。
〔語〕 ○椙の野 國府に近い地名で、即興に詠んだのであらう。杉のはえてをる野と解するはよくない。○さをどる さは接頭語。騷ぎまはるの意。○隱り妻かも こもり妻は人目を忍ぶ妻。隱り妻であるからさうあらはに鳴き騷ぐべきではない、の代匠記の説がよい。古義の解はよくない。
 
(14)4149 あしひきの八峯《やつを》の雉《きぎし》なき響《とよ》む朝けの霞見ればかなしも
 
〔譯〕 幾重もつらなる峯の方に雉が鳴きとよんでゐる明方に、立ち籠めた霞を見ると、うらがなしいことである。
〔評〕 朝とく霞のかかつてをる國府廳の丘の上に立つて、鳴きとよもす雉の聲をきいて、邊愁に惱む感緒をのべたもの。
〔語〕 ○あしひきの こコは峯にかかる枕詞。○八峯 八は數の多い意。地名ではない。○かなしも 物あはれな哀愁の感をいふ。古義に、可憐《あはれ》に感嘆《かなし》まるるをいふ、とある。
 
   遙に江を泝《さかのぼ》る船人の唱《うた》を聞く歌一首
4150 朝|床《どこ》に聞けば遙《はる》けし射水河朝漕ぎしつつ唱《うた》ふ船人
 
〔譯〕 朝、床の中で聞いてをると、遙かな感じがする。射水河を、朝、船を漕ぎながらうたつてをる船人。その聲が遙かなところから聞えてくるやうである。
〔評〕 曉を覺えぬ春眠の夢より覺めた多感の國守の枕に、丘の下を流れる射水河からつたはる船唄である。「遙けし」の一句は、その實?と、ほのぼのとした情趣を寫すに適ひ、胸に浮ぶ複雜な思ひを微妙にぼかしあげてをる。
 
   三日、守大件宿禰家持の舘に宴する歌三首
4151 今日の爲と思ひてしめしあしひきの峯《ヲ》の上《ヘ》ノ櫻かく咲きにけり
 
〔題〕 三月三日は上巳、即ち曲水の宴をいふのである。
〔譯〕 今日の宴の物にと思つて標《しるし》を立ててとつておいた峯の櫻は、こんなに美しく咲いたことよ。
(15)〔評〕 結句の言ひざまから見ると、峯の上の櫻をはるかに仰いだのではなく、かねて折り取つて瓶に生けてあつた山櫻を誇り示して詠んだのであらう。
〔訓〕 ○思ひてしめし 白文「思而標之」。「而」は類聚古集による。通行本等にはない。
 
4152 奧山の八峯《やつを》の椿つばらかに今日は暮らさね丈夫《ますらを》の徒《とも》
 
〔譯〕 奧山の八重に重なる峯に咲いてゐる椿――十分にくつろいで、今日は暮らされよ、人々よ。
〔評〕 序に用ゐた八峯の椿も、櫻と共に瓶に挿してあつたものであらう。
〔語〕 ○八峯の椿 同音で次の句にいひかけたもの。○つばらかに 委曲に、十分に。心の底に殘すところなく遊びくらせ(代匠記)の意。○丈夫の徒 宴席にゐる人々によびかけた語。丈夫たる諸君よの意。
 
4153 漢人《からひと》も※[木+伐]《ふね》を浮べて遊ぶとふ今日ぞ我が兄子《せこ》花蘰《はなかづら》せよ
 
〔譯〕 漢土の人も、舟を浮べて遊ぶといふ今日である。我が友よ。花かづらをしなさい。我等も樂しく遊ばう。
〔評〕 外來の文人的行樂に優遊してゐた當時の文化人の面目が思はれる。
〔語〕 ○漢人も 三月三日は、大陸では、曲水宴と稱して水のほとりで宴をひらく風習があり、それが我が國に傳へられて、顯宗紀などにすでにその宴の行はれたことが見える。○※[木+伐] 筏と同字で、イカダとよむべきであるが、舟の義に用ゐたものとして通行本の如くフネと訓んだ。○わが背子 親しみよびかける意。
〔訓〕 ○せよ 白文「世余」。「余」は通行本による。類聚古集等に「奈」に作るも「余」の方がよい。
 
   八日、白き大鷹を詠める歌一首井に短歌
 
(16)4154 あしひきの 山坂越えて 去《ゆ》き更《かは》る 年の緒長く しなざかる 越《こし》にし住めば 大王《おほきみ》の 敷きます國は 都をも 此間《ここ》も同《おや》じと 心には 思ふものから 語り放《さ》け 見|放《さ》くる人眼《ひとめ》 乏しみと 思《おもひ》し繁し 其《そこ》ゆゑに 情《こころ》和《な》ぐやと 秋づけば 萩咲きにほふ 石瀬《いはせ》野に 馬だき行きて 遠近《をちこち》に 鳥踏み立《た》て 白塗《しらぬり》の 小《を》鈴もゆらに 合せ遣《や》り ふり放《さ》け見つつ 憤《いきどほ》る 心の中《うち》を 思ひ伸《の》べ 嬉しびながら 枕づく 妻屋のうちに 鳥座《とぐら》結《ゆ》ひ すゑてぞ我が飼ふ 眞白斑《ましらふ》の鷹
 
〔譯〕 幾重の山坂を越えて來て、行きかはる幾年の間を、都から遠く離れた越の國に住んでゐると、大君の治め給ふ國は、都も此處も同じであると心では思ふものの、共に語り共につどうて思を晴らすやうな人も少ないので、とかく物思が繁いことである。それ故に、せめて心も慰められ靜まるかと思つて、秋になると萩の花の咲き匂ふ石瀬野に馬を驅り、あちらこちらに鳥を追ひ立て、足につけた白塗の鈴のゆらゆらと鳴る鷹を放ちやつて、鳥を捕らせ、それを遠く見やりつつ、欝結して堪へがない心をはらして、喜びとするのである。その樂しい鷹狩のためにと、座敷のうちに鳥屋をつくり、そこにとまらせて我が飼つてをる、この白い斑入の鷹よ。
〔評〕 邊土の生活に於ける悶々の情を、鷹狩に晴らさうとする心事が思ひ遣られる。潤色のない表現に、生地《きぢ》が如實にあらはれてゐて、眞率な作である。
〔話〕 ○あしひきの山坂越えて 二句を隔ててしなざかる越にし住めばにかかる。○しなざかる 越の枕詞。○敷きます國 このあたり數句、家持の父旅人の「やすみしし吾が大君のをす國は大和もここも同じとぞ念ふ」(九五六)によつてゐる。○語り放け 語らうて心を晴らす。卷三「四六〇」參照。○石瀬野 和名抄に「越中國新川郡石瀬」(17)とあるが、この歌では射水郡の岩瀬(今の大門町の北)と思はれる。この地は國府にも近い(萬葉事實餘情)。○馬だきゆきて だくは馬の手綱を手繰ること。○白塗の小鈴 卷十七の「四〇一一」參照。○合せやり 鷹を放つて鳥にあはせてやる。補へさせにやる意。○憤る 悶える意。○思ひのべ 心の思ひをはらす意。○枕づく 妻屋の枕詞。夫婦枕をつけ竝べ寢る意。○鳥座 鳥のねるところ。卷二の「一八二」參照。
 
   反歌
4155 矢形尾《やかたを》の眞白《ましろ》の鷹を屋戸《やど》に据《す》ゑ掻き撫で見つつ飼はくし好《よ》しも
 
〔譯〕 尾に矢形の斑がある、眞白な鷹を家に飼つて置き、撫でさすり見ながら飼ふのは、面白いものである。
〔評〕 鷹を愛でいつくしむ樣が現はれてはゐるが、反歌としての役目を果しただけの作。
〔語〕 ○矢形尾 矢の形をした尾。卷十七の「四〇一一」參照。○飼はくし 飼はくは飼ふこと、しは強めの助詞。
 
   ※[盧+鳥]を潜《かづ》くる歌一首并に短歌
4156 あらたまの 年|往《ゆ》き更《かは》り 春されば 花咲きにほふ あしひきの 山下|響《とよ》み 落ち激《たぎ》ち 流る辟田《さきた》の 河の瀬に 年魚兒《あゆこ》さ走《ばし》る 島つ鳥 ※[盧+鳥]養《うかひ》伴《とも》なへ 篝《かがり》さし なづさひ行けば 吾妹子が 形見がてらと 紅《くれなゐ》の 八入《やしほ》に染めて おこせたる 衣《ころも》の裾も 徹《とは》りて濕《ぬ》れぬ
 
〔譯〕 年が往きかはり春が來ると、花が咲き匂ふ。山の下をとどろかせ、落ちて泡立ち流れる辟田河の瀬には、鮎の子が走つてをる。それで、鵜飼をする男を從へ、篝火をかざし、水につかつて行くと、妻が形見かたがた紅の濃い色に染めて贈つてくれた著物の裾が、裏まで徹つてぬれたことである。
(18)〔評〕 よく整うた作で、明るい色調を以て貫かれてをる。「吾妹子が形見がてらと――おこせたる衣」とあるによつて、家持の妻はこの時まだ奈良にゐたものと古義は見てゐる。下の「四一六九」では、この四月の末に妻は越中にあつたことが知られるので、論があるが、妻がまだ在京中に贈つたものと解することも出來よう。
〔語〕 ○流る辟田の 流るは連體格に語尾の「る」を添へない形を用ゐる古格によつたもの。辟田河は、二上山より流れて西田村を經て布勢湖に入る川(萬葉事實餘情)。○島つ鳥 鵜の枕詞。野つ鳥堆、庭つ烏鷄の類。○※[盧+鳥]養伴なへ 鵜養は鵜を使ふのを職とするもの。伴なへは通常四段活用の動詞であるが、ここは下二段活用。伴につれて。○篝さし 篝火をともし。○形見がてらと 形見をかねて。形見は、人を偲ぶよすがのもの。○八入に染めて 八は數多いこと。入は染料に入れて色を染めたこと。幾度も染めて濃い色として。
〔訓〕 ○并短歌 元暦校本等による。通行本この三字脱。○花さきにほふ 白文「花開爾保布」。「開」は考の説による。通行本「耳」に作るは誤と思はれる。「春去婆花開爾保比」(四一六〇)は一の證となるであらう。○なづさひ 白文「奈頭左比」。元暦校本等による。「頭」を通行本は「津」とある。
 
   反歌
4157 くれなゐの衣にほはし辟田河《さきたがは》絶ゆることなく吾《われ》かへりみむ
 
〔譯〕 紅の着物を水に美しく映じさせて、辟田河の流れの絶えることのないやうに、絶えず自分は來て見よう。
〔評〕 人麿の「見れど飽かぬ吉野の河の常滑の絶ゆることなくまた還り見む」(三七)以來の型にしたがつたもの。
〔訓〕 ○かへりみむ 白文「眷牟」。元暦校本等による。通行本「看牟」。
 
4158 毎年《としのは》に鮎し走らば辟田河《さきたがは》※[盧+鳥]《う》八頭《やつ》潜《かづ》けて河瀬たづねむ
 
(19)〔譯〕 毎年鮎がかうして走るならば、辟田河に鵜を澤山に潜らせて、河瀬で鮎をたづねよう。
〔評〕 卷五の「年のはに春の來らば斯くしこそ梅を挿頭して樂しく飲まめ」(八三三)と同型である。
〔語〕 ○鵜八頭潜け 八つは數おほく澤山の義。潜けは潜かしめての意。
 
   季春三月九日、出擧《すゐこ》の政に擬して舊江《ふるえ》村に行く。道の上《ほとり》に、目を物花に屬《つ》くる詠、并に興の中に作れる歌
 
〔題〕 出擧は、利息をとつて稻を百姓に貸すこと。「四〇二九」參照。擬は、輕く用ゐる例が多く、ただ出擧の政を行はむためにと云ふ意(古義本居氏説)と解する註もあるが、ことによせての意(新考)といふのがよい。舊江村は「三九九一」參照。以上は次なる長短七首の題詞。
 
   澁溪埼《しぶたにのさき》を過ぎて巖上の樹を見る歌一首【樹の名つまま】
4159 磯の上《うへ》の都萬麻《つまま》を見れば根を延《は》へて年深からし神《かむ》さびにけり
 
〔題〕 澁溪埼は卷十七の「三九九一」參照。都萬麻は犬楠一名たもの木。葉は楠に似て巖上などの土壤の尠いところにも生育し、樹齡の古くなるに從つで、根が地上に露出して根上り松のやうになるといふ。
〔譯〕 磯の上の都萬麻の木を見ると、根を長くのばして、年を久しく經たらしい。神々しい姿をしてをる。
〔評〕 風雨に削られた奇岩の上に、根があらはに盛りあがつて蟠まる都萬麻の老木に、驚異の詠嘆を發したのである。葦附、かたかごなどと共に、集中に豐かな地方色を織り込んだ功が認められる。
 
   世間《よのなか》の常無きを悲しむ歌一首并に短歌
4160 天地の 遠き始よ 俗中《よのなか》は 常無きものと語り續《つ》ぎ ながらへ來たれ 天《あま》の原 ふり放《さ》(20)け見れば 照る月も 盈昃《みちかけ》しけり あしひきの 山の木末《こぬれ》も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜|負《お》ひて 風|交《まじ》り 紅葉《もみち》ちりけり うつせみも 斯《か》くのみならし 紅《くれなゐ》の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪|變《かは》り 朝の咲《ゑみ》 暮《ゆふべ》變《かは》らひ 吹く風の 見えぬが如く 逝《ゆ》く水の 止《とま》らぬ如く 常も無く 移ろふ見れば 行潦《にはたづみ》 流るる涙 止《とど》みかねつも
 
〔譯〕 天地開闢の遠い始の時から、世の中は、無常のものと語り繼いで、傳へて來た。それで、天空を遙かにふり仰いで見ると、照る月も滿ちたりかけたりする。山の梢も、春になると花が咲き匂ひ、秋が來ると露霜を負うて風に交つて紅葉が散る。人間の身もかくばかり無常であるらしい。紅の顔の色もあせ、黒髪も變り、朝のゑみも夕暮には變つて悲しみとなり、吹く風の目に見えぬが如く、流れる水の止らぬ如く、常なく移り變つてゆくのを見れば、庭のたまり水のやうに涙が流れて、止めかねることである。
〔評〕 憶良の「世間の住り難きを哀しめる歌」(八〇四)を學んだことが明かである。無常觀は佛教に由來する觀念であるが、天地開闢の太初から語り傳へたと云ふところ、傳統を重んじ源泉を古に歸する思想が現はれてをる。日本化せられた無常觀とも、無常觀の日本化ともいふことが出來る。
〔語〕 ○遠き始よ 遠い始より。○ながらへ來たれ 「ながらへ」は「ながる」に繼續の意のふを添へたもの。「來たれ」は來てあればの意。傳へてきたので。○照る月も盈昃しけり 卷三の「四四二」、卷七の「一二七〇」にもある句。○紅の色もうつろひ 紅顔も色褪せ、年老いての意。○朝のゑみゆふべ變らひ 朝の美しい笑顔も夕方は變つてしまひ。○吹く風の見えぬが如く 卷十五の「三五二五」參照。○行潦 卷二の「一七八」參照。
〔訓〕○とどみ 白文「等騰未」。「未」は元暦校本による。通行本等は「米」に作る。とどめの例もなくはないが、(21)「かね」につづく三例はいづれも「とどみ」とある。なほ「とどみ」は字面によると、特殊假名遣によつて上二段の連用形とみられる。
 
   反歌
4161 言《こと》問《と》はぬ木すら春咲き秋づけばもみち散《ち》らくは常を無みこそ【一に云ふ、常なけむとぞ】
 
〔譯〕 物をいはぬ木でさへも、春は花が咲き、秋になると紅葉が散るのは、世間無常の故である。
〔評〕 長歌中の句をぬき取つて、世間無常の主旨をまとめて敍べたもの。言とはぬ木すらは、卷四の「七七三」卷六の「一〇〇七」にもあつて、常套語のやうになつてはゐるが、よく用ゐられてをる。
 
4162 うつせみの常無き見れば世の中に情《こころ》つけずて念《おも》ふ日ぞ多き【一に云ふ、嘆く日ぞ多き】
 
〔譯〕 この世の人の無常なことを見ると、世の中に執着しないで、考へる日が多い。
〔評〕 世間無常を觀ずるにつけて、いよいよ短い現世を樂しみたいと云ふ心とは反對に、極めて諦念的・修道的な態度がみえる。家持時に三十三歳と推定される。
 
   豫《かね》て作れる七夕の歌一首
4163 妹が袖|我《われ》まくらかむ河の瀬に霧立ち渡れさ夜ふけぬとに
 
〔譯〕 妻の袖を自分は枕にして寢よう。天の河の瀬に霧が立ち渡れ、夜がふけぬうちに。
〔評〕 三月に七夕の歌をつくつておくのも、よく云へば、歌道に熱心な故と稱せられよう。意識して創作に從事する態度である。卷十の「二〇三五」に想を得て、彦星の心になつて詠んだと思はれる歌。
(22)〔語〕 ○さ夜ふけぬとに 「とに」は、うちに、間にの意と解しておく。卷十の「一八二二」參照。
 
   勇士の名を振ふことを慕《ねが》ふ歌一首并に短歌
4164 ちちの實《み》の 父の命《みこと》 柞葉《ははそば》の 母の命《みこと》 をほろかに 情《こころ》盡《つく》して 念《おも》ふらむ その子なれやも 丈夫《ますらを》や 空《むな》しくあるべき 梓弓 末《すゑ》振《ふ》り起し 投矢《なぐや》以《も》ち 千尋《ちひろ》射渡し 劔刀《つるぎたち》 腰に取り佩《は》き あしひきの 八峯《やつを》踏み越え さし任《ま》くる 情《こころ》障《さは》らず 後の代の 語り繼ぐべく 名を立つべしも
 
〔譯〕 父上や母上が、竝々の心をつくして思ふその子であらうか。竝大抵ならぬ心でいとほしまれる子なる我が身である。それをおもふと、丈夫たる者が空しくあるべきであらうか。梓弓の弓末をふり起し、投矢を以て、千尋の遠い處へも射渡し、劔太刀を腰に帶びて、多くの山の峯を踏み越え、官命のままにその任を果し、後の世の人が語り繼ぐやうな名を立つべきである。
〔評〕 若き武門の棟梁としての家持の面目が發挿された歌で、父母を思ふことによつて、いよいよ丈夫としての自覺と自尊心とが振ひおこされ、後世に語り傳へらるべき名を欲するといふ點、自己の名譽と父母の名、ひいて祖先家門とを結びつけて考へる上代日本人の精神が、明確に認められるのである。
〔語〕 ○ちちのみの 同音の繰返しで父の枕詞。ちちのみは銀杏(冠辭考)といはれてゐたが、天仙果《いちじく》といふ説(屋代弘賢古今要覽稿、新村博士東亞語原志)が有力である。○父の命 命は尊稱。○ははそばの 同音の繰返しで母の枕詞。「ははそ」は、殻斗《ぶなのき》科の落葉喬木。「一七三〇」參照。○をほろかに おほよそに、いいかげんに。○その子なれやも やは反語、もは咏歎。竝々に思ふ子であらうか、おろそかに思ふやうな子であらうはずはないの意。○丈夫
(23)
「一七七八」にあつたもの。○梓弓末振り起し 弓末をふり起すのは弓を射る時の?。「三六四」參照。○投矢 卷十三の「三三四五」にも投矢の語はあり、手で投げる矢と從來解されてゐたが、前に梓弓末ふり起しとあるから、箋註和名抄の註に「謂v射爲v投」とあるやうに、射るの意に投といつたものと思はれる。○さし任くる さしは接頭語。派遣するの意。○心さはらず 心がひきかかづらふこともなく、官命を滯りなく果すの意。
〔訓〕 ○ちちのみの 白文「知智乃實乃」。「寶」は元暦校本等の古寫本による。通行本は「寶」と誤る。
 
   反歌
4165 丈夫《ますらを》は名をし立つべし後の代に聞き繼《つ》ぐ人も語り續《つ》ぐがね
    右の二首は、山上憶良臣の作れる歌に追和せり。
 
〔譯〕 勇士は名を立つべきである。後の代に聞きつぐ人々も、永く語りつぐやうに。
〔評〕 憶良の「病に沈める時」の如き悲痛な動機がないために「をのこやもむなしかるべき萬代に語り續ぐべき名は立てずして」(九七八)なる原歌の氣魄には及ばないが、格調がおほきくて、上代日本人らしい、功名を尊び名譽を重んずる精神が歌はれてゐる。
〔語〕 ○語りつぐがね 語りつぐやうに。「後見む人は語りつぐがね」(三六四)參照。
 
   霍公鳥并に時の花を詠める歌一首并に短歌
4166 時ごとに いやめづらしく 八千種《やちくさ》に 草木花咲き なく鳥の 音《こゑ》もかはらふ 耳に聞き 眼に視《み》るごとに うち嘆き 萎《しな》えうらぶれ 偲《しの》ひつつ あらそふ間《はし》に 木《こ》の晩闇《くれやみ》 四月《うづき》し立てば 夜隱《よごも》りに 鳴く霍公鳥《ほととぎす》 古昔《いにしへ》ゆ 語り繼《つ》ぎつる 鶯の現《うつ》し眞子《まこ》かも 菖蒲《あやめぐさ》 花橘を (24)をとめ等《ら》が 珠《たま》貫《ぬ》くまでに あかねさす 晝はしめらに あしひきの 八丘《やつを》飛び越え ぬばたまの 夜《よる》はすがらに 曉《あかとき》の 月に向ひて 往《ゆ》き還り なき響《とよ》むれど 何如《いかに》飽き足らむ
 
〔題〕 時の花は、ほととぎすの鳴く時節のさく花をいふ。
〔譯〕 時節ごとにいよいよめづらしく、多くの種類の草木が花咲き、鳴く鳥の聲も移りかはつてゆく。それを耳に聞き目に見るごとに、感動に胸をうたれ、、心がなしく思ふまでになつかしんで、その面白さを思ひみながら、あの花よこの鳥よと賞であらそふ時に、木の暗いほどに繁る四月になれば、夜のうちから鳴くほととぎすのめでたさよ。昔から語りついで來た傳説のやうに、鶯のまことの子であるかまあ。菖蒲や橘の花を少女らが珠として緒に貫きつらねて遊ぶほど繁く、晝はひねもす、數々の山を飛びこえて、夜はよもすがら、あけ方の月に向つて、往き還りしつつ響くまで鳴くが、どうして聞き飽きることがあらう。
〔評〕 折節の移りかはるものごとにあはれであるが、ほととぎすを戀ふる心は特に痛切なものがあつたのである。その聲しげく鳴くさまを、少女らが玉に貫く時の花々の數の多いのに懸けつつ、おのづから題意に通はせた手法も巧みである。構想も表現も定型化し、後世的な風流趣味とも考へられるが、やはり平安朝及びそれ以後に見られる空々しさがないのは、感動が純一に張りつめてゐるからである。
〔語〕 ○八千種に あまたの種類に。幾種類にも。○かはらふ だんだんに變化してゆく。○あらそふはしに その美しさを爭ひ賞する時に、の意。卷二の「一九九」參照。○木の晩闇 舊暦の四月頃は木立が繁つて晝もくらくなるから、四月にかかる枕詞となる。この場合、實感がこもつてゐてよい。○夜ごもり 夜をこめて。○鶯のうつし眞子かも 卷九の「一七五五」にもあるやうに、ほととぎすは、みづから巣を營まず、他の鳥の巣の中に卵を産みつけることが往々ある。ほととぎすの卵は色彩も鶯のそれと酷似してゐて、假親は安心してこれを抱くのであるが、孵化し(25)たほととぎすの雛は、鶯の卵を巣の外に押し出し、その巣を獨占してしまふに到ることさへもある。うつし眞子は、現實の子。まこのまは接頭語、子の愛稱。○菖蒲 花橘と共に題に掲げられた「時の花」である。○珠貫くまでに 花を糸にさし貫いて飾りとする。その花の數をほきが如く繁い意。○しめらに しみらに、に同じ。充實して、ひまなく終日の意。卷十七の「三九六九」參照。
 
   反歌二首
4167 時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくし好《よ》しも
 
〔評〕 季節々々に、いよいよ愛賞すべく咲く花を、折つてみても折らなくても、見るのは樂しくよいことである。
〔評〕 いかにも萬葉らしい、伸びのびした詠みぶりで、萬葉時代でもすでに類型的になつてゐて、新しい感動の湧かぬ歌であるが、こせこせせぬ大味な歌柄に、安定した聲調が貫いてをるのがよい。四五句は、三四、四三の屈曲の中に歌謠的なおもしろさがある。
 
4168 毎年《としのは》に來《き》なくものゆゑ霍公鳥《ほととぎす》聞けばしのはく逢はぬ日を多み【毎年、之をとしのはと謂ふ】
    右は二十日、未だ時にいたらねども、興に依り豫《かね》て作れり。
 
〔譯〕 毎年來て鳴くのであるに、ほととぎすの聲を聞けば愛される。めぐり會はない日が多いので。
〔評〕 萬葉時代もこの頃になると、一種の風流としてほととぎすを愛好したもので、さうした精神的なものを背景として考へると、類型的ではあるが、季節感からくる心の躍動が感ぜられる。毎年聞きつつも猶きかぬ日の多いといふのは、深くその聲を愛する爲なのである。
〔左註〕 長歌にあるやうな「木の晩闇、四月し立てば」といふ時にはなつてゐないが、興の湧くままに、あらかじめ(26)作つたのである。
 
   家婦《いへのめ》が、京に在《いま》す尊母《みはは》に贈らむ爲に、誂《あとら》へらえて作れる歌一首并に短歌
4169 霍公鳥《ほととぎす》 來鳴く五月《さつき》に 咲きにほふ 花橘の 香ぐはしき 親の御言《みこと》 朝暮《あさよひ》に 聞かぬ日 數多《まね》く 天離《あまざか》る 夷《ひな》にし居《を》れば あしひきの 山のたをりに 立つ雲を 外《よそ》のみ見つつ 嘆くそら 安けなくに 念《おも》ふそら 苦しきものを 奈呉《なご》の海人《あま》の 潜《かづ》き取るとふ 眞珠《しらたま》の 見が欲《ほ》し御面《みおもわ》 直向《ただむか》ひ 見む時までは 松柏《まつかへ》の 榮えいまさね 尊《たふと》き吾《あ》が君【御面、之をみおもわと謂ふ】
 
〔題〕 家婦は坂上大孃、尊母は大伴坂上郎女である。家持が、妻から母へ贈る歌の代作を依頼されて作詞した意。
〔譯〕 ほととぎすが來て鳴く五月に、咲きにほふ橘の花の香ぐはしさ――その香ぐはしさにも比すべきなつかしい親のお言葉を朝夕に聞かぬといふ日が多く、田舍に住んでゐますので、山のくぼみに湧き立つ雲を遠く望むやうに、お姿を遠くにのみ想ひみつつ、歎く心は安くもなく、思ふ心は苦しいものであるに、あの奈呉の海人が水にくぐつて採るといふ眞珠のやうな、お見あげしたいその御顔を、ぢかに向つてお目にかかる時までは、松柏の常磐であるやうに、健かに榮えておいで遊ばしませ、大切な私どもの母上樣。
〔評〕 季節の風物に托して相見ぬことの久しさを述べ、わが胸中のおぼつかなさを敍して、母の健康を祈りつつ結ぶといふ構想は、消息文の典型的なものを思はしめる。長歌の形式を踏んだ手紙ともいふことが出來よう。代作ではあるが、情愛もこもつてをり、一首を貫く詞調に、女らしさが漂うてをる。
〔語〕 ○たをり 山の稜線がくぼみ撓んでゐるところ。卷十三の「三二七八」參照。○松柏の 「の」は如くの意。松柏は、漢文の用例を用ゐたので、かへは檜、榧など、常緑のめでたい木をいうたもの。枕詞的に用ゐられて「榮え」(27)
 
〔訓〕 ○香ぐはしき 白文「香吉」。舊訓「カヲヨシミ」。考および古義の訓に從ふ。
 
   反歌一首
4170 白玉の見が欲《ほ》し君を見ず久に夷《ひな》にし居《を》れば生《い》けるともなし
 
〔譯〕 白玉のやうにお見上げしたい母上樣を久しくを逢ひせずに、かうして田舍にをりますと、生きてゐるものといふ心持も致しませぬ。
〔評〕 子が母を慕ふ清潔な感情が表現されてゐて、一讀すがすがしい感動を覺える。「白玉の見がほし君」と呼びかけたのは美しい。
〔語〕 ○生けるともなし 集中「生けりともなし」とある例と同じである。「生ける」が連體形なので、この場合の「と」は利心《とごころ》などいふ場合の心の意であるとする玉勝間の説が注意せられるが、用字上なほ決しがたい。卷二の「二二七」參照。
 
   二十四日は、立夏四月の節に應《あた》れり。此《これ》に因《よ》りて二十三日の暮《ゆふべ》に、忽に霍公鳥の曉に喧《な》かむ聲を思ひて作れる歌二首
4171 常人《つねびと》も起きつつ聞くぞ霍公鳥《ほととぎす》このあかときに來喧《きな》く初聲
 
〔題〕 三月二十四日が、立夏の節に當つたのである。夏立てば必ず霍公鳥が鳴く、といふ言ひならはしから、前日なる二十三日の夕方に、想像でこの作を成したのである。
〔譯〕 風雅の心のない普通の人でも、寢てはゐず、起きいでて聽くべきものであるぞ、この明け方に來てなく霍公鳥(28)の初めての聲は。
〔評〕 ましてや風雅の文人として自他とも許す吾輩においては、といふ心が言外にあふれてゐて面白い。すでに題詠的な詠みぶりではあるが、なほ感動の純直なだころがある。
〔訓〕 ○來なく 白文「來喧」。考にはキナケと訓んでゐる。
 
4172 ほととぎす來鳴き響《とよ》まば草取らむ花橘を屋外《やど》には植ゑずて
 
〔譯〕 時鳥が來て鳴きとよもすならば、田の草を取らう。花橘の木を、宿の庭には植ゑないで。
〔評〕 草とらむは、卷十の「一九四三」の「吾《われ》草とれり」とあると關係があつて、何か傳説などのあるかと思はれるが、判然せぬので評を缺放くこととする。
 
   京なる丹比家に贈れる歌一首
4173 妹を見ず越《こし》の國邊《くにべ》に年|經《ふ》れば吾が情神《こころど》の和《な》ぐる日もなし
 
〔題〕 「四二一三」の左註にも「京なる丹比家に贈る」とある。田村大孃などが嫁いでゐたものかと代匠記にある。
〔譯〕 そなたを見ないで、北陸の國に年月を經ることであるから、自分の心はやはらぎ慰められる日がない。
〔評〕 北國に於ける都戀しい生活の實感が、二句から三句へかけて、切々と響いてゐる。四五句は類型的であるが、直截で力強い。
 
   筑紫の太宰の時の春の苑の梅の歌に追和せる一首
4174 春の裏《うち》の樂しき終《をへ》は梅の花|手折《たを》りをきつつ遊ぶにあるべし
 
(29)〔題〕 筑紫の太宰府で、天平二年正月、唐土風な趣味の梅花の宴が行はれて、卷五に漢文の序と「八一五」以下三十二首の歌がある。それに追和しての作である。
〔譯〕 春のうちでの樂しさの最上の日は、梅の花を手折つて來てかざし遊ぶ日であらう。
〔評〕 短い春の、その歡樂の極致を考へてをるところがおもしろい。風流誇示ともいへるが、ここまで突ききはめて考へ、かつ表現したところに萬葉人らしい純粹さがある。
〔語〕 ○樂しき終 到り極つた樂しさの終局の意。最上至高の悦樂。「八一五」の五句に「樂しき竟へめ」とあるをうけた。○手折りをきつつ 「を」は強めの助詞。手折つて來て、の意。全註釋には、元暦校本によつて「八一五」の四句をヲキ、「三九〇一」の五句をヲク、ここもヲキとし、すべて招く意に解いてある。
〔訓〕 ○たのしきをへは 白文「樂終者」。舊訓タノシミヲヘハ。樂をタノシキと連體形に訓む代匠記初稿本の説に從ひつつ、終を略解所引の宣長説のままにヲヘと訓む。○遊ぶにあるべし 白文「遊尓可有」。舊訓アソブニカアラム。代匠記初稿本の説に依る。
〔左註〕 二十七日は三月二十七日で、梅を觀賞しつつ詠んだのではなく、興に依つて作つたのである。
 
   霍公鳥を詠める歌二首
4175 ほととぎす今|來喧《きな》き始《そ》む菖蒲《あやめぐさ》蘰《かづら》くまでに離《か》るる日あらめや【毛能波三箇の辭之を闕く】
 
〔譯〕 時鳥が今こそ來て、初めて鳴いたことである。菖蒲をかづらにする端午の日まで、この鳥と離れることがあらうか、心ゆくまで聽き親しむことができよう。
〔評〕 ほととぎすの初聲をいかに待つたことであらう。それがいよいよ鳴いた以上、これからは端午まで、毎日でも(30)離れることなく聽いて行くことが出來ると喜ぶのは、子供のやうな素直な心である。しかも脚注によると、「も」「の」「は」の三箇の助詞を故意に使はずに詠じたので、卷十六の無心所著歌や數種の物を詠みこんだ歌のたぐひで、歌を遊戯的に詠んでをる。古今集の「同じ文字なき歌」は、此の系統を引いたものである。
 
4176 我が門ゆ喧《な》き過ぎ渡るほととぎすいや懷《なつ》かしく聞けど飽足《あきた》らず【毛能波?爾乎六箇ノ辭之ヲ闕ク】
 
〔譯〕 自分の家の門を通つて鳴き過ぎてゆくほととぎすの聲は、いよいよ懷かしく、いくら聞いても飽き足りぬことよ。
〔評〕 我が門を過ぎつつ鳴くゆゑに、一しほ愛しさを増すといふ着想は、自然であり、結句も素朴でよい。しかし、助詞の「も」「の」「は」「て」「ニ」「を」をわざわざ用ゐずに詠むどいふは、技巧的遊戯として行つたものである。
 
   四月三日、越前判官大伴宿禰池主に贈れる霍公鳥の歌、舊りニしを感《め》づる意に勝《あ》へずして懷《おもひ》を述ぶる一首并に短歌
4177 我が兄子《せこ》と 手携《てたづさ》はりて 曉《あ》け來《く》れば 出で立ち向ひ 暮《ゆふ》されば ふり放《さ》け見つつ 念《おも》ひ暢《の》べ 見和《みな》ぎし山に 八峯《やつを》には 霞たなびき 谿邊《たニべ》には 椿花吹き うらがなし 暮し過ぐれば ほととぎす 彌《イヤ》頻《し》き喧《な》きぬ 獨のみ 聞けば不怜《さぶ》しも 君と吾《われ》 隔てて戀ふる 礪波《となみ》山 飛び越え行きて、明《あ》け立《た》たば 松のさ技に 暮《ゆふ》さらば 月に向ひて あやめぐさ 玉貫《ぬ》くまでに 鳴き響《とよ》め 安寢《やすい》宿《ね》しめず 君を惱《なや》ませ
 
〔題〕 池主が越中の掾であつた時に、諸共に山に遊んだ春夏の思ひ出を歌つたのである。
(31)   夕方となれば遙かに見渡しながら、思ひをのべ、見つつ心を和らげ靜めた山に、多くの峯々には霞がたなびき、谷べには椿の花が咲き、心かなしくも春が過ぎてゆくと、ほととぎすがいよいよ繁く鳴くやうになつた。ただ獨で聞けば、いかにも寂しい。ほととぎすよ、君と自分とが遠く隔てあつて互に慕ひあふ礪波山を飛び越えて行つて、夜が明けたならば松の枝に、夕べとなつたならば月に向つて、菖蒲草を藥玉に貫いて祝ふ端午の日まで、鳴きひびかせて、安眠もできぬまでに君を惱ませよ、ああ、ほととぎすよ。
〔評〕 家持の作品には儀禮的なものが多く、從つて迫力に乏しい缺點がある。しかし、此の作などは、こまやかな心の配り方が行き屆いてゐる上に、男子間の友情が流露してゐて、爽快な詞が貫いてをる。前半の、春が去つて夏がおとづれ、ほととぎすの鳴くべき季節になつたことを敍する部分は、多少冗漫の憾みが無いでもないが、「念ひ暢べ見和ぎし山」とは、實感のこもつた、誠實な表現である。特に最終の三句は、おちおち寐てもゐられぬほどに鳴いてやれ、といつてをるあたりに、上品な諧謔があつておもしろい。全體に、家持の篤實な善良さが滲み出てをるのがよい。
〔語〕 ○念ひ暢べ 悠々と滿足した心になること。○見和ぎし 見ることによつて心が和らぎ慰められた。
〔訓〕 ○あけたたば ゆふさらば 白文「明立者 暮去者」。舊訓アケタテバ、ユフサレバと確定に訓んでゐるが、代匠記初稿本の書入の如く假定に訓むべきである。
 
   反歌
4178 吾《ひとり》のみ聞けば不怜《さぶ》しもほとぎす丹生《にふ》の山邊にい行き鳴くにも
 
〔譯〕 自分ひとりで聞けば心がさびしい。ほととぎすが、君のをられる丹生の山べに行つて、鳴くにつけても。
〔評〕 長歌の意をくりかへしたもので、結句もよくととのつてをらぬ。丹生の山をとり出しただけがはたらきである。
(32)〔語〕 ○丹生の山邊 越前國丹生郷附近の山。舊國府、今の武生市の西にあたる。
〔訓〕 ○ひとりのみ 白文「吾耳」。ワレノミ、ワレノミシとよまれるが、長歌の句を用ゐたのであるから義訓してよむべきである。○いゆきなくにも 白文「伊去鳴爾毛」。爾を略解は「南」、古義は「夜」の誤としてゐるがもとのままでよい。
 
4179 ほととぎす夜喧《よなき》をしつつ我が兄子《せこ》を安宿《やすい》な寢《ね》しめゆめ情《こころ》あれ
 
〔譯〕 ほととぎすよ、夜鳴きをして、池主君を安眠せしめるな。決して寢させるな。心して鳴けよ。
〔評〕 長歌の結びの構想を繰り返したもの。結句は念を押したやうないひ方であるが、ゆめというて、次に心あれというたのは、拙いといはねばならぬ。
〔語〕 ○な寢しめ な寢しめそ、の意。寢させるな、と使役型の禁止。○ゆめ 決して。
 
   霍公鳥を感《め》づる情に飽かず、懷を述べて作れる歌一首并に短歌
4180 春過ぎて 夏來向へば あしひきの 山よび響《とよ》め さ夜中に 鳴くほととぎす 初聲を 聞けば懷《なつ》かし 菖蒲《あやめぐさ》 花橘を 貫《ぬ》き交《まじ》へ 蘰《かづら》くまでに 里|響《とよ》め なき渡れども 尚《なほ》ししのはゆ
 
〔譯〕 春が過ぎて夏の季節に向ふと、山に鳴きかはして響かせ、夜中にも鳴くほととぎすよ。その初聲を聞けばなつかしい。菖蒲や花橘を絲に貫いて髪飾りにするまで、里も響くほど嶋きつづけるのであるが、それほど鳴いても、なほなつかしまれることよ。
(33)
○よびとよめ 鳴きさけび、あたりに響かせて。
 
   反歌三首
4181 さ夜ふけて曉月《あかときづき》に影見えてなくほととぎす聞けばなつかし
 
〔譯〕 夜がふけて、明け方の月に姿が見えて、鳴くほととぎすを聞けばなつかしい。
〔評〕 初句三句ともに「て」で止つてゐ、迫り訴へる創作の衝動に乏しい。わづかに二三句だけがよい。
〔語〕 ○曉月 明け方に出てゐる月。宵月に對する。
 
4182 ほととぎす聞けども飽かず網《あみ》取《と》りに獲《と》りて懷《なつ》けな離《か》れず鳴くがね
 
〔譯〕 ほととぎすの聲は、いくら聞いても飽きるといふことがない。網で捕へて、なつけよう。なえず鳴くやうに。
〔評〕 當時「網取り」といふ方法で鳥を捕へ、それを飼ひ養つて愛玩したさまが想像される。子供らしい表現であるが、それだけに率直な詠みぶりである。
〔語〕 ○懷けな なつけたいものである。○鳴くがね 鳴くやうに、その爲に。卷三の「三六四」參照。
 
4183 ほととぎす飼ひ通《とほ》せらば今年|經《へ》て來向ふ夏はまづ喧《な》きなむを
 
〔譯〕 はととぎすを飼ひ通してゐるならば、今年の季節を經て、來年の夏には、まづ我が家で鳴くであらうよ。
〔評〕 不可能のことではあるが、もし出來たならと、ほととぎすを飼ひ育てることを願ふ。無技巧な、平凡な歌であるが、着想に正直さゆゑのおもしろさがある。
(34)〔語〕 ○飼ひ通せらば ずつと飼ひつづけてゐるならば。○來向ふ夏 來ようとする夏で、來年の夏。
 
   京師より贈り來れる歌一首
4184 山吹の花とり持ちてつれもなく離《か》れにし妹を偲《しの》ひつるかも
    右は、四月五日、留女《るによ》の女郎《いらつめ》より送れるなり。
 
〔題〕 都に留つて家を守つてをる家持の妹から、任地にある家持の妻坂上大孃へ宛て贈つた歌である。
〔譯〕 山吹の花を折り持つて、私のことは思はないで冷淡にも遠くへ離れ去つてしまつたあなたを、なつかしく思つたことであります。
〔評〕 山吹の花を詠じたものには、故人遠人を思ふ情を托した歌が少くない。この歌にも、清純さがあつて佳い。「つれもなく」の句に、やや怨みがましい皮肉をにほはせて詠み送つたのである。
〔左註〕 「留女之女郎」。女を、考は「郷」、略解は「京」の誤字としてゐるが、「四一九八」にも同じやうに出てをるから、家に留まりをる女の意であらう。
 
   山振《やまぶき》の花を詠める歌一首并に短歌
4185 うつせみは 戀を繁みと 春|設《ま》けて 念《おもひ》繁けば 引き擧《よ》ぢて 折りも折らずも 見る毎《ごと》に 情《こころ》和《な》ぎむと 繁山の 谿邊《たにべ》に生《お》ふる 山吹を 屋戸《やど》に引き植ゑて 朝露に にほへる花を 見る毎《ごと》に 念《おもひ》は止まず 戀し繁しも
 
〔譯〕 この世の人は戀をすることが繁いので、春のおとづれと共に思ひ惱むことが繁いから、引き寄せて折つても折(35)らなくても、見るたびごとに心が和らぎ慰められるかと、木々の繁つた山の谷のあたりに生えてをる山吹を、家に移し植ゑて、朝露にぬれ色の美しく映えた花を見るたびごとに、却つて、思慕の情は止まず、戀しさが繁くなるのはせんないことである。
〔評〕 奈良から送られた山吹の歌について、山吹の花が、人戀しさの媒介となることを強調した作。少しは戀しさも鎭まるかと植ゑた花が、却つて、思慕の情をつのらせたといふ構想であるが、繁み、繁けば、繁山、繁しも、と同語を重ねたのはわづらはしい。
〔語〕 ○春まけて 春を待ち設けて、春になつて、○繁けば 繁ければ。○折りも折らずも 折つて來て見ても、枝のまま見めでても。
 
   反歌
4186 山吹を屋戸《やど》に植ゑては見るごとに念《おも》ひは止《や》まず戀こそ益《まさ》れ
 
〔譯〕 山吹を家に植ゑては、その花を見るごとに、思慕の念は止むどころか、いよいよ戀しさがつのることよ。
〔評〕 長歌の意を簡潔にまとめたもの、四五句がひきしまつてをつて、長歌よりもこの方がまさつてをる。
 
   六日、布勢水海に遊覽して作れる歌一首并に短歌
4187 念《おも》ふどち 丈夫《ますらをのこ》の 木《こ》の暗《くれ》の 繁き思を 見|明《あき》らめ 情《こころ》遣《や》らむと 布勢の海に  小船《をぶね》連竝《つらな》め 眞櫂《まかい》懸《か》け い漕《こ》ぎ廻《めぐ》れば 乎布《をふ》の浦に 霞たなびき 垂姫《たるひめ》に 藤波咲きて 濱|淨《きよ》く 白波騷き しくしくに 鯉は益《まさ》れど 今日のみに 飽き足らめやも 斯《か》くしこそ いや毎年《としのは》(36)に 春花の 繁き盛に 秋の葉の 黄色《もみ》つる時に 在り通《がよ》ひ 見つつ偲《しの》はめ この布勢の海を
 
〔題〕 布勢の水海は、卷十七の「三九九一」、「三九九三」に歌はれてをる。
〔譯〕 親友同志が、男の心に湧く木深い繁みのやうな繁い物思を、よい景色を見て晴らし、心を慰めようと、布勢の湖に小舟を連ね、櫂をとりつけて漕ぎめぐつてみると、乎布の浦には霞がたなびき、垂姫の崎には藤の花が咲いて、濱邊は清く、白浪が騷ぎ、その美しい風光から、却つてより繁く戀しさは増してゆくが、この佳い景色も、今日一日だけで滿足できようか。このやうにして、毎年春は花の盛に、秋は紅葉の季節に、常に通つて見めでよう。この布勢の湖を。
〔評〕 類型的な構想ではあるが「乎布の浦に霞たなびき、垂姫に藤浪咲きて、濱淨く白浪騷き」の句はうつくしい。
 
   反歌
4188 藤浪の花の盛に斯《か》くしこそ浦漕ぎ廻《み》つつ年に偲《しの》はめ
 
〔譯〕 藤の花の盛の季節には、このやうに、浦べを漕ぎめぐりながら、來る年ごとに。賞翫しよう。
〔評〕 長歌の結尾を要約し、歌旨を整頓しまとめただけで、類型的な作である。
 
   水烏《う》を越前判官大伴宿禰池主に贈れる歌一首并に短歌
4189 天離《あまざか》る 夷《ひな》としあれば 彼所此間《そこここ》も 同《おや》じ心ぞ 家|離《さか》り 年の經ぬれば うつせみは 物念《ものもひ》繁し 其《そこ》故に 情《こころ》慰《なぐさ》に ほととぎす なく初聲を 橘の 珠に合《あ》へ貫《ぬ》き 蘰《かづら》きて 遊ば(37)
 
は 水烏《う》を潜《かづ》けつつ 月に日に 然《しか》し遊ばね 愛《は》しき我が兄子《せこ》
 
〔題〕 水烏は、鵜のことである。細井本に「水鳥」とあり、略解は「烏は鳥の誤なるべし」としてゐるが、もとのままでよい。
〔譯〕 遠い地方のことであるから、君のあたりも、わが方も、いぶせき思ひは同じである。なつかしい都の家を離れて、年を經たので、人間として物思が繁い。それ故に、心を慰める爲に、ほととぎすの鳴く初聲を、橘の珠に合せ貫き、かづらにして遊んでをるその間にも、あなたは、ますらをたちと連れだつて、叔羅河を水につかりのぼり、穩かな瀬には小網をさし渡し、早い瀬には鵜をくぐらせて、月ごとに日ごとに、そのやうに樂しく遊ばれるがよい。わが懷かしき友よ。
〔評〕 類型的な構想と表現とではあるが、前半の、情のこもつた、書簡文のやうな展開は、散文的ながら、爽快であつて、捨てがたい味ひがある。
〔話〕 ○珠に合へ貫き 橘の花か又は小さい實を、珠というたもの。○遊ばむはしも はしは、「一九九」のアラソフハシニのハシと同じく、間の義。その間にもと解く。○叔羅河 越前國大野郡の篠座《しのくらの》神社のあたりとする略解の説と、國府の傍を流れる日野川とする新考の説とがある。
〔訓〕 ○あそばむはしも 白文「遊波之母」。アソバクハシモ、又はアソバフハシモと訓んで、遊ぶことはの下に、シモの助詞をつけたものとも解されるが、下へのつづきがよくないので、前のやうに解く説によつた。○叔羅河 舊訓による。
 
4190 叔羅河《しくらがは》瀬を尋ねつつ我が兄子《せこ》は鵜河立たきね情《こころ》慰《なぐさ》に
 
(38)〔譯〕 叔羅河のよい瀬を求めて、貴君は、鵜飼をせられるがよい、心を慰めるために。
〔評〕 これも、長歌の旨を要約しただけのものであるが、四五句の篤實な詞と調とがよい。
〔語〕 ○鵜河 鵜飼に同じい。○立たさね お立ちになれ、鵜飼の遊びをなさい、の意。
 
4191 鵜河立ち取らさむ鮎の其《し》が鰭《はた》は吾に掻《か》き向け念《おも》ひし念《も》はば
    右は、九日、使に附けて贈れり。
 
〔譯〕 鵜飼にいつておとりになる鮎のその鰭は、自分の方にむけてもらひたい、自分のことを本當に思ひに思つてをられるならば。
〔評〕 家持が時々用ゐる品のよい諧謔が、微笑ましく詠まれてをる。鵜を贈つてあげる。その代りに得物の鮎は戴かうといふのを、鰭をこちらにむけよと面白く詠んだのである。
〔左註〕 四月九日、鵜を贈る使者に托して、池主のもとへ此の歌を送つてやつたのである。
 
   霍公鳥并に藤の花を詠める一首に短歌
4192 桃の花 くれなゐ色に にほひたる 面輪《おもわ》のうちに 青柳《あをやぎ》の 細き眉根《まよね》を 咲《ゑ》みまがり 朝影見つつ をとめらが 手に取り持《も》てる まそ鏡 二上山《ふたがみやま》に 木《こ》の暗《くれ》の 繁き谿邊《たにべ》を 呼び響《とよ》め 朝飛びわたり 夕月夜《ゆふづくよ》 かそけき野邊に はろばろに 喧《な》くほととぎす 立ち潜《く》くと 羽觸《はぶり》に散らす 藤浪の 花なつかしみ 引き攀《よ》ぢて 袖に扱入《こき》れつ 染《し》まば染《し》むとも
 
〔譯〕 桃の花のやうなくれなゐの色に輝いて、美しい顔の中に、青柳の葉のやうな細い眉をまげるやうに笑つて、朝(39)の姿を見ながら、少女らが手に取り持つてゐる眞澄の鏡の蓋といふ二上山に、木の暗い繁みの多い谷べを、鳴きとよもして朝飛び渡り、夕月のかそけく照す野邊に、遠くの方で遙かに鳴くほととぎすが、飛びたち潜りぬけるとして、羽を觸れて散らす、その藤の花のなつかしさに、引き寄せ折つて、その花を袖にしごき入れたことよ、衣に染みがつくならば、つかうともかまひはせぬ。
〔評〕 「まそ鏡二上山」を起すまでの序は、はなやいだ少女の顔ばせを描きながら、春の風物として桃の花と青柳とを詠んで、初夏の風物たる時鳥と藤波とにうたひ及ぶ典麗な伏線をなしてをるのである。「ゑみまがり」の句は觀察のこまかい、面白い句である。朝、谷深き繁みを出たほととぎすが、夕べは月光のかそけき中に野邊はろばろと鳴き渡る風情は、この鳥の生態をありのままに詠み出でたものであらう。藤波の中深く潜り入る鳥の姿から、藤の花を袂にこき入れる風雅な趣まで、なだらかな詞調である。
〔語〕 ○ゑみまがり 笑つて、ちよつと眉を曲げる表情を詠んだもの。○朝影 朝の容姿。○羽ぶりに 羽を振る時に觸れて。○こきれつ しごき取つて、袂に入れること。香の佳い花を袂に入れ、その移り香を賞したもので、「一六四四」では梅の花を、「四一一一」では橘の初花を共に袂にこき入れてをる。
〔訓〕 ○よびとよめ 白文「呼等餘米」。通行本「呼等米爾」、元暦校本に「呼等爾米」とあるを、代匠記初稿本の訂正説と、その訓とに從つた。
 
4193 ほととぎす鳴く羽觸《はぶり》にも散りにけり盛過ぐらし藤波の花【一に、ちりぬべみ袖にこきれつ藤浪の花と云へり】
    同じき九日作れり。
 
〔譯〕 ほととぎすが鳴きつつ飛ぶ折の、そのわづかな羽の觸れた爲にも散つたことである。はや盛が過ぎたさうな、藤の花は。(40)「一云」のは、散つてしまひさうなので、袖にこき入れた、藤の花を。
〔評〕 濃やかな季節への抒情が一首を流れてをり、「鳴く羽觸にも」の「も」がよく効いてをる。三句できれてをるのは、平安朝風であるが、よい。一云の方は、はるかに劣つてをる。
 
   更に霍公鳥の哢《な》くこと晩《おそ》きを怨むる歌三首
4194 ほととぎす鳴き渡りぬと告ぐれども吾《われ》聞き繼《つ》がず花は過ぎつつ
 
〔譯〕 ほととぎすは鳴いていつたと人は告げ知らせるけれども、自分は一度聞いたきりで、續いて聞かぬことよ、藤の花は盛を過ぎてゆくのに。
〔評〕 藤の盛も過ぎるといふ、移ろひ易い季節感の中に、風雅を愛する細やかな神經が、表現せられてゐる。
〔語〕 ○聞き繼ぐ 一度開いて、後、續けて聞くこと。○花 題詞に「更に」とあることが示すやうに、前の長歌と關聯した歌であるから、藤の花を指すのである。
 
4195 吾が幾許《ここだ》慕《しの》はく知らにほととぎす何方《い、つへ》の山を鳴きか超《こ》ゆらむ
 
〔譯〕 自分がかくも大層に思ひ慕つてゐることは知らず、霍公鳥は今、どこの山を鳴いて超えてゐるのであらうか。
〔評〕 一二句の、ややこみ入つた詞調の屈曲に、思ひこがれた焦慮が滲み、反對に、四五句全體の伸びのびとした張りから、悠々たる鳥の飛翔を感ずる。萬葉らしい詠みぶりである。
 
4196 月立ちし日より招《を》きつつうち慕《しの》ひ待てど來鳴かぬほととぎすかも
 
〔譯〕 立夏の日以來、招いて慕ひ待つてゐるが、いまだ來鳴かぬほととぎすの情なさよ。
(41)    してゐる清い愛情が佳い。
 代匠記の説に從つて、四月立夏の日の意とする。四月朔月の意ではない。○をく 靈などを招くやうの意の招くである。
 
   京の人に贈れる歌二首
4197 妹に似る草と見しより吾が標《し》めし野邊の山吹誰か手折りし
 
〔題〕 左註によるに、都に留つてゐる家持の妹に、妻の代作として贈つたもの。「四一八四」の返歌。
〔譯〕 あなたに似た可憐な花と見てから、わたしのと占めておいた野邊の山吹を、誰がみだりに折つたのであらう。
〔評〕 おこせた歌に、「山吹の花とり持ちて」とあるのを巧みに取りあげて、折つた誰かを輕くなじつたやうにいうたところが面白い。しかし、「一三四七」の「君に似る草と見しより我が標めし野山の淺茅人な刈りそね」の模倣といふべきである。なほ此の贈答歌では、女が互に相手をイモと呼んでゐる。
〔語〕 ○吾が標めし 標繩を張つて、自分が專有することを表示したところの、の意。
 
4198 つれも無く離《か》れにしものと人はいへど逢はぬ日|數多《まね》み念《おも》ひぞ吾がする
    右は、留女《るによ》の女郎に贈らむが爲に、家婦に誂《あとら》へられて作れるなり【女郎は即大伴家持の妹】
 
〔譯〕 「冷淡にも離れ去つた方」とあなたは私をいふけれども、あなたに逢はぬ日が多く過ぎてゆくので、私は物思ひに沈んでをることです。
〔評〕 これも、先方の歌の句を二句まで用ゐて、巧みに返答をしてをる。萬葉としては、すでに下つた姿ではあるが、なほ一本の徹る調べがあつて、古風な歌格をなしてをる。
(42)〔語〕 ○つれも無くかれにしものと 「四一八四」の歌の一二句を引いてなじるやうにいつたもの。
〔左註〕 題の説明に於いていうたごとくであり、留女に就いては「四一八四」の條で述べた。
 
   十二日、布勢の水海に遊覽し、船を多※[示+古]灣《たこのうら》に泊《は》てて、藤の花を望み見て各|懷《おもひ》を述べて作れる歌四首
4199 藤浪の影なす海の底清み沈著《しづ》く石をも珠《たま》とぞ吾が見る
    守大伴宿禰家持
 
〔題〕 同じく四月十二日、越中國十二町潟に船遊びして、藤の花を見、家持・繩麿・廣繩・繼麿の四人が、各自感懷を抒べた歌四首。
〔譯〕 藤の花が影をなしてゐる水海の底が清いので、底に深く沈んでをる石をも、珠かと自分は見ることである。
〔評〕 「四一九三」の歌につづいて、眼のさめるほど印象の鮮明な歌である。一二三句の流動的な詞や調に對して、四五句の自然な屈曲ある聲調が、よい照應をなしてをる。家持にみられる、色彩の豐かな繪画的な表現が、よく成功した一例といへよう。
〔語〕 ○しづく 水底に沈んでゐる、沈み着く。沈むと同源で、底に安定するのをいふ。
 
4200 多※[示+古]《たこ》の浦の底さへにほふ藤波を插頭《かざ》して行かむ見ぬ人の爲
    次官|内藏忌寸《うちのくらのいみき》繩麻呂
 
〔譯〕 多※[示+古]の浦の水底までも照り映えるまでに咲いてをる藤の花を、折りかざして行かう、まだ見ない人のために。
〔評〕 「底さへにほふ」の一句、特に「さへ」の一辭が極めて効果的である。水底の影さへも、かくは映えるのである。まして、地上のまことの花のうつくしさに對する感動が、言外に滲んでゐて佳い。
 
(43)4201 いささかに念《おも》ひて來《こ》しを多※[示+古]《たこ》の浦に咲ける藤見て一夜經ぬべし
    判官久米朝臣廣繩
 
〔譯〕 ちょつとと思つて來たのであるが、多※[示+古]の浦に咲いてゐる美しい藤を見て、此處で一晩過してしまひさうである。
〔評〕 湖畔の藤の花の美しさに心を牽かれて、一夜逗留したくなつたといふ氣持はよくわかるが、表現は概念的である。形から見れば、福麿の「おろかにぞ我は思ひし乎不の浦の荒磯のめぐり見れど飽かずけり」(四〇四九)と、赤人の、「春の野に董つみにと來し吾ぞ野をなつかしみ一夜ねにける」(一四二四)とを併せたやうな歌であるが、赤人の情緒を主として韻致縹渺たるに比し、これは實景を描いて、しかも概念に墮してゐる。四句の調子なども窮屈である。
〔語〕 ○いささかに かりそめにの義。「いささめに」と同じであるが、新考にさう改めたのは行き過ぎである。○一夜經ぬべし 一夜宿つて過してしまひさうである。即ち、一夜泊つて行きたくなつたの意。「ぬ」は完了の助動詞であるが、推量助動詞「べし」と共に用ゐられると、推量を強める。
〔左註〕 判官久米朝臣廣繩 越中の國の掾。廣繩は、卷十八の「四〇五〇」「四〇五三」等に既出。
 
4202 藤波を假廬《かりほ》に造り灣廻《うらみ》する人とは知らに海人《あま》とか見らむ
    久米朝臣繼麻呂
 
〔譯〕 藤の花を假廬として、即ち美しい藤の花蔭に宿つて、浦めぐりをして遊ぶ人とは知らないで、釣する海人とでも見るであらうか。
(44)〔評〕 海邊を旅ゆく人が、己が姿を海人と見られさうだと打興じた作は集中に少くないが、その藍本は人麿の、「あらたへの藤江の浦に鱸釣るあまとか見らむ旅行く吾を」(二五二)であらう。この歌もそれに學んだものであるが、初二句が風流優雅で、三句以下と對照して輕い諧謔を感ぜしめる。
〔語〕 ○藤浪をかりほに造り 藤の花蔭に隱れるのを美化してかくいひなしたとする代匠記の説に從ひたい。藤の花を屋根に葺いたのであらうと見る説はよくない。○灣廻する 浦めぐりをして遊ぶの意。卷三の「三六八」、卷七の「一一六四」の「磯廻す」も同じ構成の語である。○人とは知らに 人とは知らないでの意。「に」は打消の助動詞「ず」の連用形の古格。
 
   霍公鳥の喧《な》かざるを恨むる歌一首
4203 家に行きて何を語らむあしひきの山ほととぎす一音《ひとこゑ》も鳴け
    判官久米朝臣廣繩
 
〔譯〕 家に歸つて何を土産話にしようぞ。山ほととぎすよ、せめて一聲でも鳴いてくれ。
〔評〕 目に多※[示+古]の浦の勝景を見て心は滿たされながらも、隴を得て蜀を望むは自然の情で、更に耳にほととぎすのさはやかな聲を願つたのである。さてその一聲を要求するについて、土産話がないからと理由づけたのは、當意即妙の機智で、二句切れの句法も齒切れがよい。
〔語〕 ○家にゆきて何を語らむ 家に歸つて何を土産話にしようぞ。何も土産話が無いではないか、の意。明媚な多※[示+古]の浦の風光よりも寧ろほととぎすの一聲を推重した口吻で、だから一聲鳴けと迫るところ、頗る効果的である。○一聲も鳴け せめて一聲でも鳴いてくれ。この「も」は「だに」の意で、でも、だけでも。
 
(45)   攀ぢ折れる保寶葉《ほほがしは》を見る歌二首
4204 吾於兄子《せこ》が捧げて持《も》てる厚朴《ほほがしは》あたかも似るか青き蓋《きぬがさ》
    講師|僧惠行《ほふしゑぎやう》
 
〔題〕 保寶葉 ほほがしはは今のホホノ木のこと。「葉」はカシハと訓む。仁コ紀に「葉」を註して「此云箇始婆」とあり、その故は古へ木葉に飲食物を盛る時、之をカシハと稱したからである。(新考)
〔譯〕 我が友が捧げ持つてゐる厚朴は、ちやうど青い蓋に似てゐることである。
〔評〕 枝の先端に簇生した朴の廣葉の新鮮な緑は、目もさめるやうで、それを、青ききぬがさに見立てた譬喩は實にふさはしい。さうしてその捧げ持つた人(或は家持か)を、蓋をさしかけられた貴人に見立ててゐるところに、輕いユーモアがあつて、萬葉的童心の溢れたところに興が牽かれる。
〔語〕 ○吾が兄子 ここは女から男をさしたのではなく、男性間で親しみ呼んだ語。○あたかも さながら、ちやうど、の意、あに、けだし、うれむぞなどと同じく、漢風のよみから來た語。○青き蓋 きぬがさは卷三の「二四〇」參照。令義解によれば、一位は深緑の蓋をさした。
〔左註〕 講師僧惠行 講師は國分寺の僧の最高官で、僧尼を司り、經典を講ずる役。惠行の傳は不詳。
 
4205 皇神祖《すめろき》の遠《とほ》御代御代はい布《し》き折り酒《き》飲むといふぞ此の厚朴《ほほがしは》
    守大伴宿禰家持
 
〔譯〕 皇祖の遠い昔の御代御代に於いては、この朴の木の廣葉を重ね折つて、これで酒を飲んだといふことである。
〔評〕 上代簡素の世にあつては、草木の葉に食物を盛り、或はそれに酒を受けて飲んだことが、文献に見える。この(46)歌は、その古代の素朴さをなつかしげに思ひ浮べたもので、歌として優れたものではないが、格調の上に面白みがあり、且つ上代文化の研究資料として價値がある。
〔語〕 ○遠御代御代 宣命などにある「遠天皇」と似た語で、形容詞の語幹から直に體言につづく同じ構成である。○いしき折り 「い」は接頭辭。「しき」は敷きでなく、「しき浪」などの場合と同じく、度重なる意で、何枚か折つて重ねてそれで酒を飲んだのであらう。○酒飲むといふぞ 書紀に「葉盤」、和名抄に「葉手」などあるは、いづれもヒラデと訓み、食物を盛るカシハの葉の意である。「古は食ふ物をも木の葉にもり、又柏など折敷きて其上にすゑもしければ、椎の葉にもるともよみ、膳夫をかしはでと云ひ、食物をすうる盤を折敷《をしき》とも云へり。」と代匠記にいひ、古事記にも「大御酒柏《おほみきのかしは》」とあつて、記傳に「酒を受けて飲む葉なり」と註してゐる。實際には柏ばかりでなく、楢や朴などの如き廣く大きな葉は皆用ゐられたものと思はれる。
〔訓〕 ○きのむと 白文「酒飲等」。酒を舊訓にはサケ、飲を新考にはノミキとある。
 
   還る時、濱の上に月の光を仰ぎ見る歌一首
4206 澁溪《しぶたに》をさして吾が行くこの濱に月夜《つくよ》飽きてむ馬|暫《しま》し停《と》め
    守大伴宿禰家持
 
〔題〕 還る時云々 布勢水海の遊覽からの歸途、海岸で月光を賞する歌である。
〔譯〕 澁溪の方をさして自分が行くこの濱邊で、今夜のこのよい月を十分に眺めよう。馬を暫く止めなさい。
〔評〕 初夏の夕、さはやかな月の光を浴びつつ白砂の長汀を行く馬上の國守以下、一行の人々の姿が恰も繪卷を見る如く目前に彷彿する。清高な氣品のある格調で「月夜飽きてむ」といふ簡潔で含蓄ある表現にも、結句の古朴な語法にも、萬葉の香が頗る豊かである。
(47)
飽きてむ 美觀を滿腹するまで賞美しようの意。「てむ」は強い希望をあらはす。○馬暫し停め 一行の人々よ、馬を暫くとどめられよの意。「停め」は命令形。古くは四段、ナ・ラ變格活用の動詞以外に於いても必ずしも「よ」を添へなかつた。
 
   二十二日、判官久米朝臣廣繩に贈れる霍公鳥の怨恨の歌一首并に短歌
4207 此間《ここ》にして 背向《そがひ》に見ゆる 我が兄子《せこ》が 垣内《かきつ》の谿《たに》に 明けされば 榛《はり》のさ枝《えだ》に 夕されば 藤の繁みに はろばろに 鳴くほととぎす 吾が屋戸《やど》の 殖木《うゑき》橘 花に散る 時をまだしみ 來鳴かなく 其《そこ》は怨みず 然れども 谷|片就《かたづ》きて 家居せる 君が聞きつつ 告げなくも憂《う》し
 
〔譯〕 此處からうしろの方に見える貴君の屋敷内の谷に、夜明けになると榛の木の枝で、夕方になると藤の繁みで、ほととぎすが、聲も遙かに鳴いてゐる。そのほととぎすが、自分の家の植木の橘の花の散る時がまだ來ないので、自分の處へは來て鳴かないこと、それは自分は怨みとしない。けれども、谷に片寄つて住居を構へてゐる貴君が、ほととぎすの聲を聞きながら、一言も知らせてくれないのが心外千萬であるよ。
〔評〕 これも家持の霍公鳥熱愛のあらはれである。ほととぎすの聲をいち早く聞いた友に對する羨望から、一轉して、友がその幸福を獨占したきり此方に告げてくれぬのを不親切として恨んだのであるが、勿論單なる風雅の上の戯謔的抗爭に過ぎない。かやうな風流に心を慰めてゐた邊境の官吏生活、悠長な時代の姿が思はれる。しかしかうした現實味の乏しい歌は、現代の讀者には何の魅力もなくなつてしまつたのである。
(48)〔語〕 ○垣内の谿 かきつは邸内の意。二上山の麓の廣い屋敷で、中に谿などもあつたものと思はれる。○花に散る 花のみで實にならずに散る。卷八の「一四四五」、卷十の「二一二六」參照。○谷片就きて 谷に片寄つての意。「海片附きて」卷六の「一〇六二」參照。
〔訓〕 ○はり 白文「榛」。舊訓ナラ、代匠記ハギ。今、考の訓に從ふ。○家ゐせる 家ヲレルともよまれる。
 
   反歌一首
4208 吾が幾許《ここだ》待てど來鳴かぬほととぎす獨聞きつつ告げぬ君かも
 
〔譯〕 自分がこんなに熱心に待つてゐても來て鳴かないほととぎすを、一人で聞いてゐながら、知らせてもくれない貴君ではある。隨分ひどい人とおもふ。
〔評〕 長歌の終の句の意を反復したのみで、歌調も暢達といふより、寧ろ安易平板に近い。
〔語〕 ○ここだ 多數の意であるが、程度の甚しきにもいふ。ここもその意。
 
   霍公鳥を詠める歌一首并に短歌
4209 谷近く 家は居《を》れども 木高《こだか》くて 里はあれども ほととぎす いまだ來鳴かず 鳴く聲を 聞かまく欲《ほ》りと 朝に《あした》は 門に出で立ち 夕《ゆふべ》には 谷を見渡し 戀ふれども 一聲だにも いまだ聞《きこ》えず
 
〔譯〕 谷近く住居を構へては居りますが、自分の里は樹木が高く繁つて居りますが、ほととぎすはまだ來て鳴きませぬ。その鳴く聲を聞きたいものと、朝は門前に出で立ち、夕方には谷を見渡して、戀ひ慕つてゐますが、ただの一聲(49)すらもまだ聞えませぬ。
〔評〕 返歌として如何にも達意明快ではあるが、唯それだけのものであつて、構想に何の面白みもなく、表現も正直といふのみで、藝のない作である。
〔語〕 ○欲りと 「ほしと」とないのは、「知らにと」(二二三)「繁みと」(二七九九)の類で、副詞的修飾語である。
 
4210 藤波の繁りは過ぎぬあしひきの山ほととぎす何《な》どか來鳴かぬ
    右二十三日、掾久米朝臣廣繩の和《こたへ》
 
〔譯〕 藤の花の盛は過ぎてしまつた。山ほととぎすは、どうして來て鳴かないのか。
〔評〕 來鳴くことの遲い霍公鳥に對し、詰るやうにいつたもの。ただごとに近い平庸の作。ただ「繁りは過ぎぬ」の句が、花の盛が過ぎて葉の繁りが深くなつたことを思はせる一種の表現ともいへばいへる。
 
   處女墓《をとめづか》の歌に追ひて同《こた》ふる一首并に短歌
4211 古《いにしへ》に ありけるわざの くすばしき 事と言《い》ひ繼《つ》ぐ 血沼壯士《ちぬをとこ》 菟原壯士《うなひをとこ》の うつせみの 名を爭ふと たまきはる 壽《いのち》も捨てて 相爭《あらそひ》に 嬬問《つまどひ》しける をとめらが 聞けば悲しさ 春花の にほえさかえて 秋の葉の にほひに照れる あたらしき 身の壯《さかり》すら 丈夫《ますらを》の 語《こと》いたはしみ 父母に 啓《まを》し別れて 家|離《さか》り 海邊《うみべ》に出で立ち 朝暮《あさよひ》に 滿ち來《く》る潮の 八重波に 靡く珠藻の 節《ふし》の間《ま》も 惜しき命を 露霜の 過ぎましにけれ 奧墓《おくつき》を 此處《ここ》と定めて 後の代の 聞き繼ぐ人も いや遠に しのひにせよと 黄楊小櫛《つげをぐし》 しか刺《さ》しけらし (50)生《お》ひて靡けり
 
〔題〕 處女墓の歌に云々 卷九の「葦屋の處女の墓を過ぐる時作れる歌」(一八〇一)、及び「菟原處女の墓を見る歌」(一八〇九)に家持が追和した作であるが、現地に臨み墓を實見したのではなく、机上の作である。
〔譯〕 昔あつたことで珍らしい事件として言ひ傳へてゐる、あの血沼壯士と蒐原壯士が、人間としての名譽を張り合はうとして、命も捨てて競爭し、求婚した菟原處女のことが、聞けばまことに悲しい。春の花の如く照り榮え、秋の紅葉の光澤かとばかり輝いてゐる惜しい處女の身の盛でありながら、二人の男のいひ寄る言葉の氣の毒さに、わが父母に暇乞をして、家を離れて海べに立ち出で、その海邊に朝夕滿ちて來る潮の、幾重にも寄せる浪に靡く珠藻の節と節との間ほどの短い間でも惜しい命であるのを、身を投じて死んでしまはれたので、遺族の者たちが、處女の墓所を此處と定めて、後世の聞き傳へる人々も、いよいよ永く追想の種にするやうにと、處女のさしてゐた黄楊の櫛を、このやうに墓の上に挿したものらしい。それが生ひ伸びて、こんなに枝が靡いてゐる。
〔評〕 菟原處女の傳説を詠じた歌は、卷九に田邊福麿歌集中の作と、高橋蟲麿歌集中の作とが輯録されて居るが、この家持の追和の作は、新しい解釋が二個所に施されてゐる。その一は、三人の戀愛闘爭を、名を揚げるべく爭つたと見たこと。その二は、處女の形見として塚の上に挿した黄楊の小櫛が、根を生じ枝を伸ばしたといふ、神秘的傾向を帶びた空想である。但、後者は、蟲麿集中の歌の反歌「一八一一」から著想を得、その木について空想を廻らしたもので、この空想は萬葉的な素朴な明るさと聊か異なるものであるが、傳説が次第に潤色を加へられて、時代と共に展開してゆく經路を示してゐて面白い。
〔語〕 ○古にありけるわざの 昔あつた事がらであつて。この「の」は意義の類似した語を重ねる時用ゐる助詞。○くすばしき くしびから出た詞。不思議に珍しい。○をとめらが 菟原處女のことがの意。「ら」は接尾辭で意味(51)はない。○
き 惜しむべきの意。○啓し別れて 別れの詞を述べて。暇乞をして。○朝よひに滿ち來る潮の八重浪になびく珠藻の 以上「節の間」の序詞。前の句を承けて海邊の景を採り用ゐた。○ふしの間も 「靡く」から藻の「伏し」とかかり、藻の節と節との間の短いこと、時の短い意に喩へた。○奧墓 奧つ城。墓。この句以下は處女の家族が主格で、それは省略されてゐる。處女を主格と見た略解説は誤。○しかさしけらし このやうにさしたものらしい。シガと濁つて訓み、それがと解する古義説は誤である。
〔訓〕 ○にほえ 白文「爾太要」。卷十三の「三三〇九」の「爾太遙《にほえ》をとめ」の例による。「志多要」「志奈要」「彌太要」なとの誤字説があるも、原字を重んじて解した。○身のさかり 白文「身之壯」。金澤文庫本による。通行本「壯」を「莊」に作るは誤。
 
4212 處女《をとめ》らが後のしるしと黄楊小櫛《つげをぐし》生《お》ひ更《かは》り生《お》ひて靡きけらしも
    右は五月六日、興に依りて大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕菟原處女の後の世までの記念として、黄楊の小櫛を墓のほとりに挿したのが、枯れると又生え代り生え代りして、枝が靡いてゐることであるらしい。
〔評〕 長歌の末尾を、反覆強調したものである。想像としては第四句は面白いが、女の執心といふやうなものを思はしめる趣があつて、稍暗い感じがする。
〔語〕 靡きけらしも 靡くのであるらしいよ、の意。
 
4213 東風《あゆ》をいたみ奈呉《なご》の浦|廻《み》に寄する浪いや千重しきに戀ひ渡るかも
(52)    右の一首は、京なる丹比家に贈る。
 
〔譯〕 東風が烈しく吹くので、奈呉の浦のめぐりに寄せる浪が、幾重にも幾重にも立ち頻るが、そのやうに、自分は頻りにそなたを戀ひ續けてをることよ。
〔評〕 國府附近の實景を序に用ゐ、方言まで取り入れて地方色を濃く描いてゐるやうであるが、その描寫が概念的であり、一首の構想は類型によつたものである。
〔語〕 ○あゆ 越中の方言。「四〇一七」參照。○寄する浪 初句以下ここまで序詞。
〔左註〕 丹比家 上の「四一七三」の題詞にある丹比家と同じであらう。
 
   挽歌二首并に短歌
4214四 天地の 初《はじめ》の時ゆ  うつそみの 八十件《やそとも》の男《を》は 大王《おほきみ》に 服從《まつろ》ふものと 定まれる 官《つかさ》にしあれば 天皇《おほきみ》の 命《みこと》かしこみ 夷《ひな》ざかる 國を治むと あしひきの 山河|阻《へな》り 風雲《かぜくも》に 言《こと》は通へど 正《ただ》に遇《あ》はぬ 日の累《かさな》れば 思ひ戀ひ 氣衝《いきづ》き居《を》るに 玉|桙《ほこ》の 道|來《く》る人の 傳言《つてごと》に  吾に語らく 愛《は》しきよし 君は此の頃 うらさびて 嘆《なげ》かひ坐《いま》す 世の中の 憂《う》けく辛《つら》けく 開《さ》く花も 時にうつろふ うつせみも 當無くありけり たらちねの 御母《みおも》の命《みこと》 何しかも 時しはあらむを まそ鏡 見れども飽かず 珠の緒の 惜しき盛に 立つ霧の 失《う》せぬる如く 置く露の 消《け》ぬるが如 玉藻なす 靡き反倒《こいふ》し 逝《ゆ》く水の 留《とど》みかねつと 狂言《たはごと》か 人の云ひつる 逆言《およづれ》か 人の告げつる 梓弓 爪《つま》ひく夜音《よと》の 遠音《とほと》にも 聞けば悲(53)
 
〔譯〕 天地の初めて開けた時から、人間の世の多くの氏々の長《をさ》たちは、天皇に奉仕するものと、定まつた官職であるから、自分も、天皇の命を奉戴して、都から遠く離れたこの越中の國を治める爲に赴任して來たが、多くの山河を中に置いて、風や雲に託しつつ書信は通じてゐるけれども、直接あなたがたに逢はぬ日數が重なつたので、戀しく思つて溜息をついてゐると、折から道を來る人、即ち使者が、都の家からの傳言として自分に語るには、親愛なる貴君は、この頃心さびしく歎いて居られるとのこと。この世の中の憂い辛いことは、咲いた花も時が來れば散るし、此の世の人も無常なものである。それにしてもあなたの母君は、どうしたことかまか、時もあらうに、見ても飽き足らず惜しい御壽命の盛に、立つ霧の失せてしまふやうに、置く露の消えてしまふやうに、玉藻のやうに靡いて病の床に轉び臥し、流れゆく水の留められないやうに、世を去られるのを引留め得なかつたと、狂つた言を人がいつたのではないか。たぶらかしの言葉を人が告げたのではないか。梓の弓を爪でひく夜の音のやうに遠く聞く悲しびに、庭のたまり水のやうに流れる涙を、留めかねたことであります。
〔評〕 冒頭は、人麿の長歌が建國の由來から説き起して來る雄渾な構成法を學んだものと思はれるが、その内容は人麿とは違つて、大伴と名に負ふ武門の忠誠の至情が溢れてゐるが、それ以下は先人の作中の成語類句を剪裁羅列してゐる爲、清新の氣に乏しく、形式的、概念的に墮して、哀切の情の湧かないのは遺憾である。
〔語〕 ○夷ざかる 鄙にさかる、即ち田舍の方に遠く隔つてゐるの意。○風雲に言は通へど 風や雲を使とすることは大陸の詩文に見え、大伴池主の書簡にも「今勒2風雲1發2追徴使1」(四一二八)とあるが、ここは、「風雲は二つの岸に通へども吾が遠嬬の言ぞ通はぬ」(一五二一)に倣つたものであらう。○道來る人の 向ふから道を歩いて來る人がの意、使者をいふ。このあたり、卷二の「二三〇」の句を模したと思はれる。○君は此の頃 「君」は左註によれば藤原二郎をさす。○うらさびて 心さびしく、元氣衰へて。○憂けく辛けく 憶良の歌、卷五の「八九七」にある(56)同書入に「邇」の誤とするによつた。仙覺本の訓はニとなつてゐる。
 
   漁夫の火光を見る歌一首
4218 鮪《しび》衝《つ》くと海人《あま》の燭《とも》せる漁火《いざりび》のほにか出ださむ吾が下念《したもひ》を
    右の二首は、五月
 
〔譯〕 鮪を突くとて、漁夫のともしてゐる漁火の光が外に現はれるやうに、いつそ、もう外に現はしてしまはうか、自分のひそかなるこの思を。
〔評〕 夕闇の中にほのかにともり初めた漁火の光を眺めつつ、そぞろに詩興を感じ、ふと戀の趣にとりなして一首を試みたのであらう。契沖が、「見渡せば明石の浦にともす火の秀にぞ出でぬる妹に戀ふらく」(三二六)に學んだものであらうといつてゐるやうに、實際に秘めたる下思ひに悶え惱んでゐたのではあるまい。風流國守の空想に外ならぬが、實景を取り來つた序詞の中に、海人の生活の樣が想像されて面白い。
〔語〕 ○鮪衝くと 鮪は今いふシビマグロ。古事記下卷に「鮪つく海女よ」とあり、本集赤人の歌には、「鮪釣る」とあるので、銛で突きもし、釣もしたことがわかる。○漁火の 初句以下これまで次の句の「ほ」にかけた序詞。
〔訓〕 ○ほにかいださむ 白文「保爾可將出」。舊訓ホニカイデナム。今、古義の訓に從ふ。
 
4219 吾が屋戸《やど》の萩咲きにけり秋風の吹かむを待たばいと遠みかも
    右の一首は、六月十五日、芽子《はぎ》の早花《わさはな》を見て作れり。
 
〔譯〕 自分の家の萩は、もう早咲きの花が咲いた。秋風の吹くのを待つてゐたらば、まだ隨分遠い先のことと思はれるからであらうか。
(57)     られる。天平十二年六月、家持が二十三歳の時、萩の黄葉に添へて坂上大孃に贈つた歌、「吾が屋前の萩の下葉は秋風もいまだ吹かねば斯くぞ黄變てる」(一六二八)と同じ思想から出たものである。
 
   京師より來り贈れる歌一首井に短歌
4220 海神の 神の命の 御櫛笥《みくしげ》に 貯《たくは》ひ置きて 齋《いつ》くとふ 珠に勝《まさ》りて 思へりし 吾《あ》が子にはあれど うつせみの 世の理《ことわり》と 丈夫《ますらを》の 引《ひき》のまにまに 級《しな》ざかる 越路《こしぢ》を指して 延《は》ふ 蔦の 別れにしより 沖つ浪 撓《とを》む眉引《まよびき》 大船の ゆくらゆくらに 面影に もとな見えつつ かく戀ひば 老《おい》づく吾《あ》が身 蓋し堪《あ》へむかも
 
〔題〕 京肺より來り贈れる歌 奈良にゐる大伴坂上郎女から、その愛する娘坂上大孃に送つて來た歌であつて、大孃は、當時、夫家持の任國に來てゐたのである。上の「四一六九」の歌に對する返歌と思はれる。
〔譯〕 海の神樣が御櫛箱の中にしまつて置いて、いつも大切にしてゐるといふ珠にもまして、私が大事に思つてゐた吾が子ではあるが、世間の定まりで、夫の誘ふまにまに遠い越中の方をさして下り、互に別れてしまつた日から、曲線を描いた美しいそなたの眉が、私の心も動搖するぐらゐ、よしなくも面影にちらついて見え見えして、こんなにひどく戀しがつたらば、段々年をとつてゆく私のからだは、堪へきれるであらうか。恐らくは出來まい。
〔評〕 坂上郎女は、坂上大孃にとつて慈愛深いよい母であつたことが、集中幾多の歌によつて想像される。嘗て跡見庄から、自宅に留守してゐた大孃に贈つた歌「七二三」も、しみじみした母性愛の溢れた作であるが、今は夫に從つ(58)て越中の邊疆にある大孃の上を心もとなく思ひ、殊に自ら老境に入ツたことを意識して、堪へ難いまでの思に焦れてゐるところ、哀韻切々として人を動かさずには置かない。しかもこの歌は、修飾も可なり多くて華麗であるが、聊かも浮薄の氣がなく、いかにも教養ある婦人の作なることを思はせる。
〔語〕 ○み櫛笥 理髪の道具を入れる箱。○貯ひ 「貯ふ」といふ動詞は、集中この一例のみである。後世は下二段活用であるが、今この用例によれば、上代は四段に活用したものと思はれる。後世は下二段の動詞で、古くは四段であつたと推測されるものは、「隱る」「恐る」「忘る」、その他少くない。○丈夫の ここでは大孃の夫、家持をさす。○引のまにまに 誘ふままにの意。卷六の「一〇四七」參照。○級ざかる 「越」の枕詞。卷十七の「三九六九」參照。○延ふ蔦の 蔦があちらこちらに這ひ延びて行く意から「別れ」に係けた枕詞。卷二の「一三五」參照。○沖つ浪 浪のうねる意から「撓む」にかけた譬喩的の枕詞。○撓む眉引 引眉が美しい曲線をなしてゐる樣をいふ。眉引は眉を剃つた跡に黛でかいた引眉のこと。「とをむ」は「たわむ」に同じく、しなひ曲る意。○大船の 「ゆくらゆくら」の枕詞。○ゆくらゆくらに 動搖して物の鎭まらない貌。ここでは心も落ちつかぬ程の意。卷十三の「三二七四」參照。○もとな よしなく、わけなしに。
 
   反歌一首
4221 かくばかり戀しくあらばまそ鏡見ぬ日時なくあらましものを
 
    右の二首は、大伴氏の坂上郎女、女子《むすめ》の大孃《おほいらつめ》に賜へるなり。
 
〔譯〕 これ程に戀しいものならば、そなたを見ぬ日もなく、見ぬ時もなく、常に一緒に暮してゐたらよかつたらうに。
〔評〕 母性愛の溢れた作で、「見ぬ日時なく」は巧な表現である。「まそ鏡」の枕詞も有機的に生きて居り、特に女性の作としてふさはしい。結句は、單にありたいといふのではなく、事實に反する假設推量といふ「まし」の本義に着(55)
もないことといふ。はかない諦めの餘意を含んでゐるのである。
〔訓〕 こひしくあらば 白文「古非之久安良婆」。元暦校本等による。通行本「久」の下に「志」がある。
 
   九月三日|宴《うたげ》の歌二首
4222 この時雨《しぐれ》いたくな降りそ吾妹子に見せむが爲に黄葉《もみち》採《と》りてむ
    右の一首は、掾久米朝臣廣繩作れり。
 
〔題〕 次の家持の歌に「わが背子が標めけむ黄葉」とあるのによると、廣繩の館に於ける宴の歌であるらしい。
〔譯〕 この時雨はひどく降つてくれるな。我が妻に見せようが爲に、黄葉を折り取らうと思ふのである。
〔評〕 次の唱和に「奈良人見むと」とあるのによれば、廣繩の妻は奈良にゐると思はれる。その妻を思うての作である。
〔語〕 ○この時雨 いま現にふつてゐる時雨をさしていふ。
 
4223 あをによし奈良人見むと我が兄子《せこ》が標《し》めけむ黄葉《もみち》地《つち》に落ちめやも
    右の一首は、守大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 奈良の京なる奧さんが見ようからとて、他人の折らぬやう、貴君が標《しめ》を立てて大切にしてゐる黄葉が、これぐらゐの時雨で、土に散ることがあらうか。落ちはせぬ。
〔評〕 廣繩の歌に唱和したものであるが、單なる挨拶といふ程度で、内容も辭句も感銘が薄い。
 
(60)4224 朝霧のたなびく田居《たゐ》に鳴く雁を留《とど》み得むかも吾が屋戸《やど》の萩
    右の一首の歌は、吉野宮に幸しし時、藤原皇后の御作。但、年月未だ審詳ならず。十月五日、河邊朝臣東人が傳へ誦みてしか云ふ。
 
〔譯〕 朝霧のたなびく田で鳴いてゐる雁を、引き留めることが出來るだらうか、わが家の萩は。
〔評〕 左註によれば、聖武天皇吉野離宮に行幸の時、光明皇后の御歌である。代匠記に寓意の御作と見て説いてゐるのは從ひがたい。離宮に美しく咲き亂れた萩の花と、折から朝霧の田の面を鳴きゆく雁の聲との配合を面白く思召され、雁がこの萩の花に眼をとめて、ここに留まればよいガと望み給うた御即興であらう。
〔語〕 ○田居 田圃のこと。卷九の「一六九九」、「一七五七」參照。○留み得むかも 引きとめてくれよかしの餘意を含んでゐる。
〔左註〕 河邊東人 宴席で此の御歌を誦した。東人のことは、卷六の「九七八」、卷八の「一四四〇」參照。
 
4225 あしひきの山の黄葉《もみち》に雫合《しづくあ》ひて散らむ山道《やまぢ》を公《きみ》が越えまく
    右の一首は、同じき月十六日、朝集使少目秦忌寸|石竹《いはたけ》を餞せし時、守大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 山の黄葉に時雨の雫が落ち添うて、共に散るであらう山道を、貴君が寂しく越えて行かれるであらうことよ。
〔評〕 降り落ちる時雨の雫と、こぼれ散る山の黄葉と、まことに蕭條たる越路の十月である。官命とはいへ、この山路を越えて行く上代の旅は、如何に難澁であつたらう。同情の籠つた歌である。
〔左註〕 ○朝集使 卷十八の「四一一六」參照。○石竹 後に飛騨守に歴任した人。卷十八の「四〇八六」參照。
 
   雪の日作れる歌一首
(61)
    右の一首は、十二月、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 この雪がまだ消え殘つてゐる間に、さあ行かう。藪柑子の實が、雪の中に照り映えてゐるのをも見よう。
〔評〕 殘雪に點々と珠を綴つて輝いてゐる藪柑子、純白と眞紅と、色彩の對照が鮮麗で、作者の洗煉せられた感覺を窺ふに足る。卷二十の「四四七一」と同工異曲の佳作である。
 
4227 大殿の この廻《もとほ》りの 雪な蹈みそね しばしばも 零《ふ》らざる雪ぞ 山のみに 零《ふ》りし雪ぞ ゆめ縁《よ》るな人や な履《ふ》みそね雪は
 
〔譯〕 御殿のこのまはりの雪は、お前達は踏むなよ。さう度々降らない雪なのだ。山だけに降つて里にはなかなか降らなかつた雪なのだ。決して近寄るな、人々よ。踏んではいけない、この雪は。
〔評〕 この一篇は、特に注意すべき作である。それは、左註のごとく、藤原房前大臣が雪の朝にいはれた詞をそのまま歌にした、いはば口語歌である。加ふるに、上代歌謠の形式として記紀にはあるも萬葉には無い形式で、初め三句は片歌、次は六句の佛足石歌體で結ばれてゐる。卷五なる「八〇〇」の憶良の「惑へる情を反さしむる歌」は三段に切れてをるが、それと双璧ともいふべく、かかる異なつた體が猶多く作られたならば、わが上代の詞華は、なほ一段の光彩を放つたことであらうとおもはれる。
 
   反歌一首
4228 在りつつも見《め》し給はむぞ大殿の此の廻《もとほ》りの雪な履《ふ》みそね
(62)    右の二首の歌は、三形沙彌《みかたのさみ》、贈左大臣藤原北卿の語を承《う》け、依りて誦めるなり。聞きて傳ふるは、笠朝臣子君なり。復《また》後に傳へ讀むは、越中國掾久米朝臣廣繩なり。
 
〔譯〕 この儘にして置いて、左大臣樣が御覽遊ばすであらうぞよ。御殿の此のまはりの雪は踏み汚してはいけない。
〔評〕 これは普通の反歌ではない。前が口語歌ともいふべき形で左大臣のいはれた詞をのべ、それは恐らくは左大臣らしい口ぶりで歌ひ、これは三形沙彌が、一二句に自分の考をいひ、次の三句は左大臣の語を再びのべたのである。相俟つて、異色ある面白い作品と評してよい。かの土佐日記に船長がうたつたといふ「御船より仰せたぶなり朝北の出でこぬさきに綱手はや引け」と異曲同工ともいへる。
〔語〕 ○在りつつも 斯くして在りつつ、この儘にしておいての意。「も」は詠歎の助詞。○めし給はむぞ 「めし」は「めす」の連用形、「めす」は動詞「見《み》」に敬語の語尾「す」が添うて音が轉じたもの。四段活用。御覽なさるの意。「著《き》る」の敬語を「著《け》す」といふのと同じ構成である。
〔左註〕 右の二首云々 右長短二首の歌は、三形沙彌が贈左大臣藤原房前の言葉を承けて詠んだもので、之を聞いて傳へたのは笠朝臣子君、それを更に後に至つて傳へ誦したのは久米廣繩である、の意。三形沙彌「一二三」參照。○藤原北卿 不比等の第二子房前のこと。武智麻呂の家が南にあつて南家と稱したのに對し、房前のは北にあつて北家と號したのによる。
 
   天平勝寶三年
4229 新たしき年のはじめは彌《いや》年《とし》に雪|踏《ふ》み平《なら》し常|斯《か》くにもが
    右の一首の歌は、正月二日、守の舘に集ひ宴しき。時に零れる雪殊に多く、積みて四尺あり。即ち、主人大伴宿禰家持此の歌を作れるなり。
 
(63)〔評〕 北陸の邊陬に住みわびる官人らが、新年宴會を樂しんで、、雪を踏みならしつつ續々と國府の館に參集した樣が思ひやられる。
〔語〕 ○いや年に いよいよ年ごとに。○にもが 願望の意を表はす助詞。卷五の「九〇二」、卷十三の「三二三四」にも用例がある。
〔訓〕 ○あらたしき 白文「新」。諸本アタラシキと訓んでゐるのは後世の轉訛で、「あたらし」では惜しむべしの意になる。「あらたし」は卷十八の「四一〇六」にも「安良多之」の假名がきの例もあり、「新世」等の類語からも推していへる。
 
4230 降る雪を腰になづみて參り來《こ》ししるLもあるか年の初《はじめ》に
    右の一首は、三日、介内藏忌寸繩麻呂の舘に會集《つど》ひて宴樂《うたげ》せし時、大伴宿禰家持作れり。
〔譯〕降り積む雪を腰までおし分け難儀しつつ來たが、その甲斐はあつた。年の初のこの樂しい宴會の日に。
〔評〕 「降る雪を腰になづみて」は、適切な描寫で、如何にもよく北國の大雪の氣分をあらはしてゐる。
〔語〕 ○なづみ 難澁して。卷十三の「三二九五」參照。○あるか あつたことである。「か」は詠歎の助詞。
 
   時に、雪を積みて、重れる巖の起《た》てるを彫り成し、奇巧《たくみ》に草樹の花を綵《し》め發《ひら》く。此《これ》に屬《つ》きて掾久米朝臣廣繩の作れる歌一首
4231 瞿麥《なでしこ》は秋咲くものを君が家の雪の巖《いはほ》に咲けりけるかも
 
(64)〔題〕 時に雪を積みて云々 雪を高く積み上げ、大きな巖石の峙つてゐるやうな形に拵へ、たくみに草木の花を染め造つて、雪の巖にあしらつてあつた。それを見て、久米廣繩が詠んだ歌である。
〔譯〕 なでしこは秋咲くものであるのに、君のお宅の雪で出來た巖に、こんなに美しく咲いてゐるのでしたかまあ。
〔評〕 奈良の文化人は、北國の雪の中にあつて、かうした風雅な趣向をめぐらし、生活を樂しんでゐたのである。「雪の巖」はこの作者の造語であるが、今日でも、降つた雪は急ち路傍に高く積み上げられて、隨處に大きな巖が出來る實景を見ると、如何にも巧みな言葉と思はれる。
 
   遊行女婦《うかれめ》蒲生《かまふ》の娘子《をとめ》の歌一首
4232 雪の島|巖《いは》に殖《う》ゑたるなでしこは千世に咲かぬか君が挿頭《かざし》に
 
〔題〕 遊行女婦 ウカレメと訓む。卷六の「九六六」參照。
〔譯〕 雪の降つた庭の、雪で出來た巖の上に植ゑてあるなでしこは、千年までも變らず咲いてゐてほしい、この家の御主人の挿頭の花にする爲に。
〔評〕 純白な雪の巖に點々として色美しく配せられたなでしこは、特に女性の作者の眼に、こよなく優しいものに映じたであらう。その感興を直ちに移して、家|主人《あるじ》の齡を祝福したこの作は機智に富んでをる。
〔語〕 ○雪の島 雪の降り積つた庭園。「島」は、林泉、山齋の意。卷二の「一七八」、卷三の「四五二」參照。
 
   ここに諸人、酒酣にして、夜《よ》更《ふ》け鷄《とり》鳴《な》く。此《これ》に因りて主人内藏伊美吉繩麻呂の作れる歌一首
4233 うち羽振《はぶ》き鷄《とり》は鳴くともかくばかりふり敷《し》く雪に君いまさめやも
 
〔譯〕たとへ曉になり、羽ばたきをして鷄は鳴いても、これほど降りしく雪の中を、主賓のちあなたお歸りになるべ
(65)
〔語〕 ○ふり敷く 降つて地に敷くの意とも、卷十一の「二四五七」と同じく、頗るの借字とも見られる。
 
   守大伴宿禰家持の和《こた》ふる歌一首
4234 鳴く鷄《とり》は彌《いや》頻《し》き鳴けどふる雪の千重に積《つ》めこそ吾等《われ》立ちかてね
 
〔譯〕 鳴き出した鷄は一層頻りに鳴くけれども、降りつづく雪が千重にも積るので、自分は立ち去れないのです。
〔評〕 酒宴なほ酣なるに、夜は明方に近く、鷄の鳴き頻るを聞いては、主人の客を引き留めるのも當然であり、客にこの鷹酬あるも亦自然である。同じ作者の卷六の「一〇四〇」の歌と共に、集會を好んだ上代人、殊に家持の心をよく表はした歌である。宴樂を好めば好むほど、興極まつたあとに忍び寄る寂寥を知つてゐたのである。
〔語〕 かてね 「かて」は下二段活用の動詞「かつ」の連用形、堪ふ、能ふの意。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形で、「こそ」に對する結びを成してゐる。
 
   太政大臣藤原の家の縣犬養命婦《あがたのいぬかひのひめとね》、天皇に奉れる歌一首
4235 天雲《あまぐも》をほろに蹈みあだし鳴る神も今日に益《まさ》りて恐《かしこ》けめやも
    右の一首、傳へ誦めるは據久米朝臣廣繩なり。
 
〔題〕 太政大臣藤原の家 藤原不比等のこと。○縣犬養命婦 橘三千代のこと。初め美努王に嫁して、諸兄、佐爲を生み、後不比等の室となり、光明皇后を生んだ。命婦は五位以上の婦人を内命婦、五位以上の人の妻を外命婦といふ。三千代は天平五年正三位で薨じた。○天皇 元明、元正、聖武三帝のうち、ここでは聖武天皇であらう。
(66)〔譯〕 大空の雲をばらばらに蹈みちらして鳴る雷でも、今日にまさるほど、恐ろしいことはございますまい。
〔評〕 創作の動機が詳かでないので、特に「今日」とあるのは、ある日何かの場合に天皇の怒らせ給うたのを、おなだめ申したものかと思はれる。しかし「かしこし」を普通用ゐる恐れ多いの意とすれば、何か特に優遇を給はつたので、恐懼の至りに堪へないと誇張していうたものとも考へられる。
〔語〕 ○ほろにふみあだし 略解所引宣長説に、「ほろは、古事記の『くゑはららかし』のはららと同じ。あだしは散らす意也」とある。共に他に所見がないので、猶考究を要する。
 
   死《すぎ》にし妻を悲しみ傷む歌一首并に短歌【作主未だ詳ならず】
4236 天地の 神は無かれや 愛《うるは》しき 吾が妻|離《さか》る 光る神 鳴波多※[女+感]嬬《なりはたをとめ》 携《たづさ》はり 共にあらむと 念《おも》ひしに 情《こころ》違《たが》ひぬ 言はむすべ 爲《せ》むすべ知らに 木綿襷《ゆふだすき》 肩に取り掛け 倭文幣《しつぬさ》を 手に取り持ちて な離《さ》けそと 我《われ》は  禮《いの》れど 纒《ま》きて寢し 妹が袂は 雲にたなびく
 
〔譯〕 天地の神樣はましまさぬからであらうか、可愛い自分の妻は、自分のもとを離れて去つてしまつた。わが妻の波多をとめよ、お前と手を取りあつて、いつも一緒にゐようと思つてゐたのに、豫期がはづれてしまつた。言はうやうも爲すべき方法もわからず、木綿襷を肩に取り掛け、倭文幣を手にとり捧げて、妻を自分の手から引離して下さるなと、祈つたけれど甲斐もなく、枕として寢た妻の袂は、火葬の煙の雲となつてたなびいてゐることよ。
〔評〕 愛妻を失つて、「天地の神は無かれや」の悲歎の聲、最も強い眞實であるところに、強い力がある。「うるはしきわが妻離る」、「な離けそと我はいのれど」の句も、結末の三句、火葬の煙をなつかしき妻の袂と見て悶々する樣も、實に哀切である。
(67)  卷十三の「三二八六」參照。
 
   反歌一首
4237 寤《うつつ》にとおもひてしかも夢《いめ》のみに袂卷き寢《ぬ》と見るはすべ無し
    右の二首は、傳へ誦めるは遊行女婦《うかれめ》蒲生なり。
 
〔譯〕 現實であると思ひたいものである。夢の中だけで、妻の袂を卷いて寢てゐると見るのは堪へがたい。
〔評〕 夢より外に再びなつかしい妻に逢ふよしもないのを嘆いたもので、眞率にしてあはれである。但、「二八八〇」に類歌がある。
 
   二月二日、守の舘に會集《つど》ひて宴《うたげ》して作れる歌一首
4238 君が往《ゆき》もし久ならば梅柳|誰《たれ》とともにか吾が蘰《かづら》かむ
    右は、判官久米朝臣廣繩、正税帳を以ちて應に京師に入らむとす。仍りて守大伴宿禰家持、此の歌を作れり。
    但、越中の風土、梅花柳絮三月に初めて咲くのみ。
 
〔譯〕 君の旅行がもし久しくなつたならば、梅や柳を誰と共に自分は蘰にして遊ぶことであらう。
〔評〕 家持の部下の吏僚には風流の才人が少くなかつたので、三春の行樂を共にすべき人は無いわけではない。しかし、斯く懇情を敍べて別離を惜しむのは人を送る至情であり、儀禮でもある。三句以下よく季節に適應し、流麗の調を成してゐる。
〔左註〕 ○正税帳 卷十七の「三九九〇」の左註參照。○越中の風土云々 越中は氣候寒く春の遲いことをいつたも(68)の。○柳絮 柳の花、綿のごときもの。
 
   霍公鳥を詠める歌一首
4239 二上《ふたかみ》の峯《を》の上《へ》の繁《しげ》に籠《こも》りにしそのほととぎす待てど來鳴かず
    右は、四月十六日、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 二上山の峯の樹々の繁みに去年籠つてしまつたあの霍公鳥は、今年は待ち焦れてゐるが、まだ來て鳴かない。
〔評〕 ほととぎすに異常な愛著をもつてゐる作者が、今年まだ鳴かぬのを待ちわびた作。二上山のほととぎすは、卷十八の「四〇六七」にも類歌がある。
〔訓〕 ○こもりにし 通行本は「許母爾之」に作る。略解所引の枝直説に從ひ、「爾」の上に「里」を補ふ。
 
   春日にて神を祭りし日、藤原太后の作りませる歌一首、即ち、入唐大使藤原朝臣清河に賜へる
4240 大舶《おほぶね》に眞揖《まかぢ》繁貫《しじぬ》き此の吾子《あこ》を韓《から》國へ遣《や》る齋《いは》へ神たち
 
〔題〕 春日にて神を祭りし日 春日に於いて遣唐使一行の平安を祈つたのである。續紀には、寶龜八年の遣唐使が、天神地祇を春日山下に拜したことが見える。○藤原太后 光明皇后。○藤原朝臣清河 皇后の兄房前の第四子、皇后の甥。天平勝寶二年入唐大使に任ぜられ、同四年に渡唐した。後數年、歸朝の途に就いたが、逆風に遭つて再び唐の南邊驩州に漂着し、遂に復た唐朝に仕へて歸ることを得ず、異域の土となつた。寶龜十年に從二位を贈られた。諸本この名の下に「參議從四位下遣唐使」の九字細註があるが、元暦校本等に無いのを正しいと認めるので削除する。
〔譯〕 大きな船に兩側の艪を澤山立てて、この親愛なる甥清河を遙々と唐國へ遣はします。大切にお守り下さい。天地の神々よ。
(69)
   大使藤原朝臣清河の歌一首
4241 春日野に齋《いつ》く三諸《みもろ》の梅の花|榮《さか》えて在り待て還りくるまで
 
〔譯〕 春日野に齋きまつる御社のほとりの梅の花は、いつまでも榮えて、今と同じ有樣で待つてゐてほしい。自分が無事に還つて來るまで。
〔評〕 前の御歌に答へたものと解し、梅花を皇后になぞらへたとするのと、三句までを有心の序として「榮えて」に係けたと見るのと兩説あるが、これは皇后の御歌とは別箇に、この祭場に臨んだ作者が、折から盛なる梅花を見て、感慨を託したものと解すべきである。
〔語〕 ○齋く三諸の お祀りしてある神殿の附近の。「三諸」は神を祀つた所、社、神殿。○在りまて いつまでも變らず待ての義。「在り」は繼續?態を表はす接頭辭的用法である。在り通ふ、在り渡る、など用ゐてある。「在りまて」は卷九の「一六六八」卷二十の「四三六八」にもある。
 
   大納言藤原家にて入唐使等を餞する宴の日の歌一首【即ち主人卿作れり】
4242 天雲《あまぐも》の去《ゆ》き還《かへ》りなむものゆゑに念《おも》ひぞ吾がする別かなしみ
 
〔題〕 大納言藤原家云々 藤原仲麿即ち惠美押勝邸に於いて、入唐使清河等の送別宴を催した時、主人の詠んだ歌。仲麿は房前の兄武智麿の子、清河とは從兄弟である。
〔譯〕 雲が空を去來するごとく、唐土へ遠く行かれても、恙なく歸つて來られるに違ひないものを、自分は物思ひを(70)する。別が悲しいので。
〔評〕 思ふままを素朴に率直に打出して、力強い格調を成してゐる。譬喩としての枕詞も適切であり、四句まで一氣に押出して大きな休止とし、五句で「別悲しみ」といつたところもよい。
 
   民部少輔多治比眞人|士作《はニし》の歌一首
4243 住吉《すみのえ》に齋《いつ》く祝《はふり》が神言《かむごと》と行くとも來《く》とも舶《ふね》は早けむ
 
〔題〕 多治比土作 天平十二年從五位下、累進して寶龜元年に參議從四位上、同二年薨じた。
〔譯〕 住吉にお祀りしてゐる神主が唱へる神のお詞の如く、行くにも歸るにも、貴方の御船はきつと早いことでせう。
〔評〕 四五句は「一七八四」に類想はあるが、率直にして力づよい歌。住吉の神は航路の安全を護る神として、「住吉の現人神《あらひとがみ》 船の舳にうしはき給ひ」(一〇二〇)ともあつて、遣唐使差遣の時などには、特に祈願したことは祝詞式にも明かである。
 
   大使藤原朝臣清河の歌一首
4244 あらたまの年の緒長く吾が念《も》へる兒らに戀ふべき月近づきぬ
 
〔譯〕 長い年月の間、いとしく思つてゐる妻に別れて行つて、戀ひ焦れなければならぬ月が近づいたことである。
〔評〕 妻と相別れた後の遙瀬なさを豫想して、出發の期が數箇月の近くに迫つて來たことを歎いたのである。しかもこの語が讖《しん》をなして、その愛妻への思慕は、遂に滿たされる日なく、此の恨綿々として盡くる期無きに至つたのは、痛ましい極みである。下の「四二四七」の歌に似てをるが、おのづから亦別樣の趣があり、人の胸に響くものがある。
(71)
4245 虚《そら》みつ 大和の國 あをによし 平城《なら》の京師《みやこ》ゆ 押照《おしてる》 難波に下《くだ》り 住吉《すみのえ》の 三津《みつ》に舶《ふな》乘り 直渡《ただわた》り 日の入る國に 遣《つかは》さる 吾が兄《せ》の君を 懸けまくの ゆゆしかしこき 住吉《すみのえ》の 吾が大御神 船《ふな》の舳《へ》に 領《うしは》き坐《いま》し 舶艫《ふなとも》に 御立坐《みたちいま》して さし寄らむ 磯の埼埼 こぎ泊《は》てむ 泊泊《とまりとまり》に 荒き風 浪に遇《あ》はせず 平けく 率《ゐ》て歸りませ 本《もと》の國家《みかど》に
 
〔題〕 天平五年云々 この時の入唐大使は多治比眞入廣成である。憶良の好去好來歌(八九四)、笠金村の入唐使に贈る歌(一四五三)、遣唐使隨員の母がその子に贈つた歌(一七九〇)などは、いづれもその時の作である。今この歌は、一行中の人の妻がその夫に贈つたものであらうが、作者は詳かでない。
〔譯〕 大和の國の奈良の都から難波に下つて、住吉の三津で船に乘り、一路眞直に海を渡つて、日の歿する國唐土に遣される吾がいとしい夫の君を、言葉に懸けて申すも憚るべく恐多い我が住吉の明神樣よ、どうか船の舳先に鎭座ましまし、艫の方にお立ち遊ばされて、船が立ち寄るであらう磯の岬々や、漕いで行つて碇泊するであらう港々で、荒い風や波に遇はせないで、平安無事に連れてお歸り下さいませ、もとの我が日本の國へ。
〔評〕 航海中、住吉の大神の加護があつて、恙なく歸るやうにと、神靈を讃へ祈つてゐる、その構想の上に特にすぐれた點は無いが、「荒き風浪に遇はせず」の具體的辭樣は女性らしい細かな心づかひを示して居り、結末もしつかりと据つてゐる。卷六の「一〇二〇」は此の歌を模したものである。
〔語〕 ○虚みつ 「大和」につづく枕詞。「一」參照。○あをによし 「平城」の枕詞。「一七」參照。○押照る 「難波」の枕詞。○三津 「御津」の借字。「御」は美稱。「津」は船著場。○日の入る國 唐土をいふ。推古天皇の代、(72)隋の煬帝に贈られた國書に 「日出處天子致2書日没處天子1」とあつて有名である。○遣はさる 普通の文法では、「つかはさるる」とあるべく、「吾が背の君」につづく。○本の國家に 本郷の日本の國へ。國家をミカドと訓んだ例は書紀の古訓にある。
 
   反歌一首
4246 沖つ浪|邊《へ》浪な越しそ君が舶《ふね》こぎ歸り來て津に泊《は》つるまで
 
〔譯〕 沖の波も岸邊の浪も、舷《ふなばた》を越すやうに荒く立つてくれるな。わが夫君の船が無事に漕ぎ歸つて來て、住吉の津に到着するまでは。
〔評〕 長歌では荒い風波を停めていただきたいと祈願したのであるが、反歌では直接波に向つて荒く立つなというてゐるところに變化がある。一二句の具體的表現がよく、三句以下の巧を弄せぬ素直さもよい。
〔語〕 ○越しそ 舷を越すなとの意。「越」を略解に「起」の誤で、タチソではないかとあるのは、折角の優れた具體的描寫を概念的敍述に代へ、一首を平凡化してしまふ。「しほ船の舳越そ白浪」(四三八九)の用例もある。(「越そ」は「越す」の東國方言である。)
 
   阿倍朝臣|老人《おきな》、唐に遣さえし時、母に奉りて別を悲しむ歌一首
4247 天雲の遠隔《そきへ》の極《きはみ》わが念《も》へる君に別れむ日近くなりぬ
    右の件の歌は、傳へ誦める人、越中大目高安倉人種麻呂なり。但、年月の次《つぎて》は、聞きし時のまにま此《ここ》に載す。
 
〔題〕 阿部朝臣老人 傳不詳。廣成に隨つて渡唐した下僚であらう。
〔譯〕 大空の雲が遠く退き去る窮極まで、どこまでも際限なく自分が思ひ慕つてゐる母上に、お別れする日が近くな(73)  ことにあはれである。四五句は、さりげない平語の如くにして無限の哀愁を含み、切實、人の胸を打つ。
〔左註〕 右の件の歌 藤原太后の御作(四二四〇)以下八首をさす。○高安種麿 傳不詳。○但年月の次は云々 八首中、清河を中心とする五首は天平勝寶三年の作、他の三首は遡つて天平五年の歌で、時代が錯亂してゐるやうであるが、家持が種麿から傳聞した時の順序のままに載せたとの意。恐らく二回に亙つて聞いたのであらう。
 
   七月十七日を以ちて、少納言に遷し任けらゆ。仍りて別を悲しむ歌を作りて、朝集使掾久米朝臣廣繩の舘に贈り貽《のこ》せる二首
   既に六載の期に滿ち、忽ち遷替の運に値《あ》ふ。ここに舊きに別るる悽《かなしみ》、心中に鬱結す。H《なみだ》を拭《のご》ふ袖、何を以ちてか能く旱《かわ》かむ。因りて悲しみの歌二首を作りて、式《も》ちて忘るる莫き志を遺《のこ》す。其の詞に曰く
4248 あらたまの年の緒長く相見てし彼《そ》の心|引《ぴき》わすらえめやも
 
〔題〕 七月十七日云々 家持は、天平勝寶三年七月十七日、少納言に任ぜられ、歸京することになつたので、別を悲しむ歌二首を作つて、上京中の久米廣繩の家に贈り、それを遺して出發した、の意。○既に六載の期に滿ち 家持の越中守就任は天平十八年閏七月であるから、滿五年、足かけ六年を過したのである。この歌の當時は四年の任期であつたが、僻遠の地方では、正確に四年交替の行はれぬ場合があつたものと思はれる。
〔譯〕 年長く親しんで來た貴君の芳情が、別れた後も忘れられようか。忘れることはない。
〔評〕 多年の交情に對するしみじみとした感謝の心が溢れて、眞率な調を成してゐる。
〔語〕 ○その心引 その貴君の芳情、好意。代匠記に、心引は芳心なりと解したのはよい。古義に「引を用言に唱ふ(74)べし、其の心を引くの意なり」としたのは妥當でない。略解所引の宣長説には、稱コ紀宣命の「比岐比岐」を擧げてゐる。
 
4249 石瀬《いはせ》野に秋萩|凌《しの》ぎ馬|竝《な》めて始鷹獵《はつとがり》だに爲《せ》ずや別れむ
    右、八月四日に贈れり。
 
〔評〕 いはせ野で、萩の花の間を押しわけながら馬を竝べて、今年も初鷹狩をしたいと思つてゐたが、それさへしないで、別れることになるのであらうか。
〔評〕 鷹狩を好んだ家持は、今年も風雅の僚友とその清遊を共にしようと豫期してゐたに、俄かに歸京することになつた殘り惜しさを歎じたのである。調子の高い雄々しい響の中に、情のこもつた歌である。的確な具體的描寫によつて、石瀬野の光景も眼前に美しく展開されてをる。
〔語〕 ○いはせ野 上の「四一五四」にも見える。今の高岡市の東、庄川の西。○凌ぎ 押し分け、押し靡かせ。○始鷹狩 秋になつて初めてする鷹狩。「とがり」は鳥狩。卷十四の「三四三八」參照。
 
   便ち大帳使に附きて、八月五日を取りて應に京師に入らむとす。此《これ》に因りて、四日を以ちて國厨の饌を設け、介内藏|伊美吉《いみき》繩麻呂の舘に餞しき。時に大伴宿禰家持の作れる歌一首
4250 しなざかる越《こし》に五箇年《いつとせ》住み住みて立ち別れまく惜しき初夜《よひ》かも
 
〔題〕 便ち大帳使に附きて云々 家持は少納言遷任と共に、大帳使の役を附託されたもの、大帳使は、その年の地方の各調査の帳簿を持つて上京する使。卷十七の「三九六一」の左註參照。國厨の饌は、國府としての公の宴を張つたのである。
(75)
ある。明日は愈出發といふ前夜の送別の宴、おほらかな悲しみが、悠揚迫らぬ律調の中に大きく波うつてゐる。憶良の、「天ざかる鄙に五年住まひつつ都の手ぶり忘らえにけり」(八八〇)にヒントを得たかも知れぬが、別趣を成してをる。
〔語〕 ○しなざかる 「越」の枕詞。「三九六九」參照。○越に五箇年 上には「既に六載の期に滿つ」とあつたが、ここでは滿を以て數へたもの。
 
   五日の平旦、上道《みちだち》す。仍りて國司の次官已下諸僚、皆共に視送る。時に射水郡大領|安努君《あののきみ》廣島、門前の林の中に、預《かね》て餞饌の宴を設く。時に大帳使大伴宿禰家持、内藏伊美吉繩麻呂の盞《さかづき》を捧ぐる歌に和《こた》ふる一首
4251 玉ほこの道に出で立ち往《ゆ》く吾は公《きみ》が事跡《ことど》を負《お》ひてし行かむ
 
〔題〕 平旦 早曉をいふ。○大領 郡長。多くはその地方の豪族を任じたやうである。○安努君廣島 傳不詳。和名抄に射水郡阿努郷の名が見えるが、そこに住んでゐたのか。阿努は今の氷見郡加納村の邊といはれる。
〔譯〕 これから旅の道に出で立つて行く自分は、貴君の祝福の言葉を負ひ持ち、大切に身につけて行かう。
〔評〕 心から別灘を惜しんで、その足跡を※[走+軫の旁]《お》ひ、幾度も別宴を張つた上代人の敦厚さは、土佐日記などにな見えてゐるが、今、ここも同樣の場合である。かうした部下の人々の眞情に對して、多感な家持はまた深く銘記したに相違ないい。四五句は一片の辭令でないと見られる。
〔語〕 ○事跡 代匠記は文字通りに取り、行事の蹤迹の意で、旅には樣々の具を持ち行くものなれば、それによせて、(76)君が功勞の事跡を記しおけるを負ひ持つて都に上り、具《つぷさ》に申上げむの意といつてゐる。略解所引宣長説では、神代記に「事戸を度《わた》す時」とあると同語で、離別の辭であると解してゐるが、跡と戸との用字上の差があるので、同語とするには疑がある。事は言の假字で、言の跡、即ち繩麿の祝つて詠んだ歌の言葉に靈があるとし、無事に歸京あれというた祝の言葉をさしたものと思はれる。
 
   正税帳使掾久米朝臣廣繩、事|畢《を》へて任《まけ》に退《まか》り、適《たまたま》越前國掾大伴宿禰池主の舘に遇ひ、仍りて共に飲樂しき。時に久米朝臣廣繩、芽子《はぎ》の花を矚《み》て作れる歌一首
4252 君が家に植ゑたる萩の始《はつ》花を折りて挿頭《かざ》さな旅別るどち
 
〔題〕 正税帳使云々 廣繩が正税帳使として上京したことは、上の「四二三八」の左註に見えた。○越前國掾 嘗て越中の掾として家持の部下であつた池主が、越前に轉任したことは「四〇七三」に見える。
〔譯〕 池主君のお宅に植ゑてある美しい萩の初花を、折つて挿頭にしませう、旅で別れる同士《どうし》、家持君と自分とが。
〔評〕 公用を帶びて上京中なる廣繩の留守宅に、家持は歌を遺して來たのであつたが、途中ここで偶然相逢うて名殘を惜むことが出來たのである。兩者の喜は想像される。淡々と敍した中に十分その心持が酌まれ、「旅別るどち」の結句に、ほのかなる哀愁を湛へてゐる。
 
   大伴宿禰家持の和《こた》ふる歌一首
4253 立ちて居て待てど待ちかね出でて來《こ》し君に此處《ここ》に遇《あ》ひ挿頭《かざ》しつる萩
 
〔譯〕 貴君の歸任を立つたり居たりして待つてゐたが、遂に待ち切れないで出立して來た。その貴君に、思ひがけず此處で遇つて、共に萩の花をかざすことはまことに喜ばしい。
(77)  無器用にさへ見えるが端的な表現であるだけに力が漲つてゐる。
 
   京に向ふ路上にして、興に依りて預《かね》て作れる、宴に侍ひて詔に應《こた》ふる歌一首并に短歌
4254 秋津島 倭の國を 天雲《あまぐも》に 磐船浮べ 艫《とも》に舳《へ》に 眞櫂《まかい》繁貫《しじぬ》き い漕《こ》ぎつつ 國見し爲《せ》して 天降《あも》りまし 拂《はら》ひ平《ことむ》け 千代|累《かさ》ね いや嗣繼《つぎつぎ》に 知らし來《く》る 天《あま》の日嗣と 神《かむ》ながら 吾が皇《おほきみ》の 天の下 治め賜へば 物部《もののふ》の 八十伴《やそとも》の雄を 撫で賜ひ 齊《ととの》へ賜ひ 食國《をすくに》の 四方《よも》の人をも 餘《あぶ》さはず 愍《めぐ》み賜へば 古昔《いにしへ》ゆ 無かりし瑞《しるし》 遍數多《たびまね》く 申《まを》したまひぬ 手拱《たうだ》きて 事無き御代と 天地 日月と共に 萬世に 記《しる》し續《つ》がむぞ 安見しし 吾が大皇《おほきみ》 秋の花 其《し》がいろいろに 見《め》し賜ひ 明らめたまひ 酒宴《さかみづき》 榮ゆる今日の あやに貴さ
 
〔題〕 京に向ふ云々 都に歸る途上に於いて、都で宴席に侍する場合を聯想して、詔に應ずる歌を前から作つた、の意。
〔譯〕 この日本の國を、天孫が大空の雲に磐船を浮べ、艫にも舳にも左右の櫂を澤山取りつけて、漕ぎながら國見をあそばされて、天からお降りになり、國内の賊徒を一掃し平定して、その後、幾代も重ねて繼ぎ繼ぎに御統治あそばして來た天皇の御位として、神であらせられるままに吾が陛下が、天下をお治めあそばされるので、朝廷に奉仕してゐる多くの部族の人々を、愛撫し給ひ、調整し給ひ、また、御支配あそばすこの日本の國の四方の人民をも、一人もあまさずお惠みになるので、古來未だ無かつた瑞兆を度々奏上された。天皇は手を組んでおいででもおのづから治ま(78)る泰平の御代であつたと、天地日月と共に萬世の後までも史官が記録し傳へるであらう。かくも尊い吾が天皇が、折から咲き匂ふ秋草の花を、どの色の花も皆その色とりどりに御覽になり、御心をお慰めなされて、御酒宴の賑かに行はれる今日は、實に貴いことである。
〔評〕 天孫降臨の上古から、皇統連綿として現代に及ぶことを敍した結構は、人麿の長歌を粉本としたものである。仁政を讃へ、種々の瑞祥を將來する聖コを謳歌し、君臣和樂の盛宴をことほぐまで、措辭整然としてはをるが、實地に臨んでの作でないだけに、形式的に流れ、情熱の燃燒が足りない。
〔語〕 ○磐船 磐で作つた船とも、堅固な船とも見られる。神武紀に饒速日命の磐船の記事があるが、天孫降臨にもかういふ古傳説があつたのであらうとする古義の説がよい。卷三の「二九二」にも「天の探女が石船の」とある。○國見しせして 國見をなされての意。「し」は強意の助詞。「せし」は動詞「爲」の敬語「爲《せ》す」の連用形。卷一の「三八」「四五」參照。○齊へ賜ひ 「ととのふ」は調整する、部署につかせる。卷二の「一九九」、卷三の「二三八」等參照。○あぶさはず あまし殘さず、一人も漏らさずの意。略解所引宣長説に、「光仁紀の宣命に『はふりたまはず』とあるに同じく、はふり給はずは、はふらかし給はず也。源氏物語玉かづらの卷に、おとしあぶさずといへる、全く同じ意なり」とある。源氏の用例は後世には屬するが、稀な語であるだけに、古語の遺つてゐたものと推定して差支なかるべく「あぶさふ」は、この語のハ行再活用と見るべきであらう。○古昔ゆ無かりし瑞 古來嘗て無かつた種々の神瑞。陸奧園から黄金を出した事もその一である。○申したまひぬ この語の主語は國民臣下などで、奏上したの意、「たまふ」と敬語を附するのは尊い方へ向つていふ爲である。「四〇九四」に「まうしたまへれ」とある。○手うだきて 手をこまねいて、手を組み無爲でゐる意。卷六「九七三」參照。○明らめたまひ 代匠記には、臣下の才コ忠功をほどほどにつけてみそなはしわくるを喩へていふと政治的意味を含めてゐるが、集中の「めし明らむ」は「四七八」「四二六七」「四四八五」等、いづれも心を晴らす意に解せられる。○酒みづき 酒水漬、即ち酒に(79)  「安夫左波受」 諸本、夫を天とあるが、略解所引宣長説で、「夫」に改めたのがよい。○貴とさ 白文「貴左」。通行本はこの下に小字の「江」があり、西本願寺本等は朱書し、元暦校本にはない。上の「四一八五」の「江家」と同じく省くべきである。
 
   反歌一首
4255 秋の時|花《はな》種《くさ》にあれど色別《いろこと》に見《め》し明らむる今日の貴さ
 
〔譯〕 時は秋の季節で、咲く花は種々樣々であるが、その色とりどりに御賞覽になつて、御心をお慰めあそばす今日の御宴の、貴いことよ。
〔評〕 長歌の終末數句の意を要約して反覆添加したもの、二句もおちつきがよくない。
〔語〕 ○色別に 色とりどりにどれをも。
〔訓〕 ○秋の時花種にあれど 白文「秋時花種爾有等」舊訓「アキノハナクサグサニアレド」。
 
   左大臣橘卿を壽《ことほ》かむが爲に、預《かね》て作れる歌一首
4256 古《いにしへ》に君が三代經て仕へけり吾が大主《おほぬし》は七世《ななよ》申《まを》さね
 
〔題〕 左大臣橘卿云々 橘諸兄が老年にして左大臣であるを祝福する爲に、あらかじめ作つておいた歌、の意。
〔譯〕 古代には、天皇三朝に歴仕した人があつたのでした。あなた樣は、七代までも奉仕して政をお執りなさいませ。
〔評〕 三代に仕へた古人を引き、七代までもというたところが、この歌のとりどころである。また、三句切のはつきりした一例である。
(80)〔語〕 ○君の三代經て 三代の天皇に奉仕した人がある、の意。代匠記初稿本には、武内宿禰などの事かといつたが、精撰本には、諸兄が元明、元正、聖武の三代に仕へたことをいふのであらうと説を改めた。略解は、諸兄の母夫人が天武・持統・文武の三朝に仕へたのをいふとしてゐる。しかし諸兄やその母では、「いにしへに」といふ初句がおちつかぬ。武内宿禰は四朝に歴事したのでここに當らぬやうであるが、作者はこの宿禰などの事が意識にあつて、はつきり誰とさす所もなく、昔は三朝に歴任した人もあるといつたものと思はれる。○吾が大主 大主は尊んでいふ語。正倉院文書に藤原仲麿のことを大主と稱してゐる。
〔訓〕 ○大主 類聚古集・西本願寺本等による。通行本「大王」に作るは非。
 
   十月二十二日、左大辨|紀飯麻呂《きのいひまろ》朝臣の家にて宴《うたげ》せる歌三首
4257 手束《たづか》弓手に取り持ちて朝獵に君は立たしぬ棚倉の野に
    右の一首は、治部卿船王傳へ誦めり。久邇京都《くにのみやこ》の時の歌なり。【未だ作主を詳にせず。】
 
〔題〕 左大辨紀飯麻呂 飯麿は古麿の長子。家持上京の當時は右大辨である。書損か、或は後に書き改めたものか。
〔譯〕 執り握る弓を持つて、朝の獵に君は御出かけ遊ばされた、棚倉の野に。
〔評〕 平明にして格調雄渾、整つた五七の句法もよく、地名を終に置いたのもよい。ただ「君」のさす所が明瞭を缺くのは、遺憾である。
〔語〕 ○君は立たしぬ 「君」は天皇を指すか、定め難い。「立たし」は「立つ」の敬語「立たす」の連用形。○棚倉の野 神名帳に「山城國綴喜郡棚倉孫神社」とあり、この神社は今綴喜郡田邊町にある。その附近と思はれる。
〔左註〕 ○船王 淳仁天皇の御弟で、舍人親王の御子。卷六の「九九八」參照。○久邇京都 天平十二年十二月から造營に着手、同十六年正月まで聖武天皇の都となつた。恭仁京とも書く。
(81)
    右の一首は、左中辨中臣朝臣清麻呂傳へ誦めり。古き京の時の歌なり。
 
〔譯〕 明日香河の渡り場の風景が清らかに美しいので、去るに忍びずに留まつてをつて、風光を戀しがつてゐると、その間に都はいよいよ遠ざかつて、舊都となつてしまつたことである。
〔評〕 奈良へ遷都が行はれた時、藤原の舊都に殘つた人の感慨である。離れがたい故京の佳景への愛着、しかも一方に於いて、人々に取り殘された寂しさは遣る瀬もない。詞句簡素に格調も質實で、深い哀愁を湛へてゐるが、第四句は聊か窮屈の感を免れない。略解には「飛鳥に殘りゐて、思ふ人などの便も遠くなりし時よみてやれるなるべし」とある。
〔話〕 ○河戸 河門の義で、河の兩岸が迫つて關門をなしてゐる所。
〔左註〕 左中辨中臣朝臣清麻呂 中臣惠美麿の子。この清麿も當時右中辨であつた。前の飯麿と同じく誤記であらう。
 
4259 十月《かむなづき》時雨《しぐれ》の常か吾が兄子《せこ》が屋戸《やど》のもみち葉ちりぬべく見ゆ
    右の一首は、少納言大伴宿禰家持、當時梨の黄葉《もみち》を矚《み》て此の歌を作れり。
 
〔譯〕 十月に降る時雨の常であらうか。君の家の黄葉が、散つてしまひさうに見える。
〔評〕 左註の梨の黄葉は、「三八八」「三八九」にもよまれてゐるが、それをばいはず、格調も低く、二句の「常か」もよくない。
〔訓〕 ○ちりぬべく見ゆ 白文「可落所見」。「見ゆ」は「亂れて出づ見ゆ」(三六〇九)等の如く終止形を受けるのが例であるとして、チリヌベシミユとよむ説もあるが、形容詞活用についても終止形を受けたとすべき確證はないの(82)で、なほ舊訓による。
 
   壬申の年の亂の平定せし以後の歌二首
4260 皇《おほきみ》は神にしませば赤駒の匍匐《はらば》ふ田居《たゐ》を京師《みやこ》となしつ
    右の一首は、大將軍贈右大臣大伴卿作れり
 
〔題〕 壬申の年の亂 壬申の年は、弘文天皇が近江にて即位の年である。この年六月大海人皇子は吉野を出て兵を擧げ、七月天皇が崩ぜられたので、都を再び大和に還された。この歌は、新帝天武天皇をたたへた作である。
〔譯〕 天皇は神であらせられるから、赤毛の駒が膝を折り腹這ひ伏してをつた田圃をも、立派な都となされた。御威光が尊いことである。
〔評〕 壬申の亂の平定した後、濕地であつた飛鳥の淨見原に新都が建設されたことを記念する作である。「赤駒のはらばふ田居」といふ具象的描寫がよい。
〔語〕 ○はらばふ田居 はらばふは腹を地にして這ふ義。田居はたんぼ。田のある處。「ゐ」はところと同じい。
〔左註〕 贈右大臣大伴卿 大伴御行のこと、御行は右大臣長コの子で、家持の祖父安麿の兄、大寶元年に薨じた。
 
4261 大王《おほきみ》は神にしませば水鳥の多集《すだ》く水沼《みぬま》を皇都《みやこ》と爲しつ【作者未だ詳ならず】
    右の件の二首は、天平勝寶四年二月二日聞きて、即ち茲に載す。
 
〔譯〕 天皇は神であらせられるから、水鳥のあつまつてをつた沼をも、立派な都となされた。すばらしい御威光である。
〔評〕 前の歌と同想同型で、創作動機も全く同じい。いづれをさきといひがたいが、御行の作がうたひ傳へられたの
(83)
   閏三月、衛門督大伴|古慈悲《こじひ》宿禰の家にて、入唐副使同じき胡麻呂宿禰等を餞せる歌二首
4262 韓《から》國に往《ゆ》き足《た》らはして歸り來《こ》む丈夫武雄《ますらたけを》に御酒《みき》たてまつる
    右の一首は、多治比《たぢひ》眞人|鷹主《たかぬし》の、副使大伴胡麻呂宿禰を壽《ことほ》けるなり。
 
〔題〕 衛門督 衛門府の長官。衛門府は宮門を守る職。○大伴古慈悲 大伴吹負の孫。寶龜八年從三位で薨じた。年八十三。集中に歌は無い。卷二十の「四四六七」左註參照。○胡麻呂 大伴旅人の姪で、天平二年六月旅人の病を大伴稻公と共に、太宰府に見舞つたことがある。卷四の「五六七」左註參照。遣唐副使となつたことは、續紀天平勝寶二年九月の條に見える。
〔譯〕 唐土へ行つて、使命を十分果して歸り來られるであらう大丈夫の君に、盃をささげてお祝ひ申す。めでたく受けて下さい。
〔評〕 祝福と激勵とを兼ね、莊重にして豪快、しかも眞情の流露を見る。萬里の波濤を凌いで異域に赴く使節を送るにふさはしい、堂々たる格調である。これを受けたのは、後に惠美押勝に抗して獄死した人、まことにますらたけをとよぶに値する男子であつたと思はれる。
〔語〕 ○韓國 「韓」は借字で、唐國をさす。○ゆきたらはして 行つて滿足に任務を全うしての意。○丈夫武雄 立派な男子。勇ましい君。
〔左註〕 多治比眞人鷹主 天平寶字元年七月橘奈良麿謀反の條に、大伴古麿、同池主等と共に關係のあつたことが見える。集中、歌はこの一首だけであるが、不朽の作をのこしたのである。
 
(84)4263 梳《くし》も見じ屋中《やぬち》も掃《は》かじ草枕旅行く君を齋《いは》ふと思《も》ひて【作主未だ詳ならず】
    右の件の歌を傳へ誦めるは、大伴宿禰|村上《むらかみ》、同じき清繼等なり。
 
〔譯〕 櫛も見向きもしますまい。家の中も掃きますまい。旅立つて行くあなたの御無事を齋戒し守らうと思つて。
〔評〕 仙覺抄に、「人の物へありきたるあとに、三日は家の庭はかず、つかふ櫛を見ずといふ事のあるなり」とあるやうに、當時の民間信仰によつて、旅ゆく人の平安を祈つた歌、恐らく婦人の立場であらうが、民謠らしい調子もある。ともかく古い歌をこの席で歌つたのであつて、遣唐使を送る歌ではない。
〔語〕 ○梳も見じ 櫛も見まい。櫛に神秘的威力を認めたことは、伊邪那岐命の湯津爪櫛の神話によつても知られる。ここも信仰によるものと考へられる。○屋中も掃かじ この俗信については玉勝間に「人の出ゆきしあとを掃く事をいむは、葬の出でゐる跡をはくわざのある故なり」とある。○齋ふと思ひて 「思ひて」は輕く添へたので「齋ふとて」といふに同じい。
 
   從四位上|高麗《こま》朝臣|福信《ふくしに》に勅して、難波に遣し、酒肴を入唐使藤原朝臣清河等に賜へる御歌一首井に短歌
4264 空みつ 倭の國は 水の上《うへ》は 地《つち》往《ゆ》く如く 船《ふね》の上《うへ》は 床《とこ》に坐《を》る如《ごと》 大神の 鎭《いは》へる國ぞ 四《よつ》の舶《ふね》 舶《ふな》の舳《へ》竝《なら》べ 平安《たひら》けく 早渡り來て 返言《かへりごと》 奏《まを》さむ日に 相飲まむ酒《き》ぞ この豐御酒《とよみき》は
 
〔題〕 高麗福信 初め背奈公の姓であつた。延暦八年從三位で薨じた。年八十一。○藤原朝臣清河 「四二四〇」參照。○御歌 孝謙天皇の御製。
〔譯〕 わが日本の國は、水の上をゆく時は、恰も地上を行くやうに、船の上にゐる時は、まるで家の床の上にをるや(85)
て歸つて來て、復命を奏するであらうが、其のめでたい日に、再び共に飲まうと思つてゐる酒であるぞ、此のよい酒は。
〔評〕 聖武天皇の「酒を節度使の卿等に賜へる御歌」(九七三)と相似て居り、結末の二句は全く同じである。しかし、かの御製はおほらかにして春風のやうな和やかな氣分であるに反し、これは詞句格調共に緊密にして、嚴肅の氣に滿ちてゐる。節度使は國内に於ての事で、その人々に信頼して御安心であるのと、これは生還のほどもはかられぬ遣唐使、しかも君臣とはいへ、御從兄といふ肉親的御愛情から發する不安を藏して居られる場合との相違に基づく自然の結果であらう。
〔話〕 ○空みつ 「倭」の枕詞。「一」參照。○倭の國 ここでは日本の國の意。○四の船 遣唐使は、大使・副使・判官・主典、それぞれの隨員と共に四艘の船に分乘するのでかくいふ。この時の大使は清河、副使は大伴胡麿と吉備眞備とであつた。○返言 使の歸つて申す言葉。○豐御酒 立派な酒。「豊」は美稱。「豐旗雲」(一五)「豐泊瀬道」(二五一一)の類。
 
   反歌一首
4265 四《よつ》の舶《ふね》はや還り來《こ》と白香《しらか》著《つ》け朕《わ》が裳の裾に鎭《いは》ひて待たむ
    右は勅使を發遣し、并に酒を賜ひて樂宴せし日月、いまだ詳審なることを得ず。
 
〔譯〕 遣唐使たちの四艘の船が、早く無事に歸つて來るやうにと、白香をわたしの裳の裾につけて、呪禁《まじなひ》をして、待つてをらうぞ。
〔評〕 神を祭る時につける白香を、神秘的威力があると信じられてゐた女性の裳の裾につけて待たうと、嚴肅にして(86)しかも深い慈愛の籠つた御作。
〔語〕 ○白香 諸説がある。「三七九」は白髪の説によつたが、ここは檜嬬手の白い苧(からむし)といふ説がよいと思はれる。それは「裳の裾に」つけるとあるからである。○裳の裾に「八一三」の鎭懷石の歌にも同樣の事が見える。作者は女帝でいらせられるから、裳の裾に白香をつけ、無事をお祈りになつたのである。
〔左註〕 右は勅使を云々 福信を勅使として差遣された月日、及び清河に酒肴を賜うた月日が明かでない、の意。
 
   詔に應へむ爲に儲《ま》けて作れる歌一首并に短歌
4266 あしひきの 八峯《やつを》の上《うへ》の 樛《つが》の木の いや繼繼《つぎつぎ》に 松が根の 絶ゆること無く あをによし 奈良の京師《みやこ》に 萬代に 國知らさむと やすみしL 吾が大皇《おほきみ》の 神《かむ》ながら 思ほしめして 豐の宴《あかり》 見《め》す今日の日は もののふの 八十伴《やそとも》の雄《を》の 島山に あかる橘 髻華《うず》にさし 紐解き放《さ》けて 千年《ちとせ》壽《ほ》き 壽《ほ》きとよもし ゑらゑらに 仕へ奉《まつ》るを 見るが貴さ
 
〔譯〕 續く峯々に生ひ茂つてゐる樛の木の名のやうに、いよいよ次々に絶えることなく、奈良の都で、萬世までもこの日本の國を御統治あそばさうとて、わが天皇が、神にてましますままに思ひ立ちあそばして、盛んな宴をお催しになる今日は、百官の多くの人が、御苑の山に熟してあかく輝いてゐる橘をとり、冠の飾として挿し、衣の紐を解き放ちくつろいで、千秋萬歳の御代を祝ひ、祝ひさわいで笑ひ樂しみお仕へ申してゐる、その有樣を見るのは、まことに貴いことである。
〔評〕 豐明の御宴に於ける君臣和樂の?を敍して、御代の萬歳をことほぐ趣意であるが、清新な構想もなく、辭句は先人のものを襲用した所多く、齊整ではあるが生氣に乏しい。唯、しま山にあかる橘の句は一篇に光彩を與へてゐる。
(87)
申すと古事記傳に解してゐる。古事記、祝詞には「豊明」、書紀には「肆宴」などの字を當ててゐる。○めす 「見す」の轉、見給ふ。「四二二八」參照。ここは御宴を御覽になるの意。○島山 庭中の山。○ゑらゑらに 笑みさかえて樂しむ貌。「ゑらぐ」「わらふ」の語根と同源の擬聲。
〔訓〕 ○ほきとよもし 白文「保吉等餘毛之」。諸本「吉」の上に「伎」があるため誤脱説があるも、元暦校本に無いのがよい。
 
   反歌一首
4267 天皇《すめろき》の御代萬代に斯《か》くしこそ見《め》し明らめめ立つ毎年《としのは》に
    右の二首は、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 天皇の御代の千萬年の後までも、かやうに盛んな御宴をお催しになつて、御心をお晴らしあそばすことでありませう。新しく立つ年毎に、いつもいつも。
〔評〕 賀の歌の定型に從つた作。結句によつて新年宴會の爲の準備作といふことがわかる。
〔語〕 見し明らめめ 御宴をお催しになり、御心をお晴らしなさることであらう、の意。卷三の「四七八」、上の「四二五四」等參照。
 
   天皇、太后、共に大納言藤原の家に幸《いでま》しし日、黄葉《もみち》せる澤蘭《さはあららぎ》一株《ひともと》を拔き取りて、内侍|佐佐貴山君《ささきのやまのきみ》に持たしめ、大納言藤原卿并に陪從の大夫等に遣賜《たま》へる御歌一首
   命|誦《よ》みて曰く
 
(88)4268 この里は繼《つ》ぎて霜や置く夏の野に吾が見し草はもみちたりけり
 
〔題〕 天皇 孝謙天皇。○太后 天皇の御母光明皇后。○大納言藤原の家 藤原仲麿の家。○澤蘭 サハヒヨドリというて、菊科の植物、藤袴に似てゐる。○内侍 内侍司の女官。○佐佐貴山君 傳は明かでないが、その姓は、續紀天平十六年八月の條に、蒲生郡大領佐佐貴山君親人とある。山君はかばねである。又、神名帳に近江國蒲生郡沙々貴神社とあるから、この地の豪族と思はれる。○御歌 天皇の御製とおもはれる。○命婦 「四二三五」の題詞參照。この命婦を、代匠記には内侍佐佐貴山君と同人と見てゐる。
〔譯〕 この里は續いて霜が置くのであらうか、かつて夏の野で見たこれと同じ草――澤蘭は、此處ではもう黄葉してゐる。
〔評〕 微々たる一株の草紅葉を美しと御覽ぜられ、これを取つて諸臣に賜ふといふ御行爲に、優しい女性の御面目が窺はれる。一二句の格調も緊密である。
 
   十一月八日、左大臣橘朝臣の宅に在《いま》して、肆宴《とよのあかり》きこしめせる歌四首
4269 外《よそ》のみに見てはありしを今日見ては年に忘れず念《おも》ほえむかも
    右の一首は、太上天皇の御歌
 
〔題〕 左大臣橘朝臣の宅に在して 太上天皇(聖武)が橘諸兄の邸に臨幸あそばされての意。
〔譯〕 今まではよそ目にのみ見てゐて、それで何といふこともなかつたに、今日この邸に來て、見てしまつたとなると、これからは一年中忘れずに、いつもこの邸が思ひ出されることであらう。
〔評〕 當代の名門橘諸兄に對する親愛の御心をうたひ給うたのである。
(89)
4270 葎《むぐら》はふ賤《いや》しき屋戸《やど》も大皇《おほきみ》の坐《ま》さむと知らば玉敷かましを
    右の一首は、左大臣橘卿
 
〔譯〕 葎の這ひ茂つてゐる賤しいこの家も、陛下のおいでになると存じてをりましたらば、玉を敷き竝べて置いたでございませうものを。
〔評〕 嘗て元正天皇が難波宮に御滯留の頃、堀江に船遊をなされた時の諸兄の歌、卷十八の「四〇五六」に似た構想である。卷六の「一〇一三」、卷十一の「二八二四」にも類想がある。
〔語〕 ○葎はふいやしき屋戸 葎は今いふカナムグラのこと。無論謙遜の語。卷四の「七五九」參照。
 
4271 松かげの清き濱邊に玉敷かば君來まきむか清き濱邊に
    右の一首は、右大辨藤原八束朝臣
 
〔譯〕 松の樹蔭の、清らかな此の池のほとりに玉を敷きつめましたならば、陛下が再びお出下さるでございませうか。この清らかな池のほとりに。
〔評〕 主人諸兄の「玉敷かましを」の語を直ちに引き取つて、邸内の林泉の美を讃へ、再度の行幸をと御期待申上げたところ、敏捷な辭令であつて、格調も清遠である。第二句を結句に反復する句法は、卷三の「二七一」卷五の「七九九」等、用例の多い古調で、快適の響を持つてゐる。
〔左註〕 藤原八束朝臣 房前の第三子、後に名を眞楯と改めた。卷三の「三九八」參照。
 
(90)4272 天地に足《た》らはし照りて吾が大皇《おほきみ》敷き坐《ま》せばかも樂しき小里《をざと》
    右の一首は、少納言大伴宿禰家持 未だ奏せず
 
〔譯〕 天地の間に御威光が遍く輝き滿ちて、吾が太上天皇がおいであそばしていらつしやるからか、橘家のあるこの里は、樂しい處と感じられます。
〔評〕 君臣和樂の樣も眼前に浮び、一二句堂々として、この種の頌歌のすぐれたものというてよい。
〔語〕 ○足らはし照りて 遍く滿ち足りの義。「四二六二」參照。○小里 小はそへた詞であるが、臨幸に對し謙虚にいうたもの。
〔左註〕 未だ奏せず 家持が右の歌を作つたが、何かの理由でこれを奏上するに至らなかつたの意。
 
   二十五日、新嘗會《にひなへのまつり》の肆宴《とよのあかり》に、詔に應ふる歌六首
4273 天地と相榮えむと大宮を仕へまつれば貴くうれしき
    右の一首は、大納言巨勢朝臣
 
〔題〕 新嘗會 その年の新穀を以て神祇を祭り、天皇自らも聞召す祭。四時祭式に十一月中の卯の日に行はれる由が規定されてゐるが、この天平勝寶四年十一月は癸卯の朔で、二十五日は丁卯に當り、即ち未の卯の日になるが、何かの事情で變更されたと思はれる。
〔譯〕 天地と共に窮まりなくお榮えになるやうにと、この新嘗の祭殿に奉仕してをると、まことに貴くも嬉しいことであります。
〔評〕 太い線と強い筆觸とを以て、一氣に揮灑し去つた趣である。上から徐々に來た莊重な格調を受けて、結句の字(91)
〔左註〕 大納言巨勢朝臣 奈?麻呂。中納言大雲比登の子。二位大納言に至つた。「三九二六」左註參照。
 
4274 天《あめ》にはも五百《いほ》つ綱|延《は》ふ萬代に國知らさむと五百つ綱|延《は》ふ【古歌に似て未だ詳ならず】
    右の一首は、式部卿石川|年足《としたり》朝臣
 
〔譯〕 新嘗の祭殿の天井には、澤山の綱を張り渡してある。この綱の多く且つ長きやうに、天皇の御代が萬代までも長く續き、日本の國をお治め遊ばすやうにと祝福して、この澤山の綱が張り渡してある。
〔評〕 上代の新嘗祭の簡淨な有樣をさながらに偲ばしめる。新設された素朴な神殿の天井の多くの綱を仰ぎ、それに託して、御代の長久をことほいだのは譬喩が適切で、格調もそれにふさはしく、結句の反復法の古調も、莊重の氣分がある。
〔語〕 ○天にはも 「あめ」は古くは天空のみならず、すべて高處をいつた。○五百つ綱延ふ 上代の建築では、釘や※[金+送]を用ゐず、丈夫な綱や葛の頬で用材を結び固めたので、屋根の棟などにはおのづからその結び餘りが垂れて、装飾的の用をもしたのである。ここも臨時に造つた假殿であるから、恐らくその類と考へられる。○古歌に似て云々 古い歌に似てゐるが、判然せぬ意で、年足が古歌を誦したかと思うたのである。
〔左註〕 式部卿石川年足 天平七年出雲守となり、累進して天平寶字六年正三位、文部卿神祇伯を以て薨じた。年七十五。後世文政三年三月、攝津國三島郡清水から、この朝臣の墓誌が發掘された。
 
4275 天地と久しきまでに萬代に仕へまつらむ黒酒《くろき》白酒《しろき》を
    右の一首は、從三位|文室智努《ふみやのちの》眞人
 
(92)〔譯〕 天地と共に長く久しい後まで、千萬年もこの新嘗祭に用ゐる黒酒白酒を造つて奉仕いたしませう。
〔評〕 新嘗の祭に用ゐる黒酒白酒を詠み入れたのが珍らしく、文化史的に意義がある。「天地と久しきまでに」は、「四二七三」も同想で、その他「天地と共に終へむと」(二の一七六)、「天地と長く久しく」(三の三一五)、「天地といや遠長に」(三の四七八)などある。○黒酒白酒 延喜式によれば久佐木《クサギ》(臭梧桐)の灰を加へたものを黒酒といひ、加へないのを白酒といふとあるが、白井光太郎博士の説によると、この時代はさうでなくて、黒麹で作つた酒を黒酒と稱へたといふ。「き」は酒の古名。
〔左註〕 文室智努眞人 智努王のこと。天平勝寶四年八月文室眞人の姓を賜ひ、後に名を淨三と改めた。「三九二六」の左註に名が見える。
 
4276 島山に照れる橘|髻華《うず》に挿《さ》し仕へまつるは卿大夫等《まへつぎみたち》
    右の一首は、右犬辨藤原八束朝臣
 
〔譯〕 御苑の築山に美しく照り輝いてゐる橘の實を、冠の飾に挿して、お仕へ申してゐるのは、御前に奉仕する方々で、まことに結構な新嘗の御宴でございます。
〔評〕 上に出た家持の長歌(四二六六)の中の句と同工で、參列諸員の風雅にして華麗な一場面を直寫したのみで、感情語を添へてゐないが、それで最も鮮明に全體を躍動させてゐる。
〔話〕 ○卿大夫等 「まへつぎみ」は前つ君の義で、天皇の御前に奉仕する高官、廷臣の意。
〔訓〕 ○つかへまつるは 白文「仕奉者」。略解古義等に誤字説があるのはよくない。舊のままでよい。
 
4277 袖垂れていざ吾が苑《その》にうぐひすの木傳《こづた》ひ散らす梅の花見に
(93)〔譯〕 ゆるやかに衣の袖を垂れ、漫歩しつつ、さあ諸君、自分の家の苑に行かう。鶯が枝から枝を傳つて散らす梅の花を見に。
〔評〕 御宴が果てて諸員一同打ち寛いだものの、興は未だ盡きず、永手が、諸卿を自邸へ誘はうとしての詠である、と普通に解せられる。しかし、新嘗會の頃では時期があはず、また詔に應ずるといふやうな體とは認め難いので、次の家持の作と共に、錯簡ではないかと思はれる。が、餘興のやうにうたひあげた作と解すれば、うべなはれもする。江家次第によれば、新嘗會の舞臺の傍に梅柳をうゑたことが知られるから、それに因んで卷十の「一八七三」の「いつしかも此の夜のあけむ鶯の木傳ひちらす梅の花みむ」の一二句をかへ歌つたものと見てもよからう。
〔左註〕 藤原永手 房前の第二子。勝寶四年十一月大倭守、神護景雲三年二月從一位、寶龜元年十一月正一位、同二年三月薨去。年五十八。「永手」を通行本「永平」に作るは誤。今、元暦校本等によつて訂す。
 
4278 あしひきの山下|日蔭《ひかげ》蘰《かづら》ける上にや更に梅を賞《しの》はむ
    右の一首は、少納言大伴宿禰家持
 
〔譯〕 今日は山の下蔭の日蔭の蘰を冠に著けて、樂しく遊んでゐる上に、また更に何で梅の花を賞美しませう。もうこれで十分です。
〔評〕 前の歌に對する答歌で、折角の御好意ながら、今日はもう澤山です、お宅の梅見はこの次までお預けにしませうと、永手の誘引に戯れ報いたものである。但、これも上に述べたやうに、餘興の作として歌つたものであらう。
〔語〕 ○山下日蔭 山の下蔭などに生える日蔭かづらのこと。山野の陰地に自生する多年生隱花植物、石松科石松屬に入る。莖は蔓?で地を這ひ、長さ數尺、葉は細小にして莖に密生する。上代にはこの蔓を以て、襷、又は冠の飾と(94)したが、後にはこれに代へて、絲を組んだものを冠に垂れ、名は猶ひかげのかづらと呼んだ。
 
   二十七日、林王《はやしのおほきみ》の宅《いへ》にて但馬按察使橘奈良麻呂朝臣を餞せる宴の歌三首
4279 能登河《のとがは》の後には逢はむしましくも別るといへば悲しくもあるか
    右の一首は、治部卿船王
 
〔題〕 林王 三島王の子。後に山邊眞人の姓を賜つた。卷十七の「三九二六」の左註參照。○按察使 養老三年七月設けられ、地方の政治を巡視する官である。○橘奈良麻呂 諸兄の長子。
〔譯〕 能登川といふ名のやうに、後にはお逢ひしませう。しかし、暫くでも別れるといへば、悲しいことである。
〔評〕 感ずるままを率直に打出したので、無造作な歌であるが、浮薄な調がない。「能登河の」の枕詞は、この歌に於ける唯一の技巧であるが、これも單に機械的のものでなく、作者林王の邸宅が能登川附近にあつたのではないかと想像される。但、この續け方は、卷十二の「三〇一八」にある。
〔語〕 ○能登河の 「後」にかけた枕詞。ノチとノトとの類音を重ねたのである。能登川は、春日山に源を發して、三笠山と高圓山との間を流れる。卷十の「一八六一」參照。
〔左註〕 治部卿船王 舍人親王の子。卷六の「九九八」參照。
 
4280 立ち別れ君が往《い》まさば磯城島《しきしま》の人は吾《われ》じく齋《いは》ひて待たむ
    右の一首は、右京少進大伴宿禰黒麻呂
 
〔譯〕 立ち別れて貴君が任地へゆかれたならば、大和の國の人は、自分のやうに、貴君の御無事のお歸りを物忌をして待つことでせう。
 
(95)
〔語〕 ○磯城島 もとは大和國磯城郡の地名であつたが、欽明天皇の皇居が置かれ、都となつてから、「大和」の枕詞となり、更に日本の國の別名ともなつた。ここでは大和の國の意。○吾じく 吾が如く、吾のやうに。續紀の詔に「家じくも」とあり、又、「鴨じもの」、「ししじもの」の「じ」に同じい。
〔左註〕 右京少進 右京職の判官。「右」の字、通行本にないが、類聚古集によりて補ふ。○黒麿 傳不詳。
 
4281 白雪の降りしく山を越え行かむ君をぞもとな生《いき》の緒に念《も》ふ
    左大臣尾を換へて、いきの緒にする、と云ふ。然れども猶喩して曰く、前の如く誦めといへり。
    右の一首は、少納言大伴宿彌家持
 
〔譯〕 白雪の降り敷いてゐる山を越えて任地へゆかれるであらう貴君のことを、よしなくも自分は命にかけて案じ思ふことです。
〔評〕 四五句は型にはまつた感じであるが、一、二、三句の具體的敍述が、一首に切實の感を與へてをる。なほ、左註を見ると、親しい間などで互に歌の批評加筆をした樣も知られ、歌學の歴史の上から見て興味深いことである。
〔語〕 ○降りしく しくは敷く、頻る、いづれとも解される。○もとな 徒らに、よしなく、の意。卷二の「二三〇」參照。○生の緒 命。緒は、年の緒と同じく、續きて絶えざるさま。
〔左註〕 左大臣尾を換へて云々 家持がこの歌を詠んだ時、左大臣諸兄も列席してゐて、結句を「いきの緒にする」と改作するがよいと注意したが、又思ひ直して、やはり原作の通りによみ上げさせた、といふのである。
 
   五年正月四日、治部少輔|石上《いそのかみ》朝臣|宅嗣《やかつぐ》の家にて宴《うたげ》せる歌三首
 
(96)4282 こと繁み相問はなくに梅の花雪に萎《しを》れてうつろはむかも
    右の一首は、主人石上朝臣宅嗣
 
〔題〕 五年 天平勝寶五年である。○石上朝臣宅嗣 左大臣從一位麿の孫で、中納言從二位弟麿の子。辭容閑雅にして盛名あり、天平寶字以後、淡海三船と相並んで文人の首と稱せられた。經國集にその作品を傳へてゐる。天應元年六月薨去。年五十三、正二位を贈られた。宅嗣は萬卷の書を藏し書庫を建てて藝亭《うんてい》と名づけ、公開して諸人に閲覽を許したので、我が國の圖書館の始祖として、文化史的に記憶さるべき人である。
〔譯〕 いろいろと事が多いので、互に尋ねないでゐるうちに、折角の梅の花は、雪に萎れて散つてしまふだらうか、まあ。
〔評〕 宅嗣の家で宴飲した時の歌三首と題してあるので、宴席での歌かと一應見られるが、それでは解けない。これは、梅の散るのを惜しんで友の來訪を促してやつた歌で、いはばこの宴會の準備工作の一首であらう。あとの二首は席上作であるから、準備の序曲をも一括して同じ題下にまとめたものと見てよい。しかし、次に述べるやうに、相聞歌と解することも出來る。
〔語〕 ○こと繁み 事が繁いによつての意と解したが、新釋には、「ことしげみ」の用例は集中では人言の繁き意に用ゐられてゐるから、ここも宴席の社交的辭令として、戀歌めかして作られたもの、とある。白文には「辭繁」とあり、次の歌に「戀やこもれる」とあるのも、それに照應したと考へられもする。
 
4283 梅の花咲けるが中《なか》に含《ふふ》めるは戀や籠《こも》れる雪を待つとか
    右の一首は、中務大輔|茨田王《うまらだのおほきみ》
(97)           來るのを待つてゐるといふのであらうか。
〔評〕 賞翫してくれる人を待つがゆゑに、まだ咲かないのか。或は、己が友なる雪がまだ降らないので、それを待つてゐるのかと、心なき梅を有情のものと見なしたと解される。或は、上述のごとく「こと繁み」に照應するやうに作つたのであらうか。
〔左註〕 中務大輔茨田王 天平十一年正月無位から從五位下、十九年十一月越前守となつた。
 
4284 新《あらた》しき年の始に思ふどちい群れて居《を》れば嬉しくもあるか
    右の一首は、大膳大夫|道祖《ふなど》王
 
〔譯〕 新しい年の初めに、互に氣のあつた同士が一緒に集まつてゐると、まことに嬉しいことである。
〔評〕 單純率直そのものといつてよいほど、素直な心持で無技巧に打出してゐる。それでゐて、決して凡庸の作ではない。おほらかな喜びが一首に漲つてゐるのは、要するに實感の尊さである。
〔語〕 ○いむれて 「い」は接頭辭。○嬉しくもあるか 「も」「か」は共に感動の助詞。
〔左註〕 大膳大夫道祖王 大膳大夫は大膳職の長官。道祖王は天武天車の孫、新田部皇子の子。この後、天平勝寶八歳に、聖武天皇の遺詔で皇太子となられたが、寶字元年廢せられ、また橘奈良麻呂の亂に坐した。
 
   十一日、大雪|落《ふ》り、積ること尺有二寸。因りて拙き懷を述ぶる歌三首
4285 大宮の内にも外《と》にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し
 
〔題〕 ○十一日 天平勝寶五年正月十一日。○尺有二寸 一尺二寸の意。○拙き懷 家持自ら書いた謙遜の辭。以下(98)卷末まですべて家持の歌である。
〔譯〕 御所の内にも外にも、めづらしく降り積つたこの大雪、何といふ美しさぞ。踏んではいけない、惜しい。
〔評〕 大雪の美觀にはしやいでゐる樣は、子供のやうな無邪氣さである。但、初二句は、嘗て自ら詠んだ卷十七の「三九二六」と同じく、全體の構想は、三形沙彌の誦したこの卷の「四二二七」を簡約した觀がある。唯、五句の「な踏みそね」で切り「惜し」といつた形はかはつてをる。
〔語〕 ○大宮 宮中である。作者は恐らく前夜から宿直で宮中にゐたのであらう。次の二首にもその趣が知られる。
 
4286 御苑生《みそのふ》の竹の林にうぐひすは?《しば》鳴《な》きにしを雪は降りつつ
 
〔譯〕 御所の御苑の竹の林で、鶯はもう?々鳴いてゐたのに、雪はこのやうに降り降りすることよ。
〔評〕 折々鶯の聲を聞くやうになつて、長い間の寒さに閉ぢこめられてゐた人の心は、急に解放されたやうに明るくなつて來る。しかし又、時に冴え返つて、、思ひがけなく雪が降ると、春を待つ心は一層そそり立てられるのである。この歌も、「山のまに鶯鳴きてうち靡く春と思へど雪降りしきぬ」(卷十の一八三七)と同じく、さうした季節に對する細かな心の動きを寫したもので、萬葉としては末期的のものであるが、それでも新古今集の「鶯の鳴けども未だ降る雪に杉の葉白き逢坂の關」などに比べると、その素朴さが明かになる。
 
4287 鶯の鳴きし垣内《かきつ》ににほへりし梅この雪にうつろふらむか
 
〔譯〕 鶯の鳴いてゐた垣根の内に、咲き匂うてゐたあの梅は、この雪で散るであらうか。惜しいことである。
〔評〕 これも前の歌と同じく、宮中に在つての作であらうか。しかし、「鶯の鳴きし垣内」といひ、「にほへりし梅」と、過去の語を用ゐてゐるので、今眼前にある禁苑の梅を詠じてゐるのではなく、意外の大雪に、自邸の梅を憂へた(99)
える。そしてその家は、作者の愛する人の住む家ではなかつたらうか。さう解してこの歌の眞味がわかるやうにも思はれる。なほ、「梅」といひきり、「この雪に」といふいひ方は、句法の變化を求めたのであらう。
 
   十二日、内裏に侍ひて千鳥の喧くを聞きて作れる歌一首
4288 河渚《かはす》にも雪は降《ふ》れれし宮の裏《うち》に千鳥鳴くらし居《ゐ》む所無み
 
〔譯〕 河の洲にも雪は降り積つたので、あのやうに、御所の内まで來て千鳥が鳴くらしい。かはいさうに、ゐるべき場所も無いものだから。
〔評〕 思はぬ大雪に河原一面を降り埋められ、居場所を失つた千鳥が、御所の内にまで飛んで來たといふ情景、聞えて來るその聲を、詩人家持は寒げにあはれと感じたであらう。その温い同情がこの調を成したのである。
〔語〕 ○河渚 河は佐保河と思はれる。○降れれし 類例のない語法であるから、「し」を、か、や、ぞなどの誤字と見る説があるも、新しいいひ方をしようと、降れればの意に、強意の助詞「し」を添へたものと思はれる。
 
   二月十九日、左大臣橘家の宴にて、攀《よ》ぢ折れる柳條《やなぎのえだ》を見る歌一首
4289 青|柳《やぎ》の上《ほ》つ枝《え》攀《よ》ぢ執《と》り蘰《かづら》くは君が屋戸《やど》にし千年|壽《ほ》くとぞ
 
〔題〕 二月十九日 通行本「十二月」とあるは誤。元暦校本等によつて訂す。○左大臣 橘諸兄。
〔譯〕 青柳の枝さきを引き寄せて折り取り、蘰にして自分たちが遊ぶのは、君の御屋敷で、千年をお榮えになるやうお祝ひ申上げるといふ氣持なのであります。
(100)〔評〕 同じ作者が嘗て越中の國廳で詠んだ卷十八の「四一三六」の歌と同型である。この歌で祝福した諸兄は、聖武天皇の代から二十餘年間、執柄として天下の聲望を負うて來たが、天平勝寶八歳二月致仕し、翌年正月世を去つた。橘氏に代つて政權を握掌したのは、政敵藤原仲麿である。諸兄の長男で當時左大辨であつた奈良麿は、道祖王を始め鹽燒王等と謀つて、仲麿を除かうとしたが、謀洩れて捕へられ、さしもの名家も滅びてしまつた。家持の從兄弟大伴胡麿、大伴古慈悲等もこれに連坐して、大伴の一族も人材を失ふに至つたのは誠に悲惨事で、この頌歌とその事蹟とを思ひ比べると惆悵の感に堪へない。
〔語〕 ○君 諸兄をさす。○ほくとぞ ことほがむがためである、の意。
 
   二十三日、興に依りて作れる歌二首
4290 春の野に霞たなびきうらがなしこの夕かげにうぐひす鳴くも
 
〔譯〕 春の野には霞がたなびき、何となく心のうちに悲しい氣持のするこの夕暮の薄明りの光の中に、どこやらで鶯が鳴いてゐる。
〔評〕 やる瀬ない春愁が、煙の如く全體を包んでをる。繊細にして白金の線のやうに顫へる近代的感覺の鋭さ、千二百年の久しい時差を全く感ぜしめないほど、現代の人々の胸に響くにつけても、優れた藝術の永遠性といふことが、しみじみ考へられる。家持は時に三十六歳頃と推定されるが、以下三首は、作者の歌が圓熱の頂點に達したもので、雄健素朴の萬葉歌風に、時代の轉回と共に新生面を拓いたものと、いふべく、この三首によつて、歌人家持の存在意義は、永久に失はれない、というてもよい。
〔語〕 ○うらがなし 「かなし」はここは哀愁の意。「愛し」と見る略解説等は誤。そこはかとなき春愁といふのである。尚この句を三句切れの終止と見るのはよくない。「この夕かげ」への連體格である。
(101)
〔譯〕 自分の家のいささかある群竹に、吹く風の音がかすかに聞えるこの夕方であるよ。
〔評〕 作者は、長い憂欝な鄙の住居からやつと解放されて、ここに二度目に見る都の春色であるが、漸く中年を過ぎつつある彼の目に映ずるものは、必ずしも往年の春のやうな花やかさのみではなかつた。靜かな春の夕べを一人家居して、心虚しく庭前一叢の修竹に對してゐる作者の姿が、さながらに見え、そよそよとささやく葉ずれの音と共に、かすかな作者のため息も聞える思がする。
〔語〕 ○いささ群竹 いささは、いささか、少數の意。五十竹葉《いささ》群竹で、多くの群竹とする古義説は從ひ難い。
 
   二十五日作れる歌一首
4292 うらうらに照れる春日《はるひ》に雲雀あがり情《こころ》悲《かな》しも獨しおもへば
    春日遲遲として、〓〓正に啼く。悽惆の意、歌にあらずは撥《はら》ひ難きのみ。仍りて此の歌を作り、式《も》ちて締緒を展ぶ。
    但、此の卷の中、作者の名字を※[人偏+稱の旁]《い》はず、徒《ただ》年月所處縁起を録《しる》せるは、皆大伴宿彌家持の裁作せる歌詞なり。
 
〔譯〕 うららかに照つてゐる春の日に、雲雀が鳴きながら空高くあがつてゆく。そのさへづりを聞きつつ、何ともいへず心が悲しみ傷まれる。獨でそこはかとなく物を思うてゐると。
〔評〕 萬葉四千五百首の歌の中に、このやうな近代的春愁を詠じたものは絶無で、常に若々しい家持の詩情が思はれる。自然から受ける印象を純一な情趣に纏め、主觀の色調を通じて自然の情景を再現するに至つたのは、集中、家持を以て、特に、以上の三首を以て初めて達せられた境地とも言へよう。その意味で彼は、近代的な作家であり、萬葉(102)末期を飾る歌人たるのみならず、萬葉の抒情歌の到達した頂點に立つ歌人と評してよいであらう。
〔語〕 ○うらうらに うららかに、のどかに。
〔左註〕 ○春日遲々 詩經にある句。○〓〓 雲雀のこと。○悽惆の意 悲しみの心もち。○式ちて締緒を展ぶ それで以て結ぼほれた思を解消した。○但此卷中云々 前とつづくのではない。この第十九卷の中で、作者名を書かずに、作歌年月や、場所、事情のみを記したのは、皆家持の作であるとの意。この註記はこの卷の成立に就いて示唆を與へるものとして注意される。
 
萬葉集 卷第十九 終
 
(103)  萬葉集卷第二十
 
(105) 卷二十は、卷十七以下と同じく、部類せず、年代順に排列し、家持自身の詠作を主とし、その傳聞した古歌新歌のたぐひをも、傳聞の年月順に書き留めた歌日記である。
 年代は、卷十九の後をうけて、天平勝寶五年五月家持在京中より、天平寶字三年正月因幡守在任中まで、五年半ばかりの間の作で、最後は、正月一日因幡國廳に於ける饗宴の歌で終つてをる。
 歌敦は、短歌二百十八首、長歌六首、計二百二十四首のうち、家持の作は七十八首を占め、三分の一に達してゐる。
 この卷二十に於いて最も意義の深いのは、東國の防人の歌を收載したことである。即ち、天平勝寶七歳二月、防人の交替の時、兵部少輔であつた家持は、難波に下つて防人交替の事務を取扱つた際、東國の防人部領使に提出させた防人歌の中、拙劣な歌を省いた、遠江七首、相模三首、駿河十首、上總十三首、常陸十首(うち一首長歌)、下野十一首、下總十一首、信濃三首、上野四首、武藏十二首、計八十四首及び前年の防人歌九首、都合九十三首の歌を採録した。自分の考へるところでは、本集の卷十四に收めた東歌の一卷が大伴家にあつて、その東國の野人の作、及び民謠に心をひかれた家持は、部領使に命じて集録させ、その方言訛言にも興味を感じて、全部一音一字式に記録したのである。この防人歌の蒐集載録は、家持の大いなる功績であつて、萬葉集中、東歌の卷と双璧と稱すべきものである。いづれも眞情流露の作で、忠誠の至情、勇武の氣風があふれてをると同時に、その内面生活にも觸れてをり、それが方言訛言をそのままに傳へてをるので、思想史、文化史、言語史の上からも注意される。
(106) 秀歌として見るべきは、長歌に、喩族歌(四四六五)は、家持が大伴氏の氏の長としての思想を見るべく、追痛2防人悲v別之心1作歌(四三三一)は、家持が防人の心に代りてよめる三首の長歌の中での佳作、倭文部可良麿(四三七三)のは、防人歌中唯一の長歌で、野趣に富んだ一句一句に力がこもつてをる。
 短歌としては
  宮人の袖つけごろも秋萩ににほひよろしき高圓の宮       大伴家持    四三一五
  わが妻はいたく戀ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず   若倭部身麿   四三二二
  時時の花は咲けども何すれぞ母とふ花の吹き出こずけむ     丈部眞麿    四三二三
  父母も花にもがもや草まくら旅は行くともささごて行かむ    丈部黒當    四三二五
  わが妻も畫にかきとらむ暇もか旅ゆく我は見つつしのはむ    物部古麿    四三二七
  大君のみことかしこみ磯に觸り海原わたる父母を置きて     丈部人麿    四三二八
  眞木柱ほめて造れる殿の如いませ母刀自面變りせず       坂田部首麿   四三四二
  百隈の道は來にしをまたさらに八十島過ぎて別れか行かむ    刑部三野    四三四九
  道の邊の荊のうれにはほ豆のからまる君をはかれか行かむ    丈部鳥     四三五二
  蘆垣の隈處に立ちて吾妹子が袖もしほほに泣きしぞ思はゆ    刑部千國    四三五七
  霰ふり鹿島の神をいのりつつ皇御軍に吾は來にしを       大舍人部千文  四三七〇
  今日よりはかへりみなくて大君の醜の御楯と出で立つ吾は    今奉部與曾布  四三七三
  松の木の竝みたる見れば家人の吾を見送ると立たりしもころ   物部眞島    四三七五
  難波門をこぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲ぞたなびく    大田部三成   四三八〇
  行先に浪なとゑらひ後方には子をと妻をと置きてとも來ぬ    私部石島    四三八五
(107)  ちはやぶる神の御坂に幣まつりいはふ命は母父がため   神人部子忍男   四四〇二
  赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山歩ゆか遣らむ      宇遲部黒女   四四一七
  草枕旅の丸寢の紐絶えば我が手と附けろこれの針持し      椋椅部弟女   四四二〇
  防人に行くは誰が夫と問ふ人を見るが羨しさ物思もせず     石川女郎    四四二五
  をとめらが玉裳すそびくこの庭に秋風吹きて花は散りつつ    作者未詳    四四五二
  しき島の倭の國に明らけき名に負ふ件の緒こころ努めよ     安宿王     四四六六
  劔刀いよよ研ぐべし古ゆさやけく負ひて來にしその名ぞ     大伴家持    四四六七
  うつせみは數なき身なり山河のさやけき見つつ道を尋ねな    同       四四六八
  泡沫なす假れる身ぞとは知れれども猶し願ひつ千歳の命を    同       四四七〇
  咲く花はうつろふ時あり足曳の山菅の根し長くはありけり    同       四四八四
  天地を照らす日月の極無くあるべきものを何をか思はむ     同       四四八六
  いざ子どもたはわざなせそ天地の固めし國ぞやまと島根は    皇太子     四四八七
  大き海の水底ふかくおもひつつ裳引きならしし菅原の里     藤原朝臣    四四九一
  はつ春の初子の今日の玉箒手に執るからにゆらく玉の緒     大伴家持    四四九三
  水鳥の鴨の羽の色の青馬を今日見る人はかぎり無しと云ふ    同       四四九四
  高圓の野の上の宮は荒れにけり立たしし君の御代遠そけば    同       四五〇六
  鴛鴦の住む君がこの山齋今日見れば馬醉木の花も咲きにけるかも 御方王     四五一一
  蒼海原風波なびきゆくさくさつつむことなく船は早けむ     大伴家持    四五一四
(108)  あらたしき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事    大伴家持    四五一六
 この卷の用字法は、他の三卷と同じく、一音一字式が多く、意字は時に混入してゐる程度である。防人の歌については、國によつて、方言の訛音とともに筆録者の差が文字の上に認められる。
 本集所收の最後の歌は、上述のごとく、天平寶字三年で、家持四十二歳の正月と推定され、それより延暦四年まで二十六年間家持はながらへてゐたに、その間の歌は一首も傳はつてゐない。その長年月の間には、政治の方面に没頭もし、齋た?々地方官に任ぜられて、薩摩守、太宰少貳、相模守、上總守、伊勢守、陸奧接察使鎭守將軍等になつた。しかし、いかなる境遇にあつても、歌を忘れる家持ではないと思はれるから、自身及び他の作を蒐載した卷がなほ數卷あつたであらうに。家持は、歿後十餘日にして藤原種繼の事件により除名せられ、その子永主は流罪の處分をうけ、名門大伴家は件氏となり、やがて滅亡するに至つた。さういふ際に、湮滅したものであらうことは、千古の遺憾である。
 しかも、家持もしくは大伴家に於いて、未整理ながら一部二十卷としてあつた萬葉集が、幸にも世に傳はつたのである。平安朝時代に入り、古今集時代に萬葉集が二十卷であつたことは、古今集が、卷數を二十卷としたによつて明らかである。
 
(109)  萬葉集 卷第二十
 
   山村に幸行《いでま》しし時の歌二首
   先の太上天皇、陪從の王臣に詔りたまはく、それ諸王卿等、宜しく和ふる歌を賦《よ》みて奏《まを》すべしとのりたまひて即ち御口號《みくちずさみ》したまへらく
4293 あしひきの山行きしかば山人の朕《われ》にえしめし山つとぞこれ
 
〔題〕 山村 大和國添上郡にあり、今の帶留町大字山村。欽明紀に「元年二月百濟己知部投化。置2倭添上郡山村1。今山村己知部之先也」とある。○先の太上天皇 元正天皇。○陪從の王臣 御供申上げた諸王及び臣下。
〔譯〕 山に行つたので、山の仙人が、朕に贈つてくれた山の土産が、これなのである。
〔評〕 贈答の歌や即興の作は、推敲を經る時間を持たず、十分言葉を盡してゐないことが往々ある。しかし、事實が補つて餘りあるゆゑに、當事者や現場では、よくわかるのであるが、時と處とを隔てると、事情が知られない爲に、歌意も徹し難くなる。この御製も、元正天皇御在位當時のとおぼしく、山のつとが何であるか、明かでない。
〔語〕 ○山人 山に住む人をいふが、ここは仙人のこと。○山つとぞこれ 何かお持ち歸りのものを、仙人のくれた土産であると、戯れうたひ給うたものと思はれる。
 
   舍人親王《とねりのみこ》、詔に應へて和へ奉《まつ》れる歌一首
4294 あしひきの山に行きけむ山人のこころも知らず山人や誰《たれ》
    右は、天平勝寶五年五月、大納言藤原朝臣の家に在りし時、事を奏《まを》すに依りて請ひ問ふ間に、少主鈴山田史|土(110)麻呂《ひぢまろ》、少納言大伴宿禰家持に語りて曰はく、昔此の言を聞けりといひて、即ち此の歌を誦みき。
 
〔題〕 舍人親王 天武天皇の皇子。養老年中、勅を奉じて日本書紀三十卷を撰進せられた。天平七年十一月薨去。「一一七」參照。
〔譯〕 山に行つて仙人になつたといふその仙人の心を、自分は、はかり知ることは出來ませぬ。その仙人とは、誰でございませうか。
〔評〕 「山に行きけむ山人」を、御製に「山行きしかば」を受けたものとして、太上天皇をさすとするのはよくない。「山」を頭韻のやうにして面白くおよみになつた御製に對して、同じく「山」を重ね用ゐ、いぶかしげにおたづねしたのである。
〔左註〕 大納言藤原朝臣の家に云々 家持が大納言藤原仲麿の邸に行つて奏上する事に就いて指圖を請うた際、山田土麿が右の歌を傳へたといふのである。○少主鈴 中務省の屬官。○山田史土麿 傳不詳。
 
   天平勝寶五年八月十二日、二三の大夫等、各壺酒を提げて高圓野に登り、聊か所心を述べて作れる歌三首
4295 高|圓《まと》の尾花吹き越す秋風に紐解き開《あ》けな直《ただ》ならずとも
    右の一首は、左京少進大伴宿禰池主
 
〔題〕 天平勝寶五年 この五字、西本願寺本等によりて加ふ。○二三の大夫 二三は數人の義。大夫は五位以上の官人。○高圓野 春日山の南に續く高圓山の中腹で、奈良人の行樂地であつた。
〔譯〕 高圓の野の穗薄の末を吹き越して來る秋風に、ゆつたりと着物の紐を解きあけくつろぎませうよ。ぢかに肌を
(111)  の響も聞えるばかりであるが、五句が拙くて明瞭を缺いてをる。
〔語〕 ○紐解きあけな 文選宋玉の風賦に「楚襄王遊2於金蘭之宮1‥‥有2風颯然而至1。王乃披v襟而當v之曰。快哉、此風云云」とあるに據つたものか(新考)。作者池主は漢籍の素養が深かつたから、或はさうであらう。
〔左註〕 左京少進 左京職の判官。○大伴宿禰池主 越前掾から轉任して京に歸つてゐたのである。
 
4296 天雲《あまぐも》に雁ぞ鳴くなる高圓の萩の下葉はもみちあへむかも
    右の一首は、左中辨中臣清麻呂朝臣
 
〔譯〕 天雲のあたりで雁が鳴いてゐる。高圓の野の萩の下葉は、黄葉しきつてしまふであらうか。
〔評〕 高圓のあたりは、今も萩の花が多く、秋の情趣きはめてゆたかである。この歌は、卷八の「一五七五」と構想が相似てゐるが、整つた五七の聲調が頗る清亮である。
〔語〕 萩の下葉は 萩は下の方の葉からまづ色づくもの。卷八の「一六二八」參照。
〔左註〕 左中辨中臣清麻呂朝臣 卷十九の「四二五八」參照。清麿の左中辨任官は、續紀によれば天平勝寶六年七月であるから、右中辨の誤であらう。
 
4297 をみなへし秋萩|凌《しの》ぎさを鹿の露分け鳴かむ高圓の野ぞ
    右の一首は、少納言大伴宿禰家持
 
〔譯〕 女郎花や秋萩の花を押し靡けて、牡鹿が露を分けながら鳴くやうになる高圓の野邊である。
(112)〔評〕 秋色の新鮮さを味ひつつ、更に深みゆく高圓の野の情趣を想像し、ゆかしがつてゐるのである。
 
   六年正月四日、氏族の人等、少納言大伴宿禰家持の宅に賀《ことほ》き集ひて宴飲《うたげ》せる歌三首
4298 霜の上に霰たばしりいや増しに吾《あれ》は參來《まゐこ》む年の緒長く【古今いまだ詳ならず】
    右の一首は、左兵衛督大伴宿禰千室
 
〔題〕 氏族の人等云々 大伴氏一族の人々が、宗家の長者である家持の邸に參集して、賀宴を催したの意。
〔譯〕 霜の上に霰が勢よく落ちてゐる、この霰の降りしきるやうに、自分はいよいよ繁く參上してお祝ひ申し上げませう、この後幾年までも長く。
〔評〕 初二句は目前の景、所謂有心の序であるが、次の句への掛け方は、巧妙とはいひ難い。
〔語〕 ○年の緒 年は續いて長く絶えぬものゆゑいふ。○古今いまだ詳ならず この歌は古歌を誦したものか、新たに作つたものか詳かでない、の意。
〔左註〕 大伴宿禰千室 傳不詳。「六九三」にも作歌が見える。「室」は通行本に「里」とある。元暦校本による。
 
4299 年月はあらたあらたに相見れど我《あ》が思《も》ふ君は飽き足らぬかも【古今いまだ詳ならず】
    右の一首は、民部少丞大伴宿禰村上
 
〔譯〕 年月は改まつてゆく、その度ごとにかうして集まつて、互にお目にかかるけれども、自分の大切に思ふ御主人は、いくら見ても見飽きないことである。
〔評〕 氏の長者に對する敬愛の心持はよく現れてゐるが、四五句の表現は平庸にして、概念的といふ評を免れない。「あらたあらたに」の副詞も、落ちつかぬ用法である。
 
(113)4300 霞立つ春のはじめを今日のごと見むと思へば樂しとぞ思《も》ふ
    右の一首は、左京少進大伴宿禰池主
 
〔譯〕 霞のたつ春の始に當つて、今日のごとく、毎年一族が逢つて驩を交すことが出來ると思ふと、まことに樂しいことと思ひます。
〔評〕 年々一門の人々の變ることなきを豫期してゐるところ、自然の人情であり、祝福の心持が豊かに流れてゐる。
〔語〕 ○霞立つ 「春」の枕詞に用ゐたと見るべぐ、この日の實景ではあるまい。
 
   七日、天皇、太上天皇、皇太后、東の常の宮の南の大殿に在《いま》して肆宴《とよのあかり》きこしめせる歌一首
4301 印南《いなみ》野のあから柏《がしは》は時はあれど君を吾《あ》が思《も》ふ時は實《さね》無し
    右の一首は、播磨國守|安宿王《あすかべのおほきみ》奏《まを》せり【古今いまだ詳ならず】
 
〔題〕 天皇 孝謙天皇。○太上天皇 聖武天皇。○皇太后 光明皇后。○東の常の宮 東院ともいふ。續紀によるに、五位以上を召して新年の御宴を賜うたのである。
〔譯〕 印南野の赤い柏は、黄葉するのにきまつた時がありますが、陛下を自分が思ひます一定の時と申すものは、全くございませぬ。いつも思うてをりまする。
〔評〕 雅馴で且つ明るい作。あから柏は供御を盛る料として諸國から貢せられた由が、延喜式に見え、また大膳式には、播磨國の進むるところにして、大膳の用なりとある。作者安宿王は、その播磨の國守であり、今饗宴に用ゐられてゐたあから柏を見て、當意即妙に奏したのであらう。しかしこの歌は、民謠風の匂が濃厚である。或は印南地方で(114)謠はれてゐたものではなからうか。さうとすれば、男女思慕の心を訴へたものである。作者は任國所産のあから柏を見て、平素耳に熟してゐた民謠を思ひついて、即座の機智を示したのではあるまいか。「古今未詳」と註記のあるのも、この集の成立當時さる疑問があつたことを暗示するものとも見られよう。
〔語〕 ○印南野 播磨國加古明石二郡に亙る平野。今の明石市の西方。○あから柏    解《かしは》の葉の色づいたもの。○さねなし 全く無い。
〔左註〕 安宿王 高市皇子の孫、左大臣長屋王の子、母は藤原不比等の女。
 
   三月十九日、家持の庄《たどころ》の門の槻《つき》の樹の下《もと》にて宴飲《うたげ》せる歌二首
4302 山吹は撫でつつ生《おほ》さむ在りつつも君來ましつつかざしたりけり
    右の一首は、置始連長谷《おきそめのむらじはつせ》
 
〔題〕 庄の門 別莊の門。「庄」は「莊」の俗字で、私有の田地をいふ。
〔譯〕 この山吹は、これから大切にして育てませう。かうして引き續きこの別莊へお出でになりなりして、しかも、今日はこの花を挿頭になさいました。
〔評〕 左註によると、作者長谷は莊園の預《あづかり》などで、今日しも主人を歡迎の爲め、わが庭の山吹を折つて持つて來たのが、意外の光榮に浴したのに感激して、この後も?々來て挿頭にされる爲に大切に育てようといふのである。眞心を籠めて詠んだ歌らしい素朴の味がある。一首の中に「つつ」を三つも用ゐてゐるが、故意の技巧的反復でなく、作歌に馴れない稚さであらう。
〔左註〕 置始連長谷 傳不詳。庄の近くに住んでゐたものとおぼしい。
(115)
    右の一首は、長谷《はつせ》、花を攀《よ》ぢ、壺を提げて到り來《く》。是に因りて大伴宿禰家持、この歌を作りて和《こた》ふ。
 
〔譯〕 そなたの家の山吹が、こんなに美しく咲いてゐたらば、缺かさず來よう。これからも、毎年毎年に。
〔評〕 「なでつつおほさむ」というた長谷の誠實に對して返した挨拶で、平庸な作ではあるが、「やまぶき」と「やまず」と、意識して試みた同音反復の技巧を採るべきであらう。
〔左註〕 ○花を攀ぢ 山吹の花を折つて。○壺を提げて到り來 酒壺を携へて主人を款待する爲に來た。
 
   同じき月二十五日、左大臣橘卿、山田御母《やまだのみおも》の宅《いへ》に宴《うたげ》せる歌一首
4304 山吹の花の盛にかぐのごと君を見まくは千年にもがも
    右の一首は、少納言大伴宿禰家持、時の花を矚《み》て作れり。但、未だ出《いだ》きざりし間、大臣宴を罷めたるにより、擧げ誦まざるのみ。
〔題〕 左大臣橘卿 橘諸兄。○山田御母 孝謙天皇の御乳母で、名は比賣島《ひめしま》といふ。
〔譯〕 山吹の花の盛に、このやうにあなた樣にお目にかかることは、千年も續くやうにありたいと願はれます。
〔評〕 左大臣の來遊に相伴として招かれた家持が、山田御母の家の山吹の花に取材して、卿の千年の壽を祝したのは、諸兄が山城井手の山莊に山吹を多く植ゑて樂しんだといはれる程であるから、それをも下に含めたのではなからうか。この歌は、そこまで考へて讀むと一段の奧行を生じて來る。
〔語〕 ○時の花 季節の花、ここでは庭前に咲いてゐた山吹の花をさす。○但未だ出さざりし間云々 家持がまだこの歌を發表しないうちに、諸兄は宴を退出したので、遂にこれを誦み擧げなかつたの意。「擧」を通行本に「攀」に(116)作るは誤。今、温故堂本等によつて改めた。
 
   霍公鳥を詠める歌一首
4305 木《こ》の暗《くれ》の繁き尾の上《へ》をほととぎす鳴きて越ゆなり今し來《く》らしも
    右の一首は、四月、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 樹木の暗く繁つた峯のあたりを、ほととぎすが鳴きつつ越えてゐる。今、奧山から里の方へ來るらしい。
〔評〕 ほととぎすに深い愛着をもつてゐる家持が、懷かしいその聲を耳にした喜びはわかるが、歌としては平凡である。ことに結句が、表現不足の感を免れない。
 
   七夕の歌八首
4306 初秋風涼しき夕《ゆふべ》廨かむとぞ紐は結びし妹に逢はむため
 
〔譯〕 初秋の風の涼しく吹く夕に、織女に逢つて解かうと思つて、著物の紐は結んだのであつた。今やその時が來た。
〔評〕 彦星の心になつて詠んだ歌。一二句は調の上に清楚愛すべき所もあるが、五句の据りがよくない。
 
4307 秋といへば心ぞ痛《いた》きうたて異《け》に花に比《なぞ》へて見まく欲《ほ》りかも
 
〔譯〕 秋が來たといふと、何ともあやしく心が痛むことである。織女を、その時節その時節に咲き盛つては散る花になぞらへて、見たいといふのであらうか。
〔評〕 これも彦星の心になつて詠んだ歌。四五句は巧みなやうで、助け解しなければ意味が曖昧である。素朴率直から次第に修飾巧緻の表現に移らうとする意識的技巧が、不成功に終つたものといへる。
(117)
普通と異なる意。卷十二の「二九四九」參照。
 
4308 初尾花花に見むとし天《あま》の河《がは》隔《へな》りにけらし年の緒長く
 
〔譯〕 初尾花、その花物のただ一時の花やかさで互に相見ようために、あの二星は、天の河を中に隔て置いてゐるらしい。一年といふ長い間を。
〔評〕 二星別居の動機を古來の傳説に拘泥せず、作者が推測し創作したものである。夫妻常に同じく起臥して、狎れ過ぎるよりは、平素は別れてゐて、一年一度の逢瀬を樂しまうが爲といふのは、頗る近代的で、戀愛の種々相を體驗して來た作者らしい想像である。さうして、萬葉の本質的なものからは段々遠ざかつてゆく感が深い。
 
4309 秋風に靡く河傍《かはび》の和草《にこぐさ》のにこよかにしも思ほゆるかも
 
〔譯〕 秋風に靡くこの天の河のほとりのにこ草のやうに、一年ぶりで妻に逢へるかと思ふと、にこやかに樂しく思はれることである。
〔評〕 待ちに待つた時が來て、いよいよ戀しい妻に逢ひにゆくといふ夜の彦星の心である。單純な喜を敍しただけに、無理がなく、また天の河の風景を想像した序も自然でよい。但、この序の續け方は、「蘆垣の中の似兒草にこよかに」(卷十一の二七六二)の先蹤はあるが、よく生かして的確に用ゐて居り、明朗な一首を成してゐる。
〔語〕 ○にこ草 「似兒草」とも書くが、どんな草か明かでない。貝原益軒は箱根草のことかというたが、それは「足柄の箱根の嶺ろの和草の」(三三七〇)によるもので、確證はない。柔かな草の意かとも思はれる。
 
(118)4310 秋されば霧立ちわたる天の河石|竝《な》み置かば繼《つ》ぎて見むかも
 
〔譯〕 秋になると霧が一面に立つて、渡り瀬もはつきりしなくなる。天の河に、石を竝べて置いたらば、それを渡つて戀しい妻に續いて逢ふことが出來ようか。
〔評〕 彦星の心になつて詠んだ歌。石を置くのは、卷二の「一九六」の飛鳥川の石橋から得た着想であらう。家持自身の作なる卷十八の「四一二六」とも相似を構想である。
 
4311 あき風に今か今かと紐解きてうら待ち居《を》るに月かたぶきぬ
 
〔譯〕 秋風のそよ吹く音に、なつかしい彦星が今見えるか今見えるかと、着物の紐を解いて、心待ちに待つてゐると、いつしか夜はふけ、月も傾いてしまつた。
〔評〕 織女の心になつて詠んだ歌であるが、卷八「一五三五」卷十「二二九八」を打つて一丸としたやうな感がある。
 
4312 秋草に置く白露の飽かずのみ相見るものを月をし待たむ
 
〔譯〕 秋草の上に置く白露の風情が見飽きないやうに、いつも見飽きることなく、互に戀しがつて相見てゐるのに、どうして七月といふ月を待たなければならないのかなあ。
〔評〕 二星いづれの心ともとれるが、彦星の心で、「秋草に置く白露」の風情に、女の姿態を暗示したと見るべきであらう。結句に思ひあまつた切なさは出てゐるが、聊か言葉足らぬ感がある。
〔語〕 ○月をし待たむ 何ゆゑに七月といふ月を待つのであらう。何ゆゑにの語を補つて解する。「し」は強意の助詞。
(119)
    右は、大伴宿禰家持、獨|天漢《あまのがは》を仰ぎて作れり。
 
〔譯〕 天の河の青波に、袖までびしよ濡れになつて漕いでゆくこの自分の船が、向岸に着いて、船を繋ぐ杭を立ててゐる間に一夜がふけてしまひもしようか。氣がかりなことである。
〔評〕 彦星の心である。一刻も早く逢はうものと、ひたぶるに漕ぎゆく心の焦操がよく表はれてゐる。空想ではあるが、この行動そのものは、人間の現實に?々存することであるが故に、全體的に不自然の感がなく、優雅暢達の一首を成してゐる。
〔語〕 ○青波に 卷九の「一五二〇」の憶良の歌に用ゐてある句。○〓〓振る 船を繋留する棒杭を立てるの意。卷七の「一一九〇」、卷十五の「三六三二」にもあつて、「かし」は船に用意してあるもの。
 
4314 八千種《やちくさ》に草木を植ゑて時|毎《ごと》に吹かむ花をし見つつ思《しの》はな
    右の一首は、同じき月二十八日、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 種々樣々に、澤山の草木を庭に植ゑて、季節季節に咲く花を見つつ賞翫したいものである。
〔評〕 家持の弟書持は、性花草花樹を愛して多く寢院の庭に植ゑた(卷十七の三九五七)とあるが、家持自身も同じ嗜好を持つてゐたことは、この歌によつて明かである。但、この歌、作品としては凡常である。
 
4315 宮人の袖つけ衣秋萩ににほひよろしき高圓《まと》の宮
 
〔譯〕 宮仕の人達の端《はた》袖をつけた衣の芳しい色が、今を盛と咲き亂れてをる萩の花に映じて、色彩の配合のよい高圓(120)の離宮、風流優雅な離宮よ。
〔評〕 さながら一幅の大和絵を見るが如き優美の作。色彩の感覺の尖鋭なのは、家持の近代性を語るものである。前後十數首の中に、この一首が特に光つてゐる。しかして次の歌によると、離宮を思ひやつての作である。
〔語〕 ○袖つけ衣 衣の袖の先に、端《はた》袖と稱して半袖を繼ぎ足した服。「夾纈《ゆひはた》の袖つけ衣」(卷十六の三七九一)ともある。○高圓の宮 高圓の野にあつた聖武天皇の離宮。舊跡幽考の説に、高圓山の南の尾根の邊に鹿野苑寺があり、その上の岡にこの離宮があつたといふ。
 
4316 高圓の宮の裾|廻《み》の野づかさに今咲けるらむをみなへしはも
 
〔譯〕 高圓の離宮の裾のまはりの野の小高い所に、今を盛と吹いてゐるであらう女郎花はまあ。さぞ見事であらう。
〔評〕 離宮附近の秋色を慕はしく思つたのである。結末の詠歎、描線がこまかい。
〔語〕 ○野づかさ 野の中の小高い場所。卷十七の「三九一五」參照。
 
4317 秋野には今こそ行かめもののふの男女《をとこをみな》の花にほひ見に
 
〔譯〕 秋の野には今こそ出かけて行かう。朝廷に仕へる男女が、花の匂ふが如く美しく装うて逍遥する樣を見に。
〔評〕 美しい服装の男女の宮人達が、秋晴の野を、とりどりに咲き亂れた千種の花と妍を競ひつつ、そぞろ歩く樣を想像した作であるが、五句がつまつてをつて、佳作とはいへない。
〔語〕 ○もののふの 廣義では朝廷に奉仕する官人を、男女の別なく「もののふ」といつた。これを「男」の枕詞と解するのはよくない。○男女の 男女の官人達。○花にほひ見に 秋の花の美しさに映えて、いよいよ美しい樣子を見に。
(121)
〔譯〕 秋の野に露を宿して咲き亂れてゐるあの美しい萩を、出かけて行つて折ることもせず、あたら花盛をむなしく過ぎさせてしまはうといふのか。殘念なことである。
〔評〕 前の歌では「今こそ行かめ」といひ放ちながら、「あたら盛を過ぐしてむとか」と歎聲を洩らしてゐるのは、病のために籠つてをつての作であらう。
 
4319 高圓の秋野のうへの朝霧に妻呼ぶ牡鹿《をしか》出で立つらむか
 
〔譯〕 あの高圓の秋野のあたりに棚引く朝霧の中に、妻を呼んで鳴く牡鹿が出て來てをることであらうか。
〔評〕 折々の節物風光に興味を寄せた家持が、家籠りをしてゐて、妻呼ぶ鹿の哀音に心をひかれたのであらう。
 
4320 丈夫《ますらを》の呼び立てしかばさを鹿の胸分《むなわ》け行かむ秋野萩原
    右の歌六首は、兵部少輔大伴宿禰家持、獨秋の野を憶ひて、聊か拙き懷を述べて作れり。
 
〔譯〕 獵師たちが鹿笛を吹いて呼び立てると、牡鹿が胸を張りつつ押し分けて行くであらうあの高圓の秋野の萩原よ。今頃は定めて見事な花盛りであらうなあ。
〔評〕 千二百年前の大和國原の秋の情趣を偲ぶことの出來る作である。
〔左註〕 兵部少輔 兵部省の次官の次席。家持のこの官就任は、續紀によれば天平勝寶六年四月で、ここの記載と符合してゐる。○拙き懷 家持の手記で、謙遜していうたもの。
 
   天平勝寶七歳乙未二月、相替りて筑紫に遣さるる諸國《くにぐに》の防人等《さきもりら》の歌
 
(122)4321 畏《かしこ》きや命《みこと》被《かが》ふり明日ゆりや草《かえ》が共《むた》寐む妹《いむ》無しにして
    右の一首は、國造丁長下部《くにのみやつこのよぼろながのしものこほり》物部秋持
 
〔題〕 天平勝寶七歳 天平勝寶七年正月、勅して「年」を改めて「歳」とせられたが、後九歳八月、改元せられて天平寶字元年と稱し、再び「年」に復せられた。○防人 筑紫の邊海を防備する兵士で、軍防令に「守(ル)v邊(ヲ)者名(ク)2防人(ト)1」とある。崎守の義。防人の制は時代によつて異なり、初は諸國の軍團から出したもののやうであるが、天平勝寶の頃は、東國即ち遠江・信濃・駿河・相模・武藏・上總・下總・上野・下野・常陸の諸國から出した。後、天平寶字元年の勅で、産業の荒廢や路次の國々の供給の困難を慮り、東國の防人を止めて西海道の七國から差遣することに改められたが、更に太宰府から請うて、東國の防人の勇健なるに復したこともあつた。しかし平安時代に入つてこの事は絶えた。防人の任期は三年で、二月一日を期として毎年その一部を交替せしめた。その際は、諸國廳の官吏が防人部領使《さきもりのことりづかひ》となつて本國から難波まで送り、難波で兵部省の官吏が受け繼ぎ、檢閲終つて後、兵部省の專使これを率ゐて海路太宰府に至り、太宰府の防人司に引き渡した。家持は天平寶字六年四月兵部少輔となつたので、翌年の二月灘波でこの事に當つた爲、防人歌の蒐集が出來たのである。自分の考では、高橋虫麿が關東に在つてあつめた東歌の一卷(今の十四の卷)が大伴家にあつたので、その東歌をおもしろいと思つて、家持が役目を利用してあつめさせたのではなからうか。しかして、これ等の防人歌に家持の手が加はつてゐるか否かは問題であるが、以下の歌に方言訛音の多いのは、なるべく原作の儘を尊重したものと考へられ、それが今日からは貴重な言語資料として感謝されるところで、文學史、文化史の上の家持の大いなる功績となつてをるのである。
〔譯〕 おそれ多い勅命を蒙つて、防人となつて遠く筑紫に下るので、明日からは草と一緒に山野に寢ることであらうか、側に妻もゐないで。
(123)
に出てゐるが、しかし、初二句に表はされた國民的自覺は、所謂哀しんで傷らざる大丈夫の調を成してゐる。
〔語〕 ○明日ゆりや 明日からはまあ。「ゆり」はよりの意。「よ」「より」「ゆ」「ゆり」いづれも同じ。「や」は疑問の助詞、次の句に附けて「明日ゆり草がむた寢むや」とすれば解り易い。○かえが共 「かえ」は「かや」の東語で草のこと。「むた」は共にの意。○いむ いも(妹)の訛。
〔訓〕 ○かえがむたねむ 白文「加曳我牟多禰牟」。通行本「我」の下に「伊」があり、下の「牟」を「乎」に作るは誤。元暦校本等に從ふ。
〔左註〕 國造丁 國造は古くは、地方にあつて土地人民を治め、世襲したものであるが、大化改新と共に廢せられ、その中の有能者が新たに郡の大領少領に採用された。かくて國造の制度は亡びたが、名族としてその稱呼は存した。丁はヨボロと訓む。ヨボロは※[月+國]《ひかがみ》のことで、※[月+國]の力を使ふ者、即ち人足をいふ。國造丁は、國造の家から出た壯丁。○長下郡 遠江國の郡名。今の濱名郡と磐田郡の一部。○物部秋持 傳不詳。以下防人の傳はすべて不詳である。
 
4322 わが妻はいたく戀ひらし飲む水に影《かご》さへ見えて世に忘られず
    右の一首は、主帳|丁麁玉郡若倭部身麻呂《よぼろあらたまわかやまとべのむまろ》
 
〔譯〕 故郷に殘して來た自分の妻は、ひどく自分を戀ひこがれてゐるらしい。飲まうとする水の面に、その姿がありありと見えて、どうしても忘れられない。
〔評〕 任地へ向ふ途上、渇いた咽喉をうるほさうとして立寄つた清水にまで、妻の笑顔が映つて見える。妻の心が、此處まで通ふのだと男は嗟歎した。それは、男自身の思慕の強さが、妻の姿を水面に描いたのであつたが、それとは(124)氣づかぬ程の素朴純眞さが、まことに尊い。
〔語〕 ○戀ひらし 戀ふらしの東語。○かご 「かげ」の訛。○世に 甚しく、どうしてもの意。
〔左註〕 主帳丁 主帳はフミヒトと訓む。郡司の四等官で書記の如き役。その家から出た壯丁であらうか。下には、ただ帳丁、主帳等とある。なほ、軍防令によると、軍團には、大毅、小毅、校尉、旗師、隊正等の各階級の統率者があり、兵千人未滿は主帳一人、書算に工なる者を取るとある。或はこの主帳もしくはこれに隨ふ丁でもあらうか。○麁玉郡 遠江國引佐郡の一部。
 
4323 時時の花は咲けども何すれぞ母とふ花の吹き出來《でこ》ずけむ
    右の一首は、防人山名郡|丈部眞麻呂《はせつかべのままろ》
 
〔譯〕 季節季節の花は時を違へず咲くけれども、どうしたわけで、母といふ花が咲き出て來なかつたのだらう。なつかしい母上が花のやうに目の前に現はれたら、どんなに嬉しからう。
〔評〕 母に別れて遠く行く若い防人の歎が、哀切、人に迫る。孝コ紀の、「もとごとに花は咲けども何とかもうつくし妹がまだ咲き出《で》こぬ」と似てゐるが、もとごとにの歌謠が一般民間に傳誦されてゐたのに學んだのかも知れない。母とふ花の句に作者の純眞さが溢れてゐる。
〔左註〕 山名郡 今磐田郡の一部。○丈部眞麻呂 新撰姓氏録に、杖部《ハセツカベ》造とある。「丈」は「杖」の略字であらう。ハセツカベは走使部《ハシリツカヒベ》の義。
 
4324 遠江《とへたほみ》白羽《しるは》の磯と贄《にへ》の浦とあひてしあらば言も通《かゆ》はむ
    右の一首は、同じき郡丈部|川相《かはひ》
 
(125)   來ようになあ
〔評〕 實感の尊さ、人を牽く力がある。ただ、白羽の磯と贄の浦との地理的關係が今明かでないのは遺憾である。
〔語〕 ○遠江 遠つ淡海の義。東語で訛つて「とへたほみ」といつた。○白羽の磯 遠江のうち三ケ所に同名があるが、榛原郡の白羽村であらうか。○贅の浦 所在明かでない。代匠記は濱名郡贄代かといつてゐる。贄代は今、濱名湖の西北隅、猪鼻湖畔にある。○かゆはむ かよはむ、の訛。
 
4325 父母も花にもがもや草枕旅は行くともフ《ささ》ごて行かむ
    右の一首は、佐野《さや》郡丈部黒當
 
〔譯〕 父上も母上も、あの美しい花であつたらいいなあ。さうしたら、旅路をゆくにしても、大事にささげて持つて行かうに。
〔評〕 ほほゑましいまでに純眞無垢な作である。別離の惜しさに、何か常に身に添うて離れぬ物であれかしと冀つた着想は、「吾味子は釧《くしろ》にあらなむ」(卷九の一七六六)、「我兄子は玉にもがもな」(卷十七の三九九〇)、「梓の弓の弓束《ゆつか》にもがも」(卷十四の三五六七)などとあるが、それらは主として男女間の戀情であり、「我兄子は」の一首は家持が僚友に與へた、いはば形式的な挨拶に過ぎない。この歌の如く、愛する父母を美しい花であれかしと望んだ純情は、他に誄がない。恐らく獨身の若者であつたらう。
〔語〕 ○がもや 「がも」は願望の助詞。「や」は詠歎の助詞。○ささごて ささげての訛。
〔左註〕 佐野郡 今の小笠郡の北部。小夜の中山のあたり。○丈部黒當 黒當はクロマサか。判讀しにくい。
 
(126)4326 父母が殿の後方《しりへ》の百代草百代いでませ我が來《き》たるまで
    右の一首は、同じ郡|生玉部足國《いくたまべのたりくに》
 
〔譯〕 父上母上の住んでおいでの家のうしろの方に、百代草が咲いてをります。その百代といふ名のやうに、百年も御無事でおいでなさいませ。自分が勤を果して歸つて參りますまで。
〔評〕 極めて優雅な表現の中に、兩親の長壽安泰をことほぐ至誠がこもつてをり、孝子の眞情、掬すべき歌である。序詞の用法なども頗る手に入つてをり、「殿の」などいうたのは、よい家の息子であらうか。
〔語〕 ○百代草 いかなる草とも知りがたい。菊、つき草など、種々の説がある。
 
4327 わが妻も畫にかきとらむ暇《いつま》もか旅行く我《あれ》は見つつしのはむ
    右の一首は、長下《ながのしもの》郡物部|古麻呂《ふるまろ》
    二月六日、防人|部領使《ことりづかひ》遠江國の史生坂本朝臣|人上《ひとかみ》が進《たてまつ》れる歌の數十八首。但、拙劣なる歌十一首あるは取載せず。
 
〔譯〕 自分の妻の姿をも、繪にかきとる暇があつてほしいものである。さうしたらば、長い旅路を行く自分は、それを見ながら常に妻を思ひ續けてゐように。
〔評〕 奇警な着想を以て纒綿たる情痴を歌つた、當時としてめづらしい作である。今日傳はつてゐる上代の人物畫には、正倉院の樹下美人や、大々論の男などもあるが、尚像畫としては、宮廷御物の百濟の阿佐太子筆と稱する聖コ太子像くらゐのものである。更に、尚像畫のことを載せた上代の文獻はこの歌が唯一のもので、その點、この歌は繪畫史・文化史の上からも注意されてよい。關東の邊陬に住んだ防人が、どうしてかういふ歌を詠んだかといふに、當時
(127)〔語〕 ○いつまもか いつまは、「いとま」の東語。「もか」はもが、もがもといふに同じ願望の助詞。急に召集されて出發するので、時間の餘裕がないのである。
〔左註〕 防人部領使云々 防人引率の宰領たる遠江國の史生坂本人上が、防人等の作歌十八首を家持の手元に提出したが、その中で拙劣なのが十一首あつたので、それは棄てて載せないの意。○史生 國司の下僚で書記の役を掌る。
 
4328 大君の命《みこと》かしこみ磯に觸り海原《うのはら》渡る父母を置きて
    右の一首は、助丁《すけのよぼろ》丈部造人麻呂
 
〔譯〕 大君の仰言の恐多きに、乘る船が荒磯の岩に觸れるやうな危險な目に逢ひつつも、海原を渡つてゆくことである。なつかしい父母を殘しておいて。
〔評〕 その表現は、率直の語と剛健の調とがしつくり合つた、ますらをぶりの佳作である。
〔語〕 ○磯に觸り 舟を出す時に磯の岩に觸れての義。ふりは四段活用に用ゐたもの。○うのはら うなはらの東語。
〔左註〕 助丁《すけのよぼろ》 上丁に對してその下位にある者の意といふが、防人の歌では、上丁の歌より前に助丁の歌が序《つい》でられてゐるものがある。なほ、他の記載例によれば、この上に出身の郡名を脱したのであらう。
 
4329 八十國《やそくに》は難波に集《つど》ひ舟飾《ふなかざり》我《あ》がせむ日ろを見も人もがも
    右の一首は、足下《あしがらのしもの》郡|上丁丹比部《しものかみつよぼろたぢひべの》國人
 
〔譯〕 多くの國々から召された防人が難波津に集まり、般飾りをして出帆する、その出發の船飾を自分達がする日を見てくれる故郷の人がゐればよい。この晴れの光景をどうか一目家人に見せたいものである。
(128)〔評〕 船出のさまが、簡勁の語句の中に躍如として寫し出されてゐる。結句を、父母や妻に見せたいと云はなかつたのも、男子として情を抑へたもので、頗る味がある。
〔語〕 ○八十國は 多くの國々はの義であるが、その國々から召集された防人はの意の省略法。○日ろ 「ろ」は語調を整へる爲の接尾辭で意味はない。「嶺ろ」「夫ろ」など東歌の中に例が少くない。○見も 見むの訛。
〔左註〕 足下郡 相模國の郡名、足柄下郡を略書したのである。○上丁 軍防令によると、「兵士以上は皆、歴名の簿二通を造れ、並びに征防遠使の處所を顯せ、仍て貧富の上中下の三等を注せよ云云」とある。その上なる者であらうか。
 
4330 難波津に裝《よそ》ひ裝《よそ》ひて今日の日や出でて罷《まか》らむ見る母なしに
    右の一首は、鎌倉郡上丁丸子連多麻呂《まるこのむらじおほまろ》
    二月七日、相模國の防人部領使|守《かみ》從五位下藤原朝臣|宿奈麻呂《すくなまろ》が進《たてまつ》れる歌の數八首。但、拙劣なる歌五首は取載せず。
 
〔譯〕 この難波の津で一所懸命に船装ひをして、いよいよ今日といふ今日、我々は出帆して筑紫をさして下るのであるが、折角盛んなこの船出を見てくれる母上もなしに――。張合のないことである。
〔評〕 花やかな船出、二三句の緊密な調子、結句の遺瀬ない歎息、いづれも十分な表現効果を收めてゐる。
〔左註〕 ○鎌倉郡 鎌倉市附近で、今も存する郡名。○相模國防人部領使云云 相模國の防人引率宰領としては國守藤原宿奈麿が自ら難波に出張して、防人等の作八首を提出したが、その五首は拙劣で載せないといふのである。○藤原朝臣宿奈麿 藤原宇合の第二子、勝寶四年十一月相模守となつた。後、昇進して内大臣に陞り、寶龜八年九月薨じた、年六十二、贈從一位。嘗て佐伯今毛人、石上宅嗣、大伴家持等と、藤原仲麿(惠美押勝)誅戮を企て、謀漏れて
(129)
   防人の別を悲しむ心を追ひ痛みて作れる歌一首并に短歌
4331 天皇《をほきみ》の 遠の朝廷《とほみかど》と しらぬひ 筑紫《つくし》の國は 賊《あた》守る 鎭《おさへ》の城《き》ぞと 聞《きこ》し食《を》す 四方の國には 人|多《さは》に 滿ちてはあれど 鷄《とり》が鳴く 東男《あづまをのこ》は 出で向ひ 顧みせずて 勇みたる 猛き軍卒《いくさ》と 勞《ね》ぎ給ひ 任《まけ》のまにまに たらちねの 母が目|離《か》れて 若草の 妻をも纒《ま》かず あらたまの 月日|數《よ》みつつ 蘆が散る 難波の御津に 大船に 眞擢《まかい》繁貫《しじぬ》き 朝なぎに 水手《かこ》整《ととの》へ 夕汐に 揖《かぢ》引き撓《を》り 率《あとも》ひて 漕ぎゆく君は 波の間《ま》を い行きさぐくみ 眞幸《まさき》くも 早く到りて 大君の 命《みこと》のまにま 丈夫《ますらを》の 心を持ちて 在り廻《めぐ》り 事し畢《をは》らば 恙《つつま》はず 歸り來ませと 齋瓮《いはひべ》を 床邊《とこべ》にすゑて 白たへの 袖折り返《かへ》し ぬばたまの 黒髪敷きて 長きけを 待ちかも戀ひむ 愛《は》しき妻らは
 
〔題〕 防人の別を云云 家持が防人等の別れを悲しむ心を思ひやり、防人の歌を見て後に作つた歌の意。
〔譯〕 大君の遠方の役所として、筑紫の國の太宰府は、外敵を守る要塞として、御統治あそばされる四方の國々には、人は澤山滿ちてゐるけれども、東國男子は、敵に出で向ひ、顧みをしないで勇ましい強い兵士として、ねぎらひ給ひ、その御任命に從つて、防人達は母の傍を離れ、妻の手を枕として寢ることなく、出發以來の月日を數へつつ、難波の御津に到り、大船に左右の櫂を澤山立て、朝凪に船頭達の部署を整へ、夕汐に櫂を撓ませて、相率ゐて漕いでゆく君達は、波の間を押し進み、幸ひに何事もなく早く任地に到着して、大君の御命令のままに、勇士の心をもつて、守備(130)の區域内を次々に廻り、任務が終つたら、無事に歸つていらつしやいと、故郷の家々では齋瓮を床のあたりに据ゑて、白い著物の袖を折り返し、黒髪を敷いて寢ながら、長い月日を戀ひ焦れて待つてゐることであらう、可憐な妻たちは。
〔評〕 兵部少輔として難波に出張し、防人の事務を管掌してゐた家持は、防人達の健氣さ、あはれさ、樣々の場面を見聞するところが多かつたのみならず、その身邊や心境を敍した防人達の歌詠をも數々讀んだのである。元來感激性の強い家持は、越中に數年の勞苦を體驗して來た身であるから、防人に對する同情は一段と深かつたことが想像される。この篇、字句は先人の成句や自身の舊作から剪裁したところも少くないが、それらが形式的口頭語に墮することなく、立派に生かされて脈々たる温情を湛へ、切々たる哀韻を傳へてゐるのは、一に眞實そのものの力に外ならない。
〔語〕 ○しらぬひ 「筑紫」につづく枕詞。卷三の「三三六」參照。○鷄が鳴く 「東」の枕詞。卷二の「一九九」參照。○出で向ひ顧みせずて 東國の兵士の勇武については、孝謙天皇の神護景雲三年十月の詔に「東人は常にいはく、額には箭は立つとも背には箭は立てじと云ひて、君を一つ心を以ちて護る物ぞ」とある。○若草の 「妻」の枕詞。卷二の「一五三」參照。○あらたまの 「年」に係けるのが普通であるが、ここは「月日」の枕詞。○蘆が散る 「難波」の枕詞。難波の浦は蘆が多かつたのでいふ。○い行きさぐくみ 「い」は接頭辭。「さぐくむ」は押分けて進むこと。卷四「五〇九」參照。○齋瓮 神を祭る時に用ゐる神酒を滿たした壺。○袖祈り反し 寢る時に袖を祈り反すのは、思ふ人を夢に見る爲の呪であつた。
 
   反歌
4332 丈夫《ますらを》の靱《ゆき》取り負ひて出でて往《い》けば別を惜しみ嘆きけむ妻
 
〔譯〕 防人達が靱を背に負うて、家を出て行くと、別を惜しんで嘆いたであらう、かはいさうな妻達よ。
〔評〕 恩情ゆたかな家持は、眼前に見る防人のみならず、見も知らぬその妻女にまでも滿腔の同情を濺《そそ》いでゐる。
(131)
4333 とりが鳴く東男《あづまをとこ》の妻別れ悲しくありけむ年の緒長み
    右は、二月八日、兵部少輔大伴宿禰家持
 
〔譯〕 東國健兒等も、愛する妻に別れて、さぞ悲しかつたであらう。これから逢ひがたい年月が長いから。
〔評〕 防人の妻達に寄せた人間的同情を、一轉して壯夫達に向けたのである。語に熱を帶び、力がこもつてゐる。
 
4334 海原《うなはら》を遠く渡りて年|經《ふ》とも兒らが結べる紐解くなゆめ
 
〔譯〕 海上を遠く渡つて、筑紫へ行き、年を經ても、家の妻が結んだ著物の紐を解くなよ、決して。
〔評〕 留守居をする妻に同情して、防人達に忠言を發したのである。
〔語〕 ○兒らが結べる 出發の際妻が結んでくれた。「兒ら」は妻や戀人をいふ愛稱。「ら」は複數ではない。
 
4335 今|替《かは》る新防人《にひさきもり》が船出《ふなで》する海原のうへに浪な開《さ》きそね
 
〔譯〕 今度交替して筑紫へ行く新しい防人達が、船出をする海上に、どうか波は立つてくれるな。
〔評〕 「今替る新防人」といつたところに、新しくこれから任務に就いて、一通りならぬ勞苦を重ねるであらう人々を、しみじみといたはる心の動きが看取される。防人に對する家持の同情は、作品の良否はともかくとして、どこまでも眞摯であるのが尊い。
〔語〕 ○浪なさきそね 「さく」は浪の白く立つを花の咲くに譬へていふ。「な」は禁止の副詞。
 
(132)4336 防人《さきもり》の堀江漕ぎ出《づ》る伊豆手舟《いづてぶね》揖《かぢ》取《と》る間《ま》なく戀は繁けむ
    右は、九日、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 防人が堀江を漕いで出てゆくその伊豆手船の、櫂を取るに間のないやうに、妻を思ふ心も繁いであらう。
〔評〕 防人への作者の同情は、次から次へと限りもないが、この歌は表現が形式的となり、感動が硬化してゐる。
〔語〕 ○堀江 難波堀江。○伊豆手舟 もと伊豆で造られた船、伊豆の型、伊豆風の船の義。「四四六〇」にも、伊豆手の船とある。
 
4337 水鳥の發《た》ちの急《いそ》ぎに父母に物《もの》言《は》ず來《け》にて今ぞ悔しき
    右の一首は、上丁|有度部《うとべ》牛麻呂
 
〔譯〕 出發の際の慌しさに、父母にゆつくり話もせずに來てしまつて、今になつてまことに殘念である。
〔評〕 東歌の「水鳥の立たむよそひに妹のらに物いはず來にて思ひかねつも」(三五二八)は妻へ、これは父母へであるが、似通うてをる。恐らくは胸裏にあつた民謠がふと浮んで詠んだのであらう。しかしその純情はまことに尊い。
〔語〕 ○水鳥の 飛立つ意から、「たち」にかけた枕詞。○けにて 「け」は「來《き》」の東語。
〔左註〕 ○有度部牛麻呂 「部」は元暦校本等に從ふ。通行本に「郡」とあるが、此の一團、駿河國の防人の歌は皆郡名を記してゐない。氏が「有度部」で、有度郡に關係のある部族の一人であらう。
 
4338 疊薦《たたみけめ》牟良自《むらじ》が磯の離磯《はなりそ》の母を離れて行くが悲しさ
    右の一首は、助丁|生部《いくべ》道麻呂
 
(133)
〔評〕 顧みがちに遲々としてゆく姿が見えるやうである。序詞の使ひ方も適切である。
〔語〕 ○たたみけめ 疊薦の東訛。疊につくる菰の群がり生ふるから、むらじにつづいたのであらうといふ説がよい。○牟良自の磯 駿河の地名であらうが、所在明かでない。
 
4339 國|巡《めぐ》る※[獣偏+葛]子鳥《あとり》かまけり行き廻《めぐ》り歸《かひ》り來《く》までに齋《いは》ひて待たね
    右の一首は、刑部《おさかべ》虫麻呂
 
〔譯〕 國々を飛びめぐる※[獣偏+葛]子鳥《あとり》が物に感じて急ぎ群れ立つやうに、いそぎ立つて筑紫へ行きますが、任地を行き廻つて無事に歸つて來るまで、どうか齋《いは》ひごとをして祈つて待つてゐて下さい。
〔評〕 珍らしい鳥をとり出て序詞とし、出立に際して家人にいうたものであるが、かまけりの語が定解を得ない。今は代匠記によつて解いた。
〔語〕 ○あとりかまけり ※[獣偏+葛]子鳥は天武紀にも見え、雀科の小鳥で、秋冬群をなして我が國にも飛來する。かまけりについては、代匠記には、「かまけてをらむ」(卷十六の三七九四)とある如く、感の意とした。略解所引の本居大平説には、かまびすし、やかましの意としてゐる。なほ諸説がある。○かひり 「かへり」の訛。
 
4340 父母え齋《いは》ひて待たね筑紫《つくし》なる水漬《みづ》く白玉取りて來《く》までに
    右の一首は、川原《かはら》虫麻呂
 
〔譯〕 父母よ、どうか齋ひごとをして祈つて待つてゐて下さい。筑紫の海の底に沈んでゐる眞珠を土産に取つて歸つて來ますまで。
(134)〔評〕 若い防人であらう。無事に任務を果したら土産を持つて歸らうといふのである。海中の白珠を取つて家苞にするといふ歌は、卷十五の「三六一四」にもありはするが、純情のやさしさが見られる。
〔語〕 ○父母え 「え」は「よ」の訛と見る代匠記説がよい。次にも「うちよする」を「うちえする」とよんだ歌がある。
〔訓〕 ○ちちははえ 白文「知知波波江」。古葉略類聚鈔に「江」を「波」に作り、考はこれを採つてゐる。
 
4341 橘の美袁利《みをり》の里に父を置きて道の長道《ながぢ》は行きかてぬかも
    右の一首は、丈部|足麻呂《たりまろ》
 
〔譯〕 橘のみをりの里に、父を殘して置いて、筑紫への長い途中は、行きかねることである。
〔評〕 防人の歌に、兩親を思ひ母を慕つたのは多いが、この歌の如く、特に父のことをいつてゐるのはめづらしい。それだけに哀れは一入深い。父一人子一人のさびしい暮しであつたのであらう。
〔語〕 ○橘の 橘の實にかけた枕詞。次の美袁利の美を實と解するのは、特殊假名道の通例と合はぬが、方言の混用例であらうか。今、庵原郡小島村に大字立花があつて、此處かといふ説もある。○美袁利の里 所在明かでない。
〔訓〕 ○みをり 白文「美袁利」。西本願寺本等による。通行本は衣《エ》である。
 
4342 眞木柱《まけばしら》讃《ほ》めて造れる殿の如《ごと》いませ母刀自《ははとじ》面變《おめがは》りせず
    右の一首は、坂田部|首麻呂《おびとまろ》
 
〔譯〕 立派なあの柱を、壽詞《ほぎごと》を申して建てて造つた御殿のやうに、しつかりして丈夫でいらつしやい、母上よ。お顔のやうすも變らないで。
(135)
た調子の張り、倒置した結句の具體的描寫の力強さ。「まけ」「おめ」の方言さへかへたならば、都人士の作といへるであらう。
〔語〕 ○まけ柱 まけは、まき(よい木)の訛。○讃めて造れる 讃め言葉を唱へて造つた。建築の際、壽言を唱へる風俗が上古にあつたことは、顯宗紀にも見える。○母刀自 刀自は婦人の尊稱。また主婦にもいふ。○おめ變りせず 容貌の衰へることなく。「おめ」は「おも」の東語。
 
4343 吾等《わろ》旅は旅と思《おめ》ほと家《いひ》にして子《こ》持《め》ち痩《や》すらむ我が妻《み》かなしも
    右の一首は、玉造部廣目《たまつくりべのひろめ》
 
〔譯〕 自分の旅は、どうせつらい旅と思つて覺悟してゐるけれど、家に留守居をして、子供をかかへて世帶の苦勞に痩せるであらう女房が、かはいさうだ。
〔評〕 わろ、おめほと、いひ、めち、み、と方言を多く用ゐて、地道な夫婦愛をうたつてゐる點、強く人の胸臆を衝く。貧しくして誠實な中年農民の妻が、ありありと眼前に浮んで來る。
〔語〕 ○おめほと 「おもへど」の訛。○わがみ 「み」は「身」と解しては通じ難い。「妻《め》」の訛であらう。
〔訓〕 ○いひにして 白文「已比爾志弖」。舊訓コヒニシテとあるが意通じ難い。元來「己」は音コ、「已」はイ、「巳」はンであるが、字形近似のため、本集では多く區別されず用ゐられてをる。また、上代特殊假名遣からすれば、己比は戀にはあたらない。防人歌としての混用とも考へにくい。
 
4344 忘らむと野行き山行き我《われ》來《く》れどわが父母は忘れせのかも
(136)    右の一首は、商長首麻呂《あきをさのおびとまろ》
 
〔譯〕 忘れようと思つて、野を行き山を越えて自分は來たが、戀しい父母は、忘れることができない。
〔評〕 初二句の具體的敍述もよく、四五句の投げ出したやうな調子もよく、あらはさうとした氣持を、十分に出してゐる。
〔話〕 ○忘らむと 忘れようと。○忘れせのかも 忘れせぬかもの訛、忘れぬことよまあの意。
 
4345 吾妹子《わぎめこ》と二人我が見しうち寄《え》する駿河の嶺《ね》らは戀《くふ》しくめあるか
    右の一首は、春日部麻呂《かすがべのまろ》
 
〔譯〕 いつも妻と二人で見てゐたあの故郷の駿河の國の高嶺は、戀しいことである。
〔評〕 「二人我が見し」といふ萬葉的情調の素朴さは、この歌の生命である。朝夕に眺めた秀麗な富嶽を他郷に出て思ふは當然であるが、作者の眼前に彷彿するものは、獨り富士の麗容のみでない。即ち「二人我が見し」が、一首の生命たる所以である。
〔語〕 ○わぎめ子 わぎもこの訛。○うちえする 駿河の枕詞「えする」は「よする」の東語。卷三の「三一九」參照。○駿河の嶺ら 富士のことと思はれる。「ら」は接尾辭。○くふしくめあるか 戀ほしくもあるかの訛。「め」は詠嘆の助詞「も」の訛。「か」も詠歎の助詞。
 
4346 父母が頭《かしら》かき撫で幸《さ》く在《あ》れていひし言葉《けとば》ぜ忘れかねつる
    右の一首は、丈部|稻麻呂《いなまろ》
    二月七日、駿河國の防人部領使|守《かみ》從五位下|布勢《ふせ》朝臣|人主《ひとぬし》、實《まこと》に進《たてまつ》れるは九日、歌の數二十首。但、拙劣なる
(137)
〔譯〕 父母が、自分の出がけに頭を撫でつつ、無事に行つておいで、と言はれた言葉は、忘れられない。
〔評〕 「父母が頭かき撫で」といふ素朴な表現は、あはれにやさしい。東訛ながら、言葉をさして「けとば」と云つたのは、集中この一例あるのみで、その點からも注意すべき歌である。
〔語〕 ○きく在れて 幸くあれと、無事であれと。「さく」は「さきく」の東語。○けとげぜ 言葉ぞの訛。
〔訓〕 ○けとげぜ 白文「氣等婆是」。元暦校本等によつた。「言」のコは乙類の假名であるべきに、通行本に甲類の「古」を用ゐてゐるのはよくない。
〔左註〕 布勢朝臣人主 遣唐使の判官として入唐し、勝寶六年歸朝、翌年從五位駿河守となつた。
 
4347 家にして戀ひつつあらずは汝《な》が佩《は》ける大刀《たち》になりても齋《いは》ひてしかも
    右の一首は、國造丁日下部使主三中《くにのみやつこのよぼろくさかべのおみみなか》の父の歌
〔譯〕 家にをつて戀しがつてゐないで、お前の腰に帶びてゐる太刀になつてでも、お前を守つてやりたい。
〔評〕 「君がみ船の楫柄にもが」(卷八の一四五五)、「朝狩の君が弓にもならましものを」(卷十四の三五六八)などの類型もあるが、この歌は、愛兒の身に副ふ太刀ともなつて守りたいといふところ、父親らしい凛とした愛情が籠つてゐる。
〔左註〕 ○日下 通行本の「早」は誤。元暦校本等による。○父 通行本の「文」は誤。西本願寺本等による。
 
4348 たらちねの母を別れてまこと我《われ》旅の假廬《かりほ》に安く寐《ね》むかも
     右の一首は、國造丁日下部使主三中
 
(138)〔譯〕 慈愛深い母上の側から別れて行つて、ほんたうに自分は、長途の旅の假小星に安眠が出來るであらうか。
〔評〕 父の歌に和へた作は、或は拙くてとられなかつたのかもしれぬ。これは母にささげたもの、平庸の作である。
〔語〕 ○母を別れて 母に別れての意。「別る」が目的格助詞「を」を取るのは古格である。卷十五の「三五九四」參照。
 
4349 百限《ももくま》の道は來にしをまた更に八十島過ぎて別れか行かむ
    右の一首は、助丁刑部直三野《すけのよぼろおざかべのあたひみの》
 
〔譯〕 迂餘曲折の陸路を通り、苦勞を重ねてこれまで來たのに、この難波の津から又更に、瀬戸内海の多くの島々の間を過ぎて、故郷からいよいよ遠ざかりつつ漕ぎ別れて行くことであらうかなあ。
〔評〕 上總から難波までは、まことに百隈の道であるに、更に船の旅で愈々家郷を遠ざかりゆく心細さと、海上の不安との交錯した遣瀬ない心持が、「また更に」「別れかゆかむ」の句に遺憾なくうたはれてゐる。
 
4350 庭中《にはなか》の阿須波《あすは》の神に木柴《こしば》さし吾《あれ》は齋《いは》はむ歸り來《く》までに
    右の一首は、帳丁|若麻續部諸人《わかをみべのもろひと》
 
〔譯〕 庭前に祀つてある阿須波の神の前に、木の枝をさし、自分は齋ひをしよう。無事に歸つて來るまでを祝つて。
〔評〕 この歌を、家人の作と見、左註の作者名の下に、父、母もしくは妻などの字を脱したとする略解説もあるが、作者の第五句のいひ方が拙い爲と解してよい。
〔語〕 ○阿須波の神 古事記上卷に大年神の御子と見えて居り、祈年祭の祝詞にもある。古事記傳に阿須波は「足場」の義とし、「人の物へ行くとても、萬の事業をなすとても、人の足にて踏み立つる地を守りますなるが故に、家毎に
(139)
〔左註〕 ○帳丁 主帳丁と同じであらう。「四三二二」參照。
 
4351 旅衣《たびごろも》八重|著重《きかさ》ねて寢《い》のれどもなご膚《はだ》寒し妹にしあらねば
    右の一首は、望陀郡上丁玉作部國忍《うまぐだのこほりのかみつよぼろたまつくりべのくにおし》
 
〔譯〕 旅の衣を幾枚も重ね著て寢るけれども、それでも膚が寒い。妻ではないのだから。
〔評〕 餘寒なほ甚しい旅の丸寢に、家郷の妻を思ふのは無理ならぬ人情で、田舍人らしい素朴な作である。
〔語〕 ○やへ 白文「夜部」。元暦校本による。通行本には「夜豆」とある。○寢のれども 寢ぬれどもの訛。
〔左註〕 望陀郡 卷十四に宇麻具多「三三八二・三三八三」とある地方。今は千葉縣君津郡に編入されてゐる。
 
4352 道の邊《べ》の荊《うまら》の未《うれ》にはほ豆のからまる君をはかれか行かむ
    右の一首は、天羽《あまは》郡上丁丈部鳥
 
〔譯〕 遺ばたの野茨の枝さきに、はひまつはつてゐる豆の蔓のやうに、自分に縋りついて離れまいとするそなたを、あとに殘して別れて行くことかなあ。
〔評〕 茨や豆のやうな、現實生活に密接な物を取つて譬喩としたところ、農人らしい面目が躍如として生きてゐる。「からまる君」の端的な表現も實に巧妙である。これは既婚の妻といふよりも、許婚の處女のやうな感じである。「味」といはずして「君」といつた語調から考へても、そんな感じがする。
〔語〕 ○うまら いばら、うばらに同じ。○はほ豆の 「はほ」は延《は》ふの訛。三句まで「からまる」の序。○はかれ わかれに同じ、「はしる」と「わしる」、「はつか」と「わづか」などと同例。
(140)〔左註〕 天羽郡 上總の南端、今の君津郡の一部。
 
4353 家風は日《ひ》に日《ひ》に吹けど吾妹子が家言《いへごと》持ちて來《く》る人もなし
    右の一首は、朝夷《あさひな》郡上丁|丸子連大歳《まるこのむらじおほと》
 
〔譯〕 故郷の方からの風は毎日吹いて來るけれども、いとしい妻のたよりを持つて來るものもない。
〔評〕 家風も家言も、集中に用例がない。作者の造語であらう。兩語の對立反映は、よい効果を擧げてゐる。
〔語〕 ○家風 家の方から吹いて來る風。○家言 家からのたより。
〔左註〕 朝夷郡 他の三郡とともに養老二年上總から割いて、安房の國を建てたが、天平十三年上總に併合し、天平寶字元年再び安房國とした。これは恰かも上總併合時代の作である。
 
4354 たちこもの發《た》ちの騷ぎにあひ見てし妹が心は忘れ爲《せ》ぬかも
    右の一首は、長狹《ながさ》郡上丁|丈部與呂麻呂《はせつかべのよろまろ》
 
〔譯〕 出發の際の慌だしい騷ぎの中で、ちよつと逢つて別を惜しんだあの女の心もちは、どうも忘れられない。
〔評〕 出發のさわぎの中で、わづかに逢ひ得た妹といふのは、情人か許婚であらう。人目を忍んで示し得たほのかな愛情、その覺束なさの中にはつきりと認めた眞心こそ、別後却つて激しく情緒を撼がす種となつた。素朴の表現に、人間共通の微妙な心理を語つてゐる。
〔語〕 ○たちこもの 同音を利用して、次の「立ち」にかけた枕詞であるが、こもは鴨の訛、鴨の飛び立つさわぎの意と解されてゐたが、新解には立薦で、薦を編んで室内の障壁となしたものと説いてある。
〔左註〕 長狹郡、朝夷郡と同樣に、今は安房郡に合併されてゐる。
(141)
    右の一首は、武射《むざ》郡上丁丈部|山代《やましろ》
 
〔譯〕 故郷をよそにばかり見て、ここに日を過すことだらうか。難波潟から遙かに天に接して見えるあの島とは違つて、故郷は地續きであるのに。
〔評〕 よそに見ての對象が明瞭を缺く。上總國の防人歌は十九首中十三首採擇されてゐ、選が甘かつたのかも知れぬ。
〔左註〕 武射郡 上總國の東北で、今は山武郡の中に編入されてゐる。
 
4356 我が母の袖持ち撫でて我が故《から》に泣きし心を忘らえぬかも
    右の一首は、山邊郡上丁物部|乎刀良《をとら》
 
〔譯〕 母上が袖を持つて撫でて、自分ゆゑに泣かれたあの心が、どうしても忘れられない。
〔評〕 第二句は表現が稚拙な爲に、解釋上にも異見を生じてゐるが、三句以下によつて一首が生動してをる。
〔左註〕 ○山邊郡 今は山武郡に入つてゐる。○乎刀良 通行本に「乎」を「手」とある。元暦校本等に據る。
 
4357 蘆垣の隈處《くまど》に立ちて吾妹子《わぎもこ》が袖もしはほに泣きしぞ思《も》はゆ
    右の一首は、市原郡上丁刑部|直《あたひ》千國
 
〔譯〕 出發の折、蘆垣の曲り角の處に立つて、いとしい妻が、袖もしほしほぬれるほど泣いてゐたのが思ひ出される。
〔評〕 今もなほ若妻の姿が眼前にある心地がして哀怨の情趣とこしへに新しい作である。ひそかなる妻の歎きを目ざとく認めながらも、自分も亦人目を憚つて、慰めの言葉もかけてやれずに出て來た作者の、無量の感愴があはれで(142)ある。
〔語〕 ○くまど まがり角。○思《も》はゆ 「おもはゆ」の略。「ぞ」の係があるから「もはゆる」と連體形で結ぶべきであるが、田舍人の口つきとして、てにをはが整はぬのであらう。連體形に「る」を件はぬ例は東國で他にもある。
〔左註〕 市原郡 上總の西海岸の北部で、今もある郡名。
 
4358 大君の命《みこと》かしこみ出で來《く》れば我《わ》の取り著《つ》きて言ひし子なはも
    右の一首は、淮《すゑ》郡上丁物部|龍《たつ》
 
〔譯〕 大君の仰言の恐多きに、防人として出で來ると、自分に取り縋つて、別れの悲しさを言つた妻はまあ。
〔評〕 「防人に立ちし朝けの金門出に手放れ惜しみ泣きし兒らはも」(卷十四の三五六九)と同工異曲である。結句は、わかりはするが、言葉不足で稚い感がある。
〔語〕 ○わの 我にの意の「わに」の訛。虹を「のじ」といふ例(三四一四)。○子な 子らに同じ。「ら」は親愛の意を示す接尾辭。
〔左註〕 種淮郡 「周淮」(卷九の一七三八)に同じ。今は君津郡の内。代匠記説に從ひ「」を「淮」に改めた。
 
4359 筑紫方《つくしべ》に舳向《へむ》かる船の何時《いつ》しかも仕へ奉《まつ》りて本郷《くに》に舳向《へむ》かも
    右の一首は、長柄《ながら》郡上丁|若麻續部羊《わかをみべのひつじ》
    二月九日、上總國の防人部領使少目從七位下|茨田連沙彌麻呂《うまらだのむらじざみまろ》が、進《たてまつ》れる歌の數十九首。但、拙劣なる歌は取載せず。
 
〔譯〕 筑紫の方へ舳先を向けてゐる船が、何時《いつ》になつたら勤を終へて故郷へ舳先を向けることであらうか。
(143)
〔語〕 ○舳向かる 舳先が向つてゐる。「むかる」は、「向く」に完了の助動詞「り」のついた「向ける」の東蕗。○舳むかも 「舳向かむ」に同じ。
〔左註〕 長柄郡 今は千葉縣長生郡の内に入る。
 
   私の拙き懷を陳《の》ぶる一首竝に短歌
 
4360 天皇《すめろき》の 遠き御代にも 押照《おして》る 難波の國に 天《あめ》の下 知らしめしきと 今の緒《を》に 絶えず言ひつつ 懸《か》けまくも あやに畏《かしこ》し 神《かむ》ながら 吾《わ》ご大王《おほきみ》の うち靡く 春の初《はじめ》は 八千種《やちくさ》に 花咲きにほひ 山見れば 見のともしく 河見れば 見の清《さや》けく 物ごとに 榮ゆる時と 見《め》し姶ひ 明らめ給ひ 敷きませる 難波の宮は 聞《きこ》し食《を》す 四方《よも》の國より 獻《たてまつ》る 貢《みつぎ》の船は 堀江より 水脈引《みをび》きしつつ 朝なぎに 楫《かぢ》引き泝《のぼ》り 夕汐に 棹さし下《くだ》り あぢ群《むら》の 騷き競《きほ》ひて 濱に出でて 海原《うなはら》見れば 白波の 八重折《やへを》るが上《うへ》に 海人《あま》小舟 はららに浮きて 大|御食《みけ》に 仕へ奉《まつ》ると 遠近《をちこち》に 漁《いざ》り釣《つ》りけり そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも 此《ここ》見れば うべし神代ゆ はじめけらしも
 
〔題〕 私の拙き懷を陳ぶる 作者家持の謙辭で、つまらない感想を述べるとの意。この時の難波宮行幸の事は續紀に見えないから、行幸のあつた心持で、豫め詠んだものであらう。
〔譯〕 遠い昔の天皇の御代にも、この難波の國で天下を治め給うたと、今の世までも絶えず言ひ傳へて來たが、申上(144)げるも恐れ多い神そのままでいらせられる吾が大君が、春の初は、色々樣々に花が咲き匂ひ、山を見ると眺めが珍しいし、河を見れば眺めが明媚で、物皆の榮える時であると、御覽になり、御心をお慰めになつて、御滯在遊ばすこの難波の離宮は、御統治遊ばす全國各地から、獻納の貢物を運ぶ船が、堀江から水の筋を引きながら、朝凪に艪櫂を引き撓めて漕ぎ上つて來、夕汐に棹をさして下つてゆき、あぢ鴨の群のやうに騷ぎ競つてをり、濱に出て海上を見渡すと、白浪の幾重にも折り返してゐる上に、漁師の小舟がばらばらに浮んで、御食事に奉仕するとて、あちこちに漁りし釣をしてゐる。大層まあ廣大な眺めである、大變にまあ寛濶な景色である。この樣を見ると、古い時代から、都を此處にお開きになつたのも尤であるらしい。
〔評〕 難波は、仁コ天皇の御代から、降つては孝コ天皇の御代にも帝都となり、更に近くは、聖武天皇も恭仁京から一時ではあつたが遷都になり、その他代々に亙つて離宮のあつた由緒の地であり、また船舶發着の要津として榮えた處である。家持は、公務の爲に久しくこの地に滯在して、その殷賑な曠濶な眺望に心を晴らしつつ、このよき土地を背景とする難波離宮の繁榮を謳歌したのである。當時隨一の港として、貢の船の出入する樣や、漁舟の往來する?など、その活況がさながらに寫されてゐる。
〔語〕 ○押照る 「難波」にかかる枕詞。卷三の「四四三」參照。○今の緒 今の世。○わご大君 孝謙天皇。「わご」は「わが」に同じ。卷一の「五二」參照。○うち靡く 「春」の枕詞。卷三の「二六〇」參照。○あぢ群の 味鳧の群の騷ぎ立てるやうにの意で、「騷き」にかけた譬喩的枕詞。○八重折るが上に 幾重にも折れ疊まるやうに波の寄せる上に。卷七の「一一六八」參照。○そきだくも そこばく、ここばくなどと同じく、多數に、程度が甚しく。○おぎろなきかも 欽明天皇紀に「廣大」を訓して、「オギロナリ」とある。なきは無きではなく、そのやうにの意。○こきばくも ここばくに同じ。
〔訓〕 ○今の緒に 白文「伊麻能乎爾」。乎は時の義。息の緒、年の緒などに類する。考には與の誤としてゐる。
(145)
〔譯〕 櫻の花が今盛である。難波の海が照り輝いて見渡されるこの離宮で、政をおとりになる時に當つて。
〔評〕 櫻花の美と難波の海の風光めでたき離宮を讃美し、悠揚迫らぬ調で、賀の歌の體制にかなつてゐる。
〔語〕 ○なへに 同時に、それにつれての意。
 
4362 海原《うなばら》のゆたけき見つつ蘆が散る難波に年は經ぬべく思ほゆ
    右は二月十三日、兵部少輔大伴宿禰家持
 
〔譯〕 海上のゆつたりした景色を眺めながら、この難波の地で、自分は年月を過してしまひさうな氣がする。
〔評〕 淡々として率直に續けた語句の中に、實感はよく出てをり、長歌をよく結んでゐる。
〔語〕 ○蘆が散る 「難波」の枕詞。蘆の花の散る意で、難波は愛荻の茂つた處であつたからいふ。
 
4363 難波津に御船《みふね》下《おろ》すゑ八十楫《やそか》貫《ぬ》き今は漕ぎぬと妹に告げこそ
 
〔譯〕 難波の津に防人の乘る官船をおろし据ゑて、多くの艪櫂を取り附けて、今漕ぎ出したと、故郷の妻へ知らせてほしい。
〔評〕 山河を越えてやつと難波まで來たのが一段落、さてそれから船に乘り込むとなると、新たな感慨が湧いたであらうことは想像に難くない。第四句まで堂々と張り切つた調子の中に勇躍の意氣が見え、結句に家郷を憶ふおのづからなる人情のあはれさが滲み出してゐる。
〔語〕 ○おろすゑ おろし据ゑの訛。○告げこそ 「こそ」は動詞の連用形を承ける時は願望の意をあらはす。
 
(146)4364 防人《さきむり》に發《た》たむさわきに家の妹《いむ》が業《な》るべき事を言はず來《き》ぬかも
    右の二首は、茨城《うまらき》郡|若舍人部廣足《わかとねりべのひろたり》
 
〔譯〕 防人に出て來る際の騷ぎで、留守中、妻が働かねばならぬ生業の事について、よくも話さないで來てしまつたなあ。氣がかりなことではある。
〔評〕 倉卒の際、十分に妻にいひ含め置くことの出來なかつた心殘りを、素直にうたつてある。
〔語〕 ○さきむり さきもりの訛。「も」と「む」との混用は防人歌には殊に多い。○いむ いもの訛。○來ぬかも 「來ぬるかも」といふべきであるが、「よだち來のかも」(卷十四の三四八〇)の例もある。
〔訓〕 ○いむ 白文「伊牟」。牟は元暦校本等による。通行本「伊毛」。
〔左註〕 茨城郡 今は東西の茨城郡と新治郡とになつてゐる。
 
4365 おし照《て》るや難波の津ゆり船装《ふなよそ》ひ吾《あれ》は漕ぎぬと妹に告《つ》ぎこそ
 
〔譯〕 難波の津から船装ひをして、いよいよ自分は筑紫へ向けて漕ぎ出したと、故郷の妻に告げて欲しい。
〔評〕 上の「四三六三」の歌と同想である。かかる際に起る共通の感概である。
〔語〕 ○ゆり よりの訛。○告ぎ 「つげ」の訛。同じ常陸でも茨城と信太と郡の相違で、發音に變化があつたものであらうか。
〔訓〕 ○つゆり 白文「都由利」。元暦校本による。通行本「津與利」。
 
4366 常陸さし行かむ雁もが我《あ》が戀を記《しる》して附けて妹に知らせむ
    右の二首は、信太郡物部|道足《みちたり》
 
(147)
〔評〕 常陸の田舍人が、蘇武の雁信の故事を知つてゐたかどうかは疑問であらう。時は二月中旬、北をさして歸りゆく雁の棹がよく見られる頃であるから、恐らくそれを見てこの嗟歎を漏したのであらう。但、「天飛ぶや雁を使に得てしかも奈良の都に言告げやらむ」(卷十五の三六七六)は、蘇武の故事に據つたこと明白である。それは、遣新羅使といふ教養ある都人の作であるからである。
〔左註〕 信太郡 今は稻敷郡の中に入る。和名抄に「志太」と訓んである。
 
4367 我《あ》が面《もて》の忘れも時《しだ》は筑波嶺《つくはね》をふり放《さ》け見つつ妹はしぬはね
    右の一首は、茨城郡|占部小龍《うらべのをたつ》
 
〔譯〕 自分の顔を忘れることもあるまいが、もしも忘れさうな時は、あの筑波山を遙かに振り仰いで見て、妻よ、お前はなつかしく思ひ出してくれ。
〔評〕 恐らく新婚の夢なほ醒めやらぬに別れて來た若い夫の感傷であらう。但、東歌の「我が面の忘れむしだは國はふり峯に立つ雲を見つつ偲はせ」(三五一五)、「面形の忘れむ時は大野ろにたなびく雲を見つつ偲はむ」(三五二〇)と酷似してゐるのは、民謠として廣く行はれてゐたので、これを借り來つて、現在に適するやうに改作したものと思はれる。
〔語〕 ○もて 「おもて」の東語。○忘れも時は 「も」は「む」の方言。「しだ」は時の古語。○しぬはね 「しのはね」の東語であらう。「ね」は他人に望む意の助詞。
〔訓〕 ○しぬはね 白文「之奴波尼」。元暦校本・西本願寺本等による。通行本「尼」を「弖」に作るは誤。
 
(148)4368 久慈河《くじがは》は幸《さけ》く在り待て潮船《しほぶね》に眞楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き吾《わ》は歸り來《こ》む
    右の一首は、久慈郡|丸子部佐牡《まるこべのすけを》
 
〔譯〕 なつかしい久慈河よ、お前は無事でずつと待つてゐてくれ。海を渡る大船に左右の艪櫂を澤山立てて、やがて自分は元氣よく歸つて來ようからな。
〔評〕 底に一脈の哀愁を秘めてゐるが、氣持のよい男性的な訣別の辭である。少年の日から今日まで、或は水遊びをし或は魚を釣り、或は舟を漕ぎもし、生業の場所ともして來た古里の河である。別れに臨んで親しい友に別れるやうな心持で呼びかけた作者の心理は、少しの無理も誇張もなく、素直に受け入れられる。かの「白崎は幸く在り待て大船に眞揖繁貫きまた反り見む」(卷九の一六六八)の影響があつたにしても、心理的には兩者相違があり、換骨奪胎もかくまで原歌を凌げば立派なものである。
〔語〕 ○久慈河 福島縣白河郡に源を發して久慈郡を貫流し、鹿島灘に注ぐ。○さけく 「さきく」の東語。○しほ船 河船に對して海上をゆく船の謂であらう。「鹽船の置かれば悲し」(卷十四の三五五六)ともある。
〔去註〕 久慈郡 常陸の北部で今もほぼ同じくある。
 
4369 筑波嶺《つくはね》のさ百合《ゆる》の花の夜床《ゆどこ》にも愛《かな》しけ妹ぞ晝もかなしけ
 
〔譯〕 筑波山に咲く百合の花の美しく可憐なやうに、夜の床にあつてかはゆい妻は、晝間でもかはゆい。(こんなかはゆい妻を殘して行くことかなあ)。
〔評〕 情痴を歌つたもの。これを、別後追憶の作のやうに解するのは、恐らく當らないであらう。この口吻は、その可憐な妻を前にしての言葉と見なくては生動しない。
(149)
記にいひ、略解は句を隔てて「愛しけ妹」に冠した譬喩と見てゐる。語の續けざまから見れば序とすべきであるが、同音の利用のみでなく、妻の姿態の形容を兼ねてゐるのである。○ゆ床 「ゆ」は「よ」の方言。○かなしけ 「かなしき」の訛。キをケに訛ること、下にも「松の木《け》」(四三七五)。「惡しけ人」(四三八二)などある。
 
4370 霞降り鹿島《かしま》の神を祈りつつ皇御軍《すめらみくさ》に吾《われ》は來《き》にしを
    右の二首は、那賀《なか》郡上丁|大舍人部《おほとねりべの》千文
 
〔譯〕 鹿島の神に武運長久を祈つて、皇軍の一人に自分は參加して來たのだ。
〔評〕 ひたぶるな敬神の念と、顧みなき尊皇の赤誠とが一首に溢れてゐる。多くを語らぬ朴直な言辭、渾厚な格調の間に、關東男兒の心緒の高揚した眞個の益良雄ぶりである。
〔語〕 ○霞降り 霞の降る吾がかしましいとの意で「鹿島」につづく枕詞。常陸風土記にも「霰零り香島の國」とある。○鹿島の神 鹿島神宮の祭神建御雷神で、故郷の神でもあり軍神でもある。○みくさ 「みいくさ」の約で、軍隊の義。○吾は來にしを この「を」を反戻の意の助詞と見て、をの下にそれぞれ補つた説があるが、「を」は感動の助詞で、ここはしつかりやるぞといふ緊張感がこもつてをり、しかして、そこに此の歌の價値はあるのである。
〔左註〕 那賀郡 和名抄には「那珂」とあり、今もこの字面を用ゐてゐる。
 
4371 橘の下《した》吹く風の香ぐはしき筑波の山を戀ひずあらめかも
    右の一首は、助丁|占部《うらべ》廣方
 
〔譯〕 花橘の木の下を吹く風のかんばしいやうに、なつかしく思ふあの筑波山を、戀しく思はずに居られようか。
(150)〔評〕 駿河の防人は妹と二人見た富士の嶺を思ひ(四三四五)、常陸の壯夫は故郷の誇とする筑波を偲ぶ。自然の人情ながら、それだけに感銘が深い。しかして、彼は山の蔭にいとしい人の姿があつて綿々の情緒を漂はせてゐたが、此は單に山の麗容を幻に見てゐるのみで、心境清淡である。
〔語〕 ○橘の下吹く風の これを橘に寄せて妻のかうばしき心をいふと解した代匠記の説は考へ過ぎである。「かぐはしき」の序のみとする略解の説と、實際に橘の下吹く風のかぐはしき筑波山と解く新考の説との二つがある。前説によつて解きはしたが、作者の表現の不十分といふべきであらう。
 
4372 足柄《あしがら》の み坂た廻《まは》り 顧《かへり》みず 吾《あれ》は越《く》え行く 荒男《あらしを》も 立《た》しや憚《はばか》る 不破《ふは》の關 越《く》えて吾《わ》は行く 馬《むま》の蹄《つめ》 筑紫《つくし》の埼に 留《ちま》り居て 吾《あれ》は齋《いは》はむ 諸《もろもろ》は 幸《さけ》くと申す 歸り來《く》までに
    右の一首は、倭文部可良麻呂《しとりべのからまろ》
    二月十四日、常陸國の部領防人使大目正七位上|息長《おきなが》眞人國島が進《たてまつ》れる歌の數十七首。但、拙劣なる歌は取載せず。
 
〔譯〕 足柄の坂をまはつて、故郷の方を振り返つても見ずに、自分は越えて行く。荒々しい勇士も立ち憚る不破の關を越えて、自分は行く。さうして筑紫の崎に駐屯してをつて、自分は留守宅の一同が無事であるやうにと申して、神に齋《いは》ひ事をしよう。自分の歸國するまでの間を。
〔評〕 防人の歌は多數あるが、皆短歌であるに、この一首だけが長歌であるのは珍しい。顧みせずひたむきに進み進んでゆく敢爲の樣が、東訛の多い素朴な言葉でぽつりぽつりと語られてゐるのもよい。
〔語〕 ○たまはり 「四四二四」に「み坂たばらは」とあると同語であらう。宣長の説の如く、「廻《まは》り」に接頭辭「た」を添へたと解する。但、「まはる」といふ動詞の用例が他に見えないので、新考には、み坂の神に通行を賜は
(151)
憚る 立しは立ちの訛。立ち留り躊躇する意であらう。「や」は詠嘆の助詞。○不破の關 美濃國不破郡、今の關原町大字松尾に闘址がある。伊勢の鈴鹿、越前の愛發《あらち》と共に、天下三關といはれた。○馬《むま》の蹄《つめ》 馬蹄の行き留る果、いたり盡くすの意で「筑紫」にかける枕詞。「馬の蹄《つめ》い盡す極」(卷十八の四一二二)參照。祈年祭の祝詞にも「馬の爪至り留まる限」とある。枕詞ではあるが、いかにも力づよい句となつてゐる。○ちまり 卷五の「八九四」に「神留《かむづま》り」とある「つまり」と同語の訛、留まる意。
〔左註〕 倭文部可良麻呂 通行本は「文」を「父」に誤る。元暦校本等によつて訂す。
 
4373 今日よりは顧《かへり》みなくて大君の醜《しこ》の御楯《みたて》と出で立つ吾《われ》は
    右の一首は、火長|今奉部與曾布《いままつりべのよそふ》
 
〔譯〕 今日からは、家をも身をも顧みることなく、大君の御爲に、數ならぬ身ながら御楯となつて、出發するのである、自分は。
〔評〕 事實に於いて微役を勤めてゐた作者が、自ら貶しめて醜の御楯と稱したのであるが、堂々たる格調の益良雄ぶりは、つつましく謙遜しつつも、一面に大君の御楯たる光榮を擔ふ武夫であるといふ自覺と誇とを表はしてをり、高朗豪遇の快い響がある。微賤な一兵士の作にもこの忠勇の至情あるは、まことに我が上代國民の誇である。
〔語〕 ○醜の御楯 「醜」は「醜草」「醜ほととぎす」など、罵る意にも用ゐるが、ここは自卑の語で、いやしいの意。「御楯」は矢をふせぐ者の義。崇峻紀にも捕鳥部萬《ととりべのよろづ》の言葉として「萬爲2天皇楯1」とある。○出で立つ我は 我は出でたつを、倒置法にしたところに力がある。
〔左註〕 軍防令に「凡(ソ)兵士(ハ)十人(ヲ)爲2一火(ト)1」とあるから、火長は十人の長である。
 
(152)4374 天地の神を祈りて幸矢《さつや》貫《ぬ》き筑紫の島をさして行《い》く吾《われ》は
    右の一首は、火長|大田部荒耳《おほたべのあらみみ》
 
〔譯〕 天地の神々に武運長久を祈り、矢を靱に差して、勇躍しつつ筑紫の島を目指して行く、自分は。
〔評〕 これも、颯爽たる雄姿が眼前に見え、凛然たる英氣にみちた雄健の作。
〔語〕 ○幸矢貫き 矢を靱に挿し貫き背負つての意。「幸矢」は、幸《さち》即ち獲物を得る爲の力ある矢の義。軍防令によると、兵士は人ごとに、弓一張、弓弦袋一口、副弦二條、征箭五十隻、胡※[竹/録]一具、太刀一口、刀子一枚、礪石一枚、飯袋一口、水甬一口、鹽甬一口、脛巾一具、鞋一兩を自ら用意するのであつた。○筑紫の島 九州のことをいふ。筑紫そのものを大きな島と見たのである。
 
4375 松の木《け》の竝《な》みたる見れば家人《いはびと》の吾《われ》を見送ると立たりし如《もころ》
    右の一首は、火長物部|眞島《ましま》
 
〔譯〕 旅の道々で松の木の竝んでゐるのを見ると、家の人たちが、自分の首途を見送ると、道端に立ち竝んでゐた、あの有樣にそつくりである。それにつけても、家が思ひ出される。
〔評〕 街道の松並木を見つつ、無邪氣に、率直な聯想に發してゐるので、おのづからなる語調があり、しかもあはれさが深い。
〔語〕 ○松のけ 松の木の訛。○いは人 家人の訛。○立たりしもころ 立つてゐた有樣そのままであるの意。「もころ」は如しの古語。「一九六」「三五二七」にもある。
 
(153)    右の一首は、寒川郡上丁川上臣老
 
〔譯〕 防人に徴集されてこんなに急に出かけるといふことは、まるで知らなかつたので、なつかしい母上父上にしみじみ話もしないで來て、今となつて實に口惜しいことではある。
〔評〕 突然の召集を受け、倉惶として出立したのである。「四三三七」と同じく、人の子の至情、あはれが深い。
〔語〕 ○あもしし あもは母、ししは父の訛音。○言申さずて しみじみと物を申さないでの意。暇乞もせずしてと解するのは當らない。○くやしけ 悔しきの訛。
〔左註〕 ○寒川郡 下野國の東南隅に當り、今は下都賀郡に編入されてゐる。○臣 元暦校本等によつた。
 
4377 母刀自《あもとじ》も玉にもがもや頂《いただ》きて角髪《みづら》の中《なか》にあへ纒《ま》かまくも
    右の一首は、津守宿禰|小黒栖《をぐるす》
 
〔譯〕 お母さんも玉であつたらばいいなあ。さうしたら、頭に頂いて、角髪の中に一緒に卷きこんで行かうになあ。
〔評〕 母を慕ふ純情がうつくしい。「父母も花にもがもや草枕旅は行くともささごて行かむ」(四三二五)と共に、一點の汚染を知らぬその眞心は、さながら集中の花であり、玉である。
〔語〕 ○あも刀自 あもはおも(母)の東語。刀自は尊稱。○角髪 上代の壯年の男子の髪の風で、髪を左右に分け、耳の邊で輪にして綰《たが》ねた形。○あへ 合せる、交へる意。
 
4378 月日《つくひ》やは過《す》ぐは往《ゆ》けども母父《あもしし》が玉の姿は忘れ爲《せ》なふも
    右の一首は、都賀《つが》郡上丁中臣部|足國《たりくに》
 
(154)〔譯〕 月日はずんずん過ぎては行くけれども、父上母上の玉のやうなお姿は、忘れられない。
〔評〕 別れていよいよ父母の温顔が思ひ出されるといふ若者の至情、玉の姿の語にも、その純眞さがみえる。
〔語〕 ○月日やは 月や日やはの意と見る古義の説がよい。○過ぐは 過ぎの東語。○忘れ爲なふも 忘れることはしないよの意。「なふ」は東歌に多く見られる打消の助動詞。
〔訓〕 ○つくひやは 白文「都久比夜波」。舊訓ツクヒヨハ。代匠記以下、考・略解等はこれに從ひ、ヨを意字として「夜《よる》」の意に解してゐるが、今、假名として「ヤ」と訓んだ古義の説に從ふ。
〔左註〕 都賀郡 現存の郡名で、今は上下に分れてゐる。
 
4379 白浪の寄《よ》そる濱邊に別れなば甚《いと》もすべなみ八遍《やたび》袖振る
    右の一首は、足利郡上丁大舍人部|禰麻呂《ねまろ》
 
〔譯〕 白浪の寄せる濱邊に別れていつてしまつたらば、何とも仕方があるまいと思ふので、今ここで、幾度も袖を振つて名殘を惜しむのだ。
〔評〕 下野國出身の防人が「白浪の寄そる濱邊に」といつた點で、種々の異説も起つて來た。しかし作者自ら西國の?況を知つてゐたのではないが、白浪の打寄せる遙かなる境といふことを、これまで任務を果して歸國した先輩などからも聞いてゐたであらうから、今、出發に際し、それを思つていうたとすれば、聊かの無理もなく解せられよう。四五の句、思ひ迫つた心持があはれである。
〔語〕 ○寄そる 寄するの訛。○いともすべなみ ここは、すべなさにの意でなく、甚だせん方なかるべきによつての意。「すべなみ」は古義にいふ如く、卷三の「三八二」、卷四の「五四八」など、未來にかけていふ例があり、ここもそれである。○八遍 度數の多いこと。
(155)
4380 難波門《なにはと》をこぎ出《で》て見れば神《かみ》さぶる生駒高嶺《いこまたかね》に雲ぞたなびく
    右の一首は、梁田《やなだ》郡上丁大田部|三成《みなり》
 
〔譯〕 難波の湊を漕ぎ出て振り返つて見ると、神々しく聳えた生駒の高嶺に、雲が棚引いてゐる。
〔評〕 防人歌としては格調の高い歌である。初句を難波津の東語と見る説もあるが、難波津は他の防人の歌に皆ナニハヅとよんでゐる。
〔語〕 ○難波門 難波の海門、難波津の入口。○生駒高嶺 奈良縣と大阪府との境に聳える山。
〔左註〕 梁田郡 下野國の西部にあり、渡良瀬川を隔てて足利郡に隣してゐたが、今は足利郡に入つてゐる。
 
4381 國國《くにぐに》の防人《さきもり》つどひ船乘《ふなの》りて別るを見れば甚《いと》もすべ無し
    右の一首は、河内《かふち》郡上丁|神麻續部《かむをみべの》島麻呂
〔譯〕 國々の防人達がこの難波に集まり、更に船に乘り込んで別れて行くのを見ると、いはむすべなくつらい。
〔評〕 諸國から集合した防人達は、見ず知らずの間でも親しくなつたのもあらうし、また輸送の都合などで、知人同士でも別れ別れになるのもあらう。離合の常なきを思ふ感慨が、一層郷愁を深めたであらう。この歌、何の巧をも弄せず、幼稚とも見える中に人を牽く力がある。
〔語〕 ○ふなのりて 船に乘りての訛。○別るを見れば 「別るるを見れば」に同じ。
〔左註〕 河内郡 今の宇都宮市附近。郡名は今も變らない。
 
(156)4382 ふたほがみ惡《あ》しけ人なりあたゆまひ我がする時に防人《さきもり》にさす
    右の一首は、那須郡上丁大伴部廣成
 
〔譯〕 あの、ふたほがみといはれる男は、意地の惡い人だなあ。疝氣を病んで困りぬいてゐる時に、自分を防人に出すやうにした。
〔評〕 初句と三句とに定説がないが、とにかく何かの事情で困つてゐる際に、突然の徴集を受けて途方にくれ、愚痴をこぼしてゐることだけは疑がない。防人部領使の手を經て提出する歌に、あけすけの惡罵を敢へてしたものと思はれるが、無論これは、眞劍な怨嗟や徴兵忌避的の思想であらう筈はない。唯當面の困却を無遠慮に滑稽に述べたに過ぎず、そこに一場の悲喜劇が展開されてゐるのである。さればこそ、この歌が、不埒千萬と叱られもせず、微笑を以て採録されたものと思はれるのである。
〔語〕 ○ふたほがみ 諸説があるも判然せぬが、考に二面神で兩面のある男と解したやうに、郡吏の綽名《あだな》に用ゐたのではあるまいか。新考に、「二大上官で、軍の大毅小毅をいへるならむ」といふ説はよくない。そのやうにあらはに上官を誹る歌では、評に述べたやうに防人歌として部領使がささげることはあり得ない。○惡しけ人なり 「惡しき人なり」の東語。惡しけ人は惡漢の意でなく、意地わるといふ程の意。○あたゆまひ 諸説があるが、略解所引宣長説に「あたゆまひは疝病也。和名抄、疝、阿太波良と有る、是也」とあるによつた。鬼界島では脱腸を「あーたーまいー」といふ由。口譯には篤齋ひ、全釋には、脚病《あとやまひ》、全注釋には熱き病、大野晋氏は俄なる病と釋してゐる。○さす 指名する。軍防令には點に「さす」の古訓がある。
〔左註〕 那須郡 下野の北部で、今も那須郡の名を存してゐる。
(157)
    右の一首は、鹽屋《しほのや》郡上丁丈部|足人《たりひと》
    二月十四日、下野國の防人部領使正六位上田口朝臣|大戸《おほと》が進《たてまつ》れる歌の數十八首。但、拙劣なる歌は取載せず。
 
〔譯〕 攝津の國の海の渚で船装ひをして、いよいよ船出をする時に、今一度、母上のお顔が見たいなあ。
〔評〕 難波の浦を漕ぎ離れると、家郷とは全く絶縁したやうな心持になるのは當時としては自然であらう、此處でまた新な感慨が湧いたことも領かれる。「四三三〇」と似てをり、共に船出に際して母を思ひ浮べてゐるが、彼は花々しい船出の壯觀に心緒昂りつつも、見送る母の無いことに寂寥を覺え、此はいよいよ漕ぎ別れるに當つて、今一度母の顔を見たいと焦れてゐるので、多少の趣の相違はあるが、等しくこれ孝子の至情である。
〔語〕 ○たしでも 立ちでむの訛。○あも 母の東語。
〔左註〕 ○鹽屋郡 倭名鈔に之保乃夜とある。今|鹽谷《しほや》郡といひ、那須郡の南に接する。○田口朝臣大戸 續紀によれば寶字四年正六位上から從五位下となつた。全註釋は、當時下野守であつたらうと推測してゐる。
 
4384 曉《あかとき》のかはたれ時に島陰《しまかぎ》を漕ぎにし船のたづき知らずも
    右の一首は、助丁|海上《うなかみ》郡海上國造|他田日奉直得大理《をさだのひまつりのあたひとこたり》
 
〔譯〕 明け方の薄暗い時刻に、島の陰を漕いでいつた船は、どうしたかしらん、心細いことである。
〔評〕 防人を乘せた船が漕ぎ出してゆく。さうして島陰にかくれ去るのを見送る心は、やがて自分も、ああして行くのだと心細さを感じたのである。そこはかとない哀愁が、さながら曉の薄明のやうに讀む者の胸に忍び寄る歌である。
〔語〕 ○かはたれ時 「彼は誰時」の義で、人顔の定かにわからぬ薄明の時刻をいふ。たそがれ時は「誰そ彼時」の(158)義で同じことであるが、習慣上「かはたれ」は曉に、「たそがれ」は夕暮に用ゐる。○島かぎ 「かぎ」は「かげ」の訛。○漕ぎにし 「にし」は去《い》にしの約。
〔左註〕 ○海上郡 下總の東北部に今も存する。○海上國造は海上郡の豪族で、得大理はその家の子弟であらう。南京遺文に採つた天平二十年の正倉院文書にも、海上國造他田日奉部直神護の名が見える。
 
4385 行先《ゆこさき》に浪なとゑらひ後方《しるへ》には子をと妻をと置きてとも來《き》ぬ
    右の一首は、葛飾郡|私部石島《きききべのいそしま》
 
〔譯〕 自分の前途の海には、波が立つてくれるな。後方には、可愛い子供を、また妻を自分は置いて來たのである。何とも心がかりなことだなあ。
〔評〕 前路の不安と後顧の憂とに惱む中年の防人の悲痛な叫びである。朴訥な語調に力があつて、人心を搏つ。
〔語〕 ○ゆこさき 「行く先」の訛。○浪なとゑらひ 「な」は禁止のな。「とゑらひ」は「とをらふ」(九の一七四〇)と同じく、折重なり動搖する意。古義に浪なとを浪の音《と》の訛とし、ゑらひを代匠記に、ゆらひ、略解に、ゆりとよむの意とするのは、恐らく不當であらう。○しるへ 「しりへ」の訛。○子をと妻をと 「と」は「ぞ」に似て輕い辭であり、「空ゆと來ぬよ」(十四の三四二五)、「君をと待とも」(十四の三五六一)及びこの下の「出でてと我が來る」(四四三〇)などの場合と同じとした古義の説がよい。○置きてとも來ぬ 「と」は上の場合と同じい。
〔訓〕 ○こをとつまをと 白文「古乎等都麻乎等」。舊訓コヲラツマヲラ。古義の改訓に從ふ。第二句の「奈美奈等」も「等」は「と」である。
〔左註〕 ○葛飾郡 下總の西部、今一部は東京都葛飾區となつてゐる。○私部 「私」を通行本「和」に作るは誤、元暦校本等によつて改む。私部は、敏達紀にある。これをキサキベと訓むことは、伴信友の上野國三碑考に委しい。
(159)
    右の一首は、結城郡|矢作部眞長《やはぎべのまなが》
 
〔譯〕 自分の家の門にある五本柳ではないが、いつもいつも絶えず母上が自分を戀しがりながら家の仕事をなさることであらう。
〔評〕 働き手を防人に出して、獨り黙々と家業にいそしんでゐる母の姿は、思ひやるだに傷心の極みであらう。序の續け方は巧であるが、文選の五柳先生の故事でなく、實景を描いたものであらう。東國の農家の風情が目に見えるやうである。
〔語〕 ○わがかづ 「かづ」は「かど」の訛。○母が戀ひすす 母が自分のことを戀しがり戀しがりして。「すす」は東歌の「三四八七」「三五六四」の場合と同じく、「爲つつ」の意と思はれる。○なりましつしも 不明の句である。「なり」は生業を營むこと、「四三六四」の「なるべきこと」と同じく動詞で、敬語動詞「ます」につづけたものとして、かりに右の如く解した。
〔訓〕 ○こひすす 白文「古比須須」。元暦校本等による。通行本に「須奈」とあるが、訓はススとあるので誤寫と察せられる。○ましつしも 白文「麻之都之母」。下の「之」は「都」のをどり字「〓」から誤つたと代匠記には説いてゐる。
〔左註〕 結城郡 下總の西北隅で、今は茨城縣に屬する。
 
4387 千葉の野《ぬ》の兒手柏《このてがしは》の含《はほ》まれどあやにかなしみ置きて誰が來《き》ぬ
    右の一首は、千葉郡大田部|足人《たりひと》
 
(160)〔譯〕 千葉の野の兒手柏の葉のつぼんでゐるけれど――年が若くうぶで、女になりきらないけれども、不思議なくらゐ可愛いいのに、それを置いて、誰が出て來たのか。よくも自分は置いて來たことだ。
〔評〕 兒手柏のみづみづしさの思はれる許婚の少女を思ふ歌である。自分が置いて來たのを、「置きて誰が來ぬ」というた句が痛切に感じられる。
〔語〕 ○千葉のぬ 今の千葉市附近の野。野はノであるのをヌと訛つたのである。○兒手柏 諸説があるが、柏の若葉のまだ開かぬのをいふのであらう。(全釋)○ほほまれど 柏の葉のまだ若くてすつかりひろがつてゐないのを、女のまだ若くて片なりなのに譬へた。卷十四の「三五七二」參照。○あやにかなしみ あやしきまでに可愛くて。○たがきぬ 自分が置いて來たのを、誰がと疑問の形で現したもの。(全註釋)
〔左註〕 千葉郡 今も存する郡名で、千葉市附近。
 
4388 旅と云《へ》ど眞旅《またび》になりぬ家の妹《も》が著せし衣《ころも》に垢《あか》つきにかり
    右の一首は、占部虫麻呂
 
〔譯〕 旅といつても、自分のは假初の旅でなく、本當の長旅になつてしまつた。家の妻が出がけに著せてくれた着物に、この通り垢がついてしまつた。
〔評〕 衣服の垢が立派な歌材になつたことは、今日の歌は別として、古くは萬葉以外に無いことであらう。どこまでも眞實に立脚した萬葉人の素朴さが、尊く感じられる。遣新羅使人達の歌、卷十五の「三六六七」に同想があるが、この防人歌の方が表現が落ちついてゐる。
〔語〕 ○旅とへど 旅といへど。○眞旅 作者の造語であらう。○家のも 「も」は妹の約。○垢つきにかり 「か(161)
 
    右の一首は、印波《いには》郡丈部|直《あたひ》大麻呂
 
〔評〕 海上をこぐ船の舳先を越す白浪が、急にぱつと來るやうに、突然に召集の命令をお下しになつたことである。まるで思ひがけもしなかつたのに。
〔評〕 防人徴集令が不意打のやうに下ることが多かつた趣は、既に?々歌の上に見えてゐる。この歌にも、その命令をうけた瞬間の心的衝動がよく現れてゐる。潮船の舳を越す白浪を序としたのは、やがて遙かなる蒼海の風波を凌ぎゆくべき防人としては、剴切な着想である。
〔語〕 ○しほ船 川船に對して海上の船をいふ。「四三六八」にもある。○舳こそ 「こそ」は「越す」の訛。○にはしくも 俄かにもの意。「にはしく」は、「俄か」と同意の形容詞「にはし」があつて、その副詞形と思はれる。○おふせ賜ほか 「おふせ」は「おほせ」の訛。「おほす」は元來「負はす」の轉で、課す、命ずの意。「たまほ」は「賜ふ」の東語。「か」は詠歎の動詞。○思はへなくに 代匠記に「おもひあへなくになり。比阿の反、波なり。何事を思ひあへず、いそぎたつの心なり」とある。
〔左註〕 印波郡 下總の中部、印幡沼附近で、今、印幡郡といふ。
 
4390 群玉《むらたま》の樞《くる》に釘《くぎ》さし固《かた》めとし妹が心《ここり》は搖《あよ》くなめかも
    右の一首は、※[獣偏+爰]島《さしま》郡刑部|志加麻呂《しかまろ》
 
〔譯〕 戸の樞に釘をさして嚴重に戸締りをしたやうに、しつかりと約束を固めて置いたいとしい女の心持は、たとひ(162)永く別れてゐても、搖ぐことがあらうか。大丈夫、びくともしはすまい。
〔評〕 防人に出で立つ人々のそれぞれの心もちをうたつた歌は、各人各樣で、いづれも脈々と血汐の通つた人間の姿ならぬは無い中に、ここにも僞らざる一人の人間の横顔を見る。一二句の實生活に即した序もおもしろい。
〔語〕 ○群玉の 群玉のくるめくの意の枕詞。○樞に釘さし くるる戸に釘を挿し戸締りをしての意。初二句は「かためとし」の序。○かためとし 「とし」は「てし」の訛。○ここり 心の訛。○かよくなめかも 「あよくらめかも」の訛。動搖するであらうか、決して動搖しまいの意。あよくは、ゆらぎ動く意。
〔訓〕 ○ここり 白文「去去里」。里は古い用字例に從つたもので、ロとよむべきか(大野晋氏)。
〔左註〕 ※[獣偏+爰]島郡 和名抄に「佐之萬」と訓がある。今は、猿島郡の一部である。
 
4391 國國の社の《やしろ》神に幣帛《ぬさ》奉《まつ》り贖祈《あかこひ》すなむ妹がかなしさ
    右の一首は、結城郡|忍海部五百麻呂《おしみべのいほまろ》
 
〔譯〕 國々のお社の神樣に幣を奉り、それを贖物《あがもの》として自分の平安を祈つてくれてゐるに違ひない故郷の妻が、いとしいことではある。
〔評〕 第四句、作者の表現がいまだしい爲に、「吾が戀すなむ」と解し、防人自身が過ぎ行く國々の社に妻の無事を祈るものと見る説がある。三句までの解としてはその方が自然と考へられるが、全體として、殊に「なむ」の語法的説明に於いて上述のやうに解した。
〔語〕 ○國々の社の神 代匠記には、下總國内の處々の神と解してゐる。防人が經ゆく國々の神社を遙拜して、と解すべきであらうか。○贖祈すなむ 神を祈つて生命を贖ひ、無事を祈つてくれてゐるであらうの意。「贖ふ命は妹が爲こそ」(卷十二の三二〇一)參照。「すなむ」は「すらむ」の東語。
(163)
    右の一首は、埴生《はにふ》郡大伴部|麻與佐《まよさ》
 
〔譯〕 天地のどの神樣をお祈りしたらば、無事に歸つて來て、愛する母上に再びお話をすることが出來ようか。
〔評〕 母を思ふ至情のあまりには、同じ祈るにしても、最大の威力を有し給ふ神を覓めてぬかづかうとする、これも弱い人情の自然であらう。卷九の「一七八四」、卷十一の「二四一八」參照。
〔語〕 ○あめつし 「あめつち」の東語。○うつくし母 形容詞の終止形を連體格に用ゐたもの。「三五七七」參照。
〔左註〕 埴生郡 利根川沿岸で、今は印幡郡に併せられてゐる。
 
4393 大君の命《みこと》にされば父母を齋瓮《いはひべ》と置きて參《ま》ゐて來《き》にしを
    右の一首は、結城郡|雀部《ささきべの》廣島
 
〔譯〕 大君の御命令であるから、大事な父上母上を、互の無事を祈つて神樣をお祭りしたその齋瓮と一緒に家に殘して置いて、かうして一行に參加して來たのだ。
〔評〕 親は愛兒の爲に、齋瓮を据ゑて神を祭つて無事を祈り、子は兩親の無事を念じた。その神聖な齋瓮と共に父母を置く以上は、神明の加護が必ず父母の身にあるであらうと、窃かに恃み自ら慰めてゐる若者の眞情が、しみじみと酌み取られる。
〔語〕 ○命にされば 命にしあればの約。○齋瓮と置きて 齋瓮は神を祭る爲の酒器。親子互の平安を祈つた祭器と共に父母を置くことに、一種の安心を感じてゐると見るべきであらう。○參ゐて來にしを 出て來たことであるよの意。「を」は詠歎の助詞。
(164)〔訓〕 ○來にしを 白文「枳爾之乎」。「爾」を通行本に「麻」とある。元暦校本等によつて改めた。
 
4394 大君の命《みこと》かしこみ弓《ゆみ》の共《みた》眞寢《さね》か渡らむ長《なが》けこの夜を
    右の一首は、相馬郡大伴都|子羊《こひつじ》
    二月十六日、下總國の防人部領使少目從七位下|縣犬養《あがたいぬかひ》宿禰|淨人《きよひと》が進《たてまつ》れる歌の數二十二首。但、拙劣なる歌は取載せず。
 
〔譯〕 大君の仰言をかしこみ承つて、弓と共に寢て過すことであらうか、この長い夜を。
〔評〕 弓と共に寢ようとは、ますらをらしく豪快であるが、「長けこの夜を」と添へた一句には、底に妻を思ふ心を藏してゐる。
〔語〕 ○弓のみた ゆみを、代匠記以來、夢の東語としたのは、通行本に「由美乃美仁」とあつた爲である。元暦校本等には「仁」を「他」とある。「みた」は「むた」の訛。○さねかわたらむ 「さ」は接頗辭、「か」は疑問の助詞。「渡る」は連續する意。○長け 長きの訛。
〔左註〕 相馬郡 下總の北部、今、東葛飾郡の一部と北相馬都になつてゐる。
 
   獨、龍田山の櫻花を惜める歌一首
4395 龍田《たつた》山見つつ越え來し櫻花散りか過ぎなむ我が歸るとに
 
〔題〕 家持が難波に在つて、さきに越えて來た龍田山の櫻がやがて散るであらうと惜しんだ歌である。
〔譯〕 龍田山で見つつ越えて來たあの櫻の花は、もう散つてしまふことであらうか、自分が歸る頃には。
〔評〕 防人輸送の事務も、一段落ついてほつとしたのであらう家持は、「我が歸るとに」の一句に、歸京の遠からぬ
(165)
は平凡である。
〔語〕 ○龍田山 大和から難波への要路に當り、信貴山の南方に連なる山。卷一の「八三」參照。○とに うちにの意。卷十の「一八二二」參照。
〔訓〕 ○かへるとに 白文「可敝流刀爾」。元暦校本等に據る。通行本に「爾」を「禰」に作るは不可。
 
   獨、江の水に浮び漂へる糞《こつみ》を見て、貝玉の依らざるを怨恨《うら》みて作れる歌一首
4396 堀江より朝潮|滿《み》ちに寄る木糞《こつみ》貝にありせばつとにせましを
 
〔題〕 ○獨江の水に云々 江の水は難波堀江の水。○糞 こつみ(木糞)で、木の屑か木の切れはし。
〔譯〕 堀江から朝潮の滿ちて來るにつれて寄つて來る木屑が、貝であつたらば、拾つて都への土産にしようものを。
〔評〕 海の無い奈良の京への土産として、美しい貝を希望したのであるが、優れた歌とはいへない。
 
   館の門に在りて江の南の美女《たをやめ》を見て作れる歌一首
4397 見渡せば向《むか》つをのへの花にほひ照りて立てるは愛《は》しき誰《た》が妻
    右の三首は、二月十七日、兵部少輔大伴家持作れり。
 
〔題〕 ○館の門 兵部省の出張所の建物の門。○江の南の美女 堀江の南岸に立つてゐる美人。漢風の題詞である。
〔譯〕 見渡すと、向の丘の上に花が匂ひやかに咲いてゐる。その花の美しさに映じて、いよいよ美しく輝くばかりに立つてゐるのは、あれは誰の妻であらう。
(166)〔評〕 融々たる春光の中に立つ佳人の姿を遠く眺めての作。「桃の花した照る道に出で立つ※[女+感]嬬《をとめ》」(卷十九の四一三九)に竝ぶれば、精彩が劣つてゐる。
〔語〕 ○向つをのへ 向の丘の上の意。難波には向つ尾上といつても山はない。舘がどのあたりにあつたかは知られぬが、總釋は、今の大阪城あたりの臺地をさすのではないかと説いてゐる。○花にほひ 花の艶美に咲いてゐるに、それの如くといふ意の省略語法。
 
   防人の情《こころ》に爲《な》りて思を述べて作れる歌一首并に短歌
4398 大王《おほきみ》の 命《みこと》かしこみ 妻別れ 悲しくはあれど 丈夫《ますらを》の 情《こころ》振《ふ》りおこし とり装《よそ》ひ 門出をすれば たらちねの 母かき撫で 若草の 妻取り附き 平らけく 我《われ》は齋《いは》はむ 好去《まさき》くて 早|還《かへ》り來《こ》と 眞袖持ち 流を拭《のご》ひ 咽《むせ》びつつ 言語《かたらひ》すれば 群鳥《むら》の 出で立《た》ちかてに 滯《とどこほ》り 顧《かへり》みしつつ いや遠《とほ》に 國を來離《きはな》れ いや高に 山を越え過ぎ 蘆が散《ち》る 難波に來《き》居《ゐ》て 夕汐に 船を浮け居《す》ゑ 朝なぎに 舳向《へむ》け漕がむと 侍候《さもら》ふと 我がをる時に 春霞 島|邊《め》に立ちて 鶴《たづ》が音《ね》の 悲しみ鳴けば はろばろに 家を思ひ出《で》 負征箭《おひそや》の そよと鳴るまで 歎きつるかも
 
〔題〕 防人の情に爲りて云々 家持が自身防人に召されてゆく氣持になつて作つた歌との意。
〔譯〕 大君の御命令の恐多さに、妻に別れて悲しくはあるが、男子としての勇猛心を振ひ起し、防人としての服装を整へて門出をすると、なつかしい母上は自分の背を撫で、いとしい妻は取りついて、「御無事なやうにと齋ひごとを(167)
は勢よく立ち出にくくて行きしぶり、うしろを振り返りつつ、いよいよ遠く故國を離れて來、次々と高い山を越えて、難波に着いて、夕汐に船を浮べ、朝凪に筑紫の方に舳先を向けて漕ぎ出さうと、天候を伺ひ待つてゐると、春の霞が島のほとりに立ちこめ、鶴の聲が悲しさうに鳴くので、遙かに家郷を思ひ出し、背に負うてゐる箭のさらさらと音を立てるまで、身悶えをして歎いたことである。
〔評〕 家持は、諸國から集つた防人達に接して、防人の悲別の心を痛む一篇(四三三一)を作つたが、多感な彼は、更に防人の心になつてこの作を成したのである。門出の際に於ける種々相の描寫は、防人等諸作の中に歌ひごまれたものを取り集め、途中の敍述には人麿の手法を學んだ處もあるが、結末の「春霞島邊に立ちて鶴が音の悲しみ鳴けばはろばろに家を思ひ出」は、春怨と旅愁とを纒綿したすぐれた筆致である。
〔語〕 ○まさきくて 好去はヨクユキテともよめる。無事にいつての義。○群鳥の 「出で立つ」にかけた枕詞。○蘆が散る 「難波」の枕詞。「四三六二」參照。○島邊 島のほとり。「しまめ」は他に用例を見ないが、東語を用ゐたのでもあらうか。○負征箭 背に負うた矢。○そよと鳴るまで 矢の羽が相觸れてさらさらと音する位にの意。そや、そよと似た音を重ねてゐる。
〔訓〕 ○かきなで 白文「可伎奈※[泥/土]」。諸本この下に「泥」があるが、今、元暦校本に從つて除く。○しまめ 白文「之麻米」。代匠記には「米」は「未」の誤で、島|廻《み》であらうとしてゐる。
 
   反歌
4399 海原《うなはら》に霞たなびき鶴《たづ》が音《ね》の悲しき宵は國方《くにべ》し思ほゆ
 
〔譯〕 海上に霞が棚引いて、鶴の聲が悲しく聞えて來る宵は、故郷の方が戀しく思ひ出される。
(168)〔評〕 長歌の末尾を要約したもの、情景兼ね備はつてゐる。東歌の「葦の葉に夕霧立ちて鴨が音の寒き夕し汝をば偲はむ」(三五七〇)に相通ふ點もあるが、彼は悄然たる暗さ寒さであるに比して、此は明るさ暖さを湛へてゐる。
 
4400 家おもふと寢《い》を宿《ね》ずをれば鶴《たづ》が鳴く蘆邊も見えず春の霞に
    右は十九日、兵部少輔大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 家郷を思つて、眠りもやらずにゐると、鶴の聲が聞えるが、その鳴く葦群の邊も見えない。春霞のために。
〔評〕 のびのびと豐かに流れてゆく快い旋律に、春の朧夜のうら悲しさが脈動して、人の胸を潤す。まことに音樂的であり、感覺的である。
〔語〕 ○寢を宿ずをれば おちおち眠ることも出來ずにゐると。「い」は名詞で睡眠の意。○蘆邊も見えず 略解や古義に、蘆邊さへも見えず、まして故郷の方は全く見えないとの意に取つたのは考へ過ぎである。この「も」は詠歎の助詞で輕く用ゐてある。
 
4401 唐衣《からごろも》裾に取りつき泣く子らを置きてぞ來《き》のや母《おも》なしにして
    右の一首は、國造|小縣《ちひさがた》郡|他田舍人《をさだのとねり》大島
 
〔譯〕 門出の際に、衣の裾に取りついて泣く子を置いて、立ち出て來たことよ。母親もないのに。
〔評〕 裾に取りすがつて泣く子を、振り放して出て來た。妻が世を去つたので、その子には母親が無いのである。悲痛な別れをして來た防人の中でも、最も哀れな境遇であらう。その心事察するに餘りがある。
〔語〕 ○唐衣 支那風の着物。防人は官から支給された外國風の着物を着て門出をしたのであらう。○置きてぞ來のや 來のは來ぬの訛。「ぞ」の結びは連體形で「來ぬる」とあるべきであるが、東歌防人歌では、連體形として「ぬ
(169)
〔左註〕 小縣郡 和名抄に「知比左加多」とある。現存の郡で、今の上田市附近。「小」は元暦校本、西本願寺本等による。通行本「少」は誤。○國造 國造丁の丁を省略したものであらう。次にも主帳とのみある。
 
4402 ちはやぶる神の御坂に幣《ぬさ》奉《まつ》り齋《いは》ふいのちは母《おも》父が爲
    右の一首は、主帳|埴科《はにしな》郡|神人部子忍男《かむとべのこおしを》
 
〔譯〕 神の御坂に幣帛をささげて、命が安全なやうにと齋ひをするのは、父母の爲に無事にゐたいからである。
〔評〕 おそろしい山坂の神に幣を捧げて、神の心を和めるのも、わが爲にではない、父母の爲にといふ孝子の心である。
〔語〕 ○神の御坂 卷九に「かしこきや神の御坂」(一八〇〇)とあるのは足柄の坂、これは信濃の坂で、信濃國伊那郡より美濃國惠那郡に越える坂である。
〔左註〕 埴科郡 今もある郡名。
 
4403 大君の命《みこと》かしこみ青|雲《ぐむ》の棚引《とのび》く山を越《こ》よて來《き》のかむ
    右の一首は、小長谷部《をはつせべの》笠麻呂
    二月二十二日、信濃國の防人部領使、上道《みちだち》して病を得て來らず、進《たてまつ》れる歌の數十二首。但、拙劣なる歌は取載せず。
 
〔譯〕 大君の仰言の恐多さに、青雲のたなびいてゐる高い山を越えて來たことである。
〔評〕 青雲のつらなる彼方はるかに、東の國をかへり見たことであらう。東訛の多い、淳朴な歌である。
(170)〔語〕 ○青ぐむ 青雲の訛。○とのびく たなびくに同じ。○越よて 越えての訛。○來のかむ 來ぬるかもの訛。
〔訓〕 ○こよて 白文「古與弖」。「與」を通行本等「江」に作る。元暦校本等による。○きのかむ 白文「伎怒加牟」。元暦校本等による。通行本は「恕」。
 
4404 難波道《なにはぢ》を徒《ゆ》きて來《く》までと吾妹子が著《つ》けし紐が緒絶えにけるかも
    右の一首は、助丁|上毛野牛甘《かみつけののうしかひ》
〔譯〕 難波への道を行つて歸るまで解けぬやうにと、自分の妻が著けてくれた著物の紐の緒が切れたことよまあ。
〔評〕 未だ行き著かぬうちに紐の緒が切れた。妻の切なる眞心が籠つた紐の緒である。結句の歎聲がかはれである。
 
4405 我が妹子《いもこ》がしのひにせよと着《つ》けし紐絲になるとも我《わ》は解かじとよ
    右の一首は、朝倉|益人《ますひと》
 
〔譯〕 自分の妻が思ひ出の種にせよとつけた紐、それが磨り減つて糸にならうとも、自分は解くまいと思ふ。
〔評〕 紐をとかぬといふ歌は少くないが、「糸になるとも」といつたのが幼くてよい。
〔語〕 ○我が妹子 通常「わぎもこ」といつてゐるを、約さずに用ゐてゐる。○解かじとよ とよは「と思ふよ」の意。
 
4406 我が家《いは》ろに行かも人もが草枕旅は苦しと告げ遣《や》らまくも
    右の一首は、大伴部|節麻呂《ふしまろ》
 
〔譯〕 自分の家に行く人があればよい。旅は此のやうに苦しいと、家の人に告げて遣らうものを。
〔評〕 「三六一二」「三六四〇」などに、似た感想はあるが、素朴天眞の歎きで、生地《きぢ》の妙味を思ふべきである。
(171)
4407 ひなぐもり碓日《うすひ》の坂を越えしだに妹がこひしく忘らえぬかも
    右の一首は、他田部子磐前《をさだべのこいはさき》
    二月二十三日、上野國の防人部領使大目正六位下上毛野君《かみつけののきみ》駿河が、進《たてまつ》れる歌の數十二首。但、拙劣なる歌は取載せず。
 
〔譯〕 碓日の坂を越えたばかりでさへ、妻が戀しくて忘られぬことよ。
〔評〕 碓日の坂を越えただけでかく戀しいに、行先は如何であらうといふ意が籠つてをる。質素順直の句法で、調子はなだらかである。
〔語〕 ○ひなぐもり 碓氷の枕詞、日の曇りの義で薄《うす》につづく。卷十四の「三四〇二」では「ひのぐれに」を用ゐてゐる。○碓日の坂 碓氷峠の坂。當時、上野から難波への順路は、まづ碓氷を越えて信濃に入るのであつた。○だに それだけで。
〔左註〕 他田部 「他」は元暦校本等による。通行本「池」は誤。「四四〇一」參照。○上野國 通行本「下野」とあるが、下野は前にあり、「上野」(元暦校本等)が正しい。
 
   防人の別を悲しむ情《こころ》を陳《の》ぶる歌一首并に短歌
4408 大王《おほきみ》の 任《まけ》のまにまに 島守《しまもり》に 我が立ち來《く》れば 柞葉《ははそば》の 母の命《みこと》は 御裳《みも》の裾 つみ擧《あ》げ掻《か》き撫で ちちの實《み》の 父の命《みこと》は たく綱《づの》の 白鬚《しらひげ》の上《うへ》ゆ 涙|垂《た》り 歎き宣賜《のたば》く 鹿兒《かこ》じもの 唯一人して 朝戸|出《で》の かなしき吾が子 あら玉の 年の瀬長く あひ見ずは 戀し(172)くあるべし 今日だにも 言問《ことど》ひせむと 惜しみつつ 悲しび坐《ま》せ 若草の 妻も子等《こども》も 彼此《をちこち》に 多《さは》に圍《かく》み居《ゐ》 春鳥の 聲の吟《さまよ》ひ 白たへの 袖泣きぬらし 携《たづさ》はり 別れかてにと 引き留《とど》め 慕ひしものを 天皇《おほきみ》の 命《みこと》かしこみ 玉ほこの 道に出で立ち 丘《をか》の岬《さき》 い廻《た》むる毎《ごと》に 萬|度《たび》 顧みかへり》みしつつ はろばろに 別れし來《く》れば 思ふそら 安くもあらず 戀ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命も知らず 海原の かしこき道を 島|傳《づた》ひ い漕ぎ渡りて 在り廻《めぐ》り 我が來《く》るまでに 平らけく 親はいまさね 恙《つつみ》無《な》く 妻は待《ま》たせと 住吉《すみのえ》の 我《あ》が皇神《すめがみ》に 幣《ぬさ》奉《まつ》り 祈り申《まを》して 難波津に 船を浮け居《す》ゑ 八十楫《やそか》貫《ぬ》き 水手《かこ》整《ととの》へて 朝びらき 我《わ》は漕ぎ出《で》ぬと 家に告げこそ
 
〔譯〕 天皇の御命令のままに、防人となつて自分が立ち出でて來ると、母は裳裾をつまみあげてわが頭を撫で、父は白鬚の上から涙をたらして歎いて言はれるには、鹿の兒のやうに唯一人で朝旅立ちをする、かはいい吾子よ。年長くあひ見ないならば、戀しいであらう。今日だけでも話をしようと、惜しみ悲しんでゐられると、妻も子供もあちらこちらに澤山に自分をかこんで聲をあげて泣き、袖を泣きぬらし、手にすがりつき、別れ難くするやうに引き止め、慕つたものを、天皇の仰言が恐多いので、旅路に立ち出で、丘の端をまはる度毎に、幾度も振りかへり見つつ、はるばると遠く別れて來ると、思ふ心も安くはなく、戀ふる心も苦しいものを、此の世の人の身であるから、命の程も知らず、海原の恐ろしい道を、島づたひに漕いでいって、行き廻つて、勤を果して自分が歸つて來るまでに、平安に親はをられるやうに、病もなく妻は待つやうにと、住吉の神に幣を奉り、祈り申して、難波の港に船を浮べておき、多くの艪を立て、水手をそろへて、朝のあけ方に自分は漕ぎ出たと、家人に告げてもらひたい。
(173)
したもの。老いたる父母に、妻に、子らに別れを悲しむ樣子を克明に敍述してはあるが、平板な作である。
〔語〕 ○柞葉《ははそば》の 母の枕詞。○御裳の裾つみ擧げ掻き撫で この句で問題となるのは掻き撫での目的語であるが、代匠記以來防人に行く子の頭を掻き撫でと説かれてゐる。作者の表現の不足である。○ちちの實の 父の枕詞。○たくづのの 枕詞。栲で作つた綱の白いことから白につづく。○鹿兒じもの 一人の枕詞。○春鳥の 枕詞。○丘の岬 丘陵の端、突端。
〔訓〕 ○しまもり 白文「島守」。さきもりとよむ説もある。○ませ 元暦校本による。通行本は「伊麻世」。
 
   反歌
4409 家人の齋《いは》へにかあらむ平らけく船出《ふなで》はしぬと親に申《まを》さね
 
〔譯〕 家人が齋ひごとをし祈つてをるからであらうか、平らかに船出をしたと、親に傳へてもらひたい。
〔評〕 長歌の終りを反覆したもので、平安の船出を感謝する意を籠めてをる。
〔語〕 ○齋へにかあらむ 齋へばならむかの意。
 
4410 み空行く雲も使と人はいへど家づと遣《や》らむたづき知らずも
 
〔譯〕 空を行く雲も故國への使であると、人はいふけれども、わが家に物を遣らうとする手段がない。
〔評〕 「天飛ぶや雁を使に」(三六七六)といふ歌はあるが、雲を使に見たてた歌は無い。しかし、平凡な作である。
 
4411 家づとに貝ぞ給《ひり》へる濱波はいやしくしくに高く寄すれど
 
(174)〔譯〕 家への土産に貝を拾つた。濱の浪はいよいよしきりに高く寄せるけれども。
〔評〕 前をうけて、家づとを説明してをるのであるが、遣新羅使一行の一人がうたつた「家づとに貝を拾ふと沖邊より寄せ來る浪に衣手ぬれぬ」(三七〇九)に似てをる。
〔語〕 ○拾《ひり》へる 「ひりふ」は「ひろふ」の古言。○しくしくに 頻りに、ひきもきらず。
 
4412 島かげに我が船|泊《は》てて告げやらむ使を無みや戀ひつつ行かむ
    二月二十三日、兵部少輔大伴宿禰家持
 
〔譯〕 島陰に船が泊つて、自分の無事を故郷へ告げやるべき使がないので、戀しい思をはるけずに行くことか。
〔評〕 第三句と結句に韻を踏んだところ、自然の技巧をなしてをる。卷六なる笠金村の歌集の中の一首(九五三)が、ゆかむ、逢はざらむと押韻されてゐるのと、同じ手法である。
〔語〕 ○告げやらむ 使につづく連體格である。つげを托《つ》けであるとの説はよくない。
 
4413 枕刀《まくらたし》腰に取り佩《は》き眞愛《まがな》しき夫《せ》ろがまき來《こ》む月《つく》の知らなく
    右の一首は、上丁那珂郡|檜前舍人右前《ひのくまのとねりいはきき》の妻《め》大伴部|眞足女《またりめ》
 
〔譯〕 枕刀を腰に帶びて、愛する夫がお歸りなさる月のいつとも知られないことよ。
〔評〕 刀を取りたてて云つたところが防人の妻にふさはしい。「ま」の音がおのづから重なつたのもよい。
〔語〕 ○枕刀《まくらたし》 まくらだちの訛。枕刀は寢る時も太刀を枕上におくからである(代匠記)。倭建命の歌に「床の邊に我が置きし劍の太刀」とある(略解宣長説)。○夫ろ ろは接尾辭。東歌の「三三七五」にも夫ろとある。他にも嶺ろ、子ろ、心の緒ろなどある。○まきこむ まきはまかりの約といはれてゐるが、向きの訛とも考へられる。○つく
(175)
〔左註〕 那珂郡 今、埼玉縣兒玉郡の一部。
〔訓〕 ○まくらたし 白文「麻久良多之」。「之」は元暦校本等による。通行本は「知」。○眞足女 元暦校本等による。「女」通行本に「母」とあるは誤。
 
4414 大君の命《みこと》かしこみ愛《うつく》しけ眞子《まこ》が手|離《はな》り島|傳《づた》ひ行く
    右の一首は、助丁|秩父《ちちぷ》郡大伴部|少歳《をとし》
 
〔譯〕 大君の仰言の恐多きに、かはゆい女の手を離れ、島づたひに漕いで行くことである。
〔評〕 自然眞率、その幼さが愛せられる。一二句は防人の慣用の句となつてゐる。
〔語〕 ○うつくしけ うつくしきの訛。○眞子 まは接尾辭。ここの「子」は妻の愛稱。「四一六六」のは子のこと。○離り 離れの古格。
〔左註〕 秩父郡 和名抄「知々夫」とある。今も埼玉縣にある。
 
4415 白《しら》玉を手に取り持《も》して見る如《の》すも家なる妹をまた見てももや
    右の一首は、主帳|荏原《えばら》郡物部|歳コ《としとこ》
 
〔譯〕 白い玉を手に取り持つて見るやうに、家にをる妻を、また見たいものである。
〔評〕 海べに拾つた玉のやうな白い石を眺めながら詠んだものか。妻を掌中の白玉の如く愛でいつくしむ意もこもつてをるやうである。
〔語〕 ○持して もちての訛。「これの針《はる》もし」(四四二〇)。○見るのすも のすは如《な》すの東語。「鴨の匐ほのす」(176)(三五二五)。○見てももや 見てもは、見てむの訛。も、や、共に感動の助詞。「や」は「おきてぞきのや」(四四〇一)のやに同じい。もやと續く例は、「もがもや」がある。
〔左註〕 荏原郡 和名抄に「江波良」とあり、今、東京都の南部。港、品川、目黒、世田谷、荏原、大田各區をふくむ邊。
 
4416 草枕旅行く夫《せな》が丸寢《まるね》せば家《いは》なる我《われ》は紐解かず寢む
    右の一首は、妻《め》椋椅部刀自賣《くらはしべのとじめ》
 
〔譯〕 旅をして行く夫が丸寢をなさるならば、家にゐる私は、紐を解かずに寢ませう。
〔評〕 夫の旅寢の辛苦をしのんで、家にゐても着物の紐を解かずに寢るといふので、思ひやりの籠つた歌である。
〔語〕 ○せな 「な」は接尾辭。卷十四の「三四〇二」參照。○まる寢 服装を解かずに寐ること。卷九の「一七八七」、卷十八の「四一一三」にはまろねとある。○いは いへの訛。「四四〇六」參照。
〔左註〕 妻とあるは、前の歳コの妻である。
 
4417 赤駒《あかごま》を山野《やまの》に放《はが》し捕《と》りかにて多摩の横山|歩《かし》ゆか遣《や》らむ
    右の一首は、豐島《としま》郡上丁椋椅部|荒虫《あらむし》の妻|宇遲部黒女《うぢべのくろめ》
 
〔譯〕 赤馬を山野に放ち飼にしておいたが、夫の防人としての旅だちに、急に捕へることが出來なくて、夫を馬にも乘せず、多摩の横山を徒歩で行かせなければならぬことか。まことにお氣の毒なことである。
〔評〕 夫を馬に乘せて出立させたかつたのに、それが出來ぬ心殘りを歎いた歌。幼い云ひ振りのなかに民情が流露してをり、馬を放し飼ひにしておいた上代東國の農家の樣も思はれる。
(177)
し」は「かち」の訛。「ゆ」は「より」。
〔左註〕 豐島郡 和名抄「止志末」とあり、今東京都の北部。中央、千代田、台東各區から練馬、豐島、杉並區をふくむ邊。
 
4418 我が門の《かど》の片山椿まこと汝《なれ》我が手|觸《ふ》れなな地《つち》に落ちもかも
    右の一首は、荏原郡上丁物部|廣足《ひろたり》
 
〔譯〕 わが家の門に近い片側が山になつてゐる處の椿よ。本當にお前は、自分の手が觸れないで、地に落ちることがあらうか、ありはせぬ。(他人の手に觸れて地に落ちようか、落ちはすまい。)
〔評〕 表面の意は、門のあたりの椿と別れを惜しむことによまれてゐるが、女を譬へたもの、しかし譬が判然せぬ。
〔語〕 ○觸れなな 上のなは打消の助動詞ぬの未然形。下のなは、その反復、または助詞「に」の轉。卷十四の「三四〇八」參照。ここのいひ方は、稚拙の爲にややわきがたい。○落ちも 落ちむの訛。
 
4419 家《いは》ろには葦火《あしぶ》焚《た》けども住み好《よ》けを筑紫《つくし》に到りて戀《こふ》しけもはも
    右の一首は、橘樹《たちばな》郡上丁物部|眞根《まね》
 
〔譯〕 家では葦を折り焚く貧しいくらしではあるが住み好いのを、筑紫に行つてから、さぞ戀しいことであらう。
〔評〕 葦火を焚いて暖を取り燈油にもかへる生活、その煙に煤けた家、しかし此處に樂しい團欒がある。旅に在つて暖い家庭生活への愛着を如實に語つてゐる。
〔語〕 ○いはろ 「いは」は家の東語。ろは接尾辭。○あしぶ あしびの東語。蘆を焚く火。○住み好け 住み好き(178)の訛。○戀ふしけもはも 「戀ふしけも」は、「戀ほしけむ」の訛、「はも」は助詞。
〔左註〕 橘樹郡 和名抄に「太知波奈」とある。今、神奈川縣、多摩川の南岸、川崎市の北部。
 
4420 草枕旅の丸寢《まるね》の紐絶えば我《あ》が手と附《つ》けろ此《これ》の針《はる》持《も》し
    右の一首は、妻《め》椋椅部|弟女《おとめ》
 
〔譯〕 草を枕にする旅で、着物を着たままで丸寢をして、着物の紐がきれたならば、私の手だと思つて縫ひつけて下さい。この針でもつて。
〔評〕 夫の旅立にこまごまと氣をつけて、針を渡した農人の妻の面目が躍如として、粗野な詞に眞情が溢れてゐる。
〔語〕 ○まる寢 「四四一六」參照。○我が手とつけろ 我は妻自身、我が手と思ひての義。(代匠記説)。しかるに、我は夫、「と」は「にて」の意で、自分の手でと解する説(新考)があるが、しかし、「と」は「にて」と解するとすれば東語とすべきであつて他に確證なく、我を第一人稱の代名詞でなく、反射指示的に、おの、おのれの意に通じ用ゐる確かな例は集中にないといふ説(佐伯梅友氏萬葉語研究)に從ふべきである。「ろ」は命令形、「よ」にあたる助詞。今の東國方言の場合に同じ。○これの針《はる》もし 「これの」は「此の」、「はる」は「はり」、「もし」は「もち」の訛。
 
4421 我が行《ゆき》の息衝《いきつ》くしかば足柄《あしがら》の峯|延《は》ほ雲を見とと偲《しの》はね
    右の一首は、都筑《つつき》郡上丁|服部於田《はとりべのうへだ》
 
〔譯〕 自分の旅行が歎かれるならば、足柄の峯をはふ雲を見ながら、自分を思ひ出しておくれ。
〔評〕 東歌の「我が面の忘れむ時《しだ》は國溢り峰に立つ雲を見つつ偲はせ」(三五一五)に學んだもの、足柄山を詠みいれたところに、地方色がくつきりと出てをる。
(179)
ここは假定條件で、歎息するほどであつたならばの意。○足柄の峯 都筑郡からは足柄山を望むことはできるが、特に擧げたのは、ここを越えて自分が行つたからである(全釋)。自分の越える時の歎息が雲のやうであるから(代匠記)とまでいはなくてよい。○延ほ 延ふの訛。連體形のオ列になつた例。「逢ほしだ」(卷十四の三四七八)參照。○見とと偲はね 見つつ偲はねの訛。「ね」は願望の助詞。
〔左註〕 都筑郡は、和名抄に「豆々伎」とある。今神奈川縣に屬する。
〔訓〕 ○うへだ 白文「於田」。西本願寺本の訓の如く「ウヘダ」と訓むのであらうが、人名としては珍らしく、元暦校本の赭の書入に「由」とあるから、おゆで、老であらうか。
 
4422 我が夫《せな》を筑紫《つくし》へ遣《や》りて愛《うつく》しみ帶は解かななあやにかも寢《ね》も
    右の一首は、妻《め》服部呰女《はとりべのあさめ》
 
〔譯〕 私の夫を筑紫へ遣つて、懷かしく思ふので、帶は解かずに、私はかはつた恰好で寢ることでせうか。
〔評〕 「四四二八」の昔の防人の歌にあつたのを、みづからの氣特として、いささかかへて歌つたものである。
〔語〕 ○解かなな 解かないで。「なな」は「四四一八」參照。○あやにかも寢も 「あやに」は、あやしい、をかしい樣子でと、丸寢の樣をいつたもの。かもは係の助詞。「ねも」は「ねむ」の訛。
〔左註〕 呰女は、代匠記にはアタメと訓んでゐるが、春日政治博士は古經の訓點によつてアサメと訓まれた。
 
4423 足柄《あしがら》の御《み》坂に立《た》して袖振らば家《いは》なる妹は清《さや》に見もかも
    右の一首は、埼玉《ききたま》郡上丁藤原部|等母麻呂《ともまろ》
 
(180)〔譯〕 足柄の坂に立つて袖を振つたならば、家にある妻は、それをはつきりと見ることであらうか。
〔評〕 足柄山の坂路に立つて振る袖が、埼玉郡の家から見えるはずは無い。しかしこの幼い空想に可憐の趣がある。
〔語〕 ○御坂に立して 御は神のいます坂と坂を尊んでいふ。「立して」は「立ちて」の訛。○いは いへの訛。○みも 見むの訛。
〔左註〕 埼玉郡 東歌に「佐吉多萬」(三三八〇)とある。今、南北二郡に別れてゐる。
 
4424 色深く夫《せな》が衣《ころも》は染《そ》めましを御《み》坂たばらばま清《さや》かに見む
    右の一首は、妻《め》物部|刀自賣《とじめ》
    二月廿九日、武藏國の部領防人使掾正六位上|安曇《あづみ》宿禰|三國《みくに》が、進《たてまつ》れる歌の敷二十首。但、拙劣なる歌は取載せず。
 
〔譯〕 色深く夫の着物を染めればよかつたものを。坂路を廻つておいでの時、はつきりと見えるでせうに。
〔評〕 遠くからでも見えるから、夫の着物を色濃く染めておけばよかつたにといふのである。幼兒の思ひつきのやうな中に、技巧を以ては企及し難い妙味と眞情が掬まれる。
〔語〕 ○たばらば まはらば。たまはり(四三七二)參照。○まさやかに見む まは接頭辭。はつきりと見ようの意。
〔左註〕 廿九日 通行本に「廿日」とあるが、上から順に日を追うてあり、上に廿三日とあるから、それ以後の日である筈で、廿日の下に字の落ちたもの(代匠記)といはれてゐた。果して古葉略類聚鈔に「廿九旧」とあるから、これによつて九を補つた。
 以上で諸國の防人の歌は終つて、以下は昔年の防人の歌である。
 
(181)4425 防人に行くは誰が夫と問ふ人を見るが羨しさ物思もせず
 
〔譯〕 今日防人に出て行くのは、誰の旦那さんでせうなどと尋ねてゐる人を見ると、ほんたうに羨しい。何の物思ひもしないで、氣樂さうである。
〔評〕 防人に徴集された人を送るとてうち群れゆく人々にまじつて、夫との別れを歎く可憐な妻の姿が浮ぶ。防人の出發に當つての上代東國の街頭風景が髣髴とする。悲しむべき事件の渦中に立つ者が、第三者の氣樂さを羨みつつ、いよいよ悲しみを切にするといふことは、廣く人間心理に共通である故に、永久に同感せられるところ、千古に光を放つ佳作である。
〔語〕 ○ともしさ ともしは、少くの意から羨しいの意に轉じたもの。○物思ひもせず 問ふ人の?態をいふ。
 
4426 天地《あめつし》の神に幣《ぬさ》置き齋《いは》ひつついませ我が夫《せな》我《あれ》をし思《も》はば
 
〔譯〕 天地の神樣に幣を捧げて、齋ひごとをしておいでなさいませ、私の夫よ。私をお思ひくださるならば。
〔評〕 神に對する敬虔の情と、夫を思ふ眞心とが現れた、つつましい妻の歌。
〔語〕 ○あめつし つしは、地《つち》の訛。
 
4427 家《いは》の妹ろ吾《わ》をしのふらし眞結《まゆす》びに結《ゆす》びし紐の解くらく思《も》へば
 
〔譯〕 家の妻が、自分を思うてゐるらしい。しつかりとま結びに結んだ紐が、解けることを思ふと。
〔評〕 着物の紐が解けるのは自分を思ふ人の故であるといふ俗信が、廣く一般に行はれてゐたことがわかる。
〔語〕 ○いはの妹ろ いははいへの訛。ろは接尾辭。○まゆすび まは接頭辭。ゆすびはむすびの訛。○解くらく思(182)へば 解けることを思へば。卷十一の「二五五八」と同じ信仰によるもの。
 
4428 我が夫《せな》を筑紫は遣《や》れて愛《うつく》しみ帶《えひ》は解かななあやにかも寢《ね》む
 
〔譯〕 私の夫を筑紫へ遣つて、懷かしく思ふので、帶は解かずに、かはつた恰好で寢ることでせうか。
〔評〕 「四四二二」の原歌で、二句の「は」、「えひ」、「ねむ」、が違ふのみである。
 
4429 厩《うまや》なる繩|絶《た》つ駒の後《おく》るがへ妹が言ひしを置きて悲しも
 
〔譯〕 厩につながれてゐる馬が、繩を絶ち切つて駈け出すやうに、あとを追うて行きたい、おくれはしませぬと妻がいうたのを、置いて來て、悲しいことである。
〔評〕 農人らしい譬喩で、かく云うた妻の、粗野ながら純眞の熱情も愛すべく、その語を繰り返して思ひ浮べつつ、懷かしむ夫の心もあはれである。
〔語〕 ○後るがへ 「がへ」は東歌の「三四二〇」「三五〇二」と同じく、「かは」の訛で、反語。後《おく》れるものか、後れはしないの意。
 
4430 荒男《あらしを》のい小箭《をさ》手挾《たばさ》み向ひ立ちかなる間《ま》鎭《しづ》み出でてと我《あ》が來《く》る
 
〔譯〕 荒々しい男が矢を手挾んで向ひ立ち、獲物を狙うて息をひそめて待つやうに、人の騷がしい音の靜まるのを待つて、女に逢うて自分が出て來たことである。
〔評〕 出立の前に、人の騷ぎの間をぬすんで愛人に逢うて旅立ちをしたのである。序の用法及び四句が、東歌の「三三六一」に似てをるのは、その民謠に效つたものと思はれる。
(183)
猪鹿を射ようとすれば猪鹿の騷ぐ意でつづくものと思はれる。○かなる間鎭み 「か」は接頭辭。なるは鳴るで、騷しい意に解し、人々の立ち騷ぐのが鎭まりと解しておく。○出でてと我が來る 「と」は「ぞ」の訛。「くる」は「こし」の意。
 
4431 小竹《ささ》が葉のさやく霜夜に七重《ななへ》著《か》る衣《ころも》にませる子ろが膚《はだ》はも
 
〔譯〕 小竹の葉がざわざわとさわいで音を立てる此の寒い霜夜に、七重も重ねて着た着物にもまさつてあたたかい女の膚はまあ。膚寒い此の旅の宿りに、あの女の事がしみじみと思ひ出される。
〔評〕 やや露骨ではあるが、音樂的に流麗で、卷四の「五二四」、この卷の「四三五一」よりも音律上まさつてをる。かやうな音樂的詠歎を發し得た上代庶民の敍情的才能が稱歎せられる。
〔語〕 ○七重 重ねる數の多いこと。○かる 著《け》るの訛。著《け》るは著たるの意。卷十五の「三六六七」參照。○ませる まされるに同じ。○子ろ こは妻、ろは接尾辭。
 
4432二 障《さ》へなへぬ命《みこと》にあれば愛《かな》し妹が手《た》枕離れあやに悲しも
    右の八首は、昔年《さきつとし》の防人の歌なり。主典刑部少録正七位上|磐余伊美吉諸君《いはれのいみきもろぎみ》、抄寫して兵部少輔大伴宿爾家持に贈れり。
 
〔譯〕 こばむことの出來ない御命令であるから、愛する妻の手枕を離れ、旅に出て、あやしいまでに悲しいことであるよまあ。
〔評〕 勅命には絶對に服從するといふ念が一、二句に現れ、三句以下は眞率自然である。
〔語〕 ○障《さ》へなへぬ さへは障へで、拒み、ことわる意。なへは敢《あ》へ(代匠記)と説かれてゐる。他の「なへ」の如(184)く打消の助動詞ではない。ことわることのできないの意。
〔左註〕 主典 四等官の第四。さくわん。旅人を?※[手偏+交]する勅使の主典であちう。勅使は防人交替の年、臨時の構成で、諸君は常は刑部省の四等官であつたのである。
 
   三月三日。防人を?※[手偏+交]する勅使、并に兵部の使人等、同《とも》に集へる飲宴《うたげ》に作れる歌三首
4433 朝なさな揚《あが》る雲雀《ひばり》になりてしか都に行きてはや歸り來《こ》む
    右の一首は、勅使紫微大弼安倍|沙美麻呂《さみまろ》朝臣
 
〔題〕 ○?※[手偏+交] しらべかんがへる、檢察する。○兵部使人 兵部省の役人で派遣せられた人、家持以下をいふ。
〔譯〕 朝ごとに空に舞ひあがる雲雀になりたいものである。さうすれば、都に行つてすぐに歸つて來ようものを。
〔評〕 大伴旅人の「龍の馬も今も得てしかあをによし奈良の都に行きて來む爲」(八〇六)に似た構想の歌である。雲雀の揚るのを目睹して感緒をのべたものと思はれるが、この鳥の習性からは妥當でない。
〔語〕 ○朝なさな あさなあさなの約。「四〇一〇」によつても、朝な朝なといはず、朝なさなといつたものと思はれる。「な」は恐らく助詞「に」の轉であらう。
〔左註〕 ○紫微大弼 天平勝寶元年九月、皇后宮職を紫微中臺と改めた。大弼はその次官で、正四位下相當である。天平寶字二年、舊の皇后職に復した。○阿倍朝臣沙美麿 天平寶字二年三月中務卿正四位下で卒した。
 
4434 雲雀あがる春べとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく
 
〔譯〕 雲雀のあがる春の氣候とはつきりなつたので、都の方も見えず、霞がたなびいてをる。
〔評〕 飾りのないすなほな句法ながら、ひきしまつた肌理《きめ》のこまかさが感じられる。深み行く春色に、煙霞のかなた
(185)
〔語〕 ○さやに さやかに、まぎれもなく、確かにの意。
〔訓〕 ○さやに 白文「佐夜爾」。考は、さやにを敍景とみたので霞とかなはないからと、「佐倍爾」と改め、新考は、「佐良爾」と改めてゐる。共に誤解である。
 
4435 含《ふふ》めりし花の初に來し吾や散りなむ後に都へ行かむ
    右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持
 
〔譯〕 蕾であつた花の初めに來た自分は、その花の散つてしまつたであらう後に、都に歸ることであらうか。
〔評〕 二月の初め難波に下り、花の散つた後に歸京することかと淡い旅愁を歌つたもの。四五句の詞がよい。
 
   昔年《さきつとし》相替《あひかは》りし防人の歌一首
4436 闇《やみ》の夜の行く先《さき》知らず行く吾を何時《いつ》來《き》まさむと問ひし兒らはも
 
〔譯〕 闇の夜のやうに行く先も分らずに行く自分であるのに、いつお歸りなさいませうかと問うたあの女よまあ。
〔評〕 一二句はよいが、卷十二の「三一八六」に、「くもり夜のたどきも知らず」の句がある。三句以下は卷十七の「三八九七」と全く同じであるが、同案ともいへよう。
 
   先の太上天皇の御製の霍公鳥の歌一首
4437 ほととぎすなほも鳴かなむもとつ人かけつつもとな朕《あ》を哭《ね》し泣くも
 
〔題〕 先の太上天皇 元暦校本をはじめ古寫本に、「日本根子高瑞日清足姫天皇也」と註してゐるやうに、元正天皇。
(186)〔譯〕 ほととぎすは大抵に鳴けばよい。昔なじみの人を心に思つて、いたずらに泣かせることよ。
〔評〕 ほととぎすの聲に故人をおぼされた御歌。女帝の優しみが古雅なる詞調にしみ出てをる。
〔語〕 ○なほも鳴かなむ なほは略解説のごとく、なほざりに、なみ大ていにの意。猶この上にではない。全註釋には、眞直のなほで、けたたましからず正常にと解してゐる。○本つ人 昔馴染の人、故人であらうが、誰とも知れない。○かけつつもとな かけは心にかけること。もとなはよしなしに。○ねし泣くも 聲をたてて泣かせるよの意。卷十四の「三三六二」、「三四五八」參照。
 
   薩妙觀、詔に應じて和《こた》へ奉《まつ》れる歌一首
4438 ほととぎす此處《ここ》に近くを來鳴《きな》きてよ過ぎなむ後にしるしあらめやも
 
〔題〕 薩妙觀 歸化人の尼で、元正天皇に仕へた人と思はれる。薩は氏。續紀によれば、神龜元年五月河上忌寸の姓を賜ひ、天平九年二月正五位下になつた。
〔譯〕 ほととぎすよ、此處に近く來て鳴いてくれ。今の時が過ぎた後には、鳴いてもその詮がありはせぬから。
〔評〕 ほととぎすの聲にもとつ人をしのび給ふにこたへて詠んだ作。ほととぎすを厭ひ給ふのではなく、そのかみをしのぶなかだちともなるのであるから、かく詠んだのであらう。優腕古雅な作。
〔語〕 ○近くを をは感動の助詞。○過ぎなむ後の 今の時の過ぎてしまつた後に。
〔訓〕 ○薩 通行本「※[こざと+徑の旁]」に作る。元暦校本の「薩」によるのがよい。西本願寺本には「※[こざと+〓]」とある。
 
   冬の日、靱負《ゆげひ》の御井《みゐ》に幸《いでま》しし時、内命婦石川朝臣、詔に應へて雪を賦《よ》める歌一首【諱を邑婆といふ】
4439 松が枝《え》の地《つち》に着《つ》くまでふる雪を見ずてや妹が籠《こも》り居《を》るらむ
(187)
ひしく、水主内親王に遣らむ爲に、雪を賦みて歌を作りて獻れとのりたまひしかば、ここに諸命婦等歌を作るに堪へず。しかるに此の石川令婦、獨此の歌を作りて奏し上げき。
    右件の四首は、上總國大掾正六位上大原眞人|今城《いまき》、傳へ誦みて云爾《しかいふ》【年月いまだ詳ならず。】
 
【いまき】〔題〕 靱負の御井は續紀寶龜三年三月の條に「置2酒靱負御井1」云々と見え、宮中の御井と思はれる。靱負府、即ち衛門府の内にあるからの名であらう。○内命婦石川朝臣 大伴安麿の妻、坂上郎女の母。卷三の「四六一」左註、卷四の「六六七」左註參照。諱は實名。邑婆はオホバ。邑を通行本に「色」とあるは誤、西本願寺本等による。
〔譯〕 松の枝が地につくまでに降る雪の面白い景色を見ないで、あなたが、たれこめておいでになることか。
〔評〕 巧みな手法では無く、むしろ稚拙であるが、その中に質實の味がある。殊に一二句は寫實的でよい。
〔左註〕 ○水主内親王 天智天皇の皇女。續紀によれば、天平九年二月三品を授けられ、同年八月薨ぜられた。太上天皇は左註のかかれた時代ならば聖武天皇であるが、石川命婦の奉仕時代から考へると、元正天皇であらう。○寢膳安からず おからだ工合がよろしくなかつた。○大原今城 卷八の「一六〇四」參照。
 
   上總國の朝集使大掾大原眞人今城、京に向ひし時、郡司の妻女等の餞せる歌二首
4440 足柄の八重山越えていましなば誰《たれ》をか君と見つつ偲《しの》はむ
 
〔題〕 ○朝集使 朝集帳を持つて都に出る使。卷十八の「四一一六」參照。
〔譯〕 足柄の幾重にも重なつた山を越えて、旅においでになつたならば、誰をあなた樣として見つつ懷かしみませうか。あなた樣になぞらへる人はございませぬ。
(188)〔評〕 いはば辭令的ともいふべき歌ではあるが、遠く足柄越を思ひやつたところに情趣がある。
 
4441 立ちしなふ君が姿を忘れずは世のかぎりにや戀ひわたりなむ
 
〔譯〕 やさしくしなやかなあなた樣のお姿を忘れないで、世にあるかぎり戀ひつづけることでありませう。
〔評〕 婦人らしい優雅な作。「立ちしなふ君が姿」といつたのは、今城が特に典雅な風姿であつたからであらう。
〔語〕 ○立ちしなふ しなやかに優艶な樣にあることをいふ。卷十二「二八六三」參照。○忘れずは 「は」は強めのために添へたもの、忘れないでの意(橋本博士による)。但、「姿を忘れないでは、終生戀に苦しまねばなるまいか」のやうに、「ずは」を條件とする説(大岩正伸氏)は注意されてよい。○世のかぎり 生涯。
 
   五月九日、兵部少輔大伴宿禰家持の宅に集飲《うたげ》せる歌四首
4442 我が兄子《せこ》が宿のなでしこ日竝《ひなら》べて雨は降れども色も變らず
    右の一首は、大原眞人今城
 
〔譯〕 あなたの家のなでしこは、毎日毎日雨は降るけれども、色が變りませぬ。
〔評〕 平明な寫實の作で、なでしこによそへて主人をことほいだ歌。此のうたげは、今城の送別の宴であらう。
〔語〕 ○日ならべて 日を重ねて。けならべてに同じ。卷三の「二六三」參照。
 
4443 ひさかたの雨は降りしくなでしこがいや初花に戀しき我が兄《せ》
    右の一首は、大伴宿禰家持
 
〔譯〕 雨は降り頻る。しかし、この雨に色も變らぬなでしこの初花のやうにいよいよ懷かしい我が家よ。
(189)
〔評〕 折からの雨と、それに色も變らなぬなでしこの花とを詠み入れ、その花の飽かぬなつかしさを客の身に移して、款待した作。
〔語〕 ○いや初花に いよいよ新しく咲きにほふ花のやうにの意。次の句の譬喩。
 
4444 我が兄子《せこ》が宿なる萩の花咲かむ秋のゆふべは我を偲《しの》はせ
    右の一首は、大原眞人今城
 
〔譯〕 あなたの宿にある萩の花が咲く秋の夕べには、自分のことを思ひ出して下さるやうに。
〔評〕 相別れて後も、折にふれて思ひ出してくれられるやうにと、風雅に詠じた歌。
 
   即、鶯の哢《な》くを聞きて作れる歌一首
4445 うぐひすの聲は過ぎぬと思へども染《し》みにし情《こころ》なほ戀ひにけり
    右の一首は、大伴宿禰家持
 
〔題〕 即云々 うたげをしてをる折から、晩鶯のうたふ聲を聞いての作。
〔譯〕 鶯の鳴く聲は、もはや時を過ぎたとは思ふけれども、馴染んだ心は、なほ懷かしく思ふことである。
〔評〕 春をすぎて鳴く鶯の聲に、なほ心をひかれることに、心理的解釋をくだしたもので、今城が滯在の時は過ぎたが、なほ親しく思ふ情を譬へたのである。
 
   同じき月十一日、左大臣橘卿、右大辨|丹比《たぢひ》國人眞人の宅に宴《うたげ》せる歌三首
4446 我が宿に咲けるなでしこ幣《まひ》は爲《せ》むゆめ花散るないやをちに咲け
(190)    右の一首は、丹比國人眞人の、左大臣を壽《ことほ》く歌
〔題〕 ○左大臣橘卿 諸兄。○右大辨丹比眞人 卷三の「三八二」參照。
〔譯〕 自分の家に咲いてゐるなでしこよ、贈物はしよう。決して花が散るな。いやましに若々しく咲くやうに。
〔評〕 湯原王の「月讀をとこ幣は爲む」(九八五)や、卷九なる「幣はせむ遠くな行きそ」(一七五五)などと同想である。左大臣を壽ぐ趣は「いやをち」の語に現はれてをる。
〔語〕 ○幣《まひ》はせむ 幣は贈り物、捧げ物。卷五の「九〇五」參照。○いやをちにさけ をちは、もとのところへかへる意。卷十七の「四〇一一」參照。ここでは、はじめへかへりかへりしていよいよ久しく咲けの意(玉勝間卷八)。
 
4447 幣《まひ》しつつ君がおほせる瞿麥《なでしこ》が花のみ訪《と》はむ君ならなくに
    右の一首は、左大臣の和《こた》ふる歌
 
〔譯〕 贈り物をして君がそだてたなでしこの花、その花といふ言葉のやうな、うはべばかりの心でおとづれるべき君ではない。眞實の深い思ひを以て自分がおとづれるべき懷かしい君である。
〔評〕 酒席交歡の即吟で、醉中の作ともいふべく、明瞭を缺いてをるが、上述のごとく解してよく意が通じる。五句の「君」を「吾」の誤とする説はよくない。古歌の意が解しがたい爲に、文字を改める説は採らない。
〔語〕 ○おほせる 生ほしたる、育てたるの意。○花のみ訪はむ 上三句を序であると略解にいうたのは誤。
 
4448 紫陽花《あぢさゐ》の八重咲く如くやつ世にをいませ我が兄子《せこ》見つつしのはむ
    右の一首は、左大臣の、味狹藍《あぢさゐ》の花に寄せて詠めるなり。
(191)
〔評〕 やへ、やつ世と重ねて、紫陽花をたとへに用ゐたところに新味がある。
〔語〕 ○やつ世にを やつ世は彌つ世で、幾世にも、久しくの意。八つ世といふ説(代匠記)もある。卷十八の「四〇五八」參照。「を」は詠歎の助詞。○我が兄子 主人の丹比國人をさす。
 
   十八日、左大臣、兵部卿橘奈良麻呂朝臣の宅に宴せる歌三首
4449 なでしこが花取り持ちてうつらうつら見まくの欲《ほ》しき君にもあるかも
    右の一首は、治部卿船王
 
〔譯〕 なでしこの花を手に取り持つてつらつらと見るやうに、飽かず眺めたい貴君であることよ。
〔評〕 なでしこの花によつて、修辭的にたくみによみなした歌。四五句は?々用ゐられる句である。
〔語〕 ○うつらうつら つらつらと同じく、熟々《つくづく》との意(代匠記、略解宣長説)。この句の上に、眺めるやうにの語を補つて解する。一種の序といふべきである。
〔左註〕 治部卿船王 卷六の「九九八」參照。
 
4450 我が兄子《せこ》が宿のなでしこ散らめやもいや初花に咲きは益《ま》すとも
 
〔譯〕 貴方の家のなでしこは、散らないでせう。いつも初花のやうにいよいよ咲き益しはしても。
〔評〕 なでしこに寄せて橘家の長久を壽いだ作。かやうな賀歌をのべてをる間に、世運は次第に橘家を去りつつあつたのは、皮肉とも言はねばならぬ。
〔語〕 ○いや初花に 彌新しく。「四四四三」に同じ。
 
(192)4451 愛《うるは》しみ我《あ》が思《も》ふ君はなでしこが花に比《なぞ》へて見れど飽かぬかも
    右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持追ひて作れり。
 
〔譯〕 親愛して自分が思ふ貴方は、折から咲いてをるなでしこの花になぞらへて見ても飽かぬことであります。
〔評〕 なでしこの花になぞらへてなつかしむことは、家持の初期の作(卷八の一四四八)にもある。
〔語〕 ○追ひて その席上でなく、あとから作つたの意。
 
   八月十三日、内の南の安殿《やすみどの》に在《いま》して肆宴《とよのあかり》きこしめす歌二首
4452 をとめらが玉裳裾びくこの庭に秋風吹きて花は散りつつ
    右の一首は、内匠頭《たくみのかみ》兼播磨守正四位下|安宿王《あすかべのおほきみ》奏せり。
 
〔題〕 安殿 安はやすみししと同じく、安らかにおはしますの意。正殿である大極殿を大安殿といつたのに對し、他の殿をすべて安殿というたので、天武紀十年正月の條に、内安殿、外安殿の名が見える。
〔譯〕 宮女等が美しい裳の裾をひく此の庭に、秋風が吹いて、花は散り散りしてをる。美しい眺めではある。
〔評〕 宮女が裾びく玉裳に、萩の花がこぼれて散りかかる。秋の禁庭の御宴の有樣が素描されて、清新の情趣は千年の時の隔たりを感ぜしめない。花の名はさしてないが、萩とおもはれる。
〔語〕 ○をとめら 宮中の女官たち。○玉裳 玉はほめていふ語。裳は袴。
〔左註〕 安宿王 「四三〇一」參照。天平勝寶五年播磨守となり、六年内匠頭を兼ねた。
 
4453 秋風の吹き扱《こ》き敷ける花の庭清き月夜《つくよ》に見れど飽かぬかも
(193)
〔譯〕 秋風が吹いて、扱き散らして敷いてゐる花の庭を、この清く照る月夜に見ても飽かぬことである。
〔評〕 「吹き扱き敷けるは、寫實的に云はむと努力したあとがみえ、萩の花にふさはしい實感を出した感覺的の句法である。類型的に結んでゐるが、月下にこぼれ散つた萩の花の風情が思はれる。
〔左註〕 特に位階を記したのは、前の安宿王のにもあり、奏上する爲かと思はれる。未だ奏せずは、ささげむとしてささげなかつたのである。
 
   十一月二十八日、左大臣、兵部卿橘奈良麻呂朝臣の宅に集《つど》ひて宴せる歌一首
4454 高山の巖《いはほ》に生《お》ふる菅《すが》の根のねもころごろに降り置く白雪
    右の一首は、左大臣の作
 
〔譯〕 高い山の巖に生えてゐる菅の根の――ねもころに、十分降り積つてをる白雪よ。
〔評〕 成句になつてをる一二句をとつて、人を思ふとは云はず、降り積る白雪に用ゐたところに磯智があり、「降りおく白雪」と、字あまりの名詞どめにしたのも新しい趣をなしてをる。
〔語〕 ○菅の根のねもころごろに 卷十二の「二八五七」參照。「ねもころごろに」は、「ねもごろ」を強めいふ語。丁寧に反復しての意。なほこの句、主人を思ふをよそへた(略解)とするのはいひすぎである。
 
   天平元年、班田の時の使葛城王、山背《やましろの》國より薩妙觀命婦等の所に贈れる歌一首【芹子の裹に副へたり】
4455 あかねさす晝は田たびてぬばたまの夜《よる》の暇に摘める芹子《せり》これ
 
〔題〕 天平元年云々 續紀に「天平元年十一月癸己、任2京及畿内班田司1」とある時のことで、同じ時の歌が卷三(194)の「四四三」にも見える。班田についてもその項參照。使は長官。葛城王は諸兄。薩妙觀は「四四三八」參照。裹はつと。
〔譯〕 晝は田を班ち賜うて、夜の暇に摘んだ芹ですよ、これは。
〔評〕 物を贈るに、それを得た辛苦を述べるのは萬葉人の常である。この歌は特に誇張した作。
〔語〕 ○あかねさす 晝の枕詞。○たたびて たたびは欽明紀に「命2神祇伯1敬受2策於神祇1」とある策の字をたたまと訓んでゐるから、班田の策《はかりごと》をめぐらすことであらうといふ説(代匠記精撰本)もあるが、田賜びてといふ(略解説)によつた。
〔訓〕 ○薩 元暦校本等による。通行本「※[こざと+徑の旁]」は誤。「四四三八」參照。次の歌の題詞も同樣である。
 
   薩妙觀命婦の報へ贈れる歌一首
4456 丈夫《ますらを》と思へるものを刀《たち》佩《は》きてかにはの田井に芹子《せり》ぞ摘みける
    右の二首は、左大臣讀めりと云爾【左大臣は是葛城王なり後に橘姓を賜へり】
 
〔譯〕 あなたはあつぱれな男兒であると思つてゐましたのに、太刀を佩いて、かにはの田で、芹をお摘みになりましたことよ。おどろきました。
〔評〕 謝意を述べるのが當然であるに、わざとからかふやうに誇張して、輕快にのべた、才女のおもかげの思ひうかべられる作。
〔語〕 ○ますらをと思へるものを 「ものを」といふ句法からみても戯れていつたもの。○かにはの田井 かにはは延喜式雜式に山城國泉河樺井渡瀬云云とあるところで、今の相樂郡棚倉村大字|綺田《カバタ》で、木津川(泉川)の東にあたる。田井は田のこと。卷九の「一六九九」參照。
(195)
〔左註〕讀 訓と同じで、よみあげたの意。以前にこんな贈答があつたと宴會の席でうたつたのである。
 
   天平勝寶八歳丙申二月朔乙酉二十四日戊申の日、太上天皇、太后、河内離宮に幸行《いでま》して、信を經、壬子を以ちて難波宮に傳幸しましき。三月七日、河内國|伎人郷《くれのさと》の馬《うまの》國人が家にて宴せる歌三首
4457 住吉《すみのえ》の濱松が根の下延《したば》へて我が見る小野《をの》の草な刈りそね
    右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持
 
〔題〕 ○太上天皇 聖武天皇。○太后 光明皇后。○河内離宮 大阪府中河内郡柏原町高井田にあつた。續紀には、智識寺の南の行宮とある。○信を經 再宿を信といふ。幾夜も泊つたの意。○壬子 二月廿八日。○三月七日 家持はおくれて難波の宮から國人の家に行つたのであらう。○伎人郷 雄略紀に呉坂とあり、住吉の東、今、大阪市住吉區喜連町の地。○馬國人 續紀に、寶字八年外從五位下を授けられた。呉人の子孫であらう。
〔譯〕 住の江の濱松の根の下に伸びてをるやうに、心のうちになつかしく思つて、自分が今見てをる此の野の草は、刈りなさるな。此のよい景色を變へなさるな。
〔評〕 住吉の松原が見えたのであらうか。難波宮から住吉を通つて來たのであらうか。いづれにしても、即興の作である。多作家ではあり、儀禮的に作つたので、かういふ歌までを書きとめてをいたのであらう。
 
4458 鳰鳥《にほどり》の息長《おきなが》河は絶えぬとも君に語らむ言《こと》盡《つ》きめやも【古新いまだ詳ならず】
    右の一首は、主人散位寮散位馬史國人
 
〔譯〕 息長河の流れは絶えるとも、君にお話をしようと思ふ言葉は盡きませうか、盡きませぬ。
〔評〕 歌はなだらかなよい作である。息長河は近江坂田郡。註には古歌か新作か詳ならずとあるが、これは客を歡迎(196)する意味で、主人が古歌をうたつたのである。
〔語〕 ○鳰鳥の 枕詞。鳰鳥は水中に長く潜つてゐて、息が長いから息長に續く。(代匠記)。○言 言で、事ではない。
〔左註〕 散位寮 職員令によるに、散位の名帳、朝集の事を掌る役所。○散位 位のみあつて官職のない者。
 
4459 蘆《あし》刈《か》りに堀江漕ぐなる楫《かぢ》の音《おと》は大宮人の皆聞くまでに
    右の一首は、式部少丞大伴宿禰池主讀む。即ち、兵部大丞大原眞人今城、先日《さきつひ》他所《あだしところ》にて讀みし歌なりといへり。
 
〔譯〕 蘆を刈るために難波堀江を漕ぐ船の楫の音は、供奉の大宮人が皆聞くまでに、高く響くことである。
〔評〕 難波の行幸に供奉した時の歌。云ひさした結句は趣がある。左註によるに、今城が先日ある處でよんだ歌を、池主が此の席で歌つたもの。
 
4460 堀江漕ぐ伊豆手《いづて》の船の楫《かぢ》つくめ音|?《しば》立ちぬ水脈《みを》早みかも
 
〔譯〕 堀江を漕ぐ伊豆手船の楫が水をはじく、その音がしばしば高く響く。水の流が早い故であらうか。
〔評〕 構想を卷七の「さ夜ふけて堀江こぐなる松浦舟楫の音高し水脈早みかも」(一一四三)から取つたことが明かである。
〔語〕 ○伊豆手の船 伊豆式の船。「四三三六」參照。○楫つくめ 難解の句で諸説があるが、色葉字類抄に「※[手偏+并]ツクム」とある。※[手偏+并]は〓の略字で、〓は康煕字典によれば正韻に、「與v※[弓+并]通彈也」とある。即ち、彈の意ではじくと解し、※[楫+戈]が水を彈く意ではなからうか。
 
4461 堀江より水脈《みを》さかのぼる楫《かぢ》の音《おと》の間《ま》なくぞ奈良は戀しかりける
(197)
流れをさかのぼる船の楫の音が絶間のないやうに、絶間なく奈良が戀しいことである。
〔評〕 類歌の多い句法であるが、多くは「楫取る間なく」となつてをる。「楫の音の間なく」が珍らしく、「水脈さかのぼる」につらねて適切の云ひ樣である。
〔語〕 ○堀江より水脈さかのぼる楫の音の 以上三句、眼前の景をとつて、間なくの序としたもの。
 
4462 船競《ふなぎほ》ふ堀江の河の水際《みなぎは》に來居《きゐ》つつ鳴くは都鳥かも
    右の三首は、江の邊にて作れり。
 
〔譯〕 船が先を爭つて漕ぎ競ふ堀江の河の水際に來て居て鳴くのは、あれは都鳥であらうか。
〔評〕 上代の難波堀江の光景が、髣髴する。すらりと詠みながら、平淡の中に豐醇の香を含んでゐる。
〔語〕 ○都鳥 水鳥の一種、今ゆりかもめといふ。小形の美麗な種類である。かの伊勢物語の歌は、都といふ名との聯關で名高いが、この歌でも、都を戀しくおもふ心が含められてゐるとも見られる。
 
4463 ほととぎすまづ鳴く朝けいかにせば我が門過ぎじ語り繼《つ》ぐまで
 
〔譯〕 ほととぎすがはじめて鳴く朝の明け方、どうしたならば、自分の門を過ぎて行かぬやうにとめておくことが出來よう。人に語りつたへるまでに。
〔評〕 作者の好むほととぎすの初聲を愛でた歌であるが、三四句のつづきがいまだしい。
〔語〕 ○語りつぐ つぐは告ぐとも解されるが、繼ぐの方がよい。
 
4464 ほととぎすかけつつ君が松蔭に紐解き放《さ》くる月近づきぬ
(198)    右の二首は、二十日、大伴宿禰家持、興に依りて作れり。
〔譯〕 ほととぎすを心にかけつつ、君が松蔭で着物の紐を解き、くつろいで遊ぶ四月といふ月が近づいた。
 
〔評〕 文化人らしい言葉の技巧がみえて、一首の氣分に、ぼかしを與へてをる。
 
   族《やから》に喩す歌一首并に短歌
4465 ひさかたの 天《あま》の戸開き 高千穗の 嶽《たけ》に天降《あも》りし 皇祖《すめろき》の 神の御代より 梔弓《はじゆみ》を 手握《たにぎ》り持《も》たし 眞鹿兒矢《まかごや》を 手挾《たげさ》み添へて 大久米《おほくめ》の 丈夫武雄《ますらたけを》を 先《さき》に立て 靱《ゆき》取り負《おほ》せ 山河を 磐根《いはね》さくみて 履《ふ》みとほり 國覓《くにまぎ》しつつ ちはやぶる 神をことむけ 服從《まつろ》はぬ 人をも和《やは》し 掃《は》き清め 仕へ奉《まつ》りて 秋津島 大和の國の 橿原の 畝傍《うねび》の宮に 宮柱 太知り立てて 天の下 知らしめしける 皇祖《すめろき》の 天《あま》の日嗣と つぎて來《く》る 君の御代御代 隱さはぬ 赤き心を 皇方《すめらべ》に 極《きは》め盡して 仕へ來《く》る 祖《をや》の職《つかさ》と 言立《ことだ》てて 授け給へる 子孫《うみのこ》の いや繼ぎ繼ぎに 見る人の 語りつぎてて 聞く人の 鑒《かがみ》にせむを 惜《あたら》しき 清きその名ぞ 凡《おほ》ろかに 心思ひて 虚言《むなごと》も 祖《おや》の名|斷《た》つな 大伴の 氏と名に負へる 丈夫《ますらを》の伴《とも》
 
〔譯〕 天の戸を聞いて、高千穗の嶽に天降つた皇組の神の御代から、梔で作つた弓を手に握り持ち、鹿などを射る大きな矢を手にはさんで持ち添へ、大久米部の勇士を先鋒として、矢をいれる靱を負ひ持たせ、山河を岩根を暗み裂き(199)   服從しない人人をも和らぎ仕へしめ、國中を掃き清めて仕へ奉つて、大和の國の橿原の畝傍の宮に、宮柱を太く立派に建てて、天下を御統治になつた神武天皇から、天の日嗣として御位を繼ぎ來給うた御代御代に、隱す所のない赤心を盡して、天皇の御側に仕へて來た先祖以來世襲の職として、特に言ひ立てて授けられた子孫は、いよいよ長く受け傳へて、見る人が語り繼いで、聞く人が手本にすべきであるものを。惜しむべく清い家の名であるぞ。おろそかに思つて、たとへ眞實ならぬ虚しい人言の爲にとはいへ、祖先の名を斷つやうなことをするな。大伴といふ氏を名に負うてをる男兒の輩よ。
〔評〕 祖先を尊び家名を重んずる固有の國民道コを歌つた作として、注意すべき歌。更に、この當時の社會?態と結びつけて考へると、世は寵臣が時めく時代に移らうとしてゐた。大伴一族に好意をもち、家持もこれにすがつて望をつないでゐた橘諸兄は、この年二月に左大臣を辭し、藤原仲麿の得意の時代になつてをる。天孫降臨以來武を以て鳴る大伴氏の一門には、不平の氣が鬱してゐた。この間に處して、家持は、自重して忠誠の大道を歩まむことを論したのである。彼の苦衷を察すべく、私心なき忠純を稱すべきである。
〔語〕 ○梔弓 梔《はじ》即ち櫨《はぜ》で作つた弓。はぜは、漆に似た落葉喬木。○眞鹿兒失 まは接頭辭。獵などに用ゐる矢。○大久米の丈夫たけを 大久米部の勇士。卷十八の「四〇九四」に「大伴の遠つ神祖の其の名をば大來目主」とある。古事記の天孫降臨の條には「ここに天忍日命、天津久米命二人、天の石靱を取負ひ、頭椎の大刀を取佩き、天の波士弓を取持ち、天の眞鹿兒矢を手挾み、御前に立ちて仕へ奉りき」とある。
〔訓〕 ○まつろはぬ 白文「麻都呂倍奴」。倍は通常へと訓むが、「可奈之久於毛倍遊」(卷十七の四〇一六)の如くハとよむ。
 
4466 磯城島《しきしま》の倭の國に明《あき》らけき名に負《お》ふ件の緒こころ努《つと》めよ
 
(200)〔譯〕 日本國の中に、明るく清い名にそむかない大伴家の一族の人々よ。心を努めてしつかりしなさい。
〔評〕 長歌の趣旨をまとめたもの。莊重の格調に名家の自尊心をかけて、沈痛なまでの響きがある。
〔語〕 ○磯城島の やまとの枕詞。○倭 ここは日本の總名。○名に負ふ 名にそむかぬ。名にふさはしい。○伴の緒 部屬の長の意。大伴氏の人々をさす。○心努めよ 心を奮ひおこしてつとめよ。
 
4467 劔刀《つるぎたち》いよよ研《と》ぐべし古《いにしへ》ゆ清《さや》けく負《お》ひて來《き》にしその名ぞ
    右は、淡海《あふみ》眞人三船の讒言に縁《よ》りて、出雲守大伴古慈悲宿禰任を解かえき。是を以ちて家持此の歌を作れり。
 
〔譯〕 劍太刀を研ぐやうに、いよいよ心を磨くべきである。古へから清く名に負つて來た、その大伴氏の名であるぞ。
〔評〕 大伴氏の名を尊重して、前の歌は莊重沈痛、これは凛々たる心緒の高揚がある。共に不朽の作。
〔左註〕 淡海眞人三船は、弘文天皇の曾孫、葛野王の孫、池邊王の子で、續紀の卒去の條に、性識聽敏、群書を渉覽し、尤も筆札を好む、とある。この註は、績紀に、「勝寶八年五月癸亥、出雲守從四位上大伴古慈悲、内竪淡海眞人三船坐d誹2謗朝廷1無c人臣之禮u、禁2左右衛士府1」とあるのによると、三船が朝廷を誹謗したのに連坐したものと思はれる。なほ古慈悲の名は「四二六二」に出てをる。
 
   病に臥して無常を悲しみ、修道を欲《ねが》ひて作れる歌二首
4468 うつせみは數なき身なり山河の清《さや》けき見つつ道を尋ねな
 
〔題〕 修道 佛道を修めること。欽明紀に「出家修道」とある。
〔譯〕 生きてをる人間は、年壽の少ない身である。山や河の清らかなのを見ながら、自然本然の清淨に立ちかへつて、道を修めよう。
(201)
人生の現實は、彼に光明を與へなかつたのである。この世の醜さに比べて、「山河のさやけさ」が慕はれ、修道の志が生じたのである。立ち入つて推測すれば、その病も、權臣の政爭、同族の權門に含む怨恨などの間に處しての心づかひの故ではなかつたらうか。時に三十九。
 
4469 渡る日の陰《かげ》に競《きほ》ひて尋ねてな清きその道またも遇《あ》はむため
 
〔譯〕 大空を渡る日光と競爭し、光陰を惜しんで、清らかな佛の道を尋ねよう。來世に於いてもまたこの教に逢ふことが出來るやうに。
〔評〕 詞調清醇な作。佛教的な諦念に悟入した歌として、集中注意すべきもの。
〔語〕 ○またも遇はむため 前世に善因を得て今日享け難き人身を享け、遭ひ難き佛法に値遇したのであるが、なほこの世で善根を積み、來世も佛道にあはむ爲の意。
 
   壽《いのち》を願ひて作れる歌一首
4470 泡沫《みつぼ》なす假《か》れる身ぞとは知れれども猶し願ひつ千歳の命を
    以前の歌六首は、六月十七日、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 水の泡沫の如き、はかなき假の身であるとは知つてをるが、なほも千歳の命を願つたことである。
〔評〕 これも佛教思想の浸潤を認むべき作。但、現世の生命の長壽を欲する人間的な願望がある。
〔語〕 ○泡沫《みつぼ》なす みつぼは水沫のつぶだつをいふ(略解宣長説)、水粒《みつぶ》で泡沫の別名(古義)。人身を泡沫に譬へたものは佛典に多い。○假れる身 假借の身。假に人身となれる身。同じく家持の作に「うつせみのかれる身なれば」(202)(卷三の四六六)がある。
 
   冬十一月五日の夜、小雷起り鳴り、雪落りて庭を覆ひき。忽に感隣を懷《うだ》きて聊か作れる短歌一首
4471 消殘《けのこ》りの雪に合《あ》へ照るあしひきの山たちばなを裹《つと》に採《つ》み來《こ》な
    右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持
 
〔譯〕 消え殘りの雪に映り合つて光り照つてゐる美しい藪柑子の赤い實を、土産につみ採つて來よう。
〔評〕 卷十八にある同じ作者の「この雪の消遺る時にいざ行かな山橘の實の光るも見む」(四二二六)に似た作。
 
   八日、讃岐守|安宿王《あすかべのおほきみ》等《たち》、出雲掾安宿|奈杼麻呂《などまろ》の家に集ひて宴せる歌二首
4472 大君の命《みこと》かしこみ於保《おほ》の浦を背向《そがひ》ひに見つつ都へ上《のぼ》る
    右は、掾安宿奈杼麻呂
 
〔題〕 安宿王は「四三〇一」參照。安宿奈杼麻呂は、續紀天平神護元年正月の條に、百濟安宿公奈登麻呂授2外從五位下1と見える。
〔譯〕 大君の御命令が恐多いので、於保の浦の佳い景色を、うしろに見つつ過ぎて、都へ上ることよ。
〔評〕 簡明整正の格調に、こまやかな思ひをおし包んだ萬葉的手法が懷かしまれる。
〔語〕 ○於保の浦 作者が出雲掾であることを思へば、卷三の「三七一」にある、「おうの海」の「おう」と、この「おほの海」の「おほ」とは、通はし言うたものであらうか。
 
4473 うち日さす都の人に告げまくは見し日の如く在りと告げこそ
 
(203)    右の一首は、守山背王の歌なり。主人安宿奈登麻呂語りて云ふ。奈登麻呂朝集使に差され、京都に入らむとしき。此《これ》に因りて餞せし日、各歌を作りて聊か所心を陳《の》べきといへり。
 
〔譯〕 都の人に告げることは、以前逢つた日のやうに健やかであるとお告げ下さい。
〔評〕 平語を以て都の人に言傳を頼んだ歌。
〔左註〕 守山背王 守は出雲守。山背王は、續紀によれば、天平勝寶八年十二月、勅して出雲國守從四位下山背王を大安寺に遣し、梵網經を講ぜしむ、とある。
 
4474 群鳥《むらとり》の朝|立《だ》ち往《い》にし君が上は清《さや》かに聞きつ思ひし如く【一に云ふ思ひしものを】
    右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持、後の日、出雲守山背王の歌に追和して作れり。
 
〔譯】 群鳥の朝立つやうに、朝旅立をして出雲においでになつた貴方のことは、たしかに聞きました。思ひました通りに。
〔評〕 家持の人をなつかしむ温情をみるべきもの。
 
    二十三日、式部少丞大伴宿禰池主の宅に集ひて飲宴せる歌二首
4475 初雪は千重に降りしけ戀ひしくの多かる吾《われ》は見つつ偲《しの》はむ
 
〔譯〕 初雪は幾重にも降り敷けよ。貴君を戀しく思つてゐたことの多い自分は、この雪を見つつ懷かしまう。
〔評〕 卷十の「二三三四」、人麿集なる「沫雪は千重に零り敷け戀ひしくのけ長き我は見つつしのはむ」の古歌の沫雪を初雪にかへて歌つたもの。
 
(204)4476 奧山の樒《しきみ》が花の名の如やしくしく君に戀ひわたりなむ
    右の二首は、兵部大丞大原眞人今城
 
〔譯〕 奧山の樒の花の名のやうに、しきりにしきりに貴君を戀しく思ひつづけることであらうか。
〔評〕 この時代は、樒を佛前に用ゐなかつたのであらう。めづらしい題材を歌つたといふだけの歌。
 
   智努女王《ちののおほきみ》の卒《みまか》りし後、圓方女王《まとかたのおほきみ》の悲しみ傷みて作れる歌一首
4477 夕霧に千鳥の鳴きし佐保道《さほぢ》をば荒らしやしてむ見るよしを無み
 
〔題〕 智努女王 續紀に、養老七年正月從四位下、神龜元年二月從三位を授くと見える。○圖方女王 左大臣長屋王の女、天平九年十月從五位下、累進して正三位を授けられた。
〔譯〕 夕霧の中で千鳥が鳴いた佐保の道を、荒らしてしまふのではなからうか。お逢ひするすべが無いので。
〔評〕 女王がおかくれになつてお通ひなさらぬので、道の荒れることを想像し、それによつて悲哀の情を敍べた歌。
〔語〕 ○佐保道 佐保へ通ふ路。佐保は奈良の西郊。女王の邸が佐保の里にあつたものと思はれる。
 
   大原櫻井眞人、佐保川の變《ほとり》を行きし時作れる歌一首
4478 佐保河に凍《こほ》り渡れる薄氷《うすらひ》のうすき心を我がおもはなくに
 
〔題〕 大原櫻井眞人 卷八の「一六一四」の櫻井王と同じ人。
〔譯〕 佐保河に凍り渡つてをる薄氷のやうに、うすい心を自分は持たぬことよ。
〔評〕 「あさか山影さへ見ゆる山の井の淺き心を吾が思はなくに」(三八〇七)の古歌によつて詠んだもの。
(205)
   藤原夫人の歌二首【淨御原御宇天皇の夫人なり字を氷上大刀自といへり】
4479 朝|夕《よひ》に哭《ね》のみし泣けば燒刀《やきだち》の利心《とごころ》も吾《あれ》は思ひかねつも
 
〔題〕 藤原夫人 天武天皇の夫人氷上娘のこと。但馬皇女の母。卷二「一〇四」、卷八「一四六五」に見える藤原夫人は大原大刀自で、この氷上娘の妹。共に鎌足の女。
〔譯〕 朝夕に聲に出してばかり泣くので、しつかりした心を私は持ちかねますことよ。
〔評〕 天皇を思うた歌。古調のなかに哀切の情のただよふ歌。卷十一なる「我妹子に戀ひし渡れば劍刀名の惜しけくも念ひかねつも」(二四九九)は、作者に男女の別はあるが、手法が似てをる。
〔語〕 ○燒刀の 枕詞。利につづく。○利心 するどい心。卷十一「二四〇〇」參照。
 
4480 かしこきや天《あめ》の御門《みかど》をかけつれば哭《ね》のみし泣かゆ朝|夕《よひ》にして【作者いまだ詳ならず】
    右の件の四首は、傳へ讀めるは兵部大丞大原今城
 
〔譯〕 おそれ多い天皇を心にかけて思うてゐると、聲をあげて泣かれるばかりである。朝に夕に。
〔評〕 格調端正の歌。卷三の「四五六」の歌と四五句が同じなのは、おのづから似通うたのである。
〔左註〕 右の件の四首云々 十一月廿三日の大伴池主の宅の宴で今城がうたつたのである。
 
   三月四日、兵部大丞大原眞人今城の宅にて宴せる歌一首
4481 あしひきの八峯《やつを》の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君
(206)    右は兵部少輔大伴家持、植ゑたる椿に屬《つ》けて作れり。
 
〔題〕 三月四日云々 この歌から天平勝寶九歳の歌。この年は八月十八日に天平寶字元年と改元になつた。
〔譯〕 多くの峯を越えた奧山にあつた此の椿は珍らしいが、つくづく見ても飽きない。それを庭に移し植ゑた貴君は。
〔評〕 庭の椿を愛で賞めるかと見るうちに、いつしか主人を讃へることになつた移り行きが巧である。
〔語〕 ○椿に屬けて 椿に就いて、の意。
 
4482 堀江越え遠き里まで送りける君が心は忘らゆましじ
    右の一首は、播磨介藤原朝臣|執弓《とりゆみ》、任に赴き、別を悲しめるなり。主人大原今城傳へ讀みて云爾《しかいふ》。
 
〔譯〕 難波の堀江を越えて、遠い里まで送つて來て下された貴君の厚意は、長く忘れられますまい。
〔評〕 友情に感謝した、男らしい歌。
〔語〕 ○忘らゆましじ ましじは否定の推量の助動詞。卷二「九四」參照。
〔左註〕 執弓は、續紀に、天平寶字元年五月、正六位上より從五位下となつた由見える。
〔訓〕 ○わすらゆましじ 白文「和須良由麻之自」。「自」は元暦校本による。通行本等の「目」は誤。
 
   勝寶九歳六月二十三日、大監物|三形王《みかたのおほきみ》の宅にて宴せる歌一首
4483 移り行く時見る毎《ごと》に心いたく昔の人し思ほゆるかも
    右は、兵部大輔大伴宿禰家持作れり。
〔題〕 ○勝寶九歳 前の三月四月の作から既に勝寶九歳のもの。從來の例では、そこにこの四字があるべきである。
(207)      
○三形王 續紀に、勝寶元年四月無位より從五位下に、寶字三年六月從四位下になつた。
〔譯〕 移り行く時世を目のあたりに見るごとに、心が痛く、昔の人のことが思ひ出されることである。
〔評〕 極めて近代的にほひの豐かな歌である。この年、勝寶九歳には、藤原仲麿の專横によつて、歴史上種々の出來事があり、それに大伴氏の人々も參加してをつた。その「移りゆく時」を歎じ、今は世になき「昔の人」を偲んだのである。
〔左註〕 兵部大輔 續紀によると、家持が大輔となつたのは、この年この月の十六日である。
 
4484 咲く花はうつろふ時ありあしひきの山|菅《すが》の根し長くはありけり
    右の一首は、大伴宿禰家持、物色の變化を悲怜《かな》しびて作れり。
 
〔譯〕 咲く花の色は美しいが、うつろうて色のさめる時がある。花やかならぬ山菅は、長く衰へることがない。
〔評〕 物色の變化を悲しんだ此の歌は、時流に對する警告となり、家持の一生の象徴となつてゐる。この年七月には、藤原仲麿を除かむとした橘奈良麿の亂があつた。彼は咲く花たらむとして亡びたのである。政敵を屠つて天下の權を握り「いざ子どもたはわざなせそ」(四四八七)と嘯いた仲麿も、前後六年の花であつた。これに代つた道鏡の凋落もまた早かつた。それに反して、政爭を避けて中央・地方の諸官に歴任し、桓武天皇の延暦四年六十八歳を以て中納言として薨じた家持こそ、「あしひきの山菅の根」であつたと云ふべきである。
〔語〕 ○山菅 蘭に似て黒い實のなる龍のひげのこと。○長くはありけり 根の長いのに、永く變化しないものであることをかねてゐる。けりは詠歎。長いことを改めて識り味ふ心持である。
 
4485 時の花いやめづらしも斯《か》くしこそ見《め》し明《あき》らめめ秋立つごとに
(208)    右の一首は、大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 季節の花はいよいよ賞美すべきである。かうして花を御覽になつて、心を明るくし慰められることであらう。秋が來るごとに。
〔評〕 御宴の爲の預作のやうな形であるが、自然を友として一切の憂苦を忘れむとする作者の心境を思ふべきである。
 
   天平寶字元年十一月十八日、内裏にて肆宴《とよのあかり》きこしめせる歌二首
4486 天地を照らす日月の極《きはみ》無くあるべきものを何をか思はむ
    右の一首は、皇太子の御歌
 
〔題〕 天平寶字元年云々 天平勝寶九年八月十八日改元されて、天平寶字元年となつた。それで特にここにも記したのである。この年十一月は乙亥朔で、十八日は壬辰、即ち新嘗祭の行はれる中の卯の日の翌日で、豐明節會に當る。
〔譯〕 天地を照らす日月の極みないやうに、君が御代は、極限なくあるべきであるものを、何の物思をする事があらうぞ。
〔評〕 一二三句、堂々たる格調である。この年六月に起つた亂が事なく治まつた御心の平安が、悠容たる一首に自ら察知せられる。
〔左註〕 皇太子 大炊王。天武天皇の皇孫、舍人親王の子、この年四月皇太子に立てられた。二年八月即位、八年十月廢されて淡路に流され、淡路廢帝と稱されたのを、明治三年淳仁天皇と謚せられた。
〔訓〕 ○何をか 白文「奈爾乎加」。「乎」は元暦校本、西本願寺本等による。類聚古集「遠」とある。通行本は脱してゐる。
 
(209)4487 いざ子どもたはわざな爲そ天地の固めし國ぞやまと島根は    右の一首は、内相藤原朝臣奏せり。、
 
〔譯〕 さあ人々よ、たはけた眞似はするな。天地の神が固め成した搖《ゆる》がぬ國であるぞ、この日本の國は。
〔評〕 政敵を亡し權勢を一手に握つた仲麿の得意の?見るが如き一二句である。しかも、彼また後に橘奈良麿と同じ「たはわざ」を敢てしたのであつた。
〔左註〕 内相は紫微内相。寶字元年五月、内外諸兵事を掌らしめるために、新たに置かれた。藤原朝臣は仲麿。後の惠美押勝。此の年六月、諸兄の子なる奈良麿を中心として、仲麿を退けんとした謀が露れ、一黨悉く誅に伏した。そのことを嘲り且自ら誇る歌である。しかし後、仲麿は道鏡の勢におされ、謀反をはかつたが、八年九月事顯れ、近江に走り、遂に湖水のほとりに斬られた。「四二四二」參照。
 
   十二月十八日、大監物三形王の宅にて宴せる歌三首
4488 み雪ふる冬は今日のみ鶯の鳴かむ春べは明日にしあるらし
    右の一首は、主人三形王
 
〔譯〕 雪のふる冬は今日ばかりである。鶯の鳴くであらう春の氣候は、いよいよ明日からであらう。
〔評〕 立春の前日の宴に、春を待つ樂しみがあらはれてをる。
 
4489 うち靡く春を近みかぬばたまの今宵の月夜《つくよ》霞みたるらむ
    右の一首は、大藏大輔|甘南備伊香《かむなびのいかご》眞人
 
(210)〔譯〕 春が近いからか、今晩の月は、こんなに霞んでゐるのであらう。
〔評〕 淡く霞む月夜に春の近づくきざしを感じて、心をどるを覺えつつ高誦した作。
〔語〕 ○うち靡く 枕詞。卷三の「二六〇」參照。○ぬばたまの 枕詞。卷一の「八九」參照。
〔左註〕 甘南備伊香 もと伊香王といひ、天平勝寶三年十月、男高城王と共に、甘南備眞人の姓を賜つた。
 
4490 あらたまの年行き還《かへ》り春立たばまづ我が宿に鶯は鳴け
    右の一首は、右中辨大伴宿禰家持
 
〔譯〕 年が行きかはつて春になつたらば、まづ第一に、自分の宿に鶯は鳴いてくれ。
〔評〕 立夏の前日ははほととぎすを、立春の前日には鶯を待ち望む作者の風懷を思ふべき歌。
〔左註〕 家持が右中辨となつたことは、他に所見がない。續紀には、寶龜元年に左中辨となつたことが見える。
 
4491 大き海の水底《みなそこ》深く思ひつつ裳引《もぴ》きならしし菅原《すがはら》の里
    右の一首は、藤原宿奈麻呂朝臣が妻石川女郎、愛薄らぎ離別せられ、悲しみ恨みて作れる歌なり【年月いまだ詳ならず】
 
〔譯〕 大きい海の水底のやうに深く思ひながら、裳を引きならして絶えずゆききした菅原の里のなつかしさよ。
〔評〕 海なき大和の國であるに、大き海の水底ふかく、といふのはいかがと思はれるが、宿奈麿は地方官を諸所つとめたので、石川女郎も同行して共に見た大き海の思出でもあつたのであらうか。とにかく一首の詞は、蓮歩楚々とした佳人のたたずまひもほのめきでて、哀艶である。菅原の里は、今はわづかに菅原寺の金堂が田野の間に殘つてゐるのみで、荒涼の趣があり、奈良の社寺中でも懷舊の情の繁きものがあるところ。萬葉の時代には、時めく朝官の邸宅などもあつたのであうう。かかる佳人の閨怨も纒はつてゐたことを思ひながら、寂寥たる古寺の落暉にむかつてこの
(211)歌を誦すると、無量の感慨が湧く。
〔語〕 ○ならしし 諸説があるが、馴らす(略解)令平(古義)のいづれかである。○菅原の里 今の奈良市の西、生詞郡伏見村菅原のあたり。垂仁天皇の菅原伏見陵、安康天皇の菅原伏見陵、喜光寺(菅原寺)がある。ここに宿奈麿の家があつ虎ものと思はれる。
〔左註〕 ○藤原宿奈麿 「四三三〇」參照。○石川女郎 集中數箇所に見えるが、この歌の作者とは別人である。
 
   二十三日、治部少輔大原今城眞人の宅にて宴せる歌一首
4492 月|數《よ》めげいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか
    右の一首は、右中辨大伴宿禰家持作れり。
 
〔譯〕 月を數へてみると十二月であるから、まだ冬である。それであるに、霞がたなびいてをる。暦の上では立春で、もう春が來たといふのであらうか。
〔評〕 年内の立春を詠んだもので、古今集の「年のうちに春は來にけり一年を去年とやいはむ今年とやいはむ」の先驅をなす作。句法の上では、卷十の「雪見ればいまだ冬なりしかすがに春霞立ち梅は散りつつ」(一八六二)の模倣である。
 
   二年春正月三日、侍從竪子王臣等を召して、内裏の東屋《ひむかしのや》の垣下《みかきのもと》に侍《さもら》はしめ、即、玉箒《たまばはき》を賜ひて肆宴きこしめしき。時に内相藤原朝臣勅を奉《うけたまは》りて宣はく、諸王卿等、堪ふるままに、意に任せて、歌を作り并に詩を賦めといへり。仍りて、詔旨に應へ、各心緒を陳《の》べて歌を作り詩を賦みき【いまだ諸人の賦める詩并に作れる歌を得ず】
 
4493 始《はつ》春の初子《はつね》の今日の玉箒《たまばはき》手に執《と》るからにゆらく玉の緒
(212)    右の一首は、右中辨大伴宿禰家持作れり。但、大藏の政に依りて之を奏し堪《あ》へざりき。
〔題〕 ○二年春正月云々 天平寶字二年正月は甲戍朔であるから、三日は丙子で初子の日に當る。○竪子 竪は豎に同じ。殿上に奉仕する小童。○王臣 諸王臣等の意。○東屋 東方の建物。ここに宴するは、東が春の方位であるからかといはれる。○玉箒 俗に高野箒と稱する植物をあつめて作り、蠶の床を掃く爲に用ゐる。ここのは儀箒《かざりははき》として作つたもので、この時の玉箒の實物は、同時の辛鋤《からすき》と共に、現に正倉院に保有されてゐる。これは子日目利箒《ねのひめとぎのははき》と稱され」長さ二尺一寸五分、蓍草に細珠を縷め、把は柴草で束ねた上を金絲で卷いてある。支那の制に倣ひ、帝王躬耕、皇后親蠶の意味を以て行はれた儀式用の具である。
〔譯〕 初春の初子の日である今日、賜はつた此の玉箒を手に取るままに、緒に貫いたやうに細い枝に貫いた小さい玉がゆらゆらと鳴ることよ。
〔評〕 邪氣を拂ひ延命を祝ふ玉箒の玉の緒のゆらぐに似た明るい調子に、陶然たる新春の醉ひ心持を感ぜしめる。玉の緒を鳴らすことは、古事記に、伊邪那岐命が「その御頸珠の玉緒もゆらに、取りゆらかして」天照大御神に賜うたことが見えてをる。
〔語〕 ○手に執るからに 手に執つただけで。からには、ただそれだけのこと故にの意。○ゆらく玉の緒 玉を貫いて箒につけたその玉の緒の音を立てる意。ゆらくは、ゆらゆら、しやらしやら鳴ること。それを、魔を拂ふ兆象としたのは、上代からの習はしであつた。
〔左註〕 大藏の政に依りて云々 家持が右中辨で、大藏省の事務が忙しかつたので、この歌を奏上することが出來なかつたの意。從つて、諸人の詩も歌も聞き知り得なかつたのである。辨官は、太政官の第三等官で、八省の事を管するが、右の辨は、兵部、刑部、大藏、宮内の四省の事を管掌するのである。
 
(213)4494 水鳥の鴨の羽《は》の色の青馬を今日見る人はかぎり無しと云ふ
    右の一首は、七日の侍宴の爲に、右中辨大伴宿禰家持|預《かね》て此の歌を作れり。但、仁王會の事に依り、却りて六日を以ちて内裏に諸王卿等を召して酒を賜ひ肆宴《とよのあかり》きこしめし、禄を給ひき。これに因りて奏《まを》さざりき。
 
〔譯〕 水鳥の鴨の羽の色のやうな青みを帶びた馬を、今日この一月七日の節會に見る人は、限り無く長い壽命を保つと云ふことである。
〔評〕 白馬節會の青馬のことを詠んだ珍らしい作品。三句は笠女郎がかつて家持におくつた「水鳥の鴨の羽の色の春山のおほつかなくもおもほゆるかも」(一四五一)とあるのを襲ひ用ゐたのである。
〔語〕 ○水鳥の鴨の羽の色の 青いといふための序。上述の「一四五一」の外に「水鳥の青葉の山の」(一五四三)ともある。○青馬 青みを帶びた白い馬。
〔左註〕 右の一首は云々 一月七日の節會の宴の爲に豫めこの歌を作つておいたのであるが、七日に仁王會が行はれるにより、肆宴のみ六日に行はれた。これによつて奏聞せずして終つたのである。白馬節會は、正月七日朝廷で行はれた馬匹御覽の式。仁王會は朝廷に於いて、仁王護國般若經を講ぜしめられる儀式をいふ。
 
   六日、内の庭に假に樹木を植ゑて林帷《かきしろ》と作《な》して肆宴《とよのあかり》をきこしめせる歌一首
4495 うち靡く春ともしるく鶯は植木の樹間《こま》を鳴き渡らなむ
    右の一首は、右中辨大伴宿禰家持 奏せず
 
〔題〕 内の庭 内裏の庭。林帷は幕の代りに木を植ゑつらねたもの。
〔譯〕 春になつたといふこともはつきり知られるやうに、鶯が來て、この植木の樹の間を鳴き渡ればよい。
(214)〔評〕 ただ即興の作といふべきである。樹間《こま》はめづらしいいひ方である。
 
   二月、式部大輔中臣清麻呂朝臣の宅にて宴せる歌十首
4496 恨《うら》めしく君はもあるか宿の梅の散り過ぐるまで見しめずありける
    右の一首は、治部少輔大原今城眞人
 
〔題〕 中臣清麻呂 卷十九「四二五八」參照。式部大輔になつたことは續紀に見えない。
〔譯〕 うらめしく君はあることよ。お宅の梅の散り過ぎるまで見させてくれなかつたことである。
〔評〕 奈良朝官人の花鳥趣味の歌で、宴會席上の作である。
 
4497 見むといはば否といはめや梅の花散り過ぐるまで君が來まさぬ
    右の一首は、主人中臣清麻呂朝臣
 
〔譯〕 見ようとお云ひになるならば、否といひませうか。梅の花が散つてしまふまで君がおいでにならないのです。
〔評〕 今までおとづれて來なかつたことを、逆に怨むやうに云うたにすぎない作。
〔語〕 ○君が來まさぬ 白文「伎美我伎麻左奴」。通行本等「伎麻世波」とあるは誤。元暦校本等により改めた。
 
4498 愛《は》しきよし今日の主人《あろじ》は磯松の常にいまさね今も見る如《ごと》
    右の一首は、右中辨大伴宿禰家持
 
〔譯〕 親愛な今日の御主人は、庭石の傍の松のやうに、常に健やかにいらつしやい。今、目のあたりに見る如く。
〔評〕 同じ作者の「常世物この橘のいや照りにわご大君は今も見る如」(四〇六三)と同型の作。
 
(215)4499 我が兄子し斯くしきこさば天地の神を乞ひ祈《の》み長くとぞおもふ
    右の一首は、主人中臣清麻呂朝臣
 
〔譯〕 貴君がかやうにお祝ひ下さるならば、天地の神に祈り願うて、自分の命が長くあるやうにと思ひます、
〔評〕 祝はれた賀歌の和へ歌。「天地の神」はことごとしく感ぜられる。
〔語〕 ○きこさば のたまふならばの意。「いさとをきこせ」(二七一〇)參照。
 
4500 梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしのに君をしぞおもふ
    右の一首は、治部大輔市原王
 
〔譯〕 梅の花のかをりがかぐはしさに、遠くからでも懷かしむやうに、遠く離れてゐても、心もしをれるばかりに、貴君を思ふことである。
〔評〕 遠くかをり來る梅花の香を懷かしむ幽趣があつて、頗る象徴的にはたらいてをる。梅花の香を詠みこんだ集中唯一の作。
〔語〕 ○遠けども 親しみは淺いけれども(新考)の解よりも、住む家は遠いけれども(略解)の方が自然である。
〔左註〕 市原王は、卷三の「四一二」參照。治部大輔になられたことは續紀に見えない。
 
4501 八千種《やちくさ》の花はうつろふ常磐なる松の小枝《さえだ》を吾は結ばな
    右の一首は、右中辨大伴宿禰家持
 
〔譯〕 多くの花は、美しくても色があせる。常磐に變らぬ松の枝を自分は結んで、長壽を祈らう。
(216)〔評〕 家持の「玉きはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとぞ思ふ」(一〇四三)と自他の差はあるが同型の作。
 
4502 梅の花咲き散る春の永き日を見れども飽かぬ磯にもあるかも
    右の一首は、大藏大輔|甘南備伊香《かむなびのいかご》眞人
 
〔譯〕 梅の花が、咲きまた散る春の永い日を、見ても見飽かぬお庭の池のながめである。
〔評〕 悠容迫らぬ歌詞の暢やかさが、春の宴の興にふさはしい。
〔語〕 ○磯 庭園の池のほとりの石のあるところ。
 
4503 君が家の池の白浪磯に寄せしばしば見とも飽かむ君かも
    右の一首は、右中辨大伴宿禰家持
 
〔譯〕 君の家の池の白浪が、岸の石に寄せるやうに、しばしば見ても、飽きる貴君であらうか。否、さうではない、いよいよ慕はしい。
〔評〕 池邊の風致を讃へつつ、やがて轉じて、主人の上にうつる手法は、「あしひきの八峯の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君」(四四八一)と同巧である。
 
4504 愛《うるは》しと我《あ》が思《も》ふ君はいや日《ひ》けに來ませ我が兄子《せこ》絶ゆる日無しに
    右の一首は、主人中臣清麻呂朝臣
 
〔譯〕 親しみなつかしく自分の思ふ君は、いよいよ毎日來られよ、我が友よ、絶える日も無く。
〔評〕 吹※[草がんむり/欠]刀自の「河の上のいつ藻の花の何時も何時も來ませ我背子時じけめやも」(四九一)と同想である。
(217)〔語〕 ○いや日けに いよよ日にけに、この上とも日ごとにの意。
4505 磯のうらに常|喚《よ》び來棲《きす》む鴛鴦《をしどり》の惜しき我《あ》が身は君がまにまに
    右の一首は、治部少輔大原今城眞人
 
〔譯〕 池の石のあるあたりに、常に友を喚んで來て棲んでゐる鴛鴦の、その名のやうに、惜しくおもふ大事な自分の身は、貴君の心まかせになりませう。
〔評〕 眼前の池の鴛鴦をとつて序とし、信頼の意を強調したもの。
〔語〕 ○磯のうら 「一七三五」のは川であるが、ここの磯は池の石のある處。うらは石のあるまはりの意。「一三八九」のは磯の浦である。
 
   興に依りて各|高圓離宮處《たかまとのとつみやどころ》を思《しの》ひて作れる歌五首
4506 高圓《たかまと》の野の上の宮は荒れにけり立たしし君の御代遠そけば
    右の一首は、右中辨大伴宿禰家持
 
〔題〕 ○興によりて云々 以下五首も、同じく清麿の家で作られたもの。○高圓 春日山の南につづき、今の白毫寺一帶の地をいふ。そこに離宮があつたので、?々行幸になつた聖武天皇は、天平勝寶八歳五月に崩御になつた。
〔譯〕 高圓の野の上なる離宮は、荒れ果てたことよ。度々行幸したまうてそこにお立ちになつた聖武天皇の御代が、遠ざかつて行くので。
〔評〕 天平勝寶六年の同じ作者の「宮人の袖つけ衣秋萩ににほひよろしき高圓の宮」(四三一五)とならべると、わづかに四年をへだてて、離宮の荒廢がしのばれ、轉變のすがたを偲ぶ多感の詩人の感緒が察せられる。この歌、三句(218)切ではあるが、二句が字あまりであり、五句もおもをもしいので、力がこもつてゐる。
〔語〕 ○野の上の宮 山の中腹の緩やかな傾斜の地に建てられた宮と思はれる。次の歌の尾の上の宮と別ではない。
 
4507 高圓の尾《を》の上《うへ》の宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや
    右の一首は、治部少輔大原今城眞人
 
〔譯〕 高圓の山の上の宮は荒れはてても、お立ちになつた天皇の御名を忘れようか。忘れはせぬ。
〔評〕 清明の格調に、忠純の情がうたはれてゐる。
〔語〕 ○御名忘れめや やは反語。「いかるがのとみの小川の絶えばこそ我がおほ君の御名忘らえめ」(上宮聖コ法王帝説)。「明日香川明日だに見むと念へやもわが王の御名忘れせぬ」(卷二の一九八)などともある。
 
4508 高圓の野邊はふ葛《くず》の末|終《つひ》に千代に忘れむ我が大君かも
    右の一首は、主人中臣清麻呂朝臣
 
〔譯〕 高圓の野邊をはふ葛の末遠くはふやうに、末つひに、千代に至るまで忘れるやうな我が大君であらうか。否、さうではない。
〔評〕 一二句は離宮のあたりを敍したのであるが、「末終に千代に」とつらねた句法は、やや無理である。
 
4509 はふ葛《くず》の絶えず偲《しの》はむ大君の見《め》しし野邊には標《しめ》結《ゆ》ふべしも
    右の一首は、右中辨大伴宿禰家持
 
〔譯〕 絶えず久しくお懷かしみ申さうと思ふ大君の、かつて御覽なされた野べには、標を結ふべきである。
(219)〔評〕 大君を偲ぶ形見として、離宮のあとのゆかりの地を愛惜する至情である。
〔語〕 ○はふ葛の 前の歌をうけて、葛の蔓の絶えないことから、絶えずの枕詞としたもの。○標ゆふべしも 標は、濫りに人の入らぬやうに、繩をひきわたすこと。「大御船|泊《は》てし泊《とまり》に標ゆはましも」(卷二の一五一)參照。もは、感動の助詞。
 
4510 大君の繼ぎて見《め》すらし高圓の野邊見るごとに哭《ね》のみし泣かゆ
    右の一首は、大藏大輔甘南備伊香眞人
 
〔譯〕 大君は崩御あらせられたが、御靈は、續いて御覽になつていらつしやるとおもはれる、その高圓の野邊を見るごとに、聲をあげて泣かれることである。
〔評〕 以上の五首を通じて、いづれも順直の表現に、その至情が流露してをる。聖武天皇は、文筆燦爛たる天平時代の聖君として、わが國の歴史の上に不朽の足跡を遺し給うた。しかも崩御の後、間もなく内亂はおこり、人心深刻な時世である。人々が聖主を偲びまつつた諸作は、側々として胸に迫るものがある。
 
   山齋に屬目して作れる歌三首
4511 鴛鴦《をし》の住む君がこの山齋《しま》今日見れば馬醉木《あしび》の花も咲きにけるかも
    右の一首は、大監物御方王
 
〔題〕 山齋に云々 山齋は庭園。「妹としてふたり作りしわが山齋《しま》は」(卷三の四五二)參照。懷風藻にも例がある。○屬目 見る。以下三首は、清麿の家での作である。
〔譯〕 鴛鴦が住む君の家のこの林泉を今日見ると、馬醉木の花も咲いてゐることよ。
(220)〔評〕 池の上には愛らしい鴛鴦が浮び、清楚な花の馬醉木が庭園に植ゑてあつた當時の造庭の樣が、思ひやられる。詞調もまた清麗である。
〔語〕 ○しま 庭には池があり、池には中島があつたので、庭園をいふ語となつたのである。○馬醉木 今、アセビ又アセボというてをる。
〔左註〕 御方王 「四四八八」に三形王とあつたと同じ。
 
4512 池水に影さへ見えて咲きにはふ馬醉木《あしび》の花を袖に扱入《こき》れな
    右の一首は、右中辨大伴宿禰家持
 
〔譯〕 池水に影を映して美しく咲いてゐる馬醉木の花を、土に散らすのは惜しいから、扱《こ》いて袖に入れよう。
〔評〕 盛をすぎた花が土に落ちるのを惜しんだのである。花ぶさから離れた小さな花の粒が、葉の上にたまつてゐる馬醉木については、「袖に扱入れな」が感覺的によく利いてをる。
〔語〕 ○こきれな こきれは、しごきおとして入れる意。「な」は願望の助詞。
 
4513 磯かげの見ゆる池水照るまでに咲ける馬醉木《あしび》の散らまく惜しも
    右の一首は、大藏大輔甘南備伊香眞人
 
〔譯〕 めぐりの石の影が映つて見える緑の池水が、照りはえるまでに咲いてゐる馬醉木が、散るのは惜しいことである。
〔評〕 春光融々、滿開の馬醉木の花の水におちる音さへも、靜かに聞えるばかりに感ぜしめる。
〔語〕 ○磯かげ 巖の映つた形。磯陰(略解)ではない。
 
(221)   二月十日、内相の宅に渤海大使小野|田守《たもり》朝臣等を餞する宴の歌一首
4514 蒼海原《あをうなばら》風波《かぜなみ》なびきゆくさくさつつむことなく船は早けむ
    右の一首は、右中辨大伴宿禰家持【いまだ之を誦まず】
 
〔題〕 内相 紫微内相藤原仲麿。○渤海 文武天皇の大寶四年に大祚榮によつて建てられた國で、今の滿洲東蒙古の地にあたる。その首都は吉林省寧安縣東京城にあつた。我が國との交通は、聖武天皇の神龜四年十二月、渤海國の使高齊コ等の入京したのに始まり、奈良朝から平安朝にかけて度々往來があつて、經國集第十、本朝文粹第七等にも、その趣が知られる。なほ、この小野田守の遣はされたことは續紀に見えないが、寶字二年九月の條には、「小野朝臣田守等到v自2渤海1。大使輔國大將軍兼將軍行木底州刺史兼兵署少正開國公揚承慶已下廿三人、隨2田守1來朝。便於2越前國1安置。」とあり、「十二月、遣劾海使小野朝臣田守等、奏2唐國消息1曰」云々とあるから、續紀の脱漏なること明らかである。○小野田守 天平十九年正月正六位上より從五位下に、勝寶元年閏五月太宰少貳、五年二月遣新羅大使、六年四月太宰少貳、寶字元年刑部少輔となつたことが續紀に見える。天平二年筑紫の梅花の宴に列した小野氏淡理(卷五の八四六參照)は、恐らく同人であらう。
〔譯〕 青海原の風も波も平らかに靡き伏して、海上しづかに、往く時も還る時も、障ることなく船は早く行くことであらう。
〔評〕 「わたつみのいづれの神を齋《いは》はばかゆくさも來《く》さも船の早けむ」(卷九の一七八四)、「住吉に齋《いつ》く祝《はふり》が神言と行くとも來《く》とも船は早けむ」(卷十九の四二四三)と似た樣式であるが、「蒼海原風波なびき」の勁健な句の調子が、遠く海路萬里の波濤を凌いで、異國に出で立つ壯圖を送るにふさはしい。家持の作中にもすぐれた一首というてよい。
〔語〕 ○蒼海原 蒼海。青々とした海面。○風波なびき 風も波もたたず。なびきは立つの反對 (略解宣長説)。○(222)ゆくさくさ 往く時も還る時も。「往くさ來《く》さ君こそ見らめ眞野の榛原」(卷三の二八一)○つつむことなく 恙なく。無事で。
 
   七月五日、治部少輔大原今城眞人の宅に、因幡守大伴宿禰家持を餞する宴の歌一首
4515 秋風のすゑ吹き靡く萩の花ともに挿頭《かざ》きず相か別れむ
    右の一首は、大伴宿禰家持作れり。
 
〔題〕 因幡守云々 續紀に、「天平寶字二年六月丙辰、從五位上大伴宿禰家持爲2因幡守1」とある。
〔譯〕 秋風が枝のさきを吹き靡かせる萩の花を、もろ共にかざさないで、互に別れることであらうか、まことに心殘りである。
〔語〕 ○すゑ吹き靡く 靡かせる意の他動詞として、「なびくる」とあるべきところである。
〔評〕 卷十九の同じ作者の「いはせ野に秋萩しのぎ馬竝めて始鷹獵《はつとかり》だにせずや別れむ」(四二四九)と、類似の構想である。
 
   三年春正月一日、因幡國の廳にて、饗を國郡司等に賜へる宴の歌一首
4516 新《あらた》しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重《し》け吉事《よごと》
    右の一首は、守大伴宿禰家持作れり。
 
〔題〕 國の廳 國の役所。儀制令に「凡元日(ニハ)國司皆率(テ)2僚屬郡司等(ヲ)1向(ヒテ)v廳(ニ)朝拜(セヨ)。訖(リテ)長官受(ケヨ)v賀(ヲ)。設(ケムトナラバ)v宴(ヲ)者聽(セ)。其食以(ツテ)2當處官物及正倉(ヲ)1充(テヨ)。」云云とある。義解によれば、官物は郡稻、正倉は正税であつて、かく公の費用を以て設くる宴であるから、賜宴といつたのである。因幡國府は鳥取市に近い、今の岩美郡宇部野村字廳にあつた。即ち、因幡國廳(223)で天平寶字三年の正月を迎へた家持が、國司郡司等を集めて宴を催した時の作。家持の作の世に知られてをる最後の歌で、また萬葉集中の最後の歌。家持は時に年四十二歳と推定せられる。
〔譯〕 新しい年の始の初春の今日降る雪を吉兆として、この雪の降りしきるやうに、いやが上にも重なつてくれ、吉い事が。
〔評〕 心境平淡。技倆圓熟。「新しき年の始の初春の今日」とつらねた句法に、雪を吉兆として慶賀する意が豐かに滿ちわたつてをる。卷十七の、葛井諸會が詔に應じて詠んだ「新しき年のはじめに豐の年しるすとならし雪の降れるは」(三九二五)と双べ擧ぐべき作。
〔語〕 ○いやしけよごと しけは頻りに重なるの意の動詞の命令形。よごとは吉事。
〔訓〕 ○あらたしき年 白文「新年」。舊訓「アタラシキトシ」とあるが、あたらは惜しむべきの意で、新はあらたであつて「アラタシキ」と訓むのがよい。「年月はあらたあらたに」(四二九九)「あらたしき年の始にかくしこそ千歳をかねて樂しき終《を》へめ」(琴歌譜)などある。
 
附記 以上を以て、萬葉集二十卷は終つた。偶然ともいふべきではあるが、卷末は、高圓離宮を偲ぶ歌、山齋の馬醉木の歌、渤海大使送別宴の歌で、いづれも秀逸の作であり、しかして、此の元旦の因幡國廳の賀歌を以てとぢめられてゐることは、いはば有終の美をなしたともいふべきである。しかし、概説にも述べたやうに、家持の歌稿は、この卷で終つてをるものとはおもはれない。幼年から歌を愛し詠じた家持が、その歿年にいたるまでの二十六年の長年月を、一首の歌なしに過したといふことはあり得ない。自身の作品のみならず、他の人々の作をも聞くがままに絶えず採録してをつた家持が、よしや政治に專ら心をそそいだにして(224)も、地方に歴任しても、筆を絶つたとは考へられない。なほ何卷かがあつたといふことは信じられる。その數卷の湮滅は、まことに遺憾のきはみである。
 しかも、この萬葉集二十卷が、大伴家の滅亡と共に滅びずして天地の間に留まり、わが國上代人の心のすがたを示し、その心の聲をさながらに千二百年の後に傳へてをるといふことは、ひとりわが國の文藝史の上の欣びであり誇であるのみならず、世界の文藝史の上にも光彩を添へるものといふべきである。ここに萬葉集全卷の評釋の筆をさしおくに當つて、いささか所感を記し添へる次第である。
 
萬葉集卷第二十 終
 
萬葉集年表〔省略〕
 
 
 
281頁
昭和二十九年九月五日印刷
昭和二十九年五月十日發行  佐佐木信網全集第七(第八回配本)
評釋萬葉集 卷七           定價四百八拾圓
著者  佐佐木信網
發行者 吉川 晋
印刷者 長久保慶一雄
印刷所 大日本印刷株式會社
 東京都新宿區市谷加賀町一ノ一二
發行所 株式會社六興出版社
東京都中央區日本橋蠣殻町
 
〔2016年6月8日(水)午後4時58分、一応入力終了、未入力部分の記入、誤植の訂正、正誤表の記入等はできるだけやっていきたい〕
 
正誤表
二一三 五   たた  ただ
同   一三  (脱、改行) 〔語〕
 
卷二
一〇 一 とだと  のだと