萬葉集叢書第八輯(仙覺全集)、佐佐木信綱編、1926年7月15日、古今書院発行(1972年11月5日発行の臨川書店版による。)369頁以下、及び府載は省略した。
(1)仙覺全集目次
卷首
序言……………………………………………………………………一
仙覺律師傳……………………………………………………………五
本文
萬葉集註釋……………………………………………………………一
奏覽?及附屬文書………………………………………………三六九
萬葉集奥書………………………………………………………三七六
仙覺の歌…………………………………………………………三八五
附載
萬葉集註釋解題(木村正辭)………………………………………一
萬葉集仙覺本と天治本(橋本進吉)………………………………六
仙覺新點の歌(橋本進吉)………………………………………一七
仙覺律師の生國に就いて(山木信哉)…………………………二三
(2) 仙覺と契沖(武田祐吉)………………………………………二八
仙覺の寛元本と文永本(武田祐吉)………………………………三三
仙覺の萬葉集註釋に就いて(久松潜一)………………………四〇
仙覺奏覽?攷(佐佐木信網)……………………………………四七
挿入寫眞版
萬葉集註釋古寫本(岩崎文庫所藏)………………………………一
同上(彰考館文庫所藏)……………………………………………二
同上(神宮文庫所藏)………………………………………………三
同上(竹柏園所藏)…………………………………………………四
仙覺奏覽状(曼珠院所藏)…………………………………………五
同上(竹柏園所藏)…………………………………………………六
(1)仙覺全集
序言
日蓮聖人が、法華經弘通のために、不惜身命の勇猛心を以て、鎌倉なる小町の辻に、獅子吼を爲して居つたころ、仙覺は、ほど近い比企が谷の新釋迦堂のうちに、靜かに萬葉集校合の筆を執つて居つた。北條時宗が、蒙古の使の無禮を怒つてこれを追ひ退けた頃、仙覺は、武藏の國なる麻師宇郷にあつて、萬葉集註釋の述作に餘念無かつた。仙覺の歩んだ道は、教化や政治とは異つた、靜かなる古典研究の道であつた。彼の業蹟は、萬葉集研究者の必ず一覽を經なければならぬものである。萬葉の學は、仙覺に始まつて、契沖に大成したとも稱することが出來る。而して、今や契沖の全集の成らむとする機會に於いて仙覺の全集を編むも、また極めて有意義のことゝ信ずる。仙覺の殘した業蹟は、萬葉集の註釋と、校定との二方面を有するものであるが、本書には、萬葉集註釋を中心とし、奏覽?、萬葉集仙覺本の奧書、及和歌等を集めて全集となし、これに諸家及予の仙覺に關する論文を附して、讀者の便に供することゝした。
一、萬葉集註釋は、單に萬葉集鈔とも、また仙覺抄とも稱する。萬葉集の歌を抄出して、註釋を加へたもので、文永六年武藏國比企郡麻師宇郷の政所で記した旨の奧書がある。この書は夙く整版本があ(2)り、國文註釋全書に收めた活版本もあるが、ともに平假字書で、古鈔の片假字本と比校すると、誤が多い。今、載するところは、竹柏國所藏の古寫本を底本とし、神宮文庫所藏古寫本、彰考館文庫所藏古寫本を參考校本として、校訂を加へた。しかして總論の部分は、木村博士舊藏本で、今、岩崎文庫にある宗祇抄の前に合綴されて居る古寫本を以て校した。なほ鼇頭にあるは、玄覺、もしくは後人の書入である。
一、奏覽?及附屬文書は、建長五年十二月に、萬葉集の新點を仙洞(後嵯峨上皇)に奏覽した時の奏?と、仙洞よりの御下問に奉答した文書とである。今、山城國萬殊院所藏本によつて載せ、奏 状の部分は、武藏國稱名寺舊藏本、及詞林釆葉抄の古寫本に引用した文によつて校した。
一、萬葉集奧書は、仙覺校定の萬葉集に載するところである。今、寛元本奧書及文永二年本奧書は、京都帝國大學所藏本により、文永三年本奧書は、西本願寺舊藏本により、文永九年本奧書は、飛鳥井雅章筆本によつてこれを出した。いづれも他本を以て校した。
一、和歌は、續古今和歌集以下の勅撰集、及、宇都宮新和歌集、東撰和歌六帖に載するところを採つた。仙覺の和歌が勅撰集に入れられたことは、奏覽?にもあつて確實であり、新和歌集には、同じく藤原時朝のすゝめによつて源親行が詠んだ歌も載つてゐるので、萬葉研究者なる仙覺の作と認められる。東撰和歌六帖には、續古今集に選ばれた歌が載つてゐるので、これまた確實なものである。嘉元三年に(3)撰ばれた續門葉和歌集に、權少僧都仙覺として一首の歌が收めてあるが、これは同時代ながらやゝおくれた同名異人たる醍醐の仙覺の作なるべくおぼゆるを以て、これを省いた。
以上は、極めて簡單に解題を記した。なほ諸家および予の論文中に就いて、詳しきを知らるゝであらう。
大正十五年四月 佐佐木信綱
(5) 仙覺律師傳
仙覺の傳記に就いて、彼の著述中の文字其他から推して知り得る事實は、左の如くである。
仙覺は、建仁三年あづまの道の果に生れた。そは源實朝が十二歳で征夷大將軍になつた年で、藤原俊成が古來風體抄を著した七年後である。建保三年、十三歳で萬葉研究の志の端を發し、爾來心をくだいて來た結果、三十一年を經て、寛元三年四十三歳の頃から、萬葉集に關する諸本を披見し得た。かくてこの寛元三年以後を以て、萬葉研究の成績が續々とあがつて來た。
即ち、寛元四年四十四歳の一月には、彼は親行本並に三箇證本を以て萬葉の校訂に從事し、また擇然上人本を以て校した。而して同七月十四日に、萬葉集中諸本無點歌長短旋頭合百五十二首を抄出して、推點を加ふる事をなし了へた。これ所謂新點である。なほ、同年十二月二十二日には、鎌倉の比企谷新釋迦堂に於いて、治定本を書寫し了つた。翌五年二月十日に、その書寫本に校點を加へ、また重ねて校し了つた。
以後、寶治元年【寛元五年】より文應元年五十八歳にいたる十四年間は、仙覺傳では白紙ともいふべきで、建長三年に藤原爲家によつて選ばれた續後撰集中にも、その歌は見えて居ない。
ただこの間に於ける事實として知られをること、及び注意すべきことは、建長三年霜月の頃、駿河の(6)國に赴いた。しかして、その後京に上つたものとおぼしい。そは、同五年五十一歳の十二月に、上記の寛元四年に抄出して新點を加へたものに、奏?(新點萬葉之譜)を添へて彼嵯峨上皇に奉り、院の叡感を忝うし、御製一首を給はり、かつ萬葉集時代並撰者、奈良御門、長歌短歌の三箇條を下問せられ、これが勘録の奏覽訖つて、重ねて長歌短歌の下問にお答へした。而してその功によつて、後、文永二年に撰ばれた續古今集中に、その作を選びいれられた。
弘長元年五十九歳に、再び校勘の筆を執り、同年夏の頃には、松殿御本、尚書禅門眞觀本、基長中納言本を以て再校を遂げ、文理※[言+比]謬を糺し畢つた。弘長二年、六十歳の一月には、六條家本を以て比校し了つた。同三年六十一歳の十一月には、忠定卿本を以て比校し了つた。續いて、文永二年六十三歳の閏四月左京兆本を以て校合し、五六兩月の間書寫の功を終り、初秋に校點した。而してその書寫本は、宗尊親王の仰によつて献上した。それで翌三年六十四歳の八月十八日、更に書寫して、卷一に奧書をなし、同八月廿三日には、卷二十に奧書をなした。而して、これを以て仙覺が萬葉校訂の事業は完成したと見なし得る。
文永六年、六十七歳にして、萬葉集註釋を著した。その頃彼は、武藏國比企郡北方麻師宇郷の政所にをつた。しかしてこの書は、奧書によると、二月から四月にかけて作られたのであるが、是は必ずしもこの短日月の間に作られたものでなく、以前より企てゝゐたものを、この間にまとめたのであらう。
(7) 文永九年七十歳の八月、彼はまた萬葉を一校した。これを最後に、仙覺の事は所見がない。(萬葉卷一の奧書に、文永十年八月八日於鎌倉書寫畢とあるのは、仙覺か、他の人か、明らかでない。)
その後、弘安元年に撰ばれた續拾遺集には、冬の歌の中に、權律師仙覺として、一首の歌が選ばれ、新拾遺集、新續古今集にもそれぞれ一首づつ載つて居る。(これらを以ておもふに、當時仙覺の家集があつたのであらうが、散佚して傳はつて居らぬ。)
また仙覺は、常陸笠間の藤原時朝(建長七年鹿島社に唐本一切經を納めた人)と交はつて、彼が勸めた三十首を詠んだ。その七夕の歌と、他に二首が、藤原爲家の撰んだ薪和歌集の中に載つてをる。
上記の續古今集の撰者の一人で、宗尊親王の師範であつた辨入道光俊(法名眞觀)と仙覺の關係に就いては、詞林采葉抄に、「尚書禅閭は爲2續古今集撰者1、宏才博覽之上、對2仙覺律師1萬葉集一部相傳云々」と出てをる。
仙覺の弟子に、圓仙といふのがあつたといふことが、萬葉集註釋古寫本の奧書に出てをるといふことである。その古寫本は、多年捜索して居るが、未だ見ることを得ぬ。
萬葉集註釋を世に傳へた功のある權律師玄覺は、直接の弟子ではないらしく思はれる。
以上が仙覺の傳記、及び聯關した事項の、文献に見えた凡てというてよい。
仙覺の宗門は、奏覽?に、慈覺門人(門流の意とおぼしい)とあり、萬葉集註釋に、「顯宗の學問の名(8)目にも、かやうの事多かる也」などあるを以て思ふに、天台宗であらう。
仙覺は悉曇に通じて、音韻に委しかつたので、梵語の智識を萬葉の古語の解釋に應用した。即ち、萬葉集註釋に「天竺には阿字を發語の詞とす、我朝には伊字を發語の詞とするなり、みとらしと云は卸弓なり、みとらしといふを又はみたらしともいふ、ととたと同内相通の故なり。」また、「梵語よりはじめて和語にいたるまで、むねとは男聲を用ゐるを口傳とす、男聲といふは、あかさたなはまやらわ五音のはじめの字なり、いきしちにひみいりゐより以下をば、みな女聲といふなり。」また、「さとたと同韻相通の故也、かくの如きの詞のたぐひ、つねに我も人もいひながら、何とも心得ざる事多し、然るを悉曇のならひ、才覺をもちてその心をうる也。」また、「娜麼婆羅縛社惹也悉曇と云を、歸命一切智成就と飜する事、此言まことなる哉、抑又古歌の詞といひ、なべての古語といひ、日本記風土記等にみえたるべし、それみな本韻末韻男聲女聲同韻同内によらずと云事なし」と云へるが如きである。
また算道に通じて居たとおぼしく、萬葉集註釋中に、「先年の頃、常陸國にてあるさかしかりし老僧の古修學者にて侍りしが、算道の事どもなど語り申しゝ中に」云々とあり、また、「九々八十一をもちて算術の源とする故なり」など、數理のことが出て居る。
附記
(9) 仙覺の姓系に就いては、詳でない。尊卑分脈に、源義朝の弟に、山僧都仙覺の名があるが、もとより同名異人である。また日本大師先コ明匠記に、定珍の血脈を記した中に、仙覺の名が見えるが、これも時代相違の仙覺である。また京都醍醐三寶院に、仙覺の日記、その永仁五年に寫した金剛隨心像、及び宵像等がある。同じく權律師で、同じく鎌倉に縁故はあるが、これまた同名異人の醍醐の仙覺である。そは萬葉學の仙覺の晩年には、醍醐の仙覺は未だ壯年であつたらしいからである。(傳燈廣録には、この二人が混同して掲げてある。)
仁治三年、大和當麻寺萬茶羅の厨子の扉を修理した際の修理勘縁衆の中に、權律師仙覺の名が見えて居る。若し之が彼であるとすれば、當時權律師であつたことを示すものである。
近藤芳樹の梅櫻日記(文久元年著)に、芳樹が岡田爲恭を訪うた記事の中に「古本の悉曇音義を反故の裏にかけるを見る。そのほうごの中に、仙覺の新平家上卷をかるよしの消息あり。珍らしきものなり。」とある。これは萬葉學の仙覺であるか、他の仙覺であるか、さだかでない。
正徹物語に「萬葉には、仙覺がしたる註釋といふ物と、阿彌陀が作りたる詞林釆葉集と、又仙覺がしたる新註釋といふ物と、三部をだに持たらば、人の前にても萬葉はよむべき也、この新註釋といふもの、萬葉には重寶也」とある。新點歌を抄出したものを指したのであらうか、不明である。
仙覺の生國は、單に「あづまの道の果」とのみあるが、山本信哉氏は、常陸の生れであもうと推定せ(10)られた。萬葉集註釋の中に、路のしりの註に、常陸は東海道の道の果なる故なりと述べ、又なさかの海の解釋の常陸の地理に委しい點、上記の古修學者の事などから推して、實にもと肯はれる。
仙覺の住所に就いては、萬葉卷廿の奧書に、鎌倉比企谷新釋迦堂僧坊にあつた事と、萬葉集註釋の終に、武藏比企郡北方麻師宇郷政所で註し終つたと見えた事とがあるに過ぎぬ。鎌倉比企谷、及び武藏比企郡にをつたのは、比企氏と何等か縁故があつたのであらうか。麻師宇郷は、今の埼玉縣比企郡大河村字増尾で、正保の國圖には、猿尾と書き、貞享四年増尾に改めたが、今日なは、マシウと呼んで居る。此村に就いて當時の遺跡を探つたところ、村内に、建治二年に勸進したといふ白山社がある。その傍の長昌寺の境内が、古への政所の跡かといふ。又村の北に古墳があつて、巖屋神社、里俗穴八幡と稱する。奧行六間餘、平石をもて疊んだ石室があつて、入口の左の方に、建治四年二月二日と刻してある。相傳へて宗尊親王の廟といふ。また村の南に仙神坊と稱する庵があつて、境内に大夫坊覺明の塔といふものがある。また大塚村に大梅寺がある。相傳ふ、建治二年後深草院第三皇子梅皇子の建立にかゝると。彼皇子は、正元元年故あつてこゝに下向し、永仁三年九月十九日世を去り給ひ、大梅寺殿二品親王賀慶法師と謚し奉つた。又村の北に、梅皇子從者墓碑といふ斷碑二基がある。其處より二三丁離れて、小字御門があり、古き井が殘つて、今も其邊の田畑から布目瓦を掘出すといふ。増尾と大塚とはもと一村で、或は此處が政所の跡かとも云ふ。梅皇子の名は系譜等に所見はなくいぶかし(11)いことであるが、とにかく仙覺と同時代に關する口碑ゆゑ、煩しきを厭はず記しておく。
二 仙覺が文永三年までに校合に用ゐた諸本の書名、筆者、體裁等を列記しておく。
松殿入道殿下御本 寛元四年校合 弘長元年夏再校 藁穗色紙紫表紙黒木軸 備後守三善康持所藏
帥中納言伊房卿手跡
鎌倉右大臣家本 寛元四年校合 厚樣表紙赤木軸貝尾長鳥丸 藤原定家相傳の秘本であらう。
月輪入道殿下御本即ち光明峰寺入道前攝政左大臣家御本 寛元四年校合 青羅表紙草子十帖 一帖二卷づつ。將軍頼經將來の本であらう。
兩三本 寛永四年校合 この中に擇然上人本がある。
尚書禅門眞觀本 弘長元年夏校合 元家隆卿本
基長中納言本 弘長元年夏校合
六條家本 弘長二年正月校合 藤原重家筆【承安元年六月書寫】
忠定卿本 弘長三年十一月校合
左京兆本 文永二年閏四月校合 伊房卿手跡
以上十一本は、仙覺が校合に使用した本である。
忠兼本
(12) 仙覺が底本として使用した本で、親行の筆であらう。
法性寺殿御自筆本
道風手跡本
行成手跡本
この三本は、仙覺の奧書、及古寫本の書入等に見えてをる。
佐佐木信綱 識
(1)萬葉集註釋卷第一〔入力者注、所々に()で挿入したものは頭注である。頭注そのものに()がついているときは(())とした。送りがなを記入した()は除く。頭注及び「云々」、「以上」は小字で書かれているが他の字と同じ大きさにした。段落の切れ目に頭注が来ないときは、適当に歌の始めに一括した。傍注はその傍注のかかる部分の最初の字のところに《》をつけて記入した。明らかな誤植は訂正した。誤植が疑われるもの、返り点の不備などが多いが、そのままにした。活字の潰れなどで判読不能の場合は〓にした。乎は時々小字になるが特に小字にすることはしなかった。国歌大観番号を付けた。〕
((萬葉集ノ題號))
先此集ヲ、萬葉集ト名ツ|ク《ケタィ》ルハ何意ソヤ。《答ィ》コレハヨロツノ|コ《詞ィ》トノハノ義也、詩賦ハ、漢家ノ文花、歌ハ我朝ノ風俗也。在(ヲ)v心(ニ)曰v志(ト)、形《アラハルヽ》v言(ニ)曰v詩(ト)。歌モ亦尓也。サレハ、古今ノ眞名序ニハ、夫和歌者、託2其(ノ)根(ヲ)於心地(ニ)1、發(ク)2其華於詞林(ニ)1者也トイヒ、假名序ニハ、ヤマトウタハ、人)心ヲタネトシテ、ヨロツノコトノハトソナレリケルトカケルハコノ心也。難(シテ)云(ク)、古今ハ延喜ノ御宇ノ集、萬葉ハ、平城ノ天子ノ御集也。何(ソ)以2後(ノ)集(ノ)序(ノ)詞(ヲ)1説《トク》《證ィ》2先集(ノ)題目(ヲ)1乎。ソノユヘ似v逆(ルニ)如何。答、前後雖v然、其理無v違故也。何(ソ)況(ヤ)彼古今(ノ)序ニハ、哥ノヲコリヲカキアラハストシテ、ヒサカタ)アメニシテハ、シタテルヒメ《下照姫》ニハシマリ、アラカネノツチニシテハ、スサノヲノミコト《素戔烏尊》ヨリソオコリケルトイフヨリシテ、人ノヨ《代》トナリヲ、ミソモシアマリヒトモシ《三十一字》ヲヨムコトヲイヒ、哥ノ|ムツノスカタ《六義》ヲワカチナトシテ、ソノヽチ哥ヲヨミイツル、サマ/\ノ|ナサケ《情》ヲカキツラネヲ、イニシヘ《古》ヨリカクツタハルウチニモ、ナラ《奈良》ノ御トキヨリソヒロマリニケル。カノ御ヨヤ、哥ノ心ヲシロシメシタリケム。カノ御トキニ、オホキミツノクラヰカキノモトノヒトマロ《正三位柿本人麿》ナン、哥ノヒ(2)ジリ《仙》ナリケルトカキツラネタリ。サテ又コノヒト/\ヲヽキテ、スクレタルヒトモクレタケノヨヽニキコヱ、カタイトノヨリ/\ニタヱカタクナンアリケル。カヽリケルサキノ哥ヲアハセテナン、マンヨウシウトナツケラレタリケルトカケリ。コレミナヨロツノコトノハトイフヘキ義、ツフサニキコヘタリ。以2後(ノ)集(ノ)序(ノ)詞(ヲ)1不v可v證(トス)2先(ノ)集(ノ)題目(ヲ)1イフヘカラサル也。問(テ)曰、古今ヨリ以來、代々ノ撰集ミナ題目ノ下ニ有(リ)2和歌(ノ)兩字1。所謂(ル)、古今和歌集、後撰和歌集等云リ。何ソ萬葉集ノ題目ニ無2和歌兩1乎如何。答、不(ル)v書2和歌(ノ)兩字(ヲ)1コトニイミシキ也。可v有2其子細1。不v言2和歌兩字(ヲ)1可v有2二(ノ)故1。一ニハ、ヨロツノコトノハトイヘルスナハチ哥也。何ソカサネテ可v書2和歌兩字(ヲ)1乎。二ニハ如(ハ)2故義(ノ)1、若ハ花ニモヨセ、若ハ月ニモヨセテ、詠哥スル時、又有(テ)2他人1、詠2同題(ヲ)1云2和哥(ト)1。不v然只某甲カ作哥ナトカケル也。萬葉集意如v此。但古今以下ノ集ニ書2和歌集(ト)1事ハ、詩ハ是、カラ《唐》ノ哥也。今ノ五句ノ哥ハ、我朝ノ風俗ナレハ、ヤマトウタトイフナルヘシ、其(ノ》意趣聊カ異(ナル)歟。
((萬葉集ノ時代))
今此萬葉集不v明(ニセ)2何時之撰(トイフコトヲ)1。古來ノ大ナル不審也。世多以謂(リ)2大《平城天皇也》同之撰(ト)1。其故者、古今和歌集序云、昔平城天子詔2侍臣(ニ)1、令v撰2萬葉集(ヲ)1。自余以來、時歴2十代1、數過2百年1云々。是則、相2當大同御時(ニ)1乎。或云、此集者、聖《神龜天平也》武天皇御時之撰歟。其故者、彼(ノ)帝(ノ)御時和歌盛興之由、見2古今(ノ)序(ニ)1。隨(テ)能(ク)令v作(ラ)2和哥(ヲ)1。又天平元年正月十四日、奏2諸哥1云々。如v此等者相2當(レリ)聖武御時(ニ)1。(3)但至2平城之號1者、凡以2聖武并桓武大同之朝(ヲ)1、號2平城(ノ)帝1也。見2國史1。此中(ニ)大同者、付2山陵1號之。次至2古今序(ノ)十代之詞1者、文筆之習、依(テ)若過若減、皆存2大數之義(ヲ)1、棄(テ)2餘數(ヲ)1、取2十代1歟。同序云、近代存2古風1、纔(ニ)二三人云々。而所v擧者已(ニ)六人也。又雖v稱2千歌廿卷(ト)1、實則千九十九首也。如此者付2文花(ニ)1、不3必稱2定數(ヲ)1歟云々。於2此時代(ニ)1、古來(ノ)好士料※[草がんむり/間]各區(ニシテ)雖v費(ト)2言塵(ヲ)1、義勢(ノ)之趣大旨如v此也。今檢(テ)云(ク)、此集(ハ)、爲《タル》2聖武之撰1事無v疑(ヒ)。有2道理1、有2文證1。先(ツ)道理(ハ)者、此集卷中(ニ)、神《聖武四十五代》龜年中(ノ)歌、天《同上》平廿年之間(ノ)歌具以(テ)多(ク)載v之。始自2第十八卷1天《孝謙四十六代》平勝寶年中歌多以入v之。是一。次(ニ)作者、官途是淺(シ)。大伴家持所v載之官、只内舍人、越中守、兵部少輔、同大輔、少納言、右中弁等也。此外所v經(ル)官位不v見。家持者、寶《光仁四十九代》龜十一年二月一日、任2參議1。延《桓武五十代》暦二年七月十三日、任2中納言1。此集若|大《平城五十一代》同之撰(ナラハ)者、公卿(ノ)時歌不v載之乎。加之、右大弁藤原朝臣|八束《ヤツカ》、左中弁大中臣朝臣|清麿《キヨマロ》、民部少輔|多治比《タチミノ》朝臣土左、治部少輔石上朝臣家嗣、此集(ノ)作者也。而藤原八束朝臣者、改2名(ス)眞楯《マタテト》1。天《稱コ四十八代》平神護二年正月八日、任2大納言1。清麿朝臣者、寶《光仁四十九》龜二年三月十三日、任右大臣。士左朝臣者、寶龜元年七月十三日、任參議。家嗣朝臣者、寶龜十一年二月一日、任大納言。凡云2作者1、云2非作者1、淺位(ニシテ)被v載2其名於此集(ニ)1之輩、天平勝寶以後、次第(ニ)昇進加階、經2數年(ノ)之後(ヲ)1、或任2大臣1、或列2公卿1之類、十余輩也。若爲2大同之撰1者、何不v擧2極官(ヲ)1乎。以知2聖武之時撰1也。是二。上代(ノ)歌(ハ)、擧2其時代(ヲ)1所謂|泊《雄略二十二代》瀬朝倉宮御字天皇代、高《舒明三十五代》(4)市岡本宮御宇天皇代、乃至|藤《文武元明》原宮御宇天皇代等注之。元《四十三代》明天皇御宇歌、有2寧樂《ナラノ》宮之詞1。第一二卷有v之也。而今於2神龜天平等之歌(ニ)1者、無2如v此詞1。是當代之故也。代々天皇御製歌、亦有2其註l。第十八卷、太上皇御2在難波宮(ニ)1之時歌七首、清足姫天皇也云々。此元正天皇也。至2聖武天皇御製1者、無2如v此之註1、是當代故也。是三。其道理如v斯。此上當集(ノ)中(ニ)、有2三(ノ)文證1。而先達未(タ)v顯歟。若疑(ラクハ)雖v令見知1、依(テ)2秘藏(ニ)1、且不v言歟。又恐(ハ)不(シテ)v措《ヲカ》v心(ニ)勘漏(ル)歟。其(ノ)三(ノ)證(ト)者、一者、第一卷以2文武天皇(ヲ)1、稱2大行天皇(ト)1。今檢(ルニ)2文《四十二》武天皇崩御之後(ヲ)1、天《四十六代孝謙也》平勝寶以前(ニ)有2元《四十三》明元《四十四》正兩帝之崩御1。然而彼兩帝(ヲ)不v稱2大行天皇(ト)1。乃至2文武1者、聖《四十五》武之父(ノ)大王也。爲v顯v之有2大行之稱1。譬(ヘハ)如2凡人之道俗、稱2先師先考等(ヲ)1。是顯2聖武之撰1一(ノ)丈證也。抑以2第一卷(ノ)大行天皇(ヲ)1或人謂1之|持《四十一》統(ト)1、甚以誤也。何(トナレハ)者、第一卷云、慶《文武四十二》雲三年太上天皇幸2難波宮1時(ノ)歌四首。太上天皇幸2吉野宮1時、高市連《タケチムラシ》黒人作歌云々。又次(ニ)大行天皇幸2難波宮(ニ)1時(ノ)歌二首、大行天皇幸2吉野宮(ニ)1時歌二首等云々。彼時言2太上天皇(ト)者、持統也。太行天皇(トイフ)者、文武也。若爲2一帝1者、何忽(ニ)換《カヘテ》v言(ヲ)可v擧v之乎。依v之第九卷云、大《文武》寶元年辛丑冬十月、太上天皇、大行天皇、幸2紀伊國1時歌十三首云々。若(シ)爲2一帝1者何煩(シク)相(ヒ)2連兩名(ヲ)1乎。應v知2二者《フタリヲ》1。第廿卷、先太上天皇御製霍公鳥哥一首、注云、日本根子高瑞日清足姫天皇云々。今檢(ルニ)、持統、元明、共有2太上天皇之號1。然而事隔(カ)故、不v稱v先。天平勝寶以後、聖武既(ニ)太上天皇也。此集今應2太上天皇之詔(ニ)1撰v之。仍爲(ニ)異v之(ヲ)以2元正1(5)稱(ス)2先太上天皇1。是指2聖武之撰(ヲ)1、二(ノ)文證也。三(ニハ)者、勘(ニ)2此撰集(ノ)年紀(ヲ)1、始自2天平年中1至2于天平勝寶1被v撰v之旨分明者(ナリ)也。所謂第十七卷歌者、始自2天平二年冬十一月(ノ)哥1、至2于同廿年(ノ)歌1。其中載d山部宿禰明人、詠2春鶯(ヲ)1歌(ヲ)u畢云、右(ノ)年月所處未v得2詳審(ヲ)1。但隨v聞之時、記載2於茲(ニ)1云々。此歌、天平十三年哥(ノ)中書v之。又古哥一首、【大原高安眞人作】年月不審。但隨2聞時1、記載(ス)v茲焉云々。此歌天平十八年歌(ノ)中書v之。次者、第十九卷歌者、天平勝寶二三四五年(ノ)歌也。其(ノ)中(ニ)、天平五年、贈2入唐(ノ)使(ニ)1歌、并阿倍朝臣老人遣唐(ノ)時、奉(ス)v母(ニ)悲別(ノ)哥載之了(テ)、右件(ノ)歌者、傳誦之人、越中(ノ)大目高安倉人種麿是也。但年月次(ニ)者聞之時載2於此1焉。此歌天平勝寶三年之中(ニ)書v之(ヲ)。又云、壬申年之亂定(テ)以後(ノ)歌二首、【壬申年之亂者、天武天皇元年大友皇子兵亂也。】
皇者神尓之座者赤駒之腹波布田爲乎京師跡奈之都《オホキミカミニシマセハアカコマノハラハフタヰヲミヤコトナシツ》
右大將軍贈右大臣大伴卿作。
皇者神尓之座者水鳥乃須太久水奴麻乎皇都常成通《オホキミカミニシマセハミツトリノスタクミヌマヲミヤコトナシツ》【作者不v詳】
右二首、天平勝寶四年二月二日聞之、即載2於茲1也等云々。
是指2聖武之撰(ヲ)1三(ノ)文證也。今既有2如v此(ノ)明證1、何又背(ン)v之(ヲ)。好(ク)立2異義(ヲ)1還|懷《イタカン》2迷惑(ヲ)1乎。
(第十七卷自2天平二年1至2同廿年1。)
(第十八卷自2天平廿年三月廿三日1至2同勝寶二年二月十八日1。)
(第十九卷自2勝寶二年三月一日1至2同五年正月二十五日1。)
(第廿卷自2勝寶五年五月1至2天平寶字三年正月一日1。)
((萬葉集ノ撰者))
次撰者、或稱2山上臣憶良1、或稱2橘左大臣(ト)1、或稱2藤原(ノ)眞楯《マタテ》1、或稱2大件家持1。今?(ルニ)、山上憶良者、此撰集以前先達(カ)歟。此集歌(ノ)中、見(タリ)2山上|憶良《ヲクラ》(カ)、類聚哥林等(ヲ)引1v之(ヲ)。故(ニ)凡(ソ)此集(ハ)者、六箇集(ヲ)爲(シテ)v宗(ト)(6)被v撰v之由所2申傳1也。六箇集者、古歌集、柿本人麿歌集、山(ノ)上憶良《ウヘノヲクラ》類聚歌林、笠朝臣金村《カサノアソカナムラ》集、高橋|連蟲《ムラジムシ》麿集、田邊史福《タノヘノフヒトフク》麿集也。以引2此等(ノ)集之歌1、可v知2年紀前後1、又非2撰者1歟。不2證據分明1者、猶有2疑殆1。又如2前兵衛佐顯仲入道抄物(ノ)1者、萬葉集者、橘諸兄、藤原眞|楯《タテ》等、奉v勅撰v之云々。雖v然、於2眞楯1者、不v知2其證據1、如2當集(ノ)現文1者、橘《タチハナ》大臣、大件家持、兩人爲2撰者1歟。所以者何。橘(ノ)大臣、謂2撰者(ト)1事者、先達多以稱v之。隨2萬葉集奥書1云、天平勝寶五年、左大臣橘諸兄撰2萬葉集1云々。何(ン)可(シ)v不(ル)v用v所(ヲ)v注《シルス》乎。就中此集中(ニ)、橘(ノ)大臣、爲2撰者1歟之由、有2見事1。第十九卷、少納言大伴宿禰家持哥云、白雪|能布里之久山乎越由加牟君乎曾母等奈伊吉能乎爾念《ノフリシクヤマヲコエユカンキミヲソモトナイキノヲニオモフ》。左大臣換v尾(ヲ)云(ク)、伊伎能乎爾須流《イキノヲニスル》。然(ルヲ)猶|喩《サトシテ》曰(ク)、如v前(ノ)誦v之也。如v此者、左大臣爲2撰者1之間、於v不2甘心1、句々欲v換v之(ヲ)歟。而(ルヲ)又家持相共(ニ)依(コト)v爲(ルニ)2撰者1、喩《サトセル》2如v前誦v之由(ヲ)1乎。兩人共(ニ)、不v爲2撰者1、不v可v及2評判(ニ)1者歟。爰(ニ)知(ル)3左大臣爲(コトヲ)2撰者1乎。次又家持見2撰者1證據勘v之者、第十九卷奧(ニ)云、但(シ)此(ノ)中(ニ)不v稱2作者(ノ)名字(ヲ)1、徒《タヽ》録(セル)2年月所處縁起(ヲ)1者、皆大伴宿称家持|載《(マヽ)》作(ノ)哥詞也云々。然則前(ニ)所v擧、天平五年贈2入唐使1歌并壬申年之亂|定《シツマリテ》、以後(ノ)歌、隨v聞得(ルニ)v之、如v載(カ)2天平勝寶三四年之中(ニ)1者、皆是家持(カ)所v注(セル)也。加之同第廿卷、天平勝寶七年春(ノ)時分、昔年防人哥書v之畢云々。右八首、昔年防人歌矣、主典刑部少録、正七位上磐余伊美吉諸君|抄《ヌキ》寫(シテ)贈2兵部少輔大伴宿彌家持(ニ)1云々。當v知v爲2撰者1。故注v贈(ルト)2古哥(ヲ)1也。依(7)v有2如v此見所1、兩人相共(ニ)謂(フ)v爲《タリト》2撰者1也。
((平城朝ノ事))
萬葉集爲2聖武之撰1、道理文證無v所v遁(ルヽ)。但以2聖武(ヲ)1稱2平城(ト)1事有2慥(ナル)證跡1乎。答、其證跡有(ン)2何(ノ)疑殆(カ)1乎。一云、石川朝臣年足、後岡本朝左大臣大紫蘇我(ノ)連羅志曾称(ハ)、平城朝左大弁三位石足一男者。
以v之案v之、石足者、天平元年二月、任2於參議正四位下右大弁1、三月從三位、此平城(ノ)朝相2當聖武(ニ)1矣。
又云、藤原(ノ)朝臣弟貞、平城(ノ)朝、左大臣正二位長屋王男者。
以v之、案v之長屋王者、和銅二年十一月參講從三位宮内卿。同三年四月廿三日、式部卿。靈龜元年二月四日、正二位左大臣。天平元年三月十日、坐v事《ツミセラレ》自殺《シサツス》。此平城朝者、相(ヒ)2當(ル)聖武(ニ)1矣。
續日本記云、從五位下紀(ノ)朝臣國益、男清人、天平十五年、治部大輔等、爲(ル)2平城宮留守(ト)1者(ナリ)。
以v之案v之、相2當聖武1矣。
萬葉集第十七云。天平十六年四月五日、獨2居於平城(ノ)故宅(ニ)1、大伴家持作歌六首者。
尾張國風土記云。葉栗《ハクリ》郡、川嶋社、【在2河沼郷川嶋村1。】奈良(ノ)宮(ノ)御宇、聖武天皇(ノ)時、凡海部忍人《ヲフシアマヘノヲシヒト》申、此(8)神化(シテ)爲2白鹿(ト)1。時々出現。有v詔、奉v齊《イツキヲ》爲2天社1。同國|愛知《ヱチノ》郡、福興寺、【俗名2三宅寺1、十四歩南去2郡家1九重(ママ)在2日下郡郷伊福寺1】平城宮御宇、天|靈《(マヽ)》國押開櫻彦命天皇神龜元年主政外從七位下|三宅連《ミヤケムラシ》麻佐、所2奉造(スル)1也。當國風土記兩所之文、殊(ニ)以(テ)分明乎。
備中國風土記云。賀夜《カヤノ》郡、松岡、去2岡(ノ)東南1維《ヘタテ》2二里1、驛路在v今。新造(ノ)御宅、奈良朝廷、以天平六年甲戌、國司從五位下勲十二等石川朝臣、賀美《カミノ》郡司大領從六位上勲十二等|下道《シモツミチ》朝臣人主、少領從七位下勲十二等薗臣|五百木《イホキ》時(ニ)造(リ)始云々。
筑前國風土記云、當2奈羅朝庭1天平四年歳次壬申、西海道(ノ)節度使《セツトシ》、藤原朝臣諱|宇合《ウゴウ・ナリアイ》、嫌(テ)2前議(ノ)之偏(ヲ)1、考(フ)2當時(ノ)之要(ヲ)1者。
以前、三箇國(ノ)風土記之文、以2聖武天皇御宇(ヲ)1、稱(スル)2平城(ト)1事、更(ニ)以(テ)無2相違1矣。
又疑(テ)云(ク)、以(テ)2聖武(ヲ)1、稱(スル)2平城(ト)1事(ハ)、誠(ニ)其(ノ)證據是(レ)多歟。但如2古今序(ノ)1者、昔(シ)平城(ノ)天子、詔(シテ)2侍臣1、令v撰《ヱラハ》2萬葉集(ヲ)1。自v尓|以來《コノカタ》、時歴2十代1、數過2百年2云々。然(ハ)聖武天皇以後、至(テ)2延喜1、相2當十六代1。所謂聖武、孝謙、廢帝、稱徳、光仁、桓武、平城、嵯峨、淳和、仁明、文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐、已上十六代也。以2聖武(ヲ)1號2平城1者、時歴2十代1之文、既(ニ)可v謂2相違(ト)1歟。以2平城天皇1、可v號2平城天子1歟。名字既顯然(タリ)。時(ニ)又當2十代(ニ)1、旁可v無《ナカル》2相違1。何(ソ)強(ニ)以2聖武以下十六代(ヲ)1、謂2十代(ト)1乎如何。答、謂2十代(ト)1事、其義非v一(ニ)。又可v有2子細1歟。如(ンハ)2通滿(ノ)義1者云、(9)若過若減(ス)、皆存大數(ノ)義1。次(ニハ)者、或義(ニ)云(ク)、以(テ)2父子相續(ヲ)1、取2一代(ニ)1、所謂(ル)、
聖《一》武 孝《聖武御女》謙 廢《二》帝 稱徳【孝謙重祚之故不取之】 光《三天智孫》仁 桓《光仁太子》武 平《四桓武太子》城 嵯《五桓武第二子》峨 淳《六桓武第三子》和 仁《七嵯峨第二子》明 文《仁明太子》徳 清《八文徳第四子》和 陽《淳和太子》成 光《仁明第三子》孝 宇《九》多 醍《十宇多第一皇子》醐 已上十代也。是者以2父子(ヲ)1者、取(テ)2一代1、至2兄弟(ニ)1、各別(ニ)取v之也云々。此義自本爲2一義(ト)1歟。然而、此上又依(テ)2道理(ニ)1立2一義(ヲ)1、於2諸文(ノ)理(ニ)1、多種(ノ)義(アル)事爲2常(ノ)習1歟。何強遮之哉。若(シ)又義理不2相(ヒ)背1者、諸(ノ)〓智(ノ)者、何(ソ)不2依附1乎。今謂(ル)十代(ハ)者、
聖《一》武 孝《二》謙 廢《三》帝 稱徳【孝謙重祚重不取之】 光《四》仁 桓《五》武 平城 嵯《六》峨 淳和 仁《七》明 文徳 清和 陽成 光《八》孝 宇《九》多 醍《十》醐 以上十代也。是則自2光仁天皇1、至2醍醐御門(ニ)1、以上七代(ハ)者、繼躰(ノ)王位(ノ)次第也。不v取2其餘1。此義當知(セリ)、諸王臣人民計(ルノ)2其(ノ)重代(ヲ)1之時、始自2父祖1、乃至(ル)2迄(テ)靈孫(ニ)1、任2其|譜系《フケイニ》1數v之者也。若(シ)舅《ヲヂ》姑《ヲバ》、兄弟之間、於2諸藝能(ニ)1、雖v有2名人1、如2置(テ)不(ルカ)1v數(ヘ)之。光仁以上、先(ノ)三代(ハ)者又最初者撰集之元始也。爭不v取乎。勿論次(ノ)二代(ハ)、最初與(ノ)繼體、中間非v可2省略1。且又如(ンハ)2國郡(ノ)領知相傳(ノ)券契《ケンケイ》等(ノ)1、不v論2自家他家(ヲ)1、奉2其次第(ヲ)1者也。今又不v可v違(ス)2於斯1。仍書v之、時歴2十代1者也。若又以2大同(ノ)天子(ヲ)1、令(ハ)v相d配時歴(ルノ)2十代1之句(ニ)u者、不v可v云3數過(ルト)2百年(ヲ)1。自2大同元年1、至(テ)2延喜五年1者百年也。不v可v云v過(ト)2百年(ヲ)1。何(ソ)況(ヤ)大同(ノ)天子(ハ)者、在位四年也。自2即位(ノ)年1有(ン)2撰集1事不審(ナリ)。又好v哥(ヲ)給(フ)事、不v見(ヘ)v當(ルコト)2其時(ニ)1、無2撰者(ノ)仁1之。是古(キ)不審也。或本、古今(ノ)序(ニ)數及2(10)百年1、是又不v可v然歟。眞名《マナ》序、假名《カナ》序、其(ノ)旨趣不v可2相違(ス)1。而|假名《カナ》序ニハ、カノトシヨリコノカタ、トシハモヽトセアマリ、ヨハトツキニナンナリニケルトカケリ。何可相違乎
私《(以下書入ニ係ル)》云萬葉集卷頭ノ哥ノ事、口傳云、戀ノ哥ニシテ又春ノ詞アリ。抑哥ノ根元ハ戀ヨリ起ルコト、日本紀曰、喜哉遇2可美少男1《アナウレシヤウマシヲトコニアイヌ》1焉云々。是哥ノ始ニシテ戀也。又素戔嗚尊ノ、八雲立ノ御哥モ、三十一字ノ哥ノ始ニシテ戀也。如v此例ニ仍テ、萬葉集卷頭モ戀也。夫婦ハ人倫ノ始ナレハ、卷頭ニ戀ノ哥ヲ置コト、甚深ノ義也。毛詩ニ關雎篇ヲ卷頭ニ置コト、是又后妃ノコヲ第一トス。次ニ此岳ニ菜採須兒ト云リ。菜摘ハ、春也。春ハ萬物生スル時ナレハ、四季ノ始也。故ニ古今集ヨリ以後ノ撰集、春ノ部ヲ卷頭トス。是等ノ義、天ハ地ニ對シテアリ。地ハ天ニヨツテアリ。人ハ天地ニ對ス。同根ノ理也。天地ハ我ヲヒラキ、我ハ天地ヲ開ク。天地人ノ三ハ別ニアラス。故ニ此卷頭、戀ニシテ春也。但端書ニ雜歌トアレハ、打マカセテ可置カト云説アリ。如何。併此雜歌ノ内ニ春ノ哥モアリ、秋冬等ノ哥モアリ。混雜スル故ニ、雜歌ト書リ。猶口傳アリ。又雄賂天皇ノ御製ヲ、卷頭トスルコト、伊弉諾尊伊弉册尊素戔嗚尊ヨリ、今上皇帝ニ至テ、和哥御相傳ノ義ナレハ、與2日月1倶ニ懸リ、與2鬼神1爭v奥(ヲ)。非2短|盧《(マヽ)》所1v及。故ニ御製ヲ卷頭トス。甚深ノ義也。
(11) 一、挽哥、俊頼抄、悲哥云々。古挽哥、大略歟。何レモ悲ニアラサルモアル歟。
一、反哥、常ノ卅一字カヘシ哥ト云也。是短哥ノ歌也。雖不限一首、或二首三首可詠之。然而常ハ一首也。短哥ノ意趣也。非他事。詞ハ替モ多ケレトモ、心ハ短哥ノ末也。
一、相聞ハ、以戀爲本也。故春相聞、夏相聞、秋冬同之。是皆春夏戀也。以是可知也。俊頼抄、戀哥也云々。但少々非戀モアル歟。ソレモ多ハ思v人哥也。然而以戀爲本也。古今相聞往來類之上下タテヽ、其内正述心緒、寄物陳思、問答、羈旅發思、悲別哥トアリ。猶可勘云々。
一、響喩、タトヘ哥ト云リ。但タトヘトモナキモアル也。寄衣喩思、寄弓喩思ナト云リ。唯寄物哥也。
一、問答ハ、問答也。防人哥モ、大略同事歟。委車可尋。問答ハ多ハ二首也。問事ヲ答タル也。一ハ問、二ハ答也。
一、相歡、寄物思人哥歟。或ハ寄雪、寄舟、戀シク思シヨシフ云ル也。
一、旋頭哥。反哥ハ、三十一宇ニシテ五句也。旋頭哥ハ、六句也。
一、無心所著、タヽスヽロコト也。アシクヨメハ、其スカタトモナキ也。
一、混本哥、三十一字ノ内、一句不足也。又有五句字不足。是一體也。(以上)
(12)萬葉集第一卷
泊瀬朝倉宮御宇天皇代雄略天皇
天皇御製歌
(虚見山跡國、古事記云、櫛《(マヽ)》饒|速日《ハヤヒ》命、乘天石船、葦原(ノ)國ヲ見廻リ玉フトテ虚空ヲ飛翔玉フ。是ヲ虚空見ツケ大和國ト云也云々。)
1 籠毛與美《コモヨミ》、籠母乳《コモチ》、布久思毛與美《フクシモヨミ》、夫君志持《フクシモチ》、此岳尓《コノヲカ二》、菜摘須兒《ナツムスコ》、家吉閑《イヘキカ》、名告沙根《ナツケサネ》、虚見津《ソラミツ》、山跡乃國者《ヤマトノクニハ》、押奈戸手《ヲシナヘテ》、吾許曾居師《ワレコソヲラシ》、告名倍手《ツケナヘテ》、吾己曾座《ワレコツヲラシ》、我許者《ワレコソハ》、背齒告目《セナニハツケメ》、家呼毛名雄毛《イヘヲモナテモ》
此御製歌ニ有二種ノ點、一本點云、
コケコロモ、チフクシモヨミ、フクシモチ、コノヲカニ、ナツムスコ、カイヘキケ、ナツケサネ、ソラミツ、ヤマトノクニハ、ヲシナヘテ、ワレコソヲラシ、ツケナヘテ、ワレコソヲラメ、ワレコソハ、セナニハツケメ、イヘヲモナヲモ。又或本點云、コモヨコモ、チフクオモフモ、ヨミケキミ、シ《(モ)》チコノヲカニ、ナモツマス、コノイヘキカナ|カサ《(マヽ)》ネ、ソラニミツ、ヤマトノクニハ、ヲシナヘテ、ワレコソヰシカ、ツケナヘテ、ワレコソヲラシ、ワレコソハ、セナニハツケメ、イヘヲモナヲモ。
以前(ノ)兩點、文言章句、各異(ニシテ)義理由縁不(ル)v顯(ハレ)者歟。初點者、點2之|古計其呂母知布久之毛余美《コケコロモチフクシモヨミト》1(13)不v得2其意1。所以(ハ)者何(トナレハ)苔衣不v相2應此歌(ノ)發句(ニ)1故也。就v中、籠毛與乃《コモヨノ》、與字(ヲ)和(セン)2之|古《コト》1豈可v然乎。凡(ソ)此(ノ)歌(ノ)發句。籠毛與美籠母乳《コモヨミコモチ・コケコ ロモチ》、古本如(シ)v此。而(シテ)籠毛與美乃《コモヨミノ》、美《ミノ》字、其點无之。古點之習、漢字歌一首書之畢。又更假名(ノ)歌(ヲ)書之。仍如v此。落字 言比 謬等、人不2露顯(セ)1歟。又或本(ノ)點(ハ)者、コモヨコモノ句、雖v似(タリト)v宜、第二句ニ、フクオモフモノ句ヨリヨミテ、キミシチ、コノヲカニ、ナモツマスコノイヘキカナサネ、ソラニミツヤマトノクニハ等(ノ)句、不v得2其意(ヲ)1。朧籠綿々(トシテ)、如v對(スルカ)2夕霧(ニ)1。以前(ノ)兩箇(ノ)點、前點者、頭(ノ)句不可(ニシテ)未(ノ)句漸(ク)可也。後(ノ)點(ハ)者、頭、唖(ノ)句可(ニシテ)中心不可也。又兩點相似(タリ)。句猶有2少(ノ)差別1。稽古(ノ)人勘之。今試(ニ)加2新點(ヲ)1云、コモヨミコモチ、フクシモヨミ、フクシモチ、コノヲカニ、ナツムスコイヘキカ、ナツケサネ、ソラミツヤマトノクニハ、ヲシナヘテ、ワレコソヲラシ、ツケナヘテ、ワレコソヲラシ、ワレコソハ、セナニハツケメ、イヘヲモナヲモ。此御製歌(ニ)、籠《コ》ト者、ワカナヲツミイルヽカタミ也。布久思《フクシ》トイフハ、採《トル》v菜《ナヲ》器也。スゴトイフハ、野人。今歌ノ意者、義|諧《カナヘリ》2賤女(ニ)1。凡子《スゴ》ト者、通2男女(ニ)1。シカレトモ、今哥ノ意女子ニアヒアタレリ。如v云2吾妹子《ワキモコ》未通女《ヲトメコト》1。名告沙根《ナツケサネト》者、名ヲ告ヨト云也。沙根者、言ノ助、コマツガシタノ|クサ《草》ヲカリサネト云カコトシ。今(ノ)御製(ノ)歌(ノ)意(ハ)者、天皇野遊之時、叡覽(ノ)爲體也。籠モヨキ籠モチ、布久思モヨキフクシモチテ、此岡ニ菜採女子。家ヲキカシメ、名ヲツケヨ。倭國者皆是吾ミシマ所也。吾コソハ(14)背《セナ》ニハ、家ヲモ名ヲモ告メト、令v詠給御製也。彼賤女艶妙《カノシツノメミヤヒヤカナル》故(ニ)有2此御製1歟。此御哥(ノ)詞(ノ)中(ニ)、押奈戸乎、吾許曾居師、告名倍手、吾己曾座(ノ)句、一本ノ點ニ、ヲシナヘテ、ワレコソヲラシ、ツケナヘテ、ワレコソヲラメト點ス。又或本ニハ、ヲシナヘテ、ワレコソヰシカ、ツケナベテ、ワレコソヲラシト點ス。二ツ共ニソノコトハヲトヽノヘス。コレニヨリテ今ノ點ニハ、ヲシナヘテ、ワレコソヲラシ、ツケナヘテ、ワレコソヲラシ、《(マヽ)》トトノヘ點スルナリ。古人傳テ云、長哥ヲヨムナラヒ、トヽノヘタル句ヲヨメルヲモチテ、其故實トストイヘリ。サレハ此次下ノ御哥トモニモ、クニハラハ、ケフリタチタツ、ウナハラハ、カマメタチタツトモ、令v詠給歟。アサカリニ、イマタヽスラシ、ユフカリニ、イマタヽスラシトモ侍ハ、コノナラヒナルヘシ。オヨソ《凡 》トヽノヘタルコトハ、長哥一首カウチニ、或一所アル哥モアリ、或二所三所アルモ、ハヘルナルヘシ。又トヽノヘタルコトハナキ長哥モハヘリ。カナラスシモ、一樣ニハアラサレトモ、モシトヽノヘタルコトハヲヨミソヘタル哥、見來ラハ、コレ故實ヲ存シテ、フルマイヨメリトシルヘキ也。
天皇|遊2?《カリシタマフ》1内野(ニ)1之時|中皇命《ナカスメミコト》使2間人連老《ハシウトノムラシヲキナヲ》1献(ル)歌
(舒明天皇)
3 八隅知之《ヤスミシシ》我大王之云々。此詞所々多以詠之。或又書之、安見知々《ヤスミシシ》。其點不2一准(ナラ)1。或ハ、ヤスミシル、或ハヤスミシリシ、或、ヤスミシリ、或、ヤスミチノ、或、クニシリシ、(15)或、ヤシマシル。又付(テ)v書(ニ)安見|知之《チシト》、或ハ、アメシリシト點v之。如v此種々ノ點付v之(ニ)。料2簡(スルニ)其和(ノ)意詞(ヲ)1以2八隅知之1、ヤスミシルトモ、若ハヤスミシリトモ、若ハヤシマシルトモ和スレハ、不v被v和2之字1。或ハ、又、ヤスミシリシトモ、若ハ、クニシリシトモ、和スレハ、之字ハ、濃《コマヤカ》ニ雖v被v和v之、似v奉(ニ)3慕《シタヒ》2先帝(ヲ)1。然此詞者、天皇|遊※[獣偏+葛]幸行《ユウレウノミユキノ》之時、從v駕《ミトモニ》臣下多以詠v之。必(ス)奉(ラハ)v慕(ヒ)2先帝(ヲ)1者、其義不2相(ヒ)諧《カナハ》1。仍勘2日本記續日本記等(ヲ)1、謂2之(レヲ)也須美師志《ヤスミシシト》1。其心詞尤諧當(セリ)。知(ノ)字(ノ)一音(ハ)師《シ》也。假令如d寺官(ノ)中(ノ)知客《チカク》謂cv之(ヲ)師|可《カト》u。耶須美師志《ヤスミシシノ》詞(ハ)證歌勘(ヘハ)v之者、日本記第十一卷之、大鷦鷯《オホササキノ》天皇五十年、春三月壬辰朔丙申、河内《カハチノクニノ》人奏(シテ)言、於(テ)2茨田堤《ムハラキノツツミ》1鴈産之《カリコヲウム》。即日遣v使(ヲ)令v視。曰(ク)、既(ニ)實也。天皇於v是|歌《ウタヨミシテ》、以問2武内宿称(ニ)1曰、多莽耆破?《タマキハル》、宇知能阿曾《ウチノアソ》、儺虚曾破《ナコソハ》、豫能等保臂等《ヨノトホヒト》、儺虚曾波《ナコソハ》、區珥能那餓臂等《クニノナカヒト》、阿耆豆辭莽《アキツシマ》、揶莽等能區珥珥《ヤマトノクニニ》、箇利古式等《カリコムト》、儺波企箇輸揶《ナハキカスヤ》。武内宿祢答歌曰、夜輸瀰始之《ヤスミシシ》、和我於朋枳瀰波《ワカオヲホキミハ》、于倍儺于倍儺《ウヘナウヘナ》、和例烏斗波輸儺《ワレヲトハスナ》、阿企菟辭摩《アキツシマ》、揶莽等能倶珥々《ヤマトノクニニ》、箇利古武等《カリコムト》、和例波枳箇儒《ワレハキカス》。又同十四卷之、大泊瀬幼武《オホハツセワカタケノ》天皇五年春二月、遊2※[獣偏+葛]《カリシタマフ》于葛城山(ニ)1、靈鳥《アヤシキトリ》忽(ニ)來(レリ)。其(ノ)大(サ)如v雀(ノ)。尾長(シテ)曳(ケリ)v地(ニ)。而|且鳴《カツナキツヽ》曰(ク)、努力努力《ツトメツトメ》。俄(ニシテ)而見逐(テ)、瞋猪從2草中1暴《アカラサマニ》出(テ)逐v人(ヲ)。?從《カリヒト》縁《ノホリ》v樹《キニ》大(ニ)懼(ル)。天皇|詔《ミコトノリ》2舍人(ニ)1曰。猛獣《シヽモ》逢(テハ)v人(ニ)則|止《ヤム》。宜|逆射《マチイシテ・マチイテ》而且|判《サシトメヨ》。舍人|性《ヒトヽナリ》懦弱《ヲチナクヨワク》、縁v樹失也。五情無主《キニノホリオムロアヤマリコヽロヲソクナリ》。瞋猪直來(テ)、欲v噬《クヒマツラント》2天皇(ヲ)1。々々|用v弓《ミタラシヲ》刺止《トヽメテ・ツキトヽメテ》。擧(テ)v脚《ミアシヲ》踏(ミ)殺(ツ)。於v是(ニ)田罷《カリヤンテ》欲v斬2舍人1。々々臨v刑《コロサルヽニ》而(16)作歌曰、野須瀰斯志《ヤスミシシ》、倭我飫〓枳瀰能《ワカオホキミノ》、阿蘇麻斯志《アソマシシ》、斯々能《シシノ》、宇※[手偏+施の旁]枳※[舟+可]斯固瀰《ウタキカシコミ》、倭我尼〓能〓利志《ワカニケノホリシ》、阿理鳴能宇倍能《アリメノウヘノ》、婆利我曳陀阿西鳴《ハリカエタアセメ》云々。此詞(ノ)哥雖v多、略(シテ)出3一兩二1也。又續日本記第十五卷歌曰、夜須美斯志《ヤスミシシ》、和己於保支美波《ワカオホキミハ》、多比良氣久《タヒラケク》、那何久伊末之弖《ナカクイマシテ》、等與美岐麻郡流《トヨミキマツル》。八隅知々《ヤスミシシ》、可點之、夜須美斯志《ヤスミシシト》。證據如此。次釋2其心(ヲ)1者、先達多以|耶須美志流《ヤスミシルト》者。帝(ハ)者爲d知(シ)2食(ス)八方(ヲ)1義u之由尺v之。其儀不v然。非2盡理(ニ)1也。所以(ハ)者何。天皇(ノ)御宇、何限2八方(ニ)1乎。於2下地(ニ)1者爲2其縁領(ノ)源(ト)1、虚空亦領(ス)2一國之上天(ヲ)1。故知2食(ス)八方(ヲ)1トノミイフヘカラス。是一。又方角自v元各別也。サレハ、或ハ四方四角トモ、或ハ四方四維トモ、或ハ四方四隅トモイフ。方角ステニ各別也。何混亂シテ、ヤスミトイハンヤ。是二。其尺不叶理(ニ)也。又至(テ)2和字(ニ)1者、如日本記眞名假名(ノ)、可v云2耶須弥斯志《ヤスミシシト》1。其心詞細應(ノ)故也。問云、耶須弥志流(ト)者、帝王爲d知2食八方(ヲ)1義u之由、先達等尺v之者常(ノ)儀也。而今其儀不v應《カナハ》者、何(ナル)義(ヲ)可v爲2正義(ト)1乎。又耶須美志流等云也。那須弥斯志(ト)云、同歟、異歟、如何。答、ヤスミシル等云(ヒ)、スメミシヽト云フ。其旨趣幾(ノ)替|目《メ》ナシトイヘトモ、其(ノ)優劣遙(カ)異(ナリ)。八隅知之、コレヲヤスミシルト和スレハ、不(ル)v被v和2之(ノ)字1上《ウヘエ》無2語《コトハノ》禮1。一失也。又ヤスミシリシト和スレハ、似(リ)v奉(ニ)v慕(ヒ)2先帝(ヲ)1。ヤスミシヽト和スレハ、和シ殘ス文字ノ難モ自然(モ)脱《マヌカレ》之、非(ラスウニ)v不(シモ)v存(セ)2語《コトハノ》禮(ヲ)1。奉v慕(ヒ)2先帝(ヲ)1難(モ)無(シテ)、其(ノ)點(ノ)意(ロ)普(ク)巧(ナリ)。仍日本記續日本記等ノ眞名假名、皆依此和語(ニ)也。次耶須弥斯志ト云フ意何者、ヤスミトイフハ、八島也。シヽトイフハ、始ノシハ、シロシメスコトハ、次ノシハ、コトハノタスケ也。コレ我國ノ國主、大八島國ヲムケタヒラケテ、シロシメス詞也。凡ソ島ヲスミトイフ。シト、ストハ、五音ノ同内相通、マト、ミト、又同内相通ナリ。故(ニ)シマトイヒ、スミトイフハ、只同意也。心ハ海中ノ島ヲモテ人ノ居所トス。東宮切韻云、陬((釋氏云以下ノ小字、神宮文庫本ニ次ノ如シ「釋氏曰陬(ハ)隅也。説文曰隅也。一曰聚居。爾雅曰、正月爲陬。楚辭攝提正子孟陬。増韻孟隅師東北隅也。」)【釋氏云、陬ハ也。隅也。爲陬。尓雅正麻果云。説文聚居月曰孟陬。】又洲ハ、即島同也。洲【尓雅云、水中可居者曰洲。音州、和名須。注云、四方皆有水也。】李巡不思儀(ノ)疏云、經v川者常(ニ)流水不v絶也。洲(ハ)者、水中(ノ)可v居所也云々。島ヲ隅ト云事、明鏡也。就中於我朝者、伊弉諾(ト)伊弉册尊、立2於《タヽシテ》天浮橋之上《アマノウキハシノウヘニ》1、共計《ハカライテ》曰《ノ ク》、底《ソコ・シタツ》下《シタニ》豈(ニ)無(ラン)v國|歟《ヤトノタマヒテ》、廼《スナハチ》以2天之|瓊《ト》【々玉也此云努】矛《ホコヲ》1指下而探之《サシヲロシテカキサクリシカハ》、是|獲《エタリ》2滄溟《アヲウナハラヲ》1。其(ノ)矛鋒滴瀝之潮《ホコノサキヨリシタタルノシホ》凝成2一島1。名v之曰2※[石+殷]馭盧島《ヲノコロジマト》1。於v是《コヽニ》降2居《アマクタリ》彼(ノ)島(ニ)1、因(テ)欲(ス)2共爲夫婦《ミトノマクハイシテ》1、産2生《ウマント》2洲國《クニツチヲ》1。便(チ)以(テ)2※[石+殷]馭盧島《ヲノコロシマヲ》1、爲(シ)2國(ノ)中(ノ)之|柱《ミハシラ》1。【見日本記。】此島、可v云v隅(ト)縁也。サテ其(ノ)後(ニ)、生2八洲《ヤシマノ》國(ヲ)1御、見(タリ)2日本記(ニ)1。云、及(テ)v至(ルニ)2産時《コウムトキニ》1、先(ツ)以(テ)2淡路|洲《シマヲ》1爲(ス)v胞《ヱナト》。意《ミコヽロニ》所(ナリ)v不(ル)v快《ヨロコヒ》。故(ニ)|名《ナツケテ》v之曰2淡路(ノ)洲(ト)1。廼(チ)生《ウム》2大日本《ヲホヤマトヲ》【日本此云2邪麻騰《ヤマト》1下皆放v此。】豐秋津洲《トヨアキツシマ》1。次(ニ)生《ウム》2伊與二名洲《イヨフタナノシマヲ》1。次(ニ)生2筑紫《ツクシノ》洲(ヲ)1。次(ニ)雙2生《フタコニウム》隱岐(ノ)洲(ト)與2佐度(ノ)洲1。世人《ヒト》或(ハ)有2雙生《フタコウムコト》1者|象《カタトレリ》v此(レニ)也。次(ニ)生2越洲《コシノシマヲ》1。次(ニ)生2大洲《ヲホシマヲ》1。次(ニ)生(キ)2吉備子洲《キビノコシマヲ》1。由(テ)v是(レニ)始(テ)起(リ)2大八洲國(ノ)號1焉。【此(ノ)次(ニ)有2五種(ノ)異説1。大體(ハ)雖v同有2少異1也。欲2悉(ク)知1者(ハ)可v見2日本記(ヲ)1。】聖主知食(ス)此八洲國(ヲ)、故(ニ)ヤスミシヽ、ワカオホキミト詠也。サレハ風土記等ニモ、令v記2代々(ノ)御宇(ノ)事(ヲ)1所(ニ)モ此義見タル也。所謂常陸國風土記ニハ、或ハ云(ヒ)2卷《景行天皇》向日代宮大八洲照臨天皇之世(ト)1、或(ハ)
(18)(馭《キヨ》、御ノ字同歟。)
云2石《繼躰天皇也》村玉穗宮大八洲|所馭《シル》天皇之世(ト)1、或(ハ)云(リ)2難波|長《孝コ天皇也》柄豐前大朝八洲|撫馭《ナテシル》天皇之世(ト)1。阿波國風土記ニモ、或(ハ)云3大《崇神天皇》倭志紀弥豆垣|國《(マヽ)》、大八島國所知天皇朝庭(ト)1、或(ハ)云(ヒ)2難波|高《仁コ天皇・タカツノ》宮大八島國所知天皇(ト)1、或(ハ)云(リ)檜前伊富利野乃宮大八島國所知天王1。又績日本記第一、天之眞宗豐親父天皇、丁酉年八月甲子朔、受禅即位、辰詔曰、現御神止大八島國所知天皇大命【良麻止】詔大命 乎云々。同弟十五卷、天平五年五月辛丑、自2三月1至2今月(ニ)1不v雨《アメフラス》奉2幣帛《ヘイハクヲ》畿内(ノ)諸神社(ニ)1祈《イノル》v雨(ヲ)焉。癸《三日》卯群臣於2内裏(ニ)1皇太子親※[人偏+舞]2五節1。右大臣橘(ノ)諸兄《モロエ》奉v詔《ミコトノリヲ》。奏(シテ)2太上天皇(ニ)1曰(ク)、天皇大命尓坐而奉賜久挂母畏伎飛鳥淨御原宮尓大八洲所知志聖乃《スメ ミコトニイマシテタテマツリタマハクイトモカシコキアスカキヨミハラノミヤニヤシマンシヒシリノ》 天皇命、天下乎治賜比所思坐久上下乎齊倍和【氣弖】無動久静【加尓】令有【尓波】禮等樂等二都置【立志】平久長久可有等《アメカシタヲヲサメタマヒヲモフトコロナクカミツモヲトヽノヘヤワラケテウコキナクシツカニミコトノリニハレイトカクト ツヲキタテシタイラケクナカクアルヘキト》、随神母所思坐弖此乃舞乎始賜比造賜【比伎等】聞食弖與天地共尓絶事無久弥繼尓賜受【波利】行牟物【等之弖】皇太子斯王尓學志《マホリノカミモオモフトコロマシテコノマイヲハシメタマヒツクリタマヒキトキコシメシテアメツチトトモニタユルコトナクミツキニタマウケハリユカンモノトシテスメミココノオホキミニマナハシ》、須命《(マヽ)》荷弖我皇天皇大前尓貢事乎奏等云(ヘリ)。已上、八隅《ヤスミハ》者八|洲《ンマト》云同言(ノ)例證也。又或賢者(ノ)説(ニ)云(ク)、八隅知之者、於(テ)2一須弥之下(ニ)1、有2東南西北之四洲1。於(テ)2四|維《ユイニ》1又一維(ニ)有v二中洲。合(シテ)八中洲也。其東(ノ)南(ノ)角(ノ)以2巳《ミノ》方(ノ)洲《クニヲ》1、名2娑摩羅洲《サマラシウト》1。是(ヲ)云(フ)2大日本國(ト)1。我朝(ノ)聖王|攝2領《セツリヤウシタマフ》此洲(ヲ)1。故(ニ)曰(ク)八隅知之我《ヤスミシシワカ》)大王也云々。【有2此義1事(ヲ)爲v令v知所(ノ)注(ニ)載也。】疑(テ)云(ク)、八隅即(チ)大八島國爲2同(シ)言1事、其(ノ)例證聞v之事已(ニ)畢(ヌ)。尓者《シカラハ》八隅知之《ヤスミシシ》
其(ノ)點有數中、一(ニハ)謂(フ)2之(ヲ)八島知《ヤシマシルト》1此點可v爲2正訓1歟。得(ルコト)2其意(ヲ)1事無(カ)v煩故也。何|棄《ステ》v易《ヤスク》用(ヒ)v難《カタキヲ》乎《ヤ》、如何。答(フ)、耶須美斯志者《ヤスミシシハ》、其(ノ)意詞離(レ)難(ク)隨(フ)。又日本記等(ノ)眞名《マナ》假名《カナノ》詞也。誰(カ)有職仁不(ンヤ)v依v之(19)乎。何(ソ)抛《ナケウツテ》2花梵通才(ノ)之妙辭(ヲ)1偏《アマネク》用(ン)2邊州|卑淺之微言《ヒセンノビゲンヲ》1矣。
朝庭取撫賜夕庭伊縁立之御執乃梓弓之奈加弭乃音爲奈利《アシ タハトリナテタマヒユフヘニハイヨセタテシミトラシノアツサユミノナカハスノヲトスナリ》
トリナテタマヒトハ、弓ノハスナリ。イヨセタテヽシハ、イハ、發語ノ詞也。天竺ニハ、阿字ヲ發語ノ詞トス。我朝ニハ、伊字ヲ發語ノ詞トスル也。ミトラシト云ハ、御弓也。ミトラシトイフヲ、マタハミタラシトモイフ。トト、タト、同内相通ノ故也。或説ニ云ハク、弓ヲミタラシトイフハ、天竺ノ多羅葉《タラエウ》其長七尺五寸。弓ノ長又七尺五寸也。故ニコレヲ多羅子トイフナリ。サテ文武二道ハ一隻ノ物ナルカ故ニ、筆ノ長モ最長ナルハ、六尺或ハ五尺ニスル也。コレ事ノ外ノ甲乙ナカランカタメ也。彼多羅葉、黄色ニシテ莖赤シ。故ニ移(シテ)v之(ヲ)、經教ヲハ黄紙朱軸ニスル也。ナカハストイフハ、ハスト、ハジトイフ同
音也。モノニシタカヒテ、ハスヲツクルニ、矢モシハ張殿《ハリトノ》ノ|シイ《簇》シナムトノハズヲハ、ナカヲエリテ、ウラウヘノハシニツク。弓ノハズハ、中ニツクルモノナレハ、中ハストイフ。又ハストイフハ、ナツトイフ同言也。ハト、ナト、同韻相通、スト、ツト、同韻相通也。弓ハ兵《ツハモノ》殊(ニ)カキナゾル物ナレハ、朝ニハトリナテ給ト詠ナリ。中ハズノヲトスナリト云ハ、弓ノツルハ、モトハズウラハズニカケテ、ハリタレハ、ツルウチノヲトモタヘナレハ、ナカハズノヲトスナリト詠ナリ。唐韻(ニ)曰(ク)、弓、釋名(ニ)曰、弓、其(ノ)末(ハ)曰v簫(ト)。又謂2之(20)弭《ハズト》1。以v骨(ヲ)爲《ナス》v之(ヲ)。滑弭ニ|ハ《ヤイ》也。中|天《(矢ィ)》曰※[弓+付]。々撫也。又所v撫持也云々。
反歌
或説云、黄帝ノ臣下蚩尤※[さんずい+豕]鹿野ニテ討レタリシ眼ヲ、毬打ノ玉ニシテ、ウツコトヲ、タマキハルウツト云也卜云々。)
4 タマキハルウチノヲホノニウマナメテ云々。
タマキハルトイフハ、常ノ尺ニハタマシヒキハマル義、臨終ノヨシヲ尺ス。マコトニタマキハルイノチナムトヨメル歌ニハ、シカルヘシ。但如此事ハ、コトハハオナシケレトモ、シタノ心カハレルコトヲホシ。ソレヲハ、言惣、言《意ィ》別ト云也。顯宗ノ學問ノ名目ニモ、カヤウノコトオホカル也。和語ニモ又尓也。
今ノ歌ノ、タマキハルウチトイフハ、内ハ内裏也。タマキハルトハ、嚴麗《ゴンレイ》キハマルトイフコト|ハ《ナリィ》也。コレハウチトイハムタメニヨソヘヨメルコトハ也。仁コ天皇ノ、武内大臣ニタマウ御歌ニ、タマキハルウチノアソトヨマセ給ヘルモ此意也。モシタマシヒキハマル義ナラハ、イカテカ天皇遊※[獣偏+葛]ノ時、サル禁忌ノノコトハヲ令2詠(シ)進1乎。又内野トイフハ大和ノ國宇智ノ郡ノ野也。イマ内野トカケルハ、古ハ如此カキケルニヤ。又コトハタニモタカハサレハ、トモカクモカケル常(ノ)事也。於2國郡郷村等(ニ)1、用(ハ)2二字(ヲ)1用(ハ)2好字(ヲ)1元明天皇御宇、和銅六年(ニ)被v作2諸國(ノ)風土記(ヲ)1時事也。其以前ハ、國郡郷村ノ名、或ハ一字二字、又郷村等、眞名假名ニテ、或ハ三字四字モアリケル也。而令v注2進風土記(ヲ)1之時、任2太(21)政官宣下之旨1、各 々定2二字1、用2好字(ヲ)1也。
幸《ミユキノ》2讃岐(ノ)國|安益《アヤノ》郡(ニ)1之時|軍王《イクサノオホキミ》見山作歌
(村肝トハ、思ヒマタルヽ時ハ、ムラ/\ニ肝切ルト也)
(神ト云ハ、鏡ヲ中略シタル詞也。)
(勘云、網浦、讃岐國)
5 ワツキモシラスト云ハ、ワヒシキモシラス也。村肝者、忘2餘事(ヲ)1一向思歎、其(ノ)肝|凝《コル》2※[匈/月]間(ニ)1也。ヌエトリノウラナキヲレハトハ、シタナクヲ、ウラナクト云也。タマタスキカケノヨロシクトハ、タマタスキハ、カクル物ナレハ、カクトイハントテ、タマタスキトハヲケル也。トホツカミ、ワカオホキミノトハ、スメロキヲカミトイヘル也。カミトイフハ、ヨロツヲカヽミ給義也。明王ハアメノシタノモロ/\ノタカキイヤシキモノヲカヽミ給ヒ、イニシヘヲモイマヲモカヽミ給コト、百錬鏡ノコトクアキラカニマシマセハ、トホツカミワカオホキミノトイヘルナリ。マスラヲトハ、タケキモノヽフヲイフ。増荒男トカクハ此字也。タツキトハ、タヨリ也。アミノウラトハ、サタマレル名所ニアラサル歟。海人ノアミヒク浦ノ惣名トミヱタリ。
反歌
(ヌル夜オチストハ不夜闕也。)
(私勘、臣木者モミノ木也。)
6 カセヲトキシミト云ハ、シミハ、シゲシト云詞也。
詞、是時宮前在二樹木云々。伊豫國風土記云。二木者、一者|椋《ムク》ノ木、一者、臣《ヲミ》ノ木ト云ヘリ。臣木、可v尋v之。
(22)明日香川原宮御宇天皇代
(皇極天皇)
額田王歌
(ミ草トハ、薄ヲ云コト勿論ノ義也。但水草ヲモ云リ。哥ノヤウニヨルヘシ。)
(私云、宇治都、山城國歟。)
7 アキノ野ノミクサカリフキ、ミクサトハ、スヽキ也。此歌點ニモ、或ハオハナカリフキトモ、或ハミクサカリフキトモ點之。此歌ニハミクサト點セル殊宜也。ミクサト云ハ、諸(ノ)草ノ中ニ、タカクヲヽシキ草ナルカ故ニ、眞草ノ義ニテ、ミクサト云ヘシ。難云、タカクヲヽシキニヨラハ、荻葦等又コレアリ。何ソカレヲミクサト不v云《イハ》乎。答云、タトヒソノ義モアリヌヘクトモ、古ノ賢者殊ニ秋ノ花スヽキヲ賞セリ。故柿本朝臣人麿歌云、人ミナハハキヲ秋トイフイナワレハオハナカスヘヲ秋トハイハン云々。又諸ノ草オホシトイヘトモ、此集ノ歌ノ義讀ノ中ニ、草花トカキテ、オハナトヨム。コレスヽキマコトノクサナルユエ也。可思之。又ウチノミヤコトハ、行宮也。非京都也。可分別之。
8 熟田津尓船乘世武登月待者《ニキタツニフナノリセムトツキマテハ》。此歌頭句如2古點1者、或ハ、ムマタツ、或ハ、ナリタツ也。因(テ)檢2日本記(ヲ)1七《第廿六卷天豐財重日足姫天皇御宇也》年春正月丁酉朔壬寅御船西(ニ)征《ユキテ》、始(テ)就2于海路(ニ)1。甲辰御船到2于|大伯《オホクノ》海(ニ)1時(ニ)大田姫皇女|産《ウム》v女《ヒメミコヲ》焉。仍名(テ)2皇女(ヲ)1曰2大伯皇女《オホクノヒメミコト》。庚戊御船泊2伊豫|熟田津《ニキタツノ》石湯|行宮《アンキウ・カリミヤ》(ニ)1【熟田津、此云、※[人偏+尓]枳抱豆《ニキタツト》1】、如2日本記1者、ニキタツト和スヘシ。ニキタツトイフハ、祈(ルノ)2渡海安穩(ヲ)1義也。ニキトイフハ、祈祷ヲイタシテ、神慮ヲヤハラケタテマツル義也。旅行ノナラヒ、水陸トモニ祈請スヘシ(23)トイヘトモ、殊ニ渡海安穩ヲイ)ル故也。
(夕月トハ、六日七日ノ時分迄ヲ云ナリ。又十日アマリマテトモ云リ。)
9 ユフツキノアフキテトヒシワカセコカイタヽセルカネイツカ|ハ《(マヽ)》アハナム
ユフツキトハ、十三四日ノユフヘノ月也。イタヽセルカネトイヘルハ、イハ、發語ノ詞。ヨメル心ハ、ユフツキノコトク、アフキテトヒシワカセコカ、タチテヤアルラン、イツカアハントヨソヘヨメル也。コレハ愚老新點ノ歌ノハシメノ歌也。彼新點ノ歌、百五十二首ハヘルナカニ、コレハクハシク尺ヲカキソヘテ侍ル歌也。クハシキムネヲシラント思ハン人ハ、可v有v披2見彼(ノ)尺(ヲ)1也。
中皇命《ナカウシノミコト》往《イマス》2于紀伊(ノ)温泉(ニ)1之時御歌
(磐代岡、紀伊國。)
10 キミカヨモワカヨモシレヤイハシロノオカノカヤネヲイサムスヒテナ
此歌モ、有馬皇子ノ、イハシロノマツヲムスヒタマヘリケルヲ本縁トシテ、ヨマシメ給ヘル歌トミヱタリ。カノ本縁ハ、孝徳天皇ト申ケルミカトノ、位ヲサリタマハントシケルトキニ、アリマノ皇子ノクラヒヲタモツマシキケシキヲミシリタマヒテ、ユツリタマハサリケレハ、世ヲウラミテ、ウカレアリキタマヒヲ、イハシロトイフトコロニテ、松ノエタヲムスヒテ、イハシロノハマヽツカヘヲヒキムスヒマサキクアラハマタカヘリミン、トヨミタマヘリケリ。シカレハマタコレモ、キミカヨモワカヨモシルランヲ、カヤ(24)ネヲイサムスハントヨミ給へルナルヘシ。
(野島、紀州、但同名多シ。江州淡州ニアリ。)
アコネノウラ、紀伊國。
13 中大兄《ナカヲホエ》【近江宮御宇天皇】 三山《ミツヤマ》ノ歌
(皇極天皇四年六月讓位於輕太子、以中大兄爲皇太子。天智天皇是也。)
中大兄トハ、天智天皇、御諱也。イマタ皇子ノ時ノ御歌ナリケレハ、御諱ヲカヽレタルナリ。三山、或本ニハ、ミヤマノウタト點セリ。其心カナハス。三山者、畝火《ウネヒ》、香山《カクヤマ》、耳梨《ミヽナシ》山也。見風土記。サテ又、コノ歌古點ニハ、タカヤマハ、クモネヒヲヽシト、ト點セリ。ソノ心タカヘリ。高山波雲根火雄男志等《カクヤマハウネヒヲヲシト》ト和スヘシ。ウトクトハ、同韻相通也。サレハ高麗《カウライ》ヲ、カノクニノ人ハ、カクリト云フ。シカレハ香山《カウサン》トカキテモ、カクヤマトヨム同事也。其由縁ハ、ムカシハ山川モ夫婦ノ契ヲムスヒケリ。シカルニカク山ハ、女山也。畝火山ト、耳梨山下ハ男山也。シカルニミヽナシヤマ、ハシメニカクヤマヲケシヤウスルニ、ナニトナクウケヒクケシキナリケリ。ソノヽチニ、ウネヒノ山、又カク山ヲケシケウスルニ、ウネヒノ山ハスカタモヲヽシク、ヨカリケレハ、コレニ心ウツリニケリ。ヲヽシキトイフハ、ケタカクヨキ也。サテミヽナシヤマ、サキノヤクソクニマカセテ、アハントスルニ、カクヤマウケヒカス。ウネヒノ山コレヲキヽテ、トモニタヽカフ。コレヲミツ山ノタヽカヒト云也。イマコノミウタニ、カノ本縁ヲヨマセ給トシテ、(25)カミヨヨリ、カヽルニアラシ、イニシヘモ、シカニアリコソ、ウツセミモ、ツマヲアヒウツラシキトハ、令詠給也。ウツセミトハ、ツネニ人ノ思ナラヒタルハ、セミノヌケカラヲ云トイヘトモ、コノフルキ哥トモニミエタルハ、シカニアラス。ウツセミトハ、ワカミヲウツクシム義也。ムカシハ物ヲホムルコトハニ、ウツトモ、イツトモ、ヨロツノ物ニ云ル也。難云、ウツクシム義ナラハ、タヽウツミトイフヘシ。ウツセミトイフ、セノ字ヲナカニソヘタルハ、セミトコソキコヱタレ。如何。答、イハク、セノ字ハ、タスケノコトハ也。タトヘハ、カヒ《貝》ヲ、ウツセカヒトイフカ如シ。セモシヲクハフマジクハ、タヽウツカヒトヤハイフヘキ。又ウツセカイトイフモ、ヒトヘニムナシキカヒトイフトノミトハ、コヽロウヘカラス。ウツクツキカヒトモ心ウヘキ也。又身ヲウツセミトイフニモ、ムナシキ身ト心得トモ、ヒカコトヽハイフヘカラス。ヲヨソ梵語モ和語モ、コトハヒトツニテ、アマタノ心ヲコメタルヲ、タクミナリトスル也。
私考云、幡磨(ノ)國風土記(ニ)云、香山(ノ)里(ハ)、【本名|鹿來墓《カクハカ》】土下(ノ)上(ナリ)。所3以(ハ)號(スル)2鹿來墓《カクハカト》1者、伊和大神占v國(ヲ)之時、鹿《シカ》來(テ)立(テリ)2於山1。山岑是(レ)亦似(タリ)v墓(ニ)。故(ニ)號2鹿來墓(ト)1。後(ニ)至2道守(ノ)臣|爲《タルニ》2宰之相1、乃改(テ)v名(ヲ)爲2香山(ノ)家内谷(ト)1。即是香山之谷(ノ)形(ヲ)、如2垣(ノ)廻(ルカ)1。故(ニ)號2家内谷(ト)1云々。香ヲ、カクトヨム證也。日本記第三卷云、宜v取2天(ノ)香《カク》山(ノ)社《ヤシロノ》中(ノ)土《ハニヲ》1。【香山此云。介過夜縻《カコヤマ》。】香ヲカクトヨメハ、高ヲ、カクトヨ(26)マン事不v可v疑之。伊香《イカコ》ト云姓有之。又近江國ニ伊香《イカコ》ト云所在v之。可v思v之(ヲ)。
反哥
14 イナミクニハラトイヘルハ、カノ|ミヽナシヤマ《耳梨山》ヲ、キラヒテアハサレハ、イナミクニハラト、イヘルナルヘシ。
私云、幡磨風土記云、出雲(ノ)國阿菩大神、聞(テ)2大和國畝火香山耳梨三(ツ)山相|闘《タヽカウヲ》1、此(レヲ)欲v諫(ント)山上(ニ)來(ルノ)之時、到(テ)2於此處(ニ)1乃聞2闘止(ヲ)1、覆《クツカヘシテ》2其所(ノ)v乘之船(ヲ)1而坐v之。故(ニ)號2神阜1。之《(々ィ)》形似v覆。以v之思v之、カク山ト、ミヽナシ山ト、アヒシトキ、タチテ、ミニコシ、イナ美クニハラ、トヨメルハ、此阿菩大神、播磨マテ來事ヲ云ヘルニヤ。伊奈美國ハラ、若、イナミクニハラトヨムヘキ歟。美ノ字、ミトヨメル事ハ、コモ與美コモチヲハシメトシテ、其例多之。神阜若|印南《イナミ》邊歟。以風土記猶可2了見1之。
(豐|璞《(マヽ)》雲ハ帝コノイタレル時ハ、出現スル祥雲也。雲ノ勢ノ、コニ似タル也ト云々。異説也。)
(ワタツミノコト、ワタツウミナリ。ウノ字ヲ入テ云也。次ニワタツ海トハ大海トモ書也。海ノ名也。只海路ト〓心得也。或、海底ト書テ、ワタツミトヨム也。海神トモ書也。日本紀ニ、山神ト書テ、山ツミトヨム此例歟。又云、ワタツミノ手ニマキモタルトヨメルハ、ワタムシルコトヲ、海ニヨセテ云歟。綿ヲムシル手ヲハツムト云也。然ハワタツム歟。ミトムト同音也。ワタツミノ手トツヽカスハ、海也。手トアラハ、綿ノ事也。)
15 ワタツミノトヨハタ雲ニイリヒ|ネ《サ》シコヨヒノ月ヨスミアカクコソ
コノワタツミノトヨハタ雲ハ、トヨハタクモトイハントテ、ワタツミトヲケル歟、ト云義モ侍也。一ノ義ニハ、海雲ノ古語也トモ尺セリ。當(テ)2夕日(ニ)1、雲赤色ナリ。似(タル)v幡(ニ)雲也。入日能時ハ、月光清也云々。此哥、中五文字ツネニハ、イリヒサシト點ス。二條院御本ニ、イリヒネシト點ス。漢字ステニ祢ナリ。尤入日ネシト點スヘシ。就中イリヒサシトイヘ(27)ルハ、其心オホヤウ也。ネシトイフハ、ヤハラクト云コトハナレハ、入日ヤハラヒテハ、可v屬2晴天(ニ)1コト、殊(ニ)ソノイハレアヒカナヘル也。
(江州志賀郡大津、是天智天皇ノ宮也。)
近江大津宮御宇天皇代、額田王《ヌカタノオホキミ》以v歌(ヲ)判v之(ヲ)哥
(内大臣大職冠藤原鎌足朝臣、天皇八年、授大職冠於内大臣、賜2性藤原1。)
16 フユコナリハルサリクレハト云者、イマタ、フユキノスカタニテ、ハルノクレハト云也。ソコシウラミシアキヤマソワレハトイフハ、ウラトイフハ、シタト云詞也。ソコシハ、ソコハク也。ソコハク、シタ心ニカケテミシ、アキヤマソワレハトイフハ、アキノナサケヲ、マサレリト判歌也。
額田王下(レル)2近江國(ニ)1時作(レル)歌。井戸(ノ)王即和(スル)歌
17 味酒三輪乃山云々。古點(ニハ)者、アチサケノミワノヤマト點セリ。シカレトモ、古語ニヨラハ、ウマサカトイフヘキナリ。
日本記曰、御間城入彦五十瓊殖《ミマキイリヒコイニヱ・崇神天皇也》天皇、八年冬十二月、丙申朔乙卯、天皇、以2大田々根子1、
令v祭2大(ノ)神《カミヲ》1。是日《コノヒニ》活日《・クワツニチ》擧《サヽケテ》2神酒《ミキヲ》1、献2天皇(ニ)1。即(チ)宴竟《トヨノアカリヲハリテ》之、諸大夫等《マウチキンタチラ》歌(テ)之曰(ク)、宇磨佐開《ウマサカ》、瀰和能等能能《ミワノトノノ》、阿佐妬珥毛《アサトニモ》、伊第弖由介那《イテテユカナ》、瀰和能等能渡塢《ミワノトノトヲ》。於(テ)v茲《コヽニ》、天皇歌之曰、宇磨佐階《ウマサカ》、瀰和能等能々《ミワノトノノ》、阿佐妬珥毛《アサトニモ》、於辭寐羅簡称《ヲシヒラカネ》、寐和能等能渡烏《ミワノトノトヲ》云々。
(或説云、酒ニ藤ノ花ト云異名アリ。春ヲ經テ熟シタル酒ニ、白キミノ浮テ、色ノ赤ハ、藤ノ花ノ姿ニ似タル故也。ソレヲ酒ノミトツヽクル也。)
(古語拾遺云、己貴神、大和國、上郡、大三輸神是也。又神功皇后ハ三輪明神ノ垂迹ト申コトアリキ。私云、三輪明神ノ御事説々多シ。)
(日本紀ニハ、大三輪神ハ、住2三諸山1云々。)
シカレハ如2古語(ノ)1者、ウマサカトイフヘキ也。サケヲ、サカトイフコト、五音相通ナレハ、(28)イツレモタガフヘカラス。タヽシ、モノヲヨムナライ、梵語ヨリハシメテ、和語ニイタルマテ、ムネトハ、男聲ヲモチヰルヲ口傳トス。男聲トイフハ、アカサタナ、ラ《(ィ、ラナシ)》、ハマヤラハ五音ノハシメノ字ナリ。イキシチニ、ヒミ|リヰ《・下上》○《ヘ》ヨリ以下ヲハ、ミナ女聲トイフ也。サテ、サカトイフコトハハ、サカユトイフコトハ也。酒宴ハ、ミナ人ノサカヘタノシムユヱ也。シカレハ、サカトモ、サキトモ、サクトモ、サケトモ、サコトモ、イハン、ミナオナシコトハナルニトリテ、男聲ヲモチヰルヲムネトスルユヱニ、サカトイフヘキ也。サテ古點ニ、アチサケノミワト點セルニ、ワキテ先達コレヲ尺スルニ、ヨキサケハミウカヒタレハ、アチサケノミワトツヽクルナリトイヘリ。マコトニサルカタモハヘルヘキニヤ。シカレトモ、コレハ神ノ酒ヲ、ミワトイヘハ、ウマサカ)ミワトツヽクル也。ソノ濫觴ハ、神ノ御タメニツクリタリケルサケノ、コトニメテタカリケレハ、ウマサカノミワトイフ也。神酒トカキテ、ミワト訓《クン》スルハコノユヱ也。此事士左國ノ神河《ミワカハ》水ヲモチテ、爲2大神(ノ)釀酒《カモサケト・カウジ》1タリケルカ、コトニメテタカリケレハ、カノカハノ名ヲトリテ神酒ヲ、ミワト云也。唐朝ニ、上|若村《ジヤクソソ》、中若村、下若村トイフ、三ノ村アリ。コレ一河ノ流也。而上若村ノ河水ハ最上ノ美酒也。中若村ノ川水ハ、上若村ノ酒ノ味ニヲヨハサレトモ、是美酒也。下若村ニナリタレハスヘテサケノ味ナシ。タヽヨノツネノ水也。シカ(29)レトモ、此下若村ノ水ヲモチテツクリタルサケ、餘所ノ酒ニスクレテ最上ノ美酒也。故ニ詩ニ、酒ハ是|下若村《ゲジヤクソン》ノ所v傳、傾(テ)甚美也トハ云也。コノヤウニ我朝ニトリテハ、神河《ミワカハ》水ニテツクリタルサケ、無雙ナリケル也。士左國風土記云、神河、訓《クンニ》、三輪《ミワ》川、源出2北山(ノ)之中1届2于伊興國(ニ)1水清(シ)。故(ニ)爲《スルニ》2大神(ノ)釀酒《カモサケト》1也、用2此河水(ヲ)1。故(ニ)爲2河(ノ)名(ト)1。世訓2神(ノ)字(ヲ)1爲2三輪(ト)1者、多氏古事紀(ニ)曰(ク)、崇神天皇之世|倭迹々媛皇女《ヤマトトヒメスメラミコヲ》爲2大|三輪《ミワ》大神(ノ)婦《メト》1。毎夜有(テ)2一|壯士《サウジ》1密(ニ)來(テ)曉去。皇女思(ヒ)v奇《アヤシミ》綜緩麻《ヲタマキニ》貫v針(ヲ)及(テ)2壯士之曉去(ルニ)1也、以(テ)v針貫v襴《モスソニ》1。及v旦看《アシタニミルニ》v之唯有2三輪《ミワケ》1遺《ノコル》v器(ニ)者。故(ニ)時(ノ)人稱(シテ)爲2三輪村(ト)1。社(ノ)名亦然(リ)云々。コノ由縁ノ如クハ、神酒ヲミワトイフ。彼《カノ》神酒氣味スクレタレハ、ウマサカノミワトハヨメリトエラレタリ。コレニツキテ又尋申コトハ、ウマサカノミワトツヽクルコトハ、マコトニソノイハレアリ。古歌ニウマサカノミムロノヤマナトヨメルハ、イカニトイフヲ、イツレノコトモ、モノヲイフニ、文字ヲ略スルコトツネノナラヒナリ。シカレハウマサカノミワトイフヲ、ワノ字ヲ略シテ、ウマサカノミムロトイフナリトイヘリ。今案之、ワノ字ヲ略スルモサルコトニテ、三輪トイヒ、三室トイフハ、只同事ニミヱタリ。サレハ萬葉集ノ第三卷ニ、登2神岳(ニ)1山邊(ノ)宿禰赤人作歌ニハ、三諸之神名備山ニト詠也。可思之。
(アヲニヨシナラト云コトハ、昔東大寺ノ傍程ニ、楢木ヲウフ。金鷲仙所行云々。ソレヨリ奈良ト云ナリ。アヲニヨシトハ、枝アヲク、クヲヤカニ、ウツクシキ也。ニトハ、ヤワラカナル義也。又云、震旦ノ黄帝ノコヲホメテ如2丹青畫出1云ヘシト云詞ヲ、我朝神武帝、初ヨリ以來、奈良七代超過代々ニシ玉フコトヲ、准例トシテ、丹青ト云ン、和語ニ不v叶故ニ、青丹吉奈良ト云ト云々。)
青丹吉奈良能山乃云々。コノアヲニヨシナラトツヽクルコト、先達等コレラ尺スルニ、其(30)義マチ/\ナリ。或ハ昔|ヱ《繪》カク《書》、丹ノ具ノ、アヲニヲ、ナラサカニテトリケリ。ホカノ青ニヨリモヨカリケレハ、アヲニヨシナラトイフナリトイヘリ。或ハ崇神天皇十年、秋七月丙戌朔己酉、武垣安彦《タケハニヤスヒコト》、與妻|吾田媛《アカタヒメト》、謀反逆《ミカトヲカタムケン》トシテ、師《イクサ》ヲ興《オコ》シテ、忽(ニ)至(リ)、各々道ヲ分《クハリ》テ、夫《ヲトク》ハ山|背《セ》ヨリ、婦ハ大坂ヨリ入テ、帝京襲《ミヤコヲヲソヒタテマツラント》スル時。天皇《ミカト》五十狹芹彦命《イサセリヒコノミコト》ヲツカハシテ、吾田媛師《アカタヒメノイクサ》ヲ撃《ウチ》、即(チ)大坂ニ遮テ吾田媛ヲ殺テ盡《コト/\》ニ其軍ヲ斬《キリ》ツ。復《マタ》大|彦《ヒコト》與|彦國葺《ヒコクニフク》ヲツカハシヲ山背ニ向テ、垣安彦《ハニヤスヒコ》ヲ撃ツ。以2忌瓮《イハヒヲヘヲ・イムヘ》1和珥ノ武※[金+巣]《ワニタケスキノ》坂上ニ鎭坐《シツメマサセ》テ則|精兵《シラケタルツハモノ》ヲ卒(テ)、遮(ル)2于|那羅《ナラ》山(ヲ)1、トイフ也。【委見日本記第五。】爰ニ、忌式《イムヘ》ヲ以テ、和珥ノ武※[金+巣]《タケスキ》坂(ノ)上ニ鎭坐トイヘリ。此忌瓮ハアヲジナリ。サレハ青※[次/瓦]吉那羅《アヲジヨシナラ》トハ云也。アヲニト云ハ、訛ナリトイヘリ。已上ノ義、先達等ノ尺ニテ侍ハ、此等ニテコトタリヌヘシ。但於物アマタノ義アルコト常ノ習也。所(ノ)v見(ル)一義出(ス)v之(ニ)。イマ、コノアヲニヨシナラトツヽクルコトハ、アヲニトイフハ、神ニタムケタテマツル、ヌサ《幣》ノナカニ、アヲニキデ《青幣》、シラニキデ《白幣》、トイフコトアリ、ヨリテアヲニトイフハ、アヲニキテヲイヘルコトハナリ。ナラトツヽクルコトハ、カノニキデハ、ナラ/\ト、マトハル物ナレハ、アヲニヨシナラトハイヘル也。シカルニ楢ノ木ハ、若枝若葉イツレノ木ヨリモ、シナヤカニテ、ヲノツカラ風フキキタレハマトハレヤスケレハ、アヲニヨシナラトハヨソヘツヽクル也。古語ノ諷詞ノ體、如此事傍例オホカル也。(31)サテカヤウニ楢葉ニヨソヘルユヱニ、萬葉集第十三卷ノ歌中ニハ、帛※[口+立刀]楢從出而《ミテクラヲナラヨリイテヽ》ト詠也。又古今第十八卷ニ、貞觀ノ御時、萬葉集ハ何(レノ)代撰《ヨニヱラハルヽ》乎ト被v仰ケル時、文屋(ノ)康秀、或有材、奉歌ニ、カミナ月シクレフリヲケルナラノハノ名ニオフミヤノフルコトソコレ、ト詠セルモ、ナラノハニヨソフルコトハ也。可思之。伊隱萬代《イカクルゝマテ》トイフ、伊ハ、發語ノ詞也。梵語ニハ、以2阿《ア》字(ヲ)1爲2發語(ノ)詞(ト)1。和語ニハ、以2伊字(ヲ)1爲2發語ノ詞(ト)1也。イカクルヽマテトハ、カクルヽマテ也。伊積流萬代尓《イツモルマテニ》、如v上。自餘皆|放《ナラヘ》v之。
19 綜麻形乃林始乃狹野榛《ソマカタノハヤシハツメノサノハキ》。ソマカタノトイヘルハ、林ノシケクシテ、杣山ナントノ形ノコトク、ハヤシハシムル心也。此歌ノ次ノ詞ニ、右一首歌、今案不v似2和(ノ)歌(ニ)1歟。凡ソ和ノ歌トイフハ、若ハ花ニモアレ、月ニモアレ、ヨロツノコトニヲイテ、先ツ詠スル人ノヨメル題ヲ、同シク詠ヌルヲ、和ノ歌トハイフヘシ。和トイフハ、答(ル)義加(ル)義也。而今額田ノ王ノ歌ハ、長歌ニモ、味酒三輪乃山ヲ、コヽロナキ雲ノカクセルヨシヲ詠ス。反歌又同(シ)2長歌之意(ニ)1。次(ニ)綜麻形乃林始《ソマカタノハヤシハシメノ》乃歌ハ、井戸王|詠《和ィ》スル歌トキコエタリ。而(ニ)前ノ長歌、反歌ノ心ニアラサレハ、不v似2和(スル)歌(ニ)1云也。
(蒲生郡、近江國也。)
天皇、遊2※[獣偏+葛]《カリシタマフ》蒲生野(ニ)1時、額田王作歌
(天子ヲハ、月ニタトヱ奉リテ、照ル日ノ光ナトヨムコト、常ノコト也。)
20 茜草指武良前野逝標野行《アカネサスムラサキノユキシメノユキ》云々。釋(スルニ)2此歌(ヲ)1、アカネサストイフハ、天皇ノミユキナルカユヱニ、(32)ミカトヲハ、日ニタトヘタテマツレハ、ミユキナレルヲアカネサストイフ也。次ニムラサキノハ、山城也。シメノハ、大和也。彼御遊※[獣偏+葛](ノ)間、ムラサキ野、シメ野ヲモユキメクリ給トイフカト尺セリ。此義シカルヘシモオホエス。或ハムラサキノヽ、シメノヽ、蒲生野ニアリトイヘリ。コレハサモトキコユ。サテアカネサストイフ發句ハ、帝《ミカ卜》ヲ日ニタトヘタテマツレハ、ミユキノナルヲ、アカネサストヨソヘム、サルコトモハヘルヘキ歟。タヽシ、コレハ古語ノヨソヘコトハノサマヲミレハ、ムラサキハ、根ヲ用トスルモノナリ。ソノ根、アカキ物ナレハ、アカネサス紫トツヽケタル也。紅紫淺深アリトイヘトモ、同赤色ノ攝也。サレハ字訓ノ所ニモ、紅ヲハ淺赤トカキ、紫ヲハ深赤トカケルハ此義也。皇太子ノ答《カヘシノ》御歌ニ、紫ノニホヘルイモヲトツヽケ給ヘルモ、アカキヲ、丹トイフコトアレハ、ムラサキノニホヘルトハ、令詠給也。
22 河上乃湯都盤村二草武左受常丹毛冀名常處女煮手《カハカミノユツハノムラニクサムサスツネニモカモナトコヲトメニテ》
(湯都盤村、伊勢國。)
湯都盤村ハ、所名也。ユツハトイフハ、ユト、イトハ相通ナレハ、ユツトハ、イツハトイフ、同事也。川上ハミツノイツレハカハカミノユツハトイフ。又ヅハトイフハ、ケナトモオヒスシテ、ツルメキタルコトハ也。ヅバイモヽトイヒ、ツバキナトイフハ、此義也。ユツリタルコトハ也、ユツリハナントイフモ又同シ。クサムサストイフハ、クサノ(33)不生也。サレハカノユツハノムラノクサモ、オイサルカ如ク、ワレモツネニ、トコオトメニテ、君ニツカヘンコトヲ、コヒネカヒテ、吹黄刀自《フキトシ》カヨメル歌也。
私云、湯都盤村ハ、非2所名1歟。可v勘v之。盤村歟、如何。波多(ノ)横山、何(レノ)村(ニ)有v之云々。
23 打麻乎麻續王白水郎有哉《ウツアサヲオミノオホキミアマナレヤ》
ウツトイフハ、モノヲホムル詞ノ隨一也。ヨキアサヲト、云コトハナリ。
25 天皇御製歌詞中、隈毛不v落《クマモオチス》。クマトイフハ、ヤマノユキアヒテ、イリタル所也。洞也。不落ハ、サケズト云詞也。
時自久曾《トキシクソ》、シクハ、シケキ也。時シケクト云也。
私云、日本記第六|活目入彦五十狹茅《イクメイリヒコイサチノ》天皇【垂仁天皇】九十年春二月庚子朔(ニ)、天皇|命《ミコトノリシテ》田道間守《タチマモリニ》1、遣(テ)2常世《トコヨ》國(ニ)1、令v求2非時香菓《トキシクノカクノミヲ》1。【香菓此云|箇倶能未《カクノミ》】今謂v橘(ト)也。九十九年秋七月戊午朔、天皇崩(ス)3於2纒向《マキモクノ》宮(ニ)1、時《トキニ》年《トシ》百四十歳。冬十二月癸卯朔壬子、葬(ル)2於菅原(ノ)伏見(ノ)陵《ミサヽキニ》1。明(クル)年春三月辛未朔壬午、田道間守《タチマモリ》至(レリ)v自2常世國1。則|賚物《モチテイタルモノ》也|非時《トキシクノ》香菓、八竿《ヤホコ》、八縵《ヤカケ》焉。田道間守《タチマモリ》於v是、泣悲《イサチテ》歎《ナキカナシミ》(テ)之曰、受《ウケタマテ》2命《オホムコトヲ》天朝《ミカトニ》1、遠(ク)往《マカル》2絶域《ハルカナルサカイニ》1。萬里《トヲク》踏《フンテ》v浪(ヲ)、遙《ハルカニ》度(ル)2弱水《ヨワノミツヲ》1。是常世(ノ)國(ハ)、則|神仙秘區《ヒシリノカクレタルクニ》、俗《タヽヒトノ》非v所v臻《イタラン》。是以(テ)往來《カヨフノ》之間(ニ)自(ニ)經(ナムヌ)2十年(ニ)1。豈|期《オモヒキヤ》、獨|凌《シノキ》2峻瀾《タカキナミヲ・シュンラン》1、更(ニ)向《マウテコントイフコトヲ》2本土《モトノクニニ》1號《(マヽ)》。然(ヲ)頼2聖帝之神靈《ヒシリノミカトノミタマノフユニヨリテ》1、僅(ニ)得2還來《カヘリマウケリ》1。今天皇既(ニ)崩(テ)不v得2(34)復命《カヘリミコト申コト》1、臣雖(トモ)v生之亦(タ)何|益《シルシ》矣。乃|向《マイリ》2天皇(ノ)之陵(ニ)1、叫哭《オラヒナケキテ》而自|死之《ミマカレリ》。群臣聞(テ)皆|流v涙《カナシフ》。田道間守、是(レ)三|宅《ヤケノ》連之始祖也。以之案之、時自久曾雪者落等言《トキシクソユキハフルトイフ》ト云々。非時、雪ハフルト歟。依之次下ニ其雪不時如《ソノユキノトキナラヌコト》トヨメリ。非時之儀無疑歟。無間曾雨者落等言《ヒマナクソアメハフルトイフ》ト云ハ、ヒマナクシケキ儀、時シクハ、非時趣也。能々可思之。第三卷、赤人|不士山《フジノヤマ》歌云、白雲母伊去波伐加利時自久曾雪者落家留《シラクモモイユキハハカリトキシクソユキハフリケル》云々。コレモ、非時雪ノフル義歟。可思之。
過《スクルノ》2近江荒都(ヲ)1時、柿本朝臣人麿、作歌詞中
(畝火山、太和國。)
29 玉手次畝火之山乃橿原乃日知之御世從《タマタスキウネヒノヤマノカシハラノヒシリノミヨヨリ》
タマタスキトイフコト、此卷ノ中、舒明天皇幸2讃岐(ノ)國安益郡《アヤノコホリニ》1之時、軍王《イクサノオホキミ》、見(テ)v山(ヲ)作(レル)歌ノ詞ノ中ニ、珠手次懸乃宜久《タマタスキカケノヨロシク》ナトヨメルハ、人ノカクルタスキト、キコエタリ。今ノ歌ノ、玉|手次《タスキ》ハ、コトハヽオナシケレトモ、シカニハアラス。コレハ耕《クサキルノ》v田(ヲ)詞也。ウネヒノヤマヲ、イヒイタサムタメニ、タマタスキトハヲケル也。田ニ畝アルカ故也。タマハ、物ヲホムルコトハ也。順和名ニ尺畝字、引唐令云、諸田、廣(サ)一歩、長(サ)二百四十歩爲畝。畝百、爲頃。去頴反。今案者、今之法、六町六段、二百四十歩也。
私云、論語第一云、子曰、導《ミチヒク》2千乘(ノ)之國(ヲ)1。馬融(カ)曰。導(ハ)者謂(ノ)v爲(スルヲ)2政教(ヲ)1也。司馬|法《(マヽ)》六尺爲(35)v歩(ト)。々百爲v畝(ト)。々百爲v夫。々三爲v屋(ト)。々三爲v井(ト)。々十爲v通(ト)。々十爲v城(ト)。々出2革車《・カクシヤ》一乘1。然則千乘之賦、其地千城也。居地、方三百一十六里有v奇。唯公侯(ノ)之封乃(チ)能(ク)容《イレ》v之(ヲ)。雖(トモ)2大國(ノ)之賦(ト)1、亦不2是(ニ)過(キ)1焉。馬融(ハ)者依2周禮1云々。畝(ハ)者、百歩歟。
橿原乃日知之御世從《カシハラノヒシリノミヨユ》ト者、大日本國、人代第一帝、神武天皇、三月辛酉朔、丁《壬歟ィ》ニ|ミコトノリ《令》ヲ|クタサシメ《下》テ、ノタマハク《曰》、ワレ《我》ヒムカシ《東》ヲ|ウチ《征》シヨリ、コヽニ《於茲》六年ニナリニタリ。マサ《當》ニ山林ヲ|ヒラ《披》キ|ハラ《拂》ヒ、宮室《ヲホミヤ》ヲ|オサメツクリ《經營》テ、ツヽシミ《恭》テ寶位ニ|ノソ《臨》ミテ、ミタカラ《元もと》ヲ|シツ《鎭》ムヘシ。觀《ミレハ》夫畝傍山東南《カノウネヒヤマノタツミノスミ》ノ、橿原《カシハラ》ノ地《トコロ》ハ、ケタシ《蓋》國ノ墺區《モナカノクニ》リ。ミヤコ《可洛》ヲツクルヘシ。コノ《是》月スナハチ、ツカサ《官司》/\ニオホセテ、經2始《ツクリハシム》帝宅《ミヤコヲ》1、故(ニ)古語(ニ)稱(テ)マウシテ|イハク《曰》、ウネヒノカシハヽラ《畝傍之橿原》ニシテ、シタ《底》ツ|イハネ《磐根》ニ宮ハシラ《柱》、フト《太》シキ|タテ《立》ヽ、タカマノハラ《高天之原》ニ、チキタカシリ《峻峙榑風》テ、ハツクニシラス《始馭天下》、ヽメラミコト《天皇號》ヽ云リ。委見日本記第三。
阿礼座《アレマシ》師ト者、ムマレマシマストイフコトハ也。オヨソアラストイフハ、ヲラスト云詞也。胎内ニハラマレタルコ、ムマレイツルハヲル義也。シカレハ、アレマシヽト云也。神之書樛木乃彌繼嗣尓《カミノアラハストカノキノイヤツキ/\ニ》、此句如古點者、カミノシルセルマカリキノ、イヤツキ/\ニト點ス。或本ニハ、ツケノキノト和ス。樛字、ツケト和センコト未(タ)v知2謗例1。何今勘2合(テ)其心(36)詞(ヲ)1、カミノアラハス、トカノキノイヤツキ/\ニト點スル也。玉篇、書(ノ)字(ニ)注v之、書(ハ)者、著《チヨ・アラハス》也ト云ヘリ。故(ニ)カミノアラハスト和スルナリ 神ハ、人ノヲカシアヤマチヲ、トカメ給モノナレハ、神ノアラハストカノキノトハ、ヨソヘツヽクルナリ。次ニ、樛ノ字、トカト和スルコト、勘之者、玉篇云、樛《キウ》居秋切。詩曰、南有v樛木、木(ノ)下曲曰v樛。※[木+斗]《※[木+立刀]歟》同v上。爾雅云、下|勾《マカレルヲ》曰v※[木+斗]《※[木+半]ィ》(ト)。唐韻下聲卷第二云、樛、説文云、下|勾《曲ィ》云v樛(ト)。詩曰、南樛木傳云、木(ノ)下曲也。居※[木+半]切。シカレハ樛木ヲトカノキト和也。自(ラ)勘(ルニ)2和語(ヲ)1、トカトイフハ、モトマカレルトイフコトハ也。トヽイフハ、モト、カトイフハ、カヽマレル義也。次勘2傍例(ヲ)1者、此集(ノ)中ニ、トカノキノイヤツキ/\ニトヨメル歌、兩三首有之。傍例明白ナル歟。青丹吉平山《アナニヨシナラヤマ》乎|超《コヘテ》。此句古點者、アヲニヨシ、ヒラヤマヲコエテト點ス。アヲニヨシナラ、ツネノコト也。不v可v有2相違1。
(那羅山、太和國。)
(アマサガルトハ、遠キ田舍ハ、天ニマカヒテミユル故ニ、アマサカルト云々。)
天離夷者雖有《アマサカルヒナニハアレト》。コノコトハアマサカルヒナト〔八字左○〕、ヨムヒトオホキ歟。コノ字聲ニヨリテ、ヰナカハ、ユクスヱハルカナレハ、ソラノヒキクミユレハ、アマサガルトイフ。ヒナトハヰナカヲイフナリト申也。コノ義不v尓歟。日本記ノ歌ハ、ミナ文字ノ聲ヲサシタルニ、アマサカルヒナ〔七字左○〕トサシタル也。コノ心ハ、ヒナトハヰナカヲイフ。コノヒノ字ヲイヒイテンタメニ、アマサカルト、上《カミ》ニヨソヘヲクコトハ、日ノソラヲメクリ給コト、カ(37)ミスチヒトツヲキルホトモ、ヨトミ給コトナク、長時不斷ニ空ヲサカリユキ給ヘハ、アマサカルヒナトハ申也。古語ノ諷詞ノナラヒ、一字ヲトランタメニ、物ノ名ヲ上句ニヲクコト、常ノ習也。イトイハントテ、シラマユミイソヘトモイヒ、ウ《鵜》トイハントテ、シマツトリ、ウカヒナトイフカコトシ。
百磯城之大宮處《モヽシキノオホミヤトコロ》。大内ニハ、百官ノ直廬ノヤシキアレハ、モヽシキトイフ也。大宮ハ、内裏也。但、上皇ノ御所ヲモ云云々。
34 白浪乃濱松之枝乃手向草幾代左右二賀年乃經去良武《シラナミノハママツカエノタムケクサイクヨマテニカトシノヘヌラム》。一云、年者經尓計武《トシハヘニケム》
(藏玉ニ云ク、手向草ハ、松ノ一名也。如何。)
此歌、第一二句、シラナミノハマヽツカエト、ツヽケタルコトオホツカナシ。普通ニハ、シラナミノヨスルハマト、イハントテツヽケタルヤウナルニヤ。タヽシソノ義ナラハ、オホヤウナルヘシ。コレハ和語ノ心ニヨラハ、ハトイフハ、白キコトハ也。マトイフハ、マハレルコトハ也。ヨリテハマトイフニ、シロクメクリタリトイフ心コモリタレハ、シラナミノハマヽツトツヽケタルナルヘシ。第三ノ句、或ハタムケクサト點シ、或ハスマイクサト點セリ。後ノ點ハ手向草《スマイクサ》トハ、手ヲムカウトカキタレハ、スマヒコソ兩人イデムカヒテ、マツテヲアハスルモノナレハ、スマヒクサトイヘルハ、コレ推點歟。タムケクサ、常事也。コノ點ニツキテ、タムケクサトハ、神ニタテマツレルモノ也。神ニタテ(38)マツルモノヲ、松ノ枝ニカケヲキタレハ、濱松カエノタムケクサトヨメル也トイフ也。此義常ノ事也。アシカラス。
常陸國風土記ニ、香嶋郡ノ舊聞異事ヲ注ストコロニ、海上安是之孃子《ウナウヘノアセノヲトメカ》歌(ニ)曰、伊夜是留乃阿是乃古麻都尓由布悉弖々和乎布利弥由母阿是古志麻波母《イヤセルノアセノコマツニユフシテヽワヲフリミユモアセコシマハモ》云々。是ハ、ハマヽツカヱノタムケクサナトヨメラン、オナシコトヽキコエタリ。シカルヲ古老ノ口傳ニ、ハマヽツカエノタムケクサトイフハ、女蘿ヲイフナリ。サレハコソ、石松ニ女蘿ノカヽリタルヲ詠ストミテ、ハマヽツカヱノタムケクサ、イクヨマテニカトシノヘヌラントイヘルハ、コトハリアヒカナヒテ、キコユル事ナレト申也。シカルヲ是ヲキヽチ、ウタカヒナスヒトノイハク、コトハリハ、マコトニアヒカナヒテキコユ。タヽシ女蘿ヲハ、マツノコケトモ、ヒカケカツラトモイヘルコトハミヱハヘリ。タムケクサトイヘル證據アルニヤトタツヌル事也。誠ニ證據ハ分明ニ注出タルモノ未見及之。然而此義古老ノ傳説也。道理アヒカナヒタルハサモヤトキコユ。無(シテ)v文有(ルハ)v義智者(ノ)用v之(ヲ)ノコトハリ、一旦ニ難(キ)2棄(テ)置(シ)1歟。今又以2和語之趣(ヲ)1案v之、タムケトイヘルハ、タハ、手ノ義、ムハ、高キ義、ケハ、毛髪ノ義也。然レハカノ女蘿、テナカクシテ、タカキ木ノ枝ニカカルトキコヱタリ。故和(スル)2手向草(ト)1コト相2諧(ヘル)語(ニ)1歟。古今ノ物名ノ所ニ、サカリコケトヨメル、即コレナルヲヤ。又古老(39)物語云、村上天皇ノ御宇、天暦五年十月晦日、勅(シテ)2梨壺(ノ)五人(ニ)1、令v和2萬葉集(ノ)歌(ヲ)1、而(ルニ)至(テ)2今(ノ)歌第四句、幾代左右二賀之《イクヨマテニカノ》句(ニ)1、難(シ)v和v之(ヲ)。仍源(ノ)順參2籠石山(ニ)1、可v和2此歌(ヲ)1才智可v蒙2示現1之由、令v祈2請觀音(ニ)1。經《フル》2七ケ日夜(ヲ)1、然而|敢《アヘテ》無2示現1。然間起(シテ)2退心(ヲ)1欲v歸(ント)2京宅(ニ)1。其夜旅2宿(シテ)大津(ノ)邊(ニ)1、及2曉天1、隣家旅人出立見(ルニ)之、旅客ノ主人トオホシキモノ、付(ル)2馬(ニ)荷(ヲ)1有2一(リノ)卑《ヒ》夫1、以2片手(ヲ)1抑《ヲサウ》2之(ヲ)1。主人云ク、マテヲモテ可v抑(ウ)云々。於v是順得2其意(ヲ)1。イクヨマテニカトコレヲ和ス。サヲ此集ノ中ニ、マテトイフコトニハ、或ハ左右トカキ、或ハ二手トカケルハ、ミナ此義也。
私云、濱成式(ニ)云、旨羅那美能《シラナミノ》一句、波麻々都我延能《ハママツカヘノ》二句、他牟氣倶佐《タムケクサ》三句、伊倶與麻弖尓可《イクヨマテニカ》四句、等旨能倍尓計牟《トシノヘニケム》五句。此式(ハ)者光仁天皇(ノ)御宇寶龜三年五月七日云々。順等定(テ)令2存知1歟。既(ニ)伊倶與麻弖尓可《イクヨマテニカ》云々。左右ヲマデト云義理ハ雖v不v知v之、此歌第四句、イクヨマテニカト可v讀之條ハ、無2不審1歟。但今集ニハ川嶋皇子、或云、憶良云々。今式云、如角沙弥|紀《キノ》濱(ノ)歌(ト)曰云々。可v考v之。手向草、非(ス)2女蘿(ニ)1。別ニ松蘿有v之云々。
幸2于吉野宮(ニ)1之時柿本朝臣人麿作歌詞中
(吉野、秋津野、瀧宮、已上紀伊國。)
(カミサヒトハ、物ノタヽル也。夷ナトノ祟ト云、同事也。神サフトモ云。神宿ト書也。)
36 澤二雖有《サハニアレトモ》トイヘルハ、オホクアレトモト云詞也。日本記ニ、多字ヲ、サハトヨメル也。反歌ニ常滑乃絶事無久復還見牟《トコナメノタユルコトナクマタカヘリミム》。トコナメトイフハ、ツネノ、ナメラカナルイハホ也。次長歌ノ詞ノ中ニ、神長柄神佐備世須登《カミナカラカミサヒセスト》云々。カミナカラトイフハ、日本記第廿五卷中(40)ニ惟神《カミナカラモ》、惟神者謂d隨2神(ノ)道(ニ)1亦(タ)自《ヲ》有v神(ノ)道(ヲ)u也。カミサビセストイフハ、カミサヒストイフ也、オトコサヒ、ヲトメサヒナトイフカコトシ。セストイフ、スノ字ハコトハノ助也。カミスサヒセザルトイフニハアラサルヘシ。高殿トイフハ、樓閣也。カサナラスシテ、タヽオホキニツクルヲハ、大殿トハイヘトモ、タカトノトハイフヘカラス。
疊有青垣山々神乃《タヽナハルアヲカキヤマノヤマカミノ》。タヽナハルトハ、カサナレルトイフ也。山ハ、似(タリ)2屏風(ニ)1ナトイフ心也。屏風ノ如クニ、タヽナハレル也。山神《ヤマツミ》、如(ンハ)2古點(ノ)1者、ヤマカミト點セリ。是不v宜。ヤマツミトイフ詞也。
遊副川之《ユフカハノ》、ヨシノニアルカハノ名也。カシコニハ、ユカハトイフトカヤ。コレオナシコトカ。
山川母依弖奉流神乃御代鴨《ヤマカハモヨリテツカウルカミノミヨカモ》トイフハ、ヤマニアルカハヲ、ヤマカハトイフコトハニハアラス。ヤマモカハモ、ヨリテツカフル、カミノミヨトイフコトハ也。此ハカミニイヒツラネタル、ヤマツミノ、タツルミツキト、ハルヘニハ、ハナカサシモチ、秋タテハ、モミチカサセリトイフハ、山神ノマモリメグミテ、タテ給ミツキ也。ユフカハノカミモ、オホミケニ、ツカヘマツルト、カミツセニ、ウカハヲタテ、シモツセニ、サデサシワタシトイフハ、河伯ノマモリメクミテ、タテ給ミツキ也。此ヲフサネテ給フ詞ニ、ヤマカ(41)ハモヨリテツカフルトハ詠也。
(持統天皇也。)
幸2于伊勢國(ニ)1時留(リ)v京(ニ)柿本朝臣人麿作歌
(嗚呼見乃浦、伊勢國。)
40 嗚呼見乃浦尓船乘爲良武※[女+感]嬬等之珠裳乃須十二四寶三都良武香《アミノウラニフナノリスラムヲトメラカタマモノスソニシホミツラムカ》
此歌、頭句、古本ニハ、ヲミノウラト點セリ」 コレハ不v被v和2呼字1。又或本ニハ、ヲコミノウラト點ス。是(ノ)和(ノ)文不v宜。コレヲアミノウラト和スヘシ。嗚呼、兩字、アトヨム常事也。サレハ五節ノ|カタヌキ《肩脱》ノ夜、アヽ《嗚呼》トイヒモテ舞フヲハ、カラスナキ《嗚呼》ノ夜トイフトイヘリ。就中今歌者、尤可v云2網《アミノ》浦(ト)1也。此集弟十五卷、當所誦2詠古歌(ヲ)1云、安胡乃宇良尓布奈能里須良牟乎等女郎我安可毛能須素尓之保美都良武賀《アコノウラニフナノリスラムヲトメラカアカモノスソニシホミツラムカ》。此歌ノ注(ニ)云(ク)、柿本朝臣人麿歌云、安美能宇良《アミノウラ》。又云、多麻母能須蘇尓《タマモノスソニ》。此者指(ス)2今(ノ)歌(ヲ)1也。又第三ノ句、或本ニハ和(ス)2之(ヲ)都末度毛能《ツマトモノト》1、而(ルニ)當所誦2詠古歌(ヲ)1之習、以2替句(ヲ)1注出(ス)。於(テ)2不替句(ニ)1者不v擧v之(ヲ)。故ニ、今ノ歌ノ中ノ五文字、コレヲオトメラカトイフヘキ也。
(手節崎、伊勢國。)
41 劔著手節乃崎二今毛可母大宮人之玉藻苅良武《タチハキノタフシノサキニケフモカモオホミヤヒトノタマモカルラム》
此歌ノ第一二句ノツヽケヤウハ、タフシノサキハ、所ノ名也。コノタフシノコトハヲ、イヒイテンタメニ、タチハキノトイフ諷詞ヲカミニヲケルナリ。タフシトイヘルハ、タハ、コトハノ上ノ助ケ、フシトイフハ、モノヽフシトイフコトハ也。モノヽフシハ、ア(42)シキトモカラヲ、降伏スレハ、モノヽフシトイフナルヘシ。モノヽフトイフモ同シ事也。モノヽフハ、帶劔ノ器ナレハ、タチハキノ、タフシト、ツヽケタル也。
(伊良虞嶋、志摩國。)
(牛窓、肥前國。)
42 潮左爲二五十等兒乃島邊榜船荷妹乘良六鹿荒島廻乎《シホサイニイラコノシマヘコクフネニイモノルラムカアラキシマワヲ》
シホサイ、一義云、ウミノシホ、サシミチテヰタルヲ云ナリ。一義云、シホサキ也云々。キト、ヰト同韻相通ノ義歟。自本|○《・多木》《(ィ、多木ナシ)》兩義ナリトイヘトモ、今ノ歌ノ心ニテハ、シホノサシミチタランハ、フナノリセンコトタヨリナルヘシ。心クルシク思ヤルヘキニアラス。シホサキヲ、シホサヰトイハムコトハ、此歌ノ心ニカキアヒテキコユ。シホサヰハ、ナミアラキコトニヨメルコト、此集ノ中ニ傍例非一。第三卷歌中云、鹽左爲能浪乎恐美淡路島磯隱居而《シホサイノナミチカシコミアハチシマイソカクレイテ》云々。第十一卷云、牛窓之浪乃鹽左猪島響所依之君尓不v相鴨將有《ウシマトノナミノシホサイシマヒヽキヨラレシキミニアハスカモアラム》。第十五卷(ニ)、之保非奈波麻多母和礼許牟伊射遊賀武於伎都志保佐爲多可久多知伎奴《シホヒナヽマタモワレコムイサユカムヲキツシホサイタカクタチキヌ》云々。以此等、可思合也。
43 吾勢枯波何所行良武己津物隱乃山乎今日香越等六《ワカセコハイツチユクラムヲキツモノカクレノヤマヲケフカコユラム》
隱ノ山ハ、伊勢國也。此歌ノ、中ノ五文字、古點、ヲノツモノ也。其意不分明歟。仍今、オキツモノカクレノ山ト、和之。オキツモ《沖津藻》ハ、カクレタル物ナレハ、オキツモノカクレノ山ト、ヨソヘツヽクヘシ。サレハ此集ノ第十一卷ノ歌ニモ、ヲキツモヲ、カクサフナ(43)ミノ、イホヘナミナトヨメリ。タツタ山ヲヨムニモ、ヲキツシラナミタツタ山トヨメルカコトキ也。
先年ノ比、常陸國ニテ、アルサカシカリシ老僧ノ、古修學者ニテ侍リシカ、算道ノコトトモナトカタリ申シナカニ、算術ノ筆籍ノ中ニ、己算畢《コサンヒ》トカケルハ算《算用ノコト也》ニヲキヲハリヌトイヘル也。乃至金銀綿布、或ハ五穀等、納所《ナツシヨ》、若ハ、下行帳等ニ書連、員數畢テ、已上何十何兩等カケルハ、ヲキアケテ、イクラトイヘルコトハ也云々。
44 去來見乃山《イサミノヤマ》、ヲナシク伊勢國也。
(輕皇子トハ、文武天皇也。)
輕皇子《カルノオホキミ》宿(ル)2于|安騎野《アキノニ》1時柿本朝臣人麿作歌詞中
(太敷トハ、大ニ作ラレタルト云心也。大ニ作ラレタル都ヲ置テ、泊瀬山ニ、御旅宿アルトノ義也。)
(坂烏トハ、秋ノ小鳥ヲ云也。)
(籏薄トハ、或説曰ク花薄歟。又云、穗ノ出テ、籏ヲサシアケタルヤウナル薄ヲ云リ。童蒙云、ハタスヽキトハ、アキノシノスヽキヲ云也卜云々然ハ、常ノスヽキノ、穂ニ出ヌサキヲ、シノスヽキト云、穗ニ出タルヲ籏薄ト云也。)
45 隱口乃泊瀬山《コモリクノハツセノヤマ》者、此詞如古點者、或ハカクラクノハツセノヤマ、或ハカクレクノハツセノヤマ、或ハコモリエノハツセノヤマ、今檢2此和(ヲ)1不v相2諧古語(ニ)1。コモリクノハツセノ山トイフヘシ。此以v何得(ン)v知(ルコトヲ)者、此集第十三卷歌ノ中ニ兩所在之。一所云、己母理久乃泊瀬之河之《コモリクノハツセノカハノ》、上瀬尓伊杭乎打《カミツセニイクヒヲウチ》、下湍尓眞杭乎挌《シモツセニマクイヲウチ》云々。又一所歌注云、己母理久乃波都世乃加波乃《コモリクノハツセノカハノ》、乎知可多尓伊母良波多々志《ヲチカタニイモラハタヽシ》、己乃加多尓和札波多知弖《コノカタニワレハタチテ》云々。因(テ)檢2日本記(ヲ)1曰。大泊瀬幼武《オホハツセワカタケノ》天皇六年春二月壬|子《(マヽ)》乙卯《四日》天皇遊2乎泊瀬(ノ)小野(ニ)1觀《ミソナハシ》2山野(ノ)之|體勢《ナリヲ》1、慨然興感歌《ナケキテミオモヒヲオコシテ》曰、擧暮利矩能播都制能野磨播《コモリクノハツセノママハ》、伊麻?智能與廬斯企野磨《イマタチノヨロシキヤマ》、和斯里底能與廬斯企夜磨能《ワシリテノヨロシキヤマノ》、據暮(44)利矩能播都制能夜磨播《コモリクノハツセノヤマハ》、阿野※[人偏+尓]于羅虞波斯《アヤニウラコハシ》、阿野※[人偏+尓]于羅虞波斯《アヤニウラコハシ》云々。而多ク以テ、カクレノト和ス 末v見2其據(ヲ)1。凡隱ノ字、或ハカクレト訓ス。島|隱《カクレ》磯隱等ノ如キ也。或ハシノヒトヨム。隱男等ノ如シ、或ハコモリト訓ス。冬|隱《コモリ》、眉《マユ》隱等ノ如キ也、ミナコレソノヨミアリトイヘトモ、コトニヨリトコロニシタカヒテ、コレヲヨム。至(テ)2隱口泊瀬山(ニ)1者、カクレシノヒ等ノ訓不v可v用之。眞名假名歌ノ所ニ不書之故也。又或所者、コモリエト訓ス。ソノ心ヲエス。凡書2此詞(ヲ)1事、或隱來、或隱國、或隱久、或ハ隱口等也、然者|來《ク・キタル》國《ク・クニ》久《ク・ヒサシ》口《ク・クチ》、皆是、クトヨマシメムカタメ也。江ト者、若口ノ字ノ草大ニシテ亂江歟、次尺2其詞意(ヲ)1者、長谷トカケルハ正字也。和語ノ習、一字ニヲイヲアマタノ心アル中ニ、ハトイフニ、ナカシトイフ心アリ。セハ、セハキ也。サレハハセトイフハ、ナカクセハシトイフコトハ也。シカルヲハツトイヘル、ツハ詞ノ助也。泊瀬トカケルハ、ソノ訓アタレルユヘニコレヲカク假宇也。ハツセトイフハ、無2別(ノ)風流1。ナガタニトイフコトハ也。カミノ諷詞ニコモリクトヲケルハ、ハツトイフ詞、恥ル義ニカヨヘハ、コモリクノハツトイヘル也。タトヘハ羽束ハ、ハツカシノモリトイフヲモ、ハツルコトハニヨソフルカコトシ。又或所(ニハ)海小船泊瀬ト書。コレニヨリテハツトイフハ、西國(ニハ)者小船調2之(ヲ)波都《ハヅト》1云々。然而此義又別尺歟。泊字訓之波郡者、極義也。布称波弖々等云是也。有2此諷詞1故(ニ)、且《マタ》云2海(ノ)小船(ヲ)泊(45)瀬(トハ)1者乎。安騎野ハ、大和國也。吉野山ノカタニアリトイヘリ。文武天皇(ノ)父、草壁之皇子、カノアキ野ヲオモシロカラセ給テ、オリフシニハ行啓アリケル也。ソノ御アトヲシノヒ給テ、文武天皇イマタ皇子ニテオハシマシケルトキ、ワタラセ給テ、御夜宿アリケルヘシ。カノミチノアヒタ、ハツセヤマヲトヲラセオハシマシケルトキコエタリ。坂鳥トハ、サカノウヘヨリ、朝《アシタ》ニトリノワタルヲ、アミヲハリテトルヲ、坂鳥トイフ。
三雲落阿騎乃大野《ミユキフルアキノオホノ》トヨメルハ、カナラスシモ、ソノトキニユキノフリタリケルニハアラサルニヤ。アキトイフコトハノ、アカキニカヨヒタレハ、雲ノフリヌレハ、アキラカナルニソヘテ、ミユキフルアキノオホノトハヨメル也。タヒヤトリセス、ムカシオモヒテ、トイフハ、タヒヤトリストイフコトハ也。セハ、詞ノ助ナルヘシ。
短歌
46 阿騎乃乃尓宿旅人打靡寐宿良自八方古部念尓《アキノノニヤトルタヒヒトウチナヒキイモネラシヤモイニシヘオモフニ》
初ノ句オホクハ、アキノヽニト點セリ。然而古歌ノナラヒ五文字ノ句カナラスシモ、五字ナラス。四宇ヨメルコトコレオホシ。此集ニモミヱタリ。日本記風土記等ノ歌ニモオホカルヘシ。ウチナヒキトハ、ヌルヲイへル也。イニシヘ)コトヲオモフニ、イモネラレシヤモトヨメルナリ。
(46)47 眞草苅荒野者雖有葉過去君之形見跡曾來師《マクサカルアラノニハアレトハスキユクキミカカタミノアトヨリソコシ》
古點ニハ、マクサカルアラノハアレトハスキサルキミカカタミ)アトヨリソコシ云々。ミクサトイフハ、スヽキ也。長歌云、ハタスヽキ、シノヲオシナミトヨメリ。第二旬、アラノハアレトヽ云テハ、其理分明ニキコエス。アラノニハアレトヽキコエタリ。ヨリテ、ニノ字ヲ點シイレタル也。葉過去《ハスキユク》トイヘルハタヽコトノハ也。カノ|ヒナメノミコ《・日並皇子》ノ、フルコトニナリタマヒタレハ、葉スキユクトヨメルナリ。スヽキカルホトノアラノニテハアレトモ、キミカカタミノ、アトヨリキタリタマヘルトイヘルナルヘシ。
(吾妻野、太和國。)
48 東野炎立所見而《アツマノヽケフリノタテルトコロミテ》、アツマノトハ、東國ノ野ヲコソ申侍ルニ、此野ヲアツマノトヨメルイカニト侍ニカ。モシアツマウトヲイフニモ、邊鄙ノアツマナトイフコトモ侍レハ、コノ野モミヤコニアラサル、イヤシキ野トイハントテヨメルニヤ。
(藤原宮、太和國高市郡。)
(持統天皇也。)
(太和國ノ上ニ諸國ノ民ヲメシテ、宮造セントノ義也。)
50 藤原宮之|役民作歌《エタスタミノツクレルウタ》詞中
荒妙乃藤原我乎倍尓《アラタヘノフチハラカウヘニ》。コレハ藤トイハントテ、アラタヘトイフ諷詞ヲカミニヲケリ。フチノハナハ、イタクコマヤカニモアラヌモノカラ、ウツクシケレハ、アラタヘノフチトイヘリ。布ノ衣ヲヨメルニモ、アラタヘノヌノキヌヲタニキセカテニトイヘル、コレニオナシキカ。
(47)食國《ヲシクニ》トハ、オホヤケニ、ミツキモノソナフル國ヲ云也。惣シテ國ヲ云也。
(田上山、近江國。)
磐走淡海國之衣手能田上山之《イハハシルアフミノクニノコロモテノタナカミヤマノ》トツヽケタルハ、淡海國トイフハ、アハウミノクニトイフコトナレハ、イハヽシルミツハ、アハノタツモノナレハ、ヨソヘツヽクル也。アワウミトハ、シホウミニハアラサル水海ナレハ、アワウミトイフ。衣手能タナカミヤマトツヽケタルハ、衣ノ袖ハ、手ノウヘニカヽレハ、ヨソヘタルナリ。
眞木佐苦檜乃嬬手乎《マキサクヒノヅマテヲ》トハ、檜ノ木ハ木ノ中ニ、コトニ良木ナレハ、宮造ノ材木ニトリモチイラルレハ、眞木ノサイワウキトイフナリ。嬬手トハ、ツマトイフハ、ツヽクトイフコトハ、マタツムトイフ心ヲモカネタリ。手《テ》ハナカシトイフコトハナリ。心ハ宮木ノ材木ヲ、イカタニツミテ、ナカセルヲ云也。
物乃布能八十氏河《モノノフノヤソウチカハ》トイフハ、先達ノ異儀|區《マチ/\》也。一義云、モノヽフトハ、武士也。ツハモノハ弓箭ヲ持テルモノナレハ、矢トイハントテ、モノヽフノヤソウチカハトツヽクル也。一義云、武士ノ姓ハ、八十アレハ、モノヽフノヤソウチトツヽクル也。モノヽカスノ中ニ、八十ヲオホカルコトニイヘル、算術《サンシユツ》ノ法也。九々八十一ヲモチテ、最初ノ大數トスルカ故也。一義云、物部八十氏トイヒケル、モノヽフ宇治川ノカミニヲカレタリケレハ、モノヽフノヤソウチカハト云也云々。
(48)鴨自物水尓浮居而《カモシモノミツニウキヰテ》。此句、古點ニハ、カモヨリモミツニウキヰテト點セリ。然而此集ノ歌ノ中ニ、オホク、シヽシモノトモ、トリシモノトモ、カモシモノトモヨメリ。シヽシモノトイフハ、鹿ノ也。シモトイフハ詞ノ助、自餘ミナヲナシカルヘシ。
(巨勢、大和國。)
不知國依巨勢道從《イソノクニヨリコセチヨリ》。此句古點ニハ、シラヌクニヨリコセヂヨリト點セリ。シラヌクニ、何所ソヤ。頗(ル)似(タリ)2荒凉(ナルニ)1歟。今|抑《ヲサヘテ》推2察之(ヲ)1、イソノクニトイフヘシ。大和國ニ磯上郡磯下郡アルカユヱ也。ムカシハコホリヲ、國トイヘルコトオホシ。ヨシノヽクニトモイヒ、ナニハノクニトモイヘリ。常陸國風土記ニハ、ニイハリノクニ、マカベノクニ、ツクハノクニ、カシマノクニ、ナカノクニ、タカノクニナトイヘリ。シカレハイソノコホリヲ、イソノクニトイハンコト、傍例アル、是カノイソノクニヨリコセチヨリ、フミヲヘルカメモキタリレトヨメルナルヘシ。ウタカヒテイハク、モシイソノクニトイフヘキナラハ、モシハ正字ニモカキ、モシハ眞名假名ニモカキテ、ワッチヒナク不審ナカルヘシ。不知トカケルハ、イサヤナムソ、コレヲイソトイフヘキヤ。答云、不知トカケルハ、イサナレハ、女聲ニヨフトキ、イソトイフ。同内相通ノ中ノ、初後相通ノ心也。若又男聲ヲモチヰハ、イサトイフヘシ。ヲヨソ同韻同内ノ字ニヲイテハ、コトニシタカヒテコレヲヨム。イマハシメタルニアラス。峯ノ字、ウチマカセテハ、ミネナレトモ、又用2男聲1時(49)ニハ、ミナトイフカコトシ。凡此集ノ習、正字、假字、義讀等ヲカキマシヘテ、樂2道(ノ)竪高1、鑒2士(ノ)堪不(ヲ)1、妄《ミタリニ》任2管見卑淺(ノ)之凡慮(ニ)1、勿(レ)v謗(ルコト)2通神英才之豪筆(ヲ)1。努之。
我國者常世尓成牟《ワカクニハトコヨニナラム》、圍負留神龜毛《フミヲヘルアヤシキカメモ》、新代登泉乃川尓《アタラヨトイツミノカハニ》トイヘルハ、史記曰、神龜(ハ)者天下之寶也。與《ト》v物變化(シテ)、四時變(ス)v色(ヲ)。居(テ)而|自《ミ》匿《カクレ》、伏(テ)而不v食《ハマ》。春(ハ)蒼《アヲク》夏(ハ)赤(シ)。秋(ハ)白(ク)冬(ハ)黒(シ)。熊氏瑞應(ノ)圖(ニ)曰(ク)、王者(ハ)不偏不黨(ニシテ)尊(ヒ)2用(ヒ)耆老(ヲ)1、不v失2故舊(ヲ)1。コ釋流洽、則靈龜出。顧野王符瑞圖(ニ)曰(ク)、青馬白髪尾(ハ)者、神馬也。孝經(ニ)授神契曰、コ協v政(ニ)至2山陵(ニ)1、則澤出2神馬1。仍勘瑞芝白鴈(ハ)是爲2中瑞1、靈龜神馬竝合大瑞(ナリ)文。然者、相當賢王聖主之御宇、神龜出來事ヲ詠也。ソレニトリテ、フミオヘルアヤシキカメトイヘルハ、漢朝ニモ龜(ノ)背(ニ)負(テ)2八卦(ヲ)1出來タリケルト申侍ニヤ。カヽル先蹤ハヘレハ、帝コノ瑞相ヲ諷詠歟。又我朝ニモ、靈龜元年八月己未朔|丁丑《・廿九日》左京(ノ)人大初位下高田(ノ)首《ヲフト》久比《クヒ》磨、獻(ル)2靈龜(ヲ)1。長(サ)七寸濶(リ)六寸。左(ノ)眼白(ク)、右(ノ)眼赤(シ)。頭(ニ)著2三台(ヲ)1背(ニ)負2七星(ヲ)1。前(ノ)脚竝(ニ)有(リ)2離(ノ)卦1、後(ノ)脚竝(ニ)有2一爻1腹(ノ)下赤白兩點相次八字文。又天平元年五月甲子朔己卯京職大夫從三位藤原朝臣麿、負圖龜一頭獻上(ス)【長五寸三分濶四寸五分。其背有文云天皇貴平知百年云々。】是以改2神龜六年(ヲ)1、爲2天平元年(ト)1云々。我朝ニフミオヘルカメノ勘文等、藤原宮遷都以後ノコトナリトイヘトモ、スヘテ負圖龜ノコトヲアラハサンカタメニ所2書戴1也。又且者上古(ノ)賢者、未來ノ世ヲ|シ《(マヽ)》カヽミテ、聖コクタリタマヘル御代ニハ、カヽルヘシト令(ル)2聞知1事、カタカルヘ(50)カラサルナリ。新代登《アタラヨト》トイヘルハ、不v可v有2別(ノ)意1許《(マヽ)》、新都ヲイハイタテマツルコトハ也。眞木乃都麻手乎《マキノソマテヲ》、如前。
百不足五十日太尓作《モヽタラスイカタニツクリ》ハ五十ヲハイトヨメハ、イモシヲ、イハンタメニ、モヽタラストヲケル也。百ニタラサルカスニハ、イツレニモイフヘシ。伊蘇波久見者神隨尓《イソハクミルハカミノマヽニ》有之《アルラン・ナラシ》トハ、イソハクハ、ソコハク也。神ノマヽナラシハ、マコトノ神マテニハアラス。此卷ノハシメツカタノ歌ニモ、ミエタルカコトク、帝ヲ、神ト申也。
藤原御井歌
(埴安堤、大和國。)
(藤井御井ノ、土ヲ置タル所、則所ノ名トナル也。)
(青香久山、大和國。)
(日緯能大御門ハ西門ナリ。)
(或説云、ソトモノ國トイヘハ外國ノコトニモ用ル也。)
(大宮ハ禁中也。)
52 垣《・(マヽ)》安乃堤上尓在立之見之賜者《ハニヤスノツヽミノウヘニアリタヽシミシタマヘレハ》云々。垣《・(マヽ)》安《ハニヤス》トイフハ、所ノ名ニモ侍ス。シカレトモ、コレハカノ藤原御井ヲホラレケル士ヲハコヒヲキタリケル堤ノ上ニタチテ眺望シタルニヤ。土ヲハ、ハニトイフ。カノ土ヲヤスメヲキタレハ、垣安トイヘルナルヘシ。
日經乃大御門《ヒノタテノオッホキミカト》トイフハ、東ノ門カ。サレハ春ノ山路シミサヒタテリト、ツヽケタリ。東ハ春ヲツカサトル方ナルカユヘナルヘシ。背友乃大御門《ソトモノオホキミカト》トイヘルハ、北ノ門ニアタレリ。影友乃大御門《カケトモノオホキミカト》トイヘルハ、又南大門也。初ノ二ハ日ノ經緯《タテヌキ》ニヨリテ方角ヲアラハセリ。後ノ二ハ、カサネテ山ノ陰陽《キタミナミ》ヲアラハセルナリ。
今檢2四方陰陽等(ヲ)1者、日本書記第七卷、稚《成務也》足彦《ワカタラシヒコノ》天皇、五年秋九月、令《ノリコトシテ》2諸國(ニ)1以(テ)國郡(ニ)立2造(51)長《ミヤツコノヲサヲ》1、縣邑(ニ)置2稻置《イナキヲ》1、竝(ニ)賜(テ)2楯矛(ヲ)1、以(テ)爲(シ)v表《シルシト》。則|隔《サカヒテ》2山河1、而分(テ)2國縣(ヲ)1、隨2阡陌《タヽサノミチヨコサノミチニ》1以(テ)定2邑里(ヲ)1。因(テ)以2東西(ヲ)1爲2日蹤《ヒタヽシト》1、以2南北(ヲ)1爲2日横《ヒヨコシト》1。山(ノ)陽《ミナミヲ》曰2影面《カケトモ》1、山(ノ)陰《キタヲ》曰2背面《ソトモト》1。是以(テ)百姓|安《ヤスシ》v居《スミカニ》。天下無v事焉。高知也天之御蔭《タカシルヤアメノミカケノ》、天知也日御影乃《アメシルヤヒノミカケノ》、水許曾婆常尓有米《ミツコソハトキハニアラメ》、御井之清水《ミイノキヨミツ》トイヘルハ、タカクジラレテ、ソラノカケモウツロヒ、ソラニシラレテ、日ノカケモウツロヘル、水コソハトキハニアラメトヨメル也。
短歌
53 藤原之大宮都加倍安禮衝哉處女之友者之吉召賀聞《フチハラノオホミヤツカヘアレセムヤヲトメカトモハシキリメスカモ》
此歌、落句、之吉召賀聞《シキリメスカモ》、如2古點1者、シキチメスカモ云々。コレソノ心ハオナシカルヘシトイヘトモ、吉ヲ、キチトヨムヘキニアラスd。今シキリト點セルハ、吉文字ノ、チト、リトハ、同韻相通也。サレハ、千手ダラ尼《ニ》ノ悉吉多伊蒙《シキリタイモウ》ヲハ、シキリタイモウトヨム、コノ心也。
(巨勢山、大和國。)
(ツラ/\椿トハ、列々ト書リ。ツラナル椿ト云歟。又女貞ト書テ、タツキトヨミ、又云、ツラツハキトヨメリ。コレヲヲシカヘシテ、ツラ/\椿トヨメルカト云々。袖中ニアリ。)
54 コセヤマノツラ/\ツハキツラ/\ニトヨメルハ、椿ハツル/\トシタルモノナレハ、目モカレスミルニヨソヘタル也。人ノ物ヲミルニ、メモハナタスミルヲ、ツラ/\トミルトイフコト也。
(赤土山、紀伊國。山城、大和、下總ニ同名アリ。)
55 朝毛古木人乏母|赤《・(マヽ)》打山行來跡見良武樹人友師母《アサモヨイキヒトトモシモマツチヤマユキクトミラムキヒトトモシモ》
(52)アサモヨヒトイフコト、フルクハ炊《カシク》2朝飯1義也ト尺セリ。シカレトモ、コレハカナラスシモ飯ヲカシク義ニハアラサルニヤ。モヨヒトイフコトハニヨリテ、朝※[にすい+食]ノヨシニイヒナセルナルヘシ。只寒天ニハ、イツモ爐邊ヲハナレカタク、大切ナルナカニ、燎《タク》v火コト、朝ニハ、コトニスクレタレハ、アサモヨヒキトツヽクルコトハ、アシタニモエテ、ヨキ木トイヘル也。モトイフハ、モユルコトハナルハ、ヨモキヲ、モクサトイフカ如シ。木人トハ、樵夫ヲ云トイヘリ。トモシモトハ、ナサケアルヒトノコヽロニハ、カノ樵夫カ、ヲノマサカリヤウノ物ナト、ウチカツキテ、山ニイリイツルモ、メツラシクミユルナリ。
二年壬寅太上天皇幸2于參河國(ニ)1時歌
57 引馬野《ヒクマノ》、三河國也。
(棚無小舟トハ、セガイナトナキ、小舟也。)
58 イツコニカフナハテスラムアレノサキコキタミユキシタナナシヲフネ
安礼乃埼《アレノサキ》、三河國。コキタミユキシトハ、コキメクリユキシトイフ也。 ※[しんにょう+汚の旁]《タミ》トイフハ、メクルコトハナリ。タナヽシヲフネトハ、チイサキフネニハ、タナヲセネハ、タナヽシヲフネトイフ。コフネヲ、ヲフネトイフハ、本韻ニツキテヨフ也。諸ノ物ノ名ニ、小ヲ、ヲトイフ、此義也。
59 ナカラフルツマフクカセノサムキヨニワカセノキミハヒトリカヌラン
(53)ナカラフルツマトイフハ、ヨルノ衣ヲ、フミクヽミテネタルツマヲ、フク風モサムキヨニ、ワカセノキミハ、ヒトリカヌラント、イタハシクオモヒヤリテヨメル也。
60 暮相而朝面無美隱尓加氣長妹之廬利爲里利武《ヨヒニアヒテアサカホナシミカクレニカケナカキイモカイホリセリケム》
此歌、古點ニハ、ヨヒニアヒテアシタオモナミシノヒニカケナカキイモカイホリセリケント點ス。第八卷、縁達師《ヨリユキノイクサカ》歌ニハ、クレニアヒテアサカホハツルカクレノヽハキハチリニキモミチハヤツケト點セリ。此二首カヨハシテ檢(スルニ)2其心詞(ヲ)1カクレノトイフハ、伊勢國ノ名所也。詠(スルニ)v之(ヲ)、アサカホハツルカクレノヽトヨソヘヨメリ。今ノ第一卷ノ歌、アシタオモナミト點セル、コレアサカホナシミトイフヘシ。サレハ、ヨヒニアヒテアサカホト點スヘキ也。古語ノイヒヤウヲミルニ、朝夕ヲ相對シテイフニ、モシハ、アサヨヒトモイヒ、モシハ、アシタユフヘトモイヒナラハセルユヱ也。第三句、イマノウタニハ、シノヒニカト點ス。其心オナシトイヘトモ、カノ第八卷ノカクレノニヨソヘ詠スルヲモテ、オモヒアハスルニ、カクレニカトイフヘシ。ケナカキイモカトイヘルハ、コノ氣ニツキテ、アマタノ心アリ。アルヒハ、先相ヲイフ。アマケ、ユキケナトノコトキ也。アルヒハ、ソノオモヒヲイフ。ケシキ、ケハヒナトノコトキ也。アルヒハ、ナコリヲイフ。サカケナントイフカコトシ。イマノケナカキトイフハ、コレラノコヽロニハアラス。ナケ(54)キ、ヲモフヲ、ケナカキトイフナリ。ナケキトイフモ、ナカイキトイフコトハナリ。ナニコトヲモ、フカクオモフトキニハ、イキノナカクツカルヽヲイフナルヘシ。イホリセリケントハ、イヲネタカルトイフ也。ホリトイフハ、ネカフコトハ、ミマクホリナトイフカコトシ。
(或説云、トモヤトハ、得物矢ト書リ。物ヲウルトカキタレハ、鹿鳥ニモ射アツル矢ヲ云ヘシ又云、マコトニアタランスル矢ト云ト、可心得。)
61 マスラヲノトモヤタハサミタチムカヒイルマトカタハミルニサヤケシ
トモヤトハ、ユミイルニハ、フタリタチムカヒイルニ、矢ヲ|オヨヒ《小指》ニ、ハサミテイルナリ。ソノハサミタルヤヲ、トモヤトハイフ也。マトカタハ、伊勢國也。風土記云。的形《マトカタノ》浦者、此浦(ノ)地形、似(タリ)v的(ニ)。因(テ)以爲v名(ト)也。【今已(ニ)諸《(マヽ)》化成2江湖(ト)1也。】
天《景行天皇也》皇行幸|須《(マヽ)》邊歌曰、麻須良遠能佐都夜多波佐美牟加比多知伊流夜麻度加多波|座《・(マヽ)》乃佐夜氣佐《マスラヲノサツヤタハサミムカヒタチイルヤマトカタハマノサヤケサ》。今歌|今《(令ィ)》同2此御製(ニ)1歟。
64 アシヘユクカモノハカヒニシモフリテ
ハカヒハ、左右ノハネノ、ユキアヒナリ。
(霰松原、接津國。)
65 霞打安良礼松原住吉之弟日娘與見礼常不飽香聞《アラレフルアラレマツハラスミノエノヲトヒヲトメトミレトアカヌカモ》
此歌、古點ニハ、ミソレフリ、アラレマツハラ、スミヨシノ、オトヒムスメトミレトアカヌカモ。霰字ハ、ミソレ、アラレ、自本兩訓アリ。玉篇曰、霰《セン》、思見切、暴雪《アラレ》。東宮(55)切韻曰、霰【雨雪雑(ル)又作2霓※[雨/鮮]《アラレミソレ》1。釋名曰、霰(ハ)星也。氷雪相擣如星而散。】共(ニ)以(テ)有2本説1。隨v事(ニ)可v和v之歟。但四條大納言公任卿、和漢朗詠集之時、アラレニ用v之。又如今歌者、霰打ト書之。打(ノ)字其意可v和v雹(ニ)歟。次者、下句ニ、ヲトヒヲトメトヨメリ。上句又アラレフル、アラレマツハラトイフヘキカ。住吉、如2古(ルキ)書籍(ノ)1者、ミナコレスミノエトイフハ、スナハチ、ヨシトイフコトハ也。又攝津國風土記、尺住吉郡名曰、本名、沼名椋之長岡之國、今俗略之。直《タヽチニ》稱2須美之叡《スミノエト》1云々。娘ノ字ハ、オトメトヨム、常事也。弟日《ヲトヒ》トイフハ男、娘トイフハ女ナリ。此歌ノ意ハ、アラレフル、アラレマツハラノ、オモシロキコトハ、スミヨシトオモフ、男女ノコトクニ、ミレトモ、アカストヨメルナリ。
私云、69 クサマクラ、客去キミト、シラマセハキシノハニフニニホハサマシヲト、ヨメルナリ。
右(ノ)一首|清江娘子《スミノエノヲトメ》進2長《ヲサノ・マサルノ》皇子《オホキミニ》1云々。
以v之思(フニ)v之(ヲ)、スミノエノオトメトヨムヘキ事、ウタカヒナシ。但(シ)長《マサルノ》皇子ノ御歌ニ付テ清江娘進2此歌1也。而隔2三首(ヲ)1其後ニ入タルオホツカナシ。但歌ノ心ハ、アラレマッハラト、スミノエノオトヒオトメト、ミレトアカストハ、オトメニヨミテタマヒケル歟。二首歌ヲ心エアハスヘキ歟。オトヒハ、男ノ事不審也。可v考2本説1。歌ノオモ(56)テハ、タヽ弟娘子トキコエタル、如何。
66 大伴乃高師能濱乃松之根乎枕宿杼家之所偲由《オホトモノタカシノハマノマツカネヲマクラニネヌトイヘシシノハユ》
タカシノハマ、攝津國也。此歌下句、マクラニヌレトイヘシシノハユト點ス、松カネヲ、マクラニヌレトイヘシヽノハユトハイフヘキニシアラス。マツカネヲマクラニシテ、ネタランハ、モトモイヘヲシノヒヌヘキコトニコソハヘリヌレハ、マクラニネヌト、イヘシヽノハユト和スヘキ也。
70 キサノナカヤマ、吉野山ノ中ニ、キサヤマトイフ山アリ。カノ山ノスカタ、象《ザウ・キサ》ノカタチニニタレハ、キサヤマト申也。タタシ慥説ヲシラス。モシ象王權現ノマシマスニヨリテイフニヤ。彼所ノ案内者ニタツヌヘシ。
75 ウチマヤマ、大和國。
(玉鉾道トハ、昔ハ刀マレナレハ、貴賤トモ二道ノ遠近ヲキラハズ、鉾ヲツキテアリク。人ノ家ナトヘ入テハ鉾ヲ妻戸ニ立添テ置ケルカ、戸ニ鉾ノアトノ付ケレハソレヲカクサントテ、ホウタチノ柱ヲシハシメケリ。ホウタチハ、ホコタテ也。是ニ仍テ玉鉾ノ道ト云リ。玉ハ褒美ノ詞也。又云、漢高祖ノ鉾ヲ、玉ヲ以テカサリシヲ、道ノシルシヘニ立置玉ヘハ、高祖ノヲハシケル方ヘ、鉾ノサキ向テアリケレハ、是ヲシルヘニ、高祖ノ臣尋行シトモ云リ。又云、秦始皇ノ、三ノ寶ノ内ニ、玉鉾アリト云々。)
(八十阿トハ、名所ニ非ス。旅ナトノ道ノ隈ノ多キコト也。)
79 或本從2藤原(ノ)京1遷2宇|寧樂宮《ナラノミヤニ》1時歌詞中
ニキヒニシトイヘルハ、ニキハヘルトイフ也、玉桙乃道行晩トハ、ムカシハタヒアルキスルニ、兵具ノ中ニムネト桙ヲモチケレハ、タマホコノミチトイフ。タマハホムルコトハナリ。マコトニムカシヨリ、兵具アマタアルナカニ、タチホコナトイフハ、コノ心歟。朝月夜清尓見者栲乃穗尓夜之霜落磐床等川之氷疑冷夜乎《アサツクヨサヤカニミレハタヘノホニヨルシモフリイハトコトカハノヒコリテサユルヨヲ》(57)アサツクヨトハ、朝ニヨリテイツル月也。下弦以後ノ月ニアタレルナリ。タヘノホニヨルノシモフリトイヘルハ、タヘトイフハ、イツレノモノニモ、ウツクシキヲホムルニイフコトナレハ、イツレノイロニモワタルヘケレトモ、ムネトハシロキヲイフコトナリ。タヘトハ、高上義也。イツレニモスクレタリトイハント也。白色諸色本トイフハ是也。シロキイロアラハレイテヽ、フレル霜ナレハ、タヘノホニヨルノシモフリトイフ。イハトコト、カハノヒコリテ、サユルヨヲトイヘルハ、河水ノ、イハトコナトノヤウニコホリタルヲイフ。コホリヲ、ヒトイフハ、ヒユトイフコトハ也。
(或問云、神風ノ事ハ、神ノ御メクミノコトナレハ、成風徳風ノ義ニシテ吹風ニハ非ス、常世ノ浪ノ重ヨルト云ヲ、神風ニコトヨセタリ。萬葉ニ神風ト書タレハ、文字ニカカハリテ吹風ニヨメル人アリ。僻事ニヤ。伊勢國風土記、并ニ萬葉長哥ニ、神風ニ、イ吹マトヒシ、アマ雲ヲ、日ノ目モミセス、トコヤミニトツヽケタルハ、吹風ノ義也。何レヲ正義トシテ哥ニヨムヘキ哉。答云、一事ニシテ理アマタアルコト常ノ義也。作例ニ隨テ、可2通用1、一慨ニ不可論。又神風ノ伊勢トツヽケネトモ、神風ニイ吹マトヒシトヨメリ。イハ詞ノ助也。又此神風ハ、神ノ御メクミノコトナレハ、伊勢ニカキルヘカラストテ、通宗朝臣筑紫ノ安楽寺ニテ、神風トヨミタリケルヲ、人ワラヒケリ。伊勢ノ御事ナラテハヨムマシキニヤ。能因カ哥枕ニモ、神風ハ伊勢ヲ云ト云々。)
(八風吹事)
(神風事)
81 山邊乃御井乎見我弖利神風乃伊勢處女等相見鶴鴨《ヤマノヘノミヰヲミカテリカミカセノイセノヲトメラアヒミツルカモ》
山ノヘノミヰハ、伊勢國也。神風ノ伊勢ト云事、サマ/\ニ申アヒタリ。或ハミモスソカハニ、神《師頼卿ナトモ申サレシト也》之瀬ト云瀬アリ。太神宮ノアマクタリ給ヘル所也トイヘリ。或ハカミノ御メクミヲイフトモイヘリ。日本記云、垂仁天皇廿五年三月朔、天照太神、伊勢國ニクタリ賜トキ、倭姫命《ヤマトヒメノミコト》ニ教ヘテノタマハク、此神風伊勢國トハ、スナハチ常在《・(マヽ)》《トコヨ》ノ浪ノ重浪《ツゲナミ》歸國也。此國ニ居トイマサン》トオモフト、ミコトノリ給。ヨリテ太神ノヲシヘノマヽニ、ソノマツリヲ伊勢國ニタツ。仍齋宮ヲ五《イスヽヲ、イツスヽトモ、イソスヽトモヨム。》十鈴川ノ上ニ興ス。コレヲ|イス《礒》ヽノミヤトイフ。スナハチ天照太神、ハシメテアメヨリクタリ給所也トイヘリ。タヽシコレハ、神風伊勢國ト(58)イフ名字ヲアラハスハカリ也。神風ノ根元未v聞歟。因(テ)勘(フ)伊勢國(ノ)風土記云、夫(レ)伊勢(ノ)國(ハ)者、天御中主《アマノミナカヌシノ》尊(ノ)之十二世孫、天口別《アマノヒワケノ》命(ノ)之所v平(ル)。始(メ)天日別命、神倭磐余彦《カミヤマトイハレヒコノ》天皇、自2彼(ノ)西宮1征2此東(ノ)州(ヲ)1之時、隨2天皇(ニ)1到(ル)2紀伊(ノ)國熊野(ノ)村(ニ)1。于v時隨(ヒ)2金烏之導(ニ)1、入2中州《ウチツクニ》1。而|別《(マヽ)》2於|菟田《ウタノ》下縣(ニ)1、天皇|勅《ミコトノリシテ》2大部(ノ)日臣命《ヒノオミノミコトニ》1曰、逆黨膽駒長髄《サカウルトモカライコマノナカスネ》宜(シ)2早(ク)征罰1。且《マタ》勅(シテ)2天日I別命(ニ)1曰、國有2天津之方宜1乎、其國印賜2標釣|《釼ィ》1。天(ノ)日別《ヒワケノ》命奉v勅(ヲ)東入2數百里(ニ)1。其(ノ)邑《サトニ》有v神名曰(ク)、伊勢(ノ)津彦(ト云)。天日別命問(テ)曰(ク)、汝國(ヲ)獻2於天孫(ニ)1哉。答曰、吾 覓2此國1居往日久。不2敢(テ)聞1v命矣。天日別命發(テ)v兵(ヲ)欲v戮2其(ノ)神(ヲ)1。于v時畏(レ)伏(シテ)啓(シテ)云(ク)、吾(カ)國悉(ク)獻2於天孫(ニ)1。吾(レ)敢(テ)不v居矣。天日別命令v問云(ク)、汝之去(ル)時、何(ヲ)以(テ)爲v驗(ト)。啓(シテ)曰(ク)、吾以今夜起(シテ)2大風(ヲ)1、吹2海水(ヲ)1、乘(シテ)2波浪(ニ)1將(ニ)東入。此則吾(カ)之|却《サル》由也。天日別命整v兵|窺《ウカヽフ》v之(ヲ)。比v及2中夜(ニ)1、大風|四《ヨモニ》起(リ)、扇2擧波瀾(ヲ)1光耀如v日。陸國海共(ニ)朗。遂《ツイニ》乘v波(ニ)而東(ス)焉。古語(ニ)云、神風(ノ)伊勢國、常世(ノ)浪寄(ル)國(ハ)者、盖(シ)此(ノ)謂之也。伊《注云》勢津彦神近令|末《(マヽ)》住信濃國。天日別命、懷《(マヽ)》築此國。復命天皇。々大歡(フ)。詔(シテ)曰。國宜取國神之名、號伊勢。即爲2天日別命之村地國(ト)1。賜2宅地于大倭耳梨之村(ニ)1焉。或本云、天日別命、奉v詔自2熊野村1直(ニ)入2伊勢國(ニ)1殺2戮荒神1。罰2乎不遵1。堺2山川1定2地邑1。然(シテ)後復2命橿原(ノ)宮(ニ)1焉。
私云、日本記第六、活目入彦五十狹茅《イクメイリヒコイサチノ》天皇、垂仁天皇、廿五年春二月丁巳朔甲子、詔|阿倍《アヘ》臣(ノ)遠祖武停川別、和珥臣(ノ)遠祖|彦國葺《ヒコクニフク》、中臣連(ノ)遠祖大鹿嶋、物(ノ)部連遠祖|十千根《トチネ》(59)大伴連(ノ)遠祖|式日《タケヒ》、五大夫《イツタリノ》曰、我先(ノ)皇《ミカト》、御間城入彦五十瓊殖《ミマキイリヒコイニエ》天皇、惟叡作聖《サカシクテマシマスコト》、欽明聽達《ツヽシミアキテサトクトホリタマフ》。深(ク)執(テ)謙捐《・コヽロサシ ユツリスツルコトヲ》、志懷|沖《ムナシク・スヘヲサメ玉テ》退(コトヲ)、闊謬|機衡《ヨロツノマツリコト》、禮2祭《イヤマヒタマフ》神祇(ヲ)1。尅v己勒v《セメツトメテ・セメヲノレヲ》躬(ヲ)日《ヒヽニ》愼(ム)2一日(ヲ)。是(ヲ)以(テ)人民《ミタカラ》富(ミ)足(テ)、天下|太平《タヒラカ》也。今當(テ)2朕世(ニ)1、祭2禮《イハヒマツリテ》神祇(ヲ)1、豈(ニ)得v有(ルコトヲ)v怠(コト)乎。三月丁亥朔丙申、離《ハナチマツリテ》3天照太神(ヲ)於2豐耜《トヨスキノ》命(ニ)1、託《ツケタマフ》于|倭姫《ヤマトヒメノ》命(ニ)1。爰(ニ)倭姫命、求(テ)d鎭2坐《シツメマサセム》大神(ノ)1之處(ヲ)u而|詣《イタル》菟田|篠播《サヽハタニ》。篠此云佐々。更(ニ)還《カヘリテ》之入(テ)2近江(ノ)國(ニ)1、東(カタ)廻2美濃(ヲ)1、到(ル)2伊勢(ノ)國(ニ)1。時天照太神、誨《ヲシヘテ》2倭姫命(ニ)1曰(ク)、是神風(ノ)伊勢(ノ)國(ハ)則常世(ノ)之浪(ノ)重浪歸《シキナミヨスル》國也。傍《カタ》國(ノ)可怜《ウマシ》國也。欲v居2是(ノ)國(ニ)1。故|隨《マニ/\》2大神(ノ)教《ヲシヘタマフ》1、其(ノ)祠《マツリヲ》、立2伊勢(ノ)國(ニ)1因(テ)興《タツ》2齋宮《イハヒノミヤヲ》于五十鈴(ノ)川上(ニ)1。是謂2磯《イソノ》宮(ト)1。則天照大神(ノ)始自v天|降《クタリマス》之處也(ナリ)。〔入力者注、漢字の左右に振り仮名等があり、しかもかかる漢字にずれがあるため、正確に表記することはあまりに煩雑です。適当に記入したので正確を期す方は原本を見て下さい。〕
82 ウラサフルコヽロサマミシヒサカタノアマノシクレノナカレアフミハ
ウラサフルトハ、シタサヒシキヲイフ也。此歌ハ、シクレヲアハレム心トキコエタリ。ソラカキクモリ、シクルヽアメノナカレアフヲミハ、シタサヒシキコヽロサマモミエントヨメル也。
83 海底奥津白浪立田山何時鹿越奈武妹之當見武《ワタツウミノオキツシラナミタツタヤマイツカコエナンイモカアタリミム》
此歌ノ發句、古點ニハ、ミナソコノト點セリ。謹考(ルニ)2其心詞(ヲ)1ミナソコトイヒテハ、ソノコトハリアヒカナハス。海ニ白浪タツナラヒナリトイフトモ、ミナソコニシラナミタツトハミユヘキニモアラス。メニミエサレハ、マタコトニイヒイツヘキニモアラス。ヨリ(60)テイマ海底ノ二字ヲワタツミト和スヘシ。ワタツミノオキトツヽクルコトハ、傍例コレオホシ。オヨソワタツミトハ、海神トカキテ、ワタツミト和セリ。神ヲハ、ツミトイフユヱナリ。イマコノ海底、コノ心ナルヘシ。海神ハ、ムネト龍神ヲイフ。カノ龍宮ハ海底ニアレハ、コレヲワタツミト和スヘシ。遂(テ)考(ルニ)喜撰式ニハ、海底ワタツミトイフトイヘリ。サレハコノウタノ第三句こ、立田山トツヽケタル、彼山ノ名、此集ノ中ニサマ/\ニカキタリ。或如今歌、立田山トモカケリ。コレ半假字ナリ。或龍田山トカク、正字也。或ハ多都多山トカク。眞名(ノ)假名也。此歌ニ、立ノ字ニカケルハ、假名ニトリテ、ヲキツシラナミトイフ句ニツヽキタレハ、シハラク立ノ字、ソノ心アルヘシ。マタ正字ヲオモハヘテ、シタニ龍ノ義ヲコメタルコト、タクミナリトスヘシ。歌ノ九品ヲタツルトキ、上カ上ト云ハ、コトウルハシクシテ、アマリノ心アルナリトイヘルハ、コノタクヒナルヘシ。
(高野原、大和國。)
84
文永六年二月廿四日記之訖 仙覺在判
建治元年十一月上旬比、以作者仙覺律師自筆本、教人抄寫畢。而後日校合、所(61)略等悉可書入之。同廿八日書入畢。同廿九日一校畢。同二年六月五日以抄寫本書入畢。同六日一校了。 玄覺在判
弘安三年【庚辰】春正月癸卯朔庚戌以本集一見、管見之所及押紙注之。 權律師玄覺
(以上萬葉集註釋第一册)
(62) 第二卷
86 如此|許《(計ィ)》戀乍不有者高山之磐根四卷手死奈麻死物乎《カクハカリコヒツヽアラスハタカヤマノイハネシマキテシナマシモノヲ》
此歌第二句、戀乍不有トイフハ、コヒツヽアラレスハナトイフコトハ也。此類多以可出來。下皆倣之。
87 居明而君乎者將待奴|婆《(波ィ)》珠乃吾黒髪尓霜者零騰文《ヰアカシテキミヲハマタムヌハタマノワカクロカミニシモハフルトモ》
(烏羽玉ノコト、抑烏ノ羽ニ、黒玉アリテ、日ニ近付ハ天クモリ、クラクナリヌト云コトハ白居易策云、暗行不知烏羽玉トカケリ。秦始皇ノ時夷國ヨリ五尺ノ烏飛來ル。兩翅ノ間ニ黒玉アリ。國クラクナル。始皇謀ヲ以テ、此烏ヲトラヘ、玉ヲ取テ、箱ニ納ヌレハ世間アキラカ也。箱ヲヒラケハ、クラクナル也ト云々。イツレモ、クロキコト二イヘル也。)
ヌハタマトモ、ウハタマトモイヘルハ、ヨルヲイフ也。ウハタマトは、クロキタマトイフ也。ヨルハクロキイロナレハ、ウハタマトイフヘシ。日ノクルヽヲ、クルトモ、クレトモイフハ、クロクナル詞也l。マシテヨルニナリヌレハ、イフニヲヨハス、又アクトモアシタトモイフハ、シロクナル詞也、ヨルハクロキイロナレハ、烏玉トモカキ、黒玉トモカキテ、ウハタマ、ヌハタマトモ、和スルハ此心也。野干玉トカキテ、ウハタマトヨ(63)メルハ、キツネハ、百歳スキヌレハ、妖艶ノ女ト化スル也。百年ヲスキヌレハ、其儀老女ナルカユヱニ、ウハト訓スヘシ。然ルヲ喜撰和哥式ニハ、髪ヲハ、ムハタマトイフ。夜ヲハ、スハタマトイフ。夢ヲハ、ヌルタマトイフト、ヘチ/\ニカキワケタリ。然レトモ此集ニハ、ヨルモ、ユメヲモ、カミヲモ、ミナヌハタマトカケリ。眞名假名ノウタトモニテ勘見トキニ、ソノカクレアルヘカラス。萬葉集ヲコソ、歌源トハスルコトナルニ、誰カコレヲソムキテ、異義ヲタヲムヤ。又日本記、風土記等ノ眞名假名トモヽ、萬葉ニカハラサルナリ。何(ノ)書ヲ出文トシテイヒカフへキソヤ。オホツカナシ。ソレニトリテ、ウハタマトイヘルハ本韻也。本韻ハミナ、末韻ヲオサムヘケレハソノ訓トカアルヘカラス。然而此集ノ眞名假名ノトコロニハ奴波多麻トコレヲカク。ムハタマトモカケルコトハナキ也。コノムハタマヌハタマハトモニ末韻也。末韻ナレトモ、ソノコトハリ、コトニアヒカナヘルヲ、アラハサムトオモフニハ、義理相應ノ末韻ヲトリモチヰル也。ヌハタマトイヘルハ、ヌハ、寢義、ハヽ、散義、タマハ、神義也。ネテチルタマシヒ、ユメヲカヘスヘキカユヱニ、ヌハタマトイフ。ヌルコトハ、又夜ヲモツテ本トスレハ、ヨルヲヌハタマトイヘルナルヘシ。
95 (ワレハモヤヤスミコエタリ皆人ノヱカタクシタルヤスミコヱタリ。是ハ、内大臣鎌足ノ安見兒ト云釆女ヲ得テ、皆人ノヱタクスル、ヤスミヲ、吾ハヱタリトヨメル也。)
久米禅師娉石川郎女時歌
(64)96 水薦苅信濃乃眞弓吾《・(カィ)》引者宇眞人作備而不欲常將可聞《ミクサカルシナノノマユミワレヒカハウマヒトサヒテイナトイハンカモ》
此歌發句、古點ニハ、ミコモカルト點ス。雖如文字、其義不v可2相諧1。オヨソ、コモトイフコト、苅テノチニコモトイフ。イマタカラサルトキハ、コモトハイハサルヨシ、書籍ノ中ニミヱタル處也。薦字、コレヲクサトヨム。ミクサトハスヽキ也。第一卷ノ歌ニ尺スルカ如シ。今歌ニ水薦トカケルハ假名ナルヘシ。ミクサカルシナノヽトツヽクルコトハ、シナノトハ、シラ野トイフコトハ也。ラト、ナト同韻相通也。秋野ノオハナナヒキテ、シロクミユルニ、ヨソフル也。萬木千草オホカリトイへトモ、神祇ヲイハヒ、カサリタテマツルニ、榊ヲ、ミサカキトイヒ、スヽキヲ、ミクサトイフヘシ。ミクサトイフハ、スナハチ、ミヌサトイフコトハ也。日本記第一卷ニ、天照太神、アマノイハトニトチコモリタマヒシトキ、諸神憂(テ)之|誘出《イサナイイテ》タテマツルコトヲ相|議《ハカル》トキニモ、使《シテ》2山雷《ジャヤマヅチヲ》1者|採《トラシム》2五百箇眞坂樹八十玉籤《イホツノマサカキノヤソタマクシヲ》1。野槌《ノヅチヲシテハ》者|採《トラシム》2五百箇野薦八十玉籤《イホツノスヽノヤマソタマクシヲ》1。凡《スヘテ》此(ノ)諸(ノ)物《モノ》皆(ナ)來聚集《ツドイヌ》時(ニ)、中臣遠祖《ナカトミノトヲツヲヤ》、天兒屋《アメノコヤネノ》命(ト)、則(チ)神祝《カンホサキト》云々。於v是(ニ)日神《ヒノカミ》方《マサニ》開《アケテ》2磐戸《イハトヲ》1而|出《イテマス》焉。依v之信濃諏方明神ノ、ミサヤマノカリニハ、花スヽキヲトリテ、ミ《是仍テミクサカルシナノト云也》ヌサニタテマツルトイフコレ也。シナノヽマユミトイフコトハ、シナトイフ、スナハチ、シラナレハ、マユミヲイフニモ、シラマユ
ミトイフコトナレハ、モトモ、コトハノタヨリヲヱタリ。弓又昔シ信|一《濃ィ・千ィ》。廿張。以宛太(65)宰府。見續日本記。ウマヒトヽイフコトハ、ムカシ百濟國ヨリ、馬ヲコノクニヘタテマツリタリケルニ、イクハクモナカリケレハ、イミシクカタキモノニシテ、ウマトハソノ時ニハイハテ、ミヽノケモノトソイヒケル。ソレヲ秦氏ノ先祖コレヲヨクノレリケリ。サテミカトコレヲイミシキモノニセサセ給テ、ウマトイハントイフコトサタマリ、ハシメテイコマヤマトイフヤマニハナチテ、カハシメ給ヒケリ。ソノオリミカトノオホヘアリケル人ソ、コノウマヲハタマハリテノリテアリキケル。サレハコノウマニノリタル人ヲ、イミシクヤムコトナキ人ニシケルナリ。サテソノカミハヨキ人ヲハ、ウマモタル人ノコトイヒケルナリ。ソレヲコノヨニハ、ウマヒトノコトイフ也。タヽヒトノイフ、マウトノコトイフハコレ也。サヒテトハ、コヽニハサヒシメテトイフコトハ也。カノ久米禅師、娉石川郎女時、ワカヒカハ、ウマヒトサヒテ、イナトイハンカモトヨメルハ、オホカタノヨキ人ヲイヘルニハアラス、カノオトメヲイヘル也。サレハオトメカカヘシ歌ニハ、ミクサカルシナノヽマユミヒカスシテシヒサルワサヲシルトイハナクニ、トハカヘセル也。
99 アツサユミツラ|オ《(ヲィ)》トリハケヒク人ハノチノ心ヲシル人ソヒク
ツラヲトハ、ツル也。ルトラト同内相通ナレハ、男聲ヲモチヰテ、ツラトイヘルナリ。
(66)(荷向ノ箱トハ、東國ノ年貢ヲ、内裏ノ十二月ノ、荷向祭ノタメニ、ノホルヲ、絹綿ナトニテ、箱ヲツヽミ、アタニセジトテ、布ニテ三所ユイワタル也。ソレヲ荷向ノ箱ト云々。)
100 東人之荷向筐乃荷之緒尓毛妹情尓乘尓家留香聞《アツマツノニサキノハコノニノヲニモイモカココロニノリニケルカモ》
アツマツトハ、坂東ノ人ヲイフ也。ノサキノハコノ、ニノヲニトハ、諸國ミツキモノヲハ、ノサキトイフ也。ノサキトハ、ニノサキト云也。ハツホトモイフオナシコトナリ。コノウタノ心ハ、カノ、ノサキノハコノハナルマシク、ユヒツケタルヤウニ、コヽロニイモカ、ノルトタトヘタル也。
101 玉葛實不成樹尓波千磐破神曾着常云不成樹別尓《タマカツラミナラヌキニハチハヤフルカミソツクトイフナラヌキコトニ》
或抄ニ、此歌ヲ尺スルニハ、タマカツラトイフハ、葛ノナカニ、花ノミサキテ、ミナラヌ、カツラノアルヲ云也。オホクハ、カミノヤシロナトニソヨミタルトイヘリ。コレニヨリテコヽロウルニ、カミノオハシマス、モリハヤシナトノ木ヲハ、人ノオソレテキラヌモノナレハ、トシヘタルオホキトモノハヘルニ、ハナサキテミモナラヌ、葛ナトノアルナリ。ソレカサスカニ、メニタツサマナレハ、カミソツクトイフナラヌキコト|ニ《(ニトィ)》、ヨソヘヨメル也。此歌、大伴安麿卿、娉巨勢郎女歌ナレハ、ミナラヌキニハトハ、オモフコトモ、ナウヌモノカラ、コヽロヲツクスト云コト也。又女ノオトコスヘキホトニナリテ、オトコナケレハ、鬼魅《コタマ》ニ領セラルトイフコトア|ル《(レィ)》ハ、ソレニヨソヘテ、ワカヽクルオモヒヲハ、トケサセスシテ、神ニ領セラルナトヨメル也。巨勢郎女カカヘシ歌ニハ、タマ(67)カツラハナノミサキテナラスアルハタカコヒニアラ|ス《(ヌィ)》ワカコヒオモフヲトヨメル也。コレハウケヒキタル歌ナルヘシ。
(清見原宮ハ、天武天皇也。藤原夫人ハ、水《(マヽ)》上大臣藤原鎌足朝臣、女也。)
明日香清御原《アスカキヨミハラ》宮御宇天皇代、天皇賜2藤原|夫人《ヲトシニ》1御歌。カノ夫人ヲハ、字《アサナニ》曰(ク)、大原(ノ)大刀自《ヲトジ》。コノユエニ、ワカサトニ大ユキフレリオホハラノフリニシサトニフラマクハノチ、トヨマセ給ヘル也。
104 ワカヲカノオカミニイヒテフラシムルユキノクタケシソコニチリケム
オカミトハ、?龍ヲイフ也。オヨソ、龍ニ四種ノ龍アリ。所謂(ル)鳥龍(ハ)、【金翅鳥也。】。馬寵、?龍、【難陀拔離陀寺也。】魚龍也。豐後國風土記(ニ)云(ク)、球珠《クスノ》郡、球覃(ノ)郷、此村有v泉、同【景行天皇也。】天皇行幸之時、奉膳(ノ)人、擬2於御飯(ヲ)1、令v汲2泉(ノ)水(ヲ)1即(チ)有2 地龍1。【謂2於箇美《オカミト》1。於茲《コヽニ》、天皇勅(シテ)云(ク)、必(ス)將(ニ)有v?莫(レ)v令(ムルコト)2汲用(ヒ)1。因(テ)v斯(レニ)名2?《クサ》泉(ト)1因(テ)爲v名(ト)。今謂(フ)2球覃(ノ)郷(ト)1者、訛也云々。常陸國風土記云、新治《ニイハリノ》郡(ノ)驛家(ノ)名、曰2大神《ヲカミト》1、所2以(ンハ)然《シカ》稱(スル)1者|大?《オホヲロチ》多(ク)在。因(テ)名2驛家(ニ)1云々。天下ニアメユキヲフラシムル|ヲ《(ハィ)》、龍衆不思議也。サレハヲカミニイヒテ、フラシムルユキノクタケシ、ソコニチリ|ナ《(ケィ)》ントハ、ヨマセ給ヘルナリ。
107 足日木乃山之四付二妹待|躋《(跡ィ)》吾立所沾山之四附二《アシヒキノヤマノシツクニイモマツトワレタチヌレヌヤマノシツクニ》
(惡キ日來無用也)
有抄云、山ヲアシヒキトイフニ、四義アリ。一ニハ、三方ノ沙弥カ、惡日ニ山ヲコヱケ(68)ルニ、大雪ニアヒテ、ミチヲウシナヒタリケルトキ、アシヒキノ山チモシラスシラカシノエタモタワヽニユキノフレヽハト詠レケレハ、アシ|ヒキ《(キヒィ)》タルユヘニ、アシヒキト云也。二ニハ、推古天皇山ニイリテ、カリシ給シニ、御足ニクヒヲフミテナヘキテヒキ給ヒケルヨリ、山ヲ、アシヒキトイフ。日本記ニミヱタリト云々。三ニハ、天竺ニ、一角仙人卜云仙人、額ニ一ノ角アリ。鹿ノ足ナリ。道力《(通力カ)》ハアリケレトモ、雨フリテ山ノミチノスヘリケルニ、タフレテ足ヲソコナヘリ。アシヲヒキシニヨリテ、足ヒキトイヘリ。委見智度倫第十七云々。四ニハ、昔天地サケワカレテ、日本土泥、イマタ、カタマラサリシトキ、人ミナ山ニアリケリ。トカクアリキケルニ、アトノアリケレハ、日本ヲ山アトヽイヒキ。ヤマトヽイフコレナリ。山ヘオリノホリスルハ、アシヲヒクニ似タレハ、アシヒキトイフ也。四義ノ中ニ、第四ノ義ヲモチヰルヘシトイヘリ。アシヒキノ義、イヒナシ、ヒトツニアラス。カヤウニコトノヲコリサマ/\ニイヒノベラレヌレハ、コノウヘニハ、ミヱタラン義ヲ尺シアラハシテモ、ヨシナキカタハヘルヘケレトモ、コトニヲイテ、アマタノ義モツネノコト也。又コノ歌ノミチモ、イマノヨハカリニカキルヘカラス。過去遠々、末來永々カキリモアルヘカラス。然ルニコノタヒニカキリテ、イフヘキコトノアラハレスシテ、ヤミナンコトモウラミナキニアラス。イマノヨヒト、コトニマコトノユヱ(69)ヲサトラサルコト、ミツノタカラ、アキラカニテラシミタマハムコト、カナシキニヨリテ、ミヱサトリタル義ヲアラハスヘシ。カツハ、サキノ四義、アマタアルニハニタレトモ、タヽソノオコリヲ、イヒカヘタルハカリ也。三方ノ沙弥カ、フカキ雪ニミチマヨヒテ、アシ|ヒ《ヲィ》キケルトイフモ、天竺ノ一角仙人カ、雨フリニ山ミチニタフレテ、アシヒキケルトイヘルモ、推古天皇ノ御事モ、ヌ日本ノ士泥イマタカタマラサリケルトキ、山ニオリノホルカ、足ヲヒクニ似タリケレハトイフモ、タヽ由縁ヲイヒカヘタルハカリ也。アシヲヒク義コレ一義也。ウルハシクアマタノ義トモイフニタラス。山ヲアシヒキトイフコトハ、ヤトイフハタカキ義、マトイフハホムル義、マトカナリトイフ詞也。カクルコトナク、トヽノホリタルヲ、マトカナリトイフ。然ルニ山齋《アシヒ》トイフ木、コトニサカへタル木也。コノ木昔|筑紫《ツクシ》ノカタニオホカリケリ。コトニサカフル木ナルカユヱニ、此集ノ第七卷ノ歌ニハ、アシヒ|サ《(ナィ)》ス、サカヱシキミカ、ホリシヰノト、ヨソヘヨメリ。山ハタカクマトカナレハ、山ヲイヒイテムトスル諷詞ニ、アシヒキトヲケル也。アシヒトイフ木ナレハ、アシヒキトイフ、タトヘハ、サクラヲ、サクラ木トモイヒ、カシハヲ、カシハキトモイフカ如シ。山齋ハ、アシヒナリ。然レハ、山齋トカキテ、ヤマト訓スルモ此義也。此道ノ賢哲、イカテカ覺悟セサランヤ。源順等モ、存知シタリケルナルヘシ。カ(70)ツハ、住吉玉津島明神、宜《・ヘシ》(ク)v垂(タマフ)2知見(ヲ)1焉。天平二年庚|年《(マヽ)》冬十|一《(二ィ)》月、太宰|師《(帥ィ)》《ダサイノソツ》大伴卿、向京上道之後、還入故郷家作家三首中云、與妹爲而二作之《イモトヰテフタリツクリシ》、吾山齋者《ワカヤマハ》、木高繁成家留鴨《コタカクシケクナリニケルカモ》云々。但此義、我門弟ニアラスシテ、サカシサタテム者ノ、謗家ノ器量トナリヌヘカラン人ニ、ユメ/\キカシムヘカラス。
109 大船之津守之占尓將告登波益爲尓知而我二人宿《ヲホフネノツモリノウラニツケムトハマサシニシリテワカフタリ|ネン《(マヽ)》》之
此歌ノ第二句、ツモリノウラトイヘルハ、ウラナウ、占《ウラカタ》也。津守連通《ツモリノムラシカコフ》トイヒケルハ高名ノ占博士也。サレハ端作《ハシツクリ》ノ詞ニモ、大津皇子|竊《ヒソカニ》婚《タハクル》2石川|女郎《ヲトメニ》1時|津守連通《ツモリノムラシカコフ》占2露《ウラナヒテアラハスニ》其事(ヲ)1、皇子御作歌一首云々。歌ニモ津守之占尓將告登波トカケリ。發句ニ、大船之トヨメルコトハ、津守トイハムタメノ諷詞也。ヲホフネハ、ツネニモアルクコトナシ。津ニヲル物ナレハ、オホフネノツモリトハヨメリ。然ルヲコノツモリノウラヲ、浦ノ名所ノ中ニカキタルモノトモミユルハ、アヤマリ也。
日並皇子尊《ヒナメノミコノミコト》贈2石川女郎(ニ)1歌一首【女郎(ノ)字(ハ)曰2大名兒1也】
110 大名兒彼方野邊尓苅草乃束之間毛|吾《・ワカィ》忌目八《オホナコヲヲチカタノヘニカルカヤノツカノアイタモワレワスレメヤ》
此歌發句、如古點者、オホナコヤト點ス。オホナコガ、クサヲカリタルニ似タリ。イカカサルコト侍ルヘキ。オホナコヲトイフヘシ。カヤウノ點ハ、一字ナリトイヘトモ、ソ(71)ノ歌ノ心タカフニヨリテ、ハヽカリナカラ、テムシカフル也。
112 古尓戀良武鳥者霍公鳥蓋哉鳴之吾戀流其騰《イニシヘニコフラントリハホトヽキスケタシヤナキシワカコフルコト》
ケタシトイフコトハヽ、サハヤカニトイフコトハ也。サハヤカナルヲ、ケザ/\ナトイフコトアリ。ケサトイフヲ、ケタトイフヘシ。サトタト、同韻相通ノユヱ也。カクノコトキノ詞ノタクヒ、ツネニ、ワレモヒトモイヒナカラ、ナニトモ心得サルコトオホシ。シカルヲ、悉曇《シツタン》ノナラヒ、才學ヲモチテ、ソノ心ヲウル也。
113 ミヨシノヽタマヽツカヱハハシキカモキミカミコトヲモチテカヨハク
ハシキカモトハ、コトノハノシケキニヨソへタル也。
114 アキノタノホムケノヨスルカタヨリニキミニヨリナヽコチタカリトモ
トハ、アキノタハ、ホニイテヌレハ、日ヲヘテナヒキマサルナリ。コチタカリトモトハ、人ノイフコトノイタマシキナリ。アキノタノカタヨリニヨルヤウニ、ワレハキミニヨリナム、人ノイフコトハイタマシク|トモ《(トモトィ)》ヨソヘヨメル也。
117 大夫哉片戀將爲跡嘆友鬼乃益卜雄尚戀二家里《マスラヲヤカタコヒセムトナケヽトモシコノマスラヲナヲコヒニケリ》
比歌第四句、フルクハオニノマスラヲト點ス。イマハ、シコノマスラヲト點スル也。マスラヲトハ、兵也。サレハ増荒男《マスラヲ》トカキテ、マスラヲトヨム。オニノマスラヲト點セル(72)ニツキテ、有抄ニ云、マスラヲトハ難義也。コノ歌ノ心ハ、ワレヒトリ、ミヒトツシテ、戀ヲセムスラントナケクニ、ワカタマシヒヲサヘクタクトテ、ソレヲオニトヨメルナリ。サレハワカミトテモ、コヽロ、タマシヒトテモ、コトモノニハアラネトモ、タマシヒノ名ノ、魂ト云アリ、魄ト云アリ。コノユヘニヨメルナリト尺セリ。此義シカルヘシトモキコエス。鬼乃|益卜雄《マスラヲ》トカケルハ、シコノマスラヲトイヘル也。ヲニヲハ、シコメトイフコレ也。シコトイフハ、凶トイフコトハ也。凶ノ字ヲハ、シコトモヨミ、ワロシトモヨム。サレハ此歌ノ心ハ、マスラヲノ、タケカルヘキミニテ、モロトモニ、心ヲカヨハシテモ、オモハヌ人ヲ、ワレノミヤ片戀セムトナケヽトモ、凶ノマスラヲニテ、猶コフルトヨメル也、
133 タケハヌレタカネハナカキイモカヽミコノコロミヌニミタリツラムカ
此歌ハ三方(ノ)沙弥|聚《メトリテ・(マヽ)》2園臣生羽之《ソノヽヲンナリハカ》女(ヲ)1未(タ)v經2幾(ノ)時(ヲ)1臥(シテ)v病(ニ)作(レル)歌也。タケハヌレ、タカネハナカキイモカヽミトハ、タケハトハ、アクル也。アゲトモ、タゲトモイフハ、同韻也。ヌレトハ、マトハレ也。アゲレハ、マトハリ、アゲネハ、ナカキイモカヽミ、コノコロミヌニ、ミタリツラムカトヨメル也。此歌ヲ、オトメカカヘスニ、ヒトミナハイマハナカシトタケトイヘトキミカミシカミミタレタレトモ、トヨメルハ、(73)ヒトミナハトハ、ミナヒトハトイフ詞ヲ、ムカシハヒトミナハト、オホクツカヘル也。ミナヒトハ、イマハナカシト、アケヨトイヘトモ、キミカミシカミ、ミタレトモ、キミナラヌ人ニハ、アケサセス、キミヲコソマテトイヘル心也。女ノカミヲハ、オトコノアクルユヱナリ。
126 遊士|躋《(跡ィ)》吾者聞流乎屋戸不借吾乎還利於曾能風流士《タハレヲトワレハキケルヲヤトカサスワレヲカヘセリヲソノタハレヲ》
(私云、ヲソトハ、ウソト云コト也。僞ノ義也。但又、獺ノ義アル歟。東ニハ、僞ト云コトヲハ、今モヲソト云也。)
タハレトハ、ナヒク也。心ツヨカラスシテ、人ノイフコトニナヒク也。アタナリトイフモ、オナシ心、ウカレタレハ、ウカ/\シナトイフモ同事也。今ノ歌ノ次ノ詞云|之《(ィナシ)》。大伴(ノ)田主字(ヲ)曰2仲郎(ト)1、容姿|佳艶《カエンニシテ》、風流秀絶(ナリ)。見(ル)者(ノ)聞(ク)者(ノ)、靡《ナシ》v不《云コト》2歎息(セ)1也。時(ニ)有2石川(ノ)女郎《ヲトメト云モノ》1、
(愚按云、前ノ石川女郎カ哥ニハ、ウソノタハレヲトヨミタリ、ヲソヲ、獺ニトリナシテ、田主カ返哥ニ、獺ト云歌ハ、ハシメハタハルヽヤウニテ、後ニハクヒアフ物ナレハ、ソレヲ田主カ身ニタトヘテ、誠ノ好色ノワレナレハコソ、タハレスニハカヘシタレ、ヲソノタハレヲナラハ、始タハレタリトモ、後ニハクイアハンホトニト、ヨメル心也。)
成《(自成ィ)》(シテ)2雙栖(ノ)之感(ヲ)1、恒(ニ)悲2獨守(ノ)之難(ヲ)1。意(ニ)欲v寄v書(ヲ)、未(タ)v逢(ハ)2良信(ニ)1。爰(ニ)作《ナシテ》2方便《タハカリヲ》1、而似2賤嫗《センヲウニ》1、己(レ)提《トリテ》2堝|子《・(男ィ)》《ナベヲ》1、而到2寢|側《・(慮ィ)》《ネヤノカタハラニ》、哽音※[足+摘の旁]足《カウインキヨクソクシテ》、叩(テ)v戸(ヲ)諮《トフラウテ》曰(ク)、東隣(ノ)貧女將(ニ)v取v火來(ケリ)矣。於v是(ニ)仲郎、暗裏《クラキウチニ》非v識(ルニ)2胃隱《ヲカシカクルノ》之形(ヲ)1、慮外(ニ)不v堪2※[手偏+勾]接《コウセツノ》之計(リコトニ)1、任v念(ニ)取(テ)v火(ヲ)就(テ)v跡(ニ)歸(リ)去(ヌ)也。明(テ)後(チ)女郎既(ニ)恥《ハチテ》2自媒(ノ)可(ヲ)1v愧《ハツ》、復恨(テ)2心(ノ)契(リノ)之|弗《サルヲ》1v果《ハタサ》、因作(テ)2斯(ノ)歌(ヲ)1、以(テ)贈2諺戯《コトワサノタハムレヲ》1焉。サレハ此歌ハ、タハレヲトワレハキケルヲ、ヤトカサス、ワレヲカヘセリ、ソラコトノタハレヲト、タハフレイヘリケル也。サテ田主カカヘシ歌ニ、タハレヲニワレハアリケリヤトカサスカヘセルワレソタハレヲニハアルトヨメル也。タワレトイフコトハヽ、マタハイロヲコノムコトハナレハ、ヤトカサテ、カ(74)ヘセルワレソ、マコトノイロコノミナルトイヘル也。
128 吾聞之耳尓好似葦若|末《(未ィ)》乃足痛吾勢勤多扶倍思《ワカキゝシミヽニヨクニルアシカヒノアナヘクワカセツトメタフヘシ》
此歌、古點ニハ、ワカキヽシ、ミヽニヨクニル、アシノハノ、アシイタワカセ、ツトメタフヘシト點セリ。ソノコトハ不分明。ヨリテ、少々是レヲ和シカヘタリ。ワカキヽシ、ミヽニヨクニハ、アシカヒノ、アナヘクワカセ、ツトメタフヘシ。此歌ヲハ、右依(テ)2中郎足(ノ)疾《トキニ》1贈(リ)2此歌(ヲ)1問訊《トヒトフ》也。トイヘリ。第三句、葦若末乃トカケルハ、アシカヒ也。葦芽トイフハ、アシノツノクミオヒタルナリ。アナヘクトイフハ、アシヲイタミテヒク也。アシカヒハ、葦ノ苗ナレハ、アナヘクトイフコトハノ、葦苗ニカヨヘハ、ヨソヘヨメル也。ツトメタフヘシトイヘルハ、ツヽミタマウヘシ也。ワカキヽノ、ミヽニヨクニハトハ、アシヲヤムトキコユル、ワカキヽノコトク、マコトナラハ、ツヽシミタマヘト、ヨメル也。
129 古之嫗尓爲而也如此計戀尓將|流《(沈ィ)》如乎童兒《イニシヘノオフナニシテヤカクハカリコヒニシツマンタワラハノコト》
ヲウナトハ、老女ヲ云也。タワラハトハ、童女也。ヨメル心ハ、トシタカキウバノミニテヤ、ワカキヲトメノヤウニ、戀ニシツマントヨメル也。
柿本朝臣人麿、從石見國、別妻上來時、歌詞中
(75)(ヨシヱヤシトハ、ヨシヤ∃シ也。)
131 ヨシヱヤシトイフハ、ヨシヤトイフコト也。シヱヤトイフハ、ヤトイフ也。シヱハ、詞ノ助、ヲハリノヤシノ、シ又《マタ》助也。
(ニキタツノトハ、渡海安穩ヲ祈ルノ義也。モキト云ハ、祈祷シテ神慮ヲ、ヤハラケ奉ル義也。)
(イサナトモ、クシラトモ、上下ノ詞ノツヽキニ仍テ、カキアヒタランヤウニ和スヘシ。イサナトハ、鯢也ト云々。)
((神宮文庫本朱頭書)私勘庄子八庚桑楚段云、夫尋常之溝以魚魚所還、其體而鯢鰌爲也。制歩仞之兵陸以獣無所隱、其 躯而〓狐爲之祥。元英疏云、鯢定血有虫也云云。私云、海老歟。海中ノ貝類皆虫也。エヒハ魚ニ非ス。故ニ蟲ト註歟。尋ハ八尺也。常ハ八尺一倍ノ義也。制ハ心ニマカセテ游義也。歩ハ六尺也。仞ハ八尺也。祥ハ狐ノスミカニハヨキ所ト云義也。)
鯨|眞《(魚ィ)》取海邊乎指而和多豆乃《イサナトリウナヘヲサシテニキタツノ》。此句、古點ニハ、クチラトル、アマヘヲサシテ、ワタツミノト點ス。ソノコヽロサラニアヒカナハス、今|檢《(マヽ》ニ、イサナトリ、ウミヘヲサシテ、ニキタツノト和スヘシ。イサナトリトイフハ、捕v魚《ウヲヽ》之詞也。イサリトイフカ如シ。モシコレヲ、クシラヲトルトイハヽ、鯨鯢ハ海中ノ大魚也。イカテカ海人、タヤスクコレヲトルヘキヤ。シカノミナラス、近江天皇大|殯《モカリミヤ》之時、大后御詠云、鯨魚取、淡海乃海乎云々。近江之海ニ、イカテカ鯨魚アルヘキヤ。ハカリシリヌ、假宇ナリトイフコトヲ。イサナトリノ詞、此(ノ)集ノ中ニ十二箇所アル也。假字、義讀、眞名假名等ヲモチヰタルコト、一樣ナラス。ソノウチニ、鯨魚取五所、鯨名取《イサナトル》一所、勇魚《イサナ》取二所、不知|莫《(魚ィ)》《イサナ》取三所、伊佐莫《イサナ》取一所、合十二所也。彼鯨魚取、勇魚《(勇魚取ィ)》、不知莫取等、ミナオナシクコレヲクチラトルト和ス。ミナコレアヒカナハス。イツレモ、オナシクイサナトリ也。ソノユヘハ、勇魚、コレイサナ也。勇字、コレヲ、イサト訓ス。姓ノ中ノ勇山《イサヤマ》、コレヲイサヤマトイフカ如シ。魚者是奈也。日本記ヲ見ニ、魚鹽地《キヨエンチ・ナシホトコロ》、コレヲナジホノトコロトイフ。又此集第五卷歌云、タラシヒメカミノミコトノナツラストミタヽシセリシイシヲタレミキ、トイヘリ。(76)ナツラストヽイフハ、釣魚也。シカレハ、勇魚コレヲイサナト和スヘシ。コノ勇魚不知魚兩種ハ假字也。鯨魚、コレヲイサナト和スル事ハ、鯨魚者、洋中之大魚、其氣力最健也。シカレハ、コレ者洋中之大魚、其氣力最勇健也。シカレハコレ(【以上十九字神宮文庫本ニハナシ】)ヲイサト和ス。半義讀也。ツキニ又第十七卷歌、昨日許曾敷奈※[人偏+弖]婆勢之可伊佐魚取比治寄乃奈太乎今日見都流香母《キノフコソフナテハセシカイサナトリヒチキノナタヲケフミツルカモ》。此歌中五文字、コレヲイサコトルト和ス。スコシキアヒカナハス。コレヲイサナトリトイフヘシ。魚父能(ク)渉(リ)2行(ク)泥沙(ヲ)1故ニイサナトリヒチキノナタト諷詠スル也。抑伊佐奈登利之詞、以v何爲2證者(ト)1、檢《允恭天皇十三卷》日本記曰、雄朝津間雅子宿祢《ヲアサマワクコスクネ》天皇十一年春三月癸卯朔丙午、幸2茅渟《チヌノ》宮(ニ)1。衣通郎姫《ソトヲリヒメ》歌之曰、等虚辭倍※[シンニョウ+尓]枳弥母阿|閇《(椰イ)》※[木+取]毛異舍難|亦《(等イ)》利宇弥能波摩毛能余留等枳等枳弘《トコシヘニキミモアヘスモイサナトリウミノハマモノヨルトキトキヲ》。時(ニ)天皇謂(テ)2衣通郎姫(ヲ)1曰、是(ノ)歌不v可v聆《キカシム》2他人《アタシヒトニ》1。皇后聞(カハ)必(ス)大(ニ)恨(ン)。故(ニ)時(ノ)人號2濱藻(ヲ)1謂2奈能利曾毛《ナノリソモト》1也。已上。イマコノコトハヲヨメル歌ヲミルニ、オホクハイサナトリウミトツヽケタリ。是レスナハチ捕v魚(ヲ)義ナルカユヘニ、鵜ノ字ヲ諷頌歟。イサナトリノ詞、義理大旨如此也。難シテ云ク、不知魚、勇魚ナトカケルトコロヲ、イサナト和センコトハ、其ノ諷モトモアタレリ。鯨魚ハ、マサシクコレクヂラ也。何ソアナカチニイサナト和センヤ如何。答云、如此字訓ユヘニシタカヒ、トコロニシタカヒテ、和シカフルコト常習也。シカルニ、鯨魚トカケルトコロ、クチラト和セハ、ソノコトハ(77)リサラニアヒカナハス、サキニイフコトク、鯨鯢者大魚也。何漁父、浮2蒼海之浪1、輙(ク)補v之乎。次(ニ)又ソノコトハヲ近江ノ海ニヨスヘカラス。カタ/\ソノコトハリニカナハサルカユヱ也。次ニ鯨字、マサシクコレクヂラナリトイフニイタリテハ、如此字訓、或ハ隨2譬喩(ニ)1、或ハ依2義理(ニ)1、閣2正訓(ヲ)1、用2別和(ヲ)1者、以可v爲2風流1。假令(ハ)、鴨頭草、コレヲツキクサトイフ。モシ人コレヲ、カモクサトイハヽ、才人ナンソクチヒルヲカヘサヽランヤ。金風コレヲアキカセトイフ。モシ人カネカセトイハヽ、文士サタメテオトカヒヲトカムヲヤ。イマコノクチラトルモ、又々オナシカルヘシ。ソノ心ヲエタラムモノ、和ヲクハヘントキ、タトヒソノ證據ナシトイフトモカヽルヘキ也。ソノウエ、クチラヲ、イサトイフ也。管見ノトモカラハ、タトヒ疑雲ヲハラヒカタクトモ、博覽ノ人ニヲイテハ、イカテカカヽミシラサランヤ。壹岐國風土記之、鯨伏《イサフシノ》郷在2郡(ノ)西1、昔(シ)|者《(者ナシ)》鮨鰐追v鯨(ヲ)、々走來(テ)隱(ル)伏(ス)。故(ニ)云2鯨伏(ト)1。鰐并鯨並化|鳥《(爲右)》右、相(ヒ)去(ルコト)一里、俗(ニ)云(ク)《(俗云鯨ィ)》爲(ス)2伊佐《イサト》1。
浪之共《ナミノムタ》、此句古點ニハ、ナミノトモト點ス。イマハナミノムタト點ス。トモトイフコトハヲ、古語ニハ、ムタトイフ也。トモトヨメリトモ、ソノ心オナシケレトモ、古語ニハ、ムタトイフ。日本記ニミヱタリ。此集ニモミヱタリ。古集ニムカヒテ、古語ヲソムクヘカラサレハ、ムタト點スル也。念思奈要而悉努布良武《オモヒシナエテシノフラム》、シナエテトハ、ナヒキテ也。
(78)反歌
133 小竹之葉者三山毛清尓亂友吾者妹思別來礼婆《サヽノハハミヤマモサヤニミタレトモワレハイモオモフワカレキヌレハ》
此ノ歌ノ中ノ五字、古點ニハ、ミタルトモ和ス。イサヽカアヒカナハス。ミタレトモト和スヘシ。
(辛乃崎、石見國。)
(渡刀山、同。)
(屋上乃山、同。)
(角※[章+こざと]經トハ、カモシヽト云物ハ、角ヲ岩ニカケテ寢ル故ニ、ツノサフル岩トヨメルトリ。此義如何。)
135 角※[章+こざと]經《ツノサハフ》、石見之海乃《イワミノウミノ》、言佐散久《コトサヘク》、辛乃埼有《カラノサキナル》、伊久里尓曾《イクリニソ》云々。
ツノサハフトハ、ツノオホカルトイフ也。日本記ニハ、多ノ字ヲ、サハトヨム。ツノオホカリ、イハトツヽケムタメナリ。言佐敞久トハ、コトハノ、サヘラルヽ也。コトハノ、サタカニモキコヱヌ心也。辛乃埼ハ、所ノ名ナルヘシ。カラノサキヲ、イヒイテムトテ、コトサヘクトハヲケリ。唐人ノモノイフコトハノサキヲハ、ナニトモキヽシリカタキニヨソフル也。伊久里尓曾トハ、イハ發語ノ詞ハ、クリハ、石也。山陰道ノ風俗、石ヲハクリト云也。ワタリノヤマ、ヤカミノ山、可考在所。
敷妙乃衣袖者通而沾《シキタヘノコロモノソテハトホリヌレ》奴。シキタヘトハ、ウチマカセテハ、枕ニコソイヒナラハシテハヘレトモ、此集ニハ、シキタヘ)衣、シキタヘノソテナトモヨメリ。シキトイフハ、シケシトイフコトハ、タトヘハホムルコトハナレハ、ツネニタヘナリトイハンコトハニハ、ナニコトモイハレヌヘキニヤ。タトヘハ、トコメツラナトイフカコトシ。
(79) 裏書云、押紙云、私云、敷妙トイフハ、敷義歟。シケキ義不審、可決之。
137 秋山尓落黄葉須臾者勿散亂曾妹之當將見《アキヤマニヲツルモミチハシハラクハナチリミタレソイモカアタリミム》
一云、知里勿礼曾《チリナミタレソ》。
此歌第|一《(マヽ)》四句、古點ニハ、チリナミタレソト、點セリ。イマハ、ナチリミタレソト和ス、如(ク)2古點1、チリナミタレソトイフヘクハ、一云、知里勿亂曾ト注スヘカラス。シカレハ、麁《ソ》本ヲハ、ナチリミタレソトヨムヘキナリ。カハルコトナクハ、注ニ一云、チリナミタレソトイフヘカラサルカユヱ也。
(ハシキヤシトハ、範兼説ニハ、愛スル心也ト云々。又云、物ヲホムル詞也ト云々。)
(斐然、文作也。)
138 早敷屋師吾嬬乃兒我《ハシキヤシワカツマノコカ》云々。先達オホク女ヲハ、ハシキヤシトイフトイヘリ。今※[手偏+僉]ルニ、ハシキヤシトイフハ、コトノハノシケキ義也。男トモ女トモ、トリワキテハイフヘカラス。
日本記卷第十七、男火迹天皇《ヲホトノスメラミカト》【繼躰天皇更(ノ)名(ハ)彦太尊】七年九月、勾大兄《マカリノオホヱノ》皇子|親《ミツカラ》娉《メス・ムカヘ》2春日(ノ)皇女(ヲ)1。於v是|月夜清談《ツキノヨスカラニモノカタリシテ》不v覺《オロカニ》2天曉《アケヌ》》。斐然《フミツクル・ウタツクル》之|藻忽《ミヤヒニ》形(ス)2於言(ニ)1。乃|口唱《クチツウタテ》曰(ク)、野施摩倶※[人偏+尓]《ヤシマクニ・八洲國》、都麼々祁※[加/可]泥底《ツママチカネテ》播屡比能《ハルヒ《・春日》ノ》、※[加/可]須我能倶※[人偏+尓]々《カスカ《・春日》ノクニニ》、倶婆施謎鳴《クハシキメ・妙女》、阿※[口+利]等枳々底《アリトキヽテ》、與慮志繼鳴《ヨロシキメ・宜女》、阿※[口+利]等枳々底《アリトキヽテ》、莽紀佐倶《マキ|サク《・割》》、避能伊陀圖嗚《ヒノイタトヲ・檜板戸》、飫斯毘羅枳《ヲシヒラキ・押開》、倭例以梨魔志《ワレイリマシ・吾入座》、阿都圖※[口+利]《アトトリ・跡取》、都磨怒※[口+利]絶《(※[糸+施の旁]ィ)》底《ツマトリタエテ》、
魔倶羅圖※[口+利]《マクラトリ・枕取》、都磨怒※[口+利]絶底《ツマトリ《・妻取》タエテ》、伊慕我提嗚《イモカテ《・妹手》ヲ》、倭例※[人偏+尓]魔柯絶毎《ワレニ|マカタヱ《・纒絶》》、倭我提嗚磨《ワカ|テ《・手》ヲハ》、伊慕※[人偏+尓]魔柯絶(80)毎《イモニマカタヘ》、麼左棄逗羅《マサカツラ》、多々企阿藏《・叩朝》播利《タヽキアサハリ》、矢自矩矢盧《シヽクシロ・泪玉女粧》、于魔伊※[示+尓]矢《・今不寢》度※[人偏+尓]《イマイネシトニ》、々播都等※[口+利]《ニハツトリ・鷄》、柯稽播儺倶《・掻羽鳴》儺梨《カケハナクナリ》、奴都等梨《トツトリ》、枳蟻矢播等余武《キキシハトヨフ・雉呼》、婆絶稽矩謨《ハタヽキモ・絶》、伊麻娜以播嬬底《イマタイハステ・未言》、阿開※[人偏+尓]啓梨倭蟻慕《アケニケリワキモ・明吾妹》。已上。コノウタノコヽロ、カナラスシモ女ヲイフヘシトモキコヱス。サレハ此集ノ歌ニハ、男ニモ女ニモ、乃至草木ニモアレ、水ノヲトニモアレ、コトノハノシケキニハミナヨメリ。又ハシキヤシトモ、ハシキヨシトモ、ハシケヤシトモカケル、オナシコトナルヘシ。今ノ第二卷ノ歌ニハ、ハシキヤシ、ワカツマノコカトツヽケタレハ、女トモイヒツヘシ。女ヲイフト尺スルハ、此歌ナトニヨリケルニヤ。シカレトモ男ニモヨメリトイフコトハ、第十六卷、竹取翁ニアヒヲ、九箇神女ヨメル歌ニハ、ハシキヤシオキナノウタニオホヽシキコヽノヽコラヤカマケテヲラムトヨメリ。第廿卷ニ、天平寶字二年二月於式部大|帥《(輔ィ)》中臣清麿朝臣家宴歌ニモ、ハシキヨシケフノアロシハイソマツノツネニイマサネイマモミルコトヽヨメリ。此歌ハ、作者、右中辨大伴宿※[示+尓]家持也。コノ歌トモハ、男ヲヨメリ。又第|七《(十ィ)》卷歌ニ、ハシキヤシワキヘノケモヽモトシケクハナノミサキテナラズアラメヤモトイヘリ。コノハシキヤシハ、モヽニヨソヘテヨメリ。又第十二卷歌ニ、イハヽシルタルミノミツノハシキヤシキミニコフラクワカ心カラ。コレハミツニ(81)ヨソヘテ、ハシキヤシトヨメリ。シカレハカナラスシモ、女ヲハ、ハシキヤシトイフトハ尺シサタムヘカラサルヲヤ。
(孝徳天皇御子、有間皇子ノ御哥也。齊明女帝ノ御時、蘇我赤兄ト心ヲ同クシテ、御門カタフケントセシカ紀伊國岩代ト云所ニアリテ、志ノトケカタカランコトヲ患テ、其所ニアル松ノ枝ヲ結テ手向トシテ、此哥ヲ讀置テ外ヘ出玉ヒテ、思フコトカナイナハ、松ノ枝ノ、トケサランサキニカヘリコンコトノ玉ヒシカトモ、事ナラスシテ、終ニ藤代坂ニテ殺サレ玉ヒシト也。故ニ結松ト云コト、事起リ有v憚云々。
141 磐白乃濱松之枝乎引結眞幸有者亦還見武《イハシロノハママツカエヲヒキムスヒマサキクアラハマタカヘリミム》
此歌ノ第四句、古點ニハ、アルヒハ、マサシクアラハト點ス。アルヒハ、マコトサチアラハト點セリ。兩説トモニアヒカナワス。マサキクアラハト和スヘシ。マサキクトイフハ、眞幸《マコトノサイワイ》也。此集第|七《十七ィ》卷、大伴宿※[示+尓]池主歌詞中云、吉美賀多太可乎麻佐吉久毛安里多母等保利等《キミカタタカヲマサキクモアリタモトオホリト》ト云々。第廿卷、追2痛|防人《サキモリノ》悲別(ノ)之心(ヲ)1作歌詞中云、麻佐吉久母波夜久伊多里弖《マサキクモハヤクイタリテ》云々。作例如此。何(ノ)爲2不審(ト)1乎。
142 家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛《イヘニアレハケニモルイヒヲクサマクラタヒニシアレハシイノハニモル》
ムカシハ飯ヲハ、笥ニモリケル也。イマモ勸學院ニハ、其儀ハヘルトカヤ。
近江天皇、聖體不豫《セイタイフヨノ》御病|急《キウ歟》時(ニ)大后奉v獻御歌
148 青旗乃木旗能上乎賀欲布跡羽目尓者雖見|眞《・(マヽ)》尓不相香裳《アヲハタノコハタノウヘヲカヨフトハメニハミレトモタヽニアハヌカモ》
(轜、喪車《モクルマ》也。)
青籏(ハ)者、葬具《サウク》ニハヘルニヤ。常陸國風土記ニ記シテ名クル、信太《シタ》郡由縁ヲ云、黒坂命、征2討《ウチシ》陸奥(ノ)蝦夷《ヱヒスヲ》1事了、凱旋|及《(乃ィ)》多歌《タカノ》郡|角枯《ツノカレノ》之山、黒坂命遇2病身1、故(ニ)爰改2角枯(ヲ)1號(ス)2前(ノ)山(ト)1。黒坂命(ノ)之輸轜《シユシユノ》車發(ス)。自2黒前之山1、到2日高之國(ニ)1喪具(ノ)儀、赤籏青幡、交2雑飄※[風+易](ニ)1、雲飛虹張、瑩《カヽヤキ》(82)v野耀v路。時(ノ)人謂(フ)2之(ヲ)赤幡垂(ル)國(ト)1。後世(ニ)言(ク)便(チ)稱2信太國(ト)1云々。
149 人者縱念息登母玉※[草冠/縵]影尓所見乍不所忘鴨《ヒトハイサオモヒヤムトモタマカツラカケニミエツヽワスラレヌカモ》
(唐ニハ、帝王ノ冠ニハ、玉ヲカサル也。是ハ玉ノ音ニマキレテ無益ノコトヲキカセ奉ラシノタメ也。)
玉※[草冠/縵]トハ、冠ノ纓ヲ云也。
天皇|崩時《カミアカリマシテ》婦人《タヲヤメ》作歌詞云、
150 君曾伎賊乃夜夢所見鶴《キミソキソノヨユメニミヘツル》。キソノヨトハ、キノフノヨトイフ也。見(タリ)2日本記(ニ)1。キノフノヨトハ、アケツルヨヲイフ也。ソレヲコヨヒトイフハ、ウルハシクハ非説也。ケフノヨヲ、コヨヒトハイフ也。サレハ、七夕ノ後朝ノ心ヲツクレル詩ニモ、風自2咋夜1聲彌々怨(フ)、露及2明朝(ニ)1涙不v禁、トツクレル|ヲ《(ハィ)》、七日ノ夜ヨリト八日ノ朝ニツクレル也。日本記ノ心ニアヒカナヘリ。
大后御歌
(若草トハ、常ニハ妻ヲ云ト云リ。夫ヲ妻ト云ト云リ。又婦ヲモ云ト云リ。必竟、男女ニ通ス。又云、業平哥ニハ妹ヲ若草トヨメリ。)
153 若草乃嬬之念鳥立《ワカクサノツマノオモフトリタツ》。ワカクサノツマトイフコト、日本記第十五卷ニ、億《・仁賢天皇》計《オケ》天皇ノ御宇六年・有2女人1、居2于難波御津(ニ)1。哭(テ)之曰、於母亦兄於吾亦兄《オモニモセヲアレニモセ》、弱草吾夫※[立心偏+可]怜《ワカクサノアカツマハヤ》矣。【言於母亦兄於吾亦兄《イフ心ハオモニモセヲアレニモセ》、此(レ)云《心ハ》於慕尼慕是阿例尼慕是《オモニモセヲアレニモセ》、言(ヘル)2吾夫※[立心偏+可]怜(ト)1矣。此云、阿我圖摩幡耶《アカツマハヤ》、言(ハ)弱草謂《ワカクサトイフハ》古者以(テ)2弱草(ヲ)1喩2夫婦(ヲ)1、故(ニ)以2弱草(ヲ)1爲v夫(ト)。】哭聲(ノ)甚哀(シ)。令v人(ヲ)斷腸《タツハラワタヲ》云々。イフ心ハ、ツマトイフハ、ツハ、ツヽクトイフコトハ、マハ、マトハルトイフコトハ也。クサノオヒイテヽ、イマタ葉モヒラケサルハ、ツヽキマトハレタリ。オトコヲムナモ、ツナカハレテ、ハナレヌモノナレハ、ワカクサニ、タトヘテツマトイフ也。
(83)十市皇女薨時《トヲチノヒメミコカミアカリマストキ》高市|皇子尊《スヘラミコノミコト》御作歌
157 神山之山邊眞蘇木綿短木綿如此耳故尓長等思伎《ミワヤマノヤマヘマソユフミシカユウカクノミユヘニナカクトオモヒキ》
ヤマヘマソユフ、ミシカユフトイヘルハ、フタツニハアラス。苧|ウ《(ヲィ)》トイフニ、フタツノシナアリ。アサヲハ、ナカユフト云フ。ナカキカユヱ也。マヲヽハ、ミシカユフトイフ。筑紫風土記、長木綿、短木綿トイヘルハ、コレ也。サテイマノ歌ニ、ヤマヘマソユフ、ミシカユウト、ヨソヘヨメルコトハ、十市皇女ノタマノヲ、マソユフミシカユフノコトクアリケルモノヲ、ナカシトオモヒケルトヨメル也。此歌、落句古點ニハ、ナカシトオモヒキト和セリ。ソノコトハリカナハス。ナカクトオモヒキトイフヘキ也。木綿ヲヨメル歌ニ、アマタノシナアルヘシ。アルヒハ、木ノナカニ、木綿ノ木アリ。ユフハナ《木綿花》ヽトヨメルハ、是レナルヘシ。アルヒハ、カミニタテマツルユフアリ。イマノウタノコトクナル、ナカユフミシカユウモアルヘシ。サマハコトナレトモ、名ヲツクルコトハ、イツレモオナシ心也。白キヲ、ユフトイフ也。
明日香清御原宮御宇天皇代、天皇崩之時太后御作歌
159 八隅知《ヤスミシ》之|我大王之《ワカオホキミノ》、暮去者召賜良之《ユウサレハメシタマヘラシ》、明來者問賜良志《アケクレハトヒタマヘラシ》、神岳乃山之黄葉乎《ミワヤマノヤマノモミチヲ》、今日毛鴨問給麻思《ケフモカモトヒタマハマシ》、明日毛鴨召賜萬旨《アスモカモメシタマハマシ》、其山乎振放見乍《ソノヤマヲフリサケミツヽ》、暮去者綾哀《ユフサレハアヤニカナシヒ》、明來者裏佐備晩《アケクレハウラサヒクラシ》、荒妙乃(84)衣之袖者乾時文無《アラタヘノコロモノソテハヒルトキモナシ》
此歌詞ノ中ニ、暮去者、召賜良之、明來者、問賜良志、神岳乃、山之黄葉乎ノ句 コレヲユフサレハ、メシタマフラシ、アケクレハ、トヒタマフラシト點セリ。天皇崩御ヲカナシミテ、ヨミナカサン歌ニ、メシタマフラシ、トヒタマフラシトイフヘキニアラス。シカレハ、ユフサレハ、メシタマヘラシ、アケクレハ、トヒタマヘラシトイフヘシ。メシタマヘラシトハ、メシタマヘラマシトイフコトハナルヘシ。サレハ、ノチニハ、ケフモカモ、トヒタマハマシ、アスモカモ、メシタマハマシトイヘリ。サヲコソ上下、カキアヒテ、コヽロアハセラルへキコトナレ。神岳乃、山之黄葉乎ノ句、古點ニハ、カミヲカノ山ノモミチヲト和セリ。此ノ句、ミワヤマノ山ノモミチヲトイフヘシ。
160 燃火物取而※[果/衣]而福路庭入澄不言八面智男雲《トモシヒモトテツヽミテフクロニハイルトイハスヤモチヲノコクモ》
此歌ノ心ハ、葬礼ノナラヒ、フタヽヒモノヲアラタメ、モチヰルコトハ、イムヘキコトナレハ、死人ノマクラカミニ、トモシタル火ヲモチテ、葬所ニテモ、ヽチヰルヘキ也。サテトモシヒモ、トリテツヽミテ、フクロニハ、イルトイハスヤトヨメル也。モチヲノコクモトハ、モツヘキヲノコモ、キタルトイフ歟。
170 島宮勾乃池之《シマミヤノマクノイケナル・シマノミヤマカリノイケノ》放鳥人目尓戀而池尓不潜《ハナチトリヒトメニコヒテイケニクヽラス》
(勾乃池、太和國。)
(85)此歌ノ發句、オホクハ、シマミヤノト點セルオホカルヘシ。證本トオホシキ本トモニハ、シマノミヤト點セリ。皇子尊宮ノ舍人等、慟傷作歌トモヲモチテ、コヽロヱアハスルニ、シマノミヤトヨメル、是宜歟。萬代ニクニシラレマシシマノミヤハモトヨメリ。アルヒハ、ミタチセシ、ヽマヲミルトキトモヨメリ。或ハ、タチハナノシマノミヤニハアカヌカモトヨメリ。或ハ、アサヒテルシマノ|カト《(ミカトィ)》ニトモヨメリ。シマノミヤト和スヘシトヱラハレタリ。第二句、又アルヒハ、マクノイケノト點シ、アルヒハ、マナノイケナルト點ス。二條院ノ御本ノ流ヲミルニ、シマノミヤ、マカリノイケト點セリ。
放鳥ノ事、有抄ニハ、ミコノミヤノカハセ給ケル|トリ《鳥》ヲ、ソノミヤウセタマヒニケレハ、シマノミヤノイケノウヘニ、ハナタレタリケルナリ。サレハコノハナチトリハ、ソノトリトモ、ナヲハ、サスマシ。日本記ニハ、カモヲソオホクソノ池ニハ、ハナタレタリケルトイヘルトカケリ、コノハナチトリトイヘルハ、カヒタルトリヲ、ノチニ、ハナチタルニハアラス。イケニハナツトキ、トホクトヒチラセシトテ、ハネ《羽》ヲヨキ程ニキリテ、ハナチヲキタルヲ、ハナチトリトイヘルナルヘシ。
185 水傳磯乃浦廻乃石乍自《ミツヽテノイソノウラワノイハツヽシ》木丘《コク・モク》開道乎又將見鴨《サクミチヲマタモミムカモ》
(水傳磯浦、紀伊國。)
此歌第四句、古點ニハ、コクサクミチト點ス。ソノ心ヲエス。モクサクミチヲト和スヘ(86)シ。モクサクトハ、シケクサク也。
192 朝日照佐太刀岡邊尓鳴鳥之夜鳴變|而《(イ、而ナシ)》布此年己呂乎《アサヒテルサタノヲカヘニナクトリノヨナキカヘロフコノトシコロヲ》
(佐太岡、太和國。)
此歌第四句、古點ニハ、ヨナキカヘサフ|コト《(コノィ)》シコロヲト點ス。コレ又ソノ心ヲエス。此句ヲ、ヨナキカエラフト點スヘシ。其ノ故ハ、ミコノミヤ御カクレノヽチ、カノミコノミヤノトネリ、サタノヲカヘニカヨヒケル歌、サキニステニミエタリ。アルヒハ、アサヒテル、サタノヲカヘニムレヰツツ、ワカナクナミタヤムトキモナシトモヨメリ。アルヒハ、タチハナノ、シマノミヤニハアカヌカモ、サタノヲカヘニ、トノヰシニユクトモ、ヨメリ。シカレハカノトネリラ、サタノヲカヘニトノヰシテ、ユキカヨフコトノ、トブトリナトノ、ヨアクレハ、ナキテカヘルニ、ニタルトヨメル也。
柿本朝臣人麿獻2泊瀬部皇女忍坂部皇子《ハセベノヒメミコヲシサカヘノオホキミニ》1歌詞中
(泊頼部皇女、忍坂部皇子ハ、天武天皇ノ御子也。天皇薨ノ時、獻哥也。)
(劔太刀ト云ハ、獨鈷※[手偏+丙]ノ釼ノ事也。)
194 劔刀於身副不寐者《ツルキタチミニソヘネスハ》。ツルキトタチト、二ツニハアラサルカ。ツネノタチカタナトイヘルハ、片方ニ、ハヲツケタル也。ツルキタチトイヘルハ、劔ナトノコトクニ、ウラウヘ《兩方也》ニ、ハヲツケタルトキコエタリ。此集ノ第十一卷歌ニ、ツルキタチモロハノトキニアシヲフミシニヽモシナンキミニヨリ|ハナ《(ナハィ)》ト、ヨメルユヘ也。
明《天智天皇之皇女也》日香皇女|木※[瓦+缶]殯《コカメモカリノ》宮(ノ)之時柿本朝臣人麿作歌詞中
(木瓶宮《コカメノミヤ》、太和國。)
(殯宮ト云ハ、死人ヲ置所也。玉殿也。)
(87)196 許呂臥者川藻之如久《コロフセハカハモノコトク》。コロトイフモ、フストイフコトハ也。カサネテイヘルコト、ヨシナキヤウナレトモ、オナシコトヲ、カサネテイフコトモアレハ、ヒトヘニアシトオモフヘキニモアラス。鹿ヲイフニモ、シヽカセギトイフカコトシ。ソレニトリテ、コロトイフハ、コロフトイフコトハ也。カハモハ、河水ニナカレノハヤキニシタカヒテ、カナタコナタヘヒルカヘルヲ、コロフストイヘルナルヘシ。
君与時々幸而《キミトトキ/\ミユキシテ》トキ/\トハ、ツネニモオハシマサスシテ、タマ/\ミユキシタマヒシトイフニハアラス。オリフシニシタカヒテハ、ミユキシテ、アソヒタマヒシトイヘル也。
大船猶豫|不《・(マヽ)》見者《オホフネノタユタフミレハ》。タユタフトハ、ヤスラフトイフオナシコトハ也。シカレトモ、オホフネノタユタフト、オホクハイヘル也。コフネナトハ、ナミニユラルヽコトハタヤスク、オホフネハナミニタユタフコト、ナカクヒサシキニタトフル也。
197 短歌、能抒尓賓有萬思《ノトニカアラマシ》トハ、ノトカニカアラマシト云也。ヨトニカアラマシトイフモオナシコト也。
高市皇子|尊《ミコト》城上《キノカミノ》殯宮之時柿本朝臣人麿作歌詞中
(和射|花《(マヽ)》原、美濃國。)
199 狛劔和射見我原乃《コマツルキワサミカハラノ》。高麗國ノツルキハ、ホコサキニヱダアリテ、ワサ/\シケナレハ、コマツルキ、ワサミトツヽケタルヘシ。
(88)鷄之鳴吾妻乃國之御軍乎喚賜而《トリカナクアツマノクニノミイクサヲメシタマヒツヽ》。アツマノクニトイフコトハ、景行天皇(ノ)御子、日本武尊東夷ヲセメサセタマヒケル時、相摸國ヨリ、上總國ヘワタリ給トキ、海中ニシテニハカニ暴風ハケシクフキケレハ、日本武尊ノミツマ、弟橘媛《・ヲトタチハナヒメ》、コノ風ハワカユヱ、海神フカシムル風也。ワレイノチヲステヽ、キミノミイノチヲタスケタテマツルヘシトテ、ウミニイリナントノ給。ヨリテ海上ニシトネヲシキテ、スナハチ海ニイリ給ニケリ。スナハチ風タチマチニシツマリニケレハ、日本武尊、タヒラカニキシニツカセ給ニケリ。サテ其後、陸奥ノアシキモノトモウチナヒケ給テノチ、日本武尊ノタマハク、蝦夷凶《エミシキヒトモ》首コト/\ク、ソノツミニフシヌ。タヽシ信濃國、イマタオモ|フ《ム》ケス。スナハチ甲斐ノ|キタ《北》ヨリ、ウツリマシテ、武藏上野ヲヘテ、ニシノカタ、碓日《ウスイ》坂ニヲヨヒタマフトキ、日本武尊、コトニ弟橘媛ヲシノヒ給、ミコヽロマシマス。碓日嶺ニノホリテ、タツミ《東南》ノカタヲノソミテミタマヒナケキテノタマハク、吾嬬耶《アカツマヤ》【嬬此云2菟摩《ツマト》1。】((神宮文庫本朱頭書)〓短阿字上聲短呼音近惡引。)コノユヘニ山ノ東ノ諸ノ國ヲ名ツケテ、アツマノ國ト云也。見2日本記1。ソレニトリテ、アツマノクニトイハントテ、諷詞ニ、トリカナクト、カミニヲケル事ハ、アツマトイフ、アノ字、アクトイフ心アレハ、トリハアクルヲミテナク物ナレハ、トリカナクアツマトイヘリトモキコエタリ。夜ノアクレハ、東ヨリシラミハシムルユヱ也。ナヲフカキナサケノユヱアルヘシ。アカツキニ(89)ハ、トリノナクヘキオリフシニナリヌレハ、マツメトリトキヲシリテ、クヽトナクヲキキテ、ヲトリノナクナラヒナレハ、アカツマトイフコトハニツキテ、トリカナクアツマトヨソヘツヽケタル也。オシキカナ、コノ義ハ、ミチフカウセンモノニハカクスヘシ。御軍士乎《ミイクサヲ》トハ、ツハモノ也。イクサトハ、イハ發語ノコトハ、クサトハ、イソマシムル義也。ウチマカセテハ、タヽカフトキヲ、イクサトイフトノミ、コヽロエタレトモ、タヽカフトキニハ、イフニヲヨハス、タヽカハヌトキナレトモ、ツハモノヲハイクサトイヘルナリ。千盤破人乎和爲跡不奉仕國乎治跡《チハヤフルカミヲナコシトマツロハヌクニヲオサムト》。此句古點ニハ、チハヤフル、ヒトヲナコムト、ツカヘサル、クニヲオサムトヽ點セリ。今ノ和ニイハク、チハヤフル、カミヲナコシト、マツロハヌ、クニヲオサムト云々。チハヤフルカミ、ツネノ事也。コヽニハ人ノ字ヲカキタレトモ、コヽニハカミトヨムヘキ也。ソノユヘハ、カミトイフハ、モノヲ、アキラカニカヽムルヲイフ。玉篇ニ、人ノ字ヲ、尺云、周書云、惟人(ハ)萬物(ノ)之靈《レイナリ》。孔安國(カ)曰、天地(ノ)所v生(スル)、惟人(ヲ)爲v貴(ト)。易(ニ)曰(ク)、火|光《(先ィ)》(ト)與2天地1合(ス)。其(ノ)徳(ト)與2日月1合(ス)。其(ノ)明(ト)與2四時1合(ス)。其(ノ)序(ト)與2鬼神1合(ス)。其(ノ)吉凶|礼《(マヽ)》記(ト)與《トハ》v人者、五行(ノ)之端(ナリ)。已上。コレラノコヽロニヨラハ、人ヲカミト訓スルニタレリ。日本記第一卷ニ、國常立尊ヲ、トク注《チウ》ノ詞ニ云ク、天地《アメツチ》末《イマタ・ル》v生《ナラ》之時、譬《タトヘハ》猶(ヲ)d海上《ウナノヘニ》浮(フル)雪(ノ)無(キカ)v所2根係《ネカヽル》1。其(ノ)中(ニ)生《ナレリ》2一(ノ)物1。如(シ)2葦牙《アシカイノ》1之初(テ)生(タルカ)2※[泥/土]中《ヒチノナカニ》1也。化《ナル》v人《カミト》號(ス)2國(ノ)常立尊(ト)1。チハヤフルト(90)イフコト、ソノ尺マチ/\也。或ハカミヲチハヤフルトイフコトハ、千人シテハタラカス石ヲ、ムカシ神ノケヤフリテヨリイヒハシメタル也。チイハヤフルカミトソイフヘキトイヘリ。私云、萬葉ニ、千磐破トカキ、チハヤフルトヨメハ、コレニツキテカクイヘルニヤ。或ハ、チハヤフルトハ、神ノ名也。神ノ茅ノハニテフキタル社ニ、ヒサシキヨヽリフルモノニテイマセハ申ナルヘシトモイヘリ。或ハ、神ヲマツリタテマツルニ、チハヤトイヒテ、カケオヒノヤウナルモノヲカタニカケテフレハ、チハヤフルカミト申ストモイヘリ。コレラノ義トリ/\ニ尺ストイヘトモ、正義ニアラサルニヤ。コレハカミノ、コノクニヘ、アマクタリタマフトキミチハヤクアマクタリタマフトイフ言也。日本記第二、天津彦々火瓊々杵尊《アマツヒコ/\ホニヽキノミコト》、天降タマフコトヲ尺云、于時高皇産《トキニタカミムスヒノ》尊以2眞床追衾《マコトヲフノフスマヲ》1覆《ヲホヒテ》2於|皇雲津彦火瓊々杵《スヘミマコアマノヒコホノニヽキノ》尊(ヲ)1、使《シム》v降《アマクタリマサ》之。皇孫《スメミコ》乃|離《ヲシハナツテ》2天(ノ)磐座《イハクラヲ》1、【天磐座此云2阿麻能以簸雉羅《アマノイハクラト》】且《マタ》排2分《ヲシワケテ》天八重雲《アメノヤヘタナクモヲ》1稜威之道々別々而《イツノチワキニチワキテ》天2降《アマクタリマス》於|日向襲之高千穗蜂《ヒウカノソノタカチホノダケニ》1矣。コレヲモチテコヽロウルニ、チハヤトイフハミチハヤシトイフコトハナリ。フルトイフハ、アマクタリ給フコトハ也。コレ正義ナルヘシ。マツロハヌトハ、シタガハサルヲイフ也。安騰毛比賜《アトモヒタマヒ》トハ、イマハトオモヒ給ヒト云也。
齊流鼓之音者《トヽノフルツヽミノヲトハ》。此句古點ニハ、イモヒスル、ツヽミノコエハト點ス。タ《他・ソ》ノ心アヒカナ(91)ハス。イモヒトハ、キヨムル言也。コヽニハ、シカルヘシトハオホヱス。トヽノフルツツミノコヱハトイフヘシ。オヨソナニコトニモ、ツヽミヲウツコトハ、トキ《時》ヨクナリニタリト、アマネクツケモヨホシテ、トヽノフルハカリコト也。
小角乃音母《ヲツノヽコヱモ》トハ、笛ノコトクニ、角ヲフクコトアリト申セリ。サレハ、法花經ニモ、撃鼓吹角具トヽケルハコレナリ。
(百濟原、太和國。)
言右敞久百濟之原從《コトウヘクフタラノハラニ》。コトウヘクトハ、イフコトノコトハリニテ、ウケフス也。クタラトハ、イヒノブヘキカタナクテ、クタラトナレルヨシ也。クタラトイハンタメニ、コトウヘクトイフ諷詞ヲハ、カミニヲケル也。クタラノハラハ、處ノ名也。
200 久堅之天所知流君故尓日月毛不知戀渡鴨《ヒサカタノアメニシラルヽキミユヘニヒツキモシラスコヒワタルカモ》
ヒサカタトハ、ソラ也。世界ヲ建立スルハ天地也。天地ノ間ニシテ、八方ヲモ、タツル也。シカルニ下地堅固ナラサレハ、チリハヒトナル。下地ツキヌレハ、四万四維モナシ。シカルニ上天ハカリハ、カハルコトナケレハ、ヒサシクカタシト云也。アメニシラルヽ君ユヘニトハ、人ハムマレオツルヨリ、壽限イツマテアルヘシト、梵天帝尺日月星宿ミナテラシタマヘリ。人ノ壽ヲハ、天命ト云也。シカレハ、コノミコノミコト、イツマテオハシマスヘシト、アメニミナシラレテ、オハシマシケルキミユヘニ、日月モシラレヌ(92)マテ、戀タテマツルトヨソヘヨメルナリ。
裏書云、押紙云、私云、天ニシラルトハ、死テハ天ニノホルト云歟。高日シラレヌト云モ此心歟。昇霞ト云モ同事歟。壽限事頗不審也。如何能々可決之。天ノ宮ニ神隨《カミノマニ》、神《カミト》イマセハ、カミアカルト云歟。
201 埴安乃池之堤之隱沼乃去方乎不知舍人者迷《ハニヤスノイケノツヽミノカクレヌユクヘヲシラストネリハマトフ》
或埴安池、大和國ニアリ。ヌマトハ、スヱモナカレヌヲイヘハ、カクレヌノユクヱモシラスト、ヨソフルナリ。
202 ナキサハノモリニミワスヱイノレトモワカオホキミハタカヒシラレヌ
ナキサハノモリ、紀伊國也。ミワトハ、酒也。タカヒシラレヌトハ、サキニヒサカタノアメニシラルヽトイヒノフル歌ノコトシ。
(ヨコモリトハ、若ケレハ、行末ニ、世ノ殘タルト云コト也。)
203 ヰカヒノヲカ、大和國。
柿本朝臣人麿妻死之後流血哀働作歌詞中
(輕、太和國。)
(私云、カルト云鳥ハ、鴨ノコト也。)
(ネモコロトハ、念比ノ義也。懃ヲ、ネモコロトヨメリ草ノ根モコロ、虫ノ恩モコロト云。イツレモヨセヲ云也。宗磧云、心々ノ義也ト云々。此義不可用云々。)
207 天飛也輕路者《アマトフヤカルノミチヲハ》。輕ハトコロノ名也。トリニカルトイフ鳥アレハ、カノトリニヨソヘテ、アマトフヤカルノミチト、ツヽケタリ。
狹根葛後毛將相等大船之思憑而《サネカツラノチモアハムトオホフネノオモヒタノミテ》。カツラハ、ハヒチル時、イマワカルレトモ、エタ/\(93)ミナアチコチナカク、ハヒユク程ニ、ノチニヌキアヘハ、サネカツラノチモアハントヨソフ。大船ハ、サリトモト、タノモシキモノナレハ、オホフネノオモヒタノミテト、ヨソフル也。
枕付嬬屋之内尓《マクラツクツマヤノウチニ》。ツマヤトイハンタメニ、マクラツクトイフ、諷詞ヲカミニヲケリ。マクラツクトハ、マクラナレタルトイフ也。
(短哥、衾道トハ、衾也ト、八雲ノ御説如何。ヒキテノ山トツヽケタリ。引手山、太和也。或云、越前。)
(津子ハ、妻也。)
219 天數凡津子之相日於保尓見敷者今|劔《(マヽ)》悔《アマカソフヲフシツノコカアヒシヒヲオホニミシカハイマソクヤシキ》
カソフトイフハ、サソフトイフコトハニ、イマモアツマコトハニイフト申人侍リ。マコトニコノ歌ノ心ニオモヒアハスルニ、サモトキコユ。サト、カト、同韻相通也。ヲフシツノコカトハ、オフシトハ、少主トイフコトハ也。津邊ノ海人ナト、ウナカシツカフヘキコトハ也。姓ノ中ニ、凡海トイフ、コノ心也。サレハコノウタハ、海人サソフ、ヲフシツノコカトイヘル也。
220 神乃御面跡次來中乃水門從船浮而《カミノミオモトツキテクルナカノミナトユフネウケテ》。次來ノ句、諸本ニ次來島トカク。コレニヨリテ古點ニハ、シキシマノト點ス。イタク荒凉也。師《(マヽ)》中納言伊房卿手跡本、次來中乃水門從、書之、最可然。コレニツキテ、カミノミオモト、ツキテクルト和スヘシ。アキツシマノ、スメラミコトノ、ワカミコタチ、アレツヽキタリタマフ心也。中ノミナトヽハ、阿波國(94)ニミナトアリ。中湖《ナカノミナト》トイフハ、牟夜戸與|※[関ノ門構えなし]《(マヽ》》湖中ニ在ルカ故、中湖ヲ爲v名。見2阿波國風土記1。
行船乃梶引折而《ユクフネノカチヒキヲリテ》。カチヒキヲリテトイフハ、フナチニハ、カチトリカ、フネノユキテヨカルヘキカタヲハカラヒテ、ヒキナヲシユラフル也。サレハ、ソレカヨキカタヘヤラントヒキムクルヲ、ヒキオルトイヘル也。欝|樞《・(マヽ)》《ヲホヽシ》トハ、オホツカナクト云也。
(佐美乃山、讃岐國。佐乃美山トモ云。)
221 ツマモアラハトリテタキマシサミノヤマノカミノウハキスキニケラスヤ
トリテタキマシトハ、トリテアケマシ也、ウハキトハ、莪《ガ》也。オワキトモイフ。人ノクフモノ也。
人麿|死《ミカル》時妻(ノ)依羅娘子《ヨサミノヲトメ》作歌
224 且今日《ケフケフト》々々々|吾待君者石水之貝尓《ワカマツキミハイシカハノカヒニ》【一云谷尓】交而有登不言八方《マシリテアリトイハスヤモ》
此歌、中五字、多本、石水之見尓《イソシミニ》トカケリ。依之古點ニハ、ケフ/\ト、ワカマツキミハ、イソシミニ、マシリテアリト、イハサラメヤモ、ト點セリ。イソシミニノ句。ソノ心ヲエス。或本ニ、見ノ字、貝ニカク。モトモソノコトハリニカナヘリ。水ノ字、カハトヨム、此集ノ中ニモ傍例アリ。ヨリテ和換ニ云 ケフ/\ト、ワカマツキミハ、イシカハノ、カヒニマシリテ、アリトイハスヤモ。ナニヽヨリヲカ、イシカハノカヒニマ(95)シリテト和スルトナラハ、水ノ字、カハトヨム。次下ノ歌ニ、イハク、イシカハニクモタチワタレミツヽシノハムトヨメリ。イシカハトヨムヘシト、エラレタリ。カヒニマシリテトイヘルハ、漢字、貝ニカケル本アリ。コレニツキテ心ヲウルニ、宇治ノモノカタリノ、カケロフノマキニモ、水ノヲトノキコユルカキリハ、心ノミサハキ給テ、カラヲタニタツネス。アサマシクテモ、ヤミヌルカナ。イカナルサマニテ、イツレノソコノウツセニマシリニケンナト、ヤルカタナクオホストカケリ。イマノ歌ニ、イシカハノカヒニマシリテ、アリトイハスヤモトヨメル、宇治ノモノカタリニオナシキヲヤ。
228 姫島《ヒメシマ》、豐後國。
裏書云、押紙(ニ)云、私(ニ)云、攝津國風土記云。比賣《シメ》島(ノ)松原(ハ)右輕島豐阿伎羅宮御宇天皇世、新羅《シラキノ》國(ノ)有v女神道|者《(マヽ)》其(ノ)夫來(ニ)、暫住(ク)2筑紫(ノ)國(ニ)、伊波乃|比賣《(比乃ィ)》《ヒメ》島(ニ)1。【地(ノ)名】乃(チ)曰此島者猶不v遠若居2此島1男|神《カミ》尋《タ》來(テ)、乃更遷來。益亭此島。故所本住之地名、以島號。如此記者姫島松原|接《(攝ィ)》津國也。此二首歌中ニ、難波方、鹽干|勿有曾※[示偏+尓]《ナアリソネ》ト詠セリ。故此松原者、難波邊歟。風土記ノ次上ニ、長樂地名ノ邊トミヱタリ。比賣島ハ、縱雖有豐後國、今歌ハ、ツノクニノヒメシマヲヨメル也。
229 ナニハカタシホヒナアリソネシツミニシイモカスカタヲミマククルシモ
(96)此歌ノ心モ、依羅娘子《ヨサミノヲトメ》歌ニ、イシカハノカヒニマシリテトアリツル歌ニ、オモヘル心アヒニタルヲヤ。
志貴親王薨時作歌詞中
230 神之御子之御駕之手火之光曾幾許照而有《カミノオホムコノオホンタノタヒノヒカリソコヽタテリタル》。此句、古點ニハ、カミノオホムコノオホムマノタヒノヒカリソソコラテリテアルト點セリ。オホムマノタヒノヒカリ、アヒカナヒテモ、キコエス。コレヲ神ノオホミコノ、オホムタノタヒノヒカリソ、コヽタテリタルト和スヘシ。オホムタトハ、供奉人オホカル|ミユキ《幸ィ》也。タヒトハ、手ニモチテ、フリアリク火也。
(私云、コキタクモ、多也。コト/\シキヤウノ義也。)
文永六年、沽洗二日、於武藏國比企北方麻師宇郷書寫畢。 仙覺 在判
建治元年、冬十一月八日、於鎌倉比企谷以作者仙覺律師自筆本、教人書寫畢。
玄覺 在判
一校畢
弘安三年庚辰春正月癸卯朔乙卯、以本集一見之、管見之所及押紙畢。
權律師玄覺
(以上萬葉集註釋第二册)
(97)萬葉集註釋卷第三
第三卷
235 皇者神二四座者天雲之雷之上尓廬爲流鴨《スヘロキハカミニシマセハアマクモ イカツチノウヘニイホリスルカモ》
イカツチノ上ニイホリスルカモトハ、雷トハ、山ノ名也。サレハ次ノ下ノ詞ニ、カキノセタル歌ニハ、イカツチ山ニ、ミヤシキイマストイヘリ。イカツチトハ、ミムロ山ノ給《タマハリ》ノ名也。日本記第十四卷、大泊瀬幼武《オホハツセワカタケ》天皇御宇、七年秋七月甲戌朔丙子、天皇|詔《ミコトノリシテ》小子部連※[虫+果]〓《チイサコヘムラシスカルニ》1曰、朕欲(フ)v見2三諸岳《ミモロヤマノ》神之形(ヲ)1。【或云。此山之神(ヲ)爲(ハ)2大物主(ノ)神(ト)1也。或云、菟田墨坂《ウタノスムサカノ》神(ト)也。】汝(タチ)膂力《チカラ》過(タリ)v人(ニ)。自行(テ)捉《トラヘテ》來《マコ・マウコ》。※[虫+果]〓答曰。試|徃捉《マカリテトラヘム》之。乃登(テ)2三諸(ノ)岳(ニ)1、捉《トラヘ》2取(テ)大(キナル)蛇《ヲロチヲ》1、奉2示《タテマツル》天皇(ニ)1。不2齋戒《モノイミ》1、其|雷《カミ》〓〓《ヒカリヒラメイテ》目精《マナコ》赫々《カヽヤク》。天皇|畏《・ヲソツテ》蔽《ヲホイ・フサキ》v目、不v見。却2入《カクレタマヒヌ》殿中《オホトノミ》1。使v放2於岳(ニ)1。仍(テ)賜(テ)v名(ヲ)爲v雷《イカツチ》。
240 久堅|乃《ノ》天歸《アメユク》月|乎《ヲ》網尓刺我大王者蓋尓爲有《アミニサシワカオホキミハキヌカサニセリ》
此歌古點ニハ、ヒサカタノソラ行月ヲアミニサシワカオホキミハカサニナシタリト點ス。濱成卿和歌式ニハ、アマユク月ヲアミニサシトカケリ。ソラトイヒ、アマトイフ、ヲナシケレトモ、古語ニハ、ヒサカタノアマトモイヒ、アメトモイフナリ。ヒトリタチニイ(98)フ時ニ、アメツチトモイヒ、アメニアルナトイフ、コレ女聲ナリ。マタヒサカタノアマノカハラナトイフ、ツネノコト也。マト、メト、同内相通ノユヱニ、男聲ヲヨヘハ、アマトイハルヽナリ。此歌ノ落句、カサニナシタリトヨメルハ、ソノ心コトハコマヤカナラス。和歌式、キヌカサニセリトイヘル、尤ヨロシキニヤ。此歌ノ心ハ、ヒハリアミ《雲雀網》ノ、月ノコトク、マロ《圓》ニスキタルヲモチタルカ、キヌカサ《絹笠》ニ似レハ、ソラ行月ヲ、アミニサシ、ワカオホキミハ、キヌカサニセリトヨメル也。
246 葦北乃野坂乃浦從船出爲而水嶋尓將去浪立莫動《アシキタノノサカノウラニフナテシテミツシマニユカンナミタツナユメ》
此歌ハ、長田王ヲ被v遣《ツカハサ》2筑紫1、渡(ル)2水嶋(ヲ)1之時ノ歌也。葦北乃野坂《アシキタノノサカノ》浦ハ、肥後國也。水嶋又同(シク)肥後也。風土記云、球磨乾《クマノイヌイ》七里、海中(ニ)有v嶋。積可七十里。名曰2水嶋(ト)1。嶋出2寒水1。逐2潮(ノ)高下(ヲ)1云々。彼ノ嶋ヲハ、水嶋ト云。然(ハ)此歌、長田王歌二首アルニ、サキノ歌ニハ、カミサヒヲルカコレノミツシマトイヘリ。次ノ歌ヲ、ミシマニユカムナミタツナユメト點スルコト、聊不審也。同シ所ノ名ヲ、心ニマカセテ、タチマチニイヒカフルコト、愚老管見ニシテ、未2見及1。ミツ嶋ニユカムトモ、アナカチニアシカルヘキニモアラス。然而、ミシマニユカムト云ヘルハ、其(ノ)キヽヨロシトオモヘルニヤ。重(テ)待2後賢(ニ)1治v思(ヲ)而已。
250 珠藻苅敏馬乎過夏草之野嶋之崎尓舟近着奴《タマモカルミヌメヲスキテナツクサノノシマカサキニフネチカツキヌ》
(99)此歌、古點ニハ、タマモカル、トシマヲスキテ、ナツクサノ、ノシマノサキニ、フネチカツキスト點セリ。ヌ或本ニハ、第二句、ハヤマヲスキテト點ス。共ニ不相叶。ミヌメト和スヘシ。ムト、ヌトハ、同韻相通也。讃岐ヲサヌキト云、珍海ヲチヌノウミト云カコトシ。サレハ、六卷、過《スクル》2敏馬《ミヌメノ》浦(ヲ)1時山部宿※[示偏+尓]赤人作歌者、御食向淡路嶋二眞向三犬女乃浦能《ミケムカフアハチノシマニタヽムカフミヌメノウラノ》トカケリ。又同卷過(ル)2敏馬《ミヌメノ》浦(ヲ)1時作詞中云、八嶋國百船純乃定而師三犬女乃浦者《ヤシマクニモヽフナヒトノサタメテシミヌメノウラハ》トカケリ。同反歌云、眞十鏡見宿女乃浦者百船過而可往濱有七國《マスカヽミミヌメノウラハモヽフネノスキテユクヘキハマナラナクニ》。然則|敏馬《ミヌメ》無v爭、ミヌメト和スヘキ也。サレハ、今ノ第三卷|覊旅《タヒノ》歌ニ、嶋傳敏馬乃崎乎許藝廻者日本戀久鶴左波尓鳴《シマツタヒミヌメノサキヲコキタメハヤマトコヒシクタツサハニナク》ト、イフ歌ノ第二ノ句、或本ニミヌメノサキヲト和ス、尤ソノ心ヲエタルヲヤ。第四句、野シマ)サキト點ス、ヨロシカラス。ノシマカト點スヘシ。第十五卷ノ、當所誦詠ノ古歌ノ中ニモ、野嶋我左吉尓《ノシマカサキニ》、伊保里須和札波《イホリスワレハ》、トカケル也。コノミヌメハ、攝津國ニアリ。ノシマカサキハ、淡路トミヘタリ。
私云、攝津國風土記云、美奴賣《ミヌメノ》松原、今稱2美奴賣1者神(ノ)名(ナリ)。其神本居2能勢《ノセノ》郡美奴賣山(ニ)1者。息長《オキナカ》帶比賣(ノ)天皇、幸2筑紫國1時、集2諸(ノ)神祇1、於2川(ノ)邊郡(ノ)内神前(ノ)松原(ニ)1以求2禮福1。于v時此(ノ)神亦(タ)同(ク)來(リ)集(テ)曰、吾(レ)亦《マタ》護佑《マホリタスケン》。仍|諭《ヲシヘテ》v之曰、吾(カ)所v住之山、有2須義乃《スキノ》木(ノ)1木名|宜《ヨロシク》採(テ)爲v吾造v船(ニ)。則乘2此船1而可2行幸1、當v有2幸福1。天皇乃隨2神(ノ)教1、遣于2命作1v船。此(ノ)(100)神船遂(ニ)征(ス)2新羅(ヲ)1。【一云、于時此船、大鳴響、如牛吼、自然從對馬海還到、此處不得乘、法仍卜占乃曰、神靈所欲乃留置。】還(リ)來之時、祠2祭此神於斯浦(ニ)1并留v船(ヲ)以(テ)献(ス)神。亦名2此地(ヲ)1曰美奴賣。
(敏馬浦此處歟。)
253 イナヒノモユキスキカテニオモヘレハ心コヒシキカコノ嶋ミユ
イナヒ《印南》野モ、カコ《可古》ノ嶋モ、播磨國也。コヽロコヒシキトハ、コヒシキナリ。モノヲ云ニ、コヽロト云コトハヲ、イヒソフルコトモアリ。コヽロヨシトモ、コヽロウシトモ、心カナシトモイフカコトシ。
254 留火之明《トモシヒノアカシノ》大門《セト・ナタ》尓入日哉※[手偏+旁]將別家當不見《ニイルヒニヤコキワカレナンイヘノアタリミテ》
此歌古點ニハ、トモシヒノアカシノセトヽ和セリ。セトヽハ、オホクハ迫門トカキテヨメリ。セハキ所ト聞ヘタリ。大門ト書テセトヽ和スヘカラス、仍今アカシノナタト和スル也。ナタハ、ナト云ハ、ナミナリ。阿波國風土記云、奈佐浦【奈佐云由(ハ)者、其(ノ)浦(ノ)波(ノ)之音無2止時1。依(テ)而奈佐(ト)云。海部(ニハ)者、波|矣者《ヲハ》奈等《ナタ》云。】タト云ハ、タカキ義也。海ノ面眇々トシテ、波タカキ所ヲ、ナタトイフ。ハリマナタトイヘルコヽロナルヘシ。ヨリヲアカシノナダト和(ル)也。
(日和トハ或説云、西ヘサス鹽ヲ、ニワト云、東ヘサス鹽ヲ、ウラシホト云ト云々。此義如何。)
256 飼飯海乃庭好有之苅薦乃亂出所見海人|鈎《・(マヽ)》船《ケイノウミノニハヨクアランカリコモノミタレテイテミユアマノツリフネ》
ケヒノ海ハ、越前也。ニハヨクアラシトハ、海上ノ風波シツマリテ、ナキタルヲハ、ニハト云也。ニトイフハ、ヤハラクコトハナレハ、目ヤハラキタルヲ、ニハト云ナルヘシ。
(天香久山ハ、天照太神ノ、岩戸ヲ押開玉フ所也云々。)
(101)257 鴨(ノ)君|足《タリ》人、香具山歌ノ詞
天降付天之芳來山《アモリツクアマノカクヤマ》。アモリツクトハ、アマクタリツクトイフコトナリ。アマノカク山、大和國也。此山ノナヲ和スルニ、カク山トモ點シ、カコ山トモ點ス。クモ、カモ、同韻相通ナレハ、イツレモイハレアルヘケレトモ、來ノ文字ヲカケルトコロヲハ、コトモクトモ、和ストモ、具トカケルヲハ、クト點スヘシ。コトヨムコトハリアルヘケレトモ、ソノマサシキイハレヲトルヘシ。アマノカク山トハ、ソラノ香ノカホル所ナレハイフトモ云ヘリ。ソラノ香ノカホルニツキテ、天ノ香ハ、殊ニウツクシケレハ、カクトイフヘシ。クトイフハ、クハシト云コトハ、クワシトハ、コマヤカナリ。ホムルコトハ也。アモリツクアマノカク山ト、ツヽケタルコトハ、ソラノ香ノカホリクレハ、アモリツクトモヨメルトコヽロエツヘシ。又阿波國ノ風土記ノコトクハ、ソラヨリフリクタリタル山ノオホキナルハ、阿波國ニフリクタリタルヲ、アマノモト山ト云。ソノ山ノクタケテ、太和國ニフリツキタルヲ、アマノカク山トイフトナン申。此儀ニヨラハ、別ノ心エヤウモイルヘカラス。アマクタリツキタル、アマノカク山トイヒツヘシ。
259 何時間毛神左備祁留鹿香山之鉾椙之本尓薛生左右二《イツシカモカミサ|ヒニケ《(マヽ)》ルカカクヤマノムスキカモトニコケムスマテニ》
ムスキカモトニコケムスマテニトハ、フル木ニモアラス、オイツキタル木ノモトニ、コ(102)ケノムストヨメルニヤ。生スルヲハ、ムマルト云カ如シ。人ノ子ヲモ、ムスコト云、ムスメナト云モ、生シタル義ナルヘシ。苔ナトオヒタルヲモ、ムスト云、オヒシケリタル木ノモトニ、コケムシタルトヨメル也。オヒ木ヲハ、イフニモヲヨハス。フル木ニモアラス。オヒツキタル木ノモトニ、コケノムスマテニトイフコトハ、カミノ句ニ、イツシカモ、カミサヒケルカトヨメルユヱ也。凡ソ反歌ト云ハ、長歌ニヨミタルコトヲ、カヘシテヨメルヲ、反歌ト云。コノムネハ、第一卷ニミヘタリ。シカルニ、此香山歌ニハ、松風ニ池波タチテサクラ花コノクレシケニナトイヒ、ヲハリニハ、アソフフネニハ|カチ《梶》サヲ《※[竹/卓]》モナクテ、サヒシモコクヒトナシニトヨメリ。此歌ノ反歌二首ナレハ、ハシメノ歌ニハ、ヒトコカスアラクモシルシイサリスル|ヲシ《鴦》ト|タカヘ《小鴨也》トフネノウエニスムトヨメリ。サテ次ノ歌ニ、ムスキカモトニトヨメルハ、椙トモオホエス。此集ノ習ヒ、假字ヲカクコトモオホカレハ、漢字ニヨリテ執スマシキ事モ、アマタアヒマシハルヘシ。但正説アルヘシ。
(私云、或説云、鉾椙トハ杉ヲ以テ作タル鉾《ホコ》ヲ、祭禮ノ具ニ用也ト云々。)
或本歌
260 アモリツクカミノカク山。アモリツクト云詞、カクヤマトイフ心、サキニステニアラハレタリ。タヽシ、サキニハアモリツク、アマノカク山トコソハヘリツルニ、コレハカミ(103)ノカク山トイヘルハ、カクヤマハアマクタリタレハ、神モマタアマクタリタマヘルモノナレハ、ヨソヘテ、カミノカク山トイヘルニヤ。又神祇ノ兩字ハ、トモニ神トヨムニトリテ、祇ヲハクニツカミトヨム。神ヲハ、アマツカミトヨム也。サレハアマツカミノ義ニテ、神ノカク山トイヘルハ、スナハチアマノカク山トイフコヽロナリト、オモヘリケルニヤ。先賢ノ毫筆、ソノ心トキサタメカタシ。
百式乃《モヽシキノ》大宮人|乃《ノ》去出榜《ユキテヽコキ》來《クル・コシ》舟者竿梶母無而佐夫之毛《フネハサホカチモナクテサフシモ》榜与《コクト・コカムト》雖v思《ヲモヘト》
此句古點ニハ、モヽシキノ、オホミヤ人ノ、ユキイテヽ、コキクルフネハ、サホカチモナクテ、サフシモ、コクトヲモヘトヽ點セリ。其心不相叶。コキクル船ハトイハヽ、イカヽ次ノ句ニ、サホカチモナクテ、サフシモト云ヘキ。又サホカチナクハ、イカヽスエノ句ニ、コクトオモヘトヽ云ヘキ。句コトニカタチカヒナルヲヤ。仍今和換(ニ)イハク、コキイテヽコキコシ船ハ、サホカチモナクテサフシモ、コカムトオモヘト。歌ノ次ノ詞ニ云、古今案(スルニ)遷2都(ヲ)寧樂《ナラ》1之後《ノノチ》怜《アハレンテ》v舊(ルキヲ)作2此歌(ヲ)1歟云々。又次上長歌云、モヽシキノオホミヤヒトノタチイテテアソフ船ニハサホカチモナクテサヒシモコク人ナシニト云ヘリ。反歌(ニ)云、ヒトコカスアラクモシルシイサリスルヲシトタカヘト船ノウエニスムト云ヘリ。此前後ヲカヽミテ、尤サホカチモナクテ、サフシモ、コカムトオモヘトヽ和スヘキ也。サフシ(104)モト云ハ、サヒシキナリ。ヒト、フト、同内相通也。
(矢釣山、大和國。)
262 矢釣山《イコマヤマ・ヤツリヤマ》木立不見《コタチモミエス》落亂雪驪朝樂毛《チリマカフユキモハタラニマヰテクラクモ・チリミタレイ本ユキハタラナルアシタヽノシモ》
此歌古點ニハ、イコマヤマコタチモミヘスチリミタレユキノウサキマアシタタノシモト點ス。發句、イコマ山、矢ノ字ヲ、イトヨメルコトハ、サモハヘリナム。矢ヲ、イト云コトハ、アルカ故也。釣ヲコマト和セムコト、其心ヲ得ス。是ヤツリ山ナルヘシ。第二卷ニモ、ヤツリ河トヨメリ。山河替レリトイヘトモ、其所是ヲナシキヲヤ。腰句以後、マタ、チリマカフ雪モハタラニマヰテクラクモト和スヘシ。長歌ニステニ、ヒサカタノ、アマツタヒコシ、ユキシモノ、ユキヽツヽマセ、トコヨナルマテトヨメリ。キタルコヽロコレオナシカルヘシ。
(三輪崎ハ、太和國城上郡、非水邊。三輪崎アラ磯モ見ヘス浪立ヌイツコヨリユカンヨキ道ナシ二、此歌水邊也。近江ナルヘシ。)
265 クルシクモフリクルアメカミワノサキサノヽワタリニ家モアラナクニ
ミワノサキ、五代集歌枕ニハ、大和國トシルセリ。然而コノミワノサキ近江歟。近江ニ三和社アリ。今歌ノ前後ノ歌、近江ノ詞アルユヱ也。
長屋王故郷歌
268 吾背子我古家乃里之明日香庭乳鳥鳴成島待不得而《ワカセコカイニシヘノサトノアスカニハチトリナクナリシママチカネテ》
此歌第二句古點ニハ、フルヘノサトノト點セリ。其詞ヨロシカラス。イニシヘノサトノ(105)ト和スヘシ。古家イニシヘト和(ル)コト、傍例是アリ。シマヽチカネテトハ、シハシマチカネテト云心也。シハシヲ、シマト云ハ、ハト、マト、同韻相通ノ故也。
269 人不見者我袖用乎將隱乎所燒乍可將有不服而來來《シノヒニハワカソテモチテカクサンヲヤケツヽカアラムキステキニケリ》
ヤケツヽカアラム、キステキニケリトヨメルハ、ヤケツヽトハ、ヨケツ、ト云也。此歌、コトハ、カスカナリトイヘトモ、ヨメル心ハ、ヤケツヽカアラムキステキニケリト云ハ、カタミノ衣ノ心ナリ。發句、人メニハト點セリ。人不見トカケルハ、シノヒニハト云フヘシ。傍例アリ。此歌ノ心ハ、カタミノ衣ヲキタリトモ、ワカ袖モチテカクサマシヲ、カノカタミノ衣ヲステタルニヤ、キモセテ、キニケリトヨメル也。
(赤ノ曾保舟ハ、装束船歟。アケハ、赤義也。或ハ、アカラ小舟、或ハサニヌリノ小舟トモヨメリ。又云、ソホ舟ハ、小舟也トハ、露ニソホヌレ雨ニソホヌレナト云ハ、少ヌレタル義也。ソホハ少也。)
270 客爲而物戀敷尓山下赤乃曾保船奧※[手偏+旁]所見《タヒニシテモノコヒシキニヤマモトノアケノソホフネオキニコクミユ》
アケノソホフネトハ、ソホフネハ、小舟ナリ。船ヲハアカク色トルモノナレハ、アケノソホ船ト云。山モトハ、所ノ名也。筑後ノクニニアルニヤ。但是ハ、アケトイハムタメノ諷詞ニ、山下ノトヲケルニヤ。夜ノアクルニハ、山ノ葉ヨリシラミハシメテアケワタルニヨソヘテ、山下ノアケノソホ船トヨソヘヨメルナリ。又此歌、戀ノ心トミエタレハ、旅ニシテ人ヲコフトテイヲモネスシテ、山下ノアケワタルヲミルト、イフ心ニモアルヘシ。
(106)271 アユチカタ、紀伊國。
(四極山、豐前國。)
(笠結島、同。)
(笠縫島、豐後歟。)
272 四極山打越見者笠縫之島※[手偏+旁]隱棚無小舟《シハツヤマウチコエミレハカサヌイノシマコキカクルタナナシヲフネ》
此歌頭句、古點ニハ、ヨモ山ヲト和ス。ヨモ山イツレノ山ソヤ。荒凉ナルニヤ。是ヲハ、シハツ山ト云ヘシ。極ノ一|訓《クン》ハ、ハツ也。其上、古今和歌集、第廿卷、シハツ山フリノ歌也。其謂レ、カタ/\シハツ山ニアタレル也。
(私云、山林ナトヲ、咲トモ、散トモヨムコトハ、勿論古歌ノ體ナレトモ、此歌ハ、タカツキノ、ツキヲ、槻ニヨソヘテヨメル歟。槻ハ、木ノ名也。)
277 トクキテモミ|ナ《(ティ)》マシ物ヲヤマシロノタカツキムラノチリニケルカモ
山シロノ、タカツキムラハ、所ノ名也。チリニケルカモトハ、コノハノチリテアレタルヲイフ。山林ナトヲ、フルクハ、サクトモ、チルトモヨメルハ、春ワカハノサシタルヲ、春ハサキナトヨメリ。又木ノ葉ノチルヲ、ニホヘルヤマノチラマクオシモナトヨメリ。ウチキクハ、山ナトノサキモシ、チリモセムヤウニキコユレトモ、サカユルヲ、サクト云、アレ行ヲチルトヨメルナリ。
(滋加、筑前國。)
(或説云、クシラノヲクシトハ、ツゲノヲクシノコト歟。ツケノヲクシハ、海士ノ晝飯ヲ、ツトニシテ、腰ニサスコト也ト云々。如何。可尋云々。)
278 然之海人者軍布苅鹽燒無暇《シカノアマハメカリシホヤキイトマナミ》髪梳乃《カミケツリノ・クシラノ》小櫛取毛不見久尓《ヲクシトリモミナクニ》
此歌第四句、古點ニハ、カミケツリノヲクシト點ス。ソノ和イタクナカシ。是ヲクシラノヲクシト和ヘシ。髪梳、コレヲクシラト和スヘキコトハ、大隅國風土記ニ、大隅(ノ)郡|串卜《クシウラ》郷、昔(ハ)者造國(ノ)神、勒2使者(ヲ)1遣(シテ)2此村(ニ)1、令2消息1。使者報(ス)v道(ニ)、有2髪梳《クシラノ》神1云、可v謂2髪梳村(ト)1。(107)因曰(ク)、久西良《クシラノ》郷。【髪梳(トハ)者、隼人(ノ)俗語(ニ)久西良、今改(テ)曰2串卜郷1。】
279 ツノヽ松原、攝津國。
280 去來兒等倭部早白管乃眞野榛原手折而將歸《イサヤコラヤマトヘハヤクシラスケノマノヽハキハラタヲリテユカム》
マヽノハキハヲ、大和國。シラスケノトハ、菅ハ花ノシロキ物ナレハイヘルニヤ。白萩、白菊ナト云カコトシ。ミナ花ノ色ノ白キニヨリテ云也。郭知玄ニ、菅ヲ尺云、白花似v茅(ニ)無v毛ト云ヘリ。
(クヽツハ、繩ニテシタル袋ナリ。)
293 シホカレノミツノアマメノクヽツモチタマモカルラムイサユキテミム
クヽツトハ、ホソキナハニテ、モノイルヽ物ニシテ、ヰナカノモノヽモツナリ。ソレヲ、クヽツト云。
(赤打山、下總。)
(廬崎、同。)
(角田川、同。)
298 マツチ山ユフコエユキテイホサキノスミタカハラニヒトリカモネム
(此歌ハ下總也。太和ニ同名アル歟。歌ニ、イホハラヤスミタ川原ノ磯枕タヒ/\ミレトアカヌ浦カナ。是、イホハラ也。駿河同名アリ。)
イホサキノスミタ河原ハ、紀伊國也。
(シノクトは、宋韻云、凌ハ歴也ト云々。歴トハ、雪ノ菅ノ葉ニ、フリオホフ心カト云々。道ヲ歴ト云モ、道ヲ通ル心ナリ。又藥師經不相侵凌ト云文モ、シノクトハヲカスト聞タリ史記曰、炎帝欲v侵2凌(ント)諸侯(ヲ)1云々。是モ、ヲカス也。凌雲臺ナト云モ、雲ニツキテ、雲ヲオカス心也。又云、シノクハヨク也。去心也。是イハレスト也。外ヨリスクルヲ云也ト云々。雨ヲシノクナト云ヘトモ、タヽヌレタル由也。是雪ノウツミタル也。)
299 オク山ノスカノハシノキフルユキノ。菅ヲ、スカトイフハ、男聲ヲヨフ也。オヨソ、酒ヲ、サカト云、竹ヲ、タカト云、スケヲ、スカト云、風ヲ、カサト云カコトキハ、皆男聲ヲヨフナリ。悉曇ノナラヒナルヘシ。スケト云ハ、スクナリト云ナリ。モロ/\ノ草ハ、枝葉アリテ、イマタオサナキヨリナヒケルモアルニ、菅ハスクニタテルモノナリ。(108)シノクトハ、シナフト云コトハナリ。サレハスクナル草モ、シナフマテフル雪トヨメルナリ。
301 磐金之凝敷山乎超不勝而哭者泣友色尓將出八方《イハカネノコヽシキヤマヲコエカネテネニハナクトモイロニイテメヤモ》
此歌古點ニハ、イハカネノコリシク山ヲコエカネテナキハナクトモイロニイテムカモト點セリ。コリシク山ハ、和ノ詞ナタラカナルニニタレトモ、古語ノ傍例ミエス。又ソノ心、アマネカラス。コヽシキ山トイヘルハ、傍例ミユルウエニ、其心カナヘリ。コヽシキトハ、ソコハクト云詞ナレハ、イハカネノコヽシキ山ヲコエカネテトイハム、コトハリフカヽルヘシ。コリシクトテハ、スコシコリシキタルコトモアリヌヘシ。ナキハナクトモト云ヘル、又ヨロシカラス。ネニハナクトモト、和スヘキナリ。又傍例オホカルヘシ。
(シノスヽキハ、説々アリト云ヘトモ、常ノスヽキノ穗ニ出ヌヲ、シノスヽキト云、穗ニ出タルヲ、ハタススキト云也。)
307 シノスヽキクメノワカコカイマシケル。シノスヽキトハ、ホニイテヌスヽキヲ云。シノト云ハ、シノフト云詞ナリ。クメトハ、コムト云詞ナレハ、クメトイハムタメノ諷詞ニ、シノスヽキトヲケルナリ。
(古老(ノ)傳(ニ)云、式家(ノ)始祖藤(ノ)宇合一(ノ)男廣繼反2于西府(ニ)1。於v是以2大野(ノ)東人《アツマト》1爲2大將軍(ト)1率2官兵(ヲ)1伐v之。時(ニ)廣繼|自《ミ》拔v刀切v頸、升v空蹶(リ)2殺官軍1、化(シテ)爲2赤鏡(ト)1。見(ル)者多(ク)死(ス)。肥前國松浦(ノ)鏡(ノ)明神是也。)
311 梓弓引豐國之鏡山不見久有者戀敷牟鴨《アツサユミヒクトヨクニノカヽミヤマミテヒサナラハコヒシケムカモ》
(豐國トハ、豐後豐前也。又範兼抄ニハ、只ユタカナル國也ト云々。私云、豐前豐後ノ歌多シ)
トヨ國ノ鏡山ト云ハ、豐前國風土記云、
田河《タガハノ》郡鏡山、【在2郡(ノ)東(ニ)1。】昔者、氣長足姫《ケナカタルヒメノ》尊、在(リテ)2此山(ニ)1(109)遙(ニ)覽《ミタマフ》2國(ノ)形(ヲ)1。勅(シテ)祈(テ)云、天神地祇《アマツカミクニツカミ》、爲v我助(ヨ)v福(ヲ)。乃(チ)使(・シム)v用2御鏡《ミカヽミヲ》1、安2置《アンチス》此(ノ)處(ニ)1。其(ノ)鏡即(チ)化(シテ)爲v石(ト)、見在2山中(ニ)1。因(テ)名(テ)曰2鏡山(ト)1【已上】。アツサ弓ヒクトヨ國トヨメル事ハ、トヨクニトハ、男女|婚姻《ミトノマクハヘ》ノトキヲ云トイフコトアリ。然者ヒクトヨクニトイハムタメノ諷詞ニ、アツサ弓トヲケルナリ。
望不盡山歌
317 伊去波伐加利《イユキハヽカリ》、伊ハ、發語ノ詞也。
詠不盡山歌
(或云、ナマヨミトハ、ナヨヤカト云詞也。ナヨヤカニカホルガ、香ハヨキトツヽタル詞歟云々。)
319 奈麻余美乃甲斐乃國打縁流駿河能國与己知其智乃國之三中從出之有不盡能高嶺者《ナマヨミノカヒノクニノウチヨスルスルカノクニトコチコチノクニノサカイニイテヽアルフシノタカネハ》
ナマヨミノ、カヒノ國トツヽケタルコトハ、甲斐乃國ノ、カトイフヲ、香ヲリノ心ニヨソヘトレリ。ヒトイフヲ、ヨシト云コトニヨソヘトレリ。カヨシト云心ナリ。此香ヲイヒイテムトスル諷詞ナレハ、ナマヨミノトヲケル也。ナマヨハミタルナト云詞也。カト云ハ、好香、惡香、トモニアレトモ、香ト云、マサシキ詞ハ好香ヲ云也 惡香ヲハ、クササシト云。ウチヨスル、スルカノ國ト云ヘルハ、駿河ノスヲ、海ノ洲ニヨソヘタル也。洲ハ波ノウチヨスル物ナレハ、洲ヲイヒイテムトスル諷詞ニ、ウチヨスルトヲケル也。ウツトハ、波ト云字ノヒトツノ訓ナレハ、ウチヨスルト云ヘルニ、浪オサマレル也。又(110)駿河國ニハ、富士山、葦高山トテ、高キ山二アリ。富士(ノ)山ハ、イタヽキニハ、八葉ノ嶺アリ。淺間《センゲン》大菩薩ト申神マシマス。本地胎藏界大日ナリ。葦高山ハ五ノ嶺アリ。葦高大明神ト申御神マシマス。本地金剛界(ノ)大日也。此富士葦高兩山ノ間、昔ハ東海道ノ驛路ナリケリ。サテソノ中ニ、ヨコハシリノ關ナムト云所モアリケルナリ。アシカラ、清見、ヨコハシリナムト云コトノ侍ハ是ナリ。ヨコハシリノ關ハ、富士アシタカノアハヒナリ。サテ此道ヲ昔ノ旅人トホリケル間、重服觸穢ノモノ共、朝夕トホリケルヲ、アシカラノ明神、イトハセ給テ、今ノウキシマカハラト云ハ、南海ノナカニ、波ニユラレテアリケルヲ、ウチヨセサセ給テケリ。サテ其後今ノ道ハイテキニケルトナン申ツタヘテ侍也。然者ウチヨスル駿河ノクニト云ヘルハ、此本縁ニモヤ侍ラム。タヽサルコトアリケリト、スヱノ世ノ人ニモシラセタテマツラムタメニ、古老ノ説ヲ、シルシツケテ侍也。
(或云、昔(シ)富士山ハ、海中ヨり濡出シ、波ニ隨テウカレケルニ、諸ノ天女アマクタリ、舞アソヒケルヲ白波打ヨセテ此國ノ山トナレリケレハ、ウチヨスル駿河河國ト申トカヤ。富士ヲ蓬莱ト申此謂歟云々。)
石花海《セノウミ》ト云ハ、富士ノ山ノ乾角ニ侍ル水海也。スヘテ富士山ノフモトニハ、メクリテ八ノ水海アリトナム申。セノ海ト申ハカノ八ノ海ノ其一也。
フシノネニフリヲク雪ハミナ月ノモチニケヌレハソノ夜フリケリ
富士ノ山ニハ、雪ノフリツモリテアルカ、六月十五日ニ、ソノ霊ノキエテ、子ノ時ヨリシモニハ、又フリカハルト、駿河國風土記ニミヱタリト云ヘリ。
(111)山部宿禰赤人至2伊豫(ノ)温泉《イテユニ》1作歌詞中
(差波、多也。)
322 伊豫能高嶺乃射狹庭乃崗尓立而《イヨノタカネノイサニハノヲカニタヽシテ》。伊豫ノタカネノイサニハノヲカト云ヘルコト、伊与國(ノ)
風土記云。湯郡、天皇等、於v湯(ニ)幸行《ミユキ》降坐五度也。以《景行天皇》大帶日子天皇、与2大后|八坂入姫《ヤサカイルヒメノ》命1、二躯爲2一度1也、以《仲哀天皇》帶中日子天皇(ト)、与2大后|息長《オキナカ》足姫命1、二躯爲2一度1也。以2上《用明天皇大子也》宮聖徳皇子1爲2一度1。及侍高麗惠慈僧葛城臣等也。立2湯(ノ)岡(ノ)側(ニ)碑文(ヲ)1、其(ノ)立(ル)2碑文(ヲ)1處(ヲ)、謂2伊社※[シンニョウ+尓]波之岡《イサニハノヲカト》1也。所(ヲ)名(クル)2伊社※[シンニョウ+尓]波(ト)1由(ハ)者、當士《タウドノ》諸人等其(ノ)碑(ノ)文(ヲ)欲(シテ)v見(ント)而、伊社那比來《イサナヒクルニ》因(テ)謂2伊社尓波(ト)1、本也云々。
以2岡《舒明天皇》本天皇、井皇后二躯1爲2一度(ト)1。于v時於2大殿戸(ニ)1有2椹《トガト》與|臣木《モミノキ》1。於2其木(ニ)1、集3止|鵤《イカルカト》与2比《(此ィ)》米《シメ》鳥1。天皇爲2此鳥(ノ)1、枝(ニ)繋v穗等、養賜也。以後岡本天皇、近江大津宮御宇天皇、淨御原宮御宇天皇、三躯爲一度。此謂2幸行五度1也。臣木毛生繼尓家里《ヲミノキモヲヒツキニケリ》、臣木可v尋v之。
反歌
323 百式社乃大宮人之飽田津尓船乘將爲年之不知久《モヽシキノオホミヤヒトノニキタツニフナノリシケントシノシラナク》
ニキタツ、日本記第廿六卷ニハ、天皇七年春正月丁酉朔庚戌、御船泊2于伊豫(ノ)熟田津《ニキタツノ》石湯|行宮《カリミヤニ》1、【熟田津此云※[人偏+尓]】枳柁豆。】伊豫國風土記ニハ、後岡本天皇御歌曰、美枳多頭尓波弖丁美礼婆《ミキタツニウチテヽミレハ》云々。ニト、ミト、同韻相通ノ故ニ、ニキタツトモイヒ、ミキタツトモイフト、エラハレタリ。ミト、ニトハ、殊ニカヨハシテイハルヽ字トキコヘタリ。イハユル、ナミハヤノクニヲ、(112)ナニハトイフ。ニラヲ、ミラトイヘリ。蜷《ニナ》ヲ、ミナトイフカコトシ。ソレニトリテ、此集ニニキタツノコトハヲヨメル歌ニ、第一卷ニハ、熟田津尓船乘世武登《ニキタツニフナノリセムト》月|待者《マテハ》トカケリ。熟田津、コレヲ、ニキタツト云コト、日本記ニミヱタリ。又或ハ、和多豆トモカキ、或ハ柔田津トモカケルハ、ミナニキタツト和スヘキコトハリナレハ、イマノ點ニハ、ミナニキタツト和スル也。
登神岳山部宿禰赤人作歌詞中
324 河登俣志呂之《カハトホシロシ》ト云ヘルハ、河ヲホムル詞也。凡モノヲホムルニハ、或者、玉トイヒ、アルヒハ、シロシトモイヒ、トホシトモ、ナカシトモ、タカシトモ、フカシトモ云ヘルハ、ミナホムル詞也。
327 海若之奧尓持行而雖放宇礼牟曾此之將死v還生《ワタツミノオキニモチユキテハナツトモウレモソコレカシニカヘリイカム》
ウレモソトハ、愁ノ喪《モ》ソト云ヘル也。心ハ、端作ノ詞ニイヘルカコトク、乾鰒《ホシアハヒ》ヲツヽメルヲタマヒテ、タハフレチ請2咒願(ヲ)1トキ、通觀カヨメル歌ナレハ、ウミノオキニモテユキテ、ハナツトモ、イカテカコレカ、シニカヘリイカム。ウレフルオモヒソ、マサラムト云ヘル心ナリ。
帥大伴卿歌五首内
(忘草は、普通ニハ、軒ニアリ。又云、住吉岸ニ生ルト云リ。萱草ノ一名トモ云リ。又云、忍草忘草同物トモ云リ。清輔説云、住吉ノ忘草ハ忘草ニ非スト云リ。如何。八雲御説也。)
(113)334 萱草吾紐二付香具山乃故去之里乎不忘之爲《ワスレクサワカヒモニツクカクヤマノフリニシサトヲワスレヌカ タメ》
此歌古點ニハ、ワスレクサワカヒモニツクカク山ノフリニシサトヲワスレシカタメト點セリ。萱草ハ、忘v憂(ヲ)草也。ワスレシカタメトイフヘキニアラス。此歌ノ心者、カク山ノフリニシサトノワスレカタクテ、心クルシケレハ、ワスレ草ヲ、ワカヒモニツケテ、シルシヲエテ、愁ヲノソカントオモヘル心ナレハ、ワスレヌカタメト點スヘキ也。加樣ノタクヒハ、一字ナレトモ、タカヒヌレハ、其心アラハレサルカ故ニ、ハヽカリヲカヘリミス、和シ換フルナルヘシ。
336 白縫筑紫乃綿者身着而未者妓※[示偏+尓]杼暖所見《シラヌヒノツクシノワタハミニツケテイマタハキネトアタヽカニミユ》
シラヌヒノツクシノワタト云ヘルコト、古ヘハ、シカルヘキ人々、綿ヲキヌナトニモイレネトモ、綿ヲヌヒツヽケテ、ウエニキタマヒケリ。今モヤムコトナキ人、シカシ給ナトイヘルコトアリ。マコトニコノ歌ナトニテハ、其義トモ心得ラレヌヘシ。ワタトモツツケスシテ、シヲヌヒノツクシトヨメルコトモアリ。ソレニテハ猶コトハリアタラスオホヘハヘルナリ。日《景行天皇》本記第七卷、大足彦忍代別《オヒタラシヒコオシロワケノ》天皇御宇、十八年五月壬辰朔、從2葦北1發v船《フナタテシテ》到2火《ヒノ》國(ニ)1、於v是日|没《クレヌ》也。夜|冥《クラウシテ》不v知v着《ツカンコトヲ》v岸《ホトリニ》、遙(ニ)視《ミユ》2火(ノ)光(ヲ)1。天皇|詔《ミコトノリシテ》2※[手偏+夾]抄者《カチトリニ》1曰(ク)、直(ニ)指《サシテユケ》2火(ノ)處《モトヲ》1因《ヨツテ》指(テ)v火(ヲ)往《ユク》之。即(チ)得2着岸(スルコトヲ)1。天皇問2其(ノ)火光《ヒカリノ》之處(ヲ)1曰、何謂邑《ナニトイフムラソ》也。國人對(テ)曰、是八(114)代《コレヤツシロノ》縣(ノ)豐(ノ)村。亦|尋《トヒタマハク》2其(ノ)火(ヲ)1、是(レ)誰人之火(ソ)也。然(トモ)不v得v主(ヲ)。茲(ニ)知(ヌ)非(イフコトヲ)2人(ノ)火(ニ)1。故(ニ)名2其國(ヲ)1曰2火《ヒノ》國(ト)1。シカレハコレヲシラヌヒノツクシトイフヘシ。又ツクシト云、シノ字ハ、島ノ義也。ツクシトイフハ、カノ筑紫島ノ形ナリリ。木菟《ミヽヅクニ》似タリ。是故ニツクシト云ヘリ。
(火國ハ肥前肥後ヲ云也。)
大宰帥大伴卿讃酒歌
340 古之七賢人等毛欲爲物者酒西有良師《イニシヘノナヽノカシコキヒトヽチモホリスルモノハサケニシアルラシ》
イニシヘノナヽノカシコキ人トモト云ヘルハ、晉書云、晉七人賢人、世ヲステヽ竹ノ林ノ中ニ入テ、人ニモシタカハスニ、イリケル時、ヲノ/\皆酒ヲタヽヘテクシテ入ニケリ。サテ林ノ中ニテ、琴ヲヒキ詩ヲタシナミテスクシケル也。其七人ノ賢人ハ、※[禾+(尤/山)]康《ケイカウ》、阮籍《ケンセキ》、阮咸《ケンカン》、向秀《シヤウジウ》、王戎《ワウジウ》、山濤《サンタウ》、劉伶《リウレイ》ナリ。
342 將v言爲便將v爲便不知極貴物者酒西有良之《イハムスヘセムスヘシラスキハマリテカシコキモノハサケニシアルラシ》
本文云、酒是聖賢ト云コトノアル也。サレハヨロツノモノ、モノイフ中ニ、酒ハカリカシコキ物ハアラシト云也。
343 中々尓人跡不有者酒壺二成而師鴨酒二染甞《ナカ/\ニヒトトアラスハサカツホニナリニテシカモサケニシミナン》
人ニアラスハ、酒ノ壺ニナラハヤト云コトハ、本文ニ云、昔酒ヲ好ムモノアリケリ。ソレカワレシナムニハ、酒ノ壺ニナラスハ、人ノ酒ノマムニ|ケウタウ《凝當》イレテム所ノ土トナ(115)ラムト、ネカヒテ死ニケルナリ。ソノ心ヲヨメル歌也。
(歌ノ心ハ、世間ノアリサマヲ、コキ行舟ニタトヱントスレハ、ソレモアトハ白浪トナレハナニヽタトエント云リ。畢竟タトエン物モナキト也。)
351 世間乎何物尓將譬旦《ヨノナカヲナニニタトヘムアサ》開※[手偏+旁]去師《ホラケコキユク・ヒラキコキイニシ》船之《フネノ》跡無如《アトナキカコト・アトノシラナミ》
此歌ノ中ノ五文字、古點ニハ、アサホラケト點セリ。此詞フルクハ、アサヒラキトイヒケリトミエタリ。此集ノ眞名假名ノ所ニ、アマタアリ。フサヒラキト云ヘル、ナニノキキニクヽ、アハサル心アレハヤ、アサホラケト點シケルト、ヲホツカナシ。イマハ、カツハ、キヽノヨロシキニヨリ、カツハ古點ニマカセテ、アサヒラキト點スルナリ。
352 葦《アシ》邊波鶴之哭鳴面潮風《ベナミタツノミナキテウシホカセ・ヘニハタツカネナキテミナトカセ》寒吹良武津乎能埼羽毛《サムクフクラムツヲノサキハモ》
此歌、古點ニハ、アシヘナミタツノミナキテ、ウシホ風、サムクフクラム、ツヲノサキハモト點セリ。又或本ノ和ニハ、第二句、タツノミナキテト點セリ。此和アヒカナヒテモミエス。發句、葦邊波ノ波ノ字ハ、テニヲハノ字ニモチヰルコトツネノ習也。アシヘナミトイフヘキニアラス。ヨツテ今和換ニイハク、アシヘニハタツカネナキテミナト風ト云ヘシ。クツカネ、ツネノコトナリ。湖ノ字、訓、ウシホ不審ナリ。ミナトニ、ツカヘルコトハ、阿波國風土記ニ、中(ノ)湖《ミナト》奥湖ナトニモ用之タリ。就中今ノ歌ノ心コトハ、勘2其傍例1、此集ノ第十七卷歌云、美奈刀可世佐牟久布久良之奈呉乃江尓郡麻欲比可波之多豆佐波尓奈久《ミナトカセサムクフクラシナコノエニツマヨヒカハシタツサハニナク》ト云ヘリ。都尾《ツオノ》崎ハ、伊豫國、野間ノ郡ニアリトミエタリ。
(116)
(大汝小彦名、素盞烏尊(ノ)御子、山造神也。)
359、361、366 アヘノシマ、攝津國。サノヽヲカ、紀伊國。シホツ山、越前國。ツノカノハマ、同。タユヒカウラ、同。
370 アメフラテトノクモルヨノヌレヒチトコヒツヽヲリキ君マチカテラ
トノクモルトハ、タナクモルト云、オナシ詞也。タト、トト同内相通ナリ、タナクモルトハ、タナヒキクモルト云也。タナヒクトハ、タハ詞ノ助、ナヒキ、クモルト云ナリ。ナヒキクモルトハ、オシナヘテ、クモルト云ヘルナリ。
371 飫海乃河原之乳鳥汝鳴者吾佐保河乃所v念國《オウノウミノカハラノチトリナカナケハワカサホカハノオモホユラクニ》
此歌頭句、古點ニハ、ヲクノウミト點ス。コヽニハアヒカナフヘカラス。出雲守門部王ノ歌也。出雲國、意宇《イウ》ノ郡也。オウノウミト點スヘシ。
山部宿※[示偏+尓]赤人登春日野作歌詞中
(容鳥ハ定家不知之云々。但ウツクシキ鳥歟。)
(片戀ハカタ思ヒノ戀也。)
372 春日乎春日山乃《ハルノヒヲカスカノヤマノ》。春ノ日ヲ、カスカノ山トツヽクルコトハ、カスカト云ヘル假名ノ字訓ニヨラハ、カト云ヘルハ赤キ義、ストイヘルハ、スハウノイロナリ。カスト云ヘル詞、赤ク紫ナリト云心ヲコメタリ。シカルニ春ノ日ハ、始テイツル時、アカク紫ニカスミテイツルニヨソヘテ、春ノ日ノ、カスカノ山ノ、タカクラノ、ミカサノ山ニトイヒクタセルナルヘシ。客鳥《カホトリ》トハ、ヰナカヒトハ、カホヨトリト云是也。カホカホトナケハ、ナク聲(117)ヲ名卜セル也。
反歌ニ
373 ヤメハツカルヽコヒモスルカモトヨメルハ、ナキヤムカトスレハ、又ナキ/\スルヲ、ヤメハツカルヽトヨメル也。此鳥ニカキラス、イツレノ鳥モ、此義ハカハラスアリヌヘシ。鳥ノナキヤムカトスレハ、又ナクカコトク、ヒトノコヒシキコトモ、オモヒヤムトスレトモ、又モオモハレ/\スルニ、タトヘタル也。
(アキツハトハ、衣ナラテモ、ウスキコトニハ云ヘシ。)
376 秋津羽之袖振妹乎《アキツハノソテフルイモヲ》。アキツハトハ、トムハウノ羽也。ウスキモノニタトフル也。嬋娟《センゲン》タルオトメナトノ、シナヤカナル袖ノ氣色ニ、ヨソフル也。羅綺《ラキ》ノ重衣《テウイ》タルナトカケルモ、其心同シカルヘシ。
377 青山之嶺乃白雲朝尓食尓恒見杼毛目類四吾君《アヲヤマノミネノシラクモアサニケニツネニミレトモメツラシワカキミ》
(ケニハ、勝ノ字。)
朝尓食尓ト云ハ、イフケニハマサリテト云詞也。アヲ山ニタナヒキタル、ミネノ白雲ノ、アシタコトニミレトモ、イヨ/\ミマサリノミシテ、ヲホユルカコトク、我オモフ人ノ、ツネニミレトモ、メツラシキニタトフル也。
大伴坂上郎女祭神歌詞中
379 賢木之枚尓白香付木綿取付而《サカキノエタニシラカツケユフトリツケテ》
(118)サカキト云ヘルハ、カノ木、トキハニテ、枝ハシケヽレハ、サカキト云。サカキトハ、サカエタル木ト云ナリ。木ハトキハナレトモ、枝シケカラヌモアリ。又枝葉シケヽレトモ、イタクコマヤカニ、クタ/\シキモ侍ルヘシ。此木ハ、中ヲトリテヨノツネ也。サレハ、ワキテサカキトシテ、神祇ヲカサリタテマツル也。白香ハ、シラ|カミ《紙》ノ四手也。コレスナハチ、シラニキデ《白幣》ナルヘシ。木綿取付而トハ、麻眞《アサマ》苧ナトノ、長木綿、短木綿等也。是則アヲニキテ《青幣》ナルヘシ。
齋戸乎忌穿居竹玉乎繁尓貫垂《イハヒヘヲイハヒホリスヘタカタマヲシヽニヌキタレ》ト云ハ、イハヒヘヲイハヒホリスエトハ、御酒ヲ釀《カモスル》瓶《カメ》也。竹玉乎繁尓貫垂トハ、陰陽家ニ、祭ノ次第ヲトヒ侍シカハ、祭|詞《(マヽ)》中ニ、其國ヨリナラヒツタエタル祭モアリ。我朝ニ、モトヨリマツリキタル作法モアリ。タカタマト云ヘルハ、我朝ノ祭中ニ、昔ハ、竹ヲ玉ノヤウニキサミテ、神供ノ中ニ懸莊レルコトアリトナム申ス。サテソレヲハ、タカタマト云ケルカ、タケタマト云ケルカト問ヒ侍リシカハ、タカタマト云ト申侍リシナリ。
登2筑波岳1丹比眞人《タシヒノマウト》作歌詞中
382 儕立乃見杲石山《ソタチノミカホシヤマ・トモタチノミカホシヤマ》跡《ト》。トモタチハ、タカヒニツネニアヒミタケレハ、ミカホシヤマト、ヨソヘヨメリ。又ツクハ山ハ、ヲツクハメツクハトテ、高キ嶺ノ二ツナラヒタル山ナレハ、(119)ヨソヘヨメルナリ。時敷時《トキシクトキ》、時シクトハ、非時歟。此尺委細上ニミユ。
(吉志美我嵩、一説云太和國也。)
385 霰零吉志美我高嶺乎險跡草取可奈和妹乎手取《アラレフルキシミカタケヲサカシミトクサトルカナワイモカテヲトル》
此歌、肥前國風土記ニ見タリ。
杵島《キシマ》郡、縣(ノ)南二里有2一孤山1、從v坤指v艮(ニ)、三(ノ)峰《ミネ》相(ヒ)連(ラナル)。是(ヲ)名(テ)曰(ク)杵島《キシマ》。坤(ハ)者、曰2比古《ヒコ》神(ト)1、中(ハ)者曰2比賣《ヒメ》神(ト)1、艮(ハ)者、曰2御子《ミコ》神(ト)1。【一名(ハ)軍神動則兵興矣。】閭士女《サトノヲトコヲナコ》、提v酒抱v琴、毎歳春秋、携v手(ニ)登望、樂|飯《(マヽ)》奇|無《(マヽ)》、曲盡而歸。歌詞云、婀邏礼符縷《アラレフル》、耆資熊多※[土+豈]塢《キシマカタケヲ》、嵯峨紫弥占《サカシミト》、區縒刀理我泥底《クサトリカテヽ》、伊母我提塢刀縷《イモカテヲトル》。【是杵島曲】然集歌ハ、キシミカタケヲトカケリ。シマト、シミト云ヘル、同内相通ノ故歟。歌ノ心ハ、キシマカタケヲサカシミト、クサヲトルカ、イモカテヲソトルト云ヘル心ナリ。
(詩ニ、桑柘ト作ル是也。)
(刺《シ・セキ》ハリニテサス。)
386 柘之左枝乃流來者《ツミノサエタノナカレコハ》。柘(ハ)者、似v桑(ニ)、有(ル)v刺《ハリ》木也ト云ヘリ。
覊旅歌詞
388 安部而※[手偏+旁]出牟尓波母之頭氣師《アヘテコキイテムニハモシツケシ》
アヘテトハ、アヘツク也。ニハトハ、サキニ釋スルカコトシ。ソラノナキテ、ヤハラケルナリ。
譬喩歌
(120)タトヘ歌ト云ハ、ムネト戀ノ歌ニアリ。此タトヘ歌ト云ハ、風月ニモヨセ、鳥獣ニモヨセテ、ヒトヘニカレニスカリテ、タトヘヨミテ、其心アラハナラス、カクシテシカモ興アレハ、興ノ歌ト云也。ナソラヘ歌ノコトクニハアラス。ナソラヘ歌ト云ハ、タトフヘキモノヲ、イヒイタシテ、ソレニワカオモヒヲタクラフルヲ、比トイフ。タトヘ歌ト云ハ、ヒトヘニ是ニスカリテ、心カクレタレハ、比頌興ハ隱トハ云ナリ。タトヘト云ハ、タハ、タカキ義、トハ、トヲキ義、其ノ風情高遠ナレハ、タトヘト云。此譬喩歌ハ、タヤスク心ヱカタケレハ、コトノアリサマヲ、オロ記シ申ヘキ也。
私云、此注之正説、見詩六義。人可心得歟。
(輕池、太和國。)
390 輕池之納廻徃轉留鴨尚尓玉藻乃《カルノイケノイリエメクレルカモスラニタマモノ》於《・ウエ》丹獨宿名久二《ニヒトリネナクニ》
マツ發句ニ、カルノ池トヨメルハ、此歌カモヲタトヘニカリテ、イハムトスレハ也。カルト云ハ、鴨ノタクヒ也。ヰナカ人ハ、クロ鴨ナト云也。然ハ、オホカル池ノナカニモ詞ノヨセアレハヨメル也。入江メクレ鴨スラニ、玉モノウエニヒトリネナクニトハ、鴨ハ、イモヽ、セモ、夜アクレハ、アサリシニユキ別テ、入江メクリアルクトモ、日クルレハ、オノカネトコロヲワスレス、メクリクルニ、我ツマハ、トヒ《問》クルコトノカタキヲウラムル心也。玉モノウエニ、ヒトリネナクニトハ、カモハ玉モノ上ノ、ネニクカリヌ(121)ヘキニモ、ツマトタクヒネテ、霜サユルサ夜中ニモ、ハカヘシヲ夜ヲアカス習ヒナルニ、我ハヒトリネニノミ、長夜ヲアカストウラムルナリ。カモハ、サユル夜ハ、ヨナカマテハ、メ鳥ノ羽ヲ、オ鳥ニオホヒ、夜中ヨリ後ハ、イマスコシサヘマサレハ、オ鳥ノ羽ヲ、メ鳥ニオホヒテアカストナム云ヘリ。
(足柄山、相模國。鳥總ハ梢也。然ハトフサタツトハ、梢ヲキルト云心也。杣ニ入テハ、必ス木ノ末ヲ切テ、キリタルアトニ立ルト也。此歌ハ筑紫ノ觀音寺造立ノ時ノ歌也。足柄山ト云コト如何。足柄山ハ相州也。若シ足北山歟。是ハ筑紫ニアル也。又異説ニ、トフサタテトハ、鉞斧ナトヽ云義モアレトモ、不可用云々。只梢ノコト也。)
391 鳥總《トフサ》立《タツ・タテ》足柄山尓船木伐樹尓伐《アシカラヤマニフナキキリキニキリ》歸《《カケ》《カヘ》ヨセ》都安多羅船材乎《ツアタラフナキヲ》
此トフサト云事ハ、此集ニ、一兩所侍ルナリ。然ヲ先達是ヲ尺スルニ、トフサトハ、草木ノスエナリト云ヘリ。此歌トモハ、シカニハアラス。又此歌ノ發句、古點ニハ、トフサタツト點セリ。然ニ第十七卷ノ歌ヲ、カムカフルニ、登夫佐多底船木伎流等伊有能登乃島山今日見者許太知之氣思物伊久代神備曾《トフサタテフナキキルトイフノトノシマヤマケフミレハコタチシケシモイクヨカミヒソ》ト云ヘリ。仍今ノ歌ノ發句、トフサタテト點スヘシ。トフサト云ハ、マサカリ也。サテトフサタテ、アシカラ山ニトツヽケタル詞、タトヒ其イヒナクトモ、加樣ニツヽカムコト、クルシカルヘキニハアラス。ソレニトリテ、コレハ|マサカリ《鉞》オノ《斧》ナトノヤウノ物ニテ、木ヲキルニ、クタケテチルカラヲハ、ソマ人トモアカシト云也。然者トフサタテ、アシカラ山トツヽケタル也。サテ歌ノ心ハ、船木ヲキルニハ、カマヘテ、カタハラノ木ニキリカケシトスル也。若ソハナル木ニモ、キリカケツレハ、イカニヨキ木ナレトモ、船木ニセヌ也。船ハ、物ニサヘラルヽヲイム(122)ヘキ故ナルヘシ。サレハ、木ニキリヨセツアタラ船木ヲトヨメリ。此歌ノタトヘタル心ハ、日來ヨリ心ニシメサシテカヨヒキタリ、足手ヲツクシテ、誠ヲイタセトモ、思ノ外ニヤラシト思フ方ニナヒキハテヌレハ、チカラオヨハテヤムヘキヲ、アタラシム心ニタトフル也。思ヒノコトクニタニモ、舟ニツクラレマシカハ、クチハテムマテニ、我ニシタカィ、我モ身ヲヤトススミカトシテ、イツクノ浦マテモ、ハナレサラマシトヨメル也。
(イサヨフ月トハ、山ノ端ヨリ出ル月ノ、出ヤラスヤスラフ心也。)
393 不所見十方孰不戀有米山之末尓射狹夜歴月乎外見而思香《ミエストモタレコヒサラメヤマノハニイサヨフツキヲヨソニミテシカ》
山ノハニトハ、タカキ思ニタトフ。イサヨフ月ヲトハ、日クルレハ、ソナタニムキテマタルヽニタトフ。ミエストモタレコヒサラメトハ、歌ノ心ハ、コヽニ、イツキテミエストモ、タレカコヒサラム。山ノハニイタスヘクモヨヒタル月ノ、イマタコヽニハミエネトモ、西ノ山ニカケノウツロヒテ、ミユルハ、イヨ/\コヒシキヲ、ヨソニミテシカト、タトフルナリ。
394 印結而我定義之住吉乃濱乃小松者後毛吾松《シメユイテワカサタメコシスミノエノハマノコマツハノチモワカマツ》
シメユヒテトハ、心ニシメユヒテオモヘルナリ。ハマノコマツハ、ノチモ我松トハ、濱ハ風ハヤミ、シノヒカタクトモ、心ハ我方ニナヒケトオモヘル也。小松ハ、後モ吾松トハ、色カハラスシテ、チトセマテモ、アラントタトフルナリ。
(123)(託馬野、近江國。)
395 託馬野尓生流紫衣染未服而色尓出來《ツクマノニオフルムラサキキヌニソメイマタキスシテイロニイテニケリ》
オフル紫キヌニソメ、イマタキスシテ、イロニテニケリトハ、深クキミニソメシヨリ、イマタアハヌサキニモ、物思フ色フカクシヲ、人ニシラルヽニタトフルナリ。
396 陸奥之眞野乃萱原雖遠面影爲而所見云物乎《ミチノクノマノノカヤハラトヲケレトオモカケニシテミユトイフモノヲ》
ミチノクノトハ、フカキ思ヒニタトフ。マ野ノカヤハラハ、戀ノシケキニタトフ。遠ケレトヽハ、イマタアハヌニタトフ。歌ノ心ハ、思ヒ深クシケクシテ、イマタアハヌ物カラ、面影ニ立テミユトヨメル也。
397 奥山之磐本管乎根深目手結之情忘不得裳《ヲクヤマノイハモトスケヲネフカメテムスヒシコヽロワスレカネツモ》
オク山ノトハ、是モ深キ思ニタトフ。イハモトスケヲ、ネフカメテムスヒシコヽロトハ、フカクナカラヘテ、ムスヒシコヽロトヨソヘタルニトリテ、イハモトスケトハ、思フカタニモユキカタキニタトフ。ユキカタキニツケテモ、フカクチキリヲムスヒシ心、ユカムトオモフコヽロハタエセスシテ、ワスレカネツト、ヨメルナリ。
398 妹家尓開有梅之何時毛何時毛將成時尓事者將定《イモカイヘニサキタルウメノイツモイツモナリナントキニコトハサタメム》
399 妹家尓開有花之梅花實之成名者左右將爲《イモカイヘニサキタルハナノウメノハナミニシナリナハトモカクモセム》
此二首ノ歌詞ハ、イサヽカカハリタルヤウナレトモ、ソノ心サシハ、イクハクノカハリ(124)メナシ。イモカ家ニ、サキタル梅ハムカヒヰテミレトモ、色モ香モアクコトナク、ナツカシキニタトフ。イモト云ハ、イハ發語ノ詞、モハ、ムカフト云詞也。十五夜ノ月ヲ、モチ月ト云コトモ、日(ハ)在v東、月(ハ)在v西、遙(ニ)相望(ノ)義也。モハ、ムカフ詞、チハ詞助也。衣裳(ノ)裳、又此義也。ナリナムトキニ、コトハサタメムトハ、花ヲメテヽミルホトヲハ、イマタ夫婦ト、ナラサルニタトフ。ミニナリナムヲハ、ステニ夫婦ノ契マコトアリテ、一ツミトナレルニタトフル也。
400 梅花開而落去登人者雖云吾標結之技將有八方《ウメノハナサキテチリヌトヒトハイヘトワカシメユヒシエタ|ハ《(マヽ)》アランヤモ》
此歌落句、古點ニハ、エタハアラメヤモト點ス。其コトハリアヒカナハス。今和換云、エタニアラメヤモ。發句ノ梅(ノ)花ノ義ハ、色モ香モ、アカスナツカシキ、タトヘハ、前ノ歌ニオナシカルヘシ。サキテチリヌトヒトハイヘトヽハ、ワレニ、エミテミエシカトモ、アラヌサマニシヲ、ホカニウツロヒタルニタトフ。ワカシメユヒシ、エタニアラメヤモトハ、外ニウツロヒヌト、人ハイヘトモ、ワカシメユヒシ枝ハ、イカヽホトナクウツロハムト、枝ソウツロヒヌラムトヨメルナリ。
404 千磐破神之社四無有世代春日之野邊粟種益乎《チハヤフルカミノヤシロシナカリセハカスカノノヘニアハマカマシヲ》
此歌、端作詞ニハ、娘子報佐伯宿※[示偏+尓]赤麿、贈歌トハカリカキテ、クハシキユヱキコヘサ(125)レトモ、歌ノ心ニヨリテミルニ、赤麿カ|ケシヤウ《假相》シケルオトメノヨメルトキコエタリ。チハヤフル神ノ社シナカリセハトハ、サタメテ|ツマ《妻》アルラムトオソレテ、神ノ社ニタトフルナリ。フルコトニ、人ツマハ、森カ社カ唐國ノトラフス野ヘカナト云ヘルカコトシ。カスカノ野ヘニハ、カミノ社ノマシマセハ、ソレニオソレテ、粟ヲモマカヌニタトヘタルナリ。モロ/\ノタナツモノ、ヲホカル中ニ、粟ヲヨメルコトハ、アハマシト云心ニ、ヨソフル也。又アハマシヲトハ、粟ノタネヲマキオキナハ、ツヰニハ、ミニナルヘケレハ、ソレカ如クニ、ヤカテコソアハストモ、オソルヘキコトタニナカリセハ、後ニモアハムト契オカマシトヨメル也。契ヲムスヒオカムハ、タネヲマクコトク也。
赤麿更贈歌
405 春日野|尓粟種有世伐《ニアハマケリセハ》待鹿尓《マツシカニ・マタシカニ》繼而行益乎《ツキテユカマシヲ》社師留烏《モリシルカラス・ヤシロハシルヲ》トヨメル、此歌、古點ニハ、春日野ニ、アハマケリセハ、マツシカニ、ツキテユカマシヲ、モリシルカラスト點セリ。ソノ心詞聊不相叶ニヤ。今和換ニ云、春日野ニアハマケリセハマタムカニツキテユカマシヲヤシロハシルヲ。和ノ心ハ、アハマケリセハトハ、アハムトタニモ契オキタラハ、マチヤスラムト、ツキテユカマシヲトヨメルナリ。ヤシロハ、シルヲトハ、赤麿カ心ニハ、カノオトメハ、ツマモアラハ、ソレカヒマヲモタツネテ、アハマシト云心ナリ。ナカラムヒ(126)マヲタツネテシラムヲ、社ハシルヲトヨソフルナリ。サテ娘子復報歌、
406 吾祭神者不有大夫尓認有神曾好應祀《ワガマツルカミニハアラスマスラヲニトメタルカミソヨクマツルヘキ》トヨメルハ、マツルト云モ、トムト云モ、トモニシタカフト云詞也。神トハオソルヽ心也。ツマヲ心サシテヨメリ。此歌ノ心ハ、ワカシタカヘルツマノコトヲ云ニアラス。マスラオニシタカヒタルツマノコトヲコソイヘトヨメル也。ヨクマツルヘキトハ、ナムチカツマオソ、ヨクシタカフヘキト云也。又ソレヲソ、ヨクシタカヘテ、ヒマヲモヽトムヘキ。又ヨクシタカヘナハ、ネタムコトナクモアリナムト思ル也。
大伴宿※[示偏+尓]駿河麿娉同坂上家之二孃歌
407 春霞春日里尓|殖子水葱《ウヘシナキ・ウエコナキ》苗有跡云師※[手偏+丙]者指尓家牟《ナヘナリトイヒシエハサシニケム》
春霞春日里トツヽケルコトハ、春ノ日ハ霞ニ映セラレテ、アカク紫ニミユレハ、春霞春日ノサトヽ云ヘリ。サキニ赤人歌ニ、春ノ日ヲカスカノ山ノト云歌ノトコロニ釋スルカコトシ。殖《ウヘ》子《シ・コ》水葱《ナキ》トイフハ、ソノ心コナキ也。殖トイフコトハヲ、カミニオケルコトハ、草木ハミナウヱ物ナレハ、文字要ナルトキ、イヒクワヘタル也。ウヱツキトモ、ウエタケトモ云ヘル、是ニ同シ。歌ノ心ハ、坂上家ノ二ノオトメヲ、駿河丸、心ニシメサシテ思ヒケレトモ、始ハイトケナシトイヒシハ、今ハオトナシクナリヌラムトヨメルナ(127)リ。エハサシニケムトハ、コナキノ苗ナリシカトモ、イマハホトヘヌレハ、枝モサシヌラムト、ヨソヘヨメル也。
412 伊奈太吉尓伎須賣流玉者無二此方彼方毛君之隨意《イナタキニキスメルタマハフフタツナシコナタカナタモキミカマニ/\》
イナタキトハ、イタヽキナリ。キスメルハ、來住也。意ハ、常ニハ、髪中明珠トテ、ミツラノ中ニ玉ヲイタヽキ給ヘル也。彼玉ハ、タヽヒトツナリ。又帝者ノ御髻ハ、二ニ取給也。然者、彼一ノ珠ヲ、イツカタニオカムトモ、ミ心ニマカスヘキナリ。今彼ノ玉ヲタトヘニカリテ、我思フ心イサキヨク二ナシト、キミカオモハムマヽニ、トモカクモ、シタカハムトヨソヘヨメル也。
414 足日木能石根許其思美菅根乎引者難三等標耳曾結烏《アシヒキノイハネココシミスカノネヲヒケハカタミトシメノミソユウ》
常ニハ、アシヒキノ山トコソツヽクル習ヒニヲ侍トモ、今此ノ歌、アシヒキノイハネトツヽケタルハ、思フ所フカヽルヘシ。一ニハ、玉篇云、高大有石、曰山ト云リ。此義ニヨラハ、アシヒキノ岩根トイヒツへシ。又アシヒキノ山ト云事、フルキ四()義ヲモチテ尺スルニ、ソノ由縁ハ、カハルト云ヘトモ、ミナ足ヲ引義也。コノ義ニヨラハ、足ヲイタミテヒカムトハ、岩根ノソコハクアラム所ニテ、イタムヘケレハ、足ヒキノイハネトツヽケタリ。サテ此歌ノ心ハ、岩根ソコハクアル所ノ、イハノハサマヨリ、オヒイテタ(128)ルスケハ、ヒケトカタケレハ、ヒキトリテモ、モタネトモ、ウツクシクシテ、心ニメテオモヘハ、マタ/\モキテミムト、心ニシメサシテ思フヲ、我心ニマカセテ、ヒキトリカタキ人ニ、タトヘテヨメル也。
已上譬喩歌
挽歌
416 百傳《モヽツタフ・モヽツテノ》磐余池尓鳴鴨乎今日耳見哉雲隱去牟《イハレノイケニナクカモヲケフノミミテヤクモカクレナム》
此歌頭句、古點ニハ、モヽツテノト點セリ。古語モヽツタフ也。百ヨリノ數ヲ云時、或ハ、モヽタラストイヒ、或ハ、モヽツタフト云ヘル也。イハレノ池、大和國也。
(手力雄神ハ、天照大神ヲ、岩戸ヨリ、引出シ玉フ神也。)
419 石戸破手力毛欲得《イハトワレタチカラモカナ》。タチカラハ、手ノ力ラ也。
石田《イハタノ》王|卒《ミマカル》時、丹生《ニフ》王作歌詞中
420 名湯竹乃《ナユタケノ》十縁《トヨラノ・《トヲヨル》皇子狹丹頬相吾大王者《ミコノサニツラ|ヒ《フ》ワカオホキミハ》
ナユ竹トハ、唐竹ヲ云ニヤ。ナヨ竹ト云ヘリ。ユト、ヨト、同内相通也。ナヨ竹ノ、ヨナカキトモヨメリ。唐竹ニアタレリ。ヨナカクシテ、トホクナミヨレハ、ナユ竹ノトホヨルミコトヨソヘタリ。サニツラフトハ、ハヤ《早》シト云詞、ニツラフト云ハ、ニホフト云詞也。ハヤクニホフコトハナリ。
(129)於余頭礼可吾聞都流狂言《ヲヨツレカワカキヽツルニマカコト》可《・加イ本》我聞都流母《ワカキヽツルモ》ト云ヘルハ、ヲヨツレトハ、チガ《違》フト云ヘルナリ。マカコト、イフモ、マカレルヨシ也。ヨノツネニ人ノ、イマフ事ヲ、マカ/\シナト云是也。
天雲乃曾久敞能極《アマクモノソクヘノキハメ》。ソクへトハ、底也。
高山《タカヤマ》、大和國トカケリ。未詳。
過《ヨキル》2勝鹿眞間娘子《カツシカノマヽノテコナカ》墓(ヲ)1時山部宿祢赤人作歌詞中
(マヽノテコナトハ、昔東國ニアリケル、女ノ名ナリト云々。)
431 東俗語云、可豆思賀能麻末能※[氏/一]胡名《カツシカノマヽノテコナカ》。奥槨《ヲキツキ》【墓ヲ云也。】
(倭文幡乃帶ハ、綾綿ナトオル機ニハアラデ、布オル機ヲハ、シツハタト云也。サテ賤女ノスル帶ヲハ、シツハタ帶ト云ヘキ也。女ノ尻卷トテ、桶ノカハノヤウナル物ヲ、腰ニアテテ、イノツメト云物ニムスヒ付ルヲシツハタオヒト云ヘキカト申ス。ソレハ不叶、ユイタレナトヨメリ。ウルハシキ絹ノ小袖ナ卜着テスル帶ニテアルヘシ。又シツハタ帶ヲハ、ミタレタルコトニ云也ト云々。)
(庵屋ハ、伏屋也。)
反歌
432 吾毛見都人尓毛將告勝壯鹿之間々能手兒名之奧津城處《ワレモミツヒトニモツケムカツシカノママノテコナノオキツキトコロ》
カツシカトハ、下總國|葛餝《カツシカノ》郡也。彼ノ郡ノ中ニ有2大河1。フトイトイフ。其川ノ東ヲハ、葛東ノ郡トイヒ、西ヲハ葛西ノ郡ト云。カシコニイニシヘ、眞間《マヽ》ヲ《(マヽ)》テコナトイヒ、老翁ヲ、オキナト云是ナリ。ヌ女ニモイフ。スナハチ、ヲミナトモイヒ、老嫗ヲ、オフナトモ云是也。意ハ、ナハ《綯》ルヽ義ナリ。ヲ|ナハ《繩》メナハノ義也。マサシク、男ヲハ、上聲ニナトヨヒ、女ヲハ、平聲ニ、ナトヨフヘキ也。ナニトモシラサラム人ノ、シトケナクテイハムヲハ、難シナヲスニオヨハストモ、又マサシキ心ヲシラムトオモハムモノハ、イカテカ(130)ワキマヘサラムヤ。
見2姫島(ノ)松原(ノ)美人(ノ)屍《シカハネヲ》1哀慟(シテ)作歌
ミツ/\シトハ、オサナ/\シト云詞也。
(姫島、攝津國。)
(風早浦、駿河國。)
(三尾浦、同。)
437 妹毛吾毛《イモヽワレモ》清之《サヤケノ・キヨメシ》河之河岸之妹我可悔心者不持《カハノカハキシノイモカクユヘキコヽロハモタシ》
此歌古點ニハ、イモヽワレモサヤケノ川ノカハキシノイモカクユヘキ心ハモタシト點セリ。第二句ノ、サヤケノ河コトハリアラハレス。今和換云、イモヽワレモキヨメシ河ノカハキシノイモカクユヘキ心ハモタシト云ヘシ。其心イカニトナラハ、イモヽワレモ、風俗ヲシツメキヨメテ、フタ心ナケレハ、イモカクユヘキ心ハモタシトヨメリ。今第二卷ニ、肅2清《シツメキヨムル》風俗(ヲ)1。尺(シテ)云(ク)、謂(ル)肅(ハ)者、敬《ケイナリ》也。風(トハ)者、氣也。俗(トハ)者、習《・私云是亦詩正義ニミユ》也。土地水泉(ノ)氣(ハ)者、緩急 聲(ナリ)、有高下、謂之風(ト)焉。人居2此地(ニ)1、習(テ)以(テ)成v性(ヲ)謂2之俗(ト)1焉。縱信濃(ノ)國(ノ)俗、夫《ヲツト》死(スレハ)者、即以v婦爲v殉《シユント》、若(ハ)者、此類(ハ)者即(チ)正v之(ヲ)。以v礼發(ス)、是爲2肅清風俗(ト)1。【已上。】
441 大皇之命恐大荒城乃時尓波不有跡雲隱座《オホキミノミコトカシコミオホアラキノトキニハアラネトクモカクレマス》
(玉編云、殉ハ用2人|送《ヲクルニ》死(ヲ)1也。)
大荒城ノ時トハ、人ノ死期ヲ云ト云ヘリ。
(天平元年、大伴宿禰三中、作歌)
443
(押光難波國ハ、ヲシテルハ、海也。ニホテルハ、湖也云云。又ヲシテルヤ難波トヨメリ。難波ノ外ニ、押照トヨメル歌ナシ。然ハ海ノ惣名ト云ハ不審也。又オシテルヤミツノホリエトヨメル歌アリ。但是モ難波ニ近レハ同心歟。又云、舟ヲオシ出ス由ノ詞也。ナニハヨリ舟ニ乘ル所ナレハヲシテルヤト、舟ヲオシ出ス由ノ詞ニヨムヲ、鹽海ニハ、イツコニモヨムコトニナレリ。又云、ヲシテルハ押昭也。ニホテルハ湖也。)
(大荒城時トハ、人ノ死ヌル時ニモ云ヘキニヤ。墓ヲハ、奧戚トモ、奥槨トモ書テ、オクツカトモ、オキツクトモヨメリ。サレハ、大荒城トハ、ツカトモ云ヘシ。大荒城森ト云ハ、所ノ名也。各別ノコト也。)
(私云、文選十一魯靈光殿ノ賦ハ誤也。文選十一景福殿ノ賦ノ内ニ有之。故ニ改之。)
((神宮文庫本朱頭書)私云、非靈光殿。景福殿(ニ)有2此文1。)
大伴坂上郎女、悲2嘆尼理願(カ)死去(ヲ)1、作歌詞中
460 楮角之《タヘスミノ・タクツノヽ》新羅國從《シラキノクニヽ》。此句、古點ニハ、タへスミノシラキノ國ト點セリ。此句、勘2作例(ヲ)1、タ(131)クツノヽト云ヘル、第廿卷陳2防人《サキモリ》悲別之情1歌詞中云、多久頭怒能之良比氣乃宇倍由奈美太多利《タクツノノシラヒケノウヘユナミタタリ》ト云ヘリ。然者今ノ歌ノ發句、タクツノヽ、シラキノクニニト點スヘシ。タクト云モ、タヘト云モ、同シホムル詞ナレハ、タヘノ詞ハ、其心カハラストモ、スミト和スルハコトハリニカナハサルヘシ。又タヘトモ、タクトモ、タマトモイフハ、トモニ物ヲホムル詞ニトリテ、シロキヲ心サシテ云ヘル詞也。サレハ新羅國ヲ、シラキノト云ニヨリテ、タクツノヽシラキト云ヘル也。
内日指京思美弥尓《ウチヒサスミヤコシミミニ》。ウチヒサスミヤト云事ハ、フルクモ釋シタルコトナキニヤ。近代ノ歌仙モ、シラサルヨシ被申ケリ。然レハ、推義《スイギ》ヲシルシ申サムコトモ、ハヽカリ侍レトモ、昔ヨリ今ニイタルマテ、モタシテヤミナムコトモ、ホイナク侍ルヘケレハ、心ニオモヒ、耳ニキヽヲヨヘルコトヲ、申ノヘ侍ルヘキ也。是ハ、スへロキノ宮ノ内ハ、タカキモノ)ナレハ、日ノ光サシ入テ、内ヲ照シ給ヘハ、ウチヒサス、ミヤトイフナルヘシ。文選十一、宮殿|魯《景福殿》光《クワウ》殿〔・四字傍点〕(ノ)賦(ニ)、晨光内照(シ)流景外|※[火+延]《テレリ》。【晨光(ハ)日景也。日(ノ)光照2於室中(ヲ)1與流景外(ニ)發(シテ)而延起也。】西都(ノ)賦(ニ)曰(ク)、激v日(ニ)而納2光※[火+延](ヲ)1起(ル)ト云ヘリ。釋義、尤符合乎。
都礼毛奈吉《ツレモナキ》ト云ハ、ウケモナキト云詞ナリ。同韻相通ノ故ナルヘシ。
アサわ(ノ)オ加斗二二二マルル(ノ)
安積皇子薨《アサカノオホキミミマカルノ》之時、家持作歌詞中
(132)475 久迩乃京者《クニノミヤコハ》、山城國也。
山邊迩波花咲乎爲里《ヤマヘニハハナサキヲセリ》。ヲセリトハ、望見トカキテ、ヲセリトヨム、心ハサキカヽリタルナリ。
和豆香山《ワツカヤマ》トハ、ソマ人ノ山也。和トハ、オノヲイフ、ワヲツカフヒトナレハ、ワツトイフ。シカレハ反歌落句云、ワツカソマ山ト云々。
(ハシキサホ山、ハシキハ、ハシキヨシト同詞也。)
(和豆香山、太和國。)
悲傷死妻高橋朝臣、作歌詞中
482 (ヨスカトハ、タヨリ也。タトヘハ、タノモシウ、オモヒナントセン人也。)
入尓之山乎《イリニシヤマヲ》因鹿《イカニ・ヨスカ イ本》跡釼念《トソオモフ》。ヨスカトハ日本記ニハ、資文字ヲヨメリ。意ハ、カタミト云心也。
第四卷
崗本天皇御製詞中
(崗本宮、舒明天皇歟。後崗本宮、齊明天皇歟。)
486 味村乃《アチムラノ》去來者行跡《サリキハユキト・イサトハユケト》。此句古點ニハ、アチムラノサリキハユケトヽ和ス。其心詞不相叶。仍和換云、アチムラノイサトハユケト云々。アチムラハ、水鳥ナリ。イサトハユケトトハ、ムラ鳥ノタツ羽ヲト、サトキコユレハイフ。又ムラ鳥ノナラヒ、鳥一モタチソムレハ、皆サソハレヂタテハ、イサトハタテトヽヨソヘヨメル也。村鳥ハ、シハシモハナルル時ナク、トモナヒテ、オルレハ共ニヲリ、タテハ共ニタチテ、ハナルヽ時ナキニ、ワ(133)レハヒトリノミシテ、日モクラシカタク、夜モアカシカヌルト歎給ヘル御歌ナリ。
反歌
(味村驂ノコト、アチムラコマト、ヨムハ僻事也。アチムラサハキトヨム正義也。歌ノ心ハ、山ノハニ、アチムラサハキテユケト、吾ハ君ニモナケレハ、サヒシト也。サフシヱノヱは助ノ詞也。抑アチムラコマトハ目ヲ云ト云リ。又アチムラノ如ク、多ムレタル馬ヲ云トモ云リ。惡シ。)
486 山羽尓味村《ヤマノハニアチムラ》驂去《コマハサル・サハキユク》奈礼騰吾者左夫思惠君二四不在者《ナレトワレハサフシヱキミニシアラネハ》
此歌古點者、ヤマノハニアチムラコマハサルナレトワレハサフシエキミニシアラネハト點セリ。依之或ハ、山ノハニアチムラコマハサルナレトヽハ、日ヲハ白駒ノ影ナト云テ、ヒマ行コマニタトフレハ、山ノハニ、日ノ影ハサシタレトモ、ワレハサフシモ、キミニモアラネハトヨメルヲ尺スル人モ侍也。今歌ノ心詞ヲミルニ不然。山ノハニアチムラハサワキユクナレトモ、我ハサヒシモ、キミニシアラネハトヨメル也。サヒシト云詞ヲ、此集ニハ、サフシモトカケルコトアマタミエ侍ナリ。ヒト、フト、同内相通ノユエ也。第二句ハ、古點ニモ、アチムラサワキト點セル本アリ。是ヨロシカルヘシ。第三句ハ、ユクナレト點スヘシ。
490 眞野之浦乃與※[馬+騰の旁]乃繼橋情由毛思哉妹之伊目尓之所見《マノノウラノヨトノツキハシコヽロユモオモヘヤイモカイメニシミユル》
(眞野浦、攝津國。)
(淀繼橋、同。)
此歌中五文字、證本皆同ク、漢字ハ、情由毛トカキテ、假名ハ、心タモト點セリ。又或本ニハ、田ニカケリ。是ハ假名ニヨリテカケルニヤ。コヽロユモト云ハ、古語也。コレヲ、コヽロニモトモ、コヽロヨリトモ、所ニシタカヒテ心得アハスル也。タトヘハ、從ノ文(134)字ヲ、ニトモ、ヲトモ、ユトモ、ヨリトモヨムハ、所ニシタカヒテヨメトモ、イツレノ詞ヲモ、皆コメテソヘタル也。
491 河上乃伊都藻之花乃何時何時來益我背子時自異目八方《カハカミノイツモノハナノイツモイツモキマセワカセコトキ|ワカ《(マヽ)》マタメヤモ》
有物ニハ、イツモノ花トハ、河ノ内ヨリサキイブタル花ヲ云ナリトカケリ。但物ヲホムルニハ、ナニヽモイツノコトハヲソヘテ、イヒオケル習ナレハ、是モ藻ノ花ヲホムル心ニテ、イツモ/\キマセ、我セコトキワカメヤモトヨミツレハ、賞スル詞相叶テキコユル也。河藻ノ花ハ水ノシタニナヒキテキタルモアリ。水ノ上ニヲヒイテヽサケルモアリ。河ノ内ヨリサキイテタルハ、猶イフナリト、釋シキルヘキニモアラス。物ノ名ニヲイテ、イツノ詞ヲオクコト、日本記第三卷ニミエタリ。天皇大(ニ)喜《ヨロコヒ玉テ》、乃|拔2取《ネコシニ》丹|生川上之五百箇眞坂樹《フノカハカミノイホツヽノマサカキヲ》1、以(テ)祭《イワイ玉》諸神《モロカンタチヲ》1、自v此始(テ)有2嚴※[分/瓦]《イツヘノ》之|置《(マヽ)》1也。時(ニ)勅(シテ)2道(ノ)臣《オキノ》命(ニ)1、令以(テ)2高皇産靈《タカミムスヒノ》尊(ヲ)1朕親《ワレミツカラ》作(セン)2顯齋《ウツシイハイヲ》1。【顯齋此云|于圖詩人怡破※[田+比]《ウツシイハイ》。】用(テ)v汝(ヲ)爲2齋主《イミノヌシト》1、以2嚴媛之號《イツヒメノナヲ》1而(シテ)名(ヲ)|所置埴※[分/瓦]《ヲケルハニヘヲ》爲(ス)2嚴※[分/瓦]《イツヘト》1。又火(ノ)名(ヲハ)爲2嚴香來雷《イツノカクツチト》1。水(ノ)名(ヲハ)爲2嚴罔象女《イツノミツハノメト》1。【罔象《ハウシヤウ》女此云|※[さんずい+弥]菟破能迷《ミツハノメ》。】粮名《クラヒモノヲハ》爲2嚴稻魂女《イツノウカノメト》1。【稻魂女此云|于伽能迷《ウカノメ》。】薪(ノ)名(ヲハ)爲2嚴(ノ)山雷《ヤマツチト》1。草(ノ)名(ヲハ)爲2嚴(ノ)野椎《ノツチト》1ト云ヘリ。今歌第三句ノツヽキ、河上ノイツモト云ヘルハ、河上ハ、水ノイツルニヨソフル也。イツ藻ノ、モノ字、水ニカヨフ心モアルヘシ。同内相通ノ故也。但是ハメクリタル心得ヤウナリ。イツト云、假名ノ詞ノ内ニ、イツル水ノ義ハコモルヘ(135)キ也。イト云ハ出義、ツト云ハ、水也。ヰヲ、ツト云カコトシ。ミツノシロキヲ、ツユト云カコトキ也。又此歌ノ發句、河ノ上ト點シタル本アル也。川上ノ、イツモトヨメル佳《ヨシ》。第五ノ句、トキワカメヤモトヨメル、異ノ字ハ、ケトヨム。トキワケメヤモトミエタルヲ、ワカメヤモト點シタルハ、詞ノキヽモナタラカナルニヨル。又カキクケコノ五音ニオヒテ、男聲ヲヨメル也。
495 朝日影尓保敞流山尓照月乃不※[厭ノがんだれなし]君乎山越尓置手《アサヒカケニホヘルヤマニテルツキノアカスヤキミヲヤマコシニオキテ》
アサヒカケニホヘル山ニテル月ノトヨメルハ、向ノ山ノハチカキアリアケノ月ハ、月ノ光モ、テラシナカラ、ヨノアクルニシタカヒテ、朝日ノイテナムトスルヨソホヒノ、カケモウツロヒワタレハ、アカヌナコリニ、ヨソヘヨメルナリ。
(三熊野浦ハ、伊勢トモ、志摩トモ云リ。兩義也。紀州ニハ非ス云々。(濱木綿ノコト、モモヘトヨメルモ同義也。又是ニケサウ文ヲ書テ、人ノ方ヘヤル二、返事セネハ其人ワロシト也。又云、是ニ戀シキ人ノ名ヲ書テ、枕ノ下ニ置テヌレハ、必夢ミルト也。)
496 三熊野之浦乃濱木綿百重成《ミクマノノウラノハマユフモヽヘナル》。ハマユフトヨメル、ミクマ野ノ、ウラハ、伊勢國也。ハマユフハ、芭蕉ニ似テ、チヒサキ草也。クキノイクヘトモナクカサナリタルナリ。ヘキテミレハ、シロクテ紙ナトノ樣ニヘタテノアル也。大臣大響ナトニハ、鳥ノ別足ツヽマムレウニ、イセノ、ミクマ野ノ浦ヨリ、メシノホセラルト云ヘリ。
500 神風之伊勢乃濱荻折伏。伊勢國ニハ、葦ヲ濱ヲキト云也。攝津國ニハ、アシトイヒ、アツマニハヨシト云ナリト云ヘリ。
(136)601 未通女等之袖振山乃水垣之久時從憶寸吾者《ヲトメラカソテフルヤマノミツカキノヒサシキヨヨリオモヒキワレハ》
ヲトメトハ、少女也ト云ヘリ。又女ノ惣名也ト釋スル事モアリ。袖フル山トハ、大和ノ、フルノ山也。フルトイハムトテ、袖フルトソヘタル也。水垣トハ、神社ノ瑞籬也。神ハアマクタリ給テ、後ヒサシケレハ、ヒサシキ世ヨリト云ナリ。
502 夏野去小牡鹿之角乃束間毛妹之心乎忘而念哉《ナツノユクヲシカノツノヽツカノマモイモカコヽロヲワスレテオモヘヤ》
此歌ハ戀ニヨソエテヨメル也。夏野ユク鹿トヨメルハ、五月夏至日、鹿角解ナトイヒテアリ。是本文也。礼記ノ月令ノマキニミエタリ。サテソノモトアリシ角ノオチテ、今イツ《オフィ》ル角ハテニトルハカリタニモヲヒス。其心ニヨセテ、ツカノマモトハヨメル也。ソレヲトキノマモナシト云心ニカヨハセル也。
(或説云、サイ/\トハ、サヤ/\歟。絹ノアタラシキハサヤ/\トナルナリ。シツムハ、シツカニヰタリシ妹ト云歟。又云、珠衿ハ、※[木+官]ノ名也。珠衣同事也。然ハホメタル詞ニハ非ス。樂忌アルヘシト云リ。アマリノ事也。此歌ニ其心見ヘズト云々。
503 タマキヌノサヰ/\シツミイヘノイモニモノイハスキテオモヒカネツモ
タマキヌトハ、ヨキヽヌ也。物ヲホムルコトハニ、玉ト云ツネノコトナリ。サヰ/\シツミトハ、サヰトハ、ヰル《居》也。シツミトハ、シツムルナリ。イカニ|ナルキヌ《鳴衣》ナレトモ、ヨクヰシヅマレハ、ナリヤミテ、シヅカニナルニ、イタクイソキテ、モノイハズ|キ《來》テ、クヤシキ心ヲヨメル也。
506 ワカセコハモノナオモヒソコトシアラハヒニモミツニモワレナラナクニ
(137)此歌ノヨメル心ハ、イカナルコトアリトモ、ヒニモ水ニモナリテ、ウスヘキワレニテモナシ《マツ吾コソウスヘキナレハィ本》。ワカセコハ、物ナオモヒソトヨメルナリ。
丹比眞人《タチヒノマウト》笠磨下2筑紫(ノ)國(ニ)1時作歌詞中
(狹丹頬相《サニツラフ》、サニツラヘトモ云也。ケシヤウシタル顔也。又云、サニホヘルト云モ、同心也。サニツラフハ、サハ狹也。ニハ丹也。ツラハ、顔也。少シアカキカホ歟。サニホヘルハ、サシニホヘルト云歟。又ホムル詞トモ云リ。又色メクト云コトトモ云リ。私云、ハハ長キ義トハ長谷ト書テハセトヨム也 尤長キ義ナリ。)
509 青旗乃葛木山尓《アヲハタノカツラキヤマニ》トツヽケタルハ、カヅラノ、木ニハヒカカリテ、手ノ長ク、シケクテカカリタルハ、青旗ニ、ニタレハ、アヲハタノカツラキ山トハツヽクル也。オヨソハタト云ハ、ハヽ、ナカキ義、タハ、手也。テノナカクテカヽリタレハ、ハタト云ヘリ。
粟島乎《アハシマヲ》背《ソカヒニ・ソム》尓見管《ミツヽ》ハ、アハシマト、讃岐國屋島北去百歩許有島、名曰阿波島ト云ヘリ。此島ヲヨメル歟。ソカヒトハ、セナカアハセナルヲ云。
浪上乎五十行左具久美磐間乎《ナミノウヘヲイユキサククミイハノマヲ》射往廻《イテユキカヘル・ユキモトホリ》トハ、イユキサククミハ、サクヽミトハ、ハヤクヽルト云也。船ノ波ノ上ニユラレユクハ、波ヲクヽルヤウニミユルナリ。イハノマヲイユキモトホリトハ、メクルヲモトホルトイフ。岩ノアル所ヲハ、梶ヲヒキマハシテ、メクリユケハ、イユキモトホリト云ヘリ。
イナヒツマ《・稻日都麻》、イエノシマ《・家乃島》、トモニ播磨國ナリ。
512 秋田之穗田乃苅婆加香縁相者彼所毛加人之吾乎事將成《アキノタノホタノカリハカカヨリアハハソコモカヒトノワレヲコトナサム》
ホタノカリハカカヨリアハヽトハ、田ノカリキハナト云心ナリ。ヨリアハヽ、ソコモカ(138)人ノワレヲコトナサムトハ、田ヲカナタコナタヨリカリユクホトニナカハニヨリアヒヌレハ、トモニナスヘキコト、トクルニ、タトヘテ、ソコモヤヒトノワレヲコトナサムト、タトフル也。
516 吾以在《ワカモタル》三相二搓流《ミミニサシ・ミツアヒニヨレ》流絲用而附乎益物今曾悔寸《イルヽイトモチテツケテマシモノヲイマソクヤシキ》
此歌第二句ニ、有四箇點。一ニハ、ミコオホセニハレル、二ニハ、ミヽニサシイルヽ、三ニハ、ミツアヒニヨレル、此江本也。四ニハ、シホカセハレル。以上四種ノ和アルナカニ、江本勝歟。其故ハ、中臣朝臣東人贈2阿倍(ノ)女郎(ニ)1歌曰、ヒトリネテタエニシヒモヲユヽシミトセムスヘシラニネノミシソナクト云ヘリ。此歌ヲカヘスニイハク、ワカモタルミツアヒニヨレルイトモチテツケテマシモノヲイマソクヤシキ。江本尤得其意乎。
518 春日野ノ山邊ノミチヲヨソリナクカヨヒシキミカミエヌコノコロ
ヨソリナクトハ、ソハヘヨルコトモナク、カヨヒシトヨメルナリ。
524 アツフスマナコヤカシタニフセレトモイモトシネヽハヽタシサムシモ
アツフスマナコヤカシタニトハ、アツフスマ、アタヽカナレハ、サムキコトモアルマシク、ヤハラキタルシタニフセレトモ、キミトシネヽハ、サムシトヨメルナリ。ナコヤト云ヘル、ヤノ字ハ、コトハノタスケ也。
(139)526 千鳥鳴佐保乃河門乃瀬乎廣弥打橋渡須奈我來跡念者《チトリナクサホノカハトノセヲヒロミウチハシワタスナカクトオモヘハ》
奈我來跡念者トハ、奈《汝也》トハ、男ヲ云也。クハシクハ、間々能手兒名《ママノテコナ》カ所ニ如v釋(カ)。
529 佐保河乃涯之《サホカハノキシノ》官能小歴木莫《ワタリノワカクヌキナ・ツカサノシハナ》苅烏在乍毛《カリソアリツヽモ》張《ハリ・ハル》之來者立隱金《シキタラハタチカクレカネ》
此歌古點ニハ、サホ河ノキシノワタリノワカクヌキナカリソアリツヽモハリシキタラハタチカクレカクレネト點セリ。今案ルニ、其心不相叶。仍和換云、サホ河ノキシノツカサノシハナカリソアリツヽモハルシキタラハタチカクルカニ。キシノツカサトハ、キシノツヽキトイフ詞也。オホカタツカサト云ハ、ツヽキカサナル心ナリ。又ツカサト云詞、此集ノ中ニ、兩三所ミエ侍也。第十七卷、山部宿※[示偏+尓]明人詠春鶯歌云、安之比奇能山谷古延※[氏/一]野豆加佐尓今者鳴良武宇具比須乃許惠《アシヒキノヤマタニコエテノツカサニイマハナクラムウクヒスノコヱ》。此歌第三句、古點ニハ、ヤツカサニト點ス。其心不叶。ノツカサニト云ヘリ。ツカサトハ野ノツヽキトヨメルナルヘシ。
537 事清甚毛莫言一日太尓君伊之哭者痛寸取《コトキヨクイタクモイハシヒトヒタニキミイシナカハイタキキズ》物《ソモ・モノ》
此歌古點ニハ、コトキヨクイタクモイフナヒトヒタニキミカトキナハイタキトリ物ト點セリ。其心不顯。今和換云、コトキヨクイタクモイハシヒトヒタニキミイシナクハイタキヽズソモ。意ハ、コトキヨケニ、オモハ|ヨシ《(マヽ)》ニ、イタクモイハシ、ヒトヒナリトモ、キミタニモナクハ、イタキヽズナムト、アラムヤウニ、カナシカルヘシト讀ル也。
(140)542 トコトハニカヨヒシキミカツカヒコスイマハアハシトタユタヒヌラシ
トコトハニハ、ツネニト云也。タユタフトハ、タユムト云コト也。
神龜元年笠朝臣金村作歌詞中
543 安蘇々尓破《アソヽニハ》。アソヽニハトハ、アソアソト云詞也。人ノ物イフヲイフニ、サソアルラムト云心ナリ。和語ノ習ヒ、重點ヲイフニハ、後ニハカミノ字ヲ略スルナリ。リタトヘハ、キラ/\トイハムトテハ、キラヽトイヒ、ハラ/\トイハムトテハ、ハラヽト云。トヲ/\トイハムトテハ、トヲヽナムトイフタクヒナリ。又今ノ人ノ、アサナ/\ト云事ヲ、フルクハ、アサナサナトイヘル也。已上皆放之。
反歌
544 後居而戀乍不有者木國乃妹背乃山尓有益物乎《ヲクレヰテヒツヽアラスハキノクニノイモセノヤマニアラマシモノヲ》
妹背ノ山ハ、紀伊國也。イモノ山、セノ山トテ二也。ソノ中ニ、吉野川ナカレタリ。二ツナレトモ、ヒキアハセテ、イモセノ山トモヨメル、歌トモアリ。古今(ノ)歌ニモ、流テハイモセノ山ノ中ニオツル吉野ノ河ノヨシヤ世中トヨメリ。此歌ハ名ヲハヒトツニイヒナシタレトモ、中ニ吉野ノ川ノナカレタルコトヲヨミツレハ、二トキコヘタリ。又イモトセノ山ト、別々ニヨミタル歌モアリ。
(141)幸2三香(ノ)原(ノ)離宮《カリミヤ》1之時(ノ)作歌詞中
546 百夜乃長《モヽヨノナカサ》有與宿鴨《アルヨヌルカモ。アリヨイモカモ》。ヨ|ヒ《イ》トハ、心ヨク、イヲヌルヲ云也。
548 反歌、今夜之早開者《・コノヨラノハヤクアクレハ》。此歌古點ニハ、コヨヒノハヤクアクレト點ス。古語ニハ、コノヨラノト云ヘリ。男聲ヲ、ヨフユエナルヘシ。ヨルヲヨラトイヘルコト、眞名假名ノ所ニミエタルヘシ。
(吉備小島、備中國。)
(筑紫小島、筑前國。)
551 山跡道之嶋乃浦廻尓縁浪間無牟吾戀卷者《ヤマトチノシマノウラワニヨスルナミアイタモナケンワカコヒマクハ》
ヤマトチノシマノウラワナトイヘルコト、ヤマトノ國ニハ、海モナキニ、イカテカクヨメルニカト、人オホクタツヌルコト也。コレハヤマトノ國ニ、嶋ナムトノアルニハアラス。イニシヘノ都ハ、オホクヤマトノ國ニアリ。サレハミヤコエノホリクタル道ヲ、大和チトイヒテ、ツクシナムトヨリノホルアヒタノミチヲヨムトテハ、大《第十六卷ニアリ》和ヂノキヒノ小島ヲスキテコカハ、ツクシノコシマオモホエムカモナトヨメルナリ。
(ワケトハ、異説ニ、ヲノレヲモ云、又男ヲモ云トイヘトモ、吾ト云義也。)
552 吾君者和氣乎波死常念可毛相夜《ワカキミハワケヲハシネトオモヘカモアフヨ》不相夜二走良武《アハヌヨヨマセナルラム・フタユクナラム》
ワケトハ、男ヲ云ナリ。此歌下句古點ニハ、アフヨアハヌヨ、ヨマセナルラムト點セリ。其心ハカハラスト云ヘトモ、落句ノ和、古語ニアラス。推點《スイテン》トミエタリ。フタユクトハ、ヒトスチナラスシテ、フタ道ナルヲ云ヘリ。
(142)553 天雲乃遠隔極遠鷄跡裳情志行者戀流物可聞《アマクモノヘタテノキハメトホケトモコヽロシユケハコフルモノカモ》
トホケトモトハ、遠ケレトモト云ヘル也。文字ヲ略スルコトモ、常ノ習也。
(酒ハ、黍ニテモ、粟ニテモ作ルコトナレトモ、吉備ノ酒ハ、名所ノ洒歟。備前、備中、備後ノ内タルヘキ歟。)
(私云歌ノ心ハ黍ノ酒ニ醉テ病ハヌキスヲ玉ハリテ反吐ツカント云也。)
554 古人令食有吉備能酒痛者爲便無貫簀賜牟《イニシヘノヒトノノマセルキヒノサケヤモハハスヘナヌキスタマハム》
キヒノ酒トハ、キヒ《黍》ヲ以テツクル酒也。キハメテ、性ツヨキ酒也。貫簀トハ、竹ニテ、ミスノ樣ニアミタル物也。カミツカタニ、ミテウヅ《御手水》、タテマツル時、タラヒ《盥》ノ上ニ、ウチシキテ、御手水ヲハマイラス。タバシリナムトヲ、御衣ニカケサラムタメナリ。
(釀之待酒ヲ、カミシマチサケト點セリ。是ハ兩義也。一ニハ、神也。一ニハ、昔ハ口ニテ、米ヲカミクタキテ、酒ヲツクリケルコト也云々。又云、カモシマチサケナラハ、釀ノ字、米ヲカビサセテ酒ニ造ルカウジ也。應神天皇ノ御時ヨリ始ルト云々。
555 爲v君《キミカタメ》釀之待酒《シタミシサケヲ・カミシマチサケ》安野尓獨哉將v飲友無二思手《ヤスノノニヒトリヤノマムトモナシニシテ》
カミシトハ、酒ヲツクルヲ云ナリ。安野ハ、五代集歌枕ニハ、近江ト注セリ。此歌ハ、大宰帥大伴卿、贈3大貳(ノ)丹比縣守《タチヒノアカタモリ》卿(ノ)遷2任(スルニ)民部卿(ニ)1歌也。不v可v詠2近江安野(ヲ)1哉。筑前國ニ、野聚《ヤスノ》郡アリ。詠2彼野1歟。
私云、筑紫ニハ、待人爲ニ造ル酒ヲ待酒トイフト云々。
561 不念乎思常云者大野有三笠杜之神思《ヲモハヌヲオモフトイハハオホノナルミカサノモリノカミモ》知三《シルラン・シルラミ》
此歌三笠社、又五代集歌枕ニ、大和ト付タリ。春日ノミカサノ森トオモヘルニヤ。大野ナル三笠ノモリト云ヘルハ筑前國ナルヘシ。
(待人ノ來ルヘキニハ、左手、弓トルカタノ、眉ネカユシト云リ。)
562 無暇人之眉根乎徒令掻乍不相《イトマナキヒトノマユネヲイタツラニカヽシメツヽモアハヌ》妹《キミ・イモ》可聞《カモ》
(143)コヒシキ人ヲミムトテハ、眉ネヲカクト云本文アル也。
(城山、筑前有太宰府(ニ)。)
575,576,588,589 草香江《クサカエ》、攝津國。シロトリノトハ山、山城。ウチワノサト、大和。
606 吾毛念人毛莫忘多奈和丹浦吹風之止時無有《ワレモオモフヒトモワスルナオホナワニウラフクカセノヤムトキモナカレ》
オホナワニトハ、オホカタニト云也。
607 皆人乎宿與殿金者打礼杼君乎之念者寐不勝鴨《ミナヒトヲネヨトノカネハウツナレトキミヲフオモヘハイネカテニカモ》
ネヨトノ鐘トハ、初夜ノカネ也。
(一義云、大寺ニテハ、佛ニコソヌカツクヘキニ、垣ノ後ニヌカツクハ、詮モナキコトト也。アヒ思ハヌ人ヲ思ハンハ、詮ナキトノ心也。)
608 不相念人乎思者大寺之餓鬼之後尓額衝如《アイオモハヌヒトヲオモフハオホテラノカキノシリヘニヌカツクカコト》
此歌、昔ハ大ナル寺ノ堂舍ニハ、餓鬼ヲツクリテ、後戸ノ方ナムトニ、オキケル也。ソレヲイナカ人ナトハ、堂舍巡禮シテ、ヲカムトテ、カノガキヲモ、佛ト思ヒテオカミケルヲ、ハカナキコトニシヲ、ワラヒケルナリ。サレハアヒオモハヌ人ヲ思フハ、ヰナカ人ナトノ、彼餓鬼ノシリエニヌカツクカコトシトヨメルナリ。ヌカツクトハ、又ハ、メクラス義、カハ、カシラ也。神佛ヲオカミタテマツルニハ、カウヘヲメクラシテ、地ニナクレハ、ヌカツクト云ナリ。額ヲ、ヌカト云事アルモ、シタノ義ハ同シ心ナリ。
619 (大伴坂上郎女怨恨歌詞中、夜者須我良尓赤羅引、アカラヒクトハ、赤コト也。又明也。ヨルハスカラニアカラヒクトハ、日モクラクナルマテト云リ。日ナトノアカキ心也。)
623 松之葉尓月者由移去黄葉乃過哉君之不相夜多烏《マツノハニツキハ|ウ《ユ》ツリヌモミチハノスキヌヤキミカアハヌヨオホク》
月ハユツリヌトハ、月ハウツリヌト云ナリ。人ノ我身ニサリカタク思フモノニ、官職ヲ(144)モツタヘツクルヲ、ユツルト云モ、ウツストモ云事ナリ。ユツルトイフ、モシノヒヽキニ、ウヲオサメタレハ、ユトモイフハ、發語ノ詞ニテアレハ、ユツルト云ニハ、發語ノ詞ヲモオモハヘ、又ユト云ニ、ウノヒヽキアレハ、ウツルト云字ヲモ、コメタレハ、ウルハシクイヒシリタル、コトハニテアルヘキナリ。
(私云、束鮒ハ、手一束ホトノ鮒歟。小鹿ノ角ノツカノマナトノ心歟。)
625 奥敞往邊去伊麻夜爲妹吾漁有藻臥束鮒《オキヘユキヘニユキイマヤイモカタメワカスナトレルモフシツカフナ》
モフシツカフナトハ、水ノ中ニアル、モト云物ノシタニ、フスフナ也。ツカト云心ハ、アツマルト云ナリ。又、モフシ、ツカフナトテ、タヽ、チヒサキ魚ヲ、云トモイヘリ。
631 宇波※[敝/犬]無物可聞人者然許遠家路乎令還念者《ウハヘナキモノカモヒトハシカハカリトヲキイヘチヲカヘストオモヘハ》
ウハヘナキトハ、カミモナキト云也。心ハ是ホトニ、ナサケナキコトハ、又ウエモアラシト云ヘルナリ。
634 家二四手雖見不飽乎草枕客毛妻與有之乏左《イヘニシテミレトアカヌヲクサマクラタヒニモツマトアルカトモシサ》
歌ノ心ハ、家ニヰテ、シツカニミルタニモ、アカヌイモヲ、旅ニテ物イソカハシキナカニミレハ、猶メツラシサヨトヨメリ。
(目二破見而手二破不所取月内之楓如妹乎奈何責。凡月桂ト云フコト、説説アリ。月中ノ河上ニ桂アリ。高サ五百丈、下ニ獨ノ老人アリ。樹ヲキル。姓ハ※[関の門なし]、名ハ對文西河人、年十六ニシテ仙ヲマナヒテ爰ニアリト云リ。是ヲ桂男ト云也。又云、月中ニ桂アラスト云々。)
641 絶常云者和備染責跡燒大刀乃隔付經事者幸也吾君《タユトイヘハワヒシミセムトヤクタチノヘツカフコトハヨシヤワカキミ》
ヤキクチノ、ヘツカフトハ、大刀刀ニキレ入タルキズノアルヲハヘト云也。ヘトハ、ツ(145)ツカスシテ、ヘタテノアルト云也。サレハ此歌ハ、カノヤキタチノ、ヘツカフコトノアシキヲ、タトヘニカリテ、タユトイヘハ、ワヒサセムトオモフカ、ヤキタチノ、ヘノツキタルハ、ヨキコトカトヨメルナリ。
642 ワキモコニコヒテミタレルクルヘキニカケテシヨシトワカカコヒソメシ
クルヘキトハ、糸カケテクル物ナリ。ワクト云物ニ、ニ《似》テ、オホキナルナリ。ソレカヤスキ時ナク、メクルヲタトヘニヒキテ、ワキモコニカクレ心ノクリカヘシ、ヤムコトナキトヨメル也。
654 相見者月毛不經尓戀云者乎曾呂登吾乎於毛保寒毳《アイミテハツキモヘナクニコフトイヘハヲソロトワレヲオモホサンカモ》
オソロト、ソラコトヽ云コト也。アツマ詞ナリ。アヒミテハ月モヘヌニ戀シト云ヘハ、ソラコトヽオモハムカト、ヨメル也。
657 不念常曰手師物乎翼酢色之變安木吾意可聞《オモハシトイヒテシモノヲハネスイロノウツロヒヤスキワカコヽロカモ》
(※[木+唐]《タウ》、棣木《ムクケ・キハチス》也。)
(棣《テイ》、唐棣移《《ムクケ・キハチス》》。
(椿桃《ヅバイモヽ》。)
(移《イ》、棠棣《タウテイ・キハチス》也。)
此歌ノ中ノ五文字、ハスイロノト和ス。今案、少不相應。ハネスイロノト和スヘシ。第十一卷ノ歌ニ云、山振之尓保敞流妹之《ヤマフリノニホヘルイモカ》、翼酢色乃《ハネスイロノ》、赤裳之爲形《アカモノスカタ》、夢所見管《ユメニミエツヽ》。コレマタ、ヲナシク、ハネスイロト云ヘシ。其故ハ、第八卷ニ、大伴家持|唐棣花《ハネスノハナノ》歌ニ、夏儲而開有波※[示偏+尓]受《ナツマケテサキタルハネス》、久方乃雨打零者《ヒサカタノアメウチフラハ》、將移香《ウツロヒナムカ》ト云ヘリ。今歌ウツロヒヤスキ風情、ソノ心ヲナシ。(146)抑唐棣花尺スルニ、先達異説アリ。或云、月草。是ハ、第十二卷歌、唐棣花《ツキクサノ》色之|移安情有者年乎曾寸經事者不絶而《ウツロヒヤスキコヽロアレハトシヲソキフルコトハタヘステ》。此歌ノ頭句、古點ニハ、ツキクサト點セリ。依之月草ト云ヘル歟。恐ラクハ、是アヤマリナルヘシ。既第八卷大伴家持、唐棣花ヲ詠シテ、波※[示偏+尓]受《ヘネス》トカキテ、其和名ヲアラハセリ。ナニヽヨリテ、月草ト和換ヘキヤ。シカモ第十二卷頭句ハ、唐棣花色之トカケリ。是ヲ月草ト和スレハ、色ノ字和セラレサルヲヤ。サチ先達等、唐棣花ヲ尺スルニ、各異説アリ。或云、庭櫻。或云、李花。或云、木《木芙蓉ノコト也》蓮花ト云ヘリ。加樣ニアマタノ異説ハアレトモ、タシカノ證據ヲハカキノセス。但萬菓集、或本裏書云、唐棣《タウテイハ》車下李也。子(ハ)如v李赤(ク)小(ナリ)。一名(ハ)移《イ》、【音移】子|※[而/大]《ニタリ》2苦野李1也。似(テ)2白楊《カハヤナキニ》1、江東呼(テ)、爲2夫移《フイト》1。子(ハ)如2櫻桃《ヅバイモヽノ》1、可v喰【文】。林邑記云、扶移《フイハ・キハチス》、柯節發v根下垂。虚中森擢徒風望云懸髪【文】。又檢(テ)2本草(ヲ)1云、陸機草木疏云、※[木+唐]棣《タウテイハ》即奧季也。【乃至】、其(ノ)花、或(ハ)白、或(ハ)赤、六月實成云々。ソレニトリテ、ハネスイロトイヘルハ、世ノモチヰルトコロ、赤色ナルヘシ。十一卷歌ニ、ハネスイロノアカモノスカタトヨソヘヨメルカユエ也。又日本記第廿九卷、天渟中原瀛眞《アマノヌナハラオキノマ》人天皇卷下、天皇十四年、、秋七月乙巳朔庚午、初定2明位已下、進位已上之|朝服《ミカトコロモノ》色(ヲ)1。淨位已上(ハ)並(ニ)着《キル》2朱花《ハネズヲ》1。【朱花此(ハ)云2波|泥孺《ネスト》本ノマヽ】ト云ヘリ。
667 戀々而相有物乎月《コヒ/\テアヒタルモノヲツキ》四有《シアレ・シナレ》者夜波《ハヨハ》隱《カクル・コモル》良武須臾羽蟻待《ラムツハシハアリマテ》
(147)此歌第四句、古點ニハ、ヨハカクルラムト點ス。其心不相叶。ヨハコモルラムト和スヘシ。月シアレハ、ヨハマタアルラム、シハシマテトイエルナリ。
イツミノサト、山城國。
(厚見王謌、朝尓日尓トハ、朝毎、日毎也、。但毎日ノコト也。)
(蟲麿謌、倭父手纒トハ、カスナラヌコト也。)
(障良比トハ、石ニ當テ行水ノ體也。)
699 一瀬二波千遍障良《ヒトツセニナミチヘサラ・ヒトセニハチタヒサハラ》比逝水之《ヒユクミツノ》後毛將粕《ノチニモアハム・ノチモアハナム》今尓不有十方《イマニアラストモ》
此歌古點ニハ、ヒトツセニナミチヘサラヒユクミツノノチニモアハムイマニアラストモト點セリ。第一二(ノ)句(ノ)和、シカルヘシトモミエス。サラヒト云ヘルモ、作例モナシ。仍和換云、ヒトセニハチタヒサハラヒユクミツノノチモアハナムイマニアラストモ。
(私云、タグルナハト云心歟。)
704 タクナハノナカキイノチヲホシケクハタエステ人ヲミマクホリコソ
タクナハトハ、アクルナハト云也。アト、タト、同韻相通也。
(或云、ハネカツラトハ、サネカツラヲ云ト云リ。)
705 葉根※[草冠/縵]今爲妹乎夢見而《ハネカツライマスルイモヲユメニミテ》。ハネカツラトハ、ハナカツラナリ。花ヲ以テカサリタルカツラナルヘシ。ナト、ネト、同内相通也。
707 思遣爲便乃不知者片※[土+完]之底曾吾者戀成尓家類《オモヒヤルスヘノシラネハカタモヒノソコニソワレハコヒナリニケル》
モヒトハ、茶※[土+完]也。
私云、成人云、延喜式云、片※[土+完]者《カタモヒハ》、底深器《ソコフカキウツハモノ》云々。可v見v式(ヲ)。
大伴坂上郎女、從(リ)2跡見庄1贈2留v宅(ニ)女子大孃(ニ)1歌詞中
(刀自トハ、老女ノ心歟ト云々。但女ノ通稱歟。又年歟云々。)
(148)723 常呼二跡吾行莫國小《トコヨニトワカユカナクニコ》金門《カネト・カナト》尓物悲良尓念有之《ニモノカナシラニヲモヘリシ》。トコヨニトワカユカナクニトハ、トコヨハ、蓬莱島也。心ハ、蓬莱(ヲ)タツネハ、ユカムニコソ、イタツラニ船ノ内ニ、トシヲツミテ、歸ルコトカタカラメ。近キホトノ一所ニタニモハナレヰテハカナシトヨメル也。コカナトニハトハ、タチイデカタキニ、ヨソフルナリ。
(萱草ト、鬼乃志許草トハ、別ノ物ニ非ス、同物也ト云云。又忘草トハ、萱草ヲ云也。憂ヲ忘ル草也。鬼乃志許草ト云ハ、紫苑ヲ云也。シオンハ物ヲ忘レヌ草也ト云々。)
727 萱草吾下紐尓着有跡鬼乃志許草事二思安利家理《ワスレクサワカシタヒモニツケタレトヲニノシコクサコトニシアリケリ》
※[禾+(尤/山)]康、養生論曰、萱草、忘草、忘憂ト云ヘリ。此歌ノ心ハ、萱草愁ヲワスルヽシルシアレハ、我コヒノナケキノ心ヤ、ナクサムルトテ、ワカシタヒモニツケタレト其ノシルシモナシ。凶ノ草、詞ハカリナリケリトヨメル也。鬼ノシコ草トハ、鬼トハ、ヲソロシキト云也。シコトハ、凶ト云詞也。
730 將相夜者《アハムヨハ》何時將有乎何如爲常《イツニモアラムヲイツニスト・イツシカアランヲナニスト》香彼夕相而事之繁裳《カカノヨニアヒテコトノシケキモ》
イツシカアラムトハ、イツカアラムト云也。イツシカト云、シ文字ハ、詞ノ助也。此歌ノ心ハ、アハムヨハ、イツカアラム。ナニストカアハムト契タルヨ、コトノシケキトヨメル也。
735 春日山カスミタナヒキコヽロクヽテレル月ヨニヒトリカモネム
コヽログヽトハ、コヽロアヤシクト云ナリ。奇文字ヲ、クヽト、ヨメルナリ。
(149)(私云、神ノ諸伏《モロフシ》トハ、イツトモナクフシタル由也。歌ノ心ハ、チヒキノ石ヲ七ツカカリ、首ニカケタランヤウニ、イツトモナクネント云也。チヒキノ石ハ、千人ハカリシテ引石也。)
743 ワカコヒハチヒキノイシヲナヽハカリクヒニカケテモカミノモロフシ
チヒキノ石トハ、磐石ヲ云也。
(夜ノホトロトハ、ヨルマタラト云詞也。ヒトヘニアカクモナラヌ心ニヤ又云、夜ノ體也。ホトロハ、詞ノ助ト云リ。)
754 ヨノホトロワカイテヽクレハワキモコカヲモヘリシクヨオモカケニミユ
ヨノホトロトハ、ヨノヒカルト云也。ヨノアクルヲ云ナリ、シノヽメノホカラホカラトアケユケハナト云モ、ヒカリアクル心也。
773 事不問《コトトハヌ》木尚昧狹藍《キナヲミサラム・キスラアチサヘ》藷茅等之練乃村戸二所詐《モロチラカネリノムラトニアサムカレ》來《ケル・ケリ》
コトヽハヌキスラアチサヰトハ、草木ハ物イハヌモノナレハ、コトヽハヌ木ナト云歌、是ナラスモ、ミwハヘリ。アチサイトハ、アチハフル也。モロチラカネリノムラトニアサムカレケリトハ、モロチトハ、ツマトニヨクスルニハ、モロチヲタツト云ヘリ。カタチナルツマトタニモアクレハ、ナルコトニテアルニ、マシテモロチハ、殊ニカシカマシクナル也。ネリノムラトハ、カノツマトノナルヲ、ネリトハ云ヘリ。ムラトヽハ、ツマトノアマタアルヲ云ヘリ。此ツマトヲアクレハ、イツレモ同クナルヲ、コトヽハヌキスラアチサヰモロチラカネリノムラトニアサムカレケリ、トヨメルナリ。
776 事出之者誰言尓有鹿小山田之苗代水乃中與杼尓四手《コトテシハタカコトニアルカヲヤマタノナハシロミツノナカヨトニシテ》
此歌ノ心ハ、小山田ナトハ、平地ナラス、高下アルニ、セキイルヽ苗代水ナトモ、始ハ(150)コトニオトナヒワタレトモ、ソノヒトアセノウチニ、水タマリヌレハ、ノチニハ、ヲトモセスナルヲ、タトヘニヒキテ、コトテシハ、タカコトニアルカヲヤマタノ苗代水ノナカヨトニシテトヨメル也。
仙覺
(以上萬葉集註釋第三册)
(151)萬葉集註釋卷第四
第五卷
太宰帥大伴卿報2凶問1歌
端作(ノ)詞(ニ)云(ク)、但依(テ)2兩君(ノ)大助(ニ)1、傾(ケル)命(ヲ)纔(ニ)繼(ク)耳《ノミ》トイフハ、兩君(トハ)者、稻公胡麿歟。帥(ノ)大伴卿疾(テ)、苦2枕席(ニ)1之時、庶弟《ソテイ》右兵庫助大伴(ノ)宿祢稻公姪治部少丞大伴宿祢胡麿給(シテ)v驛(ヲ)發(シテ)遣令v看《ミ》2卿(ノ)病(ヲ)1。而※[シンニョウ+王]《ワタリテ》2數句(ヲ)1、幸(ニ)得(タリ)2平復(ヲ)1。尺此集(ノ)第四(ト)与若此事同歟。
793 余能奈可波牟奈之伎母乃等志流等伎子伊与余麻須万須加奈之可利家理《ヨノナカハムナシキモノトシルトキシイヨヨマスマスカナシカリケリ》
イヨヽトハ、イヨ/\也。和語ノナラヒ、重點ヲイフニハ、ツキノタヒハ、カミノ字ヲ略スル、ヒトツノナラヒ也。コノヤウハ、梵語ニモアル也。又略セテイフコトモアリ。略シテイフナラヒアルコトヲシルヘキ也。
四生(ノ)起滅|方《ハランチ・ラヘテ》v夢(ニ)皆空(シ)。四生(トハ)者、胎卵濕化也。三界(ノ)漂流《ヘウリウ》喩(テ)2v環《クワニ・キノ》不1v息。三界|之《者歟・(マヽ)》、欲界、色界、無色界。二聖(ノ)至極(ナル)不v能v拂(フコト)2力負之尋(ネ)至(コトヲ)。二聖(ト)者、先(ニ)所(ノ)v言、維摩《ユイマ》大士、釋迦如來|也《ナリ》。力負(トハ)者、無常也。意《イフコヽロ》者、尺迦如來、一期《コノ》化像盡(キ)(152)御《ヲハシテ》、最後(ノ)圓寂《ヱンジヤクノ》處ヲシメ御《ヲハ》スニ、倶戸那《クシナ》城、拔提河《バツダイガ》ノホトリ、沙羅林中ナルヘカリキ。シカルニ、カノ沙羅林ヘワタシタテマツルヘキ途中(ニ)大磐石(ノ)村《林歟村ニ歟》ノヨコタハリフシテ、トホリカタキ所アリケリ。力士等コレヲキヽテ、ヲノ/\アツマリテ、コレヲトリノケテ、平地ニセントスルニ、スヘテチカラノヲヨフヘキヤウナクシテ、トカクシケルトコロニ、尺迦如來、僧形ニ現シ給ヒテ、コヽニイタリ給フ。力士トモニトヒテノタマハク、ナニコトスル、ワカタフトソノタマヒケレハ、カノ力士トモハミナカキリナキ、大力ノモノトモ、無双ノ宿徳ノモノトモナリケレハ、ワカタフトノタマフヲキヽテ、攀縁ノ心アリケリ。コヽニ佛ミアシノユヒヲモチテ、大磐石ヲユルカシメタマフ。力士トモ奇特ノ思ヲナス。ツイニ佛大磐石トモヲトリテ、虚空ニナケアケ給フニ、梵天マテイタリケリ。モロ/\ノ力士オソレテニケハシル。シハラクカホトヲヘテ、磐石地ニオツ。尺尊又ミテニトリテヲシモミテ、フキタマフニ、チリハヒトナリテ、他方世界ヘチリヌ。ホトケ力士ニトヒテノタマハク、ワカチカライクハクナリトカセン。力士ホトケニコタヘテマウサク、心コトハノヲヨフトコロニアラス。三千世界ニヨクナラフモノアルヘカラストマウス。佛又ノタマハク、ワレニマサリテチカラノツヨキモノアリ。イハユル無常也トノタマヒキ。心ハチカラモ、無常ニマクトイハント也。三千世界トハ、倶舍ニ云、四大(153)州日月迷盧欲天梵在各一千、名一小千界、此小千々倍説名一中千、此千倍大千、皆同一成壞トイヘリ。ツフサニカソフレハ、百億須弥、百億日月、萬億四天下也。コレヲ三千世界トイフ。又三重マテニカソヘアケタレハ、三千大千世界トイフ也。黒闇者、死也。二鼠者、月ノネスミ、ヒノネスミヲ云也。四?者、人ノ身ニソナヘタル、地水火風ノ四大ヲ、四?ニタトフル也。三從四徳ハ、トモニ女人ニアリ。
日本挽歌詞中
794 宇知那毘枳許夜斯努礼《ウチナヒキコヤシヌレ》。コヤシヌレトハ、コヤトハ、フスヲイフ。コロヒフストイフコトハ也。フストイハンタメニ、ウチナヒキトハヲケル也。
反歌
795 イヘニユキテイカニカアカセンマクラツクツマヤサフシクオモホユヘシモ
マクラツクトハ、マクラナレタリト云也。ツマトハツヽクナリ。人ノイヱヰハ、コトヨロシキ人ナトハ、夫婦カナラスシモ一室ノウチニアラス。ツクリツヽケタル屋ノ、ヘチノヤニ妻ハスメハ、カノ婦人ノヰタルイヘヲ、ツマヤトイフヘシ。ツマトイヒイテンタメニ、マクラツクトハソヘタル也。コノ日本挽歌ハ、山上憶良カツマニヲクレテ、ヨメル歌ナレハ、ツマヤサフシクオモホユヘシモトハ、ヨメル也。
(154)(オキソノ風、息ヲハ、オキトヨムナリ。サレハ、ナケキノイキノ風ト云也。ソハ詞ノ助也。)
799 大野山キリタチワタルワカナケクオキソノカセニキリタチワタル
オホノヤマ、筑前國、御笠郡ニアリ。オキソトハ、ウミノ奧ニアルイソヲイフコトナレトモ、コレハシカニハアラシ。ワカナケクオキソノカセニ、キリタチワタルトハ、イキヲ、オキトヨメルナルヘシ。
令反惑情歌詞中、指2示《サシシメシ》三綱(ヲ)2更(ニ)開(ク)2五教(ヲ)1遺《ヲクルニ》v之(ニ)以v歌(ヲ)、令v反(サ)2其惑(ヒヲ)1歌(ニ)曰
800 アマクモノムカフスキハミ、タニクヽノサワタルキハミ。ムカフストハ、ムカヒフス也。カク文字ヲ略シテイフコトヽモアル也。タニクヽトハ、タニミツ《谷水》也。タニヲクヽレハ、タニクヽトイフ。
反歌
801 ヒサカタノアマチハトホシナホ/\ニイエニカヘリテナリヲシマサニ
アマチトハ、ソラノミチ也。ナホ/\ニトハ、直クト云也。ナリヲシマサニトハ、ナリハヒヲシマセトイヘル也。
802 思(フ)2子等《コラヲ》1歌詞、マナカヒニトハ、マコトニナカキ日也。眞長日《マナカヒ》。
哀(フ)2世間難(ヲ)1v住(シ)歌詞中、
(佐都由美《サツユミ》トハ、武弓也。薩弓トモ書也。)
804 ヲトメサヒストハ、ヲトメ、スサヒスト云也。ヨチコラト云ハ、オナシホトノ、コラト(155)イフ心也。アカコマニシツクラウチヲキ。アカコマトハ、ウマ《馬》ノ|ケイロ《毛色》ハ、クロ《黒》キモ、シロ《白》キモアリ。スヘテサマ/\ノイロナルモアレトモ、アカキケ《赤毛》ノウマハオホカレハ、アカコマトイフ。シツクラウチヲキトハ、シツトハ、シモトイフコトハナレハ、ヨクモナキ也。イタトリヨリテマタマテノタマテサシカヘサネシヨノトハ、イタトリヨリテハ、タトリヨリテ也。イハ發語ノ詞、マタマテノタマテサシカヘトハ、ヨキテトイハントテ、マタマテトイヘル也。タツカツヱコシニタカネテトハ、タツカツヱハ、テニ、ツキタルツエ也。コシニタカネトハ、コシニツカエテ也。カユキハ人ニイトハエ、カユキハヒトニニクマエトハ、トユケハヒトニイトハレ、カクユケハ、人ニニクマレ、トイフ也。エトレトハ、同韻相通也。此句、普通ノ本トモニハ、ミナ、カクユキハ人ニイトハレ、カクユキハ人ニニクマレト點セリ、ソノコトハリアハス。二條院御本ノ流、カユキハ人ニイトハエ、カクユキハヒトニニクマエ也。義理尤相叶、殊勝々々。
反歌
805 トヽミカネツモハ、トヽメカネツモト云也。ミモ、メモ、同内相通ナレハ、クルシカラネトモ、尾ノ字ハミトツカフ事、傍例オホカルヘシ。タツノマモイマモエテシカアヲニヨシナラノミヤコニユキテコンタメ
(156)タツノマトハ、龍馬ト云也。
(日本琴ニ、アマタノ名アリ。朽目、鹽竈、水龍。又宇多法師ト云ハ、檜ヲ以テ造ルト云々。抑東琴ト云ハ昔ハ弓六張並テ、其弦ヲ引ケレトモ、ソレヲ後ニハ、琴ノ如クニ作テ、絃ヲ六筋カケタリ。宮商角徴羽ニ、文武ノ絃ト云物ヲソヘタリ。是ハ昔、上總國ヨリ此弓ヲ、琴ノヤウニ、シハシメテ參リタリ。和琴は、伊弉諾尊作始玉フト云々。)
對馬|結石山孫枝《ユウシヤマノマコエタ》、ユフシヤマノマコエタ、梧桐、日本琴《ヤマトコト》夢(ニ)化2娘子(ニ)1曰詞中、遠(ク)望2一風波(ヲ)1、出(ルト)2入鴈木(ノ)之間(ニ)1云事、昔(シ)莊子、行2於山中(ニ)1、見2大木(ノ)枝葉茂盛(ナルヲ)1。伐v木(ノ)者止(テ)2其傍(ニ)1而不v取也。問(フ)2其(ノ)故(ヲ)1、無v所v可v用。莊子(カ)曰、此木以(テ)2不材(ヲ)1、得(タリ)2終(ニ)其(ノ)天年(ヲ)1。莊子、出2於山(ヨリ)1舍(ス)2故人(ノ)之宅(ニ)1。故人喜(テ)令d2竪子(ヲ)※[殺ノ異体字](メ)v鴈(ヲ)烹(ニサ)u之。竪子請(テ)曰、問其一(ハ)能鳴、其(ノ)一(ハ)不v能v鳴。請(ハ)奚《イツレヲカ》※[殺ノ異体字]。主人(ノ)之曰(ク)、可v※[殺ノ異体字](ス)d不2能(ク)鳴1者u。明日弟子問2於荘子(ニ)1。昨日山中(ノ)木、以(テ)2不材(ヲ)1、得v終2其天年(ヲ)1。今主人(ノ)之鴈以2不材(ヲ)1死(ス)矣。先生將何處。荘子咲(テ)曰(ク)、周特(リ)處2彼(ノ)之間(ニ)1才(ト)與《トノ》2不才1之間、似v之而非也。故(ニ)未v免2乎|累《ワツラヒヲ》1云々。今琴娘子言v處(ルヲ)2才(ト)與不才(ト)之間(ニ)1乎。
810 イカニアラムヒノトキニカモコエシランヒトノヒサノヘワカマクラセン
ヒサノヘトハ、ヒサノウヘ也。
詠(シ)鎭《シツムル》懷石歌詞中
(是應神天皇御腹ニヲハシマシヽ時、御誕生アラセシトノコト也。)
私記、此石ハ、神宮皇后ノ、新羅征伐時、御袖ノシタニハサミツケ給シ石也。
813 可良久尓遠武氣多比良宜弖《カラクニヲムケタヒラキテ》。カラクニトハ、モロコシ唐ヲイフヤウニ、ツネニハ思ヒナラヒタレトモ、フルキコトハニハ、新羅ヲモ、高麗ヲモ、任那《ミマナ》ヲモ、ミナ同シク、カラクニトイヘル也。イマノ歌ノカラクニトヨメルハ新羅也。イトラシテハ、トリテ也。伊(157)ハ發語ノ詞。クシミタマハ、クシハアヤシトイフコトハ、奇文字ノヨミ也。イマノヲツツニトハ、イマノヲハ、イマ也。ツヽトハ、ツヽキテトイフ也。心ハムカシヨリイマヽテ、ツヽキテトイフコトハ也。
淡然トシヲトハ、シツカニシテト云也。快然トシテトハ、コヽロヨクシテト云也。梅花歌三十二首内、淡然ヨリシモ、梅花歌三十二首之序ノ詞也。次第アヤマリナリ。
818 波流佐礼婆麻豆佐久耶登能烏梅能波奈比等利美都々夜波流比久良佐武《ハルサレハマツサクヤトノウメノハナヒトリミツヽヤハルヒクラサム》
ハルサレハ、アキサレハナトイフコト、歌ニモ連歌ニモ、ツネニ出タル事也。ソレヲアルヒハ、ハルサレハナトイフハ、春ノスエニナリタルヤウニ心得タルトオホユルコトハモ侍リ。又子細シリタリトオホシキ人ハ、タヽヒタヽケヲ、ハルニナルヲイフナリト申ス人モ侍ルヘシ。コレハフルク人ノカキヲキタルヲミヲ申スハカリ也。ソノユヱヲ、アキラカニワキマヘ申ス人モカタカルヘシ。シカルニコノコトハヲカムカヘシルハ、ハルサレハトハ、春ニナレハトイフ心也。コノコトハヲカキタルニ、春之在者トカキタルトコロトモアリ。コノカキヤウニヨリテ、假名ヲツクルハ、アルイハ春ノアレハトヨマルヘシ。コレヲ、物ヨム故實ニヨリテ心ウレハ、ハルナレハト點ス。ハルノアレハトヨマルヽヲ、ノアヲ、ヒキアハスレハ、ノアハ、ナ也。コノユヱニハルナレト點スヘシ。ア(158)ルヒハ、ハルシアレハトヨマル、故實ニヨリテ心ウレハ、シアハ、サ也。コノユヘニ、ハルサレハトヨマルヽナルヘシ。カヽレハ春サレハトイフモ、春ナレハトイフモ、心ハ春ニナレハトイフコトハ也。ソレニトリテハルニナリタルヲハ、ハルサレハトヨメルトミユルウタモアリ。イハユルイマノウタノコトク、春サレハマツサクヤトノ梅ノ花ヒトリ見ツヽヤハルヒクラサントモ、ハルサレハコヌレカクリテウクヒスソナキテイヌナルウメカシツ|エト《(マヽ)》モヨメル歌也。又ハルノサカリナレトモ、ハルノウチニテアレハヨメルトミユル歌モアリ。第十|五《(マヽ)》卷、春相聞寄鳥歌ニ、ハルサレハモスノクサクキミエストモワレハミヤランキミカアタリハトヨメリ。又ハルノスキタルヲ、ハルサレハトヨミタル歌モアリ。第十卷、夏相聞寄鳥歌ニハ、ハルサレハスカルナルノヽホトヽキスホト/\イモニアハスキニケリトモヨミ、同卷寄花歌ニ、春サレハウノハナクタシワカコエシイモカヽキマハアレニケルカモナトヨメリ。ホト、キスウノハナクタシナト、春ノ歌ニヨムヘキコトハリナキカユヱニ、此歌トモハ春ノスキタルヲ、ハルサレハトヨメルトキコエタリ。アキサレハナトモコレニナソラヘテシリヌヘシ。
826 ウチナヒクハルノヤナキトワカヤトノウメノハナトヲイカニカワカン。コレハウチナヒクハルノヤナキト、ウメノ花トノイツレモ、ワキカタキナサケアルコトヲヨメル也。
(159)831 波流奈例婆宇倍母佐枳多流烏梅能波奈岐美乎於母布得用伊母祢奈久仁《ハルナレハウヘモサキタルウメノハナキミヲオモフトヨイモネナクニ》
ヨイモネナクニトハ、ヨキイモネラレヌトヨメル也。發句ノハルナレハトイヘルハ、サキニイヘル、ハルサレハト同シ事也。
(ウメノハナチリマカヒタルヲカヒニハウクヒスナクモハルカタマケテ。ヲカヒトハ、岡邊也。カタマケテトハ、片設ト書リ。物ノアリモウケタル心也。又カタカタマケタル心ニモイヘリ。又云、待心トモ云リ。マウケタル體也。)
834 烏梅能婆奈伊麻佐加利奈利毛々等利能己惠能古保志枳婆流岐多流良斯《ウメノハナイマサカリナリモヽトリノコエノコホシキハルキタルラン》
モヽトリトハ、春ハモロ/\ノトリノナケハ、百鳥トイヘルニヤ。又鶯ヲモヽチノサエツリストテ、モヽチトリトモイヘリ。イマノウタ、イツレヲヨメルニカ、サタメカタシ。コホシキトハ、コヒシキ也。
847 ワカサカリイタクヽタチヌクモニトフクスリハムトモマタオチメヤモ
クタチヌトハ、斜文字ヲ、クタツトヨメハ、ワカヨハイ、イタクタケヌトヨメル也。クモニトフクスリトハ、仙藥也。仙ニノホリタルモノモ、欲心タニモオコリヌレハ、通力ウセテオツルコトナレハ、ワカサカリイタクタケタレハ、仙藥ヲ服シテ通力ヲエタリトモ、マタハオチシトヨメルナリ。
852 ウメノハナイメニカタラクミヤヒタルハナトアレモフサケニウカヘコソ
ミヤヒトイフ詞、コトニヨリテ、尺《シヤク》シカヘタルコトアリ。或ハフルマイナトイフコトモ侍ルニヤ。又ナサケトモイヘリ。今ノ歌ハ、ナサケアルハナトアレモフトヨメリトキコ(160)エタリ。アレモフトハ、アレハ、ワレナリ。モフトハ、オモフヲ云也。同シ事ナレトモ、オノ字ヲカミニヨヒクハフルハ、フカキ心也。モフトイフハ、ウチマカセテ、心ニカヽル也。サケニウカヘコソトハ、ムカシハウメノハナヲモ、スキケルトミヱタリ。
遊2於松浦河1序詞ノ中
或(ハ)臨2洛浦(ニ)1、羨2王魚(ヲ)1。王魚(トハ)者、王餘魚也。和名引|朱《水歟》※[涯ノ旁]記(ニ)云、南海(ニ)有2王餘魚1、【和名加良衣比、俗云、加禮比。】昔(ハ)越王、作v膾《ナマスヲ》。不v盡2餘半(ヲ)1棄v水(ニ)。自《ヲ》以(テ)2半身1爲v魚(ト)。故(ニ)曰2王餘魚(ト)1【已上。】彼(ノ)松浦(ノ)縣娘子等、彰身(ノ)獨守譬(フ)v羨(フニ)2王魚(ヲ)1也。
タマシマノコノカハカミニイヘハアレトキミヲヤサシミアラハサスアリキ
ヤサシミトハ、ハツル也。
857 トホツヒトマツラノカハニワカユツルイモカタモトヲワレコソマカメ
類2杏|壇壞《タン》各言(ノ)之作(ニ)1疑2衡皐|税《セイ》駕(ノ)之篇(カト)1。杏壇(ハ)者、大學寮也。門前(ニ)有v杏。故(ニ)云2杏壇(ト)1。彼文士等々作v詩(ヲ)。故(ニ)云2各言(ト)1。疑2衡皐税駕之篇(ヲ)1者、衡(ハ)山也。皐(ハ)澤也。彼寮(ノ)文士等、春(ノ)花秋(ノ)葉之時、各々乘v車歴2覽山澤勝地(ニ)1。イタリヌレハ車ヲカケハツシテ、詠v之(ヲ)作v詩(ヲ)。故(ニ)税v駕(ヲ)篇ト云也。
870 モモカシモユカヌマツラチケフユキテアスハキナンヲナニカサヤレル
モヽカシトハ、百日也。サヤルトハ、サハレル也。
(161)((神宮文庫本朱頭書)私勘、?《ヒレ》、玉篇曰、披僞反在肩背。延喜式曰?一條。同十四卷曰、縫殿式云、鎭魂齋服、神祇官(ノ)伯以下緋?四條云々。東宮切哥云、?靈王翠?以翠羽餝之領巾也云々。左傳曰、被也。白氏文集五十四卷曰、淡紅花?淺檀蛾云々。太平廣記曰、唐明皇重賜2物(ヲ)楊幽通(ニ)1紫霞?云々。白玉簡云々。高僧傳云、竺法惠過雨油?。梁典曰、西華冬月著葛?。遊仙崛註曰、領巾?子。曰領巾狹曰?子。春著領典以著?子婦人頭餝也云々。装束帥ノ家ニ尋シカハ當時モ五節ノ舞姫ハメクメノ裳ヲ著シテウヘヲハ裙帶領巾マテ身ヲカサルト答也。袖ニアラサル所見分明也。)
(領巾ハ婦人ノ項ノ餝也。全ク非袖云々。但又袖ト云説モアリ。然トモ今世ノ懸帶ノ如クナル物也云々。ホソヒレノ鷺ト云ルモ鷺ノ首ノ毛ヒレノ如クニサカリタル故也。)
大伴(ノ)佐提比古《サテヒコ》郎子、特被2朝命(ヲ)1、奉(テ)使《ツカヒス》2藩國(ニ)1。艤《ヨソフテ》v棹《サホヲ》言v歸稍々赴2蒼波(ニ)1。妾也、松浦佐用嬪面。……遂(ニ)脱2領巾(ヲ)1麾《マネク》v之(ヲ)傍(ノ)者莫v不(トイフコト)v流v涕。因(テ)號2此山(ヲ)1、曰2領巾麾《ヒレフルノ》之嶺(ト)1也。
肥前國風土記云、松浦(ノ)縣、々東三十里有2 ?搖岑《ヒレフルミネ》1【 ?搖(ハ)比礼府離】最頭(ニ)有v沼《ヌマ・イケ》。計(ルニ)可2半町(ハカリナル)1。俗傳(ヘテ)云(ク)、昔者|檜《宣化天皇》前天皇之世、遣2夫伴|紗手比古《サテヒコヲ》1、鎭《シツム》2任那《ミマナノ《イチ》》國(ヲ)1。于v時奉v命(ヲ)經《ヘテ》過2此堤(ヲ)1。於2是篠原村(ニ)1【篠資濃也】有2娘子1、名(ヲ)曰2乙等比賣《ヲトヒメト》1。容貌端正、孤爲2國色(ト)1。紗手比古使v娉《ヘイ》成v婚(ヲ)、離別(ノ)之日乙等《ヲト》比賣登(リ)2望(テ)此峯(ニ)1、擧《アケテ》v※[巾+謡の旁]《ヒレヲ》招《マネク》。因(テ)以(テ)爲v名(ト)。日本記第五卷云、御間城入彦五十瓊殖《ミマキイリヒコイニヱノ》天皇崇神天皇六十五年秋七月、任那《ミマナ》國遣2蘇那昌叱《ソナカニ》知》(ヲ)1令2朝貢《ミツキタテマツラ》1也。任那《ミマナ》者、筑紫(ノ)國二千余里北、阻《・ヘタテヽ》v海(ヲ)以(テ)在2?林之西南《シラキノヒツシサルノスミ》1。
871 トホツヒトマツラサヨヒメツマコヒニヒレフリシヨリオヒシヤマノ名
ヒレトハ、ムカシハ女房装束ニ、裾帶領巾トテアリケル也。ヒレ、或ハ、肩巾|此《コレヲ》云《イフ》2比例《ヒレ》1トカケリ。領モ、ヒレトヨム。又肩ノ字ヲ用タリ。カタニカヽリタルカ、膳夫釆女等之、手繦肩巾、天武天皇御宇十一年三月甲午朔|辛《廿八日》酉ニ、コレヲトヽメラル也。
書殿餞酒日和歌
876 アマトフヤトリニモカモヤミヤコマテヲクリマヲシテトヒカヘルモノ
アマトフヤトハ、ソラヲトフヲイフ也。トリニモカモヤミヤコマテヲクリマヲシヲトハ、(162)本文也。ムカシ王喬トイフモノヽ、クツ《沓》ニ、カモ《鴨》ノカタヲツクリテ、ソレニノリテハルカナル、葉縣《セウケン》トイフトコロヨリ、ミカトノモトヘマイリケルヲ、ヒトモシラサリケレハ、イカニシテカクハ、ニハカニマイルニカアラント、アヤシミオモヒテスキケルニ、王喬ハ、ミヤツカヘシニトテマイリテ、ミカトノミモトニトマリヌ。ソノノリテキタリケル、カモフタツカヘリテユキケルカ、ヒトノトリトル|アミ《網》ヲハリタリケルニ、其ノトリカヽリニケリ。ソレヲミレハ木ヲモチテ、カモトイフトリヲツクリタルナリケリ。ソノトキニ王喬カ、ノリモノトイフコトヲシリニケリ。
877 ヒトモネノウラフレヲルニタツタヤマミマ|チカツカ《近付》ハワスラシナムカ
ヒトモネノトハ、人ノオモヒネトイヘルニヤ。ウラフレヲレハトハ、ウラミヲレハトイフ也。心ハタヒユクヒトノナコリヲオシミテ、トヽマル人ハ、モノ思フネヲナキテ、ウラミヲルニ、ユク人ハタツタヤマナトノオモシロキヲミテ、ナクサミ、ナコリヲオシム人ヲモ、ワスレナムカトヨメル也。
878 イヒツヽモノチコソシラメトノシクモサフシケメヤモキミイマサスシテ
トノシクモトハ、殿シキリニ、サヒシカランカモトヨメル也。トノトハ、ハシツクリニカケル書殿ナルヘシ。
(163)880 アマサカルヒナニイツトセスマヒツヽミヤコノテフリワスラエニケリ
ヒナニイツトセスマヒツヽトハ、受領ノ一任ハ、遠國ハ六筒年、近國ハ四箇年ナレハ、コレハ筑紫ナレハ六箇年ナルヘケレハ、ヒナニイツトセスマヒツヽトヨメル也。ミヤコノテフリトハ、ミヤコノフルマヒナリ。
(田舍ノ人ハ、賤ハ田畠ヲイトナミ、上臈ハ弓矢ヲ身ニハナタス、アソヒニハ、狩スナトリヲスルニ、都ノ人ハソノ事トナク、手ウチフリテ、アソヒアリクト云ツヘシト云々。)
アカノシノミタマタマヒヲハルサラハナラノミヤコヘメサケタマハネ
882 アカノシノトハ、ワカヌシノト云也。心ハ父母ナトヲイフナルヘシ。ミタマタマヒテトハ、先靈ヲマツルコトハ、一年ニミタヒナリ。父母ニモアレ、師君ニモアレ、トフラフヘキ人ノ、閉目ノ日、コレヲ忌日トイフ。七月十五ノ朝ノ孟蘭盆、十二月晦日也。コノナカニミタマノフユスナトイヒテ、十二月ノ靈供、ムネトアルヘシトキコエタリ、ハルサラハナラノミヤコニメサケタマハネトハ、ハルニナラハトイヘル也。メサケタマハネトハ、メシアケタマヘト云也。シアハ、サトヨマルレハ、故實ニシタカヒテ、メサケタマハネトイヘル也。
885 アサツユノケヤスキワカミヒトクニヽスキカテヌカモオヤノメヲホリ
ヒトクニトハ他國トイフ也。ワカ生土ノクニヽモアラヌ、他國トイフ也。
((神宮文庫本朱頭書)私記、假合之
假合(ノ)之身易滅トハ、人ノ身ハ、四大和合シテ假ニ所成、四大トハ、地水火風ナリ。人ノ身易滅ヨリ以下ハ大伴君熊凝安藝國ニテ死セル六首歌ノ序也。)
(164)身ニウルヲヒアルハ、水大也。ミノアタヽカナルハ、火大也。イキノ出入スルハ、風大也。ミノミタレスシテタモヲルハ地大也。コノ四大カリニ和合シタレハ、假合ノ身トイフ。ツヰニ離散スレハ、易滅トイヘル也。
望(ムニ)v我(ヲ)違(セハ)v時(ヲ)必致(サン)2喪《ウシナフ》v明(ヲ)之泣(ヲ)1トハ、人ハアマリニナケハ、眼ヲナキツフスコトノアル也。コレヲ喪《ウシナウノ》v明(ヲ)泣ト云也。
裏書云、禮記第二、檀弓上、子夏|喪《モスルトキニ》其子(ニ)1而|喪《ウシナヘリ》2其明(ヲ)1。【明目精也。】曾子弔(スルノ)之日、吾聞v之也。朋友|喪《ウシナフ》2其明1。則哭(ス)之|痛《イタテムナリ》之也。
私云、如2此文(ノ)1者、喪《モスルノ》v子之時、喪(フト)2其明(ヲ)1云々。今詞文以同前歟。只アマリニナケハ、眼ヲナキツフスト云ニハ、アヲサルニヤ。
タマホコノミチノクマミニクサタヲリトハ、ミチヨリイリタルトコロヲ、クマトイフ。トケシモノウチコヒフシテトハ、シモノトケタルヲ、トケシモトイフ。シモノトケテ、ツユトナリテハコロヒフセハ、ウチコヒフシテト、ヨソフル也。イヌシモノミチニフシテヤイノチスキナントハ、犬ノヤウニヤミチニフシテ、シナムトヨメル也。
貧窮問答歌詞中
892 鼻※[田+比]之尓志可登阿良農。ヒヽシヒシニシカトアラヌヒケカキナテヽトイヘルハ、ヒヽシ(165)ヒシニシトハ、ヒヽシ/\ニシトイフ也。カトアラヌトハ、カトヽハ、才《サイ》ノ字ヲヨム。ヨシトイフ心也。カトアラヌトハ、ヨクモアラスト云也。アサフスマヒキカヽフリ、ヌノカタキヌアリノコト/\キソヘトモ、ヒキカヽフリトハ、ヒキカフリト云也。カヽフリトイフ、ハシメノカハ、詞ノ上ノ助也。ヨハキヲ、カヨハキナトイヒ、ホソキヲ、カホソキナトイフカコトシ、ヌノカタキヌトハ、ヒトヘナリトイフ心、カタヒラトモヲ、アルカキリトリキタレトモ、ナヲサムキ心也。
ワクラハニトハ、タマサカニト云也。フセイホノマキイホノウチニトハ、フセイホハ、ヤノヽキナトモハラデ、カタナビキナルイホ也。マキイホトハ、スミナトモナクテ、マロニツクリタルイホ也。アシノマロヤナト、イフコト也。
可麻度柔播《カマトニハ》火氣《ヒケ・ケフリ》布伎多弖受《フキタテス》。コノ火氣布伎多弖受、古點ニハ、ヒケフキタテスト點セリ。イサヽカキヽヨカラス。火氣ヲケフリトヨメル、常ノ事也。ケフリフキタテスト點スヘシ。奴延鳥乃能杼與比居尓《ヌエトリノノトヨヒヲルニ》。ヌエトリハ、怪鳥也。ノトヨヒヲルニトハ、マツシキイヘノアレタレハ、ヌエトリモ野ナトノヤウニナクトヨメルニヤ。又アル人ノイフハ、ヌエノナクコトハ怪事ナルニトリテ、ノトコヱトテコモリコヱニナクハ、コトニアシキコトニスレハ、ノトヨヒヲルニトヨメルニヤト申ス。マコトニサモヤアラン、シリカタシ。(166)イトノキテトイフハ、イトヽシクナト、イフコトハナリ。
タカノトルイトラカコエハトハ、イトラハ、鶉《ウツラ》ナリ。イト、ウト、親類相通ノ心ニヤ。イト、ウト、カヨハシテイフコトアリ。魚《イヲ》、ウヲナトイフカ如シ。
好去好來歌詞中
894 カタタリツキイヒツカヒケリ云々。イヒツカヒケリトハ、イヒツク也。ウナハラノヘニモオキニモ神ツマリウシハキイマス云々。ウシハクトハ、虫)オホクテ、ワキイツルヤウニ、アキツシマノ神ノオホクオハシマス心也。ムシトイフハ、ムラカリシケシトイフコトハ也。ムト、ウトハ、同韻相通ナレハ、ムシヲ、ウシトイフ。ウハ本韻ナレハ、本韻ニツキテ、ウシハクナトイヘリ。サテワク義ナラハ、ウシワクトカクヘシ。シカルヲ、ハクトカケル、イカニトイフ不審アルヘシ。コレハ、ハト、ワト、同韻ナレハ、カヨハシテカケル也。難トスヘカラス。大御神等船舳尓《オホミカミタチフネノヘニ・オホキミカミフナノヘニ》、文。此句古點ニハ、オホキミカミラフネノヘニト點セリ。ソノコトハアヒカナハス。オホキミカミラ、心タカハサレトモ、ラト、イヘルハコトハノイヤ|ナ《シィ》キニヽタリ。オホミカミタチト和スヘシ。フネノヘニ、又反(ニ)云(ク)、布奈能閇尓《フナノヘニ》ト注セリ。イカヽコレヲミナカラ、フナノヘニトイハスシテ、フネト點センヤ。智可能岫欲利《チカノクキヨリ》、チカノクキヨリトイフハ、肥前國松浦郡近ノ島ノ、クキナルヘ(167)シ。
沈《シツミ》v痾《ヤマヒニ》自(ラ)哀《カナシム》文詞中
欲(フ)顯(サムト)2二竪之|逃匿《ノカレカクレタルテ1、謂2晋景公疾(ヲ)1秦醫緩視而還者可v謂2爲v鬼所1v※[殺の異体字]也。二豎《フタリノワラハ》トフコトハ、晋景公疾スルニ、トカク療治シケレトモ、シルシナカリケリ。其時ニ秦ノ醫和醫緩ト云、フタリノ明醫アリケリ。サテ景公ノタマヒケルハ、明日醫緩ヲメシテミセントノタマヒケリ。其夜景公夢ニ見給ケルハ、二ノワラハアリテ、ワカネタルアトマクラニヲリ。一ノワラハノイハク、イマハワレラコヽヲサラントオモフ。明日醫緩トイフ明醫キタルヘシ。然レハツヰニコヽニヰトクヘキニアラストイフニ、又一人ワラハノイハク、タトヒ醫緩キタルトイフトモ、ワレラ、膏肓《カウカウ》ノフカキトコロニイリナハ、イカテカ治スルコトヲウヘキトイヒテ、フタリノワラハアトマクラヨリ身ノ中ヘイリヌトミエケリ。ソノアシタ醫緩キタリテミテイハク、病ステニ膏肓《ウカウ》ノフカキトコロニイレリ。治スルニチカラナシトイヒケリ。膏肓《ウカウ》トイフハ、ムネノシタ、フタヘカハトイフトコロナリ。ヤマヒココニイリヌレハ、鍼《ハリ》モ不v及、藥モ不v至故也。景公胃緩カコトハヲキヽテ、不v可v療《イユ》コトヲシリナカラ、夢想ニタカハサルコトヲ感シテ、サマ/\禄物ヲ給ヒケリ。コレヲ二リノワラハノノカレカクレタルヲ、アラハサムト思フトカケル也。
(168)老身重(キ)病經v年辛苦及思2兒等《コトモヲ》1歌詞中
897 五月蠅奈周作和久兒等遠宇都弖々波《サハヘナスサワクコトモラヲウツテヽハ》云々。ウツテヽハトハ、ウツクシム|テヽ《父》ハトイフ也。オホカタ、テヽトイフハ、テラス義也。チヽトモイフハ、同内相通ノコエ也。ツヽトイフハ、ハクヽム義也。サテ父母ヲハ、天地ニタトフル也。
898 ネノミシナカユトハ、ネノミナカルヽトイフ也。ルト、ユト、同韻也。
902 水沫奈須微命母栲繩能千尋尓母何等慕久良志都《ミナハナスモロキイノチモタクナハノチヒロニモカトネカヒクラシツ》
ミナハナストハ、ミツノアハナストイフ。ミツヲ、ミトハカリイフ、ツネノコトナリ。ミノアワヲト和スレハ、ノアハ、ナ也。コノユヱニミナワトイハルヽ也。
戀(ル)3男子名(ルヲ)2古日《フルキト》1歌詞中
904 シキタヘノトコノヘサラス云々。トコノヘハ、トコノウへ也。
三枝之中尓乎祢牟登《サキクサノナカニヲネムト》云々。サキクサトイフコトハ、假名ハオナシケレトモ、コトニシタカヒテ、イヒカヘタルコトアリ。アルヒハ、檜ノ木ヲサキクサトイフハ、モロ/\ノ材木ノナカニ、コトニヨキヽナレハ、宮木ナトニモエラヒモチヰラレテ、サイハフ木ナレハ、檜木ヲサキクサトイフ。アルヒハ葛ノナカニ、トミカツラトイフクサヲ、サキクサトイフトモイヘリ。又草ノオヒイテ、ミツハヨツハナルヲ、サキクサトイフ。イマノ歌ノコ(169)コロハ、クサノオヒイテヽ、フタハナルヲハ、チヽハヽニタトヘ、フタハノナカヨリサシイツルヲハ、コニタトヘタル也。我例乞能米登《ワレコヒノメト》、コヒノメトヽハ、イノルヲ云也。
伏仰武祢宇知奈氣古《フシアフキムネウチナケコ》。唐人ナトハ、イマモ物ヲナケクニハ、ムネヲウツ也。
905 ワカケレハミチユキシラシマヒハセンシタヘノツカヒオヒテトホラセ
マヒハセムトハ、マヒナヒハセント云也。
906 フシオキテワレハコヒノムアサムカスタヽニヰユキテアマチシラシメ
此歌發句、或本ニハ、フセヲキテト點セリ。或本ニハ、フシヲキテト點セリ。フシヲキテトイヘルアヒカナヘリ。長歌ニ、アマツカミアフキコヒノミクニツカミフシテヌカツキトイヘリ。反歌モトモニ、フシオキテワレハコヒノムトイフヘキ也。アマチトハ、天道也。
第六卷
山部宿祢赤人作歌詞中
923 花咲乎遠里《ハナサキヲヲリ》云々。ヲヽリトハ、ノホリトイフコトハ也。
オキツナミヘナミシツケミイサリストフチエノウラニフネソトヨメル
935 (金村作歌詞中、名寸隅乃トハ、播州室浦ニアル、瀬門ノ埼ニ、名寸嶋アリ。ソレヲ、ナキスミト云ル也。船瀬モ、同所浦ノ名也。)
(170)939 フチエノウラ、播磨國。住吉大明神フチノエタヲキラセ給テ、海上ニウカヘテチカヒテノタマハク、コノフチノ至リタラントコロヲ我領トスヘシトノタマヒケリ。シカルニコノ|フチ《藤》、ナミ《波》ニユラレテヨリタリケレハ、コヽヲ藤江浦トナツク。住吉ノ御領也。
943 玉藻苅辛荷乃島尓島廻爲流水烏二四毛有哉家不念有六《タマモカルカラカノシマニアサリスルウニシモアレヤイエオモハサラム》
此歌第四句、古點ニハ、カモニシモアレヤト點セリ。水烏トカケルハ、ウ《鵜》也。ウニシモアレヤト點スヘシ。第二句、文古點兩樣也。或ハ、カラカノシマ、或ハ、カラニノシマ、後ノ和アヒカナヘリ。播磨國風土記云、韓荷島《カラニシマ》、韓人破v船(ヲ)、所v漂之物、漂就2於此島(ニ)1、故(ニ)云2韓荷島(ト)1云々。
945 都太乃細江、播摩國。
951 (加我欲布珠、ホノカナル玉ト云義也。)
(服楢里、大和國。)
952 韓衣服楢乃里之島待尓玉乎師付牟好人欲得《カラコロモキナラノサトノシママツニタマヲシツケムヨキヒトモカナ》
此歌第二ノ句、キナラノサト、或本、漢字、服猶乃里トカク。コレニヨリテ、キナホノサトヽ點ス。ソノナタシカニシリカタシ。但楢ノコトハ、マトハル心ニヨセタリ。諷詞カラ衣トヲケルハ、カラ衣、シナヤカニ、マトハリタレハ、キナラノ里トイヘルニヤ。又證本トオホシキ本トモ、ミナ楢ノ字也。
955 刺竹之大宮人乃家跡住佐保能山乎者思哉毛君《サスタケノオホミヤヒトノイヘトスムサホノヤマヲハオモフヤモキミ》
(171)此歌頭句、サヽタケト點セリ。或本ニハ、又サシタケト點ス。イツレモトモニアヒカナハサルニヤ。古語ニヨラハ、サスタケトイフヘキ也。此集ノ第十五卷歌云、作須多氣能大宮人者伊麻毛可毛比等奈夫理能未許能美多流良武《サスタケノオホミヤヒトハイマモカモヒトナフリノミコノミタルラム》。又檢2此語(ヲ)1、聖徳太子(ノ)、見2道(ノ)邊(ノ)飢人1、歩近即脱2紫(ノ)御袍(ヲ)1、覆v之即賜歌詞中云、佐須陀氣乃《サスタケノ》岐弥波夜|家《(マヽ〕》去母、伊比迩字惠|大《(マヽ)》許夜世|界《(マヽ)》、諸能多比等安波亂トイヘリ。ハカリシリヌ、サスタケトイフヘキ也。
957 去來兒等香椎乃滷尓白妙之袖左倍所沾而朝菜採手六《イサヤコラカシヒノカタニシロタヘノソテサヘヌレテアサナツミテム》
此歌第二句、カシヰノカタト點シタル本モアリ。又カスヒト點シタル本モアリ。コレニツキテモノシリタルヨシスル人、カスヒト、イフ也ナト申ス。又カシヰトイフニツキテ、アルヒハカシヰトカケルコトモアリ。アルヒハ、カシヒトカケルコトモアリ。ソレハ、ヒモ、ヰモ、同韻ナレハ、イツレモタカフヘカラス。タヽシコノトコロノ名ヲカクニ、日本記ニハ、橿日トモカケリ、コレカシヒトヨムヘシ。筑前國風土記云、到2筑紫國(ニ)1、例先、參2詣于※[加/可]|襲《シイノ》宮(ニ)1。※[加/可]襲ハ、可紫比《カシヒ》也〕。シカレハカシヒト點シタルハ、コトニアタレルナリ。
958 (時風應吹成奴香椎滷。トキツ風トハ、四季ノ内ニ、イツニテモアレ、一シキリアラク吹風ヲ云也。)
970 指進乃栗栖乃小野之茅花將落時尓之行而手向六《サシスキノクルスノヲノノハキノハナチリナントキニユキテタムケム》
クルスノヲノ、山城國也。クルスハ、クリノイカ也。サレハ諷詞ニ、サシスキノトヲケリ。スキトハ、ツヽクトイフコトハ也。スキトハ、ツキトイフオナシコト也。ツト、ス(172)ト、同韻ナルユヱ也。畑《ハタ》、ツクルヲ、スクナトイフ、此義也。
藤原|宇合《ナリアイノ》卿、遣2西海道(ノ)節度使(ニ)1之時、高橋連|蟲《ムシ》麿作歌詞中
971 (山ノソキトハ、或説云、山ノツヽキ野ノツヽキト云詞也。)
ヤマノソキノヽソキミヨト云々。ソキトハ、アヒタトイフコト也。ヤマノアヒタ、野ノアヒタ也。丹管士トハ、アカキ躑躅也。ツヽジニハ、スハウノイロナルモアリ、又シラツツシモアルナリ。
972 ソコハクノイクナナリトモコトアケセストリテキヌヘキタケヲトソ思フ。タケヲトハ、心タケキツハモノ也。
980 アマコモリミカサノ山ヲタカミカモツキノイテコヌヨハフケニツヽ
ミカサヲイヒイテンタメニ諷詞ニアマコモリトヲケリ。カサハアメニヌレシトテ、キモシ、サシモスルユヱ也。
((神宮文庫本朱頭書)異本|擣《ネクツノ》。)
989 ヤキタチノカトウチハナツマスラヲノ|ネ《ツィ》クトヨミキニワレヱヒニケリ
カトウチハナツトハ、イハノカトナト、ウチハナツホトノヤキタチ也。ネ《ツィ》クトヨミキトハ、イハヒテ、ノマスルオホミキ也。
990 (茂岡、太和國。)
998 アハノヤマ、阿波國。
999(千沼囘、八津、和泉國也。)
1012 ハルサレハヲヽリニヲヽリウクヒスノナクワカシマソヤマスカヨハセ
(173)ヲヽリニヲヽリトハ、アカリニアカルトイフ也。ウクヒスヲハ、遷喬木トイヒテ、タカキニウツルトイフ。木ノシツヱニヰテハ、ナキテ次第ニカミサマヘノホル也。
(石上布留トツヽクルコトハ、太和國ニ、石上ト云所アリ。ソコニ布流社ヲハス。依之、石上布留トハツヽクル也。ソノカミトハ、昔ヲ云也。イハ詞ノ助也。)
(又打山、山城國、紀伊國、下總國、同名アリ。或云、太和國ト云々。)
石上乙麿卿|配《サスラウルノ》2土左(ニ)1之時歌詞中
1019 石上振乃尊者《イソノカミフルノミコトハ》。フルトイハンタメニ、イソノカミトハヲケルナリ。イソノカミトイフハ、ソノカミトイフニヨソフル也。イハ、發語ノ詞也。ミコトヽハ、賞スルコトハ也。ミコトヽイフハ、ミカトヽイフ也。ミカトヽモ、キミトモイフハ、本體ハ、オホヤケヲ申ストモ、分々ニシタカヒテ賞スルトキニハ、キミトモ、ミコトヽモイヘル也。古衣又打山從《フルコロモマツチヤマヨリ》トハ、マツチトイフハ、マタウチトイフニカヨヘハ、諷詞ニフル衣《コロモ》トヲケル也。參昇《マウノホリ》トハ、マウテノホリトイフ。マイリノホル也。コノコトハ古點ニハ、マヰテトカク。マウテマイリソナトイフハ、近代ノ語也。
1027 橘本尓道履八衢尓物乎曾念人尓不所知《タチハナノモトニミチフミヤチマタニモノヲソオモフヒトニシラレス》
タチハナノモトニ、ヤチマタニミチヲフミタルコト、本文ナトノアルニヤ。有識人ニタツヌヘシ。
シテノサキ、伊勢國。
(石綱トハ、八雲ニハ、大舟ノ綱也ト云々。又アル物ニ云、石綱トハ、地形ノコト也。又イホツナ歟。五百綱歟ト云々。ホト、ハト、同音也。又云、石ハ、トキハノ物也。ツナハツネ歟。ナト、ネト、同音也トイヘレハ只舟ノ綱ナルヘシ。八雲ニモ、此哥ヲヒカレテ、大綱トアレハ、地形ニテハヨモアラシ。但此哥ハ地形ノヤウニ聞ヘタリ。)
1046 石《イハ》綱《ツタ・ツナ》乃又《ノマタ》變若反《カヘリツハ・ワカエツハ》青丹吉奈良乃郡乎又將見鴨《アヲニヨシナラノミヤコヲマタモミムカモ》
(174)イハツナトハ、蔦也。ツタナトノマタワカヽヘリ、ハニイツル如クニ、ナラノミヤコヲ、マタモミムカモト、ツタニヨソヘテヨメル也。コレハ天平十五年ニ、久迩ノ京《ミヤコ》ヲツクラレテノチ、傷2惜|寧樂《ナラノ》京(ノ)荒墟《アレタルヲ》1ヨメル歌也。マタワカヽヘリアヲニヨシトツヽキタルホト、メテタカルヘシ。奈良トイフハ、ナラ/\トマトハレルニ、ヨソヘタル也。
過敏馬浦時作歌詞中
1065 八千桙之神乃御世自《ヤチホコノカミノミヨヨリ》云々。八千戈ノ神トハ、國作|大己貴命《オホアナムチノミコト》ノ一名也。彼(ノ)命(ノ)御|號《ナ》有v數中(ノ)一名也。見日本記第一卷。
文永六年三月十三曰記之畢。 仙覺在判
建治三年十一月十九日、以作者仙覺律師自筆本、教人書寫畢。
玄覺在判
同廿一日校畢。
(以上萬葉集註釋第四册)
(175)萬葉集註釋卷第五
第七卷
1087 アナシカハカハナミタチヌマキモクノユツキカタケニクモタヽルラシ
フナシカハ、マキモクノユツキカタケ、トモニ大和國也。
1091 トホルヘキアメハナフリソワキモコカヽタミノ衣ワレシタニキタリ
ワカトイフコトハ、ワキトモ、ワクトモ、ワコトモカケリ。イツレモ同内相通ナレハ、トモカクモイフナルヘシ。ソレニトリテ、ワキモコトハ女ヲイヘハ、第二ノ字母ヲヨヒテ、女聲ヲトリテ、ワキモコトイフ。ワカセコトイフハ、ヲトコヲイヘハ、男聲ニヨヒテ、ワカセコトイフ也。ナニトナクイヒタルヤウニヲモヒヌヘケレトモ、モノヲイフ故實ヲ、フカクワキマヘシラムヒトハ、氣味フカヽルヘキ事也。
1104 (馬並而三芳野川、馬ヲ並テ、打ツレタル體也。)
1114 ワカヒモヲイモカテモチテユフハカハマタカヘリミンヨロツヨマテニ
ユフハカハ、五代集歌枕ニハ、肥後國也。
(但未勘國云々。)
1125 カミナヒノサト、大和。
(176)1136 ウチカハニオフルスカモヲカハヽヤミトラテキニケリツトニセマシヲ
スカモトハ、スケニ、ニタル河藻也。人ノクフモノトイヘリ。
1137 ウチヒトノタトヘノアシロワレナレハイマハキミラソコツミコストモ
此歌ノ心ハ、ウチヒトノタトヘノアシロトハ、ヒヲマツトイフ心ニ、ヨソヘタリ。ヒヲマツワレナレハ、人ナアツマリキタリソ。シツカニテアラント、ヨソヘヨメル也。コツミトハ、木積《流木也》ニヨセタリ。
(千早人トハ、八雲ニハ、宇治ニアリト云々。或説云、千ハ滿數多、早人ハ、勇土也。多ノ武士ノ、打出テ輕ク早キ姿也。)
1139 チハヤヒトウチカハナミヲキヨミカモタヒユク人ノタチカテニスル
ウチトハ、鹿ノアルク、ミチヲイフトイフ義アリ。シカノアルクハ、キハメテハヤキ也。シカノカヨヒスムトコロヲ、ウツトイフハコノ義也トイフ。サレハウチトイハムタメニ、諷詞ニチハヤヒトヽヲケリ。チハヤヒトヽハ、ミチハヤキ人也。歌ノ心ハ、ウチカハナミノイサキヨクシテ、アリキカケタレハ、タヒユク人モ、コレニメテヽ、タチカタクスルトヨメル也。
(志長鳥ノコト、八雲御説云、白猪ト云リ。雄略天皇、猪無野ニテ狩シ玉ヒケルニ、白鹿ノミアリテ、猪ノナカリケレハ、シナカトリ、ヰナノトハ云リ。カリキヌノコトハ、俊頼モ不用云々。又是ヲ以テ案スルニ、猪ノナキ故ニ、猪無野ト云ハ勿論也。然ハ、シナカトリトハ、鹿ヲコソ云ヘケレト云々。又云、日本紀ノ如ク景行天皇三十年、日本武尊ノ故事ナラハ、信濃國、伊那郡ニテ、白鹿ヲトリ玉フコトヲ、シナカトリヰナノトツヽクルヲ、今ノ世ニハ、接津國伊奈野ニトリヨセテ、諷詞トスル也。如此コト例多也。)
1140 志長鳥居名野乎來者有間山夕霧立宿者無爲《シナカトリヰナノヲユケハアリマヤマユフキリタチヌヤトハナクシテ》
シナカトリ、ヰナノトイヘルコト、先達ノ尺サマ/\也。或人云、シロキカノシヽヲトリテ、猪ノナカリケレハ、シナカトリヰナノトイフ。或人云、カリキヌハ、シリノナカ_(177)キヲ、ヰル時ニハトリテヰレハ、シナカトリヰナノトイフトイヘリ。コノ兩義、共ニ由縁アラハレス。コレハ、ムカシ信濃國ヨリ、美濃ヘイツル山路ニ、旅人トヲリケレハ、ニハカニ霧フリテ、ミチヲウシナヒプ人ヲホクシヌルコトアリケリ。イカナルユヘトイフコトヲシラス。シカルニ日本式尊陸奥ノ梟徒ヲハシメトシテ、東國ノアシキ輩ヲ、皆悉クウチシタカヘテ、信濃ヨリ美乃ヘイテタマハントスル山中ニシテ、ミヲシタヲマツリタリケルニ、御前ニ鹿ノ大王ノシロキシヽマイリテ、尊ノ御マヘニムカヒヲル。ミコト御膳ニソナヘタリケル、蒜《ヒル》ヲミテニトリヒシカセタマヒテ、ソノヒルノアハヲ、鹿ニハシキカケタマヒケレハ、ヒルノアハ、白鹿ノ目中ニ入テ、鹿ニハカニシニニケリ。サテキリモハレニケレハ、ヘチノ難ナクシテ、山ヲイテ給ヒニケリ。ソレヨリノチ、カノ山路難ナクシツマリニケリトイヘリ。シカレハ、シラカトリトイフヘシト、範東卿ハ尺シテ侍リ。歌ヲモ、シラカトリト書リ。シカレトモ、ムカシヨリイヒツタヘタルカコトク、シナカトリトイフヘシ。ラト、ナト、同韻也。心カハルヘカラサルウヘニ、此集ニハ、今ノ歌ノコトク、志長鳥トモカキ、或ハ四長鳥ナトカケリ。シナカトリトイフヘシトミエタリ。シロキウマヲ、シナコマトイヘルカ如シ。古歌ニ云、キミトワレエモオキヤラスシナコマヤソノアシウラノツチナケレトモトイヘリ。コレハ、人ヲヽコサジトオ(178)モフ時ニ、東方ヘユキタル白馬ノ、アシノウラノツチヲ取テ、家ナヽイヘノ、竈ノヘスヒヲ取テ、合藥シテ、ネタル人ノヘソノウヘニツケツレハ、オキアカラストイフ事ノアルヲヨメル歌也。サテシナカトリ、ヰナトツヽクルコトハ、シナカトリトハ、マスラヲヲイヘハ、マスラヲハ、伴類ヲホクヒキツレタル物ナレハ、ヰナトツヽクル也。ヰナトハ、ナハ、男ヲイフ。ヰトハ、卒トイフ心ナレハ、ヰナトイハンタメノ諷詞ニ、シナカトリトハヲケル也。大方此集ノコヽロ、獵者ヲハ、シナカトリト云。漁者ヲハ、イサナトリトヨメル也。
武庫河 攝津國 チヌノウミ 同
アユチカタ 紀伊國 ナミクラヤマ 近江國
タカシマノミヲノカチノ 近江 タカシマノカトリノウラ 同
カシマノサキ 常陸 ウナカミカタ 上總
ヒカサノウラ 播磨 トモノウラ 備後
アキノウラ 紀伊 ヰナノミナト 攝津
ナコエノハマ 攝津 イトカノヤマ 紀伊
ヲステノ山 紀伊 タマツシマ 同
(179)クロウシノウミ 同 ワカノウラ 同
タマノウラ 同 オヲハヤマ 同
ミワノサキ 近江 カネノミサキ 筑前
(水莖岡湊、近江國。)
1231 天霧相日方吹羅之水莖之岡水門尓波立渡《アマキリアヒヒカタフクラシミツクキノヲカノミナトニナミタチワタル》
日方トハ、風ノ名也。範兼云、巽風也。清輔云、坤風也ト云ヘリ。未勘慥説。岡水門ハ、筑前ノ國ニアリ。風土記云、塢※[舟+可]《ヲカノ》縣、江(ノ)東(ノ)側近(ク)、有2大江口1。名(テ)曰2塢※[舟+可]水門《ヲカノミナトヽ》1。堪容大舶焉。從彼通島鳥旗澳、名曰岫門鳥旗等。【鳥多也、岫門久妓也】堪容小船焉。海中有兩小島。其一曰|河※[白+斗]島《カブシマ》。今(ニ)生2支子ゐ1、海(ニ)出2鮑魚(ヲ)1。其一曰資波鳥、資波島《(資波鳥資ィ)》、【波紫摩也。】兩島倶生烏葛|久々《(マヽ)》〓烏葛黒葛也。冬菖《(葛ィ)》迂米也。コレニヨリテソノ心ヲウルニ、ヲカノミナトヽイヘルハ、所ノ名也。カミノ諷詞ニ、ミツクキノトヲケルハ、クキトハイリタルトコロ也。ミツノイリタルトコロナレハ、ミツクキトイフ也ケリ。トコロノ惣別ノナヲイヒツヽケテ、ミヨシノヽミツワケヤマ【水分、ミコマリ山云々。ミツワケハ、誤也。玄覺勘之。】トモ、サラシナノヲハステヤマトモ、アシカラノハコネトモイフカ如クニハアラサルヘシ。
クロカミ山、上野國。ユフノヤマ、豐前。クラハシ山、大和。
譬喩歌
(180)1296 今造斑衣服《アタラシクスレルコロモハ・イマヌヘルカタラコロモハ》面《メニ》就《ツクト・ツキテ》吾尓所念未服友《ワレニオモホユイマタキネトモ》
イマヌヘルマタラコロモトハ、ハシメテアソヒソムルニタトフ。ヲトコヲハ、コロモノオモヲユタトヘ、女ヲハウラニタトフ。イマタキネトモトハ、イマタ夫婦ニ、サタマラヌニタトフル也。
1297 紅衣染雖欲著丹穗哉人可知《クレナヰニコロモハソメテキホシキヲニホヒヤイテムヒトノシルヘク・クレナヰニコロモヲソメテホシケレトキテニホハヽヤヒトノシルヘキ》
クレナヰニコロモヲソメテホシケレトヽハ、コヽロサシフカク、イロニイテヌヘクオモヘトモトイフ也。キテニホハヽヤ人ノシルヘキトハ、イマタツマトナラネハ、フカキココロサシアリトモ、ヒトハシラシトヨメルナリ。
1298 千名人雖云織次我廿物白麻衣《チナニハモヒトハイフトモヲリツカンワカハタモノヽシロアサコロモ》
チナニハモヒトハイフトモトハ、アサノヌノヲ、ヲリイツルコトハ、アサハ|タネ《種》ヲ|マク《蒔》ヨリハシメテ、カル《苅》ヘキ時ニナリヌレハ、コレヲカリ、カラ《柄》ヲ|ハギ《剥》ステヽ、麻トナシ、
ソノヽチニコレヲ|ウミ《績》、ヘソ《綣》ニ|マキ《卷》、シツノオタマキクリカヘシテハ、コレヲ、ツムキ《綜》、カセ《鹿杖》ニカケ、クルヘギ《反轉》ニカケ、ワク《 》ニウツシテ後、タテヌキ《經緯》トイフ物ニナシ、又クダ《管》ニナシ、サマ/\ニスレハ、チナニ、名ヲタツニタトフ。ヲリツカントハ、ヒコトニカヨヒテ、アハントヲモフニタトウ。衣ニタトフルコトハ、ツヰニハ、ヒトツミトナリテ、(181)袖ヲナラヘント、ヨメルナリ。
1299 安治村十依海船浮白玉採入所知勿《アチムラノトヲヨルウミニフネウケテシラタマトランヒトニシラルナ》
アチムラノトハ、ツハサヲナラフル、チキリヲウラヤム心也。トヲヨルウミトハ、ホトリモナク、ソコモナキヲモヒニタトフ。舟ヲウケテトハ、タヽカヨハンハカリコトヲオモフニタトフ。シラ玉トランヒトニシスナトハ、イモカタマノスカタヲ、オモフニタトヘ、タカヒニフタ心ナク、イサキヨカラントオモフニタトフルナリ。人ニシラスナトハ、イマタシノフ戀ノ心也。
1300 遠近《ヲチコチノ》機中在《イソナカニアル・イソノナカナルィ》白玉人不知見依鴨《シラタマヲヒトニシラセテミルヨシモカモ》
ヲチコチハ、《イソ/ナカナルイ》イモセ(ノ)ナカニタトフ。シラタマフ人ニシラセヲハ、サキ(ノ)歌(ノ)コトシつ
1301 海神手纒持在玉故石浦廻潜爲鴨《ワタツミノテニマキモタルタマユヘニイソノウラワニカツキスルカモ》
ワタツミノテニマキモタルタマユヘニトハ、ワタツミヲハ、母ニタトフ。母ノ恩ヲ、蒼海ニタトフルユヘ也。母ノ手ヲハナタスシテ、深窓ノ内ニカシツキヲキテ、玉ノコトクニウツクシムユヘ也。イソノウラワニ、カツキスルカモトハ、オトメコヲオモフトテ、ツネニハナミタノウミニウキシツミ、ナケキカチナルニタトフ。カツキスルヲ、ナケキニタトフルハ、海人カツキストテハ、水ノソコヨリイテヽ、ナカイキヲツクニヨリテ也。
(182)1302 海神持在白玉見欲千遍告潜爲海子《ワタツミノモタルシラタミマクホリチカヘリツケツアサリスルアマ》
1303 潜爲海子雖告海神心不得所見不云《》アサリスルアマハツクトモワタツミノコヽロヲエスハミユルトイハナクニ
ワタツミノ義、シラタマノ義、カツキスルタトヘ、イツレモサキノ歌ニナソラヘテ、ソノ心ヲヱツヘシ。
1304 天雲棚引山隱在吾忘木葉知《アマクモノタナヒクヤマノカクレタルワレワスレメヤコノハシルラン》
アマクモノタナヒクヤマニカクレタルトハ、タカクフカク、オモヒイリタルニタトフ。木葉シルラントハ、草木無心トハイヘトモ、歌ノミチハ、心ナキ物ニ心ヲアラスル事、ツネノナラヒ也。中ニモ此集ニハ、第二卷ニ、山(ノ)上臣《ウヘノヲン》憶良歌ニハ、鳥翔成有我欲比管見良日杼母人社不知松者知良武《トリハナスアリカヨヒツヽミラメトモヒトコソシラネマツハシルラム》トモヨメリ。第五卷ニハ、梧桐日本琴、夢化2娘子1、オモヒヲノヘ、歌ヲヨメリ。又如(ンハ)2日本記1、葦原ノ、中《ナカツ》國ノ有樣ヲイフトシテ、彼地多《ソノクニサハニ》有2螢火光神《ホタルヒノカヽヤクカミ》、及(ヒ)蠅聲邪《サハヘナスアシキ》神1、有(リト)2草木盛(ニ)能言語《モノユウコト》1、イヘリ。オホヨソ、草木無心ハ、小乘談ナト云事モ侍ルニヤ。然ハ木葉シルラントヨメルコト、アナカチニ、アヤシトスヘカラス。今ノ歌ノ心ハ、フカクオモヒ入タルワレハ、イモヲワスルヽヒマモナシ。アマ雲タナヒキテ、シクルヽカ如ク、ワカ袖モヒマナクシクルレハ、ハヤク色ニモ出ヌヘシ コノハモシクレ/\テハ、色ニ出ルモノナレハ、木葉モミニソミテ、シクルラント、ヨソヘヨメ(183)ル也。
1305 雖見不飽人國山木葉己心名著念《ミレトアカヌヒトクニヤマノコノハヲソヲノカコヽロニナツカシクオモフ》
此歌ノ木葉ノ心、サキノ歌ニオナシカルヘキニヤ。人國山、紀伊國トイヘリ。
1311 橡衣人者事無跡曰師時從欲服所念《ツルハミノキヌキシヒトハコトナシトイヒシトキヨリキマホシクオホユ》
ツルハミノ衣トハ、四位ノ朝服也。昔ハツルバミノキヌキタル人ニハ、トカヲ、ヲコナハサリケル也。サレハ、イモユヘニキリヲハラヒ、ホシヲイタヽク、ツトメモヲコタリヌヘケレハ、ツルハミノ衣ヲキマホシク、オホユトヨメル也。
1313 紅之深染之衣下著而上取著者事將成鴨《クレナヰノコソメノコロモシタニキテウヘニトリキハコトナランカモ》
クレナヰノコソメノコロモシタニキテトハ、コヽロサシフカケレトモ、イマタシノフホトヲハ、シタニキルニタトフ。ツマトタノメテアラハレタルヲハ、ウヘニトリキルニタトヘタル也。
1314 橡解濯衣之怪殊欲服此暮可聞《ツルハミノトキアラヒキヌノアヤシクモコトニキホシキコノユフヘカモ》
ツルハミヲハ、フリスサヒヌ色ニイヒナラハセリ。トキアラヒキヌトハ、今一シホ、メツラシクオホユルニタトヘテ、アヤシクモコトニキホシキ、コノユフヘカナトタトヘヨメル也。
(184)(橘嶋、河内國。)
1315 橘之島尓之居者河遠不曝縫之吾下衣《タチハナノシマニシヲレハカハトヲミサラサテヌヒシワカシタコロモ》
此歌、如伊豫國風土記者、息長足日女《オキナカタルヒメノ》命御歌也。コノミ歌、コトニ御ナサケフカヽルヘシ。タチハナノシマニシヲレハトハ、ハルカニ、ハナレヰテ、物サヒシク、昔ノイロカヲシノフルニタトフ、カハトオミトハ、イキカヨフヘキトコロモナク、タノムヘキカタモナキニタトフ。サラサテヌヒシワカ下衣トハ、オモヒシ心モカハラテ、カタミノコロモヲ、キタマヘルコトヲアラハセリ。橘島者、伊豫國、宇摩郡ニアリ。
1316 河内女之手染之絲乎絡反片絲尓雖有將絶跡念也《カウチメノテソメノイトヲクリカヘシカタイトニアリトタヘントオモヘヤ》
テソメノイトヽハ、色フカク、オモヒミタルヽニタトフ。カタイトニアレトタエントオモヘヤトハ、アフコトナケレトモ、タヱント、オモハヌニタトフルナリ。
1317 海底沈白玉風吹而海者雖荒不取者不止《ワタノソコシツクシラタマカセフキテウミハアルトモトラスハヤマシ》
白玉ヲタトヘニトルコトハ如前。風吹而ウミハアルトモ、トラスハヤマシトハ、サマタケサヘラルヽコトアリトモ、ナヲアハントオモフニ、タトフル也。
1319 大海之水底照之《オホウミノミナソコテラス》石着玉齋而《イシツタマイツキテ。アワヒタマイハヒテ》將採風莫吹行年《トランカセフカテコソ》
次ノ上ノ歌ニ、ナソラヘテコヽロフヘシ。
1320 水底尓沈白玉誰故心盡而吾不念尓《ミナソコニシツクシラタマタカユヘニコヽロツクシテワカオモハナクニ》
(185)此歌古點ニハ、ミナソコニシツムシラタマ、タレユヘニ心ツクシテワカオモハナクニト點セリ。シカルヲ參議濱成卿歌經|標《ヘウ》式ニ、引2此歌1云、美那曾己弊《ミナソコヘ》一句、旨都倶旨羅他麻《シツクシラタマ》二句、他我由惠尓《タカユエニ》三句、己々侶都倶旨弖《コロトクシテ》四句、和我母波那倶尓《ワカモハナクニ》五句トイヘリ。シツクシラ玉トイヘルハ、古語トミエタリ。シツムヲ、シツクト云リ。同韻相通ノ義ナルヘシ。此歌、第二句以下ノコトハ、歌式ニヨルヘシ。發句ノミナソコヱトイヘル、ヘノ字ハ、本韻ト同聲ノ故ニ、誦直セリトミヱタリ。然共、本韻ステニ、タカユヘニトイヒ、結句ワカモハナクニトカヽレナンウヘニハ、キラフヘキニモアラス。又此集ニハ、水底尓トカヽレヌレハ、誦シカフヘキニアラサルニヤ。抑サキニ、海底沈白玉風吹而《ワタノソコシツクシラタマカセフキテ》トイヘル歌ノ第二句、又今ノ歌ノコトク、シツクシラ玉ト云ヘシ。此集歌ノ源トシテ古集ナレハ、コレニムカヒテハ、古語ニヨルヘキカユヘ也。トキヨニシタカヒテ、今ノ人ノ歌ニ、トモカクモ詠シカキアラタメンコトヲハ、サイキルヘキニモアラス。サテ歌ノ心ハ、シラタマヲハ、イモカ玉ノスカタニタトフ。ミナソコニシツクトハ、オクフカクシノヒカクシテ、チカツキカタキニタトフ。タカユヘニ心ツクシテワカモハナクニトハ、ワレモサシモ心ヲツクシテ、テニトリモチテ、モヲアソハントオモヘトモ、イモハナニトモオモハシト、ウラミオモフニタトフル也。
(186)1322 伊勢海之白水郎之島津我鰒玉取而後毛可戀之將繁《イセノウミノアマノシマツガアハヒタマトリテノチモカコヒノシケケン》
島津トハ、島人也。東人ヲ、アツマツトイフカコトシ。アハヒタマトリテノチモカコヒノシケヽムトハ、マタミヌサキニ、ミマクホシトオモヒシヨリハ、トリテ後コソ、ミマサリヌレトヨメル也。ヲトニキヽテ、心ヲカケシ人ノ、アヒミテノチニ、イヨ/\オモヒマサレルニ、タトフル也。
1324 葦根之懃念而結義之玉緒云者人將解八方《アシノネノネモコロオモヒテムスヒテシタマノヲイハヽヒトトカンヤモ》
アシノネハ、シハシユキワカルヽコトアレトモ、ソノムスホヽレタルチキリタエセスシテ、後ツヰニハ、ツネニユキアフカコトク、ネンコロニオモヒテ、ムスヒテシタマノヲトイハンニハ、ヒトナサケアレハ、オシテトカメヤモトイヘル也。
1325 白玉乎手者不纒尓匣耳置有之人曾玉令泳流《シラタマヲテニハマカヌニハコニノミヲケリシヒトソタマオホレスル》
シラ玉ヲハ、イモカタマノスカタニタトフ。テニハマカヌニトハ、ナサケナクシテ、イマタチギリヲムスハサルニタトフ。ハコニノミヲケリシ人ソトハ、モラシキコヱシコトヲ、心ハカリニハサソトシリタリシニタトフ。タマオホレスルトハ、ノチニマタイヒオトロカセトモ、オホメキイフニタトフル也。
1326 照左豆我手尓纒古須玉毛欲得其緒者替而吾玉尓將爲《テルサツカテニマキフルスタマモカナソノヲハカヘテワカタマニセン》
(187)テルサツトハ、ヨキマスラヲ也。テニマキフルス玉トハ、オモヒスサミタルツマ也。ソノヲハカヘテワカタマニセントハ、テルサツカ、ステタラハ、トリテワカツマニセントヨメル也。
1327 秋風者繼而莫吹海底奧在玉乎手纒左右二《アキカセハツキテナフキソワタノソコオキナルタマヲテニマクマテニ》
アキカセハツキテナフキソトハ、カナシキサハリナツネニアリソトイフ也。ワタノソコオキナルタマヲ、テニマクニトハ、フカクコヒシキ人ニ、アハンマテニト云也。
1328 伏膝玉之小琴之事無者甚幾許吾將戀也毛《ヒサニフスタマノヲコトノコトナクハイトカクハカリワカコヒメヤモ》
ヒサニフスタマノヲコトノコトナクハトハ、カリニモチカツキテ、ワリナキヲトツレノナカリセハト、ヨソフル也。
(吾田多良トハ、奧州ニアル所ノ名也。能因カ哥枕云、吾田多良根、有神峯也。)
1329 陸奥之吾田多良眞弓《ミチノクノアタヽラマユミ》着絃而《ツルカケテ・ツルスケテ》引者香人之吾乎事將成《ヒカハカヒトノワレヲコトナサン》
ミチノクノトハ、フカキニタトフ。アタヽラマユミツルスケテトハ、ユミヲハ、男ニタトヘ、ツルヲハ、女ニタトフ。ヒカハカ人ノワレヲコトナサントハ、ユミツルスケテヒクヲ、夫婦トナリタルニタトフ。ヒクホトニナリチソ、ヒトモサソトハオモハント、タトフル也。
(南淵、細川山、太和國也。弓ノ木トル所也。)
1330 南淵之細川山立檀弓束級人二不所知《ミナフチノホソカハヤマニタツマユミユツカマクマテヒトニシラスナ》
(188)タツマユミヲハ、イマタテナレサルサキ、マタミソメテシメサスマテニタトフ。ユツカマクマテヲハ、ワカテニトリモチテ、イツカントキニタトフ。
1331 イハタヽミカシコキヤマトシリツヽモワレハコフルカトモナラナクニ
イハタヽミトハ、カヨヒカタキニタトフ。カシコキヤマトハ、タカキ人ニタトフ。トモナラナクニトハ、ワカミイヤシトイヘル也。業平朝臣ノ、アフナ/\オモヒハスヘシナソヘナクタカキイヤシキクルシカリケリトヨメルハ、今ノ歌ノ風情ヲ思テ、ヨミケルニヤ。
1332 石金之《イハカネノ》凝木敷《ココシキ・コリシク》山尓入始而山名付染出不勝鴨《ヤマニイリソメテヤマナツカシミイテカテヌカモ》
コノイハカネトイフ詞、磐之根ト云ト尺シタル事モ有。アルヒハ、磐之根ト云ニハアラス。石金トイフハ、石ト金ト也ト尺シタル人モハヘル也。此集ノ書樣ハ、無窮ニカキタレハ、石金ト書タレトモ、磐之根トオモヒテモヤ書ケン。サタメカタシ。又磐ト金トフタツナラストモ、石ノ金ニニタレハ、イハカネト云義モアリヌヘシ。カタ/\定カタキコト也。ソレニトリテ、金ノアル山モアレトモ、ウチマカセテハカタカルヘシ。オホカタ山ヲ尺スルニハ、高大有v石曰v山トミエタレハ、盤ノ根ト尺センコトハ、別ノ風流ナク、スナヲナル義ナルヘシ。コヽシキトハソコハク也。コノ歌モ、タカキ人ヲ山ニタトヘテ、(189)ヤマナツカシミ、イテカタシト、ヨソヘヨメル也。
1333 佐保山乎《サホヤマヲ》於凡《ヨソ・オホ》尓見之鹿跡今見者山夏香思母風吹莫勤《ニミシカトイマミレハヤマナツカシモカセフクナユメ》
オホニミシカトヽハ、オホカタニミシカトヽ云也。風フクナユメトハ、今コノ山ヲメテテ、シツカニエムセンカタメニ、カセ吹ナトイヘル也。歌ノ心ハ、ヨソニテハタヽオホカタニ思シカトモ、今ミレハ、チカマサリシテ、ナツカシキニタトフル也。
1335 オモヒアマリイトモスヘナミタマタスキウネヒノ山ニワカシメムスフ
此歌ノ、第一卷ノ三山《ミツヤマ》ノ歌ノ心ヲトリテヨメルニヤ。ヲヽシクヨキニメテヽ思アマリ、心ニシメユフヲ、ウネヒノ山ニ、タトヘタル也。
1337 葛城乃高間草野早知而標指益乎今悔拭《カツラキノタカマノクサノハヤシリテシメサヽマシヲイマソクヤシキ》
カツラキノタカマノ草トハ、コレモマタ、タカクフカキ思ニタトフ。ハヤシリテ、シメサヽマシヲ今ソクヤシキトハ、タカキ山ニハ、アサヒ《朝日》ノ影ノトクサセハ、クサモトク、メクミ出テ、オヒナヒク也。サレハ、タカマノ草ノハヤシリテ、シメサヽマシカ、ワカクサノ、ツマトモ、トクナリナマシト、ヨソヘヨメル也。
(鵜ノ多ク住ム所也ト云リ。)
1344 眞鳥住卯名手之神社之菅根乎衣尓書付令服兒欲得《マトリスムウナテノモリノスケノネヲキヌニカキツケキセンコモカナ》
眞鳥ハ、鷲也。エヒスハ、ワシノハヲハ、マトリノハト云也。ウナテノモリハ、美作國(190)名所也。ウナテノ森ヲイヒ出ンタメノ諷詞ナレハ、マトリスムト云リ。ソノ故ハ、ウナテ、コトハニ、ウミノハタト云心ヲコメタレハ、ワシハウミチカキ森ニスム鳥ナレハ、ヨソヘヨメル也。ウナテトハ、ウナハ、海也。テハ、ハタノ義也。邊也。サレハ、此卷ノ※[羈の馬が奇]旅ノ歌ノ中ニ、シホミタハイカニセントカワタツミノカミカテワタルアマノヲトメラト、イヘルハ此心也。サテ此歌ノ心ハ、ウナテノ森トハ、海邊ノ義ナレハ、ナミヒマナクシテ、常ニシホルヽニタトフ。スカノ根ヲトハ、ネモコロニナカク、トホクカヨハント思フニタトフ。キヌニ書付キセンコモカナトハ、心ヲウツシテ、ワカツマトナレカシト、ネカフニタトフルナリ。
押紙云、私云、眞鳥トハ、鵜ノ一ノ名也。眞《大》鳥ハ、海鵜ヲ云。河鳥トハ、河《小》ノ鵜也。故ニ、眞鳥スムウトツヽケタル、眞鳥ヲ鵜トモツヽケタリ。又眞鳥ハ、海ニスム鵜ナレハ、眞鳥スムウミト云心ニモカヨヘル歟。鷲ヲ、眞鳥トイヘトモ、コヽハ鵜ノ眞鳥ハ、今スコシカナヒ侍ニヤ。
1346 ヲミナヘシオフルサハベノマクスハライツカモ絡《クリ》テワカキヌニキン
ヲミナヘシヲハ、女ニタトフ。サハヘノマクスハラトハ、ツネニツユケクシテ、ウラミカチナルニタトフ。イツカモクリテワカキヌニキントハ、イツカワカテニヒカレテ、ミ(191)ニシタカフツマトモナラントタトフル也。
(カリソネトハ、人ナカリソト云詞也。ネハ、詞ノ助也。)
1347 キミニヽルクサトミシヨリワカシメシ野山ノアサチヒトナカリソネ
アサチヲハ、心ノ一スチナルニタトフルナリ。前ニ尺スルカ如シ。
1351 ツキクサニ衣ハスランアサツユニヌレテノヽチハウツロヒヌトモ
ツキクサトハ、ヨルノチキリワスレカタキニタトフ。アサツユハカヘルアシタノナミタニタトフ。心ハウツロヒヤスキイロ也トモ、シハシモワカキヌニスリテキゾトヨメル也。キヌニキルトハ、ツマトナルヲイフナリ。
1352 (ワカコヽロユタニタユタニウキヌナハ、ユタニタユタニトハ、ウキミタレタル心也。ウキヌナハトハ、水草也。ジユンサイト云物也。)
1353 イソノカミフルノワサタヲヒデストモシメタニハヘヨモリツヽヲラン
イソノカミフルノワサタトハ、ソノカミヨリコヒチニタケタルニタトフ。ヒテストモトハ、ヨクモナクトモト云也。シメタニハヘヨモリツヽヲラントハ、ヨクモナクトモ、シメタニハヘタラハ、ワレモモリツヽヲラン、ヒトモヌシアリケリトシルヘキニタトフ。シメタニハヘヨトイフコトハ、ナカラヘテタニアラハ、風俗ヲモマモリテアラントヨメル也。風俗ノ事ハ、令ノ文ヲヒキテ、サキニ尺スルカ如シ。
(イサヽメニトハ、チト也。聊ノホトナト云心也。又カリソメトモ云リ。又イサナミトモ云同心歟。)
1355 マキハシラツクル杣人イサヽ目ニカリイホノタメト作リケメヤモ
マキトハ、杉ノ一名也。ソマヒトノ杉ノ木ニテトリタルハシラヲ、槇ハシラト云。此木(192)ハスクナル木ニテ、柱ニアヒカナヘリ。ソノウヘ久シククチソンセサル也。サレハ此ハシラハ、ナカラヘテスムヘキ家ノ柱ニシタランコソ、其カヒモアルヘケレ。カリイホナトノタメニハ、ヨシナカルヘシト、タトヘノ心ハモトノスミカヲモタチハナレテ、一スチニミヲマカセテキタリタルヲ、槇ハシラニタトフ。ナカラヘテスミヌヘキヤドナラハ、クチセヌチキリノカヒモアルヘキニ、人ノ心ノウツロヒヤスケナルケシキヲ、カリイホニタトフル也。イサヽメトハ、ホトナキヲイフ也。
押紙云、私云、マキハシラハ、槇柱也。非杉歟。槇ハ、色白キ、香クサク、昧ニガキ也。土ノ底ニテ不朽也。杉ハクチヤスキ物也。境ノ株ナトニ、マキハシラヲタツル也。
1356 向峯尓《ムカツヲニ》タテルモヽノ木ナリヌヤトヒトソサヽメキシナカコヽロユメ
モモハ、花ハシケクサキテ、ミナル事ハスクナキヨシヲヨメル歌共ミヱハヘリ。花ハ色メキ出テカタラヒヲナスニタトフ。ミナレルヲハ、夫婦トシテヒトツミニナレルニタトフ。ヒトソサヽメキシナカコヽロユメトハ、人ハトカクイヒヲ、ツマト也ヌルカナトトフトモ、ユメ/\ナイヒソトイヘル也。
1357 タラチネノハヽノソノナル桑モナヲネカヘハキヌニキルトイフ物ヲ
衣ヲハツマニタトフ。ソノナルクハモナヲトハ、木ノ心ナキタニモ、衣ニナシテキント(193)オモヘハキラルヽナラヒナルニ、マシテ心アル人ノミニシテ、カクコヒカナシマセナカラ、ナトカアハレトオモヒテ、ワカツマトモナラサラントタトフル也。クハモナヲ、ネカヘハキヌニキントハ、キヌヲハ、桑絲トイフユヘ也。
1358 ハシキヤシワカヘノケモヽモトシケクハナノミサキテナラサラメヤモ
花ヲハ、イロメキカタラヒヨルニタトヘ、ミヲハ夫婦ノ義ヲナスニタトフレハ、花ノミサキテナラサランヤハト、ウラムル也。
1360 イキノヲニオモヘルワレヲヤマチサノハナニカキミカウツロヒヌラン
歌ノ心ハ、ワレハ命ノアランカキリハ、タエシトオモフニ、人ノ心ノウツロヒヤスケレハ、ヤマチサノハナノトクウツロフニタトフル也。
1365 ワキモコカヤトノアキハキハナヨリハミニナリテコソコヒマサリケレ
花ヨリハ、實ニナリテコソコヒマサリケレトタトフルコトハ、ハシメテ色メキカタラヒシ時ヨリモ、ヒトツミトナリテコソ、コヒシサモマサリケレトタトフル也。
(七瀬淀、太和國。肥前國同名アリ。)
1366 アスカヽハナヽセノヨトニスムトリモ心アレハコソナミタヽサラメ
ナヽセノヨトニスムトリトハ、ヲシカモナトニヤ。ヲシト、カモトハ、イツレモタエセヌ、ツマトタクヒタレハ、ソネミネタム心モアルマジケレハ、ナミタヽサラメトイフヘ(194)シ。カノトリノイモセノナミタテヌカ如クニ、ワカイモセモ、ナミタテサランニタトフル也。ナヽセ《所ノ名也》ノヨトヽヨメルコトソ、イカニトヨメルニカオホツカナシ。ツネニハ瀬トイフハアサクシテ、セヽラキヲハナミタツヲイヒ、ヨトヽハ、フカクシテナミナトモタタヌヲイヒナラハシタレハ、セトイヒ、ヨトヽイフハ、カハリテコソハヘルニ、コレハナヽセノヨトヽ、ヒトツニイヘリ。シカレハ、セニトリテモ、ノトカナルトコロヲヨメルニヤ。
押紙云、私云、ナヽセノヨトヽハ、七ノヨト也。七瀬ノアヒタニ、ヨトハアリ/\スヘケレハ、七瀬ニハ、ヤカテ七ノヨトアルヘキ歟。
ミクニヤマ、攝津國。ヒロセカハ、大和國。
1384 ミコモリニイキツキアマリハヤカハノセニハタツトモ人ニイハメヤモ
ミコモリニトハ、オモヒシツミカハクマモナキニタトフ。イキツキアマリハヤカハノセニハタツトモトハ、ナケキニタトフ。人ニイハメヤモトハ、シノフ心也。
1385 マカナモチユケノカハラノムモレキノアラハルマシキコトニアラナクニ
ムモレキハフシヽツミテ、カハクコトナキニタトフ。アラハルマシキコトニアラナクニトハ、ヒトシレスシノフ|ツキヒ《月日》モアマタスキヌレトモ、ツヰニハアラハレヌヘシトヨソ(195)フル也。ユケノカハラハ、大和也。
1386 オホフネニマカチシヽヌキコキイテニシオキハフカケンシホハヒヌトモ
オホフネニマカチシヽヌキコキ出ニシトハ、ユクヘモシラス、ハテシナキニタトヘ、ミモヤスキトキナク、クルシキニタトフ。オキハフカケムシホハヒヌトモハ、オキヲワカコヒニタトフル也。アサカランコヒハ、シホヒカタノ如シ。カハクヒマモアルヘキ也。ワカコヒハウミノオキノコトクナレハ、シホノヒト云コトラモシラス、ソコノフカサモシラレスト、イハントソ。
1387 伏超從去益物乎間守尓所打沾浪不數爲而《フシコエニユカマシモノヲヒマモリニウチヌラサレヌナミカソヘステ》
此歌中五字、間守尓、フルクハ假名ナシ。イマ文字ニマカセテヒマモリニト點ス。ソノマサシキ心シリカタキ歌也。發句、フジコエニトイヘルハ、上古ニハ、アシカラキヨミヨコハシリトテ、アシカラノ山ヨリ出テ、フジノ山ノスソヲトホリテ、キヨミカセキヘ出ルミチアリケリ。ヨコハシリノセキハ、富士山ト、葦高山トノアハヒニアリケリ。此ミチヲトヲリケルヲ、アシカラノキヨミカ、ヨコハシリト云ケル也。今ノ海道ノミチ、キヨミカサキヲトオリ、タコノウラナトヲトヲルハ、中古ヨリノ事也。今ノ歌ハ、海邊ノ道イテキテ後、カノ富士越ノ道アリケリト聞ケル人ノヨメリケル歌ニアタレリ。シカア(196)ランニハ、中ノ五文字ノ句、間守尓は、キヨミカセキニハ、ナミノセキモリトヨムコトハヘレハ、此歌關守尓所打沾トハヘリケルヲ、關ヲ、間ニカキナシタリケルニヤアラントモオホエハヘルハ、ヒカコトニヤ。ナミノ關守ト云コトハ、キヨミカサキト云トコロ、今ハ|クキカサキ《岫崎》トナン申ス。カノサキノシホノミチテ、ナミノタカキトキハ、ユヽシクトヲリニクカリケレハ、ナミノマヲトヲラントテ、立トヽマリテ、波ヲカソヘテスキケレハ、波ノセキモリト云。波ヲカソヘテスクトハサキニ申シハヘルカコトク、波ハタカク立タヒ、ヒキクタツタヒノアル也。タカキヲハ、ヲナミト云、ヒキキヲハ、メ波トソ云ナル。ソノメナミ、ヲ波ノタチタル中ニ、チヒサキ波ノ立ヲハ、シワ《皺》ナミト云也。カノシハナミ立時ニ、トヲルヘキ也。間守尓トカケル關ノ字ノカキアヤマレルカトヲホユルコトハヘレトモ、又カノナミノヒマヲカソヘテスキケレハ、ヒマモリトイハンモ、イタクノヒカコトニモ有マシケレハ、當時ノ漢字ニシタカヒテ、假名ヲハツケテハヘルナリ。サテ今ノ歌ノタトヘノ心ハ、ヒマナキ波ニタニ、ミチモユキヤラレス、シホレハテヌルニタトフ。波カソヘスシテトハ、ヲツルナミタノカスモシリカタク、心ノヤミモクラケレハ、ヨロツヲワスレタルニ、タトフル也。
1388 イハソヽクキシノウラワニヨスルナミヘニキヨレハカコトノシケヽン
(197)キシノウラワニヨスル波トハ、ウラミラレテタチヨリタルニタトフ。ヘニキヨレハカコトノシケヽントハ、ワカアタリニキヨリタレハ、コトノハノシケキニタトヘタル也。
イソノウラニキヨルシラナミカヘリツヽスキカテヌ|ル《(マヽ)》ハキシニタユタヘ
キシニタユタヘトハ、ナサケフカクシテ、トヒキタル人ノ、ヤスクモカヘリヤラス、タチヤスラフニタトフル也。イソノウラ、紀伊國ニアリ。
(名高浦ハ、遠江國也。紀伊國ニ同名アリ。此哥ハ遠州也。)
1392 ムラサキノナタカノウラノマナコチニソテノミフレテネスカナリナン
ナタカノウラ、紀伊國也。ナタカノウラト、イヒイテンタメノ諷詞ナレハ、ムラサキノトヲケリ。ムラサキトハ、ムハ、タカキ義、ラハ、赤義也。紫ノ字ヲ尺スルニ郭知玄云、色赤黒。韓知十云、深赤トイヘリ。日本記第卅卷、高天原廣野姫《タカアマノハラヒロノヒメノ》天皇御宇四年四月丁未朔己酉被2定置1。朝服《ミカトコロモハ》色、淨大壹已下廣貳已上(ニハ)、黒《・フカ》紫トイヘリ。ナタカト云ニツキテ、モトモ、ムラサキト云ヘシ。サタタトヘノ心ハ、マナコチニトハ、ウツクシキニタトヘ、クタケハテヽオモフニタトフ。又ナタカノウラト云、ナノ字ニ、ナミト云心ヲフクメリ。ナミノタカキニヨソフヘシ。シカレハ、袖ノミフレテネスカナリナントハ、ウヘハカハケルサマナレトモ、シタヌレタルトコロナレハ、ヌヘキヨスカモナキヲ、袖モヌレトホリヌヘク、イモネラレカタキニ、タトフルナリ。
(198)(間々《マヽノ》濱、豐前國。)
(企救《キクノ》濱、同。)
1393 トヨクニノマヽノハマヘノマナコチノマナヲニシアラハナニカナケカン
此歌第二(ノ)句、間々之濱邊之句、不審也。若|聞之《キクノ》濱邊歟。豐前ニ聞《キクノ》濱アルカ故也。若又豐前豐後ノ間ニ、間《マヽノ》濱ト云所ノアルユヤ。糺明之後、可令一定歟。
(此歌先達ノ尺多シ。袖中抄ニ委。見ラク、戀ラクノ、ラクハ、詞ノ助也。)
(清輔カ説ニハ、磯ノ草一クキニトリテモ、鹽滿ヌレハ、ワツカニ葉末ナトハカリ見ヘテ、鹽ニ入タル本ノ方ハ多カルヲ、タトヘニトリテ、人ヲミルコトハスクナクミヌコトハオホカルヨシヲヨメリ。)
1394 シホミテハイリヌルイソノクサナレヤミラクスクナクコフラクノオホキ
コノ歌ハ、コヒシキ人ヲ、シホミテハ入ヌルイソノクサニタトヘテ、ミルコトハスクナク、コフルコトハオホシトヨメル也。ソレニトリテ、人々ノ尺、イサヽカカハレリ。シホノミチヒハ、一《俊頼カ説也》日一夜ニカナラス、フタヽヒミチヒル也。ソレニアカスミユルクサトモノ、シホミチテカクレユクコトヲ、アカヌオモヒニタトヘテ、ミルコトハスクナクオホエ、コフルコトハオホカルニヨソヘテ、ヨメルヨシ尺スル人モアリ。ア《顯輔カ説也》ルヒハ、シホノミチクレハ、ミシカキクサハ、ヤスクミナカクレヌ。オノツカラナカキハ、タマサカニミユレハ、ミラクスクナク、コフラクノオホキトハヨメルナリト、尺シタルナリ。
1395 オキツナミヨスルアライソノナノリソハコヽロノウチニトクトナリケリ
オキツ浪ヨスル荒磯トハ、フカクトヲクオモフ心ニヒカレテ、ヨリキテヲトツルヽニタトフ。ナノリソトハ、コレニフタツノコヽロアリ。日本記第十三卷、雄朝津間稚子宿称《ヲアサツマワクコスクネノ》天皇、春三月癸卯朔|丙《四日》午、幸2於茅渟(ノ)宮(ニ)1。衣通郎姫《ソトホリイラツヒメ》歌(テ)曰、等虚辭陪迩枳弥母阿閇梛毛《トコシヘニキミモアヘナモ》、(199)異舍儺等利宇弥能波摩毛能余留等枳等枳弘《イサナトリウミノハマモノヨルトキトキヲ》。時(ニ)天皇、謂(テ)2衣通郎姫(ニ)1曰、是(ノ)歌不v可v聆2他人《アタシヒト》1。皇后聞(タマハ)大恨(タマハン)。故(ニ)時(ノ)人號(テ)濱藻《ハマノモヲ》、謂2奈能利曾毛(ト)1也。此由縁ニヨラハ、ナノリソトハ、シノフ義也。シカルヲナノリトイフコトハニツキテ、ナノリヲスルニヨソヘヨメル歌アマタアルヘシ。今ノ歌モ、ナノリソハ、心ノウチニトクト也ケリト、ヨソヘヨメルコトハ、オキツ波ノアラ磯ニヨリキテ、ヲトツルヽニシタカヒテ、コナタヘナヒキヨルクサナレハ、ナノリソト云ナニヨソヘテ、心ノウチニトクヒキヨセヨト、オモヘルニタトフル也。
(名高浦、遠江國。紀伊國ニ同名アリ。)
1396 ムラサキノナタカノウラノナノリソノ磯ニナヒカントキマツワレヲ
此歌モ、ナノリソト云名ニスカリテ、ヨソヘヨメルナルヘシ。ナノリヲスルコトハ、シノフ心ナク、アラハルヽトキノ事ナレハ、ナノリソノイソニナヒカン時マツワレヲト、ヨソヘヨメル也。
(志賀浦、近江國。筑前國ニ同名アリ。志賀津、近江、伊勢ニ同名アリ。)
1398 サヽナミノ|シカツノウラ《シツカノウラィ》ノフナノリニノリニシ心ツネワスラレス
サヽナミノ|シカツノ浦《シツカノウラ》トハ、ヒマナク心ヲサハカシ、コヽロヲヨスルニタトフ。フナノリニノリニシ心トハ、ユカントオモフカタヘタヨリアラハ、トクイナントオモフニ、タトフル也。
(200)1399 モヽツテノヤソノシマワヲコク舟ニノリニシコヽロワスレカネツモ舟ニノルコヽロ、サキノ歌ニオナシカルヘシ。
(水霧《ミナキリ》ハ漲也。)
1401 ミナキリアフオキツヲシマニカセヲイタミ舟ヨセカネツ心ハオモヘト
ミナキリアフトハ、心ワキカヘリテオモフニタトフ。オキツシマトハ、ハルカニハナレヰテ、サヒシキニタトフ。カセヲイタミフネヨセカネツトハ、イサメサヘラルヽサハリアリテ、カヨヒカネタルニ、タトフルナリ。
1402 コトサケハオキニサケナメミナトヨリヘツカフ時ニサクヘキモノカ
オキニサケナメトハ、イマタユクヘモシラス、ヨランカタモシリリカタク、オモヒ、タヽヨフトキニ、イヒモキラサルニタトフ。ミナトヨリトハ、今ハアヤフム心モナク、オモヒシツマリテ、一スチチニタノミイルニタトフ。ヘツカフトキトハ、キシニツクヲイフ。イマハコトサタマリナントスルニタトフ。歌ノ心ハ、イモセノチキリヲムスハンニ、ハシメハカナハシトモイハネハ、ヒトスチニタノミカクルホトニ、ソノチキリノ期トナリテ、カナフマシキヨシヲイフニ、タトヘタル也。
1405 アキツノ、吉野山ニアリ。已上譬喩歌也。
挽歌
(201)1412 ワカセコヲイツチユカメトサキ竹ノソカヒニネシクイマシクヤシモサキタケトハ、ワリタルタケ也。ワリツレハセナカアハセニナレハ、ソカヒニ、ネシクトヨソヘヨメル也。
1413 ニハツトリカケノタレオノシタレオノナカキ心モオモホエヌカモ
ニハツトリトハ、ニハトリ也。カケモオナシコト、ナクコエニヨリテイヘリ。又ハイヘツトリトモイフトミエタリ。此集第十卷歌中こ、念友念金津足檜木之山鳥尾之永此夜乎《ヲモヘトモヲモヒカネツヽアシヒキノヤマトリノヲノナカキコノヨヲ》トイフ歌ノ次ニ、或本歌日、足日木之山鳥之尾之四垂尾之長永夜乎一鴨將宿《アシヒキノヤマトリノヲノシタリヲノナカ/\シヨヲヒトリカモネン》トイヘル歌ヲ、或抄ニ、山鳥ノオトアルハ、尾ニハアラス、雄也。ヲトリノシタリオノトイフ也トソ申ス義モハヘリ。サモアリナントカケリ。此義アマリノ事也。カノ十一卷ノ歌ニモ、山鳥之尾ノ四垂尾之トカケリ。此第七卷ノ今ノ歌ニモ、可鷄乃垂尾之亂尾乃トカケリ。第二ノ句ハ、雄トモ、ミエサルヘシ。
1417 ナコノウミ、攝津國。
第八卷
1418 石激垂見之上乃左和良妣乃毛要出春尓成來鴨《イハソヽクタルミノウエノサワラヒノモヘイツルハルニナリニケルカモ》
(202)此歌ヲ、イハソヽクタルヒノウヘノトカケル事アリ。タルミトイヘルハ、タルミツ也。イハソヽクト云テハ、モトモタルヒトイフヘシ。サレハ此集ニハ、垂見之上乃トカケリ。タルヒト云ヘカラサルヲヤ。
1423 去年春伊許自而殖之吾屋外之若樹梅者花咲尓家里《コソノハルイコシテウヘシワカヤトノワカキノウメハハナサキニケリ》
イコシテトハ、イハ發語、コシテトハ、ヒキコツルナリ。コキテナト云モオナシコト也。ネコシテトモ云。日本記ニハ、堀文字ヲ、コシテトヨメリ。
イハセノモリ、大和國。クサカノヤマ、紀伊國。クタラノ、攝津國ト云ヘリ。又冬ノ野ヲ、クタラノト云説アリ。カミナヒカハ、大和國。タカマト山、同。
1448 ワカヤトニマキシナテシコイツシカモハナニサカナンナソヘツヽミン
ナソヘツヽミントハ、ナソラヘツヽミントイヘル也。心ハナテシコノ花ハ、シナヤカニウツクシケンハ、ワカオモフ人ニナソラヘテミント、ヨメル也。
紀女郎贈大伴宿祢家持歌二首
(戯奴《アヌ、ワケ》、變(ニ)云、和氣。アヌモ、ワケモ、トモニ我ト云詞也。筑紫人ハ、ワレヲハ、アヌト云。サレハ、ワカタメニ、ワカツミタル、ツハナソト云也。ツハナハ、食シテ肥ル物也。ミケテトハ、食シテ也。此故家持返シニモ、イヤ痩ニヤスト云リ。)
1460 戯奴【變云和氣】カタメワカテモスマニハルノ野ニヌケルツハナソ|メシ《ミケ》テコエマセ
ワケトハ男ヲ云也。ワカテモスマニトハ、テモシツカニヲカスト云心也。
1461 晝者咲夜者戀宿《ヒルハサキヨルハコヒヌル》合歡木《ネフリノキ・ネフノハナ》花|君耳將見哉和氣佐倍尓見代《キミノミミンヤワケサヘニミヨ》
(203)此歌古點ニハ、ヒルハサキヨルハコヒヌルネフリノキキミノミミンヤワケサヘニミヨト點セリ。漢字ハ、合歡木花也。ネフリノキト點スレハ、花ノ字和セラレス。況歌後ノ詞ニ、右|折2攀《ヲリヨシテ》合歡花并茅花(ヲ)1贈也トカケリ。モトモネフノ花ト和スヘキ也。文選ニ云。合歡、ネフリヲノソクト云ヘリ。ソレハヒルハネフラテ、ヨルヌヘキ也。サテ人ノイネヌニハ、木ヲアヤサントテ、枕ニヲク也。サテ家持贈和歌ニ、ワキモコカカタミノネフハハナノミニサキテケタシモミニナラヌカモトヨメリ。コレハ、花ハサキテミハナラヌ草木トモアリ。ネフモ花ハオホクサキナカラ、ミハトモシキ花ナレハ、カクヨソヘヨメルニヤ。
1470 モノヽフノイハセノモリノホトヽキス今モナカヌカ山ノトカケニ
イハセノモリ、大和國。或云、ツハモノハ、ウマヲハセナカラ、弓ヲイルユヘニ、モノノフノイハセノモリトツヽクル也ト云ヘリ。ヤマノトカケトハ、ツネニカゲナルトコロ也。トキハニカゲナリトイフ心也。
1474 オホキノヤマ、筑前國。
大伴家持攀2橘花1贈2坂上大孃1歌詞中
1507 伊加登伊可等《イカトイカト》トハ、門ニトイフ詞ナリ。伊ハ、發語ノコトハ、安要奴我尓花咲尓家里《アエヌカニハナサニケリ》ト(204)ハ、ワレコソムカシヲシノフニ、タチハナモ花サキヌレハ、昔ノ香ニニホヘハ、我ニアエテ花咲ニケリトヨメル也。銅《マス・マソ》鏡清月夜尓《カヽミキヨキツキヨニ》、ウチマカセテハ、マスカヽミトカク。此集ノ眞名假名ニハ、ミナマソカヽミトカケリ。イニシヘノカキ樣トミヱタリ。ヨリテ古語ニマカセテ、今ノ點ニハ、マソカヽミト點スル也。オヨソカクノコトキノ詞ノカキヤウ、チカキヨノ歌ニハ、ソノトキノイヒニマカセテカヽンコトモイハレアルヘシ。不得心ノモノ、ソレヲモ古語ニカキナサンコトシカルヘカラス。又古集ノコトハ、眞名假名ナトニ、アキラカニミヱタルヲ、古語ヲハソムキテ、今ノ詞ニ點シナスコト又不得心也。イツレヲモソノ時ノコトハニシタカフヘキ也。サヲコソイツレノヨノ集トモ、ワキマヘシルヘキコトニハヘレ。
宇礼多伎也《ウレタキヤ》志許《シルシハカリニ・シコ》霍公鳥《ホトヽキス》云々。ウレタキヤトハ、ウレフル也。志許《シコ》トハ、凶トイフコトハ也。
1508 (反歌、望降清月夜尓。モチノタタルトハ、廿日ノ義也。是皆月冷ノコト也。夜ノ月ニ非ス。但クタルト計云ハ、月冷ノコト歟。望降ハ、夜ノ月ノ更テ傾ヲ云ト也。)
1510 ナテシコハサキテチリヌト人ハイヘトワカシメシノヽハナニアラメヤモ
ナテシコヲ、オトメニヨソヘテヨメル也。ワカシメシノヽハナトハ、オトメナリ。ヨメル心ハ、ナテシコソサキテチルトモ、ワカシメサシテオモフオトメハ、ワレコソヌシニテハアレ、心ニマカセテハ、チリモウセシトイヘル也。
(205)1512 經毛無緯毛不定未通女等之織《タテモナクヌキモサタメスヲトメラカヲレル》黄尓《モミチニ・ニシキニ》霜莫零《シモナフリソネ》
此歌古點ニハ、タテモナクヌキモサタメスオトメラカヲレルモミチニシモナフリソネト點ス。第四句、黄葉モミチトヨメルコト、ワキテ此集ノナラヒ也。オトロクヘキニアラサレトモ、如此文字ツカヒ、所ニヨリ、歌ノ心ニシタカヒテ、ヨミカナヘン事、點家ノ堪不モアラハルヘシ。斟酌故實トスヘキ也。身ニアタリテ申開カン事、其ハヽカリオホカレトモ、心ニノミコメテ、ヤミハヘリナハ、後賢ノウタカヒハレカタカルヘキカユヱニ、シルシツケハヘル也。タテモナクヌキモサタメスト云テハ、ヲレルモミチニトイハンコト、カキアヒテモキコエス。サレハ此歌第四(ノ)句ヲレルニシキニト和スヘシ。モミチヲ、一向ニシキトヨメル歌、上古ニモ中古ニモハヘルメリ。大伴家持歌ニハ、サホノ山ニシキヲリカクカミナ月シクレノアメヲタテヌキニシテトヨメリ。此歌古今ニハ、ヨミ人シラストテ、發句ハ、タツタカハトカヽレタリ。古歌ヲ後代集ニヱラヒイルヽトキ、古語ノ今ノキヽニカナハサル詞、モシハトコロノ名ナトノ、今スコシエンナルヘキヲハ、ヒキナヲシテイルヽコト、撰者ノ故實ニテハヘルトカヤ。又古今ノ秋ノ下、紀友則歌ニハ、タカタメノニシキナレハカ秋キリノサホノ山ヘヲタチカクスラントヨミ、藤原關雄歌ニハ、シモノタテツユノヌキコソヨハカラシ山ノニシキノヲレハカツチルトモヨメリ。(206)モミチヲヒトヘニ、ニシキトイヘルコト、コレラニテソノ心ヲエツヘシ。
山上臣憶良七夕歌十二首中
(牽牛者織女等天地之別時由。抑七夕ノ事、神代ヨリ七月七日ヲ契リテ、彦星七夕妻トアフ也。月入テ後ト云リ。年ニ一度アフコトハ、帝尺毎日河水ヲ汲テ、寶瓶ニ入、寶ヲフスナルニ仍テ、カノ水ヲケカスコトナシ。日々番ヲスヱテ、守ラセケル間渡ヘキ隙ナシ。七月七日ハ帝尺善法堂ヘ參詣ノ日ニテ、寶瓶ノ水ヲ汲ス。仍此隙ヲユルサレテ此日逢ナリト云々。)
1520 伊奈宇之呂《イナウシロ》トハ、イナハ、縱也。ウシロトハ、※[厭のがんだれなし]ト云也。ロハ、詞ノ助。
1522 多《タ・ユ》夫手二毛投越都倍吉天漢敞太而礼婆可母安麻多須辨奈吉《フテニモナケコシツヘキアマノカハヘタテレハカモアマタスヘナキ》
此歌頭句、タフテト云ハ、ツブテ也。ツブテヲタフテト云ハ、阿波國風俗也。此歌發句、常ノ本トモニハ、ミナ同シク、夕夫手トカケリ。コレニヨリテ、假名ハ、ユフテトツケタリ。六條家本、二條院御本流也。多夫手《タフテ》トカヽレタリ。其理尤叶ヘリ。殊勝/\。
押紙云、文選第二、東京賦云、飛礫《ヒレキノタフテ》、雨散《アメノコトクニアラケテ》。私云、ツフテヲ、タフヲト云事、本説分明也。
1531 タマクシケアシキノカハヲケフミレハ ヨロツヨマテニワスラレ|ヌ《(マヽ〕》ヤモ
タマクシケアシキトツヽケタルハ、アシキトイフニ、アハ、アクル義也。シキハ、シケシト云コトハニキコユレハ、アクルコト、シケシトイフ諷詞ニ、タマクシケトヲケル也。
1543 アヲハノヤマ、若狹國。
1544 牽牛之念座良武《ヒコホシノヲモヒマスラム》從情《コトヨリモ・コヽロユモ》見吾辛夜更深去者《ミルワレクルシヨノフケユケハ》
此歌第三ノ句、或ハ、心ニモト點、或ハ、コヽロヨリト點。古語ニヨラハ心ユモト點ス(207)ヘシ。コヽロユモトハ、コヽロヨリモト云詞也。從情《コヽロユモ》。
1547 サホシカノ芽《ハキ》ニヌキヲケルツユノシラタマアフサワニタレノヒトカモテニマカンテフ
アフサワニトハ、アヒタルトチトイフ也。伊勢物語ニ、アフナ/\トヨメルモ、オナシコト也。サト、ナト、同韻也。
1548 サクハナモヲソロハウキヲオクテナルナカキコヽロニナヲシカスケリ
ヲソロトハ、ヲソキ也。此歌ノ心ハ、サクハナモ、ヲソキハ、ウキモノ、サレトモ、人ハ心ナカキカヨカリケルトヨメルナリ。
ミカサヤマ、大和國。ユキヽノヲカ、同。ミソメノ崎、同。ヰカヒノ山、同。
1576 コノヲカニヲシカフミオコシウカネラヒカモカクスラクキミユヘニコソ
ヲシカフミオコシトハ、小鹿也。ウカネラヒトハ、大鹿ネラヒト云。和語ノナラヒ、ウハ、大義也。
1589 露霜尓逢有黄葉手折來而妹挿頭都後者落十方《ツユシモニアヘルモミチヲタヲリキテイモニカサシツノチハチルトモ》
此ツユシモトイフコト、先達ノ料簡マチ/\也。或ハ、露ヲ、ツユシモト云。霜ハツユノナル物ナレハ、露ヲツユシモト云トイヘリ。コレハ因(テ)v中(ニ)説v果(ヲ)ノ義ニアタレリ。或ハ、霜ヲツユシモトイフ。露凝成v霜(ト)故也。コレハ從(テ)v本(ニ)立v名(ヲ)ノ心也。或ハ九月ハカリノ寒露(208)ヲ云。露ノシモニナルホトナレハ、露シモト云。霜ニモナリハテス、ナヲ露ニテ、又露ニモアラヌホト也。コレハ、中間ノ位ニアタレリ。三ノ義ノ中ニハ、此義甚深也。又今ノ歌ノ如クハ、タヽ露ト霜トニカナヘリトイヘル義也。
(十尾トハ、タハヽトモ云ル同事也。雪又露ナトノ置テタハミタル體也。)
1595 アキハキノヱタモトヲヽニヲクツユノケナハケヌトモイロニイテメヤモ
ヱタモトヲヽトハ、ヱタモトヲ/\ト云コトハ也。重點ニハ、カミノ字ヲ略スル故也。ケナハケヌトモトハ、キエナハキエヌトモトイフ也。ケ文字ヲヨフニハ、キヱノヒヽキアレハ、ヒヽキヲオモハヘテ、ケナハケヌトモトイヘル也。意ハ、ユタモトヲヽニナヒキタル露ハ、キエヤスキモノナレハ、シノフ戀ノ心ニヨソヘヨメルナリ。
(高圓之野邊乃容花面影尓。容花ハ、ウツクシキ花也。サシテイツレノ花ト不限、花ノ貌ナト同心歟。定家不辨云々。)
1600 ツマコヒニシカナク山ノアキハキハツユシモサムミサカリスキユク
此歌ノ心、サキノ露霜ノ三ツノ尺ノナカノ、第三ノ尺ノコヽロアタレリ。
1636 マカミノハラ、大和國。
1639 アワユキノホトロ/\ニフリシケハナラノミヤコシオモホユルカモ
(ホトロ/\トハ、ハタラ/\ニト云詞也卜云々。又云、カキタレテフルト云々。又、雪ノフル音ヲ云ト、一字抄ニ見ヘタリ。)
ホトロ/\ニフリシケハトハ、ユキハマツカキネナトノ、ホトリ/\ニツモレハ、ホトロ/\ニフリシケハトヨメリト、尺シタルコトモハヘレトモ、ユキニホトロトヨミタルウタハ、アマタミヱハヘルニ、ホトロトハ、ヒカルトイフコトハ也。ヒカル虫ヲ、ホタ(209)ルナトイフカコトシ。
丈永六年三月十六日記之畢。 仙覺 在判
建治元年十一月廿七日、以作者仙覺律師自筆本、教人書寫畢。
同廿八日一校了。 玄覺 在判
弘安九年二月廿三日、於鎌倉比企谷旅店、一見之次、管見之所及押紙畢。
玄覺
同十年九月四日一見之次又押紙畢。 玄覺
(以上萬葉集註釋第五册)
(210) 第九卷
(私云、繁貫《シヽヌキ》トハシゲキト云義也。)
1668 シラサキ、紀伊國。
(神島、紀伊國。)
(三名部浦、同。)
1669 三名部乃浦《ミナヘノウラ》鹽莫滿《シホミツナ・シホナミチソネ》鹿島在釣爲海人乎見變來六《カシマナルツリスルアマヲミテカヘリコム》
此歌古點ニハ、ミツナヘノウラシホミツナカシマナルツリスルアマヲミテカヘリコムト點セリ。今和換云、ミナヘノウラ、シホナミチソネトイフヘシ。
ミナヘノウラ、紀伊國。ユラノサキ、同。イソノウラ、同。フチシロノミサカ、同。ホロノカ《オホカノィ》、大和。サキサカヤマ、山城。フ《(マヽ)》トカハ、近江。タカシマヤマ、同。
(鷺坂山、山城國。)
(比礼ハ、領巾也。婦人ノ項ノ餝也。今世ノ懸帶ノ如ナル物也。ソレヲ鷺ノ首ノ毛ノ、ヒレニ似タレハ、タクヒレノ鷺トヨメル也。)
1694 細《ホソ・タヘ、タク》比礼乃鷺坂山白管自吾尓尼保波弖妹尓示《ヒレノサキサカヤマノシラツヽシワレニニホハテイモニシメサム》
タクトイフコトハニ、アマタノ心アリ。タクトハ、アカルトイフ詞、又タヘナリトイフ詞、又シロシトイフコトハ也。タクヒレノサキサカトツヽケタルハ、サキノカシラニハ、ナカキ毛ノタチアカリタルカアレハ、サキトイハンタメノ諷詞ニ、タクヒレノトヲケリ。又サキハ、白鷺トテ、シロキトリナレハ、サキサカヤマノシラツ、シトツヽケタリ。
(211)(名木川、山城國。)
1696 衣手乃名木之川邊乎春雨吾立沾等家念良武可《コロモテノナキノカハヘヲハルサメニワカタチヌルトイヘオモフラムカ》
コロモテノナキノカハヘトツヽケタルコトハ、ナキトイフニ、ナミキタルトイフ心ノコモリタレハ、ナキトイヒテンタメノ諷詞ニ、コロモテノトヲケリ。海人ハナミヲナトイフコト、サキニ尺スルカ如シ。ナキトイフハ、ナミキタルトイフコトナレハ、海河ノミキハヲナキサトイフモコノ心也。サテ衣手ノナキトイハンコトハ、人ノ装束ヲトヽノヘキルニハ、衣文ヲキタルカ、ナミノタチカサナレルニヽタレハ、衣テノナキトツヽクル也。又女房ノカサネノキヌノコトキハ、イロ/\ノニホヒトモヲ、ナミカサネテキタレハ、コロモテノナキトツヽクヘシ。
(山吹瀬、山城國。)
1700 金風山《アキカセノヤマ》吹瀬乃響苗《フキノセノヒヽクナヘ・フクセヽノナルナヘニ》天雲翔鴈相鴨《アマクモカケルカリアヘルカモ》
此歌ノ上句、或本ニハ、アキカセノヤマフクセヽノナルナヘニト點セリ。アキカセノヤマニフキワタルハ、河ノ高瀬ノナルニマカフコトナレハ、此點モソノイハレアリテキコユ。又ヤマフキノセノヒヽクナヘトモ點セリ。宇治川こ、ヤマフキノセト云瀬アリトイヘリ。
1704 ※[木+求]手折多武山霧茂鴨細川瀬波驟祁留《ウチタヲルタムノヤマキリシケキカモホソカハノセニナミサハキケル》
ウチタヲルタムノヤマキリトツヽケタルコトハ、タムトハ、メクルトイフコトハナレハ、タムトイハムタメニ、ウチタヲルトヨメル也。タムノ山、大和國。
(212) 私記、多武峯《タウノミネ》也。
(馬咋山、山城國。)
1708 春草馬咋山自越來奈流雁使者宿過奈利《ハルクサヲマクヒヤマソコヘクナルカリノツカヒハヤトスキヌナリ》
ムマクヒヤマトイフハ、イツミ河ニソヒタル山也。カリノツカヒトハ、本文也。ムカシモロコシニ蘇武トイヒケルカシコキモノアリケリ。ソレヲ漢ノクニヨリ、胡ノクニトイフ所ノ、イミシクアヤシク、人ニモニヌエヒスノナカヘツカヒニヤリシニ、ソノクニノホトノトヲサハ、三千里ヲヘタテヽカヨフミチモナキトコロナルニ、ヲヒヤラレテ十九年ヰタレトモ、ハルカニ海ヲワオリ、山川ヲスキテイテアルニ、蘇武妻ノモトヘカヘルカリニフミヲツケテヤリタリケルニ、ソノフミヲミテ、マタノ年ノアキ、カリノキタリケルニ、上林苑トイフトコロノハルカナルソノニ、カリハハシメテオチツクトコロニテアリケレハ、ソノ妻ノユキテミケレハ、カリノアシニ蘇武カフミヲユヒツケテヲコセタリケル也。ソレヨリカリノツカヒトイフコトハアル也。人ノイカニモカヨハネハ、雁ヲツカヒニシテ、コトツケヲスル也。
1709 ミナフチヤマ、大和國。
(三川、參川國。近江國ニ同名アリ。)
1717 三川之淵瀬物不落左提刺尓衣手濕干兒波無尓《ミツカハノフチセモオチスサテサシニコロモテヌレヌホスコハナシニ》
サデサストハ、チヒサキアミヲモチテ、イヲトルヲイフナリ。コノアミハ手ニモチテカ(213)ハニテトル也。
(瀧浦、大和、宗祇法師モ、瀧浦ト云リ。如何。若瀧浦ト云心歟。)
アトノミナト、近江國。カチシマ、丹後。イハタノヲノ、山城國。イハタノモリ、同。オモヤマ、美濃。アシリノウミ、近江。シホツスカウラ、同。ナツミノカハト、大和。
詠|上總末珠名《カスサノスヱノタマナ》娘子詞中
(腰細之須輕娘子、スカルトハ、カルキコトヲ云ト云々。私云、蜂腰ノ義歟。)
1738 水長鳥《ミナカトリ・シナカトリ》安房尓繼有梓弓未刀珠名者《アハニツキタルアツサユミスエノタマナハ》云々。
此歌|頭句《ハシメノク》、古點ニハ、ミナカトリト點ヒリ。ソノ心アヒカナハス、シナカトリト和スヘシ。水ハスナハチ、シナリ。玉篇云、水戸癸切、流津也。此集ニ又、水ヲ、シトツカヘルコト第十卷七夕歌中、水良玉五百都集乎解毛不見吾者干可太奴相日待尓《シラタマノイホツヽトヒヲトキモミスワレハカカタヌアハムヒマツニ》トカケリ。コノ歌、シラタマノイホツヽトヒヲトキモミスワレハカヽタヌアハムヒマツニトヨマレタリ。歌ノ心ヲイハヽ、シナカトリトハ、獵者ノ名ナルヘシ。猪名野ノトコロニ尺スルカ如シ。アハニツキタルアツサユミスエノタマナハトハ、弓ノハスニハ、金玉ヲツクトミエタリ。ソノタマヲ、アハクツキタレハ、オチヽリテ、ナキニヨソヘテ、シナカトリアハニツキタル、アツサユミ、スエノタマナハトツヽケタリ。又スエノタマナハ、上總也。安房モ上總ナレハ、ソノトコロチカクトナレリ。シカレハ、アハニッキタルアツサユミ、スエノタマナハトヨソフヘシ。又カノ、シナノヽミサカニシテ、白鹿ノシマヽケルハ蒜(214)ノアハヲ目中ニハシキイレタマヒシニヨリテ死ニケレハ、アハニツキタル、アツサユミスエノタマナハトツヽクヘシ。カノシカノタマシヒサリニシカハ、タマナハトヨソフヘシ。コレハシナカトリトイフコトハヲ、ハシメノ句ニヨメルニツキテ、コノ心コモレルナルヘシ。又安房國ハ、モトハ上總ノウチ也。シカルヲ、元正天皇御宇、養老二年五月甲午朔乙未、割上總國之|平群《ヘグリ》、安房、朝夷《アサイナ》、長狹《ナカサ》四郡、置安房國云々。見續日本記。
詠水江浦島子詞中
((神官文庫本朱頭書)私勘、日本記十四卷云、雄畧天皇廿二年秋七月丹後國餘杜郡管川人瑞江浦島子乘舟而釣。遂得大龜便化女爲、於是浦島子感以爲婦、相遂入海到蓬莱山、歴覩仙衆。語在別卷云云。水江ハミツノ江ト可謂歟。浦島子ニツヽケテハ今歌モミツノエノ浦島ト云リ。或居所或釣スル所ヲ墨吉ト云ル歟。日本紀ニ瑞江浦島ト云リ。瑞ノ字ヲスミトハヨミカタシ。風土記ノ眞名假名ニ義須能睿能宇良志麻トカケリ。日本記ニ同シ。浦島カ傳ニ澄江(ノ)浦ト云リ。此集又墨吉トヨメリ。所詮墨吉水江兩所アリト見タリ。向彼國能々可尋。又私云、仙覺律師以聖武皇帝奈良御門ト申ヲ難シテ云、浦島子ハ雄畧天皇御宇海宮ニイタリテ故郷ニ歸ルコトハ聖武以後淳和ノ御宇ノ事也。此集ノ歌ハ已ニ故郷ニ歸タルコトヲノセタリ。聖武以前ノ撰也ト云リ。是非難也。今案ニ日本記ニ常世ノ國ニイタリテ歴覩仙衆ト云リ。淳和ノ御宇マテカヘラスハ蓬莱ニイタルコトヲハタレカ知テ記スヘキト也。他書ノ説有トモイ説ニテコソアランスレ。萬葉日本記無相違ウヘハ聖武御代被撰事无子細。日本記ハ自神武天皇以來持統天皇マテ四十一代ヲ三十卷ニ紀ス。聖武以前浦島子ノカヘルコト、无不審。)
1740 墨吉之《スミヨシノ・スミノエノ岸尓出居而《キシニイテヰテ》云々。此句古點ニハ、スミヨシノキシニイテヰテト點セリ。コノ和アヒカナハス。スミノエノト和スヘシ。エトイフハ、ヨシトイフコトナリ。浦島子傳云、妾在世結2夫婦之儀(ヲ)1、而我成(テ)2天仙(ト)1、生2蓬莱宮中(ニ)1。子《ナンチハ》作2地仙1、遊2澄《スミノ》江波(ノ)上(ニ)1。乃至得2玉匣(ヲ)1。了約|成《ナリ》分v手(ヲ)翁《(マヽ)》去(ル)。島子乘v舟眠(テ)v目歸(リ)去(テ)、忽至2故郷澄(ノ)江(ノ)浦(ニ)1云々。ソノ歌ノコトハニ、又スミノエトヨメリ。シカレハ水江浦島トカケル、スミノエノウラシマトヨムヘシトミエタリ。シカルヲ、ミツノエノウラシマノコトイヘルハ、オソラクハコレアヤマリナリ。丹後國風土記歌ニ美頭能睿能宇良志麻能古我多麻久志義《ミツノヱノウラシマノコカタマクシケ》トカケリ。コレラニヨリテ人オホクミツノエトイヒケルナルヘシ。シカレトモ、イマノ歌ニ、墨吉トカク。スミヨシト點セルハ、吉ノ字ヲコソヨミカナヘサレトモ、墨ノ字ハ、サタメテスミナルヘシ。イカヽ、ミツト(215)イフヘキ。浦島子傳ニハ、澄《スミ》江浦トカケリ。スミノエトイフヘキコトウタカヒナシ、イハンヤ歌ニ、ステニスミノエトカケリ。モトモソノコトハリアヒカナヘルナリ。
(以下十二行、別紙ニカキテ挿入セルモノニ係ル。長文ニツキ假ニコヽニ收ム)
反歌
1741 トコヨヘニスムヘキ物ヲツルキタチワカコヽロカラ|オソヤ《キタナキト云詞也》コノキミ
浦島ノ子ト云者、昔雄畧天皇御宇ニ、墨吉ノ水ノ江ニ釣ヲシテ、七日マテ家ヘモカヘラサリケルホトニ、海神ノ娘ニアイテ、トコヨノ國ワタツミノ神ノ都ヘ至リテ、タノシミヲキハメ不老不死ナカキ世ヲワタリケルホトニ、男故郷ヘ歸テ、父母ヲ見テアスノコトカヘラント云ケレハ、神女カヘラントナラハ、此箱ヲアクナトテ、玉手箱ヲトラス。此男故郷ヘ歸テミルニ、アリシモアラス、タレニ事問ヘシトモナクテ此箱ヲ少シアクルニ白雲出テ常世ヘ棚引ヌ。タチハシリテ泣トモカイモナクテ、忽ニ白毛ト成テ、年モヨリテ、命サヘツキニケリ。彼浦島ノ子ハ、蓬莱ニサテアラテ、心カラト云ル也。タチツルキハ、下ノ句ニツキテイヘル詞也。ワカトイハントテ、タチツルキト云ル也。アサモヨヒトイヘハ、キトイハンタメ也。此類ナルヘシ。タチツルキト云テハ、カナラス、ワトツヽクル也。萬葉ノ歌ノナラヒカヽルタクヒ也云々。オソヤトハ、キタナヤト云詞也。(以上)
(216)見河内大橋獨去娘子歌詞中
(級照トハ、日影ノカタフキタル體也。日峽ト書。)
1742 橿實之獨歟將宿《カシノミノヒトリカヌラム》。カシノミハ、ヒトツツヽアレハ、ヨソヘヨメルナルヘシ。栗ナトハ、ヒトツスノウチニ、フタツモミツモアルモノナリ。シカルニ、コレハヒトツアレハ、ヨソフル也。
1745 三栗|之《・乃ィ》中尓向有曝井之不絶將通彼所尓妻毛我《ミツクリノナカニムカヘルサラシヰノタエスカヨハムソコニツマモカ》
此歌發句、古點ニハ、ミクルスノト點セリ。ソノ心イタクカハラサルヘケレトモ、ミクルスノトイフ、スノ字ヨミツケカタシ。ミツクリノナカトツヽクルコトハ、ツネノコトナルウヘニ、ソノ心アヒカナヘリ。ナカニトイハンタメニ、ミツクリノトヲケリ。ミツクリノナカナルクリハ、イツカタヘモカタフカスシテ、ハタラカテヰタレハ、ナカニムカヘルサラシヰノトツヽケタリリ。ハタラカスシテヰタレハ、タエスカヨハン、ソコニツマカトヨソフル也。
サラシ井、五代集歌枕ニハ、紀伊國トイヘリ。
1746 タツナノハマ、紀伊國。
檢税使《ケンゼイシ》大伴卿登(ルノ)2筑波山(ニ)1時歌詞中
1753 衣手常陸國《コロモテノヒタチノクニノ》二並《フタナラヒタル・フタナミノ》筑波乃山乎《ツクハノヤマヲ》云々。常陸國ト云事、風土記云、従來(ノ)道路、不v隔2江海(ノ)之(217)津濟(ヲ)1。郡郷境堺相(ヒ)2經《フル》山川(ノ)之峯谷(ヲ)1、庄《依歟》近(ク)通(ノ)之義、以(テ)即(チ)名《ナツケテ》稱(ス)焉。コレハ國中道路、不v隔2江海(ヲ)1、クカノミチアヒツヽケルユヱニ、ヒタチトナツクトミエタリ。又衣手ノヒタチトツヽクルコトハ、倭武天皇巡2狩東夷(ノ)之國(ヲ)1、幸(ニ)過2新治《ニイハリ》之縣(ヲ)1、所v遣(ス)國造毘那良珠命《クニノツクリヒナラタマノミコト》、新《アタラシク》令v堀v井(ヲ)。流泉淨澄《ナカルヽイツミキヨシ》。尤(モ)有2好愛1。時(ニ)停《トヽメ》2乗輿《ミコシヲ》1、翫(テ)v水(ヲ)洗(フ)v手(ヲ)。御衣(ノ)之袖、垂《タレテ》v泉(ニ)而|沾《ウルホフ》、依2漬《ヒタスノ》v袖(ヲ)之義(ニ)1、以(テ)爲2此(ノ)國(ノ)之名(ト)1。風俗諺云、筑波岳墨雲掛衣袖漬國《ツクハヤマクロクモカヽリコロモテノヒタシクニ》是矣トイヘリ。コレハコロモテノヒタシノクニトイヒケルヲ、ヒタチトイヒナセリトキコエタリ。シト、チト、同韻ノユヱ也。ハシメノ説ノコトクハ、モトヨリヒタチトイヒケリトキコヘタリ。コレラノ由縁ノウヘ、イマ又此ノ歌ノコトハノツヽキノ心ヲハカリミルニ、衣ノソテハ、衣文ヲヒキツクロヒタヲサ|ヌ《スィ》モノナレハ、コロモテノヒタチトツヽケタリ。ヒタチトハ、ヒハヨシトイフ詞ナレハ、ヨクタツトイフコトハニカヨヘリ。フタナミノトハ、衣ノソテハ左右ニフタツアレハ、フタナミノツクハノヤマトツヽケタリ。筑波山又最頂兩ニ分タリ。コレヲ雄《ヲノ》神|女《メノ》神ト申也。熱尓汗可伎奈氣木根取嘯鳴登《アツケキニアセカキナケキネトリウソフキノホリ》トハ、カノ峯上ヲミムトヲ、ノホレハアツケクシテ、アセカキテウソフカルレハ、ネトリスルウソフキノホトリトイフ。
男神毛許賜《ヲノカミモユルシタマヘリ》、女神毛千羽日給而《メノカミモチハヒタマヒテ》、時登無雲居雨零《トキトナククモヰアメフリ》、筑波嶺乎清照《ツクハネヲキヨメテラシテ》云々。コレハカノツクハ山ノ、男ノ神女ノ神、東國ノ男女、カノヤマニノホリテ、?歌《カヽヒ》ノ會ヲナスコトヲ、ユ(218)ルシタマヘリ。コノユヘニ自v坂東(ノ)諸國(ノ)男女、春(ノ)花(ノ)開(ク)時、秋(ノ)葉黄《モミチノ》節、相(ヒ)2携(テ)飯食(ヲ)1、齊?《トヽノヘモチテ》騎歩(ヲ)1、登(リ)臨(テ)遊樂栖迸。又俗(ノ)諺(ニ)云、筑波(ノ)峯之會、不v得v娉《タハクルコトヲ》財者、兒女不爲矣、取意。登(テ)2筑波嶺(ニ)1爲《スルノ》?歌會(ヲ)1日作歌詞中
(加我※[田+比]トハ、男ニ棄フレタル女ラ云也。然ハ、吾妻ノ他人ト嫁スルヲモトカメスニユルス也。吾モ又、他人ノ妻ニ嫁スルト也。)
1759 ?歌尓《カヽヒニ》【俗云、宇大我岐《ウキカキ》加我※[田+比]《カヽヒ》也。】目串毛勿見《メクシモミルナ》トハ、メニアヤシクモ、ミルナト云也。
詠鳴鹿歌
1761 三諸之神邊山尓《ミツモロノカミヘノヤマニ》、此句古點ニハ、ミムロナルカミノヘヤマニト點ス、ミムロノカミノヘヤマ、イマタキヽヲヨハス。オホツカナシ。ヨリテ和換云、ミムロノカミナヒヤマトイフヘシ。ミムヒノカミナヒヤマトイフハ、ツネノコト也。神邊トカケルヲ、カミナヒト和スヘキコトハ、部ノ字、ヘトヨメトモ、トコロニシタカヒテ、ヒトモヨメリ。備ノ字、ヒナレトモ、トコロニシタカヒテ、ヘトヨム。ヒトヘト、カヨフコト、ツネノナラヒ也。コレ同内相通也。尋云、ヒト、ヘト、カヨフコトハ不審ナシ。神邊ハ、カミノヘ也。カミヘヲカミヒトハイフトモ、文字ニミエサルコトヲ、ヨミクシテ、カミナヒトナセルヲハ、イカヽコヽロウヘキヤ。答云、コノコトマコトニタツネラレタルニニタリ。シカレトモ、是案ノウチ也。傍例ニヨリテヨム也。タトヘハ、海上トカケル、ウノカミトイフヘシ。ウトハ海ノ義也。シカレトモ、ウナカミトイフ。水上ミノカミトイフヘシ。シカ(219)レトモミナカミトイフ。田上山、タノカミヤマナトイヒツヘシ。シカレトモ、タナカミヤマトヨム。コレラミナノヲナトヨフ。同内ノ男聲ヲヨフ也。吏ニ不可有不審。
1766 (吾妹兒者久志呂尓有奈武左手乃。顯昭云、※[金+爪]《タマキ》ノ字ヲヨメリ。内典ニハ、在指上、名録、ユビマキ、在臂上、※[金+爪]、ヒヂマキト云リ。然ハ、手ノクヒニアランヲハ、タマキト云ヘシ。※[金+爪]ヲ、ハカチキトヨメリ。)
1770 ミモロノヤカミノオハセルハツセカハミヲノタエスハワレワスレメヤ
カミノオハセルトハ、帶セルトイフコト也。ヲヒニセルナトヨメルモ、オナシコトナルヘシ。
タユラキノヤマ、播磨。ナホリヤマ、對馬。
鹿島郡苅野橋別大伴卿歌詞中
1780 牝牛乃三宅之酒尓指向鹿島之埼尓《コトヒノウシノミヤケノサケニサシムカヒカシマノサキニ》云々。コトヒウシノミヤケノサケニサシムカフトハ、牛ハキハメテサケノカスヲコノミテクラフ也。サテアマリニクラヒヌレハ、ミノ發動シ、エヒテクルシサニ、タケリホユレハ、カシマシキ也。サレハミヤケノサケニサシムカフ、カシマノサキニト諷ツヽクル也。
夕鹽之滿乃登等美尓三船子呼阿騰母比立而《ユフシホノミチノトトミニミフネコヲアトモヒタチテ》。ユウシホノミチノトヽミニトハ、ユウシホノミチテ、タフトク也。シホノヨクミチタルトキ舟出ハスルカヨキ也。アトモヒタチテトハ、イマハトオモヒタチテトイフ也。
1783 松反四臂而有八羽三栗中上不來麿等言八子《マツカヘリシヒニテアレヤハミツクリノナカニヰテコスマロライハヽコ》
(220)マツカヘリシヒニヲアレヤハトハ、人ノアルキタルヲ、マツニ、ヲソククルヲ、シヒニテアレヤハトヨメリ。イソキカヘラントモセテ、心緩怠スルヲ、シヒタルトイフ也。ミツクリナムトノヤウニ、ナカニヰテ、コストモマロライハヽコトヨメル也。マロトイフコトハモ、男女ニカヨヘトモ、コレハ妻ノ和歌ナレハ、女ノマロトイヘル也。
1786 三越道之雪零山乎將越日者留有吾乎懸而小竹葉背《ミコシチノユキフルヤマヲコヘムヒハトマレルワレヲカケテシノハセ》
ミコシチトハ、北國ヲイフ。越前越中越後アレハ、ミコシチト云也。
思娘子作歌詞中
1792 玉釧手尓取持而眞十鏡直|尓目《(目尓ィ)》不視者下檜山下逝水乃上丹不出吾念情安産歟毛《タマタマキテニトリモチテマソカヽミヒタメニミスハシタヒヤマシタユクミツノウヘニイテスワカオモフコヽロヤスキソラカモ》
玉釧、古點ニハ、タマタスキト點ス。其訓アヒカナヒテモオホエス。ヨリテ和換云、タマタマキト和スヘシ。サキニステニタマタスキカケヌトキナク、クチヤマスワカコフルコヲトイヘル、サノミオナシコトハヲヨムヘキニアラス。古歌ニハ、オナシコトヲ、アマタタヒヨメルモハヘレトモ、コレハタマ/\キトヨマレタリ。第十五卷ノ長歌ノナカニ、和多都美能多麻伎能多麻乎伊敞都刀尓伊毛尓也良牟等比呂比登里《ワタツミノタマキノタマヲイヘツトニイモニヤラムトヒロヒトリ》ナトヨメリ。ステニタマキノタマトヨメル歌アレハ、タマタマキトヨムヘキ也。シタヒヤマ、攝津國能勢郡ニアリ。下逝水乃上丹不出《シタユクミツノウヘニイテス》。此句古點ニハ、シタユクミツノノホリフネト點ス。ソノ心カナハス。(221)シタヒヤマトイフハ、水ヲ要所ニカケムトテ、樋ヲ山ノシタニウツムルニヨリテ、ツケタル名也。ソノシタユク水《ミツ》ニ、イカテカノホリフネアラム。又上丹不出トカケリ。丹ノ字、フネト訓スヘカラス、此歌又思娘子歌ニテ、忍戀ノ心トミエタレハ、モトモシタユクミツノウヘニイヲス、ワカオモフ心ヤスキソラカモトヨムヘキ也。
1802 古乃小竹田丁子乃妻問石菟會處女乃奧城釼此《イニシヘノサヽタオトコノツマトヒシウナヒヲトメノオキツキソコレ》
サヽタヲノコトハ、サヽトハ、イサヽケキトイフコトハナリ。イサヽケキトハ、カロクトキ|ヲノコ《男》ト云也。ツハモノハ、カロクトキヲヨキニスル也。サヽタヲノコトイヘル、タノ字ハ、コトハノ助也。菟會ハ、トコロノ名也。オキツキハ墓也。
哀|弟《ヲトヽノ》死去作歌詞中
1804 遠國黄泉乃界尓《トホツクニヨミノサカイニ》。ヨミノサカヒトハ、冥途也。悉曇(ノ)抄ニハ、ヨミノクニトハ、エムマノクニト云也。エト、ヨト、同内ノユエト尺セリ。マコトニサモイハレタリ。タヽシコレハ、ヨミトイフハ、ヤミトイフ也。冥途トモ黒闇處トモイフヲ、和語ニヨミトイフハ、スナハチ、ヤミナリ。同内ノ男聲ヲヨフトキ、ヤミトイフヘキ、コトハリヲコメタル也。
見菟原處女墓歌詞中
1809 燒大刀乃手穎押祢利《ヤキタチノタカヒオシネリ》。タカヒトハ、タチノ柄ヲイフ也。完串呂黄泉尓將待跡《シヽクシロヨミチニマタント》。ヨミトイ(222)ヘル、ヨノ字、ヨシトイフコトハニカヨヘレハ、諷詞ニシヽクシロトヲケリ。鹿(ヲ)食《クラヘ》ハ、氣味スクレタリトイヘハ、肉《シヽ》奇《アヤシク》ヨシト、ヨソヘツヽクル也。知己男尓負而者不有跡《モコロヲニマケテハアラシ》トハ、ワカコトクナル、オナシホトノヲトコニハマケシトイヘル也。モコトモ、コトトモ、イフハ、トモニ同韻相通也。
第十卷
1817 アサツマヤマ、近江國。
フユコモリハルサリクラシアシヒキノ山ニモノニモウクヒスナクモ
ハルサリクラシトハ、春ニナリクラシトイフ也。フユコモリトハ、ウクヒスノフユハコモリヰテ、ミニサリシカトモ、ハルニナリヌラシ、山ニモノニモナクトヨメル也。
1825 ヨコノ《・横野》、上野國。
(霧ハ常ニハ秋也。然トモ春夏可詠之無難云々。出題ニハ秋也。)
1831 アサキリニシノヽニヌレテヨフコトリミフネノ山ヲナキワタルミユ
シノヽニヌレテトハ、シトヽニヌレテナトイフ詞也。シノヽトハ、シケクヌレタル也。シノ/\トイヘル也。シホ/\ナトイフモ同シカルヘシ。
(蜻火トハ陽?也。或野馬、或遊絲ナト云リ。又虫ニ此名アリ。ソレハ各別ノコト也。)
(アキツヲハ東詞ニハエハト云也。)
1835 イマサラニユキフラメヤモカケロフノモユルハルヒトナリニシモノヲ
(223)カケロフトハ、春ニナリヌレハ、ヒノウラヽカニナリタルニ、ホノホ《炎》ノモユルヤウニミユル也。イトユフナトイフモオナシコト也。虫ノナカニ、蜻ノエハノ、チヒサキヤウナルヲ、カケロフトイフコトアレトモ、ソレハヘチノモノ也。ソレハオホロケニモミエス、フカキヤマノコモリヌナトニソハヘルナル。今ノ歌ニモ蜻火《カケロフ》之トカキタレトモ、コレハコトハノオナシケレハ、假字ニカキタル也。
(惠具トハ、芹ノ異名ナリ。又云、如萎ト書テ、エコトヨメリ。同事。花スハウニサキテ水邊ニアル草也。人ノ食スル草也ト云リ。異説也。)
1839 キミカタメヤマタノサハニエクツムトユキケノ水ニモノスソヌラス
エクトハ、芹ヲイフ。ユキケノミツトハ、ユキノキエタル水也。セリツムヲハ、コヽロサシフカキコトニイヒナラハシタレハカクヨメルニヤ。
(ウグヒスノコツタフウメノウツロヘハサクラノ花ノトキカタマケヌ。片設トハ、マウケタル體ト云々。歌ノ心ハ、梅花ノサキタルホトニ、櫻ノ比ハ、カタマケリト云也。又云待心ト云々。又云、歌ノ心ハ、アナタニトラレテ少心也。)
(ウツタヘ、打タヘ、打ツケ、打ハヘ、ヒタスラ、同心也。ヤカテ也。)
1858 ウツタヘニトリハハマネトシメハヘテモラマクホシキウメノハナカモ
ウツタヘトハ、ヒトヘニト云心也。
1860 ハナサキテミハナラネトキナカキケニオモホユルカモヤマフキノハナ
ケトイフコトハニ、アマタノ心アリ。アルヒハ、オモヒ、アルヒハ、シルシ、アルヒハ、ナコリ也。イマノ歌ハ、ナコリノ心ニアタリタルニヤ。ハナサキテミハナラネトモ、ヤマフキノハナノウツクシケレハ、ワスレカタク、ナコリアリテオホユルトヨメル也。
1861 ノトカハ、大和國ミカサ山ノ邊也。
(224)(青山、太和。)
1867 阿保山之佐宿木花者今日毛鴨散亂見人無二《アホヤマノサネキノハナハケフモカモチリマカフランミルヒトナシニ》
アホヤマ、不v知2在所1可v尋v之。サネキノハナ、未(タ)2尋得1v之。同可v尋v之。爲《タメ》2尋勘1之所2注載1也。
1868 川津鳴吉野河之瀧上乃《カハツナクヨシノヽカハノタキノウヘノ》馬醉《アセミ・ツヽシ》之花曾置末勿勤《ノハナソオクニマモナキ》
ツヽシノハナソヲクニマモナキトハ、ツヽシノハナヲメツル心ニテ、ウチヲキカタシナトイヘルニヤ。
1875 春去者紀之許能暮之夕月夜鬱束無裳山蔭尓指天《ハルサレハキノコノクレノユフツクヨオホツカナシモヤマカケニシテ》。一云、春去者木隱多暮月夜《ハルサレハコカクレオホキユフツクヨ》
此歌古點ニハ、ハルサレハコカクレオホキユフツクヨオホツカナシモヤマカケニシテト點セリ。木隱多ハ、注ノ異説也。紀之許能暮之トカケリ。麁《ソ》ノ行《クタリ》ニ、注ノ異説ヲ、ツクヘカラス。麁《ソ》ヲコカクレオホキトヨムヘクハ、ナニヽカハ一云春去者木隱多暮月夜ト注スヘキヤ。又或本ニハ、此歌第二ノ句、シルシハカリノト點ス。コノ點ニハ、又暮之ノ二字ヲ和セス。今案スルニ、キノコノクレノト和スヘキ也。難云、キノコノクレトイハハ、木トイヒ、コトイフ、オナシキ也。イカヽカク詠スヘキヤ。答、有2作例1。非v難(ニ)。スナハチコノマキノ夏(ノ)難(ノ)歌(ノ)中ニ、コタカクハカツテキウエシホトヽキスキナキトヨミテコヒマサラシムトイヘリ。第十四卷、相摸國歌云、タキヽコルカマクラノ山ノコタルキヲ(225)マツトナカイハハコヒツヽヤアラントイヘリ。キノコノクレトイヘル、難ニアラサルヘシ。
譬喩歌一首
1889 ワカヤトノケモヽノシタニ月ヨサシシタコヽロヨシウタテコノコロ
モヽハ、花ノミアマタサキテ、ミナルコト、トモシキモノニセリ。シカルヲ、ケモヽトイヘルハ、ミニナレルナヲアラハス也。コレヲタマサカニオモフコトトケテ、ミナレルニタトフ。ツキヨサシトハ、ミナリテノチヨル/\カケヲサセハ、ハルノヨノヤミモハレテ、コヽチヨキニタトフ。サレハ、下句ニ、シタコヽロヨシ、ウタテコノコロトヨメル也。ウタテトハ、ウタヽトイフオナシ。タト、テト、同内ノユエ也。ウタヽトハ、カサナルトイフ詞也。
(伯勞鳥草具吉《モズノクサクキ》ト云フコトハ、モズト云鳥ハ、郭公ノ沓ヌイニテアリケル歟。沓手ヲトリテカヘサヽリシニ仍テ、時鳥沓手ヲ乞ケレハ、今四五月ノホトニタテマツラントテ、スカシテカクレニケリ。其カハリニ伯勞ノハヤニヱトテ、萬ノ草ノ莖ニ、イキタル虫、又ハ蛙ナトヲ取テサシ、時鳥ノタメニマツルト也。ソノカクレタル、伯勞ヲヨヒアリクニヨリテ、時鳥ノ名ヲヱタルナリ。此ヨヒアリク時鳥ハ、本ノモズ也。カクレアリクモズハ、本ノ時鳥也云々。此ハヤニヱヲ、モズノ草クキト云也。
1897 ハルサレハモスノクサクキミエストモワレハミヤラムキミカアタリハ
モスノクサクキトイフコト、先達ノシルシヲキタルハ、イツレノ人モオナシヤウニ申テハヘルメリ。ムカシオトコ、ハルカナル野ノナカヲユキケルニ、女ニユキアヒニケリ。トカクイヒヨリテカタラフホトニ、シタシクナリニケリ。サテオトコノチニモ、タツネムトチキリテ、イツクノサトニスミタマフソト、トヒケレハ、女モスノヰタリケルクサ(226)ノクキヲ、サシテ、ワカスミ申ハアノモズノクサノクキニアタリタルサトニナムアルトカタリケリ。カノオトコ、タツネユカントハオモヒナカラ、オホヤケニツカフマツリテ、ワタクシヲカヘリミルホト、ミノヒマナクテ、ムナシクスキケルニ、ツキノトシノハル、又ヲノツカラカノ野ヲスキケルニ、オモヒイテヽ、カレカヲシヘシサトヲミムトシケレトモ、ハルノソラカスミワタリテ、イツクヲタツヌヘシトモオホヘサリケリ。ソノ心ヲヨメルトナン申セリ。先達ノ尺也。アフキテ信スヘシトイヘトモ、イマ歌ノ心ヲミルニ、クキトイフハ、クグルト云コトハ也。ウクヒスノ歌ニモ、コノマタチクキナカヌヒハナシナトイヘルカコトシ。シカルニ、モズハ秋冬ナトハ、キクサクスヱニヰテナケトモ、ハルニナリヌレハ、クサノシタニクダリアリキテミニネハ、ソレニヨソヘテ、ハルニナリヌレハ、モスノクキノシタニクグリテミエヌカコトク、君カヲシヘシスミカモ、カスミニカクレテ、ミエストモ、ワレハミヤラント、ヨメルトキコエタリ。
1905 姫部思咲野尓生白管自不知事以所言之吾背《ヲミナヘシサクノニオフルシラツヽシシラヌコトモテイハレシワカセ》
サクノハ、所ノ名トキコエタリ。在所可勘之。サクノ、此集ノナカニアマタミエ侍リ。ヲミナヘシサクノニオフルシラツヽシト、ツヽキタルコト、コヽロエカタキヤウニハヘルニヤ。ツヽシハ春ノ花也。ヲミナヘシハ秋サク花ナレハ、イヒツヽクヘキニモアラサ(227)レトモ、コレハ、サクノトイハンタメノ諷詞ニ、ヲミナヘシトヲケリ。ワカミノシナニモシタカハス、サイハフモノハ女也。シカレハ、ヲミナヘシサクノトツヽクルナリ。サクトハ、サカユルヲイフユエ也。シラヌコトモテト、イヒイテン、コトハノタヨリニ、シラツヽシトイヘルナリ。
(司馬野、太和。)
(國栖等トハ、帝ニ贄奉ル物也。吉野川ノ奥ニ、國栖人ト云夷ノ、オホヤケニモシラレ奉ラテ、カクレテ有ケルヲ、應神天皇、又、清見原天皇ナトノヲハシマシタリルニ、見付ラレマヒラセテ、鮎ヤ若菜ナトヲ、進セタリケルニ、ソレヲメシタリケルヲ見テ、悦テ、口ヲタヽキテ、笛ヲ吹タリケル也。サレハ若菜摘ト云ル也。今モ、節會ナトニハ、其儀式アリト云々。抑神武天皇ノ御時、岩ヲタタキテ參タル者アリ。尾長ク引タリ。名ハ石排別子ト申也。是國栖ノ初祖也。此者ハ、蛙ナトヲ食ケル。若シ、大蛇ナトノ子孫カト云々。)
1919 國栖等之春菜將採司馬乃野之數君麻思比日《クニスラカワカナツムラムシハノノノシハ/\キミヲオモフコノコロ》
此歌中五文字、古點ニハ、シメノノト點セリ。シメノノトイヒテハ、ソノコトハノイハレモアラハレサルニヤ。或本點云、シハノノヽシハ/\キミヲオモフコノコロト點セリ。コトノハノタヨリアリテキコユル也。
(布留、太和。)
1927 石上振乃神杉神《イソノカミフルノカミスキカミ》備而《サヒテ・ヒテモ》吾八更々戀尓相尓家留《ワレハサラ/\コヒニアヒニケル》
イソノカミフルノカミスキトイフコトハ、ムカシイソノカミノ振川トイフカハニテ、女ノヌノヲアラヒケルニ、ミナカミヨリナカキ木ノナカレテクタリケルヲミレハ、ホコナリケリ。ソノホコノ、コノ女ノアラヒケルヌノニカヽリテ、トヽマリケリ。サテソノカハヲ布留川トハ、ヌノニトヽマルカハト、ノチニアラタメカキケル也。カノホコヲハ、カハノホトリニタテヽヲキタリケレハ、?穢不淨ノモノヽ、ソノアタリヲユキスクルヲ、罰シタマヒケレハ、ソノサトノ人シカネテ、コレハホコノシワサナリ。カクタテヲキタ(228)レハコソ、人ヲモ罰シタマヘトテ、アナヲホリテウツミテケリ。ソノホコヲウツミタルトコロヨリ、オヒイテタルスキヲ、フルノカミスキト申也。カノ神スキ、ヨヽノフルコトナレハ、カミヒテモトイフ。カミヒテトハ、カミサヒテト云、オナシコト也。歌ノ心ハ、トシヨリテ、戀スル心ナルヘシ。
1928 狹野方波實尓雖不成花耳開而見社戀之名草尓《サノカタハミニナラストモハナニノミサキテミエコソコヒノナクサニ》
サノカタハ、藤ノ一名也。ハナハオホクサケトモ、ミニナルコトノカタケレハ、サノカタトイフ。ネト、ノト同内相通也。オホカタ藤ハカリニアラス。ハナハオホクサケトモ、ミナルコトノスクナキ物ヲハ、サノカタトイフヘシ。萩ニモヨメル也。今ノ歌ノ心ハ、フチハミニナラストモ、ハナニノミサキテミエヨ、コヒノナクサメニトヨメル也。サテツキノ歌ハ、カヘシ歌ナレハ、サノカタハ、ミニナリニシヲ、イマサラニ、ハルサメフリテハナナカメヤモトヨメル也。心ハミニナリニシヲトハ、サキニアヒタルニタトフ。イマサラニハルサメフリテハナサカメヤモトハ、サキニアヒタリシニイママタナミタニシホレナカメシテ、コトアタラシクアヒミエムヤハトイフ心也。
(引津、筑前國。)
1930 梓弓引津邊有莫告藻《アツサユミヒキツノヘナルナノリソ》之《カ・ノ、モ古點》花咲及二不會君毳《ハナサクマテニアハヌキミカモ》
今ノ歌、此集ノ古點ニハ、アツサユミヒキツヘニアルナノリソノハナサクマテニアハヌ(229)キミカモト點セリ。濱成卿歌式ニ、雅體有十中六ニ、頭古腰新《トウコヨウシン》ノスカタヲ尺スルトコロニ、此歌ヲヒイテ云、阿豆佐由美《アツサユミ》一句、比岐都能倍那留《ヒキツノヘナル》二句、那能利蘇母《ナノリソモ》三句、婆掛婆佐倶麻弖《ハナハサクマテ》四句、伊母尓阿婆怒可母《イモニアハヌカモ》五句。奉制(ニ)曰、莫乘毛花葉聞于《ナノリソモハナハサクトモ》等(ノ)、兩(ノ)辭於v事不v穩。又二韻同音也。可v謂|阿豆佐由美《アツサユミ》一句、比岐都能倍那留《ヒキツノヘナル》二句、那能利蘇我《ナノリソカ》三句、婆那能佐倶麻弖《ハナノサクマテ》四句、伊母尓阿婆怒何《イモニアハヌカ》五句。今謹(テ)檢《カンカフルニ》可v謂之、阿豆佐由美比岐都能倍那留那能利蘇我波那佐久麻弖尓阿波奴伎美可母《アツサユミヒキツノヘナルナノリソカハナサクマテニアハヌキミカモ》已上。是則上(ノ)句者、任2奉制(ノ)式(ノ)文(ニ)1、下(ノ)句(ハ)者、依2當集(ノ)書樣1也。諸(ノ)有智者、可v垂2賢察(ヲ)1。イフ心ハ、アツサユミヒキツノヘナルナノリソカトイヘルハ、ソノコトハタクミニシテ、又古語ニヨレリ。下句ハ此集ノ書樣、花咲及二不會君毳ト、コレヲカク。ハナノサクマテイモニハアハヌカトヨメハ、ソノ訓コマヤカニアヒカナハス。又御制ノコトキハ、二韻同音ヲサラシメンカタメ也。シカルヲ中五字ヲ、ナノリソカトヨミツレハ、ステニ同音ヲサラシメタリ。又此集ノナラヒ、キミトハ男ヲコヽロサシテヨメリトミエタリ。水ヲクムコトハ、男女ニワタレトモ、オホクハ女ノシワサナリ。アハヌキミカモトヨソヘムコト、カタ/\ソノタヨリナルヘシ。サテ歌ノ心ヲイハヽ、引津トハ井ノ名也。津トハ、水也。ツルヘヲモチテ、ヒキアクル水ナレハ、ヒキツトイフ。ナノリソトハ、神馬草也。此歌ヲモヘル心コトニフカヽルヘシ。ナノリソハ、海藻也。ソ(230)レカオノツカラ、井ノ邊ニアルカ、ツルヘノシツクナトニアタリテ、花ノサクコトハ、ヨニヒナシキコトナリ。サレハコレヲタトヘニカレルコトハ、久戀ニタトフ。又ナノリソトハ、シノフ心也。ハナサクマテニトハ、シノフ心ノイロニイテヽ、アマネクヒトニミヱ、トハズカタリスルニタトフ。又井トイフハアツマルトイフコトハ也。人シレス心ノウチニコメテ、ヒサシクシノフコトヲ、イロニイテヽオホクノ人ニミエシラレヌルニタトフ。此言深秘々々。ウトキ人ニハミスヘカラス。努力々々。
1967 香細花橘乎玉貫將送妹者三礼而毛有香《カクハジキハナタチハナヲタマニヌキオクラムイモハミツレテモアルカ》
此歌發句、古點ニハ、カノホソキト點ス。ソノ心アヒカナハス。コレハカクハシキトイフコトハ也。クハシキトハ、ホムル詞也。ミツレトハ、オサナ/\シトイフコトハ也。
譬喩歌一首
1978 タチハナノハナチルサトニカヨヒナハ山ホトヽキストヨマセンカモ
タチハナノハナチルサトヽハ、ムカシヲシノフカタミモフリユクヤトニタトフ。ヤマホトヽキストヨマセンカモトハ、ミシカヨヲモアカシカネタルツマコヒシテ、ヨルヒルワカスナキワタルニタトフル也。
1979 (春之在者酢輕成野之。スカルナルノトハ、草ノスノカレテ、カロクナル野也。草ノストハ莖《クキ》也。スクロノススキナト云モ、ススキノヤケテ、スノクロキヲ云ト云云。又云、スカルハ、鹿ノ別名也。和歌綺語ニハ、蜂ヲ云トアリ。春ト云、時鳥ト云テハ、鹿ノ心ニ不叶歟。)
2003 吾等戀《ワカコフル》丹穂面《ニホヘルイモハ・ニノホノオモハ》今夕母可天漢原石枕卷《コヨヒモカアマノカハラニイソマクラマク》
(231)此歌第二ノ句、古點ニハ、ニホヘルイモハト點ス。其和アタラス。ニノホノオモハト、イヘル也、有抄云。イソマクラマクトハ、イシノマクラヲ、マクトイフ也。 コヽニイシトヨメルハ、マコトノイシニハアラス、タマ也。タナハタノアフヨハ、タマノマクラアリトミエタリ。本文也トイヘリ。
(水陰草トハ、苗ヲ云ト云リ。又云、水ノ陰ニ生ル草トモ云リ。)
2013 天漢水陰草金風靡見者時來之《アマノカハミツカケクサノアキカセニナヒクヲミレハトキハキヌラシ》
ミツカケクサトハ、稻ノ名也トイヘリ。水ニオフル草ナレハ、ミツカケクサトイフナルヘシ。サテミツカケトイヒイテムタメノ諷詞ニ、アマノカハトヲケリ。ソラノイロハミトリナルニ、アマノカハノシロキハ、シラナミノウカヒタルヤウニミユレハ、ミツノカケノウツリテミユルニヨソヘテ、アマノカハミツカケクサトツヽケタル也。此歌七夕歌、九十八首内也。ミツカケクサヲイヒテンタメノヨソヘコトハニ、アマノカハトヲケルハカリ也。タナハタノ歌ニトリカタシトモオモヒヌヘシ。シカレトモ、イナハノアキカセニナヒキソムルオリフシナレハ、タナハタヒコホシノアフヘキトキハキヌラシト、ヨミタラン歌、イカヾタナハタノウタニアラサルヘキ。ハツアキカセノフキクルトキ、タナハタノアフコヽロ、作例ミエタルヘシ。
2089 旗荒本葉裳具世丹秋風乃吹來夕丹《ハタアラシモトハモクセニアキカセノフキクルクレニ》云々
(232)ハタアラシトイヘルハ、ハツアラシナリ。タト、ツト、同内相通也。可尋之。ハタアラシトイヘル、ハツアラシナラハ、ノチニ又アキカセトヨメルコトオホツカナシ。又タト、ツト、同内ノコトハリハ、シカレトモ、ハツヲハタトイヘル、作例ナクハ、ミタリニモチヒカタカルヘシ。答云、ハツヲ、ハタトイハンコト、タトヒ作例ナシトイフトモ、悉曇ノ同韻、同内ノ相通ヲコヽロエントキ、イハレナカルヘキニアラス、イハンヤ、ハツヲ、ハタトイヘルコトハ、此集ノ内ニ作例アリ。第十九卷ニ、大伴宿称家持、贈水烏越前判官大伴宿称池主歌、反歌云、※[盧+鳥]河立取左牟安由能之我波多波吾等尓可伎無氣念之念婆《ウカハタチトリサムアユノシカハタハワレニカキムケオモヒシオモハハ》トイヘリ。之我波多波トイヘルハ、オノレカ、ハツホトイフコトハ也。ツキニ、ハツアラシナラハ、ノチニ又アキカセトヨメルコト、オホツカナシトイヘルハ、フルキ長歌ノナラヒ、オナシサマナルコトヲ、イサヽカイヒカヘテ、フタヽヒイヘルコトハ、ツネノナラヒ也。不審トスルニヲヨハス。此集第九卷、神龜五年戊辰秋八月歌ニハ、朝鳥之朝立爲管群鳥之群立行者《アサトリノアサタチシツヽムラトリノムラタチユケハ》トモヨメリ。又第十三卷歌ニハ、朝奈伎尓來依深海松暮奈藝尓來因俣海松《アサナキニキヨルフカミルユフナキニキヨルマタミル》ナトモヨメリ。コレノミナラス、カヽルタメシオホカルヘシ。嵐トヨミテ、又アキカセトヨメリトモ、アヤシトスヘカラス。秋風ノフキキタル時、タナハタヒコホシノ、ユキアフトヨメル歌ノタクヒヲカムカフルニ、此集第廿卷、七夕歌云、ハツアキ(233)カセスヽシキユフヘトカムトソヒモハムスヒシイモニアハンタメトイヘリ。シカレハ、イマノハタアラシトイヘル、アラソヒナク、ハツアラシニアタレル也。
璞月累而妹尓相《アラタマノツキヲカサネテワキモコニアフ》。ツネニハ、アラタマノトシトソハヘレトモ、アラタマトハ、アラタマルトイフ心ナレハ、オホクノ月ヲカサネテ、イモニアフチキリナレハ、アラタマノツキヲカサネテトイヘルコトハリ也。
2096 アタノオホノ、大和國。
2113 手寸十名相殖之名知久出見者屋前之早芽子咲尓家類香聞《タキソナヘウエシナシルクイテミレハヤトノハツハキサキニケルカモ》
此歌第二ノ句、古點ニハ、モスマナニ《(テモスマニィ)》ウニシモシルクト點セリ。イサヽカアヒカナハス。今和換云、タキソナヘウヘ|シナシルク《テモスナニィ》ナリ。テモスマニトイフ古語ハハヘルトモ、コノ發句、シカハエヨマレス。タキソナヘトハ、タキハ、アグル也。アケソナヘトイフコトハ也。クサキ《草木》ハウフルトキニ、フカクウエタルハ、アシキ也。ウエシナトイヘルハ、男也。サキニモ尺シハヘル也。
2117 ヲトメラニユキアヒノワセヲカルトキニナリニケラシモハキノハナサク
ユキアヒノワセトハ、稻ノ名也。ハヤキワセ也。アキハキノチリユクヲミヲイフカシミツマコヒスラシサヲシカナクモ
2124 (ミマクホリワカマチコヒシアキハキノヱタモシミヽニ花サキニケリ。シミヽトハ、シケキ也。雨モシミヽトモ云リ。)
(234)イフカシトハ、オホツカナシトイフ也。
(取石地、未勘。取古池ナラハ、江州、鳥籠池ノコト歟。)
2168 妹手乎《イモカテヲ》取石《トリコ・トロシ》池之《ノイケノ》浪間從鳥音異鳴《ナミマヨリトリノネキコユ・ナミマニトリネイナク》秋過良之《アキスキヌラシ》
此歌ヲ古點ニハ、イモカテヲトリコノイケノナミマヨリトリノネキコユ秋スキヌラント點セリ。是ハ漢字ヲ取古池トカケル本アリ。サテトリコノイケト點セル也。證本トモニ、取石トカケリ。コレニヨリテ、トリシト點セラレタリ。コノ取石トイフ詞、人姓ノ中ニモアリ。トロシトヨムト申侍也。トリシハ、キヽニクカラネハ、サヲモアルヘキニヤ。後賢沈思シテサタメラルヘキ歟。
2178 (矢野神山、未勘。但伊勢歟云々。)
2180 九月乃鐘禮乃雨丹沾通春日之山者色付丹來《ナカツキノシクレノアメニヌレトホリカスカノヤマハイロツキニケリ》
シクレハ、十月ニオホクハヨミハヘレトモ、此集ニハ、ナカツキニヨメル歌、長歌中ニモミエハヘリ。ナカツキニヨマムコトハ、ハヽカリアルヘカラサルニヤ。
(妹許《イモカリ》トハ、妹カモトヘト云詞也。)
2201 妹許跡馬鞍置而射駒山撃越來者紅葉散筒《イモカリトウマニクラヲキテイコマヤマウチコエクレハモミチチリツヽ》
イコマヤマ、大和國。此集ニ、モミチハ、黄葉トノミカケリ。此歌一首ハカリ、紅葉トカケル也。
2203 里異《サトコトニ・サトモケニ》霜者置良之高松野山司之色付見者《シモハオクラシタカマトノノヤマツカサノイロツクミレハ》
此歌第四句、諸本大旨、野山同《ノヤマヲナシク》之トカク。コレニヨリテ古點ニハ、サトコトニシモハ(235)ヲクラシタカマツノノヤマヲナシクイロツクミレハト點セリ。帥中納言伊房卿手跡兩本、并基長中納言本ニハ、野山司之トカケリ。其理尤相叶也。今和換云、サトモケニシモハヲクラシタカマトノノヤマツカサノイロツクミレハ。野山ツカサトハ、ノヤマツヽキ也。第四卷ノ、サホカハノキシノツカサノトイフ歌ノトコロニ尺スルカ如シ。
2206 ミナフチヤマ、大和國。
2211 妹之紐解登結而立田山今許曾黄葉始而有家礼《イモカヒホトクトムスヒテタツタヤマイマコソモミチハシメテアリケレ》
イモカヒモトハ、ハカマノコシナリ。ハカマノコシハタチテユヘハ、タツトイフモシヲトラントテ、トクトムスヒテ、タツタヤマトヨメル也。コノ歌、奥義抄ニハ、トクトムスフト、タツタ山トカキテ、尺ニモハカマノコシハ、ユフトテモタチ、トクトテモタテハ、トクトムスフトタツタヤマト、ツヽクルナリト尺セリ。此集ノカキヤウノコトクハ、トクトムスヒテトヨマレタリ。ヒモノトケタレハ、ムスフトテタツト、キコエタル也。
2219 アシヒキノヤマタツクルコヒテストモシメタニハヘヨモルトシルカネ
ヒテストモトハ、ヨカラストモトイフ也。ヨクモナクトモ、シメタニハヘヨ、マモルトシラントヨメル也。
(鹿火屋トハ、鹿火屋、飼屋、兩義アリ。鹿火屋ハ、守ル田ニ、鹿ヲヨセシトテ、クサキ物ヲ、火ヲ以テ燒義ナリ。父飼屋ニモ、兩義アリ。一説ニハ、蠶ヲ養、飼屋ニ蛙ノ來テ、蠶ヲ喰フコトヲ憚テ、蠶室ヲ別家ニ作ルヲ云ト云々。一説ニハ、江河ナトニ、魚ヲトラントテ、水上ニ屋ヲ作リ米ナトヲマキ、魚ヲ飼ヒ付ルヲ飼屋ト云ト云々。)
2265 朝霞鹿火屋之下尓鳴蝦聲谷聞者吾將戀八方《アサカスミカヒヤカシタニナクカハツコヱタニキカハワレコヒメヤモ》
(236)カヒヤノコトサマ/\ニ申シアヒハヘルメリ。シカレトモコレハ、イヲ《魚》トラントテ、江ノホトリノ河ノキシナトニ、ミツ《水》ニツクリカケタル|イホリ《奄》トイヘル、アヒカナヒ《相叶》テキコユ。ミツノシタニ|フシツケ《柴漬》ナトイフモノヲシテ、イヲヽ|カヒ《飼》ツケムタメニ、ヨネ《米》ナトヲ|マケ《蒔》ハ、エ《餌》ニツキテイヲアツマル也。サテ飼屋《カヒヤ》トイフ。カヒヤカシタニナクカハツトイヘルモ、カクテソコトハリニキコエハヘル。アサカスミカヒヤトツヽケタルトコロヲソ、イヒオホセタルヒトナカルヘキ。シカルニヨリテ、人ノ|カミ《髪》ノ|オチ《落》、ナニクレノ|クサ《臭》キニ火ヲツケテヤケハ、ソノクサキカヲイトヒテ、鹿ナトノヨリコヌ也。ソノヒノケフリノタナヒクヲ、アサカスミトヨメルナリナト、尺シタルコトモハヘルナリ。コレハソノ義ニモアラス。カヒトイフ、カナノコトハニ、アカキ日トイフ心コモリタレハ、コノカヒヲイヒイテンタメノ諷詞ニ、アサカスミトヲケル也。アサカスミニハ、日ノイロノアカクミユルユエ也。此體ハ、古歌ノ諷詞ノナラヒナリ。シカルヲ、カヤウニヤスキサマニハイハズシテ、ヨモヤマニカヽリテ、イヒワツラヒケル也。
(思草ノコト、如抄ナテシコ、又リンダウ、シヲン、其外サマ/\ニ云リ。然トモ、淺茅、正説也。八雲御抄ニハ、露草ヲ云ト云々。)
2270 道邊之乎花我下之思草今更尓何物可將念《ミチノヘノヲハナカモトノオモヒクサイマサラニナニモノカオモハム》
オモヒクサトハ、瞿麥《ナテシコ》ヲイフトイフ説アリ。又|茅《ツバナ》ヲイフトモイヘリ。茅ノ葉ハエタナトモナクテ、タヽヒトスチ/\オヒタルナリ。ナニコトモ物ヲマコトシク思フニハ、タヽ(237)ヒトコトニノミ心ヲカケテ、餘念ナキタメシナリ。サレハ大聖世尊、利益衆生ノタメニ、八相作佛ヲシメシタマヒテ、同居ノ成道ヲトナヘタマフトキニハ、吉祥草ヲ座トシテ、成2正覺(ヲ)1タマフ也。吉祥草トイフハ、茅草也。
2272 秋就者水草花乃阿要奴蟹思跡不知直尓不相在者《アキツケハミクサノハナノアエヌカニオモヘトシラスタヽニアハサレハ》
アキツケハトハ、アキニナリヌレハナトイフ心也。ツネニ人ノアキツケテナトイフコトハ也。ミクサトハ、第一二卷ニモ尺スルカ如シ。スヽキ也。オハナヲミクサノハナトヨメリ。アヘヌカニトハ、肯也。歌ノ心ハ、秋ハワキテモノヽカナシキトキナレハ、ハナスヽキノマネクカコトクニ、ワカオモヒモホニイテヽ、マネキヌヘクオモヘトモ、タヽチニアハネハ、シラシトヨメル也。
2274 展轉《ツテ/\ニ・フシマロヒ》戀者死友灼然色庭不出朝容貌之花《コヒハシヌトモイチシロクイロニハイテシアサカホノハナ》
此歌ノ發句、展傳トカケル本アマタアリ。コレニヨリテ、ツテ/\ニト點セリ。檢(ルニ)2傍例(ヲ)1、展轉トカクヘシ。コレハ、コイマロフトイフコトハ也。ウチカヘリマロフ也。モロ/\ノ花オホクハサキテ、二三日モ四五日モ、又ソレヨリヒサシクモアリテサカリスキヌレハ、カセニシタカヒテモチリ、コヽロトモチルナラヒナルニ、アサカホハサキテホトナク日カケニアタリテ、ウチカヘリマロフ也。サテサキイテタルトキハ、ウツクシク(238)ハナノイロフカクミユルカ、ナヘフシヌレハ、アカイロニカヘレハ、ワレハフシマロヒコヒシヌトモ、イチシロク、イロニハイテジトヨソヘヨメル也。
2277 イルノ、近江國。
(イサナミニイマモミテシカアキハキノシナヒニアラムイモカスカタヲ。イサナミトハ、イサヽメト同詞也。チト也。聊ノホトナト云心也。又カリソメトモ云リ。又卒尓ト云詞トモ云リ。又シナヒトハ、タハヤカナル也。)
2281 アサツユニサキスサヒタルツキクサノヒタクルホトニケヌヘクオモホユ
月クサトハ、露クサ也。ヨロツノハナハ、朝日カケニアタリテコソサクニ、コノハナハ、月カケニアタリテサケハ、月クサトイフトイヘリ。
(貌花トハ、サシテイツレノ花ト不限只ウツクシキ花也。花ノ貌ナトモヨメレハ、同心ナルヘシ。貌花ノコト定家モ不知云々。)
2288 イハヽシノマヽニオヒタルカホハナノハナニモアリケリアリツヽミレハ
カホハナトハ、カキツハタ也。カホトリノナクトキニサケハ、カホハナトイフ。
(シナヘウラフレトハ、物思ヒ、ウレイ、ナツミタル體也。)
2298 キミニコヒシナエウラフレワカヲレハ秋風フキテ月カタフキヌ
シナエトハ、ナヒク也。ウラフレハ、ウラムル也。
(アキツハノ衣トハウスキ衣ナルヘキ歟。衣ナラテモ、ウスキコトニハ、アキツハト云リ。)
2304 アキツハニヽホヘルコロモワレハキシキミニマタサハヨルモキヌカネ
秋津トハ、蜻蛉也。アキツトイフハ、アツマコトハニハ、エハトイフナリ。和語ノ心ニヨラハ、アキツトハ、アキハ、黄也。ツハ赤也。黄赤ノ色ナルムシトキコエタリ。エハトハ、赤也。赤羽トイヘ|ル《(ル也ィ)》。サレハアキツハニニホヘルコロモトイヘル、アケノコロモナルヘシ。
(239)譬喩歌一首
2309 ハフリラカイハフヤシロノモミチハモシメナハコエテチルテフモノヲ
ハフリラカイハフヤシロノモミチハ、モトハ神主ノイハヒキヨムル、カミノヤシロノシメノウチナルモミチナレトモ、カナシキアキニアヒテ、ツユシクレニソメラレ、イロニイテヌルノチニハ、心モアクカレテ、シメナハコエテチリユクカコトクニ、ワレモコヒノナミタノツユシクレニタヘスシテ、イロニイチヌレハ、人ノイサムルヲモシラス、オモフアタリヘイナント思フニタトフル也。
2311 シノスヽキホニハサキイテヌコヒヲワカスルカケロフノタヽヒトメノミミシヒトユエニ
シノスヽキトハ、ホニイテヌスヽキヲイフト、モノニモオホクカキタレトモ、イカナレハトイフコトキコエス。コレハヘチノヤウモナク、ヨニヤスキコト也。シノトハ、シノフヲイヘハ、イマタホニイテヌヲ、シノフ心ニテ、シノスヽキトイフナルヘシ。カケロフノタヽヒトメノミトイヘルモ、ヤウアリケニキコユルニヤ。コレモタヽカケロフトイフハ、サタカニミモサタメラレヌコトハナレハ、ヨクモミス、タヽヒトメミシヒトユヘニ、コヒヲスルトヨメル也。
2317 コトフラハソテサヘヌレテトホルヘクフラムヲユキノソラニキエツヽ
(240)コトフラハトハ、コト/\ク、フラハトヨメル也。
2318 ヨヲサムミアサトヲアケテイテミレハニハモハタラニミユキフリタリ
ハタラトハ、マタラ也。ハト、マト、同韻也。薄雪ヲ云也。
2322 (ハナハタモフラヌ雪ユヘコチタクモ天ノミソラハクモリアヒツヽ。コチタクトハ、或ハ、多義、或ハ、廣體、或ハ、コト/\シキ義、或ハ、ゴツナキ也。畢竟同事也。)
(ホヅヱトハ、末枝也。又ツホメル枝ト云也。シツヱ、大方水ニヨセテヨム。水ナクテモヨム也。)
2330 イモカタメホツエノムメヲタヲルトハシツエノツユニヌレニケルカモ
ホスエハ、コスエ也。シツエハ、シタエタ也。
2331 ヤタノ野ノアサチイロツクアラチ山ミネノアハユキサムクフルラシ
ヤタノ野、アラチ山、トモニ越前也。アハユキトハ、春ノユキヲイフト、ナヘテマウセトモ、此集ニハ、冬ノ歌ニモアマタミエハヘリ。第八卷ノ歌ニモ、シハスニハアハユキフルトシラヌカモウメノハナサクツホメラ|ン《(マヽ)》シテトヨメリトミエタリ。ハツユキナトノヤスクキユルモ、アハユキトイハレヌヘキニヤ。イマノ歌ニ、アサヂ《淺茅》イロツクアラチ山トテ、アハユキヲヨメル、ハシメツカタノユキトシラレタリ。
文永六年三月十八日、於武藏國比企北方麻師宇郷政所記之畢。 仙覺在判
建治元年十一月廿二日、以作者仙覺律師自筆本、教人書寫畢。 玄覺在判
同廿二日一校了。 (以上萬葉集註釋第六册)
(241)萬葉集註釋卷第七
第十一卷
2351 新室壁草苅迩御座賜根草如依逢未通女者公随《ニヒムロノカヘクサカリニミマシタマハネクサノコトヨリアフヲトメハキミノマニ/\》
カヘクサトハ、ヰナカノカヤヽノカキニスヘキクサカリニトイフナルヘシ。オヒナビキタル草ノカラントスレハ、オモヒニマカセテ、トルテニシタカヒテ、カラルヽカコトク、ヨリアフヲトメハ、トモカクモ、キミカマヽナラントヨソヘヨメル也。
2352 新室踏静子之手玉鳴裳玉如所照公乎内等白世《ニヒムロノフムシツノコシタタマナラシモタマノコトテリタルキミヲウチニトマウセ》
此歌第二三ノ句、古點ニハ、フムシツケコカタヽマナラシモト點ス。ソノコトハ、イタクカハリメナキニニタレトモ、ソノ心アヒカナハス。今和換云、フムシツノコシタヽマナラシモトイフヘシ。ニヒムロノフムシツノコシタヽマナラシモトハ、アタラシキカ、カヤブキノヤヲハ、フキカヤノシトロナルトコロヲ、オモヒアハセントテ、ウヘヲフミシツムル也。下賤ノモノヲ、シヅトイフモ、シツカナリトイフコトナレハヨメル也。イヤシキモノヲシツトイフコトハ、カミ一人ヨリハシメタテマツリテ接《攝ィ》録ノ臣、太政官ノ(242)官人、國々ノミコトモチ、郡々ノクニノミヤツコ、乃至《ナイシ》、郷村ノツカサにイタルマテ、ヒルハミタカラノウレヘナケキヲキヽテコトハリ、イタハリアルモノヲイツクシミ、トカアルトモカラヲ、ツミナヘナトシテ、イトマナキ世ノナラヒナルヲ、イヤシキモノハ、春タネヲマキ、秋イネヲカリオサムル、イトナミアリトイヘトモ、オホカタハ、シツカナルモノナレハ、シヅトイフ。スコ《寸子》トイフモ、スミカヘリテヰタルユエ也。ヰナカヲ、ヒナトイフモ、ツレ/\ニテヒナカキ義也。コノユヱニ、シツトイフコトハヲ、トランタメニ、フムシツノコトイフ。タヽマナラシモトハ、玉ニテアルラシモトイフ也。タハコトハノタスケ也。童女ヲ、タワラハトイフカコトシ。シツノコノカホヨカリケルヲホムルコトハニ、玉タマナラシモ、タマノコトテリタルキミヲトイヘル也。第二句ノヲハリノ字、フムシツノコカトヨミヲハ、コトハリアヒカナハス。フムシツノコシトヨムヘキ也。
(天在一棚橋ハ、説々多シ。或ハ、天ニアル日トツヽケタリト云、或ハ、山アイナトニ、高クワタセル橋也ト云。然トモ、天河ノ橋也。アメニアルトヨメルト也。又穉草妻トハ、穉草ハ、常ニハ、妻ヲ云ト也。又婦ヲモ云、又妹乙ヲモ云ト云リ。但是ハ不可用。若草ノ妻トツヽクルコトハ草ニソヘタル歟。)
2361 アメニアルヒトツタナハシイカテユクランワカクサノツマカリトイフアシヲウツクシ
アメニアルヒトツタナハシトハ、ソラニヒトツタナハシノアルニハアラサルヘシ。日トイフ文字ヲイヒイテムタメニ、アメニアルトヲケル也。日ハソラニスミタマヘハ也。ムカシハ一字ヲイヒイテムタメニ、諷詞ヲヲケルコトモアリ。シラマユミイソヘトモイヒ、(243)イサナトリウミヘナトモイヘルカコトシ。イト、イハンタメニ、シラマユミトイヘリ。ユミヲハイルトイヘハ、イノ字ヲトラムタメ也。又矢ヲイトイフコトアリ。カタ/\ヨソフヘキユエアルナリ。イサナトリウミヘトツヽケタルハ、イサナハ、魚也。鵜ハ、コトニイヲヲトレハ、イサナトリ、ウトツヽクル也。イマノ歌ノ、アメニアル日トツヽクルモ、コレラニオナシ。タナハシトハ、橋ノ具足ナトモヨハ/\シケナルニ、タナノヤウニシテワタシタル橋也。歌ノ心ハ、タノモシケナク、アヤウキヒトツタナハシヲ、ウツクシケナル、アシニテワタリユクヲ、イタハシトオモヘル也。
(岡崎、山城國。)
2363 岡前多未足道乎人莫通在乍毛公之來曲道爲《ヲカサキノタミタルミチヲヒトナカヨヒソアリツヽモキミカキマサンヨキミチニセム》
タミタルミチヲトハ、メクリミチヲイフ也。
(寸鷄吉《スケキ》ヲ、古點ニ、キケキト點シテ、キケキトハ、シケキト云詞也ト云り。)
2364 玉垂小簾之寸?吉仁入通來根足乳根之母我問者風跡將申《タマタレノコスノスケキニイリカヨヒコネタラチネノハヽカトハレハカセトマウサム》
タマタレノコストハ、ミス也。スケキトハ、スコキ也。ケト、コト、同内也。スコキトハ、シツカナル也。歌ノ心ハ、タマタレノコスノシツカナルニイリカヨヒコ。母カ、トハヽ風トイハムトヨメルナリ。マウサントイフコトハヲ、ムカシハ、マヲサムトイヘル也。
(由多尓トハ、ユタカナル義ト云々。)
2367 海原乃路尓乗哉吾戀居大舟之由多尓將有人兒由惠尓《ウナハラノミチニノリテヤワカコヒヲラムオホフネノユタニアルランヒトノコユエニ》
(244)ウナハラノミチニノリテヤワカコヒヲラムトハ、海路ハソコハカトナク、アヤウキニタトフ。又ウキタルコトニタトフヘシ オホフネノユタニアルラムヒトノコユエニトハ、人ハナヒク心モナク、ウコカヌモノユエニトヨソヘタル也。心ハ、ワレノミヤユクエモナク、ウキタルコヒヲセン。ウコキモナキ人ノコユヱニトヨメリ。
(玉響《タマユラ》トハ、シハシ也。公任説、ワクラハ同事也ト云云。不用也。)
2391 タマユラニキノフノユフヘミシモノヲケフノアシタハコフヘキモノカ
タマユラトハ、シハシトイフコトハト尺スルコトモアレトモ、イマノ歌ナトニテハ、タマサカニトイヘルニヤ。
2394 アサカケニワカ身ハナリヌタマカキノスキマニミヱテイニシコユヱニ
アサカケトハ、アシタノカケト、ウスキモノニイヒナラハセリ。モノヲオモヒテ、カケモウスキマテ、ナケキオトロヘタル心也。
2407 モヽサカフネ|カツ《潜》キイルヽヤウラサシテ母ハトフトモソノナハイハシ
モヽサカフネトハ、米百石ツメルフネ也。ヨネモヽサカヲ、カツキイレンニハ、ヒマナク、カヨフへシ。今ノ歌ノ心ハ、カレニヨソヘテ、カヨフコトシケケレハ、母ハウラマサシクサシテ、ソレカトトフトモ、ソノナヲハカクシテイハジトヨメル也。
2408 マユネカキハナヒヒモトキマツラメヤイツシカミムト思フワカキミ
(245)マユネカキハナヒヒモトキトハ、マユネカキテ、コヒシキ人ニアフトイフコトハ、遊仙窟トイフ文ニミヱタリ。又人ノウヘ《ニウワサ》イハルヽトキハ、ハナヒルトイフコトアリ。又ヒトニコヒラルヽトキハ、シタヒモトクトイヘリ。サレハイツシカコヒシトオモフ君ハ、マユネカキ、ハナヒ、ヒモトキテ、マツラムトヨメル也。
2417 石上振神杉神成戀我更爲鴨《イソノカミフルノカミスキカミトナルコヒヲモワレハサラニスルカモ》
イソノカミフルノカミスキノ由來、第十卷ノ歌ニ尺スルカ如シ。此歌ノ中五字、古點ニハ、カミナレヤト點ス。ソノ心カナヒテモキコエス。イマ和シ換テ、カミトナルトイフヘシ。イフ心ハ、フルノカミスキカミナレヤコヒヲモワレハサラニスルカモト、イカニトコヽロウヘキニヤ。神ナレヤトイヘルトコロ、心エアハセラレヌ也。神トナルトイヒテハ、コヒニハイノチヲモカフルモノナレハ、コヒシナムカミトナルトモトイヒナスヘシ。又人ノオモヒフカクナリヌレハ、イキナカラモ靈《レイ》ナトニイツルコトモアルヲ、カミトナルコヒヲモワレハサラニスルカモトモヨミツヘシ。カノフルノ神スキノ、カミトナリタマヘルニヨソフヘキ也。
2418 何名負《イカナラム・ナニナニノ》神幣嚮奉者《カミニヌサヲモタムケハカ》吾念《ワカオモフ・ワカオモヒツヽ》妹夢谷見《イモヲユメニタニミム》
此歌古點ニハ、イカナランカミニヌサヲモタムケハカワカオモフ人ヲユメニタニミムト(246)點セリ。發句、何名負ヲ、イカナラント和スヘシトモミエス。又ソノ心モコマカナラス。ヨリテ和換云、ナニ/\ノトイフヘキ也。ナニトイフハ、ナハ、名也。ニハ、負也。ナニオフトイフコトハナルヘシ。ナニ/\ト、フタヽヒイフコトハ、ナニコトニモ、モノヲマコトシクイフトキ、カサネテヨフコトハ、ツネノ習也。ナニオフトイフヲ、ナニナニトイヘル也。サレハ此集第十八卷、爲幸行芳野離宮之時儲作歌詞ノ中ニモ、毛能乃敷能夜蘇等母乃乎毛於能我於弊流於能我名負名負《モノノフノヤソトモノオモヲノカヲヘルオノカナニナニ》トヨメル也。サテ歌ノ心ハ、ナニオヒテ、シルシハヤクイマスミ神ニ、ヌサヲモタムケハカ、オモフ人ヲ、ユメニタニミムトヨメル也。
2423 路後深津島山暫君目不見苦有《ミチノシリフカツシマヤマシハラクモキミカメミネハクルシカリケリ》
フカツシマヤマ、陸奥國。ミチノシリトハ、陸奥國ハ、東山道ノハテナレハ、ミチノシリトイフ。常陸國|多珂《タカ》郡|桁藻《タナメイ・タマモ本》山ヲモ風土記歌ニハ、ミチノシリタナメノヤマトヨメリ。常陸ハ、東海道ノハテナルユヱ也。コレヲモチチコヽロウルニ、北陸道、山陰道、山陽道ナリトモ、ソノミチノスエヲハ、ミチノシリトヨムヘキイハレ在ルナリ。
(紐鏡トハ、氷ノ鏡ノ如クナルヲ云リ。又或説云、氷面鏡ト書リ。注云、日ノ影ニ、水ノ凍レルヲ云リ。氷ノ異名也。鈴鹿川ニアリト云々。)
2424 紐鏡能登香山誰故君來座在紐不開寐《ヒモカヽミノトカノヤマモタカユヘカキミキマセルニヒモトカスネン》
能登香山可v勘2在所1。ヒモカヽミトハ、コホリ《氷》ナルヘシ。實方朝臣五節舞姫ノ、ヒモノト(247)ケタルヲ、ヨリテムスフトテヨメル歌ニモ、ウハコホリアハニムスヘルヒモナレハカサスヒカケニユルフハカリソトイヘリ。今ノ歌ハ、ノトカノ山トイフニツキテ、諷詞ニ、ヒモカヽミトヲケリ。コホリノカヽミハ、ノトカナルユヱ也。歌ノコヽロハ、君ニマシテオモフヘキ人モナシ。オクルヘキ人モナケレハ、タカユヱニカ、キミカキマセルニ、ヒモトカテネムト、ヨソヘヨメル也。
2425 コハタノ山、山城國。
2430 是川水阿和逆纒行水事《コノカハノミナワサカマキユクミツノコト》不反思始爲《カヘサフナオモヒソメタリ・カヘサスソオモヒソメテシ》
此歌ノ下句、古點ニハ、コトカヘサフナオモヒソメテキト和セリ。カヘサフナトハ、カヘサムトイフニニタルウヘニ、落句ノ思始爲トカケルヲ、オモヒソメテシト和スレハ、爲ノ字和セラレス。シカレハ、コトカヘサスソオモヒソメテシトイフヘシ。歌ノ心ハ、ミナアハサカマキテ、ユクミツハマタコトカタヘユキカヘサヌヤウニ、ワレハタヽヒトカタニソ、オモヒソメテシト、ヨソヘヨメル也。
2436 大船香取海慍下何有人物不念有《オホフネノカトリノウミニイカリヲロシイカナルヒトカモノオモハサラム》
カトリノウミ、五代集歌枕ニハ、常陸トシルセリ。香取、ヒタチニハアラス、下總也。イマノ歌ニヨメルハ、近江ナルへシ。前後ノ歌トモアフミノウミヲヨメリ。此集第七卷(248)ノ歌ニモ、イツコニカフナノリシケンタカシマノカトリノウラニコキイテクルフネトヨメリ。タカシマハアフミ也。此歌ノ發句ニ、オホフネトヨメルコトハ、カトリトイハンタメニ、オホフネトヲケリ。梶取ハ、大船ニアレハ、ヨソヘツヽケタル也。
2439 オキツシマヤマ、近江國。
2453 アヲヤキノカツラキ山ニタツクモノタチテモヰテモイモヲシソオモフ
カツラキ山、大和國。ヤナキハ、カツラニ、ニタレハアヲヤキノカツラキ山トツヽケタリ。又ヤナキヲ、カツラニスト、ミエタルウタモアマタハヘル也。
2456 クロカミ山、下野國。
(莞《クワン》、オホヒクサ。)
2468 シホアシニマシレルクサノシリクサノヒトミナシリヌワカシタオモヒ
シリクサトハ、鷹尻刺トイフ、クサ也。藺《イクサ》ノ一名也。似v莞《クワンニ》而細(ク)堅(シ)。宜《ク》爲v席《ムシロト》トイヘリ。
2469 山《ヤマ》萬苣《チサノ・チサノ》白露重浦經心深吾戀不止《シラツユヲモミウラフレテコヽロニフカクワカコヒヤマス》
山チサトハ、木也。田舍人、ツ《チ》サキトイフ、コレ也。
(羊蹄《イチシ》、和名云志乃※[示+尓]。)
2480 ミチノヘノイチシノハナノイチシロク人ミナシリヌワカコヒツマト
イチシノハナトハ、イチコノハナナリ。イチトイハンタメノ諷詞ニ、ミチノヘトヲケリ。市ハ、オホクハ人ノユキヽノミチノホトリニタツレハ也。
(249)2486 チヌノウミ、攝津國。
(タラチネノオヤノカウコノマユコモリイフセクモアルカ妹ニアハステ。イフセクトハ、ユカシキコト也ト云云。アルカトハ、アルカナ也ト云々。タラチネトハ、親ノ惣名也。父母ニ通スル也。又八雲御説ニハ、母ヲ云ト云々。垂乳根ハ、乳房ヲ云心歟ト云云。)
2517 タラチネノハヽニサハラハイタツラニイマシモワレモコトヤナルヘキ
イマシトハ、日本記ニハ、汝ノ字ヲヨメリ。シカレハ、イマシモ、ワレモトハ、ナレモ、ワレモトイヘル、オナシコトハ也。
2529 イヘヒトハミチモシミヽニカヨヘトモワカマツイモカツカヒコヌカモ
ミチモシミヽニトハ、ミチモシミ/\ニトイフ也。シミ/\トハ、シケク/\トイフ也。
2530 アラタマノスコカタケカキアミメニモイモシミニナハワカコヒメヤモ《・璞之寸戸我竹垣編目從毛妹志所見者吾戀目八方》
此歌古點ニハ、アラタマノストカタケカキアミメヨリト點セリ。今和換云、スコカタケカキアミメニモトイフヘシ。アラタマノスコカタケカキトハ、アラクタヘナルタケカキトイヘル也。スコトイフコトハヲ、ナカニヘタテタリ。タトヘハ、ヌハタマノクロカミトイヘトモ、ヌハタマノワカクロカミニナトイフカコトシ、スコトハ、シツナリ。カノタケカキノアミメヨリモ、イモカミスハワレコヒメヤモトヨメル也。
(紐呂寸ノコト、神〓ニ供スル物ヲ云也。惣シテハ、物ノ初尾ヲ、神ニ奉ヲ云也。勿論親ナトノ廟ヲ祭ヲモ云也。或ハ神籬ヲ云ト異説アリ。又勅原トモ書也。是ハ父母ニ物ヲ奉ルヲ云ナリ。只神供、奉贄ヲ云ト云ル義正説歟。)
2657 神名火尓紐呂寸立而雖忌人心者間守不敢物《カミナヒニヒモロキタテヽイムトイヘトヒトノコヽロハマモリアヘヌカモ》
ヒモロキノ事、史記晋世家ニミエタリ。ムカシ晋(ノ)獻公トイフ|ミカト《帝》アリキ。キサキ《后》フタリアリ。モトノミナハ齊姜《セイキヤウ》トイヒケルカ、シニヽケレハ、ソノヽチ驪戎《リシウ》カムスメニ驪姫《リキ》(250)トイフモノヲ、メニシテアリケリ。子三人アリ。ソノモトノキサキ齊姜《セイキヤウ》ガハラノコ、名ヲハ申生重耳夷吾《シンセイテフジイゴ》トイヒケル。ノチノキサキ驪姫カハラノコヲ、奚齊掉子《ケイセイタクシ》トソイヒケル。獻公後ノメノコヲアイシテ、奚齊ヲ太子ニタテムトシケルニ、カノメノイハク、ワレカコイマタオサナク、イハムカヒナシ。モトノメノハラノ太郎ナル、申生ヲ太子ニタテヨトイヒケレハ、イミシクイヒタリトテ、太子ニハ申生ヲタテヽケリ。ソノ後、後ノメ、マヽ子ノ太子ヲヨビテイヒケルヤウ、ソコノ母コソ|コヨヒ《今夜》ユメニミエツレ。モノイミセヨトイヒツ。マツルヘキナリ。サテソノヒモロキヲハ、ワレカモトヘモテキテイハハセヨトイヒケレハ、太子イミシクトヽノヘテ、ソノ|ヒモロキ《胙》ヲ、マヽハヽノ《繼母》モトニヤリタリケルニ、マヽハヽトリテヲキテ、オトコノ獻公カ、カリ《狩》シニイテタリケレハ、トリモヒロケデヲキテシケルヤウハ、イミシクハヤキ毒《ドク》附子《ドクブシ》ヲ、ソノヒモロキノウヘニヌリテヲキテ、獻公カキタリケルニ、カクドクヌリタリトハシラセヌコトナレハ、クハデ太子ノモトヨリ、ヒモロキヲコセタリトテミセケレハ、獻公ヨロコビテクハントシケルニ、メノイヒケルヤウ、シハシナマイリソ、ホカヨリキタルヒモロキヲハ、ハツヲヽハマツモノニマツリテソ、クフトイヒケレハ、ハツヲヽトリテ、ツチニマツリテヲキタリケレハ、ソノヲキタリケルトコロノツチ、ニハカニ|アカリテ《ウコモリティ》オイヽテケレハイウヤウ、アレ(251)ミタマヘ、ドクノイリテアルニコソアリケレ。人ノコハユヽシキモノナリケリ。クラヰ《位》ニトクヰムトテ、オヤヲコロサント、カヽルワサヲツタルコトヽイヒケレハ、獻公オホキニハラヲタチテ、アサマシカリテ、犬ヲヨヒテソノモノヲクレテ心ミケレハ、タチトコロニ|イヌ《犬》シニヽケリ。サテ人ヲヤリテ、太子申生ヲハコロサセテケリ。人ノマヽハハノ心ウキコトハシリカタシトハ、時ノ人イヒケル。ヒモロキトイフコト、ソレニハシメテミヘタリ。文字|胙《ヒモロキ》、此文字ヲカキタリ。ソノノチ、神籬トカキタルコトモアリ。先祖ノ※[麻垂/苗]ヲ祭ヲ云也。
(顯昭云、タマチハフトハ、タマハ、魂也。チハフトハ、タバフ也。タト、チト同五音也。タハフトハ、タマフ也。タマシヰ玉フ神ト云也。其神ヲ持テモ、命ヲシカラズトヨメルナリ。)
2661 タマチハフ神ヲモワレハウチステキシエヤ壽ノオシケクモナシ
タマチハフトイフハ、タマタマフトイフコトナリト、尺スル人モハヘリ。タマタマフトハ、イノチカキリアリテ、シヌヘキモノナレトモ、ヲコタリ申テマツレハ、イノチノフルヲ、タマタマフトイフ也。招魂ノ祭ナトイフコトナリト申セリ。マコトニサルカタモハムヘリナン。シカレトモ、コレハソレマテノコトニハアラス。神通ハモノヲミソナハスコト、ミチハヤクオハシマセハ、タマシヒミチハヤキ神ヲモ、ワレハウチステツトヨメル也。神ヲ、チハヤフルトイフコトハ、ミチハヤキ義也ト、サキニ尺スルカコトシ。歌ノ心ハ戀ヲシテ、セムカタナクワヒシケレハ、イノチモオシカラスシテ神ヲモウチス(252)テキトヨメル也。
2670 マソカヽミキヨキツキヨノユツルヘハオモヒハヤマスコヒコソマサレ
此歌第三句、湯徒去者トカケルハ、ユツロヘハトヨムヘキ也。ユツロヘハトハ、ウツロヘハトイフ同コト也。和語ノ發語ノ詞ハ、伊トイフヲ、アルヒハ、ユトモイヘリ。同内相通ノユヱナリ。ウツルヲユツルトイフハ、發語、相接スル謂也。ツフサニイハヽ、ユウツルトイフヘキヲ、ユツルトヨフコトハ、ユノヒヽキニ、ウヲオサメタレハ、ウツヲ、ユツルトイヘル也。子弟、モシハ、サリカタキ人ニ、官職ヲサリアタフルヲ、ユツルトイフコレ也。
2674 クタミヤマ、豐前國。
2683 彼方《ヒサカタ・ヲチカタ》之赤土屋尓※[雨/泳]零床共所沾於身副我妹《ノハニフノコヤニコサメフリトコサヘヌレヌミニソヘワカセ》
此歌發句ヲハ、ヒサカタノト點ス。ソノ心アヒカナハス。ヲチカタトイヘルハ、心ハミヤコ《都》ニアラサル、ハニフノコヤトイヘル也。ハニフノコヤトハ、ヌル《寐》トコロハカリニ、イタ《板》シキヲシキタルトイフト尺セリ。ソノコトハリキコエス。ハニフノコヤトハ、カキ《垣》カヘ《壁》ヲ、クサキ《草木》ニテモセス、ツチ《土》テカヘヌリタルヲ云也。第三句ノ、コサメフリトイヘルヲハ、ニハカニイタフメフリテ、コシノヌレトホリタルヲ、コシアメトイフ。サテコ(253)ノイタアメニ、トコサヘヌレトホリタレハ、身ニソヘワキモトヨメルナリト尺シタルコトモハヘレトモ、ソレモアマリノコトナリ。※[雨/脉]※[雨/沐]零《コサメ・バクボクレィ》トカキタルハ、小雨也。コサメナリトモ、ハニフノコヤナトノイヤシカランニハ、ヤスクトコサヘヌルヘキ也。
(サクラアサトハ、麻ノ名也。又云、クラアサ也。ソレニサ文字ヲソヘタル也。クラアサトハ、クラヽノネ也。是ヲモ布ニ織レハアサト云リ。然トモ麻ノ名也。苧生ハ、伊勢也。生ルニソヘタル也。又越中ニモ同名アリ。)
2687 サクラアサノオフノシタクサツユシア|ラ《(マヽ)》ハアカシテイユケ母ハシルトモ
サクラアサトハ、サクライロナル、アサノアルナリトイヘリ。
2703 オホノカハラ、下野國。
2717 朝東風尓井提越浪之《アサコチニヰテコスナミノ》世蝶似裳《タカスニモ・セテフニモ》不相鬼故瀧毛響動二《アハヌモノユヘタキモトヽロニ》
此歌古點ニハ、アサコチニヰテコスナミノタカスニモアワスモノユヱタキモトヽロニト點ス。第三句、世蝶似裳ヲ、タカスニモト點セリ。和セラレテモミエス。セテフニモト點スヘシ。セテフニモトハ、イナセトイフセナリ。約諾ノ義也。ヰデトハ、ツヽミ也。セトハ、諾ノ心ヲモチテ、瀬ニヨソヘタル也。アサコチノハケシキトキニ、ヰテコスナミノ、カハセナトノヤウニミユルニ、ヨソヘテコトウケシテタニモアハヌモノユヱニタキツセノコトク、ナミタモオチマサリテ、コフルニタトヘタル也。
2722 吾妹子之笠乃借手乃和射見野尓吾者入跡妹尓告乞《ワキモコカカサノカリテノワサミノニワレハイリヌトイモニツケコソ》
ワサミノト云コト、奥義抄云、ワサミノハ、野名也。ワサトイフ字ヲトラムトテ、カリ(254)テトハイフ也。カリテトハ、笠ノ|ヲ《緒》ツ《付》クルモノナリ。ソレヲハカサノツヽニアルワニツクルナリ。サレハカサノカリテニ、ワトイヘル也。カサトイハントテ、ワキモコトハヲケル也トイヘリ。又或人云、コレハ、カサノカリウテノワサミノトヨメル也。笠ニヌフ、スケヲハ、ヨキヲスクリテワルキヲハカリスツル也。ソノスクリステタルスケニチ、ツクリタルミノヲ、蓑《スカミノ》ノトイフ也。又ハ、田ミノトモイフ。スケニテシタルミノナリ。ソレヲワサミ野トイフ野アレハ、ヨソヘヨメルナリトイヘリ。
(須賀嶋、紀伊。)
(夏身浦、同。)
2727 酢蛾島之夏身乃浦尓依浪間文置吾不念君《スカシマノナツミノウラニヨルナミノアヒタモオキテワカオモハナクニ》
スカシマノナツミノウラ、可勘在所。ヨルナミノアヒタモヲキテワカオモハナクニトハ、ナミハヲナミメナミタチテ、ソノナカニチヒサキナミノタツヲハ、シハナミトイフ。カヤウニヨルナミモヒマハアレトモ、ワカコフル心ハ、ヒマモナシトヨメル也。
2728 オキツシマヤマ、近江國。
2734 鹽滿者水沫尓浮《シホミテハミナハニウカフ》細砂裳《マサコニモ・マナコニモ》吾者生鹿戀者不死而《ワレハナリシカコヒハシナステ》
此歌ノ中五文字、古點ニハ、マサコニモト點ス。ソノ心オナシトイヘトモ、カツハ古語ニヨリ、カツハヨノオモヒニマカセテ、ソノ心ノカナエルニツキテ、マナコニモト點スヘシ。ソノ心オナシトイフハ、マサコトイヒ、マナコトイフ、サト、ナト同韻ナルカユ_(255)エナリ。古語ニヨルトイフハ、此集第七卷、寄2浦(ノ)沙1歌二首、歌ノコトハニ、愛子地《マナコチ》トヨメリ。カツハヨノオモヒニマカセテトイフハ、マサコトイフハ、ヨノヒト石ノチヒサキヲイフトオモヘリ。イシニナリヌレハ、イカニチヒサケレトモ、ミツニシツムコトハリアリ。マナコトイフハ、イタクホソク、カロケレハ、ミナハニモウカムヘシ。今ノ歌第一二ノ句ニ、シホミテハミナハニウカフトヲケリ。マナコニモトイフヘキ也。
(私云、無不審歟如何。)
2743 ヒラノウラ、五代集歌枕ニハ、近江トカケリ。タマモカリツヽトヨメリ。不審。可勘之。
(橙、兎耕反。タウトヨム。訓ハアマタチハナ也。橘皮ニハ不用也。アヘトアマト誤ト云々。)
2750 吾妹子《ワキモコニ》不相久馬下乃《アハスヒサシクムマシタノ・アハテヒサシモムマシモノ》阿倍橘乃蘿生左右《アヘタチハナノコケオフルマテニ》
此歌古點ニハ、ワキモコニアハテヒサシキムマシタノアヘタチハナノコケオフルマテニト點セリ。第三句ノ和アヒカナハス。今和換云、ワキモコニアハテヒサシモウマシモノアヘタチハナノコケノムスマテニトイフヘシ。ウマシモトイフハ、馬ノトイフ也。シモハ詞ノ助、ウマシモノアヘタチハナト、ツヽケタルコトハ、アヘトハ、タヘタルヲイフコトナレハ、アヘトイハンタメノ諷詞ニ、ウマシモノトヲケリ。ウマハ、心ニマカセテ、ツネニフストモナク、タヘテタチタレハ、ウマシモノアヘタチハナトツヽクルナリ。ソモ/\アヘタチハナトハ、ナニヲ云フト、アキラカニシリタルヒトカタシ。コレヲ檢《カンガウ》ルニ、順和名ニイハク、七卷食經云、橙【宅耕反。】和名、安倍太知波奈《アヘタチハナ》。似v柚(ニ)而小(キ)者也、東宮切(256)韻云、橙、陸機法言云、直耕反、柚屬《ユノタクイ》。動《(マヽ)》知言云|子《ミハ》大(ニ)皮黄(ニ)皺《シワアリ》。釋氏云、似v橘(ニ)而大。麻果云、葉(ハ)正(ニ)圓(ク)廣(シ)。博物志(ニ)、春夏秋冬或(ハ)花或(ハ)實。准南子(ニ)橘樹至2江北(ニ)1化(シテ)爲v橘(ト)。
裏書(ニ)云、私(ニ)云、類聚名義抄(ニ)云(ク)、順作v橙(ニ)。丈肓反、ハナタチハナ、カラタチ、タチハナ、アヘタチハナ。桂陵反、又都ケ反、カケハシ、ハシ、正可v作※[こざと+登]。呉六登或云、カラタチトハ、シヤケチ也云々。或似v柚而小云、或似橘而大云々。シヤケチノミ、其形尤相順歟。可思云已上。シカレハアヘタチハナトイフハ、カラタチノ一ノ名ナルヘシ。
2762 (蘆垣之中之似兒草ハ故余漢。ニコ草ハ、葉モ花モコマカ也。箱根山ニ有ト云々。アヲネトモ云也。アハ、ヤスメ字也。又ワカキ草花、ツヽマレタルト云リ。)
2766 ミシマエ、攝津國。マノヽイケ、同。
2794 隱津之澤立見尓有石根從毛達而念君相卷者《コモリツノサハタチミナルイハネヲモトヲシテオモフキミニアハマク》
此歌第二句、古點ニハ、サハタヽミナルト點ス。ソノ心アヒカナハス。今和換云、サハタチミナルトイフヘシ。コモリツトハ、シタニカクレタル、ミツ也。サハタチミナルトハ、サハトハ、オホシトイフコトハ、多文字ノヨミ也。タチミトハ、イツルミツ也。水ニタチミヅ、フシミヅトイフコトアリ。フシミツトハ、シタニタマリタレトモ、イテナカルヽコトナキ水也。タチミツトハ、ワキイテヽナカルヽミツ也。今ノ歌ニ、サハタチミナルトヨメルハ、アマタワキイツルタチミツナリ。歌ノ心ハ、カクレタルミツノイハネヲトホシテ、アマタモレイツルカコトク、ワカコヽロニコメテ、シノフナミタモセキ(257)アヘス、モレイツルニタトフル也。又カヨヒカタキトコロナリトモ、イテカタキサハリアリトモ、ヒマヲタツネテモ、イヲアハヽヤトヨメル也。
2796 水流玉尓接有磯貝之《ミナソコノタマニマシレルイソカヒノ》獨戀《ヒトリコヒ・カタコヒ》耳年者經管《ノミトシハヘニツヽ》
タマニマシレルイソカヒノカタコヒノミニトハ、アハヒノカヒニヨソヘテ、コヒノ心ヲヨメル也。コトニイシニツキタルカヒナレハ、イソカヒトイフ。タマニマシレルトハ、アハヒハイシニツキタレハ、タマニマシレルトイフ。石ハタマノタクヒ也。第十卷ノ七夕ノ歌ノ中ニ、アマノカハラニイソマクラマクトヨメルハ、タナハタノタマノマクラヲ心サシティヘルカコトシ。又アハヒハタマヲフクミテモチタレハ、ヨソヘヨメル也。此第十一卷ト、次下、十二卷ノ歌ハ、古今相聞往來歌類之上下ナレハ、ミナコレ戀ノ歌也。此歌ノ心ハ、ミナソコノトハ、フカクオモヒカハクマモナク、オモフコヽロ也。タマニマシレルトハ、ワカオモヒノアタシコヽロナク、イサキヨキニタトフ。イソカヒノトハ、カタオモヒニノミ、トシヲヘテアヒカタキヲ、カナシムニタトヘタル也。
2799 人事乎繁跡君乎鶉鳴人之《ヒトコトヲシケシトキミヲウツラナクヒトノ》古家尓《フルイヘニ・イニシヘニ》相語而遣都《アヒイヒテヤリツ》
此歌第四句、古點ニハ、ヒトノフルイヘニト點ス。今和換ニ云ク、人ノイニシヘニトイフヘシ。古家トカキヲ、イニシヘト和スルコト、傍例オホシ。歌ノ心ハ、コヒシキ人ノ(258)タマサカニトヒキタレトモ、ヒトコトノジケキヲツヽムホトニ、トクカヘシテ人ノキヽニハ、ワレニハアラヌヒトノ、イニシヘアヒシ人ソナトイヒテ、ムナシクカヘシツル心也。
(袖カヘストハ、戀シキ人ヲ夢ニ見ントテハ、衣ヲカヘストモ、袖ヲカヘストモ、絹ヲカヘストモ云リ。通用歟。)
2812 ワキモコニコヒテスヘナミシロタヘノソテカヘシヽハユメニミエキヤ
コヒシキ人ヲユメニミムトオモフニハ、コロモヲカヘシテヌレハ、ユメニミユトイフコトアリ。又ソテハカリヲカヘストモイヘリ。イマノウタノ心ニヤ。タヽシツネニ人ノイヒナラヒタルハ、コロモヲカヘシテネタルハ、コヒシキ人ノワカユメニミユルトコソオモヒナラヒタルニ、今ノ歌ハ、ワキモコニコヒテスヘナミシロタヘノソテカヘシヽハユメニミエキヤトヨメルハ、ワカソテヲカヘシテネタレハ、人ノユメニミユトキコエタリ。サテ今ノ歌ハ、問答歌ニテハヘルニ、次ノ歌ハカヘシ歌トミヘタルニ、ワカセコカソテカヘスヨノユメナラシマコトモキミニアヘリシカコトヽヨメリ。オトコノソテヲカヘシテネタルニ、コヒラルヽ女ノユメニ、オトコノミエケルトキコエタル也。
譬喩歌
(紅ノコソメトハ、コクソメタル也。)
2828 紅之深染乃衣乎下着者人之見久尓仁寶比將出鴨《クレナヰノコソメノキヌヲシタニキハヒトノミラクニニホヒイテムカモ》
譬喩歌トイフハ、思フ心ヲシタニカクシテヨメル也。ムネト戀ノ歌ニアリ。此歌ノ心ハ、(259)フカクオモヒソメシ心ヲ、紅ノコソメノキヌニタトフ。シタニキハヒトノミラクニ、ニホヒイテムカモトハ、思ノイロノフカケレハ、シノフトモナケキノイロハ、シルカランカモトヨメル也。又、コソメヲシタニキハトハ、身ニナレニシヒトヲ、ハナレカタクオモフニヨソヘタル也。
梓弓弓束卷易中見判更雖引君之隨意《アツサユミユツカマキカエアテミレハサラニヒクトモキミノマニ/\》
2830 アツサユミトハ、テナルヽニタトフ。ユツカマキカヘアテミテハトハ、サキニテナレシコトハ、イトヒステラレテ、ムカシニナリヌルヲ、ユツカマキカフルニタトフ。カクナカタエテノチナリトモ、キミタニヒカハ、心ノマヽニヒカレナントヨソフル也。
(或説云、毛詩曰、關雎(ハ)、后妃徳也。關雎トハ、吾朝ノ水砂兒也。此鳥、天ノ七十二候ヲ知テ婬スルコト五日ニ一度也。然バ一年ニモ七十二度也。雌雄アルトイヘトモ、退テ河中ノ洲ニアリト云リ。后妃ノ徳可准之。其色ニ耽ラスシテ、退テ深宮ノ中ニアルト云此心也。今ノ哥ノ尺ニ、符合ス。又説云、鳥ニハアラス。水砂也。波ノ打寄タル洲也。其洲ニ舟ヲ漕入ヌレハ、鹽ノ滿サルサキニハ、シフキテ出カタキ也。是ヲ人待ニタトウルナルヘシ云々。)
2831 水沙兒居渚座船之夕鹽乎將待從者吾社益《ミサコヰルスニヲルフネノユフシホヲマツランヨリハワレコソマサメ》
ミサコヰルトハ、コノトリハソラヲカケリ、コスヱニモヰチ、水中ノ魚ノ在リ處ヲ見テ、水ニ入リテウヲヽトル鳥也。サレハ水ニ入ルヲハ、ナミタノフチニシツムニタトフ。水ヲイツルヲハ、人メヲツヽミテソテヲカハサント思ニタトフ。渚ニヲルフネトハ、ウミニウカヘル時ハ、ユクエモシラスコカレワタルニタトフ。スニヲルヲハ、シハシシノヒヰタルニタトフ。ユフシホヲマツランヨリハトハ、シノヒヲルトハスレトモ、キミカアタリノコヒシサニ、クルレハヲモヒノナミタモミチクルシホノコトクニ、イヤマシニノ(260)ミシテ、コヒシキカタヘ、イテヽイナント思フニ、タトフル也。
((神宮文庫本朱頭書)私ニ筌ノコトハ人ヲコヽロニカケテモシヤトマツト也。)
(異説云、スタクトハ、タヽアルナト云心也。又鳰鳥ノスタク池水ニハ、潜ヲ、スタクト云リ。)
2832 山河尓筌乎伏而不肯盛年之八歳乎吾竊※[人偏+舞]師《ヤマカハニウエヲフセヲキテモリカヘニトシノヤトセヲワカヌスマヒシ》
ウエトハ、タケシテアミタル簀ヲ、クチヒロクスエヲユヒスヘテ、山川ノ瀬ニフセヲキテ、ウヘノ左右ヲハフサキ、ウヘ《筌》ノナカヨリ水ヲナカシテ、魚ノナカレ入リタルヲトル也。此歌ノ心ハ、山川ヲハ戀ノナミタノヤムトキナクナカルヽニタトフ。筌ヲハ、カハクマモナク、ヒサシクフシヽツメルニタトフ。イヲヽハ、心ヲカケテマチヲルニタトフ。トシノヤトセトハ、マサシクヤトセニアラス。トシヲヘテマツニタトフ。モノヽカスノヒトツノキハニ、ヤツヲイフナラヒナリ。コトノヲコリハ、九々八十一ヲモチテ、算術ノミナモトヽスルユヱ也。ワカヌスマヒシトハ、アミヲカケウヘヲフセテ、イヲヽトラントスルニハ、漁者モノヽカケニシノヒヰテ、ヲトヲセヌ也。シカレハ、シノヒヰテ人ヲマツニタトフル也。
2833 葦鴨之多集池水雖溢儲溝方尓吾將越八方《アシカモノスタクイケミツマサルトモマケミソカタニワレコエメヤモ》
スタクトイフコトハ、サマ/\ニ尺シタルコトナリ。アルヒハ、ナクヲスタクトイフ。或ハ、イテクルヲスタクトイフ。或ハ、アツマルヲイフトイヘリ。今歌ニハ、多集トカケリ。此集ノ心、アツマルヲスタクトイフトキコエタリ。葦鴨ノコヽロ、サキノミサコ(261)ニヲナシカルヘシ。マケミソカタトハ、ミツノマサラムトキニ、スエヲナカサントテ、カネヲホリトホシタルミソナリ。タトヘハ、コヽロハ、アシカモノオホクアツマリテ、イケノミカサマサリテ、マケミソカタニナカルトモ、ワカコヽノナミタノタエス、オホクナカルヽニ、コエメカモトヨメル也。
2834 日本之室原乃毛桃本繁《ヒノモトノムロフノケモヽモトシケミ》言大王物乎《ワカオホキミヲ・ワカキミモノヲ》不成不止《ナラスハヤマシ》
桃ハ花ハオホクサケトモ、ミナルコトハスクナキモノニイヒナラヘル也。コノ歌ノタトヘノコヽロハ、モヽハ、花ノミオホクサキテ、ミハトモシケレトモ、スコシニテモナルモノナリ。フツトムナシキコトハナシ。ソレカコトクニ、ワカオモヒサシモシケヽレハ、ツヰニムナシクテハヤマシトオモヘルニタトフル也。オモヒノシケキヲ、花ニタトヘ、アヒミムコトヲ、ミノナルニタトフル也。
2835 眞葛延小野之淺茅乎自心毛人引目八面吾莫名國《マクスハフヲノノアサチヲコヽロヨリモヒトヒカメヤモワレナラナクニ》
マクスハフヲノヽアサチトハ、ヒトニ心ヲカケテ、タエント思フヲ、マクスニタトフ。ヒトスチニオモフヲ、アサチニタトフ。カクタエシトヒトスチニ思エハ、ワレコソヒクヘキニ、心ヨリモアタシヒトニヒカレメヤ。ワレニテモアラヌニト、ヨメル也。
(三嶋、攝津國。)
2836 三島菅未苗在時待者不着也將成三島菅笠《ミシマスケイマタナヘナリトキマタハキスカナリナンミシマスカヽサ》
(262)コレハイマタイトケナキヲトメニ心ヲカケテ、ヨメル歌也。ミシマスケイマタナヘナリトイヘルハ、イマタオサナケレハ、チキリヲムスハスシテ、トキヲマタハ、アタシ人ニカラレテ、ワカカサニヌヒテモキズヤナリナン。ワカカサニシテコソ、アメノミカケ、ヒノミカケトモタノミ、ヲニトリモチテ、イタヽキマツラントオモフニト、タトフル也。
コノ響喩歌トモノ心、ウトカラン人ユハキカシムヘカラス。イマタムカシヨリモキカサルコトナレハ、サタメテオトロクヘシ。又サタメテソシリヲイタスヘシ。努力々々。タタシ三世ノ諸佛、十方大聖、我朝神祇、歌仙靈等、アキラカニコレヲミソナハシ、フカクアハレミ給ヘシ。已上譬喩歌也。
第十二卷
(ウタカタトハ、泡ノ名也。又ハアワトヤカヲツヽケテモヨメリ。又云、スコシト云心トモ云リ。鶯ノ來ナク山吹ウタカタモ君カ手フレハ花チラメヤモ。是スコシノ心ナリ。ウタカタ人ト云ハ、ワスレスト云詞ナリ。又云、アタナル人ヲ云トモ云リ。又云、ウタカタハ、寧《ムシロ》ナント云ル詞也。又云、イカテカハト云詞也。ウキタル人トモ云、説々アリ。)
2896 謌方毛曰管毛有鹿《ウタカタモイヒツヽモアルカ》吾有者《ワレシアラハ・ワレナラハ》地庭不落空消生《ツチニハヲチシソラニケナマシ》
此歌中五文字、古點ニハ、ワレナレハト點ス。ソノ心アヒカナハス。ワレナラハトイフヘシ。ウタカタト云コト、ワスレストイフコト也トイヘリ。シカレトモ、此歌ニハカキアヒテモキコエス。コレハ、ミツノナカレニアル、ミツヽホトイフヲ、ウタカタトイフトイヘリ。コノ義ニヨラハ、イマノウタハ、アメユキナトノ、ノキノタマ水ノウタカタ(263)トキコエタリ。サテコソ、イヒツヽモアルカトモヨソヘヨミ、ツチニハオチシ、ソラニケナマシトモヨソフヘキカユヘ也。
2916 玉勝間相登云者誰有香相有時左倍面隱爲《タマカツマアハムトイフハタレナルカアヘルトキサヘヲモカクレスル》
タマカツマトイフハ、タマクシゲトイフコトハ也。阿波國風土記云、勝間井冷水《カツマイノシミツヲ》、勝間井(ト)云由(ハ)者、倭健天皇乃《ヤマトタケノミコトノ》、大|御櫛笥忘《ミクシゲヲワスレタマフニ》依(テ)而、勝間ト云。粟人者《アハノヒトハ》、櫛笥者《クシゲヲハ》、勝間《カツマト》云也。已上。サレハ今ノ歌ニハ、アハムトイフハトイヒイテムタメノ諷詞ニ、タマカツマトヲケル也。又アヘルトキサヘオモカクレスルトイヘル下句モ、ワリナキ也。クマカツマトヨメル歌、此卷ニ三首アル也。タマカツマアヘシマヤマノユフツユニタヒネハエスヤナカキコノヨヲトヨメルモ、アヘシマヤマノアノ字、アクトイフコヽロナレハ、ツヽケヨメリ。タマカツマシマクマヤマノユフクレニヒトリカキミカヤマチコユラントヨメルハ、シマクマヤマトイヘル、シマクトイヒイテンタメノ諷詞ニヲケリ。シマクマトイフニ、シケク蒔トイフ心コモルヘシ。タマクシケハ、シケク蒔タルモノナレハ、ヨソヘツヽクル也。
2920 シナムイノチコヽハオモハスタヽシクモイモニアハサルコトヲシソ思
コヽハヲモハストハ、ソコハクハ、オモハストイフナリ
(264)2972 赤帛之純裏衣長浴我念君之不所見比者鴨《アカキヌノスミウラコロモナカクホリワカオモフキミカミエヌコロカモ》
スミウラ衣トハ、オモテモウラモアカキコロモナリ。ソレハ人ノメツルモノナレハ、ナカクホリワカオモフキミカト、ヨソフル也。
(或説云、賤ノヲダマキヲ、ウミ苧《ヲ》、打|苧《ヲ》トハ云也。タヽリトハ、木ヲ三マタニシテ、緒ヲ卷也。神寶ナトニアル物也。ソレニ戀ノ心ヲヨセタルナリ。)
2990 ヲトメラカウミヲノタヽリウチヲカケウムトキナシニコヒワタルカモ
ウミヲノタヽリトハ、ヲヽウムユタツルモノトイフナリ。ウムトキナシニ《倦ノ心ニヨソヘタリ》トハ、ヲコタルトキナク、コヒワタルトヨソヘヨメル也。
(或説云、シヽ田ハ鹿猪田也。)
3000 タマアヘハアヒヌルモノヲヲヤマタノシヽタモルコト母シモラスモ
タマフヘハトハ、コヽロアハセツレハトイフ也。シヽタトハ、一段アルタヲイフトイフ義アリ。田一段カ、カツラハ十六《四々十六ノ義歟》、六十歩アレハ、四々十六ノ義トナン申ス。
3003 ユフツクヨアカツキヤミノホノカニモミシ人ユヱニコヒワタルカモ
ユフツクヨアカツキヤミトハ、ユフツクヨノコロハ、アカツキヤミナレハ、ヨソへヨメル也。
3005 モチノヒニイテニシ月ノタカ/\ニキミヲイマセテナニヲ|ヤ《(マヽ)》オモハム
十五夜ノ月ノ、トクイテタルカコトク、キミカトクキタレハ、ナニヲカオモハムトヨメル也。
(265)3070 木綿疊田上山之狹名葛《ユフタヽミタナカミヤマノサナカツラ》在去之毛《アルモイニシモ・アリサリテシモ》不令有十方《アラシメストモ》
此歌古點ニハ、ユフタヽミタナカミヤマノサナカツラアルモイニシモアラシメストモト點セリ。第四ノ句、アルモイニシモトイヘル、ユフタヽミタナカミヤマトイヘルハ、ユフハ、御幣《ミヌサ》ナリ。ミヌサノクシノカシラニハ、カミヲタヽミテハサメハ、ユフタヽミトイフ。サテタタミタルカミノスソニ、四手《シデ》ヲキリテタルヽモノナレハ、タナカミヤマトイフ名ヲ、テ《手》ノ上トイヒナセル諷詞ナレハ、ユフタヽミトラケル也。タナカミヤマハ、近江也。腰句《コシノク》以後、サナカツラフリサリテシモアラシメストモトハ、カツラヲハ、タヱセヌコトニイヒナラハシタレハ、アリサリテホカニタチワカレ、イマコソナクトモ、ノチニモメクリアハンコトヲタノム心也。タマカツラタヘセヌチキリナムトイフモ、カクカツラハナカキモノナレハ、タエストイフ。又イマハカルレトモ、ノチ/\モメクリアヘハ、ヨソヘイヘル也。
白月山《シラツキヤマ》、近江國。敷津浦《シキツノウラ》、攝津國。檜隅川《ヒノクマカハ》、河内國。聞濱《キクノハマ》、豐前國。鈴鹿川《スヽカカハ》、伊勢國。子難懈《コカタノウミ》、筑前國。能登海《ノトノウミ》、能登國。笠島《カサシマ》、武藏國。將行乃川《イナムノカハ》、播磨國。飼飯乃浦《ケヒノウラ》、越前國。吹飯乃濱《フケヰノハマ》、和泉國。荒津之濱《アラツノハマ》、筑前國。
(266) 第十三卷
(渦《ウズ》、水也。)
(臼《ウス》、器物也。)
3229 五十串立神酒座奉神主部之雲聚玉陰見者乏文《イクシタテミワスヘマツルカミヌシノウスノタマカケミレハトモシモ》
先達此歌ヲ尺スルニ、イクシタテトハ、シツノヲカ田ツクルトキ、ミナクチマツリスルニハ、幣ヲ五十ハサミテ、ミキヲマツル也。ソレヲ、イクシタテミワスヱマツルトイフ。ウスノタマカケトハ、マメヲツラヌキテ、モリモノニシタルカ、ナカノホトハクヒレイリテ、ウスノヤウナレハ、ウスノタマカケトイフナリト尺セリ。コレ、ヲシハカリコトニヤ。イクシタテトハ、カスノ五十ナルニハアラサルヘシ。イクシトハ、ミテクラハサミタル、クシヲタテタルコト也。イハ發語ノ詞也。五十ヲ、イトイヘハ、假字ニカケルハカリナリ。ウスノタマカケトハ、ムカシハ、冠位ノシナニシタカヒテ、冠ニウスヲツケヽリトミエタリ。ミレハトモシモトハ、ミレハメツラシトイヘル也。日本記第廿二卷、推古天皇御宇、十一年十二月戊辰朔|壬申《五日》、始行冠位、大徳《師説云今之四位也》、小徳、大仁、小仁《五位也》、大禮、小禮《六位也》、大信《七位也》、小信、大義《八位也》、小義、大智、小智《初位也》、并|十二階《トシナマリノフタシナ》並以當(テ)色(ノ)※[糸+施の旁]縫《キヌヲヌヘリ》之。頂(ハ)※[木+取]|※[手偏+総ノ旁]《スヘテ》如(テ)v嚢(ノ)而|着《ツケタリ》縁《モトヲリニ》焉。唯、元日、着《キヌ》2髻花《ウス》1、【髻|花《クワ》、此云、于孺《ウスト》。】又同第二十五卷、孝徳天皇御宇、制《ツクル》2七(ノ)色(ノ)十二階之冠(ヲ)1、其(ノ)冠(ノ)之背(ニハ)、張(テ)2漆羅《ウルシヌリノウスモノヲ》1、以2縁(ト)1v鈿《ウス》、異(リ)2其(ノ)高下《タカサミシカキヲ》1、形似l(リ)2於|蝉《カサリクシニ》。小錦(ノ)冠以(267)上鈿(ハ)雜《マスヘテ》2金銀(ヲ)1爲v之。大小青冠之鈿(ハ)、以v銀爲v之。大小黒冠(ノ)之鈿以銅(ヲ)爲v之。建武之冠(ハ)無v銅也。此冠(ハ)者大|會《ホサノ》、饗|客《マウト》四月七月|齋時《オホカミトキニ》所v着《カウフル》焉。
(月日攝友久經流三諸之山|礪津宮地《トツミヤトコロ》。トツミヤトハ常ノ宮ト云詞也。ツハ、ヤスメ字也。哥ニヨソニ見シマユミノ岡モ君マセハ常都御門ト宿リスルカモ、同心也。久經トハ、ヒサシクフル也。)
(須馬神トハ、素盞烏尊ヲ云。但惣神ヲモ云。天照大神ヲモ申也。)
3230 帛※[口+立刀]楢從出而水蓼穗積至鳥綱張坂手乎過石走甘南備山丹《ミテクラヲナラヨリイテヽミツタテホツミニイタリトアミハルサカトヲスキテイシハシルカミナヒヤマニ》
此詞トモハ、ミナ諷詞ヲカミニヲキテイヒクタセル也。ミテクラハ、ナラ/\トマトハルレハ、ナラトイハントテ、ミテクラトヲケリ。ホツミトイハントテ、ミツタテトヲケリ。サカトヽハ、トリノカヨフトコロニアミヲハリテ、トリトルトコロヲイヘハ、サカトトイハントテ、トアミハルトヲケリ。神ハイハカネノココシキトコロヲモ、タヤスクハシリカヨヒタマヘハ、カミトイヒイテム諷詞ニ、イハヽシルトヲケル也。
3240 釼刀鞘從拔出而《ツルキタチサヤヲヌキイテヽ》伊香胡山《イカカヤマ・イカコヤマ》
イカコヤマハ近江國ニアリ。イカコヤマトイヒイテムタメノ諷詞ナレハ、ツルキタチ、サヤヲヌキイテヽトハヲケル也。イカコヤマトハ、イカメシトイフコトハニ、ヨソヘテイヘル也。
3243 阿胡乃海《アコノウミ》、長門國。
3255 夏麻引命|号《・(マヽ)》貯借薦之心文小竹荷《ナツソヒクミコトヲノミテカリコモノコヽロモシノニ》
ナツソヒクミコトヲツミテトハ、ミコトヽイハムタメニ、ナツソヒクトハヲケル也。麻(268)ヲハギヲキタル柄《カラ》ヲハ、ミゴトイフユヱ也。カリコモノ心モシノニトハ、コヽトハ、ソコハクトイフコトハナレハ、コヽトイハンタメノ諷詞ニ、カリコモノトヲケリ。カリコモノオモヒミタレテナトイフカコトクニ、カリコモハ、コヽハクアルモノトキコエタリ
(鬼ノシキテトハ、棲メルモヤノ、アマタアルニモ、人ト枕サシカヘテヌル夜ナケレハ、燒ステント思フ我手イタツラニ我枕ニシカンヨリモ、モヤヲモ手エオモ、燒ステハヤト云也。鬼ト云、凶也。シコハ、醜也。鬼也。)
3270 此床乃比師跡鳴左右嘆鶴鴨《コノトコノヒシトナルマテナケキツルカモ》
ヒシトナルマテトハ、海中ノ洲ヲ、ヒシ《必志》ト云也。シカレハ、コノ歌ノ心ハ、ワカスマヰハ、コヒノナミタニワタツミノコトクナリヌレハ、コノトコノ海中ノ洲トナルマテ、ナケキツルトヨメル也。大隅國風土記云。必志《ヒシノ》里、昔(ハ)者此村々(ノ)中在占2海之洲1、因(テ)曰2必志里1。海中(ノ)淵(ハ)者、隼人俗語云、必志《ヒシ》。ヒトリヌルヨヲカソヘントオモヘトモコヒノシケキニコヽロトモナシコヽロトモナシトハ、利《トキ》心モナシトイフ也。
3278 十六待如床敷而吾待公犬莫吠行年《シヽマツカコトトコシキニワカマツキミヲイヌナホヘコソ》
トコシキニトハ、ツネニ、ツケリト云コトハ也。獵者ナトノ心ニカケテ、シヽマツカコトクニ、君ヲマツ心也。
アシカキノスエカキワケテキミコユトヒトニナツケソコトハタナシリ(269)トハ、將《ハタ》ナシリソト、イフコトハ也。
3284 菅根之根毛一伏三向凝呂尓吾念有妹尓縁而者《スカノネノネモモコロコロニワカヲモヘルイモニヨリテハ》
スカノネノネモコロ/\ニトハ、ネムコロ/\ニトイフコトハ也。和語重點ヲハ、イフヘキコトハヲハジメニヲキテ、ツキニハ、ハシメノ字ヲ略シテ、スエヲカサヌル也。サテ又、スカノネノネモコロ/\ニトイフコトハ、モロ/\ノ草ハ、本體オヒタルクサムラニソヒテ、ヒロクオヒサカユル、ツネノナラヒ也。シカルニ、菅ハモトノクサムラノネノハルカニトホクハヒテ、コロ/\ニムラカリシケル也。サレハソレニヨソヘヲ、ネモコロ/\トヨメル也。
3289 ツルキノイケ、大和國。キヨスミノイケ、同。
(私云、マサカトハ在所ヲモ云也。或説也。)
3304 キカスシテモタ|シ《(ヒィ)》アラマシヲナニシカモキミカマサカヲ人ノツケツル
マサカトハ、寢所ヲイフ也。人ノ住宅ニトリテ、マサシキスミトコロナルニヨリテ也。
譬喩歌一首
3323 師名立都久麻左野方息長之遠智能小菅不連尓伊苅持來不敷尓伊苅持來而置而吾乎令偲息長之遠智能小菅《シナタテルツクマサノカタヲキナカノトヲチノコスケアマナクニイカリモチキシカナクニイカリモチキテヲキテワレヲシノハムヲキナカノトヲチノコスケ》
シナタテルトハ、シナヒタテル也。ツクマハ、所ノ名、近江國坂田郡朝妻郷ノ内ニアリ。(270)サノカタハ藤ノ一名也。サキニ尺スルカコトシ。オキナカノトヲチ、又同坂田郡、穴《(マヽ)》郷ノ内にアリ。此歌ノタトヘノ心ハ、シナタテル、ツクマサノカタトハ、ナヒキタチテ、タハヤカナル藤ナレハ、タハヤメニタトフ。ツクマ又アサツマノウチニアリ。松柏ヲハ男ニタトヘ、葛藤ヲハ女ニタトフル也。心ハ、葛藤ハヒトリタチスルコトカタシ。松柏ニ、ミヲマカセテハ、ヒロコリサカユルユヘ也。オキナカノトヲチノコスケトハ、ナケキトハ、イキノナカキヲイヘハ、オキナカノトヲチトヨソフル也。イキトイヒ、オキトイフハ、オナシコトハ也。アマナクニイカリモチキ、シカナクニイカリモチキテヲキテトハ、タハヤメニオモヒヲカケテ、トリヨリナツサヘトモ、チキリヲムスヒテ、ヒトツミトモナラス、ツヽ|カ《(マヽ)》ラネハ、アマナクニトイフ。ヒトツトコノウヘニモオキフスタヨリトナラネハ、シカナクニ、イカリモチキテ、ヲキテトイフ。ナカキナケキウラミトナリヌレハ、ワレヲシノハス、オキナカノトホチノコスケトタトフル也。
3328 衣袖大分青馬之嘶音情有鳧常從異鳴《コロモテノアシケノムマノナクコヘモコヽロアルカモツネニケニナク》
コロモテノアシケトツヽケタルコトハ、衣ノイロハサマ/\ナレトモ、シロキヲ本トセルユヱニ、シロタヘノコロモ、シロタヘノソテナトヨメル也。アシケトイフハ、又シロキヲイフコトハナレハ、アシトイハンタメノ諷詞ニ、コロモテノト、ヲケル也。
(271)3330 隱來之長谷之川之上瀬尓鵜矣八頭漬下瀬尓鵜矣八頭漬上瀬之年魚矣令咋《コモリクノハツセノカハノカミツセニウヲヤツヒタシシモツセニウヲヤツヒタシカミツセノアユヲクハシメ》
ウヲヤツヒタシトハ、鵜一荷トイフハ、一籠ニ四ツツヽ、イレテニナヘハ、一荷ハ、ヤツニテアルナリト申ス。
3335 吹風母和者不吹立浪母踈不立跡《フクカセモノトニハフカスタツナミモオホニハタヽスト》
ノトニハフカストハ、ノトカニハフカスト云也。オホニハタヽスト、ヲロカニハタヽスト云也。
3344 杖不足八尺乃嘆《ツエタラスヤサカノナケキ》
ツエタラスヤサカノナケキトハ、坂ヲノホルニハ、クルシクテ、イキノナカクツカルヽ也。サカヒトツヲコエムタメニモ、ナカイキツカルヘシ。マシテヤツノサカハ、ナケキノキハメナルヘケレハ、ヤサカノナケキトイフ。コノヤサカノ詞、又八尺尓カヨヘハ、諷詞ニツエタラヌトヲケルナリ。杖ハ一丈也。一丈トイフハ十尺ナレハ、八尺ヲツエタラヌトイヘル也。
奧書云
文永六年三月廿一日記之畢。 仙覺在判
正本奥書云
建治元年冬十一廿四日、以作者仙覺律師自筆本、教人書寫了。
(272) 同廿七日一校了。 玄覺在判
(273)萬葉集註釋卷第八
卷第十四
3348 ナツソヒクウナカミカタノオキツスニフネハトヽメンサヨフケニケリ
ナツソヒクトハ、ナツノ苧也。苧ヲハ、春夏秋トカルニ、夏ノヲト云。ナツソヒクトヨミテハ、カナラスウトツヽケタリ。ソレハ麻ノオヒタル所ヲハ、ウトイフユヘ也。苧ヲハ、カリテノチニ、ウハ皮トリスツルヲ、ヒクトイフ也。又アサヲハ根ナカラヒクナリ。古今ニモ、サクラアサノオフノシタクサトヨメリ。苧畠ヲハ、ウトイフ。常事也。又今ノ歌ニハ、ヨソヘヨメル心アルヘシ。ウナカミカタトハ、ウハ、オホキナル義、ナハ女ノ義也。心ハ老女也。ウバトモイヒ、ヲウナトモイフ、同シ詞也。苧ヲヒキタルハ、老女ノカミニ似タレハ、ナツソヒクウナカミカタノオキツスニトヨソフヘシ。コノウナカミカタハ、上總國歌トカケリ。上總國ニ、イマハ海北海南トイフハ、フルキ海上《ウナカミ》郡ナリト申。常陸ノ鹿島崎ニムカヒテ、ウナカミトイフ所アリ。ソレハ荒海ノ邊、下總國也。今ノ歌ニヨメル、ウナカミニハアラサルヘシ。
(274)(或説云、ミケシトハ、御衣也。アヤニキホシモトハ、アヤニクニキマホシト云ル也。又云、只キタル物ヲ、ミケシト云也ト云々。)
3350 ツクハネノニ|ヒ《ヰ》クハマユノキヌハアレトキミカミケシシアヤニキホシモ
蠶養《コガイ》ハ、春夏スルニ、ハルカヒタルコノ、イトニテヲリタルキヌノ、ヨキト云也。ソレヲ、ニヰ《新絹也》クハマユ《春蠶也》ノキヌハアレトキミカミケシノアヤニキホシキ、トヨメル也。
筑波※[示+尓]尓由伎可母布良留伊奈《ツクハネニユキカモフラルイナ》乎《テ《ヲ》》可母加奈思吉兒呂我尓努保佐流可母《カモカナシキコロカニヌホサルカモ》
3351 ユキカモフラルトハ、フレルトイフ也。ラト、レト、同内ノコト也。第三ノ句、伊奈手可母トカケル本オホシ。コレニヨツテ、イナテカモトヨメリ。ソノ心アヒカナハス。ヨキ本ニハ、漢字ハ、乎トカキテ、カナハ猶手ナリ。漢字ノヨキ本ニマカセテ、イナヲカモトイフヘシ。コノコトハシカモ作例アリ。ヤカテ此卷ノ相聞歌ノ中、安比見弖波千等世夜伊奴流伊奈乎加母安礼也思加毛布伎美末知我弖尓《アヒミテハチトセヤイヌルイナヲカモアレヤシカモフキミマチカテニ》トアリ。此歌第十一卷ノ中ニモイレリ。ユキカモフラルイナヲカモトハ、ユキノフリタルカ、フラヌカモトヨメルナリ。ニヌホサルカモトハ、ヌノホセルカトヨメル也。カクイフコトハ、カタ/\ソノイハレアルヘシ。ヒトツニハ布ノ字ヲハ、ノトヨメリ。ノトヨムニツキテ、カンカウレハ、ノニハ、ヌノトモ、ニノトモイフヒヽキアリ。フタツニハ、イマノウタニハ、ニヌホサルカモトカキタルニツキテ、カムカウレハ、ニニ、ヌイノヒヽキアレハ、ヌノヲ、ニヌトカキナセルコト、フカキイハレアリ。モロ/\ノ有智ノ者、ウタカヒアルヘカラス。
(275)3353 アラタマノキヘノハヤシニナヲタテヽユキカツマシヽイヲサキタタニ
此歌ノ發句ニ、アラタマ《麁玉》ノトヲケルハ、遠江國ノ|郡ノ名《麁玉《アリタマ》郡》也。ナヲタテヽトハ、名也。イヲサキタヽニトハ、イハ發語ノ詞、オサキタヽニトハ、尾崎タヒラニトイヘル也。歌ノ心ハ、キヘノハヤシトイフ名ヲハ、タテナカラ、尾崎モ、ヒラニ雪カツモレルトヨメルナリ。サテコノ歌ハ、キヘノハヤシノ名ハカリヲタテヽ、ソレトモミエヌカコトクニ、ワカオモフ人モ、ナヲノミタテヽカヨヒコヌニヨソヘタルナリ。
(伎倍ハ遠江國ノ郡ノ名ト云々。但遠州ニ伎倍郡不見。如何。但遠江國伎倍林ト名寄ニ入タリ。ワタサハタノ、サハト云ハ、多《サハ》ト云字ナリ。)
3354 キエ人ノマタラフスマニワタサハタイリナマシモノイモカヲトコニ
キエ人ノマタラフスマニ、ワタオホクイレタルカコトクニ、ワレモイモカネタルトコロニ、イリナマシモノヲトヨメル也。
(富士芝山、駿河國。)
3355 アマノハラフシノシハヤマコノクレノトキユツリナハアハスカモアラム
富士トハ、ヒ《火》、シケシトイフコトハ也。ハヒフヘホトモニ火界ヲムスヘルコトハナレトモ、フトイヘルハ黒色ヲ顯ス詞ナレハ、ケフリ《烟》ニカタトルヘシ。シカレハ、フシトイフハスナハチフリシケヽレトイフ詞也。アマノハラフシトツヽケタルモ、フシノヤマハコトニタカケレハ、ソラニケフリノシケクミユルニヨリテ、アマノハラフシトイフヘシ。トキユツリナハトハ、トキウツリナハト云也。
(276)3356 フシノネノイヤトヲナカキヤマチヲモイモカリトヘハケニヨハスキヌ
イモカリトヘハトハ、イモガリトイヘハ也。ケニヨハスキヌハ、オモヒニマヨハス、キヌトイヘル也。
(鳴澤駿河國也。富土山ノ峯ニ、大ナル澤アリ。其水ト火ト相剋シテ、烟ト水氣ト相和シテ立ノホル、火モヱ、水ノワキカヘル音常ニ不絶。サレハ鳴澤ト云也。哥ノ心ハ、人トネタルコトハ少ニテ、名ノ立コトハ、鳴澤ノ如クニ聞ユルトヨメル也。)
(一説云、鳴澤ニ非ス。鳴砂ト書也。ナルサト云ハ、富士ノ山ヨリ砂ノフルコトアリ。其ナル音ヲ鳴砂云々。但富士山ニハ、白砂ノ麓ヘ流下ルコトハ一定也。人ノヲルヽニツレテ、砂クタリテ、一夜ノ間ニ上ヘアカルト云々。サヌラクトハ、少シ寐ルコト也。)
3358 サヌラクハタマノヲハカリコフラクハフジノタカネノナルサハノコト
タマノヲハカリトハ、タマノヲハ、スクナキコトニタトフ。又ナカタユルコトニタトフ。コフラクハ、フシノタカネノナルサハノコトトハ、タカキコトニタトヘ、タエセヌコトニタトフル也。
3360 イツノウミタツシラナミノアリツヽモツキナムモノヲミタレシメヽヤ
ウミノナカニタツナミハ、カタナビキニタチツヽキテ、アラクウチカヘスコトモナケレハ、ツキナムモノヲミタレシメヽヤト、ヨソフル也。
3361 アシカラノヲテモコノモニサス和奈《ワナ》ノカナルマツツミコロアレヒモトク
ヲテモコノモトハ、ヲテモハ、ヲチ《遠》也。カノモコノモトイフオナシコト也。サスワナノトハ、鳥トルワナ也。ワナノアヤツリノ、ハツルルトキハ、ナリテヒモノトクレハ、コロアレヒモトクト、ヨソフル也。
3362 サカミネ《相摸根》ノヲミネミソクシワスレクルイモカナヨヒテワヲネシナクナ
(277)ヲミネミソクシトハ、ミスコシト云也。
3363 ワカセコヲヤマトヘヤリテマツシタスアシカラ山ノスキノコノマカ
シタストハ、シタハ、ヒマトイフコトハ、ヌハ、スミカ也。ワカセコヲヤマトヘヤリテ、マツアヒタノスミカトイフ心也。
3364 アシカラノハコネノヤマニアハマキテミトハナレルヲアハナクモアヤシ
此歌ノ心ハ、アシカラノハコネノ山ニマキタルアハヽ、ミトナレルヲ、ワカオモフコトハ、イカテミナラヌソト、アヤシム心也。人ニ心ヲカケリムルヲ、アハマクニタトフ。アハンコトヲ、ミナランニタトフ。ハコネノヤマトイヒツレハ、ハコニハフタトイヒ、ミトイヘハ、ミトハナレルヲト、ヨソフル也。
私云、アハマキテミトハナレルヲアハナクモアヤシトハ、ミニナリヌレハ、アハヽアルヲ、アハナクモアヤシトナスラヘヨメル歟。能々可思之。
(御輿崎、相摸國。)
3365 カマクラノミコシノサキノイハクエノキミカクユヘキコヽロハモタシ
ミコシノサキトハ、イマノコシコヱヲイヒケルトナム申ス。ムカシモ、イシノヨハクテ、クツレケルニヤ。
(美奈能瀬河、相摸國。)
3366 マカナシミサネニワハユクカマクラノミナノセカハニシホミツナムカ
(278)マカナシミトハ、マコトニカナシキ也。サネニワハユクトハ、ハヤクネニワレハユクトイヘル也。シホミツナンカトハ、シホミチナムカトイフナリ。此歌ノ心ハ、ミナノセカハヲヘタテヽ、ツマモタリケルモノノヨメル歌トキコヱタリ。シホミツナンカトハ、ユフジホノサヽヌサキニト、イソキワタレル心也。
3367 モモツシマアシカラヲフネアルキオホミメコソカルラメ心ハモヘト
ヨヲワタルナラヒ、アシカラヲフネアルキオホクシテ、コヽロニハオモヘト、メカレコソシヌラメトヨメル也。アシカラヲフネトハ、アシカルキ、ヲフネトイフ心ニモカヨヘル也。シカレハアシカラヲフネアルキオホミトヨメル、コトニエンナルヘシ。
3369 アシカリノマヽノコスケノスカマクラアセカマカサンコロセタマクラ
アゼカマカサントハ、ナニシカマカセントイフ也。コロセタマクラトハ、コロセハ、男ナリ。歌ノ心ハ、スガマクラモナニシニカマカセン。コカ、タマクラシテネントヨメルナリ。アシカラ《足柄》ヲアシカリトイヘリ。ラト、リト、同内ノ故也。
(尓許草、又和草トモ書。此草ハ花モ葉モコマカナリ。箱根山ニアリト云々。アヲネトモ云ナリ。アハヤスメ字也ト云々。又ワカキ草花ノツヽマレタルト云リ。)
3370 アシカラノハコネノネロノニコクサノ|ハナツヽマ《花妻》ナレヤヒモトカスネン
ニコクサトハ、コケ《苔》ヲイフトイヘリ。ハナノ心ヨク《快》モ、サカサルナルヘシ。
3371 アシカラノミサカヽシコミクモリヨノアカシタハヘヲコチテツルカモ
(279)ミサカヽシコミトハ、ミサカノオソロシクテト云也。クモリヨノアカシタハヘヲコチテツルカモトハ、クモリヨハ、アカキトキニハニズ。モノヽアヤブマレテ、心ノシタニタユマスオモヒヤルヲ、アカシタハヘヲトイフ。サテホソミチナトノヨケカタキトコロニ、馬人ノイキアハンコトヲオソレテヨバハレハ、コチテツルカモト云也。
(或説云、奧ノ夷ノ龜ノ甲ヲ燒カ如クニ、鹿ノ肩ノ骨ヲ歡合木シテヤキテウラノウ也。ソノカタヲヌキトルナトソ。)
3374 ムサシノニウラヘカタヤキマサテニモノラヌキミカ|ナ《名》ウラニテニケリ
昔天照太神、アメノイハヤニコモリマシ/\シトキ、思兼《オモヒカネノ》神、ハカハリコトヲナシテ、アマノカクヤマノ鹿ヲイケナカラトラヘテ、肩ヲヌキテ、香山ノハワカノ木ヲネコジニシテ、其ノ肩ノ骨ヲヤキテ、ウラ《占》ヲセシコトナリ。件ノウラ、イマノヨニハ、卜部氏ノモノ、ハワカノキ《歡合木》ニテ、カメノコウ《龜甲》ヲヤキテウラナウ也。公家ニハ、龜ノ甲ノミウラトテ、イマニタヱセサルハコノナカレ也。昔ノ思兼ノ神ハ、今ノ卜部氏ノ遠祖也。ムサシノハ、鹿ノオホクテ、常狩ヲスル野也。マサテトハ、マサシトイヘルナリ。
3376 コヒシケハソテモフランヲムサシノヽウケラカハナノイロニヅナユメ
ウケラ《白朮》カハナハ、心ヨクモヒラケスシテハツル物ナレハ、イロニ|ツ《出》ナ|ユメ《努》ト、ヲソフル也。
(入間ニ、ヲホキ物ハ、河原ノ藺也。ヒカハマトハリテ我ニタエソトヨメル也。ワニハ、我也。)
(入間ハ、武藏國ノ郡ノ名也。)
3378 イリマチノオホヤカハラノイハヰツラヒカバヌル/\ワニナタエソネ
(280)イリマチトハ、入間《イルマ》也。イハヰツラトハ、藺《ヰクサ》也。オホヰトイフハ、アラヽカナルヰ也。コレハコマヤカナレハ、イハヰトイフ。イハトハ、イヘトイフコトハ也。ヒカバヌル/\ワニナタエソネトハ、ヌル/\トハ、マトハルコト也。ヰハ、トウシミナトニヒクニ、マトハレタマリテ、キレヌモノナレハ、ヒカバヌル/\ワニナタエソネト、ヨソヘヨメル也。
(カツシカノマヽノテコナトハ、昔東國ニ有ケル女ノ名也ト云々。又東俗ノ語ト云也ト云々。葛飾《カツシカ》ハ下總國ノ郡ノ名也。此ノカツシカワセノ由縁袖中抄ニ委アリ。大概奥義抄ト同。隆源カ七條ノ坊ヘ物申サントテ、度々マカリケレト、イタハルコトアリトテ、アハサリケレハ、紙障子ニ書付ケリ。俊頼、コリハテヌニヱノハツカリアサニスルヤトニモアラテ人カヘシケリ。隆源返、ハツカリノニヱノヒルケノツカナリトホカケソスヘキイカヽカヘサン。ヒルケハ、晝ノ食物也。朝夕ノ食物ヲ、朝ケユフケト云也。ツカナリトハ、時也。カツシカワセノ由縁ニテ、ヨメル哥也。)
3385 カツシカノマヽノテコナカアリシカハマヽノオスヒニナミモトヽロニ
マヽノオスヒニトハ、オゾヒニ也。山ノ|オソ《尾添也》ニト云也。
3386 ニホトリノカツシカワセヲニヘストモソノカナシキヲトニタテメヤモ
奥義抄云、ニホトリトハ、ニヰトリト云也。ニヰハ、アタラシト云也。アタラシクトリタルワセナリ。ニホ、ニヰハ、五音ノ字ニテカヨハシテヨメリ。ヰナカニハ、田ツクルトキ、ヤトヒタル人々ヲ、アツメテ、コノハツカリノイネニテ、ニヘ《贄》ヲシテ饗云ル也。ソノヒ《日》ハ、カトヲサシテ、サハリノイテコヌサキニ、クヒノヽシル也。コノトキニクル人ヲハ、ウチヘモイレネトモ、キミキタラハトニタテムヤハトヨメル也。カシツカハ、所名ニヤトイヘリ。又有抄云、本説云、カツシカワセトハ、カツ/\シヤカワセヲトリハシメテ、ニヘスル心也。シヤカトイフハ、ソレカト云詞也。カレトイハントテ、ナカ(281)トイヒ、シヤカトイハントテ、シカトイフ同シ心也トイヘリ。イマ古歌ノヨミヤウヲココロウルニ、サキノ尺トモ正義ニアラス。カツシカハ、下總國|葛餝《カツシカノ》郡也。カノカツシカノ郡ノナカニ大河アリ。フトイトイフ。カハノ東ヲハ、葛東ノ郡トイヒ、カハノニスヲハ、葛西郡トイフ也。ニホトリノカツシカトツヽケタルコトハ、カツシカトイフ、カツノコトハ、カツクトイフ心ニカヨヘハ、カツクトイヒイテンタメノ諷詞ニ、ニホトリトヲケル也。ニホトリハ、ミツノナカニイリテ、カツク故也。ニヘストモソノカナシキヲトニタテメヤハトイヘル由縁ハ、サキノ尺、相違ナシ。
(眞間繼橋、下總國也。)
(私云、アノヲトハ轡ノ音ノコト云々。誤歟。)
3387 アノヲトセスユカンコマモカカツシヤノマヽノツキハシヤマスカヨハン
アノヲトセストハ、アシノヲトセストイフ也。アシヲ、アトイフコト、ウマノアシカクヲ、アカキトイヒ、アシナユムヲ、アナユムナト、ヨメルカコトシ。
3390 ツクハネニカヽナクワシノネノミヲカナキワタリナンアフトハナシニ
カヽナクトハ、ワヒナク也。
3391 ツクハネニソカヒニミユルアシホヤマアシカルトカモサネミエナクニ
ソカヒトハ、セナカアワセニミユル也。葦穗《アシホ》山、常陸國|新治《ニイハリ》郡ニアリ。アシカルトカモサネミエナクニトハ、アシトオモフカモ、ハヤクミエスナリヌヘキト、ヨメル也。
(282)サコロモノヲツクハネロノヤマノサキワスラエコハコソナヲカケナハメ
サコロモノヲツクトツヽケタルハ、ミトリコノ衣ニハ、ヲビヲツケタレハ、サコロモノヲツクハトヨソヘタリ。ワスラヱコハコソナヲカケナハメトハ、ワスルヽコトノアラハコソ、コトニイテヽ、ワスラレシナトモイハメトヨメル也。ワスラエトハ、ワスラレ也。エト、レトハ、同韻相通也。
(多《サハ》、日本記。)
3395 ヲツクハノネロニツクタシアヒタヨハサハタナリヌヲマタネテンカモ
ヲツクハトハ、ツクハヤマニハ、フタツノミネアルニ、西ノカタナルヲ、ヲツクハトイフトイヘリ。ツクタシトハ、月ノイテヽトイヘル也。シカレハコノ歌ハ、ヲツクハヨリナヲニシナルサトニスミテヨメル歌トナンキコユヘキニヤ。歌ノ心ハヲツクハノミネニ、ツキノイテヽ、アヒタルヨハアマタニナリヌルニ、マタネテンカモトヨメル也。
3396 ヲツクハノシケキコノマヨタツトリノ|ユメ《(マヽ)》カナヲミンサネサラナクニ
コノマヨトハ、コ《木》ノマヨリ也。歌ノ心ハ、シケキコノマヨリタツトリノコトクユメニヤナレヲミム。ハヤクネナクニト、ヨメル也。
3397 ヒタチナルナサカノウミノタマモコソヒケハタエスレアトカタエセン
ヒタチノクニヽナサカノウミトイフハ、イツクニアルソト、トシコロアマタノ人ニタツ(283)ヌレトモ、スヘテシリタル人ナシ。名ヲタニモキカストナム申ス。サレハチカラヲヨハヌニヨリテ、コレヲ案スルニ、常陸ノカシマノサキト下總ノウナカミトノアハヒヨリ、トヲクイリタル海アリ。スヱハフタナカレナリ。風土記ニハ、コレヲ流海トカケリ。イマノ人ハ、ウチノウミトナン申ス。ソノウミヒトナカレハ、北|鹿島《カシマ》郡ト、南|行方《ナメカタ》郡トノナカニイレリ。ヒトナカレハ、北|行方《ナメカタ》郡ト、下總國ノ|サカヒ《堺》ヲ|ヘ《經》テ、信太《シダ》郡、茨城《イハラキ》郡マテニイレリ。シカルニ、カノウチノウミ、シホノミツトキニハ、ナミコトニサカノホル。シカレハ、ナミノサカノホル義ニヨリテ、ナサカノウミトイフヘキナリケリ。ナミヲ、海人ナトイフコト、前ニ尺スルカコトシ。カノフタナカレノ入海、タマモヲホクヲヒナヒケリ。アトカタエセントハ、ナトカ、タエセントイヘル也。
3399 シナノチハイマノハリミチカリハネニアシフマシムナ|クツ《沓》ハケワカセ
ハリミチトハ、ツクリミチ也。カリハネトハ、キ《木》カヤ《萱》小竹ナトノ|カリクヒ《刈株》ナリ。
3400 シナノナルチクマノカハノサヽレシモキミシフミテハタマトヒロハン
サヽレシトハ、小石也。イシヲ、シトイフコトハ、イハ發語ノ詞、シトイフハ、石也。イシハ、チヒサケレトモ、ミツニウカフコトハリナシ。カナラス、シツムカ故ニ、シトイフ。
(284)3401 ナカマナニウキヲルフネノコキテナハアフコトカタシケフニシアラスハ
ナカマナトハ、カハノナカスノ、マナコナルヲイフ。
3403 アカコヒハマサカモカナシクサマクラタコノイリノヽオフモカナシモ
マサカトハ、寢所也。クサマクラタコトツヽケタルコト、オホツカナカルヘシ。ツネニハ、クサマクラタヒトコソイフヲ、タコトヨソヘタルハ、オホカタ、タヒトイフハ、タカク、ヒサシキ心也。ツネノスミカヲ、タチハナレテ、ヨロツニオモヒノタカキ心ナルヘシ。シカルニ、タカキコトヲイフニハ、タカトモ、タケトモイフハ、タノ字ノ、タカシトイフ義ナル故也。コレニヨリテ、タカトモタコトモイハン、カト、コト、同内相通ニテ、オナシカルヘケレハ、上野國ノ|タコ《多胡》ヲ、タヒニヨソヘテヨメル也。タコノイリノヽヲフモカナシモトハ、アサ《麻》ナトカリシキタル、苧生《オフ》ニネタルコヽロナリ。歌ノ心ハ、ワカコヒハ、マサシキネトコロニテ、カナシク、クサマクラ《草枕》、タコノイリノヽオフニテモ、カナシトヨメル也。タヒハ、オホカタノオモヒタカヽルヘキウヘニ、クサマクラナトモ、ウルハシキマクラヨリハ、タカクハヘルニヤ。諷詞トモノナカニモ、常陸|多珂《タカ》ノ郡ヲハ、コモマクラ、タカノコホリトイヘルナリ。
(アソハ、麻也。朝臣ニ非ス。マソムラ、ムラ苗ナトノムラト云字ハ、束ノ字ナルヘキ歟。綾ナトノ一ムラニハ、端ノ字ヲモ、疋ノ字ヲモ、ムラト訓ス。)
3404 カミツケノアソノマソムラカキムタキヌレトアカヌヲアトカアカセン
(285)マソムラトハ、苧ヲカリテ、ヒトイダキハカリツヽ、タハネヲキタル也。ソレヲトリハコフニハ、オホキナレハ、タヤスクモエトラテ、フシテカキイタケハ、ヨソヘヨメルナリ。アトカトハ、イカニカト、イフコトハ也。アカセントハ、ワカセント也。
3407 カミツケノマクハシマトニアサヒサシマキラハシモナアリツヽミレハ
マクハシマトヽハ、マトヨリ、アサヒノサシイリテ、モノヽイロノクハシクミユレハ、マクハシマトトイヘリ。マトハ、アカリノタメナレハ、カキカベノナカラヨリ、カミニヨリチシタルカヨケレハ、カミツケノマクハシマトヽ、ヨソヘツヽケタリ。アサヒノカケハ、マバユケレハ、マキラハシモナト、ヨソヘヨメル也。
(新田山、上野國。)
3408 ニニヒタヤマ《新田山》ネニハツカナヽワニヨソリハシナルコラシアヤニカナシモ
ネニハツカナヽトハ、ヤマノネニハ、ツカズシテトイフ也。ニヒタ山ノ、ハナレテ、ハシナルカコトク、ワレニヨリテ、ハシナルセナカ、アヤシク、カナシキトヨメル也。
(伊香保、上野國。)
3409 イカホロノアマクモイツキカヌマツクヒトヽオタハフイサネシメトラ【本裏書云、イカホ山上有池又有沼。】
イカホロトハ、心ハイカホヤマナリ。ロハ詞ノ助。アマクモイツキトハ、アマクモノツツキタナヒケルナリ。イハ發語ノ詞、カヌマツクトハ、ヌマナレタリトイフ詞。カハ、コトハノ助。ヒトオタハフトハ、手ヲハヘタル也。歌ノ心ハ、イカホノヌマニ、アマク(286)モノタナヒキクタレルカ、水ニウカヒナレタルヒトノコトクニ、テヲハヘタルハ、イサネムトカト、ヨソヘヨメル也。イカホノヌマハ、請雨|之使《ノツカイ》、タツトコロナリトイヘリ。
(針原、上野國。)
3410 イカホロノソヒノハリハラネモコロニオクヲナカネソマサカシヨカハ
ソヒノハリハラトハ、ホトリノ|ハリハラ《針原》トイフ也。マサカシヨカハトハ、ネトコロヨクハトイフ也。歌ノ心ハ、イカホノヤマヘノ、ハリハラナリトモ、ネトコロタニモヨクハ、サテアリナム。ヤマフカクイラストモトヨメルナリ。
(多胡根、上野國。)
3411 タコノネニヨセツナハヘテヨスレトモアニクヤシツノソノカホヨキニ
此歌ノ心ハ、女ノ男ヲイトヒテ、タコノネ《多胡根》ニカクレタルヲ、トリモテコムトテ、手繩ナントモチテ、タツネユキテアヒタルニ、ソノカホヨキニメチヽ、ナニシカ、ツミナヘムトオモヒツラント、クヤシカリタル心ニヤ。
(利根河、上野國。)
3413 トネカハノカハセモシラスタヽワタリナミニアフノスアヘルキミカモ
コレハ、カハセモシラス、タヽワタリニワタルホトニ、ナミシロキセノ、カハスニワタリツキタルカコトクニ、キミニアヘルカ、ヨロコハシキ心也。
3414 イカホロノヤサカノヰテニタツヌジノアラハロマテモサネヲサネテハ
タツヌジノトハ、タツ虹ノト云也。ヌルヨノカズカサナリテ、アラハルヽニヨソヘタリ。
(287)3416 カミツケノカホヤカヌマノイハ|ヰ《藺也》ツラヒカハヌレツヽアヲナタエソネ
イハヰツラヒカハヌレツヽトヨメルハ、ムサシノクニノ、イリマチノ、オホヤカハラノイハヰツラノ歌ニ、尺シツル、同シ心也。
(莞草《オホヰクサ》、可v作v席《ムシロニ》。)
3417 カミツケノイナラノヌマノオホヰクサヨソニミシヨハイマコソマサレ
ヨソニミシヨハトハ、ヨソニミシヨリハト云ナリ。アツマコトハニ、イヤシキモノヽ、イマモイフコト也。
3418 カミツケノサノタノナヘノムラナヘニコトハサタメツイマハイカニセモ
ムラナヘトハ、サナヘヲトリテ、タハネヲキタルナリ。ソノムラナヘハ、ウツシウフヘキトコロヲサタメヲキテトリタル也。ソレガヤウニ、ワカ心ニカケタル女ナトノ、ユクヘキトコロサタメタルニタトヘテヨメルナリ。イマハイカニセモトハ、ナケク心ナリ。
3420 カミツケノサノヽフナハシトリハナシオヤハサクレトワハサカルカヘ
トリハナシトハ、トリハナチトイフ也。チヲ、シトイフコト、コレモ同韻相通ナレハ、コトハリナキニアラス。シカレトモ、コレヲハ、鬼語ノ内ニスルナリ。アメツチヲ、アメツシトイヒ、タチヲ、タシトイフコトキ也。オヤハサクレトワハサカルカヘトハ、カヘトハ、カハトイフ也。オヤハサクレト、ワレハ、ナルヽカハトヨメル也。
(288)3424 シモツケノミカモノヤマノコナラノスマクハシコロハタカケカモタム
コナラノストハ、小楢ノ木也。コトニ葉ノミル/\トシナヒウツクシケナルナリ。コナラノストハ、コナラナストイフナリ。コナラノヤウニウツクシトイフ也。マクハシトハ、マコトニクハシトイフ、ホムルコトハナリ。タカケカモタムトハ、テカケカモタムトイヘルナリ。
譬喩歌
(引佐細江、遠江國。)
3429 トホツアフミイナサホソエノミヲツクシアレヲタノメテアサマシモノヲ
此歌、殊勝ノ譬喩歌ナリ。ミヲツクシトハ、トシヲヘテ、フカキコヒチニタチテ、カハクマモナキニタトフ。コヒチトハ、泥ニヨソフ。カハクマモナクシテタチタレトモ、アタリチカクカヨヒクル人モナキニタトフ。發句ニ、トホツアフミトヨメルハ、アフコトハルカナルニタトフ。イナサホソエトハ、イナサハ、ワカイフコトニシタカハス、イナフルニタトフ。ホソエハ、ホトチカケレトモ、カヨヒカタキニタトフルナリ。
(志田浦、駿河國。)
3430 シタノウラヲアサコクフネハヨシナシニコクラメカモヨナシコサルラメ
アサコクフネハヨシナシニコクラメカモヨトハ、アマヒトモ、ヨモスカラ、ミルメニ心ヲカケテアクレハ、イツシカフネヲウカヘテ、アサコキシツヽカヨヒクレハ、ミルメモ(289)ナヒキアヒテ、ミユルニタトフ。發句ニシタノウラヲトヨメルハ、シタトイフコトハヽ、ヒマトイフコトハナレハ、ヨソヘヨメリ。歌ノ心ハ、ヒマヲタツネテ、ミルメヲコヽロサシテ、アクカレキタルニ、ナトオナシ心ニ、ヒマヲタツネテモキタリミユルコトナキソト、ヨソヘウラミタル也。
(安氣奈之山、相摸國。)
3431 アシカリノアキナノヤマニヒ|コ《ク》フネノシリヒカシモヨコヽハコカタニ
アキナノヤマ【可尋其所。】ヒコフネノトハ、ヒクフネノ也。シリヒカシモヨココハコカタニトハ、コナタニハ、ソコハクコヽロニイレテヒケトモ、アトノカタハ心ニイレテモヒカヌヲ、同シコヽロナラヌニタトフ。オナシ心ニタニモアラハ、心クルシキコトナクシテ、ユクヘキトコロヘモ、トクユキナント、タトフルナリ。
(和乎可鷄山、相摸國。)
3432 アシカリノワヲカケヤマノカツノキノワヲカツサネモカツサカストモ
サキノ歌ニヨメル、アキナノヤマ、コノ歌ノ、ワヲカケヤマ、トモニタシカナル所ヲモシラスシテ、オホクノ人ニタツネハヘリシカトモ、シラスシテ、トシ《年》ヲツミハヘリシニ建長三年霜月ノコロ、スルカノ國ヘコエ侍シニ、セキモトノ|スク《宿》ニテ、ヤトノアルシノ鬚ノカミ、ミナシラケテ、クロキスチナキカ侍リシニ、若ヤトテ、アシカリノワヲカケヤマトイフハ、イツコソト、トヒ侍リシカハ、イマタシリタマハヌカト、トヒカヘシ侍(290)シカハ、シラネハコソトヘト申シカハ、タウシ《當時》ハ、カクラノタケト申スヲコソ、ムカシハ、ワヲカケヤマトハ申ケルト、ウケタマハレト申シ侍シナリ。マコトニサモヤトオホユルコトハ、キリタリケル木ノモトノ、イクラトモナクハヘルヲ、イマモ人ノオホク、ハツリトリ侍ルカ、コノ歌ノ心ニオモヒアハセラレハヘルナリ。斧《オノ》ニワトイフ名アリ、トミエタリ。カノヤマノ木、ムカシヨリオホク杣木ニトリケレハ、ワヲカケヤマトイヒケルニヤ。カツノキノトハ、木ノキリノコシタルモトヲ、タキヽニセントテ、イマモ人ノハツリトルヲ、カツ《搗》トモイヒ、ウツ《打》トモイフ。オホカタ、ヰナカノ者ハ、木ノ根ヲトリテ、タキ木ニスルヲモ、ネウチナトイフナリ。ワヲカツサネモカツサカストモトハ、此譬喩歌トモ、ミナ戀ノ心ナレハ、ワカヽツヌルヲモ、カノキノキリクヒヲ、カツ/\サキ《割》トルカコトクニ、カツ/\イサメサケストモト、タトヘタル也。
3433 タキヽコルカマクラヤマノコタルキヲマツトナカイハヽコヒツヽヤアラン
タキヽコルカマクラトツヽケタルコトハ、コルトイヒ、カルトイフハ、オナシコトナリ。
カトコト、同内也。木コリ、草カリトイフモ、タヽ同シ事也。鎌トイハンタメノ諷詞ナレハ、タキヽコルトヲケルナリ。コタルキヲトハ、木ノエタノタリカヽルナリ。マツト|ナ《汝也》カイハヽコヒツヽヤアラントハ、松ヲ、待ニヨソヘテ、待トナカイハヽト、タトフル(291)ナリ。
(ツヽラハ藤也。鞭ニキル蔦也。クロツタトモ云リ。)
3434 カミツケノ|アソヤマ《安素山》ツヽラノヲヒロミハヒニシモノヲアセカタエセン
ヒロキノ《廣野》ニ、ツヽラノハヒヒロコレルカコトク、キミヲ思フコヽロモ、クユルコトナク、ツキヒヲカサネテハ、ツユケキヨトノハモシケクナリユクニ、タトフルナリ。
3435 イカホロノソヒノハリハラワカキヌニツキヨラシモヨヒタヘトオモヘハ
ハリトイヒ、ハキトイフトオナシコトナリ。榛、此字ヲ、ハリトモヨミ、ハキトモヨム。播磨國風土記云、萩原(ノ)里(ノ)土中有v所3以|名《ナツクル》2萩原(ト)1者、息長帶日賣《オキナカオヒヒメノ》命、韓國邏上《カラクニヘツハモノノホルノ》之時、御船|宿《カリミマス》2於此村(ニ)1。一夜之(ノ)間生v萩《ハキ》。根《クキノ》高(サ)一丈|許《ハカリ》、仍(テ)名2萩原(ト)1。即|闢《ヒラク》2御井(ヲ)1。故(ニ)云2針間《ハリマ》井(ト)1。已上。シカレハハキトイヒ、ハリトイフモオナシトキコエタリ。キト、リト、同韻ノユヘナルヘシ。ヒタヘトハ、ヒトヘトイフナリ。カノハリハラノコロモニウツロフカコトクニ、キミカコヽロモ、ワカキヌニツキヨラシメヨ、ヒトヘニオモヘハト、ヨソヘヨメルナリ。スリヱナトハ、カサナレルキヌノ、ヒトヘニスルモノナレハタトヘヨメルナリ。
(小新田山、上野國。)
3436 シラトホフヲニヒタヤマノモルヤマノウラカレセナヽトコハニモカモ
シラトホフトハ、ホムルコトハノ、ソノヒトツナリ。アタラシキヲホムルコトハニ、シラトホフニヒトイフ也。ウラカレセナヽトハ、ウラカレスナヽトイフ也。モルヤマノコ(292)トクニ、ウラカレセテ、トキハニモカナト、ヨメルナリ。
(吾田多良、陸奥國名所也。能因カ歌枕云、吾田多良根有神峯也。)
3437 ミチノクノアタヽラマユミハシキヲキテサラシメキナハツヲハカメカモ
ミチノクノ|アタヽラ《吾田多良》トハオクフカクオモヘルニタトフ。マユミ《眞弓》トハ、アサユフテニトリモチテ、ナデアイスルニタトフ。ハシキヲキテトハ、コトノハシケキヲヲキテ、タチハナレナムスルニタトフ。ツラハカメカモトハ、ワレホカヘユキナハ、ツルカケテモ、ヒカンヤトヨメルナリ。已上、譬喩歌也。
(都迫美井、伊勢國。(神宮文庫本朱頭書)私勘日本紀廿六曰東方驛云々。又云自近江朝驛使至ト云リ。共ニハイマト點。註尺無相違。今案ニ、ハイマハ早馬ノ心也。イトヤト同内相通也。)
3439 須受我祢乃波由馬宇馬夜能都追美井乃美都乎多麻倍奈伊毛我多太手欲《ススカネノハユメウメヤノツツミイノミツヲタマヘナイモカタタテヨ》
此歌第二ノ句、古點ニハ、ハユメウメヤノト點セリ。ソノコトハ、アヒカナハス。今和換云、ハイマウマヤノト云ヘシ。驛使、コレヲ、ハイマツカヒトヨムユヘ也。又此集第十八卷、先(ノ)妻不v待2夫君婆由麻久太礼利佐刀毛等騰呂尓之喚俊(ヲ)1、自來時作歌ニモ、左夫流兒我伊都伎之等能尓須受可氣奴《サフルコカイツキシトノニススカケヌハユマクタレリサトモトトロニ》トヨメリ。コレモ、ハ|イ《由ィ》マクタレリサトモトトロニト點スヘシ。ツヽミヰトハ、人馬ナトヲモ、オチイラセシ、不淨ノモノヲモイレシトテ、イホリヲツクリオホヘルヰナリ。イモカタヽテヨトハ、イモカ、ヲウツシニトイヘルナリ。
3440 コノカハニアサナアラフコナレモアレモ【一本云ヲノ《マシ》モアレモ】ヨチヲソモテルイテコタハリニ
ヨチヲソモテルトハ、ヨキホトヲモテルト云也。イテコタハリニトハ、イハ發語ノ詞、(293)テスコシハルホトニトイヘルナリ。
3441 マトホクノクモヰニミユルイモカヘニイツカイタランアユメアカコマ
マトホクトハ、マコトニトホキ也。イモカヘニトハ、イモカ|イヘ《家》ナリ。イトイフハ、發語ノ詞、ヘトイフカ、イヘニテアルナリ。シカレハ、戸主《ヘヌシ》ナトイフトキハ、ヘトイフカ、家ノ義ニテアルナリ。
3443 ウラモナクワカユクミチニアヲヤキノハリテタテレハモノモヒ|テ《ツィ》ツモ
ウラモナクトハ、シタ心モナクトイフ也。ナニコトモオモハテユクミチニ、アヲヤキノモヱイテヽタテルヲ、アハレミヽテ、モノオモヒテツト、ヨメル也。
3444 キハツクノヲカノクヽミラワレツメトコニモノタナフセナトツマサネ
釈波都久岡《キハツクノヲカ》、常陸國、眞壁郡ニアリ。見風土記。クヽミラトハ、クヽタチタル|ニラ《薤》也。
コニモノタナフトハ、コニモノ、タマフ也。
3447 クサカケノアノナユカントハリシミチアノハユカステ|アラクサ《荒草》タチヌ
アノトハ、ワレナリ。ハリシミチトハ、ツクリシミチ《新道也》トイヘルナリ。
(ハナチラフトハ、花散也。)
3448 ハナチラフコノムカツヲノオナノヲノヒシニツクマテキミカヨモカモ
ムカツヲノトハ、ムカヒ《向》ノ|ヲ《尾》ノト云ナリ。オナノヲトハ、オノウヘニマタカナナリテ、(294)二重ニミユル尾也。ヒシニツクマテトハ、海中ノ洲ヲ、ヒシトイフ。第十三卷ニ尺スルカ如シ。
3450 ヲクサヲ《小草男》トヲクサスケヲトシホフネノナラヘテミレハヲクサカリメリ
心《コヽロ》ハ、ミナト《湊》、カハ《川》、モシハ、イリエ《入江》ナトニ、アマタノ船ノアルヲミレハ、クサカリニユク、シヅノヲカノレルフネモアリ。アルヒハ、菅カリニユクヲノコ、ノレルフネモアリ。アルヒハシホフネモアルヲミレハ、シホフネニノレルモノハ、モトムルモノナケレハオルヽコトカタシ。スゲカリユクヲノコハ、スゲノナキトコロニハオリス。クサカリニイテタルヲノコハ、イツクニモ、クサハオホカルモノナレハ、フネヨリオリテ、ヲクサウルヲ、ヨメルナリ。
3453 カセノトノトホキワキモカキセシキヌタモトノクタリマヨヒキニケリ
カセノトノトハ、カセノヲトヲ云也。ヲトヽイフハ、ヲハ、動作ノ義、トハ鳴義也。門戸ヲ、トヽイフモ、ヒトノタヽケハナル故ナリ。ヲトヲ、タヽ、トヽイヘルコト、此集ノ歌ノ中三モ、少々ミエタリ。丹後國風土記ノ中ニ、嶼子更不勝戀望歌曰、古良尓古非阿佐刀遠比良企和我遠礼波等許與能波麻能奈美能等企許由《コラニコヒアサトヲヒラキワカヲレハトコヨノハマノナミノトキコユ》トモヨメリ。マヨヒキニケリトハ、キヌ、ヌノナトノ、ヌキノカタヨリニ、ミタレヨリタルヲヨメル也。カセノヲトモ、(295)トヲクキコエシワキモコカ、キセシキヌノ、タモトシタサマモ、ミタレヨリニケリトヨメル也。
3457 ウチヒサスミヤノワカセハ|ヤマトメ《大和女》ノヒサマクコトニアヲワスヲスナ
ウチヒサスミヤノワカセトハ、禁中ニツカフマツルワカセコハトイフナリ。ヒサマクコトニトハ、ヒサ|メ《(マヽ)》イ《クィ》コトニワレヲワスルナトヨメル也。
((神宮文庫本朱頭書)私勘ウラウヘ兩方ト云詞也。)
3458 ナセノコヤトリノヲカチシナカタヲレアヲネシナクヨイクツクマテニ
ナセノコヤトハ、男也。トリノヲカチシナカタヲレトハ、ナカタヲレトイフニ、ウラウヘハ、サカリアリトキコエタリ。ヤマサカハ、クルシキモノナレハ、アヲネシナクヨイクツクマテニト、ヨソヘヨメルナリ。イクツクトハ、イキソク也。
3460 タレソコノ屋《ヤ》ノ戸《ト》オソフルニフナミニワケセヲヤリテイハフコノトヲ
ニフナミニトハ、ニブ/\ニト云ナリ。ワケセトハ、男也。オトコヲハ、ワケトモイヒ、セトモイフヲ、ヒキアハセテ、ワケセトヨメル也。イハフコノトヲトハ、モノイマヒスル心ナリ。コノ歌ノ心ハ、ワカセコカ、ヨウジアリテ、アルカムトイヘハ、ニブ/\ニイトマトラセテ、ホカヘヤリタレハ、ツヽシミテヰタルニ、タレソ、ヤノトオソフルハト、ヨメル也。
(296)3461 アセトイヘカサネニアハナクニマヒクレテヨヒナハコナニアケヌシタクル
アゼトイヘカトハ、ナニトイヘハ也。サネニアハナクニマヒクレテトハ、トクヌルコトニモアハナクニ、眞《マコト》ノ日クレテト云也。ヨヒナハコナニトハ、ヨヒニハ、コヌニトイフナリ。アケヌシタクルトハ、シタハ、ヒマ也。心ハ、ヨヒニハコテ、アケヌホトニ、キタルトイヘル也。
3464 ヒトコトノシケキニヨリテマヲコモノオヤシマクラハワハマカシヤモ
オヤシマクラトハ、オナシマクラ也。オナシトイフコトハヲハ、古語ニハ、オヤシトヨメリ。日本記ノヨミ也。ヤト、ナト同韻ノユエナルヘシ。
(或説云、ナニヨソリケメトハ、ヨソリハ、ヨルト云詞ナリ。ヨソルトモ、ヨサレトモヨメリ。トナフヘミハ、唱ト云コト也。此哥ノ心ハ、鏡ノ影ヲ見テナケハ、山鳥ノ鏡ヲ見テナクトハ、ヤカテ名ニヨレルト、ヨメルナルヘシト云々。)
(私云、籠ニ鏡ヲカケタレハ、山鳥尾ヲヒロケテ、鏡ノヲモテニアテヽ啼ケルヲ、オロノハツ尾ニカヽミカケトヨメル也。)
3468 ヤマトリノオロノハツオニカヽミカケトナフヘミコソナニヨソリケメ
此歌ヲ、奥義抄ニハ、ヤマトリノオロノナカヲニカヽミカケトナフヘミコソナニヨソリケメトカキテ、コレヲ尺スルニ、此歌、コヽロエカタシ。ナキヨソリケメトソアラントオモフニ、集ニモ、ナニヨソリケメトアル、オホツカナシ。又或物ニハ、ムカシ隣國ヨリ、山鳥ヲヲクリテ、ナクコヱタヘナル由ヲ申シケレト、スヘテナカサリケルヲ、或女御、友ヲハナレテナカヌナラン。鑑ヲカケテミセタマヘト申給ケレハ、コ《籠》ニカヽミヲカケタリケルニ、カケヲミテナキケルトアリ。心ユキテモオホヽエス。コニカケタランカ(297)カミヲ、オロノナカオニカヽミカケトイハンコトモ、オホツカナシ。アル説ニハ、山鳥ハヨルニナレハ、女鳥トハ、オヲヘタテヽ、ヘチ/\ニヌルニ、アカツキニナリテ、ヲトリノオヲモタケテ丸シヲミルニ、女鳥ノアル所ノカヽミニテ、ミユルナリ。コノ故ニ、山鳥ノカヽミトイフトハイフナリト申ス。コレハサモトキコユ。問云、ヤマトリオヲヘタテテヌトイフコトハ、ヤマノオヲヘタツルニハアラス。ヒトヽコロニネタレト、ヲトリノ、オヲ、オリカヘシテ、ナカニヘタテヽヌルナリ。ヰナカナムトニテ、ヲノツカラミルニ、オホクナラヒネタルト申スヒトアルハイカニ。答云、シカアラムハシラス。フルクハ、ナヲヤマノオヲヘタテヽヌトソイヒナラハセル。古歌云、ヒルハキテヨルハワカルヽヤマトリノカケミルトキソネハナカレケルトアリ。コレナラズ、オホクハベリ。此歌ハ、ワカオニカヽミアル心ニカナヘリトイヘリ。今尺シテイハク、オロトハ、ヲトリナリ。ハツオトハ、ナカオトイフコトハ也。ハヽ、ナカシトイフコトハ、ツハ、詞ノ助也。長谷《ハセ》ヲハ、ハツセトイフカ如シ。シカレハ、ハツオトカキテ、ナカオトコヽロウヘシ。サレハトテ、ナカヲトハ、カキアラタムヘカラス。ナニヨソリケメトハ、雌ニヨリケメトイフ心ナリ。ナノコトハヽ、男女共ニ、カヨヘリ。ソノ心ハ、繩ノ義ナリ。男ヲコヽロサシテイヘルナハ、上聲、女ヲコヽロサシテイヘルナハ、平聲ナルヘシ。
(298)(左努山、紀伊國。)
(ネモトヽハ、寢ント思也。コロトハ、男也。但男女ニ通スル詞也。)
3473 サノヤマニウツヤオノトノトホカトモネモトカコロカオ由《ユ》ニミエツル
オノトヽハ、斧ノヲト也。トホカトモトハ、トホクトモ也。オユニミエツルトハ、ユハヨリナリ。ヤマノオヨリ、ミエツルトイヘル也。
3476 ウヘコナハワノニコフナモタトツクノノカナヘユケハコフシカルナモ
ウベコナハトハ、ウベハマコトニト云也。コナハ、男也。ワノニコフナモトハ、ワレニコフラント云也。タトツクノヽカナヘユケハトハ、ツキ《月》タチテヤウヤクミユル|ミカツキ《三ケ月》ノ、ヤヽ《漸》ヨカス《夜數》カサ《重》ナリユケハ、ツキノシロクミチユキテ、ナカハマテナリヌレハ、コヒシカルラントヨメル也。ノカトハ、ナカ也。
3478 トホシトフコナノシラネニアホシタモアハノヘシタモナニコソヨサレ
トホシトフトハ、トホシトイフニトリテ、ホムルコトハヲカネタリ。コナノシラネトハ、コシノナカ《越中》ノ|シラネ《白根》ト云也。文字ヲコト/\クイハネトモ略シテイフモツネノナラヒ也。オノナカノオヲ、オナノオトヨメルカコトキ也。コナノシラネトハ、越中ノ|タテヤマ《立山》ナルヘシ。アホシタモ、アハノヘシタモ、ナニコソヨサレトハ、アホシタハ、アハヌヒマモ、ナレニコソヨレトヨメル也。カノコシノナカノシラネノトコナツニ、ユキフリツメルヲミルトキニモ、メツルコヽロツキセス。クモカクレテミエヌトキニモ、シノフ心ノ(299)シケキカコトク、心ハタエス、キミニコソヨレトヨメル也。大都《タイヅハ》山屬愛山人ト、イヘルカコトキ也。
3482 カラコロモスソノウチカヘアハネトモケシキコヽロヲアカモハナクニ
ケシキ心ヲトハ、オコタル心ヲトイフ也。
3484 アサヲラヲオケニフスサニウマストモアスキセサメヤイサヽオトコニ
イサヽヲトコトハ、男ヲハイサヽケキ、ツハモノナトイヒテ、カロク、トキカ、ヨキ也。
3487 アツサユミスヱニタマヽキカクスヽソネナヽナリニシヲクヲカヌ/\
スヱニタマヽキカクスヽソトハ、イタク結構ノユミニハ、金玉ヲハズニッケルヲイフ。サテイタクヲモクスルホトニ、アダニウチヲクコトモナキヲ、ネナナヽリニシト、ヨソフルナリ。
(木下山、駿河國。此哥、柴ヲ燒テ、占ヲスルコトヲヨメリト云々。然レトモ委カラス。)
3488 オフシモトコノモトヤマノマシハニモノラヌイモカナカタニイテンカモ
オフシモトハ、笞罪也。シノヒツマノコトヲ、シモトナトヲオホセテトヘトモ、マコトニモイハヌイモカナ、モシウラカタニヤ、イデントヨメルナリ。
(ムカツオトハ、向ノ尾也。ツハヤスメ詞也。)
3493 オソハヤモナヲコソマタメムカツオノシヒノコヤテノアヒハタカハシ
オソハヤモトハ、ヲソクモ、ハヤクモト云也。ナヲコソトハ、男也。ナトイフハ、男女(300)ニワタレトモ、或本歌曰(ク)トテ、伎美乎思麻多武《キミヲシマタム》ト注セリ。キミトイフ詞モ、男女ニワタレトモ、男ヲキミトイフヘシトミエタリ。此集第十三卷歌ノ注ニ、兩所ミエタル也。可勘合之。シヒ《椎》ノコヤテノアヒハタカハシトハ、コヤテトハ、コエタ《小枝》也。ヤト、エト、同内、テト、タト、同内ナレハ、カヨハシテ、エタヲ、ヤテトヨメルナリ。或本歌曰、思比乃佐要太能《シヒノサヱタノ》トイヘル、尤符合セルヲヤ。アヒハタカハシトハ、ヨロツノクサキノ小技ナスコトハ、長短高下、ヒトシキコトナケレトモ、椎ノ抄ハ、イサヽカノ高下ナク、齊《ヒトシク》生(スル)也。
(兒毛知山、未勘。)
3494 コモチヤマワカヽヘルテノモミツマテネモトワハモフナハアトカモフ
ワカヽヘルテトハ、ワカキ、鷄冠木《カイテノキ》也。ネモトワハモフナハアトカモフトハ、ネムトワレハオモフ、ナレハ、イカヽオモフトヽイフ也。
3495 イハホロノソヒノワカマツカキリトカキミカキマサヌウラモトナクモ
ウラモトナクモトハ、ウラハ、シタナリ。モトナクトハ、心モトナクトイフ也。意文字ヲ、コヽロトモ、モトヽモヨメハ、モトナシトイフハ、スナハチコヽロモトナシトイフ也。歌ノ心ハ、イハ《岩》ノキハニ、オヒ《生》タラン|マツ《松》ハ、ナヲオヒソフベキニモアラズ。ツチナトニテダニモアラメ、オヒソフベキニ、イハホ《巖》ナレバ、オヒソハヌカコトク、イマハ(301)カギリトヤ、キミガキマサヌト、ヨソヘヨメル也。
3496 タチハナノコハノハナリカオモフナムコヽロウツクシイテアレハイカナ
歌ノ心ハ、タチハナノ木ノハヽ、チリカタキカコトク、ハナレカタクヤオモフラン。ココロウツクシクアレハ、イカント、ヨメル也。
3497 カハカミノネシロタカヽヤアヤニ/\サネ/\テコソコトニテニシカ
カハカミニオヒタル、タカヽヤハ、ミツニアラハレテ、ネノシロケレハ、ネシロタカヽヤトヨメリ。サネ/\テコソコトニテニシカトハ、ネハナカハ、ミツニアラハレテヨハケレハ、ナヒキフシタル也。ミツノウルホヒニヨリテ、オヒシケリタルカ、アキカセフキクレハ、ソヨキワタルナリ。ソレヲイモセノナカラヒニモ、サネ/\テハ、ムツコトシケキニヨソフル也。
3499 ヲカニ|セヨ《ヨセィ》ワカヽルカヤノサネカヤノマコトナコヤハネロトヘナカモ
此歌ノ心ハ、カヤヲカリツミタルヲ、サネカヤトイフ。ソノカリツミタルカヤノカクレハ、カセモヨトミテ、ナコシケレハ、ネヌヘキニ、ヨソフル也。
3500 ムラサキハネヲカモオフルヒトノコノウラカナシケヲネヲヽヘナクニ
ムラサキノネハ、イロノウツクシキニメテヽ、ヒトノタツネトレハ、ヒサシクアルコト(302)カタキカコトク、ヒトノコノカナシケナルモ、ヤスク人ニトラルヽニ、タトフル也。
3501 アハオロノヲロ|タ《田也》ニヲハルタハミツラヒカハヌル/\アヲコトナタエ
アハヲロトハ、地ノミツヽケルトコロヲ、アハラナトイフ。オロトハ、ツチノカタマラスシテ、オロ/\トシタルヲイフ。ヲハルトハオフル也。タハミツラトハ、三稜《ミクリ》草ヲイフ。ヒカバヌル/\アヲコトナタヘトハ、ヒカバマトハレキテ、ワレニコトナタエソトイヘル也。
3502 ワカマツマヒトハサクレトアサカホノトシサヘコヽトワハサカルカヘ
ワカマツマ《吾間妻》トハ、シタメ《下女》、シタヲトコ《下男》、ナト也。歌ノ心ハ|ヒト《人》ハ|セイ《制》スレトモ、アシタニネヲキタルカホハセノ、アクコトナキニ、ソコハクノトシモヘヌヘクオホエテ、ワレハ、ハナ《離》レカタシトヨメル也。
3504 ハルヘサクフチノウラハノウラヤスニサヌルヨソナキコロヲシモヘハ
歌ノ心ハ、春ヘサク|フヂ《藤》ノスヱバハナヒキカヽリテ、ツタヤスケニネタレトモ、ワレハコラヲオモヘハ、フヂノウラハノコトク、ヤスクヌルヨソナキト、ヨメル也。
(籏薄ハ、穗ノ出テ、籏ヲサシアケタルヤウナル薄ヲ云リ。又説ニ、花スヽキヲ云歟ト云々。委袖中抄ニ見タリ。)
3506 ニヒムロノコトキニイタレハヽタスヽキホニテシキミカミエヌコノコ ロ
ニヒムロトハ、メツラシキニヨソフ。オハナ《尾花》ヲトリアツメテ、イヘヲフクコトモアルニ、(303)イヘハフキツレハ、ソノハタスヽキモ、ミエヌニヨソヘテ、メツラシトオモヒテイタレハ、キミカミエヌト、タトヘタル也。
(白山、加賀國。)
(タクフスマトハ、只ノ絹ヲ云ト也。タヽキヌト云詞也ト云々。)
3509 タクフスマシラヤマカセノネナヘトモコロカオソキノアロコソエシモ
タク|フスマ《衾》トハ、タヘナルフスマ也。シロキヲ、ワキテ、タヘトハイヒナラハシタレハ、シラトイハンタメノ諷詞ニ、タクフスマトヲケリ。コロカオソキノトハ、コラカウスギヌトイフ也。アロコソエシモトハ、アルコソヨシモトイヘル也。心ハ、シラヤマカセフキテ、ネラレネトモ、コロカウスキヌノアルコソヨケレト、ヨメルナリ。
3513 ユフサレハミヤマヲサラヌニ|ヌ《ノ》クモノアセカタエムトイヒシコロハモ
ニヌクモトハ、ヌノ《布》ヲヒキタルヤウニ、シロクタチタル、クモ《雲》ナルヘシ。ヌノヲ、ニヌトイフコト、コノ《此》マキ《卷》ノハシメニ、ツクハネニユキカモフラルトイフ、ウタノトコロニ尺スルカコトシ。フカキヤマノミネツヽキナトニ、ツネニタチテ、ミユル雲ナリ。タ
3514 タカキネニクモノツクノズワレサヘニキミニツキナヽタカネトモヒテ
ノズトハ、虹也。
(オホヲソ鳥トハ、大ソラコトスルトリト云コト也。マサテトハ、正ニ也。テトハ、詞ノ助也。コロクハ、コラク也。コラクハ、來ト云コト也。コロクノ、ロモ、クモ、詞ノタスケ也。子ヲ、コロト云、山ノ根ヲ、ネロト云類也。歌ノ心ハ、來ラヌ人ヲ、コロクト、ソラコト云鳥也、ト云也。又一説云、烏ハ、物喰キタナキ鳥トテオホヲソ鳥ト云ト也。大キニ、キタナキ鳥ト云心也。ヲソハキタナシト云詞也。浦島子歌ニモ、トコヨヘニアラマシ物ヲ劔タチワカ心カラオソヤコノキミト云々。ヲソヤハ、是モキタナシト云詞也。烏ハ、似鵯食糞ト云リ。キタナキ鳥ト也。)
3521 カラストフオホオソトリノマサテニモキマサヌキミヲコロクトソナク
オホオソトリトハ、カラス也。マサテニモトハ、マサシクモト云也。コロクトソナクト (304)ハ、カラスハ、カウ/\トナキ、マタ、コロ/\トモナクニヨソヘテヨメル也。オヨソ、カウトイフハ、クロシトイフコトハ也。シカレハ、コノコトハヲイフニ、カラ、キリ、クル、ケレ、コロ、トモイフハ、ミナオナシコトハ也。コレハ、轉聲ノ心也。
3522 キソコソハコロトサネシカクモノウヘユナキユクタツノマトホクオモホユ
キソトハ、キノフヲ云也。
3523 サカコエテアヘノタノモニヰルタツノトモシキキミハアスサヘモカモ
アベノタノモ《安部田面》トハ、駿河、國府ノ邊也。アツマチノ|テコノヨビサカ《手子喚坂》トイフ歌ノハヘルヲ、アルヒハ、上野ノウスヒサカヲイフトイフ説アリ。アルヒハ、ウツノヤマ《宇都山》ノサカナリトモイヘリ。シカルヲイマノ歌ノ心ニテハ、サカコエテ、アベノタノモニヰルタツノトヨメルハ、ウツノヤマノサカニ、アタレルヲヤ。
3524 マヲコモノフノミチカクテアハナヘハオキツマカモノナケキソアカスル
マヲコモノフノミチカクテトハ、シキモノノタクヒノコモハ、アミフノチカクテアハネハ、マヲコモトイフニツキテ、ヨソヘヨメルニヤトモキコユ。シカレトモ、コレハクサ《眞薦ノコト也》ノモトノフシヲ、フトヨメルニヤトミユ。アミフノフモ、クサノフシノフモ、フトイフコトハヽ、ヘタツトイフ心ハオナシキ也。諷詞ヲヽクコトハ、ウタノモトスエ、コ(305)ト/\クカキアハヌコトヲモ、ヨソフルコトオホケレハ難トスヘキニ非サレトモ、鋪設《シキモノ》ノコモノアミフノ義ニテハ、鳧《マガモ》ヲヨメル歌ノ、コトハノエムニアラス。タヽクサノフシノ義ニテハ、ナラビフシタルヨソヘノタヨリアルヘシ。オキツマカモノナケキソアカスルトハ、水鳥ハイツレモミナソコニイリテ、カヅクモノナレハ、ミツヨリイテヽハ、イキヲナカクツクヘキモノナレハ、ナケキソアガスルト、ヨソフル也。
3525 ミクヽノニカモノハホノスコロカウヘニコトヲロハヘテイマタネナフモ
ホノストハ、ホノメカス也。カモハ、ミツヲクヽレハ、ミクヽ野ヲ、ヨソヘヨメリ。一鳥ハ、サキタチテオリヰタルニ、又一鳥ハ、ソラニカケリテ、ナキナカラオリヰヌホトナレハ、イマタネナフモト、ヨソフル也。
3526 ヌマフタツ《沼二ツ》カヨハトリカセアカコヽロフタユクナモトナヨモハリソネ
フタユクナモトヽハ、フタミチユクナトイフ心ナリ。ナモノ、モハ、詞ノ助ナリ。ナヨモハリソネトハ、ナオモヘリソネト云也。
3527 オキニスモ|ヲカモ《小鴨》ノモコロヤサカトリイキツク|モノ《(マヽ)》ヲヽキテキヌカモ
オキニスモトハ、オキニスム也。モコロトハ、コトクト云也。ヤサカトリイキツクイモヲトハ、タカキサカ《高坂》ヲ、トビコユルトリ、クルシケレハ、イモカ、イキツクニ、ヨソ(306)ヘタルナリ。
3537 久敞胡之尓武藝波武古宇馬能波都波都尓安比見之兒良之安夜尓可奈思母《クヘコシニムキハムコウマノハツハツニアヒミシコラシアヤニカナシモ》
此歌發句、或本ノ歌ニハ、宇麻勢胡之《ウマセコシ》トイヘリ。コレハ本文也。昔孔子ノ夏モノヘオハシケルニ、弟子トモ七十人アリ、ソレニトヲリタマヒケルミチニ、馬ノカシラヲサシイタシテ、トノカタナリケルクサヲクハントテ、頭ノハツ/\ニサシイテヽ、クチノヲヨハサリケルヲ、孔子ノミタマヒテ、ノタマヒケルハ、アレミヨ、ウシノクサクハントスルトノタマヒケレハ、弟子トモノイヒケルヤウ、コハイカニ、ムマヲハタシカニミタマヒナカラ、カヽルヒカコトヲハノタマフニカト、オモヒテ、ウマナリトアラガヒケルヲ、孔子ハキヽタマヒテ、ヒカコトハワレハセス、ナムタチノエシラヌナリトノタマヒケレハ、アヤシク思テ、第一ノ弟子顔囘トイフモノ、コヽロエムトテ、心ノウチニ思ヒテ案シケルホトニ、孔子ノタマフコト、コトハリナリケリ。日ヨミノムマトイフ文字ハ、午也。ソレニコノ文字ニカシラヲサシイタシツレハ、牛トヨメハ、ソレヲノタマフナリケリト、コヽロエテト申ケレハ、孔子ヨヒタマヒテ、イクラハカリニカナリヌルトノ給ヒケレハ、六丁カウチニコヽロエタリトイヒケレハ、シハシナアカシソトノタマヒテ、スク/\トスキタマヒケルニ、又第二ノ弟子閔子騫トイフモノイハク、ワレモコヽロエタ(307)リト申ケリ。問テノタマハク、イクラハカリニカ、コヽロエタルトトヒタマヒケレハ、十二町ニテ心エタルト申ケレハ、顔囘ニオトリタルコト六丁ナリケリトノタマヒテ、ナヲソレモアカサテスキタマヒケルホトニ、マタ第三ノ弟子、冉伯牛トイフモノイハク、ワレモ心エタリト申ケレハ、孔子イクラハカリキテコヽロニタルト、トヒタマイケレハ、十八丁ニテナム心エタリト申ケレハ、閔子騫ニオトリタル事、又ソレモ六丁ナリトノタマヒテ、シハシナアカシソトノタマヒケリ。ソノホトマタナヲオハシケレハ、第四ノ弟子、仲弓トイフモノマウサク、ワレモ心エタリト申ケレハ、孔子ノタマハク、イクラハカリニテ心エタルトトヒタマヒケレハ、仲弓イハク、廿四町ニテ心得タリト申ケレハ、冉伯牛ニオトリタルコト、コレモ六丁ニコソアムナレトテ、アカサテスキケルニ、六丁マタスキテ、十余町ニナリケルニ、孔子ノタマウヤウ、コノ中ニ、イマハコノコト心エタルモノハ四人ヨリホカニアルマシキカトノ給ケレハ、コト弟子トモアルマシキコトナリ、イカニシテ心エント申シケレハ、孔子イマハワカ弟子ハ四人ヨリホカニアルマシカリケリトテ、ミチニ留《トマリ》テ、弟子四人ヲ四方ニスヱテ、イカニカ心エタル、ヲノ/\カケトノタマヒケレハ、四人ノモノトモ日ヨミノ午トイフ文字ヲマツカキテ、ノチニカシラヲサシイタシテ、牛字ニナシケリトソ。サヲ爲紀トイフハカセハ、歌ニコレヲ題ニテヨ(308)ミケルハ、カキコシニウマハウシトハイハネトモ人ノ心ノホトヲシルカナトヨメリケリ。
3538 ヒロハシヲウマコシカネテコヽロノミイモカリヤリテワハコヽニシテ
ヒロハシトハ、モシハ、ミソ《溝》、モシハ、ホリ《堀》ナトノ、ヒロ《廣》サ、ヒトヒロ《一尋》ハカリアルニ、ホソキハシヲワタシテ、カチヒトハカリハ、アヤウナカラワタリカヨフトコロヲ、ウマハ|ヽシ《橋》ヲモワタルヘキヤウモナク、ホリミソヲモコシカネタル、コヽロナリ。
3539 アスノウヘニコマヲツナキテアヤホカトヒトツマコロヲイキニワカスル
アスノウヘトハ、アシノウヘトイヘル也。
3543 ムロカヤノツルノツヽミノナリヌカニコロハイヘトモイマタネナクニ
ムロカヤトハ、カヤヲタカクカリシキタル心也。ツルノツヽミトハ、ワタレハ、アシノツル/\トイルツヽミトイヘル也。歌ノ心ハ、ツヽミノミチノアシクテ、トホリユク人馬ノアシノイルツヽミニ、カヤヲタカクカリシキタレハ、カヨフトモ、クルシカルマシト、オトメハイへトモ、モトアヤウカリシヲハヽカリテ、イマタユキテモネヌニ、タトヘタル也。
3546 アヲヤキノハラロカハトニナヲマツトセミトハクマスタチトナラスモ
ハラロトハ、アヲヤキノモエイテヽ、コノメノハレル也。ナヲマツトハ、男ヲマツ也。
(309)セミトハクマストハ、ミツハクマス《水ハ不汲》ト云也。
3548 ナルセロニキツノヨスナスイトノキテカナシケセロニヒトサヘヨスモ
ナルセロトハ、ナルハ、ナヤム也。セロハ、男也。キツノヨスナストハ、キツネノ、ヨナキスル也。イトノキテトハ、イトヽシク也。ヒトサヘヨスモトハ、ヒトサヘ、ヨナキストイヘル也。歌ノ心ハ、男ノナヤムニ、キツネノナケハ、イカヽトアヤシミナケクニ、イトヽシクカナシキニ、又ヒトサヘヨナキスルト、ヨメル也。
(松賀浦、讃岐國。)
3552 マツカウラニサワヱウラタチマヒトコトオモホスナモロワカモホノスモ
マツカウラニトハ、マツハ、人ヲマツ也。ウラトハ、シタ也。サワヱトハ、サハ、ハヤキ義也。ワヱハ、コトハノタスケ、ウラタチトハ、シタニオモフコトアリテタテル也。マヒトコトヽハ、ヨキ人ノコト也。モロトハ女也。ワカモホノスモトハ、ワカオモヒホノメカスモト、イフ也。歌ノ心ハ、イモカ人マツケシキニテタチタレハ、ワレヲマツカトオモヘハ、ナヲナカメシテタチタルヲ、ヨキ人ノコトヲシタニオモヒテタチタルカ、ワカオモヒヲホノメカシテ、アルニト、ヨメル也。
(掛湊、丹後國。)
3553 アチカマノカケノミナトニイルシホノコテタスクモカイリヲネマクモ
アチカマノカケノミナト、可勘在所。心ハ、ミナトニイルシホノトヨメルニヨリテ心ウ(310)ルニ、コテタスクモトハ、ミナトニキクサノエタナトニモカヽリナヒキタル、スクモノ、シホノミチクルニシタカヒテ、ミツノシタニイリソシタルニヨソヘテ、イモカヌルトコニイリテ、ネハヤトオモフニ、タトフル也。
3555 コカノワタリ、下總國。
3556 シホフネノオカレハカナシサネツレハヒトコトシケシナヲトカモシモ
シホフネノトハ、カラキオモヒニタトフ。オカレハカナシトハ、ナクレハカナシキ也。サネツレハ、人コトシケシトハ、ネタレハマタヒトノトカクイフニタトフ。ナヲトカモシモトハ、ナニトカモセントイヘル也。
(久我、下總國。)
3558 アハスシテユカハオシケムマクラカノコカコクフネニキミモアハヌカモ
マクヲカノコカコクフネニトツヽケタルコトハ、コガ《久我》ハ、トコロノ名也。コトイフハ、フストイフコトハナレハ、ヨトイハンタメノ諷詞ニ、マクラカノトヲケル也。又マクラカトイフ、カノ字モ、コカトイフ、カノ字モ、カトイフハ、トコロトイフ、コトハ也。
3560 マカネフクニフノマソホノイロニテヽイハナクノミソアカコフラクハ
マカネフクトハ、クロカネフク也。ニフハ所ノ名、越前ニアリ。マソホトハ、マコトニノホルホノホ也。
(311)3561 カナトテヲアラカキマユミヒカトレハアメヲマトノスキミヲトマトモ
カナトテヲトハ、ナコリオシク、タチイテカタキ戸也。ヒカトレハトハ、ヒキトレハ也。アメヲマトノズトハ、ノズハ、虹也。ニジタチテハ、カナラスアメノフレハ、アメヲマツニジトイヘル也。歌ノ心ハ、イテカタキトヲ、マユミノコトクヒキトリテイヌレハ、ニジノタチテ、アメヲマツカコトク、キミヲマツト、ヨソヘヨメル也。
(岫《クキ》、峽《カイ》。)
3562 アリソヤニオフルタマモノウチナヒキヒトリヤヌランアヲマチカネテ
アリソヤニトハ、イハアル|クキ《岫》也。イリタルトコロヲハ、クキトモイヒ、カイトモイフ也。
3566 ワキモコニアカコヒシナハソワヘカモカミニオホセンコヽロシラステ
ソワヘトハ、ソハ、ソムク義也。ワヘハ、語ノ助也。歌ノ心ハ、ワキモコニ、ワカコヒシナハ、ソノ心ヲハシラテ、ワレヲオシム|オヤ《親》ヲハシメテヤカラ|ハラカラ《兄弟》ナトモ、タスケタマヘト、神ニイノリコヒシカトモ、シルシモナケレハ、カミモナニセントカ、イハントヨメル也。
3570 アシノハニユフキリタチテカモカネノサムキユフヘシナヲハシノハム
此歌ノコトハツカヒ、コヽロハセ、ヤサシキ歌也。此歌ニ、ナヲバシノバントイヘル、(312)ナハ、女ヲ、コヽロサシテヨメル也。
譬喩歌
(阿自久麻山、常陸國。)
3572 アトモヘカアシクマヤマノユツルハノフヽマルトキニカセフカスカモ 布敷《フフ》マルトキニ
アトモヘカトイフコトハヽ、イマハトオモフトイフ心ニツカヘルトコロモアリ。又カナシトオモフトイフ心トミエタル歌モアル也。今ノ歌モカナシトオモヘカトイフニアタレリ。カナノモシハオナシクシテ、シタノ心ハカハリタルコト、傍例ヒトツニアラス。タマキハルトイフモ、或ハ、教《・(散ィ)》麗《二字不審未詳》キハマリタルヲイヘル歌モアリ。或ハ、イノチノ限ヲイヘル歌モアリ。ヨシトイフコトハモ、ホムルコトハニモイヒ、イナフコトハニモイフ。カヽルタメシオホカルヘシ。サテ今ノ歌ノ心ハ、ユツルハノフヽマルトキニカセフカスカモト、タトフル心ハ、クサキノ葉ノ、風ニナヒキシタカフコトハ、サカリナルトキノミヤナヒク。ユツリハノイマタヒラケモセス、ミル/\トアルモ、カセフケハ、ナヒクカコトク、イマタサカリニナラストモ、ワレニナヒケカシトタトフル也。イマタイトケナキ物ニ思ヲカケテヨメル歌トミエタリ。サテ發句ニモ、カナシトオモヘカト云心モアル也。
3573 アシヒキノヤマカツラカケマシハニモエカタキカケヲヽキヤカラサン
(313)ヤマカツラトハ、神樂スルニハ、眞辟葛《マサキノカツラ》ニテ、カシラヲユフナリ。ソレヲ、ヤマカツラトイフ。歌ノ心ハ、アシヒキトハ、タカクフカクオモフニタトフ。ヤマカツラカケトハ、クリカヘシミムトオモヘルニタトフ。又神モアハレミタマヘトオモフニタトフ。マシハニモトハ、マコトニモトイフ詞也。エカタキカケヲヽキヤカラサムトハ、カクチキリハムスヒツレトモ、ツヰニハ、カレヤセント、カネテナケクニ、タトフル也。
挽歌
3577 カナシイモヲイツチユカメトヤマスケノソカヒニネシクイマシクヤシモ
イツチユカメトヤマスケノ、ソカヒニネシクトハ、サキニモ尺スルカ如ク、ヤマスケハネノナカクシテ、モトノクサムラヨリ、ハルカニトホクノキテ、コロ/\ニオヒシケルクサナレハ、セナカアハセニ、トホサカリユク心ニテ、今ノ歌ノ挽歌ナレハ、ソカヒニネシクイマシクヤシモト、ヨソヘヨメル也。
第十五卷
(ウタカタハ水ノ泡也。又云、スコシト云心也、又云、寧《ムシロ・アニ》ナト云詞也。又云、イカテカハト云ヤウノ詞歟。又云、ウタカタ人トハ、アダナル人ヲ云歟。又云、ウタテ人ト云心歟ト云々。)
3600 ハナレソニタテルムロノキウタカタモヒサシキトキヲスキニケルカモ
有抄云、ウタカタハ、ワスレスト云事也トイヘリ。シカレトモ、イマノ歌ニモ、心アヒ(314)カナヒテモミエス。コレハカリソメトイヘルニヤアラン。ハナレソトハ、ハナレタルイソナレハ、ソレニオヒタルムロノキノ、カリソメナルヤウニミニナカラ、ヒサシキトキヲスキニケルトヨメルナルヘシ。ミツヽボヲ、ウタカタトイヘルモ、カリナル心也。又カリネヲ、ウタヽネナトイフモコノタクヒニヤアラント、オホエハヘル也。
私注、水ノアハヲ、東國ニハ、水ツホト云ヘル歟。
(ユタネハ或云、豐ナル稻ト云々。)
3603 アヲヤキノエタキリオロシユタネマキユヽシキヽミニコヒワタルカモ
ヤナキハ、トクモエイツル物ナレハ、春トクスル、ナハシロナトニ、キリシキテ、タネヲマキタル心ニヤ。ユヽシキヽミニトイハンタメノ諷詞ニ、ユタネマキトハ、ヲケル也。
(藤江浦、播磨國。)
3607 シロタヘノフチエノウラニイサリスルアマトヤミランタヒユクワレヲ
シロタヘトハ、モノヲホムルコトハノ、ソノヒトツナレハ、フヂヲホメントテイヘルニヤ。シロトイフモ、タヘトイフモ、トモニホムルコトハ也。又藤モ、ムラサキニハサキナカラ、シロミノオホクミユレハ、シロタヘトイヘルニヤアラン。
3620 コヒシゲミナクサメカネテヒクラシノナクシマカケニイホリスルカモ
イホリスルカモトハ、イヲネタカリテフスヲ云也。イハ、寢ノ義、ホリハ、ホシカル也。
3630 マリフノウラ、周防ヽ。イハヒシマ、同。
(315)3645 ワキモコハヽヤモコヌカトマツランヲオキニヤスマムイヘツカスシテ
イヘツカスシテトハ、イハ發語ノ詞、ヘツカスシテトハ、船ノキシニツクニハ、舳ヲツクル也。サテフネノツクヲハ、ヘツカフトイフ也。此歌ハ、ワキモコハ、ハヤモコヌカトマツランニ、オキニヤスマムトヨメル也。オキニアレハ、ヘツカスシテトハヨメルナリ。
3667 ワカタビハヒサシクアラシコノアカケルイモカコロモノアカツクミレハ
アカケルトハ、ワカキル也。
3670 ノコノウラ、筑前ヽ。イハタノ、壹岐ヽ。タカシキノウラ、對馬ヽ。
3724 キミカユクミチノナカチヲクリタヽネヤキホロホサムアメノヒモカモ
クリタヽネトハ、クリアツムル也。タバヌル也《ツカヌルト云詞也》。アメノヒトハ、天火也。
3727 チリヒチノカスニモアラヌワレユヘニオモヒワフランイモカヽナシサ
チリヒチトハ、草木ノクタケタルヲハ、チリトイフ。ツチノ人馬ナトニフマレタルカ、風ニフカレテタツヲハ、ヒチト云也。
3770 アチマノ、越前ヽ。
3782 アマコモリモノモフトキニホトヽキスワカスムサトニキナキトヨマス
(316)アマコモリトハ、アメニフリコメラレテ、ヰタルヲイフナリ。
文永六年三月廿九日記之。 仙覺在判
建治元年十一月廿七日、以作者仙覺律師自筆本、教人書寫了。
同廿八日一校畢。 玄覺在判
(以上萬葉集註釋第八册)
(317)萬葉集註釋卷第九
第十六卷
3788 無耳之池羊蹄恨之吾妹兒之來乍潜者水波將涸《ミヽナシノイケシウラメシワキモコカキツヽカクレハミヅハカレナム》
ミヽナシノ池、大和池。
3789 足曳之玉縵之兒如今日何隈乎見管來尓監《アシヒキノタマカツラノコケフノコトイツレノクマヲミツヽキニケム》
此歌第二句、ヤマカツラノコト點ス。是ハ次ノ上ノ歌ハ、足曳之|山縵之兒《ヤマカツラノコ》ト書リ。依之今(ノ)歌モ、山カツラト點ス。山ト云モ高ク圓カナル義ナリ。玉ト云モ又高ク圓ナル義也。玉ノ高クトハ、價直《アタイ》ノ高クナリ。本ヨリ此集ノ義讀ノ詞、相交レル集ナレハ、玉ヲ山トヨム事カタシトスヘカラス。又此三首歌ノ端作ノ詞ニ云、其(ノ)壯士等《サウシラ》、不v勝2哀頽《アイタイノ》之至(リニ)1、各々|陳《ノヘテ》2所心(ヲ)1、作(レル)歌三首【娘子字曰|縵兒《カツラコ》。】ト云リ。然彼ノヲトメノ名ハ、縵《カツラ》ノ兒ト云ケルト聞ヘタリ。サレハ山カツラノコトモイヒナセ、玉カツラノ兒トモイヒナストモ、カツラノコト云フ文字タニモカハラスハ、カミニヨソヘツヽクルニ、文字ハイツレニテモクルシカラヌ方モ侍ヘシ。何況、山玉トモニ字義ヲナシケレハ、文字ノ正訓ヲハタカヘスシテ和シナサ(318)ムコト又アタハスト云ヘキニアラス。二條院御本流ニハ、玉カツラノコト點セラレタリ。彼御本清輔朝臣奉勅點云云々。但シ頭句ノ足引ト云ニ付テ、山トツヽクヘキ理アリ。而ヲ又高大(ノ)有(ルヲ)v石曰v山(ト)コトナレハ、玉即チ、石類ナリ。玉縵ノ兒ト和セムコト、フカキ理ニ不v可v違。此兩點、愚老ハ不v及2裁判(ニ)1。於2其採用(ニ)1、任2後哲(ノ)意(ニ)1。
竹取《タケトリ》翁作歌詞中。
3791 ?襁平生蚊見庭《タマタスキハフコカミニハ》。タマタスキハ、負《ヲフ》v兒(ヲ)衣ナリ。チコノノキヲスクニアケタレハ、玉タスキト云。又タスキヲホムル詞也。玉篇云、襁《キヤウ》【居兩切、襁褓《ムツキ》。負v兒(ヲ)衣也。織v縷(ヲ)爲v之。廣《ヒロサ》八寸長(サ)二尺以負2兒(ヲ)於|背《セノ》上1也。】
結經方衣氷津裏丹縫服頸着之童子蚊見庭結幡之袂着衣服我矣《ムスフカタキヌヒツルニヌヒキクヒツキノウナヒコカミニハユフハタノソテツキコロモキレハワレヲ》トハ、カミモ頸《クヒ》ツキニオヒタルウナヒコカ衣ニハ、袖ヲツケテ着スルナリ。ニヨレルコラカヨチニハミナシツラ《丹因子等何四千庭三名之綿蚊》ナルカトハ、ワレモカクオサナカリシヲ、ニヨレルコトモヨキトチト、ミナシテ、ナミヰタルカト云ルナリ。
古部之賢人藻後之世之堅監將爲迹老人矣送爲車將還來《イニシヘノカシコキヒトモノチノヨノカタミニセムトオヒヒトヲヲクリシクルマモチテカヘリコネ》トハ、周ノ文王ノ大公望ヲミツケテ、車ニ乘セテオクリケルコトヲ云ヘルナリ。
3808 墨江之小集樂尓出而寤尓毛己妻尚乎鏡登見津藻《スミノエノヲ|ツメ《ヘラ》ニイテヽウツヽニモ|ヲノカメ《サカツマ》スラヲカヽミトミツモ》
有抄云、ヲヘラトハ、ヰ中モノヽ出アツマリテ、アソフヲ云ナリ。ソレニ住吉ニハ、(319)年コトニ《三月三日歟》濱ニテ、ヲヘラヰトテ遊フコトアリ。昔アヤシカリケル男ノ、アマタイテヽ遊ヒケル人ノ中ニ、イミシクカタチアリサマ勝テ、目出カリケルメモタリケル男ノ、ヲノレカ妻ノカタチヲ、讃メテ讃ケル歌ナリ。此義ニテハ、此歌ノ第二句、ヲヘラニ、イテテ、云ヘルナリ。
(夕附日サスヤ河邊トハ、無2風情1夕陽映v河也。カタチヲヨシミトハ、地形ノ面白キ由也。シカハ、然也、詞字也。鹿ニ非ス。ツクルヤハ、造屋也。)
3820 ユフツクヒサスヤ河邊ニツクル屋ノカタチヲヨシニシカソヨリクル
シカソヨリクルトハ、サソヨリクルト云也。
(櫟津、伊与國。)
(サスナベトハ、銚子ナリト云リ。如何。湯ワカセナト云リ。只鍋歟。可尋コト也。)
3824 刺名部尓湯和可世子等櫟津乃檜橋從許武狐尓安武佐武《サスナベニユワカセコトモイチイツノヒハシヨリコムキツニアムサム》
サスナヘトハ、銚子《テウシ》ナリ。キツニトハ、キツネナリ。
3833 虎尓乘古屋乎越而青淵尓鮫能龍將來釼刀毛我《トラニノリフルヤヲコヘテアヲフチニサメタツトリテコムツルキタチモカ》
此歌サル本縁アル事歟。ヒロク尋ネ問フヘシ。若シサセル本縁ナクハ、只命ヲステヽ、青淵ニ入テ鮫トリヲキツヘキ釼太刀モカナトヨメルニヤ。命ヲステヽト云コトハ、無常ヲハ虎ニタトフ。人ノ形ヲハ家ニタトフルニヨリテナリ。此事ヲ或人ニ語申シカハ、ソレハ聖教ニ見エタル事ナレハ、我朝ノフルキ歌ニハアルヘカラスト被申シカトモ、此萬葉集ニモ佛教ニ云ル詞トモ見エタリ。第五卷ニ、山上憶良日本挽歌ノ序ニハ、四生起滅方夢皆空、三界漂流喩環不息、ナトモ書タリ。又從來※[厭のがんだれなし]離此穢士、本願託生彼淨刹、ナ(320)ト云リ。假合身ナト云コトモアレハ聖教ノ理リ、歌ニヨマムコト難フルヘカラスト心ウヘキニヤ。
(勝間田池、下總國。)
3835 勝間田之池者我知蓮無然言君之鬢無如之《カツマタノイケハワレシルハチスナシシカイフキミカヒケナキカコト》。此歌ハ、新田部親王、カツマタノ池ヲ御覽シテ、カヘラセ給テ、怜《憐ィ》愛ニシノヒス、タヲヤメニ語テノ給ケレハ、今日遊行シテ、勝間田之池ヲ見ルニ水(ノ)彩|濤々《タウ/\トシテ、蓮華|灼々《シヤク/\》タリ。可v怜斷v腸(ヲ)、不v可v得v言《イフコトヲ》トノ給ニケルニ、タヲヤメノ讀ル歌也。心ハ、新田部親王ハ、極メタル大|鬢《(マヽ)》ニヲオハシマシケルナリ。サテ此歌ハ、カツマタノ池ハワレシル蓮ナシ、シカイフキミカヒケナキカコトトハ、ウチチカヘテ讀ルナリ。
(兒手柏トハ、大和國ニハ、橡ヲ云ト也。如何ニカクハイフソナレハ、オホドチノ葉ノ、兒ノ手ニ似タレハ、カク云ト也。又女郎花ヲモ云ト云リ。又柏ノ葉ノモヱ出ル時ハ、兒ノ手ノコトクニ、シハシハト紋アルヲ云ト也。ネチケ人トハ、人ノ心ノウラヲモテアルナリ。侫人ノコト也。或歌云、武藏野ノマハキカ本ノタハヤカニコノテカシハノ花ノ上露。是ハ女郎花歟。)
(橡《オホトチ》ヲトコヲミナ、ツルハミ。)
3836 ナラ山ノコノテカシハノフタオモテトニモカクニモネチケ人トモ
コノテカシハトハ、ヒラケモハヲヌカシハナリ。卯月ニ伊勢ニ下リケル、カリノ使ノカノコクイレテ、大神ニマイラセケルニモ用ケルト見タリ。コノテカシハト云ハ、ヒラケモハテネハ、マサシクニキリタルニモアラス。ヒラケタルニモアラネハ、トニモカクニモネチケタルニタトフル也。
無心所着歌二首
3838 吾妹兒之額尓生雙六乃事負乃牛乃倉上之瘡《ワキモコカヒタヒニオフルスクロクノコトヒノウシノクラノウヘノカサ》
(321)3839 吾兒子之贖鼻尓爲流都夫礼石之吉野乃山氷魚曾懸有《ワカセコカタウサキニスルツフレイシノヨシノノヤマニヒヲソカヽレル》
此歌ハ、舍人親王ノ家ニ、イミシウ歌ヨミケル者ヲ、イトオシウシテ置レタリケル。ヨルカタモナキモノニハ、物ヲトラセナトシテ、置スヘラレタリケルニ、大舍人安倍朝臣子祖父トイフ者。此歌ヲヨミタリケレハ、哀ミテ錢二千文ヲタマヒケル歌也。此歌ハタタイハルヽニ隨テヨメル樣ナレトモ、オモヘル所フカヽルヘシ。其故ハアルマシキ事ヲノミシテ、有ヘキ事ヲセネハ、イタルヘキ所ナクシテ、ヨシナキ所ニアル心ナリ。人ノ額ニハ、雙六ハ生ナムヤ。サレハソレハ有マシキ事也。コトヒノ牛ノ、倉ノ上ノ瘡ハイツヘシヤ。徒ニ牛ノ身ニハイテズシヲ倉ノ上ニカサノイテタラムカ如シト、タトフルナリ。又|都夫礼石《ツフレイシ》トハ、ツフラナル石ナリ。ソレヲハ人ハ|タフサキ《下帶ノコト也》ニシテムヤ。サレハアルマシキコトニテ、ヨシナク氷魚ヲトラムニハ、宇治川ヘコソ行ヘキニ、大和ノ吉野ノ山ニ、氷魚ノサカリテアラムヤウニト、タトフル也。
3842 小兒等草者勿苅八穗蓼乎穗積乃阿曾我腋草乎可礼《ワラハヘモクサハナカリソヤホタテヲホツミノアソカワキクサヲカレ》
ヤホタテトハ、蓼ノホハ、ヤスチタツカアルナリ。本文ナリト云ヘリ。但シ必ス、八筋タタストモ、穗ノアマタヽツ義ニテ、ヤホトイハルヘキ也。物ノカスノ中ニハ、八ヲモテ員ノ一ツノ極メトスル心ナリ。縱ハ、ヤヘ櫻トモ、ヤヘ山吹トモ云ルハ、必スシモヤ(322)ヘカサナラネトモ、カサナリテサキヌルハ、ヤヘト云カ如シ。穗積トハ、人ノ性也。其人ノ脇ニ、香ノアリケルヲヨメルナリ。是等ハ皆タハフレコトナルヘシ。
私云、阿曾トハ、朝臣ト云コト也。
(又ノ説ニ云ク、無何有里、面白キ所、ヱモイハヌ所ヲ云トモ云リ。)
((神宮文庫本朱頭書)私勘、無何ト云事、見莊子。)
3851 心ヲシ|フカウ《無何有》ノ里ニオキタラハヽコヤノ山ヲミマクチカケム
フカウノ里ハ、仙人ノ住所也。ハコヤノ山、又同シ。
3855 フチノ木ニハヒオホトレルクソカツラタユルコトナクミヤツカヘセム
フチノ木トハ、サイカイシ《西海枝》也。ハヒオホトレルトハ、ハヒオホヽレト云ナリ。
3856 婆羅門乃作有流小田乎喫烏瞼腫而幡幢尓居《ハラモンノツクレルヲタヲハムカラスマナフタハレテハタホコニヲレ》
ハラ門トハ智惠フカキ物ナリ。サレハソレカ咒シヲキタル田ヲハム烏ノ、イチシロク、マナフタハレテ、ハタホコニヰテナクト也。
3867、3870 ヤイラ《(マヽ)》ノサキ、筑前國。コカタ《粉固海》ノウミ、同。
3872 吾門之榎實毛利喫百千鳥々々者雖來君曾不來座《ワカカトノエノミモリハムモヽチトリチトリハクレトキミソキマサヌ》
3873 吾門尓千鳥數鳴起余々々我一夜妻人尓不知名《ワカカトニチトリシハナクオキヨ/\ワカヒトヨツマヒトニシラルナ》
モヽチ鳥トハ、人ノナヘテ云ハ鶯ナリ。鶯ハモヽサヱツリノ鳥ト云ヘハ、ソレヲイフトモアリ。サレトモ此歌ニヨリテイヘハ、僻事也。只百千ノ鳥ト云フ心也。榎ノ實ハ、秋(323)アル物也。又云、ソレモ心得ラレス。只千鳥ト云鳥ノアルナリ。ソレヲ讀ナルヘシ。ソレニチヽトイフ心ノアレハ、モヽトイフ言ヲソヘテ、ヨメルナリトモイフ。數ナクトハ、頻ニナクト云心也。千鳥ハ夜モアケカタニナリタリト云心ニテ、シハ/\鳴ト云ヲ、シハナクト云。ソレニ此歌ハ、人ノ妻ヲ忍テアリケルニ、夜ハアケムトス。人ニミエスシラレスシテ、オキナムト云ナリ。
能登國歌三首
3878 ※[土+皆]楯熊來乃夜良尓新羅斧墮入和之河毛※[人偏+弖]河毛※[人偏+弖]勿鳴爲曾※[衣+尓]浮出流夜登《ハシタテノクマキノヤラニシラキヲノオトシイルゝワシカケテカケテナ|ナラ《(マヽ)》シソネウキイツルヤト》將見《ハタミムニ・ミテン》和之《ヤワシ》
ヤラトハ、ミツヽキ《水漬》テ、カツミ《薦》アシ《葦》樣ノ者ナト生ヒシケリタル、ウキ土ナリ。田舍ノ者ハ、ヤハラトモ云。ワシトハ斧ナリ。イマノ歌ノ心ニテハ、斧ヲヽトシイレテ、ノヽシリ云心ナリ。カマヒスシクモノイフヲハ、ワシ/\ト云ナトイフコトハ、此事也。ワシクルナト云モ、同事ナリ。ヲノヲ、ワシト云ハ、木ヲ破ル義也。杣人ヲ、ワツト云ヘルモ、此義ナルヘシ。
(机之島、能登。)
3880 辛鹽尓古胡登毛美《カラシホニコヽトモミ》。コヽトモミトハ、ソコハク、モムトイフナリ。
母尓奉都也目豆兒乃負父尓獻都也身女兒乃負《ハヽニマツリノヤメツチコノマケチヽニマツリツヤミメチコノマケ》。メツチコ、ミメチコ、共ニホムル言也。マケトハ、マウケナリ。
(324)3885 爲鹿述痛歌詞中
吾角者御笠乃波夜詩《ワカツノハミカサノハヤシ》。ハヤシトハ、カサリ也。下皆放之。
爲蟹述痛歌詞中
葦蟹《アシカニ》トハ、海邊ニ人馬ナトノオトヲ聞テ、走リチル、シロキカニナリ。
毛武尓札乎トハ、モムトハ、シケシト云言。ニレ《楮》トハ、木ノ名也。シケリタル、ニレノ木ナリ。陶人《スエヒト》トハ、カハラケツクル人ナリ。
第十七卷
3899 海未通女伊射里多久火能於煩保之久都努乃松原於母保由流可聞《アマヲトメイサリタクヒノヲホホシクツノノマツハラヲモホユルカモ》
オホヽシクトハ、オホツカナキ也。アマノイサリ火ハ、ホノカナル物ナレハ、オホヽシクト云リ。ツノヽ松原ハ、攝津國ナリ。
3896 家尓底母多由多敷命波乃宇倍尓《イヘニテモタユタフイノチナミノウヘニ》思之《ウキテシ・ヲモヒシ》乎礼波於久香之良受母《ヲレハヲクカシラスモ》
タユタフトハ、タヽヨフナリ。思サタメヌヲ云。オクカモ不知トハ、奧モ不知ト云也。
讃三香原新都歌詞中
3907 春佐礼播花〓乎々理《ハルサレハハナサキヲヽリ》。花サキヲヽリトハ、花サキアカリト云ナリ。秋佐礼婆黄葉尓保比《アキサレハモミチハニホヒ》
(325)於波勢流《ヲハセル》。オハセルトハ、帶ナリ。
反歌
(泉川、山城國。柞森ノ本也。ミカノ原ヲワケテ流也。泉川ワキテナカルルナト云ハ、泉ノ縁語ニ、ワキテト云也。)
3908 楯並面伊豆美乃河波乃水緒多要受都可倍麻都良牟大宮所《タテナメテイツミノカハノミヲタヘスツカヘマツラムヲホミヤトコロ》
タテナメテイツミノ河ト云ル事、日本記第五卷、崇神天皇御宇ニ、武垣安彦《タケハニヤスヒコ》、謀反逆《ミカトカタムケムケントテ》興《ヲコシ》v師《イクサヲ》、登2那羅《ナ ラ》山(ニ)1、而|軍之《イクサダチスル》時、官軍屯《ミイクサノタムロ》聚(リテ)、而|〓2〓《フミナラシ》草木(ヲ)1、因(テ)號2其(ノ)山(ヲ)1、云2那羅山(ト)1。【〓〓、此云布弥那羅須。】更《マタ》避(テ)2那羅山(ヲ)1、而進(テ)到2輸韓《ワカラ》河(ニ)1。垣安彦狹(テ)v川(ヲ)屯之。各々相(ヒ)挑《イトム》焉。故(ニ)時(ノ)人改(テ)號(テ)2其(ノ)河(ヲ)1曰2挑河《イトミカハト》1。今(ノ)謂(フハ)2泉川(テ)1訛也ト云リ。此故ニ、楯竝テイツミノ河ト云ヘルナリ。
(或云。タチクキトハ、木ツタヒナク心ナリト云リ。)
3911 アシヒキノ山ヘニヲレハ時鳥コノマタチクキナカヌヒハナシ
タチクキトハ、タチクヽルナリ。
((神宮文庫本朱頭書)此歌在上卷。)
(或云、ノツカサハ鶯ノ實名ト云リ。異説歟。)
3915 安之比奇能山谷古延※[氏/一]野豆加佐尓今者鳴良武宇具比須乃許惠《アシヒキノヤマタニコヱテノツカサニイマハナクラムウクヒスノコエ》
此歌ノ中)五文字、古點ニハ、ヤツカサニト點ス。其心不相叶。ノツカサニト點スヘシ。ツカサト云ハ、ツヽキト云詞ナリ。野ツヽキニ、鶯ノ鳴心也。第廿卷歌ニ云ク、多可麻刀能宮乃須蘇未乃努都可佐尓伊麻佐家洗良武乎美奈弊之波母《タカマトノミヤノスソミノノツカサニイマサケルラムヲミナヘシハモ》。此歌ノ中ノ五文字、ノツカサニト點セリ。更不可替。
(郭公ヲハ、アミトリト云。ソレハ時鳥ヲハ、アミニテトリテ、明年ノ夏、マツナカセント云心ナリ。此心ニテヨメリ。)
3917 ホトヽキス夜コエナツカシアミサヽハヽナハスクトモカレスナカナム
(326)心ハ、郭公ノ來鳴タチハナニ、網《アミ》ナシオキタラハ、カレス、キナカムトヨメル也。
3921 カキツハタキヌニスリツケマスラヲノキソヒカリスル月ハキニケリ
キソヒカリトハ、卯月五月ノ程ニ、藥リカリトテスル也。イツレノマスラヲモ、キホヒカレハ、キソヒカリト云リ。キソヒトモ云、同韻ノ故也。サレハ、次上ノ第十六卷、爲鹿述痛歌ノ中ニ、卯月トヤ、五月ノホトニ、クスリカリ、ツカフル時ニトヨメリ。
3940 ヨロツヨニ心ハトケテワカセコカツミシヲミツヽシノヒカネツモ
ツミシヲミツヽトハ、マスラヲカ年來ニナリヲ、タカヒニハチカハス心モナケレハ、ワキモカウミタル麻ヲ、ツムキオキタルヲミテ、シノヒオモエル心ナリ。
(私云、倉谷、越中國。今ハ銀山也。此事歟。)
3941 鶯ノナクヽラ谷ニウチハメテヤケハシヌトモ君ヲシマタム
クラ谷トハ、所ノ名ニヤ、オホツカナシ。ウチハメテトハ、ウチハマリテト云也。ヤケハシヌトモトハ、ヨケハシヌトモト云也。心ハ、鶯ノ鳴谷ニ、ウチハマリテオホロケニモ、コヽニクルコトハナクトモ、君ヲマタムトヨメルナリ。
(遠キ田舍ハ、天ニマカイテミユル故ニ、アマサカルト云々。)
3949 安麻射加流比奈尓安流和礼乎宇多我多毛比母登吉佐氣※[氏/一]於毛保須良米也《アマサカルヒナニアルワレヲウタカタモヒモトキサケテオモホスラメヤ》
ウタカタトハ、ワスレスト云詞也ト書タルコトモ侍ルニ、此歌コソサモヤトモ聞エ侍ルメレ。言ハ同クテ、心ハカハリタルコトモ侍レハ、一スチニモ定カタクヤ。紐トキサケ(327)テトハ、紐トカスシテ、コフラムトヨメルナリ。
3956 ナコノアマノツリスルフネハイマコソハフナタナウチテアヘテコキテメ
ナコノ海、ナコノ浦、越中也。フナタナウチ|ニ《(マヽ)》トハ、フナハタヲタヽク、同シ事歟。
哀傷長逝之弟歌詞中
3957 多麻保許能道乎多騰保美山河能弊奈里底安礼婆《タマホコノミチヲタトホミヤマカハノヘナリテアレハ》云々。道ヲタトホミハ、道ヲトヲミナリ。タハ、言ノ助、山川ノトハ、山ト河トナリ。ヘナリテアルハトハ、ヘタヽリテアレハト云也。
忽沈2狂疾《ワウシツニ》1殆(ト)臨2泉路(ニ)1仍作歌|以《モツテ》申《ノフ》2悲緒(ヲ)1詞中
3962 大船乃由久良由久良尓《オホフネノユクラユクラニ》トハ、ユタカニト云ナリ。
安良志於須良尓奈氣枳布勢良武《アラシヲスラニナケキフセラム》。アラシヲトハ、荒増雄、同言也。
3965 春ノ花イマハサカリニヽホフラムオリテカサヽムタチカラモカモ
タチカラモトハ、手ノ力《チカラ》也。
更贈歌詞中
(私云、故之トハ北國也。)
3969 之奈射加流故之乎袁佐米尓《シナサカルコシヲオサメニ》。シナサカルトハ、邊土ハ、人ノ振舞、コトカラノシナヽケレハ、シナサカルト云ナリ。
(328)今日毛之賣良尓孤悲都追曾乎流《ケフモシメラニコヒツツソヲル》。シメラニハ、シツカニト云ナリ。
イテタヽムチカラヲナミトコモリヰテ君ニコフルニ心トモナシ
心トモナシト、心|利《トキコト》ナシト云也。
述戀緒歌詞中
3978 宿夜於知受伊米尓波見礼登《ヌルヨヲチスイメニハミレト》。イメニハミレトハ、夢ヲ云ナリ。越ノ國ノ習ニハ、夢ヲイメト云ナリ。
奈須良牟妹乎安比※[氏/一]早見牟《ナスラムイモヲアヒテハヤミム》。ナスラムトハ、ナヤムラムト云也。
3986 之夫多尓能サキノアリソニヨスルナミイヤシク/\ニイニシヘオモホユ
シフタニノサキ、越中國。有磯《アリソ》、同。シク/\ニトハ、シケキナリ。
遊覽布勢水海賦詞中
3991 宇加波多知可由吉加久遊岐見都礼騰母曾許母安加尓等《ウカハタチカユキカクユキミツレトモソコモアカニト》。カユキカクトハ、トユキカクユキト云ナリ。ソコモアカニトハ、ソコハクト云コトハナリ。
立山賦詞中
4000 安麻射可流比奈尓名可加須古思能奈可《アマサルルヒナニナカヽスコシノナカ》。アマサカルヒナニナカヽスコシノナカトハ、此國、越前、越中、越後、アルカユヘニ、ナカヽスト云リ。東山、東海ニモ、上下ヲ付タ(329)ル、國《クニ》モナラヒ、西海ニモ、前後ヲヨハルヽ國々アレトモ、名カヽス、イハルヽ國ハ、コシチノ越ノ國、カケトモノ道ノ、吉備ノ國ハカリ也。
(影面《カケトモ》、山陽道ヲ云也。)
敬和立山賦詞中
4003 安麻曾々理多可吉多知夜麻《アマソヽリタカキタチヤマ》。アマソヽリトハ、ソラニアカリタリト云ナリ。物ヲ上サマニアクルヲ、ソヽリアクナト云カ如シ。
由布佐礼婆久毛爲多奈毘吉《ユフサレハクモイタナヒキ》。雲井トハ、常ニイフ詞ナレハ、皆人モ心得タルヤウニハ侍レトモ、若又イカナレハ、云ソト尋ル人アラムトキニハ、コトカタキ人モアルヘキニヨリテ注シ侍ナリ。雲井ト云ハ、大方、霞ハ天ノ氣、霧ハ地ノ氣、雲ハ山河ノ氣也。雲ト云ハ、クハ、内ヘマクリイル詞、モハ、ムカウ義、是雲ノスカタ也。此姿ハ、小雲ニモ、皆ミユヘシ。井ト云ハ集ル詞ナリ。然ハ高クモアレ、遠クモアレ、其程遙ニヘタヽリテ、山川ノ氣カサナリアツマリタラムハ、雲井トイハルヘキナリ。
4005 カタカヒ《片貝》河、越中國。
入京漸近悲情難撥述歌詞中
4006 可伎加蘇布敷多我美夜麻尓《カキカソフフタカミヤマニ》。フタカミ山トイヒイテムタメニ、カキカソフトヲケリ。物ノ員ヲイハムニハ、イクツノカスニモ云ヘキ也。
(330)美許登母知多知奇礼奈婆《ミコトモチタ|チカ《(マヽ)》レナハ》。ミコトモチトハ、國司ナリ。國ノ守リハ、宣旨ヲモチテ、任國ニクタリテ其宣旨ヲ、國ノ廳ノ帶上ニカケテ、其ノマヘニシテ、政ヲナス故也。
聊奉所心歌詞中
4008 乎須久尓能許等登理毛知弖和可久佐能安由比多豆久利《ヲスクニノコトトリモチテワカクサノアユヒタツクリ》云々。ヲスクニトハ、望見國也。アユヒトハハヾキナリ。アユヒトイヒイテムタメノ諷詞ニ、ワカクサノトヲケリ。草ノ始テオヒイテタル葉ハ、クキノモトマトハレタレハ、アユヒニヨソヘタルナリ。
思放逸鷹夢見感悦作歌詞中
4011 之麻都等里鵜養我登母波《シマツトリウカヒカトモハ》。シマツトリトハ、鵜ヲ云。此鳥コノミテ、水ヲカツキテ、魚ヲクフ能ヲホトコス。故ニ絶島ニスムユヘニ、島津鳥ト云。魚ヲクフヒマ/\ニハ、ツバサヲホサムカタメニ、島ヲスミカトスルナリ。
露霜乃秋尓伊多礼婆野毛佐波尓等里須太家里等《ツユシモノアキニイタレハノモサハニトリスタケリト》。スダクトイフ言、サキニモ云カ如クニ、サマ/\ナレトモ、此集ニハ、多集ト書テ、スタクトヨメリ。今ノ歌ノ心、又アツマル義ニアタレリ。此集ノ心ニテハ、集ルトイフ義、ツヨカルヘキ也。
(矢形尾、八雲ニハ、尾ノマタラナルトアリ。如何。矢形尾トハ、尾ノ符トカリテスヂカイテマコトノ屋形ニ似タルチ云ト也。袖中ニハ、サカリ符ト云物ノアルヲ云ト云リ。)
矢形尾乃安我大黒尓《ヤカタヲノアカオホクロニ》。ヤカタ尾トハ、尾ノフノ、矢ノ羽ノヤウニ、モトノカタサマニ、キリタル鷹ナリ。
(331) 私記、大黒トハ、蒼鷹ノ名也。【此注在本。】
多夫礼多流之許都於吉奈乃《タフレタルシコツナキナノ》。タフレタルトハ、狂シタルト云也。シコトハ、凶ト云詞ナリ。
等乃具母利安來能布流日乎《トノクモリアメノフルヒヲ》。トノクモリトハ、タナクモリト云ナリ。タト、トノ、同内也。心ハ、タナヒキクモル《雲ノタナヒク義也》ト云。タハ言ノカミノタスケ、ナヒキクモルト云ナリ。
知波夜夫流神社尓底流鏡之都尓等里蘇倍《チハヤフルカミノヤシロニテルカヽミシツニトリソヘ》。シツトハ、シデナリ。シツモシデモ、共ニシツムル義也。サレハユフトリシテヽトモ、衣シテウツト云ハ、イツレモ、シツカナル心ナリ。
(所ノ者ハツノジト云。鮫ノアル魚也。)
(氷見《ヒミノ》江、越中國也。)
都奈之等流比美乃江過弖《ツナシトルヒミノエスキテ》。ツナシトハ魚ノ名也。
知加久安良婆伊麻布都可多米《チカクアラハイマフツカタメ》。タメトハ、メクルト云言ナリ。チカクアラハ、イマ|フツカ《二日》ハメクリアルカムスラムト云ヘル也。
奈孤悲曾余等曾伊麻尓都氣都流《ナコヒソヨトソイマニツケツル》。イマトハ、ユメナリ。反歌ニ云、二上ノオテモコノモニ網《アミ》サシテアカマツタカヲイメニツケツルトイヘリ。
4014 マツカヘリシヒニテアレカモサヤマタノオチカソノヒニモトメアハスケム
マツカヘリシヒニテアレカモトハ、マタレテカヘルコト、タユタヒテアルカモト云也。(332)サヤマタノオチトハ、養吏、山田史ナリ。此故ニ、サヤマタト云。オチトハ、老翁ナレハ也。
4016 ヒメノ野、越中國。
(名古海、越中國。)
4017 アユノ風イタクフクラシナコノアマノツリスルヲフネコキカクルミユ
アユノ風トハ、北國ノ習ハ、東ノ風ヲハ、アユノ風ト云也。
ヲカミ川、越中國。ウサカ川、同。ハヒツキ河、同。ニキシ川、同。ハクヒノ海、能登羽喰郡。
第十八卷
4032 ナコノ海ニフネシマシカセオキニイテヽ波タチクヤトミテカヘリコム
シマシトハ、シハシナリ。同韻ナルカユヘナルヘシ。
フセノ海、越中國。オフノサキ、同。タルヒメノ浦、同。
4055 カヘルマノ道ユカムヒハイツハタノサカニソテフレワレヲシオモハヽ
イツハタノサカ、越|中《前ィ》、越前國ヘコエルニ、二ノ道アリ。イツハタコエハ、スイツヘイツ。キノベコエハ、ツルカノ津ヘイツルナリ。キノベコエハ、コトニサカシキ道也。
(333)4056 ホリエ、攝津國。
4059 多知婆奈能之多《タチハナノシタ》テルニハニトノタテヽサカミツキイマスワカオホキミカモ
サカミツキトハ、オホキミニタテマツル、御酒宴也。
4065 アサヒラキイリ江コクナルカチノヲトノツハラツハラニワ|ケ《(マヽ)》シオモホユ
ツハラ/\トハ、ツマヒラカニト云也。
4069 アスヨリハツキテキコエムホトヽキスヒトヨノカラニコヒワタルカモ
一夜ノカラニトハ、一夜ノ間也。
4081 カタオモヒヲウマニフツマニオホセモヲコシヘニヤラハヒトカタハムカモ
ウマニフツマニトハ、馬ニオホスル、馬ニト云也。ヒトカタハムカモトハ、人カ、タヘムカモト云ナリ。
(或説云、ヒナハ、田舍也。ミヤコハ、京也。アメヒトシトハ、天齊也。然ハ田舍ノ空ト、都ノ空ト云詞歟。家持越中ニテノ作也。アマサカルヒナト都トハ、ヒトツ空ニテアルニ、吾ヒナニ居ナカラ、都ヲコフルモ、世ニ生テフルカヒアル也。他ノ田舍人ハ、ワカヤウニ郡ヘモノホルマシケレハ人々シク、京ヲモコフマシトヨメル也。又云、ヒナノ都トハ國々ノ國符也。國司綸旨ヲ頸ニカケテ下テ、國符ニ高クカケテ、其前ニテ政ヲスレハ、田舍ノ都卜云々。)
4082 安万射可流比奈能都夜故尓安米比度之可久古非須良波伊家流思留事安里《アマサカルヒナノ|ツ《ミ》ヤコニアメヒトシカクコヒスラハイケルシルシアリ》
此歌第二句、讀樣、一端ハオホツカナカルヘシ。比奈能都夜故尓ト云リ。都ノ一字、ミヤコナリ。ノチノ、夜故、ナニノタメニカアラム。サレハ二條院ノ御本ノ流ニハ、ヒナノツヤコニト點セラレタリ。旁不審ハレカタカルヘシ。是ニヨリテ、倩事ノ心ヲ案スルニ、ヒナノツヤコトヨミテハ、誠ニ、眞名假名ノヨミ、異義ナク、サニアタレリ。但其(334)心不相叶。都夜故トカキテ、ミヤコトハ傍例ノ證據モアリヌヘシ。タトヘハ後岡本朝左大臣素我|連《ムラシ》ヲ、或ハ、蘇我連羅志《ソガノムラシ》トモ書リ。連ノ一字、ムヲジナレトモ、末ニ、羅志ノ二字ヲ書具セリ。又此集第十六卷、能登國歌ニ、ツクエノ島ノ、シタヽミヲ、イヒロヒモテキテ、イシモチチト云、次ノ句ニ、都追伎破夫利《ツヽキヤフリ》トカケリ。破ノ一字ヤフリト讀ツヘシ。然而、スエニ、夫利ノ二字ヲ書具セリ。今ノ歌ノミヤコモ、又ナトカ、都夜故トモカヽサラムヤ。次ニ其心ヲイハヽ、ミヤコトハ王城ヲ云。シカルニヒナノミヤコト云ハ、諸國ノ國府ハ、田舍ニトリテノミヤコナレハ、ヒナノ都ト云ヘシ。タトヘハ、キミト申モ、王者ヲムネト申トモ、又分々ニ隨テ、五位ニ至ルマテモ、マウチキミトイハルルカコトシ。
アメヒトシトハ、天人也。大伴家持カ、姑坂上邸女ヲ賞スル詞也。カクコヒスラハトハ、カクコヒスレハト云也。ルト、ラト、同内ナルニヨリテ、男聲ヲモチヰルナリ。
4085 トナミ《砥浪》ノ關、越中國。
獨居幄裏、遙聞霍公鳥喧、作歌詞中
4089 コヽロツコキテウチナケキトハ、心ツクシテウチナケキト云也。コト、クト、同内、キト、シト、同韻ノ故也。
(335)4093 アヲノ浦、越中國。
出金詔書歌詞中
4094 天地乃神安比宇豆奈比《アメツチノカミアヒウツナヒ》。アメツチノ神トハ、天神地祇ナリ。アヒウツナヒトハ、アヒアラハルヽナリ。
麻都呂倍乃牟氣爲麻尓麻尓《マツロヘノムケノマニマニ》。マツロヘノトハ、シタカフルナリ。ムケトハ、タヒラクルナリ。
之我願心太良比尓《シカネカヒコヽロタラヒニ》。シカハトハ、ソレカ云詞ナリ。カレカトイハムトテ、ナカト云。シヤカトイハムトテ、シカトモ、サカトモ云。イツレモオナシ心ナリ。
大伴能遠都神祖乃其名乎婆大來目主登於比母知弖都加倍之官海行者美都久屍山行者草牟須屍大皇乃敞尓許曾死米可敞里見波勢自等許等太弖《オホトモノトヲノカミヲヤノソノナヲハオホクミモリトオヒモチテツカヘシツカサウミユカハミツクカハネヤマユケハクサムスカハネオホキミノヘニコシシナメカヘリミハセジトコトタテ》云々。
此事續日本記第十七卷、天平廿年二月丁巳、陸奥始(テ)貢2黄金(ヲ)1。於v是(ニ)奉2幣以《ホウヘイシタマフ》畿内(ノ)七道(ノ)諸社(ニ)1。夏四月甲午、天皇幸2東大寺(ニ)1、御2盧遮那《ルシヤナ》佛(ノ)像前(ニ)1、勅(シテ)、遣(ス)2左大臣橘(ノ)宿祢|諸兄《モロヱヲ》1、宣命(ノ)詞中(ニ)云(ク)、又大|伴佐伯宿祢波《トモノサヘキノハ》常|母《モ》云|久《ク》、天皇|朝守仕奉事顧奈伎《アサマモリツカヘタテマツルコトカヘリミナキ》人等尓阿礼波|汝多知乃祖止母乃《ナンタチノサキツヲヤトモノ》云|来久《キク》海行波美川久屍山行波草牟須屍王乃幣尓去曾能杼尓波不死止《ウミユカハミツクカハネヤマユカハクサムスカハネオホキミノヘニコソノト《・(マヽ)》ニハシナシト》云(ヒ)來《キタ》流人等止奈母聞召須ト云リ。今ノ歌ノ詞其意全同也。
(336)等伊夜多※[氏/一]於毛比之麻左流《トイヤタテオモヒシマサル》。トイヤタテトハ、トキヤタテト云ヘル歟。御言能左吉乃《ミコトノサキノ》トハ、ミカトノ、サ|キ《イ》ハヒ給ト云ヘル也。
4099 イニシヘヲオモホスラシモワカオホキミ吉野ノ宮ヲアリカヨヒメス
アリカヨヒメストハ、アリカヨヒマスト云、同事也。マト、メト、同内也。
爲贈京家願眞珠歌詞中
(能登ヽ歟。)
4101 珠洲乃安麻能《ススノアマノ》。スヽノウミ、越中國。
4105 思良多麻能伊保都追度比乎手尓牟須妣於許世牟安麻波牟加思久母安流香《シラタマノイホツツトヒヲテニムスヒオコセムアマハムカシクモアルカ》
ムカシクモアルカトハ、ユカシクモアルカト云也。ムト、ユト同韻也。
(サウルコトハ、フル女《メ》ト云フ心也。又タカイツキ也、又遊女ト云々。)
4108 サトヒトノミルメハツカシサフルコニサトハスキミカミヤテシリフリ
サトハストハ、ハヤクトフナリ。ミヤテシリフリトハ、ワカスムイヱヲイテヽユク也。ミヤトハ、分々ニ賞スル詞也。シリフリトハ、アルクトテ、シリフル也。
4109 クレナヰハウツロフモノソツルハミノナレニシキヌニナヲシカメヤモ
紅ヲハ、新妻ニタトフ。ツルハミノキヌヲハ、舊妻ニタトフ。紅ノ色ハ、ハナヤカナレトモ、ヤスクウツロフ物ナリ。ツルハミノ色ハ、メヲトヽメスウツクシカラネトモ、フリスサヒス、トコナレサルニタトフ也。
(337)4110 サフルコカイツキシトノニスヽカケヌハイマクタレリサトモトヽロニ
サフルコトハ、遊行《アソヒ》女婦ノ字、スヽカケヌハイマクタレリトハ、官使ノユキテ宿スル所ヲハ、驛路ト云。ハイマヂト云也。官ヨリ、鈴ヲ賜リテ、ソレヲシルシニテ、驛ヘユク。殊ニフリナラシテ宿スル也。國王七ノ鈴ヲ以《モツ》テ、七道ヘツカハスニハ、官使ニ一ツ賜フナリ。七鈴ノ中ニ、一ハ、クチノカケタル鈴ナリ。ソレヲ給リヌル使ハ、道ノ間ヨロツニ付テ、物アシト云傳ヘタリ。サテ彼鈴ヲフリナラスヲ聞テ、馬ノハミ物ナトヲ備スルハ、ハイマト云ナルヘシ。ミト、イト、同韻ノ故也。シカルニ、是ハ家持ノ宿祢、越中ニイタリテ、在國ノ間、アソヒヽメ、サフルコヲ、思ヒケルニ、家持先妻、不v待2夫君(ノ)喚(ヲ)1、使2自(ラ)來(ラ)1タレハ、スヽカケヌ。ハイマクタレリトハ云也。
橘歌詞中
4111 皇神祖能可見能大御世尓田道問守常世尓和多利《スメロキノカミノオホミヨニタチマモリトコヨニワタリ》云々
日本記第六卷、活目入《イクメイリ《垂仁天皇》》彦五十|狹茅《サチノ》天皇九十年、春二月庚子朔、天皇命2田道間守《タヂマモリニ》1、遣2常世《トコヨノ》國(ニ)1令求2非時香菓《トキシクノカクノコノミヲ》1。【香菓、此云|箇倶能未《カクノミ》。】今謂橘也。
安由流實波多麻尓奴伎都追《アユルミハタマニヌキツヽ》。アユルミトハ、タヘタルミハト云ナリ。モロ/\ノコノミハ、ヤスクチリウスルモノナレトモ、橘ノミハ、次ノ年ノ花ノサクマテ、タヘテアル木(338)ノミナレハ、アユルミハトイフヘシ。又イツレノ木モ、花ハヤスクチレトモ、實ハ花ノ如クニアラス、タヘテヒナシケレハ、アユルミトハ云ナリ。
阿之比奇能夜麻能許奴礼波久礼奈居尓《アシヒキノヤマノコヌレハクレナヰニ》。此歌ノ書樣、多本ミナ如是。或證本ニハ、クニ《久尓》ノアヒタニ、二三字ハカリノ闕字アルナリ。モトヨリ脱落故歟。付無闕字、欲加和、假令、ヒサシキニヽホヒチレトモトヨムヘシ。シカ點スルナラハ理リアヒカナフヘカラス。黄葉チリヤスクシテ、不久故也。闕字アルニツイテ、是ヲ勘カフルニ、紅ニニホヒチレトモト云ヘキナリ。然ハ、久尓、兩字ノ中ニ、礼奈爲ノ三字ヲ、脱落セリ。檢此詞之作例者、第八卷、佛前唱歌云、思具礼能雨無間莫零紅尓丹保敞流山之落卷惜毛《シクレノアメマナクナフリソクレナイニニホヘルヤマノチラマクヲシモ》云々。今歌之詞、全同者乎。幸哉、弟子、至2此(ノ)脱字(ノ)1、思慮、輙(ク)及2于不1v失2歌(ノ)意1。若(シ)不v如v是(ノ)、今(ノ)一句、終(ニ)不復本乎。
4113 サユリハナユリモアハムトシタハフルコヽロシナクハケフモヘメヤモ
サユリ花ユリモアハムトツヽクルコトハ、ユリトイフ名ニツケテ、ツヽキヌヘキウヘニ、カノ花ハ、コト花ヨリモオホキラカニ、ヲモキニヨリテ、風ナト聊モ吹時ハ、ワキテユラレタチタレハ、ユリモアハムト、ヨソヘヨメルナリ。
忽見雨雲之氣作歌詞中
(339)4122 アシヒキノ山ノタヲリニ、山ノカヒナトニミユル、雲ナルヘシ。ワタツミノオキツミヤコニトハ、龍宮ヲ云ヘル也。龍ノ雨ヲフラスニハ、雲ヲオコスコトナレハ、其ノ本文ヲオモハヘテ讀ル也。文云、辟(ヘハ)如2龍(ノ)子(ノ)1。始生七日(ニ)即(チ)能(ク)興《アカリ》v雲(ニ)亦(タ)能(ク)降《フラス》v雨(ヲ)文。コノミユルクモホヒコリテトノクモリアメモフラヌカコヽロタラヒニ
雲ホヒコリテトハ、雲ハビコリテ也。
七夕歌詞中
4125 和多里母理布祢毛麻宇氣受波之太尓母和多之弖安良波《ワタリモリフネモマウケスハシタニモワタシテアラハ》。此歌ハ、アマノ川ニハ、ワタリ守ノ船モマウケス、橋モナシトキコエタリ。而ルニ、此集第九卷ノ七夕歌ニハ、久堅乃《ヒサカタノ》、天漢尓《アマノカハラニ》、上瀬尓《ノホリセニ》、珠橋渡《タマハシワタシ》、下湍尓《クタリセニ》、船浮居《フネウケスヘテ》、雨零而《アメフリテ》、風不吹登毛《カセフカストモ》、風吹而《カセフキテ》、雨不落等物《アメフラストモ》、裳不令濕《モヌラサス》、不息來益常《ヤマスキマセト》、玉橋渡須《タマハシワタス》ト云ヘリ。第十卷歌ニハ、機※[足+榻ノ旁]木持往而天河打橋度公之來爲《ハタモノヽフミキモチイテアマノカハウチハシワタスキミカコムタメ》トモ云ヘリ。サレハ、或ハ舟モナク、橋モナキ樣ニモヨミタルハ、タヽ風情ヲメクラシテ、アマノ川ノアリサマ、七夕ヒコホシノ、アフセヲオモヒヤリテ、其ナサケヲアラハシ、心ヲアソハシムルハカリナリ。カタク船橋ナシトモ云、アリトモ云ヘキニアラス。ソレニトリテ、今ノ歌ニハ、ワタリモリ船モマウケス、橋タニモ、ワタシテアラハ、ソノヘユモ、イユキワタラシ、タツサワリ、ウナカケリヰテ、オモホシキ、(340)コトモカタラヒ、ナクサムル、心ハアラムヲ、ナニシカモ、アキニシアラネハ、コトヽヒテ、トモシキコラト云。反歌ニハ、アマノ川橋ワタセラハソノヘユモイワタラサムヲ秋ニアラストモト云ヘリ。ツネノ人間界、江河津渡ニハ、渡舟モ時ヲカキラス、又橋ナトヲカケオキテアル所モアルニ、コレハ秋ナラヌカキリハ、コトヽヒノ、トモシキコトヲ恨テ、ナキカコトクニイヒナセル、スチモアリヌヘシ。小屬無ト云カコトシ。
(針袋《ハリフクロ》也。)
4130 ハリフクロオヒツヽケナカラサトコトニテラサヒアルケト人モトカメス
ヲラサヒアルケトヽハ、テラメキアルク也。人モトカメスト云ハ、アレハイカニト云人モナキナリ。
4131 トリカナクアツマヲサシテフサヘシニユカントオモヘトヨシモサネナシ
フサヘシニトハ、アタヘシニト云詞ナリ。
4136 アシヒキノ山ノコヌレノホヨトリテカサシツラクハチトセホクトソ
木ヌレトハ、木ノウレナリ。ホヨトリテトハ、木ノ若葉ノ、ハヒヽラケタルナリ。
文永六年孟夏朔日記之畢。 仙覺在判
建治元年十一月晦日、以作者仙覺律師自筆本、教人書寫畢。
(341) 同十二月一日一校畢 玄覺在判
(以上萬葉集註釋第九册)
(342) 第十九卷
(ハルマケテトハ、春カケテト云詞也。トキカタマケテ、又夕カタマクナト云モ、カケタルコト也。ヲキマケテト云モ奧カケテト云心ナリ。)
4141 ハルマケヲモノカナシキニサヨフケヲハフリナクシキタカタニカスム
ハルマケテトハ、ハルマカリテト云心也。罷トカキテ、マケテトヨメルコトアリ。タカタニカスムトハ、タカタメ也。
(カタカシハ古點也。橿木ト思ヘルナリ。)
4143 モノヽフノヤソノイモラカクミマカフテラヰノウヘノカタカコノハナ
此歌ノ落句、古點ニハ、カタカシノハナト點セリ。コレヲ、カタカコト點スヘシ。カシト點スレハ、橿木《カシノキ》ニマカヒヌヘシ。端作詞ニ、堅香子草花トカケリ。草トキコエタリ。カタカコヲハ、ヌハヰノシタトイフ。ハルハナサク草也。ソノハナノイロ、ムヲサキ也。
(夜クタチハ降也。斜ト云。)
4146 ヨクタチニネサメテヲレハ|カハセトメ《河瀬尋》コヽロモシノニナクチトリカモ
ヨクタチニトハ、更闌ナトイフコトハ也。
4154 イハセノ《石瀬野》、越中國。
(343)(マシロノ鷹ハ、眞白鷹也。眉ノ白ヲ云ト云リ。不可用。眉ノ白ヲハ、則マイシロト云也。眞擘ニハ、猶有子細云々。)
4155 矢形尾乃麻之路能鷹乎屋戸尓須惠可伎奈泥見都追飼久之余志毛《ヤカタヲノマシロノダカヲヤトニスエカキナテミツヽカハクシヨシモ》
矢形尾、第十七卷ニイヘルカコトシ。マシロノタカトハ、目上ノシロキ|タカ《鷹》ナリトイヘリ。
4156 サギタ《鷺田》川、越中國。
4159 磯上之都萬麻乎見者根乎延而年深有之神佐備尓家里《イソノウヘノツママヲミレハネヲハヘテトシフカヽラシカミサヒニケリ》
都萬麻《ツマヽ》、何(レノ)木乎。可v尋2有識人(ニ)1。仍不v記v之。
慕(ヒ)2振(フコトヲ)勇士(ノ)之名(ヲ)1歌詞中
4164 知智乃實乃父能美許等波播蘇葉乃母能美己等《チヽノミノチヽノミコトハヽソハノハヽノミコト》。チヽノ木ハ、葉(ハ)似2楊梅《ヤマモヽノ》葉(ニ)1、菓(ハ)如(シ)2胡頽子(ノ)熟(シタル)時《トキノ》色(ノ)赤1。鵯好(テ)食v之(ヲ)云々。此木有2走湯山(ニ)1。又伊豆(ノ)島、此樹茂盛云々。柞葉《ハヽソノハ》者如v常。似(テ)2橡《トチノ・ヲトコヲミナ》葉(ニ)1、而厚《アツキ》者(ナリ)。
詠霍公鳥并時花歌詞中
4166 四月之立者欲其母理尓鳴霍公鳥從古昔可多理都藝都流鶯之宇都之眞子可母《ウツキノタヽハヨコモリニナクホトヽキスムカシヨリカタリツキツルウクヒスノウツシマコカモ》云々。ウツシ眞子カモトハ、ウツシ、現也。心ハ、ホトヽキスハ、ウクヒスノ、マコトノコカト云也。
詠霍公鳥并藤花歌詞中
(344)4192 許能久礼乃繁谿邊乎呼等米尓《コノクレノシケキタニヘヲメスラメニ》。メスラメニトハ、キミニツカマツル、近習ノ人ナトノ、アクレハサタメテ、メスラント、キリヲハラヒテマウツルカコトク、ホトヽキス、アサトワタリテ、ナクトヨメル也。
4196 ツキタチシヒヨリオキツヽウチシノヒマテトキナカヌ郭公カナ
霍公鳥ハ、立夏日來鳴必定ト云ヘリ。イマノ歌モ、コノ心トキコエタリ。
4197 イモニヽルクサトミシヨリワカシメシノヘノヤマフキタレカタヲリシ
イモニヽルクサトハ、ヤマフキハ、カホリモナツカシク、タハヤカニ、シナヒタルクサナレハ、イモニヽタルトヨメル也。
(シツクトハ、或説云、シツミモセスウカヒモセス、ナカハニミユルト云ヘリ。水ノ底ナル石モ、波ヨり出ルヤウナレトモ、アラハレモハテヌヲ云也。)
4199 フチナミノカケナルウミノソコキヨミシツクイシヲモタマトソワカミル
シツクトハ、シツムナリ。此集第七卷ノ、水底尓沈白玉誰故心盡而吾不念尓《ミナソコニシツクシラタマタレユヘニコヽロックシテワカオモハナクニ》トイフ歌ヲ、濱成卿和歌式ヒイテイハク、|如藤原宮卿、奉贈新田部親王歌《不審》曰、美那曾骨己弊旨都倶旨羅他麻他我由惠尓己々侶都倶旨弖和我母婆那倶尓《ミナソコヘシツクシラタマタカユヘニココロツクシテワカヲモハナクニ》。シツクトイフハ、シツムトイフコトハノ古語也。クト、ムト、同韻ノユエナルヘシ。
從京師來贈歌詞中
4220 美久之宜尓多久波比於伎底《ミクシケニタクハヒヲキテ》。タクハヒヲキテトハ、タクハヘヲキ《畜置》テ也。
(345)4225 アシヒキノヤマノモミチニシツクアヒテチラムヤマチヲキミカコエマク
ヤマノ|シツク《雫》ト、トモニ、モミチノチラムヤマチヲ、キミカ、コエイナムコトヲ、カナシクオモヒヤリテ、ヨメル歌也。
4230 フル雪ヲコシニナツミテマヰリコシヽルシモアルカトシノハシメニ
此歌ハ、天平勝寶三年正月三日會集、越中介内藏|忌寸《イミキ》繩磨(ノ)之館(ノ)宴樂(ノ)時、守大伴宿祢家持、作歌也。雪中會集飲樂ル心ノ歌也。
4232 雪島巖尓《ユキシマノイハホニ》殖有《オフル・ウフル》奈泥之故波千世尓開奴可君之挿頭尓《ナテシコハチヨニサキヌカキミカカサシニ》
此歌ノ第二句。古點ニハ、イハホニオフルト點セリ。漢字殖有トカケリ。ウフルトイフヘシ。又發句、雪ノ島尓トイヘル、所ノ名ナトニハアラサルヘシ。次上ノ歌ノ端作ノ詞ニ云ク、于v時積(テ)v雪(ヲ)、彫(リ)2成(シ)重|巖之起《カンノタテルヲ》1、奇巧《キコウニ》綵《イロトリ》2發(ク)草樹之花(ヲ)1等云々。シカレハ、コノナテシコモ、イロトリヒラケルハナ也。モシハ島ヲモ題ニシ、ナテシコヲモ題ニテ|マコト《眞》シキ歌ヲヨミイテムトキニ、モトモ用意アルヘシ。次(ノ)上ノ廣繩歌ニモ、ナテシコハアキサクモノヲキミカイヘノユキノイハホニサケリケルカモトヨメルモ、ツクリモノトキコエタリ。
(或ハアマ雲ヲフルニフミワタシトモ云。同事ナリ。ホロニフミアタシトハ、雨雲ヲアラハニ、イタシテト云心也。又云、ホハ、アラハナル詞也。ロハ、ヤスメ詞也。フミアタシハ、フミワタシ也。アマ雲ヲ、アラハニフミワタシテ、ナルカミト云也ト云々。)
4235 アマクモヲホロニフミアタシナルカミモケフニマサリテカシコケメヤモ
(346)ホロニフミアタシトハ、フミワタリ也。
4249 イハセノ、越中國。
向京路上(リ)依v興(ニ)預《カネテ》作(ル)侍(テ)v宴應(ス) v詔歌(ノ)詞中
4254 四方之人乎母安天左波受《ヨモノヒトヲモアテサハス》。アテサハストハ、ワツラハサストイフ也。多婢未祢久《タヒミネク》トハ、タユミナクナリ。
(タツカ弓ノコト、トツカヲ大キニスル也。ソレハ紀伊國ノ雄山ノ關守カ狩弓也。トツカ弓ヲ、タツカ弓ト云ナリ。タナクラ野ハ紀州也。或説云、女ノ弓ニ成タルヲ云也。昔男アリケリ。女ヲ思テ、フカクコメテ愛シケル程ニ、夢ニ此女ノ、我ハハルカナル所ニユキナントス。但形身ヲハトトメントス。我カハリニ、アハレニスヘキ也ト云ケルホトニ、夢サメヲトロキテ見レハ、女ハナクテ、枕上ニ弓タテリ。アサマシト思ヘト、サリトテハ如何セントテ、弓ヲカタハラニ立テ、是朝暮手ニトリノゴヒナトシテ、身ヲハナツコトナシ。日月フルホトニ、白キ鳥ニ成テ、飛テハルカニ南ノ方ニ、雲ニ付テ行。尋テミレハ紀州雄山ニ至テ、人ニ成テ失ヌ。此女ハ、彼山ノ關守ノ、弓ニテアリケリト云々。)
4257 タツカユミテニトリモチテアサカリニキミハタチイヌタナクラノヽニ
有抄云、タツカユミトハ、トツカヲ、オホキニマキタルユミヲイフトイヘリ。シカレトモ、コレハタヽテニトルヲ、タツカトイヘルニヤ。此集第五卷ニ、哀世間難住歌ノ中ニ、タツカツエコシニタカネテトイヘルモ、テニトリテツキタルツエヲ、コシニツカヘタルト、キコユタリ。
(櫛毛見自《クシゲミシ》、クシヲ、手ニトルマシキト也。旅ノ心アル歌ト也。)
4263 梳毛見自屋中毛波可自久左麻久良多婢由久伎美乎伊波布等毛比※[氏/一]《クシ|ケ《モ》ミシヤナカモハカシクサマクラタヒユクキミヲイハフトモヒテ》
クシモミシヤナカモハカシトイフハ、人ノモノヘアリキタルアトニハ、三日ハイヘノニハ、ハカズ、ツカフクシヲ、ミズトイフコトノアル也。
(五百繩ハ、岩繩カト云々。ホト、ハト同音也。八雲ニ、石綱ハ、大船ノ綱ト云々。又云、石ハ、トキハノ柏也。ツナハツネ也。ナト、ネト同音也。)
4274 アメニハモイホツヽナハフヨロツヨニクニシラレムトイホツヽナハフ
イホツヽナハフトヨメルコト、有2本縁1ニヤ。可尋2問有識人(ニ)1。仍(テ)注載之。
(347)4278 アシヒキノヤマシタヒカケカツラケルウヘニヤサラニウメヲシノハム
ヒカケトハ、アフヒ也。葵ハ、日ノカケノサセルカタニシタカヒテ、ナヒキカタフクユヱニ、ヒカケクサトイフ。カツラケルトハ、カツラニカケタル也。ヒカケカツラトイフコレ也。
4279 ノトカハノヽチニハアハムシマシクモワカレトイヘハカナシクモアルカ
ノトカハ、大和國。
(私云、猪笹ト云笹アル歟。)
4291 ワカヤトノイサヽムラタケフクカセノヲトノカソケキコノユフヘカモ
イサヽムラタケトハ、イサヽカニカロクシテ、カセニナヒキヤスキ、ムラタケ也。カソケキトハ、カスカナルナリ。
第二十卷
(マイコムトハ、メクリコント云心也。)
4298 霜上尓安良礼多婆之里伊夜麻之尓安礼婆麻爲許牟年緒奈我久《シモノウヘニアラレタハシリイヤマシニアレハマヰコムトシノヲナカク》
シモノウヘニアラレタハシリトイフハ、本文也。露結(テ)爲v霜(ト)霜凝(テ)爲2雹雪1ト、禮記正義トイフ文ニイヘル也。タハシリトハ、トハシルトイフ也。
(ウタテケニトハ、ウレタキ也。)
4307 アキトイヘハコヽロソイタキウタテケニハナニナソヘテミマクホリカモ
(348)ハナニナソヘテトハ、ハナニナソラヘテトイフナリ。
4315 ミヤヒトノソテツキコロモアキハキニヽホヒヨロシキタカマトノミヤ
ソテツキコロモトハ、ミモソテモオナシイロニアラスシテ、サマ/\ニ并文シ、ニシキ《錦》ナトヲ、ソテニタチキタル衣ニヤ。アキハキニヽホヒヨロシキナト、イヒツヽケタルアタリ、シカニヤアラムトミユル也。
(武藏野ノマ萩カ本ノタハヤカニコノテ柏ノ花ノウハ露是ハ女郎花歟。)
(オホトチヲ太和國ニハ、コノテ柏ト云也。葉ノ兒ノ手ニ似タレハ也。又コノテ柏ヲ、女郎花トモ、オホトチトモ云也。オホトチハ、女郎花ニ似テ、花ノ白也。)
4317 アキノニハイマコソユカメモノヽフノオトコオミナノハナニホヒミニ
オトコオミナノハナトハ、オホトチトイフクサヲハ、オトコオミナヘシトナン申ス也。
4321 カシコキヤミコトカヽフリアスユリヤカエカイムタネヲイムナシニシテ
ミコトカヽフリトハ、ミコトカフムリヲト云也。ハジメノ、カハ、コトハノタスケ也。アスユリヤトハ、アスヨリヤ也。カエカイムタネヲトハ、カエカハ、カレカ也。エト、レト同韻也。イムタネヲトハ、イハ發語ノ詞。ムタハ、トモ也。カレカトモネヲト云也。イムナシニシテトハ、イモナシニシテト云也。
4322 ワカツマハイタクコヒラシノムミツニカコサヘミエテヨニワラレス
カコサヘトハ、カヲ《顔》サヘ也。
(丁トハ防人ニタツ人夫ノ四十ヲ爲2上丁1十八歳ヲ爲2下丁1ト云リ。)
主帳丁《フミヒトノヨホロトハ》、近來ノ公文也。
(349)4323 トキ/\ノハナハサケトモナニスレソハヽトフハナノサキテコスケン
ハヽトフ《母問》ハナトハ、オヤナトカヘリミル、サカヘ《榮》ノ|ハナ《花》ノサカサルラントヨメル也。
4325 チヽハヽモハナニモカモヤクサマクラタヒハユクトモサヽコテユカン
サヽコテユカントハ、サヽケテユカン也。
(私云、百夜草ハ菊ノ一名歟。本説アリト云々。名ニシオフ翁カ庭ノモヽヨクサ花サキテコソ白妙ニナレ。)
4326 チヽハヽカトノヽシリヘノモヽヨクサモヽヨイテマセワカキタルマテ
モヽヨクサ、未勘之。後人爲被考之、注載也。
4328 オホキミノミコトカシコミイソニフリウノハラワタルチヽハヽヲオキテ
イソニフリハ、イソ《磯》ニフレ也。ウノハラワタルトハ、ウナハラ《海原》ワタル也。
4332 マスラオノユキトリオヒテイテヽイケハワカレヲオシミナケキケムツマ
マスラヲトハ、オトコヲイフ。或ハ増荒男《マスラヲ》トモカケリ。タケキオトコヲイヘルカ。ユキトリオヒテトハ、防人トイフモノハ、勒負《ユケイ》ノ職也。靭《ユギ・ウツホ》トイフハ、カトノオサナトノオフ、ヤナグヰナリ。オヨソ左右衛門ノツカサノ人ヲハ、ユケヒ《靱負》ノ|ツカサ《尉》トイフ、コレ也。
4334 ウナハラヲトホクワタリテトシフトモコラカムスヘルヒモトクナユメ
ユメトハユメ/\トイフコトハ也。餘歌皆放之。
(埼守堀江、駿河國。)
(日本紀十、應神天皇三十一年、官船枯野《ミヤケノカラノ》爲v薪(ト)而燒(シム)v鹽(ヲ)日(ニ)有2餘(ノ)燼《モエクヒ》1。則|奇《アヤシミテ》2其(ノ)不(ルヲ)1v燼而獻v之。異《アヤシンテ》令v作v琴(ニ)。其(ノ)音|鏗※[金+將]《サヤカニシテ》而遠k聆《キコユ》。
4336 サキモリノホリエコキツルイツテフネカヂトルマナクコヒハシケヽム
(350)サキモリノホリエトテ、名所ノ中ニカケルコトアリ。オホツカナキコト也。コレハ、タタ防人《サキモリ》カ堀江ヲコギイデタルニヤ。イツテフネトイフ事、マタ|ロ《櫓》ヲ拾丁タテヽコクフネヲ、イツテフネトイフ。櫓二丁ヲ、ヒトテトイフト尺シタルコトモハヘル也。シカレトモ、船ハ伊豆國ヨリツクリテタテマツリタレハ、伊豆テフネトイヘルニヤアラン。カク申ス人モアマタ侍也。日本記第十卷、譽田《ホムタ》天皇御宇五年、秋八月、庚寅朔|壬寅《十三日也》、令《ノリコト》諸國《クニ/\》定2海人《アマ》及(ヒ)山守部(ヲ)1。冬十月|科《フレオホセテ》2伊豆國(ニ)1令v造v船(ヲ)、長(サ)十丈、船既(ニ)成(ヌ)之。試(ニ)浮2于海(ニ)1。便(チ)輕(ク)泛(テ)疾(ク)行(コト)如v馳。故名(テ)2其船(ヲ)1曰2枯野《カラノト》1。【由(テ)2船輕疾(ニ)1名2枯野(ト)1是|義《コトハリ》違焉。若謂2輕|野《ノト》1後(ノ)人(ノ)訛歟《ヨコナマレルカ》。】シカレハ伊豆出船トイハムコト、ソノイハレアルヘシ。カツハ一事ニヲイテ、アマタノ義アルコトモ、ミナ傍例アルユヱ也。
4337 ミツトリノタチノイソキニ父母《チヽハヽ》ニモノハスキニテイマソクヤシキ
モノハストハ、モノイハス也。
4338 タヽミ氣《ケ》メムラシカイソノハナリソノハヽヲハナレテユクカヽナシサ
タヽミケメトハ、タヽミコモ也。ムラシカイソ、駿河トイヘリ。ムトイフハ、タカキ義ナレハ、ムラシカイソトイフ、ムノ字ヲイヒイテムタメノ諷詞ナレハ、タヽミコモトヲケル也。鋪設《シキマウケ》ハ、タカクカサネシクエヱ也。
4339 クニメクルアトリカマケリユキメクリカヒリクマテニイハヒテマタネ
(351)アトリカマケリユキメクリトハ、アトリハ、ワレヒトナリ。ヰナカヒトノツネニイフコトハ也。マケリハ、マカリ也。カヒリクマテトハ、カヘリクルマテニ也。
4340 チヽハヽカイハヒテマタネツクシナルミツクシラタマトリテクマテニ
ミツクシラタマトハ、ミツキモノニソナフル、シラタマトイフ也。
4343 ワロタヒハタヒトオメホトコヒニシテコメチヤスラムワカミカナシモ
ワロタヒハトハ、ワカタヒハ也。タヒトオメホトハ、タヒトオモヘト也。コメチヤスラムトハ、籠モチヤスラントイフ也。
4345 ワキメコトフタリワカミシウチエスルスルカノ祢《ネ》ラハクフシクモアルカ
ワキメコトハ、ワキモコ也。ウチエスルトハ、ウチヨスル也。ネラトハ、ヤマ也。ムカシハヤマヲハ、ネトイヒケル也。ラハコトハノタスケ、クフシクモアルカトハ、コヒシクモアルカ也。
4346 チヽハヽカヽシラカキナテサクアレテイヒシ|ケトハセ《コトハソィ》ワスレカネツル
サクアレテトハ、サクリシテナク也。イヒシケトハセハ、イヒシコトハソ也。
(阿須波之神、上總國ニアリ。其神ノ誓ヒニテチイサキ柴ヲ立チ祈事アリト云リ。又云、竈神也。ソレニ旅人出トチ柴ナトヲ折カケテ祭ヲシテ出ト也。但此説不可用也。)
4350 ニハナカノアスハノカミニコシハサシアレハイハヽンカヘリクマテニ
アスハノカミトハ、アシヘノカミトイヘルニヤ。庭ハ人ノカヨフトコロナレハ、ニハニ(352)コシハサシテ、キヨメントヨメルニヤ。
4352 ミチノヘノウマラノウレニハホマメノカラマルキミヲハカレカユカン
ウマラハ、ウハラ也。ハホマメハ、ハフマメ也。ハカレカユカントハ、ハナレユカムト云也。
4357 アシカキノクマトニタチテワキモコカソテモシホヽニナキシソモハユ
クマトヽハ、クミト《組戸》ナリ。ソテモシホヽニトハ、ソテシホ/\ト云也。ソモハユトハ、オモハル也。
陳私拙懷歌詞中
4360 安麻乎夫祢波良々尓宇伎弖《アマヲフネハラヽニウキテ》。ハラヽニウキテトハ、チリ/\ニ、ウキテト云也。曾伎太久毛於伎呂奈伎可毛《ソキタクモヲキロナキカモ》。ソキタクモトハ、ソコハクモ也。オキロナキカモハ、オクモナキカモ也。己伎婆久母由多氣伎可母《コキハクモユタケキカモ》。コキハクハ、コヽハク也。ユタケキカモハ、ユタカナルカモ也。ヒロシト云也。
4369 ツクハネノ|サユルノハナ《百合草花》ノユトコニモカナシケイモソヒルモカナシケ
ユトコニモハ、ヨトコニモ也。カナシケトハ、カナシキ也。
4372 アシカラノミサカタマハリカヘリミスアレハコエユクアラシヲモタシヤハヽカル。ミサ(353)カタマハリトハ、ミサカミチサカシクオソロシケレハ、アヤマチセシトテ、ヨコメモセスマモリユク也。タマハリトイフ、タハ、コトハノタスケ也。アラシヲモトハ、コヽロタケク、アラキヲノコモト云也。タシヤハヽカルトハ、タチヤハヽカルト云也。タケキヲノコモ、アヤウクオモヒテ、タチヤハヽカルトイヘル也。ムマノツメツクシノサキニチマリヰテハ、ミヤコヘノホルミチノアヒタニ、ツクシノサキトイフトコロアリトモ、イマタキヽヲヨハス。コレハ天平勝寶七歳乙未二月、諸國ノ防人等《サキモリラ》ヲ、筑紫ヘツカハサレケルトキノコトナレハ、ツクシノサキニトヨメルニヤ。チマリヰテトハ、トマリヰテ也。サケクトマヲスカヘリクマテニトハ、サケクハ、サキク也。
4373 ケフヨリハカヘリミナクニオホキミノシコノミタテトイテタツワレハ
シコノミタテトハ、シキリノミタテト云也。シキリニタテトオホスレハイテタツ也。
4374 アメツチノカミヲイノリテサツヤヌキツクシノシマヲサシテイクワレ ハ
サツヤトハ、ハヤキ矢也。
(私云、松ノ並木ヲ見レハ家人ノ吾ヲ見ヲクルトテ立タルカ如ク也ト云リ。)
4375 マツノキノナミタルミレハイハヒトノワレヲミヲクルトタヽリシモコロ
イハヒトハ、家人也。イハトモ、イヘトモ、イホトモ、イフハミナオナシキ也。同内相通ノユヱ也。イハトハ、ウチキクハコトヤウナレトモ、モノヽナヲヨフニハ、男聲ヲ本(354)トスルナラヒナレハ、イハトイフハヨキ也。タヽリシモコロトハ、タヽリシコトシト云也。
4376 タヒユキニユクトシラステアモシヽニ|コトマヲサステ《事ヲ申サデ也》イマソクヤシキ
アモシヽトハ、妻也。アモハ、ワキモトイフコトハ也。シヽハ、女義、父母ヲモ、骨肉トイフカコトキ也。
上丁《端作詞》トハ、サキモリニタツ人夫ノ、四十ヲ爲2上丁《カミノヨホロト》。十八歳ヲ爲2下(ノ)丁トイヘリ。
(アモトシトハ、刀自卜云コトハ、或ハ官女也。或ハ、官女ナラネトモ、老女ニモ、若女ニモワタリテ、刀自ト云也。男ヲ何丸ト云カ如ク、女チ何刀自ト云。マユトジ、サクサメノトシナトアリ。)
(ミツラト云コト水鏡云、神功皇后、異國御退治ノ時、松浦ニテ御クシヲミタシ玉ヒテ誓ハセ玉ヤウハ、御クシ二ツニワカレタラハ、則異國ヲシタカヘサセ玉ハント宣フ時、二ニナル。其時ソノマヽ、御クシヲ兩ヘワケテ、イハセ給フ。仍ミツラト云リ。)
4377 アモトジモタマニモカモヤイタヽキテミツラノナカニアヘマカマクモ
アモトジモ、アモシヽノコトシ。トシトハ、女ヲ賞スルコトハ也。トハ、トメル義、シハ、アルシノ義也。トシトハ、トメルアルシトイフコトハ也。ミツラトハ、モトヽリ也。
4378 ツクヒヨハスクハユケトモアモシヽカタマノスカタハワスレセナフモ
ツクヒヨトハ、ツクハ、ツキナミノ月也。ヒヨハ、日夜也。スクハユケトモハ、スキハユケトモト云也。
4382 フタホカミアシケヒトナリアタユマヒワカスルトキニサキモリニサス
フタホカミトハ、フタホハ、フタヘナリ。カミハ、タマシヒ也。アシケトハ、アシキ也。アタユマヒトハ、アタヒノ、マイナヒ也。心ハ、フタヘタマシヒ、アシキ|ヒト《人》ナリ。マ(355)イナヒノタメニ、モノナトマイラセタレハ、トリオサメテノチ、又サキモリニサストイヘル也。
4383 ツノクニノウミノナキサニフナヨソヒタシテモトキニアモカメモカモ
タシテモトキニトハ、サシイテム、トキニトイフナリ。
4384 アカトキノカハタレトキニシマカキヲコキニシフネノタツキシラスモ
カハタレトキトハ、カレハタレトキト云也。ユフヘヲタソカレトキトイフカコトクニ、アカツキヲ、カハタレトキトイヘル也。シマカキトハ、シマカケ也。タツキトハ、タヨリ也。
助丁《タスケノヨホロ》トハ、マサシキ使ノホカニ、相副者也。
4386ワカヽトノイツモトヤナキイツモ/\オモカコヒスヽナリマシツシモ
イツモトヤナキトハ、モロコシニ陶令《淵明也》トイフモノ、閑居ヲコノミテ、琴ヲヒキ、酒ヲコノミキ。門ニ五柳オヒタリ。仍五柳先生トイヒキ。ソレニヨソヘテヨメルナリ。オモカコヒスヽトハ、オモトイフモ女也。女ニハ、ミナモノ字ヲツケタリ。イモ、ワキモトモイフカコトキ也。ナリマシツシモトハ、アリサマ、シツカ也トイフナリ。
(千葉野、下總國。此歌ノコノテカシハモ、女郎花歟。委前ニ註。)
4387 チハノヌノコノヲカシハノホヽマレトアヤニカナシミオキテタカキヌ
(356)ホヽマレトハ、イマタヒラケヌナリ。タカキヌトハ、トホクキヌトイフ也。タカキヌハ、スナハチタヒノ心也。ヨメル心ハ、オサナキコナトノ、アヤシクカナシキヲヽキテ、ハル/\トキヌルトイヘル也。
4388 タヒトヘトマタヒニナリヌイヘノモカキセシコロモニアカツキニケリ
タヒトヘトヽハ、タヒトイヘトヽイフ也。イヘノモカトハ、イヘノイモカト云也。
4390 ムラタマノクルニクギサシカタメトシイモカコヽリハアヨクナメカモ
ムラタマノクルニクギサシトハ、ヰナカノワタラヒノ、イヤシキシヅカヤトニハ、ヒマアラキ|カキ《垣》ノ戸ニ、クヽルトテ、クサビヲナシテ、カタムル|ト《戸》ノアルナリ。イモカコヽリハトハ、イモカコヽロハ也。アヨクナメカモトハ、アユクナミカモトイフ也。心ハ、オトコノアルトキニハ、トモサシカタメネトモ、ヒルハアケヲキテアレハ、イモヽイタク、イヘノオホツカナキコトモナクテ、ユカントオモフトコロアレハ、サハリナクアルキナムトスルニ、ヲトコハサキシリニタチヌレハ、クルニクギサシカタメテ、イモカ心ハシツカニテ、アルキタカフコトモナクナリナムトヨメル也。
4392 アメツシノイツレノカミヲイノラハカウツクツハヽニマタコトトハン
アメツシトハ、アメツチ也。ウツクシハヽトハ、ワレヲウツクシム|ハヽ《母》也。
(357)(忌瓮《イハヒヘ》、日本紀。)
4393 オホキミノミコトニサレハチヽハヽヲイハヒヘトヲキテマヰテキニシヲ
ミコトニサレハトハ、ミコトニシアレハトイフ也。シアハ、サトヨハルレハ、ヒキアハセテイフ也。
4395 タツタヤマミツヽコヱコシサクラハナチリカスキナムワカヽヘルト|ニ《ネィ》
ワカヽヘルト|ニ《ネィ》トハ、ワカヽヘルサキニト云也。
爲防人情陳思作歌詞中
4398 於比曾箭乃曾与等奈流麻※[泥/土]奈氣吉都流香母《オヒソヤノソヨトナルマテナケキツルカモ》。ヲヒソヤトハ、オフ《負》タル|ソヤ《征矢》也。
4403 オホキミノミコトカシコミアヲクモノタナヒクヤマヲコヨテキヌカモ
コヨテトハ、コエテ也。
4406 ワカイハロニユカモヒトモカクサマクラタビハクルシトツゲヤラマクモ
イハロトハ、イヘ也。
陳防人悲別之情歌詞中
(乎加之崎、未勘之。)
4408 乎可之佐伎伊多牟流其等尓《ヲカノサキイタムルコトニ》。イタムルトハ、メクル也。
4413 マクラタ|シ《チィ》コシニトリハキマカナシキセロカマキコムツクノシラナク
マクラタシハ、マクラタチ也。セロカマキコムトハ、セロハ男也。マキコムハ、マヰコ(358)ム也。マヰコムハ、マウテコム也。ツクノシラナクハ、ツキ《月》ノシラナク也。
4414 オホキミノミコトカシコミウツクシ|キ《ケ》マコカテハナリ|シマツタヒ《島傳行》ユク
ウツクシケハ、ウツクシキ也。コノウツクシケノ、氣ノ字、古點ニハ、ウツクシキト點セリ。シカレトモ、カヤウノ夷語ハ、タヽヰナカ人ノイフヤウニ點スヘキ也。コノユヱニ、イマ、ケト點スル也。コノタグヒ、イツレモオナシカルヘシ。マコカテハナリハ、マコカテ、ハナレ也。マコトハ、マコトノ、コ也。
4415 シラタマヲテニトリモシテミルノスモイヘナルイモヲマタミテモヽヤ
テニトリモシテハ、テニトリモチテ也。ミルノスモハ、ミルヌシモナリ。マタミテモヽヤハ、マタミテモ/\ヤトイフ也。重點ハ、カミノモジオホキニモ、シモノ字ハカリヲカサヌルコトモアル也。
4416 クサマクラタヒユクセナカマルネセハイハナルワレハヒモトカスネム
マルネセハヽ、マロネ也。イハナルトハ、イヘナル也。
(横山、武藏國。)
4417 アカコマヲヤマノニハカシトリカニテタマノヨコヤマカシユカヤラム
アカコマトハ、ワカコマトイヘルニヤ。ウマヲハ、赤駒トイフコトモアリ。ソレハ、ウマノケイロモサマ/\ナレトモ、アカキウマノオホケレハ、多分ニツキテ、アカコマト(359)イフ。ウシモ、アメウシモアリ、マタラウシモアレトモ、多分ニツキテ、ウシヲクロキモノニイフカコトシ。ソノヤウニ、ウマモ、赤駒トイフコトモアレトモ、今ノ歌ハ、タタワカト云義ニアタレルニヤ。ヤマノ《山野》ニハカシトハ、ハナチ《放》ト云也。トリカニテハ、トリハ、トリカネテ也。カシユカヤラムトハ、カチ《歩》ヨリヤヽラムト云也。
4419 イハロニハアシフタケトモスミヨケ|ヲ《ンィ》ツクシニイタリテコフシケモハモ
イハロトハ、イヘ《家》ナリ。アシフトハ、アシビ也。スミヨケヲトハ、スミヨキヲ也。コフシケモハモハ、コヒシケムヤモ也。コヒシケムヤモハ、コヒシカラムヤモトイヘル也。
4420 クサマクラタヒノマルネノヒモタエハアカテトツケロコレノハルモシ
マルネハ、マロネ也。ツケロトハ、ツケヨ也。コレノハルモシトハ、コレノ|ハリ《針》モチ《持》テトイヘル也。
4421 ワカ|ユキ《息也》ノ|イキ《息也》ツクシカハアシカラノミネハホクモヲミトヽシノハム
イキツクシカハトハ、イキツキシカハ也。ミネハホクモヲトハ、ミネハフ|クモ《雲》也。ミトトシノハネハ、ミツヽシノハントイフ也。
(佐夜、遠江國。)
(足柄、相摸國。)
4423 アシカラノミサカニタシテ|ソテ《袖》フラハイハナルイモハ|サヤ《佐夜》ニミモカモ
ミサカニタシテトハ、タチ《立》テ也。イハナルハ、イヘ《家》ナルナリ。
(360)4424 イロフカクセナカコロモハソメマシヲミサカタハラハマサヤカニミム
タハラハトハ、テハラ《(マヽ)》ハト云也。マサヤカニミムトハ、マコトニサヤカニミムトイフ也。
4427 イハノイモロワヲシノフラシマユスヒニユスヒシヒモノトクラクモヘハ
ワヲシノフラシトハ、ワレヲシノフヲ云也。マユスヒニトハ、マユスヒ也。
4428 ワカセナヲツクシハヤリテウツクシミエヒハトカナヽアヤニカモネム
ツクシハヤリテハ、ツクシヘヤリテ也。エヒハ、帶《ヲヒ》也。
4429 ウマヤナルナハタツコマノオクルカヘイモカイヒシヲオキテカナシモ
ナハタツコマトハ、ウマノフシタルヲ、ナハヲキリタレハタツトイフ。オクルカヘトハ、オクルカハト云也。歌ノ心ハ、ウマヤナルコマノフシタルカ、ナハヲキリタレハ、オクルカコトク、ワレヲオクルカハトイヒシイモヲ、ヲキテカナシキトヨメル也。
4430 アラシヲノイヲサタハサミムカヒタチカナルマシツミイテヽトアカクル
アラシヲ《荒雄》ノトハ、マスラヲ也。イヲトハ、弓ヲトイフ也。ユミヲカヘセハ、イ也。カナルマシツミイテヽトアカクルトハ、ヤヲイヤリテハ、ナリヲシツメテキク也。ソノコトクニワレモ、ナリヲヤメヲ、イテヽクルトイヘル也。
4431 サヽカ葉ノサヤク|シモ《霜》ヨニナヽヘカルコロモニマセルコロカハタハモ
(361)ナヽヘカルトハ、ナヽヘ《七重》キ《着》ル也。
4432 サヘナヘヌミコトニアレハカナシイモカタマクラハナレアヤニカナシモ
サヘナヘヌトハ、故障セヌ、ミコトニアレハトイヘル也。
已上此卷|防人等《サキモリラ》カ歌ノ詞、ミナコレ夷詞トモアリ。或又、鬼語ナトモアヒマシハリテ、カタクナヽルコトハトモナレハ、スヱノヨニヤマトコトノハヲ、モテアソハムヒトノマナフヘキニモアラス。又フルキ口傳髄脳ニモ、ミニサルヘシ。ツタヘナキコトヽモナルカユヘナリ。モシ又シヰテソノ心サシフカクシテ、オモヒワカツコトアラムモノハ、ハヤクサトリヌヘシ。カタ/\シルシトヽムルニハ、ハヽカリハヘルヘケレトモ、サキノヨノチキリフカキ、オサナキモノヽ、マツノトホソノウチニスミナレテ、此集ノ歌ノ心シルシトヽメテタマフヘキヨシ、スヽメ申ス事タヒ/\ニナリヌルニヨリテ、ハヽカリヲカヘリミス、カキトヽメハヘル也。カツハマタコノツイテヲモチテ、ミヨノホトケタチ、ヨモノオホキヒシリノ御イツクシミ、コノアキツシマノウチニ、ヒカリヲヤハラケ、チリニマシハリタマヘル、アマツヤシロ、クニツヤシロノ御アハレミヲ、ムクヒタテマツラムト、オモフコヽロサシハヘルニヨリテ、ソノカミノコトノオコリヨリハシメテ、ユクスヱノネカヒノチキリニイタルマテ、申ヒラクヘクハヘルナリ。愚老、オトロヘク(362)タレルスヱノヨニアタリテ、アツマノミチノハテニ、ムマレキタレルミナレハ、竹馬《チクハ》ノトキヨリ、コノコトニコヽロサシアリトイヘトモ、ソノミナモトヲタツネカタクナリキ。コレニヨリヲ、トシハシメチ|トヽセ《十年》アマリ、ミツ《三》ノトシヨリ、ヨソチ《四十》アマリニイタルマテ、アハセテ、ミソチ《三十》カアヒタ、ヒコトニ諸佛菩薩ヲハシメタテマツリテ、アキツシマノウチニ、アトヲタレマシマスオホミカミタチ、アマテルオホムカミ《天照大神》、王城鎭守、カモ《賀茂》、ヤハタ《八幡》大明神、ヒエ《比叡》ノ|ナヽノヤシロ《七社》、又熊野、ミタケ《御嵩》、白山ノ權現、東《アツマ》ノ國ノ伊豆、箱根、三島ノ大明神、富士、諏方、鹿島、香取大明神、ワキテハ、住吉、玉津島ノ明神、北野天神、山(邊)柿(本)、其外ノ歌仙靈等ニ祈請ヲイタシテ、我今マ生ヲアキツシマニウケタリ。ネカハクハ、ヤマトコトノハノミナモトヲサトラシメ、コノ一事ニヲイテ、無師自然ノ智惠ヲアタヘタマフヘキヨシヲ、イノリコヒハヘリキ。ソノシルシニヤアリケム、三十一年ニアタリテ、萬葉集本々披見ノ因縁自然出來コトオホカリキ。ツヰニ|寛元《後嵯峨》四年七月十四日、萬葉集中、諸本無點歌、長短旋頭、合百五十二首ノ抄出シテ、加推點已畢。其後又萬葉集本々披見因縁漸々出來之間、此集中、端作ノ詞トイヒ、歌ノ詞ト云、モシハ落字、モシハ損字、大體タヽサルヽモノ也。第十四卷歌、ナラヒニ、此卷防人等歌ノ詞、ソノキヽハイヤシケレトモ、ヲノツカラミナ、悉曇ノナラヒヲソムカス。マコトニ、ヨ(363)ノコト不可説々々々也。コレニヨリテ、カツハ、ヒトリワラヒ、カツハ、ヒトリカナシヒテ、或ハ本韻末韻ヲワキマヘ、或ハ男聲女聲ヲタヽシ、或ハ同韻同内ヲカヨハシテ、ソノ心コトハヲ、オトシスヱタル也。娜麿婆羅縛社惹也悉曇ヲ、歸命一切智成就ト云事、斯言誠哉。抑又古歌ノ詞トイヒ、スヘテノ古語トイヒ、日本記風土記等ニミエタルヘシ。ソレモミナ、本韻末韻、男聲女聲、同韻々内ニヨラストイフコトナシ。所詮自然ノ道理ノシカラシムルナリ。ムカシヨモアカリ、ソノミチフカヽリケンヒト、ヤスクタヽサレヌヘカリケル也。シカルヲイマ、イヤシキミニシテ、ソノサトリ、ヤマ河ノセヨリモアサシトイヘトモ、ソノコヽロサシ、ワタツウミノソコヨリモフカキニヨリテ、コトハノハナモミチノイロカハレルイハレヲモサトリ、オモヒノツユシモノムスヒツヽケタルコトハリヲモ、シルコトハ、ミナコレ神ホトケノ御タスケナリケレハ、コノコトヲシルシアラハシテ、カヽミテラサシメタテマツラムトナリ。タトヘハ、ハルノタ《春田》ヲツクルニ、百姓《タカラノ》トシノ|ニキハヒ《賑》ヲイノリコヒテ、オモヒノコトクニアキノイネヲカリオサメツレハ、カヘリテコレヲタムケタテマツルカコトシ。又ムカシコノアキツシマニ、ムマレキタリタマヒシ、オホヒシリ《大聖》タチノ、カラフネ《唐船》ニ|ノリモトム《乘求》トテ、モロ/\ノカミホトケノオホムメクミヲ、タノミタテマツリテ、オモヒノコトク、ミノリノミツヲウツシキテハ、カ(364)ヘリテノリノタムケヲホトコシタマヒシカコトシ。コレスナハチカラノウタ、ヤマトウタノ六義ノナカノ第六ノ頌ノ心ナルヘシ。又ネカハクハ、ミツホナスカリノヨニムマレキタリテ、ヒトヽナリテヨリコノカタ、イソチノハルアキヲヘテ、モテアソフトコロノワカノウラノモシホクサハ、ニコリニソメルアヤマリアリトイフトモ、ノチノヨニハカナラス、コヽノシナノハチスノウヘニムマレテ、ミタノミカホヲオカミタテマツリテ、タヘセヌヒカリヲ、ホメタテマツルヨスカトセムトオモフ。イマコノシルシトクコトハリヲミムヒト、フカキナサケヲエシメムコト、タトヘハアヰニソムルイトスチノ、アヰヨリモアヲク、ミツニムスフコホリノ、ミツヨリサムキカコトク、ナラサラメカモ。
4433 アサナサナアカルヒハリニナリテシカミヤコニユキテハヤカヘリコム
アサナサナトハ、イマノヨノ人ノ、アサナ/\トイフコトハ也。假名ノ重點ハ、カミノ字ヲ略シイフナラヒ也。
(ウツラ/\トハ、ツラ/\ト云詞歟。ウハ、ヤスメノ詞也。倩ト云ニハ非ス。事心モナク、物ヲミタルヲ、ウツラ/\ミルト云ナリ。メモアラタニミタル由ナリ。又アタラ/\ト云歟。アタラトハ、アラタニト云心ト云々。)
4449 ナテシコカハナトリモチテウツラ/\ミマクノホシキヽミニモアルカモ
ウツラ/\トハ、ウツクシキ也。
(ウルハシミトハ、麗ノ字也。ウツクシキ時ノ心也。又眞實ノ時ノ心モアリ、其時ハ心替ルヘシ。)
4451 ウルハシミアカモフキミハナテシコカハナニナソヘテミレトアカヌカモ
ウルハシミモ、ホムルコトハ也。ハナニナソヘヲハ、ナソラヘテナリ。
(365)(翁河、未勘。或云、齋宮御所ト云々。又云、沖中川ト云々。)
4458 ニホトリノオキナカヽハヽタエヌトモキミニカタラムコトツキメヤモ
オキナカヽハト、イヒイテムタメノ諷詞ニ、ニホトリトヲケル也。オキナカトハ、イキナカシトイフコトハニテキコユレハ、ニホトリハ、ミツノナカニイリテ、魚ヲトル|トリ《鳥》ナリ。ミツヲカツキテイテヌレハ、イキヲナカクツクヘキユヱ也。
4460 ホリエコクイツテノフネノ梶ツクメヲトシハタチヌ|ミ《水》ヲハヤミカモ
梶ツクメトハ、フネノカチヲ、ツカ《抓》メルナリ。
4462 フナキホフホリエノカハノミナキハニキヰツツナクハミヤコトリカモ
フナキホフトハ、フナヨソヒナトイフオナシコト也。ミナキハトハ、ミキハ《汀》也。
喩族歌詞中
(アモリトハ、天降也。)
4465 多可知保乃多氣尓阿毛理之《タカチホノタケニアモリシ》云々。タカチホノタケハ、日向國ニアリ。風土記云、天津彦々火瓊々杵尊《アマツヒコヒコホニニキノミコト》、離《ハナレ》2天磐座《アマノイハクラヲ》1、排《ヲシヒラキ》2天八重雲《アマノヤヘクモヲ》1、稜威之道々別々而《イツノチワキニ/\テ》、天2降《アマクタリタマヒシ》於日向之之高千穗二上峰《タカチホノフタカミノタケニ》1時、天|暗冥晝夜《アムメイニシテヒルヨル》不v別《ワケ》、人物失v道(ヲ)、物(ノ)色難v別。於v荘《コヽニ》有2士蜘蛛1、名《ナツケテ》曰2大|鉗《ツハ》小|鉗《ツハト》。二人奏(シテ)言(ク)皇孫等《スメラミマコノミコト》、以2尊(ノ)御手(ヲ)1、拔《ヌキ》2稻(ノ)千穗《チホヲ》1、爲《ナシ》v籾《モミト》、投2散《ナケチラサハ》四方(ニ)1、得2開晴(ンコトヲ)。于v時、如2大鉗等所(ノ)1v奏(ス)、搓《ヌイテ》2千穗(ノ)稻(ヲ)1、爲《ナシテ》v籾(ト)投《ナケテ》即(チ)散(ス)。天開晴(トシテ)、日月照光(ヲ)、因(テ)曰2高千穗二上峰《タカチホノフタカミノタケト》。後人改(テ)號(ス)2智鋪《チフト》1、已上。
(366)於保久米能麻須良多祁乎々佐吉尓多弖由伎登利於保世《オホクメノマスラタケヲヲサキニタテユキトリオホセ》。萬多親王、姓字録、第十二卷、【右京神別中。】天神、大伴宿祢、高皇|彦《(マヽ)》靈尊五世孫、天神日命之後也。初天孫、彦火瓊々杵《ヒコホニニキノ》尊、神駕之降也、天神曰命2大|來目部《クルメヘニ》1立(テ)2於|前《サキニ》1、降《アマクタレリ》2于日向|高千穗峰《タカチホノタケニ》1。然(シテ)後(ニ)2大來目部(ヲ)1爲2天靱部《マノユキヘト》1負v之。號《ナハ》起(レリ)2於此(ヨリ)1也。
4470 ミツホナスカレルミソトハシレヽトモナホシネカヒツチトセノイノチヲ
ミツホナストハ、ミツヽホノコトク、ナルトイフ也、ミツノアワノナカニ、カネツケナトノヤウニテウカヒタルヲ、ミツヽホトモイフヲ、イマノウタニハ、ミツホトイヘル也。ミツ《水》ヲ、ミトハカリイフモツネノコト也。
4478 サホカハニコホリワタレルウスラ氷ノウスキ心ヲワカモハナクニ
ウスラヒトハ、ウスコホリ也。コホリヲ、ヒトイフハ、ヒユル義也。
(ヤツヲトハ、八|峯《ミネ》也。)
4481 アシヒキノヤツヲノツハキツラ/\ニミトモアカメヤウヱテケルキミ
ヤツヲノツハキツラ/\ニトハ、ツハキノ葉ハ、ツルメキタルモノナレハ、ツラ/\ニトヨソヘヨメル也。
4482 ホリエコエトホキサトマテヲクリケルキミカ心ハワスラユマシモ
ワスラユマシモトハ、ワスラルマシモト云也。
(367)4494 ミツトリノカモハノイロノアヲウマヲケフミルヒトハカキリナシトイフ
アヲウマトイフコト不審ナルヘキコト也。今ノ歌ノコトキハ、ミツトリノカモハノイロノト、ヨソヘツレハ、アヲキウマトキコエタリ。シカルニ、アヲウマトハ、正字ハ、白馬トカキテ、アヲウマトヨメハ、シロキヲアヲウマトイフトキコエタリ。コレハヤスキヤウニテ、シカモフカキコヽロアルヘシ。モノヽイロニ、ア字ヲカミニヲキテヨブコトハ、アサキヲイフ心也。ヲトイフハ、ミトリ也。ミトリノウスキトイフハ、シロキニヨリタル也。サレハ、コノハノミトリナラヌハナケレトモ、ヤナキヲワキテ、アヲヤキトイフハ、ヤナキハ、ハノオモテハシロクテ、ウラハミトリナル也。サレハヤナキハミトリノイロノ、アサキ義ニテ、アヲヤキトイハルヽ也。キヌナトニモ、オモヲシロクテ、ウラミトリナルヲ、ヤナキトイフ也。又ヤナキヲ、白楊トカキタルコトアルモ、コノ心ナルヘシ。
4498 ハシキヨシケフノアロシハイソマツノツネニイマサネイマモミルコト
アロシハ、アルシ也。ルト、ロト、同内也。
4499 ワカセコカヽクシキコサハアメツチノカミヲコヒノミナカクトソオモフ
カクシキコサハトハ、カクシケクコバトイフ也。
(368)4514 渤海(ノ)大使小野(ノ)田守朝臣。續日本記第十卷云、渤海郡(ハ)者、舊《モト》高麗(ノ)國也云々。渤(ハ)者、海水(ノ)踊騰(ノ)貌也。彼(ノ)國、殊(ニ)海水踊漂(ノ)所也。
4516 新年乃始刀波都波流能家布敷流由伎能伊夜之家餘其騰《アタラシキトシノハシメノハツハルノケフフルユキノイヤシケヨコト》
此歌、天平寶字三年春正月一日、大伴宿祢家持、於因幡國廳、賜饗國郡司等之宴歌也。仍祝言ノ歌トキコエタリ。年始乃波都波流能今日落雪トハヘルハ、ソノ日雪ノフリタリケルニヨリテヨソヘヨメルニヤ、イヤシケヨコトヽハ、ケフヽルユキノシケキカコトク、キミニツカヘテ、ヨノマツリコトヲトリヲコナフコトモ、シケカラムトヨメル也。
萬葉集註釋卷第十
文永六年孟夏二日、於武藏國比企郡北方麻師宇郷政所、註之了。
權律師 仙覺在判
建治元年十二月二日、以作者仙覺律師自筆本、教人書寫訖
同日一校畢。 玄覺在判
(369) (神宮文庫本奥書)
此十帖以律師玄覺之本、如系圖令相傳。又重考分書入之。更不可有類本。雖爲一詞、能々可惜須如眼壽。不可説々々々。 十佛在判
(以上萬葉集註釋第十册)
〔2015年7月17日(金)、午前9時55分、入力了〕