左千夫全集第七卷 歌論 隨想三 1977.6.13
 
萬葉集新釋 一卷上 十二―十六…………3
歌人閑語………………………………………28
東京より………………………………………36
雨が大好きだ…………………………………38
文士と八月……………………………………40
短歌合評………………………………………41
『アララギ』第二卷第一號選歌評…………47
蓼科山中より…………………………………49
執筆……………………………………………50
短歌研究一 …………………………………51
作歌余滴………………………………………62
放縱欄と歌會の歌……………………………65
『アララギ』第二卷第二號消息・稟告……66
短歌研究2 …………………………………68
東京短歌會……………………………………76
木曾だより……………………………………77
短歌研究3附記 ……………………………78
『アララギ』第二卷第四號消息……………79
予の見たる子規子……………………………81
萬葉集新釋 一卷上 十七―十八…………83
柿本人麿論 萬葉新釋一卷中 十九………96
萬葉集新釋 一卷中 二十―二十二………106
短歌研究四 …………………………………127
慨嘆すべき歌壇………………………………130
消息に代て一言を附す………………………137
妙な我れ………………………………………138
短歌研究五 …………………………………141
短歌研究六 …………………………………144
短歌研究に就て………………………………147
名士と花………………………………………148
歌と櫻花………………………………………149
短歌研究七 …………………………………153
曙覧之歌に就て………………………………160
『アララギ』第三卷第四號選歌評…………163
唯眞抄一 ……………………………………164
短歌研究八 …………………………………167
『アララギ』第三卷第五號選歌附記………176
卷頭の歌………………………………………177
唯眞抄二 ……………………………………178
閑文字…………………………………………181
『アララギ』第三卷第六號消息……………183
「懸賞吟咏」選歌評…………………………186
茶の湯の手帳四 ……………………………187
忘れ片身………………………………………189
唯眞抄三 ……………………………………190
アラヽギの評論に對する創作の批評に就て…193
『アララギ』第三卷第八號消息……………201
短歌研究九 …………………………………202
堀内卓君を悲む………………………………205
唯眞抄四 ……………………………………208
短歌選抄一 …………………………………210
短歌研究十……………………………………226
唯真抄五 ……………………………………232
『アララギ』第四卷第一號消息……………234
萬葉集新釋 一卷下 二十三―二十六……236
唯眞鈔六 ……………………………………262
唯眞閣夜話一 ………………………………263
茶の煙一 ……………………………………267
小説「分家」を出すに就て…………………270
八行欄「雨の花野」…………………………271
短歌研究十一…………………………………273
茶の煙二 ……………………………………276
『アララギ』第四卷第四號消息……………278
茶煙抄三 ……………………………………279
アララギ抄……………………………………281
牛舍での立ち話………………………………293
唯眞閣夜話二 ………………………………296
茶煙日抄一 …………………………………298
唯眞閣夜話三 ………………………………300
茶煙日抄二 …………………………………304
「分家」の筆を措いて………………………305
『新小説』選歌評……………………………306
子規正岡先生…………………………………308
茶煙日抄三 …………………………………311
滿洲雜詠序……………………………………313
短歌研究餘談…………………………………315
茶煙日抄四 …………………………………322
日本國民の嗜好的生活………………………323
獨語録一 ……………………………………328
獨語録二 ……………………………………329
短歌選抄二 …………………………………333
『我が命』に就て……………………………352
『アララギ』第五卷第一號消息……………359
獨語録三 ……………………………………363
修養之工風……………………………………367
懸賞文藝「新年」選評………………………371
感想……………………………………………372
新しい歌と歌の生命…………………………373
アララギの歌に就て…………………………378
獨語録四 ……………………………………380
『アララギ』第五卷第三號選歌評…………382
懸賞文藝「早春家に籠る」選評……………383
強ひられたる歌論……………………………384
『新小説』選歌評……………………………392
礎山先生論……………………………………393
柿の村人君へ…………………………………396
藝術上の氣品と云ふ事に就て………………399
朝風暮雨………………………………………404
予の「分家」に就て…………………………407
表現と提供……………………………………408
どうも氣になる………………………………413
おことはり……………………………………416
談話會記事……………………………………417
『悲しき玩具』を讀む………………………419
緑汁一滴 上…………………………………426
叫びと話 上…………………………………439
乃木大將自刃の觀……………………………445
日本人は戰爭が強いばかりだ………………446
雜録三題………………………………………448
歌學び一口話…………………………………456
短歌選抄三 …………………………………459
緑汁一滴 下…………………………………479
獨語録五 ……………………………………483
文明茂吉 乃村人評…………………………486
古泉千樫中村憲吉評…………………………491
叫びと話 下…………………………………495
歌の潤ひ………………………………………505
叫びと俳句……………………………………512
御製より觀奉りたる仁徳天皇………………524
名士の愛讀書…………………………………556
短歌選抄四 …………………………………557
 
 
(28) 歌人閑語
 
     〇根本問題
 
 何事の上にも、何時までも根本の問題を云々せねばならぬ樣では實は仕方がないのである、乍併どういふものか當世の人は、其根本の問題を疎にして、手取早く上面に事をやりたがるのである、土臺を作ることを考へないで早く家を建てたがるのである、であるからどうも本當の物が出來てこない、洋行歸の某畫伯がかう云つた事がある、
  日本から巴里へ留學した洋畫家で、本當にデツサンから仕上げてかゝる人は殆どない、大抵はデツサンをえい加減にして油繪をかくから、教師の方でも其積りでえい加減に教える云々
 成程それで見ると本當の油繪は出來ない譯だ、是は一場の坐談であれど、當世実術界の一面が判るやうな氣がする、それでも洋畫家は未だ日本畫家よりは眞面目であるのだといふ事である、彫刻家固より然であらふ、以て美術界の消息を察するに難からずだ、春秋二期の美術展覽會も、どうも淺薄な技巧の競爭としか思へない、根柢ある實力ある作物は容易に見當らない、素人にそれが解るかといふものもあらふが、畫に精神のあるかないかは、常に部分的技巧に没頭して居る黒人よりは却て素人の方が能く解るのである、根本の問題を疎にして居るといふ(29)ことが、隱さうとて隱し得らるるものではない、
 然らば文學界はどうであるかと見るに、更に甚だしきものがありはしまいか、或人は今の文學は今の繪畫よりは進んで居ると云ふたさうだが、それはどんなものか知ら、
 近く二三年の間に現はれた小説中には、勿論讀者を悦ばしめ讀者を樂しましめた作物は乏しくあるまい、併し讀者をして尊敬を拂はしめた作物があつたであらふか、予は寡聞にしてそれを聞かないのが遺憾である、
 今の文學者なるものゝ態度、今の文學者なるものゝ精神、引きまとめて云へば、今の文學者の人格、それ等が能く一般社會から尊敬を要求すべき資格があるかどうかである、文學界の根本問題と云へば、文學者の人格問題より外にはない、人より尊敬を受くべき人格がなくて、どうして尊敬すべき文學が出來やう、人格なき文學界から大文學を要求するのは、山中から鯨を得んとするやうなものだ、
 今の文壇の議論を見ると、曰く自然主義曰く非自然主義日く理想派云々、曰く近代的思想曰く時代の要求と、要するに部分的議論と末節的議論で許り持ち切つて居る、
 根本的人格問題を拔きにした、主義の議論は、どう甘く論じても、つまりは勝抜の力自慢に終つて了ふ外はない、人格高い作家が出れば、自然主義でも理想派でも、どつちにしても必ず相當な作物が出來るに違ない、いくら極端な論者でもこれを非認することは出來まい、であるからどうしたつて人格論は第一義で、主義の論は第二義である、こんな議論は古い話で極りきつた議論ではあるが、何程議論を繰返して見ても、結局第一義から固めてかゝらぬ議論は、砂上樓閣を築くの愚に陷いる外はない、
 それで今の社會は今の文學者に多くの尊敬を拂つて居ないのが事實である、小説を買つて見る人は少くないに(30)しても、小説に尊敬を拂つて買ふ者の少いも事實である、
 文學者を尊敬するの道を知らない社會は幼稚である、社會の尊敬を受け得ない文學者は卑い者である、これは云ひ樣に依て何れとも理窟はつくけれど、今の社會は軍艦一隻を國家の問題とするの知識はあつても、文學者一人を國家の問題とするだけの知識はない、さうして軍艦は金さへあれば出來るが文學者は金の力だけでは出來ない事を解し得ない社會である、であるからかういふ幼稚な社會から尊敬がないとて、直に今の文學者を卑しい者と斷じ去ることは到底出來ない、
 乍併文學者なる者は如何なる場合に於ても社會の先覺たるの位置に居るべき筈であるから、社會が自己を尊敬すると否とに係らず、必ず高く自ら守持する所なければならぬ筈である、苟も此の精神と此態度とに欠くる所がある、文學者たるの人格に全きを得られないは云ふまでもないことである、
 以上の如き見地から今の文學者を評するとせば、如何なる結論を得べきか、予は遺憾ながら今の文學者に多くの欠陷を見ない譯にゆかないのである、冷酷なる或評家はいふ、今の多くの文學者は、甚だ卑しむべき名利の念に支配されつゝ、猶容易に藝人的態度を脱し得ないのであると、果して然りや否、予は今そこまで立入つて酷評するの材料を持たない、
 只々予は今の文學者に有數なる人々が家庭に於ける好尚の余りに淺薄なるに驚くのである、そは其人々の作物が明白に事實を傳へてあるから云ふのである、性欲的肉欲的事件を文學の材料とするは固より差支なしとするも自己の嗜好までが性欲的肉欲的趣味を出でずとあつては、社會の先覺たるべき人格を如何にして全くすべき、予は大なる疑をそこに起さぬ譯にゆかない、
(31) 最も高き精神と最も嚴なる態度とあつて、始めて性欲的にも、肉欲的にも、醜陋なる人間の内面に尊い意義を發見し得るのであらう、彼のゲーテは壯時羅馬に遊び、深く伊太利の古代美術に親み、始めて安ずる所ありしと傳へらる、予は今の文學者が是に似寄つた用意あるをも聞かない、人の好尚は其性格に依て異なることあるとするも、精神修養に資するに何等か高尚な趣味に親むの工風がなくてはならぬ筈である、
 或は今の文學者にそんな餘裕はないと云ふかも知れねど、酒樓に快を呼び一夜數十金を散ずるの餘裕があれば、大抵の事は出來るのである、高い人格がなければ高い文學は出こはない、是れは何と云ふても根本の問題である、
 歌壇の上に言及するとなると當りさはりのつく恐れがあるが、予は歌壇の上に一層聲高く人格問題を叫びたいのである、人格問題といふと語弊があるかも知れないが、茲で人格といふことは人を輕侮するの意味を含んでるのではない、
 今日歌人といふを以て名を知られて居る人々の内で渡世の意味を離れて歌壇に立つてる人が幾人あらふか、歌人と雖も生活以外に立つことは出來ない、渡世の意味を以て歌壇に立つといふことを直ちに排斥も出來ないが、予が茲でいふ渡世の意を帶びて居るといふのは今の歌人が作物を賣つてるのではなく、師匠をして即ち人を教えるといふことを主とせる歌人が多いから云ふのである、作つた歌を歌集として賣るだけならば、そは多く咎むるを要せぬと思ふ、只今日の歌人は弟子とりのやうなことをして渡世として居るから困るのである、畫家が畫をかいて報酬をとる、書家が書をかいて報酬を取るならば、それは少しも差支ないことで、如此行爲が決して美術家たるの人格を損ずることはないのであるが、若し其畫家や書家が、畫を教え書を教えるのを主とする樣になつて(32)は、眞の畫家でもない、書家でもない、小説家が若し自分で作ると云ふことよりは、小説を作ることを教えて渡世としたらば、最早其小説家は文學者たるの資格はない、
 今日の多くの歌人に眞詩人たる人格がないといふのは、今の歌人が多くは師匠をして居るからである、一面に人を教える師匠の態度をして居ながら、詩人顔文學者顔をして居るから卑しむのである、主なる人に師匠の根性があるから其下に幾派も幾派も出來る、それで故意に褒めたり故意に惡口云つたりするといふ事が起る、渡世の意味で雜誌が経營される、渡世の意味で評論が書かれる、皆私心の交つた行動である、それが卑しいのである、さうして居て一面には文學者顔して居やうと云ふのだから可笑しいのである、
 自己に何程の修養があるか、自己に何程の作物があるか、本當の作物は勉めに勉め、勵みに勵んでも、容易に出來ないのが普通である、然るに自ら修め自ら學ぶの念に乏しく、早くも人を教えやうとするのは、余りに淺々しい心得ではないか、淺薄な智識や淺薄な經驗を賣物にするといふは心あるものゝ最も耻づべき事である、それも或場合にそんな事もせねば親も養へない子も育てられないと云ふならば多少恕すべき點もあるが、今の歌人中には文學者としては此師匠をすることの耻づべきをも知らぬらしい者もある、
 後進を導くといふやうな事は、或程度まで其道に熟達した人が、報恩的に義務的に余儀なくやるべき事である、それでも求道の精神から見ればよい事ではない、生若い年輩で早く宗匠的態度をするなどは、陋劣眞に唾棄すべきである、
 如斯卑しむべき態度と精神で、歌を作り歌を評す、共結果は云ふに及ばぬ話である、忠實な研究は正しき態度でやらねば駄目である、正しき態度は正しき精神でなければ出來ることではない、正しき精神とは何か、眞詩人(33)たるの人格を自覺することである、
 眞の研究は、どこまでも眞面目で謙虚でなければ決して出來るものではない、自慢心があつたり我執が強かつたり私心が多かつたりして、それでどうして本當の研究が出來やう 實に解り切つた話である、
 今の世の中では、文士と云はれると何となく極りが惡い、歌人と云はれると馬鹿にされた樣な氣がする、これはどういふ譯かと考へて見ると、今の小説家や歌人と云ふ人々の、精神及び人格に欠くる所があつて、知らず/\の間に人の尊敬心が落て居るからであらふ 吾々は深くお互に顧みて勵まねばならない、予は吾阿羅々木諸同人の責任が益重い事を思はない譯にゆかない、
 
     〇歌の詞
 
 『アカネ』二卷一、不空氏の歌中に、『み霜の下の』と云ふ詞がある、『さ遠し』『眞椿』と云ふ詞がある、それから比露思氏の作中にも『さ昇る』といふのがある、
 成程『み雪』といふ詞があるから『み霜』と云へない事もないかは知らねど、さうすると『み雨』とも云へる譯だ、『さ遠し』『さ昇る』も『さ渡る』といふ詞があるから云ふのであらふが、かういふことは少しも作者の働にはならなくて只濫用の感が先立つ許りだ、どういふ積りでこんな淺薄な濫用をするのか、これでは古語をヒネクルと云はれても仕方があるまい、造語といふことを思ひ違いをして居るのではあるまいか、『眞椿』といふことを差支ないとしたら、眞松眞柳などゝいふのも出てきさうで、寧馬鹿々々しい氣持がする、諸同人中の作には、『ま』『み』『い』などいふ助字が能く使はれるけれど、かういふ助字を用意なく濫用すると、一種の厭味に陷い(34)るから注意してほしい、古語を用ゆるには其古語を活して使うといふ工風がなくては困る、殊に漫然として古語に似寄つた、先例のない助字を使ふなどは心のない、業と云はねばならぬ、
 『惚れる』といふ詞を齋藤氏は非常に面白いと云つて歌によみ込だ 三井氏は惚れるなどいふ詞は歌の品位を破る語であるといつてる、二卷二號でも『さういふ事をどうでもよしと放つては置け不申』と云つて居るが三井氏は只いけないと許り云つて其いけない理由を少しも云はないから、惚れるといふ詞がなぜ卑しく感ずるのか少しも解らない、成程下等社會の野卑な男女が使へば、野卑な意味を帶びてるに相違ないが、眞面目に使へば必ずしも野卑な詞ではない、元來言語に先天的に野卑だとか高尚だとか云ふことはない、使う人により又使ひやうに依て差別が出來てくるのである、縱令一般には下品な詞でも詩人はそれを立派に詩語を用ゆることがあつてこそ詩人の詩人たる所以も判るのである、惚れると云ふ語が卑しく聞えるのは、野卑な社會の習慣的感情に支配されてるからである、理窟は何とでも云へるが一例をあげて獨者の參考に供へる、     嘆異紗第十六節中の語
 『往生にはかしこきおもひを具せずして、只ほればれと彌陀の御恩の深重なることを』云々
以上は云ふまでもなく彌陀に對する、森嚴なる信仰の精神を説明したものである、實に神聖なる意味を説明したものである、時代が違ふなどいふ辨解があるかも知れんが、予は以上の如き例なしとするも使用する人の態度如何に依て毫も差支ないといつて信じて居る、然も此嘆異鈔は最も神聖なる眞宗の經典として熱心な信者は毎日佛前に誦讀するといふ位の尊いものである、三井氏が一人で何と云ふたつて、そは三井氏の勝手であるが、讀者諸君は誤解せぬやうにありたい、
(35)   疑の耳を氣つき言ひ消たむ言にまどひぬ心もとろに  左千夫
 此歌に對する三井氏の批評が最もをかしい、曰く、『耳』がいかぬ、かういふ一語一語に肉感的具象的云々(何とのことか判らぬ)風變りの人の目を引くやうなケバ/\した語を云々、
 耳と云ふことが何ぜ風變りにや、千年昔の歌人もかういふ歌を詠んでる、
   吾か聞し耳に能く似はあしかびのあしなへ吾背つとめたふべし(萬葉二卷)
 女の歌であるが用語の活躍を見るべしだ 三井氏の肉感といふ詞が頗る怪しい、耳が美しいとか(耳が美しいといふものもあるまいが)顔が美しいとか云つたら、肉感的詞とも云へやう、『疑ひの耳に氣つく』とは對話者の相手が其相手の話を疑つて聞いて居る素振に氣がついたと云ふので、肉体的に耳といふものゝ趣味を云ふたのではない、言語の活用といふことに少し注意してほしいものだ、『耳に能く似ば』といふ萬葉の活語などを少し研究すると、『疑ひの耳に氣つく』などいふことも直ぐ解るのである、何かと云へば肉感的だの明星派的だのと三井氏は實に毒言の達者な人である、予は茲で斷つて置く、三井氏が自分の雜誌で、勝手な事云ふのを一々相手になることは出來ないから御免を蒙つて置く、他を評して墮落だの惡風だのと毒舌至らざる無き『アカネ』の評論を相手にすれば惡口の突合ひをするやうになる 御免を蒙る所以である。
                     明治42年4月『阿羅々木』
                       署名   左千夫
 
(36) 東京より〔『阿羅々木』第一卷第三號消息〕
 
例の如く一筆申上候、梅花も今を盛りと相成候好期を以て、嚴君還暦の御祝事遙に奉欣賀候、
偖本誌と『アカネ』との關係にも困り候、云はんと欲する事を云へは角立ち、言はざれば誤解を招くの恐れ有之候、本年に入りて小生も三井氏を訪問致し、三井氏も又來訪有之個人間には何等の惡感も無之候得共『アカネ』は根岸短歌會の名に依て發行せられ、『阿羅々木』は根岸短歌會の人のみに依て發行せらるゝものなるに、『アカネ』の一月號には『阿羅々木』を見ると不健全の作が充滿して居る云々と有之候 阿羅々木の歌が不健全か否かは、私心なき公平なる毒者の判斷に任せて置いて差支なく候ものゝ關係淺からぬ兩誌の一方が、如斯惡言を公表して憚らざるは嘆はしき次第に候、本誌が又『アカネ』の如き態度に出でゝ『アカネ』の所載の歌を見れば無靈無魂の歌を以て塞つて居る云々と言返し候はゞ如何に候や、只識者の笑を招ぐの外何の得る所もなかるべく候 小生など最も烈しく攻撃被致候得共此場合小生は謹で沈黙を守り可申候、乍併惡感化とか墮落の一歩とか云ふ語を無遠慮に人の上に加へ僕三井氏の血氣は寧ろ氣の毒に存候、親鸞聖人の如き人も何時も何時も愚禿親鸞と被申候ものを信仰心に富める三井氏にして何故に今少し謙遜の態度をせられぬにやと氣の毒に存候、『消極的に云ふのがいけぬ』とか或は『さういふのがいけぬ』とか『これ/\せねばならぬ』とか總ての事に輕卒な斷言を下すことは、最も戒むべき事に候、勉めて自ら自己を節制し我執の念を抑え私欲の心を靜めて篤と自分を顧み候へば(37)決して高言など吐かれる筈のものに無之候、そんな消極的な考はいかぬと云ふ人があるかも知れねど根柢なき積極は危險此上なきものに候、議論も大事に候へども、貿行は猶大事に候、議論に力癌を入れても作物に強みも力もなくては誠にをかしな話に候『アカネ』にても今少し作歌に骨折つて貰ひ度選拔にも念を入れて貰ひ度候 同時に本誌の放縱縦欄は寄稿其儘を出すものに供へば此欄への寄稿には必ず自信ある作歌を寄せられんことを希望致候、
猶本月一日より再興、在京諸同人毎月一回宛第二日曜毎に歌會を開く事に致候、題を課し強て歌を作るも文學研究の一つに候、同志相會して互に話合ふのも文學研究の一つに候、親友團居一日の遊びを爲すは正に人生の一快事に候、志を同うする人あらば何人の來會をも厭ひ不申候敬具
                   明治42年4月『阿羅々木』
                     署名  左千夫生
 
(38) 雨が大好きだ
 
自分は我れながら不思議と思ふ程雨が好きだ、雨の降る日に傘をさして近所を歩くのが昔から面白い、又蓑笠に身を竪めて篠突く雨を冒すのは實に愉快である、馬車でも人力でも※[さんずい+氣]車でも雨の中を遠く走り去る趣きはいつでも、立つて見送らずには居られない、自分がそれらのものに乘つて雨の村落雨の小川を眺めてゆくのは更に面白い、春雨はいふまでもなく梅雨は最も自分の好きな雨だ、泣くやうな冬の雨、さゝやくやうな軒の雫各又特色はある。
雨が降りながら夜が明ける、其晝と夜との界が判然せぬのが面白い、朝明るくなつてから人の目を忍ぶやうにそろ/\と降つてくる雨の印象は兒供の時から心地よく忘れられない。
日暮の雨も三つ許りの印象が強く頭に殘つてる 終日降つた雨が、降りながら日の暮れる時は闇が近くから落ちてくる、木下闇が見るまに廣がつて家はいつの間か夜にかこまれて終ふ、日暮のほの闇らがりから降り出す雨もよし、全く夜に入つてから幽かな音を軒外に聞くのも自分には強い感興が起るのである。自分は元來、何でも明るいものより暗いものが好きだ、はつきりしたものよりはぼんやりした物が好きだ、明放しの家よりは籠るやうな隅に暗い所のある家が好きだ、思ひきりのよいのが嫌だ、未練の無い明らめのよいのが嫌だ、それだから人間にしても悟つてゐる人間が嫌だ、濕りが有つて潤ひがあつて他と交渉し易いのが好きだ、(39)女の顔も目鼻立の正しいといふより、どこか整はない處があるやうで其輪郭が余りきちんとしない顔が好きだ、雨が降ると見るものが皆ぼんやりしてくる、それが自分に愉快でならないのだ。
 夏の雨殊に青葉の雨と云つたら、年中に於て自分の最大愉快とする處だ、花にも紅葉にも惡くはないが、青葉の雨程ではない。
葉山繁山とおひ蓊つた青葉の山、山が重なつて谷が深かい、雨雲が濛々として山も谷も無くなるかとすると又一隅の方から雲が薄らいできて、山々の青葉の色谷の深みも見え里の家々寺なども浮いてくる、水の落ちる音は何所とも判らず鳴つてる、かうなると自分は只々愉快で現實の總てを忘れて終ふ。
自分は未だ奥羽の地を知らない、雨好きな闇好きな自分は、奥羽といふ國であつて山でいふと月山羽黒山とかいふ、何となし闇といふものに縁故のありさうな、神代ながらの闇が今も殘つて居さうな、其隱國の奥羽の雨に遊んで見た事のないのが殘念である、青葉深い奥羽の山々が五月雨に閉ぢたさまをどうかして一度見たいものである。
                    明治42年7月『俳星』
                     署名  左千夫生
 
(40) 文士と八月
     ――アンケート――
 
久しくなまけ居候故、八月には何か是非書たき念禁じ難く、「アラヽギ」。「ホトトギス」等へ寄稿致度存候。信州八ケ嶽の温泉へ一寸なりと行たく思ひ居候へど覚束なく候。近來暑氣甚しく候へども、朝夕の天象何となく壯嚴の趣に富み、之に對する感じは眼前の小事を措て何か大きな力ある事をやりたき思有之候。
                   明治42年8月15日『國民新聞』
                         署名 伊藤左千夫
 
(41) 短歌合評
 
  急に思ひ立つて同人の短歌合評を試みた、依りて各人の意見を相互に交換し、併せて作歌の標準に資せんためである、只時日少なきと紙面狹きとのため廣く求めることが出來ないのは遺憾である、從て往來の便宜ある都下二三の人に止めたのは此故に外ならない、評すべき歌に就ては選ぶのに困難であつたが、アラヽギ前號の短歌中、自分の注意を惹いた作から一人一二首を限りて採つた、(純)
   あからひく日に向きなほる向日葵の苦しかりとも明日を待つべし 千樫   あたゝかき雨の一夜に湖《うみ》の氷ゆるむ心を責めて寢にけり
  〇里靜曰く 向日葵は日に向つて咲くを欲する花だ、それ故苦しかりともと云ふ語を起すべき序辭としては不適當であらう、次の歌は詩才のほのめきが見える、
〇左千夫いふ、第一首「ひまはりの明日をまつべし苦しかりとも」と見るべきである「日まはり」は明日といふ詞にかゝるのであらう、枕詞の一句隔てた次の句へかゝる例は万葉集にも澤山ある、民部君の難は少し無理のやうだ、
固より才藻の勝つた歌であるから、それほど深い含蓄もない、けれど究して亂するに至らず、悲んで破るに至らざる或場合の情趣を、詞藻美しく詩的に解決した處に此歌の命がある、思想の詩化せる處に深い興味がある、疑(42)惑の解決を得たる處に大なる慰藉があらふ、さう苦がつて思ひつめたものでもあるまい、明日といふ新らしい日がくるではないか、日まはりの日にむきなほるやうに望みある明日を待てといふ、此場合に向日葵なる特種の趣ある花が、比喩として如何にも痛快である、
第二首は全くの序歌であつて、第一首の比喩躰とは少しく異なつたものであるが、作者内心の不安と情緒の沈痛とは頗る近いものである、向上的奮勵の苦痛に堪えかねて、屡倦怠を催す時、これではならぬと自ら勵すのである、奮勵し、倦怠し奮勵する間際に不安と悲喜との絶ざることを思はせる、「責めて寢にけり」の一句に不安の情溢ふれ居ることを見免してはならぬ、是等の歌は無造作に讀過せば、何の興味をも見出すことが出來ない、乍併此歌の序は此歌の内容に適切でないかと思ふ、此歌の欠點とする處もそこにある、
   湊いづる吾乘る船ゆ大坂や大城をかけて煙たなびく   蕨眞
   伊豫と安藝の春の島山海のどにゆたけき最中吾船はゆく
〇左千夫いふ、第一首調子もよい措辞も穩當である 一讀愉快な感じがする、只着想は古いといふ誹を免れ得まい、第二首は春の海の長閑にどんよりした景色らしいが、それにしては伊豫と安藝の春など言語が明晰過ぎるやうである、もう少しぼんやりとした詞つきであつたら、文章的説明の弊を脱し得たであらう、
   ぬば玉の夜の起居の春ごゝろおのづから思ふ梅のまがきを   左千夫
   釜の※[者/火]えのおほに鳴りつゝ春とおもふ心はみちぬ夜のいほりに
  〇里靜曰く。初の歌先づ/\春夜の情が顯はれてゐる、次の歌は詞其儘に解すれば春だと思ふ作者の心情が庵の裡に充ちたとなる、では無理でもあるし面白くも無い、多分作者の眞意は釜のうなりを聽くにつけても庵中おのづから春の氣に充(43)ちたかのやうな心持がすると云ふのであらう、さすれば他に未だ適當の語句もあらう。
◎作者の辨解、民部君の評は作者の眞意を誤解してるやうである、此歌は春夜の趣きといふい天然を主として作つたものではない、天然の趣を描寫せうとして作つたのではなく、呼嗚春だなと作者の心に感情の動きが起つた當時の主觀状趣を歌つたつもりである、乍併春夜といふ天然の情趣が副産物として此等の作歌の上に伴ふべきを考へて作つたことは勿論である(左千夫)
   風孕む帆布によりて言もなく近づく濱を見るし樂しも   光
〇左千夫いふ、一通りの歌であるが、どこかに欠點があるやうである、風孕む帆布に凭るといふ事柄と近く濱を見るといふ事柄との配合に少し無理があるやふである、吾が乘つてる舟が段々濱に近づく其近づく濱を舟から見てるのが樂しいといふだけならば難はない、此歌の詞つきに見ると帆布に持て見るから樂しくて帆と關係なく見ては樂しくないか知らといふ疑が起る、これは帆布と濱とを強て交渉さしたからである、帆は風を孕んで舟はまともに濱に向つてる 濱は段々近くなるとやうに自然にありたい。
   林檎のや木の實を包む白紙を靡けさやがし秋の凰吹く   里靜
   蟻じものあまたよりてゐてもの運ぶ船付處秋日傾く
  〇千樫、二首共一通りの歌である、そしてやゝ俳句的である、林檎のやはをかしい。
〇左千夫いふ、第一首「林檎のや」の用語は眞面目を欠いて居る、作者の意は、二の句の「木の實」は林檎のつもりならんと思へど、初句りんごのやと切つて更に木の實云々と云ひ起してはどうしても二の句の木の實は林檎以外の物としか思へない、白紙といふこと此場合如何と思ふ、此歌の意では、木についてる林檎を包む紙を云ふ(44)のであらふが、雨に風に堪ゆる紙は必ず油紙か澁紙でなければならぬ、雨露に堪ゆる紙に白紙があるとしても、通常の感じは白紙ではをかしい、詞の難はそれだけとして、此歌の内容と表現の如何を吟味して見ると、乍遺憾未成品と云はねばならぬ、古來秋の風吹くと云ふ歌は澤山ある、故に如此着想の歌は古人の取扱つた材料よりは、より多く秋風に適切な材料を見つけねば作者の働きはない譯である、林檎の實を包んだ紙が殊に秋風に適切であるとは思へない、よし珍らしい材料であつても趣味に調和が無くては製作上に成功を認めることは出來ない。
第二首二の句の、「あまたよりてゐて」余りに働かない詞である、此句でそんなにひねくる必要はないから、明らさまに、「あまたの人の」と云つて終つた方が、却て解り易く自然であるまいか、結句も「秋日殘れり」などありたし。   やみ人の氷代ふると小夜ふかくさむき厨に灯をともすかも   柿の村人
   夕げすと膝並べ居る三人子のさびしき心母につどへり
〇左千夫いふ、二首共に病人の上が氣づかはしくこれでたすかるか知らと思ふ禁じ難き不安の念がよく現はれて居る、幼きもの供までが其不安の空氣に包まれて、云ひ難い淋しさに顔を見合つて居るといふ、其力のない淋しい家庭のさまが充分に感ぜられる、強て難を云はゞ云へぬこともないが、予は佳作といふに躊躇せぬ、柿君の作往々潤澤を欠くの弊があるけれど、此歌の如き題目に潤澤は却て無い方がよいだらふ。
   生けるもの逐に死にすることわりをしみら悲しく病みて思ほゆ   勘内
   夜の底の冷たき國邊行く吾れにもの遠々し天の星屑
  〇千樫、望月君の歌(馬粹木四卷二號)に
(45)   うつそみの人等は遂に死するとはかなきことを病めば思ひぬ
  といふのがある、よい歌だと思うて記憶して居る、だから「生けるもの」の歌は寧ろ捨つべきものと思ふ、後の歌はとる。
〇左千夫いふ、第一首には困つた、予は望月君の歌に類歌ありしことを全く忘れて居つて此歌を採つたが、前後の順から云へば無論後のを捨つべきであれど、今兩首を比べて見ると、望月君の歌は、死といふ樣な強い酷い感じを歌ふのに餘り無造作過ぎた、調子が輕過ぎた、よし作者は死といふことをさう重く考へて居ないにしろ、死といふことはどうしても、人生に於て最も莊嚴な問題であるから、調子輕く歌つて終つては、實際らしい感じがしない、かう見てくると、望月君の歌も永久に殘すべき歌ではなからふ、
それで此歌はどうかと見ると、問題の取扱方には慥かに進歩を認められるが、考に浮んだ事を巧みに三十一文字に記述したといふ之れ以上には餘り出て居ない樣である、要するに死といふ人生上の問題と自己の現在の病氣とを交渉的に考合せた時、正に起るべきうら悲しい一種淋しい強い感じが、意義の上には充分解得されるけれど、具體的感情の表現は頗る足りない、然らば何處に欠點があるかと云ふに、「病みておもほゆ」といふ結句が全くの説明であるから、全體の調子まで記述的になつて経つたかと思はれる、猶此歌を精細に分解すれば更に幾多の欠點を發見するに違ひないけれど、余り長くなるから畧す、未定稿の作として今一段の推敲を經べきであらふ。第二首は、詞調の上に多少未熟の觀なきにあらねど、新たなる境地を新たに鋤返した、其新しい土の香りを臭ぐ心持がする、高原國の嚴冬、寒霜空に滿ちて一寸法師的人間は如何にむ夜の底を歩く心地がするであらう、寒氣の壓迫と天地の大とを感じた時には自分が地上の一粟たるを思はぬ譯にゆかぬ、星の殊更に遠く見えたも、其心からくる自然であらふ。
(46)   春のぬを酒のひさごのふら/\にほろゑひくれば月圓にいづ   茂吉
   甕腹《みかはら》にことはこもれりかにかくにいはまく無益《むやく》ことはこもれり
〇左千夫いふ。作者の心中にゆらめいた感興が、これ程遺憾なく現はれた歌は少なからふ、
第二首は、破き自信と、其自信より來れる、精神の充實とが、緊張した詞調の奥底に潜んで居る處此の作の生命であらふ、思ふに是等の作恐くは言語の面白味のみが讀者の目に映じて、言語以外に現はれて居る多くの意義は閑却されるであらふ、予の評の、只面白い歌ぢやと云つて安じ得ざる所以である。
   湯口守るおきなの兒ろはしが父の大き皮靴はきて雪をかく   秋圃
   山宿の眼さめのさむさ引きよする桑名火燵は消えてありけり
〇左千夫いふ、西洋のポンチ繪などに能く見る趣向であるが韻文の内容としてはどうであらうか、滑稽の歌かとみれば滑稽にもなつて居ない、一寸と可笑な事件を三十一字に記述したものとすれば、雜報の一くさりである、此歌を製作すべく作者の興した處はどこにあるのか、大きな皮靴をはいてる兒供を憐れと見たのか、或は繪畫的に滑稽を感じたのか、作意の主要點が判然しない、散文と成り了へた所以である。
第二首分解すれば詞にも無理があるやうなれど、元來無造作な事をかう無造作に作つて終つたでは、言語の遊技になつて終ふ、韻文の内容は今少し眞面目に今少し容積的でなければ困る、此歌の内容は殆ど空である、それであるから、何の爲に此歌は作られたのであるか判らない。
                   明治42年9月『アララギ』
 
(47) 〔『アララギ』第二卷第一號選歌評〕
 
     蠶飼雜詠           小沼松軒
   霧雨に室ぬち寒むく稚な蠶は桑も得食はず胸安からず
   うまいする稚蠶守りつゝたらちねは衣縫ひ在ます吾は芋を植ふ
     仝 旋頭歌
   やからとち蠶飼忙しみいそはく此頃。いたつきになやめる父か飯を炊くも。
   百萬千萬の蠶かつむり打ちふり。おのかしゝ桑食む樣のはしくもあるか。
   火をたけと蠶飼の室の寒むき此朝。しなさかる越の群山雪ふれる見ゆ。   時しくに飯綱の山に雪降れりけり。桑園に霜降るらむと人々おつも。
   桑摘みて月に歸れは心すか/\し。たらちねは夕飼とゝのへ待ち在ますかも。
   金山ゆ若葉かくりに時鳥啼き。蠶飼するさ庭隈なく月押してれり。
   いやしみゝ若葉の風に松の花散り。并らへほす籠のわたりにそか花粉まふ。
評 從來諸同人中旋頭歌を試みられたるもの少からざれども、能く旋頭歌が有する詩形上の長所を發揮し得たるは稀れなり、今松軒子の作を得て始めて眞の旋頭歌に接したるの感あり、着想材料共に自然にして少しも強て作(48)りたるの風なく然かも詩趣を捕へ得て遺憾なし 田園生活の趣味誠に健羨に堪えざらしむ、嘆誦の余り敢て一言を添ふ。
                    明治42年9月『アララギ』
                      署名  左千夫選
 
(49) 蓼科山中より
    ――風聞録――
 
信州蓼科山中より一筆申上候。こゝの湯は巖温泉と申候。近く八ケ岳の連山を見、遠くは甲州の駒ケ岳、木曾の御嶽を望み、海抜五千尺以上の地點に於て靈泉汪湧海の如くに候。湧泉の盛なること思ふに海内に比類なかるべく候。茲に青天井を眺めて湯につかり居るは惡くはなく候。(伊藤左千夫)
                   明治42年9月9日『國民新聞』
 
(50) 執筆【時間、時期、用具、場所、希望、經驗、感想、等】
    ――アンケート――
 
執筆時間は無論連續する方都合よく候へ共、其間《そのあひだ》に斷間《たえま》ありてもそれほど苦しくは無之候▲日中執筆午前は殆ど駄目に候。夜も深更《しんかう》は大抵いけなく候。ペン若くはテイブル等の經驗は無之候。執筆の場所については、何時もどこか靜かな場所にて書きたいと思ふ心は有之候へ共、さういふ事をした事はなく候。併し旅行先などにては落つきがなく、家に居つて書く方宜いやうな氣も致候▲書かねばならぬ、是非書かうと決心してかゝても愈々原稿紙を染る迄には、何時も二三日の無駄日《むだび》を費すが常に候。
                  明治42年9月21日『國民新聞』
                      署名 伊藤左千夫
 
(51) 短歌研究〔一〕
 
  今度の合評は餘り長くなり過ぎた、今後は編輯の都合上もう少し短くせねばならぬと思ふ。次號は他派の歌について合評を試みるつもりである。
   鰍瀬河瀬青も立たず向つ尾もうまい横臥し有明月夜       (百穗)
〇左千夫、云ひ分のない歌である。山も靜だ月も靜だ、嗚呼靜かな有明だと見れば、常は鳴つてる河の瀬も音がせぬ、如何にも感じのよい靜けさである、うまい横臥すなどいふ詞が感じ能く働いてるから、靜かと云つても寂しい感じのないのに注意せねばならぬ專門歌人大に緊褌の必要があらう、
   水涸れて木かげもあらずざれ風の扇岡邊に家をすてかねつ    (無限)
〇左千夫、實にやりつ放しな歌である、無限子の気質がほのめいてゐて面白い、「水涸れて」と云つて次へ無頓着に「木かげもあらず」と續けた放膽は如何にも無限君である、さうして又其二句をも言ひ放しにして置て、「扇岡邊に家を棄てかねつ」と結んで居る 殆ど言語を投出して作つたやうな歌である、それでゐて能く吟味すれば、決して内容の統一を損じてゐない、一見疎放な詞つきで裏面に同情がある、幾村落一流しに打流された洪水の跡、今は川の流も涸れ/\である、處々木立はあつても立枯で木かげにもならない、すさんだ風は、流し殘された見るかげもない扇岡の荒家を吹いてる、こんな見るに堪ない中にも我家はさすがに捨てかねて人が住んで(52)る、作者は憮然として同情の眼を寄せたのであらう、水難の説明もなく同情的の詞もなく、さうして能く具象的に同情が籠つて居る、一寸見ては何の事かと思はれるやうで、吟味一番して始めて深き味を感ずる歌である、二の句「木蔭もあらず」と切つて其響きの消えないうちに「ざれ風」と云ひ起した接續法は不用意の間に成功して居る、記して後の參考とすべきである、猶一言を添へる、此歌の如き放膽なる句法が、決して考へて作り得らるゝものでない、事實の目撃より得來つて、始めて此活句法が出來るのであらう。
   吾ひとり木の種まけば掌《たなそこ》にその躍る音土につく音     (礎山子)
〇茂吉いふ、四五句は大袈裟であるが併しそれは誇張したのである、その誇張したる處に作者の歓喜の情が(音調となつて)餘程よく現はれて居るのが嬉しい。音と云つても直ちに破鐘を聯想しまい。こゝはサラ/\といふ細かな、かすかな音を聯想すべきである。只「オト」といふ語の稍々強いのが音調上仕方が無い。
〇左千夫、前評と稍同感である、只五の句の一句が躍動せぬと思ふ、「土につく」というては音のする感じがせぬ、これは「土に落つる音」とありたい、それで此修正は此歌に就て輕い問題ではなからう。
   高山も低山もなき地の果ては見る目の前に天し垂れたり     (左千夫)
〇純いふ、偉大なる天地の趣をあらはし得た重みのある歌である、調子も悠つたりとして併かも強い力のこもつた内容に最も適うたものである、「見る目の前に天し垂れたり」此句の莊重ありて始めて上三句の稍曲折ある叙し方を締め括ることが出來る、三讀四讀繰返すに從ひて趣味の盡きないのは平淡なる中に眞理を云ひあらはせるものゝ特色である、學ぷべき處であると思ふ、尚予は九十九里作中の傑作として此歌をとる。
〇里靜いふ、大まかなところを採る、天し垂れたりは少しく陳腐に感ずる、巧は「目の前に」の一句に在るやうに思ふ。
(53)〇茂吉いふ、第一二句。作者が山ある國を出でゝ先づこの濱べに立つたる時の感じを最も正直に最も巧妙に表現したものである。
この句が一首の初めにある點、他の句との關係、吾人が斯る自然の光景に接した場合の心持を靜に内省する時はこの句の妙味は分るとおもふ。第三句の「は」は甚だよくひゞく。以上の二句で既に作者が雄大の景に接して驚きの氣分を感受した事が奥の方に現はれて居るに注意した。第四句は實に力ある句だ。「我が目の前に」と代へて比較すべき處である。この句は第四句に位し結句の大と相待たむとするのであるから非常に大切な句であるのに斯る力ある句を得て、作者の手腕に驚く。第五句大なる句だ、如何な言葉もこれに代用する事は出來ない。支那には「垂天」の熟字ある樣である。その「垂」字は我國の「たる」と幾分の語感の差ありとはいへ、これ等の漢字は既に日本化されたるものであるから日本の語法に用ゐるのも詩人の手腕の一である。新しい句だ、この作に於て新なる生命を有して居る。
宏大な歌だ、正にこの大自然と融合せむとするの概がある。空想の虚仮おどしとは違ふ。この邊の消息は第一の評者が言ひ盡して居る。大自然に接し驚き讃歎して居るにも係らず、ユツタリとして居る處がある、こゝがこの作者に面白い點である。この作者はよく「し」なる助語を用ゐるがこれが時に缺點になる事があるから注意せよ。無論この歌の場合では無い。
〇千樫、大自然から受けたる感じを現はし得たよい歌だといふだけでは予には物足らぬ、この歌を讀むと作者が只一人天地の眞中に立つて居る感がある、常に心に滿ち溢るゝ感情を湛へてたま/\この大自然に接し全感情を集注せしめて製作せる歌である、客觀的光景を叙してあるにもかゝはらず、其音調の莊重なる自然は却て從屬的になつて作者の優越せる感情が主として胸にひゞく所に注意せねばならぬ「地のはては」といつて直ちに「見る目の前に天し垂れたり」といひ下す所如何に作者の氣力旺盛精神活躍せるかを見るべきである。
九十九里の歌を見ると如何にも言語を縱横に驅使して居るのに驚く。
   春の葉の若やぐ森に浮く煙吾がこふる人や朝かしぎする     (左千夫)
(54)〇純いふ、「春の葉の若やぐ」といふことと「浮く煙」と戀人と其處に一種の調和がある、併し其の「朝かしぎする人」が其家の娘らしからず、下女らしからず、寧ろ人妻らしい感じがするのは厭ふ感である、但し之は予の立ち入りすぎた勝手な解釋かも知れぬが、此作を讀んでどうも自分にはさう感ずるといふ迄である、之を外にして此歌の思想(少くとも其のあらはし方)は稍古い、新らしい生きた思想として感ぜられぬ、右の理由で予は此歌を採らない、
〇里靜いふ、森などあつて家も舊く大きく、煙も下女が炊事の煙と見える……戀人の焚く火の煙は木かげまばらに裏戸口障子もチラ/\白く見ゆる處より立たせたい、
〇茂吉いふ。平凡な事實も陳腐な歌材も一度び優秀なる詩人の手に依てこゝに新なる生命を得來る。この作の如きもその一例であらう。その歌材の平凡なるが故に、餘りに普遍的なるが故に稍々ともすれば讀者は棄てゝ顧みない。余も一讀正に棄てむとしたのは事實である。「我が戀ふる人」は種々に解せられる、第一下女か娘か(下女と云つてもさう見下した者でない)第二自分の細君か、第三人妻か、併し一首全体より見て「田園生活をして居る家の顔佳き少女」と解するのが最も適當であると思ふ。若し人妻を戀ふるのならばコンナゆつたりした濕ほひのある心のゆらぎが一首の調となつて現はれ來る理由は無い。男は勿論自稱現代人などでは無く田園生活をして居る健實な少男の處である、ソコデ「朝かしぎ」するも利いて來るし、人妻らしい處は無いのである。〇單に「春の葉」といふ言葉は概括的な言葉である、今現在見て居る景色に對して斯る概括的な言葉を用ゐるのは善くないと思つた、併し余のこの考は感服出來ぬ。第一、萬葉にも「堤に立てる槻の木のこちごちの枝の春の葉の茂きが如く思へりし妹こはあれど」とある如く「槻の木の……春の葉」などゝ用ゐてある、是等の用法は輕く「若葉」の意に解すべきもので「秋葉」を「モミヂ」の意に用ゐたのと同樣である、吾々日本人は決してこの如き先用例を輕々に看過してはならぬ(春の葉の茂きが如きは茂きと云はむ序であるから概括的でも善いが此歌の場合は違ふなど云ふ愚論者は相手にせぬ)第二、「春の葉の若やぐ森」と云つてあるこの森は抽象的の森でほ無くして今現在見て居る森である、ソコデこの春の葉のと云ふ言葉は活きて來るのである、第三、作者の對して居る現在の光景は春の朝のウツトリと霞んで居る景である加之妹があたりから(55)煙がゆるく上つて居る、かゝる景に對して明かなる句を第一句に置くものでは無い。かく考へ來ると作者の用意周到なるに驚いた、〇「浮く」は「浮ける」では無い、ゆるやかなる運動を表はして居るのに注意すべきである。第三句で「煙」とやつたのもこの場合は最も善い。〇結句に「する」など使用するのは多くは厭味なるものであるが、この場合「や」と云ひ「する」と止めて何とも言へぬ趣があるのに注意すべきである。又疑問を表はす場合には何時も堅過ぎる樣になるのが日本語の弊と思つて居たが研究して見れば左樣で無い事が是等の句を見ても分る。〇圖に乘つて書きあまり長々となつたからこれで止める。
 
作者の考を少し云はして貰ひたい、此歌に於て作者の所謂吾が戀ふる人といふを、純君は人妻と見られ、里靜君は下女と見られた 茂吉君は只田園生活の少女と見られた、歌評の面白味はかういふ處にあると思ふて愉快だ、作者も黙して居られぬ所以である、下女、娘は云ふまでもなく妻君も勿論飯をたく、奥樣御新窓時には朝炊ぎをするのも事實であらう、予は奥樣令孃の朝炊など最も興味が深いと思ふ 併し茲で奥樣といふは人妻の意味ではない、朝炊ぎと云へば、直ちに下女女房と極めて終ふのは詩人の考としては除り單純過ぎはしないか。戀人はどこまでも戀人である 神言寄せて成立つた戀仲は、さう無造作に人中へむきだしにされるものでない、兩親と雖も我子の戀人を知らない場合が多い、然るに歌の批評者が、只朝炊ぎすると詞だけを見て直ちに人妻であらういや下女であらうとの詮議は、少々岡燒の氣味と云はねばならぬか。隣席に女の話聲がする、其聲のみを聞いて、下女か令孃か細君かを判ずるは、聽覚神經の靈能に待つ外はない如くに、此歌の戀が、卑い戀か美しい戀かは、此歌の歌柄に依つて判じて貰ふより外はない、作者が只告白して置たいのは、此歌は其音調が示せる如く平和な戀である、世間へ知れて耻しいといふ戀でもなく、前途に不安のある戀でもない、相當の時期に達すれは周圍から羨まるべき間柄である、目下の處少しの都合にて女は叔父の家に居るので、朝炊ぎの手傳もさせられて居る、(56)作者の心にはそれが聊か可哀想に思はれる、其樂しいやうな苦い苦痛が此歌の心である、
〇千樫。作者の辨解は面白いがこの歌は作者が思ふ通りに現はれて居らぬと思ふ、陳腐といふ程内容は涸燥して居らぬ樣ではあるが親類の家に居る女、樂しい樣なそして輕い苦痛それが果して作者が云ふ如く現はれて居るであらうか、予には俄に賛成出來ぬ。
   山の世のとほのはたてに鴨一つ浮きて遊べる水の静けく    (柿の村人)
〇左千夫、作者の視て以て歌にせうとした景色は面白いに違いないが、かゝる景色を捕へて我が物にせんとするに就ての用意は頗る當を失して居る 大きな魚に網の足らない感がある、此歌の場合に鴨は只點心たるべきである、然るに何事ぞ、其副物たる鴨に對して、一首中最重要なる、三の句四の句の二句を費して居る、「浮きて遊べる」などは冗漫も甚しいではないか、結句「水の靜けく」も殆ど無用の説明である、此場合鴨のことは、只「鴨一つ居り」位の結句を置き、他の四句に於て極力四圍の光景を叙すべきである、一の句二の句に輕々しく超凡的秀句を吐いて三の句以下凡語凡句を以て埋めたのが甚だ口惜しいのである、
  ヽヽヽヽヽ。ヽヽヽヽヽヽヽ。山の世の、湖のはたてに。鴨一つ居り。
失敬であるが、かうして一の句二の句に、適當の句を得たらば實に秀逸な作となるであらう、實地を知れる作者に於てせは、一の句二の句に就てはいと易い工風であらう。
茲に一言斷つて置くのは、柿の村人子此歌稿を寄せて後二回までも自ら安ぜざることを云ひ來されて、嚴に削正せんことを望まれたのである、されば此歌の如き決して作者に於て得意として居る物ではない、讀者誤解する無からんことを望む。
(57)。千樫。「山の世の遠のはたて」は山深くの意で太古の如き靜寂を現はすために用ゐたるものと解するのが至當であらう、評は前評に盡きてゐる。
   野の裾の遠き谷べゆ吹きあぐる白榛風も瀬の音まじれり    (柿の村人)
〇左千犬、高原の一隅から起つた風の音と山川の音と相混じて聞える趣は甚だ面白い、乍併此歌も前歌と同じく如此想を得ての一首構成上に用意は誤つて居る、云ふまでもなく此歌の主眼は風の音と水の音と混じて聞える所にある、周圍を描くは只其輪廓を作ればよいのである、然るに此歌は其主眼點に注意すること少く、却て客觀的對象を叙するに非度く力を入れて居る所謂主客の輕重を疎にして居る、一寸と云ふて見ても、二の句は「遠き谷べゆ」とあるのに、四の句で「白榛風も」とある、よしそこに白榛が多くあつたにせよ、「遠き谷邊」と見渡した場合に殊に白榛風などゝ一材料を強く明叙する必要はない、況して白榛は此歌に於て副景に過ぎないのでないか、要するに部分的趣味に心を引かれ過ぎるから、材料に興味を持過ぎるから、一首の統一が欠けるのである、白榛風といふのは材料としても面白く詞も面白いけれど、此白榛風が此の歌の主眼でないことを忘れてはならぬ、主眼でない一句が殊に強く働けば、必ず全体の統一を妨げるのである、これでは未だ言ひつくせないから、早手廻しに歌を修正して意見を補つて置く、
  野の裾の白榛の木に鳴る風に瀬の音もどよみ野は晴れんとす
   弓揚げて弦音高く射る甲矢の果無き空を青嵐吹く    (里靜)
〇左千夫。弓を射るといふ壯快な事柄と青嵐の風とは、そこに面白い調和があるやうに思はれるが、それで一首の歌を構成せんとするには、適切なる事實と多くの工風とを要するのであらう、兎に角此歌では物足らない、
(58)   澁いろにほとびし柿のあだ花のあだをぞ嘆くをみなのあるべし    (純)
〇左千夫、此柿澁柿と見えて、詞から調子から丸で澁味づくめだ、感情のさえない所以もそこにあるか、言葉が巧妙との評もあるが、内容に忠實でない詞は、巧却て拙に劣ることがある、何にしろ今少し調子に活を入れねばどうにも困る。
   世に堪へずしなんいのちは麥の穗のくろきしひな穗の枯るゝごとしも    (純)
〇左千犬、此歌でも僕は調子に不足を云ひたい、着想は甚だ面白いが、如何にも調子が緊張を缺いてる、故に意味の上には充分合點が出來ても感情に刺激を得られない。
   草も木もみなよみかへる夏の夜を獨りはかなと萎え居るかも    (桐軒)
〇左千夫、これは戀の不安にくよく/\て居る少女に同情した歌である、勿論作者と少女とに戀の關係があるのではない、戀に戀するといふ事は小説家が能く言ふ樣なれど、此歌は戀する者に同情して即戀を燐んだ歌である、此點に於て此歌の用意は甚だ新しい、
   風吹けば風にさ搖らぐともしびのあやうきかもよ獨り居る汝は    (文明)
〇左千夫、此歌の主要なる五の句の一語が、露骨に陷つた爲に、淺薄の歌となつて終つた、此作者の歌には睡蓮の歌の方に、取るべき作がある、要するに一番不出來な歌を選んだ感がある、
   皮膚深く折れてこもれる針先の安からぬ思ひ尚戀ひにけり    (千里)
〇左千夫、こなれの足らない歌であつた、工風まけした歌である、「針先の安からぬ」の續けも拙かつた、
   さみだるゝ宵淺みぎりにかい/\と蛙一つあはれげに鳴くも    (茂吉)
(59)〇左千夫、材料が珍らしいでもなく、思想が變つて居るのでもなく只此作者の特殊的情調が、一種の統一融合の上に浮出て居る、アラヽギ二卷一號は、凡人の眼に知れない多くの寶が籠つてるが、此歌の如きも其優れた寶の一つである、四の句「蛙一つ」は原稿の時には、「かへる子二つ」とあつた樣に思ふが如何に、
〇千樫。「蛙一つ」と六音の方がよいと思ふ、「かい/\」といふ副詞が四の句を隔てて然も直ちに「鳴く」にかからずに「あはれげに」といふ他の副詞に副ひて、其意を限定するこの歌の如き場合、中にはさまれる四の句を六音にしたといふことは注意すべきである、なほ蛙子一つと子の字を入れると親しみの感じはあるが、いくらか目に訴へる樣になる、さて一首全體についての批評は前評殆ど盡して居る、この作者の趣味は「細微」である、細微は作者にとつて眞實なる「偉大」である、これだけ言うておきたい。
   をさな妻あやぶみ守るわがもひのゑぐしごゝちにつゝしむろかも    (茂吉)
◎作者申す。省略法を用ゐてあるのであるが或は舒法が無理かも知れぬ。然し、第三句の助辭「の」の慣用法と、「ゑぐし」といふ味覺(實は混合感覺)を借り來つて心的状態を表はさむとした事と、單に「愼む」と用ゐてあるがこの「愼」字の意味。以上の三つをモ一度噛みしめて戴いたならば、意味だけは分ると思ひます。
〇左千夫、我が將來の妻たるべき少女は十一か十二で即ち幼妻である、さうして一つ家に居る自分は少女をどこまでも吾が妻と思つてゐるが、少女は未だ何の氣もない、馴れ/\しく親むかと思へば、又一向に情愛のないやうなこともある、彼が女となつて能く自分と調和するか否かとの危みもある、彼れの天品が能く圓滿無垢に發育してくれゝばよいがといふ危みもある、理窟にも感情にも何等手答のない幼妻を守つて居る、此際に於ける一種の苦勞、即ゑぐし心である、此のゑぐし心は或時機に達せねば解決の道はない、それで忠實に考へれば自分を愼(60)む外はない事に落てくる、引〆て優しい情緒が此歌の地である、此の如き複雜な人事を兎も角も三十一字に詠み得たのは、技巧の上から實に大なる成功である、乍併此技巧上の成功が、直に歌其物の成功と一致したとは云へない、此歌は内容の余りに複雜なるが爲にや、一首の譜調に響音が乏しい、さればと云つて決して捨得らるゝ歌ではない。
   もや/\し大野のみどり色に立ち黄なるが中に日の沈む見ゆ   (千樫)
〇左千夫、此歌は「大野のみどり色に立ちもや/\し黄なるが中に日の沈む見ゆ」と句を置換て解する句法である、是れは萬葉中に其例がいくらもある、此歌は大膽に常規を離れた用語がそれで僕は疵とも見られ面白いとも見られる無理を冒して或點まで成功した歌だと云ふを憚らぬ、水蒸氣の工合と夕日を受けた緑の反射で空氣に一種の色の立つは事實である、それを大膽に黄なる色と云つて終つた處に幾分かの無理がある、其無理を無理としても、猶此歌の捨てられないのは、兎に角創作的精神が全首に動いて居るからである、
   ひとり身の心あやしく思ひ立ちこの夜梅※[者/火]るさ夜ふけにつゝ   (千樫)
〇純いふ、ひとり身の人が思ひ立つて梅を煮るといふのは如何にも面白い、此場合どうしても梅でなくてはならぬ處に無限の妙味がある、第五句は惜しい、もう少し意義ある句を欲しいものだ、夜ふけと云ふ意味をあらはすはいゝが「この夜」と「さ夜」と重ねてくり返すのは不必要ではないか、
〇左千夫、これが所謂輕いをかしみを歌つたものである、何と云ふ事はない、梅の煮たのが食たいといふでもなく、外に梅を煮る必要があるでもない、只ふと思ひついて梅を煮たのである、作者は自分ながら自分の心理状態が判らず、梅を煮るといふことに興が湧いたのだ、意味があるでもなく、無いでもなく、獨りものゝ氣まぐれに、(61)突然たる事をやる所に、輕いをかしみがある。「心あやしく」の詞は此歌に於て必要である、此歌は單に梅を煮ると云ふ事件の興味を主として居るのではない、獨身ものが、何といふ事はなく心怪しく思ひ立つて梅を煮ると云ふ突然たる事をやつた、獨ものゝ常規的ならぬ生活のをかしみが主であるのである、五の句は只刻限を示したまでゝ、是非必要と云ふこともないが、無けれはおさまりが惡い、此獨身もの恐くは、折角煮たのも半分までは食はないで、跡は戸棚の隅でどうかなつて終つたらう。
                   明治42年10月『アララギ』
 
(62) 作歌餘滴
 
      〔一〕
 
〇一念まをせば八十億劫の罪を滅し、十念まをせば十八十億劫の重罪を減し云々とは佛書の詞なり、尊くも意味深くも、いと面白き詞かな、或機會に觸れて、歌を作らんとの心動き、一念茲に超越したる時、煩悩具足の我々もいつしか人間の心を忘れ、身は陋巷にありながら、思は遙かに闇黒を離れ罪惡に遠ざかる、光明界裏無碍の心神は、恣に詩趣を高天滿地に探るの快に遊ぶ。
あはれ一念の超越、そこに如何なる人も安息し得べきなり、
〇水は流動止まざる處に、水の靈性は存せり、宗教は信心堅固にして始めて、救濟力の大なるを見る、人は云ふ、宗教は衰へつゝありと、然して信仰心の衰へたるを云ふものなし、信仰なき人に何の宗教かあるべき、歎異鈔に曰「唯信心を要とすと知るべし」と、親鸞の一語如何にも平易にして能く宗教の旨を盡せり、今世の人は己れに求むること少く、徒らに宗教に求むること多し、是れ今世人の宗教を失ひつゝある所以なり、
〇道は道其物の尊きよりも、求めて止まざる處に却て道の精神は存するか、道其物のみが人を尊とからしむと思はゞ誤りなり、道を求むるの心、其切なる心即人をして尊とからしむべし、故に求道の精神は專ら自己の欠乏を(63)自覺するにあり、求めて止むことを知らず、朝に道を聞て夕に死すとも可なりとの精神あつて、始めて共に道を談ずるに足るべし、
心貧しき者は幸福なりと西哲も云へりとか、予は思ふ、心滿ちたる者に靈活なし、
 
      〔二〕
 
〇花を見て直に花を解せんと思はゞ誤れり、歌を見たるのみにて歌を知らんとするは、獨花を見て花を解せんとするが如けむ、故に能く歌を知らんと欲せば、必ず自ら歌を作り而して又能く作者なるものを知らざるべからず。
其著書を見て聖人を知らんとするは順序なれども、聖人の實驗なくば到底聖人の書は解すべからず、何となれば聖人の悉くは書に現はれ居らざればなり。
〇歌を作るに就て徒らに技巧の上にのみ興味を有する人は、必ず其歌の依て湧くべき根本の問題に注意を缺く 此の如き人は偶然好詩題に逢着したる時にのみ、能く歌を作り得れど、詩題の撰擇に就ては、殆ど盲者なるが故に、常に自覺的作物を得るを難しとす。
慧悟と健覺だにあらば、技を待つこと少くして歌は能く上達せん、汝若し眞面目に熱心ならば、豈に言語に究し、文字を探ぐるを要せん。
〇政事家實業家の墮落より來る社會の損害は猶恢復し得べし、文字美術宗教の墮落より來る國家の敗頽は、遂に恢復すべからず、變化の及ぶ處精神上最も深き根本に於ける腐敗に基づくが故なり。
(64)〇犧牲的精神の本尊は女性にあり、女性的精神の國家に對する關係は間接的にして却て根本なり、女子をして獨立せしめ女子をして直接に社會に關係せしめんとするは、女性の本能を解せざるの致す處なり。日本國民は元來女性的なり 故に犧牲の精神に富めり、見よ日本國民が如何に神系過敏なるかを、又如何に事に臨んで覺悟のよきかを、日本の政事家は此の女性的精神の作用に注意を怠るべからざるなり。
                  明治42年10月・11月『アララギ』
                        署名   左千夫
 
(65) 〔放縱欄と歌會の歌〕
 
放縱欄と歌會の歌は大に精選する必要ありと思ふ。淺野梨郷の歌は始めて見たやうであるが大に注目すべき者と思ふ。少しもコネクラなくて自然に平氣にやつてる態度が賛成である。
                  明治42年10月『アララギ』
                      署名   なし
 
(66) 〔『アララギ』第二卷第二號消息・稟告〕
 
      消息
 
馬粹木二卷より三卷に渡り、滿州雜詠の作者として同人間に喧傳せられたる、下總佐倉の人足立清知君は九月七日病を以て死去せる由突然遺族の方より通知有之只々驚嘆の外なく候、思ふに今回アラヽキの奮起をも知るに及ばずして逝かれるにあらざるか、誠に痛嘆の至に候、足立君の滿洲雜詠は永遠不朽に傳ふべき秀歌と存候へども、作者其人は遂に再び相見るを得ざる事に相成申候、初秋未だ落葉を見ず一夜天際に詩星を失ふ、紙に臨んで弔慰の詞も出で不申候、茲に謹で消息を諸同人に傳へ哀悼の情を披瀝致候、敬具(左千夫)
 
      稟告
 
頁數の都合にて止むなく次號へまはしたる原稿は
  彼の老人(小説) 安藤黙斷子
  茶の湯の手帳   左千夫
其他東京、沼津、犬蓼短歌會々稿等多く候、雜誌御覽の上御推察願上候。
(67)前號二八頁田園雜詠芋乃花人とあるは誤にて八首中初めの六首は芋の里人氏の歌、後の二首が芋の花人氏の歌に付こゝに正誤致候。
本號より表紙々質を改めたるは下總某君の厚意に御座候。
依田秋圃君より金壹圓柳本城西君より金貳圓御寄繪に預り難有御禮申上候。
前記の通り原稿堆積候爲次號へまはしたるもの多く候へ共尚定數を數頁超え申候 此分は次號に於て節約致すべく候。
                  明治42年10月『アララギ』
 
(68) 短歌研究〔二〕
 
     (一)
 
 近刊の「スバル」「心の花」「國民新聞」等に現はれたる、中里萬里、與謝野晶子、平出修、石榑千亦、佐々木信綱、尾上柴舟、井上通泰諸氏の作歌を評す、猶吾々は時に各氏個別に一人の作歌に就て極力批評を試むべし。
   わが窓は艶《えん》にゆたかに夕されば廓の燈《ひ》見ゆこれやわが窓    (平里萬里)
〇左千大曰、窓から遊廓の灯が見えるといふことが、詩趣といふ上から見て何程の価値があるか、よしこれが艶にゆたかに見えたにした處で、百姓町人の目にこそ嗚呼美しい賑かだなアと見ゆれ叙景詩の材料として何程の價値があるか、其觀察に少しも進歩的思想がなく、感興に少しも創作的な處もない、おれの家の窓から吉原が見えるぞと、眞面目に誇りがに之を歌に詠んだ作者の根本思想が解しかねる、如斯歌を拔き來つて予に眞面目なる批評を強ふるならば予は今後の合評は平に御免を蒙る。
   戀人は朝を夜とし保つこと二時にして今とはり引く      (與謝野晶子)
〇左千大曰、此歌は懸愛を歌つたものではあるまい、戀人といふ詞を除いて見るならば、此歌には戀愛的情調が殆どない、作者の心では、戀人といふ詞は只一種の親み詞として茲に使つたのであらう、古語でいふ「吾背子」(69)とか「吾君」とか、今の詞では「うちの人」と云ふ位の意味に見てよからう、(併し吾背子とか「うちの人」とか云ふ詞は他人に對しても云へるが「戀人」などゝ他人に對しては云へまいからそれだけの差はある 偖一の句は「うちの人」といふ意味として此歌が何を表現して居るかと見るに、例の散文的記述であるから、情調のあらはれ居らぬことは勿論であるが、先づ此歌の大体の意義を解すれば、所謂戀人なる人の變つた性癖(性格とは少し違)から起る事件、即何の爲めに朝を夜とするかは不明なれども、兎に角夜が明けても猶夜として燈火も消さずに夜を保つこと二時間の後始めて帳を引いて朝にしたといふのであらう、これで作者には、其戀人が何の爲に朝を夜とするかは判つて(讀者には判らない)居るとしても、作者が其戀人なる人の變つた行爲に就て如何な感じを有してゐたかは不明である、此歌に情調的表現がないと前に云つたのもこれである、されば此歌は事件の興味を目的として此歌を作つたものと見る外はない、予は歌は絶對に情調的でなければならぬとは云はぬ、乍併事件的興味の滿足を得やうとするには三十一文字の短歌は、余りに形式の拘束が嚴しいことを忘れることは出來ない、此歌の如きが現に其證である、此作者の手腕を以てしても、此歌が含み居る事件の表現は、讀者の興味を引べき程度に達して居らぬ、戀人の一語は作者と相手者との關係は判る、帳の一語は其生活の程度の幾分を現し得たりとするも、何故に朝を夜とするのか、何故に夜を保つこと二時と時間を明定するのか、夜明けといふことを如何なる刻限より算定して二時間を數へたのか、明定すべからざることを明定するのは記述としても不自然であるまいか、それに此歌の記述とは其戀人なる人の變つた行爲は其朝許り突然やつたのか或は時々そんなことをして居るのか其精神系統も一向に判らない、假に夜でなければ仕事の出來ない人が、是非夜の内に仕上げて終はねばならぬ人が、夜は明けても猶夜のつもりで仕事をしたと見るにしても、其仕事の何物たるかゞ判らないから、(70)聲ばかりして正体の見えない化物騷ぎに等しく、進歩的精細な頭腦には感動し得べき興味を與ふることが出來ないのである、從令へば、大喧嘩があつた人殺があつたと事件として聞かせられても如何なる人が如何なる關係で如何に喧嘩したかゞ判らなければ、少しも事件の興味が無いのと同じである、要するに三十一文字の歌で事件的興味を傳へんとならば其題目の選擇に最も緻密なる注意を要するのである、情調的趣味と事件的趣味との關係及び其兩趣味と韻文との關係に就ての研究上、予は與謝野君等と根本の意見を異にして居る、予は與謝野君等が三十一文字の短形式を以て事件的興味を歌はんとする根本的議論を望むこと甚だ切なるものがあるのである、
   たはれ男の酒事するにまじりたる君をし見ればしづ心なし(桂の濱の少女のうたへる)(平出修)
〇左千夫曰、小才が産んだ聲色式の歌である、其聲色も駄洒落の拔けない聲色である、どれおれが一つお前に代つて歌を詠んでやると云つたやうな掛りで作つたらしい調子が詞の節々にほのめいて居るではないか、苟も女性たるものが眞面目な意義に於ける女といふものが、男子殊に自分の意中の男に對し、「君をし見れば」など云ふ口調は、普通の會話に於ても輕薄極つた詞つきである、これが單に自分の感想を叙するに止まつた歌ならば、吾背を見ればとか我子を見ればとか云はぬとも限らぬ、作併相對的に夫に對し妻に對し、おまへを見ればとか、あなたを見ればとか云ふ詞が如何なる場合に出てくるかを考へ見よ、語調が内容に伴はぬければ自然なる感情は決して表現し得るものでないとは吾々の常に繰返しつゝある處である、「しづ心なし」など言ひはなして澄して居る余所々々しさ、男の上を心配して不安の情を抱いて居るといふ、女の口などから決して出得べき詞ではない、散文にしても、これでは意義が充分に通じない、況んや感情を表現せんとする韻文に於てをや、此の如き不自然な詞つきでどうして感情を表明し得べき、終りに一言する、此歌は兎に角、内容は批評すべき債値があるのであ(71)るが、前に云ふ如く表現の仕方が惡いのである。
   かささぎの橋に立ちてやながむらむたむくる笹の稀になる世を (井上通泰)
〇左千夫曰、異趣味の人の歌なればとて、頭から痛罵するのはよくない事と思つて居るけれど、かういふ歌を見ては力を入れて批評する勇氣も出ない、一首に含まれて居る詩量を分解して見る氣になれぬ、露骨に云へば分解するだけの趣味性分は此歌にないのだ、思想と云へば童男童女のまゝ事的思想であつて、大人から見れば淺薄な遊戯である、雛の顔がよくても惡くても人間の眞面目な問題にならない如く、此の如き歌はよからうが惡しからうが嚴格な意義に於て、決して文藝上の問題とはならないのだ、甚だ失敬ではあるが、横文字の讀める作者にしてどうして、文藝上遊戯と眞文藝との差別が解らないのであらうか。
   夕靄は蒼く木立をつゝみたり思へば今日はやすかりしかな    (尾上柴舟)
〇左千夫曰、内容も貧血的だ 調子も貧血的だ、併し、これでも、廓の灯を「艶に豐かに」と讃美し、それが自分の窓から見えると眞面目に興じてる歌から見れば、遙かにケツカウである。
   遠鳴の潮の音きこゆ濁まき流るゝ水の上をつたひて      (石榑千亦)
〇左千夫曰、作者の視感に入つた趣味は甚だ面白いらしいが、描寫が表現的でなく、記述的説明であるから、作者の感じた趣味を讀者が感じ得ないのである、濁流の上を傳へて潮の音聞ゆといふ詞である「濁まき」「流るゝ水の」などゝ分ち云ふべきでないのに、それを二句に分ち云ふから語勢も無くなつて、殆ど科學的説明になるのである、
   我生はあまりにさびし秋風に九十九里の濱ふみゆく如し    (佐佐木信綱)
(72)〇千樫。小さき統一的景品を喜ぶ目から見れば、九十九里は餘りに單調なまとまりの無い淋しい所に見えるかも知れぬ、それならそれでも惡くない、秋風に九十九里の濱を行く心持をしんみりと現はしたならば面白い歌が出來ると思ふ、この歌の如く、我生はあまりに淋しと概叙的に説明して秋風に九十九里の濱ふみ行く如しと譬へただけでは意味だけはわかつても、少しも胸にひゞかぬ、餘りに無雜作にいつて了つて前半と後半とがたゞ並列されて居る樣で有機的組織が充分でないからである、作者の詩的熱力が足らなかつたからである。失敗の作と思ふ。
〇左千夫曰、前評以上に云ふ所はない。
 
     (二)
 
 本誌前號の短歌を拔抄して主に地方同人諸君に批評して頂いたのである(董)
   げんげんの花原めぐるいくすぢの水遠くあふ夕映も見ゆ    (柿の村人)
〇左千夫。感じのよい歌であるが四句五句のあたり頗る調子の緊張を欠いてる爲めに讀過して響韻がないのは遺憾である。夕映に對して見ゆると云ふも用語聊か穩當でない。
   富士見野をひとりすくれば秋花のはつ/\くはし人を憶へり   (蕨眞)
〇左千夫。此歌に注意すべきは何處となし汽車にて過ぎた感じがある點である。最もこれだけの詞で作者が汽車に居て見たといふ意味はないけれど、秋花の續いて居る富士見野を徒歩して見たならば「はつ/\くはし」などいふ瞥見的感じのある詞は出ない筈である。隨分廣い高原も汽車に視て過ぐれば如何にも淋しく花も僅かに見えたらう。詞書と相待つて靜かに此歌を味はつて見ると作者の當時の精神状態の自然が解つて面白い。第五句は今(73)一工風がほしかつた。
   新治つくはの小野をてる月のよこ雲の色に秋ちかづけり   (秋圃)〇左千夫。雲の色に季を感ずる趣味は前評の如く古いこと勿論であるが此歌の生命とも見るべきは四の句五の句に跨がつて「雲の色に秋近づけり」と靈靜なる感じを具象的に叙した点にあるが此叙法は成功したとは云へない。從令ば春來るらしと云ふ處に春近づけりというて見ても只云ひ過ぎた感じがある許りで特別の手柄にならぬと同じである。
   老人のすげむ口元秋風の言のはし/\漏れていとしも    (里靜)〇左千夫。五の句漏れていとしものいとしもの意味が判らないから評が出來ない。
   思ふにし心悲しも夜を清み月にむかへる草の上のつゆ    (左千夫)
〇柿人。清澄透徹の夜色に對して故人を想ふ心持が遺憾なく現れてゐる。一二句と三四五句と形に於て即かぬやうでゐて心持に於ては非常に緊密に融合してゐる。三四五句を得て作者の月夜に對して居る光景が思はれるのみならず故人の人格の凛然たる面影も髣髴される。趣向を凝らす思索的な歌では迚もこんな玲瑯玉の如き※[王+軍]然たるものを得る事は出來ぬ。四句「むかへる」といふ詞をこんなに活動させ得るものかと驚く。
〇桐軒。草の上の露を古人に擬して詠むだ歌は有る樣に思ふがこの歌の樣に深刻に憶念を表現したものはない「夜を清み」と置いたのが生命の中心であらう。
   ぬは玉の常暗の世と國土はゆれつゝもとなたどき知らずも   (勘内)
〇左千夫曰、詞は如何にも能く整つてる居るに係らず、生氣の動かないのは、作者に現寶に觸れた、電氣的作用(74)がないからであらう。
   雨こふる蛙の面にそゝぐ水つむり空しく一日くらせり      (千里)
〇左千夫曰、千里君の歌はいつも意味の働きが多くて情調が乏しい弊がある、此歌の如き洒落な才想は面白いが、何分内面的統一の見るべきなく遊戯に近いものとなつた、千里君は運が惡い、いつも余り振はない歌許り拔き出されて非難をされて居る 猶附記する、研究の題歌を拔くことは甚だ六つかしい、無難な作許り拔いては評が振はない、さうかと云つて、作者自身でも余り得意でない作を拔かれて難撃されても、迷惑であらう 出題者の苦心はそこにあるが、今度の拔歌には大に褒める歌は無かつた、これからは一つ各作者の自信的作を提出して、忌憚なき衆評を、求めて見たらばどうであらうか。
   あなうま粥強飯ををすなべに細りし息の太り行くかも      (茂吉)
〇左千大曰、あなうまの一句は今一工風ありたかつた、全体に就ても意味と調子との交渉に今一段の努力がほしかつた、
   湖はなれ暗きに見れば松の間ゆ湖の面光り湖浮きて見ゆ     (禿山)
〇左千夫曰、これだけ複雜な光景を、これほど叙し得たのだから、先づ成功と云つてよからう、予は此歌に對しては多少責任があるから余り立入つた評は出來ない。
   まひるのあかるき村をかへるにもためらはれぬるむねのさみしみ (千樫)
〇左千夫曰、推敲が足らなかつた、三句の「にも」は矢張いけないのだ、前後の句へ少しも響かない詞だ、一の句「まひるの」も一向に働かない、三十一文字中にこれだけ、働かぬ詞があつては、弾力も響も出ぬのがあたり(75)まへだ。
   降り來ぬと思ふまもなくにはたつみただに流れぬ赤松が根を
〇左千夫曰、これでは無造作過ぎる、努力の足らない作物には、どうしても含蓄が乏しい、無造作に取扱へば、どんな事でも無造作になつて終ふものであるから、如何なる場合にも苟もせぬといふ態度が大事である、尤もこれは席上の即詠であるから、此歌に對して眞面目過ぎた批評をされては作者も迷惑に違ひない。
   夕立はわが里すぎて向つ岡の落葉松林鳴りて降り行く      (朴葉)
〇左千夫曰、描寫的の歌は捕へ得た僅な處から一首の生命が出てくる、文章でいふ山がそれだ、此歌の第五句がそれだ。
                    明治42年11月『アララギ』
 
(76) 東京短歌會
 
十月九日、尊とくもなづかしき根岸の舊廬に會するもの十人、秋日和日薄く。木蔭冷かに土潤ふ、例のまめやかなる母堂の嗜みは、十歩の庭前塵もとゞめず、菊未だ咲かねど※[奚+隹]頭秋海棠の花はありし昔をさながらに殘せり、愚哉が寫せる故大人の宵像は、大人の俤能く寫し得て生ける人に逢ふ心持ぞする、いと懇ろにいそ/\と物し給ふ母堂の健さは、なつかしく、嬉しく、涙もこぼるゝ許りにて、人々かたみに打ちくつろぎ語り合ひぬ、
世の中に樂しきことの數はあれど、志合ひて道を同くする友どちが、相慕ふ故人の舊廬に打寄り、舊を偲び今を親むのまどゐに如く事やあるべき、歌は作るも作らずも心は等しく高雅の趣味を思ふ、
談興盡くる時なく、日は漸々暮に近づくにさらばとて「冷」「横」「蓮の實」の三題を頒ちて、各五首以上と掟して作歌を試みぬ、今は其數十首の中より、席上稍高評なりしを拔き出でつ(左千夫記)
 〔茂吉、千樫、夏井、董湫、利郷、文明、允、芳雨、左千夫の歌略〕
                    明治42年11月『アララギ』
 
(77) 木曾だより
 
 先年平福君木曾に遊び、偶然籔原の湯川寛雄君に會し、懇情を結びしより、一昨年久保田君と予と相携て同氏を訪問し、昨年又蕨眞君同地に遊びて交を暖め、爾來消息を絶ず、湯川君は實に吾々諸同人の同情者なりしが、今回同君は、本年僅に二十四才なりし最愛の令閨を失ひたる不幸に遇へり、三才なる幼兒と當才なる赤兒とを左右に擁して此秋を泣く鰥夫となれりとの消息を傳へ、且つせめてもの慰藉のため、諸同人より哀歌を乞得て一册子を作り亡き人の靈に供へんことを希ふ趣きを附記せられたり、願くは諸同人の各位、一片の同情を寄せられんことを、小生より切に懇願する處なり敬具(神無月十二日左千夫)                    明治42年11月『アララギ』
 
(78) 短歌研究〔三〕附記
 
附記す、自分は都合ありて最も諸君におくれて評する事にしたのであるが、今諸君の批評を見ると意外に考が違つて居る自分の今の考で見ると以上の十首の歌に就て、面白いと思ふ歌を一首も認める事が出來ない、單に面白くないと云ふ許りでなく、自分の考へて居る韻文といふものとは趣味の主要點が余りに離れ過ぎて居ると思ふのである、されば今自分の考を充分に述盡さうと思へば、此狭隘な紙面の殘端ではどうすることも出來ない、殊に此欄も余り長過ぎては人をして飽かしむるの恐れがある、されば自分は次號に於て、以上十首の評を主として曙覽の歌を充分論評して見たいと思ふのである、かういふ譯で今回の研究に漏れたことを讀者諸君に謝す。
                       左千夫生
                    明治42年12月『アララギ』
 
(79) 〔『アララギ』第二卷第四號消息〕
 
拜啓 年がくれ候とて何の珍らしき事も無之候へ共、只年を送ること頻々たる感じのみ強く相成候、國民の文化と云ふ上に於ては、愉快に感ぜらるゝ處も少くは無く候へども不愉快な處も多く候、人生と文藝との關係に就ての議論は隨分盛に行はれたる樣に候へど、偖制作其物を吟味して見れば、技巧を賣物にする感なきものが何程有之候や、文藝上技巧の大切なる事申迄もなく候ものゝ、精神を欠ける技巧は高等なる職人に候、職人臭味を帶た文藝は、人をして面白がらせる事は出來るも人をして仰がせることは出來不申候、人格と作物との關係を輕視して平氣なる文藝壇に精神あり氣品ある作を要求すること始めより無理なるべく候。
余所は兎もあれ吾根岸派歌壇に於ては文藝根本の意義を人格の尊重に置きつゝ御同樣に相勵み來りたる次第に候へば職人臭味の作物が吾が諸同人の中より出づべき筈は無之候、乍併多く作る即技巧がうまくなる、技巧がうまくなれば、知らず/\技巧を弄するの弊に陷るは、容易に免れ難き通患に候へば、平生深く戒めねばならぬ事と存候。
偖本年の歌作壇に於て小生の最も嬉しきは、北信濃諸同人の奮起に候、小沼松軒君芋の里人君殊に創作多く、着々進境を示され候、次に甲州の日原無限君が近頃の活動は、才藻煥發、人を驚かし申候、放膽縱横なるは、岡千里君の巧妙精彩なる作風と相對して頗る面白き好對照を爲し居候、小生は猶外二人を諸君に紹介致候、沼津の木(80)村秀枝君名古屋の淺野利郷君に候、秀枝君は馬醉木時代初期よりの特志家に候へども、初より倦まず撓まず冷せず熱せず、著しく人の注意を引きしことなきも一歩一歩の進歩は、目立たぬ發達を遂げられ候、從て歌の作風も穩麗閑雅目立たぬ處に長所を有し居候、小生は秀枝君が今少し會稿以外に創作あらんことを希望致候、利郷君に至つては最も新しく今夏以來の作家ながら、其作風は實に從來の例を破りたるの感あり、是迄小生等の考にては、素朴無邪氣なる趣味は地方人殊に山中の人の獨專なるを信じ居りしに、利郷君は名古屋藩士の名古屋生にて純粹なる都人に候、而して一點才氣を弄せず毫末浮華を見ず、素朴も無邪氣も又自のづから地方人と異なる處甚だ面白く思想感情はどこまでも都人にして趣味は淡素純粹なるが嬉しく候、只年少の人は變化し易し 利郷君の作風が今後如何に發達すべきかは注意に値する問題と致候、終に臨み古參の諸將に今少し御精勵の程を希望致候(左千夫生)
                   明治42年12月『アララギ』
 
(81) 予の見たる子規子
 
 子規先生の事は隨分種々なる方面より、多くの人に依つて雜誌などに掲げられてある。現に私など「馬醉木」へ續けて書いたこともあつたが、未だ々々先生に對する話は盡きない。今一つ生活と趣味に就いて話しをしやう。
 全體子規先生の人格はと言ふと、一概に言へない程複雜なので、趣味といふ事には非常に憧憬されて居られた。而して其趣味は長く一つの物の趣味に泛ふて居るのでなく、汎きを求めたのである、私は能く書畫を先生にお目に掛けて其趣味に就て互に意見を闘したが、一時は非常に面白ろがられるが、其れを是非自分の手にして長く愛玩しやうといふ風ではない、善い繪なら石版摺などのものでも一時は面白がつて居られる。
 併し何を見ても趣味は高かつたので、例へば赤や青でごて/\と彩色した子供の繪などにも趣味を感ぜられた、又團扇の繪なども女小供に適する樣には如何に色彩を用ゆるかといふ樣に見られるが、何んでも捨てない。
 又大變に趣向を追はれた。一寸食事をするのでも、其菜の間に何にか一つ趣向を求められた。「それは趣向が無いな」未だ耳に殘つてる言葉である。であるから、度々題を出して持寄りをする、いつか黄といふ題で、持寄つたとき、ある人は琵琶を持つて來たら、先生は黄色に琵琶は余り趣向がないと言はれた、其時先生のは大方卵であつたと思ふ、割つてから黄色が出るところが大に自慢された。
 又病氣で臥せつて居られたせいもあらうが、文學談などより他方面の話を非常に好まれた。之れを見ても多趣(82)味を味ふかが強かつたのがわかる。
 又常識的の用意周到で、來客に對して其感情を害しない樣に心を痛められて居た、世間では非常に冷淡と見られて居るが決してさうではない、涙もろき情に厚き、人を信用し過ぎる方で――磊落な豪傑肌な人ではなかつた。
 和歌などを見て頂く時には、決して頭から批評されない。能く其れを讀んで作者の心持ちとなつて見てから、質問を起される、其の答へる尻を捕へて、作者の不用意の点を指摘するので、終に作者が一言の答も出ないことになる。
 要するに、子規先生の趣味は鋭く細かつた。決して粗放でなかつたのと、趣味と生活とを接觸に勉められた、即ち文學的生活を募られたと云つてもよいであらう。今回は是丈けにする。
                   明治43年1月『藻の花』
                     署名   左千夫
 
(127) 短歌研究〔四〕
 
      香川景樹の歌
 
  景樹を崇拜する部類の人以外に於て、景樹の歌人的聲價は定つて居る、世の中の弟子取り歌人かさもなくば盲目歌人にあらざるよりは景樹を褒める者は少い、併し好惡の念を離れ、敵味方の感を去つて、公平な吟味を遂げて見やうといふのが吾人の目的である。
 
     春月朧
   おぼつかなおぼろ/\と吾妹子が垣根も見えぬ春の夜の月
〇左千夫曰。何がおぼつかないのか「知らない人の處へ行くでなし、迷子を尋ぬるのぢやあるまいし、朧ながらも月のある夜に吾妹子といふ情人の家を尋ねるのに何のおぼつかない處があるのだ、よし月がおぼろでいつも見えるあたりから情人の家の垣根が見えなかつたにせよおぼつかなといふ感じの起り樣が無いではないか、つまらぬ事に興がつて喜んで居るのが景樹の持前だ、春の夜のおぼろといふやうな言葉から垣根も見えぬといふことを推定してさうしておぼつかななどと醉狂な興がりをいつてるのだ、彼が歌をおもちやの樣に取扱つてるといふ事は此一首でもわかつて居る。
(128)     河上花
   大井川かへらぬ水に影見えてことしも咲ける山櫻かな
〇左千夫曰、こんなものは評する價値がない、人の口眞似をして居るのだ。
     寒月
   てる月の影のちりくる心地して夜ゆく袖にたまる雪かな
〇左千夫曰。月の面白味をよんだのか、雪の面白味を詠んだのか、一向にわけのわからぬ歌だ、終の一句を「たまる花かな」と直したらどんな歌になるか、第一句より第四句まで少しも雪らしい言葉がなくて突然たまる花かなといつたつてことわる事にはなるけれども雪の感じは少しも現れて居ない。元來景樹の歌を評して感じの現れ方などといふのは彼を買ひ過ぎた話なのだ、あまり惡口をいふ樣であるからもう一言いうておくか「てる月の影のちりくる」といへば空の清明ないかにも月の照りわたつて居る心持である、第四句までかういふ晴れ/\した言葉の次ぎへ持つてきて突然「たまる雪かな」といふ、此雪はどこから飛んできた雪か、馬鹿げきつたいひざまである。文法がどうのかうのといふ連中がこんな歌をほめて居るから氣が知れない。試みに雨のふるといふ意味を第四句まで綴つて突然第五句に日の光かなととめたらどんな歌が出來るか。馬鹿
       〇
   富士の根を木の間/\にかへり見て松のかげふむ浮島が原
〇左千夫曰。「木の間/\に」といふ言葉が大變巧みな樣で拙いのだ。只松の木の間からふりかへる度に富士が見えるのであるのを木の間木の間とさも一本一本差別のある樣にいふのがいけないのだ、かういふのがいひ過ぎ(129)て居る 言葉遣ひで言語の感じが強くて趣味の感じを破つて居るのだ。「松のかげふむ」といふのは一時的の動作である、木の間/\にかへり見るといへば長い時間の含まれて居る動作であるから趣味の接續に調和を缺いて居る、要するに分解すれば統一も融合も無い歌である。一見巧みに見えるのは幼稚な讀者をごまかし得るに過ぎないのだ。かういふ人達の歌にはいつもきまつて居る事ではあるけれど、「松のかげふむ」といふ事が面白くてこの歌を作つたのか、木の間木の間に富士をかへり見るといふのが面白くて作つたのか、景樹は無論木のま/\に富士をかへり見ることを面白しとして此歌を作つたのであらう、それに拘らず第四句の要部で強くいうて居るから趣味の統一を破るのであるのだ。
       〇
   若草を駒にふませて垣間見しをとめも今は老いやしぬらむ
〇左千夫曰。三十一文字の散文である、突然氣まぐれにこんな事を思ひ出して、三十一文字に洒落れて見たまでの事である。元來景樹は歌に對する態度がいつも眞面目を缺いて居る、彼は才氣で歌が作り得らるゝものと思つて居たのである、彼が歌二三首を見れば彼の文學に對する態度が頗る輕薄であつた事が鏡に對して影を見る如く明かである。彼を崇拜する歌人は世の中に隨分あるけれど徒らに盲目的に崇拜するばかりで韻文といふものゝ根本論から充分に彼を辯護し得た者は一人も無い。予は尚彼が頭上に一言を加へておく、彼は風流を弄んだ卑俗なる詩人である。(左千夫氏の評は口評を筆記せしものである)
                  明治43年1月『アララギ』
 
(130) 慨嘆すべき歌壇
 
 新年の諸雜誌に現れた短歌
帝國文學、尾上柴舟氏の歌十首
   みづからを強くあざけりなほ足らず足らざるにしも涙おちぬる
〇左千大曰。自分を強く嘲けつてもまだ足らぬといふ心持が前半でわかる、その嘲り足らぬに涙が落ちるとあつては自分のなさけないのに涙が落ちるのではなくて、あざけり足らぬ爲に涙が出るのであるらしい、その心理状態が吾々にはわからぬ、作者の心持では自分をなさけなく思うて涙がおちたといふつもりであらうけれど言語があらぬ方にはたらく爲に作者の現さうとした通りに現れぬと見るより外はない、涙がおちるといふのはいふまでもなく悲しい事であるが只涙が落ちるというたばかりで悲しい情調が一首の上に感ぜられない。
〇純曰。自分のどこが惡くてあざけるのかわからぬ。
〇左千夫日。自分をあざけるといふ心には悲しみが含まつて居るのであらうが自分を嘲けるといつた説明の言葉には何等の悲みもない、此差別がわからねば韻文のわかり樣はない。
   わがあるを知らぬ顔していそぎつゝ人は行くなり電車待つ間を
〇左千夫曰。氣づいた處は文學的だ、現し方がかう無雜作に人はゆくなりなどあつてはあまりさら/\としすぎ(131)て刺激を感ずることは出來ない。
泥海の汐干のあとのくさき香にそひてぞたどる物多き道
〇左千夫曰。この作者の着目する所は同意すべき點が多いに拘らず、それを詩化するについての句法や言語の斡旋が甚だまづい。
與謝野晶子の歌十四首
   二つ三つ忘られぬ文書きこして心の上を走り行く人
〇左千夫曰。走りゆく人といひとめてあるがその走りゆく人がどうしたのか。〇純曰。これでは韻文でなくて単に走りゆく人ありといふ事實の説明である。〇左千夫曰。この作者はいつでも才で歌をこなさうとしてるが言語がいかに働くかといふことを無頓着に使用して居る、さうしておいて自分はかういふ心持でつかつたのだと獨合點させやうとしたつてそれは無理だ、作者がどういふ量見で使つたとしても言語は言語の働く意味に解するより外仕方のないものである。
   夜に來り寢る人よりも晝かたる友の戀しくなりし頃かな
〇左千夫曰。この歌の心持は古いけれども文學的だ、然し夜に來り寢る人などとは與り露骨ではないか、何とかいひやうがありさうなものだ、この露骨なことを平氣でいつてる所が自然主義などに動かされた所だ、多くの子供が出來て寢面目になつた人間の心を現さうとした歌なのであるから上の二句はこの歌に重ずべきでないから今少し穩かな云ひ樣があるべきだ。
〇左千夫曰。この作者の歌を見ると人事的事件の圖取を見るやうだ、感情的事件を歌つても少しも感情が表現さ(132)れて居ない、この人の歌から才氣を抜いたら乾燥無味な圖取が讒るばかりだ。
       〇
スバル、茅野蕭々氏の歌
   京に來て先づわが見しはきぬ/”\の祇園の町の有明の月
   快き戀の終を味はゝむ願ひばかりにまた戀をする
〇左千夫曰。幼稚だ、幼稚だ。どんな事を咏んだら人が感心するかと思つていろ/\たくらんで居る樣があり/\と見える。幼稚だ幼稚だ。
平野萬里氏の歌
   わがごとくしたらぬ戀を氣になやむ女のあらば又戀をする
といふ歌を始めとして
   稽古屋の三味の普吸ふ窓硝子芝居の家根の燈を吸ふ硝子
   さまあしくひろげられたる女房の腕の抱くおそれとうとみ
などいふのが五十首程ある。
〇左千夫曰。元來平野君が歌を作るのが不思議だ。
〇左千夫又曰。僕は眞面目に一言する。自分で考へるばかりをやめて少し他人の説に耳を傾けて見たらよからう。かういふ歌を發表するならば一遍韻文に就ての議論する責任があるであらう。
平出出修氏の歌
(133)   大船は錨をまきぬかなしげに君すむ國へむきて笛吹く
〇左千夫曰。この一首を讀んでこの調子ならとあとを讀みつゞけて見た。とう/\五十首を讀んでしまつた。一首も拔いて見る歌がなかつた、惡口ばかりいふ樣で誠に殘念だけれども止むを得ない。
       〇
日本及日本人卷頭新年雪八首
   年の始雪ふりつみぬけだしくも新たの道を誰ふみ行かむ
   心すむにひ年の朝をふる雪にありしを忘れたゞ雪を見つ
〇左千犬曰。かういふ歌を咏んで居れば氣樂なものだ、聲はするけれども影は見えないといふ樣の心持のする歌だ、一句々々の言葉の意味は明瞭に分るけれども全首を通じての作者の心持は少しもわからぬ、新年雪といふ題でよむのだからお芽出たいのも尤なわけだ。
       〇
新潮金子薫園氏の歌
   見あぐれば空には星のちらばれり人いこふべき時を歩める
〇左千夫曰。内容は何もないのだ、少しばかり云ひ方をひねくつたまでの歌だ。見あぐれはといふ必要はない。星のちらばつて居るといふのも言語がきかない、あたり前の事を殊更にいふの必要はないのだ、人のいこふべき時を歩んでどうしたのだ、なまこの樣の歌だ。
   夜ふけて藁荻におくぬくもりの靜かにきゆる程をおもひぬ
(134)〇左千大曰。おもひぬと云ひきめてしまつたのがいけない、程までは惡くない、藁灰におく埋火の靜かにきえゆく感じは甚だ詩的情緒に富んで居る、靜かな心の動きが自然にとまるまゝに現せばよいのだ、思ひぬと強くとめた爲にその感じを損ふのである。
   郊外の歳暮はさびし冬されのいたましき中に人は黙せり
〇純曰。感情のあらはれた面白い歌だ、薫園氏近作中にかやうの歌を見出し得たをよろこぶ。
〇純又曰。とにかく趣味に對する斯様の態度はよい。
〇左千夫曰。賛成。
若山牧水氏の歌
   くだものをあまたたうべし疲れより飯の白きを見るは眼痛し
〇左千夫曰。これはくだものを思はず澤山たべて飯を見るにもいやになつたといふ無雜作なことをよんだものであるがさういふ無雜作な趣味を歌はうとするには言語も其趣味に適ふべくせねばならぬのだ、飯の白きを見るは眼いたしなどとあら/\しい言語を投げ出した樣に使つてはこの歌の樣な趣味の感じを歌ひ得られるものではない、言語と趣味との關係といふことはしば/\言ふことであるが女の聲と男の聲とひゞきの違ふ樣に趣味の表現に忠實な言語は其趣味の表現を妨げぬ樣に働かねばならぬのである。
       〇
此外心の花、中央公論、八少女などの歌は餘り長くなるから略す。
吾々は眞面目くさつて年頭の諸雜誌に現れた短歌を一わたり讀んだ上、正直に吟味して見ようとかゝつたのであ(135)る。一應吟味して見るといかにも吾々の馬鹿正直であつたことがきまり惡くなつた。文部省の美術展覽會を見て、全體に淺薄輕浮なる作者の心事が暴露されて、其自信なく定見なく、其爲さんとする所に迷ひつゝあるあわてきつた状態をいかにも情けなく思つた、其時の心持と殆ど同じ状態で失望した。たゞ新しい/\と、あせつて、藻掻いて、韻文といふものの根本に一定の考へを持つて居らない。出鱈目な試作を以て滿たされて居る、他の方面に新傾向といふ騷ぎがあればそれに驚いて目を廻す。小説に自然主義といふ議論があればそれにおどされてうろたへる。其輕薄な無定見な短歌作者の見すぼらしい心事が、あり/\と作物の上に現れて居る、其癖議論を見ると相當に物のわかつた立派な理窟をいうてる人もたまにある、けれどもその人の作物すら實に何を考へて居るのかわからない樣な作物が多い。彼等は去年の短歌壇はどうだの本年の傾向はどうだのと花柳界の連中が髪飾や衣服の流行を氣にする樣な態度である、元來生命ある文學とは何のことをいふのか、少し眞面目になつて本氣に考へて見るがよからう、立派に理窟をいふ人に是等のことがわからぬ筈はない、そのわからぬといふのは、淺薄な名譽心や、ラチもない浮かれ考から一種の熱にかぶれて我知らずつまらぬことをして居るのだ。吾々は決して好んで惡口をいふのではない、どうか眞面目に短歌といふものを研究して見たいと思ふ心から努めて他派の歌も批評して見たいとかゝつて居るのである。然るに少し批評を加へると、善惡に拘らず反對してかゝらうといふ態度も見える、殊更に知らぬ振して居るのも多い。人の苦言をきいていくらか反省の參考とせうといふ樣な人は殆ど見えない。自分一人でえらくとまつてしまつて自分の作物がこれでどうだらうかといふ反省の誠意が無いから、いつまでたつても目の醒める時機は無いらしい、自分の不足を感じて更に求めねばならぬといふ樣な求道的の眞面目な考へがないから他人の苦言が少しも耳にはいらぬのだ、それであるから、今の歌を眞面目に批評するなど(136)は馬鹿々々しく思はれてならぬけれど、吾々も短歌を作る一人として道に對する義務の觀念から敢て無用と思ふ批評をもするのである。
もう一ついひたい事がある。短歌界には議論が餘りに少い、何の研究でも、研究に議論のないといふ事はない、短歌界に議論のないといふことは研究の少いといふことの動かす事の出來ない證據である、其議論が如何なるものであるといふことはとにかく、小説界に於ける議論の盛であると同時に其研究も盛であるといふことが解る、如何なる種類の事業でも議論がなくて進歩するといふためしは無い。
新詩社諸同人スバル諸同人何故に議論なきか。佐々木氏尾上氏何故に議論なきか。議論がないから、獨合點獨よがり盲從雷同が跋扈するのである、明治の歌壇といふことを思ふとどうしてもにくまれ口もきゝたくなるのである。議論の無いのは卑怯なのである、不熱心なのである、不忠實なのである、かういはれても恐らく辯解する道は無からう。
かくの如くいふ吾々の言も議論し得ざる今日の歌壇には恐らく知らぬ振見ぬ振される事であらう。人間に感情といふものゝ存する間は韻文は存在せねばならぬものである、小説が如何に盛になつても韻文の天地は嚴として存在せねばならぬ。小説に議論の盛なるに對して韻文家は何故に議論するの勇氣を缺くか。吾々が斯の如き不遜なる言語を發するのも已むを得ないのである。
                    明治43年1月『アララギ』
                      署名   左千夫
(137) 〔消息に代て一言を附す〕
     ――選歌欄の後に――
 
消息に代て茲に一言を附す、本號の選歌欄は、歌數に於て著しく増加し、能くは數へざれども、殆ど千首以上の多きに達せり、然して選拔し得たるもの如斯少し、如斯には其選びたるものも、餘り振はざるを常とす、研究欄に於ては古今の作者を排撃しつゝ、顧みて吾歌欄の振はざること、斯の如きは、選者の遺憾に堪へざる所なり、思ふに諸君の技巧は殆ど遺憾なき程度に達し居れど、其想に於て、其用意に於て、猶至らざるもの多きが如し、天然を味ひ人生を味ひ、依て得たる處の感懷を創作せんとするに當ては、深く自ら戒めて吾態度の嚴正を保つの用意なかるべからず。予は切に望む、輕々しく文字の技巧を弄び思想の遊戯に陷る無からむことを、改卷一號の初頭に於て敢て苦言を諸君に呈するは、聊か諸君の奮省を乞はむとするに外ならず。
 猶一寸斷り置くは、讀者中選外掲載と、選欄掲載と待遇の如何を云々する者あれど、選外の歌は只選せざる歌といふまでにて、決して優遇の意味あるにあらず、故に其良否の如きは、宜敷讀者自らの判斷に任すべきなり、之に反し選歌は隨分多數の中より僅かの歌を選ぶが如き虐待に似たれど其代り選拔の作に就ては選者が責任を負うて、裏書の位置に立たるゝの利あるを知るべきなり(左千夫)
         .          明治43年1月『アララギ』
 
(138) 妙な我れ
 
 或年の新年であつた、日本橋通三丁目あたりを通行した折、或紙屋の看板に、新年の繪はがきが出て居つた、予は不圖其繪はがきを買ふて見る氣になつたのである、それで予は直に其紙屋の店頭に立つた、可なり大きい紙屋で、店前は種々雜多な紙製の物品が散らかつて居る、番頭三四人は何か忙さうに働いて居つた、予が繪はがきをくれんかと聲を掛けても、大きな番頭どもは、挨拶する風もなく、互に話合つてる、さうして一人の小僧に顋で差圖して、二三封の繪はがきを予の前に持つて來さした、予は番頭供の態度などには氣も留めないで、三枚一組の繪はがき買ふたのである、さうして店頭を去つて十間程來ると、後から小僧が、モシ/\と云ふのである、予が振返つて何かと云ふと、小僧は予に對して、一寸と店まで戻つて下さいといふのである、其時予は何氣なしに、何の用があるのぢやと口に云ひながらも、小僧について店頭へ戻つた、さうすると、一人の番頭は予に向つて、
 先刻あなたに繪はがきを二組差上げましたなア。
 かう云ふのであつた、予は、袖に入れて居つた其繪はがきを、番頭の前へ出して見せながら、おれは一組だけ買ふたのだ、此一組なのだと云ふと、番頭は、さうでしたかそれぢやよろしう御座いますハテナと云つて、立つたなり外の仕事を仕樣とする、他の二三の番頭等は予の樣子振りを見て居るらしかつた。
(139) 予はそこで聊か頭の中がごたっついたけれど、直ぐにどうといふ意識が定らなかつた、其内にも自分の足はさつさと自分を運び去つて、予は其店頭を七八間離れて來て終つた、七八間來てから予は始めて意識が明瞭になつた、これはあの番頭の奴らおれが繪はがきを一組胡摩化したと思ひやがつたのだなと氣がついた、おれは盗人の疑ひを受けたのだなと思ひついて見ると、俄かに腹が立つて溜らなくなつた、それに人を呼返してやがつて、事が判つても敢て失敬を謝しもしなかつた、考へると愈癪に障つて溜らぬ なぜ彼の時店頭で番頭つらを怒鳴つけてやれなかつたか、其時にはウンさうかと云つて出て來て終つたから、空しく怒鳴つけてやるべき機を逸して終つたので、其儘泣寢入りにして歸つて來たが、其時の事を思ふ度に忌々しくてならない、考へて見ると自分は或神經が非常に鈍ぶくて、不意に侮辱される樣な事があつても直ぐ激怒することの出來ない性分らしい。
 もう一つかういふ事がある、これは家も覺えて居る、池の端仲町の福島といふ紙屋であつた、自分は人から頼まれて繪絹を買ふたのだ、外にも二三品買ふた、自分は品物を能くも見ずに、番頭が卷いてよこした儘、持つて出てくると又小僧が後から追つて來た、半町許りも來た所で小僧から一寸と店まで戻つて頂きたいとやられた、其時も何の用か人を呼戻してと云ふには云つたが、格別癪にも障らず戻つて見ると、大人の番頭は呼戻して濟まないとも云はず、平氣な顔で、予の先に買ふた品物を、一寸とそれをと云ひながら、予の手より取つて、繪絹の尺を取直して見た、けれども尺は間違つて居なかつた、彼れは尺を間違へて切つたと思ひ違いして、予を呼戻したのであつたのだ、予を田舍者と輕侮して居つたものか、矢張前の通り、番頭の奴自分の不都合を謝する氣もなく、只よろしう御坐いますと云つて、元の通りに卷直した品物を予に渡したのである、其時も予はうか/\と出て來て終つた、暫く歩いてから、始めて考へついて、人を馬鹿にした奴だ、不都合な奴だなどゝ思ひ出したので(140)ある、それから急に忌ま/\しくなつて來たけれど、前同樣不都合を詰責すべき機を逸して終つたから、其儘胸をさすつて歸る外無かつたけれど、暫く腹が煮えて忘れられなかつた。
 さうかと思ふと、夜おそく歩いて忍びの巡査などに誰何され、巡査の物言ひが癪にさはつて、巡査を相手に喧嘩した後、直ぐに後から何だつて、取るにも足らぬ巡査などゝ喧嘩をしたか知らと後悔した事が數回あつた。
 平生でも自分の考へと自分のする事とは往々一致しない、それが突左の場合には殊に甚だしい、誰れでもさういふものか知らとも思ふが、必ずしもさうと許り思へない、それでおれはどんな人間だらうなと考へるけれど、自分で自分が本當には解らないやうだ、考へてるのが本當の自分か、考へと一致せぬ事をする自分が、本當の自分なのか、突左の事件に思ひかけぬ事をする處を見ると、自分には、自分に解らない、未だ自分の知らない自分があるらしい、それで、自分が若し突左に人に殺されるやうな事があつたら、自分はどんな心持でどんな風に死なれるかと云ふことは、今の自分には到底見當がつかない。
 今考へて見た處では、自分の腹の中には、食客虫が、澤山居つて、其虫が頗る働き廻つて居つて、腹つきの元からの自分の虫は、どの位居るのやら、どの位働いて居るのやら解らぬ樣な氣がする、妙な我と云つて見ても、それが又當つてるのかどうかも解らない。乍併今の自分は其食客虫のお蔭を蒙つてる事が多いといふを考へずには居られない、只一朝思ひがけない、大事件に遭遇する樣な事のあつた場合に、食客虫が役に立つか、腹つきの元からの虫が役に立つかゞ問題である、要するに自分には自分の半分は解らない。
                     明治43年3月『新佛教』
                       署名 伊藤左千夫
 
(141) 短歌研究〔五〕
 
   家をめぐる櫟林はことごとに落葉せりけり月庭にあり     (柿の村人)
〇左千夫曰、此歌一讀して統一不充分の感がある、それは客觀的光景に就て云ふのでは無い、一首を構成せる思想的内容に就てである「家をめぐる櫟林」と云つては、櫟林に力が入り過ぎて居る、「こと/”\に落葉せりけり」と云つては落葉に力が入過ぎて居る、「月庭にあり」の一句が又余り力強くまとまり過ぎて居る、かう部分の働きが強くては、一首の成立せる原動力の所在が不分明に歸して終ふが當然である、心理學者は云ふさうでないか、身躰各部の働きは、人格の統一上各其働きを制限され居るものである、生命ある歌は一首の構成上、心理學者の説と同じ理由で、部分的働きは一首の統一に必要なるだけ制限されねばならぬ、これは此歌に就てのみ云ふのではない。
   桑つむと人等いそはく此頃をひとり淋しく草刈りて居り    (科野舍)
〇左千夫曰、余り無造作である、力の入つてゐない歌だ 力を入れて評し樣がない、いつも云ふ事だが、詞書にすべき事を直ぐに歌にするから淺いものが出來るのである。
   よきことを今朝はしつると朝雀心をどるも獨りうれしく    (岡 千里)
〇左千夫曰、一首の調子に、どことなく※[口+喜]しいさまに見えると感じて採つた歌であるが、只それまでゝあつて取(142)立てゝ固より評論する程の歌ではない、
   いささかの秋の野川によどむ砂なかすをなして蟹よりあそべり  (無限山人)
〇左千夫曰、作者の見つけた光景は面白いが余りに冷靜に叙し去つた爲に情調の味がない、縱令へ叙景の歌なりとも、作者の見た光景が描れると同時に、作者が其光景に感じた心の状態が、言語の調子の上に幾分現はれてほしいのである、
   父母に綿の衣を乞ひしかばいつや着くかと待つがたぬしき    (淺野梨郷)
〇左千夫曰、兎も角も歌になつてると云ふまでの事で固より深く味ふて見る程のものではない。
   かぎろひの夕棚雲の心ながく長く待つべみいふがすべなさ    (古泉千樫)
〇左千夫。推敲に推敲を重ねて漸く纏めたといふ趣を免れない一讀情調の著き弛緩を感ずるのは慥かに拵過ぎた弊である、言語に「ハヅミ」が無く調子に生氣が無い、恰も疲れた時の物を云ふに似て居る、結句「いふがすべなさ」も嘆ずる心に力がない、すべなさなど云ふても調子が弱いと、眞にすべなく困つてるのか知らと疑はれるのである、言語の調子は僅かな處に内心の機微を漏すのである、同じ詞でもそれが本氣に受取られるも、言のなぐさに聞かれるのも、只調子一つで別れるのである、此の歌の第一の欠點は、作者自己の情緒を歌ふた歌でありながら、作者の心は只「すべなさ」の一句にしか云はれてないのである、他の詞は皆相手方の動作を云ふ爲に使用されて居る、それであるから、作者の情緒は現はれ樣がないのである、要するに此歌、作者は「すべなさ」と云つてるに係らず、作者の態度は何となく暢氣に見えるのである、
  たらちねの母か手離れかくはかりすべなき事は未たせなくに
(143)さすがに萬葉の歌は、言語に響きがある、調子に「ハヅミ」がある、作者なる人の、落つきかねた情緒が如何にも能く現はれて居る、これは相手の事を少しも言はない、夕機雲の歌は自己の事を
句に云ふて居る、表現法の如斯相違は以て參考とすべきである、
   おほゝしき諸木の小里醜牛をそも。中に据ゑ價を笑み苦がむ、尻たゝきつゝ。 (礎山生)
〇左千夫日。畫にかゝれてある寒山拾得の顔を見る樣な感じがする、礎子が他を冷罵嘲笑する風※[蚌の旁]躍如として詞調に現はれて居る。
                     明治43年3月『アララギ』
 
(144) 短歌研究〔六〕
 
   まごころを迭みにさかりもろともにうはへさかしく老いゆくものか (胡桃澤勘内)
〇左千夫曰、かう言語にも調子にも熱がなくては、讀者は只意義を解得する許りで、韻文の味ひを感ずることが出來ない、
   われむしろすげなき振りを見するからあやになづけりにくからなくに (望月 光)
〇左千夫曰、四の句「あやになづけり」は作者はどういふ意義に使用したのか、なづく即親みの意に使ふたものとすれば、前句「すげなき振りを見するから」の意味と接續がをかしい、自分がすげなき振りをして居るから、女が苦悶して居るの意ならば、「あやになづけり」のなづくは、苦む意義に解せねばならぬ、かういふ用語は徒らに趣味感を索然たらしむる許りである、されば二三の二句は「すげなき振りをしつゝあれど」と訂正すべきであらう、
   霜がるゝふゆ木のにはにくれなゐも色は沈めりさざんくわの花   (土産文明)
〇左千夫曰。佳作である、「紅も色は沈めり」の句を得て始めて一首全體に情調が現はれたのである、
   山裾の靜けき海にこぎ出でて四方秋山の色をたのしむ      (志都兒)
〇左千夫曰。少しも小細工が無く、十分に讀者の注意を引くやうな動いた處もない、乍併足を實境に蹈入れて、(145)親しく目に視心に感じたまゝを取繕ひもなく詠んだ歌だけあつて、何となく味がある、こねくりひねくりして拵上げた歌とは、頭から感じが違つて居る、第一に歌柄が大きい、第二に事實の感じが強い、秋深き山中の湖水、明るく清々しく、景色も落ついてる作者の感情も落ついてる、詞は足らなくても感じは現はれて居る、水も清いだけでは平凡であるが清い水の感じは強い、此歌がそれに似て居る、平凡な歌には違いないが、感じは強い歌である。
 
     附記                    左千夫
短歌研究欄で問題にして居る歌は、單に研究の材料に選拔したものであるが、一寸見ると極つて居る人々のみの歌許りを拔く樣にも見え、又比較的佳い歌を拔いた樣にも見える、かういふ誤解があつては困ると氣づいた予は、研究欄の評は、勉めて短く以て紙を儉約し、拔に漏れた人々の内から、輕々しく讀過して貰ひ度無いと思ふ歌を茲に再掲したのである、聊か作者を奬勵し、併て讀者の參考に供せんとの婆心に依る、次手に一言したい、研究欄の選歌精神は今後重な作者の歌許り擧げると云ふ樣な事は止めにして、内容形式いづれにか新しい努力を認め得る歌を擧げる事に仕度いと思ふ。
 
第二卷第四號
 湯川寛雄  取殘す妻がかもじ毛さながらにありしかほりを今日も泣くかも 柳本城西  妹が焚く風呂の煙は花枇杷の木ぬれに迷ふ軒の夕映
 柳澤月萩  秋の雨ふりみふらすみ柿の葉のしば/\落ちて日はくれにけり
(146) 芋の花人  林檎の木にふと高なりし風のむた廣げ干す籾に落葉ちり來も
 高二川   とく起きて淺間か岳を見はらせば烟すぐ立ち心すが/\し
 湯本禿山  大寺の昏皷のひゞきとゞろ/\うつつさながら遠のく思ほゆ
 政子    夏の夜や森に片そふ高き家のまとにもたれて虫の音を聞く
 節子    明けはなつ家をむなしく人等みな門べにつどふ夏の夕ぐれ
 忠夫    秋風の吹くあしの海を舟やればそこに照る日は月とし思ほゆ
 學道    少女らの手さけかこ坂秋はやく越えまくをしも花さき亂る
 ※[虫+潭の旁]室  おほ野が原あさ霜ふかくおごそかに天の門あけて日はさし昇る
三卷一號
 小沼松軒  犀川の橋の上を行けば傘にふる雨の音たかし瀬の音と共に
 湯本政治  柿の實の殘りをあさりはむからす嘴ならし鳴く冬の山里
 蔦の山人  天地に想をさぐる歌人の夜のしづまりに炭はじく音
 和山知人  ひろ原に月をながむる冬の夜の心さびしも水の音遠く
 木村秀枝  み山路の秋の花野に立つきりの朝立ちゆけば鈴の音さむし
 大橋不老  高殿に君がやすらにぬる夢をもるかとかゝる有明の月
 柳本城西  陰妻の心いやしく入りつ日の丘にもえ立つ曼珠沙華の花
 木村秀枝  和田の原そきゐる雪の仄明にとこ世のなみの立ちかへる見ゆ
                   明治43年4月『アララギ』
                      署名   左千夫
 
(147) 短歌研究に就て
 
〇研究上の議論は必ずしも決定を必要としない、趣味の上の議論は固より決論を得難いのが當然である、乍併それは云ふべきを云ひ盡しての上の話である、本誌上の短歌研究も漸く佳境に進んで來た、從て各自其見る所感ずる所頗る相反せるものも少くないが、一つの歌で褒める人と難ずる人の有る場合に歌主の考も聞いて見たい、反對説の人の考も今一應聞いて見たいと思ふことが多い、難ぜられた歌主も難説に從つたのか從はないのか、或は非難を受けて反省する處ありしか、別に發見する處もあらざりしか、評者相互に於ても考の相反するものを見た場合に、更に自説を主張せんとの考あるか、或は反對説に依て幾分參考する處ありしか、それらを互に、せめて「はがき」でゞも通じ合ふて見ては如何、今のまゝにては、何となく物足らなく思ふ諸君以て如何となす(左千夫提議)
                    明治43年4月『アララギ』
 
(148) 名士と花
     ――アンケート――
 
◎余の愛する花はと簡單に答へることは一寸と六づかしい、種々な花の中に勿論多少の好く好かぬはあるけれど其折々の見る花に皆面白味を感ずる 併し強て二つ三つを云へば睡蓮と龍膽と藤袴、梅櫻桃固より惡くはないが春の花は概して刺撃が弱い 又夏の花は濃艶なるには垢拔のせぬ感がある 睡蓮の一輪清明な朝日の光に咲き出《いで》た其姿其色其匂ひ眞に神花である 只生氣のそよぐ靈花である 其神靈の氣に觸れて心動かぬ人があつたらばそれは餘程人間から退化した動物であらう、龍膽と藤袴其風姿から其色彩から只韻文的だといふの外形容の仕樣がない 睡蓮に對しては愛の極敬して手を觸るゝに忍びない 龍膽と藤袴愛して睨まじには居られない 勿論龍膽藤袴は山中のものでなければならぬ。余は余の最も愛する以上の花に就て余を滿足させた詩歌俳句を發見せぬ。
                  明治43年4月6日『讀賣新聞』
                      署名 伊藤左千夫
 
(149) 歌と櫻花
 
 日本民族が殊に櫻花を重寶するの風は、隨分古くからであるやうだが、花と云へば櫻と云ふやうになつたのは、少しく後になつてからであるらしい、奈良の都の人よりは慥かに、平安朝の人の方が殊に櫻花を愛したやうである、國人が櫻花を愛するの風は、一時代毎に増りつゝ來たかの感がある、縱令へば鎌倉室町の時代よりは、徳川時代の方が一増櫻花に對する好愛心は進んだやうである、花は櫻に人は武士の一語、如何に徳川時代の人が櫻花に憧憬したかゞわかる、彼の本居宣長が日本魂を櫻花に比した歌が一般に稱揚されてから、増一増櫻花は我邦人の重愛する花となつた、明治時代になつては愈々益々櫻花が増植されつゝあるも事實であらう。
 それで櫻花が、斯く邦人に重愛されるやうになつたのは聊か、我田引水の樣ぢやが、古來の歌人と云ふ歌人が、口を極めて褒めちぎつた歌を詠まれた爲ではあるまいか、漢詩にも俳句にも隨分賞されては居らうけれど、櫻の趣味がどうしても歌的《かてき》であるから、櫻花に對する歌人の聲は慥かに俳人漢詩人のそれよりも高かつた、乍併予は歌人として古來の歌人が櫻花を賞觀した事を決して誇とするものではない。
 それは扨置、櫻花が何時頃の時代から多く歌に現はれたかと見るに、奈良朝の時代には初めの程は殆んど櫻花の歌など無いと云つてもよい位少ない、萬葉集中唯一の女詩人たる、額田王の如きは春の花よりは秋の紅葉がよいと歌に判せられた程であるから、天智天武両時代頃には櫻花の歌は殆どない、人丸時代と云ふより赤人の時代(150)頃から萬葉にも櫻の花が見え出して居る、そんな譯であるから、萬葉集には櫻花の歌は甚だ少ないのである、從つて非常に面白いと思ふ歌もない樣である、萬葉集五千の歌集中に櫻花の歌は、僅かに三十首あるかなしである、これも櫻花を主として詠んだものは少なく、或思想を歌はんが爲に櫻花を材料にしたものが多い。
 それで自分などは、櫻花が歌の好題目になつてから歌は衰へ始めたと云うて居る位である、日本魂を櫻花に比することが、果して適當であるか否かは別として、我々の祖先は、今日の同胞の如く櫻を唯一の佳花とは思はなかつたものである、櫻の花を歌に詠むやうになつても、殊に櫻花を愛して詠んでは居ない、馬酔木の花などは、今日の人は大抵知らぬ人が多い位であれど、萬葉時代の人は櫻も馬酔木も同程度の感情で歌に詠んで居る、假令へば
   こそ咲きし馬酔木今咲く徒らに土にや散らん見る人なしに
   足びきの山かひ照らすさくら花此の春雨に散りにけるかも
   佐保やまのさくらの花は今日もかも散りみたるらん見る人なしに
   蛙鳴く吉野のかはの瀧の上の馬酔木の花は土に置くなゆめ
是等を見ても判るのである、尤も萬葉集の歌も此歌の頃は餘程衰て居るから、以上の歌は何れも餘り住い歌ではない、要するに萬葉時代には其末期から櫻花の歌が見えて居る、然かも萬葉集中の櫻花の歌は集中に於て少しも重きを爲すものではない、人心の變化と櫻花の好尚と云ふ問題は國民思想史上の面白い問題でも無からうが、萬葉集では櫻花の歌が見え出してから慥かに歌は衰て居る、かう云ふ目で見てくると櫻花が盛に歌に詠まれる樣になつて歌は益々衰て來たのも不思議である、萬葉以後、代々の歌集は、春の歌と云へば花の歌殆んど≡分の一を(151)占めて居《を》る位に盛であるが、其多い櫻の歌に殆んど見るに足る歌が無いのである。試に各集から一二首宛を拔いて見る。
    萬葉集               赤人
  足びきの山さくら花日ならべてかく咲きたらはいとこひめやも
(理窟がゝつて面白い歌ではない)
    同櫻花歌              作者不明
  おとめらが、かざしのためと、みやびをの、かづらのためと、しきませる、國のはたてに、咲きにける、櫻の花の、にほひはもあなに
    反歌
  去年の春逢へりし君に戀ひにてき櫻の花は迎へけらしも
才氣でこなした歌で集中の他の歌に比して著しく劣つては居るが、さすがに後世の歌のやうな厭味はない。
    古今集
  花散らす風の宿りは誰か知る我に教へよ行きて恨みん
  一目見し君もや來ると櫻花今日は待見て散らばちらなん
    金葉集
  よそにては岩越す瀧と見ゆるかな峯の櫻や盛りなるらん
  今日くれぬと明日も來て見ん櫻花こゝろして吹け春の山風
(152)いづれも淺薄極まつた歌にあらずや。
    新古今集
  白雲の立田の山の八重櫻いづれを花とわきて折りけむ
  白雲の春は重ねて立田山おくらの峯に花にほふらし
次第に言語の遊技になつてる、櫻の面白味よりは詞の綾といふ事に力を入れて居る、本章は歌の研究が目的でないから是位にして置く、櫻の歌には古來の有所《あらゆる》歌集の歌よりも、明治の歌が勝れて居る試に二三首を示す。
  家へだつをちの木末に咲く花をい吹きまどはし我庭に散る    竹の里人
  うちなびく春の女神はしこ神にせまられけらし花散る見れば   巴子
  青疊八重の汐路を越えくれば遠つ陸山《をかやま》花咲ける見ゆ 左千夫  上下《かみしも》のやはらぎ遊ぶ春山の櫻は禮《ライ》に樂《ラク》にまされり   岡麓
               明治43年4月『臺灣愛國婦人』
                   署名 伊藤左千夫
 
(153) 短歌研究〔七〕
 
       〇
   ふと兎見出でて追ひし我聲に谷しばらくは鳴も止まらず     (桃栗山人)
◎左千夫評。文字を書いても面白く書ける字體と、何となく書きにくい字體とがある、作物に對する批評も稍それに似た處がある、批評の本義は作物に附隨して行くべきものでもなく、指導的態度でやるべきものでも無い、作物と並行對立して獨歩するの精神で行かねばならぬのである、創作的批評とは即それであるのだ、人は能く云ふ、人の作物を評するのは易いが、作るのは容易でないと、それは大へんな考違ひである、以上の如き精神での批評は固より眞の批評と云ふべきものではなく、囲碁などで云ふ『ツゲ口』といふものと同じく固より無責任なものたる事云ふまでもない、されば作物の容易ならぬ如くに批評も容易でないのだ。
それにしても前に云ふた如く、批評のやりにくい題目とやりよい題目とは慥にある、今度の出題はさういふ精神で選んだつもりである、選んだ歌は内容外形いづれかに於て、新しい働きを認る物をと望んだのであるが、さういふ意で見て見ると、容易にさういふ歌は見つからぬ、茲に拔いた歌も皆新努力を認め得るとは云へないこと勿論である、只さういふ精神で兎も角も以下の數首を選んだといふ迄と見て置て貰いたい、それでないと誤解を生ずる恐れがあるから斷つて置く。
(154)それで新しい働と云つても、作者が自覺して努力したものと、作者にはさういふ自覺は無く、奔放な天才の煥發から自然に出たものとの二種があると思ふ。桃栗山人の此作の如きは後者に屬するものである。此歌の尊いところは、粧飾氣のない、やりつ放しな山出しの儘な處にある、良いとか惡るいとか面白いとか面白くないとか云ふのは、見る人の嗜好次第であつて、此作物とは殆ど關係はない、此作はこれだけの物としてどこまでも生きて居る。作品の高下は別として、此作が近來の作物中に異彩を放つて居るのは事實である。作者は今まで悠々として山中に遊んで居つた、其間際に不圖兎の居るのを發見した、野兎が空手で捕へられるものではない、作者も捕らへやうとまで確定した意識で追つたのではない、此場合追はずには居られずに、譯も無く追つて見た、思はず聲も出した、作者も固より長くは追はない、兎は直ぐ見えなくなつて終つた、突然に起つた出來事で、今まで靜かであつた自然と作者とが不意に一騷ぎをやつた、事止んで自然も作者も以前の靜かさに歸つた、三十一文字の働きで、これだけの興味を讀者に與へたのが、此作の大なる成功である、一首の詞調は一見して蕪雜に見えるけれども、爭はれない自然的言語の組織が全首に生氣を漲らして居る。予は此作者が未だ彫琢的技巧に囚はれないで、極めて初心な生ま/\しい處のあるを深く愛して居るのである。疎より細に進み放膽より小心に入るのは何人も進歩の系路を同くするのであるが、予は殊に同人諸君に注意したい、願くは諸同人いつまでも若々しかれ、決して細に進み小心に入るを急ぐこと勿れ。
       〇
   聳え立つ雪の列ら山日の殘り空むらさきに夜に入らむとす  (柳澤黙坊)
〇純いふ。(中略)此歌はそれ程の作とはいかぬ。殊に第三句「日の殘り」は獨立したボツ/\と切れた云ひ方でどうも耳障り
(155)になる。日ののこりと「の」の字が二つ續くところがいやである。又日の殘りは此場合に必要な語かも知れぬが或る點に於て結句の「夜に入らんとす」と重複した意味がある。(中略)第三句を「日殘れば」として結句を何とか改めて見たい。
〇千樫曰、荒削りの歌である。そこに此歌の價値がある。三句の日の殘りといふのはどうも調和して居ない。
〇左千夫評、此歌も前歌と等しく非自覺的に、一向苦勞の無い放膽な作風に生命を認め得るのである、題目は固より珍らしくは無い、言語の斡旋にも句法の工風にも何等異とする點はない、然るにも係らず、一首を通じての上に何となく生氣を持つて居るのは、作者が虚心に正直に、目に映じたまゝを巧みもせずに言ひ放つたからであらう。此歌の對象は實に莊嚴を極めた景色らしい。作者は其莊嚴に打たれてそれを歌に詠んだのであるが、如何にして其莊嚴を描かんかとは苦心しない。少しも苦心した跡が見えない、そこが、此作の物足らざる點であつて、又一方には良いところであるのだ、莊嚴な趣きを平氣に取扱つた爲に、却て幾分の莊嚴を捕へ得たのである、第三句『日の殘り』といふを前の兩評者は頻りに氣にして居られるが、其の磨きの無い朴訥な詞を然も、ぶつきら棒に補入して平氣な處が、此歌の見處であるのだ、併し桃栗君や黙坊君にして始めて、以上の如き言語も句法も活きるのであるから、これが面白いからとて、殊更にそれを學ばんと思はゞ愚である。
 
     天城山中燒木の歌
   山祇がとはに秘めけむひめ事の燒山かくす朝ぎり夕ぎり    (木村秀枝)
〇左千夫評、此歌と他のつれ歌二首とを連作として物足らぬといふには無論同意である。全躰を通じて力の乏しいのもそれが爲である。乍併予が此歌を選出して研究の問題に提供した考は、此歌を連作の一首としてゞは無い、此歌に於て努力した點は、神秘的趣味の現顯でもなく、客觀的光景の描寫でも無い、此歌に神秘的思想の加味は(156)寧ろ一種の背景と見るが至當であらふ、山の奥に燒けた立木が澤山ある所がある、土地の人も此燒け木をいつごろの火事に燒けたものかを知らない、只昔から燒け木の山と言ひ傳へて居る、それを土地の人も神秘的に考へ、作者も神秘的に感じたには相違ないが、此作の成立は其神秘思想が主題ではない、昔から燒け木が立つて居るといふ客觀的光景に神秘的思想を背景としたものであることは一首を通讀して見れは解る、此歌の生命は長い時間を描寫し得た點である、春夏秋冬滿山の樹木は常に變化して居る、のみならず山には雨霧雲霧と變化が多い、獨此不思議な燒木は長い年月何の變化も無く山に立つて居る、此の長い年月の間にいつまでも燒け木として立つて居る、其時間的趣味を描き得たのが作者の新なる努力と認められる(作者が自覺して居たか否かに係らず)山祇の秘密とか朝霧が隱すなどいふは、寧ろ技巧に屬する事にて、作成上の一趣向と見て置たい、其證據には此歌を通誦して最も強く讀者に感ずるのは、誦け木が長い時間を立つてる光景の感じである、神秘的思想の方は却て輕く受取られて、其感は非常に弱い、此歌に神秘的の感じは殆ど無い、前の兩評者が、やゝ物足らぬと云ふのは其點にあるけれど、此歌に對して神秘的趣味を要求するのは此歌の作意と戻るのであらふ、此歌の欠點は第三句の餘りに凡句たるにある、此一句の爲に、一首の調子が非常にだれて終つた、力の乏しい精神の充實せぬのも『秘事の』の一句凡を極めたからである、第五句は此歌の全生命を僅に救ひ得た句である、此句あつて始めて時間的光景の感じを確實に讀者に與へ得たのである、要するに欠點は欠點として、此歌は決して凡歌では無い、容易に有り得べからざる歌であるといふことを繰返して置く、
 
     妻の里籠をいたはる
   産屋髪假りにゆひ垂れ胸廣に吾兒掻きいだく若き母を實《さね》   (左千夫)
(157)〇作者の辨解、予が此歌を批評の問題に提出したのは、此歌の第五句『若き母を實』此の「さね」の一句の使ひ方に就て、諸君の説を聞きたかつたのである、かういふ使方は殆ど前例がない、予の創始した使ひ方と信じて居るが、是れで無理では無いかといふ疑ひを持つて居つたのである、幸に此句法に就ては柿乃村人君始め純君千樫君皆異存が無いらしい、予は此點を大に滿足した、此句は、若き母をさねいつくしく思ふ、の意のいつくしく思ふといふだけを省いたのである、言語の省略法は珍しくは無いけれど、かういふ省き方は今まで無かつた樣に思ふから危ぶんだのである、偖此歌に就て柿村子の評も純子の評も首肯が出來かねる、千樫君のも矢張同意しかねる點がある、題詠ではあるけれど此歌は予は漠然たる思索より得た印象ではない、全く顯著な實驗上の深き印象を叙したものであるから、一句一句皆實際の感じから得た詞である、
只戀と云へば無造作であるが、兩性間の情緒の錯綜した複雜な感想は實に多種多樣なものであることは云ふまでもない、夫婦といふ問題に遠い戀は別として、只妻といつても嫁といふ時代から所謂差向ひの期に入り更に二人の間に子が出來るといふ迄だけでも相當に夫婦兩方の情緒に幾重の變化があることは誰も實驗する處である、此歌は夫婦二人の間へどつちへも就かれない子といふものが出來た時の情緒を歌ふたのである、里に居つてとうに妻は分娩した 我等はもう親といふものになつた、などいふ位の事は、充分に意識して居つた、併しながら目に見て其聲を聞いた感じは又別である、三ケ月の餘離れて居て、相見えんの情は夫婦のいづれにもあるは云ふまでも無からふ、只でさへ三月逢はねば珍らしい、其情緒を湛て行つて見ると、未だ産屋住みして居た妻は、取繕つた妻では無く髪も假結ひにゆひ垂れ、着物とて其通り、眞からの生地其儘で、赤兒を抱いて居つた、胸廣といふ詞の適切であるのも解るであらふ 自分の産んだ子を始めて見せるといふ情緒もあらふ、妻は二人の間に出來た(158)子の若いお母さんになつて居た、久しく日の目に遠ざかつてゐた妻の兒を抱いてる其胸や手やに悉く新な感じを與へられた、若き母といふ詞が餘所々々しいの、掻き抱きの詞が強過ぎるのと云ふ評には辯解を試みる勇氣もない、手前味噌と云はれてもよい。
他人までが、お父さんに似たお母さんに似たのと、我々は親しい意味に於てどうでも父にされ母にされて終ふ、是れからは我々の父はお祖父さんになり母はお祖母さんになり、兩親からも我々をお母さんお父さんと呼ぶことがある、つまり愛する兒供の呼ぶ名を云ふのである 是等の詞は悉く親みの心から流れ出る響きではないか、新に出來た一人を其親みの中へ取込めた處から自然に起る稱呼の變化ではないか、若き母と云ふ詞は夫婦といふ相對的な形が二者の間へ出來た一人の爲めに形が變じて來た處から、其一人をも二人の親みの中へくるめる爲に出て來たのである、垂乳根の母の呼ぶ名といふ事が、どれだけ親しい意味を含んで居るかに注意してほしい、思はぬ事で懷舊の情を忍んだ 感謝々々
 
     桔梗原客居
   冬野吹く風をはげしみ戸をとぢてはや灯をともす妻遠く在り   (柿乃村人)
 
〇純いふ、客居の情をあらはし得たるよい歌である、第四句に於て切り第五句を獨立せしむる語法は柿の村人子の近時好みて用ゐらるゝ處である。此歌の如きは其最も成功せるものゝ一であらうと思ふ。(下略)
〇千樫曰、第三四句戸を閉ぢてはや灯をともすで急に靜かになつて世間から遠ざかつた樣になる。靜かに寂しくなる時遠く家に在る妻子を思ひ起せる心持がよく現はれて居る。いゝ歌だと思ふ。(下略)
〇左千夫評、大體に於て前の兩評に異存は無い、其思想其感じさうして之れを叙した句法等、一々自覺的に成立(159)つた歌である。從て作者の感じて居る趣味も作者の考へて居る理想も、周圍の風物等悉くが、讀者に通じて居る 意識的い於ては
殆ど遺憾が無いまで成功して居る。之れで欠點は無いかと云へば、云ふて見れば云へる欠點もある、千樫君も少し云ふて居るけれど、叙述の言語に叙述以外の響きが乏しい、云ひ換へて云へば、作者の感じ動いた情緒の搖れが、言語の上に現れ方が少ない、深く或物に感じた人の言語は、必ず其内面の動きを語調の上に傳へるのが自然である、此歌は作者が當時に感動した内面の動きを語調の上に傳へ樣が足りないといふのである、要するに意識の上の興味が勝つて居つて、情調の味が乏しい 一首が何となく枯燥して居るのも之れが爲であらふ、今一歩進んで云へば此歌どことなく、自ら其淋しみを弄んで居るやうにも見える、人生問題から見て、能く淋さに堪て其淋しみを弄んで居るといふことは、價値のある事であるが、其態度を其儘文學に移しては、作物が冷靜の弊に陷いることを免れない、
句法に就て難を云へば、冬野の風が烈しいから戸を閉たと文章的に一二句より三句へ直接に續けたのが面白くない、思想の順序は、淋しいから早く戸を閉て灯を燈した、冬の野風は夜に入つても吹いてる 妻は遠くに居るといふ樣にありたい 併し決して凡歌ではない 能く實際的感じを傳た佳作である。
                   明治43年5月『アララギ』
 
(160) 曙覽之歌に就て
 
曙覽の歌に就て予は批評の約がある、其約をいつまでも果さずに置くのは、一種の苦痛を感ずる、曙覽の歌の評をやらねばならぬと思つたのは實は久しいものであるが、容易に機會に接することが出來なかつた、今度は是非意ふ存分の批評を試みる考で、前日の同人合評にも漏れたに係らず、猶曙覽の全集を讀了するの時間を得られない、然かも一方には約を果すべき事情に迫られ余儀なく、苟且の批評をするのは甚だ遺憾である、乍併一面から考へると故子規子の評並に今回諸同人の評に依て、曙覽の評定は殆ど決して居る、
故子規子が始めて歌の研究に着手するや、萬葉集以外の歌人といふ歌人の歌は、蕩々として、文學的内容を有したるもの少く、精神なき實質なき、言語上に文字に淺薄なる技巧を弄びたる者のみなるが中に、兎も角も曙覽の作歌態度は大體に於て、精神を尊び資質を重じた趣きあるを見、他の余りに馬鹿々々しきに激して居る際とて、稍過分に曙覽を揚げたといふ風があつた爲に曙覽の歌は我が諸同人間にも余程重ぜられ過た傾きがある、是れは予の殊に我諸同人に告げて置きたく思ふのである、されば子規子も曙覽許の結論には、『曙覽は歌調を解せざる爲に、彼は終に歌人たるを得ずして終れり』とある、一語の斷定曙覽の歌人的評價は是に盡きて居る、此一語ある以上重て細論の要なき感がある、
依て予は前回諸同人の評せられた歌に就き概評を試みて責を塞ぐことゝす、
(161)     遲日
のどかなる花見車のあゆみにもおくれて殘る夕日影かな
一見したところ曙覽の歌らしくないが、能く見ると矢張曙覽の歌である、花見車といふ事を、曙覽は如何なる事の積りで詠んだのか、作者自らも恐らく何等の想定が無く、只漠然言語上の興味から詠み入れたものであらふ、であるから此歌を一讀して先づ此花見車の一語が、印象は愚かなこと、其事の概念すら感じ得ることが出來ない、諸同人多く曙覽の歌に於ける見識を云はるれど、予は先づ此一首を讀んで彼が歌學上の見識といふものの極めて漠然たるものであることを疑はぬ譯に行かない、
車の歩みにも遲れて殘る云々の如き全くの駄洒落に過ぎ無いのだ つまらぬ處に駄洒落的才氣を弄ぶと云はねばならぬ、元來曙覽の歌は徹頭徹尾才氣を以て勝つて居るが、此歌に用ひられた才氣の如きは殊に甚しき低級のもので、寧ろ月並的下才である、隨分暢氣に緩々遊んだが未だ日は殘つてるとやうに、虚心に詠ずるならば却て春の長閑な心持が現はれるのである、それでは歌に曲がないとか、趣向がないとか思ふのが、趣味といふものに對する考のけんとうが違つて居るのである、此の根本の考が違つて居つて、方角違に才氣を働かすから、非文學に落ちて終ふのである、
此歌頗る品のよい意味の事を歌つて居るに係らず、全躰にこせ/\して、調子の低いのは、要もなき小才の働きが全く詩品を損ふて居るのである、
曙覽は平生萬葉集を重じ萬葉集を解せりとの見識振りをしたらしいが、此歌の結句、『夕日影かな』の句法の如きは、萬葉集などには斷じて無い句法である、『夕日影かな』の詞は云ふまでも無く、夕日かげかな嗚呼此夕日(162)が面白いとか悲いとか若しくは惜しいとか嘆じた意味を持つて居る詞である、されば其夕日影がどうして面白いか悲しいか若くは惜しいかが前四句の上に表示されて無ければならない筈なのだ、又さういふ場合でなければ、夕日影かなと嘆息する詞の出てくべき筈は無いのだ、然るに飜つて此歌の意味をどうかと見ると、一首の内容は決して宗と夕日影を嘆じたのでは無いのだ、作者は春の花見の長閑な趣きを歌ふつもりであるのだ、然るにも係らず結句の方角違ひの嘆息して居るから、一首の感情が少しもまとまつて居ない、例せば、實に面白い花ぢや長閑な春ぢやと嘆美したる詞尻へ來ていつのまにか氣が變つた樣に嗚呼夕日影がと嘆じてるやうなもので、思想の一貫も無く感情の統一も無い句法であるのだ、要するに是れが感情の自然だといふ事は、てんから考の無い幼稚極まつた頭腦で作つた歌である、尤も如斯句法は當時の歌人は勿論の事今日の恐しく新しがつてる詩人達でも蕩々として平氣にやつて居る句法であるから獨り深酷に曙覽を責むべきでは無いけれど、次手に一言して置くのである、
猶云はゞ、此歌の如きは曙覽の初期の作であつて、曙覽もいつまでも、そんな幼稚では無かつたといふ實證があるならば曙覽の爲に悦ぶべきであるが、松籟艸といへるは曙覽自ら選び置けるものとあれば、作歌の上に感情の統一を必要とするなどいふ事は、未だ心づかざりしものであらう、
                  明治43年5月『アララギ』
                    署名   左千夫
 
(163) 〔『アララギ』第三卷第四號選歌評〕
 
評、歌數の多きに比して採れる歌少きは遺憾である。手輕に詠める歌は即興に落ちて人を動かす力の無いのが普通である。作者に注意す、今少し力を籠めて詠まれむことを望む
                  明治43年5月『アララギ』
                    署名  左千夫選
 
(164) 唯眞抄〔一〕
 
五月十九日
七十五年毎に現はるべき彗星の、此世界に最も近づくといふ日である、我が方丈の一室も漸く工を竣へ此日始めて諸友を茲に會した。信陽の湯本政治君が折よく上京して此會に列せられた。木村芳雨君民部里靜君石原純君齋藤茂吉君古泉千樫君淺野利郷君土屋文明君、主人を合せて九人の會合であつた。十九日は固より我々の忘るゝこと能ざる日である。今又此日を以て此會を爲す。今後予をして更に此日を親しましめるであらう。予は永久に毎月此日を以て、此一室に諸友の來遊を待つことゝ定めた。
彗星來降の實況は晴天なるにも係はらず遂に何事をも感ずることが出來なかつた。夜に入つては只月白く風爽かに、若葉青葉の薫りが夜氣に搖らぐを覺ゆるのみである。會は實に面白かりし樂しかりし、おのがじゝの戯れごとを端書に書いて、地方の諸友に郵送した。木村芳雨君は殊に予が爲に、唯眞閣たる銅印を作りくれた、其印を捺して諸友に送つたのである。
唯眞閣は新室の號である。我れながら其名の仰山なるを後めたく感ぜざるを得ない。閣などゝは貧處士の家にふさはしく無いであらう。乍併予の如き物好なる人間が一農民の子であつたのが、已に生れそこなつたのである。神樣がひよつと勘違ひをされて予を貧乏人の子にして終つたらしい、予の如き性質の人間を貧乏人の子にされて(165)は迷惑至極である。
唯眞閣の名が予にふさはしく無いのではない、元來貧乏といふことが予にふさはしく無いのだ。……
人々の高笑する聲が耳に入つた。予は自分の考へを笑はれたものと思つて居つた。能く聞いて見ると、予の鼾聲に驚いて人々は笑つたのである。考へて見ると予は今眠つたのである。五人の客は清明な月に消去つた尤も若い三人の客は歸るを忘れて殘つた、
 
五月二十二日
朝來極めて靜かである、空はひた/\と曇つて居れど、明るい雲である。庭の飛石が濡れて居る。見ると椎の若葉の上に雨足が見える。予の最も好きな日和である。明るい曇りが已に嬉しい。それに若葉に見ゆる靜かな雨、溜らなく愉快だ。予は取敢ず風爐に火を入れて閣中に坐した。窓近くの葦原では例の暁々子が、頻りに喘々とつぶやいて居る。西方少しく隔つた或家の森に珍らしく鳩が鳴く。二三日以前も聞いたが今朝で二度聞いた。予は茲に任して廿年、今年始めて鳩の聲を聞いた。鳩の鳴聲は又予の最も好む聲である。彼れは餘り多くは鳴かない。彼は曇りを好んで鳴く。靜かを好んで鳴く。其調子は穩かで響きにどよみがある。鳩の聲を聞いて温和な心を感ぜぬ者はあるまい。予は此朝此聲を聞いて所有人世の不滿を忘れた。
床には竹の里人先生の遺墨を展した 此室の起因を記してある。
   かみふさの山の杉きりみやこべの茅場の町に茶室つくるも
     明治三十五年一月
思へば予の茶室騷ぎも久しいものであつた。予が茶室を作らば、蕨眞君は木材の大部分を寄勝せらるべき約あり(166)て、爲に先生より此歌を贈られたのである。爾來殆ど十年、今漸く此記を此閣中に書くの樂を得た。予は深く蕨眞君の芳志を感銘するの餘、此室に名づくるに眞の一字を乞ひ得たのである。唯眞閣の名は斯の如くして成つた。それで予の家數々水難を被むりしに恐れ、出來るだけ床を高くした。閣の名は水難除けの禁厭ぢやと云ふ 必しも駄洒落のみでも無いのだ。
一日不折先生を訪ふた。先生曰く、君が唯眞閣の名は何に據るところあるかと、予が何の據る處も無きを云へば、そんな事はあるまいと云ふ、予は蕨眞君の好意を告げた。先生曰さらば偶然の事であつたか。頼山陽杜工部詩集に記して云ふ。『唯眞故新』と唯眞の二字意義深遠なるものあるでは無いかと。予は始めて山陽の語を聞く。山陽もさすがに解つて居るなどゝ笑つた。先生の號不折も實は『不折節』の不折であつたが近年漢書中から、『萬古不折』の熟語を發見した。今日ではそれを畫印に用ゐて居る。予の唯眞と偶然な處相似て面白い。
此日終日人なく、獨閣中にあつて、『アララギ』の稿を見た。
                   明治43年6月『アララギ』
                      署名   左千夫
 
(167) 短歌研究〔八〕
 
近頃歌集を出した、若山牧水氏の作歌を研究的に批評して見やうといふので、以下の六首を同氏の歌集『別離』から拔いた、自分は『別離』全篇は讀まなかつたから、拔いた六首は集中で比較的良いとか惡いとか云ふことは出來ない、只上篇も下篇も末の方を拔いたのは、成るべく今に近い作歌をと望んだのである、勿論他派とか異趣味とかいふ隔意なく、今の歌壇に現はれた一作物を忠實に批判するといふ考であるから、比較的自分の感じに乘つた歌を拔いたのである、從來他派(【文學に派といふことは無いけれど假に】)の歌を評すると、稍もすると排撃一方に傾く恐れがあつた 確固たる自信を以て立た以上は、黨同伐異必ずしも惡いとは思はないけれど、今回は殊に他の欠點を打つといふ精神を根柢から取去つての研究であるから、題目とする歌を選ぶにも、寧ろ自分の好みに近い歌を拔いたのである、であるから割合に非難が少ないかも知れないそれだからとて吾々が大に牧水氏の歌を認めたと思はれては困る、一寸斷はつて置く必要を感じて一言して置くのである、(左千夫)
   月の夜や君つゝましう寢てさめず戸の面の木立風眞白なり
〇左千夫評、趣味と言語との關係を凡に見て置けば、感じもよく、題目も面白い、であるから大體の上には感興の打方も情緒の動き方も、吾々の作歌と同系統のものと思はれてなづかしい、
(168)只内部に立入つて言語の組織を分解して見ると、惜哉生命の附與さるべき内容の融合がない、第一に此一首に最も重要な、君つゝましう寢てさめずの二句が幾通りにも解釋され得る事である、幾通りにも解されるといふ事は、一つの明瞭な表現がない事になる、作者其人と作者の君と呼んでる人との關係は相許した若い男女と解るにしても、其男なる人が女を呼んで君と呼掛けるには、矢張其場合がある、此二句の詞の上では、其場合が少しも解らない、次に寢てさめずといふ詞の出るにも必ず其の場合がある、此二句だけの詞の上では矢張其場合が解らない、これだけの詞では想像も連想も働し樣がないのである、一首の中心である重要な二句が、斯く明瞭を缺いて居るから、何となく面白さうではあるが感興が非常に弱い、早呑込みに無造作に合點して、獨よがりによがつて居ればよいやうなものゝ、それでは余りに幼稚な鑑賞である、外の面の木立風眞白なりの二句に天然の面白味が無いではないが、これだけでは余りに平凡で到底副景に過ぎないだらう、月白く風清くを燒直したやうなものだから此二句だけでは到底一首たるべき詩趣の容積はない であるからどうしても二の句三の句が持つてる人事の色彩がもう少しはつきりしなくては此一首に生命を呼起すことは出來ない、かういふ状態の歌を吾々は中心が無い統一が無いと云ふて居るのである、今少し部分的に用語の缺鮎をいふならば、初句月の夜やと云ふ呼掛けの詞がどういふ意味で用ゐられたのか解らない、月夜の光景に興を呼んで月の夜やと云つたものか、詩境を説明するの意で先づ一首の輪廓を描く爲に月の夜やと云つたものかゞハツキリしない、結句で風眞白なりとまで月夜の實體を描いて居るのに、三句を隔てた上の句で殊更に月の夜やと説明する必要は無い筈だ、三十一文字しかない短詩形でさういふ無駄詞を弄する餘地は萬々無い筈だ、古人畫を評するの詞に、墨を惜むこと金の如しと云へる語がある、吾々小詩形の短歌に天地を開かんとするに當ては、言語を尊重すること黄金も只ならずの用意が無ければな(169)らぬ筈である、短歌に輪郭的言語が絶對にいけないと云ふのではない、無要有要の識別に愼重の注意を要するとの意である、
元に返つて、月の夜やと云ふ詞が(【此歌では無論感興を呼んだ詞と聞える】月夜の興を呼んだものとすれば、末の二句と相應じて作者の感興は全く月夜の光景にあつたものとなるのである、折角作者の捕へた君つゝましう寢て覺めずの元來不明瞭な事件が愈景がうすれて、此一首は只木立に風眞白なりだけの價値のものとなつて終ふのである、思ふに作者の作意は決してさうではあるまい、
結句風眞白なりも是れが月夜の趣を主と詠んだものであれば、此誇脹した美は面白いけれど、此歌の作意が、君つゝましう寢て覺めずの情緒を主と作つたものであれば、周圍の光景を余りに誇脹して描くなどは、無要の働きである、一局部に無要な誇脹は、無要と云ふよりは寧ろ中心を薄弱ならしめる妨碍となる許りである、
以上の如く分解してくると此一首の形體は殆ど組織的構成を爲して居らぬと云へるのである、然らば、趣味と言語の關係を凡に見て置けば面白いと云つた理由は何處にあるかと云へば、吾々が平生養ひ得た想像で迎て解釋するからである、
相許した男女が未だ結婚の式は上げないけれど睦しく往來して居る、其夜も行くといふ約束で女は待つて居つた、男は何かの事で夜おそくなつた、月のよい夜である、家の者は居つたにせよ今は憚る必要も無く、女の居間に入つて見ると體に惡い處でもあつてか女は寢て居る、男が來ても猶目を覺さず眠つてる、さすがに女の嗜みも見えてつゝましやかに眠つて居るのが男の心を動かした、男は直ぐに目を醒まさせるのも本意なく思はれ、其まゝ窓に立寄れば、外は月夜の木立に風の心持もよい、それだけは現はれて居ないがかういふ趣に想像して見れば、非(170)常に面白くなる、大體に感じがよいと云つたのはそれである、惜哉是だけの詩境を發見しながら、詞句の構成宜しきを得ない爲に、折角の光景も情緒も一向に活躍しないのである、
乍併或一派の作家の如く、徒らに奇怪な事件を虚構しわざとらしい思想のひねくりを記述して得たりとせる者や事實でさへあれば何でも詩と心得、卑俗な事件を手當り次第に歌にする人達に比すれば、板本の着意に於て雲泥の差あることを認めてなづかしい。
   君睡れば灯の照るかぎりしづやかに夜は匂ふなりたちばなの花
〇左千夫評、是れも詩題目は甚だ感じが好い。けれど想は頗る陳腐である、それに句法が餘りに幼稚で、艶にして氣韻ある此の詩材を取扱ふのに、餘り工風が無さ過ぎる 少しも努力の見るべきものが無い、灯の照る限りなどは一寸と新しい言ひ方の樣であるが、寧不熟である、夜は匂ふなりは『かをる』の意であらうが、外の事か室内の事か判らぬ云ひ方である、殊に灯の照る限りなど云へば猶更庭の樣にも思はれる、それでは又君睡ればの一句が孤立して突然に感ずる、言語が事實に適切でないから、意味が正確に響かなく、感覺の紛亂を免れないのである、結句たち花も、室内にあるのか外にあるのか、眠つた女と如何なる關係になるのか、只ポツンと一句結句に据ゑたゞけでは、判り樣が無いぢやないか、
是れも迎へて想像するならば、女は風邪か何かで先に寢た、やがて睡に入つた、白い若やかな顧などが目にとまる、男は獨机に寄て書見などして居る、夜は靜かさを増して灯の火の室内に滿ちくるにも心つく、盆栽か何かの橘のかをりが、きゝ捨てにならない程強く薫つて此詩境を煽動する、かういふ場合であれば、何人も感興を引かぬ譯にはゆくまい、是程豐富な幽玄な詩趣を捕へながら、言語の不熟句法の粗笨、到底斯かる詩品を取扱ふ柄で(171)ない、眞に惜むべしである、
それにしても意を着くるの高き、好む處の正しき 予は深く作者を敬して其自重を望むの念が切である、新派の歌は只現實を歌ふもので、手段も方法も無いと云ふ樣な馬鹿者もあるが、言語が整はぬければ想は傳はらない、着意が高くなければ(【美でも眞でも】)卑い價値の少い製作が出來る、そんなものでも作者自らには大事な作物かは知らねど、文壇の方ではそんな作物は掃出して捨てる時間も惜い、
   風凪ぎぬ松と落葉の木の叢のなかなるわが家いざ君よ寢む
〇左千夫評、萬葉集束歌に、いざせを床にと云ふ歌がある、いざ君よ寢むなどいふ情緒は、遠に萬葉時代の詩人に歌はれて居る、新派を名乗る多くの人達の歌を皆古い樣に云ふてる此作者にもかういふ古い歌がある、之れを敢て惡いと云ふのではない、例に依て詩趣を捕ふる爲めの、言語配布が余りに散漫では無いか、落葉の木の叢のなかなる、何といふ弛緩した散漫な詞だらう、之れは兎に角、冬木原の吾家といざ君よ寢むの情緒と何の交渉があるであらう、それから風凪ぎぬといざ君よ寢むと何の必然的關係があるのか、斯く何れも必然的に交渉の無い事柄を漫然配列した處で、そこに如何なる組織を成立し得るであらう、風が恐しくて寢られなかつたが、漸く風が凪いだ、さア寢やうと云ふのではあるまい、これならば、松と落葉の木の叢だの吾家だのといふ詞は更に必要が無い筈だ、讀んで見る處では、女と二人で外に散歩でもして居つた樣な詞つきであるけれど、今まで知らなかつた家を見つけ出したのでゞもあるかの如く、松と落葉の木の叢のなかなるなどゝ事細かに事々しい説明は何の事ぞ、吾家は、松林に冬木の落葉樹も多い中にあつて淋しいとか面白いとか云ふならば思想の纏りはつくが、いざ君よ寢むでは、丸で三十一文字中の詞が各自勝手に動いて居ると同じで、情緒の一貫も感じの纏りも就き樣が(172)無いではないか、客觀的描寫などいふ詞に囚はれた不自然極つた記述である、前に云つた東歌の内容は、こんなに桶に一ばいになるまで苧をうまなくとも明日といふ日が來るでは無いかさあ寢るとしようと云ふのである、これならばいざせ小床にといふ情緒が全篇にきいてるではないか、一つの強い情緒で三十一文字の全語を一貫して居るを注意せよ、血液が全身に渡つて居ねば健全な體ではない 思ひつきは新しくとも、活きた情緒の動きが三十一文字の全語に行渡つて居ねば生命のある歌でない、
   男あり渚に船をつくろへり背《せな》にせまりて海のかゞやく
〇左千夫評、これでは散文も散文、幼稚な散文の一節と云ふの外ない、第一男ありといふ詞が、どんな韻文的容積をもたらして居るか、其男といふのは若いのか老いてるのか、どんな風をしてるのか、裸躰でゞも居るのか、着物を着て居るのか、只男と云つたゞけでは女では無い男だといふだけの意義だけしか解つて居ないで無いか、これが長い文章でもあれば初め只男ありと書起しても長く書いてる内にどういふ人間であるといふ事の判る樣に書けるが、三十一文字中の只一句に男ありと云つたゞけで、何の意義も現はれては居ないで無いか、試みに少しく藝術的に考へて見よ、男ありと云へる詞が、何を描いて居るか何を現はして居るか、讀者の頭にどんな印象を與へ得るか、年齢も判らず、服裝も判らずでは、男といふものゝ單なる輪廓だも現はれやしないでないか、概略の説明にも成つて居ないのだ、牧水ともあるものが、何とてこんな風船玉のやうな歌を歌集へ出したのだらう。船をつくろへりとて其通り、藝術的に見るならば、何等の意義をも現はしてゐないでないか、更に云ふ、男ありだの船をつくらふだのいふ詞は單にそれだけでは、談話の語としては意義があるけれど詩語としては何の意義も無い詞だ、何となれば其船の大小形状新舊の程度等少しも判らないから、詩語としては全く空虚な言語であるの(173)だ。以下評するに及ばず、
ゆふ日赤き漁師町行きみだれたる言葉のなかに入るをよろこぶ
〇左千夫評、何か一寸と面白かつた樣に感じたけれど、直ぐ跡からどうして面白かつたつけか知らと云ふ樣な誠にあつけない歌である。言語の配列が散漫で、趣味的容積の集中が無いから、刺激が非常に弱い、何か面白くなりさうにしてる内にもう跡がない、物足らぬこと實に夥しい、繩をたぐる樣に次から次へとたるんだ詞を續けてる、是れでどうして調子に張りが出やうか、句に響きが出やうか、韻文として一篇を通した調子の張りがなく、句々に相感ずる響きが無く、それでどうして内容に纏りがつかう、一時百文字文といふのが有つたことがある、調子の張りもない、句に響も無い歌は、是を三十一文字文といはれても抗辯の道はあるまい、是れは決して惡口では無い、短歌に忠實な牧水氏に是位の事の判らぬといふことは無い筈だ、みだれたる言葉の中に入るをよろこぶとは餘りと云へば抽象過ぎた詞で無いかこんな事實に疎い詞で、詩的の何物かを傳へて居ると思ふならば詩人といふものは實に暢氣なものぢやと一般人から云はれねばなるまい、
如何に牧水氏等と吾々とが、韻文に對する趣味標準が違つて居るにせよ、生命のあるものと無いものとの見解に相違の有りやうはない、纏つたものと否と緊つて居ると否との見樣に二通りあるべき筈はない、牧水氏に説があるならば聞たいものだ、
   春|白晝《まひる》こゝの港に寄りもせず岬を過ぎて行く船のあり
〇左千夫評、これも前々の歌と同じく、詩題は甚だ面白い 直に同感の起る詩題である、けれども例に依て此詩題を活すべく、詞句の構成は頗る粗笨である、感じが生動しないから、想までが有ふれたものゝ樣に思はれる、(174)だが今日吾々の問題とする處は、想の古い新いではない、創作が生命を得たか否かの問題である、歌が活きてるか否かの問題である、活々動いて居ればどんな古い材料でも必ず新しい感受が得られる、であるから想の有りふれてるといふ事は、吾々は一向氣に留めない、
春眞晝といふ事を此歌にては云ふ必要があるにしても、かう初句にかぶせて云つては、所謂頭勝で一首の形が整はない、初句に春眞晝などゝ充分壓搾を加へた詞を使つて置ながら、次からは直ぐ、だら/\と緊りのない詞を綴つて居る、此二句は茲には寄らずと一句に引緊められる詞なのだ、いつも來る船が見える所まで來たが茲に寄りもせず行つて終つたといふならば、寄もせずと強く云ふ『も』の字もきくけれど、只通りかゝりに通る船が、港へ寄らずに通つたからとて、それを寄もせず云々と事々しく云ふのは、言語の自然を欠いで居る、此歌の如き場合の用語は單にこゝには寄らず行く船のあり若くは港に寄らず行く舟のありと樣に成るべく連關してる意味の詞は引締て云ふべきである、然るに岬を過ぎての一句が其間へ插入されたから、一首の調子は全然弛緩して終つたのである、勿論此歌が船の行過ぐる光景を主題とせる歌なれば、岬を過ぐる共島山の間を過ぐる共極力其状態を描くもよいが、此歌の主題とする處が寧後者の氣分にありとすれば、岬を過ぎてはあつても無くてもよいのだ、其あつても無くてもよい詞が肝要の句の間へ插れるから弛緩を來すのである、併這般の消息を共に談じ得べき者幾人かある、さう歌を六つかしい物にして終つては大抵の人には歌が作れなくなるといふ者もあらう、元來歌はそんなに安い物ではないのだ、否月々何千何百と發表される樣な歌は一種の遊技としてならば兎に角文學としては必要はないのだ、二三年立てば流行おくれになる樣な歌ならばどうでもよい、時代變遷の上にも超絶して生命を百世の後に傳へやうといふ歌は、一字一語の中にも生命が無けれげならない、牧水氏の歌に就ても云ひたい事(175)は際限なくあるけれど今は止めて置く、終に失敬して一首に修正を試みた。
  靜かなる春の眞晝を煙立て茲には寄らず行く舟のあり
                    明治43年6月『アララギ』
                         署名 左千夫
 
(176) 〔『アララギ』第三卷第五號選歌附記〕
 
      〇              藤森紫水
   移り越してまだ家馴れず釜無の瀬の音を雨とあやまるしば/”\
   胸をいだき草のとぼそに打しをれ物をおもへり雨の夕暮
   さ曇りは小雨となりぬ春の夜の上諏訪驛に君を送れば
附記。紫水君の作歌實に五十首、而して今僅に三首を採る選者の遺憾に堪へざる處なれども止むを得ず。紫水君に注意す、願はくは詩趣を確實に捕ふる事に努力せよ、輕々に無造作に點檢したる如き態度を以てせば容易に印象を得がたかるべし。
                   明治43年6月『アララギ』
                      署名  左千夫選
 
(177) 卷頭の歌
 
勉めて止まざる駿遠の諸同人は、其敬すべき態度より、遂に著しき進境を示し來れり、今最近の會稿中より數首を拔いて卷頭に掲く、醇乎たる眞情の現はれには、毫末も遊戯的氣分を交へず、聲調おのづから其精神を傳へたるを見るべし。
   子を思ふこゝろ隈なきたらちねの汝が母はあれど汝が乳はなし
   安からぬ常夜の夢のしはらくをすかす空乳に細々ねむるも
   もらひ乳のうま乳に足りて眠る兒やかなしき面わ罪もあらなくに (木村秀枝)
   たま/\に歸る吾身を力にてさびしみおはす父母悲しも
   世に出でず年經るわれを天が下の力とおぼすことのかなしも
   四面の壁の外なる桑はさながらに冬木なれども來居る春鳥 (佐藤禄郎)
                    明治43年8月『アララギ』
                        署名   なし
 
(178) 唯眞抄〔二〕
 
六月十日
昨日の暮方に、蕾の張り樣が、今朝は必ず、睡蓮の咲くべきを示して居つた、それで今朝其睡蓮の開くところを見やうと常になく早起したのである、
植込の隅には、夜の名殘が猶消やらぬさまに、薄暗い木蔭には、蚊の鳴聲さへ幽に聞えるのである、天氣は良いらしく、四方に霧は見えても中空は蒼く、柿の青葉槐の青葉、皆しつとりと靜に朝露に濡れて居るのが判る、空氣がひや/\として目覺心地が頗るよい、
柿の葉の繁みに、青蛙が一つ、天地間の何事かを語るかの如く、かいかいと鳴いて居る、今咲かうとして居る睡蓮の心と、何等かの心を聲に漏らして鳴く蛙と、そこに何かの關係が無いものか有るものか、青蛙の聲は夜が明けたと鳴くやうにも聞える、充分に夜氣を吸ふて露に睡つてる草木は、是等蛙の呼聲に眉を動かし始めるのかも知れない、青蛙は涼しい空氣に聲を澄して頻りにかいかいと鳴いて居る、
水蓮を植た水鉢の水も、只寂然として透明な固形躰でゝもあるかの如く、鉢に盛られて居る、天地間に大なる意義を有しながらも、意味も何も無いものかの如く、此朝の靜かな統一に順應して、其平靜な天性に歸して居る、水と離れることの出來ない睡蓮の爲に、飽くまで忠實な保護者であることを現して居る、睡蓮の蕾は水平上に三(179)寸の莖を拔いて立つて居る、青蛙の性急に聲を掛けても、少しも花神の動く樣子はない、睡蓮は別に待つところがあるのである、
太陽が地平線上に現はれて、其光を直接に、我身に投掛けてくれた時、睡蓮の花神は始めて動き始めるのである、睡蓮の待つ時間は近くなつた、太陽の光が世界に滿渡つて、此小さな庭の、水鉢の上に迄及んだ時に、睡蓮は夢から覺めた如くに、其蕾は見るまに開くべく運動を起した、籟の尖頭にかすかに白く薄紅い色を現してから、一時間と立たぬ内に、多量の香芬を放散しつゝ、生氣に滿ちた鮮かに麗しい、柔かみ温かみと云ふやうな、何とも云へぬなつかしい色を、匂はせ出した、白色に紅みをおんでると云ふか薄紅に白みをおんでるといふのか、一言で云ふべき詞は到底ない、今死ぬ人でも此花を見たならば必ず一瞥した其瞬間に死を忘れ得るであらうと思はれた、
予は耽視徘徊暫く我を忘れて居つた、天地の空間に大なる意義を見出した樣な氣になつた、荒凉たる我が人生にも深い深い味が籠つて居ると氣づかせられたやうな心地になつた、それで譯もなく、戀は人を活すといふ詞を思ひ出した。六月十二日
靜かに降りくらす梅雨の一日を室に籠つた、室小なれば、居ながら四面の自然に親しむことが出來る、右にも左にも窓外一歩に花卉竹木を見て梅雨の潤ひを身に近く味ひ得る※[口+喜]しさ、固より奇石珍木のあるべくもあらねど、予は平凡なる天然に却て飽かぬ趣きを樂むことが多い 乍併南窓十歩の外に數千坪の葦原を展開し、際間の水邊には、常に紅冠黒身の水※[奚+隹]五六羽が眼の先に、遊戯して居る其天與の奇趣を嫌ふものではない、
(180)獨居萬葉集を講じつゝ、時に起て窓外の葦原を見るの樂み、聊か唯眞閣の名にかなへるものあるかを思ふ。
六月二十日
或事に感じて、良友のなつかしさを深く考へた、吾が悲みを心から悲んでくれ、吾が悦びを心から悦んでくれる人が、今更の如くつく/”\なつかしくなつた。
                   明治43年8月『アララギ』
                     署名   左千夫
 
(181) 閑文字
 
安藤黙斷子、一日卒然として唯眞閣に到る、主人迎へて甚だよろこぶ、蓋し黙欲に飽き靜欲に飽きたる兩者が、茲に梅雨に會せるは頗る其機を得たるものあるか、抹茶數※[土+宛]閑談半日、黙欲の人靜欲の人共に相慰めて、暮色の將に至らんとするを知らず、夕闇の軒端に雨聲の加はるを覺ゆる時、閣外更に濛々、垣石竹木悉く糢糊として、方丈の洞室世を離るゝこと百里の感あらしむ、夜に入つて一燈二仙棊局に對す、黙斷子棊を學んで猶十數局を試みしに過ぎずといふ、而して主人遂に四局を讓る、主人一笑して曰く、詩腦は雨の如く、棊腦は風の如し 予詩腦を以て局に臨む敗や當然のみと、客又黙笑敢て誇色なし、雨聲幽寂として夜は更けぬ 敬具   左千夫生
拜復、詣有所極、則不可復進、天之雨、非有進于晴、今日晴而明日雨、人樂其日新而不窮、故無進境、而有變境、是成齋重野翁之叙方園新法、以魏氷齋之論文、論棊也、僕亦請以翁之所論、又論先生之棊、夫自然者、詩家之生命也、故其棊亦多變境、而少進境、是先生之所以讓四局於黙斷子、而且洒々焉也、
先生已成唯眞樓閣、日伸雅懷、小生獨未竣田澤湖畔之別業、徒憊俗事、仙凡之差、眞可慚矣。    湖南生
僕棊、亦頗富變境、不甚落于先生之後、此點、於爲詩家之資、有餘矣、  呵々
      黙堂生
 予は先に萬葉集人麿の長歌を講じて、凡句の活用を説く、今は竹村湖南碁を論じて、凡手の樂みを説く、又奇といふべし。竹村湖南は黙斷子の家兄、内藤黙堂又縁戚なり、湖南は中川七段に五子を打つと聞く、以て其技を