左千夫全集第一巻、岩波書店、652頁、3800円、1977.1.10
 
歌集〔脚注はすべて略した。「は」の変体仮名と思われる「ハ」を「ハ」のままで表記しているのは「は」にした。〕
 
(3) 明治二十四年
 
 ひたすらに我父上よまちはべる都ノ櫻咲かんとそせば
 
 のどかなるやさすか浦の月影をともに詠むる時をしぞ思ふ
 
(4) 明治二十五年
 
 心せよ三冬の寒さ忍はすは梅の芬りもすくれさらめや
 
(5) 明治二十八年
 
 何處ともかわらざるらんあらたまの年を壽く人のこゝろは
 
 師走よりむ月きさらき見もあかて彌生のけふも梅を問ふかな
 梓弓春も彌生の空にさへ梅かかまたと匂ふとし哉
 大御代の恵みとそ思ふ牛ならぬ梱り事にうめを間ふとは
 梅の花主なき園に匂へとも高き心を見る人そ見る
(6) 風薫る梅の園生に尋きて又鶯の聲もきくかな
 春風のそよく夕は袖か浦浪もかまたの梅ににほはん
 かまたとは聞し言はの誤りか盛過にし梅のはな園
 いつかまた梅を尋ん折もかな都にさへもたくひなけれは
 花代に歌をは讀まん梅の主我に一枝折るをゆるせよ
 
(7) 明治二十九年
 
 月の中に幾たひきぬる君なから猶またれつるあすにもある哉
 
    井伊直弼三十七回忌
 
 はることに庭の柳をなかめつゝめてしむかしのひとやこふらむ
 
     明治はたとせあまり九と云ふ年の初秋故郷なる九十九里の濱に旅しし折よめる
 
 武夫の矢刺か浦の夕風にひかり凉しき弓張の月
(8) 秋風につくもか濱の糸薄おもひかねてや亂れそむらん
 撫子も匂へる野へにきり/\すむかしこひしき音《ね》にも鳴哉
 此ゆふべ秋の初風みにしみていとゝ都の空そこひしき
 
 都をばきのふ出つるまちかねし心み山に紅葉尋ねて
 
    紅葉
 
 いかはかり紅葉の色や深からん山また山のおくをわけなは
 はる/\ときしやに訪へはや紅葉しゝ紅葉のかけの猶もまたるゝ
 時の間に關の東の大原を渡りてきしやのあな心地よや
 たつねきてふもとに宿る宵の間もなほ待れぬる峯の紅葉
(9) 來てみれはあなかしましや山里は峯の嵐に谷川のおと
 都をはきのふいてつるあくかれし心みやまに紅葉たつねて
 おのかしゝ霜やおきけん山/\の紅葉の色はうすくこくして
 炭かまの煙あはれに立てるかな紅葉色こき峯のかひより
 もみち葉の八重かさなれる谷そこにさやかにみゆるたきつ白浪
 瀧のみや巖にかゝるもみち葉の錦のうらもなかめられつゝ
 もみち葉の錦おりたる山にしもたかぬひそへし白糸のたき
 宿ことに錦のまかきゆひつゝも山里いかに秋はうれしき
 おもしろや秋の山里來てみれは家峯の宿木そも紅葉して
 仲/\に住まほしくも見ゆるかな紅葉にかこふ山賤か庵
(10) わけ入れは紅葉いよ/\色深しおくに立田の媛やますらむ
 毛の國や黒かみ山の峯ふりてたへす棚ひく天津白雲
 屏風巖おのか名におふものならは谷間の紅葉風にちらしな
 唐錦もみちの山の木のまより千ひろにかゝるたきの白糸
 紅葉せぬ山こそなけれ玉くしけ二荒の山につゝく山/\
 あふく峯見おろす谷も幾千ひろ梢殘らす紅葉しにけり
 紅葉のまひて散るみゆ瀧つせの水の煙にうつまかれつゝ
 山をふるひたきひゝくなり秋ことに紅葉はちるかしつ心なく
 唐錦おりかさねたる紅葉山ひらくるまゝにみゆるみつうみ
 湖に緑ゆつりて山の美は秋しりかほに紅葉しにけり
(11) もみち葉や三里の海にみちぬらん夫た羅の山に嵐ふく日は
 紅葉をかさしにしつゝ降りくれは細谷の峯に月さし昇る
 紅葉てる色にしはしは夕月も光ゆつりてみゆる山の端
 てりまさる紅葉の山も夕されは月そかへさのたよりなりける
 こゝもまた秋やよからん故郷の小倉の山の名をうつしつゝ
 此あたり春のけしきやいかならん秋さへ山に鶯のなく
 秋きりの名におふ山を立田媛なとそめ殘すたきの白いと
 きりふりの山とは云へと瀧つせの浪の花には秋なかりけり
 山川の岩うつ浪の花をたに薄紅ひにそむる秋かな
 今宵また秋の深山にやとりせん紅葉のにしきうち重ねつゝ
(12) 紅葉てる山に煙をたてよとは炭やく賤にたかをしへけむ
 山かけに紅葉のにしき片しきて賤か乙女やたれをまつらん
 山深くきのふもけふもわけいりぬあかぬ紅葉のなこりをしさに
 唐錦紅葉の枝を折りくれはしらぬ人さへこひしかりけり
 もみち葉を手ことに折りてくるさへをこひしとおもふにたをやめにして
 みんと思ふ心ふかくもわけいりて紅葉の山にけふもくれぬる
 玉くしけ夫た羅の山の大御神今宵はかりは雲なおこしそ
 又とてはいつの世か見ん紅葉ちる歌か濱への秋の夜の月
 紅葉のあやをる浪をこきわけて歌か濱へに月をまつかな
 みきもなく友もなけれとおもしろや紅葉たゝよふ湖の月
(13) 紅葉てる秋の深山にやとりしてまたおもしろき月もみるかな
 千代ふとも忘れはてめや紅葉ちる深山のうみに月をみし夜は
 夫た良山おろす嵐のつよけれはいよ/\寒し波の上の月
 こゝろさしあはれともみは立田媛歌か濱へにわれをみちひけ
 月のいる深山のおくをなかむれは紅葉しろし霜やおきけん
 めつらしき紅葉の枝をおることに都の人そおもひいてぬる
 二荒山峯の紅葉の木の間よりさやかに見ゆる富士の白雪
 ふたらの山の 峯たかみ
    ふもとのうみを みおろせは
 小島に匂ふ もみち葉の
    梢にふねそ かよふなる
(14) 陸奥や越のやま/\雪しろし二荒の山に吾のほりみれは
 大かたは峯の紅葉もうつろひてさひしさまさる深山への里
 紅葉もちりてさひしき深山へをおとつれかほに時雨ふるなり
 秋を惜む人のこゝろもしら根山紅葉は殘らさりけり
 人傳にきくたもあわれ棹鹿の深山のおくの月に鳴聲
 朝またき山路にいれは紅葉のちりしく上に霜そさえぬる
 みちもせにちりしく紅葉あせぬれと盛の色の忍はるかな
 吾いなはまたとふ人もなかるらんあはれ深山に殘るもみち葉
 ちりてまたほともへねはや紅葉のにしきの色はかはらさりけり
 散るけしきいかゝなりけん紅葉の白浪むすふ瀧つせの上に
(15) 夕日さす深山のおくの湖にさらすけしきは紅葉なりけり
 たとへんに物こそなけれ白浪に紅葉のにしきさらすけしきは
 うれしさは秋の深山の旅枕紅葉のにしき着にまかせて
 一むらの雨すきぬれは紅葉山ぬれてにしきの色まさるなり
 炭かまの煙もきえてなき虫の山に時雨の雲かゝるなり
 
(16) 明治二十九年乃至同三十一年
 
    雪中梅
 
 梅の花いろには雪と爭はてにほふこゝろの高くもあるかな
 
    餘寒月
 
 梅にのみ春のこころをにほはせてふゆながらなる月の光や
 
    鷺在谷
 
 山がつが谷間の庵におとづれてはつ鶯の聲ぞ聞きつる
 
    小梅の里
 
(17) うぐひすの訪はぬ宿こそなかりけれ小梅の里の朝ののどけさ
 
    閑居鶯
 
 朝夕になく鶯を友とせばひとり住むともさびしくはなし
 
    題知らず
 
 世にひさになりいでがたき身なりともまがれる道はさけにさけつつ
 
    王仁
 
 此はなの匂なれこそたぐひなくのどけき春もたちそめにけれ
 
    八重櫻
 
 花にちる人の心を引きとめてしばしおくるる八重櫻花
 
    初夏山
 
(18) 夏くれば青葉の色の涼しきにやまも霞のころも脱ぐらむ
 
    初秋月
 
 柴がきに萩の花妻笑みそめてあるじ顔にぞ月はやどれる
 
    鶴立洲
 
 久方の空にあまたは舞ふめれど裾まにあそぶ田鶴もありけり
 
    蟲
 
 秋草のあはれににほふ花のもとに住むほどなれや蟲のこゑごゑ
 
    寄木祝
 
 常盤木の五百枝の梢葉をしげみ千代さかゆべき森のいろかな
 
    四條畷懷古
 
(19) 此所にこそ千代の恨は殘しけれ敵のしるしも僞にして
 
    霧中紅葉
 
 うすく濃く見るまも色ぞさだめなきさ霧ただよふ山のもみぢ葉
 
    寄草祝
 
 かさぬへき君か齢にくらふれは野への千くさの數は物かは
 
    朝霜
 
 なかむれは並木の松に月おちて朝霜しろし奈須の篠原
 
    〔無題二首〕
 
 さみだれの晴れて始めて月見ればはつかの月のはつかなるかな
 村時雨すぎかてにする山路より落葉ふみつゝ人の來る見ゆ
 
(20)    月前時雨長歌並に短歌
 
 もみぢ葉の 錦さらせる 谷川の ながれたづねて 久方の 月もすめるを 心なき 時雨のあめは こころありて ねためるがごと めぐりきて いくたび月の 影かくすかも
 めぐりゆく時雨のあとをながめつつまた谷川に月はすむらし
 
    雪中の鶴とふ題にてよめる長鶯并に短歌
 
 和多津美の 海のみあをく 浦間おちす ゆきのふりける 此朝け おりゐる鶴は もみち葉の あかきいたゝき あらたまの かくろき尾もや ことに/\ いろきはたちて 常よりも うるはしくこそ 白妙の ゆきの中にし おりゐる鶴は
    反歌
(21) 白妙のゆき間ゆいてゝ羽根をなみうみとひわたる鶴もありけり
 
 
(22) 明治三十一年
 
    雨
 
 雨をましへあらしふくなり久方の空かきくもりおともとゝろに
 
    題知らず
 
 なかむれは霞める山の麓より澤邊をさして駒のおりくる
 青駒のくつわならへて盆良夫やあかきもゆたに花を見るかも
 
    戊戌の秋故郷におとつれける時人々のあつきこころをよろこひてよめる歌并に短哥
 
(23) あら玉の としある秋を 古郷の いとこはらから ふるさとの めいら姪等は よろこはひ けふをよき日と よろこはひ 新よねかしき 吾かためと あるしをしせる まふけうれしも
 にひよねをかしきまふけてあるしせるふるさと人のこゝろうれしも
 
(24) 明治三十二年
 
    詠矢刺浦歌並短歌三首
 
 阿豆佐弓。音にきこえし。武夫の。矢刺か浦は。かみつ總。下津總なる。布多國乎。かけたる浦そ。荒波の。常なみなして。久方の。雲にしられぬ。いかつちの。とゞろきたえす。いそ原に。樹もみえなくに。嵐かも。ふきまかくなす。なるおとの。やむときもなく。見聞の。かしこかれとも。磯のきはみ。石も伊たゝす。渡津曾固。岩もこもらす。あびきの。たよりよけれは。阿良多萬乃。年の緒なかく。すなとりの。業はもさかえ。人左波爾。つとひましけり。空蝉の。廣き世の中。ひとみなの。みけのそなへ。たなつ物。畑津物をも。うるほして。やしなふ料を。とこ(25)しへに。うみいつるもへは。尊くも。はしき浦かも。荒波の。おとより外に。陸見れと。沖へをみれと。なぐさまむ。山島もなき。浦にはあれとも。
     反歌
 あかときの夢おとろかしあまの子らかよふ聲きこゆ船おろすらし
 荒波の白なみのりこえ二小舟沖へをさしてはやこぎいてつ
 舟皆は眞梶しゝぬききほひあひてあかりつおりつ浪のりこゆる
 
    ※[さんずい+氣]車のうた三ツ
 
 おとろ/\遠山の尾におとすなり吾まつきしやかはやきたるらし
 吾妹子をのせたる※[さんずい+氣]車は青田すき松原すきてはやみえすけり
(26) 二番には來るといひしを其※[さんずい+氣]車はつけとも妹に似たる人もこす
 
    軍隊に編入すと聞て郷黨の二三子におくる歌二首
 
 おほろかに思ひてゆくなけふよりは國のたてきそ滿須良雄能登毛
 つるき太刀こしにうちはきいてたゝはかへりみするな万壽羅夫濃斗毛
 
(27) 明治三十三年
 
    牛飼
 
 牛飼が歌咏む時に世の中のあらたしき歌大いに起る
 
    新年雜詠
 
 葺きかへし藁の檐端の鍬鎌にしめ繩かけて年ほぎにけり
 天近き富士のねに居て新玉の年迎へんとわれ思ひにき
 ゆた/\と日かげかづらの長かづら柱に掛けて年ほぐわれは
 
(28)   一月短歌會
 
     雪
 
 あけの塔ゆゝしなつかし大雪のふれるが中にたてるを見れば
 青海原きのふの如ししかはあれと安房の遠山雪降りにけり
 人くるまゆきゝをしけみ都路の大路の雪はくろくそ降りける
 寺島や牛島あたり見渡せば墨繪に似たり雪くらくして
 黒鐵のあづまの橋に吾たてばつくはねおろし雪吹つくる
 いつはあれと大雪ふれる道のへに物こふ人をあはれと思ひき
     〔餘興の福引にみかんと吟なんを得たり〕
 吟なんはいてふの實なり然もみかんのなる木は何といふそも
 
(29)    茶
 
 いざ子供はや茶をたてよ窓の下に釜のとひゞく湯は立ちぬらし
 おもしろき山茶花もらひ其花を床にさしいれて茶をたてにけり
 冬の日のあかつきおきにもらひたる山茶花いけて茶をたてにけり
 宇治の茶をのめばしのばゆ宇治の里の茶つみ少女のふしよき歌を
 山城の宇治の茶飲めは宇治の里の茶つみ少女の歌ししぬばゆ
 庭を清め座敷を拂ひ床の間に掛物掛けて茶を飲みにけり
 いにしへの竹の林に遊びけん人の畫掛けて茶を飲みにけり
 飲みをはり僧問ひけらく此茶わにあなゝおもしろ何とふやきぞ
 いにしへの人が燒きけんらく燒の手つくね茶碗色古りにけり
(30) 夜ふけて家に歸れば家人は皆いねにけり冷茶を飲みぬ
 夜ふけて家に歸れば家の内の人皆寢ねて茶は冷えにけり
 家人の皆眠りにし夜半にわれ厨に行きて冷茶を飲みぬ
 盆栽の松をおきたる窓の内に白髪の翁茶を飲みてあり
 老いらくの老をたのしむ茶座敷の小窓の上に松の鉢あり
 
    肺病なる人の妻にかはりて
 
 わく涙おさへ兼つも病疲れ痩細ります背のおもみれば
 神ならで何を頼まん醫師にも力およばずわが脊の病ひ
 
    森
 
 森中のあやしき寺の笑ひ聲夜の木魂にひゞきて淋し
(31) かつしかや市川あたり松を多み松の林の中に寺あり
 かつしかの田中にいつく神の森の松をすくなみ宮居さぶしも
 
    笠
 
 吾妹子が結ひし笠紐色あせぬわれ旅にして幾日へぬらん
 
    二月短歌會
 
     八島の戰
 
 千よろづの敵も味方も見るなかに駒のり出だす那須野の與一
 
     紙鳶
 
 神杉に紙鳶を引きかけわらはべは取るすべ知らに仰ぎてなげく
 
(32)    陶器
 
 たまちはふ神火いはひて燒物をまさきくあれといのるせと人
 めづらしきもひに茶をたて飲み居れば山松の上に天雲動く
 
    三月短歌會
 
     雛祭
 
 をみな子の四たりの子等はおのも/\おのが雛にものたてまつる
 
     新婚祝
 
 天地の神にちかひて契りにし時の心はよろづ代までに
 
    春夜
 
 花ちらふ櫻が丘の春の夜は常夜にあれないたもともしも
 
(33)    四月短歌會
 
     富士の卷狩
 
 天の下事もあらねばものゝふのひまのなぐさの富士野の御狩
 
    〔消息の歌 四月五日坂井久良岐へ〕
 
 君が家の花し念ほゆ然れどもつれなき人の言もいはなくに
 
    〔七日會一周年記念の宴〕
 
 白妙に匂ふ櫻の木の下に人を並べて寫眞にとりぬ
 花曇雨ふるらしも人皆は物早く喰ひて歌早く咏め
 八千度も花は見しかど今日ばかり樂しかりしは未だ有らずけり
 
(34)    〔麓が家にて〕
 
 刺竹の君が此頃歌の上のかはれる意見聽むとわがこし
 魂あへる友をたづねて歌がたりかつ歌詠て夜は更に鳧
 
    春雨
 
 春雨のふた日ふりしき背戸畑のねぎの青鉾なみ立ちてけり
 なぐさみに植ゑたる庭の葉廣菜に白玉置きて春雨のふる
 此頃の二日の雨に赤かりし楓の若芽やゝ青みけり
 
    櫻花
 
 久方のうす花月のおばろ夜に笛吹きすさぶ岡のへの宿
 琵琶めして琵琶をひかしめ琴召して琴をひかしむ花のうたげに
(35) 天つ日のうら/\匂ふ岡のへの櫻を見れば神代しおもほゆ
 青疊八重の汐路を越えくれば遠つ陸山花咲ける見ゆ
 足引の山のかひなる一つ家のわら家の檐の花咲きにけり
 谷あひの水車の小屋にかぶされる八百枝の櫻花さかりなり
 天つ風いたくし吹けば海人の子があびく浦わに花散り亂る
 いかるがの宮居のあとの古寺に咲ける櫻の八重咲櫻
 吾庵の檐の端近く八重咲の牡丹櫻の花咲きにけり
 さにつらふくはし少女が山櫻かざせる見れば神にしありけり
 飛ぶ鳥のあすかの山の櫻花散りてながらふ風のまに/\
 みよしのゝ櫻うつして植ゑきとふ雨引の山見し事の無き
(36) 病みこやす君は上野の裏山の櫻を見つゝ歌よむらんか
 
    夢に風船に乘りて花を見る
 
 ゆた/\と風のみ舟に乘りくれば下つ山々花さかりなり
 久方の天つ春風ゆるやかに吾乘る舟は花の山の上
 青が嶺をうちこえくれば異郷は花咲きをゝり※[奚+隹]鳴く聞ゆ
 現そみの世の人むらは蟻のごと花の山べををちかへりすも
 わが船は千里越えぬとおもほへどまだ越えはてず花の山の上
 
    鎌倉懷古
 
 燒太刀のほさきかませる皇みこの御おもしぬばゆ岩屋をろがめば
 あだつ國蒙古の使時もおかずはや打ち斬れとたけびけんかも
(37) 元の使者既に斬られて鎌倉の山の草木も鳴り震ひけん
 杜鵑鳴くや五月の鎌倉に蒙古の使者を斬りし時はも
 鎌倉に蒙古の使者を斬り屠り東猛夫如何にきほひけむ
 たぐひなきいさを立てゝし時宗のおくつきどころ知る人も無し
 
    〔消息の歌 四月二十六日藤原久良岐へ〕
 
 菴のうちにひとりねころび春雨の雫の音をきかくしよしも
 長雨の此あめやまばたて川のあたりてらして牡丹はさくらむ
 牡丹咲く園のまぢかのわが菴を牡丹見がてりとはずや吾君
 そこまではゆきえずなどゝ頭やむ君がかへり言あらむを恐る
 
    庚子春竹の里人にたてまつる
 
(38) いましかりゆくとの君が片假名の歌のはがきをこひまつ吾は
 行く春はとゝまらなくにさす竹の君かきますをいつとかまたん
 暖かき春をまつしをいたつきの間もあらせすときくか悲しも
 こひまつる君をむかへてねもころにひと日なりともつかへてましを
 くたちつゝ千とせをへにし言花の歌のおとろへをおこす君かも
 今の世をくたちたる世とおもほへす君かをしへをうくらく思へは
 さかみなる阿夫理のみねのあさきりのおほにおもはゝかくこひめやも
 
    〔小金井遠乘〕
 
    小金井遠乘の事かしこきかたよりの仰かしこまり申していでたちし都司縣司の一むらのいきほひゆゝしと見る間にま逆さまに馬より落ちたまひけんとかや新聞の上に見てだに胸つぶるゝに人を庇つけずやと憂ひ思ひて
 
(39) 大御代に逢へるしるしと百司駒うちなめて櫻狩すも
 大御代の榮ゆる春を貴人の遠乘すらし櫻見がてり
 白金のくつわかませて荒駒をうち並め來たる増荒夫の伴
 花のもとに大みけ給はり幕の外に八百駒いなゝく小金井の里
 咲きをゝる櫻のもとに御しるしの幔幕うちてうたげすらしも
 大御酒に醉ひたるあそが乘る駒を落ちのどよみに花散り亂る
 
    奉祝東宮殿下御婚儀歌並短歌
 
 阿米の下四方の人の、天水のあふぎて待ちし、春の木の實をむすぶ時に、若葉山さかゆる時に、高光る天つ日繼の、吾大王皇子の命、八百萬千萬神の、神たすけ保たせまして、天地と長く久しく、萬世にかけて契らす、事の尊さ
(40)     反歌
 天地の千萬神の神守りいまもるからにちぎらせたまふ
 大ぎみの大御ことほぎことほぐと天の下人狂ひまどふかも
 天の下の草木にさやぐ風の音も皆ことほぎのよろこびの聲
 
    藤花
 
 化粧間の鏡のわきに紫の藤の花あり鉢植にして
 
    曇
 
 干潟には千萬人の海べには百舟むれて汐曇りすも
 大のらの護戈の砂原砂曇る雲井をさしてつぎゆく駱駝
 いく群にいむれ別かれてあなは曳く網子よひきほひ浦夕曇る
(41) あしびきの山のかひなる群村《むら/\》の桃の花咲桃の花曇
 鯨舶鯨えずして歸りたる浦間さびしき夕汐ぐもり
 まきの夫が犬を指揮して千萬の羊逐ひくる野のうす曇
 雲烟野にたれこめて一本のさくらかすかに明るくありけり
 うちなびく春野をくれば朝ぐもる藁屋の庭に牡丹の花あり
 
    〔鼠骨の入獄談を聽く〕
 
 公の罪は犯せどむらぎもの心やましき罪にはあらず
 世の中にちひさき罪を犯したる下駄ぬす人をあはれと思ひき
 
    五月短歌會
                                       立     立夏
 
(42) 今日よりは夏といふ日の其宵に上野の森にほとゝぎす鳴く
 
    芝居十首
 
 春ノ日ノ芝居ハテツル折シモアレ小雨フリイデヽ人ムレマドフ
 春ノ日ニ。芝居ヲスルト。ヲノ子ドモ。コモ席シテカリ小屋ツクル
 芝居スル村時ジクニ市ヲナシ人ニギハヒテ桃ノ花ザカリ
 夜フケマデ笛フキナラシツヾミウチ里ノヲノ子等芝居ヲ習フ
 吾村ノ芝居ヲミルト菜種咲ク畑ノ中路人ツギテクモ
 ウブスナノ森ノ後ニサジキ結《ユ》ヒカリ小屋作リ芝居行フ
 種蒔ヲ絡へシ祝ヒトヤスム日ニヲノ《男》子ヲ《女》ミナラ芝居見ニ行ク
 村芝居雨ニフラレテヤスムマニサジキノツタノ菜ノ花サキヌ
(43) 芝居スル春ノ村里菜種サキ柳シダレテ人ヲチカヘル
 大根ノ花ケシノ花サケル村里ニ芝居アルトフ人ムレヲクル
 
    〔五月臨時短歌會〕
 
     舟中作
 
 眞青なる五百重しき波かきわけていゆく船べり鱶よりまどふ
 天地の間に向ひ吾船は八重の汐路を踏みさくみ行く
 
    〔雨中即景〕
 
     五月廿日根岸の廬に萬葉の輪講を開き終りて歌をつくる程に夜に入りて雨俄に降り出でつ待てどもやまず傘もなく車も無く殘されし五人は寐ころびて菓子などくひながら夜を明しぬ※[奚+隹]のしばなく頃しばらく蒲團かつぎて眠りしも眠ら(44)れねばやがて起き出でて雨戸かいやるに雨こまかにそゝぎたる庭前のけしき緑の中に紅の薔薇一本二本咲きたるなどさすがに見どころあり端居して人々と共に作りし歌の中に
 
 垣のもとに茂り生ひたる山吹のしづ枝に一つ花咲き殘る
 なには江に横はふ蟹の蟹日なす杉の若葉に雨ふりそゝぐ
 さみどりの松葉の針の針ごとに白玉ぬきて雨ふりやまず
 ゆら/\と風にゆられて松の葉の葉末の露の玉散りみだる
 
    煙
 
 岡のへの若葉青葉のしげり葉の間ゆ白う立つ煙かも
 青空に煙吐き散らし笛の音をい吹きとよもし船動き出づ
 
    詠煙歌一首并短歌
(45) たらちねの母のみことが、好ませる餅につくらん、足引の山のさ百合は、花の時ぞ味はよろしき、花の時は掘るをたやすみ、鶴嘴に提籠とりそへ、いざ/\と吾妹がいへば、向つ尾の小笹かきわけ、しげ山の萱おしふせて、たもとほり花をしをりと、白玉のまさ根を探り、百合玉は提籠に満ちぬ、今はとて家路をさせば、家里に煙はのぼる、吾家の煙なるらし、さ百合餅作らんしろと、吾妹子がさ湯わかすらし、吾家の煙
     反歌
 老い人の母が待つらん木の間より煙しのぼるさ湯わかすらし
 
    朝鬼夕鬼
 
 あしたには朝鬼泣かしめ夕べには夕鬼泣かしむ新派のうたよみ
 春やまのはなも宜けども夏山のみどりをこのむ牛飼われは
(46) 幼子は白きをいなと云ふからに赤き乾菓子に取かへやりぬ
 
    寄友
 
 きみが住む數寄屋の町は白首の女餓鬼が巣ぞと聞くは誠か
 柿餓鬼に左り從《ユ》吸はれ弟餓鬼に右りゆ吸はれ血汐盡らんか
 戀痩にやすらん君は朝茶のみ夕牛喰ふとも甲斐あらめやも
 ゆら/\に馬車にゆられて日本はし京橋すきていつちゆきけん
 やせ/\て生けるきらはヽ朝ことに茶さはに飲みよは牛を山に喰へ
 
    五月廿五日久良岐君を其邸に訪ひて
 
 門を入れは先づ軒の端に大なる梅をうゑたり羨《トモ》しきすまゐ
 
    六月一日四つ木の吉野園に遊びて
 
(47) 岡のへの木立の中の御社に旗立てゝあるそこにも花あり
 あづま菊うす紫の花見れば家なる妹をおもほえまくも
 吾妹子が下著の襟の紫の色によく似し花あやめかも
 池をつくり溝をつくりて土橋板橋あなたこなたに花植ゑし園
 くれなゐの唐くれなゐのけしの花夕日を受けて燃ゆるが如し
 園を廣み木立めぐらし田をつくり千うね八千うねあやめ植ゑにけり
 梅のもとにけしの花咲き松のもとにあざみ花咲く藁家のみぎり
 むら立の八千本葵おのも/\節目正しく花咲きにけり
 あかねさす夕日をうけてむれ咲ける八重の金せん花まかゝやく
 蕗の葉の廣葉ほこりてかよわなるくはし草花かたより咲けり
 
(48)    讀平家物語
 
 赤根さす夕日の風に紅の旗ひるかへり船なみよろふ
 風をいたみなみてよろへる八百舟に白木綿花の浪うちをどる
 おのも/\きほへる駒のむながひに白玉をどらせ海のり渡す
 敵味方おめきくるひて波の上に千矢の八千矢のとびちがふかも
 うら若き尼の三人が出て汲むあかゐのもとの山吹の花(祇王)
 
    再度吉野園に遊びて
 
 其色にかなへる名をつけ札立てし千名の千くさの花菖蒲鴨
 雪なせる白き花びら軸のべをほそきうこんの色どるあやめ
 ほそく立つ中つ花びらむらさきに外つ花びらましろき菖蒲
(49) むらさきの濃染のあやめ照る如く九のひらにし花咲ほこる
 はちうねのうねのこと/”\異色の菖蒲を見れば飽時なくも
 白瀧と名付るあやめ花びらは三ひらになりぬやゝ長くして
 くさ/”\の花の數々うね/\に色わけしたる菖蒲の花その
 夕されは青きむらさき色をなみ只白くのみあやめは見ゆる
 花あやめしら/\見ゆる田の上を一つ螢のとびわたるかも
 夕つゞも雲に隱れて菖蒲田の五百個花むらの色消えかゝる
 
    郭公十首
 
 竹武島神の御前の琵琶やみて靜けき森に鳴く郭公
 郭公鳴く方見れはこもりくの二十日の月い野を出にけり
(50) 夜をこめて歌思ひおれは書院なる窓の近くに鳴郭公
 雨《アメ》晴れて庭の青葉の露の上に月てる宵を鳴郭公
 曉の茶の湯をするとつくは井の水かへ居れは鳴郭公
 よひ/\に君か方より郭公鳴きてはくれと言傳もせす
 郭公さやかに鳴きて夏山の梢しら/\明そめにけり
 柿の花ふみちらしつゝけさの朝け吾家《ワキヘ》のせとに鳴郭公
 月あかく郭公なく此ゆふへ思ひたえずてとひしよ吾妹《ワキモ》
 妹と吾二人なみ居てあくまてに今宵はきかん鳴け郭公
 
    七月短歌會
 
     〔砲臺乘取〕
 
(51) 朝明に筒音やみてむかつ岡の仇の砦に日の旗立てり
 
    太沽戰
 
 つゝ煙たゝよふ中に日の旗の兵《ヘイ》一群か進みたゝかふ
 世の中につよきをほこる列つ國の兵かけぬけて日の旗進む
 日の丸の旗ひるかへし疾き風の吹かくか如く進む兵かも
 白妙の衣《キヌ》の兵《ツハモノ》一とむれか仇のとりでにはやおしよせぬ 雨をなす大づゝ小づゝのたま先に鬨うちあげて進み出できや
 ふる丸の雨にためろふ列つ國の兵《ヘイ》かけぬけて進みたりけん
 あかつきに鬨うちあけて日の國の白衣《ハクイ》の兵《ヘイ》かあた逐ひまくる
 むら肝の命をします日の國の武夫さひてふるひけんかも
(52) ます鏡とぎて傳へし日の國の劔の光りけふかゞやかす
 日のみ旗向ふ先にはあたなしとしらせたりけり敵に味方に
 
    服部中佐戰死
 
 死は悲ししかはあれとも増荒夫かよき死所得たる思へは
 古ゆしなぬ人なし世の中によき死所えたる人かも
 天地の間につよき國々の人に先たち死にきや増荒夫
 天地の間の人の目を注く中にほまれを擧けし人かも
 千早振神のみ國の國民の武きしるしと死にたるますら夫
 
    白石大尉先登
 
 天雲をちわきてかける龍のことおとり登らく増荒たけり夫
(53) 神世よりとり傳へたる燒太刀の劔ふりつゝ兵《ヘイ》さしまねく
 日の國の武夫吾とをたけひて先かけしけんあたのとりてに
 ますら夫かたけりくるひてつゝ丸の雨なす中をかけいつらくも
 奪ひたるとりての上に列つ國の旗|ゆ先たつ朝日の御旗《に先だち日の旗立てり》
 
    〔消息の歌 七月八日長塚節へ〕
 
 梓弓いかにいひけんおもほへす根岸へゆくはあすの次の日
 十日のひるすきころゆ呉竹のねきしへゆかな雨はふるとも
 けふのことあつからんよりなか/\に雨のふらくをよろこふ吾は
 
    〔七月短歌第二會〕
 
     盂蘭盆會
 
(54) 家の外に焚ける迎火燃ゆとすれば雨ふりいでて消ちにけるはや
 御佛のきます夕と檐ごとに蓮の花繪の灯ともしけり
 紫のちひさき花の盆花をたばにたばねて根に紙巻きぬ
 
    納凉
 
 かとのへの槐のもとに麻織の玉床しきて夕すゞみすも
 凉み舟すゝむなくさに紅の牡丹燈籠をなかして遊ぶ
 よく語る隣の翁まてどこずすゞみのむしろ今宵さふしも
 吾庵は蓮田を前によひよひの露の玉散る風のすずしも
 
    瀧見の旅
 
 長雨のふらくやまねば二荒の瀧見の旅を行きがてにすも
(55) 雨雲のおほひかくさば二荒山行きて見るとも多岐見えめやも
 埼玉や古河のあたりの夏蕎麥のなつみこめやもおほに思はゞ
 麥わらをしける廣畑瓜の畑葉かげに瓜のこゝたく見ゆる
 少女等がかざしの玉の赤玉に似たるいちごを採りつゝありく
 奥山の道のへに咲く草花をうらめづらしみ見せまくもとな
 時じくに鶯鳴くも二荒のおくなる里は常春にして
 二荒の山の裾野にあかねさす紫匂ふ花あやめかも
 櫻草の花によく似る紫の花めでつゝも名を知らずけり
 花あやめしみ咲きにほふ紫の花野を來れば物思もなし
 紫の雲ゐる野べに朝遊び夕遊びます二荒の神
(56) 天雲のいはひもとほる湖の上に眞白片帆の舟歸る見ゆ
 歌袋歌滿ちあふるなめ革のかはり袋のありこせぬかも
 二荒の山にまします女神だち歌のわく子にさちあらせたまへ
 あかねさす西日は照れどひぐらしの鳴き蟲山に雨かゝる見ゆ
 眞玉手にしぬ杖つきて霧降の山こえなづむ少女こひしも
 汗衣かわかしたゝむ君しあればかりねの宿とわがおもはなくに
 二荒の神のたはりし歌玉の五官玉わけて君と別れん
 
    〔消息の歌 七月二十九日長塚節へ〕
 
 下妻ニ二夜トマリテ待戀ヒシ妹ニツケヽン瀧物語
 菅小笠丹ヒモニ結ヒシ里女ラハフルヂヲ置キテ君迎ヘケン
 
(57)    瀧
 
 白妙の長裳すそひく外つ國の少女にあへり瀧のへにして
 
    日光龍頭瀧
 
 夏草の菖蒲か浦に舟よせて龍頭の瀧を見にそわかこし
 つがの木のしみたつ岩をいめくりて二尾におつる瀧つ白波
 常ぬれにしふきにぬるゝ瀧つほの岩秀の苔はいく世へぬらむ
 
    日光湯瀧
 
 鋸の齒なす刻める岩群に千玉八千玉をとりたきつも
 おちたきつしふきの風にきしのへの岩群小草とこなひきすも
 
    日光華嚴瀧
 
(58) 瀧つぼにおりてみらくと苔青き五百個岩群を足讀みてくたる
 とことはに雨の横ふる瀧つばの奇しき葉廣の草とりかへる
 
    霧降瀧
 
 たきつぼのよとみ藍なす中つせの黒岩の上に立ては凉しも
 きりふりの瀧の岩つぼいや廣み水ゆるやかに魚あそぶみゆ
 岩にふりたきつ水玉の千五百玉のたまのことく歌にぬかましを
 おちたきつしふきの水に歌人のそでのしづくの玉ちりみだる
 
    詠華嚴瀧歌并短歌
 
 天雲のとはにおり居る。毛のくにの黒髪山に。百たらす八十瀧あれと。魚の名のさちの海より。おちたきつ華嚴の大瀧。つはらかに見まくほり(59)すと。河のへの五百個岩立を。ましらなすをとりこえつゝ。荒山のうはらしのはら。しゝしものいわけなひかへ。上つ瀬ゆ見さけおろせは。八千ひろにひたおちたきつ。いきほひの見のかしこく。雷のとはにとゝろく。ひゝきの聞のかしこく。いはほすらゆきとほるへき。増荒夫もたゆたふ心。ます鏡みときてははまし。連立てる岩秀にすかり。鶉なすいはひ毛とほり。瀧つほにいたれる時に。ほとはしるしふきのあらし。常雨のさかふる雨に。劔太刀身はぬれとほり。諸袖に雫とはしり。かゝふりに水玉たきろふ。眞向けにはおもゝむけかね。仰きても見るすへをなみ。大巖のかけにかくろひ。しまらくは立とまれとも。なつみこし心そむきて。つはらにはさ見もかねつ。千早振荒ふる神の。神わさかいかしかしこき。この大瀧はも
      反歌
 たきつせのとはのしふきの濡岩にさけらく花を家つとにすも
 
(60)    賛日章旗歌并短歌二首
 
 常には天の下國。あなづらひ思ひくだして。われのみそひらけし國。吾のみそ強き國と。みどり目の赤毛の族。いやほこりほこりてありしを。唐山は裂ヶ火飛走。諸越はつむじ吹きまき。諸國の人の命は。風にちる露よもゝろし。それをしもすくはんためと。日の本の我國人も。つよき國開けし國らと。諸共に軍つらなめ。敵討とむかひし時に。日の旗はつねに先たち。日の旗のさきにあだなく。奪ひたるとりでの上に。先つたてる旗は日の旗。たゝかひのやみたるあとは。諸越の家のこと/\。日の御旗軒にかゝけて。諸越の人のことく。日の御旗手にとりもちて。高光る天津日かけに。草木の諸むくことく。秋津神吾 大王の。御意をひたにあふくか。吾のみそつよき國。吾のみそひらけし國とほこりたる諸國人は。いかさまにもひてや見たる。天津日の御旗。
      反歌
(61) 千萬の家のこと/\日の國の御旗のかけにかくろひにけり
 千萬の人のこと/\日の國の御旗手にもちゆきかよふかも
 
    酒
 
 おのか口におのか酒呑みのみすぐしあなゝ苦しところぶしうめく
 やゝ醉ひて人をのゝしり痛く醉ひてわれと泣きつゝ独りごつかも
 右をそしり左をあさけり醉しれてわめくしやつらは猿にも劣れり
 酒に醉ひて形頽るゝその如く心もいたく頽れてあるべし
 妻子をは飢に泣かせておのれひとり醉ひ倒ふるまて酒呑むこゝろ
 酒飲めば身をそこなふと知りつゝも酒のむ人も人のうちかも
 
    送格堂歌
 
(62) 君か歌に、常に泣くなる、鬼神の、はしき鬼らは、故さとに、かへりみすると、君かゆく、旗のさき/\、君か乘る、船にまつはり、君か乘る、車にいより、山ゆかは、山をまもらひ、水ゆかは、水をまもらひ、ゆくみちも、かへらふみちも、まさきくと、まもりてあらむ、そこもへは、君か旅路は、はる/\に、遠くあるとも、夏の日の、熱くあるとも、さはりあらめやも
 
    星十首
 
 天雲ノウスラケル邊ニ星見エヌ旅ノ日ヨリノアスヨカランカ
 日ノ神ノワツラフカラニマヒルマヲ夜ナス星ノカケアラハレヌ
 アサヨヒニコヒモフ妹ヲシカシカニ星ノアカリニミトメワツラフ
 寺ノ木ノ銀杏ノ上ニユフツヽノ星アラハレテカハホリトビカフ
(63) 小蛙ノ一ツ二ツガトヒイリテ池水ノ上ニ星カケユラク
 庭池ノ死セルガ如キ水ノ底ニ二ツ沈メル星ノカケアリ
 星カケヲ數へシ時シ天津日ノ光ハカケテ鈎《ツリハリ》ナセリ
 有明ニ敵壘オチテ砲煙消エ行クミ空星ノ凉シモ
 久方ノ星ノ林ニ※[禾+風]《アキカゼ》ノタチヌルミエテタモト凉シモ
 マ裸《ハダカ》ノ神ナス稚子《チコ》ハタラヒナル水ノオモテノ星モテアソブ
 
    苔歌八首
 
 白つゆの玉うちしける青苔のみとりの庭に神おりたゝす
 廣庭の木かけ/\をくまとりて苔のさみとりしみむせるかも
 廣庭の苔のむしろは青玉の千玉をぬきてをれるかことし
(64) 石あれは石のまはりに草木あれは草木のほとり青苔むせり
 くはし玉の青玉うちぬき天津女かをれる席の苔のさむしろ
 雨ことに青葉のしつくしたゝりて庭のみとりの苔むせるらし
 東屋の小庭のみきり飛石を七八うちて苔まさをなり
 青苫のむせるつく波井水かえて水玉なせる小庭ともしも
 
    八月短歌會
 
     凉風
 
 夕されは庭のま萩の和枝のゆら/\ゆれて風のすゞしも
 
    八月短歌第二會
 
 
(65) 天地のわかちもしらすあるゝ夜にま空かゝやき物とひわたる
 田つ物みのらん秋ぞ天つ神國つ神たち嵐吹きやめよ
 
    〔勸移居歌〕
 
     竹の里人君が宿痾保養のため駿河なる興津の里に居を移さんと思立たまへると聞歌を作りて之を奨む
 
 蜻蛉洲。國の鎭の。神山の。富士の高根を。常とはに。そかひに見つゝ。おもひ妻。につらふ妹を。早ゆきて。三保の松原。向なる。海のまちかに。さみとりの。まよひきなして。夏くれと。熱さも知らず。冬くれと。寒さもしらす。春秋も。眺望よろしく。山のさち。海のさちある。駿河なる。興津の里に。早ゆきてすめ。
      反歌
 神山の富士の女神かおりあそふ興津の磯に早ゆきてすめ
(66) 山のさち海のさちある興津邊に早ゆきすみて歌つくりませ
 
    〔水中の蟋蟀〕
 
     廿八日の嵐は竪川の滿潮を吹きあげて茅場のあたり湖を湛へ波は疊の上にのぼりぬ人も牛も皆にがしやりて水の中に獨り夜を守る庵の淋しさにこほろぎの音を聞きてよめる歌
 
 うからやから皆にがしやりて獨居る水つく庵に鳴くきり/”\す
 ゆかの上水こえたれば夜もすがら屋根のうらへにこほろぎの鳴く
 くまもおちずやぬちは水に浸れはか板戸によりてこほろきのなく
 只ひとり水つくあれやに居殘りて鳴くこほろぎに耳かたむけぬ
 ゆかの上にゆかをつくりて水つく屋にひとりし居ればこほろぎの鳴く
 ぬは玉のさ夜はくたちて水つく屋の荒屋さびしきこほろぎのこゑ
(67) 物かしぐかまども水にひたされて家ぬち冷かにこほろぎの鳴く
 まれ/\にそともに人の水わたるみおときこえて夜はくたちゆく
 さ夜ふけて訪ひよる人の水音に軒のこほろぎ聲なきやみぬ
 水つく里人のともせずさ夜ふけて唯こほろぎのなきさふるかも
 
    九月短歌會
 
      悼幼兒
 
 現身に罪なき稚子をはろ/\に守らせ玉へ三代の佛よ
 
     撫子
 
 蝉のなく松の木かげに一むらのうす花色の撫子の花
 
     旱魃
 
(68) 天の神地の神あらそひ天の神のいきほひまさり日でりするかも
 
    〔消息の歌 九月六日赤木格堂へ〕
 
     昨夜立田姫命吾草庵に於里たゝし云
 
 なつかし無心の淺き世の人は見なくともよしみせんと毛はねは
 
    於仁ノマキ
 
     鬼十首
 
 各モ/\角フリタテヽ赤鬼ノスマヘル見レバ緋《ヒ》ノ汗チルモ
 吾歌ヲキヽテナク鬼ヨクミレバ皆美シキ鬼ニシアリケリ
 青鬼ノヒヽト泣キヰル其涙瑠璃玉ナシテ地ニ落チチルモ
 青黒キ大鬼伊吹ケバ八十百ノ小鬼ノ群ガ空カケリユク
(69) 天地ノ物皆イネシマ夜中ニ鬼アラハレテ吾歌ヲ乞フ
 赤キ鬼ニ赤キ歌玉青キ鬼ニ青キ歌玉ヤレバ去《イ》ニケリ
 窓ノ外ニ泣キシ鬼神此頃ハ夜毎机ノカケニキテ泣ク
 歌ニ泣クハシキ鬼ラハ盡ク和角和爪和牙《ニゴツノニゴツメニゴヰバ》ニシテ
 歌御玉コノミテ喰フ鬼神ヲ家ニトヽメテトハニ養フ
 歌玉ハ|ク《奇》シキ物カモ其玉ヲ喰ヒタル鬼ハ人ヲクハズケリ
 
     附録 旋頭歌
 
 呉竹ノ根岸ノ里ニ鬼集スモ言魂ノ歌ノ命ノ病イヤスカニ
 ウツソミノ世ニ生ソヨハウマシ柿コヽタクヽヒテ柿ニナランカモ
 
    〔鬼歌九首を選びて〕
 
(70) バカ鬼ノキマグレ鬼ニアラザラハツマラヌ歌ニ豈ニ泣メヤモ
 
    鬼といふ題にて人々の歌作れるとき戯れて詠める歌
 
 歌好み歌に泣くちふ。鬼達に物を申さむ。常闇の黄泉つ國をも。久方の天津空をも。隔なくいとびめくらひ。山ゆけは岩をわけつゝ。水ゆけは波をわけつゝ。諸神のわたらす極み。御佛のいまさんかきり。さむらひてつかへまつらふ。こゝたくのはしき鬼達。なれ達かいたく好める。歌作る歌の命《ミコト》は。瑞垣の久しき時ゆ。いたしきの病にふして。夏くれは夏に苦み。冬くれは冬に苦み。歌をすら作らであるを。なれ達はしらじかもある。こゝたくのはしき鬼達。なれ達かつかふる神に。なれたちかゝしつく佛に。ねきまふしたのみ申して。言魂の歌の命《ミコト》の。いたしきの病癒さは。百万千万歌も。なれ達か好むまに/\。なれたちかほりするまゝに。作らんを。歌好み歌に泣くちふ。こゝたくのはしき鬼達。なにしかも。歌の命を。早くすくはさる。
 
(71)    九月短歌第二會
 
     萩
 
 村雨の過にし跡に入日さし庭の萩原花かゞやくも
 
    百花園に觀月會を催すの檄歌
 
 少女らか鏡の面に。向島隅田の里の。秋草の花のかきりを。百千種植た
る園は。朝たにはあさつゆおき。夕べにはゆふ露みたる。其園の花のこと/\。其花の色のまに/\。かさしたる千色の玉は。人ことに心なくさめ。歌人は歌にもぬけと。天雲の立田の神の。姫神の玉手もすまに。いつくりたまひけらしも。かくまてにともしき園に。よりつとひ遊ひくらして。夕されはほから/\と。天の原わたらふ月に。おのかしゝ思つくさは。樂しからすや
      反歌
(72) そのあそびよしとおもはん人々は歌をつくりて早おくりこせ
 
    〔消息の歌 九月二十二日赤木格堂へ〕
 
 秋風にまなくひまなくちる萩も今一日とて君をまつらし
 
    〔百花園〕
 
     九月の末つ方百花園に遊ひて
 
 とり/\に色あはれなる秋草の花をゆすりて風ふき渡る
 秋草の千くさの園にしみ立て一むら高き八百蓼の花
 秋草の千くさの園に女郎花穗蓼の花と高さあらそふ
 日まはりのうなたれ咲ける巨輪《オホキハナ》を一ゆりゆりて風ふきすきぬ
 紫の豐旗雲とみるまてに八千むら萩の花咲にけり
(73) 八千むらの萩のたれ枝の花ことに白玉おきて雨すきにけり
 ゆきかひの小みちを狹はみ萩か枝にたもとふれゝは花ちりこほる
 秋草の園の諸花ふく風に麻の衣のそでひるかへる
 
    橋十首
 
 白キヌヲナビカスナセル山川ニ丹ヌリノ神橋神サヒニケリ
 夕川ヲワタルアヤブミ板橋ノウチ橋ワタシマツトフ妹ハモ
 黒カネノマ金ヲウチテ結ヒタル橋ノマサキク世ヲスグシマセ
 別レイテヽセトノ板橋フミナラス馬ノ足《ア》ノ音《ト》ヲ妹キクランカ
 契リニシ橋ノタモトニ人マツト吾居ル空ヲ雁鳴キワタル
 石橋ノクシキ長橋トコトハニマサキカクナス御世シロシメセ(【清國萬壽山ノ石橋】)
(74) 池ノ上ニクシクタヽメル石橋ノ長キ御ハシヲ渡ル人モナシ(同)
 アサナサナ向ノ橋ヲ海老色ノ袴スソヒキユク少女ハモ
 ナハツルベサナハヲ長ミ橋ノ上ヨ水クミナヅム女子《ヲミナコ》アハレ
 ウチワタス橋ノフモトニ枝タレシ柳黄バミテ秋ノ風吹ク
 
    〔一夜〕
 
     牛込なる友許訪ひて一夜歌かたりなとしける時作れる歌
 
 蝉の鳴く神楽か岡の。横寺のちまたの庵に。歌比古のわく子のともか。思はぬに三たりよりあひ。茶をすゝり歌を語らひ。菓子くひて歌をつくらひ。うまし物このめる道に。けさのあさけいてくる時も。老人の母のみことゝ。まかなしきこひしき兒らか。山川のはやかへらせと。繰かへし云ひけんことも。忘草思ひわすれて。ぬは玉のさ夜はくたちぬ。玉鉾の道の遠けは。今はとてふたりの友と。一ひらのふすま引合ひ。諸ふし(75)て歌の思ひね一夜しにけり。
 かとへ行く足《ア》の音《ト》にたにも耳たてゝ夜すから妹か吾《ア》をまちにけむ
 夜もすから門もさゝすて待にけむ妹にそむきしこゝろ悔にけり
 
    祝『日本』四千號乃作歌並短歌
 
 天しるや、日の出づる國、高光る、日の大御國は、山川も、しみさひ清く、大御寶、まめに雄々しと、玉ちはふ、神の御代より、御國から、傳へて來にし、大和魂、受けつきもちて、はしきやし、増荒夫のとも、朝にけに、いそしむ業の、大御國の、其名負へる、日摺の、このみつ文は、天地の、神もたすけて、うつそみの、人もいよれは、あら玉の、年は十まり、摺文は、四千ひらみちぬ、こし方の、有の手振に、ゆく方を、思ひはかれば、大日本、吾瑞國の、朝比古の、い昇るなして、.榮えゆく、豐のまに/\、八百萬、千萬までも、かぎりあらめやも
(76)      反歌
 國の名を文に負はせて摺出す増荒夫のともおほろかにすな
 大御國の御名を負へる日摺のこのみつ文を萬代までに
 四千ひらを八千ひらまでに八千ひらを八百萬まで摺りてしゆかむ
 
    戀
 
 汗ぬれて夏蠶《ナツコ》かいつゝある妹かたすきの姿おもほゆるかも
 あさきろふ池の蓮の花の色のほのかにたにも見るよしもかも
 あさよひに門へに出てゝ遠つ空吾妹かさとをこひわたるかも
 遠つまこひみともしみ荒金のとくる熱さもしらてきにけり
 うつせみの人をはゝかり吾妹子か里の小路にあをまちおらん
(77) 待らんと思ひつゝくれは乘る※[さんずい+氣]車もたゆたふことくおもほゆるかも
 月夜風稻葉にそよき吾をまちてたてる吾妹が袖ひるかへす
 ひさ/\に相見し妹と月の夜に袖うちなめてたもとほりすも
 
    〔勸再度移居歌〕
 
     興津の里に移り住給はむことを再ひ竹の里人君に勸めて咏める歌
 
 萬の、物ら進みて、よろつの、事ら開けし、あらた世の、藥師にたにも、まかなしき、君か病は、治むるの、すべなき病、空蝉の、世の人わさに、せんすべの、なしちふ病、そこゆへに、今したのむは、天の惠、日のあたゝかく、地の惠、氣のよろしき、あがたべに、住所《スミト》かゆらく、唯ひとつ、それにしあるを、何にしかも、たゆたふへきか、大都、物さわかしき、塵たかき、市路さかりて、蒼空に、華と匂へる、神山の、まちかきところ、白浪の、よるへの磯の、靈《アヤ》しくも、眺めたへなる、興津邊に、(78)家居移して、春の水、ゆたに、住はゝ、かたくなの、病なりとも、癒えさらめやも。
      反歌
 駿河の海江尻の浦の大船のたゆたふこゝろ今もつへしや
 
    二荒山に紅葉を見て
 
 紅葉狩二荒にゆくとあかときの汽車のるところ人なりとよむ。
 もみぢ葉のいてりあかるき谷かげの岩間どよもし水おちたぎつ。
 もみぢばの八重てる山の岩秀なるみさきのへよりたきほどばしる。
 瀧つぼの岩間たひろみ青淀にもみぢ葉ちりてうづまき流る。
 青空にいかよふ山の中つへに緋の雲たてり千重のもみぢ葉。
(79) たゝなはる八千重岩垣神業と紅葉の錦とばりせるかも。
 しみてる千重のもみぢの山そばに二本たてり常盤玉松。
 のぼりゆく向つ八重山紅葉山尾の上になびく天津白雲。
 矛杉のしみ立つおくの神垣につたのもみぢばはひまつはれり。
 おしなべて紅葉しみてる八重山の谷間遠白く水おちたぎつ。
 もみぢばのちりて浮べる水海の淺瀬に魚のむれ遊ぶみゆ。
 鏡なす水のさやけき青ぶちに百千の紅葉ちりてたゞよふ。
 青ぶちの水面ゆらぎて散浮ける紅葉いさよふ舟のへさきに
 
    〔結城素明日光繪卷賛歌〕
 
 もゆるなすみ庭の紅葉てりませとみこのみことのみゆきまちかねつ
(80) 耳の輪にま玉青玉ぬきたれしまくはし少女かなしくありけり
 ほこ杉のしみ立つおくの神垣につたのもみち葉まつめにとまる
 さしかさすもみちのかこは緋の雲につゝめるなせりたつたひめかも
 たきつぼゆうつまき昇る八重雲に四方の梢のもみち葉ふるふ
 おしなへて色つく山の八重山のあはい遠しろくたきつ河みゆ
 
    〔幸湖舟遊〕
 
     庚子十月二荒山の紅葉を見る左千の湖に舟を浮べて遊ぶ乃作れる歌
 
 二荒の。八百重の山の。天雲の。かゝよふ奥の。鏡なす。左千の水海。奇しくも。靈しきうみは。朝岸に。いてゝも見れど。夕岸に。立てもみれと。照る月の。あくを知らにと。うけの緒の。小舟を浮へ。か青なる。(81)水面さゆらに。沖つへに。こきいてぬれは。常盤木の。しゞに生たる。瑞山の。黒髪山は。久方の。秋のみ空の。青雲に。神さひ立てり。水海の。四方に並たち。とりよろふ。八重群山は。むらそめに。こそめに染めて。おのかしゝ。錦つけたり。へさきに。立ては眺め。舟はたに。よりては見らく。いつしかも。里はかくりて。物のとも。きこえすなりぬ。舟人は。梶の手ゆるめ。みきのへの。いはほ群立ち。もみち葉の。したてるあたり。まそかゝみ。きしか淵とふ。左りへの。遠のみきはに。逆立てる。眞白おほ岩に。龍の神。しつまりますと。ねもころに。吾に語れり。夏草の。菖蒲か濱も。朝霧の。おほに見ゆらく。二荒の。山のそかひの。裾原の。梢の上に。名くはし。湯の大瀧は。一むらの。白雲なせり。み藍なす。八千重蒼浪。渡りこえ。ゆきのきはみは。秋津神。立田の媛の。しきます。宮居なれかも。赤岩と。名つけてあれと。空蝉の。世には似すけり。三つ面に。並たつ山は。玉を以て。飾れることし。あやたゝむ。千尺八干さか。削るなす。くしき大岩。中つへに。頂のへに。(82)青瑞と。ときは樛群。見かほしく。よろひて立てり。麓への。千町いまとふ。紅ひの。紅葉の錦。天津日に。伊照輝く。漕たむ。舟のゆらきに。青淵に。うつれる色は。唐錦。千裂にさきて。五百玉を。千玉に砕く。世の中の。ことも忘れて。故郷の。家も思はす。かきろひの。一日のけふを。百とせの。日月の如く。おもほへて。遊ひにしかと。山媛の。神の宮居に。玉振らす。み聲もきかす。照りとほる。御かけも見えす。うつそみの。人なる吾は。常世へに。すむすへをなみ。梶ぬきて。小舟をかへし。朝たちし。磯への里に。ゆふくれて。歸りつきけり。奇しくも。あやしき湖か。玉きはる。命の極み。秋ことに。いゆき遊はな。左千のみつ海。
 
    露の兵佛の兵等が通州に於ける兇惡を憤るの餘りに乃作れる歌并短歌
 
 何者の。たは言なるか。今の世を。開けたりとふ。今の世を。進みたり(83)とふ。僞の。そら言なれや。「キリスト」の。耶蘇の教は。其教。たふとむ國の。緑目の。赤毛の民か。なすわさを。つはらに見れは。神の道。人の教を。こさかしく。口には云へと。した心。いたく汚れて。獣なす。惡しき行ひ。憚らす。耻しらなくに。強には。おちてへつらひ。弱をは。ひたにしひたけ。誠ちふ。なさけはあらす。いつくしむ。心はもたす。緑目の。赤毛の民は。人にして。人にはあらす。天地の。間にあしき。天地の。間に憎き。人にして。人にあらさる。緑目の。赤毛の族。「キリスト」の。耶蘇の教に。「フラソス」の。醜の國人。「ヲロシヤ」の。たふれ人等か。諸越の。唐になしたる。ひかことの。あしき行ひ。天にます。神も見たるか。大き世の。人も知りけめ。父を殺し。娘を辱しめ。背を殺し。妹をなふりて。あるかきり。たからを奪ひ。いたましき。悲しきことの。わさつくし。かきりつくしぬ。おそろしき。毛物にまさる。恐ろしき。惡しきふるまひ。見なからに。之を止めす。聞きなから。之を憎ます。何者の。たはけか云ひし。今の世を。開けたりとふ。今の世(84)を。進みたりとふ。神らしき。神もあらぬか。人らしき。人もあらぬか。今の世の中
      反歌
 世の中の汚れ人等を燒きつくし殺しつくさむ天の火もかも
 
    天長節の朝菊をよめる
 
 朝日かげにほへる園に咲きよろふ千むらの菊は今日のほぎ花
 大君のあれましゝ日の今日の日をいやまさかりと咲ける菊かも
 たふとくも見ゆる菊かも大君の御代ほぐ花と咲けらく思へば
 ほぎ花の菊折りかざし天の下の大みたからや今日遊ぶらし
 く金なす菊の太花八百花のにほへる園はまばゆくありけり
(85)
    〔後の月〕
 
     陰暦長月十三夜素明山人を墨堤に訪ふ深更家に歸る即作れる歌
 
 くたつ物こゝたくもちて月見すと友かすみ田の庵とひけり
 茶をすゝりくたものくひて歌かたり繪かたりきほひ月はみすけり
 繪たくみを歌人とひて長月の月の一夜を物かたりしぬ
 うたかたり繪語りつきて戀かたりおこれる時に月かたふきぬ
 立よりて窓うかゝへは鱗なす天雲動き月晴くもる
 天雲の切れめさやけみ月すみて隅田の水上かりなき渡る
 かへらんとおり立つ庭の草むらにこほろき鳴きて月薄曇る
(86) 久方の月うすくもる眞夜中に野らの畔道ひとり歸りぬ
 いさゝめの雲のきれめよ月もれて道の穗蓼の花を照らせり
 ほのくらく夜きり立ちこめおしあけや受他のあたり物の音もせす
 蓮田の枯葉にさやく月夜風いたく身にしむさ夜深みかも
 
    〔祝御着帶歌〕
 
     春宮の妃御着帶の御事承りて祝ひ詠める
 
 かけまくも。あやにかしこし。たふとく。あやにうれしも。あかねさす。豐旗雲乃。紫の。八百重のおくよ。天津風。もるゝ神言。千五百の。春はあれとも。八千五百の。秋はあれども。このとしを。足しみ年と。天にます。千萬神。地にます。八百萬神の。神まもり。もらすまに/\。高光る。天津日のみこ。神なから。みごもらします。いかし秋の。豐榮(87)秋を。天の下。四方の御民ら。家忘れ。身もたなしらに。かたまけて。ほきよろこへる。ことのたふとさ
      反歌
 大き世にたくひなしといふいかし船つくれる時をみ子みごもらす
 みごもらすみ子ほぐらしも天津空緋の瑞雲の八重たちなびく
 
    十一月短歌會の歌
 
     秋雨
 
 色づける萩の落葉の散り浮ける池にしく/\雨ふりそゝぐ
 
     霧
 
 朝霧のおきを見れは。こぐ舟のおとはすれども。舟人のたもともみえず。(88)水鳥の聲はすれども。其鳥のかげさへすらに。千早振宇治の川瀬は。霧たちまよふ。
      反歌
 少女らが物がたりつゝ河水をくむおと聞ゆみなかみにして
 
    〔消息の歌 十一月十六日赤木格堂へ〕
 
 みづ/\し吉備のわく子か休み日にくるとしいはゝ吾まちおらん
 雨ふれは雨に恐れて風吹けは風におそれておもひたゆむな
 もみち葉の歌卷のせていさかひの種まきにけり正岡の大人
 
    〔消息の歌 十一月十七日赤木格堂へ〕
 
     二荒の紅葉見にゆきたる友とち等もみちの會催にこといひおこせたる返り言に咏める
 
(89) 久方の雨はふれとも。牛込の遠くはあれと。いはほすらゆきとほるへき。増荒夫かとほしとせめや。しかしかに海を淺みと。こもり岩。澤にしあれは。こく舟のさはりありけり。群きもの心を痛み。ゆかまくと千度おもへと。なまよみのかひはあらぬを。春の葉の巴子と三子と。夏のぬの茂春潮音。朝鳥のむれて來らは。もみち葉の赤木の君よろしくとまふせ
 もみち葉の歌のしみてるまとひにしゆかまく思ふ心はやます
 
    〔南中統監〕
 
     十一月天皇常陸の野に習軍を見そなはし鳳輦親く風雨を冒し給へると聞畏さの餘に乃作歌
 
 現神。和期大皇。皇御祖《スメロキ》の。御靈つがして。萬の。ことめし給ひ。御軍を。しらし給ふと。太しかす。都をおきて。玉敷の。大城をたゝし。白眞弓。常陸の野への。内原の。荒野をふまし。しのすゝき。しぬにおし(90)なへ。疾き風に。雨ふり荒び。雨まじり。霞みたるを。大御身に。冒し給ひて。千萬の。軍人等が。習はせる。わさのしるしを。親しけく。見そなはすかも。久方の。天見る如く。たふとき。神にしいます。大皇にして
 
    〔大石〕
 
     愚魔法師か桃山城跡の巨石を其庭に移し据えたりと聞て詠める
 
 大石の靈しき石えてめてほこる法師かゑまひにくしありけり
 豊臣の大まへつ君かかきなてゝめてけむ石かそれの大石
 桃山の大城の庭に古跡のくしき大石庭にうつしけん
 大石の神さひ立てる傍に靈しき蘭を植にけんかも
 苔さひて古るき大石二つ三つ狹庭に据てめてほこるかも
(91) 苔むして神さひ立てる大石に雨しそゝかはいよゝけんかも
 豊臣のおとゝか魂も折/\は見にくるらんかそれの大石
 朝つゆに苔石ぬれて松風の釜のとひゝく庵しともしも
 
    秋の歌
 
 うす色に匂ふ尾花のにひ花の夙にゆらくし見れとあかぬかも
 さ庭へのまがきのもとに植ゑおきし一むら薄穗に出にけり
 秋風の寒くしなれはこほろきの聲も日に/\ほそり行くかも
 露霜のこの頃しげく秋ふけて山への梢色つきにけり
 かりかねのわたらふ田井に里人はおくてのをしねかりいそぐかも
 
    海
 
(92) 世の中のけがれあらはむ大波のちなみ捲おこせわだつみの神
 
    月島丸の遭難を哀む
 
 天地をまきてゆるかす大波に爭ひかねて船沈みけむ
 ぬは玉のくらき夜中の荒波のわたつ水底に舶沈みけむ
 海つ國の大み寶の八十百の増荒夫の伴死にけるはや
 船破れ沈む今はに故郷の親兄弟を忍ひ泣きにけむ
 をよひ折り船のつく日をけふ/\とまちにし人の心しおもほゆ
 世をこそりなけきさかせとけふまても一人生きゝとも人のいはなくに
 月島のなか名哀しもとこしへに月に向はゝ吾を泣かしめむ
 
    〔月島丸遭難者遺族の衷情〕
 
(93)     月島丸遭難者遺族諸士のの衷情を推はかりて詠める
 
 見はるかす。蒼海原。夕なぎに。かまめとも呼び。うち並みて。白帆も歸へる。くだまなす。月の照らへば。あまのこが。宇多さへきこゆ。うるはしき。駿河の海。おもしろの。月夜にこそと。世の人は。めでかもしぬぶ。天地之。めぐみのよそに。幸をなみ。うらぶれ居れば。てる月の。かげも悲しく。立つ波の。音にも泣かゆ。人わざの。限りさがせと。天霧の。とれぬが如く。物の音の。見えぬが如く。月島の。名のみとゞろき。船屑の。かげを見きとも。けふまでも。人の云ねば。増荒夫の。八十伴のをの。雄心も。あはれ藻屑か。とこしへに。恨み消えめや。見る度に。あやに悲しも。駿河の海は。
 
    冬牡丹
 
 咲草の三ツの蕾の一つのみ花になりたる冬深草
(94) 霜枯のまかきのもとに赤玉のかゝやくなして嘆く冬牡丹
 二葉三葉まくはし新葉たちそひて蕾ふくらみぬ冬深草
 さきなつむ冬の牡丹の玉蕾いろみえてより六日へにけり
 もゆるなす色には咲けとしかしかに冬さひにけり葉ふり花ふり
 あかねさす庭の日なたをゑりとこと植てやしなふ冬深草
 一花のくれない牡丹床にさせは冬の庵もさふしくあらす
 白鳥のしろきみ鉢にうつし植て床にすゑたる冬牡丹かも
 まれ花のまくはし花の冬牡丹つねにし思ふ人にやらめや
 こもります君なくさむるよしもかと吾たてまつる冬深草
 
    つり香爐の歌
 
(95) みづ/\と色青さひてまりかたのつり玉香爐見れとあかぬかも
 うらさびしまかべの床に丹總たれ丹ひもにつれるまりかた香爐
 世の中に二つはあらすあやしくもいやめつらしき此つり香爐
 ほら床に香爐つりさけよき人のかきし佛のかた掛てあり
 御佛のかたのみまへのつり香爐さ煙もれてなひきわたるも
 青かねの香爐つりたる床の間の片へにおけりさ丹塗文はこ
 四つ足の春日の机したにおきて香爐つりたる床しともしも
 瑤絡の形すかしたる青かねのつり玉香爐ともしきろかも
 いかるかの寺なる壁の繪のかたをとりてつくれる釣香ろかも
 茶を好む老か庵の床の間の釣玉香爐とこかをるかも
(96) つり香爐つれる狹床の壁際のかめに一輪冬深草
 いものしのほづまの背子か群肝の心つくせる釣香爐これ
 
    〔榛黄葉〕
 
     麓か庭なるはしはみの黄葉を見てよめる
 
 桑子なす實のむらなりになりたれしくはしはしはみ葉はもみちせり
 七葉八葉なほ殘りたるはしはみの黄葉のさ枝見れどあかぬも
 くみかへし苔築波井の水のおもに色うつりたるはしはみ黄葉
 たちよりて見るにあかすとはしはみの黄葉の一枝茶の間にさしぬ
 みの虫の群巣冬さひさかりたる石とうろうのはしはみ黄葉
 はしはみの實もいちしろくあらはれてきはめる木の葉やゝおちつくす
(97) 色はやゝあかねはみたる苔の上に三葉四葉ちりぬはしはみ黄葉
 片庭のはしはみもみちおちゝりて殘り少なみはや冬さひぬ
 のこる葉はいく葉もあらぬはしはみの今一霜に堪へめやあはれ
 夕月のあかすともしきはしはみの黄葉ちりそねまたゆくまては
 
(98) 明治三十四年
 
    雪
 
 雪積めるみさきの松を出でし鶴むら 蒼海の沖へはろ/\かけり行くか
 
    年の始にしたしき人々より繪端がきもてことほきおこせたる※[口+喜]しさに作れる歌
 
 うるはしき。文の友垣。群肝の。おやし心に。あら玉の。年ことほくと。玉はかき。繪はかきたひぬ。おのかしゝ。かける其繪は。うつそみの。萬の物ら。めつらしき。物の極みを。久方の。天とふとり。荒金の。地の毛の物。足引の。山の瑞山。和田津美の。よもきか島。百千の。草木(99)の花。大王の。萬歳ほくと。皇國の。さかえをほくと。はしきやし。吾友とちか。もゆるなす。心にほはし。かける繪の。瑞繪を見れは。神代しおもほゆ
      反歌
 あら玉の年の始に玉端書瑞繪はかきのくらくうれしも
 あらたまの年のほき繪の玉はかき家戸にまひちる千ひら八千ひら
 
    〔消息の歌 元旦長塚節へ〕
 
 千萬の松竹たてゝ年むかふみやこのあしたゆきふりにけり
 
    御題雪中竹
 
 雪はれの年のあしたの軒かさり竹の葉ことにつらゝ玉たる
(100) 千万の軒のかさりの松竹に綿花なしてゆきつみにけり
 空かはる風のゆらぎに竹むらの眞玉白ゆきくたけちるかも
 神代よりかはらぬ色の松竹の年のかさりに雪ふりにけり
 軒飾る千むらの竹も諸ふせに都大路はゆきふりにけり
 しらゆきの常しく庭に松竹を立てゝ年ほく越の山里
 さ夜深み文よみ居れは窓の外の竹むらさやきゆきふりいてぬ
 青竹の太瑞竹を立てよろふ年のみ庭に雪ふりしきぬ
 
    ほき歌二首
 
 たくひなくたふとき玉を守る宿に瑞雲なひき年立にけり
 御世繼の日つきの皇子のあれまさむいかしたふとき年立にけり
 
(101)    〔紙蔦〕
 
     青山の原に男兒等あまたうちむれて紙蔦など飛ばし遊へるを見て作れる歌
 
 丹比年乃。きのふもけふも。久加多之。天隈おちず。晴渡り。のどけくあれば。青山の。廣野にいむる。百傳ふ。八十のわらはべ。みづ/\し。わらはべのとも。こと/\に。海兵《ウミツハモノ》か。ける形の。きぬ身につけて。おのがし1。其かゞふりに。皇國の。軍の艦の。いかし名を。くがね文字して。あさやけき。朝日をあみ。都かぜ。吹くをうれしみ。いかのぼり。あぐとしさわぐ。八蜘蛛手に。めぐりたばしり。いさましく。狂ひ遊ぶも。はしきやし。此瑞兒等は。大八洲。海津御國之。來む時の。干城にがもよ。日の國の。御魂にがもよ。あはれ瑞兒等。
      反歌
(102) 瑞兒らが飛ばせるたこは内日刺御門の方に諸なびくかも
 
    大和國法隆寺を拜みて詠める
 
 空御津。大和のくには。大八洲。中つ御國と。橿原の。ひしりの御代ゆ。あらたへの。藤原の里。青丹よし。奈良の都と。御代々々に。太しかしけむ。大宮の。いかし大殿。有つげる。あとにはあれど。千とせまり。春秋へたる。後の世の。けふにし見れは。大方は。名のみしなるを。いかるかの。玉の御門を。宮なから。御佛迎へ。法の道。擴めましけむ。名くはし。これの御寺は。其御代の。有のまにまに。靈しくも。八棟たちなみ。塔堂に。天雲なひく。ゆめとのゝ。瑞の玉やは。神さびて。いとも尊し。安めたる。千々の御佛。たくはへし。五百個の寶。こと/\に。あかれるみ代の。神業の。くしき手振を。今の世の。現に示す。ことさへく。外つ國人も。天が下に。たくひをなみと。つとひきて。をろかむらしき。これの御寺は。
 
(103)    寺
 
 大いらかのはふのしたべに赤鬼のうつはりかつく形ゑりてあり
 小高みの鐘棲のみきり萩枯れて山茶花咲けり茶の花咲けり
 古のたくみのわさの釣かねのかたをともしみつら/\に視つ
 はせをの發句ゑりつけし石おもに簑虫三つ四つはいつきてあり
 銀杏葉の散りみたれたる庭すきて御堂のうらのおくつき所
 吾友のおくつきところかこひたる山茶花垣の花咲きちりぬ
 たかいらかの御堂の上に二つゐし鳶とひ去りてゆくゑしらすも
 天雲に秀枝ましはる森のうちに塔もふりたり堂もふりたり
 白雲のたなひく山の中つべの木の間にみゆる八棟の御塔
 
(104)    冬の月
 
 久方の月夜さやけみ諏訪の海の氷の上を人わたりゆく
 
    梅
 
 久方の天津少女が玉あやの袖ひるかへし梅の花折る
 千玉ぬくあやの眞袖もゆら/\に梅津姫神たもとほらすも
 かきろひの夕波千鳥しは鳴きて梅なほ早し鎌倉の里
 岡のへよ吾立ち視れば園の梅の秀枝の間より沖つ島みゆ
 片庭の梅もふりにけり青雲を御笠とけせる金銅盧舍那佛
 かきろひの夕風かをる梅園にいま月姫かあもりけらしも
 谷間なる梅園たちて青雲の尾の上こえゆくたつの一むら
(105) うめつ國にまついてまして佐保姫は春の光を四方にしきたまふ
 五百個綾の玉裳なひかし佐保姫か先あもらすも梅の花園
 鶴か背に蒼雲わけておく山の梅の林に神おりきます
 
    少女にかはりて詠める歌
 
 きさらきの。磯うら寒み。若草の。束のまおちす。よる波の。いやしくしくと。滿汐の。いやますますと。おもひのみ。こひのみまさる。おほゝしく。痛もすべなみ。現しけく。吾はなきものを。淺草の。千束の里。玉ちはふ。稻荷の宮。初午に。賑はふけふの。をちかへる。人さはなれと。いきの緒に。おもへる君に。ひとりたに。似てしもゆかす。玉梓の。使もこねば。徒に。日にけにやせて。戀やわたらむ
      反歌
(106) 玉ちはふ稻荷の神に手向せむすべたに知らずたわや女吾は
 紅梅の瑞枝を五百枝手向せは稻荷の神も蓋し受けましを
 
    〔二月短歌會〕
 
     鶯
 
 玉飾る長もすそひき天津女の遊べる園に鶯なくも
 渡津海の大洋こえて吾いめは君をとひけり君に見えきや
 
     寒
 
 宿カラム里モミエナクニカギロヒノ夕風寒ミ雪ハフリキヌ
 
(107) あからひくけさうれしくも吾庭に鶯きつゝしば/\もなく
 
     紀元節
 
 すめみおやまつる足日と渡の原國原かけて静けく有るらし
 
    氷乃旋頭歌五章
 
 とこしへに浪もうごかずこほる海原。天地の物のこと/\死はてし國
 月の色は劔刀なしてさえし此夜ら。氷の山もとほる眞熊何あさるかも。
 くかね髪にほへる兒等が氷遊すも。ゆふだゝみ手に手たづさへ樂しけらしも。
 いかづちとなりとゞろける瀧つ山河。冬さればこほりとぢつゝおちひそむかも。
(108) 山蔭の常滑氷はやとけにけり。まちこふるうぐひす來鳴く時近みかも。
 
    二月の二十三日杉田の梅林に遊ぶ仍ち作れる歌
 
 浦邊なる。郷のくま/\。家居とも。ぬへともいはず。千本かも。八千もとかも。數しらぬ。梅のむらだち。うちなひく。春ときほひて。おのかしゝ。色に丹保比天。阿米津女か。ゑまひうつせか。佐保姫の。いふきかゝをる。ゆゝしくも。あやしき里や。岡の上よ。たちてし見れは。いさりする。沖の百舟。波のむた。つらゝに浮けり。干潟には。あま少女らか。貝採ると。手田子とりもち。朝鳥の。いむれもとほる。海見れど。里備《サトヒ》をみれど。夕月の。あかぬ心に。ことならば。千とせもかもと。おもひけるかも
      反歌
 家にまつ妹しもなくはあまの子にたくひて吾も貝採らましを
(109) 千五百の梅の中ほに膝いるゝ家だもあらば妹と來ましを
 
    みれむ
 
 二とせに。ならぬわく子の。片言も。いまたいひえす。あさよひに。乳こふちこの。嬰兒の。かなし吾子を。置きすてゝ。歸ゆきたる。世の中に。おそき吾妹を。天地に。憎き情《コヽロ》を。百千度。なけきかなしみ。八千度。怨みつれとも。つら/\に。かへりみすれは。幸なく。まつしきわれ。よろつに。ともしき吾。かにかくと。かたらふうちに。至らぬ。こともおほきを。空蝉の。常なるめの子。大かたの。人なる妹の。うたかたの。疑ひ深く。ゆくすゑを。思ひわつらひ。浮雲の。まとへるものか。棄られし。吾歎さへ。疎まれし。吾思たに。いつしかと。なこみしものを。天地の。かみをあさむき。海深き。罪を犯して。背にそむき。乳兒すてゆきて。人の子に。ありける妹か。今はしも。悔いてやあらむ。人しれす。泣きつゝをらすや。ひとり子の。かなしわく兒か。片言も。い(110)ひえぬ乳兒か。たらちねの。乳をたつねて。朝よひに。こひなく見れは。増荒天と。おもへるわれも。劔刃の。鋭心きえて。かりこもの。思はみたれ。醜妻の。其鬼妻を。あやしくも。猶たちかねつ。しかしかに。恐ろしきつみ。うみの子。すてし其罪。怒らせる。神の御心。とくすへもなし。
 
    汽車
 
 春山のこぬれの上におほゝしく煙たゝよひ汽車ゆきかへる
 
    三月五日望の夜の月明に木下川なる梅園を訪ひて
 
 世を離れ住める家居は さ夜更ていよよ靜けし さえ渡る月夜のみ園 千群《ちむら》の梅の林は 目にさやる塵だにすえず 高き低き樹々のしじ枝は
五百玉《いほだま》の眞玉かぬける 久方の雪かも照れる 現身《うつせみ》と思ほえなくに 吹風《ふくかぜ》も世には似ずけり 人ごころ忘れし時に 天地に二人のみこそ 奇《くす》し(111)くも靈《あや》しきかもよ 梅のくにべは
 
 梅見ると岡べに立てばそがひなる夜の河原に梶の書きこゆ
 
    早稻田乃里を愛て詠める歌
 
 八隅知之。吾大君。天地。日月と共に。神なから。高知らさむと。大御門。はじめたまへる。鳥かなく。東の國に。さやけき。河もあれとも。見はるかす。野もさはなれど。大御門よ。背面のぬべの。うるはしき。早稻田の里は。白雪の。富士の高峯は。日經の。遠き雲井に。見かほしく。神さび立てり。そかひなる。目志呂の岡は。空しぬく。冬木常盤木。八千群と。繁々におひたり。うちわたす。郷のくま/\。宮人之。家居の御庭。眞茅布久。瞻か軒にも。よろしなべ。梅咲丹保比。中ほの。水涸田のもは。春淺み。榛もめはらす。河柳も。いまだもえねと。八十百の。女の童らか。なつ菜つみ。根芹をつむと。白妙の。袖ふりはへて。(112)群々に。伊曾婆比をるよ。大君の。知す御國の。春はも。いつくはあれと。まくはし。早稻田の里は。見れとあかぬかも。
 
    〔消息の歌 三月十二日新免一五坊へ〕
 
 よもつくにの道の長手をよろつたひかへりみすらむ旅の子ゆへに
 うつくしき花のみ面に紅の色さしにほひゑへる君かも
 
    神武天皇祭の日櫻花を詠める
 
 橿原の大宮まつるけふなれは八島國原花咲きにけり
 國原を花の八重雲たちなひく天の足日にまつりおこなふ
 伊爾志邊のうね火の山の橿原の御垣の櫻おもほゆるかも
(113) 久方之天津美空に照理丹保布櫻之上に神立ちたまふ
 國津祖まつる足日を山津美もいはひまつると花かざすらし
 白雲と天良邊留花の中つやに天の日ねもす神樂おこなふ
 夜の宮につかへまつるとはふりらが取るともし火し花にうつろふ
 神殿の庭のかゞり火四方に咲く花の梢に照りのほらくも
 神殿のみあかり細そり花月夜いたくゝだちぬ人のともせす
 
    青菜をよめる
 
 朝菜つむ葛飾少女さにつらふ其賤の兒に吾こひにけり
 かつしかの朝さや川に洗ふ菜の葉廣青菜は見るにうるはし
 あら玉の年をむかへむまけにかも里の少女ら瑞菜つますも
(114) 古寺のみ堂の裏の墓原のつゝきの畑に青菜植ゑにけり
 冬枯のはり原野への葛飾の小畑に人の朝菜つむ見ゆ
 
    〔消息の歌 四月十二日蕨眞へ〕
 
 さわらひももゆとしきけは故郷の山べのみ春もとなこひしも
 
    鯉
 
 千鯉すむ春の御池にあさよひにいでますらしもうぶすなの神
 
    櫻
 
 千五百玉の丹玉とふゝむ小櫻の垂枝ゆり/\春の風吹く
 紫の幕ひきまはし笛づゝみかなづる舟に花見るやたれ
 ぬは玉のかぶきの黒門《クロド》おほひ咲櫻のかけに輿おろしあり
(115) しからきの陶燒く岡のかまどべの八本櫻花咲にけり
 うつせみの埴輪ほしたる陶人のさ庭あかるみ花咲きさけり
 久方の花の足夜を吾妹子とあかす語れは夜そあけにける
 あくかるゝ心なぐやとあかときの花下露に吾たちぬれし
 そは道を出たちみれば谷あひのそぐへのきはみ花さきなたる
 陵にゆく路の岨のかけ橋をおほひて咲けり一もと櫻
 山岨の崖路をくれは櫻咲向ひのねろに陵のみや
 根分せる菊のさ苗のうね/\に花ちりしきて春の雨ふる
 
     旋頭歌二章
 
 まかなしき君とせはこそ見まくほしけれ。君をひとり家にを置きて花も(116)何そも
 花見れは心かなぐとおぞや思ひし。花を見ていよ/\すべなみ戀はまさりぬ
 
    雨中花に對してよめる
 
 花ちろふす田の河原の寺島を雨ふりくれて蛙鳴くなり
 遠人も袖ぬれきつゝ春雨の櫻の宿に茶の遊ひすも
 繁枝をちす千咲き八千咲く足花に雨しく/\と日をふりくらす
 春雨に諸うなたれし八千花の花のこと/\露をふふめり
 一しきり渡ろふ風は春雨に千垂の花の露ゆりおとす
 白露の千玉をふゝむくはし花八百日ちらさぬ神業もかも
(117) 花ことに露の白玉ふふみたるくはし櫻に夕日さしくも
 かきろひの夕日を受けて白露をふふめる花はいやてりまさる
 左保ひめの大御かざしと白露の八千の眞玉をふふむか櫻
 
    杉田の梅十二章
 
 梅もてる人にをまねく逢ひにけり杉田の里のはや近みかも
 遠くして杉田を見れば久方の梅の丹保比志空にかよへり
 かまめとふ浦ひをいこく諸舟は梅の花見とよりてくらしも
 あかねさす薄紫のをつ衣におもつゝむ兒か梅かさしくも
 白波のまなく時なくうちよする杉田の里の梅咲にけり
 朝つく日おしてる磯の郷原の梅の林はみれとあかぬかも
(118) 汐干潟遠津波の音おほゝしく聞ゆるいそに梅をみるかも
 したくゝる吾かゝふりのあやまちて梅にさやれは花ちりにけり
 浦波のおともきこゆる山かけに梅見て居れは物思もなし
 内日刺都のつとに梅の花買歸らせとのる少女かも
 たわやめの梅の花賣かなしけと家問知らむすへをなみかも
 五百玉の眞玉とてれる梅のへに遊ふ少女を神そと思ひし
 
    奉祝皇孫御降誕歌
 
 八隅知之。吾大王。高照る。日之大初御孫。天雲之。五百重かきわけ。神なから。安禮萬須奈戸二。天地も。よりてあれこそ。いかし夜の。瑞の足夜は。久堅乃。天の門ひらけ。大空は。曾伎邊のきはみ。青瑞と。(119)さやに晴たり。國内の。八重群山は。梢吹く。風のともせず。四方津海。千浦爾きよす。荒波も。音はのどみけり。天津神之。神のこと/\。國津神之。神のきはみと。神つどひ。祝ひまもらし。事やすく。むかへまつれば。天津水。仰きてまちし。天下の。蒼人草は。群肝の。心伊萬奴飛。手のおきど。足のおきども。棚志良二。まひ悦ひて。山川毛。草木もどよみ。萬世乎。古登保具見事。神隨爾有之。
 
    壁間にさしたる梅をよめる十章
 
 眞金なすくろきさ枝のやせ枝の梅を悦ひ床にかさせり
 かきろひの火桶かゝへて夜机に物かきをればかをる梅かも
 世の中の物のと絶て夜くたちにいよよます/\かをる梅かも
 白波のよする杉田の磯山の梅の月夜しおもほゆらくも
(120) 壁のまに尼了然かふみかけてをかめにさせり梅乃左備枝を
 左夜床に梅さしたれはたちゐする袖のゆらきに香の動くかも
 壁のまに梅さしたれはぬは玉の夜の家ぬちにみちかをるかも
 眞夜中に梅にむかひて獨居れは神の光儀しおもかけにたつ
 家ぬちにみちたらはせる梅の香にあみつゝをれは歌湧きいつも
 梅の香に浴みつゝぬれは蓋しくも羅浮乃神こそ夢にみゑこめ
 
    留學生の母にかはりて作れる歌
 
 かきろひの。一日のまたに。さかるへく。思はぬ君を。雲井なす。遠き都に。いたしやり。年のへぬれは。あからひく。朝な/\に。門乃へに。出てたちなかめ。烏玉乃。一夜もおちす。夢に見て。やすいもせすと。(121)黒髪に。白髪ましり。おもやせて。有待母を。慰めむ。心なゆるし。はしき吾子や。
      反歌
 つゝしみて病なおこし天地にひとりの母かありとしもはゝ
 つたへこし此家の名をくたせすといそしむ母か心はしらめ
 
    伊磐飛於備之歌
 
 以努の日の。その夜をよしと。玉地はふ。子安乃神之。美須雅多乎。眞床にかけて。もろもろの。花折りたむけ。赤いひを。笥にもりさゝげ。安ら計久。毛良勢たまへと。沖津奈芙。千重にこひのみ。くがね花。にほへるきぬを。玉の緒の。帶に長縫ひ。み守りの。御ふだゆひつけ。はしけやし。妹におはせて。伊磐比計留加毛。
 
(122)    上總山武の山里なる鬼蛇が池をしぬひて詠める
 
 池水のかしこき見れば鬼蛇相爭ひし伊丹志邊おもほゆ
 いにしへにありけむ時に千早振蛇の神が住める池かも
 常盤木の千木の繁枝しさしおほふ池の深底に蛇かもすむ
 池の蛇怒りたければ七國の山川どよみなゐふるふかも
 池水を千重にうづまき逆まきてあらふる蛇如何にか有劔
 天地の別ちも知らにあるゝ夜を池の蛇は底いでにけむ
 千早振蛇の神の住む池の淵の探さを知る人もなし
 大御代は鬼蛇が池もすなどりに鳥狩に人の群れゆく所
 あからひく朝日さしぬれこもりくの鬼蛇が池に鴨遊ぶみゆ
(123) 岸のへの千木の常磐木瑞枝さし池の八十隈鴨澤にをり
 
    詠錦魚歌并短歌
 
 瓢形乃。火明玉の。宇頭多麻爾。美知多らはせる。眞清水の。中津みそらを。くれなゐの。八つ尾の玉裳。瑞旗乃。あや尾ゆらゝに。おのかしゝ。伊牟連毛登保留。高ゆくや。雲井をわたる。天人の。舞ふらむことく。常春に。見れともあかす。緋魚の遊びは。
      反歌
 宇津曾実乃世はとこはるとうづ玉の瑞のたまやに住める緋魚かも
 
    麥刈乃歌
 
 雲井鳴く。ひはりもおちて。草の葉に。白露おき。遠暗く。山邊はなりぬ。麥畑に。麥穗刈りほし。いそしめる。妻をうとのつれは。暮れぬ間(124)に。歸らまくとか。家つどゝ。しめて置けむ。畑ぞひの。つかのへよぢて。つるぐみを。背かきりもち。草いちご。めかとりつめ。二人らは。いしかへるかも。まかなしむ。いとしわく子が。門のべに。千度いてたち。おも父や。今か歸ると。家にまつらむ。
 おも父が聲きゝとめてかとの邊よ走り出らむ兒等しおもほゆ
 
    詠神橋歌
 
 八隅知之。わが大王之。きこしをす。天が下には。山河毛。左波にあれとも。並立の。よろしき山。青瑞の。二荒の山に。八十百の。瀧おちたきち。青淀は。芙藍をたゝえ。岩千浪。雪を激らし。雷の。とはにとゝろく。荒川の。大谷の河。其河の。下津瀬にして。岩とこの清き早瀬に。眞倶盤之。丹塗のみ橋。神橋の。高照る橋は。夏されば。暑をさくと。秋されば。紅葉を見ると。しきかよひ。まねくゆくこと。めづらしみ。(125)見るますますに。尊きろかも。
 
    牡丹
 
 をさな兒の病ふす庵に春ふけて狹庭の牡丹花咲にけり
 病める兒が求むるまゝに花瓶の牡丹の花をとりてあたへぬ
 くれなゐの牡丹かざして病める兒が僅にゑむを見ればうれしも
 左り手に母が乳おさえ右手には牡丹の花をかざして遊ぶ
 赤玉のつぼみの牡丹うつくしむをさな心は神にしありけり
 やめる兒が手を疲れけむわがもてる牡丹の花を母に持たしむ
 あか玉のつぼみの牡丹左右の手にもちつゝいつか兒はいねにけり
 病める兒がふす枕べに紅の牡丹の花びらちりみだれたり
(126) かゞよへる牡丹の花の花びらの緋の雲まきてさねし稚子はも
 紅の牡丹の花の八重雲とたゞよふ上にあそびてあらむ
 
    牡丹六章
 
 雨の夜の牡丹を見ると火をとりて庭におりたちぬれにけるかも
 ともし火のまおもに立てる紅ひの牡丹の花に雨かゝる見ゆ
 かきろひの火をおき見れは紅ひの牡丹の花の露光あり
 さ夜ふけて雨戸もさゝず狹庭なる牡丹の花に火をともし見つ
 玉たれの夜の音靜かにかぎろひの影くだちゆく牡丹の燈火
 かきろひの牡丹にともす燈火の雨おひ笠の露おつるみゆ
 
    雨夜の牡丹
(127)        
 雨の夜をともす燈火《ともしび》おぼろげに見ゆる牡丹のくれなゐの花
 片庭の牡丹にそそぐ燈火の光|神《かむ》さび夜はくだちゆく
 
    菖蒲園に遊ぶ
 
 廣池にあやめを作りくまくまに橋うち渡す見る人のため
 夕汐の満ちくるなべにあやめ咲く池の板橋水つかむとす
 夕やみは四方をつつみて關口の小橋のあたり鳰鳥の鳴く
 うち橋のあなたこなたのあやめ草尖る瑞葉に露光る見ゆ
 打橋の片浮くはかり夕しほの滿ちたる池に螢とびかふ
(128) 少女らが螢をうつと夕汐の水づく板橋わたりわづらふ
 ゆふまぐれ園のやつこら滿汐《みちしほ》の池の小橋に足洗ふかも
 
    藤
 
     龜井戸の藤もはや末になりたらむを、今一たび見ばやと思へる折しも、心合へる人より、雨だに降らねば明日は午後にまゐるべしなど消息あり嬉くまちしかひは無くて、其日も亦朝より小止みなき雨なれはまつ人も來らず、口惜さ徒然さに、やがて雨を冒して一人龜井戸に至りぬ、社の内は寂然として人影もなく、茶店など大方は守る人も居らず、とある家に息ひて暫く打眺めたる中々にあはれ深くなんありける。
 
 龜井戸の藤もおはりと雨の日をからかさゝしてひとり見にこし
 けならべて雨ふるなべに龜井戸の藤浪の花ちらまくをしも
 長房の末にしなれは藤浪の花のむらさきあせにけるかも
 池水は濁りにゝごり藤浪の影もうつらず雨ふりしきる
(129) 雨ふれは人も見にこず藤浪の花のながぶさいたづらに咲く
 ふぢなみの花の諸房いやながく地につくばかりなりにけるかも
 藤浪の花の千垂のゆら/\にかぜにゆらぐし見れどあかぬかも
 やまずふる雨をすべなみ藤浪の盛りのいろもおとろへにけり
 高橋の神の御橋の袂なる白藤の花いまさかりなり
 むらさきのゆるしの色にくらべ咲く心はもたず白藤われは
 
    灯
 
     此二日許吾庵の庭先なる蓮田に灯のみゆるをあやしみて詠める歌
 
 左美太連の。いやふる雨の。長雨の。いまだやまぬに。此夜頃。吾家の庭の。武加斐田の。はちすの田井に。何しかも。灯はともすらむ。人も(130)居ると。見れとも居らず。よひ/\の。雨の夜すから。蓮田に。消えぬ其火を。老人に。問へとも知らず。吾妹子に。とへとも知らず。家の子に。問へとも知らず。魂まつる。市にひさくと。蓮葉を。人の盗むに。蓮田の。田主のまろが。夜をまもる。かゝしのために。ともす良武加毛
      反歌
 ぬは玉の南の夜すがら蓮田もるかゝしのともし風になづそふ
 
    〔五月雨の草菴〕
 
     日根毛須夕暮さまなる五月雨町はづれの草の菴は絶ておとなふ人もあらず、風爐に炭かき入れ茶器など弄びて獨物靜かに打なかめたるいとさびしくもあはれ深くてなむ
 
 五月雨の雨をすべなみ釜とうで茶わにとうでゝ茶を弄ぶ
 さみたれのこゝろなぐれと薄紅葉赤樂焼の秘碗《ヒメモヒ》にして
(131) 梅の實のあゆる黄藥しかれこそ名づけにけらし茶入さみだれ
 庵にして居なから見ゆる庭先の蓮すの田井に五月雨のふる
 み佛のかたのみ前のつり香爐煙もなづむさみたれの菴
 梅雨のしきに小暗き片庭の柘榴の花し灯《ヒ》に似たるかも
 さみたれの庵の内に遠浪の音おこりきぬ釜のたきるに
 蓬葉の田の面かすめる夕暮をからす鳴過ぐ五月雨の空
 さみたれのふるから暮るゝはつす田に鳰かあらずか鳥のなくかも
 遠くより夕やみ至る五月雨の田の面の蓮みどり消むとす
 あま蛙しき鳴ほとに常闇の闇夜となりぬ五月雨の庭
 五月雨の夜のいほりの靜けきに虫の鳴くなす釜のおとすも
 
(132)    〔麻疹〕
 
     幼女等二人痲疹やみける時親しき友のとふらひおこせたるに答へてよめる
 
 卯の花は。今はさかりか。其花を。見にもゆかなく。郭公。いまは鳴くちふ。其聲を。たづねも聞かず。まかつみの。神のおそひに。四人子の。仲の二人の。幼兒が。病をやみて。白妙の。小床しきなめ。玉藻なす。なびきふせれば。そが母は。痛き心に。せんすべの。たづきをまどひ。夜も日も。帶ひも解かず。みけまゐる。時も忘れて。枕邊に。みとりまもろふ。男じもの。父なるわれも。増荒夫の。鋭心消えて。朝脊に。藥師かよはく。けふすぎば。明日かもゆるぶ。あす過ば。熱かもひくと。暗夜なす。思ひまどひて。安からぬ。空だにあるを。日並降る。長き此雨。風さへに。荒くし吹けば。おほゝしく。かなしき心。滿汐の。いやまさりつゝ。さけやらむ。すべだに知らず。明日だにも。日のよくあら(133)ば。人々は。手たづさはり。瑞枝さす。青葉の山に。ともしみと。ゆきか遊ばむ。まかつみの。雲のおほへる。吾家に。いつかも照らむ。天の瑞日は。
 
    〔撫子〕
 
     是はそもとか常に遊ける野への撫子なりとて故里なる家人より送りこししに聊か古をしぬひてよめる
 
 十とせを一夜もおちず夢通ふ故里野べの撫子のはな
 いきの緒におもへる妹とあさよひに遊けむ野の撫子かこれ
 むかしわか遊びし野べの撫子の花とし聞はしぬびかねつも
 撫子がさきたる野べに相おもふ人とゆきけむいにしへおもほゆ
 なでしこの花折りとりて此の花に似たる人をと吾云ひし兒は
(134) 撫子は今もかもさく其野べに遊ひし吾は花すぎにけり
 人つまに今はあるちふ撫子が群咲く野べに相遊びけむ兒は
 古へをしぬぶくるしみ言問はぬ撫子の花に告りてけるかも
 いにしへを忍ぶかたみと故里の野べの撫子庭にやしなふ
 
    〔祝男子出生〕
 
     阪井瑞靈ぬしが初めて男子擧たるをことほきて贈れる歌
 
 大日本。瑞穂のくに。まぐはし。吾すめ國の。寶とも。あふぐ富士の根。柱とも。尊む山を。とこしへに。見るちふ里に。久方の。光りあやしく。瑞雲の。たちの奇しく。天地の。神ことよせて。大鳥の。ひなのうぶ聲。いやさやに。あれし其兒は。來む時の。久爾乃美多加良。大御代之。柱とたゝむ。あはれ秀兒耶。
(135)      反歌
ひむかしの亞細亞國原神わざとやすくまもらむ手ぢからもがも
 
    中村不折ぬしが歐洲に漫遊するを送る
 
 うつし繪の技をきはむと大洋の五百重しきなみ渡りゆくかも
 油繪のとつくにわざのたくみ技そこきはめずばやまずとぞおもふ
 ゑたくみの天職さをしまたくすと八千重荒波わたる君かも
 阿米津加左身におひもちて増荒夫がいでたつ心たふとくもあるか
 みづからを恃むちからの瑞靈のこゝろすゝみにふるひたちけむ
 獨りたちひとりゆくちふ萬須良乎の其鋭こゝろは神もさくべし
 萬世乃ことわざたつと天地に美知多良波勢理君か雄心 .
(136) 天つかさ勉むる君を渡津神くにつみ神もいつきまもらむ
 大日本みづほのくにの國美多麻おきてなゆきそ洋わたるとも
 玉地はふ神のまもりにまさきくて歸らむ君をけふよりぞまつ
 
    別莊
 
 綿花之。白波さわぎ。眞砂照る。きよき浦邊に。美津垣の。かくみたびろみ。繁みさぶる。千樹のときは木。白雲に。秀枝まじはり。立ちよろふ。老の群松。中空に。木垂る瑞枝は。蒼き龍の。天路かゝける。阿米人の。なひかふ袖か。巧み繪の。婆古耶の山の。神宮の殿居見るなす。玉きざむ。いらかそりたち。朝比古に。伊天理丹保良比。ゆふなみに。美かげたゞよふ。靈しくも。くしくもあるか。天が下に。ひとりの臣。吾國の。伊盤津柱止。須米良美古跡。吾大王の。まけたまへる。臣乃命之。なりどころこれ。
(137) おほまへつきみ古々二いませは御國今事はあらすと美たみら宇多布
 
    富士詣
 
     「日本」青年會之諸士大擧登嶽を企つ即歌以て之を送る
 
 日月の。渡ろふきはみ。天が下に。國ちふくに。よろつの。國はあれども。比武加之の。海にそりたち。あやによし。瑞秀の國。大日本。吾須米久爾乃。民草の。さはなる中に。國御魂。宇計津義毛知天。人のなかの。人ぞ吾はと。思ひあかる。萬須良夫のとも。心あへる。とち相よびて。眞夏の。熱きさかりに。内火さす。美耶古いでたち。萬世に。雪の消ぬちふ。神山の。富士の高峯を。いかつちと。ふみとゞろかし。登るらむ。雄々し其わさ。登毛志きろかも。
      反歌
 雄心しいやたか/\に神山の富士の荒山ふみさくみこね
(138) 天の原富士の高峯の頂きに立てらくこゝろ時じくにあれ
 
    〔蓮の花〕
 
     八月五日庭先なる小田の蓮の花六もとだみ切採りて床間にさしたり水よくあげてうるはしさたふとさ云むかたなし
 
 くれなゐの蓮の八花を廣床のかめにをさせばかをり家にみつ
 赤たまとひかりにほへる瑞花のはちすの花はみれどあかぬかも
 はすの花眞床にさせばうら狹き吾いほりだも神さびにけり
 久方の緋の瑞雲はわがいほにてりたらはせり玉はすの花
 言絶えていやたふとくもうるはしきはちすの花は花の神かも
 多麻はすの花の瑞はなもちかざし天路わたらふ神をしおもほゆ
(139) 美豆天留はちすを見れば御佛のあやにたふときみこゝろしぬばゆ
 くれなゐに八重てりにほふ玉はすの花びら動き風わたるかも
 わがいほは天津くにかも床の上のはちすの花に天津風ふく
 うつそみのものゝしるしと蓮の花々びら一つちりそめにけり
 
    箱
 
     八月八日ふと博物舘にゆき、十八ケ月の間海底にありて少しだもそこねざりきと云へる、蒔繪の書棚料紙箱などを見ぬ。感嘆の餘りに即詠める歌
 日之神の。めぐしまな子と。ひむがしに。しみ照る國は。民草の。こゝろまさとく。萬の。物らさきはふ。瑞國と。名にしおひたれ。しかすがに。よろづの中に。いやたかに。ひでたる業は。塗物の。宇留志たくみぞ。青雲の。おほへる極み。人の住む。國のかきりに。たくひなき。靈(140)しきわさか。吾大王。御代の六とせに。「オースタリヤ」「ウインナ」にして。世の中の。物のかぎりを。いやひろに。集めみすらく。大業《おほきわざ》。おこなひけるを。我國の。奇しきたくみを。外つ國に。示すは今と。寶あまた。もちてゆきけり。いにしへの。み代の工みの。ぬり物の。蒔繪の書棚。硯箱。料紙箱らを。くかね髪。とつくに人も。類なき。たふときものと。眞心に。ともしみけるを。事果てゝ。歸ろふ舟に。まかつみの。禍起り。伊豆の海の。入間の沖に。舟寶共に沈みき。數さはの。くにのみ寶。失なはむ。事いとをしみ。十まり。八月の後に。官人等。ことはかりして。千尋の。渡津底より。からくも。百がひとつを。あびく繩。ひきてあげしか。今の世に。作れる物は。こと/\く。くち果てたるに。これぞこの。蒔繪の書棚。硯箱。料紙の箱と。針ばかり。形そこねす。うるはしき。色もかはらず。靈しくも。奇しき工みと。今更に。人もおどろき。すめくにの。技のほまれと。外國の。人にもほこり。今の世の。人をいましめ。後の世の。かたりにせんと。公けの。舘にすゑて。天が(141) 下の。人に示すか。あやに尊き。
 
    鳳仙花
 
     八月九日上つ總なる蕨眞が家をおとなひてよめる歌
 
 荒玉の。年の緒長く。多麻豆左乃。布美とりかはし。ねもころに。言問しつゝ。有こせる。宇留はし友を。したしけく。おとなはまくと。夏の日の。熱きさかりに。八街の。荒野をなづみ。はろ/\に。吾こひくれば。睦岡の。埴谷の郷は。ならくぬぎ。しき生ふ岡の。松杉の。そりたつ奥の。土肥えて。物のさきはふ。うら安き。さとにしありけり。友垣が。住める家居は。塗株木。かぐろき門と。道のべの。眞木さくをの子。小よびさし。をしふるからに。菅小笠。手に脱ぎもちて。かどぬちに。吾入りたては。庭のへに。草むらつくり。若草の。つまくれなゐの。花さはに。白き紫き。ゑみ咲きて。あやにめづらし。家人も。むかへよろ(142)こび。眞心に。あをし慰さむ。汗しぼる。熱さも忘れ。なづみこし。いたづきさへも。なごみけるかも。
 
    おなじ時によめる短歌十章
 
 山里に友とひよれは庭さきにつまくれなゐの花ぞ咲たる
 山ざとの田舎の家居庭をひろみつまくれなゐの花さはにうゝ
 若草のつまくれなゐの花さはに咲ける家居のあやにともしき
 庭先のつまくれなゐの群生の白きむらさきまづ咲けるかも
 咲そめしつまくれなゐのむらさきの花をうつして鉢植にしぬ
 床のへに塗板しきて鉢植のつまくれなゐの花をすゑたり
 柳葉のとがり細葉のみがほしきつまくれなゐのむらさきの花
(143) 若草のつまくれゐの花手折りかざし遊べる兒らしめぐしも
 鳳仙花《ホウセンクワ》さきちる庭にうなゐらが犬よぴたてゝそばひ居るかも
 はしけやしつまくれなゐのゑみさける家居にことしきこえこめやも
 
    〔消息の歌 八月二十六日赤木格堂へ〕
 
 ゆふべ/\かどべの小田のはちす田に月もよろしく風もよろしく
 
    〔消息の歌 八月三十日赤木格堂へ〕
 
 ケフノ空ニヨクニシ言葉天氣ナラバユクカモ知レズユカヌカモシレズ
 天氣ナラバ必ズ來レマツ人ノマットシイハバ必ズマタン
 
    鞋十首
 
 道のべの柳の蔭に捨てゝある鞋の上にひるかほさけり
(144) 五月晴宿のはづれの車屋のひさしの上に鞋ほしあり
 大つなみありきとふ浦のいそ松の秀枝高くに鞋かゝれり
 白妙の霜ふりしける橋の上に一人ゆきたる鞋のあとあり
 海見えて風の凉しき道のべの松のこかげに鞋はきかふ
 あしきなく鞋やぶりて石おほき山の坂路をあゆみわづろふ
 八幡なる鳥居の前の梨子店に鞋のすまふ三人いこへり
 雪はれし都大路のくま/\に捨たる鞋うつたかなせり
 野路くれば翁の一人みせ先に菓子うりながら鞋作り居り
 軒を近み一本榎ある家に菅笠買ひて鞋貰ひたり
 
    〔萬葉集〕
 
(145) くさ/\の五百個むら玉まかねもてぬけるか如き歌玉かつら
 いや高くいやうるはしき古の人の心の匂へるふみかも
 なろふたにたやすからぬを上いつる歌つくらくの人あるへしや
 千枝しける銀杏の黄葉ちる窓に沈香たきて万葉ひもとく
 今の世の人は人なり古の人は神なりふるき歌見れは
 淨らなる机によりて万葉の歌よみ居れはこゝろ凉しも
 唐文字にかける歌文よみかてに古人葉よますかありけん
 天平のみ世の佛のかたかけて前にかされる万葉歌一部
 神さひし春日の卓のぬり卓にいよりてひもとく万葉歌集
 皇國の古人のいや高き心しるへきふみは此文
 
(146)    炭とりふくべ
 
 山べは。この葉色つき。田のもには。雁かね渡り。朝霜の。寒くしなれば。茶を好む。翁か庵は。冬かまへ。爐にかはりつゝ。うらさふる。炭とりふくべ。山なす。炭をみたしめ。桑の柄の。まかねの火ばし。鷹の尾の。羽掃木とりそへ。膝のべを。さかりもおかす。夜に日に。釜し激ろふ。いほをしづけみ。 おのづからなれるふくべの炭とりの形がよろしも翁さびつゝ
 
    ゆふ竪川
 
 みちしほの。夕竪川の。石垣の。岸に片より。棹立てゝ。つなげる舟は。あと守る。母とわらはべ。見るからに。うらさびしけく。ともしだも。ともさであるを。父なれや。つど買ひきぬと。吾子が名を。呼びつゝくれは。母と兒と。出たちむかへ。よろこびは。舟にあふれぬ。やがてし(147)も。舟ばたのへに。物まはる。灯はともされつ。打笑ふ。聲もふぉよめく。事果てし。睦まし船は。今はとて。家路をさせか。火のかげも。梶とる音も。天津星。うつろふ波に。ゆらき行くかも。
 
    〔夢〕
 
     はや夜もあけぬなど家人らの打さわぐを聞つゝ再びいねたる夢に身はいつしか登仙して蒼空をかけりける覺めて後よめる
 
 白綿の五百重村雲むかへきて吾は昇らく天のまほらに
 ※[奚+隹]がねもきこえずなりぬあかときの青雲高く吾はきにけり
 しもつ世の夜はあけぬらし海白く國原蒼く見えわたるかも
 青雲のそぐへが下にほの白くさやにみゆるし富士がみねかも
 富士がねの見ゆらく思へば遠津空なほ須米久二のうへにしあるらし
(148) ゆふ花のにほへる雲の八重雲のおきより出る天津日の影
 
    〔返りこと〕
 
     箱根山中畑と云ふ析にありと消息おこしゝ阪井ぬし許へ返りこと送りける文の端に
 
 朝山のふた子瑞山うちながめ天人さびてたもとほりすか
 めぐし子とうるはしつまとたづさへて天津國邊に遊ぶ君かも
 たまづさのたよりえし夜に吾魂は箱根めぐりぬ君みざりきや
 
    太洋之歌
 
 そぐへなき。大海原。見はるかす。八千重蒼浪。空ひたし。陸山呑みて。
神のます。天なる雲と。人か乘る。水なるふねと。世の中に。二つのみこそ。ぬは玉の。夕さりくれは。天の門は。眞澄にすみて。諸神の。か(149)づらのたまの。千萬の星のみかけは。つら/\に。四方に懸れり。偉くも。いかし畏こく。言絶て。神さびゆくか。群肝の。こゝろもしぬに。國おもひ。すべなき時を。久万の。天津乙女が。ゑまひなす。光にほひて。くがね花。波の秀にしき。ほがら/\。いでくる月し。綾にうれし
 
    〔門田のはちす〕
 
     朝ゆふの風いたく秋めきたるを門田のはちす花なほ衰へず月のをかしきゆふぐれにゆくりなく格堂子の來訪あり相悦びて歌など作れる中に
 
 吾背子をまちこひしめか吾庵の門田のはちす秋かけて咲く
 月よみのさやけき夜らに思ふどち相たづさへて蓮の花見る
 草むらに虫も鳴きつゝ蓮田の花のかそけくかをる霄かも.
(150) 天つ星のこゝに落けむ夕さればふゝむはちすの丹玉白玉
 ま玉なすふゝめる蓮の瑞花の夙にゆらくは天つくにかも
 玉蓮の葉群を渡る月夜風あみゝともしみ二人歌おもふ
 はちす風かをる庵の月よみにかたろふ霄や後こひむかも
 
    何事につけても正岡大人をおもふ
 
 朝風に丹保比天咲けるくれなゐのはちすの花に似たる君かも
 吾大人が病おもへば月も虫もはちすの花もなべて悲しき
 
    九月五日三穂の浦に遊びて詠める歌并に短歌三首
 
 千早振。三穂のみやしろ。打出でゝ。海邊にくれば。空蝉の。塵遠ざかり。砂原の。高みが上に。名もしらぬ。花草かづら。くがぬなす。色に(151)咲つゝ。花むしろ。はだらに敷けり。打渡す。磯馴松原。おのかしゝ。ふりのおかしく。伏したるは。走るが如く。立たるは。舞へるが如し。眞砂照る。磯邊時じく。綿花の。白波立てり。八汐路の。そぐへの沖の。伊豆山の。速瑞山は。わだつみの。神のなぐさと。薄墨に。ゑがける山か。見がほし。三穂の浦は。何にかも。たとへていはむ。うべしこそ。天津乙女が。遊びきて。雲井の家路。忘れけらしも。
      反歌
 いにしへのことをともしみ三穂の浦にうしほ浴みつゝ遊びけるかも
 三穂の浦に潮浴み居ればあま小舟久能の山蔭こぎいづる見ゆ
 うしは波泳ぐが如くうつそみの吾身輕けば天路ゆかましを
 
    野邊に遊びて
 
(152) 秋の野の。花はあやしも。百度も。千度も見れど。見る毎に。いやます/\に。めづらしむ。こゝろはまさる。天霧の。おほへる時も。瑞日影。照らくもよろし。露おけば。露のともしく。風ふけば。風もしぬばゆ。夕月夜。うつらふなべに。こほろぎの。聲さへ鳴けば。宇津曾味乃。心はもはず。とこよべは。未だ知らねど。此見つる。たぬしきぬべに。あに過ぎめやも。
      反歌
 かくまでに樂しきものをなにしかも妹にそむきてひとりきにけむ
 つねならぬ野邊之|情《コヽロ》ははしけよし妹にかたらむたづき知らずも
 
    吾家の萩
 
 けさの朝け雨ふりしかば吾庭の萩の諸枝は地に伏しにけり
(153) 春の芽の立ちにし日よりまちこひし庭の秋萩咲にけるかも
 朝霧のとばり靜けみ萩かねにこほろぎなくも聲のかそけく
 春花に百千はあれど秋草に八千花あれど萩にしかめやも
 秋萩の花をし見れば天雲の立田大神のみけしおもほゆ
 姫神の天つ衣の瑤絡が萩に落散りはなとさきけむ
 けならべて日にけに見れどます/\にみかほし在ぞ萩の花はも
 白つゆの千玉をぬける秋萩は八百日たち見て猶こひむかも
 つねに見てあきたらめやも萩の花手折りかざさむちらはちるとも
 萩の花帛にすれども其帛にかきてしるさむ歌もあらなくに
 
    龜井戸神社の萩を見て詠める歌并に短歌
 
(154) たまちはふ。龜井戸の。朝宮を。おろかみまつれ。みたらしを。清みかしこみ。あらたしく。作れる御井の。石がきの。い照るみかきに。秋萩の。諸枝咲垂り。白露の。千玉おきそへ。錦なす。うらくはしもよ。久方の。天すみ渡り。衣手に。風もかなへは。うつゝなく。吾はながめつ。御前たわすれ。      反歌
 朝宮の清きみ庭の萩が花言あげしらにしぬびつるかも
 み井くますはしき少女らしが袖を萩になふりそ花のちるべみ
 
    詠|乳酒《クミス》之歌一首并短歌三首
 豐秋之。國津まつりの。けふほぐと。わがつくろへる。老人の。母のみこと。幼兒の。めぐし兒供等。まうれしみ。よろこぶ酒は。空蝉の。世(155)にいつくしみ。吾家に。飼へる小白の。十とせを。やまひもしらに。すこやかに。ありこし牛の。うま乳の。よろしき乳を。清けく。小瓶にしぼり。八重漉に。絹布にこして。神火切り。いはひかみせる。たふとき乳酒《クミス》
      反歌
 白綿の花とわきたつ玉もひのうまし乳酒は飲めどあかぬかも
 神津水乳酒を飲めば群肝の心さやけくおもほゆるかも
 千萬の酒はあるべし然れどもうましくみすになづろふべしや
 
    なつ豆賣の嫗をあはれみてよめる
 
 あかときのあしたまたきに市中を老が聲呼ひなつ豆賣かも
 七十路を越し嫗かたよりなくせんすべ知らになつ豆賣るとや
(156) 朝風の柳かつきに門のべにうがひしおれはなつと呼びくも
 このふたさなつ豆の聲のきこえぬ如何にせしかも老のなつとうり
 おひ々々しなつと賣おもふ秋すぎて冬はくるとも寒風な吹き
 吾ために神は祈らず然れどもなつとうる嫗守らせといはひぬ
 
    としゆたか
 
 草枕旅のさき/\里ことにゆたけき秋ときくかうれしも
 相やとる人のことこと此秋の豐のみのりをほぎかたるかも
 馬のつめむづのはてまで此秋のとよのみのりは國おちめやも
 豐秋のゆたけき秋と人のいふしるしもみゆる瑞穂波かも
 少女らか鎌手もたゆく刈る稻の足穂しみらにみのりけるかも
(157) 草枕旅なるわれも道のべの瑞穗足穗を見れは嬉しも
 犬とりの遠鳴く聲もおのづからゆたけき年の聲にしありけり
 夕やみの里のともし火家なべて夜を日につぐか秋のいそはぎ
 
    沙魚之歌
 
 夕月夜。かそけき門に。はしけやし。うるはし友が。ほこりかの。ゑまひともしく。手にもてる。みこをた重み。芝浦に。吾つりえたる。海さちの。けふのえものを。吾背子に。別ちゆかなと。うもの葉の。廣葉うち折り。こゝたくの。沙魚子とりわけ。又の日に。かたりにこんと。ねもころに。吾にいひつゝ。いにし君はも。
      反歌
 またこむといひていにしを吾背子がおとつれもせぬつゝみなかりきや
 
(158)    〔房總遊草〕
 
     上つふさ小濱のほとりより磯づたひ安房の浦々經廻りて
 
 白波のありそのみさき八千尺ときりたつ岩にいつく神かも
 よもつなす岩のほら道くゞりきて波うつ磯をみればうれしも
 かくり岩こもりあれかも渡津味の沖べに立てり波の白ゆふ
 天つちの浦のありその大岩にたぎつ白波見れどあかぬかも
 鴨川の浦の小嶋はともしけど波をこゞしみ舟よせかねつ
 荒波の千卷逆立大岩の狹間のそぎに蛟かもすむ
 
    安房の國千倉の客舍に雨こもりして詠める歌
 
 老人の。母のみことは。朝よひに。まちかこふらむ。めぐし子の。四人(159)の兒らは。さぶしみと。なげかひをらむ。そこもへは。心ぞ痛き。しかしかに。鳥にあらねば。天雲を。たゞかけりゆき。ひとめ見む。たづきも知らず。草枕。気長き旅の。いとせめて。物こほしきに。やみ夜なす。海山くらし。とのぐもり。あらしも吹けば。磯邊は。千波逆卷き。止む知らに。雨もふりきぬ。思ひのみ。瀧つせなれど。いでたゝむ。よしもあらねば。さこもりて。とゞこほるかも。家をこひつゝ。
      反歌
 老ませる母のみことを慰さめてあをまつらむか家のつまはも
 
    波
 
     明治參拾四年十月十三日安房國野島崎なる荒磯波を見る即作歌
 
 島津國。海はめくれと。岩山も。さはにあれども。しなが鳥。安房の國(160)邊の。ありそみの。玉よる磯を。つはらかに。吾は見にけり。白濱の。野島之崎は。南の。國のつまりと。いや遠に。いでし岬ぞ。其崎に。あらし時じく。その崎に。岩秀群立つ。むら岩の。くしきかたちは。土蜘蛛の。はひか出たる。あか熊の。立ちかをどれる。あしき毛物。猛き獣の。千五百數乃。八千五百數の。諸向きに。いむかひ立て。指す敵に。走りか上ると。見るまでに。群がる岩秀。天地之。開けし時ゆ。其岩と。敵にかもある。大海の。ありその波は。百萬の。しろき蛟。千萬の。蒼き蛟。こみづち。大き蛟と。數をつくし。群をいつくし。吠えきほひ。たけび狂ひて。風のむた。ちぶく息吹は。久方の。天に飛びちり。あらかねの。大地もゆらく。いかし岩。こゝしき磯も。時のまに。打かくゆると。鳴神の。とゝろくはしに。玉山か。碎けとばしる。白雪は。とはに激つも。言絶て。きゝの畏き。見る人は。魂も消ゆべし。神世より。しかありけらし。うつせみの。世果つるまでも。かちまけの。極み定めず。岩波は。相爭ふか。あたりへに。松もあれとも。木の皆は。諸枝地(161)に伏し。平滑に。葉ぬれなびけり。八隅知之。吾大君の。大御言。かしこみもちて。國つかさ。まけの臣らが。渡津味之。沖の諸舟。まとひなみ。いゆくしるしと。作らへる。燈宇天奈乃。そゝり立つ。野島の崎は。ゆゝしきろかも。
 
    館山の海なる多加之島に遊ひて詠める短歌
 
 八十うねの斜背《なせ》の平岩とりよそひ見えのよろしも高の島みは
 多加島のなせ岩見れは天地のひらけそめけむいにしへおもほゆ
 天地の始めの時ゆ神さひて世にも尊とくありし島かも
 岩なみの形ち世に似す老松も千年を經たり此の島のさき
 いにしへの浦島の子かいたりけむ靈しき久爾は蓋しこゝかも
 をとめらか天津羽衣たなひかしあかとき月につとひ來むかも
(162) 紫のかきろひたちてこゝろくゝ照れる月夜に神舞ふらしも
 神業の跡をこほしみうね岩に遊そひもとほるあく時なくに
 風流士か月を見まくは此島のまつのみさきに來るにしあるへし
 斜岩のうね間の水のあさき瀬に沙魚子さはしる人に驚きて
 
    西上總に旅行して道すから蕎麥の花を詠める歌とも
 
 内火さす都路いてゝ山さとの蕎麥のはたけを見れはたのしも。
 秋さぶる粟もろこしの畑なみに蕎麥のはたけは花盛りなり。
 夕寒み森こゑくれは足引の山畑喬麥の花しろくみゆ。
 かきろひの夕畑蕎麥の白き花の寒けく見えてこゝろさぶしも。
 あしひきの岡邊の里の蕎麥畑に夕けの煙りなびきたゞよふ。
(163) 畑並みのそばの花むら遠白く曾具邊の森に馬つなぐ見ゆ。
 あかねさす夕日かけ落ち蕎麥畑のあぜのくぬ木を百舌鳴きうつる。
 
    辛丑の秋十月鹿野山に登りて即作歌并短歌
 
 かみふさに。一つの山と。名ぐはし。鹿野のみ山を。いや遠に。八つ尾いめぐり。いや高に。吾こえくれば。うち渡す。うまし國原。足檜木の。尾加のおきふし。久方の。天につらなみ。とりよろふ。めぐりのねろは。青瑞の。柔芝山と。おしなべて。尾のへまどかに。いたゞきの。郷廻の杜は。神杉の。千杉鉾立ち。夕つく日。顧みすれは。とのくもる。空にまがひて。遠つくに。見えみ見えずみ。眉引の。富津の岬。木更津の。はなもか蒼に。天づたふ。沖べおほしく。木の葉なす。舟浮みだる。かくまでに。ともしき山の。故郷の。國なる山を。何しかも。此年までに。見ずてありけむ。
(164)      反歌
 うちなびく春さりくれば山あひに花も咲くちふまた來りみむ。
 登りこし其夜のきはみ雨をしみ思ひなぐまで見ねばくやしも。
 
    あけの日もひねもす雨ふる山上の旅やとりわびしさ云 はん方なし
 
 いや遠になづみこひこし此山を雨に逢むと吾おもはなくに。
 苦しくもあれふる雨か鹿野の山あき足るまではいまだ見なくに。
 旅なづむ鹿野山こもりしき雨のいやしくしくに都しおもほゆ。
 かの山のやまさめあらくいや寒みなづみこもると家もふらんか。
 日をよみて家近づくと戀ひこしを山雨さむく止む知らにふる。
(165) 高山の風もあらけく雨をしみ板戸ひきとじ居れば苦しも。
 名ぐはし九十九の谷も雨故に見ずてかゆかむこほしけまくに。
 雨つゝむことしくやしも言絶てうまし此山何時かへり見む。
 
    雨風猶烈しきに鹿野山を降り、五里に余る長途をひた走りに走り、ひる過る頃漸く木更津に到りつきぬ、嵐未たやまねは舟も出すと云ふに、力落て又一夜茲にやとれりし時よめる。
 
 都なる家のこほしく荒山の寒けきあめをおかしぞ吾こし。
 百たひも見さかむ山を雨風のあるらくなべに顧みもせず。
 雨あらしわびはゆくとも秋草のしみさく山路よそに思へや。
 雨しぶくあらしの風のしげきたも吾家こふに豈にしかめやも。
(166) 高山の雨風さけず走りこし都戀へはぞ出な船人。
 雨にあひてわびしみせんと思ひつゝもとなや戀ひむ家の妻らは。
 必ずやけふは歸ると家人のまつらむものをやどりつるかも。
 
    鑛毒被害の民を憐みて詠める歌
 
 宇津曾味乃。萬つの物ら。いやましに。さかゆく御代に。あへらくは。うれしたぬしと。天か下。たゞゆる時に。須米久二乃。同じみ民と。ひとしけく。生れあひつゝ。大君の。まな子にあるを。毛の國の。渡瀬川の。川そひに。むらなす民は。其河の。出水毎に。足尾なる。あかゞね山の。惡けき。金氣流せは。祖々ゆ。傳へ有來し。うまし畑。豐の田なゐも。年月に。荒ゆくなべに。たちまちと。富むはまつしく。まつしきは。住みかてにけり。金氣つく。物らし喰へか。金氣さす。井の水飲めか。つやよけき。人も見えなく。垂乳根に。うまち薄けば。うみの兒も。(167)はぐくみかねつ。生きてあらむ。たづきもなみと。二十とせの。長き年月。天地に。なけきさまどひ。諸聲に。たすけ呼へとも。其聲は。天にきこえす。其聲は。世にもとほらす。生れて。罪もあらぬを。犯したる。とがも知らぬを。神もなき。國にかもある。世の中は。豐のみ年と。田つ物。みのり多みと。菊紅葉。手に折かざし。樂しけく。あるらむ中に。あはれ此民。
 
    髪
 
 くにまつり。休む足日を。うれしみと。朝とくおきて。九つに。七つになるか。おのがしゝ。櫛笥とりでゝ。花ぐはし。眞玉のかざし。朱の緒の。飾り手にもち。おぐし結ひ。遊びにゆかな。おぐしを。はや結ひたへと。しが母に。せかみこはくを。うなゐ兒の。末なるちごも。いとせめて。人なみほしみ。束もなき。あかみ掻きなで。諸共に。さわぐを見れば。世の中に。幼兒ばかり。かなしきはなし。
 
(168)  明治三十五年
 
    初日を拜みて詠める歌一章并短歌
 
 天津神。阿米乎まもらし。國津神。久爾乎まもらし。天地を。清み靜けみ。安岐津神。吾大王乃。加武ながら。きこしたまひて。日乃本の。名に負ふ國に。荒玉の。年の初日を。千萬の。國に先立ち。むかへまつる。けさの朝けの。尊伎呂加茂
      反歌
 天地は雲風いさめ大王の年の初日をむかへまつろふ
 
    鉅山之歌
 
(169) 天地の。始めの時ゆ。天津神の。阿毛留御階。久爾津神の。昇るみさかと。有さりし。み山にあれか。名ぐはし。のこぎり山は。こゞしくも。奇しき岩山。蒼海に。尾すえを起し。天雲に。峯はい隱る。いやのぼり。昇るます/\。けはしみと。きりたつ道は。七十まがり。八十つに手折れ。手のおきど。足のふみども。まどひつゝ。いはひおのゝぐ。隈々の。窟屋の内に。まつろへる。五百個御佛。ねもごろに。こひのみゆけど。うつせみの。世の人なれば。群肝の。こゝろも冷て。伊乃知之。いけりともなし。かくまでに。かしこき山を。危けく。何に越けむ。泣兒なす。吾《あ》をかなします。おもちゝに。かくといはめや。乳兒まもり。家にこひまつ。わきも子に。しかと告らめや。世乃中に。畏《か》志古伎山ぞ。距山者。
 
    上つふさ青海なる守谷の浦を愛て詠める歌并に短歌
 
 牛角の。相むきあひて。ふたみさき。うたきつゝめる。青海の。守谷の(170)浦は。國からか。いそへさやけく。渡津美乃。宮居飾れる。千五百玉の。碎けよりけむ。色妙の。眞砂めぐしも。沖近み。呼べば答へむ。和田島と。名づく大岩。そゝり立つ。見えの奇しく。其島に。たぎつ白波。時しくに。美雪ちらへり。あかねさす。夕日さしぬれ。滿汐の。いやますなかめ。しぬべとも。言擧知らに。此浦の。よけくを見れば。なづみこし。旅のいたづき。やみにけるはや。
      反歌
 船皆は白帆ひきおろし和田島のしまみこきたみ磯によりくも。
 ともしけは一と日もだもと思へども泣兒守谷は宿もあらなくに。
 
    九十九里の濱に遊びて
 
 人皆の遊ぶ睦月を波枕矢刺が浦に吾は來にけり。
(171) 白砂のかはける濱にかまめかもふめる足跡あやにめづらし。
 濱原に風が砂ふきなれるかたいもし秀眞に見せまくおもほゆ。
 
    京なる友許に迭れる二首
 
 荒波の矢刺が浦は都べに拾ひてゆかむ貝も玉もなし。
 荒波のおとにとゞろく投矢の矢刺が浦を見にもこぬかも。
 
    上つふさなる山武の海邊を旅行きけるに、あき葉と云へる木の實の、またなくめづらしかりければ
 
 朱の實のあきはの玉を打かさし磯邊もとほりゆきし旅かも
 とこ冬に日の目もみえぬ森の中のあきはの玉よ朱にともしき
 ひた青にしげき木の間を燈火のかゝよふ如き朱の群玉
(172) 冬の實のあきはの玉の朱をよみ旅のかたみと吾手折こし
 あきはの實の朱うつくしみしぬへとも里人たにも食すと云はなくに
 朱の實はさはにあれとも冬の實のあきはの玉に似し色を見ず
 童らかとらくにもれし朱の實のあきはの玉を吾とりゆかむ
 内火刺す都になみとまくはしみあきはの玉を家づとにすも
 
    睦月の末つかた訪はなと云ひおこせたる友の日くるゝに猶來らさりけれは詠みてつかはしける
 
 龜井戸の神の社に賣る鷽《をそ》のおそある君とわか思はなくに
 たきる湯の釜の松風まち/\し人の心も知らすやありけむ
 増荒夫が玉筆そめてかけりけむ文の詞をたかふとおもへや
(173) 天か下にひとりのおぞかくると云ひてきもせぬ人をまちかたまけぬ。
 くるといひて吾をあさむきし群肝の心よし兒はおその名にこそ
 
    おなし時盆栽の梅を見て
 
 鉢の梅をめてみともしみ夜はうちに晝は日なたに置きて養なふ
 きのふけふ寒さゆりけれは鉢の梅の一枝のつぼみ色動きゝぬ
 上枝《うはえだ》の梅のつほみの二つ三つはや咲くへくとよそひすらしも
 ふゝめりし梅のつほみのけふか咲くあすか開くとまてはうれしも
 鉢植の梅とりいてゝ朝日さす庭の砌りの石の上におく
 天の日の光り照りくれは※[口+喜]みか梅のつほみは物言はんとす
 ふゝめりし梅のつほみをいたきねし其夜夢みぬ羅浮の姫神
 
(174)    吾家の樂
 
 春鳥の。さゝなく庭の。朝清め。木の間もおちす。筑波井に。玉水かへて。むろぬちの。眞床の壁に。白椿。かける繪をかけ。釜の湯の。たぎらふ時に。兒らもこよ。母もきませと。うからとち。まどひたのしく。朝茶はやすも
 
    〔八甲田遭難〕
 
     雪中行軍の將卒數百名凍死せる慘事を悲み即詠める歌
 
 天皇之。御言畏み。あだまもる。國の御楯と。天地に。ちかひを立て。劍刃の。とごゝろ磨き。事あらは。火をも水をも。ひたぶみに。ゆきとほるべき。物の部の。増荒武夫等。岩金の。つねたゆますと。軍行く。ならしのためと。荒山の。深雪打越。二日路に。ゆきもどるべく。出立(175)ちし。事はたがひて。音に聞く。かしこき山の。八甲田乃。そぐへにしてや。空かはる。吹雪のあらし。時の間に。山もくゆると。檄《たぎ》り立つ。雪の大浪。天地は。常闇なせり。退かむ。たつきも知らに。進むへき。道もわかぬを。魂氣はる。命惜まぬ。荒夫らは。雪も岩ほも。くえ破り。進める時に。まがつみの。神やたゝれる。夕暗に。道ふみまよひ。谷深く。くだり入りきと。きくだにも。心ぞ痛き。思ふだに。血汐し湧かゆ。眞金なす。心なりとも。荒夫等も。人にしあれば。息づかむ。木蔭もあらぬ。荒山の。深雪が中に。立あかし。立ちくらしつゝ。三日三夜。吹雪は止まず。救ひゆく。人もあらぬに。末遂に。飢つこゞえつ。諸伏して。命死にけむ。あたらしや。國の御楯の。百かぞふ。増荒犬の伴。諸伏して。命果てけむ。あはれ荒夫等。
      反歌
 おもちゝや妻子やあらむいかさまになげきこふらむ血にや泣くらむ。
 
(176)    節分の心をよめる
 
 冬限る。終りの今宵。春限る。始めのこよひ。雪霜の。國旅果てゝ。おりきます。月日の神を。背の神と。ひたまちこひし。佐保姫の。待ちのよそひは。天の光。なべてをあつめ。地の花の。なべてを集め。海山の。なべての玉を。五百重てる。霞の彩と。衣手に。さふりなびかし。蒼雲の。天の曾具邊に。戀神を。迎へまつろひ。明日の國。春のわきへに。誘ひくらしも。
 
    〔消息の歌 二月五日蕨眞へ〕
 
     かみふさなる友垣芋餅こゝた送りこせり戯れに芋餅の歌を作る俳諧歌とや云はまし。
 
 足引の山畑芋のうまし芋飯につきませなれる餅かも
 うましもち芋餅これとかみふさの歌のさち兒がくれし賜物
(177) 老をさなゑみどよめきて芋のもち食してけるかも君が賜物
 芋のもち燒きて笥にもり君が家に一夜やどれりしいにし日おもほゆ
 しが友に贈らんためと歌彦が思ひ苦しけむ芋餅がこれ
 とりの子の玉とまろめし芋のもちこゝたつゝめり紙のふくろに
 かみふさの芋のもちまろ酒飲まぬ歌まろこひてこゝにまゐけむ
 芋餅を歌につくるとしが餅をあぶりくひつゝさ夜ふけにけり
 
    〔なり木餅〕
 
 なり木餅の、あづきの粥の、上湯くみ、祝ひてそゝぐ、物なる木ごとに。何氣なく、庭におりたち、植込に、來居る鶯、逃がしつるかも。
 
    〔軒の八手〕
 
(178) 佐保姫のなり木の餅をこひまふし餅粥つくるあづき餅粥
 みとり子の眞手の手のひら開くなす軒の八手は芽立のひにけり
 あから引く朝日さしぬれ野官蘭《クロモジ》の朽し籬に陽炎のたつ
 
    鎌倉なる大佛をろかみて詠める短歌十三首
 
 鎌倉の大き佛は青空をみかさときつゝ萬代までに
 もろ/\を救はむためと御佛の大きみ須加多こゝにまつりし
 御佛のはなつ光は常とはに國の諸人まねくすくはむ
 御佛の玉のみ須がた天津星仰きて見れは尊ときいろかも
 み佛の尊とく放つ御光を仰く即ち罪ほろふとふ
 かまくらの大き御佛をろかめはみのりさかれる時しおもほゆ
(179) みもすそに手をふりしかは全き身の血汐し澄める心地しにけり
 こしかたのかさなる罪も御佛の光にあみて消ざらめやも
 御佛のめぐみ廣けく天つ日のい照らす極みめくみ廣けく
 青山のかきのまほらに萬代といます御佛大きみほとけ
 蒼空を御笠とけせる御佛のみ前の庭に梅の花さく
 千年ふる大き佛のみ庭邊の梅のたふとさ世の物に似ず
 萬世にさのこりまして汚世を救ひたまはね大きみほとけ
 
    春の旅
 
 菜の花の。春の旅ゆき。空御津。大和にしてや。いかるがの。都のやどに。あめつゝみ。日をわびくらし。思ひなく。こともあれやと。市のや(180)を。吾うかゝへは。すえ物の。ふりし片碗《カタモヒ》。内邊に。ものはゑかゝす。外のもに。あやめを繪がき。葉をさはに。花六つゑがき。其花の。青き藥の。神さびて。色のともしさ。すぐれたる。匠みがわざか。云もえず。しぬびつれども。草枕。旅にしあれは。かへずきて。悔ひたる心。忘れかねつも。
 
    春の歌
 
 松か枝にきゐる鶯おもしろく往かひするか鳴とはなしに。
 軒の端の楓の芽立くれなゐに色いちじろくなりにけるかも。
 そき竹の垣根のもとの芍藥の赤芽ともしく群立にけり。
 井戸はたの石問に生ふる鬼しだのうれ卷く芽立色かばにあはれ。
 梅の花手に折持てゆくさくさよりけむ君に逢はでくやしも。
(181) 梅の花見るも見なくも春の夜を一夜かたらむあすこずや君。
 物なりのさかえをのむと佐保神になりきの餅を武ひまつろふ。
 石臼に柳結ひつけ枝ことに玉餅ならし床のまに置く。
 
    宮詣
 
 宮参り男子兒《をのこご》なれや あや衣に玉ぬきつづり 金絲《きんし》もち花鳥縫へる 青丹よし産衣《うぶぎ》まとはし とき色のびづらの頭衣《づきん》 心ぐくうなじにかづけ おうなめに先に抱かえ 七車つぎて乘りなめ 日かもよろしき
 おうなめにいだかえのれる小車の花のうぶぎに春の風吹く
 
    〔消息の歌 三月六日赤木格堂へ〕
 
 すだの江のひむがし野邊は百傳ふいたる所に梅咲きさかる
(182) 異里も梅は咲くべし佐保姫のあもりいますは葛飾の里
 
    嘲屁奈土歌
 
 荒金の荒皮づらにへたくそにへな土ぬるとも屁とも思はめや
 いり豆なすから/\文人等へな土のへな鞭うつともしるしあらめやも
 蚤のこと群居もとほりはねまはる小さき兒らをめぐしと見ずや
 へな土はヘナの人かもおの妻のうつくし妻をこふと云はなくに
 爾か妻の新つまこひてへな土のへたばり居らは罪なかるべし
 おのつまにこふる鼻毛の千尋毛の長きます/\よろしかるべし
 赤ひげの繪をも歌をも眞似まけて人の心の動き過ずや
 
    新居の櫻(連作十首)
 
(183) 新らしき家居作らひ櫻花咲きの盛に家移りせし。
 魂あへるどち呼つどへ新つきの家の櫻にうたげすらくも。
 さきさかる花のあかりに新つきの家居かゞよひいやてりまさる。
 いやさやに玉照る家を久方の天津雲なす花もてつゝめり。
 色妙の家のうちとの物みなの清きにきほひさける花かも。
 軒ちかく咲ける七もと庭さかり咲ける八本のむくさく櫻。
 朝霞み消えゆくなべに庭やまの蒼空のうへにさくらにほへり。
 しき妙のにひ土ふみたるみ庭べに玉しくばかり花ちりにけり。
 庭山のはなの吹雪をしぬぎ立つ樅の鉾たち檜葉の鉾立。
 瑞青の玉の竹垣よろしなべあつまや立てゝ花見するかも。
 
(184)    桃の花十首
 
 犬とりの里びの聲も聞えつゝ桃の花原見えにけるかも。
 白金の眞砂しくなす河原邊をそぐへも知らに桃の花さく。
 佐保神のいます宮居か桃霞み五百重のおきに見えこし棲閣《たかどの》。
 天地のよりあひのへゆ流れくる河のひた岸桃さきなびく。
 ゆく水のたゆることなく萬代に桃し咲きちる常春のくに。
 久方の緋の旗雲と桃の花春の光に丹保比咲くかも
 菅の根の永き春日を瑠璃玉のか青き水に桃ちり流る。
 あかねさす桃の國原春の江の水上遠く千重にかすめり。
 春の江の流の上に瑞枝さし朱のとばりと咲ける桃かも。
(185) 白桃に緋桃に飛びて永き日を蜂なりめぐり蝶まひ遊ぶ。
 
    答宇多
 
     此頃は山邊に出てゝ小松植つゝあると蕨ぬしか歌して消息おこせたるに答て(九首連作)
 
 鶯の囀づる山に百とせのさちを松の木植にけらしも。
 花鳥のをゝりの野邊に風流士か山人さびて小松植きや。
 松うゝと君がたよりに故郷に蕨折けむ春をしおもほゆ。
 荒野らの雜木ならのき刈はやしめぐしもなみと小松植けむ。
 花鳥にみ魂さとびて山祇のまな子の小松植そこなふな。
 髭白のおきなあともひうちなびく春の山邊に松うゝる君。
(186) さしなみに山鍬うちふり松小苗植る春野しおもかけに立つ。
 春の野に小松植ると玉梓のたより聞くだに心浮くものを。
 松小苗うゝるたのしと都べの花のさかりもよそにせるかも。
 
    〔消息の歌 四月八日蕨眞へ〕
 
 汗水に衣ひちつゝ春山に小松うゝるも大君のため
 
    春の歌七首
 
 炎陽のけぶりまひたつ朝川を小舟梶拔き吾ひとりゆく。
 桃の花浮きてよどめり渚邊の眞こも若藻の生ひたつ隈に。
 春の日のかゞよふ水に桃の花山吹の花流れくるかも。
 舟ゆくに漣動き其波にてる日碎けて黄金ちるかも。
(187) 河隈の手折こぎたみ吾舟のゆく手の岡に桃澤に咲く。
 みなかみの河邊の里の桃霞朱にかすめり吾妹子か里。
 心倶久夕ふく風に桃柳綾織る河岸の家去りかねつ。
 
    〔黒樂の碗〕
 
     樂道入の茶碗を得て※[口+喜]しさ抑かたく。連りに歌二十首を作る。然とも固より連作にあらざるのみならず。歌としても如何しく思へど。さすがに捨難きまゝ本誌の紙面を妨くるにこそ。
 
     其一
 
 いにしへゆいまに至りて陶物のおほき聖の樂の道入。
 ことわりのこちたき國にかつてなき物にしありけりこれの樂燒。
 日の本のやまとの人の圓かなるこゝろゆなりし樂燒ぞこれ。
(188) 樂燒のらくの趣きビードロのガラスのごとき人知るらめや
 らく燒のもだしき情《こゝろ》世のなかのさかしら人に知れと云はなくに。
 春雨に吾ひとり居り黒樂の思偲ひつゝ吾ひとり居り。
 黄金さす蒔繪の茶入樂燒のかくろきもひとたくひよろしも
 世を限り庵ならべむ樂燒をともしむ人のまたもあれやも。
 夜光る珠は人知る土燒の樂の尊とさ世は知らずけり。
 土燒の樂燒作り物も言はずゑみてありけむ翁しおもほゆ。
 
    其二
 
 神代より只ひとりあるすゑつくり能牟許がもひを二つ吾得し。
 須田の江の櫻見かてり吾持てる樂の茶わにを見にこ吾背子。
(189) 道入の樂の茶わには天か下に稀にあるちふ大き寶ぞ。
 左千夫吾牛飼なれど樂燒のひじり能牟許か碗《もひ》もちほこる。
 日に千度手にとりめでゝなほ/\しあかずともしき能牟許のらく燒。
 道入のらくの茶わにの茶を飲みて世を有經なば吾願ひ足る。
 正岡がゝける松の繪壁に懸能牟許がもひに茶を立て遊ふ。
 道入のもひにかへめや十里のすだのつゝみの花と云ふとも。
 こゝろぐき樂の茶わにや今ゆ後さびしちふこと知らすて有得む。
 あはれ如何に茶碗やなもし二十まり歌にうたひて汝をめづ吾は。
 
    詠接骨木
 
 紐鏡かけのよろしくたつの木のくはし若芽は相向き合へり
(190) 少女らがゑまひのまゆの兩ひらくたづの柔葉の見えのよろしさ
 童らがいまち悦ぶ木耳のむせるたづの木花くき立ちぬ
 朝月の四つ日垣根の裏戸邊にほの/\さけり山たづの花
 山多頭の名をなつかしみ新芽立ち花持つ枝を折りてしぬばく
 葛飾の小梅にありしたづの木の花枝折こし君に見せむため
 荒妙の藁産か背戸の井戸はたに生ふるたづの木花さやにさく
 足曳の山多頭の木の春の葉の向ひたぐひてあらむ世もかも
 
    草餅
 
 葛飾の、友がおこせる、草餅の、うましもち飯、草の香の、あやによろしく、さみとりに、色もめくしも、家皆が、分ちをしつゝ、いにしへの、(191)事しおもほゆ。澤邊ゆき、水澤なふみぞ、河邊ゆき、河になおちと、垂乳根の、母がいさめに、榛柳、芽張る野のべを、畑廻ゆき、畔路もとほり、童どち、蓬つみけむ、いにし日おもほゆ。
 
    友なる人の家うつりして妻も迎へぬと云ひおこせたるに。
 
 花鳥のさはぎをよそにこもりくの日暮村に家うつりけむ。
 櫻花にほひをとめと菅の根の長き春日を遊ひ居るらし。
 花ぎほふ春の彌生にくはしめの新妻えつと君か告らくも。
 百よろつ千萬歌をよみ贈り新妻得たる君をいはゝむ。
 
    〔消息の歌 五月三十一日蕨眞へ〕
 
 ひさかたのけなかき雨にうら寒みおもひぞなづむ桑子かうへを
 
(192)    東宮御巡遊之歌
 
     壬寅之夏東宮越後に御巡遊あらせらる其御樣遙にうけたまはり即詠める歌
 
 高知らす照る日の御子がひた土に道ふますかも越の山河。
 うまし國越の國原ときは木も冬木もなべて新みとりせり。
 大王のみゆきをまつと取よろひ越の國原青葉せるかも。
 瑞枝さす樵の若葉のいちじろく越の御民等戀ひまつるかも。
 眞面手に照る日を迎へ自が身には青葉着ならすいやひこの山。
 新みとり千木の若葉もおのがしゝ色のまに/\つかへまつろふ。
 八千とせの齢の松もにひみとり色に出でつゝほきまつるらし。
(193) 青葉しみ照らくに知るし山川もよりてつかふる越の國原。
 久方の雨は降るかも大王のめす山川をいやくはしべみ。
 朝宮につかへまつると夜一夜雨にあみけむ青葉みづやま。
 
    東宮御巡遊の御事もれうけたまはり
 
 高光る、日の御子、明津神、儲け宮、つばらかに、食國知らし、大まつりごと、見學ひすと、新玉の、年のこと/\、玉しきてる、大殿置かし、高波の、かしこき海、山風の、あらき國邊を、たびまねく、頻きめさしゝを、今年はや、おもほしたゝし、白雪の、未たけぬちふ、みちのくの、荒國原を、神なから、みふみさくまし、くにつかさ、教つかさら、まけのまに、申すこと/\、めしつがし、きかしつがして、萬はし、たゝさせたまふ、雷の、遠きみおとは、日刊文《ヒズリフミ》、日にけに傳ふ、云はまくも、あやにゆゝしも、皇祖の、神の御世より、天地と、さきさかえこし、皇(194)みくに、引率たまひて、新世の、事の進みに、龍ぎほふ、大世界《オホキヨ》に立ち、天津日と、照らくしるし、吾大皇はも。
 
    自像に題す
 
 肉ふとの、おものまに/\、黒髪の、黒きまに/\、寫したる、吾はあらめど、現身の、人なる吾は、一とせも、つね有得ずと、面かはり、年老ゆくを、思はくさぶしも
 
    藤塚の桃林にものしけるにそこの渡守なん唖の童部なりけり
 
 桃の花人のとはくも稀なれや渡小舟にかこも見えなくに。
 渡せをとわか呼ひしかば桃のかどのわらはべいでて舟におりきぬ。
 青麥の畑の岸邊の桃の花下照る河岸に舟渡しきぬ。
(195) 舟渡す兒や空笑ひ吾とひにこたへもいはずあはれ唖の子。
 おもちゝや有やいなをや渡守唖の舟子を見ればさぶしも。
 桃の花咲きちる里にとしなかく有去り終む唖の舟守。
 ふじ塚の桃のはやしのわたしもり唖の舟子を後もふらんか。
 
    四ツ木の吉野園といふに遊ふ菖蒲は花猶遠けれと廣らなる園中くさ/\のをかしき花ども又澤なりけり打見るまゝに
 
 見るからに園のよろしさ瑞枝さすわか葉青垣かくみひろけく。
 八十百の小田のこと/\あやめくさいや繁肥えて生ひたらはせり。
 あづまやのみきりの梅の青梅子のあなみづ/\ししゞなりにして。
 菖蒲田を分つほそみち畔ながにれん華さきさく春去りがてに。
 
(196)    鮎の歌會
 
 白珠ノ、長玉フタツ、ヨロシナヘ、ヲハコニナメシ、鮎ノウマ鮓。
 
    〔小鳥の雛〕
 
     小鳥の雛の未だ巣立ちたもせじとおほしきか道の片邊に落居たるを見て詠める
 
 汝はや。ほう白の子。自か柔弱。身に生ひ足らす。乏しらに。つはさもあるを。何にしかも。茲におりゐる。巣ゆ落て。茲にか出てし。里近み。兒等も來遊び。醜犬も。もとほる道そ。汝か父の。なげくも知るく。汝か母の。なげくも知らゆ。おもちゝの。守る巣はいづら。竹むらの。繁みが中か。常盤木の。しげみが中か。若葉しみ。木深き森の。奥も見えなくに。
      反歌
(197) 巣ゆ落し兒鳥あはれみゐてゆかむ置きてゆかむにさまどふ吾は
 うつそみの之に見えずと心苦志繋みをゑりて巣はつくりけむ。
 うせし兒のゆくへかなしみ親鳥が息つき居らむいづら繁みに。
 
    某の日にあやめ見に來ずやと格堂子許云ひやりけるを返り言もあらざりしがくべくおもほへて待居たる其日に遂に來らざりけれは恨みてつかはしける歌
 
 ゆくべしと人も云はなくに下心まちてぞありし日のくるゝまで。
 風にゆれ柳枝振るかどのべにまねくいで見しまつとはなしに。
 はしきやし我里のべのあやめらは今花よそひ人まつらしき。
 來るべき時は過しをしかすがに心はやまず日のくれぬまは。
 待つと云ふにいざゆかなとも云はざりし人はなまちそ花あやめども。
 
(198)     秀眞子、蕨眞子をかみつふさに訪ひける時我古郷早川なる藤浪の花いとをかしかりきとて二人か詠める歌どもあまた送りこしぬ即和して。
 
 早川の清きみきはに吾背等が二人なみ立ち見けむ藤はも。
 古郷に有けむときに夏ごとに泳き遊べる早川の藤。
 村里をもなかふたわり直流る下つ川邊の堰の藤かも。
 瀬を早み鮎子さばしる早川の岸の藤浪おもかけに立つ。
 ねもごろに吾はよく知れり板せきの井堰のもとの藤浪の花。
 早川の井手越す波の白ゆふと色相てらす藤浪の花。
 瀬を早み井ぐいに激つ水尾の上に咲きて垂れけむ藤浪の花。
 相思ふ吾をまち咲ける藤浪をわれにも告けず手折いにきや。
(199) 言問はぬ藤浪なれど古き人吾をもふ色に咲きたらむもの。
 早川の岸の藤浪なみ/\に思はぬ吾を忘ると思へや。
 はしけやし吾背の命等思ひぐし詠みてたばせる藤浪の歌。
 藤浪の花の八十房色に照り吾せき家を明くせりけり。
 吾背等が歌をし見れは早川のせきの藤浪目に見る如し。
 吾ために折れる藤浪道を遠みしほれけるらし送りきもせず。
 早川のふぢと吾とは瑞垣の久しき時ゆ相思へるどち。
 
    鳥居
 
     成東なる八幡宮の鳥居に就き古老の物語を聞て詠める歌
 
 刺并之。矢插か浦の。遠津波。なるとの岡に。椎かしは。五百枝交り。(200)松杉の。い森神さび。千早振。八幡の宮は。荒武き。畏き神そ。いにしへの。事にはあれと。御前なる。眞杉之鳥居。杉なれば。朽もこそせめ。石ならば。とはにあらんと。さかしらの。醜つ郷人。おほろかに。思へるまにま。大石之。圓石鳥居。そをよしと。立てし其夜に。なゐもせず。嵐もなくに。十尺石。八多義に打折れ。たふれたる。事のあやしさ。荒み神。怒りましぬと。石鳥居。悪ます神と。郷人等。おびえ畏み。眞杉之。瑞の鳥居し。今にそびゆれ。
 
    潮の歌の會
 
     潮  男女の相唱和するに擬して作れる
 
 先波ユ次波マサリ滿ツ潮ノイヤマス如ク思ヒタギツモ(唱)
 滿ツ潮ニ光リタヾヨフ月影ノ千々ノオモヒモ君ガ故コソ(和)
 干潟原潮滿チ渡リ照ル月モ山ノ端イデツ時ハ經ヌラシ(唱)
(201) 今シガタト思ヘルモノヲ干潟原潮滿チニケリ時ハ經ヌラシ(和)
 滿ツ潮ノ潮ニツカルトタヅサハリ足フミナメテクモトホリスモ(唱) 
思フドチ相タヅサハリ潮フムト潮ノネタミニ裳裾ヌラシツ(和)
 
    松島遊草
 
     七月廿二日、蕨眞と二人して牛込なる格堂を訪ひぬ、歸るに臨み松島遊行を約す、二十四日の朝。
 
 雨雲は千五百重八百重に空暗く未だふらねど出立ちかねつ。
 
     少時して空の一方雲明くなりきにけりいざとて勇みたちぬ。
 
 うすらげる雲の間よ日の神のみことのるらし雨はふらぬと。
 
     二人まづ上野に至れるに少しありて格堂又走りつきぬ。
 
(202) あじむらのさわきが中になゆ竹の三人相ゑみ日をことほぎぬ。
 
     汽車中の二つ三つ。
 
 眞かねぢを走る事のとゞろきの音なくもがな相語るため。
 ぬば玉の夢の間に下野もいつか過ぬれ白川の里。
 天雲の裂問もれたる日のかげのうつりゆくみゆ青芝山を。
 
     仙臺に就きたるは夜の九時を過ぐる頃なりけり。
 
 玉鉾の道のぬかるみをちかへり宮城の坊をやどまぎかねつ。
 
     あけの朝雨ふるに宿をいづ。
 
 朝雨のほろかけ車ほと/\に宮城の町は見す過にけり。
 
(203)     鹽釜に至るに雨愈降る。雨中なか/\にをかしかるべしとて鹽釜の宮にまゐりぬ。
 
 鹽釜の社の裏の杉間より雨の松島かすみたるみゆ。
 常滑のかぐろき石の石階を千重ふみのぼる鹽釜の宮。
 
     廣前にませ結ひまもる一老樹あり、枝葉小暗く生繁りたり。葉は楠に似て少しおほきく甚だ趣きあり。
 
 碧葉の照れるが上に朱の實の結ぶとかもよこれの多羅よう。
 鹽釜の神のみいづは多羅葉の足はしゆかむ萬代までに。
 多羅ようのくはし瑞葉はこほしけど手折かねつも神をかしこみ。
 
     枇杷の實を
 
 大神もめでたまふらし雨にてる黄玉繁玉み垣べの枇杷。
 
(204)    こまいぬ十ばかりあるが皆々面白し。
 
 とことはに御前さぶらふこまいぬの神さびたるし尊とかりけり。
 大神のみゆきさぶらひ天がけり海かけりけむこまいぬかこれ。
 人の世にあるべくもあらぬこまいぬの奇しきおもかた見れどあかぬかも。
 
    宿にかへり少時息ふ程に雨も止みければ小舟やとひ漕ぎいづ。
 
 吾妹子を吾まつ島の島めぐり名を呼びそめしまかきしまはも。
 舟人が梶ぬきがてりねもごろに島の名云へげおぼえかねつも。
 
    ひるげなどしたゝめ馬放島といふに登る島のかけに鯛の生巣の跡ありと聞き戯れに。
 
 馬のゐぬまはなし島を鯛のゐぬ鯛の生けすをけふ見つるかも。
(205) 島の崎千尺きりたちそびえたる岩秀の上に松木垂るみゆ。
 
     見迎へ見送る島々皆とり/”\に面白し。
 
 何しかも梯忘れけむ島ごとに梯かけ渡し登りみまくを。
 島皆のよけくはあれど花扇かなめの島しわきてしぬばゆ。
 
    遊雄島作歌
 
     松島のながめは天か下に勝れ雄島のをかしきは又松島のうちに勝れたるべし庵室樣のもの二つ三つ寧一山のかけるといふ大なる碑など立ちたり。
 
 眞玉つく雄島松むら雨を浴み夕日もさすか松の千露に。
 岩疊む雄島いそ松木垂るまつしゞに神さび幾世へぬらむ。
 島さはに松もさはなり然れども松島の名やこれによりけむ。
(206) さなからに常世なれやも玉たれの雄島の松に夕日照れゝば。
 松ふりし玉島山にあし鶴を放ちかひつゝ萬代もがも。
 おとにのみきゝて戀ひこし常世べのはこやの山をけふ見つるかも。
 とこよべの此松島をあやしかも天の鶴群まひもこなくに。
 岩磯廻にねばへる松の下草の花の紫世のものに似ず。
 岩床の雄島のいそは雨風の掃らふさなからちりもとゝめず。
 ねもころに相言問はく島松と天つ風とは萬世の友。
 遠つ世のいつにありけむ天雲のとばりひきはへ神のすめるは。
 常世べの松の雫を衣手に受けてしめなむ香をしぬぶへく。
 此島に住むべくあらは岩にはふ舟虫だにも吾はなりなむ。
(207) 天霧のおほにつゝめる島山に夏かたまげて鶯の鳴く。
 去りかてに吾せる島をなぐるさの舟遠ざかり來るがさぶしも。
 
    松島遊草
 
     長歌二章
 
 いし走る、天馳使、眞金路の、汽車乘こして、鹽釜の、千賀の浦べゆ、小舟漕ぎ、こひゆくなべに、五百個群乃、島の同胞、しまことに、生ふる赤松、立たるは、秀枝雲呼び、伏したるは、玉枝繁重り、天ながら、あやにまぐはし、かぎろひの、夕照る波に、少女さび、迎へへつかひ、立替り、まねくよりくも、いねなくに、夢路ゆくなす、酒なくに、醉にけるかも、こふれども、言擧知らに、現世の、こゝろさかりぬ、東雄之伴。
      反歌
(208) はらからの島の千五百島いや遠に天地のむだ相むつびせむ、
 そぐへなく命まさきく相むつぶ島のはらからともしきろかも、
 
     其二
 
 大日本、秋津島根は、隈落ちず、くはしうるはし、神がらと、あやしかれども、みちのくの、つま松島は、現そみと、おもほえなくに、如何にして、あれし島かも、天地の、分れし時、諸々の、轂地神々、島山を、産しゝ時に、雄の神の、大高森、月讀の、桂島はも、さし向ひ、こゝにたぐひて、群肝の、靈も一つと、まがなしみ、思へるなべに、あれましゝ、千兒の島々、雄の神の、眞奈兒の島は、一のしま、ふくうら浦、二のしま、まはなし島、夜とり島、雄島燒けしま、女の神の、眞奈兒の島は、くはしづま、みのわくらかけ、玉扇、かなめのしま、都島、きさきの島、さしなみの、二子の島、かきかそふ、かぎりも知らに、おのがし(209)ゝ、よろひ浮立つ、神さびて、あやにたふとし、石上、ふるの玉松、蒼浪に、木垂るふし松、岩がねに、ねはふふと松、島からに、其ふりつくり、岩なみに、形もかなへり、うべなうべな、しが名は立ちぬ、父神や、いかにめでます、母神や、如何にかしづく、荒き波、海に立てずと、荒き風、島吹かせずと、二神か、沖邊さしまき、たむたぎて、包みはぐゝむ、しかれこそ、萬代までに、うらぐはし、これの松島、榮えゆくらめ、
      反歌
 天かけるつばさもがもな島山の松のこぬれを飛び舞はまくに
 松島を舟漕ためば萬代に命いくべくおもほゆるかも
 
    八月短歌會
 
     蚊柱
 
(210) 隣屋ニユフ日カギロヒ吾ガ庭ノ※[木+宣]ノ木ヌレヲサワグ蚊柱
 兒供等ガ水ウツナベニ植込ノ木ヌレヲタカミ移ル蚊柱
 植込ノ上ノ蚊柱見ツヽ我ガ居リ。 眉引ノ新月影ヲサヤニ認メツ(旋頭歌)
    賀擧子
 
     友なる人の始めて女子まふけるを祝ひて
 
 玉氣はる。命にこひて。萬代に。共にあらむと。たまたすき。かけて誓はし。おもふこと。思ふまに/\。願ふこと。ねがふまに/\。諸人の。ともしむまでに。眞玉なす。女の子もえつと。世の中の。よろしきことは。君が家に。つどひけらしも。吾はもや。何にいははむ。荒金の。土もさくちふ。暑き日の。照る日凌ぬぎて。くがね花。とはにさかゆる。夏菊の。此のさき花を。さゝげ祝はむ。
(211) くがねとも玉とも照らく夏菊にたぐへことほぐ君が子のため。
 
    火取蟲
 
     幼き男の兒失ひける年の魂祭に墓詣してよめる
 
 百かびの。一日もおちず。眞悲み。こひもふ吾兒が。おくつきの。御前のともし。魂まつる。今霄のともし。何にしかも。火を取る蟲ぞ。何にせんに。火を消す蟲ぞ。思ひかね。み魂をまつと。吾ともす火を。
 
    秋海棠
 
 幼兒の丹のほ女の兒がゑめるなす秋海棠に朝の風ふく。
 石井邊の秋海棠に犬ころが遊べるよしも畫にやかくべき。
 石井邊の秋海棠の露を重み丹のほおもふし言もとはぬ君。
(212) くれなゐの秋海棠の露ふくみなびく心は告るものらずも。
 
    秋夜山行
 
 月代に虫がねしぬび山路ゆく衣はぬれぬ山のさきりに。
 さきり立つ月夜山道山畑の豆葉もみぢて散りしけるみゆ。
 白妙に露横はる月小田を虫採る燈さはに立つみゆ。
 山畑の芋の葉むらを白露のいやしら/\に月ふけにけり。
 
    讃正岡先生歌竝短歌
 
     明治三十三年の秋いまだ残暑の頃なりき、一日夕かけて訪ひまゐらせしに、常ならぬ御苦み、いたはしさ心細さ手に汗を握りけるが、やゝありて暫しまどろませ給へる間に、何か慰め奉らばやと詠て奉りたるものゝ、面白しとの御詞もありけるを當時世に示すは聊か穏ならず、思ひしまゝひめ置けるなりけり、先生かつて戯れに歌玉乃舍といはせ給(213)ひたることあり歌是によりてなる。
 大八洲、國の最中の、豐旗乃、豊島の岡に、宮柱、大敷立てゝ、神ながら、神さびいます、大王乃、御代の光と、天地之、千萬神の、神業に、作りましけむ、呉竹の、根岸の里の、歌玉の、奇しき御玉は、見る人の、人のまに/\、見る時の、時のまに/\、八千色の、千色の光、朝比子の、かゞやく如く、夕月の、い照るが如く、天が下、仰ぎ尊み、萬世に、いひつきゆかむ、大御代の、かざしの玉の、歌つ御玉は。
      反歌
 大御代のかざしの玉と萬世にい照りかかやく歌津玉かも。
 
    〔消息の歌 十月九日長塚節へ〕
 
 三なぬかのおくつきまゐり田端野ゆ築波を見つゝ節《タカシ》しおもほゆ
 
(214)    十月短歌會
 
     霖雨雜詠
 
 サ庭べノ植木ガモトニ水ヅクマデ水カサマサレドヤマヌ雨カモ
 出水モ未ダヒカヌニナホシフル雨ノトキケパイヲネカネツモ
 松カネニ照レル錦木雨ヲアミヌレシ葉毎ニシタヽル丹保玉
 
    〔消息の歌 十一月二日赤木格堂へ〕
 
 はがきらに繪をしかき/\雨やむを吾まち居れどいやふりにふる
 秋雨の此いやふりに君もこず蔦の紅葉のちらまくをしも
 玉鉾の道し近けばゆくもくも空しからずをかくもふるかも
 山茶花の花の大けく椿なす玉てる花に雨ふるよしも
 
(215)    十一月短歌會
 
     山茶花
 
 日暮の里べをゆけば家並に庭をたびろみ山茶花の多し
 家並に植木うるやの木むら/\色どりさける山茶花のはな
 
     銀杏(連作)
 
 岡のべの、銀杏の黄葉、朝晴れに、色いちじろく、空凌ぐみゆ、
 岡のべの、銀杏色づく、こひし兒と、葉を拾ひけむ、秋をしおもほゆ。
 思ひかね、思ひすべなみ、ながめけむ、早幾あきぞ、岡の上の銀杏。
 銀杏葉は、秋はいろづく、しかれども、深けく思ひて、戀ひし吾兒《アコ》はも。
 銀杏葉を、拾ひあひつゝ、遊びけむ、かくろ木履兒、忘れかねつも。
 
(216)    〔子規子の墓に橿堂を案内して〕
 
 歌のおやの奥津城所さわ/\に木の葉ちりつゝ人二人立つ
 
    歌消息
 
     或人と文の上に爭ふことありしに、其言ふ所思ひの外なりけれは、今は物も云はずとて、一首の歌を、はかきといふものにかきてつかはしける。
 油をし水とあやまり誤りて水注きけり悔しよ吾は
 
     神無月の始めの頃、親しき男より、何日になんゆくと云ひおこせけれは、かへり言にかへて。
 
 鉢植の蔦のもみちを床にすゑていほとりよろひまつとおもほせ
 
     師なる人のみまかり給ひける頃、友なる一人に詠みて贈れる。
 
 神業は、人は知りえず、ひむかしの、國のまほらゆ、いや高に、立てる(217)ともし火、いや遠に、照れるともし火、蝕日の、光復らず、とことはに、天かくり消ぬ、海渡り、舟やる兒らは、おぼろかに、眞梶なとりそ、しが兒等はゆめ、
 
 ぬは玉の閣なる舟のゆき逢に逢ひはするとも危からすや
 
     上ふさなる友、一夜草庵に宿りて、庭の八ツ手一本を乞ふまゝに、さらはあすの朝歸らん時に、堀りて持ゆきたまへと云ひしに、其男翌日に八ツ手の事忘れて立ちにけり。後、其男許云ひやりける歌。
 
 かみふさをいたもこふれとわすられし人とゝしもへは心さぶしも
 吾ゆきにたづさへゆかな汝がこふるかみふさぬべの杉深きやに
 
     田舍にて歌よむ男なりけり、年猶若きが都に來りけれは、淺草上野なとみせぬ。さるをゆくりなく、皇后宮、上野櫻か岡なる畫館に行幸あらせらるゝに遭ふ、其男國に歸りて後吾贈れる歌。
 
(218) もみちてる上野の岡に現神女神おろかみさちさわの君
 玉の如く春花の如く仁保比たる臣の少女等こほしからすや
 
     名古里に相知れる人のもとにふみして。
 
 なぐはし名古屋みさとは春の葉の茶ごとさかるときけはこひしも
 なごや思ふこゝろはやまず茶博士の樂の命とさほこる吾は
 
    〔亡き大人をしのぶ〕
 
 夜くだちの獨机になき大人がこと忍ひつるうたゝさぶしも
 み墓びのみき手に咲ける秋草の野菊の花はちらずありこそ
 
    寒牡丹
 
     去冬の根岸庵
 
(219) さこもりにこやせる君が冬牀の煖爐《ホベ》に並みおく冬深草
 冬こもり病のひまにふしながら繪にかきませりふゆふかみくさ
 
     ことしの冬
 
 み庭べの、冬深草、さゝをはの、葉もさびしらに、七枝さす、七枝骨立ち、一枝だも、蕾ふゝまず、草木もや、こゝろもあれや、つねとこに、小牀も見えず、み咳ます、み聲もせねば、かなしけく、うらこふらしも、冬ふかみくさ、 紅のふゆふかみ草めづらしみほくよましけむ去歳のけふはも
 
    冬の旅
 
     二荒山のおく湯本の里に旅ねせる時都なる友許おくれる歌
 
 玉くしげ、二荒群山、露霜の、もみたす時を、そぎおちず、.見まく吾こ(220)し、山口は、今照りさかる、ふところは、やや過にけり、鏡なす、さちの湖邊は、夕べには、霜けぶりたち、朝には、薄氷結ぶ、湧くみゆの、湯本のさとは、いや高み、五百重こもれか、向つ尾に、雪もふりつみ、心倶久、時雨かつふる、何れをし、よしと云はめや、うち火さす、都ゆくれば、深山べの、冬のさぶしみ、初冬の、情つくすを、云ひしらに、ともしきろかも、今更に、君をぞこふる、何にしかも、君にもいはず、獨來にけむ。
 人等いにいやさびしらに冬さびし湯本しよしも君とこましを
 朝霜の茅生の萱原湧くみゆの湯気立ちのぼる茅生のかや原
 
    落葉
 
     病臥吟
 
 ちりひとつなしと歌はれし吾庭の荒れにけるかも落葉つみつゝ
(221) 石にまどひ木の根にまどひ落葉らはおのがまに/\やむろせるみゆ
 靈水といはひたゝへしつくは井に落葉うづみぬ吾病しょり
 
    〔入營兵士のため〕
 
     打續たる冬の霖雨轉た物さびしきに、又ゆくりなく新入營兵士の殊に憐れなる身の上話を聞きぬ、彼は上総國山武郡上堺村と云へる所に、中等の家産ある家に生たるが、其親なるものが或事業に失敗し、物皆失ひたる上に夫婦相次で死せり、其長子なる彼は三人の幼き兄弟を置きて、本年入營すべき筈なるに去る頃の大暴風は又彼が家をも奪ひぬ、されば彼は遂に其家を疊み、三人の幼同胞を新戚に分ち預け、今は人々と共に入營のため出京せるとなり、予病に臥して此事を聞き、嗚咽して涙禁ずること能ず依て歌一首を賦して同情を寄す
 
 天にます神をぞたのむ、情あるつかさが下もにしが兒はぐゝめ
 
    冬河
 
(222) 霜とぢて月も動かぬ冬河の寒き心を吾思はなくに
 刃なす寒風いたき長橋を一夜も落すゆくはたがため
 汐引けば瀬々の氷の響きたて碎くこゝろを君は知らずや
 
    子規子百日忌
 
 敷妙の枕によりて病伏せる君がおもかげ眼を去らず見ゆ
 梅椿みはかの前によろしなべ誰がさゝげゝむ見らくうれしも
 うつそみに吾さゝげゝむ野菊はもみはか冬さび枯れにけるかも
 
(223)  明治三十六年
 
    御題 新年海二十首
 
 あきつ神吾大王此のあした海の大御歌遊ばすらしも
 天が下の大御寶は今ゆ後いや年の端に海をことほげ
 天地のみたまつゝしめ吾國の國つゝとめは海の上にあり
 大御歌海を遊はす今年はや海の上より春も立つらめ
 大御心海をおもほす國民は止まず枕らげしが寶船
 東の海の眞面にさかえたつ大八洲國春立にけり
(224) 浮寶千船なみゐる和多津実の海に向ひて年ほぐ吾は
 春立つと吾立ちみればひむかしの和田の原より夜はあけにけり
 年立つと春きたるらし渡津味の船の林に霞たなびく
 此あした大八洲根は萬隈波ものどみて年立にけり
 しき島の日本増荒夫名に負はゞ大洋の上にいさほ立てなむ
 天地の神の教ぞ國心こぞりかたまけ海にそゝがね
 年の始めまつ萬世と言立てゝ祝てましも海知る猛夫等
 年ほぐと酒くむまにも和田津味の海の心を忘れて思へや
 和田津味の神の御末と教置きし大き聖の言の尊とさ
 青雲のたなびく海の百舟の年ほぐ旗に春の風ふく
(225) 年のみ旗萬立つとも和田つみの船の御旗し尊とかりけり
 海潮波流るゝ極み皇國とおもひてゆかねますら雄の伴
 八隅知之吾大王は和田津味の海の限りを廣知らす神
 打なびく春の榮も和田津味の海の上より來べき國かも
 
    〔消息の歌 明治三十六年元旦蕨眞へ〕
 
 君かすむ睦岡野邊乃美豆杉のさかゆる御代は萬世まてに
 
    横田醫學士の死を悲む
 
     世の中の事月に日にうたてき事のみ聞ゆるに横田醫学士が其職に死せる、うたゝ同情の感に堪ざらしむ即短歌十章を賦して聊か懷を述ぶ。
 
 公けの事をつゝしみ玉きはる命を捨てつ世の人のため
(226) あさましき人打むるゝ今の世に君が命の惜くもあるかな
 たまきはる命さゝげて公けの事つくしたる君がために泣く
 世をこぞりおぢて恐るゝまがつみのゑやみまもると立てる君はも
 藥師なるつとめつくすと危けき道も蹈みけむあはれますらを
 死ねと思ふ人は死なぬを惜みても惜しき君だに幸なかりけり
 世の中にたふときものはしが道に命惜まぬ人にしありけり
 増荒夫は死なば死ぬとも家にあるうからのなげき忍びかねめや
 生ける間かつて知らざる君故に吾はなげきしこゝろこほしみ
 世の人もこゝろ盡せれ君もひて吾悲むはなほやまずけり
 
    〔消息の歌 一月二十一日蕨橿堂へ〕
 
(227) 佐保姫がいとしまな子といつくしむ君にあらずや歌乞ひまふせ
 さほひめに君かこはさはこふ歌の數のまに/\母はたまはん
 さす竹の君かはらから二人のみめつるさほ神ねたしや吾は
 
    新年根岸短歌會
 
     しめ繩
 
 物皆の、さきくありこそ、まがつみの、よすなみこそと、家の内外、おちず清めて、豐の水、井戸にしめゆひ、豐へつひ、釜にしめゆひ、家の口、軒にしめゆひ、垣の戸の、木戸にしめゆひ、天地に、いはひことほぎ、さちまもる、大年の神を、迎へまつらふ、
 
    〔釜の響〕
 
     釜大なれども青かすかなり、波の遠音にも似たらんか、
(228)       氷解けて水の流るゝ音すなり
    こは故正岡大人が、吾所蔵の釜に題し賜はりし所、今宵しも其釜をかけ、爐邊近く机すゑつゝ、左夜ふくるまゝに釜のひゞきいやさやに耳立ち、有し世の事どもそゞろに思ひいでゝ限りなき感慨とゞめあへずなん。
 
 大御代のひじりの人と名に立てる大人がめでゝし釜にしありけり
 世の中に釜多しとも汝を置きてたふとき釜の又もあらめやも
 遠つ神名にとゞろけるよき鑄師加賀の寒雉がほぎ鑄たるかも
 釜たぎる湯氣の煙のおほろげにみかげ見ゆらく吾戀ふれかも
 朝宵に思は絶ずしかすがに此釜のとにしぬびかねつも
 爐にかけば時じくたぎる釜の音は聞かば聞くべし大人に逢ひ難き
 釜の音にありし世もへば其夜らの有の事々眼に浮びくも
(229) 釜たぎる音に悲みこひ居るを天がけります大人は知らなむ
 天かける神にいませば何事も大人は知らめどこひ泣きになく
 さ夜ふけて釜の湯の音はいや細り命たゆかに心悲しも
 
    けふのゆき
 
     暖き冬雪ふらぬ冬いつになき冬の有樣。只ならぬ時の狂や、今年のみのりも如何あらんかと世の中物思ひげに見えつるを。今日は朝より寒さ俄に打増りやがて降出で雪は夜に入りていよ/\つもるさまなり。いやましにふれよなどと幼兒さびて獨り悦びつゝ(卅一日)
 
 あま戸開く内のあかりにはし近み雪のちらくが見えにけるかも
 まちふれる雪のつもるを雨戸あけしば/\みるも雪のつもるを
 軒近み木ぬれにつめる雪あつめたきる釜にし煮つゝたのしむ
(230) さ夜ふけに雪ふみわけて友かりに玉づさ送る雪のほぎ歌
 
    蕨眞子か許よりよき炭さはに贈られければ
 
 茶の室に、これやよけんと、くぬぎ炭、楢の炭らを、横山と、積てたばりし、かみふさの、睦岡の邊の、むつびたる、なせがみこゝろ、すゑ物の、おほき聖と、名ぐはし、能牟許か碗を、朝宵に、手にとりなでゝ、茶博士の、樂《ラク》の命と、橿の箕の、獨ほこれど、空蝉に、もれえぬ吾は、心かも、※[口+喜]しくぞ思ふ、なせがみこゝろ、
      反歌
 山なすま炭たくばへ釜の音の絶ざる庵に冬はくめやも
 
    〔祝『鵜川』創刊〕
 
     言靈之眞奈兒鵜川兒が美濃の國に生れ出たるをことほぎて天の彩の瑞筆を鹽谷華園ぬしに贈る歌並に序
 
(231)  月讀之御手にさおどる、卯の歳の睦月十六夜の夜になむ、久方の天の原、五百重千五百重の雲わけのぼり、故正岡大人に、久々にて見え奉りぬ、千早振神にしいます大人の命は、有し世の御姿にはあらせず、花の限りの色、玉の限りの光、集めたる御よそほひにて、千尋の雪山なす、白雲の奥深く立ち給へは、いかしさたふとさ譬へむ樣もあらず、
  一つえばかりみ空隔てゝ浮雲の秀に跪つき、あな御なづかしと聞へあくれば御聲のみは、空蝉に聞なれたるに變り給ふ所なく、姿こそ神とはかはれ、心は同じなづかしさよ、そも汝命は如何にしてかも、茲までは參來しぞや、人ちふものゝくべき所にあらざるものをとの仰せ、
  餘りの御慕はしさに、ぬば玉の夢路はろばろ、天の八十隈まどひありき、天馳使となむいへる雲童に逢ひてこゝまで誘はれはべりぬ、
うつそみの事聞へんも如何がなれと、御母君御妹きみいとすこやかに、言靈の若子の伴等又まさきくてあり、御心安ふおばし給へと申(232)せば、あなおぼつかなと打笑ませ給ひたるまゝ、白妙の綾のふく紗に包めるものゝみ手にとり給ひて、之をは汝命に給はるべし、茲に久かるは天の帝に憚りあり、速にまかり下りねと仰せ給ひぬ、
  旗雲の跡引く心、なごり惜きは限り知らねど、仰せ違ふべくもあらず、幅紗押頂きいとま申すも心の内、蒼雲の天路ひたおりに下り降りて、同じ夜のあかときに吾家にはつきぬ、まづ何物にやと思ひてふくさ開き見れば、眼もまばゆきまで美しく光ある玉筆數管なり、是なむ天の彩の瑞筆とこそ云ふなれ、今其一管を分けて鵜川兒が生先の榮をいはひ添ふるに短歌二つを以てす其歌に曰く。
 みづ/\し美濃の鵜川兒稚兒ながら世を驚かせ瑞み筆もち
 鵜川兒が手握り振ふ玉筆の穂先ゆ立たむ虹をはや見む
 
    河豚の歌
 
(233)     おしてる浪花の諸兄等河豚くひて死なぬ※[口+喜]しさにや河豚歌こゝたく作られけるこそ面白けれあづまの河豚男なむそを又なく羨ましかりて即相和する歌
 
 平がぬ心に堪ず河豚くはゞ吾にもくはせ命いらずけり
 戀少女人にとつぎぬ平がぬ腹の河豚腹裂けまくおもほゆ
 片戀に死なむ名は惜し河豚くひて死なば死なゝむ死ぬるともよし
 思ふ事とげず増荒夫何せむに命ほりせむいざくはな河豚
 ふぐなれが怒りは何ぞ汝が腹のふとき其腹吾に似たらずや
 失なへる戀のいかりを腹にすえ河豚腹なせど人に云ひがたき
 垂乳根のおやに云へめや失なへる戀にたえずて河豚くへるとも
 いきどほり堪ずて死なば來む世には河豚に生れむ人殺すべく
(234) もろ箸の鉾まじへなみ鍋の底叩きて喰へり浪花河豚汁
 下心やゝ危ぶめど空笑ひ河豚くふ兒等がおもかげに立つ
 橿の實の一人はくはず友皆と喰はゞくはなむもとなふぐ汁
 よべの夜に河豚をくひきとしが妻に告げて笑ひし其朝心
 明の朝道に行逢ひ相立ちてゑみかたまけぬ河豚汁の友
 
    春歌三首
 
 もゝよろづ人さはぎ住む市むらに霞うちおほひ日くれんとす
 夕くれて天つ風なぎ萬家のたてらくけむり空にたゞよふ
 萬世に照れる瑞日を此夕べあやに奇しむかすむ瑞日を
 
    春の歌
 
(235) 七坪の狹庭の畑に群立てる菜たね此頃花咲にけり
 春されは都家居の吾庭も菜たね花咲き鶯もなく
 
    春雨
 
     故郷をしぬびて
 
 心解く春の雨かも故國《モトクニ》の蟹つりしけむ河邊しおもほゆ
 春雨の出水の川に小網張り今も里人蟹とるらむか
 菜の花のさかりをよみと雨ふれは蟹網張りけむ翁さきくや
 春雨のうら暖けく水もよしいくつとりけむや吾背や蟹網
 
    にひ妻迎へむとする人に贈る
 
 一日をも千とせの如く思らむこゝろしらずやおぞの人々
(236) 岡ゆけど岡の低けばみまくする里は見えずも高山もがも
 いしゆかば時かさねぬを人言の立たむやさしみせけば苦しも
 まつこひを思ひたえずは言たまの歌の百千にこゝろやらさね
 吾妹子をこひのみ居らばさほ姫の神のねたみに蓋しあはむかも
 天地にひとりをこふるまさ戀の君がこゝろは玉の如けむ
 福花のことぶき草に朝日さしみづみづしもよ君がはつ戀
 佐保神の花の彩筆乞ひまふし歌かきおくり君を祝はむ
 日に千度夜に八千度を思へともたゞに逢ねばこゝろながずけむ
 戀の歌よまんは今ぞまさこひに戀痩す君は神も許さめ
 
    蕨橿堂か新婚を祝きて
 
(237) 蒼雲に秀枝まじはるいづ橿の榮む君を如何に祝はむ
 天の原翅うちなめまふ鶴の妹背にたぐへ君を祝はむ
 黄金さすことふき草の福花《サキハナ》の千代もさきくと君を祝はむ
 さ蕨の睦岡野べの春かすみ八十重百重にほきて祝はな
 天地の神ことよせてよりあへる花と玉との奇しき契りや
 百繁み根はべる橿のねもころにねもころころに睦びてをかも
 睦岡の春野の花のうるはしみ妹背かたらへ神のまに/\
 妹と背とむつ岡野邊の松杉のとこしへなれや君が榮は
 花鳥の春野のゆふべたづさはりいゆく二人や神の如けむ
 なみ/\に思はぬ君をことほくと心はつきす言つきにけり
 
(238)    〔蕨眞嚴君の床上げ〕
 
     蕨眞か嚴君久しく病に臥しけるを梅咲き柳萌ゆる頃いたつき全く去りて床上げの祝こと行ひつと聞詠て贈れる短歌六首
 
 山祇の神の祐けに林しる大人が病はいえにけらしも
 おほしたてし杉の木魂の五百萬つどひほぐらむ其ほきことを
 汝がおやの病いえぬと春風は言吹きつてよ山の林に
 天のまもり國のまもりの林業深けく知れに大人の命や
 いたつきの病しりそけ山祇のもるらん大人は萬世まてに
 木のおやの大人かとこあげほぐみきは大山祇のかみし豐洒
 
    謠曲羽衣
(239) さくら花丹保へる色に朝日さしあなうるはしも天津乙女や
 天衣八色の綾を春風の吹きのまに/\さゆらかすもよ
 浦松の木ぬれの空にうらくはしとまひかくまひみ袖ふらすも
 羽衣はよしかへすとも萬代の後のかたみと玉乞ましを
 春風や光のとけき浦波の歸る日知らに阿米乙女はも
 まひのぼる天つ乙女は蒼雲のそくへはるけく朝月の邊に
 天人の雲まちかねつ白波や滴松風や春さきくとも
 天人はまたもくめやも八重かすみいたづらにたつ三保の松原
 
    つくし
 
 春雨の青物市にもの買ふと松露をえたりつくしをえたり
(240) あるじはえ甘酢のつくしつく/\に春の一夜を物かたりせな
 
    船
 
 菅の根の長き春日をゆくら/\小舟こきたむ松島の浦
 都ひし少女の兒らと乘合に島めくりすも春の松島
 船人は歸らはかへれ八重霞少女等こめに島に殘らね
 
    春水
 
 近江路や菜の花晴の朝さやにみどりたゝへし春の湖
 花流る春の湖緑うち舟がおもしろ波がおもしろ
 石山と吾こぐ舟の沖つ波みどりかすめて燕飛ぶ
 
    雲雀
 
(241)     市川の桃林を見る
 
 さす竹の、刀根を渡り、市川の、市路を過き、神の杜、八幡を近み、左手の、木村杉村、木ぬれには、松雀《まつめ》長鳴き、雲井にそ、雲雀しばなく、畑並むや、林のあはひ、桃畑の、桃はちりつゝ、梨棚の、花さや/\に、心澄む、春日しよしも、里が靜けく、
桃梨やしみ咲く畑に葛飾の少女ら見れは手古奈し思ほゆ
 
    〔四月根岸短歌會遠足〕
 
 遲櫻かつちる寺の人まれに千部經會も今日終りちふ
 み階もと雨落の邊のちらひたる花ふみ遊ぶ鳩と雀と
 み庭邊の殘の櫻風をなみおのがまにまにのどに散るかも
 おそ櫻丹秀てる花のちりしけば綾莚かも蹈まゝくはをし
(242) 一本ゆ五百千幹立つ銀杏木のゆゝしたふとし神の御社
 神代木のいづの銀杏木しか/\に春のさみどりもえにける鴨
 まつめなく松の林のあはひ畑梨の棚並み花咲にけり
 眞奈兒らと二人ともなひ棚梨の花かけに立つ其しかし女よ
 梨の花つます少女らしが花に丹のほ觸りつゝつます少女ら
 
    花下所感
 
 くぬちうちに飢泣く民のあると聞けば花を過きつゝ樂しとも見ず
 千萬のむつの同胞飢に飢なげく此春花何にさく
 花は只心もあらす醉騒ぐ人し悲しも此春にして
 よしゑやし花は見るともむつのくの飢泣く民に心割なん
(243) 雨嵐吹きてふきふけたのしともおもはぬ花はあらぬまされり
 
    蛙 獨吟十三章
 
 春の夜を茶を挽き居れば垣つ内池の蛙がこほろ鳴くかも
 左夜ふけて聲乏しらに鳴く蛙一つともきこゆ二つともきこゆ
 こほろ鳴く蛙が聲に心乘り臼挽き止めて獨歌おもふ
 春の夜を睡りうながす佐保神のまけの使と鳴く蛙らし
 雨戸おし庭打見れは月くもり池の蛙が懶けに鳴く
 天地の春たけなはに遠地こちと蛙鳴く野や晝靜かなる
 風をなみ日のうらゝけき春の野を天に雲雀や田に蛙鳴く
 青野原川一筋の長き日を物さびしらに鳴く蛙かも
(244) 若草の物思ひしげみ現なくもとほる吾を呼び鳴く蛙
 思ある人に聞かせと諸鳴きにまなくも鳴くかしが蛙らは
 物思ひに堪えぬけふかも蛙等が然鳴く如く泣かばよけむか
 世の春を只たぬしげに心解け諸聲呼ひて鳴蛙等よ
 末べにはまた花殘る菜種田のあはひの水に群れ居さはげり
 
    〔消息の歌 四月二十五日赤木格堂へ〕
 
 かぞへくる四つ日の川の牡丹花燃るか如く花咲にけり
 くれなゐの牡丹の花の色深みおもへる君にあで逢ひがたき
 ならび咲藤と牡丹とをちかへり見まくほりすれなほもこずとや
 君か見て冕といひけむ龜井戸の藤の花さく相まつらしき
 
(245)    晩春新夫妻に寄す
 
 若みとり青葉が中の新室に清住む二人おもかけに立つ
 花は過き青葉に移る此頃を外心もなく二人居るかも
 常盤木の青葉八重垣妻こめにはこやの國のおもひあるべし
 若芽ふく春の永日を現とも夢ともわかすあるがともしも
 さし向ひ二人すめらは花鳥の春とこしへに情つくめや
 
    暮春待人
 
 吾庵を訪ふちふ君は藤牡丹きほひて咲ける今を訪はなむ
 燃るなす牡丹の花の紅ゐの深けくもひて君をこそまて
 日をよみてたゆとふ君を心永く花の大王豈にまつべしや
(246) 藤の花つきてちるかも人にこひ吾居る知らにつきて散るかも
 
    閑居
 
 吾庵の庭の此頃青葉よみ目のみ樂しけは獨居りとも
 足氣病む甥をかたらひ庭清めきのふもせしをけふもするかも
 菊畑を小草抜きつゝ晝まけて熱きそひらゆ汗出にけり
 
    青葉
 
     蕨眞が産屋を思ふ
 
 あからひく、朝さや/\、柿若葉、緑さや/\、車井を、くむや靈水、銀の、さや/\水を、神ほぎに、祝ひあたゝめ、産湯さす、玉照る兒ろが、俤に見ゆ。
 玉たすき、かけのよろしく、いつ橿の、若葉立ちしみ、椎森の、青葉榮(247)ゆる、時をよみ、あれし瑞兒を、あさよひに、かなでいだかえ、ねもころに、あるらむ君が、俤に見ゆ、
 
    〔消息の歌 五月二十九日蕨眞へ〕
 
 春されは植る八百杉よろづ杉しがさかえ木とあれしさかえ兒
 ちゝのみのちゝのまな兒かはゝそはの母の眞奈兒か瑞兒まな兒は
 言靈の神か授けし山祇の神か授けししかめづら兒は
 
    鋸山を望見して詠める歌并短歌
 
 名にし負ふ、鋸山は、うべしこそ、いかしかしこし、蒼海ゆ、尾末を起し、大空に、岸は通へり、天地の、始めの時、天津神乃、あもるみ階と、國津神乃、昇るみ阪と、大穴牟遲、少奈彦奈か、巖秀きり、開ける山か、尊伎魯加藻、
(248)      反歌
 鋸の歯なみ岩はし青雲にいかよふ見れは神代しおもほゆ
 
    大橋葯房子が唐土に遊ばむとするに贈れる歌並短歌
 
 うつそみは、つねなきもの、いにしへは、からに學びし、今はし、からに教ふる、八隅知之、吾大王之、天津日の、さかゆる御代の、春の花の、咲らむ時を、友垣に、別れつぐらく、はしきやし、あせの命や、衰し、國とはいへ、いや遠に、河も流るゝ、いや高に、山もそびゆる、廣らにも、たぐひなき國、人さはも、たぐひなき國、大き日知、孔子も出でゝ、物學び、開け繁げゝむ、今こそは、近みさしなみ、兄弟と、ためる國を、教ふべく、ゆくらむ君や、日の本の、増荒男の子の、淺間山、もゆる眞情、琵琶の海、清き眞情、ひたそゝぎ、注ぎ溢らし、先づ世の、道ある民と、ねもころに、教へ返さね、からの民等を、
(249)      反歌
 新なる道教ふともしかしかに孔子の教をおほろかにすな、
 
    醫師山氏の壽筵をことほぎて詠める短謌二首
 
 山形の群山かくむ青山の山あひにして萬世やへむ
 久方の月讀の山大鳥の羽黒の山にたぐひてを見む
 
    初夏偶成
 
 なぐさみに狹庭に蒔ける蠶豆の莢ふとりつゝ夏は來にけり
 夏かけてつぎ/\咲けるくれなゐのさうびの花よ吾おもひづま
 さうび兒が蓋しや妬む花あやめ相もふ色を悟らすなゆめ
 
    五月雨
 
(250) さみたれに潤ふなべにかど畑の芋の丸薬が立ちよろひくも
 さみたれに庭の畑の茄子苗の芽のむらさきが色はえにけり
 さみだれは早も止めやも芋や茄子や葉草むしつゝ畑荒れむとす
 うなゐらが日にたのしめる柿の實の落らく惜しも此五月雨に
 
    六月短歌合
 
     竹の里人
 
 ほとゝぎすなくや五月をゆゝしみといみけむ大人がこともつげこぬ
 
     松の若葉
 
 庭の木の松の芽立の虫つくや枯るらく惜しもその新緑
 
     水鷄
 
(251) たわやめの夜目のおもわのしら/\にあやめ咲きつゝ水鷄きなくも
 
    〔消息の歌 六月二十七日蕨眞へ〕
 
 さみだれの筑波をすぎて天飛や騰波のあふみに今つきにけり
 
    〔關楯古城址〕
 
     千代田の宮の御宇三十六年六月、平福長塚の兩士と共に、常陸眞壁の郡、關楯の古城址を訪ふ、大寶の郷より船を大寶湖に雇ひ、積日の淫雨容易に晴れず、舟中旅衣の寒きを覺ゆ、古城址今は河内村といふ、興國のいにしへ、豪士關宗祐、忠憤帝命を畏み、孤城大義を唱ふ、一族を擧げて茲に死し、史籍其光烈を傳ふと雖も、今は畔畝の一端僅に朽餘の石塔二基の殘存を觀るのみ、三士相顧みて悵恨去るに忍びず、即國風數章聊か其雄魂を弔ふ
 
 君が名をこふとかなしと鳥羽の海雨に舟こぎみ墓弔ふ
                   (大寶湖古は鳥羽の淡海といふ)
 世をこぞり鳥羽の淡海の濁るとも君が劍に隈もあらめやも
(252) 燒太刀の鋭刃の白刃のもろかりし君にはあれど名は萬代に
 百よろづ奥の男の子等徒らに死て朽けむ只君を知る
 草をしみ御石も朽しおくつきに五月雨寒く眼を痛ましむ
 天皇の敵いきどほり大海につぶて打なすこともせすかも
 大君のことゝしいへば族擧げて萬死ぬべき軍せりけむ
 はしけやし瑞葉まさかきねもころにみ石おほへり千代も護らさね
 黄金のべ玉ちりばめし靈屋ゆも朽しみ墓を尊ふとくぞ思ふ
 大丈夫が拔きてかざせるま劍のさやけきほまれ人を泣かしむ
 
    〔岡田村〕
 
     六月廿七日平福百穗と筑波山に至る長塚※[木+妥]芽又岡田より來(253)て登山を共にす、翌々二十九日長塚か家に宿る、曉雨新に晴れて邸宅清麗を加へ、庭苑の竹木又相悦ふに似たり、即短歌五首を賦して後の紀念にあつ
 
 さきりたつ岡田の里は朝鳴にまつめしば鳴く家のいもりに
 旅なづみ足なやむあけの朝庭の松雀か鳴くをとこぬちにきく
 庭の先森を木高み長鳴くやまつめが聲に霧晴れんとす
 朝庭のまつめの聲と竹の子のうましあつもの後もふらむか
 すか/\し宇万志岡田を楢くぬき荒るらく野邊と吾おもひこし
 
    七月短歌會
 
 白銀の鉢の廣鉢水たゝへ桃うるはしも眼もさむるまで
 鹽釜の雨のみ垣にうるはしくはえし枇杷の實今も忘れず
 
(254)    鮎
 
 白玉の鱗さやけきうまし鮎飯に押たる鮓にしありけり。
 岩間ゆく清き河瀬に遊びけむ鮎にしあれや見るも凉しき。
 くま笹の廣葉に盛れる玉鮓の鮎のうますしひとりをすかも。
 
    〔螢〕
 
 夕やみに蓮の葉かをる池のべを螢も飛ぶかあやにたのしも。
 少女等が心うれしも不忍の蓮の水面に螢放ちぬ。
 岸のべの小草の露にゐる螢光乏しく飛はんともせず。
 
    花火
 
 かきろひの夕げの間をも童等は心落居ず花火鳴るから。
(255) 花火もやかつ鳴るなべにうなゐらははや衣かへと母をせがむも。
 前庭の花畑そひに床すえて翁のともは花火見るらし。
 
    合歡木
 
 玉だすき、かけのよろしく、かぎろひの、夕邊になれば、相睦び、さぬるねむの木、青雲の、朝たに見れは、とりよろふ、瑞葉しみゝに、おもひつま、につらふ兒らか、丹のほなす、花しゆかしも、しがかげに、立ちもとほり、いつくしみ、見さけもとほる、天人の、みもかゆらげる、花がなびくは、
 あやしくも神ことよせて思ひしみ戀ふるこゝろを知るやねむの木
 ま玉手を玉手さしまきねむのきの花よことゝへわれは汝かつま
 
    射干の花
 
(256) 夏草の野にさく花の日扇を狹庭に植つ日々に見るかに
 たゝにこそめづれひあふぎ春秋の草木の花によろづありとも
 日扇の瑞花見れは御頸珠うなげる御代の少女しおもほゆ
 前庭の八坪の畑をこと/\く汝をし植てむ庵も照るまで
 吾戀は人に似ずけり夏咲くや草に日扇木にはねむの木
 天つ人神の少女らおり立たし相えむらしも日扇の花
 黄金さす日に立向ひ照りにほふひあふぎの花は天つ國の花
 
    〔無題〕
 
 朝晴れの、庭をさやけみ、露ちるや、風を凉み、紫の、水晶玉の、勾玉の、丹緒にぬけるを、神さびて、手にまきもち、あからひく、日扇の花(257)の、椎かねに、榮えうら照り、松かねに、ゑみよろへるを、おりたちて、めくしもとほる、人にして、花に戀せん、怪しけさはも、
 
    吾庭之松
 
 軒の端に立てる蚊柱水うてば松のこぬれにたち移るかも。
 秋立てば松の古葉を年ことに拂ふにしあれといまだはらはず。
 月見るによしとめでたる老松の一本松は枯にけるかも。
 松のまをもる月讀は今かえし靈井の水の御影たゞよふ。
 庭清め吾するひまに月よみは松か枝はなれ銀杏にうつりぬ。
 秋つ風ふきゆるなへに下草の木賊か中に松葉落ちる。
 月讀の神かも召せるさや/\に鳴ぐなる虫の聲のたふとさ。
(258) 水のこと清き月夜に松葉ちる庭にしあれは世のおもひなし。
 月の神露の玉ゆり風の神松の袖ふる相舞ふらしも。
 左夜深み只一人居り松風の月の庵に只ひとり居り。
 
    故先生一週忌の日に詠める歌并に旋頭歌二首
 
 秋雨の。ふるやしくしく。しくしくと。ものかなしらに。去歳の秋。うら戀ひしらに。立ちなげく。※[奚+隹]頭の花。伏しなげく。秋海棠の花。ひそひそに。音鳴くこほろぎ。しが聲も。人泣かしめつ。長月や。秋雨繁き。田端の御寺。
      反歌
 去歳の花の種に生ひけむ※[奚+隹]頭の花。み墓邊に二本立てり※[奚+隹]頭の花。
 御墓まつる秋の草花さはにあれども。秋雨の露におもふす秋海棠の花。
 
(259)    ひまはり
 
 秋の野に遊ひにゆくと猪の子かふひまり紫をにの家に遊びつ。
 日まはりの花も高けど犬蓼の穗蓼の花に猶しかずけり。
 秋園やしをに犬たて日まり花秋津群飛び日は傾きぬ。
 遠つ野に雲の峯立ち猪の子かふ家のひまはり夕日照るかも。
 かきろひの夕吹き渡る風を痛みうなづ觸りあふ日まはりの花。
 大丈夫の雄々しき花の日まり花ともにたのしむ人もあらぬか。
 秋草のなまめく花を刈りはやし日まはりこゝた植んとおもひし。
 
    〔憶高山彦九郎〕
 
 み歌にし君を偲べは藤原や寧樂の御代なる人にしありけり、
(260) 夜光る玉といふともみこゝろの靈にたくへは耻ぢて碎けむ、
 
    〔草庵之秋〕
 
 しどろもどろ草のなきから伏しみだるくだつ畑にこほろぎの鳴く
 
    和詠一章
 
     妻なるか産月近くまゝに   足立須賀路
 和田の底淵の眞珠をとりなづむ妹をし思へは安けくもなし
 手弱女の女の兒もよろし盆良雄の男の子もよろし神のまに/\
 和田つみの神の授けの玉たから色わくまてをまてるともしも
 
    茸狩に上總なる蕨眞許ゆきける時家に歸りて後ふみして同し人におくれる歌
 
 にひばりの畑つ物成打なびき豐にみのれる秋にしありけり
(261) しとしとに雨にぬれゝと畑並のをか穗のみのり見ればたのしも
 茸狩の遠人なれと眞豐けき畑のみのりをよそに思へや
 野つ人の少男少女が持てる茸うまく買へらくはしき直まろ
 八街の高野の山はうまし茸かへけむ山とはに語らめ
 色に香にうましはつたけ心倶久籠にとりよろひくやさずもかも
 
    家にかへりて後蕨許おくれる歌
 
 さす竹の君かみこゝろ秋草の千くさにいへは皆ゐやまをす
 ゐやまをすことを知らねは歌人はゐやまをすかに歌かき送る
 八街の秋草のべにたへになきあやに鳴きけむ其虫の聲
 秋の野を斜め夕照り百に千に鳴きけむ虫か猶耳にあり
(262) 弟君か手摺手作りこにやく玉うまけむことはいつか忘れむ
 眞心の直郎子《ナホイラツコ》が思ひ苦し作れるこにやくうべもうまけん
 
    傘谷庵
 
     月の内に幾度となく、行きかよひする家にしあれは、さしてめづらかに思ふべきにあらねと、長月も過きはや神無月近き此頃、銀杏はしはみなど、まづ色つきそめ、楓の林櫻の梢もいつしかうちさび、夏の照る日に弱りたる、敷地の苔席さへ、今はきは/\しふ色織り返し、古葉拂ひけむ三もとの相生の松、緑新たに加はれるも※[口+喜]しく、其の相生の松の根近ふ圍みて、四方竹となむいふ群竹、諸葉のしげりふさ/\と枝を重ね、一本の蔭にも人もかゝるへきさまなり、軒端雀二つ三つが、竹の葉總を乘つかつぎつチヽと鳴き戯むるゝを見るも、又なく長閑なるさまや、隣の姫御前なるべし、掻きなす琴の音は、空飛ふ鳥も翅ゆるべむとそおぼゆる、蒼空いや青く澄み、いさゝ葉の竹の垂葉にたに風は動かず、ひる少し過きたる靜けさ、あるじが歸りのおそけれは、待ちわふまゝのそゞろあるき、見馴れし庭も今日新たなる心持せられぬ。
 
     思ひいつるまゝを歌にせるもの七つ
 
(263) 庭木戸の内邊の植木棕櫚青く櫻もみぢぬ繪にかゝは如何に
 軒の端のぽけのさび枝に返り花一つ咲けるも紅の花
 人たけに未だ足はぬあすなろの木群の緑厠つゝめり
 戸袋の軒の袖垣よろしなべ植し※[木+皐]※[木+鼠]《モツコウ》古葉もみぢぬ
 はしばみや銀杏やならふうしろべに青雲垣と竹の笹むら
 庭のおく木立ふかめて梓弓稲荷の宮の見ゆらくよしも
 離れやの軒端竹垣しか垣に立てる荻群《ヲギムラ》丹の穂々にづも
 
    西遊日抄
 
     〇發足
 
 明つ神、須女呂疑乃、ふとしかす、みさとのまもり、夜晝の、守りの神(264)ら、天にして、相語らはく、蒼雲の、おほへる下の、ほのきらふ、千町の坊《サト》を、市人も、未だ起きねば、ひむかしの、茅場の方よ、西行くや、芝浦かけて、打火さす、都押割り、色彩《イロアヤ》の、虹とも見ゆれ、旗霞、二尾になびく、一旗は、赤みに白らけ、一旗は、みとりに白らけ、あやしくも、立てる霞か、空蝉の、世にしたふとき、にほひ靈《タマ》、持てる命等、紅葉狩、二人携へ、今過ぎし、跡にかもあれ、心くき、朝のひらきや、踏み亂る、市のさはぎの、おそくもあらぬか。
 
     〇白芙蓉
 
 蒼雲を枕となして白雪の富士の山祇とはに眠るか
 富士のねに雪高敷けばしがしよみ月の姫等のやすらひところ
 われいまだ人にしあれや富士が根に舞へる天人見れと見らえす
(265) 雲おとしみ空みがけり富士の峯におまへる乙女ら國見すらしも
 沼津のや千立ち百立つ家烟いつれを君が家とかも見む
 
     〇濱松
 
 をの子とも三人よりあひ胡坐かきザボンの窓に物うち語る
 風寒く夕日悲しも武夫が血にさけびけむ其あとゝころ
 おのがしゝつかふる君に武夫が命さゝけて相爭ひし
 武夫が劔拔きなめ守りけむ今徒らにつはぶきの咲く
 咲きかへる石間つはぶき千代ふとも守りけむ人に又もあはめやも
 
     〇櫨《ハヂ》の紅葉
 
 黄金花名古毘の城の長畝の櫨の林は紅葉しにけり
(266) 掘川の水尾てるまでに長畝の櫨の紅葉に夕照りかへす
 神の森心深けむいにしへの人しおもほゆ櫨の林に
 長畝に櫨の林をつくりけむあやしき人を知る人もなし
 長畝の櫨の紅葉をほこらざる尾張の人を吾は怪しむ
 長畝に塵立てずこそあたらしき櫨の紅葉の照れる間をだに
 長畝の櫨の紅葉の曉に露にぬれたるにほひ見ましを
 
     〇養老瀧
 
 おく山の、苔路か中に、うらくはし、つまくれなゐの一本の、花は玉なす、淡紅《ウスイロ》に、あやに神さび、蓋しくも、龍田の神の、秋よそひ、かざせる花の、しがたねの、まぎれか來つる、苔の運びに。
 
(267) 多度山の、石間苔路を、さながらに、うつせる庭に、ほのめくや、つまくれなゐは、荒神の、雄神かむれに、玉光る、手弱女神の、ひとりゐる、それかの如くあやにたふとし。
 
 多度山の雲の奴ら名古屋男と東男二人むかへたらなむ
 
 山本の里の木立の夕煙紅葉を占めし家居しぬはゆ
 
 遠々し、上ついにしへ、高知るや、日の御門の、すめろきの、みゆき給はし、神なから、見し給はし、うるはしみ、のりたまひけむ、天か下に、名に轟ける、多度山の、岩間の瀧を、けふ見つるかも、
      反歌
 いにしへの御世の御年の名に負へるめづらみ瀧をけふ見つるかも
 くれの色瀧のとゞろきいにしへも今の如けむ人に逢ひかたし
(268) 多度山の千世の泉やしが後は親おもふ子にまた逢はずけむ
 日の下の荒雄常陸か此瀧に立ちてうたれし荒雄ひたちが
 いみしかる瀧のしるしに力士《チカラヲ》の荒雄常陸が病癒きや
 
     〇養老の朝
 
 朝山の、清く靜けく、霜枯の、木立神さび、綾綴り、紅葉も殘る、瀧つ
せの、なくはし山を、いや久に、思へる山を、旅衣、只一夜寐て、今朝のあさけ、早立ちくれは、人にある、事かくやしき、のごろえなくに。
      反歌
 うつそみに背くすべなみ山くだる吾を呼ばぬか多度の山祇
 國がらか土がらなれや陶物は韓唐土があやによろしも
(269) 茶博士の小堀のあそが事始め志度呂燒とや吾初に見し
 
     〇石山寺
 
 常磐木の木の間紅葉と眼につける京の少女に吾戀にけり
 知らぬ里旅ゆく道のゆき逢に逢へる少女にあやに戀ひつも
 野羽玉の夢と思へや蓋しくも紅葉の魂か天津少女か
 夕きらふ勢田川の邊を吾二人石山さしてゆけりと思ほせ
 
      〇
 
 白絹乃、廣旗なせる、瑞雲を、みくらとふまし、かきろひと、立てる少女は、色妙之、天津女乃神、きら/\し神。たけ長の、をぐしかきたり、眞蘇秀乃、赤裳裾曳き、翡翠玉、黄玉丹保(270)玉、み扇の、緒にぬきもたす、まぐはし女乃神。
 
 うらくはし、石山寺や、天地乃、なしのまにまに、岩秀群、神さび立てり、常磐木は、天を掩ひ、紅葉繁み、み庭照らせり、うべな/\、天なる神も、茲に通はす。
 
 奇薫《クシカヲリ》、山に足はし、あかときの、炎陽なす、ほの/\に、歩ますなべに、玉のゆらき、衣のさやぎ、音に鳴すや、おとのかそけく、綾に尊し。
 
 ふりし世の、み世に名くはし、さかし女と、史にしるして、清《スガ》し女と、繪にもゑがける、紫之、臣の姫かも、清し宮姫。
 
 きのふ來し、粟津の野邊に、行逢に、逢へる少女に、みよそひは、似もつかずも、俤し、おほに似ませは、かしこけと、岩間の水の、下ゆこほしき。
 
(271) 現世の、姫少女等と、眉曲り、ゑまひ進まひ、雲動き、玉歩ませは、たふときろ、神と人とし、相近づけり。
 
 少女やも、告らくねもころ、紫の、勾玉持たし、紅玉の、環玉はかせる、はしけやし、汝背の命、いや久に、吾は待てりき、汝背がきますを。
 
 玉の緒も、消ゆかに云へは、少女は、遂に語らく、蒼浪の、思ひ深けく、旅衣、道はろ/\に、吾背ろが、見まくとめこし、秋山之、しが紅葉の、み魂吾は。
 
     〇寧樂の二日
 
 露時雨秋萬世の幣なれや忌垣かゝよふ繁々の紅葉
 露時雨天雲しぬく松杉の忌森下照る曙の紅葉
 奈良山の松ら杉らはともしきろ紅葉を妻と秋萬代に
(272) 空蝉の移りを余所に萬秋これのもみちは照りきほふらし
 松杉や紅葉や幾世豐榮にさかえし御世の事も知るかも
 言魂の古振を知らまくは奈良の都を能く見ての後
 
    〔消息の歌 十一月二十二日久保田山百合へ〕
 
 紅葉狩都の秋のよけくにそ君おもひでゝうたゝこひしも
 
    悲憤音
 
 皇国にかつて聞かざる耻をきく丈夫吾は生けりともなし。
 心寒く風北吹けと腰くだけ瞻も冷けむ起たんともせず。
 おろしやを恐のちゞみに冷縮み膽もふぐりもつぶれたるらし。
 ふぐりなきしこのたふれら百日日を事謀るとも何のかひがあらん。
(273) 子をつくるふぐりはあれと敵怒るふぐりは持たず醜男子ども。
 
    犢鼻褌を某々諸公に献じて其腰拔を嘲る
 
 ろしや風またも寒けしちいさふくり早くつゝまね此たふさぎに
 厚皮の毛皮たふさぎおとゞらが爲につくれり毛皮たふさぎ
 大日本あきつ島根の民草が思ひあやぶむしがふぐり玉
 御民われ憂ひに堪ずろしや風に醜がふぐりの冷えむ思へば
 神代よりさげ傳へたるふぐり玉二つならべて何か恐るゝ
 厚皮のこれのたふさぎしかとしめ立ちて向はね風のまともに
 ますらをがあつら柔毛《ニコケ》の毛皮もて千重にたくめるこれの犢鼻褌
 御民吾國を思ひて汝に贈るこれのたふさぎおぼろかにすな
(274) 茲にして斷つを知らねば種牡牛《カケヲス》のふぐりに同じ汝かふぐり玉
 おのこ皆同じふぐりを汝がふぐり如何にさがれかしか冷え易き
 かまくらに蒙古の使者屠りけむ大丈夫子のふぐりしおもほゆ
 たふさぎの結ひの餘りのだらり/\事も定めず去らんともせず
 
    〔橿堂の病を憶ふ〕
 
     蕨橿堂か此秋より病みて久しく臥牀にあり吾憂念の情に堪ず即拙歌數章を贈つて之を慰む
 露霜の寒き此頃いほごもり病ませる君をわれ夢に見つ
 君未だいえずと聞けば天地に照れる紅葉も眼に樂まず
 足曳の四方つ野山も冬さびてみやひ夫君を待ちやかねてむ
(275) 冬されば此頃庭もさびゆくを病ませる君がいゆとたもいへ
 秩父根の旅のかへさとかりそめに相見し後は只病むとのみ
 君が病早も癒えこそ前畑《サキハタ》の蒟蒻《コニヤク》打堀り手作るまでに
 めぐし妻相もふころに手傳《タツ》たはし蒟蒻手作り早も送りこ
 癒たらは一夜來宿れ西のみやこ奈良の都のもみぢかたらむ
 
    人の許に山茶花を乞ひやるとて
 
 爐開きの床のさし花山茶花をよみとえまくと吾おもひては
 かつてみし君かさ庭の山茶花を一枝たばりねけふ爐を開く
 かくろぬりろぬりかまちの床の間を軸は維摩に山茶花の花
 山茶花の花をさゝくは何よけむ眞かねの筒か伊賀の瓶かも
(276) 雲による御佛といふを床わきにいつきまつらひ山茶花の花
 
    寒菊
 
 吾宿のことし植たる寒菊は紅葉して花はいまたし
 霜枯の庭をさふしみ寒菊を鉢にうつして軒近く置く
 秋菊の花いたつらにおほけきを人はいへとも冬の菊吾は
 山茶花はうら清くよし寒菊はうらさひてよし吾庭の冬
 
    納會短歌會
 
     冬朝
 
 朝月の茅《チ》原萱原霜ふかみ置き靜《シヅ》みたる茅原かや原
 里人は大葉菜はやす霜深みゐてし朝菜の音のさやさや
(277) ま少女の朝菜はやす子霜をいたみみ手やあかゞる朝菜はやすこ
 
     烏
 
 伴烏歸へる日くれゆ晩稻田の夜刈をすとや諏訪の里人
 天飛ぶやねぐらに歸る伴烏見るに得堪へぬ思ぞ吾する
 
(278)  明治三十七年
 
    起て…日本男兒
 
     限りなき敵國の横暴は遂に吾内閣の諸公をして大決斷を覺悟せしむ正に眼前に迫れる活劇を想へば吾等一介の文士と雖も猶神飛び肉躍る即中霄寒硯を磨して短歌二十一章を賦す。
 
 天路ゆく龍の雄神のしる年ぞ起ちてふるはね増荒夫の伴
 伽具土の火風逝卷きいきどほる龍の怒りと狂ひ起たなむ
 百年の恨みのあだを打屠りはふらむ時ぞふるへますらを
 時久さに吾皇御國奪はんと謀れる國の仇のかたきを
(279) にく/\しロシヤ夷を片なぎになぎて盡さね斬りてつくさね
 神代より研きて傳へし燒太刀の神の劔を今そ振はな
 吾を謀るゑみしロシヤを天地のとはのかたきと誰れか知らざる
 ロシヤをし打屠らねは皇國の國の基礎《イシズエ》動くと云はずや
 しかばねを滿洲の野にきづくともあだをはふらで止まむ軍か
 日の本の血汐受けつぐ男の兒等は敵にうしろを見せぬためしそ
 手弱女のをみなと云へと天地の國のかたきを怒らざらめや
 とる業の事こそ違へ身を碎く心は同し女なりとも
 千早振神の劔をみ世繼の國の寶と傳へたらずや
 神の名に負へる劔を人毎に心にとぎて持てる御民等
(280) 肉群はこれ悉く膽なりと千世ほこり來しやまと物の夫
 黒鐵の巨《オホ》きみ艦も名に負へるやまと魂にし御してたゝかへ
 黄海のうしほふたゝび朱になしロシヤ醜舟打て盡さね
 三千世經し御代の間に戰つて勝ざるなけむ名に負へる國
 人の道國のおきても踏み破る毛だもの夷神も許さず
 ひむかしの五百箇國等をほろぶるに救ひ出さむ神の戰ひ
 日の旗の輝く前にまつろはぬなびかぬ敵のあると思へや
 
    新佛教之謌
 
 高ゆくや。月日めぐれば。荒玉の。年は消去り。つき/\と。生れ死ぬれば。人の世は。千重にかはりぬ。引汐の。滿ちくる如く。滿汐の。引(281)ゆく如く。天津風。荒るかとすれば。笹蟹の。糸も飛ばなく。動くもの。止まるしらに。活けるもの。定らずけり。千とせをや。五つかへたる。いにしへの。印度の國に。大聖《おほきひじり》。釋迦牟尼出で。おほ空ゆ。かきろひ立ち。赤羅引く。晝來向へば。海陸の。別ちもしるく。草木の。色もあきらに。天地。なべてかへらひ。物よろづ。仰ぎ諸向き。夏山の。榮ゆるなす。さかえけむ。其ひろごりは。唐土過ぎ。からおし渡り。日の本の。こゝに至りぬ。蒼雲を。ひたせる水も。極まれば。逐には落來。天照る。日も傾けば。かきろひの。光衰ふ。釋迦牟尼や。道は高けれ。み教は。尊とかれとも。とこみちに。みちてありえず。光はも。冷たる光。形はも。影なす形。ひむかしの。八百國原の。もろ/\は。たのみ失ひ。空蝉の。人の精神《こゝろ》は。月に日に。片に下《くだ》ちて。年毎に。すさみきにけれ。思ひ深く。心昂れる。救人。日知りの伴が。そこに憂ひ。茲になげかひ。燒け山の。下燃なせる。雄心し。大地をゆり。雄たけびは。天を凌ぐ。内火刺。都の峯ゆ。いかつちと。音に轟き。電と。光放ちて。釋迦牟尼の。(282)靈呼び返し。うつし世を。新たにせむと。山を裂く。いきほひ奮ひ。打立てる。人の尊とさ。引汐の。ひきの極みは。滿汐の。みちくる時歟。鳥が鳴く。吾妻の宮に。神ながら。神さびいます。大皇の御世。
 
    〔消息の歌 一月五日能登部房丸へ〕
 
 のとの國ののとへのさとの長閑にそ年迎へけむ言のよろしも
 
    〔巖上松〕
 
 時じくの沖つ潮風しぬぎつゝ岩秀の上を這へる松かも
 あけゆくや曉沖の島つ山岩秀群松あらはれにけり
 
    闇糸瓜
 
 ぬは玉の闇夜さぐりて妹許の軒の糸瓜につむり打たれぬ
(283) くらやみの空に物あり我つむり足蹴にけると捕らへば糸瓜
 ねもころに植てやりしを糞糸瓜闇夜に待て吾を打てるか
 我つむり打てる糸瓜ははねかへり軒の板戸をとゞと叩けり
 吾妹かまつや否やと窺へる吾にくしとかあなくそ糸瓜
 植たりし吾を忘れて糞糸瓜閣に人打ち妹に味方す
 
    大※[毒/縣]渡海
 
    一
 天の拓けの、   大御稜威。
 仁義の光、    輝くや。
 世界もろ/\の、 望負ひ。
 夷露賊を、    討ちたまふ。
    二
 大御自ら、    太劔。
 御手につかして、 踏み立たす。
 八大龍王、    雲を呼び。
 いかづち始めて、 山を出づ。
(284)    三
 日の神の御子、  日を負ひて。
 軍百よろづ、   艦よそふ。
 國土の神は、   岩なびけ。
 和田津美の神は、 波叱す。
     四
 大日輪の、    大御旗。
 朝蒼雲に、    いや高く。
 山と聳ゆる、   御艦の上。
 帆柱高く、    ひるかへる。
     五
 天のまことを、  わきまへす。
 億兆なげくを、  顧みず。
 飢たる惡獣、   さながらの。
 夷露賊を、    討ちたまふ。
     六
 東海の際み、   豐榮に。
 大日輪の、    昇るなす。
 莊嚴極まる、   大御旗。
 滿洲の野に、   進ませり。
 
    春風二曲
 
     格堂に寄す
 
(285) ふゝみたる梅の初花朝霄に待したよりをけふ見つるかも
 離れやの梅の一間の燈火に色ある霄しおほにしぬはゆ
 ふゝみたる梅の初花はつに逢へる時のこゝろを萬代までに
 梅の花今咲く春のしら梅の花に似し兒をまきし君かも
 
    蓼圃に寄す
 
 吾背子と呼ばれ※[口+喜]しく吾妹子と呼ひて樂しく百歳を經よ
 此頃は狩もせなくに夢現二人たくひて家居るらしも
 朝霄に手にとる箸の二並び千代に八千代に並ひてをかも
 白絹のふは/\絹に玉つゝむ思ひあるらし二人たくひて
 
    〔消息の歌 三月二日石原純へ〕
 
(286) 何にかにとことあげせずて來るべし梅も咲たり茶もひきてあり
 
    冬籠
 
 冬こもりあたゝけき日は人に逢はず土弄そぶ樂燒道人
 冬こもり火をなつかしみ樂燒の素燒の※[土+完]に今朝藥掛く
 冬こもる庵の日向に生土の茶わに七八つ棚に並べほす
 今燒ける赤の樂燒しが※[土+完]に立て試みてひとり茶を飲む
 土形の※[土+完]ならへたる棚端に鉢一つ置く福毒草のはな
 茶を好む歌人左千夫冬こもり樂燒を造り歌はつくらず
 左丹努理の茶棚のうへの御佛は金銅二寸之釋迦如來佛
 
    〔二月短歌會〕
 
(287)     開戰の歌
 
 大詔かしこみもちて老幼家に殘せどかへりみなくに
 幼兒とうらわか妻と送り出て血には泣けども眼に泣きかねつ
 千代八千代國のいしつゑ定むると民こぞりたつこれのたゞかひ
 燒太刀の鋭刀《トバ》のさやけき名に負へる日の本つ國民こぞりたつ
 國こぞり心一つと奮ひたつ軍の前に火も水もなし
 軍艦は吾が物にあらず命こそ吾ものなれとロシヤたけりを
 くろかねのいかし八艦をロシヤ人は代《シロ》もこはなくわが的にせり
 商人の乘れる小舟をくろがねのいかし大ふね四つもて撃ちきや
 おほおぞのロシヤ夷は徒に地圖うち見てぞ吾を知りけめ
 
(288)    素明畫伯の出征を送る
 
 繪かけるみ手に太刀とりシベリアの雪山ゆくも大君のため
 大詔かしこかれどもまぐはしき繪の腕ある君を悲しむ
 シベリアの雪のみ山に神怒り鬼泣く軍ゑに寫しこね
 しこえみしロシヤえみしが軍くえ血まどふ時を繪にうつしこね
 
    信濃の歌人篠原千洲征露皇軍に從ひ將に滿洲に航せむとす今や千洲廣陽にありて大命をまつ予即遙に歌を寄せて其行を送る。
 
 風流士が劔杖つき奮ひ起ち思や昂る蒼雲の上に
 海ゆかば海に神あり陸ゆかば陸に神あり君を護らむ
 天地の授けのつかさ憾なく揮ひてもかも今の時にして
(289) みづ/\し瑞兒篠原太刀とると筆はな置きぞ神のまに/\
 八十國のつどへる中に萬須良雄の風流士ありと名をとゞろかせ
 雪山に血汐みなぎる時にしも心どうせず歌おもひあれ
 吾爲に露しや夷を斬れる時しか血汐もて歌かき送れ
 百千ふす虜のかばねふみまたぎ詠みて歌へる歌を早見む
 
    或女に代りてそか男なる人に遣はしける歌
 
 淺草の田中にいつく神の杜いなと云はれむ罪も知らなく
 千早振神照しませ吾こゝろ眞澄の鏡底も見るべく
 いつくしき君の心にしまざらば斯まであ兒が君に似めやも
 大船のおろすいかりの如何になる吾身なりともおもひ絶めや
(290) 今宵はと思へど來ぬ夜の幾夜かも泣く兒たむだき吾二人泣く
 横雲の長引く末の末遂に絶えむの心ありとおぼすか
 汝兒《ナコ》は幸兒《サチコ》父の眞奈兒ぞ手弱女のたわやき母は死なば死ぬとも
 汝にあくと云はゝすべなしあづきなく母に定むる君を悲む
 風知らぬ空の烟の一筋に思へるこゝろ如何にか吾せむ
 風離れ峯にまよへる浮雲の定らなくに泣かぬ日もなし
 
    春日待人
 
 桃の花、咲かはゆかむと、玉づさの、つかひの云へは、しが桃の、花咲くまつと、市のべの、花屋が家に、しかふゝむ、枝買ひもちて、文とこの、壁にをさして、いついつと、吾待ち居るを、春の日の、氣永き人は、(291)杉苗を、岡に植つゝ、松苗を、野に植つゝと、歌送り來し。
 
    四月歌會
 
     廣瀬中佐
 
 死せるもの乏しくもあらず然れども光世をおひて死せる君かも
 萬丈の光つゝめる荒み魂碎け飛びてゆ世にあらはれぬ
 比牟かしの海ゆ星落ち天地に輝く光り放ちけるかも
 碎けしゆいつのかゝやき天地にとほれる見れはたゞならぬ玉
 
     マカロフ戰歿
 
 大丈夫か思ひのきはみ事もせすわなに斃れて如何に泣けむ
 眞心ゆ勵みいそしみ盡しけん事は違へり惜しき大丈夫
(292) 天地のほろぼすと云へ徒にわなに斃れきあはれ増荒夫
 眞日中に如何にふね漕ぎ雷のわなは蹈みけむおぞやマカロフ
 ロシヤ人を神はたすけず眞日中にわなの雷ふめらく思へば
 
     山吹
 
 大原に平氏の跡をとひしことを山吹を見て思ひいでつも
 春されは道の隈々おのづから山吹咲けり大原の里
 
     木蓮
 
 乳牛の小舎の流しの井戸近み二もと植し木蓮の花
 
    九連城大勝の後、軍中なる篠原千洲に贈れる歌
 
 大丈夫か亞細亞|萬里《マンリ》の國原を見さけふりさけ歌も湧かすや
(293) ありなれの嶮しき水を日もおかす渡りたゞかふ天の御軍
 蒼龍《アヲミヅチ》阿米ゆく如く御軍は鴨緑越て敵をかくめり
 ゑみしらの軍潰て伏す骸みなきる血汐城をおひきや
 天皇の神の御軍戰へは海山どよみ天もくゆらし
 天の門を蹈みとどろかす雷霆とわがたけるらが敵を逐撃つ
 神ながら眞鐵も岩も蹈み碎きとほる軍を何か遮る
 天地の道をまさゆく御軍は疑もなく神護らせり
 此ゆふべ滿洲の野の闇月夜風なまくさく鬼も泣くらむ
 私に恨はなきを千萬の命を屠りつみたれにある
 野に山に血潮みなきり千五百の骸並み伏す敵の屍
 
(294)    草花六首
 
 久方の青葉の晴を心地よみ草花貫ふと龜井戸に來つ
 名を問へば吾妻菊ちふ紫と白と咲たる鉢の植込
 なでしこは唐に大和に咲きまじりアメリカ種もきほひてそある
 アメリカに呼ぶ名を知らずたくだ等が貝細工花といふ花もあり
 おのかしゝ見てを買ふべくたくた師は百千の鉢を棚並めて置く
 ふゝみたる松葉牡丹を家つとに二鉢買て手にをさげこし
 
    〔消息の歌 五月二十四日神奈桃村へ〕
 
     題 青梅
 
 口締る青梅の實の酢き辛き能くわき知りて復語るへき
 
(295)    五月雨會
 
     無一塵庵と云へば人は必ず明窓淨机を聯想するならむも、庵の翁は五月雨のふりみふらずみ濛々たる趣を好むと云ふ變りものなり、折しも螢飛び水鷄鳴く夕くれに、偶然相會せる同人は、共に五月雨を厭はぬ人々なりし、蚊遣たきつゝ深更まで遊べる後、歌一つゝ詠みて別れぬ。
 
 黄金さす萱草の花よ五月雨の小暗き室にかなひたるらし
 
    玉のゆらぎ
 
     或日黙々として吾廬を叩くものあり、出てゝ迎ふれは即秋水なり、坐に請して共に茶を啜る、予は紫水晶の曲玉を誇り且つ歌を作つて和を求む、唱和數首名づけて玉のゆらぎと云ふ。
 
      唱              左千夫
 
 茜刺紫の玉の勾玉を帶にとりはけ立ちゐ樂しも
(296)      和              秋水
   紫のにほふ曲玉とり珮かば瓊の音もさやに歌幸を得む
   勾玉のにほへる見れば五十つ上る藤波の花おもほゆるかも
 
      唱             左
 世の中の歌人ちふものゝ詠む玉はをさきのまれる糞にかあるらし
 玉といへば丸ろけきものとおほろかに思ひてあるか歌詠の伴
 玉をめつる心も持たず玉を知らずしかもや歌に玉々とよむ
      和                秋
   吾ともの歌のひゝきは打振るや玉のにのとのさや/\に鳴る
 
      唱                左
 みすまるの五百箇の玉をうなかせる神の御末と誰ほこりうる
(297) 吾持てるうづの美多摩はもろこしのこんろにの山ゆ出づといふ玉
 世の中に人は多けと玉持てる人ぞ吾友さね友にせむ
 しば/”\も天少女等か泣き乞へと與へず持てるうづの勾玉
 吾を呼びて玉持の翁と君は云へとまことは吾は玉ほこりのおぢ
      和                秋
   はしけやし藤の名に負ふ歌人しうべ紫の玉を愛で持つ
 
    〔消息の歌 七月十一日蕨眞へ〕
 
 雨あしの足またけむ君か何しかも富士の旅立思ひたゆたふ
 
    杉
 
     安房の清澄山は、名に負へる造林の地なり、先つ年蕨眞と(298)予と相携て同地に遊ぶ、今其時の事とも思ひ出てゝ即數首の歌を得つ。
 
 天の原清澄山に大君の御言かしこみ杉植るらし
 木を植る司さのともら天雲の杉むら山に殿つくり居り
 杉多き清澄山は林造るしほりの山としろしめす山
 小さ國安房とは云へど清澄の杉の林は世に勝れたり
 のぼりゆく八重山おくの澤に尾に畝をよろしく幾萬杉
 坂のぼりたをりに來れば杉むらの山のかひより海晴れし見ゆ
 杉群の八つ尾神さひいや廣にそぐへやいづこ清澄の山
 たゝなはる清澄山の峯杉は沖ゆく舟もよりて仰かむ
 禄はまば林造りの司人山にこもりて杉つくりみむ
(299) 海山も清澄の山の寺にまふで一夜やとらす何歸りけむ
 
     靈花愛する者少し
 
 左丹都良布、豐花瓣の、入日刺す、色のたふとく、天人の、持てるかをりの、詞無み、神靈しき花を、宇津曾美乃、人に見すると、一と年を、街頭《チマタ》に置けど、顧みて、とかめもゆかず、知る人し、世に稀れなれや、白雲の、棚曳く山の、岩の間に、とはに還して、置かむものかも。
 
    出征同胞の苦熱を懷ふ
 
 單衣、ひとへも脱ぎ、戸を限り、戸をかきやり、敷妙の、家の前後を、日に八たび、水をしまけと、あへぎある、熱き日頃を、諸越の、荒野荒山、蹈みさくみ、夜晝寐す、露軍《アサ》攻むる、吾同胞を、もへは悲しも。
 
    嗤笑太具利與四徒鼻麿作歌《アザワラヒテタグリノヨシトハナマロヲヨメル》
 
(300) 糞蠅の屯せまくに自か鼻を油の汗を能く拭ひ居れ
 しが鼻を然かも大きく高くせば睾丸《フグリ》見む時見えずかもあらむ
 自か鼻の尖りの先に醜蠅のつき居る知らに能くうごめかす
 他《ヒト》ぬたを臭しとを云へ自かぬたの臭味わかずかおぞの醜鼻
 太鼻のうれのとさきの腐りあればうべ/\物を皆臭しとふ
 しか鼻の内邊外邊を荒たはし繩のたはしに八十つ洗はね
 蛆むせるぬたをくへりと太具利すと自か長鼻を土にうちそね
 蛆ぬたの臭きをくしとつまゝくの鼻を大けみ手を足らずあはれ
 
    〔消息の歌 八月七日長塚節へ〕
 
 市天狗《名古屋》野羅天狗《上總》らが鼻見にく片やふとけくかたや赤けく
 
(301)    我小園
 
 吾庭の、秋の草花、花よそひ、蕾は立ちぬ、いつ咲くらむか
 此日ごろ、園の朝露、置きしげみ、日にまさりゆく、花のけはひや、
 かまつかは、いよゝ色たち、目を奪ふ、異草花をさかるべかりし、
 夏草や、花はすぎにし、日扇の、立莖毎に、實をもてる哀れ、
 さきりたつ、秋草畑に吾立てば、堂鳩の雌雄も、來てを遊べり、
 七草は、今や咲かむと、色ばめと、菊は蕾を、いまだ結ばす、
 門にくる、市の花屋は、いちはやく、賣りけむものを、七草の花、
 夕月夜、風もよろしき、園の内に、始めて虫の、鳴くを聞くかも、
 
    馬
 
(302) 夕歸る小田の増荒夫橋杭に手つなをゆひて馬あらふらし、
 ゆふやけてあきつとびかふ里川を早瀬たきらし馬ひかるゝ、
 石川の流をはやみひきいるゝ馬の足もと水たちさわぐ、
 橋の人と馬あらふ人と樂けに豊のみのりをあひかたるらし、
 
    正岡先生三年忌歌會
 
     秋海棠
 
 夢現はや二とせや。   三週のはや秋なれや。
 ふる雨にさびし御庭に。 ※[奚+隹]頭も秋海棠もあれど。
 あるとのみ數乏しらに。 かまつかは種絶えぬらし。
 金網に鳥も住まなく。  糸瓜棚朽てやれつも。
 杉垣に鳴く蟲さへや。  聲の淋しき。
(303) 出入りの瀬戸川橋の兩側《フタカハ》に秋海棠は花多く持てり
 をみなども朝夕出でゝ米洗ふ背戸川岸の秋海棠の花
 朝川にうがひに立ちて水際なる秋海棠をうつくしと見し
 雨晴れて空青き日の朝川に花きらきらし秋海棠の花
 朝川の秋海棠における露おびたゞしきが見る快さ
 秋海棠のさはに咲きたる背戸川に米とぐ女の兒手白足白
 米洗ふ白きにごりは咲きたれし秋海棠の下流れ過く
 朝額は都の少女秋海棠はひなの少女か秋海棠吾は
 
    〔消息の歌 十月七日蕨眞へ〕
 
 有明の月のかけさす狹庭邊の野菊かもとにこほろきのなく
 
(304)    寺島の百花園
 
 露繁き萩をし見むと朝晴の須田の寺島くればたのしも
 打渡す墨田の河の秋の水吹くや朝風凉しかりけり
 かやの門を入るやみきりのむら薄穂には出でねど秋さびにけり
 増荒夫と立てる紫苑によりなびく萩の花つま相戀ふるらし
 今朝のあさ咲き盛れるは女郎花桔梗の花我毛香の花
 百草のなべての上に丈高き秀蓼の花も見るへかりけり
 朝つく日さしくるなべに草村の根に鳴く蟲も聲ひそみなく
 赤羅曳く朝日おしてる花原の園のまほらに秋津群飛ぶ
 
    小園秋深し
 
(305) 朝なさな露の寒きに吾園の秋草なべてさびにけるかも
 かまつかをいやしとを云へ秋ふけて色さびぬれば飽なくおもほゆ
 秋草のいつれはあれと露霜に痩せし野菊の花をあはれむ
 
    秋晴友を懷ふ二首
 
     (一)
 
 塵の世に、思は離れ、多度山を、朝立ちながめ、伊吹根を、夕ふりさけて、天雲の、行方讀みつゝ、秋の空、高くさやけき、しが友をおもふ。
 しまの石苔はむしけむ足曳のおく山さびしみ庭しぬばゆ
 
     (二)
 
 群山の、かくむ高原、うまし國、しなぬやいづこ、蓼科の、名くはし山(306)は、異草の、しみたる山と、心合へる、はしき友らが、家居ると、こほしむ山を、ゆきて早見む。
 露霜に請木いろづく山の間のさやけき温泉《ミユ》に浴みて語らな
 
    甲辰秋九月戰死軍人の妻女にかはりて哀情を詠める歌六首
 
 秋ふけて野もさびゆけばみ墓邊に鳴くかこほろぎ訪ふ人もなく
 久方の夜寒の月に鳴く虫に悲しきこゝろ忍びかねつも
 み墓だも見るすべ知らに理《コトハリ》はよろづありとも吾は悲しき
 もろこしの秋野や如何に吾夫がみ墓やいかに天つかりかね
 天地に悲しき君を一目視ずみ墓も知らす妻と云ふべしや
(307) 起臥の朝戸夕戸に聲立てゝ吾悲しみを知るかこほろぎ
 
    十月短歌會
 
     枝豆
 
 月讀をよしと清しと端近に豆喰ひ居れは露庭に滿つ
 枝豆を煮てを月見し古への人のせりけむ思へばゆかしも
 
    十一月歌會
 
     帝國義會
 
 蝉の宿彌蛙の朝臣等戰の時をかしこみむな騷ぎすな
 
     滿洲軍冬陣
 
(308) あは雪のみ雪にとぢて天地もくらき荒野に砦もるかも
 
    〔霜枯〕
 
 霜枯の野邊の淺川瀬のくまに緑群生ふ芹に似たる草
 
     新兩國橋
 
 花火見に人死にしかばかへりみてくろかね手摺いや太によし
 
    〔消息の歌 十月二十一日結城素明へ〕
 
 秋晴や瑠璃をとかせる池の面にくれなゐ立てり香睡蓮の花
 
    香魚
 
 秋風のたよりのつゝみうるはしき人の心の香魚をつゝめり、
(309) とよ川の清き流れの瀬を走り鱗照りけむ鮎にしあるらし。
 大君のみ世の豐川水すみて鮎肥ゑたりと言のうれしも、
 
    山茶花
 
 さはやかに蒼空澄みて山茶花の日和靜けく茶を思ふ頃、
 かきろひの夕影寒く一人居る廬寂として山茶花の花、
 天地の靜なる日を庭清み鶺鴒來る山茶花の花、
 
    旅之歌會
 
     十一月二十三日、中央線に乘りて甲斐の鹽山停車場に下れば、神奈桃村來つて茲にあり、少しく晩けれとも見てゆかむとて、香覺寺惠林寺を廻る夜に入りて桃村か家につく、飯島※[虫+礼の旁]枝岡千里等來訪、次で※[虫+礼の旁]枝か勸むるまゝに同氏の家にゆく、四人歌を談して夜の更くるを知らす、予は惠林寺(310)の蒼古忘れかたきを語る歌數首。
 
 夕寒み道まはるとも惠林寺《ヱリンジ》はをろがみゆかむ旅のしるしに
 鹽の山たをり過ぐれば霜枯の惠林寺の森繪に似たるみゆ
 霜枯の夕ぐれ道を惠林寺をさしてゆくらし人二人ゆく
 惠林寺の門の長道二側に栗の並木は落葉せりけり
 夕くれて霜か狹霧か冬枯の惠林寺の森鳥も鳴なく
 
     汽車中作
 
 こもりくの森を少くなみ里皆が家あらはなり甲斐の國原
 
     廿四日晴朗、桃村予か爲めに東道の主人となり御嶽の勝を探る、予は日光を見て日光以上と思へり、耶麻溪を見たる人は耶麻溪以上と云ふと云へり、別に記さむと思へは茲に(311)は省く、二十五日上諏訪に至る、久保田山百合道にあつて予を待つ一見舊の如く相傾て旅亭にゆく、二十六日諸同人遠近相會するもの十餘人徹夜歌を詠む、當時の作歌は茅花會の雜誌比牟呂に掲くるの筈なり、
 
 汲湯して小舟こぎ行く諏訪少女湖の片面は時雨降りつゝ
 夕日さし虹も立ちぬと舟出せば又時雨くる諏訪の湖
 なまよみのかひちふくには大なる柿の木多し繪に寫し來つ
 なまよみのかひの山べは家毎に串柿つれゝ乞へと賣らずけり
 諏訪の海の片邊うづめて廣らなる※[さんずい+氣]車とまりどは今成らんとす
 あつまにも甲府少女は美しと人の云へれは見まく思ひしを
 
     二十七日山百合千洲柳之戸竹舟郎と予と合して五人、蓼科の麓、北山村巖の湯に趣く又新湯の名あり途中竹舟郎は妨起りて家に歸る、此夜湯に浴し爐を圍み途上即詠を賦す
 
(312) 天そゝりみ雪ふりつむ八ケ岳見つゝをくれは雲岫を出づ
 久方の青雲高く八ケ岳峰八つ並ふ雪のいかしさ
 岡の邊の茅生の茨の立枝は茜せりけり霜をしみかも
 蓼科のみ湯戀ひ來れば隈々に石の御佛道しるべせり
 春草をしみと肥みと諏訪人の岡に水引く事は珍らし
 北山の夕照る岡に立つ吾を遠にとりまく信濃群山
 
     二十八日山百合柳の戸歸る、二十九日又千洲と予と湯を下る、千洲即ち予を家に誘ふ、千洲は妹と二人の兄弟にして妹は今長野の女子高等学校に在りといふ、親二人子一人の家なり母刀自予を迎へて眞情色に顯はる、此夜千洲か求むるまゝに白扇に長歌一首を記す、蓋し紀念の心にや、
 
 蓼科や、御湯湧きたぎつ、湯の川に、うてるやまめか、水ぬるみ、産せる芹かも、ねもころに、うまらに煮しを、雪霜の、夜邊のあつもの、後(313)もふらんか。
 
     予は先に家を出る時必す月の内に歸京せんと誓ひしを、今は人々の心に背きかねて、一夜は二夜となり二夜は遂に三夜となれり、三十日の夜柳の戸竹舟郎來る、氷柱の話なと出でゝつらゝの歌を作る、
 
 冬涸るゝ華嚴の瀧の瀧壺に百千の氷柱天垂らしたり
 雪つめは河にたはめる呉竹の葉群菓毎に垂氷せりけり
 
     明けの朝思はぬに雪降居て、庭の桑畑四方の芝山眞白くなれり、村中に風流士あり柳澤石甫といふ、屡おとつれ來て遊ぶ、此日小さき茸一皿を携へ來り、云ふ、これ山浦の名物雪割茸と名つく、雪の降る頃より柿の木に出るもの以て珍客に饗せむと、日暮竹舟郎柳の戸又至る、二日には必ず出立せんと思ひけれは、別れの歌など取々に詠む、
 
 立科の山のいたゝき見ゆるまで甲斐の長路を明日かへりみむ
 立科の新湯に生ふる雪の芹うまけむ事を吾忘れめや
(314) 五夜ねて六日居りつゝ立科に登りも見ずか山に背けり
 
    〔消息の歌 十一月二十六日平福百穗へ〕
 
 四方山に雪は積めとも諏訪の湖まだこほらねば小舟かよへり
 
    〔消息の歌 十一月二十八日平福百穗へ〕
 
 蓼科のふもとのみ湯にのぼりくるみちの長手に雪とこしけり
 
    薯蕷汁
 
     信濃の山浦なる北山村と云ふ所にてとろろ汁のうまかりしを思ひて
 蓼科の湯の湧く山ゆ堀りきつと言もうれしきとろろ芋汁
 都にも芋はあれども岩山の堅土の芋は味よかりけり
(315) 蓼科の山浦人は山芋のとろろよけむと吾に饗せり
 足引の奥山なれどとろろには海のさ物の海苔つくらしも
 山人のなれが心をうれしみとうまらにくひぬ其とろろ汁
 信濃路は冬は寒みと炬燵して炬燵の上に置くとろろ鉢
 
    〔消息の歌 十二月二十七日岡田撫琴へ〕
 
 かしはでの丹ぬりの椀《モヒ》の物さびてとろろうれしも冬の山家に
 
    初冬宿山寺
 
 山寺の朝おもしろき庭近く白雲舞ひ來風も吹かぬに
 庭崕に立つ足もとを天雲の這へるは怪し人と知らぬか
 只二人法師と吾と居る寺を雲はつゝめり心あるらし
(316) 天雲の消えゆく見つゝ山寺のあしたの窓に茶を弄ぶ
 
(317)  明治三十八年
 
    明治三十八年之壽歌
 
 東に天地開く國力《クニチカラ》ちからは展びて年明にけり。
 ひむかしの大海原に年明けて光りこゞしき國あらはれぬ。
 今朝の朝年を迎へて此年の天地廣くおもほゆるかも。
 ひむかしの天の門出る初日仰ぎ世界の國等吾を思はめ。
 志岐志萬のやまとの國に天津日の照りし時より始めての年。
 天地の長き間に此年に生れ遭ひたる民はさちあり。
(318) 千早振神の御國の日本魂《ヤマトダマ》凝りて輝く此年の朝。
 とつ國の使の臣等眞情ゆ年ほぐらむか天津御門に。
 
     喜中有悲
 
 國興る年をことほぐ眞心は犧と死たる人のために泣く。
 此のあした年の初日と國思ひ家思ふらむ情悲しも。
 天地に神ありといふ否をかもいくさのやまむ時の知らなく。
 
    〔消息の歌 乙巳元旦胡桃澤勘内へ〕
 
 梅の花かける茶碗を繪にうつしとしほきまをす茶博士吾は
 
    〔消息の歌 元旦篠原志都兒へ〕
 
 梅の花未た嘆かねはゑにかきて祝ひことほく此新年を
(319) 此紙のなほ余りある尻のへに又一つかく梅の初歌
 
    〔消息の歌 元旦平福百穂へ〕
 
 此毛比乃底爾加伎多留松乃繪波目爾波見止千代乃色有
 
    〔消息の歌 一月三日森山汀川へ〕
 
 そとべには梅のゑをかき内べには松のゑをかく年ほきのもひ
 
    年明けてたふとき寶授かりし人三人に及べり、まづ岡麓子か年の三日にて女兒なり、
 
 梅の掛のよき樹をほこる新室にその花の兒を産める君かも
 
     秀眞子は七日にてこれも女兒なり、福壽草をはかきにかきて歌を添ゆ
 
 梅の花未だ咲かねど福草《サキクサ》の花咲き出でつ君が子のためl
 
(320)     格堂子は某日これは又初子にて男の兒なり盥の水に梅の散りたるをかきて
 
 梅の花咲たる蔭の岩井汲み祝ふ産湯はたふとかりけり
 
    釜は初代寒雉の作茶碗は本阿爾光甫の作草庵の重寶なり
 
 冬の夜のさ夜しづまりて釜のにえさやさや鳴るに心とまりぬ
 爐に近く梅の鉢置けば釜の煮ゆる煙が掛る其梅が枝に
 此釜の煮えをしきけば秋の夜の蚯蚓が鳴くに似てを偲ばゆ
 赤らくの色の潤ひ言に云へず繪にもうつせぬ※[土+完]《モヒ》にしありけり
 赤らくのゆたけき形の大きもひ徳川の代の盛りおもほゆ
 かりそめの器と云へど大きやかにゆたけき人の心見るべし
(321) いにしへの聖《ひじり》たくみがつくりたる釜と茶わにのと吾いのちなり
 
    〔消息の歌 一月十二日長塚節へ〕
 
 腹もへり日もくれぬれはすみかまのさま計り置きいさあすにせむ
 
     諏訪行
 
    一
 初めて遊ぶ    信濃路や
 釜なし川を    風寒み
 蔦木を過て    のぼりゆく
 顧み遠き     駒が嶽
 銀線かすかに   雪白し
 眺近つく     八か嶽
 天のかさしと   雪聳ゆ
    二
 きつの毛色の   冬枯や
 遠芝山に     日は斜め
 名もなつかしの  茅野の宿
 水の流れも    北ゆくに
 湖は見えなく   霜まよふ
(322) まつらん人の  家いつく
 馬車笛吹くや   諏訪にきつ
    三
 深山のしくに   驚きぬ
 雪花つらなり   軒千戸
 日はたそかれの  物繁み
 うるほふ道の   滑かに
 町を入りゆく   馬車の先
 吾名呼ばれし   ※[口+喜]しさよ
 思へは夢や    旅情
    四
 四方の芝山    雪つめど
 諏訪の湖     こほらぬや
 遠地こ地通ふ   小舟あり
 天なる雲は    空に凝り
 地這ふ雲     山渡るは
 圍りの郷の    朝煙り
 一むらぼかす   海の面
    五
 冬木の柳     垂り柳
 三本の柳     幹高く
 湖に流るゝ    河の口
 橋を渡して    たがすまゐ
 温泉《イデユ》の烟 垣に湧く
 漁師の小舟    か細舟
 柳がもとに    八つ繋ぐ
    六
 時雨は晴れむ   虹立ちぬ
(323) 湖上の眺め   いざせんと
 舟一葉に     人六人
 柳を離れ     河下る
 四仙年若く    一仙老ゆ
 五仙は知らず   酒の趣味
 天菓うづたかし  舟の底
    七
 遠くつらなる   枯葦や
 水氣湖をこめて  波たゝず
 天地靜に     膚寒し
 遊子物思ふ    折しもあれ
 行手に近き    舟一つ
 ぬしは少女や   玉だすき
 歌ふは何か    つむはなに
 諏訪のみつうみ  いつ見ても
 すはの山々    いつ見ても
 同じ眺めと    變らぬを
 あはれつねなき  浮世かな
 春の樂み     秋に消え
 きのふは二人   今一人
 思へば悲し    人の世や
 夢や現や     夜をたゝき
 み國露國と    事破れ
 いくさ起れる   召の状
 別れかたらう   ひまもなく
 生きて還らぬ   覺悟ぞと
(324) 立ちし彼の人  今いづこ
 思へは悲し    人の世や
    十
 山に草刈る    春の日を
 背子が歸りの   おそければ
 物の仕業も    手につかず
 舟に湯を汲む   日のくれを
 妾が歸り     おそければ
 いつも迎ひに   こし人の
 別れて六月    たよりなし
    十一
 み國のためと   人は云へ
 少女心の     おろかにや
 一人の母を    たのむぞと
 氣なげに云ひて  別にし
 悲しき人の    目に立ちて
 夜とも日とも   忘るまで
 思に痩する    吾身かな
    十二
 舟の湯桶に    立つ湯氣の
 あはれ少女が   うたふこゑ
 枯竹《カラタケ》しごく 棹の手や
 白きうなじの   後影
 吾等が舟も    舟こぞり
 中に翁が     いや繁く
 袂朽ぬる     思せり
    十三
 湖の沖邊の    温泉の湧きど
(325) 氷危き     物がたり
 和田の峠や    伊那の山
 指さし語る    間もあらず
 湖面俄に     鳴りどよみ
 あらし吹きよす  雨と波
 又一場の     夢なりき
    十四
 きのふにかはる  晴の空
 さして吾くる   立科は
 霜枯山の     八重のおく
 常磐木白く    雪つめり
 右の雲井に    立ち並び
 天神相語る    八が岳
 うすもや引ける  たふとさよ
十五
 舟なる友は    山の友
 蓼科山の     巖の湯に
 一夜こもりて   歌かたり
 海とたぎらふ   豐のみゆ
 うす青黒く    すきとほる
 琅※[王+干]とかせる くすき色
 われ人間の    望み消ぬ
    十六
 再び入りぬ    甲斐の國
 甲府の宿り    一人ねて
 過ぎし山川    眼をさらぬ
 常世の國を    歸りきて
 途に旅する    思ひかな
(326) 小舟湯を汲む   諏訪少女
 背子がたよりを  待ちえしや
 あはれたよりを  待ちえしか
 
    一月歌會
 
     約束
 
 白玉の瑞齒も染めて手弱女が契るこころに動かざらめや
 
     やふ入
 
 籔入の都のつどは春の日の光とてるか草のいほりに
 
     杉
 
 神代木の杉の埋木板にして茶室作らん時まつ吾は
 
     賀擧子
 
(327) 世の中の悦びことをほきことをいくつかさねし君か産やに
 
    〔消息の歌 一月十九日柳本城西へ〕
 
     旅順降伏
 
 黒加ねを千重にゆふ登毛天皇能い加志美伊豆に楯津久邊師矢
 
    日本男兒之歌
 
     旅順政戰
 
 落ぬ落ぬ、旅順は落ぬ。
 驚けり、世界こぞりて。
 怪めり、世界を擧げて。
 驚くもうべ、怪しむもうべ。
 見よ見よ、世界の地圖を見よ。
 日本の小なる、蜻蛉《アキツ》の如く。
 露西亞の大なる、鷲に似すや。
(328) 財のちから、限りを盡し。
 智のちから、文明の技を極む。
 城をかくむ、くろかねの糸。
 せん百、いかづちを驅り。
 天嶮に、人の力をそふ。
 世界の國ら、皆おもへらく。
 山くつかへす、人はあるとも。
 海傾くる、神はあるとも。
 旅順の堅城、豈に落めやと。
 
 天に祈る、諸將のちかひ。
 地に祈る、兵士のちかひ。
 金剛の信、鋼《ハカネ》より堅く。
 十萬一心、やまとの男兒。
 將軍は、兵士の爲に泣き。
 兵士は、將軍のために泣く。
 只おもふ、君國のため。
 親を捨て、子を捨て妻を捨て。
 人間の希望《ノゾミ》、盡く捨てゝ。
 只望む、一つの希望。
 意決して、怒り火を噴く。
 萬人死せば、萬人進む。
 たゝかひ、千たび又千たび。
 遂に屠る、君國のあだ。
 
 神か人か、やまとの男兒。
 神とや、神の代もきかず。
 人とや、人の業ならず。
(329) 自らが、自ら怪しむを。
 うべな、世界の驚きや。
 歴史を、縱に幾千年。
 現世、横に幾百邦。
 類ひを、未だ見ずといふ。
 人間、生をむさぼるも。
 いくとし、命を生きうるぞ。
 羨む吾は、彼の死者を。
 
    〔消息の歌 一月二十二日蕨眞へ〕
 
 茶の菴を作らく時乎五本の松の植木のいつとか待たむ
 
    風
 
 ぬば玉のひと夜雨ふりあけの朝風心地よき春の日和や
 學舍に四人の兒等を出しやり跡靜かなるはるの朝風
 朝清めほこりのたてば北窓を暫し開きて風とほらすも
(330) 朝風を隈なく入れて室清み茶を飲み居れば鶯の鳴く
 
    籔柑子五首
 
 家の庭山さびせむと籔柑子根こじてゆくも遠く都まで
 山里に家居る人は常見るとこゝろもとめず其籔柑子
 杉山の林の中にやぶ柑子玉てりしくも赤けの群玉
 雪こもり旅のなくさに近山をいゆき遊ばひ拔く籔柑子
 松楓庭にうゑ込み下草とさながら植つ其籔柑子
 
    二月短歌會
 
     〔梅〕
 
 鎌倉の八瀬のみ寺に梅見つゝ千鳥きゝけむ春思ひ出つ
(331) 潮霞みけぶるみさとの古寺に月寒くして梅をめでつも
 物思ひすべなきゆふべ宿を出てゝ近きみ寺の梅を訪ひつも
 
    沼津小遊
 
     一
 
     冬も寒からず夏も熱からず、風常に和らぎ雨常に暖く、海山とこしへに春の趣ならんとは、未見の沼津に對せる吾空想なりき、從來幾度か此地を過ぎて未だ留遊の縁なかりしを、いまは漸く其機を得たるなり。
     霰降る都を朝立して夕陽猶高きに早く理想の郷に入る、風物總て思へるに違はず、徃來の人も悉く和樂の色あるを覺ゆ。
 
 高光る日繼の皇子のみ冬避けいますみさとは神の護る國
 海山の神もかしこみ時しくに和《ノド》むみさとか柳垂れたり
 
     槇氏にいざなはれて其家に至る、次で横川大鹽間宮木村の諸氏來訪あり偖ては一盞を共にせばやと相携て市中に出づ。
 
(332) 左手にまがる市路は河に出で香貫芝山前を塞げり
 ゆきとまる市路のはてに水低く山川さびし清き狩野川
 
     酒樓は狩野川の流に臨めり、暮色漸く暗けれど香貫山鷲巣山など猶目の先に見る、未見の地に未見の友と相會て、春霄酒盃を交ゆ眞に是一生の樂なり、談笑の興限りなくして軒外いつしか雨の音を聞く。
 
 ほの暗く日も暮れぬれば狩野川の長き假橋人たまにこゆ
 端近み外のべを見れは狩野川の流暗うして雨の音すも
 狩野川の向ひの里の香貫野や春雨くらく火のともる見ゆ
 言にいへば常にしあれど情深き此春の夜をいつか忘れむ
 
     二
 
     明くる日は空晴れて富士見ゆ、予は槇氏宅に宿せるなり、(333)此日は横川氏來らずして池谷氏(觀海)來る、他は皆昨日の人合せて六人、午過る頃共に千本松原に遊ぶ常に見慣れし人々は敢て珍らしとも思はざるさまなれと、所謂千本松原の高く朗かに雄偉なる趣は實に思ひの外なりし、予一人茲に來りしならんには七日七夜も蔭を出さるべきを今は我思の儘なるを容ず、狩野川の河口に小童の舟を呼びて河を渡り、それより漫歩牛臥靜浦に至る。
     御用邸の神々しさ、さなから蓬莱の山なり、牛臥山に赫山侯の別業を見ては、深く其高風を欽仰す、赫山將軍今や百萬の衆を擁して滿洲の野にあり、無限絶大の威力は強露の暴を挫き、其一擧手一投足は直に世界の視聽を動す、而して其別業の素朴實に一民家に異ならず、庭に木石の奇なく家に彫琢の飾なし、門扉破れて人の入覽を咎めざる、見るもの誰か其高風を思はさらむ、人々相顧みて嗟歎之を久ふす、三島舘といふに晩食を調て、弦月おぼろなる田畝里閭の間を歸る、幽懷夢をたとるの思あり。歌章數首即左に録す。
 
     御用邸を拜す
 
 靜浦の浦遠長に帶を爲す其松原や大宮所
 打渡す春の靜浦海山と松とかなへる大みや所
(334) 靜浦の千重の松原ゆふかすみあやに霞めり神ますらしも
 
     赫山侯之別業
 
 靜浦の、牛臥山の、ふところの、麓平らぎ、とりかくむ、岩間磯邊に、一方は、海に開けて、閑なる、かまへこそあれ、庭小松、つらを整へ、塵一つ、置かず見ゆれど、家閉て、人は住はぬ、留守もりの、を家のさき畑に、麥青く、菜種も咲けり、打なひく、春の永日を、よる波の、音も靜けし、これや今、鳴るいかづちの、天地に、轟くなす、いくさきみ、大山翁の、その別業。
 天地のさかゆる御世のいしづえと重き名負て今歸り來む
 
     千本松原
 
 八十國の松は見しかど神代なす此松原にしくは見ざりき
(335) 天雲の緑かざしてきほひ立つ奇しき老松數を知らすも
 此松を見てを吾知る這松の舞子の松は卑しくありけり
 富士のねの神をや招ぐ諸向て空に立ち舞ふ老松のとも
 とこしへに富士と相寄る神松を見れば悲しもわれ人にして
 渡津美の海に背きて富士の峰に諸向く松は山鯉ふるらし
 土蜘蛛の八つ手に根這ふいかし松根這ふ力は千世に堪ゆべし
 いや高き松の立原下清く玉敷きなす清き砂原
 眞心に沼津の人の護るなべ萬世までもこれの松原
 木の葉かくわらは兒供もわきまへて松原まもる心たふとし
 ほがらかに月夜晴れたる松林松たかくして風の音もせぬ
(336) 松原を磯の近くに吾來れば今伊豆山に月出でむとす(以上二首空想)
 
    〔消息の歌 三月十三日篠原志都兒へ〕
 
 駿河なる沼津の郷は春早み柳の緑風になひけり
 近浦の千本松原朝ゆけは松の上より富士の雪みゆ
 
    〔消息の歌 三月十三日久保田山百合へ〕
 
 市路ゆけはちまたちまたの垂柳皆緑せり沼津のはるは
 みそれふる都を出てゝ青柳のぬま津の町に今居る吾は
 
    〔消息の歌 三月十三日平福百穂へ〕
 
 靜浦を夕日かぎろひ春宮の御所の松原霞こめたり
 
    三月十七日木下川梅園を看る
 
(337) 雨あがり風少しあるきよき日を只二人して梅の園にあり
 春寒く花後れしを世の人は今はわすれし其梅の花
 廣庭の梅の林の下きよみ人の踏めらむ跡も見えなく
 梅の花空しく咲きて人も來ねば茶を賣る家は戸をとざしあり
 神さびし老樹の梅の這枝《ハヒエダ》の下枝《シヅエ》動す風暖かに
 
    三月歌會
 
 此あした病よろしくたま/\に市路を見れば柳垂れたり
 戰ひに燒けし砦に殘りたる三本の柳みとりたれたり
 青柳の垂たる蔭に銃《ツヽ》の小尻刀の折れのさびたるもあり
 
(338)      クロハトキン(旋頭歌)
 
 大山のかうべを得んといひし九郎鳩、自かかうべ僅にもちて逃げし九郎鳩
 
    山守
 
 上ふさの、わらびつねいふ、吾はも、まこと杉靈、杉見れば、思はなごむ、山見れば、心は樂し、年々に、植る八千杉、樹植て、吾世はあらむ、吾は山守、
 
    炭燒
 
 下ふさの、節がふみに、ねもころに、告らくを見れば、此頃は、吾は炭燒、ことはりの、進める竈は、炭燒くと、木醋を採る、木醋は、たふときもの、弾藥、よりてぞ造る、さは/\に、吾手はあれつ、木醋とるため、
 
(339)    牛飼
 
 乳賣の、吾はすべなみ、朝乳を、二時に搾り、夕乳を、一時に搾り、牝牛らを、つねいつくしみ、とりかくる、金櫛毛櫛、吾衣、毛臭くあらめ、貧しき左千夫、
 
      山守
 
 うらゝかに蒼雲たなびく岡の邊を樹を植る人豆の如く見ゆ
 天地の物造る神の神の子が今此岡に樹を植るかも
 西山に日のかきろべは霞立ち烟たゞよひ岡も消にけり
 
      炭燒
 
 おほろかに霞める岡の岡田邊を煙立ち倶苦炭燒くらしも
 日くれにや降りかも出でむ炭竈の煙は低く森をまどへり
(340) ほのかすむ日くれ小くれに炭竈のあたりいそはぐ背子が偲ばゆ
 
      牛飼
 
 牛の兒に吾手をやればしが乳房すゝるさまにし手をすゝるかも
 搾りたる乳飲ましむと吾來れば慕ひあがくもあはれ牛の兒
 兒牛らをませよ放てば尻尾立て庭を輪なりにしばし飛ぶかも
 
    四月短歌會
 
     露國の内亂
 
 オロシヤのザアーのみかどはさつをらが猪うつごとく民をうちうつ
 民の子がこぞりなげくに耳かさぬザアーのみかどは鬼おろちかも
 神父とふカボンがまをす進めごと狗かも吠ゆとザアーはきゝけむ
(341) 國民を虐ぐるザアーをうちきため天つ軍はそが民をすくへ
 
    春興
 
 市川に、   桃の花咲く
 上野に、   櫻花咲く
 吾庭の、   いちご青吹き
 吾畑の、   菊莖立ちぬ
 龜井戸に、  苗木の市たち
 木下川に、  苗木の市たち
 木下川の、  藥師の市に
 車もち、   買へるは何ぞ
 椎の苗、   松苗杉苗
 
    花の一日
 
 あすなろや、 楓やさかき
 家の前、   家のうしろと
 群植に、   繁々に植つも
 牛飼の、   さちをか家は
 小さけと、  森かよろしく
 しみさびて、 遠見もよしと
 皆人の、   めで來るまでに
 心永く、   待たむ日月を
 吾樂しまむ
 
(342) 心ゆく庭のしめりや花曇《はなくもり》宵か降りけむ朝かふりけむ
 青苔に花散る庭におり遊ぶ雀の子二つ朝の靜けさ
 風なくて散れるも知るく朝櫻木の下限る花のいろとり
 潤へる庭の清きに心にくゝ散れる櫻よ此晴れの朝
 朝晴れの清き光に睡覺め今散らんとや花動くなり
 朝晴の惜やうつらふ花曇くもるは常の事にしあるとも
 花くもる上野を過きて日くらしのいも師|秀眞《ほづま》が家をたづねつ
 花くもる日のたそがれを下根岸お行《ぎやう》の松のほとりよぎりし
 久方の天の足夜《たりよ》に花くもる櫻が岡は千夜もあれこそ
 吾もなく天地もなく目にみゆる櫻の外に物なくおもほゆ
 
(343)    〔懷伊勢廻遊〕
 
     伊勢の諸同人等消息あれば必ず予の廻遊を催しいふ、予又志甚だ切なりと雖も足重きこと杵の如く容易に起つ能はず即一章を賦して厚意に酬ふ
 
 春されば東かぜ吹く。夏されば南風吹く。神風の伊勢の濱荻。立ちのびて旗とや靡く。青繁《あをしみ》て浪とやゆらぐ。石の上古きとよ國。海山の名だたる國を。見かほしみこふる三とせぞ。帆舞舶風待つ如く。堀江ふね潮まつ如く。便よき折待つ吾を。心なくいたくな招ぎ。いせの國人。
      反歌
 天雲の遠つ灘津海《なだつみ》大船に高浪踏みて吾ゆくを待て
 
    〔戦死を悲しむ〕               .
 
     平福百穗子仲兄戰死の報を得て驚歎悲慟予につぶさに其状(344)を語る名に轟ける黒溝臺の戰は古今に類例を見ざる烈しき戰なりと云ふ仲兄實に其戰に死せるなり義は名譽の死と云ふと雖も骨肉の至情豈に悲まざるを得んや予爲に長歌一章を賦す。
 
 現世の繪をかく吾は、  早くより都に出てゝ、
 古郷に稀にしゆけば、  同胞も中の兄なれば、
 ゆくらには逢ふも少く、 心のみ親しとすれど、
 思ひゆく文も替さず、  鳴神の俄に起ちて、
 軍征く別れの時も、   浮雲の吾おぼろかに、
 遺りなくこゝろ盡さず、 飛ふ雁の速く離れて、
 かたみに便せる日も、  弟のする業もせず、
 受けとらむ人はあらずと、玉梓の還れる時し、
 今更に千重に驚き、   百千度悔ひて悲み、
 取り置ける文に面あて、 聲呑みて泣けと甲斐なし、
 吾生ける限りの歎き、  吾命世にある限り、とはになけかむ。
(345) 垂乳根の老ます母か歎くらむこゝろ思へは生けりともなし
 寫したる其姿繪を今よりは歎くよすかと見てを偲はむ
 
      悼野口寧齋先生
 
       予は一度先生に見えむと欲しつゝ遂に相見るに至らず、今突然として先生の訃を聞く、予は自らの疎漫を悔ゆること切なれども甲斐なきを悲む、文人の不幸寧齋第一予第二と云ひつゝ故正岡先生もこよなく同情を寄せられたる人なりし、漢詩に門外漢たる予は、先生の詩を窺ふに由なしと雖も、予は只何の理由も辨ぜず先生の訃を聞て驚き且つ悲めり、即短歌數章聊か先生の靈を弔ふ、
 
 相見ねは君か柩は送らねと名に聞戀ひて吾は悲む
 唐歌の千卷の書を貯へて詩を作りけむ君今はなし
 今の世に詩人多けとはしけやしまこと詩人の名を得たる君
 うつそみの世にいとはれし病得て若く逝きにし君を悲む
 
(346)    草庵の若葉
 
     庭に一株の槐、幹は三本に生ひ立ちて、枝張などいと面白く、若葉瑞々しき此頃、朝宵に打ち眺めつゝ、思ふとはなく詠める歌いくつ
 
 朝戸出に幼きものを携て若葉槐の下きよめすも
 青絹を張れるみ笠と取りよろふ若葉槐の下かげに立つ
 うらくはし風の靜けくゆるなべに槐の若葉眉動くなり
 日を受けし槐若葉の下にほひみどりあかるく神さびにけり
 ふみかくに倦みており立つ槐蔭月ひむかしの野を出る見ゆ
 槐蔭若葉こほしみたゝずめば月遠くより吾を照らせり
 蛙鳴く月夜よけくに心動きさ夜ふけにしてまた槐蔭
(347) 伏庵に住まひ居れとも心やすく槐若葉の月をたのしむ
 
    五月歌會
 
     電車
 
 左夜ふけの雨の街に赤き灯を青き火を振り人暗に立つ
 
    〔消息の歌 五月二十□日長塚節へ〕
 
 母父の言のまに/\山こもり炭燒居るかくはし女にして
 若葉さす清澄山の八瀬尾にし炭燒く少女見ねどこひしも
 
    〔粽のまつり〕
 
     大陰暦の五月五日、盛岡の佐藤紅東子より粽一籠を迭りこさる、添へいふ、吾盛岡の民習端午の節には屈原の故事を慕ひ、戸々必ず粽即此笹餅を作つて神を祭る云々、又「言海」の記するにいふ、「ちまき」粽「茅の義古は茅の葉に卷け(348)りといふ」粳粉をこねて芋子の如くせるものを菰又は笹の葉に卷き煮て熟せしめたるもの端午の時食とすと。猶端午には菖蒲粽を節物とし柏餅を食することは却て俗間の事なりと云へり、予は笹餅の一見して古俗質朴の風あるか※[口+喜]しく、且つ屈原の古事といふを聞ていよ/\※[口+喜]しさに堪へず、
 
 今年生の新笹清く瑞葉切り卷ける粽はうべもかぐはし
 異國の世も遠き代の人なれど粽の祭り今もするかも
 萬世に光りとほれる白玉のうづのみさほは國問はずけり
 眞澄鏡とぎしこゝろは秋の毛の兎の毛のさきの塵もとめなく
 底澄める汨羅の淵に萬世も清くあらむと君は入りけむ
 現世の成のまにまに事謀る聖人《ヒジリ》卑しみ去にし君かも
 濁る世に汚れ忍びし大聖《オホキヒジリ》思ひの如は人を救はず
 千五百秋の八千五百秋のとことはに末とほりたる清き心や
(349) 天路ゆく日を遮ぎりし臺すら瓦のくづも今は見なくに
 うま人のみ魂まつれる笹の餅餘り分ちて家内《ヤヌチ》語るも
 
    〔寺田憲氏の快諾〕
 
     下総神崎の舊族寺田憲氏は、吾長塚氏と親しき友垣なり、家に名畫を藏するを以て名あり、予則長塚を介して、一度畫幅を觀むことを求む、寺田氏快諾直ちに悦び待つの好意を通し來る、一葉の金箋神女を畫ける繪はがきを用ゆ、依て長歌一章を賦して之に答ふ。
 
 すが/\し若葉の蔭の、朝戸出に状箱《フハコ》を見れば、はこぬちに光りみちぬれ、怪しみて能く窺へば、練衣の白衣《ハクイ》ゆらがす、小さき天津使女、左手に小鳥鳴かしめ、右手には書携へて、小鈴なす聲に申さく、神崎《カウサキ》の使の者と、ねもころにみ言をのらす、いたはりて吾がいざなへば、わが据し机の上に、現なく小鳥見つめて、立ちてゐる神の姿に、あやにさす黄金(350)の光、空蝉の事か夢かも、今朝の便りは。
 
    〔名家の畫幅〕
 
     遂に六月に入りて長塚氏と二人、寺田氏の家に遊ぶ、明清諸名家の畫幅幾十の中に、谿蒙泉の一軸は、初冬の山中萬木凋落の間、旅人晩歸を急ぎ、馳て一溪橋を過ぎむとするの趣を寫す、靜坐幅に對すれは直に人烟を忘るゝの思ひあり、蓋し稀に見るところの神品なり、即後の思ひ出に一首を題す
 
 鳥が音も夕暮淋し殘りたる霜葉《モミヂ》の映《ハエ》に道急ぎつつ
 
     利根川の鯉は松江の鱸に對し神崎に獲るもの殊に美味と稱す主人の頗る得意とするところなり
 
 神崎の裏邊の淀に獲たるちふ三尺の鯉を輪にきりて煮し
 
     戯に繪端書なと書きて遊ふ長塚氏の芥子の花最も優れたり
     其繪に題せよと主人の云ふまゝに
 
 神崎の神の繁山五百枝刺す毛武者《モンシヤ》が上に雲の峰立つ(モンジヤは木の名なり)
 
(351)    〔神崎の社〕
 
     神崎の社は、利根江畔の一名區なり、古樹社殿を掩ふて尊く、内に一奇樹あり周圍三丈に余り、その幾千年を經たるものかを知らず、楠に似て葉細く、或は山桂など云へど定かならず、古來眞の名を知れるものなく、只方俗之を「ナンジャモンジヤ」の木と稱す、寺田氏即予等二人を其樹下に誘ふて寫す。
 
 世の中に、ありとあるもの、世のまゝに、名はつきたるを、神崎の、これの老樹は、神の世の、物にしあれば、幾千世の、永き間を、人の世の、名もつかず來し、めづらしも、見つゝしぬばむ、遠津世の、神世ながらの、これの老樹を
      反歌
 筑波根は空にはるけし利根川の水は知るらむこれの老樹を
 
    〔消息の歌 六月十七日胡桃澤勘内へ〕
 
(352) 垂乳根の親子三人とうたはしゝ君かみ言のいまし悲しも
 
    行々子
 
 荒玉の長き年月住ひ居りあやしこの夏葦切の鳴く
 庭十坪市に住まへど春されば蒿雀《アヲジ》さへづり夏行々子
 短外田の蓮の廣田を飛び越えて庭の槐に來鳴く葦切
 五月雨に茶を抹き居れば行々子槐が枝に聲斷たず鳴く
 よき人の來る家なれば天飛や鳥のやからも來てを鳴くらむ
 青葉さす槐の枝に身をかくり聲は鳴けども見えぬ葦切
 聲遠くつねは聞きたる行々子いま庭にして暫しまどひつ
 葦切のきよろろと響く近き聲蓄へ置かむ器しほしも
(353) 家近く鳴けば葦切ぬば玉の夜も鳴くものと今年知りつも
 五月雨を朝寝し居れば葦切が聲急き鳴くも庭の近くに
 
    東京歌會
 
     〔釜〕
 
 瓦けの土の器に酒酌める古きむかしの平蜘蛛の釜
                 (茲に釜といふは茶の湯の釜をいふ)
 平蜘蛛の釜かけ居れば苗束《ナヘタバ》に結髪《ユヒカミ》しけむ民等しおもほゆ
 五百とせの昔鳴りけむさながらに煮え鳴る釜したふとかりけり
 桃山の黄金の城に召されつゝ釜作りせる辻の與次郎
 秋山に西吹き起り空晴るゝ見の胸開く形よけき釜
     自註辻與次郎は豐公に仕へたる釜師なり、其作※[手偏+丙]を見るに調子強くして然かも暢びやかなり、故に一見壯快なる感を起さゞることなし、予其趣を歌はんとして能はず思ふに讀者は獨合點なりとせむか
 
(354) 群萌黄椎の若葉の下庵にかけば協はむ與次郎の釜
 遠祖の淨味の釜は大君の三笠の山の和形《ノドカタ》にして(名越古淨味の釜)
 若葉夙かをるいほりに釜の煮え聞きつゝもとな獨樂しも
 
    〔消息の歌 七月十六日寺田憲へ〕
 
 夏衣たもと涼しき朝なきにあしかの嶋を繪にかくらんか
 繪はがきをかきて給はれあしか嶋眼に見る如くかきて給はれ
 
    〔障ることありて〕
 
     七月暑を避けて銚子に在りし寺田氏は、其浦波のさまなど繪にうつし送りて、切に予の行遊を促す、予障ることありて行く能はずして、短歌二首を酬ゆ。
 
 島波の白綿花を朝日さし磯邊に一人君が立つらむ
(355) 飛び立つと心は思へど現身の醜のむくろは足重くして
 
    〔消息の歌 七月二十六日小平雪人へ〕
 
 白きよくの勾玉手に持ち朝庭に山なかむらん人しなつかし
 言にのみ聞くはあきたらす白きよくの其の曲玉よ見んよしもがも
 白きよくのいと大きなる勾玉と言きくのみに目に浮ふかも
 八か岳八つをかゝやく雪山を勾玉佩て見るは人かも
 
    沼津之歌會
 
 靜浦の松原來れば香貫野《かぬきの》や青田そよぎて日は傾きぬ
 夕過ぎてそゞろあるきに待つとなく月待得たり岡登りきて
 松高く砂原清き月讀みに磯邊もとほり小夜更けにけり
(356) 秋立つと聞ける朝を旅にして槿《もくげ》畫《ゑが》けり後のかたみに
 繪の浦の磯の見立てと立つ山をまねく石きる惜しき磯山
 
    露將リネウイツチ
 
 大口の真神が吼ゆる空言をこゝたまをさね逃る日までは
 もろ/\のなげき偲ばゞ天つ神|兩國《フタクニ》人に和《ナ》げとのらさね
 
    沼津に旅寢しける時に小高き庭に小松澤に植え植えたる家の面白くて
 庭山の小松わかまつわらは松たけを爭ひ生ひたちにけり
 うるはしも庭山小松晴れに雨に君がめづらん庭山小松
 には山の五百つ小松の立ちみどり朝立つ我れに言問ふらしも
(357) 朝夕に君が愛でつゝいつくしむ兒松がもとは見るにさやけし
 おほよそのたぐひにあらず庭山に五百個小松を植し心は
 
    修善寺行
 
     あやめの湯と云へるは源の頼政滅後其室菖蒲の前が伊豆の故郷に引籠りて、茲なる湯に浴せることありしより起れる名なりと云ひ傳ふ
 
 すきとほり青ぎるみ湯に玉肌の匂へるさまし俤に立つ
 兩並ぶ乳房の花をにほやかに湯にたゝよはし茲にあみけむ
 沖つ浪千重の嘆きのすべなさに湯をしたひこしあはれ手弱女
 くしき湯の清々し湯もかひを無み君が憂ひは猶去らずけむ
 常岩に湯は戀ふるとも眞玉なすいにしへ人の又還らめや
(358) 思ひつゝ戀つゝあれはとこしへにしか名負へどもしるしあらずけり
 
    二緒の玉
 
 たまはりし玉のことこととりまとひ奈良人さびて樂しきを經め
 いにしへの尊とき人のまかしけむ薄青色のこれの曲玉
 薄青に潤ほふ色の沈みたるこれの曲玉神の玉かも
 石の斧石の矢の根も奇しくあれど玉したふとし光りあかなく
 掛けて見るいづれはあれと紅玉《アカタマ》の切りこの玉は家照るまでに
 遠つ代の神代の人の庵なれや柱に繁々に玉懸けて居り
 いにしへの人しなづかし押なべてをとこをみなも玉まきもたる
 玉といふは怪しきものぞ手にまけば心とほりて物思ひさりつ
(359) 九つの玉を緒に貫き輪に結び手を去らず見む長き月日を
 管玉をしゝに貫重りいや長に結てをかも後のまじはり
 
    小園秋來
 
     十日に足らぬ旅なりしを、秋風隈なき小園のさまや、一夜二夜と吹き荒みけむ、嵐のあとを掃はねば、生々しき落葉のみだれ、草むし石荒れて怪しき虫ども打這へるも、あはれいと深きに、垣根の檜扇やそこ茲の群野菊など、もの寂しらに咲き出でたる、今しも主人を迎へて、とりどりに待ちわびし思ひを訴ふるにや、なか/\に看過ぐし難き趣になむ、新に室を掃ひ空たきゆかしく湯を呼びて茶を立てつゝ聊か懷を述ぶ。
 
 うなゐらが植しほほづきもとつ實は赤らみにたり秋のしるしに
 秋立つと思ふばかりを吾が宿の垣の野菊は早咲きにけり
 手弱女の心の色をにほふらむ野菊はもとな花咲きにけり
(360) 檜扇の丹つらふ色にくらぶれは野菊の花はやさしかりけり
 むらさきのか弱に見ゆる野菊には猛き男の子も心なぐらし
 生死もわかず年經し猛夫等も秋風立つに家思ふらんか
 まつ人も待たるゝ人も限りなき思ひ忍ばむ此秋風に
 
    秋聲
 
     和約既に成りて、壯夫家を思ふの心盆深く、家人又達人を待つや更に切なるものあるべし、秋風俄に寒く野外日に寂寞を加ふ、萬魂互に馳て千里相交はるの情眞に察するに堪たり、一夜孤燈の下窃に遠人の心を懷ふ。
 
 群肝の、心張りつめ、海渡り、五百峯越て、金とかす、夏の荒野に、膚切る、吹雪が原に、血に塗れる、衣もぬかず、友垣の、かばね枕らぎ、萬にも、命活きずと、戰へる、事はいくだび、猛夫《タケリヲ》の、名を負ひこしを、今更に、家思はめや、思はずと、堰げと甲斐なし、事和ぎしがは。
(361)      反歌
 出水のいや増すなべに堤崩え堰ぐすべ知らず吾が家思ひ
 玉きはる命は怪し生きぬれば家思ひ故におもひやせつも
 柳散る門邊に立て家人がかひなき空を眺めくらさむ
 歸る日を待つと恥かし友垣の奥浄城所見れば恥かし
 吾を見て吾友垣の家人が如何に嘆かむ思《ヲモ》へば苦しき
 來し友と歸るにしあらば家人もうらなく祝《ホ》ぎて吾を待たましを
 いくたりの友のおくつき跡にして歸らふべしや吾立ちなげく
 飛ぶとりも心あらなむ吾なげくみ墓を守れ天つ雁かね
 
    秋騷
 
(362)     神の心人の望、さすがに日露の戰も止みぬ、世は和約にあきたらぬさまにしあれど、み國の爲としあれば、家をも身をも顧みず、命の限りをつくしけむ、軍隊の人々、今は吾事果てゝ、各故郷になづかしき家人に相逢ふの日も遠からずなりぬ、とこしへに歸らぬ人を思へは人を待つにも迎ふにも、聊か心置かるゝ節もあるべくや、しかしかに武運まさきく還らなん人をいかで憂たく迎ふへき、即家なる人々の爲に懷を述ぶ。
 
     一
 
 秋の野に、置ける白露。白露の、千々に千くさに。世の人の、言は聞ゆれ。理を、をみなは知らず。八百日日を、一日の如く。み佛に、神にこひのみ。まさけくと、待てりし人の。軍止み、歸るときけば。萩の花、ゑみさく色をつゝみかねつも。
 歸りくと思ふな汝をと手をとりて別れし君が今歸り來む
 吾心靜づめかねつも庭萩の風に揺るごとしづめかねつも
(363) 花すゝき立ちても居ても居られぬをいかに吾せむ君をこひつゝ
 
     二
 
 子を思ふ、同じ心に。産土の、神をこひのみ。夜のまゐり、朝のまゐりと。千度蹈む、千度を共に。通ひたる、心違ひぬ。事なきて、一人まさきく。常末に、一人歸らず。沖つ波、千重の嘆きを。其親の、今する見れば。慰めむ、すべも知らなく。歸る子を、如何にか待たむ。今更に、神し恨めし人の子故に。 いさほしもほまれも何せむ老し身に只まさきくて其子返さね
 村人の送るあかつき駒並べくつはならべて立ちし二人を
 人の親のなげきをよそに歸る兒を晝迎へめや待つはまつとも
 
    孤獨の嘆
 
(364)     新紙傳ふらく、此頃戰死者遺族の人々、歡迎の會などに招かれ、死者の僚友等が目出度き凱旋に、勇ましく談笑するを視、一度は歡び一度は悲み、逐に席に堪ずして歸るもの多しと。
嗚呼眞に然るか、實に然べし、生還者を慰めむ事は如何樣にも其道なきにあらず、死者と其遺族とに對し、國家社會は何を以て、是に報ひんとはする、思一度茲に至つて誰か同情の涙を湧さゞる者やある。
 
 大御軍今歸り來も諸越のあら野が中のみ墓しおもほゆ
 こほろぎの悲む宿にひとり居りみ墓のあたり偲《シヌ》び泣きつも
 御軍に死にし恨みず然れども吾か悲しみの止まぬにを泣く
 たよりなき老幼等《オヒヲサナラ》が人言に戀泣く見れば生けりともなし
 彼の人の植し庭草淋しらに花は咲きつゝこほろきの鳴く
 こほろきも庭草花も常末に歸らぬ人を戀ふるものかも
(365) 老幼|守《も》る身ならねば諸越のあとは訪はましを女なりとも
 をみな子のか弱腕《ヨワカヒナ》に老幼守るをまもらせ神よほとけよ
 うら枯るゝ庭の小草の露ほども世を羨まず泣きに泣くとも
 ねもころにありしみ文をかき抱き吾泣く涙|黄泉《ヨミ》に通はむ
 諸越の道遠くとも御墓所《ミハカド》の有所《アリド》知りせば魂ゆかましを
 湧く涙とめど知らねばいたいたき老幼にも隱しかねつも
 
    〔消息の歌 九月三十日藤井喜一に〕
 
 神風のいせの菰野のこもの菊見まく己《わ》は思ふ止む時もなく
 
    童謠
 
     天地開けてより、多具比もなき日露の爭ひ、御國のいくさ(366)ひた勝に勝盡せるを、和約にいと飽かぬふし多しと聞ゆ、九月に入りて、童謠あまた起れりけり。今其二つ三つを記して後の世に傳ふ。
                             とよむ。
 
    其一
 
 國こぞり四つの民らが、
 諸口に騷ぐもうべや
 
 諸泣きにさはぐもうべや、
 背子が死を聞ても泣かず、
 吾兒か死を聞きても泣かず、
 兄弟の骨《コツ》背に負ひて、
 血潮なす浜を呑みて、
 公けの事をことほぎ、
 
 日の本の人のみ魂の、
 白玉をな汚しそ、
 なれもたれもな汚しと、
 勵みたる事は何ゆへ、
 何故にしかははげめる
 
 天子《オホキミ》の眞さしき子等が、
 國思ひ正しき子等が、
 泣くもうべ騷くもうべや、
 かね鑠す照る日のしもに、
 血潮湧く子等が叫ぶよ
(367)     子等が叫ぶよ
    其二
 犬の子は犬のわざせめ、
 猫の子は猫のわざせめ、
 犬の子は何をくひ居る、
 猫の子は何をくひ居る、
   蛇もくひ黄糞もくはずや、
 其犬になでかたのめる、
 其ね子に何でか任せし、
   もろ/\は自が罪を思へ
   しか罪を思へ、
    其三
 空騷《ムナサハ》きしかせんよりは、
 もとを思へ起りを思へ、
 魚屋らの腸溜樽《ワタタメダル》の、
 溜わたの腐れ醜女に、
 眼なみ戀ひ泣くやからを、
 
 心高くありと誰か見し
 心清くありと誰か見し
 
 内心腐れる知らに
 耻なきやからを知らに
 ほまれあることなしえむと
 きのふまてけふまで待てる
 おそましき心を悔よ
      悔よもろ/\
 
(368)    標野の夕映
 
    上
 み草刈り葺く  かり宮居
 霧おさまれる  星つく夜
 御前清らに   おごそかに
 さむらふ舎人  夜を護る
 
 森冷かに    露おりつ
 河音のひゞき  音遠く
 宇治の山の端  光り立ち
 今つきよみの  昇るなり
 
 野邊をさなから 廣前の
 花もはへある  百千草
 虫も聲澄む   月あかり
 文の聖《ヒジリ》の    筆もかな
 
 み灯ほのかに  戸にそむけ
 くつろぎ給ふ  おん二人
 皇子玉盃を   み手にとり
 またさしおきて のたまはく
 今宵の月の   隈もなく
 吾が心知る   姫おほきみ
 此の蟲の普の  美しき
 吾が悲し兒よ  姫おほきみ
(369) 寶の山も   何かせむ
 たふとき位も  吾れ棄てむ
 
   君か故なる 旅まくら
   ※[口+喜]しく激つ 吾かこゝろ
   堰くすべもなし せきもせず
   神のゆるしゝ.二人とを知る
 
 青空に立つ   秋の山
 紅葉のかざし  品たかく
 うなける玉の  くさ/\に
 匂ひ尊き    女王《ヒメオホキミ》
 眞玉手つかへ  歌まをす
 
 照る日の下に  一人ある
 只一人なる   吾大王
 み手たつさはり 宿れゝは
 山川すらも   祝ぐらしき
 此月夜よき   樂ぬしさを
 宇治の岩山   とことはに
 萬代まてに   忘れて思へや
 
 神さびにたる  宇治の里
 八つ束穗色つく 晴の秋
 早瀬の波は   絹さらし
 黒瀬の波は   藍と澄む
 野邊の眺を   しぬばすと
 玉履《ギヲクリ》はこばす  御二人
(370) 舎人少なに   渡らせり
 
 堤の上を    現神《ウツヽカミ》
 まをすも畏き  みよそひや
 宇治の宮跡の  千世のはへ
 史の限りを   言ひつかむ
 此の今の日に  逢ひにたる
 吾等は生ける  しるしあり
 吾等は生ける  かひありと
 宇治の里人   歌奉る
   右皇子は大海人皇子女王は額田の女王なり以下同
   参照 萬葉一卷額田王歌
   金野乃、美草苅葦、屋抒禮里之、兎道乃宮子能、借五百磯所念
 
    中
 嚴橿《イヅカシ》立てり  蒼雲に
 忌森たふとし       三輪の山
 霞棚曳く         春なれば
 木々も芽くめる      日の光り
 飛かふ百鳥《モヽトリ》  野に山に
 有情無情も        樂しむか   中 二節2行歌集「人離(ひとさか)り」
 
 夕日かすかに       軒にさす
 大殿深く         人避かり
 仰がす皇子は       眼閉ち
 打ふす女王《ニヨワウ》は 泣きすゝる
(371) かたみによりつ     引きよせつ
 女王はいくたび    おくし上げ
 おくし上ぐれど      むせませり
 いづ健けくます      皇子なれど
 今は堪ずや        み面伏せ給ふ
 
 研きし心は        ます鏡
 大三輪の神も       見そなはせ
 天地に一人        只一人
 君を吾背と        誓ひたる
 思ひは遂げず       遂げさせず
 世に理りは        あらざりき
 神めぐみあらは      命召せ
 吾命召せ         召せ吾君《ワキミ》
 
 茲に大和に        家居らば
 隔ての垣は        高くとも
 岩間の清水        下通ひ
 なくさむ思ひ       なきにあらず
 明日と迫れる       旅うつり
 近江の宮に        召されなば
 三輪山の端の       雲だにも
 見るすべ盡ぬ       すべ盡きぬ
 
 劔のみ手の        わなゝがす
 御面ゆゝしく       のり給はく
 世にことはりは      あらざりき
 妹かみ嘆き        さりながら
(372) 吾れ丈夫の   苦しきは
 大岩がねに   くゝもれる
 眼火を吐く   思ひを思へ
 
   日繼のみこと  吾れをせる
   近江にみやこ  移せるも
   女王奪はむ   たくみなり
   世に理りは   つきぬとも
   天地の神は   見そなはす
 
 男子吾たに   忍べるを
 女王忍ばせ   吾ために
 大和の人と   ある人は
 身塵ひぢと   くだつとも
 百神《モヽカミ》統べて   上にまし
 理の外に    立つといふ
 天皇に     背き得ず
 天地とほれる  赤心《マゴヽロ》は
 神人共に    見つゝあり
 女王忍ばせ   吾ために
 神の助くる   時なくてやは
 
 三輪山の端に  雲さはぎ
 いづかしが森  風どよむ
 夕くれ暗き   廣前に
 舎人を呼ぶや  鳴る車
 女王みけしき  現なく
 やがてみ車に  めし給へば
(373) 大みやところ   夜をとざし
 忌森の嵐    止ますさやげり
   参照 萬葉集一卷額田王下近江國時作歌
   味酒、三輪乃山、青丹吉、奈良能山乃、山際、伊隱萬田代、道隈伊積流萬代爾、委曲毛、見管行武雄、數數毛、見放武八萬雄、情無、雲乃、隱障倍之也
     反歌
   三輪山乎然毛隱賀、雲谷裳、情有|南畝《ナン》、可苦佐布倍思哉、
   綜麻形乃、林始乃、狹野榛能、衣爾著成、目爾都久和我勢。
 
    下
 こゝ蒲生野の大御狩
 皐月も山の雲離れ
 若葉青葉に空の色
 見るもたふとき限りなり
 いなゝく駒や百くるま
 尾のへ谷《ヤツ》のへ野邊もせに
 八十件の雄の列《ツラ》を立て
 看る目ゆゝしき限りなり
 
 稜威《ミイヅ》加はる天が下
(374) 四方の民草よりなびく
 いかしき御代の底裏に
 地軸破らむ神力《カンチカラ》
 猛火潜むと誰か知る
 
 日繼の皇子と立ち給へど
 み胸の血汐湧き激つ
 くゝもる怒り石や解く
 淡海の海も沸き立たむ
 八重山の樹も枯れぬべき
 しがみ思ひを包ますと
 豪《タ》けき力に忍ばせば
 獅子か笑みゆく大海人皇子
 
 見る目の極みひた蒼に
 草木のみどり打渡し
 群がる物部いくよろづ
 今たけなはのみ狩場に
 み車出でますひめおほきみ
 豐蓮《ホウレン》ゆたかに花一つ
 くれない丹保布み姿は
 照る日に映《ハエ》て立ちませり
 
 神にしいますおほきみの
 すめらみことにましませど
 嬬爭はす御こゝろは
 八重霧かくり曇れるか
 み狩の伴に召しならべ
(375) 皇子と女王と相視しむ
 燃ゆる薪に且つそへて
 油をそゝぐ罪せさす
 神人背くもいはれあり
 
 いにしへたふとき神にしも
 嬬あらそひは免れ得ず
 現身の世の後なれば
 すべなき業とおもほせる
 そがみ過失《アヤマリ》を悔まさぬ
 大御心ぞいと痛し
 よろづにさとくましませる
 天皇《スメラミコト》の上にだに
 まがつみの神たゝりけむ
 
 み狩靜まる夕映に
 標野の假庵假宮居
 皇子の御門に人を忌み
 女王《ヒメオホキミ》の間使《マツカヒ》や
 
 天皇を憚れば
 思ひ悲みすべをなみ
 峰に迷へる白雲と
 君かみ袖をよそにせる
 罪免れまくおもほへず
 天地の神の惡くしみに
 命絶えなば望なり
  ひめおほきみのまこゝろを
(376)  使に告りつあなあはれ
 
 戀ふる心に堪え得ずと
 標ゆふ野にも踏み入りつ
 にくき思の塵もあらば
 人妻故に袖振らむ
 思ひは千重に戀ふるとも
 いまはた妹を如何にせむ
 犠牲の心知らでやは
 罪とは妹が上ならず
 妹が眞情弱くあらば
 爭ひ破れ事はてむ
 吾同胞の全たけきも
   (【註同胞とは天智帝と御自身とを云ふなり】)
 妹が犧牲の力なり
 戀はたふとき戀ながら
 あはれも深き戀なれや
  姫おほきみにかくと告らさね
 
   結末 以下五七調
 
 道背く君を君とし
 皇祖の教かしこみ
 堪がての思ひ忍べる
 たふとく高きみさほに
 天地の神ことよせて
 人こゝろ靡き仰けば
 明日香の清御原に
 咲く花の榮ゆる御門
(377) 人丸も御世に起れり
 赤人も御世に出たり
 うるはしき戀に成りけむ
 光りある清御原の
   御世しなづかし
   参照 萬葉集一卷天皇遊獵蒲生野時額田王作歌
   茜草指、武良前野逝、標野行、野守者不見哉、君之袖布流
    皇太子答御歌
   紫草能、爾保敝類妹乎、爾苦久有者、人嬬故爾、吾戀目八方、
    中大兄天智天皇三山御歌
   高山波、雲根火雄男志等、耳梨與、相諍競伎、神代從、如此爾有艮之、古昔母、然爾有許曾、虚蝉毛、嬬乎、相格良思吉、
 
    〔消息の歌 十一月三日篠原志都兒へ〕
 
 蓼科の石地畑になれる蕎麥其そはの粉は美くしありけり
 
    東京短歌會
 
(378)     秋の梅園
 
 秋風の寒くし吹けば梅そのは其葉散りつゝ蕾持てる見ゆ
 春花の名に負ふ梅は秋されば落葉を急ぐものにしあるらし
あをじ
 いつしかと蒿雀《あをじ》が來鳴く梅の木の骨あらはれて秋くれんとす
 裏庭の梅の元枝の青しのは葉は散りにけり簑蟲を置て
 梅の樹は今は其葉のちり方にもとの八つ手は花芽ぐみきつ
 梅林野分の跡のあかるきに吾が立ち見れば鳶高く飛ぶ
 古梅の斜め横張る枝内《えだぬち》に紫苑の花は背を高く咲く
 つぬさはふ岩井の水に梅の葉の色つき散れる朝しさやけし
 葉をふりし梅のさび枝のもとに咲くうら若草の秋海棠の花
(379) 梅か枝は葉はなかば落ち骨立ちて月影寒し秋にはあれとも
 
    初冬雜詠
 
 山の手は初霜置くと聞きしより十日を經たり今朝の朝霜
 家ぬちに蠅一つ居ず朝つく日光りこひしき冬とはなりぬ
 白菊のしべ紅ばみてこほろぎも鳴かず霜置く今朝の靜けさ
 柿の木を植と狹ばみと菊畑の惜しき霜菊拔きて植つも
 葉を愛でし石間つはぶきしかしがに花も咲たりはしきつはぶき
 鶺鴒の來鳴く此頃籔柑子はや色つかね冬のかまへに
 塵塚の萌ゆる煙の目に立ちて寒しこのごろ朝々の霜
 爐開の室の花には錦木にやつれの野菊そへ插せるよし
(380) 朝霜の靜けき庭にあをじ鳥來ては鳴きつゝ影樹に動く
 霜くもり淡き日影は斜めさしガラス障子を透きて映れり
 
    千本銀杏
 
     初冬それの日葛飾なる八幡の社に詣づ
 
 夕空のかきらふ色を面白み八幡の市を森さしてゆく
 刈込の槇の生垣或る家に庭に火をたく人等居る見ゆ
 市と云へど家居まばらに黄昏をゆく人もなく森の上の星
 田舍屋の南天垣の實を並めし赤けに目につくたそかれにして
 久方の空のにほひのうるはしく里ら人らに日は暮れんとす
 かきろひの日くれ朝あけかくしつゝ幾世か經たる神のみ郷は
(381) 灯のある家灯の無き家を見つゝゆき全けく暮れぬ森のあたりに
 左手をかへりみすれば西明り社の森のそらに匂へり
 松蔭に藁うつ人はほのくらく女なるらし石の上に打つ
 ほのくらき松の並木の深並木《フカナメキ》常敷《ヒタシク》石を踏み入る人あり
 廣前は梢あかるく宮代やつきの建物おほに知るべし
 宮をかこふ大き銀杏は夕空の明りに映ておはにかゞよふ
 
    初冬の連日、峯に雲なく地に風起たず、籠居最も意に適す。
 
 まがつみの亂れ靜まり神も人もこゝろなごみて空澄めるらし
 空澄める初冬《シヨトウ》の庭に吾立つと小鳥が來鳴く篠の小籔に
(382) 松が根の苗の楓は色おそく未だ残れり霜ふりしかど
 朝の光清く靜けく家居れば神の惠みを身に染み思ふ
 天地の惠みのなごみ思ふ時足はぬ心|毫末《ケノスヱ》もなし
 天地の美しき物隈も落ちず能く見る人し尊とくあるらし
 
    播摩なる岡本倶伎羅が、養痾のため飾摩の家島に移り住めりとてあはれなる歌、數多おこせたるに遙かに同情の思ひを寄す。
 
 現には逢ざる君を眞情の響きの歌に思ひ嘆くも
 癒がての病になやみ家さかり家島の浦に一人居るかも
 こゝろ計り贈れる物を島なれば戀ひみ※[口+喜]しみ君が見にけむ
 うつそみに背きし得ねばいとまなみ君を遙けく訪はむすべなし
(383) 玉梓の言は通へど現そみに縁し少なみ相さかり居り
 西吹けば島の巌に荒るゝ波いねがてにして一人聞くらむ
 玉地はふ神によりつゝ心のどに病忘れて春待ちまさね
 
    滿洲にある上野一也が許へ、黄金は一つの大きなる聖なり、ケチ糞と人は云へ鼻糞と誰がいふとも、黄金を作れ作れなとゝ戯はむれ遣はす。
 
 妻よりも名よりも先に黄金ちふ大き聖をかくまへ吾背
 人のこゝろ明るく照らす大き聖黄金能く知る君にしありけり
 
    短謌十三首
 
     手といふ題にて
 
 時惜しみ事|急《せ》く折も幼兒か來しにすべなく抱きてを見る
(384) 小さ手をひろけ胸寄る幼兒はもとないつくし只かきいたく
 垂乳根の母が乳房に寄眠り一つの蜜柑小さ手に持つ
 人まねのかざし※[口+喜]しみ雪子兒はうなゐか上に手をやり見るも
 なにやかや乳にとりつく幼兒を母は罵れとも手には離《さか》らす
 言問はぬ椎兒が乞ふ手を物もなく苦るしすべなし父親吾は
 雪子兒が手にとりすがり肩馬《かどま》にし乘せとせがめばすべもあらなく
     靜といふ題にて
 
 さ夜ふけの空のしら/\霜白き月夜入江を人渡るみゆ
 浦遠く人等あまたがさ夜更に物も語らず靜にゆくも
 沖遠く夜舟の笛の音曳くやどよみは波の上渡りくも
(385) 霜きらふ入江遠舟火を二つ波も動かず左夜更にして
 ゆき過ぎし旅の人どち夜煙に聲遠のきぬ見れと見えなく
 天地はねむりに靜みさ夜更て海原遠く月朱けに見ゆ
 
    暮十四日といふに、篠原志都兒がおとつれぬ、
 
 世の中の無口志都兒は夜もすがら吾語らくをうむ/\と聞く
 
    十六日二人鎌倉に遊び江の島にとまる、雨に籠れるなり、二つ三つの歌ありしと覺ゆれど物に記さで失ひつ大佛の御影の裏に書けるのみ遺りたるうれし。
 
 登古止盤二阿米乎味加左止威萬須御保登計。遠呂賀武止阿布氣婆太布止宇受乃御保登計。
 
    〔消息の歌 十二月十七日石原純へ〕
 
(386) 年寒く人の乏しき江の島に雨にこもりて一夜ねにけり
 
(387)  明治三十九年
 
    興國の精神
 
 天地乎。おほふ光の。力にし。世界の曇り。晴にけるかも。
 物實《モノサネ》の。萬が上に。いやさやに。輝く玉を。持ちほこる國。
 日の光。かくれぬ國と。ほこらへど。民の心の。玉に如めや。
 世の汚れ。觸れず有りこし。うづの玉。光放てば。世界照らせり。
 人の住む。世界の限り。照りとほる。日本心の。其うづの玉。
 
    雪子
 
(388) 年は二つ幼兒《ヲサナゴ》ゆき子
 月讀めば一とせと七月
 汝はいくつと人がいへば
 指を示す玉の如き指
 汝が母はといへはしが母を
 汝が父はといへば吾を指さす
 一の姉も知り二の柿も知り
 三も四も別ち知れり
 
 物乞ふ時は人の手を引きゆき
 物のところに其物を指さす
 樹の鳥を見ては悦んで笑ひ
 繪の鳥を見ても又悦べり
 日の出づる時月の出づる時
(389) 之を指さして且つ悦ぶ
 鳥と知らず日月と知らず
 雪子は只面白きを知れるらし
 
 世の中に雪子が知れるものは
 面白きものとなつかしき人と
 自らがほしき物のある所とのみ
 明日を知らずきのふを知らず
 禍を知らず憂を知らず
 自らが何物たるをも知らざるなり
 
 智識の彼は此の如く幼兒なれど
 自然の彼は賢か空か將た神か
 由伎兒が戯れて遊ぶや
(390) 其時に彼は哲學を知れり
 胃に酸を覺へて壁土を食むとき
 ゆき兒は能く醫藥を知る
 身に痛みありて母が乳房にすがるとき
 由伎兒はまさしく宗教を知る
 左手に花を持ち右手乳を弄ぶ時
 由伎兒は詩を知り趣味を解く
 
 ゆき兒が喜んで叫ぶや
 何の音樂か其聲に比すべき
 ゆき兒が手を擧げ足ふみゆくや
 何の舞か斯く面白からん
 頭にいたゞく柔かき髪
 身にまとへる罪なき着物
(391) 暴惡も怒ること能はず
 佞奸も憎むこと能はず
 其手と足と目と口とを見よ
 いづれの所にか汚れを認めうる
 手も聖足も聖目も口も聖ぞ
 
 一目雪兒を見れば忽ち吾を忘る
 吾を忘れたる時樂み深く極りなし
 何故に然るか抑もゆき兒は神か
 吾はゆき兒によつて來世を思ふ
 うき汚なき世に染まぬ雪兒
 其雪子の神なる現身に
 見るべし淨土極樂の俤を
(392) 吾は雪兒によりて吾來世を知れり
 あはれ尊ふとき幼兒由伎兒
 
    吾は迷ふ
 
 衆に從はむか佛に從はむか
 衆を捨てずば佛を追ひ難し
 人の世にありて人と伴はさらば
 月日のめぐる四つの時
 人と樂む時はなけむ
 吾亦人間の一人もて
 人間を疎むは道なりや
    吾は迷ふ道とは何ぞ
 
 衆を捨てずば佛を迫ひ難し
(393)  佛に背き衆に從はば
 吾は人間の價なけむ
 一切の生物皆活ける世に
 人とあらずば何の爲にか活く
 人間の望みは唯歡喜
 價ある歡喜は佛を慕ふにあり
    吾は迷ふ人間とは何ぞ
 
 聖書うづたかく存すれど
 聖書は全き聖人を傳へず
 迷ひの狹霧いよ/\深く
 あはれ光明眼に失はんとす
 現世の聖人いつくにかある
 知れざるの罪か知らざるの罪か
(394) 人は言ふ追求即ち光明
 追求止まざれば光明滅せずと
    吾は迷ふ光明とは何ぞ
 
 蒼天の星蒼天の月
 徒らに寒し汝か光り
 地上の草木地上の山河
 只物さねと存するのみ
 願ふ一切萬有の要《カナメ》を知り
 あらゆる天地を喜び見む
    嗚呼……………………
    聖人いづくにかある
 
    御嶽乃歌會
 
(395)     〔仙娥瀧〕
 
 星屑の光激ちて落ち注ぐ眞空の瑠璃に波たゞよへり
 色深み青ぎる瀧つぼつくづくと立ちて吾が見る波のゆらぎを
 姫神のめづる瀧つば波ゆらぐ蒼波が底に宮居ますかも
 天雲の八重垣垂れて神の子が舞せむ瀧つぼ時つげこさね
 紫に黒み苔むす大巖のまほらを斷ちてどよもす瀧つせ
 あかねさす樺に匂へる底岩に映ゆる蒼波見れど飽かずも
 瀧つぼに石のつぶてを打遊ぶ若子招くべく雲降纏ふ
 瀧つぼの青みが底に潜みたる蛟舞はせむ笛の音もかも
 懸橋を丹塗青塗瀧つぼに天降る少女が來遊ぶ吾見む
(396) 靈ある石靈ある水の寄りあひに御嶽はなりしうづのみ嶽は
 雲飛ぶや天馳使が種置ける覺園峰の岩肩の松
 瀧つぼの瀬織津姫は照り透る底津宮居に月戀ふらしも
 心ぐゝ月の照る夜は山祇も瀬織津姫も水面に舞せむ
 山神のめてます瀧そうべな/\多岐つほゆらくは皆蒼蛟
 
    正月二十日夜麓大人の家に茶に招がる、茶碗は例の道入の黒樂なり、涙出でむ許り※[口+喜]く後に歌詠み送る、またかと眉寄する人もあらんか。
 
 そが箱に黄金入れかへ盛りみたしかふともやるな其樂の碗《モヒ》
 其よきを言ひえぬ樂は理りに價さだまる世には土塊《ツチクレ》
 小さかしきやからをいなむ樂燒の碗のこころを誰と語らむ
(397) 世の中の愚《ヲロカ》が一人樂燒の茶碗を見ては涙こぼすも
 今の世に樂燒語るはめしひらを繪をもてまねくに相似たるらし
 
    孫の手を作り老母に贈て詠めりといふ木村秀枝が歌を見て悲くなりぬ
 
 ねもころに母につかへて孫の手を作るとふ歌を讀めは悲しも
 かゞなへて三とせになりぬ其春の日も近つきぬ吾母の日よ
 現身に母につかふる幸人のみ言の花を身にしみ思ふ
 吾母をよみにいますと人は云へどたゞに逢はねば空しかりけり
 
    冬知らぬ沼津のあたりは老を養ふによろしきか、大鹽學道此頃母を奉じて香貫野に移り住むと聞く、吾又一種の思に堪ず此歌を作つて學道に寄す。
 
(398) 牛ふせの桃の林も春近く君が家居は老にかなへり
 國からと人も實なる香貫邊に母とし住まは何か望まむ
 母を近く別れし吾也神にこひ君が母子《オヤコ》のさちを祈らむ
 
    早春閑居
 
 正月の月の二十日に 吾持てる釜見にゆくと 契れりしことは忘れし
 待つ吾は今も待てるを 梅だにも咲ける此頃 そが花も思はぬ人は 待つ人の心も知らず 吾庭の木の下雪の とけぬ君かも
 庭の木を日かげ限らふ うす寒に爐の邊こほしみ 夜の構へすも
 
    日知の釜
 
     よき人の日頃用ゐ給へる釜とて世に傳はれるものに同形同種のいと古き釜を得ぬ即ち嬉しき思を歌ふ
 
(399) 望月と光おろがみ吾仰く大聖《オホキヒジリ》も釜めでませり
 み佛につかへ樂む聖人《ヒシリ》すらも爐に親します時あれるらし
 うつそみの眼に見る形のさながらに五百歳經たる釜にしありけり
 古の鎌倉人の心なほくありけむ知らる肩つきの釜
 いその上ふりし鐵色《カナイロ》あかねさび形も神さびたぐひ知らずも
 いにしへの※[者/火]えの音偲び一人居り聖《ヒシリ》さびすも梅かをる夜に
 春雨に雪とけ流れ山川の溢れみなぎる思す吾は
 現世の人の氣絶えし眞夜中に聖の釜の※[者/火]えの音を聞く
 
    厨房の歌二つ
 
 くりや今家の都ぞ少女等は山吹たすき花たすきして
(400) 山吹の厨の窓に筍賣竹の子賣りて今去らむとす
 
    滿洲なる上野一也が許へ消息して
 
 吾めつる君が知りけむ鉢梅を坐に置き見つゝ此手紙書く
 此ふみを見ては偲ばむ吾めづる釜と玉との冬の構へを
 天雲の四方の海邊に親を置き同胞を置きて君支那にあり
 天雲の涯なる旅に一人ありてきほへる君に吾思ひ馳す
 大丈夫の求むる幸はためらはぬ足邊に舞ひ來むたゞにゆきゆけ
 
    埴岡短歌會三月歌會
 
     菜の花
 
 青麥と黄金菜花と眼もはるに雲雀やいつく春の朝晴れ
(401) 菜の花の晴や近江の水海に白堊の舟が煙吐きゆく
 夢の如霞む春日に桃少女菜の花少女糸遊に見ゆ
 
     成東舘即事
 
 心くく波の遠音の成東なる梅咲く宿にまとゐせりけり
 久々に家歸り見て故さとの今見る目には岡も河もよし
 童べの時覺えねど岡負へる日南成東は春によろしも
 二月の望の夜頃に故郷に歌つとひすも語りつぐがね
 さび松の岡負ふ町のあたゝかく前に後に清き流れも
 石塚の岩邊の櫻ひた枝に苔むすなべに振りさびにけり
 くすみ湯の湯殿のみやび梅近く月もさしきぬダラス戸にして
(402) 浴み出て渡厳に立つ夕月夜梅の白きに思ひ動きつ
 
    〔春光〕
 
     三月八日上ふさの蕨眞※[虫+譚の旁]室の諸子歌會を成東に開く、予又母の三週忌墓參をかけて之に會す、翌九日橿堂桐軒の二子と携て九十九里に遊ぶ、依て今樣なる長篇一章を試む。
 
 春に入りて始めてのなぎ
 こゝろ曳く日のうらゝかや
 かゞまりの伸びしが如く
 手の持物置けるに似たり
 
 思ひ立つ矢刺の浦を
 砂原の廣きに三人
 鴎飛ぶ遠く近くに
 波間の舟いそおろす舟
 
 面白し漁師と語る
 彼等今漁具を運ぶ
 そがふりやそが言語さま
 庶ひなし吾眼に耳に
 
 天地の力らおもほえ
(403) あやしくもすべての物ら
 動くもの動かざるもの
 皆かなふ春の光に
 
    東京歌會
 
     聲
 
 小夜ふけに目覺めいぶかるとなり間に人のけはひし頭《ゾムリ》掻きかく
 人來しと吾は知らぬをこし人は吾ありと知る其物語り
 いねかてに耳澄みくれば庭近く馬がゑば喰む音能く聞ゆ
 明け近くなれるも知るし山越の汽車のとまりに笛呼はひして
 曉のゆめのふたゝび覺めし時くりやの方に火を吹く音すも
 やり戸繰る音の荒けく足重《アシオモ》に家もゆるぐと踏み立つ女子
 
(404)    蕾の玉
 
     歌のまどひありけるに、聲といふ題出づ、予は吾末なる幼女の上を詠みぬ、世の中に幼きものをいつくしむ許り樂しく尊とくおぼゆるはなし。
 
 物語りつくる思ひに凝るこゝろ幼兒かれが聲にゆらげり
 老ぬれは然かするものか幼兒が片言いふに心むなしも
 末なるがめぐしきものと群肝の心にしみぬしが幼な聲
 朝宵にはぐゝむ稚兒にしが聲を聞けばゆらぐは吾老ぬらし
 隔たりに稚兒か※[口+斗]ぶに人に逢ひて言繼きがてつ耳空しけは
 母が手を離れ相呼ぶ幼なとち梅のつぼみのふゝむ宵かも
 幼兒の心とほれる片語に兎の毛の末の塵も覺えず
 
(405)    春の一日
 
 まかきにを     咲けるいちごや
 花白《ハナシロ》に 清《スガ》したふとし
 柿槐        楓の樹らも
 眉まがり      新芽はのびつ
 
 春の日の      天の足日《タルヒ》を
 あをづとり     朝ゆ囀り
 庵こもり      吾居る知れや
 庭樹らも      われをなごめや
 一人居り      あやに※[口+喜]しも
 
 日知釜《ヒシリカマ》 爐にかけ置き
 よき人の      教の文を
 聲讀むと      我を無みつゝ
 吾聲も       われにたふとく
 いや高に      こゝろおもほゆ
 
 釜※[者/火]て  さやに音立ち
 湯の煙       おほに昇らひ
 樂みの       いや湧く時し
 眼のあたり     なべての物ら
 魂通ひ       吾によろしも
   あなたうとあな………
 
(406)    風暖
 
 菜の春を雨一夜降り朝ぬるみ蟹網張るも前の小川に
 入桶に泡吹く蟹を※[口+喜]しかり見居る童に春の風吹く
 さほ神の惠みあまねく此あした床の種物落ちず芽張りぬ
 雨あがり風を透くべみ種物の床のおほひをのけて見るかも
 種床を樂むあろじ大※[奚+隹]の群れよる夜に春の風吹く
 
    青芽
 
 目を引くや芽立ちゆづり葉さ芽のむた奇し蕾に花も結べり
 角芽立つ春のゆづり葉せちにめでゝ能くゑかきけむ繪師をしおもほゆ
 面白く芽ぐむゆづり葉見つゝ居れば花が吹雪もゆづり葉に吾に
(407) 陽炎の春の園生に百樹あれと芽立つゆづり葉吾を立たしむ
 ゆつり葉の垂葉の莖の茜色淺黄角芽と對のよろしも
 
    〔消息の歌 四月二十七日篠原志都兒へ〕
 
     祝言
 
 朝宵二手二持箸止布多奈良微蚕飼萩刈萬年乎經余
 
    〔消息の歌 五月四日佐藤紅東へ〕
 
 牛飼か家居はとちて春雨のおくのさしきに人あるらしも
 
    〔消息の歌 五月十五日胡桃澤勘内へ〕
 
 樂燒や釜などこのみ牛飼ひて歌もよみたる民にしありけり
 
(408)    五月短歌會
 
     俳書堂即詠
 
 北裏の二階に迫る椎若葉はゆる若葉を風が搖るかも
 五百枝さす椎のしみらの若やぐや若葉の光り家もあかるく
 吾めづる椎の若葉は高き屋に梢を近く見らくまされり
 小雨ふる椎の若葉の枝下ゆ見おろす池に鴨か遊へり
 西明き雲の光は萌黄立つ椎の若葉を透きてかゞよふ
 池水は鴨もくるちふ椎森に山ほとゝきす來ても鳴かぬか
 なめらかに風にゆりゆる榮葉の若葉の色に物思はれつ
 いにしへゆ千人千言によしといへと若葉の情いまたいひえず
(409) 日に透きて若葉明るき高とのに人氣をさかり八百日へましを
 
    讃唱謌
 
     奇特なる信心の行者こそありけれ、越中の人、井澤清次郎となむ云へりとぞ、事は求道三の卷四に記されたり、實に信心の行者ほど※[口+喜]く有難く覺ゆるはなし、即尊き佛縁を讃して、聊か懷を詞章に寄す。
 
 久方の天の佛のみめぐみをたゞ悦べの言の尊とさ
 み佛の大きめぐみの計らひの内に迷はずあれのみ教え
 人心あやうきものと思ひ知り尊とき御名をせめて申すも
 吾こゝろ暗くしあればみ佛の光こほしみ止む時もなし
 よき人の心とほれるみ教に吾世《ワガヨ》百年《モヽトセ》樂しきを經め
(410) 物思ひの悲しきことをみ佛に聞こえ申して熟寢《ウマイ》せるかも
 吾が爲す事のことごと何事も大きめぐみに漏れずとを知る
 大海の水掬ぶなす報もとみ庭の草を根も措かず拔く
 日を一日|異思《コトモヒ》もなくみ庭べに草拔く賤を照らし給へり
 青嵐都を立ちてみ佛のめぐみよろこび歸らく吾は
 古郷の若葉青葉もいま更に吾に樂しえ慈悲を戀ひつゝ
 み佛のめぐみ嬉しく有經れは心常滑さやるものなし
 
    挾竹桃歌箋
 
    梅雨金閣 叙事連作
 
 八十國のつかへまつりて作らへる鹿苑院は青葉せりけり
(411) 五月雨に淋し池水鴛鴦二つ將軍未だ朝寐《あさヰ》ますらし
 とりよろふ衣笠山を吾《ワガ》林泉《シマ》の奥の見立と好み高かゝり
 ひむかしの松の林の渚邊に立ては眼に入る衣笠の山
 金閣を圍む池水池水を圍む木立や君か俤
 おばしまに手弱女倚れる金閣を霧らうに見れは夢に似るかも
 女の童二人おり立ちなきさ踐み雲間うかゞう衣笠の山
 五月雨の北山殿にまゐりたる公達未だ目どほりを得ず
 將軍の漱ひにかしづく手弱女が二人端居に立ちてさむらふ
 將軍の目覺むあたかも雲間漏れ日の光落つ池の嶋山
 お廣間は寂《ジヤク》と神さび花瓶を四尺の青磁|對《ツイ》に据えたり
(412) 私《ワタクシ》の謁《エツ》を賜はる明の使者北山殿に物たてまつる
 公けの職はやめつ今日よりは閣《カク》のあるじぞ山ほとゝぎす
 繪だくみは馬ゑん夏珪の墨繪をと君望ませど未だ得まさず
 五月雨のまた降りいでし午過を君閣上に明兆を召す(明兆は當時大名の畫家)
 かくやくと黄金かゞやく高閣に佛《ブツ》の御影《ミエイ》を拜し給はく
 金閣は歌舞にふさはず林泉の高き好みは見るに潔《さや》けし
 み灯霞む鹿苑院の沈《ジン》の香や山ほととぎす閣近く鳴く
 奢名《オゴリナ》を君に着せつゝ萬代に人はめづらむこれの殿居は
 
    青葉 叙情連作
 
 櫻葉の青葉の陰に立つ君か玉のかざしよ今も見る如
(413) 一目見ておもそらしけむ君が目を青山枯れむ日にや忘れむ
 吾心青葉の岡の常色に秋をなみかも思ひかれねば
 空蝉のしこのことはりたゆたはゞ青葉時過ぎ霜に逢はんかも
 思ひつゝ逢ひし吾目に紅の妹が袖つま見けむ時はも
 吾思ふ千重の一重も相思はゞ青葉に渡る風に寄せこそ
 久方の月も出けむ葉櫻に相語れりしことは夢かも
 鰯曳く地曳のあみのくりなはの繰言なれや片戀にして
 あしびきの岡の葉櫻五百枝さし思ひ繁くも君に逢ひがたし
 君が手を吾にとりけむ吾手をば君がとりけむ其青葉山
 白妙の麻の衣にもみうらの匂へる妹を青葉しみ山
(414) 吾思ひ息に出づらむ息寫す紙もあらなむ青葉しみ山
 青葉吹く風は吹けとも紅の袖し吹かねば見るに淋しゑ
 吾庭の青葉吹く風吾戀を傳へか吹かむ君か岡べに
 吾心青葉に風のしきゆらぎ思ひすべなみ言にづ吾妹《ワギモ》
 吾知れる詞極り吾思の一重もつきず青葉ゆる風
 
    挾竹桃を愛す
 
 よしきりが庭に近鳴く五月雨のこもりの庵に挾竹桃の花
 五月雨の小暗き庵に紅の光りをともす挾竹桃の花
 にやけなき汝か葉汝か花汝を見るのおそきを悔ゐつ挾竹桃の花
 奈良人の歌の心を匂ひ咲く挾竹桃を花とのみ見む
 
(415)    蓼科游草
 
     (一)
 
     丙午八月信濃甲斐の間に、汽車通ひ初めつと聞て此五日に一週を思ひ立ちぬ、先づ松本なる淺間の湯に胡桃澤望月堀内の諸子と會す、湯に上原三川子あり、各舊知の人々なれど又初見の人なりけり、談笑夜をこめて盡きず、翌七日胡桃澤望月の二子余を山邊の湯に誘ふ、山邊の湯は又湯の原の湯とも云ふ、此あたりの地名殊に優美にして趣き又それにかなふ、詠み捨てたる歌數百を録す。
 
 奈良井川さやに霧立ち遠山の乘鞍山は雲おへるかも
 菅の根の長野に一夜湯のくしき淺間山邊に二夜寢にけり
 殿山のたをりを過ぎて湯の原にわがゆくみちに花折る少女兒
 みすゞ刈る南信濃の湯の原は野邊の小路に韮の花さく
(416) 夕されば河鹿鳴くとふすゝぎ川旅のいそぎに晝見つるかも
 
    山邊の湯に近く苧桶の湯あり
 
 湧くみゆのぬるくしあればさびしちふ苧桶《ヲボケ》はめぐし惜しき苧桶や
 
    (二)
 
     兩子白扁など取り出でゝ紀念のこゝろに長歌一つ詠みしるせと切に望みければ
 
 時に積む、石の一つも、路に咲く、小草の花も、旅人の、こゝろなぐさめ、住ままくの、思ひうながす、山松の、老玉松や、いで湯の、奇しき湯の原、あはれ湯の原、
      反歌
 遠き世にそこにありけむ桐原のみ牧のことをきくが樂しも
 
(417)     九日の夜、蓼科山の麓なる湯川の里に篠原志都兒を訪ふ、余は暗き闇路に足誤りて小溝に陥りき、眼の下の邊いたくうちて眼塞る許り腫れぬ、翌る日余は志都兒に送られて巖の湯に投ぜり、更に一夜を共にせる志都兒は夏蠶の事最も忙しき折なれば止むなく里に罷り下らんとす、巖の湯は湯川より猶一里半許り山に登れる谷際にあり、
 
 垂乳根の母が飼ふ兒の時を繁み歸らふ人を戀ふとはいはず
 病む吾を置き悲めどうつそみに背きし得ねば歸る君かも
 巣かまへの桑兒を守る家人がいたも待つべし急き歸らね
 現世の人の子なればかりそめの別れにだにも嘆きするらむ
 秋の野の草花野邊に送りゆき歸らふ君がゆくへながめむ
 かきろひのあしたゆふべに岡の邊を花折り居らむ我なおもほし
 いで湯よし野に花おはし鹿自物ひとり居りともわれ樂まむ
(418) 日に迫る桑兒をまもる垂乳根を心に思はぬ君ならなくに
 
    (三)
 
     いたみ衰へつるまゝに、日毎に近き尾の上に遊びつゝ、はかきといふものに珍らしき草花など寫して人々の許につかはしぬ、筆のまゝに書添たる歌幾首
 
 蓼科の山の奥がと思ひしをこは花の原天つ國原
 下界《うつそみ》の人にわれあれば天の原常世の國の花の名は知らず
 うつそみの吾寫せれば天つ國常世の花は色も似ずけり
 天つ野の此國人は輕ろしめて花は手折らず顧みもせぬ
 下界《うつそみ》の人の子われはゆく/\と見る花毎に折らまくするかも
 天雲のいや遙けくと晴れし日に下つ國原見ゆるかと思ふ
(419) 紫の玉の散らくと見し花は吾日本なる桔梗の花
 天の原くしき花のみさはにして吾知る花は少なかりけり
 つはぶきに似てを見ゆれど三尺《みさか》にも餘れる丈の深山邊の花
 天つ野のはたる袋の花ぬちに一夜ねにきとよべ夢に見し
 
    (四)
 
     巖の湯は人肌の温度なれば、時間永く浴むによし、湧き出づる湯は海潮の漲ぎるさまなり、湯の多きと清きと實に世に類なからむとぞ覺ゆ
 
 寢白玉透き照るまでに明らけく清き出湯が瀧つせのごと
 信濃には湯は澤なれど久方の月讀のごと澄める出湯や
 神さぶるみ湯の光りに現身の醜《シコ》のむくろも見らくうるはし
(420) 國土の神の眞心さなからに出湯に漢くかうべも尊とき
 人の世の言限りあれば神ながら清き出湯も言に言ひ難し
 國士の神の眞奈湯は天雲もまけと守るか今日も降りきぬ
 ねもころに心とゞめて浴み居ればいよゝ尊く清き出湯や
 信濃には國ぬち足はし出湯湧く神の眞奈子の信濃國原
 朝湯あみて廣き尾のへに出でゝ見れば今日は雲なし立科の山
 きのふ見しおくの澤邊の花原を猶こほしみと又のほりきぬ
 
    〔消息の歌 八月七日蕨眞へ〕
 
 科野路の山しぬはくと山雲の常ゐる夏をよきて遊はな
 
    蓼料乃花野
 
(421)     山深ければ秋早く、雲おさまりて氣清し、麓の尾の上には秋草千種花の原、數里に渡る大花園は、人間の預り知らざる天作地成のものなり、水の音遠く鳥の聲幽かなれども、固より花苑の内を離れず、顧みれば下界の人郷は只一抹朦氣に包まる、八ケ岳横岳蓼科山等、遠近相擁して此天苑を守る、一人何者の驕兒ぞ、今朝より茲に傲嘯散策、擅に天苑を領して、群る芳艶に膝下をまとはせ、兩袖又花に委して露を厭はず、花、人言を解するか、人、花意を了せるか、相悦び相樂むの状、さなから百年離れ難きの風あり、而して山神敢て咎めず河伯敢て嫉まず、思ふに是れ人間の子にあらざるなり、徘徊顧望忽にして遠く去り忽にして又歸り來る、吾肉むらの重きを知らさるものゝ如く然り、白雲時に止まり彼又石に踞して低唱す、其唱に云はく、
 
 花苑廣くして山近く見ゆ、
 雲たゝよふあたり水響きあり、
 吾歌ふ聲やまた自然にかなふ、
 來往人間の心は消えぬ、
 一日の樂み百年の思ひ、
 百年一日われ其差を知らず、
(422) 只百年一日の如き人を憐む、
 
 山や水や花の原や、
 けふの音容けふのまゝに、
 吾が悦もとこしへなれ、
 常なき世にしてつねあるをねがふ、
 みどりの空のいや遠長に、
 心にうつれるけふを守りて、
 時しく茲にけふに遊ばむ、
 
 人は變北を喜びて變化に泣く、
 變化は人間の執着より起る、
 人生もとより變化に任す、
 只人に執着ありて變化に勞る、
(423) 我執汝に親しむものありや、
 我執々々汝は神もすくはず、
 止みなむ止みなむ人間の事、
 
 花やもろ/\風動く、
 舞へや花むら風のむた、
 おのがしゝなる振りをまへ、
 あな面白の袋まひ、
 螢袋の花ふくろ、
 ふくら/\に舞ひゆらぐ、
 あな面白や花のまひ、
 吾聲風に傳はれか、
 花むらなべてどよむなり、
 吾も舞はなむ吾も舞はなむ、
 
(424)    九月歌會
 
     合歡木
 
 秋立つと未だいはなくに我宿の合歡木はしどろに老にけるかも
 秋の色に老し合歡木の葉しかすかになほ霄々に眉作るあはれ
 庭の木のさびれ合歡木の葉しひだぐる風ものものし荒れ來るらんか
 此ゆふべ合歡木のされ葉に蜘蛛の子の巣がくもあはれ秋さびにけり
 
    〔消息の歌 九月十一日望月光へ〕
 
 久方の露冷かになりしかはうすらの花も色しまりきぬ
 
    〔消息の歌 奥島欣人へ〕
 
     われ未た消息に答ねは茲に欣人にこたふ
 
(425) おのづから湧きづるこゝろさながらによみたる歌をいなといふべしや
 わか好む君か好むと隔てたる心|除《の》けこそ道を思はゞ
 
    〔消息の歌 滿洲なる上野一也に迭る〕
 
 秋されは宵々毎に庭の戸に虫のしけゝく君をしそ思ふ
 
    曉露光
 
 寒き秋風秋の空、
 高き青空澄むゆふべ、
 戸の邊に立て何となし、
 澄める雲井を見やる時、
 淋しき思ひおのづから、
 心のおくに波をうつ、
 罪を罪とし知らざりし、
 吾を悲しく顧みて、
 無常は人の上ならず、
 はかなき身をと悔ゐくれば、
 頼みてたよる物をなみ、
(426) 世はとこ闇に冷はてぬ、
 
 たふとき文をさぐり得て、
 苦惱を出つる道たどる、
 不思議や茲に光あり、
 かすかに針の先ばかり、
 見えみ見えずみ有がてに、
 遠く遙けくおぼゆれど、
 吾を導く光かも、
 善悪淨穢の差別なく、
 あまねくたすけん御誓ひ、
 只信心を要とすと、
 只信心を要とすと、
 あな尊とのみ言かな、
 光に添へし力なり、
 
 信仰の心催ほすを、
 只何事もおもほえず、
 自然に名號唱ふれば、
 あかとき露の白玉に、
 天つ日のさす尊とさは、
 吾心どの闇も照るまで、
 
    茂春子を哭す
 
(427) とこしへに相さかれりき伊勢の海を病によしとゆきし君はも
 伊勢と云へは道は遠けと現世の人なるうちは言はかよへり
 いせにあれば伊勢の海老をとねもころに造りこしけむ事も偲ばゆ
 我庵に君かかなでし樂琴《がくこと》は今もふもとが家にあるべし
 
    樂々亭歌會
 
 秋されは心は澄みぬ庭松の緑色濃く富士も晴れつゝ
 數奇屋なる四坪の庭は楠くぬぎ女竹をまぜに植込みにせり
 かぎろひの西日になれば秋の海の波かゞやきて能く見えずけり
 
    千葉之一夜
 
     丙午の晩秋、下つふさなる千葉寺村に滞川博士の樂々亭を(428)訪ふ、其夜氣靜に月澄めり、主客茶を愛して清談刻を忘る、遂に一宿して短歌數章をとゞむ。
 
 千葉の野の海を見おろす南岨松をよろしくいほりせりけり
 秋清く海晴れぬれは端居より里原ごしにいざりする見ゆ
 月やよけむ雁やよけむと眺めつゝ千葉が起れる海山おもほゆ
 いにしへの人の植ゑけむ岨の松年古りて今世に逢へりけり
 事繁く都に住めば週くる日の一日を茲に野をや樂む
 茶を好む人のいほりは庭作り巧みを無しに飽かすぞありける
 立ち圍ふ庭の植杉植くぬぎ檜も女竹《メタケ》も山をさながら
 虫も鳴かず夙も動かぬ天地の靜けきよるを茶に物語る
(429) 天地の寄合ふ如き夜くだちに朱けにさし出づる月讀の神
 しみさぶ杉の木立ゆ月讀の影さす寒くさ夜更にけり
 
    峽中所觀
 
    丙午初冬峽中惠林寺々畔の同人を訪ふ此地栗の産地として古來其名に聞ゆ
 
 天人の笛吹川に名も立てる岸の栗原色づきにけり
 笛吹の川のかけ橋鍛冶や橋粟の黄葉の秋は見るべし
 なまよみの甲斐に聞ゆる栗ばやし黄葉の秋を人は知らずも
 名くはし栗のはやしの色づける秋惠林寺に殿作りあり
 笛吹の岸の木原の栗黄葉時雨に過ぎて心ともしも
 
(430)    柏尾の大善寺
 
     本堂は弘安七年勅命に依て北條貞時の造營せるもの鎌倉の大佛と共に關東に於ける唯一無二のものなりといふ。
 
 甲斐の民信濃の民ら御佛のうやまひあつき心遺せり
 水泡なす消ゆる人の世しかすがに茲に嬉しも有りの鎌倉
 紅葉に朝日さしつゝつら/\に仰きもとほるいにしへこふらく
 御佛の救ひかたらぬくだつ世に造らるべしや尊きろかも
 山がらも松もよろしき柏尾《カシヲ》山とはにつゝまね國の寶を
 吾が心曇れる時は走りきて尊き陰に思ひ清めむ
 
    寶藏の不動明王の繪を拜す
 
(431) 寶物に畫はかゝざりし畫の聖如圭が書ける不動明王
 
    〔消息の歌 十一月十九日胡桃澤勘内へ〕
 
 山深み水もかくろき水うみの鵜の島といふ島の紅葉を
 
    〔消息の歌 十一月二十一日上原三川へ〕
 
 不士の野に五里をめくりつ水海の沖にはこやの山を見にけり
 
    花園贈答
 
     きのふ君が内務の衙門にきませるを悦ひてよめる歌
 
   公の司つどひて晝餉薄き皿に詩の糧君滿てしめき
   花園の村長たらん君よ我が煖爐つめたき世をな笑ひそ
   牛飼へる歌人君を公の屋形に歌の大臣としいはむ
   君ととはに花とり/\の園に家し豐さかのほる秋ことほかむ
(432)   牛を飼ひ花し造りて君住まば書を負ひて我れそこにおはらめ
     十一月七日               平種徳
 
     霜枯の富士の裾野の旅枕家にあらぬ日の數多經にければたゝに答へまをさざりしゐやなさを悔ひつゝ
 
 心無き雲の動きのわけもあらず高きつかさの門《もん》に登れり
 公けの正しかるべきみやかたを花園《はなその》の如く思ひて我がゐし
 牛飼の花園かたり歌かたりめつらに聞ける人しなづかし
 蒼空をいたゝき住める野の人の禮まかりしを責め給はんや
 縁ある人々なれや高き低きわかちもなしに心通へり
 
     十二月一日               左千夫
 
    丙午十二月礎山堂主人の病をとふ
 
(433) 久方の西吹き變り雪しぐれはれゆく如くいゆる君かも
 雪霜のとざしを出てゝ春山にあしびの花のさくをはや見む
 
     病日によしときくうれしさ
 
 すこやかに君が杖ふり見めくるを山の草木も待ちこふるらし
 
(434)  明治四十年
 
    丁未歳旦之頌
 
 打ち渡す八十の群山萌え出づる若國日本年明けにけり
 國よろづ列はなせども日の本のみ名のさやけき豐の若國
 地圖見れば手にも隱るゝ秋津洲力怪しく世界振へり
 うつそみの世界かたまけ浮き立てる御艦薩摩に春の風吹く
 大潮の滿ち來る如くいや高に榮ゆる御世をことほく樂しさ
 海山の邊陬《カタヘ》の民も此朝御國ほこらひ年ほきかはす
(435) 年ほぎのあしたの壁に世界圖を掛けて酒汲む増荒雄の伴
 東の海の門まもる秋津洲汝が行く道は未だ遙けし
 崑崙や日萬羅也めぐる諸國の億のねむりを鞭打て蜻蛉
 黒がねの御艦薩摩が進む如力ごもれる歌は誰が歌
 空蝉の人の樂あまたあれど國を世界にほこるに如かめや
 年ほぎの朝を樂しみ童ども騷ぐ聲にも力籠れり
 
    歳旦仰皇城之松乃作歌
 
 千代田の大城の御垣、内日刺す高城が上に、吾見ても久に榮ゆれ、うべしこそ大城が上の、常盤玉松。
      短歌
(436) 昇る日と榮ゆる御代に新年の御題《ギヨダイ》を松と仰せ出せり
 青雲の神さび澄める年の端にいよゝ尊し瑞の玉松
 緋の裳引く臣の少女ら此朝松に年ほぐ歌奏すらし
 神代より民おのつから松をめで松をことほぐ松の日の本
 海山の至る八十隈松ありて海山飾る八しまとよ國
 いや隆に榮ゆる國の名と共に松を稱へむ國のほこりに
 言擧げて「松の日本」と書《フミ》かける人しなつかし此時に逢ひて
 萬世に一度逢ふべき年に逢ひて大城拜み松の歌よむ
 
    〔消息の歌 一月十六日蕨眞へ〕
 
 新年の春の光に咲き出つる壽き草に寄せてことほぐ
(437) 歌の神草木の神と諸神の君をかくみて歡喜ぶらしき
 
    〔じやぼん〕
 
 おぼろかに二つ買ひたるじやばん玉袂に入らねは手に持てあます
 牛飼の歌人左千夫がおもなりをじやほんに似ぬと誰か云ひたる
 さにつらふ林檎少女も厚おものじやぼん男の兒を否と云はずけり
 茜さす内紫と色こもるじやほん男に戀ひさらめやも
 
    人間の活路
 
 千年の末に立ち千年の跡を顧みよ
 歴史千年眼に留るものいくばく
(438) 誰れか爭ふ現世泡沫にあらずと
 
 山近ければ山を高しと見る
 心小なればおのれを大なりと思ふ
 誰か知る人間瞬くひまなきを
 
 學豪や富豪や又權勢の徒や
 彼等のたのむ識と財と權勢と
 雲烟眼を過ぐる思ひはせずや
 
 風雨は來る時のまにまに
 月日はめぐる止む時もなく
 逐には萬有悉く消ゆ
 
(439) あはれ人間人間を知らず
 もとより無し神を解するもの
 徒らに喜憂する世の騷ぎ
 
 年はふる幾萬幾千年
 人は住む幾億萬人の人
 誰れか日一日を留むるの力ありし
 
 老病一度身に迫るときに
 英雄奴僕を羨み
 王者も乞介に笑はる
 
 現世は闇し底の民まで
 人間は悲し生ある極み
(440) 死後を解せず生前又空し
 
 只人には信仰の心あり
 信心の燈火一度無明を開けば
 如來の大慈悲茲にあらはる
 
 如來の力は歳月を斷ち
 如來の光は無常を滅す
 茲に感ず不滅不窮の歡喜
 
 如來のめくみに人は眞實の力を得
 來世を信するに人は始めて闇を出づ
 まことや信仰即ち人間の活路
 
(441)    瑤絡
 
     柘植潮音の新婚せるに贈る
 
 きさらきの春のつまやに花紅葉色もかをりもゆかしかるらし
 
     (河東碧梧桐氏が陸奥淺虫温泉に在るに寄す)
 
 群肝の心もゆたに朝湯出てゝ四方の雪山見るらむおもほゆ
 
 ちり砂子吹きまく都遠のきて雪山の間の湯にこもるかも
 
     來訪せんと云ひこせる寺田憲氏がさはりありて來らざりけるに
 
 大丈夫が朝尻かゝげ席拂ひ庭も清めぬ君待つまけに
 晝過きの人待つ庵に徒らに木の影動き釜の音すも
(442) 神のめぐみ全けくあらば亦の日を契れる人に便宜《びんき》賜はれ
 
    蕨眞氏が病宜しきを祝して
 
 都より遠に訪ひ來し友にだに言問ひも得ず病み臥せりきを
 雪霜のとざし早過ぎ春山に打群れ行かむ日を待つ吾は
 
    アンナ、シヤエフアル孃に寄す
 
     丁未春三月濁逸國の音惡大家アンナ、シヤエフアル孃の來朝あり、一夕其會に臨みて親しく孃の靈樂を聽くことを得ぬ、感嘆のあまりに短歌十二章を賦す。
 
 ひんかしの春の海原はろ/\に日の本戀ひてまゐ來し乙姫
 日の本の春のやまかは花ふゝみ君がたへなる樂をむかへむ
 春花のさくらにかをる日の本は君が思ひをやるに足るらむ
(443) しらたまの清女《すがしめ》君はかならずや吾がしき島の春をめづらめ
 白あやの長裳すそ曳き立ち出る君をつちふむひとと思へや
 眞玉手を玉手を繁々《しゞ》にかきなすや妙なる樂は神も舞ふべく
 なる澤の遠音《とをね》の如く谿かはのさゝやく如く聽くにかなしも
 若草の戀ならなくにひと目視しわが目に殘る君は消えめや
 花かをる天の足夜《たりよ》に君を迎へやまとにとはに語りつぐべし
 日の本の天の佐保神しが花を繼て咲かしめをとめとめなむ
 花めづるにしひと少女日の本の花に醉はせよ家わするまで
 夢の如ながるゝほしの行き過ぎに過ぎか消ゆらん西人少女
 
    釋尊降誕祭讃美歌
 
(444) ひんかしに陽炎立ちて樂しみのけふの入日ぞはや明けにける
 天地のあかくあけくる此朝のたふとさ極り涙出でつも
 現身のむくろ忘れて空かける思ぞ吾がする夜のあくれば
 人の世のよろづの事の物思ひ今朝の光にとはに消えなむ
 かきろひの空に花降り風かをり御佛まつる日とはなり來も
 嬉しさに心さおどりわれ人は御名を唱へて起ちゐするかも
 日のめぐり刻み進みて御佛を祝ひことほぐ時は來向ふ
 八十國の悦ふ聲は天地に滿てどよめり南無さか如來
 天地にあまねき神達もろ/\の光よそほひ出で立つらしも
 おほきひじり世に現はれて天地も動くかなめをとはに得にけり
(445) 山川のさかゆる時に花かざしをとめをとこら祭するかも
 月日てふ暦かきやり御佛の現《アキ》つ御前に今日は昇らむ
 
    勾玉日記
 
     四月十日
 
     暁よりの春雨一とひのどかに降り暮れぬ、此夜一夜に花も咲くらんとおほゆるに、現も夢の心地なれや、折しも信濃なる篠原志都兒か消息あり、小平雪人ぬしの好意にて、再び勾玉一つ瑠璃玉一つを贈るよし記しぬ。
 
 大丈夫やかるはづみせんと思へども玉を嬉しく舞ひにけるかも
 春雨の夢かの夜を友垣が玉をおくるとうるはしのふみ
 佐保姫が花をもよほす此夜らをわれには玉のさづけありけり
 
(446)     四月十一日
 
     青空うららかに日もさし出ぬ、書齋とりとどのへてあたり清らに机に向ひたるまゝ、暫し狹庭の春を挑むる程に、珍らしや表におとなふ少女の聲、立迎ふれは、紫紺の袴に綾の傘手にしたる、篠原志都兒か令妹なり、花散らふ春の都に兄か心をもたらせる玉の使とこそ知れ、あなゝづかしと思ふまもあらず、陽炎の立なから、玉とり置きて歸り去りぬ、雲の通ひ路吹き閉ぢん風呼ふひまもあらざりけり。
 
 打出でゝかどに見やれど徒らに空青くして人のけもなし
 いとほしき玉の使の眞少女を影はかくりぬ八重の霞に
 
     四月十二日
 
     曲玉は白ぎよくなり、信濃の國、下伊那郡なる松嶋王の古墳よりいづとあり、あまげに潤ひたる光の色、花に宿れる香りの露の其儘玉と結べるらんおほゆる匂ひなり、尊き人のうへ偲はるゝも畏こしや
 
 みすまるとしゞの曲玉うながせるいにしへ人のよそひ目に見ゆ
(447) 足曳の伊那の春邊を朝御狩夕御狩しけむ御代は遙けし
 ひばり鳴く伊那の蒼原ぬつとりのきゞすが立つを見やり給へり
 今の世のきたなきことの冒しくる時の護りとまきてむ曲玉
 
     四月十四日
 
     江戸川の花咲く頃と、かねて約し置ける歌會の日なりけり、花まだ若くやう/\匂ひそめたるさまなれど、日曜の休み日とて、大人兒供も打交り、小舟漕ぎ廻るが數多見えて賑はし、今日のあるじ民部ぬしの家居は、都うとげに聞ゆる茗荷谷てふ町なれば來れるは、只親しき人々のみなり、あるじはおのが出雲の國振りほこりてくさ/\のまふけせり、あぶりたる出雲若布や十六島海苔など、皆一つの味ありて珍らし、ぼて/\茶といふは茶の花を粉になせるを立てたるなりけり、呉須手茶碗の形もをかしく、飯に打まぜ煮豆取り添て勸めらる、鄙の手振のいとゆかしくなん、猶あるじは矢の根石雷斧金鐶古錢など取り出でゝ春の夜がたり興盡きずけり。
 
 いにしへの人に吾れあれやひたぶるに古き器に心※[口+喜]しも
(448) 古國の出雲手振りのぼてぼて茶海苔も若布も國の香ぞする
 
     四月十五日
 
     前なる小田に蛙も鳴きいでぬ、さゝやかなる吾庭の植込みにも松雀の鳴くを聞きぬ、人繁き都の市邊にだに、溢るゝ春の色なれや、まゐくる友垣のたよりいづれか花のにほひならざる
 
     海棠を寫す           齋藤茂吉
 
 菅の根の長き春日を書《ふみ》も讀まず繪をかき居れば眠むけくもなし
 面白く思ひうつせど青さびの色六つかしく繪になりかねつ
 
     返し歌
 
 世の人の巧み何せん君が繪に春の光のたゝよふ見れば
 天然に色は似ずとも君か繪は君が色にて似なくともよし
 
(449)     四月十六日
 
     汝はいくつぞと云へば、片手の拇指一つを折りて答ふなる、幼き人の、側なるものが花の噂さなどするを、呑みこみ顔にて、われをも花見に率てよとせがむ、花とは如何なるものともえ知らぬ幼兒が、大人らしく物云ふかはゆさ、父は覺えず手の物放ちて抱き寄せぬ。
 
 しほれたるげん華手に持つ幼兒を儀にかきのせ頬すゝりすも
 花見にしゆかばと契る色あやのゴムの小鞠を買ふと契りぬ
 
     四月十七日
 
     此朝明けの夢こそ又なく面白かりけれ、ひた霞みにかすめる廣野が中を、烟ぶる流れの遠白く打渡せるに、東岸の堤は、青草蒼々と廣きところところに、萌黄なる數多の青にほは只薄青にのみ見ゆる柳の群立なり、かずみをとほせる日の光り、朧ろに明るければ、白き流れも蒼き草木も、怪しきまでに其色に匂へる※[口+喜]しさ、此所いづくとも知らざるに、鷄の聲犬の聲次ぎて牝牛の兒を呼ぶらしき聲頻りに聞(450)ゆ、やがて幼なきものどもの、笑ひ興ずるどよめきも聞え、下部等が罵る騷きもきこえて、我はいつしか現の人となりぬ、人々の語るを聞けば、夜べの宵に赤白班なるが産み、今朝の今しがた白黒班なるが産みて、いづれも親牛によく似し牝兒なりといふ。家こぞりてほぎ悦ぶ.
 
 竪川に牛飼ふ家や楓萌え木蓮花咲き兒牛遊へり
 市に住めど牛飼ふ宿は庭の邊に、狐の牡丹や田辛も咲く
 
     四月十八日
 
     此頃しばし草庵にとゞまれる、胡桃澤無花果と打つれて、小金井の花に遊ぶ、雨幾度か落ちこし空合も、晝過ぐるころよりやうく雲高まりぬれば、日のめ僅に漏るゝ花曇り、人少く花多く、人の數は花の數にも及ばぬ靜かさ、並樹のさまも水の流れも昔見し小金井ながら、都なるなべての櫻が、淺ましく輕げになまめきたるに似ず、いづれも木振り重々しく、打見る姿もおのづから厚みある尊とさ、樂しみあらたに興限りなくなんありける。
 
 やまとには花はあまねし然れどもまこと尊とき小金井の花
(451) あきたらず思ひし花を茲にして思ひは滿ちぬ此花に逢ひて
 神さぶる花をし見ればうつそみの木のもと遊ぶ人はいやしも
 ゆく/\とあやしくもあるか花に耻づる心も消えぬ童さびつゝ
 
     四月十八日の二
 
     此夜九段の能樂堂に能の催ほしありてまゐりぬ、能は實盛なり、シテの櫻間伴馬は、此道に老巧の聞え高き人とや、實に精神、内に滿て、形ち外に整ふとも云はんか、重みもありて柔かに、たるみ少なく能く落つきたり、さすがに譽れに背ぬわざと見ぬ、雨俄かに降り出でゝ屋根のおといとかしまし、今宵かぎりに花も散りぬべくおぼゆるを、舞曲は今實盛かうべを授くるのくだりに入りぬ、折に合せていみじく情深かりけり
 
 あはれ深き能はて出でゝ花散れる暗夜の庭に夢路たどるも
 春花ははえて散らなむ見る人のなげくに散らば散るに如かめや
 
(452)     四月十九日
 
     けふは吾が子規先生の忌日なり、毎月必ず此の日一日は家に籠るを例とせり。壁に遺墨を展じ爐に釜を懸けつゝ、會する人のあるもあらずも、茶を折り茶を啜りて、清く靜かに此日を遊ぶはこよなき草庵の樂事にこそ、晝過ぎに胡桃澤無果花を別れて、跡より木邨芳雨が珍らしく訪ひこしに逢ふ、更に故人を偲びて共に暮春を語る。「佐保神の別れ悲しもこん春に再び逢はんわれならなくに」と歌ひ給ひけんも、賓に今頃の事なりけり、あはれみまがり給ひてより早やくれゆく春も五つ度を重ねぬ、現し世の常なき習ひは人の心も物の有樣も思ひの外なる事のみぞ多き、今「本紙」の爲に筆を染めつゝ故人を悲むの心、うたゝ深くなんありける。
 
 櫻ちる月の上野をゆきかへり戀ひ通ひしも六とせ經にけり
 月のめぐり幾度春は返るともいにしへ人に又も逢はめやも
 うつそみはとはに消ゆとも魂合ひて相思ふ心さからふべしや
 
     四月二十日
 
(453)     陽炎の立つ春の日は、空に水氣の滿ちぬれや、日の光にも潤ひの色あるこそ、云ひ知らずのどかにうらゝかなれ、曇るも暗からず照るもすさまじからぬは、佐保の女神の實に温かき情とぞ知る、此朝けの朝びらき餘りにうるはしきに、われ知らず前栽に降り立ちぬ、去歳の春にかありけむ、上總なる蕨橿堂がもたらせる「シドメ」の一鉢、今年は花よく持て七つ八つ咲き出でたる、花振り幼なくうつくしく流るゝ許りの緋の色なり、信濃には山ぼけ地梨などいふとや、吾故郷には「シドメ」とぞ云ふなる、すみれたんぽゝ咲きまじる春野の花莚に、われはシドメ好めりし、夢の如き昔偲ぶに獨打笑むふしも多かりけり。
 
 シドメ咲く春の山邊に桑摘みて心合ひけむ人をしぞ思ふ
 白妙の手巾いたゞき桑つめる少女が匂ひ今も目にあり
 脚長に畔に腰据え少女らと晝食樂しも山の桑畑
 
     四月廿一日
 
     早く/\とひたせがみにせがまれて、けふは幼きものども(454)三人ひきまどひて、博覧會にまかりぬ、休日なれば常にもまして賑ふさまなりけり、吾れとひとしく我子に一日を樂しませんと連立たるも少からぬぞ嬉しき、人は吾れをや見るらん、吾は人の上こそ目に留まれ、春の景色につゝまれぬれば、何物かは見にくかるべき、おのがしゝ利得爭ふ人の騷ぎも心春なる幼きものどもの目には龍宮蓬莱とも見め、空飛ぶ思ひに兒供等が悦び狂ふに親なるものゝ樂しさも推せよ、不忍の池をかくめるくさ/”\の家構へ、招ぎのしるし「フラフ」の旗とり/”\に諸人のきほひも知るし、外國舘臺灣舘などいふ建物のあたりこそ殊に目立てきらびやかに尊とけれ、松の島より柳の岸へ石の長橋疊み渡せる、もろこしの繪などおぼゆる景色なり、幼きものらは何よりも先づ其橋渡らばやといそぐ。
 
 日本の家並が中に外つ國の都立てたる人のかしこさ
 新しき物とし云へはこと/\に人眞似なれや見るにをかしも
 
     四月二十一日の二
 
     世の中に用あるものゝ數々幾萬とも限り知らぬを幼なきものらに如何かはせむ、且つ疲れ且つ飽きぬ、音樂などもさまでは面白からず、飲みもの食ひもの幾所かあさりあるき(455)て、第一の會場をば出でつ、動物園こそ却て幼なきものゝ心にはかなひけれ、鶴鴨の遊び猿熊の戯むれに打興して、やう/\日は傾きぬ、今脊イルミネーシ∃ンとやらいふものあるを見んとは、家を出づる時よりのかね言なれば、長き日の殊更に長くおぼゆるなりまだか/\としば/\問ひせがまれぬれど、親の心にも日の暮れぬは詮なし、池の周り廻りつくして三たび長橋にかゝれる時に火はつき始めつ、建物の形ちに幾千の灯はともりぬ、水に映り空に匂へるさま、うつくしと思ふは幼なきものゝみにあらざりけり。
 
 風もよし雨もよろしも。春花の咲くべき時ぞ。都べを早も咲かしめ。上野にしまづ咲かしめと。佐保姫のまけのまにまに。天乙女花つくり女が。此空ゆつどへるはしに。西の洋の人國さびし。さかしらの家棟たちなみ。燈火のよろづともりて。蒼空にかきろひしつゝ。池水の底も照るまで。夜をなみ人ら騷げり。佐保神の花つくり女は。まかなしき神にしあれば。魂をなみ驚き立ちぬ。おどろきて飛び去るきはに。風起り花はみだれし。あはれ此春。
 
     四月二十六日
 
(456)     怠るとも思はぬひまに、日記を四日こそ休みけれ、さう誌「馬醉木」の編輯など事繁げきに夜晝徒らに過ぎつる心地しぬ、今日は心のどなる事ありて筆とる、此春の始め頃なり、ゆくりなくも、文晁の畫幅四枚いと價少なに得てければ、不折畫伯を語らひ、くじ引きといふことして、二枚づゝ分ちとりしが、此の日表具新たに成れる※[口+喜]しさ、獨り壁に展じ見ての樂み、云ひつくす詞もあらずけり。一つは山中の湖邊に舟一片、木立の蔭に人家二つ三つ、野分の風の荒れに荒れし跡とおぼゆるが、なか/\に常よりも靜なる趣あり、一つはあたかも今頃なる新緑山寺をおほふて只塔の上ばかりぞ見ゆ、水墨の色の濃く淡く、硯傾けて紙面に墨汁打ちかけたらんさまなり、眼新たに心躍る、家にあるの思ひもなくてなん。
 
 夏山の青葉の住居思ひ居れば山川鳴るが聞えくるかも
 夏山の緑のしげりうらゝかに鳴くは松雀《マツメ》か谷遠にして
 古寺に人は住まへり青葉深き庫裏のあたりに米つくひゞきや
 心あへる友もあらぬか山寺の青葉にこもり茶を樂まむ
(457) 世の並みの人なる吾や事繁く若葉山川家としかねつ
 
     四月二十七日
 
     朝の間をさら/\と雨ふり過ぎての跡は、湿めりを含める若葉の色に曇れる空も明るくなん、二十坪には足らぬ庭なから、さすがに新樹の眺めあり、槐や楓や柿などおほ方よりは芽立ち早ければ、萌黄の下の薄匂ひ、影にも色ある若やぎなり、獨り家にありて古器物を好み茶を樂むも然かもなほ遊魂外に動き、心は遠く山河の上に飛ぶ、人そゝのかす緑の神のわざとこそ思へ。
 
 人皆が高きをめづる富士にだに裾野の湖の若葉をぞおもふ
 山中の湖のめぐりの冬木原一夜に萌へて緑靡けり
 籠坂ゆ北見おろして日にきらふ三ケ月の湖の萌黄せるみゆ
 雲霧のたゞよふ厚に萌黄さし三ケ月の湖奥に浮へり
 墨の色の匂ふ水繪に心動き魂は若葉の山めぐりすも
 
(458)     四月二十八日
 
     庭前の植込を圍へる篠の籬、木立の蔭には苺と山吹と背比べしてこそ生繁れ、山吹はうつろひはてゝ、苺は今し花の盛なり、山吹は花をたゞへ、苺は其實にたゝへらる、山吹の實なきを人は云へど、苺の花あるを云ふものはなし、此夕ぐれの雨もよひ、若葉ほのぐらき物の蔭、しら/\と清らに淋しき花苺、艶なる色の果なき風情を、あはれと見けむ人も聞かぬぞ口惜しき。
 
 心細くおもふな吾妹汝がいはゞ神にも背き世をも捨つべし
 風に散る花の心と浮く人に背きはつとも何が嘆かむ
 群肝の心隈なく語り合はゞ其夜果つとも悔は殘さず
 
     四月二十九日
 
     花のたよりもいつしか疎く、若葉の室の衣更、外のべも内(459)べもおのづから、晴れ/\しうなり來にけり、きのうふまでも雪に籠るなど云ひこしける、諏訪人のたよりにさへ、温泉湧く信濃の山里も、夏は都におくれずとありて
                      柿の村人
 山國の春もくれぬれ、種おろす田なべのカリンさ芽暢びにけり
 錦木の八十樹首樹の植籬《うゑまがき》あたり清らに小花散りつも
 
     こたへ歌
 
 竪川の野菊の宿は初芽過ぎ二の芽摘むべく群生ひにけり
 青あらし楓はゆらぐしかすがに常盤木推は猶|眉芽《まよめ》なり
 
     五月四日
 
     鴎外博士の家に歌の會ありてまゐりぬ、こは世の常の歌會にはあらず、いと六つかしき心もて起れるなりけり、さればまどひの人々はおのがしゝ一癖持てる角々しきゝはの人のみにぞある、會の些事は今書かず、石といふ題にて各癖歌をこそ作り出でけれ、太鼻いと高き一人の男が讀る歌。
 
(460) 石蹈みてあよむは苦し肉太《しゝふと》の吾がゆく道に石なくもがな
 黒駒に蹄打ち替へ朝狩の門の石橋鐵の火に鳴る
 もろ/\の石の器を見つゝゆけど女が持つに似る物は見ず
 
     五月五日
 
     去歳の十一月より、年かけて長き病になやめりし、蕨礎山が、此頃漸く癒つゝ、家近き山林など見めくる程になれるが※[口+喜]しくて、後の紀念にと寫眞一枚を送り來れり、われまた悦びに堪ず。
 
 言さへぐ獨逸の皇《きみ》がほこるちふ髭のよろしく目につく吾背
 うつそみの病と共にはらわたのこちたきものを蹈み捨てゝ來ね
 人皆がふるへ恐るゝよもつ邊の闇覘き來し君は幸あり
 
     五月六日
 
(461)     信濃なる柿の村人より又消息あり「入江向ひの田打には朝早く舟にてゆくなり、面白くおもへと、一度も行き見しことなし」と書きて
                    柿の村人
 高木人田打をゆくか春の夜の引明けの湖《うみ》を舟漕ぎ出でつ
 朝ひらき入江を渡る田打等の舟漕くが上雲雀鳴くかも
 
     和へうた
 
 萌黄さす湖の片邊を温泉汲む少女が舟に日は長閑なり
 水海に注ぐ川口柳もえ緑の蔭の湯げおほろ湧く
 
     五月七日
 
     われみづから書けばこそ繪はがきも面白けれ、野山の草木、前栽の花ものなど、時に從ひてさま變れる折々、筆のまゝに寫し出で、消息書きそへて、友垣問ひかはす※[口+喜]しさ、ひたすらに世を憂きものに思ふこそ愚なれなど思ふ
(462)                   齋藤茂吉
 にひ緑垂るゝにこもる青梅の玉いとけなく未だちいさし
                    渡變幸造
 山河の若葉によりて我家の五月の鯉のひるがへる見ゆ
 
     和へうた
 
 紫の藤の名はうれし玉の緒にかけてかなしき人の名故に
 君か繪のうら若藤の匂ひにも幼く戀ひし人の上思ふ
 
     五月九日
 
     櫨の名殘とて茶の湯催しぬ、釜はこごしき古天明の作なり、高麗の茶碗に茶入は伊賀燒の大海など用ゆ、若葉の宿のすが/\しきに、夕風心地よくつどへるはみやび心相合へる友どち四人、覺束なきあるじ振も、こゝろは眞を失はず、床には故子規子の遺墨をかゝげて歌は只一首紙の片邊に記せるが。なか/\おもしろく。
(463)                   竹乃里人
 竪川の茅場の庵に君つかば二十日の月い野を出てぬらむ
 
     有りし夜偲ぶ歌ごゝろ、こたへ歌とにあらねど、われもかくなん記し置きぬ
 
 柿若葉ゑんじゆ若葉のゆふやみに鳴くはよしきり聲近くして
 茶の湯する若葉のいほは空たきの沈の香さやに夜に入にけり
 
     五月十日
 
     九段の下に友を訪ひ、たそがれの頃電車にて家路に向ひぬ、都大路の人繁く、せはしさ騷がしさ、目もくるめき耳もつぶるゝ許りなり、停りど毎に降りる人乘る人、無下にひけめき合へるさま、只あさましき人の世おほゆる中に、あやしと驚くまでに心にくき人にこそ逢へ、町家の振なる手弱女の、吾に隣して座しけるが、詞懇ろにまことは美しきみ目にも知るく、冬枯の野に花一枝の思ひ實に二言三言の語らひも又神のことよす縁なるらし、家に歸れる後までも心の綾並止まず動けり。
 
(464) 家知らぬ君にし戀ふれしかすがに花に觸れ來し清き思を
 世を救ふ神のめくみの足はさは光は早く君を照さむ
 年月の移りはなくて今宵見し一目の君をとはに思はむ
 
     五月十二日
 
     伊勢の新樹を見に來ずやなどゝ、菰野の稲垣日砂が許より消息あり、さなきだに遊意頻りなる折柄、蕨礎山か上京して又參宮をそゝのかす、來ん六月にかならずと契れるにもはや歌ごゝろなん催しける。
 
 六月《むつき》病めるくゝもり起ちて衣かへ青葉の風に伊勢を旅すか
 言にのみ幾年過ぎし濱荻の若やぐが上ゆ白帆ながめむ
 五月雨の頃にやならむ神路山朝熊の山の繁りはや見む
 神風の伊勢の國原|遠蒼《とほあを》に雲に連らなり波のよる見ゆ
 
(465)      五月十三日
 
   しなかとり安房とし云へば、海につゝめる小さき國とのみ思へるを、古泉千樫は、其安房にも山深く住めりとか、いと山人さびて内海の舟にも醉ぬとて訪はれつ、文取交しての交りは、やゝ久しけれど、相見たるはけふぞ始めてなる、三日三夜を打語りて猶詞殘れる心地しぬ、歌あり。
 
                    古泉千樫
 始めての君にしあるを禮もなくなつかし親に相逢ひしこと
 さよ更の釜のたぎちのいやしげくたぎつ思ひを今し別れむ
 
     こたへ歌
 
 久方の天に渡せる岩階の鋸の山見つゝゆくかも
 國土のなれるいにしへ天神が天に歸れるのこきりの山
 たなこゝろ小さき安房と誰か云ふ清澄もあり鋸山もあり
(466) 水清み鮠のさ走る川の邊にちゝこ草寫し母兒草寫す
 
     五月十四日
 
     幼きものゝ振舞ひばかり、面白く尊とく覺ゆるはあらず、幼女由伎子は三とせ七つきなり、かれが興じて叫ぶや、思ひのかぎり聲のかぎりに物いふ罪なさ、そが聲には飾りもなく奥底もなく、嬉しき心をさながらに響く、如何なる憤怒も如何なる憂鬱も、晴れ/\しき幼きものゝ聲を聞きては、日出てゝ世に闇を留めざるに等しきこそ尊とけれ。
 
 春の芽の若葉に開く幼なふりうらゝきよらに生ひ立ちにけり
たは
 草花の手把《たば》を手に持ちうま寐する幼き人を神護ります
 神の手を未た離れぬ幼兒はうべも尊とく世に染まずけり
 神の惠み深く尊とく授かりし子故に親はいのちのぶらく
 
     五月十五日
 
(467)     臺灣臺南なる、菅の山人より消息のいとおもしろし、石の井筒の、ふち厚きが上に、鎖つきたる釣瓶あり、それに添ふて草花の鉢植一つ、紫の花咲けるは何の花にやあらん、梅雨の期節にこそなど記して。
                      菅の山人
 つゆ晴れの新高山はつゆ晴れの富士の山にはなほ如かずけり
 
     とりたてゝ云ふほどならねど、遠き邊地の旅ごゝろ、期節の變りに驚きて、夢魂は時にやまとの空にくるらし。
 
 新高に雲居かゞよふ眞夏の日の大稜威能く歌ひこね
 片夏に諸樹繁らふ高砂のおごそかなるを見んよしもがも
 
     五月二十五日
 
     いさゝか風のこゝちにて頭重く引きこもり居りけるを、おもひのほかなる人のおとづれなり、しはし打語らふ程に雨も降り出でつ、小庭の青葉下に垂る雫は色も流るゝ思ひして、五月雨しのぶ靜けき一日畫を語り詩歌を語り、夜の更(468)くるをも忘れてけり、翌けの朝消息していふ.
                     格堂
 久方の天の岩笛吹きならし眠れる友をさまさむ我は
 
     こたへ歌
 
 照りとほる赤玉白玉いやさやに君が歌はゞ吾れ從はむ
 萬世を一緒につらぬき傳へたる神さなからの魂振り起せ
 
     五月二十六日
 
 みなみ吹き起る青あらし、
 若葉ほがらかに薫りあり。
 かゞやきゆゝしき日の光、
 天地ひろらに照りとほる。
 
 夏の雄神のみ心は、
 よろづのものをきほはしむ。
 いかづちともなふ雨に風、
(169) 山川やがて洗はれぬ。
 
 春を樂しと人はいふ、
 秋を悲しと人はいふ。
 冬を淋しと人はいふ、
 雄々しき夏を誰と歌はむ。
 
     五月二十七日
 
     「此日天候清朗なれども波高し」、意氣天を突きて心ほがらかなる此一語、日の本の民とあるもの、たれ一人忘れ居るものやある、今日は其の詞の出でたる日なり、朝より空晴て風あり、うたゝ二とせ前の今日をこそ思へ、おのづから黙して止む日にあらざるを覺ゆ。
 
 青葉如何に高波いかに見かほしやその沖の島竹の島の海
 日の本の男の子兒吾ぞいつかゆく其沖の島見ずて止まんや
 ロスどもを皆撃沈め歸り來て青葉の瀬戸に入りし時はも
 ロゼストをそこに捕へし鬱陵の島。うらくはし夕波青葉の鬱陵のしま
                           (旋頭歌)
 
(470)    〔根岸短歌會舊友會〕
 
     杙
 
 燒石の石原が中に石杙立て南無觀世音菩薩とかけり
 樺太を國二別けて境杙よろしく打てるいさほたゞへむ
 
    嘲笑歌六首
 
 猿眞似の小まねを好むもろ/\のまねのきほひに春賑はしも
 あたらしの春の上野を踏みあらしわれ勝ちてんと騷ぐもろ/\
 八十國の食物《おもの》くさ/\喰ひためし兒等と遊ぶにかなへるもよほす
 屋根の上にとかり立てねは外つ國のまねに負けんと力入れきや
 まね事の何はともあれ水噴かすまねはよくせと作れる水噴き
(471) 赤髭にまねばよけんと形《なり》も姿《ふり》も顧みはせず裸躰《はだか》でくの子
 
    〔消息の歌 五月十一日菅の山人へ〕
 
 蕃人のこもる八重山空になびき青葉色濃く夏來たるらし
 
    初夏憂愁子に寄す
 
 目を閉ぢて思ふは苦し天地の若やぐ夏に心移さね
 一歩み門を出てなは目にさゆる葉山繁山そこにあらずや
 若かへる夏のこゝろは天地に至りとほれり何か嘆かむ
 平かぬ思はありとも大丈夫は胸門《ムナト》を開け青嵐の風
 淺浴の藻苅の舟の物なづみ夙く踏み捨てゝ夏山を行け
 
    〔消息の歌 五月三十日菅の山人へ〕
 
(472) やまと人もろこし人とまじり住み緑日長に琴ひき笛吹く
 
    〔消息の歌 六月十日赤木格堂へ〕
 
 ぬは玉の醜の黒石しまらくは君にあづけん旅行く吾は
 
    丁未之夏讀我書屋にやどりて
 
 あさとこをいまだはなれず雲井にはひはりなくなり天氣よかるらし
 
    甲山展望
 
 帶をなす矢はきのひかしうらゝかに青葉につゝむ岡崎の城
 水ゆるき矢はぎの河のひんがしにひそめる龍や雲まき起す
 
    青葉の旅
 
     六月十七日大垣に潮音子を訪ふて共に長良川の鵜飼を見る
 
(473) 鵜飼まつ舟のいとまにぬは玉の夜川のほたる遠地こちを飛ぶ
 月よみのいまだ入らねば鵜飼らも舟出さぬらしさ夜ふけぬれと
 河鹿鳴く夜川の風の寒むけきに鵜飼待ちつゝさ夜ふけにけり
 鵜飼まつ小舟諸舟徒らにくらき夜川をゆきかへりすも
 うかひまつ舟の少女等灯をとりて暗き河瀬を何渡るらん
 
    丁未六月湯川氏の渚亭に宴す
 
 山のおくのを木曾のおくの薮原に月夜をかけて鳴くほとゝきす
 をきそちののほりきはまる薮原に青葉にやとり鳴く郭公
 
    森といふ題にて
 
 黄金色にうづにさかゆる椎森の若葉の奥に家居せりけり
(474) さみだれに君を思ふと君が家の忌森高森若葉せる見ゆ
 夏休み家戀ひくれば坂を出て家の森見ゆ吾家の森
 故郷の吾家の森は楠若葉推の若葉に我を待てりけり
 家人は早苗に出てゝ椎森のたひろき家に留守居樂しも
 
    〔青葉〕
 
 古の事は知らぬを耳無や畝火香具山青葉しみやま
 物さびし青葉の宿の五月雨に室にかなへる婆羅双樹の花(蝸牛庵即事)
 
    〔消息の歌 七月十八日胡桃澤勘内へ〕
 
     人は玉川の鮎をいふ我は玉川の桃を愛す
 
 くれなゐの桃の實わりて手にとれは花も忘れむ玉も捨つへし
 
(475)    桃の玉川
 
 玉川の雨の青葉の茲にしてくれなゐ濡れたる桃の實を賣る
 長あめの雲のとざしのをくらきにしかもくもらぬさやの玉川
 玉の名に負へる流れに桃の實のくれなゐひたせり誰がみさをぞも
 
    雲
 
     一とせの夏、相撲なる阿夫利の山に登りて、途に雨に逢ふ、密雲路をとぢて眞に天空を歩するの思ひせり、仍作歌一首并に反歌
 
 雨しとゞ、樹々の雫の、土に落ち、葉に落ち落つ、おとのみ、耳に聞ゆれ、足もとに、霧はまつはる、笠の手に、雲はたゞよふ、濡れそほつ、袂もおほに、夜晝の、別ちを忘れ、吾が心、無可有をたどる、天地の、覺えさまどひ、吾が心、雲路を驅ける、常には、腮かきなで、日知りさ(476)び、白雲戀ふと、ほこらへる、魂し怪しも醜のみやびを。
      反歌
 空間に道問ひ呼べば天雲に人の聲ありうつし世の聲
 
    〔消息の歌 八月八日古泉千樫へ〕
 
     波の音高くしぶき烈しき荒寥の一漁村に一人旅情を貪居り、今朝立秋と聞て又一種の詩情なとありて、
 
 朝きらふ磯ゆきくれは白妙の麻の衣に潮みちにけり
 
    〔消息の歌 八月十一日望月光へ〕
 
     天涯秋立と聞くも人界猶白衣を減せす
 
 夢のことしふきもおほにくも垂れて白波白く立ちさはく見ゆ
 
(477)    磯の月草
 
     上つふさなる九十九里に暑を避け一夕磯原に逍遙しつゝ秋立つ天外の雲を眺めて歌數首を得ぬ
 
 九十九里の磯のたいらはあめ地の四方の寄合に雲たむろせり
 秋立てや空の眞洞はみどり澄み沖べ原のべ雲とほく曳く
 ひさかたの天の八隅に雲しづみ我が居る磯に舟かへり來る
 ひんがしの沖つ薄雲入日うけ下邊の朱けに海暮れかへる
 和田津美の磯の廣らに三人居り八すみ暮れゆく雲を見るかも
 幼きをふたりつれたち月草の磯邊をくれば雲夕燒けす
 白雲もゆふやけ雲も暮れ色にいろ消えゆくも日は入りぬらし
 
(478)    水籠十首
 
     八月二十六日、洪水俄に家を浸し、床上二尺に及びぬ、みつく荒屋の片隅に棚やうの怪しき床をしつらひつゝ、家守るべく住み残りたる三人四人が茲に十日餘の水こもり、いぶせき中の歌おもひも聊か心なくさのすさびにこそ
 
 水やなほ増すやいなやと軒の戸に目印しつゝ胸安からず
 西透きて空も晴れくるいさゝかは水もひきしに夕けうましも
 ものはこぶ人の入りくる水の音の室《しつ》にどよみて闇響《やみひゞき》すも
 物皆の動をとぢし水の夜やいや寒む寒むに秋の虫鳴く
 一つりのランプのあかりおぼろかに水を照らして家の靜けさ
 灯をとりて戸におり立てば濁水動くが上に火かげたゞよふ
 身を入るゝわづかの床にすべをなみねてもいをねず水の音もせず
(479) ガラス戸の窓の外のべをうかゞへば目の下水に星の影浮く
 庭のべの水づく木立に枝高く青蛙鳴くあけがたの月
 空澄める眞弓の月のうすあかり水づく此夜や後も偲ばむ
 
    戀嫦娥
 
 高山のいはほに宿り夢疲れ魂は翔りぬ大空の上に
 天門《あまのと》に風立ちしかば四方つ空四方つ國土に寄合にけり
 蒼空の眞洞にかゝれる天漢《あまのかは》あらはに落ちて海に入る見ゆ
 ひんがしの空の一隈《ひとくま》やゝ白みやゝ朱《あけ》につゝ月出でんとす
 小夜ふけて天の白つゆ山を包み星の青空上にのみ見ゆ
 日を讀めば二十日の月を天の原の高山の上に迎へつるかも
(480) 月讀は神にしませば天の河ひた波蹈みて空渡らすも
 生死の頃を離れとことはに處女にいます月讀の神
 まばろしか夢かしら/\雲蹈ます嫦娥《をとめ》の神を目のあたり見し
 澄みとほる天の眞澄に肉《しゝ》むらのむくろ空しき思ひせりけり
 
    〔龍膽〕
 
     龍膽の繪に添て無一塵庵主に贈る  素明山人
 
 八幡の代々木の森は紅葉して龍膽の花今盛なり
 りんどうの花の名ところは豐多摩の代々木につゞく八幡の森
 君來ずや代々木の山は森つゝき小笠の原をりんどうの咲く
 
     和してよめる
 
 露霜に色のさびたる紫の龍膽の花よわれ思多し
(481) わか戀ひてなけきし人の好めりし龍膽の花をくれし君かも
 霜枯の代々木の森や龍膽の名所と聞てなほしなづかし 
 こゝにして思はんよりは走りゆき手とりなげかむ龍膽の花
 
    聖壽無疆
 
 國土の、顯し時より、うるはし、その蒼空、まくはし、その山河、豐足る、うましみ國を、渡津美の、神もなごみて、潮滿玉、ほぎたてまつり、潮干玉、祝ひまつりて、打靡き、つかへし後は、東の、大洋《うみ》の主裁《つかさ》を、國※[手偏+丙]の、負へるつとめと、さす汐の、いやつぎ/\、萬世に、つたへし心、國民の、健けくさやけく、御劔の、研きし心を、神ながら、御世知しめす、高光る、わが 大皇、ひとたび、めし給はし、再び、めし給はし、大稜威《おほみいづ》、振ひ給へば、御旗の、眞日の輝き、天地に、照りとほれり、仰ぎ見る、我が御民等も、大御世に、逢へる樂しみ、地《ち》におどるかも。
(482)      反歌
 相あたしあへる二國言向けて海に陸《くが》に民樂めり
 ふたゝびのあらしの後《のち》は打和《うちなこ》み眞日うるはしき日本島山
 
    大御世をたゝへまつりてよめる歌
 
 み空は澄みほがらかに。赤ら曳く朝日は昇る。うるはしや瑞國原。まぐはしやこの山河。鳥群れて魚さ躍り。唯楽し耳にも目にも。紅葉を折るえをとめ。菊を採るえをとこ。相舞ひてまた相歌ふ。歌はこれ天長地久の曲。
      反歌
 高光る日のかゞやきの豐榮にわが大皇の御世は興れり
 秋山の霜葉の色のおごそかに匂へる御世し尊とかりけり
(483) かしら重くおもへる敵を言向てひんがしのうみ守りとゝなふ
 
    〔消息の歌 十一月十三日望月光へ〕
 
 うつそみの人の作りし作り菊世にはびこりて古こひしも
 天地のなしのまに/\山に咲く菊を手折て謳ひ締らむ
 下つ世のほこり至らぬ高山のおきつ國べに咲ける菊かも
 
(484) 明治四十一年
 
    〔消息の歌 賀正一月六日依田秋圃他へ〕
 
 七人の子の親なれは何事も手まはりかねつうとしと思ふな
 
    〔消息の歌 賀正一月六日佐藤紅東へ〕
 
 名くはしき春又春と名のりつゝ歌又歌と言擧けもせよ
 
    家の樂しみ
 
 うら清き年の朝げに 奥の間に家内あつまり 父をひだり母をみぎりに
七人の兒等はまどゐす 九人《ここのたり》病も知らず 年神を祝ひことほぐ 年神や(485) ここにますらむ 産土神《うぶすな》もそこにますらむ 神々の守らす吾家《わぎへ》は 日を安く夜を平けく 萬世もかくてあらむと 嬉しもと思ひてあれば 見る
もの眼に樂しく 聞くもの耳にたのしく 食物はなべてうまけれ 吾《あ》は三つよ吾《あ》は七つよと 丹の頬《ほ》に笑みかたまけ 父を呼び母呼びさわぐ 天地は賑ひにけり わが家のため
      反歌
 神のめぐみ仰ぎ思へば人の子とおもへる吾もとどこほりなし
 天地のめぐみのままにあり經れば月日楽しく老も知らずも
 貧しきも貧しきままに救はれて神のめぐみの御手に住むべし
 
    戀の籬
 
     相思の人を里にやりて獨居の淋しさに堪ず戀情むら/\とゆらぐをゆらぐまに/\歌の詞に綴り見ぬ
 
(486) やりがてに下思ふこゝろ押隱し男さびして今悔にけり
 片時も離れがてにし思ひつゝ長閑《のど》にゆきこと何に云ひけむ
 吾か心からにしあれや書讀むと眼は落ちず妹が居らねば
 軒の端の梅の下枝の花遠みいたも淋しも吾がひとり居り
 妻ごひは誰もするとも只一日居ねば淋しみ人もするかも
 健男が妻をいつはるとおもへやも里に一日をいなと云ひかねつ
 わらはべに我れあらなくにいかなれやかくおほろなる戀をするかも
 家に居て心落ちゐねば園ゆけど思ひを遣らむ花もあらぬかも
 常かつて心かくさぬ友にしも吾がおろかしき戀は告げずも
 朝日さす窓のさう子の明らさまに堪えずよ妹と云はゞよけむを
(487) 母が云はゞ一夜すべなし明日來むと笑みて乞ひけむ吾が心知り
 冬されの庭の燥きは暮てふる雪に靜めど吾れなぎかたし
 水隈の淀みの底の心には思ひ耻ぬれ堰くすべもなし
 うつくしく思へる戀の堪へがてに手觸る吾が手を否と云はざりし
 おほらかに命をせねど堰く戀の此苦しさを堪ふべく思へや
 いにしへも神を恨みし戀ふ心を人に賜りて戀は許さず
 冬こもる梅の蕾の堅ふゝみ心にとちて戀ひや暮さむ
 百年に心足らせる吾戀もこもり果つべしはつるともよし
 和田津味の底つ玉藻のこもるべき戀にしあれど悔ゆる戀やも
 玉くしけ二つのかをりとり合せ成れる吾が戀こもりともよし
(488) さ丹つらふ妹が笑眉のうら若み曇らぬ笑みは吾れを活すも
 吾が心君に知れらば空蝉の戀の籬よ越えずともよし
 
    玉の歌四首
 
 白玉のぎよくの曲玉貫くべくは紫の緒に貫くべかりけり
 茜さすぎよくの勾玉赤玉の白綾衣にたふとかりけり
 白玉の憂ひをつゝむ戀人が只うやうやし物もいはなく
 白玉は色は透かぬを透かずとも底に疑ひありと思へや
 
    或女にかはりてよめる
 
 冬されは病いとはせかりそめの引風にだに心せ吾君
(489) かりそめの病にだにも思ひづと君がみことを聞けば悲しも
 うつそみに神のゆるさぬゑにしとはかねて思へど猶し悲しも
 女はも心は弱きわが嘆く言はな告りぞ吾おもふ吾君
 うつそみにつまと云はなく心ぬちに相戀ふらくは神も許さめ
 
    〔弔氷滑溺死者〕
 
     一月二十四日諏訪に遊ぶ同人相會して歌を詠む、これより前に氷滑に溺死したる人ありと聞き各弔歌を作る吾歌五首
 
 こほる湖に人沈めりと旅人の耳にも悲し此の寒き夜に
 もろ人の思ひ嘆きて手をつくすかひもあらぬかこの氷る湖
 今日もなほ沖邊に迷ふ小舟かなかばねのありか未だ知れずや
(490) うす氷蹈む危さも忘れつゝ有りけむ心偲ひかねつも
 うら若き人の屍二人までこもりて出でぬ湖を悲しむ
 
    梅
 
 うつそみに忍ぶひめ妻今宵もとかそけき園に梅を見にこし
 夕月夜園は空しく花寒み悲しき戀を泣くにかなへり
 こゝろ寒く悲しき汝れや梅の花笑みをつゝめる香に泣く吾れぞ
 小夜更て梅の花白し相嘆く二人のなけき霜とこりきや
 世にこもり戀ふとはすれと梅の花心は清し汝れや知るらむ
 かをり寒き梅の林に相戀ひし悲しき情語りつくさむ
 
    冬籠
 
(491) 冬ごもる明るき庵に物も置かず勾玉一つ赤き勾玉
 雪の道未だ開けず勾玉と古き書とに我こもり居り
 冬ごもる我を親む隣媼雪割蕈を今日もくれしも
 山人のつとの兎に冬ごもるいほりの七日淋しくもなし
 山かけの青菜の畠に小徑近み吾か冬ごもり事欠かずけり
 玉をめで茶をめで一人冬ごもり空しき心二十日過ぎしも
 
    疊
 
 くれおそく替したゝみの新疊草のかをりし春にかなへり
 新疊すかしき宿に春まとい鶯の音の鳴き合せすも
 幼而が庭の莖菜を引きむしり疊の上に花こき散らす
(492) 新疊かをる數寄屋に注連飾り日は高くして人の氣もなし
 
    皹
 
 あかゞりに飯をくはしめ口塞く汝がこせくりは黙に劣れり
 皹を水に濡して風しみるいたきつとめを知らずと思ふな
 あかゞりの汝が手を見れば汝を思ふ心に痛し汝を思ふわれ
 いとほしみこひて嘆けばあかゞりの手になほ/\し汝にこひまさる
 
    冬林
 
 朝霜の靜けき畑の桑の間ゆ杉の林に小路とほれり
 朝露に風も動かねは日は出れ林の木魂未た睡れり
(493) 天地は霜氣に明けて杉林おほにくらきを煙つゝめり
 腰かゝむ老の一人か朝霜に林を深く寺まゐりすも
 
    〔消息の歌 一月二十六日望月光へ〕
 
 君一人炬達にありてわかゆくをまつらんとおもふ心はゆらく
 
    蓼科雜詠
 
 白雪をかざしによそふ蓼科の麓のみ湯にのどに籠らむ
 天地のなしのまに/\黙し居る山も晴れては笑める色あり
 山川の鳴るも鳴らすもおのづからおのがまにまに世にしあるべし
 白雪の床敷く道をおりくれは軒の湯煙ゆく手つつめり
 朝空のいたも寒けく湯煙も高くは立たずおほにまよへり
(494) 馬の湯の外の湯の煙朝日受け雪の谷間は見るにのどけし
 
    紀元節之歌
 
 國土の、萬の物ら、待ちこひし、春は明けつゝ、天門《あめのと》に、まつ瑞あり、蒼海原、つきてのどめり、春の光、世に滿ちぬれば、食國の、豐秋津島、隈も落ちず、民落もなく、滿汐の、心足はし、うら若き、思湛へて、大
皇祖の、今日の祭を、祝ふ幸かも。
 夕月夜汐さしくれば梅園に通ふ水門《みのと》に音のよろしも。
 
    信濃謌
 
 篠みすず刈るや利鎌の
 とごゝろに戀ひて思へは
 淺間山燃ておもへば
 山七重|長閑《のど》に越つゝ
 八つがたけ年の八とせを
 立科のしなへ乙女に
(495) ねもころに我れは通ひし
 
 春されはつゝじ花咲く
 秋されば紅葉に嘆く
 冬されはみ雪はつめり
 思ひつむ心は千重に
 五百重山おくがも知らに
 大丈夫が戀ふる心は
 八つが岳八つ尾の峯も
 燒きて靡びけむ
 
    春の歌
 
 赤土の岡畑ふた町
 里を離れ我れ一人家す
 竹むらを近きうしろに
 松高き森のたふとさ
 軒にまとふ炊きの煙
 濱の鳴り音し長閑けし
 桑芽くむこの頃の春
 鶯や目白やまたほうしろ
 去りつきつ人にしたしむ
 牛は外に兒に乳をやる
 犬はねつ戯むれあきて
 砂あみつゝとりは遊へり
 稍低きさき澤の小田に
(496) 芹つむかわこの二人ら
 
 戀は忘る過きし世のゆめ
 名をおもふ心も消えつ
 桑兒近くかへるらしきに
 姉妹ら相いそしむと
 母にはかる小さき活動
 今は樂しなりはひのみち
 筆おきて桑刈らんわれも
 
    赤木格堂が外遊を送る
 
 天地に滿ち足はせる思ひ負て出て立つ君を歌詠み送る
 春三月梅咲く頃をますらをか世界めくると船出するかも
 大船に君乘りいてゝ顧みる日本しまねは霞おほへし
 大洋の波ふみさくみ大夫のゆくへき道を思ひつゝゆけ
 八十國の目をそはだてゝ我を視る今ゆく君はゆくしるしあり
(497) 毛の筆にふみ書く國の國ふりをさやに言擧げ手を振り歸れ
 久方の天飛ふ星の輝きを尾引き豐引きめぐり歸らね
 自が腹の空しき人らがしこ魂をつめくる如き君にはあらす
 大洋の間遠に動く蒼なみのゆるやかなれやいつくゆくとも
 雄心に男さぶとも待つ人のこと顧みて身をしつゝしめ
 
    〔消息の歌 三月二十三日山田三子へ〕
 
 言にのみきゝし岩國天さかる遠くもあるか周防のいはくに
 待つ人のありと思はゝ天つ星光をまきて又飛ひ返せ
 
    一日なりとも
 
 散る花のはかなき我れと嘆きけむ聖人《ひじりお》戀ひつゝ獨物思ふ
(498) 群肝の心の濁り思ひ悔ひ尊き人に戀ひ渡るかも
 あぢむらの騷きのゝしりかしましき世となりにけり古へ戀しも
 目を擧て世の中見れは自らを謹む人は稀れにたに見ぬ
 我れがちにおのれをほこる騷ぎをしよぎてあらなむ世には住むとも
 學びなき鈍人《おぞひと》我れや裏表《うらうへ》の世に交じはらむたづき知らずも
 愚我が人憎くまむと嘆けとも悲しき我れや我《が》を去りかたし
 少女等が白玉碗《しらたままり》に清水汲む清き心を一日なりとも
 
    難題短歌
 
     松を愛する古稀翁の爲に
 
 たけ高く雲に交はる老松の森神さびし家居なりけり
 
(499)     足といふ題にて歌よみける時に
 
 起ちそめていまだ一と月足ゆらにゆらゆらに歩むまな兒みどりこ
 手をめぐし足をめぐしみ緑兒の手足よごしゝ猶しめぐしも
 春宮の大宮造り久方の足場のやぐら天そゝり立つ
 
    〔消息の歌 五月四日赤木格堂へ〕
 
 八百日ゆく海の長旅いとまくしおもはぬ友を得てや語れる
 
    〔消息の歌 五月十日蕨眞へ〕
 
 カネハカルクルミヲトコハウタヨミテ繪モ巧ミナリクルミ男ハ
 
    麻葉會(信州松本)
 
      第一回課題 赤、若葉、漆器、躍る、洋傘
 
(500) 夏されば小木曾少女が丹つゝじのしづく河邊に物洗ふ見ゆ
 木曾川のねさめの床のそゝり岩千重の岩峰も草若葉せり
 萬世の物と神さぶ大石の赭けの三かげが淵をかくめり
 返すへき道とは思へど片身なる蒔繪の小櫛返しかねつも
 ふりに古りし鎌倉彫のさび塗の筐に盛りいつる空焚の物
 若草の青野が原を影遠く駒をどらする物部の伴
 若葉山明るき晝の河きしを傘を玉手のたわや女や誰ぞ
 
     第二回課題 麥秀、牡丹、土、とる、今日の即事
 
 梓弓契りし春も音もなくあたに吹き渡る麥の上の風
 麻葉野や雨暖く麥肥えてうら若桑の芽も暢にけり
(501) 萌黄さす桑の家居にはしけやし越の少女や人待つらんか
 待ち/\て得てし汝が文手にとると吾が手おのゝく心もどろに
 
    黒姫山
 
     〔一〕
 
 松山を幾重さきなる天つへに雪まだらなり黒姫の山
 こもりくの谷の若葉のしげり深み蛙ころなく越えさびしらに
 坂に生ふる松の林のたけ高に諸に芽立ちて花持つもあり
 新芽立つ山さの松の枝高みまつめ來鳴くも日のうらゝかに
 足曳の大澤森のしけり澤松杉の間も若葉うづめり
 
     〔二〕
 
(502) とこ冬の雪になやめるくねり松見るからなべて芽をきほひ立つ
 つゝじ咲く岡の松原松芽立ちおくの澤邊にきゞすたかなく
 つゝじ咲く小松が岡に蕨とり心のどにして君をしぞ思ふ
 心やりに蕨をとるとたもとほり思は去らず待つ人の上
 一人して心あきたらずつゝじ山松芽立つ山きゞす鳴く山
 
    湯山行
 
 しら/\と著莪の花咲く坂道を木の間雲飛ひ鳴くほ登ゝ幾須
 
    〔消息の歌 五月二十四日望月光へ〕
 
 赤羅ひく朝の湯の山目にあかす耳にもあかず小鳥しきなく
 
    〔消息の歌 五月二十四日久保田俊彦へ〕
 
(503) あかねさすあしびの若葉あかなくに石路坂道知らすきにけり
 
    〔消息の歌 五月二十九日長塚節へ〕
 
     藝者三人に歌を乞はれて
 
 繪の原に匂ふつゝじのにくからぬをとめ米子と一夜ねましを
 湯の山の岩間に咲ける著莪の花しやが名ふみとはとはに忘れず
 こゝにのみありといふなる菰野菊其の一丸の少女子あはれ
 
    〔觀潮樓六月歌會〕
 
 人皆に朱なる血潮ありといへどいかにかあらむ君がこのごろ
 日のめ見ぬこもりが下に色に飢て血潮あせたる思ぞわがする
 臘塗柄の絹の繪團扇おく机室きよらかに朝人もゐず
(504) 吾妹子をこしの旅路に雨しげく葉山繁山日もくれにけり
 石も鐵も切るすべあるを心ちふ人の思ひはせくすべもなし
 
    〔觀潮臘七月歌會〕
 
 現身の醜のむくろにとらはるゝ心は苦し燒かむ火もがな
 のがれいづる道は一すぢ生も死も此の一筋と戀はせまれり
 親に友に筋の立てりしわがみさほ今はあやなや戀のみだれに
 血になげく心は隱し言葉にはさきくといひて別るるかなしも
 許されぬ人に戀ひつつ白玉の清き思ひもこもりはつべし
 許さまく待ちもだゆるを許してと人の云はぬを誰に嘆かむ
 
    東京歌會
 
(505) かぶつちの太刀を手握り立出るたけるを追ひて寄り泣く少女子
 なげしなる鎗の塗柄に血潮手に握れるあとを見るが淋しも
 霧雨のはじめて晴れし宵月に蚊くひ鳥飛ぶ影夢の如く
 玉襷庭に水打つ少女等をたそかれきつつ飛びかふかはほり
 天の原安の河原に桔梗の花見し時ぞ世に戀ひにける
 紫の桔梗の花の里さびし君がおもかげ身にそひ去らず
 
    瓊乃音
 
 世にも嬉しき雪人小平大人、篠原志都兒を介して三たひ曲玉を予に惠まる、大人の厚きみこゝろ如何に報ゆべきかを知らず、歌人なる予は只歌を作りて聊か惠みに酬ゆるあらんことを思ふ、仍て三たび曲玉の歌を作る。
 
(506) 煤びたる四壁の庵に物はなし物は無けども二つ勾玉
 青丹照るうづの勾玉二つもち今神代なす吾がいほりかも
 いにしへの皇子大王も寶とぞ戀へる曲玉我れ二つ得し
 あなうれしこれの曲玉吾が心のどにゆたかに神さびにけり
 神のみてに觸りし勾玉またけくて今のうつゝに見るが嬉しも
 白毛髭八束豐垂る廣胸に青丹よろしきうづの勾玉
 
    岡千里か男子を擧けたるを祝して
 
 天人の笛吹川の河のへに甲斐の風流士男の子産ませり
 音さやに笛吹川の瀧つ瀬のたけくと祈る甲斐の兒の爲め
 白雲のつね居たゞよふ山の間にあれし男子兒心高かり
 
(507)    立秋清夜吟
 
 このゆふべ星の林のほがらかに空は秋なる色に沈めり
 端近にさ夜ふかしつゝ衣手の夜露はしるく秋といふことを
 久方の星際の空に秋を知りこころ爽かに物しなつかし
 小夜更の夜空の秋を一人戀ひ思ひはめぐるあの世この世と
 ますかがみ清き夜露に養はれ咲き出づるらむ秋の野の花
 
    七夕行
 
 たなばたの夜は近づきぬ然れども君に吾が逢ふいつの日にかも
 ひさかたの秋の初風こころぐし君に戀ひつつ花に物いふ
 秋されば必ず行くと君がいひしその秋の立つ今日の宵かも
(508) 天の川世の目あらはに相逢はむ戀にしあらば何かなげかむ
 天の原流らふ星もわがごとく蓋しや迷ふ見つつ悲しも
 
    心の動き
 
     一
 
 秋の空澄むに醒めくる胸門にしつく/\と我を顧みるかな
 風さやく槐の空を打仰ぎ限りなき星の齢をぞおもふ
 千五百秋の秋の千種の吹き返り遠く遙けく猶や咲くらむ
 ゆく雲の雲間の星のまたゝきをまたず消えゆく現身の世や
 秋の空の物悲しきに顧みて虚假をいだける心悔やしも
 天地のなしのまに/\鳴く虫や咲く百草や彌陀を知るらむ
(509) 今更に物はおもはず片よりに聖人仰がむ物は思はず
 うつそみの八十國原の夜の上に光乏しく月傾きぬ
 世の中に光も立てず星層の落ちては消ゆるあはれ星屑
 まなかひに見えて消ゆともおのが光り立てゝ消えなば悔いはあらめや
 
     二
 
 兩親の四つの腕に七人の子を掻きいたき坂路登るも
 かにかくに土にも置かずはくゝめは吾命さへそこにこもれり
 よきもきずうまきも食はず然れども兒等と樂み心足らへり
 よき日には庭にゆさふり雨の日は家とよもして兒等が遊ぶも
 七人の兒等が幸くは父母はうもれ果つとも悔なくおもほゆ
(510) すこやかに兒等が遊ぶに秋もあらず曇りもあらずうら/\常春
 暫くを三間《みま》打拔きて七人の兒等が遊ぶに家湧きかへる
 夜のまもり晝の守りともり給ふ神もゑむらむ兒等が騷ぎに
 柿も栗も成るしるしあり心から※[口+喜]しき聲の兒らが叫びに
 悦びをさながら聲に叫びつゝ※[口+喜]しむ兒等にまつはる花むら
 わくらはに淋しき心湧くといへど兒等がさやけき聲に消につゝ
 おのづから我を傾むけ父親の心たぎれば世は樂しかり
 幼兒は泣くもめぐしき七人の親なるからに然るにかあらむ
 
     三
 
 かりそめとふ言はにくしもぬめり多き君が心によりてにくしも
(511) 燈火のほやにうづまくねたみ風ねたむことはりなきにしもあらず
 雪見して雪に興ずる國人は革衣きるほこり知らずも
 吾門の松吹き折りし今朝の嵐いづくに和《な》きて人の眉吹く
 汽車のくる重き力の地響きに家《や》鳴りどよもす秋のひるすき
 打破りし硝子の屑のねばりなくすべなき人は見るも苦しも
 まかね路の汽車の動きを打ちなこむばねの力し尊とかりけり
 
    〔消息の歌 九月六日岡千里へ〕
 
 ※[口+喜]しさの心の限り聲に立て悦ふ兒等を見るか樂しも
 
    子規先生七週忌
 
     席上吟
 
(512) 秋草の花咲く頃にみまかりしみたま七年を忍ぶ雨かも
 さゝけたる大まろ玉菜は阿彌陀組み吾語り居る肩に並べり
 
    〔『犬蓼』口繪に題す〕
 
 かりそめの道のまよひに振る袖に觸るゝは惜しゝ露の白玉
 
    富士見短歌會
 
     草
 
 空近き富士見の里は霜早み色つく草に花も匂へり
 幾たびか霜はおりぬと不二見野は蕎麥草枯れて莖ら目に立つ
 秋ふかき不二見の原や草花のしみ咲く野べが霜にさびたり
 財ほしき思はおこる草花のくしき不二見に庵まぐかね
(513) 天地のくしき草花目にみつる花野に醉て現ともなし
 
     振
 
 天地に心打明け大丈夫は諸手を振りて死地も行くべし
 秋の夜の長夜々語りさ夜更に急須かたむけ冷茶ふりつゝ
 
     望月光の繪に題す
 
 秋草の花の廣原岡のはにひだの群山雪つめる見ゆ
 
     天長節
 
 御民等が家事おきて今日を祝ふ心清しく空に通へり
 菊祭り女のわらはらが紫の朱けの袴にいはひ場に立つ
 西東外にある民も菊の香にみ國しぬびて今日を祝はむ
 
(514)    〔消息の歌 十一月四日湯本禿山へ〕
 
 アルプスのそがひの野らにまどひせるたけるの而等が何か云ひ居り
 
     採草餘香
 
      一
 
 秋の野に花をめでつゝ手折るにも迷ふことあり人といふもの
 群肝の燃てちぎるゝ吾が思ひともしのねぢを心にもかも
 世の中の人のいがみの醜團《しこたまり》ほふりつくさは後は安けむ
 美しき笑まひの底に二心かくす眼し裂きて球くれ
 汝れ屋守なれがのろきと小鼠のこま/\しきとわれ解《げ》し難し
 うまし子に噛みて含ませ物やるとかみ聞ゆれと解せぬ君かも
(515) 差並のとなりの人の置去りし猫か子を産む吾家を家に
 うつそみの人なるからにまが心無くなり得ぬや我がおぞにもや
 
      二
 
 夜深く唐辛※[者/火]る靜けさや引窓の空に星の飛ふ見ゆ
 人のする旅にも出でず冬こもる香《こう》の友訪ひ七夜留れり
 冬の夜の夜のしづまりにペンの音耳に入り來つ我かペンの音
 物部をならしの原に梨の實の齒に心地よく笛吹きならす
 翁我れ耳の遠けくたける等が山ゆる聲も虻と聞居り
 秋更けて日和よろしき乾草のうましきかをり小屋に滿たせり
 
      三
 
(516) さぬつとりきゝすが立てる羽根音の強きどよみをつゝむ戀かも
 吾妹子が嘆き明かして脹面《はれおも》に俯伏し居れば生けりともなし
 赤羅引く朝日に對ふ朝霜のはかなき事を我れは思はず
 朝清め今せし庭に山茶花のいさゝか散れる人の心や
 立襖一重のおくに隔たりし君かけはいは人を死なしむ
 花匂ふ君か心に夕暗のほのかに觸れて身をあやまてり
 人を思ふ人の僞り根を深く問ひ明らめて泣きにけるかも
 僞りを知らぬ二人が世の中を生くすべ知らに思ひ切りきや
 世の中の罪を知らざるたわらはがおほにねたむし云ひ解きがてに
 
 
(517)     東の京なる人なむ、いたく信濃の風土をよろこへるがありけり、春の霞秋の草花の折々旅の遊ひを繰返すに、旅亭のものにも馴合ひけり、一とせの秋なりけり、明日は歸るといふ夜に、心まめなりける一人の女に、物など贈るにそへて、かくなん歌を戯れける、
 
 諏訪振りをひなとはにかみつゝましくものする君にあやになづめり
 
     明けの朝、空合いまにも降出てんさまなれは、やどのもの擧りて一日延ばし給はずやなどいふ、猶立ちてけり、汽車に程經て、袂のものに心つきぬるに、物のかをりゆかしき手絹なりけり恨みの歌をしるしあり、よべの返しとこそおほゆれ、いとこゝろにくし、
 
 秋草のしげき思ひも云ひかてにまつはる露を手に振りおとす
 
     机
 
 わか居間を我れと清めて朝心長閑に靜に文机による
 
    〔消息の歌 十一月十二日岡千里へ〕
 
(518) 冬枯の裾野に浮ふ三ケ月のうみを知らさる世人あはれ
 
    〔消息の歌 十一月十二日篠原志都兒へ〕
 
 冬枯のさひのおもむきつく/\と此湖のへに眺めつくしぬ
 
    管
 
 早稻藁のいろよき藁を管にぬき糸とらしけむ母をしそおもふ
 みとり兒が乳呑むゴム管手にとりもち物に興ずる心出でつも
 足乳根の母がかへさすぬき糸の藍をよみかも管に色づく
 
    冬畑
 
 凰立てば磯の砂畑砂飛て麥生も飛ふと畝蹈む媼女
 冬されの麥生の畑の立ち藁に風さやきつゝ磯の波見ゆ
(519) 乾きたる磯の砂畑麻霜の僅に置きて上しめりせり
 麥畑の畝間に僅かに殘れりし大根冬され物ふりにけり
 蠶豆も麥も縮まり凍て居れと春知る梅は花もよひせり
 
(520) 明治四十二年
 
    御題 雪中松
 
     一夕友を招いて相酌む、酒酣にして御題雪中松を咏む、友人筆を採り予口詠連りに十二首を記す、眞にこれ作れる歌に非ずして咏める歌也
 
 わがめづる庭の小松にこのあした初雪ふれり芝の小松に
 松の上にいさゝ雪つみ松が根の土はかくろし今朝のはつ雪
 芝原の小松が上にいさゝ積む雪をよろこび兒等がさわぐも
 植松のをみな小松は枝たわに雪になやめり拂ひてましも
(521) 初雪の松のながめをくはしみと室を清めて友よびあそぶ
 庭芝の小松が原にをとこをみな羽根つき暮れて雪ふり出でぬ
 年立てば松しなつかし松と言へば雪をぞ思ふ何故にかも
 月讀の光の凝れる白雪の岡の老松に夜は明けにけり
 白雪を山といたゞき老松のあをそら凌ぎ立つはゆゝしも
 大丈夫もうなゐをとめも打ち仰ぎ深雪が中の松をはやすも
 稚松につめばくはしきしら雪を老松が上に見ればいかしも
 大君のみ笠の松のさかえまつ今朝は雪つみあやにたふとき
 
    短詩會詠草
 
 
(522) うたがひの耳を氣づきて言ひ消たむ言にまどひぬ心もどろに
 
 
 絹張の火屋に立ちまふともし火をかくむ人らは言も靜けく
 
     或
 
 人ごゝろ或はうつらふこともあると危ふむ口を閉ぢて苦しも
 
     搆
 
 かまへても戀を戀ひなといさめいふ人によく似し君が顔搆
 
    東京短歌會一月會稿
 
 さかしらの口の滑りの言過ぎに事去りにけり懲りつゝもとな
 炭つげば火つきの前になる音のかすかに二人夜をかたるも
(523) 大桶の八尺の桶にかみし酒しらゆふはなと泡立ち湧くも
 思ふ事とにもかくにも男兒は世に聲あれな生けるしるしに
 猫の頭撫でゝ我が居る世の中のいがみいさかひよそに我が居る
 
    〔消息の歌 一月二十九日國府種徳へ〕
 
 此頃の月夜の風は人をして梅といふ心思ひいてしむ
 
    新短歌會詠草
 
 海の國山の國人性別ることしたふとし神のみこころ
 寒さゆり青きる月夜の春の夜のかかる折なり君を訪ひたりき
 あかかりに辛鹽くはしめ口うづく痛き思も自が心から
 雨まじる雪の遠道を學び舍に嘸といたはる父も母もなく
 
(524)    非行録
 
     題咏
 
 夜はあくと日はくれゆくと人に見えて大地はまろぶ億劫の世まで
 世にありと思ふ心に負ひ持てる重き荷を置く時近つきぬ
 ことわりに生くるならねば人のつくす正しき言も我を救はず
 
     春來
 
 ぬば玉の夜の起居の春ごころおのづからおもふ梅のまかきを
 雨やみて戸におとづるゝ風のむだ寒さはゆりぬ此の春の宵
 春めきし此の一夜さに梅もやと心動けば書讀みかたし
 さねさす相模の國の海の邊を思ひは駈ける其梅のべを
(525) 釜の煮えのおほに鳴りつゝ春とおもふ心はみちぬ夜のいほりに
 
     紅梅
 
 紅梅は悲しき花と語り居る臣の少女を繪にかけるかも
 おほかたはさもあらばあれ紅梅は朝日の映に見るべくあるらし
 ねたましき思ひをつゝむ手弱女の笑みにたくへむ紅梅の花
 かぎろひの朝日の軒に鮮かに咲きつゝ憂けき紅梅の花
 たそかれの月にかなへる白梅に夜はゆつりけり紅梅の花
 紅梅に春猶寒き朝な/\形つくりもいたつらにして
 紅梅の濃きくれなゐのなか/\に物思ふ色をつつみかねつも
 心なく咲くらむ花を物思ふ目に淋しみす紅梅の花
(526) おはしまに立て相見る姫少女かげろふ朝の梅のくれなゐ
 去歳はたゞ紅の花と思ひ見し今此の梅に嘆きするかも
 たわらはのあはれ罪なくかたまけてよろこびはやす紅梅の花
 
    東京短歌會二月會稿
 
 水瓶の底汲みすぎて垢に觸り垢汲む知らにくむ人あはれ(比喩歌)
 黄雲なす菜田に菜畑に打ち霞みおほにきこゆる浪のとどろき
 問ひつきて問はるゝ人も聲もなく只火桶にし炭なりそよぐ
 常世べを追ひやらはれし袋神法師となりて只笑ひ居り
 紫の匂へる兒等が緋の襷|干鰯《ほしか》植うる田に春の風吹く
 藤四郎が作れりしちふ瓦けの片もひ見ればいにしへ戀ひしも
 
(527)    己酉乃春礎山堂主人嚴君の爲に還暦の祝を擧くと聞て
 
 神業と樹を百萬おほし立てゝ老をことほく日にも逢へるかも
 松杉の森高々にそらにそびえ蔭ゆたかなる世を八千代まで
 樹植うる事をいのちとありし君を神も祝はむ人も祝はむ
 
    二月二十八日九十九里濱に遊びて
 
 人の住む國邊を出てゝ白波が大地兩分けしはてに來にけり
 天雲の覆へる下の陸廣ろら海廣ろらなる涯に立つ吾れは
 天地の四方の寄合を垣にせる九十九里の濱に玉拾ひ居り
 白波やいや遠白に天雲に末邊こもれり日もかすみつゝ
 高山も低山もなき地の果ては見る目の前に天し垂れたり
(528) 春の海の西日にきらふ遙かにし虎見か崎は雲となびけり
 砂原と空と寄合ふ九十九里の磯ゆく人等蟻の如しも
 
    〔消息の歌 二月二十八日長塚節へ〕
 
 九十九里の濱の兒供が拾ひ居る貝《けえん》ころといふ其けえんころわれは
    〔消息の歌 三月二日篠原志都兒へ〕
 
 白雪のとこしく冬の國人は早も見にこね春の上總を
 
    三月六日獨鶯を聞く
 
 あたゝかき心こもれるふみ持て人思ひ居れは鶯の鳴く
 此の朝小雨の庭に鶯や我が※[口+喜]しみをゆりつゝ鳴くも
 幼けに聲あとけなき鶯をうらなつかしみおりたちて聞く
(529) 朝もやに鳴くや鶯人ながら我れ常世邊に家居せりけり
 片町に掌なす我庭をあな怪しもや來鳴くうくひす
 鶯や吾家を近く汝か聲のうひ/\しきに我れまけはてぬ
 
    浮く煙
 
 春の葉の若やぐ森に浮く煙吾かこふる人や朝かしぎする
 吾妹子が炊くけふりと妹か目し現しく浮ふわが心とに
 春の樹に浮くさけむりのうつら/\妹にわが戀ふる我か戀ひこゝろ
 
    玉に寄せて
 
 白玉の眞澄の碗《もひ》に盛る水の清きを願ふ心あれこそ
 
    〔觀潮樓三月歌會〕             .
 
(530) 小石打ては水に起れる八重の輪の動きを見つゝ物思ひ涌く
 世の中ゆ我か氣にあはぬ人を除け除け盡しなば我も殘らず
 天地のならぬ時より天地は圓かにありし思ひぞ我がする
 羅浮の神はらからなれや梅の性直枝曲り枝二別れたり
 
    東京歌會(三月)
 
 湧き出づる十億劫の湛へ湯の蒼き湯つぼに朝湯あみ居り
 深き湯の蒼き水底に七色の光ゆらげり透きさす朝影
 板間もる強き日影はきら/\し湯つぼの底に波を映せり
 小夜更に痩火かき起し湯をたてて蕎麥湯つくりぬ病む母がため
 そば湯にし身内あたゝめて書き物を今一いきと筆はげますも
(531) ちゞまれる思ひ消につゝいねしなの蕎麥湯のあたたまり言にいひがたし
 まづしくて兒等のあまたを養へどそば湯あたたかく淋しくもなし
 人まねてほりする兒らに片碗の蕎麥湯汲みわけて夜更けしらずも
 人像と人との影のおのづからたがへる影を能く見て我が居り
 
    〔觀潮樓四月歌會〕
 
 只ならぬ事やおこれる金門さし朝から人の立ちさわぎ居り
 世の事も我事もなし花ちらふ長閑けき宿は今日も朝から
 
    無一塵庵歌會
 
 垂乳根の親の忌日を落ちもなくつゝしみ終せて獨り樂しも
 打ちとけて笑まひはしつゝ梅の花のなほかぐはしき妹がつゝしみ
 
(532)    東京短歌會
 
 まどろみのおほなる夢のほのかにも見るよしあらば堪へて居ましを
 天てるや日のほからかに打ち渡す岡の木原は木の芽青めり
 雨あがり垣穂に立てる山たづの角芽ほころび岡はかすめり
 足曳の木原にさわぐ風の音の思ふひまなく世を送る吾は
 
    己酉初夏京都なる靜處山人に寄す二首
 
 朝山に來居る白雲白雲の心靜かに獨り居るかも
 足曳の蒼繁山に天雲の動くを見つゝ古戀ふらし
 
    東京短歌會
 
 久方の天の廣らに青嵐夏のひかりは世にみちにけり
(533) 牛じもの角立つみればかなしもよ常に片去る汝か妻ごゝろ
 兒をねぶる牝牛の角の向き合へば常に片去る汝が妻ごゝろ
 
    〔消息の歌 五月十九日篠原志都兒へ〕
 
 君か爲にかけのよろしきねむの花そのねむの花その合歡の花
 
    東京短歌會
 
     梅雨
 
 さみだれのまた降り出づる夜の音の沖つ田闇に行々子鳴く
 松杉の高木の雫さみだれに大寺とちて人一人居ず
 
     乳
 
 めくはしき幼な玉手に乳管のゴムとりもちてうつら眠れり
 
(534)    〔消息の歌 八月二十二日蕨眞へ〕
 
 木崎の牛も見ずて歸りたる人を思ひて此はかきかく
 
    信州數日
 
     月の二十二日、予東都より馳せて松本に至る、會するもの城内、胡桃澤、篠原、湯本、久保田の諸氏。諸同人相見て只相悦ぶ。眞情言外にあり。共に相擁して薄暮淺間に至る。獨望月氏の病を以て此の行にもれたるを恨みとなす。家は小柳の湯といふ。樓上極めて遠望に富めり。
 
 常世さぶ天の群山朝宵に見つゝ生ひ立つうまし信濃は
 とりよろふ五百津群山見渡しの高み國原人もこもれり
 秋風の淺間のやどり朝露に天の門ひらく乘鞍の山
 
     舊に依りて淡如清明なる淺間の湯は、予をして深く故人上原三川子を偲ばしむ。
 
(535) 世にありて一度逢ひし君と云へど吾が胸の門に君は消えずも
 思ふにし心悲しも夜を清み月に向へる草の上のつゆ
 
     柿の村人子の偶居廣丘村にあり、二十三日、篠原志都兒と二人夕され路をたどる。廣丘は古の桔梗ケ原の一隅なりといふ。民家物さびて古を思はしむ。
 
 蟲まれに月もくもれるほのやみの野路をたどる吾が影もあやに
 古の事を思ひつゝさび家を暗き林をかへりみるかも
 家作り物々しきを煤さびて蠶飼に暗し世の移りかも
 
     二十五日、蓼料に入りて巖温泉に浴す。志都兒又從ふ。滞溜數日、予は蓼科山に老を籠らむと思ふ心いよ/\こひまさりぬ。
 
 思ひこひ生の緒かけし蓼科に老のこもりを許せ山祇
(536) 朝露にわがこひ來れば山祇のお花畑は雲垣もなく
 久方の天の遙けく朗かに山は晴れたり花原の上に
 秋草は千草が原と咲き盛り山猶蒼し八重しばの山
 信濃には八十の高山ありと云へど女の神山の蓼科我れは
 吾庵をいつくにせんと思ひつゝ見つゝもとほる天の花原
 空近く獨りいほりて秋の夜の澄み極まれる蟲の音に泣く
 山深み世に遠けれや蟲のねも數多は鳴かず月はさせども
 淋しさの極みに堪て天地に寄する命をつく/\と思ふ
 草の葉の露なるわれや群山を我が見る山といほり居るかも
 天地の目におもしろき物皆を憚る知らに我れ樂まん
(537) 後遂に我が住む山と親しみの心を持ちて見るがたのしも
 童べが母に物こひかねことをうれしむ戀をわれもするかも
 
    己酉初秋庭前即詠
 
 秋かせの涼しき庭に虫おひて兒等もあそへり※[奚+隹]も安曾邊利
 
    吾兒のおくつき
 
 夕雨にこほろこほろぎうら淋し新おくつきのけいとぎがもと
 おくつきの幼なみ魂を慰めんよすがと植うるけいとぎの花
 秋草の花のくさぐさささぐれど色は一日をたもたずあはれ
 數へ年の三つにありしを飯の席身を片よせて柿にゆづりき
 古への聖々のことはあれど死といふことは思ひ堪へずも
(538) み佛に救はれありと思ひ得ば嘆きは消えん消えずともよし
 幼などち姉と手を引き横歩み舞ひそばへしが目に消えぬかも
 群肝の心千切れと破り果てば我が悲しみは少し足るべし
 
    哀歌
 
 此秋や亡き妻なげく君故に木曾の霜葉は悲しかるべし
 わがせこに我子に戀ひて千五百秋の長き恨は木曾に殘良無
 
    東京短歌會
 
     冷
 
 しづ心常冷かに冷も知らぬ人能く見れば佛さびたり
 うつそみを然りと思ひつゝ冷かにあり得ぬが憂し悔とはなしに
 
(539)    〔朝〕
 
     月の十日の夜人々編輯會にまゐりあひて、卷の初めの歌はと語らふうち、遂に今よりかたみに一首づゝを詠まむとて作れる歌なり、固よりほこり得る歌とは思はず、
 
 はしばみのすがれ黄葉のひや露のあなすがしもよ此朝の晴
 
    懷砂之賦
 
     羽後の田澤湖は、又槎湖の稱あり、水の深きと其色の麗しきとは世に類なきところ、國人は、神のいます湖水と唱へ、深く肅敬して種々の神話を傳ふ、湖畔に一美姫あり、辰子と云ふ、美容の永久に變るなきを湖神に祈りしが、所願の容易に逐け難きを恨み、逐に湖心に投して死せり、國人祠を建てゝ之を祭る、其祠猶今に存す、予一日茲に遊ひ、美姫の神話を聞て、京憐の情禁すること能はず、即短歌十二章を賦して聊か其の靈を弔ふ。
 
 あらかねの國つみ神のみさをかも瑠璃湛へたるこれの水海
(540) 田澤のうみ靈しく活ける水の色に神を戀ひしと泣きし君はも
  うつそみに我れをゆるさん人を無み湖にのぞみてしが影を泣く
 はて知らぬ地底に通ふ瑠璃の海世にかゝはらぬ其水の色
 駒が嶺を吹き過くる雲の時の間に散るらん花と思ひ詰めつゝ
 黒髪をそびらにゆらがし手弱女が紅葉の下を舟乘り過る
 濁木舟の少女が過きしあとゆらぎ瑠璃の蒼浪にたゞよふもみち葉
 春秋に色あらたむる草木にもおのれを嘆く少女子あはれ
 いつくしむ親の心も湖に戀ひ姫がなけくをいさめかねつも
 月の夕べ紅葉の朝のうみの色に命を夢と家にありかねつ
 瑠璃色の水底にこもる鱒子等が湖のまに/\あるしこひしも
(541) 世の中にあやしく深き遠底の瑠璃の水底に姫は沈めり
 
    十一月歌會
 
     疲
 
 ひるすぎの日足いそしき山越に疲れの汗を温泉の宿の脊に
 
     神無月
 
 草紅葉霜にさびゆく神無月朝晴の野を飛ぶ鳥もなし
 
     茶の花
 
 おのが持つ玉におのほれ茶の花の世にうとかるを心にもせず
 
(542)  明治四十三年
 
    新年歌會
 
     冬晴
 
 霜とくる冬晴の朝の鳥屋清め巣鷄懲らすと水浴ませ居り
 雪もよひ雨にはれつゝ明らけく木原國原夕日殘れり
 
    少閑録
 
 しばしのま生くるもがきを免れ出でゝ梅のはるべに息つく我れは
 神業と清くたふとき梅の花に親むあいだ生けりとおもほゆ
(543) 梅の花さやかに白く空蒼くつちはしめりて園しづかなり
 日も好きに梅の淋しさ世の人はあまりに春にうとくこそあれ
 
    眞間の歌會
 
 古寺の庫裏くれ近く庭を寒みかくろき土に梅の花咲く
 
    彗星
 
 稻扱きて夜更けの風呂に男女《をとこをみな》あやしみ騒ぐ森の上の星
 をなご等がつね恐れ居る古楠のくらきが上に尾引く星かも
 
    土
 
 一かたまり土落すべみ人のいへば言のまに/\穴にのぞみて
 土の音を遂の別れとおもへども心おど/\しはふりのいそぎ
 
(544)    妻の里籠をいたはる
 
 はしけやし我が見に來れば産屋戸に迎へ起ち笑む細り妻あはれ
 産屋住み氣ながき妻が面痩せの清々しきに戀ひ返りすも
 産屋髪假りにゆひ垂れ胸廣に吾兒掻きいだく若き母を實《さね》
 
    田螺
 
 あひる等の。むれがすべなみ。大つぶの。田螺をいくつ。あひる等が。
すべなみするを。頸長に。嘴《はし》高鳴く。鵞に呑まれあはれ。木槌持ち つぶす田螺を あわて喰む あひるふためく 槌打ちがてに 整はぬ 和毛《にこげ》翅に 嘴さし入れ 寢ゐるあひるに 春の風吹く
 
    東京歌會
 
(545) 厨物質ふに事寄せ戀出づる女あるらしき春の宵かも
 ひた土になごみて走る護謨の輪の夜の小車人に知れずこそ
 あらきだの野土をねやし八重に塗り洞なす庵を好み住むかも
 
    曇
 
 五百重山千重の曇りの奥知らに深くつゝみて世に背くべし
 相生くる道志れたる穢土の世を避けむ我山とはに曇らね
 山深く入るとも飽かず天雲はとはに曇りて我れをつゝまね
 天つ風いたらぬ山の奥もがも曇りを願ふ心滿たさむ
 妻子等に背きし得ねば八重山の曇りが奥を戀ひて經るかも
 
    〔消息の歌 五月一日蕨眞へ〕
 
(546) 風なこみ麥の穗いつる春の野を人をこひつゝ我か一人來し
 目になつみ見の※[口+喜]しき和圓の椎の森むらあまた戀ひしも
 
    椎森
 
 蛙鳴く、      春の耕地の、
 色あやに、     菜の花なびく、
 麥生は、      穗の出盛り、
 日斜に、      風輝き、
 往來する、     男をみなも、
 國人の、      振しなつかし、
 取りかこむ、    槇の生垣、
 新芽立つ、     小松の林、
 家々の、      似寄の構へ、
 和圓《にぎまど》に 椎の高森、
 をさなきゆ、    吾好める、
 椎森の、      あまた戀しも、
 故郷の春、 
 
    東京歌會
 
(547)     緑
 
 あら土をならしゝ庭に目もさやに小草のみどり芽を群立てり
 
     即
 
 雨二夜櫻空しき此のあした太々と即ちいでし竹の子
 
     浮藻
 
    (五月二十四日七枝子一週忌)
 
 み佛と變りし御名をさゝげ持ち吾がにひむろにうつしまつりぬ
 禍の池はうづめて無しと云へど浮藻のみだれ目を去らずあり
 今日の日の夕ぐれ時と思ひくればつめたきからの有り/\と見ゆ
 濁水の池を八十たび悔いめぐり嘆き見しかどはきものも無く
(548) 去歳の今日泣きしが如くおもひきり泣かばよけむを胸のすべなさ
 人くれば人と笑ひてありといへど亡き兒偲ぶに我がむね痛し
 汝をなげくもの外になしいきの限り汝を戀ひまもる此の父と母と
 
    東京歌會
 
     ダアリヤ
 
 天地の哺育のまゝにあまえ咲くダリヤの花は幼なさびたり
 世の中を憂けく淋しく病む人らしまし茲に居れだありあの園
 
     白
 
 白妙の早苗をとめが笠紐のくゝしめの跡の顋赤みかも
 夕凉の河岸のたゝすみ細々し我がおもふ人のたゞ白く立つ
 
(549)     隱る
 
 月よみの夜のこもりに戀ひすべくなにに教はりし虫のもろ/\
 
    水害の疲れ
 
 水害の疲れを病みて夢も只其の禍ひの夜の騷ぎはなれず
 水害ののがれを未だ歸り得ず假住の家に秋寒くなりぬ
 四方の河溢れ開けばもろ/\の叫びは立ちぬ闇の夜の中に
 針の目のすきまもおかず押浸す水を恐しく身にしみにけり
 此の水にいづこの※[奚+隹]と夜を見やれば我家の方にうべやおきし※[奚+隹]
 闇ながら夜はふけにつゝ水の上にたすけ呼ぶこゑ牛叫ぶこゑ
 
    子規居士九周忌歌會
 
(550)     九といふ題
 
 九つを頭に四人をみな兒の父なりし日は未だ若かりき
 九たりの親の今なる我に猶人を思ふ情消えずあるかも
 
     千里眼婦人千鶴子來る
 
 ことわりに解けぬ女を七博士眼を見はりつゝ言も出でずけり
 物七重見透く眼に腹の底かくし得ぬ時何とするかも
 
    〔消息の歌 十月三十日岡千里へ〕
 
 戸隱の紅葉はおそし然れとも二人しくれは何もかも樂し
 
    あづさの霜葉
 
 飯つなのすそ野を高み秋晴に空遠く見ゆ飛騨の雪山
(551) 久方の天の時雨に道いそぐおく山道をうらさびにけり
 霜枯の天の高原飯綱野の山口のとに鳥居立ちたり
 草枕戸かくし山の冬枯の山おくにして雨にこもれり
 うす日さすあづさの紅葉しかすがに今かくるらむたゞよふ天雲
 おく山に未だ殘れる一むらの梓の紅葉雲に匂へり
 櫟原くま笹の原見とほしの冬枯道を山深く行く
 
    東京歌會
 
     背く
 
 むら肝の弱き心はもろ/\に背き能はねばとこひとや我は
 玉藻なすなびきねし兒もわれに背きわがねがふ子は産まず老いたり
 
(552)  明治四十四年
 
    悲しき罪のこゝろ
 
 打破りしガラスの屑の鋭き屑の恐しきこゝろ人の持ちけり
 親しみのなごみのこゝろ涸れはてゝ猶生けりける人を悲しむ
 我が妻に我が子になごむ情ありて何の心ぞも世に親まず
 むら肝の心の弱き病故に狂へる人の罪か悲しも
 日本人《やまとひと》常持ち來せる潤ひのうせはてしこゝろ神に背きつ
 
    冬のくもり
 
(553) 霜月の冬とふ此のころ只曇り今日もくもれり思ふこと多し
 我がやどの軒の高葦霜枯れてくもりに立てり葉の音もせず
 冬の日の寒きくもりを物もひの深き心に淋しみと居り
 獨居のものこほしきに寒きくもり低く垂れ來て我家つゝめり
 ものこほしくありつゝもとなあやしくも人厭ふこゝろ今日もこもれり
 裏戸出でゝ見る物もなし寒む/\と曇る日傾く枯葦の上に
 曇り低く國の煙になづみ合ひて寒む/\しづむ霜月の冬
 よみにありて魂靜まれる人らすらも此の淋しさに世をこふらむか
 我がおもひ深くいたらば土の底よみなる友に蓋し通はむ
 よみにありて人思はずろうつそみの萬を忘れひと思はずろ
(554) あめ地も合ふ時あるをうつそみとよみとは遂に合はず悲しも
 
    志都兒男子を擧ぐ
 
 年過ぎて男のこ兒得たるよろこびをよろこぶ家に春の日さすも
 その朝《あした》立科山の山眉に笑み動きけむきみが家の爲め
 君よりも君が父上母上の深きよろこび目に見ゆるかも
 
    思ひはつなゆめ
 
 蒼雲のそぎへの沖の船にだに言通ふ世を思ひはつなゆめ
 雪とけ庭|和《なご》める土を日に乾き世に離れたる靜けさを感《おも》ふ 冬の夜の天の足夜を獨り居り我か思ふまゝに事に耽けるも
 人を訪ふ道の固凝《かたごり》音寒く森の青木葉《あきば》の實の乏しかり
(555) 事に倦み庵こもる日を晝過ぎゆ雪降り出でぬ降る音もせず
 旅情いつしかなぎぬ島人の家々の燈《ともし》雪は雨となり
 
    東京歌會(二月)
 
     一念
 
 否なもをも思ひなほさぬ愚汝《おろかな》が心かなしくまけはてにけり
 
     見えず
 
 待つ人を終りの汽車に見えぬから出でむとするに逢ひにけるかも
 
    若き妻
 
 此の春を二十三なる花桃の若き吾妻に我かもひかへる
 國遠く四とせ空く相戀ひて逢ひし吾妻猶も若かり
(556) ことはりに背き背かずたゝよひの危くありし戀語らばや
 あらたまの四とせつもれりし戀ひもひをさねて交せる春の一夜や
 たゝなはる木曾の寢覺の岩つゝじ蔭にこもりて消ゆる戀かも
 
    東京歌會(三月)
 
     潤
 
 あわ雪の消えて僅かに潤ほへる青き飛石に鶺鴒か來し
 
     たゝる
 
 石室の雨に蒸す夜のくらやみにたゝりの神等つどひゐるかも
 
     干す
 
 乳呑兒の二人のおしめ山をなし干すすべなきを今日も雪ふる
 
(557)    東京歌會
 
 汝等二人相新らしみ世に立つと春の神々手を打ちはやす
 世の中に只二人ありと相思ひてさ寢し一夜は神のたまもの
 只一度神のたまはる新らしの情を清み相かはしてな
 飯綱峰のあめの高圓まどかにて千代もいませと歌かきおくる
 
    言づて
 
 いひなづけの妻を戀ひつゝ學び舍の黒木の門《かど》をわが入りかねつ
 ガラス窓に吾を見るひとわがおもふひとにはあらず吾心くるし
 何にゝ來つと問はれしときに苦しくもいつはりいひて面ほてりかも
 あひ見れば晴れたる空の和《のど》みつゝ庭の柳を風の搖るかも
(558) 親々も神も言寄せゆるしたる妻にわがこふるわがをさな妻
 たらちねの言傳もちて訪ひしかどわが戀若く人をおそるも
 おもふこと一言もいはず何氣なく別れて來しがこゝろ足らへり
 我妹子をなほをさなしとおもひつゝしかもをさなき我こひごゝろ
 
    若葉の晴
 
 うちひさす若葉の都晴れなごみものごゝちよく君に戀ひ居り
 遠く來て若きをみなの物學び花つくる手に飯《いひ》もかしぐも
 天つ風若葉の搖らぐ庭に立ちて衣かふるらむ君がへを思ふ
 あかねさす牡丹櫻の八重蕾きら/\し日に今か咲くらむ
 すが/\しき若葉の岡の學びやに女子《をなご》のともら花つくり居り
(559) 大宮の氷川の社若葉さし詣づる君が光儀《すがた》しぬばゆ
 國柄の色白君が病上り若葉すがしき家に居るらむ
 藍鼠似合へる袷も氣乗りせず何に若葉に嘆く君かも
 松雀《まつめ》鳴く若葉の岡に君待ちて神のめぐみを戀し時かも
 夢ばかり神の許せし親しみを若葉にかけて一生過ぎなん
 
    親友石原純君が東北大學の教授として任に仙臺に趣くを送る
 
 はしけやし君が至らば宮城野の青葉の岡に明り立つべし
 天か下に立ちたる君を離《さか》りとて何歎かんと思へどすべなし
 ことほぎて別るとすれど手弱女の女がすなる嘆きするかも
(560) かきろひの君がおもひと我がもひとあめに相合はゞ離《さか》りとは云はず
 君がたよりいつか松島見にゆきて雄島に行かばわれを偲ばね
 
    三ケ月湖にて
 
 久方の三ケ月の湖ゆふ暮れて富士の裾原票しづまれり
 夕ぐれの三ケ月のうみ雲しづみ胸しづまりぬ妹に逢ひし夜は
 こゝにして妹が戀ひしもゆふ雲のおりゐ沈める高野原の湖
 秋の花の三ケ月の湖をあくがるゝ心きはまり死なむとおもひし
 
    〔百穂筆自像に題す〕
 
 穗のきみがにくみをやめていますこし我をよく畫かせ庭の松虫
 
    富士見野にて
 
(561) 不二見野は野をさながらの花園に時雨の雲がおりゐまよへり
 秋草の花は園なす小松原木の子もさはに神の子我は
 すむ空ゆやがて這ひ來し白雲は人を花野にこめてつゝめり
 旅急ぐ我も行き得ず君も來ず秋草の花に立ちて嘆くも
 
    富士見野より
 
 小松原千種花原六人して木の子も籠にみつる※[口+喜]しも
 秋草の花のさかりを雨にこもりきのこを煮つゝ友八人かも
 
    〔消息の歌 九月二十三日小沼松軒へ〕
 
 不二見野の花野をこひて都より我れさへも來し秋の不士見野
 
    望月光男君のかける繪と聞て
 
(562) ひとめくりすきしこの秋その人のすさひのあとを見るか悲しも
 
    我が命
 
 今の我れに僞はることを許さずば我が靈《たま》の緒は直ぐにも絶ゆべし
 苦しくも命ほりつゝ世の人の許さぬ罪を侮ゆる瀬もなし
 生きてあらん命の道に迷ひつゝ僞はるすらも人は許さず
 わが罪を我が悔ゆる時我が命如何にかならむ哀しよ吾妹《わぎも》
 世に怖ぢつゝ暗き物蔭に我が命僅かに生きて息つく吾妹
 明るみに心怖ぢ怖ぢ胸痛み間なく時なく我れは苦しよ
 悲しみを知らぬ人等の荒らゝけき聲にもわれは死ぬべくおもほゆ
 世の中を怖ぢつゝ住めど生きてあれば天地は猶吾を生かすかも
 
(563)    東京歌會
 
     雲
 
 山も水も蔽ひてつゝめる雲の底に我が魂の緒を絶たむと思ひき
 
     枯野
 
 冬枯の野の朝霜にあせ殘る紅葉の色よかなしかりけり
 
(564) 明治四十五年・大正元年
 
    黒髪
 
 世に薄きえにし悲しみ相嘆き一夜泣かむと雨の日を來し
 日募るゝ軒端のしげり闇をつゝみかそけき雨のおとをもらすも
 ぬば玉のはしき黒髪しかすがにおもひ千筋にさゆる黒髪
 かぎりなく哀しきこゝろ黙し居て息たぎつかもゆるゝ黒髪
 燈火のさゆるが下にうち沈む妹がくろかみおもひ穗に立つ
 八つ手葉に折り/\ひゞく軒雫人はもだして夜は沈むかも
(565) うらすがしき頬にまつはる黒髪を見るに堪へねど目よは放れず
 胸つまるいたき思ひに黙《もだ》せれど黙しにも堪へず手をとり起つも
 
    花と煙
 
     壬子一月湯本禿山に逢うて去歳の信濃を思ふ
 
 不士見野のちぐさの秋を雲とぢて雨寒かりしゆふべなりけり
 諏訪の神のみすゑの子等と秋深き不士見野の花にいにしへ語るも
 不士見野を汽車の煙の朝なづみ我が裳裾邊の花は露けく
 不士見野はまだ霧居れど八つが岳の雲開き來て花見え渡る
 湯田中の河原に立ちて飯綱峰《いつなね》や妙光の山くろひめのやま
 黒姫は越のこひしき鯖石の我が思ふ人の郷の上の山
(566) 北信濃にとはに燃立つ淺間山秋の蒼そらにけぶりなづめり
 澄む食うに霜枯つゞく輕井澤うす暮るゝおくに家まほろ見ゆ
 歸りせく寂しき胸に霜枯の淺間のふもと日もくるゝかも
 霜枯野のうすくらがりに大けき悲しき山が煙立て居り
 こゝにして信濃に別る淺間山汝が悲しきをとはに泣くべし
 
    招魂歌
 
     あはれ究一郎、命を現世に寄すること僅かに十三日、幽かに弱かりし汝が霊魂、今いづれのところにか迷ふ。明界の一員として、名は國籍に記されたるも、汝が命を哀れみ、汝が俤と汝が名とを永遠に慕ふもの、この世に於て只汝が父と母とあるのみ。我れ茲に高く汝が名を掲ぐ。あはれ究一郎、幽魂速かに汝が父母に歸れ
 
 いきの緒のねをいぶかしみ耳寄せて我が聞けるとにいきのねはなし
(567) かすかなる息のかよひも無くなりてむくろ悲しく永劫《とは》の寂《しづ》まり
 よは/\しくうすき光の汝がみたま幽かに物に觸れて消にけり
 かくまでにうすき命を汝がみたま蓋し迷ひて汝れに寄れりや
 汝がいのち夢と淡しき母の子よ母を離れて汝は空しかり
 朝しめり日にかぎろひて立つかげの幽かなりし汝れよ吾が子と思へど
 はらからの八人のことも夢のごといのちかそけくみたま消ぬらむ
 ほそ/\と香の煙のかすかなりし汝が玉の緒をつく/”\と思ふ
 春寒の小夜の火桶を灰掻きつゝ胸のおくがに汝が見ゆるかも
 世に生きる命の力弱かりし汝が泣聲を思へば悲しも
 うらかなしくとはに眠れるそのみ目を今ひとたびと覆《おひ》の衣《きぬ》取り
(568) おもかげや神と尊くにほへりし淡しきみ目をとはに偲ばむ
 
    〔或る女に代りてよめる 一〕
 
 いにしへのをみなよなれとうちされてゑませしきみがかげにたつかも
 わがせこがきまさむよひをかきくもりゆきげにさむくなりてきにつゝ
 まちかたはまださわがしくよひなれどわれはさぶしゑひとりにてをれば
 
    〔或る女に代りてよめる 二〕
 
     早春家にこもる
 
 いさゝかのつかれをひと日こもり居て庭の椿にしたしみにけり
 友どちのふみくりかへし故郷の椿の家がこひしくなりぬ
 物靜かに春の朝寒む打解けてかたらふ時をいつとか待たん
(569) 初春の寒きこゝろは少女我がおもひに似たりものゝこほしく
 
    〔病める女に代りてよめる〕
 
 梅の花わつかに開く春寒の靜かなる家に人を待ち居り
 掻寄せてつめる雪つかこち/\といまだ凝れり我か病長く
 我病いゆる日知らに冴えかへる軒端に悲し紅梅の花
 我病年を越來て庭の戸に人も稀れなり紅梅の花
 我背子がいつも來ませる夕ころをいやさひしもよ紅梅の花
 
    四月歌會
 
 あはれにも悲しき吾れや心にもあらずもがきて恥はするかも
 しら/\と※[草がんむり/者]莪の葉ひらに降りし花あはれさびしゑわが心から
 
(570)    蒼生の哀慟
 
 天津日の、光尊く。雨風の、和みのめぐみ。民草は、生けるしるしを。天地に、うたひ※[口+喜]しみ。昨日まで、ありつるものを。如何なれや、ことも畏し。明つ神、わが大皇。うつせみを、いとはしまして。電と、神去りましぬ。もろ/\は、起居も知らに。夜晝、御橋につとひ。伏しまろび、戀ひなげゝども、せんすべもなし。
      反歌
 大宮の御橋の前に御民等がつとひをろかみ夜更け知らずも
 
    ほろびの光
 
 おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しと/\と柿の落葉深く
 ※[奚+隹]頭のやゝ立亂れ今朝や露のつめたきまでに園さびにけり
(571) 秋草のしどろが端にものものしく生きを榮ゆるつはぶきの花
べに
 ※[奚+隹]頭の紅《べに》古りて來し秋の末や我れ四十九の年行かんとす 今朝のあさの露ひやびやと秋草や總べて幽けき寂滅《ほろび》の光
 
    消息の歌二首
 
 飯綱峯のふもとの兒等は稻刈ると業しげくとも言は漏らさね
 人さはにありとは云へど群肝のこゝろの友は少なからずや
 
    曼珠沙華
 
 晃々しく秋の日かゝよふ陵に野菊色なし曼珠沙華の花
 曼珠沙華たけ低く咲く墓かねに虫の鳴く現《うつ》し馬の糞もあり
 曼珠沙華ひたくれなゐに咲き騷《そ》めく野を朗かに秋の風吹く
(572) 生物の血をむさほりて樂しげに有り得る汝れよ曼珠沙華の花
 牛馬の喰み殘したる曼珠沙華兒守の子等が來て折りにけり
 黒土の濕めれる道に夕日さし血を散らしたる曼珠沙華の花
 糸の如き花ひらの屑の紅けにだに死にても消えぬ笑みは殘れり
 蛇の子に何に親む曼珠沙華汝を思ふ時我か脉は死す
 幻を夢にうつゝに憧憬るゝ人等に悔いず曼珠沙華の花
しふね
 世の人を執念く咀ひて汝が笑むに親まれうる我とはなりぬ
 
    竹乃里人先生
 
 いにしへのひしりひしりと人はいへと我はひしりをまのあたり見し
 
(573) 大正二年
 
    大正の御代の始めに
 
 あたら世の年の名にそへる偉人《すぐれびと》出でよと嘆く民の聲々
 國民のなげきを餘所に國の爲め君の爲めといふ族《やから》多かり
 國民の多數の人の乞ひ望む事顧ず何をするかも
 八隅知し先の帝が國民に宣《のり》誓はしゝ事も空しも
 民の富是れ朕《わ》が富と宣給《のたま》ひしすめらみおやに戀ひ泣く我れは
 
    〔消息の歌 一月十三日石原純へ〕
 
(574) こと國をいやしとはいへ日本は臣《タミ》の命の塩に税とるところ
 
    〔消息の歌 一月十三日湯本禿山へ〕
 
 新しきをみなはめくし然れともあを臭き香に魂は消えつも
 
    何の文明
 
 年毎にくろがねの橋石の橋數を増しつゝ民は痩すらん
 飢に泣く民を憂ふる人は無くて空飛ぶ船が世を騷がすも
 民を富ます事を思はぬ人々が國守るちふさかしらを説く
 荒神の虎の怒りは恐れざる民といふとも飢には泣くらん
 千萬の物識人は溢れ居れど民をあはれむ眞心はなし
 言をこそ國民と云へ國民のこぞり求むる政治《まつりごと》はなし
(575) もろ/\の民の命の鹽にだに税を課するは耻ぢにはあらぬか
 耻づべきを耻ぢざる族《やから》が天皇の大みたからをもてあそび居り
 民の富是れ朕が富と明らかに皇祖帝《みおやみかど》は宣り絵ひしを
 
    あはれなる國民
 
 自らを自らたすくる道知らに呻き居るかも年いたづらに
 
    年明けてふみ兒は四つ鈴子は五つ
 
 我がこもる窓の外《と》のべにとゝと呼ぶをさなきふたり且つ相かたる
 黒髪のうなゐふたりが丹のおものまろき揃へて笑みかたまけぬ
 幼兒をふたりはぐゝむ我がさちをつく/\と思ふとみかう見して
 みぎひだり背に寄りつくを負ひ並めて笑ひあふるゝ眞晝の家に
(576) いとけなくめぐしき兒等が丹のをもの輝くいまを貧しといはめや
 白拷の新前掛けをうれしみときそひて父に告るか悲しも
 離れやに飯を呼ふへみきほひくる文子鈴子か石蹈む音かも
 
    靜なる日
 
 おとろへし蠅の一つが力なく障子に這ひて日は靜なり
 死にたるとおもへる蠅のはたき見れば疊に落ちて猶うごめくも
 厠に來て靜なる日と思ふとき蚊の一つ飛ぶに心とまりぬ
 壁の隅に蚊のひそめるを二つ三つ認めそのまゝ厠を出でし
 物忘れしたる思ひに心つきぬ汽車工場は今日休なり
 七人の兒等が遊ひに出てゝ居ずおくに我れ一人瓶の山茶花
(577) 日影去りて冷たくなりし靜けさを惜む思ひに黙坐つゝけぬ
 勾玉と鈴と柱に掛りありて床の山茶花に我れに靜けし
 
    大正二年の紀元節に逢ひて
 
 蒼空のひんがしのはて日の昇り若き人達のさかり迎へむ
 かけらふの春のひかりの豐明《とよあか》り海山はれてまつりおこなふ
 神代より人は爭ひきしかれども今日のまつりに相諌むべき
 今日の日をまことことほぎみそぎして民の上にあれ臣《をみ》の公達《きみたち》
 日の光り負ひて戰ふみいくさの打ちてし止まんの歌のとよめき
 民の背の重き荷を解きはれ/\と今日を誇らん日を戀ひ祭れ
 壁にさす白玉椿こゝちよく家の内外を今日はきよめき
(578) おもほてり目に醉來れば見る物に心は開く今を忘れて
 祭暮れて夕日木の間に燃殘るさびしき心にわれ生きにけり
 醉顔に外に出れは裏戸べの夕日さやけく蕗の塔青し
 
    梅花六首
 
 人さりてたそかれ淋し醉顔をさむき籬の梅の邊に立つ
 土凍てゝ蹈むにおとある梅の下枝をぐゞりて花すかし見る
 をみな子の八人の親のまづしさにひかりをします梅咲きにけり
 月ほそく梅の蕾のかすかなる我があこがれや空に合ひにけり
 二つ三つ梅の花知るく青空のしづまか下にうつゝともなく
 鳴りとよむ夜の都會の物音をよそに靜に梅の花寒し
 
(579)    〔牛二首〕
 
 立並ふ人の家居を自か墓と思ひてあらん牛心あらは
 青柳のなひく春野に草はみて群れ居る牛を神を思はん
 
    南總の春
 
 九十九里の波の遠音や降り立ては寒き庭にも梅咲きにけり
 春早き南上總の旅やどり梅をたづねて磯に出にけり
 月寒き梅の軒端に我こゝろいやさや澄みて人の戀しも
 湯の宿に一人殘りて晝過ぎの靜かなる庭の梅を愛すも
 故郷に兄一人居り老ぼけて村人も多く我にうとしも
 思出の古木の梅のさびまさり迎へ咲く花に我れ泣きにけり
 
(580)    小天地
 
     松杉三本四本の植込に、いくつかの飛石、さゝやかなる我小庭にもはや早春の潤ひ來るを見る
 
 朝起きてまだ飯前のしばらくを小庭に出でて春の土蹈む
 まづしきに堪へつゝ生くるなど思ひ春寒き朝を小庭掃くなり
 三四日寒気のゆりし濕めり土清めながめて生ける思ひあり
 海山の鳥毛ものすら子を生みて皆生きの世をたのしむものを
 兒をあまた生みたる妻のうらなづみ心ゆく思ひなきにしもあらず
 朝さえを靄とはなりぬ町のどよみ又常のごと我が小庭かな
 漬物に汁に事足るあさがれひ不味しともせぬ兒等がかなしも
(581) いとけなき兒等の睦びや自が父のまづしきも知らず聲樂しかり
 
    櫻花
 
 春雨の暖き夜をおくのまに兒等をあつめて花見約すも
 春雨におほに匂へる小金井の大いなる櫻思ひ浮ふも
 小金井の五百つ櫻の花霞匂ふ明かりに兒等と遊はん
 小金井や上野飛鳥と花かたり兒等はきほひぬ雨の足夜《たりよ》に
 兒等はねぬ花の思ひや夢に見ん雨もやみたる夜のけはひかな
 朝しめり庭の清かしき花晴れに殊に妻呼び茶を運ばしむ
 
    俳諧歌
 
 新しき人新しき女なといふことが世の中の問題になつてる
(582)彼等は人の眞性命女の眞性命といふことを考へずに只々新しいといふこと唱へて居る
 鼠をとる猫に如かずと大なる覺者コツポが言のたふとさ
 麥飼もとなりの飼はうましとそ昔の人も云ひてありける
 世の中の新物すきが我か持てる物の價を知らすさはくも
 うまきもの食はまく思はゞ何よりも身をすこやかに持つへくありける
 庭石の物ふりたるに水打ちて濡れたる色の新しみこそ
 
    養育院
 
 笑ふにも聲力なくほそぼそといのちは生きて明しくらすも
 梶棹もなくてたゝよふやれふねのあはれやこゝに死ぬる日を待つ
(583) 夫には棄てられ子には皆死なれ心うつろにむくろ殘れり
 自殺する人も多きを聞きし時おのが生けるを怪しむもあらん
 ゆるされし唯一《ゆいつ》の夢の世界だに弱き心はとりとめもなし
 只こゝに生かし置かれて罪犯す力もあらず死ぬもあたはず
 鳥けものに餌をあてがひて飼ふ如く養はれ居り人にありながら
 はらからを救はゞ救へ人とあるその魂の命をすくへ
 
    椎の若葉
 
 九十九里の波の遠鳴り日の光り青葉の村を一人來にけり
 椎森の若葉圓かに日に匂ひ往來の人等みな樂しかり
 桑畑の若葉そよめく朗かや白手拭《しろてぬぐひ》のをんないくたり
(584) 稍遠く椎の若葉の森見れば幸運《さち》とこしへにそこにあるらし
 桑子まだ二眠《にみん》を過ぎず村々の若葉青葉や人しづかなり
 
    ゆづり葉の若葉
 
 世にあらん生きのたづきのひまをもとめ雨の青葉に一と日こもれり
 ゆづり葉の葉ひろ青葉に雨そゝぎ榮ゆるみとり庭にたらへり
 わか/\しき青葉の色の雨に濡れて色よき見つゝ我れを忘るも
 雲明るくゆづり葉のみどりいやみどり映ゆる閑《のど》かを小雨うつなり
 みづ/\しき莖のくれなゐ葉のみどりゆづり葉汝れは戀のあらはれ
 
    在外の同胞に
 
 住む土地のめぐみを思ふ心ありてそこに住むべき道は開かん
(585) 日の光隈なき限ぎり人の行く正しき道は只一つなり
 おろかちふなこみ藥をよく知らぬ同胞達は今し悔ゆへし
 佛にも神にもまして尊きはおのれを責むる心【にそある・にやあらぬ】
 よしなくて人は憎ます憎まるゝ同胞達は今し悔ゆべし
 
    挽有栖川宮歌
 足引の  尾のへに高く
 青雲に  匂へる花の
 親はしく あやに尊く
 鳴神の  音にこひつゝ
 萬代も  かくてあらむと
 國民は  昨日の日まで
 思ひたりしを
(586) 山川の水のさやけき御心を今つくづくとこひたてまつる
 
(587)  年次未詳
 
    〔一〕
 
    隱棲
 
 世の人の望み思はず籠り居り畫のまねことに明し暮すも
 
    福壽草
 
 打火刺みやこの人は家毎に年ほぎ花とめづらく此花
 
    鶺鴒
 
 つぬさはふ石門のかどに神さびし聲高く鳴くもいしたゝき鳥
 
(588)    春夜
 
 春の夜の室の夜かたり長がたり釜師道爺か茶の物語
 
    春雨
 
 春雨の雨の永日を人も來ず物忘れして現《ウツヽ》ゆめに似たり
 
    春雨夜
 
 春雨の夜を一人居り心ぐゝ歌思へどもまとまりかねつ
 
    壁
 
 やれ壁を塗換しかば生かべの色めぐしもよ乾かずもがも
 
    雨漏
 
 妻ごもる屋根のやつれを繕ひし其夜雨降り漏らぬ※[口+喜]しさ
 
(589)    〔二〕
 
 打火刺宮まゐ里兒か花きぬのあやのうぶきに春の凰吹く
 小路かし貴也嘉羅遠韋郡無樂燒之毛悲のこゝろ於誰登加多らむ
 つゆ霜にい屋左や青葉伊耶左也に煙多な悲久朝山はた於
 ゆふつ久與閑个濃宇須らに左す庭の落葉を布免はおとのか曾計久
 
    精神の居住といふことを
 
 おのつ可ら流れてくたる水のこ登何にふるとも我をわする奈
 
    素明山人の画に題す
 
 水の動き山の潤ひ靈しくも登はゝ生くへくみ魂宿せり
 
    〔※[魚+是]漬〕
 
(590) 古郷の九十九の濱の※[魚+是]漬ひしと忍ばな其古郷を
 
(591)  俳句
 
    接木
 
 此春や澁柿に皆つぎ木せむ
 
    根岸草廬臨時俳句會々稿
 
 夏近き風のそよぎや風孕む
 
    雲雀
 
 三保に渡る舟の日傘や揚雲雀
 
    豆の花
 
(592) 軍艦の近ゆく浦や豆の花
 
    擬墨汁一滴
 
 道入の樂の茶椀や落椿
 
    春雨
 
 つはぶきの古葉かりけり春の雨
 八ツ手の芽のもの/\しさよ春の雨
 
    青
 
 緑青の裸佛や春の雨
 
    桃
 
 そら豆の三うね四うねや桃はやし
 
(593) 砂原や背皆低き桃はやし
 草鞋はいて男茶をうる桃の花
 桃林にせまつてのぼる白帆かな
 藤塚の桃林遠し揚雲雀
 遠里に辛夷も咲や桃畑
 
    〔鵜川歌俳會〕
 
 蔓ひきてかつ甘藷堀るよ礒畠
 
    〔欣人天狗〕
 
 見憎さよ欣人天狗の鼻の蠅
 
    俳句
 
(594) 山の井に初夏なつかしむ太藺哉
 萱草と太藺と生けて抹茶哉
 爐塞て古硯を風爐の小板哉
 つくばゐの石間々々のしだ若葉
 
    時宗贈位
 
 千年の火山晴れたる青葉哉
 
    夏
 
 水亭の柱に繋ぐ涼み船
 
    皿
 
 桑の實を畚より移す木皿かな
 
(595)    〔冬籠〕
 
 冬こもり大なる釜を愛す哉
 
    韮
 
 誰食はで韮茂りたる畠かな
 
    蚊帳
 
 宵月や蚊帳を繕ふ蚊帳の中
 
    華園亭を辞す
 
 竹の子をもてなしもせぬうらみかな
 
    〔年賀〕
 
 七日まで年賀もやらず遊び居り
 
(596)    戯れに俳句を模して櫟※[窗/心]翁の高評を乞ふ
 
 鳥羽玉の木のしりますや時雨雲
 
    〔民部里靜送別〕
 
 けいとうは赤し月草はうすし秋の風
 
    〔夜寒〕
 
 戀人のぬすみを知りし夜寒哉
 
          〔2022年8月12(金)午前10時5分入力終了〕