新撰柿本人麿歌集      金子 元臣/編、1904年(明治三十七年)
 
柿本人麿歌集 全
 
(1)はしがき
世に歌聖人麻呂朝臣の歌集なし。群書類從、或は、歌仙歌集中に見えたる人麻呂集は、更に、歌聖の眞にあらざるなり。その名を問へば即ち是その實を問へば即ち非。蓋し、中古の歌人が、燕石を玉とめでし、似而非業なり。
世に、歌聖人麻呂朝臣の歌集なし。物その數にもあらぬ作家すらも、何の集、くれの詠草など、こと/”\しき題名の下に、その幾多の惡作拙吟の、他に披露せられつゝある今日、歌聖その人の集にして、今に出づるものなきは、何ぞや。これ、實に、近く長足の進歩をなせりと誇らへる、わが歌文壇上の一大缺陷ならむ。
(2)世に、歌聖人麻呂朝臣の歌集なし。一夕、詩宗國分青崖と會ひき。談たま/\、これに及びぬ。青崖、おのれに勸むるに、この集撰者の事を以てしたりき。こゝに、稿を超して、新に、歌聖が、一生の心血を濺いて經營せられし絶妙巧辭を撰び出でつ。
世に、歌聖人麻呂朝臣の歌集なし。其のこれあるは、おふけなくもおのれがこの新撰にはじまる。かくて、かの大缺陷を補ふに足らば、歌聖の靈、また以て、地下に瞑するを得むか。
    明治三十七年九月    眞木のもと 元 臣しるす
 
(3)     凡  例
一、 人麻呂歌集を分ちて、天地人の三集、及び、附録一卷となしつ。
一、 天集は、まさにこれ、歌聖の本集にして、萬葉集に『柿本朝臣人麻呂作歌』の題詞ある歌に限りて收めたり。
一、 地集は、本集の準へに見つべきものにして、歌聖の別集ともいふべし萬葉集中、詠者不詳の歌にして、『柿本朝臣人麻呂之歌集出』と左註あるものゝ限を網羅したり。素より、左註にいへる、人麻呂之歌集なるものは、雜駁にして、他人の作をさへに載せたれば、いづれを眞の歌聖の作とすべきか。それらの判斷は、一に讀者の心眼にあり。
一、 人集は、天地二集の部に收め難きもの、即ち古今集中、讀人しらずの歌の左註に、『或人の曰く柿本の人丸がなり』と記された(4)るものを始めとして、拾遺集以後の歌集、大和物語以下の諸書に至りては、明らかに人丸の歌と記されたるものと雖も、猶ここに掲げつ。
一、 天地の二集は、わざと、萬葉集の部立に據りて分類したり。即ち、雜歌、四季雜歌、相聞、四季相聞、譬喩歌、挽歌の六項とす。相聞は後世の戀歌、挽歌は哀傷歌なり。譬喩敵は、別に、その目こそはあれ、實は、戀歌のみなれば、相聞の部に屬して可なるものなり。
一、 附録の部には、古人の歌聖觀と題して、古來の歌書より、人麻呂の歌に對する批評を拔萃して掲げつ。今日の歌人が有てる歌聖觀と對照せしめむが爲めに。
一、 次に.落合直文先生が物せる、柿本人麻呂事蹟の一文を掲げ、以て、歌聖の傳記に充てつ。
(5)一、 萬葉集に出でたる歌は、もはら、鹿持雅澄著萬葉集古義の訓に據りたれど、その穩ならぬものは、猶、古訓に從ひたり。
一、 卷頭に挿める人麻呂肖像は、田安宗武卿が、賀茂眞淵に考へしめたりし原圖によりて、高島千春が描きし圖の縮寫なり。普通世に行はれたる、老人の肖像は、昔、藤原兼房朝臣が、夢の中に見たりし形にて、何の準據もなく、甚だ、謂れなきものなり。
 
【新撰】柿本朝臣人麻呂歌集 天集
                   金子元臣謹撰
 
   雜歌
    幸2于吉野宮1時作家  【持統天皇の遊幸なり。以下の諸作、亦然り。】
安見《やすみ》しし吾《あ》が大君の 聞《きこ》し食《を》す天の下に 國はしも多《さは》にあれども 山川の清き河内《かふち》と 御心をよし野《ぬ》の國の 花|散《ちら》ふ秋津《あきづ》の野邊《ぬべ》に 宮柱|太數《ふとし》きませば 百磯城《もゝしき》の大宮人は 舶《ふね》並《な》めて朝川渡り 舟競《ふなきほ》ひ夕河渡る この川の絶ゆることなく この山のいや高からし 珠水激《おちたぎつ》瀧《たぎ》の都は 見れど飽かぬかも
   反歌
見れど飽かぬ吉野《よしぬ》の河の常滑《とこなめ》の絶ゆる事なく復|反《かへ》り見む
 
安見《やすみ》しし吾が大王《おほきみ》 神ながら神さびせすと 芳野川《よしぬがは》瀧《たぎ》つ河内《かふち》に 高殿を高知りまして 上《のぼ》り立ち國見をすれば 疊靡附《たゝなづ》く青垣山《あをがきやま》 山神《やまづみ》の奉《まつ》る調《みつぎ》と 春邊《はるべ》は花|挿頭《かざ》し持ち 秋立てば黄葉《もみぢば》かざし 遊副《ゆふ》川の神も 大御食《おほみけ》に仕へ奉《まつ》ると 上《かみ》つ瀬に鵜川を立て 下《しも》つ瀬に小網《さで》さし渡し 山川《やまかは》も依りて仕ふる 神の御代かも
   反歌
山川もよりて仕ふる神をがら瀧つ河内《かふち》に船出せすかも
 
    天皇御2遊雷岳1之時作歌
大君は神にしませば天雲《あまぐも》のいかづちの上《へ》に庵《いほり》せすかも
      或本云、献2忍壁皇子1也、歌曰、
    王《おほきみ》は神にしませば雲がくるいかづち山に宮敷きいます
 
    幸2伊勢國1時留v京作歌
嗚呼兒《あこ》の浦に船乘すらむ※[女+感]嬬等《をとめら》が珠裳《たまも》の裾に汐浦つらむか
釵《くしろ》著《つ》く手節《たぶし》の崎に今もかもかおほみや人の玉藻苅るらむ
潮動《しほさゐ》に五十等兒《いらご》の嶋邊漕ぐ船に妹乘るらむかあらき嶋回《しまみ》を
 
    輕皇子宿2安騎野1時作歌
 
八隅《やすみ》しし吾が大王《おほきみ》 高照《たかひか》る日の皇子《みこ》 神ながら神さびせすと 太敷《ふとし》かす都をおきて 隱口《こもりく》の泊瀬の山は 眞木《まき》立つ荒山道《あらやまみち》を 石《いは》が根の楚樹《しもと》おし靡《な》べ 坂鳥の朝越えまして 玉蜻《かぎれひ》の夕さり來れば 三雪《みゆき》落《ふ》る阿騎《あき》の大野《おほぬ》に 旗薄《はたすゝき》下《しぬ》におし靡《な》べ 草枕旅有りせす 古《いにし》へ念《おもほ》して
   短歌
阿臍の野《ぬ》にやどれる旅人《たびと》打靡き寐《い》も宿《ぬ》らめやも古《いにし》へ念《おも》ふに
眞草《まぐさ》苅《か》る荒野《あらぬ》にはあれど黄葉《もみぢば》の過《す》ぎにし君が形見とぞ來《こ》し
東《ひむがし》の野《ぬ》に陽炎《かぎろひ》の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
日雙斯《ひなめし》の皇子《みこ》の命《みこと》の馬|副《な》めて御獵《みかり》立たしし時は來むかふ
 
    長皇子遊2獵獵路野1之時作歌并短歌
安見《やすみ》しし吾が大王 高光る吾が日の皇子の 馬|並《な》めて御獵《みかり》立たせる 弱薦《わかごも》を獵路《かりぢ》の小野《をぬ》に 鹿《しし》こそは伊這《いは》ひ拜《をろが》め 鶉《うづら》こそ伊這《いは》ひ廻《もとほ》れ 鹿自物《しゝじもの》伊這ひ拜み 鶉なす伊這ひ廻り 恐《かしこ》みと仕へ奉《まつ》りて 久堅の天《あめ》見る如く 眞澄鏡《まそかゞみ》仰きて見れど 春草のいや珍しき 吾が大王かも
   反歌
ひさかたの天《あめ》ゆく月を綱《つな》にさし吾がおほ王《きみ》は蓋《きぬがさ》にせり
      或本(ノ)反歌
    皇《おほきみ》は神にしませば眞木《まき》の立つ荒山中に海をなすかも
 
    献2新田部皇子1歌并短歌
安見しし吾が大王 高光る日の皇子 敷き座《ま》す大殿《おほとの》のへに 久方の天傳《あまづた》ひ來る 雪自物《ゆきじもの》徃きかよひつゝ いや頻座《しきいま》せ
   反歌
矢釣《やつり》山木立も見えずふりみだる雪|驪《はだら》なる朝《あした》たぬしも
 
    過2近江荒都1作歌
玉襷《たまだすき》畝傍《うねび》の山の 橿原《かしはら》の日知《ひじり》の御世《みよ》從《ゆ》 生れましし神の悉《こと/”\》 樛《つが》の木のいや繼ぎ/\に 天の下|知《しろ》し食《め》ししを 虚空《そら》見つ倭《やまと》をおき 青丹吉《あをによし》奈良山越えて 何《いか》さまに念《おもほ》しけめか 天離《あまさか》る鄙《ひな》にはあらねど 石走《いはばしる》淡海《あふみ》の國の 樂浪《さゝなみ》の大津の宮に 天の下知し食しけむ 天皇《すめろぎ》の神の尊《みこと》の 大宮は此處《こゝ》と聞けども 大殿は此處と云へども 霞立つ春日か霧《き》れる 夏草か茂くなりぬる 百磯城《もゝしき》の大宮所 見れば悲しも
   反歌
さゝ浪の志賀《しが》の辛崎|幸《さき》くあれど大宮人の船待ちかねつ
樂浪《さゝなみ》の志賀の大曲《おほわだ》淀むともむかしの人に又も逢はめやも
 
    從2近江國1上來時至2宇治河邊1作歌
物部《もののふ》の八十《やそ》うぢ河の網代木《あじろぎ》にいさよふ波の行方《ゆくへ》知らずも
 
    無題
淡海《あふみ》の海《み》夕浪千鳥|汝《な》が鳴けば心もしぬにいにしへ念《おもほ》ゆ
 
    羈旅歌八首
御津《みつ》の崎浪をかしこみ隱江《こもりえ》の船公宣放鳥爾
    下句誤脱あるべし。或は舟寄せかねつ野島の埼に〔十一字傍線〕ならむか。
たま藻苅る敏馬《みぬめ》を過ぎて夏草の野島《ぬじま》の埼《さき》に舟ちかづきぬ
      一本下句、野島が埼に庵す吾は
淡路の野島の埼のはま風に妹がむすべる紐吹きかへす
荒栲《あらたへ》の藤江の浦に鱸《すゝき》釣る白水郡とか見らむ旅行く吾を
      一本上句、白栲の藤江の浦に漁《いさり》する
印南野《いなびぬ》もゆき過ぎがてに思へれば心|戀《こほ》しき可古《かこ》の島見ゆ
      一本結句、潮見《ミナト》島見ゆ
燈火《ともしび》の明石大門《あかしおほと》に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
天《あま》さかる夷《ひな》の長道《ながぢ》從《ゆ》戀ひ來れば明石の門《と》よりやまと島見ゆ
      一本結句、家のあたり見ゆ
飼飯《けひ》の海の庭よくからし苅薦《かりごも》の亂れ出づ見ゆ海人《あま》の釣船
      一本、
    武庫《むこ》の海の船にはあらじいさりする海人の釣舟波の上《へ》從《ゆ》見ゆ
 
    下2筑紫國1時海路作歌
名細《なくは》しき印南《いなび》の海の沖つ波|千重《ちへ》にかくりぬやまと島根は
おほ君の遠《とほ》の朝廷《みかど》と在通《ありがよ》ふ島門《しまと》を見れば神代しおもほゆ
 
    從2石見國1別v妻上來時歌
石見の海《み》角《つぬ》の浦回《うらみ》を 浦無しと人こそ見らめ 滷《かた》無しと人こそ見らめ よしゑやし浦は無くとも よしゑやし滷は無くとも 鯨魚取《いさなとり》海邊《うみべ》をさして 和多津《わたつ》の荒磯《ありそ》の上に 香青《かあを》なる玉藻沖つ藻 朝扇《あさはふ》る風こそ來よせ 夕羽振《ゆふはふる》浪《なみ》こそ來寄せ 浪《なみ》の共《むた》彼縁《かよ》りかく縁る 玉藻なす寄寐《よりね》し妹を 露霜の置きてし來れば この道の八十隅《やそくま》毎に 萬度《よろづたび》顧《かへりみ》すれど いや遠《とほ》に里は放《さか》りぬ いや高に山も越え來ぬ 夏草の念《おも》ひ萎《しな》えて 慕《しぬ》ぶらむ 妹が門見む 靡けこの山
   反歌
石見のや高角山《たかつぬやま》の木際《このま》より我《あ》が振る袖を妹見つらむか
      或本
    石見なる高角山の木の間ゆも我が袖振るを妹見けむかも
小竹《さゝ》の葉は深山もさやに亂れども吾《あれ》は妹思ふ別れ來ぬれば
      或本(ノ)歌
    石見の海|津能《つぬ》の浦回を 浦無しと人こそ見らめ 滷無しと人こそ見らめ よしゑやし浦は無くとも よしゑやし滷は無くとも 勇魚《いさな》取海邊を指して 柔田津《にぎたづ》の荒磯の上に 香青なる玉藻沖つ藻 明け來れば浪こそ來寄せ 夕されば風こそ來寄せ 浪の共《むた》かよりかく縁り 玉藻なす靡き吾が寢し 敷栲《しきたへ》の妹が袂を 露霜の置きてし來れば 此道の八十隈毎に 萬偏《よろづたび》顧すれど 彌遠に里|放《さか》り來ぬ 益《いや》高に山も越え來ぬ はしきやし吾が嬬《つま》の兒が 夏草の思ひ萎えて 嘆くらむ角《つぬ》の里見む 靡けこの山
    石見の海|打歌《たかつぬ》山の木の間より吾が振る袖を妹見つらむか
 
蔦多這《つぬさは》ふ石見の海の 言喧《ことさへ》く辛《から》の崎なる 海石《いくり》にぞ深海松《ふかみる》生《お》ふる 荒磯にぞ玉藻は生ふる 玉藻なす靡き寐し兒を 深海松《ふかみる》の深めて思《おも》へど さ寐《ぬ》る夜は幾《いくだ》もあらず 延《は》ふ蔦の 別れし來れば 肝向《きもむか》ふ心を痛み 念ひつゝ顧《かへりみ》すれど.大船の渡《わたり》の山の 黄葉《もみぢば》の散《ちり》の亂《みあdり》に 妹袖|清《さや》にも見えず 嬬隱《つまごも》る屋上《やがみ》の山の 雲間より渡らふ月の 惜けども隱ろひ來つゝ 天傳《あまつた》ふ 入日さしぬれ 大夫《ますらを》と念へる吾《あれ》も 不妙《しきたへ》の衣の袖は 徹《とほ》りて沾《ぬ》れぬ
   反歌
青駒の足掻《あがき》をはやみ雲居にぞ妹があたりを過ぎて來にける
秋山におつる黄葉《もみぢば》しまらくはな散亂れそ妹があたり見む
      この歌に並びて
  柿本朝臣人磨妻|依羅娘子《ヨサミノイラツメ》與2人麻呂1相別歌
  勿《な》思ひと君はいへども逢はむ時いつと知りてか吾が戀ひざらむ
    の一首あり。然れども、石見國なる妻と、この娘子とは、別人なるべく覺ゆ
 
    七夕歌
おほ船に眞※[楫+戈]《まかぢ》繁貫《しゞぬ》き海原《うなばら》を漕ぎ出《で》てわたる月人をとこ
 
 
   相聞
 
    相聞
三熊野《みくまぬ》の浦の濱木綿《はまゆふ》百重《もゝへ》なす心は念《も》へど直《たゞ》に逢はぬかも
古へにありけむ人も吾《あ》が如《ごと》か妹に戀ひつゝ寐《い》ね難《がて》にけむ
今のみの業にはあらず古への人ぞまさりて音《ね》にさへ泣きし
百重《もゝへ》にも來及《きおよ》べかもと思へかも君が使の見れど飽かざらむ
 
未通女等《をとめら》が袖ふる山の瑞垣《みづがき》の久しき時|從《ゆ》おもひき吾《あれ》は
      人麿歌集、初句、處女等を、 結句、念ひ來し吾は、
夏|野《ぬ》ゆく雄鹿の角《つぬ》の束《つか》の間《ま》も妹が心をわすれて念《も》へや
珠衣《たまぎぬ》のさゐ/\しづみ家の妹に物言はず來て思兼ねつも
      東歌に、初二句、あり衣のさゑ/\しづみ、 四句、物言はず來にて、
      又、これに並びて、人麿妻歌一首あり。左に録す。
     君が家にわがすみ坂の家道《いへぢ》をも吾は忘れじ命死なずば
 
   挽歌
 
    日並《ひなめし》皇子尊|殯《あらき》宮之時作歌並短歌
天地《あめつち》の初《はじめ》の時し 久竪の天《あま》の河原に 八百萬《やほよろづ》千萬神《ちよろづかみの》の 神集《かむつど》ひ集《つど》ひ座《いま》して 神分《かむわか》ち分ちし時に 天照す日女《ひるめ》の命《みこと》 天《あめ》をば知《しろ》しめすと 芦原の水穗の國を 天地《あめつち》の依合《よりあひ》の極み 知しめす神の命《みこと》と 天雲《あまぐも》の八重《やへ》掻別《かきわ》けて 神下《かむくだ》り座《いま》せまつりし 高照る日の皇子《みこ》は 飛鳥《あすか》の淨見《きよみ》の宮に 神ながら太布《ふとし》きまして 天皇《すめろぎ》の敷きます國と 天の原|石門《いはと》を開き 神上《かむのぼ》り上《のぼ》り座《いま》しぬ 吾《あ》が大王《おほきみ》皇子《みこ》の命《みこと》の 天の下知しめせば 春花の貴からむと 望月《もちづき》の圓滿《たゝは》しけむと 天の下四方の人の 大船の思ひ憑《たの》みて 天《あま》つ水仰ぎて待つに 何方《いかさま》に御念《おもほ》しめせか 由縁《つれ》もなき眞弓《まゆみ》の崗《をか》に 宮柱太布き座《いま》し 御殿《みあらか》を高知りまして 朝毎に御言《みこと》問《と》はさず 日月の數多《まね》く成りぬれ そこ故に皇子《みこ》の宮人 行方《ゆくへ》知らずも
    反歌
久堅の天《あめ》見る如く仰ぎ見し皇子の御門《みかど》の荒れまく惜しも
茜《あかね》さす日は照らせれど烏玉《ぬばたま》の夜渡る月の隱《かく》らくをしも
 
    河島皇子殯宮之時献2泊瀬部皇女1歌並短歌
飛ぶ息の明日香《あすか》の河の 上《かみ》つ瀬に生《お》ふる玉藻は 下《しも》つ瀬に流れ觸《ふらば》ふ 玉藻なす彼《か》依《よ》り此《かく》依《よ》り 靡合《なびか》ひし嬬《つま》の命《みこと》の 疊靡附《たゝなづ》く柔膚《にぎはだ》すらを 劔刀《つるぎたち》身《み》に副《そ》へ寐《ね》ねば 烏玉《ぬばたま》の夜床《よどこ》も荒るらむ そこ故に慰めかねて 蓋《けだ》しくも逢ふやと念ひて 玉簾《たまだれ》の越《をち》の大野《おほぬ》の 旦《あさ》露に玉藻は浸《ひづ》ち 夕霧に衣《ころも》は沾《ぬ》れて 草枕|旅宿《たびね》かもする 逢はぬ君故
    反歌
敷妙《しきたへ》の袖《そで》交《か》へし君|玉垂《たまだれ》の越野《をちぬ》に過ぎぬまたも逢はめやも
 
    高市皇子尊城上殯宮之時作歌並短歌
挂《か》けまくも忌々《ゆゝ》しきかも 言はまくも綾に畏《かしこ》き 明日香《あすか》の眞神《まがみ》の原に 久堅の天つ御門《みかど》を 惶《かしこ》くも定め給ひて 神さぶと岩隱《いががく》ります 安見しし吾《あ》が王《おほきみ》の 聞《きこ》しめす背面《そとも》の國の 眞木《まき》立つ不破山《ふはやま》越えて 狛劍《こまつるぎ》和射見《わざみ》が原の 行宮《かりみや》に 天降《あまも》り座《いま》して 天の下治め給ひ 食國《をすくに》を定め給ふと 鳥が鳴く吾妻の國の 御軍士《みいくさ》を喚《め》し給ひて 強暴《ちはや》ぶる、人を和《やは》せと.奉仕《まつろ》はぬ國を治めと 皇子《みこ》をがら任《ま》き給へば 大御身《おほみゝ》に大刀《たち》取帶《とりおば》し 大御手《おほみて》に弓|執持《とりも》たし 御軍士《みいくさ》を引率《あども》ひ給ひ 調《とゝの》ふる皷の音《おと》は 雷《いかづち》の聲と聞くまで 吹きなせる小角《くだ》の音《おと》も 敵《あた》見たる虎か吼ゆると 諸人《もろびと》の驚愕《おび》ゆるまでに 捧《さゝ》げたる幡《はた》の靡きは 冬木成《ふゆごもり》春さごり來れば 野《ぬ》毎《ごと》に著きてある火の 風の共《むた》靡くが如く 取持たる弓弭《ゆはず》の騷ぎ 三雪《みゆき》落《ふ》る冬の林に 飄《つむじ》かも伊卷渡《いまきわた》ると 思ふまで聞《きゝ》の恐《かしこ》く 引放つ箭の繋《しげ》けく 大雪の亂りて來《きた》れ 奉仕《まつろ》はず立向ひしも 露霜の消《け》なば消ぬべく 去《ゆく》鳥《とり》の爭ふはしに 渡會《わたらひ》の齋宮《いつきのみや》從《ゆ妙 神風に伊吹《いぶ》き惑はし 天雲を日の目も見せず 常闇《とこやみ》に覆ひ給ひて 定めてし水穗の國を 神ながら太敷き座《いま》す 安見しし吾が大王の 天の下申し給へば 萬代に然《しか》しもあらむと 木綿花《ゆふばな》の榮ゆる時に 吾が大王皇子の御門を 神宮《かむみや》に装《よそ》ひ奉《まつ》りて 使《つか》はしし御門《みかど》の人も 白妙《しろたへ》の麻衣《あさごろも》著て 埴安《はにやす》の御門《みかど》の原に 茜指《あかねさ》す日の盡《こと/”\》 鹿自物《しゝじもの》伊這《いは》ひ伏しつゝ 烏玉《ぬばたま》の夕《ゆふ》べになれば 大殿を振放け見つゝ 鶉なす伊這《いは》ひ廻《もとほ》り 侍候《さもら》へどさもらひかねて 春鳥の愁吟《さまよ》ひぬれば 歎きもいまだ過ぎぬに 憶《おもひ》もいまだ盡きねば 言喧《ことさへ》く百濟《くだら》の原|從《ゆ》 神葬《かむはふり》葬《はふ》りいまして 朝毛吉《あさもよし》木上《きのへ》の宮を 常宮《とこみや》と定め奉《まつ》りて 神ながら安定《しづま》りましぬ 然れども吾が大王の 萬代と念《おもほ》しめして 造らしし香來山《かぐやま》の宮 萬代に過ぎむと念へや 天の如《ごと》振放《ふりさ》け見つゝ 玉襷《たまだすき》かけて偲《しぬ》ばむ 恐《かしこ》かれども
    短歌
久竪の天《あめ》知《しら》しぬる君ゆゑに日月も知らに戀ひ渡るかも
はにやすの池の堤の隱《こも》り沼《ぬ》のゆくへを知らに舍人《とねり》は惑ふ
 
    明日香皇女木※[瓦+缶]殯宮之時作歌一首並短歌
飛ぶ鳥の明日香《あすか》の河の 上《かみ》つ瀬に石橋《いははし》渡し 下《しも》つ瀬に打端渡す 石橋に生ひ靡ける 玉藻ぞ絶ゆれば生ふる 打橋に生《お》ひ撓《をゝ》れる 川藻ぞ枯るれば生《は》ゆる 何しかも吾が王《おほきみ》の 立《たゝ》せば玉藻の如く 轉臥《ころふ》せば川藻の如く 靡合《なびか》ひし宜しき君が 朝宮を忘れ給ふや 夕宮を背《そむ》き給ふや 現身《うつそみ》と思ひし時に 春べは花折かざし 秋立てば黄葉《もみぢば》かざし 敷妙《しきたへ》の袖|携《たづさ》はり 鏡なす見れども飽かに 三五月《もちづき》のいや珍しみ 念《おもほ》しし君と時々《とき/”\》幸《いでま》して遊び給ひし 御食《みけ》向ふ木※[瓦+缶]《きのへ》の宮を 常宮《とこみや》と定め給ひて 味多經《あぢさはふ》目辭《めこと》も絶えぬ そこをしも綾に悲み ※[空+鳥]鳥《ぬえどり》の片戀しつゝ 朝鳥の通《かよは》す君が 夏草の念《おも》ひ萎《しな》えて 水星《ゆふづつ》の彼《か》徃《ゆ》き此《かく》去《ゆ》き 大船のたゆたふ見れば 慰むる情《こゝろ》もあらず そこ故に爲《せ》む術《すべ》知らに 音のみも名のみも絶えず 天地のいや遠長く 偲《しぬ》び徃かむ御名《みな》に懸《か》かせる 明日香河萬代までに 愛《は》しきやし吾が王《おほきみ》の 形見に此處を
    短歌
明日香川|柵《しがら》み渡し堰《せ》かませば流るゝ水も長閑《のど》にかあらまし
明日香川明日さへ見むと念へやも吾《あ》が王《おほきみ》の御名《みな》忘れせぬ
 
    妻死之後泣血哀慟作歌二首並短歌
天《あま》飛ぶや輕《かる》の路は 吾味兒《わぎもこ》が里にしあれば 慇懃《ねもごろ》に見まく欲しけど 止《や》まず行かば人目を多み 數多《まね》く徃かば人知りぬべみ 狹根葛《さねかづら》後《のち》も逢はむと 大船の思ひ憑みて 玉蜻《かぎろひ》の磐垣淵《いはがきぶち》の 隱《こも》りのみ戀ひつゝあるに 渡る日の暮行くが如《ごと》 照る月の雲隱る如《ごと》 沖つ藻の靡きし妹は 黄葉《もみぢば》の過ぎて去《い》にしと 玉梓《たまづさ》の使の言へば 梓弓《あづさゆみ》音《おと》のみ聞きて 言はむ術《すべ》せむ術知らに 聲《おと》のみを聞きてあり得ねば 吾が戀ふる千重《ちへ》の一重《ひとへ》も 慰むる情《こゝろ》もありやと 吾妹子が止まず出で見し 輕の市に吾が立聞けば 玉襷《たまたすき》畝火《うねび》の山に 鳴く鳥の聲も聞えず 玉桙《たまほこ》の道行く人も一人だに似てし徃かねば 術《すべ》をなみ妹が名喚びて 袖ぞ振りつる
    短歌
秋山のもみぢを茂み迷《まど》はせる妹をもとめむ山道《やまぢ》知らずも
黄葉《もみぢば》の散りぬるなべに玉づさの使を見れば逢ひし日|念《おもほ》ゆ
 
現身《うつしみ》と念ひし時に 携へて吾が二人見し 走出《わしりで》の堤に立てる 槻《つき》の木の此方彼方《こち/”\》の枝《え》の 春の葉の茂きが如く 念へりし妹にはあれど 憑《たの》めりし兒等《こら》にはあれど 世の中を背きし得ねば 蜻火《かぎろひ》の燃ゆる荒野《あらぬ》に 白妙《しろたへ》の天領巾《あまひれ》隱《がく》り 鳥自物《とりじもの》朝立ちいまして 入日なす隱《かく》りにしかば 吾妹子《わぎもこ》が形見に置ける 若き兒の乞ひ泣く毎に 取與ふ物し無ければ 男自物《をとこじもの》腋挾《わきばさ》み特ち 吾妹子と二人吾が宿《ね》し 枕附く閨房《つまや》の内に 晝はも心悒《うらさ》び暮《くら》し 夜《よる》はも歎息《いきづ》き明し 嘆けども爲む術知らに 戀ふれども逢ふ由を無み 大鳥の羽易《はかひ》の山に 吾が戀ふる妹は座《いま》すと 人の云へば岩根さくみて 澁滯《なづ》み來《こ》し吉《よ》けくもぞ無き 現身《うつしみ》と念ひし妹が 珠蜻《かぎろひ》のほのかにだにも 見えぬ思へば
    短歌
去年《こぞ》見てし秋の月夜《つくよ》は照せれどあひ見し妹はいや年|隔《さか》る
衾道《ふすまぢ》を引手《ひきて》の山に妹を置きて山逕《やまぢ》を徃けば生けりとも無し
家に來て妻屋《つまや》を見れば玉床《たまどこ》の外《と》に向ひけり妹が木枕《こまくら》
 
    或本(ノ)歌
   うつそみと思ひし時に 手携ひ吾が二人見し 出立ちの百枝槻の木 こち/”\に枝させる如 春の葉の茂きが如く 念へりし妹にはあれど 恃めりし妹にはあれど 世の中を背きし得ねば 玉蜻のもゆる荒野に 白|栲《たヘ》の天領巾隱り 鳥自物朝立ち伊行きて 入日なす隱りにしかば 吾妹子が形見における 緑兒の乞ひ泣く毎に 取委《とりまか》す物しなければ 男自物脇挿み持ち 吾妹子と二人吾が邪し 枕附く妻屋の内に 晝はうらさび暮し よるは息衝き明し 嘆けども爲むすべ知らに 戀ふれども逢ふよしをなみ 大鳥の羽易《はかひ》の山に 汝《な》が戀ふる妹はいますと 人の云へば岩根さくみて なづみ來し吉けくもぞなき うつそみと念ひし妹が 灰而座者〔四字右△〕
去年見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年|離《さか》る
衾路を引手の山に妹をおきて山路おもふに生けりともなし
 
    志我津釆女死時作歌一首並短歌
秋山の下紅《したべ》る妹 嫋竹《なよたけ》の撓依《とをよ》る子等《こら》は 何方《いあかさま》に念ひませか 栲紲《たくなは》の長き命を 露こそは朝《あした》に置きて 夕《ゆふ》べは消《け》ぬといへ 霧こそは夕べに立ちて 朝《あした》は失《う》すといへ 梓弓《あずさゆみ》音聞く吾《あれ》も 髣髴《おぼ》に見し事|悔《くや》しきを 敷栲《しきたへ》の手枕《たまくら》纏《ま》きて.劍刀《つるぎたち》身《み》に副《そ》へ寐けむ 若草のその夫《つま》の子は 不怜《さぶし》みか念ひて寐《ぬ》らむ 悔しみか念ひ戀ふら.む 時ならず過ぎにし子等が 朝露の如《ごと》 夕霧の如《ごと》
    短歌
樂浪《さゝなみ》の志我津《しがつ》の子等《こら》が罷《まか》りにし川瀬の道を見れば不怜《さぶ》しも
天數《さゝなみ》の凡津《おほつ》の子《こ》があひし日におほに見しかば今ぞ悔しき
 
    讃岐國狹岑嶋視2石中死人1作歌一首並短歌
玉藻よし讃岐の國は 國柄《くにがら》か見れども 飽かぬ 神柄《かみがら》か幾許《こゝた》貴き 天地日月と共《とも》に 滿行《たりゆ》かむ神の御面《みおも》と 云繼《いひつ》げる那珂《なか》の水門《みなと》從《ゆ》 船浮けて吾《あ》が漕ぎ來れば 時津風《ときつかせ》雲居に吹くに 沖見れば重浪《しげなみ》立ち 邊《へ》見れば白浪騷ぐ 鯨魚取《いさなとり》海を恐《かしこ》み 行く船の梶引折りて 彼此《をちこち》の島は多けど 名細《なくは》し狹岑《さみね》の島の 荒磯海《ありそみ》に庵作《いほ》りて見れば 浪の音《と》の繋き濱邊を 敷妙《しきたへ》の枕になして 荒床《あらとこ》に自伏《ころふ》す君が 家知らば徃きても告げむ 妻知らば來も問はましを 玉桙《たまほこ》の道だに知らず 欝悒《おほゝ》しく待ちか戀ふらむ 愛《は》しき妻等は
    反歌
妻もあらば採《つ》みて食《た》げましを狹岑山《さみねやま》野上《ぬのへ》の薺蒿《うはぎ》過ぎにけらずや
沖津波來寄る荒磯をしき妙のまくらと纏《ま》きてなせる君かも
 
    見2香具山屍1悲慟作歌
草まくら旅のやどりに誰が夫《つま》か國忘れたる家待たなくに
 
    在2石見國1臨v死時自傷作歌
鴨山《かもやま》の岩根し纏《ま》ける吾《あれ》をかも知らにと妹が待ちつゝあらむ
 
     この次に左の歌あり。
   人麻呂死時、妻|依羅娘子《ヨサミノイラツメ》作歌二首
   今日/\とあが持つ君は石川の貝にまじりてありと言はずやも
   直《たゞ》に逢はゞ逢《あ》ひもかねてむ有川に雲立渡れ見つゝ偲《しぬ》ばひむ
 
 
【新撰】柿本朝臣人麻呂歌集 地集
 
    四季
     春雑歌
久方のあめの香具山《かぐやま》このゆふべ霞たなびく春立つらしも
卷向《まきむく》の檜原《ひばら》に立てるはる霞|凡《おほ》にし思はゞなづみ來めやも
いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に霞棚引く春は來ぬらし
子等が手を卷向山に春されば木の葉しぬぎて霞たなびく
玉蜻《かぎろひ》の夕さり來れば獵人《さつひと》の弓月《ゆづき》が嵩《たけ》にかすみたな引く
今朝ゆきて明日は來むちふ子鹿丹《ハシキヤシ》朝妻山に霞たなびく
子等が名に懸けのよろしき朝妻の片山岸に霞たな引く
     七夕
天の川みなそこさへにひかる舟|泊《は》てし舟人妹と見えきや
久方の天の川原にぬえ鳥の心歎《うらな》げましつ乏しきまでに
吾が戀を嬬《つま》は知れるを行《ゆく》船《ふね》の過ぎて來べしや事も告げなく
あから引く色妙《しきたへ》の子を數《しば》見れば人妻ゆゑに吾《あれ》戀ひぬべし
あまの川|安《やす》の渡《わたり》に舟浮けて我が立待つと妹に告げこそ
大空|從《よ》かよふ吾すら汝《な》が故に天の川道《かはぢ》をなづみてぞ來し
八千矛《やちほこ》の神の御世より乏《とも》し妻《づま》人知りにけり繼ぎてし思へば
吾が戀ふる舟《に》の穗《ほ》の面《おも》わ今宵もか天のかは原に石《いそ》枕卷く
己《おの》が夫《つま》乏しむ子等は竟《は》てむ津《つ》の荒磯《ありそ》卷きて寐む君|待難《まちがて》に
天地と別れし時|從《よ》おのが妻しかぞ手にある秋待つ吾は
彦星は嘆かす妻に言《こと》だにも告げにぞ來つる見れば苦しみ
久方の天《あま》つしるしと水無河《みなしがは》隔てゝおきし神世し恨めし
ぬば玉の夜霧こもりて遠くとも妹が傳言《つてごと》はやく告げこそ
汝《な》が戀ふる妹の命《みこと》は飽くまでに軸振る見えつ雲隱るまで
夕星《ゆふづつ》もかよふ天道《あまぢ》をいつまでかあふぎて待たむ月人男
天の川|已向《いむか》ひ立ちて戀《こふ》らくに言だに告げむ妻とふまでは
白玉の五百箇《いひつ》集《つどひ》を解きも見ず吾は在難《ありがて》ぬ逢はむ日待つに
あまの川|水陰草《みこもりぐさ・ミヅカゲクサ》のあき風になびかふ見れば時きたるらし
吾が待ちし秋萩咲きぬ今だにもにほひに徃かな遠方《をちかた》人に
吾が彦星《せこ》にうら戀ひ居れば天の川夜船漕ぎ動《とよ》む梶の音《と》聞ゆ
眞氣《まけ》長く戀ふる心よあき風に妹が音《おと》きこゆ紐解き設《ま》けな
戀しくは氣《け》長き物を今だにも乏《とぼし》むべしや逢ふべき夜《よ》だに
天の川去年の渡代《わたりで》遷《うつ》ろへば河瀬を蹈むに夜ぞ深けにける
いにしへ從《よ》擧げてし服《はた》を顧みず天の河津に年ぞ經にける
天漢《あまのがは》夜船を漕ぎて明すぬとも逢はむと思《も》ふ夜袖|交《か》へずあらめや
遠妻と手枕《たまくら》交《かは》し寐たる夜は鷄《とり》が音《ね》勿《な》鳴《な》き明けば明くとも
相見まく飽き足らねども稻《いな》の目《め》の明行《あけゆ》きにけり舟出せむ妹
さ寐初めて幾《いくだ》もあらねば白栲《しろたへ》の帶乞ふべしや戀も盡きねば
萬世に手携《たづさ》はり居て相見とも念ひ過ぐべき戀ならなくに
萬世に照るべき月も雲隱り苦しきものぞ逢はむと念《おも》へど
白雲の五百重《いほへ》隱りて遠《とほ》けども夜去《よひさ》らず見む妹があたりは
我がためと棚機女《たなばたつめ》のその宿に織れる白布《しろたへ》縫ひてけむかも
君に逢はず久しき時|從《よ》織る服《はた》の白栲《しろたへ》ごろも垢附くまでに
あまのがは梶の音《と》聞ゆ彦星と棚機女《たなばたつめ》と今宵逢ふらしも
秋されば河霧立てる天の川河に向き居て戀ふる夜ぞ多き
縱《よし》ゑやし直《たゞ》ならずとも※[空+鳥]鳥《ぬえどり》の心歎居《うらなげを》ると告げむ子もがも
一年の七日《なぬか》の夜のみ逢ふ人の戀も※[しんにょう+曷]《つ》きねば小夜《さよ》ぞ明けにける
あまの川やすの川原にさだまりて神の競《つどひ》はする時なきを
    此歌一首庚辰年作v之(【天武天皇白鳳九年なり】)
     詠花
さを鹿のこゝろ相|念《おも》ふ秋萩の時雨《しぐれ》の零《ふ》るに散《ちら》まく惜しも
夕されば野邊のあき萩うら若み露に枯れつゝ秋待ち難《がて》し
     詠黄葉
妻隱《つまごも》る矢野《やぬた》の神山露霜ににほひ初めたり散らまく惜しも
あさ露に匂ひ初めたる秋山にしぐれなふりそ在渡《ありわた》るがね
     詠雨
一日にも千重しく/\に我が戀ふる妹が邊《あたり》に時雨零る見ゆ
     冬雜歌
我が袖に雹たばしる卷き隱し消《け》たずてあらむ妹が見む爲
あしひきの山かも高き卷むくの岸の小松に三雪降りけり
まきむくの檜原《ひばら》もいまだ雲居ねば子松が末《うれ》ゆあわ雪流る
あしひきの山道も知らずしら樫の枝も撓《とをゝ》に雪の降れゝば
     此一首或本云、三方沙彌作、四句、枝もたわ/\
 
    雜歌
     詠天
天《あめ》の海に雲の波立ち月の船星のはやしに漕ぎかくる見ゆ
     詠雲
痛足河《あなしかは》かは浪立ちぬまきむくの由槻《ゆづき》が嵩《たけ》に雲居立つらし
あしひきの山河の瀬の鳴るなべに弓月が嵩に雲たち渡る
     詠山
なる神の音のみ聞きし卷向《まきむく》の檜原《ひばら》の山をけふ見つるかも
三室《みもろ》のその山並《やまなみ》に兒等《こら》が手をまき向山は相應《つき》のよろしも
我がころも色に染《し》めなむ味酒《うまざけ》の三室の山は紅葉しにけり
     詠河
卷向のあなしの川|從《よ》ゆく水の絶ゆる事なく又かへりみむ
ぬば玉のよるさり來れば卷向の川音《かはと》高しも嵐かもはやき
     詠葉
古へにありけむ人も我が如《ごと》か三輪《みわ》の檜原に挿頭《かざし》折りけむ
逝《ゆ》く川の過《すぎ》にし人の手折らねば愁《うらぶ》れ立てり三輪の檜原は
     覊旅作
網引《あびき》する海子《あま》とや見らむ飽浦《あくら》の清き荒磯《ありそ》を見に來し我《あれ》を
大穴《おほな》むち少御神《すくなみかみ》のつくらしゝ妹背《いもせ》の山は見らくしよしも
吾妹子《わぎもこ》と見|乍《つゝ》偲《しぬ》ばむ沖つ藻の花咲きたらば我に告げこそ
君がため浮沼《うきぬ》の池の菱採ると我が染《し》めし軸|沾《ぬ》れにける鴨
妹が爲菱の根採りに行きし我《あれ》山路にまどひ此日ぐらしつ
     行路
遠くありて雲居に見ゆる妹が家に早く到らむあゆめ黒駒
   一云、初句、遠くして、東歌には、初句ま遠くの、結句あが駒、
     無題
葦原《あしはら》の瑞穗《みずほ》の國は 神ながら言擧《ことあげ》せぬ國 然れども言擧ぞする 事|幸《さき》く眞|福《さき》く座《ま》せと 恙《つゝみ》なく福《さき》く座《いま》さば 荒磯浪《ありそなみ》在りても見むと 五百重液《いほへなみ》千重波《ちへなみ》重《しき》に 言擧ぞ吾がする
     反歌
志貴島《しきしま》のやまとの國は言靈《ことだま》の佐《たす》くる國そ眞福《まさき》くありこそ
 
    四季相聞
     春
春日|野《ぬ》に鳴くうぐひすの泣き別れ歸ります間も念《おもほ》せ吾《あれ》を
冬ごもり春咲く花を手折りもて千度《ちたび》の限り戀ひ渡るかも
春山の霧にまどへるうぐひすも我にまさりて物思はめや
出でて見る向ひの岡に本繁く咲ける毛桃《けもゝ》のならずば止まじ
霞立つ春の永日を戀ひ暮し夜のふけゆきて妹に逢へる鴨
春さればまづ三枝《さきぐさ》の幸《さき》くあらば後にも逢はむな戀ひそ吾妹《わぎも》
春さればしだる柳の撓《とをゝ》にも妹がこゝろに乘りにけるかも
     秋
秋山のしたびが下《した》に鳴く鳥の聲だに聞かば何かなげかむ
誰《た》そ彼《かれ》と我をな問ひそなが月の露に沾れつゝ君待つ吾を
あきの夜の霧たちわたり大凡《おほゝ》しく夢《いめ》にぞ見つる妹が姿を
秋の野《ぬ》の尾花が末《うれ》のうち靡きこゝろは妹に依りにける鴨
秋山に霜零りおはひ木の葉散り歳は徃くとも我忘れめや
     冬
降雪《ふるゆき》の空《そら》に消《け》ぬべく戀ふれども逢ふ由もなく月ぞ經にける
泡雪は千重《ちへにふり敷け戀しくの氣《け》長き我は見つゝ偲《しぬ》ばむ
    相聞
     寄v物發v思 旋頭歌
劔《たち》の後《しり》鞘《さや》に入野《いりぬ》に葛《くず》引く吾妹《わぎも》 眞袖《まそで》もて着せてむとかも夏葛引くも
住の江の波豆麻《なみづま》君《きみ》が馬乘《うまのり》ごろも さにづらふ漢女《あやめ》を座《す》ゑて縫へるころもぞ
住の江の出見《いでみ》の濱の柴《しば》莫《な》苅《かり》そね  未通女《をとめ》ども赤裳《あかも》裾《すそ》潤《ひ》ぢ徃かまくも見む
住の江の小田を刈らす子|奴《やつこ》かも無き 奴かれど妹が御爲《みため》と私《あ》が田を苅るも
池の邊の小槻《をつき》がもとの細竹《しぬ》を苅りそね それをだに君が形見に見つゝ偲《しぬ》ばむ
天《あめ》なる姫菅原《ひめすがはら》の草な苅りそね 蜷《みな》の腸《わた》香烏《かぐろ》き髪にあくたしつくも
夏蔭の房《ねや》の下《した》に衣《きぬ》裁《た》つ吾妹《わぎも》 心設《うらま》けて吾《あ》が爲裁たばやゝ大《おほ》に裁て
梓弓引津の邊《へ》なるなのりその花 採《つ》むまでに逢はざらめやもなのりその花
内日《うちひ》さず宮路《みやぢ》を行くに吾《あ》が裳《も》は破《や》れぬ 玉の緒の思ひ萎《しな》えて家に在らましを
君が爲|手力《たぢから》勞れ織りたる衣を 春さらばいかなる色に摺《す》りてば吉《よ》けむ
橋立《はしだて》の倉椅山《くらはしやま》に立てるしら雲 見まくほり我《あ》がするなべに立てる白雲
橋立の倉椅川の石の橋はも 男盛《をさか》りに吾が渡せりし石の橋はも
はしだての倉椅川の河の靜菅《しづすげ》 吾《あ》が苅りて笠にも編《あ》まず川の靜菅
春日すら田に立ちつかる公《きみ》は哀《かな》しも 若草の妻なき公《きみ》が田に立ちつかる
山しろの久世《くせ》の社《やしろ》の草な手折りそ 己《L》が時と立ち榮ゆとも草な手折りそ
青角髪《あをみづら》依網《よさみ》の原にひとも逢はぬかれ 石走《いはばし》る淡海《あふみ》あがたの物語せむ
水門《みなと》の芦《あし》の末葉《うらば》をたれか手折りし 吾《あ》が背子《せこ》が振る袖見むと我《あれ》ぞ手折りし
垣越ゆる犬呼び來《こ》せて鳥獵《とがり》する君 青山の葉しげき山邊馬|息《やす》め君
海《わた》の底おきつ玉藻のなのりその花 妹と吾とこゝにしありと莫語之花《なのりそのはな》
この岡に草苅る小子《わらは》しかな苅りそね 在りつゝも君が來まさむ御秣《みまぐさ》にせむ
江林《えばやし》にやどる鹿《しゝ》やも求むるに吉《よ》き 白栲《しろたへ》の袖まき上げて鹿待つ吾《あ》が夫《せ》
丸雪《あられ》降り遠ふつあふみの阿渡川楊《あどかはやなぎ》 苅れゝども復も生ふちふ阿渡川楊
朝づく日向ひの山に月立てる見ゆ 遠妻《とほづま》を持《も》たらむ人し見つつ偲《しぬ》ばむ
    相聞 旋頭歌
新室《にひむろ》の壁草《かべくさ》苅か《》りにいまし給はね 草の如《ごと》依逢《よりあ》ふ未通女《をとめ》は君がまに/\
新室を蹈む鎭《しづ》の子が手玉《ただま》鳴らすも 玉の如《ごと》照りたる君を内へと白《まを》せ
長谷《はつせ》の弓槻《ゆづき》か下《もと》に吾が隱せる妻 赤根刺《あかねさ》し照れる月夜《つくよ》に人見てむかも
ますら男の念ひたけびて隱せるその妻 天地に徹《とほ》り照るとも顯れめやも  二句一云、念亂れて、
息《いき》の緒《を》に吾が念《も》ふ妹ははやも死ねやも 生けりとも吾《あれ》に依るべしと人の云はなくに
高麗《こま》錦紐の片へぞ床《とこ》に落ちにける 明日の夜し來《き》なむといはゞ取置きて待たむ
朝戸出《あさとで》の君が足結《あゆひ》を沾《ぬ》らす露原 早く起きて出でつゝ吾《あれ》も裳の裾|潤《ぬ》れな
何せむに命を本名《もとな》永く欲《ほ》りせむ 生けりとも吾が念《おも》ふ妹に易《やす》く逢はなくに
息の緒に吾《あれ》は念《おも》へど人目多みこそ 吹く風おあらばしばらく逢ふべきものを
人の祖《おや》の未通女兒《をとめこ》居《す》ゑて守《もる》山邊《やまべ》から 朝なさな通ひし君が來ねば悲しも
天《あめ》なる一つ棚橋いかでか行かむ 若草の妻がりといはゞ足結《あゆひ》すらくを
開木代《やましろ》の久背《くせ》の若子《わくこ》が欲しといふ余《あ》を 大方《おほさわ》に吾《あ》を欲しと云ふ開木代の久背
     正述心緒
垂乳根《たらちね》の母が手離れかくばかり便《すべ》をな事は未だせなくに
人の寐《ぬ》る旨寐《うまい》は寐《ね》ずて愛《はしき》やし君が目すらを欲《ほ》りて嘆くも
戀ひ死なば戀ひも死ねとや玉桙《たまほこ》の路行人《みちゆきびと》に事も告げなき
心には千たび念へど人にいはず吾《あ》が戀※[女+麗]《こひづま》を見む由もがも
此許《かくばかり》戀ひむ物ぞと知らませば遠く見るべく在りける物を
何時はしも戀ひぬ時とはあらね共《ども》夕片設《ゆふかたま》けて戀ふは乏《すべ》なし
かくのみし戀ひしわたれば玉切《たまきはる》命も知らず歳は經につゝ
吾《あれ》從《ゆ》後《のち》うまれむ人は我《あ》がごとく戀する道に逢ひこすな努《ゆめ》
ますら男の現心《うつしこゝろ》も吾《あれ》はなし夜《よる》晝《ひる》といはず戀ひしわたれば
何せむに命繼ぎけむ吾妹子《わぎもこ》に戀ひざる前《さき》に死なまし物を
縱《よし》ゑやし來まさぬ君を何せむに厭はず吾《あれ》は戀ひ乍《つゝ》居らむ
見渡しの近き渡《わたり》をた廻《もとほ》りいまや來ますと戀ひつゝぞ居《を》る
はしきやし誰が障《さ》ふれかも玉桙の道見忘れて君が來まさぬ
君が目の見まく欲しけみ此《この》二夜《ふたよ》千歳の加《ごと》も吾《あ》が戀ふる鴨
打日刺《うちひさ》す宮道《みやぢ》を人は滿ち行けど吾《あ》が念《も》ふ君は只一人のみ
世の中は常かくのみと思へども半手《はた》忘られず猶鯉ひにけり
我が夫子《せこ》は幸《さき》く座《いま》すと遍《たび》多《まね》く我に告げ來む人も來ぬかも
あら玉の五年經れど吾《あ》が戀ふる跡なき戀の止まぬ怪しも
石《いはほ》すら行き通るべきますら男も戀ちふ事は後《のち》悔《く》いにけり
日暮れをば人知りぬべし今日の日の千歳の如くありこせぬ鴨
立ちて居て手著《たどき》も知らず念へども妹に告げねば間使《まづかひ》も來ず
ぬば玉のこの夜|莫《な》明《あ》けそ朱引《あからび》く朝行く君を待てば苦しも
戀するに死にする物にあらませば我身は千度|死反《しにかへ》らまし
玉響《たまさ》かに昨日のゆふべ見し物を今日の朝《あした》に戀ふべきものか
なか/\に見ざりしよりは逢見ては戀しき心いよゝ念《おもほ》ゆ
玉桙の道行かずしてあらませば慇懃《ねもごろ》かゝる鯉にはあはじ
朝彰に吾が身はなりぬ玉垣入《たまかぎる》ほのかに見えて去にし子故に
行けど/\逢はぬ妹故久方の天の露霜に沾れにけるかも
玉坂《たまさか》に吾が見し人をいかならむ由を以《も》ちてか亦一目見む
暫《しばら》くも見ねばこひしき吾妹子を日に/\來れば言《こと》の繁《しげ》けく
玉切《たまきはる》世まで定めてたのめたる君に依りてし言《こと》のしげけく
朱引《あからひ》く膚《はだ》も觸れずて寐たれども異《こと》なる心|我《あ》が念《も》はなくに
いで如何に極甚大《ねもころ/”\》に利心《とごゝろ》の失するまで念《も》ふ戀《こふ》らくの故に
戀死なば戀ひも死ねとや我妹子が吾家《わぎへ》の門を過ぎて行《ゆく》らむ
妹が邊《あたり》遠くし見れば怪しくも吾はぞ戀ふる逢ふ由を無み
玉久世《たまくぜ》の清き河頂に身祓《みそぎ》して齋《いは》ふいのちも妹がためこそ
思か依り見依りし物を何すとか一日隔つを忘ると念はむ
垣秀《かきほ》なす人は云へども高麗錦《こまにしき》紐解き開けし君ならなくに
狛錦《こまにしき》紐解き開けてゆふべだに知らざる命戀ひつゝかあらむ
百積《もゝさか》の船漕ぎ入るゝ八占《やうら》指《さ》し母は問ふとも其名は謂《の》らじ
眉根《まよね》掻《か》き鼻《はな》鳴《ひ》紐解け待てりやも何時かも見むと戀來《こひこ》し吾《あれ》を
君に戀ひ愁《うらぶ》れ居ればあやしくも我《あ》が下紐を結《ゆ》ふ手《て》倦《たゆ》しも
あら玉の年は果つれど敷白《しきたへ》の袖|交《か》へし子を忘れて念《おも》へや
白栲の袖をはつ/\見しからにかゝる戀をも吾《あれ》はする鴨
我妹子に戀|爲便《すべ》無かり夢《いめ》に見むと吾《あれ》は念へど寐ねらえなくに
故もなく吾《あ》が下紐ぞ今解くる人に知らゆな直《たゞ》に逢ふまで
戀ふる事|意《こゝろ》遣りかね出で行けば山も川をも知らず來にけり
     寄物陳思
千早振る神の持《たも》てる命をば誰れがためにか長く欲りする
石《いそ》のかみ布留《ふる》の神杉《かむすぎ》かみさびて戀をも我《あれ》は更にするかも
何《いか》ならむ名負へる神に手向せば吾《あ》が念《おも》ふ妹を夢《いめ》にだに見む
天地と言ふ名の絶えてあらばこそ汝《いまし》と吾《あれ》と逢ふ事止まめ
つき見れば國はおなじぞ山|隔《へな》り愛《うつく》し妹がへなりたるかも
來る路は石《いは》踏む山の無くもがも吾《あ》が待つ君が馬|爪《つま》づくに
石根《いはね》踏み隔《へな》れる山はあらねども逢はぬ日|數《まね》み戀渡るかも
路の後《しり》深津《ふかつ》島山しまらくも君が目見ねばくるしかりけり
紐鏡|能登香《のとか》の山は誰れ故ぞ君が來ませるに紐開けず寐む
山科《やましな》の木幡《こはた》の山を馬はあれど歩《かち》從《ゆ》吾《あ》が來し汝《な》を念ひ兼ね
とほ山に霞たなびきいや遠に妹が目見ねば吾《あれ》戀ひにけり
この川の瀬々に敷く涙|頻々《しく/\》に妹がこゝろに乘りにける鴨
千早人《ちはやびと》宇治の渡のはやき瀬に逢はずありとも後は我《あ》が妻
愛《は》しきやし逢はぬ子故に徒にこの川の瀬に裳の裾|沾《ぬ》れぬ
この川に水沫《みなわ》逆卷《さかま》き行く水の事《こと》反《かへ》さずぞおもひ初めてし
鴨川の後瀬《のちせ》靜けしのちは逢はむ妹には我は今ならずとも
言《こと》に出でて云はゞ忌《ゆゝ》しみ山川のたぎつ心を塞《せか》へたりけり
水の上に數かく如き吾《あ》が命妹に逢はむと誓願《うけ》びつるかも
荒磯越え外《ほか》行く波の外《ほか》ごころ吾は思はず戀ひて死ぬとも
あふみの海《み》沖つ白浪知らねども妹|許《がり》といへば直《たゞ》に越來《こえき》ぬ
大ぶねの香取の沖に錨|下《おろ》しいかなる人かもの念《も》はざらむ
沖つ藻を隱《かくさ》ふ浪の五百重浪《いほへなみ》千重しく/\に戀ひ渡るかも
人言の繁《しげ》けき吾妹《わぎも》綱手《つなで》引く海|從《ゆ》まさりて深くしおもほゆ
あふみの海沖つ島山|奥設《おくま》けて吾が念《も》ふ妹がことの繁《しげ》けく
あふみの海沖こぐ船に重石《いかり》おろし隱れて君が言《こと》待つ吾ぞ
隱沼《こもりぬ》の下|從《よ》戀ふれは便《すべ》をなみ妹が名告りつ忌むべき物を
大土《おほつち》も採らば盡きめど世中《よのなか》に盡き得ぬ物は戀にしありけり
隱處《こもりづ》の澤泉なる石根《いはね》をも通してぞおもふ吾《あ》が戀ふらくは
白眞弓《しらまゆみ》石邊《いそべ》の山のときはなる命なれやも戀ひつゝ居らむ
淡海《あふみ》の海《み》沈《しづ》く白玉知らずして戀ひつるよりは今ぞ益れる
白玉を纏《ま》きてぞ持《もた》る今よりは吾《あ》が玉にせむ知れる時だに
しら玉を手に纏きしより忘れじと念《おも》ふ心はいつか變らむ
白玉の間《あひだ》開も《あ》けつつ貫《ぬ》ける緒も縛《くゝ》り寄すれば後逢ふものを
香山《かぐやま》に雲居たなびき大凡《おほゝ》しく逢ひ見し子等を後戀ひむ鴨
雲間より狹《さ》渡る月の大凡《おほゝ》しく逢か見し子等を見む由もがも
天雲《あまくも》の依合《よりあひ》遠み逢はずともあだし手《た》まくら吾《あれ》纏かめやも
雲だにも著《しる》くし立たば心遣り見つゝし居らむ直《たゞ》に逢ふまで
春楊《はるやなぎ》かづらき山に立つ雲の立ちても居ても妹をしぞ念《も》ふ
春日山雲居がくりて遠けども家はおもはず君をしぞ念《も》ふ
我《あ》がゆゑにいはれし妹は高山の岑の朝霧過ぎにけむかも
ぬば玉の黒髪山の山菅に小雨降りしきしく/\おもほゆ
大|野《ぬ》らに小雨降りしく木の下《もと》に時々寄り來《こ》我《あ》がおもふ人
朝霜の消《け》なば消《け》ぬべく思ひつゝ待つに此夜を明しつる鴨
吾《あ》が背子《せこ》が濱行く風の彌《いや》急《はや》に急《はや》事《こと》成さばいや逢はざらむ
遠妻の振|放《さ》け見つゝしぬぶらむ此月の面《おも》に雲|勿《な》たなびき
山の端に指出《さしい》づる月のはつ/\に妹をぞ見つる後戀ひむ鴨
我妹子し吾《あれ》をおもはゞ眞澄鏡《まそゞみ》照り出《づ》る月の影に見え來ね
久方の天《あま》光《て》る月もかくろひぬ何になぞへて妹をしぬばむ
若月《みかづき》の清《さや》にも見えず雲隱り見まくぞ欲しきうたてこの頃
我《あ》が背子《せこ》に吾《あ》が戀ひ居れば吾が宿の草さへ思ひ末《うら》枯れに鳧《けり》
淺茅原《あさちはら》小野《をぬ》に標繩《しめ》結《ゆ》ひ空事《むなごと》を何《いか》なりと云ひて君をし待たむ
路の邊の草深百合《くさふかゆり》の後《のち》にちふ妹がいのちを我《あれ》知らめやも
湖葦《みなとあし》にまじれる草の知草《しりぐさ》のひとみな知りぬ吾が下おもひ
山萵苣《やまちさ》の白露しげみうらぶるゝ心をふかみ吾が戀止まず
湖《みなと》にさ根|延《ば》ふ小菅ねもごろに君に戀ひつゝ在《あり》がてぬかも
やましろの泉の小菅《こすげ》押靡《おしなみ》に妹をこゝろに吾《あ》が念《も》はなくに
見わたしの三室の山の石穗菅《いはほすげ》ねもごろ吾《あれ》は片おもひする
菅の根の慇懃《ねもごろ》君が結びてし我《あ》が紐の緒を解く人はあらじ
山菅の亂れ戀ひのみ爲《せ》しめつゝ逢はぬ妹かも年は經につゝ
我《あ》が宿の軒の子太草《しだぐさ》生《お》ひたれど戀忘草《こひわすれぐさ》見れど未だ生ひず
打つ田にも稗は數多《あまた》にありといへど擇《えら》えし我《あれ》ぞ夜《よる》一人|寐《ぬ》る
足ひきの名に負ふ山菅|根伏《ねもころ》に君し結ばゝ逢はざらめやも
あき柏《かしは》潤和川邊《うるわかはべ》の細竹《しぬたけ》の群《め》の人にしぬべば君に堪へなく
狹根葛《さねかづら》後《のち》は逢はむと夢のみに誓《うけ》びわたりて年は經につゝ
路の邊の壹師《いちし》の花のいちしろく人皆知りぬ我《あ》が戀ふる妻
大野らに便《たづき》も知らず標《しめ》結ひて在《あり》ぞかねつる吾《あ》が戀《こふ》らくは
水底に生ふる玉藻のうち靡き心を寄せて戀ふるこのごろ
敷栲《しきたへ》の衣手|離《か》れて玉藻なす靡きか寐《ぬ》らむ我《あ》を待ちがてに
君來ずは形見にせむと我が二人植ゑし松の木君を待ち出ね
袖振るが見ゆべき限り吾《あれ》はあれど其松が枝に隱《かく》りたるらむ
茅渟《ちぬ》の海の濱邊の小松根深めて吾《あ》が戀ひ渡る人の子故に
     或本(ノ)歌
    血沼の海の潮干の小松ねもごろに戀ひや渡らむ人の子故に
奈良山の小松が末《うれ》の如何《うれむ》ぞは我《あ》が思ふ妹に逢はず止みなむ
磯の上《へ》の立てる回香樹《むろのき》ねもごろに何《いか》で深めて思ひ初めけむ
橘のもとに我《あれ》立ち下枝《しづえ》取り成りぬや君と問ひし子等はも
天雲に羽《はね》打附《うちつ》けて飛ぶ鶴《たづ》のたづ/\しかも君し座《ま》さねば
妹に戀ひ寐《い》ねぬ朝明《あさけ》に鴛鴦《をしどり》の從是《こよ》飛《と》び渡る妹がつかひか
念ふにし餘りにしかば※[辟+鳥]※[遞の中+鳥]《にはとり》の足沾れ來《こ》しを人見けむかも
     或本(ノ)歌、四句、なづさひこしを、
高山の岑《みね》ゆく鹿《しゝ》の友をおほみ袖振らず來ぬ忘ると念《おも》ふな
大船に眞械※[楫+戈]《まかぢ》繋貫《しじぬ》き漕ぐ間《ま》だに極太《ねもごろ》戀し年にあらばいかに
足乳根《たらちね》の母が飼ふ蠶《こ》の眉籠《まゆごも》り籠れる妹を見るよしもがも
肥人《うまびと》の額髪《ぬかがみ》結《ゆ》へる染木綿《しめゆふ》の染《し》めにしこゝろ我《あれ》わすれめや
隼人《はやびと》の名に負ふ夜聲いち著《じろ》く吾《あ》が名は謂《の》りつ妻と恃《たの》ませ
劔太刀|諸刃《もろは》の利《と》きに足蹈みて死《しに》にも死なむ君に依りては
我妹子に戀《こ》ひし渡れば劔太刀名の惜《をし》けくもおもひ兼ねつも
朝附日《あさづくひ》向ふ黄楊櫛《つげぐし》舊《ふり》ぬれど何しか君が見るに飽《あ》かざらむ
里遠み戀ひうらぶれぬまそ鏡床の邊去らず夢《いめ》に見えこぞ
     又、二句戀ひわびにけり、 四句、面影去らず、
眞澄鏡手にとり持ちて朝々《あさな/\》見れども君は飽《あ》くことも無し
ゆふされば床の邊去らぬ黄楊枕《つげまくら》何しか汝《なれ》が主《ぬし》待ちがたき
解衣《ときぎぬ》の戀ひ亂れつゝ浮草の浮きても吾《あれ》は戀ひわたるかも
梓弓《あづさゆみ》引《ひ》きて許さずあらませばかゝる戀には逢はざらましを
言靈《ことだま》を八十《やそ》の衢《ちまた》に夕占《ゆふげ》問ふ占正《うらまさ》に謂《の》れ妹に逢はむよし
玉ぼこの路徃占《みちゆきうら》にうらなへば妹に逢はむと我《あれ》に謂《の》りてき
     正述心緒
我が背子《せこ》が朝明《あさけ》の姿よくも見ずて今日の間《あひだ》を戀暮すかも
我《あ》がこゝろ無便《すべなく》念《も》へば新夜《あらたよ》の一夜も落ちず夢《いめ》に見えつる
愛《うつく》しと我《あ》が念《も》ふ妹を入皆の行く如《ごと》見めや手に纏《ま》かずして
此頃の寢《い》の寢《ね》らえぬは敷栲《しきたへ》の手枕《たまくら》纏《ま》きて寢《ね》まく欲りこそ
わするやと物語りして心遣り過《すぐ》せど過ぎずなほぞ戀しき
夜《よる》も寐ず安くもあらず白細布《しろたへ》の衣も脱がじ直《たゞ》に逢ふまで
後《のち》に逢はむ吾《あ》をな戀ひそと妹はいへど戀ふる間に年は經に乍《つゝ》
直《たゞ》に逢はずあるは諾《うべ》なり夢にだに何しか人の言の繁《しげ》けむ
烏玉《ぬばたま》の夜《よる》の夢《いめ》にも見え繼げや袖|乾《ほ》す日無く吾《あれ》は戀ふるを
現《いつゝ》には直《たゞ》に逢はなく夢にだに逢ふと見えこそ我《あれ》戀《こふ》らくに
人言《ひとごと》を繁みと妹に逢はずしてこゝろの中《うち》に戀ふるこの頃
     寄物陳思
人見れば表《うへ》を結びて人見ねば下紐開けて戀ふる日ぞ多き
人言のしげけき時に吾妹子し衣にありせば下に著ましを
眞玉附《またまつ》く遠近《をちこち》兼ねて念へれば一重ごろもを一人著て寐ぬ
白細布《しろたへ》の我《あ》が紐の緒の絶えぬ間に戀結《こひむすび》せむ逢はむ日迄に
新墾《にひばり》の今作る路さやかにも聞きにけるかも妹が上の事を
山しろの石田《いはた》の杜《もり》に心|鈍《おぞ》く手向したれや妹に逢ひがたき
菅の根の懇々《ねもころごろ》に照る日にも乾《ひ》めや吾《あ》が袖妹に逢はずして
妹に戀ひ寐《い》ねぬ朝明《あさけ》に吹く風し妹にし觸らば吾《あ》が共《むた》に觸れ
飛鳥河高河|避《よ》かし越え來《こ》しを信《まこと》こよひを明けず行《や》らめや
八釣《やつり》河水底絶えず往く水の續《つ》ぎてぞ戀ふるこの年ごろを
磯の上に生ふる小松の名を惜み人に知らえず戀渡るかも
     或本(ノ)歌、 初二句、巖の上に立てる、 四句、人には言はず、
山河の水隱《みこもり》に生ふる山菅の止まずも妹がおもほゆるかも
淺葉野《あさばぬ》に立ち神《かむ》さぶる菅の根の懇切《ねもころ》誰ゆゑ吾《あ》が戀ひなくに
     或本(ノ)歌、 初二句、誰葉野《たかはぬ》にたちしなひたる。
     羈旅發思
度會《わたらひ》のおほ河の邊《へ》の若歴木《わかひさぎ》吾《わ》が久《ひさ》ならば妹戀かむかも
吾妹子を夢《いめ》に見え來《こ》と倭路《やまとぢ》の渡瀬《わたりせ》ごとに手向我がする
櫻花咲きかも散ると見るまでに誰かもこゝに見えて散行《ちりゆく》
豐國の企玖《きく》の濱松こゝろ哀《いた》く何しか妹に相云《あひい》ひ初めけむ
     獻弓削皇子歌
神南備《かむなび》の神|憑《よ》せ板にする杉の念ひも過ぎず戀のしげきに
     獻舍人皇子歌
垂乳根《たらちね》の母の命《みこと》の言《こと》にあらば年の緒ながく憑み過ぎむや
はつせ河|夕《ゆふ》わたり來て我妹子が家の金門《かなど》に近づきにけり
     與妻歌
雪こそは春日《はるび》消ゆらめ心さへ消え失せたれや言《こと》も通はぬ
     次に妻の和歌あり。左に、
    松反しひにてあれやと三つ栗の中すぎて來ず待つといへや子
 
    問答
 
皇祖《すめろぎ》の神の御門《みかど》をかしみと侍《さもら》ふときに逢へる君かも
眞澄《まそ》かゞみ見とも言はめや玉限《たまかぎ》る石垣淵《いはがきぶち》の隱れたる妹《いも》
     右二首
赤駒の足掻《あがき》はやけば雲居にも隱《かく》りゆかむぞ袖振れ吾妹《わぎも》
隱口《こもりく》の豐泊瀬道《とよはつせぢ》は常滑《とこなめ》のかしこきみちぞ汝《な》がこゝろ勿怠《ゆめ》
     右二首
味酒《うまさけ》の三諸《みもろ》の山に立つ月の見が欲《ほ》し君が馬の足音《あと》ぞする
(答歌缺けたり)
     右二首
鳴神《なるかみ》のひかり動《とよ》みてさし曇り雨も降れやも君をとゞめむ
雷神《なるかみ》のひかり動みて降らずとも吾は留《とま》らむ妹し留《とゞ》めば
     右二首
敷栲《しきたへ》のまくら動きて夜も寐《い》ねず思ふ人には後《のち》逢ふものを
數栲の枕に人は言問へやそのまくらには苔蒸しにたり
     右二首
物|念《も》はず路行きをむも 春山を振放《ふりさ》け見れば 躑躅花《つゝじばな》匂え未通女《をとめ》 作樂花《さくらばな》榮《さか》え未通女 汝《な》をそも吾《あ》に依すちふ 吾をそも汝に依すちふ 汝はいかに念《おも》ふや 念《おも》へこそ歳の八年《やとせ》を 斬る髪の吾が肩を過ぎ 橘の末枝《ほつえ》を過ぐり この川の下にも長く 汝が心待て
 
    譬喩歌
     寄衣
今つくる斑《まだら》のころも面《め》につきて吾《あれ》は念《おもほ》ゆいまだ著ねども
紅《くれなゐ》にころも染《し》めまく欲《ほ》しけども著て匂はゞや人の知るべき
千名《ちな》にはも人はいふとも織續《をりつ》がむ吾《あ》が機物《はたもの》の白麻《しろあさ》ごろも
     寄玉
味鳧村《あぢむら》の十依海《むれよるうみ》に船浮けてしらたま採ると人に知らゆな
遠近《をちこち》の磯のなかなる白玉を人に知らえず見むよしもがも
海神《わたつみ》の手に纏《ま》き持《も》たる玉ゆゑに磯の浦|回《み》に潜《かづ》きするかも
海神のもたる白玉見まくほり千度ぞ告げし潜きする海子《あま》
    又、一二の句、底清み沈《しづ》ける玉を
潜きする海子は告げれど海神の心し得ねば見えむともいはず
     寄木
天雲《あまぐも》のたなびく山の隱《こも》りたる吾《あ》がした心木の葉知るらむ
見れど飽かぬ人國山の木の葉をし下《した》の心になつみしみ念《も》ふ
     寄花
此山の黄葉《もみぢ》の下に咲く花を我《あれ》はつ/\に見つゝ戀ふるも
     寄川
この川|從《ゆ》舟はゆくべくありといへど渡瀬《わたりせ》毎《ごと》に守《も》る人のあり
     寄海
大海は水門《みなと》をまもる事しあらば何方《いづへ》從《よ》君が吾を率《ゐ》隱れむ
風吹きて海は荒るとも明日といはゞ久しかるべし君が隨《まに/\》
雲がくる小島の神のかしこけば目はへだつれど心隔つや
 
    挽歌
 
     就v所發v思
兒等《こら》が手を卷向山《まきむくやま》は常《つね》にあれど過ぎにし人に徃纏《ゆきま》かめやむ
卷向の山べとよみてゆく水の水沫《みなは》のごとし世の人われは
 
     宇治稚郁子宮所歌
妹等《いもら》がり今木《いまき》のみねに茂立《しみた》てる嬬《つま》まつの木は古人《ふるびと》見けむ
     紀伊國作歌
もみぢ葉の過ぎにし子等と携《たづさは》り遊びし磯を見れば悲しも
鹽氣《しほけ》立つ荒磯《ありそ》にはあれど逝《ゆく》水《みづ》の過ぎにし妹《いも》が形見とぞ來し
いにしへに妹と吾《あ》が見し黒玉《ぬばたま》の黒牛渇を見ればさぶしも
玉津島いその浦回《うらみ》の眞砂《まさご》にも匂ひて行かな妹が觸りけむ
 
【新撰】柿本朝臣人麻呂歌集 人集
 
     ●萬葉集所載
三吉野の三船の山に立つ雲の常に在らむとわが思はなくに
   左註に「人麿之歌集出」とあれども、もと、弓削皇子遊2吉野1御歌、
    瀧の上の三船の山に居る雲の常にあらむと我が思はなくに
   の次に、或本(ノ)歌として擧げたるものなれば、疑はしきにつけて、茲に収めつ。
 
     石田王卒之時山前王哀傷作歌
角障經《つぬさはふ》磐余《いはれ》の道を 朝さらず行きけむ人の 念ひつゝ通ひけまくは 霍公鳥《ほとゝぎす》來鳴く五月《さつき》は 橘を玉に貫き※[草冠/縵]《かづら》にせむと 長月の時雨の時は もみぢ葉を折り挿頭《かざ》さむと 延《は》ふ葛《くず》のいや遠永く 萬世に絶えじと念ひて 通ひけむ君を明日|後《よ》は よそにかも見む
       左注に、或云人麿作歌
     献忍壁皇子 【詠仙人形】
とこしへに夏冬往けや皮ごろも扇はなたぬ山に住む人
     献舍人皇子
妹が手を取りて引攀ぢ打手折り君が刺すべき花咲ける鴨
春山は散過きぬれども三輪山は未だ含めり君待ちがてに
     鷺坂作歌
白鳥の鷺坂山の松蔭にやどりて行かな夜も深け行くを
     名木河作歌
炎《あぶ》り干す人もあれやと濡衣を家には遣らな旅のしるしに
荒磯邊に着きて漕がさね京人《みやこびと》濱を過ぐれば戀《こほ》しくある也
     高島作歌
高島の阿波《あど》川波はさわげども吾は家思ふやどり悲しみ
旅なれば夜中をさして照る月の高島山に隱《かく》らくをしも
     紀伊國作歌
吾が戀ふる妹は逢はさず玉浦に衣片敷き一人かも寐む
玉匣開けまくをしきあたら夜を衣手|離《か》れて獨かも寐む
     鷺坂作歌
栲領巾《たくひれ》のさざさか山のしらつゝじ吾に匂はね妹に示さむ
     泉河作歌
妹が門入出づ見河の常滑《とこなめ》にみ雪のこれりいまだ冬かも
     名木河作歌
衣手の名木の河邊を春雨に吾立ち沾ると家|念《も》ふらむか
家人の使なるらしはる雨の避《よ》くれど吾を沾らすおもへば
炎り干す人もあれやも家人の春雨すらを間づかひにする
     宇治河作歌
巨椋《おほくら》の入江|響動《とよ》むなり射目人《いめびと》の伏見が田居に雁渡るらし
あき風の山吹の瀬のとよむなべ天雲《あまぐも》翔り雁わたるかも
     献弓削皇子歌
さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞ゆる空に月渡る見ゆ
妹があたり衣かりが音夕霧に來鳴きて過ぎぬ乏しきまでに
雲がくり雁鳴く時にあき山のもみぢ片待つ時は過ぐれど
     献舍人皇子歌
打手折り田身《たむ》の山霧しげみかも細川の瀬に波のさわげる
冬籠り春邊を戀ひて植ゑし木の實になる時を片待つ吾ぞ
     鷺坂作歌
山しろの久世のさぎ坂神代より春は張りつゝ秋は散りけり
     泉河邊作歌
春草を馬咋《うまくひ》山よ越え來なる雁がつかひはやどり過ぐなり
     献弓削皇子歌
御食向《みけむか》ふ南淵《みなふち》山の巖《いはほ》には降れる斑雪《はだれ》か消えのこりたる
    以上二十五首は左註に「人麿之歌集所出」とあれば、地集の部に收むべきに似たれど、端書の書樣、順序の立方《たてかた》などを考へ渡せば、一人の作ならざる事うつなし。いづれを人麿のとも定め難きまゝ、わざと悉く、こゝに録しつ。
      ○
吾妹兒が赤裳|浸《ひづ》ちて植ゑし田を苅りてをさめむ倉無《くらなし》の濱
百傳《もゝつた》ふ八十の島廻《しまみ》を漕ぎ來けど粟の小島は見れど飽かぬ鴨
    左註に、右二首或云人麿作と。
     詠鳴鹿歌一首並短歌 (作者不詳)
三諸《みもろ》の神邊山《かむなびやま》に 立向ふ御垣《みかき》の山に 秋萩の妻を枕《ま》かむと 朝づく夜明けまく惜み 足引の山彦|響動《とよ》め 喚び立て鳴くも
  反歌
明日の夕《よひ》逢はざらめやも足引の山彦|動《とよ》め呼び立て啼くも
    右舊本の左註には、人麻呂作とあり。後人の裏書ならむか。
     雜歌
上毛野《かみつけぬ》伊奈良の沼の大藺草よそに見し從《よ》は今こそまされ
     相聞
梓弓末は寄り寐む正《まさ》かこそ人目をおほみ汝《な》を間《はし》に置けれ
逢ひ見ては千年や去《い》ぬる否をかも我や然《しか》思《おも》ふ君|待難《まちがて》に
    右三首、左註に「人磨歌集出也」とあれど、初の一首は東歌、次の二首は國風の歌の中に出でたり。殊に「逢ひ見ては」の歌は、萬葉集中に重出して、十一の卷には人磨歌集の外に序でたり。
 
    ●古今集所載
     夏
わが宿の池の藤なみ咲きにけり山時鳥いつか來鳴かむ
     秋
夜を寒み衣かりが音鳴くなべに萩の下葉も移ろひにけり
     冬
梅の花それとも見えず久方の天霧《あまき》る雪のなべて降れゝば
     羈旅
ほの/”\とあかしの浦の朝霧に島隱れゆく舟をしぞ思ふ
    右舊本今昔物語、小野篁被v流2隱岐國1時讀2和歌1語の條に、篁の歌とせり曰く。
     明石ト云所ニ行テ、其夜宿チ、九月許ノ事ナリケレバ、明ボノニ不被寐テ詠メ居タルニ、船ノ島隱レヌルヲ見テ、哀ト思ヒテ如此ナム。
     ほの/”\とあかしの浦の朝霧に鳥隱れゆく舟をしぞ思ふ」トゾヨミテ泣キケル。コレハ篁ガ、返テ語ルヲ聞キテ、言傳ヘタルト也。
     戀
逢はぬ夜のふる白雪と積りなばわれさへ共に消ぬべき物を
風吹けば波うつ岸の松なれやねに顯れて泣きぬべらなり
     雜
あづさ弓いそ邊の小松誰が世にか萬代かけて種を蒔きけむ
    以上七首は、古今和歌集に見えたる、讀人しらずの歌にして、左註に、「この歌は或人の曰く、柿本人まろがなり。」とあり。
 
    ●拾遺集所載
     題しらず
あすからは若菜摘まむと片岡の朝《あした》の原はけふぞ燒くめる
     おなじく
白浪は立てど衣に重ならず明石も須磨もおのがうら/\
     大津の宮の荒れて侍りけるを見て
さゞ波や大津の宮は荒れはてゝかすみ棚引き宮守もなし
     題しらず
千早振神もおもひのあればこそ年經て富士の山も燃ゆらめ
     題しらず
なき名のみ辰の市とは騷げどもいさ又人をうる由もなし
竹の葉におきゐる露の轉《まろ》び合ひてぬるとはなしに立つ我名哉
年を經て思ひ/\て逢ひぬれば月日のみ社《こそ》嬉しかりけれ
ことならば闇にぞあらまし秋夜《あきのよ》のなぞ月影の人憑《ひとだのめ》なる
夢をだにいかで形見に見てしがな逢《あは》でぬる夜の慰《なぐさめ》にせむ
現《うつゝ》には逢ふ事難し玉の緒のよるは絶えせず夢に見えなむ
憑めつゝ來ぬ夜數多になりぬれば待《また》じと思ふぞ待《まつ》に増れる
荒ち男《を》の獵る矢の先に立つ鹿もいと我ばかり物は思はじ
わが如《ごと》や雲の中にもおもふらむ雨も涙も降りにこそ降れ
     猿澤の池に釆女の身投げたるを見て
吾妹子が寐くたれ髪を猿澤の池の玉藻と見るぞかなしき
    以上十四首は、拾遺和歌集に、人麻呂の歌として擧げたるものなり。されど、風體、更に奈良朝時代のものにあらず。「吾妹子が寐くたれ髪を」の歌の如きは、大和物語にも人麻呂の作としたれど、非なり、既に、「年をへて」の歌は躬恒集に、「現には」の歌は貫之集に出でたり、
    又、拾遺集には人麻呂の歌を數多載せたり。茲には、その中より、萬葉、古今集等の前代の諸書に、未だ見當らざる歌のみを拔き出でつ。また、萬葉集中の歡の詠者を見謬りて、さもあらぬを人麻呂のとしたるもの、喩へば「足曳の山鳥の尾のしだり尾のなが/\し夜を獨かも寐む」の類は、すべで擧げず。
たつ田川もみぢ葉流る神なひの三室の山に時雨降るらし
    右は、古今集に、讀人しらずの歌なるを、拾遺集には、人麻呂の作として、わざと再録したり。大和物語にも、人麻呂のものとせり。
 
    ●新古今集所載
     題しらず
なく聲をえやは忍ばぬ時鳥はつ卯のはなの影にかくれて
     おなじく
秋されば鴈の羽風に霜ふりて寒き夜な/\時雨さへ降る
     おなじく
芦鴨の騷ぐ入江の水の江の世にすみ難きわが身なりけり
     以上三首は、新古今和歌集に人麻呂の歌として掲げたるものゝうち、前代の諸集に見えざるもの。
 
【新撰】柿本朝臣人麻呂歌集 附録
     古人の歌聖觀
○萬葉集 【大伴家持が、同族大伴池主に贈れる書簡の語。】
 幼年未v逕2山柿之門1、裁歌之趣、詞失2乎藻林1矣。
○古今和歌集序 紀貫之作
古へより、かく傳はるうちにも、奈良の御時よりぞ弘まりにける。かの御時に、柿本の人麻呂なむ歌の聖なりける。又、山のべの赤人といふ人あり。歌にあやしく妙なりけり。人麻呂は、赤人が上に立たむ事かたく、赤人は、人麻呂が下に立たむ事難くなむあなける。
○同集 眞名序 社淑望作
有2先師柿本大夫者1、高振2神妙之思1、獨歩2古今之間1、有2山邊赤人者1、并和歌之仙也、
○同集 壬生忠岑長歌
あはれむかしへありきてふ、人麻呂こそは嬉しけれ、身はしもながら言の葉をあまつ空まで聞えあげ、末の世までのあとゝなし、云々
〇九品和歌 藤原公任著
 上品(ノ)上
 ほの/”\とあかしの浦の朝霧に島隱れゆく舟をしぞ思ふ  人丸
 これは、言葉妙にして、あまりに、心さへある也
○和漢朗詠抄江註 ○袋草子 藤原清輔著
四條大納言、六條宮被v談云、貫之歌仙也、宮曰、不v可v及2人丸1、納言曰、不可、然爰書2各秀歌十首1、後日被v合、八首人丸勝、一首持、貫之勝2此歌1、云々、所謂此歌者、
 なつの夜はふすかとすれば時鳥なく一聲にあくる東雲 貫之
 時鳥なくや五月の短夜もひとりしぬればあかしかねつも 人丸
私云、自2此事1起、卅六人撰出來歟、
  (四條大納言は藤原公任、 六條宮は具平親王なり。)
○八雲御抄 順徳天皇御著
抑も、柿本人丸が、ほの/”\とあかしの浦、久方のあまぎる雪、なき名のみたつの市など詠みてよりこの方、行平中納言が、立別れいなばの山といひ、壬生忠岑が、君が代にあふ坂山と詠めるたぐひは、いにしへも今も多かれど、體殊なるべし、およそ、萬葉には、春草を馬くひのやま、子等が手をまきもく山などいへる風情數知らず、これは、あらぬやうの秀句にてはなきなり。
萬葉集作者多かれど、家持、人丸、赤人などを棟梁とせり。
〇無名秘抄 鴨長明著
俊惠云、よのつねのよき歌は、たとへば、堅紋の織物の如し。よく艶にすぐれぬる歌は、浮紋の如し。そらに景氣の浮かべるなり。
 ほの/”\とあかしの浦の朝霧に島隱れゆく舟をしぞ思ふ
 月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして
これらこそ、餘情うちに籠り、けしき空に浮かびて侍れ。
○西公談抄 【西行法師の歌談を記せるものといふ。鎌倉時代の歌書。】
 ほの/”\とあかしの浦の朝霧に島がくれ行く舟をしぞ思ふ
人丸の歌には、此歌すぐれたりと、世の人思へり。
 梅の花それとも見えず久方のあまきる雪のなべてふれゝば
此歌は、ほの/”\の歌には、優りたるなり。其故は、島隱れ行く舟をしぞ思ふ、此句は、詞のよせ、誰も思ひ寄りぬべきさまのしたる也。梅の花の歌は、凡夫の心及ぶべきにあらず。大なる歌とは、これをいふなり。叶ふべき事にあらねども、歌は、かやうに詠まむと、思ふべしと也。
○愚秘抄 【藤原定家の作に托したる、鎌倉時代の歌書。】
寫古體は、直躰の歌の中に、言葉づかひ古めきはてゝ、近來の歌とも更に見えぬが、心たしかに、さるものから、物の哀うかび添へたるたぐひを申すべし。所詮、古風を見べき姿にて侍るにや。此寫古躰をば、幼心のほど、かつて詠まぬ風體なり。稽古の後、自然に、此躰詠まるべき也。ふるめかしき歌は、如何にも、見醒めもせで、宜しきものなり。
 身に寒く秋のさよ風ふくなべにふりにし人の夢に見えつゝ
是體に、詠み似せたらむぞ、寫古躰とは申すべき。此歌は、人丸の歌の中に、隨分、殊勝のことゝ、亡父卿申され侍り。
    (亡父卿は、定家の父たる俊成をいふ。)
萬葉集のさま、しどけなき事どもありて、つくろはぬ體とぞ見え侍る。延喜の頃、漸く歌詞の用捨ありて、集のやうもうるはしく、歌ざま、花實相兼ねたりと見ゆ。爰には人丸の歌ぞ、萬葉に入れるも、詞姿すぐれて覺ゆる。されども、また、強くこはきも侍り。然れば、古今より此方、元久の勅撰までも、集毎に風體にあひて、強からず、弱からず見ゆ。強弱したがひて、まじれる歌に同ぜる歌ざま、實の無上と覺え侍り。白居易の詩、またかくの如し。和漢兩朝の通へる、上古の詩、古今の詩どもにまじへたれども、風骨、また人丸の歌のやうに、其域にひとしく准ぜり。攝政殿も、歌には柿本、詩には太原と、常に申され侍りき。
   (攝政殿は、後京極攝政太政大臣藤原良經のこと、太原は、白居易をさす。居易は太原の人なればなり。)
○三五記鷺末 同上
親句といふこと、初の五文字に、終の七、五七との句を、一句づつ合せくだすに皆合ふをいふなり。即ちほの/”\の歌是なり。
○桐火桶 【藤原俊成の名に托したる鎌倉時代の歌書】
抑も、いにしへより今に及ぶまで、歌仙と覺ゆる人々、ついでに撰び出だして、少々、その歌の姿を、物になずらへて申し侍るべし。彼の人々は、皆、衆鳥同林に遊ぶと申しおきたる如く、一輪を出でずして、しかも、萬緑をうかべたるにや。よくく考へさとるべし
                  人丸
 小男鹿の妻とふ山の岡べなるわさ田は刈らじ霜はおくとも
 笹の葉の深山もそよに亂るなれ我は妹思ふ別れきぬれば
 芦鴨の騷ぐ入江の白波のよにすみがたき我が身なりけり
 石上ふるのわさ田の穗には出ず心のうちに戀や渡らむ
 身に寒く秋のさよ風ふくなへに舊《ふり》にし人の夢に見えつゝ
この歌ざまを、ともかくも申さむは、もそれあるやうに侍れども、冥慮にこれを申しうけ侍るべし。たとへば、月いとさやかに更けすみて、流石に、秋風物しづかに、ときどき音づれたる折ふし、初雁の鳴き渡りたる心地し侍る。
○さゝめごと 心敬僧都著
公偲卿、ほの/”\の詠歌をば、三とせまで案じて、もとづき侍るなどいへり。
    幽玄躰            人丸
 笹の葉は太山もそよに亂るなり我は妹思ふ別れきぬれば
言葉心をいろどらず、いひ侍るゆゑに、なほさりの工夫にては、心及び難くや。
〇耳底記
光廣問ふ、人丸、定家、家隆、この衆の風躰なにやうに變りもてきたるぞ。幽齋答ふ、時代のかはりはあるべしと雖も、皆同じものなるべし。あの衆のは、皆おなじものなり.
○萬葉考 新學び 賀茂眞淵著
柿本人麻呂は、いにしへならず、後ならず。一人の姿にして、荒魂和魂いたらぬ隈なむなき。その長歌、いきほひは、雲風に乘りてみ空行く龍の如く、詞は、大海の原に、八百潮の湧くが如し。短歌のしらべは、葛城の襲津彦眞弓を引鳴らさむなせり。深き悲みをいふ時は、ちはやぶる者をも泣かしむべし。
○柿本大人の御像の繪に記せる詞 同上
この大人は、長歌は、いにしへにしも勝れ、短歌はた、次ぎてなもありける。
○長歌撰格 橘守部著
    從石見國別妻上來時歌
浦なし〔三字傍線〕云々、滷なし〔三字傍線〕云々は、海びをさして〔六字傍線〕といひ出でむ爲なり。又、玉藻沖つ藻云々〔七字傍線〕はより寐し妹〔五字傍線〕といはむ序ながら、全くの序にもあらず。皆その上り來る路すがらの物もて、巧にいひなせるものなり。さて、一篇の上を海、里、山とついでて仕立てたれば、即ち、その海里山が、この歌の招應首尾にぞありける。
    志我津釆女死時作歌
この歌、はじめのとをよる子等〔六字傍線〕と、末の過ぎにし子等〔六字傍線〕と首尾し、又、中間に、露こそはあしたに〔八字傍線〕云々、霧こそはゆふべに〔七字傍線〕云々といひて、終りに、朝露のごと〔五字傍線〕、夕霧のごと〔五字傍線〕、といへるも首尾なり。又、秋山の〔三字傍線〕といひ出て、露〔傍線〕といひ、霧〔傍線〕といひ、時ならず〔四字傍線〕といへるなども、皆おのづから響きたり。又、その長短變格等をも見るべし。
    持統天皇幸吉野宮之時作歌二首
これ等のたぐひは、或は大和より、近江までの地理を以て、續け、或は、天皇の行幸の御稜威をたゞへ、あるは、其の宮所の形勢などもて、一首の文となせるなれば、はじめに擧げたる歌どもは、その文どりざま異なるなり。かれ、彼の四種の潤色も、おのづからうるはしく、かゝる續けは、枕詞の左右相並ぶも疊對の例なり。されば、この枕詞地名などを並べ重ねて.一の體となせるあり。
○萬葉燈 富士谷御杖著
     過近江舊都時作歌
この歌、表は、神武天皇以來、御代御代大和にのみ天下しろしめしたれば、只その古き跡に從はせ給ふべきを、いかやうに思召したればか、鄙なる近江の國に遷都し給ひけむ、凡慮のはかり難きに、その大宮見むと思へど、聞き誤りか、いひ謬りか、この大宮の見えぬは、春草の繁く霞きりたる故ならむ。いとも/\くちをしき事やと、この大宮の見えぬを悲しみたるに詠みふせられしなり。されど.さる口をしさばかりの事歌に詠むべき理なく、大方、神武天皇以來の事をいひ、その大宮の見えぬ事を歎かれたるさまを思ふに、初國このかた皇居し給ひし地を易へさせ給ひしかど、その大宮の、今迹もなくなれるは、ひとへに、この帝の御心輕くおはしし故なるべし。若し、御世御世の御迹に隨ひ給ひて、倭におはしまさば、かく荒廢する事もあらじかと、くちをしく思ふ心明らかなり。されど、この帝をあはめ奉るに落つべきが故に、かく遷都し給ひし御心、凡慮のはかり難きに、その大宮の見えぬくちをしさを詞とせられたる、めでたしとも、よの常なり。終に、毛〔右○〕文字を置かれたるは、この情を思ひ入らせむが爲なり。古人の脚結の用ひざま、これにても、よく/\味はひ知るべし。
○隨處師説 香川景樹が、神方針子の詠草奥書に
眞淵翁の申されし如く、長歌は、實に、人丸に止まるべきに候。
 
   柿本朝臣人麻呂事蹟
                       落合直文述
 
我國の文學者として、我國の歌人として、最も世に聞えたるもの、最も譽あるものは誰ぞや。盖し、柿本人麿の右に出づるものはなからむ。かの萬葉集の歌を見よ。かの人磨家集の歌を見よ。或は龍の風雲に乘るが如く、或は猛夫の弓を放つが如く、或は潮の大海に湧くが如く、實に名状すべからざる妙あり。幾千載の今日、猶學者の欽慕して止まざるもの、實に其のいはれあることならむ。さる大文學者なり。さる大歌人なり。その人にして、その事跡の明らかならざるは、そも/\いかにぞや。思へば口惜しきかぎりにこそ。
その事跡の明らかならずとて、人麿その人は、なにかあらむ。名譽を顧みざる、功名を願はざる、文學の人麿、歌人の人麿、その事跡の明らかならざるは、中々にそのよろこびとする所ならm。おのれ常におもへらく、名譽あるもの、必ずしも文學にあらずと。又常におもらく、功名あるもの、必ずしも歌人にあらずと。果して然らむには、人麿の事跡の明らかならざるは、やがて、人麿の價値のあるところならむ。
さはいへ、その人を欽裳慕する、後世人のわれ/\として、そを打捨ておくべきにあらず。その事跡のあるかぎり、そを考へ、そを探り、以て遺憾なからしめざるべからず。おのれ、人麿の傳記をしらべむと欲する、こゝに年あり。左に其の重なるものをぬき出でむ。
(一) 柿本氏
天武紀に、白鳳十年十二月癸己柿本猿等並十人授2小錦下位1。同十三年十一月大三輪君柿本等五十二氏賜2朝臣姓1とあり。また、元明紀に、柿本朝臣佐留とあり。この佐留は、天武紀の猿と同人ならむ。また聖武紀に、柿本朝臣建石、柿本朝臣濱名、柿本朝臣市守、柿本小玉等あり。これらは、人麿にいかなるゆかりあるものか。姓氏録、大和皇別十八氏の中に、柿本朝臣、孝照天皇之王子天足彦國押人命之後也、敏達天皇御世、依3家門有2柿樹1爲2柿本臣1とあり。盖し、皆同族ならむ。萬葉集に、柿本朝臣人麻呂とあり。天武紀の賜2朝臣姓1といふに、よく合へり。
(二) 人麻呂の年代
 續本明文粋に、敦光の賛あり。その文に、大夫姓柿本名人麻呂、盖上世之歌人也、仕2持統文武之聖朝1とあり。萬葉集の次第にて考ふるに、持統天皇の朱鳥のはじめごろの人と覺えたり。持統文武の二朝に仕へたりといふは、動かぬ説ならむ。拾芥抄には人麻呂は天智天皇の時の人なりとあり。古今集の序には、かの御時【平城朝をいふ】に、おほきみつの位柿本の人麻呂なむ、歌のひじりなりけるとあり。拾芥抄といひ、古今集の序といひ、いづれも論あることにて、拾芥抄は早きに過ぎ、古今集の序は、おそきこゝちす。
(三) 人麻呂の生國
 二説あり。一は石見國、一は大和國、これなり。姓氏録に據れば、大和國といふ方正しきやうなれど、いかゞあらむ。大和姉本氏の系屬にて、石見に生れたるにや。また幼少なる時石見へ赴きたるにや。また石見の人にて、縁由ありて.大和の柿本氏を冐せるにや。そを判斷すべき的證を見出さず。
(四) 人麻呂出生の年月
 年は、詳ならず。月日は、石見の高角社にては、八月朔日を以て人麻呂の生日となせり。據るところあるにや。
(五) 人麻呂の父母
わかず。人麻呂密抄に、石見國美濃郡戸田郷小野といふ所に、語家命といふ民あり。ある時、後園柿樹の下に、神童まします。よりて問へば、答へて曰く,われ父もなく母もなし。風月の主として、敷島の道を知ると。夫婦よろこびて、これを撫育し、後に人麻呂となりて出仕し、和歌にて才徳をあらはし給へりとあり。妄誕怪説采るに足らず。
(六) 人麻呂の妻
依羅娘子といへり。人麻呂の妻なる故か、その歌どもめでたし。人麻呂に別るゝ時、「なもひそと君はいへども逢はむ時いつと知りてか我が戀ひざらむ」又、人麻呂の失せにし時「たゞにあはゞ逢ひもかねてむ石川に雲たち渡れ見つゝしのばむ」など、その歌のいかなりしかを知るに足らむ。かくて、依羅娘子は、いづこの人なるか。萬葉集に、柿本朝臣人麻呂從2石見國1別v妻上來時歌二皆并短歌とあり。大方石見の國の人ならひ。この依羅娘子、後に都に住めりし事は、人麻呂の失せにし時の歌、および、丹比眞人擬2人麻呂之意1報歌とある、萬葉集の歌にて明らかならむ。人麻呂の妻は、依羅娘子一人なるか。然らず。他に今一人あり。依羅娘子は、人麻呂に後れて失せたり.今一人の妻は、人麻呂に先立ちて失せたり。その證は、萬葉集に、人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌あり。その短歌に、「家に來てわが屋を見ればたま床の外に向きけり妹が木枕」「去年見てし秋の月夜はてらせれど逢ひ見し妹はいや年さかる」「ふすま路を引手の山に妹をおきて山路を行けばいけりともなし」などあるにて、明らかならむ。思ふに、依羅娘子は正妻にて、今一人の妻は、都にて聘せし女ならむ。
(七) 人麻呂の子
人麻呂の妻の失せにし時の長歌に、「吾妹子が形見における緑子の戀ひ泣く毎にとり與ふ物しなければをとこじもの脇ばさみ持ち云々」とあり。この子、生長せしや。はた夭死せしや。そは知ること能はず。
(八) 人麻呂の官位
萬葉集に、人麻呂在2石見國1臨v死時とあり。延喜式に六位以下曰v死とあり。その位いと卑くかりしならむ。かの古今集なる壬生忠岑の長歌に、「あはれいにしへありきてふ人まろこそは嬉しけれ身は下ながら言の葉を天つそらまで聞えあげ末の世までの跡となし云々。」とあるなど思ひ合せば、思半に過ぎむ。古今集の假名序に、「おほきみつの位柿本人まろ」とあり。この正三位は謬ならむ。宗祇の説に、人麻呂の位の事、公卿輔任に見えず。入道亞相爲家卿の説に、これは正六位のことなり。陸奥をむつのく〔四字傍線〕ともみつのく〔四字傍線〕ともいふが如く、み〔二重傍線〕む〔二重傍線〕相通なりと。この説もいかがあらむ。又ある説に、人麻呂歿後に、朝廷より正三位を贈られたるを、その贈位を古今集の序には書きたるなりと。この贈位論も證ありとおぼえず。いかゞあらむ。詞林釆葉に、石見風土記をひきて、天武帝【或は文武帝の誤ならむといふ説あり】四年三月九日叙2三位1兼2播磨守1とあり。この風土記の説、また信ずるに足らず。又、人麻呂は石見權守、或は石見介などの説もあれど、共に信ずるに足らず。敦光の賛、および古今集眞名序に、大夫とあり。大夫は四位五位の人ならでは當らず。されど、こは漢文の上にて大よそに書けるものなれば、咎むべきにもあらざるか。要するに、古今集の序の正三位は正六位などの誤ならむ。三と六とあやまれるか。はた、おほきみつの位とおほきむつの位とあやまれるか。いづれにてもあらむ。
(九) 人麻呂の位置及び人物
人麻呂は位正六位にのぼらず。されど、當時萬葉の人にもてはやされしは、著明なる事實なり。その一二をいはむに、人麻呂入京の後、草壁皇子、輕皇子、長皇子、新田部皇子、高市皇子、忍坂部皇子、泊瀬部皇女等と和歌の交あり。又、紀伊、伊勢、雷岳、吉野の行幸に陪從せる歌あり。いづれも載せて萬葉集にあり。人麻呂の、當時もてはやされし有樣、推知せらるゝならむ。又、その歌を見るに、一言一句、悉く性情に發したるもののみにて、勤王の情に富みたるは更なり、その人物の潔白なること、文學者中、又なぞらふべきものなからむ。
(十) 人麻呂の死去
萬葉集に、文武天皇四年明日香皇女殯宮之時歌あり。
その末に、人麻呂在2石見國1臨v死時自傷作歌あり。その歌は、「かも山の岩根しまける我をかも知らずと妹が待ちつゝをらむ」といふ歌なり。石見の國にて死去せられし事明らかなり。持統文武の二朝に仕へ、元明以後は致仕して、石見へくだられたりと見えたり。さて石見へ下られて、高角山に獨住にて終られしか、委しきことはわからず.
(十一) 人麻呂死去の年月
出生の年月日とおなじく、死去の年月日も詳ならず。高角社にては、三月十八日を人麻呂の忌日となせり。徹書記清岩茶話に、「三月十八日人麻呂の忌日にて、昔は和歌所にて、毎月十八日歌の會ありき」とあり。すこし據るところもやあらむ。長井定宗の本朝通紀には、聖武天皇天平元年人麻呂死去と書けり。林道春の國史實録には、聖武天皇神龜元年甲子十二月と書けり。本朝通紀と國史實録とを比較するに國史實録の方まさらむか。そは中御門天皇享保八年人麻呂一千年の正忌とて、その二月朔日に正一位を贈られたればなり。猶考ふべきことにこそ。
(十二) 人麻呂の年齢
賀茂眞淵翁は人麻呂の年齡を四十ばかりといはれたり。それもさる事なれど、拾芥抄なる、人麻呂は、天智天皇の時の人なりとあるを、假に助けて人麻呂の出生のことゝし、草壁皇子薨時の歌は朱鳥三年己丑、かくて、神龜元年に終られたりとすれば、その年齡六十内外ならむ。おのれは、十訓抄、古今著聞集などの夢の姿によりて出で來たる老人の畫に、像に、それを信ずるにはあらねど、四十とは、又あまりに若からむと思になり。とにもかくにもよき考の出で來むを持たむ。
(十三) 人麻呂の墳墓
石見國高津【高角の轉】に、柿本祠あり。播州明石にもその祠あり。いづれか古きものならむ。播州明石の方は、かの人麻呂の歌と誤認せる、ほの/\の歌より思ひつきたるものと思はるれど、増鏡に、人麻呂の廟播磨大倉谷の側にありとあり。おのれ、明石の柿本祠には參詣したれど、大倉谷の方はいまだ行き見ず。とにかく、播州にも古くより人麻呂のゆかりありと見えたり。又、大和國添上郡櫟本村に柿本寺といへる中に、人麻呂の墓あり。土人これを歌塚といふ。顯昭法師の人麻呂勘文に、「藤原清輔曰、嘗過2大和1聞2故老言1、添郡石上寺傍有v祠號2春道社1、祠邊寺號2柿本寺1、是人麻呂所v建也、祠前小塚名2人麻呂墓1、清輔徃觀v之、所謂姉本寺礎石僅存、人麻呂墓高四尺計.因建2率都婆1、勒曰2柿本朝臣人麻呂墓1、顯昭按、人麻呂歿2于石見1、豈移2其遺骸於大和1耶云々」とあり。鴨長明の無名抄にも、人麻呂の墓和州泊瀬の傍にありてその地を歌墳とよぶとあり。玉葉集にもこの事ありて、清輔朝臣の歌、又、寂蓮法師の歌などあり。石見、播磨、大和、この三所いづれかまことの人麻呂の墓ならむ。
以上は、人麻呂の事跡に関しておのれが、豫ねて、諸書より書取りおけるものなり。猶、鈔録せるものあれど、そは他日にゆづらむ。
 
をはり
 
明治三十八年一月廿五日印刷
明治三十八年二月一日發行
 定價金廿五錢
          東京市本郷區弓町一丁目十二番地
 著者   金子 元臣
          東京市神田區錦町一丁目十二番地
 發行者  三樹 一平
          東京市京橋區西紺屋町廿六七番地
 印刷者  石川 金太郎
          東京市京橋區西紺屋町廿六七番地
 印刷所  【株式會社】 秀英舍
 發行所 東京市神田錦町一丁目  明治書院
 
    2008年10月18日(土) 午後3時33分、入力終了