夏目漱石全集
 
  目次
 
 小説
 
吾輩は猫である   
倫敦塔       
カーライル博物館  
幻影の盾      
琴のそら音     
一夜        
薤露行       
趣味の遺傳     
坊つちやん     
草枕        
二百十日      
野分        
虞美人草      
 
   吾輩は猫である 上
       明治三八、一、一−三八、一〇、一〇
 
     一
 
 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 何所《どこ》で生れたか頓《とん》と見當がつかぬ。何でも薄暗いじめ/\した所でニヤー/\泣いて居た事|丈《だけ》は記憶して居る。吾輩はこゝで始めて人間といふものを見た。然もあとで聞くとそれは書生といふ人間中で一番|獰惡《だうあく》な種族であつたさうだ。此書生といふのは時々我々を捕《つかま》へて※[者/火]て食ふといふ話である。然し其當時は何といふ考もなかつたから別段恐しいとも思はなかつた。但《たゞ》彼の掌《てのひら》に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフハ/\した感じが有つた許《ばか》りである。掌《てのひら》の上で少し落ち付いて書生の顔を見たのが所謂《いはゆる》人間といふものゝ見始《みはじめ》であらう。此時妙なものだと思つた感じが今でも殘つて居る。第一毛を以て裝飾されべき筈の顔がつる/\して丸《まる》で藥罐《やくわん》だ。其《その》後《ご》猫にも大分《だいぶ》逢つたがこんな片輪には一度も出會《でく》はした事がない。加之《のみならず》顔の眞中が餘りに突起して居る。さうして其穴の中から時々ぷう/\と烟を吹く。どうも咽《む》せぽくて實に弱つた。是が人間の飲む烟草といふものである事は漸く此頃知つた。
 此書生の掌の裏《うち》でしばらくはよい心持に坐つて居つたが、暫くすると非常な速力で運轉し始めた。書生が動くのか自分|丈《だけ》が動くのか分らないが無暗に眼が廻る。胸が惡くなる。到底助からないと思つて居ると、どさりと音がして眼から火が出た。夫《それ》迄《まで》は記憶して居るがあとは何の事やらいくら考へ出さうとしても分らない。
 ふと氣が付いて見ると書生は居ない。澤山|居《を》つた兄弟が一疋も見えぬ。肝心《かんじん》の母親さへ姿を隱して仕舞つた。其上今迄の所とは違つて無暗に明るい。眼を明いて居《ゐ》られぬ位だ。果《は》てな何でも容子が可笑《をかし》いと、のそ/\這ひ出して見ると非常に痛い。吾輩は藁の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。
 漸くの思ひで笹原を這ひ出すと向ふに大きな池がある。吾輩は池の前に坐つてどうしたらよからうと考へて見た。別に是といふ分別《ふんべつ》も出ない。暫くして泣いたら書生が又迎に來てくれるかと考へ付いた。ニヤー、ニヤーと試みにやつて見たが誰も來ない。其内池の上をさら/\と風が渡つて日が暮れかゝる。腹が非常に減つて來た。泣き度くても聲が出ない。仕方がない、何でもよいから食物《くひもの》のある所迄あるかうと決心をしてそろり/\と池を左《ひだ》りに廻り始めた。どうも非常に苦しい。其所を我慢して無理やりに這つて行くと漸くの事で何となく人間臭い所へ出た。此所へ這入つたら、どうにかなると思つて竹垣の崩《くづ》れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もし此竹垣が破れて居なかつたなら、吾輩は遂に路傍《ろばう》に餓死《がし》したかも知れんのである。一樹の蔭とはよく云つたものだ。此垣根の穴は今日《こんにち》に至る迄吾輩が隣家《となり》の三毛を訪問する時の通路になつて居る。偖《さて》邸へは忍び込んだものゝ是から先どうして善《い》いか分らない。其内に暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降つて來るといふ始末でもう一刻も猶豫が出來なくなつた。仕方がないから兎に角明るくて暖かさうな方へ方へとあるいて行く。今から考へると其時は既に家の内に這入つて居つたのだ。こゝで吾輩は彼《か》の書生以外の人間を再び見るべき機會に遭遇したのである。第一に逢つたのがおさんである。是は前の書生より一層亂暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋《くびすぢ》をつかんで表へ抛《はふ》り出した。いや是は駄目だと思つたから眼をねぶつて運を天に任せて居た。然しひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出來ん。吾輩は再びおさんの隙《すき》を見て臺所へ這ひ上《あが》つた。すると間もなく又投げ出された。吾輩は投げ出されては這ひ上《あが》り、這ひ上《あが》つては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶して居る。其時におさんと云ふ者はつく/”\いやになつた。此間おさんの三馬《さんま》を偸《ぬす》んで此返報をしてやつてから、やつと胸の痞《つかへ》が下りた。吾輩が最後につまみ出され樣《やう》としたときに、此|家《うち》の主人が騷々しい何だといひながら出て來た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けて此宿なしの小猫がいくら出しても出しても御臺所《おだいどころ》へ上《あが》つて來て困りますといふ。主人は鼻の下の黒い毛を撚《ひね》りながら吾輩の顔を暫く眺めて居つたが、やがてそんなら内へ置いてやれといつたまゝ奧へ這入つて仕舞つた。主人は餘り口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜《くや》しさうに吾輩を臺所へ抛《はふ》り出した。かくして吾輩は遂に此|家《うち》を自分の住家《すみか》と極める事にしたのである。
 吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合せる事がない。職業はヘ師ださうだ。學校から歸ると終日書齋に這入つたぎり殆んど出て來る事がない。家《うち》のものは大變な勉強家だと思つて居る。當人も勉強家であるかの如く見せて居る。然し實際はうちのものがいふ樣な勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書齋を覗いて見るが、彼はよく晝寐をして居る事がある。時々讀みかけてある本の上に涎《よだれ》をたらして居る。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色《たんくわうしよく》を帶びて彈力のない不活?な徴候をあらはして居る。其癖に大飯を食ふ。大飯を食つた後《あと》でタカヂヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ讀むと眠くなる。涎《よだれ》を本の上へ垂らす。是が彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考へる事がある。ヘ師といふものは實に樂《らく》なものだ。人間と生れたらヘ師となるに限る。こんなに寐て居て勤まるものなら猫にでも出來ぬ事はないと。夫《それ》でも主人に云はせるとヘ師程つらいものはないさうで彼は友達が來る度に何とかゝんとか不平を鳴らして居る。
 吾輩が此|家《うち》へ住み込んだ當時は、主人以外のものには甚だ不人望であつた。どこへ行つても跳ね付けられて相手にしてくれ手がなかつた。如何に珍重されなかつたかは、今日《こんにち》に至る迄名前さへつけてくれないのでも分る。吾輩は仕方がないから、出來得る限り吾輩を入れてくれた主人の傍《そば》に居る事をつとめた。朝主人が新聞を讀むときは必ず彼の膝の上に乘る。彼が晝寐をするときは必ず其脊中に乘る。是はあながち主人が好きといふ譯ではないが別に構ひ手がなかつたから已《やむ》を得んのである。其後色々經驗の上、朝は飯櫃《めしびつ》の上、夜は炬燵《こたつ》の上、天氣のよい晝は椽側へ寐る事とした。然し一番心持の好いのは夜《よ》に入《い》つてこゝのうちの小供の寐床へもぐり込んで一所にねる事である。此小供といふのは五つと三つで夜《よる》になると二人が一つ床へ入《はい》つて一間《ひとま》へ寐る。吾輩はいつでも彼等の中間に己《おの》れを容るべき餘地を見出《みいだ》してどうにか、かうにか割り込むのであるが、運惡く小供の一人が眼を醒ますが最後大變な事になる。小供は――殊に小さい方が質《たち》がわるい――猫が來た/\といつて夜中でも何でも大きな聲で泣き出すのである。すると例の神經胃弱性の主人は必ず眼をさまして次の部屋から飛び出してくる。現に先達《せんだつ》て抔《など》は物指《ものさし》で尻ぺたをひどく叩かれた。
 吾輩は人間と同居して彼等を觀察すればする程、彼等は我儘なものだと斷言せざるを得ない樣になつた。殊に吾輩が時々|同衾《どうきん》する小供の如きに至つては言語同斷《ごんごどうだん》である。自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、抛《はふ》り出したり、へつつい〔四字傍點〕の中へ押し込んだりする。而《しか》も吾輩の方で少しでも手出しを仕《し》樣《やう》ものなら家内《かない》總がゝりで追ひ廻して迫害を加へる。此間も一寸疊で爪を磨《と》いだら細君が非常に怒《おこ》つてそれから容易に座敷へ入れない。臺所の板の間で他《ひと》が顫へて居ても一向《いつかう》平氣なものである。吾輩の尊敬する筋向《すぢむかふ》の白君|抔《など》は逢ふ度毎に人間程不人情なものはないと言つて居らるゝ。白君は先日玉の樣な子猫を四疋産まれたのである。所がそこの家《うち》の書生が三日目にそいつを裏の池へ持つて行つて四疋ながら棄てゝ來たさうだ。白君は涙を流して其一部始終を話した上、どうしても我等|猫族《ねこぞく》が親子の愛を完くして美しい家族的生活をするには人間と戰つて之を剿滅《さうめつ》せねばならぬといはれた。一々|尤《もつとも》の議論と思ふ。又隣りの三毛君《みけくん》抔《など》は人間が所有權といふ事を解して居ないといつて大《おほい》に憤慨して居る。元來我々同族間では目刺《めざし》の頭でも鰡《ぼら》の臍《へそ》でも一番先に見付けたものが之を食ふ權利があるものとなつて居る。もし相手が此規約を守らなければ腕力に訴へて善《よ》い位のものだ。然るに彼等人間は毫も此觀念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等の爲に掠奪《りやくだつ》せらるゝのである。彼等は其強力を頼んで正當に吾人が食ひ得べきものを奪《うば》つて濟《すま》して居る。白君は軍人の家に居り三毛君は代言の主人を持つて居る。吾輩はヘ師の家《うち》に住んで居る丈《だけ》、こんな事に關すると兩君よりも寧ろ樂天である。唯其日/\が何うにか斯うにか送られゝばよい。いくら人間だつて、さういつ迄も榮へる事もあるまい。まあ氣を永く猫の時節を待つがよからう。
 我儘で思ひ出したから一寸吾輩の家《うち》の主人が此我儘で失敗した話をし樣《やう》。元來此主人は何といつて人に勝《すぐ》れて出來る事もないが、何にでもよく手を出したがる。俳句をやつてほとゝぎす〔五字傍點〕へ投書をしたり、新體詩を明星〔二字傍点〕へ出したり、間違ひだらけの英文をかいたり、時によると弓に凝《こ》つたり、謠《うたひ》を習つたり、又あるときは?イオリン抔《など》をブー/\鳴らしたりするが、氣の毒な事には、どれもこれも物になつて居らん。其癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。後架《こうか》の中で謠をうたつて、近所で後架先生《こうかせんせい》と渾名《あだな》をつけられて居るにも關せず一向《いつかう》平氣なもので、矢張|是《これ》は平《たひら》の宗盛《むねもり》にて候《さふらふ》を繰返して居る。皆《み》んながそら宗盛だと吹き出す位である。此主人がどういふ考になつたものか吾輩の住み込んでから一月|許《ばか》り後《のち》のある月の月給日に、大きな包みを提《さ》げてあはたゞしく歸つて來た。何を買つて來たのかと思ふと水彩繪具と毛筆とワツトマンといふ紙で今日から謠や俳句をやめて繪をかく決心と見えた。果して翌日から當分の間といふものは毎日々々書齋で晝寐もしないで繪|許《ばか》りかいて居る。然し其かき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。當人もあまり甘《うま》くないと思つたものか、ある日其友人で美學とかをやつて居る人が來た時に下《しも》の樣な話をして居るのを聞いた。
 「どうも甘《うま》くかけないものだね。人のを見ると何でもない樣だが自《みづか》ら筆をとつて見ると今更の樣に六づかしく感ずる」是は主人の述懷《じゆつくわい》である。成程|詐《いつは》りのない處だ。彼の友は金縁の眼鏡越に主人の顔を見ながら、「さう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像|許《ばか》りで畫《ゑ》がかける譯のものではない。昔《むか》し以太利《イタリー》の大家アンドレア、デル、サルトが言つた事がある。畫をかくなら何でも自然其物を寫せ。天に星辰《せいしん》あり。地に露華《ろくわ》あり。飛ぶに禽《とり》あり。走るに獣《けもの》あり。池に金魚あり。枯木《こぼく》に寒鴉《かんあ》あり。自然は是《これ》一幅の大活畫《だいくわつぐわ》なりと。どうだ君も畫らしい畫をかゝうと思ふならちと寫生をしたら」
 「へえアンドレア、デル、サルトがそんな事をいつた事があるかい。ちつとも知らなかつた。成程こりや尤もだ。實に其通りだ」と主人は無暗に感心して居る。金縁の裏には嘲《あざ》ける樣な笑が見えた。
 其翌日吾輩は例の如く椽側に出て心持善く晝寐をして居たら、主人が例になく書齋から出て來て吾輩の後《うし》ろで何かしきりにやつて居る。不圖《ふと》眼が覺《さ》めて何をして居るかと一分《いちぶ》許《ばか》り細目に眼をあけて見ると、彼は餘念もなくアンドレア、デル、サルトを極《き》め込んで居る。吾輩は此有樣を見て覺えず失笑するのを禁じ得なかつた。彼は彼の友に揶揄《やゆ》せられたる結果として先づ手初めに吾輩を寫生しつゝあるのである。吾輩は既に十分《じふぶん》寐た。欠伸《あくび》がしたくて堪らない。然し切角主人が熱心に筆を執つて居るのを動いては氣の毒だと思ふて、ぢつと辛棒して居つた。彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩《いろど》つて居る。吾輩は自白する。吾輩は猫として決して上乘の出來ではない。脊といひ毛並といひ顔の造作といひ敢て他の猫に勝《まさ》るとは決して思つて居らん。然しいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人に描《ゑが》き出されつゝある樣な妙な姿とは、どうしても思はれない。第一色が違ふ。吾輩は波斯産《ペルシヤさん》の猫の如く黄を含める淡灰色に漆《うるし》の如き斑入《ふい》りの皮膚を有して居る。是《これ》丈《だけ》は誰が見ても疑ふべからざる事實と思ふ。然るに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色《とびいろ》でもない、去《さ》ればとて是等を交ぜた色でもない。只一種の色であるといふより外に評し方のない色である。其上不思議な事は眼がない。尤も是は寐て居る所を寫生したのだから無理もないが眼らしい所さへ見えないから盲猫《めくら》だか寐て居る猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア、デル、サルトでも是では仕樣《しやう》がないと思つた。然し其熱心には感服せざるを得ない。可成《なるべく》なら動かずに居つてやり度いと思つたが、先《さ》つきから小便が催ふして居る。身内《みうち》の筋肉はむづ/\する。最早一分も猶豫が出來ぬ仕儀《しぎ》となつたから、不得已《やむをえず》失敬して兩足を前へ存分のして、首を低く押し出してあーあと大《だい》なる欠伸《あくび》をした。さてかうなつて見ると、もう大人《おとな》しくして居ても仕方がない。どうせ主人の豫定は打《ぶ》ち壞《こ》はしたのだから、序《ついで》に裏へ行つて用を足《た》さうと思つてのそ/\這ひ出した。すると主人は失望と怒りを掻き交ぜた樣な聲をして、座敷の中から「此馬鹿野郎」と怒鳴《どな》つた。此主人は人を罵るときは必ず馬鹿野郎といふのが癖である。外に惡口の言ひ樣《やう》を知らないのだから仕方がないが、今迄辛棒した人の氣も知らないで、無暗に馬鹿野郎|呼《よば》はりは失敬だと思ふ。それも平生吾輩が彼の脊中へ乘る時に少しは好い顔でもするなら此|漫罵《まんば》も甘んじて受けるが、こつちの便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、小便に立つたのを馬鹿野郎とは酷《ひど》い。元來人間といふものは自己の力量に慢じて皆《み》んな搨キして居る。少し人間より強いものが出て來て窘《いぢ》めてやらなくては此先どこ迄搨キするか分らない。
 我儘も此位なら我慢するが吾輩は人間の不コについて是よりも數倍悲しむべき報道を耳にした事がある。
 吾輩の家の裏に十坪|許《ばか》りの茶園《ちやゑん》がある。廣くはないが瀟洒《さつぱり》とした心持ち好く日の當《あた》る所だ。うちの小供があまり騷いで樂々晝寐の出來ない時や、餘り退屈で腹加減のよくない折|抔《など》は、吾輩はいつでも此所へ出て浩然《かうぜん》の氣を養ふのが例である。ある小春の穩かな日の二時頃であつたが、吾輩は晝飯後《ちうはんご》快よく一睡した後《のち》、運動かた/”\この茶園へと歩を運ばした。茶の木の根を一本/\嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒して其上に大きな猫が前後不覺に寐て居る。彼は吾輩の近付くのも一向《いつかう》心付かざる如く、又心付くも無頓着なる如く、大きな鼾《いびき》をして長々と體を横《よこた》へて眠つて居る。他《ひと》の庭内に忍び入りたるものが斯く迄平氣に睡《ねむ》られるものかと、吾輩は竊《ひそ》かに其大膽なる度胸に驚かざるを得なかつた。彼は純粹の黒猫である。僅かに午《ご》を過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上に抛《な》げかけて、きら/\する柔毛《にこげ》の間より眼に見えぬ炎でも燃え出づる樣に思はれた。彼は猫中の大王とも云ふべき程の偉大なる體格を有して居る。吾輩の倍は慥《たし》かにある。吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立《ちよりつ》して餘念もなく眺めて居ると、靜かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐《ごとう》の枝を輕《かろ》く誘つてばら/\と二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。大王はくわつと其|眞丸《まんまる》の眼を開いた。今でも記憶して居る。其眼は人間の珍重する琥珀《こはく》といふものよりも遙かに美しく輝いて居た。彼は身動きもしない。双眸《さうぼう》の奧から射る如き光を吾輩の矮小《わいせう》なる額《ひたひ》の上にあつめて、御めえ〔三字傍點〕は一體何だと云つた。大王にしては少々言葉が卑《いや》しいと思つたが何しろ其聲の底に犬をも挫《ひ》しぐべき力が籠《こも》つて居るので吾輩は少なからず恐れを抱《いだ》いた。然し挨拶をしないと險呑《けんのん》だと思つたから「吾輩は猫である。名前はまだない」と可成《なるべく》平氣を裝《よそほ》つて冷然と答へた。然し此時吾輩の心臓は慥《たし》かに平時よりも烈しく鼓動して居つた。彼は大《おほい》に輕蔑せる調子で「何、猫だ? 猫が聞いてあきれらあ。全《ぜん》てえ何《ど》こに住んでるんだ」隨分|傍若無人《ばうじやくぶじん》である。「吾輩はこゝのヘ師の家《うち》に居るのだ」「どうせそんな事だらうと思つた。いやに瘠せてるぢやねえか」と大王|丈《だけ》に氣?を吹きかける。言葉付から察するとどうも良家の猫とも思はれない。然し其|膏切《あぶらぎ》つて肥滿して居る所を見ると御馳走を食つてるらしい、豐かに暮して居るらしい。吾輩は「さう云ふ君は一體誰だい」と聞かざるを得なかつた。「己《お》れあ車屋の黒よ」昂然たるものだ。車屋の黒は此近邊で知らぬ者なき亂暴猫である。然し車屋|丈《だけ》に強い許《ばか》りでちつともヘ育がないからあまり誰も交際しない。同盟敬遠主義の的《まと》になつて居る奴だ。吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々輕侮の念も生じたのである。吾輩は先づ彼がどの位無學であるかを試して見《み》樣《やう》と思つて左《さ》の問答をして見た。
 「一體車屋とヘ師とはどつちがえらいだらう」
 「車屋の方が強いに極つて居らあな。御めえ〔三字傍點〕のうち〔二字傍點〕の主人を見ねえ、丸《まる》で骨と皮ばかりだぜ」
 「君も車屋の猫|丈《だけ》に大分《だいぶ》強さうだ。車屋に居ると御馳走が食へると見えるね」
 「何《なあ》におれ〔二字傍點〕なんざ、どこの國へ行つたつて食ひ物に不自由はしねえ積りだ。御めえ〔三字傍點〕なんかも茶畠ばかりぐる/\廻つて居ねえで、ちつと己《おれ》の後《あと》へくつ付いて來て見ねえ。一と月とたゝねえうちに見違へる樣に太れるぜ」
 「追つてさう願ふ事に仕《し》樣《やう》。然し家《うち》はヘ師の方が車屋より大きいのに住んで居る樣に思はれる」
 「箆棒《べらぼう》め、うちなんかいくら大きくたつて腹の足《た》しになるもんか」  彼は大《おほい》に肝癪に障つた樣子で、寒竹《かんちく》をそいだ樣な耳を頻りとぴく付かせてあらゝかに立ち去つた。吾輩が車屋の黒と知己になつたのはこれからである。
 其《その》後《ご》吾輩は度々黒と邂逅《かいこう》する。邂逅する毎に彼は車屋相當の氣?を吐く。先に吾輩が耳にしたといふ不コ事件も實は黒から聞いたのである。
 或る日例の如く吾輩と黒は暖かい茶畠の中で寐轉びながら色々雜談をして居ると、彼はいつもの自慢話しを左《さ》も新しさうに繰り返したあとで、吾輩に向つて下《しも》の如く質問した。「御めえ〔三字傍點〕は今迄に鼠を何匹とつた事がある」智識は黒よりも餘程發達して居る積りだが腕力と勇氣とに至つては到底黒の比較にはならないと覺悟はして居たものゝ、此問に接したる時は、さすがに極りが善くはなかつた。けれども事實は事實で詐《いつは》る譯には行かないから、吾輩は「實はとらう/\と思つてまだ捕《と》らない」と答へた。黒は彼の鼻の先からぴんと突張《つつぱ》つて居る長い髭をびり/\と震はせて非常に笑つた。元來黒は自慢をする丈《だけ》にどこか足りない所があつて、彼の氣?を感心した樣に咽喉《のど》をころ/\鳴らして謹聽して居れば甚だ御《ぎよ》し易い猫である。吾輩は彼と近付になつてから直《すぐ》に此呼吸を飲み込んだから此場合にもなまじい己《おの》れを辯護して益《ます/\》形勢をわるくするのも愚《ぐ》である、いつその事彼に自分の手柄話をしやべらして御茶を濁すに若《し》くはないと思案を定《さだ》めた。そこで大人《おとな》しく「君|抔《など》は年が年であるから大分《だいぶん》とつたらう」とそゝのかして見た。果然彼は墻壁《しやうへき》の缺所《けつしよ》に吶喊《とつかん》して來た。「たんとでもねえが三四十はとつたらう」とは得意氣なる彼の答であつた。彼は猶《なほ》語をつゞけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたち〔三字傍點〕つてえ奴は手に合はねえ。一度いたち〔三字傍點〕に向つて酷《ひど》い目に逢つた」「へえ成程」と相槌《あひづち》を打つ。黒は大きな眼をぱちつかせて云ふ。「去年の大掃除の時だ。うちの亭主が石灰《いしばひ》の袋を持つて椽の下へ這ひ込んだら御めえ〔三字傍點〕大きないたち〔三字傍點〕の野郎が面喰《めんくら》つて飛び出したと思ひねえ」「ふん」と感心して見せる。「いたち〔三字傍點〕つてけども何鼠の少し大きいぐれえのものだ。此畜生《こんちきしやう》つて氣で追つかけてとう/\泥溝《どぶ》の中へ追ひ込んだと思ひねえ」「うまく遣つたね」と喝采《かつさい》してやる。「所が御めえ〔三字傍點〕いざつてえ段になると奴め最後《さいご》つ屁《ぺ》をこきやがつた。臭《くせ》えの臭くねえのつて夫《それ》からつてえものはいたち〔三字傍點〕を見ると胸が惡くならあ」彼は是《こゝ》に至つて恰《あたか》も去年の臭氣を今《いま》猶《なほ》感ずる如く前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻はした。吾輩も少々氣の毒な感じがする。ちつと景氣を付けてやらうと思つて「然し鼠なら君に睨《にら》まれては百年目だらう。君は餘り鼠を捕《と》るのが名人で鼠|許《ばか》り食ふものだからそんなに肥つて色つやが善いのだらう」黒の御機嫌をとる爲めの此質問は不思議にも反對の結果を呈出《ていしゆつ》した。彼は喟然《きぜん》として大息《たいそく》していふ。「考げえると詰らねえ。いくら稼いで鼠をとつたつて――一てえ人間程ふてえ奴は世の中に居ねえぜ。人のとつた鼠を皆《み》んな取り上げやがつて交番へ持つて行きあがる。交番じや誰が捕つたか分らねえから其たんび〔三字傍點〕に五錢|宛《づゝ》くれるぢやねえか。うちの亭主なんか己《おれ》の御蔭でもう壹圓五十錢位|儲《まう》けて居やがる癖に、碌なものを食はせた事もありやしねえ。おい人間てものあ體《てい》の善《い》い泥棒だぜ」さすが無學の黒も此位の理窟はわかると見えて頗る怒《おこ》つた容子で脊中の毛を逆立《さかだ》てゝ居る。吾輩は少々氣味が惡くなつたから善い加減に其場を胡魔化《ごまか》して家《うち》へ歸つた。此時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心した。然し黒の子分になつて鼠以外の御馳走を猟《あさ》つてあるく事もしなかつた。御馳走を食ふよりも寐て居た方が氣樂でいゝ。ヘ師の家《うち》に居ると猫もヘ師の樣な性質になると見える。要心しないと今に胃弱になるかも知れない。
 ヘ師といへば吾輩の主人も近頃に至つては到底水彩畫に於て望のない事を悟つたものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた。
  ○○と云ふ人に今日の會で始めて出逢つた。あの人は大分《だいぶ》放蕩《はうたう》をした人だと云ふが成程|通人《つうじん》らしい風采をして居る。かう云ふ質《たち》の人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云ふよりも放蕩をする可く餘儀なくせられたと云ふのが適當であらう。あの人の妻君は藝者ださうだ、羨ましい事である。元來放蕩家を惡くいふ人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。又放蕩家をもつて自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い。是等は餘儀なくされないのに無理に進んでやるのである。恰も吾輩の水彩畫に於けるが如きもので到底卒業する氣づかひはない。然るにも關せず、自分|丈《だけ》は通人だと思つて濟《すま》して居る。料理屋の酒を飲んだり待合へ這入るから通人となり得るといふ論が立つなら、吾輩も一廉《ひとかど》の水彩畫家になり得る理窟だ。吾輩の水彩畫の如きはかゝない方がましであると同じ樣に、愚昧《ぐまい》なる通人よりも山出しの大野暮《おほやぼ》の方が遙かに上等だ。 通人論《つうじんろん》は一寸首肯しかねる。又藝者の妻君を羨しい抔《など》といふ所はヘ師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩畫に於ける批評眼|丈《だけ》は慥《たし》かなものだ。主人は斯くの如く自知《じち》の明《めい》あるにも關せず其|自惚心《うぬぼれしん》は中々拔けない。中二日《なかふつか》置いて十二月四日の日記にこんな事を書いて居る。
  昨夜《ゆうべ》は僕が水彩畫をかいて到底物にならんと思つて、其所らに抛《はふ》つて置いたのを誰かゞ立派な額にして欄間《らんま》に懸けてくれた夢を見た。偖《さて》額になつた所を見ると我ながら急に上手になつた。非常に嬉しい。是なら立派なものだと獨りで眺め暮らして居ると、夜が明けて眼が覺めて矢張り元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になつて仕舞つた。
 主人は夢の裡《うち》迄《まで》水彩畫の未練を脊負《しよ》つてあるいて居ると見える。是では水彩畫家は無論|夫子《ふうし》の所謂通人にもなれない質《たち》だ。
 主人が水彩畫を夢に見た翌日例の金縁眼鏡の美學者が久し振りで主人を訪問した。彼は座につくと劈頭《へきとう》第一に「畫《ゑ》はどうかね」と口を切つた。主人は平氣な顔をして「君の忠告に從つて寫生を力《つと》めて居るが、成程寫生をすると今迄氣のつかなかつた物の形や、色の精細な變化|抔《など》がよく分る樣だ。西洋では昔《むか》しから寫生を主張した結果|今日《こんにち》の樣に發達したものと思はれる。さすがアンドレア、デル、サルトだ」と日記の事はおくび〔三字傍點〕にも出さないで、又アンドレア、デル、サルトに感心する。美學者は笑ひながら「實は君、あれは出鱈目《でたらめ》だよ」と頭を掻く。「何が」と主人はまだ※[言+虚]《いつ》はられた事に氣がつかない。「何がつて君の頻りに感服して居るアンドレア、デル、サルトさ。あれは僕の一寸|捏造《ねつざう》した話だ。君がそんなに眞面目に信じ樣《やう》とは思はなかつたハヽヽヽ」と大喜悦の體《てい》である。吾輩は椽側で此對話を聞いて彼の今日の日記には如何なる事が記《しる》さるゝであらうかと豫《あらかじ》め想像せざるを得なかつた。此美學者はこんな好《いゝ》加減な事を吹き散らして人を擔《かつ》ぐのを唯一の樂《たのしみ》にして居る男である。彼はアンドレア、デル、サルト事件が主人の情線《じやうせん》に如何なる響を傳へたかを毫も顧慮せざるものゝ如く得意になつて下《しも》の樣な事を饒舌《しやべ》つた。「いや時々冗談を言ふと人が眞《ま》に受けるので大《おほい》に滑稽的美感を挑撥《てうはつ》するのは面白い。先達《せんだつ》てある學生にニコラス、ニツクルベーがギボンに忠告して彼の一世の大著述なる佛國革命史を佛語で書くのをやめにして英文で出版させたと言つたら、其學生が又馬鹿に記憶の善い男で、日本文學會の演説會で眞面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽であつた。所が其時の傍聽者は約百名|許《ばか》りであつたが、皆熱心にそれを傾聽して居つた。夫《それ》からまだ面白い話がある。先達《せんだつ》て或る文學者の居る席でハリソンの歴史小説セオフアーノの話しが出たから僕はあれは歴史小説の中《うち》で白眉《はくび》である。ことに女主人公が死ぬ所は鬼氣《きき》人を襲ふ樣だと評したら、僕の向ふに坐つて居る知らんと云つた事のない先生が、さう/\あすこは實に名文だといつた。それで僕は此男も矢張僕同樣此小説を讀んで居らないといふ事を知つた」神經胃弱性の主人は眼を丸くして問ひかけた。「そんな出鱈目をいつて若し相手が讀んで居たらどうする積りだ」恰《あたか》も人を欺《あざむ》くのは差支ない、只|化《ばけ》の皮《かは》があらはれた時は困るじやないかと感じたものゝ如くである。美學者は少しも動じない。「なに其時や別の本と間違へたとか何とか云ふ許《ばか》りさ」と云つてけら/\笑つて居る。此美學者は金縁の眼鏡は掛けて居るが其性質が車屋の黒に似た所がある。主人は黙つて日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇氣はないと云はん許《ばか》りの顔をして居る。美學者はそれだから畫《ゑ》をかいても駄目だといふ目付で「然し冗談は冗談だが畫といふものは實際|六《む》づか敷《し》いものだよ、レオナルド、ダ、?ンチは門下生に寺院の壁のしみ〔二字傍點〕を寫せとヘへた事があるさうだ。なる程|雪隱《せついん》抔《など》に這入つて雨の漏る壁を餘念なく眺めて居ると、中々うまい模樣畫が自然に出來て居るぜ。君注意して寫生して見給へ屹度《きつと》面白いものが出來るから」「又|欺《だま》すのだらう」「いへ是《これ》丈《だけ》は慥《たし》かだよ。實際奇警な語ぢやないか、ダ、?ンチでもいひさうな事だあね」「成程奇警には相違ないな」と主人は半分降參をした。然し彼はまだ雪隱《せついん》で寫生はせぬ樣だ。
 車屋の黒は其《その》後《ご》跛《びつこ》になつた。彼の光澤ある毛は漸々《だん/\》色が褪《さ》めて拔けて來る。吾輩が琥珀《こはく》よりも美しいと評した彼の眼には眼脂《めやに》が一杯たまつて居る。殊に著るしく吾輩の注意を惹いたのは彼の元氣の消沈と其體格の惡くなつた事である。吾輩が例の茶園で彼に逢つた最後の日、どうだと云つて尋ねたら「いたち〔三字傍點〕の最後屁《さいごつぺ》と肴屋《さかなや》の天秤棒《てんびんぼう》には懲々《こり/\》だ」といつた。
 赤松の間に二三段の紅《こう》を綴つた紅葉《こうえふ》は昔《むか》しの夢の如く散つてつくばひ〔四字傍點〕に近く代る/”\花瓣《はなびら》をこぼした紅白《こうはく》の山茶花《さゞんくわ》も殘りなく落ち盡した。三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯《こがらし》の吹かない日は殆んど稀になつてから吾輩の晝寐の時間も狹《せば》められた樣な氣がする。
 主人は毎日學校へ行く。歸ると書齋へ立て籠る。人が來ると、ヘ師が厭だ/\といふ。水彩畫も滅多にかゝない。タカヂヤスターゼも功能がないといつてやめて仕舞つた。小供は感心に休まないで幼稚園へかよふ。歸ると唱歌を歌つて、毬《まり》をついて、時々吾輩を尻尾《しつぽ》でぶら下げる。
 吾輩は御馳走も食はないから別段|肥《ふと》りもしないが、先々《まづ/\》健康で跛《びつこ》にもならずに其日/\を暮して居る。鼠は決して取らない。おさんは未《いま》だに嫌ひである。名前はまだつけて呉れないが、欲をいつても際限がないから生涯此ヘ師の家《うち》で無名の猫で終る積りだ。
 
     二
 
 吾輩は新年來多少有名になつたので、猫ながら一寸鼻が高く感ぜらるゝのは難有《ありがた》い。
 元朝早々主人の許《もと》へ一枚の繪端書《ゑはがき》が來た。是は彼の交友某畫家からの年始?であるが、上部を赤、下部を深緑《ふかみど》りで塗つて、其の眞中に一の動物が蹲踞《うづくま》つて居る所をパステルで書いてある。主人は例の書齋で此繪を、横から見たり、竪《たて》から眺めたりして、うまい色だなといふ。既に一應感服したものだから、もうやめにするかと思ふと矢張り横から見たり、竪《たて》から見たりして居る。からだを拗《ね》ぢ向けたり、手を延ばして年寄が三世相《さんぜさう》を見る樣にしたり、又は窓の方へむいて鼻の先迄持つて來たりして見て居る。早くやめて呉れないと膝が搖れて險呑で堪らない。漸くの事で動搖が餘り劇しくなくなつたと思つたら、小さな聲で一體何をかいたのだらうと云ふ。主人は繪端書の色には感服したが、かいてある動物の正體が分らぬので、先《さ》つきから苦心をしたものと見える。そんな分らぬ繪端書かと思ひながら、寐て居た眼を上品に半《なか》ば開《ひら》いて、落ちつき拂つて見ると紛《まぎ》れもない、自分の肖像だ。主人の樣にアンドレア、デル、サルトを極め込んだものでもあるまいが、畫家|丈《だけ》に形體も色彩もちやんと整つて出來て居る。誰が見たつて猫に相違ない。少し眼識のあるものなら、猫の中《うち》でも他《ほか》の猫ぢやない吾輩である事が判然とわかる樣に立派に描《か》いてある。この位明瞭な事を分らずにかく迄苦心するかと思ふと、少し人間が氣の毒になる。出來る事なら其繪が吾輩であると云ふ事を知らしてやりたい。吾輩であると云ふ事は好し分らないにしても、せめて猫であるといふ事|丈《だけ》は分らして遣りたい。然し人間といふものは到底吾輩|猫屬《ねこぞく》の言語を解し得る位に天の惠《めぐみ》に浴して居らん動物であるから、殘念ながら其儘にして置いた。
 一寸讀者に斷つて置きたいが、元來人間が何ぞといふと猫々と、事もなげに輕侮の口調を以て吾輩を評價する癖があるは甚だよくない。人間の糟《かす》から牛と馬が出來て、牛と馬の糞から猫が製造された如く考へるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をするヘ師|抔《など》には有勝《ありがち》の事でもあらうが、はたから見て餘り見つともいゝ者ぢやない。いくら猫だつて、さう粗末簡便には出來ぬ。よそ目には一列一體、平等無差別、どの猫も自家固有の特色|抔《など》はない樣であるが、猫の社會に這入つて見ると中々複雜なもので十人|十色《といろ》といふ人間界の語《ことば》は其儘こゝにも應用が出來るのである。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違ふ。髯の張り具合から耳の立ち按排《あんばい》、尻尾《しつぽ》の垂れ加減に至る迄同じものは一つもない。器量、不器量、好き嫌ひ、粹《すゐ》無粹《ぶすゐ》の數《かず》を悉《つ》くして千差萬別と云つても差支へない位である。其樣に判然たる區別が存して居るにも關らず、人間の眼は只《ただ》向上とか何とかいつて、空ばかり見て居るものだから、吾輩の性質は無論|相貌《さうばう》の末を識別する事すら到底出來ぬのは氣の毒だ。同類相求むとは昔《むか》しからある語《ことば》ださうだが其通り、餠屋は餠屋、猫は猫で、猫の事なら矢張り猫でなくては分らぬ。いくら人間が發達したつて是《これ》許《ばか》りは駄目である。況んや實際をいふと彼等が自《みづか》ら信じて居る如くえらくも何ともないのだから猶更《なほさら》六づかしい。又況んや同情に乏しい吾輩の主人の如きは、相互を殘りなく解するといふが愛の第一義であるといふことすら分らない男なのだから仕方がない。彼は性の惡い牡蠣《かき》の如く書齋に吸ひ付いて、甞て外界に向つて口を開《ひら》いた事がない。それで自分|丈《だけ》は頗る達觀した樣な面構《つらがまへ》をして居るのは一寸|可笑《をか》しい。達觀しない證據には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟つた樣子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の畫《ゑ》だらう抔《など》と氣の知れぬことをいつて濟《すま》して居るのでもわかる。
 吾輩が主人の膝の上で眼をねむりながら斯く考へて居ると、やがて下女が第二の繪端書を持つて來た。見ると活版で舶來の猫が四五疋ずらりと行列してペンを握つたり書物を開いたり勉強をして居る。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫ぢや/\を躍《をど》つて居る。其上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側《わき》に書を讀むや躍《をど》るや猫の春一日《はるひとひ》といふ俳句さへ認《したゝ》められてある。是は主人の舊門下生より來たので誰が見たつて一見して意味がわかる筈であるのに、迂濶な主人はまだ悟らないと見えて不思議さうに首を捻《ひね》つて、はてな今年は猫の年かなと獨言《ひとりごと》を言つた。吾輩が是程有名になつたのを未《ま》だ氣が着かずに居ると見える。
 所へ下女が又第三の端書を持つてくる。今度は繪端書ではない。恭賀新年とかいて、傍《かたは》らに乍恐縮《きやうしゆくながら》かの猫へも宜しく御傳聲奉願上候《ごでんせいねがひあげたてまつりそろ》とある。如何《いか》に迂遠な主人でもかう明らさまに書いてあれば分るものと見えて漸く氣が付いた樣にフンと言ひながら吾輩の顔を見た。其眼付が今迄とは違つて多少尊敬の意を含んで居る樣に思はれた。今迄世間から存在を認められなかつた主人が急に一個の新面目《しんめんぼく》を施こしたのも、全く吾輩の御蔭だと思へば此位の眼付は至當だらうと考へる。
 折柄門の格子《かうし》がチリン、チリン、チリヽヽヽンと鳴る。大方來客であらう、來客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋《さかなや》の梅公がくる時の外は出ない事に極めて居るのだから、平氣で、もとの如く主人の膝に坐つて居つた。すると主人は高利貸にでも飛び込まれた樣に不安な顔付をして玄關の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間も此位|偏屈《へんくつ》になれば申し分《ぶん》はない。そんなら早くから外出でもすればよいのに夫《それ》程《ほど》の勇氣も無い。愈《いよ/\》牡蠣《かき》の根性《こんじやう》をあらはして居る。しばらくすると下女が來て寒月《かんげつ》さんが御出《おいで》になりましたといふ。此|寒月《かんげつ》といふ男は矢張り主人の舊門下生であつたさうだが、今では學校を卒業して、何でも主人より立派になつて居るといふ話しである。此男がどういふ譯か、よく主人の所へ遊びに來る。來ると自分を戀《おも》つて居る女が有りさうな、無ささうな、世の中が面白さうな、つまらなさうな、凄《すご》い樣な艶《つや》つぽい樣な文句|許《ばか》り並べては歸る。主人の樣なしなび懸けた人間を求めて、態々《わざ/\》こんな話しをしに來るのからして合點が行かぬが、あの牡蠣的《かきてき》主人がそんな談話を聞いて時々|相槌《あひづち》を打つのは猶《なほ》面白い。
 「暫く御無沙汰をしました。實は去年の暮から大《おほい》に活動して居るものですから、出樣々々《でやう/\》と思つても、つい此方角へ足が向かないので」と羽織の紐をひねくりながら謎見た樣な事をいふ。「どつちの方角へ足が向くかね」と主人は眞面目な顔をして、黒木綿の紋付羽織の袖口を引張る。此羽織は木綿でゆき〔二字傍点〕が短かい、下からべんべら者が左右へ五分位|宛《づゝ》はみ出して居る。「エヘヽヽ少し違つた方角で」と寒月君が笑ふ。見ると今日は前齒が一枚缺けて居る。「君齒をどうかしたかね」と主人は問題を轉じた。「えゝ實はある所で椎茸《しひたけ》を食ひましてね」「何を食つたつて?」「其、少し椎茸を食つたんで。椎茸の傘を前齒で?み切らうとしたらぼろりと齒が缺けましたよ」「椎茸で前齒がかけるなんざ、何だか爺々臭《ぢゞいくさ》いね。俳句にはなるかも知れないが、戀にはならん樣だな」と平手で吾輩の頭を輕《かろ》く叩く。「あゝ其猫が例のですか、中々肥つてるぢやありませんか、夫《それ》なら車屋の黒にだつて負けさうもありませんね、立派なものだ」と寒月君は大《おほい》に吾輩を賞める。「近頃|大分《だいぶ》大きくなつたのさ」と自慢さうに頭をぽか/\なぐる。賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。「一昨夜もちよいと合奏會をやりましてね」と寒月君は又話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりや御聞きにならんでもよいでせう。?イオリンが三|挺《ちやう》とピヤノの伴奏で中々面白かつたです。?イオリンも三挺位になると下手でも聞かれるものですね。二人は女で私《わたし》が其の中へまじりましたが、自分でも善く彈《ひ》けたと思ひました」「ふん、そして其女といふのは何者かね」と主人は羨ましさうに問ひかける。元來主人は平常|枯木寒巖《こぼくかんがん》の樣な顔付はして居るものゝ實の所は決して婦人に冷淡な方ではない、甞て西洋の或る小説を讀んだら、其中にある一人物が出て來て、其《それ》が大抵の婦人には必ずちよつと惚《ほ》れる。勘定をして見ると往來を通る婦人の七割弱〔三字傍点〕には戀着《れんちやく》するといふ事が諷刺的《ふうしてき》に書いてあつたのを見て、これは眞理だと感心した位な男である。そんな浮氣な男が何故《なぜ》牡蠣的生涯《かきてきしやうがい》を送つて居るかと云ふのは吾輩猫|抔《など》には到底分らない。或人は失戀の爲だとも云ふし、或人は胃弱《ゐじやく》のせいだとも云ふし、又或人は金がなくて臆病な性質《たち》だからだとも云ふ。どつちにしたつて明治の歴史に關係する程な人物でもないのだから構はない。然し寒月君の女連《をんなづ》れを羨まし氣《げ》に尋ねた事|丈《だけ》は事實である。寒月君は面白さうに口取《くちとり》の蒲鉾《かまぼこ》を箸で挾んで半分前齒で食ひ切つた。吾輩は又缺けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であつた。「なに二人とも去《さ》る所の令孃ですよ、御存じの方《かた》ぢやありません」と餘所々々《よそ/\》しい返事をする。「ナール」と主人は引張つたが「程」を略して考へて居る。寒月君はもう善い加減な時分だと思つたものか「どうも好い天氣ですな、御閑《おひま》なら御一所に散歩でもしませうか、旅順が落ちたので市中は大變な景氣ですよ」と促がして見る。主人は旅順の陷落より女連《おんなづれ》の身元を聞きたいと云ふ顔で、しばらく考へ込んで居たが漸く決心をしたものと見えて「それぢや出ると仕《し》樣《やう》」と思ひ切つて立つ。矢張り黒木綿の紋付羽織に、兄の紀念《かたみ》とかいふ二十年來|着古《きふ》るした結城紬《ゆふきつむぎ》の綿入を着たまゝである。いくら結城紬《ゆふきつむぎ》が丈夫だつて、かう着つゞけではたまらない。所々が薄くなつて日に透かして見ると裏からつぎ〔二字傍点〕を當てた針の目が見える。主人の服裝には師走《しはす》も正月もない。ふだん着も餘所《よそ》ゆきもない。出るときは懷手をしてぶらりと出る。外に着る物がないからか、有つても面倒だから着換へないのか、吾輩には分らぬ。但し此《これ》丈《だけ》は失戀の爲とも思はれない。
 兩人《ふたり》が出て行つたあとで、吾輩は一寸失敬して寒月君の食ひ切つた蒲鉾《かまぼこ》の殘りを頂戴した。吾輩も此頃では普通一般の猫ではない。先づ桃川如燕《もゝかはじよえん》以後の猫か、グレーの金魚を偸《ぬす》んだ猫位の資格は充分あると思ふ。車屋の黒|抔《など》は固《もと》より眼中にない。蒲鉾の一切《ひときれ》位頂戴したつて人から彼此《かれこれ》云はれる事もなからう。それに此人目を忍んで間食《かんしよく》をするといふ癖は、何も吾等|猫族《ねこぞく》に限つた事ではない。うちの御三《おさん》抔《など》はよく細君の留守中に餠菓子|抔《など》を失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬して居る。御三|許《ばか》りぢやない現に上品な仕付《しつけ》を受けつゝあると細君から吹聽《ふいちやう》せられて居る小兒《こども》ですら此傾向がある。四五日前のことであつたが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覺まして、まだ主人夫婦の寐て居る間に對《むか》ひ合ふて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食ふ?麭《パン》の幾分に、砂糖をつけて食ふのが例であるが、此日は丁度|砂糖壺《さたうつぼ》が卓《たく》の上に置かれて匙《さじ》さへ添えてあつた。いつもの樣に砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙《ひとさじ》の砂糖をすくひ出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少《しば》らく兩人《りやうにん》は睨《にら》み合つて居たが、大きいのが又匙をとつて一杯をわが皿の上に加へた。小さいのもすぐ匙をとつてわが分量を姉と同一にした。すると姉が又一杯すくつた。妹も負けずに一杯を附加した。姉が又壺へ手を懸ける、妹が又匙をとる。見て居る間《ま》に一杯一杯々々と重なつて、遂には兩人《ふたり》の皿には山盛の砂糖が堆《うづたか》くなつて、壺の中には一匙の砂糖も餘つて居らん樣になつたとき、主人が寐ぼけ眼《まなこ》を擦《こす》りながら寢室を出て來て切角しやくひ出した砂糖を元の如く壺の中《なか》へ入れて仕舞つた。こんな所を見ると、人間は利己主義から割り出した公平といふ念は猫より優つて居るかも知れぬが、智慧は却つて猫より劣つて居る樣だ。そんなに山盛《やまもり》にしないうちに早く甞《な》めて仕舞へばいゝにと思つたが、例の如く、吾輩の言ふ事|抔《など》は通じないのだから、氣の毒ながら御櫃《おはち》の上から黙つて見物して居た。
 寒月君と出掛けた主人はどこをどう歩行《ある》いたものか、其晩遲く歸つて來て、翌日食卓に就いたのは九時頃であつた。例の御櫃《おはち》の上から拜見して居ると、主人はだまつて雜※[者/火]《ざふに》を食つて居る。代へては食ひ、代へては食ふ。餠の切れは小さいが、何でも六切《むきれ》か七切《なゝきれ》食つて、最後の一切れを椀の中へ殘して、もうよさうと箸を置いた。他人がそんな我儘をすると、中々承知しないのであるが、主人の威光を振り廻はして得意なる彼は、濁つた汁の中に焦《こ》げ爛《たゞ》れた餠の死骸を見て平氣で濟まして居る。妻君が袋戸《ふくろど》の奧からタカヂヤスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それは利かないから飲まん」といふ。「でもあなた澱粉質《でんぷんしつ》のものには大變功能があるさうですから、召し上つたらいゝでせう」と飲ませたがる。「澱粉だらうが何だらうが駄目だよ」と頑固に出る。「あなたはほんとに厭きつぽい」と細君が獨言《ひとりごと》の樣にいふ。「厭きつぽいのぢやない藥が利かんのだ」「それだつて先達中《せんだつてぢゆう》は大變によく利く/\と仰《おつしや》つて毎日々々上つたぢやありませんか」「此間《こなひだ》うちは利いたのだよ、此頃は利かないのだよ」と對句《つゐく》の樣な返事をする。「そんなに飲んだり止《や》めたりしちや、いくら功能のある藥でも利く氣遣ひはありません、もう少し辛防が能くなくつちやあ胃弱なんぞは外の病氣たあ違つて直らないわねえ」と御盆を持つて控えた御三《おさん》を顧みる。「それは本當の所で御座います。もう少し召し上つて御覽にならないと、とても善《よ》い藥か惡い藥かわかりますまい」と御三は一も二もなく細君の肩を持つ。「何でもいゝ、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか、黙つて居ろ」「どうせ女ですわ」と細君がタカヂヤスターゼを主人の前へ突き付けて是非|詰腹《つめばら》を切らせ樣《やう》とする。主人は何にも云はず立つて書齋へ這入る。細君と御三は顔を見合せてにや/\と笑ふ。こんなときに後《あと》からくつ付いて行つて膝の上へ乘ると、大變な目に逢はされるから、そつと庭から廻つて書齋の椽側へ上《あが》つて障子の隙から覗いて見ると、主人はエピクテタスとか云ふ人の本を披《ひら》いて見て居つた。もしそれが平常《いつも》の通りわかるなら一寸えらい所がある。五六分すると其本を叩き付ける樣に机の上へ抛《はふ》り出す。大方そんな事だらうと思ひながら猶《なほ》注意して居ると、今度は日記帳を出して下《しも》の樣な事を書きつけた。
  寒月と、根津、上野、池《いけ》の端《はた》、神田|邊《へん》を散歩。池の端の待合の前で藝者が裾模樣の春着をきて羽根をついて居た。衣裝《いしやう》は美しいが顔は頗るまづい。何となくうちの猫に似て居た。
 何も顔のまづい例に特に吾輩を出さなくつても、よささうなものだ。吾輩だつて喜多床《きたどこ》へ行つて顔さへ剃《す》つて貰《もら》やあ、そんなに人間と異《ちが》つた所はありあしない。人間はかう自惚《うぬぼ》れて居るから困る。
  寶丹《はうたん》の角を曲ると又一人藝者が來た。是は脊《せい》のすらりとした撫肩《なでがた》の恰好《かつかう》よく出來上つた女で、着て居る薄紫の衣服《きもの》も素直に着こなされて上品に見えた。白い齒を出して笑ひながら「源ちやん昨夕《ゆうべ》は――つい忙がしかつたもんだから」と云つた。但し其聲は旅鴉《たびがらす》の如く皺枯《しやが》れて居つたので、切角の風采《ふうさい》も大《おほい》に下落した樣に感ぜられたから、所謂源ちやんなるものゝ如何なる人なるかを振り向いて見るも面倒になつて、懷手《ふところで》の儘|御成道《おなりみち》へ出た。寒月は何となくそは/\して居る如く見えた。
 人間の心理程|解《げ》し難いものはない。此主人の今の心は怒《おこ》つて居るのだか、浮かれて居るのだか、又は哲人の遺書に一道《いちだう》の慰安を求めつゝあるのか、ちつとも分らない。世の中を冷笑して居るのか、世の中へ交《まじ》りたいのだか、くだらぬ事に肝癪を起して居るのか、物外《ぶつぐわい》に超然《てうぜん》として居るのだか薩張《さつぱ》り見當が付かぬ。猫|抔《など》は其所へ行くと單純なものだ。食ひ度ければ食ひ、寐たければ寐る、怒《おこ》るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶體絶命に泣く。第一日記|抔《など》といふ無用のものは決してつけない。つける必要がないからである。主人の樣に裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に發揮する必要があるかも知れないが、我等|猫屬《ねこぞく》に至ると行住坐臥《ぎやうぢゆうざぐわ》、行屎送尿《かうしそうねう》悉《こと/”\》く眞正の日記であるから、別段そんな面倒な手數《てかず》をして、己《おの》れの眞面目《しんめんもく》を保存するには及ばぬと思ふ。日記をつけるひまがあるなら椽側に寐て居る迄の事さ。
  神田の某亭で晩餐を食ふ。久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大變いゝ。胃弱には晩酌が一番だと思ふ。タカヂヤスターゼは無論いかん。誰が何と云つても駄目だ。どうしたつて利かないものは利かないのだ。
 無暗にタカヂヤスターゼを攻撃する。獨りで喧嘩をして居る樣だ。今朝の肝癪がちよつと此所へ尾を出す。人間の日記の本色は斯う云ふ邊《へん》に存するのかも知れない。
  先達《せんだつ》て○○は朝飯《あさめし》を廢すると胃がよくなると云ふたから二三日《にさんち》朝飯をやめて見たが腹がぐう/\鳴る許《ばか》りで功能はない。△△は是非|香《かう》の物《もの》を斷てと忠告した。彼の説によると凡《すべ》て胃病の源因は漬物にある。漬物さへ斷てば胃病の源を涸《か》らす譯だから本復は疑なしといふ論法であつた。夫《それ》から一週間|許《ばか》り香の物に箸を觸れなかつたが別段の驗《げん》も見えなかつたから近頃は又食ひ出した。××に聞くとそれは按腹揉療治《あんぷくもみれうぢ》に限る。但し普通のではゆかぬ。皆川流《みながはりう》といふ古流な揉《も》み方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出來る。安井息軒《やすゐそくけん》も大變此|按摩術《あんまじゆつ》を愛して居た。坂本龍馬《さかもとりようま》の樣な豪傑でも時々は治療をうけたと云ふから、早速|上根岸《かみねぎし》迄出掛けて揉《も》まして見た。所が骨を揉《も》まなければ癒らぬとか、臓腑の位置を一度?倒しなければ根治がしにくいとかいつて、それは/\殘酷な揉《も》み方をやる。後で身體が綿の樣になつて昏睡病《こんすゐびやう》にかゝつた樣な心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。A君は是非固形體を食ふなといふ。夫《それ》から、一日牛乳|許《ばか》り飲んで暮して見たが、此時は腸の中でどぼり/\と音がして大水でも出た樣に思はれて終夜眠れなかつた。B氏は横膈膜《わうかくまく》で呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる譯だから試しにやつて御覽といふ。是も多少やつたが何となく腹中《ふくちゆう》が不安で困る。夫《それ》に時々思ひ出した樣に一心不亂にかゝりはするものゝ五六分立つと忘れて仕舞ふ。忘れまいとすると横膈膜が氣になつて本を讀む事も文章をかく事も出來ぬ。美學者の迷亭《めいてい》が此|體《てい》を見て、産氣《さんけ》のついた男ぢやあるまいし止すがいゝと冷かしたから此頃は廢《よ》してしまつた。C先生は蕎麥《そば》を食つたらよからうと云ふから、早速かけ〔二字傍点〕ともり〔二字傍点〕をかはる/”\食つたが、此《これ》は腹が下《くだ》る許《ばか》りで何等の功能もなかつた。余は年來の胃弱を直す爲に出來得る限りの方法を講じて見たが凡《すべ》て駄目である。只|昨夜《ゆうべ》寒月と傾けた三杯の正宗は慥かに利目《きゝめ》がある。是からは毎晩二三杯|宛《づゝ》飲む事に仕《し》樣《やう》。
 これも決して長く續く事はあるまい。主人の心は吾輩の眼球《めだま》の樣に間斷なく變化して居る。何をやつても永持《ながもち》のしない男である。其上日記の上で胃病をこんなに心配して居る癖に、表向は大《おほい》に痩我慢をするから可笑《をか》しい。先達《せんだつ》て其友人で某《なにがし》といふ學者が尋ねて來て、一種の見地から、凡《すべ》ての病氣は父祖の罪惡と自己の罪惡の結果に外ならないと云ふ議論をした。大分《だいぶ》研究したものと見えて、條理が明晰で秩序が整然として立派な説であつた。氣の毒ながらうちの主人|抔《など》は到底之を反駁する程の頭腦も學問もないのである。然し自分が胃病で苦しんで居る際《さい》だから、何とかかんとか辯解をして自己の面目を保たうと思つた者と見えて、「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だつたぜ」と恰もカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名譽であると云つた樣な、見當違ひの挨拶をした。すると友人は「カーライルが胃弱だつて、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」と極め付けたので主人は黙然《もくねん》として居た。かくの如く虚榮心に富んで居るものゝ實際は矢張り胃弱でない方がいゝと見えて、今夜から晩酌を始める抔《など》といふのは一寸滑稽だ。考へて見ると今朝雜※[者/火]をあんなに澤山食つたのも昨夜《ゆうべ》寒月君と正宗を引《ひつ》くり返した影響かも知れない。吾輩も一寸雜※[者/火]が食つて見たくなつた。
 吾輩は猫ではあるが大抵のものは食ふ。車屋の黒の樣に横丁の肴屋迄遠征をする氣力はないし、新道《しんみち》の二絃琴《にげんきん》の師匠の所《とこ》の三毛《みけ》の樣に贅澤は無論云へる身分でない。從つて存外|嫌《きらひ》は少ない方だ。小供の食ひこぼした?麭《パン》も食ふし、餠菓子の?《あん》もなめる。香《かう》の物《もの》は頗るまづいが經驗の爲め澤庵を二切|許《ばか》りやつた事がある。食つて見ると妙なもので、大抵のものは食へる。あれは厭だ、是は厭だと云ふのは贅澤な我儘で到底ヘ師の家《うち》に居る猫|抔《など》の口にすべき所でない。主人の話しによると佛蘭西《フランス》にバルザツクといふ小説家があつたさうだ。此男が大の贅澤屋で――尤是は口の贅澤屋ではない、小説家|丈《だけ》に文章の贅澤を盡したといふ事である。バルザツクが或る日自分の書いて居る小説中の人間の名をつけ樣《やう》と思つて色々つけて見たが、どうしても氣に入らない。所へ友人が遊びに來たので一所に散歩に出掛けた。友人は固《もと》より何《なんに》も知らずに連れ出されたのであるが、バルザツクは兼ねて自分の苦心して居る名を目付《めつけ》樣《やう》といふ考へだから往來へ出ると何《なんに》もしないで店先の看板ばかり見て歩行《ある》いて居る。所が矢張氣に入つた名がない。友人を連れて無暗にあるく。友人は譯がわからずにくつ付いて行く。彼等は遂に朝から晩迄|巴理《パリ》を探險した。其歸りがけにバルザツクは不圖ある裁縫屋の看板が目についた。見ると其看板にマーカスといふ名がかいてある。バルザツクは手を拍《う》つて「是だ/\是に限る。マーカスは好い名ぢやないか。マーカスの上へZといふ頭文字をつける、すると申し分《ぶん》のない名が出來る。Zでなくてはいかん。Z. Marcus は實にうまい。どうも自分で作つた名はうまくつけた積りでも何となく故意《わざ》とらしい所があつて面白くない。漸くの事で氣に入つた名が出來た」と友人の迷惑は丸《まる》で忘れて、一人嬉しがつたといふが、小説中の人間の名前をつけるに一日《いちんち》巴理《パリ》を探險しなくてはならぬ樣では隨分|手數《てすう》のかゝる話だ。贅澤も此位出來れば結構なものだが吾輩の樣に牡蠣的《かきてき》主人《しゆじん》を持つ身の上ではとてもそんな氣は出ない。何でもいゝ、食へさへすれば、といふ氣になるのも境遇の然らしむる所であらう。だから今雜※[者/火]が食ひ度くなつたのも決して贅澤の結果ではない、何でも食へる時に食つて置かうといふ考から、主人の食ひ剰《あま》した雜※[者/火]がもしや臺所に殘つて居はすまいかと思ひ出したからである。……臺所へ廻つて見る。
 今朝見た通りの餠が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着《かうちやく》して居る。白?するが餠といふものは今迄一返も口に入れた事がない。見るとうまさうにもあるし、又少しは氣味《きび》がわるくもある。前足で上にかゝつて居る菜つ葉を掻き寄せる。爪を見ると餠の上皮《うはかは》が引き掛つてねば/\する。嗅いで見ると釜の底の飯を御櫃《おはち》へ移す時の樣な香《にほひ》がする。食はうかな、やめ樣《やう》かな、とあたりを見廻す。幸か不幸か誰も居ない。御三《おさん》は暮も春も同じ樣な顔をして羽根をついて居る。小供は奧座敷で「何と仰しやる兎さん」を歌つて居る。食ふとすれば今だ。もし此機をはづすと來年迄は餠といふものゝ味を知らずに暮して仕舞はねばならぬ。吾輩は此刹那に猫ながら一の眞理を感得した。「得難き機會は凡《すべ》ての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は實を云ふとそんなに雜※[者/火]を食ひ度くはないのである。否|椀底《わんてい》の樣子を熟視すればする程|氣味《きび》が惡くなつて、食ふのが厭になつたのである。此時もし御三《おさん》でも勝手口を開けたなら、奧の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜氣《をしげ》もなく椀を見棄てたらう、しかも雜※[者/火]の事は來年迄念頭に浮ばなかつたらう。所が誰も來ない、いくら?躇して居ても誰も來ない。早く食はぬか/\と催促される樣な心持がする。吾輩は椀の中を覗き込み乍ら、早く誰か來てくれゝばいゝと念じた。矢張り誰も來てくれない。吾輩はとう/\雜※[者/火]を食はなければならぬ。最後にからだ全體の重量を椀の底へ落す樣にして、あぐりと餠の角を一寸《いつすん》許《ばか》り食ひ込んだ。此位力を込めて食ひ付いたのだから、大抵なものなら?み切れる譯だが、驚いた! もうよからうと思つて齒を引かうとすると引けない。もう一返?み直さうとすると動きがとれない。餠は魔物だなと疳《かん》づいた時は既に遲かつた。沼へでも落ちた人が足を拔かうと焦慮《あせ》る度にぶく/\深く沈む樣に、?めば?む程口が重くなる、齒が動かなくなる。齒答へはあるが、齒答へがある丈《だけ》でどうしても始末をつける事が出來ない。美學者迷亭先生が甞て吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといつた事があるが、成程うまい事をいつたものだ。此餠も主人と同じ樣にどうしても割り切れない。?んでも?んでも、三で十を割る如く盡未來際《じんみらいざい》方《かた》のつく期《ご》はあるまいと思はれた。此煩悶の際吾輩は覺えず第二の眞理に逢着した。「凡《すべ》ての動物は直覺的に事物の適不適を豫知す」眞理は既に二つ迄發明したが、餠がくつ付いて居るので毫も愉快を感じない。齒が餠の肉に吸収されて、拔ける樣に痛い。早く食ひ切つて逃げないと御三《おさん》が來る。小供の唱歌もやんだ樣だ、屹度《きつと》臺所へ馳け出して來るに相違ない。煩悶の極《きよく》尻尾《しつぽ》をぐる/\振つて見たが何等の功能もない、耳を立てたり寐かしたりしたが駄目である。考へて見ると耳と尻尾《しつぽ》は餠と何等の關係もない。要するに振り損の、立て損の、寐かし損であると氣が付いたからやめにした。漸くの事是は前足の助けを借りて餠を拂ひ落すに限ると考へ付いた。先づ右の方をあげて口の周圍を撫《な》で廻す。撫《な》でた位で割り切れる譯のものではない。今度は左《ひだ》りの方を伸《のば》して口を中心として急劇に圓を劃して見る。そんな呪《まじな》ひで魔は落ちない。辛防が肝心だと思つて左右|交《かは》る/”\に動かしたが矢張り依然として齒は餠の中にぶら下つて居る。えゝ面倒だと兩足を一度に使ふ。すると不思議な事に此時|丈《だけ》は後足《あとあし》二本で立つ事が出來た。何だか猫でない樣な感じがする。猫であらうが、あるまいが斯うなつた日にやあ構ふものか、何でも餠の魔が落ちる迄やるべしといふ意氣込みで無茶苦茶に顔中引つ掻き廻す。前足の運動が猛烈なので稍《やゝ》ともすると中心を失つて倒れかゝる。倒れかゝるたびに後足《あとあし》で調子をとらなくてはならぬから、一つ所に居る譯にも行かんので、臺所中あちら、こちらと飛んで廻る。我ながらよくこんなに器用に起《た》つて居られたものだと思ふ。第三の眞理が驀地《ばくち》に現前《げんぜん》する。「危きに臨めば平常なし能はざる所のものを爲し能ふ。之を天祐といふ」幸に天祐を享《う》けたる吾輩が一生懸命餠の魔と戰つて居ると、何だか足音がして奧より人が來る樣な氣合《けはひ》である。こゝで人に來られては大變だと思つて、愈《いよ/\》躍起《やくき》となつて臺所をかけ廻る。足音は段々近付いてくる。あゝ殘念だが天祐が少し足りない。とう/\小供に見付けられた。「あら猫が御雜※[者/火]を食べて踊《をどり》を踊つて居る」と大きな聲をする。此聲を第一に聞きつけたのが御三《おさん》である。羽根も羽子板も打ち遣つて勝手から「あらまあ」と飛込んで來る。細君は縮緬《ちりめん》の紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さへ書齋から出て來て「此馬鹿野郎」といつた。面白い/\と云ふのは小供|許《ばか》りである。さうして皆《み》んな申し合せた樣にげら/\笑つて居る。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる譯にゆかぬ、弱つた。漸く笑ひがやみさうになつたら、五つになる女の子が「御かあ樣、猫も隨分ね」といつたので狂瀾《きやうらん》を既倒《きたう》に何とかするといふ勢で又大變笑はれた。人間の同情に乏しい實行も大分《だいぶ》見聞《けんもん》したが、此時程恨めしく感じた事はなかつた。遂に天祐もどつかへ消え失せて、在來の通り四つ這になつて、眼を白黒するの醜態を演ずる迄に閉口した。さすが見殺しにするのも氣の毒と見えて「まあ餠をとつて遣れ」と主人が御三に命ずる。御三はもつと踊らせ樣《やう》ぢやありませんかといふ眼付で細君を見る。細君は踊は見たいが、殺して迄見る氣はないのでだまつて居る。「取つてやらんと死んで仕舞ふ、早くとつて遣れ」と主人は再び下女を顧みる。御三は御馳走を半分食べかけて夢から起された時の樣に、氣のない顔をして餠をつかんでぐいと引く。寒月君《かんげつくん》ぢやないが前齒が皆《み》んな折れるかと思つた。どうも痛いの痛くないのつて、餠の中へ堅く食ひ込んで居る齒を情《なさ》け容赦もなく引張るのだから堪らない。吾輩が「凡《すべ》ての安樂は困苦を通過せざるべからず」と云ふ第四の眞理を經驗して、けろ/\とあたりを見廻した時には、家人は既に奧座敷へ這入つて仕舞つて居つた。
 こんな失敗をした時には内に居て御三《おさん》なんぞに顔を見られるのも何となくばつが惡い。いつその事氣を易へて新道の二絃琴の御師匠さんの所《とこ》の三毛子《みけこ》でも訪問し樣《やう》と臺所から裏へ出た。三毛子は此近邊で有名な美貌家《びばうか》である。吾輩は猫には相違ないが物の情《なさ》けは一通り心得て居る。うちで主人の苦《にが》い顔を見たり、御三の險突《けんつく》を食つて氣分が勝れん時は必ず此異性の朋友の許《もと》を訪問して色々な話をする。すると、いつの間《ま》にか心が晴々《せい/\》して今迄の心配も苦勞も何もかも忘れて、生れ變つた樣な心持になる。女性の影響といふものは實に莫大なものだ。杉垣の隙から、居るかなと思つて見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側に坐つて居る。其脊中の丸さ加減が言ふに言はれん程美しい。曲線の美を盡して居る。尻尾《しつぽ》の曲がり加減、足の折り具合、物憂《ものう》げに耳をちよい/\振る景色《けしき》抔《など》も到底形容が出來ん。ことによく日の當る所に暖かさうに、品《ひん》よく控えて居るものだから、身體は靜肅端正の態度を有するにも關らず、天鵞毛《ビロウド》を欺く程の滑らかな滿身の毛は春の光りを反射して風なきにむら/\と微動する如くに思はれる。吾輩は暫く恍惚として眺めて居たが、やがて我に歸ると同時に、低い聲で「三毛子さん/\」といひながら前足で招いた。三毛子は「あら先生」と椽を下りる。赤い首輪につけた鈴がちやら/\と鳴る。おや正月になつたら鈴迄つけたな、どうもいゝ音《ね》だと感心して居る間《ま》に、吾輩の傍《そば》に來て「あら先生、御目出度う」と尾を左《ひだ》りへ振る。吾等|猫屬《ねこぞく》間で御互に挨拶をするときには尾を棒の如く立てゝ、それを左《ひだ》りへぐるりと廻すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのは此三毛子|許《ばか》りである。吾輩は前回斷はつた通りまだ名はないのであるが、ヘ師の家《うち》に居るものだから三毛子|丈《だけ》は尊敬して先生々々といつてくれる。吾輩も先生と云はれて滿更《まんざら》惡い心持ちもしないから、はい/\と返事をして居る。「やあ御目出度う、大層立派に御化粧が出來ましたね」「えゝ去年の暮|御師匠《おししやう》さんに買つて頂いたの、宜《い》いでせう」とちやら/\鳴らして見せる。「成程善い音《ね》ですな、吾輩|抔《など》は生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」「あらいやだ、皆《み》んなぶら下げるのよ」と又ちやら/\鳴らす。「いゝ音《ね》でせう、あたし嬉しいわ」とちやら/\ちやら/\續け樣に鳴らす。「あなたのうちの御師匠さんは大變あなたを可愛がつて居ると見えますね」と吾身に引きくらべて暗に欣羨《きんせん》の意を洩らす。三毛子は無邪氣なものである「ほんとよ、丸《まる》で自分の小供の樣よ」とあどけなく笑ふ。猫だつて笑はないとは限らない。人間は自分より外に笑へるものが無い樣に思つて居るのは間違ひである。吾輩が笑ふのは鼻の孔を三角にして咽喉佛《のどぼとけ》を震動させて笑ふのだから人間にはわからぬ筈である。「一體あなたの所《とこ》の御主人は何ですか」「あら御主人だつて、妙なのね。御師匠《おししやう》さんだわ。二絃琴の御師匠さんよ」「それは吾輩も知つて居ますがね。其御身分は何なんです。何《いづ》れ昔《むか》しは立派な方なんでせうな」「えゝ」
   君を待つ間《ま》の姫小松……………
 障子の内で御師匠さんが二絃琴を彈き出す。「宜《い》い聲でせう」と三毛子は自慢する。「宜《い》い樣だが、吾輩にはよくわからん。全體何といふものですか」「あれ? あれは何とかつてものよ。御師匠さんはあれが大好きなの。……御師匠さんはあれで六十二よ。隨分丈夫だわね」六十二で生きて居る位だから丈夫と云はねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事をした。少し間《ま》が拔けた樣だが別に名答も出て來なかつたから仕方がない。「あれでも、もとは身分が大變好かつたんだつて。いつでも左樣《さう》仰《おつ》しやるの」「へえ元は何だつたんです」「何でも天璋院樣《てんしやうゐんさま》の御祐筆《ごいうひつ》の妹の御嫁に行つた先《さ》きの御《お》つかさんの甥の娘なんだつて」「何ですつて?」「あの天璋院樣《てんしやうゐんさま》の御祐筆《ごいうひつ》の妹の御嫁にいつた……」「成程。少し待つて下さい。天璋院樣の妹の御祐筆の……」「あらさうぢやないの、天璋院樣の御祐筆の妹の……」「よろしい分りました天璋院樣のでせう」「えゝ」「御祐筆のでせう」「さうよ」「御嫁に行つた」「妹の御嫁に行つたですよ」「さう/\間違つた。妹の御嫁に入《い》つた先《さ》きの」「御つかさんの甥の娘なんですとさ」「御つかさんの甥の娘なんですか」「えゝ。分つたでせう」「いゝえ。何だか混雜して要領を得ないですよ。詰る所|天璋院樣《てんしやうゐんさま》の何になるんですか」「あなたも餘つ程分らないのね。だから天璋院樣の御祐筆の妹の御嫁に行つた先きの御つかさんの甥の娘なんだつて、先《さ》つきつから言つてるんぢやありませんか」「それはすつかり分つて居るんですがね」「夫《それ》が分りさへすればいゝんでせう」「えゝ」と仕方がないから降參をした。吾々は時とすると理詰の虚言《うそ》を吐《つ》かねばならぬ事がある。
 障子の中《うち》で二絃琴の音《ね》がぱつたりやむと、御師匠さんの聲で「三毛や三毛や御飯だよ」と呼ぶ。三毛子は嬉しさうに「あら御師匠さんが呼んで入らつしやるから、私《あた》し歸るわ、よくつて?」わるいと云つたつて仕方がない。「それぢや又遊びに入らつしやい」と鈴をちやら/\鳴らして庭先迄かけて行つたが急に戻つて來て「あなた大變色が惡くつてよ。どうかしやしなくつて」と心配さうに問ひかける。まさか雜※[者/火]を食つて踊りを踊つたとも云はれないから「何別段の事もありませんが、少し考へ事をしたら頭痛がしてね。あなたと話しでもしたら直るだらうと思つて實は出掛けて來たのですよ」「さう。御大事になさいまし。左樣なら」少しは名殘《なご》り惜し氣に見えた。是で雜※[者/火]の元氣も薩張《さつぱ》りと回復した。いゝ心持になつた。歸りに例の茶園を通り拔け樣《やう》と思つて霜柱の融《と》けかゝつたのを踏みつけながら建仁寺《けんにんじ》の崩《くづ》れから顔を出すと又車屋の黒が枯菊の上に脊を山にして欠伸《あくび》をして居る。近頃は黒を見て恐怖する樣な吾輩ではないが、話しをされると面倒だから知らぬ顔をして行き過ぎ樣《やう》とした。黒の性質として他《ひと》が己《おの》れを輕侮したと認むるや否や決して黙つて居ない。「おい、名なしの權兵衛、近頃ぢや乙《おつ》う高く留つてるぢやあねえか。いくらヘ師の飯を食つたつて、そんな高慢ちきな面《つ》らあするねえ。人《ひと》つけ面白くもねえ」黒は吾輩の有名になつたのを、まだ知らんと見える。説明して遣りたいが到底分る奴ではないから、先づ一應の挨拶をして出來得る限り早く御免蒙るに若《し》くはないと決心した。「いや黒君御目出度う。不相變《あひかはらず》元氣がいゝね」と尻尾《しつぽ》を立てゝ左へくるりと廻はす。黒は尻尾《しつぽ》を立てたぎり挨拶もしない。「何|御目出度《おめでて》え? 正月で御目出たけりや、御めへなんざあ年が年中御目出てえ方だらう。氣をつけろい、此|吹《ふ》い子《ご》の向《むこ》ふ面《づら》め」吹い子の向ふづらといふ句は罵詈《ばり》の言語である樣だが、吾輩には了解が出來なかつた。「一寸|伺《うか》がうが吹い子の向ふづらと云ふのはどう云ふ意味かね」「へん、手めえが惡體《あくたい》をつかれてる癖に、其譯を聞きや世話あねえ、だから正月野郎だつて事よ」正月野郎は詩的であるが、其意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。參考の爲め一寸聞いておきたいが、聞いたつて明瞭な答辯は得られぬに極まつてゐるから、面《めん》と對《むか》つた儘無言で立つて居つた。聊《いさゝ》か手持無沙汰の體《てい》である。すると突然黒のうちの神《かみ》さんが大きな聲を張り揚げて「おや棚へ上げて置いた鮭《しやけ》がない。大變だ。又あの黒の畜生《ちきしやう》が取つたんだよ。ほんとに憎らしい猫だつちあありあしない。今に歸つて來たら、どうするか見て居やがれ」と怒鳴《どな》る。初春《はつはる》の長閑《のどか》な空氣を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君が御代を大《おほい》に俗了《ぞくれう》して仕舞ふ。黒は怒鳴《どな》るなら、怒鳴りたい丈《だけ》怒鳴つて居ろと云はぬ許《ばか》りに横着な顔をして、四角な顋《あご》を前へ出しながら、あれを聞いたかと合圖をする。今迄は黒との應對で氣がつかなかつたが、見ると彼の足の下には一切れ二錢三厘に相當する鮭《しやけ》の骨が泥だらけになつて轉がつて居る。「君|不相變《あひかはらず》やつてるな」と今迄の行き掛りは忘れて、つい感投詞を奉呈した。黒は其位な事では中々機嫌を直さない。「何がやつてるでえ、此野郎。しやけ〔三字傍点〕の一切や二切で相變らずたあ何だ。人を見縊《みく》びつた事をいふねえ。憚《はゝか》りながら車屋の黒だあ」と腕まくりの代りに右の前足を逆《さ》かに肩の邊《へん》迄《まで》掻き上げた。「君が黒君だと云ふ事は、始めから知つてるさ」「知つてるのに、相變らずやつてるたあ何だ。何だてえ事よ」と熱いのを頻りに吹き懸ける。人間なら胸倉をとられて小突き廻される所である。少々|辟易《へきえき》して内心困つた事になつたなと思つて居ると、再び例の神さんの大聲が聞える。「ちよいと西川さん、おい西川さんてば、用があるんだよ此《この》人《ひと》あ。牛肉を一斤すぐ持つて來るんだよ。いゝかい、分つたかい、牛肉の堅くない所を一斤だよ」と牛肉注文の聲が四隣《しりん》の寂寞を破る。「へん年に一遍牛肉を誂へると思つて、いやに大きな聲を出しやあがらあ。牛肉一斤が隣り近所へ自慢なんだから始末に終へねえ阿魔《あま》だ」と黒は嘲《あざけ》りながら四つ足を踏張《ふんば》る。吾輩は挨拶の仕樣《しやう》もないから黙つて見て居る。「一斤位ぢやあ、承知が出來ねえんだが、仕方がねえ、いゝから取つときや、今に食つてやらあ」と自分の爲に誂へたものゝ如くいふ。「今度は本當の御馳走だ。結構々々」と吾輩は可成《なるべく》彼を歸さうとする。「御めつちの知つた事ぢやねえ。黙つてゐろ。うるせえや」と云ひ乍ら突然|後足《あとあし》で霜柱の崩れた奴を吾輩の頭へばさりと浴びせ掛ける。吾輩が驚ろいて、からだの泥を拂つて居る間《ま》に黒は垣根を潜《くゞ》つて、どこかへ姿を隱した。大方西川の牛《ぎう》を覘《ねらひ》に行つたものであらう。
 家《うち》へ歸ると座敷の中が、いつになく春めいて主人の笑ひ聲さへ陽氣に聞える。はてなと明け放した椽側から上《あが》つて主人の傍《そば》へ寄つて見ると見馴れぬ客が來て居る。頭を奇麗に分けて、木綿の紋付の羽織に小倉の袴を着けて至極眞面目さうな書生體《しよせいてい》の男である。主人の手あぶりの角を見ると春慶塗《しゆんけいぬ》りの卷烟草入れと並んで越智東風君《をちとうふうくん》を紹介致|候《そろ》水島寒月といふ名刺があるので、此客の名前も、寒月君の友人であるといふ事も知れた。主客《しゆかく》の對話は途中からであるから前後がよく分らんが、何でも吾輩が前回に紹介した美學者迷亭君の事に關して居るらしい。
 「それで面白い趣向があるから是非一所に來いと仰しやるので」と客は落ちついて云ふ。「何ですか、其西洋料理へ行つて午飯を食ふのに付いて趣向があるといふのですか」と主人は茶を續《つ》ぎ足して客の前へ押しやる。「さあ、其趣向といふのが、其時は私にも分らなかつたんですが、何《い》づれあの方《かた》の事ですから、何か面白い種があるのだらうと思ひまして……」「一所に行きましたか、なる程」「所が驚いたのです」主人はそれ見たかと云はぬ許《ばか》りに、膝の上に乘つた吾輩の頭をぽかと叩く。少し痛い。「又馬鹿な茶番見た樣な事なんでせう。あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア、デル、サルト事件を思ひ出す。「へヽー。君何か變つたものを食はうぢやないかと仰しやるので」「何を食ひました」「先づ獻立《こんだて》を見ながら色々料理についての御話しがありました」「誂へない前にですか」「えゝ」「夫《それ》から」「夫《それ》から首を捻つてボイの方を御覽になつて、どうも變つたものもない樣だなと仰しやるとボイは負けぬ氣で鴨のロースか小牛のチヤツプ抔《など》は如何《いかゞ》ですと云ふと、先生は、そんな月並《つきなみ》を食ひにわざ/\こゝ迄來やしないと仰しやるんで、ボイは月並といふ意味が分らんものですから妙な顔をして黙つて居ましたよ」「さうでせう」「夫《それ》から私の方を御向きになつて、君|佛蘭西《フランス》や英吉利《イギリス》へ行くと隨分|天明調《てんめいてう》や萬葉調《まんえふてう》が食へるんだが、日本ぢやどこへ行つたつて版で壓《お》した樣で、どうも西洋料理へ這入る氣がしないと云ふ樣な大氣?で――全體あの方《かた》は洋行なすつた事があるのですかな」「何迷亭が洋行なんかするもんですか、そりや金もあり、時もあり、行かうと思へば何時《いつ》でも行かれるんですがね。大方是から行く積りの所を、過去に見立てた洒落《しやれ》なんでせう」と主人は自分ながらうまい事を言つた積りで誘ひ出し笑をする。客は左《さ》迄《まで》感服した樣子もない。「さうですか、私は又いつの間《ま》に洋行なさつたかと思つて、つい眞面目に拜聽して居ました。それに見て來た樣になめくじ〔四字傍点〕のソツプの御話や蛙のシチユの形容をなさるものですから」「そりや誰かに聞いたんでせう、うそをつく事は中々名人ですからね」「どうも左樣《さう》の樣で」と花瓶の水仙を眺める。少しく殘念の氣色《けしき》にも取られる。「ぢや趣向といふのは、それなんですね」と主人が念を押す。「いえ夫《それ》はほんの冒頭なので、本論は是からなのです」「ふーん」と主人は好奇的な感投詞を挾む。「夫《それ》から、とてもなめくじ〔四字傍点〕や蛙は食はうつても食へやしないから、まあトチメンボー〔六字傍点〕位な所で負けとく事にし樣《やう》ぢやないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の氣なしに、それがいゝでせう、といつて仕舞つたので」「へー、とちめんぼうは妙ですな」「えゝ全く妙なのですが、先生が餘り眞面目だものですから、つい氣がつきませんでした」と恰も主人に向つて麁忽《そこつ》を詫びて居る樣に見える。「夫《それ》からどうしました」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪には一向同情を表して居らん。「それからボイにおいトチメンボー〔六字傍点〕を二人前《ににんまへ》持つて來いといふと、ボイがメンチボー〔五字傍点〕ですかと聞き直しましたが、先生は益《ます/\》眞面目な貌《かほ》でメンチボー〔五字傍点〕ぢやないトチメンボー〔六字傍点〕だと訂正されました」「なある。其トチメンボー〔六字傍点〕といふ料理は一體あるんですか」「さあ私も少し可笑《をか》しいとは思ひましたが如何にも先生が沈着であるし、其上あの通りの西洋通で入らつしやるし、ことに其時は洋行なすつたものと信じ切つて居たものですから、私も口を添へてトチメンボー〔六字傍点〕だトチメンボー〔六字傍点〕だとボイにヘへてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考へると實に滑稽なんですがね、暫く思案して居ましてね、甚だ御氣の毒樣ですが今日はトチメンボー〔六字傍点〕は御生憎《おあいにく》樣でメンチボー〔五字傍点〕なら御二人前《おふたりまへ》すぐに出來ますと云ふと、先生は非常に殘念な樣子で、夫《それ》ぢや切角こゝ迄來た甲斐がない。どうかトチメンボー〔六字傍点〕を都合して食はせてもらう譯には行くまいかと、ボイに二十錢銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して參りませうと奧へ行きましたよ」「大變トチメンボー〔六字傍点〕が食ひたかつたと見えますね」「暫くしてボイが出て來て眞《まこと》に御生憎《おあいにく》で、御誂《おあつらへ》ならこしらへますが少々時間がかゝります、と云ふと迷亭先生は落ち付いたもので、どうせ我々は正月でひまなんだから、少し待つて食つて行かうぢやないかと云ひ乍《なが》らポツケツトから葉卷を出してぷかり/\吹かし始められたので、私《わたく》しも仕方がないから、懷から日本新聞を出して讀み出しました、するとボイは又奧へ相談に行きましたよ」「いやに手數《てすう》が掛りますな」と主人は戰爭の通信を讀む位の意氣込で席を前《すゝ》める。「するとボイが又出て來て、近頃はトチメンボー〔六字傍点〕の材料が拂底で龜屋へ行つても横濱の十五番へ行つても買はれませんから當分の間は御生憎樣でと氣の毒さうに云ふと、先生はそりや困つたな、切角來たのになあと私の方を御覽になつて頻りに繰り返さるゝので、私も黙つて居る譯にも參りませんから、どうも遺憾ですな、遺憾|極《きはま》るですなと調子を合せたのです」「御尤もで」と主人が賛成する。何が御尤だか吾輩にはわからん。「するとボイも氣の毒だと見えて、其内材料が參りましたら、どうか願ひますつてんでせう。先生が材料は何を使ふかねと問はれるとボイはへヽヽヽと笑つて返事をしないんです。材料は日本派の俳人だらうと先生が押し返して聞くとボイはへえ左樣《さやう》で、それだものだから近頃は横濱へ行つても買はれませんので、まことにお氣の毒樣と云ひましたよ」「アハヽヽ夫《それ》が落ちなんですか、こりや面白い」と主人はいつになく大きな聲で笑ふ。膝が搖れて吾輩は落ちかゝる。主人は夫《それ》にも頓着《とんぢやく》なく笑ふ。アンドレア、デル、サルトに罹《かゝ》つたのは自分一人でないと云ふ事を知つたので急に愉快になつたものと見える。「夫《それ》から二人で表へ出ると、どうだ君うまく行つたらう、橡面坊《とちめんばう》を種に使つた所が面白からうと大得意なんです。敬服の至りですと云つて御別れした樣なものゝ實は午飯《ひるめし》の時刻が延びたので大變空腹になつて弱りましたよ」「夫《それ》は御迷惑でしたらう」と主人は始めて同情を表する。是には吾輩も異存はない。しばらく話しが途切れて吾輩の咽喉《のど》を鳴らす音が主客《しゆかく》の耳に入る。
 東風君は冷めたくなつた茶をぐつと飲み干して「實は今日參りましたのは、少々先生に御願があつて參つたので」と改まる。「はあ、何か御用で」と主人も負けずに濟ます。「御承知の通り、文學美術が好きなものですから……」「結構で」と油を注《さ》す。「同志|丈《だけ》がよりまして先達《せんだつ》てから朗讀會といふのを組織しまして、毎月一回會合して此方面の研究を是から續け度い積りで、既に第一回は去年の暮に開いた位であります」「一寸伺つて置きますが、朗讀會と云ふと何か節奏《ふし》でも附けて、詩歌《しいか》文章の類《るゐ》を讀む樣に聞えますが、一體どんな風にやるんです」「まあ初めは古人の作からはじめて、追々は同人の創作なんかもやる積りです」「古人の作といふと白樂天《はくらくてん》の琵琶行《びはかう》の樣なものでゞもあるんですか」「いゝえ」「蕪村の春風馬堤曲《しゆんぷうばていきよく》の種類ですか」「いゝえ」「それぢや、どんなものをやつたんです」「先達《せんだつ》ては近松の心中物《しんぢゆうもの》をやりました」「近松? あの淨瑠璃《じやうるり》の近松ですか」近松に二人はない。近松といへば戯曲家の近松に極つて居る。夫《それ》を聞き直す主人は餘程|愚《ぐ》だと思つて居ると、主人は何にも分らずに吾輩の頭を叮嚀に撫《な》でゝ居る。藪睨《やぶにら》みから惚れられたと自認して居る人間もある世の中だから此位の誤謬《ごびう》は決して驚くに足らんと撫でらるゝが儘に濟《すま》して居た。「えゝ」と答へて東風子《とうふうし》は主人の顔色を窺ふ。「それぢや一人で朗讀するのですか、又は役割を極めてやるんですか」「役を極めて懸合《かけあひ》でやつて見ました。其主意は可成《なるべく》作中の人物に同情を持つて其性格を發揮するのを第一として、夫《それ》に手眞似や身振りを添へます。白《せりふ》は可成《なるべく》其時代の人を寫し出すのが主で、御孃さんでも丁稚《でつち》でも、其人物が出てきた樣にやるんです」「ぢや、まあ芝居見た樣なものぢやありませんか」「えゝ衣裝《いしやう》と書割《かきわり》がない位なものですな」「失禮ながらうまく行きますか」「まあ第一回としては成功した方だと思ひます」「それで此前やつたと仰しやる心中物といふと」「其、船頭が御客を乘せて芳原《よしはら》へ行く所《とこ》なんで」「大變な幕をやりましたな」とヘ師|丈《だけ》に一寸《ちよつと》首を傾《かたむ》ける。鼻から吹き出した日の出〔三字傍点〕の烟《けむ》りが耳を掠《かす》めて顔の横手へ廻る。「なあに、そんなに大變な事もないんです。登場の人物は御客と、船頭と、花魁《おいらん》と仲居《なかゐ》と遣手《やりて》と見番《けんばん》丈《だけ》ですから」と東風子は平氣なものである。主人は花魁《おいらん》といふ名をきいて一寸|苦《にが》い顔をしたが、仲居《なかゐ》、遣手《やりて》、見番《けんばん》といふ術語に付いて明瞭の智識がなかつたと見えて先づ質問を呈出した。「仲居といふのは娼家《しやうか》の下婢にあたるものですかな」「まだよく研究はして見ませんが仲居《なかゐ》は茶屋の下女で、遣手《やりて》といふのが女部屋《をんなべや》の助役《じよやく》見た樣なものだらうと思ひます」東風子は先《さ》つき、其人物が出て來る樣に假色《こわいろ》を使ふと云つた癖に遣手や仲居の性格をよく解して居らんらしい。「成程仲居は茶屋に隷屬《れいぞく》するもので、遣手は娼家に起臥する者ですね。次に見番〔二字傍点〕と云ふのは人間ですか又は一定の場所を指《さ》すのですか、もし人間とすれば男ですか女ですか」「見番は何でも男の人間だと思ひます」「何を司《つかさ》どつて居るんですかな」「さあそこ迄はまだ調べが屆いて居りません。其内調べて見ませう」これで懸合をやつた日には頓珍漢《とんちんかん》なものが出來るだらうと吾輩は主人の顔を一寸見上げた。主人は存外眞面目である。「それで朗讀家は君の外にどんな人が加《くはゝ》つたんですか」「色々居りました。花魁《おいらん》が法學士のK君でしたが、口髯を生やして、女の甘つたるいせりふを使《つ》かふのですから一寸妙でした。それに其花魁が癪を起す所があるので……」「朗讀でも癪を起さなくつちや、いけないんですか」と主人は心配さうに尋ねる。「えゝ兎に角表情が大事ですから」と東風子はどこ迄も文藝家の氣で居る。「うまく癪が起りましたか」と主人は警句を吐く。「癪|丈《だけ》は第一回には、些《ち》と無理でした」と東風子も警句を吐く。「所で君は何の役割でした」と主人が聞く。「私《わたく》しは船頭」「へー、君が船頭」君にして船頭が務まるものなら僕にも見番位はやれると云つた樣な語氣を洩らす。やがて「船頭は無理でしたか」と御世辭のない所を打ち明ける。東風子は別段癪に障つた樣子もない。矢張り沈着な口調で「其船頭で切角の催しも龍頭蛇尾《りゆうとうだび》に終りました。實は會場の隣りに女學生が四五人下宿して居ましてね、それがどうして聞いたものか、其日は朗讀會があるといふ事を、どこかで探知して會場の窓下へ來て傍聽して居たものと見えます。私《わたく》しが船頭の假色《こわいろ》を使つて、漸く調子づいて是なら大丈夫と思つて得意にやつて居ると、……つまり身振りが餘り過ぎたのでせう、今迄|耐《こ》らへて居た女學生が一度にわつと笑ひだしたものですから、驚ろいた事も驚ろいたし、極りが惡《わ》るい事も惡《わ》るいし、それで腰を折られてから、どうしても後《あと》がつゞけられないので、とう/\其《それ》限《ぎ》りで散會しました」第一回としては成功だと稱する朗讀會がこれでは、失敗はどんなものだらうと想像すると笑はずには居られない。覺えず咽喉佛《のどぼとけ》がごろ/\鳴る。主人は愈《いよ/\》柔かに頭を撫《な》でゝくれる。人を笑つて可愛がられるのは難有《ありがた》いが、聊《いさゝ》か無氣味な所もある。「夫《そ》れは飛んだ事で」と主人は正月早々弔詞《てうじ》を述べて居る。「第二回からは、もつと奮發して盛大にやる積りなので、今日出ましたのも全く其爲で、實は先生にも一つ御入會の上御盡力を仰ぎたいので」「僕にはとても癪なんか起せませんよ」と消極的の主人はすぐに斷はりかける。「いえ、癪|抔《など》は起して頂かんでもよろしいので、こゝに賛助員の名簿が」と云ひながら紫の風呂敷から大事さうに小菊版《こぎくばん》の帳面を出す。「是へどうか御署名の上|御捺印《ごなついん》を願ひたひので」と帳面を主人の膝の前へ開いたまゝ置く。見ると現今知名な文學博士、文學士連中の名が行儀よく勢揃《せいぞろひ》をして居る。「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生《かきせんせい》は掛念《けねん》の體《てい》に見える。「義務と申して別段是非願ふ事もない位で、ただ御名前|丈《だけ》を御記入下さつて賛成の意さへ御表《おへう》し被下《くださ》れば其れで結構です」「そんなら這入ります」と義務のかゝらぬ事を知るや否や主人は急に氣輕になる。責任さへないと云ふ事が分つて居れば謀叛《むほん》の連判?へでも名を書き入れますと云ふ顔付をする。加之《のみならず》かう知名の學者が名前を列《つら》ねて居る中に姓名|丈《だけ》でも入籍させるのは、今迄こんな事に出合つた事のない主人にとつては無上の光榮であるから返事の勢のあるのも無理はない。「一寸失敬」と主人は書齋へ印をとりに這入る。吾輩はぼたりと疊の上へ落ちる。東風子は菓子皿の中のカステラ〔四字傍点〕をつまんで一口に頬張る。モゴ/\しばらくは苦しさうである。吾輩は今朝の雜※[者/火]事件を一寸思ひ出す。主人が書齋から印形《いんぎやう》を持つて出て來た時は、東風子の胃の中にカステラが落ち付いた時であつた。主人は菓子皿のカステラが一切《ひときれ》足りなくなつた事には氣が着かぬらしい。もし氣がつくとすれば第一に疑はれるものは吾輩であらう。
 東風子が歸つてから、主人が書齋に入つて机の上を見ると、いつの間《ま》にか迷亭先生の手紙が來て居る。
  「新年の御慶《ぎよけい》目出度《めでたく》申納候《まをしをさめそろ》。……」
 いつになく出が眞面目だと主人が思ふ。迷亭先生の手紙に眞面目なのは殆んどないので、此間|抔《など》は「其《その》後《ご》別に戀着《れんちやく》せる婦人も無之《これなく》、いづ方《かた》より艶書も參らず、先づ/\無事に消光|罷《まか》り在り候《そろ》間、乍憚《はゞかりながら》御休心|可被下候《くださるべくそろ》」と云ふのが來た位である。それに較べると此年始?は例外にも世間的である。
  「一寸參堂仕り度候へども、大兄の消極主義に反して、出來得る限り積極的方針を以て、此千古未曾有の新年を迎ふる計畫故、毎日/\目の廻る程の多忙、御推察願上|候《そろ》……」
 成程あの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違ひないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。
  「昨日は一刻のひまを偸み、東風子にトチメンボー〔六字傍点〕の御馳走を致さんと存じ候《そろ》處《ところ》、生憎《あいにく》材料拂底の爲め其意を果さず、遺憾千萬に存《ぞんじ》候《そろ》。……」
 そろ/\例の通りになつて來たと主人は無言で微笑する。
  「明日は某男爵の歌留多會、明後日は審美學協會の新年宴會、其明日は鳥部ヘ授歡迎會、其又明日は……」
 うるさいなと、主人は讀みとばす。
  「右の如く謠曲會、俳句會、短歌會、新體詩會等、會の連發にて當分の間は、のべつ幕無しに出勤致し候《そろ》爲め、不得已《やむをえず》賀?を以て拜趨《はいすう》の禮に易《か》へ候《そろ》段《だん》不惡《あしからず》御宥恕《ごいうじよ》被下度《くだされたく》候《そろ》。……」
 別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。
  「今度御光來の節は久し振りにて晩餐でも供し度《たき》心得に御座|候《そろ》。寒厨《かんちゆう》何の珍味も無之《これなく》候《さふら》へども、せめてはトチメンボー〔六字傍点〕でもと只今より心掛居|候《そろ》……」
 まだトチメンボー〔六字傍点〕を振り廻して居る。失敬なと主人は一寸むつとする。
  「然しトチメンボー〔六字傍点〕は近頃材料拂底の爲め、ことに依ると間に合ひ兼《かね》候《そろ》も計りがたきにつき、其節は孔雀《くじやく》の舌でも御風味に入れ可申《まをすべく》候《そろ》。……」
 兩天秤《りやうてんびん》をかけたなと主人は、あとが讀みたくなる。
  「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の半《なか》ばにも足らぬ程故|健啖《けんたん》なる大兄の胃嚢《いぶくろ》を充たす爲には……」
 うそをつけと主人は打ち遣つた樣にいふ。
  「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる可《べか》らずと存《ぞんじ》候《そろ》。然る所孔雀は動物園、淺草花屋敷等には、ちらほら見受け候へども、普通の鳥屋|抔《など》には一向《いつかう》見當り不申《まをさず》、苦心《くしん》此《この》事《こと》に御座|候《そろ》。……」
 獨りで勝手に苦心して居るのぢやないかと主人は毫も感謝の意を表しない。
  「此孔雀の舌の料理は往昔《わうせき》羅馬《ローマ》全盛の砌《みぎ》り、一時非常に流行致し候《そろ》ものにて、豪奢風流の極度と平生よりひそかに食指《しよくし》を動かし居《をり》候《そろ》次第御諒察|可被下《くださるべく》候《そろ》……」
 何が御諒察だ、馬鹿なと主人は頗る冷淡である。
  「降《くだ》つて十六七世紀の頃迄は全歐を通じて孔雀は宴席に缺くべからざる好味と相成居|候《そろ》。レスター伯がエリザベス女皇《ぢよくわう》をケニルウオースに招待致し候《そろ》節《せつ》も慥《たし》か孔雀を使用致し候《そろ》樣《やう》記憶|致《いたし》候《そろ》。有名なるレンブラントが畫《ゑが》き候《そろ》饗宴の圖にも孔雀が尾を廣げたる儘卓上に横《よこた》はり居り候《そろ》……」
 孔雀の料理史をかく位なら、そんなに多忙でもなさゝうだと不平をこぼす。
  「とにかく近頃の如く御馳走の食べ續けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄の如く胃弱と相成るは必定……」
 大兄の如くは餘計だ。何も僕を胃弱の標準にしなくても濟むと主人はつぶやいた。
  「歴史家の説によれば羅馬人《ローマじん》は日に二度三度も宴會を開き候《そろ》由《よし》。日に二度も三度も方丈の食饌《しよくせん》に就き候へば如何なる健胃の人にても消化機能に不調を釀《かも》すべく、從つて自然は大兄の如く……」
 又大兄の如くか、失敬な。
  「然るに贅澤と衛生とを兩立せしめんと研究を盡したる彼等は不相當に多量の滋味を貪《むさぼ》ると同時に胃腸を常態に保持するの必要を認め、こゝに一の秘法を案出致し候《そろ》……」
 はてねと主人は急に熱心になる。
  「彼等は食後必ず入浴|致《いたし》候《そろ》。入浴後一種の方法によりて浴前《よくぜん》に嚥下《えんか》せるものを悉《こと/”\》く嘔吐《おうと》し、胃内を掃除致し候《そろ》。胃内《ゐない》廓清《くわくせい》の功を奏したる後《のち》又食卓に就き、飽く迄珍味を風好《ふうかう》し、風好《ふうかう》し了れば又湯に入りて之を吐出《としゆつ》致《いたし》候《そろ》。かくの如くすれば好物は貪《むさ》ぼり次第貪り候《さふらふ》も毫も内臓の諸機關に障害を生ぜず、一擧兩得とは此等の事を可申《まをすべき》かと愚考|致《いたし》候《そろ》……」
 成程一擧兩得に相違ない。主人は羨ましさうな顔をする。
  「廿世紀の今日《こんにち》交通の頻繁、宴會の揄チは申す迄もなく、軍國多事征露の第二年とも相成|候《そろ》折柄、吾人戰勝國の國民は、是非共|羅馬人《ローマじん》に傚《なら》つて此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機會に到着致し候《そろ》事と自信|致《いたし》候《そろ》。左《さ》もなくば切角の大國民も近き將來に於て悉《こと/”\》く大兄の如く胃病患者と相成る事と窃《ひそ》かに心痛|罷《まか》りあり候《そろ》……」
 又大兄の如くか、癪に障る男だと主人が思ふ。
  「此際吾人西洋の事情に通ずる者が古史傳説を考究し、既に廢絶せる秘法を發見し、之を明治の社會に應用致し候はゞ所謂|禍《わざはひ》を未萌《みばう》に防ぐの功コにも相成り平素|逸樂《いつらく》を擅《ほしいまゝ》に致し候《そろ》御恩返も相立ち可申《まをすべく》と存《ぞんじ》候《そろ》……」
 何だか妙だなと首を捻《ひね》る。
  「依《よつ》て此間|中《ぢゆう》よりギボン、モンセン、スミス等諸家の著述を渉猟《せふれふ》致し居候へども未《いま》だに發見の端緒《たんしよ》をも見出《みいだ》し得ざるは殘念の至に存《ぞんじ》候《そろ》。然し御存じの如く小生は一度思ひ立ち候《そろ》事《こと》は成功する迄は決して中絶仕らざる性質に候へば嘔吐方《おうとはう》を再興致し候《そろ》も遠からぬうちと信じ居り候《そろ》次第。右は發見次第御報道|可仕《つかまつるべく》候《そろ》につき、左樣御承知|可被下《くださるべく》候《そろ》。就てはさきに申上|候《そろ》トチメンボー〔六字傍点〕及び孔雀の舌の御馳走も可相成《あひなるべく》は右發見後に致し度、左《さ》すれば小生の都合は勿論、既に胃弱に惱み居らるゝ大兄の爲にも御便宜かと存《ぞんじ》候《そろ》草々不備」
 何だとう/\擔《かつ》がれたのか、あまり書き方が眞面目だものだからつい仕舞迄本氣にして讀んで居た。新年|匆々《さう/\》こんな惡戯《いたづら》をやる迷亭は餘つぽどひま人《じん》だなあと主人は笑ひながら云つた。
 夫《それ》から四五日は別段の事もなく過ぎ去つた。白磁の水仙がだん/\凋《しぼ》んで、青軸《あをぢく》の梅が瓶《びん》ながらだん/\開きかゝるのを眺め暮らして許《ばか》り居てもつまらんと思つて、一兩度《いちりやうど》三毛子を訪問して見たが逢はれない。最初は留守だと思つたが、二返目には病氣で寐て居るといふ事が知れた。障子の中で例の御師匠さんと下女が話しをして居るのを手水鉢《てうづばち》の葉蘭の影に隱れて聞いて居るとかうであつた。
 「三毛は御飯をたべるかい」「いゝえ今朝からまだ何《なん》にも食べません、あつたかにして御火燵《おこた》に寐かして置きました」何だか猫らしくない。丸《まる》で人間の取扱を受けて居る。
 一方では自分の境遇と比べて見て羨ましくもあるが、一方では己《おの》が愛して居る猫がかく迄厚遇を受けて居ると思へば嬉しくもある。
 「どうも困るね、御飯をたべないと、身體《からだ》が疲れる許《ばか》りだからね」「さうで御座いますとも、私共でさへ一日御?《ごぜん》をいただかないと、明くる日はとても働けませんもの」
 下女は自分より猫の方が上等な動物である樣な返事をする。實際此|家《うち》では下女より猫の方が大切かも知れない。
 「御醫者樣へ連れて行つたのかい」「えゝ、あの御醫者は餘つ程妙で御座いますよ。私が三毛をだいて診察場へ行くと、風邪《かぜ》でも引居たのかつて私の脉《みやく》をとらうとするんでせう。いえ病人は私では御座いません。これですつて三毛を膝の上へ直したら、にや/\笑ひながら、猫の病氣はわしにも分らん、抛《はふ》つて置いたら今に癒るだらうつてんですもの、あんまり苛《ひど》いぢや御座いませんか。腹が立つたから、それぢや見て戴かなくつてもよう御座います是でも大事の猫なんですつて、三毛を懷《ふところ》へ入れてさつさと歸つて參りました」「ほんにねえ」
 「ほんにねえ」は到底吾輩のうち抔《など》で聞かれる言葉ではない。矢張り天璋院《てんしやうゐん》樣の何とかの何とかでなくては使へない、甚だ雅《が》であると感心した。
 「何だかしく/\云ふ樣だが……」「えゝきつと風邪を引いて咽喉《のど》が痛むんで御座いますよ。風邪《かぜ》を引くと、どなたでも御咳《おせき》が出ますからね……」
 天璋院樣の何とかの何とかの下女|丈《だけ》に馬鹿叮嚀な言葉を使ふ。
 「それに近頃は肺病とか云ふものが出來てのう」「ほんとに此頃の樣に肺病だのペストだのつて新しい病氣|許《ばか》り殖えた日にや油斷も隙もなりやしませんので御座いますよ」「舊幕時代に無い者に碌な者はないから御前も氣をつけないといかんよ」「さうで御座いませうかねえ」
 下女は大《おほい》に感動して居る。
 「風邪《かぜ》を引くといつても餘り出あるきもしない樣だつたに……」「いえね、あなた、それが近頃は惡い友達が出來ましてね」
 下女は國事の秘密でも語る時の樣に大得意である。
 「惡い友達?」「えゝあの表通りのヘ師の所《とこ》に居る薄ぎたない雄猫《をねこ》で御座いますよ」「ヘ師と云ふのは、あの毎朝無作法な聲を出す人かえ」「えゝ顔を洗ふたんびに鵝鳥《がてう》が絞め殺される樣な聲を出す人で御座んす」
 鵝鳥《がてう》が絞め殺される樣な聲はうまい形容である。吾輩の主人は毎朝風呂場で含嗽《うがひ》をやる時、楊枝で咽喉をつゝ突いて妙な聲を無遠慮に出す癖がある。機嫌の惡い時はやけにがあ/\やる、機嫌の好い時は元氣づいて猶《なほ》があ/\やる。つまり機嫌のいゝ時も惡い時も休みなく勢よくがあ/\やる。細君の話しではこゝへ引越す前迄はこんな癖はなかつたさうだが、ある時|不圖《ふと》やり出してから今日《けふ》迄《まで》一日もやめた事がないといふ。一寸厄介な癖であるが、なぜこんな事を根氣よく續けて居るのか吾等猫|抔《など》には到底想像もつかん。それも先づ善いとして「薄ぎたない猫」とは隨分酷評をやるものだと猶《なほ》耳を立てゝあとを聞く。
 「あんな聲を出して何の呪《まじな》ひになるか知らん。御維新前《ごゐつしんまへ》は中間《ちゆうげん》でも草履取りでも相應の作法は心得たもので、屋敷町|抔《など》で、あんな顔の洗ひ方をするものは一人も居らなかつたよ」「さうで御座いませうともねえ」
 下女は無暗《むやみ》に感服しては、無暗《むやみ》にねえ〔二字傍点〕を使用する。
 「あんな主人を持つて居る猫だから、どうせ野良猫《のらねこ》さ、今度來たら少し叩いて御遣り」「叩いて遣りますとも、三毛の病氣になつたのも全くあいつの御蔭に相違御座いませんもの、屹度《きつと》讐《かたき》をとつてやります」
 飛んだ冤罪《ゑんざい》を蒙つたものだ。こいつは滅多に近《ち》か寄れないと三毛子にはとう/\逢はずに歸つた。
 歸つて見ると主人は書齋の中《うち》で何か沈吟《ちんぎん》の體《てい》で筆を執つて居る。二絃琴の御師匠さんの所《とこ》で聞いた評判を話したら、さぞ怒《おこ》るだらうが、知らぬが佛とやらで、うん/\云ひながら神聖な詩人になり濟まして居る。
 所へ當分多忙で行かれないと云つて、態々《わざ/\》年始?をよこした迷亭君が飄然《へうぜん》とやつて來る。「何か新體詩でも作つて居るのかね。面白いのが出來たら見せ玉へ」と云ふ。「うん、一寸うまい文章だと思つたから今飜譯して見《み》樣《やう》と思つてね」と主人は重たさうに口を開く。「文章? 誰《だ》れの文章だい」「誰れのか分らんよ」「無名氏か、無名氏の作にも隨分善いのがあるから中々馬鹿に出來ない。全體どこにあつたのか」と問ふ。「第二讀本」と主人は落ちつき拂つて答へる。「第二讀本? 第二讀本がどうしたんだ」「僕の飜譯して居る名文と云ふのは第二讀本の中《うち》にあると云ふ事さ」「冗談ぢやない。孔雀の舌の讐《かたき》を際《きは》どい所で討たうと云ふ寸法なんだらう」「僕は君の樣な法螺吹《ほらふ》きとは違ふさ」と口髯《くちひげ》を捻《ひね》る。泰然たるものだ。「昔《むか》しある人が山陽に、先生近頃名文はござらぬかといつたら、山陽が馬子《まご》の書いた借金の催促?を示して近來の名文は先づ是でせうと云つたといふ話があるから、君の審美眼も存外慥かも知れん。どれ讀んで見給へ、僕が批評してやるから」と迷亭先生は審美眼の本家《ほんけ》の樣な事を云ふ。主人は禪坊主が大燈國師《だいとうこくし》の遺誡《ゆゐかい》を讀む樣な聲を出して讀み始める。「巨人《きよじん》、引力《いんりよく》」「何だい其|巨人《きよじん》引力《いんりよく》と云ふのは」「巨人引力と云ふ題さ」「妙な題だな、僕には意味がわからんね」「引力と云ふ名を持つて居る巨人といふ積りさ」「少し無理な積り〔二字傍点〕だが表題だから先づ負けておくと仕《し》樣《やう》。夫《それ》から早々《さう/\》本文を讀むさ、君は聲が善いから中々面白い」「雜《ま》ぜかへしてはいかんよ」と豫《あらか》じめ念を押して又讀み始める。
  ケートは窓から外面《そと》を眺める。小兒《せうに》が球《たま》を投げて遊んで居る。彼等は高く球を空中に擲《なげう》つ。球は上へ上へとのぼる。暫くすると落ちて來る。彼等は又球を高く擲《なげう》つ。再び三度。擲《なげう》つ度《たび》に球は落ちてくる。何故《なぜ》落ちるのか、何故《なぜ》上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答へる。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は萬物を己《おの》れの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んで仕舞ふ。小兒も飛んで仕舞ふ。葉が落ちるのを見たらう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落す事があらう。巨人引力が來いといふからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくる」
 「それぎりかい」「むゝ、甘《うま》いぢやないか」「いや是は恐れ入つた。飛んだ所でトチメンボー〔六字傍点〕の御返禮に預つた」「御返禮でもなんでもないさ、實際うまいから譯して見たのさ、君はさう思はんかね」と金縁《きんぷち》の眼鏡の奧を見る。「どうも驚ろいたね。君にして此伎倆あらんとは、全く此度《こんど》といふ今度《こんど》は擔がれたよ、降參々々」と一人で承知して一人で喋舌《しやべ》る。主人には一向《いつかう》通じない。「何も君を降參させる考へはないさ。只面白い文章だと思つたから譯して見た許《ばか》りさ」「いや實に面白い。さう來なくつちや本ものでない。凄いものだ。恐縮だ」「そんなに恐縮するには及ばん。僕も近頃は水彩畫をやめたから、其代りに文章でもやらうと思つてね」「どうして遠近無差別《ゑんきんむさべつ》黒白平等《こくびやくびやうどう》の水彩畫の比ぢやない。感服の至りだよ」「さうほめてくれると僕も乘り氣になる」と主人は飽迄も疳違ひをして居る。
 所へ寒月君《かんげつくん》が先日は失禮しましたと這入つて來る。「いや失敬。今大變な名文を拜聽してトチメンボー〔六字傍点〕の亡魂を退治《たいぢ》られた所で」と迷亭先生は譯のわからぬ事をほのめかす。「はあ、さうですか」と是も譯の分らぬ挨拶をする。主人|丈《だけ》は左《さ》のみ浮かれた氣色《けしき》もない。「先日は君の紹介で越智東風《をちとうふう》と云ふ人が來たよ」「あゝ上《あが》りましたか、あの越智東風《をちこち》と云ふ男は至つて正直な男ですが少し變つて居る所があるので、或は御迷惑かと思ひましたが、是非紹介して呉れといふものですから……」「別に迷惑の事もないがね……」「こちらへ上《あが》つても自分の姓名のことについて何か辯じて行きやしませんか」「いゝえ、そんな話もなかつた樣だ」「さうですか、どこへ行つても初對面の人には自分の名前の講釋《かうしやく》をするのが癖でしてね」「どんな講釋をするんだい」と事あれかしと待ち構へた迷亭君は口を入れる。「あの東風《こち》と云ふのを音《おん》で讀まれると大變氣にするので」「はてね」と迷亭先生は金唐皮《きんからかは》の烟草入《たばこいれ》から烟草をつまみ出す。「私《わたく》しの名は越智東風《をちとうふう》ではありません、越智《をち》こち〔二字傍点〕ですと必ず斷りますよ」「妙だね」と雲井《くもゐ》を腹の底迄呑み込む。「それが全く文學熱から來たので、こちと讀むと遠近〔二字傍点〕と云ふ成語《せいご》になる、のみならず其姓名が韻《ゐん》を踏んで居ると云ふのが得意なんです。それだから東風《こち》を音《おん》で讀むと僕が切角の苦心を人が買つて呉れないといつて不平を云ふのです」「こりや成程變つてる」と迷亭先生は圖に乘つて腹の底から雲井を鼻の孔《あな》迄《まで》吐き返す。途中で烟が戸迷《とまど》ひをして咽喉《のど》の出口へ引きかゝる。先生は烟管《きせる》を握つてごほん/\と咽《むせ》び返る。「先日來た時は朗讀會で船頭になつて女學生に笑はれたといつて居たよ」と主人は笑ひながら云ふ。「うむそれ/\」と迷亭先生が烟管《きせる》で膝頭を叩く。吾輩は險呑になつたから少し傍《そば》を離れる。「其朗讀會さ。先達《せんだつ》てトチメンボー〔六字傍点〕を御馳走した時にね。其話しが出たよ。何でも第二回には知名の文士を招待して大會をやる積りだから、先生にも是非御臨席を願ひ度いつて。夫《それ》から僕が今度も近松の世話物をやる積りかいと聞くと、いえ此次はずつと新しい者を撰《えら》んで金色夜叉《こんじきやしや》にしましたと云ふから、君にや何の役が當つてるかと聞いたら私は御宮《おみや》ですといつたのさ。東風《とうふう》の御宮《おみや》は面白からう。僕は是非出席して喝采《かつさい》し樣《やう》と思つてるよ」「面白いでせう」と寒月君が妙な笑ひ方をする。「然しあの男はどこ迄も誠實で輕薄な所がないから好い。迷亭|抔《など》とは大違ひだ」と主人はアンドレア、デル、サルトと孔雀の舌とトチメンボー〔六字傍点〕の復讐《かたき》を一度にとる。迷亭君は氣にも留めない樣子で「どうせ僕|抔《など》は行コ《ぎやうとく》の俎《まないた》と云ふ格だからなあ」と笑ふ。「まづそんな所だらう」と主人が云ふ。實は行コ《ぎやうとく》の俎《まないた》と云ふ語を主人は解《かい》さないのであるが、さすが永年ヘ師をして胡魔化《ごまか》しつけて居るものだから、こんな時にはヘ場の經驗を社交上にも應用するのである。「行コ《ぎやうとく》の俎《まないた》といふのは何の事ですか」と寒月が眞率《しんそつ》に聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の歸りがけに買つて來て挿したのだが、よく持つぢやないか」と行コ《ぎやうとく》の俎《まないた》を無理にねぢ伏せる。「暮といへば、去年の暮に僕は實に不思議な經驗をしたよ」と迷亭が烟管《きせる》を大神樂《だいかぐら》の如く指の尖《さき》で廻はす。「どんな經驗か、聞かし玉へ」と主人は行コ《ぎやうとく》の俎《まないた》を遠く後《うしろ》に見捨てた氣で、ほつと息をつく。迷亭先生の不思議な經驗といふのを聞くと左《さ》の如くである。
 「慥《たし》か暮の二十七日と記憶して居るがね。例の東風《とうふう》から參堂の上是非文藝上の御高話を伺ひたいから御在宿を願ふと云ふ先《さ》き觸《ぶ》れがあつたので、朝から心待ちに待つて居ると先生中々來ないやね。晝飯を食つてストーブの前でバリー、ペーンの滑稽物を讀んで居る所へ靜岡の母から手紙が來たから見ると、年寄|丈《だけ》にいつ迄も僕を小供の樣に思つてね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいゝがストーブを焚いて室《へや》を煖《あたゝ》かにしてやらないと風邪《かぜ》を引くとか色々の注意があるのさ。成程親は難有いものだ、他人ではとてもかうはいかないと、呑氣《のんき》な僕も其時|丈《だけ》は大《おほい》に感動した。それにつけても、こんなにのらくらして居ては勿體ない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きて居るうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云ふ氣になつた。それから猶《なほ》讀んで行くと御前なんぞは實に仕合せ者だ。露西亞《ロシア》と戰爭が始まつて若い人達は大變な辛苦《しんく》をして御國《みくに》の爲に働らいて居るのに節季《せつき》師走《しはす》でもお正月の樣に氣樂に遊んで居ると書いてある。――僕はこれでも母の思つてる樣に遊んぢや居ないやね――其あとへ以て來て、僕の小學校時代の朋友で今度の戰爭に出て死んだり負傷したものゝ名前が列擧してあるのさ。其名前を一々讀んだ時には何だか世の中が味氣《あぢき》なくなつて人間もつまらないと云ふ氣が起つたよ。一番仕舞にね。私《わた》しも取る年に候へば初春《はつはる》の御雜※[者/火]を祝ひ候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、猶《なほ》の事《こと》氣がくさ/\して仕舞つて早く東風《とうふう》が來れば好いと思つたが、先生どうしても來ない。其|中《うち》とう/\晩飯になつたから、母へ返事でも書かうと思つて一寸《ちよいと》十二三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな藝は出來んから、何時《いつ》でも十行内外で御免蒙る事に極めてあるのさ。すると一日動かずに居つたものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風《とうふう》が來たら待たせて置けと云ふ氣になつて、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思ひ給へ。いつになく富士見町の方へは足が向かないで土手三番町《どてさんばんちやう》の方へ我れ知らず出て仕舞つた。丁度其晩は少し曇つて、から風が御濠《おほり》の向《むかふ》から吹き付ける、非常に寒い。神樂坂《かぐらざか》の方から汽車がヒユーと鳴つて土手下を通り過ぎる。大變|淋《さみ》しい感じがする。暮、戰死、老衰、無常迅速|抔《など》と云ふ奴が頭の中をぐる/\馳け廻る。よく人が首を縊《くゝ》ると云ふがこんな時に不圖《ふと》誘はれて死ぬ氣になるのぢやないかと思ひ出す。ちよいと首を上げて土手の上を見ると、何時《いつ》の間《ま》にか例の松の眞下《ました》に來て居るのさ」
 「例の松た、何だい」と主人が斷句《だんく》を投げ入れる。
 「首懸《くびかけ》の松さ」と迷亭は領《えり》を縮める。
 「首懸の松は鴻《こう》の臺《だい》でせう」寒月が波紋《はもん》をひろげる。
 「鴻《こう》の臺《だい》のは鐘懸《かねかけ》の松で、土手三番町のは首懸《くびかけ》の松さ。なぜ斯う云ふ名が付いたかと云ふと、昔《むか》しからの言ひ傳へで誰でも此松の下へ來ると首が縊《くゝ》り度くなる。土手の上に松は何十本となくあるが、そら首縊《くびくゝ》りだと來て見ると必ず此松へぶら下がつて居る。年に二三返は屹度ぶら下がつて居る。どうしても他《ほか》の松では死ぬ氣にならん。見ると、うまい具合に枝が往來の方へ横に出て居る。あゝ好い枝振りだ。あの儘にして置くのは惜しいものだ。どうかしてあすこの所へ人間を下げて見たい、誰か來ないかしらと、四邊《あたり》を見渡すと生憎《あいにく》誰も來ない。仕方がない、自分で下がらうか知らん。いや/\自分が下がつては命がない、危《あぶ》ないからよさう。然し昔の希臘人《ギリシヤじん》は宴會の席で首縊《くびくゝ》りの眞似をして餘興を添へたと云ふ話しがある。一人が臺の上へ登つて繩の結び目へ首を入れる途端に他《ほか》のものが臺を蹴返す。首を入れた當人は臺を引かれると同時に繩をゆるめて飛び下りるといふ趣向《しゆかう》である。果してそれが事實なら別段恐るゝにも及ばん、僕も一つ試み樣《やう》と枝へ手を懸けて見ると好い具合に撓《しわ》る。撓《しわ》り按排《あんばい》が實に美的である。首がかゝつてふわ/\する所を想像して見ると嬉しくて堪らん。是非やる事に仕《し》樣《やう》と思つたが、もし東風《とうふう》が來て待つて居ると氣の毒だと考へ出した。それでは先づ東風《とうふう》に逢つて約束通り話しをして、それから出直さうと云ふ氣になつて遂にうちへ歸つたのさ」
 「それで市《いち》が榮えたのかい」と主人が聞く。
 「面白いですな」と寒月がにや/\しながら云ふ。
 「うちへ歸つて見ると東風《とうふう》は來て居ない。然し今日《こんにち》は無據處《よんどころなき》差支があつて出られぬ、何《いづ》れ永日《えいじつ》御面晤《ごめんご》を期すといふ端書があつたので、やつと安心して、是なら心置きなく首が縊れる嬉しいと思つた。で早速下駄を引き懸けて、急ぎ足で元の所へ引き返して見る……」と云つて主人と寒月の顔を見て濟まして居る。
 「見るとどうしたんだい」と主人は少し焦《じ》れる。
 「愈《いよ/\》佳境に入りますね」と寒月は羽織の紐をひねくる。
 「見ると、もう誰か來て先へぶら下がつて居る。たつた一足違ひでねえ君、殘念な事をしたよ。今考へると何でも其時は死神《しにがみ》に取り着かれたんだね。ゼームス抔《など》に云はせると副意識下《ふくいしきか》の幽冥界《いうめいかい》と僕が存在して居る現實界が一種の因果法によつて互に感應したんだらう。實に不思議な事があるものぢやないか」迷亭はすまし返つて居る。
 主人は又やられたと思ひ乍ら何も云はずに空也餠《くうやもち》を頬張《ほゝば》つて口をもご/\云はして居る。
 寒月は火鉢の灰を丁寧に掻き馴らして、俯向《うつむ》いてにや/\笑つて居たが、やがて口を開《ひら》く。極めて靜かな調子である。
 「成程伺つて見ると不思議な事で一寸有りさうにも思はれませんが、私|抔《など》は自分で矢張り似た樣な經驗をつい近頃したものですから、少しも疑がふ氣になりません」
 「おや君も首を縊《くゝ》り度くなつたのかい」
 「いえ私のは首ぢやないんで。是も丁度明ければ昨年の暮の事でしかも先生と同日同刻位に起つた出來事ですから猶更《なほさら》不思議に思はれます」
 「こりや面白い」と迷亭も空也餠《くうやもち》を頬張る。
 「其日は向島の知人の家《うち》で忘年會|兼《けん》合奏會がありまして、私もそれへ?イオリンを携《たづさ》へて行きました。十五六人令孃やら令夫人が集つて中々盛會で、近來の快事と思ふ位に萬事が整つて居ました。晩餐もすみ合奏もすんで四方《よも》の話しが出て時刻も大分《だいぶ》遲くなつたから、もう暇乞《いとまごひ》をして歸らうかと思つて居ますと、某博士の夫人が私のそばへ來てあなたは○○子さんの御病氣を御承知ですかと小聲で聞きますので、實は其|兩三日前《りやうさんにちまへ》に逢つた時は平常の通り何所《どこ》も惡い樣には見受けませんでしたから、私も驚ろいて精《くは》しく樣子を聞いて見ますと、私《わたく》しの逢つた其晩から急に發熱して、色々な譫語《うはこと》を絶間なく口走《くちばし》るさうで、其それ丈《だけ》なら宜《い》いですが其|譫語《うはこと》のうちに私の名が時々出て來るといふのです」
 主人は無論、迷亭先生も「御安《おやす》くないね」抔《など》といふ月並《つきなみ》は云はず、靜肅に謹聽して居る。
 「醫者を呼んで見てもらうと、何だか病名はわからんが、何しろ熱が劇しいので腦を犯して居るから、もし睡眠劑《すゐみんざい》が思ふ樣に功を奏しないと危險であると云ふ診斷ださうで私はそれを聞くや否や一種いやな感じが起つたのです。丁度夢でうなされる時の樣な重くるしい感じで周圍の空氣が急に固形體になつて四方から吾が身をしめつける如く思はれました。歸り道にも其事ばかりが頭の中にあつて苦しくて堪らない。あの奇麗な、あの快活なあの健康な○○子さんが……」
 「一寸失敬だが待つて呉れ給へ。先《さ》つきから伺つて居ると○○子さんと云ふのが二返ばかり聞える樣だが、もし差支がなければ承はりたいね、君」と主人を顧みると、主人も「うむ」と生返事をする。
 「いやそれ丈《だけ》は當人の迷惑になるかも知れませんから廢《よ》しませう」
 「凡《すべ》て曖々然《あい/\ぜん》として昧々然《まい/\ぜん》たるかたで行く積りかね」
 「冷笑なさつてはいけません、極《ごく》眞面目な話しなんですから……兎に角あの婦人が急にそんな病氣になつた事を考へると、實に飛花落葉《ひくわらくえふ》の感慨で胸が一杯になつて、總身《そうしん》の活氣が一度にストライキを起した樣に元氣がにはかに滅入《めい》つて仕舞ひまして、只|蹌々《さう/\》として踉々《らう/\》といふ形《かた》ちで吾妻橋《あづまばし》へきかゝつたのです。欄干に倚《よ》つて下を見ると滿潮《まんてう》か干潮《かんてう》か分りませんが、黒い水がかたまつて只動いて居る樣に見えます。花川戸《はなかはど》の方から人力車が一臺馳けて來て橋の上を通りました。其提燈の火を見送つて居ると、だん/\小くなつて札幌《さつぽろ》ビールの處で消えました。私は又水を見る。すると遙かの川上の方で私の名を呼ぶ聲が聞えるのです。果《は》てな今時分人に呼ばれる譯はないが誰だらうと水の面《おもて》をすかして見ましたが暗くて何《なん》にも分りません。氣のせいに違ひない早々《さう/\》歸らうと思つて一足二足あるき出すと、又|微《かす》かな聲で遠くから私の名を呼ぶのです。私は又立ち留つて耳を立てゝ聞きました。三度目に呼ばれた時には欄干に捕《つか》まつて居ながら膝頭ががく/\悸《ふる》へ出したのです。其聲は遠くの方か、川の底から出る樣ですが紛《まぎ》れもない○○子の聲なんでせう。私は覺えず「はーい」と返事をしたのです。其返事が大きかつたものですから靜かな水に響いて、自分で自分の聲に驚かされて、はつと周圍を見渡しました。人も犬も月も何《なん》にも見えません。其時に私は此「夜《よる》」の中に卷き込まれて、あの聲の出る所へ行きたいと云ふ氣がむら/\と起つたのです。○○子の聲が又苦しさうに、訴へる樣に、救を求める樣に私の耳を刺し通したので、今度は「今|直《すぐ》に行きます」と答へて欄干から半身を出して黒い水を眺めました。どうも私を呼ぶ聲が浪の下から無理に洩れて來る樣に思はれましてね。此水の下だなと思ひながら私はとう/\欄干の上に乘りましたよ。今度呼んだら飛び込まうと決心して流を見詰めて居ると又憐れな聲が糸の樣に浮いて來る。こゝだと思つて力を込めて一反《いつたん》飛び上がつて置いて、そして小石か何ぞの樣に未練《みれん》なく落ちて仕舞ひました」
 「とう/\飛び込んだのかい」と主人が眼をぱちつかせて問ふ。
 「其所迄行かうとは思はなかつた」と迷亭が自分の鼻の頭を一寸《ちよいと》つまむ。
 「飛び込んだ後《あと》は氣が遠くなつて、しばらくは夢中でした。やがて眼がさめて見ると寒くはあるが、どこも濡れた所《とこ》も何もない、水を飲んだ樣な感じもしない。慥《たし》かに飛び込んだ筈だが實に不思議だ。こりや變だと氣が付いて其所いらを見渡すと驚きましたね。水の中へ飛び込んだ積りで居た所が、つい間違つて橋の眞中へ飛び下りたので、其時は實に殘念でした。前と後《うし》ろの間違|丈《だけ》であの聲の出る所へ行く事が出來なかつたのです」寒月はにや/\笑ひながら例の如く羽織の紐を荷厄介《にやくかい》にして居る。
 「ハヽヽヽ是は面白い。僕の經驗と善く似て居る所が奇だ。矢張りゼームスヘ授の材料になるね。人間の感應と云ふ題で寫生文にしたら屹度文壇を驚かすよ。……そして其○○子さんの病氣はどうなつたかね」と迷亭先生が追窮する。
 「二三日前《にさんちまへ》年始に行きましたら、門の内で下女と羽根を突いて居ましたから病氣は全快したものと見えます」
 主人は最前から沈思の體《てい》であつたが、此時漸く口を開いて、「僕にもある」と負けぬ氣を出す。
 「あるつて、何があるんだい」迷亭の眼中に主人|抔《など》は無論ない。
 「僕のも去年の暮の事だ」
 「みんな去年の暮は暗合《あんがふ》で妙ですな」と寒月が笑ふ。缺けた前齒のふちに空也餠《くうやもち》が着いて居る。
 「矢張り同日同刻ぢやないか」と迷亭がまぜ返す。
 「いや日は違ふ樣だ。何でも二十日《はつか》頃だよ。細君が御歳暮の代りに攝津大掾《せつつだいじやう》を聞かして呉れろと云ふから、連れて行つてやらん事もないが今日の語り物は何だと聞いたら、細君が新聞を參考して鰻谷《うなぎだに》だと云ふのさ。鰻谷《うなぎだに》は嫌ひだから今日はよさうと其日はやめにした。翌日になると細君が又新聞を持つて來て今日は堀川《ほりかは》だからいゝでせうと云ふ。堀川《ほりかは》は三味線もので賑やかな許《ばか》りで實《み》がないからよさうと云ふと、細君は不平な顔をして引き下がつた。其翌日になると細君が云ふには今日は三十三間堂です、私は是非攝津《せつつ》の三十三間堂が聞きたい。あなたは三十三間堂も御嫌ひか知らないが、私に聞かせるのだから一所に行つて下すつても宜《い》いでせうと手詰《てづめ》の談判をする。御前がそんなに行きたいなら行つても宜ろしい、然し一世一代と云ふので大變な大入だから到底|突懸《つつか》けに行つたつて這入れる氣遣はない。元來あゝ云ふ場所へ行くには茶屋と云ふものが在つてそれと交渉して相當の席を豫約するのが正當の手續きだから、それを踏まないで常規を脱した事をするのはよくない、殘念だが今日はやめ樣《やう》と云ふと、細君は凄い眼付をして、私は女ですからそんな六づか敷《し》い手續きなんか知りませんが、大原のお母あさんも、鈴木の君代さんも正當の手續きを踏まないで立派に聞いて來たんですから、いくらあなたがヘ師だからつて、さう手數《てすう》のかゝる見物をしないでも濟みませう、あなたはあんまりだと泣く樣《やう》な聲を出す。それぢや駄目でもまあ行く事に仕《し》樣《やう》。晩飯をくつて電車で行かうと降參をすると、行くなら四時迄に向《むかふ》へ着く樣にしなくつちや行《い》けません、そんなぐづ/\しては居られませんと急に勢がいゝ。何故《なぜ》四時迄に行かなくては駄目なんだと聞き返すと、其位早く行つて場所をとらなくちや這入れないからですと鈴木の君代さんからヘへられた通りを述べる。それぢや四時を過ぎればもう駄目なんだねと念を押して見たら、えゝ駄目ですともと答へる。すると君不思議な事には其時から急に惡寒《をかん》がし出してね」
 「奧さんがですか」と寒月が聞く。
 「なに細君はぴん/\して居らあね。僕がさ。何だか穴の明いた風船玉の樣に一度に萎縮《ゐしゆく》する感じが起ると思ふと、もう眼がぐら/\して動けなくなつた」
 「急病だね」と迷亭が註釋を加へる。
 「あゝ困つた事になつた。細君が年に一度の願だから是非|叶《かな》へてやりたい。平生《いつも》叱りつけたり、口を聞かなかつたり、身上《しんしやう》の苦勞をさせたり、小供の世話をさせたりする許《ばか》りで何一つ洒掃薪水《さいさうしんすゐ》の勞に酬《むく》いた事はない。今日は幸ひ時間もある、嚢中《なうちゆう》には四五枚の堵物《とぶつ》もある。連れて行けば行かれる。細君も行きたいだらう、僕も連れて行つてやりたい。是非連れて行つてやり度いがかう惡寒《をかん》がして眼がくらんでは電車へ乘る所か、靴脱《くつぬぎ》へ降りる事も出來ない。あゝ氣の毒だ/\と思ふと猶《なほ》惡寒《をかん》がして猶《なほ》眼がくらんでくる。早く醫者に見てもらつて服藥でもしたら四時前には全快するだらうと、それから細君と相談をして甘木《あまき》醫學士を迎ひにやると生憎《あいにく》昨夜《ゆうべ》が當番でまだ大學から歸らない。二時頃には御歸りになりますから、歸り次第すぐ上げますと云ふ返事である。困つたなあ、今|杏仁水《きやうにんすゐ》でも飲めば四時前には屹度癒るに極つて居るんだが、運の惡い時には何事も思ふ樣に行かんもので、たまさか妻君の喜ぶ笑顔を見て樂まうと云ふ豫算も、がらりと外《はづ》れさうになつて來る。細君は恨めしい顔付をして、到底入らつしやれませんかと聞く。行くよ必ず行くよ。四時迄には屹度直つて見せるから安心して居るがいゝ。早く顔でも洗つて着物でも着換へて待つて居るがいゝ、と口では云つた樣なものゝ胸中は無限の感慨である。惡寒は益《ます/\》劇しくなる、眼は愈《いよ/\》ぐら/\する。もしや四時迄に全快して約束を履行する事が出來なかつたら、氣の狹い女の事だから何をするかも知れない。情《なさ》けない仕儀になつて來た。どうしたら善からう。萬一の事を考へると今の内に有爲轉變《うゐてんぺん》の理、生者必滅《しやうじやひつめつ》の道を説き聞かして、もしもの變が起つた時取り亂さない位の覺悟をさせるのも、夫《をつと》の妻《つま》に對する義務ではあるまいかと考へ出した。僕は速《すみや》かに細君を書齋へ呼んだよ。呼んで御前は女だけれども many a slip 'twixt the cup and the lip と云ふ西洋の諺《ことわざ》位は心得て居るだらうと聞くと、そんな横文字なんか誰が知るもんですか、あなたは人が英語を知らないのを御存じの癖にわざと英語を使つて人にからかふのだから、宜しう御座います、どうせ英語なんかは出來ないんですから。そんなに英語が御好きなら、なぜ耶蘇學校《やそがくかう》の卒業生かなんかをお貰ひなさらなかつたんです。あなた位冷酷な人はありはしないと非常な權幕なんで、僕も切角の計畫の腰を折られて仕舞つた。君等にも辯解するが僕の英語は決して惡意で使つた譯ぢやない。全く妻《さい》を愛する至情から出たので、それを妻《さい》の樣に解釋されては僕も立つ瀬がない。それに先《さ》つきからの惡寒《をかん》と眩暈《めまひ》で少し腦が亂れて居た所へもつて來て、早く有爲轉變《うゐてんぺん》、生者必滅《しやうじやひつめつ》の理を呑み込ませ樣と少し急《せ》き込んだものだから、つい細君の英語を知らないと云ふ事を忘れて、何の氣も付かずに使つて仕舞つた譯さ。考へると是は僕が惡《わ》るい、全く手落ちであつた。此失敗で惡寒《をかん》は益《ます/\》強くなる。眼は愈《いよ/\》ぐら/\する。妻君は命ぜられた通り風呂場へ行つて兩肌《もろはだ》を脱いで御化粧をして、箪笥から着物を出して着換へる。もう何時《いつ》でも出掛けられますと云ふ風情《ふぜい》で待ち構へて居る。僕は氣が氣でない。早く甘木君が來てくれゝば善いがと思つて時計を見るともう三時だ。四時にはもう一時間しかない。「そろ/\出掛けませうか」と妻君が書齋の開き戸を明けて顔を出す。自分の妻《さい》を褒《ほ》めるのは可笑《をか》しい樣であるが、僕は此時程細君を美しいと思つた事はなかつた。もろ肌を脱いで石鹸で磨き上げた皮膚がぴかついて黒縮緬《くろちりめん》の羽織と反映して居る。其顔が石鹸と攝津大掾《せつつだいじよう》を聞かうと云ふ希望との二つで、有形無形の兩方面から輝やいて見える。どうしても其希望を滿足させて出掛けてやらうと云ふ氣になる。それぢや奮發して行かうかな、と一ぷくふかして居ると漸く甘木先生が來た。うまい注文通りに行つた。が容體をはなすと、甘木先生は僕の舌を眺めて、手を握つて、胸を敲《たゝ》いて脊を撫でゝ、目縁《まぶち》を引つ繰り返して、頭蓋骨《づがいこつ》をさすつて、しばらく考へ込んで居る。「どうも少し險呑《けんのん》の樣な氣がしまして」と僕が云ふと、先生は落ちついて、「いえ格別の事も御座いますまい」と云ふ。「あの一寸位外出致しても差支は御座いますまいね」と細君が聞く。「左樣《さやう》」と先生は又考へ込む。「御氣分さへ御惡くなければ……」「氣分は惡いですよ」と僕がいふ。「ぢやともかくも頓服《とんぷく》と水藥《すゐやく》を上げますから」「へえどうか、何だかちと、危《あぶ》ない樣になりさうですな」「いや決して御心配になる程の事ぢや御座いません、神經を御起しになるといけませんよ」と先生が歸る。三時は三十分過ぎた。下女を藥取りにやる。細君の嚴命で馳け出して行つて、馳け出して返つてくる。四時十五分前である。四時にはまだ十五分ある。すると四時十五分前頃から、今迄何とも無かつたのに、急に嘔氣《はきけ》を催ふして來た。細君は水藥《すゐやく》を茶碗へ注《つ》いで僕の前へ置いてくれたから、茶碗を取り上げて飲まうとすると、胃の中からげーと云ふ者が吶喊《とつかん》して出てくる。不得已《やむをえず》茶碗を下へ置く。細君は「早く御飲みになつたら宜《い》いでせう」と逼《せま》る。早く飲んで早く出掛けなくては義理が惡い。思ひ切つて飲んで仕舞はうと又茶碗を唇へつけると又ゲーが執念深く妨害をする。飲まうとしては茶碗を置き、飲まうとしては茶碗を置いて居ると茶の間の柱時計がチン/\チン/\と四時を打つた。さあ四時だ愚圖々々しては居られんと茶碗を又取り上げると、不思議だねえ君、實に不思議とは此事だらう、四時の音と共に吐《は》き氣《け》がすつかり留まつて水藥《すゐやく》が何の苦なしに飲めたよ。それから四時十分頃になると、甘木先生の名醫といふ事も始めて理解する事が出來たんだが、脊中がぞく/\するのも、眼がぐら/\するのも夢の樣に消えて、當分立つ事も出來まいと思つた病氣が忽ち全快したのは嬉しかつた」
 「それから歌舞伎座へ一所に行つたのかい」と迷亭が要領を得んと云ふ顔付をして聞く。
 「行きたかつたが四時を過ぎちや、這入れないと云ふ細君の意見なんだから仕方がない、やめにしたさ。もう十五分|許《ばか》り早く甘木先生が來てくれたら僕の義理も立つし、妻《さい》も滿足したらうに、わずか十五分の差でね、實に殘念な事をした。考へ出すとあぶない所だつたと今でも思ふのさ」
 語り了つた主人は漸く自分の義務を濟ました樣な風をする。是で兩人に對して顔が立つと云ふ氣かも知れん。
 寒月は例の如く缺けた齒を出して笑ひながら「それは殘念でしたな」と云ふ。
 迷亭はとぼけた顔をして「君の樣な親切な夫《をつと》を持つた妻君は實に仕合せだな」と獨り言の樣にいふ。障子の蔭でエヘンと云ふ細君の咳拂《せきばら》ひが聞える。
 吾輩は大人《おとな》しく三人の話しを順番に聞いて居たが可笑《をか》しくも悲しくもなかつた。人間といふものは時間を潰す爲めに強いて口を運動させて、可笑《をか》しくもない事を笑つたり、面白くもない事を嬉しがつたりする外に能もない者だと思つた。吾輩の主人の我儘で偏狹な事は前から承知して居たが、平常《ふだん》は言葉數を使はないので何だか了解しかねる點がある樣に思はれて居た。其了解しかねる點に少しは恐しいと云ふ感じもあつたが、今の話を聞いてから急に輕蔑したくなつた。彼《か》れはなぜ兩人の話しを沈黙して聞いて居られないのだらう。負けぬ氣になつて愚《ぐ》にもつかぬ駄辯を弄すれば何の所得があるだらう。エピクテタスにそんな事を爲《し》ろと書いてあるのか知らん。要するに主人も寒月も迷亭も太平《たいへい》の逸民《いつみん》で、彼等は糸瓜《へちま》の如く風に吹かれて超然と澄《すま》し切つて居る樣なものゝ、其實は矢張り娑婆氣《しやばけ》もあり慾氣《よくけ》もある。競爭の念、勝たう/\の心は彼等が日常の談笑中にもちら/\とほのめいて、一歩進めば彼等が平常罵倒して居る俗骨共《ぞくこつども》と一つ穴の動物になるのは猫より見て氣の毒の至りである。只其言語動作が普通の半可通《はんかつう》の如く、文切《もんき》り形《がた》の厭味を帶びてないのは聊《いさゝ》かの取《と》り得《え》でもあらう。
 かう考へると急に三人の談話が面白くなくなつたので、三毛子の樣子でも見て來《き》やうかと二絃琴の御師匠さんの庭口へ廻る。門松《かどまつ》注目飾《しめかざ》りは既に取り拂はれて正月も早《は》や十日となつたが、うらゝかな春日《はるび》は一流れの雲も見えぬ深き空より四海天下を一度に照らして、十坪に足らぬ庭の面《おも》も元日の曙光を受けた時より鮮かな活氣を呈して居る。椽側に座蒲團が一つあつて人影も見えず、障子も立て切つてあるのは御師匠さんは湯にでも行つたのか知らん。御師匠さんは留守でも構はんが、三毛子は少しは宜《い》い方か、それが氣掛りである。ひつそりして人の氣合《けはひ》もしないから、泥足のまゝ椽側へ上《あが》つて座蒲團の眞中へ寐轉《ねこ》ろんで見るといゝ心持ちだ。ついうと/\として、三毛子の事も忘れてうたゝ寐をして居ると、急に障子のうちで人聲がする。
 「御苦勞だつた。出來たかえ」御師匠さんは矢張り留守ではなかつたのだ。
 「はい遲くなりまして、佛師屋《ぶつしや》へ參りましたら丁度出來上つた所だと申しまして」「どれお見せなさい。あゝ奇麗に出來た、是で三毛も浮かばれませう。金《きん》は剥げる事はあるまいね」「えゝ念を押しましたら上等を使つたから是なら人間の位牌よりも持つと申しておりました。……夫《それ》から猫譽信女《めうよしんによ》の譽の字は崩《くず》した方が恰好《かつかう》がいゝから少し劃を易へたと申しました」「どれ/\早速御佛壇へ上げて御線香でもあげませう」
 三毛子は、どうかしたのかな、何だか樣子が變だと蒲團の上へ立ち上る。チーン南無猫譽信女《なむめうよしんによ》、南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》/\と御師匠さんの聲がする。
 「御前も回向《ゑかう》をして御遣りなさい」
 チーン南無猫譽信女《なむめうよしんによ》南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》/\と今度は下女の聲がする。吾輩は急に動悸《どうき》がして來た。座蒲團の上に立つた儘、木彫《きぼり》の猫の樣に眼も動かさない。
 「ほんとに殘念な事を致しましたね。始めはちよいと風邪を引いたんで御座いませうがねえ」「甘木さんが藥でも下さると、よかつたかも知れないよ」「一體あの甘木さんが惡う御座いますよ、あんまり三毛を馬鹿にし過ぎまさあね」「さう人樣《ひとさま》の事を惡く云ふものではない。是も壽命《じゆみやう》だから」
 三毛子も甘木先生に診察して貰つたものと見える。
 「つまる所表通りのヘ師のうちの野良猫《のらねこ》が無暗《むやみ》に誘ひ出したからだと、わたしは思ふよ」「えゝあの畜生《ちきしやう》が三毛のかたきで御座いますよ」
 少し辯解したかつたが、こゝが我慢のし所《どころ》と唾《つば》を呑んで聞いて居る。話しはしばし途切れる。
 「世の中は自由にならん者でなう。三毛の樣な器量よしは早死《はやじに》をするし。不器量な野良猫《のらねこ》は達者でいたづらをして居るし……」「其通りで御座いますよ。三毛の樣な可愛らしい猫は鐘と太鼓で探してあるいたつて、二人《ふたり》とは居りませんからね」
 二匹と云ふ代りに二《ふ》たりといつた。下女の考へでは猫と人間とは同種族ものと思つて居るらしい。さう云へば此下女の顔は吾等|猫屬《ねこぞく》と甚だ類似して居る。
 「出來るものなら三毛の代りに……」「あのヘ師の所の野良《のら》が死ぬと御誂《おあつら》へ通りに參つたんで御座いますがねえ」
 御誂《おあつら》へ通りになつては、ちと困る。死ぬと云ふ事はどんなものか、まだ經驗した事がないから好きとも嫌ひとも云へないが、先日餘り寒いので火消壺《ひけしつぼ》の中へもぐり込んで居たら、下女が吾輩が居るのも知らんで上から葢《ふた》をした事があつた。其時の苦しさは考へても恐しくなる程であつた。白君の説明によるとあの苦しみが今少し續くと死ぬのであるさうだ。三毛子の身代《みがは》りになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬ事が出來ないのなら、誰の爲でも死にたくはない。
 「然し猫でも坊さんの御經を讀んでもらつたり、戒名《かいみやう》をこしらへてもらつたのだから心殘りはあるまい」「さうで御座いますとも、全く果報者《くわはうもの》で御座いますよ。たゞ慾を云ふとあの坊さんの御經が餘り輕少だつた樣で御座いますね」「少し短か過ぎた樣だつたから、大變御早う御座いますねと御尋ねをしたら、月桂寺《げつけいじ》さんは、えゝ利目《きゝめ》のある所をちよいとやつて置きました、なに猫だからあの位で充分淨土へ行かれますと御仰《おつし》あつたよ」「あらまあ……然しあの野良なんかは……」
 吾輩は名前はないと?《しばし》ば斷つて置くのに、此下女は野良/\と吾輩を呼ぶ。失敬な奴だ。
 「罪が深いんですから、いくら難有《ありがた》い御經だつて浮かばれる事は御座いませんよ」
 吾輩は其《その》後《ご》野良が何百遍繰り返されたかを知らぬ。吾輩は此際限なき談話を中途で聞き棄てゝ、布團をすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八萬八千八百八十本の毛髪を一度にたてゝ身震ひをした。其《その》後《ご》二絃琴の御師匠さんの近所へは寄り付いた事がない。今頃は御師匠さん自身が月桂寺さんから輕少な御回向《ごゑかう》を受けて居るだらう。
 近頃は外出する勇氣もない。何だか世間が慵《もの》うく感ぜらるゝ。主人に劣らぬ程の無性猫《ぶしやうねこ》となつた。主人が書齋にのみ閉ぢ籠つて居るのを人が失戀だ/\と評するのも無理はないと思ふ樣になつた。
 鼠はまだ取つた事がないので、一時は御三《おさん》から放逐論《はうちくろん》さへ呈出《ていしゆつ》された事もあつたが、主人は吾輩の普通一般の猫でないと云ふ事を知つて居るものだから吾輩は矢張りのらくらして此|家《や》に起臥して居る。此點に就ては深く主人の恩を感謝すると同時に其|活眼《くわつがん》に對して敬服の意を表するに躊躇しない積りである。御三《おさん》が吾輩を知らずして虐待をするのは別に腹も立たない。今に左甚五郎《ひだりじんごらう》が出て來て、吾輩の肖像を樓門《ろうもん》の柱に刻《きざ》み、日本のスタンランが好んで吾輩の似顔をカン?スの上に描《ゑが》く樣になつたら、彼等|鈍瞎漢《どんかつかん》は始めて自己の不明を耻づるであらう。
 
     三
 
 三毛子は死ぬ。黒は相手にならず、聊《いさゝ》か寂寞《せきばく》の感はあるが、幸ひ人間に知己《ちき》が出來たので左程《さほど》退屈とも思はぬ。先達《せんだつ》ては主人の許《もと》へ吾輩の寫眞を送つて呉れと手紙で依頼した男がある。此間は岡山の名産|吉備團子《きびだんご》を態々《わざ/\》吾輩の名宛で屆けてくれた人がある。段々人間から同情を寄せらるゝに從つて、己《おのれ》が猫である事は漸く忘却してくる。猫よりはいつの間《ま》にか人間の方へ接近して來た樣な心持になつて、同族を糾合《きふがう》して二本足の先生と雌雄《しゆう》を決しやう抔《など》と云ふ量見は昨今の所|毛頭《まうとう》ない。夫《それ》のみか折々は吾輩も亦人間世界の一人だと思ふ折さへある位に進化したのは頼母《たのも》しい。敢て同族を輕蔑する次第ではない。只《たゞ》性情の近き所に向つて一身の安きを置くは勢の然らしむる所で、是を變心とか、輕薄とか、裏切りとか評せられては些《ち》と迷惑する。斯樣《かやう》な言語を弄して人を罵詈《ばり》するものに限つて融通の利かぬ貧乏性の男が多い樣だ。かう猫の習癖を脱化して見ると三毛子〔三字傍点〕や黒〔傍点〕の事|許《ばか》り荷厄介にして居る譯には行かん。矢張り人間同等の氣位《きぐらゐ》で彼等の思想、言行を評隲《ひやうしつ》したくなる。是も無理はあるまい。只其位な見識を有して居る吾輩を矢張り一般|猫兒《べうじ》の毛の生へたもの位に思つて、主人が吾輩に一言《いちごん》の挨拶もなく、吉備團子《きびだんご》をわが物顔に喰ひ盡したのは殘念の次第である。寫眞もまだ撮《と》つて送らぬ容子だ。是も不平と云へば不平だが、主人は主人、吾輩は吾輩で、相互の見解が自然|異《こと》なるのは致し方もあるまい。吾輩はどこ迄も人間になり濟まして居るのだから、交際をせぬ猫の動作は、どうしても一寸《ちよいと》筆に上《のぼ》りにくい。迷亭、寒月諸先生の評判|丈《だけ》で御免蒙る事に致さう。
 今日は上天氣の日曜なので、主人はのそ/\書齋から出て來て、吾輩の傍《そば》へ筆《ふで》硯《すずり》と原稿用紙を並べて腹這《はらばひ》になつて、しきりに何か唸つて居る。大方草稿を書き卸す序開《じよびら》きとして妙な聲を發するのだらうと注目して居ると、稍《やゝ》暫くして筆太《ふでぶと》に「香一?《かういつしゆ》」とかいた。果てな詩になるか、俳句になるか、香一?《かういつしゆ》とは、主人にしては少し洒落《しやれ》過ぎて居るがと思ふ間もなく、彼は香一?《かういつしゆ》を書き放しにして、新たに行《ぎやう》を改めて「さつきから天然居士《てんねんこじ》の事をかゝうと考へて居る」と筆を走らせた。筆は夫《それ》丈《だけ》ではたと留つたぎり動かない。主人は筆を持つて首を捻《ひね》つたが別段名案もないものと見えて筆の穗を甞《な》めだした。唇が眞黒になつたと見て居ると、今度は其下へ一寸《ちよいと》丸をかいた。丸の中へ點を二つうつて眼をつける。眞中へ小鼻の開いた鼻をかいて、眞一文字に口を横へ引張つた、是では文章でも俳句でもない。主人も自分で愛想《あいそ》が盡きたと見えて、そこ/\に顔を塗り消して仕舞つた。主人は又|行《ぎやう》を改める。彼の考によると行さへ改めれば詩か賛か語か録か何《なん》かになるだらうと只|宛《あて》もなく考へて居るらしい。やがて「天然居士は空間を研究し、論語を讀み、燒芋を食ひ、鼻汁《はな》を垂らす人である」と言文一致體で一氣呵成《いつきかせい》に書き流した、何となくごた/\した文章である。夫《それ》から主人は是を遠慮なく朗讀して、いつになく「ハヽヽヽ面白い」と笑つたが「鼻汁《はな》を垂らすのは、ちと酷《こく》だから消さう」と其句|丈《だけ》へ棒を引く。一本で濟む所を二本引き三本引き、奇麗な併行線を描《か》く、線がほかの行《ぎやう》迄《まで》食《は》み出しても構はず引いて居る。線が八本並んでもあとの句が出來ないと見えて、今度は筆を捨てゝ髭を捻《ひね》つて見る。文章を髭から捻《ひね》り出して御覽に入れますと云ふ見幕で猛烈に捻《ひね》つてはねぢ上げ、ねぢ下ろして居る所へ、茶の間から妻君《さいくん》が出て來てぴたりと主人の鼻の先へ坐《す》はる。「あなた一寸」と呼ぶ。「なんだ」と主人は水中で銅鑼《どら》を叩く樣な聲を出す。返事が氣に入らないと見えて妻君は又「あなた一寸」と出直す。「なんだよ」と今度は鼻の穴へ親指と人さし指を入れて鼻毛をぐつと拔く。「今月はちつと足りませんが……」「足りん筈はない、醫者へも藥禮はすましたし、本屋へも先月拂つたぢやないか。今月は餘らなければならん」と濟《すま》して拔き取つた鼻毛を天下の奇觀の如く眺めて居る。「夫《それ》でもあなたが御飯を召し上らんで?麭《パン》を御食《おた》べになつたり、ジヤムを御舐《おな》めになるものですから」「元來ジヤムは幾罐|舐《な》めたのかい」「今月は八つ入《い》りましたよ」「八つ? そんなに舐《な》めた覺えはない」「あなた許《ばか》りぢやありません、子供も舐《な》めます」「いくら舐《な》めたつて五六圓位なものだ」と主人は平氣な顔で鼻毛を一本/\丁寧に原稿紙の上へ植付ける。肉が付いて居るのでぴんと針を立てた如くに立つ。主人は思はぬ發見をして感じ入つた體《てい》で、ふつと吹いて見る。粘着力《ねんちやくりよく》が強いので決して飛ばない。「いやに頑固だな」と主人は一生懸命に吹く。「ジヤム許《ばか》りぢやないんです、外に買はなけりや、ならない物もあります」と妻君は大《おほい》に不平な氣色《けしき》を兩頬に漲《みなぎ》らす。「あるかも知れないさ」と主人は又指を突つ込んでぐいと鼻毛を拔く。赤いのや、黒いのや、種々の色が交《まじ》る中に一本眞白なのがある。大《おほい》に驚いた樣子で穴の開《あ》く程眺めて居た主人は指の股へ挾んだ儘、其鼻毛を妻君の顔の前へ出す。「あら、いやだ」と妻君は顔をしかめて、主人の手を突き戻す。「一寸見ろ、鼻毛の白髪《しらが》だ」と主人は大《おほい》に感動した樣子である。さすがの妻君も笑ひながら茶の間へ這入る。經濟問題は斷念したらしい。主人は又|天然居士《てんねんこじ》に取り懸る。
 鼻毛で妻君を追拂つた主人は、先づ是で安心と云はぬ許《ばか》りに鼻毛を拔いては原稿をかゝうと焦《あせ》る體《てい》であるが中々筆は動かない。「燒芋を食ふ〔五字傍点〕も蛇足《だそく》だ、割愛《かつあい》しやう」と遂に此句も抹殺《まつさつ》する。「香一?〔三字傍点〕も餘り唐突《たうとつ》だから已《や》めろ」と惜氣もなく筆誅《ひつちゆう》する。餘す所は「天然居士は空間を研究し論語を讀む人である」と云ふ一句になつて仕舞つた。主人は是では何だか簡單過ぎる樣だなと考へて居たが、えゝ面倒臭い、文章は御廢《おはい》しにして、銘|丈《だけ》にしろと、筆を十文字に揮《ふる》つて原稿紙の上へ下手な文人畫の蘭を勢よくかく。切角の苦心も一字殘らず落第となつた。夫《それ》から裏を返して「空間に生れ、空間を究《きは》め、空間に死す。空たり間たり天然居士|噫《あゝ》」と意味不明な語を連《つら》ねて居る所へ例の如く迷亭が這入つて來る。迷亭は人の家《うち》も自分の家《うち》も同じものと心得て居るのか案内も乞はず、づか/\上つてくる、のみならず時には勝手口から飄然《へうぜん》と舞ひ込む事もある、心配、遠慮、氣兼《きがね》、苦勞、を生れる時どこかへ振り落した男である。
 「又巨人引力〔四字傍点〕かね」と立つた儘主人に聞く。「さう、何時《いつ》でも巨人引力〔四字傍点〕|許《ばか》り書いては居らんさ。天然居士〔四字傍点〕の墓銘を撰《せん》して居る所なんだ」と大袈裟な事を云ふ。「天然居士〔四字傍点〕と云ふなあ矢張り偶然童子〔四字傍点〕の樣な戒名かね」と迷亭は不相變《あひいかわらず》出鱈目《でたらめ》を云ふ。「偶然童子〔四字傍点〕と云ふのもあるのかい」「なに有りやしないが先づ其見當だらうと思つて居らあね」「偶然童子〔四字傍点〕と云ふのは僕の知つたものぢやない樣だが天然居士〔四字傍点〕と云ふのは、君の知つてる男だぜ」「一體だれが天然居士〔四字傍点〕なんて名を付けて濟まして居るんだい」「例の曾呂崎《そろさき》の事だ。卒業して大學院へ這入つて空間論〔三字傍点〕と云ふ題目で研究して居たが、餘り勉強し過ぎて腹膜炎で死んで仕舞つた。曾呂崎《そろさき》はあれでも僕の親友なんだからな」「親友でもいゝさ、決して惡いとは云やしない。然し其|曾呂崎《そろさき》を天然居士《てんねんこじ》に變化させたのは一體誰の所作《しよさ》だい」「僕さ、僕がつけてやつたんだ。元來坊主のつける戒名程俗なものは無いからな」と天然居士は餘程|雅《が》な名の樣に自慢する。迷亭は笑ひながら「まあ其|墓碑銘《ぼひめい》と云ふ奴を見せ給へ」と原稿を取り上げて「何だ……空間に生れ、空間を究《きは》め、空間に死す。空たり間たり天然居士|噫《あゝ》」と大きな聲で讀み上《あげ》る。「成程|是《これ》あ善《い》い、天然居士相當の所だ」主人は嬉しさうに「善いだらう」と云ふ。「此|墓銘《ぼめい》を澤庵石《たくあんいし》へ彫《ほ》り付けて本堂の裏手へ力石《ちからいし》の樣に抛《はふ》り出して置くんだね。雅《が》でいゝや、天然居士も浮かばれる譯だ」「僕もさう仕《し》樣《やう》と思つて居るのさ」と主人は至極眞面目に答へたが「僕あ一寸失敬するよ、ぢき歸るから猫にでもからかつて居て呉れ給へ」と迷亭の返事も待たず風然《ふうぜん》と出て行く。
 計らずも迷亭先生の接待掛りを命ぜられて無愛想《ぶあいそ》な顔もして居られないから、ニヤー/\と愛嬌を振り蒔いて膝の上へ這ひ上《あが》つて見た。すると迷亭は「イヨー大分《だいぶ》肥《ふと》つたな、どれ」と無作法にも吾輩の襟髪《えりがみ》を攫《つか》んで宙へ釣るす。「あと足を斯うぶら下げては、鼠は取れさうもない、……どうです奧さん此猫は鼠を捕りますかね」と吾輩|許《ばか》りでは不足だと見えて、隣りの室《へや》の妻君に話しかける。「鼠|所《どころ》ぢや御座いません。御雜※[者/火]を食べて踴《をど》りをおどるんですもの」と妻君は飛んだ所で舊惡を暴《あば》く。吾輩は宙乘《ちうの》りをしながらも少々極りが惡かつた。迷亭はまだ吾輩を卸して呉れない。「成程|踴《をど》りでもおどりさうな顔だ。奧さん此猫は油斷のならない相好《さうがう》ですぜ。昔《むか》しの草双紙《くさざうし》にある猫又《ねこまた》に似て居ますよ」と勝手な事を言ひ乍ら、しきりに細君《さいくん》に話しかける。細君は迷惑さうに針仕事の手をやめて座敷へ出てくる。
 「どうも御退屈樣、もう歸りませう」と茶を注《つ》ぎ易《か》へて迷亭の前へ出す。「どこへ行つたんですかね」「どこへ參るにも斷はつて行つた事の無い男ですから分りかねますが、大方御醫者へでも行つたんでせう」「甘木さんですか、甘木さんもあんな病人に捕《つら》まつちや災難ですな」「へえ」と細君は挨拶の仕樣《しやう》もないと見えて簡單な答へをする。迷亭は一向《いつかう》頓着しない。「近頃はどうです、少しは胃の加減が能《い》いんですか」「能《い》いか惡いか頓《とん》と分りません、いくら甘木さんにかゝつたつて、あんなにジヤム許《ばか》り甞《な》めては胃病の直る譯がないと思ひます」と細君は先刻《せんこく》の不平を暗《あん》に迷亭に洩らす。「そんなにジヤムを甞《な》めるんですか丸《まる》で小供の樣ですね」「ジヤム許《ばか》りぢやないんで、此頃は胃病の藥だとか云つて大根卸《だいこおろ》しを無暗に甞《な》めますので……」「驚ろいたな」と迷亭は感嘆する。「何でも大根卸《だいこおろし》の中にはヂヤスターゼが有るとか云ふ話しを新聞で讀んでからです」「成程それでジヤムの損害を償《つぐな》はうと云ふ趣向ですな。中々考へて居らあハヽヽヽ」と迷亭は細君の訴《うつたへ》を聞いて大《おほい》に愉快な氣色《けしき》である。「此間|抔《など》は赤ん坊に迄|甞《な》めさせまして……」「ジヤムをですか」「いゝえ大根卸《だいこおろし》を……あなた。坊や御父樣がうまいものをやるから御出《おいで》てつて、――たまに小供を可愛がつて呉れるかと思ふとそんな馬鹿な事|許《ばか》りするんです。二三日前《にさんちまへ》には中の娘を抱いて箪笥《たんす》の上へあげましてね……」「どう云ふ趣向がありました」と迷亭は何を聞いても趣向づくめに解釋する。「なに趣向も何も有りやしません、只其上から飛び下りて見ろと云ふんですは、三つや四つの女の子ですもの、そんな御轉婆《おてんば》な事が出來る筈がないです」「成程こりや趣向が無さ過ぎましたね。然しあれで腹の中は毒のない善人ですよ」「あの上腹の中に毒があつちや、辛防は出來ませんは」と細君は大《おほい》に氣?を揚げる。「まあそんなに不平を云はんでも善いでさあ。斯うやつて不足なく其日々々が暮らして行かれゝば上《じやう》の分《ぶん》ですよ。苦沙彌君《くしやみくん》抔《など》は道樂はせず、服裝にも構はず、地味に世帶向《しよたいむ》きに出來上つた人でさあ」と迷亭は柄《がら》にない説ヘを陽氣な調子でやつて居る。「所があなた大違いで……」「何か内々でやりますかね。油斷のならない世の中だからね」と飄然《へうぜん》とふわ/\した返事をする。「ほかの道樂はないですが、無暗に讀みもしない本|許《ばか》り買ひましてね。それも善い加減に見計《みはか》らつて買つてくれると善いんですけれど、勝手に丸善へ行つちや何册でも取つて來て、月末になると知らん顔をして居るんですもの、去年の暮なんか、月々のが溜つて大變困りました」「なあに書物なんか取つて來る丈《だけ》取つて來て構はんですよ。拂ひをとりに來たら今にやる/\と云つて居りや歸つて仕舞ひまさあ」「それでも、さう何時《いつ》迄《まで》も引張る譯にも參りませんから」と妻君は憮然《ぶぜん》として居る。「それぢや、譯を話して書籍費《しよじやくひ》を削減させるさ」「どうして、そんな言《こと》を云つたつて、中々聞くものですか、此間|抔《など》は貴樣は學者の妻《さい》にも似合はん、毫も書籍《しよじやく》の價値を解して居らん、昔《むか》し羅馬《ローマ》に斯う云ふ話しがある。後學の爲め聞いておけと云ふんです」「そりや面白い、どんな話しですか」迷亭は乘氣になる。細君に同情を表して居るといふよりむしろ好奇心に驅られて居る。「何んでも昔し羅馬《ローマ》に樽金《たるきん》とか云ふ王樣があつて……」「樽金《たるきん》? 樽金《たるきん》はちと妙ですぜ」「私は唐人《たうじん》の名なんか六づかしくて覺えられませんは。何でも七代目なんださうです」「成程七代目|樽金《たるきん》は妙ですな。ふん其七代目樽金がどうかしましたかい」「あら、あなた迄冷かしては立つ瀬がありませんは。知つて居らつしやるならヘへて下さればいゝぢやありませんか、人の惡い」と、細君は迷亭へ食つて掛る。「何冷かすなんて、そんな人の惡い事をする僕ぢやない。只七代目|樽金《たるきん》は振《ふる》つてると思つてね……えゝお待ちなさいよ羅馬《ローマ》の七代目の王樣ですね、こうつと慥《たし》かには覺えて居ないがタークヰン、ゼ、プラウドの事でせう。まあ誰でもいゝ、その王樣がどうしました」「その王樣の所へ一人の女が本を九册持つて來て買つて呉れないかと云つたんださうです」「成程」「王樣がいくらなら賣るといつて聞いたら大變な高い事を云ふんですつて、餘り高いもんだから少し負けないかと云ふと其女がいきなり九册の内の三册を火にくべて焚《や》いて仕舞つたさうです」「惜しい事をしましたな」「其本の内には豫言か何か外《ほか》で見られない事が書いてあるんですつて」「へえー」「王樣は九册が六册になつたから少しは價《ね》も減つたらうと思つて六册でいくらだと聞くと、矢張り元の通り一文も引かないさうです、それは亂暴だと云ふと、其女は又三册をとつて火にくべたさうです。王樣はまだ未練があつたと見えて、餘つた三册をいくらで賣ると聞くと、矢張り九册分のねだんを呉れと云ふさうです。九册が六册になり、六册が三册になつても代價は、元の通り一厘も引かない、それを引かせ樣《やう》とすると、殘つてる三册も火にくべるかも知れないので、王樣はとう/\高い御金を出して焚《や》け餘《あま》りの三册を買つたんですつて……どうだ此話しで少しは書物の難有味《ありがたみ》が分つたらう、どうだと力味《りき》むのですけれど、私にや何が難有《ありがた》いんだか、まあ分りませんね」と細君は一家の見識を立てゝ迷亭の返答を促《うな》がす。さすがの迷亭も少々窮したと見えて、袂からハンケチを出して吾輩をぢやらして居たが「然し奧さん」と急に何か考へ付いた樣に大きな聲を出す。「あんなに本を買つて矢鱈《やたら》に詰め込むものだから人から少しは學者だとか何とか云はれるんですよ。此間ある文學雜誌を見たら苦沙彌君《くしやみくん》の評が出て居ましたよ」「ほんとに?」と細君は向き直る。主人の評判が氣にかゝるのは、矢張り夫婦と見える。「何とかいてあつたんです」「なあに二三行|許《ばか》りですがね。苦沙彌君の文は行雲流水《かううんりうすゐ》の如しとありましたよ」細君は少しにこ/\して「それぎりですか」「其次にね――出づるかと思へば忽ち消え、逝《ゆ》いては長《とこしな》へに歸るを忘るとありましたよ」細君は妙な顔をして「賞めたんでせうか」と心元ない調子である。「まあ賞めた方でせうな」と迷亭は濟ましてハンケチを吾輩の眼の前にぶら下げる。「書物は商買道具で仕方も御座んすまいが、餘つ程偏屈でしてねえ」迷亭は又別途の方面から來たなと思つて「偏屈は少々偏屈ですね、學問をするものはどうせあんなですよ」と調子を合はせる樣な辯護をする樣な不即不離の妙答をする。「先達《せんだつ》て抔《など》は學校から歸つてすぐわきへ出るのに着物を着換へるのが面倒だものですから、あなた外套も脱がないで、机へ腰を掛けて御飯を食べるのです。御膳を火燵櫓《こたつやぐら》の上へ乘せまして――私は御櫃《おはち》を抱《かゝ》へて坐つて見て居りましたが可笑《をか》しくつて……」「何だかハイカラの首實檢の樣ですな。然しそんな所が苦沙彌君《くしやみくん》の苦沙彌君たる所で――兎に角|月並《つきなみ》でない」と切《せつ》ない褒め方をする。「月並か月並でないか女には分りませんが、なんぼ何でも、餘《あ》まり亂暴ですは」「然し月並より好いですよ」と無暗に加勢すると細君は不滿な樣子で「一體、月並々々と皆さんが、よく仰《おつし》やいますが、どんなのが月並なんです」と開き直つて月並の定義を質問する、「月並ですか、月並と云ふと――左樣《さやう》ちと説明し惡《に》くいのですが……」「そんな曖昧なものなら月並だつて好ささうなものぢやありませんか」と細君は女人《によにん》一流の論理法で詰め寄せる。「曖昧ぢやありませんよ、ちやんと分つて居ます、只説明し惡《に》くい丈《だけ》の事でさあ」「何でも自分の嫌ひな事を月並と云ふんでせう」と細君は我《われ》知らず穿《うが》つた事を云ふ。迷亭もかうなると何とか月並の處置を付けなければならぬ仕儀となる。「奧さん、月並と云ふのはね、先づ年は二八か二九からぬ〔十字傍点〕と言はず語らず物思ひ〔九字傍点〕の間《あひだ》に寐轉んで居て、此日や天氣晴朗〔七字傍点〕とくると必ず一瓢を携へて墨堤に遊ぶ〔十一字傍点〕連中《れんぢゆう》を云ふんです」「そんな連中《れんぢゆう》があるでせうか」と細君は分らんものだから好《いゝ》加減な挨拶をする。「何だかごた/\して私には分りませんは」と遂に我《が》を折る。「それぢや馬琴の胴へメジヨオ、ペンデニスの首をつけて一二年歐州の空氣で包んで置くんですね」「さうすると月並が出來るでせうか」迷亭は返事をしないで笑つて居る。「何そんな手數《てすう》のかゝる事をしないでも出來ます。中學校の生徒に白木屋の番頭を加へて二で割ると立派な月並が出來上ります」「さうでせうか」と細君は首を捻《ひね》つた儘|納得《なつとく》し兼ねたと云ふ風情《ふぜい》に見える。
 「君まだ居るのか」と主人はいつの間《ま》にやら歸つて來て迷亭の傍《そば》へ坐《す》はる。「まだ居るのかは些《ち》と酷《こく》だな、すぐ歸るから待つて居給へと言つたぢやないか」「萬事あれなんですもの」と細君は迷亭を顧みる。「今君の留守中に君の逸話を殘らず聞いて仕舞つたぜ」「女は兎角多辯でいかん、人間も此猫位沈黙を守るといゝがな」と主人は吾輩の頭を撫《な》でゝくれる。「君は赤ん坊に大根卸《だいこおろ》しを甞《な》めさしたさうだな」「ふむ」と主人は笑つたが「赤ん坊でも近頃の赤ん坊は中々利口だぜ。其れ以來、坊や辛いのはどこと聞くと屹度舌を出すから妙だ」「丸《まる》で犬に藝を仕込む氣で居るから殘酷だ。時に寒月《かんげつ》はもう來さうなものだな」「寒月《かんげつ》が來るのかい」と主人は不審な顔をする。「來るんだ。午後一時迄に苦沙彌《くしやみ》の家《うち》へ來いと端書を出して置いたから」「人の都合も聞かんで勝手な事をする男だ。寒月を呼んで何をするんだい」「なあに今日のはこつちの趣向ぢやない寒月先生自身の要求さ。先生何でも理學協會で演説をするとか云ふのでね。其稽古をやるから僕に聽いてくれと云ふから、そりや丁度いゝ苦沙彌《くしやみ》にも聞かしてやらうと云ふのでね。そこで君の家《うち》へ呼ぶ事にして置いたのさ――なあに君はひま人だから丁度いゝやね――差支なんぞある男ぢやない、聞くがいゝさ」と迷亭は獨りで呑み込んで居る。「物理學の演説なんか僕にや分らん」と主人は少々迷亭の專斷《せんだん》を憤《いきどほ》つたものゝ如くに云ふ。「所が其問題がマグネ付けられたノツズルに就て抔《など》と云ふ乾燥無味なものぢやないんだ。首縊りの力學〔六字傍点〕と云ふ脱俗超凡《だつぞくてうぼん》な演題なのだから傾聽する價値があるさ」「君は首を縊《くゝ》り損《そ》くなつた男だから傾聽するが好いが僕なんざあ……」「歌舞伎座で惡寒《をかん》がする位の人間だから聞かれないと云ふ結論は出さうもないぜ」と例の如く輕口を叩く。妻君はホヽと笑つて主人を顧みながら次の間へ退く。主人は無言の儘吾輩の頭を撫《な》でる。此時のみは非常に丁寧な撫で方であつた。
 それから約七分位すると注文通り寒月君が來る。今日は晩に演舌《えんぜつ》をするといふので例になく立派なフロツクを着て、洗濯し立ての白襟《カラー》を聳《そび》やかして、男振りを二割方上げて、「少し後れまして」と落ちつき拂つて、挨拶をする。「先《さ》つきから二人で大待ちに待つた所なんだ。早速願はう、なあ君」と主人を見る。主人も已《やむ》を得ず「うむ」と生返事をする。寒月君はいそがない。「コツプへ水を一杯頂戴しませう」と云ふ。「いよー本式にやるのか次には拍手の請求と御出《おいで》なさるだらう」と迷亭は獨りで騷ぎ立てる。寒月君は内隱しから草稿を取り出して徐《おもむ》ろに「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願ひます」と前置をして、愈《いよ/\》演舌の御浚《おさら》ひを始める。
 「罪人を絞罪《かうざい》の刑に處すると云ふ事は重にアングロサクソン民族間に行はれた方法でありまして、夫《それ》より古代に溯《さかのぼ》つて考へますと首縊《くびくゝ》りは重《おも》に自殺の方法として行はれた者であります。猶太人中《ユダヤじんちゆう》に在《あ》つては罪人を石を抛《な》げつけて殺す習慣であつたさうで御座います。舊約全書を研究して見ますと所謂ハンギングなる語は罪人の死體を釣るして野獣又は肉食鳥の餌食《ゑじき》とする意義と認められます。ヘロドタスの説に從つて見ますと猶太人《ユダヤじん》はエヂプトを去る以前から夜中《やちゆう》死骸を曝《さら》されることを痛く忌み嫌つた樣に思はれます。エヂプト人は罪人の首を斬つて胴|丈《だけ》を十字架に釘付けにして夜中《やちゆう》曝し物にしたさうで御座います。波斯人《ペルシヤじん》は……」「寒月君首縊りと縁がだん/\遠くなる樣だが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「是から本論に這入る所ですから、少々御辛防を願ひます。……偖《さて》波斯人《ペルシヤじん》はどうかと申しますと是も矢張り處刑には磔《はりつけ》を用いた樣で御座います。但し生きて居るうちに張付《はりつ》けに致したものか、死んでから釘を打つたものか其|邊《へん》はちと分りかねます……」「そんな事は分らんでもいゝさ」と主人は退屈さうに欠伸《あくび》をする。「まだ色々御話し致したい事も御座いますが、御迷惑であらつしやいませうから……」「あらつしやいませうより、入《い》らつしやいませうの方が聞きいゝよ、ねえ苦沙彌君《くしやみくん》」と又迷亭が咎《とが》め立《だて》をすると主人は「どつちでも同じ事だ」と氣のない返事をする。「偖《さて》愈《いよ/\》本題に入りまして辯じます」「辯じます〔四字傍点〕なんか講釋師の云ひ草だ。演舌家はもつと上品な詞《ことば》を使つて貰ひたいね」と迷亭先生又|交《ま》ぜ返す。「辯じます〔四字傍点〕が下品なら何と云つたらいゝでせう」と寒月君は少々むつとした調子で問ひかける。「迷亭のは聽いて居るのか、交《ま》ぜ返して居るのか判然しない。寒月君そんな彌次馬に構はず、さつさと遣るが好い」と主人は可成《なるべく》早く難關を切り拔け樣とする。「むつとして辯じましたる柳かな、かね」と迷亭は不相變《あひかはらず》飄然《へうぜん》たる事を云ふ。寒月は思はず吹き出す。「眞に處刑として絞殺を用ひましたのは、私の調べました結果によりますると、オヂセーの二十二卷目に出て居ります。即ち彼《か》のテレマカスがペネロピーの十二人の侍女《じぢよ》を絞殺するといふ條《くだ》りで御座います。希臘語《ギリシヤご》で本文を朗讀しても宜しう御座いますが、ちと衒《てら》ふ樣な氣味にもなりますから已《や》めに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覽になると分ります」「希臘語《ギリシヤご》云々《うんぬん》はよした方がいゝ、さも希臘語《ギリシヤご》が出來ますと云はん許《ばか》りだ、ねえ苦沙彌君《くしやみくん》」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しさうな事は言はん方が奧床《おくゆか》しくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加擔する。兩人《りやうにん》は毫も希臘語《ギリシヤご》が讀めないのである。「それでは此兩三句は今晩拔く事に致しまして次を辯じ――えゝ申し上げます。
 此絞殺を今から想像して見ますと、是を執行するに二つの方法があります。第一は、彼《か》のテレマカスがユーミアス及びフ※[ヒの小字]リーシヤスの援《たすけ》を藉《か》りて繩の一端を柱へ括《くゝ》りつけます。そして其繩の所々へ結び目を穴に開けて此穴へ女の頭を一つ宛《づゝ》入れて置いて、片方の端《はじ》をぐいと引張つて釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシヤツの樣に女がぶら下つたと見れば好いんだらう」「其通りで、それから第二は繩の一端を前の如く柱へ括《くゝ》り付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そして其高い繩から何本か別の繩を下げて、夫《それ》に結び目の輪になつたのを付けて女の頸を入れて置いて、いざと云ふ時に女の足臺を取りはづすと云ふ趣向なのです」「たとへて云ふと繩暖簾《なはのれん》の先へ提燈玉《ちやうちんだま》を釣した樣な景色《けしき》と思へば間違はあるまい」「提燈玉《ちやうちんだま》と云ふ玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすれば其|邊《へん》の所かと思ひます。――夫《それ》で是から力學的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云ふ事を證據立てゝ御覽に入れます」「面白いな」と迷亭が云ふと「うん面白い」と主人も一致する。
 「先づ女が同距離に釣られると假定します。又一番地面に近い二人の女の首と首を繋いで居る繩はホリゾンタルと假定します。そこでα1α2……α6を繩が地平線と形づくる角度とし、T1T2……T6を繩の各部が受ける力と見做《みな》し、T7=Xは繩の尤低い部分の受ける力とします。Wは勿論女の體重と御承知下さい。どうです御分りになりましたか」
 迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分つた」と云ふ。但し此大抵と云ふ度合は兩人《りやうにん》が勝手に作つたのだから他人の場合には應用が出來ないかも知れない。「偖《さて》多角形に關する御存じの平均性理論によりますと、下《しも》の如く十二の方程式が立ちます。T1cosα1=T2cosα2…… (1) T2cosα2=T3cosα3…… (2) ……」「方程式は其位で澤山だらう」と主人は亂暴な事を云ふ。「實は此式が演説の首腦なんですが」と寒月君は甚だ殘り惜し氣に見える。「夫《それ》ぢや首腦|丈《だけ》は逐《お》つて伺う事にしやうぢやないか」と迷亭も少々恐縮の體《てい》に見受けられる。「此式を略して仕舞ふと切角の力學的研究が丸《まる》で駄目になるのですが……」「何そんな遠慮はいらんから、ずん/\略すさ……」と主人は平氣で云ふ。「それでは仰せに從つて、無理ですが略しませう」「それがよからう」と迷亭が妙な所で手をぱち/\と叩く。
 「夫《それ》から英國へ移つて論じますと、ベオウルフの中に絞首架《かうしゆか》即ちガルガと申す字が見えますから絞罪の刑は此時代から行はれたものに違ないと思はれます。ブラクストーンの説によると若《も》し絞罪に處せられる罪人が、萬一繩の具合で死に切れぬ時は再度《ふたゝび》同樣の刑罰を受くべきものだとしてありますが、妙な事にはピヤース、プローマンの中には假令《たとひ》兇漢でも二度絞める法はないと云ふ句があるのです。まあどつちが本當か知りませんが、惡くすると一度で死ねない事が往々實例にあるので。千七百八十六年に有名なフ※[ヒの小字]ツ、ゼラルドと云ふ惡漢を絞めた事がありました。所が妙なはづみで一度目には臺から飛び降りるときに繩が切れて仕舞つたのです。又やり直すと今度は繩が長過ぎて足が地面へ着いたので矢張り死ねなかつたのです。とう/\三返目に見物人が手傳つて往生さしたと云ふ話しです」「やれ/\」と迷亭はこんな所へくると急に元氣が出る。「本當に死に損《ぞこな》ひだな」と主人迄浮かれ出す。「まだ面白い事があります首を縊《くゝ》ると脊《せい》が一寸《いつすん》許《ばか》り延びるさうです。是は慥《たし》かに醫者が計つて見たのだから間違はありません」「それは新工夫だね、どうだい苦沙彌《くしやみ》抔《など》はちと釣つて貰つちあ、一寸延びたら人間並になるかも知れないぜ」と迷亭が主人の方を向くと、主人は案外眞面目で「寒月君、一寸位|脊《せい》が延びて生き返る事があるだらうか」と聞く。「それは駄目に極つて居ます。釣られて脊髓《せきずゐ》が延びるからなんで、早く云ふと脊《せい》が延びると云ふより壞《こは》れるんですからね」「それぢや、まあ止《や》めやう」と主人は斷念する。
 演説の續きは、まだ中々長くあつて寒月君は首縊りの生理作用に迄論及する筈で居たが、迷亭が無暗に風來坊《ふうらいばう》の樣な珍語を挾むのと、主人が時々遠慮なく欠伸《あくび》をするので、遂に中途でやめて歸つて仕舞つた。其晩は寒月君が如何なる態度で、如何なる雄辯を振《ふる》つたか遠方で起つた出來事の事だから吾輩には知《し》れ樣《やう》譯がない。
 二三日《にさんち》は事もなく過ぎたが、或る日の午後二時頃又迷亭先生は例の如く空々《くう/\》として偶然童子の如く舞ひ込んで來た。座に着くと、いきなり「君、越智東風《をちとうふう》の高輪事件《たかなわじけん》を聞いたかい」と旅順陷落の號外を知らせに來た程の勢を示す。「知らん、近頃は合《あ》はんから」と主人は平生《いつも》の通り陰氣である。「けふは其|東風子《とうふうし》の失策物語を御報道に及ばうと思つて忙しい所を態々《わざ/\》來たんだよ」「又そんな仰山な事を云ふ、君は全體|不埒《ふらち》な男だ」「ハヽヽヽヽ不埒と云はんより寧ろ無埒《むらち》の方だらう。それ丈《だけ》は鳥渡《ちよつと》區別して置いて貰はんと名譽に關係するからな」「おんなし事だ」と主人は嘯《うそぶ》いて居る。純然たる天然居士の再來だ。「此前の日曜に東風子《とうふうし》が高輪《たかなわ》泉岳寺《せんがくじ》に行つたんださうだ。此寒いのによせばいゝのに――第一|今時《いまどき》泉岳寺|抔《など》へ參るのはさも東京を知らない、田舍者の樣ぢやないか」「それは東風《とうふう》の勝手さ。君がそれを留める權利はない」「成程權利は正《まさ》にない。權利はどうでもいゝが、あの寺内に義士遺物保存會と云ふ見世物があるだらう。君知つてるか」「うんにや」「知らない? だつて泉岳寺へ行つた事はあるだらう」「いゝや」「ない? こりや驚ろいた。道理で大變東風を辯護すると思つた。江戸つ子が泉岳寺を知らないのは情《なさ》けない」「知らなくてもヘ師は務まるからな」と主人は愈《いよ/\》天然居士になる。「そりや好いが、其展覽場へ東風が這入つて見物して居ると、そこへ獨逸人《ドイツじん》が夫婦|連《づれ》で來たんだつて。それが最初は日本語で東風に何か質問したさうだ。所が先生例の通り獨逸語《ドイツご》が使つて見度くて堪らん男だらう。そら二口三口べら/\やつて見たとさ。すると存外うまく出來たんだ――あとで考へるとそれが災《わざはひ》の本《もと》さね」「それからどうした」と主人は遂に釣り込まれる。「獨逸人《ドイツじん》が大鷹源吾《おほたかげんご》の蒔繪《まきゑ》の印籠《いんろう》を見て、之を買ひ度いが賣つてくれるだらうかと聞くんださうだ。其時|東風《とうふう》の返事が面白いぢやないか、日本人は清廉の君子《くんし》許《ばか》りだから到底駄目だと云つたんだとさ。其邊は大分《だいぶ》景氣がよかつたが、夫《それ》から獨逸人《ドイツじん》の方では恰好《かつかう》な通辯を得た積りで頻に聞くさうだ」「何を?」「それがさ、何だか分る位なら心配はないんだが、早口で無暗に問ひ掛けるものだから少しも要領を得ないのさ。たまに分るかと思ふと鳶口《とびぐち》や掛矢〔二字傍点〕の事を聞かれる。西洋の鳶口《とびぐち》や掛矢〔二字傍点〕は先生何と翻譯して善いのか習つた事が無いんだから弱《よ》はらあね」「尤もだ」と主人はヘ師の身の上に引き較べて同情を表する。「所へ閑人《ひまじん》が物珍しさうにぽつ/\集つてくる。仕舞には東風《とうふう》と獨逸人《ドイツじん》を四方から取り卷いて見物する。東風は顔を赤くしてへどもどする。初めの勢に引き易へて先生大弱りの體《てい》さ」「結局どうなつたんだい」「仕舞に東風が我慢出來なくなつたと見えてさいなら〔四字傍点〕と日本語で云つてぐん/\歸つて來たさうだ、さいなら〔四字傍点〕は少し變だ君の國ではさよなら〔四字傍点〕をさいなら〔四字傍点〕と云ふかつて聞いて見たら何矢つ張りさよなら〔四字傍点〕ですが相手が西洋人だから調和を計るために、さいなら〔四字傍点〕にしたんだつて、東風子《とうふうし》は苦しい時でも調和を忘れない男だと感心した」「さいならはいゝが西洋人はどうした」「西洋人はあつけに取られて茫然と見て居たさうだハヽヽヽ面白いぢやないか」「別段面白い事もない樣だ。それを態々《わざ/\》報知《しらせ》に來る君の方が餘程《よつぽど》面白いぜ」と主人は卷烟草の灰を火桶《ひをけ》の中へはたき落す。折柄《おりから》格子戸のベルが飛び上る程鳴つて「御免なさい」と鋭どい女の聲がする。迷亭と主人は思はず顔を見合はせて沈黙する。
 主人のうちへ女客は稀有《けう》だなと見て居ると、かの鋭どい聲の所有主は縮緬《ちりめん》の二枚重ねを疊へ擦り付けながら這入つて來る。年は四十の上を少し超《こ》した位だらう。拔け上つた生《は》へ際《ぎは》から前髪が堤防工事の樣に高く聳えて、少なくとも顔の長さの二分の一|丈《だけ》天に向つてせり出して居る。眼が切り通しの坂位な勾配《こうばい》で、直線に釣るし上げられて左右に對立する。直線とは鯨より細いといふ形容である。鼻|丈《だけ》は無暗に大きい。人の鼻を盗んで來て顔の眞中へ据ゑ付けた樣に見える。三坪程の小庭へ招魂社《せうこんしや》の石燈籠を移した時の如く、獨りで幅を利かして居るが、何となく落ち付かない。其鼻は所謂《いはゆる》鍵鼻《かぎばな》で、ひと度《たび》は精一杯高くなつて見たが、是では餘《あんま》りだと中途から謙遜して、先の方へ行くと、初めの勢に似ず垂れかゝつて、下にある唇を覗き込んで居る。かく著るしい鼻だから、此女が物を言ふときは口が物を言ふと云はんより、鼻が口をきいて居るとしか思はれない。吾輩は此偉大なる鼻に敬意を表する爲め、以來は此女を稱して鼻子《はなこ》/\と呼ぶ積りである。鼻子は先づ初對面の挨拶を終つて「どうも結構な御住居《おすまひ》ですこと」と座敷中を睨め廻はす。主人は「嘘をつけ」と腹の中で言つた儘、ぷか/\烟草をふかす。迷亭は天井を見ながら「君、ありや雨洩《あまも》りか、板の木目《もくめ》か、妙な模樣が出て居るぜ」と暗に主人を促がす。「無論雨の洩りさ」と主人が答へると「結構だなあ」と迷亭が濟まして云ふ。鼻子は社交を知らぬ人達だと腹の中で憤《いきどほ》る。暫くは三人|鼎坐《ていざ》の儘無言である。
 「ちと伺ひたい事があつて、參つたんですが」と鼻子は再び話の口を切る。「はあ」と主人が極めて冷淡に受ける。これではならぬと鼻子は、「實は私はつい御近所で――あの向ふ横丁の角屋敷《かどやしき》なんですが」「あの大きな西洋館の倉のあるうちですか、道理であすこには金田《かねだ》と云ふ標札が出て居ますな」と主人は漸く金田の西洋館と、金田の倉を認識した樣だが金田夫人に對する尊敬の度合《どあひ》は前と同樣である。「實は宿《やど》が出まして、御話を伺うんですが會社の方が大變忙がしいもんですから」と今度は少し利いたらうといふ眼付をする。主人は一向《いつかう》動じない。鼻子の先刻《さつき》からの言葉遣ひが初對面の女としては餘り存在《ぞんざい》過ぎるので既に不平なのである。「會社でも一つぢや無いんです、二つも三つも兼ねて居るんです。夫《それ》にどの會社でも重役なんで――多分御存知でせうが」是でも恐れ入らぬかと云ふ顔付をする。元來こゝの主人は博士〔二字傍点〕とか大學ヘ授〔四字傍点〕とかいふと非常に恐縮する男であるが、妙な事には實業家に對する尊敬の度は極めて低い。實業家よりも中學校の先生の方がえらいと信じて居る。よし信じて居らんでも、融通の利かぬ性質として、到底實業家、金滿家の恩顧を蒙《かうむ》る事は覺束《おぼつか》ないと諦らめて居る。いくら先方が勢力家でも、財産家でも、自分が世話になる見込のないと思ひ切つた人の利害には極めて無頓着である。夫《それ》だから學者社會を除いて他の方面の事には極めて迂濶で、ことに實業界|抔《など》では、どこに、だれが何をして居るか一向知らん。知つても尊敬畏服の念は毫も起らんのである。鼻子の方では天《あめ》が下《した》の一隅にこんな變人が矢張日光に照らされて生活して居やうとは夢にも知らない。今迄世の中の人間にも大分《だいぶ》接して見たが、金田の妻《さい》ですと名乘つて、急に取扱ひの變らない場合はない、どこの會へ出ても、どんな身分の高い人の前でも立派に金田夫人で通して行かれる、况んやこんな燻《くすぶ》り返つた老書生に於てをやで、私《わたし》の家《うち》は向ふ横丁の角屋敷《かどやしき》ですとさへ云へば職業|抔《など》は聞かぬ先から驚くだらうと豫期して居たのである。
 「金田つて人を知つてるか」と主人は無雜作《むざふさ》に迷亭に聞く。「知つてるとも、金田さんは僕の伯父の友達だ。此間なんざ園遊會へ御出《おいで》になつた」と迷亭は眞面目な返事をする。「へえ、君の伯父さんてえな誰だい」「牧山男爵《まきやまだんしやく》さ」と迷亭は愈《いよ/\》眞面目である。主人が何か云はうとして云はぬ先に、鼻子は急に向き直つて迷亭の方を見る。迷亭は大島紬《おほしまつむぎ》に古渡更紗《こわたりさらさ》か何か重ねて濟まして居る。「おや、あなたが牧山樣の――何で居らつしやいますか、些《ち》つとも存じませんで、甚だ失禮を致しました。牧山樣には始終御世話になると、宿《やど》で毎々御噂を致して居ります」と急に叮嚀な言葉使をして、御まけに御辭儀迄する、迷亭は「へえゝ何、ハヽヽヽ」と笑つて居る。主人はあつ氣《け》に取られて無言で二人を見て居る。「慥《たし》か娘の縁邊《えんぺん》の事に就きましても色々牧山さまへ御心配を願ひましたさうで……」「へえー、さうですか」と是《これ》許《ばか》りは迷亭にも些《ち》と唐突《たうとつ》過ぎたと見えて一寸|魂消《たまげ》た樣な聲を出す。「實は方々から呉れ/\と申し込は御座いますが、こちらの身分もあるもので御座いますから、滅多な所《とこ》へも片付けられませんので……」「御尤で」と迷亭は漸く安心する。「それに就て、あなたに伺はうと思つて上がつたんですがね」と鼻子は主人の方を見て急に存在《ぞんざい》な言葉に返る。「あなたの所へ水島寒月《みづしまかんげつ》といふ男が度々上がるさうですが、あの人は全體どんな風な人でせう」「寒月の事を聞いて、何《なん》にするんです」と主人は苦々敷《にが/\し》く云ふ。「やはり御令孃の御婚儀上の關係で、寒月君の性行《せいかう》の一斑を御承知になりたいといふ譯でせう」と迷亭が氣轉を利かす。「それが伺へれば大變都合が宜しいので御座いますが……」「それぢや、御令孃を寒月にお遣りになりたいと仰つしやるんで」「遣りたいなんてえんぢや無いんです」と鼻子は急に主人を參らせる。「外にも段々口が有るんですから、無理に貰つて頂かないだつて困りやしません」「それぢや寒月の事なんか聞かんでも好いでせう」と主人も躍起となる。「然し御隱しなさる譯もないでせう」と鼻子も少々喧嘩腰になる。迷亭は双方の間に坐つて、銀烟管《ぎんぎせる》を軍配團扇《ぐんばいうちは》の樣に持つて、心の裡《うち》で八卦《はつけ》よいやよいやと怒鳴つて居る。「ぢやあ寒月の方で是非貰ひたいとでも云つたのですか」と主人が正面から鐵砲を喰《くら》はせる。「貰ひたいと云つたんぢやないんですけれども……」「貰ひたいだらうと思つて居らつしやるんですか」と主人は此婦人鐵砲に限ると覺《さと》つたらしい。「話しはそんなに運んでるんぢやありませんが――寒月さんだつて滿更《まんざら》嬉しくない事もないでせう」と土俵|際《ぎは》で持ち直す。「寒月が何か其御令孃に戀着《れんちやく》したといふ樣な事でもありますか」あるなら云つて見ろと云ふ權幕で主人は反《そ》り返る。「まあ、そんな見當でせうね」今度は主人の鐵砲が少しも功を奏しない。今迄面白|氣《げ》に行司《ぎやうじ》氣取りで見物して居た迷亭も鼻子の一言《いちごん》に好奇心を挑撥《てうはつ》されたものと見えて、烟管《きせる》を置いて前へ乘り出す。「寒月が御孃さんに付《つ》け文《ぶみ》でもしたんですか、是や愉快だ、新年になつて逸話が又一つ殖えて話しの好材料になる」と一人で喜んで居る。「付《つ》け文《ぶみ》ぢやないんです、もつと烈しいんでさあ、御二人とも御承知ぢやありませんか」と鼻子は乙《おつ》にからまつて來る。「君知つてるか」と主人は狐付きの樣な顔をして迷亭に聞く。迷亭も馬鹿|氣《げ》た調子で「僕は知らん、知つて居りや君だ」と詰らん所で謙遜する。「いえ御兩人《おふたり》共《とも》御存じの事ですよ」と鼻子|丈《だけ》大得意である。「へえー」と御兩人《おふたり》は一度に感じ入る。「御忘れになつたら私《わた》しから御話をしませう。去年の暮向島の阿部さんの御屋敷で演奏會があつて寒月さんも出掛けたぢやありませんか、其晩歸りに吾妻橋で何かあつたでせう――詳しい事は言ひますまい、當人の御迷惑になるかも知れませんから――あれ丈《だけ》の證據がありや充分だと思ひますが、どんなものでせう」と金剛石《ダイヤ》入りの指環の嵌《はま》つた指を、膝の上へ併《なら》べて、つんと居ずまひを直す。偉大なる鼻が益《ます/\》異彩を放つて、迷亭も主人も有れども無きが如き有樣である。
 主人は無論、さすがの迷亭も此|不意撃《ふいふち》には膽を拔かれたものと見えて、暫くは呆然として瘧《おこり》の落ちた病人の樣に坐つて居たが、驚愕の箍《たが》がゆるんで漸々《だん/\》持前の本態に復すると共に、滑稽と云ふ感じが一度に吶喊《とつかん》してくる。兩人《ふたり》は申し合せた如く「ハヽヽヽヽ」と笑ひ崩れる。鼻子|許《ばか》りは少し當てが外《はづ》れて、此際笑ふのは甚だ失禮だと兩人《ふたり》を睨《にら》みつける。「あれが御孃さんですか、成程こりやいゝ、仰つしやる通りだ、ねえ苦沙彌君《くしやみくん》、全く寒月はお孃さんを戀《おも》つてるに相違ないね……もう隱したつて仕樣《しやう》がないから白?し樣《やう》ぢやないか」「ウフン」と主人は云つた儘である。「本當に御隱しなさつても不可《いけ》ませんよ、ちやんと種は上つてるんですからね」と鼻子は又得意になる。「かうなりや仕方がない。何でも寒月君に關する事實は御參考の爲に陳述するさ、おい苦沙彌君《くしやみくん》、君が主人だのに、さう、にや/\笑つて居ては埒《らち》があかんぢやないか、實に秘密といふものは恐ろしいものだねえ。いくら隱しても、どこからか露見《ろけん》するからな。――然し不思議と云へば不思議ですねえ、金田の奧さん、どうして此秘密を御探知になつたんです、實に驚ろきますな」と迷亭は一人で喋舌《しやべ》る。「私《わた》しの方だつて、ぬかりはありませんやね」と鼻子はしたり顔をする。「あんまり、ぬかりが無さ過ぎる樣ですぜ。一體誰に御聞きになつたんです」「ぢき此裏に居る車屋の神《かみ》さんからです」「あの黒猫の居る車屋ですか」と主人は眼を丸くする。「えゝ、寒月さんの事ぢや、餘つ程使ひましたよ。寒月さんが、こゝへ來る度に、どんな話しをするかと思つて車屋の神さんを頼んで一々知らせて貰うんです」「そりや苛《ひど》い」と主人は大きな聲を出す。「なあに、あなたが何をなさらうと仰つしやらうと、夫《それ》に構つてるんぢやないんです。寒月さんの事|丈《だけ》ですよ」「寒月の事だつて、誰の事だつて――全體あの車屋の神さんは氣に食はん奴だ」と主人は一人|怒《おこ》り出す。「然しあなたの垣根のそとへ來て立つて居るのは向ふの勝手ぢやありませんか、話しが聞えてわるけりやもつと小さい聲でなさるか、もつと大きなうちへ御這入んなさるがいゝでせう」と鼻子は少しも赤面した樣子がない。「車屋|許《ばか》りぢやありません。新道《しんみち》の二絃琴の師匠からも大分《だいぶ》色々な事を聞いて居ます」「寒月の事をですか」「寒月さん許《ばか》りの事ぢやありません」と少し凄い事を云ふ。主人は恐れ入るかと思ふと「あの師匠はいやに上品ぶつて自分|丈《だけ》人間らしい顔をして居る、馬鹿野郎です」「憚《はゞか》り樣《さま》、女ですよ。野郎は御門違《おかどちが》ひです」と鼻子の言葉使ひは益《ます/\》御里《おさと》をあらはして來る。是では丸《まる》で喧嘩をしに來た樣なものであるが、そこへ行くと迷亭は矢張り迷亭で此談判を面白さうに聞いて居る。鐵枴仙人《てつかいせんにん》が軍鷄《しやも》の蹴合ひを見る樣な顔をして平氣で聞いて居る。
 惡口《あくこう》の交換では到底鼻子の敵でないと自覺した主人は、暫く沈黙を守るの已《やむ》を得ざるに至らしめられて居たが、漸く思ひ付いたか「あなたは寒月の方から御孃さんに戀着した樣にばかり仰つしやるが、私《わたし》の聞いたんぢや、少し違ひますぜ、ねえ迷亭君」と迷亭の救ひを求める。「うん、あの時の話しぢや御孃さんの方が、始め病氣になつて――何だか譫語《うはこと》をいつた樣に聞いたね」「なにそんな事はありません」と金田夫人は判然たる直線流の言葉使ひをする。「それでも寒月は慥《たし》かに○○博士の夫人から聞いたと云つて居ましたぜ」「それがこつちの手なんでさあ、○○博士の奧さんを頼んで寒月さんの氣を引いて見たんでさあね」「○○の奧さんは、夫《それ》を承知で引き受けたんですか」「えゝ。引き受けて貰うたつて、只ぢや出來ませんやね、それや是やで色々物を使つて居るんですから」「是非寒月君の事を根堀り葉堀り御聞きにならなくつちや御歸りにならないと云ふ決心ですかね」と迷亭も少し氣持を惡くしたと見えて、いつになく手障《てざは》りのあらい言葉を使ふ。「いゝや君、話したつて損の行く事ぢやなし、話さうぢやないか苦沙彌君《くしやみくん》――奧さん、私《わたし》でも苦沙彌《くしやみ》でも寒月君に關する事實で差支のない事は、みんな話しますからね、――さう、順を立てゝ段々聞いて下さると都合がいゝですね」
 鼻子は漸く納得《なつとく》してそろ/\質問を呈出する。一時荒立てた言葉使ひも迷亭に對しては又もとの如く叮嚀になる。「寒月さんも理學士ださうですが、全體どんな事を專門にして居るので御座います」「大學院では地球の磁氣の研究〔八字傍点〕をやつて居ます」と主人が眞面目に答える。不幸にして其意味が鼻子には分らんものだから「へえー」とは云つたが怪訝《けげん》な顔をして居る。「それを勉強すると博士になれませうか」と聞く。「博士にならなければ遣れないと仰つしやるんですか」と主人は不愉快さうに尋ねる。「えゝ。只の學士ぢやね、いくらでもありますからね」と鼻子は平氣で答へる。主人は迷亭を見て愈《いよ/\》いやな顔をする。「博士になるかならんかは僕等も保證する事が出來んから、ほかの事を聞いて頂く事に仕《し》樣《やう》」と迷亭も餘り好い機嫌ではない。「近頃でも其地球の――何かを勉強して居るんで御座いませうか」「二三日前《にさんちまへ》は首縊りの力學〔六字傍点〕と云ふ研究の結果を理學協會で演説しました」と主人は何の氣も付かずに云ふ。「おやいやだ、首縊り〔三字傍点〕だなんて、餘つ程變人ですねえ。そんな首縊り〔三字傍点〕や何かやつてたんぢや、とても博士にはなれますまいね」「本人が首を縊《くゝ》つちやあ六《む》づ箇敷《かし》いですが、首縊りの力學〔六字傍点〕なら成れないとも限らんです」「さうでせうか」と今度は主人の方を見て顔色を窺《うかゞ》ふ。悲しい事に力學〔二字傍点〕と云ふ意味がわからんので落ちつき兼ねて居る。然し是しきの事を尋ねては金田夫人の面目に關すると思つてか、只相手の顔色で八卦《はつけ》を立てゝ見る。主人の顔は澁い。「其外になにか、分り易いものを勉強して居りますまいか」「さうですな、先達《せんだつ》て團栗のスタビリチーを論じて併せて天體の運行に及ぶ〔二十三字傍点〕と云ふ論文を書いた事があります」「團栗《どんぐり》なんぞでも大學校で勉強するものでせうか」「さあ僕も素人《しろうと》だからよく分らんが、何しろ、寒月君がやる位なんだから、研究する價値があると見えますな」と迷亭は濟まして冷かす。鼻子は學問上の質問は手に合はんと斷念したものと見えて、今度は話題を轉ずる。「御話は違ひますが――此御正月に椎茸《しひたけ》を食べて前齒を二枚折つたさうぢや御座いませんか」「えゝ其缺けた所に空也餠《くうやもち》がくつ付いて居ましてね」と迷亭は此質問こそ吾|繩張内《なはばりうち》だと急に浮かれ出す。「色氣のない人ぢや御座いませんか、何だつて楊子を使はないんでせう」「今度逢つたら注意して置きませう」と主人がくす/\笑ふ。「椎茸《しひたけ》で齒がかける位ぢや、よ程齒の性《しやう》が惡いと思はれますが、如何《いかゞ》なものでせう」「善いとは言はれますまいな――ねえ迷亭」「善い事はないが一寸愛嬌があるよ。あれぎり、まだ?《つ》めない所が妙だ。今だに空也餠引掛所《くうやもちひつかけどころ》になつてるなあ奇觀だぜ」「齒を?《つ》める小遣がないので缺けなりにして置くんですか、又は物好きで缺けなりにして置くんでせうか」「何も永く前齒缺成《まへばかけなり》を名乘る譯でもないでせうから御安心なさいよ」と迷亭の機嫌は段々回復してくる。鼻子は又問題を改める。「何か御宅に手紙かなんぞ當人の書いたものでも御座いますなら一寸拜見したいもんで御座いますが」「端書なら澤山あります、御覽なさい」と主人は書齋から三四十枚持つて來る。「そんなに澤山拜見しないでも――其内の二三枚|丈《だけ》……」「どれ/\僕が好いのを撰《よ》つてやらう」と迷亭先生は「是なざあ面白いでせう」と一枚の繪葉書を出す。「おや繪もかくんで御座いますか、中々器用ですね、どれ拜見しませう」と眺めて居たが「あらいやだ、狸《たぬき》だよ。何だつて撰《よ》りに撰つて狸なんぞかくんでせうね――夫《それ》でも狸と見えるから不思議だよ」と少し感心する。「其文句を讀んで御覽なさい」と主人が笑ひながら云ふ。鼻子は下女が新聞を讀む樣に讀み出す。「舊暦《きうれき》の歳《とし》の夜《よ》、山の狸が園遊會をやつて盛に舞踏します。其歌に曰く、來《こ》いさ、としの夜《よ》で、御山婦美《おやまふみ》も來《く》まいぞ。スツポコポンノポン」「何ですこりや、人を馬鹿にして居るぢや御座いませんか」と鼻子は不平の體《てい》である。「此|天女《てんによ》は御氣に入りませんか」と迷亭が又一枚出す。見ると天女《てんによ》が羽衣を着て琵琶を彈いて居る。「此天女の鼻が少し小さ過ぎる樣ですが」「何、それが人並ですよ、鼻より文句を讀んで御覽なさい」文句にはかうある。「昔《むか》しある所に一人の天文學者がありました。ある夜《よ》いつもの樣に高い臺に登つて、一心に星を見て居ますと、空に美しい天女《てんによ》が現はれ、此世では聞かれぬ程の微妙な音樂を奏し出したので、天文學者は身に沁《し》む寒さも忘れて聞き惚れて仕舞ました。朝見ると其天文學者の死骸に霜が眞白に降つて居ました。是は本當の噺《はなし》だと、あのうそつきの爺やが申しました」「何の事ですこりや、意味も何もないぢやありませんか、是でも理學士で通るんですかね。ちつと文藝倶樂部でも讀んだらよささうなものですがねえ」と寒月君散々にやられる。迷亭は面白半分に「是《これ》やどうです」と三枚目を出す。今度は活版で帆懸舟《ほかけぶね》が印刷してあつて、例の如く其下に何か書き散らしてある。「よべの泊《とま》りの十六小女郎《じふろくこぢよろ》、親がないとて、荒磯《ありそ》の千鳥、さよの寐覺《ねざめ》の千鳥に泣いた、親は船乘り波の底」「うまいのねえ、感心だ事、話せるぢやありませんか」「話せますかな」「えゝ是なら三味線に乘りますよ」「三味線に乘りや本物だ。是《これ》や如何《いかゞ》です」と迷亭は無暗に出す。「いえ、もう是《これ》丈《だけ》拜見すれば、ほかのは澤山で、そんなに野暮でないんだと云ふ事は分りましたから」と一人で合點して居る。鼻子は是で寒月に關する大抵の質問を卒《を》へたものと見えて、「是は甚だ失禮を致しました。どうか私の參つた事は寒月さんへは内々に願ひます」と得手勝手な要求をする。寒月の事は何でも聞かなければならないが、自分の方の事は一切寒月へ知らしてはならないと云ふ方針と見える。迷亭も主人も「はあ」と氣のない返事をすると「いづれ其内御禮は致しますから」と念を入れて言ひながら立つ。見送りに出た兩人《ふたり》が席へ返るや否や迷亭が「ありや何だい」と云ふと主人も「ありあ何だい」と双方から同じ問をかける。奧の部屋で細君が怺《こら》へ切れなかつたと見えてクツ/\笑ふ聲が聞える。迷亭は大きな聲を出して「奧さん/\、月並の標本が來ましたぜ。月並もあの位になると中々|振《ふる》つて居ますなあ。さあ遠慮は入らんから、存分御笑ひなさい」
 主人は不滿な口氣《こうき》で「第一氣に喰はん顔だ」と惡《にく》らしさうに云ふと、迷亭はすぐ引きうけて「鼻が顔の中央に陣取つて乙《おつ》に構へて居るなあ」とあとを付ける。「しかも曲つて居らあ」「少し猫脊《ねこぜ》だね。猫脊の鼻は、ちと奇拔《きばつ》過ぎる」と面白さうに笑ふ。「夫《をつと》を剋《こく》する顔だ」と主人は猶|口惜《くや》しさうである。「十九世紀で賣れ殘つて、二十世紀で店曝《たなざら》しに逢ふと云ふ相だ」と迷亭は妙な事ばかり云ふ。所へ妻君が奧の間《ま》から出て來て、女|丈《だけ》に「あんまり惡口を仰つしやると、又車屋の神さんにいつけ〔三字傍点〕られますよ」と注意する。「少しいつけ〔三字傍点〕る方が藥ですよ、奧さん」「然し顔の讒訴《ざんそ》抔《など》をなさるのは、餘り下等ですわ、誰だつて好んであんな鼻を持つてる譯でもありませんから――夫《それ》に相手が婦人ですからね、あんまり苛《ひど》いは」と鼻子の鼻を辯護すると、同時に自分の容貌も間接に辯護して置く。「何ひどいものか、あんなのは婦人ぢやない、愚人だ、ねえ迷亭君」「愚人かも知れんが、中々えら者だ、大分《だいぶ》引き掻かれたぢやないか」「全體ヘ師を何と心得て居るんだらう」「裏の車屋位に心得て居るのさ。あゝ云ふ人物に尊敬されるには博士になるに限るよ、一體博士になつて置かんのが君の不了見さ、ねえ奧さん、さうでせう」と迷亭は笑ひ乍ら細君を顧みる。「博士なんて到底駄目ですよ」と主人は細君に迄見離される。「是でも今になるかも知れん、輕蔑するな。貴樣なぞは知るまいが昔《むか》しアイソクラチスと云ふ人は九十四歳で大著述をした。ソフオクリスが傑作を出して天下を驚かしたのは、殆んど百歳の高齡だつた。シモニヂスは八十で妙詩を作つた。おれだつて……」「馬鹿々々しいは、あなたの樣な胃病でそんなに永く生きられるものですか」と細君はちやんと主人の壽命を豫算して居る。「失敬な、――甘木さんへ行つて聞いて見ろ――元來御前がこんな皺苦茶《しわくちや》な黒木綿の羽織や、つぎだらけの着物を着せて置くから、あんな女に馬鹿にされるんだ。あしたから迷亭の着て居る樣な奴を着るから出して置け」「出して置けつて、あんな立派な御召はござんせんは。金田の奧さんが迷亭さんに叮嚀になつたのは、伯父さんの名前を聞いてからですよ。着物の咎《とが》ぢや御座いません」と細君うまく責任を逃《の》がれる。
 主人は伯父さん〔四字傍点〕と云ふ言葉を聞いて急に思ひ出した樣に「君に伯父があると云ふ事は、今日始めて聞いた。今迄つひに噂をした事がないぢやないか、本當にあるのかい」と迷亭に聞く。迷亭は待つてたと云はぬ許《ばか》りに「うん其伯父さ、其伯父が馬鹿に頑物《ぐわんぶつ》でねえ――矢張り其十九世紀から連綿と今日《こんにち》迄《まで》生き延びて居るんだがね」と主人夫婦を半々に見る。「オホヽヽヽヽ面白い事|許《ばか》り仰《おつし》やつて、どこに生きて居らつしやるんです」「靜岡に生きてますがね、それが只生きてるんぢや無いです。頭にちよん髷《まげ》を頂いて生きてるんだから恐縮しまさあ。帽子を被《かぶ》れつてえと、おれは此年になるが、まだ帽子を被《かぶ》る程寒さを感じた事はないと威張つてるんです――寒いから、もつと寐て居らつしやいと云ふと、人間は四時間寐れば充分だ。四時間以上寐るのは贅澤の沙汰だつて朝暗いうちから起きてくるんです。それでね、おれも睡眠時間を四時間に縮めるには、永年修業をしたもんだ、若いふちは何うしても眠《ねむ》たくて行かなんだが、近頃に至つて始めて隨處任意の庶境《しよきやう》に入《い》つて甚だ嬉しいと自慢するんです。六十七になつて寐られなくなるなあ當り前でさあ。修業も糸瓜《へちま》も入《い》つたものぢやないのに當人は全く克己の力で成功したと思つてるんですからね。それで外出する時には、屹度《きつと》鐵扇《てつせん》をもつて出るんですがね」「なにゝするんだい」「何にするんだか分らない、只持つて出るんだね。まあステツキの代り位に考へてるかも知れんよ。所が先達《せんだつ》て妙な事がありましてね」と今度は細君の方へ話しかける。「へえー」と細君が差《さ》し合《あひ》のない返事をする。「此年《ことし》の春突然手紙を寄こして山高帽子とフロツクコートを至急送れと云ふんです。一寸驚ろいたから、郵便で問ひ返した所が老人自身が着ると云ふ返事が來ました。二十三日に靜岡で祝捷會《しゆくせふくわい》があるから夫《それ》迄《まで》に間《ま》に合ふ樣に、至急調達しろと云ふ命令なんです。所が可笑《をか》しいのは命令中にかうあるんです。帽子は好い加減な大きさのを買つて呉れ、洋服も寸法を見計らつて大丸《だいまる》へ注文して呉れ……」「近頃は大丸でも洋服を仕立てるのかい」「なあに、先生、白木屋《しろきや》と間違へたんだあね」「寸法を見計つて呉れたつて無理ぢやないか」「そこが伯父の伯父たる所さ」「どうした?」「仕方がないから見計らつて送つてやつた」「君も亂暴だな。夫《それ》で間に合つたのかい」「まあ、どうにか、かうにか落《お》つ付《つ》いたんだらう。國の新聞を見たら、當日牧山翁は珍らしくフロツクコートにて、例の鐵扇を持ち……」「鐵扇|丈《だけ》は離さなかつたと見えるね」「うん死んだら棺の中へ鐵扇|丈《だけ》は入れてやらうと思つて居るよ」「それでも帽子も洋服も、うまい具合に着られて善かつた」「所が大間違さ。僕も無事に行つて難有《ありがた》いと思つてると、暫くして國から小包が屆いたから、何か禮でも呉れた事と思つて開けて見たら例の山高帽子さ、手紙が添へてあつてね、切角御求め被下《くだされ》候《さふら》へども少々大きく候《そろ》間《あひだ》、帽子屋へ御遣はしの上、御縮め被下度《くだされたく》候《そろ》。縮め賃は小爲替にて此方《こなた》より御送《おんおくり》可申上《まをしあぐべく》候《そろ》とあるのさ」「成程迂濶だな」と主人は己《おの》れより迂濶なものゝ天下にある事を發見して大《おほい》に滿足の體《てい》に見える。やがて「それから、どうした」と聞く。「どうするつたつて仕方がないから僕が頂戴して被《かぶ》つて居らあ」「あの帽子かあ」と主人がにや/\笑ふ。「其|方《かた》が男爵で入《いら》つしやるんですか」と細君が不思議さうに尋ねる。「誰がです」「其鐵扇の伯父さまが」「なあに漢學者でさあ、若い時|聖堂《せいだう》で朱子學《しゆしがく》か、何かにこり固まつたものだから、電氣燈の下で恭《うや/\》しくちよん〔三字傍点〕髷《まげ》を頂いて居るんです。仕方がありません」とやたらに顋《あご》を撫で廻す。「それでも君は、さつきの女に牧山男爵と云つた樣だぜ」「さう仰つしやいましたよ、私も茶の間で聞いて居りました」と細君も是《これ》丈《だけ》は主人の意見に同意する。「さうでしたかなアハヽヽヽヽ」と迷亭は譯もなく笑ふ。「そりや嘘ですよ。僕に男爵の伯父がありや、今頃は局長位になつて居まさあ」と平氣なものである。「何だか變だと思つた」と主人は嬉しさうな、心配さうな顔付をする。「あらまあ、能く眞面目であんな嘘が付けますねえ。あなたも餘つ程|法螺《ほら》が御上手で居らつしやる事」と細君は非常に感心する。「僕より、あの女の方が上《う》は手《て》でさあ」「あなただつて御負けなさる氣遣はありません」「然し奧さん、僕の法螺は單なる法螺ですよ。あの女のは、みんな魂膽があつて、曰く付きの嘘ですぜ。たちが惡いです。猿智慧から割り出した術數と、天來の滑稽趣味と混同されちや、コメヂーの神樣も活眼の士なきを嘆ぜざるを得ざる譯に立ち至りますからな」主人は俯目《ふしめ》になつて「どうだか」と云ふ。妻君は笑ひながら「同じ事ですは」と云ふ。
 吾輩は今迄向ふ横丁へ足を踏み込んだ事はない。角屋敷の金田とは、どんな構へか見た事は無論ない。聞いた事さへ今が始めてゞある。主人の家《うち》で實業家が話頭に上《のぼ》つた事は一返もないので、主人の飯を食ふ吾輩迄が此方面には單に無關係なるのみならず、甚だ冷淡であつた。然るに先刻圖らずも鼻子の訪問を受けて、餘所《よそ》ながら其談話を拜聽し、其令孃の艶美を想像し、又其|富貴《ふうき》、權勢を思ひ浮べて見ると、猫ながら安閑として椽側に寐轉んで居られなくなつた。しかのみならず吾輩は寒月君に對して甚だ同情の至りに堪へん。先方では博士の奧さんやら、車屋の神さんやら、二絃琴の天璋院《てんしやうゐん》迄買収して知らぬ間《ま》に、前齒の缺けたのさへ探偵して居るのに、寒月君の方では只ニヤ/\して羽織の紐|許《ばか》り氣にして居るのは、如何に卒業したての理學士にせよ、餘り能がなさ過ぎる。と言つて、あゝ云ふ偉大な鼻を顔の中《うち》に安置して居る女の事だから、滅多な者では寄り付ける譯の者ではない。かう云ふ事件に關しては主人は寧ろ無頓着で且つ餘りに錢《ぜに》がなさ過ぎる。迷亭は錢に不自由はしないが、あんな偶然童子だから、寒月に援けを與へる便宜は尠《すくな》からう。して見ると可哀相《かはいさう》なのは首縊りの力學〔六字傍点〕を演説する先生|許《ばか》りとなる。吾輩でも奮發して、敵城へ乘り込んで其動靜を偵察してやらなくては、餘り不公平である。吾輩は猫だけれど、エピクテタスを讀んで机の上へ叩きつける位な學者の家《うち》に寄寓する猫で、世間一般の癡猫《ちべう》、愚猫《ぐべう》とは少しく撰を殊《こと》にして居る。此冒險を敢てする位の義侠心は固《もと》より尻尾《しつぽ》の先に疊み込んである。何も寒月君に恩になつたと云ふ譯もないが、是はたゞに個人の爲にする血氣躁狂《けつきさうきやう》の沙汰ではない。大きく云へば公平を好み中庸を愛する天意を現實にする天晴《あつぱれ》な美擧だ。人の許諾を經ずして吾妻橋事件|抔《など》を至る處に振り廻はす以上は、人の軒下に犬を忍ばして、其報道を得々として逢ふ人に吹聽する以上は、車夫、馬丁、無頼漢、ごろつき書生、日雇婆《ひやとひばゞあ》、産婆、妖婆《えうば》、按摩《あんま》、頓馬《とんま》に至る迄を使用して國家有用の材に煩《はん》を及ぼして顧みざる以上は――猫にも覺悟がある。幸ひ天氣も好い、霜解《しもどけ》は少々閉口するが道の爲めには一命もすてる。足の裏へ泥が着いて、椽側へ梅の花の印を押す位な事は、只|御三《おさん》の迷惑にはなるか知れんが、吾輩の苦痛とは申されない。翌日《あす》とも云はず是から出掛けやうと勇猛精進の大決心を起して臺所迄飛んで出たが「待てよ」と考へた。吾輩は猫として進化の極度に達して居るのみならず、腦力の發達に於ては敢て中學の三年生に劣らざる積りであるが、悲しいかな咽喉《のど》の構造|丈《だけ》はどこ迄も猫なので人間の言語が饒舌《しやべ》れない。よし首尾よく金田邸へ忍び込んで、充分敵の情勢を見屆けた所で、肝心の寒月君にヘへてやる譯に行かない。主人にも迷亭先生にも話せない。話せないとすれば土中にある金剛石《ダイヤモンド》の日を受けて光らぬと同じ事で、切角の智識も無用の長物となる。是は愚《ぐ》だ、やめ樣《やう》かしらんと上り口で佇《たゝず》んで見た。
 然し一度思ひ立つた事を中途で已《や》めるのは、白雨《ゆふだち》が來るかと待つて居る時黒雲|共《とも》隣國へ通り過ぎた樣に、何となく殘り惜しい。それも非がこつちにあれば格別だが、所謂正義の爲め、人道の爲なら、たとひい無駄|死《じに》をやる迄も進むのが、義務を知る男兒の本懷であらう。無駄骨を折り、無駄足を汚《よご》す位は猫として適當の所である。猫と生れた因果で寒月、迷亭、苦沙彌諸先生と三寸の舌頭に相互の思想を交換する技倆はないが、猫|丈《だけ》に忍びの術は諸先生より達者である。他人の出來ぬ事を成就するのは其《それ》自身に於て愉快である。吾一箇でも、金田の内幕を知るのは、誰も知らぬより愉快である。人に告げられんでも人に知られて居るなと云ふ自覺を彼等に與ふる丈《だけ》が愉快である。こんなに愉快が續々出て來ては行かずには居られない。矢張り行く事に致さう。
 向ふ横町へ來て見ると、聞いた通りの西洋館が角地面《かどぢめん》を吾物顔《わがものがほ》に占領して居る。この主人も此西洋館の如く傲慢《がうまん》に構へて居るんだらうと、門を這入つて其建築を眺めて見たが只人を威壓し樣《やう》と、二階作りが無意味に突つ立つて居る外に何等の能もない構造であつた。迷亭の所謂月並とは是であらうか。玄關を右に見て、植込の中を通り拔けて、勝手口へ廻る。さすがに勝手は廣い、苦沙彌先生の臺所の十倍は慥《たし》かにある。先達《せんだつ》て日本新聞に詳しく書いてあつた大隈伯の勝手にも劣るまいと思ふ位整然とぴか/\して居る。「模範勝手だな」と這入り込む。見ると漆喰《しつくひ》で叩き上げた二坪程の土間に、例の車屋の神さんが立ち乍ら、御飯焚きと車夫を相手に頻りに何か辯じて居る。こいつは劔呑《けんのん》だと水桶の裏へかくれる。「あのヘ師あ、うちの旦那の名を知らないのかね」と飯焚《めしたき》が云ふ。「知らねえ事があるもんか、此|界隈《かいわい》で金田さんの御屋敷を知らなけりや眼も耳もねえ片輪だあな」是は抱へ車夫の聲である。「なんとも云へないよ。あのヘ師と來たら、本より外に何にも知らない變人なんだからねえ。旦那の事を少しでも知つてりや恐れるかも知れないが、駄目だよ、自分の小供の歳《とし》さへ知らないんだもの」と神さんが云ふ。「金田さんでも恐れねえかな、厄介な唐變木《たうへんぼく》だ。構《かま》あ事《こと》あねえ、みんなで威嚇《おど》かしてやらうじやねえか」「それが好いよ。奧樣の鼻が大き過ぎるの、顔が氣に喰はないのつて――そりあ酷《ひど》い事を云ふんだよ。自分の面《つら》あ今戸燒《いまどやき》の狸《たぬき》見た樣な癖に――あれで一人前《いちにんまへ》だと思つて居るんだから遣れ切れないぢやないか」「顔ばかりぢやない、手拭を提げて湯に行く所からして、いやに高慢ちきぢやないか。自分位えらい者は無い積りで居るんだよ」と苦沙彌先生は飯焚にも大《おほい》に不人望である。「何でも大勢であいつの垣根の傍《そば》へ行つて惡口を散々いつてやるんだね」「さうしたら屹度恐れ入るよ」「然しこつちの姿を見せちやあ面白くねえから、聲|丈《だけ》聞かして、勉強の邪魔をした上に、出來る丈《だけ》ぢらして遣れつて、さつき奧樣が言ひ付けて御出《おいで》なすつたぜ」「そりや分つて居るよ」と神さんは惡口の三分の一を引き受けると云ふ意味を示す。成程此手合が苦沙彌先生を冷やかしに來るなと三人の横を、そつと通り拔けて奧へ這入る。
 猫の足はあれども無きが如し、どこを歩いても不器用な音のした試しがない。空を踏むが如く、雲を行くが如く、水中に磬《けい》を打つが如く、洞裏《とうり》に瑟《しつ》を鼓《こ》するが如く、醍醐《だいご》の妙味を甞《な》めて言詮《ごんせん》の外《ほか》に冷暖《れいだん》を自知《じち》するが如し。月並な西洋館もなく、模範勝手もなく、車屋の神さんも、權助《ごんすけ》も、飯焚《めしたき》も、御孃さまも、仲働きも、鼻子夫人も、夫人の旦那樣もない。行きたい所へ行つて聞き度い話を聞いて、舌を出し尻尾《しつぽ》を掉《ふ》つて、髭をぴんと立てゝ悠々と歸るのみである。ことに吾輩は此道に掛けては日本一の堪能《かんのう》である。草双紙《くさざうし》にある猫又《ねこ又》の血脉を受けて居りはせぬかと自《みづか》ら疑ふ位である。蟇《がま》の額《ひたひ》には夜光《やくわう》の明珠《めいしゆ》があると云ふが、吾輩の尻尾には神祇《しんぎ》釋ヘ《しやくけう》戀《こひ》無常《むじやう》は無論の事、滿天下の人間を馬鹿にする一家相傳《いつかさうでん》の妙藥が詰め込んである。金田家の廊下を人の知らぬ間《ま》に横行する位は、仁王樣が心太《ところてん》を踏み潰すよりも容易である。此時吾輩は我ながら、わが力量に感服して、是も普段大事にする尻尾の御蔭だなと氣が付いて見ると只置かれない。吾輩の尊敬する尻尾大明神を禮拜《らいはい》してニヤン運長久を祈らばやと、一寸低頭して見たが、どうも少し見當が違ふ樣である。可成《なるべく》尻尾の方を見て三拜しなければならん。尻尾の方を見《み》樣《やう》と身體を廻すと尻尾も自然と廻る。追付かうと思つて首をねぢると、尻尾も同じ間隔をとつて、先へ馳け出す。成程|天地玄黄《てんちげんくわう》を三寸|裏《り》に収める程の靈物だけあつて、到底吾輩の手に合はない、尻尾を環《めぐ》る事|七度《なゝた》び半にして草臥《くたび》れたからやめにした。少々眼がくらむ。どこに居るのだか一寸方角が分らなくなる。構ふものかと滅茶苦茶にあるき廻る。障子の裏《うち》で鼻子の聲がする。こゝだと立ち留まつて、左右の耳をはすに切つて、息を凝らす。「貧乏ヘ師の癖に生意氣ぢやありませんか」と例の金切《かなき》り聲を振り立てる。「うん、生意氣な奴だ、ちと懲《こ》らしめの爲にいぢめてやらう。あの學校にや國のものも居るからな」「誰が居るの?」「津木《つき》ピン助《すけ》や福地《ふくち》キシヤゴが居るから、頼んでからかはしてやらう」吾輩は金田君の生國《しやうごく》は分らんが、妙な名前の人間|許《ばか》り揃つた所だと少々驚いた。金田君は猶《なほ》語をついで、「あいつは英語のヘ師かい」と聞く。「はあ、車屋の神さんの話では英語のリードルか何か專門にヘへるんだつて云ひます」「どうせ碌なヘ師ぢやあるめえ」あるめえ〔四字傍点〕にも尠なからず感心した。「此間ピン助に遇つたら、私《わたし》の學校にや妙な奴が居ります。生徒から先生番茶〔二字傍点〕は英語で何と云ひますと聞かれて、番茶〔二字傍点〕は savage tea であると眞面目に答へたんで、ヘ員間の物笑ひとなつて居ます、どうもあんなヘ員があるから、ほかのものゝ、迷惑になつて困りますと云つたが、大方あいつの事だぜ」「あいつに極つて居まさあ、そんな事を云ひさうな面構《つらがま》へですよ、いやに髭なんか生やして」「怪《け》しからん奴だ」髭を生やして怪《け》しからなければ猫|抔《など》は一疋だつて怪《け》しかり樣《やう》がない。「それにあの迷亭とか、へゞれけとか云ふ奴は、まあ何てえ、頓狂な跳返《はねつかへ》りなんでせう、伯父の牧山男爵だなんて、あんな顔に男爵の伯父なんざ、有る筈がないと思つたんですもの」「御前がどこの馬の骨だか分らんものゝ言ふ事を眞《ま》に受けるのも惡い」「惡いつて、あんまり人を馬鹿にし過ぎるぢやありませんか」と大變殘念さうである。不思議な事には寒月君の事は一言半句《いちごんはんく》も出ない。吾輩の忍んで來る前に評判記は濟んだものか、又は既に落第と事が極つて念頭にないものか、其《その》邊《へん》は懸念もあるが仕方がない。暫く佇んで居ると廊下を隔てゝ向ふの座敷でベルの音がする。そらあすこにも何か事がある。後《おくく》れぬ先に、と其方角へ歩を向ける。
 來て見ると女が獨りで何か大聲で話して居る。其聲が鼻子とよく似て居る所を以て推すと、是が即ち當家の令孃寒月君をして未遂入水《みすゐじゆすゐ》を敢てせしめたる代物《しろもの》だらう。惜哉《をしいかな》障子越しで玉の御姿《おんすがた》を拜する事が出來ない。從つて顔の眞中に大きな鼻を祭り込んで居るか、どうだか受合へない。然し談話の模樣から鼻息の荒い所|抔《など》を綜合して考へて見ると、滿更《まんざら》人の注意を惹かぬ獅鼻《しゝばな》とも思はれない。女は頻りに喋舌《しやべ》つて居るが相手の聲が少しも聞えないのは、噂にきく電話といふものであらう。「御前は大和《やまと》かい。明日《あした》ね、行くんだからね、鶉《うづら》の三を取つて置いて御呉れ、いゝかえ――分つたかい――なに分らない? おやいやだ。鶉《うづら》の三を取るんだよ。――なんだつて、――取れない? 取れない筈はない、とるんだよ――へヽヽヽヽ御冗談をだつて――何が御冗談なんだよ――いやに人を御ひやらかすよ。全體御前は誰だい。長吉《ちやうきち》だ? 長吉なんぞぢや譯が分らない。お神さんに電話口へ出ろつて御云ひな――なに? 私《わたく》しで何でも辯じます?――お前は失敬だよ。妾《あた》しを誰だか知つてるのかい。金田だよ。――へヽヽヽヽ善く存じて居りますだつて。ほんとに馬鹿だよ此人あ。――金田だつてえばさ。――なに?――毎度御贔屓にあづかりまして難有《ありがた》う御座います?――何が難有《ありがた》いんだね。御禮なんか聞きたかあないやね――おや又笑つてるよ。御前は餘つ程|愚物《ぐぶつ》だね。――仰せの通りだつて?――あんまり人を馬鹿にすると電話を切つて仕舞ふよ。いゝのかい。困らないのかよ――黙つてちや分らないぢやないか、何とか御云ひなさいな」電話は長吉の方から切つたものか何の返事もないらしい。令孃は癇癪を起してやけにベル〔二字傍点〕をジヤラ/\と廻す。足元で狆《ちん》が驚ろいて急に吠え出す。是は迂濶に出來ないと、急に飛び下りて椽の下へもぐり込む。
 折柄廊下を近《ちかづ》く足音がして障子を開ける音がする。誰か來たなと一生懸命に聞いて居ると「御孃樣、旦那樣と奧樣が呼んで入らつしやいます」と小間使らしい聲がする。「知らないよ」と令孃は劔突《けんつく》を食はせる。「一寸用があるから孃《ぢやう》を呼んで來いと仰つしやいました」「うるさいね、知らないてば」と令孃は第二の劔突《けんつく》を食はせる。「……水島寒月さんの事で御用があるんださうで御座います」と小間使は氣を利かして機嫌を直さうとする。「寒月でも、水月でも知らないんだよ――大嫌ひだわ、糸瓜《へちま》が戸迷《とまど》ひをした樣な顔をして」第三の劔突は、憐れなる寒月君が、留守中に頂戴する。「おや御前いつ束髪《そくはつ》に結《い》つたの」小間使はほつと一息ついて「今日《こんにち》」と可成《なるべく》單簡《たんかん》な挨拶をする。「生意氣だねえ、小間使の癖に」と第四の劔突を別方面から食はす。「そうして新しい半襟を掛けたぢやないか」「へえ、先達《せんだつ》て御孃樣から頂きましたので、結構過ぎて勿體ないと思つて行李の中へ仕舞つて置きましたが、今迄のが餘り汚《よご》れましたからかけ易へました」「いつ、そんなものを上げた事があるの」「此御正月、白木屋へ入らつしやいまして、御求め遊ばしたので――鶯茶《うぐひすちや》へ相撲《すまふ》の番附《ばんづけ》を染め出したので御座います。妾《あた》しには地味過ぎていやだから御前に上げ樣《やう》と仰つしやつた、あれで御座います」「あらいやだ。善く似合ふのね。にくらしいは」「恐れ入ります」「褒めたんぢやない。にくらしいんだよ」「へえ」「そんなによく似合ふものを何故《なぜ》だまつて貰つたんだい」「へえ」「御前にさへ、其位似合ふなら、妾《あた》しにだつて可笑《をか》しい事あないだらうぢやないか」「屹度よく御似合ひ遊ばします」「似あふのが分つてる癖に何故《なぜ》黙つてゐるんだい。そうして濟《すま》まして掛けて居るんだよ、人の惡い」劔突は留めどもなく連發される。此さき、事局はどう發展するかと謹聽して居る時、向ふの座敷で「富子や、富子や」と大きな聲で金田君が令孃を呼ぶ。令孃は已《やむ》を得ず「はい」と電話室を出て行く。吾輩より少し大きな狆《ちん》が顔の中心に眼と口を引き集めた樣な面《かほ》をして付いて行く。吾輩は例の忍び足で再び勝手から往來へ出て、急いで主人の家に歸る。探險は先づ十二分の成蹟《せいせき》である。
 歸つて見ると、奇麗な家《うち》から急に汚ない所へ移つたので、何だか日當りの善い山の上から薄黒い洞窟《どうくつ》の中へ入《はい》り込んだ樣な心持ちがする。探險中は、ほかの事に氣を奪はれて部屋の裝飾、襖、障子の具合|抔《など》には眼も留らなかつたが、わが住居《すまひ》の下等なるを感ずると同時に彼《か》の所謂月並が戀しくなる。ヘ師よりも矢張り實業家がえらい樣に思はれる。吾輩も少し變だと思つて、例の尻尾《しつぽ》に伺ひを立てゝ見たら、其通り其通りと尻尾の先から御託宣《ごたくせん》があつた。座敷へ這入つて見ると驚いたのは迷亭先生まだ歸らない、卷烟草の吸ひ殼を蜂の巣の如く火鉢の中へ突き立てゝ、大胡坐《おほあぐら》で何か話し立てゝ居る。いつの間《ま》にか寒月君さへ來て居る。主人は手枕をして天井の雨洩《あまもり》を餘念もなく眺めて居る。不相變《あひかはらず》太平の逸民の會合である。
 「寒月君、君の事を譫語《うはこと》に迄言つた婦人の名は、當時秘密であつた樣だが、もう話しても善からう」と迷亭がからかひ出す。「御話しをしても、私|丈《だけ》に關する事なら差支へないんですが、先方の迷惑になる事ですから」「まだ駄目かなあ」「それに○○博士夫人に約束をして仕舞つたもんですから」「他言をしないと云ふ約束かね」「えゝ」と寒月君は例の如く羽織の紐をひねくる。其紐は賣品にあるまじき紫色である。「其紐の色は、ちと天保調《てんぱうてう》だな」と主人が寐ながら云ふ。主人は金田事件|抔《など》には無頓着である。「さうさ、到底日露戰爭時代のものではないな。陣笠に立葵《たちあふひ》の紋の付いたぶつ割《さ》き羽織でも着なくつちや納まりの付かない紐だ。織田信長が聟入をするとき頭の髪を茶筌《ちやせん》に結《い》つたと云ふが其節用いたのは、慥《たし》かそんな紐だよ」と迷亭の文句は不相變《あひかはらず》長い。「實際是は爺《ぢゞい》が長州征伐の時に用いたのです」と寒月君は眞面目である。「もういゝ加減に博物館へでも献納してはどうだ。首縊りの力學〔六字傍点〕の演者、理學士水島寒月君ともあらうものが、賣れ殘りの旗本の樣な出《い》で立《たち》をするのはちと體面に關する譯だから」「御忠告の通りに致してもいゝのですが、此紐が大變よく似合ふと云つて呉れる人もありますので――」「誰だい、そんな趣味のない事を云ふのは」と主人は寐返りを打ちながら大きな聲を出す。「それは御存じの方なんぢやないんで――」「御存じでなくてもいゝや、一體誰だい」「去る女性《によしやう》なんです」「ハヽヽヽヽ餘程茶人だなあ、當てゝ見《み》樣《やう》か、矢張り隅田川の底から君の名を呼んだ女なんだらう、其羽織を着てもう一返|御駄佛《おだぶつ》を極め込んぢやどうだい」と迷亭が横合から飛び出す。「へヽヽヽヽもう水底から呼んでは居りません。こゝから乾《いぬゐ》の方角にあたる清淨《しやうじやう》な世界で……」「あんまり清淨《しやうじやう》でもなさゝうだ、毒々しい鼻だぜ」「へえ?」と寒月は不審な顔をする。「向ふ横丁の鼻がさつき押しかけて來たんだよ、こゝへ、實に僕等二人は驚いたよ、ねえ苦沙彌君」「うむ」と主人は寐ながら茶を飲む。「鼻つて誰の事です」「君の親愛なる久遠《くをん》の女性《によしやう》の御母堂樣だ」「へえー」「金田の妻《さい》といふ女が君の事を聞きに來たよ」と主人が眞面目に説明してやる。驚くか、嬉しがるか、耻づかしがるかと寒月君の樣子を窺《うかゞ》つて見ると別段の事もない。例の通り靜かな調子で「どうか私に、あの娘を貰つて呉れと云ふ依頼なんでせう」と、又紫の紐をひねくる。「所が大違さ。其御母堂なるものが偉大なる鼻の所有|主《ぬし》でね……」迷亭が半《なか》ば言ひ懸けると、主人が「おい君、僕はさつきから、あの鼻に就て俳體詩《はいたいし》を考へて居るんだがね」と木に竹を接《つ》いだ樣な事を云ふ。隣の室《へや》で妻君がくす/\笑ひ出す。「隨分君も呑氣《のんき》だなあ出來たのかい」「少し出來た。第一句が此顔に鼻祭り〔六字傍点〕と云ふのだ」「夫《それ》から?」「次が此鼻に神酒供へ〔七字傍点〕といふのさ」「次の句は?」「まだ夫《それ》ぎりしか出來て居らん」「面白いですな」と寒月君がにや/\笑ふ。「次へ穴二つ幽かなり〔七字傍点〕と付けちやどうだ」と迷亭はすぐ出來る。すると寒月が「奧深く毛も見えず〔八字傍点〕はいけますまいか」と各々《おの/\》出鱈目《でたらめ》を並べて居ると、垣根に近く、往來で「今戸燒《いまどやき》の狸《たぬき》/\」と四五人わい/\云ふ聲がする。主人も迷亭も一寸驚ろいて表の方を、垣の隙からすかして見ると「ワハヽヽヽヽ」と笑ふ聲がして遠くへ散る足の音がする。「今戸燒の狸といふな何だい」と迷亭が不思議さうに主人に聞く。「何だか分らん」と主人が答へる。「中々|振《ふる》つて居ますな」と寒月君が批評を加へる。迷亭は何を思ひ出したか急に立ち上つて「吾輩は年來美學上の見地から此鼻に就て研究した事が御座いますから、其|一斑《いつぱん》を披瀝《ひれき》して、御兩君の清聽を煩はし度いと思ひます」と演舌の眞似をやる。主人は餘りの突然にぼんやりして無言の儘迷亭を見て居る。寒月は「是非|承《うけたまは》りたいものです」と小聲で云ふ。「色々調べて見ましたが鼻の起源はどうも確《しか》と分りません。第一の不審は、もし是を實用上の道具と假定すれば穴が二つで澤山である。何もこんなに横風《わうふう》に眞中から突き出して見る必用がないのである。所がどうして段々御覽の如く斯樣にせり出して參つたか」と自分の鼻を抓《つま》んで見せる。「あんまりせり出しても居らんぢやないか」と主人は御世辭のない所を云ふ。「兎に角引つ込んでは居りませんからな。只二個の孔が併《なら》んで居る?體と混同なすつては、誤解を生ずるに至るかも計られませんから、豫《あらかじ》め御注意をして置きます。――で愚見によりますと鼻の發達は吾々人間が鼻汁《はな》をかむと申す微細なる行爲の結果が自然と蓄積してかく著明なる現象を呈出したもので御座います」「佯《いつは》りのない愚見だ」と又主人が寸評を挿入する。「御承知の通り鼻汁《はな》をかむ時は、是非鼻を抓《つま》みます、鼻を抓《つま》んで、ことに此局部|丈《だけ》に刺激を與へますと、進化論の大原則によつて、此局部は此刺激に應ずるが爲め他に比例して不相當な發達を致します。皮も自然堅くなります、肉も次第に硬くなります。遂《つ》ひに凝《こ》つて骨となります」「それは少し――さう自由に肉が骨に一足飛に變化は出來ますまい」と理學士|丈《だけ》あつて寒月君が抗議を申し込む。迷亭は何喰はぬ顔で陳《の》べ續ける。「いや御不審は御尤ですが論より證據此通り骨があるから仕方がありません。既に骨が出來る。骨は出來ても鼻汁《はな》は出ますな。出ればかまずには居られません。此作用で骨の左右が削り取られて細い高い隆起と變化して參ります――實に恐ろしい作用です。點滴《てんてき》の石を穿《うが》つが如く、賓頭顱《びんづる》の頭が自《おのづ》から光明を放つが如く、不思議薫《ふしぎくん》不思議臭《ふしぎしう》の喩《たとへ》の如く、斯樣《かやう》に鼻筋が通つて堅くなります。「それでも君のなんぞ、ぶく/\だぜ」「演者自身の局部は回護《くわいご》の恐れがありますから、態《わざ》と論じません。かの金田の御母堂の持たせらるゝ鼻の如きは、尤も發達せる尤も偉大なる天下の珍品として御兩君に紹介して置きたいと思ひます」寒月君は思はずヒヤヽヽと云ふ。「然し物も極度に達しますと偉觀には相違御座いませんが何となく怖しくて近づき難いものであります。あの鼻梁《びりやう》抔《など》は素晴しいには違ひ御座いませんが、少々|峻嶮《しゆんけん》過ぎるかと思はれます。古人のうちにてもソクラチス、ゴールドスミス若《もし》くはサツカレーの鼻|抔《など》は構造の上から云ふと隨分申し分《ぶん》は御座いませうが其申し分《ぶん》のある所に愛嬌が御座います。鼻高きが故に貴《たつと》からず、奇《き》なるが爲に貴《たつと》しとは此故でも御座いませうか。下世話《げせわ》にも鼻より團子と申しますれば美的價値から申しますと先づ迷亭位の所が適當かと存じます」寒月と主人は「フヽヽヽ」と笑ひ出す。迷亭自身も愉快さうに笑ふ。「偖《さて》只今迄辯じましたのは――」「先生辯じました〔五字傍点〕は少し講釋師の樣で下品ですから、よして頂きませう」と寒月君は先日の復讐をやる。「左樣《さやう》然らば顔を洗つて出直しませうかな。――えゝ――是から鼻と顔の權衡《けんかう》に一言《いちごん》論及したいと思ひます。他に關係なく單獨に鼻論《はなろん》をやりますと、かの御母堂|抔《など》はどこへ出しても耻づかしからぬ鼻――鞍馬山で展覽會があつても恐らく一等賞だらうと思はれる位な鼻を所有して入らせられますが、悲しいかなあれは眼、口、其他の諸先生と何等の相談もなく出來上つた鼻であります。ジユリアス、シーザーの鼻は大したものに相違御座いません。然しシーザーの鼻を鋏でちよん切つて、當家の猫の顔へ安置したらどんな者で御座いませうか。喩《たと》へにも猫の額と云ふ位な地面へ、英雄の鼻柱が突兀《とつこつ》として聳えたら、碁盤の上へ奈良の大佛を据え付けた樣なもので、少しく比例を失するの極、其美的價値を落す事だらうと思ひます。御母堂の鼻はシーザーのそれの如く、正《まさ》しく英姿《えいし》颯爽《さつさう》たる隆起に相違御座いません。然し其周圍を圍繞《ゐねう》する顔面的條件は如何《いかゞ》な者でありませう。無論當家の猫の如く劣等ではない。然し癲癇病《てんかんや》みの御かめ〔三字傍点〕の如く眉の根に八字を刻んで、細い眼を釣るし上げらるゝのは事實であります。諸君、此顔にして此鼻ありと嘆ぜざるを得んではありませんか」迷亭の言葉が少し途切れる途端、裏の方で「まだ鼻の話しをして居るんだよ。何てえ剛突《がうつ》く張《ばり》だらう」と云ふ聲が聞える。「車屋の神さんだ」と主人が迷亭にヘへてやる。迷亭は又やり初める。「計らざる裏手にあたつて、新たに異性の傍聽者のある事を發見したのは演者の深く名譽と思ふところであります。ことに宛轉《ゑんてん》たる嬌音《けうおん》をもつて、乾燥なる講筵《かうえん》に一點の艶味《えんみ》を添へられたのは實に望外の幸福であります。可成《なるべく》通俗的に引き直して佳人淑女《かじんしゆくぢよ》の眷顧《けんこ》に背《そむ》かざらん事を期する譯でありますが、是からは少々力學上の問題に立ち入りますので、勢《いきほひ》御婦人方には御分りにくいかも知れません、どうか御辛防を願ひます」寒月君は力學と云ふ語を聞いて又にや/\する。「私の證據立て樣《やう》とするのは、此鼻と此顔は到底調和しない。ツアイシングの黄金律〔三字傍点〕を失して居ると云ふ事なんで、夫《それ》を嚴格に力學上の公式から演繹《えんえき》して御覽に入れ樣《やう》と云ふのであります。先づHを鼻の高さとします。αは鼻と顔の平面の交叉《かうさ》より生ずる角度であります。Wは無論鼻の重量と御承知下さい。どうです大抵お分りになりましたか。……」「分るものか」と主人が云ふ。「寒月君はどうだい」「私にもちと分りかねますな」「そりや困つたな。苦沙彌《くしやみ》はとにかく、君は理學士だから分るだらうと思つたのに。此式が演説の首腦なんだから是を略しては今迄やつた甲斐がないのだが――まあ仕方がない。公式は略して結論|丈《だけ》話さう」「結論があるか」と主人が不思議さうに聞く。「當り前さ結論のない演舌は、デザートのない西洋料理の樣なものだ、――いゝか兩君能く聞き給へ、是からが結論だぜ。――偖《さて》以上の公式にウイルヒヨウ、ワイスマン諸家の説を參酌して考へて見ますと、先天的形體の遺傳は無論の事許さねばなりません。又此形體に追陪《つゐばい》して起る心意的?況は、たとひ後天性は遺傳するものにあらずとの有力なる説あるにも關せず、ある程度迄は必然の結果と認めねばなりません。從つて斯くの如く身分に不似合なる鼻の持主の生んだ子には、其鼻にも何か異?がある事と察せられます。寒月君|抔《など》は、まだ年が御若いから金田令孃の鼻の構造に於て特別の異?を認められんかも知れませんが、かゝる遺傳は潜伏期の長いものでありますから、いつ何時《なんどき》氣候の劇變と共に、急に發達して御母堂のそれの如く、咄嗟《とつさ》の間《かん》に膨脹するかも知れません、それ故に此御婚儀は、迷亭の學理的論證によりますと、今の中御斷念になつた方が安全かと思はれます、是には當家の御主人は無論の事、そこに寐て居らるゝ猫又殿《ねこまたどの》にも御異存は無からうと存じます」主人は漸々《やう/\》起き返つて「そりや無論さ。あんなものゝ娘を誰が貰ふものか。寒月君もらつちやいかんよ」と大變熱心に主張する。吾輩も聊《いさゝ》か賛成の意を表する爲ににやー/\と二聲|許《ばか》り鳴いて見せる。寒月君は別段騷いだ樣子もなく「先生方の御意向がさうなら、私は斷念してもいゝんですが、もし當人がそれを氣にして病氣にでもなつたら罪ですから――」「ハヽヽヽヽ艶罪《えんざい》と云ふ譯《わけ》だ」主人丈は大《おほい》にむきになつて「そんな馬鹿があるものか、あいつの娘なら碌《ろく》な者でないに極つてらあ。初めて人のうちへ來ておれを遣り込めに掛つた奴だ。傲慢《がうまん》な奴だ」と獨りでぷん/\する。すると又垣根のそばで三四人が「ワハヽヽヽヽ」と云ふ聲がする。一人が「高慢ちきな唐變木《たうへんぼく》だ」と云ふと一人が「もつと大きな家《うち》へ這入りてえだらう」と云ふ。又一人が「御氣の毒だが、いくら威張つたつて蔭辯慶《かげべんけい》だ」と大きな聲をする。主人は椽側へ出て負けない樣な聲で「八釜《やかま》しい、何だわざ/\そんな塀の下へ來て」と怒鳴《どな》る。「ワハヽヽヽヽサ※[エに濁點]ジ、チーだ、サ※[エに濁點]ジ、チーだ」と口々に罵しる。主人は大《おほい》に逆鱗《げきりん》の體《てい》で突然|起《た》つてステツキを持つて、往來へ飛び出す。迷亭は手を拍《う》つて「面白い、やれ/\」と云ふ。寒月は羽織の紐を撚《ひね》つてにや/\する。吾輩は主人のあとを付けて垣の崩れから往來へ出て見たら、眞中に主人が手持無沙汰にステツキを突いて立つて居る。人通りは一人もない、一寸狐に抓《つま》まれた體《てい》である。
 
     四
 
 例によつて金田邸へ忍び込む。
 例によつて〔五字傍点〕とは今更解釋する必要もない。?〔傍点〕を自乘《じじよう》した程の度合を示す語《ことば》である。一度遣つた事は二度遣りたいもので、二度試みた事は三度試みたいのは人間にのみ限らるゝ好奇心ではない、猫と雖《いへど》も此心理的特權を有して此世界に生れ出でたものと認定して頂かねばならぬ。三度以上繰返す時始めて習慣なる語を冠せられて、此行爲が生活上の必要と進化するのも又人間と相違はない。何の爲めに、かく迄|足《あし》繁《しげ》く金田邸へ通ふのかと不審を起すなら其前に一寸人間に反問し度《た》い事がある。なぜ人間は口から烟を吸ひ込んで鼻から吐き出すのであるか、腹の足《た》しにも血の道の藥にもならないものを、耻かし氣《げ》もなく吐呑《とどん》して憚からざる以上は、吾輩が金田に出入《しゆつにふ》するのを、あまり大きな聲で咎《とが》め立《だ》てをして貰ひたくない。金田邸は吾輩の烟草である。
 忍び込む〔四字傍点〕と云ふと語弊がある、何だか泥棒か間男《まをとこ》の樣で聞き苦しい。吾輩が金田邸へ行くのは、招待こそ受けないが、決して鰹《かつを》の切身《きりみ》をちよろまかしたり、眼鼻が顔の中心に痙攣的《けいれんてき》に密着して居る狆君《ちんくん》抔《など》と密談する爲ではない。――何探偵?――以ての外の事である。凡《およ》そ世の中に何が賤しい家業だと云つて探偵と高利貸程下等な職はないと思つて居る。成程《なるほど》寒月君の爲めに猫にあるまじき程の義侠心を起して、一度《ひとたび》は金田家の動靜を餘所《よそ》ながら窺つた事はあるが、それは只の一遍で、其後は決して猫の良心に耻づる樣な陋劣《ろうれつ》な振舞を致した事はない。――そんなら、何故《なぜ》忍び込む〔四字傍点〕と云ふ樣な胡亂《うろん》な文字《もんじ》を使用した?――さあ、それが頗る意味のある事だて。元來吾輩の考によると大空《たいくう》は萬物を覆ふ爲め大地《だいち》は萬物を載せる爲に出來て居る――如何に執拗《しつあう》な議論を好む人間でも此事實を否定する譯には行くまい。偖《さて》此|大空大地《たいくうだいち》を製造する爲に彼等人類はどの位の勞力を費やして居るかと云ふと尺寸《せきすん》の手傳もして居らぬではないか。自分が製造して居らぬものを自分の所有と極める法はなからう。自分の所有と極めても差し支ないが他の出入《しゆつにふ》を禁ずる理由はあるまい。此茫々たる大地を、小賢《こざか》しくも垣を圍《めぐ》らし棒杭《ぼうぐひ》を立てゝ某々所有地|抔《など》と劃し限るのは恰《あたか》もかの蒼天《さうてん》に繩張《なはばり》して、この部分は我《われ》の天、あの部分は彼《かれ》の天と屆け出る樣な者だ。もし土地を切り刻んで一坪いくらの所有權を賣買するなら我等が呼吸する空氣を一尺立方に割つて切賣をしても善い譯である。空氣の切賣が出來ず、空の繩張が不當なら地面の私有も不合理ではないか。如是觀《によぜくわん》によりて、如是法《によぜほふ》を信じて居る吾輩はそれだからどこへでも這入つて行く。尤行き度くない處へは行かぬが、志す方角へは東西南北の差別は入らぬ、平氣な顔をして、のそ/\と參る。金田如きものに遠慮をする譯がない。――然し猫の悲しさは力づくでは到底人間には叶《かな》はない。強勢は權利なりとの格言さへある此浮世に存在する以上は、如何に此方《こつち》に道理があつても猫の議論は通らない。無理に通さうとすると車屋の黒の如く不意に肴屋《さかなや》の天秤棒《てんびんぼう》を喰《くら》ふ恐れがある。理は此方《こつち》にあるが權力は向ふにあると云ふ場合に、理を曲げて一も二もなく屈從するか、又は權力の目を掠《かす》めて我理を貫くかと云へば、吾輩は無論後者を擇《えら》ぶのである。天秤棒は避けざる可からざるが故に、忍〔傍点〕ばざるべからず。人の邸内へは這入り込んで差支へなき故|込〔傍点〕まざるを得ず。此故に吾輩は金田邸へ忍び込む〔四字傍点〕のである。
 忍び込む度《ど》が重なるにつけ、探偵をする氣はないが自然金田君一家の事情が見度くもない吾輩の眼に映じて覺え度くもない吾輩の腦裏に印象を留《とゞ》むるに至るのは已《やむ》を得ない。鼻子夫人が顔を洗ふたんびに念を入れて鼻|丈《だけ》拭く事や、富子令孃が阿倍川餠《あべかはもち》を無暗に召し上がらるゝ事や、夫《それ》から金田君自身が――金田君は妻君に似合はず鼻の低い男である。單に鼻のみではない、顔全體が低い。小供の時分喧嘩をして、餓鬼大將《がきだいしやう》の爲に頸筋《くびすぢ》を捉《つら》まへられて、うんと精一杯に土塀へ壓《お》し付けられた時の顔が四十年後の今日《こんにち》迄《まで》、因果をなして居りはせぬかと怪《あやし》まるゝ位|平坦《へいたん》な顔である。至極穩かで危險のない顔には相違ないが、何となく變化に乏しい。いくら怒《おこ》つても平《たひら》かな顔である。――其金田君が鮪《まぐろ》の刺身《さしみ》を食つて自分で自分の禿頭《はげあたま》をぴちや/\叩く事や、それから顔が低い許《ばか》りでなく脊《せい》が低いので、無暗に高い帽子と高い下駄を穿《は》く事や、夫《それ》を車夫が可笑《をか》しがつて書生に話す事や、書生が成程君の觀察は機敏だと感心する事や、――一々數へ切れない。
 近頃は勝手口の横を庭へ通り拔けて、築山の陰から向ふを見渡して障子が立て切つて物靜かであるなと見極めがつくと、徐々《そろ/\》上り込む。もし人聲が賑かであるか、座敷から見透《みす》かさるゝ恐れがあると思へば池を東へ廻つて雪隱《せついん》の横から知らぬ間《ま》に椽の下へ出る。惡い事をした覺はないから何も隱れる事も、恐れる事もないのだが、そこが人間と云ふ無法者に逢つては不運と諦めるより仕方がないので、若し世間が熊坂長範《くまさかちやうはん》許《ばか》りになつたら如何なる盛コの君子も矢張り吾輩の樣な態度に出づるであらう。金田君は堂々たる實業家であるから固《もと》より熊坂長範《くまさかちやうはん》の樣に五尺三寸を振り廻す氣遣はあるまいが、承《うけたまは》る處によれば人を人と思はぬ病氣があるさうである。人を人と思はない位なら猫を猫とも思ふまい。して見れば猫たるものは如何なる盛コの猫でも彼の邸内で決して油斷は出來ぬ譯である。然し其油斷の出來ぬ所が吾輩には一寸面白いので、吾輩がかく迄に金田家の門を出入《しゆつにふ》するのも、只此危險が冒して見たい許《ばか》りかも知れぬ。それは追つて篤《とく》と考へた上、猫の腦裏を殘りなく解剖し得た時改めて御吹聽《ごふいちやう》仕《つかまつ》らう。
 今日はどんな模樣だなと、例の築山の芝生《しばふ》の上に顎を押しつけて前面を見渡すと十五疊の客間を彌生《やよひ》の春に明け放つて、中には金田夫婦と一人の來客との御話《おはなし》最中《さいちゆう》である。生憎《あいにく》鼻子夫人の鼻が此方《こつち》を向いて池越しに吾輩の額の上を正面から睨め付けて居る。鼻に睨まれたのは生れて今日が始めてゞある。金田君は幸ひ横顔を向けて客と相對して居るから例の平坦な部分は半分かくれて見えぬが、其代り鼻の在所《ありか》が判然しない。只|胡麻塩色《ごましほいろ》の口髯が好い加減な所から亂雜に茂生《もせい》して居るので、あの上に孔が二つある筈だと結論|丈《だけ》は苦もなく出來る。春風《はるかぜ》もあゝ云ふ滑かな顔|許《ばか》り吹いて居たら定めて樂《らく》だらうと、序《ついで》ながら想像を逞《たくま》しうして見た。御客さんは三人の中《うち》で一番普通な容貌を有して居る。但し普通な丈《だけ》に、是ぞと取り立てゝ紹介するに足る樣な雜作《ざふさく》は一つもない。普通と云ふと結構な樣だが、普通の極《きよく》平凡の堂に上《のぼ》り、庸俗の室に入《い》つたのは寧ろ憫然の至りだ。かゝる無意味な面構《つらがまへ》を有す可き宿命を帶びて明治の昭代《せうだい》に生れて來たのは誰だらう。例の如く椽の下迄行つて其談話を承《うけたま》はらなくては分らぬ。
 「……それで妻《さい》が態々《わざ/\》あの男の所迄出掛けて行つて容子を聞いたんだがね……」と金田君は例の如く横風《わうふう》な言葉使である。横風ではあるが毫も峻嶮な所がない。言語も彼の顔面の如く平板尨大《へいばんばうだい》である。
 「成程あの男が水島さんをヘへた事が御座いますので――成程、よい御思ひ付きで――成程」と成程づくめのは御客さんである。
 「所が何だか要領を得んので」
 「えゝ苦沙彌ぢや要領を得ない譯で――あの男は私が一所に下宿をして居る時分から實に※[者/火]え切らない――そりや御困りで御座いましたらう」と御客さんは鼻子夫人の方を向く。
 「困るの、困らないのつてあなた、私《わた》しや此年になる迄人のうちへ行つて、あんな不取扱《ふとりあつかひ》を受けた事はありやしません」と鼻子は例によつて鼻嵐を吹く。
 「何か無禮な事でも申しましたか、昔しから頑固な性分で――何しろ十年一日の如くリードル專門のヘ師をして居るのでも大體御分りになりませう」と御客さんは體《てい》よく調子を合せて居る。
 「いや御話しにもならん位で、妻《さい》が何か聞くと丸《まる》で劔もほろゝの挨拶ださうで……」
 「それは怪《け》しからん譯で――一體少し學問をして居ると兎角慢心が萌《きざ》すもので、其上貧乏をすると負け惜しみが出ますから――いえ世の中には隨分無法な奴が居りますよ。自分の働きのないのにや氣が付かないで、無暗に財産のあるものに喰つて掛るなんてえのが――丸《まる》で彼等の財産でも捲き上げた樣な氣分ですから驚きますよ、あはゝゝ」と御客さんは大恐悦の體《てい》である。
 「いや、まことに言語同斷《ごんごどうだん》で、あゝ云ふのは必竟世間見ずの我儘から起るのだから、些《ちつ》と懲《こ》らしめの爲にいぢめてやるが好からうと思つて、少し當つてやつたよ」
 「成程|夫《それ》では大分《だいぶ》答へましたらう、全く本人の爲にもなる事ですから」と御客さんは如何なる當り方〔三字傍点〕か承《うけたまは》らぬ先から既に金田君に同意して居る。
 「所が鈴木さん、まあなんて頑固な男なんでせう。學校へ出ても福地《ふくち》さんや、津木《つき》さんには口も利かないんださうです。恐れ入つて黙つて居るのかと思つたら此間は罪もない、宅の書生をステツキを持つて追つ懸けたつてんです――三十|面《づら》さげて、よく、まあ、そんな馬鹿な眞似が出來たもんぢやありませんか、全くやけ〔二字傍点〕で少し氣が變になつてるんですよ」
 「へえどうして又そんな亂暴な事をやつたんで……」と是には、さすがの御客さんも少し不審を起したと見える。
 「なあに、只あの男の前を何とか云つて通つたんださうです、すると、いきなり、ステツキを持つて跣足《はだし》で飛び出して來たんださうです。よしんば、些《ち》つとやそつと、何か云つたつて小供ぢやありませんか、髯面《ひげづら》の大僧《おほぞう》の癖にしかもヘ師ぢやありませんか」
 「左樣《さやう》ヘ師ですからな」と御客さんが云ふと、金田君も「ヘ師だからな」と云ふ。ヘ師たる以上は如何なる侮辱を受けても木像の樣に大人《おとな》しくして居らねばならぬとは此三人の期せずして一致した論點と見える。
 「それに、あの迷亭つて男は餘つ程な醉興人ですね。役にも立たない嘘八百を並べ立てゝ。私《わた》しやあんな變梃《へんてこ》な人にや初めて逢ひましたよ」
 「あゝ迷亭ですか、不相變《あひかはらず》法螺《ほら》を吹くと見えますね。矢張苦沙彌の所で御逢ひになつたんですか。あれに掛つちやたまりません。あれも昔《むか》し自炊の仲間でしたがあんまり人を馬鹿にするものですから能く喧嘩をしましたよ」
 「誰だつて怒りまさあね、あんなぢや。そりや嘘をつくのも宜《よ》う御座んせうさ、ね、義理が惡るいとか、ばつを合せなくつちあならないとか――そんな時には誰しも心にない事を云ふもんでさあ。然しあの男のは吐《つ》かなくつて濟むのに矢鱈《やたら》に吐《つ》くんだから始末に了《を》へないぢやありませんか。何が欲しくつて、あんな出鱈目を――よくまあ、しら/”\しく云へると思ひますよ」
 「御尤で、全く道樂からくる嘘だから困ります」
 「切角あなた眞面目に聞きに行つた水島の事も滅茶々々《めちや/\》になつて仕舞ひました。私《わたし》や剛腹《がうはら》で忌々敷《いま/\し》くつて――夫《それ》でも義理は義理でさあ、人のうちへ物を聞きに行つて知らん顔の半兵衛もあんまりですから、後《あと》で車夫にビールを一ダース持たせてやつたんです。所があなたどうでせう。こんなものを受取る理由がない、持つて歸れつて云ふんださうで。いえ御禮だから、どうか御取り下さいつて車夫が云つたら――惡《に》くいぢあありませんか、俺はジヤムは毎日|舐《な》めるがビールの樣な苦《にが》い者は飲んだ事がないつて、ふいと奧へ這入つて仕舞つたつて――言ひ草に事を缺いて、まあどうでせう、失禮ぢやありませんか」
 「そりや、ひどい」と御客さんも今度は本氣に苛《ひど》いと感じたらしい。
 「そこで今日|態々《わざ/\》君を招いたのだがね」と少時《しばらく》途切れて金田君の聲が聞える。「そんな馬鹿者は陰から、からかつてさへ居れば濟む樣なものゝ、少々|夫《それ》でも困る事があるぢやて……」と鮪《まぐろ》の刺身を食ふ時の如く禿頭《はげあたま》をぴちや/\叩く。尤吾輩は椽の下に居るから實際叩いたか叩かないか見え樣筈がないが、此|禿頭《はげあたま》の音は近來|大分《だいぶ》聞馴れて居る。比丘尼《びくに》が木魚の音を聞き分ける如く、椽の下からでも音さへ慥《たし》かであればすぐ禿頭《はげあたま》だなと出所《しゆつしよ》を鑑定する事が出來る。「そこで一寸君を煩はしたいと思つてな……」
 「私に出來ます事なら何でも御遠慮なくどうか――今度東京勤務と云ふ事になりましたのも全く色々御心配を掛けた結果にほかならん譯でありますから」と御客さんは快よく金田君の依頼を承諾する。此|口調《くてう》で見ると此御客さんは矢張り金田君の世話になる人と見える。いや段々事件が面白く發展してくるな、今日は餘り天氣が宜《い》いので、來る氣もなしに來たのであるが、かう云ふ好材料を得《え》樣《やう》とは全く思ひ掛《が》けなんだ。御彼岸《おひがん》にお寺詣りをして偶然|方丈《はうぢやう》で牡丹餠《ぼたもち》の御馳走になる樣な者だ。金田君はどんな事を客人に依頼するかなと、椽の下から耳を澄して聞いて居る。
 「あの苦沙彌と云ふ變物《へんぶつ》が、どう云ふ譯か水島に入れ智慧をするので、あの金田の娘を貰つては行《い》かん抔《など》とほのめかすさうだ――なあ鼻子さうだな」
 「ほのめかす所《どころ》ぢやないんです。あんな奴の娘を貰ふ馬鹿がどこの國にあるものか、寒月君決して貰つちやいかんよつて云ふんです」
 「あんな奴とは何だ失敬な、そんな亂暴な事を云つたのか」
 「云つた所ぢやありません、ちやんと車屋の神さんが知らせに來てくれたんです」
 「鈴木君どうだい、御聞の通りの次第さ、隨分厄介だらうが?」
 「困りますね、外の事と違つて、かう云ふ事には他人が妄《みだ》りに容喙《ようかい》するべき筈の者ではありませんからな。その位な事は如何《いか》な苦沙彌でも心得て居る筈ですが。一體どうした譯なんでせう」
 「それでの、君は學生時代から苦沙彌と同宿をして居て、今は兎に角、昔は親密な間柄であつたさうだから御依頼するのだが、君當人に逢つてな、よく利害を諭《さと》して見てくれんか。何か怒《おこ》つて居るかも知れんが、怒るのは向《むかふ》が惡《わ》るいからで、先方が大人《おとな》しくしてさへ居れば一身上の便宜も充分計つてやるし、氣に障《さ》はる樣な事もやめてやる。然し向《むかふ》が向《むかふ》なら此方《こつち》も此方《こつち》と云ふ氣になるからな――つまりそんな我《が》を張るのは當人の損だからな」
 「えゝ全く仰しやる通り愚《ぐ》な抵抗をするのは本人の損になる許《ばか》りで何の益もない事ですから、善く申し聞けませう」
 「それから娘は色々と申し込もある事だから、必ず水島にやると極める譯にも行かんが、段々聞いて見ると學問も人物も惡くもない樣だから、若し當人が勉強して近い内に博士にでもなつたら或はもらふ事が出來るかも知れん位は夫《それ》となくほのめかしても構はん」
 「さう云つてやつたら當人も勵みになつて勉強する事でせう。宜しう御座います」
 「それから、あの妙な事だが――水島にも似合はん事だと思ふが、あの變物《へんぶつ》の苦沙彌を先生々々と云つて苦沙彌の云ふ事は大抵聞く樣子だから困る。なにそりや何も水島に限る譯では無論ないのだから苦沙彌が何と云つて邪魔をし樣《やう》と、わしの方は別に差支へもせんが……」
 「水島さんが可哀《かはい》さうですからね」と鼻子夫人が口を出す。
 「水島と云ふ人には逢つた事も御座いませんが、兎に角こちらと御縁組が出來れば生涯の幸福で、本人は無論異存はないのでせう」
 「えゝ水島さんは貰ひたがつて居るんですが、苦沙彌だの迷亭だのつて變り者が何だとか、かんだとか云ふものですから」
 「そりや、善くない事で、相當のヘ育のあるものにも似合はん所作《しよさ》ですな。よく私が苦沙彌の所へ參つて談じませう」
 「あゝ、どうか、御面倒でも、一つ願ひたい。夫《それ》から實は水島の事も苦沙彌が一番詳しいのだが先達《せんだつ》て妻《さい》が行つた時は今の始末で碌々聞く事も出來なかつた譯だから、君から今一應本人の性行學才等をよく聞いて貰ひたいて」
 「かしこまりました。今日は土曜ですから是から廻つたら、もう歸つて居りませう。近頃はどこに住んで居りますか知らん」
 「こゝの前を右へ突き當つて、左へ一丁|許《ばか》り行くと崩れかゝつた黒塀のあるうちです」と鼻子がヘへる。
 「それぢや、つい近所ですな。譯はありません。歸りに一寸寄つて見ませう。なあに、大體分りませう標札《へうさつ》を見れば」
 「標札《へうさつ》はあるときと、ないときとありますよ。名刺を御饌粒《ごぜんつぶ》で門へ貼り付けるのでせう。雨がふると剥がれて仕舞ひませう。すると御天氣の日に又貼り付けるのです。だから標札は當《あて》にやなりませんよ。あんな面倒臭い事をするよりせめて木札《きふだ》でも懸けたらよささうなもんですがねえ。ほんとうにどこ迄も氣の知れない人ですよ」
 「どうも驚きますな。然し崩れた黒塀のうちと聞いたら大概分るでせう」
 「えゝあんな汚ないうちは町内に一軒しかないから、すぐ分りますよ。あ、さう/\それで分らなければ、好い事がある。何でも屋根に草が生へたうちを探して行けば間違つこありませんよ」
 「餘程特色のある家《いへ》ですなアハヽヽヽ」
 鈴木君が御光來になる前に歸らないと、少し都合が惡い。談話も是《これ》丈《だけ》聞けば大丈夫澤山である。椽の下を傳はつて雪隱《せついん》を西へ廻つて築山の陰から往來へ出て、急ぎ足で屋根に草の生へて居るうちへ歸つて來て何喰はぬ顔をして座敷の椽へ廻る。
 主人は椽側へ白毛布《しろげつと》を敷いて、腹這になつて麗《うらゝ》かな春日《はるび》に甲羅《かふら》を干して居る。太陽の光線は存外公平なもので屋根にペン/\草の目標のある陋屋《ろうをく》でも、金田君の客間の如く陽氣に暖かさうであるが、氣の毒な事には毛布《けつと》丈《だけ》が春らしくない。製造元では白の積りで織り出して、唐物屋《たうぶつや》でも白の氣で賣り捌《さば》いたのみならず、主人も白と云ふ注文で買つて來たのであるが――何しろ十二三年以前の事だから白の時代はとくに通り越して只今は濃灰色《のうくわいしよく》なる變色の時期に遭遇しつゝある。此時期を經過して他の暗黒色に化ける迄|毛布《けつと》の命が續くかどうだかは、疑問である。今でも既に萬遍なく擦り切れて、竪横《たてよこ》の筋は明かに讀まれる位だから、毛布《けつと》と稱するのはもはや僭上《せんじやう》の沙汰であつて、毛の字は省《はぶ》いて單にツト〔二字傍点〕とでも申すのが適當である。然し主人の考へでは一年持ち、二年持ち、五年持ち十年持つた以上は生涯持たねばならぬと思つて居るらしい。隨分|呑氣《のんき》な事である。偖《さて》其因縁のある毛布《けつと》の上へ前《ぜん》申す通り腹這になつて何をして居るかと思ふと兩手で出張つた顋を支へて、右手の指の股に卷烟草を挾んで居る。只《たゞ》夫《それ》丈《だけ》である。尤も彼がフケ〔二字傍点〕だらけの頭の裏《うち》には宇宙の大眞理が火の車の如く廻轉しつゝあるかも知れないが、外部から拜見した所では、そんな事とは夢にも思へない。
 烟草の火は漸々《だん/\》吸口の方へ逼つて、一|寸《すん》許《ばか》り燃え盡した灰の棒がぱたりと毛布《けつと》の上に落つるのも構はず主人は一生懸命に烟草から立ち上《のぼ》る烟の行末を見詰めて居る。其烟りは春風《はるかぜ》に浮きつ沈みつ、流れる輪を幾重《いくへ》にも描《ゑが》いて、紫深き細君の洗髪《あらひがみ》の根本へ吹き寄せつゝある。――おや、細君の事を話して置く筈だつた。忘れて居た。
 細君は主人に尻《しり》を向けて――なに失禮な細君だ? 別に失禮な事はないさ。禮も非禮も相互の解釋次第でどうでもなる事だ。主人は平氣で細君の尻の所へ頬杖を突き、細君は平氣で主人の顔の先へ莊嚴《さうごん》なる尻を据ゑた迄の事で無禮も糸瓜《へちま》もないのである。御兩人は結婚後一ケ年も立たぬ間《ま》に禮儀作法|抔《など》と窮屈な境遇を脱却せられた超然的夫婦である。――偖《さて》斯《かく》の如く主人に尻を向けた細君はどう云ふ了見か、今日の天氣に乘じて、尺に餘る緑の黒髪を、麩海苔《ふのり》と生卵でゴシ/\洗濯せられた者と見えて癖のない奴を、見よがしに肩から脊へ振りかけて、無言の儘小供の袖なしを熱心に縫つて居る。實は其洗髪を乾かす爲に唐縮緬の布團と針箱を椽側へ出して、恭《うや/\》しく主人に尻を向けたのである。あるいは主人の方で尻のある見當へ顔を持つて來たのかも知れない。そこで先刻御話しをした烟草の烟りが、豐かに靡《なび》く黒髪の間に流れ流れて、時ならぬ陽炎《かげろふ》の燃える所を主人は餘念もなく眺めて居る。然しながら烟は固《もと》より一所《いつしよ》に停《とゞ》まるものではない、其性質として上へ上へと立ち登るのだから主人の眼も此烟りの髪毛《かみげ》と縺《もつ》れ合ふ奇觀を落ちなく見《み》樣《やう》とすれば、是非共眼を動かさなければならない。主人は先づ腰の邊から觀察を始めて徐々《じよ/\》と脊中を傳《つた》つて、肩から頸筋に掛つたが、それを通り過ぎて漸々《やう/\》腦天に達した時、覺えずあつと驚いた。――主人が偕老同穴《かいらうどうけつ》を契つた夫人の腦天の眞中には眞丸《まんまる》な大きな禿《はげ》がある。而も其|禿《はげ》が暖かい日光を反射して、今や時を得顔に輝いて居る。思はざる邊《へん》に此不思議な大發見をなした時の主人の眼は眩《まば》ゆい中に充分の驚きを示して、烈しい光線で瞳孔の開くのも構はず一心不亂に見つめて居る。主人が此禿を見た時、第一彼の腦裏に浮んだのはかの家《いへ》傳來の佛壇に幾世となく飾り付けられたる御燈明皿《おとうみやうざら》である。彼の一家《いつけ》は眞宗で、眞宗では佛壇に身分不相應な金を掛けるのが古例である。主人は幼少の時其家の倉の中に、薄暗く飾り付けられたる金箔厚き厨子《づし》があつて、其|厨子《づし》の中にはいつでも眞鍮の燈明皿がぶら下つて、其燈明皿には晝でもぼんやりした灯《ひ》がついて居た事を記憶して居る。周圍が暗い中に此燈明皿が比較的明瞭に輝やいて居たので小供心に此|灯《ひ》を何遍となく見た時の印象が細君の禿に喚び起されて突然飛び出したものであらう。燈明皿は一分立たぬ間《ま》に消えた。此《この》度《たび》は觀音樣の鳩の事を思ひ出す。觀音樣の鳩と細君の禿とは何等の關係もない樣であるが、主人の頭では二つの間に密接な聯想がある。同じく小供の時分に淺草へ行くと必ず鳩に豆を買つてやつた。豆は一皿が文久《ぶんきう》二つで、赤い土器《かはらけ》へ這入つて居た。其|土器《かはらけ》が、色と云ひ大《おほき》さと云ひ此禿によく似て居る。
 「成程似て居るな」と主人が、さも感心したらしく云ふと「何がです」と細君は見向きもしない。
 「何だつて、御前の頭にや大きな禿があるぜ。知つてるか」
 「えゝ」と細君は依然として仕事の手を已《や》めずに答へる。別段露見を恐れた樣子もない。超然たる模範妻君である。
 「嫁にくるときからあるのか、結婚後新たに出來たのか」と主人が聞く。もし嫁にくる前から禿げて居るなら欺されたのであると口へは出さないが心の中《うち》で思ふ。
 「いつ出來たんだか覺えちや居ませんわ、禿なんざどうだつて宜《い》いぢやありませんか」と大《おほい》に悟つたものである。
 「どうだつて宜いつて、自分の頭ぢやないか」と主人は少々怒氣を帶びて居る。
 「自分の頭だから、どうだつて宜いんだわ」と云つたが、さすが少しは氣になると見えて、右の手を頭に乘せて、くる/\禿を撫《な》でて見る。「おや大分《だいぶ》大きくなつた事、こんなぢや無いと思つて居た」と言つた所をもつて見ると、年に合はして禿が餘り大き過ぎると云ふ事を漸く自覺したらしい。
 「女は髷に結《ゆ》ふと、こゝが釣れますから誰でも禿げるんですわ」と少しく辯護しだす。
 「そんな速度で、みんな禿げたら、四十位になれば、から藥罐《やくわん》ばかり出來なければならん。そりや病氣に違ひない。傳染するかも知れん、今のうち早く甘木さんに見て貰へ」と主人は頻りに自分の頭を撫で廻して見る。
 「そんなに人の事を仰しやるが、あな只つて鼻の孔へ白髪《しらが》が生へてるぢやありませんか。禿が傳染するなら白髪《しらが》だつて傳染しますわ」と細君少々ぷり/\する。
 「鼻の中の白髪《しらが》は見えんから害はないが、腦天が――ことに若い女の腦天がそんなに禿げちや見苦しい。不具《かたは》だ」
 「不具《かたは》なら、なぜ御貰ひになつたのです。御自分が好きで貰つて置いて不具《かたは》だなんて……」
 「知らなかつたからさ。全く今日《けふ》迄知らなかつたんだ。そんなに威張るなら、なぜ嫁に來る時頭を見せなかつたんだ」
 「馬鹿な事を! どこの國に頭の試驗をして及第したら嫁にくるなんて、ものが在るもんですか」
 「禿はまあ我慢もするが、御前は脊《せ》いが人並|外《はづ》れて低い。甚だ見苦しくていかん」
 「脊《せ》いは見ればすぐ分るぢやありませんか、脊《せい》の低いのは最初から承知で御貰ひになつたんぢやありませんか」
 「それは承知さ、承知には相違ないがまだ延びるかと思つたから貰つたのさ」
 「廿《はたち》にもなつて脊《せ》いが延びるなんて――あなたも餘つ程人を馬鹿になさるのね」と細君は袖なしを抛《はふ》り出して主人の方に捩《ね》ぢ向く。返答次第では其分には濟まさんと云ふ權幕《けんまく》である。
 「廿《はたち》になつたつて脊《せ》いが延びてならんと云ふ法はあるまい。嫁に來てから滋養分でも食はしたら、少しは延びる見込みがあると思つたんだ」と眞面目な顔をして妙な理窟を述べて居ると門口《かどぐち》のベルが勢《いきほひ》よく鳴り立てゝ頼むと云ふ大きな聲がする。愈《いよ/\》鈴木君がペン/\草を目的《めあて》に苦沙彌先生の臥龍窟《ぐわりようくつ》を尋ねあてたと見える。
 細君は喧嘩を後日に讓つて、倉皇《さうくわう》針箱と袖なしを抱《かゝ》へて茶の間へ逃げ込む。主人は鼠色の毛布《けつと》を丸めて書齋へ投げ込む。やがて下女が持つて來た名刺を見て、主人は一寸驚ろいた樣な顔付であつたが、こちらへ御通し申してと言ひ棄てゝ、名刺を握つた儘|後架《こうか》へ這入つた。何の爲に後架へ急に這入つたか一向要領を得ん、何の爲に鈴木藤十郎《すゞきとうじふらう》君の名刺を後架迄持つて行つたのか猶更《なほさら》説明に苦しむ。兎に角迷惑なのは臭い所へ隨行を命ぜられた名刺君である。
 下女が更紗《さらさ》の座布團を床《とこ》の前へ直して、どうぞ是へと引き下がつた、跡で、鈴木君は一應室内を見廻はす。床に掛けた花開萬國春《はなひらくばんこくのはる》とある木菴《もくあん》の贋物《にせもの》や、京製《きやうせい》の安青磁《やすせいじ》に活《い》けた彼岸櫻|抔《など》を一々順番に點檢したあとで、不圖下女の勸めた布團の上を見るといつの間《ま》にか一疋の猫が濟まして坐つて居る。申す迄もなくそれはかく申す吾輩である。此時鈴木君の胸のうちに一寸の間《ま》顔色にも出ぬ程の風波が起つた。此布團は疑ひもなく鈴木君の爲に敷かれたものである。自分の爲に敷かれた布團の上に自分が乘らぬ先から、斷りもなく妙な動物が平然と蹲踞《そんきよ》して居る。是が鈴木君の心の平均を破る第一の條件である。もし此布團が勸められたまゝ、主《ぬし》なくして春風の吹くに任せてあつたなら、鈴木君はわざと謙遜の意を表《へう》して、主人がさあどうぞと云ふ迄は堅い疊の上で我慢して居たかも知れない。然し早晩自分の所有すべき布團の上に挨拶もなく乘つたものは誰であらう。人間なら讓る事もあらうが猫とは怪《け》しからん。乘り手が猫であると云ふのが一段と不愉快を感ぜしめる。是が鈴木君の心の平均を破る第二の條件である。最後に其猫の態度が尤も癪に障る。少しは氣の毒さうにでもして居る事か、乘る權利もない布團の上に、傲然《がうぜん》と構へて、丸い無愛嬌《ぶあいけう》な眼をぱちつかせて、御前は誰だいと云はぬ許《ばか》りに鈴木君の顔を見つめて居る。是が平均を破壞する第三の條件である。是程不平があるなら、吾輩の頸根《くびね》つこを捉《とら》へて引きずり卸したら宜《よ》ささうなものだが、鈴木君はだまつて見て居る。堂々たる人間が猫に恐れて手出しをせぬと云ふ事は有らう筈がないのに、なぜ早く吾輩を處分して自分の不平を洩らさないかと云ふと、是は全く鈴木君が一個の人間として自己の體面を維持する自重心の故であると察せらるゝ。もし腕力に訴へたなら三尺の童子も吾輩を自由に上下し得るであらうが、體面を重んずる點より考へると如何に金田君の股肱《ここう》たる鈴木藤十郎其人も此二尺四方の眞中に鎮座まします猫大明神を如何《いかん》ともする事が出來ぬのである。如何《いか》に人の見ていぬ場所でも、猫と座席爭ひをしたとあつては聊《いさゝ》か人間の威嚴に關する。眞面目に猫を相手にして曲直《きよくちよく》を爭ふのは如何《いか》にも大人氣《おとなげ》ない。滑稽である。此不名譽を避ける爲には多少の不便は忍ばねばならぬ。然し忍ばねばならぬ丈《だけ》其《それ》丈《だけ》猫に對する憎惡の念は揩キ譯であるから、鈴木君は時々吾輩の顔を見ては苦《にが》い顔をする。吾輩は鈴木君の不平な顔を拜見するのが面白いから滑稽の念を抑へて可成《なるべく》何喰はぬ顔をして居る。
 吾輩と鈴木君の間に、斯《かく》の如き無言劇が行はれつゝある間に主人は衣紋をつくろつて後架から出て來て「やあ」と席に着いたが、手に持つて居た名刺の影さへ見えぬ所を以て見ると、鈴木藤十郎君の名前は臭い所へ無期徒刑に處せられたものと見える。名刺こそ飛んだ厄運《やくうん》に際會したものだと思ふ間《ま》もなく、主人は此野郎と吾輩の襟がみを攫《つか》んでえいと許《ばか》りに椽側へ擲《たゝ》きつけた。
 「さあ敷きたまへ。珍らしいな。いつ東京へ出て來た」と主人は舊友に向つて布團を勸める。鈴木君は一寸之を裏返した上で、それへ坐る。
 「ついまだ忙がしいものだから報知もしなかつたが、實は此間から東京の本社の方へ歸る樣になつてね……」
 「それは結構だ、大分《だいぶ》長く逢はなかつたな。君が田舍へ行つてから、始めてぢやないか」
 「うん、もう十年近くになるね。なに其《その》後《ご》時々東京へは出て來る事もあるんだが、つい用事が多いもんだから、いつでも失敬する樣な譯さ。惡《わ》るく思つてくれ玉ふな。會社の方は君の職業とは違つて隨分忙がしいんだから」
 「十年立つうちには大分《だいぶ》違ふもんだな」と主人は鈴木君を見上げたり見下ろしたりして居る。鈴木君は頭を美麗《きれい》に分けて、英國仕立のトヰードを着て、派手な襟飾りをして、胸に金鎖りさへピカつかせて居る體裁、どうしても苦沙彌君の舊友とは思へない。
 「うん、こんな物迄ぶら下げなくちや、ならん樣になつてね」と鈴木君は頻りに金鎖りを氣にして見せる。
 「そりや本ものかい」と主人は無作法な質問をかける。
 「十八金だよ」と鈴木君は笑ひながら答へたが「君も大分《だいぶ》年を取つたね。慥《たし》か小供がある筈だつたが一人かい」
 「いゝや」
 「二人?」
 「いゝや」
 「まだあるのか、ぢや三人か」
 「うん三人ある。此先|幾人《いくにん》出來るか分らん」
 「相變らず氣樂な事を云つてるぜ。一番大きいのはいくつになるかね、もう餘つ程だらう」
 「うん、いくつか能く知らんが大方《おほかた》六つか、七つかだらう」
 「ハヽヽヘ師は呑氣《のんき》でいゝな。僕もヘ員にでもなれば善かつた」
 「なつて見ろ、三日で嫌《いや》になるから」
 「さうかな、何だか上品で、氣樂で、閑暇《ひま》があつて、すきな勉強が出來て、よささうぢやないか。實業家も惡くもないが我々のうちは駄目だ。實業家になるならずつと上にならなくつちやいかん。下の方になると矢張りつまらん御世辭を振り撒《ま》いたり、好かん猪口《ちよこ》を頂きに出たり隨分|愚《ぐ》なもんだよ」
 「僕は實業家は學校時代から大嫌《だいきらひ》だ。金さへ取れゝば何でもする、昔で云へば素町人《すちやうにん》だからな」と實業家を前に控えて太平樂を並べる。
 「まさか――さう許《ばか》りも云へんがね、少しは下品な所もあるのさ、兎に角|金《かね》と情死《しんぢゆう》をする覺悟でなければやり通せないから――所が其金と云ふ奴が曲者《くせもの》で、――今もある實業家の所へ行つて聞いて來たんだが、金を作るにも三角術を使はなくちやいけないと云ふのさ――義理をかく〔二字傍点〕、人情をかく〔二字傍点〕、耻をかく〔二字傍点〕是で三角になるさうだ面白いぢやないかアハヽヽヽ」
 「誰だそんな馬鹿は」
 「馬鹿ぢやない、中々利口な男なんだよ、實業界で一寸有名だがね、君知らんかしら、つい此先の横丁に居るんだが」
 「金田か? 何《な》んだあんな奴」
 「大變怒つてるね。なあに、そりや、ほんの冗談だらうがね、その位にせんと金は溜らんと云ふ喩《たとへ》さ。君の樣にさう眞面目に解釋しちや困る」
 「三角術は冗談でもいゝが、あす此女房の鼻はなんだ。君行つたんなら見て來たらう、あの鼻を」
 「細君か、細君は中々さばけた人だ」
 「鼻だよ、大きな鼻の事を云つてるんだ。先達《せんだつ》て僕はあの鼻に就て俳體詩《はいたいし》を作つたがね」
 「何だい俳體詩と云ふのは」
 「俳體詩を知らないのか、君も隨分時勢に暗いな」
 「あゝ僕の樣に忙がしいと文學|抔《など》は到底駄目さ。それに以前から餘り數奇《すき》でない方だから」
 「君シヤーレマンの鼻の恰好《かつかう》を知つてるか」
 「アハヽヽヽ隨分氣樂だな。知らんよ」
 「エルリントンは部下のものから鼻々と異名《いみやう》をつけられて居た。君知つてるか」
 「鼻の事|許《ばか》り氣にして、どうしたんだい。好いぢやないか鼻なんか丸くても尖《と》んがつてゝも」
 「決してさうでない。君パスカルの事を知つてるか」
 「又知つてるかか、丸《まる》で試驗を受けに來た樣なものだ。パスカルがどうしたんだい」
 「パスカルがこんな事を云つて居る」
 「どんな事を」
 「若しクレオパトラの鼻が少し短かゝつたならば世界の表面に大變化を來《きた》したらうと」
 「成程」
 「夫《それ》だから君の樣にさう無雜作《むざふさ》に鼻を馬鹿にしてはいかん」
 「まあいゝさ、是から大事にするから。そりやさうとして、今日來たのは、少し君に用事があつて來たんだがね――あの元《もと》君のヘへたとか云ふ、水島――えゝ水島えゝ一寸思ひ出せない。――そら君の所へ始終來ると云ふぢやないか」
 「寒月《かんげつ》か」
 「さう/\寒月々々。あの人の事に就て一寸聞き度い事があつて來たんだがね」
 「結婚事件ぢやないか」
 「まあ多少|夫《それ》に類似の事さ。今日金田へ行つたら……」
 「此間鼻が自分で來た」
 「さうか。さうだつて、細君もさう云つて居たよ。苦沙彌さんに、よく伺はうと思つて上つたら、生憎《あいにく》迷亭が來ていて茶々を入れて何が何だか分らなくして仕舞つたつて」
 「あんな鼻をつけて來るから惡《わ》るいや」
 「いへ君の事を云ふんぢやないよ。あの迷亭君が居つたもんだから、さう立ち入つた事を聞く譯にも行かなかつたので殘念だつたから、もう一遍僕に行つてよく聞いて來てくれないかつて頼まれたものだからね。僕も今迄こんな世話はした事はないが、もし當人同士が嫌《い》やでないなら中へ立つて纒めるのも、決して惡い事はないからね――それでやつて來たのさ」
 「御苦勞樣」と主人は冷淡に答へたが、腹の内では當人同士〔四字傍点〕と云ふ語《ことば》を聞いて、どう云ふ譯か分らんが、一寸心を動かしたのである。蒸し熱い夏の夜に一縷《いちる》の冷風《れいふう》が袖口を潜《くゞ》つた樣な氣分になる。元來この主人はぶつ切ら棒の、頑固|光澤《つや》消しを旨として製造された男であるが、去ればと云つて冷酷不人情な文明の産物とは自《おのづ》から其撰を異《こと》にして居る。彼が何《なん》ぞと云ふと、むかつ腹をたてゝぷん/\するのでも這裏《しやり》の消息は會得できる。先日鼻と喧嘩をしたのは鼻が氣に食はぬからで鼻の娘には何の罪もない話しである。實業家は嫌ひだから、實業家の片割れなる金田某も嫌《きらひ》に相違ないが是も娘其人とは沒交渉の沙汰と云はねばならぬ。娘には恩も恨みもなくて、寒月は自分が實の弟よりも愛して居る門下生である。もし鈴木君の云ふ如く、當人同志が好いた仲なら、間接にも之を妨害するのは君子の爲《な》すべき所作《しよさ》でない。――苦沙彌先生は是でも自分を君子と思つて居る。――もし當人同志が好いて居るなら――然しそれが問題である。此事件に對して自己の態度を改めるには、先づ其眞相から確めなければならん。
 「君其娘は寒月の所へ來たがつてるのか。金田や鼻はどうでも構はんが、娘自身の意向《いかう》はどうなんだ」
 「そりや、その――何だね――何でも――え、來たがつてるんだらうぢやないか」鈴木君の挨拶は少々|曖昧《あいまい》である。實は寒月君の事|丈《だけ》聞いて復命さへすればいゝ積りで、御孃さんの意向《いかう》迄は確かめて來なかつたのである。從つて圓轉滑脱の鈴木君も一寸|狼狽《らうばい》の氣味に見える。
 「だらう〔三字傍点〕た判然しない言葉だ」と主人は何事によらず、正面から、どやし付けないと氣が濟まない。
 「いや、是や一寸僕の云ひ樣がわるかつた。令孃の方でも慥《たし》かに意《い》があるんだよ。いえ全くだよ――え?――細君が僕にさう云つたよ。何でも時々は寒月君の惡口を云ふ事もあるさうだがね」
 「あの娘がか」
 「あゝ」
 「怪《け》しからん奴だ、惡口を云ふなんて。第一それぢや寒月に意《い》がないんぢやないか」
 「そこがさ、世の中は妙なもので、自分の好いて居る人の惡口|抔《など》は殊更《ことさら》云つて見る事もあるからね」
 「そんな愚《ぐ》な奴がどこの國に居るものか」と主人は斯樣な人情の機微に立ち入つた事を云はれても頓《とん》と感じがない。
 「その愚《ぐ》な奴が隨分世の中にやあるから仕方がない。現に金田の妻君もさう解釋して居るのさ。戸惑《とまど》ひをした糸瓜《へちま》の樣だなんて、時々寒月さんの惡口を云ひますから、餘つ程心の中《うち》では思つてるに相違ありませんと」
 主人は此不可思議な解釋を聞いて、餘り思ひ掛けないものだから、眼を丸くして、返答もせず、鈴木君の顔を、大道易者《だいだうえきしや》の樣に眤《ぢつ》と見つめて居る。鈴木君はこいつ、此樣子では、ことによるとやり損なうなと疳《かん》づいたと見えて、主人にも判斷の出來さうな方面へと話頭を移す。
 「君考へても分るぢやないか、あれ丈《だけ》の財産があつてあれ丈《だけ》の器量なら、どこへだつて相應の家《うち》へ遣れるだらうぢやないか。寒月君だつてえらい〔三字傍点〕かも知れんが身分から云や――いや身分と云つちや失禮かも知れない。――財産と云ふ點から云や、まあ、だれが見たつて釣り合はんのだからね。それを僕が態々《わざ/\》出張する位兩親が氣を揉んでるのは本人が寒月君に意があるからの事ぢやあないか」と鈴木君は中々うまい理窟をつけて説明を與へる。今度は主人にも納得が出來たらしいので漸く安心したが、こんな所にまご/\して居ると又|吶喊《とつかん》を喰ふ危險があるから、早く話しの歩を進めて、一刻も早く使命を完うする方が萬全の策と心付いた。
 「それでね。今云ふ通りの譯であるから、先方で云ふには何も金錢や財産は入らんから其代り當人に附屬した資格が欲しい――資格と云ふと、まあ肩書だね、――博士になつたら遣つてもいゝなんて威張つてる次第ぢやない――誤解しちやいかん。先達《せんだつ》て細君の來た時は迷亭君が居て妙な事ばかり云ふものだから――いえ君が惡いのぢやない。細君も君の事を御世辭のない正直ないゝ方《かた》だと賞めて居たよ。全く迷亭君がわるかつたんだらう。――それでさ本人が博士にでもなつて呉れゝば先方でも世間へ對して肩身が廣い、面目《めんぼく》があると云ふんだがね、どうだらう、近々《きん/\》の内水島君は博士論文でも呈出して、博士の學位を受ける樣な運びには行くまいか。――なあに金田|丈《だけ》なら博士も學士も入らんのさ、唯《たゞ》世間と云ふ者があるとね、さう手輕にも行かんからな」
 かう云はれて見ると、先方で博士を請求するのも、あながち無理でもない樣に思はれて來る。無理ではない樣に思はれて來れば、鈴木君の依頼通りにして遣りたくなる。主人を活《い》かすのも殺すのも鈴木君の意の儘である。成程主人は單純で正直な男だ。
 「それぢや、今度寒月が來たら、博士論文をかく樣に僕から勸めて見《み》樣《やう》。然し當人が金田の娘を貰ふ積りか何《どう》だか、それから先づ問ひ正《たゞ》して見なくちやいかんからな」
 「問ひ正《たゞ》すなんて、君そんな角張《かどば》つた事をして物が纒まるものぢやない。矢つ張り普通の談話の際に夫《それ》となく氣を引いて見るのが一番近道だよ」
 「氣を引いて見る?」
 「うん、氣を引くと云ふと語弊があるかも知れん。――なに氣を引かんでもね。話しをして居ると自然分るもんだよ」
 「君にや分るかも知れんが、僕にや判然と聞かん事は分らん」
 「分らなけりや、まあ好いさ。然し迷亭君見た樣に餘計な茶々を入れて打《ぶ》ち壞はすのは善くないと思ふ。假令《たとひ》勸めない迄も、こんな事は本人の隨意にすべき筈のものだからね。今度寒月君が來たら可成《なるべく》どうか邪魔をしない樣にして呉れ給へ。――いえ君の事ぢやない、あの迷亭君の事さ。あの男の口にかゝると到底助かりつこないんだから」と主人の代理に迷亭の惡口をきいて居ると、噂《うはさ》をすれば陰の喩《たとへ》に洩《も》れず迷亭先生例の如く勝手口から飄然と春風《しゆんぷう》に乘じて舞ひ込んで來る。
 「いやー珍客だね。僕の樣な狎客《かふかく》になると苦沙彌は兎角粗略にしたがつていかん。何でも苦沙彌のうちへは十年に一遍位くるに限る。此菓子はいつもより上等ぢやないか」と藤村《ふぢむら》の羊羹《やうかん》を無雜作《むぞふさ》に頬張る。鈴木君はもぢ/\して居る。主人はにや/\して居る。迷亭は口をもが/\さして居る。吾輩は此瞬時の光景を椽側から拜見して無言劇と云ふものは優に成立し得ると思つた。禪家《ぜんけ》で無言の問答をやるのが以心傳心であるなら、此無言の芝居も明かに以心傳心の幕である。頗る短かいけれども頗る鋭どい幕である。
 「君は一生|旅烏《たびがらす》かと思つてたら、いつの間《ま》にか舞ひ戻つたね。長生《ながいき》はしたいもんだな。どんな僥倖《げうかう》に廻《めぐ》り合はんとも限らんからね」と迷亭は鈴木君に對しても主人に對する如く毫も遠慮と云ふ事を知らぬ。如何《いか》に自炊の仲間でも十年も逢はなければ、何となく氣の置けるものだが迷亭君に限つて、そんな素振《そぶり》も見えぬのは、えらいのだか馬鹿なのか一寸見當がつかぬ。
 「可哀《かはい》さうに、そんなに馬鹿にしたものでもない」と鈴木君は當らず障らずの返事はしたが、何となく落ちつきかねて、例の金鎖を神經的にいぢつて居る。
 「君電氣鐵道へ乘つたか」と主人は突然鈴木君に對して奇問を發する。
 「今日は諸君からひやかされに來た樣なものだ。なんぼ田舍者だつて――是でも街鐵《がいてつ》を六十株持つてるよ」
 「そりや馬鹿に出來ないな。僕は八百八十八株半持つて居たが、惜しい事に大方《おほかた》蟲が喰つて仕舞つて、今ぢや半株ばかりしかない。もう少し早く君が東京へ出てくれば、蟲の喰はない所を十株ばかりやる所だつたが惜しい事をした」
 「相變らず口が惡《わ》るい。然し冗談は冗談として、あゝ云ふ株は持つてゝ損はないよ、年々《ねん/\》高くなる許《ばか》りだから」
 「さうだ假令《たとひ》半株だつて千年も持つてるうちにや倉が三つ位建つからな。君も僕も其邊にぬかりはない當世の才子だが、そこへ行くと苦沙彌|抔《など》は憐れなものだ。株と云へば大根の兄弟分位に考へて居るんだから」と又羊羹をつまんで主人の方を見ると、主人も迷亭の食《く》ひ氣《け》が傳染して自《おの》づから菓子皿の方へ手が出る。世の中では萬事積極的のものが人から眞似らるゝ權利を有して居る。
 「株|抔《など》はどうでも構はんが、僕は曾呂崎《そろさき》に一度でいゝから電車へ乘らしてやりたかつた」と主人は喰ひ缺けた羊羹の齒痕《はあと》を撫然《ぶぜん》として眺める。
 「曾呂崎が電車へ乘つたら、乘るたんびに品川迄行つて仕舞ふは、それよりやつぱり天然居士で澤庵石へ彫り付けられてる方が無事でいゝ」
 「曾呂崎と云へば死んださうだな。氣の毒だねえ、いゝ頭の男だつたが惜しい事をした」と鈴木君が云ふと、迷亭は直《たゞ》ちに引き受けて
 「頭は善かつたが、飯を焚く事は一番下手だつたぜ。曾呂崎の當番の時には、僕あいつでも外出をして蕎麥《そば》で凌《しの》いで居た」
 「ほんとに曾呂崎の焚いた飯は焦《こ》げくさくつて心《しん》があつて僕も弱つた。御負けに御菜《おかず》に必ず豆腐をなまで食はせるんだから、冷たくて食はれやせん」と鈴木君も十年前の不平を記憶の底から喚び起す。
 「苦沙彌はあの時代から曾呂崎の親友で毎晩一所に汁粉を食ひに出たが、其|祟《たゝ》りで今ぢや慢性胃弱になつて苦しんで居るんだ。實を云ふと苦沙彌の方が汁粉の數を餘計食つてるから曾呂崎より先へ死んで宜《い》い譯なんだ」
 「そんな論理がどこの國にあるものか。俺の汁粉より君は運動と號して、毎晩|竹刀《しなひ》を持つて裏の卵塔婆《らんたふば》へ出て、石塔を叩いてる所を坊主に見つかつて劔突を食つたぢやないか」と主人も負けぬ氣になつて迷亭の舊惡を曝《あば》く。
 「アハヽヽさう/\坊主が佛樣の頭を叩いては安眠の妨害になるからよして呉れつて言つたつけ。然し僕のは竹刀《しなひ》だが、此鈴木將軍のは手暴《てあら》だぜ。石塔と相撲をとつて大小三個|許《ばか》り轉がして仕舞つたんだから」
 「あの時の坊主の怒り方は實に烈しかつた。是非元の樣に起せと云ふから人足を傭《やと》ふ迄待つて呉れと云つたら人足ぢやいかん懺悔の意を表する爲にあなたが自身で起さなくては佛の意に脊《そむ》くと云ふんだからね」
 「其時の君の風采はなかつたぜ、金巾《かなきん》のしやつに越中褌《ゑつちゆうふんどし》で雨上りの水溜りの中でうん/\唸つて……」
 「それを君が濟《すま》した顔で寫生するんだから苛《ひど》い。僕は餘り腹を立てた事のない男だが、あの時|許《ばか》りは失敬だと心《しん》から思つたよ。あの時の君の言草をまだ覺えて居るが君は知つてるか」
 「十年前の言草なんか誰が覺えて居るものか、然しあの石塔に歸泉院殿黄鶴大居士《きせんゐんでんくわうかくだいこじ》安永五年|辰《たつ》正月と彫つてあつたの丈《だけ》はいまだに記憶して居る。あの石塔は古雅に出來て居たよ。引き越す時に盗んで行きたかつた位だ。實に美學上の原理に叶《かな》つて、ゴシツク趣味な石塔だつた」と迷亭は又好い加減な美學を振り廻す。
 「そりやいゝが、君の言草がさ。かうだぜ――吾輩は美學を專攻する積りだから天地間《てんちかん》の面白い出來事は可成《なるべく》寫生して置いて將來の參考に供さなければならん、氣の毒だの、可哀相《かはいさう》だのと云ふ私情は學問に忠實なる吾輩如きものゝ口にすべき所でないと平氣で云ふのだらう。僕もあんまりな不人情な男だと思つたから泥だらけの手で君の寫生帖を引き裂いて仕舞つた」
 「僕の有望な畫才が頓挫《とんざ》して一向《いつかう》振はなくなつたのも全くあの時からだ。君に機鋒《きほう》を折られたのだね。僕は君に恨がある」
 「馬鹿にしちやいけない。こつちが恨めしい位だ」
 「迷亭はあの時分から法螺吹だつたな」と主人は羊羹を食ひ了つて再び二人の話の中に割り込んで來る。
 「約束なんか履行した事がない。夫《それ》で詰問を受けると決して詫びた事がない何とか蚊とか云ふ。あの寺の境内に百日紅《さるすべり》が咲いて居た時分、此|百日紅《さるすべり》が散る迄に美學原論と云ふ著述をすると云ふから、駄目だ、到底出來る氣遣はないと云つたのさ。すると迷亭の答へに僕はかう見えても見掛けに寄らぬ意志の強い男である、そんなに疑ふなら賭《かけ》を仕《し》樣《やう》と云ふから僕は眞面目に受けて何でも神田の西洋料理を奢《おご》りつこかなにかに極めた。屹度書物なんか書く氣遣はないと思つたから賭《かけ》をした樣なものゝ内心は少々恐ろしかつた。僕に西洋料理なんか奢《おご》る金はないんだからな。所が先生|一向《いつかう》稿を起す景色《けしき》がない。七日《なぬか》立つても二十日《はつか》立つても一枚も書かない。愈《いよ/\》百日紅《さるすべり》が散つて一輪の花もなくなつても當人平氣で居るから、愈《いよ/\》西洋料理に有り付いたなと思つて契約履行を逼ると迷亭濟まして取り合はない」
 「又何とか理窟をつけたのかね」と鈴木君が相の手を入れる。
 「うん、實にづう/\しい男だ。吾輩は外に能はないが意志|丈《だけ》は決して君方に負けはせんと剛情を張るのさ」
 「一枚も書かんのにか」と今度は迷亭君自身が質問をする。
 「無論さ、其時君はかう云つたぜ。吾輩は意志の一點に置いては敢て何人《なんぴと》にも一歩も讓らん。然し殘念な事には記憶が人一倍無い。美學原論を著はさうとする意志は充分あつたのだが其意志を君に發表した翌日から忘れて仕舞つた。夫《それ》だから百日紅《さるすべり》の散る迄に著書が出來なかつたのは記憶の罪で意志の罪ではない。意志の罪でない以上は西洋料理|抔《など》を奢る理由がないと威張つて居るのさ」
 「成程迷亭君一流の特色を發揮して面白い」と鈴木君は何故《なぜ》だか面白がつて居る。迷亭の居らぬ時の語氣とは餘程違つて居る。是が利口な人の特色かも知れない。
 「何が面白いものか」と主人は今でも怒《おこ》つて居る樣子である。
 「夫《それ》は御氣の毒樣、夫《それ》だから其|埋合《うめあは》せをする爲に孔雀の舌なんかを金と太鼓で探して居るぢやないか。まあさう怒《おこ》らずに待つて居るさ。然し著書と云へば君、今日は一大珍報を齎《もた》らして來たんだよ」
 「君はくるたびに珍報を齎《もた》らす男だから油斷が出來ん」
 「所が今日の珍報は眞の珍報さ。正札付一厘も引けなしの珍報さ。君寒月が博士論文の稿を起したのを知つて居るか。寒月はあんな妙に見識張つた男だから博士論文なんて無趣味な勞力はやるまいと思つたら、あれで矢つ張り色氣があるから可笑《をか》しいぢやないか。君あの鼻に是非通知してやるがいゝ、此頃は團栗博士《どんぐりはかせ》の夢でも見て居るかも知れない」
 鈴木君は寒月の名を聞いて、話しては行《い》けぬ/\と顋《あご》と眼で主人に合圖する。主人には一向《いつかう》意味が通じない。先《さ》つき鈴木君に逢つて説法を受けた時は金田の娘の事|許《ばか》りが氣の毒になつたが、今迷亭から鼻々と云はれると又先日喧嘩をした事を思ひ出す。思ひ出すと滑稽でもあり、又少々は惡《にく》らしくもなる。然し寒月が博士論文を草しかけたのは何よりの御見《おみ》やげで、是|許《ばか》りは迷亭先生自賛の如く先づ/\近來の珍報である。啻《たゞ》に珍報のみならず、嬉しい快よい珍報である。金田の娘を貰はうが貰ふまいがそんな事は先づどうでもよい。兎に角寒月の博士になるのは結構である。自分の樣に出來損ひの木像は佛師屋の隅で蟲が喰ふ迄|白木《しらき》の儘|燻《くすぶ》つて居ても遺憾はないが、是は旨く仕上がつたと思ふ彫刻には一日も早く箔を塗つてやりたい。
 「本當に論文を書きかけたのか」と鈴木君の合圖はそつち除《の》けにして、熱心に聞く。
 「よく人の云ふ事を疑ぐる男だ。――尤も問題は團栗《どんぐり》だか首縊《くびくゝ》りの力學だか確《しか》と分らんがね。兎に角寒月の事だから鼻の恐縮する樣なものに違ひない」
 先《さ》つきから迷亭が鼻々と無遠慮に云ふのを聞くたんびに鈴木君は不安の樣子をする。迷亭は少しも氣が付かないから平氣なものである。
 「其後鼻に就て又研究をしたが、此頃トリストラム、シヤンデーの中に鼻論《はなろん》があるのを發見した。金田の鼻|抔《など》もスターンに見せたら善い材料になつたらうに殘念な事だ。鼻名《びめい》を千載《せんざい》に垂れる資格は充分ありながら、あのまゝで朽ち果つるとは不憫千萬だ。今度こゝへ來たら美學上の參考の爲に寫生してやらう」と相變らず口から出任《でまか》せに喋舌《しやべ》り立てる。
 「然しあの娘は寒月の所へ來たいのださうだ」と主人が今鈴木君から聞いた通りを述べると、鈴木君は是は迷惑だと云ふ顔付をして頻りに主人に目くばせをするが、主人は不導體の如く一向《いつかう》電氣に感染しない。
 「一寸|乙《おつ》だな、あんな者の子でも戀をする所が、然し大した戀ぢやなからう、大方|鼻戀《はなごひ》位な所だぜ」
 「鼻戀《はなごひ》でも寒月が貰へばいゝが」
 「貰へばいゝがつて、君は先日大反對だつたぢやないか。今日はいやに軟化して居るぜ」
 「軟化はせん、僕は決して軟化はせん然し……」
 「然しどうか〔三字傍点〕したんだらう。ねえ鈴木、君も實業家の末席《ばつせき》を汚《けが》す一人だから參考の爲に言つて聞かせるがね。あの金田某なる者さ。あの某なるものゝ息女|抔《など》を天下の秀才水島寒月の令夫人と崇《あが》め奉るのは、少々提燈と釣鐘と云ふ次第で、我々朋友たる者が冷々《れい/\》黙過する譯に行かん事だと思ふんだが、たとひ實業家の君でも是には異存はあるまい」
 「相變らず元氣がいゝね。結構だ。君は十年前と容子が少しも變つて居ないからえらい」と鈴木君は柳に受けて、胡麻化《ごまか》さうとする。
 「えらいと褒めるなら、もう少し博學な所を御目にかけるがね。昔《むか》しの希臘人《ギリシヤじん》は非常に體育を重んじたものであらゆる競技に貴重なる懸賞を出して百方奬勵の策を講じたものだ。然るに不思議な事には學者の智識〔二字傍点〕に對してのみは何等の褒美も與へたと云ふ記録がなかつたので、今日《こんにち》迄《まで》實は大《おほい》に怪しんで居た所さ」
 「成程少し妙だね」と鈴木君はどこ迄も調子を合せる。
 「然るについ兩三日前に至つて、美學研究の際不圖其理由を發見したので多年の疑團《ぎだん》は一度に氷解。漆桶《しつつう》を拔くが如く痛快なる悟りを得て歡天喜地《くわんてんきち》の至境に達したのさ」
 あまり迷亭の言葉が仰山なので、さすが御上手者の鈴木君も、こりや手に合はないと云ふ顔付をする。主人は又始まつたなと云はぬ許《ばか》りに、象牙の箸で菓子皿の縁《ふち》をかん/\叩いて俯《う》つ向《む》いて居る。迷亭|丈《だけ》は大得意で辯じつゞける。
 「そこで此矛盾なる現象の説明を明記して、暗黒の淵から吾人の疑を千載《せんざい》の下《もと》に救ひ出してくれた者は誰だと思ふ。學問あつて以來の學者と稱せらるゝ彼《か》の希臘《ギリシヤ》の哲人、逍遙派《せうえうは》の元祖アリストートル其人である。彼の説明に曰くさ――おい菓子皿|抔《など》を叩かんで謹聽して居なくちやいかん。――彼等|希臘人《ギリシヤじん》が競技に於て得る所の賞與は彼等が演ずる技藝其物より貴重なものである。それ故に褒美にもなり、奬勵の具ともなる。然し智識其物に至つてはどうである。もし智識に對する報酬として何物をか與へんとするならば智識以上の價値あるものを與へざるべからず。然し智識以上の珍寶が世の中にあらうか。無論ある筈がない。下手なものを遣れば智識の威嚴を損する譯になる許《ばか》りだ。彼等は智識〔二字傍点〕に對して千兩箱をオリムパスの山程積み、クリーサスの富を傾《かたむ》け盡しても相當の報酬を與へんとしたのであるが、如何に考へても到底釣り合ふ筈がないと云ふ事を觀破《くわんぱ》して、それより以來と云ふものは奇麗さつぱり何にも遣らない事にして仕舞つた。黄白青錢《くわうはくせいせん》が智識の匹敵でない事は是で十分理解出來るだらう。偖《さて》此原理を服膺《ふくよう》した上で時事問題に臨んで見るがいゝ。金田某は何だい紙幣《さつ》に眼鼻をつけた丈《だけ》の人間ぢやないか、奇警なる語をもつて形容するならば彼は一個の活動紙幣《くわつどうしへい》に過ぎんのである。活動紙幣の娘なら活動切手位な所だらう。翻《ひるがへ》つて寒月君は如何《いかん》と見ればどうだ。辱けなくも學問最高の府を第一位に卒業して毫も倦怠の念なく長州征伐時代の羽織の紐をぶら下げて、日夜|團栗《どんぐり》のスタビリチーを研究し、夫《それ》でも猶《なほ》滿足する樣子もなく、近々《きん/\》の中ロード、ケル?ンを壓倒する程な大論文を發表し樣《やう》としつゝあるではないか。會《たまた》ま吾妻橋を通り掛つて身投げの藝を仕損じた事はあるが、これも熱誠なる青年に有りがちの發作的所爲《ほつさてきしよゐ》で毫も彼が智識の問屋《とんや》たるに煩ひを及ぼす程の出來事ではない。迷亭一流の喩《たとへ》をもつて寒月君を評すれば彼は活動圖書館である。智識をもつて捏《こ》ね上げたる二十八|珊《サンチ》の彈丸である。此彈丸が一たび時機を得て學界に爆發するなら、――もし爆發して見給へ――爆發するだらう――」迷亭はこゝに至つて迷亭一流と自稱する形容詞が思ふ樣に出て來ないので俗に云ふ龍頭蛇尾《りゆうとうだび》の感に多少ひるんで見えたがた忽ち「活動切手|抔《など》は何千萬枚あつたつて粉《こ》な微塵になつて仕舞ふさ。それだから寒月には、あんな釣り合はない女性《によしやう》は駄目だ。僕が不承知だ、百獣の中《うち》で尤も聡明なる大象と、尤も貪婪《たんらん》なる小豚と結婚する樣なものだ。さうだらう苦沙彌君」と云つて退《の》けると、主人は又黙つて菓子皿を叩き出す。鈴木君は少し凹《へこ》んだ氣味で
 「そんな事も無からう」と術《じゆつ》なげに答へる。先《さ》つき迄迷亭の惡口を隨分ついた揚句こゝで無暗な事を云ふと、主人の樣な無法者はどんな事を素《す》つ破拔《ぱぬ》くか知れない。可成《なるべく》こゝは好《いゝ》加減に迷亭の鋭鋒をあしらつて無事に切り拔けるのが上分別なのである。鈴木君は利口者である。入らざる抵抗は避けらるゝ|丈《だけ》避けるのが當世で、無要の口論は封建時代の遺物と心得て居る。人生の目的は口舌ではない實行にある。自己の思ひ通りに着々事件が進捗すれば、それで人生の目的は達せられたのである。苦勞と心配と爭論とがなくて事件が進捗すれば人生の目的は極樂流に達せられるのである。鈴木君は卒業後此極樂主義によつて成功し、此極樂主義によつて金時計をぶら下げ、此極樂主義で金田夫婦の依頼をうけ、同じく此極樂主義でまんまと首尾よく苦沙彌君を説き落して當該事件が十中八九迄成就した所へ、迷亭なる常規をもつて律すべからざる、普通の人間以外の心理作用を有するかと怪まるゝ風來坊《ふうらいばう》が飛び込んで來たので少々其突然なるに面喰《めんくら》つて居る所である。極樂主義を發明したものは明治の紳士で、極樂主義を實行するものは鈴木藤十郎君で、今此極樂主義で困却しつゝあるものも又鈴木藤十郎君である。
 「君は何にも知らんからさうでもなからう〔八字傍点〕抔《など》と澄し返つて、例になく言葉|寡《ずく》なに上品に控え込むが、先達《せんだつ》てあの鼻の主《ぬし》が來た時の容子を見たら如何に實業家|贔負《びいき》の尊公でも辟易するに極つてるよ、ねえ苦沙彌君、君|大《おほい》に奮闘したぢやないか」
 「それでも君より僕の方が評判がいゝさうだ」
 「アハヽヽ中々自信が強い男だ。夫《それ》でなくてはサ※[エに濁點]ジ、チーなんて生徒やヘ師にからかはれて濟《すま》まして學校へ出ちや居られん譯だ。僕も意志は決して人に劣らん積《つもり》だが、そんなに圖太くは出來ん敬服の至りだ」
 「生徒やヘ師が少々愚圖々々言つたつて何が恐ろしいものか、サントブーヴは古今獨歩の評論家であるが巴里《パリ》大學で講義をした時は非常に不評判で、彼は學生の攻撃に應ずる爲め外出の際必ず匕首《あひくち》を袖の下に持つて防禦の具となした事がある。ブルヌチエルが矢張り巴里《パリ》の大學でゾラの小説を攻撃した時は……」
 「だつて君や大學のヘ師でも何でもないぢやないか。高がリードルの先生でそんな大家を例に引くのは雜魚《ざこ》が鯨をもつて自《みづか》ら喩《たと》へる樣なもんだ、そんな事を云ふと猶《なほ》からかはれるぜ」
 「黙つていろ。サントブーヴだつて俺だつて同じ位な學者だ」
 「大變な見識だな。然し懷劔をもつて歩行《ある》く丈《だけ》はあぶないから眞似《まね》ない方がいゝよ。大學のヘ師が懷劔ならリードルのヘ師はまあ小刀《こがたな》位な所だな。然し夫《それ》にしても刃物は劔呑《けんのん》だから仲見世へ行つておもちやの空氣銃を買つて來て脊負《しよ》つてあるくがよからう。愛嬌があつていゝ。ねえ鈴木君」と云ふと鈴木君は漸く話が金田事件を離れたのでほつと一息つきながら
 「相變らず無邪氣で愉快だ。十年振りで始めて君等に逢つたんで何だか窮屈な路次《ろじ》から廣い野原へ出た樣な氣持がする。どうも我々仲間の談話は少しも油斷がならなくてね。何を云ふにも氣を置かなくちやならんから心配で窮屈で實に苦しいよ。話は罪がないのがいゝね。そして昔《むか》しの書生時代の友達と話すのが一番遠慮がなくつていゝ。あゝ今日は圖らず迷亭君に遇つて愉快だつた。僕はちと用事があるから是で失敬する」と鈴木君が立ち懸けると、迷亭も「僕もいかう、僕は是から日本橋の演藝矯風會《えんげいけうふうくわい》に行かなくつちやならんから、そこ迄一所に行かう」「そりや丁度いゝ久し振りで一所に散歩し樣《やう》」と兩君は手を携へて歸る。
 
     五
 
 二十四時間の出來事を洩れなく書いて、洩れなく讀むには少なくも二十四時間かゝるだらう、いくら寫生文を鼓吹する吾輩でも是は到底猫の企《くはだ》て及ぶべからざる藝當と自白せざるを得ない。從つて如何《いか》に吾輩の主人が、二六時中精細なる描寫に價《あたひ》する奇言奇行を弄するにも關らず逐一之を讀者に報知するの能力と根氣のないのは甚だ遺憾である。遺憾ではあるが已《やむ》を得ない。休養は猫と雖も必要である。鈴木君と迷亭君の歸つたあとは木枯しのはたと吹き息《や》んで、しん/\と降る雪の夜の如く靜かになつた。主人は例の如く書齋へ引き籠る。小供は六疊の間《ま》へ枕をならべて寐る。一間半の襖を隔てゝ南向の室《へや》には細君が數へ年三つになる、めん子さんと添乳《そへぢ》して横になる。花曇りに暮れを急いだ日は疾《と》く落ちて、表を通る駒下駄の音さへ手に取る樣に茶の間へ響く。隣町《となりちやう》の下宿で明笛《みんてき》を吹くのが絶えたり續いたりして眠い耳底《じてい》に折々鈍い刺激を與へる。外面《そと》は大方|朧《おぼろ》であらう。晩餐に半《はん》ぺんの※[者/火]汁《だし》で鮑貝《あはびがひ》をからにした腹ではどうしても休養が必要である。
 ほのかに承《うけたま》はれば世間には猫の戀とか稱する俳諧趣味の現象があつて、春さきは町内の同族共の夢安からぬ迄浮かれ歩《あ》るく夜もあるとか云ふが、吾輩はまだかゝる心的變化に遭逢《さうほう》した事はない。抑《そもそ》も戀は宇宙的の活力である。上《かみ》は在天の神ジユピターより下《しも》は土中に鳴く蚯蚓《みゝず》、おけらに至る迄此道にかけて浮身を窶《やつ》すのが萬物の習ひであるから、吾輩どもが朧《おぼろ》うれしと、物騷な風流氣を出すのも無理のない話しである。回顧すればかく云ふ吾輩も三毛子《みけこ》に思ひ焦《こ》がれた事もある。三角主義の張本金田君の令孃阿倍川の富子さへ寒月君に戀慕したと云ふ噂である。それだから千金の春宵《しゆんせう》を心も空に滿天下の雌猫《めねこ》雄猫《をねこ》が狂い廻るのを煩惱《ぼんなう》の迷《まよひ》のと輕蔑する念は毛頭ないのであるが、如何《いかん》せん誘はれてもそんな心が出ないから仕方がない。吾輩目下の?態は只休養を欲するのみである。かう眠くては戀も出來ぬ。のそ/\と小供の布團の裾《すそ》へ廻つて心地快《こゝちよ》く眠る。……
 不圖眼を開《あ》いて見ると主人はいつの間《ま》にか書齋から寢室へ來て細君の隣に延べてある布團の中にいつの間《ま》にか潜《もぐ》り込んで居る。主人の癖として寐る時は必ず横文字の小本《こほん》を書齋から携へて來る。然し横になつて此本を二頁と續けて讀んだ事はない。ある時は持つて來て枕元へ置いたなり、丸《まる》で手を觸れぬ事さへある。一行も讀まぬ位なら態々《わざ/\》提《さ》げてくる必要もなささうなものだが、そこが主人の主人たる所でいくら細君が笑つても、止せと云つても、決して承知しない。毎夜讀まない本を御苦勞千萬にも寢室迄運んでくる。ある時は慾張つて三四册も抱《かゝ》へて來る。先達《せんだつて》中《ぢゆう》は毎晩ウエブスターの大字典さへ抱へて來た位である。思ふに是は主人の病氣で贅澤な人が龍文堂《りゆうぶんだう》に鳴る松風の音を聞かないと寐つかれない如く、主人も書物を枕元に置かないと眠れないのであらう、して見ると主人に取つては書物は讀む者ではない眠を誘ふ器械である。活版の睡眠劑である。
 今夜も何か有るだらうと覗いて見ると、赤い薄い本が主人の口髯の先につかへる位な地位に半分開かれて轉がつて居る。主人の左の手の拇指《おやゆび》が本の間に挾まつた儘である所から推すと奇特にも今夜は五六行讀んだものらしい。赤い本と並んで例の如くニツケルの袂時計が春に似合はぬ寒き色を放つて居る。
 細君は乳呑兒を一尺|許《ばか》り先へ放《はふ》り出して口を開《あ》いていびきをかいて枕を外《はづ》して居る。凡そ人間に於いて何が見苦しいと云つて口を開けて寐る程の不體裁はあるまいと思ふ。猫|抔《など》は生涯こんな耻をかいた事がない。元來口は音を出す爲め鼻は空氣を吐呑《とどん》する爲の道具である。尤も北の方へ行くと人間が無精になつて可成《なるべく》口をあくまいと儉約をする結果鼻で言語を使ふ樣なズー/\もあるが、鼻を閉塞して口|許《ばか》りで呼吸の用を辯じて居るのはズー/\よりも見ともないと思ふ。第一天井から鼠の糞《ふん》でも落ちた時危險である。
 小供の方はと見ると是も親に劣らぬ體《てい》たらくで寢そべつて居る。姉のとん子は、姉の權利はこんなものだと云はぬ許《ばか》りにうんと右の手を延ばして妹の耳の上へのせて居る。妹のすん子は其復讐に姉の腹の上に片足をあげて踏反《ふんぞ》り返つて居る。双方共寐た時の姿勢より九十度は慥《たし》かに廻轉して居る。しかも此不自然なる姿勢を維持しつゝ兩人とも不平も云はず大人《おとな》しく熟睡して居る。
 さすがに春の燈火《ともしび》は格別である。天眞爛漫ながら無風流極まる此光景の裏《うち》に良夜を惜しめと許《ばか》り床《ゆか》しげに輝やいて見える。もう何時《なんじ》だらうと室《へや》の中を見廻すと四隣はしんとして只聞えるものは柱時計と細君のいびきと遠方で下女の齒軋《はぎし》りをする音のみである。此下女は人から齒軋《はぎし》りをすると云はれるといつでも之を否定する女である。私は生れてから今日《こんにち》に至る迄|齒軋《はぎし》りをした覺は御座いませんと強情を張つて決して直しませうとも御氣の毒で御座いますとも云はず、只そんな覺は御座いませんと主張する。成程寐ていてする藝だから覺はないに違ない。然し事實は覺がなくても存在する事があるから困る。世の中には惡い事をして居りながら、自分はどこ迄も善人だと考へて居るものがある。是は自分が罪がないと自信して居るのだから無邪氣で結構ではあるが、人の困る事實は如何に無邪氣でも滅却する譯には行かぬ。かう云ふ紳士淑女は此下女の系統に屬するのだと思ふ。――夜《よ》は大分《だいぶ》更《ふ》けた樣だ。
 臺所の雨戸にトン/\と二返|許《ばか》り輕く中《あた》つた者がある。はてな今頃人の來る筈がない。大方例の鼠だらう、鼠なら捕《と》らん事に極めて居るから勝手にあばれるが宜しい。――又トン/\と中《あた》る。どうも鼠らしくない。鼠としても大變用心深い鼠である。主人の内の鼠は、主人の出る學校の生徒の如く日中《につちゆう》でも夜中《やちゆう》でも亂暴狼藉の練修に餘念なく、憫然なる主人の夢を驚破《きやうは》するのを天職の如く心得て居る連中だから、斯《かく》の如く遠慮する譯がない。今のは慥《たし》かに鼠ではない。先達《せんだつ》て抔《など》は主人の寢室に迄|闖入《ちんにふ》して高からぬ主人の鼻の頭を囓《か》んで凱歌《がいか》を奏して引き上げた位の鼠にしては餘り臆病すぎる。決して鼠ではない。今度はギーと雨戸を下から上へ持ち上げる音がする、同時に腰障子を出來る丈《だけ》緩やかに、溝に添ふて滑らせる。愈《いよ/\》鼠ではない。人間だ。此深夜に人間が案内も乞はず戸締《とじまり》を外《は》づして御光來になるとすれば迷亭先生や鈴木君ではないに極つて居る。御高名|丈《だけ》は兼ねて承《うけたま》はつて居る泥棒陰士《どろぼういんし》ではないか知らん。愈《いよ/\》陰士とすれば早く尊顔を拜したいものだ。陰士は今や勝手の上に大いなる泥足を上げて二足《ふたあし》許《ばか》り進んだ模樣である。三足目と思ふ頃|揚板《あげいた》に蹶《つまづ》いてか、ガタリと夜《よる》に響く樣な音を立てた。吾輩の脊中の毛が靴刷毛《くつばけ》で逆《ぎやく》に擦《こ》すられた樣な心持がする。しばらくは足音もしない。細君を見ると未《ま》だ口をあいて太平の空氣を夢中に吐呑《とどん》して居る。主人は赤い本に拇指《おやゆび》を挾まれた夢でも見て居るのだらう。やがて臺所でマチを擦《す》る音が聞える。陰士でも吾輩程夜陰に眼は利かぬと見える。勝手がわるくて定めし不都合だらう。
 此時吾輩は蹲踞《うづく》まりながら考へた。陰士は勝手から茶の間の方面へ向けて出現するのであらうか、又は左へ折れ玄關を通過して書齋へと拔けるであらうか。――足音は襖《ふすま》の音と共に椽側へ出た。陰士は愈《いよ/\》書齋へ這入つた。それぎり音も沙汰もない。
 吾輩は此|間《ま》に早く主人夫婦を起して遣りたいものだと漸く氣が付いたが、偖《さて》どうしたら起きるやら、一向《いつかう》要領を得ん考のみが頭の中に水車《みづぐるま》の勢で廻轉するのみで、何等の分別も出ない。布團の裾《すそ》を啣《くわ》へて振つて見たらと思つて、二三度やつて見たが少しも効用がない。冷たい鼻を頬に擦《す》り付けたらと思つて、主人の顔の先へ持つて行つたら、主人は眠つた儘、手をうんと延ばして、吾輩の鼻づらを否《い》やと云ふ程突き飛ばした。鼻は猫にとつても急所である。痛む事|夥《おびたゞ》しい。此度《こんど》は仕方がないからにやー/\と二返|許《ばか》り鳴いて起こさうとしたが、どう云ふものか此時|許《ばか》りは咽喉《のど》に物が痞《つか》へて思ふ樣な聲が出ない。やつとの思ひで澁りながら低い奴を少々出すと驚居た。肝心の主人は覺《さ》める氣色《けしき》もないのに突然陰士の足音がし出した。ミチリ/\と椽側を傳《つた》つて近づいて來る。愈《いよ/\》來たな、かうなつてはもう駄目だと諦《あき》らめて、襖《ふすま》と柳行李の間にしばしの間身を忍ばせて動靜を窺《うか》がふ。
 陰士の足音は寢室の障子の前へ來てぴたりと已《や》む。吾輩は息を凝《こ》らして、此次は何をするだらうと一生懸命になる。あとで考へたが鼠を捕《と》る時は、こんな氣分になれば譯はないのだ、魂《たましひ》が兩方の眼から飛び出しさうな勢《いきほひ》である。陰士の御蔭で二度とない悟《さとり》を開いたのは實に難有《ありがた》い。たちまち障子の桟《さん》の三つ目が雨に濡れた樣に眞中|丈《だけ》色が變る。それを透《すか》して薄紅《うすくれなゐ》なものが漸々《だん/\》濃く寫つたと思ふと、紙はいつか破れて、赤い舌がぺろりと見えた。舌はしばしの間《ま》に暗い中に消える。入れ代つて何だか恐しく光るものが一つ、破れた孔《あな》の向側にあらはれる。疑ひもなく陰士の眼である。妙な事には其眼が、部屋の中にある何物をも見ないで、只《たゞ》柳行李の後《うしろ》に隱れて居た吾輩のみを見詰めて居る樣に感ぜられた。一分にも足らぬ間《ま》ではあつたが、かう睨まれては壽命が縮まると思つた位である。もう我慢出來んから行李の影から飛出さうと決心した時、寢室の障子がスーと明いて待ち兼ねた陰士がついに眼前にあらはれた。
 吾輩は叙述の順序として、不時の珍客なる泥棒陰士其人をこの際諸君に御紹介するの榮譽を有する譯であるが、其前|一寸《ちよつと》卑見を開陳して御高慮を煩はしたい事がある。古代の神は全智全能と崇められて居る。ことに耶蘇ヘの神は二十世紀の今日《こんにち》迄《まで》も此全智全能の面《めん》を被《かぶ》つて居る。然し俗人の考ふる全智全能は、時によると無智無能とも解釋が出來る。かう云ふのは明かにパラドツクスである。然るに此パラドツクスを道破《だうは》した者は天地開闢《てんちかいびやく》以來吾輩のみであらうと考へると、自分ながら滿更《まんざら》な猫でもないと云ふ虚榮心も出るから、是非共こゝに其理由を申し上げて、猫も馬鹿に出來ないと云ふ事を、高慢なる人間諸君の腦裏に叩き込みたいと考へる。天地萬有は神が作つたさうな、して見れば人間も神の御製作であらう。現に聖書とか云ふものには其通りと明記してあるさうだ。偖《さて》此人間に就て、人間自身が數千年來の觀察を積んで、大《おほい》に玄妙不思議がると同時に、益々《ます/\》神の全智全能を承認する樣に傾いた事實がある。それは外でもない、人間も斯樣《かやう》にうぢや/\居るが同じ顔をして居る者は世界中に一人も居ない。顔の道具は無論極つて居る、大《おほき》さも大概は似たり寄つたりである。換言すれば彼等は皆同じ材料から作り上げられて居る、同じ材料で出來て居るにも關《かゝは》らず一人も同じ結果に出來上つて居らん。よくまああれ丈《だけ》の簡單な材料でかく迄異樣な顔を思ひ就《つ》いた者だと思ふと、製造家の伎倆に感服せざるを得ない。餘程獨創的な想像力がないとこんな變化は出來んのである。一代の畫工が精力を消耗《せうかう》して變化を求めた顔でも十二三種以外に出る事が出來んのをもつて推せば、人間の製造を一手《いつて》で受負《うけお》つた神の手際《てぎは》は格別な者だと驚嘆せざるを得ない。到底人間社會に於いて目撃し得ざる底《てい》の伎倆であるから、是を全能的伎倆と云つても差し支ないだらう。人間は此點に於て大《おほい》に神に恐れ入つて居る樣である、成程人間の觀察點から云へば尤もな恐れ入り方である。然し猫の立場から云ふと同一の事實が却つて神の無能力を證明して居る共《とも》解釋が出來る。もし全然無能でなく共《とも》人間以上の能力は決してない者であると斷定が出來るだらうと思ふ。神が人間の數だけ其《それ》丈《だけ》多くの顔を製造したと云ふが、當初から胸中に成算があつて斯《か》程《ほど》の變化を示したものか、又は猫も杓子も同じ顔に造らうと思つてやりかけて見たが、到底旨く行かなくて出來るのも/\作り損《そこ》ねて此亂雜な?態に陷《おちい》つたものか、分らんではないか。彼等顔面の構造は神の成功の紀念と見らるゝと同時に失敗の痕迹《こんせき》とも判ぜらるゝではないか。全能とも云へ樣《やう》が、無能と評したつて差し支はない。彼等人間の眼は平面の上に二つ並んで居るので左右を一時《いちじ》に見る事が出來んから事物の半面|丈《だけ》しか視線内に這入らんのは氣の毒な次第である。立場を換へて見れば此位單純な事實は彼等の社會に日夜間斷なく起りつゝあるのだが、本人|逆《のぼ》せ上がつて、神に呑まれて居るから悟り樣がない。製作の上に變化をあらはすのが困難であるならば、其上に徹頭徹尾の模傚《もかう》を示すのも同樣に困難である。ラフアエルに寸分違はぬ聖母の像を二枚かけと注文するのは、全然似寄らぬマドンナを双幅《さうふく》見せろと逼《せま》ると同じく、ラフアエルにとつては迷惑であらう、否同じ物を二枚かく方がかえつて困難かも知れぬ。弘法大師に向つて昨日《きのふ》書いた通りの筆法で空海と願ひますと云ふ方が丸《まる》で書體を換へてと注文されるよりも苦しいかも分らん。人間の用ふる國語は全然|模傚主義《もかうしゆぎ》で傳習するものである。彼等人間が母から、乳母《うば》から、他人から實用上の言語を習ふ時には、只聞いた通りを繰り返すより外に毛頭の野心はないのである。出來る丈《だけ》の能力で人眞似をするのである。斯樣に人眞似から成立する國語が十年二十年と立つうち、發音に自然と變化を生じてくるのは、彼等に完全なる模傚《もかう》の能力がないと云ふ事を證明して居る。純粹の模傚《もかう》は斯《かく》の如く至難なものである。從つて神が彼等人間を區別の出來ぬ樣、悉皆《しつかい》燒印の御かめ〔三字傍点〕の如く作り得たならば益々《ます/\》神の全能を表明し得るもので、同時に今日《こんにち》の如く勝手次第な顔を天日《てんぴ》に曝《さ》らさして、目まぐるしき迄に變化を生ぜしめたのはかえつて其無能力を推知し得るの具ともなり得るのである。
 吾輩は何の必要があつてこんな議論をしたか忘れて仕舞つた。本《もと》を忘却するのは人間にさへ有勝《ありがち》の事であるから猫には當然の事さと大目に見て貰ひたい。兎に角吾輩は寢室の障子をあけて敷居の上にぬつと現はれた泥棒陰士を瞥見《べつけん》した時、以上の感想が自然と胸中に湧き出でたのである。何故《なぜ》湧いた?――何故《なぜ》と云ふ質問が出れば、今一應考へ直して見なければならん。――えゝと、其譯はかうである。
 吾輩の眼前に悠然とあらはれた陰士の顔を見ると其顔が――平常《ふだん》神の製作に就て其|出來榮《できばえ》を或は無能の結果ではあるまいかと疑つて居たのに、それを一時に打ち消すに足る程な特徴を有して居たからである。特徴とは外ではない。彼の眉目がわが親愛なる好男子水島寒月君に瓜二つであると云ふ事實である。吾輩は無論泥棒に多くの知己は持たぬが、其行爲の亂暴な所から平常《ふだん》想像して私《ひそ》かに胸中に描《ゑが》いて居た顔はないでもない。小鼻の左右に展開した、一錢銅貨位の眼をつけた、毬栗頭《いがぐりあたま》にきまつて居ると自分で勝手に極めたのであるが、見ると考へるとは天地の相違、想像は決して逞《たくまし》くするものではない。此陰士は脊《せい》のすらりとした、色の淺黒い一の字眉の、意氣で立派な泥棒である。年は二十六七歳でもあらう、夫《それ》すら寒月君の寫生である。神もこんな似た顔を二個製造し得る手際があるとすれば、決して無能をもつて目する譯には行かぬ。いや實際の事を云ふと寒月君自身が氣が變になつて深夜に飛び出して來たのではあるまいかと、はつと思つた位よく似て居る。只鼻の下に薄黒く髯の芽生えが植ゑ付けてないので偖《さて》は別人だと氣が付いた。寒月君は苦味《にがみ》ばしつた好男子で、活動小切手と迷亭から稱せられたる、金田富子孃を優に吸収するに足る程な念入れの製作物である。然し此陰士も人相から觀察すると其婦人に對する引力上の作用に於て決して寒月君に一歩も讓らない。若し金田の令孃が寒月君の眼付や口先に迷つたのなら、同等の熱度をもつて此泥棒君にも惚れ込まなくては義理が惡い。義理は兎に角、論理に合はない。あゝ云ふ才氣のある、何でも早分りのする性質《たち》だから此位の事は人から聞かんでも屹度《きつと》分るであらう。して見ると寒月君の代りに此泥棒を差し出しても必ず滿身の愛を捧げて琴瑟《きんしつ》調和の實を擧げらるゝに相違ない。萬一寒月君が迷亭|抔《など》の説法に動かされて、此千古の良縁が破れるとしても、此陰士が健在であるうちは大丈夫である。吾輩は未來の事件の發展をこゝ迄豫想して、富子孃の爲めに、やつと安心した。此泥棒君が天地の間に存在するのは富子孃の生活を幸福ならしむる一大要件である。
 陰士は小脇になにか抱《かゝ》へて居る。見ると先刻《さつき》主人が書齋へ放《はふ》り込んだ古毛布《ふるげつと》である。唐棧《たうざん》の半纒《はんてん》に、御納戸《おなんど》の博多《はかた》の帶を尻の上にむすんで、生白《なまじろ》い脛《すね》は膝から下むき出しの儘今や片足を擧げて疊の上へ入れる。先刻《さつき》から赤い本に指を?まれた夢を見て居た、主人は此時寐返りを堂《だう》と打ちながら「寒月だ」と大きな聲を出す。陰士は毛布《けつと》を落して、出した足を急に引き込ます。障子の影に細長い向脛《むかふずね》が二本立つた儘|微《かす》かに動くのが見える。主人はうーん、むにや/\と云ひながら例の赤本を突き飛ばして、黒い腕を皮癬病《ひぜんや》みの樣にぼり/\掻く。其あとは靜まり返つて、枕をはづしたなり寐て仕舞ふ。寒月だと云つたのは全く我知らずの寐言と見える。陰士はしばらく椽側に立つた儘室内の動靜をうかゞつて居たが、主人夫婦の熟睡して居るのを見濟して又片足を疊の上に入れる。今度は寒月だと云ふ聲も聞えぬ。やがて殘る片足も踏み込む。一穗《いつすゐ》の春燈《しゆんとう》で豐《ゆた》かに照らされて居た六疊の間《ま》は、陰士の影に鋭どく二分せられて柳行李の邊《へん》から吾輩の頭の上を越えて壁の半《なか》ばが眞黒になる。振り向いて見ると陰士の顔の影が丁度壁の高さの三分の二の所に漠然と動いて居る。好男子も影|丈《だけ》見ると、八《や》つ頭《がしら》の化け物の如くまことに妙な恰好《かつかう》である。陰士は細君の寐顔を上から覗き込んで見たが何の爲めかにや/\と笑つた。笑ひ方迄が寒月君の模寫であるには吾輩も驚いた。
 細君の枕元には四寸角の一尺五六寸|許《ばか》りの釘付けにした箱が大事さうに置いてある。是は肥前の國は唐津《からつ》の住人多々良三平君《たゝらさんぺいくん》が先日歸省した時|御土産《おみやげ》に持つて來た山の芋である。山の芋を枕元へ飾つて寐るのは餘り例のない話しではあるが此細君は※[者/火]物に使ふ三盆《さんぼん》を用箪笥へ入れる位場所の適不適と云ふ觀念に乏しい女であるから、細君にとれば、山の芋は愚か、澤庵が寢室に在つても平氣かも知れん。然し神ならぬ陰士はそんな女と知らう筈がない。かく迄鄭重に肌身に近く置いてある以上は大切な品物であらうと鑑定するのも無理はない。陰士は一寸山の芋の箱を上げて見たが其重さが陰士の豫期と合して大分《だいぶ》目方が懸りさうなので頗る滿足の體《てい》である。愈《いよ/\》山の芋を盗むなと思つたら、而《しか》も此好男子にして山の芋を盗むなと思つたら急に可笑《をか》しくなつた。然し滅多に聲を立てると危險であるから昵《じつ》と怺《こら》へて居る。
 やがて陰士は山の芋の箱を恭《うや/\》しく古毛布《ふるげつと》にくるみ初めた。なにかからげるものはないかとあたりを見廻す。と、幸ひ主人が寐る時に解きすてた縮緬《ちりめん》の兵古帶《へこおび》がある。陰士は山の芋の箱を此帶でしつかり括《くゝ》つて、苦もなく脊中へしよふ。餘り女が好《す》く體裁ではない。それから小供のちやん/\を二枚、主人のめり安《やす》の股引《もゝひき》の中へ押し込むと、股のあたりが丸く膨《ふく》れて青大將《あをだいしやう》が蛙を飲んだ樣な――或は青大將の臨月《りんげつ》と云ふ方がよく形容し得るかも知れん。兎に角變な恰好《かつかう》になつた。嘘だと思ふなら試しにやつて見るが宜しい。陰士はめり安をぐる/\首《くび》つ環《たま》へ捲きつけた。其次はどうするかと思ふと主人の紬《つむぎ》の上着《うはぎ》を大風呂敷の樣に擴げて是に細君の帶と主人の羽織と繻絆と其他あらゆる雜物《ざふもつ》を奇麗に疊んでくるみ込む。其熟練と器用なやり口にも一寸感心した。夫《それ》から細君の帶上げとしごきとを續《つ》ぎ合はせて此包みを括《くゝ》つて片手にさげる。まだ頂戴するものは無いかなと、あたりを見廻して居たが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見付けて、一寸袂へ投げ込む。又其袋の中から一本出してランプに翳《かざ》して火を點《つ》ける。旨《う》まさうに深く吸つて吐き出した烟りが、乳色のホヤを繞《めぐ》つてまだ消えぬ間《ま》に、陰士の足音は椽側を次第に遠のいて聞えなくなつた。主人夫婦は依然として熟睡して居る。人間も存外|迂濶《うくわつ》なものである。
 吾輩は又暫時の休養を要する。のべつに喋舌《しやべ》つて居ては身體が續かない。ぐつと寐込んで眼が覺《さ》めた時は彌生《やよひ》の空が朗らかに晴れ渡つて勝手口に主人夫婦が巡査と對談をして居る時であつた。
 「それでは、こゝから這入つて寢室の方へ廻つたんですな。あなた方は睡眠中で一向《いつかう》氣がつかなかつたのですな」
 「えゝ」と主人は少し極りがわるさうである。
 「夫《それ》で盗難に罹《かゝ》つたのは何時《なんじ》頃ですか」と巡査は無理な事を聞く。時間が分る位なら何《な》にも盗まれる必要はないのである。それに氣が付かぬ主人夫婦は頻りに此質問に對して相談をして居る。
 「何時《なんじ》頃かな」
 「さうですね」と細君は考へる。考へれば分ると思つて居るらしい。
 「あなたは夕《ゆう》べ何時《なんじ》に御休みになつたんですか」
 「俺の寐たのは御前よりあとだ」
 「えゝ私《わたく》しの伏せつたのは、あなたより前です」
 「眼が覺めたのは何時《なんじ》だつたかな」
 「七時半でしたらう」
 「すると盗賊の這入つたのは、何時《なんじ》頃になるかな」
 「なんでも夜なかでせう」
 「夜中《よなか》は分りきつて居るが、何時《なんじ》頃かと云ふんだ」
 「慥《たし》かな所はよく考へて見ないと分りませんわ」と細君はまだ考へる積りで居る。巡査は只形式的に聞いたのであるから、いつ這入つた所が一向《いつかう》痛痒《つうやう》を感じないのである。嘘でも何でも、いゝ加減な事を答へてくれゝば宜《よ》いと思つて居るのに主人夫婦が要領を得ない問答をして居るものだから少々|焦《じ》れ度くなつたと見えて
 「それぢや盗難の時刻は不明なんですな」と云ふと、主人は例の如き調子で
 「まあ、さうですな」と答へる。巡査は笑ひもせずに「ぢやあね、明治三十八年何月何日戸締りをして寐た處が盗賊が、どこそこの雨戸を外《はづ》してどこそこに忍び込んで品物を何點盗んで行つたから右告訴及候也《みぎこくそにおよびさふらふなり》といふ書面をお出しなさい。屆ではない告訴です。名宛はない方がいゝ」
 「品物は一々かくんですか」
 「えゝ羽織何點代價いくらと云ふ風に表にして出すんです。――いや這入つて見たつて仕方がない。盗《と》られたあとなんだから」と平氣な事を云つて歸つて行く。
 主人は筆《ふで》硯《すずり》を座敷の眞中へ持ち出して、細君を前に呼びつけて「是から盗難告訴をかくから、盗られたものを一々云へ。さあ云へ」と恰も喧嘩でもする樣な口調で云ふ。
 「あら厭だ、さあ云へだなんて、そんな權柄《けんぺい》づくで誰が云ふもんですか」と細帶を卷き付けた儘どつかと腰を据ゑる。
 「其風はなんだ、宿場女郎の出來損《できそこな》ひ見た樣だ。なぜ帶をしめて出て來ん」
 「これで惡《わ》るければ買つて下さい。宿場女郎でも何でも盗られりや仕方がないぢやありませんか」
 「帶迄とつて行つたのか、苛《ひど》い奴だ。それぢや帶から書き付けてやらう。帶はどんな帶だ」
 「どんな帶つて、そんなに何本もあるもんですか、黒繻子《くろじゆす》と縮緬《ちりめん》の腹合せの帶です」
 「黒繻子と縮緬の腹合せの帶一筋――價《あたひ》はいくら位だ」
 「六圓位でせう」
 「生意氣に高い帶をしめてるな。今度から一圓五十錢位のにしておけ」
 「そんな帶があるものですか。それだからあなたは不人情だと云ふんです。女房なんどは、どんな汚ない風をして居ても、自分さい宜《よ》けりや、構はないんでせう」
 「まあいゝや、夫《それ》から何だ」
 「糸織《いとおり》の羽織です、あれは河野《かうの》の叔母さんの形身《かたみ》にもらつたんで、同じ糸織でも今の糸織とは、たちが違ひます」
 「そんな講釋は聞かんでもいゝ。値段はいくらだ」
 「十五圓」
 「十五圓の羽織を着るなんて身分不相當だ」
 「いゝぢやありませんか、あなたに買つて頂きあしまいし」
 「其次は何だ」
 「黒足袋が一足」
 「御前のか」
 「あなたんでさあね。代價が二十七錢」
 「それから?」
 「山の芋が一箱」
 「山の芋迄持つて行つたのか。※[者/火]て食ふ積りか、とろろ汁にする積りか」
 「どうする積りか知りません。泥棒の所へ行つて聞いて入らつしやい」
 「いくらするか」
 「山の芋のねだん迄は知りません」
 「そんなら十二圓五十錢位にして置かう」
 「馬鹿々々しいぢやありませんか、いくら唐津《からつ》から掘つて來たつて山の芋が十二圓五十錢して堪まるもんですか」
 「然し御前は知らんと云ふぢやないか」
 「知りませんわ、知りませんが十二圓五十錢なんて法外ですもの」
 「知らんけれども十二圓五十錢は法外だとは何だ。まるで論理に合はん。夫《それ》だから貴樣はオタンチン、パレオロガスだと云ふんだ」
 「何ですつて」
 「オタンチン、パレオロガスだよ」
 「何です其オタンチン、パレオロガスつて云ふのは」
 「何でもいゝ。夫《それ》からあとは――俺の着物は一向《いつかう》出て來んぢやないか」
 「あとは何でも宜《よ》うござんす。オタンチン、パレオロガスの意味を聞かして頂戴」  「意味も何《な》にもあるもんか」
 「ヘへて下すつてもいゝぢやありませんか、あなたは餘つ程私を馬鹿にして入らつしやるのね。屹度《きつと》人が英語を知らないと思つて惡口を仰やつたんだよ」
 「愚《ぐ》な事を言はんで、早くあとを云ふが好い。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」  「どうせ今から告訴をしたつて間に合ひやしません。夫《それ》よりか、オタンチン、パレオロガスをヘへて頂戴」
 「うるさい女だな、意味も何《な》にも無いと云ふに」
 「そんなら、品物の方もあとはありません」
 「頑愚だな。それでは勝手にするがいゝ。俺はもう盗難告訴を書いてやらんから」
 「私も品數《しなかず》をヘへて上げません。告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いて頂かないでも困りません」
 「それぢや廢《よ》さう」と主人は例の如くふいと立つて書齋へ這入る。細君は茶の間へ引き下がつて針箱の前へ坐る。兩人《ふたり》共十分間|許《ばか》りは何にもせずに黙つて障子を睨め付けて居る。
 所へ威勢よく玄關をあけて、山の芋の寄贈者|多々良三平君《たゝらさんぺいくん》が上《あが》つてくる。多々良三平君はもと此《この》家《や》の書生であつたが今では法科大學を卒業してある會社の鑛山部に雇はれて居る。是も實業家の芽生《めばえ》で、鈴木藤十郎君の後進生である。三平君は以前の關係から時々舊先生の草廬《さうろ》を訪問して日曜|抔《など》には一日遊んで歸る位、此家族とは遠慮のない間柄である。
 「奧さん。よか天氣で御座ります」と唐津訛《からつなま》りか何かで細君の前にヅボン〔三字傍点〕の儘立て膝をつく。
 「おや多々良《たゝら》さん」
 「先生はどこぞ出なすつたか」
 「いゝえ書齋に居ます」
 「奧さん、先生のごと勉強しなさると毒ですばい。たまの日曜だもの、あなた」
 「わたしに言つても駄目だから、あなたが先生にさう仰しやい」
 「そればつてんが……」と言ひ掛けた三平君は座敷中を見廻はして「今日は御孃さんも見えんな」と半分妻君に聞いて居るや否や次の間《ま》からとん〔二字傍点〕子とすん〔二字傍点〕子が馳け出して來る。
 「多々良さん、今日は御壽司《おすし》を持つて來て?」と姉のとん〔二字傍点〕子は先日の約束を覺えて居て、三平君の顔を見るや否や催促する。多々良君は頭を掻きながら
 「よう覺えて居るのう、此次は屹度《きつと》持つて來ます。今日は忘れた」と白?する。
 「いやーだ」と姉が云ふと妹もすぐ眞似をして「いやーだ」とつける。細君は漸く御機嫌が直つて少々|笑顔《ゑがほ》になる。
 「壽司は持つて來んが、山の芋は上げたらう。御孃さん喰べなさつたか」
 「山の芋つてなあに?」と姉がきくと妹が今度も亦眞似をして「山の芋つてなあに?」と三平君に尋ねる。
 「まだ食ひなさらんか、早く御母あさんに※[者/火]て御貰ひ。唐津《からつ》の山の芋は東京のとは違つてうまかあ」と三平君が國自慢をすると、細君は漸く氣が付いて
 「多々良さん先達《せんだつ》ては御親切に澤山|難有《ありがた》う」
 「どうです、喰べて見なすつたか、折れん樣に箱を誂《あつ》らへて堅くつめて來たから、長い儘でりましたらう」
 「所が切角下すつた山の芋を夕《ゆう》べ泥棒に取られて仕舞つて」
 「ぬす盗《と》が? 馬鹿な奴ですなあ。そげん山の芋の好きな男が居りますか?」と三平君|大《おほい》に感心して居る。
 「御母《おか》あさま、夕べ泥棒が這入つたの?」と姉が尋ねる。
 「えゝ」と細君は輕《かろ》く答へる。
 「泥棒が這入つて――さうして――泥棒が這入つて――どんな顔をして這入つたの?」と今度は妹が聞く。この奇問には細君も何と答へてよいか分らんので
 「恐《こは》い顔をして這入りました」と返事をして多々良君の方を見る。
 「恐い顔つて多々良さん見た樣な顔なの」と姉が氣の毒さうにもなく、押し返して聞く。
 「何ですね。そんな失禮な事を」
 「ハヽヽヽ私《わたし》の顔はそんなに恐いですか。困つたな」と頭を掻く。多々良君の頭の後部には直徑一寸|許《ばか》りの禿《はげ》がある。一ケ月前から出來出《できだ》して醫者に見て貰つたが、まだ容易に癒りさうもない。此禿を第一番に見付けたのは姉のとん子である。
 「あら多々良さんの頭は御母《おかあ》さまの樣に光《ひ》かつてよ」
 「だまつて入らつしやいと云ふのに」
 「御母《おか》あさま夕べの泥棒の頭も光《ひ》かつてゝ」と是は妹の質問である。細君と多々良君とは思はず吹き出したが、餘り煩はしくて話も何も出來ぬので「さあ/\御前さん達は少し御庭へ出て御遊びなさい。今に御母《おか》あさまが好い御菓子を上げるから」と細君は漸く子供を追ひ遣つて
 「多々良さんの頭はどうしたの」と眞面目に聞いて見る。
 「蟲が食ひました。中々癒りません。奧さんも有んなさるか」
 「やだわ、蟲が食ふなんて、そりや髷で釣る所は女だから少しは禿げますさ」
 「禿はみんなバクテリヤですばい」
 「わたしのはバクテリヤぢやありません」
 「そりや奧さん意地張りたい」
 「何でもバクテリヤぢやありません。然し英語で禿の事を何とか云ふでせう」
 「禿はボールドとか云ひます」
 「いゝえ、それぢやないの、もつと長い名があるでせう」
 「先生に聞いたら、すぐわかりませう」
 「先生はどうしてもヘへて下さらないから、あなたに聞くんです」
 「私《わたし》はボールドより知りませんが。長かつて、どげんですか」
 「オタンチン、パレオロガスと云ふんです。オタンチンと云ふのが禿と云ふ字で、パレオロガスが頭なんでせう」
 「さうかも知れませんたい。今に先生の書齋へ行つてウエブスターを引いて調べて上げませう。然し先生も餘程變つて居なさいますな。此天氣の好いのに、うちに昵《ぢつ》として――奧さん、あれぢや胃病は癒りませんな。ちと上野へでも花見に出掛けなさるごと勸めなさい」
 「あなたが連れ出して下さい。先生は女の云ふ事は決して聞かない人ですから」
 「此頃でもジヤムを舐《な》めなさるか」
 「えゝ相變らずです」
 「先達《せんだつ》て、先生こぼして居なさいました。どうも妻《さい》が俺のジヤムの舐《な》め方が烈しいと云つて困るが、俺はそんなに舐める積りはない。何か勘定違ひだらうと云ひなさるから、そりや御孃さんや奧さんが一所に舐めなさるに違ない――」
 「いやな多々良さんだ、何だつてそんな事を云ふんです」
 「然し奧さんだつて舐《な》めさうな顔をして居なさるばい」
 「顔でそんな事がどうして分ります」
 「分らんばつてんが――夫《そ》れぢや奧さん少しも舐《な》めなさらんか」
 「そりや少しは舐《な》めますさ。舐《な》めたつて好いぢやありませんか。うちのものだもの」
 「ハヽヽヽさうだらうと思つた――然し本《ほん》の事《こと》、泥棒は飛んだ災難でしたな。山の芋|許《ばか》り持つて行《い》たのですか」
 「山の芋|許《ばか》りなら困りやしませんが、不斷着をみんな取つて行きました」
 「早速困りますか。又借金をしなければならんですか。此猫が犬ならよかつたに――惜しい事をしたなあ。奧さん犬の大《ふと》か奴《やつ》を是非一丁飼ひなさい。――猫は駄目ですばい、飯を食ふ許《ばか》りで――ちつとは鼠でも捕《と》りますか」
 「一匹もとつた事はありません。本當に横着な圖々《づう》/\敷《し》い猫ですよ」
 「いやそりや、どうもかうもならん。早々棄てなさい。私《わたし》が貰つて行つて※ [者/火]て食はうか知らん」
 「あら、多々良さんは猫を食べるの」
 「食ひました。猫は旨う御座ります」
 「隨分豪傑ね」
 下等な書生のうちには猫を食ふ樣な野蠻人がある由は兼ねて傳聞したが、吾輩が平生|眷顧《けんこ》を辱《かたじけな》うする多々良君|其《その》人《ひと》も又此同類ならんとは今が今迄夢にも知らなかつた。况《いはん》や同君は既に書生ではない、卒業の日は淺きにも係はらず堂々たる一個の法學士で、六《む》つ井《ゐ》物産會社の役員であるのだから吾輩の驚愕も亦一と通りではない。人を見たら泥棒と思へと云ふ格言は寒月第二世の行爲によつて既に證據立てられたが、人を見たら猫食ひと思へとは吾輩も多々良君の御蔭によつて始めて感得した眞理である。世に住めば事を知る、事を知るは嬉しいが日に日に危險が多くて、日に日に油斷がならなくなる。狡猾になるのも卑劣になるのも表裏二枚合せの護身服を着けるのも皆事を知るの結果であつて、事を知るのは年を取るの罪である。老人に碌なものが居ないのは此理だな、吾輩|抔《など》も或は今のうちに多々良君の鍋の中で玉葱と共に成佛《じやうぶつ》する方が得策かも知れんと考へて隅の方に小さくなつて居ると、最前《さいぜん》細君と喧嘩をして一反《いつたん》書齋へ引き上げた主人は、多々良君の聲を聞きつけて、のそ/\茶の間へ出てくる。
 「先生泥棒に逢ひなさつたさうですな。なんちゆ愚《ぐ》な事です」と劈頭《へきとう》一番に遣り込める。
 「這入る奴が愚《ぐ》なんだ」と主人はどこ迄も賢人をもつて自任して居る。
 「這入る方も愚《ぐ》だばつてんが、取られた方も餘り賢《かし》こくはなかごたる」
 「何にも取られるものゝ無い多々良さんの樣なのが一番|賢《かし》こいんでせう」と細君が此度《こんど》は良人《をつと》の肩を持つ。
 「然し一番|愚《ぐ》なのは此猫ですばい。ほんにまあ、どう云ふ了見ぢやらう。鼠は捕《と》らず泥棒が來ても知らん顔をして居る。――先生此猫を私《わたし》に呉んなさらんか。かうして置いたつちや何の役にも立ちませんばい」
 「やつても好い。何にするんだ」
 「※[者/火]て喰べます」
 主人は猛烈なる此|一言《いちごん》を聞いて、うふと氣味の惡い胃弱性の笑を洩らしたが、別段の返事もしないので、多々良君も是非食ひ度いとも云はなかつたのは吾輩に取つて望外の幸福である。主人はやがて話頭を轉じて、
 「猫はどうでも好いが、着物をとられたので寒くていかん」と大《おほい》に銷沈《せうちん》の體《てい》である。成程寒い筈である。昨日《きのふ》迄《まで》は綿入を二枚重ねて居たのに今日は袷に半袖のシヤツ丈《だけ》で、朝から運動もせず枯坐《こざ》したぎりであるから、不充分な血液は悉《こと/”\》く胃の爲に働いて手足の方へは少しも巡回して來ない。
 「先生ヘ師|抔《など》をして居つたちや到底あかんですばい。ちよつと泥棒に逢つても、すぐ困る――一丁《いつちやう》今から考を換へて實業家にでもなんなさらんか」
 「先生は實業家は嫌《きらひ》だから、そんな事を言つたつて駄目よ」
と細君が傍《そば》から多々良君に返事をする。細君は無論實業家になつて貰ひたいのである。
 「先生學校を卒業して何年になんなさるか」
 「今年で九年目でせう」と細君は主人を顧《かへり》みる。主人はさうだとも、さうで無いとも云はない。
 「九年立つても月給は上がらず。いくら勉強しても人は褒めちやくれず、郎君獨寂寞《らうくんひとりせきばく》ですたい」と中學時代で覺えた詩の句を細君の爲めに朗吟すると、細君は一寸分りかねたものだから返事をしない。
 「ヘ師は無論|嫌《きらひ》だが、實業家は猶《なほ》嫌ひだ」と主人は何が好きだか心の裏《うち》で考へて居るらしい。
 「先生は何でも嫌なんだから……」
 「嫌でないのは奧さん丈《だけ》ですか」と多々良君|柄《がら》に似合はぬ冗談を云ふ。
 「一番嫌だ」主人の返事は尤簡明である。細君は横を向いて一寸澄したが再び主人の方を見て、
 「生きて入らつしやるのも御嫌《おきらひ》なんでせう」と充分主人を凹《へこ》ました積《つもり》で云ふ。
 「餘り好いてはおらん」と存外|呑氣《のんき》な返事をする。是では手のつけ樣《やう》がない。
 「先生ちつと活?に散歩でもしなさらんと、からだを壞《こは》して仕舞ひますばい。――さうして實業家になんなさい。金なんか儲けるのは、ほんに造作《ざうさ》もない事で御座ります」
 「少しも儲《まう》けもせん癖に」
 「まだあなた、去年やつと會社へ這入つた許《ばか》りですもの。それでも先生より貯蓄があります」
 「どの位貯蓄したの?」と細君は熱心に聞く。
 「もう五十圓になります」
 「一體あなたの月給はどの位なの」是も細君の質問である。
 「三十圓ですたい。其内を毎月五圓|宛《づゝ》會社の方で預つて積んで置いて、いざと云ふ時に遣ります。――奧さん小遣錢で外濠線《そとぼりせん》の株を少し買ひなさらんか、今から三四個月すると倍になります。ほんに少し金さへあれば、すぐ二倍にでも三倍にでもなります」
 「そんな御金があれば泥棒に逢つたつて困りやしないわ」
 「それだから實業家に限ると云ふんです。先生も法科でも遣つて會社か銀行へでも出なされば、今頃は月に三四百圓の収入はありますのに、惜しい事で御座んしたな。――先生あの鈴木藤十郎と云ふ工學士を知つてなさるか」
 「うん昨日《きのふ》來た」
 「さうで御座んすか、先達《せんだつ》てある宴會で逢ひました時先生の御話をしたら、さうか君は苦沙彌君の所の書生をして居たのか、僕も苦沙彌君とは昔《むか》し小石川の寺で一所に自炊をして居つた事がある、今度行つたら宜しく云ふてくれ、僕も其内尋ねるからと云つて居ました」
 「近頃東京へ來たさうだな」
 「えゝ今迄九州の炭坑に居りましたが、此間《こなひだ》東京|詰《づめ》になりました。中々旨いです。私《わたし》なぞにでも朋友の樣に話します。――先生あの男がいくら貰つてると思ひなさる」
 「知らん」
 「月給が二百五十圓で盆暮に配當がつきますから、何でも平均四五百圓になりますばい。あげな男が、よかしこ取つて居るのに、先生はリーダー專門で十年|一狐裘《いちこきう》ぢや馬鹿氣て居りますなあ」
 「實際馬鹿氣て居るな」と主人の樣な超然主義の人でも金錢の觀念は普通の人間と異《こと》なる所はない。否困窮する丈《だけ》に人一倍金が欲しいのかも知れない。多々良君は充分實業家の利益を吹聽してもう云ふ事が無くなつたものだから
 「奧さん、先生の所へ水島寒月と云ふ人《じん》が來ますか」
 「えゝ、善く入らつしやいます」
 「どげんな人物ですか」
 「大變學問の出來る方ださうです」
 「好男子ですか」
 「ホヽヽヽ多々良さん位なものでせう」
 「さうですか、私《わたし》位なものですか」と多々良君眞面目である。
 「どうして寒月の名を知つて居るのかい」と主人が聞く。
 「先達《せんだつ》て或る人から頼まれました。そんな事を聞く丈《だけ》の價値のある人物でせうか」多々良君は聞かぬ先から既に寒月以上に構へて居る。
 「君より餘程えらい男だ」
 「さうで御座いますか、私《わたし》よりえらいですか」と笑ひもせず怒《おこ》りもせぬ。是が多々良君の特色である。
 「近々《きん/\》博士になりますか」
 「今論文を書いてるさうだ」
 「矢つ張り馬鹿ですな。博士論文をかくなんて、もう少し話せる人物かと思つたら」
 「相變らず、えらい見識ですね」と細君が笑ひながら云ふ。
 「博士になつたら、だれとかの娘をやるとか遣らんとか云ふて居ましたから、そんな馬鹿があらうか、娘を貰ふ爲に博士になるなんて、そんな人物にくれるより僕にくれる方が餘程ましだと云つて遣りました」
 「だれに」
 「私《わたし》に水島の事を聞いて呉れと頼んだ男です」
 「鈴木ぢやないか」
 「いゝえ、あの人にや、まだそんな事は云ひ切りません。向ふは大頭ですから」
 「多々良さんは蔭辯慶《かげべんけい》ね。うちへなんぞ來ちや大變威張つても鈴木さん抔《など》の前へ出ると小さくなつてるんでせう」
 「えゝ。さうせんと、あぶないです」
 「多々良、散歩をし樣《やう》か」と突然主人が云ふ。先刻《さつき》から袷一枚で餘り寒いので少し運動でもしたら暖かになるだらうと云ふ考から主人は此先例のない動議を呈出したのである。行き當りばつたりの多々良君は無論|逡巡《しゆんじゆん》する譯がない。
 「行きませう。上野にしますか。芋坂《いもざか》へ行つて團子を食ひませうか。先生あすこの團子を食つた事がありますか。奧さん一返行つて食つて御覽。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によつて秩序のない駄辯を揮《ふる》つてるうちに主人はもう帽子を被つて沓脱《くつぬぎ》へ下りる。
 吾輩は又少々休養を要する。主人と多々良君が上野公園でどんな眞似をして、芋坂《いもざか》で團子を幾皿食つたか其邊の逸事は探偵の必要もなし、又|尾行《びかう》する勇氣もないからずつと略して其《その》間《あひだ》休養せんければならん。休養は萬物の旻天《びんてん》から要求して然るべき權利である。此世に生息すべき義務を有して蠢動《しゆんどう》する者は、生息の義務を果す爲に休養を得ねばならぬ。もし神ありて汝は働く爲に生れたり寐る爲に生れたるに非ずと云はば吾輩は之に答へて云はん、吾輩は仰せの如く働く爲に生れたり故に働く爲に休養を乞ふと。主人の如く器械に不平を吹き込んだ迄の木強漢《ぼくきやうかん》ですら、時々は日曜以外に自辨休養をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を勞する吾輩如き者は假令《たとひ》猫と雖も主人以上に休養を要するは勿論の事である。只|先刻《さつき》多々良君が吾輩を目して休養以外に何等の能もない贅物の如くに罵つたのは少々氣掛りである。兎角|物象《ぶつしやう》にのみ使役せらるゝ俗人は、五感の刺激以外に何等の活動もないので、他を評價するのでも形骸以外に渉《わた》らんのは厄介である。何でも尻でも端折《はしよ》つて、汗でも出さないと働らいて居ない樣に考へてゐる。達磨《だるま》と云ふ坊さんは足の腐る迄座禪をして澄まして居たと云ふが、假令《たとひ》壁の隙から蔦《つた》が這ひ込んで大師の眼口を塞ぐ迄動かないにしろ、寐て居るんでも死んで居るんでもない。頭の中は常に活動して、廓然無聖《くわくねんむしやう》などと乙な理窟を考へ込んで居る。儒家にも靜坐の工夫と云ふのがある相だ。是だつて一室の中《うち》に閉居して安閑と躄《ゐざり》の修行をするのではない。腦中の活力は人一倍|熾《さかん》に燃えて居る。只外見上は至極沈靜端肅の態《てい》であるから、天下の凡眼は是等の知識巨匠をもつて昏睡假死《こんすゐかし》の庸人《ようじん》と見做《みな》して無用の長物とか穀潰《ごくつぶ》しとか入らざる誹謗《ひばう》の聲を立てるのである。是等の凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覺を有して生れ付いた者で、――然も彼《か》の多々良三平君の如きは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、此三平君が吾輩を目して乾屎?《かんしけつ》同等に心得るのも尤もだが、恨むらくは少しく古今の書籍を讀んで、稍《やゝ》事物の眞相を解し得たる主人迄が、淺薄なる三平君に一も二もなく同意して、猫鍋《ねこなべ》に故障を挾《さしはさ》む景色《けしき》のない事である。然し一歩退いて考へて見ると、かく迄に彼等が吾輩を輕蔑するのも、あながち無理ではない。大聲《たいせい》は俚耳《りじ》に入《い》らず、陽春《やうしゆん》白雪の詩には和するもの少なしの喩《たとへ》も古い昔からある事だ。形體以外の活動を見る能はざる者に向つて己靈《これい》の光輝を見よと強ゆるは、坊主に髪を結《い》へと逼《せま》るが如く、鮪《まぐろ》に演説をして見ろと云ふが如く、電鐵に脱線を要求するが如く、主人に辭職を勸告する如く、三平に金の事を考へるなと云ふが如きものである。必竟無理な注文に過ぎん。然しながら猫と雖も社會的動物である。社會的動物である以上は如何に高く自《みづか》ら標置するとも、或る程度迄は社會と調和して行かねばならん。主人や細君や乃至《ないし》御《お》さん、三平|連《づれ》が吾輩を吾輩相當に評價して呉れんのは殘念ながら致し方がないとして、不明の結果皮を剥いで三味線屋に賣り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳に上《のぼ》す樣な無分別をやられては由々敷《ゆゝし》き大事である。吾輩は頭をもつて活動すべき天命を受けて此|娑婆《しやば》に出現した程の古今來《こゝんらい》の猫であれば、非常に大事な身體である。千金の子《し》は堂陲《だうすゐ》に坐せずとの諺もある事なれば、好んで超邁《てうまい》を宗《そう》として、徒らに吾身の危險を求むるのは單に自己の災なるのみならず、又大いに天意に背く譯である。猛虎も動物園に入れば糞豚《ふんとん》の隣りに居を占め、鴻雁《こうがん》も鳥屋に生擒《いけど》らるれば雛鷄《すうけい》と俎《まないた》を同《おなじ》うす。庸人《ようじん》と相《あひ》互《ご》する以上は下《くだ》つて庸猫《ようべう》と化せざるべからず。庸猫たらんとすれば鼠を捕《と》らざるべからず。――吾輩はとうとう鼠をとる事に極めた。
 先達中《せんだつてぢゆう》から日本は露西亞《ロシア》と大戰爭をして居るさうだ。吾輩は日本の猫だから無論日本|贔負《びいき》である。出來得べくんば混成猫旅團《こんせいねこりよだん》を組織して露西亞兵《ロシアへい》を引つ掻いてやりたいと思ふ位である。かく迄に元氣|旺盛《わうせい》な吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとらうとする意志さへあれば、寐て居ても譯なく捕《と》れる。昔《むか》しある人《ひと》當時有名な禪師に向つて、どうしたら悟れませうと聞いたら、猫が鼠を覘《ねら》ふ樣にさしやれと答へたさうだ。猫が鼠をとる樣にとは、かくさへすれば外《は》づれつこは御座らぬと云ふ意味である。女|賢《さかし》うしてと云ふ諺はあるが猫|賢《さかし》うして鼠捕り損ふと云ふ格言はまだ無い筈だ。して見れば如何《いか》に賢《かし》こい吾輩の如きものでも鼠の捕れん筈はあるまい。とれん筈はあるまい所か捕り損ふ筈はあるまい。今迄捕らんのは、捕り度くないからの事さ。春の日はきのふの如く暮れて、折々の風に誘はるゝ花吹雪《はなふゞき》が臺所の腰障子の破れから飛び込んで手桶の中に浮ぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光りに白く見える。今夜こそ大手柄をして、うち中《ぢゆう》驚かしてやらうと決心した吾輩は、あらかじめ戰場を見廻つて地形を飲み込んで置く必要がある。戰闘線は勿論餘り廣からう筈がない。疊數にしたら四疊敷もあらうか、その一疊を仕切つて半分は流し、半分は酒屋八百屋の御用を聞く土間である。へつゝいは貧乏勝手に似合はぬ立派な者で赤の銅壺《どうこ》がぴか/\して、後《うし》ろは羽目板の間《ま》を二尺遺して吾輩の鮑貝《あはびがひ》の所在地である。茶の間に近き六尺は膳《ぜん》椀《わん》皿《さら》小鉢《こばち》を入れる戸棚となつて狹き臺所をいとゞ狹く仕切つて、横に差し出すむき出しの棚とすれ/\の高さになつて居る。其下に摺鉢《すりばち》が仰向けに置かれて、摺鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いて居る。大根卸し、摺小木《すりこぎ》が並んで懸けてある傍らに火消壺|丈《だけ》が悄然《せうぜん》と控えて居る。眞黒になつた樽木《たるき》の交叉した眞中から一本の自在《じざい》を下ろして、先へは平たい大きな籠をかける。其籠が時々風に搖れて鷹揚《おうやう》に動いて居る。此籠は何の爲に釣るすのか、此|家《うち》へ來たてには一向《いつかう》要領を得なかつたが、猫の手の屆かぬ爲めわざと食物をこゝへ入れると云ふ事を知つてから、人間の意地の惡い事をしみ/”\感じた。
 是から作戰計畫だ。どこで鼠と戰爭するかと云へば無論鼠の出る所でなければならぬ。如何に此方《こつち》に便宜な地形だからと云つて一人で待ち構へて居てはてんで戰爭にならん。是《こゝ》に於てか鼠の出口を研究する必要が生ずる。どの方面から來るかなと臺所の眞中に立つて四方を見廻はす。何だか東郷大將の樣な心持がする。下女は先《さ》つき湯に行つて戻つて來《こ》ん。小供はとくに寐て居る。主人は芋坂《いもざか》の團子を喰つて歸つて來て相變らず書齋に引き籠《こも》つてゐる。細君は――細君は何をして居るか知らない。大方居眠りをして山芋の夢でも見て居るのだらう。時々門前を人力が通るが、通り過ぎた後《あと》は一段と淋しい。わが決心と云ひ、わが意氣と云ひ臺所の光景と云ひ、四邊《しへん》の寂寞と云ひ、全體の感じが悉《こと/”\》く悲壯である。どうしても猫《ねこ》中《ちゆう》の東郷大將としか思はれない。かう云ふ境界に入ると物凄い内に一種の愉快を覺えるのは誰しも同じ事であるが、吾輩は此愉快の底に一大心配が横《よこた》はつて居るのを發見した。鼠と戰爭をするのは覺悟の前だから何疋來ても恐《こは》くはないが、出てくる方面が明瞭でないのは不都合である。周密なる觀察から得た材料を綜合して見ると鼠賊《そぞく》の逸出《いつしゆつ》するのには三つの行路がある。彼れらが若しどぶ鼠であるならば土管を沿ふて流しから、へつついの裏手へ廻るに相違ない。其時は火消壺の影に隱れて、歸り道を絶つてやる。或は溝へ湯を拔く漆喰《しつくひ》の穴より風呂場を迂回して勝手へ不意に飛び出すかも知れない。さうしたら釜の葢《ふた》の上に陣取つて眼の下に來た時上から飛び下りて一攫《ひとつか》みにする。夫《それ》からと又あたりを見廻すと戸棚の戸の右の下隅が半月形《はんげつけい》に喰ひ破られて、彼等の出入《しゆつにふ》に便なるかの疑がある。鼻を付けて臭《か》いで見ると少々鼠|臭《くさ》い。若しこゝから吶喊《とつかん》して出たら、柱を楯に遣り過ごして置いて、横合からあつと爪をかける。もし天井から來たらと上を仰ぐと眞黒な煤がランプの光で輝やいて、地獄を裏返しに釣るした如く一寸吾輩の手際では上《のぼ》る事も、下《くだ》る事も出來ん。まさかあんな高い處から落ちてくる事もなからうからと此方面|丈《だけ》は警戒を解く事にする。夫《それ》にしても三方から攻撃される懸念がある。一口なら片眼でも退治して見せる。二口ならどうにか、かうにか遣つて退《の》ける自信がある。然し三口となると如何《いか》に本能的に鼠を捕《と》るべく豫期せらるゝ吾輩も手の付け樣がない。さればと云つて車屋の黒如きものを助勢に頼んでくるのも吾輩の威嚴に關する。どうしたら好からう。どうしたら好からうと考へて好い智慧が出ない時は、そんな事は起る氣遣はないと決めるのが一番安心を得る近道である。又法のつかない者は起らないと考へたくなるものである。まづ世間を見渡して見給へ。きのふ貰つた花嫁も今日死なんとも限らんではないか、然し聟殿は玉椿千代も八千代もなど、御目出度い事を並べて心配らしい顔もせんではないか。心配せんのは、心配する價値がないからではない。いくら心配したつて法が付かんからである。吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと斷言すべき相當の論據はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。安心は萬物に必要である。吾輩も安心を欲する。因《よ》つて三面攻撃は起らぬと極める。
 夫《そ》れでもまだ心配が取れぬから、どう云ふものかと段々考へて見ると漸く分つた。三個の計略のうち何《いづ》れを選んだのが尤も得策であるかの問題に對して、自《みづか》ら明瞭なる答辯を得るに苦しむからの煩悶である。戸棚から出るときには吾輩之に應ずる策がある、風呂場から現はれる時は之に對する計《はかりごと》がある、又流しから這ひ上るときは之を迎ふる成算もあるが、其うちどれか一つに極めねばならぬとなると大《おほい》に當惑する。東郷大將はバルチツク艦隊が對馬海峡《つしまかいけふ》を通るか、津輕海峡《つがるかいけふ》へ出るか、或は遠く宗谷海峡《そうやかいけふ》を廻るかに就て大《おほい》に心配されたさうだが、今吾輩が吾輩自身の境遇から想像して見て、御困却の段實に御察し申す。吾輩は全體の?況に於て東郷閣下に似て居るのみならず、此格段なる地位に於ても亦東郷閣下とよく苦心を同じうする者である。
 吾輩がかく夢中になつて智謀をめぐらして居ると、突然破れた腰障子が開《あ》いて御三《おさん》の顔がぬうと出る。顔|丈《だけ》出ると云ふのは、手足がないと云ふ譯ではない。ほかの部分は夜目《よめ》でよく見えんのに、顔|丈《だけ》が著るしく強い色をして判然|眸底《ぼうてい》に落つるからである。御三《おさん》は其平常より赤き頬を益々《ます/\》赤くして洗湯から歸つた序《ついで》に、昨夜《ゆうべ》に懲りてか、早くから勝手の戸締をする。書齋で主人が俺のステツキを枕元へ出して置けと云ふ聲が聞える。何の爲に枕頭にステツキを飾るのか吾輩には分らなかつた。まさか易水《えきすゐ》の壯士を氣取つて、龍鳴《りゆうめい》を聞かうと云ふ醉狂でもあるまい。きのふは山の芋、今日《けふ》はステツキ、明日《あす》は何になるだらう。
 夜はまだ淺い鼠は中々出さうにない。吾輩は大戰の前に一《ひ》と休養を要する。
 主人の勝手には引窓がない。座敷なら欄間《らんま》と云ふ樣な所が幅一尺程切り拔かれて夏冬吹き通しに引窓の代理を勤めて居る。惜し氣もなく散る彼岸櫻を誘ふて、颯《さつ》と吹き込む風に驚ろいて眼を覺《さ》ますと、朧月《おぼろづき》さへいつの間《ま》に差してか、竈《へつつひ》の影は斜めに揚板の上にかゝる。寐過ごしはせぬかと二三度耳を振つて家内の容子を窺ふと、しんとして昨夜《ゆうべ》の如く柱時計の音のみ聞える。もう鼠の出る時分だ。どこから出るだらう。
 戸棚の中でこと/\と音がしだす。小皿の縁《ふち》を足で抑へて、中をあらして居るらしい。こゝから出る哇《わい》と穴の横へすくんで待つて居る。中々出て來る景色《けしき》はない。皿の音はやがてやんだが今度はどんぶりか何かに掛つたらしい、重い音が時々ごと/\とする。而《しか》も戸を隔てゝすぐ向ふ側でやつて居る、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れて居らん。時々はちよろ/\と穴の口迄足音が近寄るが、又遠のいて一匹も顔を出すものはない。戸一枚向ふに現在敵が暴行を逞《たくま》しくしてゐるのに、吾輩は昵《ぢ》つと穴の出口で待つて居らねばならん隨分氣の長い話だ。鼠は旅順椀《りよじゆんわん》の中で盛に舞踏會を催ふして居る。せめて吾輩の這入れる丈《だけ》御三が此戸を開けて置けば善いのに、氣の利かぬ山出しだ。
 今度はへつゝいの影で吾輩の鮑貝《あはびがひ》がことりと鳴る。敵は此方面へも來たなと、そーつと忍び足で近寄ると手桶の間から尻尾《しつぽ》がちらと見えたぎり流しの下へ隱れて仕舞つた。しばらくすると風呂場でうがい茶碗が金盥《かなだらひ》にかちりと當る。今度は後方《うしろ》だと振りむく途端に、五寸近くある大《おほき》な奴がひらりと齒磨の袋を落して椽《えん》の下へ馳け込む。逃がすものかと續いて飛び下りたらもう影も姿も見えぬ。鼠を捕《と》るのは思つたより六づかしい者である。吾輩は先天的鼠を捕る能力がないのか知らん。
 吾輩が風呂場へ廻ると、敵は戸棚から馳け出し、戸棚を警戒すると流しから飛び上り、臺所の眞中に頑張つて居ると三方面共少々|宛《づゝ》騷ぎ立てる。小癪と云はうか、卑怯と云はうか到底彼等は君子の敵でない。吾輩は十五六回はあちら、こちらと氣を疲らし心《しん》を勞《つか》らして奔走努力して見たが遂に一度も成功しない。殘念ではあるがかゝる小人《せうじん》を敵にしては如何なる東郷大將も施こすべき策がない。始めは勇氣もあり敵愾心もあり悲壯と云ふ崇高な美感さへあつたが遂には面倒と馬鹿氣て居るのと眠いのと疲れたので臺所の眞中へ坐つたなり動かない事になつた。然し動かんでも八方睨《はつぽうにら》みを極め込んで居れば敵は小人《せうじん》だから大した事は出來んのである。目ざす敵と思つた奴が、存外けちな野郎だと、戰爭が名譽だと云ふ感じが消えて惡《に》くいと云ふ念|丈《だけ》殘る。惡《に》くいと云ふ念を通り過すと張り合が拔けてぼーとする。ぼーとしたあとは勝手にしろ、どうせ氣の利いた事は出來ないのだからと輕蔑の極《きよく》眠《ねむ》たくなる。吾輩は以上の徑路をたどつて、遂に眠《ねむ》くなつた。吾輩は眠《ねむ》る。休養は敵中に在つても必要である。
 横向に庇《ひさし》を向いて開いた引窓から、又|花吹雪《はなふゞき》を一塊《ひとかたま》りなげ込んで、烈しき風の吾を遶《めぐ》ると思へば、戸棚の口から彈丸の如く飛び出した者が、避くる間《ま》もあらばこそ、風を切つて吾輩の左の耳へ喰《く》ひつく。之に續く黒い影は後《うし》ろに廻るかと思ふ間《ま》もなく吾輩の尻尾《しつぽ》へぶら下がる。瞬く間《ま》の出來事である。吾輩は何の目的もなく器械的に跳上《はねあが》る。滿身の力を毛穴に込めて此怪物を振り落とさうとする。耳に喰ひ下がつたのは中心を失つてだらりと吾が横顔に懸る。護謨管《ゴムくわん》の如き柔かき尻尾の先が思ひ掛なく吾輩の口に這入る。屈竟の手懸りに、碎けよと許《ばか》り尾を啣《くは》へながら左右にふると、尾のみは前齒の間に殘つて胴體は古新聞で張つた壁に當つて、揚板の上に跳ね返る。起き上がる所を隙間なく乘《の》し掛《かゝ》れば、毬《まり》を蹴《け》たる如く、吾輩の鼻づらを掠《かす》めて釣り段の縁《ふち》に足を縮めて立つ。彼は棚の上から吾輩を見卸す、吾輩は板の間から彼を見上ぐる。距離は五尺。其中に月の光りが、大幅《おほはゞ》の帶を空《くう》に張る如く横に差し込む。吾輩は前足に力を込めて、やつと許《ばか》り棚の上に飛び上がらうとした。前足|丈《だけ》は首尾よく棚の縁《ふち》にかゝつたが後足《あとあし》は宙にもがいて居る。尻尾には最前の黒いものが、死ぬとも離るまじき勢で喰ひ下つて居る。吾輩は危《あや》うい。前足を懸け易へて足懸りを深くしやうとする。懸け易へえる度に尻尾の重みで淺くなる。二三分《にさんぶ》滑れば落ちねばならぬ。吾輩は愈《いよ/\》危うい。棚板を爪で掻きむしる音ががり/\と聞える。是ではならぬと左の前足を拔き易へる拍子に、爪を見事に懸け損じたので吾輩は右の爪一本で棚からぶら下つた。自分と尻尾に喰ひつくものゝ重みで吾輩のからだがぎり/\と廻はる。此時迄身動きもせずに覘《ねら》ひをつけて居た棚の上の怪物は、こゝぞと吾輩の額を目懸けて棚の上から石を投ぐるが如く飛び下りる。吾輩の爪は一縷《いちる》のかゝりを失ふ。三つの塊《かた》まりが一つとなつて月の光を竪に切つて下へ落ちる。次の段に乘せてあつた摺鉢《すりばち》と、摺鉢の中の小桶とジヤムの空罐が同じく一塊《ひとかたまり》となつて、下にある火消壺を誘つて、半分は水甕の中、半分は板の間の上へ轉がり出す。凡《すべ》てが深夜に只ならぬ物音を立てゝ死物狂ひの吾輩の魂をさへ寒からしめた。
 「泥棒!」と主人は胴間聲《どうまごゑ》を張り上げて寢室から飛び出して來る。見ると片手にはランプを提げ、片手にはステツキを持つて、寐ぼけ眼《まなこ》よりは身分相應の炯々《けいけい》たる光を放つて居る。吾輩は鮑貝《あはびがひ》の傍《そば》に大人《おとな》しくして蹲踞《うづくま》る。二疋の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。主人は手持無沙汰に「何だ誰だ、大きな音をさせたのは」と怒氣を帶びて相手も居ないのに聞いて居る。月が西に傾いたので、白い光りの一帶は半切《はんきれ》程に細くなつた。
 
     六
 
 かう暑くては猫と雖《いへども》遣り切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨|丈《だけ》で涼みたいものだと英吉利《イギリス》のシドニー、スミスとか云ふ人が苦しがつたと云ふ話があるが、たとひい骨|丈《だけ》にならなくとも好いから、責《せ》めて此|淡灰色《たんくわいしよく》の斑入《ふいり》の毛衣《けごろも》丈《だけ》は一寸洗ひ張りでもするか、もしくは當分の中《うち》質にでも入れたい樣な氣がする。人間から見たら猫|抔《など》は年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至つて單純な無事な錢《ぜに》のかゝらない生涯を送つて居る樣に思はれるかも知れないが、いくら猫だつて相應に暑さ寒さの感じはある。たまには行水の一度位あびたくない事もないが、何しろ此毛衣の上から湯を使つた日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢して此年になる迄洗湯の暖簾《のれん》を潜《くゞ》つた事はない。折々は團扇《うちは》でも使つて見《み》樣《やう》と云ふ氣も起らんではないが、兎に角握る事が出來ないのだから仕方がない。夫《それ》を思ふと人間は贅澤なものだ。なまで食つて然る可きものを態々《わざ/\》※[者/火]て見たり、燒いて見たり、酢に漬けて見たり、味噌をつけて見たり好んで餘計な手數《てすう》を懸けて御互に恐悦《きようえつ》して居る。着物だつてさうだ。猫の樣に一年中同じ物を着通せと云ふのは、不完全に生れついた彼等にとつて、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雜多《ざつた》なものを皮膚の上へ載せて暮さなくてもの事だ。羊の御厄介になつたり、蠶の御世話になつたり、綿畠の御情《おなさ》けさへ受けるに至つては贅澤は無能の結果だと斷言しても好い位だ。衣食は先づ大目に見て勘辨するとした所で、生存上直接の利害もない所迄此調子で押して行くのは毫も合點が行かぬ。第一頭の毛などゝ云ふものは自然に生えるものだから、放《はふ》つて置く方が尤も簡便で當人の爲になるだらうと思ふのに、彼等は入らぬ算段をして種々雜多な恰好《かつかう》をこしらへて得意である。坊主とか自稱するものはいつ見ても頭を青くして居る。暑いと其上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾《づきん》で包む。是では何の爲めに青い物を出して居るのか主意が立たんではないか。さうかと思ふと櫛とか稱する無意味な鋸樣《のこぎりやう》の道具を用ひて頭の毛を左右に等分して嬉しがつてるのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭葢骨《づがいこつ》の上へ人爲的の區劃を立てる。中には此仕切りがつむじ〔三字傍点〕を通り過して後《うし》ろ迄|食《は》み出して居るのがある。丸《まる》で贋造の芭蕉葉《ばせうは》の樣だ。其次には腦天を平らに刈つて左右は眞直に切り落す。丸い頭へ四角な枠《わく》をはめて居るから、植木屋を入れた杉垣根の寫生としか受け取れない。此外五分刈、三分刈、一分刈さへあると云ふ話だから、仕舞には頭の裏迄刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈などゝ云ふ新奇な奴が流行するかも知れない。兎に角そんなに憂身《うきみ》を窶《やつ》してどうする積りか分らん。第一、足が四本あるのに二本しか使はないと云ふのから贅澤だ。四本であるけば夫《それ》丈《だけ》はかも行く譯だのに、いつでも二本で濟まして、殘る二本は到來の棒鱈《ぼうだら》の樣に手持無沙汰にぶら下げて居るのは馬鹿々々しい。是で見ると人間は餘程猫より閑《ひま》なもので退屈の餘り斯樣《かやう》ないたづらを考案して樂んで居るものと察せられる。但《たゞ》可笑《をか》しいのは此|閑人《ひまじん》がよると障《さ》はると多忙だ多忙だと觸れ廻はるのみならず、其顔色が如何にも多忙らしい、わるくすると多忙に食ひ殺されはしまいかと思はれる程こせつい〔四字傍点〕て居る。彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになつたら氣樂でよからう抔《など》と云ふが、氣樂でよければなるが好い。そんなにこせ/\して呉れと誰も頼んだ譯でもなからう。自分で勝手な用事を手に負へぬ程製造して苦しい苦しいと云ふのは自分で火をかん/\起して暑い/\と云ふ樣なものだ。猫だつて頭の刈り方を二十通りも考へ出す日には、かう氣樂にしては居られんさ。氣樂になりたければ吾輩の樣に夏でも毛衣《けごろも》を着て通される丈《だけ》の修業をするがよろしい。――とは云ふものゝ少々熱い。毛衣では全く熱《あ》つ過ぎる。
 是では一手專賣の晝寐も出來ない。何かないかな、永らく人間社會の觀察を怠つたから、今日は久し振りで彼等が醉興に齷齪《あくせく》する樣子を拜見しやうかと考へて見たが、生憎《あいにく》主人は此點に關して頗る猫に近い性分《しやうぶん》である。晝寐は吾輩に劣らぬ位やるし、殊に暑中休暇後になつてからは何一つ人間らしい仕事をせんので、いくら觀察をしても一向《いつかう》觀察する張合がない。こんな時に迷亭でも來ると胃弱性の皮膚も幾分か反應を呈して、暫らくでも猫に遠ざかるだらうに、先生もう來ても好い時だと思つて居ると、誰とも知らず風呂場でざあ/\水を浴びるものがある。水を浴びる音ばかりではない、折々大きな聲で相の手を入れて居る。「いや結構」「どうも良い心持ちだ」「もう一杯」などゝ家中《うちぢゆう》に響き渡る樣な聲を出す。主人のうちへ來てこんな大きな聲と、こんな無作法な眞似をやるものは外にはない。迷亭に極つて居る。
 愈《いよ/\》來たな、是で今日半日は潰せると思つて居ると、先生汗を拭いて肩を入れて例の如く座敷迄づか/\上つて來て「奧さん、苦沙彌君はどうしました」と呼ばはりながら帽子を疊の上へ抛《はふ》り出す。細君は隣座敷で針箱の側《そば》へ突つ伏して好い心持ちに寐て居る最中にワン/\と何だか鼓膜へ答へる程の響がしたのではつと驚ろいて、醒めぬ眼をわざと?《みは》つて座敷へ出て來ると迷亭が薩摩上布《さつまじやうふ》を着て勝手な所へ陣取つて頻りに扇使ひをして居る。
 「おや入らしやいまし」と云つたが少々|狼狽《らうばい》の氣味で「ちつとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいた儘御辭儀をする。「いえ、今來た許《ばか》りなんですよ。今風呂場で御三《おさん》に水を掛けて貰つてね。漸く生き歸つた所で――どうも暑いぢやありませんか」「此|兩三日《りやうさんち》は、たゞ凝《ぢつ》として居りましても汗が出る位で、大變御暑う御座います。――でも御變りも御座いませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。「えゝ難有《ありがた》う。なに暑い位でそんなに變りやしませんや。然し此暑さは別物ですよ。どうも體がだるくつてね」「私《わたく》し抔《など》も、ついに晝寐|抔《など》を致した事がないんで御座いますが、かう暑いとつい――」「やりますかね。好いですよ。晝寐られて、夜寐られりや、こんな結構な事はないでさあ」と不相變《あひかはらず》呑氣《のんき》な事を並べて見たが夫《それ》丈《だけ》では不足と見えて「私《わたし》なんざ、寐たくない、質《たち》でね。苦沙彌君|抔《など》の樣に來るたんびに寐て居る人を見ると羨しいですよ。尤も胃弱に此暑さは答へるからね。丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上に載せてるのが退儀でさあ。さればと云つて載つてる以上はもぎとる譯にも行かずね」と迷亭君いつになく首の處置に窮して居る。「奧さんなんざ首の上へまだ載つけて置くものがあるんだから、坐つちや居られない筈だ。髷の重み丈《だけ》でも横になり度くなりますよ」と云ふと細君は今迄寐て居たのが髷の恰好《かつかう》から露見したと思つて「ホヽヽ口の惡い」と云ひながら頭をいぢつて見る。
 迷亭はそんな事には頓着なく「奧さん、昨日《きのふ》はね、屋根の上で玉子のフライをして見ましたよ」と妙な事を云ふ。「フライをどうなさつたんで御座います」「屋根の瓦が餘り見事に燒けて居ましたから、只置くのも勿體ないと思つてね。バタを溶かして玉子を落したんでさあ」「あらまあ」「所が矢つ張り天日《てんぴ》は思ふ樣に行きませんや。中々半熟にならないから、下へおりて新聞を讀んで居ると客が來たもんだから遂《つ》い忘れて仕舞つて、今朝になつて急に思ひ出して、もう大丈夫だらうと上つて見たらね」「どうなつて居りました」「半熟どころか、すつかり流れて仕舞ひました」「おや/\」と細君は八の字を寄せながら感嘆した。
 「然し土用中あんなに涼しくつて、今頃から暑くなるのは不思議ですね」「ほんとで御座いますよ。先達《せんだつて》中《ぢゆう》は單衣《ひとへ》では寒い位で御座いましたのに、一昨日《をとゝひ》から急に暑くなりましてね」「蟹なら横に這ふ所だが今年の氣候はあとびさり〔五字傍点〕をするんですよ。倒行《たうかう》して逆施《げきし》す又可ならずやと云ふ樣な事を言つて居るかも知れない」「なんで御座んす、それは」「いえ、何でもないのです。どうも此氣候の逆戻りをする所は丸《まる》でハーキユリスの牛ですよ」と圖に乘つて愈《いよ/\》變ちきりんな事を言ふと、果せるかな細君は分らない。然し最前の倒行《たうかう》して逆施《げきし》すで少々懲りて居るから、今度は只「へえー」と云つたのみで問ひ返さなかつた。是を問ひ返されないと迷亭は切角持ち出した甲斐がない。「奧さん、ハーキユリスの牛を御存じですか」「そんな牛は存じませんは」「御存じないですか、一寸講釋をしませうか」と云ふと細君も夫《それ》には及びませんとも言ひ兼ねたものだから「えゝ」と云つた。「昔《むか》しハーキユリスが牛を引つ張つて來たんです」「其ハーキユリスと云ふのは牛飼でゞも御座んすか」「牛飼ぢやありませんよ。牛飼やいろはの亭主ぢやありません。其節は希臘《ギリシヤ》にまだ牛肉屋が一軒もない時分の事ですからね」「あら希臘《ギリシヤ》のお話しなの? そんなら、さう仰つしやればいゝのに」と細君は希臘《ギリシヤ》と云ふ國名|丈《だけ》は心得て居る。「だつてハーキユリスぢやありませんか」「ハーキユリスなら希臘《ギリシヤ》なんですか」「えゝハーキユリスは希臘《ギリシヤ》の英雄でさあ」「どうりで、知らないと思ひました。それで其男がどうしたんで――」「其男がね奧さん見た樣に眠くなつてぐう/\寐て居る――」「あらいやだ」「寐て居る間《ま》に、?ルカンの子が來ましてね」「?ルカンて何です」「?ルカンは鍛冶屋《かぢや》ですよ。此鍛冶屋のせがれが其牛を盗んだんでさあ。所がね。牛の尻尾《しつぽ》を持つてぐい/\引いて行つたもんだからハーキユリスが眼を覺《さ》まして牛やーい/\と尋ねてあるいても分らないんです。分らない筈でさあ。牛の足跡をつけたつて前の方へあるかして連れて行つたんぢやありませんもの、後《うし》ろへ/\と引きずつて行つたんですからね。鍛冶屋のせがれにしては大出來ですよ」と迷亭先生は既に天氣の話は忘れて入る。
 「時に御主人はどうしました。相變らず午睡《ひるね》ですかね。午睡《ひるね》も支那人の詩に出てくると風流だが、苦沙彌君の樣に日課としてやるのは少々俗氣がありますね。何の事あない毎日少し宛《づゝ》死んで見る樣なものですぜ、奧さん御手數《おてすう》だが一寸起して入らつしやい」と催促すると細君は同感と見えて「えゝ、ほんとにあれでは困ります。第一あなた、からだが惡るくなる許《ばか》りですから。今御飯を頂いた許《ばか》りだのに」と立ちかけると迷亭先生は「奧さん、御飯と云やあ、僕はまだ御飯を頂かないんですがね」と平氣な顔をして聞きもせぬ事を吹聽する。「おやまあ、時分どきだのにちつとも氣が付きませんで――夫《それ》ぢや何も御座いませんが御茶漬でも」「いえ御茶漬なんか頂戴しなくつても好いですよ」「夫《それ》でも、あなた、どうせ御口に合ふ樣なものは御座いませんが」と細君少々厭味を並べる。迷亭は悟つたもので「いえ御茶漬でも御湯漬でも御免蒙るんです。今途中で御馳走を誂《あつ》らて來ましたから、そいつを一つこゝで頂きますよ」と到底|素人《しらうと》には出來さうもない事を述べる。細君はたつた一言《ひとこと》「まあ!」と云つたが其まあ〔二字傍点〕の中《うち》には驚ろいたまあ〔二字傍点〕と、氣を惡るくしたまあ〔二字傍点〕と、手數《てすう》が省けて難有《ありがた》いと云ふまあ〔二字傍点〕が合併して居る。
 所へ主人が、いつになく餘り八釜敷《やかまし》いので、寐つき掛つた眠をさかに扱《こ》かれた樣な心持で、ふら/\と書齋から出て來る。「相變らず八釜敷《やかまし》い男だ。切角好い心持に寐《ね》樣《やう》とした所を」と欠伸交《あくびまじ》りに佛頂面《ぶつちやうづら》をする。「いや御目覺かね。鳳眠《ほうみん》を驚かし奉つて甚だ相濟まん。然したまには好からう。さあ坐り玉へ」とどつちが客だか分らぬ挨拶をする。主人は無言の儘座に着いて寄木細工の卷烟草入から「朝日」を一本出してすぱ/\吸ひ始めたが、不圖|向《むかふ》の隅に轉がつて居る迷亭の帽子に眼をつけて「君帽子を買つたね」と云つた。迷亭はすぐさま「どうだい」と自慢らしく主人と細君の前に差し出す。「まあ奇麗だ事。大變目が細かくつて柔らかいんですね」と細君は頻りに撫で廻はす。「奧さん此帽子は重寶《ちようはう》ですよ、どうでも言ふ事を聞きますからね」と拳骨をかためてパナマの横ツ腹をぽかりと張り付けると、成程意の如く拳《こぶし》程な穴があいた。細君が「へえ」と驚く間《ま》もなく、此《この》度《たび》は拳骨を裏側へ入れてうんと突ツ張ると釜の頭がぽかりと尖《と》んがる。次には帽子を取つて鍔《つば》と鍔とを兩側から壓《お》し潰して見せる。潰れた帽子は?棒《めんぼう》で延《の》した蕎麥の樣に平たくなる。夫《それ》を片端から蓆《むしろ》でも卷く如くぐる/\疊む。「どうです此通り」と丸めた帽子を懷中へ入れて見せる。「不思議です事ねえ」と細君は歸天齋正一《きてんさいしやういち》の手品でも見物して居る樣に感嘆すると、迷亭も其氣になつたものと見えて、右から懷中に収めた帽子をわざと左の袖口から引つ張り出して「どこにも傷はありません」と元の如くに直して、人さし指の先へ釜の底を載せてくる/\と廻す。もう休《や》めるかと思つたら最後にぽんと後《うし》ろへ放《な》げて其上へ堂《ど》つさりと尻餠を突いた。「君大丈夫かい」と主人さへ懸念らしい顔をする。細君は無論の事心配さうに「切角見事な帽子を若し壞《こ》はしでもしちやあ大變ですから、もう好い加減になすつたら宜《よ》う御座んせう」と注意をする。得意なのは持主|丈《だけ》で「所が壞《こ》はれないから妙でせう」と、くちや/\になつたのを尻の下から取り出して其儘頭へ載せると、不思議な事には、頭の恰好《かつかう》に忽ち回復する。「實に丈夫な帽子です事ねえ、どうしたんでせう」と細君が愈《いよ/\》感心すると「なにどうもしたんぢやありません、元から斯う云ふ帽子なんです」と迷亭は帽子を被つた儘細君に返事をして居る。
 「あなたも、あんな帽子を御買になつたら、いゝでせう」と暫くして細君は主人に勸めかけた。「だつて苦沙彌君は立派な麥藁の奴を持つてるぢやありませんか」「所があなた、先達《せんだつ》て小供があれを踏み潰《つぶ》して仕舞ひまして」「おや/\そりや惜しい事をしましたね」「だから今度はあなたの樣な丈夫で奇麗なのを買つたら善からうと思ひますんで」と細君はパナマの價段《ねだん》を知らないものだから「是になさいよ、ねえ、あなた」と頻りに主人に勸告して居る。
 迷亭君は今度は右の袂の中から赤いケース入りの鋏《はさみ》を取り出して細君に見せる。「奧さん、帽子はその位にして此鋏を御覽なさい。是が又頗る重寶《ちようはう》な奴で、是で十四通りに使へるんです」此鋏が出ないと主人は細君の爲めにパナマ責めになる所であつたが、幸に細君が女として持つて生れた好奇心の爲めに、此|厄運《やくうん》を免かれたのは迷亭の機轉と云はんより寧ろ僥倖《げうかう》の仕合せだと吾輩は看破した。「其鋏がどうして十四通りに使へます」と聞くや否や迷亭君は大得意な調子で「今一々説明しますから聞いて入らつしやい。いゝですか。こゝに三日月形《みかづきがた》の缺け目がありませう、こゝへ葉卷を入れてぷつりと口を切るんです。夫《それ》から此根にちよと細工がありませう、是で針金をぽつ/\やりますね。次には平たくして紙の上へ横に置くと定規《ぢやうぎ》の用をする。又|刃《は》の裏には度盛《どもり》がしてあるから物指《ものさし》の代用も出來る。こちらの表にはヤスリ〔三字傍点〕が付いて居る是で爪を磨《す》りまさあ。ようがすか。此|先《さ》きを螺旋鋲《らせんびやう》の頭へ刺し込んでぎり/\廻すと金槌《かなづち》にも使へる。うんと突き込んでこじ開けると大抵の釘付《くぎづけ》の箱なんざあ苦もなく葢《ふた》がとれる。まつた、こちらの刃《は》の先は錐《きり》に出來て居る。こゝん所《とこ》は書き損ひの字を削る場所で、ばら/\に離すと、ナイフとなる。一番仕舞に――さあ奧さん、此一番仕舞が大變面白いんです、こゝに蠅《はへ》の眼玉位な大きさの球《たま》がありませう、一寸、覗いて御覽なさい」「いやですは又|屹度《きつと》馬鹿になさるんだから」「さう信用がなくつちや困つたね。だが欺されたと思つて、ちよいと覗いて御覽なさいな。え? 厭ですか、一寸《ちよつと》でいゝから」と鋏を細君に渡す。細君は覺束なげに鋏を取りあげて、例の蠅の眼玉の所へ自分の眼玉を付けて頻りに覘《ねらひ》をつけて居る。「どうです」「何だか眞黒ですは」「眞黒ぢやいけませんね。も少し障子の方へ向いて、さう鋏を寐かさずに――さう/\夫《それ》なら見えるでせう」「おやまあ寫眞ですねえ。どうしてこんな小さな寫眞を張り付けたんでせう」「そこが面白い所でさあ」と細君と迷亭はしきりに問答をして居る。最前から黙つて居た主人は此時急に寫眞が見たくなつたものと見えて「おい俺にも一寸《ちよつと》覽《み》せろ」と云ふと細君は鋏を顔へ押し付けた儘「實に奇麗です事、裸體の美人ですね」と云つて中々離さない。「おい一寸御見せと云ふのに」「まあ待つて入らつしやいよ。美くしい髪ですね。腰迄ありますよ。少し仰向いて恐ろしい脊《せい》の高い女だ事、然し美人ですね」「おい御見せと云つたら、大抵にして見せるがいゝ」と主人は大《おほい》に急《せ》き込んで細君に食つて掛る。「へえ御待遠さま、たんと御覽遊ばせ」と細君が鋏を主人に渡す時に、勝手から御三《おさん》が御客さまの御誂《おあつらへ》が參りましたと、二個の笊蕎麥《ざるそば》を座敷へ持つて來る。
 「奧さん是が僕の自辨《じべん》の御馳走ですよ。一寸御免蒙つて、こゝでぱくつく事に致しますから」と叮嚀に御辭儀をする。眞面目な樣な巫山戯《ふざけ》た樣な動作だから細君も應對に窮したと見えて「さあどうぞ」と輕く返事をしたぎり拜見して居る。主人は漸く寫眞から眼を放して「君此暑いのに蕎麥は毒だぜ」と云つた。「なあに大丈夫、好きなものは滅多に中《あた》るもんぢやない」と蒸籠《せいろ》の葢《ふた》をとる。「打ち立ては難有《ありがた》いな。蕎麥の延びたのと、人間の間が拔けたのは由來|頼母《たのも》しくないもんだよ」と藥味《やくみ》をツユ〔二字傍点〕の中へ入れて無茶苦茶に掻き廻はす。「君そんなに山葵《わさび》を入れると辛《か》らいぜ」と主人は心配さうに注意した。「蕎麥《そば》はツユ〔二字傍点〕と山葵《わさび》で食ふもんだあね。君は蕎麥《そば》が嫌いなんだらう」「僕は饂飩《うどん》が好きだ」「饂飩《うどん》は馬子《まご》が食ふもんだ。蕎麥《そば》の味を解しない人程氣の毒な事はない」と云ひ乍《なが》ら杉箸をむざと突き込んで出來る丈《だけ》多くの分量を二寸|許《ばか》りの高さにしやくひ上げた。「奧さん蕎麥を食ふにも色々流儀がありますがね。初心《しよしん》の者に限つて、無暗にツユ〔二字傍点〕を着けて、さうして口の内でくちや/\遣つて居ますね。あれぢや蕎麥の味はないですよ。何でも、かう、一《ひ》としやくひに引つ掛けてね」と云ひつゝ箸を上げると、長い奴が勢揃《せいぞろ》ひをして一尺|許《ばか》り空中に釣るし上げられる。迷亭先生もう善からうと思つて下を見ると、未《ま》だ十二三本の尾が蒸籠《せいろ》の底を離れないで簀垂《すだ》れの上に纒綿《てんめん》して居る。「こいつは長いな、どうです奧さん、此長さ加減は」と又奧さんに相の手を要求する。奧さんは「長いもので御座いますね」とさも感心したらしい返事をする。「此長い奴へツユ〔二字傍点〕を三分一《さんぶいち》つけて、一口に飲んで仕舞ふんだね。?んぢやいけない。?んぢや蕎麥の味がなくなる。つる/\と咽喉を滑り込む所がねうちだよ」と思ひ切つて箸を高く上げると蕎麥は漸くの事で地を離れた。左手《ゆんで》に受ける茶碗の中へ、箸を少し宛《づゝ》落して、尻尾《しつぽ》の先から段々に浸《ひた》すと、アーキミヂスの理論によつて、蕎麥の浸《つか》つた分量|丈《だけ》ツユ〔二字傍点〕の嵩《かさ》が揩オてくる。所が茶碗の中には元からツユ〔二字傍点〕が八分目這入つてゐるから、迷亭の箸にかゝつた蕎麥の四半分《しはんぶん》も浸《つか》らない先に茶碗はツユ〔二字傍点〕で一杯になつて仕舞つた。迷亭の箸は茶碗を去る五寸の上に至つてぴたりと留まつたきり暫く動かない。動かないのも無理はない。少しでも卸せばツユ〔二字傍点〕が溢《こぼ》れる許《ばか》りである。迷亭も茲《こゝ》に至つて少し?躇《ちうちよ》の體《てい》であつたが、忽ち脱兎の勢を以て、口を箸の方へ持つて行つたなと思ふ間《ま》もなく、つる/\ちゆうと音がして咽喉笛が一二度|上下《じやうげ》へ無理に動いたら箸の先の蕎麥は消えてなくなつて居つた。見ると迷亭君の兩眼から涙の樣なものが一二滴|眼尻《めじり》から頬へ流れ出した。山葵《わさび》が利いたものか、飲み込むのに骨が折れたものか是れは未だに判然しない。「感心だなあ。よくそんなに一どきに飲み込めたものだ」と主人が敬服すると「御見事です事ねえ」と細君も迷亭の手際を激賞した。迷亭は何にも云はないで箸を置いて胸を二三度|敲《たゝ》いたが「奧さん笊《ざる》は大抵三口半か四口で食ふんですね。夫《それ》より手數《てすう》を掛けちや旨く食へませんよ」とハンケチで口を拭いて一寸一息入れて居る。
 所へ寒月君が、どう云ふ了見か此暑いのに御苦勞にも冬帽を被つて兩足を埃だらけにしてやつてくる。「いや好男子の御入來《ごにふらい》だが、喰ひ掛けたものだから一寸失敬しますよ」と迷亭君は衆人環座《しゆうじんくわんざ》の裏《うち》にあつて臆面もなく殘つた蒸籠《せいろ》を平《たひら》げる。今度は先刻《さつき》の樣に目覺しい食方もしなかつた代りに、ハンケチを使つて、中途で息を入れると云ふ不體裁もなく、蒸籠《せいろ》二つを安々と遣《や》つて除《の》けたのは結構だつた。
 「寒月君博士論文はもう脱稿するのかね」と主人が聞くと迷亭も其|後《あと》から「金田令孃がお待ちかねだから早々《さう/\》呈出《ていしゆつ》し玉へ」と云ふ。寒月君は例の如く薄氣味の惡い笑を洩らして「罪ですから可成《なるべく》早く出して安心させてやりたいのですが、何しろ問題が問題で、餘程勞力の入る研究を要するのですから」と本氣の沙汰とも思はれない事を本氣の沙汰らしく云ふ。「さうさ問題が問題だから、さう鼻の言ふ通りにもならないね。尤もあの鼻なら充分鼻息をうかがふ丈《だけ》の價値はあるがね」と迷亭も寒月流な挨拶をする。比較的に眞面目なのは主人である。「君の論文の問題は何とか云つたつけな」「蛙の眼球《めだま》の電動作用に對する紫外光線《しぐわいくわうせん》の影響と云ふのです」「そりや奇だね。流石《さすが》は寒月先生だ、蛙の眼球は振《ふる》つてるよ。どうだらう苦沙彌君、論文脱稿|前《まへ》に其問題|丈《だけ》でも金田家へ報知して置いては」主人は迷亭の云ふ事には取り合はないで「君そんな事が骨の折れる研究かね」と寒月君に聞く。「えゝ、中々複雜な問題です、第一蛙の眼球のレンズの構造がそんな單簡《たんかん》なものでありませんからね。それで色々實驗もしなくちやなりませんが先《ま》づ丸い硝子《ガラス》の球《たま》をこしらへて夫《それ》からやらうと思つて居ます」「硝子《ガラス》の球なんかガラス屋へ行けば譯ないぢやないか」「どうして――どうして」と寒月先生少々|反身《そりみ》になる。「元來|圓《ゑん》とか直線とか云ふのは幾何學的のもので、あの定義に合つた樣な理想的な圓や直線は現實世界にはないもんです」「ないもんなら、廢《よ》したらよからう」と迷亭が口を出す。「夫《それ》で先づ實驗上差し支ない位な球を作つて見《み》樣《やう》と思ひましてね。先達《せんだつ》てからやり始めたのです」「出來たかい」と主人が譯のない樣にきく。「出來るものですか」と寒月君が云つたが、是では少々矛盾だと氣が付いたと見えて「どうも六づかしいです。段々|磨《す》つて少しこつち側の半徑が長過ぎるからと思つて其方《そつち》を心持落すと、さあ大變今度は向側《むかふがは》が長くなる。そいつを骨を折つて漸く磨り潰したかと思ふと全體の形がいびつ〔三字傍点〕になるんです。やつとの思ひで此いびつ〔三字傍点〕を取ると又直徑に狂ひが出來ます。始めは林檎程な大きさのものが段々小さくなつて苺《いちご》程《ほど》になります。それでも根氣よくやつて居ると大豆程になります。大豆程になつてもまだ完全な圓は出來ませんよ。私も隨分熱心に磨りましたが――此正月からガラス玉を大小六個磨り潰しましたよ」と嘘だか本當だか見當のつかぬ所を喋々《てふ/\》と述べる。「どこでそんなに磨つてゐるんだい」「矢つ張り學校の實驗室です、朝磨り始めて、晝飯のとき一寸休んで夫《それ》から暗くなる迄磨るんですが、中々樂ぢやありません」「夫《それ》ぢや君が近頃忙がしい/\と云つて毎日日曜でも學校へ行くのは其珠を磨りに行くんだね」「全く目下の所は朝から晩迄珠|許《ばか》り磨つて居ます」「珠作りの博士となつて入り込みしは――と云ふところだね。然し其熱心を聞かせたら、いかな鼻でも少しは難有《ありがた》がるだらう。實は先日僕がある用事があつて圖書館へ行つて歸りに門を出《で》樣《やう》としたら偶然|老梅君《らうばいくん》に出逢つたのさ。あの男が卒業後圖書館に足が向くとは餘程不思議な事だと思つて感心に勉強するねと云つたら先生妙な顔をして、なに本を讀みに來たんぢやない、今門前を通り掛つたら一寸|小用《こよう》がしたくなつたから拜借に立ち寄つたんだと云つたんで大笑をしたが、老梅君《らうばいくん》と君とは反對の好例として新撰蒙求《しんせんもうぎう》に是非入れたいよ」と迷亭君例の如く長たらしい註釋をつける。主人は少し眞面目になつて「君さう毎日々々珠|許《ばか》り磨つてるのもよからうが、元來いつ頃出來上る積りかね」と聞く。「まあ此容子ぢや十年位かゝりさうです」と寒月君は主人より呑氣《のんき》に見受けられる。「十年ぢや――もう少し早く磨り上げたらよからう」「十年ぢや早い方です、事に因ると廿年位かゝります」「そいつは大變だ、それぢや容易に博士にやなれないぢやないか」「えゝ一日も早くなつて安心さして遣りたいのですが兎に角珠を磨り上げなくつちや肝心の實驗が出來ませんから……」
 寒月君はちよつと句を切つて「何、そんなにご心配には及びませんよ。金田でも私の珠|許《ばか》り磨つてる事はよく承知してゐます。實は二三日《にさんち》前《まへ》行つた時にも能く事情を話して來ました」としたり顔に述べ立てる。すると今迄三人の談話を分らぬ乍ら傾聽して居た細君が「それでも金田さんは家族中殘らず、先月から大磯へ行つて居らつしやるぢやありませんか」と不審さうに尋ねる。寒月君も是には少し辟易《へきえき》の體《てい》であつたが「そりや妙ですな、どうしたんだらう」ととぼけて居る。かう云ふ時に重寶なのは迷亭君で、話の途切れた時、極りの惡い時、眠くなつた時、困つた時、どんな時でも必ず横合から飛び出してくる。「先月大磯へ行つたものに兩三日《りやうさんち》前《まへ》東京で逢ふ抔《など》は神秘的でいゝ。所謂靈の交換だね。相思《さうし》の情《じやう》の切な時にはよくさう云ふ現象が起るものだ。一寸聞くと夢の樣だが、夢にしても現實より慥《たし》かな夢だ。奧さんの樣に別に思ひも思はれもしない苦沙彌君の所へ片付いて生涯戀の何物たるを御解しにならん方には、御不審も尤だが……」「あら何を證據にそんな事を仰しやるの。隨分輕蔑なさるのね」と細君は中途から不意に迷亭に切り付ける。「君だつて戀煩ひなんかした事はなさゝうぢやないか」と主人も正面から細君に助太刀をする。「そりや僕の艶聞などは、いくら有つてもみんな七十五日以上經過して居るから、君方《きみがた》の記憶には殘つて居ないかも知れないが――實は是でも失戀の結果、此歳になる迄獨身で暮らして居るんだよ」と一順列座の顔を公平に見廻はす。「ホヽヽヽ面白い事」と云つたのは細君で、「馬鹿にして居らあ」と庭の方を向いたのは主人である。只寒月君|丈《だけ》は「どうか其懷舊談を後學《こうがく》の爲に伺いたいもので」と相變らずにや/\する。
 「僕のも大分《だいぶ》神秘的で、故小泉八雲先生に話したら非常に受けるのだが、惜しい事に先生は永眠されたから、實の所話す張合もないんだが、切角だから打ち開けるよ。其代り仕舞迄謹聽しなくつちやいけないよ」と念を押して愈《いよ/\》本文に取り掛る。「回顧すると今を去る事――えゝと――何年前だつたかな――面倒だから略《ほゞ》十五六年|前《まへ》として置かう」「冗談ぢやない」と主人は鼻からフンと息をした。「大變物覺えが御惡いのね」と細君がひやかした。寒月君|丈《だけ》は約束を守つて一言《いちごん》も云はずに、早くあとが聽きたいと云ふ風をする。「何でもある年の冬の事だが、僕が越後の國は蒲原郡《かんばらごほり》筍谷《たけのこだに》を通つて、蛸壺峠《たこつぼたうげ》へかゝつて、是から愈《いよ/\》會津領《あいづりやう》へ出《で》樣《やう》とする所だ」「妙な所だな」と主人が又邪魔をする。「だまつて聽いて入らつしやいよ。面白いから」と細君が制する。「所が日は暮れる、路は分らず、腹は減る、仕方がないから峠の眞中にある一軒屋を敲《たゝ》いて、これ/\斯樣《かやう》/\しか/”\の次第だから、どうか留めて呉れと云ふと、御安い御用です、さあ御上がんなさいと裸?燭《はだからふそく》を僕の顔に差しつけた娘の顔を見て僕はぶる/\と悸《ふる》へたがね。僕は其時から戀と云ふ曲者《くせもの》の魔力を切實に自覺したね」「おやいやだ。そんな山の中にも美しい人があるんでせうか」「山だつて海だつて、奧さん、其娘を一目あなたに見せたいと思ふ位ですよ、文金《ぶんきん》の高島田《たかしまだ》に髪を結《い》ひましてね」「へえー」と細君はあつけに取られて居る。「這入つて見ると八疊の眞中に大きな圍爐裏《ゐろり》が切つてあつて、其|周《まは》りに娘と娘の爺さんと婆さんと僕と四人坐つたんですがね。嘸《さぞ》御腹《おなか》が御減りでせうと云ひますから、何でも善いから早く食はせ給へと請求したんです。すると爺さんが切角の御客さまだから蛇飯《へびめし》でも炊いて上げ樣《やう》と云ふんです。さあ是からが愈《いよ/\》失戀に取り掛る所だから確《しつ》かりして聽き玉へ」「先生|確《しつ》りして聽く事は聽きますが、なんぼ越後の國だつて冬、蛇が居やしますまい」「うん、そりや一應尤もな質問だよ。然しこんな詩的な話しになるとさう理窟にばかり拘泥しては居られないからね。鏡花の小説にや雪の中から蟹《かに》が出てくるぢやないか」と云つたら寒月君は「成程」と云つたきり又謹聽の態度に復した。
 「其時分の僕は隨分|惡《あく》もの食ひの隊長で、蝗《いなご》、なめくじ、赤蛙|抔《など》は食ひ厭《あ》きて居た位な所だから、蛇飯は乙《おつ》だ。早速御馳走にならうと爺さんに返事をした。そこで爺さん圍爐裏《ゐろり》の上へ鍋をかけて、其中へ米を入れてぐづ/\※[者/火]出したものだね。不思議な事には其鍋の葢《ふた》を見ると大小十個ばかりの穴があいて居る。其穴から湯氣がぷう/\吹くから、旨い工夫をしたものだ、田舍にしては感心だと見て居ると、爺さんふと立つて、どこかへ出て行つたが暫くすると、大きな笊《ざる》を小脇に抱《か》ひ込んで歸つて來た。何氣なく是を圍爐裏《ゐろり》の傍《そば》へ置いたから、其中を覗いて見ると――居たね。長い奴が、寒いもんだから御互にとぐろ〔三字傍点〕の捲《ま》きくらをやつて塊《かた》まつて居ましたね」「もうそんな御話しは廢《よ》しになさいよ。厭らしい」と細君は眉に八の字を寄せる。「どうしてこれが失戀の大源因になるんだから中々|廢《よ》せませんや。爺さんはやがて左手に鍋の葢をとつて、右手に例の塊《かた》まつた長い奴を無雜作《むざふさ》につかまへて、いきなり鍋の中へ放《はふ》り込んで、すぐ上から葢をしたが、流石《さすが》の僕も其の時|許《ばか》りははつと息の穴が塞《ふさが》つたかと思つたよ」「もう御やめになさいよ。氣味《きび》の惡《わ》るい」と細君頻りに怖《こは》がつて居る。「もう少しで失戀になるから暫く辛抱して入らつしやい。すると一分立つか立たないうちに蓋《ふた》の穴から鎌首《かまくび》がひよいと一つ出ましたのには驚ろきましたよ。やあ出たなと思ふと、隣の穴からも又ひよいと顔を出した。又出たよと云ふうち、あちらからも出る。こちらからも出る。とう/\鍋中《なべぢゆう》蛇の面《つら》だらけになつて仕舞つた」「なんで、そんなに首を出すんだい」「鍋の中が熱いから、苦しまぎれに這ひ出さうとするのさ。やがて爺さんは、もうよからう、引つ張らつしとか何とか云ふと、婆さんははあーと答へる、娘はあいと挨拶をして、名々《めい/\》に蛇の頭を持つてぐいと引く。肉は鍋の中に殘るが、骨|丈《だけ》は奇麗に離れて、頭を引くと共に長いのが面白い樣に拔け出してくる」「蛇の骨拔きですね」と寒月君が笑ひながら聞くと「全くの事骨拔だ、器用な事をやるぢやないか。夫《それ》から葢《ふた》を取つて、杓子《しやくし》でもつて飯と肉を矢鱈《やたら》に掻き交ぜて、さあ召し上がれと來た」「食つたのかい」と主人が冷淡に尋ねると、細君は苦《にが》い顔をして「もう廢《よ》しになさいよ、胸が惡《わ》るくつて御飯も何もたべられやしない」と愚痴をこぼす。「奧さんは蛇飯を召し上がらんから、そんな事を仰しやるが、まあ一遍たべてご覽なさい、あの味|許《ばか》りは生涯忘れられませんぜ」「おゝ、いやだ、誰が食べるもんですか」「そこで充分|御饌《ごぜん》も頂戴し、寒さも忘れるし、娘の顔も遠慮なく見るし、もう思ひ置く事はないと考へて居ると、御休みなさいましと云ふので、旅の勞《つか》れもある事だから、仰《おおせ》に從つて、ごろりと横になると、すまん譯だが前後を忘却して寐て仕舞つた」「夫《それ》からどうなさいました」と今度は細君の方から催促する。「夫《それ》から明朝《あくるあさ》になつて眼を覺《さま》してからが失戀でさあ」「どうかなさつたんですか」「いえ別にどうもしやしませんがね。朝起きて卷烟草をふかし乍ら裏の窓から見て居ると、向ふの筧《かけひ》の傍《そば》で、藥罐頭《やくわんあたま》が顔を洗つて居るんでさあ」「爺さんか婆さんか」と主人が聞く。「夫《それ》がさ、僕にも識別しにくかつたから、暫らく拜見して居て、其|藥罐《やくわん》がこちらを向く段になつて驚ろいたね。それが僕の初戀をした昨夜《ゆうべ》の娘なんだもの」「だつて娘は島田に結《い》つて居るとさつき云つたぢやないか」「前夜は島田さ、然も見事な島田さ。所が翌朝《あくるあさ》は丸藥罐《まるやくわん》さ」「人を馬鹿にして居らあ」と主人は例によつて天井の方へ視線をそらす。「僕も不思議の極《きよく》内心少々|怖《こは》くなつたから、猶|餘所《よそ》ながら容子を窺つて居ると、藥罐は漸く顔を洗ひ了つて、傍《かた》への石の上に置いてあつた高島田の鬘《かづら》を無雜作《むざふさ》に被《かぶ》つて、濟《すま》ましてうちへ這入つたんで成程と思つた。成程とは思つた樣なものゝ其時から、とう/\失戀の果敢《はか》なき運命をかこつ身となつて仕舞つた」「くだらない失戀もあつたもんだ。ねえ、寒月君、それだから、失戀でも、こんなに陽氣で元氣がいゝんだよ」と主人が寒月君に向つて迷亭君の失戀を評すると、寒月君は「然し其娘が丸藥罐でなくつて目出度く東京へでも連れて御歸りになつたら、先生は猶《なほ》元氣かも知れませんよ、とに角切角の娘が禿《はげ》であつたのは千秋の恨事ですねえ。夫《そ》れにしても、そんな若い女がどうして、毛が拔けて仕舞つたんでせう」「僕も夫《それ》に就ては段々考へたんだが全く蛇飯を食ひ過ぎたせいに相違ないと思ふ。蛇飯てえ奴はのぼせるからね」「然しあなたは、どこも何ともなくて結構で御座いましたね」「僕は禿《はげ》にはならずに濟んだが、其代りに此通り其時から近眼《きんがん》になりました」と金縁の眼鏡をとつてハンケチで叮嚀に拭いて居る。暫くして主人は思ひ出した樣に「全體どこが神秘的なんだい」と念の爲めに聞いて見る。「あの鬘《かづら》はどこで買つたのか、拾つたのかどう考へても未だに分らないからそこが神秘さ」と迷亭君は又眼鏡を元の如く鼻の上へかける。「丸《まる》で噺《はな》し家《か》の話を聞く樣で御座んすね」とは細君の批評であつた。
 迷亭の駄辯も是で一段落を告げたから、もうやめるかと思ひの外、先生は猿轡《さるぐつわ》でも嵌《は》められないうちは到底黙つて居る事が出來ぬ性《たち》と見えて、又次の樣な事をしやべり出した。
 「僕の失戀も苦《にが》い經驗だが、あの時あの藥罐を知らずに貰つたが最後生涯の目障《めざは》りになるんだから、よく考へないと險呑《けんのん》だよ。結婚なんかは、いざと云ふ間際になつて、飛んだ所に傷口が隱れて居るのを見出《みいだ》す事がある者だから。寒月君|抔《など》もそんなに憧憬《しようけい》したり??《しやうきやう》したり獨《ひと》りで六づかしがらないで、篤《とく》と氣を落ち付けて珠を磨るがいゝよ」といやに異見めいた事を述べると、寒月君は「えゝ可成《なるべく》珠|許《ばか》り磨つて居たいんですが、向ふでさうさせないんだから弱り切ります」とわざと辟易した樣な顔付をする。「さうさ、君などは先方が騷ぎ立てるんだが、中には滑稽なのがあるよ。あの圖書館へ小便をしに來た老梅君《らうばいくん》抔《など》になると頗る奇だからね」「どんな事をしたんだい」と主人が調子づいて承《うけたま》はる。「なあに、かう云ふ譯さ。先生其昔靜岡の東西館へ泊つた事があるのさ。――たつた一と晩だぜ――夫《それ》で其晩すぐにそこの下女に結婚を申し込んだのさ。僕も隨分|呑氣《のんき》だが、まだあれ程には進化しない。尤も其時分には、あの宿屋に御夏《おなつ》さんと云ふ有名な別嬪が居て老梅君《らうばいくん》の座敷へ出たのが丁度其|御夏《おなつ》さんなのだから無理はないがね」「無理がない所か君の何とか峠と丸《まる》で同じぢやないか」「少し似て居るね、實を云ふと僕と老梅《らうばい》とはそんなに差異はないからな。とにかく、その御夏さんに結婚を申し込んで、まだ返事を聞かないうちに水瓜《すゐくわ》が食ひ度くなつたんだがね」「何だつて?」と主人が不思議な顔をする。主人|許《ばか》りではない、細君も寒月も申し合せた樣に首をひねつて一寸考へて見る。迷亭は構はずどん/\話を進行させる。「御夏さんを呼んで靜岡に水瓜《すゐくわ》はあるまいかと聞くと、御夏さんが、なんぼ靜岡だつて水瓜《すゐくわ》位はありますよと、御盆に水瓜《すゐくわ》を山盛りにして持つてくる。そこで老梅君《らうばいくん》食つたさうだ。山盛りの水瓜《すゐくわ》を悉《こと/”\》く平らげて、御夏さんの返事を待つて居ると、返事の來ないうちに腹が痛み出してね、うーん/\と唸《うな》つたが少しも利目《きゝめ》がないから又御夏さんを呼んで今度は靜岡に醫者はあるまいかと聞いたら、御夏さんが又、なんぼ靜岡だつて醫者位はありますよと云つて、天地玄黄《てんちげんくわう》とかいふ千字文《せんじもん》を盗んだ樣な名前のドクトルを連れて來た。翌朝《あくるあさ》になつて、腹の痛みも御蔭でとれて難有《ありがた》いと、出立する十五分前に御夏さんを呼んで、昨日《きのふ》申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、御夏さんは笑ひながら靜岡には水瓜《すゐくわ》もあります、御醫者もありますが一夜作りの御嫁はありませんよと出て行つたきり顔を見せなかつたさうだ。夫《それ》から老梅君も僕同樣失戀になつて、圖書館へは小便をする外來なくなつたんだつて、考へると女は罪な者だよ」と云ふと主人がいつになく引き受けて「本當にさうだ。先達《せんだつ》てミユツセの脚本を讀んだら其うちの人物が羅馬《ローマ》の詩人を引用してこんな事を云つて居た。――羽より輕い者は塵《ちり》である。塵より輕いものは風である。風より輕い者は女である。女より輕いものは無《む》である。――よく穿《うが》つてるだらう。女なんか仕方がない」と妙な所で力味《りき》んで見せる。之を承《うけたまは》つた細君は承知しない。「女の輕いのがいけないと仰しやるけれども、男の重いんだつて好い事はないでせう」「重いた、どんな事だ」「重いと云ふな重い事ですは、あなたの樣なのです」「俺がなんで重い」「重いぢやありませんか」と妙な議論が始まる。迷亭は面白さうに聞いて居たが、やがて口を開いて「さう赤くなつて互に辯難攻撃をする所が夫婦の眞相と云ふものかな。どうも昔の夫婦なんてものは丸《まる》で無意味なものだつたに違ひない」とひやかすのだか賞るのだか曖昧な事を言つたが、それでやめて置いても好い事を又例の調子で布衍《ふえん》して、下《しも》の如く述べられた。
 「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかつたんだつて云ふが、夫《それ》なら?《おし》を女房にして居ると同じ事で僕などは一向《いつかう》難有《ありがた》くない。矢つ張り奧さんの樣にあなたは重いぢやありませんかとか何とか云はれて見たいね。同じ女房を持つ位なら、たまには喧嘩の一つ二つしなくつちや退屈で仕樣がないからな。僕の母|抔《など》と來たら、おやぢの前へ出てはい〔二字傍点〕とへい〔二字傍点〕で持ち切つて居たものだ。さうして二十年も一所になつて居るうちに寺參りより外《ほか》に外《そと》へ出た事がないと云ふんだから情《なさ》けないぢやないか。尤も御蔭で先祖代々の戒名《かいみやう》は悉《こと/”\》く暗記して居る。男女間の交際だつてさうさ、僕の小供の時分|抔《など》は寒月君の樣に意中の人と合奏をしたり、靈の交換をやつて朦朧體《もうろうたい》で出合つて見たりする事は到底出來なかつた」「御氣の毒樣で」と寒月君が頭を下げる。「實に御氣の毒さ。而《しか》も其時分の女が必ずしも今の女より品行がいゝと限らんからね。奧さん近頃は女學生が墮落したの何だのと八釜敷《やかまし》く云ひますがね。なに昔はこれより烈しかつたんですよ」「さうでせうか」と細君は眞面目である。「さうですとも、出鱈目《でたらめ》ぢやない、ちやんと證據があるから仕方がありませんや。苦沙彌君、君も覺えて居るかも知れんが僕等の五六歳の時迄は女の子を唐茄子《たうなす》の樣に籠へ入れて天秤棒《てんびんぼう》で擔いで賣つてあるいたもんだ、ねえ君」「僕はそんな事は覺えて居らん」「君の國ぢやどうだか知らないが、靜岡ぢや慥《たし》かにさうだつた」「まさか」と細君が小さい聲を出すと、「本當ですか」と寒月君が本當らしからぬ樣子で聞く。
 「本當さ。現に僕のおやぢが價《ね》を付けた事がある。其時僕は何でも六つ位だつたらう。おやぢと一所に油町《あぶらまち》から通町《とほりちやう》へ散歩に出ると、向ふから大きな聲をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴《どな》つてくる。僕等が丁度二丁目の角へ來ると、伊勢源《いせげん》と云ふ呉服屋の前で其男に出つ食はした。伊勢源と云ふのは間口が十間で藏が五《い》つ戸前《とまへ》あつて靜岡第一の呉服屋だ。今度行つたら見て來給へ。今でも歴然と殘つて居る。立派なうちだ。其番頭が甚兵衛と云つてね。いつでも御袋《おふくろ》が三日前に亡《な》くなりましたと云ふ樣な顔をして帳場の所へ控へて居る。甚兵衛君の隣りには初《はつ》さんといふ二十四五の若い衆《しゆ》が坐つて居るが、此初さんが又|雲照律師《うんせうりつし》に歸依して三七二十一日の間蕎麥湯|丈《だけ》で通したと云ふ樣な青い顔をして居る。初さんの隣りが長《ちやう》どんで是は昨日《きのふ》火事で焚《や》き出されたかの如く愁然《しうぜん》と算盤《そろばん》に身を凭《もた》して居る。長どんと併《なら》んで……」「君は呉服屋の話をするのか、人賣りの話をするのか」「さう/\人賣りの話しをやつて居たんだつけ。實は此伊勢源に就ても頗る奇譚《きだん》があるんだが、それは割愛して今日は人賣り|丈《だけ》にしておかう」「人賣も序《つい》でにやめるがいゝ」「どうして是が二十世紀の今日《こんにち》と明治初年頃の女子の品性の比較に就て大《だい》なる參考になる材料だから、そんなに容易《たやす》くやめられるものか――夫《それ》で僕がおやぢと伊勢源の前迄くると、例の人賣りがおやぢを見て旦那女の子の仕舞物《しまひもの》はどうです、安く負けて置くから買つて御呉んなさいと云ひながら天秤棒を卸して汗を拭いて居るのさ。見ると籠の中には前に一人|後《うし》ろに一人兩方とも二歳|許《ばか》りの女の子が入れてある。おやぢは此男に向つて安ければ買つてもいゝが、もう是ぎりかいと聞くと、へえ生憎《あいにく》今日はみんな賣り盡してたつた二つになつちまいました。どつちでも好いから取つとくんなさいなと女の子を兩手で持つて唐茄子か何ぞの樣におやぢの鼻の先へ出すと、おやぢはぽん/\と頭を叩いて見て、はゝあ可なりな音だと云つた。夫《それ》から愈《いよ/\》談判が始まつて散々《さんざ》價切《ねぎ》つた末おやぢが、買つても好いが品は慥《たし》かだらうなと聞くと、えゝ前の奴は始終見て居るから間違はありませんがね後《うし》ろに擔《かつ》いでる方は、何しろ眼がないんですから、ことによるとひゞが入つてるかも知れません。こいつの方なら受け合へない代りに價段《ねだん》を引いて置きますと云つた。僕は此問答を未だに記憶して居るんだが其時小供心に女と云ふものは成程油斷のならないものだと思つたよ。――然し明治三十八年の今日《こんにち》こんな馬鹿な眞似をして女の子を賣つてあるくものもなし、眼を放して後《うし》ろへ擔いだ方は險呑《けんのん》だ抔《など》と云ふ事も聞かない樣だ。だから、僕の考では矢張り泰西文明の御蔭で女の品行も餘程進歩したものだらうと斷定するのだが、どうだらう寒月君」
 寒月君は返事をする前に先づ鷹揚《おうやう》な咳拂《せきばらひ》を一つして見せたが、夫《それ》からわざと落ち付いた低い聲で、こんな觀察を述べられた。「此頃の女は學校の行き歸りや、合奏會や、慈善會や、園遊會で、ちよいと買つて頂戴な、あらおいや? 抔《など》と自分で自分を賣りにあるいて居ますから、そんな八百屋のお餘りを雇つて、女の子はよしか、なんて下品な依托販賣《いたくはんばい》をやる必要はないですよ。人間に獨立心が發達してくると自然こんな風になるものです。老人なんぞは入らぬ取越苦勞をして何とか蚊《か》とか云ひますが、實際を云ふと是が文明の趨勢《すうせい》ですから、私|抔《など》は大《おほい》に喜ばしい現象だと、ひそかに慶賀の意を表して居るのです。買ふ方だつて頭を敲《たゝ》いて品物は確かゝなんて聞く樣な野暮は一人も居ないんですから其邊は安心なものでさあ。又此複雜な世の中に、そんな手數《てすう》をする日にあ、際限がありませんからね。五十になつたつて六十になつたつて亭主を持つ事も嫁に行く事も出來やしません」寒月君は二十世紀の青年|丈《だけ》あつて、大《おほい》に當世流の考を開陳して置いて、敷島の烟をふうーと迷亭先生の顔の方へ吹き付けた。迷亭は敷島の烟位で辟易する男ではない。「仰せの通り方今《はうこん》の女生徒、令孃|抔《など》は自尊自信の念から骨も肉も皮まで出來ていて、何でも男子に負けない所が敬服の至りだ。僕の近所の女學校の生徒|抔《など》と來たらえらいものだぜ。筒袖《つゝそで》を穿《は》いて鐵棒《かなぼう》へぶら下がるから感心だ。僕は二階の窓から彼等の體操を目撃するたんびに古代|希臘《ギリシヤ》の婦人を追懷するよ」「又|希臘《ギリシヤ》か」と主人が冷笑する樣に云ひ放つと「どうも美な感じのするものは大抵|希臘《ギリシヤ》から源を發して居るから仕方がない。美學者と希臘《ギリシヤ》とは到底離れられないやね。――ことにあの色の黒い女學生が一心不亂に體操をして居る所を拜見すると、僕はいつでも Agnodice の逸話を思ひ出すのさ」と物知り顔にしやべり立てる。「又六づかしい名前が出て來ましたね」と寒月君は依然としてにや/\する。「Agnodice はえらい女だよ、僕は實に感心したね。當時|亞典《アテン》の法律で女が産婆を營業する事を禁じてあつた。不便な事さ。Agnodice だつて其不便を感ずるだらうぢやないか」「何だい、其――何とか云ふのは」「女さ、女の名前だよ。此女がつら/\考へるには、どうも女が産婆になれないのは情《なさ》けない、不便極まる。どうかして産婆になりたいもんだ、産婆になる工夫はあるまいかと三日三晩手を拱《こまぬ》いて考へ込んだね。丁度三日目の曉方《あけがた》に、隣の家で赤ん坊がおぎあと泣いた聲を聞いて、うんさうだと豁然大悟《くわつぜんたいご》して、夫《それ》から早速長い髪を切つて男の着物をきて Hierophilus の講義をきゝに行つた。首尾よく講義をきゝ終《おほ》せて、もう大丈夫と云ふところでもつて、愈《いよ/\》産婆を開業した。所が、奧さん流行《はや》りましたね。あちらでもおぎあ〔三字傍点〕と生れるこちらでもおぎあ〔三字傍点〕と生れる。夫《それ》がみんな Agnodice の世話なんだから大變|儲《まう》かつた。所が人間萬事|塞翁《さいをう》の馬、七轉《なゝころ》び八起《やお》き、弱り目に祟《たゝ》り目で、つい此秘密が露見に及んで遂に御上《おかみ》の御法度《ごはつと》を破つたと云ふ所で、重き御仕置に仰せつけられさうになりました」「丸《まる》で講釋見た樣です事」「中々旨いでせう。所が亞典《アテン》の女連が一同連署して嘆願に及んだから、時の御奉行もさう木で鼻を括《くゝ》つた樣な挨拶も出來ず、遂に當人は無罪放免、是からはたとひ女たりとも産婆營業勝手たるべき事と云ふ御布令《おふれ》さへ出て目出度く落着を告げました」「よく色々な事を知つて入らつしやるのね、感心ねえ」「えゝ大概の事は知つて居ますよ。知らないのは自分の馬鹿な事位なものです。しかし夫《それ》も薄々は知つてます」「ホヽヽヽ面白い事|許《ばか》り……」と細君|相形《さうがう》を崩して笑つて居ると、格子戸のベルが相變らず着けた時と同じ樣な音を出して鳴る。「おや又御客樣だ」と細君は茶の間へ引き下がる。細君と入れ違ひに座敷へ這入つて來たものは誰かと思つたら御存じの越智東風《をちとうふう》君であつた。
 茲《こゝ》へ東風君さへくれば、主人の家《うち》へ出入《でいり》する變人は悉《こと/”\》く網羅し盡したと迄行かずとも、少なくとも吾輩の無聊を慰むるに足る程の頭數は御揃になつたと云はねばならぬ。此《これ》で不足を云つては勿體ない。運|惡《わ》るくほかの家《うち》へ飼はれたが最後、生涯人間中にかゝる先生方が一人でもあらうとさへ氣が付かずに死んで仕舞ふかも知れない。幸にして苦沙彌先生門下の猫兒《べうじ》となつて朝夕《てうせき》虎皮《こひ》の前に侍《はん》べるので先生は無論の事迷亭、寒月|乃至《ないし》東風|抔《など》と云ふ廣い東京にさへ餘り例のない一騎當千の豪傑連の擧止動作を寢ながら拜見するのは吾輩にとつて千載一遇の光榮である。御蔭樣で此暑いのに毛袋でつゝまれて居ると云ふ難儀も忘れて、面白く半日を消光する事が出來るのは感謝の至りである。どうせ是《これ》丈《だけ》集まれば只事では濟まない。何か持ち上がるだらうと襖の陰から謹んで拜見する。
 「どうも御無沙汰を致しました。暫く」と御辭儀をする東風君の顔を見ると、先日の如く矢張り奇麗に光つて居る。頭|丈《だけ》で評すると何か緞帳役者《どんちやうやくしや》の樣にも見えるが、白い小倉の袴のゴワ/\するのを御苦勞にも鹿爪らしく穿《は》いて居る所は榊原健吉《さかきばらけんきち》の内弟子としか思へない。從つて東風君の身體で普通の人間らしい所は肩から腰迄の間|丈《だけ》である。「いや暑いのに、よく御出掛だね。さあずゝと、こつちへ通り玉へ」と迷亭先生は自分の家《うち》らしい挨拶をする。「先生には大分《だいぶ》久しく御目にかゝりません」「さうさ、慥《たし》か此春の朗讀會ぎりだつたね。朗讀會と云へば近頃は矢張り御盛《おさかん》かね。其《その》後《ご》御宮《おみや》にやなりませんか。あれは旨かつたよ。僕は大《おほい》に拍手したぜ、君氣が付いてたかい」「えゝ御蔭で大きに勇氣が出まして、とう/\仕舞迄漕ぎつけました」「今度はいつ御催しがありますか」と主人が口を出す。「七八|兩月《ふたつき》は休んで九月には何か賑やかにやりたいと思つて居ります。何か面白い趣向は御座いますまいか」「左樣《さやう》」と主人が氣のない返事をする。「東風君僕の創作を一つやらないか」と今度は寒月君が相手になる。「君の創作なら面白いものだらうが、一體何かね」「脚本さ」と寒月君が成る可く押しを強く出ると、案の如く、三人は一寸毒氣をぬかれて、申し合せた樣に本人の顔を見る。「脚本はえらい。喜劇かい悲劇かい」と東風君が歩を進めると、寒月先生|猶《なほ》澄し返つて「なに喜劇でも悲劇でもないさ。近頃は舊劇とか新劇とか大部《だいぶ》やかましいから、僕も一つ新機軸を出して俳劇《はいげき》と云ふのを作つて見たのさ」「俳劇《はいげき》たどんなものだい」「俳句趣味の劇と云ふのを詰めて俳劇の二字にしたのさ」と云ふと主人も迷亭も多少|烟《けむ》に捲かれて控へて居る。「それで其趣向と云ふのは?」と聞き出したのは矢張り東風君である。「根が俳句趣味からくるのだから、餘り長たらしくつて、毒惡なのはよくないと思つて一幕物にして置いた」「成程」「先づ道具立てから話すが、是も極《ごく》簡單なのがいゝ。舞臺の眞中へ大きな柳を一本植ゑ付けてね。夫《それ》から其柳の幹から一本の枝を右の方へヌツと出させて、其枝へ烏を一羽とまらせる」「烏がぢつとして居ればいゝが」と主人が獨り言の樣に心配した。「何わけは有りません、烏の足を糸で枝へ縛り付けて置くんです。で其下へ行水盥《ぎやうずゐだらひ》を出しましてね。美人が横向きになつて手拭を使つて居るんです」「そいつは少しデカダンだね。第一誰が其女になるんだい」と迷亭が聞く。「何是もすぐ出來ます。美術學校のモデルを雇つてくるんです」「そりや警視廰が八釜敷《やかまし》く云ひさうだな」と主人は又心配して居る。「だつて興行さへしなければ構はんぢやありませんか。そんな事を兎や角云つた日にや學校で裸體畫の寫生なんざ出來つこありません」「然しあれは稽古の爲だから、只見て居るのとは少し違ふよ」「先生方がそんな事を云つた日には日本もまだ駄目です。繪畫だつて、演劇だつて、おんなじ藝術です」と寒月君大いに氣?を吹く。「まあ議論はいゝが、夫《それ》からどうするのだい」と東風君、ことによると、遣る了見と見えて筋を聞きたがる。「所へ花道から俳人|高濱虚子《たかはまきよし》がステツキを持つて、白い燈心《とうしん》入りの帽子を被つて、透綾《すきや》の羽織に、薩摩飛白《さつまがすり》の尻端折《しりつぱしよ》りの半靴と云ふこしらへで出てくる。着付けは陸軍の御用達《ごようたし》見た樣だけれども俳人だから可成《なるべく》悠々として腹の中では句案に餘念のない體《てい》であるかなくつちやいけない。夫《それ》で虚子が花道を行き切つて愈《いよ/\》本舞臺に懸つた時、不圖《ふと》句案の眼をあげて前面を見ると、大きな柳があつて、柳の影で白い女が湯を浴びて居る、はつと思つて上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまつて女の行水を見下ろして居る。そこで虚子先生|大《おほい》に俳味に感動したと云ふ思ひ入れが五十秒ばかりあつて、行水の女に惚れる烏かな〔十一字傍点〕と大きな聲で一句朗吟するのを合圖に、拍子木《ひやうしぎ》を入れて幕を引く。――どうだらう、かう云ふ趣向は。御氣に入りませんかね。君|御宮《おみや》になるより虚子《きよし》になる方が餘程いゝぜ」東風君は何だか物足らぬと云ふ顔付で「あんまり、あつけない樣だ。もう少し人情を加味した事件が欲しい樣だ」と眞面目に答へる。今迄比較的|大人《おとな》しくして居た迷亭はさう何時《いつ》迄もだまつて居る樣な男ではない。「たつたそれ丈《だけ》で俳劇はすさまじいね。上田敏君《うえだびんくん》の説によると俳味とか滑稽とか云ふものは消極的で亡國の音《いん》ださうだが、敏君|丈《だけ》あつてうまい事を云つたよ。そんな詰らない物をやつて見給へ。夫《それ》こそ上田君から笑はれる許《ばか》りだ。第一劇だか茶番だか何だかあまり消極的で分らないぢやないか。失禮だが寒月君は矢張り實驗室で珠を磨いてる方がいゝ。俳劇なんぞ百作つたつて二百作つたつて、亡國の音《いん》ぢや駄目だ」寒月君は少々|憤《むつ》として、「そんなに消極的でせうか。私は中々積極的な積りなんですが」どつちでも構はん事を辯解しかける。「虚子《きよし》がですね。虚子先生が女に惚れる烏かな〔八字傍点〕と烏を捕《とら》へて女に惚れさした所が大《おほい》に積極的だらうと思ひます」「こりや新説だね。是非御講釋を伺がひませう」「理學士として考へて見ると烏が女に惚れるなどと云ふのは不合理でせう」「御尤も」「其不合理な事を無雜作《むざふさ》に言ひ放つて少しも無理に聞えません」「さうかしら」と主人が疑つた調子で割り込んだが寒月は一向頓着しない。「何故《なぜ》無理に聞えないかと云ふと、是は心理的に説明するとよく分ります。實を云ふと惚れるとか惚れないとか云ふのは俳人其人に存する感情で烏とは沒交渉の沙汰であります。然る所あの烏は惚れてるなと感じるのは、つまり烏がどうのかうのと云ふ譯ぢやない、必竟《ひつきやう》自分が惚れて居るんでさあ。虚子自身が美しい女の行水《ぎやうずゐ》して居る所を見てはつと思ふ途端にずつと惚れ込んだに相違ないです。さあ自分が惚れた眼で烏が枝の上で動きもしないで下を見つめて居るのを見たものだから、はゝあ、あいつも俺と同じく參つてるなと癇違ひをしたのです。癇違ひには相違ないですがそこが文學的でかつ積極的な所なんです。自分|丈《だけ》感じた事を、斷りもなく烏の上に擴張して知らん顔をして濟《すま》して居る所なんぞは、餘程積極主義ぢやありませんか。どうです先生」「なる程御名論だね、虚子に聞かしたら驚くに違ひない。説明|丈《だけ》は積極だが、實際あの劇をやられた日には、見物人は慥《たし》かに消極になるよ。ねえ東風君」「へえどうも消極過ぎる樣に思ひます」と眞面目な顔をして答へた。
 主人は少々談話の局面を展開して見たくなつたと見えて、「どうです、東風さん、近頃は傑作もありませんか」と聞くと東風君は「いえ、別段是と云つて御目にかける程のものも出來ませんが、近日詩集を出して見《み》樣《やう》と思ひまして――稿本《かうほん》を幸ひ持つて參りましたから御批評を願ひませう」と懷から紫の袱紗包《ふくさづゝみ》を出して、其中から五六十枚程の原稿紙の帳面を取り出して、主人の前に置く。主人は尤もらしい顔をして拜見と云つて見ると第一頁に
   世の人に似ずあえかに見え給ふ
     富子孃に捧ぐ
と二行にかいてある。主人は一寸神秘的な顔をして暫く一頁を無言の儘眺めて居るので、迷亭は横合から「何だい新體詩かね」と云ひながら覗き込んで「やあ、捧げたね。東風君、思ひ切つて富子孃に捧げたのはえらい」と頻りに賞める。主人は猶《なほ》不思議さうに「東風さん、此富子と云ふのは本當に存在して居る婦人なのですか」と聞く。「へえ、此前迷亭先生と御一所に朗讀會へ招待した婦人の一人です。つい此御近所に住んで居ります。實は只今詩集を見せ樣《やう》と思つて一寸寄つて參りましたが、生憎《あいにく》先月から大磯へ避暑に行つて留守でした」と眞面目くさつて述べる。「苦沙彌君、是が二十世紀なんだよ。そんな顔をしないで、早く傑作でも朗讀するさ。然し東風君此捧げ方は少しまづかつたね。此あえかに〔四字傍点〕と云ふ雅言《がげん》は全體何と言ふ意味だと思つてるかね」「蚊弱《かよわ》いとかたよわく〔四字傍点〕と云ふ字だと思ひます」「成程さうも取れん事はないが本來の字義を云ふと危う氣に〔四字傍点〕と云ふ事だぜ。だから僕ならかうは書かないね」「どう書いたらもつと詩的になりませう」「僕ならかうさ。世の人に似ずあえかに見え給ふう富子孃の鼻の下〔三字傍点〕に捧ぐとするね。僅かに三字のゆきさつだが鼻の下〔三字傍点〕があるのとないのとでは大變感じに相違があるよ」「成程」と東風君は解《げ》しかねた所を無理に納得《なつとく》した體《てい》にもてなす。
 主人は無言の儘漸く一頁をはぐつて愈《いよ/\》卷頭第一章を讀み出す。
   倦《う》んじて薫《くん》ずる香裏《かうり》に君の
   靈か相思の烟のたなびき
   おお我、あゝ我、辛《から》き此世に
   あまく得てしか熱き口づけ
 「これは少々僕には解《げ》しかねる」と主人は嘆息しながら迷亭に渡す。「是は少々振ひ過ぎてる」と迷亭は寒月に渡す。寒月は「なあゝる程」と云つて東風君に返す。
 「先生御分りにならんのは御尤で、十年前の詩界と今日《こんにち》の詩界とは見違へる程發達して居りますから。此頃の詩は寐轉んで讀んだり、停車場で讀んでは到底分り樣がないので、作つた本人ですら質問を受けると返答に窮する事がよくあります。全くインスピレーシヨンで書くので詩人は其他には何等の責任もないのです。註釋や訓義《くんぎ》は學究のやる事で私共の方では頓《とん》と構ひません。先達《せんだつ》ても私の友人で送籍《そうせき》と云ふ男が一夜〔二字傍点〕といふ短篇をかきましたが、誰が讀んでも朦朧《もうろう》として取り留めがつかないので、當人に逢つて篤《とく》と主意のある所を糺《たゞ》して見たのですが、當人もそんな事は知らないよと云つて取り合はないのです。全く其邊が詩人の特色かと思ひます」「詩人かも知れないが隨分妙な男ですね」と主人が云ふと、迷亭が「馬鹿だよ」と單簡《たんかん》に送籍君《そうせきくん》を打ち留めた。東風君は是《これ》丈《だけ》ではまだ辯じ足りない。「送籍《そうせき》は吾々仲間のうちでも取除《とりの》けですが、私の詩もどうか心持ち其氣で讀んで頂きたいので。ことに御注意を願ひ度いのはからき〔三字傍点〕此世と、あまき〔三字傍点〕口づけと對《つゐ》をとつた所が私の苦心です」「餘程苦心をなすつた痕迹《こんせき》が見えます」「あまい〔三字傍点〕とからい〔三字傍点〕と反照する所なんか十七味調《じふしちみてう》唐辛子調《たうがらしてう》で面白い。全く東風君獨特の伎倆で敬々服々の至りだ」と頻りに正直な人をまぜ返して喜んで居る。
 主人は何と思つたか、ふいと立つて書齋の方へ行つたがやがて一枚の半紙を持つて出てくる。「東風君の御作も拜見したから、今度は僕が短文を讀んで諸君の御批評を願はう」と聊《いさゝ》か本氣の沙汰である。「天然居士の墓碑銘《ぼひめい》ならもう二三遍拜聽したよ」「まあ、だまつて居なさい。東風さん、是は決して得意のものではありませんが、ほんの座興ですから聽いて下さい」「是非伺がひませう」「寒月君も序《ついで》に聞き給へ」「序《つい》でゞなくても聽きますよ。長い物ぢやないでせう」「僅々六十餘字さ」と苦沙彌先生|愈《いよ/\》手製の名文を讀み始める。
 「大和魂《やまとだましひ》! と叫んで日本人が肺病やみの樣な咳《せき》をした」
 「起し得て突兀《とつこつ》ですね」と寒月君がほめる。
 「大和魂! と新聞屋が云ふ。大和魂! と掏摸《すり》が云ふ。大和魂が一躍して海を渡つた。英國で大和魂の演説をする。獨逸《ドイツ》で大和魂の芝居をする」
 「成程こりや天然居士以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返つて見せる。
 「東郷大將が大和魂を有《も》つて居る。肴屋《さかなや》の銀さんも大和魂を有《も》つて居る。詐僞師《さぎし》、山師《やまし》、人殺しも大和魂を有《も》つて居る」
 「先生そこへ寒月も有《も》つて居るとつけて下さい」
 「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答へて行き過ぎた。五六間行つてからエヘンと云ふ聲が聞こえた」
 「其一句は大出來だ。君は中々文才があるね。それから次の句は」
 「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示す如く魂である。魂であるから常にふら/\して居る」
 「先生|大分《だいぶ》面白う御座いますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と云つたのは無論迷亭である。
 「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇つた者がない。大和魂はそれ天狗《てんぐ》の類《たぐひ》か」
 主人は一結杳然《いつけつえうぜん》と云ふ積りで讀み終つたが、流石《さすが》の名文も餘り短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思つて待つて居る。いくら待つて居ても、うんとも、すんとも、云はないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人は輕《かろ》く「うん」と答へた。うんは少し氣樂過ぎる。
 不思議な事に迷亭は此名文に對して、いつもの樣に餘り駄辯を振はなかつたが、やがて向き直つて、「君も短篇を集めて一卷として、さうして誰かに捧げてはだうだ」と聞いた。主人は事もなげに「君に捧げてやらうか」と聽くと迷亭は「眞平《まつぴら》だ」と答へたぎり、先刻《さつき》細君に見せびらかした鋏をちよき/\云はして爪をとつて居る。寒月君は東風君に向つて「君はあの金田の令孃を知つてるのかい」と尋ねる。「此春朗讀會へ招待してから、懇意になつて夫《それ》からは始終交際をして居る。僕はあの令孃の前へ出ると、何となく一種の感に打たれて、當分のうちは詩を作つても歌を詠んでも愉快に興が乘つて出て來る。此集中にも戀の詩が多いのは全くあゝ云ふ異性の朋友からインスピレーシヨンを受けるからだらうと思ふ。夫《それ》で僕はあの令孃に對しては切實に感謝の意を表しなければならんから此機を利用して、わが集を捧げる事にしたのさ。昔《むか》しから婦人に親友のないもので立派な詩をかいたものはないさうだ」「さうかなあ」と寒月君は顔の奧で笑ひながら答へた。いくら駄辯家の寄合でもさう長くは續かんものと見えて、談話の火の手は大分《だいぶ》下火になつた。吾輩も彼等の變化なき雜談を終日聞かねばならぬ義務もないから、失敬して庭へ蟷螂《かまきり》を探しに出た。梧桐《あをぎり》の緑を綴る間から西に傾く日が斑《まだ》らに洩れて、幹にはつく/\法師《ぼふし》が懸命にないて居る。晩はことによると一雨かゝるかも知れない。
 
   吾輩は猫である 下
明治三九、一、一−三九、八、一
 
     七
 
 吾輩は近頃運動を始めた。猫の癖に運動なんて利いた風だと一概に冷罵し去る手合《てあひ》に一寸申し聞けるが、さう云ふ人間だつてつい近年迄は運動の何者たるを解せずに、食つて寐るのを天職の樣に心得て居たではないか。無事是貴人《ぶじこれきにん》とか稱《とな》へて、懷手をして座布團から腐れかゝつた尻を離さゞるをもつて旦那の名譽と脂下《やにさが》つて暮したのは覺えて居る筈だ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になつたら山の中へ籠つて當分霞を食《くら》へのとくだらぬ注文を連發する樣になつたのは、西洋から神國へ傳染した輓近《ばんきん》の病氣で、矢張りペスト、肺病、神經衰弱の一族と心得ていゝ位だ。尤も吾輩は去年生れた許《ばか》りで、當年とつて一歳だから人間がこんな病氣に罹《かゝ》り出した當時の有樣は記憶に存して居らん、のみならず其|砌《みぎ》りは浮世の風中《かざなか》にふわついて居らなかつたに相違ないが、猫の一年は人間の十年に懸け合ふと云つてもよろしい。吾等の壽命は人間より二倍も三倍も短いに係らず、其短日月の間に猫一疋の發達は十分|仕《つかまつ》る所を以て推論すると、人間の年月と猫の星霜を同じ割合に打算するのは甚だしき誤謬《ごびう》である。第一、一歳何ケ月に足らぬ吾輩が此位の見識を有して居るのでも分るだらう。主人の第三女|抔《など》は數へ年で三つださうだが、智識の發達から云ふと、いやはや鈍いものだ。泣く事と、寐小便をする事と、おつぱいを飲む事より外に何にも知らない。世を憂ひ時を憤《いきどほ》る吾輩|抔《など》に較《くら》べると、からたわいのない者だ。夫《それ》だから吾輩が運動、海水浴、轉地療養の歴史を方寸のうちに疊み込んで居たつて毫も驚くに足りない。是しきの事をもし驚ろく者があつたなら、それは人間と云ふ足の二本足りない野呂間《のろま》に極つて居る。人間は昔から野呂間《のろま》である。であるから近頃に至つて漸々《やう/\》運動の功能を吹聽したり、海水浴の利益を喋々して大發明の樣に考へるのである。吾輩|抔《など》は生れない前から其位な事はちやんと心得て居る。第一海水が何故《なぜ》藥になるかと云へば一寸海岸へ行けばすぐ分る事ぢやないか。あんな廣い所に魚《さかな》が何疋居るか分らないが、あの魚《さかな》が一疋も病氣をして醫者にかゝつた試しがない。みんな健全に泳いで居る。病氣をすれば、からだが利かなくなる。死ねば必ず浮く。それだから魚の往生をあがる〔三字傍点〕と云つて、鳥の薨去を、落ちる〔三字傍点〕と唱へ、人間の寂滅《じやくめつ》をごねる〔三字傍点〕と號して居る。洋行をして印度洋を横斷した人に君、魚の死ぬ所を見た事がありますかと聞いて見るがいゝ、誰でもいゝえと答へるに極つて居る。それはさう答へる譯だ。いくら往復したつて一匹も波の上に今|呼吸《いき》を引き取つた――呼吸《いき》ではいかん、魚《さかな》の事だから潮《しほ》を引き取つたと云はなければならん――潮《しほ》を引き取つて浮いて居るのを見た者はないからだ。あの渺々《べう/\》たる、あの漫々《まん/\》たる、大海《たいかい》を日となく夜となく續け樣《ざま》に石炭を焚いて探がしてあるいても古往|今來《こんらい》一匹も魚が上がつ〔三字傍点〕て居らん所を以て推論すれば、魚《さかな》は餘程丈夫なものに違ないと云ふ斷案はすぐに下す事が出來る。それなら何故《なぜ》魚《さかな》がそんなに丈夫なのかと云へば是亦人間を待つてしかる後《のち》に知らざるなりで、譯はない。すぐ分る。全く潮水《しほみづ》を呑んで始終海水浴をやつて居るからだ。海水浴の功能はしかく魚《さかな》に取つて顯著である。魚《さかな》に取つて顯著である以上は人間に取つても顯著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル、リチヤード、ラツセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病|即席《そくせき》全快と大袈裟《おほげさ》な廣告を出したのは遲い/\と笑つてもよろしい。猫と雖も相當の時機が到着すれば、みんな鎌倉あたりへ出掛ける積りで居る。但し今はいけない。物には時機がある。御維新前《ごゐつしんまへ》の日本人が海水浴の功能を味はう事が出來ずに死んだ如く、今日《こんにち》の猫は未《いま》だ裸體で海の中へ飛び込むべき機會に遭遇して居らん。せいては事を仕損《しそ》んずる、今日《こんにち》の樣に築地へ打つちやられに行つた猫が無事に歸宅せん間は無暗に飛び込む譯には行かん。進化の法則で吾等猫輩の機能が狂瀾怒濤《きやうらんどたう》に對して適當の抵抗力を生ずるに至る迄は――換言すれば猫が死んだと云ふ代りに猫が上〔傍点〕がつたと云ふ語が一般に使用せらるゝ迄は――容易に海水浴は出來ん。
 海水浴は追つて實行する事にして、運動|丈《だけ》は取り敢ずやる事に取り極めた。どうも二十世紀の今日《こんにち》運動せんのは如何にも貧民の樣で人聞きがわるい。運動をせんと、運動せんのではない。運動が出來んのである、運動をする時間がないのである、餘裕がないのだと鑑定される。昔は運動したものが折助《をりすけ》と笑はれた如く、今では運動をせぬ者が下等と見做《みな》されて居る。吾人の評價は時と場合に應じ吾輩の眼玉の如く變化する。吾輩の眼玉は只小さくなつたり大きくなつたりする許《ばか》りだが、人間の品隲《ひんしつ》とくると眞逆《まつさ》かさまにひつくり返る。ひつくり返つても差《さ》し支《つかへ》はない。物には兩面がある、兩端《りやうたん》がある。兩端《りやうたん》を叩いて黒白《こくびやく》の變化を同一物の上に起こす所が人間の融通のきく所である。方寸〔二字傍点〕を逆《さ》かさまにして見ると寸方〔二字傍点〕となる所に愛嬌がある。天の橋立を股倉《またぐら》から覗いて見ると又格別な趣《おもむき》が出る。セクスピヤも千古萬古セクスピヤではつまらない。偶《たま》には股倉からハムレツトを見て、君こりや駄目だよ位に云ふ者がないと、文界も進歩しないだらう。だから運動をわるく云つた連中が急に運動がしたくなつて、女迄がラケツトを持つて往來をあるき廻つたつて一向《いつかう》不思議はない。只猫が運動するのを利いた風だ抔《など》と笑ひさへしなければよい。さて吾輩の運動は如何なる種類の運動かと不審を抱《いだ》く者があるかも知れんから一應説明し樣《やう》と思ふ。御承知の如く不幸にして機械を持つ事が出來ん。だからボールもバツトも取り扱ひ方に困窮する。次には金がないから買ふ譯に行かない。此二つの源因からして吾輩の選んだ運動は一文入《いちもんい》らず器械なしと名づくべき種類に屬する者と思ふ。そんなら、のそ/\歩くか、或は鮪《まぐろ》の切身を啣《くは》へて馳け出す事と考へるかも知れんが、只四本の足を力學的に運動させて、地球の引力に順《したが》つて、大地を横行するのは、餘り單簡《たんかん》で興味がない。いくら運動と名がついても、主人の時々實行する樣な、讀んで字の如き運動はどうも運動の神聖を汚《け》がす者だらうと思ふ。勿論只の運動でもある刺激の下《もと》にはやらんとは限らん。鰹節競爭《かつぶしきやうさう》、鮭探《しやけさが》し抔《など》は結構だが是は肝心の對象物があつての上の事で、此刺激を取り去ると索然《さくぜん》として沒趣味なものになつて仕舞ふ。懸賞的興奮劑がないとすれば何か藝のある運動がして見たい。吾輩は色々考へた。臺所の廂《ひさし》から家根《やね》に飛び上がる方、家根の天邊《てつぺん》にある梅花形《ばいくわがた》の瓦の上に四本足で立つ術、物干竿を渡る事――是は到底成功しない、竹がつる/\滑《す》べつて爪が立たない。後《うし》ろから不意に小供に飛びつく事、――是は頗る興味のある運動の一《ひとつ》だが滅多にやるとひどい目に逢ふから、高々《たか/”\》月に三度位しか試みない。紙袋《かんぶくろ》を頭へかぶせらるゝ事――是は苦しい許《ばか》りで甚だ興味の乏しい方法である。殊に人間の相手が居らんと成功しないから駄目。次には書物の表紙を爪で引き掻く事、――是は主人に見付かると必ずどやされる危險があるのみならず、割合に手先の器用ばかりで總身の筋肉が働かない。是等は吾輩の所謂舊式運動なる者である。新式のうちには中々趣味の深いのがある。第一に蟷螂狩《たうらうが》り。――蟷螂狩《たうらうが》りは鼠狩り程の大運動でない代りにそれ程の危險がない。夏の半《なかば》から秋の始めへかけてやる遊戯としては尤《もつと》も上乘のものだ。其方法を云ふと先づ庭へ出て、一匹の蟷螂《かまきり》をさがし出す。時候がいゝと一匹や二匹見付け出すのは雜作《ざふさ》もない。偖《さて》見付け出した蟷螂君《かまきりくん》の傍《そば》へはつと風を切つて馳けて行く。するとすはこそと云ふ身構《みがまへ》をして鎌首をふり上げる。蟷螂《かまきり》でも中々|健氣《けなげ》なもので、相手の力量を知らんうちは抵抗する積りで居るから面白い。振り上げた鎌首を右の前足で一寸參る。振り上げた首は軟かいからぐにやり横へ曲る。此時の蟷螂君《かまきりくん》の表情が頗る興味を添へる。おやと云ふ思ひ入れが充分ある。所を一足《いつそく》飛びに君《きみ》の後《うし》ろへ廻つて今度は背面から君の羽根を輕《かろ》く引き掻く。あの羽根は平生大事に疊んであるが、引き掻き方が烈しいと、ぱつと亂れて中から吉野紙の樣な薄色の下着があらはれる。君は夏でも御苦勞千萬に二枚重ねで乙《おつ》に極《き》まつて居る。此時君の長い首は必ず後ろに向き直る。ある時は向つてくるが、大概の場合には首|丈《だけ》ぬつと立てゝ立つて居る。此方《こつち》から手出しをするのを待ち構へて見える。先方がいつ迄もこの態度で居ては運動にならんから、餘り長くなると又ちよいと一本參る。これ丈《だけ》參ると眼識のある蟷螂《かまきり》なら必ず逃げ出す。それを我無洒落《がむしやら》に向つてくるのは餘程無ヘ育な野蠻的|蟷螂《かまきり》である。もし相手が此野蠻な振舞をやると、向つて來た所を覘《ねら》ひすまして、いやと云ふ程張り付けてやる。大概は二三尺飛ばされる者である。然し敵が大人《おとな》しく背面に前進すると、こつちは氣の毒だから庭の立木を二三度飛鳥の如く廻つてくる。蟷螂君《かまきりくん》はまだ五六寸しか逃げ延びて居らん。もう吾輩の力量を知つたから手向ひをする勇氣はない。只右往左往へ逃げ惑《まど》ふのみである。然し吾輩も右往左往へ追つかけるから、君は仕舞には苦しがつて羽根を振《ふる》つて一大活躍を試みる事がある。元來|蟷螂《かまきり》の羽根は彼の首と調和して、頗る細長く出來上がつたものだが、聞いて見ると全く裝飾用ださうで、人間の英語《えいご》、佛語《ふつご》、獨逸語《ドイツご》の如く毫も實用にはならん。だから無用の長物を利用して一大活躍を試みた所が吾輩に對して餘り功能のあり樣《やう》譯がない。名前は活躍だが事實は地面の上を引きづゝてあるくと云ふに過ぎん。かうなると少々氣の毒な感はあるが運動の爲だから仕方がない。御免蒙つてたちまち前面へ馳け拔ける。君は惰性で急廻轉が出來ないから矢張り已《やむ》を得ず前進してくる。其鼻をなぐりつける。此時|蟷螂君《かまきりくん》は必ず羽根を廣げた儘|仆《たふ》れる。其上をうんと前足で抑へて少しく休息する。それから又放す。放して置いて又抑へる。七擒七縱《しちきんしちしよう》孔明《こうめい》の軍略で攻めつける。約三十分此順序を繰り返して、身動きも出來なくなつた所を見濟《みすま》まして一寸口へ啣《くは》へて振《ふ》つて見る。それから又吐き出す。今度は地面の上へ寐たぎり動かないから、此方《こつち》の手で突つ付いて、其勢で飛び上がる所を又抑へつける。これもいやになつてから、最後の手段としてむしや/\食つて仕舞ふ。序《つい》でだから蟷螂《かまきり》を食つた事のない人に話して置くが、蟷螂《かまきり》は餘り旨い物ではない。さうして滋養分も存外少ない樣である。蟷螂狩《たうらうが》りに次いで蝉取《せみと》りと云ふ運動をやる。單に蝉と云つた所が同じ物|許《ばか》りではない。人間にも油野郎《あぶらやらう》、みん/\野郎、おしいつく/\野郎がある如く、蝉にも油蝉、みん/\、おしいつく/\がある。油蝉はしつこくて行《い》かん。みん/\は横風《わうふう》で困る。只取つて面白いのはおしいつく/\である。是は夏の末にならないと出て來ない。八つ口の綻《ほころ》びから秋風《あきかぜ》が斷はりなしに膚《はだ》を撫《な》でゝはつくしよ風邪引いたと云ふ頃|熾《さかん》に尾を掉《ふ》り立てゝなく。善く鳴く奴で、吾輩から見ると鳴くのと猫にとられるより外に天職がないと思はれる位だ。秋の初はこいつを取る。是を稱して蝉取り運動と云ふ。一寸諸君に話して置くが苟《いやしく》も蝉と名のつく以上は、地面の上に轉がつては居らん。地面の上に落ちて居るものには必ず蟻がついて居る。吾輩の取るのは此蟻の領分に寐轉んで居る奴ではない。高い木の枝にとまつて、おしいつく/\と鳴いて居る連中を捕《とら》へるのである。是も序《ついで》だから博學なる人間に聞きたいがあれはおしいつく/\と鳴くのか、つく/\おしいと鳴くのか、其解釋次第によつては蝉の研究上少なからざる關係があると思ふ。人間の猫に優《まさ》る所はこんな所に存するので、人間の自《みづか》ら誇る點も亦|斯樣《かやう》な點にあるのだから、今即答が出來ないならよく考へて置いたらよからう。尤も蝉取り運動上はどつちにしても差し支はない。只聲をしるべに木を上《のぼ》つて行つて、先方が夢中になつて鳴いて居る所をうんと捕へる許《ばか》りだ。是は尤も簡畧な運動に見えて中々骨の折れる運動である。吾輩は四本の足を有して居るから大地を行く事に於ては敢て他の動物には劣るとは思はない。少なくとも二本と四本の數學的智識から判斷して見て人間には負けない積りである。然し木登りに至つては大分《だいぶ》吾輩より巧者な奴が居る。本職の猿は別物として、猿の末孫《ばつそん》たる人間にも中々|侮《あなど》るべからざる手合《てあひ》が居る。元來が引力に逆らつての無理な事業だから出來なくても別段の耻辱とは思はんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を與へる。幸に爪と云ふ利器があるので、どうかかうか登りはするものゝ、はたで見る程樂では御座らん。のみならず蝉は飛ぶものである。蟷螂君《かまきりくん》と違つて一たび飛んで仕舞つたが最後、切角の木登りも、木登らずと何の擇む所なしと云ふ悲運に際會する事がないとも限らん。最後に時々蝉から小便をかけられる危險がある。あの小便が稍《やゝ》ともすると眼を覘《ねら》つてしよぐつてくる樣だ。逃げるのは仕方がないから、どうか小便|許《ばか》りは垂れん樣《やう》に致したい。飛ぶ間際に溺《いば》りを仕《つかまつ》るのは一體どう云ふ心理的?態の生理的器械に及ぼす影響だらう。矢張りせつなさの餘りかしらん。或は敵の不意に出でゝ、一寸逃げ出す餘裕を作る爲の方便か知らん。さうすると烏賊《いか》の墨を吐き、ベランメーの刺物《ほりもの》を見せ、主人が羅甸語《ラテンご》を弄する類《たぐひ》と同じ綱目《かうもく》に入るべき事項となる。是も蝉學上|忽《ゆる》かせにすべからざる問題である。充分研究すれば是《これ》丈《だけ》で慥《たし》かに博士論文の價値はある。夫《それ》は餘事だから、其位にして又本題に歸る。蝉の尤も集注するのは――集注が可笑《をか》しければ集合だが、集合は陳腐《ちんぷ》だから矢張り集注にする。――蝉の尤も集注するのは青桐《あをぎり》である。漢名を梧桐《ごとう》と號するさうだ。所が此青桐は葉が非常に多い、而も其葉は皆|團扇《うちは》位な大《おほき》さであるから、彼等が生《お》い重なると枝が丸《まる》で見えない位茂つて居る。是が甚だ蝉取り運動の妨害になる。聲はすれども姿は見えずと云ふ俗謠《ぞくえう》はとくに吾輩の爲に作つた者ではなからうかと怪しまれる位である。吾輩は仕方がないから只聲を知るべに行く。下から一間|許《ばか》りの所で梧桐は注文通り二叉《ふたまた》になつて居るから、こゝで一休息《ひとやすみ》して葉裏から蝉の所在地を探偵する。尤もこゝ迄來るうちに、がさ/\と音を立てゝ、飛び出す氣早な連中が居る。一羽飛ぶともういけない。眞似をする點に於て蝉は人間に劣らぬ位馬鹿である。あとから續々飛び出す。漸々《やう/\》二叉《ふたまた》に到着する時分には滿樹|寂《せき》として片聲《へんせい》をとゞめざる事がある。甞てこゝ迄登つて來て、どこをどう見廻はしても、耳をどう振つても蝉氣《せみけ》がないので、出直すのも面倒だから暫く休息しやうと、叉《また》の上に陣取つて第二の機會を待ち合せて居たら、いつの間《ま》にか眠くなつて、つい黒甜郷裡《こくてんきやうり》に遊んだ。おやと思つて眼が醒めたら、二叉《ふたまた》の黒甜郷裡《こくてんきやうり》から庭の敷石の上へどたりと落ちて居た。然し大概は登る度に一つは取つて來る。只興味の薄い事には樹の上で口に啣《くは》へて仕舞はなくてはならん。だから下へ持つて來て吐き出す時は大方《おほかた》死んで居る。幾らぢやらしても引つ掻いても確然たる手答がない。蝉取りの妙味はぢつと忍んで行つておしい君《くん》が一生懸命に尻尾《しつぽ》を延ばしたり縮ましたりして居る所を、わつと前足で抑へる時にある。此時つく/\君《くん》は悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縱横無盡に振ふ。其早い事、美事なる事は言語道斷、實に蝉世界の一偉觀である。余はつく/\君を抑へる度にいつでも、つく/\君《くん》に請求して此美術的演藝を見せてもらう。夫《それ》がいやになると御免を蒙つて口の内へ頬張つて仕舞ふ。蝉によると口の内へ這入つて迄演藝をつゞけて居るのがある。蝉取りの次にやる運動は松滑《まつすべ》りである。是は長くかく必要もないから、一寸述べて置く。松滑《まつすべ》りと云ふと松を滑る樣に思ふかも知れんが、さうではない矢張り木登りの一種である。只蝉取りは蝉を取る爲に登り、松滑りは、登る事を目的として登る。此《これ》が兩者の差である。元來松は常磐《ときは》にて最明寺《さいみやうじ》の御馳走をしてから以來|今日《こんにち》に至る迄、いやにごつ/\して居る。從つて松の幹程滑らないものはない。手懸りのいゝものはない。足懸りのいゝものはない。――換言すれば爪懸りのいゝものはない。その爪懸りのいゝ幹へ一氣呵成《いつきかせい》に馳け上《あが》る。馳け上つて置いて馳け下がる。馳け下がるには二法ある。一はさかさになつて頭を地面へ向けて下りてくる。一は上《のぼ》つた儘の姿勢をくづさずに尾を下にして降りる。人間に問ふがどつちが六づかしいか知つてるか。人間の淺墓《あさはか》な了見では、どうせ降りるのだから下向《したむき》に馳け下りる方が樂だと思ふだらう。夫《それ》が間違つてる。君等は義經が鵯越《ひよどりごえ》を落《お》としたこと丈《だけ》を心得て、義經でさへ下を向いて下りるのだから猫なんぞは無論|下《し》た向きで澤山だと思ふのだらう。さう輕蔑するものではない。猫の爪はどつちへ向いて生へて居ると思ふ。みんな後《うし》ろへ折れて居る。夫《それ》だから鳶口のやうに物をかけて引き寄せる事は出來るが、逆に押し出す力はない。今吾輩が松の木を勢よく馳け登つたとする。すると吾輩は元來地上の者であるから、自然の傾向から云へば吾輩が長く松樹の巓《いたゞき》に留《とゞ》まるを許さんに相違ない。只置けば必ず落ちる。然し手放しで落ちては、あまり早過ぎる。だから何等かの手段を以て此自然の傾向を幾分かゆるめなければならん。是即ち降りるのである。落ちるのと降りるのは大變な違の樣だが、其實思つた程の事ではない。落ちるのを遲くすると降りるので、降りるのを早くすると落ちる事になる。落ちると降りるのは、ち〔傍点〕とり〔傍点〕の差である。吾輩は松の木の上から落ちるのはいやだから、落ちるのを緩《ゆる》めて降りなければならない。即ちあるものを以て落ちる速度に抵抗しなければならん。吾輩の爪は前《ぜん》申す通り皆|後《うし》ろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てれば此爪の力は悉《こと/”\》く、落ちる勢に逆《さから》つて利用出來る譯である。從つて落ちるが變じて降りるになる。實に見易き道理である。然るに又身を逆《さか》にして義經流に松の木|越《ごえ》をやつて見給へ。爪はあつても役には立たん。づる/\滑つて、どこにも自分の體量を持ち答へる事は出來なくなる。是《こゝ》に於てか切角降り樣《やう》と企てた者が變化して落ちる事になる。此通り鵯越《ひよどりごえ》は六づかしい。猫のうちで此藝が出來る者は恐らく吾輩のみであらう。それだから吾輩は此運動を稱して松滑《まつすべ》りと云ふのである。最後に垣巡《かきめぐ》りに就いて一言《いちげん》する。主人の庭は竹垣を以て四角にしきられて居る。椽側と平行して居る一片《いつぺん》は八九間もあらう。左右は双方共四間に過ぎん。今吾輩の云つた垣巡《かきめぐ》りと云ふ運動は此垣の上を落ちない樣《やう》に一周するのである。是はやり損ふ事もまゝあるが、首尾よく行くと御慰《おなぐさみ》になる。ことに所々に根を燒い丸太が立つて居るから、一寸休息に便宜がある。今日は出來がよかつたので朝から晝迄に三返やつて見たが、やるたびにうまくなる。うまくなる度に面白くなる。とう/\四返繰り返したが、四返目に半分程|巡《まは》りかけたら、隣の屋根から烏が三羽飛んで來て、一間|許《ばか》り向ふに列を正してとまつた。是は推參な奴だ。人の運動の妨《さまたげ》をする、ことにどこの烏だか籍《せき》もない分在《ぶんざい》で、人の塀へとまるといふ法があるもんかと思つたから、通るんだおい除《の》き玉へと聲をかけた。眞先の烏は此方《こつち》を見てにや/\笑つて居る。次のは主人の庭を眺めて居る。三羽目は嘴を垣根の竹で拭いて居る。何か食つて來たに違ない。吾輩は返答を待つ爲めに、彼等に三分間の猶豫《いうよ》を與へて、垣の上に立つて居た。烏は通稱を勘左衛門と云ふさうだが、成程勘左衛門だ。吾輩がいくら待つてゝも挨拶もしなければ、飛びもしない。吾輩は仕方がないから、そろ/\歩き出した。すると眞先の勘左衛門がちよいと羽を廣げた。やつと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思つたら、右向《みぎむき》から左向に姿勢をかへた丈《だけ》である。此野郎! 地面の上なら其分に捨て置くのではないが、如何《いかん》せん、只さへ骨の折れる道中に、勘左衛門|抔《など》を相手にして居る餘裕がない。といつて又立留まつて三羽が立ち退《の》くのを待つのもいやだ。第一さう待つていては足がつゞかない。先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけて居る。從つて氣に入ればいつ迄も逗留《とうりう》するだらう。こつちは是で四返目だ只さへ大分《だいぶ》勞《つか》れて居る。况《いはん》や綱渡りにも劣らざる藝當兼運動をやるのだ。何等の障害物がなくてさへ落ちんとは保證が出來んのに、こんな黒裝束《くろしやうぞく》が、三個も前途を遮《さへぎ》つては容易ならざる不都合だ。愈《いよ/\》となれば自《みづか》ら運動を中止して垣根を下りるより仕方がない。面倒だから、いつそ左樣《さやう》仕らうか、敵は大勢の事ではあるし、ことにはあまり此邊には見馴れぬ人體《にんてい》である。口嘴《くちばし》が乙《おつ》に尖《とん》がつて何だか天狗の啓《まを》し子《ご》の樣だ。どうせ質《たち》のいゝ奴でないには極つて居る。退却が安全だらう、あまり深入りをして萬一落ちでもしたら猶更《なほさら》耻辱だ。と思つて居ると左向《ひだりむけ》をした烏が阿呆《あはう》と云つた。次のも眞似をして阿呆と云つた。最後の奴は御鄭寧にも阿呆々々《あはう/\》と二聲叫んだ。如何に温厚なる吾輩でも是は看過《かんくわ》出來ない。第一自己の邸内で烏輩《からすはい》に侮辱されたとあつては、吾輩の名前にかゝはる。名前はまだないから係はり樣《やう》がなからうと云ふなら體面に係はる。決して退却は出來ない。諺《ことわざ》にも烏合《うがふ》の衆と云ふから三羽だつて存外弱いかも知れない。進める丈《だけ》進めと度胸を据ゑて、のそ/\歩き出す。烏は知らん顔をして何か御互に話をして居る樣子だ。愈《いよ/\》肝癪に障る。垣根の幅がもう五六寸もあつたらひどい目に合せてやるんだが、殘念な事にはいくら怒《おこ》つても、のそ/\としかあるかれない。漸くの事|先鋒《せんぽう》を去る事約五六寸の距離迄來てもう一息だと思ふと、勘左衛門は申し合せた樣に、いきなり羽搏《はゞたき》をして一二尺飛び上がつた。其風が突然餘の顔を吹いた時、はつと思つたら、つい踏み外《は》づして、すとんと落ちた。是はしくぢつたと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまつて上から嘴を揃へて吾輩の顔を見下して居る。圖太い奴だ。睨《にら》めつけてやつたが一向《いつかう》利かない。脊を丸くして、少々|唸《うな》つたが、益《ます/\》駄目だ。俗人に靈妙なる象徴詩がわからぬ如く、吾輩が彼等に向つて示す怒りの記號も何等の反應を呈出しない。考へて見ると無理のない所だ。吾輩は今迄彼等を猫として取り扱つて居た。それが惡《わ》るい。猫なら此位やれば慥《たし》かに應へるのだが生憎《あいにく》相手は烏だ。烏の勘公とあつて見れば致し方がない。實業家が主人苦沙彌先生を壓倒し樣《やう》とあせる如く、西行《さいぎやう》に銀製の吾輩を進呈するが如く、西郷隆盛君の銅像に勘公が糞《ふん》をひる樣なものである。機を見るに敏なる吾輩は到底駄目と見て取つたから、奇麗さつぱりと椽側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ。運動もいゝが度を過ごすと行《い》かぬ者で、からだ全體が何となく緊《しま》りがない、ぐた/\の感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思ふ存分吸収したと見えて、ほてつてたまらない。毛穴から染み出す汗が、流れゝばと思ふのに毛の根に膏《あぶら》の樣にねばり付く。脊中がむづ/\する。汗でむづ/\するのと蚤が這つてむづ/\するのは判然と區別が出來る。口の屆く所なら?む事も出來る、足の達する領分は引き掻く事も心得にあるが、脊髄の縱に通ふ眞中と來たら自力の及ぶ限《かぎり》でない。かう云ふ時には人間を見懸けて矢鱈《やたら》にこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術を行ふか、二者其一を擇ばんと不愉快で安眠も出來兼ねる。人間は愚《ぐ》なものであるから、猫なで聲で――猫なで聲は人間の吾輩に對して出す聲だ。吾輩を目安《めやす》にして考へれば猫なで聲ではない、なでられ聲である――よろしい、兎に角人間は愚《ぐ》なものであるから撫でられ聲で膝の傍《そば》へ寄つて行くと、大抵の場合に於て彼|若《もし》くは彼女を愛するものと誤解して、わが爲す儘に任せるのみか折々は頭さへ撫《な》でゝくれるものだ。然るに近來吾輩の毛中《まうちゆう》にのみと號する一種の寄生蟲が繁殖したので滅多に寄り添ふと、必ず頸筋を持つて向ふへ抛《はふ》り出される。纔《わづ》かに眼に入《い》るか入《い》らぬか、取るにも足らぬ蟲の爲めに愛想《あいそ》をつかしたと見える。手を翻《ひるがへ》せば雨、手を覆《くつがへ》せば雲とは此事だ。高がのみの千疋や二千疋でよくまあこんなに現金な眞似が出來たものだ。人間世界を通じて行はれる愛の法則の第一條にはかうあるさうだ。――自己の利益になる間は、須《すべか》らく人を愛すべし。――人間の取り扱が俄然|豹變《へうへん》したので、いくら痒《か》ゆくても人力を利用する事は出來ん。だから第二の方法によつて松皮摩擦法《しやうひまさつほふ》をやるより外に分別はない。しからば一寸こすつて參らうかと又椽側から降りかけたが、いや是も利害相償はわぬ愚策だと心付いた。と云ふのは外でもない。松には脂《やに》がある。此|脂《やに》たる頗る執着心の強い者で、もし一たび、毛の先へくつ付け樣《やう》ものなら、雷が鳴つてもバルチツク艦隊が全滅しても決して離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓延《まんえん》する。十本やられたなと氣が付くと、もう三十本引つ懸つて居る。吾輩は淡泊を愛する茶人的《ちやじんてき》猫《ねこ》である。こんな、しつこい、毒惡な、ねち/\した、執念深い奴は大嫌だ。たとひ天下の美猫《びめう》と雖《いへども》御免蒙る。况んや松脂《まつやに》に於てをやだ。車屋の黒の兩眼から北風に乘じて流れる目糞と擇ぶ所なき身分を以て、此|淡灰色《たんくわいしよく》の毛衣《けごろも》を大《だい》なしにするとは怪《け》しからん。少しは考へて見るがいゝ。といつた所できやつ中々考へる氣遣《きづかひ》はない。あの皮のあたりへ行つて脊中をつけるが早いか必ずべたりと御出《おいで》になるに極つて居る。こんな無分別な頓癡奇《とんちき》を相手にしては吾輩の顔に係はるのみならず、引いて吾輩の毛並に關する譯だ。いくら、むづ/\したつて我慢するより外に致し方はあるまい。然し此二方法共實行出來んとなると甚だ心細い。今に於て一工夫《ひとくふう》して置かんと仕舞にはむづ/\、ねち/\の結果病氣に罹《かゝ》るかも知れない。何か分別はあるまいかなと、後《あ》と足《あし》を折つて思案したが、不圖思ひ出した事がある。うちの主人は時々手拭と石鹸《シヤボン》を以て飄然といづれへか出て行く事がある、三四十分して歸つた所を見ると彼の朦朧たる顔色《がんしよく》が少しは活氣を帶びて、晴れやかに見える。主人の樣な汚苦《むさくる》しい男に此位な影響を與へるなら吾輩にはもう少し利目《きゝめ》があるに相違ない。吾輩は只でさへ此位な器量だから、是より色男になる必要はない樣なものゝ、萬一病氣に罹つて一歳|何《なん》が月《げつ》で夭折《えうせつ》する樣な事があつては天下の蒼生《さうせい》に對して申し譯がない。聞いて見ると是も人間のひま潰しに案出した洗湯《せんたう》なるものださうだ。どうせ人間の作つたものだから碌なものでないには極つて居るが此際の事だから試しに這入つて見るのもよからう。やつて見て功驗がなければよす迄の事だ。然し人間が自己の爲めに設備した浴場へ異類の猫を入れる丈《だけ》の洪量《かうりやう》があるだらうか。是が疑問である。主人が濟まして這入る位の所だから、よもや吾輩を斷はる事もなからうけれども萬一御氣の毒樣を食ふ樣《やう》な事があつては外聞がわるい。是は一先《ひとま》づ容子を見に行くに越した事はない。見た上で是ならよいと當りが付いたら、手拭を啣《くは》へて飛び込んで見《み》樣《やう》。とこゝ迄思案を定めた上でのそ/\と洗湯へ出掛けた。
 横町を左へ折れると向ふに高いとよ竹のやうなものが屹立《きつりつ》して先から薄い烟を吐いて居る。是即ち洗湯である。吾輩はそつと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯とか未練とか云ふが、あれは表からでなくては訪問する事が出來ぬものが嫉妬半分に囃《はや》し立てる繰り言である。昔から利口な人は裏口から不意を襲ふ事にきまつて居る。紳士養成|方《ほう》の第二卷第一章の五ページにさう出て居るさうだ。其次のページには裏口は紳士の遺書にして自身コを得るの門なりとある位だ。吾輩は二十世紀の猫だから此位のヘ育はある。あんまり輕蔑してはいけない。偖《さて》忍び込んで見ると、左の方に松を割つて八寸位にしたのが山のやうに積んであつて、其隣りには石炭が岡の樣に盛つてある。なぜ松薪《まつまき》が山の樣で、石炭が岡の樣かと聞く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、只一寸山と岡を使ひ分けた丈《だけ》である。人間も米を食つたり、鳥を食つたり、肴《さかな》を食つたり、獣《けもの》を食つたり色々の惡《あく》もの食ひをしつくした揚句《あげく》遂に石炭迄食ふ樣に墮落したのは不憫《ふびん》である。行き當りを見ると一間程の入口が明け放しになつて、中を覗くとがんがらがんのがあんと物靜かである。其|向側《むかふがは》で何か頻りに人間の聲がする。所謂洗湯は此聲の發する邊《へん》に相違ないと斷定したから、松薪《まつまき》と石炭の間に出來てる谷あひを通り拔けて左へ廻つて、前進すると右手に硝子《ガラス》窓があつて、其そとに丸い小桶が三角形即ちピラミツドの如く積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは不本意千萬だらうと、竊《ひそ》かに小桶諸君の意を諒《りやう》とした。小桶の南側は四五尺の間《あひだ》板が餘つて、恰《あたか》も吾輩を迎ふるものゝ如く見える。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるには御誂《おあつら》への上等《じやうとう》である。よろしいと云ひながらひらりと身を躍らすと所謂洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついて居る。天下に何が面白いと云つて、未《いま》だ食はざるものを食ひ、未《いま》だ見ざるものを見る程の愉快はない。諸君もうちの主人の如く一週三度位、此洗湯界に三十分乃至四十分を暮すならいゝが、もし吾輩の如く風呂と云ふものを見た事がないなら、早く見るがいゝ。親の死目《しにめ》に逢はなくてもいゝから、是《これ》丈《だけ》は是非見物するがいゝ。世界廣しと雖もこんな奇觀は又とあるまい。
 何が奇觀だ? 何が奇觀だつて吾輩は是を口にするを憚かる程の奇觀だ。此|硝子《ガラス》窓の中にうぢや/\、があ/\騷いで居る人間は悉《こと/”\》く裸體である。臺湾の生蕃《せいばん》である。二十世紀のアダムである。抑《そもそ》も衣裝《いしやう》の歴史を繙《ひもと》けば――長い事だから是はトイフエルスドレツク君に讓つて、繙《ひもと》く丈《だけ》はやめてやるが、――人間は全く服裝で持つてるのだ。十八世紀の頃大英國バスの温泉場に於てボー、ナツシが嚴重な規則を制定した時|抔《など》は浴場内で男女共肩から足迄着物でかくした位である。今を去る事六十年|前《ぜん》是も英國の去る都で圖案學校を設立した事がある。圖案學校の事であるから、裸體畫、裸體像の模寫、模型を買ひ込んで、こゝ、かしこに陳列したのはよかつたが、いざ開校式を擧行する一段になつて當局者を初め學校の職員が大困却をした事がある。開校式をやるとすれば、市の淑女を招待しなければならん。所が當時の貴婦人方の考によると人間は服裝の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思つて居た。人間として着物をつけないのは象の鼻なきが如く、學校の生徒なきが如く、兵隊の勇氣なきが如く全く其本體を失《しつ》して居る。苟《いやしく》も本體を失して居る以上は人間としては通用しない、獣類である。假令《たとひ》模寫模型にせよ獣類の人間と伍するのは貴女の品位を害する譯である。でありますから妾《せふ》等《ら》は出席御斷はり申すと云はれた。そこで職員共は話せない連中だとは思つたが、何しろ女は東西兩國を通じて一種の裝飾品である。米舂《こめつき》にもなれん志願兵にもなれないが、開校式には缺くべからざる化裝道具《けしやうだうぐ》である。と云ふところから仕方がない、呉服屋へ行つて黒布《くろぬの》を三十五反|八分七《はちぶんのしち》買つて來て例の獣類の人間に悉《こと/”\》く着物をきせた。失禮があつてはならんと念に念を入れて顔迄着物をきせた。斯樣にして漸くの事|滯《とゞこほ》りなく式を濟ましたと云ふ話がある。其位衣服は人間にとつて大切なものである。近頃は裸體畫々々々と云つて頻りに裸體を主張する先生もあるがあれはあやまつて居る。生れてから今日《こんにち》に至る迄一日も裸體になつた事がない吾輩から見ると、どうしても間違つて居る。裸體は希臘《ギリシヤ》、羅馬《ローマ》の遺風が文藝復興時代の淫靡《いんび》の風《ふう》に誘はれてから流行《はや》りだしたもので、希臘人《ギリシヤじん》や、羅馬人《ローマじん》は平常《ふだん》から裸體を見做《みな》れて居たのだから、之を以て風ヘ上の利害の關係がある抔《など》とは毫も思ひ及ばなかつたのだらうが北歐は寒い所だ。日本でさへ裸で道中がなるものかと云ふ位だから獨逸《ドイツ》や英吉利《イギリス》で裸になつて居れば死んで仕舞ふ。死んで仕舞つては詰らないから着物をきる。みんなが着物をきれば人間は服裝の動物になる。一たび服裝の動物となつた後《のち》に、突然裸體動物に出逢へば人間とは認めない、獣《けだもの》と思ふ。夫《それ》だから歐洲人ことに北方の歐洲人は裸體畫、裸體像を以て獣《けだもの》として取り扱つていゝのである。猫に劣る獣《けだもの》と認定していゝのである。美しい? 美しくても構はんから、美しい獣《けだもの》と見做《みな》せばいゝのである。かう云ふと西洋婦人の禮服を見たかと云ふものもあるかも知れないが、猫の事だから西洋婦人の禮服を拜見した事はない。聞く所によると彼等は胸をあらはし、肩をあらはし、腕をあらはして是を禮服と稱して居るさうだ。怪《け》しからん事だ。十四世紀頃迄は彼等の出《い》で立《た》ちはしかく滑稽ではなかつた、矢張り普通の人間の着るものを着て居つた。それが何故《なぜ》こんな下等な輕術師流《かるわざしりう》に轉化してきたかは面倒だから述べない。知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をして居ればよろしからう。歴史は兎に角彼等はかゝる異樣な風態をして夜間|丈《だけ》は得々《とく/\》たるにも係はらず内心は少々人間らしい所もあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこも悉《こと/”\》く見えなくして仕舞ふのみならず、足の爪一本でも人に見せるのを非常に耻辱と考へて居る。是で考へても彼等の禮服なるものは一種の頓珍漢的《とんちんかんてき》作用《さやう》によつて、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云ふ事が分る。それが口惜《くや》しければ日中《につちゆう》でも肩と胸と腕を出して居て見るがいゝ。裸體信者だつて其通りだ。それ程裸體がいゝものなら娘を裸體にして、序《つい》でに自分も裸になつて上野公園を散歩でもするがいゝ、できない? 出來ないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだらう。現に此不合理極まる禮服を着て威張つて帝國ホテル抔《など》へ出懸けるではないか。其因縁を尋ねると何にもない。只西洋人がきるから、着ると云ふ迄の事だらう。西洋人は強いから無理でも馬鹿氣て居ても眞似なければ遣り切れないのだらう。長いものには捲《ま》かれろ、強いものには折れろ、重いものには壓《お》されろと、さうれろ〔二字傍点〕盡しでは氣が利かんではないか。氣が利かんでも仕方がないと云ふなら勘辨するから、餘り日本人をえらい者と思つてはいけない。學問と雖も其通りだが是は服裝に關係がない事だから以下略とする。
 衣服は斯《かく》の如く人間にも大事なものである。人間が衣服か、衣服が人間かと云ふ位重要な條件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、單に衣服の歴史であると申したい位だ。だから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。丸《まる》で化物に邂逅《かいこう》した樣だ。化物でも全體が申し合せて化物になれば、所謂化物は消えてなくなる譯だから構はんが、夫《それ》では人間自身が大《おほい》に困却する事になる許《ばか》りだ。其|昔《むか》し自然は人間を平等なるものに製造して世の中に抛《はふ》り出した。だからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸《あかはだか》である。もし人間の本性《ほんせい》が平等に安んずるものならば、よろしく此赤裸の儘で生長して然るべきだらう。然るに赤裸の一人が云ふにはかう誰も彼も同じでは勉強する甲斐がない。骨を折つた結果が見えぬ。どうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだと云ふ所が目につく樣にしたい。夫《それ》については何か人が見てあつと魂消《たまげ》る物をからだにつけて見たい。何か工夫はあるまいかと十年間考へて漸く猿股《さるまた》を發明してすぐさま之を穿《は》いて、どうだ恐れ入つたらうと威張つてそこいらを歩いた。是が今日《こんにち》の車夫の先祖である。單簡《たんかん》なる猿股を發明するのに十年の長日月を費やしたのは聊《いさゝ》か異《い》な感もあるが、夫《それ》は今日《こんにち》から古代に溯《さかのぼ》つて身を蒙昧《もうまい》の世界に置いて斷定した結論と云ふもので、其當時に此《これ》位《くらゐ》な大發明はなかつたのである。デカルトは「余は思考す、故に余は存在す」といふ三《み》つ子《ご》にでも分る樣な眞理を考へ出すのに十何年か懸つたさうだ。凡《すべ》て考へ出す時には骨の折れるものであるから猿股の發明に十年を費やしたつて車夫の智慧には出來過ぎると云はねばなるまい。さあ猿股が出來ると世の中で幅のきくのは車夫|許《ばか》りである。餘り車夫が猿股をつけて天下の大道を我物顔に横行濶歩するのを憎らしいと思つて負けん氣の化物が六年間工夫して羽織と云ふ無用の長物を發明した。すると猿股の勢力は頓《とみ》に衰へて、羽織全盛の時代となつた。八百屋、生藥屋《きぐすりや》、呉服屋は皆此大發明家の末流《ばつりう》である。猿股期、羽織期の後《あと》に來るのが袴期《はかまき》である。是は、何だ羽織の癖にと癇癪を起した化物の考案になつたもので、昔の武士今の官員|抔《など》は皆此種屬である。かやうに化物共がわれも/\と異《い》を衒《てら》ひ新《しん》を競《きそ》つて、遂には燕の尾にかたどつた畸形《きけい》迄《まで》出現したが、退いて其由來を案ずると、何も無理矢理に、出鱈目に、偶然に、漫然に持ち上がつた事實では決してない。皆勝ちたい/\の勇猛心の凝《こ》つて樣々の新形《しんがた》となつたもので、おれは手前ぢやないぞと振れてあるく代りに被つて居るのである。して見るとこの心理からして一大發見が出來る。夫《それ》は外でもない。自然は眞空を忌《い》む如く、人間は平等《びやうどう》を嫌ふと云ふ事だ。既に平等を嫌つて已《やむ》を得ず衣服を骨肉の如く斯樣につけ纒ふ今日に於て、此本質の一部分たる、これ等を打ち遣つて、元の杢阿彌《もくあみ》の公平時代に歸るのは狂人の沙汰である。よし狂人の名稱を甘んじても歸る事は到底出來ない。歸つた連中を開明人《かいめいじん》の目から見れば化物である。假令《たとひ》世界何億萬の人口を擧げて化物の域《ゐき》に引ずり卸して是なら平等だらう、みんなが化物だから耻づかしい事はないと安心しても矢つ張り駄目である。世界が化物になつた翌日から又化物の競爭が始まる。着物をつけて競爭が出來なければ化物なりで競爭をやる。赤裸《あかはだか》は赤裸でどこ迄も差別を立てゝくる。此點から見ても衣服は到底脱ぐ事は出來ないものになつて居る。
 然るに今吾輩が眼下《がんか》に見下《みおろ》した人間の一團體は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も乃至《ないし》袴も悉《こと/”\》く棚の上に上げて、無遠慮にも本來の狂態を衆目環視《しゆうもくくわんし》の裡《うち》に露出して平々然《へい/\ぜん》と談笑を縱《ほしいま》まにして居る。吾輩が先刻《さつき》一大奇觀と云つたのは此事である。吾輩は文明の諸君子の爲めにこゝに謹んで其一般を紹介するの榮を有する。
 何だかごちや/\して居て何《な》にから記述していゝか分らない。化物のやる事には規律がないから秩序立つた證明をするのに骨が折れる。先づ湯槽《ゆぶね》から述べやう。湯槽だか何だか分らないが、大方《おほかた》湯槽といふものだらうと思ふ許《ばか》りである。幅が三尺位、長《ながさ》は一間半もあるか、夫《それ》を二つに仕切つて一つには白い湯が這入つて居る。何でも藥湯《くすりゆ》とか號するのださうで、石灰《いしばひ》を溶かし込んだ樣な色に濁つて居る。尤も只濁つて居るのではない。膏《あぶら》ぎつて、重《おも》た氣《げ》に濁つて居る。よく聞くと腐つて見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水を易へないのださうだ。其隣りは普通一般の湯の由《よし》だが是亦もつて透明、瑩徹《えいてつ》抔《など》とは誓つて申されない。天水桶《てんすゐをけ》を攪《か》き混《ま》ぜた位の價値は其色の上に於て充分あらはれて居る。是からが化物の記述だ。大分《だいぶ》骨が折れる。天水桶の方に、突つ立つて居る若造《わかざう》が二人居る。立つた儘、向ひ合つて湯をざぶ/\腹の上へかけて居る。いゝ慰みだ。双方共色の黒い點に於て間然《かんぜん》する所なき迄に發達して居る。此化物は大分《だいぶ》逞《たく》ましいなと見て居ると、やがて一人が手拭で胸のあたりを撫で廻しながら「金さん、どうも、こゝが痛んでいけねえが何だらう」と聞くと金さんは「そりや胃さ、胃て云ふ奴は命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加へる。「だつて此左の方だぜ」と左肺《さはい》の方を指す。「そこが胃だあな。左が胃で、右が肺だよ」「さうかな、おらあ又胃はこゝいらかと思つた」と今度は腰の邊を叩いて見せると、金さんは「そりや疝氣《せんき》だあね」と云つた。所へ二十五六の薄い髯を生やした男がどぶんと飛び込んだ。すると、からだに付いて居た石鹸《シヤボン》が垢《あか》と共に浮きあがる。鐵氣《かなけ》のある水を透かして見た時の樣にきら/\と光る。其隣りに頭の禿げた爺さんが五分刈を捕《とら》へて何か辯じて居る。双方共頭|丈《だけ》浮かして居るのみだ。「いやかう年をとつては駄目さね。人間もやきが廻つちや若い者には叶《かな》はないよ。然し湯|丈《だけ》は今でも熱いのでないと心持が惡くてね」「旦那なんか丈夫なものですぜ。其位元氣がありや結構だ」「元氣もないのさ。只病氣をしない丈《だけ》さ。人間は惡い事さへしなけりやあ百二十迄は生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十迄は受け合ふ。御維新前《ごいつしんまへ》牛込に曲淵《まがりぶち》と云ふ旗本《はたもと》があつて、そこに居た下男は百三十だつたよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「あゝ、あんまり生き過ぎてつい自分の年を忘れてね。百迄は覺えて居ましたが夫《それ》から忘れて仕舞ましたと云つてたよ。夫《それ》でわしの知つて居たのが百三十の時だつたが、それで死んだんぢやない。夫《それ》からどうなつたか分らない。事によるとまだ生きてるかも知れない」と云ひながら槽《ふね》から上《あが》る。髯を生やして居る男は雲母《きらゝ》の樣なものを自分の廻りに蒔き散らしながら獨りでにや/\笑つて居た。入れ代つて飛び込んで來たのは普通一般の化物とは違つて脊中《せなか》に模樣畫をほり付けて居る。岩見重太郎《いはみぢゆうたらう》が大刀《だいたう》を振り翳《かざ》して蟒《うはゞみ》を退治《たいぢ》る所の樣《やう》だが、惜しい事に未《ま》だ竣功《しゆんこう》の期に達せんので、蟒《うはゞみ》はどこにも見えない。從つて重太郎先生|聊《いさゝ》か拍子拔けの氣味に見える。飛び込みながら「箆棒《べらぼう》に温《ぬ》るいや」と云つた。するとまた一人續いて乘り込んだのが「是《こ》りやどうも……もう少し熱くなくつちやあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢する氣色《けしき》とも見えたが、重太郎先生と顔を見合せて「やあ親方」と挨拶をする。重太郎は「やあ」と云つたが、やがて「民さんはどうしたね」と聞く。「どうしたか、ぢやん/\が好きだからね」「ぢやん/\許《ばか》りぢやねえ……」「さうかい、あの男も腹のよくねえ男だからね。――どう云ふもんか人に好かれねえ、――どう云ふものだか、――どうも人が信用しねえ。職人てえものは、あんなもんぢやねえが」「さうよ。民さんなんざあ腰が低いんぢやねえ、頭《づ》が高《た》けえんだ。夫《それ》だからどうも信用されねえんだね」「本當によ。あれで一《い》つぱし腕がある積りだから、――つまり自分の損だあな」「白銀町《しろかねちやう》にも古い人が亡《な》くなつてね、今ぢや桶屋の元さんと煉瓦屋の大將と親方ぐれえな者だあな。こちとらあ斯うして茲《こゝ》で生れたもんだが、民さんなんざあ、どこから來たんだか分りやしねえ」「さうよ。然しよくあれ丈《だけ》になつたよ」「うん。どう云ふもんか人に好かれねえ。人が交際《つきあ》はねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する。
 天水桶は此位にして、白い湯の方を見ると是は又非常な大入《おほいり》で、湯の中に人が這入つてると云はんより人の中に湯が這入つてると云ふ方が適當である。しかも彼等は頗る悠々閑々《いう/\かん/\》たる物で、先刻《さつき》から這入るものはあるが出る物は一人もない。かう這入つた上に、一週間もとめて置いたら湯もよごれる筈だと感心して猶《なほ》よく槽《をけ》の中を見渡すと、左の隅に壓《お》しつけられて苦沙彌先生が眞赤《まつか》になつてすくんで居る。可哀《かはい》さうに誰か路をあけて出してやればいゝのにと思ふのに誰も動きさうにもしなければ、主人も出やうとする氣色《けしき》も見せない。只じつとして赤くなつて居る許《ばか》りである。是は御苦勞な事だ。可成《なるべく》二錢五厘の湯錢を活用しやうと云ふ精神からして、かやうに赤くなるのだらうが、早く上がらんと湯氣《ゆけ》にあがるがと主思《しゆうおも》ひの吾輩は窓の棚から少なからず心配した。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「是はちと利き過ぎる樣だ、どうも脊中の方から熱ひ奴がぢり/\湧いてくる」と暗に列席の化物に同情を求めた。「なあに是が丁度いゝ加減です。藥湯は此位でないと利きません。わたしの國なぞでは此倍も熱い湯へ這入ります」と自慢らしく説き立てるものがある。「一體此湯は何に利くんでせう」と手拭を疊んで凸凹頭《デコボコあたま》をかくした男が一同に聞いて見る。「色々なものに利きますよ。何でもいゝてえんだからね。豪氣《がうぎ》だあね」と云つたのは瘠せた黄瓜《きうり》の樣な色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。そんなに利く湯なら、もう少しは丈夫さうになれさうなものだ。「藥を入れ立てより、三日目か四日目が丁度いゝ樣です。今日《けふ》等《など》は這入り頃ですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、膨《ふく》れ返つた男である。是は多分|垢肥《あかぶと》りだらう。「飲んでも利きませうか」とどこからか知らないが黄色い聲を出す者がある。「冷《ひ》えた後《あと》抔《など》は一杯飲んで寐ると、奇體《きたい》に小便に起きないから、まあやつて御覽なさい」と答へたのは、どの顔から出た聲か分らない。
 湯槽《ゆぶね》の方は此《これ》位《ぐらゐ》いにして板間《いたま》を見渡すと、居るは/\繪にもならないアダムがずらりと並んで各《おの/\》勝手次第な姿勢で、勝手次第な所を洗つて居る。其中に尤も驚ろくべきのは仰向けに寐て、高い明《あ》かり取《とり》を眺めて居るのと、腹這ひになつて、溝の中を覗き込んで居る兩アダムである。是は餘程閑なアダムと見える。坊主が石壁を向いてしやがんで居ると後《うし》ろから、小坊主が頻りに肩を叩いて居る。是は師弟の關係上|三介《さんすけ》の代理を務めるのであらう。本當の三介《さんすけ》も居る。風邪を引いたと見えて、此あついのにちやん/\を着て、小判形《こばんなり》の桶からざあと旦那の肩へ湯をあびせる。右の足を見ると親指《おやゆび》の股に呉絽《ゴロ》の垢擦《あかす》りを挾《はさ》んで居る。こちらの方では小桶を慾張つて三つ抱《かゝ》へ込んだ男が、隣りの人に石鹸《シヤボン》を使へ/\と云ひながら頻りに長談議をして居る。何だらうと聞いて見るとこんな事を言つて居た。「鐵砲は外國から渡つたもんだね。昔は斬り合ひ許《ばか》りさ。外國は卑怯だからね、それであんなものが出來たんだ。どうも支那ぢやねえ樣だ、矢つ張り外國の樣だ。和唐内《わたうない》の時にや無かつたね。和唐内《わたうない》は矢つ張り清和源氏《せいわげんじ》さ。なんでも義經《よしつね》が蝦夷《えぞ》から滿洲へ渡つた時に、蝦夷《えぞ》の男で大變|學《がく》のできる人がくつ付いて行つたてえ話しだね。それで其義經のむすこが大明《たいみん》を攻めたんだが大明《たいみん》ぢや困るから、三代將軍へ使をよこして三千人の兵隊を借《か》して呉れろと云ふと、三代樣《さんだいさま》がそいつを留めて置いて歸さねえ。――何とか云つたつけ。――何でも何とか云ふ使だ。――夫《それ》で其使を二年とめて置いて仕舞に長崎で女郎《ぢようろ》を見せたんだがね。其|女郎《ぢようろ》に出來た子が和唐内《わたうない》さ。それから國へ歸つて見ると大明《たいみん》は國賊に亡ぼされて居た。……」何を云ふのか薩張《さつぱ》り分らない。其|後《うし》ろに二十五六の陰氣な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯で頻りにたでゝ居る。腫物《はれもの》か何かで苦しんで居ると見える。其横に年の頃は十七八で君とか僕とか生意氣な事をべら/\喋舌《しやべ》つてるのは此近所の書生だらう。其又次に妙な脊中が見える。尻の中から寒竹《かんちく》を押し込んだ樣に脊骨の節が歴々と出て居る。而《さう》して其左右に十六むさしに似たる形が四個|宛《づゝ》行儀よく並んで居る。其十六むさしが赤く爛《たゞ》れて周圍《まはり》に膿《うみ》をもつて居るのもある。かう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際には其|一斑《いつぱん》さへ形容する事が出來ん。是は厄介な事をやり始めた者だと少々|辟易《へきえき》して居ると入口の方に淺黄木綿《あさぎもめん》の着物をきた七十|許《ばか》りの坊主がぬつと見《あら》はれた。坊主は恭《うや/\》しく此《これ》等《ら》の裸體の化物に一禮して「へい、どなた樣も、毎日相變らず難有《ありがた》う存じます。今日は少々御寒う御座いますから、どうぞ御緩《ごゆつ》くり――どうぞ白い湯へ出たり這入つたりして、ゆるりと御あつたまり下さい。――番頭さんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答へた。和唐内《わたうない》は「愛嬌ものだね。あれでなくては商買《しやうばい》は出來ないよ」と大《おほい》に爺さんを激賞した。吾輩は突然この異《い》な爺さんに逢つて一寸驚ろいたから此方《こつち》の記述は其儘にして、しばらく爺さんを專門に觀察する事にした。爺さんはやがて今|上《あが》り立《た》ての四つ許《ばか》りの男の子を見て「坊ちやん、こちらへ御出《おいで》」と手を出す。小供は大福を踏み付けた樣な爺さんを見て大變だと思つたか、わーつと悲鳴を揚げてなき出す。爺さんは少しく不本意の氣味で「いや、御泣きか、なに? 爺さんが恐《こは》い? いや、これはこれは」と感嘆した。仕方がないものだから忽ち機鋒を轉じて、小供の親に向つた。「や、これは源さん。今日は少し寒いな。ゆうべ、近江屋へ這入つた泥棒は何と云ふ馬鹿な奴ぢやの。あの戸の潜《くゞ》りの所を四角に切り破つての。さうして御前の。何も取らずに行《い》んだげな。御巡《おまは》りさんか夜番でも見えたものであらう」と大《おほい》に泥棒の無謀を憫笑《びんせう》したが又一人を捉《つ》らまへて「はい/\御寒う。あなた方は、御若いから、あまり御感じにならんかの」と老人|丈《だけ》に只一人寒がつて居る。
 暫くは爺さんの方へ氣を取られて他の化物の事は全く忘れて居たのみならず、苦しさうにすくんで居た主人さへ記憶の中《うち》から消え去つた時突然流しと板の間の中間で大きな聲を出すものがある。見ると紛れもなき苦沙彌先生である。主人の聲の圖拔けて大いなるのと、其濁つて聽き苦しいのは今日に始まつた事ではないが場所が場所|丈《だけ》に吾輩は少からず驚ろいた。是は正《まさ》しく熱湯の中《うち》に長時間のあひだ我慢をして浸《つか》つて居つた爲め逆上《ぎやくじやう》したに相違ないと咄嗟《とつさ》の際《さい》に吾輩は鑑定をつけた。夫《それ》も單に病氣の所爲《せゐ》なら咎《とが》むる事もないが、彼は逆上しながらも充分本心を有して居るに相違ない事は、何の爲に此法外の胴間聲《どうまごゑ》を出したかを話せばすぐわかる。彼は取るにも足らぬ生意氣書生を相手に大人氣《おとなげ》もない喧嘩を始めたのである。「もつと下がれ、おれの小桶に湯が這入つていかん」と怒鳴るのは無論主人である。物は見《み》樣《やう》でどうでもなるものだから、此怒號をたゞ逆上の結果と許《ばか》り判斷する必要はない。萬人のうちに一人位は高山彦九郎《たかやまひこくらう》が山賊《さんぞく》を叱《しつ》した樣だ位に解釋してくれるかも知れん。當人自身も其積りでやつた芝居かも分らんが、相手が山賊を以て自《みづか》ら居らん以上は豫期する結果は出て來ないに極つて居る。書生は後《うし》ろを振り返つて「僕はもとからこゝに居たのです」と大人《おとな》しく答へた。是は尋常の答で、只其地を去らぬ事を示した丈《だけ》が主人の思ひ通りにならんので、其態度と云ひ言語と云ひ、山賊として罵り返すべき程の事でもないのは、如何に逆上の氣味の主人でも分つて居る筈だ。然し主人の怒號は書生の席其ものが不平なのではない、先刻《さつき》から此兩人は少年に似合はず、いやに高慢ちきな、利《き》いた風の事ばかり併《なら》べて居たので、始終それを聞かされた主人は、全く此點に立腹したものと見える。だから先方で大人《おとな》しい挨拶をしても黙つて板の間へ上がりはせん。今度は「何だ馬鹿野郎、人の桶へ汚ない水をぴちや/\跳ねかす奴があるか」と喝《かつ》し去つた。吾輩も此小僧を少々心憎く思つて居たから、此時心中には一寸|快哉《くわいさい》を呼んだが、學校ヘ員たる主人の言動としては穩かならぬ事と思ふた。元來主人はあまり堅過ぎていかん。石炭のたき殼《がら》見た樣にかさ/\して然もいやに硬い。むかしハンニバルがアルプス山を超える時に、路の眞中に當つて大きな岩があつて、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をする。そこでハンニバルは此大きな岩へ醋《す》をかけて火を焚《た》いて、柔かにして置いて、夫《それ》から鋸《のこぎり》で此大岩を蒲鉾《かまぼこ》の樣に切つて滯《とゞこほ》りなく通行をしたさうだ。主人の如くこんな利目《きゝめ》のある藥湯へ※[者/火]《う》だる程這入つても少しも功能のない男は矢張り醋《す》をかけて火炙《ひあぶ》りにするに限ると思ふ。然らずんば、こんな書生が何百人出て來て、何十年かゝつたつて主人の頑固は癒りつこない。此|湯槽《ゆぶね》に浮いて居るもの、此流しにごろ/\して居るものは文明の人間に必要な服裝を脱ぎ棄てる化物の團體であるから、無論常規常道を以て律する譯にはいかん。何をしたつて構はない。肺の所に胃が陣取つて、和唐内が清和源氏になつて、民さんが不信用でもよからう。然し一たび流しを出て板の間に上がれば、もう化物ではない。普通の人類の生息《せいそく》する娑婆《しやば》へ出たのだ、文明に必要なる着物をきるのだ。從つて人間らしい行動をとらなければならん筈である。今主人が踏んで居る所は敷居である。流しと板の間の境にある敷居の上であつて、當人は是から歡言愉色《くわんげんゆしよく》、圓轉滑脱《ゑんてんくわつだつ》の世界に逆戻りをしやうと云ふ間際である。其間際ですら斯《かく》の如く頑固であるなら、此頑固は本人にとつて牢《らう》として拔くべからざる病氣に相違ない。病氣なら容易に矯正する事は出來まい。此病氣を癒す方法は愚考によると只一つある。校長に依頼して免職して貰ふ事即ち是なり。免職になれば融通の利かぬ主人の事だから屹度路頭に迷ふに極つてる。路頭に迷ふ結果はのたれ死にをしなければならない。換言すると免職は主人にとつて死の遠因になるのである。主人は好んで病氣をして喜こんで居るけれど、死ぬのは大嫌《だいきらひ》である。死なゝい程度に於て病氣と云ふ一種の贅澤がして居たいのである。夫《それ》だからそんなに病氣をして居ると殺すぞと嚇《おど》かせば臆病なる主人の事だからびり/\と悸《ふる》へ上がるに相違ない。此|悸《ふる》へ上がる時に病氣は奇麗に落ちるだらうと思ふ。それでも落ちなければ夫《それ》迄《まで》の事さ。
 如何に馬鹿でも病氣でも主人に變りはない。一飯《いつぱん》君恩を重んずと云ふ詩人もある事だから猫だつて主人の身の上を思はない事はあるまい。氣の毒だと云ふ念が胸一杯になつた爲め、ついそちらに氣が取られて、流しの方の觀察を怠《おこ》たつて居ると、突然白い湯槽《ゆぶね》の方面に向つて口々に罵る聲が聞える。こゝにも喧嘩が起つたのかと振り向くと、狹い柘榴口《ざくろぐち》に一|寸《すん》の餘地もない位に化物が取りついて、毛のある脛と、毛のない股と入り亂れて動いて居る。折から初秋《はつあき》の日は暮るゝになんなんとして流しの上は天井迄一面の湯氣が立て籠める。かの化物の犇《ひしめ》く樣が其間から朦朧と見える。熱い/\と云ふ聲が吾輩の耳を貫ぬいて左右へ拔ける樣に頭の中で亂れ合ふ。其聲には黄なのも、青いのも、赤いのも、黒いのもあるが互に疊《かさ》なりかゝつて一種名?すべからざる音響を浴場内に漲らす。只混雜と迷亂とを形容するに適した聲と云ふのみで、外には何の役にも立たない聲である。吾輩は茫然として此光景に魅入《みい》られた許《ばか》り立ちすくんで居た。やがてわー/\と云ふ聲が混亂の極度に達して、是よりはもう一歩も進めぬと云ふ點迄張り詰められた時、突然無茶苦茶に押し寄せ押し返して居る群《むれ》の中から一大長漢がぬつと立ち上がつた。彼の身《み》の丈《たけ》を見ると他《ほか》の先生方よりは慥《たし》かに三寸位は高い。のみならず顔から髯が生えて居るのか髯の中に顔が同居して居るのか分らない赤つらを反《そ》り返して、日盛りに破《わ》れ鐘《がね》をつく樣な聲を出して「うめろ/\、熱い熱い」と叫ぶ。此聲と此顔ばかりは、かの紛々《ふんぷん》と縺《もつ》れ合ふ群衆の上に高く傑出して、其瞬間には浴場全體が此男一人になつたと思はるゝ程である。超人《てうじん》だ。ニーチエの所謂超人だ。魔中の大王だ。化物の頭梁《とうりやう》だ。と思つて見て居ると湯槽《ゆぶね》の後《うし》ろでおーいと答へたものがある。おやと又も其方《そちら》に眸《ひとみ》をそらすと、暗憺《あんたん》として物色も出來ぬ中に、例のちやん/\姿の三介《さんすけ》が碎けよと一塊《ひとかたま》りの石炭を竈《かまど》の中に投げ入れるのが見えた。竈の葢《ふた》をくゞつて、此塊りがぱち/\と鳴るときに、三介《さんすけ》の半面がぱつと明るくなる。同時に三介《さんすけ》の後《うし》ろにある煉瓦の壁が暗《やみ》を通して燃える如く光つた。吾輩は少々物凄くなつたから早々《さう/\》窓から飛び下りて家《いへ》に歸る。歸りながらも考へた。羽織を脱ぎ、猿股を脱ぎ、袴を脱いで平等にならうと力《つと》める赤裸々の中には、又赤裸々の豪傑が出て來て他の群小を壓倒して仕舞ふ。平等はいくらはだかになつたつて得られるものではない。
 歸つて見ると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラ/\光らして晩餐を食つて居る。吾輩が椽側から上がるのを見て、のんきな猫だなあ、今頃どこをあるいてゐるんだらうと云つた。膳の上を見ると、錢《ぜに》のない癖に二三品|御菜《おかず》をならべて居る。其うちに肴《さかな》の燒いたのが一疋ある。是は何と稱する肴か知らんが、何でも昨日《きのふ》あたり御臺場近邊でやられたに相違ない。肴は丈夫なものだと説明して置いたが、いくら丈夫でもかう燒かれたり※[者/火]られたりしてはたまらん。多病にして殘喘《ざんぜん》を保《たも》つ方が餘程結構だ。かう考へて膳の傍《そば》に坐つて、隙《すき》があつたら何か頂戴しやうと、見る如く見ざる如く裝《よそほ》つて居た。こんな裝《よそほ》ひ方を知らないものは到底うまい肴は食へないと諦めなければいけない。主人は肴を一寸突つつい居たが、うまくないと云ふ顔付をして箸を置いた。正面に控えたる妻君は是亦無言の儘箸の上下《じやうげ》に運動する樣子、主人の兩顎《りやうがく》の離合開闔《りがふかいかふ》の具合を熱心に研究して居る。
 「おい、其猫の頭を一寸|撲《ぶ》つて見ろ」と主人は突然細君に請求した。
 「撲《ぶ》てば、どうするんですか」
 「どうしてもいゝから一寸|撲《ぶ》つて見ろ」
 かうですかと細君は平手《ひらて》で吾輩の頭を一寸|敲《たゝ》く。痛くも何ともない。
 「鳴かんぢやないか」
 「えゝ」
 「もう一返やつて見ろ」
 「何返やつたつて同じ事ぢやありませんか」と細君又平手でぽかと參《まゐ》る。矢張何ともないから、凝《ぢ》つとして居た。然し其何の爲めたるやは智慮深き吾輩には頓《とん》と了解し難い。是が了解出來れば、どうかかうか方法もあらうが只|撲《ぶ》つて見ろだから、撲《ぶ》つ細君も困るし、撲《ぶ》たれる吾輩も困る。主人は二度迄思ひ通りにならんので、少々|焦《じ》れ氣味《ぎみ》で「おい、一寸鳴く樣にぶつて見ろ」と云つた。
 細君は面倒な顔付で「鳴かして何になさるんですか」と問ひながら、又ぴしやりと御出《おいで》になつた。かう先方の目的がわかれば譯はない、鳴いてさへやれば主人を滿足させる事は出來るのだ。主人はかくの如く愚物だから厭《いや》になる。鳴かせる爲めなら、爲めと早く云へば二返も三返も餘計な手數《てすう》はしなくても濟むし、吾輩も一度で放免になる事を二度も三度も繰り返へされる必要はないのだ。只|打《ぶ》つて見ろと云ふ命令は、打《ぶ》つ事それ自身を目的とする場合の外に用ふべきものでない。打《ぶ》つのは向ふの事、鳴くのは此方《こつち》の事だ。鳴く事を始めから豫期して懸つて、只|打《ぶ》つと云ふ命令のうちに、此方《こつち》の隨意たるべき鳴く事さへ含まつてる樣に考へるのは失敬千萬だ。他人の人格を重んぜんと云ふものだ。猫を馬鹿にして居る。主人の蛇蝎の如く嫌ふ金田君《かねだくん》ならやりさうな事だが、赤裸々を以て誇る主人としては頗る卑劣である。然し實の所主人は是程けちな男ではないのである。だから主人の此命令は狡猾《かうくわつ》の極に出《い》でたのではない。つまり智慧の足りない所から湧いた孑孑《ばうふら》の樣なものと思惟する。飯を食へば腹が張るに極まつて居る。切れば血が出るに極つて居る。殺せば死ぬに極まつて居る。それだから打《ぶ》てば鳴くに極つて居ると速斷をやつたんだらう。然しそれはお氣の毒だが少し論理に合はない。その格で行くと川へ落ちれば必ず死ぬ事になる。天麩羅《てんぷら》を食へば必ず下痢する事になる。月給をもらへば必ず出勤する事になる。書物を讀めば必ずえらくなる事になる。必ずさうなつては少し困る人が出來てくる。打《ぶ》てば必ずなかなければならんとなると吾輩は迷惑である。目白の時の鐘と同一に見傚《みな》されては猫と生れた甲斐がない。先づ腹の中で是《これ》丈《だけ》主人を凹《へこ》まして置いて、しかる後にやーと注文通り鳴いてやつた。
 すると主人は細君に向つて「今鳴いた、にやあ〔三字傍点〕と云ふ聲は感投詞《かんとうし》か、副詞《ふくし》か何だか知つてるか」と聞いた。
 細君は餘り突然な問なので、何にも云はない。實を云ふと吾輩も是は洗湯の逆上《ぎやくじやう》がまださめない爲めだらうと思つた位だ。元來此主人は近所合壁《きんじよがつぺき》有名な變人で現にある人は慥《たし》かに神經病だと迄斷言した位である。所が主人の自信はえらいもので、おれが神經病ぢやない、世の中の奴が神經病だと頑張つて居る。近邊のものが主人を犬々と呼ぶと、主人は公平を維持する爲め必要だとか號して彼等を豚々《ぶた/\》と呼ぶ。實際主人はどこ迄も公平を維持する積《つもり》らしい。困つたものだ。かう云ふ男だからこんな奇問を細君に對《むか》つて呈出するのも、主人に取つては朝食前《あさめしまへ》の小事件かも知れないが、聞く方から云はせると一寸神經病に近い人の云ひさうな事だ。だから細君は烟《けむ》に捲かれた氣味で何とも云はない。吾輩は無論何とも答へ樣がない。すると主人は忽ち大きな聲で
 「おい」と呼びかけた。
 細君は吃驚《びつくり》して「はい」と答へた。
 「そのはい〔二字傍点〕は感投詞か副詞か、どつちだ」
 「どつちですか、そんな馬鹿氣た事はどうでもいゝぢやありませんか」
 「いゝものか、是が現に國語家《こくごか》の頭腦を支配して居る大問題だ」
 「あらまあ、猫の鳴き聲がですか、いやな事ねえ。だつて、猫の鳴き聲は日本語ぢやあないぢやありませんか」
 「夫《それ》だからさ。それが六づかしい問題なんだよ。比較研究と云ふんだ」
 「さう」と細君は利口だから、こんな馬鹿な問題には關係しない。「それで、どつちだか分つたんですか」
 「重要な問題だからさう急には分らんさ」と例の肴《さかな》をむしや/\食ふ。序《ついで》に其隣にある豚と芋のにころばしを食ふ。「是は豚だな」「えゝ豚で御座んす」「ふん」と大輕蔑の調子を以て飲み込んだ。「酒をもう一杯飲まう」と杯《さかづき》を出す。
 「今夜は中々あがるのね。もう大分《だいぶ》赤くなつて入らつしやいますよ」
 「飲むとも――御前世界で一番長い字を知つてるか」
 「えゝ、前《さき》の關白太政大臣でせう」
 「それは名前だ。長い字を知つてるか」
 「字つて横文字ですか」
 「うん」
 「知らないわ、――御酒はもういゝでせう、是で御飯になさいな、ねえ」
 「いや、まだ飲む。一番長い字をヘへてやらうか」
 「えゝ。さうしたら御飯ですよ」
 「Archaiomelesidonophrunicherata と云ふ字だ」
 「出鱈目でせう」
 「出鱈目なものか、希臘語《ギリシヤご》だ」
 「何といふ字なの、日本語にすれば」
 「意味はしらん。只綴り丈《だけ》知つてるんだ。長く書くと六寸三分位にかける」
 他人なら酒の上で云ふべき事を、正氣で云つて居る所が頗る奇觀である。尤も今夜に限つて酒を無暗にのむ。平生なら猪口《ちよこ》に二杯ときめて居るのを、もう四杯飲んだ。二杯でも隨分赤くなる所を倍飲んだのだから顔が燒火箸の樣にほてつて、さも苦しさうだ。夫《それ》でもまだ已《や》めない。「もう一杯」と出す。細君はあまりの事に
 「もう御よしになつたら、いゝでせう。苦しい許《ばか》りですわ」と苦々しい顔をする。
 「なに苦しくつても是から少し稽古するんだ。大町桂月が飲めと云つた」
 「桂月つて何です」さすがの桂月も細君に逢つては一文《いちもん》の價値もない。
 「桂月は現今一流の批評家だ。夫《それ》が飲めと云ふのだからいゝに極つて居るさ」
 「馬鹿を仰つしやい。桂月だつて、梅月だつて、苦しい思をして酒を飲めなんて、餘計な事ですわ」
 「酒|許《ばか》りぢやない。交際をして、道樂をして、旅行をしろといつた」
 「猶《なほ》わるいぢやありませんか。そんな人が第一流の批評家なの。まああきれた。妻子のあるものに道樂をすすめるなんて……」
 「道樂もいゝさ。桂月が勸めなくつても金さへあればやるかも知れない」
 「なくつて仕合せだわ。今から道樂なんぞ始められちやあ大變ですよ」
 「大變だと云ふならよしてやるから、其代りもう少し夫《をつと》を大事にして、さうして晩に、もつと御馳走を食はせろ」
 「是が精一杯の所ですよ」
 「さうかしらん。夫《それ》ぢや道樂は追つて金が這入り次第やる事にして、今夜は是でやめやう」と飯茶椀を出す。何でも茶漬を三ぜん食つた樣だ。吾輩は其《その》夜《よ》豚肉|三片《みきれ》と塩燒の頭を頂戴した。
 
     八
 
 垣巡《かきめぐ》りと云ふ運動を説明した時に、主人の庭を結《ゆ》ひ繞《めぐ》らしてある竹垣の事を一寸述べた積りであるが、此竹垣の外がすぐ隣家、即ち南隣《みなみどなり》の次郎《じろ》ちやんとこと思つては誤解である。家賃は安いがそこは苦沙彌先生である。與《よ》つちやんや次郎《じろ》ちやん抔《など》と號する、所謂ちやん付きの連中と、薄つ片《ぺら》な垣一重を隔てゝ御隣り同志の親密なる交際は結んで居らぬ。此垣の外は五六間の空地《あきち》であつて、其盡くる所に檜《ひのき》が蓊然《こんもり》と五六本|併《なら》んで居る。椽側から拜見すると、向ふは茂つた森で、こゝに往む先生は野中の一軒家に、無名の猫を友にして日月《じつげつ》を送る江湖《かうこ》の處士《しよし》であるかの如き感がある。但《たゞ》し檜の枝は吹聽する如く密生して居らんので、其《その》間《あひだ》から群鶴館《ぐんかくくわん》といふ、名前|丈《だけ》立派な安下宿の安屋根が遠慮なく見えるから、しかく先生を想像するのには餘程骨の折れるのは無論である。然し此下宿が群鶴館なら先生の居《きよ》は慥《たし》かに臥龍窟《ぐわりようくつ》位な價値はある。名前に税はかゝらんから御互にえらさうな奴を勝手次第に付ける事として、此幅五六間の空地《あきち》が竹垣を添ふて東西に走る事約十間、夫《それ》から、忽ち鉤《かぎ》の手に屈曲して、臥龍窟《ぐわりようくつ》の北面を取り圍んで居る。此北面が騷動の種である。本來なら空地《あきち》を行き盡して又あき地、とか何とか威張つてもいゝ位に家の二側《ふたかは》を包んで居るのだが、臥龍窟《ぐわりようくつ》の主人は無論窟内の靈猫《れいべう》たる吾輩すら此あき地には手こずつて居る。南側に檜が幅を利かして居るごとく、北側には桐の木が七八本行列して居る。もう周圍一尺位にのびて居るから下駄屋さへ連れてくればいゝ價《ね》になるんだが、借家《しやくや》の悲しさには、いくら氣が付いても實行は出來ん。主人に對しても氣の毒である。先達《せんだつ》て學校の小使が來て枝を一本切つて行つたが、其つぎに來た時は新らしい桐の俎下駄《まないたげた》を穿《は》いて、此間の枝でこしらへましたと、聞きもせんのに吹聽して居た。ずるい奴だ。桐はあるが吾輩及び主人家族にとつては一文にもならない桐である。玉を抱《いだ》いて罪ありと云ふ古語があるさうだが、是は桐を生《は》やして錢《ぜに》なしと云つても然るべきもので、所謂寶の持ち腐《ぐさ》れである。愚《ぐ》なるものは主人にあらず、吾輩にあらず、家主《やぬし》の傳兵衛である。居ないかな、居ないかな、下駄屋は居ないかなと桐の方で催促して居るのに知らん面《かほ》をして屋賃《やちん》許《ばか》り取り立てにくる。吾輩は別に傳兵衛に恨もないから彼の惡口《あくかう》を此位にして、本題に戻つて此|空地《あきち》が騷動の種であると云ふ珍譚《ちんだん》を紹介|仕《つかまつ》るが、決して主人にいつてはいけない。是《これ》限《ぎ》りの話しである。抑《そもそ》も此|空地《あきち》に關して第一の不都合なる事は垣根のない事である。吹き拂ひ、吹き通し、拔け裏、通行御免天下晴れての空地《あきち》である。ある〔二字傍点〕と云ふと嘘をつく樣でよろしくない。實を云ふとあつた〔三字傍点〕のである。然し話しは過去へ溯《さかのぼ》らんと源因が分からない。源因が分からないと、醫者でも處方《しよはう》に迷惑する。だからこゝへ引き越して來た當時からゆつくりと話し始める。吹き通しも夏はせい/\して心持ちがいゝものだ、不用心だつて金のない所に盗難のある筈はない。だから主人の家に、あらゆる塀、垣、乃至は亂杭《らんぐひ》、逆茂木《さかもぎ》の類は全く不要である。然しながら是は空地《あきち》の向ふに住居する人間|若《もし》くは動物の種類|如何《いかん》によつて決せらるゝ問題であらうと思ふ。從つて此問題を決する爲には勢ひ向ふ側に陣取つて居る君子の性質を明かにせんければならん。人間だか動物だか分らない先に君子と稱するのは太《はなは》だ早計の樣ではあるが大抵君子で間違はない。梁上《りやうじやう》の君子|抔《など》と云つて泥棒さへ君子と云ふ世の中である。但し此場合に於ける君子は決して警察の厄介になる樣な君子ではない。警察の厄介にならない代りに、數でこなした者と見えて澤山居る。うぢや/\居る。落雲館《らくうんくわん》と稱する私立の中學校――八百の君子をいやが上に君子に養成する爲に毎月二圓の月謝を徴集する學校である。名前が落雲館だから風流な君子|許《ばか》りかと思ふと、それがそも/\の間違になる。其信用すべからざる事は群鶴館《ぐんかくくわん》に鶴の下りざる如く、臥龍窟《ぐわりようくつ》に猫が居る樣なものである。學士とかヘ師とか號するものに主人苦沙彌君の如き氣違のある事を知つた以上は落雲館の君子が風流漢|許《ばか》りでないと云ふ事がわかる譯だ。夫《それ》がわからんと主張するなら先づ三日|許《ばか》り主人のうちへ宿《とま》りに來て見るがいゝ。
 前《ぜん》申す如く、こゝへ引き越しの當時は、例の空地《あきち》に垣がないので、落雲館の君子は車屋の黒の如く、のそ/\と桐畠に這入り込んできて、話をする、辨當を食ふ、笹の上に寐轉ぶ――色々の事をやつたものだ。それからは辨當の死骸即ち竹の皮、古新聞、或は古草履、古下駄、ふると云ふ名のつくものを大概こゝへ棄てた樣だ。無頓着なる主人は存外平氣に構へて、別段抗議も申し込まずに打ち過ぎたのは、知らなかつたのか、知つても咎《とが》めん積りであつたのか分らない。所が彼等諸君子は學校でヘ育を受くるに從つて、漸々《だん/\》君子らしくなつたものと見えて、次第に北側から南側の方面へ向けて蠶食《さんしよく》を企だてゝ來た。蠶食《さんしよく》と云ふ語が君子に不似合ならやめてもよろしい。但し外に言葉がないのである。彼等は水草《すゐさう》を追ふて居を變ずる沙漠の住民の如く、桐の木を去つて檜の方に進んで來た。檜のある所は座敷の正面である。餘程大膽なる君子でなければ此《これ》程《ほど》の行動は取れん筈である。一兩日の後《のち》彼等の大膽は更に一層の大を加へて大々膽《だい/\たん》となつた。ヘ育の結果程恐しいものはない。彼等は單に座敷の正面に逼るのみならず、此正面に於て歌をうたひだした。何と云ふ歌か忘れて仕舞つたが、決して三十一文字《みそひともじ》の類《たぐひ》ではない、もつと活?で、もつと俗耳《ぞくじ》に入り易い歌であつた。驚ろいたのは主人|許《ばか》りではない、吾輩迄も彼等君子の才藝に嘆服《たんぷく》して覺えず耳を傾けた位である。然し讀者も御案内であらうが、嘆服と云ふ事と邪魔と云ふ事は時として兩立する場合がある。此兩者が此際圖らずも合して一となつたのは、今から考へて見ても返す/”\殘念である。主人も殘念であつたらうが、已《やむ》を得ず書齋から飛び出して行つて、こゝは君等の這入る所ではない、出給へと云つて、二三度追ひ出した樣だ。所がヘ育のある君子の事だから、こんな事で大人《おとな》しく聞く譯がない。追ひ出されればすぐ這入る。這入れば活?なる歌をうたふ。高聲《かうせい》に談話をする。而も君子の談話だから一風《いつぷう》違つて、おめえ〔三字傍点〕だの知らねえ〔四字傍点〕のと云ふ。そんな言葉は御維新《ごゐつしん》前《まへ》は折助《をりすけ》と雲助《くもすけ》と三助《さんすけ》の專門的知識に屬して居たさうだが、二十世紀になつてからヘ育ある君子の學ぶ唯一の言語であるさうだ。一般から輕蔑せられたる運動が、かくの如く今日《こんにち》歡迎せらるゝ樣になつたのと同一の現象だと説明した人がある。主人は又書齋から飛び出して此君子流の言葉に尤も堪能《かんのう》なる一人を捉《つら》まへて、何故《なぜ》こゝへ這入るかと詰問したら、君子は忽ち「おめえ、知らねえ〔七字傍点〕」の上品な言葉を忘れて「こゝは學校の植物園かと思ひました」と頗る下品な言葉で答へた。主人は將來を戒めて放してやつた。放してやるのは龜の子の樣で可笑《をか》しいが、實際彼は君子の袖を捉《とら》へて談判したのである。此位やかましく云つたらもうよからうと主人は思つて居たさうだ。所が實際は女?氏《ぢよくわし》の時代から豫期と違ふもので、主人は又失敗した。今度は北側から邸内を横斷して表門から拔ける、表門をがらりとあけるから御客かと思ふと桐畠の方で笑ふ聲がする。形勢は益《ます/\》不穩である。ヘ育の功果は愈《いよ/\》顯著になつてくる。氣の毒な主人はこいつは手に合はんと、夫《それ》から書齋へ立て籠つて、恭《うや/\》しく一書を落雲館校長に奉つて、少々御取締をと哀願した。校長も鄭重なる返書を主人に送つて、垣をするから待つて呉れと云つた。しばらくすると二三人の職人が來て半日|許《ばか》りの間に主人の屋敷と、落雲館の境に、高さ三尺|許《ばか》りの四つ目垣が出來上がつた。是で漸々《やう/\》安心だと主人は喜こんだ。主人は愚物である。此位の事で君子の擧動の變化する譯がない。
 全體人にからかふのは面白いものである。吾輩の樣な猫ですら、時々は當家の令孃にからかつて遊ぶ位だから、落雲館の君子が、氣の利かない苦沙彌先生にからかふのは至極尤もな所で、之に不平なのは恐らく、からかはれる當人|丈《だけ》であらう。からかふと云ふ心理を解剖して見ると二つの要素がある。第一からかはれる當人が平氣で濟まして居てはならん。第二からかふ者が勢力に於て人數に於て相手より強くなくてはいかん。此間主人が動物園から歸つて來てしきりに感心して話した事がある。聞いて見ると駱駝《らくだ》と小犬の喧嘩を見たのださうだ。小犬が駱駝《らくだ》の周圍を疾風の如く廻轉して吠え立てると、駱駝《らくだ》は何の氣もつかずに、依然として脊中《せなか》へ瘤《こぶ》をこしらへて突つ立つた儘であるさうだ。いくら吠えても狂つても相手にせんので、仕舞には犬も愛想《あいそ》をつかしてやめる、實に駱駝は無神經だと笑つて居たが、それが此場合の適例である。いくらからかふものが上手でも相手が駱駝と來ては成立しない。さればと云つて獅子や虎の樣に先方が強過ぎても者にならん。からかひかけるや否や八つ裂きにされて仕舞ふ。からかふと齒をむき出して怒《おこ》る、怒る事は怒るが、こつちをどうする事も出來ないと云ふ安心のある時に愉快は非常に多いものである。何故《なぜ》こんな事が面白いと云ふと其理由は色々ある。先づひまつぶしに適して居る。退屈な時には髯の數さへ勘定して見たくなる者だ。昔《むか》し獄に投ぜられた囚人の一人は無聊《ぶれう》のあまり、房《へや》の壁に三角形を重ねて畫《か》いて其の日をくらしたと云ふ話がある。世の中に退屈程我慢の出來にくいものはない、何か活氣を刺激する事件がないと生きて居るのがつらいものだ。からかふ〔四字傍点〕と云ふのもつまり此刺激を作つて遊ぶ一種の娯樂である。但し多少先方を怒らせるか、ぢらせるか、弱らせるかしなくては刺激にならんから、昔しからからかふ〔四字傍点〕と云ふ娯樂に耽《ふけ》るものは人の氣を知らない馬鹿大名の樣な退屈の多い者、若しくは自分のなぐさみ以外は考ふるに暇《いとま》なき程頭の發達が幼稚で、しかも活氣の使ひ道に窮する少年かに限つて居る。次には自己の優勢な事を實地に證明するものには尤も簡便な方法である。人を殺したり、人を傷《きずつ》けたり、又は人を陷《おとしい》れたりしても自己の優勢な事は證明出來る譯であるが、是等は寧ろ殺したり、傷《きずつ》けたり、陷《おとしい》れたりするのが目的のときによるべき手段で、自己の優勢なる事は此手段を遂行した後《のち》に必然の結果として起る現象に過ぎん。だから一方には自分の勢力が示したくつて、しかもそんなに人に害を與へたくないと云ふ場合には、からかふ〔四字傍点〕のが一番|御恰好《おかつかう》である。多少人を傷《きずつ》けなければ自己のえらい〔三字傍点〕事は事實の上に證據だてられない。事實になつて出て來ないと、頭のうちで安心して居ても存外快樂のうすいものである。人間は自己を恃《たの》むものである。否|恃《たの》み難い場合でも恃《たの》みたいものである。夫《それ》だから自己は是丈|恃《たの》める者だ、是なら安心だと云ふ事を、人に對して實地に應用して見ないと氣が濟まない。しかも理窟のわからない俗物や、あまり自己が恃《たの》みになりさうもなくて落ち付きのない者は、あらゆる機會を利用して、此證券を握らうとする。柔術使が時々人を投げて見たくなるのと同じ事である。柔術の怪しいものは、どうか自分より弱い奴に、只の一返でいゝから出逢つて見たい、素人でも構はないから抛《な》げて見たいと至極危險な了見を抱《いだ》いて町内をあるくのも是が爲である。其他にも理由は色々あるが、あまり長くなるから略する事に致す。聞きたければ鰹節《かつぶし》の一折《ひとをり》も持つて習ひにくるがいゝ、いつでもヘへてやる。以上に説く所を參考して推論して見ると、吾輩の考では奧山《おくやま》の猿《さる》と、學校のヘ師がからかふには一番手頃である。學校のヘ師を以て、奧山の猿に比較しては勿體《もつたい》ない。――猿に對して勿體ないのではない、ヘ師に對して勿體ないのである。然しよく似て居るから仕方がない、御承知の通り奧山の猿は鎖で繋がれて居る。いくら齒をむき出しても、きやつ/\騷いでも引き掻かれる氣遣はない。ヘ師は鎖で繋がれて居らない代りに月給で縛られて居る。いくらからかつたつて大丈夫、辭職して生徒をぶんなぐる事はない。辭職をする勇氣のある樣なものなら最初からヘ師|抔《など》をして生徒の御守《おも》りは勤めない筈である。主人はヘ師である。落雲館《らくうんくわん》のヘ師ではないが、矢張りヘ師に相違ない。からかふ〔四字傍点〕には至極適當で、至極|安直《あんちよく》で、至極無事な男である。落雲館の生徒は少年である。からかふ〔四字傍点〕事は自己の鼻を高くする所以《ゆゑん》で、ヘ育の功果として至當に要求して然るべき權利と迄心得て居る。のみならずからかひ〔四字傍点〕でもしなければ、活氣に充ちた五體と頭腦を、いかに使用して然るべきか十|分《ぶん》の休暇中|持《も》て餘《あ》まして困つて居る連中である。此《これ》等《ら》の條件が備はれば主人は自《おのづ》からからかはれ〔五字傍点〕、生徒は自《おのづ》からからかふ〔四字傍点〕、誰から云はしても毫も無理のない所である。それを怒《おこ》る主人は野暮《やぼ》の極、間拔の骨頂でせう。これから落雲館の生徒が如何《いか》に主人にからかつたか、是に對して主人が如何に野暮を極めたかを逐一かいてご覽に入れる。
 諸君は四つ目垣とは如何なる者であるか御承知であらう。風通しのいゝ、簡便な垣である。吾輩|抔《など》は目の間から自由自在に往來する事が出來る。こしらへたつて、こしらへなくたつて同じ事だ。然し落雲館の校長は猫の爲めに四つ目垣を作つたのではない、自分が養成する君子が潜《くゞ》られん爲に、わざ/\職人を入れて結《ゆ》ひ繞《めぐ》らせたのである。成程いくら風通しがよく出來て居ても、人間には潜《くゞ》れさうにない。此竹を以て組み合せたる四寸角の穴をぬける事は、清國《しんこく》の奇術師|張世尊《ちやうせいそん》其人と雖《いへど》も六づかしい。だから人間に對しては充分垣の功能をつくして居るに相違ない。主人が其出來上つたのを見て、是ならよからうと喜んだのも無理はない。然し主人の論理には大《おほい》なる穴がある。此垣よりも大いなる穴がある。呑舟《どんしう》の魚をも洩らすべき大穴がある。彼は垣は踰《こ》ゆべきものにあらずとの假定から出立して居る。苟《いやしく》も學校の生徒たる以上は如何に粗末の垣でも、垣と云ふ名がついて、分界線の區域さへ判然すれば決して亂入される氣遣はないと假定したのである。次に彼は其假定を暫く打ち崩して、よし亂入する者があつても大丈夫と論斷したのである。四つ目垣の穴を潜《くゞ》り得る事は、如何なる小僧と雖《いへど》も到底出來る氣遣はないから亂入の虞《おそれ》は決してないと速定《そくてい》して仕舞つたのである。成程彼等が猫でない限りは此四角の目をぬけてくる事はしまい、したくても出來まいが、乘り踰《こ》える事、飛び越える事は何の事もない。却つて運動になつて面白い位である。
 垣の出來た翌日から、垣の出來ぬ前と同樣に彼等は北側の空地へぽかり/\と飛び込む。但し座敷の正面迄は深入りをしない。若し追ひ懸けられたら逃げるのに、少々ひまが入《い》るから、豫《あらかじ》め逃げる時間を勘定に入れて、捕《とら》へらるゝ危險のない所で遊弋《いうよく》をして居る。彼等が何をして居るか東の離れに居る主人には無論目に入《い》らない。北側の空地《あきち》に彼等が遊弋《いうよく》して居る?態は、木戸をあけて反對の方角から鉤《かぎ》の手に曲つて見るか、又は後架《こうか》の窓から垣根越しに眺めるより外に仕方がない。窓から眺める時はどこに何が居るか、一目《いちもく》明瞭に見渡す事が出來るが、よしや敵を幾人《いくたり》見出したからと云つて捕《とら》へる譯には行かぬ。只窓の格子の中から叱りつける許《ばか》りである。もし木戸から迂回《うくわい》して敵地を突かうとすれば、足音を聞きつけて、ぽかり/\と捉《つら》まる前に向ふ側へ下りて仕舞ふ。膃肭臍《おつとせい》がひなたぼつこをして居る所へ密猟船が向つた樣な者だ。主人は無論後架で張り番をして居る譯ではない。と云つて木戸を開いて、音がしたら直ぐ飛び出す用意もない。もしそんな事をやる日にはヘ師を辭職して、其方專門にならなければ追つ付かない。主人方の不利を云ふと書齋からは敵の聲|丈《だけ》聞えて姿が見えないのと、窓からは姿が見える丈《だけ》で手が出せない事である。此不利を看破したる敵はこんな軍略を講じた。主人が書齋に立て籠つて居ると探偵した時には、可成《なるべく》大きな聲を出してわあ/\云ふ。其中には主人をひやかす樣な事を聞こえよがしに述べる。而も其聲の出所を極めて不分明にする。一寸聞くと垣の内で騷いで居るのか、或は向ふ側であばれて居るのか判定しにくい樣にする。もし主人が出懸けて來たら、逃げ出すか、又は始めから向ふ側にいて知らん顔をする。又主人が後架へ――吾輩は最前からしきりに後架々々ときたない字を使用するのを別段の光榮とも思つて居らん、實は迷惑千萬であるが、此戰爭を記述する上に於て必要であるから已《やむ》を得ない。――即ち主人が後架へまかり越したと見て取るときは、必ず桐の木の附近を徘徊《はいくわい》してわざと主人の眼につく樣にする。主人がもし後架から四隣《しりん》に響く大音を揚げて怒鳴りつければ敵は周章《あわ》てる氣色《けしき》もなく悠然と根據地へ引きあげる。此軍略を用ゐられると主人は甚だ困却する。慥《たし》かに這入つて居るなと思つてステツキを持つて出懸けると寂然《せきぜん》として誰も居ない。居ないかと思つて窓からのぞくと必ず一二人這入つて居る。主人は裏へ廻つて見たり、後架から覗いて見たり、後架から覗いて見たり、裏へ廻つて見たり、何度言つても同じ事だが、何度云つても同じ事を繰り返して居る。奔命《ほんめい》に疲れるとは此事である。ヘ師が職業であるか、戰爭が本務であるか一寸分らない位|逆上《ぎやくじやう》して來た。此逆上の頂點に達した時に下《しも》の事件が起つたのである。
 事件は大概|逆上《ぎやくじやう》から出る者だ。逆上とは讀んで字の如く逆《さ》かさに上《のぼ》るのである、此點に關してはゲーレンもパラセルサスも舊弊なる扁鵲《へんじやく》も異議を唱ふる者は一人もない。只どこへ逆《さ》かさに上《のぼ》るかゞ問題である。又何が逆《さ》かさに上《のぼ》るかが議論のある所である。古來歐洲人の傳説によると、吾人の體内には四種の液が循環して居つたさうだ。第一に怒液《どえき》と云ふ奴がある。是が逆《さ》かさに上《のぼ》ると怒《おこ》り出す。第二に鈍液《どんえき》と名づくるのがある。是が逆《さ》かさに上《のぼ》ると神經が鈍《にぶ》くなる。次には憂液《いうえき》、是は人間を陰氣にする。最後が血液《けつえき》、是は四肢を壯《さか》んにする。其《その》後《ご》人文が進むに從つて鈍液、怒液、憂液はいつの間《ま》にかなくなつて、現今に至つては血液|丈《だけ》が昔の樣に循環して居ると云ふ話しだ。だから若し逆上する者があらば血液より外にはあるまいと思はれる。然るに此血液の分量は個人によつてちやんと極まつて居る。性分によつて多少の搆クはあるが、先づ大抵一人前に付五升五合の割合である。だによつて、此五升五合が逆《さ》かさに上《のぼ》ると、上《のぼ》つた所|丈《だけ》は熾《さか》んに活動するが、其他の局部は缺乏を感じて冷たくなる。丁度交番燒打の當時巡査が悉《こと/”\》く警察署へ集つて、町内には一人もなくなつた樣なものだ。あれも醫學上から診斷をすると警察の逆上と云ふ者である。で此逆上を癒やすには血液を從前の如く體内の各部へ平均に分配しなければならん。さうするには逆《さ》かさに上《のぼ》つた奴を下へ降《おろ》さなくてはならん。其方には色々ある。今は故人となられたが主人の先君|抔《など》は濡れ手拭を頭にあてゝ炬燵にあたつて居られたさうだ。頭寒足熱《づかんそくねつ》は延命息災の徴と傷寒論《しやうかんろん》にも出て居る通り、濡れ手拭は長壽法に於て一日も缺く可からざる者である。夫《それ》でなければ坊主の慣用する手段を試みるがよい。一所不住《いつしよふぢゆう》の沙門《しやもん》雲水行脚《うんすゐあんぎや》の衲僧《なふそう》は必ず樹下石上を宿《やど》とすとある。樹下石上とは難行苦行の爲めではない。全くのぼせ〔三字傍点〕を下《さ》げる爲に六祖《ろくそ》が米を舂《つ》きながら考へ出した秘法である。試みに石の上に坐つてご覽、尻が冷えるのは當り前だらう。尻が冷える、のぼせが下がる、是亦自然の順序にして毫も疑を挾《さしはさ》むべき餘地はない。斯樣《かやう》に色々な方法を用ゐてのぼせ〔三字傍点〕を下げる工夫は大分《だいぶ》發明されたが、未《ま》だのぼせ〔三字傍点〕を引き起す良方が案出されないのは殘念である。一概に考へるとのぼせは損あつて益なき現象であるが、さう許《ばか》り速斷してならん場合がある。職業によると逆上は餘程大切な者で、逆上せんと何にも出來ない事がある。其|中《うち》で尤も逆上を重んずるのは詩人である。詩人に逆上が必要なる事は汽船に石炭が缺く可からざる樣な者で、此供給が一日でも途切れると彼れ等は手を拱《こまぬ》いて飯を食ふより外に何等の能もない凡人になつて仕舞ふ。尤も逆上は氣違の異名《いみやう》で、氣違にならないと家業が立ち行かんとあつては世間體《せけんてい》が惡いから、彼等の仲間では逆上を呼ぶに逆上の名を以てしない。申し合せてインスピレーシヨン、インスピレーシヨンと左《さ》も勿體《もつたい》さうに稱《とな》へて居る。是は彼等が世間を瞞着《まんちやく》する爲めに製造した名で其實は正に逆上である。プレートーは彼等の肩を持つて此種の逆上を神聖なる狂氣と號したが、いくら神聖でも狂氣では人が相手にしない。矢張りインスピレーシヨンと云ふ新發明の賣藥の樣な名を付けて置く方が彼等の爲めによからうと思ふ。然し蒲鉾の種が山芋である如く、觀音の像が一寸八分の朽木《くちき》である如く、鴨南蠻《かもなんばん》の材料が烏である如く、下宿屋の牛鍋が馬肉である如くインスピレーシヨンも實は逆上である。逆上であつて見れば臨時の氣違である。巣鴨へ入院せずに濟むのは單に臨時〔二字傍点〕氣違であるからだ。所が此臨時の氣違を製造する事が困難なのである。一生涯の狂人は却つて出來安いが、筆を執つて紙に向ふ間《あひだ》丈《だけ》氣違にするのは、如何に巧者《かうしや》な神樣でも餘程骨が折れると見えて、中々拵へて見せない。神が作つてくれん以上は自力で拵へなければならん。そこで昔から今日《こんにち》迄《まで》逆上術も又逆上とりのけ術と同じく大《おほい》に學者の頭腦を惱ました。ある人はインスピレーシヨンを得る爲めに毎日澁柿を十二個づゝ食つた。是は澁柿を食へば便秘する、便秘すれば逆上は必ず起るといふ理論から來たものだ。又ある人はかんコ利を持つて鐵砲風呂《てつぱうぶろ》へ飛び込んだ。湯の中で酒を飲んだら逆上するに極つて居ると考へたのである。其人の説によると之で成功しなければ葡萄酒の湯をわかして這入れば一返で功能があると信じ切つて居る。然し金がないのでついに實行する事が出來なくて死んで仕舞つたのは氣の毒である。最後に古人の眞似をしたらインスピレーシヨンが起るだらうと思ひ付いた者がある。是はある人の態度動作を眞似ると心的?態も其人に似てくると云ふ學説を應用したのである。醉つぱらひの樣に管《くだ》を捲《ま》いて居ると、いつの間《ま》にか酒飲みの樣な心持になる、坐禪をして線香一本の間我慢して居るとどことなく坊主らしい氣分になれる。だから昔からインスピレーシヨンを受けた有名の大家の所作《しよさ》を眞似れば必ず逆上するに相違ない。聞く所によればユーゴーは快走船《ヨツト》の上へ寐轉んで文章の趣向を考へたさうだから、船へ乘つて青空を見つめて居れば必ず逆上|受合《うけあひ》である。スチーヴンソンは腹這に寐て小説を書いたさうだから、打《う》つ伏《ぶ》しになつて筆を持てば屹度血が逆《さ》かさに上《のぼ》つてくる。斯樣《かやう》に色々な人が色々の事を考へ出したが、まだ誰も成功しない。先づ今日《こんにち》の所では人爲的逆上は不可能の事となつて居る。殘念だが致し方がない。早晩隨意にインスピレーシヨンを起し得る時機の到來するは疑もない事で、吾輩は人文の爲に此時機の一日も早く來らん事を切望するのである。
 逆上の説明は此位で充分だらうと思ふから、是より愈《いよ/\》事件に取りかゝる。然し凡《すべ》ての大事件の前には必ず小事件が起るものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古來から歴史家の常に陷《おちい》る弊竇《へいとう》である。主人の逆上も小事件に逢ふ度に一層の劇甚を加へて、遂に大事件を引き起したのであるからして、幾分か其發達を順序立てゝ述べないと主人が如何に逆上して居るか分りにくい。分りにくいと主人の逆上は空名に歸して、世間からはよもや夫《そ》れ程でもなからうと見くびられるかも知れない。切角逆上しても人から天晴《あつぱれ》な逆上と謠《うた》はれなくては張り合がないだらう。是から述べる事件は大小に係らず主人に取つて名譽な者ではない。事件其物が不名譽であるならば、責《せ》めて逆上なりとも、正銘の逆上であつて、決して人に劣るものでないと云ふ事を明かにして置きたい。主人は他に對して別に是と云つて誇るに足る性質を有して居らん。逆上でも自慢しなくてはほかに骨を折つて書き立てゝやる種がない。
 落雲館に群がる敵軍は近日に至つて一種のダムダム彈を發明して、十|分《ぷん》の休暇、若しくは放課後に至つて熾《さかん》に北側の空地《あきち》に向つて砲火を浴びせかける。此ダムダム彈は通稱をボールと稱《とな》へて、擂粉木《すりこぎ》の大きな奴を以て任意是を敵中に發射する仕掛である。いくらダムダムだつて落雲館の運動場から發射するのだから、書齋に立て籠つてる主人に中《あた》る氣遣《きづかひ》はない。敵と雖《いへども》彈道の餘り遠過ぎるのを自覺せん事はないのだけれど、そこが軍略である。旅順の戰爭にも海軍から間接射撃を行つて偉大な功を奏したと云ふ話であれば、空地《あきち》へころがり落つるボールと雖ども相當の功果を収め得ぬ事はない。況や一發を送る度に總軍力を合せてわーと威嚇性《ゐかくせい》大音聲《だいおんじやう》を出《いだ》すに於てをやである。主人は恐縮の結果として手足に通ふ血管が収縮せざるを得ない。煩悶の極そこいらを迷付《まごつ》いて居る血が逆《さか》さに上《のぼ》る筈である。敵の計《はかりごと》は中々巧妙と云ふてよろしい。昔《むか》し希臘《ギリシヤ》にイスキラスと云ふ作家があつたさうだ。此男は學者作家に共通なる頭を有して居たと云ふ。吾輩の所謂學者作家に共通なる頭とは禿《はげ》と云ふ意味である。何故《なぜ》頭が禿げるかと云へば頭の營養不足で毛が生長する程活氣がないからに相違ない。學者作家は尤も多く頭を使ふものであつて大概は貧乏に極つて居る。だから學者作家の頭はみんな營養不足でみんな禿げて居る。偖《さて》イスキラスも作家であるから自然の勢《いきほひ》禿げなくてはならん。彼はつる/\然たる金柑頭《きんかんあたま》を有して居つた。所がある日の事、先生例の頭――頭に外行《よそゆき》も普段着《ふだんぎ》もないから例の頭に極つてるが――其例の頭を振り立て/\、太陽に照らしつけて往來をあるいて居た。これが間違ひのもとである。禿げ頭を日にあてゝ遠方から見ると、大變よく光るものだ。高い木には風があたる、光《ひ》かる頭にも何かあたらなくてはならん。此時イスキラスの頭の上に一羽の鷲が舞つて居たが、見るとどこかで生捕《いけど》つた一疋の龜を爪の先に攫《つか》んだ儘である。龜、スツポン抔《など》は美味に相違ないが、希臘《ギリシヤ》時代から堅い甲羅《かふら》をつけて居る。いくら美味でも甲羅《かふら》つきではどうする事も出來ん。海老《えび》の鬼殼燒《おにがらやき》はあるが龜の子の甲羅※[者/火]《かふらに》は今でさへない位だから、當時は無論なかつたに極つて居る。さすがの鷲も少々持て餘した折柄、遙かの下界にぴかと光つた者がある。その時鷲はしめたと思つた。あの光つたものゝ上へ龜の子を落したなら、甲羅は正《まさ》しく碎けるに極《き》はまつた。碎けたあとから舞ひ下りて中味《なかみ》を頂戴すれば譯はない。さうだ/\と覗《ねらひ》を定めて、かの龜の子を高い所から挨拶も無く頭の上へ落した。生憎《あいにく》作家の頭の方が龜の甲より軟らかであつたものだから、禿はめちや/\に碎けて有名なるイスキラスはこゝに無慘の最後を遂げた。それはさうと、解《げ》しかねるのは鷲の了見である。例の頭を、作家の頭と知つて落したのか、又は禿岩と間違へて落したものか、解決し樣《やう》次第で、落雲館の敵と此鷲とを比較する事も出來るし、又出來なくもなる。主人の頭はイスキラスのそれの如く、又|御歴々《おれき/\》の學者の如くぴか/\光つては居らん。然し六疊敷にせよ苟《いやしく》も書齋と號する一室を控へて、居眠りをしながらも、六づかしい書物の上へ顔を翳《かざ》す以上は、學者作家の同類と見傚《みな》さなければならん。さうすると主人の頭の禿げて居らんのは、まだ禿げるべき資格がないからで、其内に禿げるだらうとは近々《きん/\》此頭の上に落ちかゝるべき運命であらう。して見れば落雲館の生徒が此頭を目懸けて例のダムダム丸《ぐわん》を集注するのは策の尤も時宜に適したものと云はねばならん。もし敵が此行動を二週間繼續するならば、主人の頭は畏怖と煩悶の爲め必ず營養の不足を訴へて、金柑《きんかん》とも藥罐《やくわん》とも銅壺とも變化するだらう。猶二週間の砲撃を食《くら》へば金柑は潰れるに相違ない。藥罐は洩るに相違ない。銅壺ならひゞが入るにきまつて居る。此|睹易《みやす》き結果を豫想せんで、飽く迄も敵と戰闘を繼續しやうと苦心するのは、只本人たる苦沙彌先生のみである。
 ある日の午後、吾輩は例の如く椽側へ出て午睡《ひるね》をして虎になつた夢を見て居た。主人に鷄肉《けいにく》を持つて來いと云ふと、主人がへえと恐る/\鷄肉を持つて出る。迷亭《めいてい》が來たから、迷亭に雁《がん》が食ひたい、雁鍋《がんなべ》へ行つて誂らへて來いと云ふと、蕪《かぶ》の香《かう》の物《もの》と、塩煎餠と一所に召し上がりますと雁の味が致しますと例の如く茶羅《ちやら》ツ鉾《ぽこ》を云ふから、大きな口をあいて、うーと唸つて嚇《おどか》してやつたら、迷亭は蒼くなつて山下《やました》の雁鍋は廢業致しましたが如何《いかゞ》取り計ひませうかと云つた。夫《それ》なら牛肉で勘辨するから早く西川へ行つてロースを一斤取つて來い、早くせんと貴樣から食ひ殺すぞと云つたら、迷亭は尻を端折《はしよ》つて馳け出した。吾輩は急にからだが大きくなつたので、椽側一杯に寐そべつて、迷亭の歸るのを待ち受けて居ると、忽ち家中《うちぢゆう》に響く大きな聲がして切角の牛《ぎう》も食はぬ間《ま》に夢がさめて吾に歸つた。すると今迄恐る/\吾輩の前に平伏して居たと思ひの外の主人が、いきなり後架から飛び出して來て、吾輩の横腹をいやと云ふ程|蹴《け》たから、おやと思ふうち、忽ち庭下駄をつつかけて木戸から廻つて、落雲館の方へかけて行く。吾輩は虎から急に猫と収縮したのだから何となく極りが惡くもあり、可笑《をか》しくもあつたが、主人の此權幕と横腹を蹴られた痛さとで、虎の事はすぐ忘れて仕舞つた。同時に主人が愈《いよ/\》出馬して敵と交戰するな面白いわいと、痛いのを我慢して、後《あと》を慕つて裏口へ出た。同時に主人がぬすつとう〔五字傍点〕と怒鳴る聲が聞える、見ると制帽をつけた十八九になる倔強《くつきやう》な奴が一人、四ツ目垣を向ふへ乘り越えつゝある。やあ遲かつたと思ふうち、彼《か》の制帽は馳け足の姿勢をとつて根據地の方へ韋駄天《ゐだてん》の如く逃げて行く。主人はぬすつとう〔五字傍点〕が大《おほい》に成功したので、又もぬすつとう〔五字傍点〕と高く叫びながら追ひかけて行く。然しかの敵に追ひ付く爲めには主人の方で垣を越さなければならん。深入りをすれば主人|自《みづか》らが泥棒になる筈である。前《ぜん》申す通り主人は立派なる逆上家である。かう勢に乘じてぬすつとう〔五字傍点〕を追ひ懸ける以上は、夫子《ふうし》自身がぬすつとう〔五字傍点〕に成つても追ひ懸ける積りと見えて、引き返す氣色《けしき》もなく垣の根元迄進んだ。今一歩で彼はぬすつとう〔五字傍点〕の領分に入《はい》らなければならんと云ふ間際に、敵軍の中から、薄い髯を勢なく生やした將官がのこ/\と出馬して來た。兩人《ふたり》は垣を境に何か談判して居る。聞いて見るとこんな詰らない議論である。
 「あれは本校の生徒です」
 「生徒たるべきものが、何で他《ひと》の邸内へ侵入するのですか」
 「いやボールがつい飛んだものですから」
 「なぜ斷つて、取りに來ないのですか」
 「是から善く注意します」
 「そんなら、よろしい」
 龍騰虎闘《りゆうとうことう》の壯觀があるだらうと豫期した交渉はかくの如く散文的なる談判を以て無事に迅速に結了した。主人の壯んなるは只意氣込み丈《だけ》である。いざとなると、いつでも是で御仕舞だ。恰も吾輩が虎の夢から急に猫に返つた樣な觀がある。吾輩の小事件と云ふのは即ち是である。小事件を記述したあとには、順序として是非大事件を話さなければならん。
 主人は座敷の障子を開いて腹這になつて、何か思案して居る。恐らく敵に對して防禦策を講じて居るのだらう。落雲館は授業中と見えて、運動場は存外靜かである。只校舍の一室で、倫理の講義をして居るのが手に取る樣に聞える。朗々たる音聲で中々うまく述べ立てゝ居るのを聽くと、全く昨日《きのふ》敵中から出馬して談判の衝に當つた將軍である。
 「……で公コと云ふものは大切な事で、あちらへ行つて見ると、佛蘭西《フランス》でも獨逸《ドイツ》でも英吉利《イギリス》でも、どこへ行つても、此公コの行はれて居らん國はない。又どんな下等な者でも此公コを重んぜぬ者はない。悲しいかな、我が日本に在つては、未《ま》だ此點に於て外國と拮抗《きつかう》する事が出來んのである。で公コと申すと何か新しく外國から輸入して來た樣に考へる諸君もあるかも知れんが、さう思ふのは大《だい》なる誤りで、昔人《せきじん》も夫子《ふうし》の道《みち》一《いつ》以《もつ》て之《これ》を貫《つらぬ》く、忠恕《ちゆうじよ》のみ矣《い》と云はれた事がある。此|恕《じよ》と申すのが取りも直さず公コの出所《しゆつしよ》である。私《わたし》も人間であるから時には大きな聲をして歌|抔《など》うたつて見たくなる事がある。然し私《わたし》が勉強して居る時に隣室のものなどが放歌するのを聽くと、どうしても書物の讀めぬのが私《わたし》の性分である。であるからして自分が唐詩選《たうしせん》でも高聲《かうせい》に吟じたら氣分が晴々《せい/\》してよからうと思ふ時ですら、もし自分の樣に迷惑がる人が隣家に住んで居つて、知らず/\其人の邪魔をする樣な事があつては濟まんと思ふて、さう云ふ時はいつでも控えるのである。かう云ふ譯だから諸君も可成《なるべく》公コを守つて、苟《いやしく》も人の妨害になると思ふ事は決してやつてはならんのである。……」
 主人は耳を傾けて、此講話を謹聽して居たが、茲《こゝ》に至つてにやりと笑つた。一寸此にやり〔三字傍点〕の意味を説明する必要がある。皮肉家が此《これ》をよんだら此にやり〔三字傍点〕の裏《うち》には冷評的分子が交つて居ると思ふだらう。然し主人は決して、そんな人の惡い男ではない。惡いと云ふよりそんなに智慧の發達した男ではない。主人は何故《なぜ》笑つたかと云ふと全く嬉しくつて笑つたのである。倫理のヘ師たる者が斯樣に痛切なる訓戒を與へるからは此《この》後《のち》は永久ダムダム彈の亂射を免かれるに相違ない。當分のうち頭も禿げずに濟む、逆上は一時に直らんでも時機さへくれば漸次回復するだらう、濡れ手拭を頂いて、炬燵にあたらなくとも、樹下石上を宿《やど》としなくとも大丈夫だらうと鑑定したから、にや/\と笑つたのである。借金は必ず返す者と二十世紀の今日《こんにち》にも矢張り正直に考へる程の主人が此講話を眞面目に聞くのは當然であらう。
 やがて時間が來たと見えて、講話はぱたりと已《や》んだ。他のヘ室の課業も皆一度に終つた。すると今迄室内に密封された八百の同勢は鬨《とき》の聲をあげて、建物を飛び出した。其勢と云ふものは、一尺程な蜂の巣を敲《たゝ》き落した如くである。ぶん/\、わん/\云ふて窓から、戸口から、開きから、苟《いやしく》も穴の開《あ》いて居る所なら何の容赦もなく我勝ちに飛び出した。是が大事件の發端である。
 先づ蜂の陣立てから説明する。こんな戰爭に陣立ても何もあるものかと云ふのは間違つて居る。普通の人は戰爭とさへ云へば沙河《しやか》とか奉天《ほうてん》とか又|旅順《りよじゆん》とか其外に戰爭はないものゝ如くに考へて居る。少し詩がゝつた野蠻人になると、アキリスがヘクトーの死骸を引きずつて、トロイの城壁を三匝《さんさふ》したとか、燕《えん》ぴと張飛が長坂橋《ちやうはんけう》に丈八《ぢやうはち》の蛇矛《だぼう》を横《よこた》へて、曹操《さうさう》の軍百萬人を睨め返したとか大袈裟な事|許《ばか》り連想する。連想は當人の隨意だが其《それ》以外の戰爭はないものと心得るのは不都合だ。太古蒙昧《たいこもうまい》の時代に在つてこそ、そんな馬鹿氣た戰爭も行はれたかも知れん、然し太平の今日《こんにち》、大日本國帝都の中心に於て斯《かく》の如き野蠻的行動はあり得べからざる奇蹟に屬して居る。如何に騷動が持ち上がつても交番の燒打以上に出る氣遣はない。して見ると臥龍窟主人の苦沙彌先生と落雲館|裏《り》八百の健兒との戰爭は、まづ東京市あつて以來の大戰爭の一として數へても然るべきものだ。左氏《さし》が陵《えんりよう》の戰《たゝかひ》を記するに當つても先づ敵の陣勢から述べて居る。古來から叙述に巧みなるものは皆此筆法を用ゐるのが通則になつて居る。だによつて吾輩が蜂の陣立てを話すのも仔細なからう。それで先づ蜂の陣立て如何《いかん》と見てあると、四つ目垣の外側に縱列を形《かた》ちづくつた一隊がある。是は主人を戰闘線内に誘致する職務を帶びた者と見える。「降參しねえか」「しねえ/\」「駄目だ/\」「出てこねえ」「落ちねえかな」「落ちねえ筈はねえ」「吠えて見ろ」「わん/\」「わん/\」「わん/\わん/\」是から先は縱隊總がゝりとなつて吶喊《とつかん》の聲を揚げる。縱隊を少し右へ離れて運動場の方面には砲隊が形勝の地を占めて陣地を布いて居る。臥龍窟《ぐわりようくつ》に面して一人の將官が擂粉木《すりこぎ》の大きな奴を持つて控へる。之と相對して五六間の間隔をとつて又一人立つ、擂粉木《すりこぎ》のあとに又一人、是れは臥龍窟《ぐわりようくつ》に顔をむけて突つ立つて居る。かくの如く一直線にならんで向ひ合つて居るのが砲手である。ある人の説によると是はベースボールの練習であつて、決して戰闘準備ではないさうだ。吾輩はベースボールの何物たるを解せぬ文盲漢《もんまうかん》である。然し聞く所によれば是は米國から輸入された遊戯で、今日《こんにち》中學程度以上の學校に行はるゝ運動のうちで尤も流行するものださうだ。米國は突飛《とつぴ》な事|許《ばか》り考へ出す國柄であるから、砲隊と間違へてもしかるべき、近所迷惑の遊戯を日本人にヘふべく丈《だけ》其《それ》丈《だけ》親切であつたかも知れない。又米國人は之を以て眞に一種の運動遊戯と心得て居るのだらう。然し純粹の遊戯でも斯樣に四隣を驚かすに足る能力を有して居る以上は使ひ樣で砲撃の用には充分立つ。吾輩の眼を以て觀察した所では、彼等は此運動術を利用して砲火の功を収めんと企てつゝあるとしか思はれない。物は云ひ樣でどうでもなるものだ。慈善の名を借りて詐僞を働らき、インスピレーシヨンと號して逆上をうれしがる者がある以上はベースボールなる遊戯の下《もと》に戰爭をなさんとも限らない。或る人の説明は世間一般のベースボールの事であらう。今吾輩が記述するベースボールは此特別の場合に限らるゝベースボール即ち攻城的砲術である。是からダムダム彈を發射する方法を紹介する。直線に布《し》かれたる砲列の中《なか》の一人が、ダムダム彈を右の手に握つて擂粉木《すりこぎ》の所有者に抛《はふ》りつける。ダムダム彈は何で製造したか局外者には分らない。堅い丸い石の團子の樣なものを御鄭寧に皮でくるんで縫ひ合せたものである。前《ぜん》申す通り此彈丸が砲手の一人の手中を離れて、風を切つて飛んで行くと、向ふに立つた一人が例の擂粉木《すりこぎ》をやつと振り上げて、之を敲《たゝ》き返す。たまには敲き損なつた彈丸が流れて仕舞ふ事もあるが、大概はポカンと大きな音を立てゝ彈《は》ね返る。其勢は非常に猛烈なものである。神經性胃弱なる主人の頭を潰す位は容易に出來る。砲手は是《これ》丈《だけ》で事足るのだが、其周圍附近には彌次馬兼援兵が雲霞の如く付き添ふて居る。ポカーンと擂粉木が團子に中《あた》るや否やわー、ぱち/\/\と、わめく、手を拍《う》つ、やれ/\と云ふ。中《あた》つたらうと云ふ。是でも利かねえかと云ふ。恐れ入らねえかと云ふ。降參かと云ふ。是《これ》丈《だけ》ならまだしもであるが、敲き返された彈丸は三度に一度必ず臥龍窟邸内へころがり込む。是がころがり込まなければ攻撃の目的は達せられんのである。ダムダム彈は近來諸所で製造するが隨分高價なものであるから、いかに戰爭でもさう充分な供給を仰ぐ譯に行かん。大抵一隊の砲手に一つ若《もし》くは二つの割である。ポンと鳴る度に此貴重な彈丸を消費する譯には行かん。そこで彼等はたま拾《ひろひ》と稱する一部隊を設けて落彈を拾つてくる。落ち場所がよければ拾ふのに骨も折れないが、草原とか人の邸内へ飛び込むとさう容易《たやす》くは戻つて來ない。だから平生なら成る可く勞力を避ける爲め、拾ひ易い所へ打ち落す筈であるが、此際は反對に出る。目的が遊戯にあるのではない、戰爭に存するのだから、わざとダムダム彈を主人の邸内に降らせる。邸内に降らせる以上は、邸内へ這入つて拾はなければならん。邸内に這入る尤も簡便な方法は四つ目垣を越えるにある。四つ目垣のうちで騷動すれば主人が怒《おこ》り出さなければならん。然らずんば兜《かぶと》を脱いで降參しなければならん。苦心の餘《あまり》頭がだん/\禿げて來なければならん。
 今しも敵軍から打ち出した一彈は、照準《せうじゆん》誤《あやま》たず、四つ目垣を通り越して桐の下葉を振ひ落して、第二の城壁即ち竹垣に命中した。隨分大きな音である。ニユートンの運動律第一に曰くもし他の力を加ふるにあらざれば、一度び動き出したる物體は均一の速度を以て直線に動くものとす。もし此律のみによつて物體の運動が支配せらるゝならば主人の頭は此時にイスキラスと運命を同じくしたであらう。幸にしてニユートンは第一則を定むると同時に第二則も製造して呉れたので主人の頭は危うきうちに一命を取りとめた。運動の第二則に曰く運動の變化は、加へられたる力に比例す、而して其力の働く直線の方向に於て起るものとす。是は何の事だか少しくわかり兼ねるが、かのダムダム彈が竹垣を突き通して、障子を裂き破つて主人の頭を破壞しなかつた所を以て見ると、ニユートンの御蔭に相違ない。しばらくすると案の如く敵は邸内に乘り込んで來たものと覺しく、「こゝか」「もつと左の方か」抔《など》と棒でもつて笹の葉を敲《たゝ》き廻はる音がする。凡《すべ》て敵が主人の邸内へ乘り込んでダムダム彈を拾ふ場合には必ず特別な大きな聲を出す。こつそり這入つて、こつそり拾つては肝心の目的が達せられん。ダムダム彈は貴重かも知れないが、主人にからかふのはダムダム彈以上に大事である。此時の如きは遠くから彈の所在地は判然して居る。竹垣に中《あた》つた音も知つて居る。中《あた》つた場所も分つて居る、而して其落ちた地面も心得て居る。だから大人《おとな》しくして拾へば、いくらでも大人《おとな》しく拾へる。ライプニツツの定義によると空間は出來得べき同在現象の秩序である。いろはにほへと〔七字傍点〕はいつでも同じ順にあらはれてくる。柳の下には必ず鰌《どぢやう》が居る。蝙蝠《かうもり》に夕月はつきものである。垣根にボールは不似合かも知れぬ。然し毎日毎日ボールを人の邸内に抛《はふ》り込む者の眼に映ずる空間は慥《たし》かに此排列に慣れて居る。一眼《ひとめ》見ればすぐ分る譯だ。それを斯《かく》の如く騷ぎ立てるのは必竟ずるに主人に戰爭を挑《いど》む策略である。
 かうなつては如何に消極的なる主人と雖も應戰しなければならん。さつき座敷のうちから倫理の講義をきいてにや/\して居た主人は奮然として立ち上がつた。猛然として馳け出した。驀然《ばくぜん》として敵の一人を生捕《いけど》つた。主人にしては大出來である。大出來には相違ないが、見ると十四五の小供である。髯の生えて居る主人の敵として少し不似合だ。けれども主人はこれで澤山だと思つたのだらう。詫び入るのを無理に引つ張つて椽側の前迄連れて來た。こゝに一寸敵の策略に就て一言《いちげん》する必要がある、敵は主人が昨日《きのふ》の權幕を見て此樣子では今日も必ず自身で出馬するに相違ないと察した。其時萬一逃げ損じて大僧《おほぞう》がつらまつては事面倒になる。こゝは一年生か二年生位な小供を玉拾ひにやつて危險を避けるに越した事はない。よし主人が小供をつらまへて愚圖々々理窟を捏《こ》ね廻したつて、落雲館の名譽には關係しない、こんなものを大人氣《おとなげ》もなく相手にする主人の耻辱になる許《ばか》りだ。敵の考はかうであつた。是が普通の人間の考で至極尤もな所である。但《たゞ》敵は相手が普通の人間でないと云ふ事を勘定のうちに入れるのを忘れた許《ばか》りである。主人に此《これ》位《くらゐ》の常識があれば昨日《きのふ》だつて飛び出しはしない。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣るし上げて、常識のあるものに、非常識を與へる者である。女だの、小供だの、車引きだの、馬子だのと、そんな見境ひのあるうちは、未《ま》だ逆上を以て人に誇るに足らん。主人の如く相手にならぬ中學一年生を生捕《いけど》つて戰爭の人質とする程の了見でなくては逆上家の仲間入りは出來ないのである。可哀《かはい》さうなのは捕虜である。單に上級生の命令によつて玉拾ひなる雜兵《ざふひやう》の役を勤めたる所、運わるく非常識の敵將、逆上の天才に追ひ詰められて、垣越える間《ま》もあらばこそ、庭前に引き据ゑられた。かうなると敵軍は安閑と味方の耻辱を見て居る譯に行かない。我も我もと四つ目垣を乘りこして木戸口から庭中に亂れ入る。其數は約一ダース許《ばか》り、ずらりと主人の前に並んだ。大抵は上衣《うはぎ》もちよつ着《き》もつけて居らん。白シヤツの腕をまくつて、腕組をしたのがある。綿《めん》ネルの洗ひざらしを申し譯に背中|丈《だけ》へ乘せて居るのがある。さうかと思ふと白の帆木綿《ほもめん》に黒い縁《ふち》をとつて胸の眞中に花文字を、同じ色に縫ひつけた洒落者《しやれもの》もある。いづれも一騎當千の猛將と見えて、丹波《たんば》の國は笹山《さゝやま》から昨夜《ゆうべ》着し立てゞ御座ると云はぬ許《ばか》りに、黒く逞しく筋肉が發達して居る。中學|抔《など》へ入れて學問をさせるのは惜しいものだ。漁師《れふし》か船頭にしたら定めし國家の爲めになるだらうと思はれる位である。彼等は申し合せた如く、素足に股引《もゝひき》を高くまくつて、近火の手傳にでも行きさうな風體《ふうてい》に見える。彼等は主人の前にならんだぎり黙然として一言《いちごん》も發しない。主人も口を開《ひら》かない。少時《しば》らくの間双方共|睨《にら》めくらをして居るなかに一寸殺氣がある。
 「貴樣等はぬすつとう〔五字傍点〕か」と主人は尋問した。大氣?である。奧齒で?み潰した癇癪玉が炎となつて鼻の穴から拔けるので、小鼻が、いちぢるしく怒《いか》つて見える。越後獅子の鼻は人間が怒《おこ》つた時の恰好《かつかう》を形《かた》どつて作つたものであらう。それでなくてはあんなに恐しく出來るものではない。
 「いえ泥棒ではありません。落雲館の生徒です」
 「うそをつけ。落雲館の生徒が無斷で人の庭宅に侵入する奴があるか」
 「然し此通りちやんと學校の徽章のついて居る帽子を被つて居ます」
 「にせものだらう。落雲館の生徒なら何故《なぜ》むやみに侵入した」
 「ボールが飛び込んだものですから」
 「なぜボールを飛び込ました」
 「つい飛び込んだんです」
 「怪《け》しからん奴だ」
 「以後注意しますから、今度|丈《だけ》許して下さい」
 「どこの何者かわからん奴が垣を越えて邸内に闖入《ちんにふ》するのを、さう容易《たやす》く許されると思ふか」
 「夫《それ》でも落雲館の生徒に違ないんですから」
 「落雲館の生徒なら何年生だ」
 「三年生です」
 「屹度《きつと》さうか」
 「えゝ」
 主人は奧の方を顧みながら、おいこら/\と云ふ。
 埼玉《さいたま》生れの御三《おさん》が襖をあけて、へえと顔を出す。
 「落雲館へ行つて誰か連れてこい」
 「誰を連れて參ります」
 「誰でもいゝから連れてこい」
 下女は「へえ」と答へたが、餘り庭前の光景が妙なのと、使の趣《おもむき》が判然しないのと、さつきからの事件の發展が馬鹿々々しいので、立ちもせず、坐りもせずにや/\笑つて居る。主人は是でも大戰爭をして居る積りである。逆上的敏腕を大《おほい》に振《ふる》つて居る積りである。然る所自分の召し使たる當然|此方《こつち》の肩を持つべきものが、眞面目な態度を以て事に臨まんのみか、用を言ひつけるのを聞きながらにや/\笑つて居る。益《ます/\》逆上せざるを得ない。
 「誰でも構はんから呼んで來いと云ふのに、わからんか。校長でも幹事でもヘ頭でも……」
 「あの校長さんを……」下女は校長と云ふ言葉|丈《だけ》しか知らないのである。
 「校長でも、幹事でもヘ頭でもと云つて居るのにわからんか」
 「誰もおりませんでしたら小使でもよろしう御座いますか」
 「馬鹿を云へ。小使|抔《など》に何が分かるものか」
 こゝに至つて下女も已《やむ》を得んと心得たものか、「へえ」と云つて出て行つた。使の主意は矢張り飲み込めんのである。小使でも引張つて來はせんかと心配して居ると、豈《あに》計らんや例の倫理の先生が表門から乘り込んで來た。平然と座に就くを待ち受けた主人は直ちに談判にとりかゝる。
 「只今邸内に此者共が亂入致して……」と忠臣藏の樣な古風な言葉を使つたが「本當に御校《おんかう》の生徒でせうか」と少々皮肉に語尾を切つた。
 倫理の先生は別段驚いた樣子もなく、平氣で庭前にならんで居る勇士を一通り見廻はした上、もとの如く瞳を主人の方にかへして、下《しも》の如く答へた。
 「左樣《さやう》みんな學校の生徒であります。こんな事のない樣に始終訓戒を加へて置きますが……どうも困つたもので……何故《なぜ》君等は垣|抔《など》を乘り越すのか」
 さすがに生徒は生徒である、倫理の先生に向つては一言《いちごん》もないと見えて何とも云ふものはない。大人《おとな》しく庭の隅にかたまつて羊の群《むれ》が雪に逢つた樣に控えて居る。
 「丸《たま》が這入るのも仕方がないでせう。かうして學校の隣りに住んで居る以上は、時々はボールも飛んで來ませう。然し……餘り亂暴ですからな。假令《たとひ》垣を乘り越えるにしても知れないない樣に、そつと拾つて行くなら、まだ勘辨の仕樣もありますが……」
 「御尤もで、よく注意は致しますが何分|多人數《たにんず》の事で……よく是から注意をせんといかんぜ。もしボールが飛んだら表から廻つて、御斷りをして取らなければいかん。いゝか。――廣い學校の事ですからどうも世話ばかりやけて仕方がないです。で運動はヘ育上必要なものでありますから、どうも之《これ》を禁ずる譯には參りかねるので。之を許すとつい御迷惑になる樣な事が出來ますが、是は是非御容赦を願ひたいと思ひます。其代り向後《かうご》は屹度表門から廻つて御斷りを致した上で取らせますから」
 「いや、さう事が分かればよろしいです。球《たま》はいくら御投げになつても差支はないです。表からきて一寸斷はつて下されば構ひません。では此生徒はあなたに御引き渡し申しますから御連れ歸りを願ひます。いやわざ/\御呼び立て申して恐縮です」と主人は例に因つて例の如く龍頭蛇尾の挨拶をする。倫理の先生は丹波の笹山《さゝやま》を連れて表門から落雲館へ引き上げる。吾輩の所謂大事件は是で一と先づ落着を告げた。何のそれが大事件かと笑ふなら、笑ふがいゝ。そんな人には大事件でない迄だ。吾輩は主人の〔三字傍点〕大事件を寫したので、そんな人の〔五字傍点〕大事件を記《しる》したのではない。尻が切れて強弩《きやうど》の末勢《ばつせい》だ抔《など》と惡口するものがあるなら、是が主人の特色である事を記憶して貰ひたい。主人が滑稽文の材料になるのも亦此特色に存する事を記憶して貰ひたい。十四五の小供を相手にするのは馬鹿だと云ふなら吾輩も馬鹿に相違ないと同意する。だから大町桂月は主人をつらまへて未《いま》だ稚氣《ちき》を免かれずと云ふて居る。
 吾輩は既に小事件を叙し了り、今又大事件を述べ了つたから、是より大事件の後《あと》に起る餘瀾《よらん》を描《ゑが》き出だして、全篇の結びを付ける積りである。凡《すべ》て吾輩のかく事は、口から出任せのいゝ加減と思ふ讀者もあるかも知れないが決してそんな輕率な猫ではない。一字一句の裏《うち》に宇宙の一大哲理を包含するは無論の事、其一字一句が層々《そう/\》連續すると首尾相應じ前後相照らして、瑣談繊話《さだんせんわ》と思つてうつかりと讀んで居たものが忽然豹變して容易ならざる法語となるんだから、決して寐ころんだり、足を出して五行ごとに一度に讀むのだなどゝ云ふ無禮を演じてはいけない。柳宗元《りうそうげん》は韓退之《かんたいし》の文を讀むごとに薔薇《しやうび》の水《みづ》で手を清めたと云ふ位だから、吾輩の文に對してもせめて自腹《じばら》で雜誌を買つて來て、友人の御餘りを借りて間に合はすと云ふ不始末|丈《だけ》はない事に致したい。是から述べるのは、吾輩|自《みづか》ら餘瀾と號するのだけれど、餘瀾ならどうせつまらんに極つてゐる、讀まんでもよからう抔《など》と思ふと飛んだ後悔をする。是非仕舞迄精讀しなくてはいかん。
 大事件のあつた翌日、吾輩は一寸散歩がしたくなつたから表へ出た。すると向ふ横町へ曲がらうと云ふ角で金田の旦那と鈴木の藤《とう》さんが頻りに立ちながら話をして居る。金田君は車で自宅《うち》へ歸る所、鈴木君は金田君の留守を訪問して引き返す途中で兩人《ふたり》がばつたりと出逢つたのである。近來は金田の邸内も珍らしくなくなつたから、滅多にあちらの方角へは足が向かなかつたが、かう御目に懸つて見ると、何となく御懷かしい。鈴木にも久々《ひさ/\》だから餘所《よそ》ながら拜顔の榮を得て置かう。かう決心してのそ/\御兩君の佇立して居らるゝ傍《そば》近く歩み寄つて見ると、自然兩君の談話が耳に入《い》る。是は吾輩の罪ではない。先方が話して居るのがわるいのだ。金田君は探偵さへ付けて主人の動靜を窺《うか》がふう位の程度の良心を有して居る男だから、吾輩が偶然君の談話を拜聽したつて怒《おこ》らるゝ氣遣はあるまい。もし怒られたら君は公平と云ふ意味を御承知ないのである。とにかく吾輩は兩君の談話を聞いたのである。聞きたくて聽いたのではない。聞きたくもないのに談話の方で吾輩の耳の中へ飛び込んで來たのである。
 「只今御宅へ伺ひました所で、丁度よい所で御目にかゝりました」と藤《とう》さんは鄭寧に頭をぴよこつかせる。
 「うむ、さうかへえ。實は此間《こなひだ》から、君に一寸逢ひたいと思つて居たがね。それはよかつた」
 「へえ、それは好都合で御座いました。何かご用で」
 「いや何、大した事でもないのさ。どうでもいゝんだが、君でないと出來ない事なんだ」
 「私に出來る事なら何でもやりませう。どんな事で」
 「えゝ、さう……」と考へて居る。
 「何なら、御都合のとき出直して伺ひませう。いつが宜しう、御座いますか」
 「なあに、そんな大した事ぢや無いのさ。――それぢや切角だから頼もうか」
 「どうか御遠慮なく……」
 「あの變人ね。そら君の舊友さ。苦沙彌とか何とか云ふぢやないか」
 「えゝ苦沙彌がどうかしましたか」
 「いえ、どうもせんがね。あの事件以來|胸糞《むなくそ》がわるくつてね」
 「御尤もで、全く苦沙彌は剛慢ですから……少しは自分の社會上の地位を考へて居るといゝのですけれども、丸《まる》で一人天下ですから」
 「そこさ。金に頭はさげん、實業家なんぞ――とか何とか、色々小生意氣な事を云ふから、そんなら實業家の腕前を見せてやらう、と思つてね。此間《こなひだ》から大分《だいぶ》弱らして居るんだが、矢つ張り頑張つて居るんだ。どうも剛情な奴だ。驚ろいたよ」
 「どうも損得と云ふ觀念の乏しい奴ですから無暗に痩我慢を張るんでせう。昔からあゝ云ふ癖のある男で、つまり自分の損になる事に氣が付かないんですから度《ど》し難いです」
 「あはゝゝほんとに度し難い。色々手を易へ品を易へてやつて見るんだがね。とう/\仕舞に學校の生徒にやらした」
 「そいつは妙案ですな。利目《きゝめ》が御座いましたか」
 「これにやあ、奴も大分《だいぶ》困つた樣だ。もう遠からず落城するに極つてゐる」
 「そりや結構です。いくら威張つても多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》ですからな」
 「さうさ、一人ぢやあ仕方がねえ。それで大分《だいぶ》弱つた樣だが、まあどんな樣子か君に行つて見て來てもらはふと云ふのさ」
 「はあ、さうですか。なに譯はありません。すぐ行つて見ませう。容子は歸りがけに御報知を致す事にして。面白いでせう、あの頑固なのが意氣銷沈《いきせうちん》して居る所は、屹度《きつと》見物《みもの》ですよ」
 「あゝ、それぢや歸りに御寄り、待つてゐるから」
 「それでは御免蒙ります」
 おや今度も亦|魂膽《こんたん》だ、成程實業家の勢力はえらいものだ、石炭の燃殼《もえがら》の樣な主人を逆上させるのも、苦悶の結果主人の頭が蠅滑《はへすべ》りの難所となるのも、其頭がイスキラスと同樣の運命に陷《おちい》るのも皆實業家の勢力である。地球が地軸を廻轉するのは何の作用かわからないが、世の中を動かすものは慥かに金である。此金の功力《くりき》を心得て、此金の威光を自由に發揮するものは實業家諸君を置いて外に一人もない。太陽が無事に東から出て、無事に西へ入るのも全く實業家の御蔭である。今迄はわからずやの窮措大《きゆうそだい》の家に養なはれて實業家の御利益《ごりやく》を知らなかつたのは、我ながら不覺である。それにしても冥頑不靈《めいぐわんふれい》の主人も今度は少し悟らずばなるまい。是でも冥頑不靈《めいぐわんふれい》で押し通す了見だと危《あぶ》ない。主人の尤も貴重する命があぶない。彼は鈴木君に逢つてどんな挨拶をするのか知らん。其模樣で彼の悟り具合も自《おのづ》から分明《ぶんみやう》になる。愚圖々々しては居られん、猫だつて主人の事だから大《おほい》に心配になる。早々鈴木君をすり拔けて御先へ歸宅する。
 鈴木君は不相變《あひかはらず》調子のいゝ男である。今日は金田の事などはおくびにも出さない、連《しき》りに當り障りのない世間話を面白さうにして居る。
 「君少し顔色が惡《わ》るい樣だぜ、どうかしやせんか」
 「別にどこも何ともないさ」
 「でも蒼いぜ、用心せんといかんよ。時候がわるいからね。よるは安眠が出來るかね」
 「うん」
 「何か心配でもありやしないか、僕に出來る事なら何でもするぜ。遠慮なく云ひ給へ」
 「心配つて、何を?」
 「いえ、なければいゝが、もしあればと云ふ事さ。心配が一番毒だからな。世の中は笑つて面白く暮すのが得だよ。どうも君は餘り陰氣過ぎる樣だ」
 「笑ふのも毒だからな。無暗に笑ふと死ぬ事があるぜ」
 「冗談云つちやいけない。笑ふ門《かど》には福|來《きた》るさ」
 「昔《むか》し希臘《ギリシヤ》にクリシツパスと云ふ哲學者があつたが、君は知るま い」
 「知らない。それがどうしたのさ」
 「其男が笑ひ過ぎて死んだんだ」
 「へえー、そいつは不思議だね、然しそりや昔の事だから……」
 「昔《むか》しだつて今だつて變りがあるものか。驢馬《ろば》が銀の丼《どんぶり》から無花果《いちじゆく》を食ふのを見て、可笑《をか》しくつてたまらなくつて無暗に笑つたんだ。所がどうしても笑ひがとまらない。とう/\笑ひ死にゝ死んだんだあね」
 「はゝゝ然しそんなに留《と》め度《ど》もなく笑はなくつてもいゝさ。少し笑ふ――適宜に、――さうするといゝ心持ちだ」
 鈴木君が頻りに主人の動靜を研究して居ると、表の門ががら/\とあく、客來《きやくらい》かと思ふとさうでない。
 「一寸ボールが這入りましたから、取らして下さい」
 下女は臺所から「はい」と答へる。書生は裏手へ廻る。鈴木は妙な顔をして何だいと聞く。
 「裏の書生がボールを庭へ投げ込んだんだ」
 「裏の書生? 裏に書生が居るのかい」
 「落雲館《らくうんくわん》と云ふ學校さ」
 「あゝさうか、學校か。隨分騷々しいだらうね」
 「騷々しいの何のつて。碌々勉強も出來やしない。僕が文部大臣なら早速閉鎖を命じてやる」
 「ハゝゝ大分《だいぶ》怒《おこ》つたね。何か癪に障る事でも有るのかい」
 「あるのないのつて、朝から晩迄癪に障り續けだ」
 「そんなに癪に障るなら越せばいゝぢやないか」
 「誰が越すもんか、失敬千萬な」
 「僕に怒つたつて仕方がない。なあに小供だあね、打《うつ》ちやつて置けばいゝさ」
 「君はよからうが僕はよくない。昨日《きのふ》はヘ師を呼びつけて談判してやつた」
 「それは面白かつたね。恐れ入つたらう」
 「うん」
 此時又|門口《かどぐち》をあけて「一寸ボールが這入りましたから取らして下さい」と云ふ聲がする。
 「いや大分《だいぶ》來るぢやないか、又ボールだぜ君」
 「うん、表から來る樣に契約したんだ」
 「成程それであんなにくるんだね。さうーか、分つた」
 「何が分つたんだい」
 「なに、ボールを取りにくる源因がさ」
 「今日は是で十六返目だ」
 「君うるさくないか。來ない樣にしたらいゝぢやないか」
 「來ない樣にするつたつて、來るから仕方がないさ」
 「仕方がないと云へば夫《それ》迄《まで》だが、さう頑固にして居ないでもよからう。人間は角があると世の中を轉《ころ》がつて行くのが骨が折れて損だよ。丸いものはごろ/\どこへでも苦《く》なしに行けるが四角なものはころがるに骨が折れる許《ばか》りぢやない、轉がるたびに角《かど》がすれて痛いものだ。どうせ自分一人の世の中ぢやなし、さう自分の思ふ樣に人はならないさ。まあ何だね。どうしても金のあるものに、たてを突いちや損だね。只神經|許《ばか》り痛めて、からだは惡くなる、人は褒めてくれず。向ふは平氣なものさ。坐つて人を使ひさへすれば濟むんだから。多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》どうせ、叶《かな》はないのは知れて居るさ。頑固もいゝが、立て通す積りで居るうちに、自分の勉強に障つたり、毎日の業務に煩《はん》を及ぼしたり、とゞのつまりが骨折り損の草臥儲《くたびれまう》けだからね」
 「御免なさい。今一寸ボールが飛びましたから、裏口へ廻つて、取つてもいゝですか」
 「そら又來たぜ」と鈴木君は笑つて居る。
 「失敬な」と主人は眞赤《まつか》になつて居る。
 鈴木君はもう大概訪問の意を果したと思つたから、それぢや失敬ちと來《き》玉《たま》へと歸つて行く。
 入れ代つてやつて來たのが甘木《あまき》先生である。逆上家《ぎやくじやうか》が自分で逆上家だと名乘る者は昔《むか》しから例が少ない、是は少々變だなと覺《さと》つた時は逆上の峠はもう越して居る。主人の逆上は昨日《きのふ》の大事件の際に最高度に達したのであるが、談判も龍頭蛇尾たるに係《かゝは》らず、どうかかうか始末がついたので其晩書齋でつく/”\考へて見ると少し變だと氣が付いた。尤《もつとも》落雲館が變なのか、自分が變なのか疑を存する餘地は充分あるが、何しろ變に違ない。いくら中學校の隣に居を構へたつて、斯《かく》の如く年が年中|肝癪《かんしやく》を起しつゞけはちと變だと氣が付いた。變であつて見ればどうかしなければならん。どうするつたつて仕方がない、矢張り醫者の藥でも飲んで肝癪の源《みなもと》に賄賂《わいろ》でも使つて慰撫《ゐぶ》するより外に道はない。かう覺つたから平生かゝりつけの甘木先生を迎へて診察を受けて見《み》樣《やう》と云ふ量見を起したのである。賢か愚か、其邊は別問題として、兎に角自分の逆上に氣が付いた丈《だけ》は殊勝《しゆしよう》の志、奇特《きどく》の心得と云はなければならん。甘木先生は例の如くにこ/\と落付き拂つて、「如何《どう》です」と云ふ。醫者は大抵|如何《どう》ですと云ふに極まつてる。吾輩は「如何《どう》です」と云はない醫者はどうも信用を置く氣にならん。
 「先生どうも駄目ですよ」
 「え、何そんな事があるものですか」
 「一體醫者の藥は利くものでせうか」
 甘木先生も驚ろいたが、そこは温厚の長者《ちやうしや》だから、別段激した樣子もなく、
 「利かん事もないです」と穩かに答へた。
 「私《わたし》の胃病なんか、いくら藥を飲んでも同じ事ですぜ」
 「決して、そんな事はない」
 「ないですかな。少しは善くなりますかな」と自分の胃の事を人に聞いて見る。
 「さう急には、癒りません、だん/\利きます。今でももとより大分《だいぶ》よくなつて居ます」
 「さうですかな」
 「矢張り肝癪《かんしやく》が起りますか」
 「起りますとも、夢に迄肝癪を起します」
 「運動でも、少しなさつたらいゝでせう」
 「運動すると、猶《なほ》肝癪が起ります」
 甘木先生もあきれ返つたものと見えて、
 「どれ一つ拜見しませうか」と診察を始める。診察を終るのを待ちかねた主人は、突然大きな聲を出して、
 「先生、先達《せんだつ》て催眠術のかいてある本を讀んだら、催眠術を應用して手癖のわるいんだの、色々な病氣だのを直す事が出來ると書いてあつたですが、本當でせうか」と聞く。
 「えゝ、さう云ふ療法もあります」
 「今でもやるんですか」
 「えゝ」
 「催眠術をかけるのは六づかしいものでせうか」
 「なに譯はありません、私《わたし》などもよく懸けます」
 「先生もやるんですか」
 「えゝ、一つやつて見ませうか。誰でも懸《かゝ》らなければならん理窟のものです。あなたさへ善ければ懸けて見ませう」
 「そいつは面白い、一つ懸けて下さい。私《わたし》もとうから懸かつて見たいと思つたんです。然し懸かりきりで眼が覺めないと困るな」
 「なに大丈夫です。それぢや遣りませう」
 相談は忽ち一決して、主人は愈《いよ/\》催眠術を懸けらるゝ事となつた。吾輩は今迄こんな事を見た事がないから心ひそかに喜んで其結果を座敷の隅から拜見する。先生はまづ、主人の眼からかけ始めた。其方法を見て居ると、兩眼《りやうがん》の上瞼《うはまぶた》を上から下へと撫でゝ、主人が既に眼を眠《ねむ》つて居るにも係《かゝは》らず、頻りに同じ方向へくせを付けたがつて居る。しばらくすると先生は主人に向つて「かうやつて、瞼《まぶた》を撫《な》でゝ居ると、だん/\眼が重たくなるでせう」と聞いた。主人は「成程重くなりますな」と答へる。先生は猶《なほ》同じ樣に撫《な》でおろし、撫《な》でおろし「だん/\重くなりますよ、ようござんすか」と云ふ。主人も其氣になつたものか、何とも云はずに黙つて居る。同じ摩擦法は又三四分繰り返される。最後に甘木先生は「さあもう開《あ》きませんぜ」と云はれた。可哀想《かはいさう》に主人の眼はとう/\潰れて仕舞つた。「もう開《あ》かんのですか」「えゝもうあきません」主人は黙然《もくねん》として目を眠つて居る。吾輩は主人がもう盲目《めくら》になつたものと思ひ込んで仕舞つた。しばらくして先生は「あけるなら開《あ》いて御覽なさい。到底あけないから」と云はれる。「さうですか」と云ふが早いか主人は普通の通り兩眼《りやうがん》を開《あ》いて居た。主人はにや/\笑ひながら「懸かりませんな」と云ふと甘木先生も同じく笑ひながら「えゝ、懸りません」と云ふ。催眠術は遂に不成功に了る。甘木先生も歸る。
 其次に來たのが――主人のうちへ此位客の來た事はない。交際の少ない主人の家にしては丸《まる》で嘘の樣である。然し來たに相違ない。しかも珍客が來た。吾輩が此珍客の事を一言《いちごん》でも記述するのは單に珍客であるが爲ではない。吾輩は先刻申す通り大事件の餘瀾《よらん》を描《ゑが》きつゝある。而《しか》して此珍客は此|餘瀾《よらん》を描《ゑが》くに方《あた》つて逸すべからざる材料である。何と云ふ名前か知らん、只顔の長い上に、山羊《やぎ》の樣な髯を生やして居る四十前後の男と云へばよからう。迷亭の美學者たるに對して、吾輩は此男を哲學者と呼ぶ積りである。なぜ哲學者と云ふと、何も迷亭の樣に自分で振り散らすからではない、只主人と對話する時の樣子を拜見して居ると如何にも哲學者らしく思はれるからである。是も昔《むか》しの同窓と見えて兩人《ふたり》共《とも》應對振りは至極打ち解けた有樣だ。
 「うん迷亭か、あれは池に浮いてる金魚麩《きんぎよふ》の樣にふわ/\して居るね。先達《せんだつ》て友人を連れて一面識もない華族の門前を通行した時、一寸寄つて茶でも飲んで行かうと云つて引つ張り込んださうだが隨分|呑氣《のんき》だね」
 「夫《それ》でどうしたい」
 「どうしたか聞いても見なかつたが、――さうさ、まあ天稟《てんぴん》の奇人だらう、其代り考も何もない全く金魚麩だ。鈴木か、――あれがくるのかい、へえー、あれは理窟はわからんが世間的には利口な男だ。金時計は下げられるたちだ。然し奧行きがないから落ちつきがなくつて駄目だ。圓滑々々と云ふが、圓滑の意味も何もわかりはせんよ。迷亭が金魚麩ならあれは藁で括《くゝ》つた蒟蒻《こんにやく》だね。たゞわるく滑《なめら》かでぶる/\振《ふる》へて居る許《ばか》りだ」
 主人は此|奇警《きけい》な比喩《ひゆ》を聞いて、大《おほい》に感心したものらしく、久し振りでハヽヽと笑つた。
 「そんなら君は何だい」
 「僕か、さうさな僕なんかは――まあ自然薯《じねんじよ》位な所だらう。長くなつて泥の中に埋《うま》つてるさ」
 「君は始終泰然として氣樂な樣だが、羨ましいな」
 「なに普通の人間と同じ樣にして居る許《ばか》りさ。別に羨まれるに足る程の事もない。只|難有《ありがた》い事に人を羨む氣も起らんから、夫《それ》丈《だけ》いゝね」
 「會計は近頃豐かゝね」
 「なに同じ事さ。足るや足らずさ。然し食ふて居るから大丈夫。驚かないよ」
 「僕は不愉快で、肝癪が起つて堪《たま》らん。どつちを向いても不平|許《ばか》りだ」
 「不平もいゝさ。不平が起つたら起して仕舞へば當分はいゝ心持ちになれる。人間は色々だから、さう自分の樣に人にもなれと勸めたつて、なれるものではない。箸は人と同じ樣に持たんと飯が食ひにくいが、自分の?麭《パン》は自分の勝手に切るのが一番都合がいゝ樣だ。上手な仕立屋で着物をこしらへれば、着たてから、からだに合つたのを持つてくるが、下手の裁縫屋《したてや》に誂へたら當分は我慢しないと駄目さ。然し世の中はうまくしたもので、着て居るうちには洋服の方で、こちらの骨格に合はしてくれるから。今の世に合ふ樣に上等な兩親が手際よく生んでくれゝば、それが幸福なのさ。然し出來損《できそ》こなつたら世の中に合はないで我慢するか、又は世の中で合はせる迄辛抱するより外に道はなからう」
 「然し僕なんか、いつ迄立つても合ひさうにないぜ、心細いね」
 「あまり合はない脊廣を無理にきると綻《ほころ》びる。喧嘩をしたり、自殺をしたり騷動が起るんだね。然し君なんか只面白くないと云ふ丈《だけ》で自殺は無論しやせず、喧嘩だつて遣つた事はあるまい。まあ/\いゝ方だよ」
 「所が毎日喧嘩ばかりして居るさ。相手が出て來なくつても怒つて居れば喧嘩だらう」
 「成程|一人喧嘩《ひとりげんくわ》だ。面白いや、いくらでもやるがいゝ」
 「それがいやになつた」
 「そんならよすさ」
 「君の前だが自分の心がそんなに自由になるものぢやない」
 「まあ全體何がそんなに不平なんだい」
 主人は是《こゝ》に於て落雲館事件を始めとして、今戸燒《いまどやき》の狸《たぬき》から、ぴん助、きしやご其ほかあらゆる不平を擧げて滔々《たう/\》と哲學者の前に述べ立てた。哲學者先生はだまつて聞いて居たが、漸く口を開《ひら》いて、かやうに主人に説き出した。
 「ぴん助やきしやごが何を云つたつて知らん顔をして居ればいゝぢやないか。どうせ下らんのだから。中學の生徒なんか構ふ價値があるものか。なに妨害になる。だつて談判しても、喧嘩をしても其妨害はとれんのぢやないか。僕はさう云ふ點になると西洋人より昔《むか》しの日本人の方が餘程えらいと思ふ。西洋人のやり方は積極的積極的と云つて近頃|大分《だいぶ》流行《はや》るが、あれは大《だい》なる缺點を持つて居るよ。第一積極的と云つたつて際限がない話しだ。いつ迄積極的にやり通したつて、滿足と云ふ域とか完全と云ふ境《さかひ》にいけるものぢやない。向《むかふ》に檜《ひのき》があるだらう。あれが目障りになるから取り拂ふ。と其向ふの下宿屋が又邪魔になる。下宿屋を退去させると、其次の家が癪に觸る。どこ迄行つても際限のない話しさ。西洋人の遣り口はみんな是さ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝つて滿足したものは一人もないんだよ。人が氣に喰はん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法庭《はふてい》へ訴へる、法庭《はふてい》で勝つ、夫《それ》で落着と思ふのは間違さ。心の落着は死ぬ迄|焦《あせ》つたつて片付く事があるものか。寡人政治《くわじんせいぢ》がいかんから、代議政體《だいぎせいたい》にする。代議政體がいかんから、又何かにしたくなる。川が生意氣だつて橋をかける、山が氣に喰はんと云つて隧道《トンネル》を堀る。交通が面倒だと云つて鐵道を布《し》く。夫《それ》で永久滿足が出來るものぢやない。去《さ》ればと云つて人間だものどこ迄積極的に我意を通す事が出來るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不滿足で一生をくらす人の作つた文明さ。日本の文明は自分以外の?態を變化させて滿足を求めるのぢやない。西洋と大《おほい》に違ふところは、根本的に周圍の境遇は動かすべからざるものと云ふ一大假定の下《もと》に發達して居るのだ。親子の關係が面白くないと云つて歐洲人の樣に此關係を改良して落ち付きをとらうとするのではない。親子の關係は在來の儘で到底動かす事が出來んものとして、其關係の下《もと》に安心を求むる手段を講ずるにある。夫婦君臣の間柄も其通り、武士町人の區別も其通り、自然其物を觀るのも其通り。――山があつて隣國へ行かれなければ、山を崩すと云ふ考を起す代りに隣國へ行かんでも困らないと云ふ工夫をする。山を越さなくとも滿足だと云ふ心持ちを養成するのだ。それだから君見給へ。禪家《ぜんけ》でも儒家《じゆか》でも屹度根本的に此問題をつらまへる。いくら自分がえらくても世の中は到底意の如くなるものではない、落日を回《めぐ》らす事も、加茂川を逆《さか》に流す事も出來ない。只出來るものは自分の心|丈《だけ》だからね。心さへ自由にする修業をしたら、落雲館の生徒がいくら騷いでも平氣なものではないか、今戸燒の狸でも構はんで居られさうなものだ。ぴん助なんか愚《ぐ》な事を云つたら此馬鹿野郎と濟まして居れば仔細《しさい》なからう。何でも昔《むか》しの坊主は人に斬り付けられた時|電光影裏《でんくわうえいり》に春風《しゆんぷう》を斬《き》るとか、何とか洒落《しや》れた事を云つたと云ふ話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな靈活な作用が出來るのぢやないかしらん。僕なんか、そんな六づかしい事は分らないが、とにかく西洋人風の積極主義|許《ばか》りがいゝと思ふのは少々誤まつて居る樣だ。現に君がいくら積極主義に働いたつて、生徒が君をひやかしにくるのをどうする事も出來ないぢやないか。君の權力であの學校を閉鎖するか、又は先方が警察に訴へる丈《だけ》のわるい事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たつたて勝てつこないよ。もし積極的に出るとすれば金の問題になる。多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》の問題になる。換言すると君が金持に頭を下げなければならんと云ふ事になる。衆を恃《たの》む小供に恐れ入らなければならんと云ふ事になる。君の樣な貧乏人でしかもたつた一人で積極的に喧嘩をしやうと云ふのが抑《そもそ》も君の不平の種さ。どうだい分つたかい」
 主人は分つたとも、分らないとも言はずに聞いて居た。珍客が歸つたあとで書齋へ這入つて書物も讀まずに何か考へて居た。
 鈴木の藤《とう》さんは金と衆とに從へと主人にヘへたのである。甘木先生は催眠術で神經を沈めろと助言《じよごん》したのである。最後の珍客は消極的の修養で安心を得ろと説法したのである。主人がいづれを擇ぶかは主人の隨意である。只此儘では通されないに極まつて居る。
 
     九
 
 主人は痘痕面《あばたづら》である。御維新《ごゐつしん》前《まへ》はあばた〔三字傍点〕も大分《だいぶ》流行《はや》つたものださうだが日英同盟の今日《こんにち》から見ると、こんな顔は聊《いさゝ》か時候|後《おく》れの感がある。あばた〔三字傍点〕の衰退は人口の攝Bと反比例して近き將來には全く其|迹《あと》を絶つに至るだらうとは醫學上の統計から精密に割り出されたる結論であつて、吾輩の如き猫と雖《いへど》も毫も疑を挾《さしはさ》む餘地のない程の名論である。現今地球上にあばたつ面《つら》を有して生息して居る人間は何人位あるか知らんが、吾輩が交際の區域内に於て打算して見ると、猫には一匹もない。人間にはたつた一人ある。而《しか》して其一人が即ち主人である。甚だ氣の毒である。
 吾輩は主人の顔を見る度に考へる。まあ何の因果でこんな妙な顔をして臆面なく二十世紀の空氣を呼吸して居るのだらう。昔なら少しは幅も利いたか知らんが、あらゆるあばた〔三字傍点〕が二の腕へ立ち退《の》きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取つて頑《ぐわん》として動かないのは自慢にならんのみか、却つてあばた〔三字傍点〕の體面に關する譯だ。出來る事なら今のうち取り拂つたらよささうなものだ。あばた〔三字傍点〕自身だつて心細いに違ひない。夫《それ》とも黨勢不振の際、誓つて落日を中天《ちゆうてん》に挽回せずんば已《や》まずと云ふ意氣込みで、あんなに横風《わうふう》に顔一面を占領して居るのか知らん。さうすると此あばた〔三字傍点〕は決して輕蔑の意を以て視るべきものでない。滔々《たう/\》たる流俗に抗する萬古不磨《ばんこふま》の穴の集合體であつて、大《おほい》に吾人の尊敬に値する凸凹《でこぼこ》と云つて宜しい。只きたならしいのが缺點である。
 主人の小供のときに牛込の山伏町に淺田宗伯《あさだそうはく》と云ふ漢法の名醫があつたが、此老人が病家を見舞ふときには必ずかご〔二字傍点〕に乘つてそろり/\と參られたさうだ。所が宗伯老《そうはくらう》が亡くなられて其養子の代になつたら、かご〔二字傍点〕が忽ち人力車に變じた。だから養子が死んで其又養子が跡を續《つ》いだら葛根湯《かつこんたう》がアンチピリンに化けるかも知れない。かご〔二字傍点〕に乘つて東京市中を練りあるくのは宗伯老の當時ですら餘り見つともいゝものでは無かつた。こんな眞似をして澄《すま》して居たものは舊弊な亡者《まうじや》と、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであつた。
 主人のあばた〔三字傍点〕も其の振はざる事に於ては宗伯老のかご〔二字傍点〕と一般で、はたから見ると氣の毒な位だが、漢法醫にも劣らざる頑固な主人は依然として孤城落日のあばた〔三字傍点〕を天下に曝露しつゝ毎日登校してリードルをヘへて居る。
 かくの如き前世紀の紀念を滿面に刻《こく》してヘ壇に立つ彼は、其生徒に對して授業以外に大《だい》なる訓戒を垂れつゝあるに相違ない。彼は「猿が手を持つ」を反覆するよりも「あばた〔三字傍点〕の顔面に及ぼす影響」と云ふ大問題を造作《ざうさ》もなく解釋して、不言《ふげん》の間《かん》に其答案を生徒に與へつゝある。もし主人の樣な人間がヘ師として存在しなくなつた曉には彼等生徒は此問題を研究する爲めに圖書館|若《もし》くは博物館へ馳けつけて、吾人がミイラによつて埃及人《エジプトじん》を髣髴《はうふつ》すると同程度の勞力を費やさねばならぬ。是《この》點《てん》から見ると主人の痘痕《あばた》も冥々《めい/\》の裡《うち》に妙な功コ《くどく》を施こして居る。
 尤も主人は此|功コ《くどく》を施こす爲に顔一面に疱瘡《はうさう》を種《う》ゑ付けたのではない。是でも實は種《う》ゑ疱瘡《ばうさう》をしたのである。不幸にして腕に種《う》ゑたと思つたのが、いつの間《ま》にか顔へ傳染して居たのである。其頃は小供の事で今の樣に色氣《いろけ》もなにもなかつたものだから、痒《かゆ》い/\と云ひながら無暗に顔中引き掻いたのださうだ。丁度噴火山が破裂してラ?が顔の上を流れた樣なもので、親が生んでくれた顔を臺なしにして仕舞つた。主人は折々細君に向つて疱瘡《はうさう》をせぬうちは玉の樣な男子であつたと云つて居る。淺草の觀音樣で西洋人が振り反《かへ》つて見た位奇麗だつた抔《など》と自慢する事さへある。成程さうかも知れない。たゞ誰も保證人の居ないのが殘念である。
 いくら功コになつても訓戒になつても、きたない者は矢つ張りきたないものだから、物心《ものごゝろ》がついて以來と云ふもの主人は大《おほい》にあばた〔三字傍点〕に就て心配し出して、あらゆる手段を盡して此醜態を揉み潰さうとした。所が宗伯老のかご〔二字傍点〕と違つて、いやになつたからと云ふてさう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と殘つて居る。此歴然が多少氣にかゝると見えて、主人は往來をあるく度毎にあばた〔三字傍点〕面《づら》を勘定してあるくさうだ。今日何人あばた〔三字傍点〕に出逢つて、其|主《ぬし》は男か女か、其場所は小川町の勸工場であるか、上野の公園であるか、悉《こと/”\》く彼の日記につけ込んである。彼はあばた〔三字傍点〕に關する智識に於ては決して誰にも讓るまいと確信して居る。先達《せんだつ》てある洋行歸りの友人が來た折なぞは、「君西洋人にはあばた〔三字傍点〕があるかな」と聞いた位だ。すると其友人が「さうだな」と首を曲げながら餘程考へたあとで「まあ滅多にないね」と云つたら、主人は「滅多になくつても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返へした。友人は氣のない顔で「あつても乞食か立《たち》ん坊《ばう》だよ。ヘ育のある人にはない樣だ」と答へたら、主人は「さうかなあ、日本とは少し違ふね」と云つた。
 哲學者の意見によつて落雲館との喧嘩を思ひ留つた主人は其後書齋に立て籠つてしきりに何か考へて居る。彼の忠告を容れて靜坐の裡《うち》に靈活なる精神を消極的に修養する積《つもり》かも知れないが、元來が氣の小さな人間の癖に、あゝ陰氣な懷手《ふところで》許《ばか》りして居ては碌な結果の出《で》樣《やう》筈《はず》がない。夫《それ》より英書でも質に入れて藝者から喇叭節《らつぱぶし》でも習つた方が遙かにましだと迄は氣が付いたが、あんな偏屈な男は到底猫の忠告|抔《など》を聽く氣遣はないから、まあ勝手にさせたらよからうと五六日は近寄りもせずに暮した。
 今日はあれから丁度|七日目《なぬかめ》である。禪家|抔《など》では一七日《いちしちにち》を限つて大悟して見せる抔《など》と凄《すさま》じい勢で結跏《けつか》する連中もある事だから、うちの主人もどうかなつたらう、死ぬか生きるか何とか片付いたらうと、のそ/\椽側から書齋の入口迄來て室内の動靜を偵察《ていさつ》に及んだ。
 書齋は南向きの六疊で、日當りのいゝ所に大きな机が据ゑてある。只大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さ是に叶《かな》ふと云ふ大きな机である。無論出來合のものではない。近所の建具屋に談判して寐臺|兼《けん》机として製造せしめたる稀代《きたい》の品物である。何の故にこんな大きな机を新調して、又何の故に其上に寐て見《み》樣《やう》抔《など》といふ了見を起したものか、本人に聞いて見ない事だから頓《とん》とわからない。ほんの一時の出來心で、かゝる難物を擔ぎ込んだのかも知れず、或はことによると一種の精神病者に於て吾人が?《しば/\》見出《みいだ》す如く、縁もゆかりもない二個の觀念を連想して、机と寐臺を勝手に結び付けたものかも知れない。兎に角奇拔な考へである。只奇拔|丈《だけ》で役に立たないのが缺點である。吾輩は甞て主人が此机の上へ晝寐をして寐返りをする拍子に椽側へ轉げ落ちたのを見た事がある。夫《それ》以來此机は決して寐臺に轉用されない樣である。
 机の前には薄つぺらなメリンスの座布團があつて、烟草の火で燒けた穴が三つ程かたまつてる。中から見える綿は薄黒い。此座布團の上に後《うし》ろ向きにかしこまつて居るのが主人である。鼠色によごれた兵兒帶《へこおび》をこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかゝつて居る。此帶へじやれ付いて、いきなり頭を張られたのは此間《こなひだ》の事である。滅多に寄り付くべき帶ではない。
 まだ考へて居るのか下手の考と云ふ喩《たとへ》もあるのにと後《うし》ろから覗き込んで見ると、机の上でいやにぴか/\と光つたものがある。吾輩は思はず、續け樣に二三度|瞬《まばたき》をしたが、こいつは變だとまぶしいのを我慢して昵《ぢつ》と光るものを見詰めてやつた。すると此光りは机の上で動いて居る鏡から出るものだと云ふ事が分つた。然し主人は何の爲めに書齋で鏡|抔《など》を振り舞はして居るのであらう。鏡と云へば風呂場にあるに極まつて居る。現に吾輩は今朝風呂場で此鏡を見たのだ。此鏡〔二字傍点〕ととくに云ふのは主人のうちには是より外に鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗つたあとで髪を分けるときにも此鏡を用ゐる。――主人の樣な男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、實際彼は他《ほか》の事に無精《ぶしやう》なる丈《だけ》其《それ》丈《だけ》頭を叮嚀にする。吾輩が當家に參つてから今に至る迄主人は如何なる炎熱の日と雖《いへども》五分刈に刈り込んだ事はない。必ず二寸位の長さにして、それを御大《ごたい》さうに左の方で分けるのみか、右の端《はじ》を一寸|跳《は》ね返して澄《すま》して居る。是も精神病の徴候かも知れない。こんな氣取つた分け方は此机と一向《いつかう》調和しないと思ふが、敢て他人に害を及ぼす程の事でないから、誰も何とも云はない。本人も得意である。分け方のハイカラなのは偖《さて》措《お》いて、なぜあんなに髪を長くするのかと思つたら實はかう云ふ譯である。彼のあばた〔三字傍点〕は單に彼の顔を侵蝕せるのみならず、とくの昔《むか》しに腦天迄食ひ込んで居るのださうだ。だから若し普通の人の樣に五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばた〔三字傍点〕があらはれてくる。いくら撫でゝも、さすつてもぽつ/\がとれない。枯野に螢を放つた樣なもので風流かも知れないが、細君の御意《ぎよい》に入らんのは勿論の事である。髪さへ長くして置けば露見しないで濟む所を、好んで自己の非を曝くにも當らぬ譯だ。ならう事なら顔迄毛を生やして、こつちのあばた〔三字傍点〕も内濟《ないさい》にしたい位な所だから、只で生える毛を錢《ぜに》を出して刈り込ませて、私は頭蓋骨の上迄|天然痘《てんねんとう》にやられましたよと吹聽《ふいちやう》する必要はあるまい。――是が主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、其原因が鏡を見る譯で、其鏡が風呂場にある所以《ゆゑん》で、而《しかう》して其鏡が一つしかないと云ふ事實である。
 風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書齋に來て居る以上は鏡が離魂病《りこんびやう》に罹《かゝ》つたのか又は主人が風呂場から持つて來たに相違ない。持つて來たとすれば何の爲めに持つて來たのだらう。或は例の消極的修養に必要な道具かも知れない。昔《むか》し或る學者が何とかいふ智識を訪ふたら、和尚《をしやう》兩肌を拔いで甎《かはら》を磨《ま》して居られた。何をこしらへなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造らうと思ふて一生懸命にやつて居る所ぢやと答へた。そこで學者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎《かはら》を磨《ま》して鏡とする事は出來まいと云ふたら、和尚から/\と笑ひながら左樣《さう》か、夫《そ》れぢややめよ、いくら書物を讀んでも道はわからぬのもそんなものぢやろと罵つたと云ふから、主人もそんな事を聞き?《かじ》つて風呂場から鏡でも持つて來て、したり顔に振り廻してゐるのかも知れない。大分《だいぶ》物騷になつて來たなと、そつと窺《うかゞ》つて居る。
 かくとも知らぬ主人は甚だ熱心なる容子を以て一張來《いつちやうらい》の鏡を見詰めて居る。元來鏡といふものは氣味の惡いものである。深夜?燭を立てゝ、廣い部屋のなかで一人鏡を覗き込むには餘程の勇氣が入るさうだ。吾輩|抔《など》は始めて當家の令孃から鏡を顔の前へ押し付けられた時に、はつと仰天して屋敷のまはりを三度馳け回つた位である。如何に白晝と雖《いへ》ども、主人の樣にかく一生懸命に見詰めて居る以上は自分で自分の顔が怖《こは》くなるに相違ない。只見てさへあまり氣味のいゝ顔ぢやない。稍《やゝ》あつて主人は「成程きたない顔だ」と獨《ひと》り言《ごと》を云つた。自己の醜を自白するのは中々見上げたものだ。樣子から云ふと慥《たしか》に氣違の所作《しよさ》だが言ふことは眞理である。是がもう一歩進むと、己《おの》れの醜惡な事が怖《こは》くなる。人間は吾身が怖ろしい惡黨であると云ふ事實を徹骨徹髄に感じた者でないと苦勞人とは云へない。苦勞人でないと到底|解脱《げだつ》は出來ない。主人もこゝ迄來たら序《つい》でに「おゝ怖《こは》い」とでも云ひさうなものであるが中々云はない。「成程きたない顔だ」と云つたあとで、何を考へ出したか、ぷうつと頬《ほ》つぺたを膨《ふく》らました。さうしてふくれた頬《ほ》つぺたを平手《ひらて》で二三度叩いて見る。何のまじないだか分らない。此時吾輩は何だか此顔に似たものがあるらしいと云ふ感じがした。よく/\考へて見ると夫《そ》れは御三《おさん》の顔である。序《つい》でだから御三《おさん》の顔を一寸紹介するが、それは/\ふくれたものである。此間さる人が穴守稻荷《あなもりいなり》から河豚《ふぐ》の提灯《ちやうちん》をみやげに持つて來てくれたが、丁度あの河豚提灯《ふぐちやうちん》の樣にふくれて居る。あまりふくれ方が殘酷なので眼は兩方共紛失して居る。尤も河豚《ふぐ》のふくれるのは萬遍なく眞丸《まんまる》にふくれるのだが、お三とくると、元來の骨格が多角性であつて、其骨格通りにふくれ上がるのだから、丸《まる》で水氣《すゐき》になやんで居る六角時計の樣なものだ。御三が聞いたら嘸《さぞ》怒《おこ》るだらうから、御三は此位にして又主人の方に歸るが、かくの如くあらん限りの空氣を以て頬《ほ》つぺたをふくらませたる彼は前《ぜん》申す通り手のひらで頬《ほつ》ぺたを叩きながら「此位皮膚が緊張するとあばた〔三字傍点〕も眼につかん」と又|獨《ひと》り語《ごと》をいつた。
 こんどは顔を横に向けて半面に光線を受けた所を鏡にうつして見る。「かうして見ると大變目立つ。矢つ張りまともに日の向いてる方が平《たひら》に見える。奇體な物だなあ」と大分《だいぶ》感心した樣子であつた。それから右の手をうんと伸《のば》して、出來る丈《だけ》鏡を遠距離に持つて行つて靜かに熟視してゐる。「此位離れるとそんなでもない。矢張り近過ぎるといかん。――顔|許《ばか》りぢやない何でもそんなものだ」と悟つた樣なことを云ふ。次に鏡を急に横にした。さうして鼻の根を中心にして眼や額や眉を一度に此中心に向つてくしや/\とあつめた。見るからに不愉快な容貌が出來上つたと思つたら「いや是は駄目だ」と當人も氣がついたと見えて早々《さう/\》やめて仕舞つた。「なぜこんなに毒々しい顔だらう」と少々不審の體《てい》で鏡を眼を去る三寸|許《ばか》りの所へ引き寄せる。右の人指しゆびで小鼻を撫でゝ、撫でた指の頭を机の上にあつた吸取り紙《がみ》の上へ、うんと押しつける。吸ひ取られた鼻の膏《あぶら》が丸《ま》るく紙の上へ浮き出した。色々な藝をやるものだ。それから主人は鼻の膏《あぶら》を塗抹《とまつ》した指頭《しとう》を轉じてぐいと右眼《うがん》の下瞼《したまぶた》を裏返して、俗に云ふべつかんかう〔六字傍点〕を見事にやつて退《の》けた。あばた〔三字傍点〕を研究して居るのか、鏡と睨《にら》め競《くら》をして居るのか其邊は少々不明である。氣の多い主人の事だから見て居るうちに色々になると見える。それどころではない。若し善意を以て蒟蒻問答的《こんにやくもんだふてき》に解釋してやれば主人は見性自覺《けんしやうじかく》の方便《はうべん》として斯樣《かやう》に鏡を相手に色々な仕草《しぐさ》を演じて居るのかも知れない。凡《すべ》て人間の研究と云ふものは自己を研究するのである。天地と云ひ山川《さんせん》と云ひ日月《じつげつ》と云ひ星辰《せいしん》と云ふも皆自己の異名《いみやう》に過ぎぬ。自己を措《お》いて他に研究すべき事項は誰人《たれびと》にも見出《みいだ》し得ぬ譯だ。若し人間が自己以外に飛び出す事が出來たら、飛び出す途端に自己はなくなつて仕舞ふ。而も自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくら仕てやりたくても、貰ひたくても、出來ない相談である。夫《それ》だから古來の豪傑はみんな自力で豪傑になつた。人のお蔭で自己が分る位なら、自分の代理に牛肉を喰はして、堅いか柔かいか判斷の出來る譯だ。朝《あした》に法を聽き、夕《ゆふべ》に道を聽き、梧前《ごぜん》燈下《とうか》に書卷を手にするのは皆此|自證《じしよう》を挑撥《てうはつ》するの方便《はうべん》の具《ぐ》に過ぎぬ。人の説く法のうち、他の辯ずる道のうち、乃至《ないし》は五車《ごしや》にあまる蠧紙堆裏《としたいり》に自己が存在する所以《ゆゑん》がない。あれば自己の幽靈である。尤もある場合に於て幽靈は無靈《むれい》より優るかも知れない。影を追へば本體に逢着《ほうちやく》する時がないとも限らぬ。多くの影は大抵本體を離れぬものだ。此意味で主人が鏡をひねくつて居るなら大分《だいぶ》話せる男だ。エピクテタス抔《など》を鵜呑《うのみ》にして學者ぶるよりも遙かにましだと思ふ。
 鏡は己惚《うぬぼれ》の釀造器である如く、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚榮の念を以て之に對する時は是程愚物を煽動する道具はない。昔から搶纐掾sぞうじやうまん》を以て己《おのれ》を害し他を?《そこな》ふた事蹟の三分の二は慥《たし》かに鏡の所作《しよさ》である。佛國革命の當時物好きな御醫者さんが改良首きり器械を發明して飛んだ罪をつくつた樣に、始めて鏡をこしらへた人も定めし寐覺のわるい事だらう。然し自分に愛想《あいそ》の盡きかけた時、自我の萎縮した折は鏡を見る程藥になる事はない。妍醜瞭然《けんしうれうぜん》だ。こんな顔でよくまあ人で候《さふらふ》と反《そ》りかへつて今日《こんにち》迄《まで》暮らされたものだと氣がつくにきまつて居る。そこへ氣がついた時が人間の生涯中尤も難有《ありがた》い期節である。自分で自分の馬鹿を承知して居る程|尊《たつ》とく見える事はない。此|自覺性馬鹿《じかくせいばか》の前にはあらゆるえらがり〔四字傍点〕屋が悉《こと/”\》く頭を下げて恐れ入らねばならぬ。當人は昂然として吾を輕侮嘲笑して居る積りでも、こちらから見ると其昂然たる所が恐れ入つて頭を下げて居る事になる。主人は鏡を見て己《おの》れの愚を悟る程の賢者ではあるまい。然し吾が顔に印せられる痘痕《とうこん》の銘《めい》位は公平に讀み得る男である。顔の醜いのを自認するのは心の賤しきを會得《ゑとく》する楷梯《かいてい》にもならう。頼母《たのも》しい男だ。是も哲學者から遣り込められた結果かも知れぬ。
 斯樣《かやう》に考へながら猶《なほ》樣子をうかがつてゐると、夫《それ》とも知らぬ主人は思ふ存分あかんべえ〔五字傍点〕をしたあとで「大分《だいぶ》充血して居る樣だ。矢つ張り慢性結膜炎だ」と言ひながら、人さし指の横つらでぐい/\充血した瞼《まぶた》をこすり始めた。大方|痒《かゆ》いのだらうけれども、只さへあんなに赤くなつて居るものを、かう擦《こす》つてはたまるまい。遠からぬうちに塩鯛《しほだい》の眼玉の如く腐爛するにきまつてる。やがて眼を開《ひら》いて鏡に向つた所を見ると、果せるかなどんよりとして北國の冬空の樣に曇つて居た。尤も平常《ふだん》から餘り晴れ/”\しい眼ではない。誇大な形容詞を用ゐると混沌《こんとん》として黒眼と白眼が剖判《ほうはん》しない位漠然として居る。彼の精神が朦朧として不得要領|底《てい》に一貫して居る如く、彼の眼も曖々然《あい/\ぜん》昧々然《まい/\ぜん》として長《とこし》へに眼窩《がんくわ》の奧に漂ふて居る。是は胎毒《たいどく》の爲だとも云ふし、或は疱瘡《はうさう》の餘波だとも解釋されて、小さい時分はだいぶ柳の蟲や赤蛙の厄介になつた事もあるさうだが、切角母親の丹精も、あるに其甲斐あらばこそ、今日《こんにち》迄《まで》生れた當時の儘でぼんやりして居る。吾輩ひそかに思ふに此?態は決して胎毒《たいどく》や疱瘡《はうさう》の爲ではない。彼の眼玉が斯樣に晦澁溷濁《くわいじふこんだく》の悲境に彷徨《はうくわう》して居るのは、とりも直さず彼の頭腦が不透不明《ふとうふめい》の實質から構成されていて、其作用が暗憺溟濛《あんたんめいもう》の極に達して居るから、自然と是が形體の上にあらはれて、知らぬ母親に入らぬ心配を掛けたんだらう。烟たつて火あるを知り、まなこ濁つて愚《ぐ》なるを證す。して見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保錢《てんぱうせん》の如く穴があいて居るから、彼の眼も亦天保錢と同じく、大きな割合に通用しないに違ない。
 今度は髯をねぢり始めた。元來から行儀のよくない髯でみんな思ひ思ひの姿勢をとつて生えて居る。いくら個人主義が流行《はや》る世の中だつて、かう町々に我儘を盡くされては持主の迷惑は左《さ》こそと思ひやられる、主人もこゝに鑑《かんが》みる所あつて近頃は大《おほい》に訓練を與へて、出來る限り系統的に按排する樣に盡力して居る。其熱心の功果《こうくわ》は空《むな》しからずして昨今漸く歩調が少しとゝのふ樣になつて來た。今迄は髯が生えて居つたのであるが、此頃は髯を生やして居るのだと自慢する位になつた。熱心は成效の度に應じて鼓舞せられるものであるから、吾が髯の前途有望なりと見てとつた主人は朝な夕な、手がすいて居れば必ず髯に向つて鞭撻を加へる。彼《かれ》のアムビシヨンは獨逸《ドイツ》皇帝陛下の樣に、向上の念の熾《さかん》な髯を蓄へるにある。それだから毛孔が横向であらうとも、下向であらうとも聊《いさゝ》か頓着なく十把一《じつぱひ》とからげに握つては、上の方へ引つ張り上げる。髯も嘸《さぞ》かし難儀であらう、所有主たる主人すら時々は痛い事もある。がそこが訓練である。否《いや》でも應でもさかに扱《こ》き上げる。門外漢から見ると氣の知れない道樂の樣であるが、當局者|丈《だけ》は至當の事と心得て居る。ヘ育者が徒《いたづ》らに生徒の本性《ほんせい》を撓《た》めて、僕の手柄を見給へと誇る樣なもので毫も非難すべき理由はない。
 主人が滿腔の熱誠を以て髯を調練して居ると、臺所から多角性の御三《おさん》が郵便が參りましたと、例の如く赤い手をぬつと書齋の中《うち》へ出した。右手《みぎ》に髯をつかみ、左手《ひだり》に鏡を持つた主人は、其儘入口の方を振りかへる。八の字の尾に逆《さ》か立《だ》ちを命じた樣な髯を見るや否や御多角《おたかく》はいきなり臺所へ引き戻して、ハヽヽヽと御釜の蓋《ふた》へ身をもたして笑つた。主人は平氣なものである。悠々と鏡を卸して郵便を取り上げた。第一信は活版ずりで何だかいかめしい文字が並べてある。讀んで見ると
  拜啓|愈《いよ/\》御多祥|奉賀候《がしたてまつりそろ》回顧すれば日露の戰役は連戰連勝の勢に乘じて平和克復を告げ吾忠勇義烈なる將士は今や過半萬歳聲裡に凱歌を奏し國民の歡喜何ものか之に若《し》かん曩《さき》に宣戰の大詔煥發せらるゝや義勇公に奉じたる將士は久しく萬里の異境に在りて克《よ》く寒暑の苦難を忍び一意戰闘に從事し命《めい》を國家に捧げたるの至誠は永く銘して忘るべからざる所なり而《しかう》して軍隊の凱旋は本月を以て殆んど終了を告げんとす依つて本會は來る二十五日を期し本區内一千有餘の出征將校下士卒に對し本區民一般を代表し以て一大凱旋祝賀會を開催し兼て軍人遺族を慰藉せんが爲め熱誠之を迎へ聊《いさゝか》感謝の微衷を表し度《たく》就ては各位の御協賛を仰ぎ此盛典を擧行するの幸を得ば本會の面目|不過之《これにすぎず》と存|候《そろ》間|何卒《なにとぞ》御賛成奮つて義捐《ぎえん》あらんことを只管《ひたすら》希望の至に堪へず候《そろ》敬具
とあつて差し出し人は華族樣である。主人は黙讀一過の後《のち》直ちに封の中へ卷き納めて知らん顔をして居る。義捐《ぎえん》抔《など》は恐らくしさうにない。先達《せんだつ》て東北凶作の義捐金を二圓とか三圓とか出してから、逢ふ人毎に義捐をとられた、とられたと吹聽《ふいちやう》して居る位である。義捐とある以上は差し出すもので、とられるものでないには極つて居る。泥棒にあつたのではあるまいし、とられたとは不穩當である。然るにも關せず、盗難にでも罹つたかの如くに思つてるらしい主人が如何に軍隊の歡迎だと云つて、如何に華族樣の勸誘だと云つて、強談《がうだん》で持ちかけたらいざ知らず、活版の手紙位で金錢を出す樣な人間とは思はれない。主人から云へば軍隊を歡迎する前に先づ自分を歡迎したいのである。自分を歡迎した後《あと》なら大抵のものは歡迎しさうであるが、自分が朝夕《てうせき》に差し支へる間は、歡迎は華族樣に任せて置く了見らしい。主人は第二信を取り上げたが「ヤ、是も活版だ」と云つた。
  時下秋冷の候《こう》に候《そろ》處貴家益々御隆盛の段|奉賀上候《がしあげたてまつりそろ》陳《のぶ》れば本校儀も御承知の通り一昨々年以來二三野心家の爲めに妨げられ一時其極に達し候得共《さふらへども》是れ皆不肖|針作《しんさく》が足らざる所に起因すと存じ深く自《みづか》ら警《いまし》むる所あり臥薪甞膽《ぐわしんしやうたん》其の苦辛の結果漸く茲《こゝ》に獨力以て我が理想に適するだけの校舍新築費を得るの途を講じ候《そろ》其《そ》は別義にも御座なく別册裁縫秘術綱要と命名せる書册出版の義に御座|候《そろ》本書は不肖|針作《しんさく》が多年苦心研究せる工藝上の原理原則に法《のつ》とり眞に肉を裂き血を絞るの思を爲《な》して著述せるものに御座|候《そろ》因つて本書を普《あまね》く一般の家庭へ製本實費に些少の利潤を附して御購求を願ひ一面斯道發達の一助となすと同時に又一面には僅少の利潤を蓄積して校舍建築費に當つる心算に御座|候《そろ》依つては近頃|何共《なんとも》恐縮の至りに存じ候へども本校建築費中へ御寄附|被成下《なしくださる》と御思召《おぼしめ》し茲《こゝ》に呈供仕|候《そろ》秘術綱要一部を御購求の上御侍女の方へなりとも御分與|被成下候《なしくだされそろ》て御賛同の意を御表章|被成下度《なしくだされたく》伏して懇願仕|候《そろ》匆々《さう/\》敬具
      大日本女子裁縫最高等大學院
         校長  縫田針作《ぬひだしんさく》 九拜
とある。主人は此鄭重なる書面を、冷淡に丸めてぽんと屑籠の中へ抛《はふ》り込んだ。切角の針作君の九拜も臥薪甞膽《ぐわしんしやうたん》も何の役にも立たなかつたのは氣の毒である。第三信にかゝる。第三信は頗る風變りの光彩を放つて居る。?袋が紅白のだんだらで、飴ん棒の看板の如くはなやかなる眞中に珍野苦沙彌先生《ちんのくしやみせんせい》虎皮下《こひか》と八分體《はつぷんたい》で肉太に認《したゝ》めてある。中からお太《た》さんが出るかどうだか受け合はないが表《おもて》丈《だけ》は頗る立派なものだ。
  若し我を以て天地を律すれば一口《いつく》にして西江《せいかう》の水を吸ひつくすべく、若し天地を以て我を律すれば我は則《すなは》ち陌上《はくじやう》の塵のみ。すべからく道《い》へ、天地と我と什麼《いんも》の交渉かある。……始めて海鼠《なまこ》を食ひ出《いだ》せる人は其膽力に於て敬すべく、始めて河豚《ふぐ》を喫せる漢《をとこ》は其勇氣に於て重んずべし。海鼠《なまこ》を食《くら》へるものは親鸞《しんらん》の再來にして、河豚《ふぐ》を喫《きつ》せるものは日蓮《にちれん》の分身なり。苦沙彌先生の如きに至つては只|干瓢《かんぺう》の酢味噌《すみそ》を知るのみ。干瓢の酢味噌を食《くら》つて天下の士たるものは、われ未《いま》だ之を見ず。……
  親友も汝を賣るべし。父母《ふぼ》も汝に私《わたくし》あるべし。愛人も汝を棄つべし。富貴《ふつき》は固《もと》より頼みがたかるべし。爵禄《しやくろく》は一朝《いつてう》にして失ふべし。汝の頭中に秘藏する學問には黴が生えるべし。汝何を恃《たの》まんとするか。天地の裡《うち》に何をたのまんとするか。神? 神は人間の苦しまぎれに捏造《でつざう》せる土偶《どぐう》のみ。人間のせつな糞《ぐそ》の凝結せる臭骸のみ。恃《たの》むまじきを恃《たの》んで安しと云ふ。咄々《とつ/\》、醉漢|漫《みだ》りに胡亂《うろん》の言辭を弄して、蹣跚《まんさん》として墓に向ふ。油盡きて燈《とう》自《おのづか》ら滅す。業盡きて何物をか遺す。苦沙彌先生よろしく御茶でも上がれ。……
  人を人と思はざれば畏るゝ所なし。人を人と思はざるものが、吾を吾と思はざる世を憤《いきどほ》るは如何《いかん》。權貴榮達の士は人を人と思はざるに於て得たるが如し。只|他《ひと》の吾を吾と思はぬ時に於て怫然《ふつぜん》として色を作《な》す。任意に色を作《な》し來れ。馬鹿野郎。……
  吾の人を人と思ふとき、他《ひと》の吾を吾と思はぬ時、不平家は發作的《ほつさてき》に天降《あまくだ》る。此發作的活動を名づけて革命といふ。革命は不平家の所爲にあらず。權貴榮達の士が好んで産する所なり。朝鮮に人參《にんじん》多し先生何が故に服せざる。
        在巣鴨  天道公平《てんだうかうへい》 再拜
 針作君は九拜であつたが、此男は單に再拜|丈《だけ》である。寄附金の依頼でない丈《だけ》に七拜程|横風《わうふう》に構へて居る。寄附金の依頼ではないが其代り頗る分りにくいものだ。どこの雜誌へ出しても沒書になる價値は充分あるのだから、頭腦の不透明を以て鳴る主人は必ず寸斷々々《ずた/\》に引き裂いて仕舞ふだらうと思の外、打ち返し/\讀み直して居る。こんな手紙に意味があると考へて、飽く迄其意味を究《きは》めやうといふ決心かも知れない。凡《およ》そ天地の間《かん》にわからんものは澤山あるが意味をつけてつかないものは一つもない。どんなむづかしい文章でも解釋しやうとすれば容易に解釋の出來るものだ。人間は馬鹿であると云はうが、人間は利口であると云はうが手もなくわかる事だ。夫《それ》所《どころ》ではない。人間は犬であると云つても豚であると云つても別に苦しむ程の命題ではない。山は低いと云つても構はん、宇宙は狹いと云つても差し支はない。烏が白くて小町が醜婦で苦沙彌先生が君子でも通らん事はない。だからこんな無意味な手紙でも何とか蚊《か》とか理窟さへつければどうとも意味はとれる。ことに主人の樣に知らぬ英語を無理矢理にこじ附けて説明し通して來た男は猶更《なほさら》意味をつけたがるのである。天氣の惡《わ》るいのに何故《なぜ》グード、モーニングですかと生徒に問はれて七日《なぬか》間《かん》考へたり、コロンバスと云ふ名は日本語で何と云ひますかと聞かれて三日三晩かゝつて答を工夫する位な男には、干瓢の酢味噌が天下の士であらうと、朝鮮の仁參《にんじん》を食つて革命を起さうと隨意な意味は隨處に湧き出る譯である。主人は暫らくしてグード、モーニング流に此難解の言句《ごんく》を呑み込んだと見えて「中々意味深長だ。何でも餘程哲理を研究した人に違ない。天晴《あつぱれ》な見識だ」と大變賞賛した。此|一言《いちごん》でも主人の愚《ぐ》な所はよく分るが、飜《ひるがへ》つて考へて見ると聊《いさゝ》か尤もな點もある。主人は何に寄らずわからぬものを難有《ありがた》がる癖を有して居る。是はあながち主人に限つた事でもなからう。分らぬ所には馬鹿に出來ないものが潜伏して、測るべからざる邊《へん》には何だか氣高《けだか》い心持が起るものだ。夫《それ》だから俗人はわからぬ事をわかつた樣に吹聽《ふいちやう》するにも係らず、學者はわかつた事をわからぬ樣に講釋する。大學の講義でもわからん事を喋舌《しやべ》る人は評判がよくつてわかる事を説明する者は人望がないのでもよく知れる。主人が此手紙に敬服したのも意義が明瞭であるからではない。其主旨が那邊《なへん》に存するか殆んど捕《とら》へ難いからである。急に海鼠《なまこ》が出て來たり、せつな糞《ぐそ》が出てくるからである。だから主人が此文章を尊敬する唯一の理由は、道家《だうけ》で道コ經を尊敬し、儒家《じゆか》で易經《えききやう》を尊敬し、禪家《ぜんけ》で臨濟録《りんざいろく》を尊敬すると一般で全く分らんからである。但し全然分らんでは氣が濟まんから勝手な釋釋をつけてわかつた顔|丈《だけ》はする。わからんものをわかつた積りで尊敬するのは昔から愉快なものである。――主人は恭しく八分體《はつぷんたい》の名筆を卷き納めて、是を机上に置いた儘懷手をして冥想に沈んで居る。
 所へ「頼む/\」と玄關から大きな聲で案内を乞ふ者がある。聲は迷亭の樣だが、迷亭に似合はずしきりに案内を頼んで居る。主人は先から書齋のうちで其聲を聞いて居るのだが懷手の儘|毫《がう》も動かうとしない。取次に出るのは主人の役目でないといふ主義か、此主人は決して書齋から挨拶をした事がない。下女は先刻《さつき》洗濯石鹸《せんたくシヤボン》を買ひに出た。細君は憚《はゞか》りである。すると取次に出《で》べきものは吾輩|丈《だけ》になる。吾輩だつて出るのはいやだ。すると客人は沓脱《くつぬぎ》から敷臺へ飛び上がつて障子を開け放つてつか/\上り込んで來た。主人も主人だが客も客だ。座敷の方へ行つたなと思ふと襖を二三度あけたり閉《た》てたりして、今度は書齋の方へやつてくる。
 「おい冗談ぢやない。何をして居るんだ、御客さんだよ」
 「おや君か」
 「おや君かもないもんだ。そこに居るなら何とか云へばいゝのに、丸《まる》で空家《あきや》の樣ぢやないか」
 「うん、ちと考へ事があるもんだから」
 「考へて居たつて通れ〔二字傍点〕位は云へるだらう」
 「云へん事もないさ」
 「相變らず度胸がいゝね」
 「先達《せんだつて》から精神の修養を力《つと》めて居るんだもの」
 「物好きだな。精神を修養して返事が出來なくなつた日には來客は御難だね。そんなに落ち付かれちや困るんだぜ。實は僕一人來たんぢやないよ。大變な御客さんを連れて來たんだよ。一寸出て逢つて呉れ給へ」
 「誰を連れて來たんだい」
 「誰でもいゝから一寸出て逢つてくれ玉へ。是非君に逢ひたいと云ふんだから」
 「誰だい」
 「誰でもいゝから立ち玉へ」
 主人は懷手の儘ぬつと立ちながら「又人を擔ぐ積りだらう」と椽側へ出て何の氣もつかずに客間へ這入り込んだ。すると六尺の床を正面に一個の老人が肅然と端坐して控へて居る。主人は思はず懷から兩手を出してぺたりと唐紙《からかみ》の傍《そば》へ尻を片づけて仕舞つた。是では老人と同じく西向きであるから双方共挨拶の仕樣《しやう》がない。昔堅氣《むかしかたぎ》の人は禮羲はやかましいものだ。
 「さあどうぞあれへ」と床の間の方を指して主人を促《うな》がす。主人は兩三年前迄は座敷はどこへ坐つても構はんものと心得て居たのだが、其《その》後《ご》ある人から床の間の講釋を聞いて、あれは上段の間《ま》の變化したもので、上使《じやうし》が坐はる所だと悟つて以來決して床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者が頑と構へて居るのだから上座《じやうざ》所《どころ》ではない。挨拶さへ碌には出來ない。一應頭をさげて
 「さあどうぞあれへ」と向ふの云ふ通りを繰り返した。
 「いや夫《それ》では御挨拶が出來かねますから、どうぞあれへ」
 「いえ、夫《それ》では……どうぞあれへ」と主人はいゝ加減に先方の口上を眞似て居る。
 「どうもさう、御謙遜では恐れ入る。却つて手前が痛み入る。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」
 「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人は眞赤《まつか》になつて口をもご/\云はせて居る。精神修養も餘り効果がない樣である。迷亭君は襖の影から笑ひながら立見をして居たが、もういゝ時分だと思つて、後《うし》ろから主人の尻を押しやりながら
 「まあ出玉へ。さう唐紙へくつついては僕が坐る所がない。遠慮せずに前へ出たまへ」と無理に割り込んでくる。主人は已《やむ》を得ず前の方へすり出る。
 「苦沙彌君是が毎々君に噂をする靜岡の伯父だよ。伯父さん是が苦沙彌君です」
 「いや始めて御目にかゝります、毎度迷亭が出て御邪魔を致すさうで、いつか參上の上御高話を拜聽致さうと存じて居りました所、幸ひ今日《こんにち》は御近所を通行致したもので、御禮|旁《かた/”\》伺つた譯で、どうぞ御見知り置かれまして今後共宜しく」と昔《むか》し風な口上を淀《よど》みなく述べたてる。主人は交際の狹い、無口な人間である上に、こんな古風な爺さんとは殆んど出會つた事がないのだから、最初から多少|場《ば》うての氣味で辟易して居た所へ、滔々と浴びせかけられたのだから、朝鮮仁參《てうせんにんじん》も飴ん棒の?袋もすつかり忘れて仕舞つて只苦しまぎれに妙な返事をする。
 「私も……私も……一寸伺がう筈でありました所……何分よろしく」と云ひ終つて頭を少々疊から上げて見ると老人は未だに平伏して居るので、はつと恐縮して又頭をぴたりと着けた。
 老人は呼吸を計つて首をあげながら「私ももとはこちらに屋敷も在つて、永らく御膝元でくらしたものでがすが、瓦解《ぐわかい》の折にあちらへ參つてから頓と出てこんのでな。今來て見ると丸《まる》で方角も分らん位で、――迷亭にでも伴《つ》れてあるいてもらはんと、とても用達《ようたし》も出來ません。滄桑《さうさう》の變《へん》とは申しながら、御入國《ごにふこく》以來《いらい》三百年も、あの通り將軍家の……」と云ひかけると迷亭先生面倒だと心得て
 「伯父さん將軍家も難有《ありがた》いかも知れませんが、明治の代《よ》も結構ですぜ。昔は赤十字なんてものもなかつたでせう」
 「それはない。赤十字|抔《など》と稱するものは全くない。ことに宮樣の御顔を拜むなどと云ふ事は明治の御代《みよ》でなくては出來ぬ事だ。わしも長生きをした御蔭で此通り今日《こんにち》の總會にも出席するし、宮殿下の御聲もきくし、もう是で死んでもいゝ」
 「まあ久し振りで東京見物をする丈《だけ》でも得ですよ。苦沙彌君、伯父はね。今度赤十字の總會があるのでわざ/\靜岡から出て來てね、今日一所に上野へ出掛けたんだが今其歸りがけなんだよ。夫《それ》だから此通り先日僕が白木屋へ注文したフロツクコートを着て居るのさ」と注意する。成程フロツクコートを着て居る。フロツクコートは着て居るがすこしもからだに合はない。袖が長過ぎて、襟がおつ開《ぴら》いて、脊中へ池が出來て、腋の下が釣るし上がつて居る。いくら不恰好《ぶかつかう》に作らうと云つたつて、かう迄念を入れて形を崩す譯にはゆかないだらう。其上白シヤツと白襟が離れ/\になつて、仰むくと間から咽喉佛《のどぼとけ》が見える。第一黒い襟飾りが襟に屬して居るのか、シヤツに屬して居るのか判然《はんぜん》しない。フロツクはまだ我慢が出來るが白髪《しらが》のチヨン髷は甚だ奇觀である。評判の鐵扇はどうかと目を注《つ》けると膝の横にちやんと引きつけて居る。主人は此時漸く本心に立ち返つて、精神修養の結果を存分に老人の服裝に應用して少々驚いた。まさか迷亭の話程ではなからうと思つて居たが、逢つて見ると話以上である。もし自分のあばた〔三字傍点〕が歴史的研究の材料になるならば、此老人のチヨン髷や鐵扇は慥《たし》かにそれ以上の價値がある。主人はどうかして此鐵扇の由來を聞いて見たいと思つたが、まさか、打ちつけに質問する譯には行かず、と云つて話を途切らすのも禮に缺けると思つて
 「大分《だいぶ》人が出ましたらう」と極めて尋常な問をかけた。
 「いや非常な人で、それで其人が皆わしをじろ/\見るので――どうも近來は人間が物見高くなつた樣でがすな。昔《むか》しはあんなではなかつたが」
 「えゝ、左樣《さやう》、昔はそんなではなかつたですな」と老人らしい事を云ふ。是はあながち主人が知《し》つ高振《たかぶ》りをした譯ではない。只|朦朧たる頭腦から好い加減に流れ出す言語と見れば差し支ない。
 「それにな。皆此|甲割《かぶとわ》りへ目を着けるので」
 「其鐵扇は大分《だいぶ》重いもので御座いませう」
 「苦沙彌君、一寸持つて見玉へ。中々重いよ。伯父さん持たして御覽なさい」
 老人は重たさうに取り上げて「失禮でがすが」と主人に渡す。京都の黒谷《くろだに》で參詣人が蓮生坊《れんしやうばう》の太刀を戴く樣なかたで、苦沙彌先生しばらく持つて居たが「成程」と云つた儘老人に返却した。
 「みんなが是を鐵扇々々と云ふが、之は甲割《かぶとわり》と稱《とな》へて鐵扇とは丸《まる》で別物で……」
 「へえ、何にしたもので御座いませう」
 「兜を割るので、――敵の目がくらむ所を撃ちとつたものでがす。楠正成《くすのきまさしげ》時代から用ゐたやうで……」
 「伯父さん、そりや正成《まさしげ》の甲割《かぶとわり》ですかね」
 「いえ、是は誰のかわからん。然し時代は古い。建武時代《けんむじだい》の作かも知れない」
 「建武時代かも知れないが、寒月君《かんげつくん》は弱つてゐましたぜ。苦沙彌君、今日歸りに丁度いゝ機會だから大學を通り拔ける序《つい》でに理科へ寄つて、物理の實驗室を見せて貰つた所がね。此|甲割《かぶとわり》が鐵だものだから、磁力の器械が狂つて大騷ぎさ」
 「いや、そんな筈はない。是は建武時代の鐵で、性《しやう》のいゝ鐵だから決してそんな虞《おそ》れはない」
 「いくら性《しやう》のいゝ鐵だつてさうはいきませんよ。現に寒月がさう云つたから仕方がないです」
 「寒月といふのは、あのガラス球《だま》を磨《す》つて居る男かい。今の若さに氣の毒な事だ。もう少し何かやる事がありさうなものだ」
 「可愛想《かはいさう》に、あれだつて研究でさあ。あの球を磨《す》り上げると立派な學者になれるんですからね」
 「玉を磨《す》りあげて立派な學者になれるなら、誰にでも出來る。わしにでも出來る。ビードロやの主人にでも出來る。あゝ云ふ事をする者を漢土《かんど》では玉人《きうじん》と稱したもので至つて身分の輕いものだ」と云ひながら主人の方を向いて暗に賛成を求める。
 「成程」と主人はかしこまつて居る。
 「凡《すべ》て今の世の學問は皆|形而下《けいじか》の學で一寸結構な樣だが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。昔はそれと違つて侍《さむらひ》は皆命懸けの商買《しやうばい》だから、いざと云ふ時に狼狽せぬ樣に心の修業を致したもので、御承知でもあらつしやらうが中々玉を磨つたり針金を綯《よ》つたりする樣な容易《たやす》いものではなかつたのでがすよ」
 「成程」と矢張りかしこまつて居る。
 「伯父さん心の修業《しゆげふ》と云ふものは玉を磨る代りに懷手をして坐り込んでるんでせう」
 「夫《それ》だから困る。決してそんな造作《ざうさ》のないものではない。孟子《まうし》は求放心《きうはうしん》と云はれた位だ。邵康節《せうかうせつ》は心要放《しんえうはう》と説いた事もある。又|佛家《ぶつか》では中峯和尚《ちゆうほうをしやう》と云ふのが具不退轉《ぐふたいてん》と云ふ事をヘへて居る。中々容易には分らん」
 「到底分りつこありませんね。全體どうすればいゝんです」
 「御前は澤菴禪師《たくあんぜんじ》の不動智神妙録《ふどうちしんめうろく》といふものを讀んだ事があるかい」
 「いゝえ、聞いた事もありません」
 「心をどこに置かうぞ。敵の身の働《はたらき》に心を置けば、敵の身の働《はたらき》に心を取らるゝなり。敵の太刀に心を置けば、敵の太刀に心を取らるゝなり。敵を切らんと思ふところに心を置けば、敵を切らんと思ふ所に心を取らるゝなり。我《わが》太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるゝなり。われ切られじと思ふ所に心を置けば、切られじと思ふ所に心を取らるゝなり。人の構《かまへ》に心を置けば、人の構に心を取らるゝなり。兎角心の置き所はないとある」
 「よく忘れずに暗誦したものですね。伯父さんも中々記憶がいゝ。長いぢやありませんか。苦沙彌君分つたかい」
 「成程」と今度も成程で濟まして仕舞つた。
 「なあ、あなた、さうで御座りませう。心を何處に置かうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の働に心を取らるゝなり。敵の太刀に心を置けば……」
 「伯父さん苦沙彌君はそんな事は、よく心得て居るんですよ。近頃は毎日書齋で精神の修養ばかりして居るんですから。客があつても取次に出ない位心を置き去りにして居るんだから大丈夫ですよ」
 「や、それは御奇特な事で――御前|抔《など》もちと御一所にやつたらよからう」
 「へヽヽそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が樂なからだだもんだから、人も遊んでると思つて居らつしやるんでせう」
 「實際遊んでるぢやないかの」
 「所が閑中《かんちゆう》自《おのづ》から忙《ばう》ありでね」
 「さう、粗忽だから修業《しゆげふ》をせんといかないと云ふのよ、忙中|自《おのづか》ら閑《かん》ありと云ふ成句《せいく》はあるが、閑中|自《おのづか》ら忙《ばう》ありと云ふのは聞いた事がない。なあ苦沙彌さん」
 「えゝ、どうも聞きません樣で」
 「ハヽヽヽさうなつちやあ敵《かな》はない。時に伯父さんどうです。久し振りで東京の鰻でも食つちやあ。竹葉《ちくえふ》でも奢りませう。是から電車で行くとすぐです」
 「鰻も結構だが、今日は是からすい〔二字傍点〕原《はら》へ行く約束があるから、わしは是で御免を蒙らう」
 「あゝ杉原《すぎはら》ですか、あの爺さんも達者ですね」
 「杉原《すぎはら》ではない、すい〔二字傍点〕原《はら》さ。御前はよく間違ばかり云つて困る。他人の姓名を取り違へるのは失禮だ。よく氣をつけんといけない」
 「だつて杉原《すぎはら》とかいてあるぢやありませんか」
 「杉原《すぎはら》と書いてすい〔二字傍点〕原《はら》と讀むのさ」
 「妙ですね」
 「なに妙な事があるものか。名目讀《みやうもくよ》みと云つて昔からある事さ。蚯蚓《きういん》を和名《わみやう》でみゝず〔三字傍点〕と云ふ。あれは目見ず〔三字傍点〕の名目《みやうもく》よみで。蝦蟆《がま》の事をかいる〔三字傍点〕と云ふのと同じ事さ」
 「へえ、驚ろいたな」
 「蝦蟆《がま》を打ち殺すと仰向きにかへる〔三字傍点〕。それを名目讀《みやうもくよ》みにかいる〔三字傍点〕と云ふ。透垣《すきがき》をすい〔二字傍点〕垣《がき》、茎立《くきたち》をくゝ〔二字傍点〕立《たち》、皆同じ事だ。杉原《すいはら》をすぎ原などと云ふのは田舍ものゝ言葉さ。少し氣を付けないと人に笑はれる」
 「ぢや、その、すい〔二字傍点〕原《はら》へ是から行くんですか。困つたな」
 「なに厭なら御前は行かんでもいゝ。わし一人で行くから」
 「一人で行けますかい」
 「あるいては六づかしい。車を雇つて頂いて、こゝから乘つて行かう」
 主人は畏まつて直ちに御三《おさん》を車屋へ走らせる。老人は長々と挨拶をしてチヨン髷頭へ山高帽をいたゞいて歸つて行く。迷亭はあとへ殘る。
 「あれが君の伯父さんか」
 「あれが僕の伯父さんさ」
 「成程」と再び座蒲團の上に坐つたなり懷手をして考へ込んで居る。
 「ハヽヽ豪傑だらう。僕もあゝ云ふ伯父さんを持つて仕合せなものさ。どこへ連れて行つてもあの通りなんだぜ。君驚ろいたらう」と迷亭君は主人を驚ろかした積りで大《おほい》に喜んで居る。
 「なにそんなに驚きやしない」
 「あれで驚かなけりや、膽力の据つたもんだ」
 「然しあの伯父さんは中々えらい所がある樣だ。精神の修養を主張する所なぞは大《おほい》に敬服していゝ」
 「敬服していゝかね。君も今に六十位になると矢つ張りあの伯父見た樣に、時候おくれになるかも知れないぜ。確《しつ》かりして呉れ玉へ。時候おくれの廻り持ちなんか氣が利かないよ」
 「君は頻りに時候おくれを氣にするが、時と場合によると、時候おくれの方がえらい〔三字傍点〕んだぜ。第一今の學問と云ふものは先へ先へと行く丈《だけ》で、どこ迄行つたつて際限はありやしない。到底滿足は得られやしない。そこへ行くと東洋流の學問は消極的で大《おほい》に味《あじはひ》がある。心其ものゝ修業をするのだから」と先達《せんだつ》て哲學者から承はつた通りを自説の樣に述べ立てる。
 「えらい事になつて來たぜ。何だか八木獨仙君《やぎどくせんくん》の樣な事を云つてるね」
 八木獨仙《やぎどくせん》と云ふ名を聞いて主人ははつと驚ろいた。實は先達《せんだつ》て臥龍窟《ぐわりようくつ》を訪問して主人を説服に及んで悠然と立ち歸つた哲學者と云ふのが取も直さず此八木獨仙|君《くん》であつて、今主人が鹿爪らしく述べ立てゝ居る議論は全く此八木獨仙君の受賣なのであるから、知らんと思つた迷亭が此先生の名を間不容髪《かんふようはつ》の際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りの假鼻《かりばな》を挫いた譯になる。
 「君|獨仙《どくせん》の説を聞いた事があるのかい」と主人は劔呑だから念を推して見る。
 「聞いたの、聞かないのつて、あの男の説ときたら、十年前學校に居た時分と今日《こんにち》と少しも變りやしない」
 「眞理はさう變るものぢやないから、變らない所が頼母《たのも》しいかも知れない」
 「まあそんな贔負《ひいき》があるから獨仙もあれで立ち行くんだね。第一|八木《やぎ》と云ふ名からして、よく出來てるよ。あの髯が君全く山羊《やぎ》だからね。さうしてあれも寄宿舍時代からあの通りの恰好《かつかう》で生えて居たんだ。名前の獨仙|抔《など》も振《ふる》つたものさ。昔《むか》し僕の所へ泊りがけに來て例の通り消極的の修養と云ふ議論をしてね。いつ迄立つても同じ事を繰り返して已《や》めないから、僕が君もう寐やうぢやないかと云ふと、先生氣樂なものさ、いや僕は眠くないと濟《すま》し切つて、矢つ張り消極論をやるには迷惑したね。仕方がないから君は眠くなからうけれども、僕の方は大變眠いのだから、どうか寐てくれ玉へと頼むやうにして寐かした迄はよかつたが――其晩鼠が出て獨仙君の鼻のあたまを?《かじ》つてね。夜なかに大騷ぎさ。先生悟つた樣な事を云ふけれども命は依然として惜しかつたと見えて、非常に心配するのさ。鼠の毒が總身《そうしん》にまはると大變だ、君どうかしてくれと責《せ》めるには閉口したね。夫《それ》から仕方がないから臺所へ行つて紙片《かみぎれ》へ飯粒を貼つて胡魔化《ごまか》してやつたあね」
 「どうして」
 「是は舶來の膏藥で、近來|獨逸《ドイツ》の名醫が發明したので、印度人|抔《など》の毒蛇に?まれた時に用ゐると即効があるんだから、是さへ貼つて置けば大丈夫だと云つてね」
 「君は其時分から胡魔化《ごまか》す事に妙を得て居たんだね」
 「……すると獨仙君はあゝ云ふ好人物だから、全くだと思つて安心してぐう/\寐て仕舞つたのさ。あくる日起きて見ると膏藥の下から糸屑がぶらさがつて例の山羊髯に引つかゝつて居たのは滑稽だつたよ」
 「然しあの時分より大分《だいぶ》えらく〔三字傍点〕なつた樣だよ」
 「君近頃逢つたのかい」
 「一週間|許《ばか》り前に來て、長い間話しをして行つた」
 「どうりで獨仙流の消極説を振り舞はすと思つた」
 「實は其時|大《おほい》に感心して仕舞つたから、僕も大に奮發して修養をやらうと思つてる所なんだ」
 「奮發は結構だがね。あんまり人の云ふ事を眞《ま》に受けると馬鹿を見るぜ。一體君は人の言ふ事を何でも蚊《か》でも正直に受けるからいけない。獨仙も口|丈《だけ》は立派なものだがね、いざとなると御互と同じものだよ。君九年前の大地震を知つてるだらう。あの時寄宿の二階から飛び降りて怪我をしたものは獨仙君|丈《だけ》なんだからな」
 「あれには當人|大分《だいぶ》説がある樣ぢやないか」
 「さうさ、當人に云はせると頗る難有《ありがた》いものさ。禪の機鋒《きほう》は峻峭《しゆんせう》なもので、所謂|石火《せきくわ》の機《き》となると怖《こは》い位早く物に應ずる事が出來る。ほかのものが地震だと云つて狼狽《うろた》へて居る所を自分|丈《だけ》は二階の窓から飛び下りた所に修業の効があらはれて嬉しいと云つて、跛《びつこ》を引きながらうれしがつて居た。負惜みの強い男だ。一體|禪《ぜん》とか佛《ぶつ》とか云つて騷ぎ立てる連中程あやしいのはないぜ」
 「さうかな」と苦沙彌先生少々腰が弱くなる。
 「此間來た時禪宗坊主の寐言《ねごと》見た樣な事を何か云つてつたらう」
 「うん電光影裏《でんくわうえいり》に春風《しゆんぷう》をきるとか云ふ句をヘへて行つたよ」
 「其電光さ。あれが十年前からの御箱《おはこ》なんだから可笑《をか》しいよ。無覺禪師《むかくぜんじ》の電光ときたら寄宿舍中誰も知らないものはない位だつた。夫《それ》に先生時々せき込むと間違へて電光影裏を逆《さか》さまに春風影裏に電光をきると云ふから面白い。今度爲して見玉へ。向《むかふ》で落ちつき拂つて述べたてゝ居る所を、こつちで色々反對するんだね。するとすぐ?倒して妙な事を云ふよ」
 「君の樣ないづらものに逢つちや叶《かな》はない」
 「どつちがいたづら者だか分りやしない。僕は禪坊主だの、悟つたのは大嫌だ。僕の近所に南藏院《なんざうゐん》と云ふ寺があるが、あすこに八十|許《ばか》りの隱居が居る。それで此間の白雨《ゆふだち》の時|寺内《じない》へ雷《らい》が落ちて隱居の居る庭先の松の木を割いて仕舞つた。所が和尚泰然として平氣だと云ふから、よく聞き合はせて見るとから聾《つんぼ》なんだね。それぢや泰然たる譯さ。大概そんなものさ。獨仙も一人で悟つて居ればいゝのだが、稍《やゝ》ともすると人を誘ひ出すから惡い。現に獨仙の御蔭で二人ばかり氣狂にされてゐるからな」
 「誰が」
 「誰がつて。一人は理野陶然《りのたうぜん》さ。獨仙の御蔭で大《おほい》に禪學に凝《こ》り固まつて鎌倉へ出掛けて行つて、とう/\出先で氣狂になつて仕舞つた。圓覺寺《ゑんがくじ》の前に汽車の踏切りがあるだらう、あの踏切り内《うち》へ飛び込んでレールの上で座禪をするんだね。夫《それ》で向ふから來る汽車をとめて見せると云ふ大氣?さ。尤も汽車の方で留つてくれたから一命|丈《だけ》はとりとめたが、其代り今度は火に入《い》つて燒けず、水に入つて溺れぬ金剛不壞《こんがうふゑ》のからだゞと號して寺内《じない》の蓮池《はすいけ》へ這入つてぶく/\あるき廻つたもんだ」
 「死んだかい」
 「其時も幸《さいはひ》、道場の坊主が通りかゝつて助けてくれたが、其《その》後《ご》東京へ歸つてから、とう/\腹膜炎で死んで仕舞つた。死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になつた原因は僧堂で麥飯や萬年漬《まんねんづけ》を食つたせいだから、詰る所は間接に獨仙が殺した樣なものさ」
 「無暗に熱中するのも善《よ》し惡《あ》ししだね」と主人は一寸氣味のわるいといふ顔付をする。
 「本當にさ。獨仙にやられたものがもう一人同窓中にある」
 「あぶないね。誰だい」
 「立町老梅君《たちまちらうばいくん》さ。あの男も全く獨仙にそゝのかされて鰻が天上する樣な事ばかり言つて居たが、とう/\君本物になつて仕舞つた」
 「本物たあ何だい」
 「とう/\鰻が天上して、豚が仙人になつたのさ」
 「何の事だい、それは」
 「八木《やぎ》が獨仙《どくせん》なら、立町《たちまち》は豚仙《ぶたせん》さ、あの位食ひ意地のきたない男はなかつたが、あの食意地と禪坊主のわる意地が併發したのだから助からない。始めは僕らも氣がつかなかつたが今から考へると妙な事ばかり並べて居たよ。僕のうち抔《など》へ來て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、僕の國では蒲鉾が板へ乘つて泳いで居ますのつて、頻りに警句を吐いたものさ。只吐いて居るうちはよかつたが君表のどぶ〔二字傍点〕へ金とん〔三字傍点〕を堀りに行きませうと促《うな》がすに至つては僕も降參したね。夫《それ》から二三日《にさんち》すると遂に豚仙になつて巣鴨へ収容されて仕舞つた。元來豚なんぞが氣狂になる資格はないんだが、全く獨仙の御蔭であすこ迄漕ぎ付けたんだね。獨仙の勢力も中々えらいよ」
 「へえ、今でも巣鴨に居るのかい」
 「居るだんぢやない。自大狂《じだいきやう》で大氣?を吐いて居る。近頃は立町老梅《たちまちらうばい》なんて名はつまらないと云ふので、自《みづか》ら天道公平《てんだうこうへい》と號して、天道の權化《ごんげ》を以て任じて居る。すさまじいものだよ。まあ一寸行つて見たまへ」
 「天道公平《てんだうこうへい》?」
 「天道公平《てんだうこうへい》だよ。氣狂《きちがひ》の癖にうまい名をつけたものだね。時々は孔平《こうへい》とも書く事がある。夫《それ》で何でも世人が迷つてるから是非救つてやりたいと云ふので、無暗に友人や何かへ手紙を出すんだね。僕も四五通貰つたが、中には中々長い奴があつて不足税を二度|許《ばか》りとられたよ」
 「夫《それ》ぢや僕の所《とこ》へ來たのも老梅から來たんだ」
 「君の所《とこ》へも來たかい。そいつは妙だ。矢つ張り赤い?袋だらう」
 「うん、眞中が赤くて左右が白い。一風變つた?袋だ」
 「あれはね、わざ/\支那から取り寄せるのださうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人は中間に在つて赤しと云ふ豚仙《ぶたせん》の格言を示したんだつて……」
 「中々因縁のある?袋だね」
 「氣狂《きちがひ》丈《だけ》に大《おほい》に凝《こ》つたものさ。さうして氣狂になつても食意地|丈《だけ》は依然として存して居るものと見えて、毎回必ず食物の事がかいてあるから奇妙だ。君の所《とこ》へも何とか云つて來たらう」
 「うん、海鼠《なまこ》の事がかいてある」
 「老梅《らうばい》は海鼠《なまこ》が好きだつたからね。尤《もつと》もだ。夫《それ》から?」
 「夫《それ》から河豚《ふぐ》と朝鮮仁參《てうせんにんじん》か何か書いてある」
 「河豚《ふぐ》と朝鮮仁參《てうせんにんじん》の取り合せは旨いね。大方|河豚《ふぐ》を食つて中《あた》つたら朝鮮仁參《てうせんにんじん》を煎じて飲めとでも云ふ積りなんだらう」
 「さうでもない樣だ」
 「さうでなくても構はないさ。どうせ氣狂だもの。夫《そ》れつきりかい」
 「まだある。苦沙彌先生御茶でも上がれと云ふ句がある」
 「アハヽヽ御茶でも上がれはきびし過ぎる。夫《それ》で大《おほい》に君をやり込めた積りに違ない。大出來だ。天道公平君萬歳だ」と迷亭先生は面白がつて、大《おほい》に笑ひ出す。主人は少からざる尊敬を以て反覆讀誦した書翰の差出人が金箔つきの狂人《きやうじん》であると知つてから、最前の熱心と苦心が何だか無駄骨の樣な氣がして腹立たしくもあり、又|瘋癲病者《ふうてんびやうしや》の文章を左程《さほど》心勞して翫味《ぐわんみ》したかと思ふと耻づかしくもあり、最後に狂人の作に是程感服する以上は自分も多少神經に異?がありはせぬかとの疑念もあるので、立腹と、慚愧と、心配の合併した?態で何だか落ちつかない顔付をして控へて居る。
 折から表格子をあらゝかに開けて、重い靴の音が二た足程|沓脱《くつぬぎ》に響いたと思つたら「一寸頼みます、一寸頼みます」と大きな聲がする。主人の尻の重いに反して迷亭は又頗る氣輕な男であるから、御三《おさん》の取次に出るのも待たず、通れ〔二字傍点〕と云ひながら隔ての中の間《ま》を二た足|許《ばか》りに飛び越えて玄關に躍り出した。人のうちへ案内も乞はずにつか/\這入り込む所は迷惑の樣だが、人のうちへ這入つた以上は書生同樣取次を務めるから甚だ便利である。いくら迷亭でも御客さんには相違ない、其御客さんが玄關へ出張するのに主人たる苦沙彌先生が座敷へ構へ込んで動かん法はない。普通の男ならあとから引き續いて出陣すべき筈であるが、そこが苦沙彌先生である。平氣に座布團の上へ尻を落ちつけて居る。但し落ち付けて居るのと、落ち付いて居るのとは、其趣は大分《だいぶ》似て居るが、其實質は餘程違ふ。
 玄關へ飛び出した迷亭は何か頻りに辯じて居たが、やがて奧の方を向いて「おい御主人一寸御足勞だが出てくれ玉へ。君でなくつちや、間に合はない」と大きな聲を出す。主人は已《やむ》を得ず懷手《ふところで》の儘のそり/\と出てくる。見ると迷亭君は一枚の名刺を握つた儘しやがんで挨拶をして居る。頗る威嚴のない腰つきである。其名刺には警視廰刑事巡査|吉田虎藏《よしだとらざう》とある。虎藏君と並んで立つて居るのは二十五六の脊《せい》の高い、いなせ〔三字傍点〕な唐棧《たうざん》づくめの男である。妙な事に此男は主人と同じく懷手《ふところで》をした儘、無言で突立《つつた》つて居る。何だか見た樣な顔だと思つて能く/\觀察すると、見た樣な所《どころ》ぢやない。此間深夜御來訪になつて山の芋を持つて行かれた泥棒君である。おや今度は白晝公然と玄關から御出《おいで》になつたな。
 「おい此《この》方《かた》は刑事巡査で先達《せんだつ》ての泥棒をつらまへたから、君に出頭しろと云ふんで、わざ/\御出《おいで》になつたんだよ」
 主人は漸く刑事が踏み込んだ理由が分つたと見えて、頭をさげて泥棒の方を向いて鄭寧に御辭儀をした。泥棒の方が虎藏君より男振りがいゝので、こつちが刑事だと早合點をしたのだらう。泥棒も驚ろいたに相違ないが、まさか私《わたし》が泥棒ですよと斷はる譯にも行かなかつたと見えて、濟まして立つて居る。矢張り懷手の儘である。尤も手錠《てぢやう》をはめて居るのだから、出さうと云つても出る氣遣はない。通例のものなら此樣子で大抵はわかる筈だが、この主人は當世の人間に似合はず、無暗に役人や警察を難有《ありがた》がる癖がある。御上《おかみ》の御威光となると非常に恐しいものと心得て居る。尤も理論上から云ふと、巡査なぞは自分達が金を出して番人に雇つて置くのだ位の事は心得て居るのだが、實際に臨むといやにへえ/\する。主人のおやぢは其昔場末の名主であつたから、上の者にぴよこ/\頭を下げて暮した習慣が、因果となつて斯樣に子に酬《むく》つたのかも知れない。まことに氣の毒な至りである。
 巡査は可笑《をか》しかつたと見えて、にや/\笑ひながら「あしたね、午前九時迄に日本堤《にほんづゝみ》の分署迄來て下さい。――盗難品は何と何でしたかね」
 「盗難品は……」と云ひかけたが、生憎《あいにく》先生大概忘れて居る。只覺えて居るのは多々良三平《たゝらさんぺい》の山の芋|丈《だけ》である。山の芋|抔《など》はどうでも構はんと思つたが、盗難品は……と云ひかけてあとが出ないのは如何にも與太郎の樣で體裁《ていさい》がわるい。人が盗まれたのならいざ知らず、自分が盗まれて置きながら、明瞭の答が出來んのは一人前《いちにんまへ》ではない證據だと、思ひ切つて「盗難品は……山の芋一箱」とつけた。
 泥棒は此時餘程|可笑《をか》しかつたと見えて、下を向いて着物の襟へあごを入れた。迷亭はアハヽヽと笑ひながら「山の芋が餘程惜しかつたと見えるね」と云つた。巡査|丈《だけ》は存外眞面目である。
 「山の芋は出ない樣だが外の物件はたいがい戻つた樣です。――まあ來て見たら分るでせう。夫《それ》でね、下げ渡したら請書《うけしよ》が入るから、印形《いんぎやう》を忘れずに持つて御出《おいで》なさい。――九時迄に來なくつてはいかん。日本堤分署《にほんづゝみぶんしよ》です。――淺草警察署の管轄内《くわんかつない》の日本堤分署です。――それぢや、左樣なら」と獨りで辯じて歸つて行く。泥棒君も續いて門を出る。手が出せないので、門をしめる事が出來ないから開け放しの儘行つて仕舞つた。恐れ入りながらも不平と見えて、主人は頬をふくらして、ぴしやりと立て切つた。
 「アハヽヽ君は刑事を大變尊敬するね。つねにあゝ云ふ恭謙《きようけん》な態度を持つてるといゝ男だが、君は巡査|丈《だけ》に鄭寧なんだから困る」
 「だつて切角知らせて來てくれたんぢやないか」
 「知らせに來るつたつて、先は商賣だよ。當り前にあしらつてりや澤山だ」
 「然し只の商賣ぢやない」
 「無論只の商賣ぢやない。探偵と云ふいけすかない商賣さ。あたり前の商賣より下等だね」
 「君そんな事を云ふと、ひどい目に逢ふぜ」
 「ハヽヽ夫《それ》ぢや刑事の惡口《わるくち》はやめにしやう。然し刑事を尊敬するのは、まだしもだが、泥棒を尊敬するに至つては、驚かざるを得んよ」
 「誰が泥棒を尊敬したい」
 「君がしたのさ」
 「僕が泥棒に近付きがあるもんか」
 「あるもんかつて君は泥棒に御辭儀をしたぢやないか」
 「いつ?」
 「たつた今平身低頭《へいしんていとう》したぢやないか」
 「馬鹿あ云つてら、あれは刑事だね」
 「刑事があんななり〔二字傍点〕をするものか」
 「刑事だからあんななり〔二字傍点〕をするんぢやないか」
 「頑固だな」
 「君こそ頑固だ」
 「まあ第一、刑事が人の所へ來てあんなに懷手《ふところで》なんかして、突立《つつた》つて居るものかね」
 「刑事だつて懷手をしないとは限るまい」
 「さう猛烈にやつて來ては恐れ入るがね。君が御辭儀をする間あいつは始終あの儘で立つて居たのだぜ」
 「刑事だから其位の事はあるかも知れんさ」
 「どうも自信家だな。いくら云つても聞かないね」
 「聞かないさ。君は口先|許《ばか》りで泥棒だ泥棒だと云つてる丈《だけ》で、其泥棒が這入る所を見屆けた譯ぢやないんだから。たゞさう思つて獨りで強情を張つてるんだ」
 迷亭も是《こゝ》に於て到底|濟度《さいど》すべからざる男と斷念したものと見えて、例に似ず黙つて仕舞つた。主人は久し振りで迷亭を凹《へこ》ましたと思つて大得意である。迷亭から見ると主人の價値は強情を張つた丈《だけ》下落した積りであるが、主人から云ふと強情を張つた丈《だけ》迷亭よりえらくなつたのである。世の中にはこんな頓珍漢な事はまゝある。強情さへ張り通せば勝つた氣で居るうちに、當人の人物としての相場は遙かに下落して仕舞ふ。不思議な事に頑固の本人は死ぬ迄自分は面目《めんぼく》を施こした積りかなにかで、其時以後人が輕蔑して相手にして呉れないのだとは夢にも悟り得ない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのださうだ。
 「兎も角もあした行く積りかい」
 「行くとも、九時迄に來いと云ふから、八時から出て行く」
 「學校はどうする」
 「休むさ。學校なんか」と擲《たゝ》きつける樣に云つたのは壯《さかん》なものだつ た。
 「えらい勢だね。休んでもいゝのかい」
 「いゝとも僕の學校は月給だから、差し引かれる氣遣はない、大丈夫だ」と眞直に白?して仕舞つた。ずるい〔三字傍点〕事もずるい〔三字傍点〕が、單純なことも單純なものだ。
 「君、行くのはいゝが路を知つてるかい」
 「知るものか。車に乘つて行けば譯はないだらう」とぷん/\して居る。
 「靜岡の伯父に讓らざる東京通なるには恐れ入る」
 「いくらでも恐れ入るがいゝ」
 「ハヽヽ日本堤分署と云ふのはね、君只の所ぢやないよ。吉原《よしはら》だよ」
 「何だ?」
 「吉原だよ」
 「あの遊廓のある吉原か?」
 「さうさ、吉原と云やあ、東京に一つしかないやね。どうだ、行つて見る氣かい」と迷亭君又からかひかける。
 主人は吉原と聞いて、そいつは〔四字傍点〕と少々|逡巡《しゆんじゆん》の體《てい》であつたが、忽ち思ひ返して「吉原だらうが、遊廓だらうが、一反《いつたん》行くと云つた以上は屹度《きつと》行く」と入らざる所に力味《りきん》で見せた。愚人は得てこんな所に意地を張るものだ。
 迷亭君は「まあ面白からう、見て來玉へ」と云つたのみである。一波瀾を生じた刑事々件は是で一先づ落着を告げた。迷亭は夫《それ》から相變らず駄辯を弄して日暮れ方、あまり遲くなると伯父に怒《おこ》られると云つて歸つて行つた。
 迷亭が歸つてから、そこ/\に晩飯を濟まして、又書齋へ引き揚げた主人は再び拱手《きようしゆ》して下《しも》の樣に考へ始めた。
 「自分が感服して、大《おほい》に見習はうとした八木獨仙君も迷亭の話しによつて見ると、別段見習ふにも及ばない人間の樣である。のみならず彼の唱道する所の説は何だか非常識で、迷亭の云ふ通り多少|瘋癲的《ふうてんてき》系統に屬しても居りさうだ。況や彼は歴乎《れつき》とした二人の氣狂《きちがひ》の子分を有して居る。甚だ危險である。滅多に近寄ると同系統内に引き摺り込まれさうである。自分が文章の上に於て驚嘆の餘《よ》、是こそ大見識を有して居る偉人に相違ないと思ひ込んだ天道公平《てんだうこうへい》事《こと》實名《じつみやう》立町老梅《たちまちらうばい》は純然たる狂人であつて、現に巣鴨の病院に起居してゐる。迷亭の記述が棒大のざれ言にもせよ、彼が瘋癲院中に盛名を擅《ほしい》まゝにして天道の主宰を以て自《みづか》ら任ずるは恐らく事實であらう。かう云ふ自分もことによると少々|御座《ござ》つて居るかも知れない。同氣相求め、同類相集まると云ふから、氣狂の説に感服する以上は――少なくとも其文章言辭に同情を表する以上は――自分も亦氣狂に縁の近い者であるだらう。よし同型中に鑄化《ちうくわ》せられんでも軒を比《なら》べて狂人と隣り合せに居《きよ》を卜《ぼく》するとすれば、境の壁を一重打ち拔いていつの間《ま》にか同室内に膝を突き合せて談笑する事がないとも限らん。こいつは大變だ。成程考へて見ると此程|中《ぢゆう》から自分の腦の作用は我ながら驚く位|奇上《きじやう》に妙《めう》を點《てん》じ變傍《へんばう》に珍《ちん》を添へて居る。腦漿《のうしやう》一勺《いつせき》の化學的變化は兎に角意志の動いて行爲となる所、發して言辭と化する邊《あたり》には不思議にも中庸を失した點が多い。舌上《ぜつじやう》に龍泉《りゆうせん》なく、腋下《えきか》に清風《せいふう》を生《しやう》ぜざるも、齒根《しこん》に狂臭《きやうしう》あり、筋頭《きんとう》に瘋味《ふうみ》あるを奈何《いかん》せん。愈《いよ/\》大變だ。ことによるともう既に立派な患者になつて居るのではないかしらん。まだ幸に人を傷《きずつ》けたり、世間の邪魔になる事をし出かさんから矢張り町内を追拂はれずに、東京市民として存在して居るのではなからうか。こいつは消極の積極のと云ふ段ぢやない。先づ脉搏からして檢査しなくてはならん。然し脉には變りはない樣だ。頭は熱いかしらん。是も別に逆上の氣味でもない。然しどうも心配だ。」
 「かう自分と氣狂ばかりを比較して類似の點ばかり勘定して居ては、どうしても氣狂の領分を脱する事は出來さうにもない。是は方法がわるかつた。氣狂を標準にして自分を其方《そつち》へ引きつけて解釋するからこんな結論が出るのである。もし健康な人を本位にして其|傍《そば》へ自分を置いて考へて見たら或は反對の結果が出るかも知れない。夫《それ》には先づ手近から始めなくてはいかん。第一に今日來たフロツクコートの伯父さんはどうだ。心をどこに置かうぞ……あれも少々怪しい樣だ。第二に寒月はどうだ。朝から晩迄辨當持參で球ばかり磨いて居る。是も棒組《ばうぐみ》だ。第三にと……迷亭? あれはふざけ廻るのを天職の樣に心得て居る。全く陽性の氣狂に相違ない。第四はと……金田の妻君。あの毒惡な根性は全く常識をはづれて居る。純然たる氣じるしに極つてる。第五は金田君の番だ。金田君には御目に懸つた事はないが、先づあの細君を恭しくおつ立てゝ、琴瑟《きんしつ》調和して居る所を見ると非凡の人間と見立てゝ差支あるまい。非凡は氣狂の異名《いみやう》であるから、先づ是も同類にして置いて構はない。夫《それ》からと、――まだあるある。落雲館の諸君子だ、年齡から云ふとまだ芽生へだが、躁狂《さうきやう》の點に於ては一世を空《むな》しうするに足る天晴《あつぱれ》な豪のものである。かう數へ立てゝ見ると大抵のものは同類の樣である。案外心丈夫になつて來た。ことによると社會はみんな氣狂の寄り合かも知れない。氣狂が集合して鎬《しのぎ》を削《けづ》つてつかみ合ひ、いがみ合ひ、罵り合ひ、奪ひ合つて、其全體が團體として細胞の樣に崩れたり、持ち上つたり、持ち上つたり、崩れたりして暮して行くのを社會と云ふのではないか知らん。其中で多少理窟がわかつて、分別のある奴は却つて邪魔になるから、瘋癲院《ふうてんゐん》といふものを作つて、こゝへ押し込めて出られない樣にするのではないかしらん。すると瘋癲院に幽閉されて居るものは普通の人で、院外にあばれて居るものは却つて氣狂である。氣狂も孤立して居る間はどこ迄も氣狂にされて仕舞ふが、團體となつて勢力が出ると、健全の人間になつて仕舞ふのかも知れない。大きな氣狂が金力や威力を濫用して多くの小氣狂《せうきちがひ》を使役して亂暴を働いて、人から立派な男だと云はれて居る例は少なくない。何が何だか分らなくなつた。」
 以上は主人が當夜|煢々《けい/\》たる孤燈の下《もと》で沈思熟慮した時の心的作用をありの儘に描《ゑが》き出したものである。彼の頭腦の不透明なる事はこゝにも著るしくあらはれて居る。彼はカイゼルに似た八字髯を蓄ふるにも係らず狂人と常人の差別さへなし得ぬ位の凡倉《ぼんくら》である。のみならず彼は切角此問題を提供して自己の思索力に訴へながら、遂に何等の結論に達せずしてやめて仕舞つた。何事によらず彼は徹底的に考へる腦力のない男である。彼の結論の茫漠として、彼の鼻孔から迸出《はうしゆつ》する朝日の烟の如く、捕捉しがたきは、彼の議論に於ける唯一の特色として記憶すべき事實である。
 吾輩は猫である。猫の癖にどうして主人の心中をかく精密に記述し得るかと疑ふものがあるかも知れんが、此位な事は猫にとつて何でもない。吾輩は是で讀心術を心得て居る。いつ心得たなんて、そんな餘計な事は聞かんでもいゝ。ともかくも心得て居る。人間の膝の上へ乘つて眠つて居るうちに、吾輩は吾輩の柔かな毛衣《けごろも》をそつと人間の腹にこすり付ける。すると一道の電氣が起つて彼の腹の中の行《い》きさつが手にとる樣に吾輩の心眼に映ずる。先達《せんだつ》て抔《など》は主人がやさしく吾輩の頭を撫で廻しながら、突然此猫の皮を剥いでちやん/\〔五字傍点〕にしたら嘸《さぞ》あたゝかでよからうと飛んでもない了見をむら/\と起したのを即座に氣取《けど》つて覺えずひやつとした事さへある。怖《こは》い事だ。當夜主人の頭のなかに起つた以上の思想もそんな譯合《わけあひ》で幸にも諸君に御報道する事が出來る樣に相成つたのは吾輩の大《おほい》に榮譽とする所である。但し主人は「何が何だか分らなくなつた」迄考へて其あとはぐう/\寐て仕舞つたのである、あすになれば何をどこ迄考へたか丸《まる》で忘れて仕舞ふに違ない。向後《かうご》もし主人が氣狂に就て考へる事があるとすれば、もう一返出直して頭から考へ始めなければならぬ。さうすると果してこんな徑路を取つて、こんな風に「何が何だか分らなくなる」かどうだか保證出來ない。然し何返考へ直しても、何條《なんでう》の徑路《けいろ》をとつて進もうとも、遂に「何が何だか分らなくなる」丈《だけ》は慥《たし》かである。
 
        十
 
 「あなた、もう七時ですよ」と襖越《ふすまご》しに細君が聲を掛けた。主人は眼がさめて居るのだか、寐て居るのだか、向うむきになつたぎり返事もしない。返事をしないのは此男の癖である。是非何とか口を切らなければならない時はうん〔二字傍点〕と云ふ。此うん〔二字傍点〕も容易な事では出てこない。人間も返事がうるさくなる位|無精《ぶしやう》になると、どことなく趣があるが、こんな人に限つて女に好かれた試しがない。現在連れ添ふ細君ですら、あまり珍重して居らん樣だから、其他は推して知るべしと云つても大した間違はなからう。親兄弟に見離され、あかの他人の傾城《けいせい》に、可愛がらりやう筈がない、とある以上は、細君にさへ持てない主人が、世間一般の淑女に氣に入る筈がない。何も異性間に不人望な主人を此際ことさらに暴露する必要もないのだが、本人に於て存外な考へ違をして、全く年廻りのせいで細君に好かれないのだ抔《など》と理窟をつけて居ると、迷の種であるから、自覺の一助にもならうかと親切心から一寸申し添へる迄である。
 言ひつけられた時刻に、時刻がきたと注意しても、先方が其注意を無にする以上は、向《むかふ》をむいてうん〔二字傍点〕さへ發せざる以上は、其|曲《きよく》は夫《をつと》にあつて、妻にあらずと論定したる細君は、遲くなつても知りませんよと云ふ姿勢で箒とはたき〔三字傍点〕を擔いで書齋の方へ行つてしまつた。やがてぱた/\書齋中を叩き散らす音がするのは例によつて例の如き掃除を始めたのである。一體掃除の目的は運動の爲か、遊戯の爲か、掃除の役目を帶びぬ吾輩の關知する所でないから、知らん顔をして居れば差し支ない樣なものゝ、こゝの細君の掃除法の如きに至つては頗る無意義のものと云はざるを得ない。何が無意義であるかと云ふと、此細君は單に掃除の爲めに掃除をして居るからである。はたき〔三字傍点〕を一通り障子へかけて、箒を一應疊の上へ滑らせる。夫《それ》で掃除は完成した者と解釋して居る。掃除の源因及び結果に至つては微塵の責任だに脊負つて居らん。かるが故に奇麗な所は毎日奇麗だが、ごみ〔二字傍点〕のある所、ほこり〔三字傍点〕の積つて居る所はいつでもごみ〔二字傍点〕が溜つてほこり〔三字傍点〕が積つて居る。告朔《こくさく》の?羊《きやう》と云ふ故事《こじ》もある事だから、是でもやらんよりはましかも知れない。然しやつても別段主人の爲にはならない。ならない所を毎日/\御苦勞にもやる所が細君のえらい所である。細君と掃除とは多年の習慣で、器械的の連想をかたちづくつて頑として結びつけられて居るにもかゝはらず、掃除の實《じつ》に至つては、妻君が未《いま》だ生れざる以前の如く、はたき〔三字傍点〕と箒が發明せられざる昔の如く、毫も擧《あが》つて居らん。思ふに此兩者の關係は形式論理學の命題に於ける名辭の如く其内容の如何《いかん》にかゝはらず結合せられたものであらう。
 吾輩は主人と違つて、元來が早起の方だから、此時既に空腹になつて參つた。到底うちのものさへ膳に向はぬさきから、猫の身分を以て朝めしに有りつける譯のものではないが、そこが猫の淺ましさで、もしや烟の立つた汁の香《にほひ》が鮑貝《あはびがひ》の中から、うまさうに立ち上つておりはすまいかと思ふと、じつとして居られなくなつた。はかない事を、果敢《はか》ないと知りながら頼みにするときは、只其頼み丈《だけ》を頭の中に描いて、動かずに落ち付いて居る方が得策であるが、さてさうは行かぬ者で、心の願と實際が、合ふか合はぬか是非とも試驗して見たくなる。試驗して見れば必ず失望するにきまつてる事ですら、最後の失望を自《みづか》ら事實の上に受取る迄は承知出來んものである。吾輩はたまらなくなつて臺所へ這出した。先づへつゝい〔四字傍点〕の影にある鮑貝《あはびがひ》の中を覗いて見ると案に違《たが》はず、夕《ゆう》べ舐《な》め盡した儘、闃然《げきぜん》として、怪しき光が引窓を洩る初秋《はつあき》の日影にかゞやいて居る。御三《おさん》は既に炊き立《たて》の飯を、御櫃《おはち》に移して、今や七輪にかけた鍋の中をかきまぜつゝある。釜の周圍には沸き上がつて流れだした米の汁が、かさ/\に幾條《いくすぢ》となくこびり付いて、あるものは吉野紙を貼りつけた如くに見える。もう飯も汁も出來て居るのだから食はせてもよさゝうなものだと思つた。こんな時に遠慮するのは詰らない話だ、よしんば自分の望通りにならなくつたつて元々で損は行かないのだから、思ひ切つて朝飯の催促をしてやらう、いくら居候《ゐさふらふ》の身分だつてひもじいに變りはない。と考へ定めた吾輩はにやあ/\と甘へる如く、訴ふるが如く、或は又|怨《ゑん》ずるが如く泣いて見た。御三は一向《いつかう》顧みる景色《けしき》がない。生れ付いての御多角《おたかく》だから人情に疎《うと》いのはとうから承知の上だが、そこをうまく泣き立てゝ同情を起させるのが、こつちの手際である。今度はにやご/\とやつて見た。其泣き聲は吾ながら悲壯の音《おん》を帶びて天涯《てんがい》の遊子《いうし》をして斷腸の思あらしむるに足ると信ずる。御三は恬《てん》として顧みない。此女は聾《つんぼ》なのかも知れない。聾《つんぼ》では下女が勤まる譯がないが、ことによると猫の聲|丈《だけ》には聾なのだらう。世の中には色盲《しきまう》といふのがあつて、當人は完全な視力を具へて居る積りでも、醫者から云はせると片輪ださうだが、此御三は聲盲《せいまう》なのだらう。聲盲だつて片輪に違ひない。片輪のくせにいやに横風《わうふう》なものだ。夜中なぞでも、いくら此方《こつち》が用があるから開けてくれろと云つても決して開けてくれた事がない。たまに出して呉れたと思ふと今度はどうしても入れて呉れない。夏だつて夜露は毒だ。況んや霜に於てをやで、軒下に立ち明かして、日の出を待つのは、どんなに辛いか到底想像が出來るものではない。此間しめ出しを食つた時なぞは野良犬の襲撃を蒙つて、既に危うく見えた所を、漸くの事で物置の家根《やね》へかけ上《あが》つて、終夜|顫《ふる》へつゞけた事さへある。是等は皆御三の不人情から胚胎《はいたい》した不都合である。こんなものを相手にして鳴いて見せたつて、感應のある筈はないのだが、そこが、ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに戀のふみと云ふ位だから、大抵の事ならやる氣になる。にやごをう/\と三度目には、注意を喚起する爲めにことさらに複雜なる泣き方をして見た。自分ではベト?ンのシンフオニーにも劣らざる美妙の音《おん》と確信して居るのだが御三には何等の影響も生じない樣だ。御三は突然膝をついて、揚げ板を一枚はね除《の》けて、中から堅炭の四寸|許《ばか》り長いのを一本つかみ出した。それから其長い奴を七輪の角でぽん/\と敲《たた》いたら、長いのが三つ程に碎けて近所は炭の粉で眞黒くなつた。少々は汁の中へも這入つたらしい。御三はそんな事に頓着する女ではない。直ちにくだけたる三個の炭を鍋の尻から七輪の中へ押し込んだ。到底吾輩のシンフオニーには耳を傾けさうにもない。仕方がないから悄然《せうぜん》と茶の間の方へ引きかへさうとして風呂場の横を通り過ぎると、こゝは今女の子が三人で顔を洗つてる最中で、なか/\繁昌して居る。
 顔を洗ふと云つた所で、上の二人が幼稚園の生徒で、三番目は姉の尻についてさへ行かれない位小さいのだから、正式に顔が洗へて、器用に御化粧が出來る筈がない。一番小さいのがバケツの中から濡《ぬ》れ雜巾《ざふきん》を引きずり出して頻りに顔中撫で廻はして居る。雜巾《ざふきん》で顔を洗ふのは定めし心持ちがわるからうけれども、地震がゆるたびにおもちろいわ〔六字傍点〕と云ふ子だから此位の事はあつても驚ろくに足らん。ことによると八木獨仙君より悟つて居るかも知れない。さすがに長女は長女|丈《だけ》に、姉を以て自《みづか》ら任じて居るから、うがひ茶碗をから/\かんと抛出《はふりだ》して「坊やちやん、それは雜巾よ」と雜巾をとりにかゝる。坊やちやんも中々自信家だから容易に姉の云ふ事なんか聞きさうにしない。「いやーよ、ばぶ」と云ひながら雜巾を引つ張り返した。此ばぶ〔二字傍点〕なる語は如何なる意義で、如何なる語源を有して居るか、誰も知つてるものがない。只此坊やちやんが癇癪を起した時に折々御使用になる許《ばか》りだ。雜巾は此時姉の手と、坊やちやんの手で左右に引つ張られるから、水を含んだ眞中からぽた/\雫《しづく》が垂れて、容赦なく坊やの足にかゝる、足|丈《だけ》なら我慢するが膝のあたりがしたゝか濡れる。坊やは是でも元禄《げんろく》を着て居るのである。元禄《げんろく》とは何の事だとだん/\聞いて見ると、中形《ちゆうがた》の模樣なら何でも元禄ださうだ。一體だれにヘ《をそ》はつて來たものか分らない。「坊やちやん、元禄が濡れるから御よしなさい、ね」と姉が洒落《しや》れた事を云ふ。其癖此姉はつい此間迄元禄と双六《すごろく》とを間違へて居た物識りである。
 元禄《げんろく》で思ひ出したから序《ついで》に喋舌《しやべ》つて仕舞ふが、この子供の言葉ちがひをやる事は夥しいもので、折々人を馬鹿にした樣な間違を云つてる。火事で茸《きのこ》が飛んで來たり、御茶《おちや》の味噌《みそ》の女學校へ行つたり、惠比壽《えびす》、臺所《だいどこ》と並べたり、或る時|抔《など》は「わたしや藁店《わらだな》の子ぢやないわ」と云ふから、よく/\聞き糺して見ると裏店《うらだな》と藁店《わらだな》を混同して居たりする。主人はこんな間違を聞く度に笑つて居るが、自分が學校へ出て英語をヘへる時|抔《など》は、是よりも滑稽な誤謬を眞面目になつて、生徒に聞かせるのだらう。
 坊やは――當人は坊やとは云はない。いつでも坊ば〔二字傍点〕と云ふ――元禄が濡れたのを見て「元《げん》どこ〔二字傍点〕がべたい〔三字傍点〕」と云つて泣き出した。元禄が冷たくては大變だから、御三が臺所から飛び出して來て、雜巾を取上げて着物を拭いてやる。此騷動中比較的靜かであつたのは、次女のすん子孃である。すん子孃は向ふむきになつて棚の上からころがり落ちた、御白粉《おしろい》の瓶をあけて、しきりに御化粧を施して居る。第一に突つ込んだ指を以て鼻の頭をキユーと撫でたから竪に一本白い筋が通つて、鼻のありかゞ聊《いさゝ》か分明《ぶんみやう》になつて來た。次に塗りつけた指を轉じて頬の上を摩擦したから、そこへもつてきて、是又白いかたまりが出來上つた。是《これ》丈《だけ》裝飾がとゝのつた所へ、下女が這入つて來て坊ばの着物を拭いた序《ついで》に、すん子の顔もふいて仕舞つた。すん子は少々不滿の體に見えた。
 吾輩は此光景を横に見て、茶の間から主人の寢室迄來てもう起きたかとひそかに樣子をうかがつて見ると、主人の頭がどこにも見えない。其代り十文半《ともんはん》の甲の高い足が、夜具の裾から一本|食《は》み出して居る。頭が出ていては起こされる時に迷惑だと思つて、かくもぐり込んだのであらう。龜の子の樣な男である。所へ書齋の掃除をしてしまつた妻君が又箒とはたき〔三字傍点〕を擔いでやつてくる。最前《さいぜん》の樣に襖の入口から
 「まだお起きにならないのですか」と聲をかけたまゝ、しばらく立つて、首の出ない夜具を見つめて居た。今度も返事がない。細君は入口から二歩《ふたあし》ばかり進んで、箒をとんと突きながら「まだなんですか、あなた」と重ねて返事を承はる。此時主人は既に目が覺めて居る。覺めて居るから、細君の襲撃にそなふる爲め、あらかじめ夜具の中に首|諸共《もろとも》立て籠つたのである。首さへ出さなければ、見逃《みのが》してくれる事もあらうかと、詰まらない事を頼みにして寐て居た所、中々許しさうもない。然し第一回の聲は敷居の上で、少くとも一間の間隔があつたから、まづ安心と腹のうちで思つて居ると、とんと突いた箒が何でも三尺位の距離に迫つて居たには一寸驚ろいた。のみならず第二の「まだなんですか、あなた」が距離に於ても音量に於ても前よりも倍以上の勢を以て夜具のなか迄聞えたから、こいつは駄目だと覺悟をして、小さな聲でうん〔二字傍点〕と返事をした。
 「九時迄に入らつしやるのでせう。早くなさらないと間に合ひませんよ」
 「そんなに言はなくても今起きる」と夜着の袖口から答へたのは奇觀である。妻君はいつでも此手を食つて、起きるかと思つて安心してゐると、又寐込まれつけて居るから、油斷は出來ないと「さあ御起きなさい」とせめ立てる。起きると云ふのに、猶《なほ》起きろと責めるのは氣に食はんものだ。主人の如き我儘者には猶氣に食はん。是《こゝ》に於てか主人は今迄頭から被つて居た夜着を一度に跳ねのけた。見ると大きな眼を二つとも開いて居る。
 「何だ騷々しい。起きると云へば起きるのだ」
 「起きると仰やつても御起きなさらんぢやありませんか」
 「誰がいつ、そんな嘘をついた」
 「いつでもですわ」
 「馬鹿を云へ」
 「どつちが馬鹿だか分りやしない」と妻君ぷんとして箒を突いて枕元に立つて居る所は勇ましかつた。此時裏の車屋の子供、八つちやんが急に大きな聲をしてワーと泣き出す。八つちやんは主人が怒《おこ》り出しさへすれば必ず泣き出すべく、車屋のかみさんから命ぜられるのである。かみさんは主人が怒るたんびに八つちやんを泣かして小遣《こづかひ》になるかも知れんが、八つちやんこそいゝ迷惑だ。こんな御袋《おふくろ》を持つたが最後朝から晩迄泣き通しに泣いて居なくてはならない。少しは此邊の事情を察して主人も少々怒るのを差し控へてやつたら、八つちやんの壽命が少しは延びるだらうに、いくら金田君から頼まれたつて、こんな愚《ぐ》な事をするのは、天道公平君よりもはげしく御出《おいで》になつて居る方だと鑑定してもよからう。怒るたんびに泣かせられる丈《だけ》なら、まだ餘裕もあるけれども、金田君が近所のゴロツキを傭《やと》つて今戸燒《いまどやき》をきめ込むたびに、八つちやんは泣かねばならんのである。主人が怒るか怒らぬか、まだ判然しないうちから、必ず怒るべきものと豫想して、早手廻しに八つちやんは泣いて居るのである。かうなると主人が八つちやんだか、八つちやんが主人だか判然しなくなる。主人にあてつけるに手數《てすう》は掛らない、一寸八つちやんに劔突を食はせれば何の苦もなく、主人の横つ面《つら》を張つた譯になる。昔《むか》し西洋で犯罪者を所刑にする時に、本人が國境外に逃亡して、捕《とら》へられん時は、偶像をつくつて人間の代りに火《ひ》あぶり〔三字傍点〕にしたと云ふが、彼等のうちにも西洋の故事に通曉する軍師があると見えて、うまい計略を授けたものである。落雲館と云ひ、八つちやんの御袋と云ひ、腕のきかぬ主人にとつては定めし苦手《にがて》であらう。其外苦手は色々ある。或は町内中|悉《こと/”\》く苦手かも知れんが、只今は關係がないから、漸々《だん/\》成し崩しに紹介致す事にする。
 八つちやんの泣き聲を聞いた主人は、朝つぱらから餘程癇癪が起つたと見えて、忽ちがばと布團の上に起き直つた。かうなると精神修養も八木獨仙も何もあつたものぢやない。起き直りながら兩方の手でゴシ/\ゴシと表皮のむける程、頭中引き掻き廻す。一ケ月も溜つて居るフケは遠慮なく、頸筋やら、寐卷の襟へ飛んでくる。非常な壯觀である。髯はどうだと見ると是は又驚ろくべく、ぴん然とおつ立つて居る。持主が怒《おこ》つて居るのに髯|丈《だけ》落ち付いて居ては濟まないとでも心得たものか、一本々々に癇癪を起して、勝手次第の方角へ猛烈なる勢を以て突進して居る。是とても中々の見物《みもの》である。昨日《きのふ》は鏡の手前もある事だから、大人《おとな》しく獨乙《ドイツ》皇帝陛下の眞似をして整列したのであるが、一晩寐れば訓練も何もあつた者ではない、直ちに本來の面目に歸つて思ひ/\の出《い》で立《たち》に戻るのである。恰も主人の一夜作りの精神修養が、あくる日になると拭ふが如く奇麗に消え去つて、生れ付いての野猪的《やちよてき》本領が直ちに全面を暴露し來《きた》るのと一般である。こんな亂暴な髯をもつて居る、こんな亂暴な男が、よくまあ今迄免職にもならずにヘ師が勤まつたものだと思ふと、始めて日本の廣い事がわかる。廣ければこそ金田君や金田君の犬が人間として通用して居るのでもあらう。彼等が人間として通用する間は主人も免職になる理由がないと確信して居るらしい。いざとなれば巣鴨へ端書を飛ばして天道公平君に聞き合せて見れば、すぐ分る事だ。
 此時主人は、昨日《きのふ》紹介した混沌たる太古の眼を精一杯に見張つて、向ふの戸棚を屹《きつ》と見た。是は高さ一間を横に仕切つて上下《じやうげ》共《とも》各《おの/\》二枚の袋戸をはめたものである。下の方の戸棚は、布團の裾とすれ/\の距離にあるから、起き直つた主人が眼をあきさへすれば、天然自然こゝに視線がむく樣に出來て居る。見ると模樣を置いた紙が所々破れて妙な腸《はらわた》があからさまに見える。腸《はらわた》には色々なのがある。あるものは活版摺で、あるものは肉筆である。あるものは裏返しで、あるものは逆さまである。主人は此|腸《はらわた》を見ると同時に、何がかいてあるか讀みたくなつた。今迄は車屋のかみさんでも捕《つらま》へて、鼻づらを松の木へこすりつけてやらう位に迄|怒《おこ》つて居た主人が、突然此|反古紙《ほごがみ》を讀んで見たくなるのは不思議の樣であるが、かう云ふ陽性の癇癪持ちには珍らしくない事だ。小供が泣くときに最中《もなか》の一つもあてがへばすぐ笑ふと一般である。主人が昔《むか》し去る所の御寺に下宿して居た時、襖一と重を隔てゝ尼が五六人居た。尼|抔《など》と云ふものは元來意地のわるい女のうちで尤も意地のわるいものであるが、この尼が主人の性質を見拔いたものと見えて自炊の鍋をたゝきながら、今泣いた烏がもう笑つた、今泣いた烏がもう笑つたと拍子を取つて歌つたさうだ、主人が尼が大嫌になつたのは此時からだと云ふが、尼は嫌《きらひ》にせよ全くそれに違ない。主人は泣いたり、笑つたり、嬉しがつたり、悲しがつたり人一倍もする代りに何《いづ》れも長く續いた事がない。よく云へば執着がなくて、心機《しんき》がむやみに轉ずるのだらうが、之を俗語に翻譯してやさしく云へば奧行のない、薄つ片《ぺら》の、鼻《はな》つ張《ぱり》丈《だけ》強いだゞつ子である。既にだゞつ子である以上は、喧嘩をする勢で、むつくと刎ね起きた主人が急に氣を換へて袋戸《ふくろど》の腸《はらわた》を讀みにかゝるのも尤《もつと》もと云はねばなるまい。第一に眼にとまつたのが伊藤博文の逆《さ》か立《だ》ちである。上を見ると明治十一年九月廿八日とある。韓國統監《かんこくとうかん》も此時代から御布令《おふれ》の尻尾《しつぽ》を追つ懸けてあるいて居たと見える。大將此時分は何をして居たんだらうと、讀めさうにない所を無理によむと大藏卿《おほくらきやう》とある。成程えらいものだ、いくら逆《さ》か立《だ》ちしても大藏卿である。少し左の方を見ると今度は大藏卿横になつて晝寐をして居る。尤もだ。逆か立ちではさう長く續く氣遣はない。下の方に大きな木板《もくばん》で汝は〔二字傍点〕と二字|丈《だけ》見える、あとが見たいが生憎《あいにく》露出して居らん。次の行には早く〔二字傍点〕の二字|丈《だけ》出てゐる。こいつも讀みたいがそれぎれで手掛りがない。もし主人が警視廰の探偵であつたら、人のものでも構はずに引つぺがすかも知れない。探偵と云ふものには高等なヘ育を受けたものがないから事實を擧げる爲には何でもする。あれは始末に行《ゆ》かないものだ。願くばもう少し遠慮をしてもらひたい。遠慮をしなければ事實は決して擧げさせない事にしたらよからう。聞く所によると彼等は羅織虚構《らしききよこう》を以て良民を罪に陷《おとしい》れる事さへあるさうだ。良民が金を出して雇つて置く者が、雇主を罪にする抔《など》ときては是又立派な氣狂である。次に眼を轉じて眞中を見ると眞中には大分縣《おほいたけん》が宙返りをして居る。伊藤博文でさへ逆か立ちをする位だから、大分縣が宙返りをするのは當然である。主人はこゝ迄讀んで來て、双方へ握り拳をこしらへて、之を高く天井に向けて突きあげた。あくびの用意である。
 此あくびが又|鯨《くぢら》の遠吠《とほぼえ》の樣に頗る變調を極めた者であつたが、それが一段落を告げると、主人はのそ/\と着物をきかへて顔を洗ひに風呂場へ出掛けて行つた。待ちかねた細君はいきなり布團をまくつて夜着《よぎ》を疊んで、例の通り掃除をはじめる。掃除が例の通りである如く、主人の顔の洗ひ方も十年一日の如く例の通りである。先日紹介をした如く依然としてがー/\、げー/\を持續して居る。やがて頭を分け終つて、西洋手拭を肩へかけて、茶の間へ出御《しゆつぎよ》になると、超然として長火鉢の横に座を占めた。長火鉢と云ふと欅《けやき》の如輪木《じよりんもく》か、銅《あか》の總落《そうおと》しで、洗髪《あらひがみ》の姉御が立膝で、長烟管《ながぎせる》を黒柿《くろがき》の縁《ふち》へ叩きつける樣を想見する諸君もないとも限らないが、わが苦沙彌先生の長火鉢に至つては決して、そんな意氣なものではない、何で造つたものか素人には見當のつかん位古雅なものである。長火鉢は拭き込んでてら/\光る所が身上《しんしやう》なのだが、此|代物《しろもの》は欅か櫻か桐か元來不明瞭な上に、殆ど布巾をかけた事がないのだから陰氣で引き立たざる事|夥《おびたゞ》しい。こんなものを何處から買つて來たかと云ふと、決して買つた覺はない。そんなら貰つたのかと聞くと、誰も呉れた人はないさうだ。然らば盗んだのかと糺《たゞ》して見ると、何だか其邊が曖昧である。昔《むか》し親類に隱居が居つて、其隱居が死んだ時、當分留守番を頼まれた事がある。所が其後一戸を構へて、隱居所を引き拂ふ際に、そこで自分のものゝ樣に使つて居た火鉢を何の氣もなく、つい持つて來てしまつたのださうだ。少々たちが惡い樣だ。考へるとたちが惡い樣だがこんな事は世間に往々ある事だと思ふ。銀行家|抔《など》は毎日人の金をあつかひつけて居るうちに人の金が、自分の金の樣に見えてくるさうだ。役人は人民の召使である。用事を辨じさせる爲めに、ある權限を委托した代理人の樣なものだ。所が委任された權力を笠に着て毎日事務を處理して居ると、是は自分が所有して居る權力で、人民|抔《など》は之に就て何らの喙《くちばし》を容るゝ理由がないものだ抔《など》と狂つてくる。こんな人が世の中に充滿して居る以上は長火鉢事件を以て主人に泥棒根性があると斷定する譯には行かぬ。もし主人に泥棒根性があるとすれば、天下の人にはみんな泥棒根性がある。
 長火鉢の傍《そば》に陣取つて、食卓を前に控へたる主人の三面には、先刻《さつき》雜巾で顔を洗つた坊ば〔二字傍点〕と御茶《おちや》の味噌〔二字傍点〕の學校へ行くとん〔二字傍点〕子と、御白粉罎《おしろいびん》に指を突き込んだすん〔二字傍点〕子が、既に勢揃をして朝飯を食つて居る。主人は一應此三女子の顔を公平に見渡した。とん子の顔は南蠻鐵《なんばんてつ》の刀の鍔の樣な輪廓を有して居る。すん子も妹|丈《だけ》に多少姉の面影を存して琉球塗《りうきうぬり》の朱盆《しゆぼん》位な資格はある。只坊ば〔二字傍点〕に至つては獨り異彩を放つて、面長《おもなが》に出來上つて居る。但し竪に長いのなら世間に其例もすくなくないが、此子のは横に長いのである。如何に流行が變化し易くつたつて、横に長い顔がはやる事はなからう。主人は自分の子ながらも、つく/”\考へる事がある。これでも生長しなければならぬ。生長する所ではない、其生長の速かなる事は禪寺《ぜんでら》の筍《たけのこ》が若竹に變化する勢で大きくなる。主人は又大きくなつたなと思ふたんびに、後《うし》ろから追手《おつて》にせまられる樣な氣がしてひや/\する。如何に空漠なる主人でも此三令孃が女である位は心得て居る。女である以上はどうにか片付けなくてはならん位も承知して居る。承知して居る丈《だけ》で片付ける手腕のない事も自覺して居る。そこで自分の子ながらも少しく持て餘して居る所である。持て餘す位なら製造しなければいゝのだが、そこが人間である。人間の定義を云ふと外に何にもない。只入らざる事を捏造《でつぞう》して自《みづか》ら苦しんで居る者だと云へば、夫《それ》で充分だ。
 さすがに子供はえらい。是程おやぢが處置に窮してゐるとは夢にも知らず、樂しさうに御飯をたべる。所が始末におえないのは坊ばである。坊ばは當年とつて三歳であるから、細君が氣を利かして、食事のときには、三歳然たる小形の箸と茶碗をあてがふのだが、坊ばは決して承知しない。必ず姉の茶碗を奪ひ、姉の箸を引つたくつて、持ちあつかひ惡《にく》い奴を無理に持ちあつかつて居る。世の中を見渡すと無能無才の小人程、いやにのさばり出て柄《がら》にもない官職に登りたがるものだが、あの性質は全く此坊ば時代から萌芽《はうが》して居るのである。其因つて來《きた》る所はかくの如く深いのだから、決してヘ育や薫陶で癒《なほ》せる者ではないと、早くあきらめてしまふのがいゝ。
 坊ばは隣りから分捕《ぶんど》つた偉大なる茶碗と、長大なる箸を專有して、頻りに暴威を擅《ほしいまゝ》にして居る。使ひこなせない者をむやみに使はうとするのだから、勢暴威を逞しくせざるを得ない。坊ばは先づ箸の根元を二本一所に握つた儘うんと茶碗の底へ突込んだ。茶碗の中は飯が八分通り盛り込まれて、其上に味噌汁が一面に漲つて居る。箸の力が茶碗へ傳はるや否や、今迄どうか、かうか、平均を保つて居たのが、急に襲撃を受けたので三十度|許《ばか》り傾いた。同時に味噌汁は容赦なくだら/\と胸のあたりへこぼれだす。坊ばは其位な事で辟易する譯がない。坊ばは暴君である。今度は突き込んだ箸を、うんと力一杯茶碗の底から刎ね上げた。同時に小さな口を縁《ふち》迄持つて行つて、刎ね上げられた米粒を這入る丈《だけ》口の中へ受納した。打ち洩らされた米粒は黄色な汁と相和して鼻のあたまと頬《ほ》つぺたと顋とへ、やつと掛聲をして飛び付いた。飛び付き損じて疊の上へこぼれたものは打算《ださん》の限りでない。隨分無分別な飯の食ひ方である。吾輩は謹んで有名なる金田君及び天下の勢力家に忠告する。公等《こうら》の他をあつかふ事、坊ばの茶碗と箸をあつかふが如くんば、公等《こうら》の口へ飛び込む米粒は極めて僅少のものである。必然の勢を以て飛び込むにあらず、戸迷《とまどひ》をして飛び込むのである。どうか御再考を煩はしたい。世故《せこ》にたけた敏腕家にも似合しからぬ事だ。
 姉のとん子は、自分の箸と茶碗を坊ばに掠奪されて、不相應に小さな奴を以てさつきから我慢して居たが、もと/\小さ過ぎるのだから、一杯にもつた積りでも、あんとあけると三口程で食つて仕舞ふ。したがつて頻繁に御はちの方へ手が出る。もう四膳かへて、今度は五杯目である。とん子は御はちの葢《ふた》をあけて大きなしやもじ〔四字傍点〕を取り上げて、しばらく眺めて居た。是は食はうか、よさうかと迷つてゐたものらしいが、終《つひ》に決心したものと見えて、焦《こ》げのなささうな所を見計つて一掬《ひとしやく》ひしやもじの上へ乘せた迄は無難であつたが、それを裏返して、ぐいと茶碗の上をこいたら、茶碗に入《はい》りきらん飯は塊《かた》まつた儘疊の上へ轉がり出した。とん子は驚ろく景色《けしき》もなく、こぼれた飯を鄭寧に拾ひ始めた。拾つて何にするかと思つたら、みんな御はちの中へ入れてしまつた。少しきたない樣だ。
 坊ばが一大活躍を試みて箸を刎ね上げた時は、丁度とん子が飯をよそひ了つた時である。さすがに姉は姉だけで、坊ばの顔の如何にも亂雜なのを見兼ねて「あら坊ばちやん、大變よ、顔が御ぜん粒だらけよ」と云ひながら、早速坊ばの顔の掃除にとりかゝる。第一に鼻のあたまに寄寓して居たのを取拂ふ。取拂つて捨てると思の外、すぐ自分の口のなかへ入れて仕舞つたのには驚ろいた。それから頬《ほ》つぺたにかゝる。こゝには大分《だいぶ》群《ぐん》をなして數《かず》にしたら、兩方を合せて約二十粒もあつたらう。姉は丹念に一粒づゝ取つては食ひ、取つては食ひ、とう/\妹の顔中にある奴を一つ殘らず食つてしまつた。此の時只今迄は大人《おとな》しく澤庵をかぢつて居たすん子が、急に盛り立ての味噌汁の中から薩摩芋のくづれたのをしやくひ出して、勢よく口の内へ抛《はふ》り込んだ。諸君も御承知であらうが、汁にした薩摩芋の熱したの程|口中《こうちゆう》に答へる者はない。大人《おとな》ですら注意しないと火傷《やけど》をした樣な心持ちがする。ましてすん子の如き、薩摩芋に經驗の乏しい者は無論狼狽する譯である。すん子はワツと云ひながら口中《こうちゆう》の芋を食卓の上へ吐き出した。その二三|片《ぺん》がどう云ふ拍子か、坊ばの前迄すべつて來て、丁度いゝ加減な距離でとまる。坊ばは固《もと》より薩摩芋が大好きである。大好きな薩摩芋が眼の前へ飛んで來たのだから、早速箸を抛《はふ》り出して、手攫《てづか》みにしてむしや/\食つて仕舞つた。
 先刻《さつき》から此|體《てい》たらくを目撃して居た主人は、一言《いちごん》も云はずに、專心自分の飯を食ひ、自分の汁を飲んで、此時は既に楊枝を使つて居る最中であつた。主人は娘のヘ育に關して絶體的放任主義を執る積りと見える。今に三人が海老茶式部《えびちやしきぶ》か鼠式部《ねずみしきぶ》かになつて、三人とも申し合せた樣に情夫《じやうふ》をこしらへて出奔《しゆつぽん》しても、矢張り自分の飯を食つて、自分の汁を飲んで澄まして見て居るだらう。働きのない事だ。然し今の世の働きのあると云ふ人を拜見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻つて馬の眼玉を拔く事と、虚勢を張つて人ををどかす事と、鎌をかけて人を陷《おとしい》れる事より外に何も知らない樣だ。中學|抔《など》の少年輩迄が見樣《みやう》見眞似《みまね》に、かうしなくては幅が利かないと心得違ひをして、本來なら赤面して然る可きのを得々《とく/\》と履行して未來の紳士だと思つて居る。是は働き手と云ふのではない。ごろつき手と云ふのである。吾輩も日本の猫だから多少の愛國心はある。こんな働き手を見る度に撲《なぐ》つてやりたくなる。こんなものが一人でも殖えれば國家はそれ丈《だ》け衰へる譯である。こんな生徒の居る學校は、學校の耻辱であつて、こんな人民の居る國家は國家の耻辱である。耻辱であるにも關らず、ごろ/\世間にごろついて居るのは心得がたいと思ふ。日本の人間は猫程の氣概もないと見える。情《なさけ》ない事だ。こんなごろつき手に比べると主人|抔《など》は遙かに上等な人間と云はなくてはならん。意氣地のない所が上等なのである。無能な所が上等なのである。猪口才《ちよこざい》でない所が上等なのである。
 かくの如く働きのない食ひ方を以て、無事に朝食《あさめし》を濟ましたる主人は、やがて洋服を着て、車へ乘つて、日本堤分署へ出頭に及んだ。格子をあけた時、車夫に日本堤といふところを知つてるかと聞いたら、車夫はへゝゝと笑つた。あの遊廓のある吉原の近邊の日本堤だぜと念を押したのは少々滑稽であつた。
 主人が珍らしく車で玄關から出掛けたあとで、妻君は例の如く食事を濟ませて「さあ學校へ御いで。遲くなりますよ」と催促すると、小供は平氣なもので「あら、でも今日は御休みよ」と支度をする景色《けしき》がない。「御休みなもんですか、早くなさい」と叱《しか》る樣に言つて聞かせると「それでも昨日《きのふ》、先生が御休だつて、仰《おつしや》つてよ」と姉は中々動じない。妻君もこゝに至つて多少變に思つたものか、戸棚から暦《こよみ》を出して繰り返して見ると、赤い字でちやんと御祭日と出て居る。主人は祭日とも知らずに學校へ缺勤屆を出したのだらう。細君も知らずに郵便箱へ抛《はふ》り込んだのだらう。但し迷亭に至つては實際知らなかつたのか、知つて知らん顔をしたのか、そこは少々疑問である。此發明におやと驚ろいた妻君は夫《それ》ぢや、みんなで大人《おとな》しく御遊びなさいと平生《いつも》の通り針箱を出して仕事に取りかゝる。
 其《その》後《ご》三十分間は家内平穩、別段吾輩の材料になる樣な事件も起らなかつたが、突然妙な人が御客に來た。十七八の女學生である。踵《かゝと》のまがつた靴を履《は》いて、紫色の袴を引きずつて、髪を算盤珠《そろばんだま》の樣にふくらまして勝手口から案内も乞はずに上《あが》つて來た。是は主人の姪《めひ》である。學校の生徒ださうだが、折々日曜にやつて來て、よく叔父さんと喧嘩をして歸つて行く雪江《ゆきえ》とか云ふ奇麗な名のお孃さんである。尤も顔は名前程でもない、一寸表へ出て一二町あるけば必ず逢へる人相である。
 「叔母さん今日は」と茶の間へつか/\這入つて來て、針箱の横へ尻を卸した。
 「おや、よく早くから……」
 「今日は大祭日ですから、朝のうちに一寸上がらうと思つて、八時半頃から家《うち》を出て急いで來たの」
 「さう、何か用があるの?」
 「いゝえ、ただあんまり御無沙汰をしたから、一寸上がつたの」
 「一寸でなくつていゝから、緩《ゆつ》くり遊んで入らつしやい。今に叔父さんが歸つて來ますから」
 「叔父さんは、もう、どこへか入らしつたの。珍らしいのね」
 「えゝ今日はね、妙な所へ行つたのよ。……警察へ行つたの、妙でせう」
 「あら、何で?」
 「此春這入つた泥棒がつらまつたんだつて」
 「夫《それ》で引き合に出されるの? いゝ迷惑ね」
 「なあに品物が戻るのよ。取られたものが出たから取りに來いつて、昨日《きのふ》巡査がわざ/\來たもんですから」
 「おや、さう、それでなくつちや、こんなに早く叔父さんが出掛ける事はないわね。いつもなら今時分はまだ寐て入らつしやるんだわ」
 「叔父さん程、寐坊はないんですから……さうして起こすとぷん/\怒《おこ》るのよ。今朝なんかも七時迄に是非おこせと云ふから、起こしたんでせう。すると夜具の中へ潜《もぐ》つて返事もしないんですもの。こつちは心配だから二度目に又おこすと、夜着の袖から何か云ふのよ。本當にあきれ返つてしまふの」
 「なぜそんなに眠いんでせう。屹度《きつと》神經衰弱なんでせう」
 「何ですか」
 「本當にむやみに怒る方《かた》ね。あれでよく學校が勤まるのね」
 「なに學校ぢや大人《おとな》しいんですつて」
 「ぢや猶《なほ》惡るいわ。まるで蒟蒻閻魔《こんにやくえんま》ね」
 「なぜ?」
 「なぜでも蒟蒻閻魔《こんにやくえんま》なの。だつて蒟蒻閻魔の樣ぢやありませんか」 「只怒るばかりぢやないのよ。人が右と云へば左、左と云へば右で、何でも人の言ふ通りにした事がない、――そりや強情ですよ」
 「天探女《あまのじやく》でせう。叔父さんはあれが道樂なのよ。だから何かさせ樣《やう》と思つたら、うら〔二字傍点〕を云ふと、此方《こつち》の思ひ通りになるのよ。此間《こなひだ》蝙蝠傘《かうもり》を買つてもらふ時にも、入《い》らない、入らないつて、態《わざ》と云つたら、入らない事があるものかつて、すぐ買つて下すつたの」
 「ホヽヽヽ旨いのね。わたしも是からさうしやう」
 「さうなさいよ。それでなくつちや損だわ」
 「此間《こなひだ》保險會社の人が來て、是非御這入んなさいつて、勸めて居るんでせう、――色々譯を言つて、かう云ふ利益があるの、あゝ云ふ利益があるのつて、何でも一時間も話をしたんですが、どうしても這入らないの。うちだつて貯蓄はなし、かうして小供は三人もあるし、せめて保險へでも這入つて呉れると餘つ程心丈夫なんですけれども、そんな事は少しも構はないんですもの」
 「さうね、もしもの事があると不安心だわね」と十七八の娘に似合しからん世帶染《しよたいじ》みた言《こと》を云ふ。
 「その談判を蔭で聞いて居ると、本當に面白いのよ。成程保險の必要も認めないではない。必要なものだから會社も存在して居るのだらう。然し死なゝい以上は保險に這入る必要はないぢやないかつて強情を張つて居るんです」
 「叔父さんが?」
 「えゝ、すると會社の男が、それは死なゝければ無論保險會社は要りません。然し人間の命と云ふものは丈夫な樣で脆《もろ》いもので、知らないうちに、いつ危險が逼《せま》つて居るか分りませんと云ふとね、叔父さんは、大丈夫僕は死なゝい事に決心をして居るつて、まあ無法な事を云ふんですよ」
 「決心したつて、死ぬわねえ。わたしなんか是非及第する積《つもり》だつたけれども、とう/\落第して仕舞つたわ」
 「保險社員もさう云ふのよ。壽命は自分の自由にはなりません。決心で長《な》が生《い》きが出來るものなら、誰も死ぬものは御座いませんつて」
 「保險會社の方が至當ですわ」
 「至當でせう。夫《それ》がわからないの。いえ決して死なゝい。誓つて死なゝいつて威張るの」
 「妙ね」
 「妙ですとも、大妙《おほめう》ですわ。保險の掛金を出す位なら銀行へ貯金する方が遙かにましだつて濟まし切つて居るんですよ」
 「貯金があるの?」
 「あるもんですか。自分が死んだあとなんか、ちつとも構ふ考なんかないんですよ」
 「本當に心配ね。なぜ、あんなゝんでせう、こゝへ入らつしやる方《かた》だつて、叔父さんの樣なのは一人も居ないわね」
 「居るものですか。無類ですよ」
 「ちつと鈴木さんにでも頼んで意見でもして貰ふといゝんですよ。あゝ云ふ穩やかな人だと餘つ程|樂《らく》ですがねえ」
 「所が鈴木さんは、うちぢや評判がわるいのよ」
 「みんな逆《さか》なのね。それぢや、あの方《かた》がいゝでせう――ほらあの落ち付いてる――」
 「八木さん?」
 「えゝ」
 「八木さんには大分《だいぶ》閉口して居るんですがね。昨日《きのふ》迷亭さんが來て惡口をいつたものだから、思つた程利かないかも知れない」
 「だつていゝぢやありませんか。あんな風に鷹揚《おうやう》に落ち付いて居れば、――此間《こなひだ》學校で演説をなすつたわ」
 「八木さんが?」
 「えゝ」
 「八木さんは雪江さんの學校の先生なの」
 「いゝえ、先生ぢやないけども、淑コ婦人會《しゆくとくふじんくわい》のときに招待して、演説をして頂いたの」
 「面白かつて?」
 「さうね、そんなに面白くもなかつたわ。だけども、あの先生が、あんな長い顔なんでせう。さうして天神樣の樣な髯を生やして居るもんだから、みんな感心して聞いて居てよ」
 「御話しつて、どんな御話なの?」と妻君が聞きかけて居ると椽側の方から、雪江さんの話し聲をきゝつけて、三人の子供がどたばた茶の間へ亂入して來た。今迄は竹垣の外の空地《あきち》へ出て遊んで居たものであらう。
 「あら雪江さんが來た」と二人の姉さんは嬉しさうに大きな聲を出す。妻君は「そんなに騷がないで、みんな靜かにして御坐はりなさい。雪江さんが今面白い話をなさる所だから」と仕事を隅へ片付ける。
 「雪江さん何の御話し、わたし御話しが大好き」と云つたのはとん子で「矢つ張りかち〔二字傍点〕/\山の御話し?」と聞いたのはすん子である。「坊ばも御はなち」と云ひ出した三女は姉と姉の間から膝を前の方に出す。但し是は御話を承はると云ふのではない、坊ばも又御話を仕《つかまつ》ると云ふ意味である。「あら、又坊ばちやんの話だ」と姉さんが笑ふと、妻君は「坊ばはあとでなさい。雪江さんの御話がすんでから」と賺《す》かして見る。坊ばは中々聞きさうにない。「いやーよ、ばぶ」と大きな聲を出す。「おゝ、よし/\坊ばちやんからなさい。何と云ふの?」と雪江さんは謙遜した。
 「あのね。坊たん、坊たん、どこ行くのつて」
 「面白いのね。夫《それ》から?」
 「わたちは田圃《たんぼ》へ稻刈いに」
 「さう、よく知つてる事」
 「御前がくうと邪魔《だま》になる」
 「あら、くう〔二字傍点〕とぢやないわ、くる〔二字傍点〕とだわね」ととん子が口を出す。坊ばは相變らず「ばぶ」と一喝して直ちに姉を辟易させる。然し中途で口を出されたものだから、續きを忘れて仕舞つて、あとが出て來ない。「坊ばちやん、それぎりなの?」と雪江さんが聞く。
 「あのね。あとでおならは御免だよ。ぷう、ぷう/\つて」
 「ホヽヽヽ、いやだ事、誰にそんな事を、ヘはつたの?」
 「御三《おたん》に」
 「わるい御三《おさん》ね、そんな事をヘへて」と妻君は苦笑をして居たが、「さあ今度は雪江さんの番だ。坊やは大人《おとな》しく聞いて居るのですよ」と云ふと、さすがの暴君も納得したと見えて、それ限《ぎ》り當分の間は沈黙した。
 「八木先生の演説はこんなのよ」と雪江さんがとう/\口を切つた。「昔ある辻《つじ》の眞中に大きな石地藏があつたんですつてね。所がそこが生憎《あいにく》馬や車が通る大變賑やかな場所だもんだから邪魔になつて仕樣がないんでね、町内のものが大勢寄つて、相談をして、どうして此石地藏を隅の方へ片付けたらよからうつて考へたんですつて」
 「そりや本當にあつた話なの?」
 「どうですか、そんな事は何とも仰しやらなくつてよ。――でみんなが色々相談をしたら、其町内で一番強い男が、そりや譯はありません、わたしが屹度《きつと》片づけて見せますつて、一人で其辻へ行つて、兩肌を拔いで汗を流して引つ張つたけれども、どうしても動かないんですつて」
 「餘つ程重い石地藏なのね」
 「えゝ、夫《それ》で其男が疲れて仕舞つて、うちへ歸つて寐て仕舞つたから、町内のものは又相談をしたんですね。すると今度は町内で一番利口な男が、私《わたし》に任せて御覽なさい、一番やつて見ますからつて、重箱のなかへ牡丹餠《ぼたもち》を一杯入れて、地藏の前へ來て、「こゝ迄|御出《おい》で」と云ひながら牡丹餠を見せびらかしたんだつて、地藏だつて食意地《くひいぢ》が張つてるから牡丹餠で釣れるだらうと思つたら、少しも動かないんだつて。利口な男はこれではいけないと思つてね。今度は瓢箪《へうたん》へ御酒を入れて、其瓢箪を片手へぶら下げて、片手へ猪口《ちよこ》を持つて又地藏さんの前へ來て、さあ飲みたくはないかね、飲みたければこゝ迄|御出《おい》でと三時間ばかり、からかつて見たが矢張り動かないんですつて」
 「雪江さん、地藏樣は御腹《おなか》が減らないの」ととん子がきくと「牡丹餠が食べたいな」とすん子が云つた。
 「利口な人は二度共しくじつたから、其次には贋札《にせさつ》を澤山こしらへて、さあ欲しいだらう、欲しければ取りに御出でと札を出したり引つ込ましたりしたが是も丸《まる》で益《やく》に立たないんですつて。餘つ程頑固な地藏樣なのよ」
 「さうね。すこし叔父さんに似て居るわ」
 「えゝ丸《まる》で叔父さんよ、仕舞に利口な人も愛想《あいそ》をつかしてやめて仕舞つたんですとさ。夫《それ》で其あとからね、大きな法螺《ほら》を吹く人が出て、私《わたし》なら屹度《きつと》片づけて見せますから御安心なさいと左《さ》も容易《たやす》い事の樣に受合つたさうです」
 「其|法螺《ほら》を吹く人は何をしたんです」
 「それが面白いのよ。最初にはね巡査の服をきて、付け髯をして、地藏樣の前へきて、こら/\、動かんと其方の爲にならんぞ、警察で棄てゝ置かんぞと威張つて見せたんですとさ。今の世に警察の假聲《こわいろ》なんか使つたつて誰も聞きやしないわね」
 「本當ね、それで地藏樣は動いたの?」
 「動くもんですか、叔父さんですもの」
 「でも叔父さんは警察には大變恐れ入つて居るのよ」
 「あらさう、あんな顔をして? それぢや、そんなに怖《こは》い事はないわね。けれども地藏樣は動かないんですつて、平氣で居るんですとさ。それで法螺吹《ほらふき》は大變|怒《おこ》つて、巡査の服を脱いで、付け髯を紙屑籠へ抛《はふ》り込んで、今度は大金持ちの服裝《なり》をして出て來たさうです。今の世で云ふと岩崎男爵の樣な顔をするんですとさ。可笑《をか》しいわね」
 「岩崎の樣な顔つてどんな顔なの?」
 「只大きな顔をするんでせう。さうして何もしないで、又何も云はないで地藏の周《まは》りを、大きな卷烟草をふかしながら歩行《ある》いて居るんですとさ」
 「それが何になるの?」
 「地藏樣を烟《けむ》に捲《ま》くんです」
 「丸《まる》で噺《はな》し家《か》の洒落《しやれ》の樣ね。首尾よく烟《けむ》に捲《ま》いたの?」
 「駄目ですわ、相手が石ですもの。胡魔化しも大抵にすればいゝのに、今度は殿下さまに化けて來たんだつて。馬鹿ね」
 「へえ、其時分にも殿下さまがあるの?」
 「有るんでせう。八木先生はさう仰《おつし》やつてよ。慥《たし》かに殿下樣に化けたんだつて、恐れ多い事だが化けて來たつて――第一不敬ぢやありませんか、法螺吹きの分際《ぶんざい》で」
 「殿下つて、どの殿下さまなの」
 「どの殿下さまですか、どの殿下さまだつて不敬ですわ」
 「さうね」
 「殿下さまでも利かないでせう。法螺吹きも仕樣がないから、とても私《わたし》の手際では、あの地藏はどうする事も出來ませんと降參をしたさうです」
 「いゝ氣味ね」
 「えゝ、序《ついで》に懲役《ちようえき》に遣ればいゝのに。――でも町内のものは大層氣を揉んで、又相談を開いたんですが、もう誰も引き受けるものがないんで弱つたさうです」
 「それでお仕舞?」
 「まだあるのよ。一番仕舞に車屋とゴロツキを大勢雇つて、地藏樣の周《まは》りをわい/\騷いであるいたんです。只地藏樣をいぢめて、居たゝまれない樣にすればいゝと云つて、夜晝|交替《かうたい》で騷ぐんだつて」
 「御苦勞樣ですこと」
 「それでも取り合はないんですとさ。地藏樣の方も隨分強情ね」
 「それから、どうして?」ととん〔二字傍点〕子が熱心に聞く。
 「それからね、いくら毎日々々騷いでも驗《げん》が見えないので、大分《だいぶ》みんなが厭《いや》になつて來たんですが、車夫やゴロツキは幾日《いくんち》でも日當《につたう》になる事だから喜んで騷いで居ましたとさ」
 「雪江さん、日當《につたう》つてなに?」とすん〔二字傍点〕子が質問をする。
 「日當と云ふのはね、御金の事なの」
 「御金をもらつて何にするの?」
 「御金を貰つてね。……ホヽヽヽいやなすん〔二字傍点〕子さんだ。――それで叔母さん、毎日毎晩から〔二字傍点〕騷ぎを爲《し》て居ますとね。其時町内に馬鹿竹《ばかたけ》と云つて、何《なんに》も知らない、誰も相手にしない馬鹿が居たんですつてね。其馬鹿が此騷ぎを見て御前方《おまへがた》は何でそんなに騷ぐんだ、何年かゝつても地藏一つ動かす事が出來ないのか、可哀想《かはいさう》なものだ、と云つたさうですつて――」
 「馬鹿の癖にえらいのね」
 「中々えらい馬鹿なのよ。みんなが馬鹿竹《ばかたけ》の云ふ事を聞いて、物はためしだ、どうせ駄目だらうが、まあ竹にやらして見《み》樣《やう》ぢやないかとそれから竹に頼むと、竹は一も二もなく引き受けたが、そんな邪魔な騷ぎをしないでまあ靜かにしろと車引やゴロツキを引き込まして飄然《へうぜん》と地藏樣の前へ出て來ました」
 「雪江さん飄然〔二字傍点〕て、馬鹿竹の御友達?」ととん子が肝心な所で奇問を放つたので、細君と雪江さんはどつと笑ひ出した。
 「いゝえ御友達ぢやないのよ」
 「ぢや、なに?」
 「飄然《へうぜん》と云ふのはね。――云ひ樣がないわ」
 「飄然《へうぜん》て、云ひ樣がないの?」
 「さうぢやないのよ、飄然と云ふのはね――」
 「えゝ」
 「そら多々良三平《たゝらさんぺい》さんを知つてるでせう」
 「えゝ、山の芋をくれてよ」
 「あの多々良さん見た樣なを云ふのよ」
 「多々良さんは飄然なの?」
 「えゝ、まあさうよ。――夫《それ》で馬鹿竹が地藏樣の前へ來て懷手《ふところで》をして、地藏樣、町内のものが、あなたに動いてくれと云ふから動いてやんなさいと云つたら、地藏樣は忽ちさうか、そんなら早くさう云へばいゝのに、とのこ/\動き出したさうです」
 「妙な地藏樣ね」
 「夫《それ》からが演説よ」
 「まだあるの?」
 「えゝ、夫《それ》から八木先生がね、今日《こんにち》は御婦人の會でありますが、私が斯樣《かやう》な御話をわざ/\致したのは少々|考《かんがへ》があるので、かう申すと失禮かも知れませんが、婦人といふものは兎角物をするのに正面から近道を通つて行かないで、却つて遠方から廻りくどい手段をとる弊《へい》がある。尤も是は御婦人に限つた事でない。明治の代《よ》は男子と雖《いへども》、文明の弊を受けて多少女性的になつて居るから、よく入らざる手數《てすう》と勞力を費やして、是が本筋である、紳士のやるべき方針であると誤解して居るものが多い樣だが、是等は開化の業《ごふ》に束縛された畸形兒《きけいじ》である。別に論ずるに及ばん。只御婦人に在つては可成《なるべく》只今申した昔話を御記憶になつて、いざと云ふ場合にはどうか馬鹿竹の樣な正直な了見で物事を處理して頂きたい。あなた方が馬鹿竹になれば夫婦の間、嫁姑《よめしうと》の間に起る忌はしき葛藤《かつとう》の三分一《さんぶいち》は慥《たし》かに減ぜられるに相違ない。人間は魂膽《こんたん》があればある程、其魂膽が祟《たゝ》つて不幸の源《みなもと》をなすので、多くの婦人が平均男子より不幸なのは、全く此魂膽があり過ぎるからである。どうか馬鹿竹になつて下さい、と云ふ演説なの」
 「へえ、それで雪江さんは馬鹿竹になる氣なの」
 「やだわ、馬鹿竹だなんて。そんなものになり度くはないわ。金田の富子さんなんぞは失敬だつて大變|怒《おこ》つてよ」
 「金田の富子さんて、あの向横町《むかふよこちやう》の?」
 「えゝ、あのハイカラさんよ」
 「あの人も雪江さんの學校へ行くの?」
 「いゝえ、只婦人會だから傍聽に來たの。本當にハイカラね。どうも驚ろいちまふわ」
 「でも大變いゝ器量だつて云ふぢやありませんか」
 「並ですわ。御自慢程ぢやありませんよ。あんなに御化粧をすればたいていの人はよく見えるわ」
 「それぢや雪江さんなんぞは其かたの樣に御化粧をすれば金田さんの倍位美しくなるでせう」
 「あらいやだ。よくつてよ。知らないわ。だけど、あの方《かた》は全くつくり過ぎるのね。なんぼ御金があつたつて――」
 「つくり過ぎても御金のある方がいゝぢやありませんか」
 「それもさうだけれども――あの方《かた》こそ、少し馬鹿竹になつた方がいゝでせう。無暗に威張るんですもの。此間もなんとか云ふ詩人が新體詩集を捧げたつて、みんなに吹聽して居るんですもの」
 「東風《とうふう》さんでせう」
 「あら、あの方が捧げたの、餘つ程|物數奇《ものずき》ね」
 「でも東風さんは大變眞面目なんですよ。自分ぢや、あんな事をするのが當前《あたりまへ》だと迄思つてるんですもの」
 「そんな人があるから、いけないんですよ。――夫《それ》からまだ面白い事があるの。此間《こなひだ》だれか、あの方の所《とこ》へ艶書を送つたものがあるんだつて」
 「おや、いやらしい。誰なの、そんな事をしたのは」
 「誰だかわからないんだつて」
 「名前はないの?」
 「名前はちやんと書いてあるんだけれども聞いた事もない人だつて、さうして夫《それ》が長い/\一間|許《ばか》りもある手紙でね。色々な妙な事がかいてあるんですとさ。私《わたし》があなたを戀《おも》つて居るのは、丁度宗ヘ家が神にあこがれて居る樣なものだの、あなたの爲ならば祭壇に供へる小羊となつて屠《ほふ》られるのが無上の名譽であるの、心臓の形《かた》ちが三角で、三角の中心にキユーピツドの矢が立つて、吹き矢なら大當りであるの……」
 「そりや眞面目なの?」
 「眞面目なんですとさ。現にわたしの御友達のうちで其手紙を見たものが三人あるんですもの」
 「いやな人ね、そんなものを見せびらかして。あの方は寒月さんの所《とこ》へ御嫁に行く積《つもり》なんだから、そんな事が世間へ知れちや困るでせうにね」
 「困るどころですか大得意よ。こんだ寒月さんが來たら、知らして上げたらいゝでせう。寒月さんは丸《まる》で御存じないんでせう」
 「どうですか、あの方は學校へ行つて球《たま》ばかり磨いて居らつしやるから、大方知らないでせう」
 「寒月さんは本當にあの方を御貰になる氣なんでせうかね。御氣の毒だわね」
 「なぜ? 御金があつて、いざつて時に力になつて、いゝぢやありませんか」
 「叔母さんは、ぢきに金、金つて品《ひん》がわるいのね。金より愛の方が大事ぢやありませんか。愛がなければ夫婦の關係は成立しやしないわ」
 「さう、それぢや雪江さんは、どんな所へ御嫁に行くの?」
 「そんな事知るもんですか、別に何もないんですもの」
 雪江さんと叔母さんは結婚事件に就て何か辯論を逞しくして居ると、さつきから、分らないなりに謹聽して居るとん〔二字傍点〕子が突然口を開《ひら》いて「わたしも御嫁に行きたいな」と云ひだした。此無鐵砲な希望には、さすが青春の氣に滿ちて、大《おほい》に同情を寄すべき雪江さんも一寸毒氣を拔かれた體《てい》であつたが、細君の方は比較的平氣に構へて「どこへ行きたいの」と笑ながら聞いて見た。
 「わたしねえ、本當はね、招魂社《せうこんしや》へ御嫁に行きたいんだけれども、水道橋を渡るのがいやだから、どうしやうかと思つてるの」
 細君と雪江さんは此名答を得て、あまりの事に問ひ返す勇氣もなく、どつと笑ひ崩れた時に、次女のすん子が姉さんに向つて斯樣な相談を持ちかけた。
 「御ねえ樣も招魂社《せうこんしや》がすき? わたしも大すき。一所に招魂社へ御嫁に行きませう。ね? いや? いやなら好いわ。わたし一人で車へ乘つてさつさと行つちまふわ」
 「坊ばも行くの」と遂には坊ばさん迄が招魂社へ嫁に行く事になつた。斯樣に三人が顔を揃へて招魂社へ嫁に行けたら、主人も嘸《さぞ》樂であらう。
 所へ車の音ががら/\と門前に留つたと思つたら、忽ち威勢のいゝ御歸りと云ふ聲がした。主人は日本堤分署から戻つたと見える。車夫が差出す大きな風呂敷包を下女に受け取らして、主人は悠然と茶の間へ這入つて來る。「やあ、來たね」と雪江さんに挨拶しながら、例の有名なる長火鉢の傍《そば》へ、ぽかりと手に携へたコ利樣《とつくりやう》のものを抛《はふ》り出した。コ利樣《とつくりやう》と云ふのは純然たるコ利《とつくり》では無論ない、と云つて花活《はない》けとも思はれない、只一種異樣の陶器であるから、已《やむ》を得ず暫くかやうに申したのである。
 「妙なコ利ね、そんなものを警察から貰つて入らしつたの」と雪江さんが、倒れた奴を起しながら叔父さんに聞いて見る。叔父さんは、雪江さんの顔を見ながら、「どうだ、いゝ恰好《かつかう》だらう」と自慢する。
 「いゝ恰好なの? それが? あんまりよかあないわ? 油壺なんか何で持つて入らつしつたの?」
 「油壺なものか。そんな趣味のない事を云ふから困る」
 「ぢや、なあに?」
 「花活《はないけ》さ」
 「花活《はないけ》にしちや、口が小《ち》いさ過ぎて、いやに胴が張つてるわ」
 「そこが面白いんだ。御前も無風流だな。丸《まる》で叔母さんと擇《えら》ぶ所なしだ。困つたものだな」と獨りで油壺を取り上げて、障子の方へ向けて眺めて居る。
 「どうせ無風流ですわ。油壺を警察から貰つてくる樣な眞似は出來ないわ。ねえ叔母さん」叔母さんは夫《それ》所ではない、風呂敷包を解いて皿眼《さらまなこ》になつて、盗難品を檢《しら》べて居る。「おや驚ろいた。泥棒も進歩したのね。みんな、解いて洗ひ張をしてあるわ。ねえちよいと、あなた」
 「誰が警察から油壺を貰つてくるものか。待つてるのが退屈だから、あすこいらを散歩してゐるうちに堀り出して來たんだ。御前なんぞには分るまいが夫《それ》でも珍品だよ」
 「珍品過ぎるわ。一體叔父さんはどこを散歩したの」
 「どこつて日本堤界隈《にほんづゝみかいわい》さ。吉原へも這入つて見た。中々|盛《さかん》な所だ。あの鐵の門を觀た事があるかい。ないだらう」
 「だれが見るもんですか。吉原なんて賤業婦の居る所へ行く因縁がありませんわ。叔父さんはヘ師の身で、よくまあ、あんな所へ行かれたものねえ。本當に驚ろいてしまふわ。ねえ叔母さん、叔母さん」
 「えゝ、さうね。どうも品數《しなかず》が足りない樣だ事。是でみんな戻つたんでせうか」
 「戻らんのは山の芋ばかりさ。元來九時に出頭しろと云ひながら十一時迄待たせる法があるものか、是だから日本の警察はいかん」
 「日本の警察がいけないつて、吉原を散歩しちや猶《なほ》いけないわ。そんな事が知れると免職になつてよ。ねえ叔母さん」
 「えゝ、なるでせう。あなた、私の帶の片側《かたかは》がないんです。何だか足りないと思つたら」
 「帶の片側位あきらめるさ。こつちは三時間も待たされて、大切の時間を半日潰してしまつた」と日本服に着代へて平氣に火鉢へもたれて油壺を眺めて居る。細君も仕方がないと諦めて、戻つた品を其儘戸棚へ仕舞《しまひこ》込んで座に歸る。
 「叔母さん、此油壺が珍品ですとさ。きたないぢやありませんか」
 「それを吉原で買つて入らしつたの? まあ」
 「何がまあ〔二字傍点〕だ。分りもしない癖に」
 「それでもそんな壺なら吉原へ行かなくつても、どこにだつて有るぢやありませんか」
 「所がないんだよ。滅多に有る品ではないんだよ」
 「叔父さんは隨分|石地藏《いしぢざう》ね」
 「又小供の癖に生意氣を云ふ。どうも此頃の女學生は口が惡《わ》るくつていかん。ちと女大學でも讀むがいゝ」
 「叔父さんは保險が嫌《きらひ》でせう。女學生と保險とどつちが嫌なの?」
 「保險は嫌ではない。あれは必要なものだ。未來の考のあるものは、誰でも這入る。女學生は無用の長物だ」
 「無用の長物でもいゝ事よ。保險へ這入つても居ない癖に」
 「來月から這入る積《つもり》だ」
 「屹度《きつと》?」
 「屹度だとも」
 「およしなさいよ、保險なんか。それよりか其|懸金《かけきん》で何か買つた方がいゝわ。ねえ、叔母さん」叔母さんはにや/\笑つて居る。主人は眞面目になつて
 「お前|抔《など》は百も二百も生きる氣だから、そんな呑氣《のんき》な事を云ふのだが、もう少し理性が發達して見ろ、保險の必要を感ずるに至るのは當前《あたりまへ》だ。ぜひ來月から這入るんだ」
 「さう、それぢや仕方がない。だけど此間《こなひだ》の樣に蝙蝠傘《かうもり》を買つて下さる御金があるなら、保險に這入る方がましかも知れないわ。ひとが入《い》りません、入りませんと云ふのを無理に買つて下さるんですもの」
 「そんなに入《い》らなかつたのか?」
 「えゝ、蝙蝠傘《かうもり》なんか欲しかないわ」
 「そんなら還《かへ》すがいゝ。丁度とん〔二字傍点〕子が欲しがつてるから、あれを此方《こつち》へ廻してやらう。今日持つて來たか」
 「あら、そりや、あんまりだわ。だつて苛《ひど》いぢやありませんか、切角買つて下すつて置きながら、還せなんて」
 「入《い》らないと云ふから、還せと云ふのさ。些《ちつ》とも苛《ひど》くはない」
 「入《い》らない事は入らないんですけれども、苛《ひど》いわ」
 「分らん事を言ふ奴だな。入《い》らないと云ふから還せと云ふのに苛《ひど》い事があるものか」
 「だつて」
 「だつて、どうしたんだ」
 「だつて苛《ひど》いわ」
 「愚《ぐ》だな、同じ事ばかり繰り返して居る」
 「叔父さんだつて同じ事ばかり繰り返して居るぢやありませんか」
 「御前が繰り返すから仕方がないさ。現に入《い》らないと云つたぢやないか」
 「そりや云ひましたわ。入《い》らない事は入らないんですけれども、還すのは厭《いや》ですもの」
 「驚ろいたな。沒分曉《わからずや》で強情なんだから仕方がない。御前の學校ぢや論理學をヘへないのか」
 「よくつてよ、どうせ無ヘ育なんですから、何とでも仰しやい。人のものを還せだなんて、他人だつてそんな不人情な事は云やしない。ちつと馬鹿竹《ばかたけ》の眞似でもなさい」
 「何の眞似をしろ?」
 「ちと正直に淡泊になさいと云ふんです」
 「お前は愚物の癖にやに強情だよ。夫《それ》だから落第するんだ」
 「落第したつて叔父さんに學資は出して貰やしないわ」
 雪江さんは言《げん》茲《こゝ》に至つて感に堪へざるものゝ如く、潸然《さんぜん》として一掬《いつきく》の涙《なんだ》を紫の袴の上に落した。主人は茫乎《ばうこ》として、其涙が如何なる心理作用に起因するかを研究するものゝ如く、袴の上と、俯《う》つ向いた雪江さんの顔を見詰めて居た。所へ御三が臺所から赤い手を敷居越に揃へて「お客さまが入らつしやいました」と云ふ。「誰が來たんだ」と主人が聞くと「學校の生徒さんで御座います」と御三は雪江さんの泣顔を横目に睨《にら》めながら答へた。主人は客間へ出て行く。吾輩も種取り兼《けん》人間研究の爲め、主人に尾《び》して忍びやかに椽へ廻つた。人間を研究するには何か波瀾がある時を擇《えら》ばないと一向《いつかう》結果が出て來ない。平生は大方の人が大方の人であるから、見ても聞いても張合のない位平凡である。然しいざとなると此平凡が急に靈妙なる神秘的作用の爲にむく/\と持ち上がつて奇なもの、變なもの、妙なもの、異《い》なもの、一と口に云へば吾輩猫共から見て頗る後學になる樣な事件が至る所に横風《わうふう》にあらはれてくる。雪江さんの紅涙《こうるゐ》の如きは正《まさ》しく其現象の一つである。かくの如く不可思議、不可測《ふかそく》の心を有して居る雪江さんも、細君と話をして居るうちは左程《さほど》とも思はなかつたが、主人が歸つてきて油壺を抛《はふ》り出すや否や、忽ち死龍《しりゆう》に蒸汽喞筒《じようきポンプ》を注ぎかけたる如く、勃然《ぼつぜん》として其|深奧《しんあう》にして窺知《きち》すべからざる、巧妙なる、美妙なる、奇妙なる、靈妙なる、麗質を、惜氣もなく發揚し了つた。而して其麗質は天下の女性《によしやう》に共通なる麗質である。只惜しい事には容易にあらはれて來ない。否あらはれる事は二六時中間斷なくあらはれて居るが、斯《かく》の如く顯著に灼然炳乎《しやくぜんへいこ》として遠慮なくはあらはれて來ない。幸にして主人の樣に吾輩の毛を稍《やゝ》ともすると逆さに撫でたがる旋毛曲《つむじまが》りの奇特家《きどくか》が居つたから、かゝる狂言も拜見が出來たのであらう。主人のあとさへ付いてあるけば、どこへ行つても舞臺の役者は吾知らず動くに相違ない。面白い男を旦那樣に戴いて、短かい猫の命のうちにも、大分《だいぶ》多くの經驗が出來る。難有《ありがた》い事だ。今度のお客は何者であらう。
 見ると年頃は十七八、雪江さんと追《お》つゝ、返《か》つゝの書生である。大きな頭を地《ぢ》の隙いて見える程刈り込んで團子《だんご》つ鼻《ぱな》を顔の眞中にかためて、座敷の隅の方に控へて居る。別に是と云ふ特徴もないが頭蓋骨|丈《だけ》は頗る大きい。青坊主に刈つてさへ、あゝ大きく見えるのだから、主人の樣に長く延ばしたら定めし人目を惹く事だらう。こんな顔にかぎつて學問は餘り出來ない者だとは、かねてより主人の持説である。事實はさうかも知れないが一寸見るとナポレオンの樣で頗る偉觀である。着物は通例の書生の如く、薩摩絣《さつまがすり》か、久留米《くるめ》がすりか又|伊豫絣《いよがすり》か分らないが、ともかくも絣《かすり》と名づけられたる袷を袖短かに着こなして、下には襯衣《シヤツ》も襦袢《じゆばん》もない樣だ。素袷《すあはせ》や素足《すあし》は意氣なものださうだが、此男のは甚だむさ苦しい感じを與へる。ことに疊の上に泥棒の樣な親指を歴然と三つ迄|印《いん》して居るのは全く素足の責任に相違ない。彼は四つ目の足跡の上へちやんと坐つて、さも窮屈さうに畏《か》しこまつて居る。一體かしこまるべきものが大人《おとな》しく控へるのは別段氣にするにも及ばんが、毬栗頭《いがぐりあたま》のつんつるてんの亂暴者が恐縮して居る所は何となく不調和なものだ。途中で先生に逢つてさへ禮をしないのを自慢にする位の連中が、たとひ三十分でも人並に坐るのは苦しいに違ない。所を生れ得て恭謙の君子、盛コの長者《ちやうしや》であるかの如く構へるのだから、當人の苦しいにかゝはらず傍《はた》から見ると大分《だいぶ》可笑《をか》しいのである。ヘ場もしくは運動場であんなに騷々しいものが、どうして斯樣《かやう》に自己を箝束《かんそく》する力を具へて居るかと思ふと、憐れにもあるが滑稽でもある。かうやつて一人|宛《づゝ》相對《あひたい》になると、如何に愚?《ぐがい》なる主人と雖《いへど》も生徒に對して幾分かの重みがある樣に思はれる。主人も定めし得意であらう。塵積つて山をなすと云ふから、微々たる一生徒も多勢《たぜい》が聚合すると侮る可《べか》らざる團體となつて、排斥運動やストライキをし出《で》かすかも知れない。是は丁度臆病者が酒を飲んで大膽になる樣な現象であらう。衆を頼んで騷ぎ出すのは、人の氣に醉つ拂つた結果、正氣を取り落したるものと認めて差支あるまい。夫《それ》でなければ斯樣《かやう》に恐れ入ると云はんより寧ろ悄然として、自《みづか》ら襖に押し付けられて居る位な薩摩絣《さつまがすり》が、如何に老朽だと云つて、苟《かりそ》めにも先生と名のつく主人を輕蔑し樣がない。馬鹿に出來る譯がない。
 主人は座布團を押しやりながら、「さあお敷き」と云つたが毬栗先生《いがぐりせんせい》はかたくなつた儘「へえ」と云つて動かない。鼻の先に剥げかゝつた更紗《さらさ》の座布團が「御乘んなさい」とも何とも云はずに着席して居る後《うし》ろに、生きた大頭がつくねんと着席して居るのは妙なものだ。布團は乘る爲めの布團で見詰める爲に細君が勸工場から仕入れて來たのではない。布團にして敷かれずんば、布團は正《まさ》しく其名譽を毀損せられたるもので、是を勸めたる主人も亦幾分か顔が立たない事になる。主人の顔を潰して迄、布團と睨めくらをして居る毬栗君《いがぐりくん》は決して布團其物が嫌《きらひ》なのではない。實を云ふと、正式に坐つた事は祖父《ぢい》さんの法事の時の外は生れてから滅多にないので、先つきから既にしびれ〔三字傍点〕が切れかゝつて少々足の先は困難を訴へて居るのである。夫《それ》にもかゝはらず敷かない。布團が手持無沙汰に控へて居るにもかゝはらず敷かない。主人がさあお敷きと云ふのに敷かない。厄介な毬栗坊主《いがぐりばうず》だ。此位遠慮するなら多人數《たにんず》集まつた時もう少し遠慮すればいゝのに、學校でもう少し遠慮すればいゝのに、下宿屋でもう少し遠慮すればいゝのに。すまじき所へ氣兼をして、すべき時には謙遜しない、否|大《おほい》に狼藉《らうぜき》を働らく。たちの惡《わ》るい毬栗坊主だ。
 所へ後《うし》ろの襖をすうと開けて、雪江さんが一碗の茶を恭しく坊主に供した。平生なら、そらサ※[エに濁點]ジ、チーが出たと冷《ひ》やかすのだが、主人一人に對してすら痛み入つて居る上へ、妙齡の女性《によしやう》が學校で覺え立ての小笠原流《をがさはらりう》で、乙《おつ》に氣取つた手つきをして茶碗を突きつけたのだから、坊主は大《おほい》に苦悶の體《てい》に見える。雪江さんは襖をしめる時に後ろからにや/\と笑つた。して見ると女は同年輩でも中々えらいものだ。坊主に比すれば遙かに度胸が据《す》はつて居る。ことに先刻《さつき》の無念にはら/\と流した一滴の紅涙《こうるゐ》のあとだから、此にや/\がさらに目立つて見えた。
 雪江さんの引き込んだあとは、双方無言の儘、しばらくの間は辛防して居たが、是では業《げふ》をする樣なものだと氣が付いた主人は漸く口を開《ひら》いた。
 「君は何とか云つたけな」
 「古井《ふるゐ》……」
 「古井? 古井何とかだね。名は」
 「古井武右衛門《ふるゐぶゑもん》」
 「古井武右衛門――成程、大分《だいぶ》長い名だな。今の名ぢやない、昔の名だ。四年生だつたね」
 「いゝえ」
 「三年生か?」
 「いゝえ、二年生です」
 「甲の組かね」
 「乙です」
 「乙なら、わたしの監督だね。さうか」と主人は感心して居る。實は此大頭は入學の當時から、主人の眼について居るんだから、決して忘れる所《どころ》ではない。のみならず、時々は夢に見る位感銘した頭である。然し呑氣《のんき》な主人は此頭と此古風な姓名とを連結して、其連結したものを又二年乙組に連結する事が出來なかつたのである。だから此夢に見る程感心した頭が自分の監督組の生徒であると聞いて、思はずさうか〔三字傍点〕と心の裏《うち》で手を拍《う》つたのである。然し此大きな頭の、古い名の、而《しか》も自分の監督する生徒が何の爲めに今頃やつて來たのか頓《とん》と推諒《すゐりやう》出來ない。元來不人望な主人の事だから、學校の生徒|抔《など》は正月だらうが暮だらうが殆んど寄り付いた事がない。寄り付いたのは古井武右衛門君を以て嚆矢《かうし》とする位な珍客であるが、其來訪の主意がわからんには主人も大《おほい》に閉口して居るらしい。こんな面白くない人の家《うち》へ只遊びにくる譯もなからうし、又辭職勸告ならもう少し昂然と構へ込みさうだし、と云つて武右衛門君|抔《など》が一身上の用事相談がある筈がないし、どつちから、どう考へても主人には分らない。武右衛門君の樣子を見ると或は本人自身にすら何で、こゝ迄參つたのか判然しないかも知れない。仕方がないから主人からとう/\表向に聞き出した。
 「君遊びに來たのか」
 「さうぢやないんです」
 「それぢや用事かね」
 「えゝ」
 「學校の事かい」
 「えゝ、少し御話ししやうと思つて……」
 「うむ。どんな事かね。さあ話し玉へ」と云ふと武右衛門君下を向いたぎり何《なん》にも言はない。元來武右衛門君は中學の二年生にしてはよく辯ずる方で、頭の大きい割に腦力は發達して居らんが、喋舌《しやべ》る事に於ては乙組中|鏘々《さう/\》たるものである。現に先達《せんだつ》てコロンバスの日本譯をヘへろと云つて大《おほい》に主人を困らしたは正《まさ》に此武右衛門君である。其|鏘々《さう/\》たる先生が、最前《さいぜん》から吃《どもり》の御姫樣の樣にもぢ/\して居るのは、何か云《い》はくのある事でなくてはならん。單に遠慮のみとは到底受け取られない。主人も少々不審に思つた。
 「話す事があるなら、早く話したらいゝぢやないか」
 「少し話しにくい事で……」
 「話しにくい?」と云ひながら主人は武右衛門君の顔を見たが、先方は依然として俯向《うつむき》になつてるから、何事とも鑑定が出來ない。已《やむ》を得ず、少し語勢を變へて「いゝさ。何でも話すがいゝ。外に誰も聞いて居やしない。わたしも他言《たごん》はしないから」と穩やかにつけ加へた。
 「話してもいゝでせうか?」と武右衛門君はまだ迷つて居る。
 「いゝだらう」と主人は勝手な判斷をする。
 「では話しますが」といゝかけて、毬栗頭《いがぐりあたま》をむくりと持ち上げて主人の方を一寸まぼしさうに見た。其眼は三角である。主人は頬をふくらまして朝日の烟を吹き出しながら一寸横を向いた。
 「實はその……困つた事になつちまつて……」
 「何が?」
 「何がつて、甚だ困るもんですから、來たんです」
 「だからさ、何が困るんだよ」
 「そんな事をする考はなかつたんですけれども、濱田《はまだ》が借せ/\と云ふもんですから……」
 「濱田と云ふのは濱田平助《はまだへいすけ》かい」
 「えゝ」
 「濱田に下宿料でも借したのかい」
 「何そんなものを借したんぢやありません」
 「ぢや何を借したんだい」
 「名前を借したんです」
 「濱田が君の名前を借りて何をしたんだい」
 「艶書《えんしよ》を送つたんです」
 「何を送つた?」
 「だから、名前は廢《よ》して、投函役《とうかんやく》になると云つたんです」
 「何だか要領を得んぢやないか。一體誰が何をしたんだい」
 「艶書を送つたんです」
 「艶書を送つた? 誰に?」
 「だから、話しにくいと云ふんです」
 「ぢや君が、どこかの女に艶書を送つたのか」
 「いゝえ、僕ぢやないんです」
 「濱田が送つたのかい」
 「濱田でもないんです」
 「ぢや誰が送つたんだい」
 「誰だか分らないんです」
 「些《ちつ》とも要領を得ないな。では誰も送らんのかい」
 「名前|丈《だけ》は僕の名なんです」
 「名前|丈《だけ》は君の名だつて、何の事だか些《ちつ》とも分らんぢやないか。もつと條理を立てゝ話すがいゝ。元來其艶書を受けた當人はだれか」
 「金田つて向横丁《むかふよこちやう》に居る女です」
 「あの金田といふ實業家か」
 「えゝ」
 「で、名前|丈《だけ》借したとは何の事だい」
 「あすこの娘がハイカラで生意氣だから艶書を送つたんです。――濱田が名前がなくちやいけないつて云ひますから、君の名前をかけつて云つたら、僕のぢやつまらない。古井武右衛門の方がいゝつて――それで、とう/\僕の名を借して仕舞つたんです」
 「で、君はあすこの娘を知つてるのか。交際でもあるのか」
 「交際も何もありやしません。顔なんか見た事もありません」
 「亂暴だな。顔も知らない人に艶書をやるなんて、まあどう云ふ了見で、そんな事をしたんだい」
 「只みんながあいつは生意氣で威張つてるて云ふから、からかつてやつたんです」
 「益《ます/\》亂暴だな。ぢや君の名を公然とかいて送つたんだな」
 「えゝ、文章は濱田が書いたんです。僕が名前を借して遠藤が夜あすこのうち迄行つて投函して來たんです」
 「ぢや三人で共同してやつたんだね」
 「えゝ、ですけれども、あとから考へると、もしあらはれて退學にでもなると大變だと思つて、非常に心配して二三日《にさんち》は寐られないんで、何だか茫《ぼん》やりして仕舞ました」
 「そりや又飛んでもない馬鹿をしたもんだ。それで文明中學二年生古井武右衛門とでもかいたのかい」
 「いゝえ、學校の名なんか書きやしません」
 「學校の名を書かない丈《だけ》まあよかつた。是で學校の名が出て見るがいゝ。夫《それ》こそ文明中學の名譽に關する」
 「どうでせう退校になるでせうか」
 「さうさな」
 「先生、僕のおやぢさんは大變|八釜《やかま》しい人で、夫《それ》にお母《つか》さんが繼母《まゝはゝ》ですから、もし退校にでもならうもんなら、僕あ困つちまふです。本當に退校になるでせうか」
 「だから滅多な眞似をしないがいゝ」
 「する氣でもなかつたんですが、ついやつて仕舞つたんです。退校にならない樣に出來ないでせうか」と武右衛門君は泣き出しさうな聲をして頻りに哀願に及んで居る。襖《ふすま》の蔭では最前《さいぜん》から細君と雪江さんがくす/\笑つて居る。主人は飽く迄も勿體《もつたい》ぶつて「さうさな」を繰り返して居る。中々面白い。
 吾輩が面白いといふと、何がそんなに面白いと聞く人があるかも知れない。聞くのは尤もだ。人間にせよ、動物にせよ、己《おのれ》を知るのは生涯の大事である。己《おのれ》を知る事が出來さへすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。其時は吾輩もこんないたづらを書くのは氣の毒だからすぐさま已《や》めて仕舞ふ積りである。然し自分で自分の鼻の高さが分らないと同じ樣に、自己の何物かは中々見當がつき惡《に》くいと見えて、平生から輕蔑して居る猫に向つてさへ斯樣な質問をかけるのであらう。人間は生意氣な樣でも矢張り、どこか拔けて居る。萬物の靈だ抔《など》とどこへでも萬物の靈を擔《かつ》いであるくかと思ふと、是しきの事實が理解出來ない。而《しか》も恬《てん》として平然たるに至つては些《ち》と一?《いつきやく》を催したくなる。彼は萬物の靈を脊中《せなか》へ擔《かつ》いで、おれの鼻はどこにあるかヘへてくれ、ヘへてくれと騷ぎ立てゝ居る。それなら萬物の靈を辭職するかと思ふと、どう致して死んでも放しさうにしない。此位公然と矛盾をして平氣で居られゝば愛嬌になる。愛嬌になる代りには馬鹿を以て甘《あまん》じなくてはならん。
 吾輩が此際武右衛門君と、主人と、細君及雪江孃を面白がるのは、單に外部の事件が鉢合せをして、其鉢合せが波動を乙《おつ》な所に傳へるからではない。實は其|鉢合《はちあはせ》の反響が人間の心に個々別々の音色《ねいろ》を起すからである。第一主人は此事件に對して寧ろ冷淡である。武右衛門君のおやぢさんが如何《いか》に八釜《やかま》しくつて、おつかさんが如何に君を繼子《まゝこ》あつかひに仕《し》樣《やう》とも、あんまり驚ろかない。驚ろく筈がない。武右衛門君が退校になるのは、自分が免職になるのとは大《おほい》に趣《おもむき》が違ふ。千人|近《ぢか》くの生徒がみんな退校になつたら、ヘ師も衣食の途《みち》に窮するかも知れないが、古井武右衛門君|一人《いちにん》の運命がどう變化しやうと、主人の朝夕《てうせき》には殆んど關係がない。關係の薄い所には同情も自《おのづ》から薄い譯である。見ず知らずの人の爲めに眉をひそめたり、鼻をかんだり、嘆息をするのは、決して自然の傾向ではない。人間がそんなに情《なさけ》深い、思ひやりのある動物であるとは甚だ受け取りにくい。只世の中に生れて來た賦税《ふぜい》として、時々交際の爲めに涙を流して見たり、氣の毒な顔を作つて見せたりする許《ばか》りである。云はゞ胡魔化《ごまか》し性《せい》表情で、實を云ふと大分《だいぶ》骨が折れる藝術である。此胡魔化しをうまくやるものを藝術的良心の強い人と云つて、是は世間から大變珍重される。だから人から珍重される人間程怪しいものはない。試して見ればすぐ分る。此點に於て主人は寧ろ拙《せつ》な部類に屬すると云つてよろしい。拙だから珍重されない。珍重されないから、内部の冷淡を存外隱す所もなく發表して居る。彼が武右衛門君に對して「さうさな」を繰り返して居るのでも這裏《しやり》の消息はよく分る。諸君は冷淡だからと云つて、けつして主人の樣な善人を嫌つてはいけない。冷淡は人間の本來の性質であつて、其性質をかくさうと力《つと》めないのは正直な人である。もし諸君がかゝる際に冷淡以上を望んだら、夫《それ》こそ人間を買ひ被つたと云はなければならない。正直ですら拂底な世にそれ以上を豫期するのは、馬琴《ばきん》の小説から志乃《しの》や小文吾《こぶんご》が拔けだして、向ふ三軒兩隣へ八犬傳《はつけんでん》が引き越した時でなくては、あてにならない無理な注文である。主人はまづ此位にして、次には茶の間で笑つてる女連《をんなれん》に取りかゝるが、是は主人の冷淡を一歩|向《むかふ》へ跨《また》いで、滑稽の領分に躍り込んで嬉しがつて居る。此|女連《をんなれん》には武右衛門君が頭痛に病んで居る艶書事件が、佛陀の福音《ふくいん》の如く難有《ありがた》く思はれる。理由はない只|難有《ありがた》い。強ひて解剖すれば武右衛門君が困るのが難有《ありがた》いのである。諸君女に向つて聞いて御覽、「あなたは人が困るのを面白がつて笑ひますか」と。聞かれた人は此問を呈出した者を馬鹿と云ふだらう、馬鹿と云はなければ、わざとこんな問をかけて淑女の品性を侮辱したと云ふだらう。侮辱したと思ふのは事實かも知れないが、人の困るのを笑ふのも事實である。であるとすれば、是から私《わたし》の品性を侮辱する樣な事を自分でしてお目にかけますから、何とか云つちやいやよと斷はるのと一般である。僕は泥棒をする。然しけつして不道コと云つてはならん。若し不道コだ抔《など》と云へば僕の顔へ泥を塗つたものである。僕を侮辱したものである。と主張する樣なものだ。女は中々利口だ、考へに筋道が立つて居る。苟《いやしく》も人間に生れる以上は踏んだり、蹴《け》たり、どやされたりして、而《しか》も人が振りむきもせぬ時、平氣で居る覺悟が必用であるのみならず、唾を吐きかけられ、糞をたれかけられた上に、大きな聲で笑はれるのを快よく思はなくてはならない。それでなくては斯樣に利口な女と名のつくものと交際は出來ない。武右衛門先生も一寸したはづみから、とんだ間違をして大《おほい》に恐れ入つては居る樣なものゝ、斯樣に恐れ入つてるものを蔭で笑ふのは失敬だと位は思ふかも知れないが、それは年が行かない稚氣《ちき》といふもので、人が失禮をした時に怒《おこ》るのを氣が小さいと先方では名づけるさうだから、さう云はれるのがいやなら大人《おとな》しくするがよろしい。最後に武右衛門君の心行きを一寸紹介する。君は心配の權化《ごんげ》である。彼《か》の偉大なる頭腦はナポレオンのそれが功名心を以て充滿せるが如く、正に心配を以てはちきれんとして居る。時々其團子つ鼻がぴく/\動くのは心配が顔面神經に傳《つたは》つて、反射作用の如く無意識に活動するのである。彼は大きな鐵砲丸《てつぱうだま》を飲み下《くだ》した如く、腹の中《なか》に奈何《いかん》ともすべからざる塊《かた》まりを抱《いだ》いて、此|兩三日《りやうさんち》處置に窮して居る。其切なさの餘り、別に分別の出所《でどころ》もないから監督と名のつく先生の所へ出向いたら、どうか助けてくれるだらうと思つて、いやな人の家《うち》へ大きな頭を下げにまかり越したのである。彼は平生學校で主人にからかつたり、同級生を煽動して、主人を困らしたりした事は丸《まる》で忘れて居る。如何にからかはうとも困らせ樣《やう》とも監督と名のつく以上は心配して呉れるに相違ないと信じて居るらしい。隨分單純なものだ。監督は主人が好んでなつた役ではない。校長の命によつて已《やむ》を得ず頂いて居る、云はゞ迷亭の叔父さんの山高帽子の種類である。只名前である。只名前|丈《だけ》ではどうする事も出來ない。名前がいざと云ふ場合に役に立つなら雪江さんは名前|丈《だけ》で見合が出來る譯だ。武右衛門君は只《たゞ》に我儘なるのみならず、他人は己《おの》れに向つて必ず親切でなくてはならんと云ふ、人間を買ひ被つた假定から出立して居る。笑はれる抔《など》とは思も寄らなかつたらう。武右衛門君は監督の家《うち》へ來て、屹度人間について、一の眞理を發明したに相違ない。彼は此眞理の爲に將來|益《ます/\》本當の人間になるだらう。人の心配には冷淡になるだらう、人の困る時には大きな聲で笑ふだらう。かくの如くにして天下は未來の武右衛門君を以て充たされるであらう。金田君及び金田令夫人を以て充たされるであらう。吾輩は切に武右衛門君の爲に瞬時も早く自覺して眞人間《まにんげん》になられん事を希望するのである。然らずんば如何《いか》に心配するとも、如何に後悔するとも、如何に善に移るの心が切實なりとも、到底金田君の如き成功は得られんのである。否社會は遠からずして君を人間の居住地以外に放逐するであらう。文明中學の退校どころではない。
 斯樣《かやう》に考へて面白いなと思つて居ると、格子ががら/\とあいて、玄關の障子の蔭から顔が半分ぬうと出た。
 「先生」
 主人は武右衛門君に「さうさな」を繰り返して居た所へ、先生と玄關から呼ばれたので、誰だらうと其方《そつち》を見ると半分程|筋違《すぢかひ》に障子から食《は》み出して居る顔は正《まさ》しく寒月君である。「おい、御這入り」と云つたぎり坐つて居る。
 「御客ですか」と寒月君は矢張り顔半分で聞き返して居る。
 「なに構はん、まあ御上がり」
 「實は一寸先生を誘ひに來たんですがね」
 「どこへ行くんだい。又赤坂かい。あの方面はもう御免だ。先達《せんだつて》は無闇にあるかせられて、足が棒の樣になつた」
 「今日は大丈夫です。久し振りに出ませんか」
 「どこへ出るんだい。まあ御上がり」
 「上野へ行つて虎の鳴き聲を聞かうと思ふんです」
 「つまらんぢやないか、夫《それ》より一寸御上り」
 寒月君は到底遠方では談判不調と思つたものか、靴を脱いでのそ/\上がつて來た。例の如く鼠色の、尻につぎの中《あた》つたづぼんを穿《は》いて居るが、是は時代の爲め、若しくは尻の重い爲めに破れたのではない、本人の辯解によると近頃自轉車の稽古を始めて局部に比較的多くの摩擦を與へるからである。未來の細君を以て矚目《しよくもく》された本人へ文《ふみ》をつけた戀の仇《あだ》とは夢にも知らず、「やあ」と云つて武右衛門君に輕く會釋をして椽側へ近い所へ座をしめた。
 「虎の鳴き聲を聞いたつて詰らないぢやないか」
 「えゝ、今ぢやいけません、是から方々散歩して夜十一時頃になつて、上野へ行くんです」
 「へえ」
 「すると公園内の老木は森々《しん/\》として物凄いでせう」
 「さうさな、晝間より少しは淋《さみ》しいだらう」
 「夫《それ》で何でも成るべく樹の茂つた、晝でも人の通らない所を擇《よ》つてあるいて居ると、いつの間《ま》にか紅塵萬丈《こうぢんばんぢやう》の都會に住んでる氣はなくなつて、山の中へ迷ひ込んだ樣な心持ちになるに相違ないです」
 「そんな心持ちになつてどうするんだい」
 「そんな心持ちになつて、しばらく佇《たゝず》んで居ると忽ち動物園のうちで、虎が鳴くんです」
 「さう旨く鳴くかい」
 「大丈夫鳴きます。あの鳴き聲は晝でも理科大學へ聞える位なんですから、深夜|闃寂《げきせき》として、四望《しばう》人なく、鬼氣|肌《はだへ》に逼つて、魑魅《ちみ》鼻を衝く際《さい》に……」
 「魑魅《ちみ》鼻を衝くとは何の事だい」
 「そんな事を云ふぢやありませんか、怖《こは》い時に」
 「さうかな。あんまり聞かない樣だが。夫《それ》で」
 「夫《それ》で虎が上野の老杉《らうさん》の葉を悉《こと/”\》く振い落す樣な勢で鳴くでせう。物凄いでさあ」
 「夫《そ》りや物凄いだらう」
 「どうです冒險に出掛けませんか。屹度愉快だらうと思ふんです。どうしても虎の鳴き聲は夜なかに聞かなくつちや、聞いたとはいはれないだらうと思ふんです」
 「さうさな」と主人は武右衛門君の哀願に冷淡である如く、寒月君の探檢にも冷淡である。
 此時迄|黙然《もくねん》として虎の話を羨ましさうに聞いて居た武右衛門君は主人の「さうさな」で再び自分の身の上を思ひ出したと見えて、「先生、僕は心配なんですが、どうしたらいゝでせう」と又聞き返す。寒月君は不審な顔をして此大きな頭を見た。吾輩は思ふ仔細あつて一寸失敬して茶の間へ廻る。
 茶の間では細君がくす/\笑ひながら、京燒の安茶碗に番茶を浪々《なみ/\》と注《つ》いで、アンチモニーの茶托《ちやたく》の上へ載せて、
 「雪江さん、憚りさま、之を出して來て下さい」
 「わたし、いやよ」
 「どうして」と細君は少々驚ろいた體《てい》で笑ひをはたと留める。
 「どうしてでも」と雪江さんはやに濟《すま》した顔を即席にこしらへて、傍《そば》にあつた讀賣新聞の上にのしかゝる樣に眼を落した。細君はもう一應|協商《けふしやう》を始める。
 「あら妙な人ね。寒月さんですよ。構やしないわ」
 「でも、わたし、いやなんですもの」と讀賣新聞の上から眼を放さない。こんな時に一字も讀めるものではないが、讀んで居ない抔《など》とあばかれたら又泣き出すだらう。
 「ちつとも耻かしい事はないぢやありませんか」と今度は細君笑ひながら、わざと茶碗を讀賣新聞の上へ押しやる。雪江さんは「あら人の惡《わ》るい」と新聞を茶碗の下から、拔かうとする拍子に茶托《ちやたく》に引きかゝつて、番茶は遠慮なく新聞の上から疊の目へ流れ込む。「それ御覽なさい」と細君が云ふと、雪江さんは「あら大變だ」と臺所へ馳け出して行つた。雜巾でも持つてくる了見だらう。吾輩には此狂言が一寸面白かつた。
 寒月君は夫《それ》とも知らず座敷で妙な事を話して居る。
 「先生障子を張り易へましたね。誰が張つたんです」
 「女が張つたんだ。よく張れて居るだらう」
 「えゝ中々うまい。あの時々|御出《おいで》になる御孃さんが御張りになつたんですか」
 「うんあれも手傳つたのさ。此位障子が張れゝば嫁に行く資格はあると云つて威張つてるぜ」
 「へえ、成程」と云ひながら寒月君障子を見つめて居る。
 「こつちの方は平《たひら》ですが、右の端《はじ》は紙が餘つて波が出來て居ますね」
 「あすこが張りたての所で、尤も經驗の乏しい時に出來上つた所さ」
 「成程、少し御手際が落ちますね。あの表面は超絶的《てうぜつてき》曲線《きよくせん》で到底普通のフアンクシヨンではあらはせないです」と、理學者|丈《だけ》に六づかしい事を云ふと、主人は
 「さうさね」と好い加減な挨拶をした。
 此樣子では何時迄嘆願をして居ても、到底見込がないと思ひ切つた武右衛門君は突然|彼《か》の偉大なる頭蓋骨を疊の上に壓《お》しつけて、無言の裡《うち》に暗に訣別《けつべつ》の意を表した。主人は「歸るかい」と云つた。武右衛門君は悄然《せうぜん》として薩摩下駄を引きずつて門を出た。可愛想《かはいさう》に。打ちやつて置くと巖頭《がんとう》の吟《ぎん》でも書いて華嚴滝《けごんのたき》から飛び込むかも知れない。元を糺《たゞ》せば金田令孃のハイカラと生意氣から起つた事だ。もし武右衛門君が死んだら、幽靈になつて令孃を取り殺してやるがいゝ。あんなものが世界から一人や二人消えてなくなつたつて、男子はすこしも困らない。寒月君はもつと令孃らしいのを貰ふがいゝ。
 「先生ありや生徒ですか」
 「うん」
 「大變大きな頭ですね。學問は出來ますか」
 「頭の割には出來ないがね、時々妙な質問をするよ。此間《こなひだ》コロンバスを譯して下さいつて大《おほい》に弱つた」
 「全く頭が大き過ぎますからそんな餘計な質問をするんでせう。先生何と仰《おつし》やいました」
 「えゝ? なあに好い加減な事を云つて譯してやつた」
 「夫《それ》でも譯す事は譯したんですか、こりやえらい」
 「小供は何でも譯してやらないと信用せんからね」
 「先生も中々政治家になりましたね。然し今の樣子では、何だか非常に元氣がなくつて、先生を困らせる樣には見えないぢやありませんか」
 「今日は少し弱つてるんだよ。馬鹿な奴だよ」
 「どうしたんです。何だか一寸見た許《ばか》りで非常に可哀想《かはいさう》になりました。全體どうしたんです」
 「なに愚《ぐ》な事さ。金田の娘に艶書を送つたんだ」
 「え? あの大頭がですか。近頃の書生は中々えらいもんですね。どうも驚ろいた」
 「君も心配だらうが……」
 「何|些《ちつ》とも心配ぢやありません。却つて面白いです。いくら、艶書が降り込んだつて大丈夫です」
 「さう君が安心して居れば構はないが……」
 「構はんですとも私は一向《いつかう》構ひません。然しあの大頭が艶書をかいたと云ふには、少し驚ろきますね」
 「それがさ。冗談にしたんだよ。あの娘がハイカラで生意氣だから、からかつてやらうつて、三人が共同して……」
 「三人が一本の手紙を金田の令孃にやつたんですか。益《ます/\》奇談ですね。一人前の西洋料理を三人で食ふ樣なものぢやありませんか」
 「所が手分けがあるんだ。一人が文章をかく、一人が投函する、一人が名前を借す。で今來たのが名前を借した奴なんだがね。是が一番|愚《ぐ》だね。しかも金田の娘の顔も見た事がないつて云ふんだぜ。どうしてそんな無茶な事が出來たものだらう」
 「そりや、近來の大出來ですよ。傑作ですね。どうもあの大頭が、女に文《ふみ》をやるなんて面白いぢやありませんか」
 「飛んだ間違にならあね」
 「なになつたつて構やしません、相手が金田ですもの」
 「だつて君が貰ふかも知れない人だぜ」
 「貰ふかも知れないから構はないんです。なあに、金田なんか、構やしません」
 「君は構はなくつても……」
 「なに金田だつて構やしません、大丈夫です」
 「それなら夫《それ》でいゝとして、當人があとに成つて、急に良心に責められて、恐ろしくなつたものだから、大《おほい》に恐縮して僕のうちへ相談に來たんだ」
 「へえ、夫《それ》であんなに悄々《しほ/\》として居るんですか、氣の小さい子と見えますね。先生何とか云つて御遣んなすつたんでせう」
 「本人は退校になるでせうかつて、夫《それ》を一番心配して居るのさ」
 「何で退校になるんです」
 「そんな惡《わ》るい、不道コな事をしたから」
 「何、不道コと云ふ程でもありませんやね。構やしません。金田ぢや名譽に思つて屹度《きつと》吹聽《ふいちやう》して居ますよ」
 「まさか」
 「兎に角|可愛想《かはいさう》ですよ。そんな事をするのがわるいとしても、あんなに心配させちや、若い男を一人殺してしまひますよ。ありや頭は大きいが人相はそんなにわるくありません。鼻なんかぴく/\させて可愛《かはい》いです」
 「君も大分《だいぶ》迷亭見た樣に呑氣《のんき》な事を云ふね」
 「何、是が時代思潮です、先生はあまり昔《むか》し風《ふう》だから、何でも六づかしく解釋なさるんです」
 「然し愚《ぐ》ぢやないか、知りもしない所へ、いたづらに艶書を送るなんて、丸《まる》で常識をかいてるぢやないか」
 「いたづらは、大概常識をかいて居まさあ。救つて御やんなさい。功コ《くどく》になりますよ。あの容子ぢや華嚴《けごん》の滝へ出掛けますよ」
 「さうだな」
 「さうなさい。もつと大きな、もつと分別のある大僧《おほぞう》共がそれ所ぢやない、わるいいたづらをして知らん面《かほ》をして居ますよ。あんな子を退校させる位なら、そんな奴等を片《かた》つ端《ぱし》から放逐でもしなくつちや不公平でさあ」
 「それもさうだね」
 「夫《それ》でどうです上野へ虎の鳴き聲をきゝに行くのは」
 「虎かい」
 「えゝ、聞きに行きませう。實は二三日中《にさんちうち》に一寸歸國しなければならない事が出來ましたから、當分どこへも御伴《おとも》は出來ませんから、今日は是非一所に散歩をしやうと思つて來たんです」
 「さうか歸るのかい、用事でもあるのかい」
 「えゝ一寸用事が出來たんです。――ともかくも出やうぢやありませんか」
 「さう。それぢや出《で》樣《やう》か」
 「さあ行きませう。今日は私が晩餐を奢りますから、――夫《それ》から運動をして上野へ行くと丁度好い刻限です」と頻りに促がすものだから、主人も其氣になつて、一所に出掛けて行つた。あとでは細君と雪江さんが遠慮のない聲でげら/\けら/\から/\と笑つて居た。
 
     十一
 
 床の間の前に碁盤を中に据ゑて迷亭君と獨仙君が對坐して居る。
 「たゞは遣らない。負けた方が何か奢るんだぜ。いゝかい」と迷亭君が念を押すと、獨仙君は例の如く山羊髯《やぎひげ》を引つ張りながら、かう云つた。
 「そんな事をすると、切角の清戯《せいぎ》を俗了《ぞくれう》して仕舞ふ。かけ抔《など》で勝負に心を奪はれては面白くない。成敗《せいはい》を度外に置いて、白雲の自然に岫《しう》を出でゝ冉々《ぜん/\》たる如き心持ちで一局を了してこそ、個中《こちゆう》の味《あじはひ》はわかるものだよ」
 「又來たね。そんな仙骨を相手にしちや少々骨が折れ過ぎる。宛然たる列仙傳中の人物だね」
 「無絃《むげん》の素琴《そきん》を彈じさ」
 「無線の電信をかけかね」
 「とにかく、やらう」
 「君が白を持つのかい」
 「どつちでも構はない」
 「流石《さすが》に仙人|丈《だけ》あつて鷹揚《おうやう》だ。君が白なら自然の順序として僕は黒だね。さあ、來給へ。どこからでも來給へ」
 「黒から打つのが法則だよ」
 「成程。しからば謙遜して、定石《ぢやうせき》にこゝいらから行かう」
 「定石《ぢやうせき》にそんなのはないよ」
 「なくつても構はない。新奇發明の定石だ」
 吾輩は世間が狹いから碁盤と云ふものは近來になつて始めて拜見したのだが、考へれば考へる程妙に出來て居る。廣くもない四角な板を狹苦しく四角に仕切つて、目が眩《くら》む程ごた/\と黒白《こくびやく》の石をならべる。さうして勝つたとか、負けたとか、死んだとか、生きたとか、あぶら汗を流して騷いで居る。高が一尺四方位の面積だ。猫の前足で掻き散らしても滅茶々々になる。引き寄せて結べば草の庵にて、解くればもとの野原なりけり。入らざるいたづらだ。懷手《ふところで》をして盤を眺めて居る方が遙かに氣樂である。夫《それ》も最初の三四十|目《もく》は、石の並べ方では別段目障りにもならないが、いざ天下わけ目と云ふ間際に覗いて見ると、いやはや御氣の毒な有樣だ。白と黒が盤から、こぼれ落ちる迄に押し合つて、御互にギユー/\云つて居る。窮屈だからと云つて、隣りの奴にどいて貰ふ譯にも行かず、邪魔だと申して前の先生に退去を命ずる權利もなし、天命とあきらめて、ぢつとして身動きもせず、すくんで居るより外に、どうする事も出來ない。碁を發明したものは人間で、人間の嗜好が局面にあらはれるものとすれば、窮屈なる碁石の運命はせゝこましい人間の性質を代表して居ると云つても差支ない。人間の性質が碁石の運命で推知《すゐち》する事が出來るものとすれば、人間とは天空海濶《てんくうかいくわつ》の世界を、我からと縮めて、己《おの》れの立つ兩足以外には、どうあつても踏み出せぬ樣に、小刀細工で自分の領分に繩張りをするのが好きなんだと斷言せざるを得ない。人間とは強ひて苦痛を求めるものであると一言《いちごん》に評してもよからう。
 呑氣《のんき》なる迷亭君と、禪機《ぜんき》ある獨仙君とは、どう云ふ了見か、今日に限つて戸棚から古碁盤を引きずり出して、此暑苦しいいたづらを始めたのである。さすがに御兩人御揃ひの事だから、最初のうちは各自任意の行動をとつて、盤の上を白石と黒石が自由自在に飛び交はして居たが、盤の廣さには限りがあつて、横竪の目盛りは一手《ひとて》毎に埋《うま》つて行くのだから、いかに呑氣《のんき》でも、いかに禪機があつても、苦しくなるのは當り前である。
 「迷亭君、君の碁は亂暴だよ。そんな所へ這入つてくる法はない」
 「禪坊主の碁にはこんな法はないかも知れないが、本因坊《ほんいんばう》の流儀ぢや、あるんだから仕方がないさ」
 「然し死ぬ許《ばか》りだぜ」
 「臣死をだも辭せず、況んや?肩《ていけん》をやと、一つ、かう行くかな」
 「さう御出《おいで》になつたと、よろしい。薫風|南《みんなみ》より來つて、殿閣|微涼《びりやう》を生ず。かう、ついで置けば大丈夫なものだ」
 「おや、ついだのは、さすがにえらい。まさか、つぐ氣遣はなからうと思つた。ついで、くりやるな八幡鐘《はちまんがね》をと、かうやつたら、どうするかね」
 「どうするも、かうするもないさ。一劔天に倚《よ》つて寒し――えゝ、面倒だ。思ひ切つて、切つて仕舞へ」
 「やゝ、大變々々。そこを切られちや死んで仕舞ふ。おい冗談ぢやない。一寸待つた」
 「それだから、先《さ》つきから云はん事ぢやない。かうなつてる所へは這入れるものぢやないんだ」
 「這入つて失敬仕り候。一寸此白をとつて呉れ玉へ」
 「それも待つのかい」
 「序《ついで》に其隣りのも引き揚げて見てくれ給へ」
 「づう/\しいぜ、おい」
 「Do you see the boy か。――なに君と僕の間柄ぢやないか。そんな水臭い事を言はずに、引き揚げてくれ給へな。死ぬか生きるかと云ふ場合だ。しばらく、しばらくつて花道《はなみち》から馳け出してくる所だよ」
 「そんな事は僕は知らんよ」
 「知らなくつてもいゝから、一寸どけ給へ」
 「君さつきから、六返《ろつぺん》待つたをしたぢやないか」
 「記憶のいゝ男だな。向後《かうご》は舊に倍し待つたを仕り候。だから一寸どけ給へと云ふのだあね。君も餘ツ程強情だね。座禪なんかしたら、もう少し捌《さば》けさうなものだ」
 「然し此石でも殺さなければ、僕の方は少し負けになりさうだから……」
 「君は最初から負けても構はない流ぢやないか」
 「僕は負けても構はないが、君には勝たしたくない」
 「飛んだ悟道だ。相變らず春風影裏《しゆんぷうえいり》に電光《でんくわう》をきつてるね」
 「春風影裏ぢやない、電光影裏だよ。君のは逆《さかさ》だ」
 「ハヽヽヽもう大抵|逆《さ》かになつていゝ時分だと思つたら、矢張り慥かな所があるね。それぢや仕方がないあきらめるかな」
 「生死事大《しやうじじだい》、無常迅速《むじやうじんそく》、あきらめるさ」
 「アーメン」と迷亭先生今度は丸《まる》で關係のない方面へぴしやりと一石《いつせき》を下《くだ》した。
 床の間の前で迷亭君と獨仙君が一生懸命に輸贏《しゆえい》を爭つて居ると、座敷の入口には、寒月君と東風君が相ならんで其《その》傍《そば》に主人が黄色い顔をして坐つて居る。寒月君の前に鰹節《かつぶし》が三本、裸の儘疊の上に行儀よく排列してあるのは奇觀である。
 此|鰹節《かつぶし》の出處《しゆつしよ》は寒月君の懷で、取り出した時は暖《あつ》たかく、手のひらに感じた位、裸ながらぬくもつて居た。主人と東風君は妙な眼をして視線を鰹節《かつぶし》の上に注いで居ると、寒月君はやがて口を開いた。
 「實は四日|許《ばか》り前に國から歸つて來たのですが、色々用事があつて、方々馳けあるいて居たものですから、つい上がられなかつたのです」
 「さう急いでくるには及ばないさ」と主人は例の如く無愛嬌な事を云ふ。
 「急いで來んでもいゝのですけれども、此おみやげを早く獻上しないと心配ですから」
 「鰹節《かつぶし》ぢやないか」
 「えゝ、國の名産です」
 「名産だつて東京にもそんなのは有りさうだぜ」と主人は一番大きな奴を一本取り上げて、鼻の先へ持つて行つて臭《にほ》ひをかいで見る。
 「かいだつて、鰹節《かつぶし》の善惡《よしあし》はわかりませんよ」
 「少し大きいのが名産たる所以《ゆゑん》かね」
 「まあ食べて御覽なさい」
 「食べる事はどうせ食べるが、こいつは何だか先が缺けてるぢやないか」
 「それだから早く持つて來ないと心配だと云ふのです」
 「なぜ?」
 「なぜつて、そりや鼠が食つたのです」
 「そいつは危險だ。滅多に食ふとペストになるぜ」
 「なに大丈夫、其位かぢつたつて害はありません」
 「全體どこで?《かじ》つたんだい」
 「船の中でゝす」
 「船の中? どうして」
 「入れる所がなかつたから、?イオリンと一所に袋のなかへ入れて、船へ乘つたら、其晩にやられました。鰹節《かつぶし》だけなら、いゝのですけれども、大切な?イオリンの胴を鰹節《かつぶし》と間違へて矢張り少々|?《かじ》りました」
 「そそつかしい鼠だね。船の中に住んでると、さう見境《みさかひ》がなくなるものかな」と主人は誰にも分らん事を云つて依然として鰹節《かつぶし》を眺めて居る。
 「なに鼠だから、どこに住んでゝもそゝつかしいのでせう。だから下宿へ持つて來ても又やられさうでね。劔呑だから夜るは寐床の中へ入れて寐ました」
 「少しきたない樣だぜ」
 「だから食べる時には一寸お洗ひなさい」
 「一寸位ぢや奇麗にやなりさうもない」
 「それぢや灰汁《あく》でもつけて、ごし/\磨いたらいゝでせう」
 「?イオリンも抱いて寐たのかい」
 「?イオリンは大き過ぎるから抱いて寐る譯には行かないんですが……」と云ひかけると
 「なんだつて? ?イオリンを抱いて寐たつて? 夫《それ》は風流だ。行く春や重たき琵琶のだき心と云ふ句もあるが、夫《それ》は遠きその上《かみ》の事だ。明治の秀才は?イオリンを抱いて寐なくつちや古人を凌ぐ譯には行かないよ。かい卷《まき》に長き夜《よ》守《も》るや?イオリンはどうだい。東風君、新體詩でそんな事が云へるかい」と向ふの方から迷亭先生大きな聲でこつちの談話にも關係をつける。
 東風君は眞面目で「新體詩は俳句と違つてさう急には出來ません。然し出來た曉にはもう少し生靈《せいれい》の機微《きび》に觸れた妙音が出ます」
 「さうかね、生靈《しやうりやう》はおがら〔三字傍点〕を焚いて迎へ奉るものと思つてたが、矢つ張り新體詩の力でも御來臨になるかい」と迷亭はまだ碁をそつちのけにして調戯《からかつ》て居る。
 「そんな無駄口を叩くと又負けるぜ」と主人は迷亭に注意する。迷亭は平氣なもので
 「勝ちたくても、負けたくても、相手が釜中《ふちゆう》の章魚《たこ》同然手も足も出せないのだから、僕も無聊で已《や》むを得ず?イオリンの御仲間を仕《つかまつ》るのさ」と云ふと、相手の獨仙君は聊《いさゝ》か激した調子で
 「今度は君の番だよ。こつちで待つてるんだ」と云ひ放つた。
 「え? もう打つたのかい」
 「打つたとも、とうに打つたさ」
 「どこへ」
 「此白をはすに延ばした」
 「なある程。此白をはすに延ばして負けにけりか、そんなら此方《こつち》はと――此方《こつち》は――此方《こつち》は此方《こつち》はとて暮れにけりと、どうもいゝ手がないね。君もう一返打たしてやるから勝手な所へ一目《いちもく》打ち玉へ」
 「そんな碁があるものか」
 「そんな碁があるものかなら打ちませう。――それぢやこのかど地面へ一寸曲がつて置くかな。――寒月君、君の?イオリンはあんまり安いから鼠が馬鹿にして?《かじ》るんだよ、もう少しいゝのを奮發して買ふさ、僕が以太利亞《イタリア》から三百年前の古物《こぶつ》を取り寄せてやらうか」
 「どうか願ひます。序《ついで》にお拂ひの方も願ひたいもので」
 「そんな古いものが役に立つものか」と何にも知らない主人は一喝にして迷亭君を極めつけた。
 「君は人間の古物《こぶつ》と?イオリンの古物《こぶつ》と同一視して居るんだらう。人間の古物《こぶつ》でも金田某の如きものは今だに流行して居る位だから、?イオリンに至つては古い程がいゝのさ。――さあ、獨仙君どうか御早く願はう。けいまさのせりふぢやないが秋の日は暮れ易いからね」
 「君の樣なせわしない男と碁を打つのは苦痛だよ。考へる暇も何もありやしない。仕方がないから、こゝへ一目《いちもく》入れて目《め》にしておかう」
 「おや/\、とう/\生かしてしまつた。惜しい事をしたね。まさかそこへは打つまいと思つて、聊《いさゝ》か駄辯を振《ふる》つて肝膽を碎いて居たが、矢ツ張り駄目か」
 「當り前さ。君のは打つのぢやない。胡魔化すのだ」
 「夫《それ》が本因坊流、金田流、當世紳士流さ。――おい苦沙彌先生、さすがに獨仙君は鎌倉へ行つて萬年漬を食つた丈《だけ》あつて、物に動じないね。どうも敬々服々だ。碁はまづいが、度胸は据つてる」
 「だから君の樣な度胸のない男は、少し眞似をするがいゝ」と主人が後《うし》ろ向《むき》のまゝで答へるや否や、迷亭君は大きな赤い舌をぺろりと出した。獨仙君は毫も關せざるものゝ如く、「さあ君の番だ」と又相手を促した。
 「君は?イオリンをいつ頃から始めたのかい。僕も少し習はうと思ふのだが、よつぽど六づかしいものださうだね」と東風君が寒月君に聞いて居る。
 「うむ、一と通りなら誰にでも出來るさ」
 「同じ藝術だから詩歌《しいか》の趣味のあるものは矢張り音樂の方でも上達が早いだらうと、ひそかに恃《たの》む所があるんだが、どうだらう」
 「いゝだらう。君なら屹度《きつと》上手になるよ」
 「君はいつ頃から始めたのかね」
 「高等學校時代さ。――先生|私《わたく》しの?イオリンを習ひ出した?末をお話しした事がありましたかね」
 「いゝえ、まだ聞かない」
 「高等學校時代に先生でもあつてやり出したのかい」
 「なあに先生も何もありやしない。獨習さ」
 「全く天才だね」
 「獨習なら天才と限つた事もなからう」と寒月君はつんとする。天才と云はれてつんとするのは寒月君|丈《だけ》だらう。
 「そりや、どうでもいゝが、どう云ふ風に獨習したのか一寸聞かし玉へ。參考にしたいから」
 「話してもいゝ。先生話しませうかね」
 「あゝ話し玉へ」
 「今では若い人が?イオリンの箱をさげて、よく往來|抔《など》をあるいて居りますが、其時分は高等學校生で西洋の音樂|抔《など》をやつたものは殆んどなかつたのです。ことに私の居つた學校は田舍の田舍で麻裏草履さへないと云ふ位な質朴な所でしたから、學校の生徒で?イオリン抔《など》を彈くものは勿論一人もありません。……」
 「何だか面白い話が向ふで始まつた樣だ。獨仙君いゝ加減に切り上げ樣《やう》ぢやないか」
 「まだ片付かない所が二三箇所ある」
 「あつてもいゝ。大概な所なら、君に進上する」
 「さう云つたつて、貰ふ譯にも行かない」
 「禪學者にも似合はん几帳面《きちやうめん》な男だ。それぢや一氣呵成《いつきかせい》にやつちまはう。――寒月君何だか餘つ程面白さうだね。――あの高等學校だらう、生徒が裸足《はだし》で登校するのは……」
 「そんな事はありません」
 「でも、皆《みん》なはだしで兵式體操をして、廻れ右をやるんで足の皮が大變厚くなつてると云ふ話だぜ」
 「まさか。だれがそんな事を云ひました」
 「だれでもいゝよ。さうして辨當には偉大なる握り飯を一個、夏蜜柑の樣に腰へぶら下げて來て、夫《それ》を食ふんだつて云ふぢやないか。食ふと云ふより寧ろ食ひ付くんだね。すると中心から梅干が一個出て來るさうだ。此梅干が出るのを樂しみに塩氣のない周圍を一心不亂に食ひ缺いて突進するんだと云ふが、成程元氣|旺盛《わうせい》なものだね。獨仙君、君の氣に入りさうな話だぜ」
 「質朴剛健でたのもしい氣風だ」
 「まだたのもしい事がある。あすこには灰吹きがないさうだ。僕の友人があすこへ奉職をして居る頃|吐月峰《とげつほう》の印《いん》のある灰吹きを買ひに出た所が、吐月峰|所《どころ》か、灰吹と名づくべきものが一個もない。不思議に思つて、聞いて見たら、灰吹き抔《など》は裏の藪へ行つて切つて來れば誰にでも出來るから、賣る必要はないと澄まして答へたさうだ。是も質朴剛健の氣風をあらはす美譚《びだん》だらう、ねえ獨仙君」
 「うむ、そりや夫《それ》でいゝが、こゝへ駄目を一つ入れなくちやいけない」
 「よろしい。駄目、駄目、駄目と。夫《それ》で片付いた。――僕は其話を聞いて、實に驚いたね。
そんな所で君が?イオリンを獨習したのは見上げたものだ。?獨《けいどく》にして不羣《ふぐん》なりと楚辭にあるが寒月君は全く明治の屈原《くつげん》だよ」
 「屈原はいやですよ」
 「それぢや今世紀のヱルテルさ。――なに石を上げて勘定をしろ? やに物堅い性質《たち》だね。勘定しなくつても僕は負けてるから慥かだ」
 「然し極りがつかないから……」
 「それぢや君やつてくれ給へ。僕は勘定所ぢやない。一代の才人ヱルテル君が?イオリンを習ひ出した逸話を聞かなくつちや、先祖へ濟まないから失敬する」と席をはづして、寒月君の方へすり出して來た。獨仙君は丹念に白石を取つては白の穴を埋《う》め、黒石を取つては黒の穴を埋めて、しきりに口の内で計算をして居る。寒月君は話をつゞける。
 「土地柄が既に土地柄だのに、私の國のものが又非常に頑固なので、少しでも柔弱なものが居つては、他縣の生徒に外聞がわるいと云つて、無暗に制裁を嚴重にしましたから、隨分厄介でした」
 「君の國の書生と來たら、本當に話せないね。元來何だつて、紺の無地の袴なんぞ穿《は》くんだい。第一《だいち》あれからして乙《おつ》だね。さうして塩風に吹かれ付けてゐるせいか、どうも、色が黒いね。男だからあれで濟むが女があれぢや嘸《さぞ》かし困るだらう」と迷亭君が一人這入ると肝心の話はどつかへ飛んで行つて仕舞ふ。
 「女もあの通り黒いのです」
 「それでよく貰ひ手があるね」
 「だつて一國中《いつこくぢゆう》悉《こと/”\》く黒いのだから仕方がありません」
 「因果だね。ねえ苦沙彌君」
 「黒い方がいゝだらう。生《なま》じ白いと鏡を見るたんびに己惚《おのぼれ》が出ていけない。女と云ふものは始末におへない物件だからなあ」と主人は喟然《きぜん》として大息《たいそく》を洩らした。
 「だつて一國中|悉《こと/”\》く黒ければ、黒い方で己惚《うぬぼ》れはしませんか」と東風君が尤もな質問をかけた。
 「とも角も女は全然不必要な者だ」と主人が云ふと、「そんな事を云ふと妻君が後で御機嫌がわるいぜ」と笑ひながら迷亭先生が注意する。
 「なに大丈夫だ」
 「居ないのかい」
 「小供を連れて、さつき出掛けた」
 「どうれで靜かだと思つた。どこへ行つたのだい」
 「どこだか分らない。勝手に出てあるくのだ」
 「さうして勝手に歸つてくるのかい」
 「まあさうだ。君は獨身でいゝなあ」と云ふと東風君は少々不平な顔をする。寒月君はにや/\と笑ふ。迷亭君は
 「妻《さい》を持つとみんなさう云ふ氣になるのさ。ねえ獨仙君、君|抔《など》も妻君難の方だらう」
 「えゝ? 一寸待つた。四六二十四、二十五、二十六、二十七と。狹いと思つたら、四十六|目《もく》あるか。もう少し勝つた積りだつたが、こしらへて見ると、たつた十八目の差か。――何だつて?」
 「君も妻君難だらうと云ふのさ」
 「アハヽヽヽ別段難でもないさ。僕の妻《さい》は元來僕を愛して居るのだから」
 「そいつは少々失敬した。夫《それ》でこそ獨仙君だ」
 「獨仙君ばかりぢやありません。そんな例はいくらでもありますよ」と寒月君が天下の妻君に代つて一寸辯護の勞を取つた。
 「僕も寒月君に賛成する。僕の考では人間が絶對の域《ゐき》に入《い》るには、只二つの道がある許《ばか》りで、其二つの道とは藝術と戀だ。夫婦の愛は其一つを代表するものだから、人間は是非結婚をして、此幸福を完《まつた》ふしなければ天意に背《そむ》く譯だと思ふんだ。――がどうでせう先生」と東風君は相變らず眞面目で迷亭君の方へ向き直つた。
 「御名論だ。僕|抔《など》は到底絶對の境《きやう》に這入れさうもない」
 「妻《さい》を貰へば猶《なほ》這入れやしない」と主人むづかしい顔をして云つた。
 「とも角も我々未婚の青年は藝術の靈氣にふれて向上の一路を開拓しなければ人生の意義が分からないですから、先づ手始めに?イオリンでも習はうと思つて寒月君にさつきから經驗譚《けいけんだん》をきいて居るのです」
 「さう/\、ヱルテル君の?イオリン物語を拜聽する筈だつたね。さあ話し給へ。もう邪魔はしないから」と迷亭君が漸く鋒鋩《ほうばう》を収めると、
 「向上の一路は?イオリン抔《など》で開ける者ではない。そんな遊戯三昧《いうぎざんまい》で宇宙の眞理が知れては大變だ。這裡《しやり》の消息を知らうと思へば矢張り懸崖に手を撒《さつ》して、絶後《ぜつご》に再び蘇《よみが》へる底《てい》の氣魄《きはく》がなければ駄目だ」と獨仙君は勿體《もつたい》振つて、東風君に訓戒じみた説ヘをしたのはよかつたが、東風君は禪宗のぜの字も知らない男だから頓《とん》と感心した容子もなく
 「へえ、さうかも知れませんが、矢張り藝術は人間の渇仰《かつがう》の極致を表はしたものだと思ひますから、どうしても之を捨てる譯には參りません」
 「捨てる譯に行かなければ、お望み通り僕の?イオリン談をして聞かせる事に仕《し》樣《やう》、で今話す通りの次第だから僕も?イオリンの稽古をはじめる迄には大分《だいぶ》苦心をしたよ。第一買ふのに困りましたよ先生」
 「さうだらう麻裏草履がない土地に?イオリンがある筈がない」
 「いえ、ある事はあるんです。金も前から用意して溜めたから差支ないのですが、どうも買へないのです」
 「なぜ?」
 「狹い土地だから、買つて居ればすぐ見つかります。見付かれば、すぐ生意氣だと云ふので制裁を加へられます」
 「天才は昔から迫害を加へられるものだからね」と東風君は大《おほい》に同情を表した。
 「又天才か、どうか天才呼ばはり丈《だけ》は御免蒙りたいね。それでね毎日散歩をして?イオリンのある店先を通るたびにあれが買へたら好からう、あれを手に抱《かゝ》へた心持ちはどんなだらう、あゝ欲しい、あゝ欲しいと思はない日は一日《いちんち》もなかつたのです」
 「尤もだ」と評したのは迷亭で、「妙に凝つたものだね」と解《げ》しかねたのが主人で、「矢張り君、天才だよ」と敬服したのは東風君である。只獨仙君|許《ばか》りは超然として髯を撚《ねん》して居る。
 「そんな所にどうして?イオリンがあるかゞ第一御不審かも知れないですが、是は考へて見ると當り前の事です。なぜと云ふと此地方でも女學校があつて、女學校の生徒は課業として毎日?イオリンを稽古しなければならないのですから、ある筈です。無論いゝのはありません。只?イオリンと云ふ名が辛うじてつく位のものであります。だから店でもあまり重きを置いて居ないので、二三梃一所に店頭へ吊《つ》るして置くのです。夫《それ》がね、時々散歩をして前を通るときに風が吹きつけたり、小僧の手が障つたりして、そら音《ね》を出す事があります。其|音《ね》を聞くと急に心臓が破裂しさうな心持で、居ても立つても居られなくなるんです」
 「危險だね。水癲癇《みづてんかん》、人癲癇《ひとでんかん》と癲癇にも色々種類があるが君のはヱルテル丈《だけ》あつて、?イオリン癲癇だ」と迷亭君が冷やかすと、
 「いや其位感覺が鋭敏でなければ眞の藝術家にはなれないですよ。どうしても天才肌だ」と東風君は愈《いよ/\》感心する。
 「えゝ實際癲癇かも知れませんが、然しあの音色《ねいろ》丈《だけ》は奇體ですよ。其《その》後《ご》今日《こんにち》迄《まで》隨分ひきましたがあの位美しい音《ね》が出た事がありません。さうさ何と形容していゝでせう。到底言ひあらはせないです」
 「琳琅?鏘《りんらうきうさう》として鳴るぢやないか」とむづかしい事を持ち出したのは獨仙君であつたが、誰も取り合はなかつたのは氣の毒である。
 「私が毎日々々店頭を散歩して居るうちにとう/\此靈異な音《ね》を三度きゝました。三度目にどうあつても是は買はなければならないと決心しました。假令《たとひ》國のものから譴責されても、他縣のものから輕蔑されても――よし鐵拳制裁の爲めに絶息《ぜつそく》しても――まかり間違つて退校の處分を受けても――、是|許《ばか》りは買はずに居られないと思ひました」
 「夫《それ》が天才だよ。天才でなければ、そんなに思ひ込める譯のものぢやない。羨しい。僕もどうかして、それ程猛烈な感じを起して見たいと年來心掛けて居るが、どうもいけないね。音樂會|抔《など》へ行つて出來る丈《だけ》熱心に聞いて居るが、どうも夫《それ》程《ほど》に感興が乘らない」と東風君は頻りに羨やましがつて居る。
 「乘らない方が仕合せだよ。今でこそ平氣で話す樣なものゝ其時の苦しみは到底想像が出來る樣な種類のものではなかつた。――それから先生とう/\奮發して買ひました」
 「ふむ、どうして」
 「丁度十一月の天長節の前の晩でした。國のものは揃つて泊りがけに温泉に行きましたから、一人も居ません。私は病氣だと云つて、其日は學校も休んで寐て居ました。今晩こそ一つ出て行つて兼《かね》て望みの?イオリンを手に入れ樣《やう》と、床の中で其事ばかり考へて居ました」
 「僞病《けびやう》をつかつて學校迄休んだのかい」
 「全くさうです」
 「成程少し天才だね、是《これ》や」と迷亭君も少々恐れ入つた樣子である。
 「夜具の中から首を出して居ると、日暮れが待遠《まちどほ》でたまりません。仕方がないから頭からもぐり込んで、眼を眠《ねむ》つて待つて見ましたが、矢張り駄目です。首を出すと烈しい秋の日が、六尺の障子へ一面にあたつて、かん/\するには癇癪が起りました。上の方に細長い影がかたまつて、時々秋風にゆすれるのが眼につきます」
 「何だい、其細長い影と云ふのは」
 「澁柿の皮を剥《む》いて、軒へ吊《つ》るして置いたのです」
 「ふん、それから」
 「仕方がないから、床を出て障子をあけて椽側へ出て、澁柿の甘干《あまぼ》しを一つ取つて食ひました」
 「うまかつたかい」と主人は小供みた樣な事を聞く。
 「うまいですよ、あの邊の柿は。到底東京|抔《など》ぢやあの味はわかりませんね」
 「柿はいゝが夫《それ》から、どうしたい」と今度は東風君がきく。
 「夫《それ》から又もぐつて眼をふさいで、早く日が暮れゝばいゝがと、ひそかに神佛に念じて見た。約三四時間も立つたと思ふ頃、もうよからうと、首を出すと豈《あに》計《はか》らんや烈しい秋の日は依然として六尺の障子を照らしてかん/\する、上の方に細長い影がかたまつて、ふわ/\する」
 「そりや、聞いたよ」
 「何返もあるんだよ。夫《それ》から床を出て、障子をあけて、甘干しの柿を一つ食つて、又寐床へ這入つて、早く日が暮れればいゝと、ひそかに神佛に祈念をこらした」
 「矢つ張りもとの所ぢやないか」
 「まあ先生さう焦《せ》かずに聞いて下さい。夫《それ》から約三四時間夜具の中で辛抱して、今度こそもうよからうとぬつと首を出して見ると、烈しい秋の日は依然として六尺の障子へ一面にあたつて、上の方に細長い影がかたまつて、ふわ/\して居る」
 「いつ迄行つても同じ事ぢやないか」
 「夫《それ》から床を出て障子を開けて、椽側へ出て甘干しの柿を一つ食つて……」
 「又柿を食つたのかい。どうもいつ迄行つても柿ばかり食つてゝ際限がないね」
 「私もぢれつたくてね」
 「君より聞いてる方が餘つ程ぢれつたいぜ」
 「先生はどうも性急《せつかち》だから、話がしにくゝつて困ります」
 「聞く方も少しは困るよ」と東風君も暗に不平を洩らした。
 「さう諸君が御困りとある以上は仕方がない。大抵にして切り上げませう。要するに私は甘干しの柿を食つてはもぐり、もぐつては食ひ、とう/\軒端《のきば》に吊《つ》るした奴をみんな食つて仕舞ひました」
 「みんな食つたら日も暮れたらう」
 「所がさう行かないので、私が最後の甘干しを食つて、もうよからうと首を出して見ると、相變らず烈しい秋の日が六尺の障子へ一面にあたつて……」
 「僕あ、もう御免だ。いつ迄行つても果《は》てしがない」
 「話す私も飽き/\します」
 「然し其位根氣があれば大抵の事業は成就するよ。だまつてたら、あしたの朝迄秋の日がかん/\するんだらう。全體いつ頃に?イオリンを買ふ氣なんだい」と流石《さすが》の迷亭君も少し辛抱し切れなくなつたと見える。只獨仙君のみは泰然として、あしたの朝迄でも、あさつての朝まででも、いくら秋の日がかん/\しても動ずる氣色《けしき》は更にない。寒月君も落ちつき拂つたもので
 「いつ買ふ氣だと仰しやるが、晩になりさへすれば、すぐ買ひに出掛ける積りなのです。只殘念な事には、いつ頭を出して見ても秋の日がかん/\して居るものですから――いえ其時の私《わたく》しの苦しみと云つたら、到底今あなた方の御ぢれになる所《どころ》の騷ぎぢやないです。私は最後の甘干を食つても、まだ日が暮れないのを見て、?然《げんぜん》として思はず泣きました。東風君、僕は實に情《なさ》けなくつて泣いたよ」
 「さうだらう、藝術家は本來多情多恨だから、泣いた事には同情するが、話はもつと早く進行させたいものだね」と東風君は人がいゝから、どこ迄も眞面目で滑稽な挨拶をして居る。
 「進行させたいのは山々だが、どうしても日が暮れてくれないものだから困るのさ」
 「さう日が暮れなくちや聞く方も困るからやめやう」と主人がとう/\我慢がし切れなくなつたと見えて云ひ出した。
 「やめちや猶《なほ》困ります。是からが愈《いよ/\》佳境に入《い》る所ですから」
 「夫《それ》ぢや聞くから、早く日が暮れた事にしたらよからう」
 「では、少し御無理な御注文ですが、先生の事ですから、枉《ま》げて、こゝは日が暮れた事に致しませう」
 「それは好都合だ」と獨仙君が澄まして述べられたので一同は思はずどつと噴き出した。
 「愈《いよ/\》夜《よ》に入《い》つたので、まづ安心とほつと一息ついて鞍懸村《くらかけむら》の下宿を出ました。私は性來《しやうらい》騷々敷い所が嫌《きらひ》ですから、わざと便利な市内を避けて、人迹《じんせき》の稀《まれ》な寒村の百姓家にしばらく蝸牛《くわぎう》の庵《いほり》を結んで居たのです……」
 「人迹の稀な〔五字傍点〕はあんまり大袈裟だね」と主人が抗議を申し込むと「蝸牛《くわぎう》の庵《いほり》も仰山《ぎやうさん》だよ。床の間なしの四疊半位にして置く方が寫生的で面白い」と迷亭君も苦情を持ち出した。東風君|丈《だけ》は「事實はどうでも言語が詩的で感じがいゝ」と褒めた。獨仙君は眞面目な顔で「そんな所に住んで居ては學校へ通ふのが大變だらう。何里位あるんですか」と聞いた。
 「學校迄はたつた四五丁です。元來學校からして寒村にあるんですから……」
 「夫《それ》ぢや學生は其邊に大分《だいぶ》宿をとつてるんでせう」と獨仙君は中々承知しない。
 「えゝ、たいていな百姓家には一人や二人は必ず居ます」
 「それで人迹《じんせき》稀《まれ》なんですか」と正面攻撃を喰《くら》はせる。
 「えゝ學校がなかつたら、全く人迹《じんせき》は稀ですよ。……で當夜の服裝と云ふと、手織木綿の綿入の上へ金釦《きんボタン》の制服外套を着て、外套の頭巾《づきん》をすぽりと被つて可成《なるべく》人の目につかない樣な注意をしました。折柄柿落葉の時節で宿から南郷街道《なんがうかいだう》へ出る迄は木《こ》の葉で路が一杯です。一歩《ひとあし》運ぶごとにがさ/\するのが氣にかゝります。誰かあとをつけて來さうでたまりません。振り向いて見ると東嶺寺《とうれいじ》の森がこんもりと黒く、暗い中に暗く寫つて居ます。此東嶺寺と云ふのは松平家《まつだひらけ》の菩提所《ぼだいしよ》で、庚申山《かうしんやま》の麓にあつて、私の宿とは一丁位しか隔《へだた》つて居ない、頗る幽邃《いうすゐ》な梵刹《ぼんせつ》です。森から上はのべつ幕なしの星月夜で、例の天の河が長瀬川を筋違《すじかひ》に横切つて末は――末は、さうですね、先づ布哇《ハワイ》の方へ流れて居ます……」
 「布哇《ハワイ》は突飛だね」と迷亭君が云つた。
 「南郷街道を遂に二丁來て、鷹臺町《たかのだいまち》から市内に這入つて、古城町《こじやうまち》を通つて、仙石町《せんごくまち》を曲つて、喰代町《くひしろちやう》を横に見て、通町《とほりちやう》を一丁目、二丁目、三丁目と順に通り越して、夫《それ》から尾張町《をはりちやう》、名古屋町《なごやちやう》、鯱鉾町《しやちほこちやう》、蒲鉾町《かまぼこちやう》……」
 「そんなに色々な町を通らなくてもいゝ。要するに?イオリンを買つたのか、買はないのか」と主人がじれつたさうに聞く。
 「樂器のある店は金善《かねぜん》即ち金子善兵衛方ですから、まだ中々です」
 「中々でもいゝから早く買ふがいゝ」
 「かしこまりました。それで金善《かねぜん》方《かた》へ來て見ると、店にはランプがかん/\ともつて……」
 「又かん/\か、君のかん/\は一度や二度で濟まないんだから難澁するよ」と今度は迷亭が豫防線を張つた。
 「いえ、今度のかん/\は、ほんの通り一返のかん/\ですから、別段御心配には及びません。……灯影《ほかげ》にすかして見ると例の?イオリンが、ほのかに秋の灯《ひ》を反射して、くり込んだ胴の丸みに冷たい光を帶びて居ます。つよく張つた琴線の一部|丈《だけ》がきら/\と白く眼に映ります。……」
 「中々叙述がうまいや」と東風君がほめた。
 「あれだな。あの?イオリンだなと思ふと、急に動悸がして足がふら/\します……」
 「ふゝん」と獨仙君が鼻で笑つた。
 「思はず馳け込んで、隱袋《かくし》から蝦蟇口《がまぐち》を出して、蝦蟇口の中から五圓札を二枚出して……」
 「とう/\買つたかい」と主人がきく。
 「買はうと思ひましたが、まてしばし、こゝが肝心の所だ。滅多な事をしては失敗する。まあよさうと、際どい所で思ひ留まりました」
 「なんだ、まだ買はないのかい。?イオリン一梃で中々人を引つ張るぢやないか」
 「引つ張る譯ぢやないんですが、どうも、まだ買へないんですから仕方がありません」
 「なぜ」
 「なぜつて、まだ宵の口で人が大勢通るんですもの」
 「構はんぢやないか、人が二百や三百通つたつて、君は餘つ程妙な男だ」と主人はぷん/\して居る。
 「只の人なら千が二千でも構ひませんがね、學校の生徒が腕まくりをして、大きなステツキを持つて徘徊《はいくわい》して居るんだから容易に手を出せませんよ。中には沈澱黨|抔《など》と號して、いつまでもクラスの底に溜まつて喜んでるのがありますからね。そんなのに限つて柔道は強いのですよ。滅多に?イオリン抔《など》に手出しは出來ません。どんな目に逢ふかわかりません。私だつて?イオリンは欲しいに相違ないですけれども、命は是でも惜しいですからね。?イオリンを彈いて殺されるよりも、彈かずに生きてる方が樂ですよ」
 「それぢや、とう/\買はずに已《や》めたんだね」と主人が念を押す。
 「いえ、買つたのです」
 「ぢれつたい男だな。買ふなら早く買ふさ。いやならいやでいゝから、早く方《かた》をつけたらよささうなものだ」
 「えへヽヽヽ、世の中の事はさう、こつちの思ふ樣に埒《らち》があくもんぢやありませんよ」と云ひながら寒月君は冷然と「朝日」へ火をつけてふかし出した。
 主人は面倒になつたと見えて、ついと立つて書齋へ這入つたと思つたら、何だか古ぼけた洋書を一册持ち出して來て、ごろりと腹這になつて讀み始めた。獨仙君はいつの間《ま》にやら、床の間の前へ退去して、獨りで碁石を並べて一人相撲《ひとりずまふ》をとつてゐる。切角の逸話も餘り長くかゝるので聽手が一人減り二人減つて、殘るは藝術に忠實なる東風君と、長い事にかつて辟易した事のない迷亭先生のみとなる。
 長い烟をふうと世の中へ遠慮なく吹き出した寒月君は、やがて前《ぜん》同樣《どうやう》の速度を以て談話をつゞける。
 「東風君、僕は其の時かう思つたね。到底こりや宵の口は駄目だ、と云つて眞夜中に來れば金善は寐て仕舞ふから猶駄目だ。何でも學校の生徒が散歩から歸りつくして、さうして金善がまだ寐ない時を見計らつて來なければ、折角の計畫が水泡に歸する。けれども其時間をうまく見計ふのが六づかしい」
 「成程|是《こ》りや六づかしからう」
 「で僕は其時間をまあ十時頃と見積つたね。夫《それ》で今から十時頃迄どこかで暮さなければならない。うちへ歸つて出直すのは大變だ。友達のうちへ話しに行くのは何だか氣が咎《とが》める樣で面白くなし、仕方がないから相當の時間がくる迄市中を散歩する事にした。所が平生ならば二時間や三時間はぶら/\あるいて居るうちに、いつの間《ま》にか經つてしまふのだが其|夜《よ》に限つて、時間のたつのが遲いの何のつて、――千秋の思とはあんな事を云ふのだらうと、しみ/”\感じました」と左《さ》も感じたらしい風をしてわざと迷亭先生の方を向く。
 「古人を待つ身につらき置炬燵《おきごたつ》と云はれた事があるからね、又待たるゝ身より待つ身はつらいともあつて軒に吊られた?イオリンもつらかつたらうが、あてのない探偵の樣にうろ/\、まごついて居る君は猶更《なほさら》つらいだらう。累々《るゐ/\》として喪家《さうか》の犬の如し。いや宿のない犬程氣の毒なものは實際ないよ」
 「犬は殘酷ですね。犬に比較された事は是でもまだありませんよ」
 「僕は何だか君の話をきくと、昔《むか》しの藝術家の傳を讀む樣な氣持がして同情の念に堪へない。犬に比較したのは先生の冗談だから氣に掛けずに話を進行し玉へ」と東風君は慰藉した。慰藉されなくても寒月君は無論話をつゞける積りである。
 「夫《それ》から徒町《おかちまち》から百騎町《ひやくきまち》を通つて、兩替町《りやうがへちやう》から鷹匠町《たかじやうまち》へ出て、縣廰の前で枯柳の數を勘定して病院の横で窓の灯《ひ》を計算して、紺屋橋《こんやばし》の上で卷烟草を二本ふかして、さうして時計を見た。……」
 「十時になつたかい」
 「惜しい事にならないね。――紺屋橋を渡り切つて川添に東へ上《のぼ》つて行くと、按摩に三人あつた。さうして犬が頻りに吠えましたよ先生……」
 「秋の夜長に川端で犬の遠吠をきくのは一寸芝居がゝりだね。君は落人《おちうど》と云ふ格だ」
 「何かわるい事でもしたんですか」
 「是からしやうと云ふ所さ」
 「可哀相《かはいさう》に?イオリンを買ふのが惡い事ぢや、音樂學校の生徒はみんな罪人ですよ」
 「人が認めない事をすれば、どんないゝ事をしても罪人さ、だから世の中に罪人程あてにならないものはない。耶蘇《ヤソ》もあんな世に生れゝば罪人さ。好男子寒月君もそんな所で?イオリンを買へば罪人さ」
 「それぢや負けて罪人として置きませう。罪人はいゝですが十時にならないのには弱りました」
 「もう一返、町の名を勘定するさ。それで足りなければ又秋の日をかん/\させるさ。夫《それ》でも追付《おつつ》かなければ又甘干しの澁柿を三ダースも食ふさ。いつ迄も聞くから十時になる迄やり給へ」
 寒月先生はにや/\と笑つた。
 「さう先《せん》を越されては降參するより外はありません。それぢや一足飛びに十時にして仕舞ませう。偖《さて》御約束の十時になつて金善《かねぜん》の前へ來て見ると、夜寒の頃ですから、さすが目貫《めぬき》の兩替町《りやうがへちやう》も殆んど人通りが絶えて、向《むかふ》からくる下駄の音さへ淋《さみ》しい心持ちです。金善ではもう大戸をたてゝ、僅かに潜《くゞ》り戸|丈《だけ》を障子にして居ます。私は何となく犬に尾《つ》けられた樣な心持で、障子をあけて這入るのに少々薄氣味がわるかつたです……」
 此時主人はきたならしい本から一寸眼をはづして、「おいもう?イオリンを買つたかい」と聞いた。「是から買ふ所です」と東風君が答へると「まだ買はないのか、實に永いな」と獨り言の樣に云つて又本を讀み出した。獨仙君は無言の儘、白と黒で碁盤を大半|埋《うづ》めて了《しま》つた。
 「思ひ切つて飛び込んで、頭巾を被つた儘?イオリンを呉れと云ひますと、火鉢の周圍に四五人小僧や若僧がかたまつて話をして居たのが驚いて、申し合せた樣に私の顔を見ました。私は思はず右の手を擧げて頭巾をぐいと前の方に引きました。おい?イオリンを呉れと二度目に云ふと、一番前に居て、私の顔を覗き込む樣にして居た小僧がへえと覺束《おぼつか》ない返事をして、立ち上がつて例の店先に吊《つ》るしてあつたのを三四梃一度に卸して來ました。いくらかと聞くと五圓二十錢だと云ひます……」
 「おいそんな安い?イオリンがあるのかい。おもちやぢやないか」
 「みんな同價《どうね》かと聞くと、へえ、どれでも變りは御座いません。みんな丈夫に念を入れて拵らへて御座いますと云ひますから、蝦蟇口《がまぐち》のなかゝら五圓札と銀貨を二十錢出して用意の大風呂敷を出して?イオリンを包みました。此《この》間《あひだ》、店のものは話を中止してぢつと私の顔を見て居ます。顔は頭巾でかくしてあるから分る氣遣《きづかひ》はないのですけれども何だか氣がせいて一刻も早く往來へ出たくて堪りません。漸くの事風呂敷包を外套の下へ入れて、店を出たら、番頭が聲を揃へて難有《ありがた》うと大きな聲を出したのにはひやつとしました。往來へ出て一寸見廻して見ると、幸《さいはひ》誰も居ない樣ですが、一丁|許《ばか》り向《むかふ》から二三人して町内中に響けとばかり詩吟をして來ます。こいつは大變だと金善の角を西へ折れて濠端を藥王師道《やくわうじみち》へ出て、はんの木村から庚申山《かうしんやま》の裾へ出て漸く下宿へ歸りました。下宿へ歸つて見たらもう二時十分前でした」
 「夜通しあるいて居た樣なものだね」と東風君が氣の毒さうに云ふと「やつと上がつた。やれ/\長い道中双六《だうちゆうすごろく》だ」と迷亭君はほつと一と息ついた。
 「是からが聞き所ですよ。今迄は單に序幕です」
 「まだあるのかい。こいつは容易な事ぢやない。大抵のものは君に逢つちや根氣負けをするね」
 「根氣はとにかく、こゝでやめちや佛作つて魂入れずと一般ですから、もう少し話します」
 「話すのは無論隨意さ。聞く事は聞くよ」
 「どうです苦沙彌先生も御聞きになつては。もう?イオリンは買つて仕舞ひましたよ。えゝ先生」
 「こん度は?イオリンを賣る所かい。賣る所なんか聞かなくつてもいゝ」
 「まだ賣るどこぢやありません」
 「そんなら猶聞かなくてもいゝ」
 「どうも困るな、東風君、君|丈《だけ》だね、熱心に聞いてくれるのは。少し張合が拔けるがまあ仕方がない、ざつと話して仕舞はう」
 「ざつとでなくてもいゝから緩《ゆつ》くり話し玉へ。大變面白い」
 「?イオリンは漸くの思で手に入れたが、まづ第一に困つたのは置き所だね。僕の所へは大分《だいぶ》人が遊びにくるから滅多な所へぶらさげたり、立て懸けたりするとすぐ露見して仕舞ふ。穴を堀つて埋めちや堀り出すのが面倒だらう」
 「さうさ、天井裏へでも隱したかい」と東風君は氣樂な事を云ふ。
 「天井はないさ。百姓家《ひやくしやうや》だもの」
 「そりや困つたらう。どこへ入れたい」
 「どこへ入れたと思ふ」
 「わからないね。戸袋のなかゝ」
 「いゝえ」
 「夜具にくるんで戸棚へ仕舞つたか」
 「いゝえ」
 東風君と寒月君は?イオリンの隱れ家《が》について斯《かく》の如く問答をして居るうちに、主人と迷亭君も何か頻りに話して居る。
 「是《こ》りや何と讀むのだい」と主人が聞く。
 「どれ」
 「此二行さ」
 「何だつて? Quid aliud est mulier nisi amiticiae inimica……是《こ》りや君|羅甸語《ラテンご》ぢやないか」
 「羅甸語《ラテンご》は分つてるが、何と讀むのだい」
 「だつて君は平生|羅甸語《ラテンご》が讀めると云つてるぢやないか」と迷亭君も危險だと見て取つて、一寸逃げた。
 「無論讀めるさ。讀める事は讀めるが、こりや何だい」
 「讀める事は讀めるが、こりや何だは手ひどいね」
 「何でもいゝから一寸英語に譯して見ろ」
 「見ろは烈しいね。丸《まる》で從卒の樣だね」
 「從卒でもいゝから何だ」
 「まあ羅甸語《ラテンご》などはあとにして、一寸寒月君のご高話を拜聽|仕《つかまつ》らうぢやないか。今大變な所だよ。愈《いよ/\》露見するか、しないか危機一髪と云ふ安宅《あたか》の關《せき》へかゝつてるんだ。――ねえ寒月君|夫《それ》からどうしたい」と急に乘氣になつて、又?イオリンの仲間入りをする。主人は情《なさ》けなくも取り殘された。寒月君は之に勢を得て隱し所を説明する。
 「とう/\古つゞらの中へ隱しました。此つゞらは國を出る時|御祖母《おばあ》さんが餞別にくれたものですが、何でも御祖母さんが嫁にくる時持つて來たものださうです」
 「そいつは古物《こぶつ》だね。?イオリンとは少し調和しない樣だ。ねえ東風君」
 「えゝ、ちと調和せんです」
 「天井裏だつて調和しないぢやないか」と寒月君は東風先生をやり込めた。
 「調和はしないが、句にはなるよ、安心し給へ。秋《あき》淋《さび》しつゞらにかくす?イオリンはどうだい、兩君」
 「先生今日は大分《だいぶ》俳句が出來ますね」
 「今日に限つた事ぢやない。いつでも腹の中で出來てるのさ。僕の俳句に於ける造詣《ざうけい》と云つたら、故《こ》子規子《しきし》も舌を捲いて驚ろいた位のものさ」
 「先生、子規さんとは御つき合でしたか」と正直な東風君は眞率な質問をかける。
 「なにつき合はなくつても始終無線電信で肝膽相照らして居たもんだ」と無茶苦茶を云ふので、東風先生あきれて黙つて仕舞つた。寒月君は笑ひながら又進行する。
 「それで置き所|丈《だけ》は出來た譯だが、今度は出すのに困つた。只出す丈《だけ》なら人目を掠《かす》めて眺める位はやれん事はないが、眺めた許《ばか》りぢや何にもならない。彈かなければ役に立たない。彈けば音が出る。出ればすぐ露見する。丁度|木槿垣《むくげがき》を一重隔てゝ南隣りには沈澱組の頭領が下宿して居るんだから劔呑だあね」
 「困るね」と東風君が氣の毒さうに調子を合はせる。
 「なる程、こりや困る。論より證據音が出るんだから、小督《こがう》の局《つぼね》も全く是でしくぢつたんだからね。是がぬすみ食をするとか、贋札《にせさつ》を造るとか云ふなら、まだ始末がいゝが、音曲《おんぎよく》は人に隱しちや出來ないものだからね」
 「音さへ出なければどうでも出來るんですが……」
 「一寸待つた。音さへ出なけりやと云ふが、音が出なくても隱《かく》し了《おお》せないのがあるよ。昔《むか》し僕等が小石川の御寺で自炊をして居る時分に鈴木の藤《とう》さんと云ふ人が居てね、此藤さんが大變|味淋《みりん》がすきで、ビールのコ利《とつくり》へ味淋を買つて來ては一人で樂しみに飲んで居たのさ。ある日|藤《とう》さんが散歩に出たあとで、よせばいゝのに苦沙彌君が一寸盗んで飲んだ所が……」
 「おれが鈴木の味淋|抔《など》をのむものか、飲んだのは君だぜ」と主人は突然大きな聲を出した。
 「おや本を讀んでるから大丈夫かと思つたら、矢張り聞いてるね。油斷の出來ない男だ。耳も八丁、目も八丁とは君の事だ。成程云はれて見ると僕も飲んだ。僕も飲んだには相違ないが、發覺したのは君の方だよ。――兩君まあ聞き玉へ。苦沙彌先生元來酒は飲めないのだよ。所を人の味淋だと思つて一生懸命に飲んだものだから、さあ大變、顔中|眞赤《まつか》にはれ上つてね。いやもう二目《ふため》とは見られない有樣さ……」
 「黙つていろ。羅甸語《ラテンご》も讀めない癖に」
 「ハヽヽヽ、夫《それ》で藤《とう》さんが歸つて來てビールのコ利《とつくり》をふつて見ると、半分以上足りない。何でも誰か飲んだに相違ないと云ふので見廻して見ると、大將隅の方に朱泥《しゆでい》を練りかためた人形の樣にかたくなつて居らあね……」
 三人は思はず哄然《こうぜん》と笑ひ出した。主人も本をよみながら、くす/\と笑つた。獨り獨仙君に至つては機外《きぐわい》の機《き》を弄《ろう》し過ぎて、少々疲勞したと見えて、碁盤の上へのしかゝつて、いつの間《ま》にやら、ぐう/\寐て居る。
 「まだ音がしないもので露見した事がある。僕が昔《むか》し姥子《うばこ》の温泉に行つて、一人のぢゞいと相宿になつた事がある。何でも東京の呉服屋の隱居か何かだつたがね。まあ相宿だから呉服屋だらうが、古着屋だらうが構ふ事はないが、只困つた事が一つ出來て仕舞つた。と云ふのは僕は姥子《うばこ》へ着いてから三日目に烟草を切らして仕舞つたのさ。諸君も知つてるだらうが、あの姥子と云ふのは山の中の一軒屋で只温泉に這入つて飯を食ふより外にどうもかうも仕樣のない不便の所さ。そこで烟草を切らしたのだから御難だね。物はないとなると猶《なほ》欲しくなるもので、烟草がないなと思ふや否や、いつもそんなでないのが急に呑みたくなり出してね。意地のわるい事に、其ぢゞいが風呂敷に一杯烟草を用意して登山して居るのさ。夫《それ》を少し宛《づゝ》出しては、人の前で胡坐《あぐら》をかいて呑みたいだらうと云はない許《ばか》りに、すぱ/\ふかすのだね。只ふかす丈《だけ》なら勘辯の仕樣もあるが、仕舞には烟を輪に吹いて見たり、竪に吹いたり、横に吹いたり、乃至は邯鄲《かんたん》夢《ゆめ》の枕《まくら》と逆《ぎやく》に吹いたり、又は鼻から獅子の洞入《ほらい》り、洞返《ほらがへ》りに吹いたり。つまり呑みびらかすんだね……」
 「何です、呑みびらかすと云ふのは」
 「衣裝道具《いしやうどうぐ》なら見せびらかすのだが、烟草だから呑みびらかすのさ」
 「へえ、そんな苦しい思ひをなさるより貰つたらいゝでせう」
 「所が貰はないね。僕も男子だ」
 「へえ、貰つちやいけないんですか」
 「いけるかも知れないが、貰はないね」
 「それでどうしました」
 「貰はないで偸《ぬす》んだ」
 「おや/\」
 「奴さん手拭をぶらさげて湯に出掛けたから、呑むならこゝだと思つて一心不亂立てつゞけに呑んで、あゝ愉快だと思ふ間《ま》もなく、障子がからりとあいたから、おやと振り返ると烟草の持ち主さ」
 「湯には這入らなかつたのですか」
 「這入らうと思つたら巾着《きんちやく》を忘れたのに氣がついて、廊下から引き返したんだ。人が巾着でもとりやしまいし第一それからが失敬さ」
 「何とも云へませんね。烟草の御手際ぢや」
 「ハヽヽヽぢゝいも中々眼識があるよ。巾着はとにかくだが、ぢいさんが障子をあけると二日間の溜め呑みをやつた烟草の烟りがむつとする程|室《へや》のなかに籠つてるぢやないか、惡事千里とはよく云つたものだね。忽ち露見して仕舞つた」
 「ぢいさん何とかいゝましたか」
 「さすが年の功だね、何にも言はずに卷烟草を五六十本半紙にくるんで、失禮ですが、こんな粗葉《そは》でよろしければどうぞお呑み下さいましと云つて、又湯壺へ下りて行つたよ」
 「そんなのが江戸趣味と云ふのでせうか」
 「江戸趣味だか、呉服屋趣味だか知らないが、夫《それ》から僕は爺さんと大《おほい》に肝膽相照《かんたんあひて》らして、二週間の間面白く逗留して歸つて來たよ」
 「烟草は二週間中爺さんの御馳走になつたんですか」
 「まあそんな所だね」
 「もう?イオリンは片付いたかい」と主人は漸く本を伏せて、起き上りながら遂に降參を申し込んだ。
 「まだです。是からが面白い所です、丁度いゝ時ですから聞いて下さい。序《ついで》にあの碁盤の上で晝寐をして居る先生――何とか云ひましたね、え、獨仙先生、――獨仙先生にも聞いて戴きたいな。どうですあんなに寐ちや、からだに毒ですぜ。もう起してもいゝでせう」
 「おい、獨仙君、起きた/\。面白い話がある。起きるんだよ。さう寐ちや毒だとさ。奧さんが心配だとさ」
 「え」と云ひながら顔を上げた獨仙君の山羊髯《やぎひげ》を傳はつて垂涎《よだれ》が一筋長々と流れて、蝸牛《かたつむり》の這つた迹の樣に歴然と光つて居る。
 「あゝ、眠かつた。山上の白雲わが懶《ものう》きに似たりか。あゝ、いゝ心持ちに寐たよ」
 「寐たのはみんなが認めて居るのだがね。ちつと起きちやどうだい」
 「もう、起きてもいゝね。何か面白い話があるかい」
 「是から愈《いよ/\》?イオリンを――どうするんだつたかな、苦沙彌君」
 「どうするのかな、頓《とん》と見當がつかない」
 「是から愈《いよ/\》彈く所です」
 「是から愈《いよ/\》?イオリンを彈く所だよ。こつちへ出て來て、聞き給へ」
 「まだ?イオリンかい。困つたな」
 「君は無絃《むげん》の素琴《そきん》を彈ずる連中だから困らない方なんだが、寒月君のは、きい/\ぴい/\近所合壁《きんじよがつぺき》へ聞えるのだから大《おほい》に困つてる所だ」
 「さうかい。寒月君近所へ聞えない樣に?イオリンを彈く方《ほう》を知らんですか」
 「知りませんね、あるなら伺ひたいもので」
 「伺はなくても露地《ろぢ》の白牛《びやくぎう》を見ればすぐ分る筈だが」と、何だか通じない事を云ふ。寒月君はねぼけてあんな珍語を弄するのだらうと鑑定したから、わざと相手にならないで話頭を進めた。
 「漸くの事で一策を案出しました。あくる日は天長節だから、朝からうちに居て、つゞらの蓋《ふた》をとつて見たり、かぶせて見たり一日《いちんち》そは/\して暮らして仕舞ましたが愈《いよ/\》日が暮れて、つゞらの底で?《こほろぎ》が鳴き出した時思ひ切つて例の?イオリンと弓を取り出しました」
 「愈《いよ/\》出たね」と東風君が云ふと「滅多に彈くとあぶないよ」と迷亭君が注意した。
 「先づ弓を取つて、切先《きつさき》から鍔元《つばもと》迄しらべて見る……」
 「下手な刀屋ぢやあるまいし」と迷亭君が冷評《ひやか》した。
 「實際是が自分の魂だと思ふと、侍が研《と》ぎ澄した名刀を、長夜《ちやうや》の灯影《ほかげ》で鞘拂《さやばらひ》をする時の樣な心持ちがするものですよ。私は弓を持つた儘ぶる/\とふるへました」
 「全く天才だ」と云ふ東風君について「全く癲癇だ」と迷亭君がつけた。主人は「早く彈いたらよからう」と云ふ。獨仙君は困つたものだと云ふ顔付をする。
 「難有《ありがた》い事に弓は無難です。今度は?イオリンを同じくランプの傍《そば》へ引き付けて、裏表共能くしらべて見る。此《この》間《あひだ》約五分間、つゞらの底では始終|?《こほろぎ》が鳴いて居ると思つて下さい。……」
 「何とでも思つてやるから安心して彈くがいゝ」
 「まだ彈きやしません。――幸ひ?イオリンも疵《きず》がない。是なら大丈夫とぬつくと立ち上がる……」
 「どつかへ行くのかい」
 「まあ少し黙つて聞いて下さい。さう一句毎に邪魔をされちや話が出來ない。……」
 「おい諸君、だまるんだとさ。シー/\」
 「しやべるのは君|丈《だけ》だぜ」
 「うん、さうか、是は失敬、謹聽々々」
 「?イオリンを小脇に抱《か》い込んで、草履を突《つつ》かけた儘二三歩草の戸を出たが、まてしばし……」
 「そら御出《おいで》なすつた。何でも、どつかで停電するに違ないと思つた」
 「もう歸つたつて甘干しの柿はないぜ」
 「さう諸先生が御まぜ返しになつては甚だ遺憾の至りだが、東風君一人を相手にするより致し方がない。――いゝかね東風君、二三歩出たが又引き返して、國を出るとき三圓二十錢で買つた赤毛布《あかげつと》を頭から被つてね、ふつとランプを消すと君|眞暗闇《まつくらやみ》になつて今度は草履の所在地《ありか》が判然しなくなつた」
 「一體どこへ行くんだい」
 「まあ聞いてたまひ。漸くの事草履を見つけて、表へ出ると星月夜に柿落葉、赤毛布《あかげつと》に?イオリン。右へ右へと爪先上りに庚申山《かうしんやま》へ差しかゝつてくると、東嶺寺《とうれいじ》の鐘がボーンと毛布《けつと》を通して、耳を通して、頭の中へ響き渡つた。何時《なんじ》だと思ふ、君」
 「知らないね」
 「九時だよ。是から秋の夜長をたつた一人、山道八丁を大平《おほだひら》と云ふところ迄登るのだが、平生なら臆病な僕の事だから、恐しくつて堪《たま》らない所だけれども、一心不亂となると不思議なもので、怖《こは》いにも怖くないにも、毛頭そんな念はてんで心の中に起らないよ。只?イオリンが彈きたい計《ばか》りで胸が一杯になつてるんだから妙なものさ。此|大平《おほだひら》と云ふところは庚申山《かうしんやま》の南側で天氣のいゝ日に登つて見ると赤松の間から城下が一目に見下《みおろ》せる眺望佳絶の平地で――さうさ廣さはまあ百坪もあらうかね、眞中に八疊敷程な一枚岩があつて、北側は鵜《う》の沼《ぬま》と云ふ池つゞきで、池のまはりは三抱へもあらうと云ふ樟《くすのき》ばかりだ。山のなかだから、人の住んでる所は樟腦《しやうなう》を採《と》る小屋が一軒ある許《ばか》り、池の近邊は晝でもあまり心持ちのいゝ場所ぢやない。幸ひ工兵が演習の爲め道を切り開いてくれたから、登るのに骨は折れない。漸く一枚岩の上へ來て、毛布《けつと》を敷いて、ともかくも其上へ坐つた。こんな寒い晩に登つたのは始めてなんだから、岩の上へ坐つて少し落ち着くと、あたりの淋《さみ》しさが次第々々に腹の底へ沁み渡る。かう云ふ場合に人の心を亂すものは只|怖《こは》いと云ふ感じ許《ばか》りだから、此感じさへ引き拔くと、餘る所は皎々冽々《かう/\れつ/\》たる空靈の氣|丈《だけ》になる。二十分程茫然として居るうちに何だか水晶で造つた御殿のなかに、たつた一人住んでる樣な氣になつた。しかも其一人住んでる僕のからだが――いやからだ許《ばか》りぢやない、心も魂も悉《こと/”\》く寒天か何かで製造された如く、不思議に透き徹つて仕舞つて、自分が水晶の御殿の中に居るのだか、自分の腹の中に水晶の御殿があるのだか、わからなくなつて來た……」
 「飛んだ事になつて來たね」と迷亭君が眞面目にからかふあとに付いて、獨仙君が「面白い境界《きやうがい》だ」と少しく感心した容子に見えた。
 「もし此?態が長くつゞいたら、私はあすの朝迄、切角の?イオリンも彈かずに、茫《ぼん》やり一枚岩の上に坐つてたかも知れないです……」
 「狐でも居る所かい」と東風君がきいた。
 「かう云ふ具合で、自他の區別もなくなつて、生きて居るか死んで居るか方角のつかない時に、突然|後《うし》ろの古沼の奧でギヤーと云ふ聲がした。……」
 「愈《いよ/\》出たね」
 「其聲が遠く反響を起して滿山の秋の梢を、野分《のわき》と共に渡つたと思つたら、はつと我に歸つた……」
 「やつと安心した」と迷亭君が胸を撫で卸す眞似をする。
 「大死一番乾坤新《たいしいちばんけんこんあらた》なり」と獨仙君は目くばせをする。寒月君には些《ちつ》とも通じない。
 「それから、我に歸つてあたりを見廻はすと、庚申山《かうしんやま》一面はしんとして、雨垂れ程の音もしない。はてな今の音は何だらうと考へた。人の聲にしては鋭すぎるし、鳥の聲にしては大き過ぎるし、猿の聲にしては――此邊によもや猿は居るまい。何だらう? 何だらうと云ふ問題が頭のなかに起ると、是を解釋し樣《やう》と云ふので今迄靜まり返つて居たやからが、紛然《ふんぜん》雜然《ざつぜん》糅然《じうぜん》として恰もコンノート殿下歡迎の當時に置ける都人士狂亂の態度を以て腦裏をかけ廻る。其うちに總身《そうしん》の毛穴が急にあいて、燒酎を吹きかけた毛脛の樣に、勇氣、膽力、分別、沈着|抔《など》と號する御客樣がすう/\と蒸發して行く。心臓が肋骨の下でステヽコを踊り出す。兩足が紙鳶《たこ》のうなりの樣に震動をはじめる。是は堪《たま》らん。いきなり、毛布《けつと》を頭からかぶつて、?イオリンを小脇に掻い込んでひよろ/\と一枚岩を飛び下りて、一目散に山道八丁を麓の方へかけ下りて、宿へ歸つて布團へくるまつて寐て仕舞つた。今考へてもあんな氣味のわるかつた事はないよ、東風君」
 「それから」
 「それでお仕舞さ」
 「?イオリンは彈かないのかい」
 「彈きたくつても、彈かれないぢやないか。ギヤーだもの。君だつて屹度《きつと》彈かれないよ」
 「何だか君の話は物足りない樣な氣がする」
 「氣がしても事實だよ。どうです先生」と寒月君は一座を見廻はして大得意の容子である。
 「ハヽヽヽ是は上出來。そこ迄持つて行くには大分《だいぶ》苦心慘憺たるものがあつたのだらう。僕は男子のサンドラ、ベロニが東方君子の邦《くに》に出現する所かと思つて、今が今迄眞面目に拜聽して居たんだよ」と云つた迷亭君は誰かサンドラ、ベロニの講釋でも聞くかと思の外、何にも質問が出ないので「サンドラ、ベロニが月下に竪琴を彈いて、以太利亞風《イタリアふう》の歌を森の中でうたつてる所は、君の庚申山へ?イオリンをかゝへて上《のぼ》る所と同曲にして異巧なるものだね。惜しい事に向ふは月中《げつちゆう》の嫦娥《じやうが》を驚ろかし、君は古沼《ふるぬま》の怪狸《くわいり》におどろかされたので、際どい所で滑稽と崇高の大差を來たした。嘸《さぞ》遺憾だらう」と一人で説明すると、
 「そんなに遺憾ではありません」と寒月君は存外平氣である。
 「全體山の上で?イオリンを彈かうなんて、ハイカラをやるから、おどかされるんだ」と今度は主人が酷評を加へると、
 「好漢《かうかん》この鬼窟裏《きくつり》に向つて生計を營む。惜しい事だ」と獨仙君は嘆息した。凡《すべ》て獨仙君の云ふ事は決して寒月君にわかつたためしがない。寒月君ばかりではない、おそらく誰にでもわからないだらう。
 「そりや、さうと寒月君、近頃でも矢張り學校へ行つて珠《たま》許《ばか》り磨いてるのかね」と迷亭先生はしばらくして話頭を轉じた。
「いえ、此間《こなひだ》中《うち》から國へ歸省して居たもんですから、暫時中止の姿です。珠ももうあきましたから、實はよさうかと思つてるんです」
 「だつて珠が磨けないと博士にはなれんぜ」と主人は少しく眉をひそめたが、本人は存外氣樂で、
 「博士ですか、エヘヽヽヽ。博士ならもうならなくつてもいゝんです」
 「でも結婚が延びて、双方困るだらう」
 「結婚つて誰の結婚です」
 「君のさ」
 「私が誰と結婚するんです」
 「金田の令孃さ」
 「へえゝ」
 「へえつて、あれ程約束があるぢやないか」
 「約束なんかありやしません、そんな事を言ひ觸らすなあ、向ふの勝手です」
 「こいつは少し亂暴だ。ねえ迷亭、君もあの一件は知つてるだらう」
 「あの一件た、鼻事件かい。あの事件なら、君と僕が知つてる許《ばか》りぢやない、公然の秘密として天下一般に知れ渡つてる。現に萬朝《まんてう》なぞでは花聟花嫁と云ふ表題で兩君の寫眞を紙上に掲ぐるの榮はいつだらう、いつだらうつて、うるさく僕の所へ聞きにくる位だ。東風君|抔《なぞ》は既に鴛鴦歌《ゑんあうか》と云ふ一大長篇を作つて、三箇月|前《ぜん》から待つてるんだが、寒月君が博士にならない許《ばか》りで、折角の傑作も寶の持ち腐れになりさうで心配でたまらないさうだ。ねえ、東風君さうだらう」
 「まだ心配する程持ちあつかつては居ませんが、とに角滿腹の同情をこめた作を公けにする積りです」
 「それ見たまへ、君が博士になるかならないかで、四方八方へ飛んだ影響が及んでくるよ。少ししつかりして、珠を磨いてくれ玉へ」
 「へヽヽヽ色々御心配をかけて濟みませんが、もう博士にはならないでもいゝのです」
 「なぜ」
 「なぜつて、私にはもう歴然《れつき》とした女房があるんです」
 「いや、こりやえらい。いつの間《ま》に秘密結婚をやつたのかね。油斷のならない世の中だ。苦沙彌さん只今御聞き及びの通り寒月君は既に妻子《さいし》があるんだとさ」
 「子供はまだですよ。さう結婚して一と月もたゝないうちに子供が生れちや事でさあ」
 「元來いつどこで結婚したんだ」と主人は豫審判事見た樣な質問をかける。
 「いつゝて、國へ歸つたら、ちやんと、うちで待つてたのです。今日先生の所へ持つて來た、此|鰹節《かつぶし》は結婚祝に親類から貰つたんです」
 「たつた三本祝ほのはけちだな」
 「なに澤山のうちを三本|丈《だけ》持つて來たのです」
 「ぢや御國の女だね、矢つ張り色が黒いんだね」
 「えゝ、眞黒です。丁度私には相當です」
 「それで金田の方はどうする氣だい」
 「どうする氣でもありません」
 「そりや少し義理がわるからう。ねえ迷亭」
 「わるくもないさ。ほかへ遣りや同じ事だ。どうせ夫婦なんてものは闇の中で鉢合せをする樣なものだ。要するに鉢合せをしないでも濟む所をわざ/\鉢合せるんだから餘計な事さ。既に餘計な事なら誰と誰の鉢が合つたつて構ひつこないよ。只氣の毒なのは鴛鴦歌《ゑんあうか》を作つた東風君位なものさ」
 「なに鴛鴦歌《ゑんあうか》は都合によつて、こちらへ向け易へてもよろしう御座います。金田家の結婚式には又別に作りますから」
 「さすが詩人|丈《だけ》あつて自由自在なものだね」
 「金田の方へ斷はつたかい」と主人はまだ金田を氣にして居る。
 「いゝえ。斷はる譯がありません。私の方で呉れとも、貰ひたいとも、先方へ申し込んだ事はありませんから、黙つて居れば澤山です。――なあに黙つてゝも澤山ですよ。今時分は探偵が十人も二十人もかゝつて一部始終殘らず知れて居ますよ」
 探偵と云ふ言語《ことば》を聞いた、主人は、急に苦《にが》い顔をして
 「ふん、そんなら黙つて居ろ」と申し渡したが、それでも飽き足らなかつたと見えて、猶《なほ》探偵に就て下《しも》の樣な事をさも大議論の樣に述べられた。
 「不用意の際に人の懷中を拔くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間《ま》に雨戸をはづして人の所有品を偸《ぬす》むのが泥棒で、知らぬ間《ま》に口を滑らして人の心を讀むのが探偵だ。ダンビラを疊の上へ刺して無理に人の金錢を着服するのが強盗で、おどし文句をいやに並べて人の意志を強ふるのが探偵だ。だから探偵と云ふ奴はスリ、泥棒、強盗の一族で到底人の風上《かざかみ》に置けるものではない。そんな奴の云ふ事を聞くと癖になる。決して負けるな」
 「なに大丈夫です、探偵の千人や二千人、風上に隊伍を整へて襲撃したつて怖《こは》くはありません。珠|磨《たます》りの名人理學士水島寒月でさあ」
 「ひや/\見上げたものだ。さすが新婚學士程あつて元氣旺盛なものだね。然し苦沙彌さん。探偵がスリ、泥棒、強盗の同類なら、其探偵を使ふ金田君の如きものは何の同類だらう」
 「熊坂長範《くまさかちやうはん》位なものだらう」
 「熊坂はよかつたね。一つと見えたる長範が二つになつてぞ失《う》せにけりと云ふが、あんな烏金《からすがね》で身代《しんだい》をつくつた向横丁《むかふよこちやう》の長範なんかは業《ごふ》つく張りの、慾張り屋だから、いくつになつても失せる氣遣はないぜ。あんな奴につかまつたら因果だよ。生涯たゝるよ、寒月君用心し給へ」
 「なあに、いゝですよ。あゝら物々し盗人《ぬすびと》よ。手並はさきにも知りつらん。それにも懲りず打ち入るかつて、ひどい目に合せてやりまさあ」と寒月君は自若として寶生流《はうしやうりう》に氣?を吐いて見せる。
 「探偵と云へば二十世紀の人間はたいてい探偵の樣になる傾向があるが、どう云ふ譯だらう」と獨仙君は獨仙君|丈《だけ》に時局問題には關係のない超然たる質問を呈出した。
 「物價が高いせゐでせう」と寒月君が答へる。
 「藝術趣味を解しないからでせう」と東風君が答へる。
 「人間に文明の角《つの》が生へて、金米糖《こんぺいとう》の樣にいら/\するからさ」と迷亭君が答へる。
 今度は主人の番である。主人は勿體振《もつたいぶ》つた口調で、こんな議論を始めた。
 「夫《それ》は僕が大分《だいぶ》考へた事だ。僕の解釋によると當世人の探偵的傾向は全く個人の自覺心の強過ぎるのが原因になつて居る。僕の自覺心と名づけるのは獨仙君の方で云ふ、見性成佛《けんしやうじやうぶつ》とか、自己は天地と同一體だとか云ふ悟道の類ではない。……」
 「おや大分《だいぶ》六づかしくなつて來た樣だ。苦沙彌君、君にしてそんな大議論を舌頭《ぜつとう》に弄《ろう》する以上は、かく申す迷亭も憚りながら御あとで現代の文明に對する不平を堂々と云ふよ」
 「勝手に云ふがいゝ、云ふ事もない癖に」
 「所がある。大《おほい》にある。君なぞは先達《せんだつ》ては刑事巡査を神の如く敬ひ、又今日は探偵をスリ泥棒に比し、丸《まる》で矛盾の變怪《へんげ》だが、僕などは終始一貫|父母未生以前《ふもみしやういぜん》から只今に至る迄、かつて自説を變じた事のない男だ」
 「刑事は刑事だ。探偵は探偵だ。先達《せんだつ》ては先達《せんだつ》てで今日は今日だ。自説が變らないのは發達しない證據だ。下愚《かぐ》は移らずと云ふのは君の事だ。……」
 「是はきびしい。探偵もさうまともにくると可愛《かはい》い所がある」
 「おれが探偵」
 「探偵でないから、正直でいゝと云ふのだよ。喧嘩はおやめ/\。さあ。其大議論のあとを拜聽しやう」
 「今の人の自覺心と云ふのは自己と他人の間に截然《せつぜん》たる利害の鴻溝《こうこう》があると云ふ事を知り過ぎて居ると云ふ事だ。さうして此自覺心なるものは文明が進むにしたがつて一日/\と鋭敏になつて行くから、仕舞には一擧手一投足も自然天然とは出來ない樣になる。ヘンレーと云ふ人がスチーヴンソンを評して彼は鏡のかゝつた部屋に入《はい》つて、鏡の前を通る毎《ごと》に自己の影を寫して見なければ氣が濟まぬ程瞬時も自己を忘るゝ事の出來ない人だと評したのは、よく今日《こんにち》の趨勢《すうせい》を言ひあらはして居る。寐てもおれ、覺めてもおれ、此おれが至る所につけまつはつて居るから、人間の行爲言動が人工的にコセつく許《ばか》り、自分で窮屈になる許《ばか》り、世の中が苦しくなる許《ばか》り、丁度見合をする若い男女の心持ちで朝から晩迄くらさなければならない。悠々とか從容《しようよう》とか云ふ字は劃があつて意味のない言葉になつてしまふ。此點に於て今代《きんだい》の人は探偵的である。泥棒的である。探偵は人の目を掠《かす》めて自分|丈《だけ》うまい事をしやうと云ふ商賣だから、勢《いきほひ》自覺心が強くならなくては出來ん。泥棒も捕《つか》まるか、見つかるかと云ふ心配が念頭を離れる事がないから、勢《いきほひ》自覺心が強くならざるを得ない。今の人はどうしたら己《おの》れの利になるか、損になるかと寐ても醒《さ》めても考へつゞけだから、勢《いきほひ》探偵泥棒と同じく自覺心が強くならざるを得ない。二六時中キヨト/\、コソ/\して墓に入《い》る迄一刻の安心も得ないのは今の人の心だ。文明の咒詛《じゆそ》だ。馬鹿々々しい」
 「成程面白い解釋だ」と獨仙君が云ひ出した。こんな問題になると獨仙君は中々|引込《ひつこ》んで居ない男である。「苦沙彌君の説明はよく我意《わがい》を得て居る。昔《むか》しの人は己れを忘れろとヘへたものだ。今の人は己れを忘れるなとヘへるから丸《まる》で違ふ。二六時中己れと云ふ意識を以て充滿して居る。それだから二六時中太平の時はない。いつでも焦熱地獄だ。天下に何が藥だと云つて己れを忘れるより藥な事はない。三更月下入無我《さんかうげつかむがにいる》とは此至境を咏《えい》じたものさ。今の人は親切をしても自然をかいて居る。英吉利《イギリス》のナイス抔《など》と自慢する行爲も存外自覺心が張り切れさうになつて居る。英國の天子が印度《インド》へ遊びに行つて、印度《インド》の王族と食卓を共にした時に、其王族が天子の前とも心づかずに、つい自國の我流を出して馬鈴薯《じやがいも》を手攫《てづか》みで皿へとつて、あとから眞赤《まつか》になつて愧《は》ぢじ入つたら、天子は知らん顔をして矢張り二本指で馬鈴薯《じやがいも》を皿へとつたさうだ……」
 「それが英吉利《イギリス》趣味ですか」是は寒月君の質問であつた。
 「僕はこんな話を聞いた」と主人が後《あと》をつける。「矢張り英國のある兵營で聯隊の士官が大勢して一人の下士官を御馳走した事がある。御馳走が濟んで手を洗ふ水を硝子鉢《ガラスばち》へ入れて出したら、此下士官は宴會になれんと見えて、硝子鉢《ガラスばち》を口へあてゝ中の水をぐうと飲んでしまつた。すると聯隊長が突然下士官の健康を祝すと云ひながら、矢張りフ※[ヒの小字]ンガー、ボールの水を一息に飲み干したさうだ。そこで並《な》み居る士官も我劣らじと水盃《みづさかづき》を擧げて下士官の健康を祝したと云ふぜ」
 「こんな噺《はなし》もあるよ」とだまつてる事の嫌《きらひ》な迷亭君が云つた。「カーライルが始めて女皇《ぢよくわう》に謁した時、宮廷の禮に嫻《なら》はぬ變物《へんぶつ》の事だから、先生突然どうですと云ひながら、どさりと椅子へ腰を卸した。所が女皇の後《うし》ろに立つて居た大勢の侍從や官女がみんなくす/\笑ひ出した――出したのではない、出さうとしたのさ、すると女皇が後ろを向いて、一寸何か相圖をしたら、多勢《おほぜい》の侍從官女がいつの間《ま》にかみんな椅子へ腰をかけて、カーライルは面目を失はなかつたと云ふんだが隨分御念の入つた親切もあつたもんだ」
 「カーライルの事なら、みんなが立つてゝも平氣だつたかも知れませんよ」と寒月君が短評を試みた。
 「親切の方の自覺心はまあいゝがね」と獨仙君は進行する。「自覺心がある丈《だけ》親切をするにも骨が折れる譯になる。氣の毒な事さ。文明が進むに從つて殺伐の氣がなくなる、個人と個人の交際がおだやかになる抔《など》と普通云ふが大間違ひさ。こんなに自覺心が強くつて、どうしておだやかになれるものか。成程一寸見ると極《ごく》しづかで無事な樣だが、御互の間は非常に苦しいのさ。丁度相撲が土俵の眞中で四《よ》つに組んで動かない樣なものだらう。傍《はた》から見ると平穩至極だが當人の腹は波を打つて居るぢやないか」
 「喧嘩も昔《むか》しの喧嘩は暴力で壓迫するのだから却つて罪はなかつたが、近頃ぢや中々巧妙になつてるから猶々《なほ/\》自覺心が揩オてくるんだね」と番が迷亭先生の頭の上に廻つて來る。「ベーコンの言葉に自然の力に從つて始めて自然に勝つとあるが、今の喧嘩は正にベーコンの格言通りに出來上つてるから不思議だ。丁度柔術の樣なものさ。敵の力を利用して敵を斃《たふ》す事を考へる……」
 「又は水力電氣の樣なものですね。水の力に逆らはないで却つて是を電力に變化して立派に役に立たせる……」と寒月君が言ひかけると、獨仙君がすぐ其あとを引き取つた。
 「だから貧時《ひんじ》には貧《ひん》に縛《ばく》せられ、富時《ふじ》には富《ふ》に縛せられ、憂時《いうじ》には憂《いう》に縛せられ、喜時《きじ》には喜《き》に縛せられるのさ。才人は才に斃れ、智者は智に敗れ、苦沙彌君の樣な癇癪持ちは癇癪を利用さへすればすぐに飛び出して敵のぺてんに罹《かゝ》る……」
 「ひや/\」と迷亭君が手をたゝくと、苦沙彌君はにや/\笑ひながら「是で中々さう甘《うま》くは行かないのだよ」と答へたら、みんな一度に笑ひ出した。
 「時に金田の樣なのは何で斃れるだらう」
 「女房は鼻で斃れ、主人は因業《いんごふ》で斃れ、子分は探偵で斃れか」
 「娘は?」
 「娘は――娘は見た事がないから何とも云へないが――先づ着倒れか、食ひ倒れ、若《もし》しくは呑んだくれの類だらう。よもや戀ひ倒れにはなるまい。ことによると卒塔婆小町《そとばこまち》の樣に行き倒れになるかも知れない」
 「それは少しひどい」と新體詩を捧げた丈《だけ》に東風君が異議を申し立てた。
 「だから應無所住而生其心《おうむしよぢじゆうにしやうごしん》と云ふのは大事な言葉だ、さう云ふ境界に至らんと人間は苦しくてならん」と獨仙君しきりに獨り悟つた樣な事を云ふ。
 「さう威張るもんぢやないよ。君などはことによると電光影裏《でんくわうえいり》にさか倒れをやるかも知れないぜ」
 「とにかく此勢で文明が進んで行つた日にや僕は生きてるのはいやだ」と主人がいゝ出した。
 「遠慮はいらないから死ぬさ」と迷亭が言下《ごんか》に道破《だうは》する。
 「死ぬのは猶いやだ」と主人がわからん強情を張る。
 「生れる時には誰も熟考して生れるものは有りませんが、死ぬ時には誰も苦にすると見えますね」と寒月君がよそ/\しい格言をのべる。
 「金を借りるときには何の氣なしに借りるが、返す時にはみんな心配するのと同じ事さ」とこんな時にすぐ返事の出來るのは迷亭君である。
 「借りた金を返す事を考へないものは幸福である如く、死ぬ事を苦にせんものは幸福さ」と獨仙君は超然として出世間的《しゆつせけんてき》である。
 「君の樣に云ふとつまり圖太いのが悟つたのだね」
 「さうさ、禪語に鐵牛面《てつぎうめん》の鐵牛心《てつぎうしん》、牛鐵面《ぎうてつめん》の牛鐵心《ぎうてつしん》と云ふのがある」
 「さうして君は其標本と云ふ譯かね」
 「さうでもない。然し死ぬのを苦にする樣になつたのは神經衰弱と云ふ病氣が發明されてから以後の事だよ」
 「成程君などはどこから見ても神經衰弱以前の民だよ」
 迷亭と獨仙が妙な掛合《かけあひ》をのべつにやつて居ると、主人は寒月東風二君を相手にして頻りに文明の不平を述べて居る。
 「どうして借りた金を返さずに濟ますかゞ問題である」
 「そんな問題はありませんよ。借りたものは返さなくちやなりませんよ」
 「まあさ。議論だから、だまつて聞くがいゝ。どうして借りた金を返さずに濟ますかゞ問題である如く、どうしたら死なずに濟むかゞ問題である。否問題であつた。錬金術《れんきんじゆつ》は是である。凡《すべ》ての錬金術は失敗した。人間はどうしても死なゝければならん事が分明《ぶんみやう》になつた」
 「錬金術以前から分明《ぶんみやう》ですよ」
 「まあさ、議論だから、だまつて聞いて居ろ。いゝかい。どうしても死なゝければならん事が分明《ぶんみやう》になつた時に第二の問題が起る」
 「へえ」
 「どうせ死ぬなら、どうして死んだらよからう。是が第二の問題である。自殺クラブは此第二の問題と共に起るべき運命を有して居る」
 「成程」
 「死ぬ事は苦しい、然し死ぬ事が出來なければ猶《なほ》苦しい。神經衰弱の國民には生きて居る事が死よりも甚だしき苦痛である。したがつて死を苦にする。死ぬのが厭《いや》だから苦にするのではない、どうして死ぬのが一番よからうと心配するのである。只大抵のものは智慧が足りないから自然の儘に放擲して置くうちに、世間がいぢめ殺して呉れる。然し一と癖あるものは世間からなし崩しにいぢめ殺されて滿足するものではない。必ずや死に方に付いて種々考究の結果、嶄新《ざんしん》な名案を呈出するに違ない。だからして世界|向後《かうご》の趨勢は自殺者が揄チして、其自殺者が皆獨創的な方法を以て此世を去るに違ない」
 「大分《だいぶ》物騷な事になりますね」
 「なるよ。慥《たし》かになるよ。アーサー、ジヨーンスと云ふ人のかいた脚本のなかにしきりに自殺を主張する哲學者があつて……」
 「自殺するんですか」
 「所が惜しい事にしないのだがね。然し今から千年も立てばみんな實行するに相違ないよ。萬年の後《のち》には死と云へば自殺より外に存在しないものゝ樣に考へられる樣になる」
 「大變な事になりますね」
 「なるよ屹度《きつと》なる。さうなると自殺も大分《だいぶ》研究が積んで立派な科學になつて、落雲館《らくうんくわん》の樣な中學校で倫理の代りに自殺學を正科として授ける樣になる」
 「妙ですな、傍聽に出たい位のものですね。迷亭先生御聞きになりましたか。苦沙彌先生の御名論を」
 「聞いたよ。其時分になると落雲館《らくうんくわん》の倫理の先生はかう云ふね。諸君公コ|抔《など》と云ふ野蠻の遺風を墨守《ぼくしゆ》してはなりません。世界の青年として諸君が第一に注意すべき義務は自殺である。しかして己《おの》れの好む所は之を人に施こして可なる譯だから、自殺を一歩展開して他殺にしてもよろしい。ことに表の窮措大《きゆうそだい》珍野苦沙彌氏の如きものは生きて御座るのが大分《だいぶ》苦痛の樣に見受けらるゝから、一刻も早く殺して進ぜるのが諸君の義務である。尤も昔と違つて今日は開明の時節であるから槍、薙刀もしくは飛道具の類を用ゐる樣な卑怯な振舞をしてはなりません。只あてこすりの高尚なる技術によつて、からかひ殺すのが本人の爲め功コ《くどく》にもなり、又諸君の名譽にもなるのであります。……」
 「成程面白い講義をしますね」
 「まだ面白い事があるよ。現代では警察が人民の生命財産を保護するのを第一の目的として居る。所が其時分になると巡査が犬殺しの樣な棍棒《こんぼう》を以て天下の公民を撲殺《ぼくさつ》してあるく。……」
 「なぜです」
 「なぜつて今の人間は生命《いのち》が大事だから警察で保護するんだが、其時分の國民は生きてるのが苦痛だから、巡査が慈悲の爲めに打《ぶ》ち殺して呉れるのさ。尤も少し氣の利いたものは大概自殺して仕舞ふから、巡査に打殺《ぶちころ》される樣な奴はよく/\の意氣地なしか、自殺の能力のない白痴もしくは不具者に限るのさ。夫《それ》で殺されたい人間は門口《かどぐち》へ張札をして置くのだね。なに只、殺されたい男ありとか女ありとか、はりつけて置けば巡査が都合のいゝ時に巡《まは》つてきて、すぐ志望通り取計つてくれるのさ。死骸かね。死骸は矢つ張り巡査が車を引いて拾つてあるくのさ。まだ面白い事が出來てくる。……」
 「どうも先生の冗談は際限がありませんね」と東風君は大《おほい》に感心して居る。すると獨仙君は例の通り山羊髯《やぎひげ》を氣にしながら、のそ/\辯じ出した。
 「冗談と云へば冗談だが、豫言と云へば豫言かも知れない。眞理に徹底しないものは、とかく眼前の現象世界に束縛せられて泡沫《はうまつ》の夢幻《むげん》を永久の事實と認定したがるものだから、少し飛び離れた事を云ふと、すぐ冗談にしてしまふ」
 「燕雀《えんぢやく》焉《いづく》んぞ大鵬《たいほう》の志《こゝろざし》を知らんやですね」と寒月君が恐れ入ると、獨仙君は左樣《さう》さと云はぬ許《ばか》りの顔付で話を進める。
 「昔《むか》しスペインにコルド?と云ふところがあつた……」
 「今でもありやしないか」
 「あるかも知れない。今昔の問題はとにかく、そこの風習として日暮れの鐘がお寺で鳴ると、家々の女が悉《こと/”\》く出て來て河へ這入つて水泳をやる……」
 「冬もやるんですか」
 「其邊はたしかに知らんが、とにかく貴賤老若《きせんらうにやく》の別なく河へ飛び込む。但し男子は一人も交らない。只遠くから見て居る。遠くから見て居ると暮色蒼然《ぼしよくさうぜん》たる波の上に、白い肌《はだへ》が模糊《もこ》として動いて居る……」
 「詩的ですね。新體詩になりますね。なんと云ふところですか」と東風君は裸體《らたい》が出さへすれば前へ乘り出してくる。
 「コルド?さ。そこで地方の若いものが、女と一所に泳ぐ事も出來ず、さればと云つて遠くから判然其姿を見る事も許されないのを殘念に思つて、一寸いたづらをした……」
 「へえ、どんな趣向だい」といづらと聞いた迷亭君は大《おほい》に嬉しがる。
 「お寺の鐘つき番に賄賂を使つて、日沒を合圖に撞く鐘を一時間前に鳴らした。すると女|抔《など》は淺墓《あさはか》なものだから、そら鐘が鳴つたと云ふので、めい/\河岸《かし》へあつまつて半襦袢《はんじゆばん》、半股引《はんもゝひき》の服裝でざぶり/\と水の中へ飛び込んだ。飛び込みはしたものゝ、いつもと違つて日が暮れない」
 「烈しい秋の日がかん/\しやしないか」
 「橋の上を見ると男が大勢立つて眺めて居る。耻づかしいがどうする事も出來ない。大《おほい》に赤面したさうだ」
 「それで」
 「それでさ、人間は只眼前の習慣に迷はされて、根本の原理を忘れるものだから氣をつけないと駄目だと云ふ事さ」
 「成程|難有《ありがた》い御説ヘだ。眼前の習慣に迷はされの御話しを僕も一つやらうか。此間ある雜誌をよんだら、かう云ふ詐欺師の小説があつた。僕がまあこゝで書畫骨董店を開くとする。で店頭に大家の幅や、名人の道具類を並べて置く。無論|贋物《にせもの》ぢやない、正直正銘《しやうぢきしやうめい》、うそいつはりのない上等品|許《ばか》り並べて置く。上等品だからみんな高價に極つてる。そこへ物數奇《ものずき》な御客さんが來て、此|元信《もとのぶ》の幅はいくらだねと聞く。六百圓なら六百圓と僕が云ふと、其客が欲しい事はほしいが、六百圓では手元に持ち合せがないから、殘念だがまあ見合せやう」
 「さう云ふと極つてるかい」と主人は相變らず芝居氣《しばゐぎ》のない事を云ふ。迷亭君はぬからぬ顔で、
 「まあさ、小説だよ。云ふとして置くんだ。そこで僕がなに代《だい》は構ひませんから、お氣に入つたら持つて入らつしやいと云ふ。客はさうも行かないからと躊躇する。それぢや月賦でいたゞきませう、月賦も細く、長く、どうせ是から御贔屓《ごひいき》になるんですから――いえ、ちつとも御遠慮には及びません。どうです月に十圓位ぢや。何なら月に五圓でも構ひませんと僕が極《ごく》きさく〔三字傍点〕に云ふんだ。夫《それ》から僕と客の間に二三の問答があつて、とゞ僕が狩野法眼元信《かのうほふげんもとのぶ》の幅を六百圓但し月賦十圓拂込の事で賣渡す」
 「タイムスの百科全書見た樣ですね」
 「タイムスは慥《たし》かだが、僕のは頗る不慥《ふたしか》だよ。是からが愈《いよ/\》巧妙なる詐僞《さぎ》に取りかゝるのだぜ。よく聞きたまへ月十圓|宛《づゝ》で六百圓なら何年で皆濟《かいさい》になると思ふ、寒月君」
 「無論五年でせう」
 「無論五年。で五年の歳月は長いと思ふか短かいと思ふか、獨仙君」
 「一念萬年《いちねんばんねん》、萬年一念《ばんねんいちねん》。短かくもあり、短かくもなしだ」
 「何だそりや道歌《だうか》か、常識のない道歌だね。そこで五年の間毎月十圓宛拂ふのだから、つまり先方では六十回拂へばいゝのだ。然しそこが習慣の恐ろしい所で、六十回も同じ事を毎月繰り返して居ると、六十一回にも矢張り十圓拂ふ氣になる。六十二回にも十圓拂う氣になる。六十二回六十三回、回を重ねるにしたがつてどうしても期日がくれば十圓拂はなくては氣が濟まない樣になる。人間は利口の樣だが、習慣に迷つて、根本を忘れると云ふ大弱點がある。其弱點に乘じて僕が何度でも十圓|宛《づゝ》毎月得をするのさ」
 「ハヽヽヽまさか、夫《それ》程《ほど》忘れつぽくもならないでせう」と寒月君が笑ふと、主人は聊《いさゝ》か眞面目で、
 「いやさう云ふ事は全くあるよ。僕は大學の貸費《たいひ》を毎月々々勘定せずに返して、仕舞に向《むかふ》から斷はられた事がある」と自分の耻を人間一般の耻の樣に公言した。
 「そら、さう云ふ人が現にこゝに居るから慥《たし》かなものだ。だから僕の先刻《さつき》述べた文明の未來記を聞いて冗談だ抔《など》と笑ふものは、六十回でいゝ月賦を生涯拂つて正當だと考へる連中だ。ことに寒月君や、東風君の樣な經驗の乏しい青年諸君は、よく僕らの云ふ事を聞いてだまされない樣にしなくつちやいけない」
 「かしこまりました。月賦は必ず六十回限りの事に致します」
 「いや冗談の樣だが、實際參考になる話ですよ、寒月君」と獨仙君は寒月君に向ひだした。「たとへばですね。今苦沙彌君か迷亭君が、君が無斷で結婚したのが穩當でないから、金田とか云ふ人に謝罪しろと忠告したら君どうです。謝罪する了見ですか」
 「謝罪は御容赦にあづかりたいですね。向ふがあやまるなら特別、私の方ではそんな慾はありません」
 「警察が君にあやまれと命じたらどうです」
 「猶々《なほ/\》御免蒙ります」
 「大臣とか華族ならどうです」
 「愈《いよ/\》もつて御免蒙ります」
 「それ見玉へ。昔と今とは人間が夫《それ》丈《だけ》變つてる。昔は御上《おかみ》の御威光なら〔二字傍点〕何でも出來た時代です。其次には御上《おかみ》の御威光でも〔二字傍点〕出來ないものが出來てくる時代です。今の世はいかに殿下でも閣下でも、ある程度以上に個人の人格の上にのしかゝる事が出來ない世の中です。はげしく云へば先方に權力があればある程、のしかゝられるものゝ方では不愉快を感じて反抗する世の中です。だから今の世は昔《むか》しと違つて、御上《おかみ》の御威光だから〔三字傍点〕出來ないのだと云ふ新現象のあらはれる時代です、昔《むか》しのものから考へると、殆んど考へられない位な事柄が道理で通る世の中です。世態人情の變遷と云ふものは實に不思議なもので、迷亭君の未來記も冗談だと云へば冗談に過ぎないのだが、其邊の消息を説明したものとすれば、中々|味《あじはひ》があるぢやないですか」
 「さう云ふ知己が出てくると是非未來記の續きが述べたくなるね。獨仙君の御説の如く今の世に御上《おかみ》の御威光を笠にきたり、竹槍の二三百本を恃《たのみ》にして無理を押し通さうとするのは、丁度カゴへ乘つて何でも蚊でも汽車と競爭しやうとあせる、時代後れの頑物《ぐわんぶつ》――まあわからずやの張本《ちやうほん》、烏金《からすがね》の長範先生《ちやうはんせんせい》位のものだから、黙つて御手際を拜見して居ればいゝが――僕の未來記はそんな當座間に合せの小問題ぢやない。人間全體の運命に關する社會的現象だからね。つら/\目下文明の傾向を達觀して、遠き將來の趨勢を卜すると結婚が不可能の事になる。驚ろくなかれ、結婚の不可能。譯はかうさ。前《ぜん》申す通り今の世は個性中心の世である。一家を主人が代表し、一郡を代官が代表し、一國を領主が代表した時分には、代表者以外の人間には人格は丸《まる》でなかつた。あつても認められなかつた。其れががらりと變ると、あらゆる生存者が悉《こと/”\》く個性を主張し出して、だれを見ても君は君、僕は僕だよと云はぬ許《ばか》りの風をする樣になる。ふたりの人が途中で逢へばうぬが人間なら、おれも人間だぞと心の中《うち》で喧嘩を買ひながら行き違ふ。それ丈《だけ》個人が強くなつた。個人が平等に強くなつたから、個人が平等に弱くなつた譯になる。人がおのれを害する事が出來にくゝなつた點に於て、慥《たし》かに自分は強くなつたのだが、滅多に人の身の上に手出しがならなくなつた點に於ては、明かに昔より弱くなつたんだらう。強くなるのは嬉しいが、弱くなるのは誰も難有《ありがた》くないから、人から一毫《いちがう》も犯《をか》されまいと、強い點をあく迄固守すると同時に、せめて半毛《はんまう》でも人を侵《をか》してやらうと、弱い所は無理にも擴げたくなる。かうなると人と人の間に空間がなくなつて、生きてるのが窮屈になる。出來る丈《だけ》自分を張りつめて、はち切れる許《ばか》りにふくれ返つて苦しがつて生存して居る。苦しいから色々の方法で個人と個人との間に餘裕を求める。かくの如く人間が自業自得で苦しんで、其苦し紛れに案出した第一の方案は親子別居の制さ。日本でも山の中へ這入つて見給へ。一家一門《いつけいちもん》悉《こと/”\》く一軒のうちにごろ/\して居る。主張すべき個性もなく、あつても主張しないから、あれで濟むのだが文明の民はたとひ親子の間でもお互に我儘を張れる丈《だけ》張らなければ損になるから勢《いきほ》ひ兩者の安全を保持する爲めには別居しなければならない。歐洲は文明が進んでゐるから日本より早く此制度が行はれて居る。たま/\親子同居するものがあつても、息子《むすこ》がおやぢから利息のつく金を借りたり、他人の樣に下宿料を拂つたりする。親が息子の個性を認めて之に尊敬を拂へばこそ、こんな美風が成立するのだ。此風は早晩日本へも是非輸入しなければならん。親類はとくに離れ、親子は今日《こんにち》に離れて、やつと我慢してゐる樣なものゝ個性の發展と、發展につれて此《これ》に對する尊敬の念は無制限にのびて行くから、まだ離れなくては樂が出來ない。然し親子兄弟の離れたる今日《こんにち》、もう離れるものはない譯だから、最後の方案として夫婦が分れる事になる。今の人の考では一所に居るから夫婦だと思つてる。夫《それ》が大きな了見違ひさ。一所に居る爲めには一所に居るに充分なる丈《だけ》個性が合はなければならないだらう。昔《むか》しなら文句はないさ、異體同心とか云つて、目には夫婦二人に見えるが、内實は一人前《いちにんまへ》なんだからね。夫《それ》だから偕老同穴《かいらうどうけつ》とか號して、死んでも一つ穴の狸に化ける。野蠻なものさ。今はさうは行かないやね。夫《をつと》は飽迄も夫《をつと》で妻はどうしたつて妻だからね。其妻が女學校で行燈袴《あんどんばかま》を穿《は》いて牢乎《らうこ》たる個性を鍛《きた》え上げて、束髪姿で乘り込んでくるんだから、とても夫《をつと》の思ふ通りになる譯がない。又|夫《をつと》の思ひ通りになる樣な妻なら妻ぢやない人形だからね。賢夫人になればなる程個性は凄い程發達する。發達すればする程|夫《をつと》と合はなくなる。合はなければ自然の勢《いきほひ》夫《をつと》と衝突する。だから賢妻と名がつく以上は朝から晩迄|夫《をつと》と衝突して居る。まことに結構な事だが、賢妻を迎へれば迎へる程双方共苦しみの程度が揩オてくる。水と油の樣に夫婦の間には截然《せつぜん》たるしきりがあつて、それも落ちついて、しきりが水平線を保つて居ればまだしもだが、水と油が双方から働らきかけるのだから家のなかは大地震の樣に上がつたり下がつたりする。是《こゝ》に於て夫婦雜居はお互の損だと云ふ事が次第に人間に分つてくる。……」
 「それで夫婦がわかれるんですか。心配だな」と寒月君が云つた。
 「わかれる。屹度《きつと》わかれる。天下の夫婦はみんな分れる。今迄は一所に居たのが夫婦であつたが、是からは同棲して居るものは夫婦の資格がない樣に世間から目《もく》されてくる」
 「すると私なぞは資格のない組へ編入される譯ですね」と寒月君は際《きは》どい所でのろけを云つた。
 「明治の御代に生れて幸さ。僕などは未來記を作る丈《だけ》あつて、頭腦が時勢より一二歩づゝ前へ出て居るからちやんと今から獨身で居るんだよ。人は失戀の結果だ抔《など》と騷ぐが、近眼者の視る所は實に憐れな程淺薄なものだ。それはとにかく、未來記の續きを話すとかうさ。其時一人の哲學者が天降《あまくだ》つて破天荒《はてんくわう》の眞理を唱道する。其説に曰くさ。人間は個性の動物である。個性を滅すれば人間を滅すると同結果に陷《おちい》る。苟《いやしく》も人間の意義を完《まつた》からしめん爲には、如何なる價《あたひ》を拂ふとも構はないから此個性を保持すると同時に發達せしめなければならん。かの陋習《ろうしふ》に縛せられて、いや/\ながら結婚を執行するのは人間自然の傾向に反した蠻風であつて、個性の發達せざる蒙昧《もうまい》の時代はいざ知らず、文明の今日《こんにち》猶《なほ》此|弊竇《へいとう》に陷《おちい》つて恬《てん》として顧《かへり》みないのは甚だしき謬見《びうけん》である。開化の高潮度に達せる今代《きんだい》に於て二個の個性が普通以上に親密の程度を以て連結され得べき理由のあるべき筈がない。此|覩易《みやす》き理由あるにも關らず無ヘ育の青年男女が一時の劣情に驅られて、漫《みだり》に合?《ごうきん》の式を擧ぐるは悖コ沒倫《はいとくぼつりん》の甚だしき所爲である。吾人は人道の爲め、文明の爲め、彼等青年男女の個性保護の爲め、全力を擧げ此蠻風に抵抗せざるべからず……」
 「先生私は其説には全然反對です」と東風君は此時思ひ切つた調子でぴたりと平手《ひらて》で膝頭を叩いた。「私の考では世の中に何が尊《たつと》いと云つて愛と美程|尊《たつと》いものはないと思ひます。吾々を慰藉し、吾々を完全にし、吾々を幸福にするのは全く兩者の御蔭であります。吾人の情操を優美にし、品性を高潔にし、同情を洗錬するのは全く兩者の御蔭であります。だから吾人はいつの世いづくに生れても此二つのものを忘れることが出來ないです。此二つの者が現實世界にあらはれると、愛は夫婦と云ふ關係になります。美は詩歌《しいか》、音樂の形式に分れます。夫《それ》だから苟《いやしく》も人類の地球の表面に存在する限りは夫婦と藝術は決して滅する事はなからうと思ひます」
 「なければ結構だが、今哲學者が云つた通りちやんと滅して仕舞ふから仕方がないと、あきらめるさ。なに藝術だ? 藝術だつて夫婦と同じ運命に歸着するのさ。個性の發展といふのは個性の自由と云ふ意味だらう。個性の自由と云ふ意味はおれはおれ、人は人と云ふ意味だらう。その藝術なんか存在出來る譯がないぢやないか。藝術が繁昌するのは藝術家と享受者の間に個性の一致があるからだらう。君がいくら新體詩家だつて踏張《ふんば》つても、君の詩を讀んで面白いと云ふものが一人もなくつちや、君の新體詩も御氣の毒だが君より外に讀み手はなくなる譯だらう。鴛鴦歌《ゑんあうか》をいく篇作つたつて始まらないやね。幸ひに明治の今日《こんにち》に生れたから、天下が擧《こぞ》つて愛讀するのだらうが……」
 「いえそれ程でもありません」
 「今でさへそれ程でなければ、人文《じんぶん》の發達した未來即ち例の一大哲學者が出て非結婚論《ひけつこんろん》を主張する時分には誰もよみ手はなくなるぜ。いや君のだから讀まないのぢやない。人々個々《にん/\こゝ》各《おの/\》特別の個性をもつてるから、人の作つた詩文|抔《など》は一向《いつかう》面白くないのさ。現に今でも英國|抔《など》では此傾向がちやんとあらはれて居る。現今英國の小説家中で尤も個性のいちゞるしい作品にあらはれた、メレヂスを見給へ、ジエームスを見給へ。讀み手は極めて少ないぢやないか。少ない譯さ。あんな作品はあんな個性のある人でなければ讀んで面白くないんだから仕方がない。此傾向が段々發達して婚姻が不道コになる時分には藝術も完く滅亡さ。さうだらう君のかいたものは僕にわからなくなる、僕のかいたものは君にわからなくなつた日にや、君と僕の間には藝術も糞もないぢやないか」
 「そりやさうですけれども私はどうも直覺的にさう思はれないんです」
 「君が直覺的にさう思はれなければ、僕は曲覺的《きよくかくてき》にさう思ふ迄さ」
 「曲覺的《きよくかくてき》かも知れないが」と今度は獨仙君が口を出す。「とにかく人間に個性の自由を許せば許す程御互の間が窮屈になるに相違ないよ。ニーチエが超人なんか擔ぎ出すのも全く此窮屈のやり所がなくなつて仕方なしにあんな哲學に變形したものだね。一寸見るとあれがあの男の理想の樣に見えるが、ありや理想ぢやない、不平さ。個性の發展した十九世紀にすくんで、隣りの人には心置なく滅多に寐返りも打てないから、大將少しやけになつてあんな亂暴をかき散らしたのだね。あれを讀むと壯快と云ふより寧ろ氣の毒になる。あの聲は勇猛精進《ゆうまうしやうじん》の聲ぢやない、どうしても怨恨痛憤《ゑんこんつうふん》の音《おん》だ。それも其筈さ昔は一人えらい人があれば天下|翕然《きふぜん》として其旗下にあつまるのだから、愉快なものさ。こんな愉快が事實に出てくれば何もニーチエ見た樣に筆と紙の力で是を書物の上にあらはす必要がない。だからホーマーでもチエ?、チエーズでも同じく超人的な性格を寫しても感じが丸《まる》で違ふからね。陽氣ださ。愉快にかいてある。愉快な事實があつて、此愉快な事實を紙に寫しかへたのだから、苦味《にがみ》はない筈だ。ニーチエの時代はさうは行かないよ。英雄なんか一人も出やしない。出たつて誰も英雄と立てやしない。昔は孔子《こうし》がたつた一人だつたから、孔子も幅を利かしたのだが、今は孔子が幾人も居る。ことによると天下が悉《こと/”\》く孔子かも知れない。だからおれは孔子だよと威張つても壓《おし》が利かない。利かないから不平だ。不平だから超人|抔《など》を書物の上|丈《だけ》で振り廻すのさ。吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困つて居る。夫《それ》だから西洋の文明|抔《など》は一寸いゝやうでもつまり駄目なものさ。之に反して東洋ぢや昔《むか》しから心の修行をした。その方が正しいのさ。見給へ個性發展の結果みんな神經衰弱を起して、始末がつかなくなつた時、王者《わうしや》の民《たみ》蕩々《たう/\》たりと云ふ句の價値を始めて發見するから。無爲《むゐ》にして化《くわ》すと云ふ語の馬鹿に出來ない事を悟るから。然し悟つたつて其時はもう仕樣がない。アルコール中毒に罹つて、あゝ酒を飲まなければよかつたと考へる樣なものさ」
 「先生方は大分《だいぶ》厭世的な御説の樣だが、私は妙ですね。色々伺つても何とも感じません。どう云ふものでせう」と寒月君が云ふ。
 「そりや妻君を持ち立てだからさ」と迷亭君がすぐ解釋した。すると主人が突然こんな事を云ひ出した。
 「妻《さい》を持つて、女はいゝものだ抔《など》と思ふと飛んだ間違になる。參考の爲めだから、おれが面白い物を讀んで聞かせる。よく聽くがいゝ」と最前《さいぜん》書齋から持つて來た古い本を取り上げて「此本は古い本だが、此時代から女のわるい事は歴然と分つてる」と云ふと、寒月君が
 「少し驚きましたな。元來いつ頃の本ですか」と聞く。「タマス、ナツシと云つて十六世紀の著書だ」
 「愈《いよ/\》驚ろいた。其時分既に私の妻《さい》の惡口を云つたものがあるんですか」
 「色々女の惡口があるが、其内には是非《ぜひ》君の妻《さい》も這入る譯だから聞くがいゝ」
 「えゝ聞きますよ。難有《ありがた》い事になりましたね」
 「先づ古來の賢哲が女性觀を紹介すべしと書いてある。いゝかね。聞いてるかね」
 「みんな聞いてるよ。獨身の僕迄聞いてるよ」
 「アリストートル曰く女はどうせ碌でなしなれば、嫁をとるなら、大きな嫁より小さな嫁をとるべし。大きな碌でなしより、小さな碌でなしの方が災《わざはひ》少なし……」
 「寒月君の妻君は大きいかい、小さいかい」
 「大きな碌でなしの部ですよ」
 「ハヽヽヽ、こりや面白い本だ。さああとを讀んだ」
 「或人問ふ、如何なるか是《これ》最大奇蹟《さいだいきせき》。賢者答へて曰く、貞婦……」
 「賢者つてだれですか」
 「名前は書いてない」
 「どうせ振られた賢者に相違ないね」
 「次にはダイオジニスが出て居る。或人問ふ、妻を娶《めと》る何《いづ》れの時に於てすべきか。ダイオジニス答へて曰く青年は未だし、老年は既に遲し。とある」
 「先生|樽《たる》の中で考へたね」
 「ピサゴラス曰く天下に三の恐るべきものあり曰く火、曰く水、曰く女」
 「希臘《ギリシヤ》の哲學者|抔《など》は存外迂濶な事を云ふものだね。僕に云はせると天下に恐るべきものなし。火に入《い》つて燒けず、水に入つて溺れず……」丈《だけ》で獨仙君一寸行き詰る。
 「女に逢つてとろけずだらう」と迷亭先生が援兵に出る。主人はさつさとあとを讀む。
 「ソクラチスは婦女子を御《ぎよ》するは人間の最大難事と云へり。デモスセニス曰く人若し其敵を苦しめんとせば、わが女を敵に與ふるより策の得たるはあらず。家庭の風波に日となく夜《よ》となく彼を困憊《こんぱい》起つ能はざるに至らしむるを得ればなりと。セネカは婦女と無學を以て世界に置ける二大厄とし、マーカス、オーレリアスは女子は制御し難き點に於て船舶に似たりと云ひ、プロータスは女子が綺羅《きら》を飾るの性癖を以て其|天稟《てんぴん》の醜を蔽ふの陋策《ろうさく》に本《もと》づくものとせり。?レリアス甞《かつ》て書を其友某におくつて告げて曰く天下に何事も女子の忍んでなし得ざるものあらず。願はくは皇天|憐《あはれみ》を垂れて、君をして彼等の術中に陷《おちい》らしむるなかれと。彼又曰く女子とは何ぞ。友愛の敵にあらずや。避くべからざる苦しみにあらずや、必然の害にあらずや、自然の誘惑にあらずや、蜜に似たる毒にあらずや。もし女子を棄つるが不コならば、彼等を棄てざるは一層の呵責《かしやく》と云はざる可からず。……」
 「もう澤山です、先生。其位愚妻のわる口を拜聽すれば申《まを》し分《ぶん》はありません」
 「まだ四五ページあるから、序《ついで》に聞いたらどうだ」
 「もう大抵にするがいゝ。もう奧方の御歸りの刻限だらう」と迷亭先生がからかひ掛けると、茶の間の方で
 「清や、清や」と細君が下女を呼ぶ聲がする。
 「こいつは大變だ。奧方はちやんと居るぜ、君」
 「ウフヽヽヽ」と主人は笑ひながら「構ふものか」と云つた。
 「奧さん、奧さん。いつの間《ま》に御歸りですか」
 茶の間ではしんとして答がない。
 「奧さん、今のを聞いたんですか。え?」
 答はまだない。
 「今のはね、御主人の御考ではないですよ。十六世紀のナツシ君の説ですから御安心なさい」
 「存じません」と妻君は遠くで簡單な返事をした。寒月君はくす/\と笑つた。
 「私も存じませんで失禮しましたアハヽヽヽ」と迷亭君は遠慮なく笑つてると、門口《かどぐち》をあら/\しくあけて、頼むとも、御免とも云はず、大きな足音がしたと思つたら、座敷の唐紙が亂暴にあいて、多々良三平《たゝらさんぺい》君の顔が其間からあらはれた。
 三平君今日はいつに似ず、眞白なシヤツに卸立《おろした》てのフロツクを着て、既に幾分か相場《さうば》を狂はせてる上へ、右の手へ重さうに下げた四本の麥酒《ビール》を繩ぐるみ、鰹節《かつぶし》の傍《そば》へ置くと同時に挨拶もせず、どつかと腰を下ろして、かつ膝を崩したのは目覺しい武者振《むしやぶり》である。
 「先生胃病は近來いゝですか。かうやつて、うちに許《ばか》り居なさるから、いかんたい」
 「まだ惡いとも何ともいやしない」
 「いはんばつてんが、顔色はよかなかごたる。先生顔色が黄《きい》ですばい。近頃は釣がいゝです。品川から舟を一艘雇ふて――私は此前の日曜に行きました」
 「何か釣れたかい」
 「何も釣れません」
 「釣れなくつても面白いのかい」
 「浩然《かうぜん》の氣を養ふたい、あなた。どうですあなたがた。釣に行つた事がありますか。面白いですよ釣は。大きな海の上を小舟で乘り廻はしてあるくのですからね」と誰彼の容赦なく話しかける。
 「僕は小さな海の上を大船で乘り廻してあるきたいんだ」と迷亭君が相手になる。
 「どうせ釣るなら、鯨か人魚でも釣らなくつちや、詰らないです」と寒月君が答へた。 「そんなものが釣れますか。文學者は常識がないですね。……」
 「僕は文學者ぢやありません」
 「さうですか、何ですかあなたは。私の樣なビジネス、マンになると常識が一番大切ですからね。先生私は近來よつぽど常識に富んで來ました。どうしてもあんな所に居ると、傍《はた》が傍《はた》だから、おのづから、さうなつて仕舞ふです」
 「どうなつて仕舞ふのだ」
 「煙草でもですね、朝日や、敷島をふかしていては幅が利かんです」と云ひながら、吸口に金箔のついた埃及煙草《エヂプトたばこ》を出して、すぱ/\吸ひ出した、
 「そんな贅澤をする金があるのかい」
 「金はなかばつてんが、今にどうかなるたい。此煙草を吸つてると、大變信用が違ひま す」
 「寒月君が珠を磨くよりも樂《らく》な信用でいゝ、手數《てすう》がかゝらない。輕便信用だね」と迷亭が寒月にいふと、寒月が何とも答へない間に、三平君は
 「あなたが寒月さんですか。博士にや、とう/\ならんですか。あなたが博士にならんものだから、私が貰ふ事にしました」
 「博士をですか」
 「いゝえ、金田家の令孃をです。實は御氣の毒と思ふたですたい。然し先方で是非貰ふてくれ/\と云ふから、とう/\貰ふ事に極めました、先生。然し寒月さんに義理がわるいと思つて心配して居ます」
 「どうか御遠慮なく」と寒月君が云ふと、主人は
 「貰ひたければ貰つたら、いゝだらう」と曖昧な返事をする。
 「そいつはおめでたい話だ。だからどんな娘を持つても心配するがものはないんだよ。だれか貰ふと、さつき僕が云つた通り、ちやんとこんな立派な紳士の御聟さんが出來たぢやないか。東風君新體詩の種が出來た。早速とりかゝり玉へ」と迷亭君が例の如く調子づくと三平君は
 「あなたが東風君ですか、結婚の時に何か作つてくれませんか。すぐ活版にして方々へくばります。太陽へも出してもらひます」
 「えゝ何か作りませう、何時頃《いつごろ》御入用ですか」
 「いつでもいゝです。今迄作つたうちでもいゝです。其代りです。披露のとき呼んで御馳走するです。シヤンパンを飲ませるです。君シヤンパンを飲んだ事がありますか。シヤンパンは旨いです。――先生|披露會《ひろうくわい》のときに樂隊を呼ぶ積《つもり》ですが、東風君の作を譜にして奏したらどうでせう」
 「勝手にするがいゝ」
 「先生、譜にして下さらんか」
 「馬鹿云へ」
 「だれか、此うちに音樂の出來るものは居らんですか」
 「落第の候補者寒月君は?イオリンの妙手だよ。しつかり頼んで見給へ。然しシヤンパン位ぢや承知しさうもない男だ」
 「シヤンパンもですね。一瓶《ひとびん》四圓や五圓のぢやよくないです。私の御馳走するのはそんな安いのぢやないですが、君一つ譜を作つてくれませんか」
 「えゝ作りますとも、一瓶二十錢のシヤンパンでも作ります。なんなら只でも作ります」
 「たゞは頼みません、御禮はするです。シヤンパンがいやなら、かう云ふ御禮はどうです」と云ひながら上着《うはぎ》の隱袋《かくし》のなかゝら七八枚の寫眞を出してばら/\と疊の上へ落す。半身がある。全身がある。立つてるのがある。坐つてるのがある。袴を穿《は》いてるがある。振袖がある。高島田がある。悉《こと/”\》く妙齡の女子|許《ばか》りである。
 「先生候補者が是《これ》丈《だけ》あるです。寒月君と東風君に此うちどれか御禮に周旋してもいゝです。こりやどうです」と一枚寒月君につき付ける。
 「いゝですね。是非周旋を願ひませう」
 「是でもいゝですか」と又一枚つきつける。
 「それもいゝですね。是非周旋して下さい」
 「どれをです」
 「どれでもいゝです」
 「君中々多情ですね。先生、是は博士の姪です」
 「さうか」
 「此方は性質が極《ごく》いゝです。年も若いです。是で十七です。――是なら持參金が千圓あります。――こつちのは知事の娘です」と一人で辯じ立てる。
 「それをみんな貰ふ譯にやいかないでせうか」
 「みんなですか、それは餘り慾張りたい。君|一夫多妻主義《いつぷたさいしゆぎ》ですか」
 「多妻主義ぢやないですが、肉食論者《にくしよくろんしや》です」
 「何でもいゝから、そんなものは早く仕舞つたら、よからう」と主人は叱り付ける樣に言ひ放つたので、三平君は
 「それぢや、どれも貰はんですね」と念を押しながら、寫眞を一枚々々にポツケツトへ収めた。
 「何だい其ビールは」
 「お見やげで御座ります。前祝《まへいはひ》に角《かど》の酒屋で買ふて來ました。一つ飲んで下さい」
 主人は手を拍《う》つて下女を呼んで栓《せん》を拔かせる。主人、迷亭、獨仙、寒月、東風の五君は恭《うや/\》しくコツプを捧げて、三平君の艶福を祝した。三平君は大《おほい》に愉快な樣子で
「こゝに居る諸君を披露會に招待しますが、みんな出てくれますか、出てくれるでせうね」と云ふ。
 「おれはいやだ」と主人はすぐ答へる。
 「なぜですか。私の一生に一度の大禮《たいれい》ですばい。出てくんなさらんか。少し不人情のごたるな」
 「不人情ぢやないが、おれは出ないよ」
 「着物がないですか。羽織と袴位どうでもしますたい。ちと人中《ひとなか》へも出るがよかたい先生。有名な人に紹介して上げます」
 「眞平《まつぴら》御免だ」
 「胃病が癒りますばい」
 「癒らんでも差支ない」
 「そげん頑固張りなさるなら已《やむ》を得ません。あなたはどうです來てくれますか」
 「僕かね、是非行くよ。出來るなら媒酌人たるの榮を得たい位のものだ。シヤンパンの三々九度や春の宵。――なに仲人《なかうど》は鈴木の藤《とう》さんだつて? 成程そこいらだらうと思つた。これは殘念だが仕方がない。仲人が二人出來ても多過ぎるだらう、只の人間として正《まさ》に出席するよ」
 「あなたはどうです」
 「僕ですか、一竿風月閑生計《いつかんのふうげつかんせいけい》、人釣白蘋紅蓼間《ひとはつりすはくひんこうれうのかん》」
 「何ですかそれは、唐詩選ですか」
 「何だかわからんです」
 「わからんですか、困りますな。寒月君は出てくれるでせうね。今迄の關係もあるから」
 「屹度《きつと》出る事にします、僕の作つた曲を樂隊が奏するのを、きゝ落すのは殘念ですからね」
 「さうですとも。君はどうです東風君」
 「さうですね。出て御兩人《ごりやうにん》の前で新體詩を朗讀したいです」
 「そりや愉快だ。先生私は生れてから、こんな愉快な事はないです。だからもう一杯ビールを飲みます」と自分で買つて來たビールを一人でぐい/\飲んで眞赤《まつか》になつた。
 短かい秋の日は漸く暮れて、卷煙草の死骸が算を亂す火鉢のなかを見れば火はとくの昔に消えて居る。さすが呑氣《のんき》の連中も少しく興が盡きたと見えて、「大分《だいぶ》遲くなつた。もう歸らうか」と先づ獨仙君が立ち上がる。つゞいて「僕も歸る」と口々に玄關に出る。寄席《よせ》がはねたあとの樣に座敷は淋しくなつた。
 主人は夕飯《ゆふはん》を濟まして書齋に入る。妻君は肌寒《はださむ》の襦袢の襟をかき合せて、洗《あら》ひ晒《ざら》しの不斷着を縫ふ。小供は枕を並べて寐る。下女は湯に行つた。
 呑氣《のんき》と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。悟つた樣でも獨仙君の足は矢張り地面の外《ほか》は踏まぬ。氣樂かも知れないが迷亭君の世の中は繪にかいた世の中ではない。寒月君は珠磨《たます》りをやめてとう/\お國から奧さんを連れて來た。是が順當だ。然し順當が永く續くと定めし退屈だらう。東風君も今十年したら、無暗に新體詩を捧げる事の非を悟るだらう。三平君に至つては水に住む人か、山に住む人かちと鑑定が六づかしい。生涯《しやうがい》三鞭酒《シヤンパン》を御馳走して得意と思ふ事が出來れば結構だ。鈴木の藤《とう》さんはどこ迄も轉がつて行く。轉がれば泥がつく。泥がついても轉がれぬものよりも幅が利く。猫と生れて人の世に住む事もはや二年越しになる。自分では是程の見識家は又とあるまいと思ふて居たが、先達《せんだつ》てカーテル、ムルと云ふ見ず知らずの同族が突然大氣?を揚げたので、一寸|吃驚《びつくり》した。よく/\聞いて見たら、實は百年|前《ぜん》に死んだのだが、不圖した好奇心からわざと幽靈になつて吾輩を驚かせる爲に、遠い冥土から出張したのださうだ。此猫は母と對面をするとき、挨拶のしるしとして、一匹の肴《さかな》を啣《くは》へて出掛けた所、途中でとう/\我慢がし切れなくなつて、自分で食つて仕舞つたと云ふ程の不孝ものだけあつて、才氣も中々人間に負けぬ程で、ある時|抔《など》は詩を作つて主人を驚かした事もあるさうだ。こんな豪傑が既に一世紀も前に出現して居るなら、吾輩の樣な碌でなしはとうに御暇《おいとま》を頂戴して無何有郷《むかうのきやう》に歸臥してもいゝ筈であつた。
 主人は早晩胃病で死ぬ。金田のぢいさんは慾でもう死んで居る。秋の木《こ》の葉は大概落ち盡した。死ぬのが萬物の定業《ぢやうごふ》で、生きてゐてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬ丈《だけ》が賢こいかも知れない。諸先生の説に從へば人間の運命は自殺に歸するさうだ。油斷をすると猫もそんな窮屈な世に生れなくてはならなくなる。恐るべき事だ。何だか氣がくさ/\して來た。三平君のビールでも飲んでちと景氣をつけてやらう。
 勝手へ廻る。秋風にがたつく戸が細目にあいてる間から吹き込んだと見えてランプはいつの間《ま》にか消えて居るが、月夜と思はれて窓から影がさす。コツプが盆の上に三つ並んで、其二つに茶色の水が半分程たまつて居る。硝子《ガラス》の中のものは湯でも冷たい氣がする。まして夜寒の月影に照らされて、靜かに火消壺とならんで居る此液體の事だから、唇をつけぬ先から既に寒くて飲みたくもない。然しものは試しだ。三平などはあれを飲んでから、眞赤《まつか》になつて、熱苦《あつくる》しい息遣ひした。猫だつて飲めば陽氣にならん事もあるまい。どうせいつ死ぬか知れぬ命だ。何でも命のあるうちにして置く事だ。死んでからあゝ殘念だと墓場の影から悔《く》やんでも追付《おつつ》かない。思ひ切つて飲んで見ろと、勢よく舌を入れてぴちや/\やつて見ると驚いた。何だか舌の先を針でさゝれた樣にぴりゝとした。人間は何の醉興でこんな腐つたものを飲むのかわからないが、猫にはとても飲み切れない。どうしても猫とビールは性が合はない。是は大變だと一度は出した舌を引込《ひつこ》めて見たが、又考へ直した。人間は口癖の樣に良藥口に苦《にが》しと言つて風邪《かぜ》抔《など》をひくと、顔をしかめて變なものを飲む。飲むから癒るのか、癒るのに飲むのか、今迄疑問であつたが丁度いゝ幸だ。此問題をビールで解決してやらう。飲んで腹の中迄にがくなつたら夫《それ》迄《まで》の事、もし三平の樣に前後を忘れる程愉快になれば空前の儲《もう》け者《もの》で、近所の猫へヘへてやつてもいゝ。まあどうなるか、運を天に任せて、やつゝけると決心して再び舌を出した。眼をあいて居ると飲みにくいから、しつかり眠つて、又ぴちや/\始めた。
 吾輩は我慢に我慢を重ねて、漸く一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起つた。始めは舌がぴり/\して、口中が外部から壓迫される樣に苦しかつたのが、飲むに從つて漸く樂《らく》になつて、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなつた。もう大丈夫と二杯目は難なく遣付《やつつ》けた。序《ついで》に盆の上にこぼれたのも拭ふが如く腹内《ふくない》に収めた。
 夫《それ》から暫くの間は自分で自分の動靜を伺ふ爲め、ぢつとすくんで居た。次第にからだが暖かになる。眼のふちがぽうつとする。耳がほてる。歌がうたひ度くなる。猫ぢや/\が踊り度くなる。主人も迷亭も獨仙も糞を食《くら》へと云ふ氣になる。金田のぢいさんを引掻いてやりたくなる。妻君の鼻を食ひ缺きたくなる。色々になる。最後にふら/\と立ちたくなる。起《た》つたらよた/\あるき度くなる。こいつは面白いとそとへ出たくなる。出ると御月樣今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。
 陶然とはこんな事を云ふのだらうと思ひながら、あてもなく、そこかしこと散歩する樣な、しない樣な心持でしまりのない足をいゝ加減に運ばせてゆくと、何だかしきりに眠い。寐てゐるのだか、あるいてるのだか判然しない。眼はあける積《つもり》だが重い|事夥《おびたゞ》しい。かうなれば夫《それ》迄《まで》だ。海だらうが、山だらうが驚ろかないんだと、前足をぐにやりと前へ出したと思ふ途端ぼちやんと音がして、はつと云ふうち、――やられた。どうやられたのか考へる間《ま》がない。只やられたなと氣がつくか、つかないのにあとは滅茶苦茶になつて仕舞つた。
 我に歸つたときは水の上に浮いてゐる。苦しいから爪でもつて矢鱈《やたら》に掻いたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐつて仕舞ふ。仕方がないから後足《あとあし》で飛び上つておいて、前足で掻いたら、がりゝと音がして纔《わづ》かに手應《てごたへ》があつた。漸く頭|丈《だけ》浮くからどこだらうと見廻はすと、吾輩は大きな甕《かめ》の中に落ちて居る。此|甕《かめ》は夏迄|水葵《みづあふひ》と稱する水草《みづくさ》が茂つて居たが其後烏の勘公が來て葵《あふひ》を食ひ盡した上に行水《ぎやうずゐ》を使ふ。行水を使へば水が減る。減れば來なくなる。近來は大分《だいぶ》減つて烏が見えないなと先刻《さつき》思つたが、吾輩自身が烏の代りにこんな所で行水を使はう抔《など》とは思ひも寄らなかつた。
 水から縁《ふち》迄は四寸|餘《よ》もある。足をのばしても屆かない。飛び上つても出られない。呑氣《のんき》にして居れば沈むばかりだ。もがけばがり/\と甕《かめ》に爪があたるのみで、あたつた時は、少し浮く氣味だが、すべれば忽ちぐうつともぐる。もぐれば苦しいから、すぐがりゞをやる。其うちからだが疲れてくる。氣は焦《あせ》るが、足は左程《さほど》利かなくなる。遂にはもぐる爲めに甕《かめ》を掻くのか、掻く爲めにもぐるのか、自分でも分りにくゝなつた。
 其時苦しいながら、かう考へた。こんな呵責《かしやく》に逢ふのはつまり甕《かめ》から上へあがりたい許《ばか》りの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切つてゐる。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水の面《おもて》にからだが浮いて、浮いた所から思ふ存分前足をのばしたつて五寸にあまる甕《かめ》の縁《ふち》に爪のかゝり樣がない。甕《かめ》のふちに爪のかゝり樣がなければいくらも掻《が》いても、あせつても、百年の間身を粉《こ》にしても出られつこない。出られないと分り切つてゐるものを出《で》樣《やう》とするのは無理だ。無理を通さうとするから苦しいのだ。つまらない。自《みづか》ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問《がうもん》に罹《かゝ》つてゐるのは馬鹿氣てゐる。
 「もうよさう。勝手にするがいゝ。がり/\はこれ限《ぎ》り御免蒙るよ」と、前足も、後足《あとあし》も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。
 次第に樂になつてくる。苦しいのだか難有《ありがた》いのだか見當がつかない。水の中に居るのだか、座敷の上に居るのだか、判然しない。どこにどうしてゐても差支はない。只|樂《らく》である。否|樂《らく》そのものすらも感じ得ない。日月《じつげつ》を切り落し、天地を粉韲《ふんせい》して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んで此太平を得る。太平は死なゝければ得られぬ。南無阿彌陀佛々々々々々々。難有《ありがた》い々々々。
〔2005年11月3日(木)午前10時3分、修正終わり。2016年7月11日(月)午前11時25分、再校正終了。〕
 
   倫敦塔
    ――明治三八、一、一〇――
 
 二年の留學中|只《たゞ》一度|倫敦塔《ロンドンたふ》を見物した事がある。其《その》後《ご》再び行かうと思つた日もあるが止《や》めにした。人から誘はれた事もあるが斷《ことわ》つた。一度で得た記憶を二|返目《へんめ》に打壞《ぶちこ》はすのは惜しい、三《み》たび目に拭《ぬぐ》ひ去るのは尤も殘念だ。「塔」の見物は一度に限ると思ふ。
 行つたのは着後|間《ま》もないうちの事である。其頃は方角もよく分らんし、地理|抔《など》は固《もと》より知らん。丸《まる》で御殿場《ごてんば》の兎が急に日本橋の眞中《まんなか》へ抛《はふ》り出された樣な心持ちであつた。表へ出れば人の波にさらはれるかと思ひ、家《うち》に歸れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑ひ、朝夕《あさゆふ》安き心はなかつた。此|響《ひゞ》き、此群集の中に二年住んで居たら吾が神經の繊維《せんゐ》も遂には鍋《なべ》の中の麩海苔《ふのり》の如くべと/\になるだらうとマクス、ノルダウの退化論を今更の如く大眞理と思ふ折さへあつた。
 しかも余《よ》は他の日本人の如く紹介?を持つて世話になりに行く宛《あて》もなく、又在留の舊知とては無論ない身の上であるから、恐々《こは/”\》ながら一枚の地圖を案内として毎日見物の爲め若《もし》くは用達《ようたし》の爲め出あるかねばならなかつた。無論汽車へは乘らない、馬車へも乘れない、滅多《めつた》な交通機關を利用|仕《し》樣《やう》とすると、どこへ連れて行かれるか分らない。此広い倫敦《ロンドン》を蜘蛛手《くもで》十字に徃來する汽車も馬車も電氣鐵道も鋼條鐵道も余《よ》には何等の便宜をも与へる事が出來なかつた。余《よ》は已《やむ》を得ないから四ツ角へ出るたびに地圖を披《ひら》いて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。地圖で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時は又|外《ほか》の人に尋ねる、何人でも合點《がてん》の行く人に出逢ふ迄は捕へては聞き呼び掛けては聞く。かくして漸くわが指定の地に至るのである。
 「塔」を見物したのは恰も此方法に依らねば外出の出來ぬ時代の事と思ふ。來《きた》るに來所《らいしよ》なく去るに去所《きよしよ》を知らずと云ふと禪語《ぜんご》めくが、余はどの路を通つて「塔」に着したか又如何なる町を横ぎつて吾|家《や》に歸つたか未《いま》だに判然しない。どう考へても思ひ出せぬ。只《たゞ》「塔」を見物した丈《だけ》は慥《たし》かである。「塔」其物の光景は今でもあり/\と眼に浮べる事が出來る。前はと問はれると困る、後《あと》はと尋ねられても返答し得ぬ。只《たゞ》前を忘れ後《あと》を失《しつ》したる中間が會釋《ゑしやく》もなく明るい。恰《あたか》も闇を裂《さ》く稻妻の眉に落つると見えて消えたる心地《こゝち》がする。倫敦塔《ロンドンたふ》は宿世《すくせ》の夢の燒點の樣だ。
 倫敦塔《ロンドンたふ》の歴史は英國の歴史を煎じ詰めたものである。過去と云ふ怪《あや》しき物を蔽《おほ》へる戸帳《とばり》が自《おの》づと裂けて龕中《がんちゆう》の幽光《いうくわう》を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。凡《すべ》てを葬る時の流れが逆《さか》しまに戻つて古代の一片が現代に漂《たゞよ》ひ來れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り殘されたるは倫敦塔である。
 此|倫敦塔《ロンドンたふ》を塔橋《たふけう》の上からテームス河を隔てゝ眼の前に望んだとき、余は今の人か將《は》た古《いにし》への人かと思ふ迄《まで》我を忘れて餘念もなく眺《なが》め入つた。冬の初めとはいひながら物靜かな日である。空は灰汁桶《あくをけ》を掻き交ぜた樣な色をして低く塔の上に垂れ懸つて居る。壁土を溶《とか》し込んだように見ゆるテームスの流れは波も立てず音もせず無理矢理《むりやり》に動いて居るかと思はるゝ。帆懸舟《ほかけぶね》が一|隻《せき》塔の下を行く。風なき河に帆をあやつるのだから不規則な三角形の白き翼がいつ迄も同じ所に停《とま》つて居る樣である。傳馬《てんま》の大きいのが二艘|上《のぼ》つて來る。只一人の船頭《せんどう》が艫《とも》に立つて艪《ろ》を漕《こ》ぐ、是も殆《ほと》んど動かない。塔橋の欄干のあたりには白き影がちら/\する、大方《おほかた》?《かもめ》であらう。見渡した處|凡《すべ》ての物が靜かである。物憂《ものう》げに見える、眠つて居る、皆過去の感じである。さうして其中に冷然と二十世紀を輕蔑する樣に立つて居るのが倫敦塔である。汽車も走れ、電車も走れ、苟《いやしく》も歴史の有らん限りは我のみは斯くてあるべしと云はぬ許《ばか》りに立つて居る。其偉大なるには今更の樣に驚かれた。此建築を俗に塔と稱《とな》へて居るが塔と云ふは單に名前のみで實は幾多《いくた》の櫓《やぐら》から成り立つ大きな地城《ぢしろ》である。並《なら》び聳《そび》ゆる櫓《やぐら》には丸きもの角張《かくば》りたるもの色々の形?はあるが、何《いづ》れも陰氣な灰色をして前世紀の紀念《きねん》を永劫《えいごふ》に傳へんと誓へる如く見える。九段《くだん》の遊就館《いうしうくわん》を石で造つて二三十|並《なら》べてそうしてそれを蟲眼鏡《むしめがね》で覗いたら或は此「塔」に似たものは出來上りはしまいかと考へた。余はまだ眺めて居る。セピヤ色の水分をもつて飽和《はうわ》したる空氣の中にぼんやり立つて眺めて居る。二十世紀の倫敦《ロンドン》がわが心の裏《うち》から次第に消え去ると同時に眼前の塔影が幻《まぼろし》の如き過去の歴史を吾が腦裏《なうり》に描《ゑが》き出して來る。朝起きて啜《すゝ》る澁茶に立つ烟《けむ》りの寐足らぬ夢の尾を曳く樣に感ぜらるゝ。暫《しばら》くすると向ふ岸から長い手を出して余を引張《ひつぱ》るかと怪しまれて來た。今迄|佇立《ちよりつ》して身動きもしなかつた余は急に川を渡つて塔に行きたくなつた。長い手は猶々強く余を引く。余は忽ち歩を移して塔橋を渡り懸けた。長い手はぐい/\牽《ひ》く。塔橋を渡つてからは一目散《いちもくさん》に塔門迄|馳《は》せ着けた。見る間《ま》に三萬坪に餘る過去の一大磁石《いちだいじしやく》は現世《げんせ》に浮游《ふいう》する此|小鐵屑《せうてつくづ》を吸収し了つた。門を入《はい》つて振り返つたとき、
  憂《うれひ》の國に行かんとするものは此門を潜《くゞ》れ。
  永劫《えいごふ》の呵責《かしやく》に遭《あ》はんとするものは此門をくゞれ。
  迷惑の人と伍《ご》せんとするものは此門をくゞれ。
  正義は高き主《しゆ》を動かし、神威《しんゐ》は、最上智《さいじやうち》は、最初愛《さいしよあい》は、われを作る。
  我が前に物《もの》なし只《たゞ》無窮あり我は無窮に忍ぶものなり。
  此門を過ぎんとするものは一切《いつさい》の望を捨てよ。
といふ句がどこぞで刻《きざ》んではないかと思つた。余は此時既に常態《じやうたい》を失《うしな》つて居る。
 空濠《からほり》にかけてある石橋を渡つて行くと向ふに一つの塔がある。是は丸形の石造《せきざう》で石油タンクの?をなして恰《あたか》も巨人の門柱の如く左右《さいう》に屹立《きつりつ》して居る。其中間を連ねて居る建物の下を潜《くゞ》つて向《むかふ》へ拔ける。中塔とは此事である。少し行くと左手に鐘塔《しゆたふ》が峙《そばだ》つ。眞鐵《まがね》の盾《たて》、黒鐵《くろがね》の甲《かぶと》が野を蔽《おほ》ふ秋の陽炎《かげろふ》の如く見えて敵遠くより寄すると知れば塔上の鐘を鳴らす。星黒き夜、壁上《へきじやう》を歩む哨兵《せうへい》の隙《すき》を見て、逃《のが》れ出づる囚人の、逆《さか》しまに落す松明《たいまつ》の影より闇に消ゆるときも塔上の鐘を鳴らす。心|傲《おご》れる市民の、君の政《まつりごと》非なりとて蟻の如く塔下に押し寄せて犇《ひし》めき騷ぐときも亦《また》塔上の鐘を鳴らす。塔上の鐘は事あれば必ず鳴らす。ある時は無二に鳴らし、ある時は無三に鳴らす。祖《そ》來《きた》る時は祖を殺しても鳴らし、佛《ぶつ》來《きた》る時は佛を殺しても鳴らした。霜の朝《あした》、雪の夕《ゆふべ》、雨の日、風の夜を何遍となく鳴らした鐘は今いづこへ行つたものやら、余が頭《かうべ》をあげて蔦《つた》に古《ふ》りたる櫓《やぐら》を見上げたときは寂然《せきぜん》として既に百年の響を収めて居る。
 又少し行くと右手に逆賊門《ぎやくぞくもん》がある。門の上には聖《セント》タマス塔が聳えて居る。逆賊門とは名前からが既に恐ろしい。古來から塔中に生きながら葬られたる幾千の罪人は皆舟から此門迄護送されたのである。彼らが舟を捨てゝ一度《ひとた》び此門を通過するや否《いな》や娑婆《しやば》の太陽は再《ふたゝ》び彼等を照らさなかつた。テームスは彼等にとつての三途《さんづ》の川で此門は冥府《よみ》に通ずる入口であつた。彼等は涙の浪に搖られて此|洞窟《どうくつ》の如く薄暗きアーチの下迄漕ぎ付けられる。口を開《あ》けて鰯《いわし》を吸ふ鯨《くぢら》の待ち構へて居る所迄來るや否やキーと軋《きし》る音と共に厚樫《あつがし》の扉は彼等と浮世の光りとを長《とこし》へに隔てる。彼等はかくして遂に宿命の鬼の餌食《ゑじき》となる。明日《あす》食はれるか明後日《あさつて》食はれるか或は又十年の後《のち》に食はれるか鬼より外に知るものはない。此門に横付《よこづけ》につく舟の中に坐して居る罪人の途中の心はどんなであつたろう。櫂《かい》がしわる時、雫《しづく》が舟縁《ふなべり》に滴たる時、漕ぐ人の手の動く時|毎《ごと》に吾が命を刻まるゝ樣に思つたであらう。白き髯を胸迄垂れて寛《ゆる》やかに黒の法衣《ほふえ》を纒《まと》へる人がよろめきながら舟から上る。是は大僧正クランマーである。青き頭巾《づきん》を眉深《まぶか》に被り空色の絹の下に鎖《くさ》り帷子《かたびら》をつけた立派な男はワイアツトであらう。是は會釋もなく舷《ふなべり》から飛び上《あが》る。はなやかな鳥の毛を帽に挿《さ》して黄金《こがね》作りの太刀の柄《え》に左の手を懸《か》け、銀の留め金にて飾れる靴の爪先を、輕《かろ》げに石段の上に移すのはローリーか。余は暗きアーチの下を覗いて、向ふ側には石段を洗ふ波の光の見えはせぬかと首を延ばした。水はない。逆賊門とテームス河とは堤防工事の竣功《しゆんこう》以來全く縁がなくなつた。幾多《いくた》の罪人を呑み、幾多の護送船を吐き出した逆賊門は昔《むか》しの名殘《なご》りに其裾を洗ふ笹波《さゝなみ》の音を聞く便《たよ》りを失つた。只《たゞ》向ふ側に存する血塔《けつたふ》の壁上に大《おほい》なる鐵環《てつくわん》が下《さ》がつて居るのみだ。昔《むか》しは舟の纜《ともづな》を此|環《くわん》に繋《つな》いだといふ。
 左《ひだ》りへ折れて血塔《けつたふ》の門に入る。今は昔《むか》し薔薇《しやうび》の亂《らん》に目に餘る多くの人を幽閉したのは此塔である。草の如く人を薙《な》ぎ、鷄《にはとり》の如く人を潰《つぶ》し、乾鮭《からさけ》の如く屍《しかばね》を積んだのは此塔である。血塔と名をつけたのも無理はない。アーチの下に交番の樣な箱があつて、其|側《かたは》らに甲形《かぶとがた》の帽子をつけた兵隊が銃を突いて立つて居る。頗《すこぶ》る眞面目《まじめ》な顔をして居るが、早く當番を濟まして、例の酒舗《しゆほ》で一杯傾けて、一件《いつけん》にからかつて遊び度いといふ人相である。塔の壁は不規則な石を疊み上げて厚く造つてあるから表面は決して滑《なめらか》ではない。所々に蔦《つた》がからんで居る。高い所に窓が見える。建物の大きい所爲《せゐ》か下から見ると甚《はなは》だ小《ちひさ》さい。鐵の格子がはまつて居る樣だ。番兵が石像の如く突立ちながら腹の中で情婦と巫山戯《ふざけ》て居る傍《かたは》らに、余は眉を攅《あつ》め手をかざして此高窓を見上げて佇《たゝ》ずむ。格子を洩れて古代の色硝子《いろガラス》に微《かす》かなる日影がさし込んできら/\と反射する。やがて烟の如き幕が開《あ》いて空想の舞臺があり/\と見える。窓の内側は厚き戸帳《とばり》が垂れて晝もほの暗い。窓に對する壁は漆喰《しつくひ》も塗らぬ丸裸《まるはだか》の石で隣りの室とは世界《せかい》滅却《めつきやく》の日に至るまで動かぬ仕切《しき》りが設けられて居る。只《たゞ》其|眞中《まんなか》の六疊|許《ばか》りの場所は冴えぬ色のタペストリで蔽《おほ》はれて居る。地《ぢ》は納戸色《なんどいろ》、模樣は薄き黄《き》で、裸體《らたい》の女神《めがみ》の像と、像の周圍に一面に染め拔いた唐草《からくさ》である。石壁《いしかべ》の横には、大きな寢臺《ねだい》が横《よこた》はる。厚樫《あつがし》の心《しん》も透《とほ》れと深く刻みつけたる葡萄と、葡萄の蔓と葡萄の葉が手足の觸るゝ場所|丈《だけ》光りを射返す。此|寢臺《ねだい》の端《はじ》に二人《ふたり》の小兒《せうに》が見えて來た。一人は十三四、一人は十歳《とを》位と思はれる。幼なき方は床《とこ》に腰をかけて、寢臺《ねだい》の柱に半《なか》ば身を倚《も》たせ、力なき兩足をぶらりと下げて居る。右の肱を、傾けたる顔と共に前に出して年嵩《としかさ》なる人の肩に懸ける。年上なるは幼なき人の膝の上に金《きん》にて飾れる大きな書物を開《ひろ》げて、其あけてある頁の上に右の手を置く。象牙《ざうげ》を揉《も》んで柔《やはら》かにしたる如く美しい手である。二人《ふたり》とも烏の翼を欺くほどの黒き上衣《うはぎ》を着て居るが色が極《きは》めて白いので一段と目立つ。髪の色、眼の色、偖《さて》は眉根《まゆね》鼻付《はなつき》から衣裝《いしやう》の末に至る迄|兩人《ふたり》共殆んど同じ樣に見えるのは兄弟だからであらう。
 兄が優しく清らかな聲で膝の上なる書物を讀む。
  「我が眼の前に、わが死ぬべき折の樣を想ひ見る人こそ幸《さち》あれ。日毎夜毎に死なんと願へ。やがては神の前に行くなる吾の何を恐るゝ……」
弟は世に憐れなる聲にて「アーメン」と云ふ。折から遠くより吹く木枯《こがら》しの高き塔を撼《ゆる》がして一度《ひとた》びは壁も落つる許《ばか》りにゴーと鳴る。弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔をすりつける。雪の如く白い蒲團の一部がほかと膨《ふく》れ返《かへ》る。兄は又讀み初める。
  「朝ならば夜の前に死ぬと思へ。夜ならば翌日《あす》ありと頼むな。覺悟をこそ尊《たふと》べ。見苦しき死に樣《ざま》ぞ耻の極みなる……」
弟又「アーメン」と云ふ。其聲は顫へて居る。兄は靜かに書をふせて、かの小さき窓の方《かた》へ歩みよりて外《と》の面《も》を見《み》樣《やう》とする。窓が高くて脊《せ》が足りぬ。床几《しやうぎ》を持つて來て其上につまだつ。百里をつゝむ黒霧《こくむ》の奧にぼんやりと冬の日が寫る。屠《ほふ》れる犬の生血《いきち》にて染め拔いた樣である。兄は「今日《けふ》も亦《また》斯うして暮れるのか」と弟を顧みる。弟は只「寒い」と答へる。「命さへ助けて呉るゝなら伯父樣に王の位を進ぜるものを」と兄が獨《ひと》り言《ごと》の樣につぶやく。弟は「母樣《はゝさま》に逢ひたい」とのみ云ふ。此時向ふに掛つて居るタペストリに織り出してある女神《めがみ》の裸體像が風もないのに二三度ふわり/\と動く。
 忽然《こつぜん》舞臺が廻る。見ると塔門の前に一人の女が黒い喪服を着て悄然《せうぜん》として立つて居る。面影《おもかげ》は青白く窶《やつ》れては居るが、どことなく品格のよい氣高《けだか》い婦人である。やがて錠《ぢやう》のきしる音がしてぎいと扉が開《あ》くと内から一人の男が出て來て恭《うや/\》しく婦人の前に禮をする。
 「逢ふ事を許されてか」と女が問ふ。
 「否《いな》」と氣の毒さうに男が答へる。「逢はせまつらんと思へど、公《おほや》けの掟《おきて》なれば是非なしと諦《あきら》め給へ。私《わたくし》の情《なさけ》賣るは安き間《ま》の事にてあれど」と急に口を緘《つぐ》みてあたりを見渡す。濠《ほり》の内からかいつぶり〔五字傍点〕がひよいと浮き上る。
 女は頸《うなじ》に懸けたる金《きん》の鎖《くさり》を解いて男に與へて「只《たゞ》束《つか》の間《ま》を垣間《かいま》見んとの願なり。女人《によにん》の頼み引き受けぬ君はつれなし」と云ふ。
 男は鎖《くさ》りを指の先に卷きつけて思案の體《てい》である。かいつぶり〔五字傍点〕はふいと沈む。やゝありていふ「牢守《らうも》りは牢の掟《おきて》を破りがたし。御子等《みこら》は變る事なく、すこやかに月日を過させ給ふ。心安く覺《おぼ》して歸り給へ」と金《きん》の鎖《くさ》りを押戻す。女は身動きもせぬ。鎖ばかりは敷石の上に落ちて鏘然《さうぜん》と鳴る。
 「如何にしても逢ふ事は叶《かな》はずや」と女が尋《たづ》ねる。
 「御氣の毒なれど」と牢守《らうもり》が云ひ放《はな》つ。
 「黒き塔の影、堅き塔の壁、寒き塔の人」と云ひながら女はさめ/”\と泣く。
 舞臺が又變る。
 丈《たけ》の高い黒裝束《くろしやうぞく》の影が一つ中庭の隅にあらはれる。苔寒き石壁の中《うち》からスーと拔け出た樣に思はれた。夜と霧との境に立つて朦朧《もうろう》とあたりを見廻す。暫くすると同じ黒裝束の影が又一つ陰の底から湧いて出る。櫓《やぐら》の角に高くかゝる星影を仰いで「日は暮れた」と脊《せ》の高いのが云ふ。「晝の世界に顔は出せぬ」と一人が答へる。「人殺しも多くしたが今日程|寐覺《ねざめ》の惡い事はまたとあるまい」と高き影が低い方を向く。「タペストリの裏《うら》で二人の話しを立ち聞きした時は、いつその事|止《や》めて歸らうかと思ふた」と低いのが正直に云ふ。「絞《し》める時、花の樣な唇《くちびる》がぴり/\と顫《ふる》ふた」「透《す》き通る樣な額《ひたひ》に紫色《むらさきいろ》の筋が出た」「あの唸《うな》つた聲がまだ耳に付いて居る」。黒い影が再び黒い夜の中《なか》に吸ひ込まれる時|櫓《やぐら》の上で時計の音ががあんと鳴る。
 空想は時計の音と共に破れる。石像の如く立つて居た番兵は銃を肩にしてコトリ/\と敷石の上を歩いて居る。あるき乍《なが》ら一件《いつけん》と手を組んで散歩する時を夢みて居る。
 血塔の下を拔けて向《むかふ》へ出ると奇麗な廣場がある。其|眞中《まんなか》が少し高い。其高い所に白塔がある。白塔は塔中の尤も古きもので昔《むか》しの天主である。竪《たて》二十間、横十八間、高さ十五間、壁の厚さ一丈五尺、四方に角樓《すみやぐら》が聳えて所々にはノーマン時代の銃眼《じゆうがん》さへ見える。千三百九十九年國民が三十三ケ條の非を擧げてリチヤード二世に讓位《じやうゐ》をせまつたのは此塔中である。僧侶、貴族、武士、法士の前に立つて彼が天下に向つて讓位を宣告したのは此塔中である。爾《その》時《とき》讓りを受けたるヘンリーは起《た》つて十字を額と胸に畫《くわく》して云ふ「父と子と聖靈の名によつて、我れヘンリーは此大英國の王冠と御代とを、わが正しき血、惠みある神、親愛なる友の援《たすけ》を藉《か》りて襲《つ》ぎ受く」と。偖《さて》先王の運命は何人《なんびと》も知る者がなかつた。其死骸がポント、フラクト城より移されて聖《セント》ポール寺に着した時、二萬の群集は彼《かれ》の屍《しかばね》を繞《めぐ》つて其|骨立《こつりつ》せる面影に驚かされた。或は云ふ、八人の刺客《せきかく》がリチヤードを取り卷いた時彼は一人の手より斧を奪ひて一人を斬り二人を倒した。去れどもエクストンが背後より下《くだ》せる一撃の爲めに遂に恨を呑んで死なれたと。或る者は天を仰いで云ふ「あらず/\。リチヤードは斷食《だんじき》をして自《みづか》らと、命の根をたゝれたのぢや」と。何《いづ》ずれにしても難有《ありがた》くない。帝王の歴史は悲慘の歴史である。
 階下の一室は昔《むか》しヲルター、ロリーが幽囚の際|萬國史《ばんこくし》の草《さう》を記《しる》した所だと云ひ傳へられて居る。彼がエリザ式の半ヅボンに絹の靴下を膝頭で結んだ右足を左《ひだ》りの上へ乘せて鵞《が》ペンの先《さき》を紙の上へ突いたまゝ首を少し傾けて考へて居る所を想像して見た。然し其部屋は見る事が出來なかつた。
 南側から入《はい》つて螺旋?《らせんじやう》の階段を上《のぼ》ると茲《こゝ》に有名な武器陳列場がある。時々手を入れるものと見えて皆ぴか/\光つて居る。日本に居つたとき歴史や小説で御目にかゝる丈《だけ》で一向《いつかう》要領を得なかつたものが一々明瞭になるのは甚だ嬉しい。然し嬉しいのは一時の事で今では丸《まる》で忘れて仕舞つたから矢張り同じ事だ。只《たゞ》猶《なほ》記憶に殘つて居るのが甲冑《かつちゆう》である。其|中《うち》でも實に立派だと思つたのは慥《たし》かヘンリー六世の着用したものと覺えて居る。全體が鋼鐵製で所々に象嵌《ざうがん》がある。尤も驚くのは其偉大な事である。かゝる甲冑《かつちゆう》を着けたものは少なくとも身の丈《たけ》七尺位の大男でなくてはならぬ。余が感服して此|甲冑《かつちゆう》を眺めて居るとコトリ/\と足音がして余の傍《そば》へ歩いて來るものがある。振り向いて見るとビーフ、イーターである。ビーフ、イーターと云ふと始終|牛《ぎう》でも食つて居る人の樣に思はれるがそんなものではない。彼は倫敦塔《ロンドンたふ》の番人である。絹帽《シルクハツト》を潰した樣な帽子を被《かぶ》つて美術學校の生徒の樣な服を纒《まと》ふて居る。太い袖の先を括《くゝ》つて腰のところを帶でしめて居る。服にも模樣がある。模樣は蝦夷人《えぞじん》の着る半纒《はんてん》について居る樣な頗る單純の直線を並《なら》べて角形《かくがた》に組み合はしたものに過ぎぬ。彼は時として槍《やり》をさへ携《たづさ》へる事がある。穗の短かい柄《え》の先《さき》に毛の下がつた三國志《さんごくし》にでも出さうな槍をもつ。其ビーフ、イーターの一人が余の後《うし》ろに止まつた。彼はあまり脊《せ》の高くない、肥《ふと》り肉《じゝ》の白髯《しらひげ》の多いビーフ、イーターであつた。「あなたは日本人では有りませんか」と微笑しながら尋ねる。余は現今の英國人と話をして居る氣がしない。彼が三四百年の昔から一寸顔を出したか又は余が急に三四百年の古《いにし》へを覗《のぞ》いた樣な感じがする。余は黙《もく》して輕《かろ》くうなづく。こちらへ來給へと云ふから尾《つ》いて行く。彼は指を以て日本製の古き具足《ぐそく》を指して、見たかと云はぬ許《ばか》りの眼付をする。余は又だまつてうなづく。是は蒙古《もうこ》よりチヤーレス二世に獻上《けんじやう》になつたものだとビーフ、イーターが説明をして呉れる。余は三たびうなづく。
 白塔を出てボーシヤン塔に行く。途中に分捕《ぶんどり》の大砲が並《なら》べてある。其前の所が少しばかり鐵柵《てつさく》で圍《かこ》ひ込んで、鎖の一部に札が下《さ》がつて居る。見ると仕置場《しおきば》の跡とある。二年も三年も長いのは十年も日の通《かよ》はぬ地下の暗室に押し込められたものが、ある日突然地上に引き出さるゝかと思ふと地下よりも猶《なほ》恐しき此場所へ只《たゞ》据えらるゝ爲めであつた。久しぶりに青天を見て、やれ嬉しやと思ふ間もなく、目がくらんで物の色さへ定かには眸中《ぼうちゆう》に寫らぬ先に、白き斧《をの》の刃《は》がひらりと三尺の空《くう》を切る。流れる血は生きて居るうちから既に冷めたかつたであらう。烏が一疋下りて居る。翼《つばさ》をすくめて黒い嘴《くちばし》をとがらせて人を見る。百年|碧血《へきけつ》の恨《うらみ》が凝《こ》つて化鳥《けてう》の姿となつて長く此|不吉《ふきつ》な地を守る樣な心地がする。吹く風に楡《にれ》の木がざわ/\と動く。見ると枝の上にも烏が居る。暫くすると又一羽飛んでくる。何處から來たか分らぬ。傍《そば》に七つ許《ばか》りの男の子を連れた若い女が立つて烏を眺めて居る。希臘風《ギリシヤふう》の鼻と、珠《たま》を溶《と》いた樣にうるはしい目と、眞白な頸筋を形づくる曲線のうねりとが少からず余の心を動かした。小供は女を見上げて「鴉《からす》が、鴉《からす》が」と珍らしさうに云ふ。それから「鴉《からす》が寒《さ》むさうだから、?麭《パン》をやりたい」とねだる。女は靜かに「あの鴉《からす》は何にもたべたがつて居やしません」と云ふ。小供は「なぜ」と聞く。女は長い睫《まつげ》の奧に漾《たゞよ》ふて居る樣な眼で鴉を見詰めながら「あの鴉は五羽居ます」といつたぎり小供の問には答へない。何か獨《ひと》りで考へて居るかと思はるゝ位|澄《すま》して居る。余は此女と此鴉の間に何か不思議の因縁でもありはせぬかと疑つた。彼は鴉の氣分をわが事の如くに云ひ、三羽しか見えぬ鴉を五羽居ると斷言する。あやしき女を見捨てゝ余は獨りボーシヤン塔に入《い》る。
 倫敦塔《ロンドンたふ》の歴史はボーシヤン塔の歴史であつて、ボーシヤン塔の歴史は悲酸《ひさん》の歴史である。十四世紀の後半にエドワード三世の建立《こんりふ》にかゝる此三層塔の一階室に入《い》るものは其|入《い》るの瞬間に於て、百代の遺恨《ゐこん》を結晶したる無數の紀念《きねん》を周圍の壁上に認むるであらう。凡《すべ》ての怨《うらみ》、凡《すべ》ての憤《いきどほり》、凡《すべ》ての憂《うれひ》と悲《かなし》みとは此《この》怨、此《この》憤、此《この》憂と悲の極端より生ずる慰藉《ゐしや》と共に九十一種の題辭となつて今に猶《なほ》觀る者の心を寒からしめて居る。冷やかなる鐵筆に無情の壁を彫つてわが不運と定業《ぢやうごふ》とを天地の間に刻み付けたる人は、過去といふ底なし穴に葬られて、空しき文字《もんじ》のみいつ迄も娑婆《しやば》の光りを見る。彼等は強ひて自《みづか》らを愚弄するにあらずやと怪しまれる。世に反語《はんご》といふがある。白といふて黒を意味し、小《せう》と唱《とな》へて大を思はしむ。凡《すべ》ての反語のうち自《みづか》ら知らずして後世に殘す反語ほど猛烈なるはまたと有るまい。墓碣《ぼけつ》と云ひ、紀念碑《きねんひ》といひ、賞牌《しやうはい》と云ひ、綬賞《じゆしやう》と云ひ此らが存在する限りは、空しき物質に、ありし世を偲《しの》ばしむるの具となるに過ぎない。われは去る、われを傳ふるものは殘ると思ふは、去るわれを傷《いた》ましむる媒介物《ばいかいぶつ》の殘る意にて、われ其者の殘る意にあらざるを忘れたる人の言葉と思ふ。未來の世|迄《まで》反語を傳へて泡沫《はうまつ》の身を嘲《あざけ》る人のなす事と思ふ。余は死ぬ時に辭世も作るまい。死んだ後《あと》は墓碑《ぼひ》も建てゝもらふまい。肉は燒き骨は粉《こ》にして西風の強く吹く日大空に向つて撒《ま》き散らしてもらはう抔《など》と入らざる取越苦勞をする。
 題辭の書體は固《もと》より一樣でない。あるものは閑《ひま》に任せて叮嚀《ていねい》な楷書《かいしよ》を用ゐ、あるものは心急ぎてか口惜《くや》し紛《まぎ》れかがり/\と壁を掻いて擲《なぐ》り書《が》きに彫り付けてある。又あるものは自家の紋章を刻み込んで其中に古雅《こが》な文字《もんじ》をとゞめ、或は盾の形を描《ゑが》いて其内部に讀み難き句を殘して居る。書體の異《こと》なる樣に言語も亦《また》決して一樣でない。英語は勿論の事、以太利語《イタリーご》も羅甸語《ラテンご》もある。左《ひだ》り側に「我が望は基督《キリスト》にあり」と刻されたのはパスリユといふ坊樣《ばうさま》の句だ。此パスリユは千五百三十七年に首を斬られた。其|傍《かたはら》に JOHAN DECKER と云ふ署名がある。デツカーとは何者だか分らない。階段を上《のぼ》つて行くと戸の入口に T. C. といふのがある。是も頭文字《かしらもじ》丈《だけ》で誰やら見當がつかぬ。其《それ》から少し離れて大變綿密なのがある。先づ右の端《はじ》に十字架を描《ゑが》いて心臓を飾りつけ、其《その》脇に骸骨《がいこつ》と紋章を彫り込んである。少し行くと盾の中に下《しも》の樣な句をかき入れたのが目につく。「運命は空しく我をして心なき風に訴へしむ。時も摧《くだ》けよ。わが星は悲かれ、われにつれなかれ」。次には「凡《すべ》ての人を尊《たふと》べ。衆生《しゆじやう》をいつくしめ。神を恐れよ。王を敬《うやま》へ」とある。
 斯んなものを書く人の心の中《うち》はどの樣であつたらうと想像して見る。凡《およ》そ世の中に何が苦しいと云つて所在のない程の苦しみはない。意識の内容に變化のない程の苦しみはない。使へる身體《からだ》は目に見えぬ繩で縛られて動きのとれぬ程の苦しみはない。生きるといふは活動して居るといふ事であるに、生きながら此《この》活動を抑へらるゝのは生といふ意味を奪はれたると同じ事で、その奪はれたを自覺する丈《だけ》が死よりも一層の苦痛である。此《この》壁の周圍をかく迄に塗抹《とまつ》した人々は皆|此《この》死よりも辛《つら》い苦痛を甞《な》めたのである。忍ばるゝ限り堪へらるゝ限りは此《この》苦痛と戰つた末、居ても起《た》つてもたまらなく爲《な》つた時、始めて釘の折《をれ》や鋭《する》どき爪を利用して無事の内に仕事を求め、太平の裏《うち》に不平を洩《も》らし、平地の上に波瀾を畫《ゑが》いたものであらう。彼等が題せる一字一畫は、號泣《がうきふ》、涕涙《ているゐ》、其他|凡《すべ》て自然の許す限りの排悶的《はいもんてき》手段を盡したる後《のち》猶飽く事を知らざる本能の要求に餘儀なくせられたる結果であらう。
 又想像して見る。生れて來た以上は、生きねばならぬ。敢《あへ》て死を怖るゝとは云はず、只生きねばならぬ。生きねばならぬと云ふは耶蘇《ヤソ》孔子以前の道で、又|耶蘇《ヤソ》孔子以後の道である。何の理窟も入らぬ、只《たゞ》生きたいから生きねばならぬのである。凡《すべ》ての人は生きねばならぬ。此《この》獄に繋《つな》がれたる人も亦|此《この》大道に從つて生きねばならなかつた。同時に彼等は死ぬべき運命を眼前に控へて居つた。如何にせば生き延びらるゝだらうかとは時々刻々彼等の胸裏《きようり》に起《おこ》る疑問であつた。一度《ひとた》び此|室《へや》に入《い》るものは必ず死ぬ。生きて天日を再び見たものは千人に一人《ひとり》しかない。彼等は遅かれ早かれ死なねばならぬ。去《さ》れど古今に亙《わた》る大眞理は彼等に誨《をし》へて生きよと云ふ、飽く迄も生きよと云ふ。彼等は已《やむ》を得ず彼等の爪を磨《と》いだ。尖《と》がれる爪の先を以て堅き壁の上に一と書いた。一をかける後《のち》も眞理は古《いにし》への如く生きよと囁く、飽く迄も生きよと囁く。彼等は剥がれたる爪の癒《い》ゆるを待つて再び二とかいた。斧《をの》の刃《は》に肉飛び骨|摧《くだ》ける明日《あす》を豫期した彼等は冷やかなる壁の上に只一となり二となり線となり字となつて生きんと願つた。壁の上に殘る横《よこ》縱《たて》の疵《きず》は生《せい》を欲する執着《しふぢやく》の魂魄《こんぱく》である。余が想像の糸を茲《こゝ》迄たぐつて來た時、室内の冷氣《れいき》が一度に脊《せ》の毛穴から身の内に吹き込む樣な感じがして覺えずぞつとした。さう思つて見ると何だか壁が濕《しめ》つぽい。指先で撫でゝ見るとぬらりと露にすべる。指先を見ると眞赤《まつか》だ。壁の隅からぽたり/\と露の珠《たま》が垂れる。床《ゆか》の上を見ると其《その》滴《したゝ》りの痕《あと》が鮮やかな紅《くれな》ゐの紋を不規則に連ねる。十六世紀の血がにじみ出したと思ふ。壁の奧の方から唸《うな》り聲さへ聞える。唸り聲が段々と近くなると其《それ》が夜《よる》を洩《も》るゝ凄い歌と變化する。こゝは地面の下に通ずる穴倉で其内には人が二人《ふたり》居る。鬼の國から吹き上げる風が石の壁の破《わ》れ目を通つて小《さゝ》やかなカンテラを煽《あふ》るから只《たゞ》さへ暗い室《へや》の天井も四隅《よすみ》も煤色《すゝいろ》の油煙《ゆえん》で渦卷《うづま》いて動いて居る樣に見える。幽《かす》かに聞えた歌の音は窖中《かうちゆう》に居る一人の聲に相違ない。歌の主《ぬし》は腕を高くまくつて、大きな斧を轆轤《ろくろ》の砥石《といし》にかけて一生懸命に磨《と》いで居る。其《その》傍《そば》には一|挺《ちやう》の斧《をの》が抛《な》げ出してあるが、風の具合で其白い刃《は》がぴかり/\と光る事がある。他の一人は腕組をした儘立つて砥《と》の轉《まは》るのを見て居る。髯の中から顔が出て居て其半面をカンテラが照らす。照らされた部分が泥だらけの人參《にんじん》の樣な色に見える。「かう毎日の樣に舟から送つて來ては、首斬り役も繁昌《はんじやう》だなう」と髯がいふ。「左樣《さう》さ、斧《をの》を磨《と》ぐ丈《だけ》でも骨が折れるは」と歌の主《ぬし》が答える。是は脊《せ》の低い眼の凹《くぼ》んだ煤色《すゝいろ》の男である。「昨日《きのふ》は美しいのをやつたなあ」と髯が惜しさうにいふ。「いや顔は美しいが頸《くび》の骨は馬鹿に堅い女だつた。御蔭で此通り刃《は》が一分|許《ばか》りかけた」とやけに轆轤《ろくろ》を轉《ころ》ばす、シユ/\/\と鳴る間《あひだ》から火花がピチ/\と出る。磨《と》ぎ手は聲を張り揚げて歌ひ出す。
  切れぬ筈《はず》だよ女の頸《くび》は戀の恨みで刃《は》が折れる。
シユ/\/\と鳴る音の外には聽えるものもない。カンテラの光りが風に煽《あふ》られて磨《と》ぎ手の右の頬を射る。煤《すゝ》の上に朱を流した樣だ。「あすは誰の番かな」と稍《やゝ》やありて髯が質問する。「あすは例の婆樣《ばあさま》の番さ」と平氣に答へる。
  生《は》へる白髪《しらが》を浮氣《うはき》が染める、骨を斬られりや血が染める。
と高調子《たかでうし》に歌ふ。シユ/\/\と轆轤《ろくろ》が回《ま》はる、ピチ/\と火花が出る。「アハヽヽもう善からう」と斧を振り翳《かざ》して灯影《ほかげ》に刃《は》を見る。「婆樣《ばあさま》ぎりか、外に誰も居ないか」と髯が又問をかける。「それから例のがやられる」「氣の毒な、もうやるか、可愛相《かはいさう》になう」といへば、「氣の毒ぢやが仕方がないは」と眞黒な天井を見て嘯《うそぶ》く。
 忽《たちま》ち窖《あな》も首斬りもカンテラも一度に消えて余はボーシヤン塔の眞中《まんなか》に茫然と佇《たゝず》んで居る。ふと氣が付いて見ると傍《そば》に先刻《さつき》鴉《からす》に?麭《パン》をやりたいと云つた男の子が立つて居る。例の怪しい女ももとの如くついて居る。男の子が壁を見て「あそこに犬がかいてある」と驚いた樣に云ふ。女は例の如く過去の權化《ごんげ》と云ふべき程の屹《きつ》とした口調《くてう》で「犬ではありません。左《ひだ》りが熊、右が獅子《しし》で是はダツドレー家《け》の紋章です」と答へる。實《じつ》の所余も犬か豚だと思つて居たのであるから、今|此《この》女の説明を聞いて益《ます/\》不思議な女だと思ふ。さう云へば今ダツドレーと云つたとき其言葉の内に何となく力が籠つて、恰《あたか》も己《おの》れの家名でも名乘《なの》つた如くに感ぜらるゝ。余は息を凝《こ》らして兩人《ふたり》を注視する。女は猶《なほ》説明をつゞける。「此紋章を刻《きざ》んだ人はジヨン、ダツドレーです」恰《あたか》もジヨンは自分の兄弟の如き語調である。「ジヨンには四人《よにん》の兄弟があつて、其《その》兄弟が、熊と獅子の周圍《まはり》に刻み付けられてある草花でちやんと分ります」見ると成程|四通《よとほ》りの花だか葉だかが油繪の枠《わく》の樣に熊と獅子を取り卷いて彫《ほ》つてある。「こゝにあるのは Acorns で是は Ambrose の事です。こちらにあるのが Rose で Robert を代表するのです。下の方に忍冬《にんどう》が描《か》いてありませう。忍冬《にんどう》は Honeysuckle だから Henry に當るのです。左《ひだ》りの上に塊《かたま》つて居るのが Geranium で是は G……」と云つたぎり黙つて居る。見ると珊瑚《さんご》の樣な唇《くちびる》が電氣でも懸けたかと思はれる迄にぶる/\と顫へて居る。蝮《まむし》が鼠に向つたときの舌の先の如くだ。しばらくすると女は此紋章の下に書き付けてある題辭を朗《ほが》らかに誦《じゆ》した。
  Yow that the beasts do wel behold and se,
  May deme with ease wherefore here made they be
  Withe borders wherein ……………………………………
  4 brothers' names who list to serche the grovnd.
女は此句を生れてから今日《けふ》迄《まで》毎日日課として暗誦《あんしよう》した樣に一種の口調をもつて誦《じゆ》し了つた。實を云ふと壁にある字は甚だ見惡《みにく》い。余の如きものは首を捻《ひね》つても一字も讀めさうにない。余は益《ます/\》此女を怪しく思ふ。
 氣味が惡くなつたから通り過ぎて先へ拔ける。銃眼《じゆうがん》のある角を出ると滅茶苦茶《めちやくちや》に書き綴られた、模樣だか文字だか分らない中に、正しき畫《くわく》で、小《ちさ》く「ジエーン」と書いてある。余は覺えず其前に立留まつた。英國の歴史を讀んだものでジエーン、グレーの名を知らぬ者はあるまい。又|其《その》薄命と無殘の最後に同情の涙を濺《そゝ》がぬ者はあるまい。ジエーンは義父《ぎふ》と所天《をつと》の野心の爲めに十八年の春秋《しゆんじう》を罪なくして惜氣《をしげ》もなく刑場に賣つた。蹂《ふ》み躙《にじ》られたる薔薇《ばら》の蕊《しべ》より消え難き香《か》の遠く立ちて、今に至る迄《まで》史を繙《ひもと》く者をゆかしがらせる。希臘語《ギリシヤご》を解しプレートーを讀んで一代の碩學《せきがく》アスカムをして舌を捲《ま》かしめたる逸事は、此《この》詩趣ある人物を想見《さうけん》するの好材料《かうざいれう》として何人《なんびと》の腦裏《なうり》にも保存せらるゝであらう。余はジエーンの名の前に立留つたぎり動かない。動かないと云ふよりむしろ動けない。空想の幕は既にあいて居る。
 始《はじめ》は兩方の眼が霞《かす》んで物が見えなくなる。やがて暗い中の一點にパツと火が點《てん》ぜられる。其火が次第《しだい》/\に大きくなつて内に人が動いて居る樣な心持ちがする。次にそれが漸々《だん/\》明るくなつて丁度|双眼鏡《さうがんきやう》の度を合せる樣に判然と眼に映じて來る。次に其|景色《けしき》が段々大きくなつて遠方から近づいて來る。氣がついて見ると眞中に若い女が坐つて居る、右の端《はじ》には男が立つて居る樣だ。兩方共どこかで見た樣だなと考へるうち、瞬《また》たく間《ま》にズツと近づいて余から五六間先で果《はた》と停《とま》る。男は前に穴倉の裏《うち》で歌をうたつて居た、眼の凹《くぼ》んだ煤色《すゝいろ》をした、脊《せ》の低い奴だ。磨《と》ぎすました斧《をの》を左手《ゆんで》に突いて腰に八寸程の短刀をぶら下げて身構へて立つて居る。余は覺えずギヨツとする。女は白き手巾《ハンケチ》で目隠しをして兩の手で首を載《の》せる臺を探《さが》す樣な風情《ふぜい》に見える。首を載せる臺は日本の薪割臺《まきわりだい》位の大きさで前に鐵の環《くわん》が着いて居る。臺の前部《ぜんぶ》に藁《わら》が散らしてあるのは流れる血を防ぐ要愼《えうじん》と見えた。背後《はいご》の壁にもたれて二三人の女が泣き崩れて居る、侍女《じぢよ》でゞもあらうか。白い毛裏を折り返した法衣《ほふえ》を裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を臺の方角へ導いてやる。女は雪の如く白い服を着けて、肩にあまる金色《こんじき》の髪を時々雲の樣に搖《ゆ》らす。ふと其顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、眉の形、細き面《おもて》、なよやかなる頸の邊《あた》りに至《いたる》迄《まで》、先刻《さつき》見た女其儘である。思はず馳《か》け寄らうとしたが足が縮《ちゞ》んで一歩も前へ出る事が出來ぬ。女は漸く首斬り臺を探《さぐ》り當てゝ兩の手をかける。唇がむづ/\と動く。最前《さいぜん》男の子にダツドレーの紋章を説明した時と寸分《すんぶん》違《たが》はぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫《をつと》ギルドフォード、ダツドレーは既に神の國に行つてか」と聞く。肩を搖《ゆ》り越した一握《ひとにぎ》りの髪が輕《かろ》くうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答へて「まだ眞《まこ》との道に入り玉ふ心はなきか」と問ふ。女|屹《きつ》として「まことゝは吾と吾|夫《をつと》の信ずる道をこそ言へ。御身達の道は迷ひの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言はずに居る。女は稍《やゝ》落ち付いた調子で「吾|夫《をつと》が先なら追付かう、後《あと》ならば誘《さそ》ふて行かう。正しき神の國に、正しき道を踏んで行かう」と云ひ終つて落つるが如く首を臺の上に投げかける。眼の凹《くぼ》んだ、煤色《すゝいろ》の、脊《せ》の低い首斬り役が重《おも》た氣《げ》に斧をエイと取り直す。余の洋袴《ずぼん》の膝に二三點の血が迸《ほとば》しると思つたら、凡《すべ》ての光景が忽然《こつぜん》と消え失《う》せた。
 あたりを見廻はすと男の子を連れた女はどこへ行つたか影さへ見えない。狐に化《ば》かされた樣な顔をして茫然と塔を出る。歸り道に又|鐘塔《しゆたふ》の下を通つたら高い窓からガイフォークスが稻妻《いなづま》の樣な顔を一寸出した。「今一時間早かつたら……。此三本のマツチが役に立たなかつたのは實に殘念である」と云ふ聲さへ聞えた。自分ながら少々氣が變だと思つてそこ/\に塔を出る。塔橋を渡つて後《うし》ろを顧みたら、北の國の例か此日もいつの間にやら雨となつて居た。糠粒《ぬかつぶ》を針の目からこぼす樣な細かいのが滿都の紅塵と煤煙を溶《と》かして濛々《もう/\》と天地を鎖《とざ》す裏《うち》に地獄の影の樣にぬつと見上げられたのは倫敦塔《ロンドンたふ》であつた。
 無我夢中に宿に着いて、主人に今日は塔を見物して來たと話したら、主人が鴉《からす》が五羽居たでせうと云ふ。おや此主人もあの女の親類かなと内心大に驚ろくと主人は笑ひながら「あれは奉納の鴉です。昔《むか》しからあすこに飼つて居るので、一羽でも數が不足すると、すぐあとをこしらへます、夫《それ》だからあの鴉はいつでも五羽に限つて居ます」と手もなく説明するので、余の空想の一半は倫敦塔《ロンドンたふ》を見た其日のうちに打《ぶ》ち壞《こ》はされて仕舞つた。余は又主人に壁の題辭の事を話すと、主人は無造作に「えゝあの落書《らくがき》ですか、詰らない事をしたもんで、折角奇麗な所を臺なしにして仕舞ひましたねえ、なに罪人《ざいにん》の落書だなんて當になつたもんぢやありません、贋《にせ》も大分《だいぶ》ありまさあね」と澄《す》ましたものである。余は最後に美しい婦人に逢つた事と其婦人が我々の知らない事や到底讀めない字句をすら/\讀んだ事|抔《など》を不思議さうに話し出すと、主人は大《おほい》に輕蔑した口調《くてう》で「そりや當り前でさあ、皆《み》んなあすこへ行く時にや案内記を讀んで出掛けるんでさあ、其位の事を知つてたつて何も驚くにやあたらないでせう、何|頗《すこぶ》る別嬪《べつぴん》だつて?――倫敦《ロンドン》にや大分《だいぶ》別嬪が居ますよ、少し氣をつけないと險呑《けんのん》ですぜ」と飛んだ所へ火の手が揚《あが》る。是で余の空想の後半が又|打《ぶ》ち壞《こ》はされた。主人は二十世紀の倫敦人《ロンドンじん》である。
 夫《それ》からは人と倫敦塔《ロンドンたふ》の話しをしない事に極めた。又再び見物に行かない事に極めた。
   此篇は事實らしく書き流してあるが、實の所|過半《くわはん》想像的の文字《もんじ》であるから、見る人は其心で讀まれん事を希望する、塔の歴史に關して時々戯曲的に面白さうな事柄を撰《えら》んで綴り込んで見たが、甘《うま》く行かんので所々不自然の痕迹《こんせき》が見えるのは已《やむ》を得ない。其|中《うち》エリザベス《エドワード四世の妃》が幽閉中の二王子に逢ひに來る場と、二王子を殺した刺客《せきかく》の述懷《じゆつくわい》の場は沙翁《さをう》の歴史劇リチヤード三世のうちにもある。沙翁はクラレンス公爵の塔中で殺さるゝ場を寫すには正筆《せいひつ》を用い、王子を絞殺する模樣をあらはすには仄筆《そくひつ》を使つて、刺客の語を藉《か》り裏面から其樣子を描出《べうしゆつ》して居る。甞《かつ》て此劇を讀んだとき、其所を大《おほい》に面白く感じた事があるから、今其趣向を其儘用いて見た。然し對話の内容周圍の光景等は無論余の空想から捏出《ねつしゆつ》したもので沙翁とは何等の關係もない。夫《それ》から斷頭吏《だんとうり》の歌をうたつて斧を磨《と》ぐ所に就いて一言《いちげん》して置くが、此趣向は全くエーンズウオースの「倫敦塔《ロンドンたふ》」と云ふ小説から來たもので、余は之に對して些少の創意をも要求する權利はない。エーンズウオースには斧の刃のこぼれたのをソルスベリ伯爵夫人を斬る時の出來事の樣に叙してある。余が此書を讀んだとき斷頭場に用うる斧の刃のこぼれたのを首斬り役が磨《と》いで居る景色|抔《など》は僅に一二頁に足らぬ所ではあるが非常に面白いと感じた。加之《のみならず》磨ぎながら亂暴な歌を平氣でうたつて居ると云ふ事が、同じく十五六分の所作ではあるが、全篇を活動せしむるに足《た》るほどの戯曲的出來事だと深く興味を覺えたので、今其趣向其儘を蹈襲したのである。但し歌の意味も文句も、二吏の對話も、暗窖《あんかう》の光景も一切趣向以外の事は余の空想から成つたものである。序《つい》でだからエーンズウオースが獄門役に歌はせた歌を紹介して置く。
  The axe was sharp, and heavy as lead,
  As it touched the neck, off went the head!
          Whir―whir―whir―whir!
  Queen Anne laid her white throat upon the block,
  Quietly waiting the fatal shock;
  The axe it severed it right in twain,
  And so quick―so true―that she felt no pain.
          Whir―whir―whir―whir!
  Salisbury's countess, she would not die
  As a proud dame should―decorously.
  Lifting my axe, I split her skull,
  And the edge since then has been notched and dull.
          Whir―whir―whir―whir!
  Queen Catherine Howard gave me a fee, ―
  A chain of gold―to die easily:
  And her costly present she did not rue,
  For I touched her head, and away it flew!
          Whir―whir―whir―whir!
   此全章を譯さうと思つたが到底思ふ樣に行かないし、且餘り長過ぎる恐れがあるから已《や》めにした。
   二王子幽閉の場と、ジエーン所刑の場に就ては有名なるドラロツシの繪畫が尠《すくな》からず余の想像を助けて居る事を一言《いちげん》して聊《いさゝ》か感謝の意を表する。
  舟より上《あが》る囚人のうちワイアツトとあるは有名なる詩人の子にてジエーンの爲め兵を擧げたる人、父子|同名《どうみやう》なる故|紛《まぎ》れ易いから記して置く。
   塔中四邊の風致景物を今少し精細に寫す方が讀者に塔其物を紹介して其地を踏ましむる思ひを自然に引き起させる上に於て必要な條件とは氣が付いて居るが、何分かゝる文を草する目的で遊覽した譯ではないし、且《かつ》年月が經過して居るから判然たる景色がどうしても眼の前にあらはれ惡《にく》い。從つて動《やゝ》ともすると主觀的の句が重複《ちようふく》して、ある時は讀者に不愉快な感じを與へはせぬかと思ふ所もあるが右の次第だから仕方がない。(三十七年十二月二十日)
2005.11.5(土)、午前11時38分、修正終る。2015.12.2(水、再校正)
 
   カーライル博物館
    ――明治三八、一、一五――
 
 公園の片隅に通り掛《がゝり》の人を相手に演説をして居る者がある。向ふから來た釜形の尖つた帽子を被《か》づいて古ぼけた外套を猫脊《ねこぜ》に着た爺さんがそこへ歩みを佇《とゞ》めて演説者を見る。演説者はぴたりと演説をやめてつか/\と此|村夫子《そんぷうし》のたゝずめる前に出て來る。二人の視線がひたと行き當る。演説者は濁りたる田舍調子《ゐなかでうし》にて御前はカーライルぢやないかと問ふ。如何にもわしはカーライルぢやと村夫子《そんぷうし》が答へる。チエルシーの哲人《セージ》と人が言囃《いひはや》すのは御前の事かと問ふ。成程世間ではわしの事をチエルシーの哲人《セージ》と云ふ樣ぢや。セージと云ふは鳥の名だに、人間のセージとは珍らしいなと演説者はから/\と笑ふ。村夫子《そんぷうし》は成程猫も杓子《しやくし》も同じ人間ぢやのに殊更《ことさら》に哲人《セージ》抔《など》と異名《いみやう》をつけるのは、あれは鳥ぢやと渾名《あだな》すると同じ樣なものだのう。人間は矢張り當り前の人間で善かりさうなものだのに。と答へて是もから/\と笑ふ。
 余は晩餐|前《まへ》に公園を散歩する度に川縁《かはべり》の椅子に腰を卸して向側を眺める。倫敦《ロンドン》に固有なる濃霧は殊に岸邊に多い。余が櫻の杖に頤《あご》を支《さゝ》へて眞正面を見て居ると、遙かに對岸の徃來を這ひ廻る霧の影は次第に濃くなつて五階|立《だて》の町續きの下から漸々《ぜん/\》此|搖曳《たなび》くものゝ裏《うち》に薄れ去つて來る。仕舞には遠き未來の世を眼前に引き出《いだ》したる樣に窈然《えうぜん》たる空の中《うち》に取《と》り留《とめ》のつかぬ鳶色《とびいろ》の影が殘る。其時此鳶色の奧にぽたり/\と鈍き光りが滴《したゝ》る樣に見え初める。三層四層五層|共《とも》に瓦斯《ガス》を點じたのである。余は櫻の杖をついて下宿の方へ歸る。歸る時必ずカーライルと演説使ひの話しを思ひだす。彼《か》の溟濛《めいもう》たる瓦斯の霧に混ずる所が徃時此|村夫子《そんぷうし》の住んで居つたチエルシーなのである。
 カーライルは居らぬ。演説者も死んだであらう。然しチエルシーは以前の如く存在して居る。否《いな》彼の多年住み古した家屋敷さへ今|猶《なほ》儼然と保存せられてある。千七百八年チエイン、ロウが出來てより以來幾多の主人を迎へ幾多の主人を送つたかは知らぬが兎に角|今日《こんにち》迄《まで》昔の儘で殘つて居る。カーライルの歿後は有志家の發起《ほつき》で彼の生前使用したる器物調度圖書典籍を蒐《あつ》めて之を各室に按排《あんばい》し好事《かうず》のものには何時《いつ》でも縱覽せしむる便宜さへ謀《はか》られた。
 文學者でチエルシーに縁故のあるものを擧げると昔《むか》しはトマス、モア、下《くだ》つてスモレツト、猶下つてカーライルと同時代にはリ、ハント抔《など》が尤も著名である。ハントの家はカーライルの直《ぢき》近傍で、現にカーライルが此|家《いへ》に引き移つた晩尋ねて來たといふ事がカーライルの記録に書いてある。又ハントがカーライルの細君にシエレーの塑像《そざう》を贈つたといふも知れて居る。此外にエリオツトの居つた家とロセツチの住んだ邸がすぐ傍《そば》の川端に向いた通りにある。然し是らは皆既に代《だい》がかはつて現に人が這入つて居るから見物は出來ぬ。只カーライルの舊廬《きうろ》のみは六ペンスを拂へば何人《なんびと》でも又|何時《なんどき》でも隨意に觀覽が出來る。
 チエイン、ローは河岸端《かしつぱた》の徃來を南に折れる小路でカーライルの家《いへ》は其右側の中頃に在る。番地は二十四番地だ。
 毎日の樣に川を隔てゝ霧の中にチエルシーを眺めた余はある朝遂に橋を渡つて其有名なる庵《いほ》りを叩いた。
 庵《いほ》りといふと物寂《ものさ》びた感じがある。少なくとも瀟洒《せうしや》とか風流とかいふ念と伴《ともな》ふ。然しカーライルの庵《いほり》はそんな脂《やに》つこい華奢なものではない。徃來から直《たゞ》ちに戸が敲《たゝ》ける程の道傍《みちばた》に建てられた四階|造《づくり》の眞四角な家である。
 出張つた所も引き込んだ所もないのべつに眞直に立つて居る。丸《まる》で大製造場の烟突の根本を切つてきて之に天井を張つて窓をつけた樣に見える。
 是が彼が北の田舍から始めて倫敦《ロンドン》へ出て來て探しに探し拔いて漸々《やう/\》の事で探し宛てた家である。彼は西を探し南を探しハンプステツドの北迄探して終《つひ》に恰好の家を探し出す事が出來ず、最後にチエイン、ローへ來て此家を見てもまだすぐに取極める程の勇氣はなかつたのである。四千萬の愚物《ぐぶつ》と天下を罵つた彼も住家《すみか》には閉口したと見えて、其|愚物《ぐぶつ》の中に當然勘定せらるべき妻君へ向けて委細を報知して其意向を確めた。細君の答に「御申越の借家《しやくや》は二軒共不都合もなき樣|被存《ぞんぜられ》候へば私|倫敦《ロンドン》へ上《のぼ》り候《そろ》迄《まで》双方共御明け置《おき》願《ねがひ》度《たく》若《も》し又それ迄に取極め候《そろ》必要相生じ候《そろ》節《せつ》は御一存にて如何《いかゞ》とも御取計らひ被下《くだされ》度《たく》候《そろ》」とあつた。カーライルは書物の上でこそ自分獨りわかつた樣な事をいふが、家を極めるには細君の助けに依らなくては駄目と覺悟をしたものと見えて、夫人の上京する迄手を束《つか》ねて待つて居た。四五日《しごんち》すると夫人が來る。そこで今度は二人して又東西南北を馳《か》け廻つた揚句の果《はて》矢張りチエイン、ローが善《い》いといふ事になつた。兩人《ふたり》がこゝに引き越したのは千八百三十四年の六月十日で、引越の途中に下女の持つて居たカナリヤが籠の中で囀《さへづ》つたといふ事|迄《まで》知れて居る。夫人が此|家《いへ》を撰んだのは大《おほい》に氣に入つたものか外に相當なのがなくて已《やむ》を得なんだのか、いづれにもせよ此烟突の如く四角な家は年に三百五十圓の家賃を以て此新世帶の夫婦を迎へたのである。カーライルは此クロムウエルの如きフレデリツク大王の如き又製造場の烟突の如き家の中でクロムウエルを著はしフレデリツク大王を著はしヂスレリーの周旋《しうせん》にかゝる年給を擯《しりぞ》けて四角四面に暮したのである。
 余は今此四角な家の石階の上に立つて鬼の面のノツカーをコツ/\と敲《たゝ》く。暫くすると内から五十恰好の肥つた婆さんが出て來て御這入りと云ふ。最初から見物人と思つて居るらしい。婆さんはやがて名簿の樣なものを出して御名前をと云ふ。余は倫敦《ロンドン》滯留中四たび此家に入り四たび此名簿に余が名を記録した覺えがある。此時は實に余の名の記入初《きにふはじめ》であつた。可成《なるべく》丁寧に書く積りであつたが例に因つて甚だ見苦しい字が出來上つた。前の方を繰りひろげて見ると日本人の姓名は一人もない。して見ると日本人でこゝへ來たのは余が始めてだなと下らぬ事が嬉しく感ぜられる。婆さんがこちらへと云ふから左手の戸をあけて町に向いた部屋に這入る。是は昔《むか》し客間であつたさうだ。色々なものが並《なら》べてある。壁に畫《ゑ》やら寫眞やらがある。大概はカーライル夫婦の肖像の樣だ。後《うし》ろの部屋にカーライルの意匠に成つたといふ書棚がある。夫《それ》に書物が澤山詰まつて居る。六づかしい本がある。下らぬ本がある。古びた本がある。讀めさうもない本がある。其外にカーライルの八十の誕生日の記念の爲めに鑄《い》たといふ銀牌《ぎんぱい》と銅牌《どうはい》がある。金牌《きんぱい》は一つもなかつた樣だ。凡《すべ》ての牌《はい》と名のつくものが無暗にかち/\して何時《いつ》迄も平氣に殘つて居るのを、もらうた者の烟の如き壽命と對照して考へると妙な感じがする。夫《それ》から二階へ上る。こゝに又大きな本棚があつて本が例の如くいつぱい詰まつて居る。矢張り讀めさうもない本、聞いた事のなささうな本、入りさうもない本が多い。勘定をしたら百三十五部あつた。此部屋も一時は客間になつて居つたさうだ。ビスマークがカーライルに送つた手紙と普露西《プロシア》の勲章がある。フレデリツク大王傳の御蔭と見える。細君の用ゐた寢臺《ねだい》がある。頗る不器用な飾り氣《け》のないものである。
 案内者はいづれの國でも同じものと見える。先《さ》つきから婆さんは室内の繪畫器具に就て一々説明を與へる。五十年間案内者を專門に修業したものでもあるまいが非常に熟練したものである。何年何月何日にどうしたかうしたと恰も口から出任《でまか》せに喋舌《しやべ》つて居る樣である。然も其|流暢《りうちやう》な辯舌に抑揚があり節奏《せつそう》がある。調子が面白いから其方ばかり聽いて居ると何を言つて居るのか分らなくなる。始めのうちは聞き返したり問い返したりして見たが仕舞には面倒になつたから御前は御前で勝手に口上を述べなさい、わしはわしで自由に見物するからといふ態度をとつた。婆さんは人が聞かうが聞くまいが口上|丈《だけ》は必ず述べますといふ風で別段|厭《あ》きた景色《けしき》もなく怠る樣子もなく何年何月何日をやつて居る。
 余は東側の窓から首を出して一寸近所を見渡した。眼の下に十坪程の庭がある。右も左も又向ふも石の高塀で仕切られて其形は矢張り四角である。四角はどこ迄も此家の附屬物かと思ふ。カーライルの顔は決して四角ではなかつた。彼は寧ろ懸崖の中途が陷落して草原の上に伏しかゝつた樣な容貌であつた。細君は上出來の辣韮《らつきよう》の樣に見受けらるゝ。今余の案内をして居る婆さんはあんぱんの如く丸《ま》るい。余が婆さんの顔を見て成程丸いなと思ふとき婆さんは又何年何月何日を誦《じゆ》し出した。余は再び窓から首を出した。
 カーライル云ふ。裏の窓より見渡せば見ゆるものは茂る葉の木株、碧《みど》りなる野原、及びその間に點綴《てんてつ》する勾配の急なる赤き屋根のみ。西風の吹く此頃の眺めはいと晴れやかに心地よし。
 余は茂る葉を見《み》樣《やう》と思ひ、青き野を眺め樣と思ふて實は裏の窓から首を出したのである。首は既に二返|許《ばか》り出したが青いものも何にも見えぬ。右に家が見える。左《ひだ》りに家が見える。向《むかふ》にも家が見える。其上には鉛色の空が一面に胃病やみの樣に不精無精《ふしやうぶしやう》に垂れかゝつて居るのみである。余は首を縮めて窓より中へ引き込めた。案内者はまだ何年何月何日の續きを朗らかに讀誦《どくじゆ》して居る。
 カーライル又云ふ倫敦《ロンドン》の方《かた》を見れば眼に入るものはヱストミンスター、アベーとセント、ポールズの高塔の頂きのみ。其他|幻《まぼろし》の如き殿宇は煤《すゝ》を含む雲の影の去るに任せて隱見す。
「倫敦《ロンドン》の方《かた》」とは既に時代後れの話である。今日《こんにち》チエルシーに來て倫敦の方《かた》を見るのは家《いへ》の中《うち》に坐つて家《いへ》の方《かた》を見ると同じ理窟で、自分の眼で自分の見當を眺めると云ふのと大した差違はない。然しカーライルは自《みづか》ら倫敦に住んで居るとは思はなかつたのである。彼は田舍に閑居して都の中央にある大伽藍《だいがらん》を遙《はる》かに眺めた積りであつた。余は三度《みた》び首を出した。そして彼の所謂《いはゆる》「倫敦《ロンドン》の方《かた》」へと視線を延ばした。然しヱストミンスターも見えぬ、セント、ポールズも見えぬ。數萬の家、數十萬の人、數百萬の物音は余と堂宇との間に立ちつゝある、漾《たゞよ》ひつゝある、動きつゝある。千八百三十四年のチエルシーと今日《こんにち》のチエルシーとは丸《まる》で別物である。余は又首を引き込めた。婆さんは黙然《もくねん》として余の背後に佇立《ちよりつ》して居る。
 三階に上《あが》る。部屋の隅を見ると冷やかにカーライルの寢臺《ねだい》が横《よこた》はつて居る。青き戸帳《とばり》が物靜かに垂れて空《むな》しき臥床《ふしど》の裡《うち》は寂然《せきぜん》として薄暗い。木は何の木か知らぬが細工は只無器用で素朴であるといふ外に何等の特色もない。其上に身を横《よこた》へた人の身の上も思ひ合はさるゝ。傍《かたは》らには彼が平生使用した風呂桶が九鼎《きうてい》の如く尊げに置かれてある。
 風呂桶とはいふものゝバケツの大きいものに過ぎぬ。彼が此大鍋の中で倫敦《ロンドン》の煤《すゝ》を洗ひい落したかと思ふと益《ます/\》其人となりが偲ばるゝ。不圖《ふと》首を上げると壁の上に彼が徃生した時に取つたといふ漆喰製《しつくひせい》の面型《マスク》がある。此顔だなと思ふ。此|炬燵櫓《こたつやぐら》位の高さの風呂に入《はい》つて此質素な寢臺《ねだい》の上に寢て四十年間|八釜敷《やかまし》い小言《こごと》を吐き續けに吐いた顔は是だなと思ふ。婆さんの淀《よど》みなき口上が電話口で横濱の人の挨拶を聞く樣に聞える。
 宜しければ上《あが》りませうと婆さんがいふ。余は既に倫敦《ロンドン》の塵と音を遙かの下界に殘して五重の塔の天邊《てつぺん》に獨坐する樣な氣分がして居るのに耳の元で「上《あが》りませう」といふ催促を受けたから、まだ上があるのかなと不思議に思つた。さあ上《あが》らうと同意する。上《あが》れば上《あが》るほど怪しい心持が起りさうであるから。
 四階へ來た時は縹渺《へうべう》として何事とも知らず嬉しかつた。嬉しいといふよりはどことなく妙であつた。こゝは屋根裏である。天井を見ると左右は低く中央が高く馬の鬣《たてがみ》の如き形《かた》ちをして其一番高い脊筋を通して硝子張りの明り取りが着いて居る。此アチツクに洩れて來る光線は皆頭の上から眞直に這入る。さうして其頭の上は硝子一枚を隔てゝ全世界に通ずる大空である。眼に遮《さへぎ》るものは微塵もない。カーライルは自分の經營で此|室《しつ》を作つた。作つて此《これ》を書齋とした。書齋としてこゝに立籠《たてこも》つた。立籠つて見て始めてわが計畫の非なる事を悟つた。夏は暑くて居りにくゝ、冬は寒くて居りにくい。案内者は朗讀的にこゝ迄述べて余を顧りみた。眞丸《まんまる》な顔の底に笑の影が見える。余は無言の儘うなづく。
 カーライルは何の爲に此天に近き一室の經營に苦心したか。彼は彼の文章の示す如く電光的の人であつた。彼の癇癖は彼の身邊を圍繞《ゐねう》して無遠慮に起《おこ》る音響を無心に聞き流して著作に耽《ふけ》るの餘裕を與へなかつたと見える。洋琴《ピアノ》の聲、犬の聲、鷄の聲、鸚鵡《あうむ》の聲、一切の聲は悉《こと/”\》く彼の鋭敏なる神經を刺激して懊惱《あうなう》已《や》む能はざらしめたる極《きよく》遂に彼をして天に最《もつと》も近く人に尤《もつと》も遠ざかれる住居を此四階の天井裏に求めしめたのである。
 彼のエイトキン夫人に與へたる書翰《しよかん》にいふ「此|夏中《なつぢゆう》は開け放ちたる窓より聞ゆる物音に惱まされ候《そろ》事《こと》一方《ひとかた》ならず色々修繕も試み候へども寸毫も利目《き/\め》無之《これなく》夫《それ》より篤《とく》と熟考の末家の眞上に二十尺四方の部屋を建築致す事に取極め申|候《そろ》是は壁を二重に致し光線は天井より取り風通しは一種の工夫をもつて差支なき樣致す仕掛に候へば出來上り候《そろ》上は假令《たとひ》天下の鷄共一時に鬨《とき》の聲《こゑ》を揚げ候《そろ》とも閉口仕らざる積《つもり》に御座|候《そろ》」
 斯《かく》の如く豫期せられたる書齋は二千圓の費用にて先《ま》づ/\思ひ通りに落成を告げて豫期通りの功果を奏したが之と同時に思ひ掛けなき障害が又も主人公の耳邊《じへん》に起つた。成程|洋琴《ピアノ》の音《ね》もやみ、犬の聲もやみ、鷄の聲、鸚鵡の聲も案の如く聞えなくなつたが下層に居るときは考だに及ばなかつた寺の鐘、汽車の笛|偖《さて》は何とも知れず遠きより來《きた》る下界の聲が呪《のろひ》の如く彼を追ひいかけて舊の如くに彼の神經を苦しめた。
 聲。英國に於てカーライルを苦しめたる聲は獨逸《ドイツ》に於てシヨペンハウアを苦しめたる聲である。シヨペンハウア云ふ。「カントは活力論を著《あらは》せり、余は反《かへ》つて活力を弔《とむら》ふ文を草せんとす。物を打つ音、物を敲《たゝ》く音、物の轉がる音は皆活力の濫用にして余は之が爲めに日々苦痛を受くればなり。音響を聞きて何らの感をも起さゞる多數の人|我《わが》説《せつ》をきかば笑ふべし。去れど世に理窟をも感ぜず思想をも感ぜず詩歌《しいか》をも感ぜず美術をも感ぜざるものあらば、そは正に此輩なる事を忘るゝ勿れ。彼等の頭腦の組織は麁_《そくわう》にして覺《さと》り鈍き事其源因たるは疑ふべからず」カーライルとシヨペンハウアとは實に十九世紀の好一對《かういつつゐ》である。余が此《かく》の如く回想しつゝあつた時に例の婆さんがどうです下りませうかと促《うな》がす。
 一層を下《くだ》る毎に下界に近づく樣な心持ちがする。冥想《めいさう》の皮が剥げる如く感ぜらるゝ。階段を降り切つて最下の欄干に倚つて通りを眺めた時には遂に依然たる一個の俗人となり了《をは》つて仕舞つた。案内者は平氣な顔をして厨《くりや》を御覽なさいといふ。厨《くりや》は徃來よりも下にある。今余が立ちつゝある所より又五六段の階を下らねばならぬ。是は今案内をして居る婆さんの住居《すまひ》になつて居る。隅に大きな竈《かまど》がある。婆さんは例の朗讀調を以て「千八百四十四年十月十二日有名なる詩人テニソンが初めてカーライルを訪問した時彼等兩人は此竈の前に對坐して互に烟草を燻《くゆ》らすのみにて二時間の間|一言《ひとこと》も交えなかつたのであります」といふ。天上に在つて音響を厭ひたる彼は地下に入つても沈黙を愛したるものか。
 最後に勝手口から庭に案内される。例の四角な平地を見廻して見ると木らしい木、草らしい草は少しも見えぬ。婆さんの話しによると昔は櫻もあつた、葡萄もあつた。胡桃《くるみ》もあつたさうだ。カーライルの細君はある年二十五錢|許《ばか》りの胡桃《くるみ》を得たさうだ。婆さん云ふ「庭の東南の隅を去る五尺餘の地下にはカーライルの愛犬ニロが葬むられて居ります。ニロは千八百六十年二月一日に死にました。墓標も當時は存して居りましたが惜しいかな其後取拂はれました」と中々|精《くは》しい。
 カーライルが麥藁帽を阿彌陀《あみだ》に被《かぶ》つて寢卷姿の儘|啣《くは》へ烟管《ぎせる》で逍遙したのは此庭園である。夏の最中《もなか》には蔭深き敷石の上にさゝやかなる天幕《テント》を張り其下に机をさへ出して餘念もなく述作に從事したのは此庭園である。星|明《あきら》かなる夜《よ》最後の一ぷくをのみ終りたる後、彼が空を仰いで「嗚呼《ああ》余が最後に汝を見るの時は瞬刻の後《のち》ならん。全能の神が造れる無邊大の劇場、眼に入《い》る無限、手に觸るゝ無限、是も亦我が眉目を掠《かす》めて去らん。而して余は遂にそを見るを得ざらん。わが力を致せるや虚ならず、知らんと欲するや切なり。而もわが知識は只|此《かく》の如く微《び》なり」と叫んだのも此庭園である。
 余は婆さんの勞に酬ゆる爲めに婆さんの掌《てのひら》の上に一片《いつぺん》の銀貨を載せた。難有《ありがた》うと云ふ聲さへも朗讀的であつた。一時間の後《のち》倫敦《ロンドン》の塵《ちり》と煤《すゝ》と車馬の音とテームス河とはカーライルの家を別世界の如く遠き方《かた》へと隔てた。
   2005.11.5(土)、午後2時10分、修正。2015.12.7(月)午前11時30分、再校。
 
   幻影の盾
――明治三八、四、一
 
   一心不亂と云ふ事を、目に見えぬ怪力をかり、縹緲《へうべう》たる背景の前に寫し出さうと考へて、此趣向を得た。是を日本の物語に書き下《おろ》さなかつたのは此趣向とわが國の風俗が調和すまいと思ふたからである。淺學にて古代騎士の?況に通ぜず、從つて叙事|妥當《だたう》を缺き、描景眞相を失する所が多からう、讀者の誨《をしへ》を待つ。
 
 遠き世の物語である。バロンと名乘るものゝ城を構へ濠《ほり》を環《めぐ》らして、人を屠《ほふ》り天に驕《おご》れる昔に歸れ。今代《きんだい》の話しではない。
 何時《いつ》の頃とも知らぬ。只アーサー大王の御代《みよ》とのみ言ひ傳へたる世に、ブレトンの一士人がブレトンの一女子に懸想《けさう》した事がある。其頃の戀はあだには出來ぬ。思ふ人の唇《くちびる》に燃ゆる情《なさ》けの息を吹く爲には、吾|肱《ひぢ》をも折らねばならぬ、吾|頸《くび》をも挫《くじ》かねばならぬ、時としては吾血潮さへ容赦もなく流さねばならなかつた。懸想《けさう》されたるブレトンの女は懸想《けさう》せるブレトンの男に向つて云ふ、君が戀、叶《かな》へんとならば、殘りなく圓卓の勇士〔五字右○〕を倒して、われを世に類《たぐ》ひなき美しき女と名乘り給へ、アーサーの養へる名高き鷹を獲て吾《わが》許《もと》に送り屆け給へと、男心得たりと腰に帶びたる長き劔《つるぎ》に盟《ちか》へば、天上天下《てんじやうてんか》に吾|志《こゝろざし》を妨ぐるものなく、遂に仙姫《せんき》の援《たすけ》を得て悉《こと/”\》く女の言ふ所を果《はた》す。鷹の足を纒《まと》へる細き金の鎖の端《はし》に結びつけたる羊皮紙《やうひし》を讀めば、三十一ケ條の愛に關する法章であつた。所謂《いはゆる》「愛《あい》の廳《ちやう》」の憲法《けんぱふ》とは是である。……盾《たて》の話しは此憲法の盛に行はれた時代に起つた事と思へ。
 行く路を扼《やく》すとは、其《その》上《かみ》騎士の間に行はれた習慣である。幅廣からぬ徃還に立ちて、通り掛りの武士に戰《たゝかひ》を挑《いど》む。二人の槍の穗先が撓《しわ》つて馬と馬の鼻頭《はなづら》が合ふとき、鞍壺《くらつぼ》にたまらず落ちたが最後無難に此|關《せき》を踰《こ》ゆる事は出來ぬ。鎧《よろひ》、甲《かぶと》、馬|諸共《もろとも》に召し上げらるゝ。路を扼《やく》する侍《さむらひ》は武士の名を藉《か》る山賊の樣なものである。期限は三十日、傍《かたへ》の木立《こだち》に吾旗を翻《ひるが》へし、喇叭《らつぱ》を吹いて人や來《きた》ると待つ。今日《けふ》も待ち明日《あす》も待ち明後日《あさつて》も待つ。五六三十日の期が滿つる迄は必ず待つ。時には我意中の美人と共に待つ事もある。通り掛りの上臈《じやうらふ》は吾を護る侍《さむらひ》の鎧の袖に隱れて關《せき》を拔ける。守護の侍《さむらひ》は必ず路を扼《やく》する武士と槍《やり》を交《まじ》へる。交《まじ》へねば自身は無論の事、二世《にせ》かけて誓へる女性《によしやう》をすら通す事は出來ぬ。千四百四十九年にバーガンデの私生子〔三字傍点〕と稱する豪《がう》のものがラ、ベル、ジヤルダンと云へる路を首尾よく三十日間守り終《おほ》せたるは今に人の口碑《こうひ》に存《そん》する逸話である。三十日の間私生子〔三字傍点〕と起居を共にせる美人は只「清き巡禮の子」といふ名に其本名を知る事が出來ぬのは遺憾である。……盾の話しは此時代の事と思へ。
 此盾は何時《いつ》の世のものとも知れぬ。パ?ースと云ふて三角を倒《さかし》まにして全身を蔽ふ位な大きさに作られたものとも違ふ。ギージといふ革紐にて肩から釣るす種類でもない。上部に鐵の格子を穿《あ》けて中央の孔から鐵砲を打つと云ふ仕懸《しかけ》の後世のものでは無論ない。いづれの時、何者が錬《きた》へた盾かは盾の主人なるヰリアムさへ知らぬ。ヰリアムは此盾を自己の室《へや》の壁に懸けて朝夕《てうせき》眺めて居る。人が聞くと不可思議な盾だと云ふ。靈《れい》の盾《たて》だと云ふ。此盾を持つて戰《たゝかひ》に臨むとき、過去、現在、未來に渉《わた》つて吾《わが》願《ねがひ》を叶へる事のある盾だと云ふ。名あるかと聞けば只|幻影《まぼろし》の盾《たて》と答へる。ヰリアムは其《その》他《た》を言はぬ。
 盾の形は望《もち》の夜《よ》の月の如く丸い。鋼《はがね》で饅頭形《まんぢゆうがた》の表を一面に張りつめてあるから、輝やける色さへも月に似て居る。縁《ふち》を繞《めぐ》りて小指の先程の鋲《びやう》が奇麗に五分程の間を置いて植ゑられてある。鋲《びやう》の色も亦《また》銀色である。鋲《びやう》の輪の内側は四寸|許《ばか》りの圓を畫《くわく》して匠人《しやうじん》の巧《たくみ》を盡したる唐草《からくさ》が彫《ほ》り付けてある。模樣があまり細《こま》か過ぎるので一寸見ると只不規則の漣?《れんい》が、肌に答へぬ程の微風に、數へ難き皺《しわ》を寄する如くである。花か蔦《つた》か或《ある》は葉か、所々が劇しく光線を反射して餘所《よそ》よりも際立《きはだ》ちて視線を襲ふのは昔《むか》し象嵌《ざうがん》のあつた名殘《なごり》でもあらう。猶《なほ》内側へ這入ると延板《のべいた》の平《たひ》らな地《ぢ》になる。そこは今も猶《なほ》鏡の如く輝やいて面《おもて》にあたるものは必ず寫す。ヰリアムの顔も寫る。ヰリアムの甲《かぶと》の挿毛《さしげ》のふわ/\と風に靡《なび》く樣《さま》も寫る。日に向けたら日に燃えて日の影をも寫さう。鳥を追へば、こだま〔三字傍点〕さへ交へずに十里を飛ぶ俊鶻《しゆんこつ》の影も寫さう。時には壁から卸《おろ》して磨くかとヰリアムに問へば否《いな》と云ふ。靈の盾は磨《みが》かねども光るとヰリアムは獨《ひと》り語《ごと》の樣に云ふ。
 盾の眞中《まんなか》が五寸|許《ばか》りの圓を描《ゑが》いて浮き上る。是には怖ろしき夜叉《やしや》の顔が隙間もなく鑄出《いいだ》されて居る。其顔は長《とこ》しへに天と地と中間にある人とを呪《のろ》ふ。右から盾を見るときは右に向つて呪ひ、左から盾を覗《のぞ》くときは左に向つて呪ひ、正面から盾に對《むか》ふ敵には固《もと》より正面を見て呪ふ。ある時は盾の裏にかくるゝ持主をさへ呪ひはせぬかと思はるゝ程|怖《おそろ》しい。頭《かしら》の毛は春夏秋冬《しゆんかしうとう》の風に一度に吹かれた樣に殘りなく逆立《さかだ》つて居る。しかも其一本/\の末は丸く平たい蛇の頭となつて其裂け目から消えんとしては燃ゆる如き舌を出して居る。毛と云ふ毛は悉《こと/”\》く蛇で、其蛇は悉《こと/”\》く首を擡《もた》げて舌を吐いて縺《もつ》るゝのも、捻《ね》ぢ合ふのも、攀《よ》ぢあがるのも、にじり出るのも見らるゝ。五寸の圓の内部に獰惡《だうあく》なる夜叉《やしや》の顔を辛《から》うじて殘して、額際《ひたひぎは》から顔の左右を殘なく?《うづ》めて自然《じねん》に圓の輪廓を形《かた》ちづくつて居るのは此毛髪の蛇、蛇の毛髪である。遠き昔《むか》しのゴーゴンとは是であらうかと思はるゝ位だ。ゴーゴンを見る者は石に化すとは當時の諺《ことわざ》であるが、此盾を熟視する者は何人《なんびと》も其|諺《ことわざ》のあながちならぬを覺《さと》るであらう。
 盾には創《きず》がある。右の肩から左へ斜《はす》に切りつけた刀の痕《あと》が見える。玉を並《なら》べた樣な鋲《びやう》の一つを半《なか》ば潰して、ゴーゴン、メヂューサに似た夜叉《やしや》の耳のあたりを纒《まと》ふ蛇の頭を叩いて、横に延板の平《たひら》な地《ぢ》へ微《かす》かな細長い凹《くぼ》みが出來て居る。ヰリアムに此|創《きず》の因縁を聞くと何《なん》にも云はぬ。知らぬかと云へば知ると云ふ。知るかと云へば言ひ難しと答へる。
 人に云へぬ盾の由來の裏には、人に云へぬ戀の恨みが潜《ひそ》んで居る。人に云はぬ盾の歴史の中《うち》には世も入らぬ神も入らぬと迄思ひつめたる望の綱が繋《つな》がれて居る。ヰリアムが日毎夜毎に繰り返す心の物語りは此盾と淺からぬ因果の覊絆《きづな》で結び付けられて居る。いざといふ時此盾を執つて……望は是である。心の奧に何者かほのめいて消え難き前世《ぜんせ》の名殘《なごり》の如きを、白日の下《もと》に引き出《いだ》して明《あか》ら樣《さま》に見極むるは此盾の力である。いづくより吹くとも知らぬ業障《ごふしやう》の風の、隙多き胸に洩れて目に見えぬ波の、立ちては崩れ、崩れては立つを浪なき昔、風吹かぬ昔に返すは此盾の力である。此盾だにあらばとヰリアムは盾の懸かれる壁を仰ぐ。天地人を呪ふべき夜叉《やしや》の姿も、彼が眼には畫《ゑが》ける天女《てんによ》の微《かす》かに笑《ゑみ》を帶べるが如く思はるゝ。時にはわが思ふ人の肖像ではなきかと疑ふ折さへある。只拔け出して語らぬが殘念である。
 思ふ人! ヰリアムが思ふ人はこゝには居らぬ。小山を三つ越えて大河を一つ渉《わた》りて二十|哩《マイル》先の夜鴉《よがらす》の城《しろ》に居る。夜鴉の城とは名からして不吉であると、ヰリアムは時々考へる事がある。然し其夜鴉の城へ、彼は小兒《せうに》の時|度々《たび/\》遊びに行つた事がある。小兒の時のみではない成人してからも始終|訪問《おとづ》れた。クラヽの居る所なら海の底でも行かずには居られぬ。彼はつい近頃迄夜鴉の城へ行つては終日クラヽと語り暮したのである。戀と名がつけば千里も行く。二十|哩《マイル》は云ふに足らぬ。夜《よる》を守《まも》る星の影が自《おの》づと消えて、東の空に紅殼《べにがら》を揉み込んだ樣な時刻に、白城《はくじやう》の刎橋《はねばし》の上に騎馬の侍《さむらひ》が一人あらはれる。……宵の明星《みやうじやう》が本丸《ほんまる》の櫓《やぐら》の北角にピカと見え初《そ》むる時、遠き方《かた》より又|蹄《ひづめ》の音が晝と夜の境を破つて白城の方《かた》へ近づいて來る。馬は總身《そうしん》に汗をかいて、白い泡を吹いて居るに、乘手は鞭を鳴らして口笛をふく。戰國のならひ、ヰリアムは馬の背で人と成つたのである。
 去年の春の頃から白城《はくじやう》の刎橋《はねばし》の上に、曉方《あけがた》の武者の影が見えなくなつた。夕暮の蹄《ひづめ》の音も野に逼《せま》る黒きものゝ裏《うち》に吸ひ取られてか、聞えなくなつた。其頃からヰリアムは、己《おの》れを己《おの》れの中《うち》へ引き入るゝ樣に、内へ内へと深く食ひ入る氣色《けしき》であつた。花も春も餘所《よそ》に見て、只心の中《うち》に貯《たくは》へたる何者かを使ひ盡す迄はどうあつても外界に氣を轉ぜぬ樣に見受けられた。武士の命は女と酒と軍《いく》さである。吾思ふ人の爲めにと箸の上げ下しに云ふ誰彼に傚《なら》つて、わがクラヽの爲めにと云はぬ事はないが、其聲の咽喉《のど》を出る時は、塞がる聲帶を無理に押し分ける樣であつた。血の如き葡萄の酒を髑髏形《どくろがた》の盃《さかづき》にうけて、縁《ふち》越すことをゆるさじと、髭の尾迄濡らして呑み干す人の中《なか》に、彼は只|額《ひたひ》を抑へて、斜めに泡を吹くことが多かつた。山と盛る鹿の肉に好味《かうみ》の刀《たう》を揮《ふる》ふ左も顧みず右も眺めず、只わが前に置かれたる皿のみを見詰めて濟す折もあつた。皿の上に堆《うづた》かき肉塊《にくくわい》の殘らぬ事は少ない。武士の命を三分して女と酒と軍《いく》さが其三ケ一を占むるならば、ヰリアムの命の三分二は既に死んだ樣なものである。殘る三分一は? 軍《いくさ》はまだない。
 ヰリアムは身の丈《たけ》六尺一寸、痩せては居るが滿身の筋肉を骨格の上へたゝき付けて出來上つた樣な男である。四年|前《まへ》の戰《たゝかひ》に甲《かぶと》も棄て、鎧《よろひ》も脱いで丸裸になつて城壁の裏《うち》に仕掛けたる、カタパルトを彎《ひ》いた事がある。戰《たゝかひ》が濟んでから其有樣を見て居た者がヰリアムの腕には鐵の瘤《こぶ》が出るといつた。彼の眼と髪は石炭の樣に黒い。其髪は渦を卷いて、彼が頭《かしら》を掉《ふ》る度にきら/\する。彼の眼《まなこ》の奧には又|一双《いつさう》の眼があつて重なり合つて居る樣な光りと深さとが見える。酒の味に命を失ひ、未了《みれう》の戀に命を失ひつゝある彼は來るべき戰場にも亦命を失ふだらうか。彼は馬に乘つて終日終夜野を行くに疲れた事のない男である。彼は一片《いつぺん》の?麭《パン》も食はず一滴《いつてき》の水さへ飲まず、未明より薄暮《はくぼ》迄働き得る男である。年は二十六歳。夫《それ》で戰《いくさ》が出來ぬであらうか。夫《それ》で戰《いくさ》が出來ぬ位なら武士の家に生れて來ぬがよい。ヰリアム自身もさう思つて居る。ヰリアムは幻影《まぼろし》の盾《たて》を翳《かざ》して戰ふ機會があれば……と思つて居る。
 白城《はくじやう》の城主狼のルーファス〔七字傍点〕と夜鴉《よがらす》の城主とは二十年來の好《よし》みで家の子郎黨の末に至る迄互に徃き來せぬは稀な位打ち解けた間柄であつた。確執《かくしつ》の起つたのは去年《こぞ》の春の初からである。源因は私《わたくし》ならぬ政治上の紛議《ふんぎ》の果《はて》とも云ひ、あるは鷹狩《たかがり》の歸りに獲物爭ひの口論からと唱へ、又は夜鴉の城主の愛女クラヽの身の上に係《かゝ》る衝突に本《もと》づくとも言觸らす。過ぐる日の饗筵《きやうえん》に、卓上の酒盡きて、居並《ゐなら》ぶ人の舌の根のしどろに緩《ゆる》む時、首席を占むる隣り合せの二人が、何事か聲高《こわだか》に罵る聲を聞かぬ者はなかつた。「月に吠ゆる狼の……ほざくは」と手にしたる盃を地に抛《なげう》つて、夜鴉の城主は立ち上る。盃の底に殘れる赤き酒の、斑《まだ》らに床《ゆか》を染めて飽きたらず、摧《くだ》けたる?片《くわうへん》と共にルーファスの胸のあたり迄跳ね上る。「夜迷《よま》ひ烏《がらす》の黒き翼《つばさ》を、切つて落せば、地獄の闇ぞ」とルーファスは革に釣る重き劔《つるぎ》に手を懸けてする/\と四五寸|許《ばか》り拔く。一座の視線は悉《こと/”\》く二人の上に集まる。高き窓洩る夕日を脊に負ふ、二人の黒き姿の、此世の樣とも思はれぬ中に、拔きかけた劔のみが寒き光を放つ。此時ルーファスの次に座を占めたるヰリアムが「渾名《あだな》こそ狼なれ、君が劔に刻める文字《もじ》に耻ぢづや」と右手《めて》を延ばしてルーファスの腰のあたりを指《ゆびさ》す。幅廣き刃《やいば》の鍔《つば》の眞下に pro gloria et patria と云ふ銘が刻んである。水を打つた樣な靜かな中に、只ルーファスが拔きかけた劔を元の鞘《さや》に収むる聲のみが高く響いた。是より兩家の間は長く中《なか》絶《た》えて、ヰリアムの乘り馴れた栗毛の馬は少しく肥えた樣に見えた。
 近頃は戰《いく》さの噂《うはさ》さへ頻《しき》りである。睚眦《がいさい》の恨《うらみ》は人を欺《あざむ》く笑《ゑみ》の衣《ころも》に包めども、解け難き胸の亂れは空吹く風の音にもざわつく。夜となく日となく磨きに磨く刃《やいば》の冴《さえ》は、人を屠《ほふ》る遺恨の刃《やいば》を磨くのである。君の爲め國の爲めなる美しき名を藉りて、毫釐《がうり》の爭に千里の恨を報ぜんとする心からである。正義と云ひ人道と云ふは朝嵐に翻がへす旗にのみ染め出《いだ》すべき文字で、繰り出す槍の穗先には瞋恚《しんい》の?《ほむら》が燒け付いて居る。狼は如何にして鴉《からす》と戰ふべき口實を得たか知らぬ。鴉《からす》は何を叫んで狼を誣《し》ゆる積りか分らぬ。只時ならぬ血潮と迄見えて迸《ほと》ばしりたる酒の雫の、胸を染めたる恨を晴《はら》さでやとルーファスがセント、ジヨージに誓へるは事實である。尊き銘は劔にこそ彫れ、拔き放ちたる光の裏《うち》に遠吠ゆる狼を屠《ほふ》らしめ玉へとありとあらゆるセイントに夜鴉《よがらす》の城主が祈念を凝《こら》したるも事實である。兩家の間の戰《たゝかひ》は到底免かれない。いつ〔二字傍点〕といふ丈《だけ》が問題である。
 末の世の盡きて、其末の世の殘る迄と誓ひたる、クラヽの一門に弓をひくはヰリアムの好まぬ所である。手創《てきず》負ひて斃れんとする父とたよりなき吾とを、敵の中より救ひたるルーファスの一家《いつけ》に事ありと云ふ日に、膝を組んで動かぬのはヰリアムの猶《なほ》好まぬ所である。封建の代《よ》のならひ、主《しゆ》と呼び從《じゆう》と名乘る身の危きに赴《おもむ》かで、人に卑怯と嘲けらるゝは彼の尤も好まぬ所である。甲《かぶと》も着《き》樣《やう》、鎧《よろひ》も繕《つくろ》はう、槍《やり》も磨《みが》かう、すはといふ時は眞先に行かう……然しクラヽはどうなるだらう。負ければ打死《うちじに》をする。クラヽには逢へぬ。勝てばクラヽが死ぬかも知れぬ。ヰリアムは覺えず空に向つて十字を切る。今の内姿を窶《やつ》して、クラヽと落ち延びて北の方《かた》へでも行かうか。落ちた後《あと》で朋輩が何といふだらう。ルーファスが人でなしと云ふだらう。内懷《うちぶところ》からクラヽの呉れた一束《ひとたば》ねの髪の毛を出して見る。長い薄色の毛が、麻を砧《きぬた》で打つて柔かにした樣にゆるくうねつてヰリアムの手から下がる。ヰリアムは髪を見詰めて居た視線を茫然とわきへそらす。それが器械的に壁の上へ落ちる。壁の上にかけてある盾の眞中《まんなか》で優しいクラヽの顔が笑つて居る。去年分れた時の顔と寸分|違《たが》はぬ。顔の周圍を卷いて居る髪の毛が……ヰリアムは呪はれたる人の如くに、千里の遠きを眺めて居る樣な眼付で石の如く盾を見て居る。日の加減か色が眞青《まつさを》だ。……顔の周圍を卷いて居る髪の毛が、先《さ》つきから流れる水に漬《つ》けた樣にざわ/\と動いて居る。髪の毛ではない無數の蛇の舌が斷間なく震動して五寸の圓の輪を搖り廻るので、銀地に絹糸の樣に細い炎《ほのほ》が、見えたり隱れたり、隱れたり見えたり、渦を卷いたり、波を立てたりする。全部が一度に動いて顔の周圍を廻轉するかと思ふと、局部が纔《わづ》かに動きやんで、すぐ其隣りが動く。見る間《ま》に次へ次へと波動が傳はる樣にもある。動く度に舌の摩《す》れ合ふ音でもあらう微《かす》かな聲が出る。微かではあるが只一つの聲ではない、漸く鼓膜に響く位の靜かな音のうちに――無數の音が交つて居る。耳に落つる一《ひとつ》の音が聽けば聽く程多くの音がかたまつて出來上つた樣に明かに聞き取られる。盾の上に動く物の數多き丈《だけ》、音の數も多く、又其動くものゝ定かに見えぬ如く、出る音も微《かす》かであらゝかには鳴らぬのである。……ヰリアムは手に下げたるクラヽの金毛《きんまう》を三たび盾に向つて振りながら「盾! 最後の望は幻影《まぼろし》の盾にある」と叫んだ。
 戰《たゝかひ》は潮《うしほ》の河に上《のぼる》如く次第に近付いて來る。鐵を打つ音、鋼《はがね》を鍛《きた》へる響、槌《つち》の音、やすり〔三字傍点〕の響は絶えず中庭の一隅《いちぐう》に聞える。ヰリアムも人に劣らじと出陣の用意はするが、時には殺伐な物音に耳を塞《ふさ》いで、高き角櫓《すみやぐら》に上《のぼ》つて遙かに夜鴉《よがらす》の城の方《かた》を眺める事がある。霧深い國の事だから眼に遮ぎる程の物はなくても、天氣の好《よ》い日に二十|哩《マイル》先は見えぬ。一面に茶澁を流した樣な曠野《くわうや》が逼らぬ波を描《ゑが》いて續く間に、白金《しろがね》の筋が鮮かに割り込んで居るのは、日毎の樣に淺瀬を馬で渡した河であらう。白い流れの際立《きはだ》ちて目を牽《ひ》くに付けて、夜鴉の城はあの見當だなと見送る。城らしきものは霞の奧に閉ぢられて眸底《ぼうてい》には寫らぬが、流るゝ銀《しろがね》の、烟と化しはせぬかと疑はる迄末廣に薄れて、空と雲との境に入る程は、翳《かざ》したる小手の下より遙かに双《さう》の眼《まなこ》に聚《あつ》まつてくる。あの空とあの雲の間が海で、浪の?む切立《きつた》ち岩の上に巨巖を刻んで地から生へた樣なのが夜鴉の城であると、ヰリアムは見えぬ所を想像で描《ゑが》き出す。若《も》し其薄黒く潮風に吹き曝《さら》された角窓《かくまど》の裏《うち》に一人物を畫《ゑが》き足したなら死龍《しりよう》は忽ち活きて天に騰《のぼ》るのである。點睛《てんせい》に比すべきものは何人《なんびと》であらう、ヰリアムは聞かんでも能く知つて居る。
 目の廻る程急がしい用意の爲めに、晝の間《ま》は夫《それ》となく氣が散つて浮き立つ事もあるが、初夜《しよや》過ぎに吾が室《へや》に歸つて、冷たい臥床《ふしど》の上に六尺一寸の長?を投げる時は考へ出す。初めてクラヽに逢つたときは十二三の小供で知らぬ人には口もきかぬ程内氣であつた。只髪の毛は今の樣に金色であつた……ヰリアムは又|内懷《うちぶところ》からクラヽの髪の毛を出して眺める。クラヽはヰリアムを黒い眼の子、黒い眼の子と云つてからかつた。クラヽの説によると黒い眼の子は意地が惡い、人がよくない、猶太人《ユダヤじん》かジプシイでなければ黒い眼色のものはない。ヰリアムは怒つて夜鴉《よがらす》の城へはもう來ぬと云つたらクラヽは泣き出して堪忍《かんにん》してくれと謝した事がある。……二人して城の庭へ出て花を摘んだ事もある。赤い花、黄な花、紫の花――花の名は覺えて居らん――色々の花でクラヽの頭と胸と袖を飾つてクヰーンだクヰーンだと其前に跪《ひざま》づいたら、槍を持たない者はナイトでないとクラヽが笑つた。……今は槍もある、ナイトでもある、然しクラヽの前に跪《ひざまづ》く機會はもうあるまい。ある時は野へ出て蒲公英《たんぽぽ》の蕊《しべ》を吹きくらをした。花が散つてあとに殘る、むく毛を束《つか》ねた樣に透明な球をとつてふつと吹く。殘つた種の數《かず》でうらなひをする。思ふ事が成るかならぬかと云ひながらクラヽが一吹きふくと種の數《かず》が一つ足りないので思ふ事が成らぬと云ふ辻《つじ》うらであつた。するとクラヽは急に元氣がなくなつて俯向《うつむ》いて仕舞つた。何を思つて吹いたのかと尋ねたら何でもいゝと何時《いつ》になく邪慳《じやけん》な返事をした。其日は碌々《ろく/\》口もきかないで塞ぎ込んで居た。……春の野にありとあらゆる蒲公英《たんぽぽ》をむしつて息の續《つ》づかぬ迄吹き飛ばしても思ふ樣な辻占《つじうら》は出ぬ筈だとヰリアムは怒る如くに云ふ。然しまだ盾と云ふ頼みがあるからと打消す樣に添へる。……是は互に成人してからの事である。夏を彩《いろ》どる薔薇の茂みに二人座をしめて瑠璃《るり》に似た青空の、鼠色に變る迄語り暮した事があつた。騎士の戀には四期があると云ふ事をクラヽにヘへたのは其時だとヰリアムは當時の光景を一度に目の前に浮べる。「第一を躊躇の時期と名づける、是は女の方で此戀を斥《しりぞ》けやうか、受けやうかと思ひ煩《わずら》ふ間《あひだ》の名である」といひながらクラヽの方を見た時に、クラヽは俯向《うつむ》いて、頬のあたりに微《かす》かなる笑《ゑみ》を漏らした。「此時期の間には男の方では一言《ひとこと》も戀をほのめかすことを許されぬ。只眼にあまる情《なさ》けと、息に漏るゝ嘆きとにより、晝は女の傍《かた》へを、夜は女の住居《すまひ》の邊《あた》りを去らぬ誠によりて、我意中を悟れかしと物言はぬうちに示す。」クラヽは此時池の向ふに据ゑてある大理石の像を餘念なく見て居た。「第二を祈念の時期と云ふ。男、女の前に伏して懇《ねんご》ろに我が戀|叶《かな》へ玉へと願ふ」クラヽは顔を背《そむ》けて紅《くれなゐ》の薔薇の花を唇につけて吹く。一瓣《ひとひら》は飛んで波なき池の汀《みぎは》に浮ぶ。一瓣《ひとひら》は梅鉢の形《かた》ちに組んで池を圍《かこ》へる石の欄干に中《あた》りて敷石の上に落ちた。「次に來るは應諾の時期である。誠ありと見拔く男の心を猶《なほ》も確めん爲め女、男に草々《くさ/”\》の課役をかける。劔《つるぎ》の力、槍の力で遂ぐべき程の事柄であるは言ふ迄もない」クラヽは吾を透《とほ》す大いなる眼を翻《ひるがへ》して第四はと問ふ。「第四の時期を Druerie と呼ぶ。武夫《ものゝふ》が君の前に額付《ぬかづ》いて渝《かは》らじと誓ふ如く男、女の膝下に跪《ひざま》づき手を合せて女の手の間に置く。女かたの如く愛の式を返して男に接吻《せつぷん》する。」クラヽ遠き代《よ》の人に語る如き聲にて君が戀は何《いづ》れの期ぞと問ふ。思ふ人の接吻さへ得なばとクラヽの方に顔を寄せる。クラヽ頬に紅《くれなゐ》して手に持てる薔薇の花を吾が耳のあたりに抛《なげう》つ。花びらは雪と亂れて、ゆかしき香《かを》りの一群《ひとむ》れが二人の足の下に散る。…… Druerie の時期はもう望めないはとヰリアムは六尺一寸の身を擧げてどさと寢返りを打つ。間《けん》にあまる壁を切りて、高く穿《うが》てる細き窓から薄暗き曙光《しよくわう》が漏れて、物の色の定かに見えぬ中《なか》に幻影《まぼろし》の盾のみが闇に懸る大蜘蛛の眼《まなこ》の如く光る。「盾がある、まだ盾がある」とヰリアムは烏の羽の樣な滑《なめら》かな髪の毛を握つてがばと跳ね起る。中庭の隅では鐵を打つ音、鋼《はがね》を鍛《きた》へる響、槌《つち》の音やすり〔三字傍点〕の響が聞え出す。戰《たゝかひ》は日一日と逼つてくる。
 其日の夕暮に一城の大衆が、無下《むげ》に天井の高い食堂に會して晩餐の卓に就いた時、戰《たゝかひ》の時期は愈《いよ/\》狼將軍の口から發布された。彼は先づ夜鴉《よがらす》の城主の武士道に背《そむ》ける罪を數へて一門の面目を保《たも》つ爲めに七日《なぬか》の夜《よ》を期して、一擧に其城を屠《ほふ》れと叫んだ。其聲は堂の四壁を一周して、丸く組み合せたる高い天井に突き當ると思はるゝ位大きい。戰《たゝかひ》は固《もと》より近づきつゝあつた。ヰリアムは戰《たゝかひ》の近づきつゝあるを覺悟の前で此日此|夜《よ》を過ごして居た。去れど今ルーファスの口から愈《いよ/\》七日《なぬか》の後《のち》と聞いた時はさすがの覺悟も蟹《かに》の泡《あわ》の、蘆の根を繞《めぐ》らぬ淡き命の如くにいづくへか消え失せて仕舞つた。夢ならぬを夢と思ひて、思ひ終《おほ》せぬ時は、無理ながら事實とあきらめる事もある。去れど其事實を事實と證する程の出來事が驀地《ばくち》に現前せぬうちは、夢と思ふて其日を過すが人の世の習ひである。夢と思ふは嬉しく、思はぬがつらいからである。戰《たゝかひ》は事實であると思案の臍《ほぞ》を堅めたのは昨日《きのふ》や今日《けふ》の事ではない。只事實に相違ないと思ひ定めた戰ひが、起らんとして起らぬ爲め、であれかしと願ふ夢の思ひ〔四字傍点〕は却つて「事實になる」の念を抑ゆる事もあつたのであらう。一年は三百六十五日、過ぐるは束《つか》の間《ま》である。七日《なぬか》とは一年の五十|分《ぶ》一にも足らぬ。右の手を擧げて左の指を二本加へればすぐに七である。名もなき鬼に襲はれて、名なき故に鬼にあらずと、強いて思ひたるに突然正體を見付けて今更《いまさら》眼力《がんりき》の違《たが》はぬを口惜《くちを》しく思ふ時の感じと異《こと》なる事もあるまい。ヰリアムは眞青《まつさを》になつた。隣りに坐したシワルドが病氣かと問ふ。否と答へて盃を唇につける。充たざる酒の何に搖れてか縁《ふち》を越して卓の上を流れる。其時ルーファスは再び起《た》つて夜鴉《よがらす》の城を、城の根に張る巖《いはほ》もろともに海に落せと盃を眉のあたりに上げて隼《はやぶさ》の如く床《ゆか》の上に投げ下《くだ》す。一座の大衆はフラーと叫んで血の如き酒を啜《すゝ》る。ヰリアムもフラーと叫んで血の如き酒を啜《すゝ》る。シワルドもフラーと叫んで血の如き酒を啜《すゝ》りながら尻目にヰリアムを見る。ヰリアムは獨り立つて吾|室《へや》に歸りて、人の入《はい》らぬ樣に内側から締《しま》りをした。
 盾だ愈《いよ/\》盾だとヰリアムは叫びながら室《へや》の中《なか》をあちらこちらと歩む。盾は依然として壁に懸つて居る。ゴーゴン、メヂューサとも較《くら》ぶべき顔は例に由つて天地人を合せて呪ひ、過去|現世《げんぜ》未來に渉つて呪ひ、近寄るもの、觸るゝものは無論、目に入らぬ草も木も呪ひ悉《つく》さでは已《や》まぬ氣色《けしき》である。愈《いよ/\》此盾を使はねばならぬかとヰリアムは盾の下にとまつて壁間を仰ぐ。室《へや》の戸を叩く音のする樣な氣合《けはひ》がする。耳を峙《そばだ》てゝ聞くと何の音でもない。ヰリアムは又|内懷《うちぶところ》からクラヽの髪毛を出す。掌《たなごゝろ》に乘せて眺めるかと思ふと今度はそれを叮嚀に、室《へや》の隅に片寄せてある三本脚の丸いテーブルの上に置いた。ヰリアムは又|内懷《うちぶところ》へ手を入れて胸の隱しの裏《うち》から何か書付の樣なものを攫《つか》み出す。室《へや》の戸口迄行つて横にさした鐵の棒の拔けはせぬかと振り動かして見る。締《しまり》は大丈夫である。ヰリアムは丸机に倚《よ》つて取り出した書付を徐《おもむ》ろに開く。紙か羊皮か慥《たし》かには見えぬが色合の古び具合から推すと昨今の物ではない。風なきに紙の表《おも》てが動くのは紙が己《おの》れと動くのか、持つ手の動くのか。書付の始めには「幻影《まぼろし》の盾の由來」とかいてある。すれたものか文字《もじ》のあとが微《かす》かに殘つて居る許《ばか》りである。「汝が祖《そ》ヰリアムは此盾を北の國の巨人に得たり。……」茲《こゝ》にヰリアムとあるはわが四世の祖だとヰリアムが獨り言ふ。「黒雲の地を渡る日なり。北の國の巨人は雲の内より振り落されたる鬼の如くに寄せ來《きた》る。拳《こぶし》の如き瘤《こぶ》のつきたる鐵棒を片手に振り翳《かざ》して骨も摧《くだ》けよと打てば馬も倒れ人も倒れて、地を行く雲に血潮を含んで、鳴る風に火花をも見る。人を斬るの戰《たゝかひ》にあらず、腦を碎き胴《どう》を潰《つぶ》して、人といふ形を滅《めつ》せざれば已《や》まざる烈しき戰《たゝかひ》なり。……」ヰリアムは猛《たけ》き者共よと眉をひそめて、舌を打つ。「わが渡り合ひしは巨人の中の巨人なり。銅板に砂を塗れる如き顔の中に眼《まなこ》懸りて稻妻を射る。我を見て南方の犬|尾《を》を捲いて死ねと、かの鐵棒を腦天より下《くだ》す。眼を遮《さへぎ》らぬ空《くう》の二つに裂くる響して、鐵の瘤《こぶ》はわが右の肩先を滑べる。繋ぎ合せて肩を蔽へる鋼鐵《はがね》の延板の、尤も外に向へるが二つに折れて肉に入る。吾がうちし太刀先は巨人の盾を斜《なゝめ》に斫《き》つて戞《かつ》と鳴るのみ。……」ヰリアムは急に眼を轉じて盾の方を見る。彼《かれ》の四世の祖《そ》が打ち込んだ刀痕は歴然と殘つて居る。ヰリアムは又讀み續ける。「われ巨人を切る事|三度《みたび》、三度目《みたびめ》にわが太刀は鍔元《つばもと》より三つに折れて巨人の戴く甲《かぶと》の鉢金の、内側に歪《ゆが》むを見たり。巨人の椎《つゐ》を下《くだ》すや四たび、四たび目に巨人の足は、血を含む泥を蹴《け》て、木枯の天狗の杉を倒すが如く、薊《あざみ》の花のゆらぐ中に、落雷も耻ぢよと許《ばか》り?《だう》と横たはる。横たはりて起きぬ間《ま》を、疾《と》くも縫へるわが短刀の光を見よ。吾ながら又なき手柄なり。……」ブラ?ーとヰリアムは小聲に云ふ。「巨人は云ふ、老牛の夕陽《せきやう》に吼《ほ》ゆるが如き聲にて云ふ。幻影《まぼろし》の盾を南方の豎子《じゆし》に付與す、珍重に護持せよと。われ盾を翳《かざ》して其|所以《ゆゑん》を問ふに黙して答へず。強いて聞くとき、彼兩手を揚げて北の空を指《ゆびさ》して曰く。ワルハラの國オヂンの座に近く、火に溶けぬ黒鐵《くろがね》を、氷の如き白炎《はくえん》に鑄《い》たるが幻影《まぼろし》の盾なり。……」此時戸口に近く、石よりも堅き廊下の床《ゆか》を踏みならす音がする。ヰリアムは又|起《た》つて扉に耳を付けて聽く。足音は部屋の前を通り越して、次第に遠ざかる下から、壁の射返す響のみが朗らかに聞える。何者か暗窖《あんかう》の中へ降《お》りていつたのであらう。「此盾何の奇特《きどく》かあると巨人に問へば曰く。盾に願へ、願ふて聽かれざるなし只其身を亡ぼす事あり。人に語るな語るとき盾の靈去る。……汝盾を執つて戰《たゝかひ》に臨めば四圍の鬼神《きじん》汝を呪ふことあり。呪はれて後《のち》蓋天蓋地の大歡喜に逢ふべし。只盾を傳へ受くるものに此秘密を許すと。南國の人此不祥の具を愛せずと盾を棄てゝ去らんとすれば、巨人手を振つて云ふ。われ今淨土ワルハラに歸る、幻影《まぼろし》の盾を要せず。百年の後《のち》南方に赤衣《せきい》の美人あるべし。其歌の此盾の面《おもて》に觸るゝとき、汝の兒孫盾を抱《いだ》いて抃舞《べんぶ》するものあらんと。……」汝の兒孫〔四字傍点〕とはわが事ではないかとヰリアムは疑ふ。表に足音がして室《へや》の戸の前に留《とま》つた樣である。「巨人は薊《あざみ》の中に斃れて、薊《あざみ》の中に殘れるは此盾なり」と讀み終つてヰリアムが又壁の上の盾を見ると蛇の毛は又|搖《うご》き始める。隙間なく縺《もつ》れた中を下へ下へと潜《もぐ》りて盾の裏側迄拔けはせぬかと疑はるゝ事もあり、又上へ上へともがき出て五寸の圓の輪廓|丈《だけ》が盾を離れて浮き出はせぬかと思はるゝ事もある。下に動くときも上に搖り出す時も同じ樣に清水が滑《なめら》かな石の間を?《めぐ》る時の樣な音が出る。只其音が一本々々の毛が鳴つて一束《ひとたば》の音にかたまつて耳朶《じだ》に達するのは以前と異なる事はない。動くものは必ず鳴ると見えるに、蛇の毛は悉《こと/”\》く動いて居るから其音も蛇の毛の數|丈《だけ》はある筈であるが――如何にも低い。前の世の耳語《さゝや》きを奈落の底から夢の間《ま》に傳へる樣に聞かれる。ヰリアムは茫然として此微音を聞いて居る。戰《いくさ》も忘れ、盾も忘れ、我身をも忘れ、戸口に人足《ひとあし》の留《とま》つたも忘れて聞いて居る。こと/\と戸を敲《たゝ》くものがある。ヰリアムは魔がついた樣な顔をして動かうともしない。こと/\と再び敲《たゝ》く。ヰリアムは兩手に紙片を捧げたまゝ椅子を離れて立ち上る。夢中に行く人の如く、身を向けて戸口の方に三歩|許《ばか》り近寄る。眼は戸の眞中を見て居るが瞳孔《どうこう》に寫つて腦裏に印する影は戸ではあるまい。外の方《かた》では氣が急《せ》くか、厚い樫《かし》の扉を拳《こぶし》にて會釋なく夜陰に響けと叩く。三度目に敲《たゝ》いた音が、物靜かな夜《よる》を四方に破つたとき、偶像の如きヰリアムは氷盤を空裏に撃碎する如く一時に吾に返つた。紙片を急に懷へかくす。敲《たゝ》く音は益《ます/\》逼つて絶間なく響く。開けぬかと云ふ聲さへ聞える。
 「戸を敲《たゝ》くは誰《た》ぞ」と鐵の栓張《しんばり》をからりと外《はづ》す。切り岸の樣な額の上に、赤黒き髪の斜めにかゝる下から、鋭どく光る二つの眼《まなこ》が遠慮なく部屋の中へ進んで來る。
 「わしぢや」とシワルドが、進めぬ先から腰懸の上にどさと尻を卸す。「今日の晩食に顔色が惡う見えたから見舞に來た」と片足を宙にあげて、殘れる膝の上に置く。
 「左《さ》した事もない」とヰリアムは瞬きして顔をそむける。
 「夜鴉《よがらす》の羽搏《はばた》きを聞かぬうちに、花多き國に行く氣はないか」とシワルドは意味有り氣《げ》に問ふ。
 「花多き國とは?」
 「南の事ぢや、トルバダウの歌の聞ける國ぢや」
 「主《ぬし》がいに度いと云ふのか」
 「わしは行かぬ、知れた事よ。もう六《むつ》つ、日の出を見れば、夜鴉《よがらす》の栖《す》を根から海へ蹴落す役目があるは。日の永い國へ渡つたら主《ぬし》の顔色が善くならうと思ふての親切からぢや。ワハヽヽヽ」とシワルドは傍若無人に笑ふ。
 「鳴かぬ烏の闇に滅《め》り込む迄は……」と六尺一寸の身をのして胸板を拊《う》つ。
 「霧深い國を去らぬと云ふのか。其|金色《きんいろ》の髪の主《ぬし》となら滿更《まんざら》嫌《いや》でもあるまい」と丸テーブルの上を指《ゆびさ》す。テーブルの上にはクラヽの髪が元の如く乘つて居る。内懷《うちぶところ》へ収めるのをつひ忘れた。ヰリアムは身を伸《の》した儘|口籠《くちごも》る。
 「鴉《からす》に交る白い鳩を救ふ氣はないか」と再び叢中に蛇を打つ。
 「今から七日《なぬか》過ぎた後《あと》なら……」と叢中の蛇は不意を打れて已《やむ》を得ず首を擡《もた》げかゝる。
 「鴉を殺して鳩|丈《だけ》生かさうと云ふ注文か……夫《それ》は少し無理ぢや。然し出來ぬ事もあるまい。南から來て南へ歸る船がある。待てよ」と指を折る。「さうぢや六日目《むいかめ》の晩には間に合ふだらう。城の東の船付場へ廻して、あの金色《きんいろ》の髪の主《ぬし》を乘せやう。不斷は帆柱の先に白い小旗を揚げるが、女が乘つたら赤に易《か》へさせやう。軍《いく》さは七日目《なぬかめ》の午過《ひるすぎ》からぢや、城を圍めば港が見える。柱の上に赤が見えたら天下太平……」
 「白が見えたら……」とヰリアムは幻影《まぼろし》の盾を睨む。夜叉《やしや》の髪の毛は動きもせぬ、鳴りもせぬ。クラヽかと思ふ顔が一寸《ちよつと》見えて又もとの夜叉に返る。
 「まあ、よいは、何うにかなる心配するな。夫《それ》よりは南の國の面白い話でもせう」とシワルドは澁色の髭を無雜作に掻いて、若き人を慰める爲か話頭を轉ずる。
 「海一つ向《むかふ》へ渡ると日の目が多い、暖かぢや。夫《それ》に酒が甘《うま》くて金《かね》が落ちて居る。土一升に金一升……うそぢや無い、本間《ほんま》の話ぢや。手を振るのは聞きとも無いと云ふのか。もう落付いて一所に話す折もあるまい。シワルドの名殘《なごり》の談義だと思ふて聞いて呉れ。さう滅入《めい》らんでもの事よ」宵に浴びた酒の氣がまだ醒めぬのかゲーと臭いのをヰリアムの顔に吹きかける。「いや是は御無禮……何を話す積りであつた。おゝ夫《それ》だ、其酒の湧く、金の土に交る海の向《むかふ》での」とシワルドはヰリアムを覗き込む。
 「主《ぬし》が女に可愛がられたと云ふのか」
 「ワハヽヽ女にも數多《あまた》近付はあるが、それぢやない。ボーシイルの會を見たと云ふ事よ」
 「ボーシイルの會?」
 「知らぬか。薄黒い島國に住んでいては、知らぬも道理ぢや。プロ?ンサルの伯とツールースの伯の和睦の會はあちらで誰れも知らぬものはないぞよ」
 「ふむ夫《それ》が?」とヰリアムは浮かぬ顔である。
 「馬は銀の沓《くつ》をはく、狗《いぬ》は珠の首輪をつける……」
 「金の林檎を食ふ、月の露を湯に浴びる……」と平かならぬ人のならひ、ヰリアムは嘲る樣に話の糸を切る。
 「まあ水を指《さ》さずに聽け。うそでも興があらう」と相手は切れた糸を接《つな》ぐ。
 「試合の催しがあると、シミニアンの太守が二十四頭の白牛《はくぎう》驅つて埒《らち》の内を奇麗に地ならしする。ならした後へ三萬枚の黄金を蒔く。するとアグーの太守がわしは勝ち手にとらせる褒美を受持たうと十萬枚の黄金を加へる。マルテロはわしは御馳走役ぢやと云ふて?燭の火で※[者/火]燒《にたき》した珍味を振舞ふて、銀の皿小鉢を引出物に添へる」
 「もう澤山ぢや」とヰリアムが笑ひながら云ふ。
 「ま一つぢや。仕舞にレイモンが今迄誰も見た事のない遊びをやると云ふて先づ試合の柵の中へ三十本の杭を植ゑる。夫《それ》に三十頭の名馬を繋ぐ。裸馬ではない鞍も置き鐙《あぶみ》もつけ轡《くつわ》手綱《たづな》の華奢《きやしや》さへ盡してぢや。よいか。そして其眞中へ鎧、刀是も三十人分、甲《かぶと》は無論小手|脛當《すねあて》迄添へて並《なら》べ立てた。金高にしたらマルテロの御馳走よりも、嵩《かさ》が張らう。夫《それ》から圍《まは》りへ薪《たきゞ》を山の樣に積んで、火を掛けての、馬も具足《ぐそく》も皆燒いて仕舞ふた。何とあちらのものは豪興をやるではないか」と話し終つてカラ/\と心地よげに笑ふ。
 「さう云ふ國へ行つて見よと云ふに主《ぬし》も餘程意地張りだなあ」と又ヰリアムの胸の底へ探りの石を投げ込む。
 「そんな國に黒い眼、黒い髪の男は無用ぢや」とヰリアムは自《みづか》ら嘲る如くに云ふ。
 「矢張り其|金色《きんいろ》の髪の主《ぬし》の居る所が戀しいと見えるな」
 「言ふ迄もない」とヰリアムは屹《きつ》となつて幻影《まぼろし》の盾を見る。中庭の隅で鐵を打つ音、鋼《はがね》を鍛へる響、槌の音、ヤスリ〔三字傍点〕の響が聞え出す。夜《よ》はいつの間《ま》にかほの/”\と明け渡る。
 七日《なぬか》に逼《せま》る戰《たゝかひ》は一日の命を縮めて愈《いよ/\》六日となつた。ヰリアムはシーワルドの勸むる儘にクラヽへの手紙を認《したゝ》める。心が急《せ》くのと、わきが騷がしいので思ふ事の萬分一《まんぶいち》も書けぬ。「御身の髪は猶《なほ》わが懷《ふところ》にあり、只此使と逃げ落ちよ、疑へば魔多し」とばかりで筆を擱《お》く。此手紙を受取つてクラヽに渡す者はいづこの何者か分らぬ。其頃|流行《はや》る樂人の姿となつて夜鴉《よがらす》の城に忍び込んで、戰《いくさ》あるべき前の晩にクラヽを奪ひ出して舟に乘せる。萬一手順が狂へば隙《すき》を見て城へ火をかけても志《こゝろざし》を遂げる。是《これ》丈《だけ》の事はシーワルドから聞いた、其あとは……幻影《まぼろし》の盾のみ知る。
 逢ふはうれし、逢はぬは憂し。憂し嬉しの源《みなもと》から珠を欺く涙が湧いて出る。此清き者に何故《なぜ》流れるぞと問へば知らぬと云ふ。知らぬとは自然と云ふ意か。マリアの像の前に、跪《ひざまづ》いて祈願を凝《こ》らせるヰリアムが立ち上《あが》つたとき、長い睫《まつげ》がいつもより重《おも》た氣《げ》に見えたが、なぜ重いのか彼にも分らなかつた。誠は誠を自覺すれども其他を知らぬ。其|夜《よ》の夢に彼れは五彩の雲に乘るマリアを見た。マリアと見えたるはクラヽを祭れる姿で、クラヽとは地に住むマリアであらう。祈らるゝ神、祈らるゝ人は異なれど、祈る人の胸には神も人も同じ願の影法師に過ぎぬ。祭る聖母は戀ふ人の爲め、人戀ふは聖母に跪《ひざまづ》く爲め。マリアとも云へ、クラヽとも云へ。ヰリアムの心の中《うち》に二つのものは宿らぬ。宿る餘地あらば此戀は嘘の戀ぢや。夢の續か中庭の隅で鐵を打つ音、鋼《はがね》を鍛へる響、槌の音、ヤスリ〔三字傍点〕の響が聞えて、例の如く夜《よ》が明ける。戰《たゝかひ》は愈《いよ/\》せまる。
 五日目から四日目に移るは俯せたる手を翻《ひる》がへす間《ま》と思はれ、四日目から三日目に進むは翻《ひる》がへす手を故《もと》に還《かへ》す間《ま》と見えて、三日、二日より愈《いよ/\》戰《たゝかひ》の日を迎へたるときは、手さへ動かすひまなきに襲ひ來る如く感ぜられた。「飛ばせ」とシーワルドはヰリアムを顧みて云ふ。並《なら》ぶ轡《くつわ》の間から鼻嵐が立つて、二つの甲《かぶと》が、月下に躍る細鱗の如く秋の日を射返す。「飛ばせ」とシーワルドが踵を半《なか》ば馬の太腹に蹴込む。二人の頭《かしら》の上に長く挿したる眞白な毛が烈しく風を受けて、振り落さるゝ迄に靡く。夜鴉《よがらす》の城壁を斜《なゝ》めに見て、小高き丘に飛ばせたるシーワルドが右手《めて》を翳《かざ》して港の方《かた》を望む。「帆柱に掲げた旗は赤か白か」と後れたるヰリアムは叫ぶ。「白か赤か、赤か白か」と續け樣に叫ぶ。鞍壺に延び上つたるシーワルドは體をおろすと等しく馬を向け直して一散に城門の方《かた》へ飛ばす。「續け、續け」とヰリアムを呼ぶ。「赤か、白か」とヰリアムは叫ぶ。「阿呆、丘へ飛ばすより壕の中へ飛ばせ」とシーワルドは只管《ひたすら》に城門の方《かた》へ飛ばす。港の入口には、埠頭《ふとう》を洗ふ浪を食つて、胴の高い船が心細く搖れて居る。魔に襲はれて夢安からぬ有樣である。左右に低き帆柱を控へて、中に高き一本の眞上には――「白だツ」とヰリアムは口の中で言ひながら前齒で唇を?む。折柄|戰《たゝかひ》の聲は夜鴉《よがらす》の城を撼《ゆる》がして、淋しき海の上に響く。
 城壁の高さは四丈、丸櫓の高さは是を倍して、所々《ところ/”\》に壁を突き拔いて立つ。天の柱が落ちて其眞中に刺された如く見ゆるは本丸であらう。高さ十九丈壁の厚《あつさ》は三丈四尺、之を四階に分つて、最上の一層にのみ窓を穿《うが》つ。眞上より眞下に降《くだ》る井戸の如き道ありて、所謂《いはゆる》ダンジヨンは尤も低く尤も暗き所に地獄と壁|一重《ひとへ》を隔てゝ設けらるゝ。本丸の左右に懸け離れたる二つの櫓《やぐら》は本丸の二階から家根付の橋を渡して出入《しゆつにふ》の便《たよ》りを計る。櫓《やぐら》を環《めぐ》る三々五々の建物には厩《うまや》もある。兵士の住居《すまひ》もある。亂を避くる領内の細民が隱るゝ場所もある。後《うし》ろは切岸《きりぎし》に海の鳴る音を聞き、碎くる浪の花の上に舞ひ下《さが》りては舞ひ上《あが》る?《かもめ》を見る。前は牛を呑むアーチの暗き上より、石に響く扉を下《おろ》して、刎橋《はねばし》を鐵鎖《てつさ》に引けば人の踰《こ》えぬ濠《ほり》である。
 濠《ほり》を渡せば門も破らう、門を破れば天主も拔かう、志《こゝろざし》ある方《かた》に道あり、道ある方《かた》に向へとルーファスは打ち壞したる扉の隙より、黒金《くろがね》につゝめる狼の顔を會釋もなく突き出す。あとに續けと一人が從へば、尻を追へと又一人が進む。一人二人の後《あと》は只|我先《われさき》にと亂れ入る。むく/\と湧く清水に、こまかき砂の浮き上りて一度に漾《たゞよ》ふ如く見ゆる。壁の上よりは、ありとある弓を伏せて蝟《ゐ》の如く寄手の鼻頭《はなさき》に、鉤《かぎ》と曲る鏃《やじり》を集める。空を行く長き箭《や》の、一矢《ひとや》毎に鳴りを起せば數千の鳴りは一《ひ》と塊《かたま》りとなつて、地上に蠢《うごめ》く黒影の響に和して、時ならぬ物音に、沖の?を驚かす。狂へるは鳥のみならず。秋の夕日を受けつ潜《くゞ》りつ、甲《かぶと》の浪|鎧《よろひ》の浪が寄せては崩れ、崩れては退《ひ》く。退《ひ》くときは壁の上|櫓《やぐら》の上より、傾く日を海の底へ震ひ落す程の鬨《とき》を作る。寄するときは甲《かぶと》の浪、鎧《よろひ》の浪の中より、吹き捲くる大風の息の根を一時にとめるべき聲を起す。退《ひ》く浪と寄する浪の間にヰリアムとシーワルドがはたと行き逢ふ。「生きて居るか」とシーワルドが劔《つるぎ》で招けば、「死ぬ所ぢや」とヰリアムが高く盾を翳《かざ》す。右に峙《そばだ》つ丸櫓の上より飛び來る矢が戞《かつ》と夜叉《やしや》の額を掠《かす》めてヰリアムの足の下へ落つる。此時崩れかゝる人浪は忽ち二人の間を遮《さへぎ》つて、鉢金《はちがね》を蔽ふ白毛《はくまう》の靡きさへ、暫くの間《ま》に、旋《めぐ》る渦《うづまき》の中に捲き込まれて見えなくなる。戰《たゝかひ》は午《ご》を過ぐる二《ふ》た時《とき》餘りに起つて、五時と六時の間にも未《ま》だ方付《かたづ》かぬ。一度びは猛き心に天主をも屠る勢であつた寄手の、何にひるんでか蒼然たる夜の色と共に城門の外へなだれながら吐き出される。搏《う》つ音の絶えたるは一時の間《ま》か。暫らくは鳴りも靜まる。
 日は暮れ果てゝ黒き夜《よ》の一寸の隙間なく人馬を蔽ふ中《なか》に、碎くる波の音が忽ち高く聞える。忽ち聞えるは始めて海の鳴るにあらず、吾が鳴りの暫らく已《や》んで空《むな》しき心の迎へたるに過ぎぬ。此浪の音は何里の沖に萌《きざ》して此磯の遠きに崩るゝか、思へば古き響きである。時の幾代《いくよ》を搖《ゆる》がして知られぬ未來に響く。日を捨てず夜《よ》を捨てず、二六時中繰り返す眞理は永劫無極の響きを傳へて劔《つるぎ》打つ音を嘲《あざけ》り、弓引く音を笑ふ。百と云ひ千と云ふ人の叫びの、果敢《はか》なくて憐むべきを罵るときかれる。去れど城を守るものも、城を攻むるものも、おのが叫びの纔《わづ》かにやんで、此深き響きを不用意に聞き得たるとき耻づかしと思へるはなし。ヰリアムは盾に凝《こ》る血の痕を見て「汝われをも呪ふか」と劔を以て三たび夜叉《やしや》の面《おもて》を叩く。ルーファスは「烏なれば闇にも隱れん月照らぬ間《ま》に斬つて棄てよ」と息捲《いきま》く。シワルドばかりは額の奧に嵌《は》め込まれたる如き双の眼《まなこ》を放つて高く天主を見詰めたるまゝ一言《ひとこと》もいはぬ。
 海より吹く風、海へ吹く風と變りて、碎くる浪と浪の間にも新たに天地の響を添へる。塔を繞《めぐ》る音、壁にあたる音の次第に募ると思ふうち、城の内にて俄かに人の騷ぐ氣合《けはひ》がする。それが漸々《だん/\》烈敷《はげし》くなる。千里の深きより來る地震の秒を刻み分《ふん》を刻んで押し寄せるなと心付けば其が夜鴉《よがらす》の城の眞下で破裂したかと思ふ響がする。――シワルドの眉は毛蟲を撲《う》ちたるが如く反《そ》り返る。――櫓の窓から黒烟りが吹き出す。夜《よる》の中に夜よりも黒き烟りがむく/\と吹き出す。狹き出口を爭ふが爲めか、烟の量は見る間《ま》に揩オて前なるは押され、後《あと》なるは押し、並《なら》ぶは互に讓るまじとて同時に溢《あふ》れ出づる樣《さま》に見える。吹き募る野分《のわき》は眞《ま》ともに烟を碎いて、丸く渦を卷いて迸《ほとばし》る鼻を、元の如く窓へ壓《お》し返さうとする。風に喰ひ留められた渦は一度になだれて空に流れ込む。暫くすると吹き出す烟りの中に火の粉が交り出す。夫《それ》が見る間に殖える。殖えた火の粉は烟|諸共《もろとも》風に捲かれて大空に舞ひ上《あが》る。城を蔽ふ天の一部が櫓を中心として大《だい》なる赤き圓を描《ゑが》いて、其圓は不規則に海の方《かた》へと動いて行く。火の粉を梨地《なしぢ》に點じた蒔繪《まきゑ》の、瞬時の斷間もなく或は消え或は輝きて、動いて行く圓の内部は一點として活きて動かぬ箇所はない。――「占めた」とシワルドは手を拍つて雀躍《こをどり》する。
 黒烟りを吐き出して、吐き盡したる後《あと》は、太き火?が棒となつて、熱を追ふて突き上る風|諸共《もろとも》、夜の世界に流矢《ながれや》の疾《と》きを射る。飴を※[者/火]て四斗樽大の喞筒《ポンプ》の口から大空に注《そゝ》ぐとも形容される。沸《た》ぎる火の闇に詮なく消ゆるあとより又|沸《た》ぎる火が立ち騰《のぼ》る。深き夜を焦《こが》せとばかり※[者/火]え返る?の聲は、地にわめく人の叫びを小癪なりとて空一面に鳴り渡る。鳴る中に?は碎けて碎けたる粉《こ》が舞ひ上《あが》り舞ひ下《さが》りつゝ海の方《かた》へと廣がる。濁る浪の憤《いきどほ》る色は、怒る響と共に薄黒く認めらるゝ位なれば櫓《やぐら》の周圍は、煤《すゝ》を透《とほ》す日に照さるゝよりも明かである。一枚の火の、丸形に櫓を裏《つゝ》んで飽き足らず、横に這ふて?《ひめがき》の胸先にかゝる。炎は尺を計つて左へ左へと延びる。たま/\一陣の風吹いて、逆に舌先を拂へば、左へ行くべき鋒《ほこさき》を轉じて上に向ふ。旋《めぐ》る風なれば後《うし》ろより不意を襲ふ事もある。順に撫で/\?を馳け拔ける時は上に向へるが又向き直りて行き過ぎし風を追ふ。左へ左へと溶けたる舌は見る間に長くなり、又廣くなる。果《はて》は此所にも一枚の火が出來る、かしこにも一枚の火が出來る。火に包まれたる?《ひめがき》の上を黒き影が行きつ戻りつする。たまには暗き上から明るき中へ消えて入つたぎり再び出て來ぬのもある。
 焦《や》け爛《たゞ》れたる高櫓《たかやぐら》の、機熟してか、吹く風に逆《さから》ひてしばらくは?と共に傾くと見えしが、奈落迄も落ち入らでやはと、三|分《ぶ》二を岩に殘して、倒《さか》しまに崩れか/\る。取り卷く?の一度にパツと天地を燬《や》く時、?《ひめがき》の上に火の如き髪を振り亂して佇《たゝず》む女がある。「クラヽ!」とヰリアムが叫ぶ途端に女の影は消える。燒け出された二頭の馬が鞍付のまゝ宙を飛んで來る。
 疾《と》く走る尻尾を攫みて根元よりスパと拔ける體《てい》なり、先なる馬がヰリアムの前にて礑《はた》ととまる。とまる前足に力餘りて堅き爪の半ばは、斜めに土に喰ひ入る。盾に當る鼻づらの、二寸を隔てゝ夜叉《やしや》の面《おもて》に火の息を吹く。「四つ足も呪はれたか」とヰリアムは我とはなしに鬣《たてがみ》を握りてひらりと高き脊に跨《また》がる。足乘せぬ鐙《あぶみ》は手持無沙汰に太腹を打つて宙に躍る。此時何物か「南の國へ行け」と鐵|被《き》る剛《かた》き手を擧げて馬の尻をしたゝかに打つ。「呪はれた」とヰリアムは馬と共に空《くう》を行く。
 ヰリアムの馬を追ふにあらず、馬のヰリアムに追はるゝにあらず、呪ひの走るなり。風を切り、夜《よる》を裂き、大地に疳走《かんばし》る音を刻んで、呪ひの盡くる所迄走るなり。野を走り盡せば丘に走り、丘を走り下《くだ》れば谷に走り入る。夜は明けたのか日は高いのか、暮れかゝるのか、雨か、霰《あられ》か、野分《のわき》か、木枯か――知らぬ。呪ひは眞一文字に走る事を知るのみぢや。前に當るものは親でも許さぬ、石蹴る蹄《ひづめ》には火花が鳴る。行手を遮《さへぎ》るものは主《しゆ》でも斃せ、闇吹き散らす鼻嵐を見よ。物凄き音の、物凄き人と馬の影を包んで、あつと見る睫《まつげ》の合はぬ間に過ぎ去る許《ばか》りぢや。人か馬か形か影かと惑ふな、只呪ひ其物の吼《たけ》り狂ふて行かんと欲する所に行く姿と思へ。
 ヰリアムは何里飛ばしたか知らぬ。乘り斃した馬の鞍に腰を卸して、右手《めて》に額を抑へて何事をか考へ出《いだ》さんと力《つと》めて居る。死したる人の蘇《よみがへ》る時に、昔《むか》しの我と今の我との、あるは別人の如く、あるは同人の如く、繋《つな》ぐ鎖《くさ》りは情《なさ》けなく切れて、然も何等かの關係あるべしと思ひ惑《まど》ふ樣《さま》である。半時《はんとき》なりとも死せる人の頭腦には、喜怒哀樂の影は宿るまい。空《むな》しき心のふと吾に歸りて在りし昔を想ひ起せば、油然《いうぜん》として雲の湧くが如くに其折々は簇《むら》がり來《きた》るであらう。簇《むら》がり來《きた》るものを入るゝ餘地あればある程、簇《むら》がる物は迅速に腦裏を馳け廻《めぐ》るであらう。ヰリアムが吾に醒めた時の心が水の如く涼しかつた丈《だけ》、今思ひ起す彼此《かれこれ》も送迎に遑《いとま》なき迄、糸と亂れて其頭を惱まして居る。出陣、帆柱の旗、戰《たゝかひ》……と順を立てゝ排列して見る。皆事實としか思はれぬ。「其次に」と頭の奧を探るとぺら/\と黄色な?が見える。「火事だ!」とヰリアムは思はず叫ぶ。火事は構はぬが今心の眼に思ひ浮べた?の中にはクラヽの髪の毛が漾《たゞよ》つて居る。何故《なぜ》あの火の中へ飛び込んで同じ所で死なゝかつたのかとヰリアムは舌打ちをする。「盾の仕業だ」と口の内でつぶやく。見ると盾は馬の頭を三尺|許《ばか》り右へ隔てゝ表を空にむけて横《よこた》はつて居る。
 「是が戀の果《はて》か、呪ひが醒めても戀は醒めぬ」とヰリアムは又|額《ひたひ》を抑へて、己《おの》れを煩悶の海に沈める。海の底に足がついて、世に疎《うと》き迄思ひ入るとき、何處《いづく》よりか、微《かす》かなる糸を馬の尾で摩《こす》る樣な響が聞える。睡《ねむ》るヰリアムは眼を開いてあたりを見廻す。こゝは何處《いづく》とも分らぬが、目の屆く限りは一面の林である。林とは云へ、枝を交へて高き日を遮ぎる一抱《ひとかゝ》へ二抱《ふたかゝ》への大木はない。木は一坪に一本位の割で其|大《おほき》さも徑六七寸位のものゝみであらう。不思議にもそれが皆同じ樹である。枝が幹の根を去る六尺位の所から上を向いて、しなやかな線を描《ゑが》いて生えて居る。其枝が聚《あつ》まつて、中が膨《ふく》れ、上が尖《と》がつて欄干の擬寶珠か、筆の穗の水を含んだ形?をする。枝の悉《こと/”\》くは丸い黄な葉を以て隙間なき迄に綴られて居るから、枝の重《かさ》なる筆の穗〔三字傍点〕は色の變る、面長な葡萄の珠で、穗の重《かさ》なる林の態《さま》は葡萄の房の累々と連《つら》なる趣《おもむ》きがある。下より仰げば少し宛《づゝ》は空も青く見らるゝ。只眼を放つ遙か向《むかふ》の果《はて》に、樹の幹が互に近づきつ、遠《とほざ》かりつ黒く並《なら》ぶ間に、澄み渡る秋の空が鏡の如く光るは心行《こゝろゆ》く眺めである。時々鏡の面《おもて》を羅《うすもの》が過ぎ行く樣《さま》迄《まで》横から見える。地面は一面の苔《こけ》で秋に入つて稍|黄食《きば》んだと思はれる所もあり、又は薄茶に枯れかゝつた邊《へん》もあるが、人の踏んだ痕《あと》がないから、黄は黄なり、薄茶は薄茶の儘、苔と云ふ昔《むか》しの姿を存して居る。こゝかしこに齒朶《しだ》の茂りが平《たひら》かな面《めん》を破つて幽情を添へる許《ばか》りだ。鳥も鳴かぬ風も渡らぬ。寂然《せきぜん》として太古の昔を至る所に描《ゑが》き出して居るが、樹の高からぬのと秋の日の射透《いとほ》すので、左程《さほど》靜かな割合に怖しい感じが少ない。其秋の日は極めて明かな日である。眞上から林を照らす光線が、かの丸い黄な無數の葉を一度に洗つて、林の中は存外明るい。葉の向きは固《もと》より一樣でないから、日を射返す具合も悉《こと/”\》く違ふ。同じ黄ではあるが透明、半透明、濃き、薄き、樣々の趣向を夫々《それ/”\》に凝《こ》らして居る。其れが亂れ、雜《まじ》り、重《かさ》なつて苔の上を照らすから、林の中に居るものは琥珀《こはく》の屏《びやう》を繞《めぐ》らして間接に太陽の光りを浴びる心地である。ヰリアムは醒めて苦しく、夢に落付くといふ容子に見える。糸の音《ね》が再び落ちつきかけた耳朶《じだ》に響く。今度は怪しき音の方へ眼をむける。幹をすかして空の見える反對の方角を見ると――西か東か無論わからぬ――爰《こゝ》許《ばか》りは木が重なり合うて一畝《ひとせ》程は際立つ薄暗さを地に印する中に池がある。池は大きくはない、出來損《できそこな》ひの瓜の樣に狹き幅を木陰《こかげ》に横たへて居る。是も太古の池で中に湛《たゝ》えるのは同じく太古の水であらう、寒氣《さむけ》がする程青い。いつ散つたものか黄な小さき葉が水の上に浮いて居る。こゝにも天《あめ》が下《した》の風は吹く事があると見えて、浮ぶ葉は吹き寄せられて、所々《ところ/”\》にかたまつて居る。群《むれ》を離れて散つて居るのはもとより數へ切れぬ。糸の音《ね》は三たび響く。滑《なめら》かなる坂を、護謨《ゴム》の輪が緩々《ゆる/\》練り上《あが》る如く、低《ひ》くきより自然に高き調子に移りてはたとやむ。
 ヰリアムの腰は鞍を離れた。池の方に眼を向けた儘音ある方《かた》へ徐《おもむ》ろに歩を移す。ぼろ/\と崩るゝ苔の皮の、厚く柔らかなれば、あるく時も、坐れる時の如く林の中は森《しん》として靜かである。足音に我が動くを知るものゝ、音なければ動く事を忘るゝか、ヰリアムは歩むとは思はず只ふら/\と池の汀《みぎは》迄進み寄る。池幅の少しく逼りたるに、臥す牛を欺く程の岩が向側《むかふがは》から半《なか》ば岸に沿ふて蹲踞《うづくま》れば、ヰリアムと岩との間は僅か一丈|餘《よ》ならんと思はれる。其岩の上に一人の女が、眩《まば》ゆしと見ゆる迄|紅《くれなゐ》なる衣《ころも》を着て、知らぬ世の樂器を彈くともなしに彈いて居る。碧《みど》り積む水が肌《はだ》に沁《し》む寒き色の中に、此女の影を倒《さか》しまに※[草冠/?]《ひた》す。投げ出《いだ》したる足の、長き裳《もすそ》に隱くるゝ末迄明かに寫る。水は元より動かぬ、女も動かねば影も動かぬ。只弓を擦《す》る右の手が糸に沿ふてゆるく搖《うご》く。頭《かしら》を纒ふ、糸に貫《つらぬ》いた眞珠の飾りが、湛然《たんぜん》たる水の底に明星程の光を放つ。黒き眼の黒き髪の女である。クラヽとは似ても似つかぬ。女はやがて歌ひ出す。
 「岩の上なる我《われ》がまこと〔三字傍点〕か、水の下なる影がまこと〔三字傍点〕か」
 清く淋《さび》しい聲である。風の度《わた》らぬ梢から黄な葉がはら/\と赤き衣にかゝりて、池の面《おもて》に落ちる。靜かな影がちよと動いて、又元に還《かへ》る。ヰリアムは茫然として佇《たゝ》ずむ。
 「まこと〔三字傍点〕とは思ひ詰めたる心の影を。心の影を僞《いつは》りと云ふが僞《いつは》り」女靜かに歌いやんで、ヰリアムの方《かた》を顧みる。ヰリアムは瞬きもせず女の顔を打ち守る。
 「戀に口惜《くや》しき命の占《うら》を、盾に問へかし、まぼろし〔四字傍点〕の盾」
 ヰリアムは崖を飛ぶ牡鹿《をじか》の如く、踵《くびす》をめぐらして、盾をとつて來る。女「只懸命に盾の面《おもて》を見給へ」と云ふ。ヰリアムは無言の儘盾を抱《いだ》いて、池の縁《ふち》に坐る。寥廓《れうくわく》なる天《てん》の下、蕭瑟《せうしつ》なる林の裏《うち》、幽冷なる池の上に音と云ふ程の音は何にも聞えぬ。只ヰリアムの見詰めたる盾の内輪《ないりん》が、例の如く環《めぐ》り出すと共に、昔《むか》しながらの微《かす》かな聲が彼の耳を襲ふのみである。「盾の中《うち》に何をか見る」と女は水の向《むかふ》より問ふ。「ありとある蛇の毛の動くは」とヰリアムが眼を放たずに答へる。「物音は?」「鵞筆《がひつ》の紙を走る如くなり」
 「迷ひては、迷ひてはしきりに動く心なり、音なき方《かた》に音をな聞きそ、音をな聞きそ」と女|半《なか》ば歌ふが如く、半《なか》ば語るが如く、岸を隔てゝヰリアムに向けて手を波の如くふる。動く毛の次第にやみて、鳴る音も自《おのづ》から絶ゆ。見入る盾の模樣は霞むかと疑はれて程なく盾の面《おもて》に黒き幕かゝる。見れども見えず、聞けども聞えず、常闇《とこやみ》の世に住む我を怪しみて「暗し、暗し」と云ふ。わが呼ぶ聲のわれにすら聞かれぬ位|幽《かす》かなり。
 「闇に烏を見ずと嘆かば、鳴かぬ聲さへ聞かんと戀はめ、――身をも命も、闇に捨てなば、身をも命も、闇に拾はば、嬉しからうよ」と女の歌ふ聲が百尺《ひやくせき》の壁を洩れて、蜘蛛の圍《ゐ》の細き通ひ路より來《きた》る。歌はしばし絶えて弓|擦《す》る音の風誘ふ遠きより高く低く、ヰリアムの耳に限りなき清凉の氣を吹く。其時暗き中に一點|白玉《はくぎよく》の光が點ぜらるゝ。見るうちに大きくなる。闇のひくか、光りの進むか、ヰリアムの眼の及ぶ限りは、四面|空蕩萬里《くうたうばんり》の層氷《そうひよう》を建て連らねたる如く豁《ほがら》かになる。頭《かしら》を蔽ふ天もなく、足を乘する地もなく冷瓏虚無《れいろうきよむ》の眞中《まなか》に一人立つ。
 「君は今いづくに居《お》はすぞ」と遙かに問ふは彼《か》の女《をんな》の聲である。
 「無の中《うち》か、有《う》の中《うち》か、玻璃瓶《ハリびん》の中《うち》か」とヰリアムが蘇《よみ》がへれる人の樣に答へる。彼の眼はまだ盾を離れぬ。
 女は歌ひ出す。「以太利亞《イタリア》の、以太利亞《イタリア》の海紫に夜明けたり」
 「廣い海がほの/”\とあけて、……橙色《だい/”\いろ》の日が浪から出る」とヰリアムが云ふ。彼の眼は猶《なほ》盾を見詰めて居る。彼の心には身も世も何もない。只盾がある。髪毛の末から、足の爪先に至るまで、五臓六腑を擧げ、耳目口鼻《じもくこうび》を擧げて悉《こと/”\》く幻影《まぼろし》の盾である。彼の總身《そうしん》は盾になり切つて居る。盾はヰリアムでヰリアムは盾である。二つのものが純一無雜の清淨界《しやうじやうかい》にぴたりと合ふたとき――以太利亞《イタリア》の空は自《おのづ》から明けて、以太利亞《イタリア》の日は自《おのづ》から出る。
 女は又歌ふ。「帆を張れば、舟も行くめり、帆柱に、何を掲げて……」
 「赤だつ」とヰリアムは盾の中に向つて叫ぶ。「白い帆が山影を横ぎつて、岸に近づいて來る。三本の帆柱の左右は知らぬ、中なる上に春風《しゆんぷう》を受けて棚曳《たなび》くは、赤だ、赤だクラヽの舟だ」……舟は油の如く平《たひら》なる海を滑つて難なく岸に近づいて來る。舳《へさき》に金色《きんいろ》の髪を日に亂して伸び上るは言ふ迄もない、クラヽである。
 こゝは南の國で、空には濃き藍を流し、海にも濃き藍を流して其中に横《よこた》はる遠山《とほやま》も又濃き藍を含んで居る。只春の波のちよろ/\と磯を洗ふ端《はし》丈《だけ》が際限なく長い一條の白布《はくふ》と見える。丘には橄欖《かんらん》が深緑《ふかみど》りの葉を暖かき日に洗はれて、其葉裏には百千鳥《もゝちどり》をかくす。庭には黄な花、赤い花、紫の花、紅《くれなゐ》の花――凡《すべ》ての春の花が、凡ての色を盡くして、咲きては亂れ、亂れては散り、散りては咲いて、冬知らぬ空を誰に向つて誇る。
 暖かき草の上に二人が坐つて、二人共に青絹を敷いた樣な海の面《おもて》を遙かの下に眺めて居る。二人共に斑入《ふい》りの大理石の欄干に身を靠《もた》せて、二人共に足を前に投げ出して居る。二人の頭の上から欄干を斜めに林檎の枝が花の蓋《かさ》をさしかける。花が散ると、あるときはクラヽの髪の毛にとまり、ある時はヰリアムの髪の毛にかゝる。又ある時は二人の頭と二人の袖にはら/\と一度にかゝる。枝から釣るす籠の内で鸚鵡《あうむ》が時々けたゝましい音《ね》を出す。
 「南方の日の露に沈まぬうちに」とヰリアムは熱き唇をクラヽの唇につける。二人の唇の間に林檎の花の一片《ひとひら》がはさまつて濡れたまゝついて居る。
 「此國の春は長《とこし》へぞ」とクラヽ窘《たしな》める如くに云ふ。ヰリアムは嬉しき聲に Druerie ! と呼ぶ。クラヽも同じ樣に Druerie ! と云ふ。籠の中なる鸚鵡《あうむ》が Druerie ! と鋭どき聲を立てる。遙か下なる春の海もドルエリと答へる。海の向ふの遠山もドルエリと答へる。丘を蔽ふ凡《すべ》ての橄欖《かんらん》と、庭に咲く黄な花、赤い花、紫の花、紅《くれなゐ》の花――凡《すべ》ての春の花と、凡《すべ》ての春の物が皆一齊にドルエリと答へる。――是は盾の中の世界である。而してヰリアムは盾である。
 百年の齡《よは》ひは目出度も難有《ありがた》い。然しちと退屈ぢや。樂《たのしみ》も多からうが憂《うれひ》も長からう。水臭い麥酒《ビール》を日毎に浴びるより、舌を燒く酒精《アルコール》を半滴味はう方が手間がかゝらぬ。百年を十で割り、十年を百で割つて、剰《あま》す所の半時《はんとき》に百年の苦樂を乘《じよう》じたら矢張り百年の生を享《う》けたと同じ事ぢや。泰山もカメラの裏《うち》に収まり、水素も冷ゆれば液となる。終生の情《なさ》けを、分《ふん》と縮め、懸命の甘きを點と凝《こ》らし得るなら――然しそれが普通の人に出來る事だらうか? ――此猛烈な經驗を甞《な》め得《え》たものは古徃今來ヰリアム一人《いちにん》である。(二月十八日)
(2005.11.6(日)午後3時10分、修正終了、2016年6月6日(月)午前11時25分再校終了。)
 
   琴のそら音
 ――明治三十八、五、一――
 
 「珍らしいね、久しく來なかつたぢやないか」と津田《つだ》君が出過ぎた洋燈《ランプ》の穗を細めながら尋ねた。
 津田君がかう云つた時、余ははち切れて膝頭の出さうなヅズボンの上で、相馬燒《さうまやき》の茶碗《ちやわん》の糸底《いとぞこ》を三本指でぐる/\廻しながら考へた。成程珍らしいに相違ない、此正月に顔を合せたぎり、花盛りの今日《けふ》迄《まで》津田君の下宿を訪問した事はない。
 「來《き》やう/\と思ひながら、つい忙がしいものだから――」
 「そりあ、忙がしいだらう、何と云つても學校に居たうちとは違ふからね、此頃でも矢張り午後六時迄かい」
 「まあ大概その位さ、家《うち》へ歸つて飯を食ふとそれなり寢て仕舞ふ。勉強|所《どころ》か湯にも碌々《ろく/\》這入らない位だ」と余は茶碗を疊の上へ置いて、卒業が恨めしいと云ふ顔をして見せる。
 津田君は此|一言《いちごん》に少々同情の念を起したと見えて「成程少し瘠せた樣だぜ、餘程苦しいのだらう」と云ふ。氣のせいか當人は學士になつてから少々肥つた樣に見えるのが癪に障る。机の上に何だか面白さうな本を廣げて右の頁の上に鉛筆で註が入れてある。こんな閑《ひま》があるかと思ふと羨ましくもあり、忌々《いま/\》しくもあり、同時に吾身が恨めしくなる。
 「君は不相變《あひかはらず》勉強で結構だ、其讀みかけてある本は何かね。ノート抔《など》を入れて大分《だいぶ》叮嚀に調べて居るぢやないか」
 「是か、なに是は幽靈の本さ」と津田君は頗る平氣な顔をして居る。此|忙《いそが》しい世の中に、流行《はや》りもせぬ幽靈の書物を澄まして愛讀する抔《など》といふのは、呑氣《のんき》を通り越して贅澤《ぜいたく》の沙汰だと思ふ。
 「僕も氣樂に幽靈でも研究して見たいが、――どうも毎日芝から小石川の奧迄歸るのだから研究は愚か、自分が幽靈になりさうな位さ、考へると心細くなつて仕舞ふ」
 「さうだつたね、つい忘れて居た。どうだい新世帶《しんじよたい》の味は。一戸を構へると自《おのづ》から主人らしい心持がするかね」と津田君は幽靈を研究する丈《だけ》あつて心理作用に立ち入つた質問をする。
 「あんまり主人らしい心持もしないさ。矢ツ張り下宿の方が氣樂でいゝ樣だ。あれでも萬事整頓して居たら旦那の心持と云ふ特別な心持になれるかも知れんが、何しろ眞鍮《しんちゆう》の藥罐《やくわん》で湯を沸かしたり、ブリッキの金盥《かなだらひ》で顔を洗つてる内は主人らしくないからな」と實際の所を白?する。
 「夫《それ》でも主人さ。是が俺のうちだと思へば何となく愉快だらう。所有と云ふ事と愛惜《あいせき》といふ事は大抵の場合に於て伴なうのが原則だから」と津田君は心理學的に人の心を説明して呉れる。學者と云ふものは頼みもせぬ事を一々説明してくれる〔三字傍点〕者である。
 「俺の家《うち》だと思ばどうか知らんが、てんで俺の家《うち》だと思ひ度くないんだからね。そりや名前|丈《だけ》は主人に違ひないさ。だから門口《かどぐち》にも僕の名刺|丈《だけ》は張り付けて置いたがね。七圓五十錢の家賃の主人なんざあ、主人にしたところが見事な主人ぢやない。主人中の屬官なるものだあね。主人になるなら勅任主人か少なくとも奏任主人にならなくつちや愉快はないさ。只下宿の時分より面倒が殖える許《ばか》りだ」と深くも考へずに浮氣《うはき》の不平|丈《だけ》を發表して相手の氣色《けしき》を窺ふ。向ふが少しでも同意したら、すぐ不平の後陣《ごぢん》を繰り出す積りである。
 「成程眞理は其邊にあるかも知れん。下宿を續けて居る僕と、新たに一戸を構へた君とは自《おのづ》から立脚地が違ふからな」と言語は頗る六づかしいが兎に角余の説に賛成|丈《だけ》はしてくれる。此模樣ならもう少し不平を陳列しても差《さ》し支《つかへ》はない。
 「先づうちへ歸ると婆さんが横|綴《と》ぢの帳面を持つて僕の前へ出てくる。今日《こんにち》は御味噌を三錢、大根を二本、鶉豆《うづらまめ》を一錢五厘買ひましたと精密なる報告をするんだね。厄介極まるのさ」
 「厄介極まるなら廢《よ》せばいゝぢやないか」と津田君は下宿人|丈《だけ》あつて無雜作な事を言ふ。
 「僕は廢《よ》してもいゝが婆さんが承知しないから困る。そんな事は一々聞かないでもいゝから好《いゝ》加減にして呉れと云ふと、どう致しまして、奧樣の入らつしやらない御家《おうち》で、御臺所を預かつて居ります以上は一錢一厘でも間違ひがあつてはなりません、てつて頑《ぐわん》として主人の云ふ事を聞かないんだからね」
 「夫《それ》ぢやあ、只うん/\云つて聞いてる振をして居りや宜《よ》からう」津田君は外部の刺激の如何《いかん》に關せず心は自由に働き得ると考へて居るらしい。心理學者にも似合しからぬ事だ。
 「然し夫《それ》丈《だけ》ぢやないのだからな。精細なる會計報告が濟むと、今度は翌日《あす》の御菜《おかず》に就て綿密な指揮を仰ぐのだから弱る」
 「見計らつて調理《こしら》へろと云へば好いぢやないか」
 「所が當人見計らふ丈《だけ》に、御菜《おかず》に關して明瞭なる觀念がないのだから仕方がない」
 「それぢや君が云ひ付けるさ。御菜《おかず》のプログラム位譯ないぢやないか」
 「夫《それ》が容易《たやす》く出來る位なら苦にやならないさ。僕だつて御菜《おかず》上の智識は頗る乏しいやね。明日《あした》の御みおつけ〔四字傍点〕の實《み》は何に致しませうとくると、最初から即答は出來ない男なんだから……」
 「何だい御みおつけ〔四字傍点〕と云ふのは」
 「味噌汁の事さ。東京の婆さんだから、東京流に御みおつけ〔四字傍点〕と云ふのだ。先づ其《その》汁の實《み》を何に致しませうと聞かれると、實になり得べき者を秩序正しく並《なら》べた上で選擇をしなければならんだらう。一々考へ出すのが第一の困難で、考へ出した品物に就て取捨をするのが第二の困難だ」
 「そんな困難をして飯を食つてるのは情ない譯だ、君が特別に數奇《すき》なものが無いから困難なんだよ。二個以上の物體を同等の程度で好惡《かうを》するときは決斷力の上に遅鈍なる影響を與へるのが原則だ」と又分り切つた事を態々《わざ/\》六づかしくして仕舞ふ。
 「味噌汁の實迄相談するかと思ふと、妙な所へ干渉するよ」
 「へえ、矢張り食物上にかね」
 「うん、毎朝梅干に白砂糖を懸けて來て是非一つ食へツて云ふんだがね。之を食はないと婆さん頗る御機嫌が惡いのさ」
 「食へばどうかするのかい」
 「何でも厄病除《やくびやうよけ》のまじなひださうだ。さうして婆さんの理由が面白い。日本中ど此宿屋へ泊つても朝、梅干を出さない所はない。まじなひが利かなければ、こんなに一般の習慣となる譯がないと云つて得意に梅干を食はせるんだからな」
 「成程|夫《それ》は一理あるよ、凡《すべ》ての習慣は皆相應の功力があるので維持せらるるのだから、梅干だつて一概に馬鹿には出來ないさ」
 「なんて君迄婆さんの肩を持つた日にや、僕は愈《いよ/\》主人らしからざる心持に成つて仕舞はあ」と飲みさしの卷烟草を火鉢の灰の中へ擲《たゝ》き込む。燃え殘りのマツチの散る中に、白いものがさと動いて斜めに一の字が出來る。
 「兎に角舊弊な婆さんだな」
 「舊弊はとくに卒業して迷信|婆々《ばゝあ》さ。何でも月に二三返は傳通院邊の何とか云ふ坊主の所へ相談に行く樣子だ」
 「親類に坊主でもあるのかい」
 「なに坊主が小遣取りに占《うらな》ひをやるんだがね。其坊主が又余計な事|許《ばか》り言ふもんだから始末に行かないのさ。現に僕が家《うち》を持つ時|抔《など》も鬼門《きもん》だとか八方塞《はつぱうふさが》りだとか云つて大《おほい》に弱らしたもんだ」
 「だつて家《うち》を持つてから其婆さんを雇つたんだらう」
 「雇つたのは引き越す時だが約束は前からして置いたのだからね。實はあの婆々《ばゝあ》も四谷の宇野《うの》の世話で、是なら大丈夫だ獨りで留守をさせても心配はないと母が云ふから極めた譯さ」
 「夫《それ》なら君の未來の妻君の御母《おつか》さんの御眼鏡《おめがね》で人撰《にんせん》に預《あづか》つた婆さんだから慥《たし》かなもんだらう」
 「人間は慥《たし》かに相違ないが迷信には驚いた。何でも引き越すと云ふ三日前に例の坊主の所へ行つて見て貰つたんださうだ。すると坊主が今本郷から小石川の方へ向いて動くのは甚だよくない、屹度《きつと》家内に不幸があると云つたんだがね。――餘計な事ぢやないか、何も坊主の癖にそんな知つた風な妄言《まうごん》を吐かんでもの事だあね」
 「然しそれが商賣だから仕樣《しやう》がない」
 「商賣なら勘辨してやるから、金|丈《だけ》貰つて當り障りのない事を喋舌《しやべ》るがいゝや」
 「さう怒つても僕の咎《とが》ぢやないんだから埓《らち》はあかんよ」
 「其上若い女に祟《たゝ》ると御負けを附加《つけた》したんだ。さあ婆さん驚くまい事か、僕のうちに若い女があるとすれば近い内貰ふ筈の宇野の娘に相違ないと自分で見解を下《くだ》して獨りで心配して居るのさ」
 「だつて、まだ君の所へは來んのだらう」
 「來んうちから心配をするから取越苦勞さ」
 「何だか洒落《しやれ》か眞面目か分らなくなつて來たぜ」
 「丸《まる》で御話にも何もなりやしない。所で近頃僕の家《うち》の近邊で野良犬が遠吠をやり出したんだ。……」
 「犬の遠吠と婆さんとは何か關係があるのかい。僕には聯想さへ浮ばんが」と津田君は如何に得意の心理學でも是は説明が出來|惡《にく》いと一寸眉を寄せる。余はわざと落ち付き拂つて御茶を一杯と云ふ。相馬燒の茶碗は安くて俗な者である。もとは貧乏士族が内職に燒いたとさへ傳聞して居る。津田君が三十|匁《め》の出殼《でがら》を浪々《なみ/\》此安茶碗についでくれた時余は何となく厭な心持がして飲む氣がしなくなつた。茶碗の底を見ると狩野法眼元信流《かのうほふげんもとのぶりう》の馬が勢よく跳ねて居る。安いに似合はず活?な馬だと感心はしたが、馬に感心したからと云つて飲みたくない茶を飲む義理もあるまいと思つて茶碗は手に取らなかつた。
 「さあ飲み給へ」と津田君が促がす。
 「此馬は中々勢がいゝ。あの尻尾《しつぽ》を振つて鬣《たてがみ》を亂して居る所は野馬《のんま》だね」と茶を飲まない代りに馬を賞めてやつた。
 「冗談ぢやない、婆さんが急に犬になるかと、思ふと、犬が急に馬になるのは烈しい。夫《それ》からどうしたんだ」と頻りに後《あと》を聞きたがる。茶は飲まんでも差し支へない事となる。
 「婆さんが云ふには、あの鳴き聲は唯の鳴き聲ではない、何でも此邊に變があるに相違ないから用心しなくてはいかんと云ふのさ。然し用心をしろと云つたつて別段用心の仕樣《しやう》もないから打ち遣つて置くから構はないが、うるさいには閉口だ」
 「そんなに鳴き立てるのかい」
 「なに犬はうるさくも何ともないさ。第一僕はぐう/\寐て仕舞ふから、いつどんなに吠ゑるのか全く知らん位さ。然し婆さんの訴へは僕の起きて居る時を擇《えら》んで來るから面倒だね」
 「成程|如何《いか》に婆さんでも君の寐て居る時をよつて御氣を御付け遊ばせとも云ふまい」
 「所へもつて來て僕の未來の細君が風邪を引いたんだね。丁度婆さんの御誂《おあつら》へ通りに事件が輻輳《ふくそう》したからたまらない」
 「それでも宇野の御孃さんはまだ四谷に居るんだから心配せんでも宜《よ》さゝうなものだ」
 「それを心配するから迷信|婆々《ばゞあ》さ、あなたが御移りにならんと御孃樣の御病氣がはやく御全快になりませんから是非此月|中《ぢゆう》に方角のいゝ所へ御轉宅遊ばせと云ふ譯さ。飛んだ預言者に捕《つら》まつて、大迷惑だ」
 「移るのもいゝかも知れんよ」
 「馬鹿あ言つてら、此間越した許《ばか》りだね。そんなに度々引越しをしたら身代限《しんだいかぎり》をする許《ばか》りだ」
 「然し病人は大丈夫かい」
 「君迄妙な事を言ふぜ。少々傳通院の坊主にかぶれて來たんぢやないか。そんなに人を威嚇《おど》かすもんぢやない」
 「威嚇《おど》かすんぢやない、大丈夫かと聞くんだ。是でも君の妻君の身の上を心配した積《つもり》なんだよ」
 「大丈夫に極《きま》つてるさ。咳嗽《せき》は少し出るがインフルエンザなんだもの」
 「インフルエンザ?」と津田君は突然余を驚かす程な大きな聲を出す。今度は本當に威嚇《おど》かされて、無言の儘津田君の顔を見詰める。
 「よく注意し給へ」と二句目は低い聲で云つた。初めの大きな聲に反して此低い聲が耳の底をつき拔けて頭の中へしんと浸み込んだ樣な氣持がする。何故《なぜ》だか分らない。細い針は根迄這入る、低くても透《とほ》る聲は骨に答へるのであらう。碧瑠璃《へきるり》の大空に瞳《ひとみ》程な黒き點をはたと打たれた樣な心持ちである。消えて失《う》せるか、溶けて流れるか、武庫山卸《むこやまおろ》しにならぬとも限らぬ。此瞳程な點の運命は是から津田君の説明で決せられるのである。余は覺えず相馬燒の茶碗を取り上げて冷たき茶を一時《いちじ》にぐつと飲み干した。
 「注意せんといかんよ」と津田君は再び同じ事を同じ調子で繰り返す。瞳ほどな點が一段の黒味を揩キ。然し流れるとも廣がるとも片付かぬ。
 「縁喜《えんぎ》でもない、いやに人を驚かせるぜ。ワハヽヽヽヽ」と無理に大きな聲で笑つて見せたが、腑の拔けた勢のない聲が無意味に響くので、我ながら氣が付いて中途でぴたりと已《や》めた。やめると同時に此笑が愈《いよ/\》不自然に聞かれたので矢張り仕舞迄笑ひ切れば善かつたと思ふ。津田君は此笑を何と聞いたか知らん。再び口を開《ひら》いた時は依然として以前の調子である。
 「いや實は斯う云ふ話がある。つい此間の事だが、僕の親戚の者が矢張りインフルエンザに罹《かゝ》つてね。別段の事はないと思つて好《いゝ》加減にして置いたら、一週間目から肺炎に變じて、とう/\一箇月立たない内に死んで仕舞つた。其時醫者の話さ。此頃のインフルエンザは性《たち》が惡い、ぢきに肺炎になるから用心をせんといかんと云つたが――實に夢の樣さ。可哀さうでね」と言ひ掛けて厭な寒い顔をする。
 「へえ、それは飛んだ事だつた。どうして又肺炎|抔《など》に變じたのだ」と心配だから參考の爲め聞いて置く氣になる。
 「どうしてつて、別段の事情もないのだが――夫《それ》だから君のも注意せんといかんと云ふのさ」
 「本當だね」と余は滿腹の眞面目を此四文字に籠めて、津田君の眼の中を熱心に覗き込んだ。津田君はまだ寒い顔をして居る。
 「いやだ/\、考へてもいやだ。二十二や三で死んでは實につまらんからね。しかも所天《をつと》は戰爭に行つてるんだから――」
 「ふん、女か? そりや氣の毒だなあ。軍人だね」
 「うん所天《をつと》は陸軍中尉さ。結婚してまだ一年にならんのさ。僕は通夜《つや》にも行き葬式の供にも立つたが――其夫人の御母《おつか》さんが泣いてね――」
 「泣くだらう、誰だつて泣かあ」
 「丁度葬式の當日は雪がちら/\降つて寒い日だつたが、御經が濟んで愈《いよ/\》棺を埋《う》める段になると、御母《おつか》さんが穴の傍《そば》へしやがんだぎり動かない。雪が飛んで頭の上が斑《まだら》になるから、僕が蝙蝠傘《かうもり》をさし懸けてやつた」
 「それは感心だ、君にも似合はない優しい事をしたものだ」
 「だつて氣の毒で見て居られないもの」
 「さうだらう」と余は又|法眼元信《ほふげんもとのぶ》の馬を見る。自分ながら此時は相手の寒い顔が傳染して居るに相違ないと思つた。咄嗟《とつさ》の間に死んだ女の所天《をつと》の事が聞いて見たくなる。
 「それで其|所天《をつと》の方は無事なのかね」
 「所天《をつと》は黒木軍に附いて居るんだが、此方はまあ幸《さいはひ》に怪我もしない樣だ」
 「細君が死んだと云ふ報知を受取つたら嘸《さぞ》驚いたらう」
 「いや、それに付いて不思議な話があるんだがね、日本から手紙の屆かない先に細君がちやんと亭主の所へ行つて居るんだ」
 「行つてるとは?」
 「逢ひに行つてるんだ」
 「どうして?」
 「どうしてつて、逢ひに行つたのさ」
 「逢ひに行くにも何にも當人死んでるんぢやないか」
 「死んで逢ひに行つたのさ」
 「馬鹿あ云つてら、いくら亭主が戀しいつたつて、そんな藝が誰に出來るもんか。丸《まる》で林屋正三の怪談だ」
 「いや實際行つたんだから、仕樣《しやう》がない」と津田君はヘ育ある人にも似合ず、頑固に愚《ぐ》な事を主張する。
 「仕樣《しやう》がないつて――何だか見て來た樣な事を云ふぜ。可笑《をか》しいな、君本當にそんな事を話してるのかい」
 「無論本當さ」
 「是りや驚いた。丸《まる》で僕のうちの婆さんの樣だ」
 「婆さんでも爺さんでも事實だから仕方がない」と津田君は愈《いよ/\》躍起《やくき》になる。どうも余にからかつて居る樣にも見えない。はてな眞面目で云つて居るとすれば何か曰くのある事だらう。津田君と余は大學へ入《はい》つてから科は違ふたが、高等學校では同じ組に居た事もある。其時余は大概四十何人の席末を汚すのが例であつたのに、先生は?然《きぜん》として常に二三番を下《くだ》らなかつた所をもつて見ると、頭腦は余よりも三十五六枚|方《がた》明晰に相違ない。其津田君が躍起になる迄辯護するのだから滿更《まんざら》の出鱈目ではあるまい。余は法學士である、刻下の事件を有の儘に見て常識で捌《さば》いて行くより外に思慮を廻《めぐ》らすのは能はざるよりも寧ろ好まざる所である。幽靈だ、祟《たゝり》だ、因縁だ抔《など》と雲を攫《つか》む樣な事を考へるのは一番|嫌《きらひ》である。が津田君の頭腦には少々恐れ入つて居る。其恐れ入つてる先生が眞面目に幽靈談をするとなると、余も此問題に對する態度を義理にも改めたくなる。實を云ふと幽靈と雲助は維新以來永久廢業した者とのみ信じて居たのである。然るに先刻《さつき》から津田君の容子を見ると、何だか此幽靈なる者が余の知らぬ間《ま》に再興された樣にもある。先刻《さつき》机の上にある書物は何かと尋ねた時にも幽靈の書物だとか答へたと記憶する。兎に角損はない事だ。忙がしい余に取つてはこんな機會は又とあるまい。後學の爲め話|丈《だけ》でも拝聽して歸らうと漸く肚《はら》の中で決心した。見ると津田君も話の續きが話したいと云ふ風である。話したい、聞きたいと事が極れば譯はない。漢水は依然として西南に流れるのが千古の法則だ。
 「段々聞き糺《たゞ》して見ると、其妻と云ふのが夫《をつと》の出征前に誓つたのださうだ」
 「何を?」
 「もし萬一御留守中に病氣で死ぬ樣な事がありましても只は死にませんて」
 「へえ」
 「必ず魂魄|丈《だけ》は御傍へ行つて、もう一遍御目に懸りますと云つた時に、亭主は軍人で磊落《らいらく》な氣性だから笑ひながら、よろしい、何時《いつ》でも來なさい、戰《いく》さの見物をさしてやるからと云つたぎり滿州へ渡つたんだがね。其後そんな事は丸《まる》で忘れて仕舞つて一向氣にも掛けなかつたさうだ」
 「さうだらう、僕なんざ軍《いく》さに出なくつても忘れて仕舞はあ」
 「それで其男が出立をする時細君が色々手傳つて手荷物|抔《など》を買つてやつた中に、懷中持の小さい鏡があつたさうだ」
 「ふん。君は大變詳しく調べて居るな」
 「なにあとで戰地から手紙が來たので其|?末《てんまつ》が明瞭になつた譯だが。――其鏡を先生常に懷中して居てね」
 「うん」
 「ある朝例の如くそれを取り出して何心なく見たんださうだ。すると其鏡の奧に寫つたのが――いつもの通り髭だらけな垢染《あかじ》みた顔だらうと思ふと――不思議だねえ――實に妙な事があるぢやないか」
 「どうしたい」
 「青白い細君の病氣に窶《やつ》れた姿がスーとあらはれたと云ふんだがね――いえ夫《それ》は一寸信じられんのさ、誰に聞かしても嘘だらうと云ふさ。現に僕|抔《など》も其手紙を見る迄は信じない一人であつたのさ。然し向ふで手紙を出したのは無論こちらから死去の通知の行つた三週間も前なんだぜ。嘘をつくつたつて嘘にする材料のない時ださ。夫《それ》にそんな嘘をつく必要がないだらうぢやないか。死ぬか生きるかと云ふ戰爭中にこんな小説|染《じ》みた呑氣《のんき》な法螺《ほら》を書いて國元へ送るものは一人もない譯ださ」
 「そりや無い」と云つたが實はまだ半信半疑である。半信半疑ではあるが何だか物凄い、氣味の惡い、一言《いちごん》にして云ふと法學士に似合はしからざる感じが起こつた。
 「尤も話しはしなかつたさうだ。黙つて鏡の裏《うち》から夫《をつと》の顔をしけ/”\見詰めたぎりださうだが、其時|夫《をつと》の胸の中《うち》に訣別《けつべつ》の時、細君の言つた言葉が渦の樣に忽然と湧いて出たと云ふんだが、こりやさうだらう。燒小手《やきごて》で腦味噌をじゆつと焚《や》かれた樣な心持だと手紙に書いてあるよ」
 「妙な事があるものだな」手紙の文句迄引用されると是非共信じなければならぬ樣になる。何となく物騷な氣合《けはひ》である。此時津田君がもしワツとでも叫んだら余は屹度《きつと》飛び上つたに相違ない。
 「それで時間を調べて見ると細君が息を引き取つたのと夫《をつと》が鏡を眺めたのが同日同刻になつて居る」
 「愈《いよ/\》不思議だな」是《この》時《とき》に至つては眞面目に不思議と思ひ出した。「然しそんな事が有り得る事かな」と念の爲め津田君に聞いて見る。
 「こゝにもそんな事を書いた本があるがね」と津田君は先刻《さつき》の書物を机の上から取り卸しながら「近頃ぢや、有り得ると云ふ事|丈《だけ》は證明されさうだよ」と落ち付き拂つて答へる。法學士の知らぬ間《ま》に心理學者の方では幽靈を再興して居るなと思ふと幽靈も愈《いよ/\》馬鹿に出來なくなる。知らぬ事には口が出せぬ、知らぬは無能力である。幽靈に關しては法學士は文學士に盲從しなければならぬと思ふ。
 「遠い距離に於て、ある人の腦の細胞と、他の人の細胞が感じて一種の化學的變化を起すと……」
 「僕は法學士だから、そんな事を聞いても分らん。要するにさう云ふ事は理論上あり得るんだね」余の如き頭腦不透明なるものは理窟を承はるより結論|丈《だけ》呑み込んで置く方が簡便である。
 「あゝ、つまりそこへ歸着するのさ。それに此本にも例が澤山あるがね、其内でロード、ブローアムの見た幽靈|抔《など》は今の話しと丸《まる》で同じ場合に屬するものだ。中々面白い。君ブローアムは知つて居るだらう」
 「ブローアム? ブローアムたなんだい」
 「英國の文學者さ」
 「道理で知らんと思つた。僕は自慢ぢやないが文學者の名なんかシエクスピヤとミルトンと其外に二三人しか知らんのだ」
 津田君はこんな人間と學問上の議論をするのは無駄だと思つたか「夫《それ》だから宇野の御孃さんもよく注意し玉ひと云ふ事さ」と話を元へ戻す。
 「うん注意はさせるよ。然し萬一の事がありましたら屹度《きつと》御目に懸りに上りますなんて誓は立てないのだから其方は大丈夫だらう」と洒落《しやれ》て見たが心の中《うち》は何となく不愉快であつた。時計を出して見ると十一時に近い。是は大變。うちでは嘸《さぞ》婆さんが犬の遠吠を苦にして居るだらうと思ふと、一刻も早く歸りたくなる。「いづれ其内婆さんに近付きになりに行くよ」と云ふ津田君に「御馳走をするから是非來給へ」と云ひながら白山御殿町の下宿を出る。
 我からと惜氣《をしげ》もなく咲いた彼岸櫻に、愈《いよ/\》春が來たなと浮かれ出したのも僅か二三日《にさんち》の間である。今では櫻自身さへ早待《はやま》つたと後悔して居るだらう。生温《なまぬる》く帽を吹く風に、額際から※[者/火]染《にじ》み出す膏《あぶら》と、粘《ねば》り着く砂埃《すなほこ》りとを一所に拭ひ去つた一昨日《をとゝひ》の事を思ふと、丸《まる》で去年の樣な心持ちがする。それ程きのふから寒くなつた。今夜は一層である。冴返《さえかへ》る抔《など》と云ふ時節でもないに馬鹿々々敷いと外套の襟を立てゝ盲?學校の前から植物園の横をだら/\と下りた時、どこで撞《つ》く鐘だか夜《よる》の中に波を描いて、靜かな空をうねりながら來る。十一時だなと思ふ。――時の鐘は誰が發明したものか知らん。今迄は氣が付かなかつたが注意して聽いて見ると妙な響である。一つ音が粘《ねば》り強い餠を引き千切《ちぎ》つた樣に幾つにも割れてくる。割れたから縁が絶えたかと思ふと細くなつて、次の音に繋がる。繋がつて太くなつたかと思ふと、又筆の穗の樣に自然と細くなる。――あの音はいやに伸びたり縮んだりするなと考へながら歩行《ある》くと、自分の心臓の鼓動も鐘の波のうねりと共に伸びたり縮んだりする樣に感ぜられる。仕舞には鐘の音にわが呼吸を合せ度くなる。今夜はどうしても法學士らしくないと、足早に交番の角を曲るとき、冷たい風に誘はれてポツリと大粒の雨が顔にあたる。
 極樂水〔三字傍点〕はいやに陰氣なところである。近頃は兩側へ長家《ながや》が建つたので昔程|淋《さみ》しくはないが、其長家が左右共|闃然《げきぜん》として空家《あきや》の樣に見えるのは餘り氣持のいゝものではない。貧民に活動はつき物である。働いて居らぬ貧民は、貧民たる本性を遺失して生きたものとは認められぬ。余が通り拔ける極樂水《ごくらくみづ》の貧民は打てども蘇《よ》み返《がへ》る景色《けしき》なき迄に靜かである。――實際死んで居るのだらう。ポツリ/\と雨は漸く濃《こま》かになる。傘《かさ》を持つて來なかつた、殊によると歸る迄にはずぶ濡になる哩《わい》と舌打をしながら空を仰ぐ。雨は闇の底から蕭々《せう/\》と降る、容易に晴れさうにもない。
 五六間先にたちまち白い者が見える。徃來の眞中に立ち留つて、首を延《のば》して此白い者をすかして居るうちに、白い者は容赦もなく余の方へ進んでくる。半分《はんぶん》と立たぬ間《ま》に余の右側を掠《かす》める如く過ぎ去つたのを見ると――蜜柑箱の樣なものに白い巾《きれ》をかけて、黒い着物をきた男が二人、棒を通して前後から擔いで行くのである。大方葬式か燒場であらう。箱の中のは乳飲子《ちのみご》に違ひない。黒い男は互に言葉も交へずに黙つて此棺桶を擔《かつ》いで行く。天下に夜中《やちゆう》棺桶を擔ふほど、當然の出來事はあるまいと、思ひ切つた調子でコツ/\擔いで行く。闇に消える棺桶を暫くは物珍らし氣に見送つて振り返つた時、又行手から人聲が聞え出した。高い聲でもない、低い聲でもない、夜が更けて居るので存外反響が烈しい。
 「昨日《きのふ》生れて今日《けふ》死ぬ奴もあるし」と一人が云ふと「壽命だよ、全く壽命だから仕方がない」と一人が答へる。二人の黒い影が又余の傍《そば》を掠《かす》めて見る間に闇の中へもぐり込む。棺の後《あと》を追つて足早に刻む下駄の音のみが雨に響く。
 「昨日生れて今日死ぬ奴もあるし」と余は胸の中《うち》で繰り返して見た。昨日生まれて今日死ぬ者さへあるなら、昨日病氣に罹つて今日死ぬ者は固《もと》よりあるべき筈である。二十六年も娑婆の氣を吸つたものは病氣に罹らんでも充分死ぬ資格を具へて居る。かうやつて極樂水《ごくらくみづ》を四月三日の夜の十一時に上《のぼ》りつゝあるのは、ことによると死にゝ上つてるのかも知れない。――何だか上りたくない。暫らく坂の中途で立つて見る。然し立つて居るのは、殊によると死にゝ立つて居るのかも知れない。――又|歩行《ある》き出す。死ぬと云ふ事が是程人の心を動かすとは今迄つい氣が付かなんだ。氣が付いて見ると立つても歩行《ある》いても心配になる、此樣子では家《うち》へ歸つて蒲團の中へ這入つても矢張り心配になるかも知れぬ。何故《なぜ》今迄は平氣で暮して居たのであらう。考へて見ると學校に居た時分は試驗とベースボールで死ぬと云ふ事を考へる暇がなかつた。卒業してからはペンとインキと夫《それ》から月給の足らないのと婆さんの苦情で矢張り死ぬと云ふ事を考へる暇がなかつた。人間は死ぬ者だとは如何に呑氣《のんき》な余でも承知して居つたに相違ないが、實際余も死ぬものだと感じたのは今夜が生れて以來始めてゞある。夜と云ふ無暗に大きな黒い者が、歩行《ある》いても立つても上下四方から閉ぢ込めて居て、其|中《なか》に余と云ふ形體を溶かし込まぬと承知せぬぞと逼る樣に感ぜらるゝ。余は元來呑氣な丈《だけ》に正直な所、功名心には冷淡な男である。死ぬとしても別に思ひ置く事はない。別に思ひ置く事はないが死ぬのは非常に厭だ、どうしても死に度くない。死ぬのは是程いやな者かなと始めて覺《さと》つた樣に思ふ。雨は段々密になるので外套が水を含んで觸《さは》ると、濡れた海綿を壓《お》す樣にじく/\する。
 竹早町を横ぎつて切支丹坂《きりしたんざか》へかゝる。何故《なぜ》切支丹坂《きりしたんざか》と云ふのか分らないが、此坂も名前に劣らぬ怪しい坂である。坂の上へ來た時、ふと先達《せんだつ》てこゝを通つて「日本一急な坂、命の欲しい者は用心ぢや/\」と書いた張札が土手の横からはすに徃來へ差し出て居るのを滑稽だと笑つた事を思ひ出す。今夜は笑ふ所《どころ》ではない。命の欲しい者は用心ぢやと云ふ文句が聖書にでもある格言の樣に胸に浮ぶ。坂道は暗い。滅多に下りると滑つて尻餠を搗《つ》く。險呑《けんのん》だと八合目あたりから下を見て覘《ねらひ》をつける。暗くて何もよく見えぬ。左の土手から古榎《ふるえのき》が無遠慮に枝を突き出して日の目の通はぬほどに坂を蔽ふて居るから、晝でも此坂を下りる時は谷の底へ落ちると同樣あまり善《い》い心持ではない。榎《えのき》は見えるかなと顔を上げて見ると、有ると思へばあり、無いと思へば無い程な黒い者に雨の注ぐ音が頻りにする。此|暗闇《まつくら》な坂を下りて、細い谷道を傳つて、茗荷谷《めうがだに》を向《むかふ》へ上《あが》つて七八丁行けば小日向臺町の余が家へ歸られるのだが、向《むかふ》へ上がる迄がちと氣味がわるい。
 茗荷谷《めうがだに》の坂の中途に當る位な所に赤い鮮《あざや》かな火が見える。前から見えて居たのか顔をあげる途端に見えだしたのか判然しないが、兎に角雨を透《すか》してよく見える。或は屋敷の門口《もんぐち》に立てゝある瓦斯燈《ガスとう》ではないかと思つて見て居ると、其火がゆらり/\と盆灯籠《ぼんどうろう》の秋風に搖られる具合に動いた。――瓦斯燈《ガスとう》ではない。何だらうと見て居ると今度は其火が雨と闇の中を波の樣に縫つて上から下へ動いて來る。――是は提灯《ちやうちん》の火に相違ないと漸く判斷した時それが不意と消えて仕舞ふ。
 此火を見た時、余ははつと露子《つゆこ》の事を思ひ出した。露子は余が未來の細君の名である。未來の細君と此火とどんな關係があるかは心理學者の津田君にも説明は出來んかも知れぬ。然し心理學者の説明し得るものでなくては思ひ出してならぬとも限るまい。此赤い、鮮《あざや》かな、尾の消える繩に似た火は余をして慥《たし》かに余が未來の細君を咄嗟の際に思ひ出さしめたのである。――同時に火の消えた瞬間が露子の死を未練もなく拈出《ねんしゆつ》した。額を撫《な》でると膏汗《あぶらあせ》と雨でずる/\する。余は夢中であるく。
 坂を下り切ると細い谷道で、其谷道が盡きたと思ふあたりから又向き直つて西へ西へと爪上《つまあが》りに新しい谷道がつゞく。此|邊《へん》は所謂《いはゆる》山の手の赤土で、少しでも雨が降ると下駄の齒を吸ひ落すほどに濘《ぬか》る。暗さは暗し、靴は踵《かゝと》を深く土に据ゑつけて容易《たやす》くは動かぬ。曲りくねつて無暗矢鱈に行くと枸杞垣《くこがき》とも覺しきものゝ鋭どく折れ曲る角でぱたりと又赤い火に出喰《でく》はした。見ると巡査である。巡査は其赤い火を燒く迄に余の頬に押し當てゝ「惡るいから御氣を付けなさい」と言ひ棄てゝ擦れ違つた。よく注意し給へと云つた津田君の言葉と、惡いから御氣をつけなさいとヘへた巡査の言葉とは似て居るなと思ふと忽ち胸が鉛《なまり》の樣に重くなる。あの火だ、あの火だと余は息を切らして馳け上る。
 どこをどう歩行《ある》いたとも知らず流星の如く吾家《わがや》へ飛び込んだのは十二時近くであらう。三分心《さんぶしん》の薄暗いランプを片手に奧から驅け出して來た婆さんが頓狂な聲を張り上げて「旦那樣! どうなさいました」と云ふ。見ると婆さんは蒼い顔をして居る。
 「婆さん! どうかしたか」と余も大きな聲を出す。婆さんも余から何か聞くのが怖しく、余は婆さんから何か聞くのが怖しいので御互にどうかしたかと問ひ掛けながら、其返答は兩方とも云はずに双方とも暫時|睨《にら》み合つて居る。
 「水が――水が垂れます」是は婆さんの注意である。成程充分に雨を含んだ外套の裾と、中折帽の庇《ひさし》から用捨なく冷たい點滴が疊の上に垂れる。折目《をれめ》をつまんで抛《はふ》り出すと、婆さんの膝の傍《そば》に白繻子《しろじゆす》の裏を天井へ向けて帽が轉がる。灰色のチエスターフ※[ヒの小字]ールドを脱いで、一振り振つて投げた時はいつもより餘程重く感じた。日本服に着換へて、身顫ひをして漸くわれに歸つた頃を見計《みはから》つて婆さんは又「どうなさいました」と尋ねる。今度は先方も少しは落付いて居る。
 「どうするつて、別段どうもせんさ。只雨に濡れた丈《ゞけ》の事さ」と可成《なるべく》弱身を見せまいとする。
 「いえあの御顔色は只の御色では御座いません」と傳通院の坊主を信仰する丈《だけ》あつて、うまく人相を見る。
 「御前の方がどうかしたんだらう。先《さ》ツきは少し齒の根が合はない樣だつたぜ」
 「私は何と旦那樣から冷かされても構ひません。――然し旦那樣|雜談事《じやうだんごと》ぢや御座いませんよ」
 「え?」と思はず心臓が縮みあがる。「どうした。留守中何かあつたのか。四谷から病人の事でも何《なん》か云つて來たのか」
 「それ御覽遊ばせ、そんなに御孃樣の事を心配して居らつしやる癖に」
 「何と云つて來た。手紙が來たのか、使が來たのか」
 「手紙も使も參りは致しません」
 「それぢや電報か」
 「電報なんて參りは致しません」
 「それぢや、どうした――早く聞かせろ」
 「今夜は鳴き方が違ひますよ」
 「何が?」
 「何がつて、あなた、どうも宵から心配で堪《たま》りませんでした。どうしても只事《たゞごと》ぢや御座いません」
 「何がさ。夫《それ》だから早く聞かせろと云つてるぢやないか」
 「先達中《せんだつてぢゆう》から申し上げた犬で御座います」
 「犬?」
 「ええ、遠吠で御座います。私が申し上げた通りに遊ばせば、こんな事には成らないで濟んだんで御座いますのに、あなたが婆さんの迷信だなんて、餘《あん》まり人を馬鹿に遊ばすものですから……」
 「こんな事にもあんな事にも、まだ何にも起らないぢやないか」
 「いえ、さうでは御座いません、旦那樣も御歸り遊ばす途中御孃樣の御病氣の事を考へて居らしつたに相違御座いません」と婆さんずばと圖星を刺す。寒い刃《は》が闇に閃めいてひやりと胸打《むねうち》を喰はせられた樣な心持がする。
 「それは心配して來たに相違ないさ」
 「それ御覽遊ばせ、矢つ張り蟲が知らせるので御座います」
 「婆さん蟲が知らせるなんて事が本當にあるものかな、御前そんな經驗をした事があるのかい」
 「有る段ぢや御座いません。昔《むか》しから人が烏鳴きが惡いとか何とか善く申すぢや御座いませんか」
 「成程烏鳴きは聞いた樣だが、犬の遠吠は御前一人の樣だが――」
 「いゝえ、あなた」と婆さんは大輕蔑の口調《くてう》で余の疑を否定する。「同じ事で御座いますよ。婆《ばあ》や抔《など》は犬の遠吠でよく分ります。論より證據是は何かあるなと思ふと外《はづ》れた事が御座いませんもの」
 「さうかい」
 「年寄の云ふ事は馬鹿に出來ません」
 「そりや無論馬鹿には出來んさ。馬鹿に出來んのは僕もよく知つて居るさ。だから何も御前を――然し遠吠がそんなに、よく當るものかな」
 「まだ婆やの申す事を疑《うたぐ》つて入らつしやる。何でも宜しう御座いますから明朝《みやうあさ》四谷へ行つて御覽遊ばせ、屹度《きつと》何か御座いますよ、婆やが受合ひますから」
 「屹度《きつと》何かあつちや厭だな。どうか工夫はあるまいか」
 「夫《それ》だから早く御越し遊ばせと申し上げるのに、あなたが餘り剛情を御張り遊ばすものだから――」
 「是から剛情はやめるよ。――兎も角あした早く四谷へ行つて見る事に仕《し》樣《やう》。今夜是から行つても好いが……」
 「今夜入らしつちや、婆やは御留守居は出來ません」
 「なぜ?」
 「なぜつて、氣味《きび》が惡くつて居ても起《た》つても居られませんもの」
 「それでも御前が四谷の事を心配して居るんぢやないか」
 「心配は致して居りますが、私だつて怖しう御座いますから」
 折から軒を遶《めぐ》る雨の響に和して、いづくよりともなく何物か地を這うて唸り廻る樣な聲が聞える。
 「あゝ、あれで御座います」と婆さんが瞳を据え小聲で云ふ。成程陰氣な聲である。今夜はこゝへ寢る事にきめる。
 余は例の如く蒲團の中へもぐり込んだが此唸り聲が氣になつて瞼《まぶた》さへ合はせる事が出來ない。
 普通犬の鳴き聲といふものは、後も先も鉈刀《なた》で打《ぶ》ち切つた薪雜木《まきざつぼう》を長く繼《つ》いだ直線的の聲である。今聞く唸り聲はそんなに簡單な無造作の者ではない。聲の幅に絶えざる變化があつて、曲りが見えて、丸みを帶びて居る。?燭の灯《ひ》の細きより始まつて次第に福やかに廣がつて又油の盡きた燈心の花と漸次《ぜんじ》に消えて行く。どこで吠えるか分らぬ。百里の遠き外《ほか》から、吹く風に乘せられて微《かす》かに響くと思ふ間《ま》に、近づけば軒端《のきば》を洩れて、枕に塞ぐ耳にも薄《せま》る。ウヽヽヽと云ふ音が丸い段落をいくつも連ねて家の周圍を二三度|繞《めぐ》ると、いつしか其音がワヽヽヽに變化する拍子、疾《と》き風に吹き除《の》けられて遙か向ふに尻尾《しつぽ》はンンンと化して闇の世界に入《い》る。陽氣な聲を無理に壓迫して陰欝にしたのが此遠吠である。躁狂《さうきやう》な響を權柄《けんぺい》づくで沈痛ならしめて居るのが此遠吠である。自由でない。壓制されて已《やむ》をえずに出す聲である處が本來の陰欝、天然の沈痛よりも一層厭である、聞き苦しい。余は夜着の中に耳の根迄隱した。夜着の中でも聞える。而も耳を出して居るより一層聞き苦しい。又顔を出す。
 暫くすると遠吠がはたと已《や》む。此|夜半《やはん》の世界から犬の遠吠を引き去ると動いて居るものは一つもない。吾家《わがや》が海の底へ沈んだと思ふ位靜かになる。靜まらぬは吾心のみである。吾心のみは此靜かな中から何事かを豫期しつゝある。去《さ》れども其何事なるかは寸分《すんぶん》の觀念だにない。性《しやう》の知れぬ者が此闇の世から一寸顔を出しはせまいかといふ掛念《けねん》が猛烈に神經を鼓舞するのみである。今出るか、今出るかと考へて居る。髪の毛の間へ五本の指を差し込んで無茶苦茶に掻いて見る。一週間程湯に入《はい》つて頭を洗はんので指の股《また》が油でニチヤ/\する。此靜かな世界が變化したら――どうも變化しさうだ。今夜のうち、夜の明けぬうち何かあるに相違ない。此一秒を待つて過ごす。此一秒も亦待ちつゝ暮らす。何を待つて居るかと云はれては困る。何を待つて居るか自分に分らんから一層の苦痛である。頭から拔き取つた手を顔の前に出して無意味に眺める。爪の裏が垢で薄黒く三日月形に見える。同時に胃嚢《ゐぶくろ》が運動を停止して、雨に逢つた鹿皮を天日《てんぴ》で乾《ほ》し堅めた樣に腹の中が窮窟になる。犬が吠ゑれば善《よ》いと思ふ。吠ゑて居るうちは厭でも、厭な度合が分る。かう靜かになつては、どんな厭な事が背後に起りつゝあるのか、知らぬ間《ま》に醸《かも》されつゝあるか見當がつかぬ。遠吠なら我慢する。どうか吠えて呉れゝばいゝと寢返りを打つて仰向けになる。天井に丸くランプの影が幽《かす》かに寫る。見ると其の丸い影が動いて居る樣だ。愈《いよ/\》不思議になつて來たと思ふと、蒲團の上で脊髄が急にぐにやりとする。只眼|丈《だけ》を見張つて、慥《たし》かに動いて居るか、居らぬかを確める。――確かに動いて居る。平常《ふだん》から動いて居るのだが氣が付かずに今日《けふ》迄《まで》過したのか、又は今夜に限つて動くのかしらん。――もし今夜|丈《だけ》動くのなら、只事ではない。然し或は腹工合のせゐかも知れまい。今日會社の歸りに池の端《はた》の西洋料理屋で海老《えび》のフライを食つたが、ことによるとあれが祟つて居るかもしれん。詰らん物を食つて、錢《ぜに》をとられて馬鹿々々しい廢《よ》せばよかつた。何しろこんな時は氣を落ち付けて寐るのが肝心だと堅く眼を閉ぢて見る。すると虹霓《にじ》を粉《こ》にして振り蒔く樣に、眼の前が五色の斑點でちら/\する。是は駄目だと眼を開《あ》くと又ランプの影が氣になる。仕方がないから又横向になつて大病人の如く、凝《ぢつ》として夜の明けるのを待たうと決心した。
 横を向いて不圖目に入つたのは、襖《ふすま》の陰に婆さんが叮嚀に疊んで置いた秩父銘仙《ちゝぶめいせん》の不斷着である。此前四谷に行つて露子の枕元で例の通り他愛《たわい》もない話をして居つた時、病人が袖口の綻《ほころ》びから綿が出懸つて居るのを氣にして、よせと云ふのを無理に蒲團の上へ起き直つて縫つてくれた事をすぐ聯想する。あの時は顔色が少し惡い許《ばか》りで笑ひ聲さへ常とは變らなかつたのに――當人ももう大分《だいぶ》好くなつたから明日《あした》あたりから床を上げませうとさへ言つたのに――今、眼の前に露子の姿を浮べて見ると――浮べて見るのではない、自然に浮んで來るのだが――頭へ氷嚢を載《の》せて、長い髪を半分濡らして、うん/\呻《うめ》きながら、枕の上へのり出してくる。――愈《いよ/\》肺炎かしらと思ふ。然し肺炎にでもなつたら何とか知らせが來る筈だ。使も手紙も來ない所を以て見ると矢つ張り病氣は全快したに相違ない、大丈夫だ、と斷定して眠らうとする。合はす瞳の底に露子の青白い肉の落ちた頬と、窪《くぼ》んで硝子張《ガラスばり》の樣に凄い眼があり/\と寫る。どうも病氣は癒つて居らぬらしい。しらせは未《ま》だ來ぬが、來ぬと云ふ事が安心にはならん。今に來るかも知れん、どうせ來るなら早く來れば好《よ》い、來ないか知らんと寢返りを打つ。寒いとは云へ四月と云ふ時節に、厚夜着を二枚も重ねて掛けて居るから、只でさへ寢苦しい程暑い譯であるが、手足と胸の中《うち》は全く血の通はぬ樣に重く冷たい。手で身のうちを撫《な》でゝ見ると膏《あぶら》と汗で濕《しめ》つて居る。皮膚の上に冷たい指が觸《さは》るのが、青大將にでも這はれる樣に厭な氣持である。ことによると今夜のうちに使でも來るかも知れん。
 突然何者か表の雨戸を破《わ》れる程叩く。そら來たと心臓が飛び上つて肋《あばら》の四枚目を蹴《け》る。何か云ふ樣だが叩く音と共に耳を襲ふので、よく聞き取れぬ。「婆さん、何か來たぜ」と云ふ聲の下から「旦那樣、何か參りました」と答へる。余と婆さんは同時に表口へ出て雨戸を開ける。――巡査が赤い火を持つて立つて居る。
 「今しがた何かありはしませんか」と巡査は不審な顔をして、挨拶もせぬ先から突然尋ねる。余と婆さんは云ひ合した樣に顔を見合せる。兩方共何とも答をしない。
 「實は今こゝを巡行するとね、何だか黒い影が御門から出て行きましたから……」
 婆さんの顔は土の樣である。何か云はうとするが息がはずんで云へない。巡査は余の方を見て返答を促《うな》がす。余は化石の如く茫然と立つて居る。
 「いや是は夜中《やちゆう》甚だ失禮で……實は近頃此界隈が非常に物騷なので、警察でも非常に嚴重に警戒をしますので――丁度御門が開《あ》いて居つて、何か出て行つた樣な按排《あんばい》でしたから、もしやと思つて一寸御注意をしたのですが……」
 余は漸くほつと息をつく。咽喉《のど》に痞《つか》へて居る鉛の丸《たま》が下りた樣な氣持ちがする。
 「是は御親切に、どうも、――いえ別に何も盗難に罹つた覺はない樣です」
 「それなら宜しう御座います。毎晩犬が吠えて御八釜敷《おやかまし》いでせう。どう云ふものか賊が此|邊《へん》ばかり徘徊《はいくわい》しますんで」
 「どうも御苦勞樣」と景氣よく答へたのは遠吠が泥棒の爲めであるとも解釋が出來るからである。巡査は歸る。余は夜が明け次第四谷に行く積りで、六時が鳴る迄まんじりともせず待ち明した。
 雨は漸く上つたが道は非常に惡い。足駄をと云ふと齒入屋へ持つて行つたぎり、つい取つてくるのを忘れたと云ふ。靴は昨夜《ゆうべ》の雨で到底|穿《は》けさうにない。構ふものかと薩摩下駄を引掛けて全速力で四谷坂町迄馳けつける。門は開《あ》いて居るが玄關はまだ戸閉りがしてある。書生はまだ起きんのかしらと勝手口へ廻る。清と云ふ下總《しもふさ》生れの頬《ほつ》ペタの赤い下女が俎《まないた》の上で糠味噌《ぬかみそ》から出し立ての細根大根《ほそねだいこん》を切つて居る。「御早やう、何はどうだ」と聞くと驚いた顔をして、襷《たすき》を半分|外《はづ》しながら「へえ」と云ふ。へえでは埓《らち》があかん。構はず飛び上つて、茶の間へつか/\這入り込む。見ると御母《おつか》さんが、今起き立の顔をして叮嚀に如鱗木《じよりんもく》の長火鉢を拭いて居る。
 「あら靖雄《やすを》さん!」と布巾《ふきん》を持つた儘あつけに取られたと云ふ風をする。あら靖雄さん〔六字傍点〕でも埓《らち》があかん。
 「どうです、餘程惡いですか」と口早に聞く。
 犬の遠吠が泥棒のせゐときまる位なら、ことによると病氣も癒つて居るかも知れない。癒つて居てくれゝば宜《よ》いがと御母《おつか》さんの顔を見て息を呑み込む。
 「えゝ惡いでせう、昨日《きのふ》は大變降りましたからね。嘸《さぞ》御困りでしたらう」是では少々見當が違ふ。御母《おつか》さんの樣子を見ると何だか驚いて居る樣だが、別に心配さうにも見えない。余は何となく落ち付いて來る。
 「中々惡い道です」とハンケチを出して汗を拭いたが、矢張り氣掛りだから「あの露子さんは――」と聞いて見た。
 「今顔を洗つて居ます、昨夕《ゆうべ》中央會堂の慈善音樂會とかに行つて遅く歸つたものですから、つい寢坊をしましてね」
 「インフルエンザは?」
 「ええ難有《ありがた》う、もう薩張《さつぱ》り……」
 「何ともないんですか」
 「ええ風邪はとつくに癒りました」
 寒からぬ春風に、濛々たる小雨《こさめ》の吹き拂はれて蒼空の底迄見える心地である。日本一の御機嫌にて候《そろ》と云ふ文句がどこかに書いてあつた樣だが、こんな氣分を云ふのではないかと、昨夕《ゆうべ》の氣味の惡かつたのに引き換へて今の胸の中《うち》が一層朗かになる。なぜあんな事を苦にしたらう、自分ながら愚《ぐ》の至りだと悟つて見ると、何だか馬鹿々々しい。馬鹿々々しいと思ふにつけて、たとひ親しい間柄とは云へ、用もないのに早朝から人の家《うち》へ飛び込んだのが手持無沙汰に感ぜらるゝ。
 「どうして、こんなに早く、――何か用事でも出來たんですか」と御母《おつか》さんが眞面目に聞く。どう答へて宜《よ》いか分らん。嘘をつくと云つたつて、さう咄嗟《とつさ》の際に嘘がうまく出るものではない。余は仕方がないから「えゝ」と云つた。
 「えゝ」と云つた後《あと》で、廢《よ》せば善《よ》かつた、――一思ひに正直な所を白?して仕舞へば善《よ》かつたと、すぐ氣が付いたが、「えゝ」の出たあとはもう仕方がない。「えゝ」を引き込める譯に行かなければ「えゝ」を活《い》かさなければならん。「えゝ」とは單簡《たんかん》な二文字であるが滅多に使ふものでない、是を活かすには餘程骨が折れる。
 「何か急な御用なんですか」と御母《おつか》さんは詰め寄せる。別段の名案も浮ばないから又「えゝ」と答へて置いて、「露子さん/\」と風呂場の方を向いて大きな聲で怒鳴《どな》つて見た。
 「あら、どなたかと思つたら、御早いのねえ――どうなすつたの、――何か御用なの?」露子は人の氣も知らずに又同じ質問で苦しめる。
 「あゝ何か急に御用が御出來なすつたんだつて」と御母《おつか》さんは露子に代理の返事をする。
 「さう、何の御用なの」と露子は無邪氣に聞く。
 「えゝ、少し其、用があつて近所迄來たのですから」と漸く一方に活路を開く。隨分苦しい開き方だと一人で肚《はら》の中で考へる。
 「それでは、私《わたし》に御用ぢやないの」と御母《おつか》さんは少々不審な顔付である。
 「えゝ」
 「もう用を濟まして入らしつたの、隨分早いのね」と露子は大《おほい》に感嘆する。
 「いえ、まだ是から行くんです」とあまり感嘆されても困るから、一寸謙遜して見たが、どつちにしても別に變りはないと思ふと、自分で自分の言つて居る事が如何にも馬鹿らしく聞える。こんな時は可成《なるべく》早く歸る方が得策だ、長座《ながざ》をすればする程失敗する許《ばか》りだと、そろ/\、尻を立てかけると
 「あなた、顔の色が大變惡い樣ですがどうかなさりやしませんか」と御母《おつか》さんが逆捻《さかねぢ》を喰はせる。
 「髪を御刈りになると好いのね、あんまり髭が生えて居るから病人らしいのよ。あら頭にはねが上つてゝよ。大變亂暴に御歩行《おある》きなすつたのね」
 「日和下駄《ひよりげた》ですもの、餘程上つたでせう」と脊中を向いて見せる。御母《おつか》さんと露子は同時に「おやまあ!」と申し合せた樣な驚き方をする。
 羽織を干して貰つて、足駄を借りて奧に寢て居る御父《おと》つさんには挨拶もしないで門を出る。うらゝかな上天氣で、しかも日曜である。少々ばつは惡かつた樣なものゝ昨夜《ゆうべ》の心配は紅爐上の雪と消えて、余が前途には柳、櫻の春が簇《むら》がるばかり嬉しい。神樂坂迄來て床屋へ這入る。未來の細君の歡心を得んが爲だと云はれても構はない。實際余は何事によらず露子の好く樣にしたいと思つて居る。
 「旦那髯は殘しませうか」と白服を着た職人が聞く。髯を剃るといゝと露子が云つたのだが全體の髯の事か顋髯《あごひげ》丈《だけ》かわからない。まあ鼻の下|丈《だけ》は殘す事にしやうと一人で極める。職人が殘しませうかと念を押す位だから、殘したつて餘り目立つ程のものでもないには極つて居る。
 「源さん、世の中にや隨分馬鹿な奴が居るもんだねえ」と余の顋《あご》をつまんで髪剃を逆《ぎやく》に持ちながら一寸火鉢の方を見る。
 源さんは火鉢の傍《そば》に陣取つて將棊盤の上で金銀二枚をしきりにパチつかせて居たが「本當にさ、幽靈だの亡者《まうじや》だのつて、そりや御前、昔《むか》しの事だあな。電氣燈のつく今日《こんにち》そんな箆棒《べらぼう》な話しがある譯がねえからな」と王樣の肩へ飛車を載せて見る。「おい由公御前かうやつて駒を十枚積んで見ねえか、積めたら安宅鮓《あたかずし》を十錢奢つてやるぜ」
 一本齒の高足駄を穿《は》いた下剃《したぞり》の小僧が「鮓《すし》ぢやいやだ、幽靈を見せてくれたら、積んで見せらあ」と洗濯したてのタウエルを疊みながら笑つて居る。
 「幽靈も由公に迄馬鹿にされる位だから幅は利かない譯さね」と余の揉《も》み上げを米?《こめか》みのあたりからぞきりと切り落す。
 「あんまり短かゝあないか」
 「近頃はみんな此位です。揉み上げの長いのはにやけ〔三字傍点〕てゝ可笑《をか》しいもんです。――なあに、みんな神經さ。自分の心に恐《こは》いと思ふから自然幽靈だつて搨キして出たくならあね」と刃《は》についた毛を人さし指と拇指《おやゆび》で拭ひながら又源さんに話しかける。
 「全く神經だ」と源さんが山櫻の烟を口から吹き出しながら賛成する。
 「神經つて者は源さんどこにあるんだらう」と由公はランプのホヤを拭きながら眞面目に質問する。
 「神經か、神經は御めえ方々にあらあな」と源さんの答辯は少々漠然として居る。
 白暖簾《しろのれん》の懸つた座敷の入口に腰を掛けて、先《さ》つきから手垢のついた薄つぺらな本を見て居た松さんが急に大きな聲を出して面白い事がかいてあらあ、よつぽど面白いと一人で笑ひ出す。
 「何だい小説か、食道樂《くひだうらく》ぢやねえか」と源さんが聞くと松さんはさうよさうかも知れねえと上表紙《うはべうし》を見る。標題には浮世心理講義録有耶無耶道人著《うきよしんりかうぎろくうやむやだうじんちよ》とかいてある。
 「何だか長い名だ、とにかく食道樂《くひだうらく》ぢやねえ。鎌さん一體是や何の本だい」と余の耳に髪剃を入れてぐる/\廻轉させて居る職人に聞く。
 「何だか、譯の分らない樣な、とぼけた事が書いてある本だがね」
 「一人で笑つて居ねえで少し讀んで聞かせねえ」と源さんは松さんに請求する。松さんは大きな聲で一節を讀み上げる。
 「狸《たぬき》が人を婆化《ばか》すと云ひやすけれど、何で狸《たぬき》が婆化《ばか》しやせう。ありやみんな催眠術《さいみんじゆつ》でげす……」
 「成程妙な本だね」と源さんは烟《けむ》に捲《ま》かれて居る。
 「拙《せつ》が一返《ぺん》古榎《ふるえのき》になつた事がありやす、ところへ源兵衛村の作藏《さくざう》と云ふ若い衆《しゆ》が首を縊《くゝ》りに來やした……」
 「何だい狸が何か云つてるのか」
 「どうもさうらしいね」
 「それぢや狸のこせへた本ぢやねえか――人を馬鹿にしやがる――夫《それ》から?」
 「拙《せつ》が腕をニューと出して居る所へ古褌《ふるふんどし》を懸けやした――隨分|臭《くさ》うげしたよ――……」
 「狸の癖にいやに贅澤を云ふぜ」
 「肥桶《こいたご》を臺にしてぶらりと下がる途端|拙《せつ》はわざと腕をぐにやりと卸ろしてやりやしたので作藏君は首を縊《くゝ》り損《そくな》つてまご/\して居りやす。こゝだと思ひやしたから急に榎の姿を隱してアハヽヽヽと源兵衛村中へ響く程な大きな聲で笑つてやりやした。すると作藏君は餘程|仰天《ぎやうてん》したと見えやして助けて呉れ、助けて呉れと褌《ふんどし》を置去りにして一生懸命に逃げ出しやした……」
 「こいつあ旨《うめ》え、然し狸が作藏の褌《ふんどし》をとつて何にするだらう」
 「大方|睾丸《きんたま》でもつゝむ氣だらう」
 アハヽヽヽと皆《みんな》一度に笑ふ。余も吹き出しさうになつたので職人は一寸髪剃を顔からはづす。
 「面白《おもしれ》え、あとを讀みねえ」と源さん大《おほい》に乘氣になる。
 「俗人は拙《せつ》が作藏を婆化《ばか》した樣に云ふ奴でげすが、そりやちと無理でげせう。作藏君は婆化《ばか》され樣《やう》、婆化《ばか》され樣《やう》として源兵衛村をのそ/\して居るのでげす。その婆化《ばか》され樣《やう》と云ふ作藏君の御注文に應じて拙《せつ》が一寸|婆化《ばか》して上げた迄の事でげす。すべて狸一派のやり口は今日《こんにち》開業醫の用ゐて居りやす催眠術でげして、昔から此手で大分《だいぶ》大方《たいはう》の諸君子を胡魔化《ごまか》したものでげす。西洋の狸から直傳《ぢきでん》に輸入致した術を催眠法とか唱へ、之を應用する連中を先生|抔《など》と崇《あが》めるのは全く西洋心醉の結果で拙《せつ》抔《など》はひそかに慨嘆の至《いたり》に堪へん位のものでげす。何も日本固有の奇術が現に傳《つたは》つて居るのに、一も西洋二も西洋と騷がんでもの事でげせう。今の日本人はちと狸を輕蔑し過ぎる樣に思はれやすから一寸全國の狸共に代つて拙《せつ》から諸君に反省を希望して置きやせう」
 「いやに理窟を云ふ狸だぜ」と源さんが云ふと、松さんは本を伏せて「全く狸の言ふ通《とほり》だよ、昔だつて今だつて、こつちがしつかりして居りや婆化《ばか》されるなんて事はねえんだからな」と頻りに狸の議論を辯護して居る。して見ると昨夜《ゆうべ》は全く狸に致された譯かなと、一人で愛想《あいそ》をつかし乍《なが》ら床屋を出る。
 臺町の吾家《わがや》に着いたのは十時頃であつたらう。門前に黒塗の車が待つて居て、狹い格子の隙《すき》から女の笑ひ聲が洩れる。ベルを鳴らして沓脱《くつぬぎ》に這入る途端「屹度《きつと》歸つて入らつしやつたんだよ」と云ふ聲がして障子がすうと明くと、露子が温かい春の樣な顔をして余を迎へる。
 「あなた來て居たのですか」
 「えゝ、お歸りになつてから、考へたら何だか樣子が變だつたから、すぐ車で來て見たの、さうして昨夕《ゆうべ》の事を、みんな婆やから聞いてよ」と婆さんを見て笑ひ崩れる。婆さんも嬉しさうに笑ふ。露子の銀の樣な笑ひ聲と、婆さんの眞鍮の樣な笑ひ聲と、余の銅の樣な笑ひ聲が調和して天下の春を七圓五十錢の借家《しやくや》に集めた程陽氣である。如何に源兵衛村の狸でも此位大きな聲は出せまいと思ふ位である。
 氣のせゐか其《その》後《ご》露子は以前よりも一層余を愛する樣な素振《そぶり》に見えた。津田君に逢つた時、當夜の景況を殘りなく話したら夫《それ》はいゝ材料だ僕の著書中に入れさせて呉れろと云つた。文學士津田|眞方《まかた》著幽靈論の七二頁にK君の例として載つて居るのは余の事である。
〔2005.11.9(水)午後7時45分、修正終了。2016.6.21(火)午前11時10分、再校終了〕
 
   一夜
    ――明治三八、九、一――
 
 「美くしき多くの人の、美くしき多くの夢を……」と髯ある人が二たび三たび微吟《びぎん》して、あとは思案の體《てい》である。灯《ひ》に寫る床柱にもたれたる直《なほ》き脊《せ》の、此時少しく前にかゞんで、兩手に抱《いだ》く膝頭に險《けは》しき山が出來る。佳句《かく》を得て佳句を續《つ》ぎ能はざるを恨みてか、黒くゆるやかに引ける眉の下より安からぬ眼の色が光る。
 「描《ゑが》けども成らず、描けども成らず」と椽《えん》に端居《はしゐ》して天下晴れて胡坐《あぐら》かけるが繰り返す。兼ねて覺えたる禪語《ぜんご》にて即興なれば間に合はす積りか。剛《こは》き髪を五|分《ぶ》に刈りて髯|貯《たくは》へぬ丸顔を傾けて「描《ゑが》けども、描けども、夢なれば、描けども、成りがたし」と高らかに誦《じゆ》し了つて、から/\と笑ひながら、室《へや》の中《なか》なる女を顧みる。
 竹籠に熱き光りを避けて、微《かす》かにともすランプを隔てゝ、右手に違ひ棚、前は緑《みど》り深き庭に向へるが女である。
 「畫家ならば繪にもしましよ。女ならば絹を枠《わく》に張つて、縫ひにとりましよ」と云ひながら、白地の浴衣《ゆかた》に片足をそと崩せば、小豆皮《あづきがは》の座布團を白き甲が滑り落ちて、なまめかしからぬ程は艶《えん》なる居ずまひとなる。
 「美しき多くの人の、美しき多くの夢を……」と膝|抱《いだ》く男が再び吟じ出すあとにつけて「縫ひにやとらん。縫ひとらば誰に贈らん。贈らん誰に」と女は態《わざ》とらしからぬ樣《さま》ながら一寸《ちよと》笑ふ。やがて朱塗の團扇《うちは》の柄《え》にて、亂れかゝる頬の黒髪をうるさしと許《ばか》り拂へば、柄《え》の先につけたる紫のふさが波を打つて、緑《みど》り濃き香油の薫りの中に躍り入る。
 「我に贈れ」と髯なき人が、すぐ言ひ添へて又から/\と笑ふ。女の頬には乳色の底から捕へ難き笑の渦《うづ》が浮き上つて、瞼《まぶた》にはさつと薄き紅《くれなゐ》を溶く。
 「縫へば如何《どん》な色で」と髯あるは眞面目にきく。
 「絹買へば白き絹、糸買へば銀の糸、金の糸、消えなんとする虹《にじ》の糸、夜と晝との界《さかひ》なる夕暮の糸、戀の色、恨みの色は無論ありましよ」と女は眼をあげて床柱の方を見る。愁《うれひ》を溶いて錬り上げし珠の、烈しき火には堪へぬ程に涼しい。愁の色は昔《むか》しから黒である。
 隣へ通ふ路次を境に植え付けたる四五本の檜に雲を呼んで、今やんだ五月雨《さみだれ》が又ふり出す。丸顔の人はいつか布團を捨てゝ椽《えん》より兩足をぶら下げて居る。「あの木立《こだち》は枝を卸《おろ》した事がないと見える。梅雨《つゆ》も大分《だいぶ》續いた。よう飽きもせずに降るの」と獨り言の樣に言ひながら、ふと思ひ出した體《てい》にて、吾が膝頭を丁々《ちやう/\》と平手をたてに切つて敲《たゝ》く。「脚氣《かつけ》かな、脚氣かな」
 殘る二人は夢の詩か、詩の夢か、ちよと解しがたき話しの緒《いとぐち》をたぐる。
 「女の夢は男の夢よりも美くしかろ」と男が云へば「せめて夢にでも美くしき國へ行かねば」と此世は汚《けが》れたりと云へる顔付きである。「世の中が古くなつて、よごれたか」と聞けば「よごれました」と?扇《ぐわんせん》に輕《かろ》く玉肌《ぎよくき》を吹く。「古き壺には古き酒がある筈、味《あぢは》ひ給へ」と男も鵞鳥の翼《はね》を疊んで紫檀の柄《え》をつけたる羽團扇で膝のあたりを拂ふ。「古き世に醉へるものなら嬉しかろ」と女はどこ迄もすねた體《てい》である。
 此時「脚氣かな、脚氣かな」と頻りにわが足を玩《もてあそ》べる人、急に膝頭をうつ手を擧げて、叱《しつ》と二人を制する。三人の聲が一度に途切れる間をクヽーと鋭どき鳥が、檜の上枝《うはえだ》を掠《かす》めて裏の禪寺の方へ拔ける。クヽー。
 「あの聲がほとゝぎすか」と羽團扇を棄てゝ是も椽側《えんがは》へ這ひ出す。見上げる軒端《のきば》を斜めに黒い雨が顔にあたる。脚氣を氣にする男は、指を立てゝ坤《ひつじさる》の方《かた》をさして「あちらだ」と云ふ。鐵牛寺《てつぎうじ》の本堂の上あたりでクヽー、クヽー。
 「一聲《ひとこゑ》でほとゝぎすだと覺《さと》る。二聲で好い聲だと思ふた」と再び床柱に倚《よ》りながら嬉しさうに云ふ。此髯男は杜鵑《ほとゝぎす》を生れて初めて聞いたと見える。「ひと目見てすぐ惚れるのも、そんな事でしよか」と女が問をかける。別に耻づかしと云ふ氣色《けしき》も見えぬ。五分刈は向き直つて「あの聲は胸がすくよだが、惚《ほ》れたら胸は痞《つか》へるだろ。惚れぬ事。惚れぬ事……。どうも脚氣らしい」と拇指《おやゆび》で向脛《むかふずね》へ力穴《ちからあな》をあけて見る。「九仞《きうじん》の上に一簣《いつき》を加へる。加へぬと足らぬ、加へると危《あや》うい。思ふ人には逢はぬがましだろ」と羽團扇が又動く。「然し鐵片が磁石に逢ふたら?」「はじめて逢ふても會釋はなかろ」と拇指《おやゆび》の穴を逆《さか》に撫でゝ澄まして居る。
 「見た事も聞いた事もないに、是だなと認識するのが不思議だ」と仔細らしく髯を撚《ひね》る。「わしは歌麻呂《うたまろ》のかいた美人を認識したが、なんと畫《ゑ》を活かす工夫はなかろか」と又女の方を向く。「私《わたし》には――認識した御本人でなくては」と團扇のふさを繊《ほそ》い指に卷きつける。「夢にすれば、すぐに活《い》きる」と例の髯が無造作に答へる。「どうして?」「わしのは斯うぢや」と語り出さうとする時、蚊遣火《かやりび》が消えて、暗きに潜《ひそ》めるがつと出でゝ頸筋《くびすぢ》のあたりをちくと刺す。
 「灰が濕《しめ》つて居るのか知らん」と女が蚊遣筒《かやりづゝ》を引き寄せて蓋をとると、赤い絹糸で括《くゝ》りつけた蚊遣灰が燻《いぶ》りながらふら/\と搖れる。東隣で琴と尺八を合せる音が紫陽花《あぢさゐ》の茂みを洩れて手にとる樣に聞え出す。すかして見ると明け放ちたる座敷の灯《ひ》さへちら/\見える。「どうかな」と一人が云ふと「人並ぢや」と一人が答へる。女|許《ばか》りは黙つて居る。
 「わしのは斯うぢや」と話しが又元へ返る。火をつけ直した蚊遣の烟が、筒に穿《うが》てる三つの穴を洩れて三つの烟となる。「今度はつきました」と女が云ふ。三つの烟りが蓋の上に塊《かた》まつて茶色の球《たま》が出來ると思ふと、雨を帶びた風が颯《さつ》と來て吹き散らす。塊《かた》まらぬ間《うち》に吹かるゝときには三つの烟りが三つの輪を描《ゑが》いて、黒塗に蒔繪を散らした筒の周圍《まはり》を遶《めぐ》る。あるものは緩く、あるものは疾《と》く遶《めぐ》る。又ある時は輪さへ描《ゑが》く隙《ひま》なきに亂れて仕舞ふ。「荼毘《だび》だ、荼毘《だび》だ」と丸顔の男は急に燒場の光景を思ひ出す。「蚊の世界も樂ぢやなかろ」と女は人間を蚊に比較する。元へ戻りかけた話しも蚊遣火と共に吹き散らされて仕舞ふた。話しかけた男は別に語りつゞけ樣《やう》ともせぬ。世の中は凡《すべ》て是だと疾《と》うから知つて居る。
 「御夢の物語りは」とやゝありて女が聞く。男は傍らにある羊皮の表紙に朱で書名を入れた詩集をとりあげて膝の上に置く。讀みさした所に象牙を薄く削《けづ》つた紙小刀《かみナイフ》が挾んである。卷《くわん》に餘つて長く外へ食《は》み出した所|丈《だけ》は細かい汗をかいて居る。指の尖《さき》で觸《さは》ると、ぬらりとあやしい字が出來る。「かう濕氣《しけ》てはたまらん」と眉をひそめる。女も「じめ/\する事」と片手に袂の先を握つて見て、「香《かう》でも焚きましよか」と立つ。夢の話しは又延びる。
 宣コ《せんとく》の香爐に紫檀の蓋があつて、紫檀の蓋の眞中には猿を彫《きざ》んだ青玉《せいぎよく》のつまみ手がついて居る。女の手が此蓋にかゝつたとき「あら蜘蛛が」と云ふて長い袖が横に靡《なび》く、二人の男は共に床《とこ》の方を見る。香爐に隣る白磁《はくじ》の瓶《へい》には蓮の花がさしてある。昨日《きのふ》の雨を蓑《みの》着て剪《き》りし人の情《なさ》けを床《とこ》に眺むる莟《つぼみ》は一輪、卷葉は二つ。其葉を去る三寸|許《ばか》りの上に、天井から白金《しろがね》の糸を長く引いて一匹の蜘蛛が――頗る雅《が》だ。
 「蓮の葉に蜘蛛|下《くだ》りけり香を焚く」と吟じながら女一度に數瓣《すうべん》を攫《つか》んで香爐の裏《うち》になげ込む。「?蛸懸不搖《せうせうかゝつてうごかず》、篆烟遶竹梁《てんえんちくりやうをめぐる》」と誦《じゆ》して髯ある男も、見て居る儘で拂はんともせぬ。蜘蛛も動かぬ。只風吹く毎に少しくゆれるのみである。
 「夢の話しを蜘蛛もきゝに來たのだろ」と丸い男が笑ふと、「さうぢや夢に畫《ゑ》を活《い》かす話しぢや。きゝたくば蜘蛛も聞け」と膝の上なる詩集を讀む氣もなしに開く。眼は文字《もじ》の上に落つれども瞳裏《とうり》に映ずるは詩の國の事か。夢の國の事か。
 「百二十間の廻廊があつて、百二十個の燈籠をつける。百二十間の廻廊に春の潮《うしほ》が寄せて、百二十個の燈籠が春風《しゆんぷう》にまたゝく、朧《おぼろ》の中、海の中には大きな華表《とりゐ》が浮かばれぬ巨人の化物の如くに立つ。……」
 折から烈しき戸鈴《ベル》の響がして何者か門口《かどぐち》をあける。話し手ははたと話をやめる。殘るはちよと居ずまひを直す。誰も這入つて來た氣色《けしき》はない。「隣だ」と髯なしが云ふ。やがて澁蛇の目を開く音がして「又明晩」と若い女の聲がする。「必ず」と答へたのは男らしい。三人は無言の儘顔を見合せて微《かす》かに笑ふ。「あれは畫《ゑ》ぢやない、活《い》きて居る」「あれを平面につゞめれば矢張り畫《ゑ》だ」「然しあの聲は?」「女は藤紫」「男は?」「さうさ」と判じかねて髯が女の方を向く。女は「緋《ひ》」と賤《いや》しむ如く答へる。
 「百二十間の廻廊に二百三十五枚の額が懸つて、其《その》二百三十二枚目の額に畫《か》いてある美人の……」
 「聲は黄色ですか茶色ですか」と女がきく。
 「そんな單調な聲ぢやない。色には直《なほ》せぬ聲ぢや。強ひて云へば、ま、あなたの樣な聲かな」
 「難有《ありがた》う」と云ふ女の眼の中《うち》には憂をこめて笑の光が漲《みな》ぎる。
 此時いづくよりか二疋の蟻が這ひ出して一疋は女の膝の上に攀《よ》ぢ上《のぼ》る。恐らくは戸迷《とまど》ひをしたものであらう。上がり詰めた上には獲物もなくて下《くだ》り路をすら失ふた。女は驚ろいた樣《さま》もなく、うろ/\する黒きものを、そと白き指で輕く拂ひ落す。落されたる拍子に、はたと他の一疋と高麗縁《かうらいべり》の上で出逢ふ。しばらくは首と首を合せて何かさゝやき合へる樣《やう》であつたが、此度は女の方へは向はず、古伊萬里《こいまり》の菓子皿を端《はじ》迄《まで》同行して、こゝで右と左へ分れる。三人の眼は期せずして二疋の蟻の上に落つる。髯なき男がやがて云ふ。
 「八疊の座敷があつて、三人の客が坐はる。一人の女の膝へ一疋の蟻が上《のぼ》る。一疋の蟻が上《のぼ》つた美人の手は……」
 「白い、蟻は黒い」と髯がつける。三人が齊《ひと》しく笑ふ。一疋の蟻は灰吹を上《のぼ》りつめて絶頂で何か思案して居る。殘るは運よく菓子器の中で葛餠に邂逅《かいこう》して嬉しさの餘りか、まご/\して居る氣合《けはひ》だ。
 「其|畫《ゑ》にかいた美人が?」と女が又話を戻す。
 「波さへ音もなき朧月夜《おぼろづきよ》に、ふと影がさしたと思へばいつの間《ま》にか動き出す。長く連なる廻廊を飛ぶにもあらず、踏むにもあらず、只影の儘にて動く」
 「顔は」と髯なしが尋ねる時、再び東隣りの合奏が聞え出す。一曲は疾《と》くにやんで新たなる一曲を始めたと見える。餘り旨くはない。
 「蜜を含んで針を吹く」と一人が評すると
 「ビステキの化石を食はせるぞ」と一人が云ふ。
 「造り花なら蘭麝《らんじや》でも焚き込めばなるまい」是は女の申し分だ。三人が三樣《さんやう》の解釋をしたが、三樣《さんやう》共頗る解しにくい。
 「珊瑚《さんご》の枝は海の底、藥を飲んで毒を吐く輕薄の兒」と言ひかけて吾に歸りたる髯が「それ/\。合奏より夢の續きが肝心ぢや。――畫《ゑ》から拔けだした女の顔は……」と許《ばか》りで口ごもる。
 「描《ゑが》けども成らず、描けども成らず」と丸き男は調子をとりて輕く銀椀を叩く。葛餠を獲たる蟻は此響きに度を失して菓子椀の中を右左《みぎひだ》りへ馳け廻る。
 「蟻の夢が醒めました」と女は夢を語る人に向つて云ふ。
 「蟻の夢は葛餠か」と相手は高からぬ程に笑ふ。
 「拔け出ぬか、拔け出ぬか」と頻りに菓子器を叩くは丸い男である。
 「畫《ゑ》から女が拔け出るより、あなたが畫《ゑ》になる方が、やさしう御座んしよ」と女は又髯にきく。
 「それは氣がつかなんだ、今度からは、こちが畫《ゑ》になりましよ」と男は平氣で答へる。
 「蟻も葛餠にさへなれば、こんなに狼狽《うろた》へんでも濟む事を」と丸い男は椀をうつ事をやめて、いつの間《ま》にやら葉卷を鷹揚《おうやう》にふかして居る。
 五月雨《さみだれ》に四尺伸びたる女竹《めだけ》の、手水鉢《てうづばち》の上に蔽ひ重なりて、餘れる一二本は高く軒に逼《せま》れば、風誘ふたびに戸袋をすつて椽《えん》の上にもはら/\と所|擇《えら》ばず緑《みど》りを滴《したゝ》らす。「あすこに畫《ゑ》がある」と葉卷の烟をぷつとそなたへ吹きやる。
 床柱に懸けたる拂子《ほつす》の先には焚き殘る香《かう》の烟りが染《し》み込んで、軸は若冲《ぢやくちゆう》の蘆雁《ろがん》と見える。雁《かり》の數は七十三羽、蘆《あし》は固《もと》より數へがたい。籠ランプの灯《ひ》を淺く受けて、深さ三尺の床《とこ》なれば、古き畫《ゑ》のそれと見分けの付かぬ所に、あからさまならぬ趣《おもむき》がある。「こゝにも畫《ゑ》が出來る」と柱に靠《よ》れる人が振り向きながら眺める。
 女は洗へる儘の黒髪を肩に流して、丸張りの絹團扇を輕《かろ》く搖《ゆる》がせば、折々は鬢《びん》のあたりに、そよと亂るゝ雲の影、収まれば淡き眉の常よりも猶《なほ》晴れやかに見える。櫻の花を碎いて織り込める頬の色に、春の夜の星を宿せる眼を涼しく見張りて「私《わたし》も畫《ゑ》になりましよか」と云ふ。はきと分らねど白地に葛の葉を一面に崩して染め拔きたる浴衣《ゆかた》の襟をこゝぞと正せば、暖かき大理石にて刻《きざ》める如き頸筋が際立ちて男の心を惹《ひ》く。
 「其儘、其儘、其儘が名畫ぢや」と一人が云ふと
 「動くと畫《ゑ》が崩れます」と一人が注意する。
 「畫《ゑ》になるのも矢張り骨が折れます」と女は二人の眼を嬉しがらせうともせず、膝に乘せた右手をいきなり後《うし》ろへ廻はして體をどうと斜めに反《そ》らす。丈《たけ》長き黒髪がきらりと灯《ひ》を受けて、さら/\と青疊に障《さは》る音さへ聞える。
 「南無三、好事《かうず》魔多し」と髯ある人が輕《かろ》く膝頭を打つ。「刹那に千金を惜しまず」と髯なき人が葉卷の飲み殼《がら》を庭先へ抛《たゝ》きつける。隣りの合奏はいつしかやんで、樋《ひ》を傳ふ雨點《うてん》の音のみが高く響く。蚊遣火はいつの間《ま》にやら消えた。
 「夜も大分《だいぶ》更けた」
 「ほとゝぎすも鳴かぬ」
 「寢ましよか」
 夢の話しはつい中途で流れた。三人は思ひ/\に臥床《ふしど》に入る。
 三十分の後《のち》彼等は美くしき多くの人の……と云ふ句も忘れた。クヽーと云ふ聲も忘れた。蜜を含んで針を吹く隣りの合奏も忘れた、蟻の灰吹を攀《よ》ぢ上《のぼ》つた事も、蓮の葉に下りた蜘蛛の事も忘れた。彼等は漸く太平に入る。
 凡《すべ》てを忘れ盡したる後女はわがうつくしき眼と、うつくしき髪の主《ぬし》である事を忘れた。一人の男は髯のある事を忘れた。他の一人は髯のない事を忘れた。彼等は益々太平である。
 昔《むか》し阿修羅《あしゆら》が帝釋天《たいしやくてん》と戰つて敗れたときは、八萬四千の眷屬《けんぞく》を領して藕糸孔中《ぐうしこうちゆう》に入つて藏《かく》れたとある。維摩《ゆゐま》が方丈の室に法を聽ける大衆は千か萬か其|數《かず》を忘れた。胡桃《くるみ》の裏《うち》に潜んで、われを盡大千世界《じんだいせんせかい》の王とも思はんとはハムレツトの述懷と記憶する。粟粒芥顆《ぞくりふかいくわ》のうちに蒼天《さうてん》もある、大地もある。一生《いつせい》師に問ふて云ふ、分子《ぶんし》は箸でつまめるものですかと。分子は暫く措《お》く。天下は箸の端《さき》にかゝるのみならず、一たび掛け得れば、いつでも胃の中に収まるべきものである。
 又思ふ百年は一年の如く、一年は一刻の如し。一刻を知れば正に人生を知る。日は東より出でゝ必ず西に入る。月は盈《み》つればかくる。徒らに指を屈して白頭に到るものは、徒らに茫々たる時に身神を限らるゝを恨むに過ぎぬ。日月は欺くとも己れを欺くは智者とは云はれまい。一刻に一刻を加ふれば二刻と殖えるのみぢや。蜀川《しよくせん》十樣の錦、花を添へて、いくばくの色をか變ぜん。
 八疊の座敷に髯のある人と、髯のない人と、涼しき眼の女が會して、斯《かく》の如く一夜《いちや》を過した。彼等の一夜を描《ゑが》いたのは彼等の生涯を描いたのである。
 何故《なぜ》三人が落ち合つた? それは知らぬ。三人は如何なる身分と素性と性格を有する? それも分らぬ。三人の言語動作を通じて一貫した事件が發展せぬ? 人生を書いたので小説をかいたのでないから仕方がない。なぜ三人とも一時に寢た? 三人とも一時に眠くなつたからである。(三十八年七月二十六日)
         〔2005年11月10日(木)午後8時20分、修正終了、2016年7月22日(金)午前11時25分、再修正終了〕
 
   薤露行
  ――明治三八年、一一、一――
 
  世に傳ふるマロリーの『アーサー物語』は簡淨素樸《かんじやうそぼく》と云ふ點に於て珍重すべき書物ではあるが古代のものだから一部の小説として見ると散漫の譏《そしり》は免がれぬ。况《ま》して材を其一局部に取つて纒つたものを書かうとすると到底萬事原著による譯には行かぬ。從つて此篇の如きも作者の隨意に事實を前後したり、場合を創造したり、性格を書き直したりして可成《かなり》小説に近いものに改めて仕舞ふた。主意はこんな事が面白いから書いて見《み》樣《やう》といふので、マロリーが面白いからマロリーを紹介しやうといふのではない。其の積りで讀まれん事を希望する。
  實を云ふとマロリーの寫したランスロツトは或る點に於て車夫の如く、ギニ?アは車夫の情婦の樣な感じがある。此一點|丈《だけ》でも書き直す必要は充分あると思ふ。テニソンのアイヂルスは優麗都雅《いうれいとが》の點に於て古今の雄篇たるのみならず性格の描寫に於ても十九世紀の人間を古代の舞臺に躍らせる樣なかきぶりであるから、かゝる短篇を草するには大《おほい》に參考すべき長詩であるはいふ迄もない。元來なら記憶を新たにする爲め一應讀み返す筈であるが、讀むと冥々《めい/\》のうちに眞似がしたくなるからやめた。
 
     一 夢
 
 百、二百、簇《むら》がる騎士は數をつくして北の方《かた》なる試合《しあひ》へと急げば、石に古《ふ》りたるカメロツトの館《やかた》には、只《たゞ》王妃ギニ?アの長く牽《ひ》く衣《ころも》の裾の響のみ殘る。
 薄紅《うすくれなゐ》の一枚をむざと許《ばか》りに肩より投げ懸けて、白き二の腕さへ明《あか》らさまなるに、裳《もすそ》のみは輕《かろ》く捌《さば》く珠《たま》の履《くつ》をつゝみて、猶《なほ》餘りあるを後《うし》ろざまに石階《せきかい》の二級に垂れて登る。登り詰めたる階《きざはし》の正面には大いなる花を鈍色《にびいろ》の奧に織り込める戸帳《とばり》が、人なきをかこち顔なる樣にてそよとも動かぬ。ギニ?アは幕の前に耳押し付けて一重《ひとへ》向ふに何事をか聽く。聽き了りたる横顔を又|眞向《まむかふ》に反《か》へして石段の下を鋭どき眼にて窺ふ。濃《こま》やかに斑《ふ》を流したる大理石の上は、こゝかしこに白き薔薇《ばら》が暗きを洩れて和《やはら》かき香《かを》りを放つ。君見よと宵に贈れる花輪のいつ摧《くだ》けたる名殘《なごり》か。しばらくはわが足に纒《まつ》はる絹の音にさへ心置ける人の、何の思案か、屹《き》と立ち直りて、繊《ほそ》き手の動くと見れば、深き幕の波を描《ゑが》いて、眩《まば》ゆき光り矢の如く向ひ側なる室の中よりギニ?アの頭《かしら》に戴ける冠《かんむり》を照らす。輝けるは眉間《みけん》に中《あた》る金剛石ぞ。
 「ランスロツト」と幕押し分けたる儘にて云ふ。天を憚《はゞ》かり、地を憚かる中に、身も世も入らぬ迄力の籠《こも》りたる聲である。戀に敵なければ、わが戴《いたゞ》ける冠《かんむり》を畏《おそ》れず。
 「ギニ?ア!」と應《こた》へたるは室の中なる人の聲とも思はれぬ程優しい。廣き額を半《なか》ば埋《うづ》めて又|捲《ま》き返《かへ》る髪の、黒きを誇る許《ばか》り亂れたるに、頬の色は釣り合はず蒼白《あをじろ》い。
 女は幕をひく手をつと放して内に入る。裂目《さけめ》を洩れて斜《なゝ》めに大理石の階段を横切《よこぎ》りたる日の光は、一度に消えて、薄暗がりの中に戸帳《とばり》の模樣のみ際立《きはだ》ちて見える。左右に開く廻廊には圓柱《まるばしら》の影の重なりて落ちかゝれども、影なれば音もせず。生きたるは室の中なる二人《ふたり》のみと思はる。
 「北の方《かた》なる試合にも參り合せず。亂れたるは額にかゝる髪のみならじ」と女は心ありげに問ふ。晴れかゝりたる眉に晴れがたき雲の蟠《わだか》まりて、弱き笑の強ひて憂の裏《うち》より洩れ來《きた》る。
 「贈りまつれる薔薇の香《か》に醉《ゑ》ひて」とのみにて男は高き窓より表の方《かた》を見やる。折からの五月である。館《やかた》を繞《めぐ》りて緩《ゆる》く逝《ゆ》く江《え》に千本の柳が明《あきら》かに影を?《ひた》して、空に崩るゝ雲の峰さへ水の底に流れ込む。動くとも見えぬ白帆《しらほ》に、人あらば節《ふし》面白き舟歌も興がらう。河を隔てゝ木《こ》の間《ま》隱れに白く?《ひ》く筋の、一縷《いちる》の糸となつて烟に入るは、立ち上《のぼ》る朝日影に蹄《ひづめ》の塵を揚げて、けさアーサーが圓卓の騎士と共に北の方《かた》へと飛ばせたる本道である。
 「うれしきものに罪を思へば、罪長かれと祈る憂き身ぞ。君一人|館《やかた》に殘る今日を忍びて、今日のみの縁《えにし》とならばうからまし」と女は安らかぬ心の程を口元に見せて、珊瑚の唇をぴり/\と動かす。
 「今日のみの縁《えにし》とは? 墓に堰《せ》かるゝあの世迄も渝《かは》らじ」と男は黒き瞳を返して女の顔を眤《ぢつ》と見る。
 「左《さ》ればこそ」と女は右の手を高く擧げて廣げたる掌《てのひら》を竪《たて》にランスロツトに向ける。手頸を纒ふ黄金《こがね》の腕輪がきらりと輝くときランスロツトの瞳は吾知らず動いた。「左《さ》ればこそ!」と女は繰り返す。「薔薇の香《か》に醉《ゑ》へる病を、病と許せるは我ら二人のみ。此カメロツトに集まる騎士は、五本の指を五十度繰り返へすとも數へ難きに、一人として北に行かぬランスロツトの病を疑はぬはなし。束《つか》の間《ま》に危うきを貪《むさぼ》りて、長き逢ふ瀬の淵と變らば……」と云ひながら擧げたる手をはたと落す。かの腕輪は再びきらめいて、玉と玉と撃てる音か、戛然《かつぜん》と瞬時の響きを起す。
 「命は長き賜物ぞ、戀は命よりも長き賜物ぞ。心安かれ」と男は流石《さすが》に大膽である。
 女は兩手を延ばして、戴ける冠《かんむり》を左右より抑へて「此|冠《かんむり》よ、此冠よ。わが額の燒ける事は」と云ふ。願ふ事の叶《かな》はば此|黄金《こがね》、此|珠玉《たま》の飾りを脱いで窓より下に投げ付けて見ばやといへる樣《さま》である。白き腕《かひな》のすらりと絹をすべりて、抑へたる冠の光りの下には、渦を卷く髪の毛の、珠の輪には抑へ難くて、頬のあたりに靡きつゝ洩れかゝる。肩にあつまる薄紅《うすくれなゐ》の衣の袖は、胸を過ぎてより豐かなる襞《ひだ》を描《ゑ》がいて、裾は強けれども剛《かた》からざる線を三筋程|床《ゆか》の上迄引く。ランスロツトは只|窈窕《えうてう》として眺めて居る。前後を截斷《せつだん》して、過去未來を失念したる間に只ギニ?アの形のみがあり/\と見える。
 機微の邃《ふか》きを照らす鏡は、女の有《も》てる凡《すべ》てのうちにて、尤も明かなるものと云ふ。苦しきに堪へかねて、われとわが頭《かしら》を抑へたるギニ?アを打ち守る人の心は、飛ぶ鳥の影の疾《と》きが如くに女の胸にひらめき渡る。苦しみは拂ひ落す蜘蛛の巣と消えて剰《あま》すは嬉しき人の情ばかりである。「かくてあらば」と女は危うき間《ひま》に際《きは》どく擦《す》り込む石火《せきくわ》の樂みを、長《とこし》へに續《つ》づけかしと念じて兩頬に笑《ゑみ》を滴《したゝ》らす。
 「かくてあらん」と男は始めより思ひ極《きは》めた態《てい》である。
 「されど」と少時《しばし》して女は又口を開《ひら》く。「かくてあらん爲め――北の方《かた》なる試合に行き給へ。けさ立てる人々の蹄《ひづめ》の痕《あと》を追ひ懸けて病《やまひ》癒えぬと申し給へ。此頃の蔭口、二人《ふたり》をつゝつむ疑《うたがひ》の雲を晴し給へ」
 「左程《さほど》に人が怖《こは》くて戀がなろか」と男は亂るゝ髪を廣き額に拂つて、わざと乍らから/\と笑ふ。高き室の靜かなる中に、常ならず快《こゝろよ》からぬ響が傳はる。笑へるははたと已《や》めて「此|帳《とばり》の風なきに動くさうな」と室の入口迄歩を移してことさらに厚き幕を搖り動かして見る。あやしき響は収まつて寂寞《じやくまく》の故《もと》に歸る。
 「宵《よべ》見し夢の――夢の中なる響の名殘か」と女の顔には忽ち紅《こう》落ちて、冠の星はきら/\と震ふ。男も何事か心《こゝろ》躁《さわ》ぐ樣《さま》にて、ゆふべ見しと云ふ夢を、女に物語らする。
 「薔薇《ばら》咲く日なり。白き薔薇と、赤き薔薇と、黄なる薔薇の間に臥したるは君とわれのみ。樂しき日は落ちて、樂しき夕暮の薄明りの、盡くる限りはあらじと思ふ。その時に戴《いたゞ》けるは此|冠《かんむり》なり」と指を擧げて眉間《みけん》をさす。冠の底を二重にめぐる一疋の蛇は黄金《こがね》の鱗《うろこ》を細かに身に刻んで、擡《もた》げたる頭《かしら》には青玉《せいぎよく》の眼《がん》を嵌《は》めてある。
 「わが冠の肉に喰ひ入る許《ばか》り燒けて、頭《かしら》の上に衣《きぬ》擦る如き音を聞くとき、此黄金の蛇はわが髪を繞《めぐ》りて動き出す。頭《かしら》は君の方《かた》へ、尾はわが胸のあたりに。波の如くに延びるよと見る間《ま》に、君とわれは腥《なまぐ》さき繩にて、斷つべくもあらぬ迄に纒《まつ》はるゝ。中四尺を隔てゝ近寄るに力なく、離るゝに術《すべ》なし。たとひ忌《いま》はしき絆《きづな》なりとも、此繩の切れて二人《ふたり》離れ/”\に居らんよりはとは、其時苦しきわが胸の奧なる心遣りなりき。囓《か》まるゝとも螫《さ》さるゝとも、口繩《くちなは》の朽ち果つる迄斯くてあらんと思ひ定めたるに、あら悲し。薔薇の花の紅《くれなゐ》なるが、めら/\と燃え出《いだ》して、繋げる蛇を燒かんとす。しばらくして君とわれの間にあまれる一尋《ひとひろ》餘りは、眞中《まなか》より青き烟を吐いて金の鱗の色變り行くと思へば、あやしき臭《にほ》いを立てゝふすと切れたり。身も魂もこれ限り消えて失《う》せよと念ずる耳元に、何者かから/\と笑ふ聲して夢は醒めたり。醒めたるあとにも猶耳を襲ふ聲はありて、今聞ける君が笑も、宵《よべ》の名殘《なごり》かと骨を撼《ゆる》がす」と落ち付かぬ眼を長き睫《まつげ》の裏に隱してランスロツトの氣色《けしき》を窺《うかが》ふ。七十五度の闘技に、馬の脊《せ》を滑《すべ》るは無論、鐙《あぶみ》さへはづせる事なき勇士も、此夢を奇《く》しとのみは思はず。快《こ/\ろよ》からぬ眉根は自《おのづか》ら逼りて、結べる口の奧には齒さへ喰ひ締《し》ばるならん。
 「さらば行かう。後《おく》れ馳《ば》せに北の方《かた》へ行かう」と拱《こまぬ》いたる手を振りほどいて、六尺二寸の?《からだ》をゆらりと起す。
 「行くか?」とはギニ?アの半《なか》ば疑へる言葉である。疑へる中には、今更ながら別れの惜まるゝ心地《こゝち》さへほのめいて居る。
 「行く」と云ひ放つて、つか/\と戸口にかゝる幕を半《なか》ば掲《かゝ》げたが、やがてするりと踵《くびす》を回《めぐ》らして、女の前に、白き手を執りて、發熱かと怪しまるゝ程のあつき唇を、冷やかに柔らかき甲の上につけた。曉の露しげき百合の花瓣《はなびら》をひたふるに吸へる心地《こゝち》である。ランスロツトは後《あと》をも見ずして石階を馳け降りる。
 やがて三たび馬の嘶《いなゝ》く音《ね》がして中庭の石の上に堅き蹄《ひづめ》が鳴るとき、ギニ?アは高殿《たかどの》を下《くだ》りて、騎士の出づべき門の眞上なる窓に倚りて、かの人の出《いづ》るを遅しと待つ。黒き馬の鼻面《はなづら》が下に見ゆるとき、身を半《なか》ば投げだして、行く人の爲めに白き絹の尺ばかりなるを振る。頭《かしら》に戴ける金冠の、美しき髪を滑りてか、からりと馬の鼻を掠《かす》めて碎くる許《ばか》りに石の上に落つる。
 槍の穗先に冠をかけて、窓近く差し出したる時、ランスロツトとギニ?アの視線がはたと行き合ふ。「忌まはしき冠よ」と女は受けとり乍《なが》ら云ふ。「さらば」と男は馬の太腹をける。白き兜《かぶと》の挿毛のさと靡くあとに、殘るは漠々たる塵のみ。
 
     二 鏡
 
 有《あり》の儘《まゝ》なる浮世を見ず、鏡に寫る浮世のみを見るシヤロツトの女は高き臺《うてな》の中に只一人住む。活《い》ける世を鏡の裡《うち》にのみ知る者に、面《おもて》を合はす友のあるべき由なし。
 春戀し、春戀しと囀《さへ》づる鳥の數々に、耳|側《そばだ》てゝ木《こ》の葉《は》隱れの翼の色を見んと思へば、窓に向はずして壁に切り込む鏡に向ふ。鮮やかに寫る羽の色に日の色さへも其儘である。
 シヤロツトの野に麥刈る男、麥打つ女の歌にやあらん、谷を渡り水を渡りて、幽《かす》かなる音の高き臺《うてな》に他界の聲の如く糸と細りて響く時、シヤロツトの女は傾けたる耳を掩ふて又鏡に向ふ。河のあなたに烟《けぶ》る柳の、果ては空とも野とも覺束なき間より洩れ出づる悲しき調と思へばなるべし。
 シヤロツトの路行く人も亦|悉《こと/”\》くシヤロツトの女の鏡に寫る。あるときは赤き帽の首打ち振りて馬追ふさまも見ゆる。あるときは白き髯の寛《ゆる》き衣《ころも》を纒ひて、長き杖の先に小さき瓢《ひさご》を括《くゝ》しつけながら行く巡禮姿も見える。又あるときは頭《かしら》より只一枚と思はるゝ眞白の上衣《うはぎ》被《かぶ》りて、眼口も手足も確《しか》と分ちかねたるが、けたゝましげに鉦《かね》打ち鳴らして過ぎるも見ゆる。是は癩《らい》をやむ人の前世の業《ごふ》を自《みづか》ら世に告ぐる、むごき仕打ちなりとシヤロツトの女は知るすべもあらぬ。
 旅商人《たびあきうど》の脊に負へる包の中には赤きリボンのあるか、白き下着のあるか、珊瑚《さんご》、瑪瑙《めなう》、水晶《すゐしやう》、眞珠《しんじゆ》のあるか、包める中を照らさねば、中にあるものは鏡には寫らず。寫らねばシヤロツトの女の眸《ひとみ》には映ぜぬ。
 古き幾世を照らして、今の世にシヤロツトにありとある物を照らす。悉《こと/”\》く照らして擇《えら》ぶ所なければシヤロツトの女の眼に映るものも亦限りなく多い。只影なれば寫りては消え、消えては寫る。鏡のうちに永く停《とゞ》まる事は天に懸る日と雖《いへど》も難い。活《い》ける世の影なれば斯く果敢《はか》なきか、あるひは活ける世が影なるかとシヤロツトの女は折々疑ふ事がある。明らさまに見ぬ世なれば影ともまこととも斷じ難い。影なれば果敢《はか》なき姿を鏡にのみ見て不足はなからう。影ならずば?――時にはむら/\と起る一念に窓際に馳けよりて思ふさま鏡の外《ほか》なる世を見んと思ひ立つ事もある。シヤロツトの女の窓より眼を放つときはシヤロツトの女に呪ひのかゝる時である。シヤロツトの女は鏡の限る天地のうちに跼蹐《きよくせき》せねばならぬ。一重《ひとへ》隔て、二重《ふたへ》隔てゝ、廣き世界を四角に切るとも、自滅の期を寸時も早めてはならぬ。
 去れど有の儘なる世は罪に濁ると聞く。住み倦めば山に遯《のが》るゝ心安さもあるべし。鏡の裏《うち》なる狹き宇宙の小さければとて、憂き事の降りかゝる十字の街《ちまた》に立ちて、行き交《か》ふ人に氣を配る辛《つ》らさはあらず。何者か因果の波を一たび起してより、萬頃《ばんけい》の亂れは永劫《えいごふ》を極《きは》めて盡きざるを、渦捲く中に頭《かしら》をも、手をも、足をも攫《さら》はれて、行く吾の果《はて》は知らず。かゝる人を賢しといはゞ、高き臺《うてな》に一人《ひとり》を住み古りて、しろかねの白き光りの、表とも裏とも分ち難きあたりに、幻《まぼろし》の世を尺に縮めて、あらん命を土さへ踏まで過すは阿呆《あはう》の極《きは》みであらう。わが見るは動く世ならず、動く世を動かぬ物の助にて、餘所《よそ》ながら窺ふ世なり。活殺生死の乾坤《けんこん》を定裏《ぢやうり》に拈出《ねんしゆつ》して、五彩の色相を靜中に描く世なり。かく觀ずればこの女の運命もあながちに嘆くべきにあらぬを、シヤロツトの女は何に心を躁《さわ》がして窓の外なる下界を見んとする。
 鏡の長さは五尺に足らぬ。黒鐵《くろがね》の黒きを磨いて本來の白きに歸すマーリンの術になるとか。魔法に名を得し彼のいふ。――鏡の表に霧こめて、秋の日の上《のぼ》れども晴れぬ心地なるは不吉の兆なり。曇る鑑《かゞみ》の霧を含みて、芙蓉《ふよう》に滴たる音を聽くとき、對《むか》へる人の身の上に危うき事あり。?然《けきぜん》と故なきに響を起して、白き筋の横縱に鏡に浮くとき、其人|末期《まつご》の覺悟せよ。――シヤロツトの女が幾年月《いくとしつき》の久しき間此鏡に向へるかは知らぬ。朝《あした》に向ひ夕《ゆふべ》に向ひ、日に向ひ月に向ひて、厭《あ》くてふ事のあるをさへ忘れたるシヤロツトの女の眼には、霧立つ事も、露置く事もあらざれば、况《ま》して裂けんとする虞《おそれ》ありとは夢にだも知らず。湛然《たんぜん》として音なき秋の水に臨むが如く、瑩朗《えいらう》たる面《おもて》を過ぐる森羅《しんら》の影の、繽紛《ひんぷん》として去るあとは、太古の色なき境をまのあたりに現はす。無限上に徹する大空《たいくう》を鑄固めて、打てば音ある五尺の裏《うち》に壓《お》し集めたるを――シヤロツトの女は夜毎日毎に見る。
 夜毎日毎に鏡に向へる女は、夜毎日毎に鏡の傍《そば》に坐りて、夜毎日毎の潤sはた》を織る。ある時は明るき潤sはた》を織り、ある時は暗き潤sはた》を織る。
 シヤロツトの女の投ぐる梭《ひ》の音を聽く者は、淋《さび》しき皐《をか》の上に立つ、高き臺《うてな》の窓を恐る/\見上げぬ事はない。親も逝き子も逝きて、新しき代《よ》に只一人取り殘されて、命長き吾を恨み顔なる年寄の如く見ゆるが、岡の上なるシヤロツトの女の住居《すまひ》である。蔦《つた》鎖《とざ》す古き窓より洩るゝ梭《ひ》の音の、絶間なき振子《しんし》の如く、日を刻み月を刻むに急なる樣《さま》なれど、其音はあの世の音なり。靜なるシヤロツトには、空氣さへ重たげにて、常ならば動くべしとも思はれぬを、只此|梭《ひ》の音のみにそゝのかされて、幽《かす》かにも震ふか。淋《さび》しさは音なき時の淋しさにも勝る。恐る/\高き臺《うてな》を見上げたる行人《かうじん》は耳を掩ふて走る。
 シヤロツトの女の織るは不斷の潤sはた》である。草むらの萌草《もえぐさ》の厚く茂れる底に、釣鐘の花の沈める樣を織るときは、花の影のいつ浮くべしとも見えぬ程の濃き色である。うな原のうねりの中に、雪と散る浪の花を浮かすときは、底知れぬ深さを一枚の薄きに疊む。あるときは黒き地《ぢ》に、燃ゆる?の色にて十字架を描《ゑが》く。濁世《ぢよくせ》にはびこる罪障《ざいしやう》の風は、すきまなく天下を吹いて、十字を織れる經緯《たてよこ》の目にも入ると覺しく、?のみは潤sはた》を離れて飛ばんとす。――薄暗き女の部屋は焚《や》け落つるかと怪しまれて明るい。
 戀の糸と誠の糸を横縱に梭《ひ》くゞらせば、手を肩に組み合せて天を仰げるマリヤの姿となる。狂ひを經《たて》に怒りを緯《よこ》に、霰《あられ》ふる木枯《こがらし》の夜を織り明せば、荒野《あれの》の中に白き髯飛ぶリアの面影が出る。耻づかしき紅《くれなゐ》と恨めしき鐵色をより合せては、逢ふて絶えたる人の心を讀むべく、温和《おとな》しき黄と思ひ上がれる紫を交《かは》る/”\に疊めば、魔に誘はれし乙女《をとめ》の、我《われ》は顔《がほ》に高ぶれる態《さま》を寫す。長き袂に雲の如くにまつはるは人に言へぬ願の糸の亂れなるべし。
 シヤロツトの女は眼《まなこ》深く額廣く、唇さへも女には似で薄からず。夏の日の上《のぼ》りてより、刻を盛る砂時計の九《こゝの》たび落ち盡したれば、今ははや午《ひる》過ぎなるべし。窓を射る日の眩《まば》ゆき迄明かなるに、室のうちは夏知らぬ洞窟《どうくつ》の如くに暗い。輝けるは五尺に餘る鐵の鏡と、肩に漂《たゞよ》ふ長き髪のみ。右手《めて》より投げたる梭《ひ》を左手《ゆんで》に受けて、女は不圖鏡の裡《うち》を見る。研《と》ぎ澄《すま》したる劔《つるぎ》よりも寒き光の、例《いつも》ながらうぶ毛の末をも照すよと思ふうちに――底事《なにごと》ぞ! 音なくて颯《さ》と曇るは霧か、鏡の面《おもて》は巨人の息をまともに浴びたる如く光を失ふ。今迄見えたシヤロツトの岸に連なる柳も隱れる。柳の中を流るゝシヤロツトの河も消える。河に沿ふて徃きつ來《きた》りつする人影は無論さゝぬ。――梭《ひ》の音ははたと已《や》んで、女の瞼《まぶた》は黒き睫《まつげ》と共に微《かす》かに顫へた。「凶事か」と叫んで鏡の前に寄るとき、曇は一刷《いつさつ》に晴れて、河も柳も人影も元の如くに見《あら》はれる。梭《ひ》は再び動き出す。
 女はやがて世にあるまじき悲しき聲にて歌ふ。
  うつせみの世を、
  うつゝに住めば、
  住みうからまし、
  むかしも今も。」
  うつくしき戀、
  うつす鏡に、
  色やうつろふ、
  朝な夕なに。」
 鏡の中なる遠柳の枝が風に靡いて動く間《あひだ》に、忽ち銀《しろがね》の光がさして、熱き埃《ほこ》りを薄く揚げ出す。銀《しろがね》の光りは南より北に向つて眞一文字にシヤロツトに近付いてくる。女は小羊を覘《ねら》ふ鷲の如くに、影とは知りながら瞬きもせず鏡の裏《うち》を見詰むる。十丁にして盡きた柳の木立を風の如くに駈け拔けたものを見ると、鍛へ上げた鋼《はがね》の鎧に滿身の日光を浴びて、同じ兜《かぶと》の鉢金《はちがね》よりは尺に餘る白き毛を、飛び散れとのみ?々《さん/\》と靡かして居る。栗毛の駒の逞《たくま》しきを、頭《かしら》も胸も革に裹《つゝ》みて飾れる鋲《びやう》の數《かず》は篩《ふる》ひ落せし秋の夜の星宿《せいしゆく》を一度に集めたるが如き心地である。女は息を凝《こ》らして眼を据える。
 曲《ま》がれる堤《どて》に沿ふて、馬の首を少し左へ向け直すと、今迄は横にのみ見えた姿が、眞正面に鏡にむかつて進んでくる。太き槍をレストに収めて、左の肩に盾を懸けたり。女は領《えり》を延ばして盾に描《ゑが》ける模樣を確《しか》と見分け樣《やう》とする體《てい》であつたが、かの騎士は何の會釋もなく此鐵鏡を突き破つて通り拔ける勢で、愈《いよ/\》目の前に近づいた時、女は思はず梭《ひ》を抛《な》げて、鏡に向つて高くランスロツトと叫んだ。ランスロツトは兜《かぶと》の廂《ひさし》の下より耀く眼を放つて、シヤロツトの高き臺《うてな》を見上げる。爛々《らん/\》たる騎士の眼と、針を束《つか》ねたる如き女の鋭どき眼とは鏡の裡《うち》にてはたと出合つた。此時シヤロツトの女は再び「サー、ランスロツト」と叫んで、忽ち窓の傍《そば》に馳け寄つて蒼き顔を半《なか》ば世の中に突き出《いだ》す。人と馬とは、高き臺《うてな》の下を、遠きに去る地震の如くに馳け拔ける。
 ぴちりと音がして皓々《かう/\》たる鏡は忽ち眞二つに割れる。割れたる面《おもて》は再びぴち/\と氷を碎くが如く粉微塵《こなみぢん》になつて室の中に飛ぶ。七卷八卷織りかけたる布帛《きぬ》はふつ/\と切れて風なきに鐵片と共に舞ひ上《あが》る。紅《くれなゐ》の糸、緑の糸、黄の糸、紫の糸はほつれ、千切《ちぎ》れ、解け、もつれて土蜘蛛の張る網の如くにシヤロツトの女の顔に、手に、袖に、長き髪毛にまつはる。「シヤロツトの女を殺すものはランスロツト。ランスロツトを殺すものはシヤロツトの女。わが末期《まつご》の呪を負ふて北の方《かた》へ走れ」と女は兩手を高く天に擧げて、朽ちたる木の野分《のわき》を受けたる如く、五色の糸と氷を欺く碎片の亂るゝ中に?《だう》と仆《たふ》れる。
 
     三 袖
 
 可憐なるエレーンは人知らぬ菫《すみれ》の如くアストラツトの古城を照らして、ひそかに墜《お》ちし春の夜《よ》の星の、紫深き露に染まりて月日を經たり。訪ふ人は固《もと》よりあらず。共に住むは二人の兄と眉さへ白き父親のみ。
 「騎士はいづれに去る人ぞ」と老人は穩かなる聲にて問ふ。
 「北の方《かた》なる仕合《しあひ》に參らんと、是迄は鞭《むちう》つて追懸けたれ。夏の日の永きにも似ず、いつしか暮れて、暗がりに路さへ岐れたるを。――乘り捨てし馬も恩に嘶《いなゝ》かん。一夜の宿の情《なさ》け深きに酬ひまつるものなきを耻づ」と答へたるは、具足を脱いで、黄なる袍《はう》に姿を改めたる騎士なり。シヤロツトを馳せる時何事とは知らず、岩の凹《くぼ》みの秋の水を浴びたる心地して、かりの宿りを求め得たる今に至る迄、頬の蒼きが特更《ことさら》の如く目に立つ。
 エレーンは父の後《うし》ろに小さき身を隱して、此アストラツトに、如何なる風の誘ひてか、かく凛々《りゝ》しき壯夫《ますらを》を吹き寄せたると、折々は鶴と瘠せたる老人の肩をすかして、耻かしの睫《まつげ》の下よりランスロツトを見る。菜の花、豆の花ならば戯《たはむ》るゝ術《すべ》もあらう。偃蹇《えんけん》として澗底《かんてい》に嘯《うそぶ》く松が枝《え》には舞ひ寄る路のとてもなければ、白き胡蝶は薄き翼を収めて身動きもせぬ。
 「無心ながら宿貸す人に申す」と稍《やゝ》ありてランスロツトがいふ。「明日《あす》と定まる仕合の催しに、後れて乘り込む我の、何の誰よと人に知らるゝは興なし。新しきを嫌《きら》はず、古きを辭せず、人の見知らぬ盾あらば貸し玉へ」
 老人ははたと手を拍《う》つ。「望める盾を貸し申さう。――長男チアーは去《さん》ぬる騎士の闘技に足を痛めて今猶|蓐《じよく》を離れず。其時彼が持ちたるは白地に赤く十字架を染めたる盾なり。只の一度の仕合に傷《きずつ》きて、其|創口《きずぐち》はまだ癒えざれば、赤き血架《けつか》は空《むな》しく壁に古りたり。是を翳《かざ》して思ふ如く人々を驚かし給へ」
 ランスロツトは腕を扼《やく》して「夫《それ》こそは」と云ふ。老人は猶《なほ》言葉を繼ぐ。
 「次男ラ?ンは健氣《けなげ》に見ゆる若者にてあるを、アーサー王の催《もよほし》にかゝる晴の仕合に參り合はせずば、騎士の身の口惜しかるべし。只君が栗毛の蹄のあとに倶し連れよ。翌日《あす》を急げと彼に申し聞かせん程に」
 ランスロツトは何の思案もなく「心得たり」と心安げに云ふ。老人の頬に疊める皺のうちには、嬉しき波がしばらく動く。女ならずばわれも行かんと思へるはエレーンである。
 木に倚《よ》るは蔦、まつはりて幾世を離れず、宵に逢ひて朝《あした》に分るゝ君と我の、われにはまつはるべき月日もあらず。繊《ほそ》き身の寄り添はゞ、幹吹く嵐に、根なしかづらと倒れもやせん。寄り添はずば、人知らずひそかに括《くゝ》る戀の糸、振り切つて君は去るべし。愛|溶《と》けて瞼《まぶた》に餘る、露の底なる光りを見ずや。わが住める館《やかた》こそ古《ふ》るけれ、春を知る事は生れて十八度に過ぎず。物の憐れの胸に漲《みなぎ》るは、鎖《とざ》せる雲の自《おのづか》ら晴れて、麗《うらゝ》かなる日影の大地を渡るに異《こと》ならず。野をうづめ谷を埋《うづ》めて千里の外《ほか》に暖かき光りをひく。明かなる君が眉目にはたと行き逢へる今の思は、坑《あな》を出でゝ天下の春風に吹かれたるが如きを――言葉さへ交《か》はさず、あすの別れとはつれなし。
 燭《しよく》盡きて更《かう》を惜めども、更《かう》盡きて客は寢《い》ねたり。寢《い》ねたるあとにエレーンは、合はぬ瞼《まぶた》の間より男の姿の無理に瞳《ひとみ》の奧に押し入らんとするを、幾たびか拂ひ落さんと力《つと》めたれど詮なし。強ひて合はぬ目を合せて、此影を追はんとすれば、いつの間《ま》にか其人の姿は既に瞼《まぶた》の裏《うち》に潜《ひそ》む。苦しき夢に襲はれて、世を恐ろしと思ひし夜もある。魂消《たまぎ》える物《もの》の怪《け》の話におのゝきて、眠らぬ耳に鷄の聲をうれしと起き出でた事もある。去れど恐ろしきも苦しきも、皆われ安かれと願ふ心の反響に過ぎず。われと云ふ可愛《かはゆ》き者の前に夢の魔を置き、物《もの》の怪の祟《たゝ》りを据ゑての恐と苦しみである。今宵《こよひ》の惱みは其等にはあらず。我と云ふ個靈の消え失せて、求むれども遂に得難きを、驚きて迷ひて、果ては情なくて斯くは亂るゝなり。我を司どるものゝ我にはあらで、先に見し人の姿なるを奇《く》しく、怪しく、悲しく念じ煩ふなり。いつの間《ま》に我はランスロツトと變りて常の心はいづこへか喪《うしな》へる。エレーンと吾名を呼ぶに、應《こた》ふるはエレーンならず、中庭に馬乘り捨てゝ、廂《ひさし》深き兜《かぶと》の奧より、高き櫓を見上げたるランスロツトである。再びエレーンと呼ぶにエレーンはランスロツトぢやと答へる。エレーンは亡《う》せてかと問へば在りと云ふ。いづこにと聞けば知らぬと云ふ。エレーンは微《かす》かなる毛孔《けあな》の末に潜《ひそ》みて、いつか昔《むか》しの樣《さま》に歸らん。エレーンに八萬四千の毛孔ありて、エレーンが八萬四千壺の香油を注《そゝ》いで、日に其|膚《はだへ》を滑かにするとも、潜《ひそ》めるエレーンは遂に出現し來る期《ご》はなからう。
 やがてわが部屋の戸帳《とばり》を開きて、エレーンは壁に釣る長き衣《きぬ》を取り出《いだ》す。燭にすかせば燃ゆる眞紅の色なり。室にはびこる夜を呑んで、一枚の衣《きぬ》に眞晝の日影を集めたる如く鮮かである。エレーンは衣《きぬ》の領《えり》を右手《めて》につるして、暫らくは眩ゆきものと眺めたるが、やがて左に握る短刀を鞘ながら二、三度振る。から/\と床《ゆか》に音さして、すはと云ふ間《ま》に閃きは目を掠《かす》めて紅《くれなゐ》深きうちに隱れる。見れば美しき衣《きぬ》の片袖は惜氣《をしげ》もなく斷たれて、殘るは鞘の上にふわりと落ちる。途端に裸ながらの手燭は、風に打たれて颯《さ》と消えた。外は片破月《かたわれづき》の空に更けたり。
 右手《めて》に捧ぐる袖の光をしるべに、暗きをすりぬけてエレーンはわが部屋を出る。右に折れると兄の住居《すまひ》、左を突き當れば今宵の客の寢所《しんじよ》である。夢の如くなよやかなる女の姿は、地を踏まざるに歩めるか、影よりも靜かにランスロツトの室の前にとまる。――ランスロツトの夢は成らず。
 聞くならくアーサー大王のギニ?アを娶《めと》らんとして、心惑へる折、居ながらに世の成行を知るマーリンは、首を掉《ふ》りて慶事を肯《がへん》んぜず。此女|後《のち》に思はぬ人を慕ふ事あり、娶《めと》る君に悔《くい》あらん。と只管《ひたすら》に諫《いさ》めしとぞ。聞きたる時の我に罪なければ思はぬ人〔四字傍点〕の誰なるかは知るべくもなく打ち過ぎぬ。思はぬ人〔四字傍点〕の誰なるかを知りたる時、天《あめ》が下《した》に數多く生れたるものゝうちにて、此悲しき命《さだめ》に廻《めぐ》り合せたる我を恨み、此うれしき幸《さち》を享《う》けたる己《おの》れを悦びて、樂みと苦みの綯《なひまじ》りたる繩を斷たんともせず、此|年月《としつき》を經たり。心|疚《や》ましきは願はず。疚《や》ましき中に蜜あるはうれし。疚《や》ましければこそ蜜をも醸《かも》せと思ふ折さへあれば、卓を共にする騎士の我を疑ふ此日に至る迄王妃を棄てず。只|疑《うたがひ》の積もりて證據《あかし》と凝《こ》らん時――ギニ?アの捕はれて杭に燒かるゝ時――此時を思へばランスロツトの夢は未《いま》だ成らず。
 眠られぬ戸に何物かちよと障つた氣合《けはひ》である。枕を離るゝ頭《かしら》の、音する方《かた》に、しばらくは振り向けるが、又元の如く落ち付いて、あとは古城の亡骸《なきがら》に脉も通はず。靜である。
 再び障つた音は、殆んど敲《たゝ》いたと云ふべくも高い。慥《たし》かに人ありと思ひ極《きは》めたるランスロツトは、やをら身を臥所《ふしど》に起して、「たぞ」と云ひつゝ戸を半《なか》ば引く。差しつくる?燭の火のふき込められしが、取り直して今度は戸口に立てる乙女《をとめ》の方にまたゝく。乙女の顔は翳《かざ》せる赤き袖の影に隱れて居る。面映《おもはゆ》きは灯火《ともしび》のみならず。
 「此深き夜を……迷へるか」と男は驚きの舌を途切《とぎ》れ々々に動かす。
 「知らぬ路にこそ迷へ。年|古《ふ》るく住みなせる家のうちを――鼠だに迷はじ」と女は微《かす》かなる聲ながら、思ひ切つて答へる。
 男は只怪しとのみ女の顔を打ち守る。女は尺に足らぬ紅絹《もみ》の衝立《ついたて》に、花よりも美くしき顔をかくす。常に勝る豐頬《ほうけふ》の色は、湧く血潮の疾《と》く流るゝか、あざやかなる絹のたすけか。たゞ隱しかねたる鬢《びん》の毛の肩に亂れて、頭《かしら》には白き薔薇を輪に貫ぬきて三輪挿したり。
 白き香りの鼻を撲《う》つて、絹の影なる花の數さへ見分けたる時、ランスロツトの胸には忽ちギニ?アの夢の話が湧き歸る。何故《なにゆえ》とは知らず、悉《こと/”\》く身は痿《な》へて、手に持つ燭を取り落せるかと驚ろきて我に歸る。乙女《をとめ》はわが前に立てる人の心を讀む由もあらず。
 「紅《くれなゐ》に人のまことはあれ。耻づかしの片袖を、乞はれぬに參らする。兜《かぶと》に捲いて勝負せよとの願なり」とかの袖を押し遣る如く前に出《いだ》す。男は容易に答へぬ。
 「女の贈り物受けぬ君は騎士か」とエレーンは訴ふる如くに下よりランスロツトの顔を覗く。覗かれたる人は薄き唇を一文字に結んで、燃ゆる片袖を、右の手に半ば受けたる儘、當惑の眉を思案に刻む。やゝありて云ふ。「戰《たゝかひ》に臨む事は大小六十餘度、闘技の場に登つて槍を交へたる事は其|數《かず》を知らず。未《いま》だ佳人の贈り物を、身に帶びたる試しなし。情《なさけ》あるあるじの子の、情深き賜物を辭《いな》むは禮なけれど……」
 「禮ともいへ、禮なしともいひてやみね。禮の爲めに、夜を冒して參りたるにはあらず。思の籠る此片袖を天《あめ》が下《した》の勇士に贈らん爲に參りたり。切に受けさせ給へ」とこゝ迄踏み込みたる上は、かよわき乙女《をとめ》の、却つて一徹に動かすべくもあらず。ランスロツトは惑ふ。
 カメロツトに集まる騎士は、弱きと強きを通じてわが盾の上に描《ゑが》かれたる紋章を知らざるはあらず。又わが腕に、わが兜《かぶと》に、美しき人の贈り物を見たる事なし。あすの試合に後るゝは、始めより出づる筈ならぬを、半途より思ひ返しての仕業故である。闘技の埒《らち》に馬乘り入れてランスロツトよ、後れたるランスロツトよ、と謳《うた》はるゝ丈《だけ》ならば其迄の浮名である。去れど後《おく》れたるは病のため、後れながらも參りたるはまことの病にあらざる證據《あかし》よと云はゞ何と答へん。今幸に知らざる人の盾を借りて、知らざる人の袖を纒ひ、二十三十の騎士を斃す迄深くわが面《おもて》を包まば、ランスロツトと名乘りをあげて人驚かす夕暮に、――誰彼共にわざと後れたる我を肯《うけが》はん。病と臥せる我の作略《さりやく》を面白しと感ずる者さへあらう。――ランスロツトは漸くに心を定める。
 部屋のあなたに輝くは物の具である。鎧の胴に立て懸けたるわが盾を輕々《かろ/”\》と片手に提げて、女の前に置きたるランスロツトはいふ。
 「嬉しき人の眞心を兜《かぶと》にまくは騎士の譽《ほま》れ。難有《ありがた》し」とかの袖を女より受取る。
 「うけてか」と片頬《かたほ》に笑《ゑ》める樣《さま》は、谷間の姫百合に朝日影さして、しげき露の痕《あと》なく晞《かわ》けるが如し。
 「あすの勝負に用なき盾を、逢ふ迄の形身と殘す。試合果てゝて再びこゝを過《よ》ぎる迄守り給へ」
 「守らでやは」と女は跪《ひざまづ》いて兩手に盾を抱《いだ》く。ランスロツトは長き袖を眉のあたりに掲げて、「赤し、赤し」と云ふ。
 此時櫓の上を烏鳴き過ぎて、夜はほの/”\と明け渡る。
 
     四 罪
 
 アーサーを嫌ふにあらず、ランスロツトを愛するなりとはギニ?アの己《おの》れにのみ語る胸のうちである。
 北の方《かた》なる試合|果《は》てゝ、行けるものは皆|館《やかた》に歸れるを、ランスロツトのみは影さへ見えず。歸れかしと念ずる人の便《たよ》りは絶えて、思はぬものゝの?《くつわ》を連ねてカメロツトに入《い》るは、見るも益なし。一日には二日を數へ、二日には三日を數へ、遂に兩手の指を悉《こと/”\》く折り盡して十日に至る今日《こんにち》迄《まで》猶歸るべしとの願《ねがひ》を掛けたり。
 「遅き人のいづこに繋がれたる」とアーサーは左迄《さまで》に心を惱ませる氣色《けしき》もなくいふ。
 高き室の正面に、石にて築く段は二級、半《なか》ばは厚き毛氈《まうせん》にて蔽ふ。段の上なる、大《おほい》なる椅子に豐かに倚《よ》るがアーサーである。
 「繋《つな》ぐ日も、繋ぐ月もなきに」とギニ?アは答ふるが如く答へざるが如くもてなす。王を二尺左に離れて、床几の上に、纎《ほそ》き指を組み合せて、膝より下は長き裳《もすそ》にかくれて履《くつ》の在りかさへ定かならず。
 よそ/\しくは答へたれ、心は其人の名を聞きてさへ躍るを。話しの種の思ふ坪に生えたるを、寒き息にて吹き枯らすは口惜《くちを》し。ギニ?アは又口を開く。
 「後《おく》れて行くものは後《おく》れて歸る掟《おきて》か」と云ひ添へて片頬《かたほ》に笑ふ。女の笑ふときは危うい。
 「後《おく》れたるは掟《おきて》ならぬ戀の掟《おきて》なるべし」とアーサーも穩《おだや》かに笑ふ。アーサーの笑にも特別の意味がある。
 戀といふ字の耳に響くとき、ギニ?アの胸は、錐《きり》に刺されし痛《いたみ》を受けて、すはやと躍り上る。耳の裏には颯《さ》と音して熱き血を注《さ》す。アーサーは知らぬ顔である。
 「あの袖《そで》の主こそ美しからん。……」
 「あの袖とは? 袖の主《ぬし》とは? 美しからんとは?」とギニ?アの呼吸ははづんで居る。
 「白き挿毛に、赤き鉢卷ぞ。去《さ》る人の贈り物とは見たれ。繋がるゝも道理ぢや」とアーサーは又から/\と笑ふ。
 「主《ぬし》の名は?」
 「名は知らぬ。只美しき故に美しき少女〔五字傍点〕と云ふと聞く。過ぐる十日を繋がれて、殘る幾日《いくひ》を繋がるゝ身は果報なり。カメロツトに足は向くまじ」
 「美しき少女〔五字傍点〕! 美しき少女〔五字傍点〕!」と續け樣に叫んでギニ?アは薄き履《くつ》に三たび石の床《ゆか》を踏みならす。肩に負ふ髪の時ならぬ波を描いて、二尺餘りを一筋ごとに末迄渡る。
 夫《をつと》に二心《ふたごゝろ》なきを神の道とのヘは古《ふ》るし。神の道に從ふの心易きも知らずと云はじ。心易きを自《みづか》ら捨てゝ、捨てたる後《のち》の苦しみを嬉しと見しも君が爲なり。春風《しゆんぷう》に心なく、花|自《おのづか》ら開く。花に罪ありとは下《くだ》れる世の言《こと》の葉《は》に過ぎず。戀を寫す鏡の明《あきらか》なるは鏡のコなり。かく觀ずる裡《うち》に、人にも世にも振り棄てられたる時の慰藉はあるべし。かく觀ぜんと思ひ詰めたる今頃を、わが乘れる足臺は覆《くつが》へされて、踵《くびす》を支ふるに一塵だになし。引き付けられたる鐵と磁石の、自然に引き付けられたれば咎《とが》も恐れず、世を憚りの關《せき》一重《ひとへ》あなたへ越せば、生涯の落ち付はあるべしと念じたるに、引き寄せたる磁石は火打石と化して、吸はれし鐵は無限の空裏を冥府《よみ》へ隕《お》つる。わが坐はる床几の底拔けて、わが乘る壇の床《ゆか》崩れて、わが踏む大地の殼《こく》裂けて、己《おの》れを支ふる者は悉《こと/”\》く消えたるに等し。ギニ?アは組める手を胸の前に合せたる儘、右左より骨も摧《くだ》けよと壓《お》す。片手に餘る力を、片手に拔いて、苦しき胸の悶《もだえ》を人知れぬ方《かた》へ洩らさんとするなり。
 「なに事ぞ」とアーサーは聞く。
 「なに事とも知らず」と答へたるは、アーサーを欺けるにもあらず、又|己《おのれ》を誣《し》ひたるにもあらず。知らざるを知らずと云へるのみ。まことはわが口にせる言葉すら知らぬ間《ま》に咽《のど》を轉《まろ》び出でたり。
 ひく浪の返す時は、引く折の氣色《けしき》を忘れて、逆しまに岸を?む勢の、前よりは凄じきを、浪|自《みづか》らさへ驚くかと疑ふ。はからざる便りの胸を打ちて、度を失へるギニ?アの、己《おの》れを忘るゝ迄われに遠ざかれる後《のち》には、油然《いうぜん》として常よりも切なき吾に復《かへ》る。何事も解せぬ風情《ふぜい》に、驚ろきの眉をわが額の上にあつめたるアーサーを、わが夫《をつと》と悟れる時のギニ?アの眼には、アーサーは少《しば》らく前のアーサーにあらず。
 人を傷《きずつ》けたるわが罪を悔ゆるとき、傷負へる人の傷ありと心付かぬ時程悔の甚《はなはだ》しきはあらず。聖徒に向つて鞭を加へたる非の恐しきは、鞭《むちう》てるものゝ身に跳ね返る罸なきに、自《みづか》らと其非を悔いたればなり。吾を疑ふアーサーの前に耻づる心は、疑はぬアーサーの前に、わが罪を心のうちに鳴らすが如く痛からず。ギニ?アは悚然《しようぜん》として骨に徹する寒さを知る。
 「人の身の上はわが上とこそ思へ。人戀はぬ昔は知らず、嫁ぎてより幾夜か經たる。赤き袖の主《ぬし》のランスロツトを思ふ事は、御身のわれを思ふ如くなるべし。贈り物あらば、われも十日《とをか》を、二十日《はつか》を、歸るを、忘るべきに、罵しるは卑し」とアーサーは王妃の方《かた》を見て不審の顔付である。
 「美しき少女〔五字傍点〕!」とギニ?アは三たびエレーンの名を繰り返す。このたびは鋭どき聲にあらず。去りとては憐《あはれ》を寄せたりとも見えず。
 アーサーは椅子に倚《よ》る身を半《なか》ば回《めぐ》らして云ふ。「御身とわれと始めて逢へる昔を知るか。丈《ぢやう》に餘余る石の十字を深く地に埋《うづ》めたるに、蔦這ひかゝる春の頃なり。路に迷ひて御堂《みだう》にしばし憩《いこ》はんと入れば、銀に鏤《ちり》ばむ祭壇の前に、空色の衣《きぬ》を肩より流して、黄金《こがね》の髪に雲を起せるは誰《た》ぞ」
 女はふるへる聲にて「あゝ」とのみ云ふ。床しからぬにもあらぬ昔の、今は忘るゝをのみ心易しと念じたる矢先に、忽然と容赦もなく描《ゑが》き出されたるを堪へ難く思ふ。
 「安からぬ胸に、捨てゝ行ける人の歸るを待つと、凋《しを》れたる聲にてわれに語る御身の聲をきく迄は、天《あま》つ下《くだ》れるマリヤの此寺の神壇に立てりとのみ思へり」
 逝ける日〔傍点〕は追へども歸らざるに逝ける事〔傍点〕は長《とこ》しへに暗きに葬むる能はず。思ふまじと誓へる心に發矢《はつし》と中《あた》る古き火花もあり。
 「伴《ともな》ひて館《やかた》に歸し參らせんと云へば、黄金《こがね》の髪を動かして何処《いづこ》へとも、とうなづく……」と途中に句を切つたアーサーは、身を起して、兩手にギニ?アの頬を抑へながら上より妃《ひ》の顔を覗き込む。新たなる記憶につれて、新たなる愛の波が、一しきり打ち返したのであらう。――王妃の頬は屍《しかばね》を抱《いだ》くが如く冷たい。アーサーは覺えず抑へたる手を放す。折から廻廊を遠く人の踏む音がして、罵る如き幾多の聲は次第にアーサーの室に逼《せま》る。
 入口に掛けたる厚き幕は總《ふさ》に絞らず。長く垂れて床《ゆか》をかくす。かの足音の戸の近くしばらくとまる時、垂れたる幕を二つに裂いて、髪多く丈《たけ》高き一人の男があらはれた。モードレツドである。
 モードレツドは會釋もなく室の正面迄つか/\と進んで、王の立てる壇の下にとゞまる。續いて入るはアグラ?ン、逞《たく》ましき腕の、寛《ゆる》き袖を洩れて、赭《あか》き頸の、かたく衣《ころも》の襟に括《くゝ》られて、色さへ變る程肉づける男である。二人の後《あと》には物色する遑《いとま》なきに、どや/\と、我勝ちに亂れ入りて、モードレツドを一人前に、ずらりと並《なら》ぶ、數は凡《すべ》てにて十二人。何事かなくては叶《かな》はぬ。
 モードレツドは、王に向つて會釋せる頭《かしら》を擡《もた》げて、そこ力のある聲にて云ふ。「罪あるを罰するは王者の事か」
 「問はずもあれ」と答へたアーサーは今更といふ面持である。
 「罪あるは高きをも辭せざるか」とモードレツドは再び王に向つて問ふ。
 アーサーは我とわが胸を敲《たゝ》いて「黄金《わうごん》の冠《かんむり》は邪《よこしま》の頭《かしら》に戴かず。天子の衣《ころも》は惡を隱さず」と壇上に延び上る。肩に括《くゝ》る緋の衣の、裾は開けて、白き裏が雪の如く光る。
 「罪あるを許さずと誓はば、君が傍《かたへ》に坐せる女をも許さじ」とモードレツドは臆する氣色《けしき》もなく、一指を擧げてギニ?アの眉間《みけん》を指《さ》す。ギニ?アは屹《き》と立ち上る。
 茫然たるアーサーは雷火に打たれたる?の如く、わが前に立てる人――地を抽き出でし巖《いはほ》とばかり立てる人――を見守る。口を開《ひら》けるはギニ?アである。
 「罪ありと我を誣《し》ひるか。何をあかしに、何の罪を數へんとはする。詐《いつは》りは天も照覽あれ」と繊《ほそ》き手を拔け出でよと空高く擧げる。
 「罪は一つ。ランスロツトに聞け。あかしはあれぞ」と鷹の眼を後《うし》ろに投ぐれば、並《なら》びたる十二人は悉《こと/”\》く右の手を高く差し上げつゝ、「神も知る、罪は逃《のが》れず」と口々にいふ。
 ギニ?アは倒れんとする身を、危く壁掛に扶《たす》けて「ランスロツト!」と幽《かすか》に叫ぶ。王は迷ふ。肩に纒《まつ》はる緋の衣の裏を半《なか》ば返して、右手《めて》の掌《たなごゝろ》を十三人の騎士に向けたる儘にて迷ふ。
 此時|館《やかた》の中に「黒し、黒し」と叫ぶ聲が石?《せきてふ》に響を反《かへ》して、窈然《えうぜん》と遠く鳴る木枯《こがらし》の如く傳はる。やがて河に臨む水門を、天にひゞけと、錆びたる鐵鎖《てつさ》に軋《きし》らせて開く音がする。室の中なる人々は顔と顔を見合はす。只事ではない。
 
     五 舟
 
 ?「《かぶと》に卷ける絹の色に、槍突き合はす敵の目も覺むべし。ランスロツトは其日の試合に、二十餘人の騎士を仆《たふ》して、引き擧ぐる間際に始めて吾名をなのる。驚く人の醒めぬ間《ま》を、ラ?ンと共に埒《らち》を出でたり。行く末は勿論アストラツトぢや」と三日過ぎてアストラツトに歸れるラ?ンは父と妹に物語る。
 「ランスロツト?」と父は驚きの眉を張る。女は「あな」とのみ髪に挿す花の色を顫はす。
 「二十餘人の敵と渡り合へるうち、何者の槍を受け損じてか、鎧の胴を二寸|下《さが》りて、左の股に創を負ふ……」
 「深き創か」と女は片唾《かたづ》を呑んで、懸念の眼を?《みは》る。
 「鞍に堪へぬ程にはあらず。夏の日の暮れ難きに暮れて、蒼き夕《ゆふべ》を草深き原のみ行けば、馬の蹄《ひづめ》は露に濡れたり。――二人は一言《ひとこと》も交《か》はさぬ。ランスロツトの何の思案に沈めるかは知らず、われは晝の試合のまたあるまじき派手やかさを偲《しの》ぶ。風渡る梢もなければ馬の沓《くつ》の地を鳴らす音のみ高し。――路は分れて二筋となる」
 「左へ切ればこゝ迄十|哩《マイル》ぢや」と老人が物知り顔に云ふ。
 「ランスロツトは馬の頭《かしら》を右へ立て直す」
 「右? 右はシヤロツトへの本街道、十五|哩《マイル》は確かにあらう」是も老人の説明である。
 「其シヤロツトの方《かた》へ――後《あと》より呼ぶ吾を顧みもせで轡《くつわ》を鳴らして去る。已《や》むなくて吾も從ふ。不思議なるはわが馬を振り向けんとしたる時、前足を躍らしてあやしくも嘶《いなゝ》ける事なり。嘶《いなゝ》く聲の果知らぬ夏野に、末廣に消えて、馬の足掻《あがき》の常の如く、わが手綱《たづな》の思ふ儘に運びし時は、ランスロツトの影は、夜と共に微《かす》かなる奧に消えたり。――われは鞍を敲《たゝ》いて追ふ」
 「追ひ付いてか」と父と妹は聲を揃へて問ふ。
 「追ひ付ける時は既に遅くあつた。乘る馬の息の、闇押し分けて白く立ち上《あが》るを、いやがうへに鞭《むちう》つて長き路を一散に馳け通す。黒きものゝ夫《それ》かとも見ゆる影が、二丁|許《ばか》り先に現はれたる時、われは肺を逆しまにしてランスロツトと呼ぶ。黒きものは聞かざる眞似して行く。幽《かす》かに聞えたるは轡《くつわ》の音か。怪しきは差して急げる樣《さま》もなきに容易《たやす》くは追ひ付かれず。漸くの事|間《あひだ》一丁程に逼りたる時、黒きものは夜《よる》の中に織り込まれたる如く、ふつと消える。合點行かぬわれは益《ます/\》追ふ。シヤロツトの入口に渡したる石橋に、蹄も碎けよと乘り懸けしと思へば、馬は何物にか躓《つまづ》きて前足を折る。騎《の》るわれは鬣《たてがみ》をさかに扱《こ》いて前にのめる。戞《かつ》と打つは石の上と心得しに、われより先に斃《たふ》れたる人の鎧の袖なり」
 「あぶない!」と老人は眼の前の事の如くに叫ぶ。
 「あぶなきはわが上ならず。われより先に倒れたるランスロツトの事なり……」
 「倒れたるはランスロツトか」と妹は魂消《たまぎ》ゆる程の聲に、椅子の端《はじ》を握る。椅子の足は折れたるにあらず。
 「橋の袂の柳の裏《うち》に、人住むとしも見えぬ庵室あるを、試みに敲《たゝ》けば、世を逃《のが》れたる隱士の居なり。幸ひと冷たき人を擔ぎ入るゝ。兜《かぶと》を脱げば眼さへ氷りて……」
 「藥を堀《ほ》り、草を※[者/火]るは隱士の常なり。ランスロツトを蘇《よみがへ》してか」と父は話し半《なか》ばに我句を投げ入るゝ。
 「よみ返《がへ》しはしたれ。よみに在る人と擇ぶ所はあらず。吾に歸りたるランスロツトはまことの吾に歸りたるにあらず。魔に襲はれて夢に物云ふ人の如く、あらぬ事のみ口走る。あるときは罪/\と叫び、あるときは王妃――ギニ?ア――シヤロツトと云ふ。隱士が心を込むる草の香りも、※[者/火]えたる頭《かしら》には一點の涼氣《りやうき》を吹かず。……」
 「枕邊にわれあらば」と少女《をとめ》は思ふ。
 「一夜《いちや》の後《のち》たぎりたる腦の漸く平らぎて、靜かなる昔の影のちら/\と心に映る頃、ランスロツトはわれに去れと云ふ。心許さぬ隱士は去るなと云ふ。兎角して二日を經たり。三日目の朝、われと隱士の眠覺めて、病む人の顔色の、今朝|如何《いかゞ》あらんと臥所《ふしど》を窺へば――在らず。劔《つるぎ》の先にて古壁に刻み殘せる句には罪はわれを追ひ、われは罪を追ふ〔十二字傍点〕とある」
 「逃《のが》れしか」と父は聞き、「いづこへ」と妹はきく。
 「いづこと知らば尋ぬる便《たよ》りもあらん。茫々と吹く夏野の風の限りは知らず。西東《にしひがし》日の通ふ境は極めがたければ、獨り歸り來ぬ。――隱士は云ふ、病《やまひ》怠らで去る。かの人の身は危うし。狂ひて走る方《かた》はカメロツトなるべしと。うつゝのうちに口走れる言葉にてそれと察せしと見ゆれど、われは確《しか》と、さは思はず」と語り終つて盃に盛る苦《にが》き酒を一息に飲み干して虹の如き氣を吹く。妹は立つてわが室に入る。
 花に戯むるゝ蝶のひるがへるを見れば、春に憂ありとは天下を擧げて知らぬ。去れど冷やかに日落ちて、月さへ闇に隱るゝ宵を思へ。――ふる露のしげきを思へ。――薄き翼のいかばかり薄きかを思へ。――廣き野の草の陰に、琴の爪程小きものゝ潜むを思へ。――疊む羽に置く露の重きに過ぎて、夢さへ苦しかるべし。果《はて》知らぬ原の底に、あるに甲斐なき身を縮めて、誘ふ風にも碎くる危うきを恐るゝは淋しからう。エレーンは長くは持たぬ。
 エレーンは盾を眺めて居る。ランスロツトの預けた盾を眺め暮して居る。其盾には丈《たけ》高き女の前に、一人の騎士が跪《ひざま》づいて、愛と信とを誓へる模樣が描《ゑが》かれて居る。騎士の鎧は銀、女の衣は炎の色に燃えて、地《ぢ》は黒に近き紺を敷く。赤き女のギニ?アなりとは憐れなるエレーンの夢にだも知る由がない。
 エレーンは盾《たて》の女を己《おの》れと見立てゝ、跪まづけるをランスロツトと思ふ折さへある。斯くあれ〔四字傍点〕と念ずる思ひの、いつか心の裏《うち》を拔け出でて、斯くの通り〔五字傍点〕と盾の表にあらはれるのであらう。斯くありて後〔六字傍点〕と、あらぬ礎《いしずゑ》を一度び築ける上には、そら事を重ねて、其そら事の未來さへも想像せねば已《や》まぬ。
 重ね上げたる空想は、又崩れる。兒戯に積む小石の塔を蹴返す時の如くに崩れる。崩れたるあとの吾に歸りて見れば、ランスロツトは在らぬ。氣を狂ひてカメロツトの遠きに走れる人の、吾が傍《そば》にあるべき所謂《いはれ》はなし。離るゝとも、誓さへ渝《かは》らずば、千里を繋ぐ牽《ひ》き綱もあらう。ランスロツトとわれは何を誓へる? エレーンの眼には涙が溢れる。
 涙の中に又思ひ返す。ランスロツトこそ誓はざれ。一人誓へる吾の渝《かは》るべくもあらず。二人《ふたり》の中に成り立つをのみ誓とは云はじ。われとわが心にちぎるも誓には洩れず。此誓だに破らずばと思ひ詰める。エレーンの頬の色は褪《あ》せる。
 死ぬ事の恐しきにあらず、死したる後《のち》にランスロツトに逢ひ難きを恐るゝ。去れど此世にての逢ひ難きに比ぶれば、未來に逢ふの却つて易きかとも思ふ。罌粟《けし》散るを憂しとのみ眺むべからず、散ればこそ又咲く夏もあり。エレーンは食を斷《た》つた。
 衰へは春野燒く火と小さき胸を侵《を》かして、愁は衣に堪へぬ玉骨を寸々に削る。今迄は長き命とのみ思へり。よしやいつ迄もと貪《むさぼ》る願はなくとも、死ぬといふ事は夢にさへ見しためしあらず、束《つか》の間《ま》の春と思ひあたれる今日となりて、つら/\世を觀ずれば、日に開く蕾の中にも恨はあり。圓く照る明月のあすをと問はゞ淋《さび》しからん。エレーンは死ぬより外の浮世に用なき人である。
 今は是迄の命と思ひ詰めたるとき、エレーンは父と兄とを枕邊に招きて「わが爲めにランスロツトへの文かきて玉はれ」といふ。父は筆と紙を取り出でゝ、死なんとする人の言《こと》の葉《は》を一々に書き付ける。
 「天《あめ》が下《した》に慕へる人は君ひとりなり。君一人の爲めに死ぬるわれを憐れと思へ。陽炎《かげろふ》燃ゆる黒髪の、長き亂れの土となるとも、胸に彫るランスロツトの名は、星變る後《のち》の世《よ》迄も消えじ。愛の炎に染めたる文字の、土水の因果を受くる理《ことわり》なしと思へば。睫《まつげ》に宿る露の珠に、寫ると見れば碎けたる、君の面影の脆くもあるかな。わが命もしかく脆きを、涙あらば濺《そゝ》げ。基督《キリスト》も知る、死ぬる迄清き乙女《をとめ》なり」
 書き終りたる文字は怪しげに亂れて定かならず。年寄の手の顫へたるは、老の爲とも悲の爲とも知れず。
 女又云ふ。「息絶えて、身の暖かなるうち、右の手に此文を握らせ給へ。手も足も冷え盡したる後《のち》、ありとある美しき衣《きぬ》にわれを着飾り給へ。隙間なく黒き布《ぬの》しき詰めたる小船の中にわれを載せ給へ。山に野に白き薔薇、白き百合を採り盡して舟に投げ入れ給へ。――舟は流し給へ」
 かくしてエレーンは眼を眠る。眠りたる眼は開く期《ご》なし。父と兄とは唯々《ゐゝ》として遺言《ゆゐごん》の如く、憐れなる少女《をとめ》の亡骸《なきがら》を舟に運ぶ。
 古き江に漣《さゞなみ》さへ死して、風吹く事を知らぬ顔に平かである。舟は今|緑《みど》り罩《こ》むる陰を離れて中流に漕ぎ出づる。櫂《かい》操《あやつ》るは只一人、白き髪の白き髯の翁《おきな》と見ゆ。ゆるく掻く水は、物憂げに動いて、一櫂《ひとかい》ごとに鉛の如き光りを放つ。舟は波に浮ぶ睡蓮の睡れる中に、音もせず乘り入りては乘り越して行く。蕚《うてな》傾けて舟を通したるあとには、輕《かろ》く曳く波足と共にしばらく搖れて花の姿は常の靜さに歸る。押し分けられた葉の再び浮き上る表には、時ならぬ露が珠を走らす。
 舟は杳然《えうぜん》として何處《いづく》ともなく去る。美しき亡骸《なきがら》と、美しき衣《きぬ》と、美しき花と、人とも見えぬ一個の翁《おきな》とを載せて去る。翁《おきな》は物をも云はぬ。只靜かなる波の中に長き櫂《かい》をくゞらせては、くゞらす。木に彫る人を鞭《むちう》つて起たしめたるか、櫂を動かす腕の外には活きたる所なきが如くに見ゆる。
 と見れば雪よりも白き白鳥が、収めたる翼に、波を裂いて王者の如く悠然と水を練《ね》り行く。長き頸の高く伸《の》したるに、氣高《けだか》き姿はあたりを拂つて、恐るゝものゝありとしも見えず。うねる流を傍目《わきめ》もふらず、舳《へさき》に立つて舟を導く。舟はいづく迄もと、鳥の羽《は》に裂けたる波の合はぬ間《ま》を隨ふ。兩岸の柳は青い。
 シヤロツトを過ぐる時、いづくともなく悲しき聲が、左の岸より古き水の寂寞《じやくまく》を破つて、動かぬ波の上に響く。「うつせみの世を、……うつゝ……に住めば……」絶えたる音はあとを引いて、引きたるは又しばらくに絶えんとす。聞くものは死せるエレーンと、艫《とも》に坐る翁《おきな》のみ。翁《おきな》は耳さへ借さぬ。只長き櫂《かい》をくゞらせてはくゞらする。思ふに聾《つんぼ》なるべし。
 空は打ち返したる綿《わた》を厚く敷けるが如く重い。流を挾む左右の柳は、一本毎に緑《みど》りをこめて濛々《もう/\》と烟《けぶ》る。娑婆《しやば》と冥府《めいふ》の界《さかひ》に立ちて迷へる人のあらば、其人の靈を並《なら》べたるが此|氣色《けしき》である。畫《ゑ》に似たる少女《をとめ》の、舟に乘りて他界へ行くを、立ちならんで送るのでもあらう。
 舟はカメロツトの水門に横付けに流れて、はたと留まる。白鳥の影は波に沈んで、岸高く峙《そばだ》てる樓閣の黒く水に映るのが物凄い。水門は左右に開《ひら》けて、石階の上にはアーサーとギニ?アを前に、城中の男女《なんによ》が悉《こと/”\》く集まる。
 エレーンの屍《しかばね》は凡《すべ》ての屍《しかばね》のうちにて最も美しい。涼しき顔を、雲と亂るゝ黄金《こがね》の髪に埋《うづ》めて、笑へる如く横はる。肉に付着するあらゆる肉の不淨を拭ひ去つて、靈其物の面影を口鼻《こうび》の間に示せるは朗かにも又極めて清い。苦しみも、憂ひも、恨みも、憤《いきどほ》りも――世に忌はしきものゝ痕《あと》なければ土に歸る人とは見えず。
 王は嚴かなる聲にて「何者ぞ」と問ふ。櫂《かい》の手を休めたる老人は?《おふし》の如く口を開《ひら》かぬ。ギニ?アはつと石階を下《くだ》りて、亂るゝ百合の花の中より、エレーンの右の手に握る文《ふみ》を取り上げて何事と封を切る。
 悲しき聲は又水を渡りて、「……うつくしき……戀、色や……うつらう」と細き糸ふつて波うたせたる時の如くに人々の耳を貫く。
 讀み終りたるギニ?アは、腰をのして舟の中なるエレーンの額《ひたひ》――透き徹るエレーンの額に、顫へたる唇をつけつゝ「美くしき少女〔六字傍点〕!」と云ふ。同時に一滴の熱き涙はエレーンの冷たき頬の上に落つる。
 十三人の騎士は目と目を見合せた。
2005.11.12(土)12時14分、修正終了、2016年8月6日(日)午前11時32分再校終了
 
   趣味の遺傳
――明治三九、一、一〇――
 
          一
 
 陽氣の所爲《せゐ》で神も氣違になる。「人を屠《ほふ》りて餓えたる犬を救へ」と雲の裡《うち》より叫ぶ聲が、逆しまに日本海を撼《うご》かして滿洲の果迄響き渡つた時、日人と露人ははつと應《こた》へて百里に餘る一大屠場を朔北《さくほく》の野《や》に開いた。すると渺々《べう/\》たる平原の盡くる下より、眼にあまる?狗《がうく》の群《むれ》が、腥《なまぐさ》き風を横に截り縱に裂いて、四つ足の銃丸を一度に打ち出した樣に飛んで來た。狂へる神が小躍りして「血を啜《すゝ》れ」と云ふを合圖に、ぺら/\と吐く?の舌は暗き大地を照らして咽喉《のど》を越す血潮の湧き返る音が聞えた。今度は黒雲の端《はじ》を踏み鳴らして「肉を食《くら》へ」と神が號《さけ》ぶと「肉を食《くら》へ! 肉を食《くら》へ!」と犬共も一度に咆《ほ》え立てる。やがてめり/\と腕を食ひ切る、深い口をあけて耳の根迄胴にかぶりつく。一つの脛《すね》を啣《くは》へて左右から引き合ふ。漸くの事肉は大半平げたと思ふと、又|羃々《べき/\》たる雲を貫《つら》ぬいて恐しい神の聲がした。「肉の後には骨をしやぶれ」と云ふ。すはこそ骨だ。犬の齒は肉よりも骨を?むに適して居る。狂ふ神の作つた犬には狂つた道具が具はつて居る。今日の振舞を豫期して工夫して呉れた齒ぢや。鳴らせ鳴らせと牙《きば》を鳴らして骨にかゝる。ある者は摧《くじ》いて髄《ずゐ》を吸ひ、ある者は碎いて地に塗る。齒の立たぬ者は横にこいて牙《きば》を磨《と》ぐ。
 怖《こは》い事だと例の通り空想に耽りながらいつしか新橋へ來た。見ると停車場前の廣場は一杯の人で凱旋門《がいせんもん》を通して二間|許《ばか》りの路を開いた儘、左右には割り込む事も出來ない程行列して居る。何だらう?
 行列の中には怪し氣な絹帽《シルクハツト》を阿彌陀《あみだ》に被つて、耳の御蔭で目隱しの難を喰ひ止めて居るのもある。仙臺平を窮屈さうに穿《は》いて七子《なゝこ》の紋付を人の着物の樣にいじろ/\眺めて居るのもある。フロツク、コートは承知したがズツクの白い運動靴をはいて同じく白の手袋を一寸見給へと云はぬ許《ばか》りに振り廻して居るのは奇觀だ。さうして二十人に一本|宛《づゝ》位の割合で手頃な旗を押し立てゝ居る。大抵は紫に字を白く染め拔いたものだが、中には白地に黒々と達筆を振《ふる》つたのも見える。此旗さへ見たら此群集の意味も大概分るだらうと思つて一番近いのを注意して讀むと木村六之助君の凱旋を祝す連雀町有志者とあつた。はゝあ歡迎だと始めて氣が付いて見ると、先刻《さつき》の異裝紳士も何となく立派に見える樣な氣がする。のみならず戰爭を狂神の所爲《せゐ》の樣に考へたり、軍人を犬に食はれに戰地へ行く樣に想像したのが急に氣の毒になつて來た。實は待ち合す人があつて停車場迄行くのであるが、停車場へ達するには是非共此群集を左右に見て誰も通らない眞中を只一人歩かなくつてはならん。よもやこの人々が余の詩想を洞見《どうけん》しはしまいが、只さへ人の注視をわれ一人に集めて徃來を練つて行くのは極りが惡《わ》るいのに、犬に喰ひ殘された者の家族と聞いたら定めし怒《おこ》る事であらうと思ふと、一層調子が狂ふ所を何でもない顔をして、急ぎ足に停車場の石段の上迄漕ぎ付けたのは少し苦しかつた。
 場内へ這入つて見るとこゝも歡迎の諸君で容易に思ふ所へ行けぬ。漸くの事一等の待合へ來て見ると約束をした人は未《ま》だ來て居らぬらしい。暖爐の横に赤い帽子を被つた士官が何か頻りに話しながら折々|佩劔《はいけん》をがちやつかせて居る。其|傍《そば》に絹帽《シルクハツト》が二つ並《なら》んで、其一つには葉卷の烟りが輪になつてたなびいて居る。向ふの隅に白襟の細君が品《ひん》のよい五十|恰好《かつかう》の婦人と、傍《わ》きの人には聞えぬ程な低い聲で何事か耳語《さゝや》いて居る。所へ唐桟《たうざん》の羽織を着て鳥打帽を斜めに戴いた男が來て、入場券は貰へません改札場の中はもう一杯ですと注進する。大方|出入《でいり》の者であらう。室の中央に備へ付けたテーブルの周圍には待ち草臥《くたび》れの連中が寄つてたかつて新聞や雜誌をひねくつて居る。眞面目に讀んでるものは極めて少ないのだから、ひねくつて居ると云ふのが適當だらう。
 約束をした人はなかなか來《こ》ん。少々退屈になつたから、少し外へ出て見《み》樣《やう》かと室の戸口を又ぐ途端に、脊廣を着た髯のある男が擦れ違ひながら「もう直《ぢき》です二時四十五分ですから」と云つた。時計を見ると二時三十分だ、もう十五分すれば凱旋の將士が見られる。こんな機會は容易にない、序《ついで》だからと云つては失禮かも知れんが實際余の樣に圖書館以外の空氣をあまり吸つた事のない人間は態々《わざ/\》歡迎の爲めに新橋迄くる折もあるまい、丁度|幸《さいはひ》だ見て行かうと了見を定めた。
 室を出て見ると場内も又徃來の樣に行列を作つて、中には態々《わざ/\》見物に來た西洋人も交つて居る。西洋人ですらくる位なら帝國臣民たる吾輩は無論歡迎しなくてはならん、萬歳の一つ位は義務にも申して行かうと漸くの事で行列の中へ割り込んだ。
 「あなたも御親戚を御迎ひに御出《おいで》になつたので……」
 「えゝ。どうも氣が急《せ》くものですから、つい晝飯を食はずに來て、……もう二時間半|許《ばか》り待ちます」と腹は減つても中々元氣である。所へ三十前後の婦人が來て
 「凱旋の兵士はみんな、こゝを通りませうか」と心配さうに聞く。大切の人を見はぐつては一大事ですと云はぬ許《ばか》りの決心を示して居る。腹の減つた男はすぐ引き受けて
 「えゝ、みんな通るんです、一人殘らず通るんだから、二時間でも三時間でもこゝにさへ立つて居れば間違ひつこありません」と答へたのは中々自信家と見える。然し晝飯も食はずに待つて居ろと迄は云はなかつた。
 汽車の笛の音を形容して喘息病《ぜんそくや》みの鯨の樣だと云つた佛蘭西《フランス》の小説家があるが、成程旨い言葉だと思ふ間もなく、長蛇の如く蜿蜒《のた》くつて來た列車は、五百人餘の健兒を一度にプラツトフオームの上に吐き出した。
 「ついた樣ですぜ」と一人が領《くび》を延《のば》すと
 「なあに、こゝに立つてさへ居れば大丈夫」と腹の減つた男は泰然として動《どう》ずる景色《けしき》もない。此男から云ふと着いても着かなくても大丈夫なのだらう。夫《それ》にしても腹の減つた割には落ち付いたものである。
 やがて一二丁向ふのプラツトフオームの上で萬歳! と云ふ聲が聞える。其聲が波動の樣に順送りに近付いてくる。例の男が「なあに、まだ大丈……」と云ひ懸けた尻尾《しつぽ》を埋《うづ》めて余の左右に並《なら》んだ同勢は一度に萬―歳! と叫んだ。其聲の切れるか切れぬうちに一人の將軍が擧手の禮を施しながら余の前を通り過ぎた。色の焦《や》けた、胡麻塩髯《ごましほひげ》の小作りな人である。左右の人は將軍の後《あと》を見送りながら又萬歳を唱へる。余も――妙な話しだが實は萬歳を唱へた事は生れてから今日《こんにち》に至る迄一度もないのである。萬歳を唱へてはならんと誰からも申し付けられた覺は毛頭ない。又萬歳を唱へては惡《わ》るいと云ふ主義でも無論ない。然し其場に臨んでいざ大聲《たいせい》を發し樣《やう》とすると、いけない。小石で氣管を塞がれた樣でどうしても萬歳が咽喉笛へこびり付いたぎり動かない。どんなに奮發しても出て呉れない。――然し今日は出してやらうと先刻《さつき》から決心をして居た。實は早く其機がくればよいがと待ち構へた位である。隣りの先生ぢやないが、なあに大丈夫と安心して居たのである。喘息病《ぜんそくや》みの鯨が吼えた當時からそら來たなと迄覺悟をして居た位だから周圍のものがワーと云ふや否や尻馬についてすぐやらうと實は舌の根迄出しかけたのである。出しかけた途端に將軍が通つた。將軍の日に焦《や》けた色が見えた。將軍の髯の胡麻塩《ごましほ》なのが見えた。其瞬間に出しかけた萬歳がぴたりと中止して仕舞つた。何故《なぜ》?
 何故《なぜ》か分るものか。何《なに》故《ゆゑ》とか此《この》故《ゆゑ》とか云ふのは事件が過ぎてから冷靜な頭腦に復したとき當時を回想して始めて分解し得た智識に過ぎん。何《なに》故《ゆゑ》が分る位なら始めから用心をして萬歳の逆戻りを防いだ筈である。豫期出來ん咄嗟《とつさ》の働きに分別が出るものなら人間の歴史は無事なものである。余の萬歳は余の支配權以外に超然として止《と》まつたと云はねばならぬ。萬歳がとまると共に胸の中《うち》に名?しがたい波動が込み上げて來て、兩眼から二雫《ふたしづく》ばかり涙が落ちた。
 將軍は生れ落ちてから色の黒い男かも知れぬ。然し遼東《れうとう》の風に吹かれ、奉天の雨に打たれ、沙河《しやか》の日に射《い》り付けられゝば大抵なものは黒くなる。地體《ぢたい》黒いものは猶《なほ》黒くなる。髯も其通りである。出征してから白銀《しろがね》の筋は幾本も殖えたであらう。今日始めて見る我らの眼には、昔の將軍と今の將軍を比較する材料がない。然し指を折つて日夜に待佗《まちわ》びた夫人令孃が見たならば定めし驚くだらう。戰《いくさ》は人を殺すか左《さ》なくば人を老いしむるものである。將軍は頗る瘠せて居た。是も苦勞の爲めかも知れん。して見ると將軍の身體中で出征|前《ぜん》と變らぬのは身の丈《たけ》位なものであらう。余の如きは黄卷青帙《くわうくわんせいちつ》の間《あひだ》に起臥して書齋以外に如何なる出來事が起《おこ》るか知らんでも濟む天下の逸民である。平生戰爭の事は新聞で讀まんでもない、又其?況は詩的に想像せんでもない。然し想像はどこ迄も想像で新聞は横から見ても縱から見ても紙片《しへん》に過ぎぬ。だからいくら戰爭が續いても戰爭らしい感じがしない。其氣樂な人間が不圖停車場に紛れ込んで第一に眼に映じたのが日に焦《や》けた顔と霜に染つた髯である。戰爭はまのあたりに見えぬけれど戰爭の結果――慥《たし》かに結果の一片《いつぺん》、然も活動する結果の一片が眸底《ぼうてい》を掠《かす》めて去つた時は、此一片に誘はれて滿洲の大野《たいや》を蔽ふ大戰爭の光景があり/\と腦裏に描出《べうしゆつ》せられた。
 然も此戰爭の影とも見るべき一片の周圍を繞《めぐ》る者は萬歳と云ふ歡呼の聲である。此聲が即ち滿洲の野《や》に起つた咄喊《とつかん》の反響である。萬歳の意義は字の如く讀んで萬歳に過ぎんが咄喊となると大分《だいぶ》趣《おもむき》が違ふ。咄喊はワーと云ふ丈《だけ》で萬歳の樣に意味も何もない。然し其意味のないところに大變な深い情《じやう》が籠つて居る。人間の音聲には黄色いのも濁つたのも澄んだのも太いのも色々あつて、其言語調子も亦分類の出來ん位|區々《まち/\》であるが一日二十四時間のうち二十三時間五十五分迄は皆意味のある言葉を使つて居る。着衣の件、喫飯《きつぱん》の件、談判の件、懸引の件、挨拶の件、雜話の件、凡《すべ》て件と名のつくものは皆口から出る。仕舞には件がなければ口から出るものは無いと迄思ふ。そこへもつて來て、件のないのに意味の分らぬ音聲を出すのは尋常ではない。出しても用の足りぬ聲を使ふのは經濟主義から云ふても功利主義から云つても割に合はぬに極つて居る。其割に合はぬ聲を不作法に他人樣《たにんさま》の御聞《おきゝ》に入れて何等の理由もないのに罪もない鼓膜に迷惑を懸けるのはよくせき〔四字傍点〕の事でなければならぬ。咄喊は此よくせき〔四字傍点〕を煎じ詰めて、※[者/火]詰めて、罐詰めにした聲である。死ぬか生きるか娑婆か地獄かと云ふ際どい針線《はりがね》の上に立つて身震ひをするとき自然と横膈膜の底から湧き上がる至誠の聲である。助けて呉れ〔五字傍点〕と云ふうちに誠はあらう、殺すぞ〔三字傍点〕と叫ぶうちにも誠はない事もあるまい。然し意味の通ずる丈《だけ》其《それ》丈《だけ》誠の度は少ない。意味の通ずる言葉を使ふ丈《だけ》の餘裕分別のあるうちは一心不亂の至境に達したとは申されぬ。咄喊にはこんな人間的な分子は交つて居らん。ワーと云ふのである。此ワーには厭味もなければ思慮もない。理もなければ非もない。詐《いつは》りもなければ懸引もない。徹頭徹尾ワーである。結晶した精神が一度に破裂して上下四圍の空氣を震盪《しんたう》さしてワーと鳴る。萬歳〔二字傍点〕の助けて呉れ〔五字傍点〕の殺すぞ〔三字傍点〕のとそんなけちな意味を有しては居らぬ。ワー其物が直《たゞ》ちに精神である。靈である。人間である。誠である。而して人界崇高の感は耳を傾けて此誠を聽き得たる時に始めて享受し得ると思ふ。耳を傾けて數十人、數百人、數千數萬人の誠を一度〔二字傍点〕に聽き得たる時に此の崇高の感は始めて無上絶大の玄境《げんきやう》に入る。――余が將軍を見て流した涼しい涙は此玄境の反應だらう。
 將軍のあとに續いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。此《これ》は出迎と見えて其表情が將軍とは大分《だいぶ》違ふ。居《きよ》は氣を移すと云ふ孟子の語は小供の時分から聞いて居たが戰爭から歸つた者と内地に暮らした人とは斯《か》程《ほど》に顔つきが變つて見えるかと思ふと一層感慨が深い。どうかもう一遍將軍の顔が見たいものだと延び上つたが駄目だ。只場外に群がる數萬の市民が有らん限りの鬨《とき》を作つて停車場の硝子窓《ガラスまど》が破《わ》れる程に響くのみである。余の左右前後の人々は漸くに列を亂して入口の方へなだれかゝる。見たいのは余と同感と見える。余も黒い波に押されて一二間石段の方へ流れたが、それぎり先へは進めぬ。こんな時には余の性分としていつでも損をする。寄席《よせ》がはねて木戸を出る時、待ち合せて電車に乘る時、人込みに切符を買ふ時、何でも多人數競爭の折には大抵最後に取り殘される、此場合にも先例に洩れず首尾よく人後《じんご》に落ちた。而も普通の落ち方ではない。遙かこなたの人後《じんご》だから心細い。葬式の赤飯に手を出し損《そくな》つた時なら何とも思はないが、帝國の運命を決する活動力の斷片を見損ふのは殘念である。どうにかして見てやりたい。廣場を包む萬歳の聲は此時四方から大濤《おほなみ》の岸に崩れる樣な勢で余の鼓膜に響き渡つた。もうたまらない。どうしても見なければならん。
 不圖思ひついた事がある。去年の春麻布のさる町を通行したら高い練塀のある廣い屋敷の内で何か多人數打ち寄つて遊んでゞも居るのか面白さうに笑ふ聲が聞えた。余は此時どう云ふ腹工合か一寸此邸内を覗いて見たくなつた。全く腹工合の所爲《せゐ》に相違ない。腹工合でなければ、そんな馬鹿氣た了見の起る譯がない。源因はとにかく、見たいものは見たいので源因の如何《いかん》に因つて變化出沒する譯には行かぬ。然し今云ふ通り高い土塀の向ふ側で笑つて居るのだから壁に穴のあいて居らぬ限りは到底思ひ通り志望を滿足する事は何人《なんびと》の手際でも出來かねる。到底見る事が叶《かな》はないと四圍の?況から宣告を下されると猶見てやり度くなる。愚《ぐ》な話だが余は一目でも邸内を見なければ誓つて此町を去らずと決心した。然し案内も乞はずに人の屋敷内に這入り込むのは盗賊の仕業だ。と云つて案内を乞ふて這入るのは猶《なほ》いやだ。此邸内の者共の御世話にならず、しかもわが人格を傷《きずつ》けず正々堂々と見なくては心持ちがわるい。さうするには高い山から見下《みおろ》すか、風船の上から眺めるより外に名案もない。然し双方共當座の間に合ふ樣な手輕なものとは云へぬ。よし、その儀なら此方《こつち》にも覺悟がある。高等學校時代で練習した高飛の術を應用して、飛び上がつた時に一寸見てやらう。是は妙策だ、幸い人通りもなし、あつた所が自分で自分が飛び上るに文句をつけられる因縁はない。やるべしと云ふので、突然双脚に精一杯の力を込めて飛び上がつた。すると熟練の結果は恐ろしい者で、かの土塀の上へ首が――首所ではない肩迄が思ふ樣に出た。此機をはづすと到底目的は達せられぬと、ちらつく兩眼を無理に据ゑて、こゝぞと思ふあたりを瞥見《べつけん》すると女が四人でテニスをして居た。余が飛び上がるのを相圖に四人が申し合せた樣にホヽヽと癇の高い聲で笑つた。おやと思ふうちにどたりと元の如く地面の上に立つた。
 これは誰が聞いても滑稽である。冒險の主人公たる當人ですらあまり馬鹿氣て居るので今日《こんにち》迄《まで》何人《なんびと》にも話さなかつた位|自《みづか》ら滑稽と心得て居る。然し滑稽とか眞面目とか云ふのは相手と場合によつて變化する事で、高飛び其物が滑稽とは理由のない言草である。女がテニスをして居る所へ此方《こつち》が飛び上がつたから滑稽にもなるが、ロメオがジユリエツトを見る爲に飛び上つたつて滑稽にはならない。ロメオ位な所では未《ま》だ滑稽を脱せぬと云ふなら余は猶一歩を進める。此凱旋の將軍、英名|赫々《かく/\》たる偉人を拝見する爲めに飛び上がるのは滑稽ではあるまい。それでも滑稽か知らん? 滑稽だつて構ふものか。見たいものは、誰が何と云つても見たいのだ。飛び上がらう、夫《それ》がいゝ、飛び上がるに若《し》くなしだと、とう/\又先例によつて一蹴を試むる事に決着した。先づ帽子をとつて小脇に抱《か》い込む。此前は經驗が足りなかつたので足が引力作用で地面へ引き着けられた勢に、買ひたての中折帽が挨拶もなく宙返りをして、一間|許《ばか》り向《むかふ》へ轉がつた。夫《それ》をから車を引いて通り掛つた車夫が拾つて笑ひながらえへゝと差し出した事を記憶して居る。此度《こんど》は其手は喰はぬ。是なら大丈夫と帽子を確《しか》と抑へながら爪先で敷石を彈く心持で暗に姿勢を整へる。人後に落ちた仕合せには邪魔になる程近くに人も居らぬ。しばし衰へた、歡聲は盛り返す潮《うしほ》の岩に碎けた樣にあたり一面に湧き上がる。こゝだと思ひ切つて、兩足が胴のなかに飛び込みはしまいかと疑ふ程脚力をふるつて跳ね上つた。
 幌《ほろ》を開いたランドウが横向に凱旋門を通り拔け樣《やう》とする中に――居た――居た。例の黒い顔が湧き返る聲に圍まれて過去の紀念の如く華やかなる群衆の中に點じ出されて居た。將軍を迎へた儀仗兵《ぎぢやうへい》の馬が萬歳の聲に驚ろいて前足を高くあげて人込の中に外《そ》れ樣《やう》とするのが見えた。將軍の馬車の上に紫の旗が一流れ颯《さつ》となびくのが見えた。新橋へ曲る角の三階の宿屋の窓から藤鼠《ふぢねずみ》の着物をきた女が白いハンケチを振るのが見えた。
 見えたと思ふより早く余が足は又停車場の床《ゆか》の上に着いた。凡《すべ》てが一瞬間の作用である。ぱつと射る稻妻の飽く迄明るく物を照らした後《あと》が常よりは暗く見える樣に余は茫然として地に下りた。
 將軍の去つたあとは群衆も自《おのづ》から亂れて今迄の樣に靜肅ではない。列を作つた同勢の一角《いつかく》が崩れると、堅い黒山が一度に動き出して濃い所が漸々《だん/\》薄くなる。氣早《きばや》な連中はもう引き揚げると見える。所へ將軍と共に汽車を下りた兵士が三々五々隊を組んで場内から出てくる。服地の色は褪《さ》めて、ゲートルの代りには黄な羅紗《らしや》を疊んでぐる/\と脛《すね》へ卷き付けて居る。いづれもあらん限りの髯を生やして、出來る丈《だけ》色を黒くして居る。是等も戰爭の片破《かたわ》れである。大和魂《やまとだましひ》を鑄固《いかた》めた製作品である。實業家も入らぬ、新聞屋も入らぬ、藝妓《げいしや》も入らぬ、余の如き書物と睨めくらをして居るものは無論入らぬ。只此|髯《ひげ》茫々《ばう/\》として、むさくるしき事乞食《こつじき》を去る遠からざる紀念物のみはなくて叶《かな》はぬ。彼等は日本の精神を代表するのみならず、廣く人類一般の精神を代表して居る。人類の精神は算盤《そろばん》で彈《はじ》けず、三味線に乘らず、三頁にも書けず、百科全書中にも見當らぬ。只此兵士等の色の黒い、みすぼらしい所に髣髴《ほうふつ》として搖曳《えうえい》して居る。出山《しゆつせん》の釋迦《しやか》はコスメチツクを塗つては居らん。金の指輪も穿《は》めて居らん。芥溜《ごみだめ》から拾ひ上げた雜巾をつぎ合せた樣なもの一枚を羽織つて居る許《ばか》りぢや。夫《それ》すら全身を掩《おほ》ふには足らん。胸のあたりは北風の吹き拔けで、肋骨《ろくこつ》の枚數は自由に讀める位だ。此|釋迦《しやか》が尊《たつと》ければ此兵士も尊《たつ》といと云はねばならぬ。昔《むか》し元寇《げんこう》の役《えき》に時宗《ときむね》が佛光國師《ぶつくわうこくし》に謁した時、國師は何と云ふた。威を振《ふる》つて驀地《ばくち》に進めと吼《ほ》えたのみである。このむさくろしき兵士等は佛光國師《ぶつくわうこくし》の熱喝《ねつかつ》を喫《きつ》した譯でもなからうが驀地《ばくち》に進むと云ふ禪機《ぜんき》に於て時宗と古今《こゝん》其《その》揆《き》を一《いつ》にして居る。彼等は驀地《ばくち》に進み了して曠如《くわうじよ》と吾家《わがや》に歸り來りたる英靈漢である。天上を行き天下《てんげ》を行き、行き盡してやまざる底《てい》の氣魄《きはく》が吾人の尊敬に價《あたひ》せざる以上は八荒《はつくわう》の中《うち》に尊敬すべきものは微塵《みぢん》程もない。黒い顔! 中には日本に籍があるのかと怪まれる位黒いのが居る。――刈り込まざる髯! 棕櫚箒《しゆろばうき》を砧《きぬた》で打つた樣な髯――此|氣魄《きはく》は這裏《しやり》に磅?《はうはく》として蟠《わだか》まり瀁《かうやう》として漲《みなぎ》つて居る。
 兵士の一隊が出てくる度に公衆は萬歳を唱へてやる。彼等のあるものは例の黒い顔に笑《ゑみ》を湛《たゝ》へて嬉し氣に通り過ぎる。あるものは傍目《わきめ》もふらずのそ/\と行く。歡迎とは如何なる者ぞと不審氣に見える顔もたまには見える。又ある者は自己の歡迎旗の下に立つて揚々《やう/\》と後《おく》れて出る同輩を眺めて居る。あるひは石段を下《くだ》るや否や迎のものに擁せられて、餘りの不意撃に挨拶さへも忘れて誰彼の容赦なく握手の禮を施こして居る。出征中に滿洲で覺えたのであらう。
 其|中《なか》に――是がはからずも此話をかく動機になつたのであるが――年の頃二十八九の軍曹が一人居た。顔は他の先生方と異《こと》なる所なく黒い、髯も延びる丈《だけ》延ばして恐らくは去年から持ち越したものと思はれるが目鼻立ちは外の連中とは比較にならぬ程立派である。のみならず亡友|浩《かう》さんと兄弟と見違へる迄よく似て居る。實は此男が只一人石段を下りて出た時ははつと思つて馳け寄らうとした位であつた。然し浩さんは下士官ではない。志願兵から出身した歩兵中尉である。しかも故歩兵中尉で今では白山の御寺に一年|餘《よ》も厄介になつて居る。だからいくら浩さんだと思ひたくつても思へる筈がない。但《たゞ》人情は妙なもので此軍曹が浩さんの代りに旅順で戰死して、浩さんが此軍曹の代りに無事で還つて來たら嘸《さぞ》結構であらう。御母《おつか》さんも定めし喜ばれるであらうと、露見《ろけん》する氣支《きづかひ》がないものだから勝手な事を考へながら眺めて居た。軍曹も何か物足らぬと見えて頻りにあたりを見廻して居る。外のものゝ樣に足早に新橋の方へ立ち去る景色《けしき》もない。何を探がして居るのだらう、もしや東京のものでなくて樣子が分らんのならヘへて遣りたいと思つて猶《なほ》目を放さずに打ち守つて居ると、どこをどう潜《くゞ》り拔けたものやら、六十|許《ばか》りの婆さんが飛んで出て、いきなり軍曹の袖にぶら下がつた。軍曹は中肉ではあるが脊《せい》は普通より慥《たし》かに二寸は高い。之に反して婆さんは人並|外《はづ》れて丈《たけ》が低い上に年のせいで腰が少々曲つて居るから、抱き着いたとも寄り添ふたとも形容は出來ぬ。もし余が腦中にある和漢の字句を傾けて、其|中《うち》から此有樣を叙するに最も適當なる詞《ことば》を探したなら必ずぶら下がる〔五字傍点〕が當選するにきまつて居る。此時軍曹は紛失物が見當つたと云ふ風で上から婆さんを見下《みおろ》す。婆さんはやつと迷兒《まひご》を見付けたと云ふ體《てい》で下から軍曹を見上げる。やがて軍曹はあるき出す。婆さんもあるき出す。矢張りぶらさがつた儘である。近邊《きんぺん》に立つ見物人は萬歳々々と兩人《ふたり》を囃《はや》したてる。婆さんは萬歳|抔《など》には毫も耳を借す景色《けしき》はない。ぶら下がつたぎり軍曹の顔を下から見上げた儘吾が子に引き摺《ず》られて行く。冷飯草履《ひやめしざうり》と鋲《びやう》を打つた兵隊靴が入り亂れ、もつれ合つて、うねりくねつて新橋の方へ遠《とほざ》かつて行く。余は浩さんの事を思ひ出して悵然《ちやうぜん》と草履と靴の影を見送つた。
 
     二
 
 浩《かう》さん! 浩さんは去年の十一月旅順で戰死した。二十六日は風の強く吹く日であつたさうだ。遼東《れうとう》の大野《たいや》を吹きめぐつて、黒い日を海に吹き落さうとする野分《のわき》の中に、松樹山《しようじゆざん》の突撃は豫定の如く行はれた。時は午後一時である。掩護《えんご》の爲めに味方の打ち出した大砲が敵壘の左突角《ひだりとつかく》に中《あた》つて五丈程の砂烟りを捲き上げたのを相圖に、散兵壕《さんぺいがう》から飛び出した兵士の數は幾百か知らぬ。蟻の穴を蹴返した如くに散り/”\に亂れて前面の傾斜を攀《よ》ぢ登る。見渡す山腹は敵の敷いた鐵條網で足を容るゝ餘地もない。所を梯子を擔《にな》ひ土嚢《どなう》を背負《しよ》つて區々《まち/\》に通り拔ける。工兵の切り開いた二間に足らぬ路は、先を爭ふ者の爲めに奪はれて、後《あと》より詰めかくる人の勢に波を打つ。こちらから眺めると只一筋の黒い河が山を裂いて流れる樣に見える。其黒い中に敵の彈丸は容赦なく落ちかゝつて、凡《すべ》てが消え失せたと思ふ位濃い烟が立ち揚《あが》る。怒《いか》る野分《のわき》は横さまに烟りを千切つて遙かの空に攫《さら》つて行く。あとには依然として黒い者が簇然《そうぜん》と蠢《うご》めいて居る。此|蠢《うご》めいて居るものゝうちに浩さんが居る。
 火桶を中に浩《かう》さんと話をするときには浩さんは大きな男である。色の淺黒い髭の濃い立派な男である。浩さんが口を開いて興に乘つた話をするときは、相手の頭の中には浩さんの外何もない。今日《けふ》の事も忘れ明日《あす》の事も忘れ聽き惚れて居る自分の事も忘れて浩さん丈《だけ》になつて仕舞ふ。浩さんは斯樣に偉大な男である。どこへ出しても浩さんなら大丈夫、人の目に着くに極つて居ると思つて居た。だから蠢《うご》めいて居る抔《など》と云ふ下等な動詞は浩さんに對して用ひたくない。ないが仕方がない。現に蠢《うご》めいて居る。鍬の先に堀《ほ》り崩された蟻群《ぎぐん》の一匹の如く蠢《うご》めいて居る。杓《ひしやく》の水を喰《くら》つた蜘蛛《くも》の子の如く蠢《うご》めいて居る。如何なる人間もかうなると駄目だ。大いなる山、大いなる空、千里を馳け拔ける野分《のわき》、八方を包む烟り、鑄鐵《しゆてつ》の咽喉《のんど》から吼《ほ》えて飛ぶ丸《たま》――是等の前には如何なる偉人も偉人として認められぬ。俵に詰めた大豆の一粒の如く無意味に見える。嗚呼《あゝ》浩さん! 一體どこで何をして居るのだ! 早く平生の浩さんになつて一番|露助《ろすけ》を驚かしたらよからう。
 黒くむらがる者は丸《たま》を浴びる度にぱつと消える。消えたかと思ふと吹き散る烟の中に動いて居る。消えたり動いたりして居るうちに、蛇の塀をわたる樣に頭から尾迄波を打つて然《しか》も全體が全體として漸々《だん/\》上へ上へと登つて行く、もう敵壘だ。浩さん眞先に乘り込まなければいけない。烟の絶間から見ると黒い頭の上に旗らしいものが靡《なび》いて居る。風の強い爲めか、押し返される所爲《せゐ》か、眞直ぐに立つたと思ふと寐る。落ちたのかと驚ろくと又高くあがる。すると又斜めに仆《たふ》れかゝる。浩さんだ、浩さんだ。浩さんに相違ない。多人數《たにんず》集まつて揉みに揉んで騷いで居る中にもし一人でも人の目につくものがあれば浩さんに違ない。自分の妻は天下の美人である。此天下の美人が晴れの席へ出て隣りの奧樣と撰ぶ所なく一向《いつかう》目立たぬのは不平な者だ。己《おの》れの子が己《おの》れの家庭にのさばつて居る間は天にも地にも懸替《かけがへ》のない若旦那である。此若旦那が制服を着けて學校へ出ると、向ふの小間物屋のせがれと席を列《なら》べて、しかも其間に少しも懸隔のない樣に見えるのは一寸物足らぬ感じがするだらう。余の浩さんに於けるも其通り。浩さんはどこへ出しても平生の浩さんらしくなければ氣が濟まん。擂鉢《すりばち》の中に攪《か》き廻される里芋の如く紛然雜然とゴロ/\して居てはどうしても浩さんらしくない。だから、何でも構はん、旗を振らうが、劔を翳《かざ》さうが、とにかく此混亂のうちに少しなりとも人の注意を惹くに足る働《はたらき》をするものを浩さんにしたい。したい段ではない。必ず浩さんに極つて居る。どう間違つたつて浩さんが碌々《ろく/\》として頭角をあらはさない抔《など》と云ふ不見識な事は豫期出來んのである。――夫《それ》だからあの旗持は浩さんだ。
 黒い塊《かたま》りが敵壘の下迄來たから、もう壘壁を攀ぢ上るだらうと思ふうち、忽ち長い蛇の頭はぽつりと二三寸切れてなくなつた。是は不思議だ。丸《たま》を喰《くら》つて斃れたとも見えない。狙撃《そげき》を避ける爲め地に寢たとも見えない。どうしたのだらう。すると頭の切れた蛇が又二三寸ぷつりと消えてなくなつた。是は妙だと眺めて居ると、順繰《じゆんぐり》に下から押し上《あが》る同勢が同じ所へ來るや否や忽ちなくなる。しかも砦《とりで》の壁には誰一人としてとり付いたものがない。塹壕《ざんがう》だ。敵壘と我兵の間には此邪魔物があつて、此邪魔物を越さぬ間は一人も敵に近《ちかづ》く事は出來んのである。彼等はえい/\と鐵條網を切り開いた急坂《きふはん》を登りつめた揚句、此|壕《ほり》の端《はた》迄《まで》來て一も二もなく此深い溝の中に飛び込んだのである。擔《にな》つて居る梯子は壁に懸ける爲め、脊負《しよ》つて居る土嚢は壕《ほり》を埋《うづ》める爲めと見えた。壕《ほり》はどの位|埋《うま》つたか分らないが、先の方から順々に飛び込んではなくなり、飛び込んではなくなつてとう/\浩《かう》さんの番に來た。愈《いよ/\》浩さんだ。確《しつ》かりしなくてはいけない。
 高く差し上げた旗が横に靡《なび》いて寸斷々々《ずた/\》に散るかと思ふ程強く風を受けた後《のち》、旗竿が急に傾いて折れたなと疑ふ途端に浩《かう》さんの影は忽ち見えなくなつた。愈《いよ/\》飛び込んだ! 折から二龍山《にりゆうざん》の方面より打ち出した大砲が五六發、大空に鳴る烈風を劈《つんざ》いて一度に山腹に中《あた》つて山の根を吹き切る許《ばか》り轟き渡る。迸《ほとば》しる砂烟は淋《さび》しき初冬《はつふゆ》の日蔭を籠めつくして、見渡す限りに有りとある物を封じ了る。浩さんはどうなつたか分らない。氣が氣でない。あの烟の吹いて居る底だと見當をつけて一心に見守る。夕立を遠くから望む樣に密に蔽ひ重なる濃き者は、烈しき風の捲返してすくひ去らうと焦《あせ》る中に依然として凝《こ》り固つて動かぬ。約二分間は眼をいくら擦《こす》つても盲目《めくら》同然どうする事も出來ない。然し此烟りが晴れたら――若し此烟りが散り盡したら、屹度《きつと》見えるに違ない。浩さんの旗が壕《ほり》の向側《むかふがは》に日を射返して耀き渡つて見えるに違ない。否|向側《むかふがは》を登りつくしてあの高く見える?《ひめがき》の上に翩々《へんぺん》と翻つて居るに違ない。外の人なら兎に角浩さんだから、その位の事は必ずあるに極つて居る。早く烟が晴れゝばいゝ。何故《なぜ》晴れんだらう。
 占めた。敵壘の右の端《はじ》の突角の所が朧氣《おぼろげ》に見え出した。中央の厚く築き上げた石壁《せきへき》も見え出した。然し人影はない。はてな、もうあすこ等に旗が動いて居る筈だが、どうしたのだらう。それでは壁の下の土手の中頃に居るに相違ない。烟は拭ふが如く一掃《ひとはき》に上から下迄|漸次《ぜんじ》に晴れ渡る。浩《かう》さんはどこにも見えない。是はいけない。田螺《たにし》の樣に蠢《うご》めいて居たほかの連中もどこにも出現せぬ樣子だ。愈《いよ/\》いけない。もう出るか知らん、五秒過ぎた。まだか知らん、十秒立つた。五秒は十秒と變じ、十秒は二十、三十と重なつても誰|一人《いちにん》の塹壕から向ふへ這ひ上《あが》る者はない。ない筈である。塹壕に飛び込んだ者は向《むかふ》へ渡す爲めに飛び込んだのではない。死ぬ爲めに飛び込んだのである。彼等の足が壕底《がうてい》に着くや否や穹窖《きゆうかう》より覘《ねらひ》を定めて打ち出す機關砲は、杖を引いて竹垣の側面を走らす時の音がして瞬く間に彼等を射殺した。殺されたものが這ひ上がれる筈がない。石を置いた澤庵の如く積み重なつて、人の眼に觸れぬ坑内に横《よこた》はる者に、向《むかふ》へ上がれと望むのは、望むものゝ無理である。横《よこた》はる者だつて上がりたいだらう、上りたければこそ飛び込んだのである。いくら上がり度くても、手足が利かなくては上がれぬ。眼が暗んでは上がれぬ。胴に穴が開《あ》いては上がれぬ。血が通はなくなつても、腦味噌が潰れても、肩が飛んでも身體《からだ》が棒の樣に鯱張《しやちこば》つても上がる事は出來ん。二龍山《にりゆうざん》から打出した砲烟が散じ盡した時に上がれぬ許《ばか》りではない。寒い日が旅順の海に落ちて、寒い霜が旅順の山に降つても上がる事は出來ん。ステツセルが開城して二十の砲砦《はうさい》が悉《こと/”\》く日本の手に歸しても上《あが》る事は出來ん。日露の講和が成就して乃木將軍が目出度く凱旋しても上がる事は出來ん。百年三萬六千日|乾坤《けんこん》を提《ひつさ》げて迎に來ても上がる事は遂にできぬ。是が此塹壕に飛び込んだものゝ運命である。然して亦浩さんの運命である。蠢々《しゆん/\》として御玉杓子《おたまじやくし》の如く動いて居たものは突然と此底のない坑《あな》のうちに落ちて、浮世の表面から闇の裡《うち》に消えて仕舞つた。旗を振らうが振るまいが、人の目につかうがつくまいが斯うなつて見ると變りはない。浩さんが頻りに旗を振つた所はよかつたが、壕《ほり》の底では、ほかの兵士と同じ樣に冷たくなつて死んで居たさうだ。
 ステツセルは降《くだ》つた。講和は成立した。將軍は凱旋した。兵隊も歡迎された。然し浩《かう》さんはまだ坑《あな》から上《あが》つて來ない。圖らず新橋へ行つて色の黒い將軍を見、色の黒い軍曹を見、脊《せ》の低い軍曹の御母《おつか》さんを見て涙迄流して愉快に感じた。同時に浩さんは何故《なぜ》壕《ほり》から上がつて來《こ》んのだらうと思つた。浩さんにも御母《おつか》さんがある。此軍曹のそれの樣に脊《せ》は低くない、又冷飯草履を穿《は》いた事はあるまいが、もし浩さんが無事に戰地から歸つてきて御母《おつか》さんが新橋へ出迎へに來られたとすれば、矢張りあの婆さんの樣にぶら下がるかも知れない。浩さんもプラツトフオームの上で物足らぬ顔をして御母《おつか》さんの群集の中から出てくるのを待つだらう。それを思ふと可哀さうなのは坑《あな》を出て來ない浩さんよりも、浮世の風にあたつて居る御母《おつか》さんだ。塹壕に飛び込む迄は兎に角、飛び込んで仕舞へば夫《それ》迄《まで》である。娑婆《しやば》の天氣は晴であらうとも曇であらうとも頓着はなからう。然し取り殘された御母《おつか》さんはさうは行かぬ。そら雨が降る、垂《た》れ籠《こ》めて浩さんの事を思ひ出す。そら晴れた、表へ出て浩さんの友達に逢ふ。歡迎で國旗を出す、あれが生きて居たらと愚痴つぽくなる。洗湯で年頃の娘が湯を汲んで呉れる、あんな嫁が居たらと昔を偲《しの》ぶ。是では生きて居るのが苦痛である。それも子福者であるなら一人なくなつても、あとに慰めてくれるものもある。然し親一人子一人の家族が半分缺けたら、瓢箪《へうたん》の中から折れたと同じ樣なものでしめ括《くゝ》りがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。御母《おつか》さんは今に浩一《かういち》が歸つて來たらばと、皺だらけの指を日夜《にちや》に折り盡してぶら下がる日を待ち焦《こ》がれたのである。其ぶら下がる當人は旗を持つて思ひ切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至る迄上がつて來ない。白髪《しらが》は揩オたかも知れぬが將軍は歡呼の裡《うち》に歸來《きらい》した。色は黒くなつても軍曹は得意にプラツトフオームの上に飛び下りた。白髪《しらが》にならうと日に燒け樣と歸りさへすればぶら下がるに差し支へはない。右の腕を繃帶で釣るして左の足が義足と變化しても歸りさへすれば構はん。構はんと云ふのに浩さんは依然として坑《あな》から上がつて來ない。是でも上がつて來ないなら御母《おつか》さんの方からあとを追ひかけて坑《あな》の中へ飛び込むより仕方がない。
 幸ひ今日は閑《ひま》だから浩《かう》さんのうちへ行つて、久し振りに御母《おつか》さんを慰めてやらう? 慰めに行くのはいゝがあすこへ行くと、行く度に泣かれるので困る。先達《せんだつ》て抔《など》は一時間半|許《ばか》り泣き續けに泣かれて、仕舞には大抵な挨拶はし盡して、大《おほい》に應對に窮した位だ。其時|御母《おつか》さんはせめて氣立ての優しい嫁でも居りましたら、こんな時には力になりますのにと頻りに嫁々と繰り返して大《おほい》に余を困らせた。それも一段落告げたからもう善《よ》からうと御免蒙りかけると、あなたに是非見て頂くものがあると云ふから、何ですと聽いたら浩一の日記ですと云ふ。成程亡友の日記は面白からう。元來日記と云ふものは其日/\の出來事を書き記《し》るすのみならず、又|時々刻々《じゞこく/\》の心ゆきを遠慮なく吐き出すものだから、如何に親友の手帳でも斷りなしに目を通す譯には行かぬが、御母《おつか》さんが承諾する――否《いな》先方から依頼する以上は無論興味のある仕事に相違ない。だから御母《おつか》さんに讀んで呉れと云はれたときは大《おほい》に乘氣になつて夫《それ》は是非見せて頂戴と迄云はうと思つたが、此上又日記で泣かれる樣な事があつては大變だ。到底余の手際では切り拔ける譯には行かぬ。ことに時刻を限つてある人と面會の約束をした刻限も逼つて居るから、是は追つて改めて上がつて緩々《ゆる/\》拝見を致す事に願ひませうと逃げ出した位である。以上の理由で訪問はちと辟易《へきえき》の體《てい》である。尤も日記は讀みたくない事もない。泣かれるのも少しなら厭とは云はない。元々木や石で出來上つたと云ふ譯ではないから人の不幸に對して一滴の同情位は優に表し得る男であるが如何《いかん》せん性來《しやうらい》餘り口の製造に念が入つて居らんので應對に窮する。御母《おつか》さんがまああなた聞いて下さいましと啜《すゝ》り上げてくると、何と受けていゝか分らない。夫《それ》を無理矢理に體裁を繕ろつて半間《はんま》に調子を合せ樣《やう》とすると折角の慰藉的好意が水泡と變化するのみならず、時には思ひも寄らぬ結果を呈出して熱湯と迄沸騰する事がある。是では慰めに行つたのか怒らせに行つたのか先方でも了解に苦しむだらう。行きさへしなければ藥も盛らん代りに毒も進めぬ譯だから危險はない。訪問は何《いづ》れ其内として、先づ今日は見合せ樣《やう》。
 訪問は見合せる事にしたが、昨日《きのふ》の新橋事件を思ひ出すと、どうも浩《かう》さんの事が氣に掛つてならない。何らかの手段で親友を弔《とむら》つてやらねばならん。悼亡《たうばう》の句|抔《など》は出來る柄《がら》でない。文才があれば平生の交際を其儘記述して雜誌にでも投書するが此筆では夫《それ》も駄目と。何かないかな? うむある/\寺參りだ。浩さんは松樹山《しようじゆざん》の塹壕からまだ上《あが》つて來ないが其紀念の遺髪は遙かの海を渡つて駒込の寂光院《ぢやくくわうゐん》に埋葬された。こゝへ行つて御參りをしてきやうと西片町の吾家《わがや》を出る。
 冬の取つ付きである。小春と云へば名前を聞いてさへ熟柿《じゆくし》の樣ないゝ心持になる。ことに今年《ことし》はいつになく暖かなので袷羽織《あはせばおり》に綿入一枚の出で立ちさへ輕々《かろ/”\》とした快い感じを添へる。先の斜めに減つた杖を振り廻しながら寂光院と大師流《だいしりう》に古い紺青《こんじやう》で彫りつけた額を眺めて門を這入ると、精舍《しやうじや》は格別なもので門内は蕭條《せうでう》として一塵の痕《あと》も留《と》めぬ程掃除が行き屆いて居る。是はうれしい。肌の細かな赤土が泥濘《ぬか》りもせず干乾《ひから》びもせず、ねつとりとして日の色を含んだ景色《けしき》程|難有《ありがた》いものはない。西片町は學者町か知らないが雅《が》な家は無論の事、落ちついた土の色さへ見られない位近頃は住宅が多くなつた。學者がそれ丈《だけ》殖えたのか、或は學者がそれ丈《だけ》不風流なのか、まだ研究して見ないから分らないが、かうやつて廣々とした境内へ來ると、平生は學者町で滿足を表して居た眼にも何となく坊主の生活が羨しくなる。門の左右には周圍二尺程な赤松が泰然として控へて居る。大方《おほかた》百年位前から斯《かく》の如く控へて居るのだらう。鷹揚な所が頼母《たのも》しい。神無月《かんなづき》の松の落葉とか昔は稱《とな》へたものださうだが葉を振《ふる》つた景色《けしき》は少しも見えない。只|蟠《わだかま》つた根が奇麗な土の中から瘤《こぶ》だらけの骨を一二寸|露《あら》はして居る許《ばか》りだ。老僧か、小坊主か納所《なつしよ》かあるひは門番が凝性《こりしやう》で大方《おほかた》日に三度位掃くのだらう。松を左右に見て半町程行くとつき當りが本堂で、其右が庫裏《くり》である。本堂の正面にも金泥《きんでい》の額が懸つて、鳥の糞《ふん》か、紙を?んで叩きつけたのか點々と筆者の神聖を汚《け》がして居る。八寸角の欅柱《けやきばしら》には、のたくつた草書の聯《れん》が讀めるなら讀んで見ろと澄《すま》してかゝつて居る。成程讀めない。讀めない所を以て見ると餘程名家の書いたものに違ひない。ことによると王羲之《わうぎし》かも知れない。えらさうで讀めない字を見ると余は必ず王羲之《わうぎし》にしたくなる。王羲之《わうぎし》にしないと古い妙な感じが起らない。本堂を右手に左へ廻ると墓場である。墓場の入口には化銀杏《ばけいてふ》がある。但し化《ばけ》の字は余のつけたのではない。聞く所によると此|界隈《かいわい》で寂光院のばけ銀杏《いてふ》と云へば誰も知らぬ者はないさうだ。然し何が化《ば》けたつて、こんなに高くはなりさうもない。三抱《みかゝへ》もあらうと云ふ大木だ。例年なら今頃はとくに葉を振《ふる》つて、から坊主になつて、野分《のわき》のなかに唸《うな》つて居るのだが、今年《ことし》は全く破格な時候なので、高い枝が悉《こと/”\》く美しい葉をつけて居る。下から仰ぐと目に餘る黄金《こがね》の雲が、穩かな日光を浴びて、所々|鼈甲《べつかふ》の樣に輝くからまぼしい位見事である。其雲の塊《かたま》りが風もないのにはら/\と落ちてくる。無論薄い葉の事だから落ちても音はしない、落ちる間も亦頗る長い。枝を離れて地に着く迄の間に或は日に向ひ或は日に背《そむ》いて色々な光を放つ。色々に變りはするものゝ急ぐ景色《けしき》もなく、至つて豐かに、至つてしとやかに降つて來る。だから見て居ると落つるのではない。空中を搖曳《えうえい》して遊んで居る樣に思はれる。閑靜である。――凡《すべ》てのものゝ動かぬのが一番閑靜だと思ふのは間違つて居る。動かない大面積の中に一點が動くから一點以外の靜さが理解できる。しかも其一點が動くと云ふ感じを過重《くわちよう》ならしめぬ位、否其一點の動く事其れ自《みづか》らが定寂《ぢやうじやく》の姿を帶びて、しかも他の部分の靜肅な有樣を反思《はんし》せしむるに足る程に靡《なび》いたなら――其時が一番閑寂の感を與へる者だ。銀杏《いてふ》の葉の一陣の風なきに散る風情《ふぜい》は正に是である。限りもない葉が朝《あした》、夕《ゆふべ》を厭《いと》はず降つてくるのだから、木の下は、黒い地の見えぬ程扇形の小さい葉で敷きつめられて居る。さすがの寺僧もこゝ迄は手が屆かぬと見えて、當座は掃除の煩《はん》を避けたものか、又は堆《うづた》かき落葉を興ある者と眺めて、打ち棄てゝ置くのか。兎に角美しい。
 しばらく化銀杏の下に立つて、上を見たり下を見たり佇《たゝず》んで居たが、漸くの事幹のもとを離れて愈《いよ/\》墓地の中へ這入り込んだ。此寺は由緒《ゆゐしよ》のある寺ださうで所々に大きな蓮臺《れんだい》の上に据ゑつけられた石塔が見える。右手の方《かた》に柵を控へたのには梅花院殿瘠鶴大居士《ばいくわゐんでんせきかくだいこじ》とあるから大方《おほかた》大名か旗本の墓だらう。中には至極簡略で尺たらずのもある。慈雲童子と楷書で彫つてある。小供だから小さい譯だ。此外石塔も澤山ある、戒名も飽きる程彫り付けてあるが、申し合はせた樣に古いの許《ばか》りである。近頃になつて人間が死なゝくなつた譯でもあるまい、矢張り從前の如く相應の亡者《まうじや》は、年々御客樣となつて、あの剥げかゝつた額の下を潜《くゞ》るに違ない。然し彼等が一度び化銀杏の下を通り越すや否や急に古《ふ》る佛《ぼとけ》となつて仕舞ふ。何も銀杏《いてふ》の所爲《せゐ》と云ふ譯でもなからうが、大方《おほかた》の檀家《だんか》は寺僧の懇請で、餘り廣くない墓地の空所《くうしよ》を狹《せば》めずに、先祖代々の墓の中に新佛《しんぼとけ》を祭り込むからであらう。浩《かう》さんも祭り込まれた一人《ひとり》である。
 浩《かう》さんの墓は古いと云ふ點に於て此古い卵塔婆《らんたふば》内で大分《だいぶ》幅の利く方である。墓はいつ頃出來たものか確《しか》とは知らぬが、何でも浩さんの御父《おとつ》さんが這入り、御爺さんも這入り、其又御爺さんも這入つたとあるからけつして新らしい墓とは申されない。古い代りには形勝の地を占めて居る。隣り寺を境に一段高くなつた土手の上に三坪程な平地《へいち》があつて石段を二つ踏んで行《い》き當《あた》りの眞中にあるのが、御爺さんも御父《おとつ》さんも浩さんも同居して眠つて居る河上家代々之墓である。極めて分り易い。化銀杏を通り越して一筋道を北へ二十間歩けばよい。余は馴れた所だから例の如く例の路をたどつて半分程來て、ふと何の氣なしに眼をあげて自分の詣《まゐ》るべき墓の方を見た。
 見ると! もう來て居る。誰だか分らないが後《うし》ろ向《むき》になつて頻りに合掌して居る樣子だ。はてな。誰だらう。誰だか分り樣はないが、遠くから見ても男でない丈《だけ》は分る。恰好から云つても慥《たし》かに女だ。女なら御母《おつか》さんか知らん。余は無頓着の性質で女の服裝|抔《など》は一向《いつかう》不案内だが、御母《おつか》さんは大抵黒繻子の帶をしめて居る。所が此女の帶は――後《うしろ》から見ると最も人の注意を惹く、女の背中一杯に廣がつて居る帶は決して黒つぽいものでもない。光彩陸離《くわうさいりくり》たる矢鱈《やたら》に奇麗なものだ。若い女だ! と余は覺えず口の中で叫んだ。かうなると余は少々ばつがわるい。進むべきものか退《しりぞ》くべきものか一寸留つて考へて見た。女は夫《それ》とも知らないから、しやがんだ儘熱心に河上家代々の墓を禮拝して居る。どうも近寄りにくい。去ればと云つて逃げる程惡事を働いた覺はない。どうしやうと迷つて居ると女はすつくら立ち上がつた。後《うし》ろは隣りの寺の孟宗藪で寒い程|緑《みど》りの色が茂つて居る。其の滴《した》たる許《ばか》り深い竹の前にすつくりと立つた。背景が北側の日影で、黒い中に女の顔が浮き出した樣に白く映る。眼の大きな頬の緊つた領《えり》の長い女である。右の手をぶらりと垂れて、指の先でハンケチの端《はじ》をつかんで居る。其ハンケチの雪の樣に白いのが、暗い竹の中に鮮かに見える。顔とハンケチの清く染め拔かれた外は、あつと思つた瞬間に余の眼には何物も映らなかつた。
 余が此《この》年《とし》になる迄に見た女の數《かず》は夥しいものである。徃來の中、電車の上、公園の内、音樂會、劇場、縁日、隨分見たと云つて宜しい。然し此時程驚ろいた事はない。此時程美しいと思つた事はない。余は浩《かう》さんの事も忘れ、墓詣りに來た事も忘れ、極りが惡るいと云ふ事さへ忘れて白い顔と白いハンケチ許《ばか》り眺めて居た。今迄は人が後《うし》ろに居やうとは夢にも知らなかつた女も、歸らうとして歩き出す途端に、茫然として佇《たゝ》ずんで居る余の姿が眼に入《い》つたものと見えて、石段の上に一寸立ち留まつた。下から眺めた余の眼と上から見下《みおろ》す女の視線が五間を隔てゝ互に行き當つた時、女はすぐ下を向いた。すると飽く迄白い頬に裏から朱を溶いて流した樣な濃い色がむら/\と※[者/火]染《にじ》み出した。見るうちに夫《それ》が顔一面に廣がつて耳の付根迄|眞赤《まつか》に見えた。是は氣の毒な事をした。化銀杏の方へ逆戻りを仕《し》樣《やう》。いやさうすれば却つて忍び足に後《あと》でもつけて來た樣に思はれる。と云つて茫然と見とれて居ては猶《なほ》失禮だ。死地に活を求むと云ふ兵法もあると云ふ話しだから是は勢よく前進するに若《し》くはない。墓場へ墓詣りをしに來たのだから別に不思議はあるまい。只躊躇するから怪しまれるのだ。と決心して例のステツキを取り直して、つか/\と女の方にあるき出した。すると女も俯向《うつむ》いた儘歩を移して石段の下で逃げる樣に余の袖の傍《そば》を擦りぬける。ヘリオトロープらしい香《かを》りがぷんとする。香《かをり》が高いので、小春日に照りつけられた袷羽織《あはせばおり》の脊中からしみ込んだ樣な氣がした。女が通り過ぎたあとは、やつと安心して何だか我に歸つた風に落ち付いたので、元來何者だらうと又振り向いて見る。すると運惡く又眼と眼が行き合つた。此度《こんど》は余は石段の上に立つてステツキを突いて居る。女は化銀杏の下で、行きかけた體《たい》を斜めに捩《ねぢ》つて此方《こつち》を見上げて居る。銀杏は風なきに猶《なほ》ひら/\と女の髪の上、袖の上、帶の上へ舞ひさがる。時刻は一時か一時半頃である。丁度去年の冬浩さんが大風の中を旗を持つて散兵壕から飛び出した時である。空は研《と》ぎ上げた劔《つるぎ》を懸けつらねた如く澄んで居る。秋の空の冬に變る間際程高く見える事はない。羅《うすもの》に似た雲の、微《かす》かに飛ぶ影も眸《ひとみ》の裡《うち》には落ちぬ。羽根があつて飛び登ればどこ迄も飛び登れるに相違ない。然しどこ迄昇つても昇り盡せはしまいと思はれるのが此空である。無限と云ふ感じはこんな空を望んだ時に最もよく起る。此の無限に遠く、無限に遐《はる》かに、無限に靜かな空を會釋もなく裂いて、化銀杏が黄金《こがね》の雲を凝《こ》らして居る。其隣には寂光院の屋根瓦が同じく此|蒼穹《さうきゆう》の一部を横に劃して、何十萬枚重なつたものか黒々と鱗の如く、暖かき日影を射返して居る。――古き空、古き銀杏、古き伽藍と古き墳墓が寂寞《じやくまく》として存在する間に、美くしい若い女が立つて居る。非常な對照である。竹藪を後《うし》ろに脊負《しよ》つて立つた時は只顔の白いのとハンケチの白いの許《ばか》り目に着いたが、今度はすらりと着こなした衣《きぬ》の色と、其|衣《きぬ》を眞中から輪に截つた帶の色がいちゞるしく目立つ。縞柄だの品物|抔《など》は余の樣な無風流漢には殘念ながら記述出來んが、色合|丈《だけ》は慥《たし》かに華《はな》やかな者だ。こんな物寂びた境内に一分たりとも居るべき性質のものでない。居るとすればどこからか戸迷《とまどひ》をして紛れ込んで來たに相違ない。三越陳列場の斷片を切り拔いて落柿舍《らくししや》の物干竿へかけた樣なものだ。對照の極とは是であらう。――女は化銀杏の下から斜めに振り返つて余が詣《まゐ》る墓のありかを確かめて行きたいと云ふ風に見えたが、生憎《あいにく》余の方でも女に不審があるので石段の上から眺め返したから、思ひ切つて本堂の方へ曲つた。銀杏はひら/\と降つて、黒い地を隱す。
 余は女の後姿を見送つて不思議な對照だと考へた。昔《むか》し住吉の祠《やしろ》で藝者を見た事がある。其時は時雨《しぐれ》の中に立ち盡す島田姿が常よりは妍《あで》やかに余が瞳を照らした。箱根の大地獄で二八餘《にはちあま》りの西洋人に遇つた事がある。其折は十丈も※[者/火]え騰《あが》る湯煙りの凄じき光景が、しばらくは和《やは》らいで安慰の念を余が頭に與へた。凡《すべ》ての對照は大抵此二つの結果より外には何も生ぜぬ者である。在來の鋭どき感じを削つて鈍くするか、又は新たに視界に現はるゝ物象を平時よりは明瞭に腦裏に印し去るか、是が普通吾人の豫期する對照である。所が今|睹《み》た對象は毫もそんな感じを引き起さなかつた。相除《さうぢよ》の對照でもなければ相乘《さうじよう》の對照でもない。古い、淋《さび》しい、消極的な心の?態が減じた景色《けしき》は更にない、と云つて此美くしい綺羅《きら》を飾つた女の容姿が、音樂會や、園遊會で逢ふよりは一《ひ》と際《きは》目立つて見えたと云ふ譯でもない。余が寂光院の門を潜《くゞ》つて得た情緒《じやうしよ》は、浮世を歩む年齡が逆行して父母未生以前《ふもみしやういぜん》に溯つたと思ふ位、古い、物寂《ものさ》びた、憐れの多い、捕へる程|確《しか》とした痕迹もなき迄、淡く消極的な情緒《じやうしよ》である。此|情緒《じやうしよ》は藪を後《うし》ろにすつくりと立つた女の上に、余の眼が注《そゝ》がれた時に毫も矛盾の感を與へなかつたのみならず、落葉の中に振り返る姿を眺めた瞬間に於て、却つて一層の深きを加へた。古伽藍と剥げた額、化銀杏と動かぬ松、錯落《さくらく》と列《なら》ぶ石塔――死したる人の名を彫《きざ》む死したる石塔と、花の樣な佳人とが融和して一團の氣と流れて圓熟|無礙《むげ》の一種の感動を余の神經に傳へたのである。
 斯んな無理を聞かせられる讀者は定めて承知すまい。これは文士の嘘言《きよげん》だと笑ふ者さへあらう。然し事實はうそでも事實である。文士だらうが不文士だらうが書いた事は書いた通り懸價《かけね》のない所をかいたのである。もし文士がわるければ斷つて置く。余は文士ではない、西片町に住む學者だ。若し疑ふなら此問題をとつて學者的に説明してやらう。讀者は沙翁《さをう》の悲劇マクベスを知つて居るだらう。マクベス夫婦が共謀して主君のダンカンを寢室の中で殺す。殺して仕舞ふや否や門の戸を續け樣《ざま》に敲《たゝ》くものがある。すると門番が敲《たゝ》くは/\と云ひながら出て來て醉漢の管《くだ》を捲く樣なたわいもない事を呂律《ろれつ》の廻らぬ調子で述べ立てる。是が對照だ。對照も對照も一通りの對照ではない。人殺しの傍《わき》で都々逸《どゞいつ》を歌ふ位の對照だ。所が妙な事は此滑稽を挿んだ爲めに今迄の凄愴《せいさう》たる光景が多少和らげられて、此《こゝ》に至つて一段とくつろぎが付いた感じもなければ、又滑稽が事件の排列の具合から平生より一倍の可笑味《をかしみ》を與へると云ふ譯でもない。それでは何らの功果もないかと云ふと大變ある。劇全體を通じての物凄さ、怖しさは此一段の諧謔《かいぎやく》の爲めに白熱度に引き上げらるゝのである。猶《なほ》擴大して云へば此場合に於ては諧謔其物が畏怖である。恐懼《きようく》である、悚然《しようぜん》として粟を肌《はだへ》に吹く要素になる。其譯を云へば先づかうだ。
 吾人が事物に對する觀察點が從來の經驗で支配せらるゝのは言を待たずして明瞭な事實である。經驗の勢力は度數と、單獨な場合に受けた感動の量に因つて高下搆クするのも爭はれぬ事實であらう。絹布團生れ落ちて御意《ぎよい》だ仰せだと持ち上げられる經驗が度重なると人間は余に頭を下げる爲めに生れたのぢやなと御意《ぎよい》遊ばす樣になる。金で酒を買ひ、金で妾《めかけ》を買ひ、金で邸宅、朋友、從五位《じゆごゐ》迄買つた連中《れんぢゆう》は金さへあれば何でも出來るさと金庫を横目に睨《にら》んで高《たか》を括《くゝ》つた鼻先を虚空遙かに反《そ》り返へす。一度の經驗でも御多分《ごたぶん》には洩れん。箔屋町《はくやちやう》の大火事に身代《しんだい》を潰《つぶ》した旦那は板橋の一つ半でも蒼くなるかも知れない。濃尾《のうび》の震災に瓦の中から堀《ほ》り出された生き佛はドンが鳴つても念佛を唱へるだらう。正直な者が生涯に一返萬引を働いても疑《うたがひ》を掛ける知人もないし、冗談《じようだん》を商賣にする男が十年に半日眞面目な事件を擔《かつ》ぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまる所吾々の觀察點と云ふものは從來の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差萬別であるから、吾々の惰性も商賣により職業により、年齡により、氣質により、兩性によりて各《おの/\》異なるであらう。が其通り。劇を見るときにも小説を讀むときにも全篇を通じた調子があつて、此調子が讀者、觀客の心に反應すると矢張り一種の惰性になる。もし此惰性を構成する分子が猛烈であればある程、惰性其物も牢《らう》として動かすべからず拔くべからざる傾向を生ずるに極つて居る。マクベスは妖婆《えうば》、毒婦、兇漢の行爲動作を刻意《こくい》に描寫した悲劇である。讀んで冒頭より門番の滑稽に至つて冥々《めい/\》の際讀者の心に生ずる唯一の惰性は怖〔傍点〕と云ふ一字に歸着して仕舞ふ。過去が既に怖《ふ》である、未來も亦|怖《ふ》なるべしとの豫期は、自然と己《おの》れを放射して次に出現すべき如何なる出來事をも此怖〔傍点〕に關連して解釋しやうと試みるのは當然の事と云はねばならぬ。船に醉つたものが陸《をか》に上《あが》つた後《あと》迄も大地を動くものと思ひ、臆病に生れ付いた雀が案山子《かゞし》を例の爺さんかと疑ふ如く、マクベスを讀む者も又怖〔傍点〕の一字をどこ迄も引張つて、怖〔傍点〕を冠すべからざる邊《へん》に迄持つて行かうと力《つと》むるは怪しむに足らぬ。何事をも怖〔傍点〕|化《くわ》せんとあせる矢先に現はるゝ門番の狂言は、普通の狂言諧謔とは受け取れまい。
 世間には諷語《ふうご》と云ふがある。諷語《ふうご》は皆|表裏《へうり》二面の意義を有して居る。先生を馬鹿の別號に用ゐ、大將を匹夫の渾名《あだな》に使ふのは誰も心得て居やう。此筆法で行くと人に謙遜するのは益《ます/\》人を愚《ぐ》にした待遇法で、他を稱揚するのは熾《さかん》に他を罵倒した事になる。表面の意味が強ければ強い程、裏側の含蓄も漸く深くなる。御辭儀一つで人を愚弄するよりは、履物《はきもの》を揃へて人を揶揄《やゆ》する方が深刻ではないか。此心理を一歩開拓して考へて見る。吾々が使用する大抵の命題は反對の意味に解釋が出來る事となろう。さあどつちの意味にしたものだらうと云ふときに例の惰性が出て苦もなく判斷して呉れる。滑稽の解釋に於ても其通りと思ふ。滑稽の裏には眞面目がくつ付いて居る。大笑《たいせう》の奧には熱涙が潜んで居る。雜談《じやうだん》の底には啾々《しう/\》たる鬼哭《きこく》が聞える。とすれば怖〔傍点〕と云ふ惰性を養成した眼を以て門番の諧謔を讀む者は、其諧謔を正面から解釋したものであらうか、裏側から觀察したものであらうか。裏面から觀察するとすれば醉漢の妄語《まうご》のうちに身の毛もよだつ程の畏懼《ゐく》の念はある筈だ。元來|諷語《ふうご》は正語《せいご》よりも皮肉なる丈《だけ》正語よりも深刻で猛烈なものである。蟲さへ厭ふ美人の根性《こんじやう》を透見《とうけん》して、毒蛇の化身《けしん》即ち此|天女《てんによ》なりと判斷し得たる刹那に、其罪惡は同程度の他の罪惡よりも一層怖るべき感じを引き起す。全く人間の諷語《ふうご》であるからだ。白晝の化物の方が定石《ぢやうせき》の幽靈よりも或る場合には恐ろしい。諷語であるからだ。廢寺に一夜《いちや》をあかした時、庭前の一本杉の下でカツポレを躍るものがあつたら此カツポレは非常に物凄からう。是も一種の諷語であるからだ。マクベスの門番は山寺のカツポレと全然同格である。マクベスの門番が解けたら寂光院の美人も解けるはずだ。
 百花の王をもつて許す牡丹《ぼたん》さへ崩れるときは、富貴の色も只|好事家《かうずか》の憐れを買ふに足らぬ程|脆《もろ》いものだ。美人薄命と云ふ諺《ことわざ》もある位だから此女の壽命も容易に保險はつけられない。然し妙齡の娘は概して活氣に充ちて居る。前途の希望に照らされて、見るからに陽氣な心持のするものだ。のみならず友染《いうぜん》とか、繻珍《しゆちん》とか、ぱつとした色氣のものに包まつて居るから、横から見ても縱から見ても派出《はで》である立派である、春景色である。其一人が――最も美くしき其一人が寂光院の墓場の中に立つた。浮かない、古臭い、沈靜な四顧の景物の中に立つた。すると其愛らしき眼、其はなやかな袖が忽然《こつぜん》と本來の面目を變じて蕭條《せうでう》たる周圍に流れ込んで、境内|寂寞《じやくまく》の感を一層深からしめた。天下に墓程落付いたものはない。然し此女が墓の前に延び上がつた時は墓よりも落ちついて居た。銀杏《いてふ》の黄葉《くわうえふ》は淋《さみ》しい。况《ま》して化けるとあるから猶《なほ》淋《さみ》しい。然し此女が化銀杏の下に横顔を向けて佇《たゝず》んだときは、銀杏の精が幹から拔け出したと思はれる位|淋《さみ》しかつた。上野の音樂會でなければ釣り合はぬ服裝をして、帝國ホテルの夜會にでも招待されさうな此女が、なぜかくの如く四邊の光景と映帶《えいたい》して索寞《さくばく》の觀を添へるのか。是も諷語《ふうご》だからだ。マクベスの門番が怖しければ寂光院の此女も淋《さみ》しくなくてはならん。
 御墓を見ると花筒に菊がさしてある。垣根に咲く豆菊の色は白いもの許《ばか》りである。是も今の女の所爲《しよゐ》に相違ない。家《うち》から折つて來たものか、途中で買つて來たものか分らん。若しや名刺でも括《くゝ》りつけてはないかと葉裏迄覗いて見たが何もない。全體何物だらう。余は高等學校時代から浩《かう》さんとは親しい付き合ひの一人であつた。うちへはよく泊りに行つて浩さんの親類は大抵知つて居る。然し指を折つてあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思ひ出せない。すると他人か知らん。浩さんは人好きのする性質で、交際も大分《だいぶ》廣かつたが、女に朋友がある事はついに聞いた事がない。尤も交際をしたからと云つて、必らず余に告げるとは限つて居らん。が浩さんはそんな事を隱す樣な性質ではないし、よし外の人に隱したからと云つて余に隱す事はない筈だ。かう云ふと可笑《をか》しいが余は河上家の内情は相續人たる浩さんに劣らん位|精《くは》しく知つて居る。さうして夫《それ》は皆浩さんが余に話したのである。だから女との交際だつて、もし實際あつたとすればとくに余に告げるに相違ない。告げぬ所を以て見ると知らぬ女だ。然し知らぬ女が花迄|提《さ》げて浩さんの墓參りにくる譯がない。是は怪しい。少し變だが追懸けて名前|丈《だけ》でも聞いて見《み》樣《やう》か、夫《それ》も妙だ。いつその事黙つて後《あと》を付けて行く先を見屆け樣《やう》か、それでは丸《まる》で探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善からうと墓の前で考へた。浩さんは去年の十一月|塹壕《ざんがう》に飛び込んだぎり、今日《けふ》迄《まで》上がつて來ない。河上家代々の墓を杖で敲《たゝ》いても、手で搖《ゆ》り動かしても浩さんは矢張塹壕の底に寐て居るだらう。こんな美人が、こんな美しい花を提《さ》げて御詣りに來るのも知らずに寐て居るだらう。だから浩さんはあの女の素性《すじやう》も名前も聞く必要もあるまい。浩さんが聞く必要もないものを余が探究する必要は猶更《なほさら》ない。いや是はいかぬ。かう云ふ論理ではあの女の身元を調べてはならんと云ふ事になる。然し其《それ》は間違つて居る。何故《なぜ》? 何故は追つて考へてから説明するとして、只今の場合是非共聞き糺《たゞ》さなくてはならん。何でも蚊でも聞かないと氣が濟まん。いきなり石段を一股《ひとまた》に飛び下りて化銀杏の落葉を蹴散らして寂光院の門を出て先づ左の方を見た。居ない。右を向いた。右にも見えない。足早に四つ角迄來て目の屆く限り東西南北を見渡した。矢張り見えない。とう/\取り逃がした。仕方がない、御母《おつか》さんに逢つて話をして見《み》樣《やう》、ことによつたら容子が分るかも知れない。
 
     三
 
 六疊の座敷は南向で、拭き込んだ椽側《えんがは》の端《はじ》に神代杉《じんだいすぎ》の手拭懸が置いてある。軒下から丸い手水桶《てうづをけ》を鐵の鎖で釣るしたのは洒落《しや》れて居るが、其下に一叢《ひとむら》の木賊《とくさ》をあしらつた所が一段の趣を添へる。四つ目垣の向ふは二三十坪の茶畠で其間に梅の木が三四本見える。垣に結《ゆ》ふた竹の先に洗濯した白足袋が裏返しに乾《ほ》してあつて其隣りには如露《じよろ》が逆さまに被《かぶ》せてある。其根元に豆菊が塊《かた》まつて咲いて累々《るゐ/\》と白玉《はくぎよく》を綴つて居るのを見て「奇麗ですな」と御母《おつか》さんに話しかけた。
 「今年《ことし》は暖《あつ》たかだもんですからよく持ちます。あれもあなた、浩一の大好きな菊で……」
 「へえ、白いのが好きでしたかな」
 「白い、小さい豆の樣なのが一番面白いと申して自分で根を貰つて來て、わざ/\植えたので御座います」
 「成程そんな事がありましたな」と云つたが、内心は少々氣味が惡かつた。寂光院の花筒に挿《はさ》んであるのは正に此種の此色の菊である。
 「御叔母《をば》さん近頃は御寺參りをなさいますか」
 「いえ、先達《せんだつ》て中《ぢゆう》から風邪の氣味で五六日伏せつて居りましたものですから、つい/\佛へ無沙汰を致しまして。――うちに居つても忘れる間《ま》はないのですけれども――年をとりますと、御湯に行くのも退儀になりましてね」
 「時々は少し表をあるく方が藥ですよ。近頃はいゝ時候ですから……」
 「御親切に難有《ありがた》う存じます。親戚のもの抔《など》も心配して色々云つて呉れますが、どうもあなた何分元氣がないものですから、それにこんな婆さんを態々《わざ/\》連れてあるいて呉れるものもありませず」
 かうなると余はいつでも言句に窮する。どう云つて切り拔けていゝか見當がつかない。仕方がないから「はあゝ」と長く引つ張つたが、御母《おつか》さんは少々不平の氣味である。さあしまつたと思つたが別に片附け樣もないから、梅の木をあちらこちら飛び歩るいて居る四十雀《しじふから》を眺めて居た。御母《おつか》さんも話の腰を折られて無言である。
 「御親類の若い御孃さんでもあると、こんな時には御相手にいゝですがね」と云ひながら不調法なる余にしては天晴《あつぱれ》な出來だと自分で感心して見せた。
 「生憎《あいにく》そんな娘もおりませず。それに人の子には矢張り遠慮勝ちで……せがれに嫁でも貰つて置いたら、こんな時には嘸《さぞ》心丈夫だらうと思ひます。ほんに殘念な事をしました」
 そら娶《よめ》が出た。くる度によめが出ない事はない。年頃の息子《むすこ》に嫁を持たせたいと云ふのは親の情《じやう》として左《さ》もあるべき事だが、死んだ子に娶《よめ》を迎へて置かなかつたのをも殘念がるのは少々|平仄《ひやうそく》が合はない。人情はこんなものか知らん。まだ年寄になつて見ないから分らないがどうも一般の常識から云ふと少し間違つて居る樣だ。それは一人で侘《わび》しく暮らすより氣に入つた嫁の世話になる方が誰だつて頼《たよ》りが多からう。然し嫁の身になつても見るがいゝ。結婚して半年《はんとし》も立たないうちに夫《をつと》は出征する。漸く戰爭が濟んだと思ふと、いつの間《ま》にか戰死して居る。二十《はたち》を越すか越さないのに、姑《しうと》と二人暮しで一生を終る。こんな殘酷な事があるものか。御母《おつか》さんの云ふところは老人の立場から云へば無理もない訴《うつたへ》だが、然し隨分我儘な願だ。年寄は是だからいかぬと、内心は頗る不平であつたが、滅多な抗議を申し込むと又|氣色《きしよく》を惡《わ》るくさせる危險がある。折角慰めに來ていつも失策をやるのは餘り器量のない話だ。まあ/\だまつて居るに若《し》くはなしと覺悟を極めて、反《かへ》つて反對の方角へと楫《かぢ》をとつた。余は正直に生れた男である。然し社會に存在して怨まれずに世の中を渡らうとすると、どうも嘘がつきたくなる。正直と社會生活が兩立するに至れば嘘は直ちにやめる積りで居る。
 「實際殘念な事をしましたね。全體|浩《かう》さんは何故《なぜ》嫁をもらはなかつたんですか」
 「いえ、あなた色々探して居りますうちに、旅順へ參る樣になつたもので御座んすから」
 「それぢや當人も貰ふ積りで居たんでせう」
 「それは……」と云つたが、其ぎり黙つて居る。少々樣子が變だ。或は寂光院事件の手懸りが潜伏して居さうだ。白?して云ふと、余は此時|浩《かう》さんの事も、御母《おつか》さんの事も考へて居なかつた。只あの不思議な女の素性と浩さんとの關係が知りたいので頭の中は一杯になつて居る。此日に於ける余は平生の樣な同情的動物ではない。全く冷靜な好奇獣《かうきじう》とも稱すべき代物《しろもの》に化して居た。人間も其日/\で色々になる。惡人になつた翌日は善男に變じ、小人の晝の後《のち》に君子の夜がくる。あの男の性格は抔《など》と手にとつた樣に吹聽する先生があるがあれは利口の馬鹿と云ふもので其日/\の自己を研究する能力さへないから、こんな傍若無人の囈語《げいご》を吐いて獨りで恐悦がるのである。探偵程劣等な家業は又とあるまいと自分にも思ひ、人にも宣言して憚からなかつた自分が、純然たる探偵的態度をもつて事物に對するに至つたのは、頗るあきれ返つた現象である。一寸言ひ淀《よど》んだ御母《おつか》さんは、思ひ切つた口調で
 「其事に就て浩一は何かあなたに御話をした事は御座いませんか」
 「嫁の事ですか」
 「えゝ、誰か自分の好いたものがある樣な事を」
 「いゝえ」と答へたが、實は此問こそ、こつちから御母《おつか》さんに向つて聞いて見なければならん問題であつた。
 「御叔母《をば》さんには何か話しましたろう」
 「いゝえ」
 望の綱は是《これ》限《ぎ》り切れた。仕方がないから又眼を庭の方へ轉ずると、四十雀《しじふから》は既にどこかへ飛び去つて、例の白菊の色が、水氣《みづけ》を含んだ黒土に映じて見事に見える。其時不圖思ひ出したのは先日の日記の事である。御母《おつか》さんも知らず、余も知らぬ、あの女の事があるひは書いてあるかも知れぬ。よしあからさまに記してなくても一應目を通したら何か手懸りがあらう。御母《おつか》さんは女の事だから理解出來んかも知れんが、余が見ればかうだらう位の見當はつくわけだ。是は催促して日記を見るに若《し》くはない。
 「あの先日御話しの日記ですね。あの中に何かかいてはありませんか」
 「えゝ、あれを見ないうちは何とも思はなかつたのですが、つい見たものですから……」と御母《おつか》さんは急に涙聲になる。又泣かした。是だから困る。困りはしたものゝ、何か書いてある事は慥《たし》かだ。かうなつては泣かうが泣くまいがそんな事は構つて居られん。
 「日記に何か書いてありますか? それは是非拝見しませう」と勢よく云つたのは今から考へて赤面の次第である。御母《おつか》さんは起《た》つて奧へ這入る。
 やがて襖《ふすま》をあけてポツケツト入れの手帳を持つて出てくる。表紙は茶の革で一寸見ると紙入の樣な體裁である。朝夕|内《うち》がくしに入れたものと見えて茶色の所が黒ずんで、手垢でぴか/\光つて居る。無言の儘日記を受取つて中を見《み》樣《やう》とすると表の戸がから/\と開《あ》いて、頼みますと云ふ聲がする。生憎《あいにく》來客だ。御母《おつか》さんは手眞似で早く隱せと云ふから、余は手帳を内懷《うちぶところ》に入れて「宅へ歸つて見てもいゝですか」と聞いた。御母《おつか》さんは玄關の方を見ながら「どうぞ」と答へる。やがて下女が何とか樣が入らつしやいましたと注進にくる。何とか樣に用はない。日記さへあれば大丈夫早く歸つて讀まなくつてはならない。其ではと挨拶をして久堅町《ひさかたまち》の徃來へ出る。
 傳通院の裏を拔けて表町の坂を下《お》りながら路々考へた。どうしても小説だ。たゞ小説に近い丈《だけ》何だか不自然である。然し是から事件の眞相を究《きは》めて、全體の成行が明瞭になりさへすれば此不自然も自《おの》づと消滅する譯だ。兎に角面白い。是非探索――探索と云ふと何だか不愉快だ――探究として置かう。是非探究して見なければならん。其《それ》にしても昨日《きのふ》あの女のあとを付けなかつたのは殘念だ。もし向後《かうご》あの女に逢ふ事が出來ないとすると此事件は判然《はんぜん》と分りさうにもない。入らぬ遠慮をして流星光底《りうせいくわうてい》ぢやないが逃がしたのは惜しい事だ。元來品位を重んじ過ぎたり、あまり高尚にすると、得てこんな事になるものだ。人間はどこかに泥棒的分子がないと成功はしない。紳士も結構には相違ないが、紳士の體面を傷《きずつ》けざる範圍内に於て泥棒根性を發揮せんと折角の紳士が紳士として通用しなくなる。泥棒氣のない純粹の紳士は大抵行き倒れになるさうだ。よし是からはもう少し下品になつてやらう。とくだらぬ事を考へながら柳町の橋の上迄來ると、水道橋の方から一輌の人力車が勇ましく白山の方へ馳け拔ける。車が自分の前を通り過ぎる時間は何秒と云ふ僅かの間《あひだ》であるから、余が冥想の眼をふとあげて車の上を見た時は、乘つて居る客は既に眼界から消えかゝつて居た。が其人の顔は? あゝ寂光院だと氣が着いた頃はもう五六間先へ行つて居る。こゝだ下品になるのはこゝだ。何でも構はんから追ひ懸けろと、下駄の齒をそちらに向けたが、徒歩で車のあとを追ひ懸けるのは餘り下品すぎる。氣狂でなくつてはそんな馬鹿な事をするものはない。車、車、車は居らんかなと四方を見廻したが生憎《あいにく》一輛も居らん。其うちに寂光院は姿も見えない位遙かあなたに馳け拔ける。もう駄目だ。氣狂と思はれる迄下品にならなければ世の中は成功せんものかなと惘然《ばうぜん》として西片町へ歸つて來た。
 取り敢ず、書齋に立て籠つて懷中から例の手帳を出したが、何分|夕景《ゆふけい》ではつきりせん。實は途上でもあちこちと拾ひ讀みに讀んで來たのだが、鉛筆でなぐりがきに書いたものだから明るい所でも容易に分らない。ランプを點《つ》ける。下女が御飯はと云つて來たから、めしは後《あと》で食ふと追ひ返す。偖《さて》一頁から順々に見て行くと皆陣中の出來事のみである。しかも倥偬《こうそう》の際に分陰《ふんいん》を偸《ぬす》んで記しつけたものと見えて大概の事は一句二句で辯じて居る。「風、坑道内にて食事。握り飯二個。泥まぶれ」と云ふのがある。「夜來|風邪《ふうじや》の氣味、發熱。診察を受けず、例の如く勤務」と云ふのがある。「テント外の歩哨散彈に中《あた》る。テントに仆《たふ》れかゝる。血痕を印す」「五時大突撃。中隊全滅、不成功に終る。殘念※[感嘆符三つ]」殘念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助ける爲めの手控《てびかへ》であるから、毫も文章らしい所はない。字句を修飾したり、彫琢《てうたく》したりした痕跡は藥にしたくも見當らぬ。然しそれが非常に面白い。只《たゞ》有の儘を有の儘に寫して居る所が大《おほい》に氣に入つた。ことに俗人の使用する壯士的口吻がないのが嬉しい。怒氣天を衝くだの、暴慢なる露人だの、醜虜《しうりよ》の膽《たん》を寒からしむだの、凡《すべ》てえらさうで安つぽい辭句はどこにも使つてない。文體は甚だ氣に入つた、流石《さすが》に浩《かう》さんだと感心したが、肝心の寂光院事件はまだ出て來ない。段々讀んで行くうちに四行ばかり書いて上から棒を引いて消した所が出て來た。こんな所が怪しいものだ。之を讀みこなさなければ氣が濟まん。手帳をランプのホヤに押しつけて透《す》かして見る。二行目の棒の下からある字が三分の二ばかり食《は》み出して居る。郵〔傍点〕の字らしい。それから骨を折つてやう/\郵便局の三字|丈《だ》け片づけた。郵便局の上の字は大※[郷の中央部が空白]〔二字傍点〕|丈《だけ》見えて居る。是は何だらうと三分程ランプと相談をしてやつと分つた。本郷郵便局である。こゝ迄は漸く漕ぎつけたが其|外《ほか》は裏から見ても逆さまに見てもどうしても讀めない。とう/\斷念する。夫《それ》から二三頁進むと突然一大發見に遭遇した。「二三日《にさんち》一睡もせんので勤務中坑内|假寢《かしん》。郵便局で逢つた女の夢を見る」
 余は覺えずどきりとした。「只二三分の間、顔を見た許《ばか》りの女を、程經て夢に見るのは不思議である」此句から急に言文一致になつて居る。「餘程衰弱して居る證據であらう、然し衰弱せんでもあの女の夢なら見るかも知れん。旅順へ來てから是で三度見た」
 余は日記をぴしやりと敲《たゝ》いて是だ! と叫んだ。御母《おつか》さんが嫁々と口癖の樣に云ふのは無理はない。是を讀んで居るからだ。夫《それ》を知らずに我儘だの殘酷だのと心中で評したのは、こつちが惡《わ》るいのだ。成程こんな女が居るなら、親の身として一日でも添はしてやりたいだらう。御母《おつか》さんが嫁が居たら/\と云ふのを今迄誤解して全く自分の淋しいのをまぎらす爲と許《ばか》り解釋して居たのは余の眼識の足らなかつた所だ。あれは自分の我儘で云ふ言葉ではない。可愛い息子を戰死する前に、半月でも思ひ通りにさせてやりたかつたと云ふ謎《なぞ》なのだ。成程男は呑氣《のんき》なものだ。然し知らん事なら仕方がない。それは先づよしとして元來寂光院が此女なのか、或はあれは全く別物で、浩《かう》さんの郵便局で逢つたと云ふのは外の女なのか、是が疑問である。此疑問はまだ斷定出來ない。是《これ》丈《だけ》の材料でさう早く結論に高飛びはやりかねる。やりかねるが少しは想像を容れる餘地もなくては、凡《すべ》ての判斷はやれるものではない。浩さんが郵便局であの女に逢つたとする。郵便局へ遊びに行く譯はないから、切手を買ふか、爲替《かはせ》を出すか取るかしたに相違ない。浩さんが切手を手紙へ貼る時に傍《そば》に居たあの女が、どう云ふ拍子かで差出人の宿所姓名を見ないとは限らない。あの女が浩さんの宿所姓名を其時に覺え込んだとして、之に小説的分子を五|分《ぶ》許《ばか》り加味すれば寂光院事件は全く起らんとも云へぬ。女の方は夫《それ》で解《かい》せたとして浩さんの方が不思議だ。どうして一寸逢つたものをさう何度も夢に見るかしらん。どうも今少し慥《たし》かな土臺が欲しいがと猶讀んで行くと、こんな事が書いてある。「近世の軍略に於て、攻城は至難なるものゝ一として數へらる。我が攻圍軍の死傷多きは怪しむに足らず。此二三ケ月間に余が知れる將校の城下に斃れたる者は枚擧《まいきよ》に遑《いとま》あらず。死は早晩余を襲ひ來らん。余は日夜に兩軍の砲撃を聞きて、今か/\と順番の至るを待つ」成程死を決して居たものと見える。十一月二十五日の條にはかうある。「余の運命も愈《いよ/\》明日に逼《せま》つた」今度は言文一致である。「軍人が軍《いく》さで死ぬのは當然の事である。死ぬのは名誉である。ある點から云へば生きて本國に歸るのは死ぬべき所を死に損《そく》なつた樣なものだ」戰死の當日の所を見ると「今日限りの命だ。二龍山を崩す大砲の聲が頻りに響く。死んだらあの音も聞えぬだらう。耳は聞えなくなつても、誰か來て墓參りをして呉れるだらう。さうして白い小さい菊でもあげて呉れるだらう。寂光院は閑靜な所だ」とある。其次に「強い風だ。愈《いよ/\》是から死にゝ行く。丸《たま》に中《あた》つて仆《たふ》れる迄旗を振つて進む積りだ。御母《おつか》さんは、寒いだらう」日記はこゝで、ぶつりと切れて居る。切れて居る筈だ。
 余はぞつとして日記を閉ぢたが、愈《いよ/\》あの女の事が氣に懸つて堪らない。あの車は白山の方へ向いて馳けて行つたから、何でも白山方面のものに相違ない。白山方面とすれば本郷の郵便局へ來んとも限らん。然し白山だつて廣い。名前も分らんものを探《たづ》ねて歩いたつて、さう急に知れる譯がない。兎に角今夜の間に合ふ樣な簡略な問題ではない。仕方がないから晩食《ばんめし》を濟まして其晩はそれぎり寢る事にした。實は書物を讀んでも何が書いてあるか茫々として海に對する樣な感があるから、已《やむ》を得ず床へ這入つたのだが、偖《さて》夜具の中でも思ふ通りにはならんもので、終夜安眠が出來なかつた。
 翌日學校へ出て平常の通り講義はしたが、例の事件が氣になつていつもの樣に授業に身が入らない。控所へ來ても他の職員と話しをする氣にならん。學校の退《ひ》けるのを待ちかねて、其足で寂光院へ來て見たが、女の姿は見えない。昨日《きのふ》の菊が鮮やかに竹藪の緑に映じて雪の團子の樣に見える許《ばか》りだ。夫《それ》から白山から原町、林町の邊《へん》をぐる/\廻つて歩いたが矢張り何等の手懸りもない。其晩は疲勞の爲め寐る事|丈《だけ》はよく寐た。然し朝になつて授業が面白く出來ないのは昨日《きのふ》と變る事はなかつた。三日目にヘ員の一人を捕《つら》まへて君白山方面に美人が居るかなと尋ねて見たら、うむ澤山居る、あつちへ引越し玉へと云つた。歸りがけに學生の一人に追ひ付いて君は白山の方に居るかと聞いたら、いゝえ森川町ですと答へた。こんな馬鹿な騷ぎ方をして居たつて始まる譯のものではない。矢張り平生の如く落ち付いて、緩《ゆ》るりと探究するに若《し》くなしと決心を定めた。それで其晩は煩悶焦慮もせず、例の通り靜かに書齋に入《い》つて、先達中《せんだつてぢゆう》からの取調物を引き續いてやる事にした。
 近頃余の調べて居る事項は遺傳と云ふ大問題である。元來余は醫者でもない、生物學者でもない。だから遺傳と云ふ問題に關して專門上の智識は無論有して居らぬ。有して居らぬ所が余の好奇心を挑撥《てうはつ》する譯で、近頃ふとした事から此問題に關して其起原發達の歴史やら最近の學説やらを一通り承知したいと云ふ希望を起して、それから此研究を始めたのである。遺傳と一口に云ふと頗る單純な樣であるが段々調べて見ると複雜な問題で、是《これ》丈《だけ》研究して居ても充分生涯の仕事はある。メンデリズムだの、ワイスマンの理論だの、ヘツケルの議論だの、其弟子のヘルトウイツヒの研究だの、スペンサーの進化心理説だのと色々の人が色々の事を云ふて居る。そこで今夜は例の如く書齋の裡《うち》で近頃出版になつた英吉利《イギリス》のリードと云ふ人の著述を讀む積りで、二三枚|丈《だけ》は何氣なくはぐつて仕舞つた。するとどう云ふ拍子か、かの日記の中の事柄が、書物を讀ませまいと頭の中へ割り込んでくる。さうはさせぬと又一枚程開けると、今度は寂光院が襲つて來る。漸くそれを追拂つて五六枚無難に通過したかと思ふと、御母《おつか》さんの切り下げの被布姿《ひふすがた》がページの上にあらはれる。讀む積りで決心して懸つた仕事だから讀めん事はない。讀めん事はないがページとページの間に狂言が這入る。夫《それ》でも構はずどし/\進んで行くと、此狂言と本文の間が次第々々に接近して來る。仕舞にはどこからが狂言でどこ迄が本文か分らない樣にぼうつとして來た。此夢の樣な有樣で五六分續けたと思ふうち、忽ち頭の中に電流を通じた感じがしてはつと我に歸つた。「さうだ、此問題は遺傳で解ける問題だ。遺傳で解けば屹度《きつと》解ける」とは同時に吾口を突いて飛び出した言語である。今迄は只不思議である小説的である。何となく落ちつかない、何か疑惑を晴らす工夫はあるまいか、夫《それ》には當人を捕へて聞き糺《たゞ》すより外に方法はあるまいとのみ速斷して、其結果は朋友に冷かされたり、屑屋流に駒込近傍を徘徊《はいくわい》したのである。然しこんな問題は當人の支配權以外に立つ問題だから、よし當人を尋ねあてゝ事實を明らかにした所で不思議は解けるものでない。當人から聞き得る事實其物が不思議である以上は余の疑惑は落ち付き樣がない。昔はこんな現象を因果《いんぐわ》と稱《とな》へて居た。因果は諦らめる者、泣く子と地頭には勝たれぬ者と相場が極つて居た。成程因果と言ひ放てば因果で濟むかも知れない。然し二十世紀の文明は此|因《いん》を極《きは》めなければ承知しない。しかもこんな芝居的夢幻的現象の因《いん》を極《きは》めるのは遺傳によるより外に仕樣はなからうと思ふ。本來ならあの女を捕《つら》まへて日記中の女と同人か別物かを明にした上で遺傳の研究を初めるのが順當であるが、本人の居所さへ慥《たし》かならぬ只今では、此順序を逆にして、彼等の血統から吟味して、下から上へ溯《さかのぼ》る代りに、昔から今に繰りさげて來るより外に道はあるまい。何《いづ》れにしても同じ結果に歸着する譯だから構はない。
 そんならどうして兩人の血統を調べたものだらう。女の方は何者だか分らないから、先づ男の方から調べてかゝる。浩《かう》さんは東京で生れたから東京つ子である。聞く所によれば浩さんの御父《おとつ》さんも江戸で生れて江戸で死んださうだ。すると是も江戸つ子である。御爺さんも御爺さんの御父《おとつ》さんも江戸つ子である。すると浩さんの一家は代々東京で暮らした樣であるが其實町人でもなければ幕臣でもない。聞く所によると浩さんの家は紀州の藩士であつたが江戸詰で代々こちらで暮らしたのださうだ。紀州の家來と云ふ事|丈《だけ》分れば夫《それ》で充分手懸りはある。紀州の藩士は何百人あるか知らないが現今東京に出て居る者はそんなに澤山ある筈がない。ことにあの女の樣に立派な服裝をして居る身分なら藩主の家へ出入《でい》りをするに極つて居る。藩主の家に出入《でい》するとすれば其姓名はすぐに分る。是が余の假定である。もしあの女が浩さんと同藩でないとすると此事件は當分|埓《らち》があかない。抛《はふ》つて置いて自然天然寂光院に徃來で邂逅《かいこう》するのを待つより外に仕方がない。然し余の假定が中《あた》るとすると、あとは大抵余の考へ通りに發展して來るに相違ない。余の考によると何でも浩さんの先祖と、あの女の先祖の間に何事かあつて、其因果でこんな現象を生じたに違ひない。是が第二の假定である。かうこしらへてくると段々面白くなつてくる。單に自分の好奇心を滿足させる許《ばかり》ではない。目下研究の學問に對して尤も興味ある材料を給與する貢獻的事業になる。こう態度が變化すると、精神が急に爽快になる。今迄は犬だか、探偵だか餘程下等なものに零落《れいらく》した樣な感じで、夫《それ》が爲め腦中不愉快の度を大分《だいぶ》高めて居たが、此假定から出立すれば正々堂々たる者だ。學問上の研究の領分に屬すべき事柄である。少しも疚《や》ましい事はないと思ひ返した。どんな事でも思ひ返すと相當のジヤスチ※[フの小字]」ィケーシヨンはある者だ。惡るかつたと氣が付いたら黙坐して思ひ返すに限る。
 あくる日學校で和歌山縣出の同僚某に向つて、君の國に老人で藩の歴史に詳しい人は居ないかと尋ねたら、此同僚首をひねつてあるさと云ふ。因つて其人物を承はると、もとは家老《からう》だつたが今では家令《かれい》と改名して依然として生きて居ると何だか妙な事を答へる。家令《かれい》なら猶《なほ》都合がいゝ、平常《ふだん》藩邸に出入《しゆつにふ》する人物の姓名職業は無論承知して居るに違ない。
 「其老人は色々昔の事を記憶して居るだらうな」
 「うん何でも知つて居る。維新の時なぞは大分《だいぶ》働いたさうだ。槍の名人でね」
 槍|抔《など》は下手でも構はん。昔し藩中に起つた異聞奇譚を、老耄《らうまう》せずに覺えて居て呉れればいゝのである。だまつて聞いて居ると話が横道へそれさうだ。
 「まだ家令を務めて居る位なら記憶は慥《たし》かだらうな」
 「たしか過ぎて困るね。屋敷のものがみんな弱つて居る。もう八十近いのだが、人間も隨分丈夫に製造する事が出來るもんだね。當人に聞くと全く槍術の御蔭だと云つてる。夫《それ》で毎朝起きるが早いか槍をしごくんだ……」
 「槍はいゝが、其老人に紹介して貰へまいか」
 「いつでもして上げる」と云ふと傍《そば》に聞いて居た同僚が、君は白山の美人を探がしたり、記憶のいゝ爺さんを探したり、隨分多忙だねと笑つた。こつちはそれ所ではない。此老人に逢ひさへすれば、自分の鑑定が中《あた》るか外《はづ》れるか大抵の見當がつく。一刻も早く面會しなければならん。同僚から手紙で先方の都合を聞き合せてもらふ事にする。
 二三日《にさんち》は何の音沙汰もなく過ぎたが、御面會をするから明日《みやうにち》三時頃來て貰ひたいと云ふ返事が漸くの事來たよと同僚が告げて呉れた時は大《おほい》に嬉しかつた。其晩は勝手次第に色々と事件の發展を豫想して見て、先づ七分迄は思ひ通りの事實が暗中から白日の下《もと》に引き出されるだらうと考へた。さう考へるにつけて、余の此事件に對する行動が――行動と云はんより寧ろ思ひ付きが、中々巧みである、無學なものなら到底こんな點に考への及ぶ氣遣はない、學問のあるものでも才氣のない人には此樣な働きのある應用が出來る譯がないと、寢ながら大得意であつた。ダーヰンが進化論を公けにした時も、ハミルトンがクオーターニオンを發明した時も大方《おほかた》こんなものだらうと獨りでいゝ加減に極めて見る。自宅《うち》の澁柿は八百屋《やほや》から買つた林檎より旨いものだ。
 翌日《あくるひ》は學校が午《ひる》ぎりだから例刻を待ちかねて麻布《あざぶ》迄車代二十五錢を奮發して老人に逢つて見る。老人の名前はわざと云はない。見るからに頑丈《ぐわんぢやう》な爺さんだ。白い髯を細長く垂れて、黒紋付に八王子平《はちわうじひら》で控へて居る。「やあ、あなたが、何の御友達で」と同僚の名を云ふ。丸《まる》で小供扱だ。是から大發明をして學界に貢獻しやうと云ふ余に對してはやゝ横柄《わうへい》である。今から考へて見ると先方が横柄なのではない、こつちの氣位が高過ぎたから普通の應接ぶりが横柄に見えたのかも知れない。
 夫《それ》から二三件世間なみの應答を濟まして、愈《いよ/\》本題に入つた。
 「妙な事を伺ひますが、もと御藩《ごはん》に河上と云ふのが御座いましたらう」余は學問はするが應對の辭にはなれて居らん。藩といふのが普通だが先方の事だから尊敬して御藩《ごはん》と云つて見た。こんな場合に何と云ふものか未《いま》だに分らない。老人は一寸笑つたやうだ。
 「河上――河上と云ふのはあります。河上才三と云ふて留守居を務めて居つた。其子が貢五郎と云ふて矢張り江戸詰で――先達《せんだつ》て旅順で戰死した浩一の親ぢやて。――あなた浩一の御つき合ひか。夫《それ》は/\。いや氣の毒な事で――母はまだある筈ぢやが……」と一人で辯ずる。
 河上|一家《いつけ》の事を聞く積りなら、態々《わざ/\》麻布|下《くんだ》り迄出張する必要はない。河上を持ち出したのは河上對某との關係が知りたいからである。然し此某なるものゝ姓名が分らんから話しの切り出し樣がない。
 「其河上に就いて何か面白い御話はないでせうか」
 老人は妙な顔をして余を見詰めて居たが、やがて重苦しく口を切つた。
 「河上? 河上にも今御話しする通り何人もある。どの河上の事を御尋ねか」
 「どの河上でも構はんです」
 「面白い事と云ふて、どんな事を?」
 「どんな事でも構ひません。ちと材料が欲しいので」
 「材料? 何になさる」厄介な爺さんだ。
 「ちと取調べたい事がありまして」
 「なある。貢五郎と云ふのは大分《だいぶ》慷慨家《かうがいか》で、維新の時|抔《など》は大分|暴《あ》ばれたものだ――或る時あなた長い刀を提《さ》げてわしの所へ議論に來て、……」
 「いえ、さう云ふ方面でなく。もう少し家庭内に起つた事柄で、面白いと今でも人が記憶して居る樣な事件はないでせうか」老人は黙然《もくねん》と考へて居る。
 「貢五郎といふ人の親はどんな性質でしたらう」
 「才三かな。是は又至つて優しい、――あなたの知つて居らるゝ浩一に生き寫しぢや、よく似て居る」
 「似て居ますか?」と余は思はず大きな聲を出した。
 「あゝ、實によく似て居る。それで其頃は維新には間《ま》もある事で、世の中も穩かであつたのみならず、役が御留守居だから、大分《だいぶ》金を使つて風流《ふうりう》をやつたさうだ」
 「其人の事に就いて何か艶聞《えんぶん》が――艶聞と云ふと妙ですが――ないでせうか」
 「いや才三に就ては憐れな話がある。其頃家中に小野田帶刀《をのだたてはき》と云ふて、二百石取りの侍《さむらひ》が居て、丁度河上と向ひ合つて屋敷を持つて居つた。此|帶刀《たてはき》に一人の娘があつて、それが又藩中第一の美人であつたがな、あなた」
 「成程」うまい段々手懸りが出來る。
 「夫《それ》で兩家は向ふ同志だから、朝夕《あさゆふ》徃來をする。徃來をするうちに其娘が才三に懸想《けさう》をする。何でも才三方へ嫁に行かねば死んでしまふと騷いだのだて――いや女と云ふものは始末に行かぬもので――是非行かして下されと泣くぢや」
 「ふん、それで思ふ通り行きましたか」成蹟は良好だ。
 「で帶刀《たてはき》から人を以て才三の親に懸合《かけあ》ふと、才三も實は大變貰ひたかつたのだから其旨を返事する。結婚の日取り迄極める位に事が捗《はか》どつたて」
 「結構な事で」と申したが是で結婚をしてくれては少々困ると内心ではひや/\して聞いて居る。
 「そこ迄は結構だつたが、――飛んだ故障が出來たぢや」
 「へえゝ」さう來なくつてはと思ふ。
 「其頃|國家老《くにがらう》に矢張り才三位な年恰好なせがれが有つて、此せがれが又|帶刀《たてはき》の娘に戀慕《れんぼ》して、是非貰ひたいと聞き合せて見るともう才三方へ約束が出來たあとだ。いかに家老の勢でも是《これ》許《ばか》りはどうもならん。所が此せがれが幼少の頃から殿樣の御相手をして成長したもので、非常に御上《おかみ》の御氣に入りでの、あなた。――どこをどう運動したものか殿樣の御意《ぎよい》で其方の娘をあれに遣はせと云ふ御意が帶刀《たてはき》に下りたのだて」
 「氣の毒ですな」と云つたが自分の見込が着々|中《あた》るので實に愉快で堪らん。是で見ると朋友の死ぬ樣な凶事でも、自分の豫言が的中するのは嬉しいかも知れない。着物を重ねないと風邪を引くぞと忠告をした時に、忠告をされた當人が吾が言を用ゐないでしかもぴん/\して居ると心持ちが惡《わ》るい。どうか風邪が引かしてやりたくなる。人間は斯樣《かやう》に我儘なものだから、余一人を責めてはいかん。
 「實に氣の毒な事だて、御上《おかみ》の仰せだから内約があるの何のと申し上げても仕方がない。それで帶刀《たてはき》が娘に因果を含めて、とう/\河上方を破談にしたな。兩家が從來の通り向ふ合せでは、何かにつけて妙でないと云ふので、帶刀《たてはき》は國詰になる、河上は江戸に殘ると云ふ取《と》り計《はからひ》をわしのおやぢがやつたのぢや。河上が江戸で金を使つたのも全くそんなこんなで殘念を晴らす爲だらう。それで此事がな、今だから御話しする樣なものゝ、當時はぱつとすると兩家の面目に關はると云ふので、内々にして置いたから、割合に人が知らずに居る」
 「その美人の顔は覺えて御出でゞすか」と余に取つては頗る重大な質問をかけて見た。
 「覺えて居るとも、わしも其頃は若かつたからな。若い者には美人が一番よく眼につく樣だて」と皺《しわ》だらけの顔を皺《しわ》許《ばか》りにしてから/\と笑つた。
 「どんな顔ですか」
 「どんなと云ふて別に形容しやうもない。然し血統と云ふは爭はれんもので、今の小野田の妹がよく似て居る。――御存知はないかな、矢張り大學出だが――工學博士の小野田を」
 「白山の方に居るでせう」ともう大丈夫と思つたから言ひ放つて、老人の氣色《けしき》を伺ふと
 「矢張り御承知か、原町に居る。あの娘もまだ嫁に行かん樣だが。――御屋敷の御姫樣《おひいさま》の御相手に時々來ます」
 占めた/\これ丈《だけ》聞けば充分だ。一から十迄余が鑑定の通りだ。こんな愉快な事はない。寂光院は此小野田の令孃に違ない。自分ながらかく迄機敏な才子とは今迄思はなかつた。余が平生主張する趣味の遺傳〔五字傍点〕と云ふ理論を證據立てるに完全な例が出て來た。ロメオがジユリエツトを一目見る、さうして此女に相違ないと先祖の經驗を數十年の後《のち》に認識する。エレーンがランスロツトに始めて逢ふ、此男だぞと思ひ詰める、矢張り父母未生以前《ふもみしやういぜん》に受けた記憶と情緒《じやうしよ》が、長い時間を隔てゝ腦中に再現する。二十世紀の人間は散文的である。一寸見てすぐ惚れる樣な男女を捕へて輕薄と云ふ、小説だと云ふ、そんな馬鹿があるものかと云ふ。馬鹿でも何でも事實は曲げる譯には行かぬ、逆《さ》かさにする譯にもならん。不思議な現象に逢はぬ前なら兎に角、逢ふた後《のち》にも、そんな事があるものかと冷淡に看過するのは、看過するものゝ方が馬鹿だ。斯樣に學問的に研究的に調べて見れば、ある程度迄は二十世紀を滿足せしむるに足る位の説明はつくのである。とこゝ迄は調子づいて考へて來たが、不圖思ひ付いて見ると少し困る事がある。此老人の話しによると、此男は小野田の令孃も知つて居る、浩《かう》さんの戰死した事も覺えて居る。すると此兩人は同藩の縁故で此屋敷へ平生|出入《しゆつにふ》して互に顔位は見合つて居るかも知れん。ことによると話をした事があるかも分らん。さうすると余の標榜《へうばう》する趣味の遺傳と云ふ新説も其論據が少々薄弱になる。これは兩人が只一度本郷の郵便局で出合つた事にして置かんと不都合だ。浩さんはコ川家へ出入《しゆつにふ》する話をついにした事がないから大丈夫だらう、ことに日記にあゝ書いてあるから間違はない筈だ。然し念の爲め不用心だから尋ねて置かうと心を定めた。
 「さつき浩一の名前を仰やつた樣ですが、浩一は存生中《ぞんじやうちゆう》御屋敷へよく上がりましたか」
 「いゝえ、只名前|丈《だけ》聞いて居る許《ばか》りで、――おやぢは先刻《せんこく》御話をした通り、わしと終夜激論をした位な間柄ぢやが、せがれは五六歳のときに見たぎりで――實は貢五郎が早く死んだものだから、屋敷へ出入《でいり》する機會もそれぎり絶えて仕舞ふて、――其後《そのご》は頓《とん》と逢ふた事がありません」
 さうだらう、さう來なくつては辻褄《つじつま》が合はん。第一余の理論の證明に關係してくる。先づ是なら安心。御蔭樣でと挨拶をして歸りかけると、老人はこんな妙な客は生れて始めてだとでも思つたものか、余を送り出して玄關に立つたまゝ、余が門を出て振り返る迄見送つて居た。
 是からの話は端折《はしよ》つて簡略に述べる。余は前にも斷はつた通り文士ではない。文士なら是からが大《おほい》に腕前を見せる所だが、余は學問讀書を專一にする身分だから、こんな小説めいた事を長々しくかいて居るひまがない。新橋で軍隊の歡迎を見て、其感慨から浩《かう》さんの事を追想して、夫《それ》から寂光院の不思議な現象に逢つて其現象が學問上から考へて相當の説明がつくと云ふ道行きが讀者の心に合點《がてん》出來れば此一篇の主意は濟んだのである。實は書き出す時は、あまりの嬉しさに勢ひ込んで出來る丈《だけ》精密に叙述して來たが、慣れぬ事とて餘計な叙述をしたり、不用な感想を挿入したり、讀み返して見ると自分でも可笑《をか》しいと思ふ位|精《くは》しい。其代りこゝ迄書いて來たらもういやになつた。今迄の筆法で是から先を描寫すると又五六十枚もかゝねばならん。追々學期試驗も近づくし、夫《それ》に例の遺傳説を研究しなくてはならんから、そんな筆を舞はす時日は無論ない。のみならず、元來が寂光院事件の説明が此篇の骨子だから、漸くの事こゝ迄筆が運んで來て、もういゝと安心したら、急にがつかりして書き續ける元氣がなくなつた。
 老人と面會をした後《のち》には事件の順序として小野田と云ふ工學博士に逢はなければならん。是は困難な事でもない。例の同僚からの紹介を持つて行つたら快よく談話をしてくれた。二三度訪問するうちに、何かの機會で博士の妹に逢はせてもらつた。妹は余の推量に違《たが》はず例の寂光院であつた。妹に逢つた時顔でも赤らめるかと思つたら存外淡泊で毫も平生と異《こと》なる樣子のなかつたのは聊《いさゝ》か妙な感じがした。こゝ迄はすら/\事が運んで來たが、只一つ困難なのは、どうして浩《かう》さんの事を言ひ出したものか、其方法である。無論デリケートな問題であるから滅多に聞けるものではない。と云つて聞かなければ何だか物足らない。余一人から云へば既に學問上の好奇心を滿足せしめたる今日《こんにち》、これ以上立ち入つてくだらぬ詮議をする必要を認めて居らん。けれども御母《おつか》さんは女|丈《だけ》に底の底迄知りたいのである。日本は西洋と違つて男女の交際が發達して居らんから、獨身の余と未婚の此妹と對座して話す機會はとてもない。よし有つたとした所で、無暗に切り出せば徒《いたづ》らに處女を赤面させるか、或は知りませぬと跳ね付けられる迄の事である。と云つて兄の居る前では猶更《なほさら》言ひにくい。言ひにくいと申すより言ふを敢てすべからざる事かも知れない。墓參り事件を博士が知つて居るならばだけれど、若し知らんとすれば、余は好んで人の秘事を暴露する不作法を働いた事になる。かうなるといくら遺傳學を振り廻しても埓《らち》はあかん。自《みづか》ら才子だと飛び廻つて得意がつた余も茲《こゝ》に至つて大《おほい》に進退に窮した。とゞのつまり事情を逐一打ち明けて御母《おつか》さんに相談した。所が女は中々智慧がある。
 御母《おつか》さんの仰せには「近頃一人の息子を旅順で亡《な》くして朝、夕|淋《さみ》しがつて暮らして居る女が居る。慰めてやらうと思つても男ではうまく行かんから、おひまな時に御孃さんを時々遊びにやつて上げて下さいとあなたから博士に頼んで見て頂きたい」とある。早速博士方へまかり出て鸚鵡《あうむ》的口吻を弄して旨を傳へると博士は一も二もなく承諾してくれた。これが元で御母《おつか》さんと御孃さんとは時々會見をする。會見をする度に仲がよくなる。一所に散歩をする、御饌《ごぜん》をたべる、丸《まる》で御嫁さんの樣になつた。とう/\御母《おつか》さんが浩《かう》さんの日記を出して見せた。其時に御孃さんが何と云つたかと思つたら、それだから私は御寺參《おてらまゐり》をして居りましたと答へたさうだ。なぜ白菊を御墓へ手向《たむ》けたのかと問ひ返したら、白菊が一番好きだからと云ふ挨拶であつた。
 余は色の黒い將軍を見た。婆さんがぶら下がる軍曹を見た。ワーと云ふ歡迎の聲を聞いた。さうして涙を流した。浩《かう》さんは塹壕《ざんがう》へ飛び込んだきり上《あが》つて來ない。誰も浩さんを迎に出たものはない。天下に浩さんの事を思つて居るものは此|御母《おつか》さんと此御孃さん許《ばか》りであらう。余は此兩人の睦《むつ》まじき樣《さま》を目撃する度に、將軍を見た時よりも、軍曹を見た時よりも、清き涼しき涙を流す。博士は何も知らぬらしい。
  2005.11.19(土)午後2時47分、修正終了。2016.9.22(木)午前10時43分、再校。
 
   坊つちやん
――明治三九、四、一――
 
     一
 
 親讓《おやゆづ》りの無鐵砲《むてつぱう》で小供《こども》の時から損ばかりして居る。小學校に居る時分學校の二階から飛び降りて一週間程腰を拔かした事がある。なぜそんな無闇《むやみ》をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出して居たら、同級生の一人が冗談《じようだん》に、いくら威張《ゐば》つても、そこから飛び降りる事は出來まい。弱蟲やーい。と囃《はや》したからである。小使に負《お》ぶさつて歸つて來た時、おやぢが大きな眼をして二階位から飛び降りて腰を拔かす奴があるかと云つたから、此次は拔かさずに飛んで見せますと答へた。
 親類のものから西洋製のナイフを貰つて奇麗な刃《は》を日に翳《かざ》して、友達に見せて居たら、一人が光る事は光るが切れさうもないと云つた。切れぬ事があるか、何でも切つてみせると受け合つた。そんなら君の指を切つてみろと注文したから、何だ指位此通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸《さいはひ》ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かつたので、今だに親指は手に付いて居る。然し創痕《きずあと》は死ぬ迄消えぬ。
 庭を東へ二十歩に行き盡すと、南上がりに聊《いさゝ》か許《ばか》りの菜園があつて、眞中に栗の木が一本立つて居る。是は命より大事な栗だ。實の熟する時分は起き拔けに背戸《せど》を出て落ちた奴を拾つてきて、學校で食ふ。菜園の西側が山城屋《やましろや》といふ質屋の庭續きで、此質屋に勘太郎《かんたらう》といふ十三四の倅《せがれ》が居た。勘太郎は無論弱蟲である。弱蟲の癖に四《よ》つ目垣《めがき》を乘りこえて、栗を盗みにくる。ある日の夕方|折戸《をりど》の蔭に隱れて、とう/\勘太郎を捕《つら》まへてやつた。其時勘太郎は逃げ路を失つて、一生懸命に飛びかゝつてきた。向ふは二つ許《ばか》り年上である。弱蟲だが力は強い。鉢の開いた頭を、こつちの胸へ宛てゝぐい/\押した拍子に、勘太郎の頭がすべつて、おれの袷《あはせ》の袖の中に這入つた。邪魔になつて手が使へぬから、無暗に手を振つたら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐら/\靡《なび》いた。仕舞に苦しがつて袖の中から、おれの二の腕へ食ひ付いた。痛かつたから勘太郎を垣根へ押しつけて置いて、足搦《あしがら》をかけて向《むかふ》へ倒してやつた。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分崩して、自分の領分へ眞逆樣《まつさかさま》に落ちて、ぐうと云つた。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になつた。其晩母が山城屋に詫《わ》びに行つた序《つい》でに袷《あはせ》の片袖も取り返して來た。
 此外いたづらは大分《だいぶ》やつた。大工の兼公《かねこう》と肴屋《さかなや》の角《かく》をつれて、茂作《もさく》の人參畠《にんじんばたけ》をあらした事がある。人參の芽が出揃はぬ處へ藁《わら》が一面に敷いてあつたから、其上で三人が半日|相撲《すまふ》をとりつゞけに取つたら、人參がみんな踏みつぶされて仕舞つた。古川の持つて居る田圃《たんぼ》の井戸を埋《う》めて尻を持ち込まれた事もある。太い孟宗《まうそう》の節《ふし》を拔いて、深く埋《う》めた中から水が湧き出て、そこいらの稻に水がかゝる仕掛であつた。其時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ちぎれをぎう/\井戸の中へ挿し込んで、水が出なくなつたのを見屆けて、うちへ歸つて飯を食つて居たら、古川が眞赤《まつか》になつて怒鳴《どな》り込んで來た。慥《たし》か罸金《ばつきん》を出して濟んだ樣である。
 おやぢは些《ちつ》ともおれを可愛がつて呉れなかつた。母は兄|許《ばか》り贔屓《ひいき》にして居た。此兄はやに色が白くつて、芝居の眞似をして女形《をんながた》になるのが好きだつた。おれを見る度にこいつはどうせ碌《ろく》なものにはならないと、おやぢが云つた。亂暴で亂暴で行く先が案じられると母が云つた。成程|碌《ろく》なものにはならない。御覽の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はない。只|懲役《ちようえき》に行かないで生きて居る許《ばか》りである。
 母が病氣で死ぬ二三日前《にさんちまへ》臺所で宙返りをしてへつついの角で肋骨《あばらぼね》を撲《う》つて大《おほい》に痛かつた。母が大層|怒《おこ》つて、御前の樣なものゝ顔は見たくないと云ふから、親類へ泊りに行つて居た。するととう/\死んだと云ふ報知《しらせ》が來た。さう早く死ぬとは思はなかつた。そんな大病なら、もう少し大人《おとな》しくすればよかつたと思つて歸つて來た。さうしたら例の兄がおれを親不孝だ、おれの爲めに、おつかさんが早く死んだんだと云つた。口惜《くや》しかつたから、兄の横《よこ》つ面《つら》を張つて大變叱られた。
 母が死んでからは、おやぢと兄と三人で暮して居た。おやぢは何にもせぬ男で、人の顔さへ見れば貴樣は駄目だ/\と口癖の樣に云つて居た。何が駄目なんだか今に分らない。妙なおやぢが有つたもんだ。兄は實業家になるとか云つて頻りに英語を勉強して居た。元來女の樣な性分で、ずるいから、仲がよくなかつた。十日《とをか》に一遍位の割で喧嘩をして居た。ある時|將棋《しやうぎ》をさしたら卑怯な待駒《まちごま》をして、人が困ると嬉しさうに冷やかした。あんまり腹が立つたから、手に在つた飛車《ひしや》を眉間《みけん》へ擲《たゝ》きつけてやつた。眉間《みけん》が割れて少々血が出た。兄がおやぢに言付《いつ》けた。おやぢがおれを勘當《かんだう》すると言ひ出した。
 其時はもう仕方がないと觀念して先方の云ふ通り勘當《かんだう》される積りで居たら、十年來召し使つて居る清《きよ》と云ふ下女が、泣きながらおやぢに詫《あや》まつて、漸くおやぢの怒《いか》りが解けた。それにも關《かゝは》らずあまりおやぢを怖《こは》いとは思はなかつた。却つて此清と云ふ下女に氣の毒であつた。此下女はもと由緒《ゆゐしよ》のあるものだつたさうだが、瓦解《ぐわかい》のときに零落《れいらく》して、つい奉公迄する樣になつたのだと聞いて居る。だから婆さんである。此婆さんがどう云ふ因縁か、おれを非常に可愛がつて呉れた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想《あいそ》をつかした――おやぢも年中《ねんぢゆう》持て餘して居る――町内では亂暴者の惡太郎と爪彈《つまはじ》きをする――此おれを無暗に珍重して呉れた。おれは到底人に好かれる性《たち》でないとあきらめて居たから、他人から木《き》の端《はし》の樣に取り扱はれるのは何とも思はない、却つて此清の樣にちやほやして呉れるのを不審に考へた。清は時々臺所で人の居ない時に「あなたは眞つ直でよい御氣性だ」と賞める事が時々あつた。然しおれには清の云ふ意味が分からなかつた。好い氣性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだらうと思つた。清がこんな事を云ふ度におれは御世辭は嫌《きらひ》だと答へるのが常であつた。すると婆さんは夫《それ》だから好い御氣性ですと云つては、嬉しさうにおれの顔を眺めて居る。自分の力でおれを製造して誇つてる樣に見える。少々氣味がわるかつた。
 母が死んでから清は愈《いよ/\》おれを可愛がつた。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思つた。つまらない、廢《よ》せばいゝのにと思つた。氣の毒だと思つた。夫《それ》でも清は可愛がる。折々は自分の小遣で金鍔《きんつば》や紅梅燒《こうばいやき》を買つてくれる。寒い夜などはひそかに蕎麥粉《そばこ》を仕入れて置いて、いつの間《ま》にか寐て居る枕元へ蕎麥湯《そばゆ》を持つて來てくれる。時には鍋燒饂飩《なべやきうどん》さへ買つて呉れた。只食ひ物|許《ばか》りではない。靴足袋ももらつた。鉛筆も貰つた、帳面も貰つた。是はずつと後《あと》の事であるが金を三圓|許《ばか》り貸してくれた事さへある。何も貸せと云つた譯ではない。向《むかふ》で部屋へ持つて來て御小遣がなくて御困りでせう、御使ひなさいと云つて呉れたんだ。おれは無論入らないと云つたが、是非使へと云ふから、借りて置いた。實は大變嬉しかつた。其三圓を蝦蟇口《がまぐち》へ入れて、懷《ふところ》へ入れたなり便所へ行つたら、すぽりと後架《こうか》の中へ落して仕舞つた。仕方がないから、のそ/\出てきて實は是々だと清に話した所が、清は早速竹の棒を捜《さが》して來て、取つて上げますと云つた。しばらくすると井戸端でざあ/\音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口《がまぐち》の紐を引き懸けたのを水で洗つて居た。夫《それ》から口をあけて壱圓札を改めたら茶色になつて模樣が消えかゝつて居た。清は火鉢で乾かして、是でいゝでせうと出した。一寸かいでみて臭いやと云つたら、それぢや御出しなさい、取り換へて來て上げますからと、どこでどう胡魔化《ごまか》したか札《さつ》の代りに銀貨を三圓持つて來た。此三圓は何に使つたか忘れて仕舞つた。今に返すよと云つたぎり、返さない。今となつては十倍にして返してやりたくても返せない。
 清が物を呉れる時には必ずおやぢも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌《きらひ》だと云つて人に隱れて自分|丈《だけ》得をする程|嫌《きらひ》な事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隱して清から菓子や色鉛筆を貰ひたくはない。なぜ、おれ一人に呉れて、兄さんには遣らないのかと清に聞く事がある。すると清は澄《すま》したもので御兄樣《おあにいさま》は御父樣が買つて御上げなさるから構ひませんと云ふ。是は不公平である。おやぢは頑固《ぐわんこ》だけれども、そんな依怙贔負《えこひいき》はせぬ男だ。然し清の眼から見るとさう見えるのだらう。全く愛に溺《おぼ》れて居たに違ない。元は身分のあるものでもヘ育のない婆さんだから仕方がない。單に是《これ》許《ばか》りではない。贔負目《ひいきめ》は恐ろしいものだ。清はおれを以て將來立身出世して立派なものになると思ひ込んで居た。其癖勉強をする兄は色|許《ばか》り白くつて、迚《とて》も役には立たないと一人できめて仕舞つた。こんな婆さんに逢つては叶《かな》はない。自分の好きなものは必ずえらい人物になつて、嫌《きらひ》なひとは屹度《きつと》落《お》ち振《ぶ》れるものと信じて居る。おれは其時から別段何になると云ふ了見もなかつた。然し清がなる/\と云ふものだから、矢つ張り何かに成れるんだらうと思つて居た。今から考へると馬鹿々々しい。ある時|抔《など》は清にどんなものになるだらうと聞いてみた事がある。所が清にも別段の考もなかつた樣だ。只|手車《てぐるま》へ乘つて、立派な玄關のある家をこしらへるに相違ないと云つた。
 夫《それ》から清はおれがうちでも持つて獨立したら、一所になる氣で居た。どうか置いて下さいと何遍も繰り返して頼んだ。おれも何だかうちが持てる樣な氣がして、うん置いてやると返事|丈《だけ》はして置いた。所が此女は中々想像の強い女で、あなたはどこが御好き、麹町《かうぢまち》ですか麻布《あざぶ》ですか、御庭へぶらんこを御こしらへ遊ばせ、西洋間は一つで澤山です抔《など》と勝手な計畫を獨りで並《なら》べて居た。其時は家なんか欲しくも何ともなかつた。西洋館も日本建も全く不用であつたから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答へた。すると、あなたは慾がすくなくつて、心が奇麗だと云つて又|賞《ほ》めた。清は何と云つても賞めてくれる。
 母が死んでから五六年の間は此?態で暮して居た。おやぢには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰ふ、時々賞められる。別に望もない、是で澤山だと思つて居た。ほかの小供も一概にこんなものだらうと思つて居た。只清が何かにつけて、あなたは御可哀想《おかはいさう》だ、不仕合《ふしあはせ》だと無暗に云ふものだから、それぢや可哀想で不仕合せなんだらうと思つた。其外に苦になる事は少しもなかつた。只おやぢが小遣いを呉れないには閉口した。
 母が死んでから六年目の正月におやぢも卒中《そつちゆう》で亡《な》くなつた。其年の四月におれはある私立の中學校を卒業する。六月に兄は商業學校を卒業した。兄は何とか會社の九州の支店に口があつて行かなければならん。おれは東京でまだ學問をしなければならない。兄は家を賣つて財産を片付けて任地へ出立すると云ひ出した。おれはどうでもするが宜《よ》からうと返事をした。どうせ兄の厄介《やつかい》になる氣はない。世話をしてくれるにした所で、喧嘩をするから、向《むかふ》でも何とか云ひ出すに極つて居る。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食つてられると覺悟をした。兄は夫《それ》から道具屋を呼んで來て、先祖代々の瓦落多《がらくた》を二束三文《にそくさんもん》に賣つた。家屋敷はある人の周旋である金滿家に讓つた。此方は大分《だいぶ》金になつた樣だが、詳しい事は一向《いつかう》知らぬ。おれは一ケ月以前から、しばらく前途の方向のつく迄神田の小川町へ下宿して居た。清は十何年居たうちが人手に渡るのを大《おほい》に殘念がつたが、自分のものでないから、仕樣《しやう》がなかつた。あなたがもう少し年をとつて入らつしやれば、こゝが御相續が出來ますものをとしきりに口説《くど》いて居た。もう少し年をとつて相續が出來るものなら、今でも相續が出來る筈だ。婆さんは何《なんに》も知らないから年さへ取れば兄の家がもらへると信じて居る。
 兄とおれは斯樣《かやう》に分れたが、困つたのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も兄の尻にくつ付いて九州|下《くんだ》り迄出掛ける氣は毛頭なし、と云つて此時のおれは四疊半の安下宿に籠《こも》つて、夫《それ》すらもいざとなれば直ちに引き拂はねばならぬ始末だ。どうする事も出來ん。清に聞いて見た。どこかへ奉公でもする氣かねと云つたらあなたが御うちを持つて、奧さまを御貰ひになる迄は、仕方がないから、甥《をひ》の厄介になりませうと漸く決心した返事をした。此|甥《をひ》は裁判所の書記で先づ今日《こんにち》には差支なく暮して居たから、今迄も清に來るなら來いと二三度勸めたのだが、清は假令《たとひ》下女奉公はしても年來住み馴れた家《うち》の方がいゝと云つて應じなかつた。然し今の場合知らぬ屋敷へ奉公易《ほうこうがへ》をして入らぬ氣兼を仕直すより、甥《をひ》の厄介になる方がましだと思つたのだらう。夫《それ》にしても早くうちを持ての、妻《さい》を貰への、來て世話をするのと云ふ。親身《しんみ》の甥《をひ》よりも他人のおれの方が好きなのだらう。
 九州へ立つ二日前兄が下宿へ來て金を六百圓出して是を資本にして商買をするなり、學資にして勉強をするなり、どうでも隨意に使ふがいゝ、其代りあとは構はないと云つた。兄にしては感心なやり方だ、何の六百圓位貰はんでも困りはせんと思つたが、例に似ぬ淡泊《たんばく》な處置が氣に入つたから、禮を云つて貰つて置いた。兄は夫《それ》から五十圓出して之を序《ついで》に清に渡してくれと云つたから、異議なく引き受けた。二日立つて新橋の停車場で分れたぎり兄には其後一遍も逢はない。
 おれは六百圓の使用法に就て寐ながら考へた。商買をしたつて面倒くさくつて旨く出來るものぢやなし、ことに六百圓の金で商買らしい商買がやれる譯でもなからう。よしやれるとしても、今の樣ぢや人の前へ出てヘ育を受けたと威張れないから詰り損になる許《ばか》りだ。資本|抔《など》はどうでもいゝから、これを學資にして勉強してやらう。六百圓を三に割つて一年に二百圓|宛《づゝ》使へば三年間は勉強が出來る。三年間一生懸命にやれば何か出來る。夫《それ》からどこの學校へは這入らうと考へたが、學問は生來《しやうらい》どれもこれも好きでない。ことに語學とか文學とか云ふものは眞平《まつぴら》御免だ。新體詩などゝ來ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌《きらひ》なものなら何をやつても同じ事だと思つたが、幸ひ物理學校の前を通り掛つたら生徒募集の廣告が出て居たから、何も縁だと思つて規則書をもらつてすぐ入學の手續をして仕舞つた。今考へると是も親讓りの無鐵砲から起つた失策だ。
 三年間まあ人並に勉強はしたが別段たちのいゝ方でもないから、席順はいつでも下から勘定する方が便利であつた。然し不思議なもので、三年立つたらとう/\卒業して仕舞つた。自分でも可笑《をか》しいと思つたが苦情を云ふ譯もないから大人《おとな》しく卒業して置いた。
 卒業してから八日目に校長が呼びに來たから、何か用だらうと思つて、出掛けて行つたら、四國邊のある中學校で數學のヘ師が入る。月給は四十圓だが、行つてはどうだといふ相談である。おれは三年間學問はしたが實を云ふとヘ師になる氣も、田舍へ行く考へも何もなかつた。尤もヘ師以外に何をしやうと云ふあてもなかつたから、此相談を受けた時、行きませうと即席に返事をした。是も親讓りの無鐵砲が祟《たゝ》つたのである。
 引き受けた以上は赴任《ふにん》せねばならぬ。此三年間は四疊半に蟄居《ちつきよ》して小言《こごと》は只の一度も聞いた事がない。喧嘩もせずに濟んだ。おれの生涯のうちでは比較的|呑氣《のんき》な時節であつた。然しかうなると四疊半も引き拂はなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級生と一所に鎌倉へ遠足した時|許《ばか》りである。今度は鎌倉|所《どころ》ではない。大變な遠くへ行かねばならぬ。地圖で見ると海濱で針の先程小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。只行く許《ばかり》である。尤も少々面倒臭い。
 家を疊んでからも清の所へは折々行つた。清の甥といふのは存外結構な人である。おれが行くたびに、居りさへすれば、何くれと款待《もて》なして呉れた。清はおれを前へ置いて、色々おれの自慢を甥に聞かせた。今に學校を卒業すると麹町邊《かうぢまちへん》へ屋敷を買つて役所へ通ふのだ抔《など》と吹聽《ふいちやう》した事もある。獨りで極めて一人で喋舌《しやべ》るから、こつちは困まつて顔を赤くした。夫《それ》も一度や二度ではない。折々おれが小さい時寐小便をした事迄持ち出すには閉口した。甥は何と思つて清の自慢を聞いて居たか分らぬ。只清は昔風の女だから、自分とおれの關係を封建時代の主從《しゆうじゆう》の樣に考へて居た。自分の主人なら甥の爲にも主人に相違ないと合點したものらしい。甥こそいゝ面《つら》の皮だ。
 愈《いよ/\》約束が極まつて、もう立つと云ふ三日前に清を尋ねたら、北向の三疊に風邪を引いて寐て居た。おれの來たのを見て起き直るが早いか、坊つちやん何時《いつ》家《うち》を御持ちなさいますと聞いた。卒業さへすれば金が自然とポツケツトの中に湧いて來ると思つて居る。そんなにえらい人をつらまえて、まだ坊つちやんと呼ぶのは愈《いよ/\》馬鹿氣て居る。おれは單簡《たんかん》に當分うちは持たない。田舍へ行くんだと云つたら、非常に失望した容子で、胡麻塩《ごましほ》の鬢《びん》の亂れを頻りに撫《な》でた。餘り氣の毒だから「行く事は行くがぢき歸る。來年の夏休には屹度《きつと》歸る」と慰めてやつた。夫《それ》でも妙な顔をして居るから「何を見やげに買つて來てやらう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後《ゑちご》の笹飴《さゝあめ》が食べたい」と云つた。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違ふ。「おれの行く田舍には笹飴はなさゝうだ」と云つて聞かしたら「そんなら、どつちの見當です」と聞き返した。「西の方だよ」と云ふと「箱根のさきですか手前ですか」と問ふ。隨分持てあました。
 出立の日には朝から來て、色々世話をやいた。來る途中小間物屋で買つて來た齒磨と楊子と手拭をズツクの革鞄《かばん》に入れて呉れた。そんな物は入らないと云つても中々承知しない。車を並《なら》べて停車場へ着いて、プラツトフォームの上へ出た時、車へ乘り込んだおれの顔を昵《ぢつ》と見て「もう御別れになるかも知れません。隨分御機嫌やう」と小さな聲で云つた。目に涙が一杯たまつて居る。おれは泣かなかつた。然しもう少しで泣く所であつた。汽車が餘つ程動き出してから、もう大丈夫だらうと思つて、窓から首を出して、振り向いたら、やつぱり立つて居た。何だか大變小さく見えた。
 
     二
 
 ぶうと云つて汽船がとまると、艀《はしけ》が岸を離れて、漕《こ》ぎ寄せて來た。船頭は眞つ裸に赤ふんどしをしめて居る。野蛮な所だ。尤も此熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見詰めていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはこゝへ降りるのださうだ。見る所では大森位な漁村だ。人を馬鹿にしてゐらあ、こんな所に我慢が出來るものかと思つたが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。續《つ》づいて五六人は乘つたらう。外《ほか》に大きな箱を四つ許《ばかり》積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して來た。陸《をか》へ着いた時も、いの一番に飛び上がつて、いきなり、磯に立つて居た鼻たれ小僧をつらまへて中學校はどこだと聞いた。小僧は茫《ぼん》やりして、知らんがの、と云つた。氣の利かぬ田舍ものだ。猫の額程な町内の癖に、中學校のありかも知らぬ奴があるものか。所へ妙な筒《つゝ》つぽうを着た男がきて、こつちへ來いと云ふから、尾《つ》いて行つたら、港屋とか云ふ宿屋へ連れて來た。やな女が聲を揃へて御上がりなさいと云ふので、上がるのがいやになつた。門口《かどぐち》へ立つたなり中學校をヘへろと云つたら、中學校は是から汽車で二里|許《ばか》り行かなくつちやいけないと聞いて、猶《なほ》上がるのがいやになつた。おれは、筒《つゝ》つぽうを着た男から、おれの革鞄《かばん》を二つ引きたくつて、のそ/\あるき出した。宿屋のものは變な顔をして居た。
 停車場はすぐ知れた。切符も譯なく買つた。乘り込んでみるとマツチ箱の樣な汽車だ。ごろ/\と五分|許《ばか》り動いたと思つたら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思つた。たつた三錢である。夫《それ》から車を傭《やと》つて、中學校へ來たら、もう放課後で誰も居ない。宿直は一寸|用達《ようたし》に出たと小使がヘへた。隨分氣樂な宿直がゐるものだ。校長でも尋ね樣《やう》かと思つたが、草臥《くたび》れたから、車に乘つて宿屋へ連れて行けと車夫に云ひ付けた。車夫は威勢よく山城屋《やましろや》と云ふうちへ横付にした。山城屋とは質屋の勘太郎の屋號と同じだから一寸面白く思つた。
 何だか二階の楷子段の下の暗い部屋へ案内した。熱くつて居られやしない。こんな部屋はいやだと云つたら生憎《あいにく》みんな塞がつて居りますからと云ひながら革鞄《かばん》を抛《はふ》り出した儘《まゝ》出て行つた。仕方がないから部屋の中へ這入つて汗をかいて我慢して居た。やがて湯に入《はい》れと云ふから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がつた。歸りがけに覗いてみると涼しさうな部屋が澤山|空《あ》いてゐる。失敬な奴だ。嘘をつきやあがつた。それから下女が膳を持つて來た。部屋は熱《あ》つかつたが、飯は下宿のよりも大分《だいぶ》旨かつた。給仕をしながら下女がどちらから御出《おいで》になりましたと聞くから、東京から來たと答へた。すると東京はよい所で御座いませうと云つたから當り前だと答へてやつた。膳を下げた下女が臺所へ行つた時分、大きな笑ひ聲が聞えた。くだらないから、すぐ寐たが、中々寐られない。熱い許《ばか》りではない。騷々しい。下宿の五倍位|八釜《やかま》しい。うと/\したら清の夢を見た。清が越後の笹飴を笹ぐるみ、むしや/\食つて居る。笹は毒だから、よしたらよからうと云ふと、いえ此笹が御藥で御座いますと云つて旨さうに食つて居る。おれがあきれ返つて大きな口を開《あ》いてハヽヽヽと笑つたら眼が覺めた。下女が雨戸を明けてゐる。相變らず空の底が突き拔けた樣な天氣だ。
 道中《だうちゆう》をしたら茶代をやるものだと聞いて居た。茶代をやらないと粗末に取り扱はれると聞いて居た。こんな、狹くて暗い部屋へ押し込めるのも茶代をやらない所爲《せゐ》だらう。見すぼらしい服裝《なり》をして、ズツクの革鞄《かばん》と毛繻子《けじゆす》の蝙蝠傘《かうもり》を提げてるからだらう。田舍者の癖に人を見括《みくび》つたな。一番茶代をやつて驚かしてやらう。おれは是でも學資の餘りを三十圓程|懷《ふところ》に入れて東京を出て來たのだ。汽車と汽船の切符代と雜費を差し引いて、まだ十四圓程ある。みんなやつたつて是からは月給を貰ふんだから構はない。田舍者はしみつたれだから五圓もやれば驚ろいて眼を廻すに極つて居る。どうするか見ろと濟《すま》して顔を洗つて、部屋へ歸つて待つてると、夕《ゆう》べの下女が膳を持つて來た。盆を持つて給仕をしながら、やににや/\笑つてる。失敬な奴だ。顔のなかを御祭りでも通りやしまいし。是でも此下女の面《つら》より餘つ程上等だ。飯を濟ましてからにしやうと思つて居たが、癪に障つたから、中途で五圓札を一枚出して、あとで是を帳場へ持つて行けと云つたら、下女は變な顔をして居た。夫《それ》から飯を濟ましてすぐ學校へ出懸けた。靴は磨いてなかつた。
 學校は昨日《きのふ》車で乘りつけたから、大概の見當は分つて居る。四《よ》つ角《かど》を二三度曲がつたらすぐ門の前へ出た。門から玄關迄は御影石《みかげいし》で敷きつめてある。きのふ此敷石の上を車でがら/\と通つた時は、無暗に仰山な音がするので少し弱つた。途中から小倉の制服を着た生徒にたくさん逢つたが、みんな此門を這入つて行く。中にはおれより脊《せい》が高くつて強さうなのが居る。あんな奴をヘへるのかと思つたら何だか氣味が惡るくなつた。名刺を出したら校長室へ通した。校長は薄髯《うすひげ》のある、色の黒い、目の大きな狸《たぬき》の樣な男である。やに勿體ぶつて居た。まあ精出して勉強してくれと云つて、恭《うや/\》しく大きな印の捺《おさ》つた、辭令を渡した。此辭令は東京へ歸るとき丸めて海の中へ抛《はふ》り込んで仕舞つた。校長は今に職員に紹介《せうかい》してやるから、一々其人に此辭令を見せるんだと言つて聞かした。餘計な手數だ。そんな面倒な事をするより此辭令を三日間ヘ員室へ張り付ける方がましだ。
 ヘ員が控所へ揃ふには一時間目の喇叭《らつぱ》が鳴らなくてはならぬ。大分《だいぶ》時間がある。校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話す積《つもり》だが、先づ大體の事を呑み込んで置いて貰はうと云つて、夫《それ》からヘ育の精神について長い御談義《おだんぎ》を聞かした。おれは無論いゝ加減に聞いて居たが、途中から是は飛んだ所へ來たと思つた。校長の云ふ樣にはとても出來ない。おれ見た樣な無鐵砲なものをつらまへて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくては行《い》かんの、學問以外に個人のコ化を及ぼさなくてはヘ育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十圓で遙々《はる/\》こんな田舍へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩の一つぐらいは誰でもするだらうと思つてたが、此樣子ぢやめつたに口も聞《き》けない、散歩も出來ない。そんな六《む》づかしい役なら雇ふ前にこれ/\だと話すがいゝ。おれは嘘《うそ》をつくのが嫌《きらひ》だから、仕方がない、だまされて來たのだとあきらめて、思ひ切りよく、こゝで斷はつて歸つちまはうと思つた。宿屋へ五圓やつたから財布の中には九圓なにがししかない。九圓ぢや東京迄は歸れない。茶代なんかやらなければよかつた。惜しい事をした。然し九圓だつて、どうかならない事はない。旅費は足りなくつても嘘をつくよりましだと思つて、到底あなたの仰《おつし》やる通りにや、出來ません、此辭令は返しますと云つたら、校長は狸《たぬき》の樣な眼をぱちつかせておれの顔を見て居た。やがて、今のは只希望である、あなたが希望通り出來ないのはよく知つて居るから心配しなくつてもいゝと云ひながら笑つた。その位よく知つてるなら、始めから威嚇《おどさ》さなければいゝのに。
 さう、かうする内に喇叭《らつぱ》が鳴つた。ヘ場の方が急にがや/\する。もうヘ員も控所へ揃ひましたらうと云ふから、校長に尾《つ》いてヘ員控所へ這入つた。廣い細長い部屋の周圍に机を並べてみんな腰をかけて居る。おれが這入つたのを見て、みんな申し合せた樣におれの顔を見た。見世物《みせもの》ぢやあるまいし。夫《それ》から申し付けられた通り一人々々の前へ行つて辭令を出して挨拶をした。大概は椅子を離れて腰をかゞめる許《ばか》りであつたが、念の入つたのは差し出した辭令を受け取つて一應拝見をして夫《それ》を恭《うや/\》しく返却した。丸《まる》で宮芝居《みやしばゐ》の眞似だ。十五人目に體操のヘ師へと廻つて來た時には、同じ事を何返もやるので少々ぢれつたくなつた。向《むかふ》は一度で濟む。こつちは同じ所作を十五返繰り返して居る。少しはひとの了見も察してみるがいゝ。
 挨拶をしたうちにヘ頭のなにがしと云ふのが居た。是は文學士ださうだ。文學士と云へば大學の卒業生だからえらい人なんだらう。妙に女の樣な優しい聲を出す人だつた。尤も驚いたのは此暑いのにフランネルの襯衣《しやつ》を着て居る。いくらか薄い地には相違なくつても暑いには極つてる。文學士|丈《だけ》に御苦勞千萬な服裝《なり》をしたもんだ。しかも夫《それ》が赤シヤツだから人を馬鹿にしてゐる。あとから聞いたら此男は年が年中赤シヤツを着るんださうだ。妙な病氣があつた者だ。當人の説明では赤は身體に藥になるから、衛生の爲めにわざ/\誂らへるんださうだが、入らざる心配だ。そんなら序《ついで》に着物も袴も赤にすればいゝ。夫《それ》から英語のヘ師に古賀《こが》とか云ふ大變顔色の惡《わ》るい男が居た。大概顔の蒼い人は瘠せてるもんだが此男は蒼くふくれて居る。昔《むか》し小學校へ行く時分、淺井《あさゐ》の民《たみ》さんと云ふ子が同級生にあつたが、此淺井のおやぢが矢張り、こんな色つやだつた。淺井は百姓だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いて見たら、さうぢやありません、あの人はうらなりの唐茄子《たうなす》許《ばか》り食べるから、蒼くふくれるんですとヘへて呉れた。それ以來蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食つた酬《むくい》だと思ふ。此の英語のヘ師もうらなり許《ばか》り食つてるに違ない。尤もうらなりとは何《なん》の事か今以て知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑つて答へなかつた。大方《おほかた》清も知らないんだらう。夫《それ》からおれと同じ數學のヘ師に堀田《ほつた》といふのが居た。是は逞《たくま》しい毬栗坊主《いがぐりばうず》で、叡山《えいざん》の惡僧と云ふべき面構《つらがまへ》である。人が叮嚀に辭令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、些《ち》と遊びに來給へアハヽヽと云つた。何がアハヽヽだ。そんな禮儀を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれは此時から此坊主に山嵐《やまあらし》といふ渾名《あだな》をつけてやつた。漢學の先生は流石に堅いものだ。昨日《さくじつ》御着《おつき》で、嘸《さぞ》御疲れで、夫《それ》でもう授業を御始めで、大分《だいぶ》御勵精で、――とのべつに辯じたのは愛嬌のある御爺さんだ。畫學のヘ師は全く藝人風だ。べら/\した透綾《すきや》の羽織を着て、扇子をぱちつかせて、御國はどちらでげす、え? 東京? 夫《そ》りや嬉しい、御仲間が出來て……私《わたし》もこれで江戸つ子ですと云つた。こんなのが江戸つ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考へた。其ほか一人々々に就てこんな事を書けばいくらでもある。然し際限がないからやめる。
 挨拶が一通り濟んだら、校長が今日はもう引き取つてもいゝ、尤も授業上の事は數學の主任と打ち合せをして置いて、明後日《みやうごにち》から課業を始めてくれと云つた。數學の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であつた。忌々《いま/\》しい、こいつの下に働くのかおや/\と失望した。山嵐は「おい君どこに宿《とま》つてるか、山城屋か、うん、今に行つて相談する」と云ひ殘して白墨を持つてヘ場へ出て行つた。主任の癖に向《むかふ》から來て相談するなんて不見識な男だ。然し呼び付けるよりは感心だ。
 夫《それ》から學校の門を出て、すぐ宿へ歸らうと思つたが、歸つたつて仕方がないから、少し町を散歩してやらうと思つて、無暗に足の向く方をあるき散らした。縣廳も見た。古い前世紀の建築である。兵營も見た。麻布の聯隊より立派でない。大通りも見た。神樂坂《かぐらざか》を半分に狹くした位な道幅で町並《まちなみ》はあれより落ちる。廿五萬石の城下《じやうか》だつて高の知れたものだ。こんな所に住んで御城下だ抔《など》と威張つてる人間は可哀想なものだと考へながらくると、いつしか山城屋の前に出た。廣い樣でも狹いものだ。是で大抵は見盡したのだらう。歸つて飯でも食はうと門口《かどぐち》を這入つた。帳場に坐つて居たかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきて御歸り……と板の間へ頭をつけた。靴を脱いで上がると、御座敷があきましたからと下女が二階へ案内をした。十五疊の表二階で大きな床の間がついて居る。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へ這入つた事はない。此《この》後《のち》いつ這入れるか分らないから、洋服を脱いで浴衣《ゆかた》一枚になつて座敷の眞中へ大の字に寐て見た。いゝ心持ちである。
 晝飯を食つてから早速清へ手紙をかいてやつた。おれは文章がまづい上に字を知らないから手紙を書くのが大嫌だ。又やる所もない。然し清は心配して居るだらう。難船して死にやしないか抔《など》と思つちや困るから、奮發して長いのを書いてやつた。其文句はかうである。
 「きのふ着いた。つまらん所だ。十五疊の座敷に寐て居る。宿屋へ茶代を五圓やつた。かみさんが頭を板の間《ま》へすりつけた。夕《ゆう》べは寐られなかつた。清が笹飴を笹ごと食ふ夢を見た。來年の夏は歸る。今日《けふ》學校へ行つてみんなにあだなをつけてやつた。校長は狸、ヘ頭は赤シヤツ、英語のヘ師はうらなり、數學は山嵐、畫學はのだいこ。今に色々な事を書いてやる。左樣なら」
 手紙をかいて仕舞つたら、いゝ心持ちになつて眠氣《ねむけ》がさしたから、最前《さいぜん》の樣に座敷の眞中へのび/\と大の字に寐た。今度は夢も何も見ないでぐつすり寐た。この部屋かいと大きな聲がするので目が覺めたら、山嵐が這入つて來た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼狽した。受持ちを聞いてみると別段|六《む》づかしい事もなさゝうだから承知した。此位の事なら、明後日《あさつて》は愚《おろか》、明日《あした》から始めろと云つたつて驚ろかない。授業上の打ち合せが濟んだら、君はいつ迄こんな宿屋に居る積りでもあるまい、僕がいゝ下宿を周旋してやるから移り玉へ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出來る。早い方がいゝから、今日見て、あす移つて、あさつてから學校へ行けば極りがいゝと一人で呑み込んで居る。成程十五疊敷にいつ迄居る譯にも行くまい。月給をみんな宿料《しゆくれう》に拂つても追《お》つつかないかもしれぬ。五圓の茶代を奮發してすぐ移るのはちと殘念だが、どうせ移る者《もの》なら、早く引き越して落ち付く方が便利だから、そこの所はよろしく山嵐に頼む事にした。すると山嵐は兎も角も一所に來てみろと云ふから、行つた。町はづれの岡の中腹にある家で至極閑靜だ。主人は骨董を賣買するいか銀と云ふ男で、女房は亭主よりも四つ許《ばか》り年嵩《としかさ》の女だ。中學校に居た時ヰツチと云ふ言葉を習つた事があるが此女房はまさにヰツチに似て居る。ヰツチだつて人の女房だから構はない。とう/\明日《あした》から引き移る事にした。歸りに山嵐は通町《とほりちやう》で氷水を一杯奢つた。學校で逢つた時はやに横風《わうふう》な失敬な奴だと思つたが、こんなに色々世話をしてくれる所を見ると、わるい男でもなさゝうだ。只おれと同じ樣にせつかちで肝癪持《かんしやくもち》らしい。あとで聞いたら此男が一番生徒に人望があるのださうだ。
 
     三
 
 愈《いよ/\》學校へ出た。初めてヘ場へ這入つて高い所へ乘つた時は、何だか變だつた。講釋をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思つた。生徒は八釜《やかま》しい。時々圖拔けた大きな聲で先生と云ふ。先生には應へた。今迄物理學校で毎日先生々々と呼びつけて居たが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥《うんでい》の差だ。何だか足の裏がむづ/\する。おれは卑怯な人間ではない。臆病な男でもないが、惜しい事に膽力が缺けて居る。先生と大きな聲をされると、腹の減つた時に丸の内で午砲《どん》を聞いた樣な氣がする。最初の一時間は何だかいゝ加減にやつて仕舞つた。然し別段困つた質問も掛けられずに濟んだ。控所へ歸つて來たら、山嵐がどうだいと聞いた。うんと單簡《たんかん》に返事をしたら山嵐は安心したらしかつた。
 二時間目に白墨を持つて控所を出た時には何だか敵地へ乘り込む樣な氣がした。ヘ場へ出ると今度の組は前より大きな奴ばかりである。おれは江戸つ子で華奢《きやしや》に小作りに出來て居るから、どうも高い所へ上がつても押しが利かない。喧嘩なら相撲取《すまふとり》とでもやつて見せるが、こんな大僧《おほぞう》を四十人も前へ並べて、只一枚の舌をたゝいて恐縮させる手際はない。然しこんな田舍者に弱身を見せると癖になると思つたから、成るべく大きな聲をして、少々|卷《ま》き舌《じた》で講釋《かうしやく》してやつた。最初のうちは、生徒も烟《けむ》に捲かれてぼんやりして居たから、それ見ろと益《ます/\》得意になつて、べらんめい調《てう》を用ゐてたら、一番前の列の眞中に居た、一番強さうな奴が、いきなり起立して先生と云ふ。そら來たと思ひながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、もちつと、ゆる/\遣つて、おくれんかな、もし」と云つた。おくれんかな、もし〔八字傍点〕は生温《なまぬ》るい言葉だ。早過ぎるなら、ゆつくり云つてやるが、おれは江戸つ子だから君等の言葉は使へない、分らなければ、分る迄待つてるがいゝと答へてやつた。此調子で二時間目は思つたより、うまく行つた。只歸りがけに生徒の一人が一寸此問題を解釋をしておくれんかな、もし、と出來さうもない幾何の問題を持つて逼《せま》つたには冷汗を流した。仕方がないから何だか分らない、此の次ヘへてやると急いで引き揚げたら、生徒がわあと囃《はや》した。其中に出來ん/\と云ふ聲が聞える。箆棒《べらぼう》め、先生だつて、出來ないのは當り前だ。出來ないのを出來ないと云ふのに不思議があるもんか。そんなものが出來る位なら四十圓でこんな田舍へくるもんかと控所へ歸つて來た。今度はどうだと又山嵐が聞いた。うんと云つたが、うん丈《だけ》では氣が濟まなかつたから、此學校の生徒は分らずやだなと云つてやつた。山嵐は妙な顔をして居た。
 三時間目も、四時間目も晝過ぎの一時間も大同小異であつた。最初の日に出た級は、孰《いづ》れも少々づゝ失敗した。ヘ師ははたで見る程樂ぢやないと思つた。授業は一と通り濟んだが、まだ歸れない、三時迄ぽつ然《ねん》として待つてなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分のヘ室を掃除して報知《しらせ》にくるから檢分をするんださうだ。夫《それ》から、出席簿を一應調べて漸く御暇が出る。いくら月給で買はれた身體だつて、あいた時間迄學校へ縛りつけて机と睨めつくらをさせるなんて法があるものか。然しほかの連中はみんな大人《おとな》しく御規則通りやつてるから新參のおればかり、だゞを捏《こ》ねるのも宜しくないと思つて我慢して居た。歸りがけに、君何でも蚊《か》んでも三時過迄學校にゐさせるのは愚だぜと山嵐に訴へたら、山嵐はさうさアハヽヽと笑つたが、あとから眞面目になつて、君あまり學校の不平を云ふと、いかんぜ。云ふなら僕|丈《だけ》に話せ、隨分妙な人も居るからなと忠告がましい事を云つた。四つ角で分れたから詳しい事は聞くひまがなかつた。
 夫《それ》からうちへ歸つてくると、宿の亭主が御茶を入れませうと云つてやつて來る。御茶を入れると云ふから御馳走をするのかと思ふと、おれの茶を遠慮なく入れて自分が飲むのだ。此樣子では留守中も勝手に御茶を入れませうを一人で履行《りかう》して居るかも知れない。亭主が云ふには手前は書畫骨董がすきで、とう/\こんな商買を内々《ない/\》で始める樣になりました。あなたも御見受け申す所|大分《だいぶ》御風流で居らつしやるらしい。ちと道樂に御始めなすつては如何《いかゞ》ですと、飛んでもない勸誘をやる。二年前ある人の使に帝國ホテルへ行つた時は錠前直《ぢやうまえなほ》しと間違へられた事がある。ケツトを被つて、鎌倉の大佛を見物した時は車屋から親方と云はれた。其外|今日《こんにち》迄《まで》見損はれた事は隨分あるが、まだおれをつらまへて大分《だいぶ》御風流で居らつしやると云つたものはない。大抵はなりや樣子でも分る。風流人なんて云ふものは、畫《ゑ》を見ても、頭巾《づきん》を被《かぶ》るか短册《たんざく》を持つてるものだ。このおれを風流人だ抔《など》と眞面目に云ふのは只《たゞ》の曲者《くせもの》ぢやない。おれはそんな呑氣《のんき》な隱居のやる樣な事は嫌《きらひ》だと云つたら、亭主はへヽヽヽと笑ひながら、いえ始めから好きなものは、どなたも御座いませんが、一旦此道に這入ると中々出られませんと一人で茶を注《つ》いで妙な手付をして飲んで居る。實はゆふべ茶を買つてくれと頼んで置いたのだが、こんな苦い濃い茶はいやだ。一杯飲むと胃に答《こた》へる樣な氣がする。今度からもつと苦くないのを買つてくれと云つたら、かしこまりましたと又一杯しぼつて飲んだ。人の茶だと思つて無暗に飲む奴だ。主人が引き下がつてから、あしたの下讀をしてすぐ寐て仕舞つた。
 それから毎日々々學校へ出ては規則通り働く、毎日々々歸つて來ると主人が御茶を入れませうと出てくる。一週間|許《ばか》りしたら學校の樣子もひと通りは飲み込めたし、宿の夫婦の人物も大概は分つた。ほかのヘ師に聞いてみると辭令を受けて一週間から一ケ月位の間は自分の評判がいゝだらうか、惡《わ》るいだらうか非常に氣に掛かるさうであるが、おれは一向《いつかう》そんな感じはなかつた。ヘ場で折々しくぢると其時|丈《だけ》はやな心持ちだが三十分|許《ばか》り立つと奇麗に消えて仕舞ふ。おれは何事によらず長く心配しやうと思つても心配が出來ない男だ。ヘ場のしくぢりが生徒にどんな影響を與へて、其影響が校長やヘ頭にどんな反應を呈するか丸《まる》で無頓着であつた。おれは前に云ふ通りあまり度胸の据《すわ》つた男ではないのだが、思ひ切りは頗るいゝ人間である。此學校がいけなければすぐどつかへ行く覺悟で居たから、狸も赤シヤツも、些《ちつ》とも恐しくはなかつた。ましてヘ場の小僧共なんかには愛嬌も御世辭も使ふ氣になれなかつた。學校はそれでいゝのだが下宿の方はさうはいかなかつた。亭主が茶を飲みに來る丈《だけ》なら我慢もするが、色々な者を持つてくる。始めに持つて來たのは何でも印材《いんざい》で、十ばかり並べて置いて、みんなで三圓なら安い物だ御買ひなさいと云ふ。田舍巡《ゐなかまは》りのヘボ繪師ぢやあるまいし、そんなものは入らないと云つたら、今度は華山《くわざん》とか何とか云ふ男の花鳥《くわてう》の掛物《かけもの》をもつて來た。自分で床の間《ま》へかけて、いゝ出來ぢやありませんかと云ふから、さうかなと好《いゝ》加減に挨拶をすると、華山《くわざん》には二人ある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、此|幅《ふく》はその何とか華山の方だと、くだらない講釋をしたあとで、どうです、あなたなら十五圓にして置きます。御買ひなさいと催促をする。金がないと斷はると、金なんか、いつでも宜《よ》う御座いますと中々頑固だ。金があつても買はないんだと、其時は追つ拂つちまつた。其次には鬼瓦《おにがはら》位な大硯《おほすゞり》を擔《かつ》ぎ込んだ。是は端溪《たんけい》です、端溪ですと二遍も三遍も端溪がるから、面白半分に端溪た何だいと聞いたら、すぐ講釋を始め出した。端溪には上層中層下層とあつて、今時のものはみんな上層ですが、是は慥《たし》かに中層です、此|眼《がん》を御覽なさい。眼《がん》が三つあるのは珍らしい。?墨《はつぼく》の具合も至極よろしい、試して御覽なさいと、おれの前へ大きな硯を突きつける。いくらだと聞くと、持主が支那から持つて歸つて來て是非賣りたいと云ひますから、御安くして三十圓にして置きませうと云ふ。此男は馬鹿に相違ない。學校の方はどうかかうか無事に勤まりさうだが、かう骨董責《こつとうぜめ》に逢つてはとても長く續きさうにない。
 其うち學校もいやになつた。  ある日の晩|大町《おほまち》と云ふ所を散歩して居たら郵便局の隣りに蕎麥《そば》とかいて、下に東京と注を加へた看板があつた。おれは蕎麥が大好きである。東京に居つた時でも蕎麥屋の前を通つて藥味《やくみ》の香ひをかぐと、どうしても暖簾《のれん》がくゞりたくなつた。今日《けふ》迄《まで》は數學と骨董で蕎麥を忘れて居たが、かうして看板を見ると素通りが出來なくなる。序《つい》でだから一杯食つて行かうと思つて上がり込んだ。見ると看板程でもない。東京と斷はる以上はもう少し奇麗にしさうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅法きたない。疊は色が變つて御負けに砂でざら/\して居る。壁は煤《すゝ》で眞黒だ。天井はランプの油烟《ゆえん》で燻《くす》ぼつてるのみか、低くつて、思はず首を縮める位だ。只|麗々《れい/\》と蕎麥の名前をかいて張り付けたねだん付け丈《だけ》は全く新しい。何でも古いうちを買つて二三日前《にさんちまへ》から開業したに違なからう。ねだん付の第一號に天麩羅《てんぷら》とある。おい天麩羅を持つてこいと大きな聲を出した。すると此時迄隅の方に三人かたまつて、何かつる/\、ちゆう/\食つてた連中が、ひとしくおれの方を見た。部屋が暗いので、一寸氣がつかなかつたが顔を合せると、みんな學校の生徒である。先方で挨拶をしたから、おれも挨拶をした。其晩は久し振に蕎麥を食つたので、旨かつたから天麩羅を四杯|平《たひら》げた。
 翌日何の氣もなくヘ場へ這入ると、黒板一杯位な大きな字で、天麩羅先生《てんぷらせんせい》とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑つた。おれは馬鹿々々しいから、天麩羅を食つちや可笑《をか》しいかと聞いた。すると生徒の一人が、然し四杯は過ぎるぞな、もし、と云つた。四杯食はうが五杯食はうがおれの錢《ぜに》でおれが食ふのに文句があるもんかと、さつさと講義を濟まして控所へ歸つて來た。十分立つて次のヘ場へ出ると一つ天麩羅四杯也。但し笑ふ可《べか》らず。と黒板にかいてある。さつきは別に腹も立たなかつたが今度は癪に障つた。冗談も度を過ごせばいたづらだ。燒餠《やきもち》の黒焦《くろこげ》の樣なもので誰も賞め手はない。田舍者は此呼吸が分からないからどこ迄押して行つても構はないと云ふ了見だらう。一時間あるくと見物する町もない樣な狹い都に住んで、外に何にも藝がないから、天麩羅事件を日露戰爭の樣に觸れちらかすんだらう。憐れな奴等だ。小供の時から、こんなにヘ育されるから、いやにひねつこびた、植木鉢の楓《かへで》みた樣な小人《せうじん》が出來るんだ。無邪氣なら一所に笑つてもいゝが、こりやなんだ。小供の癖に乙に毒氣を持つてる。おれはだまつて、天麩羅を消して、こんないたづらが面白いか、卑怯な冗談だ。君等は卑怯と云ふ意味を知つてるか、と云つたら、自分がした事を笑はれて怒《おこ》るのが卑怯ぢやろうがな、もしと答へた奴がある。やな奴だ。わざ/\東京から、こんな奴をヘへに來たのかと思つたら情なくなつた。餘計な減らず口を利かないで勉強しろと云つて、授業を始めて仕舞つた。夫《それ》から次のヘ場へ出たら天麩羅を食ふと減らず口が利き度くなるものなりと書いてある。どうも始末に終へない。あんまり腹が立つたから、そんな生意氣な奴はヘへないと云つてすた/\歸つて來てやつた。生徒は休みになつて喜《よろ》んださうだ。かうなると學校より骨董の方がまだましだ。
 天麩羅蕎麥《てんぷらそば》もうちへ歸つて、一晩寐たらそんなに肝癪に障らなくなつた。學校へ出てみると、生徒も出てゐる。何だか譯が分らない。夫《それ》から三日|許《ばか》りは無事であつたが、四日目の晩に住田《すみた》と云ふ所へ行つて團子《だんご》を食つた。此住田と云ふ所は温泉のある町で城下から汽車だと十分|許《ばか》り、歩行《ある》いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓《いうくわく》がある。おれの這入つた團子屋《だんごや》は遊廓の入口にあつて、大變うまいと云ふ評判だから、温泉に行つた歸りがけに一寸食つてみた。今度は生徒にも逢はなかつたから、誰も知るまいと思つて、翌日學校へ行つて、一時間目のヘ場へ這入ると團子二皿七錢と書いてある。實際おれは二皿食つて七錢拂つた。どうも厄介な奴等だ。二時間目にも屹度《きつと》何かあると思ふと遊廓の團子旨い/\と書いてある。あきれ返つた奴等だ。團子が夫《それ》で濟んだと思つたら今度は赤手拭と云ふのが評判になつた。何の事だと思つたら、詰らない來歴《らいれき》だ。おれはこゝへ來てから、毎日住田の温泉へ行く事に極めて居る。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉|丈《だけ》は立派なものだ。折角來た者だから毎日這入つてやらうと云ふ氣で、晩飯前に運動|旁《かた/\》出掛る。所が行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。此手拭が湯に染まつた上へ、赤い縞が流れ出したので一寸見ると紅色《べにいろ》に見える。おれは此手拭を行きも歸りも、汽車に乘つてもあるいても、常にぶら下げて居る。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云ふんださうだ。どうも狹い土地に住んでるとうるさいものだ。まだある。温泉は三階の新築で上等は浴衣《ゆかた》をかして、流しをつけて八錢で濟む。其上に女が天目《てんもく》へ茶を載せて出す。おれはいつでも上等へ這入つた。すると四十圓の月給で毎日上等へ這入るのは贅澤《ぜいたく》だと云ひ出した。餘計な御世話だ。まだある。湯壺は花崗石《みかげいし》を疊み上げて、十五疊敷位の廣さに仕切つてある。大抵は十三四人|漬《つか》つてるがたまには誰も居ない事がある。深さは立つて乳の邊《へん》まであるから、運動の爲めに、湯の中を泳ぐのは中々愉快だ。おれは人の居ないのを見濟ましては十五疊の湯壺を泳ぎ巡《まは》つて喜《よろ》んで居た。所がある日三階から威勢よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗いて見ると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいて貼《は》りつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまり有るまいから、此|貼札《はりふだ》はおれの爲めに特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは斷念した。泳ぐのは斷念したが、學校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるには驚ろいた。何だか生徒全體がおれ一人を探偵して居る樣に思はれた。くさ/\した。生徒が何を云つたつて、やらうと思つた事をやめる樣なおれではないが、何でこんな狹苦しい鼻の先がつかへる樣な所へ來たのかと思ふと情なくなつた。それでうちへ歸ると相變らず骨董責《こつとうぜめ》である。
 
     四
 
 學校には宿直があつて、職員が代る/\これをつとめる。但し狸と赤シヤツは例外である。何で此兩人が當然の義務を免かれるのかと聞いてみたら、奏任待遇《そうにんたいぐう》だからと云ふ。面白くもない。月給はたくさんとる、時間は少ない、夫《それ》で宿直を逃《の》がれるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらへて、それが當り前だと云ふ樣な顔をしてゐる。よくまああんなに圖迂《づう》/\しく出來るものだ。これに就ては大分《だいぶ》不平であるが、山嵐の説によると、いくら一人で不平を並べたつて通るものぢやないさうだ。一人だつて二人だつて正しい事なら通りさうなものだ。山嵐は might is right といふ英語を引いて説諭を加へたが、何だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の權利と云ふ意味ださうだ。強者の權利位なら昔から知つて居る。今更山嵐から講釋をきかなくつてもいゝ。強者の權利と宿直とは別問題だ。狸や赤シヤツが強者だなんて、誰が承知するものか。議論は議論として此宿直が愈《いよ/\》おれの番に廻つて來た。一體|疳性《かんしやう》だから夜具蒲團|抔《など》は自分のものへ樂に寐ないと寐た樣な心持ちがしない。小供の時から、友達のうちへ泊つた事は殆んどない位だ。友達のうちでさへ厭なら學校の宿直は猶更《なほさら》厭だ。厭だけれども、是が四十圓のうちへ籠《こも》つてゐるなら仕方がない。我慢して勤めてやらう。
 ヘ師も生徒も歸つて仕舞つたあとで、一人ぽかんとして居るのは隨分|間《ま》が拔けたものだ。宿直部屋はヘ場の裏手にある寄宿舍の西はづれの一室だ。一寸這入つてみたが、西日をまともに受けて、苦しくつて居たゝまれない。田舍|丈《だけ》あつて秋がきても、氣長に暑いもんだ。生徒の賄《まかなひ》を取りよせて晩飯を濟ましたが、まづいには恐れ入つた。よくあんなものを食つて、あれ丈《だけ》に暴れられたもんだ。それで晩飯を急いで四時半に片付けて仕舞ふんだから豪傑に違ない。飯は食つたが、まだ日が暮れないから寐る譯に行かない。一寸温泉に行きたくなつた。宿直をして、外へ出るのはいゝ事だか、惡《わ》るい事だかしらないが、かうつくねんとして重禁錮《ぢゆうきんこ》同樣な憂目に逢ふのは我慢の出來るもんぢやない。始めて學校へ來た時當直の人はと聞いたら、一寸|用達《ようたし》に出たと小使が答へたのを妙だと思つたが、自分に番が廻つてみると思ひ當る。出る方が正しいのだ。おれは小使に一寸出てくると云つたら、何か御用ですかと聞くから、用ぢやない、温泉へ這入るんだと答へて、さつさと出掛けた。赤手拭は宿へ忘れて來たのが殘念だが今日は先方で借りるとしやう。
 夫《それ》から可成《かなり》ゆるりと、出たり這入つたりして、漸く日暮方になつたから、汽車へ乘つて古町《こまち》の停車場迄來て下りた。學校迄は是から四丁だ。譯はないとあるき出すと、向ふから狸が來た。狸は是から此汽車で温泉へ行かうと云ふ計畫なんだらう。すた/\急ぎ足にやつてきたが、擦れ違つた時おれの顔を見たから、一寸挨拶をした。すると狸はあなたは今日は宿直ではなかつたですかねえと眞面目くさつて聞いた。無かつたですかねえ〔九字傍点〕もないもんだ。二時間|前《まへ》おれに向つて今夜は始めての宿直ですね。御苦勞さま。と禮を云つたぢやないか。校長なんかになるといやに曲りくねつた言葉を使ふもんだ。おれは腹が立つたから、えゝ宿直です。宿直ですから、是から歸つて泊る事は慥《たし》かに泊りますと云ひ捨てゝ濟ましてあるき出した。竪町《たてまち》の四つ角迄くると今度は山嵐に出つ喰はした。どうも狹い所だ。出てあるきさへすれば必ず誰かに逢ふ。「おい君は宿直ぢやないか」と聞くから「うん、宿直だ」と答へたら、「宿直が無暗に出てあるくなんて、不都合ぢやないか」と云つた。「些《ちつ》とも不都合なもんか、出てあるかない方が不都合だ」と威張つて見せた。「君のづぼらにも困るな、校長かヘ頭に出逢ふと面倒だぜ」と山嵐に似合はない事を云ふから「校長にはたつた今逢つた。暑い時には散歩でもしないと宿直も骨でせうと校長が、おれの散歩をほめたよ」と云つて、面倒臭いから、さつさと學校へ歸つて來た。
 夫《それ》から日はすぐくれる。くれてから二時間|許《ばか》りは小使を宿直部屋へ呼んで話をしたが、夫《それ》も飽きたから、寐られない迄も床へ這入らうと思つて、寐卷に着換へて、蚊帳を捲《ま》くつて、赤い毛布《けつと》を跳《は》ねのけて、頓《とん》と尻持を突いて、仰向けになつた。おれが寐るときに頓《とん》と尻持をつくのは小供の時からの癖だ。わるい癖だと云つて小川町の下宿に居た時分、二階下に居た法律學校の書生が苦情を持ち込んだ事がある。法律の書生なんてものは弱い癖に、やに口が達者なもので、愚《ぐ》な事を長たらしく述べ立てるから、寐る時にどん/\音がするのはおれの尻がわるいのぢやない。下宿の建築が粗末なんだ。掛ケ合ふなら下宿へ掛ケ合へと凹《へこ》ましてやつた。此宿直部屋は二階ぢやないから、いくら、どしんと倒れても構はない。成る可く勢よく倒れないと寐た樣な心持ちがしない。あゝ愉快だと足をうんと延ばすと、何だか兩足へ飛び付いた。ざら/\して蚤《のみ》の樣でもないからこいつあと驚ろいて、足を二三度|毛布《けつと》の中で振つてみた。するとざら/\と當つたものが、急に殖《ふ》え出して脛《すね》が五六ケ所、股《もゝ》が二三ケ所、尻の下でぐちやりと踏み潰したのが一つ、臍《へそ》の所迄飛び上がつたのが一つ――愈《いよ/\》驚ろいた。早速起き上つて、毛布《けつと》をぱつと後《うし》ろへ抛《はふ》ると、蒲團の中から、バツタが五六十飛び出した。正體《しやうたい》の知れない時は多少氣味が惡るかつたが、バツタと相場が極まつてみたら急に腹が立つた。バツタの癖に人を驚ろかしやがつて、どうするか見ろと、いきなり括《くゝ》り枕を取つて、二三度|擲《たゝ》きつけたが、相手が小さ過ぎるから勢よく抛《な》げつける割に利目がない。仕方がないから、又布團の上へ坐つて、煤掃《すゝはき》の時に蓙《ござ》を丸めて疊を叩く樣に、そこら近邊を無暗にたゝいた。バツタが驚ろいた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれの肩だの、頭だの鼻の先だのへくつ付いたり、ぶつかつたりする。顔へ付いた奴は枕で叩く譯に行かないから、手で攫《つか》んで、一生懸命に擲《たゝ》きつける。忌々《いま/\》しい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊帳だから、ふわりと動く丈《だけ》で少しも手答がない。バツタは擲きつけられた儘《ゝ》蚊帳へつらまつて居る。死にもどうもしない。漸くの事に三十分|許《ばかり》でバツタは退治《たいぢ》た。箒《はうき》を持つて來てバツタの死骸を掃き出した。小使が來て何ですかと云ふから、何ですかもあるもんか、バツタを床の中に飼つとく奴がどこの國にある。間拔め。と叱つたら、私は存じませんと辯解をした。存じませんで濟むかと箒《はうき》を椽側《えんがは》へ抛《はふ》り出したら、小使は恐る/\箒《はうき》を擔《かつ》いで歸つて行つた。
 おれは早速寄宿生を三人ばかり總代に呼び出した。すると六人出て來た。六人だらうが十人だらうが構ふものか。寐卷の儘腕まくりをして談判を始めた。
 「なんでバツタなんか、おれの床の中へ入れた」
 「バツタた何ぞな」と眞先の一人がいつた。やに落ち付いて居やがる。此學校ぢや校長ばかりぢやない、生徒迄曲りくねつた言葉を使ふんだらう。
 「バツタを知らないのか、知らなけりや見せてやらう」と云つたが、生憎《あいにく》掃き出して仕舞つて一匹も居ない。又小使を呼んで、「さつきのバツタを持つてこい」と云つたら、「もう掃溜《はきだめ》へ棄てゝしまひましたが、拾つて參りませうか」と聞いた。「うんすぐ拾つて來い」と云ふと小使は急いで馳け出したが、やがて半紙の上へ十匹|許《ばか》り載せて來て「どうも御氣の毒ですが、生憎《あいにく》夜で是|丈《だけ》しか見當りません。あしたになりましたらもつと拾つて參ります」と云ふ。小使迄馬鹿だ。おれはバツタの一つを生徒に見せて「バツタた是れだ、大きなずう體をして、バツタを知らないた、何の事だ」と云ふと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりや、イナゴぞな、もし」と生意氣におれを遣り込めた。「篦棒《べらぼう》め、イナゴもバツタも同じもんだ。第一先生を捕《つら》まへてなもし〔三字傍点〕た何だ。菜飯《なめし》は田樂《でんがく》の時より外に食ふもんぢやない」とあべこべに遣り込めてやつたら「なもしと菜飯《なめし》とは違ふぞな、もし」と云つた。いつ迄行つてもなもし〔三字傍点〕を使ふ奴だ。
 「イナゴでもバツタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バツタを入れて呉れと頼んだ」
 「誰も入れやせんがな」
 「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」
 「イナゴは温《ぬく》い所が好きぢやけれ、大方一人で御這入りたのぢやあろ」
 「馬鹿あ云へ。バツタが一人で御這入りになるなんて――バツタに御這入りになられてたまるもんか。――さあなぜこんないたづらをしたか、云へ」
 「云へてゝ、入れんものを説明しやうがないがな」
 けちな奴等だ。自分で自分のした事が云へない位なら、てんで仕ないがいゝ。證據さへ擧がらなければ、しらを切る積りで圖太く構へて居やがる。おれだつて中學に居た時分は少しはいたづらもしたもんだ。然しだれがしたと聞かれた時に、尻込みをする樣な卑怯な事は只の一度もなかつた。仕たものは仕たので、仕ないものは仕ないに極つてる。おれなんぞは、いくら、いたづらをしたつて潔白なものだ。嘘を吐《つ》いて罸《ばつ》を逃げる位なら、始めからいたづらなんかやるものか。いたづらと罸はつきもんだ。罸があるからいたづらも心持ちよく出來る。いたづら丈《だけ》で罸は御免蒙るなんて下劣な根性がどこの國に流行《はや》ると思つてるんだ。金は借りるが、返す事は御免だと云ふ連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違ない。全體中學校へ何しに這入つてるんだ。學校へ這入つて、嘘を吐《つ》いて、胡魔化《ごまか》して、陰でこせ/\生意氣な惡いたづらをして、さうして大きな面《つら》で卒業すればヘ育を受けたもんだと癇違《かんちがひ》をして居やがる。話せない雜兵《ざふひやう》だ。
 おれはこんな腐つた了見の奴等と談判するのは胸糞《むなくそ》が惡《わ》るいから、「そんなに云はれなきや、聞かなくつていゝ。中學校へ這入つて、上品も下品も區別が出來ないのは氣の毒なものだ」と云つて六人を逐《お》つ放《ぱな》してやつた。おれは言葉や樣子こそ餘り上品ぢやないが、心はこいつらよりも遙かに上品な積りだ。六人は悠々と引き揚げた。上部《うはべ》丈《だけ》はヘ師のおれより餘つ程えらく見える。實は落ち付いて居る丈《だけ》猶惡るい。おれには到底是程の度胸はない。
 夫《それ》から又床へ這入つて横になつたら、さつきの騷動で蚊帳の中はぶん/\唸つて居る。手燭《てしよく》をつけて一匹宛燒くなんて面倒な事は出來ないから、釣手をはづして、長く疊んで置いて部屋の中で横竪十文字に振《ふる》つたら、環《くわん》が飛んで手の甲をいやといふ程|撲《ぶ》つた。三度目に床へ這入つた時は少々落ち付いたが中々寐られない。時計を見ると十時半だ。考へてみると厄介な所へ來たもんだ。一體中學の先生なんて、どこへ行つても、こんなものを相手にするなら氣の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。餘つ程辛防強い朴念仁《ぼくねんじん》がなるんだらう。おれには到底やり切れない。それを思ふと清なんてのは見上げたものだ。ヘ育もない身分もない婆さんだが、人間としては頗る尊《たつ》とい。今迄はあんなに世話になつて別段|難有《ありがた》いとも思はなかつたが、かうして、一人で遠國へ來てみると、始めてあの親切がわかる。越後の笹飴が食ひたければ、わざ/\越後迄買ひに行つて食はしてやつても、食はせる丈《だけ》の價値は充分ある。清はおれの事を慾がなくつて、眞直な氣性だと云つて、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢ひたくなつた。
 清の事を考へながら、のつそつして居ると、突然おれの頭の上で、數《かず》で云つたら三四十人もあらうか、二階が落つこちる程どん、どん、どんと拍子を取つて床板《ゆかいた》を踏みならす音がした。すると足音に比例した大きな鬨《とき》の聲が起つた。おれは何事が持ち上がつたのかと驚ろいて飛び起きた。飛び起きる途端に、はゝあさつきの意趣返《いしゆがへ》しに生徒があばれるのだなと氣がついた。手前のわるい事は惡《わ》るかつたと言つて仕舞はないうちは罪は消えないもんだ。わるい事は、手前達に覺があるだらう。本來なら寐てから後悔してあしたの朝でもあやまりに來るのが本筋だ。たとひ、あやまらない迄も恐れ入つて、靜肅に寐て居るべきだ。それを何だ此騷ぎは。寄宿舍を建てゝ豚でも飼つて置きあしまいし。氣狂ひじみた眞似も大抵にするがいゝ。どうするか見ろと、寐卷の儘宿直部屋を飛び出して、楷子段を三股半《みまたはん》に二階迄躍り上がつた。すると不思議な事に、今迄頭の上で、慥《たしか》にどたばた暴れて居たのが、急に靜まり返つて、人聲|所《どころ》か足音もしなくなつた。是は妙だ。ランプは既に消してあるから、暗くてどこに何が居るか判然《はんぜん》と分らないが、人氣《ひとけ》のあるとないとは樣子でも知れる。長く東から西へ貫いた廊下には鼠一匹も隱れて居ない。廊下のはづれから月がさして、遙か向ふが際どく明るい。どうも變だ、己《お》れは小供の時から、よく夢を見る癖があつて、夢中に跳ね起きて、わからぬ寐言を云つて、人に笑はれた事がよくある。十六七の時ダイヤモンドを拾つた夢を見た晩なぞは、むくりと立ち上がつて、そばに居た兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常な勢で尋ねた位だ。其時は三日ばかりうち中の笑ひ草になつて大《おほい》に弱つた。ことによると今のも夢かも知れない。然し慥かにあばれたに違ないがと、廊下の眞中で考へ込んで居ると、月のさして居る向ふのはづれで、一二三わあと、三四十人の聲がかたまつて響いたかと思ふ間《ま》もなく、前の樣に拍子を取つて、一同が床板《ゆかいた》を踏み鳴らした。夫《それ》見ろ夢ぢやない矢つ張り事實だ。靜かにしろ、夜なかだぞ、とこつちも負けん位な聲を出して、廊下を向《むかふ》へ馳けだした。おれの通る路は暗い、只はづれに見える月あかりが目標《めじるし》だ。おれが馳け出して二間も來たかと思ふと、廊下の眞中で、堅い大きなものに向脛《むかふずね》をぶつけて、あ痛い〔三字傍点〕が頭へひゞく間《ま》に、身體はすとんと前へ抛《はふ》り出された。こん畜生《ちきしやう》と起き上がつて見たが、馳けられない。氣はせくが、足|丈《だけ》は云ふ事を利かない。じれつたいから、一本足で飛んで來たら、もう足音も人聲も靜まり返つて、森《しん》として居る。いくら人間が卑怯だつて、こんなに卑怯に出來るものぢやない。まるで豚だ。かうなれば隱れて居る奴を引きずり出して、あやまらせてやる迄はひかないぞと、心を極めて寢室の一つを開けて中を檢査し樣《やう》と思つたが開《あ》かない。錠《ぢやう》をかけてあるのか、机か何か積んで立て懸けてあるのか、押しても、押しても決して開《あ》かない。今度は向ふ合せの北側の室《へや》を試みた。開《あ》かない事は矢つ張り同然である。おれが戸をあけて中に居る奴を引つ捕《つ》らまへてやらうと、焦慮《いらつ》てると、又東のはづれで鬨《とき》の聲と足拍子が始まつた。此野郎申し合せて、東西相應じておれを馬鹿にする氣だな、とは思つたが偖《さて》どうしていゝか分らない。正直に白?してしまふが、おれは勇氣のある割合に智慧が足りない。こんな時にはどうしていゝか薩張《さつぱ》りわからない。わからないけれども、決して負ける積りはない。此儘に濟ましてはおれの顔にかゝはる。江戸つ子は意氣地《いくぢ》がないと云はれるのは殘念だ。宿直をして鼻垂《はなつた》れ小僧にからかはれて、手のつけ樣がなくつて、仕方がないから泣き寐入りにしたと思はれちや一生の名折れだ。是でも元は旗本《はたもと》だ。旗本の元は清和源氏で、多田《ただ》の滿仲《まんぢゆう》の後裔だ。こんな土百姓《どびやくしやう》とは生まれからして違ふんだ。只智慧のない所が惜しい丈《だけ》だ。どうしていゝか分らないのが困る丈《だけ》だ。困つたつて負けるものか。正直だから、どうしていゝか分らないんだ。世の中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考へて見ろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あした勝てなければ、あさつて勝つ。あさつて勝てなければ、下宿から辨當を取り寄せて勝つ迄こゝに居る。おれはかう決心をしたから、廊下の眞中へあぐらをかいて夜のあけるのを待つて居た。蚊がぶん/\來たけれども何ともなかつた。さつき、ぶつけた向脛《むかふずね》を撫でゝみると、何だかぬら/\する。血が出るんだらう。血なんか出たければ勝手に出るがいゝ。其うち最前《さいぜん》からの疲れが出て、ついうと/\寐て仕舞つた。何だか騷がしいので、眼が覺めた時はえつ糞しまつたと飛び上がつた。おれの坐つてた右側にある戸が半分あいて、生徒が二人、おれの前に立つて居る。おれは正氣に返つて、はつと思ふ途端に、おれの鼻の先にある生徒の足を引つ攫《つか》んで、力任せにぐいと引いたら、そいつは、どたりと仰向《あふむけ》に倒れた。ざまを見ろ。殘る一人が一寸|狼狽《らうばい》した所を、飛びかゝつて、肩を抑へて二三度こづき廻したら、あつけに取られて、眼をぱち/\させた。さあおれの部屋迄來いと引つ立てると、弱蟲だと見えて、一も二もなく尾《つ》いて來た。夜はとうにあけて居る。
 おれが宿直部屋へ連れてきた奴を詰問し始めると、豚は、打つても擲いても豚だから、只知らんがなで、どこ迄も通す了見と見えて、决して白?しない。其うち一人來る、二人來る、段々二階から宿直部屋へ集まつてくる。見るとみんな眠さうに瞼《まぶた》をはらして居る。けちな奴等だ。一晩ぐらい寐ないで、そんな面《つら》をして男と云はれるか。面《つら》でも洗つて議論に來いと云つてやつたが、誰も面《つら》を洗ひに行かない。
 おれは五十人餘りを相手に約一時間|許《ばか》り押問答をして居ると、ひよつくり狸がやつて來た。あとから聞いたら、小使が學校に騷動がありますつて、わざ/\知らせに行つたのださうだ。是しきの事に、校長を呼ぶなんて意氣地がなさ過ぎる。夫《それ》だから中學校の小使なんぞをしてるんだ。
 校長は一と通りおれの説明を聞いた。生徒の言草も一寸聞いた。追つて處分する迄は、今迄通り學校へ出ろ。早く顔を洗つて、朝飯を食はないと時間に間に合はないから、早くしろと云つて寄宿生をみんな放免した。手温《てぬ》るい事だ。おれなら即席に寄宿生をこと/”\く退校して仕舞ふ。こんな悠長な事をするから生徒が宿直員を馬鹿にするんだ。其上おれに向つて、あなたも嘸《さぞ》御心配で御疲れでせう、今日は御授業に及ばんと云ふから、おれはかう答へた。「いへ、ちつとも心配ぢやありません。こんな事が毎晩あつても、命のある間は心配にやなりません。授業はやります、一晩位寐なくつて、授業が出來ない位なら、頂戴した月給を學校の方へ割戻します」校長は何と思つたものか、暫らくおれの顔を見詰めて居たが、然し顔が大分《だいぶ》はれて居ますよと注意した。成程何だか少々重たい氣がする。其上べた一面|痒《かゆ》い。蚊が餘つ程刺したに相違ない。おれは顔中ぼり/\掻きながら、顔はいくら膨《は》れたつて、口は慥《たし》かにきけますから、授業には差《さ》し支《つかへ》ませんと答へた。校長は笑ひながら、大分《だいぶ》元氣ですねと賞めた。實を云ふと賞めたんぢやあるまい、ひやかしたんだらう。
 
     五
 
 君|釣《つ》りに行きませんかと赤シヤツがおれに聞いた。赤シヤツは氣味の惡《わ》るい樣に優しい聲を出す男である。丸《まる》で男だか女だか分りやしない。男なら男らしい聲を出すもんだ。ことに大學卒業生ぢやないか。物理學校でさへおれ位な聲が出るのに、文學士がこれぢや見つともない。
 おれはさうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。あんまりないが、子供の時、小梅の釣堀で鮒を三匹釣つた事がある。夫《それ》から神樂坂《かぐらざか》の毘沙門《びしやもん》の縁日で八寸|許《ばか》りの鯉を針で引つかけて、しめたと思つたら、ぽちやりと落として仕舞つたが是は今考へても惜しいと云つたら、赤シヤツは顋《あご》を前の方へ突き出してホヽヽヽと笑つた。何もさう氣取つて笑はなくつても、よささうな者だ。「夫《そ》れぢや、まだ釣りの味は分らんですな。御望みならちと傳授しませう」と頗る得意である。だれが御傳授をうけるものか。一體釣や獵をする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。不人情でなくつて、殺生《せつしやう》をして喜ぶ譯がない。魚《さかな》だつて、鳥だつて殺されるより生きてる方が樂に極まつてる。釣や獵をしなくつちや活計《くわつけい》がたゝないなら格別だが、何不足なく暮して居る上に、生き物を殺さなくつちや寐られないなんて贅澤な話だ。かう思つたが向ふは文學士|丈《だけ》に口が達者だから、議論ぢや叶《かな》はないと思つて、だまつてた。すると先生此おれを降參させたと疳違《かんちがひ》して、早速傳授しませう。御ひまなら、今日どうです、一所に行つちや。吉川《よしかは》君と二人ぎりぢや、淋《さむ》しいから、來給へとしきりに勸める。吉川君といふのは畫學のヘ師で例の野だいこの事だ。此|野《の》だは、どういふ了見だか、赤シヤツのうちへ朝夕《あさゆふ》出入《でいり》して、どこへでも隨行して行く。丸《まる》で同輩ぢやない。主從《しゆうじゆう》見た樣だ。赤シヤツの行く所なら、野だは必ず行くに極つて居るんだから、今更《いまさら》驚ろきもしないが、二人で行けば濟む所を、なんで無愛想《ぶあいそ》のおれへ口を掛けたんだらう。大方高慢ちきな釣道樂で、自分の釣る所をおれに見せびらかす積《つもり》かなんかで誘つたに違ない。そんな事で見せびらかされるおれぢやない。鮪《まぐろ》の二匹や三匹釣つたつて、びくともするもんか。おれだつて人間だ、いくら下手だつて糸さへ卸しや、何かかゝるだらう、こゝでおれが行かないと、赤シヤツの事だから、下手だから行かないんだ、嫌《きらひ》だから行かないんぢやないと邪推《じやすゐ》するに相違ない。おれはかう考へたから、行きませうと答へた。それから、學校を仕舞つて、一應うちへ歸つて、支度を整へて、停車場で赤シヤツと野だを待ち合せて濱へ行つた。船頭は一人で、舟は細長い東京|邊《へん》では見た事もない恰好《かつかう》である。さつきから船中《ふねぢゆう》見渡すが釣竿が一本も見えない。釣竿なしで釣が出來るものか、どうする了見だらうと、野だに聞くと、沖釣には竿は用ゐません、糸|丈《だけ》でげすと顋《あご》を撫でゝ黒人《くろうと》じみた事を云つた。かう遣り込められる位ならだまつて居れば宜《よ》かつた。
 船頭はゆつくり/\漕いでゐるが熟練は恐しいもので、見返へると、濱が小さく見える位もう出てゐる。高柏寺《かうはくじ》の五重の塔が森の上へ拔け出して針の樣に尖《とん》がつてる。向側《むかふがは》を見ると青嶋《あをしま》が浮いて居る。是は人の住まない島ださうだ。よく見ると石と松ばかりだ。成程石と松ばかりぢや住めつこない。赤シヤツは、しきりに眺望していゝ景色《けしき》だと云つてる。野だは絶景でげすと云つてる。絶景だか何だか知らないが、いゝ心持ちには相違ない。ひろ/”\とした海の上で、潮風に吹かれるのは藥だと思つた。いやに腹が減る。「あの松を見給へ、幹が眞直《まつすぐ》で、上が傘《かさ》の樣に開いてターナーの畫《ゑ》にありさうだね」と赤シヤツが野だに云ふと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合つたらありませんね。ターナーそつくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙つて居た。舟は島を右に見てぐるりと廻つた。波は全くない。是で海だとは受け取りにくい程|平《たひら》だ。赤シヤツの御陰で甚だ愉快だ。出來る事なら、あの島の上へ上がつてみたいと思つたから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられん事もないですが、釣をするには、あまり岸ぢやいけないですと赤シヤツが異議を申し立てた。おれは黙つてた。すると野だがどうですヘ頭、是からあの島をターナー島と名づけ樣《やう》ぢやありませんかと餘計な發議《ほつぎ》をした。赤シヤツはそいつは面白い、吾々は是からさう云はうと賛成した。此吾々のうちにおれも這入つてるなら迷惑だ。おれには青嶋で澤山だ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちや。いゝ畫《ゑ》が出來ますぜと野だが云ふと、マドンナの話はよさうぢやないかホヽヽヽと赤シヤツが氣味の惡《わ》るい笑ひ方をした。なに誰も居ないから大丈夫ですと、一寸おれの方を見たが、わざと顔をそむけてにや/\と笑つた。おれは何だかやな心持ちがした。マドンナだらうが、小旦那だらうが、おれの關係した事でないから、勝手に立たせるがよからうが、人に分らない事を言つて分らないから聞いたつて構やしませんてえ樣な風をする。下品な仕草だ。是で當人は私《わたし》も江戸つ子でげす抔《など》と云つてる。マドンナと云ふのは何でも赤シヤツの馴染《なじみ》の藝者の渾名《あだな》か何かに違ないと思つた。なじみの藝者を無人島の松の木の下に立たして眺めて居れば世話はない。夫《それ》を野だが油繪にでもかいて展覽會へ出したらよからう。
 此所《こゝい》らがいゝだらうと船頭は船をとめて、錨《いかり》を卸した。幾尋《いくひろ》あるかねと赤シヤツが聞くと、六尋《むひろ》位だと云ふ。六尋位ぢや鯛は六づかしいなと、赤シヤツは糸を海へなげ込んだ。大將鯛を釣る氣と見える、豪膽なものだ。野だは、なにヘ頭の御手際ぢやかゝりますよ。それになぎですからと御世辭を云ひながら、是も糸を繰り出して投げ入れる。何だか先に錘《おもり》の樣な鉛がぶら下がつてる丈《だけ》だ。浮《うき》がない。浮《うき》がなくつて釣をするのは寒暖計なしで熱度をはかる樣なものだ。おれには到底出來ないと見て居ると、さあ君もやり玉へ糸はありますかと聞く。糸はあまる程あるが、浮《うき》がありませんと云つたら、浮がなくつちや釣が出來ないのは素人《しろうと》ですよ。かうしてね、糸が水底へついた時分に、船縁《ふなべり》の所で人指《ひとさ》しゆびで呼吸をはかるんです、食ふとすぐ手に答へる。――そらきた、と先生急に糸をたぐり始めるから、何かかゝつたと思つたら何にもかゝらない、餌がなくなつてた許《ばか》りだ。いゝ氣味《きび》だ。ヘ頭、殘念な事をしましたね、今のは慥《たし》かに大《おほ》ものに違なかつたんですが、どうもヘ頭の御手際でさへ逃げられちや、今日は油斷ができませんよ。然し逃げられても何ですね。浮《うき》と睨《にら》めくらをしてゐる連中よりはましですね。丁度齒どめがなくつちや自轉車へ乘れないのと同程度ですからねと野だは妙な事ばかり喋舌《しやべ》る。よつぽど撲《なぐ》りつけてやらうかと思つた。おれだつて人間だ、ヘ頭ひとりで借り切つた海ぢやあるまいし。廣い所だ。鰹《かつを》の一匹位義理にだつて、かゝつて呉れるだらうと、どぼんと錘《おもり》と糸を抛《はふう》り込んでいゝ加減に指の先であやつつてゐた。
 しばらくすると、何だかぴく/\と糸にあたるものがある。おれは考へた。こいつは魚《さかな》に相違ない。生きてるものでなくつちや、かうぴくつく譯がない。しめた、釣れたとぐい/\手繰《たぐ》り寄せた。おや釣れましたかね、後世《こうせい》恐るべしだと野だがひやかすうち、糸はもう大概|手繰《たぐ》り込んで只五尺ばかり程しか、水に浸《つ》いて居らん。船縁《ふなべり》から覗いて見たら、金魚の樣な縞《しま》のある魚《さかな》が糸にくつついて、右左へ漾《たゞよ》いながら、手に應じて浮き上がつてくる。面白い。水際から上げるとき、ぽちやりと跳ねたから、おれの顔は潮水だらけになつた。漸くつらまへて、針をとらうとするが中々取れない。捕《つら》まへた手はぬる/\する。大《おほい》に氣味がわるい。面倒だから糸を振つて胴《どう》の間《ま》へ擲きつけたら、すぐ死んで仕舞つた。赤シヤツと野だは驚ろいて見てゐる。おれは海の中で手をざぶ/\と洗つて、鼻の先へあてがつて見た。まだ腥臭《なまぐさ》い。もう懲《こ》り/\だ。何が釣れたつて魚《さかな》は握りたくない。魚《さかな》も握られたくなからう。さう/\糸を捲いて仕舞つた。
 一番槍《いちばんやり》は御手柄だがゴルキぢや、と野だが又生意氣を云ふと、ゴルキと云ふと露西亞《ロシア》の文學者みた樣な名だねと赤シヤツが洒落《しやれ》た。さうですね、丸《まる》で露西亞《ロシア》の文學者ですねと野だはすぐ賛成しやがる。ゴルキが露西亞の文學者で、丸木《まるき》が芝の寫眞師で、米のなる木が命の親だらう。一體此赤シヤツはわるい癖だ。誰を捕《つら》まへても片假名の唐人の名を並べたがる。人には夫々《それ/”\》專門があつたものだ。おれの樣な數學のヘ師にゴルキだか車力《しやりき》だか見當がつくものか、少しは遠慮するがいゝ。云ふならフランクリンの自傳だとかプツシング、ツー、ゼ、フロントだとか、おれでも知つてる名を使ふがいゝ。赤シヤツは時々帝國文學とかいふ眞赤《まつか》な雜誌を學校へ持つて來て難有《ありがた》さうに讀んでゐる。山嵐に聞いてみたら、赤シヤツの片假名はみんなあの雜誌から出るんださうだ。帝國文學も罪な雜誌だ。
 それから赤シヤツと野だは一生懸命に釣つて居たが、約一時間|許《ばか》りのうちに二人で十五六上げた。可笑《をか》しい事に釣れるのも、釣れるのも、みんなゴルキ許《ばか》りだ。鯛なんて藥にしたくつてもありやしない。今日は露西亞《ロシア》文學の大當りだと赤シヤツが野だに話してゐる。あなたの手腕でゴルキなんですから、私《わたし》なんぞがゴルキなのは仕方がありません。當り前ですなと野だが答へてゐる。船頭に聞くと此|小魚《こざかな》は骨が多くつて、まづくつて、とても食へないんださうだ。只|肥料《こやし》には出來るさうだ。赤シヤツと野だは一生懸命に肥料《こやし》を釣つて居るんだ。氣の毒の至りだ。おれは一匹で懲りたから、胴の間へ仰向けになつて、さつきから大空を眺めて居た。釣をするより此方が餘つ程|洒落《しやれ》て居る。
 すると二人は小聲で何か話し始めた。おれにはよく聞えない、又聞きたくもない。おれは空を見ながら清の事を考へて居る。金があつて、清をつれて、こんな奇麗な所へ遊びに來たら嘸《さぞ》愉快だらう。いくら景色《けしき》がよくつても野だ抔《など》と一所ぢや詰らない。清は皺苦茶だらけの婆さんだが、どんな所へ連れて出たつて耻づかしい心持ちはしない。野だの樣なのは、馬車に乘らうが、船に乘らうが、凌雲閣《りよううんかく》へのらうが、到底寄り付けたものぢやない。おれがヘ頭で、赤シヤツがおれだつたら、矢つ張りおれにへけつけ御世辭を使つて赤シヤツを冷かすに違ない。江戸つ子は輕薄だと云ふが成程こんなものが田舍|巡《まは》りをして、私《わたし》は江戸つ子でげすと繰り返して居たら、輕薄は江戸つ子で、江戸つ子は輕薄の事だと田舍者が思ふに極まつてる。こんな事を考へて居ると、何だか二人がくす/\笑ひ出した。笑ひ聲の間に何か云ふが途切れ/\で頓《とん》と要領を得ない。「え? どうだか……」「……全くです……知らないんですから……罪ですね」「まさか……」「バツタを……本當ですよ」
 おれは外の言葉には耳を傾けなかつたが、バツタと云ふ野だの語《ことば》を聽いた時は、思はず屹《きつ》となつた。野だは何の爲かバツタと云ふ言葉|丈《だけ》ことさら力を入れて、明瞭におれの耳に這入る樣にして、其あとをわざとぼかして仕舞つた。おれは動かないで矢張り聞いて居た。
 「又例の堀田《ほつた》が……」「さうかも知れない……」「天麩羅《てんぷら》……ハヽヽヽヽ」「……煽動《せんどう》して……」「團子《だんご》も?」
 言葉は斯樣に途切れ/\であるけれども、バツタだの天麩羅《てんぷら》だの、團子《だんご》だのと云ふ所を以て推《お》し測《はか》つてみると、何でもおれのことに就て内所話《ないしよばな》しをして居るに相違ない。話すならもつと大きな聲で話すがいゝ、又内所話をする位なら、おれなんか誘はなければいゝ。いけ好かない連中だ。バツタだらうが雪踏《せつた》だらうが、非はおれにある事ぢやない。校長がひと先づあづけろと云つたから、狸の顔にめんじて只今の所は控へて居るんだ。野だの癖に入らぬ批評をしやがる。毛筆《けふで》でもしやぶつて引つ込んでるがいゝ。おれの事は、遅《おそ》かれ早かれ、おれ一人で片付けてみせるから、差支へはないが、又例の堀田が〔六字傍点〕とか煽動して〔四字傍点〕とか云ふ文句が氣にかゝる。堀田がおれを煽動して騷動を大きくしたと云ふ意味なのか、或は堀田が生徒を煽動しておれをいぢめたと云ふのか方角がわからない。青空を見て居ると、日の光が段々弱つて來て、少しはひやりとする風が吹き出した。線香の烟の樣な雲が、透き徹る底の上を靜かに伸《の》して行つたと思つたら、いつしか底の奧に流れ込んで、うすくもやを掛けた樣になつた。
 もう歸らうかと赤シヤツが思ひ出した樣に云ふと、えゝ丁度時分ですね。今夜はマドンナの君に御逢ひですかと野だが云ふ。赤シヤツは馬鹿あ云つちやいけない、間違になると、船縁《ふなべり》に身を倚《も》たした奴を、少し起き直る。エヘヽヽヽ大丈夫ですよ。聞いたつて……と野だが振り返つた時、おれは皿の樣な眼を野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやつた。野だはまぼしそうに引つ繰り返つて、や、こいつは降參だと首を縮めて、頭を掻いた。何といふ猪口才《ちよこざい》だらう。
 船は靜かな海を岸へ漕ぎ戻る。君釣はあまり好きでないと見えますねと赤シヤツが聞くから、えゝ寐て居て空を見る方がいゝですと答へて、吸ひかけた卷烟草を海の中へたゝき込んだら、ジユと音がして艪《ろ》の足で掻き分けられた浪の上を搖られながら漾《たゞよ》つていつた。「君が來たんで生徒も大《おほい》に喜んで居るから、奮發してやつて呉れ給へ」と今度は釣には丸《まる》で縁故もない事を云ひ出した。「あんまり喜んでも居ないでせう」「いえ、御世辭ぢやない。全く喜んで居るんです、ね、吉川君」「喜んでる所ぢやない。大騷ぎです」と野だはにや/\と笑つた。こいつの云ふ事は一々癪に障るから妙だ。「然し君注意しないと、險呑《けんのん》ですよ」と赤シヤツが云ふから「どうせ險呑です。かうなりや險呑は覺悟です」と云つてやつた。實際おれは免職になるか、寄宿生を悉《こと/”\》くあやまらせるか、どつちか一つにする了見で居た。「さう云つちや、取りつき所もないが――實は僕もヘ頭として君の爲を思ふから云ふんだから、わるく取つちや困る」「ヘ頭は全く君に好意を持つてるんですよ。僕も及ばずながら、同じ江戸つ子だから、可成《なるべく》長く御在校を願つて、御互に力にならうと思つて、是でも蔭ながら盡力して居るんですよ」と野だが人間並の事を云つた。野だの御世話になる位なら首を縊《くゝ》つて死んぢまはあ。
 「夫《それ》でね、生徒は君の來たのを大變歡迎して居るんだが、そこには色々な事情があつてね。君も腹の立つ事もあるだらうが、こゝが我慢だと思つて、辛防してくれ玉へ。決して君の爲にならない樣な事はしないから」
 「色々の事情た、どんな事情です」
 「夫《それ》が少し込み入つてるんだが、まあ段々分りますよ。僕が話さないでも自然と分つて來るです、ね吉川君」
 「えゝ中々込み入つてますからね。一朝一夕《いつてういつせき》にや到底分りません。然し段々分ります、僕が話さないでも自然と分つて來るです」と野だは赤シヤツと同じ樣な事を云ふ。
 「そんな面倒な事情なら聞かなくてもいゝんですが、あなたの方から話し出したから伺ふんです」
 「そりや御尤だ。こつちで口を切つて、あとをつけないのは無責任ですね。夫《そ》れぢや是《これ》丈《だけ》の事を云つて置きませう。あなたは失禮ながら、まだ學校を卒業したてで、ヘ師は始めての、經驗である。所が學校といふものは中々情實のあるもので、さう書生流に淡泊《たんぱく》には行かないですからね」
 「淡泊に行かなければ、どんな風に行くんです」
 「さあ君はさう率直《そつちよく》だから、まだ經驗に乏しいと云ふんですがね……」
 「どうせ經驗には乏しい筈です。履歴書にもかいときましたが二十三年四ケ月ですから」
 「さ、そこで思はぬ邊《へん》から乘ぜられる事があるんです」
 「正直にして居れば誰が乘じたつて怖《こは》くはないです」
 「無論怖くはない、怖くはないが、乘ぜられる。現に君の前任者がやられたんだから、氣を付けないといけないと云ふんです」
 野だが大人《おとな》しくなつたなと氣が付いて、ふり向いて見ると、いつしか艫《とも》の方で船頭と釣の話をして居る。野だが居ないんで餘つ程話しよくなつた。
 「僕の前任者が、誰れに乘ぜられたんです」
 「だれと指すと、其人の名誉に關係するから云へない。又判然と證據のない事だから云ふと此方《こつち》の落度《おちど》になる。とにかく、折角君が來たもんだから、こゝで失敗しちや僕等も君を呼んだ甲斐がない。どうか氣を付けてくれ玉へ」
 「氣をつけろつたつて、是より氣の付け樣はありません。わるい事をしなけりや好いんでせう」
 赤シヤツはホヽヽヽと笑つた。別段おれは笑はれる樣な事を云つた覺はない。今日《こんにち》只今に至る迄是でいゝと堅く信じて居る。考へてみると世間の大部分の人はわるくなる事を奬勵して居る樣に思ふ。わるくならなければ社會に成功はしないものと信じて居るらしい。たまに正直な純粹な人を見ると、坊つちやんだの小僧だのと難癖をつけて輕蔑する。夫《それ》ぢや小學校や中學校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生がヘへない方がいゝ。いつそ思ひ切つて學校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乘せる策をヘ授する方が、世の爲にも當人の爲にもなるだらう。赤シヤツがホヽヽヽと笑つたのは、おれの單純なのを笑つたのだ。單純や眞率《しんそつ》が笑はれる世の中ぢや仕樣がない。清はこんな時に決して笑つた事はない。大《おほい》に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シヤツより餘つ程上等だ。
 「無論|惡《わ》るい事をしなければ好いんですが、自分|丈《だけ》惡るい事をしなくつても、人の惡るいのが分らなくつちや、矢つ張りひどい目に逢ふでせう。世の中には磊落《らいらく》な樣に見えても、淡泊な樣に見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、滅多に油斷の出來ないのがありますから……。大分《だいぶ》寒くなつた。もう秋ですね、濱の方は靄でセピヤ色になつた。いゝ景色《けしき》だ。おい、吉川君どうだい、あの濱の景色は……」と大きな聲を出して野だを呼んだ。なある程こりや奇絶ですね。時間があると寫生するんだが、惜しいですね、此儘にして置くのはと野だは大《おほい》にたゝく。
 港屋の二階に灯《ひ》が一つついて、汽車の笛がヒユーと鳴るとき、おれの乘つて居た舟は磯の砂へざぐりと、舳《へさき》をつき込んで動かなくなつた。御早う御歸りと、かみさんが、濱に立つて赤シヤツに挨拶する。おれは船端《ふなばた》から、やつと掛聲をして磯《いそ》へ飛び下りた。
 
     六
 
 野だは大嫌だ。こんな奴は澤庵石《たくあんいし》をつけて海の底へ沈めちまふ方が日本の爲だ。赤シヤツは聲が氣に食はない。あれは持前の聲をわざと氣取つてあんな優しい樣に見せてるんだらう。いくら氣取つたつて、あの面《つら》ぢや駄目だ。惚れるものがあつたつてマドンナ位なものだ。然しヘ頭|丈《だけ》に野だより六づかしい事を云ふ。うちへ歸つて、あいつの申し條を考へてみると一應尤もの樣でもある。判然《はんぜん》とした事は云はないから、見當がつきかねるが、何でも山嵐がよくない奴だから用心しろと云ふのらしい。それならさうと確乎《はつきり》斷言するがいゝ、男らしくもない。さうして、そんな惡《わ》るいヘ師なら、早く免職さしたらよからう。ヘ頭なんて文學士の癖に意氣地《いくぢ》のないもんだ。蔭口をきくのでさへ、公然と名前が云へない位な男だから、弱蟲に極まつてる。弱蟲は親切なものだから、あの赤シヤツも女の樣な親切ものなんだらう。親切は親切、聲は聲だから、聲が氣に入らないつて、親切を無にしちや筋が違ふ。夫《それ》にしても世の中は不思議なものだ、蟲の好かない奴が親切で、氣の合つた友達が惡漢《わるもの》だなんて、人を馬鹿にして居る。大方田舍だから萬事東京のさかに行くんだらう。物騷な所だ。今に火事が氷つて、石が豆腐になるかも知れない。然し、あの山嵐が生徒を煽動《せんどう》するなんて、いたづらをしさうもないがな。一番|人望《じんばう》のあるヘ師だと云ふから、やらうと思つたら大抵の事は出來るかも知れないが、――第一そんな廻りくどい事をしないでも、ぢかにおれを捕《つら》まへて喧嘩を吹き懸けりや手數《てすう》が省《はぶ》ける譯だ。おれが邪魔になるなら、實は是々だ、邪魔だから辭職してくれと云《い》や、よさゝうなもんだ。物は相談づくでどうでもなる。向ふの云ひ條が尤もなら、明日《あした》にでも辭職してやる。こゝ許《ばか》り米が出來る譯でもあるまい。どこの果へ行つたつて、のたれ死《じに》はしない積《つもり》だ。山嵐も餘つ程話せない奴だな。
 こゝへ來た時第一番に氷水を奢つたのは山嵐だ。そんな裏表のある奴から、氷水でも奢つてもらつちや、おれの顔に關はる。おれはたつた一杯しか飲まなかつたから一錢五厘しか拂はしちやない。然し一錢だらうが五厘だらうが、詐欺師《さぎし》の恩になつては、死ぬ迄心持ちがよくない。あした學校へ行つたら、一錢五厘返して置かう。おれは清から三圓借りて居る。其三圓は五年經つた今日《けふ》迄《まで》まだ返さない。返せないんぢやない。返さないんだ。清は今に返すだらう抔《など》と、苟《かりそ》めにもおれの懷中をあてにはして居ない。おれも今に返さう抔《など》と他人がましい義理立てはしない積《つもり》だ。こつちがこんな心配をすればする程清の心を疑ぐる樣なもので、清の美しい心にけちを付けると同じ事になる。返さないのは清を踏みつけるのぢやない、清をおれの片破《かたわ》れと思ふからだ。清と山嵐とは固《もと》より比べ物にならないが、たとひ氷水だらうが、甘茶だらうが、他人から惠を受けて、だまつて居るのは向ふを一《ひ》と角《かど》の人間と見立てゝ、其人間に對する厚意の所作だ。割前を出せば夫《それ》丈《だけ》の事で濟む所を、心のうちで難有《ありがた》いと恩に着るのは錢金《ぜにかね》で買へる返禮ぢやない。無位無冠でも一人前《いちにんまへ》の獨立した人間だ。獨立した人間が頭を下げるのは百萬兩より尊《たつ》とい御禮と思はなければならない。
 おれは是でも山嵐に一錢五厘奮發させて、百萬兩より尊《たつ》とい返禮をした氣で居る。山嵐は難有《ありがた》いと思つて然るべきだ。それに裏へ廻つて卑劣な振舞をするとは怪《け》しからん野郎だ。あした行つて一錢五厘返して仕舞へば借りも貸しもない。さうして置いて喧嘩をしてやらう。
 おれはこゝ迄考へたら、眠くなつたからぐう/\寐て仕舞つた。あくる日は思ふ仔細《しさい》があるから、例刻より早《は》ヤ目《め》に出校して山嵐を待ち受けた。所が中々出て來ない。うらなりが出て來る。漢學の先生が出て來る。野だが出て來る。仕舞には赤シヤツ迄出て來たが山嵐の机の上は白墨が一本竪に寐て居る丈《だけ》で閑靜なものだ。おれは、控所へ這入るや否や返さうと思つて、うちを出る時から、湯錢の樣に手の平へ入れて一錢五厘、學校迄握つて來た。おれは膏《あぶら》つ手《て》だから、開けてみると一錢五厘が汗をかいて居る。汗をかいてる錢《ぜに》を返しちや、山嵐が何とか云ふだらうと思つたから、机の上へ置いてふう/\吹いて又握つた。所へ赤シヤツが來て昨日《きのふ》は失敬、迷惑でしたらうと云つたから、迷惑ぢやありません、御蔭で腹が減りましたと答へた。すると赤シヤツは山嵐の机の上へ肱を突いて、あの盤臺面《ばんだいづら》をおれの鼻の側面へ持つて來たから、何をするかと思つたら、君|昨日《きのふ》返りがけに船の中で話した事は、秘密にしてくれ玉へ。まだ誰にも話しやしますまいねと云つた。女の樣な聲を出す丈《だけ》に心配性な男と見える。話さない事は慥《たし》かである。然し是から話さうと云ふ心持ちで、既に一錢五厘手の平に用意して居る位だから、こゝで赤シヤツから口留めをされちや、些《ち》と困る。赤シヤツも赤シヤツだ。山嵐と名を指《さ》さないにしろ、あれ程推察の出來る謎《なぞ》をかけて置きながら、今更其謎を解いちや迷惑だとはヘ頭とも思へぬ無責任だ。元來ならおれが山嵐と戰爭をはじめて鎬《しのぎ》を削《けづ》つてる眞中へ出て堂々とおれの肩を持つべきだ。夫《それ》でこそ一校のヘ頭で、赤シヤツを着て居る主意も立つと云ふもんだ。
 おれはヘ頭に向つて、まだ誰にも話さないが、是から山嵐と談判する積《つもり》だと云つたら、赤シヤツは大《おほい》に狼狽《らうばい》して、君そんな無法な事をしちや困る。僕は堀田君の事に就いて、別段君に何も明言した覺えはないんだから――君がもし茲《こゝ》で亂暴を働いてくれると、僕は非常に迷惑する。君は學校に騷動を起す積りで來たんぢやなからうと妙に常識をはづれた質問をするから、當り前です、月給をもらつたり、騷動を起したりしちや、學校の方でも困るでせうと云つた。すると赤シヤツはそれぢや昨日《きのふ》の事は君の參考|丈《だけ》にとめて、口外してくれるなと汗をかいて依頼に及ぶから、よろしい、僕も困るんだが、そんなにあなたが迷惑ならよしませうと受け合つた。君大丈夫かいと赤シヤツは念を押した。どこ迄女らしいんだか奧行がわからない。文學士なんて、みんなあんな連中なら詰らんものだ。辻褄《つじつま》の合はない、論理に缺けた注文をして恬然《てんぜん》として居る。然も此おれを疑ぐつてる。憚《はゞか》りながら男だ。受け合つた事を裏へ廻つて反古《ほご》にする樣なさもしい了見は持つてるもんか。
 所へ兩隣りの机の所有主も出校したんで、赤シヤツは早々自分の席へ歸つて行つた。赤シヤツは歩《あ》るき方から氣取つてる。部屋の中を徃來するのでも、音を立てない樣に靴の底をそつと落す。音を立てないであるくのが自慢になるもんだとは、此時から始めて知つた。泥棒《どろぼう》の稽古ぢやあるまいし、當り前にするがいゝ。やがて始業の喇叭《らつぱ》がなつた。山嵐はとう/\出て來ない。仕方がないから、一錢五厘を机の上へ置いてヘ場へ出掛けた。
 授業の都合で一時間目は少し後《おく》れて、控所へ歸つたら、ほかのヘ師はみんな机を控へて話をして居る。山嵐もいつの間《ま》にか來て居る。缺勤だと思つたら遅刻したんだ。おれの顔を見るや否や今日は君の御蔭で遅刻したんだ。罸金を出し玉へと云つた。おれは机の上にあつた一錢五厘を出して、是をやるから取つて置け。先達《せんだつ》て通町《とほりちやう》で飲んだ氷水の代だと山嵐の前へ置くと、何を云つてるんだと笑ひかけたが、おれが存外眞面目で居るので、詰らない冗談をするなと錢《ぜに》をおれの机の上に掃き返した。おや山嵐の癖にどこ迄も奢る氣だな。
 「冗談ぢやない本當だ。おれは君に氷水を奢られる因縁がないから、出すんだ。取らない法があるか」
 「そんなに一錢五厘が氣になるなら取つてもいゝが、なぜ思ひ出した樣に、今時分返すんだ」
 「今時分でも、いつ時分でも、返すんだ。奢られるのが、いやだから返すんだ」
 山嵐は冷然とおれの顔を見てふんと云つた。赤シヤツの依頼がなければ、こゝで山嵐の卑劣をあばいて大喧嘩をしてやるんだが、口外しないと受け合つたんだから動きがとれない。人がこんなに眞赤《まつか》になつてるのにふん〔二字傍点〕と云ふ理窟があるものか。
 「氷水の代は受け取るから、下宿は出て呉れ」
 「一錢五厘受け取れば夫《それ》でいゝ。下宿を出やうが出まいがおれの勝手だ」
 「所が勝手でない、昨日《きのふ》、あす此亭主が來て君に出て貰ひたいと云ふから、其譯を聞いたら亭主の云ふのは尤もだ。夫《それ》でももう一應|慥《たし》かめる積りで今朝あすこへ寄つて詳しい話を聞いてきたんだ」
 おれには山嵐の云ふ事が何の意味だか分らない。
 「亭主が君に何を話したんだか、おれが知つてるもんか。さう自分|丈《だけ》で極めたつて仕樣《しやう》があるか。譯があるなら、譯を話すが順だ。てんから亭主の云ふ方が尤もだなんて失敬千萬な事を云ふな」
 「うん、そんなら云つてやらう。君は亂暴であの下宿で持て餘《あ》まされて居るんだ。いくら下宿の女房だつて、下女たあ違ふぜ。足を出して拭かせるなんて、威張り過ぎるさ」
 「おれが、いつ下宿の女房に足を拭かせた」
 「拭かせたかどうだか知らないが、兎に角向ふぢや、君に困つてるんだ。下宿料の十圓や十五圓は懸物《かけもの》を一幅賣りや、すぐ浮いてくるつて云つてたぜ」
 「利いた風な事をぬかす野郎だ。そんなら、なぜ置いた」
 「なぜ置いたか、僕は知らん、置くことは置いたんだが、いやになつたんだから、出ろと云ふんだらう。君出てやれ」
 「當り前だ。居てくれと手を合せたつて、居るものか。一體そんな云ひ懸りを云ふ樣な所へ周旋する君からしてが不埒《ふらち》だ」
 「おれが不埒《ふらち》か、君が大人《おとな》しくないんだか、どつちかだらう」
 山嵐もおれに劣らぬ肝癪持ちだから、負け嫌な大きな聲を出す。控所に居た連中は何事が始まつたかと思つて、みんな、おれと山嵐の方を見て、顋を長くしてぼんやりして居る。おれは、別に耻づかしい事をした覺えはないんだから、立ち上がりながら、部屋中一通り見巡《みま》はしてやつた。みんなが驚ろいてるなかに野だ丈《だけ》は面白さうに笑つて居た。おれの大きな眼が、貴樣も喧嘩をする積りかと云ふ權幕《けんまく》で、野だの干瓢《かんぺう》づらを射貫《いぬ》いた時に、野だは突然眞面目な顔をして、大《おほい》につゝしんだ。少し怖《こ》はかつたと見える。其うち喇叭《らつぱ》が鳴る。山嵐もおれも喧嘩を中止してヘ場へ出た。
 
 午後は、先夜おれに對して無禮を働いた寄宿生の處分法に就ての會議だ。會議といふものは生れて始めてだから頓《とん》と容子が分らないが、職員が寄つて、たかつて自分勝手な説をたてゝ、夫《それ》を校長が好《い》い加減に纒めるのだらう。纒めるといふのは黒白《こくびやく》の決しかねる事柄に就て云ふべき言葉だ。この場合の樣な、誰が見たつて、不都合としか思はれない事件に會議をするのは暇潰《ひまつぶ》しだ。誰が何と解釋したつて異説の出《で》樣《やう》筈《はず》がない。こんな明白なのは即座に校長が處分して仕舞へばいゝに。隨分決斷のない事だ。校長つてものが、これならば、何の事はない、※[者/火]え切らない愚圖の異名だ。
 會議室は校長室の隣りにある細長い部屋で、平常は食堂の代理を勤める。黒い皮で張つた椅子が二十脚ばかり、長いテーブルの周圍に並んで一寸神田の西洋料理屋位な格だ。其テーブルの端《はじ》に校長が坐つて、校長の隣りに赤シヤツが構へる。あとは勝手次第に席に着くんださうだが、體操のヘ師|丈《だけ》はいつも席末に謙遜すると云ふ話だ。おれは樣子が分らないから、博物のヘ師と漢學のヘ師の間へ這入り込んだ。向ふを見ると山嵐と野だが並んでる。野だの顔はどう考へても劣等だ。喧嘩はしても山嵐の方が遙かに趣《おもむき》がある。おやぢの葬式の時に小日向《こびなた》の養源寺《やうげんじ》の座敷にかゝつてた懸物は此顔によく似て居る。坊主に聞いてみたら韋駄天《ゐだてん》と云ふ怪物ださうだ。今日は怒《おこ》つてるから、眼をぐる/\廻しちや、時々おれの方を見る。そんな事で威嚇《おど》かされて堪まるもんかと、おれも負けない氣で、矢つ張り眼をぐりつかせて、山嵐をにらめてやつた。おれの眼は恰好はよくないが、大きい事に於ては大抵な人には負けない。あなたは眼が大きいから役者になると屹度《きつと》似合ひますと清がよく云つた位だ。
 もう大抵御揃でせうかと校長が云ふと、書記の川村と云ふのが一つ二つと頭數《あたまかず》を勘定して見る。一人足りない。一人不足ですがと考へてゐたが、是は足りない筈だ。唐茄子《たうなす》のうらなり君が來て居ない。おれとうらなり君とはどう云ふ宿世《すくせ》の因縁かしらないが、此人の顔を見て以來どうしても忘れられない。控所へくれば、すぐ、うらなり君が眼につく、途中をあるいて居ても、うらなり先生の樣子が心に浮ぶ。温泉へ行くと、うらなり君が時々蒼い顔をして湯壺のなかに膨《ふく》れて居る。挨拶をするとへえと恐縮して頭を下げるから氣の毒になる。學校へ出てうらなり君程|大人《おとな》しい人は居ない。滅多に笑つた事もないが、餘計な口をきいた事もない。おれは君子といふ言葉を書物の上で知つてるが、是は字引にある許《ばか》りで、生きてるものではないと思つてたが、うらなり君に逢つてから始めて、矢つ張り正體のある文字《もじ》だと感心した位だ。
 此位關係の深い人の事だから、會議室へ這入るや否や、うらなり君の居ないのは、すぐ氣がついた。實を云ふと、此男の次へでも坐《す》はらうかと、ひそかに目標《めじるし》にして來た位だ。校長はもうやがて見えるでせうと、自分の前にある紫の袱紗包《ふくさづゝみ》をほどいて、蒟蒻版《こんにやくばん》の樣な者を讀んで居る。赤シヤツは琥珀《こはく》のパイプを絹ハンケチで磨き始めた。此男は是が道樂である。赤シヤツ相當の所だらう。ほかの連中は隣り同志で何だか私語《さゝや》き合つて居る。手持無沙汰なのは鉛筆の尻に着いて居る、護謨《ゴム》の頭でテーブルの上へしきりに何か書いて居る。野だは時々山嵐に話しかけるが、山嵐は一向應じない。只うん〔二字傍点〕とかあゝ〔二字傍点〕と云ふ許《ばか》りで、時々|怖《こは》い眼をして、おれの方を見る。おれも負けずに睨《にら》め返す。
 所へ待ちかねた、うらなり君が氣の毒さうに這入つて來て少々用事がありまして、遅刻致しましたと慇懃《いんぎん》に狸に挨拶をした。では會議を開きますと狸は先づ書記の川村君に蒟蒻版《こんにやくばん》を配布させる。見ると最初が處分の件、次が生徒取締の件、其他二三ケ條である。狸は例の通り勿體ぶつて、ヘ育の生靈《いきりやう》と云ふ見えでこんな意味の事を述べた。「學校の職員や生徒に過失のあるのは、みんな自分の寡コ《くわとく》の致す所で、何か事件がある度に、自分はよく是で校長が勤まるとひそかに慚愧《ざんき》の念に堪へんが、不幸にして今回も亦かゝる騷動を引き起したのは、深く諸君に向つて謝罪しなければならん。然し一たび起つた以上は仕方がない、どうにか處分をせんければならん、事實は既に諸君の御承知の通であるからして、善後策《ぜんごさく》について腹藏のない事を參考の爲めに御述べ下さい」
 おれは校長の言葉を聞いて、成程校長だの狸だのと云ふものは、えらい事を云ふもんだと感心した。かう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎《とが》だとか、不コだとか云ふ位なら、生徒を處分するのは、やめにして、自分から先へ免職になつたら、よさゝうなもんだ。さうすればこんな面倒な會議なんぞを開く必要もなくなる譯だ。第一常識から云つても分つてる。おれが大人《おとな》しく宿直をする。生徒が亂暴をする。わるいのは校長でもなけりや、おれでもない、生徒|丈《だけ》に極つてる。もし山嵐が煽動したとすれば、生徒と山嵐を退治《たいぢ》れば夫《それ》で澤山だ。人の尻を自分で脊負《しよ》い込んで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの國にあるもんか、狸でなくつちや出來る藝當ぢやない。彼はこんな條理に適《かな》はない議論を吐いて、得意氣に一同を見廻した。所が誰も口を開《ひら》くものがない。博物のヘ師は第一ヘ場の屋根に烏がとまつてるのを眺めて居る。漢學の先生は蒟蒻版《こんにやくばん》を疊んだり、延ばしたりしてる。山嵐はまだおれの顔をにらめて居る。會議と云ふものが、こんな馬鹿氣たものなら、缺席して晝寐でもして居る方がましだ。
 おれは、ぢれつたく成つたから、一番大いに辯じてやらうと思つて、半分尻をあげかけたら、赤シヤツが何か云ひ出したから、やめにした。見るとパイプを仕舞つて、縞のある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云つて居る。あの手巾《はんけち》は屹度マドンナから卷き上げたに相違ない。男は白い麻を使ふもんだ。「私も寄宿生の亂暴を聞いて甚だヘ頭として不行屆であり、且つ平常のコ化が少年に及ばなかつたのを深く慚《は》づるのであります。でかう云ふ事は、何か陷缺《かんけつ》があると起るもので、事件其物を見ると何だか生徒|丈《だけ》がわるい樣であるが、其眞相を極めると責任は却つて學校にあるかも知れない。だから表面上にあらはれた所|丈《だけ》で嚴重な制裁を加へるのは、却つて未來の爲によくないかとも思はれます。且つ少年血氣のものであるから活氣があふれて、善惡の考はなく、半《なか》ば無意識にこんな惡戯《いたづら》をやる事はないとも限らん。で固より處分法は校長の御考にある事だから、私の容喙《ようかい》する限《かぎり》ではないが、どうか其邊を御斟酌《ごしんしやく》になつて、なるべく寛大な御取計を願ひたいと思ひます」
 成程狸が狸なら、赤シヤツも赤シヤツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんぢやないヘ師が惡るいんだと公言して居る。氣狂が人の頭を撲《なぐ》り付けるのは、なぐられた人がわるいから、氣狂がなぐるんださうだ。難有《ありがた》い仕合せだ。活氣にみちて困るなら運動場へ出て相撲《すまふ》でも取るがいゝ、半《なか》ば無意識に床の中へバツタを入れられて堪るもんか。此樣子ぢや寐頸《ねくび》をかゝれても、半《なか》ば無意識だつて放免する積《つもり》だらう。
 おれはかう考へて何か云はうかなと考へて見たが、云ふなら人を驚ろすか樣に滔々《たう/\》と述べたてなくつちや詰らない、おれの癖として、腹が立つたときに口をきくと、二言《ふたこと》か三言《みこと》で必ず行き塞《つま》つて仕舞ふ。狸でも赤シヤツでも人物から云ふと、おれよりも下等だが、辯舌は中々達者だから、まづい事を喋舌《しやべ》つて揚足を取られちや面白くない。一寸腹案を作つて見《み》樣《やう》と、胸のなかで文章を作つてる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて生意氣だ。野だは例のへら/\調で「實に今回のバツタ事件及び咄喊《とつかん》事件は吾々心ある職員をして、ひそかに吾校將來の前途に危惧《きぐ》の念を抱《いだ》かしむるに足る珍事でありまして、吾々職員たるものは此際|奮《ふる》つて自《みづか》ら省みて、全校の風紀を振肅しなければなりません。それで只今校長及びヘ頭の御述べになつた御説は、實に肯綮《こうけい》に中《あた》つた剴切《がいせつ》な御考へで私は徹頭徹尾賛成致します。どうか成るべく寛大の御處分を仰ぎたいと思ひます」と云つた。野だの云ふ事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列するぎりで譯が分らない。分つたのは徹頭徹尾賛成致しますと云ふ言葉だけだ。
 おれは野だの云ふ意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立つたから、腹案も出來ないうちに起ち上がつて仕舞つた。「私は徹頭徹尾反對です……」と云つたがあとが急に出て來ない。「……そんな頓珍漢《とんちんかん》な、處分は大嫌です」とつけたら、職員が一同笑ひ出した。「一體生徒が全然|惡《わ》るいです。どうしても詫《あや》まらせなくつちあ、癖になります。退校さしても構ひません。……何だ失敬な、新しく來たヘ師だと思つて……」と云つて着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわるい事も、わるいが、あまり嚴重な罸|抔《など》をすると却つて反動を起していけないでせう。矢つ張りヘ頭の仰しやる通り、寛《くわん》な方に賛成します」と弱い事を云つた。左隣の漢學は穩便説《をんびんせつ》に賛成と云つた。歴史もヘ頭と同説だと云つた。忌々しい、大抵のものは赤シヤツ黨だ。こんな連中が寄り合つて學校を立てゝ居りや世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辭職するか二つのうち一つに極めてるんだから、もし赤シヤツが勝ちを制したら、早速うちへ歸つて荷作りをする覺悟で居た。どうせ、こんな手合《てあひ》を辯口で屈伏させる手際はなし、させた所でいつ迄御交際を願ふのは、此方《こつち》で御免だ。學校に居ないとすればどうなつたつて構ふもんか。また何か云ふと笑ふに違ない。だれが云ふもんかと澄《すま》して居た。
 すると今迄だまつて聞いて居た山嵐が奮然として、起ち上がつた。野郎又赤シヤツ賛成の意を表するな、どうせ、貴樣とは喧嘩だ、勝手にしろと見て居ると山嵐は硝子窓《ガラスまど》を振はせる樣な聲で「私はヘ頭及び其他諸君の御説には全然不同意であります。と云ふものは此事件はどの點から見ても、五十名の寄宿生が新來のヘ師某氏を輕侮して之を翻弄《ほんろう》し樣《やう》とした所爲とより外には認められんのであります。ヘ頭は其源因をヘ師の人物|如何《いかん》に御求めになる樣でありますが失禮ながら夫《それ》は失言かと思ひます。某氏が宿直にあたられたのは着後早々の事で、未《ま》だ生徒に接せられてから二十日《はつか》に滿たぬ頃であります。此短かい二十日間《はつかかん》に於て生徒は君の學問人物を評價し得る餘地がないのであります。輕侮されべき至當な理由があつて、輕侮を受けたのなら生徒の行爲に斟酌《しんしやく》を加へる理由もありませうが、何等の源因もないのに新來の先生を愚弄する樣な輕薄な生徒を寛假《くわんか》しては學校の威信に關はる事と思ひます。ヘ育の精神は單に學問を授ける許《ばか》りではない、高尚な、正直な、武士的な元氣を鼓吹すると同時に、野卑な、輕躁《けいさう》な、暴慢な惡風を掃蕩するにあると思ひます。もし反動が恐しいの、騷動が大きくなるのと姑息《こそく》な事を云つた日には此|弊風《へいふう》はいつ矯正出來るか知れません。かゝる弊風を杜絶する爲めにこそ吾々は此學校に職を奉じて居るので、之を見逃《みの》がす位なら始めからヘ師にならん方がいゝと思ひます。私は以上の理由で寄宿生一同を嚴罸に處する上に、當該ヘ師の面前に於て公《おほや》けに謝罪の意を表せしむるのを至當の所置と心得ます」と云ひながら、どんと腰を卸した。一同はだまつて何にも言はない。赤シヤツは又パイプを拭き始めた。おれは何だか非常に嬉しかつた。おれの云はうと思ふ所をおれの代りに山嵐がすつかり言つてくれた樣なものだ。おれはかう云ふ單純な人間だから、今迄の喧嘩は丸《まる》で忘れて、大《おほい》いに難有《ありがた》いと云ふ顔を以て、腰を卸した山嵐の方を見たら、山嵐は一向知らん面《かほ》をしてゐる。
 しばらくして山嵐は又起立した。「只今一寸失念して言ひ落しましたから、申します。當夜の宿直員は宿直中外出して温泉に行かれた樣であるが、あれは以ての外の事と考へます。苟《いや》しくも自分が一校の留守番を引き受けながら、咎《とが》める者のないのを幸《さいはひ》に、場所もあらうに温泉|抔《など》へ入湯にいく抔《など》と云ふのは大《おほき》な失體である。生徒は生徒として、此點に就ては校長からとくに責任者に御注意あらん事を希望します」
 妙な奴だ、ほめたと思つたら、あとからすぐ人の失策をあばいて居る。おれは何の氣もなく、前の宿直が出あるいた事を知つて、そんな習慣だと思つて、つい温泉迄行つて仕舞つたんだが、成程さう云はれてみると、是はおれが惡《わ》るかつた。攻撃されても仕方がない。そこでおれは又|起《た》つて「私は正に宿直中に温泉に行きました。是は全くわるい。あやまります」と云つて着席したら、一同が又笑ひ出した。おれが何か云ひさへすれば笑ふ。つまらん奴等だ。貴樣等是程自分のわるい事を公《おほや》けにわるかつたと斷言出來るか、出來ないから笑ふんだらう。
 夫《それ》から校長は、もう大抵御意見もない樣でありますから、よく考へた上で處分しませうと云つた。序《ついで》だから其結果を云ふと、寄宿生は一週間の禁足になつた上に、おれの前へ出て謝罪をした。謝罪をしなければ其時辭職して歸る所だつたがなまじい、おれの云ふ通《とほり》になつたのでとう/\大變な事になつて仕舞つた。夫《それ》はあとから話すが、校長は此時會議の引き續きだと號してこんな事を云つた。生徒の風儀は、ヘ師の感化で正していかなくてはならん、其一着手として、ヘ師は可成《なるべく》飲食店|抔《など》に出入《しゆつにふ》しない事にしたい。尤も送別會|抔《など》の節は特別であるが、單獨にあまり上等でない場所へ行くのはよしたい――たとへば蕎麥屋だの、團子屋だの――と云ひかけたら又一同が笑つた。野だが山嵐を見て天麩羅《てんぷら》と云つて目くばせをしたが山嵐は取り合はなかつた。いゝ氣味《きび》だ。
 おれは腦がわるいから、狸の云ふことなんか、よく分らないが、蕎麥屋と團子屋へ行つて、中學のヘ師が勤まらなくつちや、おれ見た樣《やう》な食《く》ひ心棒《しんぼう》にや到底出來つ子ないと思つた。それなら、夫《それ》でいゝから、初手《しよて》から蕎麥と團子の嫌《きらひ》なものと注文して雇ふがいゝ。だんまりで辭令を下げて置いて、蕎麥を食ふな、團子を食ふなと罪な御布令《おふれ》を出すのは、おれの樣な外に道樂のないものに取つては大變な打撃だ。すると赤シヤツが又口を出した。「元來中學のヘ師なぞは社會の上流に位するものだからして、單に物質的の快樂ばかり求める可きものでない。其方に耽《ふけ》るとつい品性にわるい影響を及ぼす樣になる。然し人間だから、何か娯樂がないと、田舍へ來て狹い土地では到底暮せるものではない。其《それ》で釣に行くとか、文學書を讀むとか、又は新體詩や俳句を作るとか、何でも高尚な精神的娯樂を求めなくつてはいけない……」
 だまつて聞いてると勝手な熱を吹く。沖へ行つて肥料《こやし》を釣つたり、ゴルキが露西亞《ロシア》の文學者だつたり、馴染《なじみ》の藝者が松の木の下に立つたり、古池へ蛙《かはづ》が飛び込んだりするのが精神的娯樂なら、天麩羅を食つて團子を呑み込むのも精神的娯樂だ。そんな下《くだ》さらない娯樂を授けるより赤シヤツの洗濯でもするがいゝ。あんまり腹が立つたから「マドンナに逢ふのも精神的娯樂ですか」と聞いてやつた。すると今度は誰も笑はない。妙な顔をして互に眼と眼を見合せて居る。赤シヤツ自身は苦しさうに下を向いた。夫《それ》見ろ。利いたらう。只氣の毒だつたのはうらなり君で、おれが、かう云つたら蒼い顔を益《ます/\》蒼くした。
 
     七
 
 おれは即夜《そくや》下宿を引き拂つた。宿へ歸つて荷物をまとめて居ると、女房が何か不都合でも御座いましたか、御腹の立つ事があるなら、云つて御呉れたら改めますと云ふ。どうも驚ろく。世の中にはどうして、こんな要領を得ない者ばかり揃つてるんだらう。出て貰ひたいんだか、居て貰ひたいんだか分りやしない。丸《まる》で氣狂《きちがひ》だ。こんな者を相手に喧嘩をしたつて江戸つ子の名折れだから、車屋をつれて來てさつさと出てきた。
 出た事は出たが、どこへ行くと云ふあてもない。車屋が、どちらへ參りますと云ふから、だまつて尾《つ》いて來い、今にわかる、と云つて、すた/\やつて來た。面倒だから山城屋へ行かうかとも考へたが、又出なければならないから、つまり手數《てすう》だ。かうして歩行《ある》いてるうちには下宿とか、何とか看板のあるうちを目付《めつ》け出すだらう。さうしたら、そこが天意に叶《かな》つたわが宿と云ふ事にしやう。とぐる/\、閑靜で住みよさゝうな所をあるいてるうち、とう/\鍛冶屋町《かぢやちやう》へ出て仕舞つた。こゝは士族屋敷で下宿屋|抔《など》のある町ではないから、もつと賑やかな方へ引き返さうかとも思つたが、不圖いゝ事を考へ付いた。おれが敬愛するうらなり君は此町内に住んで居る。うらなり君は土地の人で先祖代々の屋敷を控へてゐる位だから、此邊の事情には通じて居るに相違ない。あの人を尋ねて聞いたら、よさゝうな下宿をヘへてくれるかも知れない。幸《さいはひ》一度挨拶に來て勝手は知つてるから、捜がしてあるく面倒はない。こゝだらうと、いゝ加減に見當をつけて、御免/\と二返|許《ばか》り云ふと、奧から五十位な年寄が古風な紙燭《しそく》をつけて、出て來た。おれは若い女も嫌《きらひ》ではないが、年寄を見ると何だかなつかしい心持ちがする。大方|清《きよ》がすきだから、其|魂《たましひ》が方々の御婆さんに乘り移るんだらう。是は大方うらなり君の御母《おつか》さんだらう。切り下げの品格のある婦人だが、よくうらなり君に似て居る。まあ御上がりと云ふ所を、一寸御目にかゝりたいからと、主人を玄關迄呼び出して實は是々だが君どこか心當りはありませんかと尋ねて見た。うらなり先生|夫《それ》は嘸《さぞ》御困りで御座いませう、としばらく考へて居たが、此裏町に萩野《はぎの》と云つて老人夫婦ぎりで暮らして居るものがある、いつぞや座敷を明けて置いても無駄だから、慥《たし》かな人があるなら貸してもいゝから周旋してくれと頼んだ事がある。今でも貸すかどうか分らんが、まあ一所に行つて聞いてみませうと、親切に連れて行つてくれた。
 其夜から萩野《はぎの》の家《うち》の下宿人となつた。驚いたのは、おれがいか銀の座敷を引き拂ふと、翌日《あくるひ》から入《い》れ違《ちがひ》に野だが平氣な顔をして、おれの居た部屋を占領した事だ。さすがのおれも是にはあきれた。世の中はいかさま師|許《ばか》りで、御互に乘せつこをして居るのかも知れない。いやになつた。
 世間がこんなものなら、おれも負けない氣で、世間並にしなくちや、遣り切れない譯になる。巾着切りの上前《うはまへ》をはねなければ三度の御膳が戴けないと、事が極まればかうして、生きてるのも考へ物だ。と云つてぴん/\した達者なからだで、首を縊つちや先祖へ濟まない上に、外聞が惡い。考へると物理學校|抔《など》へ這入つて、數學なんて役にも立たない藝を覺えるよりも、六百圓を資本《もとで》にして牛乳屋でも始めればよかつた。さうすれば清もおれの傍《そば》を離れずに濟むし、おれも遠くから婆さんの事を心配しずに暮らされる。一所《いつしよ》に居るうちは、さうでもなかつたが、かうして田舍へ來てみると清は矢つ張り善人だ。あんな氣立のいゝ女は日本中さがして歩行《ある》いたつて滅多にはない。婆さん、おれの立つときに、少々風邪を引いて居たが今頃はどうしてるか知らん。先達《せんだつ》ての手紙を見たら嘸《さぞ》喜んだらう。それにしても、もう返事がきさうなものだが――おれはこんな事|許《ばか》り考へて二三日《にさんち》暮して居た。
 氣になるから、宿の御婆さんに、東京から手紙は來ませんかと時々尋ねて見るが、聞くたんびに何にも參りませんと氣の毒さうな顔をする。こゝの夫婦はいか銀とは違つて、もとが士族だけに双方共上品だ。爺さんが夜《よ》るになると、變な聲を出して謠《うたひ》をうたふには閉口するが、いか銀の樣に御茶を入れませうと無暗に出て來ないから大きに樂《らく》だ。御婆さんは時々部屋へ來て色々な話をする。どうして奧さんをお連れなさつて、一所に御出《おい》でなんだのぞなもしなどゝ質問をする。奧さんがある樣に見えますかね。可哀想に是でもまだ二十四ですぜと云つたらそれでも、あなた二十四で奧さんが御有りなさるのは當り前ぞなもしと冒頭を置いて、どこの誰さんは二十で御嫁を御貰ひたの、どこの何とかさんは二十二で子供を二人御持ちたのと、何でも例を半ダース許《ばか》り擧げて反駁《はんばく》を試みたには恐れ入つた。それぢや僕も二十四で御嫁を御貰ひるけれ、世話をして御呉れんかなと田舍言葉を眞似て頼んで見たら、御婆さん正直に本當かなもしと聞いた。
 「本當《ほんたう》の本當《ほんま》のつて僕あ、嫁が貰ひ度くつて仕方がないんだ」
 「左樣《さう》ぢやろうがな、もし。若いうちは誰もそんなものぢやけれ」此挨拶には痛み入つて返事が出來なかつた。
 「然し先生はもう、御嫁が御有りなさるに極《きま》つとらい。私《わたし》はちやんと、もう、睨《ね》らんどるぞなもし」
 「へえ、活眼《くわつがん》だね。どうして、睨《ね》らんどるんですか」
 「何故《どう》しててゝ。東京から便りはないか、便りはないかてゝ、毎日便りを待ち焦《こ》がれて御いでるぢやないかなもし」
 「こいつあ驚いた。大變な活眼《くわつがん》だ」
 「中《あた》りましたらうがな、もし」
 「さうですね。中《あた》つたかも知れませんよ」
 「然し今時の女子《をなご》は、昔と違ふて油斷が出來んけれ、御氣を御付けたがえゝぞなもし」
 「何ですかい、僕の奧さんが東京で間男《まをとこ》でもこしらへて居ますかい」
 「いゝえ、あなたの奧さんは慥《たし》かぢやけれど……」
 「それで、漸《やつ》と安心した。夫《それ》ぢや何を氣を付けるんですい」
 「あなたのは慥《たし》か――あなたのは慥《たし》かぢやが――」
 「何處に不慥《ふたし》かなのが居ますかね」
 「こゝ等にも大分《だいぶ》居ります。先生、あの遠山《とほやま》の御孃さんを御存知《ごぞんじ》かなもし」
 「いゝえ、知りませんね」
 「まだ御存知《ごぞんじ》ないかなもし。こゝらであなた一番の別嬪《べつぴん》さんぢやがなもし。あまり別嬪さんぢやけれ、學校の先生方はみんなマドンナ/\と言ふといでるぞなもし。まだお聞きんのかなもし」
 「うん、マドンナですか。僕あ藝者の名かと思つた」
 「いゝえ、あなた。マドンナと云ふと唐人《たうじん》の言葉で、別嬪《べつぴん》さんの事ぢやろうがなもし」
 「さうかも知れないね。驚いた」
 「大方畫學の先生が御付けた名ぞなもし」
 「野だがつけたんですかい」
 「いゝえ、あの吉川先生が御付けたのぢやがなもし」
 「其マドンナが不慥《ふたしか》なんですかい」
 「其マドンナさんが不慥《ふたしか》なマドンナさんでな、もし」
 「厄介《やつかい》だね。渾名《あだな》の付いてる女にや昔から碌なものは居ませんからね。さうかも知れませんよ」
 「ほん當にさうぢやなもし。鬼神《きじん》のお松《まつ》ぢやの、妲妃《だつき》のお百《ひやく》ぢやのてゝ怖《こは》い女が居りましたなもし」
 「マドンナも其同類なんですかね」
 「其マドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたを此所へ世話をして御呉れた古賀先生なもし――あの方《かた》の所へ御嫁に行く約束が出來て居たのぢやがなもし――」
 「へえ、不思議なもんですね。あのうらなり君が、そんな艶福《えんぷく》のある男とは思はなかつた。人は見懸けによらない者だな。ちつと氣を付けやう」
 「所が、去年あすこの御父さんが、御亡くなりて、――夫《それ》迄《まで》は御金もあるし、銀行の株も持つて御出《おいで》るし、萬事都合がよかつたのぢやが――夫《それ》からと云ふものは、どう云ふものか急に暮し向きが思はしくなくなつて――詰り古賀さんがあまり御人《おひと》が好過ぎるけれ、御欺《おだま》されたんぞなもし。それや、これやで御輿入《おこしいれ》も延びて居る所へ、あのヘ頭さんが御出《おい》でゝ、是非御嫁にほしいと御云ひるのぢやがなもし」
 「あの赤シヤツがですか。ひどい奴だ。どうもあのシヤツは只のシヤツぢやないと思つてた。それから?」
 「人を頼んで懸合《かけあ》ふてお見ると、遠山さんでも古賀さんに義理があるから、すぐには返事は出來かねて――まあよう考へて見やう位の挨拶を御《お》したのぢやがなもし。すると赤シヤツさんが、手蔓《てづる》を求めて遠山さんの方《はう》へ出入《でいり》をおしる樣《やう》になつて、とう/\あなた、御孃さんを手馴付《てなづ》けてお仕舞ひたのぢやがなもし。赤シヤツさんも赤シヤツさんぢやが、御孃さんも御孃さんぢやてゝ、みんなが惡《わ》るく云ひますのよ。一旦古賀さんへ嫁に行くてゝ承知をしときながら、今更《いまさら》學士さんが御出《おいで》たけれ、其《その》方《はう》に替へよてゝ、それぢや今日樣《こんにちさま》へ濟むまいがなもし、あなた」
 「全く濟まないね。今日樣《こんにちさま》所《どころ》か明日樣《みやうにちさま》にも明後日樣《みやうごにちさま》にも、いつ迄行つたつて濟みつこありませんね」
 「夫《それ》で古賀さんに御氣の毒ぢやてゝ、御友達の堀田さんがヘ頭の所へ意見をしに御行きたら、赤シヤツさんが、あしは約束のあるものを横取りする積《つもり》はない。破約になれば貰ふかも知れんが、今の所は遠山家と只交際をして居る許《ばか》りぢや、遠山家と交際をするには別段古賀さんに濟まん事もなからうと御云ひるけれ、堀田さんも仕方がなしに御戻りたさうな。赤シヤツさんと堀田さんは、それ以來折合がわるいと云ふ評判ぞなもし」
 「よく色々な事を知つてますね。どうして、そんな詳しい事が分るんですか。感心しちまつた」
 「狹いけれ何でも分りますぞなもし」
 分り過ぎて困る位だ。此容子ぢやおれの天麩羅や團子の事も知つてるかも知れない。厄介な所だ。然し御蔭樣でマドンナの意味もわかるし、山嵐と赤シヤツの關係もわかるし大《おほい》に後學になつた。只困るのはどつちが惡《わ》る者だか判然しない。おれの樣な單純なものには白とか黒とか片づけて貰はないと、どつちへ味方をしていゝか分らない。
 「赤シヤツと山嵐たあ、どつちがいゝ人ですかね」
 「山嵐て何ぞなもし」
 「山嵐と云ふのは堀田の事ですよ」
 「そりや強い事は堀田さんの方が強さうぢやけれど、然し赤シヤツさんは學士さんぢやけれ、働らきはある方《かた》ぞな、もし。夫《それ》から優しい事も赤シヤツさんの方が優しいが、生徒の評判は堀田さんの方がえゝといふぞなもし」
 「つまり何方《どつち》がいゝんですかね」
 「つまり月給の多い方が豪《えら》いのぢやらうがなもし」
 是ぢや聞いたつて仕方がないから、やめにした。夫《それ》から二三日《にさんち》して學校から歸ると御婆さんがにこ/\して、へえ御待遠さま。やつと參りました。と一本の手紙を持つて來てゆつくり御覽と云つて出て行つた。取り上げてみると清からの便りだ。符箋《ふせん》が二三枚ついてるから、よく調べると、山城屋から、いか銀の方へ廻して、いか銀から、萩野へ廻つて來たのである。其上山城屋では一週間|許《ばか》り逗留《とうりう》して居る。宿屋|丈《だけ》に手紙迄|泊《とめ》る積《つもり》なんだらう。開いてみると、非常に長いもんだ。坊つちやんの手紙を頂いてから、すぐ返事をかゝうと思つたが、生憎《あいにく》風邪を引いて一週間|許《ばか》り寐て居たものだから、つい遅くなつて濟まない。其上今時の御孃さんの樣に讀み書きが達者でないものだから、こんなまづい字でも、かくのに餘つ程骨が折れる。甥に代筆を頼まうと思つたが、折角あげるのに自分でかゝなくつちや、坊つちやんに濟まないと思つて、わざ/\下《し》たがきを一返して、それから清書をした。清書をするには二日で濟んだが、下《し》た書きをするには四日かゝつた。讀みにくいかも知れないが、是でも一生懸命にかいたのだから、どうぞ仕舞迄讀んでくれ。といふ冒頭で四尺ばかり何やら蚊《か》やら認《したゝ》めてある。成程讀みにくい。字がまづい許《ばかり》ではない、大抵平假名だから、どこで切れて、どこで始まるのだか句讀《くとう》をつけるのに餘つ程骨が折れる。おれは焦《せ》つ勝《か》ちな性分だから、こんな長くて、分りにくい手紙は、五圓やるから讀んでくれと頼まれても斷はるのだが、此時ばかりは眞面目になつて、始から終《しまひ》迄讀み通した。讀み通した事は事實だが、讀む方に骨が折れて、意味がつながらないから、又頭から讀み直してみた。部屋のなかは少し暗くなつて、前の時より見にくゝ、なつたから、とう/\椽鼻《えんばな》へ出て腰をかけながら鄭寧《ていねい》に拝見した。すると初秋《はつあき》の風が芭蕉の葉を動かして、素肌《すはだ》に吹きつけた歸りに、讀みかけた手紙を庭の方へなびかしたから、仕舞《しまひ》ぎはには四尺あまりの半切《はんき》れがさらり/\と鳴つて、手を放すと、向ふの生垣《いけがき》迄飛んで行きさうだ。おれはそんな事には構つて居られない。坊つちやんは竹を割つた樣な氣性だが、只肝癪が強過ぎてそれが心配になる。――ほかの人に無暗に渾名《あだな》なんか、つけるのは人に恨まれるもとになるから、矢鱈《やたら》に使つちやいけない、もしつけたら、清|丈《だけ》に手紙で知らせろ。――田舍者は人がわるいさうだから、氣をつけて苛《ひど》い目に遭《あ》はない樣にしろ。――氣候だつて東京より不順に極つてるから、寐冷をして風邪を引いてはいけない。坊つちやんの手紙はあまり短過《みじかす》ぎて、容子がよくわからないから、此次には責めて此手紙の半分位の長さのを書いてくれ。――宿屋へ茶代を五圓やるのはいゝが、あとで困りやしないか、田舍へ行つて頼りになるは御金ばかりだから、なるべく儉約して、萬一の時に差支へない樣にしなくつちやいけない。――御小遣がなくて困るかも知れないから、爲替《かはせ》で十圓あげる。――先達《せんだつ》て坊つちやんからもらつた五十圓を、坊つちやんが、東京へ歸つて、うちを持つ時の足《た》しにと思つて、郵便局へ預けて置いたが、此十圓を引いてもまだ四十圓あるから大丈夫だ。――成程女と云ふものは細かいものだ。
 おれが椽鼻《えんばな》で清の手紙をひらつかせながら、考へ込んで居ると、しきりの襖《ふすま》をあけて、萩野の御婆さんが晩めしを持つてきた。まだ見て御出《おい》でるのかなもし。えつぽど長い御手紙ぢやなもし、と云つたから、えゝ大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事をして膳についた。見ると今夜も薩摩芋の※[者/火]つけだ。こゝのうちは、いか銀よりも鄭寧《ていねい》で、親切で、しかも上品だが、惜しい事に食ひ物がまづい。昨日《きのふ》も芋、一昨日《をとゝひ》も芋で今夜も芋だ。おれは芋は大好きだと明言したには相違ないが、かう立てつづけに芋を食はされては命がつづかない。うらなり君を笑ふ所か、おれ自身が遠からぬうちに、芋のうらなり先生になつちまふ。清ならこんな時に、おれの好きな鮪《まぐろ》のさし身か、蒲鉾《かまぼこ》のつけ燒を食はせるんだが、貧乏士族のけちん坊と來ちや仕方がない。どう考へても清と一所でなくつちあ駄目だ。もしあの學校に長くでも居る模樣なら、東京から召《よ》び寄《よ》せてやらう。天麩羅蕎麥を食つちやならない、團子を食つちやならない、夫《それ》で下宿に居て芋|許《ばか》り食つて黄色くなつて居ろなんて、ヘ育者はつらいものだ。禪宗坊主だつて、是よりは口に榮耀《ええう》をさせて居るだらう。――おれは一皿の芋を平《たひら》げて、机の抽斗《ひきだし》から生卵を二つ出して、茶碗の縁《ふち》でたゝき割つて、漸く凌《しの》いだ。生卵でゞも營養をとらなくつちあ一週二十一時間の授業が出來るものか。
 今日は清の手紙で湯に行く時間が遅くなつた。然し毎日行きつけたのを一日でも缺かすのは心持ちがわるい。汽車にでも乘つて出懸け樣《やう》と、例の赤手拭をぶら下げて停車場迄來ると二三分前に發車した許《ばか》りで、少々待たなければならぬ。ベンチへ腰を懸けて、敷島を吹かして居ると、偶然にもうらなり君がやつて來た。おれはさつきの話を聞いてから、うらなり君が猶更《なほさら》氣の毒になつた。平常《ふだん》から天地の間に居候《ゐさふらふ》をして居る樣に、小さく構へて居るのが如何にも憐れに見えたが、今夜は憐れ所の騷ぎではない。出來るならば月給を倍にして、遠山の御孃さんと明日《あした》から結婚さして、一ケ月|許《ばか》り東京へでも遊びにやつて遣りたい氣がした矢先だから、や御湯ですか、さあ、こつちへ御懸けなさいと威勢よく席を讓ると、うらなり君は恐れ入つた體裁で、いえ構ふておくれなさるな、と遠慮だか何だか矢《や》つ張《ぱり》立つてる。少し待たなくつちや出ません、草臥《くたび》れますから御懸けなさいと又勸めてみた。實はどうかして、そばへ懸けて貰ひたかつた位に氣の毒で堪らない。それでは御邪魔を致しませうと漸くおれの云ふ事を聞いて呉れた。世の中には野だ見た樣に生意氣な、出ないで濟む所へ必ず顔を出す奴も居る。山嵐の樣におれが居なくつちや日本が困るだらうと云ふ樣な面《つら》を肩の上へ載せてる奴もゐる。さうかと思ふと、赤シヤツの樣にコスメチツクと色男の問屋《とんや》を以て自《みづか》ら任じてゐるのもある。ヘ育が生きてフロツクコートを着ればおれになるんだと云はぬ許《ばか》りの狸もゐる。皆々|夫《そ》れ相應に威張つてるんだが、このうらなり先生の樣に在れどもなきが如く、人質に取られた人形の樣に大人《おとな》しくしてゐるのは見た事がない。顔はふくれて居るが、こんな結構な男を捨てゝ赤シヤツに靡《なび》くなんて、マドンナも餘つ程氣の知れないおきやんだ。赤シヤツが何ダース寄つたつて、これ程立派な旦那樣が出來るもんか。
 「あなたは何所《どつ》か惡いんぢやありませんか。大分《だいぶ》たいぎさうに見えますが……」
 「いえ、別段是と云ふ持病もないですが……」
 「そりや結構です。からだが惡いと人間も駄目ですね」
 「あなたは大分《だいぶ》御丈夫の樣ですな」
 「えゝ瘠せても病氣はしません。病氣なんてものあ大嫌ですから」
 うらなり君は、おれの言葉を聞いてにや/\と笑つた。
 所へ入口で若々しい女の笑聲が聞えたから、何心なく振り返《かへ》つてみるとえらい奴が來た。色の白い、ハイカラ頭の、脊《せい》の高い美人と、四十五六の奧さんとが並《なら》んで切符を賣る窓の前に立つて居る。おれは美人の形容|抔《など》が出來る男でないから何にも云へないが全く美人に相違ない。何だか水晶の珠を香水で暖《あつ》ためて、掌《てのひら》へ握つて見た樣な心持ちがした。年寄の方が脊《せ》は低い。然し顔はよく似て居るから親子だらう。おれは、や、來たなと思ふ途端に、うらなり君の事は全然《すつかり》忘れて、若い女の方ばかり見て居た。すると、うらなり君が突然おれの隣から、立ち上がつて、そろ/\女の方へ歩行《ある》き出したんで、少し驚いた。マドンナぢやないかと思つた。三人は切符所の前で輕く挨拶してゐる。遠いから何を云つてるのか分らない。
 停車場の時計を見るともう五分で發車だ。早く汽車がくればいゝがなと、話し相手が居なくなつたので待ち遠しく思つて居ると、又一人あはてゝ場内へ馳け込んで來たものがある。見れば赤シヤツだ。何だかべら/\然たる着物へ縮緬《ちりめん》の帶をだらしなく卷きつけて、例の通り金鎖《きんぐさ》りをぶらつかして居る。あの金鎖《きんぐさ》りは贋物《にせもの》である。赤シヤツは誰も知るまいと思つて、見せびらかして居るが、おれはちやんと知つてる。赤シヤツは馳け込んだなり、何かきよろ/\して居たが、切符|賣下所《うりさげじよ》の前に話して居る三人へ慇懃《いんぎん》に語辭儀をして、何か二こと、三こと、云つたと思つたら、急にこつちへ向いて、例の如く猫足《ねこあし》にあるいて來て、や君も湯ですか、僕は乘り後《おく》れやしないかと思つて心配して急いで來たら、まだ三四分ある。あの時計は慥《たしか》かしらんと、自分の金側《きんがは》を出して、二分程ちがつてると云ひながら、おれの傍《そば》へ腰を卸した。女の方はちつとも見返らないで杖の上へ顋をのせて、正面ばかり眺めて居る。年寄の婦人は時々赤シヤツを見るが、若い方は横を向いた儘である。いよ/\マドンナに違いない。
 やがて、ピユーと汽笛が鳴つて、車がつく。待ち合せた連中はぞろ/\吾れ勝に乘り込む。赤シヤツはいの一號に上等へ飛び込んだ。上等へ乘つたつて威張れる所ではない、住田まで上等が五錢で下等が三錢だから、僅か二錢違ひで上下の區別がつく。かう云ふおれでさへ上等を奮發して白切符を握つてるんでもわかる。尤も田舍者はけちだから、たつた二錢の出入《でいり》でも頗る苦になると見えて、大抵は下等へ乘る。赤シヤツのあとからマドンナとマドンナの御袋《おふくろ》が上等へ這入り込んだ。うらなり君は活版で押した樣に下等ばかりへ乘る男だ。先生、下等の車室の入口へ立つて、何だか躊躇の體《てい》であつたが、おれの顔を見るや否や思ひきつて、飛び込んで仕舞つた。おれは此時何となく氣の毒でたまらなかつたから、うらなり君のあとから、すぐ同じ車室へ乘り込んだ。上等の切符で下等へ乘るに不都合はなからう。
 温泉へ着いて、三階から、浴衣のなりで湯壺へ下りて見たら、又うらなり君に逢つた。おれは會議や何かでいざと極まると、咽喉《のど》が塞がつて饒舌《しやべ》れない男だが、平常《ふだん》は隨分辯ずる方だから、色々湯壺のなかでうらなり君に話しかけて見た。何だか憐れぽくつて堪らない。こんな時に一口でも先方の心を慰めてやるのは、江戸つ子の義務だと思つてる。所が生憎《あいにく》うらなり君の方では、うまい具合にこつちの調子に乘つて呉れない。何を云つても、え〔傍点〕とかいえ〔二字傍点〕とかぎりで、しかも其え〔傍点〕といえ〔二字傍点〕が大分《だいぶ》面倒らしいので、仕舞にはとう/\切り上げて、こつちから語免蒙つた。
 湯の中では赤シヤツに逢はなかつた。尤も風呂の數《かず》は澤山あるのだから、同じ汽車で着いても、同じ湯壺で逢ふとは極まつて居ない。別段不思議にも思はなかつた。風呂を出てみるといゝ月だ。町内の兩側に柳が植わつて、柳の枝が丸るい影を徃來の中へ落して居る。少し散歩でもしやう。北へ登つて町のはづれへ出ると、左に大きな門があつて、門の突き當りが御寺で、左右が妓樓《ぎろう》である。山門のなかに遊廓があるなんて、前代未聞《ぜんだいみもん》の現象だ。一寸這入つて見たいが、又狸から會議の時にやられるかも知れないから、やめて素通りにした。門の並《なら》びに黒い暖簾《のれん》をかけた、小さな格子窓《かうしまど》の平屋《ひらや》はおれが團子を食つて、しくぢつた所だ。丸提灯《まるぢやうちん》に汁粉、御雜※[者/火]とかいたのがぶらさがつて、提灯の火が、軒端《のきば》に近い一本の柳の幹を照らしてゐる。食ひたいなと思つたが我慢して通り過ぎた。
 食ひたい團子の食へないのは情ない。然し自分の許嫁《いひなづけ》が他人に心を移したのは、猶《なほ》情ないだらう。うらなり君の事を思ふと、團子は愚か、三日位斷食しても不平はこぼせない譯だ。本當に人間程|宛《あて》にならないものはない。あの顔を見ると、どうしたつて、そんな不人情な事をしさうには思へないんだが――うつくしい人が不人情で、冬瓜《とうがん》の水膨《みづぶく》れの樣な古賀さんが善良な君子なのだから、油斷が出來ない。淡泊だと思つた山嵐は生徒を煽動したと云ふし。生徒を煽動したのかと思ふと、生徒の處分を校長に逼るし。厭味で練りかためた樣な赤シヤツが存外親切で、おれに餘所《よそ》ながら注意をしてくれるかと思ふと、マドンナを胡魔化《ごまか》したり、胡魔化《ごまか》したのかと思ふと、古賀の方が破談にならなければ結婚は望まないんだと云ふし。いか銀が難癖をつけて、おれを追ひ出すかと思ふと、すぐ野だ公が入れ替つたり――どう考へても宛《あて》にならない。こんな事を清にかいてやつたら定めて驚く事だらう。箱根の向《むかふ》だから化物が寄り合つてるんだと云ふかも知れない。
 おれは、性來《しやうらい》構はない性分だから、どんな事でも苦にしないで今日《こんにち》迄《まで》凌いで來たのだが、此所へ來てからまだ一ケ月立つか、立たないうちに、急に世のなかを物騷に思ひ出した。別段|際《きは》だつた大事件にも出逢はないのに、もう五つ六つ年を取つた樣な氣がする。早く切り上げて東京へ歸るのが一番よからう。抔《など》と夫《それ》から夫《それ》へ考へて、いつか石橋を渡つて野芹川《のぜりがは》の堤《どて》へ出た。川と云ふとえらさうだが實は一間ぐらいな、ちよろ/\した流《ながれ》で、土手に沿ふて十二丁程|下《くだ》ると相生村《あひおひむら》へ出る。村には觀音樣がある。
 温泉《ゆ》の町を振り返ると、赤い灯《ひ》が、月の光の中にかゞやいて居る。太鼓が鳴るのは遊廓に相違ない。川の流れは淺いけれども早いから、神經質の水の樣にやたらに光る。ぶら/\土手の上をあるきながら、約三丁も來たと思つたら、向《むかふ》に人影が見え出した。月に透かして見ると影は二つある。温泉《ゆ》へ來て村へ歸る若《わか》い衆《しゆ》かも知れない。夫《それ》にしては唄もうたはない。存外靜かだ。
 段々|歩行《ある》いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。一人は女らしい。おれの足音を聞きつけて、十間位の距離に逼つた時、男が忽ち振り向いた。月は後《うしろ》からさして居る。其時おれは男の樣子を見て、はてなと思つた。男と女は又元の通りにあるき出した。おれは考があるから、急に全速力で追つ懸けた。先方は何の氣もつかずに最初の通り、ゆる/\歩を移して居る。今は話し聲も手に取る樣に聞える。土手の幅は六尺位だから、並《なら》んで行けば三人が漸くだ。おれは苦もなく後《うし》ろから追ひ付いて、男の袖を擦り拔けざま、二足《ふたあし》前へ出した踵《くびす》をぐるりと返して男の顔を覗き込んだ。月は正面からおれの五分刈の頭から顋の邊《あた》り迄、會釋もなく照らす。男はあつと小聲に云つたが、急に横を向いて、もう歸らうと女を促《うな》がすが早いか、温泉《ゆ》の町の方へ引き返した。
 赤シヤツは圖太《づぶと》くて胡魔化《ごまか》す積《つもり》か、氣が弱くて名乘り損《そく》なつたのかしら。所が狹くて困つてるのは、おれ許《ばか》りではなかつた。
 
     八
 
 赤シヤツに勸められて釣に行つた歸りから、山嵐を疑ぐり出した。無い事を種に下宿を出ろと云はれた時は、愈《いよ/\》不埒な奴だと思つた。所が會議の席では案に相違して滔々《たう/\》と生徒嚴罸論を述べたから、おや變だなと首を捩《ひね》つた。萩野の婆さんから、山嵐が、うらなり君の爲に赤シヤツと談判をしたと聞いた時は、それは感心だと手を拍《う》つた。此樣子ではわる者は山嵐ぢやあるまい、赤シヤツの方が曲つてるんで、好《いゝ》加減な邪推を實《まこと》しやかに、しかも遠廻しに、おれの頭の中へ浸み込ましたのではあるまいかと迷つてる矢先へ、野芹川《のぜりがは》の土手で、マドンナを連れて散歩なんかして居る姿を見たから、それ以來赤シヤツは曲者《くせもの》だと極めて仕舞つた。曲者《くせもの》だか何だかよくは分らないが、とも角も善《い》い男ぢやない。表と裏とは違つた男だ。人間は竹の樣に眞直《まつすぐ》でなくつちや頼母《たのも》しくない。眞直なものは喧嘩をしても心持ちがいゝ。赤シヤツの樣なやさしいのと、親切なのと、高尚なのと、琥珀《こはく》のパイプとを自慢さうに見せびらかすのは油斷が出來ない、滅多に喧嘩も出來ないと思つた。喧嘩をしても、回向院《ゑかうゐん》の相撲《すまふ》の樣な心持ちのいゝ喧嘩は出來ないと思つた。さうなると一錢五厘の出入《でいり》で控所全體を驚ろかした議論の相手の山嵐の方がはるかに人間らしい。會議の時に金壺眼《かなつぼまなこ》をぐりつかせて、おれを睨めた時は憎い奴だと思つたが、あとで考へると、それも赤シヤツのねち/\した猫撫聲《ねこなでごゑ》よりはましだ。實はあの會議が濟んだあとで、よつぽど仲直りをしやうかと思つて、一こと二こと話しかけてみたが、野郎返事もしないで、まだ眼を剥《むく》つて見せたから、此方《こつち》も腹が立つて其儘にして置いた。
 夫《それ》以來山嵐はおれと口を利かない。机の上へ返した一錢五厘は未《いま》だに机の上に乘つて居る。ほこりだらけになつて乘つて居る。おれは無論手が出せない、山嵐は決して持つて歸らない。此一錢五厘が二人の間の墻壁《しやうへき》になつて、おれは話さうと思つても話せない、山嵐は頑《ぐわん》として黙つてる。おれと山嵐には一錢五厘が祟《たゝ》つた。仕舞には學校へ出て一錢五厘を見るのが苦になつた。
 山嵐とおれが絶交の姿となつたに引き易へて、赤シヤツとおれは依然として在來の關係を保つて、交際をつゞけて居る。野芹川《のぜりがは》で逢つた翌日|抔《など》は、學校へ出ると第一番におれの傍《そば》へ來て、君今度の下宿はいゝですかの又一所に露西亞文學《ロシアぶんがく》を釣りに行かうぢやないかのと色々な事を話しかけた。おれは少々憎らしかつたから、昨夜《ゆうべ》は二返逢ひましたねと云つたら、えゝ停車場で――君はいつでもあの時分出掛けるのですか、遅いぢやないかと云ふ。野芹川の土手でも御目に懸りましたねと喰らはしてやつたら、いゝえ僕はあつちへは行かない、湯に這入つて、すぐ歸つたと答へた。何もそんなに隱さないでもよからう、現に逢つてるんだ。よく嘘をつく男だ。是で中學のヘ頭が勤まるなら、おれなんか大學總長がつとまる。おれは此時から愈《いよ/\》赤シヤツを信用しなくなつた。信用しない赤シヤツとは口をきいて、感心して居る山嵐とは話をしない。世の中は隨分妙なものだ。
 ある日の事赤シヤツが一寸君に話があるから、僕のうち迄來てくれと云ふから、惜しいと思つたが温泉行きを缺勤して四時頃出掛けて行つた。赤シヤツは一人ものだが、ヘ頭|丈《だけ》に下宿はとくの昔に引き拂つて立派な玄關を構へて居る。家賃は九圓五拾錢ださうだ。田舍へ來て九圓五拾錢拂へばこんな家《うち》へ這入れるなら、おれも一つ奮發して、東京から清を呼び寄せて喜ばしてやらうと思つた位な玄關だ。頼むと云つたら、赤シヤツの弟が取次に出て來た。此弟は學校で、おれに代數と算術をヘはる至つて出來のわるい子だ。其癖渡りものだから、生れ付いての田舍者よりも人が惡《わ》るい。
 赤シヤツに逢つて用事を聞いて見ると、大將《たいしやう》例の琥珀《こはく》のパイプで、きな臭い烟草をふかしながら、こんな事を云つた。「君が來てくれてから、前任者の時代よりも成績がよくあがつて、校長も大《おほい》にいゝ人を得たと喜んで居るので――どうか學校でも信頼して居るのだから、其積りで勉強していたゞきたい」
 「へえ、さうですか、勉強つて今より勉強は出來ませんが――」
 「今の位で充分です。只|先達《せんだつ》て御話しゝた事ですね、あれを忘れずに居て下さればいゝのです」
 「下宿の世話なんかするものあ劔呑だといふ事ですか」
 「さう露骨に云ふと、意味もない事になるが――まあ善《い》いさ――精神は君にもよく通じて居る事と思ふから。そこで君が今の樣に出精《しゆつせい》して下されば、學校の方でも、ちやんと見て居るんだから、もう少しゝて都合さへつけば、待遇の事も多少はどうにかなるだらうと思ふんですがね」
 「へえ、俸給ですか。俸給なんかどうでもいゝんですが、上がれば上がつた方がいゝですね」
 「それで幸ひ今度轉任者が一人出來るから――尤も校長に相談してみないと無論受け合へない事だが――其俸給から少しは融通が出來るかも知れないから、それで都合をつける樣に校長に話して見やうと思ふんですがね」
 「どうも難有《ありがた》ふ。だれが轉任するんですか」
 「もう發表になるから話しても差し支ないでせう。實は古賀君です」
 「古賀さんは、だつてこゝの人ぢやありませんか」
 「こゝの地《ぢ》の人ですが、少し都合があつて――半分は當人の希望です」
 「どこへ行くんです」
 「日向《ひうが》の延岡《のべをか》で――土地が土地だから一級俸|上《あが》つて行く事になりました」
 「誰か代りが來るんですか」
 「代りも大抵極まつてるんです。其代りの具合で君の待遇上の都合もつくんです」
 「はあ、結構です。然し無理に上がらないでも構ひません」
 「とも角も僕は校長に話す積りです。夫《それ》で校長も同意見らしいが、追つては君にもつと働いて頂だかなくつてはならん樣になるかも知れないから、どうか今から其積りで覺悟をしてやつて貰ひたいですね」
 「今より時間でも揩キんですか」
 「いゝえ、時間は今より減るかも知れませんが――」
 「時間が減つて、もつと働くんですか、妙だな」
 「一寸聞くと妙だが、――判然とは今言ひにくいが――まあつまり、君にもつと重大な責任を持つて貰ふかも知れないといふ意味なんです」
 おれには一向分らない。今より重大な責任と云へば、數學の主任だらうが、主任は山嵐だから、やつこさん中々辭職する氣遣はない。夫《それ》に、生徒の人望があるから轉任や免職は學校の得策であるまい。赤シヤツの談話はいつでも要領を得ない。要領は得なくつても用事は是で濟んだ。夫《それ》から少し雜談をして居るうちに、うらなり君の送別會をやる事や、就てはおれが酒を飲むかと云ふ問や、うらなり先生は君子で愛すべき人だと云ふ事や――赤シヤツは色々辯じた。仕舞に話をかへて君俳句をやりますかと來たから、こいつは大變だと思つて、俳句はやりません、左樣ならと、そこ/\に歸つて來た。發句《ほつく》は芭蕉か髪結床《かみひどこ》の親方のやるもんだ。數學の先生が朝顔やに釣瓶《つるべ》をとられて堪るものか。
 歸つてうんと考へ込んだ。世間には隨分氣の知れない男が居る。家屋敷はもちろん、勤める學校に不足のない故郷がいやになつたからと云つて、知らぬ他國へ苦勞を求めに出る。夫《それ》も花の都の電車が通《かよ》つてる所なら、まだしもだが、日向《ひうが》の延岡《のべをか》とは何の事だ。おれは船つきのいゝ此所へ來てさへ、一ケ月立たないうちにもう歸りたくなつた。延岡と云へば山の中も山の中も大變な山の中だ。赤シヤツの云ふ所によると船から上がつて、一日《いちんち》馬車へ乘つて、宮崎へ行つて、宮崎から又一日車へ乘らなくつては着けないさうだ。名前を聞いてさへ、開けた所とは思へない。猿と人とが半々に住んでる樣な氣がする。いかに聖人のうらなり君だつて、好《この》んで猿の相手になりたくもないだらうに、何と云ふ物數奇《ものずき》だ。
 所へ不相變《あひかはらず》婆さんが夕食《ゆふめし》を運んで出る。今日も亦《また》芋ですかいと聞いてみたら、いえ今日は御豆腐ぞなもしと云つた。どつちにしたつて似たものだ。
 「御婆さん古賀さんは日向《ひうが》へ行くさうですね」
 「ほん當に御氣の毒ぢやな、もし」
 「御氣の毒だつて、好んで行くんなら仕方がないですね」
 「好んで行くて、誰がぞなもし」
 「誰がぞなもしつて、當人がさ。古賀先生が物數奇《ものずき》に行くんぢやありませんか」
 「そりやあなた、大違ひの勘五郎《かんごらう》ぞなもし」
 「勘五郎かね。だつて今赤シヤツがさう云ひましたぜ。夫《それ》が勘五郎なら赤シヤツは嘘つきの法螺右衛門《ほらゑもん》だ」
 「ヘ頭さんが、さう御云ひるのは尤もぢやが、古賀さんの御徃《おい》きともないのも尤もぞなもし」
 「そんなら兩方尤もなんですね。御婆さんは公平でいゝ。一體どう云ふ譯なんですい」
 「今朝古賀の御母《おかあ》さんが見えて、段々譯を御話《おはな》したがなもし」
 「どんな譯を御話《おはな》したんです」
 「あそこも御父《おとう》さんが御|亡《な》くなりてから、あたし達が思ふ程暮し向が豐かになうて御困りぢやけれ、御母《おかあ》さんが校長さんに御頼みて、もう四年も勤めて居るものぢやけれ、どうぞ毎月頂くものを、今少しふやして御呉れんかてゝ、あなた」
 「成程」
 「校長さんが、ようまあ考へて見とこうと御云ひたげな。夫《それ》で御母《おかあ》さんも安心して、今に搴汲フ御沙汰があろぞ、今月か來月かと首を長くし待つて御いでた所へ、校長さんが一寸來てくれと古賀さんに御云ひるけれ、行つて見ると、氣の毒だが學校は金が足りんけれ、月給を上げる譯にゆかん。然し延岡《のべをか》になら空《あ》いた口があつて、其方《そつち》なら毎月五圓餘分にとれるから、御望み通りでよからうと思ふて、其手續きにしたから行くがえゝと云はれたげな。――」
 「ぢや相談ぢやない、命令ぢやありませんか」
 「左樣《さよ》よ。古賀さんはよそへ行つて月給が揩キより、元の儘でもえゝから、こゝに居りたい。屋敷もあるし、母もあるからと御頼みたけれども、もうさう極めたあとで、古賀さんの代りは出來て居るけれ仕方がないと校長が御云ひたげな」
 「へん人を馬鹿にしてら、面白くもない。ぢや古賀さんは行く氣はないんですね。どうれで變だと思つた。五圓位上がつたつて、あんな山の中へ猿の御相手をしに行く唐變木《たうへんぼく》はまづないからね」
 「唐變木《たうへんぼく》て、先生なんぞなもし」
 「何でもいゝでさあ、――全く赤シヤツの作略《さりやく》だね。よくない仕打だ。まるで欺撃《だましうち》ですね。それでおれの月給を上げるなんて、不都合な事があるものか。上げてやるつたつて、誰が上がつて遣るものか」
 「先生は月給が御上《おあが》りるのかなもし」
 「上げてやるつて云ふから、斷はらうと思ふんです」
 「何で、御斷はりるのぞなもし」
 「何でも御斷はりだ。御婆さん、あの赤シヤツは馬鹿ですぜ。卑怯でさあ」
 「卑怯でもあんた、月給を上げておくれたら、大人《おとな》しく頂いて置く方が得ぞなもし。若いうちはよく腹の立つものぢやが、年をとつてから考へると、も少しの我慢ぢやあつたのに惜しい事をした。腹立てた爲めにこないな損をしたと悔《くや》むのが當り前ぢやけれ、お婆《ばあ》の言ふ事をきいて、赤シヤツさんが月給をあげてやろと御言ひたら、難有《ありがた》うと受けて御置きなさいや」
 「年寄の癖に餘計な世話を燒かなくつてもいゝ。おれの月給は上がらうと下がらうとおれの月給だ」
 婆さんはだまつて引き込んだ。爺さんは呑氣《のんき》な聲を出して謠《うたひ》をうたつてる。謠といふものは讀んでわかる所を、やに六づかしい節をつけて、わざと分らなくする術だらう。あんな者を毎晩飽きずに唸る爺さんの氣が知れない。おれは謠所の騷ぎぢやない。月給を上げてやらうと云ふから、別段欲しくもなかつたが、入らない金を餘して置くのも勿體ないと思つて、よろしいと承知したのだが、轉任したくないものを無理に轉任させて其男の月給の上前《うはまへ》を跳ねるなんて不人情な事が出來るものか。當人がもとの通りでいゝと云ふのに延岡|下《くんだ》り迄落ちさせるとは一體どう云ふ了見だらう。太宰權帥《だざいごんのそつ》でさへ博多《はかた》近邊《きんぺん》で落ちついたものだ。河合又五郎《かあひまたごらう》だつて相良《さがら》でとまつてるぢやないか。とにかく赤シヤツの所へ行つて斷はつて來なくつちあ氣が濟まない。
 小倉の袴をつけて又出掛けた。大きな玄關へ突つ立つて頼むと云ふと、又例の弟が取次に出て來た。おれの顔を見てまた來たかと云ふ眼付をした。用があれば二度だつて三度だつて來る。よる夜なかだつて叩き起さないとは限らない。ヘ頭の所へ御機嫌伺ひにくる樣なおれと見損《みそくな》つてるか。是でも月給が入らないから返しに來んだ。すると弟が今來客中だと云ふから、玄關でいゝから一寸御目にかゝりたいと云つたら奧へ引き込んだ。足元を見ると、疊付きの薄つぺらな、のめりの駒下駄がある。奧でもう萬歳ですよと云ふ聲が聞える。御客とは野だだなと氣がついた。野だでなくては、あんな黄色い聲を出して、こんな藝人じみた下駄を穿《は》くものはない。
 しばらくすると、赤シヤツがランプを持つて玄關迄出て來て、まあ上がり給へ、外の人ぢやない吉川君だ、と云ふから、いえ此所で澤山です。一寸話せばいゝんです、と云つて、赤シヤツの顔を見ると金時《きんとき》の樣だ。野だ公と一杯飲んでると見える。
 「さつき僕の月給を上げてやると云ふ御話でしたが、少し考が變つたから斷はりに來たんです」
 赤シヤツはランプを前へ出して、奧の方からおれの顔を眺めたが、咄嗟《とつさ》の場合返事をしかねて茫然として居る。搴汲斷はる奴が世の中にたつた一人飛び出して來たのを不審に思つたのか、斷はるにしても、今歸つた許《ばか》りで、すぐ出直して來なくつてもよさゝうなものだと、呆れ返つたのか、又は双方合併したのか、妙な口をして突つ立つた儘である。
 「あの時承知したのは、古賀君が自分の希望で轉任すると云ふ話でしたからで……」
 「古賀君は全く自分の希望で半《なか》ば轉任するんです」
 「さうぢやないんです、こゝに居たいんです。元の月給でもいゝから、郷里に居たいのです」
 「君は古賀君から、さう聞いたのですか」
 「そりや當人から、聞いたんぢやありません」
 「ぢや誰から御聞きです」
 「僕の下宿の婆さんが、古賀さんの御母《おつか》さんから聞いたのを今日僕に話したのです」
 「ぢや、下宿の婆さんがさう云つたのですね」
 「まあさうです」
 「それは失禮ながら少し違ふでせう。あなたの仰やる通りだと、下宿屋の婆さんの云ふ事は信ずるが、ヘ頭の云ふ事は信じないと云ふ樣に聞えるが、さういふ意味に解釋して差支ないでせうか」
 おれは一寸困つた。文學士なんてものは矢つ張りえらいもんだ。妙な所へこだわつて、ねち/\押し寄せてくる。おれはよく親父《おやぢ》から貴樣はそゝつかしくて駄目だ/\と云はれたが、成程少々そゝつかしい樣だ。婆さんの話を聞いてはつと思つて飛び出して來たが、實はうらなり君にもうらなりの御母《おつか》さんにも逢つて詳しい事情は聞いて見なかつたのだ。だからかう文學士流に斬り付けられると、一寸受け留めにくい。
 正面からは受け留めにくいが、おれはもう赤シヤツに對して不信任を心の中《うち》で申し渡して仕舞つた。下宿の婆さんもけちん坊の慾張り屋に相違ないが、嘘は吐《つ》かない女だ、赤シヤツの樣に裏表はない。おれは仕方がないから、かう答へた。
 「あなたの云ふ事は本當かも知れないですが――とにかく搴汲ヘ御免蒙ります」
 「それは益《ます/\》可笑《をか》しい。今君がわざ/\御出《おいで》になつたのは摯を受けるには忍びない、理由を見出《みいだ》したからの樣に聞えたが、其理由が僕の説明で取り去られたにも關はらず摯を否まれるのは少し解《かい》しかねる樣ですね」
 「解《かい》しかねるかも知れませんがね。とに角斷りますよ」
 「そんなに否《いや》なら強ひてと迄は云ひませんが、さう二三時間のうちに、特別の理由もないのに豹變《へうへん》しちや、將來君の信用にかゝはる」
 「かゝはつても構はないです」
 「そんな事はない筈です、人間に信用程大切なものはありませんよ。よしんば今一歩讓つて、下宿の主人が……」
 「主人ぢやない、婆さんです」
 「どちらでも宜しい。下宿の婆さんが君に話した事を事實とした所で、君の搴汲ヘ古賀君の所得を削つて得たものではないでせう。古賀君は延岡へ行かれる。其代りがくる。其代りが古賀君よりも多少低給で來てくれる。其剰餘を君に廻はすと云ふのだから、君は誰にも氣の毒がる必要はない筈です。古賀君は延岡で只今よりも榮進される。新任者は最初からの約束で安くゝる。それで君が上がられゝば、是程都合のいゝ事はないと思ふですがね。いやなら否《いや》でもいゝが、もう一返うちでよく考へて見ませんか」
 おれの頭はあまりえらくないのだから、何時《いつ》もなら、相手がかういふ巧妙な辯舌を揮へば、おやそうかな、それぢや、おれが間違つてたと恐れ入つて引きさがるのだけれども、今夜はさうは行かない。こゝへ來た最初から赤シヤツは何だか蟲が好かなかつた。途中で親切な女みた樣な男だと思ひ返した事はあるが、それが親切でも何でもなさゝうなので、反動の結果今ぢや餘つ程厭になつて居る。だから先がどれ程うまく論理的に辯論を逞《たくまし》くしやうとも、堂々たるヘ頭流におれを遣り込め樣とも、そんな事は構はない。議論のいゝ人が善人とはきまらない。遣り込められる方が惡人とは限らない。表向は赤シヤツの方が重々尤もだが、表向がいくら立派だつて、腹の中迄惚れさせる譯には行かない。金や威力や理屈で人間の心が買へる者なら、高利貸でも巡査でも大學ヘ授でも一番人に好かれなくてはならない。中學のヘ頭位な論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌で働らくものだ。論法で働らくものぢやない。
 「あなたの云ふ事は尤もですが、僕は搴汲ェいやになつたんですから、まあ斷はります。考へたつて同じ事です。左樣なら」と云ひすてゝ門を出た。頭の上には天の川が一筋かゝつて居る。
 
     九
 
 うらなり君の送別會のあると云ふ日の朝、學校へ出たら、山嵐が突然、君|先達《せんだつて》はいか銀が來て、君が亂暴して困るから、どうか出る樣《やう》に話して呉れと頼んだから、眞面目に受けて、君に出てやれと話したのだが、あとから聞いて見ると、あいつは惡《わ》るい奴で、よく僞筆へ贋落款《にせらくくわん》抔《など》を押して賣りつけるさうだから、全く君の事も出鱈目に違ひない。君に懸物や骨董を賣りつけて、商賣にしやうと思つてた所が、君が取り合はないで儲けがないものだから、あんな作りごとをこしらへて胡魔化したのだ。僕はあの人物を知らなかつたので君に大變失敬した勘辨し給へと長々しい謝罪をした。
 おれは何とも云はずに、山嵐の机の上にあつた、一錢五厘をとつて、おれの蝦蟇口《がまぐち》のなかへ入れた。山嵐は君それを引き込めるのかと不審さうに聞くから、うんおれは君に奢られるのが、いやだつたから、是非返す積りで居たが、其後段々考へてみると、矢つ張り奢つて貰ふ方がいゝ樣だから、引き込ますんだと説明した。山嵐は大きな聲をしてアハヽヽと笑ひながら、そんなら、何故《なぜ》早く取らなかつたのだと聞いた。實は取らう/\と思つてたが、何だか妙だから其儘にして置いた。近來は學校へ來て一錢五厘を見るのが苦になる位いやだつたと云つたら、君は餘つ程負け惜しみの強い男だと云ふから、君は餘つ程|剛情張《がうじよつぱ》りだと答へてやつた。それから二人の間にこんな問答が起つた。
 「君は一體どこの産《さん》だ」
 「おれは江戸つ子だ」
 「うん、江戸つ子か、道理で負け惜しみが強いと思つた」
 「きみはどこだ」
 「僕は會津《あひづ》だ」
 「會津つぽか、強情《がうじやう》な譯だ。今日の送別會へ行くのかい」
 「行くとも、君は?」
 「おれは無論行くんだ。古賀さんが立つ時は、濱迄見送りに行かうと思つてる位だ」
 「送別會は面白いぜ、出て見玉へ。今日は大に飲む積《つもり》だ」
 「勝手に飲むがいゝ。おれは肴《さかな》を食つたら、すぐ歸る。酒なんか飲む奴は馬鹿だ」
 「君はすぐ喧嘩を吹き懸ける男だ。成程江戸つ子の輕跳《けいてう》な風を、よく、あらはしてる」
 「何でもいゝ、送別會へ行く前に一寸おれのうちへ御寄り、話しがあるから」
 
 山嵐は約束通りおれの下宿へ寄つた。おれは此間から、うらなり君の顔を見る度に氣の毒で堪らなかつたが、愈《いよ/\》送別の今日となつたら、何だか憐れつぽくつて、出來る事なら、おれが代りに行つてやりたい樣な氣がしだした。それで送別會の席上で、大《おほい》に演説でもして其|行《かう》を盛《さかん》にしてやりたいと思ふのだが、おれのべらんめえ調子《でうし》ぢや、到底物にならないから、大きな聲を出す山嵐を雇つて、一番赤シヤツの荒膽《あらぎも》を挫《ひし》いでやらうと考へ付いたから、わざ/\山嵐を呼んだのである。
 おれは先づ冒頭としてマドンナ事件から説き出したが、山嵐は無論マドンナ事件はおれより詳しく知つて居る。おれが野芹川《のぜりがは》の土手の話をして、あれは馬鹿野郎だと云つたら、山嵐は君はだれを捕《つら》まへても馬鹿呼《ばかよば》はりをする。今日學校で自分の事を馬鹿と云つたぢやないか。自分が馬鹿なら、赤シヤツは馬鹿ぢやない。自分は赤シヤツの同類ぢやないと主張した。夫《それ》ぢや赤シヤツは腑拔《ふぬ》けの呆助《はうすけ》だと云つたら、さうかも知れないと山嵐は大《おほい》に賛成した。山嵐は強い事は強いが、こんな言葉になると、おれより遙かに字を知つて居ない。會津つぽなんてものはみんな、こんな、ものなんだらう。
 夫《それ》から搴去膜盾ニ將來重く登用すると赤シヤツが云つた話をしたら山嵐はふゝんと鼻から聲を出して、それぢや僕を免職する考だなと云つた。免職する積《つもり》だつて、君は免職になる氣かと聞いたら、誰がなるものか、自分が免職になるなら、赤シヤツも一所に免職させてやると大《おほい》に威張つた。どうして一所に免職させる氣かと押し返して尋ねたら、そこはまだ考へて居ないと答へた。山嵐は強さうだが、智慧はあまりなささうだ。おれが搴汲斷はつたと話したら、大將大きに喜んで流石《さすが》江戸つ子だ、えらいと賞《ほ》めてくれた。
 うらなりが、そんなに厭がつてゐるなら、何故《なぜ》留任の運動をしてやらなかつたと聞いてみたら、うらなりから話を聞いた時は、既にきまつて仕舞つて、校長へ二度、赤シヤツへ一度行つて談判してみたが、どうする事も出來なかつたと話した。夫《それ》に就ても古賀があまり好人物過ぎるから困る。赤シヤツから話があつた時、斷然斷はるか、一應考へて見ますと逃げればいゝのに、あの辯舌に胡魔化《ごまか》されて、即席に許諾したものだから、あとから御母《おつか》さんが泣きついても、自分が談判に行つても役に立たなかつたと非常に殘念がつた。
 今度の事件は全く赤シヤツが、うらなりを遠《とほざ》ざけて、マドンナを手に入れる策略なんだらうとおれが云つたら、無論さうに違ない。あいつは大人《おとな》しい顔をして、惡事を働いて、人が何か云ふと、ちやんと逃道を拵へて待つてるんだから、餘つ程|奸物《かんぶつ》だ。あんな奴にかゝつては鐵拳制裁《てつけんせいさい》でなくつちや利かないと、瘤《こぶ》だらけの腕をまくつて見せた。おれは序《つい》でだから、君の腕は強さうだな柔術でもやるかと聞いて見た。すると大將二の腕へ力瘤《ちからこぶ》を入れて、一寸|攫《つか》んで見ろと云ふから、指の先で揉んで見たら、何の事はない湯屋にある輕石の樣なものだ。
 おれは餘り感心したから、君その位の腕なら、赤シヤツの五人や六人は一度に張り飛ばされるだらうと聞いたら、無論さと云ひながら、曲げた腕を伸ばしたり、縮ましたりすると、力瘤がぐるり/\と皮のなかで廻轉する。頗る愉快だ。山嵐の證明する所によると、かんじん綯《よ》りを二本より合せて、この力瘤の出る所へ卷きつけて、うんと腕を曲げると、ぷつりと切れるさうだ。かんじんよりなら、おれにも出來さうだと云つたら、出來るものか、出來るならやつて見ろと來た。切れないと外聞《ぐわいぶん》がわるいから、おれは見合せた。
 君どうだ、今夜の送別會に大《おほい》に飲んだあと、赤シヤツと野だを撲《なぐ》つてやらないかと面白半分に勸めて見たら、山嵐はさうだなと考へて居たが、今夜はまあよさうと云つた。何故《なぜ》と聞くと、今夜は古賀に氣の毒だから――それにどうせ撲る位なら、あいつらの惡るい所を見屆けて現場《げんば》で撲らなくつちや、こつちの落度になるからと、分別のありさうな事を附加《つけた》した。山嵐でもおれよりは考へがあると見える。
 ぢや演説をして古賀君を大《おほい》にほめてやれ、おれがすると江戸つ子のぺら/\になつて重みがなくていけない。さうして、きまつた所へ出ると、急に溜飲《りういん》が起つて咽喉《のど》の所へ、大きな丸《たま》が上がつて來て言葉が出ないから、君に讓るからと云つたら、妙な病氣だな、ぢや君は人中《ひとなか》ぢや口は利けないんだね、困るだらう、と聞くから、何そんなに困りやしないと答へて置いた。
 さうかうするうち時間が來たから、山嵐と一所に會場へ行く。會場は花晨亭《くわしんてい》といつて、當地《こゝ》で第一等の料理屋ださうだが、おれは一度も足を入れた事がない。もとの家老とかの屋敷を買ひ入れて、其儘開業したと云ふ話だが、成程|見懸《みかけ》からして嚴《いか》めしい構《かまへ》だ。家老の屋敷が料理屋になるのは、陣羽織《ぢんばおり》を縫ひ直して、胴着《どうぎ》にする樣なものだ。
 二人が着いた頃には、人數ももう大概揃つて、五十疊の廣間に二つ三つ人間の塊まりが出來て居る。五十疊|丈《だけ》に床《とこ》は素敵に大きい。おれが山城屋で占領した十五疊敷の床《とこ》とは比較にならない。尺を取つてみたら二間あつた。右の方に、赤い模樣のある瀬戸物の瓶《かめ》を据えて、其中に松の大きな枝が挿してある。松の枝を挿して何にする氣か知らないが、何ケ月立つても散る氣遣がないから、錢《ぜに》が懸らなくつて、よからう。あの瀬戸物はどこで出來るんだと博物のヘ師に聞いたら、あれは瀬戸物ぢやありません、伊萬里《いまり》ですと云つた。伊萬里《いまり》だつて瀬戸物ぢやないかと、云つたら、博物はえへゝゝゝと笑つて居た。あとで聞いて見たら、瀬戸で出來る燒物だから、瀬戸と云ふのださうだ。おれは江戸つ子だから、陶器の事を瀬戸物といふのかと思つて居た。床《とこ》の眞中《まんなか》に大きな懸物があつて、おれの顔位な大きさな字が二十八字かいてある。どうも下手なものだ。あんまり不味《まづ》いから、漢學の先生に、なぜあんなまづいものを麗々と懸けて置くんですと尋ねた所、先生があれは海屋《かいをく》と云つて有名な書家のかいた者だとヘへてくれた。海屋《かいをく》だか何だか、おれは今だに下手だと思つて居る。
 やがて書記の川村がどうか御着席をと云ふから、柱があつて靠《よ》りかゝるのに都合のいゝ所へ坐つた。海屋《かいをく》の懸物の前に狸が羽織、袴で着席すると、左に赤シヤツが同じく羽織袴で陣取つた。右の方は主人公だと云ふのでうらなり先生、是も日本服で控へて居る。おれは洋服だから、かしこまるのが窮屈だつたから、すぐ胡坐《あぐら》をかいた。隣りの體操ヘ師は黒づぼん〔三字傍点〕で、ちやんとかしこまつて居る。體操のヘ師|丈《だけ》にいやに修行が積んで居る。やがて御膳が出る。コ利が並ぶ。幹事が立つて、一言《いちごん》開會の辭を述べる。夫《それ》から狸が立つ。赤シヤツが起《た》つ。悉《こと/”\》く送別の辭を述べたが、三人共申し合せた樣にうらなり君の、良ヘ師で好人物な事を吹聽して、今回去られるのは洵《まこと》に殘念である、學校としてのみならず、個人として大《おほい》に惜しむ所であるが、御一身上の御都合で、切に轉任を御希望になつたのだから致し方がないと云ふ意味を述べた。こんな嘘をついて送別會を開いて、それでちつとも耻かしいとも思つて居ない。ことに赤シヤツに至つて三人のうちで一番うらなり君をほめた。此良友を失ふのは實に自分にとつて大《だい》なる不幸であると迄云つた。しかも其いひ方がいかにも、尤もらしくつて、例のやさしい聲を一層やさしくして、述べ立てるのだから、始めて聞いたものは、誰でも屹度《きつと》だまされるに極つてる。マドンナも大方此手で引掛けたんだらう。赤シヤツが送別の辭を述べ立てゝゐる最中、向側《むかふがは》に坐つて居た山嵐がおれの顔を見て一寸|稻光《いなびかり》をさした。おれは返電として、人指《ひとさ》し指《ゆび》でべつかんこうをして見せた。
 赤シヤツが座に復するのを待ちかねて、山嵐がぬつと立ち上がつたから、おれは嬉しかつたので、思はず手をぱち/\と拍《う》つた。すると狸を始め一同が悉《こと/”\》くおれの方を見たには少々困つた。山嵐は何を云ふかと思ふと只今校長始めことにヘ頭は古賀君の轉任を非常に殘念がられたが、私は少々反對で古賀君が一日も早く當地を去られるのを希望して居ります。延岡《のべをか》は僻遠《へきゑん》の地で、當地に比べたら物質上の不便はあるだらう。が、聞く所によれば風俗の頗る淳朴《じゆんぼく》な所で、職員生徒悉く上代《じやうだい》樸直《ぼくちよく》の氣風を帶びて居るさうである。心にもない御世辭を振り蒔いたり、美しい顔をして君子を陷《おとしい》れたりするハイカラ野郎は一人もないと信ずるからして、君の如き温良篤厚の士は必ず其地方一般の歡迎を受けられるに相違ない。吾輩は大《おほい》に古賀君の爲めに此轉任を祝するのである。終りに臨んで君が延岡に赴任されたら、其地の淑女にして、君子の好逑《かうきう》となるべき資格あるものを擇んで一日も早く圓滿なる家庭をかたち作つて、かの不貞無節なる御轉婆を事實の上に於て慚死《ざんし》せしめん事を希望します。えへん/\と二つばかり大きな咳拂ひをして席に着いた。おれは今度も手を叩かうと思つたが、又みんながおれの面《かほ》を見るといやだから、やめにして置いた。山嵐が坐ると今度はうらなり先生が起《た》つた。先生は御鄭寧に、自席から、座敷の端《はじ》の末座迄行つて、慇懃《いんぎん》に一同に挨拶をした上、今般は一身上の都合で九州へ參る事になりましたに就て、諸先生方が小生の爲に此盛大なる送別會を御開き下さつたのは、まことに感銘の至りに堪へぬ次第で――ことに只今は校長、ヘ頭其他諸君の送別の辭を頂戴して、大いに難有《ありがた》く服膺《ふくよう》する譯であります。私は是から遠方へ參りますが、何卒《なにとぞ》從前の通り御見捨なく御愛顧の程を願ひます。とへえつく張つて席に戻つた。うらなり君はどこ迄人が好いんだか、殆んど底が知れない。自分がこんなに馬鹿にされてゐる校長や、ヘ頭に恭《うや/\》しく御禮を云つてゐる。それも義理一遍の挨拶ならだが、あの樣子や、あの言葉つきや、あの顔つきから云ふと、心《しん》から感謝してゐるらしい。こんな聖人に眞面目に御禮を云はれたら、氣の毒になつて、赤面しさうなものだが狸も赤シヤツも眞面目に謹聽して居る許《ばか》りだ。
 挨拶が濟んだら、あちらでもチユー、こちらでもチユー、と云ふ音がする。おれも眞似をして汁を飲んで見たがまづいもんだ。口取《くちとり》に蒲鉾《かまぼこ》はついてるが、どす黒くて竹輪《ちくわ》の出來損ないである。刺身《さしみ》も並《なら》んでるが、厚くつて鮪《まぐろ》の切り身を生《なま》で食ふと同じ事だ。それでも隣り近所の連中はむしや/\旨さうに食つて居る。大方江戸前の料理を食つた事がないんだらう。
 其うち燗コ利《かんどくり》が頻繁《ひんぱん》に徃來し始めたら、四方が急に賑やかになつた。野だ公は恭《うや/\》しく校長の前へ出て盃を頂いてる。いやな奴だ。うらなり君は順々に獻酬《けんしう》をして、一巡|周《めぐ》る積《つもり》と見える。甚だ御苦勞である。うらなり君がおれの前へ來て、一つ頂戴致しませうと袴のひだを正して申し込まれたから、おれも窮屈にヅボンの儘かしこまつて、一盃差し上げた。折角參つて、すぐ御別れになるのは殘念ですね。御出立はいつです、是非濱迄御見送をしませうと云つたら、うらなり君はいえ御用《ごよう》多《おほ》の所決して夫《それ》には及びませんと答へた。うらなり君が何と云つたつて、おれは學校を休んで送る氣で居る。
 夫《それ》から一時間程するうちに席上は大分《だいぶ》亂れて來る。まあ一杯、おや僕が飲めと云ふのに……などと呂律《ろれつ》の巡《まは》りかねるのも一人二人出來て來た。少々退屈したから便所へ行つて、昔《むか》し風な庭を星明りにすかして眺めて居ると山嵐が來た。どうだ最前《さつき》の演説はうまかつたらう。と大分《だいぶ》得意である。大賛成だが一ケ所氣に入らないと抗議を申し込んだら、どこが不賛成だと聞いた。
 「美しい顔をして人を陷《おとしい》れる樣なハイカラ野郎は延岡《のべをか》に居らないから……と君は云つたらう」
 「うん」
 「ハイカラ野郎|丈《だけ》では不足だよ」
 「ぢや何《なん》と云ふんだ」
 「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被《ねこつかぶ》りの、香具師《やし》の、モヽンガーの、岡《をか》つ引《ぴ》きの、わん/\鳴けば犬も同然な奴とでも云ふがいゝ」
 「おれには、さう舌は廻らない。君は能辯だ。第一單語を大變澤山知つてる。それで演舌《えんぜつ》が出來ないのは不思議だ」
 「なにこれは喧嘩のときに使はうと思つて、用心の爲に取つて置く言葉さ。演舌《えんぜつ》となつちや、かうは出ない」
 「さうかな、然しぺら/\出るぜ。もう一遍やつて見給へ」
 「何遍でもやるさいゝか。――ハイカラ野郎のペテン師の、イカサマ師の……」と云ひかけて居ると、椽側《えんがは》をどたばた云はして、二人ばかり、よろ/\しながら馳け出して來た。
 「兩君そりやひどい、――逃げるなんて、――僕が居るうちは決して逃がさない、さあのみ玉へ。――いかさま師?――面白い、いかさま面白い。――さあ飲み玉へ」
とおれと山嵐をぐい/\引つ張つて行く。實は此兩人共便所に來たのだが、醉つてるもんだから、便所へ這入るのを忘れて、おれ等を引つ張るのだらう。醉つ拂ひは目の中《あた》る所へ用事を拵へて、前の事はすぐ忘れて仕舞ふんだらう。
 「さあ、諸君、いかさま師を引つ張つて來た。さあ飲ましてくれ玉へ。いかさま師をうんと云ふ程、醉はしてくれ玉へ。君逃げちやいかん」
と逃げもせぬ、おれを壁際へ壓《お》し付けた。諸方を見廻してみると、膳の上に滿足な肴の乘つて居るのは一つもない。自分の分を奇麗に食ひ盡して、五六間先へ遠征に出た奴も居る。校長はいつ歸つたか姿が見えない。
 所へ御座敷はこちら? と藝者が三四人這入つて來た。おれも少し驚ろいたが、壁際へ押し付けられて居るんだから、凝《じつ》として只見て居た。すると今迄床柱へもたれて例の琥珀《こはく》のパイプを自慢さうに啣《くは》へて居た、赤シヤツが急に起《た》つて、座敷を出にかゝつた。向《むかふ》から這入つて來た藝者の一人が、行き違ひながら、笑つて挨拶をした。その一人は一番若くて一番奇麗な奴だ。遠くで聞えなかつたが、おや今晩は位云つたらしい。赤シヤツは知らん顔をして出て行つたぎり、顔を出さなかつた。大方校長のあとを追懸《おつか》けて歸つたんだらう。
 藝者が來たら座敷中急に陽氣になつて、一同が鬨《とき》の聲を揚げて歡迎したのかと思ふ位、騷々しい。さうしてある奴はなんこを攫《つか》む。その聲の大きな事、丸《まる》で居合拔《ゐあひぬき》の稽古の樣だ。こつちでは拳を打つてる。よつ、はつ、と夢中で兩手を振る所は、ダーク一座の操人形《あやつりにんぎやう》より餘つ程上手だ。向ふの隅ではおい御酌だ、とコ利を振つて見て、酒だ/\と言ひ直して居る。どうも八釜《やかま》しくて騷々しくつて堪らない。其うちで手持無沙汰に下を向いて考へ込んでるのはうらなり君|許《ばか》りである。自分の爲に送別會を開いてくれたのは、自分の轉任を惜しんでくれるんぢやない。みんなが酒を呑んで遊ぶ爲だ。自分獨りが手持無沙汰で苦しむ爲だ。こんな送別會なら、開いてもらはない方が餘つ程ましだ。
 しばらくしたら、銘々《めい/\》胴間聲《どうまごゑ》を出して何か唄ひ始めた。おれの前へ來た一人の藝者が、あんた、なんぞ、唄ひなはれ、と三味線を抱へたから、おれは唄はない、貴樣唄つて見ろと云つたら、金《かね》や太鼓《たいこ》でねえ、迷子《まひご》の迷子《まひご》の三太郎と、どんどこ、どんのちやんちきりん。叩いて廻つて逢はれるものならば、わたしなんぞも、金《かね》や太鼓でどんどこ、どんのちやんちきりんと叩いて廻つて逢ひたい人がある、と二た息にうたつて、おゝしんどと云つた。おゝしんどなら、もつと樂なものをやればいゝのに。
 すると、いつの間《ま》にか傍《そば》へ來て坐つた、野だが、鈴ちやん逢ひたい人に逢つたと思つたら、すぐ御歸りで、御氣の毒さま見た樣《やう》でげすと相變らず噺《はな》し家《か》見た樣な言葉使ひをする。知りまへんと藝者はつんと濟ました。野だは頓着なく、たま/\逢ひは逢ひながら……と、いやな聲を出して義太夫の眞似をやる。おきなはれやと藝者は平手で野だの膝を叩いたら野だは恐悦《きようえつ》して笑つてる。此藝者は赤シヤツに挨拶をした奴だ。藝者に叩かれて笑ふなんて、野だも御目出度い者だ。鈴ちやん僕が紀伊《き》の國《くに》を踴《をど》るから、一つ彈いて頂戴と云ひ出した。野だは此上まだ踴《をど》る氣で居る。
 向ふの方で漢學の御爺さんが齒のない口を歪めて、そりや聞えません傳兵衛さん、お前とわたしのその中は……と迄は無事に濟ましたが、それから? と藝者に聞いて居る。爺さんなんて物覺のわるいものだ。一人が博物を捕《つら》まへて近頃こないなのが、でけましたぜ、彈いて見まほうか。よう聞いて、居なはれや――花月卷《くわげつまき》、白いリボンのハイカラ頭、乘るは自轉車、彈くは?イオリン、半可《はんか》の英語でぺら/\と、I am glad to see you と唄ふと、博物は成程面白い、英語入りだねと感心して居る。
 山嵐は馬鹿に大きな聲を出して、藝者、藝者と呼んで、おれが劔舞をやるから、三味線を彈けと號令を下した。藝者はあまり亂暴な聲なので、あつけに取られて返事もしない。山嵐は委細構はず、ステツキを持つて來て、踏破千山萬岳烟《ふみやぶるせんざんばんがくのけむり》と眞中へ出て獨りで隱し藝を演じて居る。所へ野だが既に紀伊《き》の國《くに》を濟まして、かつぽれを濟まして、棚《たな》の達磨《だるま》さんを濟まして丸裸の越中褌《ゑつちゆうふんどし》一つになつて、棕梠箒《しゆろばうき》を小脇に抱《か》い込んで、日清談判破裂して……と座敷中練りあるき出した。まるで氣違だ。
 おれはさつきから苦しさうに袴も脱がず控へて居るうらなり君が氣の毒でたまらなかつたが、なんぼ自分の送別會だつて、越中褌の裸踴《はだかをどり》迄羽織袴で我慢してみて居る必要はあるまいと思つたから、そばへ行つて、古賀さんもう歸りませうと退去を勸めてみた。するとうらなり君は今日《けふ》は私の送別會だから、私が先へ歸つては失禮です、どうぞ御遠慮なくと動く景色《けしき》もない。なに構ふもんですか、送別會なら、送別會らしくするがいゝです、あの樣《ざま》を御覽なさい。氣狂《きちがひ》會です。さあ行きませうと、進まないのを無理に勸めて、座敷を出かゝる所へ、野だが箒を振り/\進行して來て、や御主人が先へ歸るとはひどい。日清《にっしん》談判だ。歸せないと箒を横にして行く手を塞いだ。おれはさつきから肝癪が起つて居る所だから、日清談判なら貴樣はちやん/\だらうと、いきなり拳骨で、野だの頭をぽかりと喰《くら》はしてやつた。野だは二三秒の間|毒氣《どくき》を拔かれた體《てい》で、ぼんやりして居たが、おや是はひどい。御撲《おぶ》ちになつたのは情ない。此吉川を御打擲《ごちやうちやく》とは恐れ入つた。愈《いよ/\》以て日清談判だ。とわからぬ事をならべて居る所へ、うしろから山嵐が何か騷動が始まつたと見て取つて、劔舞をやめて、飛んできたが、此ていたらくを見て、いきなり頸筋《くびすぢ》をうんと攫《つか》んで引き戻した。日清……いたい。いたい。どうも是は亂暴だと振りもがく所を横に捩《ねぢ》つたら、すとんと倒れた。あとはどうなつたか知らない。途中でうらなり君に別れて、うちへ歸つたら十一時過ぎだつた。
 
     十
 
 祝勝會で學校は御休みだ。練兵場で式があるといふので、狸は生徒を引率《いんそつ》して參列しなくてはならない。おれも職員の一人として一所にくつついて行くんだ。町へ出ると日の丸だらけで、まぼしい位である。學校の生徒は八百人もあるのだから、體操のヘ師が隊伍《たいご》を整《とゝの》へて、一組一組の間を少しづゝ明けて、それへ職員が一人か二人|宛《づゝ》監督として割り込む仕掛けである。仕掛だけは頗る巧妙なものだが、實際は頗る不手際である。生徒は小供の上に、生意氣で、規律を破らなくつては生徒の體面にかゝはると思つてる奴等だから、職員が幾人《いくたり》ついて行つたつて何の役に立つもんか。命令も下さないのに勝手な軍歌をうたつたり、軍歌をやめるとワーと譯もないのに鬨《とき》の聲を揚げたり、丸《まる》で浪人が町内をねりあるいてる樣なものだ。軍歌も鬨の聲も揚げない時はがや/\何か喋舌《しやべ》つてる。喋舌《しやべ》らないでも歩行《ある》けさうなもんだが、日本人はみな口から先へ生れるのだから、いくら小言《こごと》を云つたつて聞きつこない。喋舌《しやべ》るのも只|喋舌《しやべ》るのではない、ヘ師のわる口を喋舌《しやべ》るんだから、下等だ。おれは宿直事件で生徒を謝罪さして、まあ是ならよからうと思つて居た。所が實際は大違ひである。下宿の婆さんの言葉を借りて云へば、正に大違ひの勘五郎である。生徒があやまつたのは心《しん》から後悔してあやまつたのではない。只校長から、命令されて、形式的に頭を下げたのである。商人が頭|許《ばか》り下げて、狡《ずる》い事をやめないのと一般で生徒も謝罪|丈《だけ》はするが、いたづらは決してやめるものでない。よく考へてみると世の中はみんな此生徒の樣なものから成立して居るかも知れない。人があやまつたり詫びたりするのを、眞面目に受けて勘辨するのは正直過ぎる馬鹿と云ふんだらう。あやまるのも假《か》りにあやまるので、勘辨するのも假《か》りに勘辯するのだと思つてれば差し支ない。もし本當にあやまらせる氣なら、本當に後悔する迄叩きつけなくてはいけない。
 おれが組と組の間に這入つて行くと、天麩羅だの、團子だの、と云ふ聲が絶へずする。而も大勢だから、誰が云ふのだか分らない。よし分つてもおれの事を天麩羅と云つたんぢやありません、團子と申したのぢやありません、それは先生が神經衰弱だから、ひがんで、さう聞くんだ位云ふに極まつてる。こんな卑劣な根性は封建時代から、養成した此土地の習慣なんだから、いくら云つて聞かしたつて、ヘへてやつたつて、到底直りつこない。こんな土地に一年も居ると、潔白なおれも、この眞似をしなければならなく、なるかも知れない。向《むかふ》でうまく言ひ拔けられる樣な手段で、おれの顔を汚《よご》すのを抛《はふ》つて置く、樗蒲一《ちよぼいち》はない。向《むかふ》が人ならおれも人だ。生徒だつて、子供だつて、ずう體はおれより大きいや。だから刑罰として何か返報をしてやらなくつては義理がわるい。所がこつちから返報をする時分に尋常の手段で行くと、向《むかふ》から逆捩《さかねぢ》を食はして來る。貴樣がわるいからだと云ふと、初手《しよて》から逃げ路が作つてある事だから滔々と辯じ立てる。辯じ立てゝ置いて、自分の方を表向き丈《だけ》立派にして夫《それ》からこつちの非を攻撃する。もと/\返報にした事だから、こちらの辯護は向ふの非が擧がらない上は辯護にならない。つまりは向《むかふ》から手を出して置いて、世間體《せけんてい》はこつちが仕掛けた喧嘩の樣に、見傚《みな》されて仕舞ふ。大變な不利益だ。夫《それ》なら向ふのやるなり、愚迂多良童子《ぐうたらどうじ》を極め込んで居れば、向《むかふ》は益《ます/\》搨キする許《ばか》り、大きく云へば世の中の爲にならない。そこで仕方がないから、こつちも向《むかふ》の筆法を用ゐて捕《つら》まへられないで、手の付け樣のない返報をしなくてはならなくなる。さうなつては江戸つ子も駄目だ。駄目だが一年もかうやられる以上は、おれも人間だから駄目でも何でも佐樣《さう》ならなくつちや始末がつかない。どうしても早く東京へ歸つて清と一所になるに限る。こんな田舍に居るのは墮落しに來て居る樣なものだ。新聞配達をしたつて、こゝ迄墮落するよりはましだ。
 かう考へて、いや/\、附いてくると、何だか先鋒が急にがや/\騷ぎ出した。同時に列はぴたりと留まる。變だから、列を右へはづして、向ふを見ると、大手町《おほてまち》を突き當つて藥師町《やくしまち》へ曲がる角の所で、行き詰つたぎり、押し返したり、押し返されたりして揉み合つて居る。前方から靜かに靜かにと聲を涸らして來た體操ヘ師に何ですと聞くと、曲り角で中學校と師範學校が衝突したんだと云ふ。
 中學と師範とはどこの縣下でも犬と猿の樣に仲がわるいさうだ。なぜだかわからないが、丸《まる》で氣風が合はない。何かあると喧嘩をする。大方狹い田舍で退屈だから、暇潰しにやる仕事なんだらう。おれは喧嘩は好きな方だから、衝突と聞いて、面白半分に馳け出して行つた。すると前の方にゐる連中は、しきりに何だ地方税の癖に、引き込めと、怒鳴《どな》つてる。後《うし》ろからは押せ押せと大きな聲を出す。おれは邪魔になる生徒の間をくゞり拔けて、曲がり角へもう少しで出樣《でやう》とした時に、前へ! と云ふ高く鋭い號令が聞えたと思つたら師範學校の方は肅々《しゆく/\》として進行を始めた。先を爭つた衝突は、折合がついたには相違ないが、つまり中學校が一歩を讓つたのである。資格から云ふと師範學校の方が上ださうだ。
 祝勝の式は頗る簡單なものであつた。旅團長が祝詞を讀む、知事が祝詞を讀む、參列者が萬歳を唱へる。それで御仕舞だ。餘興は午后にあると云ふ話だから、ひと先づ下宿へ歸つて、此間中《こなひだぢゆう》から、氣に掛つて居た、清への返事をかきかけた。今度はもつと詳しく書いてくれとの注文だから、可成《なるべく》念入に認《したゝ》めなくつちやならない。然しいざとなつて、半切《はんきれ》を取り上げると、書く事は澤山あるが、何から書き出していゝか、わからない。あれに仕樣か、あれは面倒臭い。これにしやうか、是は詰らない。何か、すら/\と出て、骨が折れなくつて、さうして清が面白がる樣なものはないかしらん、と考へて見ると、そんな注文通りの事件は一つもなささうだ。おれは墨を磨《す》つて、筆をしめして、卷紙を睨《にら》めて、――卷紙を睨めて、筆をしめして、墨を磨つて――同じ所作を同じ樣に何返も繰り返したあと、おれには、とても手紙はかけるものではないと、諦めて硯の蓋をして仕舞つた。手紙なんぞをかくのは面倒臭い。矢つ張り東京迄出掛けて行つて、逢つて話をする方が簡便だ。清の心配は察しないでもないが、清の注文通りの手紙を書くのは三七日の斷食よりも苦しい。
 おれは筆と卷紙を抛《はふ》り出して、ごろりと轉がつて肱枕《ひぢまくら》をして庭の方を眺めて見たが、矢つ張り清の事が氣にかゝる。其時おれはかう思つた。かうして遠くへ來て迄、清の身の上を案じてゐてやりさへすれば、おれの眞心《まこと》は清に通じるに違ない。通じさへすれば手紙なんぞやる必要はない。やらなければ無事で暮してると思つてるだらう。たよりは死んだ時か病氣の時か、何か事の起つた時にやりさへすればいゝ譯だ。
 庭は十坪程の平庭《ひらには》で、是と云ふ植木もない。只一本の蜜柑があつて、塀のそとから、目標《めじるし》になる程高い。おれはうちへ歸ると、いつでも此蜜柑を眺める。東京を出た事のないものには蜜柑の生《な》つてゐる所は頗る珍らしいものだ。あの青い實が段々熟してきて、黄色になるんだらうが、定めて奇麗だらう。今でも最《も》う半分色の變つたのがある。婆さんに聞いて見ると、頗る水氣《みづけ》の多い、旨い蜜柑ださうだ。今に熟《うれ》たら、たんと召し上がれと云つたから、毎日少し宛《づゝ》食つてやらう。もう三週間もしたら、充分食へるだらう。まさか三週間内に此所を去る事もなからう。
 おれが蜜柑の事を考へて居る所へ、偶然山嵐が話しにやつて來た。今日は祝勝會だから、君と一所に御馳走を食はうと思つて牛肉を買つて來たと、竹の皮の包を袂から引きずり出して、座敷の眞中《まんなか》へ抛《はふ》り出した。おれは下宿で芋責豆腐責になつてる上、蕎麥屋行き、團子屋行きを禁じられてる際だから、そいつは結構だと、すぐ婆さんから鍋と砂糖をかり込んで、※[者/火]方に取りかゝつた。
 山嵐は無暗に牛肉を頬張りながら、君あの赤シヤツが藝者に馴染《なじみ》のある事を知つてるかと聞くから、知つてるとも、此間うらなりの送別會の時に來た一人がさうだらうと云つたら、さうだ僕は此頃漸く勘づいたのに、君は中々|敏捷《びんせふ》だと大《おほい》にほめた。
 「あいつは、ふた言《こと》目には品性だの、精神的娯樂だのと云ふ癖に、裏へ廻つて、藝者と關係なんかつけとる、怪《け》しからん奴だ。夫《そ》れもほかの人が遊ぶのを寛容するならいゝが、君が蕎麥屋へ行つたり、團子屋へ這入るのさへ取締上害になると云つて、校長の口を通して注意を加へたぢやないか」
 「うん、あの野郎の考ぢや藝者買は精神的娯樂で、天麩羅や、團子は物理的娯樂なんだらう。精神的娯樂なら、もつと大べらにやるがいゝ。何だあの樣《ざま》は。馴染の藝者が這入つてくると、入れ代りに席をはづして、逃げるなんて、どこ迄も人を胡魔化《ごまか》す氣だから氣に食はない。さうして人が攻撃すると、僕は知らないとか、露西亞文學《ロシアぶんがく》だとか、俳句が新體詩の兄弟分だとか云つて、人を烟《けむ》に捲《ま》く積りなんだ。あんな弱蟲は男ぢやないよ。全く御殿女中の生れ變りか何かだぜ。ことによると、彼奴《あいつ》のおやぢは湯島のかげま〔三字傍点〕かもしれない」
 「湯島のかげま〔三字傍点〕た何だ」
 「何でも男らしくないもんだらう。――君そこの所はまだ※[者/火]えて居ないぜ。そんなのを食ふと絛蟲《さなだむし》が湧くぜ」
 「さうか、大抵大丈夫だらう。それで赤シヤツは人に隱れて、温泉《ゆ》の町の角屋《かどや》へ行つて、藝者と會見するさうだ」
 「角屋つて、あの宿屋か」
 「宿屋兼料理屋さ。だからあいつを一番へこます爲には、彼奴《あいつ》が藝者をつれて、あすこへ這入り込む所を見屆けて置いて面詰《めんきつ》するんだね」
 「見屆けるつて、夜番でもするのかい」
 「うん、角屋《かどや》の前に枡屋《ますや》といふ宿屋があるだらう。あの表二階をかりて、障子へ穴をあけて、見て居るのさ」
 「見て居るときに來るかい」
 「來るだらう。どうせ一と晩ぢやいけない。二週間|許《ばか》りやる積りでなくつちや」
 「隨分疲れるぜ。僕あ、おやぢの死ぬとき一週間|許《ばか》り徹夜して看病した事があるが、あとでぼんやりして、大《おほい》に弱つた事がある」
 「少し位身體が疲れたつて構はんさ。あんな奸物《かんぶつ》をあの儘にして置くと、日本の爲にならないから、僕が天に代つて誅戮《ちゆうりく》を加へるんだ」
 「愉快だ。さう事が極まれば、おれも加勢してやる。夫《それ》で今夜から夜番をやるのかい」
 「まだ枡屋《ますや》に懸合つてないから、今夜は駄目だ」
 「それぢや、いつから始める積りだい」
 「近々《きん/\》のうちやるさ。いづれ君に報知をするから、さうしたら、加勢して呉れ給へ」
 「よろしい、いつでも加勢する。僕は計略《はかりごと》は下手《へた》だが、喧嘩とくると是れで中々すばしこいぜ」
 おれと山嵐がしきりに赤シヤツ退治の計略《はかりごと》を相談して居ると、宿の婆さんが出て來て、學校の生徒さんが一人、堀田先生に御目にかゝりたいてゝ御出でたぞなもし。今御宅へ參《さん》じたのぢやが、御留守ぢやけれ、大方こゝぢやらうてゝ捜し當てゝ御出でたのぢやがなもしと、閾《しきゐ》の所へ膝を突いて山嵐の返事を待つてる。山嵐はさうですかと玄關迄出て行つたが、やがて歸つて來て、君、生徒が祝勝會の余興を見に行かないかつて誘ひに來たんだ。今日は高知から、何とか踴《をど》りをしに、わざ/\こゝ迄多人數乘り込んで來てゐるのだから、是非見物しろ、滅多に見られない踴《をどり》だと云ふんだ、君も一所に行つて見給へと山嵐は大《おほい》に乘り氣で、おれに同行を勸める。おれは踴なら東京で澤山見て居る。毎年《まいねん》八幡樣の御祭りには屋臺が町内へ廻つてくるんだから汐酌《しほく》みでも何でもちやんと心得て居る。土佐つぽの馬鹿踴《ばかをどり》なんか、見たくもないと思つたけれども、折角山嵐が勸めるもんだから、つい行く氣になつて門へ出た。山嵐を誘《さそひ》に來たものは誰かと思つたら赤シヤツの弟だ。妙な奴が來たもんだ。
 會場へ這入ると、回向院《ゑかうゐん》の相撲《すまふ》か本門寺の御會式《おゑしき》の樣に幾旒《いくながれ》となく長い旗を所々に植え付けた上に、世界萬國の國旗を悉《/”\》く借りて來た位、繩から繩、綱から綱へ渡しかけて、大きな空が、いつになく賑やかに見える。東の隅に一夜作りの舞臺を設けて、こゝで所謂高知の何とか踴りをやるんださうだ。舞臺を右へ半町|許《ばか》りくると葭簀《よしず》の圍《かこ》ひをして、活花《いけばな》が陳列してある。みんなが感心して眺めて居るが、一向《いつかう》くだらないものだ。あんなに草や竹を曲げて嬉しがるなら、脊蟲《せむし》の色男や、跛《びつこ》の亭主を持つて自慢するがよからう。
 舞臺とは反對の方面で、頻りに花火を揚げる。花火の中から風船が出た。帝國萬歳とかいてある。天主の松の上をふわ/\飛んで營所《えいしよ》のなかへ落ちた。次にぽんと音がして、黒い團子が、しゆつと秋の空を射拔く樣に揚がると、それがおれの頭の上で、ぽかりと割れて、青い烟が傘《かさ》の骨の樣に開いて、だら/\と空中に流れ込んだ。風船がまた上がつた。今度は陸海軍萬歳と赤地に白く染め拔いた奴が風に搖られて、温泉《ゆ》の町から、相生村《あひおひむら》の方へ飛んでいつた。大方觀音樣の境内へでも落ちたらう。
 式の時は左程《さほど》でもなかつたが、今度は大變な人出だ。田舍にもこんなに人間が住んでるかと驚ろいた位うぢや/\して居る。利口な顔はあまり見當らないが、數《かず》から云ふと慥《たしか》に馬鹿に出來ない。其うち評判の高知の何とか踴《をどり》が始まつた。踴といふから藤間《ふぢま》か何ぞのやる踴りかと早合點して居たが、是は大間違であつた。
 いかめしい後鉢卷《うしろはちまき》をして、立《た》つ付《つ》け袴《ばかま》を穿《は》いた男が十人|許《ばか》り宛《づゝ》、舞臺の上に三列に並んで、其三十人が悉《こと/”\》く拔き身を携《さ》げて居るには魂消《たまげ》た。前列と後列の間は僅か一尺五寸位だらう、左右の間隔は夫《それ》より短かいとも長くはない。たつた一人列を離れて舞臺の端《はじ》に立つてるのがある許《ばか》りだ。此仲間|外《はづ》れの男は袴|丈《だけ》はつけて居るが、後鉢卷は儉約して、拔身の代りに、胸へ太鼓を懸けて居る。太鼓は太神樂《だいかぐら》の太鼓と同じ物だ。此男がやがて、いやあ、はあゝと呑氣《のんき》な聲を出して、妙な謠《うた》をうたひながら、太鼓をぼこぼん、ぼこぼんと叩く。歌の調子は前代未聞《ぜんだいみもん》の不思議なものだ。三河萬歳《みかはまんざい》と普陀洛《ふだらく》やの合併したものと思へば大した間違にはならない。
 歌は頗る悠長なもので、夏分《なつぶん》の水飴の樣に、だらしがないが、句切りをとる爲めにぼこぼんを入れるから、のべつの樣でも拍子は取れる。此拍子に應じて三十人の拔き身がぴか/\と光るのだが、是は又頗る迅速《じんそく》な御手際で、拜見して居ても冷々《ひや/\》する。隣りも後ろも一尺五寸以内に生きた人間が居て、其人間が又切れる拔き身を自分と同じ樣に振り舞はすのだから、餘程調子が揃はなければ、同志撃《どうしうち》を始めて怪我をする事になる。夫《それ》も動かないで刀|丈《だけ》前後とか上下とかに振るのなら、まだ危險《あぶなく》もないが、三十人が一度に足踏をして横を向く時がある。ぐるりと廻る事がある。膝を曲げる事がある。隣りのものが一秒でも早過ぎるか、遅過ぎれば、自分の鼻は落ちるかも知れない。隣りの頭はそがれるかも知れない。拔き身の動くのは自由自在だが、其動く範圍は一尺五寸角の柱のうちにかぎられた上に、前後左右のものと同方向に同速度にひらめかなければならない。こいつは驚いた、中々以て汐酌《しほくみ》や關《せき》の戸《と》の及ぶ所でない。聞いて見ると、是は甚だ熟練の入るもので容易な事では、かう云ふ風に調子が合はないさうだ。ことに六づかしいのは、かの萬歳節のぼこぼん先生ださうだ。三十人の足の運びも、手の働きも、腰の曲げ方も、悉《こと/”\》くこのぼこぼん君の拍子一つで極まるのださうだ。傍《はた》で見て居ると、此大將が一番|呑氣《のんき》さうに、いやあ、はあゝと氣樂にうたつてるが、其實は甚だ責任が重くつて非常に骨が折れるとは不思議なものだ。
 おれと山嵐が感心のあまり此|踴《をどり》を餘念なく見物して居ると、半町|許《ばか》り、向《むかふ》の方で急にわつと云ふ鬨《とき》の聲がして、今迄穩やかに諸所を縱覽して居た連中が、俄かに波を打つて、右左《みぎひだ》りに搖《うご》き始める。喧嘩だ/\と云ふ聲がすると思ふと、人の袖を潜《くゞ》り拔けて來た赤シヤツの弟が、先生又喧嘩です、中學の方で、今朝の意趣返しをするんで、又師範の奴と決戰を始めた所です、早く來て下さいと云ひながら又人の波のなかへ潜《もぐ》り込んでどつかへ行つて仕舞つた。
 山嵐は世話の燒ける小僧だ又始めたのか、いゝ加減にすればいゝのにと逃げる人を避《よ》けながら一散《いつさん》に馳け出した。見て居る譯にも行かないから取り鎭める積《つもり》だらう。おれは無論の事逃げる氣はない。山嵐の踵《かゝと》を踏んであとからすぐ現場《げんば》へ馳けつけた。喧嘩は今が眞最中《まつさいちゆう》である。師範の方は五六十人もあらうか、中學は慥《たし》かに三割方多い。師範は制服をつけてゐるが、中學は式後大抵は日本服に着換へてゐるから、敵味方はすぐわかる。然し入り亂れて組んづ、解《ほご》れつ戰つてるから、どこから、どう手を付けて引き分けていゝか分らない。山嵐は困つたなと云ふ風で、暫らく此の亂雜な有樣を眺めて居たが、かうなつちや仕方がない。巡査がくると面倒だ。飛び込んで分け樣《やう》と、おれの方を見て云ふから、おれは返事もしないで、いきなり、一番喧嘩の烈しさうな所へ躍り込んだ。止《よ》せ/\。そんな亂暴をすると學校の體面に關はる。よさないかと、出る丈《だけ》の聲を出して敵と味方の分界線らしい所を突《つ》き貫《ぬ》け樣《やう》としたが、中々さう旨くは行かない。一二間這入つたら、出る事も引く事も出來なくなつた。目の前に比較的大きな師範生が、十五六の中學生と組み合つてゐる。止《よ》せと云つたら、止《よ》さないかと師範生の肩を持つて、無理に引き分け樣《やう》とする途端にだれか知らないが、下からおれの足をすくつた。おれは不意を打たれて握つた、肩を放して、横に倒れた。堅い靴でおれの脊中の上へ乘つた奴がある。兩手と膝を突いて下から、跳ね起きたら、乘つた奴は右の方へころがり落ちた。起き上がつて見ると、三間|許《ばか》り向ふに山嵐の大きな身體が生徒の間に挾まりながら、止《よ》せ/\、喧嘩は止《よ》せ/\と揉み返されてるのが見えた。おい到底駄目だと云つて見たが聞えないのか返事もしない。
 ひゆうと風を切つて飛んで來た石が、いきなりおれの頬骨へ中《あた》つたなと思つたら、後《うし》ろからも、脊中を棒でどやした奴がある。ヘ師の癖に出て居る、打《ぶ》て/\と云ふ聲がする。ヘ師は二人だ。大きい奴と、小さい奴だ。石を抛《な》げろ。と云ふ聲もする。おれは、なに生意氣な事をぬかすな、田舍者の癖にと、いきなり、傍《そば》に居た師範生の頭を張りつけてやつた。石が又ひゆうと來る。今度はおれの五分刈の頭を掠《かす》めて後《うし》ろの方へ飛んで行つた。山嵐はどうなつたか見えない。かうなつちや仕方がない。始めは喧嘩をとめに這入つたんだが、どやされたり、石をなげられたりして、恐れ入つて引き下がるうんでれがんがあるものか。おれを誰だと思ふんだ。身長《なり》は小さくつても喧嘩の本場で修行を積んだ兄さんだと無茶苦茶に張り飛ばしたり、張り飛ばされたりして居ると、やがて巡査だ巡査だ逃げろ/\と云ふ聲がした。今迄|葛練《くずね》りの中で泳いでる樣に身動《みうごき》も出來なかつたのが、急に樂になつたと思つたら、敵も味方も一度に引上げて仕舞つた。田舍者でも退却は巧妙だ。クロパトキンより旨い位である。
 山嵐はどうしたかと見ると、紋付の一重羽織をずた/\にして、向ふの方で鼻を拭いて居る。鼻柱《はなつぱしら》をなぐられて大分《だいぶ》出血したんださうだ。鼻がふくれ上がつて眞赤《まつか》になつて頗る見苦しい。おれは飛白《かすり》の袷を着て居たから泥だらけになつたけれども、山嵐の羽織程な損害はない。然し頬《ほつ》ぺたがぴり/\して堪らない。山嵐は大分《だいぶ》血が出て居るぜとヘへてくれた。
 巡査は十五六名來たのだが、生徒は反對の方面から退却したので、捕《つら》まつたのは、おれと山嵐|丈《だけ》である。おれらは姓名をつげて、一部始終を話したら、とも角も警察迄來いと云ふから、警察へ行つて、署長の前で事の?末《てんまつ》を述べて下宿へ歸つた。
 
     十一
 
 あくる日眼が覺めて見ると、身體中痛くて堪らない。久しく喧嘩をしつけなかつたから、こんなに答へるんだらう。これぢやあんまり自慢もできないと床の中で考へて居ると、婆さんが四國新聞を持つてきて枕元へ置いてくれた。實は新聞を見るのも退儀なんだが、男がこれしきの事に閉口《へこ》たれて仕樣があるものかと無理に腹這になつて、寐ながら、二頁を開けてみると驚ろいた。昨日《きのふ》の喧嘩がちやんと出て居る。喧嘩の出て居るのは驚ろかないのだが、中學のヘ師|堀田某《ほつたぼう》と、近頃東京から赴任した生意氣なる某《ぼう》とが、順良なる生徒を使嗾《しそう》して此騷動を喚起《くわんき》せるのみならず、兩人は現場にあつて生徒を指揮したる上、漫《みだ》りに師範生に向つて暴行を擅《ほしいまゝ》にしたりと書いて、次にこんな意見が附記してある。本縣の中學は昔時《せきじ》より善良温順の氣風をもつて全國の羨望する所なりしが、輕薄なる二豎子《にじゆし》の爲めに吾校の特權を毀損せられて、此不面目を全市に受けたる以上は、吾人は奮然として起《た》つて其責任を問はざるを得ず。吾人は信ず、吾人が手を下《くだ》す前に、當局者は相當の處分を此無頼漢の上に加へて、彼等をして再びヘ育界に足を入るゝ餘地なからしむる事を。さうして一字毎にみんな黒點を加へて、御灸《おきう》を据えた積りで居る。おれは床の中で、糞でも喰らへと云ひながら、むつくり飛び起きた。不思議な事に今迄身體の關節《ふし/”\》が非常に痛かつたのが、飛び起きると同時に忘れた樣に輕くなつた。
 おれは新聞を丸めて庭へ抛《な》げつけたが、夫《それ》でもまだ氣に入らなかつたから、わざ/\後架《こうか》へ持つて行つて棄てゝ來た。新聞なんて無暗な嘘を吐《つ》くもんだ。世の中に何が一番|法螺《ほら》を吹くと云つて、新聞程の法螺《ほら》吹きはあるまい。おれの云つて然る可き事をみんな向ふで並べて居やがる。それに近頃東京から赴任した生意氣な某《ぼう》とは何だ。天下に某《ぼう》と云ふ名前の人があるか。考へて見ろ。是でも歴然《れつき》とした姓もあり名もあるんだ。系圖が見たけりや、多田滿仲《ただのまんぢゆう》以來の先祖を一人殘らず拜ましてやらあ。――顔を洗つたら、頬《ほつ》ぺたが急に痛くなつた。婆さんに鏡をかせと云つたら、けさの新聞を御見たかなもしと聞く。讀んで後架《こうか》へ棄てゝ來た。欲しけりや拾つて來いと云つたら、驚いて引き下がつた。鏡で顔を見ると昨日《きのふ》と同じ樣に傷がついてゐる。是でも大事な顔だ、顔へ傷まで付けられた上へ生意氣なる某などゝ、某呼ばはりをされゝば澤山だ。
 今日の新聞に辟易《へきえき》して學校を休んだ抔《など》と云はれちや一生の名折れだから、飯を食つていの一號に出頭した。出てくる奴も、出てくる奴もおれの顔を見て笑つてゐる。何が可笑《をか》しいんだ。貴樣達にこしらへて貰つた顔ぢやあるまいし。其うち、野だが出て來て、いや昨日《さくじつ》は御手柄で、――名誉の御負傷でげすか、と送別會の時に撲《なぐ》つた返報と心得たのか、いやに冷かしたから、餘計な事を言はずに繪筆でも舐めて居ろと云つてやつた。するとこりや恐入りやした。然し嘸《さぞ》御痛い事でげせうと云ふから、痛からうが、痛くなからうがおれの面《つら》だ。貴樣の世話になるもんかと怒鳴りつけてやつたら、向ふ側の自席へ着いて、矢つ張りおれの顔を見て、隣りの歴史のヘ師と何か内所話をして笑つてゐる。
 夫《それ》から山嵐が出頭した。山嵐の鼻に至つては、紫色に膨張して、堀《ほ》つたら中から膿《うみ》が出さうに見える。自惚《うぬぼれ》の所爲《せゐ》か、おれの顔より餘つ程手ひどく遣られてゐる。おれと山嵐は机を並べて、隣り同志の近しい仲で、御負けに其机が部屋の戸口から眞正面にあるんだから運がわるい。妙な顔が二つ塊《かた》まつてゐる。ほかの奴は退屈にさへなると屹度《きつと》此方《こつち》ばかり見る。飛んだ事でと口で云ふが、心のうちでは此馬鹿がと思つてるに相違ない。夫《それ》でなければあゝ云ふ風に私語《さゝさやき》合つてはくす/\笑ふ譯がない。ヘ場へ出ると生徒は拍手を以て迎へた。先生萬歳と云ふものが二三人あつた。景氣がいゝんだか、馬鹿にされてるんだか分からない。おれと山嵐がこんなに注意の燒點《せうてん》となつてるなかに、赤シヤツ許《ばか》りは平常の通り傍《そば》へ來て、どうも飛んだ災難でした。僕は君等に對して御氣の毒でなりません。新聞の記事は校長とも相談して、正誤を申し込む手續にして置いたから、心配しなくてもいゝ。僕の弟が堀田君を誘《さそひ》に行つたから、こんな事が起つたので、僕は實に申し譯がない。それで此件に就ては飽く迄盡力する積《つもり》だから、どうかあしからず、抔《など》と半分謝罪的な言葉を並べて居る。校長は三時間目に校長室から出てきて、困つた事を新聞がかき出しましたね。六づかしくならなければいゝがと多少心配さうに見えた。おれには心配なんかない、先で免職をするなら、免職される前に辭表を出して仕舞ふ丈《だけ》だ。然し自分がわるくないのにこつちから身を引くのは法螺《ほら》吹きの新聞屋を益《ます/\》搨キさせる譯だから、新聞屋を正誤させて、おれが意地にも務めるのが順當だと考へた。歸りがけに新聞屋に談判に行かうと思つたが、學校から取消の手續はしたと云ふから、やめた。
 おれと山嵐は校長とヘ頭に時間の合間《あひま》を見計つて、嘘のない所を一應説明した。校長とヘ頭はさうだらう、新聞屋が學校に恨を抱《いだ》いて、あんな記事をことさらに掲げたんだらうと論斷した。赤シヤツはおれらの行爲を辯解しながら控所を一人ごとに廻つてあるいて居た。ことに自分の弟が山嵐を誘ひ出したのを自分の過失であるかの如く吹聽《ふいちやう》して居た。みんなは全く新聞屋がわるい、怪《け》しからん、兩君は實に災難だと云つた。
 歸りがけに山嵐は、君赤シヤツは臭いぜ、用心しないとやられるぜと注意した。どうせ臭いんだ、今日《けふ》から臭くなつたんぢやなからうと云ふと、君まだ氣が付かないか、きのふわざ/\、僕等を誘ひ出して喧嘩のなかへ、捲き込んだのは策だぜとヘへてくれた。成程そこ迄は氣がつかなかつた。山嵐は粗暴な樣だが、おれより智慧のある男だと感心した。
 「あゝやつて喧嘩をさせて置いて、すぐあとから新聞屋へ手を廻してあんな記事をかゝせたんだ。實に奸物《かんぶつ》だ」
 「新聞迄も赤シヤツか。そいつは驚いた。然し新聞が赤シヤツの云ふ事をさう容易《たやす》く聽くかね」
 「聽かなくつて。新聞屋に友達が居りや譯はないさ」
 「友達が居るのかい」
 「居なくても譯ないさ。嘘をついて、事實是々だと話しや、すぐ書くさ」
 「ひどいもんだな。本當に赤シヤツの策なら、僕等は此の事件で免職になるかも知れないね」
 「わるくすると、遣られるかも知れない」
 「そんなら、おれは明日《あした》辭表を出してすぐ東京へ歸つちまはあ。こんな下等な所に頼んだつて居るのはいやだ」
 「君が辭表を出したつて、赤シヤツは困らない」
 「それもさうだな。どうしたら困るだらう」
 「あんな奸物《かんぶつ》の遣る事は、何でも證據の擧がらない樣に、擧がらない樣にと工夫するんだから、反駁《はんばく》するのは六づかしいね」
 「厄介だな。それぢや濡衣《ぬれぎぬ》を着るんだね。面白くもない。天道是耶非《てんだうぜかひ》かだ」
 「まあ、もう二三日《にさんち》樣子を見樣ぢやないか。夫《それ》で愈《いよ/\》となつたら、温泉《ゆ》の町で取つて抑へるより仕方がないだらう」
 「喧嘩事件は、喧嘩事件としてか」
 「さうさ。こつちはこつちで向ふの急所を抑へるのさ」
 「それもよからう。おれは策略は下手《へた》なんだから、萬事宜しく頼む。いざとなれば何でもする」
 おれと山嵐は是で分れた。赤シヤツが果して山嵐の推察通りをやつたのなら、實にひどい奴だ。到底智慧比べで勝てる奴ではない。どうしても腕力でなくつちや駄目だ。成程世界に戰爭は絶えない譯だ。個人でも、とゞの詰りは腕力だ。
 あくる日、新聞のくるのを待ちかねて、披《ひら》いてみると、正誤|所《どころ》か取《と》り消《け》しも見えない。學校へ行つて狸に催促すると、あした位出すでせうと云ふ。明日《あした》になつて六號活字で小さく取消が出た。然し新聞屋の方で正誤は無論して居らない。又校長に談判すると、あれより手續きのしやうはないのだと云ふ答だ。校長なんて狸の樣な顔をして、いやにフロツク張《ば》つてゐるが存外無勢力なものだ。虚僞の記事を掲げた田舍新聞一つ詫まらせる事が出來ない。あんまり腹が立つたから、それぢや私《わたし》が一人で行つて主筆に談判すると云つたら、それは行《い》かん、君が談判すれば又惡口を書かれる許《ばか》りだ。つまり新聞屋にかゝれた事は、うそにせよ、本當にせよ、詰りどうする事も出來ないものだ。あきらめるより外に仕方がないと、坊主の説ヘじみた説諭を加へた。新聞がそんな者なら、一日も早く打《ぶ》つ潰して仕舞つた方が、われ/\の利益だらう。新聞にかゝれるのと、泥鼈《すつぽん》に食ひつかれるとが似たり寄つたりだとは今日《こんにち》只今《たゞいま》狸の説明によつて始めて承知仕つた。
 夫《それ》から三日|許《ばか》りして、ある日の午後、山嵐が憤然とやつて來て、愈《いよ/\》時機が來た、おれは例の計畫を斷行する積《つもり》だと云ふから、さうかそれぢやおれもやらうと、即座に一味徒黨に加盟した。所が山嵐が、君はよす方がよからうと首を傾けた。何故《なぜ》と聞くと君は校長に呼ばれて辭表を出せと云はれたかと尋ねるから、いや云はれない。君は? と聽き返すと、今日《けふ》校長室で、まことに氣の毒だけれども、事情|已《やむ》を得んから處決してくれと云はれたとの事だ。
 「そんな裁判はないぜ。狸は大方腹鼓を叩き過ぎて、胃の位置が?倒したんだ。君とおれは、一所に、祝勝會へ出てさ、一所に高知のぴか/\踴りを見てさ、一所に喧嘩をとめに這入つたんぢやないか。辭表を出せといふなら公平に兩方へ出せと云ふがいゝ。なんで田舍の學校はさう理窟が分らないんだらう。焦慮《じれつた》いな」
 「それが赤シヤツの指金《さしがね》だよ。おれと赤シヤツとは今迄の行懸《ゆきがゝ》り上到底兩立しない人間だが、君の方は今の通り置いても害にならないと思つてるんだ」
 「おれだつて赤シヤツと兩立するものか。害にならないと思ふなんて生意氣だ」
 「君はあまり單純過ぎるから、置いたつて、どうでも胡魔化《ごまか》されると考へてるのさ」
 「猶《なほ》惡いや。誰が兩立してやるものか」
 「夫《それ》に先達《せんだつ》て古賀が去つてから、まだ後任が事故の爲に到着しないだらう。其上に君と僕を同時に追ひ出しちや、生徒の時間に明きが出來て、授業にさし支へるからな」
 「夫《それ》ぢやおれを間《あひ》のくさびに一席|伺《うかゞ》はせる氣なんだな。こん畜生《ちきしやう》、だれが其手に乘るものか」
 翌日《あくるひ》おれは學校へ出て校長室へ入《はい》つて談判を始めた。
 「何で私《わたし》に辭表を出せと云はないんですか」
 「へえ?」と狸はあつけに取られて居る。
 「堀田には出せ、私《わたし》には出さないで好《い》ゝと云ふ法がありますか」
 「それは學校の方の都合で……」
 「其都合が間違つてまさあ。私《わたし》が出さなくつて濟むなら堀田だつて、出す必要はないでせう」
 「其邊は説明が出來かねますが――堀田君は去られても已《やむ》を得んのですが、あなたは辭表を御出しになる必要を認めませんから」
 成程狸だ、要領を得ない事ばかり並《なら》べて、しかも落ち付き拂つてる。おれは仕樣《しやう》がないから
 「それぢや私《わたし》も辭表を出しませう。堀田君一人辭職させて、私《わたし》が安閑として、留《とゞ》まつて居られると思つて入らつしやるかも知れないが、私《わたし》にはそんな不人情な事は出來ません」
 「それは困る。堀田も去りあなたも去つたら、學校の數學の授業が丸《まる》で出來なくなつて仕舞ふから……」
 「出來なくなつても私《わたし》の知つた事ぢやありません」
 「君さう我儘を云ふものぢやない、少しは學校の事情も察して呉れなくつちや困る。夫《そ》れに、來てから一月《ひとつき》立つか立たないのに辭職したと云ふと、君の將來の履歴に關係するから、其邊も少しは考へたらいゝでせう」
 「履歴なんか構ふもんですか、履歴より義理が大切です」
 「そりや御尤――君の云ふ所は一々御尤だが、わたしの云ふ方も少しは察して下さい。君が是非辭職すると云ふなら辭職されてもいゝから、代りのある迄どうかやつて貰ひたい。とにかく、うちでもう一返考へ直してみて下さい」
 考へ直すつて、直し樣のない明々白々たる理由だが、狸が蒼くなつたり、赤くなつたりして、可愛想《かはいさう》になつたから一《ひ》と先《まづ》考へ直す事として引き下がつた。赤シヤツには口もきかなかつた。どうせ遣つ付けるなら塊《かた》めて、うんと遣つ付ける方がいゝ。
 山嵐に狸と談判した模樣を話したら、大方そんな事だらうと思つた。辭表の事はいざとなる迄其儘にして置いても差支あるまいとの話だつたから、山嵐の云ふ通りにした。どうも山嵐の方がおれよりも利巧らしいから萬事山嵐の忠告に從ふ事にした。
 
 山嵐は愈《いよ/\》辭表を出して、職員一同に告別の挨拶をして濱の港屋迄|下《さが》つたが、人に知れない樣に引き返して、温泉《ゆ》の町の枡屋《ますや》の表二階へ潜《ひそ》んで、障子へ穴をあけて覗き出した。是を知つてるものはおれ許《ばか》りだらう。赤シヤツが忍んで來ればどうせ夜だ。しかも宵の口は生徒や其他の目があるから、少なくとも九時過ぎに極つてる。最初の二晩はおれも十一時頃迄張番をしたが、赤シヤツの影も見えない。三日目には九時から十時半迄覗いたが矢張り駄目だ。駄目を踏んで夜なかに下宿へ歸る程馬鹿氣た事はない。四五日《しごんち》すると、うちの婆さんが少々心配を始めて、奧さんの御有りるのに、夜遊びはおやめたがえゝぞなもしと忠告した。そんな夜遊びとは夜遊が違ふ。こつちのは天に代つて誅戮《ちゆうりく》を加へる夜遊びだ。とは云ふものゝ一週間も通《かよ》つて、少しも驗《げん》が見えないと、いやになるもんだ。おれは性急《せつかち》な性分だから、熱心になると徹夜でもして仕事をするが、其代り何によらず長持ちのした試しがない。如何に天誅黨《ちゆうたう》でも飽きる事に變りはない。六日目には少々いやになつて、七日目にはもう休まうかと思つた。そこへ行くと山嵐は頑固なものだ。宵から十二時過迄は眼を障子へつけて、角屋《かどや》の丸ぼやの瓦斯燈《ガスとう》の下を睨めつきりである。おれが行くと今日《けふ》は何人客があつて、泊りが何人、女が何人と色々な統計を示すのには驚ろいた。どうも來ない樣ぢやないかと云ふと、うん、慥《たし》かに來る筈だがと時々腕組をして溜息《ためいき》をつく。可愛想《かはいさう》に、もし赤シヤツが此所へ一度來てくれなければ、山嵐は、生涯|天誅《てんちゆう》を加へる事は出來ないのである。
 八日目には七時頃から下宿を出て、先づ緩《ゆ》るりと湯に入《はい》つて、夫《それ》から町で鷄卵を八つ買つた。是は下宿の婆さんの芋責に應ずる策である。其玉子を四つ宛《づゝ》左右の袂へ入れて、例の赤手拭を肩へ乘せて、懷手をしながら、枡屋《ますや》の楷子段を登つて山嵐の座敷の障子をあけると、おい有望々々と韋駄天《ゐだてん》の樣な顔は急に活氣を呈した。昨夜《ゆうべ》迄は少し塞《ふさ》ぎの氣味で、はたで見て居るおれさへ、陰氣臭いと思つた位だが、此顔色を見たら、おれも急にうれしくなつて、何も聞かない先から、愉快々々と云つた。
 「今夜七時半頃あの小鈴《こすゞ》と云ふ藝者が角屋《かどや》へ這入つた」
 「赤シヤツと一所か」
 「いゝや」
 「それぢや駄目だ」
 「藝者は二人づれだが、――どうも有望らしい」
 「どうして」
 「どうしてつて、あゝ云ふ狡《ずる》い奴だから、藝者を先へよこして、後《あと》から忍んでくるかも知れない」
 「さうかも知れない。もう九時だらう」
 「今九時十二分|許《ばか》りだ」と帶の間からニツケル製の時計を出して見ながら云つたが「おい洋燈《らんぷ》を消せ、障子へ二つ坊主頭が寫つては可笑《をか》しい。狐はすぐ疑ぐるから」
 おれは一貫張《いつくわんばり》の机の上にあつた置き洋燈《らんぷ》をふつと吹きけした。星明りで障子|丈《だけ》は少々あかるい。月はまだ出て居ない。おれと山嵐は一生懸命に障子へ面《かほ》をつけて、息を凝《こ》らして居る。チーンと九時半の柱時計が鳴つた。
 「おい來るだらうかな。今夜來なければ僕はもう厭だぜ」
 「おれは錢《ぜに》のつゞく限りやるんだ」
 「錢つていくらあるんだい」
 「今日迄で八日分五圓六十錢拂つた。いつ飛び出しても都合のいゝ樣に毎晩勘定するんだ」
 「夫《それ》は手廻しがいゝ。宿屋で驚いてるだらう」
 「宿屋はいゝが、氣が放せないから困る」
 「其代り晝寐をするだらう」
 「晝寐はするが、外出が出來ないんで窮屈で堪らない」
 「天誅《てんちゆう》も骨が折れるな。是で天網恢々疎《てんまうくわいくわいそ》にして洩らしちまつたり、何かしちや、詰らないぜ」
 「なに今夜は屹度《きつと》くるよ。――おい見ろ/\」と小聲になつたから、おれは思はずどきりとした。黒い帽子を戴いた男が、角屋《かどや》の瓦斯燈《ガスとう》を下から見上げた儘暗い方へ通り過ぎた。違つて居る。おや/\と思つた。其うち帳場の時計が遠慮もなく十時を打つた。今夜もとう/\駄目らしい。
 世間は大分《だいぶ》靜かになつた。遊廓で鳴らす太鼓が手に取る樣に聞える。月が温泉《ゆ》の山の後《うしろ》からのつと顔を出した。徃來はあかるい。すると、下の方から人聲が聞えだした。窓から首を出す譯には行かないから、姿を突き留める事は出來ないが、段々近付いて來る模樣だ。からん/\と駒下駄を引《ひ》き擦《ず》る音がする。眼を斜めにするとやつと二人の影法師が見える位に近付いた。
 「もう大丈夫ですね。邪魔ものは追つ拂つたから」正《まさ》しく野だの聲である。「強がる許《ばか》りで策がないから、仕樣《しやう》がない」是は赤シヤツだ。「あの男もべらんめえに似て居ますね。あのべらんめえと來たら、勇《いさ》み肌《はだ》の坊つちやんだから愛嬌がありますよ」「搴汲ェいやだの辭表が出したいのつて、ありやどうしても神經に異?があるに相違ない」おれは窓をあけて、二階から飛び下りて、思ふ樣|打《ぶ》ちのめして遣らうと思つたが、やつとの事で辛防した。二人はハヽヽヽと笑ひながら、瓦斯燈《ガスとう》の下を潜《くゞ》つて、角屋の中へ這入つた。
 「おい」
 「おい」
 「來たぜ」
 「とう/\來た」
 「是で漸く安心した」
 「野だの畜生、おれの事を勇み肌の坊つちやんだと拔《ぬ》かしやがつた」
 「邪魔物と云ふのは、おれの事だぜ。失敬千萬な」
 おれと山嵐は二人の歸路《きろ》を要撃しなければならない。然し二人はいつ出て來るか見當がつかない。山嵐は下へ行つて今夜ことによると夜中に用事があつて出るかも知れないから、出られる樣にして置いてくれと頼んで來た。今思ふと、よく宿のものが承知したものだ。大抵なら泥棒と間違へられる所だ。
 赤シヤツの來るのを待ち受けたのはつらかつたが、出て來るのを凝《じつ》として待つてるのは猶《なほ》つらい。寐る譯には行かないし、始終障子の隙から睨めて居るのもつらいし、どうも、かうも心が落ちつかなくつて、是程難儀な思をした事は未だにない。いつその事角屋へ踏み込んで現場《げんば》を取つて抑へ樣《やう》と發議《ほつぎ》したが、山嵐は一言《いちごん》にして、おれの申し出を斥《しりぞ》けた。自分共が今時分飛び込んだつて、亂暴者だと云つて途中で遮《さへぎ》られる。譯を話して面會を求めれば居ないと逃げるか別室へ案内をする。不用意の所へ踏み込めると假定した所で何十とある座敷のどこに居るか分るものではない、退屈でも出るのを待つより外に策はないと云ふから、漸くの事でとう/\朝の五時迄我慢した。
 角屋から出る二人の影を見るや否や、おれと山嵐はすぐあとを尾《つ》けた。一番汽車はまだないから、二人とも城下《じやうか》迄あるかなければならない。温泉《ゆ》の町をはづれると一丁|許《ばか》りの杉並木があつて左右は田圃《たんぼ》になる。それを通りこすとこゝかしこに藁葺《わらぶき》があつて、畠の中を一筋に城下迄通る土手へ出る。町さへはづれゝば、どこで追ひ付いても構はないが、可成《なるべく》なら、人家のない、杉並木で捕《つら》まへてやらうと、見えがくれについて來た。町を外《はづ》れると急に馳け足の姿勢で、はやての樣に後《うし》ろから、追ひ付いた。何が來たかと驚ろいて振り向く奴を待てと云つて肩に手をかけた。野だは狼狽の氣味で逃げ出さうといふ景色《けしき》だつたから、おれが前へ廻つて行手《ゆくて》を塞いで仕舞つた。
 「ヘ頭の職を持つてるものが何で角屋へ行つて泊つた」と山嵐はすぐ詰《なじ》りかけた。
 「ヘ頭は角屋へ泊つて惡《わ》るいといふ規則がありますか」と赤シヤツは依然として鄭寧《ていねい》な言葉を使つてる。顔の色は少々蒼い。
 「取締上不都合だから、蕎麥屋や團子屋へさへ這入つて行《い》かんと、云ふ位|謹直《きんちよく》な人が、なぜ藝者と一所に宿屋へとまり込んだ」野だは隙《すき》を見ては逃げ出さうとするからおれはすぐ前に立ち塞がつて「べらんめえの坊つちやんた何だ」と怒鳴り付けたら、「いえ君の事を云つたんぢやないんです、全くないんです」と鐵面皮《てつめんぴ》に言譯がましい事をぬかした。おれは此時氣がついて見たら、兩手で自分の袂を握つてる。追つかける時に袂の中の卵がぶら/\して困るから、兩手で握りながら來たのである。おれはいきなり袂へ手を入れて、玉子を二つ取り出して、やつと云ひながら、野だの面《つら》へ擲《たゝ》きつけた。玉子がぐちやりと割れて鼻の先から黄味《きみ》がだら/\流れだした。野だは餘つ程仰天した者と見えて、わつと言ひながら、尻持をついて、助けて呉れと云つた。おれは食ふ爲めに玉子は買つたが、打《ぶ》つける爲めに袂へ入れてる譯ではない。只肝癪のあまりに、ついぶつけるともなしに打《ぶ》つけて仕舞つたのだ。然し野だが尻持を突いた所を見て始めて、おれの成功した事に氣がついたから、此畜生《こんちきしやう》、此畜生《こんちきしやう》と云ひながら殘る六つを無茶苦茶に擲《たゝ》き付けたら、野だは顔中黄色になつた。
 おれが玉子をたゝきつけて居るうち、山嵐と赤シヤツはまだ談判最中である。
 「藝者を連れて僕が宿屋へ泊つたと云ふ證據がありますか」
 「宵に貴樣のなじみの藝者が角屋《かどや》へ這入つたのを見て云ふ事だ。胡魔化《ごまか》せるものか」
 「胡魔化す必要はない。僕は吉川君と二人で泊つたのである。藝者が宵に這入らうが、這入るまいが、僕の知つた事ではない」
 「だまれ」と山嵐は拳骨を食《くら》はした。赤シヤツはよろ/\したが「是は亂暴だ、狼藉《らうぜき》である。理非を辯じないで腕力に訴へるのは無法だ」
 「無法で澤山だ」と又ぽかりと撲《な》ぐる。「貴樣の樣な奸物《かんぶつ》はなぐらなくつちや、答へないんだ」とぽか/\なぐる。おれも同時に野だを散々に擲《たゝ》き据えた。仕舞には二人とも杉の根方にうづくまつて動けないのか、眼がちら/\するのか逃げ樣《やう》ともしない。
 「もう澤山か、澤山でなけりや、まだ撲《なぐ》つてやる」とぽかん/\と兩人《ふたり》でなぐつたら「もう澤山だ」と云つた。野だに「貴樣も澤山か」と聞いたら「無論澤山だ」と答へた。
 「貴樣等は奸物《かんぶつ》だから、かうやつて天誅《てんちゆう》を加へるんだ。これに懲りて以來つゝしむがいゝ。いくら言葉巧みに辯解が立つても正義は許さんぞ」と山嵐が云つたら兩人《ふたり》共だまつてゐた。ことによると口をきくのが退儀なのかも知れない。
 「おれは逃げも隱れもせん。今夜五時迄は濱の港屋に居る。用があるなら巡査なりなんなり、よこせ」と山嵐が云ふから、おれも「おれも逃げも隱れもしないぞ。堀田と同じ所に待つてるから警察へ訴へたければ、勝手に訴へろ」と云つて、二人してすた/\あるき出した。
 おれが下宿へ歸つたのは七時少し前である。部屋へ這入るとすぐ荷作りを始めたら、婆さんが驚いて、どう御しるのぞなもしと聞いた。御婆さん、東京へ行つて奧さんを連れてくるんだと答へて勘定をすまして、すぐ汽車へ乘つて濱へ來て港屋へ着くと、山嵐は二階で寐て居た。おれは早速辭表を書かうと思つたが、何と書いていゝか分らないから、私儀都合|有之《これあり》辭職の上東京へ歸り申|候《そろ》につき左樣御承知|被下度候《くだされたくそろ》以上とかいて校長|宛《あて》にして郵便で出した。
 汽船は夜六時の出帆である。山嵐もおれも疲れて、ぐう/\寐込んで眼が覺めたら、午後二時であつた。下女に巡査は來ないかと聞いたら參りませんと答へた。「赤シヤツも野だも訴へなかつたなあ」と二人で大きに笑つた。
 其夜おれと山嵐は此不淨な地を離れた。船が岸を去れば去る程いゝ心持ちがした。神戸から東京迄は直行で新橋へ着いた時は、漸く娑婆《しやば》へ出た樣な氣がした。山嵐とはすぐ分れたぎり今日《けふ》迄《まで》逢ふ機會がない。
 清の事を話すのを忘れて居た。――おれが東京へ着いて下宿へも行かず、革鞄《かばん》を提《さ》げた儘、清や歸つたよと飛び込んだら、あら坊つちやん、よくまあ、早く歸つて來て下さつたと涙をぽた/\と落した。おれも餘り嬉しかつたから、もう田舍へは行かない、東京で清とうちを持つんだと云つた。
 其後ある人の周旋で街鐵《がいてつ》の技手になつた。月給は二十五圓で、家賃は六圓だ。清は玄關付きの家《いへ》でなくつても至極滿足の樣子であつたが氣の毒な事に今年《ことし》の二月肺炎に罹つて死んで仕舞つた。死ぬ前日おれを呼んで坊つちやん後生《ごしやう》だから清が死んだら、坊つちやんの御寺へ埋《う》めて下さい。御墓のなかで坊つちやんの來るのを樂しみに待つて居りますと云つた。だから清の墓は小日向《こびなた》の養源寺にある。  
〔2005.11.27(午後)3時44分、修正終了。2017.3.27(午前)10時55分、再修正終了〕
 
   草枕
    ――明治三九、九、一――
 
     一
 
 山路《やまみち》を登りながら、かう考へた。
 智《ち》に働けば角《かど》が立つ。情《じやう》に棹《さを》させば流される。意地を通《とほ》せば窮屈《きゆうくつ》だ。兎角《とかく》に人の世は住みにくい。
 住みにくさが高《かう》じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟《さと》つた時、詩が生れて、畫《ゑ》が出來る。
 人の世〔三字傍点〕を作つたものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向ふ三軒|兩隣《りやうどな》りにちら/\する唯《たゞ》の人である。唯の人が作つた人の世〔三字傍点〕が住みにくいからとて、越す國はあるまい。あれば人でなし〔四字傍点〕の國へ行《ゆ》く許《ばか》りだ。人でなし〔四字傍点〕の國は人の世〔三字傍点〕よりも猶《なほ》住みにくからう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容《くつろげ》て、束《つか》の間《ま》の命を、束《つか》の間《ま》でも住みよくせねばならぬ。こゝに詩人といふ天職《てんしよく》が出來て、こゝに畫家といふ使命《しめい》が降《くだ》る。あらゆる藝術の士は人の世を長閑《のどか》にし、人の心を豐《ゆた》かにするが故《ゆゑ》に尊《たつ》とい。
 住みにくき世から、住みにくき煩《わづら》ひを引き拔いて、難有《ありがた》い世界をまのあたりに寫《うつ》すのが詩である、畫《ゑ》である。あるは音樂と彫刻である。こまかに云へば寫さないでもよい。只《たゞ》まのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧《わ》く。着想《ちやくさう》を紙に落さぬとも?鏘《きうさう》の音《おん》は胸裏《きようり》に起《おこ》る。丹青《たんせい》は畫架《ぐわか》に向《むか》つて塗抹《とまつ》せんでも五彩《ごさい》の絢爛《けんらん》は自《おのづ》から心眼《しんがん》に映《うつ》る。只《たゞ》おのが住む世を、かく觀《くわん》じ得て、靈臺《れいだい》方寸《はうすん》のカメラに澆季《げうき》溷濁《こんだく》の俗界《ぞくかい》を清くうらゝかに収め得《う》れば足《た》る。この故に無聲《むせい》の詩人《しじん》には一句なく、無色《むしよく》の畫家《ぐわか》には尺?《せきけん》なきも、かく人世《じんせい》を觀じ得《う》るの點に於《おい》て、かく煩惱《ぼんなう》を解脱《げだつ》するの點に於《おい》て、かく清淨界《しやうじやうかい》に出入《しゆつにふ》し得るの點に於て、又この不同《ふどう》不二《ふじ》の乾坤《けんこん》を建立《こんりふ》し得《う》るの點に於て、我利《がり》私慾《しよく》の覊絆《きはん》を掃蕩《さうたう》するの點に於て、――千金《せんきん》の子よりも、萬乘《ばんじよう》の君よりも、あらゆる俗界の寵兒《ちようじ》よりも幸福である。
 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐《かひ》ある世と知つた。二十五年にして明暗《めいあん》は表裏《へうり》の如く、日のあたる所には屹度《きつと》影がさすと悟《さと》つた。三十の今日《こんにち》はかう思ふて居る。――喜びの深きとき憂《うれひ》愈《いよ/\》深く、樂《たのし》みの大いなる程《ほど》苦しみも大きい。是を切り放《はな》さうとすると身が持てぬ。片付《かたづ》けやうとすれば世が立たぬ。金は大事《だいじ》だ、大事《だいじ》なものが殖《ふ》えれば寐《ね》る間《ま》も心配だらう。戀はうれしい、嬉しい戀が積《つ》もれば、戀をせぬ昔がかへつて戀しかろ。閣僚《かくれう》の肩は數百萬人の足を支《さゝ》へて居《ゐ》る。脊中《せなか》には重い天下がおぶさつて居《ゐ》る。うまい物も食はねば惜しい。少し食へば飽き足らぬ。存分食へばあとが不愉快だ。……
 余《よ》の考《かんがへ》がこゝ迄|漂流《へうりう》して來た時に、余《よ》の右足《うそく》は突然坐りのわるい角石《かくいし》の端《はし》を踏み損《そ》くなつた。平衡《へいかう》を保《たも》つ爲めに、すはやと前に飛び出した左足《さそく》が、仕損《しそん》じの埋《う》め合《あは》せをすると共《とも》に、余《よ》の腰は具合《ぐあひ》よく方《はう》三尺|程《ほど》な岩の上に卸《お》りた。肩にかけた繪の具箱が腋《わき》の下から躍《をど》り出した丈《だけ》で、幸ひと何《なん》の事もなかつた。
 立ち上がる時に向ふを見ると、路から左の方にバケツを伏せた樣な峯《みね》が聳《そび》えて居る。杉《すぎ》か檜《ひのき》か分からないが根元《ねもと》から頂《いたゞ》き迄|悉《こと/”\》く蒼黒《あをぐろ》い中に、山櫻が薄赤《うすあか》くだんだらに棚引《たなび》いて、續《つ》ぎ目が確《しか》と見えぬ位|靄《もや》が濃い。少し手前に禿山《はげやま》が一つ、群《ぐん》をぬきんでゝ眉《まゆ》に逼《せま》る。禿《は》げた側面は巨人の斧《をの》で削《けづ》り去つたか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋《うづ》めて居る。天邊《てつぺん》に一本見えるのは赤松だらう。枝の間《あひだ》の空さへ判然《はつきり》して居《ゐ》る。行く手は二丁程で切れて居《ゐ》るが、高い所から赤い毛布《けつと》が動いて來るのを見ると、登ればあすこへ出るのだらう。路は頗《すこぶ》る難義《なんぎ》だ。
 土をならす丈《だけ》なら佐程《さほど》手間《てま》も入《い》るまいが、土の中には大きな石がある。土は平《たひ》らにしても石は平らにならぬ。石は切り碎いても、岩は始末がつかぬ。堀崩《ほりくづ》した土の上に悠然と峙《そばだ》つて、吾等の爲めに道を讓《ゆづ》る景色《けしき》はない。向ふで聞かぬ上は乘り越すか、廻らなければならん。巖《いは》のない所でさへ歩《あ》るきよくはない。左右《さいう》が高くつて、中心が窪《くぼ》んで、丸《まる》で一間|幅《はゞ》を三角に穿《く》つて、其頂點が眞中《まんなか》を貫《つらぬ》いてゐると評してもよい。路を行くと云はんより川底を渉《わた》ると云ふ方が適當だ。固《もと》より急ぐ旅でないから、ぶら/\と七曲《なゝまが》りへかゝる。
 忽《たちま》ち足の下で雲雀《ひばり》の聲がし出した。谷を見下《みおろ》したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。只《たゞ》聲だけが明《あき》らかに聞《きこ》える。せつせと忙《せは》しく、絶間《たえま》なく鳴いて居る。方幾里《はういくり》の空氣が一面に蚤《のみ》に刺《さ》されて居たゝまれない樣な氣がする。あの鳥の鳴く音《ね》には瞬時の餘裕もない。のどかな春の日を鳴き盡くし、鳴きあかし、又《また》鳴き暮らさなければ氣が濟まんと見える。其上どこ迄も登つて行く、いつ迄も登つて行く。雲雀《ひばり》は屹度雲の中《なか》で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句《あげく》は、流れて雲に入《い》つて、漂《たゞよ》ふて居るうちに形は消えてなくなつて、只《たゞ》聲|丈《だけ》が空の裡《うち》に殘るのかも知れない。
 巖角《いはかど》を鋭どく廻つて、按摩《あんま》なら眞逆樣《まつさかさま》に落つる所を、際《きは》どく右へ切れて、横に見下《みおろ》すと、菜の花が一面に見える。雲雀《ひばり》はあすこへ落ちるのかと思つた。いゝや、あの黄金《こがね》の原から飛び上がつてくるのかと思つた。次には落ちる雲雀《ひばり》と、上《あが》る雲雀《ひばり》が十文字にすれ違ふのかと思つた。最後に、落ちる時も、上《あが》る時も、また十文字に擦れ違ふときにも元氣よく鳴きつゞけるだらうと思つた。
 春は眠くなる。猫は鼠を捕《と》る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂《たましひ》の居所《ゐどころ》さへ忘れて正體なくなる。只《たゞ》菜の花を遠く望んだときに眼が醒《さ》める。雲雀《ひばり》の聲を聞いたときに魂《たましひ》のありかゞ判然《はんぜん》する。雲雀《ひばり》の鳴くのは口で鳴くのではない、魂《たましひ》全體が鳴くのだ。魂《たましひ》の活動が聲にあらはれたものゝうちで、あれ程《ほど》元氣のあるものはない。あゝ愉快だ。かう思つて、かう愉快になるのが詩である。
 忽《たちま》ちシエレーの雲雀《ひばり》の詩を思ひ出して、口のうちで覺えた所だけ暗誦《あんしよう》して見たが、覺えて居る所は二三句しかなかつた。其二三句のなかにこんなのがある。
    We look before and after
     And pine for what is not:
    Our sincerest laughter
     With some pain is fraught;
  Our sweetest songs are those that tell
  of saddest thought.
 「前をみては、後《しり》へを見ては、物欲《ものほ》しと、あこがるゝかなわれ。腹からの、笑と云へど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極《きは》みの歌に、悲しさの、極《きは》みの想《おもひ》、籠《こも》るとぞ知れ」
 成程いくら詩人が幸福でも、あの雲雀《ひばり》の樣に思ひ切つて、一心不亂に、前後《ぜんご》を忘却して、わが喜びを歌ふ譯には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく萬斛《ばんこく》の愁《うれひ》などゝ云ふ字がある。詩人だから萬斛《ばんこく》で素人《しろうと》なら一|合《がふ》で濟むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦勞性《くらうしやう》で、凡骨《ぼんこつ》の倍以上に神經が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあらうが、無量の悲《かなしみ》も多からう。そんならば詩人になるのも考へ物だ。
 しばらくは路が平《たひら》で、右は雜木山《ざふきやま》、左は菜の花の見つゞけである。足の下に時々|蒲公英《たんぽゝ》を踏みつける。鋸《のこぎり》の樣な葉が遠慮なく四方へのして眞中に黄色《きいろ》な珠《たま》を擁護《ようご》して居る。菜の花に氣をとられて、踏みつけたあとで、氣の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸《のこぎり》のなかに鎮座《ちんざ》して居る。呑氣《のんき》なものだ。又《また》考へをつゞける。
 詩人に憂《うれひ》はつきものかも知れないが、あの雲雀を聞く心持になれば微塵《みぢん》の苦《く》もない。菜の花を見ても、只うれしくて胸が躍る許《ばか》りだ。蒲公英《たんぽゝ》も其通り、櫻も――櫻はいつか見えなくなつた。かう山の中へ來て自然の景物《けいぶつ》に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白い丈《だけ》で別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥《くたび》れて、旨《うま》いものが食べられぬ位の事だらう。
 然し苦しみのないのは何故《なぜ》だらう。只《たゞ》此景色を一|幅《ぷく》の畫《ゑ》として觀《み》、一|卷《くわん》の詩として讀むからである。畫《ぐわ》であり詩である以上は地面《ぢめん》を貰つて、開拓《かいたく》する氣にもならねば、鐵道をかけて一儲《ひとまう》けする了見も起らぬ。只《たゞ》此景色が――腹の足《た》しにもならぬ、月給の補ひにもならぬ此景色が景色としてのみ、余が心を樂ませつゝあるから苦勞も心配も伴《ともな》はぬのだらう。自然の力は是《こゝ》に於て尊《たつ》とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶《たうや》して醇乎《じゆんこ》として醇《じゆん》なる詩境に入らしむるのは自然である。
 戀はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛國も結構だらう。然し自身が其|局《きよく》に當れば利害の旋風《つむじ》に捲《ま》き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩《くら》んで仕舞ふ。從つてどこに詩があるか自身には解《げ》しかねる。
 これがわかる爲めには、わかる丈《だけ》の餘裕のある第三者《だいさんしや》の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は觀て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を讀んで面白い人も、自己の利害は棚《たな》へ上げて居る。見たり讀んだりする間《あひだ》丈《だけ》は詩人である。
 それすら、普通の芝居や小説では人情を免《まぬ》かれぬ。苦しんだり、怒つたり、騷いだり、泣いたりする。見るものもいつか其《その》中《なか》に同化《どうくわ》して苦しんだり、怒つたり、騷いだり、泣いたりする。取柄《とりえ》は利慾が交《まじ》らぬと云ふ點に存《そん》するかも知れぬが、交《まじ》らぬ丈《だけ》に其他の情緒《じやうしよ》は常よりは餘計に活動するだらう。それが嫌《いや》だ。
 苦しんだり、怒つたり、騷いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余《よ》も三十年の間《あひだ》それを仕通して、飽々《あき/\》した。飽《あ》き々々した上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大變だ。余《よ》が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞《こぶ》する樣なものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少からう。どこ迄も世間を出る事が出來ぬのが彼等の特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるから所謂|詩歌《しいか》の純粹なるものも此|境《きやう》を解脱《げだつ》する事を知らぬ。どこ迄も同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世《うきよ》の勸工場《くわんこうば》にあるものだけで用を辨《べん》じて居る。いくら詩的になつても地面の上を馳《か》けてあるいて、錢《ぜに》の勘定を忘れるひまがない。シエレーが雲雀《ひばり》を聞いて嘆息したのも無理はない。
 うれしい事に東洋の詩歌《しいか》はそこを解脱《げだつ》したのがある。採菊東籬下《きくをとるとうりのもと》、悠然見南山《いうぜんとしてなんざんをみる》。只《たゞ》それぎりの裏《うち》に暑苦しい世の中を丸《まる》で忘れた光景が出てくる。垣の向ふに隣りの娘が覗《のぞ》いてる譯でもなければ、南山《なんざん》に親友が奉職して居る次第でもない。超然と出世間的《しゆつせけんてき》に利害損得の汗を流し去つた心持ちになれる。獨坐幽篁裏《ひとりいうくわうのうちにざし》、彈琴復長嘯《きんをだんじてまたちやうせうす》、深林人不知《しんりんひとしらず》、明月來相照《めいげつきたりてあひてらす》。只《たゞ》二十字のうちに優《いう》に別乾坤《べつけんこん》を建立《こんりふ》して居る。此|乾坤《けんこん》の功コ《くどく》は「不如歸《ほとゝぎす》」や「金色夜叉《こんじきやしや》」の功コ《くどく》ではない。汽船、汽車、權利、義務、道コ、禮義で疲《つか》れ果《は》てた後《のち》、凡《すべ》てを忘却してぐつすり寐込む樣な功コ《くどく》である。
 二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀に此|出世間的《しゆつせけんてき》の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を讀む人もみんな、西洋人にかぶれて居るから、わざ/\呑氣な扁舟《へんしう》を泛《うか》べて此|桃源《たうげん》に溯《さかのぼ》るものはない樣だ。余は固《もと》より詩人を職業にして居らんから、王維《わうゐ》や淵明《えんめい》の境界を今の世に布ヘ《ふけう》して廣げやうと云ふ心掛も何もない。只《たゞ》自分にはかう云ふ感興が演藝會よりも舞踏會よりも藥になる樣に思はれる。フアウストよりも、ハムレツトよりも難有《ありがた》く考へられる。かうやつて、只《たゞ》一人《ひとり》繪の具箱と三脚几《さんきやくき》を擔《かつ》いで春の山路《やまぢ》をのそ/\あるくのも全く是が爲めである。淵明《えんめい》、王維《わうゐ》の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間《ま》でも非人情《ひにんじやう》の天地に逍遙《せうえう》したいからの願《ねがひ》。一つの醉興《すゐきよう》だ。
 勿論人間の一分子《いちぶんし》だから、いくら好きでも、非人情《ひにんじやう》はさう長く續く譯には行かぬ。淵明《えんめい》だつて年《ねん》が年中《ねんぢゆう》南山《なんざん》を見詰めて居たのでもあるまいし、王維《わうゐ》も好《この》んで竹藪の中に蚊帳《かや》を釣らずに寐た男でもなからう。矢張《やは》り餘つた菊は花屋へ賣りこかして、生《は》えた筍《たけのこ》は八百屋《やほや》へ拂ひ下げたものと思ふ。かう云ふ余《よ》も其通り。いくら雲雀と菜の花が氣に入つたつて、山のなかへ野宿《のじゆく》する程《ほど》非人情が募《つの》つては居らん。こんな所でも人間に逢ふ。じん/\端折《ばしよ》りの頬冠《ほゝかむ》りや、赤い腰卷《こしまき》の姉《あね》さんや、時には人間より顔の長い馬に迄《まで》逢ふ。百萬本の檜《ひのき》に取り圍《かこ》まれて、海面を拔く何百尺かの空氣を呑んだり吐いたりしても、人の臭ひは中々取れない。夫《そ》れ所《どころ》か、山を越えて落ちつく先の、今宵《こよひ》の宿は那古井《なこゐ》の温泉場《をんせんば》だ。
 唯、物は見樣《みやう》でどうでもなる。レオナルド、ダ、?ンチが弟子に告げた言《ことば》に、あの鐘《かね》の音《おと》を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見樣《みよう》次第《しだい》で如何樣《いかやう》とも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、其積りで人間を見たら、浮世小路《うきよこうぢ》の何軒目に狹苦しく暮した時とは違ふだらう。よし全く人情を離れる事が出來んでも、責《せ》めて御能《おのう》拝見《はいけん》の時位は淡《あは》い心持ちにはなれさうなものだ。能《のう》にも人情はある。七騎落《しちきおち》でも、墨田川《すみだがは》でも泣かぬとは保證が出來ん。然しあれは情《じやう》三|分《ぶ》藝《げい》七|分《ぶ》で見せるわざだ。我等が能から享《う》ける難有味《ありがたみ》は下界の人情をよく其儘〔二字傍点〕に寫す手際《てぎは》から出てくるのではない。其儘〔二字傍点〕の上へ藝術といふ着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長《いうちやう》な振舞《ふるまひ》をするからである。
 暫く此|旅中《りよちゆう》に起る出來事と、旅中《りよちゆう》に出逢ふ人間を能の仕組《しくみ》と能役者の所作《しよさ》に見立てたらどうだらう。丸《まる》で人情を棄てる譯には行くまいが、根が詩的に出來た旅だから、非人情のやり序《つい》でに、可成《なるべく》節儉してそこ迄は漕ぎ付けたいものだ。南山《なんざん》や幽篁《いうくわう》とは性《たち》の違つたものに相違ないし、又|雲雀《ひばり》や菜の花と一所《いつしよ》にする事も出來まいが、可成《なるべく》之に近づけて、近づけ得る限りは同じ觀察點から人間を視てみたい。芭蕉《ばせを》と云ふ男は枕元《まくらもと》へ馬が屎《いばり》するのをさへ雅《が》な事と見立てゝ發句《ほつく》にした。余《よ》も是から逢ふ人物を――百姓《ひやくしやう》も、町人《ちやうにん》も、村役場の書記も、爺さんも婆さんも――悉《こと/”\》く大自然の點景《てんけい》として描《ゑが》き出されたものと假定して取こなして見《み》樣《やう》。尤も畫中の人物と違つて、彼等はおのがじゝ勝手な眞似《まね》をするだらう。然し普通の小説家の樣に其勝手な眞似《まね》の根本を探《さ》ぐつて、心理作用に立ち入つたり、人事《じんじ》葛藤《かつとう》の詮議立《せんぎだ》てをしては俗になる。動いても構はない。畫中の人間が動くと見れば差《さ》し支《つかへ》ない。畫中の人物はどう動いても平面以外に出られるものでない。平面以外に飛び出して、立方的《りつぱうてき》に働《はたら》くと思へばこそ、此方《こつち》と衝突したり、利害の交渉が起つたりして面倒になる。面倒になればなる程《ほど》美的に見て居る譯に行かなくなる。是から逢ふ人間には超然と遠き上から見物する氣で、人情の電氣が無暗に双方で起《おこ》らない樣にする。さうすれば相手がいくら働《はたら》いても、こちらの懷《ふところ》には容易に飛び込めない譯だから、つまりは畫《ゑ》の前へ立つて、畫中の人物が畫面の中《うち》をあちらこちらと騷ぎ廻るのを見るのと同じ譯になる。間《あひだ》三尺も隔《へだ》てゝ居れば落ち付いて見られる。あぶな氣《げ》なしに見られる。言《ことば》を換へて云へば、利害に氣を奪はれないから、全力を擧げて彼等の動作を藝術の方面から觀察する事が出來る。餘念もなく美か美でないかと鑒識《かんしき》する事が出來る。
 こゝ迄《まで》決心をした時、空があやしくなつて來た。※[者/火]え切れない雲が、頭の上へ靠垂《もた》れ懸《かゝ》つて居たと思つたが、いつのまにか、崩《くづ》れ出《だ》して、四方《しはう》は只《たゞ》雲の海かと怪《あや》しまれる中から、しと/\と春の雨が降り出した。菜の花は疾《と》くに通り過して、今は山と山の間《あひだ》を行くのだが、雨の糸が濃《こまや》かで殆んど霧を欺《あざむ》く位だから、隔《へだ》たりはどれ程かわからぬ。時々風が來て、高い雲を吹き拂ふとき、薄黒い山の脊《せ》が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔《へだ》てゝ向ふが脉《みやく》の走つて居る所らしい。左はすぐ山の裾《すそ》と見える。深く罩《こ》める雨の奧から松らしいものが、ちよく/\顔を出す。出すかと思ふと、隱れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
 路は存外《ぞんぐわい》廣くなつて、且《か》つ平《たひら》だから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂《あまだ》れがぽたり/\と落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子《まご》がふうとあらはれた。
 「こゝらに休む所はないかね」
 「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。大分《だいぶ》濡れたね」
 まだ十五丁かと、振り向いて居るうちに、馬子の姿は影畫《かげゑ》の樣に雨につゝまれて、又ふうと消えた。
 糠《ぬか》の樣に見えた粒は次第に太く長くなつて、今は一筋《ひとすぢ》毎《ごと》に風に捲《ま》かれる樣《さま》迄が目に入《い》る。羽織はとくに濡《ぬ》れ盡《つく》して肌着に浸《し》み込んだ水が、身體《からだ》の温度《ぬくもり》で生暖《なまあたゝか》く感ぜられる。氣持がわるいから、帽を傾けて、すた/\歩行《ある》く。
 茫々《ばう/\》たる薄墨色《うすずみいろ》の世界を、幾條《いくでう》の銀箭《ぎんせん》が斜《なゝ》めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思へば、詩にもなる、句にも咏《よ》まれる。有體《ありてい》なる己《おの》れを忘れ盡《つく》して純客觀に眼をつくる時、始めてわれは畫中の人物として、自然の景物と美しき調和を保《たも》つ。只《たゞ》降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを氣に掛ける瞬間に、われは既に詩中の人にもあらず、畫裡《ぐわり》の人にもあらず。依然として市井《しせい》の一|豎子《じゆし》に過ぎぬ。雲烟飛動の趣《おもむき》も眼に入《い》らぬ。落花啼鳥《らくくわていてう》の情《なさ》けも心に浮《うか》ばぬ。蕭々《せう/\》として獨《ひと》り春山《しゆんざん》を行く吾の、いかに美しきかは猶更《なほさら》に解《かい》せぬ。初めは帽を傾《かたむ》けて歩行《あるい》た。後《のち》には唯《たゞ》足の甲《かふ》のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る/\歩行《あるい》た。雨は滿目《まんもく》の樹梢《じゆせう》を搖《うご》かして四方《しはう》より孤客《こかく》に逼《せま》る。非人情がちと強過ぎた樣だ。
 
     二
 
 「おい」と聲を掛けたが返事がない。
 軒下《のきした》から奧を覗くと煤《すゝ》けた障子が立て切つてある。向ふ側は見えない。五六|足《そく》の草鞋《わらぢ》が淋《さび》しさうに庇《ひさし》から吊《つる》されて、屈托氣《くつたくげ》にふらり/\と搖《ゆ》れる。下に駄菓子の箱が三《みつ》つ許《ばか》り並んで、そばに五厘錢と文久錢《ぶんきうせん》が散らばつて居る。
 「おい」と又《また》聲をかける。土間の隅に片寄せてある臼の上に、ふくれて居た鷄《にはとり》が、驚ろいて眼をさます。クヽヽ、クヽヽと騷ぎ出す。敷居の外に土竈《どべつつひ》が、今しがたの雨に濡れて、半分|程《ほど》色が變つてる上に、眞黒な茶釜《ちやがま》がかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸ひ下は焚きつけてある。
 返事がないから、無斷《むだん》でずつと這入《はい》つて、床几《しやうぎ》の上へ腰を卸《おろ》した。鷄《にはとり》は羽摶《はばた》きをして臼から飛び下りる。今度は疊の上へあがつた。障子がしめてなければ奧迄|馳《か》けぬける氣かも知れない。雄《をす》が太い聲でこけつこつこと云ふと、雌《めす》が細い聲でけゝつこつこと云ふ。丸《まる》で余《よ》を狐か狗《いぬ》の樣に考へて居るらしい。床几《しやうぎ》の上には一|升枡《しようます》程な煙草盆が閑靜に控《ひか》へて、中にはとぐろを捲《ま》いた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、頗る悠長に燻《いぶ》つて居る。雨はしだいに収まる。
 しばらくすると、奧の方から足音がして、煤《すゝ》けた障子がさらりと開《あ》く。なかゝら一人の婆さんが出る。
 どうせ誰か出るだらうとは思つて居た。竈《へつひ》に火は燃えてゐる。菓子箱の上に錢が散《ち》らばつて居《ゐ》る。線香は呑氣《のんき》に燻《いぶ》つてゐる。どうせ出るには極つてゐる。しかし自分の見世《みせ》を明け放しても苦にならないと見える所が、少し都とは違つてゐる。返事がないのに床几に腰をかけて、いつ迄も待つてるのも少し二十世紀とは受け取れない。こゝらが非人情で面白い。其上出て來た婆さんの顔が氣に入つた。
 二三年前|寶生《はうしやう》の舞臺で高砂《たかさご》を見た事がある。その時これはうつくしい活人畫《くわつじんぐわ》だと思つた。箒《はうき》を擔《かつ》いだ爺さんが橋懸《はしがゝ》りを五六歩來て、そろりと後向《うしろむき》になつて、婆さんと向ひ合ふ。その向ひ合ふた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔が殆んど眞《ま》むきに見えたから、あゝうつくしいと思つた時に、其表情はぴしやりと心のカメラへ燒き付いて仕舞つた。茶店の婆さんの顔は此寫眞に血を通はした程《ほど》似て居る。
 「御婆さん、此所を一寸《ちよつと》借りたよ」
 「はい、是は、一向《いつかう》存じませんで」
 「大分《だいぶ》降つたね」
 「生憎《あいにく》な御天氣で、嘸《さぞ》御困りで御座んしよ。おゝ/\大分《だいぶ》御濡れなさつた。今《いま》火を焚《た》いて乾《かわ》かして上げましよ」
 「そこをもう少《すこ》し燃《も》し付けてくれゝば、あたりながら乾《かわ》かすよ。どうも少し休んだら寒くなつた」
 「へえ、只今《たゞいま》焚いて上げます。まあ御茶を一つ」
と立ち上がりながら、しつ/\と二聲《ふたこゑ》で鷄《にはとり》を追ひ下《さ》げる。こゝゝゝと馳け出した夫婦は、焦茶色《こげちやいろ》の疊から、駄菓子箱の中を踏みつけて、徃來《わうらい》へ飛び出す。雄《をす》の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞《ふん》を垂《た》れた。
 「まあ一つ」と婆さんはいつの間《ま》にか刳《く》り拔き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒く焦《こ》げて居る底に、一筆《ひとふで》がきの梅の花が三輪|無雜作《むざふさ》に燒き付けられて居る。
 「御菓子を」と今度は鷄《にはとり》の踏みつけた胡麻《ごま》ねじと微塵棒《みぢんぼう》を持つてくる。糞《ふん》はどこぞに着いて居らぬかと眺めて見たが、それは箱のなかに取り殘されてゐた。
 婆さんは袖無《そでな》しの上から、襷《たすき》をかけて、竈《へつつひ》の前へうづくまる。余《よ》は懷《ふところ》から寫生帖《しやせいてふ》を取り出して、婆さんの横顔を寫しながら、話しをしかける。
 「閑靜でいゝね」
 「へえ、御覽の通りの山里《やまざと》で」
 「鶯は鳴くかね」
 「えゝ毎日の樣に鳴きます。此邊《こゝら》は夏も鳴きます」
 「聞きたいな。ちつとも聞えないと猶《なほ》聞きたい」
 「生憎《あいにく》今日《けふ》は――先刻《さつき》の雨で何處《どこぞ》へ逃げました」
 折りから、竈《へつつひ》のうちが、ぱち/\と鳴つて、赤い火が颯《さつ》と風を起《おこ》して一尺あまり吹き出す。
 「さあ、御《お》あたり。嘸《さぞ》御寒かろ」と云ふ。軒端《のきば》を見ると青い烟りが、突き當つて崩《くづ》れながらに、微《かす》かな痕《あと》をまだ板庇《いたびさし》にからんで居る。
 「あゝ、好《い》い心持ちだ、御蔭で生き返つた」
 「いゝ具合に雨も晴れました。そら天狗巖《てんぐいは》が見え出しました」
 逡巡《しゆんじゆん》として曇り勝ちなる春の空を、もどかしと許《ばか》りに吹き拂ふ山嵐の、思ひ切りよく通り拔けた前山《ぜんざん》の一角《いつかく》は、未練もなく晴れ盡して、老嫗《らうう》の指《ゆび》さす方《かた》に??《さんぐわん》と、あら削《けづ》りの柱の如く聳えるのが天狗岩《てんぐいは》ださうだ。
 余《よ》はまづ天狗巖《てんぐいは》を眺めて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々《はん/\》に兩方を見比《みくら》べた。畫家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂《たかさご》の媼《ばゞ》と、蘆雪《ろせつ》のかいた山姥《やまうば》のみである。蘆雪《ろせつ》の圖を見たとき、理想の婆さんは物凄いものだと感じた。紅葉《もみぢ》のなかゝ、寒い月の下に置くべきものと考へた。寶生《はうしやう》の別會能《べつくわいのう》を觀《み》るに及んで、成程《なるほど》老女にもこんな優しい表情があり得るものかと驚ろいた。あの面《めん》は定めて名人の刻《きざ》んだものだらう。惜しい事に作者の名は聞き落したが、老人もかうあらはせば、豐《ゆた》かに、穩《おだ》やかに、あたゝかに見える。金屏《きんびやう》にも、春風《はるかぜ》にも、あるは櫻にもあしらつて差《さ》し支《つかへ》ない道具である。余《よ》は天狗岩よりは、腰をのして、手を翳《かざ》して、遠く向ふを指《ゆびさ》してゐる、袖無し姿の婆さんを、春の山路《やまぢ》の景物として恰好なものだと考へた。余が寫生帖を取り上げて、今《いま》暫《しばら》くといふ途端に、婆さんの姿勢は崩れた。
 手持無沙汰に寫生帖を、火にあてゝ乾《かわ》かしながら、
 「御婆さん、丈夫《ぢやうぶ》さうだね」と訊ねた。
 「はい。難有《ありがた》い事に達者で――針も持ちます、苧《を》もうみます、御團子《おだんご》の粉《こ》も磨《ひ》きます」
 此御婆さんに石臼《いしうす》を挽《ひ》かして見たくなつた。然しそんな注文も出來ぬから、
 「こゝから那古井《なこゐ》迄は一里|足《た》らずだつたね」と別な事を聞いて見る。
 「はい、二十八丁と申します。旦那は湯治《たうぢ》に御越しで……」
 「込み合はなければ、少し逗留《とうりう》しやうかと思ふが、まあ氣が向けばさ」
 「いえ、戰爭が始まりましてから、頓《とん》と參るものは御座いません。丸《まる》で締《し》め切り同樣で御座います」
 「妙な事だね。それぢや泊《と》めて呉れないかも知れんね」
 「いえ、御頼みになればいつでも宿《と》めます」
 「宿屋はたつた一軒だつたね」
 「へえ、志保田《しほだ》さんと御聞きになればすぐわかります。村のものもちで、湯治場だか、隱居所だかわかりません」
 「ぢや御客がなくても平氣な譯だ」
 「旦那は始めてゞ」
 「いや、久しい以前|一寸《ちよつと》行つた事がある」
 會話はちよつと途切れる。帳面をあけて先刻《さつき》の鷄《にはとり》を靜かに寫生して居ると、落ち付いた耳の底へぢやらん/\と云ふ馬の鈴が聽《きこ》え出した。此聲がおのづと、拍子をとつて頭の中に一種の調子が出來る。眠りながら、夢に隣りの臼の音に誘はれる樣な心持ちである。余は鷄の寫生をやめて、同じページの端《はじ》に、
  春風や惟然が耳に馬の鈴
と書いて見た。山を登つてから、馬には五六匹逢つた。逢つた五六匹は皆《みな》腹掛をかけて、鈴を鳴らして居る。今の世の馬とは思はれない。
 やがて長閑《のどか》な馬子唄《まごうた》が、春に更《ふ》けた空山一路《くうざんいちろ》の夢を破る。憐れの底に氣樂な響がこもつて、どう考へても畫《ゑ》にかいた聲だ。
  馬子唄の鈴鹿越ゆるや春の雨
と、今度は斜《はす》に書きつけたが、書いて見て、是は自分の句でないと氣が付いた。
 「又《また》誰ぞ來ました」と婆さんが半《なか》ば獨《ひと》り言《ごと》の樣に云ふ。
 只|一條《ひとすぢ》の春の路だから、行くも歸るも皆近付きと見える。最前逢ふた五六匹のぢやらん/\も悉く此婆さんの腹の中《なか》で又誰ぞ來たと思はれては山を下《くだ》り、思はれては山を登つたのだらう。路|寂寞《じやくまく》と古今《こゝん》の春《はる》を貫《つらぬ》いて、花を厭《いと》へば足を着くるに地なき小村《こむら》に、婆さんは幾年《いくねん》の昔からぢやらん、ぢやらんを數へ盡くして、今日《こんにち》の白頭《はくとう》に至つたのだらう。
  馬子唄や白髪も染めで暮るゝ春
と次のページへ認《したゝ》めたが、是では自分の感じを云ひ終《おほ》せない、もう少し工夫のありさうなものだと、鉛筆の先を見詰めながら考へた。何でも白髪〔二字傍点〕といふ字を入れて、幾代の節〔四字傍点〕と云ふ句を入れて、馬子唄〔三字傍点〕といふ題も入れて、春《はる》の季《き》も加へて、それを十七字に纒《まと》めたいと工夫して居るうちに、
 「はい、今日は」と實物の馬子《まご》が店先《みせさき》に留《とま》つて大きな聲をかける。
 「おや源さんか。又《また》城下へ行くかい」
 「何か買物があるなら頼まれて上げよ」
 「さうさ、鍛冶町《かぢちやう》を通つたら、娘に靈嚴寺《れいがんじ》の御札《おふだ》を一枚もらつてきて御呉れなさい」
 「はい、貰つてきよ。一枚か。――御秋《おあき》さんは善《よ》い所へ片づいて仕合せだ。な、御叔母《をば》さん」
 「難有《ありがた》い事に今日《こんにち》には困りません。まあ仕合せと云ふのだろか」
 「仕合せとも、御前。あの那古井の孃さまと比べて御覽」
 「本當に御氣の毒な。あんな器量を持つて。近頃はちつとは具合がいゝかい」
 「なあに、相變らずさ」
 「困るなあ」と婆さんが大きな息をつく。
 「困るよう」と源さんが馬の鼻を撫《な》でる。
 枝《えだ》繁《しげ》き山櫻の葉も花も、深い空から落ちた儘なる雨の塊《かた》まりを、しつぽりと宿して居たが、此時わたる風に足をすくはれて、居たゝまれずに、假《か》りの住居《すまひ》を、さら/\と轉《ころ》げ落ちる。馬は驚ろいて、長い鬣《たてがみ》を上下《うへした》に振る。
 「コーラツ」と叱り付ける源さんの聲が、ぢやらん、ぢやらんと共に余《よ》の冥想《めいさう》を破る。
 御婆さんが云ふ。「源さん、わたしや、お嫁入りのときの姿が、まだ眼前《めさき》に散らついて居る。裾模樣《すそもやう》の振袖《ふりそで》に、高島田《たかしまだ》で、馬に乘つて……」
 「さうさ、船ではなかつた。馬であつた。矢張り此所で休んで行つたな、御叔母《をば》さん」
 「あい、其櫻の下で孃樣の馬がとまつたとき、櫻の花がほろ/\と落ちて、折角の島田に斑《ふ》が出來ました」
 余は又寫生帖をあける。此景色は畫《ゑ》にもなる、詩にもなる。心のうちに花嫁の姿を浮《うか》べて、當時の樣を想像して見てしたり顔に、
  花の頃を越えてかしこし馬に嫁
と書き付ける。不思議な事には衣裝《いしやう》も髪も馬も櫻もはつきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思ひつけなかつた。しばらくあの顔か、この顔か、と思案して居るうちに、ミレーのかいた、オフエリヤの面影が忽然と出て來て、高島田《たかしまだ》の下へすぽりとはまつた。是は駄目だと、折角の圖面を早速取り崩す。衣裝《いしやう》も髪も馬も櫻も一瞬間に心の道具立から奇麗に立ち退《の》いたが、オフエリヤの合掌して水の上を流れて行く姿|丈《だけ》は、朦朧《もうろう》と胸の底に殘つて、棕梠箒《しゆろばうき》で烟を拂ふ樣に、さつぱりしなかつた。空に尾を曳《ひ》く彗星《すゐせい》の何となく妙な氣になる。
 「それぢや、まあ御免」と源さんが挨拶する。
 「歸りに又|御寄《およ》り。生憎《あいにく》の降りで七曲《なゝまが》りは難義だろ」
 「はい、少し骨が折れよ」と源さんは歩行《あるき》出す。源さんの馬も歩行《あるき》出す。ぢやらん/\。
 「あれは那古井《なこゐ》の男かい」
 「はい、那古井《なこゐ》の源兵衛で御座んす」
 「あの男がどこぞの嫁さんを馬へ乘せて、峠を越したのかい」
 「志保田の孃樣が城下へ御輿入《おこしいれ》のときに、孃樣を青馬《あを》に乘せて、源兵衛が覊絏《はづな》を牽《ひ》いて通りました。――月日の立つのは早いもので、もう今年で五年になります」
 鏡に對《むか》ふときのみ、わが頭の白きを喞《かこ》つものは幸の部に屬する人である。指を折つて始めて、五年の流光に、轉輪の疾《と》き趣《おもむき》を解し得たる婆さんは、人間としては寧ろ仙《せん》に近づける方だらう。余は斯う答へた。
 「嘸《さぞ》美くしかつたらう。見にくればよかつた」
 「ハヽヽ今でも御覽になれます。湯治場へ御越しなされば、屹度出て御挨拶をなされませう」
 「はあ、今では里に居るのかい。矢張り裾模樣の振袖を着て、高島田に結《い》つて居ればいゝが」
 「たのんで御覽なされ。着て見せましよ」
 余はまさかと思つたが、婆さんの樣子は存外眞面目である。非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない。婆さんが云ふ。
 「孃樣と長良《ながら》の乙女《をとめ》とはよく似て居ります」
 「顔がかい」
 「いゝえ。身の成り行きがで御座んす」
 「へえ、其|長良《ながら》の乙女《をとめ》と云ふのは何者かい」
 「昔《むか》し此村に長良《ながら》の乙女《をとめ》と云ふ、美くしい長者《ちやうぢや》の娘が御座りましたさうな」
 「へえ」
 「所が其娘に二人の男が一度に懸想《けさう》して、あなた」
 「なる程」
 「さゝだ男に靡《なび》かうか、さゝべ男に靡《なび》かうかと、娘はあけくれ思ひ煩《わづら》つたが、どちらへも靡《なび》きかねて、とう/\
  あきづけばをばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも
と云ふ歌を咏《よ》んで、淵川《ふちかは》へ身を投げて果《は》てました」
 余はこんな山里へ來て、こんな婆さんから、こんな古雅《こが》な言葉で、こんな古雅《こが》な話をきかうとは思ひがけなかつた。
 「是から五丁東へ下《くだ》ると、道端《みちばた》に五輪塔《ごりんのたふ》が御座んす。序《ついで》に長良《ながら》の乙女《をとめ》の墓を見て御行きなされ」
 余は心のうちに是非見て行《い》かうと決心した。婆さんは、そのあとを語りつゞける。
 「那古井《なこゐ》の孃樣にも二人の男が祟《たゝ》りました。一人は孃樣が京都へ修行《しゆぎやう》に出て御出での頃御逢ひなさつたので、一人はこゝの城下で隨一《ずゐいち》の物持ちで御座んす」
 「はあ、御孃さんはどつちへ靡《なに》いたかい」
 「御自身は是非京都の方へと御望みなさつたのを、そこには色々な理由《わけ》もありましたろが、親ご樣が無理にこちらへ取り極《き》めて……」
 「目出度《めでたく》、淵川《ふちかは》へ身を投げんでも濟んだ譯だね」
 「所が――先方《さき》でも器量望みで御貰ひなさつたのだから、隨分|大事《だいじ》にはなさつたかも知れませぬが、もと/\強ひられて御出《おいで》なさつたのだから、どうも折合がわるくて、御親類でも大分《だいぶ》御心配の樣子で御座んした。所へ今度の戰爭で、旦那樣の勤めて御出《おいで》の銀行がつぶれました。それから孃樣は又那古井の方へ御歸りになります。世間では孃樣の事を不人情だとか、薄情だとか色々申します。もとは極々《ごく/\》内氣《うちき》の優しいかたが、此頃では大分氣が荒くなつて、何だか心配だと源兵衛が來るたびに申します。……」
 是からさきを聞くと、折角の趣向《しゆかう》が壞《こは》れる。漸く仙人になりかけた所を、誰か來て羽衣《はごろも》を歸せ/\と催促する樣な氣がする。七曲《なゝまが》りの險を冒して、やつとの思《おもひ》で、こゝ迄來たものを、さう無暗に俗界に引きずり下《おろ》されては、飄然《へうぜん》と家を出た甲斐がない。世間話しもある程度以上に立ち入ると、浮世の臭《にほ》ひが毛孔から染込《しみこ》んで、垢《あか》で身體《からだ》が重くなる。
 「御婆さん、那古井へは一筋道だね」と十錢銀貨を一枚|床几《しやうぎ》の上へかちりと投げ出して立ち上がる。
 「長良《ながら》の五輪塔《ごりんのたふ》から右へ御下《おくだ》りなさると、六丁程の近道になります。路はわるいが、御若い方には其《その》方《はう》がよろしかろ。――是は多分に御茶代を――氣を付けて御越しなされ」
 
     三
 
 昨夕《ゆうべ》は妙な氣持ちがした。
 宿へ着いたのは夜《よる》の八時頃であつたから、家の具合《ぐあひ》庭の作り方は無論、東西の區別さへわからなかつた。何だか廻廊の樣な所をしきりに引き廻されて、仕舞に六疊程の小《ちひ》さな座敷へ入れられた。昔《むか》し來た時とは丸《まる》で見當が違ふ。晩餐《ばんさん》を濟まして、湯に入《い》つて、室《へや》へ歸つて茶を飲んで居ると、小女《こをんな》が來て床を延《の》べよかと云ふ。
 不思議に思つたのは、宿へ着いた時の取次も、晩食《ばんめし》の給仕も、湯壺への案内も、床を敷く面倒も、悉《こと/”\》く此|小女《こをんな》一人で辨じて居る。それで口は滅多にきかぬ。と云ふて、田舍染《ゐなかじ》みても居らぬ。赤い帶を色氣《いろけ》なく結んで、古風な紙燭《しそく》をつけて、廊下の樣な、梯子段の樣な所をぐる/\廻はらされた時、同じ帶の同じ紙燭《しそく》で、同じ廊下とも階段ともつかぬ所を、何度も降《お》りて、湯壺へ連れて行かれた時は、既に自分ながら、カン?スの中を徃來《わうらい》して居る樣な氣がした。
 給仕の時には、近頃は客がないので、ほかの座敷は掃除がしてないから、普段《ふだん》使つて居る部屋で我慢してくれと云つた。床を延《の》べる時にはゆるりと御休みと人間らしい、言葉を述《の》べて、出て行つたが、其足音が、例の曲《まが》りくねつた廊下を、次第に下の方へ遠《とほざ》かつた時に、あとがひつそりとして、人の氣《け》がしないのが氣になつた。
 生《うま》れてから、こんな經驗はたゞ一度しかない。昔《むか》し房州《ばうしう》を館山《たてやま》から向ふへ突き拔けて、上總《かづさ》から銚子《てうし》迄|濱傳《はまづた》ひに歩行《あるい》た事がある。其時ある晩、ある所へ宿《とまつ》た。ある所と云ふより外に言ひ樣がない。今では土地の名も宿の名も、丸《まる》で忘れて仕舞つた。第一宿屋へとまつたのかゞ問題である。棟《むね》の高い大きな家に女がたつた二人居た。余《よ》がとめるかと聞いたとき、年を取つた方がはいと云つて、若い方が此方《こちら》へと案内をするから、ついて行くと、荒れ果てた、廣い間《ま》をいくつも通り越して一番奧の、中二階《ちゆうにかい》へ案内をした。三段登つて廊下から部屋へ這入《はい》らうとすると、板庇《いたびさし》の下に傾《かたむ》きかけて居た一叢《ひとむら》の修竹《しうちく》が、そよりと夕風を受けて、余の肩から頭を撫《な》でたので、既にひやりとした。椽板《えんいた》は既に朽《く》ちかゝつて居る。來年は筍《たけのこ》が椽《えん》を突き拔いて座敷のなかは竹だらけにならうと云つたら、若い女が何にも云はずににや/\と笑つて、出て行つた。
 其晩は例の竹が、枕元で婆娑《ばさ》ついて、寐られない。障子をあけたら、庭は一面の草原で、夏の夜の月《つき》明《あきら》かなるに、眼を走《は》しらせると、垣も塀もあらばこそ、まともに大きな草山に續いてゐる。草山の向ふはすぐ大海原《おほうなばら》でどゞん/\と大きな濤《なみ》が人の世を威嚇《おどか》しに來る。余はとう/\夜の明ける迄一睡もせずに、怪し氣な蚊帳《かや》のうちに辛防《しんばう》しながら、丸《まる》で草双紙《くさざうし》にでもありさうな事だと考へた。
 其後《そのご》旅も色々したが、こんな氣持になつた事は、今夜この那古井へ宿《とま》る迄はかつて無かつた。
 仰向《あふむけ》に寐ながら、偶然目を開《あ》けて見ると欄間《らんま》に、朱塗《しゆぬ》りの縁《ふち》をとつた額《がく》がかゝつて居る。文字《もじ》は寐ながらも竹影拂階塵不動《ちくえいかいをはらつてちりうごかず》と明らかに讀まれる。大徹《だいてつ》といふ落款《らくくわん》も慥《たし》かに見える。余は書に於ては皆無《かいむ》鑒識《かんしき》のない男だが、平生から、黄檗《わうばく》の高泉和尚《かうせんをしやう》の筆致《ひつち》を愛して居る。隱元《いんげん》も即非《そくひ》も木庵《もくあん》も夫々《それ/”\》に面白味はあるが、高泉《かうせん》の字が一番|蒼勁《さうけい》でしかも雅馴《がじゆん》である。今|此《この》七字を見ると、筆のあたりから手の運《はこ》び具合、どうしても高泉《かうせん》としか思はれない。しかし現《げん》に大徹《だいてつ》とあるからには別人だらう。ことによると黄檗《わうばく》に大徹《だいてつ》といふ坊主が居たかも知れぬ。それにしては紙の色が非常に新しい。どうしても昨今のものとしか受け取れない。
 横を向く。床にかゝつて居る若冲《じやくちゆう》の鶴《つる》の圖《づ》が目につく。是は商賣柄《しやうばいがら》丈《だけ》に、部屋に這入《はい》つた時、既に逸品《いつぴん》と認めた。若冲《じやくちゆう》の圖は大抵|精緻《せいち》な彩色ものが多いが、此鶴は世間に氣兼《きがね》なしの一筆《ひとふで》がきで、一本足ですらりと立つた上に、卵形《たまごなり》の胴がふわつと乘《のつ》かつて居る樣子は、甚だ吾意を得て、飄逸《へういつ》の趣《おもむき》は、長い嘴《はし》のさき迄|籠《こも》つてゐる。床の隣りは違ひ棚を畧して、普通の戸棚につゞく。戸棚の中には何があるか分らない。
 すや/\と寐入る。夢に。
 長良《ながら》の乙女《をとめ》が振袖を着て、青馬《あを》に乘つて、峠を越すと、いきなり、さゝだ男と、さゝべ男が飛び出して兩方から引つ張る。女が急にオフエリヤになつて、柳の枝へ上《のぼ》つて、河の中を流れながら、うつくしい聲で歌をうたふ。救つてやらうと思つて、長い竿を持つて、向島《むかふじま》を追懸《おつか》けて行く。女は苦しい樣子もなく、笑ひながら、うたひながら、行末《ゆくへ》も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おゝい/\と呼ぶ。
 そこで眼が醒めた。腋《わき》の下から汗が出てゐる。妙に雅俗混淆《がぞくこんかう》な夢を見たものだと思つた。昔し宋《そう》の大慧禪師《だいゑぜんじ》と云ふ人は、悟道の後《のち》、何事も意の如くに出來ん事はないが、只《たゞ》夢の中では俗念が出て困ると、長い間これを苦《く》にされたさうだが、成程尤もだ。文藝を性命《せいめい》にするものは今少しうつくしい夢を見なければ幅《はゞ》が利かない。こんな夢では大部分《だいぶぶん》畫にも詩にもならんと思ひながら、寐返りを打つと、いつの間にか障子に月がさして、木の枝が二三本|斜《なゝ》めに影をひたしてゐる。冴《さ》える程の春の夜《よ》だ。
 氣の所爲《せゐ》か、誰か小聲で歌をうたつてる樣な氣がする。夢のなかの歌が、此世へ拔け出したのか、或は此世の聲が遠き夢の國へ、うつゝながらに紛《まぎ》れ込んだのかと耳を峙《そばだ》てる。慥《たし》かに誰かうたつてゐる。細く且つ低い聲には相違ないが、眠らんとする春の夜《よ》に一縷《いちる》の脉《みやく》をかすかに搏《う》たせつゝある。不思議な事に、其調子はとにかく、文句をきくと――枕元でやつてるのでないから、文句のわかりやうはない。――其|聞《きこ》えぬ筈のものが、よく聞える。あきづけば、をばなが上に、おく露の、けぬべくもわは、おもほゆるかもと長良《ながら》の乙女《をとめ》の歌を、繰り返し/\す樣に思はれる。
 初めのうちは椽《えん》に近く聞えた聲が、次第々々に細く遠退《とほの》いて行く。突然と已《や》むものには、突然の感はあるが、憐れはうすい。ふつつりと思ひ切つたる聲をきく人の心には、矢張りふつつりと思ひ切つたる感じが起る。是と云ふ句切りもなく自然《じねん》に細《ほそ》りて、いつの間《ま》にか消えるべき現象には、われも亦|秒《べう》を縮《ちゞ》め、分《ふん》を割《さ》いて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする病夫《びやうふ》の如く、消えんとしては、消えんとする燈火《とうくわ》の如く、今|已《や》むか、已《や》むかとのみ心を亂す此歌の奧には、天下の春の恨みを悉く萃《あつ》めたる調《しら》べがある。
 今迄は床《とこ》の中《なか》に我慢して聞いて居たが、聞く聲の遠ざかるに連れて、わが耳は、釣り出さるゝと知りつゝも、其聲を追ひかけたくなる。細くなればなる程、耳|丈《だけ》になつても、あとを慕つて飛んで行きたい氣がする。もうどう焦慮《あせつ》ても鼓膜に應《こた》へはあるまいと思ふ一刹那の前、余《よ》は堪《たま》らなくなつて、われ知らず布團《ふとん》をすり拔けると共にさらりと障子を開《あ》けた。途端に自分の膝から下が斜《なゝ》めに月の光りを浴《あ》びる。寐卷《ねまき》の上にも木の影が搖《ゆ》れながら落ちた。
 障子をあけた時にはそんな事には氣が付かなかつた。あの聲はと、耳の走る見當《けんたう》を見破ると――向ふに居た。花ならば海棠《かいだう》かと思はるゝ幹を脊《せ》に、よそ/\しくも月の光りを忍んで朦朧《もうろう》たる影法師《かげぼふし》が居た。あれかと思ふ意識さへ、確《しか》とは心にうつらぬ間《ま》に、黒いものは花の影を踏み碎いて右へ切れた。わが居る部屋つゞきの棟《むね》の角《かど》が、すらりと動く、脊《せい》の高い女姿を、すぐに遮《さへぎ》つて仕舞ふ。
 借着《かりぎ》の浴衣《ゆかた》一枚で、障子へつらまつた儘、しばらく茫然として居たが、やがて我に歸ると、山里の春は中々寒いものと悟つた。ともかくもと拔け出でた布團《ふとん》の穴に、再び歸參《きさん》して考へ出した。括《くゝ》り枕《まくら》のしたから、袂時計《たもとどけい》を出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考へ出した。よもや化物《ばけもの》ではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるひは此家《こゝ》の御孃さんかも知れない。然し出歸《でがへ》りの御孃さんとしては夜なかに山つゞきの庭へ出るのがちと不穩當だ。何にしても中々寐られない。枕の下にある時計迄がちく/\口をきく。今迄懷中時計の音の氣になつた事はないが、今夜に限つて、さあ考へろ、さあ考へろと催促する如く、寐るな/\と忠告する如く口をきく。怪《け》しからん。
 怖《こは》いものも只《たゞ》怖いもの其儘の姿と見れば詩になる。凄い事も、己《おの》れを離れて、只《たゞ》單獨に凄いのだと思へば畫《ゑ》になる。失戀が藝術の題目となるのも全くその通りである。失戀の苦しみを忘れて、其やさしい所やら、同情の宿《やど》る所やら、憂《うれひ》のこもる所やら、一歩進めて云へば失戀の苦しみ其物の溢《あふ》るゝ所やらを、單に客觀的に眼前《がんぜん》に思ひ浮べるから文學美術の材料になる。世には有りもせぬ失戀を製造して、自《みづ》から強《し》ひて煩悶して、愉快を貪《むさ》ぼるものがある。常人《じやうにん》は是を評して愚《ぐ》だと云ふ、氣違だと云ふ。然し自《みづ》から不幸の輪廓を描《ゑが》いて好《この》んで其|中《うち》に起臥するのは、自《みづ》から烏有《ういう》の山水を刻畫《こくくわく》して壺中《こちゆう》の天地《てんち》に歡喜すると、その藝術的の立脚地《りつきやくち》を得たる點に於て全く等しいと云はねばならぬ。この點に於て世上幾多の藝術家は(日常の人としてはいざ知らず)藝術家として常人よりも愚《ぐ》である、氣違である。われ/\は草鞋旅行《わらぢたび》をする間《あひだ》、朝から晩|迄《まで》苦しい、苦しいと不平を鳴らしつゞけて居るが、人に向《むか》つて曾遊《そういう》を説く時分には、不平らしい樣子は少しも見せぬ。面白かつた事、愉快であつた事は無論、昔の不平をさへ得意に喋々《てふ/\》して、したり顔《がほ》である。これは敢《あへ》て自《みづか》ら欺《あざむ》くの、人を僞《いつ》はるのと云ふ了見ではない。旅行をする間《あひだ》は常人〔二字傍点〕の心持ちで、曾遊《そういう》を語るときは既に詩人〔二字傍点〕の態度にあるから、こんな矛盾が起《おこ》る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角《いつかく》を磨滅《まめつ》して、三角のうちに住むのを藝術家と呼んでもよからう。
 この故に天然《てんねん》にあれ、人事にあれ、衆俗《しゆうぞく》の辟易《へきえき》して近づき難しとなす所に於て、藝術家は無數の琳琅《りんらう》を見、無上《むじやう》の寶?《はうろ》を知る。俗に之を名《なづ》けて美化《びくわ》と云ふ。其|實《じつ》は美化でも何でもない。燦爛《さんらん》たる彩光《さいくわう》は、炳乎《へいこ》として昔から現象世界に實在して居る。只|一翳《いちえい》眼に在つて空花亂墜《くうげらんつゐ》するが故に、俗累《ぞくるゐ》の覊絏《きせつ》牢《らう》として絶《た》ち難きが故に、榮辱《えいじよく》得喪《とくさう》のわれに逼《せま》る事、念々|切《せつ》なるが故に、ターナーが汽車を寫す迄は汽車の美を解せず、應擧《おうきよ》が幽靈を描《ゑが》く迄は幽靈の美を知らずに打ち過ぎるのである。
 余が今見た影法師も、只それ限《ぎ》りの現象とすれば、誰《だ》れが見ても、誰《だれ》に聞かしても饒《ゆたか》に詩趣を帶びて居る。――孤村《こそん》の温泉、――春宵《しゆんせう》の花影《くわえい》、――月前《げつぜん》の低誦《ていしよう》、――朧夜《おぼろよ》の姿――どれも是も藝術家の好題目《かうだいもく》である。此|好題目《かうだいもく》が眼前《がんぜん》にありながら、余は入らざる詮義立《せんぎだ》てをして、餘計な探《さ》ぐりを投げ込んで居る。折角の雅境に理窟の筋が立つて、願つてもない風流を、氣味の惡《わ》るさが踏み付けにして仕舞つた。こんな事なら、非人情も標榜《へうばう》する價値がない。もう少し修行《しゆぎやう》をしなければ詩人とも畫家とも人に向《むか》つて吹聽《ふいちやう》する資格はつかぬ。昔《むか》し以太利亞《イタリア》の畫家サル?トル、ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危險を賭《かけ》にして、山賊の群《むれ》に這入《はい》り込んだと聞いた事がある。飄然《へうぜん》と畫帖を懷《ふところ》にして家を出でたからには、余《よ》にも其位の覺悟がなくては耻づかしい事だ。
 こんな時にどうすれば詩的な立脚地《りつきやくち》に歸れるかと云へば、おのれの感じ、其物を、おのが前に据ゑつけて、其感じから一歩|退《しりぞ》いて有體《ありてい》に落ち付いて、他人らしく之を檢査する餘地《よち》さへ作ればいゝのである。詩人とは自分の屍骸《しがい》を、自分で解剖して、其《その》病?を天下に發表する義務を有して居る。其《その》方便は色々あるが一番|手近《てぢか》なのは何《なん》でも蚊《か》でも手當り次第十七字にまとめて見るのが一番いゝ。十七字は詩形として尤も輕便であるから、顔を洗ふ時にも、厠《かはや》に上《のぼ》つた時にも、電車に乘つた時にも、容易に出來る。十七字が容易に出來ると云ふ意味は安直《あんちよく》に詩人になれると云ふ意味であつて、詩人になると云ふのは一種の悟《さと》りであるから輕便だと云つて侮蔑する必要はない。輕便であればある程|功コ《くどく》になるから反《かへ》つて尊重すべきものと思ふ。まあ一寸《ちよつと》腹が立つと假定する。腹が立つた所をすぐ十七字にする。十七字にするときは自分の腹立ちが既に他人に變じて居る。腹を立つたり、俳句を作つたり、さう一人《ひとり》が同時に働けるものではない。一寸《ちよつと》涙をこぼす。此《この》涙を十七字にする。するや否《いな》やうれしくなる。涙を十七字に纒《まと》めた時には、苦しみの涙は自分から遊離《いうり》して、おれは泣く事の出來る男だと云ふ嬉しさ丈《だけ》の自分になる。
 是が平生《へいぜい》から余《よ》の主張である。今夜も一つ此主張を實行して見やうと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。出來たら書きつけないと散漫《さんまん》になつて行《い》かぬと、念入りの修業だから、例の寫生帖をあけて枕元へ置く。
 「海棠《かいだう》の露をふるふや物狂《ものぐる》ひ」と眞先《まつさき》に書き付けて讀んで見ると、別に面白くもないが、さりとて氣味のわるい事もない。次に「花の影、女の影の朧《おぼろ》かな」とやつたが、是は季が重《かさ》なつて居る。然し何でも構はない、氣が落ち付いて呑氣《のんき》になればいゝ。夫《それ》から「正一位《しやういちゐ》、女に化《ば》けて朧月《おぼろづき》」と作つたが、狂句めいて、自分ながら可笑《をか》しくなつた。
 此調子なら大丈夫と乘氣《のりき》になつて出る丈《だけ》の句をみなかき付ける。
  春の星を落して夜半のかざしかな
  春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪
  春や今宵歌つかまつる御姿
  海棠の精が出てくる月夜かな
  うた折々月下の春ををちこちす
  思ひ切つて更け行く春の獨りかな
抔《など》と、試みて居るうち、いつしか、うと/\眠くなる。
 恍惚《くわうこつ》と云ふのが、こんな場合に用ゐるべき形容詞かと思ふ。熟睡のうちには何人《なんびと》も我を認め得ぬ。明覺《めいかく》の際には誰《たれ》あつて外界《ぐわいかい》を忘るゝものはなからう。只《たゞ》兩域の間《あひだ》に縷《る》の如き幻境が横《よこた》はる。醒《さ》めたりと云ふには餘り朧《おぼろ》にて、眠ると評せんには少しく生氣《せいき》を剰《あま》す。起臥《きぐわ》の二界を同瓶裏《どうへいり》に盛りて、詩歌《しいか》の彩管《さいくわん》を以《もつ》て、ひたすらに攪《か》き雜《ま》ぜたるが如き?態を云ふのである。自然の色を夢の手前《てまへ》迄ぼかして、《あり》の儘《まゝ》の宇宙を一段、霞の國へ押し流す。睡魔の妖腕《えうわん》をかりて、ありとある實相の角度を滑《なめら》かにすると共に、かく和《やは》らげられたる乾坤《けんこん》に、われからと微《かす》かに鈍《にぶ》き脉を通はせる。地を這《は》ふ烟の飛ばんとして飛び得ざる如く、わが魂《たましひ》の、わが殼《から》を離れんとして離るゝに忍びざる態《てい》である。拔け出でんとして逡巡《ためら》ひ、逡巡《ためら》ひては拔け出でんとし、果《は》ては魂《たましひ》と云ふ個體を、もぎどうに保《たも》ちかねて、氤?《いんうん》たる瞑氛《めいふん》が散るともなしに四肢五體に纒綿《てんめん》して、依々《いゝ》たり戀々《れん/\》たる心持ちである。
 余が寤寐《ごび》の境《さかひ》にかく逍遙《せうえう》して居ると、入口《いりぐち》の唐紙《からかみ》がすうと開《あ》いた。あいた所へまぼろしの如く女の影がふうと現はれた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。只|心地《こゝち》よく眺めて居る。眺めると云ふては些《ち》と言葉が強過ぎる。余が閉《と》ぢて居る瞼《まぶた》の裏《うち》に幻影《まぼろし》の女が斷りもなく滑り込んで來たのである。まぼろしはそろり/\と部屋のなかに這入《はい》る。仙女《せんによ》の波をわたるが如く、疊の上には人らしい音も立たぬ。閉《と》づる眼《まなこ》のなかから見る世の中だから確《しか》とは解らぬが、色の白い、髪の濃い、襟足の長い女である。近頃はやる、ぼかした寫眞を灯影《ほかげ》にすかす樣な氣がする。
 まぼろしは戸棚《とだな》の前でとまる。戸棚があく。白い腕が袖をすべつて暗闇《くらやみ》のなかにほのめいた。戸棚が又しまる。疊の波がおのづから幻影《まぼろし》を渡し返す。入口《いりぐち》の唐紙《からかみ》がひとりでに閉《た》たる。余が眠りは次第に濃やかになる。人に死して、まだ牛にも馬にも生れ變らない途中はこんなであらう。
 いつ迄《まで》人と馬の相中《あひなか》に寐てゐたかわれは知らぬ。耳元にきゝつと女の笑ひ聲がしたと思つたら眼がさめた。見れば夜《よる》の幕はとくに切り落されて、天下は隅から隅|迄《まで》明るい。うらゝかな春日《はるび》が丸窓の竹格子を黒く染め拔いた樣子を見ると、世の中に不思議と云ふものゝ潜《ひそ》む餘地はなさゝうだ。神秘《しんぴ》は十萬億土《じふまんおくど》へ歸つて、三途《さんづ》の川《かは》の向側《むかふがは》へ渡つたのだらう。
 浴衣《ゆかた》の儘、風呂場へ下りて、五分ばかり偶然と湯壺のなかで顔を浮かして居た。洗ふ氣にも、出る氣にもならない。第一|昨夕《ゆうべ》はどうしてあんな心持ちになつたのだらう。晝と夜《よる》を界《さかひ》にかう天地が、でんぐり返るのは妙だ。
 身體《からだ》を拭くさへ退儀《たいぎ》だから、いゝ加減にして、濡れた儘|上《あが》つて、風呂場の戸を内から開《あ》けると、又驚かされた。
 「御早う。昨夕《ゆうべ》はよく寐られましたか」
 戸を開けるのと、此言葉とは殆んど同時にきた。人の居るさへ豫期して居らぬ出合頭《であひがしら》の挨拶だから、さそくの返事も出る遑《いとま》さへないうちに、
 「さあ、御召《おめ》しなさい」
と後《うし》ろへ廻つて、ふわりと余の脊中《せなか》へ柔かい着物をかけた。漸くの事「是は難有《ありがた》う……」丈《だけ》出して、向き直る、途端に女は二三歩|退《しりぞ》いた。
 昔から小説家は必ず主人公の容貌《ようばう》を極力|描寫《べうしや》することに相場が極《きま》つてる。古今東西の言語で、佳人《かじん》の品評《ひんぴやう》に使用せられたるものを列擧したならば、大藏經《だいざうきやう》と其量を爭ふかも知れぬ。此|辟易《へきえき》すべき多量の形容詞中から、余《よ》と三歩の隔《へだゝ》りに立つ、體《たい》を斜《なゝ》めに捩《ねぢ》つて、後目《しりめ》に余が驚愕《きやうがく》と狼狽《らうばい》を心地《こゝち》よげに眺めて居る女を、尤も適當に叙《じよ》すべき用語を拾ひ來つたなら、どれ程の數《かず》になるか知れない。然し生れて三十餘年の今日《こんにち》に至るまで未《いま》だかつて、かゝる表情を見た事がない。美術家の評によると、希臘《ギリシヤ》の彫刻の理想は、端肅《たんしゆく》の二字に歸《き》するさうである。端肅とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思ふ。動けばどう變化するか、風雲《ふううん》か雷霆《らいてい》か、見わけのつかぬ所に餘韻《よゐん》が縹緲《へうべう》と存《そん》するから含蓄の趣《おもむき》を百世《ひやくせい》の後《のち》に傳ふるのであらう。世上幾多の尊嚴と威儀とは此|湛然《たんぜん》たる可能力の裏面に伏在して居る。動けばあらはれる。あらはるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なからうが、既に一となり、二となり、三となつた曉《あかつき》には、?泥帶水《たでいたいすゐ》の陋《ろう》を遺憾なく示して、本來圓滿《ほんらいゑんまん》の相《さう》に戻《もど》る譯には行かぬ。此故に動《どう》と名のつくものは必ず卑しい。運慶《うんけい》の仁王《にわう》も、北齋《ほくさい》の漫畫《まんぐわ》も全く此|動《どう》の一字で失敗して居る。動《どう》か靜《せい》か。是がわれ等|畫工《ぐわこう》の運命を支配する大問題である。古來美人の形容も大抵此二大|範疇《はんちう》のいづれにか打ち込む事が出來《でき》べき筈だ。
 所が此女の表情を見ると、余はいづれとも判斷に迷つた。口は一文字を結んで靜《しづか》である。眼は五分《ごぶ》のすきさへ見出《みいだ》すべく動いて居る。顔は下膨《しもぶくれ》の瓜實形《うりざねがた》で、豐《ゆた》かに落ち付きを見せて居るに引き易へて、額《ひたひ》は狹苦《せまくる》しくも、こせ付いて、所謂《いはゆる》富士額《ふじびたひ》の俗臭《ぞくしう》を帶びて居る。のみならず眉は兩方から逼《せま》つて、中間に數滴の薄荷《はくか》を點じたる如く、ぴく/\焦慮《じれ》て居る。鼻ばかりは輕薄に鋭《する》どくもない、遅鈍に丸くもない。畫《ゑ》にしたら美しからう。かやうに別れ/\の道具が皆|一癖《ひとくせ》あつて、亂調にどや/\と余の双眼《さんがん》に飛び込んだのだから迷ふのも無理はない。
 元來は靜《せい》であるべき大地《だいち》の一角に陷缺《かんけつ》が起《おこ》つて、全體が思はず動いたが、動くは本來の性に背《そむ》くと悟つて、力《つと》めて徃昔《むかし》の姿にもどらうとしたのを、平衡《へいかう》を失《うしな》つた機勢に制せられて、心ならずも動きつゞけた今日《こんにち》は、やけだから無理でも動いて見せると云はぬ許《ばか》りの有樣が――そんな有樣がもしあるとすれば丁度此女を形容する事が出來る。
 それだから輕侮の裏《うら》に、何となく人に縋《すが》りたい景色《けしき》が見える。人を馬鹿にした樣子の底に愼み深《ぶか》い分別《ふんべつ》がほのめいてゐる。才に任せ、氣を負《お》へば百人の男子を物の數とも思はぬ勢《いきほひ》の下から温和《おとな》しい情《なさ》けが吾知らず湧いて出る。どうしても表情に一致がない。悟《さと》りと迷《まよひ》が一軒の家《うち》に喧嘩をしながらも同居して居る體《てい》だ。此女の顔に統一の感じのないのは、心に統一のない證據で、心に統一がないのは、此女の世界に統一がなかつたのだらう。不幸に壓しつけられ乍《なが》ら、其不幸に打ち勝たうとして居る顔だ。不仕合《ふしあはせ》な女に違ない。
 「難有《ありがた》う」と繰り返しながら、一寸《ちよつと》會釋した。
 「ほゝゝゝ御部屋は掃除がしてあります。徃《い》つて御覽なさい。いづれ後程《のちほど》」
と云ふや否や、ひらりと、腰をひねつて、廊下を輕氣《かろげ》に馳《か》けて行つた。頭は銀杏返《いてふがへし》に結《い》つてゐる。白い襟がたぼの下から見える。帶の黒繻子は片側《かたかは》丈《だけ》だらう。
 
     四
 
 ぽかんと部屋へ歸ると、成程|奇麗《きれい》に掃除がしてある。一寸《ちよつと》氣がゝりだから、念の爲め戸棚をあけて見る。下には小《ちひ》さな用箪笥《ようだんす》が見える。上から友禪《いうぜん》の扱帶《しごき》が半分|垂《た》れかゝつて、居るのは、誰か衣類でも取り出して急いで、出て行つたものと解釋が出來る。扱帶《しごき》の上部はなまめかしい衣裳《いしやう》の間にかくれて先は見えない。片側《かたかは》には書物が少々《せう/\》詰《つ》めてある。一番上に白隱和尚《はくいんをしやう》の遠良天釜《をらてがま》と、伊勢物語《いせものがたり》の一卷《いつくわん》が並んでる。昨夕《ゆうべ》のうつゝは事實かも知れないと思つた。
 何氣《なにげ》なく座布團の上へ坐ると、唐木《からき》の机の上に例の寫生帖が、鉛筆を挾んだ儘、大事さうにあけてある。夢中に書き流した句を、朝見たらどんな具合だらうと手に取る。
 「海棠《かいだう》の露をふるふや物狂《ものぐるひ》」の下にだれだか「海棠の露をふるふや朝烏《あさがらす》」とかいたものがある。鉛筆だから、書體はしかと解らんが、女にしては硬過《かたす》ぎる、男にしては柔《やはら》か過ぎる。おやと又|吃驚《びつくり》する。次を見ると「花の影、女の影の朧《おぼろ》かな」の下に「花の影女の影を重《かさ》ねけり」とつけてある。「正一位《しやういちゐ》女に化けて朧月《おぼろづき》」の下には「御曹子《おんざうし》女に化けて朧月《おぼろづき》」とある。眞似をした積りか、添削《てんさく》した氣か、風流の交《まじ》はりか、馬鹿か、馬鹿にしたのか、余は思はず首を傾《かたむ》けた。
 後程《のちほど》と云つたから、今に飯《めし》の時にでも出て來るかも知れない。出て來たら樣子が少しは解るだらう。ときに何時《なんじ》だなと時計を見ると、もう十一時過ぎである。よく寐たものだ。是では午飯《ひるめし》丈で間に合せる方が胃の爲めによからう。
 右側の障子をあけて、昨夜《ゆうべ》の名殘《なごり》はどの邊《へん》かなと眺める。海棠《かいだう》と鑑定したのは果《はた》して、海棠であるが、思つたよりも庭は狹い。五六枚の飛石《とびいし》を一面の青苔《あをごけ》が埋《うづ》めて、素足《すあし》で踏みつけたら、さも心持ちがよさゝうだ。左は山つゞきの崖《がけ》に赤松が斜《なゝ》めに岩の間から庭の上へさし出して居る。海棠の後《うし》ろには一寸《ちよつと》した茂みがあつて、奧は大竹藪が十丈の翠《みど》りを春の日に曝《さら》して居る。右手は屋《や》の棟《むね》で遮《さへ》ぎられて、見えぬけれども、地勢から察すると、だら/\下《お》りに風呂場の方へ落ちて居るに相違ない。
 山が盡きて、岡となり、岡が盡きて、幅三丁程の平地《へいち》となり、其|平地《へいち》が盡きて、海の底へもぐり込んで、十七里向ふへ行つて又|隆然《りゆうぜん》と起き上つて、周圍六里の摩耶島《まやじま》となる。是が那古井《なこゐ》の地勢である。温泉場は岡の麓を出來る丈《だけ》崖へさしかけて、岨《そば》の景色を半分庭へ圍ひ込んだ一構《ひとかまへ》であるから、前面は二階でも、後《うし》ろは平屋《ひらや》になる。椽《えん》から足をぶらさげれば、すぐと踵《かゝと》は苔に着く。道理こそ昨夕《ゆうべ》は楷子段を無暗に上《のぼ》つたり、下《くだ》つたり、異《い》な仕掛《しかけ》の家《うち》と思つた筈だ。
 今度は左《ひだ》り側《がは》の窓をあける。自然と凹《くぼ》む二疊|許《ばか》りの岩のなかに春の水がいつともなく、たまつて靜かに山櫻の影を?《ひた》して居る。二株《ふたかぶ》三株《みかぶ》の熊笹が岩の角を彩《いろ》どる、向ふに枸杞《くこ》とも見える生垣があつて、外は濱から、岡へ上《のぼ》る岨道《そばみち》か時々人聲が聞える。徃來の向ふはだら/\と南下《みなみさ》がりに蜜柑を植ゑて、谷の窮《きは》まる所に又大きな竹藪が、白く光る。竹の葉が遠くから見ると、白く光るとは此時初めて知つた。藪から上は、松の多い山で、赤い幹の間から石磴《せきとう》が五六段手にとる樣に見える。大方御寺だらう。
 入口の襖《ふすま》をあけて椽《えん》へ出ると、欄干が四角に曲つて、方角から云へば海の見ゆべき筈の所に、中庭を隔《へだ》てゝ、表二階の一間《ひとま》がある。わが住む部屋も、欄干に倚《よ》れば矢張り同じ高さの二階なのには興が催ふされる。湯壺は地《ぢ》の下にあるのだから、入湯《にふたう》と云ふ點から云へば、余は三層樓上に起臥する譯になる。
 家は隨分廣いが、向ふ二階の一間《ひとま》と、余が欄干に添ふて、右へ折れた一間《ひとま》の外は、居室《ゐま》臺所は知らず、客間と名がつきさうなのは大抵《たいてい》立て切つてある。客は、余をのぞくの外《ほか》殆んど皆無《かいむ》なのだらう。〆《しめ》た部屋は晝も雨戸《あまど》をあけず、あけた以上は夜《よる》も閉《た》てぬらしい。是では表の戸締りさへ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもつて來いと云ふ屈強《くつきやう》な場所だ。
 時計は十二時近くなつたが飯《めし》を食はせる景色《けしき》はさらにない。漸く空腹を覺えて來たが、空山不見人《くうざんひとをみず》と云ふ詩中にあると思ふと、一とかたげ位《ぐらゐ》儉約しても遺憾はない。畫《ゑ》をかくのも面倒だ、俳句は作らんでも既に俳三昧《はいざんまい》に入つて居るから、作る丈《だけ》野暮《やぼ》だ。讀まうと思つて三脚几《さんきやくき》に括《くゝ》りつけて來た二三册の書籍もほどく氣にならん。かうやつて、煦々《くゝ》たる春日《しゆんじつ》に脊中《せなか》をあぶつて、椽側《えんがは》に花の影と共に寐ころんで居るのが、天下の至樂《しらく》である。考へれば外道《げだう》に墮《お》ちる。動くと危《あぶ》ない。出來るならば鼻から呼吸《いき》もしたくない。疊から根の生えた植物の樣にじつとして二週間|許《ばか》り暮して見たい。
 やがて、廊下に足音がして、段々下から誰か上《あが》つてくる。近づくのを聞いてゐると、二人らしい。それが部屋の前でとまつたなと思つたら、一人は何《なん》にも云はず、元の方へ引き返す。襖《ふすま》があいたから、今朝の人と思つたら、矢張り昨夜《ゆうべ》の小女郎《こぢよらう》である。何だか物足らぬ。
 「遅くなりました」と膳を据《す》ゑる。朝食《あさめし》の言譯も何にも言はぬ。燒肴に青いものをあしらつて、椀《わん》の蓋《ふた》をとれば早蕨《さわらび》の中に、紅白に染め拔かれた、海老《えび》を沈ませてある。あゝ好い色だと思つて、椀の中を眺めて居た。
 「御嫌《おきら》ひか」と下女が聞く。
 「いゝや、今に食ふ」と云つたが實際食ふのは惜しい氣がした。ターナーがある晩餐の席で、皿に盛《も》るサラドを見詰めながら、凉しい色だ、是がわしの用ゐる色だと傍《かたはら》の人に話したと云ふ逸事をある書物で讀んだ事があるが、此|海老《えび》と蕨《わらび》の色を一寸ターナーに見せてやりたい。一體西洋の食物で色のいゝものは一つもない。あればサラドと赤大根|位《ぐらゐ》なものだ。滋養の點から云つたらどうか知らんが、畫家から見ると頗る發達せん料理である。そこへ行くと日本の獻立《こんだて》は、吸物《すひもの》でも、口取でも、刺身でも物奇麗《ものぎれい》に出來る。會席膳《くわいせきぜん》を前へ置いて、一箸《ひとはし》も着けずに、眺めた儘《まゝ》歸つても、目の保養から云へば、御茶屋へ上がつた甲斐は充分ある。
 「うちに若い女の人が居るだらう」と椀を置きながら、質問をかけた。
 「へえ」
 「ありや何だい」
 「若い奧樣で御座んす」
 「あの外にまだ年寄の奧樣が居るのかい」
 「去年|御亡《おな》くなりました」
 「旦那さんは」
 「居ります。旦那さんの娘さんで御座んす」
 「あの若い人がかい」
 「へえ」
 「御客は居るかい」
 「居りません」
 「わたし一人かい」
 「へえ」
 「若い奧さんは毎日何をして居るかい」
 「針仕事を……」
 「夫《それ》から」
 「三味《しやみ》を彈《ひ》きます」
 是は意外であつた。面白いから又
 「夫《それ》から」と聞いて見た。
 「御寺へ行きます」と小女郎《こぢよらう》が云ふ。
 是は又意外である。御寺と三味線《しやみせん》は妙だ。
 「御寺詣りをするのかい」
 「いゝえ、和尚樣《をしやうさま》の所へ行きます」
 「和尚《をしやう》さんが三味線《しやみせん》でも習ふのかい」
 「いゝえ」
 「ぢや何をしに行くのだい」
 「大徹樣《だいてつさま》の所へ行きます」
 なある程、大徹と云ふのは此額を書いた男に相違ない。此句から察すると何でも禪坊主《ぜんばうず》らしい。戸棚に遠良天釜《をらてがま》があつたのは、全くあの女の所持品だらう。
 「此部屋は普段誰か這入《はい》つて居る所かね」
 「普段は奧樣が居ります」
 「それぢや、昨夕《ゆうべ》、わたしが來る時迄こゝに居たのだね」
 「へえ」
 「それは御氣の毒な事をした。それで大徹さんの所へ何をしに行くのだい」
 「知りません」
 「それから」
 「何で御座んす」
 「それから、まだ外《ほか》に何かするのだらう」
 「それから、色々……」
 「色々つて、どんな事を」
 「知りません」
 會話は是で切れる。飯は漸く了《をは》る。膳を引くとき、小女郎が入口の襖を開《あけ》たら、中庭の栽込《うゑこ》みを隔《へだ》てゝ、向ふ二階の欄干に銀杏返《いてふがへ》しが頬杖を突いて、開化した楊柳觀音《やうりうくわんおん》の樣に下を見詰めて居た。今朝に引き替へて、甚だ靜かな姿である。俯向《うつむ》いて、瞳《ひとみ》の働きが、こちらへ通はないから、相好《さうがう》に斯程《かほど》な變化を來たしたものであらうか。昔の人は人に存《そん》するもの眸子《ぼうし》より良きはなしと云つたさうだが、成程《なるほど》人|焉《いづく》んぞ?《かく》さんや、人間のうちで眼程活きて居る道具はない。寂然《じやくねん》と倚《よ》る亞字欄《あじらん》の下から、蝶々が二羽寄りつ離れつ舞ひ上がる。途端《とたん》にわが部屋の襖《ふすま》はあいたのである。襖の音に、女は卒然と蝶から眼を余の方《かた》に轉じた。視線は毒矢の如く空《くう》を貫《つらぬ》いて、會釋もなく余が眉間《みけん》に落ちる。はつと思ふ間に、小女郎が、又はたと襖を立て切つた。あとは至極呑氣な春となる。
 余は又ごろりと寐ころんだ。忽ち心に浮んだのは、
  Sadder than is the moon's lost light,
    Lost ere the kindling of dawn,
    To travellers journeying on,
  The shutting of thy fair face from my sight.
と云ふ句であつた。もし余があの銀杏返《いてふがへ》しに懸想《けさう》して、身を碎いても逢はんと思ふ矢先に、今の樣な一瞥《いちべつ》の別れを、魂消《たまぎ》る迄に、嬉しとも、口惜《くちを》しとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだらう。其上に
  Might I look on thee in death,
  With bliss I would yield my breath.
と云ふ二句さへ、付け加へたかも知れぬ。幸ひ、普通ありふれた、戀とか愛とか云ふ境界《きやうがい》は既に通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。然し今の刹那に起《おこ》つた出來事の詩趣はゆたかに此五六行にあらはれて居る。余と銀杏返《いてふがへ》しの間柄《あひだがら》にこんな切《せつ》ない思《おもひ》はないとしても、二人の今の關係を、此詩の中《うち》に適用《あてはめ》て見るのは面白い。或は此詩の意味をわれらの身の上に引きつけて解釋しても愉快だ。二人の間《あひだ》には、ある因果の細い糸で、此詩にあらはれた境遇の一部分が、事實となつて、括《くゝ》りつけられて居る。因果も此《この》位《くらゐ》糸が細いと苦《く》にはならぬ。其上、只の糸ではない。空を横切《よこぎ》る虹の糸、野邊《のべ》に棚引《たなび》く霞の糸、露にかゞやく蜘蛛の糸。切らうとすれば、すぐ切れて、見て居るうちは勝《すぐ》れてうつくしい。萬一《まんいち》此糸が見る間に太くなつて井戸繩《ゐどなは》の樣にかたくなつたら? そんな危險はない。余は畫工である。先は只の女とは違ふ。
 突然襖があいた。寐返《ねがへ》りを打つて入口を見ると、因果の相手の其|銀杏返《いてふがへ》しが敷居の上に立つて青磁《せいじ》の鉢《はち》を盆に乘せたまゝ佇《たゝず》んで居る。
 「また寐て入《い》らつしやるか、昨夕《ゆうべ》は御迷惑で御座んしたらう。何返《なんべん》も御邪魔をして、ほゝゝゝ」と笑ふ。臆《おく》した景色《けしき》も、隱《かく》す景色《けしき》も――耻《は》づる景色《けしき》は無論ない。只こちらが先《せん》を越されたのみである。
 「今朝は難有《ありがた》う」と又禮を云つた。考へると、丹前《たんぜん》の禮を是で三|返《べん》云つた。しかも、三|返《べん》ながら、只難有う〔三字傍点〕と云ふ三字である。
 女は余が起き返らうとする枕元へ、早くも坐つて
 「まあ寐て入《い》らつしやい。寐て居ても話は出來ませう」と、さも氣作《きさく》に云ふ。余は全くだと考へたから、一先《ひとま》づ腹這《はらばひ》になつて、兩手で顎《あご》を支《さゝ》へ、しばし疊の上へ肘壺《ひぢつぼ》の柱を立てる。
 「御退屈だらうと思つて、御茶を入れに來ました」
 「難有《ありがた》う」又|難有《ありがた》うが出た。菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹《やうかん》が並んでゐる。余は凡《すべ》ての菓子のうちで尤も羊羹が好《すき》だ。別段食ひたくはないが、あの肌合《はだあひ》が滑《なめ》らかに、緻密《ちみつ》に、しかも半透明《はんとうめい》に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。殊に青味《あをみ》を帶びた煉上《ねりあ》げ方は、玉《ぎよく》と?石《らふせき》の雜種の樣で、甚だ見て心持ちがいゝ。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹《ねりやうかん》は、青磁のなかゝら今|生《うま》れた樣につや/\して、思はず手を出して撫《な》でゝ見たくなる。西洋の菓子で、これ程快感を與へるものは一つもない。クリームの色は一寸|柔《やはら》かだが、少し重苦しい。ジエリは、一目《いちもく》寶石の樣に見えるが、ぶる/\顫へて、羊羹程の重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至つては、言語道斷《ごんごだうだん》の沙汰である。
 「うん、中々|美事《みごと》だ」
 「今しがた、源兵衛が買つて歸りました。是ならあなたに召し上がられるでせう」
 源兵衛は昨夕《ゆうべ》城下《じやうか》へ留《とま》つたと見える。余は別段の返事もせず羊羹を見て居た。どこで誰れが買つて來ても構ふ事はない。只美くしければ、美くしいと思ふ丈《だけ》で充分滿足である。
 「此青磁の形は大變いゝ。色も美事《みごと》だ。殆んど羊羹に對して遜色《そんしよく》がない」
 女はふゝんと笑つた。口元に侮《あな》どりの波が微《かす》かに搖《ゆ》れた。余の言葉を洒落《しやれ》と解したのだらう。成程|洒落《しやれ》とすれば、輕蔑される價《あたひ》は慥《たし》かにある。智慧の足りない男が無理に洒落《しや》れた時には、よくこんな事を云ふものだ。
 「是は支那ですか」
 「何ですか」と相手は丸《まる》で青磁を眼中に置いて居ない。
 「どうも支那らしい」と皿を上げて底を眺めて見た。
 「そんなものが、御好きなら、見せませうか」
 「えゝ、見せて下さい」
 「父が骨董《こつとう》が大好きですから、大分《だいぶ》色々なものがあります。父にさう云つて、いつか御茶でも上げませう」
 茶と聞いて少し辟易した。世間に茶人《ちやじん》程|勿體振《もつたいぶ》つた風流人はない。廣い詩界をわざとらしく窮屈に繩張《なはば》りをして、極《きは》めて自尊的に、極《きは》めてことさらに、極《きは》めてせゝこましく、必要もないのに鞠躬如《きくきゆうじよ》として、あぶくを飲んで結構がるものは所謂茶人である。あんな煩瑣《はんさ》な規則のうちに雅味があるなら、麻布《あざぶ》の聯隊《れんたい》のなかは雅味で鼻がつかへるだらう。廻れ右、前への連中は悉《こと/”\》く大茶人でなくてはならぬ。あれは商人とか町人とか、丸で趣味のヘ育のない連中が、どうするのが風流か見當が付かぬ所から、器械的に利休《りきう》以後の規則を鵜呑みにして、是で大方《おほかた》風流なんだらう、と却つて眞の風流人を馬鹿にする爲めの藝である。
 「御茶つて、あの流儀のある茶ですかな」
 「いゝえ、流儀も何もありやしません。御厭《おいや》なら飲まなくつてもいゝ御茶です」
 「そんなら、序《ついで》に飲んでもいゝですよ」
 「ほゝゝゝ。父は道具を人に見て頂くのが大好きなんですから……」
 「褒めなくつちあ、いけませんか」
 「年寄りだから、褒めてやれば、嬉しがりますよ」
 「へえ、少しなら褒めて置きませう」
 「負けて、澤山御褒めなさい」
 「はゝゝゝ、時にあなたの言葉は田舍ぢやない」
 「人間は田舍なんですか」
 「人間は田舍の方がいゝのです」
 「それぢや幅《はゞ》が利きます」
 「然し東京に居た事がありませう」
 「えゝ、居ました、京都にも居ました。渡りものですから、方々に居ました」
 「こゝと都と、どつちがいゝですか」
 「同じ事ですわ」
 「かう云ふ靜かな所が、却《かへ》つて氣樂でせう」
 「氣樂も、氣樂でないも、世の中は氣の持ち樣《やう》一つでどうでもなります。蚤《のみ》の國が厭《いや》になつたつて、蚊《か》の國へ引越《ひつこ》しちや、何《なん》にもなりません」
 「蚤《のみ》も蚊《か》も居ない國へ行つたら、いゝでせう」
 「そんな國があるなら、こゝへ出して御覽なさい。さあ出して頂戴」と女は詰《つ》め寄せる。
 「御望みなら、出して上げませう」と例の寫生帖をとつて、女が馬へ乘つて、山櫻を見て居る心持ち――無論|咄嗟《とつさ》の筆使《ふでづか》ひだから、畫《ゑ》にはならない。只|心持《こゝろも》ち丈《だけ》をさら/\と書いて、
 「さあ、この中へ御這入りなさい。蚤も蚊も居ません」と鼻の前《さき》へ突き付けた。驚くか、耻づかしがるか、此樣子では、よもや、苦《くる》しがる事はなからうと思つて、一寸《ちよつと》景色《けしき》を伺《うかゞ》ふと、
 「まあ、窮屈な世界だこと、横幅《よこはゞ》ばかりぢやありませんか。そんな所が御好きなの、丸《まる》で蟹《かに》ね」と云つて退《の》けた。余は
 「わはゝゝゝ」と笑ふ。軒端に近く、啼きかけた鶯が、中途で聲を崩して、遠き方《かた》へ枝移《えだうつ》りをやる。兩人《ふたり》はわざと對話をやめて、しばらく耳を峙《そばだ》てたが、一反《いつたん》鳴き損《そこ》ねた咽喉《のど》は容易に開《あ》けぬ。
 「昨日《きのふ》は山で源兵衛に御逢ひでしたらう」
 「えゝ」
 「長良《ながら》の乙女《をとめ》の五輪塔《ごりんのたふ》を見て入《い》らしつた か」
 「えゝ」
 「あきづけば、をばなが上に置く露の、けぬべくもわは、おもほゆるかも」と説明もなく、女はすらりと節もつけずに歌|丈《だけ》述べた。何の爲《た》めか知らぬ。
 「其歌はね、茶店で聞きましたよ」
 「婆さんがヘへましたか。あれはもと私のうちへ奉公したもので、私がまだ嫁に……」と云ひかけて、是はと余《よ》の顔を見たから、余は知らぬ風《ふう》をして居た。
 「私がまだ若い時分でしたが、あれが來るたびに長良の話をして聞かせてやりました。うた丈《だけ》は中々覺えなかつたのですが、何遍も聽くうちに、とう/\何も蚊《か》も諳誦《あんしよう》して仕舞ひました」
 「どうれで、六《む》づかしい事を知つてると思つた。――然しあの歌は憐れな歌ですね」
 「憐れでせうか。私ならあんな歌は咏《よ》みませんね。第一、淵川《ふちかは》へ身を投げるなんて、つまらないぢやありませんか」
 「成程つまらないですね。あなたなら如何《どう》しますか」
 「どうするつて、譯ないぢやありませんか。さゝだ男もさゝべ男も、男妾《をとこめかけ》にする許《ばか》りですわ」
 「兩方ともですか」
 「えゝ」
 「えらいな」
 「えらかあない、當り前ですわ」
 「成程|夫《それ》ぢや蚊《か》の國へも、蚤《のみ》の國へも、飛び込まずに濟む譯だ」
 「蟹《かに》の樣な思ひをしなくつても、生きてゐられるでせう」
 ほーう、ほけきようと忘れかけた鶯が、いつ勢《いきほひ》を盛り返してか、時ならぬ高音《たかね》を不意に張つた。一度立て直すと、あとは自然に出ると見える。身を逆《さかし》まにして、ふくらむ咽喉《のど》の底を震はして、小《ちひ》さき口の張り裂くる許《ばか》りに、
 ほーう、ほけきよーう。ほーー、ほけつーきようーと、つゞけ樣《さま》に囀《さへ》づる。
 「あれが本當の歌です」と女が余にヘへた。
 
     五
 
 「失禮ですが旦那は、矢つ張り東京ですか」
 「東京と見えるかい」
 「見えるかいつて、一目《ひとめ》見りやあ、――第一《だいち》言葉でわかりまさあ」
 「東京は何所だか知れるかい」
 「さうさね。東京は馬鹿に廣いからね。――何でも下町《したまち》ぢやねえやうだ。山《やま》の手《て》だね。山の手は麹町《かうぢまち》かね。え? それぢや、小石川《こいしかは》? でなければ牛込《うしごめ》か四谷《よつや》でせう」
 「まあそんな見當だらう。よく知つてるな」
 「かう見《め》えて、私《わつち》も江戸つ子だからね」
 「道理《どうれ》で生粹《いなせ》だと思つたよ」
 「えへゝゝゝ。からつきし、どうも、人間もかうなつちや、みじめですぜ」
 「何で又こんな田舍《ゐなか》へ流れ込んで來たのだい」
 「ちげえねえ、旦那の仰しやる通りだ。全く流れ込んだんだからね。すつかり食ひ詰めつちまつて……」
 「固《もと》から髪結床《かみひどこ》の親方かね」
 「親方ぢやねえ、職人さ。え? 所かね。所は神田松永町《かんだまつながちやう》でさあ。なあに猫の額《ひたひ》見た樣な小さな汚ねえ町でさあ。旦那なんか知らねえ筈さ。あすこに龍閑橋《りゆうかんばし》てえ橋がありませう。え? そいつも知らねえかね。龍閑橋《りゆうかんばし》や、名代《なだい》な橋だがね」
 「おい、もう少《すこ》し、石鹸《しやぼん》を塗《つ》けて呉れないか、痛くつて、いけない」
 「痛うがすかい。私《わつち》や癇性《かんしやう》でね、どうも、かうやつて、逆剃《さかずり》をかけて、一本々々髭の穴を堀《ほ》らなくつちや、氣が濟まねえんだから、――なあに今時《いまどき》の職人なあ、剃《す》るんぢやねえ、撫《な》でるんだ。もう少しだ我慢おしなせえ」
 「我慢は先《さつき》から、もう大分《だいぶ》したよ。御願だから、もう少し湯か石鹸《しやぼん》をつけとくれ」
 「我慢しきれねえかね。そんなに痛かあねえ筈だが。全體《ぜんてい》、髭があんまり、延び過ぎてるんだ」
 やけに頬の肉をつまみ上げた手を、殘念さうに放《はな》した親方は、棚の上から、薄《うす》つ片《ぺら》な赤い石鹸《しやぼん》を取り卸《お》ろして、水のなかに一寸|浸《ひた》したと思つたら、夫《それ》なり余の顔をまんべんなく一應|撫《な》で廻はした。裸石鹸《はだかしやぼん》を顔へ塗り付けられた事はあまりない。然もそれを濡らした水は、幾日前《いくにちまへ》に汲んだ、溜め置きかと考へると、餘りぞつとしない。
 既《すで》に髪結床《かみひどこ》である以上は、御客の權利として、余は鏡に向はなければならん。然し余はさつきから此權利を放棄したく考へて居る。鏡と云ふ道具は平《たひ》らに出來て、なだらかに人の顔を寫さなくては義理が立たぬ。もし此性質が具はらない鏡を懸けて、是に向へと強《し》ひるならば、強《し》ひるものは下手《へた》な寫眞師と同じく、向ふものゝ器量を故意に損害したと云はなければならぬ。虚榮心を挫《くじ》くのは修養上一種の方便かも知れぬが、何も己《おの》れの眞價以下の顔を見せて、是があなたですよと、此方《こちら》を侮辱するには及ぶまい。今余が辛抱《しんばう》して向き合ふべく餘儀なくされて居る鏡は慥《たし》かに最前から余を侮辱して居る。右を向くと顔中鼻になる。左を出すと口が耳元|迄《まで》裂ける。仰向《あふむ》くと蟇蛙《ひきがへる》を前から見た樣に眞平《まつたひら》に壓《お》し潰《つぶ》され、少しこゞむと福禄壽《ふくろくじゆ》の祈誓兒《まうしご》の樣に頭がせり出してくる。苟《いやしく》も此鏡に對する間《あひだ》は一人で色々な化物《ばけもの》を兼勤《けんきん》しなくてはならぬ。寫るわが顔の美術的ならぬは先づ我慢するとしても、鏡の構造やら、色合《いろあひ》や、銀紙《ぎんがみ》の剥《は》げ落ちて、光線が通り拔ける模樣|抔《など》を總合して考へると、此道具その物からが醜體を極《きは》めて居る。小人《せうじん》から罵詈《ばり》されるとき、罵詈《ばり》其れ自身は別に痛痒《つうやう》を感ぜぬが、其|小人《せうじん》の面前に起臥しなければならぬとすれば、誰しも不愉快だらう。
 其上此親方が只の親方ではない。そとから覗いたときは、胡坐《あぐら》をかいて、長烟管《ながぎせる》で、おもちやの日英同盟《にちえいどうめい》國旗の上へ、頻りに烟草を吹きつけて、さも退屈氣《たいくつげ》に見えたが、這入《はい》つて、わが首の所置を托する段になつて驚ろいた。髭を剃《そ》る間は首の所有權は全く親方の手にあるのか、將《は》た幾分かは余の上にも存《そん》するのか、一人で疑《うた》がい出した位、容赦なく取り扱はれる。余の首が肩の上に釘付けにされて居るにしても是では永く持たない。
 彼は髪剃《かみそり》を揮《ふる》ふに當つて、毫《がう》も文明の法則を解して居らん。頬にあたる時はがりゝと音がした。揉《も》み上《あげ》の所ではぞきりと動脉《どうみやく》が鳴つた。顋《あご》のあたりに利刃《りじん》がひらめく時分にはごり/\、ごり/\と霜柱を踏みつける樣な怪しい聲が出た。しかも本人は日本一の手腕を有する親方を以つて自任して居る。
 最後に彼は醉つ拂つて居る。旦那えと云ふたんびに妙な臭ひがする。時々は異《い》な瓦斯《ガス》を余が鼻柱へ吹き掛ける。是ではいつ何時《なんどき》、髪剃《かみそり》がどう間違つて、何所へ飛んで行くか解らない。使ふ當人にさへ判然たる計畫がない以上は、顔を貸した余に推察の出來《でき》樣《やう》筈がない。得心づくで任せた顔だから、少しの怪我《けが》なら苦情は云はない積だが、急に氣が變つて咽喉笛《のどぶえ》でも掻き切られては事だ。
 「石鹸《しやぼん》なんぞを、つけて、剃《す》るなあ、腕が生《なま》なんだが、旦那のは、髭が髭だから仕方があるめえ」と云ひながら親方は裸石鹸《はだかしやぼん》を、裸の儘《まゝ》棚の上へ放《はふ》り出すと、石鹸《しやぼん》は親方の命令に背《そむ》いて地面の上へ轉《ころ》がり落ちた。
 「旦那あ、餘《あんま》り見受けねえ樣だが、何ですかい、近頃來なすつたのかい」
 「二三日《にさんち》前來た許《ばか》りさ」
 「へえ、どこに居るんですい」
 「志保田《しほだ》に逗《とま》つてるよ」
 「うん、あすこの御客さんですか。おおかたそんな事《こつ》たらうと思つてた。實あ、私《わつし》もあの隱居さんを頼《たよつ》て來たんですよ。――なにね、あの隱居が東京に居た時分、わつしが近所にゐて、――それで知つてるのさ。いゝ人でさあ。ものゝ解つたね。去年|御新造《ごしんぞ》が死んぢまつて、今ぢや道具ばかり捻《ひね》くつてるんだが――何でも素晴らしいものが、有るてえますよ。賣つたら餘つ程な金目《かねめ》だらうつて話さ」
 「奇麗な御孃さんが居るぢやないか」
 「あぶねえね」
 「何が?」
 「何がつて。旦那の前《めえ》だが、あれで出返《でがへ》りですぜ」
 「さうかい」
 「さうかい所の騷ぢやねえんだね。全體なら出て來なくつてもいゝ所をさ。――銀行が潰《つぶ》れて贅澤が出來ねえつて、出ちまつたんだから、義理が惡《わ》るいやね。隱居さんがあゝして居るうちはいゝが、もしもの事があつた日にや、法返《はふがへ》しがつかねえ譯になりまさあ」
 「さうかな」
 「當《あた》り前《めえ》でさあ。本家の兄《あにき》たあ、仲がわるしさ」
 「本家があるのかい」
 「本家は岡の上にありまさあ。遊びに行つて御覽なさい。景色のいゝ所ですよ」
 「おい、もう一遍|石鹸《しやぼん》をつけてくれないか。又痛くなつて來た」
 「よく痛くなる髭だね。髭が硬過《こはす》ぎるからだ。旦那の髭ぢや、三日に一度は是非|剃《そり》を當てなくつちや駄目ですぜ。わつしの剃《そり》で痛けりや、何所へ行つたつて、我慢出來つこねえ」
 「是から、さうしやう。何なら毎日來てもいゝ」
 「そんなに長く逗留する氣なんですか。あぶねえ。およしなせえ。益もねえ事《こ》つた。碌でもねえものに引つかゝつて、どんな目に逢ふか解りませんぜ」
 「どうして」
 「旦那あの娘は面《めん》はいゝ樣だが、本當はき〔傍点〕印《じる》しですぜ」
 「なぜ」
 「なぜつて、旦那。村のものは、みんな氣狂《きちげえ》だつて云つてるんでさあ」
 「そりや何かの間違だらう」
 「だつて、現《げん》に證據があるんだから、御よしなせえ。けんのんだ」
 「おれは大丈夫だが、どんな證據があるんだい」
 「可笑《をか》しな話しさね。まあゆつくり、烟草でも呑んで御出《おいで》なせえ話すから。――頭あ洗ひましやうか」
 「頭はよさう」
 「頭垢《ふけ》丈《だけ》落して置くかね」
 親方は垢《あか》の溜《たま》つた十本の爪を、遠慮なく、余が頭葢骨の上に並べて、斷《こと》はりもなく、前後に猛烈なる運動を開始した。此爪が、黒髪の根を一本|毎《ごと》に押し分けて、不毛の境《きやう》を巨人の熊手が疾風の速度で通る如くに徃來する。余が頭に何十萬本の髪の毛が生《は》えて居るか知らんが、ありとある毛が悉《こと/”\》く根こぎにされて、殘る地面がべた一面に蚯蚓腫《めゝずばれ》にふくれ上つた上、餘勢が地磐《ぢばん》を通して、骨から腦味噌《なうみそ》迄|震盪《しんたう》を感じた位烈しく、親方は余の頭を掻き廻はした。
 「どうです、好い心持でせう」
 「非常な辣腕《らつわん》だ」
 「え? かうやると誰でも薩張《さつぱ》りするからね」
 「首が拔けさうだよ」
 「そんなに倦怠《けつたる》うがすかい。全く陽氣の加減だね。どうも春てえ奴あ、やに身體《からだ》がなまけやがつて――まあ一ぷく御上がんなさい。一人で志保田に居ちや、退屈でせう。ちと話しに御出《おいで》なせえ。どうも江戸つ子は江戸つ子同志でなくつちや、話しが合はねえものだから。何ですかい、矢つ張りあの御孃さんが、御愛想に出てきますかい。どうも薩《さつ》ぱし、見境《みさけえ》のねえ女だから困つちまはあ」
 「御孃さんが、どうとか、爲《し》た所で頭垢《ふけ》が飛んで、首が拔けさうになつたつけ」
 「違《ちげえ》ねえ、がんがらがんだから、殼切《からつきし》、話に締りがねえつたらねえ。――そこで其坊主が逆《のぼ》せちまつて……」
 「其坊主たあ、どの坊主だい」
 「觀海寺《くわんかいじ》の納所坊主《なつしよばうず》がさ……」
 「納所《なつしよ》にも住持《ぢゆうぢ》にも、坊主はまだ一人も出て來ないんだ」
 「さうか、急勝《せつかち》だから、いけねえ。苦味走《にがんばし》つた、色の出來さうな坊主だつたが、そいつが御前さん、レコに參つちまつて、とう/\文《ふみ》をつけたんだ。――おや待てよ。口説《くどい》たんだつけかな。いんにや文《ふみ》だ。文《ふみ》に違《ちげ》えねえ。すると――かうつと――何だか、行《い》きさつが少し變だぜ。うん、さうか、矢つ張りさうか。するてえと奴さん、驚ろいちまつてからに……」
 「誰が驚ろいたんだい」
 「女がさ」
 「女が文《ふみ》を受け取つて驚ろいたんだね」
 「所が驚ろく樣な女なら、特勝《しを》らしいんだが、驚ろくどころぢやねえ」
 「ぢや誰が驚ろいたんだい」
 「口説《くどい》た方がさ」
 「口説《くどか》ないのぢやないか」
 「えゝ、焦心《じれつ》てえ。間違つてらあ。文《ふみ》をもらつてさ」
 「それぢや矢つ張り女だらう」
 「なあに男がさ」
 「男なら、其坊主だらう」
 「えゝ、其坊主がさ」
 「坊主がどうして驚ろいたのかい」
 「どうしてつて、本堂で和尚さんと御經を上げてると、突然《いきなり》あの女が飛び込んで來て――ウフゝゝゝ。どうしても狂印《きじるし》だね」
 「どうかしたのかい」
 「そんなに可愛《かはい》いなら、佛樣の前で、一所に寐ようつて、出し拔けに、泰安《たいあん》さんの頸《くび》つ玉《たま》へかぢりついたんでさあ」
 「へえゝ」
 「面喰つたなあ、泰安さ。氣狂《きちげえ》に文《ふみ》をつけて、飛んだ耻を掻かせられて、とう/\、其晩こつそり姿を隱《かく》して死んぢまつて……」
 「死んだ?」
 「死んだらうと思ふのさ。生きちや居《ゐ》られめえ」
 「何とも云へない」
 「さうさ、相手が氣狂《きちげえ》ぢや、死んだつて冴《さ》えねえから、ことによると生きてるかも知れねえね」
 「中々面白い話だ」
 「面白いの、面白くないのつて、村中《むらぢゆう》大笑ひでさあ。所が當人|丈《だけ》は、根が氣が違つてるんだから、洒?々々《しやあ/\》して平氣なもんで――なあに旦那の樣に確然《しつかり》してゐりや大丈夫ですがね、相手が相手だから、滅多にからかつたり何《なん》かすると、大變な目に逢ひますよ」
 「ちつと氣をつけるかね。はゝゝゝゝ」
 生温《なまぬる》い磯《いそ》から、鹽氣のある春風《はるかぜ》がふわり/\と來て、親方の暖簾《のれん》を眠《ねむ》たさうに煽《あふ》る。身を斜《はす》にして其下をくゞり拔ける燕の姿が、ひらりと、鏡の裡《うち》に落ちて行く。向ふの家《うち》では六十|許《ばか》りの爺さんが、軒下に蹲踞《うづく》まり乍ら、だまつて貝をむいて居る。かちやりと、小刀があたる度に、赤い味《み》が笊《ざる》のなかに隱れる。殼《から》はきらりと光りを放つて、二尺あまりの陽炎《かげろふ》を向《むかふ》へ横切る。丘の如くに堆《うづた》かく、積み上げられた、貝殼《かひがら》は牡蠣《かき》か、馬鹿《ばか》か、馬刀貝《まてがひ》か。崩れた、幾分は砂川《すながは》の底に落ちて、浮世の表から、暗《く》らい國へ葬られる。葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。爺さんは貝の行末《ゆくへ》を考ふる暇さへなく、唯空しき殼を陽炎《かげろふ》の上へ放《はふ》り出す。彼《か》れの笊《ざる》には支ふべき底なくして、彼《か》れの春の日は無盡藏に長閑《のど》かと見える。
 砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、濱の方へ春の水をそゝぐ。春の水が春の海と出合ふあたりには、參差《しんし》として幾尋の干網が、網の目を拔けて村へ吹く軟風に、腥《なまぐさ》き微温《ぬくもり》を與へつゝあるかと怪しまれる。その間から、鈍刀《どんたう》を溶《と》かして、氣長にのたくらせた樣に見えるのが海の色だ。
 此景色と此親方とは到底調和しない。もし此親方の人格が強烈で四邊《しへん》の風光と拮抗する程の影響を余の頭腦に與へたならば、余は兩者の間に立つて頗る圓?方鑿《ゑんぜいはうさく》の感に打たれただろう。幸にして親方は左程《さほど》偉大な豪傑ではなかつた。いくら江戸つ子でも、どれ程たんかを切つても、此《この》渾然として駘蕩《たいたう》たる天地の大氣象には叶《かな》はない。滿腹の饒舌《ねうぜつ》を弄して、あく迄此調子を破らうとする親方は、早く一微塵《いちみぢん》となつて、怡々《いゝ》たる春光《しゆんくわう》の裏《うち》に浮遊して居る。矛盾とは、力に於て、量に於て、若くは意氣體?に於て氷炭相容《ひようたんあひい》るゝ能はずして、しかも同程度に位する物|若《も》しくは人の間に在つて始めて、見出し得べき現象である。兩者の間隔が甚だしく懸絶するときは、此矛盾は漸く?盡?磨《しじんろうま》して、却つて大勢力の一部となつて活動するに至るかも知れぬ。大人《たいじん》の手足《しゆそく》となつて才子が活動し、才子の股肱《ここう》となつて昧者《まいしや》が活動し、昧者《まいしや》の心腹《しんぷく》となつて牛馬が活動し得るのは是が爲めである。今わが親方は限りなき春の景色を背景として、一種の滑稽を演じてゐる。長閑《のどか》な春の感じを壞《こは》すべき筈の彼は、却つて長閑な春の感じを刻意に添へつゝある。余は思はず彌生《やよひ》半《なか》ばに呑氣な彌次と近づきになつた樣な氣持ちになつた。此|極《きは》めて安價なる氣?家は、太平の象を具したる春の日に尤も調和せる一彩色である。
 かう考へると、此親方も中々|畫《ゑ》にも、詩にもなる男だから、とうに歸るべき所を、わざと尻を据ゑて四方八方《よもやま》の話をして居た。所へ暖簾《のれん》を滑つて小さな坊主頭が
 「御免、一つ剃《そ》つて貰はうか」
と這入《はい》つて來る。白木綿の着物に同じ丸絎《まるぐけ》の帶をしめて、上から蚊帳の樣に粗《あら》い法衣《ころも》を羽織つて、頗る氣樂に見える小坊主であつた。
 「了念《れうねん》さん。どうだい、此間《こなひだ》あ道草あ、食つて、和尚さんに叱られたらう」
 「いんにや、褒められた」
 「使に出て、途中で魚《さかな》なんか、とつて居て、了念《れうねん》は感心だつて、褒められたのかい」
 「若いに似ず了念は、よく遊んで來て感心ぢや云ふて、老師が褒められたのよ」
 「道理《どうれ》で頭に瘤《こぶ》が出來てらあ。そんな不作法な頭あ、剃《す》るなあ骨が折れていけねえ。今日は勘辨するから、此次から、捏《こ》ね直して來ねえ」
 「捏《こ》ね直す位なら、ますこし上手な床屋へ行きます」
 「はゝゝゝ頭は凹凸《ぼこでこ》だが、口|丈《だけ》は達者なもんだ」
 「腕は鈍いが、酒|丈《だけ》強いのは御前だろ」
 「箆棒《べらぼう》め、腕が鈍いつて……」
 「わしが云ふたのぢやない。老師が云はれたのぢや。さう怒るまい。年甲斐《としがひ》もない」
 「ヘン、面白くもねえ。――ねえ、旦那」
 「えゝ?」
 「全體《ぜんてえ》坊主なんてえものは、高い石段の上に住んでやがつて、屈托《くつたく》がねえから、自然に口が達者になる譯ですかね。こんな小坊主迄中々口幅つてえ事を云ひますぜ――おつと、もう少し頭《どたま》を寐かして――寐かすんだてえのに、――言ふ事を聽かなけりや、切るよ、いゝか、血が出るぜ」
 「痛いがな。さう無茶をしては」
 「此位な辛抱が出來なくつて坊主になれるもんか」
 「坊主にはもうなつとるがな」
 「まだ一人前《いちにんめえ》ぢやねえ。――時にあの泰安さんは、どうして死んだつけな、御小僧さん」
 「泰安さんは死にはせんがな」
 「死なねえ? はてな。死んだ筈だが」
 「泰安さんは、その後《のち》發憤して、陸前《りくぜん》の大梅寺《だいばいじ》へ行つて、修行三昧《しゆぎやうざんまい》ぢや。今に智識《ちしき》になられやう。結構な事よ」
 「何が結構だい。いくら坊主だつて、夜逃をして結構な法はあるめえ。御前《おめえ》なんざ、よく氣をつけなくつちやいけねえぜ。とかく、しくぢるなあ女だから――女つてえば、あの狂印《きじるし》は矢つ張り和尚さんの所へ行くかい」
 「狂印《きじるし》と云ふ女は聞いた事がない」
 「通じねえ、味噌擂《みそすり》だ。行くのか、行かねえのか」
 「狂印《きじるし》は來んが、志保田の娘さんなら來る」
 「いくら、和尚さんの御祈?でもあれ許《ばか》りや、癒るめえ。全く先《せん》の旦那が祟《たゝ》つてるんだ」
 「あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒めて居られる」
 「石段をあがると、何でも逆樣《さかさま》だから叶《かな》はねえ。和尚さんが、何て云つたつて、氣狂《きちげえ》は氣狂《きちげえ》だらう。――さあ剃《す》れたよ。早く行つて和尚さんに叱られて來ねえ」
 「いやもう少し遊んで行つて賞《ほ》められやう」
 「勝手にしろ、口の減《へ》らねえ餓鬼《がき》だ」
 「咄《とつ》この乾屎?《かんしけつ》」
 「何だと?」
 青い頭は既に暖簾《のれん》をくゞつて、春風《しゆんぷう》に吹かれて居る。
 
     六
 
 夕暮の机に向ふ。障子も襖《ふすま》も開《あ》け放《はな》つ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に廣い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞《ふるま》ふ境《きやう》を、幾曲《いくまがり》の廊下に隔てたれば、物の音さへ思索の煩《わずらひ》にはならぬ。今日は一層《ひとしほ》靜かである。主人も、娘も、下女も下男も、知らぬ間《ま》に、われを殘して、立ち退《の》いたかと思はれる。立ち退いたとすれば唯の所へ立ち退きはせぬ。霞の國か、雲の國かであらう。或は雲と水が自然に近付いて、舵《かぢ》をとるさへ懶《ものう》き海の上を、いつ流れたとも心づかぬ間《ま》に、白い帆が雲とも水とも見分け難き境《さかひ》に漂《たゞよ》ひ來て、果《は》ては帆みづからが、いづこに己《おの》れを雲と水より差別すべきかを苦しむあたりへ――そんな遙かな所へ立ち退《の》いたと思はれる。夫《それ》でなければ卒然と春のなかに消え失せて、是迄の四大《しだい》が、今頃は目に見えぬ靈氛《れいふん》となつて、廣い天地の間に、顕微鏡の力を藉《か》るとも、些《さ》の名殘《なごり》を留《とゞ》めぬ樣になつたのであらう。或は雲雀《ひばり》に化して、菜の花の黄《き》を鳴き盡したる後《のち》、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行つたかも知れぬ。又は永き日を、かつ永くする虻《あぶ》のつとめを果したる後、蕋《ずゐ》に凝る甘き露を吸ひ損《そこ》ねて、落椿の下に、伏せられ乍ら、世を香《かん》ばしく眠つて居るかも知れぬ。とにかく靜かなものだ。
 空しき家を、空しく拔ける春風《はるかぜ》の、拔けて行くは迎へる人への義理でもない。拒《こば》むものへの面當《つらあて》でもない。自《おのづ》から來《きた》りて、自《おのづ》から去る、公平なる宇宙の意《こゝろ》である。掌《たなごゝろ》に顎《あご》を支《さゝ》へたる余の心も、わが住む部屋の如く空しければ、春風《はるかぜ》は招かぬに、遠慮もなく行き拔けるであらう。
 踏むは地と思へばこそ、裂けはせぬかとの氣遣《きづかひ》も起《おこ》る。戴《いたゞ》くは天と知る故に、稻妻《いなづま》の米?《こめかみ》に震ふ怖《おそれ》も出來る。人と爭《あらそ》はねば一分《いちぶん》が立たぬと浮世が催促するから、火宅《くわたく》の苦《く》は免かれぬ。東西のある乾坤《けんこん》に住んで、利害の綱を渡らねばならぬ身には、事實の戀は讎《あだ》である。目に見る富は土である。握る名と奪へる誉《ほまれ》とは、小賢《こざ》かしき蜂が甘く醸《かも》すと見せて、針を棄て去る蜜の如きものであらう。所謂|樂《たのしみ》は物に着《ちやく》するより起《おこ》るが故に、あらゆる苦しみを含む。但《たゞ》詩人と畫客《ぐわかく》なるものあつて、飽くまで此|待對世界《たいたいせかい》の精華を嚼《か》んで、徹骨徹髓《てつこつてつずゐ》の清きを知る。霞を餐《さん》し、露を嚥《の》み、紫《し》を品《ひん》し、紅《こう》を評《ひやう》して、死に至つて悔いぬ。彼等の樂《たのしみ》は物に着《ちやく》するのではない。同化して其物になるのである。其物になり濟ました時に、我を樹立すべき餘地は茫々たる大地を極《きは》めても見出《みいだ》し得ぬ。自在《じざい》に泥團《でいだん》を放下《はうげ》して、破笠裏《はりつり》に無限《むげん》の青嵐《せいらん》を盛《も》る。いたづらに此境遇を拈出《ねんしゆつ》するのは、敢て市井の銅臭兒《どうしうじ》を鬼嚇《きかく》して、好んで高く標置《へうち》するが爲めではない。只|這裏《しやり》の福音《ふくいん》を述べて、縁ある衆生《しゆじやう》を麾《さしまね》くのみである。有體《ありてい》に云へば詩境と云ひ、畫界と云ふも皆|人々具足《にん/\ぐそく》の道である。春秋《しゆんじう》に指を折り盡して、白頭《はくとう》に呻吟《しんぎん》するの徒《と》と雖も、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に點檢し來るとき、甞《かつ》ては微光の臭骸《しうがい》に洩《も》れて、吾を忘れし、拍手《はくしゆ》の興《きよう》を喚《よ》び起す事が出來やう。出來ぬと云はゞ生甲斐のない男である。
 去《さ》れど一事《いちじ》に即《そく》し、一物《いちぶつ》に化《くわ》するのみが詩人の感興とは云はぬ。ある時は一瓣《いちべん》の花に化し、あるときは一双《いつさう》の蝶に化し、あるはウオーヅウオースの如く、一團の水仙に化して、心を澤風《たくふう》の裏《うち》に撩亂《れうらん》せしむる事もあらうが、何《なん》とも知れぬ四邊《しへん》の風光にわが心を奪はれて、わが心を奪へるは那物《なにもの》ぞとも明瞭に意識せぬ場合がある。ある人は天地の耿氣《かうき》に觸るゝと云ふだらう。ある人は無絃の琴《きん》を靈臺《れいだい》に聽くと云ふだらう。又ある人は知りがたく、解しがたき故に無限の域に??《せんくわい》して、縹緲《へうべう》のちまたに彷徨《はうくわう》すると形容するかも知れぬ。何《なん》と云ふも皆《みな》其人の自由である。わが、唐木《からき》の机に憑《よ》りてぽかんとした心裡の?態は正にこれである。
 余は明《あきら》かに何事をも考へて居らぬ。又は慥《たし》かに何物をも見て居らぬ。わが意識の舞臺に著《いちじ》るしき色彩を以て動くものがないから、われは如何なる事物に同化したとも云へぬ。去《さ》れども吾は動いて居る。世の中に動いても居らぬ、世の外《そと》にも動いて居らぬ。只|何《なん》となく動いて居る。花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に對して動くにもあらず、只|恍惚《くわうこつ》と動いて居る。
 強ひて説明せよと云はるゝならば、余が心は只春と共に動いて居ると云ひたい。あらゆる春の色、春の風、春の物、春の聲を打つて、固《かた》めて、仙丹《せんたん》に練り上げて、それを蓬莱《ほうらい》の靈液《れいえき》に溶《と》いて、桃源の日で蒸發せしめた精氣が、知らぬ間《ま》に毛孔《けあな》から染《し》み込んで、心が知覺せぬうちに飽和《はうわ》されて仕舞つたと云ひたい。普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であらう。余の同化には、何と同化したか不分明《ふぶんみやう》であるから、毫も刺激がない。刺激がないから、窈然《えうぜん》として名?しがたい樂《たのしみ》がある。風に揉《も》まれて上《うは》の空なる波を起す、輕薄で騷々《さう/”\》しい趣《おもむき》とは違ふ。目に見えぬ幾尋の底を、大陸から大陸迄動いてゐる?洋《くわうやう》たる蒼海の有樣と形容する事が出來る。只|夫《それ》程《ほど》に活力がない許《ばか》りだ。然しそこに反つて幸福がある。偉大なる活力の發現は、此活力がいつか盡き果てるだらうとの懸念《けねん》が籠《こも》る。常の姿にはさう云ふ心配は伴はぬ。常よりは淡きわが心の、今の?態には、わが烈しき力の銷磨《せうま》しはせぬかとの憂《うれひ》を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却して居る。淡しとは單に捕《とら》へ難しと云ふ意味で、弱きに過ぎる虞《おそれ》を含んでは居らぬ。冲融《ちゆうゆう》とか澹蕩《たんたう》とか云ふ詩人の語は尤も此|境《きやう》を切實に言ひ了《おほ》せたものだらう。
 此|境界《きやうがい》を畫《ゑ》にして見たらどうだらうと考へた。然し普通の畫《ゑ》にはならないに極《きま》つてゐる。われらが俗に畫《ゑ》と稱するものは、只|眼前《がんぜん》の人事風光を有の儘なる姿として、若《もし》くは之をわが審美眼に漉過《ろくくわ》して、繪絹《ゑぎぬ》の上に移したものに過ぎぬ。花が花と見え、水が水と映り、人物が人物として活動すれば、畫《ゑ》の能事《のうじ》は終つたものと考へられて居る。もし此上に一頭地《いつとうち》を拔けば、わが感じたる物象を、わが感じたる儘の趣《おもむき》を添へて、畫布の上に淋漓《りんり》として生動《せいどう》させる。ある特別の感興を、己が捕へたる森羅《しんら》の裡《うち》に寓するのが此種の技術家の主意であるから、彼等の見たる物象觀が明瞭に筆端に迸《ほとば》しつて居らねば、畫《ゑ》を製作したとは云はぬ。己《おの》れはし/”\かの事を、しか/”\に觀《み》、しか/”\に感じたり、その觀方も感じ方も、前人《ぜんじん》の籬下《りか》に立ちて、古來の傳説に支配せられたるにあらず、しかも尤も正しくして、尤も美くしきものなりとの主張を示す作品にあらざれば、わが作と云ふを敢てせぬ。
 此二種の製作家に主客《しゆかく》深淺の區別はあるかも知れぬが、明瞭なる外界の刺激を待つて、始めて手を下すのは双方共同一である。去れど今、わが描かんとする題目は、左程《さほど》に分明《ぶんみやう》なものではない。あらん限りの感覺を鼓舞して、之を心外に物色した所で、方圓の形、紅緑《こうろく》の色は無論、濃淡の陰、洪繊《こうせん》の線《すぢ》を見出しかねる。わが感じは外《そと》から來たのではない、たとひ來たとしても、わが視界に横《よこた》はる、一定の景物でないから、是が源因《げんいん》だと指を擧《あ》げて明らかに人に示す譯に行かぬ。あるものは只|心持《こゝろも》ちである。此|心持《こゝろも》ちを、どうあらはしたら畫《ゑ》になるだらう――否《いや》此|心持《こゝろも》ちを如何なる具體を藉《か》りて、人の合點する樣に髣髴《はうふつ》せしめ得るかゞ問題である。
 普通の畫《ゑ》は感じはなくても物さへあれば出來る。第二の畫《ゑ》は物と感じと兩立すればできる。第三に至つては存するものは只心持ち丈《だけ》であるから、畫《ゑ》にするには是非共此心持ちに恰好なる對象を擇ばなければならん。然るに此對象は容易に出て來ない。出て來ても容易に纒《まとま》らない。纒《まとま》つても自然界に存《そん》するものとは丸《まる》で趣《おもむき》を異《こと》にする場合がある。從つて普通の人から見れば畫《ゑ》とは受け取れない。描《ゑが》いた當人も自然界の局部が再現したものとは認めて居らん、只感興の上《さ》した刻下の心持ちを幾分でも傳へて、多少の生命を??《しやうきやう》しがたきムードに與ふれば大成功と心得て居る。古來から此難事業に全然の績《いさをし》を収め得たる畫工があるかないか知らぬ。ある點迄此|流派《りうは》に指を染め得たるものを擧ぐれば、文與可《ぶんよか》の竹である。雲谷《うんこく》門下の山水である。下つて大雅堂《たいがだう》の景色《けいしよく》である。蕪村《ぶそん》の人物である。泰西《たいせい》の畫家に至つては、多く眼を具象世界《ぐしやうせかい》に馳《は》せて、神徃《しんわう》の氣韻《きゐん》に傾倒せぬ者が大多數を占めて居るから、此種の筆墨に物外《ぶつぐわい》の神韻《しんゐん》を傳へ得るものは果《はた》して幾人あるか知らぬ。
 惜しい事に雪舟《せつしう》、蕪村らの力《つと》めて描出《べうしゆつ》した一種の氣韻《きゐん》は、あまりに單純で且つあまりに變化に乏しい。筆力の點から云へば到底此等の大家に及ぶ譯はないが、今わが畫《ゑ》にして見やうと思ふ心持ちはもう少し複雜である。複雜である丈《だけ》にどうも一枚のなかへは感じが収まりかねる。頬杖をやめて、兩腕を机の上に組んで考へたが矢張り出て來ない。色、形、調子が出來て、自分の心が、あゝ此所に居たなと、忽ち自己を認識する樣にかゝなければならない。生き別れをした吾子《わがこ》を尋ね當てる爲め、六十餘州を回國《くわいこく》して、寐ても寤《さ》めても、忘れる間《ま》がなかつたある日、十字街頭に不圖《ふと》邂逅《かいこう》して、稻妻の遮《さへ》ぎるひまもなきうちに、あつ、此所に居た、と思ふ樣にかゝなければならない。それが六《む》づかしい。此調子さへ出れば、人が見て何と云つても構はない。畫《ゑ》でないと罵られても恨《うらみ》はない。苟《いやしく》も色の配合が此心持ちの一部を代表して、線の曲直《きよくちよく》が此氣合の幾分《いくぶん》を表現して、全體の配置が此|風韻《ふうゐん》のどれ程かを傳へるならば、形にあらはれたものは、牛であれ馬であれ、乃至《ないし》は牛でも馬でも、何でもないものであれ、厭《いと》はない。厭《いと》はないがどうも出來ない。寫生帖を机の上へ置いて、兩眼が帖《でふ》のなかへ落ち込む迄、工夫したが、とても物にならん。
 鉛筆を置いて考へた。こんな抽象的《ちうしやうてき》な興趣を畫《ゑ》にしやうとするのが、抑《そもそ》もの間違である。人間にさう變りはないから、多くの人のうちには屹度《きつと》自分と同じ感興に觸れたものがあつて、此感興を何等の手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすれば其手段は何だらう。
 忽ち音樂〔二字傍点〕の二字がぴかりと眼に映つた。成程音樂は斯《かゝ》る時、斯《かゝ》る必要に逼《せま》られて生まれた自然の聲であらう。樂《がく》は聽くべきもの、習ふべきものであると、始めて氣が付いたが、不幸にして、その邊《へん》の消息は丸《まる》で不案内である。
 次に詩にはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。レツシングと云ふ男は、時間の經過を條件として起《おこ》る出來事を、詩の本領である如く論じて、詩畫は不一にして兩樣なりとの根本義を立てた樣に記憶するが、さう詩を見ると、今余の發表しやうとあせつて居る境界も到底物になりさうにない。余が嬉しいと感ずる心裏の?況には、時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿ふて、遞次《ていじ》に展開すべき出來事の内容がない。一が去り、二が來《きた》り、二が消えて三が生まるゝが爲めに嬉しいのではない。初から窈然《えうぜん》として同所《どうしよ》に把住《はぢゆう》する趣《おもむ》きで嬉しいのである。既に同所《どうしよ》に把住《はぢゆう》する以上は、よし之を普通の言語に飜譯した所で、必ずしも時間間に材料を按排《あんばい》する必要はあるまい。矢張り繪畫と同じく空間的《くうかんてき》に景物を配置したのみで出來るだらう。只如何なる景情《けいじやう》を詩中に持ち來《きた》つて、此|曠然《くわうぜん》として倚托《いたく》なき有樣を寫すかゞ問題で、既に之を捕《とら》へ得た以上はレツシングの説に從はんでも詩として成功する譯だ。ホーマーがどうでも、?ージルがどうでも構はない。もし詩が一種のムードをあらはすに適して居るとすれば、此ムードは時間の制限を受けて、順次に進捗する出來事の助けを藉《か》らずとも、單純に空間的なる繪畫上の要件を充たしさへすれば、言語を以て描《ゑが》き得るものと思ふ。
 議論はどうでもよい。ラオコーン抔《など》は大概忘れて居るのだから、よく調べたら、此方《こつち》が怪しくなるかも知れない。兎に角、畫《ゑ》にしそくなつたから、一つ詩にして見《み》樣《やう》、と寫生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶつて見た。しばらくは、筆の先の尖がつた所を、どうにか運動させたい許《ばか》りで、毫も運動させる譯に行かなかつた。急に朋友の名を失念して、咽喉《のど》迄出かゝつて居るのに、出てくれない樣な氣がする。そこで諦《あきら》めると、出損《でそく》なつた名は、遂に腹の底へ収まつて仕舞ふ。
 葛湯《くずゆ》を練るとき、最初のうちは、さら/\して、箸に手應《てごたへ》がないものだ。そこを辛抱《しんばう》すると、漸く粘着《ねばり》が出て、攪《か》き淆《ま》ぜる手が少し重くなる。それでも構はず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。仕舞には鍋の中の葛《くず》が、求めぬに、先方から、爭つて箸に附着してくる。詩を作るのは正に是だ。
 手掛《てがゝ》りのない鉛筆が少しづゝ動く樣になるのに勢を得て、彼是《かれこれ》二三十分したら、
  青春二三月。愁隨芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。?蛸掛不動。篆烟繞竹梁。
と云ふ六句|丈《だけ》出來た。讀み返して見ると、みな畫《ゑ》になりさうな句|許《ばか》りである。是なら始めから、畫《ゑ》にすればよかつたと思ふ。なぜ畫《ゑ》よりも詩の方が作り易かつたかと思ふ。こゝ迄出たら、あとは大した苦もなく出さうだ。然し畫《ゑ》に出來ない情《じやう》を、次には咏《うた》つて見たい。あれか、これかと思ひ煩《わづら》つた末とう/\、
  獨坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。會得一日靜。正知百年忙。遐懷寄何處。緬?白雲郷。
と出來た。もう一返《いつぺん》最初から讀み直して見ると、一寸面白く讀まれるが、どうも、自分が今しがた入《はい》つた神境を寫したものとすると、索然《さくぜん》として物足りない。序《つい》でだから、もう一首作つて見やうかと、鉛筆を握つた儘、何の氣もなしに、入口の方を見ると、襖《ふすま》を引いて、開《あ》け放《はな》つた幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通つた。はてな。
 余が眼を轉じて、入口を見たときは、奇麗なものが、既に引き開《あ》けた襖《ふすま》の影に半分かくれかけて居た。しかも其姿は余が見ぬ前から、動いて居たものらしく、はつと思ふ間《ま》に通り越した。余は詩をすてゝ入口を見守る。
 一分と立たぬ間《ま》に、影は反對の方から、逆にあらはれて來た。振袖姿《ふりそですがた》のすらりとした女が、音もせず、向ふ二階の椽側《えんがは》を寂然《じやくねん》として歩行《あるい》て行く。余は覺えず鉛筆を落して、鼻から吸ひかけた息をぴたりと留めた。
 花曇《はなぐも》りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干に、しとやかに行き、しとやかに歸る振袖の影は、余が座敷から六|間《けん》の中庭《なかには》を隔てゝ、重き空氣のなかに蕭寥《せうれう》と見えつ、隱れつする。
 女はもとより口も聞かぬ。傍目《わきめ》も觸らぬ。椽《えん》に引く裾の音さへおのが耳に入らぬ位《くらゐ》靜かに歩行《ある》いて居る。腰から下にぱつと色づく、裾模樣《すそもやう》は何を染め拔いたものか、遠くて解《わ》からぬ。只|無地《むぢ》と模樣のつながる中が、おのづから暈《ぼか》されて、夜《よる》と晝との境の如き心地《こゝち》である。女は固《もと》より夜《よる》と晝との境をあるいて居る。
 此長い振袖を着て、長い廊下を何度《なんど》徃き何度《なんど》戻る氣か、余には解からぬ。いつ頃から此不思議な裝《よそほひ》をして、此不思議な歩行《あゆみ》をつゞけつゝあるかも、余には解らぬ。其主意に至つては固《もと》より解らぬ。固《もと》より解るべき筈ならぬ事を、かく迄も端正に、かく迄も靜肅に、かく迄も度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらはれては消え、消えてはあらはるゝ時の余の感じは一種異樣である。逝《ゆ》く春の恨《うらみ》を訴ふる所作《しよさ》ならば何が故にかくは無頓着なる。無頓着なる所作《しよさ》ならば何が故にかくは綺羅《きら》を飾れる。
 暮れんとする春の色の、嬋媛《せんゑん》として、暫くは冥?《めいばく》の戸口をまぼろしに彩《いろ》どる中に、眼も醒むる程の帶地《おびぢ》は金襴《きんらん》か。あざやかなる織物は徃きつ、戻りつ蒼然たる夕べのなかにつゝまれて、幽闃《いうげき》のあなた、遼遠《れうゑん》のかしこへ一分|毎《ごと》に消えて去る。燦《きら》めき渡る春の星の、曉《あかつき》近くに、紫深き空の底に陷《おち》いる趣《おもむき》である。
 太玄《たいげん》の?《もん》おのづから開《ひら》けて、此華やかなる姿を、幽冥《いうめい》の府《ふ》に吸ひ込まんとするとき、余はかう感じた。金屏《きんびやう》を背に、銀燭《ぎんしよく》を前に、春の宵の一刻を千金と、さゞめき暮らしてこそ然るべき此|裝《よそほひ》の、厭《いと》ふ景色《けしき》もなく、爭ふ樣子も見えず、色相世界《しきさうせかい》から薄れて行くのは、ある點に於て超自然の情景である。刻々と逼る黒き影を、すかして見ると女は肅然として、焦《せ》きもせず、狼狽《うろたへ》もせず、同じ程の歩調を以て、同じ所を徘徊して居るらしい。身に落ちかゝる災《わざはひ》を知らぬとすれば無邪氣の極《きはみ》である。知つて、災《わざはひ》と思はぬならば物凄い。黒い所が本來の住居《すまひ》で、しばらくの幻影《まぼろし》を、元の儘なる冥漠《めいばく》の裏《うち》に収めればこそ、かやうに?《かんせい》の態度で、有《う》と無《む》の間《あひだ》に逍遙《せうえう》して居るのだらう。女のつけた振袖に、紛《ふん》たる模樣の盡きて、是非もなき磨墨《するすみ》に流れ込むあたりに、おのが身の素性をほのめかして居る。
 またかう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りに就いて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覺《うつゝ》の儘で、此世の呼吸《いき》を引き取るときに、枕元に病《やまひ》を護るわれらの心は嘸《さぞ》つらいだらう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐のない本人は固《もと》より、傍《はた》に見て居る親しい人も殺すが慈悲と諦《あき》らめられるかも知れない。然しすや/\と寐入る兒に死ぬべき何の科《とが》があらう。眠りながら冥府《よみ》に連れて行かれるのは、死ぬ覺悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を果《はた》すと同樣である。どうせ殺すものなら、とても逃《のが》れぬ定業《ぢやうごふ》と得心もさせ、斷念もして、念佛を唱へたい。死ぬべき條件が具はらぬ先に、死ぬる事實のみが、有り/\と、確かめらるゝときに、南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》と回向《ゑかう》をする聲が出る位なら、其聲でおうい/\と、半《なか》ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。假《か》りの眠りから、いつの間《ま》とも心付かぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかゝつた煩惱《ぼんなう》の綱を無暗《むやみ》に引かるゝ樣で苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んで呉れるな、穩《おだや》かに寐かして呉れと思ふかも知れぬ。それでも、われ/\は呼び返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらはれたなら、呼びかけて、うつゝの裡《うち》から救つてやらうかと思つた。然し夢の樣に、三尺の幅を、すうと拔ける影を見るや否や、何だか口が聽《き》けなくなる。今度はと心を定めて居るうちに、すうと苦もなく通つて仕舞ふ。なぜ何とも云へぬかと考ふる途端に、女は又通る。こちらに窺《うかゞ》ふ人があつて、其人が自分の爲にどれ程やきもき思ふて居るか、微塵《みぢん》も氣に掛からぬ有樣で通る。面倒にも氣の毒にも、初手《しよて》から、余の如きものに、氣をかねて居らぬ有樣で通る。今度は/\と思ふて居るうちに、こらへかねた、雲の層が、持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、蕭々《せう/\》と封じ了《をは》る。
 
     七
 
 寒い。手拭を下げて、湯壺へ下《くだ》る。
 三疊へ着物を脱いで、段々を、四《よつ》つ下《お》りると、八疊程な風呂場へ出る。石に不自由せぬ國と見えて、下は御影《みかげ》で敷き詰めた、眞中を四尺ばかりの深さに堀《ほ》り拔いて、豆腐屋程な湯槽《ゆぶね》を据ゑる。槽《ふね》とは云ふものゝ矢張り石で疊《たゝ》んである。鑛泉と名のつく以上は、色々な成分を含んで居るのだらうが、色が純透明だから、入《はい》り心地《ごゝち》がよい。折々は口にさへふくんで見るが別段の味も臭もない。病氣にも利くさうだが、聞いて見ぬから、どんな病に利くのか知らぬ。固《もと》より別段の持病もないから、實用上の價値はかつて頭のなかに浮《うか》んだ事がない。只|這入《はい》る度に考へ出すのは、白樂天《はくらくてん》の温泉水滑洗凝脂《をんせんみづなめらかにしてぎようしをあらふ》と云ふ句|丈《だけ》である。温泉と云ふ名を聞けば必ず此句にあらはれた樣な愉快な氣持になる。又此氣持を出し得ぬ温泉は、温泉として全く價値がないと思つてる。此理想以外に温泉に就ての注文は丸《まる》でない。
 すぽりと浸《つ》かると、乳のあたり迄|這入《はい》る。湯はどこから湧いて出るか知らぬが、常でも槽《ふね》の縁《ふち》を奇麗に越して居る。春の石は乾《かわ》くひまなく濡れて、あたゝかに、踏む足の、心は穩《おだ》やかに嬉しい。降る雨は、夜の目を掠《かす》めて、ひそかに春を潤《うる》ほす程のしめやかさであるが、軒のしづくは、漸やく繁く、ぽたり、ぽたりと耳に聞える。立て籠《こ》められた湯氣は、床《ゆか》から天井を隈《くま》なく埋《うづ》めて、隙間《すきま》さへあれば、節穴の細きを厭《いと》はず洩《も》れ出《い》でんとする景色《けしき》である。
 秋の霧は冷やかに、たなびく靄《もや》は長閑《のどか》に、夕餉《ゆふげ》炊《た》く、人の烟は青く立つて、大いなる空に、わが果敢《はか》なき姿を托す。樣々の憐《あは》れはあるが、春の夜《よ》の温泉《でゆ》の曇り許《ばか》りは、浴《ゆあみ》するものゝ肌を、柔《やは》らかにつゝんで、古き世の男かと、われを疑はしむる。眼に寫るものゝ見えぬ程、濃くまつはりはせぬが、薄絹を一重《ひとへ》破れば、何の苦《く》もなく、下界の人と、己《おの》れを見出《みいだ》す樣に、淺きものではない。一重破り、二重破り、幾重を破り盡すとも此烟りから出す事はならぬ顔《がほ》に、四方よりわれ一人を、温《あたゝ》かき虹の中《うち》に埋《うづ》め去る。酒に醉ふと云ふ言葉はあるが、烟《けむ》りに醉ふと云ふ語句を耳にした事がない。あるとすれば、霧には無論使へぬ、霞には少し強過ぎる。只此|靄《もや》に、春宵《しゆんせう》の二字を冠したるとき、始めて妥當なるを覺える。
 余は湯槽《ゆぶね》のふちに仰向《あふむけ》の頭を支へて、透き徹る湯のなかの輕《かろ》き身體を、出來る丈《だけ》抵抗力なきあたりへ漂《たゞよ》はして見た。ふわり、/\と魂《たましひ》がくらげの樣に浮いて居る。世の中もこんな氣になれば樂《らく》なものだ。分別《ふんべつ》の錠前《ぢやうまへ》を開《あ》けて、執着《しふぢやく》の栓張《しんばり》をはづす。どうともせよと、湯泉《ゆ》のなかで、湯泉《ゆ》と同化して仕舞ふ。流れるもの程生きるに苦は入らぬ。流れるものゝなかに、魂《たましひ》迄流して居れば、基督《キリスト》の御弟子となつたより難有《ありがた》い。成程此調子で考へると、土左衛門《どざゑもん》は風流《ふうりう》である。スヰンバーンの何とか云ふ詩に、女が水の底で徃生して嬉しがつて居る感じを書いてあつたと思ふ。余が平生から苦にして居た、ミレーのオフエリヤも、かう觀察すると大分《だいぶ》美しくなる。何であんな不愉快な所を擇《えら》んだものかと今迄不審に思つて居たが、あれは矢張《やは》り畫《ゑ》になるのだ。水に浮《うか》んだ儘、或は水に沈んだ儘、或は沈んだり浮《うか》んだりした儘、只其儘の姿で苦《く》なしに流れる有樣は美的に相違ない。夫《それ》で兩岸に色々な草花をあしらつて、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちつい調和をとつたなら、屹度|畫《ゑ》になるに相違ない。然し流れて行く人の表情が、丸《まる》で平和では殆んど神話か比喩になつてしまふ。痙攣的《けいれんてき》な苦悶《くもん》は固《もと》より、全幅の精神をうち壞《こ》はすが、全然|色氣《いろけ》のない平氣な顔では人情が寫らない。どんな顔をかいたら成功するだらう。ミレーのオフエリヤは成功かも知れないが、彼《かれ》の精神は余と同じ所に存《そん》するか疑はしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門《どざゑもん》をかいて見たい。然し思ふ樣な顔はさう容易《たやす》く心に浮《うか》んで來さうもない。
 湯のなかに浮いた儘、今度は土左衛門《どざゑもん》の賛《さん》を作つて見る。
  雨が降つたら濡れるだろ。
  霜が下《お》りたら冷《つめ》たかろ。
  土のしたでは暗からう。
  浮かば波の上、
  沈まば波の底、
  春の水なら苦はなかろ。
と口のうちで小聲に誦《じゆ》しつゝ漫然《まんぜん》と浮いて居ると、何所かで彈く三味線の音《ね》が聞える。美術家だのにと云はれると恐縮するが、實の所、余が此樂器に於《おけ》る智識は頗る怪しいもので二が上《あ》がらうが、三が下《さ》がらうが、耳には餘り影響を受けた試しがない。しかし、靜かな春の夜に、雨さへ興を添へる、山里の湯壺の中で、魂《たましひ》迄春の温泉《でゆ》に浮かしながら、遠くの三味を無責任に聞くのは甚だ嬉しい。遠いから何を唄つて、何を彈いて居るか無論わからない。そこに何だか趣《おもむき》がある。音色《ねいろ》の落ち付いて居る所から察すると、上方《かみがた》の檢校《けんぎやう》さんの地唄《ぢうた》にでも聽かれさうな太棹《ふとざを》かとも思ふ。
 小供の時分、門前に萬屋《よろづや》と云ふ酒屋があつて、そこに御倉《おくら》さんと云ふ娘が居た。此御倉さんが、靜かな春の晝過ぎになると、必ず長唄の御浚《おさら》ひをする。御浚《おさらひ》が始まると、余は庭へ出る。茶畠の十坪餘りを前に控へて、三本の松が、客間の東側に並んで居る。此松は周《まは》り一尺もある大きな樹で、面白い事に、三本寄つて、始めて趣《おもむき》のある恰好《かつかう》を形つくつてゐた。小供心に此松を見ると好い心持になる。松の下に黒くさびた鐵燈籠《かなどうろう》が名の知れぬ赤石の上に、いつ見ても、わからず屋の頑固爺《かたくなぢゞい》の樣にかたく坐つて居る。余は此燈籠を見詰めるのが大好きであつた。燈籠の前後には、苔《こけ》深き地を抽《ぬ》いて、名も知らぬ春の草が、浮世の風を知らぬ顔《がほ》に、獨り匂ふて獨り樂《たの》しんで居る。余は此草のなかに、纔《わづ》かに膝を容《い》るゝの席を見出《みいだ》して、じつと、しやがむのが此時分の癖であつた。此三本の松の下に、此燈籠を睨《にら》めて、此草の香《か》を臭《か》いで、さうして御倉《おくら》さんの長唄を遠くから聞くのが、當時の日課であつた。
 御倉《おくら》さんはもう赤い手絡《てがら》の時代さへ通り越して、大分《だいぶん》と世帶《しよたい》じみた顔を、帳場へ曝《さら》してるだらう。聟《むこ》とは折合《をりあひ》がいゝか知らん。燕《つばくろ》は年々《ねん/\》歸つて來て、泥《どろ》を啣《ふく》んだ嘴《くちばし》を、いそがしげに働かしてゐるか知らん。燕《つばくろ》と酒の香《か》とはどうしても想像から切り離せない。
 三本の松は未《いま》だに好《い》い恰好で殘つて居るかしらん。鐵燈籠《かなどうろう》はもう壞れたに相違ない。春の草は、昔《むか》し、しやがんだ人を覺えて居るだらうか。その時ですら、口もきかずに過ぎたものを、今に見知らう筈がない。御倉《おくら》さんの旅の衣は鈴懸の〔七字傍点〕と云ふ、日毎《ひごと》の聲もよも聞き覺えがあるとは云ふまい。
 三味《しやみ》の音《ね》が思はぬパノラマを余の眼前《がんぜん》に展開するにつけ、余は床《ゆか》しい過去の面《ま》のあたりに立つて、二十年の昔に住む、頑是《ぐわんぜ》なき小僧と、成り濟ましたとき、突然風呂場の戸がさらりと開《あ》いた。
 誰か來たなと、身を浮かした儘、視線|丈《だけ》を入口《いりぐち》に注《そゝ》ぐ。湯槽の縁《ふち》の最も入口から、隔《へだ》たりたるに頭を乘せて居るから、槽《ふね》に下《くだ》る段々は、間《あひだ》二丈を隔てゝ斜《なゝ》めに余が眼に入る。然し見上げたる余の瞳にはまだ何物も映らぬ。しばらくは軒を遶《めぐ》る雨垂《あまだれ》の音のみが聞える。三味線はいつの間《ま》にか已《や》んで居た。
 やがて階段の上に何物かあらはれた。廣い風呂場を照《てら》すものは、只《たゞ》一つの小さき釣《つ》り洋燈《ランプ》のみであるから、此|隔《へだゝ》りでは澄切つた空氣を控へてさへ、確《しか》と物色《ぶつしよく》はむづかしい。况《ま》して立ち上がる湯氣の、濃《こまや》かなる雨に抑へられて、逃場《にげば》を失ひたる今宵《こよひ》の風呂に、立つを誰とは固《もと》より定めにくい。一段を下り、二段を踏んで、まともに、照らす灯影《ほかげ》を浴びたる時でなくては、男とも女とも聲は掛けられぬ。
 黒いものが一歩を下へ移した。踏む石は天鵞?《ビロウド》の如く柔《やはら》かと見えて、足音を証《しよう》に之を律《りつ》すれば、動かぬと評しても差支《さしつかへ》ない。が輪廓は少しく浮き上がる。余は畫工|丈《だけ》あつて人體の骨格に就ては、存外《ぞんぐわい》視覺が鋭敏である。何とも知れぬものゝ一段動いた時、余は女と二人、此風呂場の中に在る事を覺《さと》つた。
 注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考へる間に、女の影は遺憾なく、余が前に、早くもあらはれた。漲《みな》ぎり渡る湯烟《ゆけむ》りの、やはらかな光線を一|分子《ぶんし》毎《ごと》に含んで、薄紅《うすくれなゐ》の暖かに見える奧に、漾《たゞよ》はす黒髪を雲とながして、あらん限りの脊丈《せたけ》を、すらりと伸《の》した女の姿を見た時は、禮儀の、作法《さはふ》の、風紀《ふうき》のと云ふ感じは悉《こと/”\》く、わが腦裏を去つて、只ひたすらに、うつくしい畫題を見出《みいだ》し得たとのみ思つた。
 古代|希臘《ギリシヤ》の彫刻はいざ知らず、今世《きんせい》佛國《ふつこく》の畫家が命と頼む裸體畫《らたいぐわ》を見る度に、あまりに露骨《あからさま》な肉の美を、極端|迄《まで》描がき盡さうとする痕迹《こんせき》が、あり/\と見えるので、どことなく氣韻《きゐん》に乏《とぼ》しい心持が、今迄われを苦しめてならなかつた。然し其折々はたゞどことなく下品だと評する迄で、何故《なぜ》下品であるかゞ、解らぬ故、吾知らず、答へを得るに煩悶して今日《こんにち》に至つたのだらう。肉を蔽《おほ》へば、うつくしきものが隱《かく》れる。かくさねば卑《いや》しくなる。今の世の裸體畫と云ふは只かくさぬと云ふ卑しさに、技巧を留《とゞ》めて居らぬ。衣《ころも》を奪ひたる姿を、其儘に寫す丈《だけ》にては、物足らぬと見えて、飽く迄も裸體《はだか》を、衣冠の世に押し出さうとする。服をつけたるが、人間の常態なるを忘れて、赤裸《あかはだか》に凡《すべ》ての權能を附與せんと試みる。十分《じふぶん》で事足るべきを、十二分《じふにぶん》にも、十五分《じふごぶん》にも、どこ迄も進んで、只管《ひたすら》に、裸體であるぞと云ふ感じを強く描出《べうしゆつ》しやうとする。技巧が此極端に達したる時、人は其|觀者《くわんじや》を強《し》ふるを陋《ろう》とする。うつくしきものを、彌《いや》が上に、うつくしくせんと焦《あ》せるとき、うつくしきものは却《かへ》つて其|度《ど》を減ずるが例である。人事に就ても滿は損を招くとの諺《ことわざ》は是が爲めである。
 放心《はうしん》と無邪氣とは餘裕を示す。餘裕は畫《ゑ》に於《おい》て、詩に於《おい》て、もしくは文章に於《おい》て、必須《ひつすう》の條件である。今代藝術《きんだいげいじゆつ》の一大|弊竇《へいとう》は、所謂文明の潮流が、徒《いたづら》に藝術の士を驅つて、拘々《くゝ》として隨處に齷齪《あくそく》たらしむるにある。裸體畫は其|好例《かうれい》であらう。都會に藝妓《げいぎ》と云ふものがある。色を賣りて、人に媚《こ》びるを商賣にして居る。彼等は嫖客《へうかく》に對する時、わが容姿の如何に相手の瞳子《ひとみ》に映ずるかを顧慮するの外《ほか》、何らの表情をも發揮《はつき》し得ぬ。年々に見るサロンの目録は此藝妓に似たる裸體美人を以て充滿して居る。彼等は一秒時も、わが裸體なるを忘るゝ能《あた》はざるのみならず、全身の筋肉をむづゝかして、わが裸體なるを觀者に示さんと力《つと》めて居る。
 今余が面前に娉?《ひやうてい》と現はれたる姿には、一塵も此|俗埃《ぞくあい》の眼に遮ぎるものを帶びて居らぬ。常の人の纒へる衣裝《いしやう》を脱ぎ捨てたる樣《さま》と云へば既に人界《にんがい》に墮在《だざい》する。始めより着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる神代《かみよ》の姿を雲のなかに呼び起《おこ》したるが如く自然である。
 室を埋《うづ》むる湯烟は、埋めつくしたる後《あと》から、絶えず湧き上がる。春の夜《よ》の灯《ひ》を半透明に崩し擴げて、部屋一面の虹霓《にじ》の世界が濃《こまや》かに搖れるなかに、朦朧と、黒きかとも思はるゝ程の髪を暈《ぼか》して、眞白な姿が雲の底から次第に浮き上がつて來る。其輪廓を見よ。
 頸筋を輕《かろ》く内輪に、双方《さうはう》から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豐《ゆた》かに、丸く折れて、流るゝ末は五本の指と分《わか》れるのであらう。ふつくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、又|滑《なめ》らかに盛り返して下腹の張《は》りを安らかに見せる。張る勢《いきほひ》を後《うし》ろへ拔いて、勢《いきほひ》の盡くるあたりから、分れた肉が平衡を保つ爲めに少しく前に傾《かたむ》く。逆《ぎやく》に受くる膝頭《ひざがしら》のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵《かゝと》につく頃、平《ひら》たき足が、凡《すべ》ての葛藤《かつとう》を、二枚の蹠《あしのうら》に安々と始末する。世の中に是程《これほど》錯雜《さくざつ》した配合はない、是程《これほど》統一のある配合もない。是程自然で、是程|柔《やは》らかで、是程抵抗の少い、是程|苦《く》にならぬ輪廓は決して見出《みいだ》せぬ。
 しかも此姿は普通の裸體の如く露骨に、余が眼の前に突きつけられては居らぬ。凡《すべ》てのものを幽玄に化する一種の靈氛《れいふん》のなかに髣髴《はうふつ》として、十分《じふぶん》の美を奧床《おくゆか》しくもほのめかして居るに過ぎぬ。片鱗《へんりん》を?墨淋漓《はつぼくりんり》の間《あひだ》に點じて、?龍《きうりよう》の怪《くわい》を、楮毫《ちよがう》の外に想像せしむるが如く、藝術的に觀じて申し分のない、空氣と、あたゝかみと、冥?《めいばく》なる調子とを具へて居る。六々三十六|鱗《りん》を丁寧に描きたる龍《りゆう》の、滑稽《こつけい》に落つるが事實ならば、赤裸々《せきらゝ》の肉を淨洒々《じやうしや/\》に眺めぬうちに神徃の餘韻はある。余は此輪廓の眼に落ちた時、桂《かつら》の都《みやこ》を逃《のが》れた月界《げつかい》の嫦娥《じやうが》が、彩虹《にじ》の追手《おつて》に取り圍《かこ》まれて、しばらく躊躇《ちうちよ》する姿と眺めた。
 輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、折角の嫦娥《じやうが》が、あはれ、俗界に墮落するよと思ふ刹那《せつな》に、緑の髪は、波を切る靈龜《れいき》の尾《を》の如くに風を起して、莽《ばう》と靡《なび》いた。渦捲《うづま》く烟りを劈《つんざ》いて、白い姿は階段を飛び上がる。ホヽヽヽと鋭どく笑ふ女の聲が、廊下に響いて、靜かなる風呂場を次第に向《むかふ》へ遠退《とほの》く。余はがぶりと湯を呑んだ儘|槽《ふね》の中に突立《つつた》つ。驚いた波が、胸へあたる。縁《ふち》を越す湯泉《ゆ》の音がさあ/\と鳴る。
 
     八
 
 御茶の御馳走になる。相客《あひきやく》は僧一人、觀海寺《くわんかいじ》の和尚《をしやう》で名は大徹《だいてつ》と云ふさうだ。俗《ぞく》一人、二十四五の若い男である。
 老人の部屋は、余が室《しつ》の廊下を右へ突き當つて、左へ折れた行《い》き留《どま》りにある。大《おほき》さは六疊もあらう。大きな紫檀《したん》の机を眞中に据《す》ゑてあるから、思つたより狹苦しい。それへと云ふ席を見ると、布團の代りに花毯《くわたん》が敷いてある。無論|支那製《しなせい》だらう。眞中《まんなか》を六角に仕切《しき》つて、妙な家と、妙な柳が織り出してある。周圍《まはり》は鐵色《てついろ》に近い藍《あゐ》で、四隅《よすみ》に唐草《からくさ》の模樣を飾つた茶《ちや》の輪《わ》を染め拔いてある。支那《しな》では之を座敷に用ゐたものか疑はしいが、かうやつて布團に代用して見ると頗る面白い。印度《インド》の更紗《サラサ》とか、ペルシヤの壁掛《かべかけ》とか號するものが、一寸|間《ま》が拔けて居る所に價値がある如く、此|花毯《くわたん》もこせつかない所に趣《おもむき》がある。花毯《くわたん》ばかりではない、凡《すべ》て支那《しな》の器具は皆拔けて居る。どうしても馬鹿で氣の長い人種の發明したものとほか取れない。見て居るうちに、ぼおつとする所が尊《たふ》とい。日本は巾着切《きんちやくき》りの態度で美術品を作る。西洋は大きくて細《こま》かくて、さうしてどこ迄も娑婆氣《しやばつけ》がとれない。先《ま》づかう考へながら席に着く。若い男は余とならんで、花毯《くわたん》の半《なかば》を占領した。
 和尚《をしやう》は虎の皮の上へ坐つた。虎の皮の尻尾が余の膝の傍を通り越して、頭は老人の臀《しり》の下に敷かれて居る。老人は頭の毛を悉《こと/”\》く拔いて、?と顎へ移植した樣に、白い髯をむしや/\と生《は》やして、茶托《ちやたく》へ載《の》せた茶碗を丁寧に机の上へならべる。
 「今日《けふ》は久し振りで、うちへ御客が見えたから、御茶を上げやうと思つて、……」と坊さんの方を向くと、
 「いや、御使《おつかひい》をありがたう。わしも、大分《だいぶ》御無沙汰をしたから、今日《けふ》位《ぐらゐ》來て見やうかと思つとつた所ぢや」と云ふ。此僧は六十近い、丸顔の、達磨《だるま》を草書《さうしよ》に崩《くづ》した樣な容貌を有してゐる。老人とは平常《ふだん》からの昵懇《ぢつこん》と見える。
 「此《この》方《かた》が御客さんかな」
 老人は首肯《うなづき》ながら、朱泥《しゆでい》の急須《きふす》から、緑を含む琥珀色《こはくいろ》の玉液《ぎよくえき》を、二三滴づゝ、茶碗の底へしたゝらす。清い香《かを》りがかすかに鼻を襲ふ氣分がした。
 「こんな田舍《ゐなか》に一人《ひとり》では御淋《おさみ》しかろ」と和尚《をしやう》はすぐ余に話しかけた。
 「はあゝ」と何《なん》とも蚊《か》とも要領を得ぬ返事をする。淋《さび》しいと云へば、僞《いつは》りである。淋《さび》しからずと云へば、長い説明が入る。
 「なんの、和尚《をしやう》さん。此かたは畫《ゑ》を書かれる爲めに來られたのぢやから、御忙《おいそ》がしい位《くらゐ》ぢや」
 「おゝ左樣《さやう》か、それは結構だ。矢張《やは》り南宗派《なんそうは》かな」
 「いゝえ」と今度は答へた。西洋畫だ抔《など》と云つても、此|和尚《をしやう》にはわかるまい。
 「いや、例の西洋畫ぢや」と老人は、主人役に、又半分引き受けてくれる。
 「はゝあ、洋畫か。すると、あの久一《きういち》さんのやられる樣なものかな。あれは、わし此間始めて見たが、隨分奇麗にかけたのう」
 「いえ、詰らんものです」と若い男が此時漸く口を開いた。
 「御前何ぞ和尚《をしやう》さんに見て頂いたか」と老人が若い男に聞く。言葉から云ふても、樣子から云ふても、どうも親類らしい。
 「なあに、見て頂いたんぢやないですが、鏡《かゞみ》が池《いけ》で寫生して居る所を和尚《をしやう》さんに見付《みつか》つたのです」
 「ふん、さうか――さあ御茶が注《つ》げたから、一杯」と老人は茶碗を各自《めい/\》の前に置く。茶の量は三四滴に過ぎぬが、茶碗は頗る大きい。生壁色《なまかべいろ》の地《ぢ》へ、焦げた丹《たん》と、薄い黄《き》で、繪だか、模樣だか、鬼の面の模樣になりかゝつた所か、一寸見當の付かないものが、べたに描《か》いてある。
 「杢兵衛《もくべゑ》です」と老人が簡單に説明した。
 「是は面白い」と余も簡單に賞めた。
 「杢兵衛《もくべゑ》はどうも僞物《にせもの》が多くて、――その糸底《いとぞこ》を見て御覽なさい。銘《めい》があるから」と云ふ。
 取り上げて、障子の方へ向けて見る。障子には植木鉢の葉蘭《はらん》の影が暖かさうに寫つて居る。首を曲《ま》げて、覗《のぞ》き込むと、杢《もく》の字が小さく見える。銘は觀賞の上に於《おい》て、左《さ》のみ大切のものとは思はないが、好事者《かうずしや》は餘程|是《これ》が氣にかゝるさうだ。茶碗を下へ置かないで、其儘口へつけた。濃く甘《あま》く、湯加減《ゆかげん》に出た、重い露を、舌の先へ一しづく宛《づゝ》落して味《あぢは》つて見るのは閑人《かんじん》適意《てきい》の韻事《ゐんじ》である。普通の人は茶を飲むものと心得て居るが、あれは間違だ。舌頭《ぜつとう》へぽたりと載せて、清いものが四方へ散れば咽喉《のど》へ下《くだ》るべき液は殆んどない。只|馥郁《ふくいく》たる匂《にほひ》が食道から胃のなかへ沁《し》み渡るのみである。齒を用ゐるは卑《いや》しい。水はあまりに輕い。玉露《ぎよくろ》に至つては濃《こまや》かなる事、淡水《たんすゐ》の境《きやう》を脱して、顎《あご》を疲らす程の硬《かた》さを知らず。結構な飲料である。眠られぬと訴《うつた》ふるものあらば、眠らぬも、茶を用ゐよと勸めたい。
 老人はいつの間《ま》にやら、青玉《せいぎよく》の菓子皿を出した。大きな塊《かたまり》を、かく迄薄く、かく迄規則正しく、刳《く》りぬいた匠人《しやうじん》の手際《てぎは》は驚ろくべきものと思ふ。すかして見ると春の日影は一面に射し込んで、射し込んだ儘、逃《の》がれ出づる路を失つた樣な感じである。中には何も盛らぬがいゝ。
 「御客さんが、青磁を賞められたから、今日《けふ》はちと許《ばか》り見せ樣と思ふて、出して置きました」
 「どの青磁を――うん、あの菓子鉢かな。あれは、わしも好《すき》ぢや。時にあなた、西洋畫では襖《ふすま》抔《など》はかけんものかな。かけるなら一つ頼みたいがな」
 かいて呉れなら、かゝぬ事もないが、此|和尚《をしやう》の氣に入るか入らぬかわからない。折角骨を折つて、西洋畫は駄目だ抔《など》と云はれては、骨の折榮《をりばえ》がない。
 「襖《ふすま》には向かないでせう」
 「向かんかな。さうさな、此間《このあひだ》の久一さんの畫《ゑ》の樣ぢや、少し派手《はで》過ぎるかも知れん」
 「私のは駄目です。あれは丸《まる》でいたづらです」と若い男はしきりに、耻かしがつて謙遜する。
 「その何とか云ふ池はどこにあるんですか」と余は若い男に念の爲め尋ねて置く。
 「一寸《ちよつと》觀海寺の裏の谷の所で、幽邃《いうすゐ》な所です。――なあに學校に居る時分、習つたから、退屈まぎれに、やつて見た丈《だけ》です」
 「觀海寺と云ふと……」
 「觀海寺と云ふと、わしの居る所ぢや。いゝ所ぢや、海を一目《ひとめ》に見下《みおろ》しての――まあ逗留中に一寸《ちよつと》來て御覽。なに、此所からはつい五六丁よ。あの廊下から、そら、寺の石段が見えるぢやらうが」
 「いつか御邪魔に上《あが》つてもいゝですか」
 「あゝいゝとも、何時《いつ》でも居る。こゝの御孃さんも、よう、來られる。――御孃さんと云へば今日は御那美《おなみ》さんが見えんやうだが――どうかされたかな、隱居さん」
 「どこぞへ出ましたかな、久一《きういち》、御前の方へ行きはせんかな」
 「いゝや、見えません」
 「又|獨《ひと》り散歩《さんぽ》かな、ハヽヽヽ。御那美《おなみ》さんは中々足が強い。此間《このあひだ》法用で礪並《となみ》迄行つたら、姿見橋《すがたみばし》の所で――どうも、善く似とると思つたら、御那美さんよ。尻を端折《はしよ》つて、草履を穿《は》いて、和尚《をしやう》さん、何を愚圖々々《ぐづ/\》、どこへ行きなさると、いきなり、驚ろかされたて、ハヽヽヽ。御前はそんな形姿《なり》で地體《ぢたい》どこへ、行つたのぞいと聽くと、今|芹摘《せりつ》みに行つた戻《もど》りぢや、和尚《をしやう》さん少しやらうかと云ふて、いきなりわしの袂《たもと》へ泥《どろ》だらけの芹《せり》を押し込んで、ハヽヽヽヽ」
 「どうも、……」と老人は苦笑ひをしたが、急に立つて「實は是を御覽に入れる積りで」と話を又道具の方へそらした。
 老人が紫檀《したん》の書架から、恭《うや/\》しく取り下《おろ》した紋緞子《もんどんす》の古い袋は、何だか重さうなものである。
 「和尚さん、あなたには、御目に懸けた事があつたかな」
 「なんぢや、一體」
 「硯《すゞり》よ」
 「へえ、どんな硯《すゞり》かい」
 「山陽《さんやう》の愛藏したと云ふ……」
 「いゝえ、そりや未《ま》だ見ん」
 「春水《しゆんすゐ》の替《か》へ葢《ぶた》がついて……」
 「そりや、未だのやうだ。どれ/\」
 老人は大事さうに緞子《どんす》の袋の口を解くと、小豆色《あづきいろ》の四角な石が、ちらりと角《かど》を見せる。
 「いゝ色合《いろあひ》ぢやなう。端溪《たんけい》かい」
 「端溪で??眼《くよくがん》が九《こゝの》つある」
 「九《こゝの》つ?」と和尚|大《おほい》に感じた樣子である。
 「是が春水《しゆんすゐ》の替《か》へ葢《ぶた》」と老人は綸子《りんず》で張つた薄い葢《ふた》を見せる。上に春水《しゆんすゐ》の字で七言絶句《しちごんぜつく》が書いてある。
 「成程。春水《しゆんすゐ》はようかく。ようかくが、書《しよ》は杏坪《きやうへい》の方が上手《じやうず》ぢやて」
 「矢張《やは》り杏坪《きやうへい》の方がいゝかな」
 「山陽《さんやう》が一番まづい樣だ。どうも才子肌《さいしはだ》で俗氣《ぞくき》があつて、一向《いつかう》面白うない」
 「ハヽヽヽ。和尚《をしやう》さんは、山陽《さんやう》が嫌《きら》ひだから、今日《けふ》は山陽《さんやう》の幅《ふく》を懸け替へて置いた」
 「ほんに」と和尚さんは後《うし》ろを振り向く。床は平床《ひらどこ》を鏡の樣にふき込んで、?氣《さびけ》を吹いた古銅瓶《こどうへい》には、木蘭《もくらん》を二尺の高さに、活けてある。軸は底光りのある古錦襴《こきんらん》に、裝幀《さうてい》の工夫《くふう》を籠《こ》めた物徂徠《ぶつそらい》の大幅《たいふく》である。絹地ではないが、多少の時代がついて居るから、字の巧拙に論なく、紙の色が周圍のきれ地とよく調和して見える。あの錦襴《きんらん》も織りたては、あれ程のゆかしさも無かつたらうに、彩色《さいしき》が褪《あ》せて、金糸《きんし》が沈んで、華麗《はで》な所が滅《め》り込んで、澁い所がせり出して、あんないゝ調子になつたのだと思ふ。焦茶《こげちや》の砂壁《すなかべ》に、白い象牙《ざうげ》の軸が際立《きはだ》つて、兩方に突張つて居る、手前に例の木蘭《もくらん》がふわりと浮き出されて居る外は、床《とこ》全體の趣《おもむき》は落ち付き過ぎて寧ろ陰氣である。
 「徂徠《そらい》かな」と和尚《をしやう》が、首を向けた儘《まゝ》云ふ。
 「徂徠《そらい》もあまり、御好きでないかも知れんが、山陽よりは善からうと思ふて」
 「それは徂徠《そらい》の方が遙《はる》かにいゝ。享保《きやうほ》頃の學者の字はまづくても、何處《どこ》ぞに品《ひん》がある」
 「廣澤《くわうたく》をして日本の能書《のうしよ》ならしめば、われは則ち漢人の拙《せつ》なるものと云ふたのは、徂徠だつたかな、和尚《をしやう》さん」
 「わしは知らん。さう威張《ゐば》る程の字でもないて、ワハヽヽヽ」
 「時に和尚《をしやう》さんは、誰を習はれたのかな」
 「わしか。禪坊主《ぜんばうず》は本も讀まず、手習《てならひ》もせんから、なう」
 「しかし、誰ぞ習はれたらう」
 「若い時に高泉《かうせん》の字を、少し稽古した事がある。それぎりぢや。それでも人に頼まれゝばいつでも、書きます。ワハヽヽヽ。時に其|端溪《たんけい》を一つ御見せ」と和尚《をしやう》が催促する。
 とう/\緞子《どんす》の袋を取り除《の》ける。一座の視線は悉《こと/”\》く硯《すゞり》の上に落ちる。厚さは殆んど二寸に近いから、通例のものゝ倍はあらう。四寸に六寸の幅も長さも先づ並《なみ》と云つてよろしい。葢《ふた》には、鱗《うろこ》のかたに研《みが》きをかけた松の皮を其儘《そのまゝ》用ゐて、上には朱漆《しゆうるし》で、わからぬ書體が二字|許《ばか》り書いてある。
 「此|葢《ふた》が」と老人が云ふ。「此|葢《ふた》が、只の葢《ふた》ではないので、御覽の通り、松の皮には相違ないが……」
 老人の眼は余の方を見て居る。然し松の皮の葢《ふた》に如何《いか》なる因縁《いんねん》があらうと、畫工として余はあまり感服は出來んから、
 「松の葢《ふた》は少し俗ですな」
と云つた。老人はまあと云はぬ許《ばか》りに手を擧《あ》げて、
 「只松の葢《ふた》と云ふ許《ばか》りでは、俗でもあるが、是はその何ですよ。山陽《さんやう》が廣島に居つた時に庭に生えて居た松の皮を剥いで山陽《さんやう》が手づから製したのですよ」
 成程|山陽《さんやう》は俗な男だと思つたから、
 「どうせ、自分で作るなら、もつと不器用に作れさうなものですな。わざと此|鱗《うろこ》のかた抔《など》をぴか/\研《と》ぎ出さなくつても、よさゝうに思はれますが」と遠慮のない所を云つて退《の》けた。
 「ワハヽヽヽ。左樣《さう》よ、此|葢《ふた》はあまり安つぽい樣だな」と和尚《をしやう》は忽ち余に賛成した。
 若い男は氣の毒さうに、老人の顔を見る。老人は少々不機嫌の體《てい》に葢《ふた》を拂ひのけた。下から愈《いよ/\》硯が正體《しやうたい》をあらはす。
 もし此|硯《すゞり》に付《つい》て人の眼を峙《そばだ》つべき特異《とくい》の點があるとすれば、其表面にあらはれたる匠人《しやうじん》の刻《こく》である。眞中《まんなか》に袂時計《たもとどけい》程な丸い肉が、縁《ふち》とすれ/\の高さに彫《ほ》り殘されて、是を蜘蛛《くも》の脊《せ》に象《かた》どる。中央から四方に向つて、八本の足が彎曲《わんきよく》して走ると見れば、先には各《おの/\》??眼《くよくがん》を抱《かゝ》へて居る。殘る一個は脊《せ》の眞中《まんなか》に、黄《き》な汁《しる》をしたゝらした如く※[者/火]染《にじ》んで見える。脊《せ》と足と縁《ふち》を殘して餘る部分は幾《ほと》んど一寸餘の深さに堀《ほ》り下《さ》げてある。墨を湛《たゝ》へる所は、よもや此|塹壕《ざんがう》の底ではあるまい。たとひ一合の水を注ぐとも此深さを充たすには足らぬ。思ふに水盂《すゐう》の中《うち》から、一滴の水を銀杓《ぎんしやく》にて、蜘蛛《くも》の脊《せ》に落したるを、貴《たふと》き墨に磨《す》り去るのだらう。夫《それ》でなければ、名は硯《すゞり》でも、其實は純然たる文房用《ぶんばうよう》の裝飾品に過ぎぬ。
 老人は涎《よだれ》の出さうな口をして云ふ。
 「此|肌合《はだあひ》と、此|眼《がん》を見て下さい」
 成程見れば見る程いゝ色だ。寒く潤澤《じゆんたく》を帶びたる肌の上に、はつと、一息《ひといき》懸けたなら、直《たゞ》ちに凝《こ》つて、一朶《いちだ》の雲を起《おこ》すだらうと思はれる。ことに驚くべきは眼《がん》の色である。眼《がん》の色と云はんより、眼《がん》と地《ぢ》の相交《あひまじ》はる所が、次第に色を取り替へて、いつ取り替へたか、殆《ほと》んど吾眼の欺《あざむ》かれたるを見出《みいだ》し得ぬ事である。形容して見ると紫色《むらさきいろ》の蒸羊羹《むしやうかん》の奧に、隱元豆《いんげんまめ》を、透《す》いて見える程の深さに嵌《は》め込んだ樣なものである。眼《がん》と云へば一個二個でも大變に珍重される。九個と云つたら、殆んど類《るゐ》はあるまい。しかも其九個が整然《せいぜん》と同距離に按排《あんばい》されて、恰《あたか》も人造のねりものと見違へらるゝに至つては固《もと》より天下の逸品《いつぴん》を以《もつ》て許さゞるを得ない。
 「成程結構です。觀て心持がいゝ許《ばか》りぢやありません。かうして觸《さは》つても愉快です」と云ひながら、余は隣りの若い男に硯《すゞり》を渡した。
 「久一《きういち》に、そんなものが解るかい」と老人が笑ひながら聞いて見る。久一《きういち》君は、少々|自棄《やけ》の氣味で、
 「分りやしません」と打ち遣つた樣に云ひ放つたが、わからん硯《すゞり》を、自分の前へ置いて、眺めて居ては、勿體《もつたい》ないと氣が付いたものか、又取り上げて、余に返した。余はもう一|遍《ぺん》丁寧に撫《な》で廻はした後《のち》、とう/\之を恭《うや/\》しく禪師《ぜんじ》に返却した。禪師は篤《とく》と掌《て》の上で見濟ました末、夫では飽き足らぬと考へたと見えて、鼠木綿《ねずみもめん》の着物の袖を容赦なく蜘蛛《くも》の脊《せ》へこすりつけて、光澤《つや》の出た所を頻《しき》りに賞翫《しやうぐわん》して居る。
 「隱居さん、どうも此色が實に善《よ》いな。使ふた事があるかの」
 「いゝや、滅多《めつた》には使ひたう、ないから、まだ買ふたなりぢや」
 「さうぢやろ。此樣《こない》なのは支那《しな》でも珍らしからうな、隱居さん」
 「左樣《さやう》」
 「わしも一つ欲しいものぢや。何なら久一《きういち》さんに頼まうか。どうかな、買ふて來て御呉れかな」
 「へヽヽヽ。硯《すゞり》を見つけないうちに、死んで仕舞《しまひ》さうです」
 「本當に硯《すゞり》どころではないな。時にいつ御立ちか」
 「二三日《にさんち》うちに立ちます」
 「隱居さん。吉田|迄《まで》送つて御やり」
 「普段《ふだん》なら、年は取つとるし、まあ見合《みあは》す所ぢやが、ことによると、もう逢へんかも、知れんから、送つてやらうと思ふて居ります」
 「御伯父《をじ》さんは送つて呉れんでもいゝです」
 若い男は此老人の甥《をひ》と見える。成程どこか似て居る。
 「なあに、送つて貰ふがいゝ。川船《かはふね》で行《ゆ》けば譯はない。なあ隱居さん」
 「はい、山越《やまごし》では難義だが、廻り路でも船なら……」
 若い男は今度は別に辭退もしない。只黙つて居る。
 「支那《しな》の方へ御出でゞすか」と余は一寸《ちよつと》聞いて見た。
 「えゝ」
 えゝの二字では少し物足らなかつたが、其上|堀《ほ》つて聞く必要もないから控へた。障子を見ると、蘭《らん》の影が少し位置を變へて居る。
 「なあに、あなた。矢張《やは》り今度の戰爭で――これがもと志願兵をやつたものだから、それで召集されたので」
 老人は當人に代《かは》つて、滿洲の野《や》に日ならず出征すべき此青年の運命を余に語《つ》げた。此夢の樣な詩の樣な春の里に、啼くは鳥、落つるは花、湧くは温泉《いでゆ》のみと思ひ詰めて居たのは間違である。現實世界は山を越え、海を越えて、平家《へいけ》の後裔《こうえい》のみ住み古るしたる孤村に迄|逼《せま》る。朔北《さくほく》の曠野《くわうや》を染むる血潮《ちしほ》の何萬分の一かは、此青年の動脉から迸《ほとばし》る時が來るかも知れない。此青年の腰に吊《つ》る長き劍《つるぎ》の先《さき》から烟《けむ》りとなつて吹くかも知れない。而《しか》して其青年は、夢みる事より外《ほか》に、何等《なんら》の價値を、人生に認め得ざる一畫工の隣りに坐つて居る。耳をそばだつれば彼が胸に打つ心臓の鼓動さへ聞き得る程近くに坐つて居る。其鼓動のうちには、百里の平野を捲《ま》く高き潮《うしほ》が今既に響いて居るかも知れぬ。運命は卒然《そつぜん》として此二人を一堂のうちに會したるのみにて、其他には何事をも語らぬ。
 
     九
 
 「御勉強ですか」と女が云ふ。部屋に歸つた余は、三脚几《さんきやくき》に縛り付けた、書物の一册を抽《ぬ》いて讀んで居た。
 「御這入《おはい》りなさい。ちつとも構ひません」
 女は遠慮する景色《けしき》もなく、つか/\と這入《はい》る。くすんだ半襟《はんえり》の中から、恰好のいゝ頸《くび》の色が、あざやかに、抽《ぬ》き出て居る。女が余の前に坐つた時、此頸と此|半襟《はんえり》の對照が第一番に眼についた。
 「西洋の本ですか、六《む》づかしい事が書いてあるでせうね」
 「なあに」
 「ぢや何が書いてあるんです」
 「さうですね。實はわたしにも、よく分らないんです」
 「ホヽヽヽヽ。それで御勉強なの」
 「勉強ぢやありません。只机の上へ、かう開《あ》けて、開《あ》いた所をいゝ加減に讀んでるんです」
 「夫《それ》で面白いんですか」
 「夫《それ》が面白いんです」
 「何故《なぜ》?」
 「何故《なぜ》つて、小説なんか、さうして讀む方が面白いです」
 「餘つ程變つて入《い》らつしやるのね」
 「えゝ、些《ち》つと變つてます」
 「初から讀んぢや、どうして惡るいでせう」
 「初から讀まなけりやならないとすると、仕舞|迄《まで》讀まなけりやならない譯になりませう」
 「妙な理窟だ事。仕舞|迄《まで》讀んだつていゝぢやありませんか」
 「無論わるくは、ありませんよ。筋を讀む氣なら、わたしだつて、左樣《さう》します」
 「筋を讀まなけりや何を讀むんです。筋の外《ほか》に何か讀むものがありますか」
 余は、矢張り女だなと思つた。多少試驗してやる氣になる。
 「あなたは小説が好きですか」
 「私が?」と句を切つた女は、あとから「さうですねえ」と判然《はつきり》しない返事をした。あまり好きでもなさゝうだ。
 「好きだか、嫌《きらひ》だか自分にも解らないんぢやないですか」
 「小説なんか讀んだつて、讀まなくつたつて……」
と眼中には丸《まる》で小説の存在を認めて居ない。
 「それぢや、初から讀んだつて、仕舞から讀んだつて、いゝ加減な所をいゝ加減に讀んだつて、いゝ譯《わけ》ぢやありませんか。あなたの樣にさう不思議がらないでもいゝでせう」
 「だつて、あなたと私とは違ひますもの」
 「どこが?」と余は女の眼の中《うち》を見詰めた。試驗をするのは此所だと思つたが、女の眸《ひとみ》は少しも動かない。
 「ホヽヽヽヽ解りませんか」
 「然し若いうちは隨分御讀みなすつたらう」余は一本道で押し合ふのを已《や》めにして、一寸《ちよつと》裏へ廻つた。
 「今でも若い積りですよ。可哀想《かはいさう》に」放《はな》した鷹はまたそれかゝる。すこしも油斷がならん。
 「そんな事が男の前で云へれば、もう年寄のうちですよ」と、やつと引き戻《もど》した。
 「さう云ふあなたも隨分の御年ぢやあ、ありませんか。そんなに年をとつても、矢つ張り、惚《ほ》れたの、腫《は》れたの、にきびが出來たのつてえ事が面白いんですか」
 「えゝ、面白いんです、死ぬ迄《まで》面白いんです」
 「おやさう。それだから畫工《ゑかき》なんぞになれるんですね」
 「全くです。畫工《ゑかき》だから、小説なんか初から仕舞|迄《まで》讀む必要はないんです。けれども、どこを讀んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。こゝへ逗留《とうりう》して居るうちは毎日話をしたい位です。何ならあなたに惚《ほ》れ込んでもいゝ。さうなると猶《なほ》面白い。然しいくら惚《ほ》れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚《ほ》れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初から仕舞|迄《まで》讀む必要があるんです」
 「すると不人情《ふにんじやう》な惚《ほ》れ方《かた》をするのが畫工《ゑかき》なんですね」
 「不人情《ふにんじやう》ぢやありません。非人情《ひにんじやう》な惚《ほ》れ方《かた》をするんです。小説も非人情《ひにんじやう》で讀むから、筋なんかどうでもいゝんです。かうして、御籤《おみくじ》を引くやうに、ぱつと開《あ》けて、開《あ》いた所を、漫然と讀んでるのが面白いんです」
 「成程面白さうね。ぢや、今あなたが讀んで入《い》らつしやる所を、少し話して頂戴。どんな面白い事が出てくるか伺ひたいから」
 「話しちや駄目です。畫《ゑ》だつて話にしちや一文の價値《ねうち》もなくなるぢやありませんか」
 「ホヽヽ夫《それ》ぢや讀んで下さい」
 「英語でゝすか」
 「いゝえ日本語で」
 「英語を日本語で讀むのはつらいな」
 「いゝぢやありませんか、非人情《ひにんじやう》で」
 是も一興《いつきよう》だらうと思つたから、余は女の乞《こひ》に應じて、例の書物をぽつり/\と日本語で讀み出した。もし世界に非人情な讀み方があるとすれば正《まさ》にこれである。聽く女も固《もと》より非人情で聽いてゐる。
 「情《なさ》けの風が女から吹く。聲から、眼から、肌《はだへ》から吹く。男に扶《たす》けられて舳《とも》に行く女は、夕暮の※[エに濁点]ニスを眺むる爲めか、扶《たす》くる男はわが脉《みやく》に稻妻の血を走らす爲めか。――非人情だから、いゝ加減ですよ。所々《ところ/”\》脱けるかも知れません」
 「よござんすとも。御都合次第で、御足《おた》しなすつても構ひません」
 「女は男とならんで舷《ふなばた》に倚《よ》る。二人の隔《へだゝ》りは、風に吹かるゝリボンの幅よりも狹い。女は男と共に※[エに濁点]ニスに去らばと云ふ。※[エに濁点]ニスなるドウジの殿樓《でんろう》は今第二の日沒《にちぼつ》の如く、薄赤《うすあか》く消えて行く。……」
 「ドージとは何です」
 「何だつて構やしません。昔《むか》し※[エに濁点]ニスを支配した人間の名ですよ。何代つゞいたものですかね。其御殿が今でも※[エに濁点]ニスに殘つてるんです」
 「それで其男と女と云ふのは誰の事なんでせう」
 「誰だか、わたしにも分らないんだ。夫《それ》だから面白いのですよ。今迄の關係なんかどうでもいゝでさあ。只あなたとわたしの樣に、かう一所《いつしよ》に居る所なんで、その場限りで面白味があるでせう」
 「そんなものですかね。何だか船の中の樣ですね」
 「船でも岡でも、かいてある通りでいゝんです。何故《なぜ》と聞き出すと探偵《たんてい》になつて仕舞ふです」
 「ホヽヽヽヽぢや聽きますまい」
 「普通の小説はみんな探偵《たんてい》が發明したものですよ。非人情な所がないから、些《ちつ》とも趣《おもむき》がない」
 「ぢや非人情の續きを伺ひませう。夫《それ》から?」
 「※[エに濁点]ニスは沈みつゝ、沈みつゝ、只《たゞ》空に引く一抹《いちまつ》の淡き線となる。線は切れる。切れて點となる。蛋白石《とんぼだま》の空のなかに圓《まる》き柱が、こゝ、かしこと立つ。遂には最も高く聳えたる鐘樓《しゆろう》が沈む。沈んだと女が云ふ。※[エに濁点]ニスを去る女の心は空行く風の如く自由である。去《さ》れど隱れたる※[エに濁点]ニスは、再び歸らねばならぬ女の心に覊絏《きせつ》の苦しみを與ふ。男と女は暗き灣の方《かた》に眼を注ぐ。星は次第に揩キ。柔らかに搖《ゆら》ぐ海は泡《あわ》を濺《そゝ》がず。男は女の手を把《と》る。鳴りやまぬ弦《ゆづる》を握つた心地《こゝち》である。……」
 「あんまり非人情でもない樣ですね」
 「なに是が非人情的に聞けるのですよ。然し厭《いや》なら少々畧しませうか」
 「なに私は大丈夫ですよ」
 「わたしは、あなたより猶《なほ》大丈夫です。――それからと、えゝと、少しく六《む》づかしくなつて來たな。どうも譯し――いや讀みにくい」
 「讀みにくければ、御略《おりやく》しなさい」
 「えゝ、いゝ加減にやりませう。――この一夜《ひとよ》と女が云ふ。一夜《ひとよ》?と男がきく。一と限るはつれなし、幾夜《いくよ》を重ねてこそと云ふ」
 「女が云ふんですか、男が云ふんですか」
 「男が云ふんですよ。何でも女が※[エに濁点]ニスへ歸りたくないのでせう。それで男が慰める語《ことば》なんです。――眞夜中《まよなか》の甲板《かんぱん》に帆綱を枕にして横《よこた》はりたる、男の記憶には、かの瞬時、熱き一滴の血に似たる瞬時、女の手を確《しか》と把《と》りたる瞬時が大濤《おほなみ》の如くに搖れる。男は黒き夜を見上げながら、強ひられたる結婚の淵より、是非に女を救ひ出さんと思ひ定めた。かく思ひ定めて男は眼を閉《と》づる。――」
 「女は?」
 「女は路に迷ひながら、いづこに迷へるかを知らぬ樣《さま》である。攫《さら》はれて空行く人の如く、只《たゞ》不可思議の千萬無量――あとが一寸《ちよつと》讀みにくいですよ。どうも句にならない。――只《たゞ》不可思議の千萬無量――何か動詞はないでせうか」
 「動詞なんぞ入《い》るものですか、夫《それ》で澤山です」
 「え?」
 轟《ぐわう》と音がして山の樹《き》が悉《こと/”\》く鳴る。思はず顔を見合はす途端に、机の上の一輪挿に活けた、椿がふら/\と搖れる。「地震!」と小聲で叫んだ女は、膝を崩して余の机に靠《よ》りかゝる。御互《おたがひ》の身?《からだ》がすれ/\に動く。キヽーと鋭《する》どい羽摶《はばたき》をして一羽の雉子《きじ》が藪の中から飛び出す。
 「雉子《きじ》が」と余は窓の外を見て云ふ。
 「どこに」と女は崩した、からだを擦寄《すりよ》せる。余の顔と女の顔が觸れぬ許《ばか》りに近付く。細い鼻の穴から出る女の呼吸《いき》が余の髭にさはつた。
 「非人情《ひにんじやう》ですよ」と女は忽ち坐住居《ゐずまひ》を正しながら屹《きつ》と云ふ。
 「無論」と言下《ごんか》に余は答へた。
 岩の凹《くぼ》みに湛へた春の水が、驚ろいて、のたり/\と鈍《ぬる》く搖《うご》いてゐる。地盤の響きに、滿泓《まんわう》の波が底から動くのだから、表面が不規則に曲線を描くのみで、碎けた部分はどこにもない。圓滿に動くと云ふ語があるとすれば、こんな場合に用ゐられるのだらう。落ち付いて影を※[草冠/(酉+焦)]《ひた》して居た山櫻が、水と共に、延びたり縮んだり、曲がつたり、くねつたりする。然しどう變化しても矢張り明らかに櫻の姿を保《たも》つてゐる所が非常に面白い。
 「こいつは愉快だ。奇麗で、變化があつて。かう云ふ風に動かなくつちや面白くない」
 「人間もさう云ふ風にさへ動いていれば、いくら動いても大丈夫ですね」
 「非人情でなくつちや、かうは動けませんよ」
 「ホヽヽヽヽ大變非人情が御好きだこと」
 「あなた、だつて嫌《きらひ》な方ぢやありますまい。昨日《きのふ》の振袖《ふりそで》なんか……」と言ひかけると、
 「何か御褒美《ごはうび》を頂戴《ちやうだい》」と女は急に甘《あま》へる樣に云つた。
 「何故《なぜ》です」
 「見たいと仰やつたから、わざ/\、見せて上げたんぢやありませんか」
 「わたしがですか」
 「山越《やまごえ》をなさつた畫《ゑ》の先生が、茶店の婆さんにわざ/\御頼みになつたさうで御座います」
 余は何と答へてよいやら一寸《ちよつと》挨拶が出なかつた。女はすかさず、
 「そんな忘れつぽい人に、いくら實《じつ》をつくしても駄目ですわねえ」と嘲《あざ》ける如く、恨《うら》むが如く、又|眞向《まつかう》から切りつけるが如く二の矢をついだ。段々|旗色《はたいろ》がわるくなるが、どこで盛り返したものか、一反《いつたん》機先を制せられると、中々|隙《すき》を見出しにくい。
 「ぢや昨夕《ゆうべ》の風呂場も、全く御親切からなんですね」と際《きは》どい所で漸く立て直す。
 女は黙つてゐる。
 「どうも濟みません。御禮に何を上げませう」と出來る丈《だけ》先へ出て置く。いくら出ても何の利目《きゝめ》もなかつた。女は何喰はぬ顔で大徹和尚《だいてつをしやう》の額を眺めて居る。やがて、
 「竹影拂階塵不動《ちくえいかいをはらつてちりうごかず》」
と口のうちで靜かに讀み了つて、又余の方へ向き直つたが、急に思ひ出した樣に、
 「何ですつて」
と、わざと大きな聲で聞いた。その手は喰はない。
 「其坊主にさつき逢ひましたよ」と地震に搖《ゆ》れた池の水の樣に圓滿な動き方をして見せる。
 「觀海寺《くわんかいじ》の和尚《をしやう》ですか。肥《ふと》つてるでせう」
 「西洋畫で唐紙《からかみ》をかいてくれつて、云ひましたよ。禪坊さんなんてものは隨分譯のわからない事を云ひますね」
 「それだから、あんなに肥《ふと》れるんでせう」
 「それから、もう一人若い人に逢ひましたよ。……」
 「久一《きういち》でせう」
 「ええ久一《きういち》君です」
 「よく御存じです事」
 「なに久一君|丈《だけ》知つてるんです。其外には何にも知りやしません。口を聞くのが嫌《きらひ》な人ですね」
 「なに、遠慮して居るんです。まだ小供ですから……」
 「小供つて、あなたと同じ位ぢやありませんか」
 「ホヽヽヽヽさうですか。あれは私《わたく》しの從弟《いとこ》ですが、今度戰地へ行くので、暇乞《いとまごひ》に來たのです」
 「こゝに留《とま》つて、ゐるんですか」
 「いゝえ、兄の家《うち》に居ります」
 「ぢや、わざ/\御茶を飲みに來た譯ですね」
 「御茶より御白湯《おゆ》の方が好《すき》なんですよ。父がよせばいゝのに、呼ぶものですから。麻痺《しびれ》が切れて困つたでせう。私が居れば中途から歸してやつたんですが……」
 「あなたは何所へ入《い》らしつたんです。和尚《をしやう》が聞いて居ましたぜ、又|一人《ひとり》散歩《さんぽ》かつて」
 「えゝ鏡の池の方を廻つて來ました」
 「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」
 「行つて御覽なさい」
 「畫《ゑ》にかくに好い所ですか」
 「身を投げるに好い所です」
 「身はまだ中々投げない積りです」
 「私は近々《きん/\》投げるかも知れません」
 餘りに女としては思ひ切つた冗談だから、余は不圖《ふと》顔を上げた。女は存外|慥《たし》かである。
 「私が身を投げて浮いて居る所を――苦しんで浮いてる所ぢやないんです――やす/\と徃生して浮いて居る所を――奇麗な畫《ゑ》にかいて下さい」
 「え?」
 「驚ろいた、驚ろいた、驚ろいたでせう」
 女はすらりと立ち上る。三歩にして盡くる部屋の入口を出るとき、顧《かへり》みてにこりと笑つた。茫然《ばうぜん》たる事|多時《たじ》。
 
     十
 
 鏡が池へ來て見る。觀海寺の裏道《うらみち》の、杉の間から谷へ降《お》りて、向ふの山へ登らぬうちに、路は二股《ふたまた》に岐《わか》れて、おのづから鏡が池の周圍となる。池の縁《ふち》には熊笹《くまざゝ》が多い。ある所は、左右から生《お》ひ重なつて、殆んど音を立てずには通れない。木《き》の間《あひだ》から見ると、池の水は見えるが、どこで始まつて、どこで終るか一應廻つた上でないと見當がつかぬ。あるいて見ると存外《ぞんぐわい》小さい。三丁程よりあるまい。只《たゞ》非常に不規則な形《かた》ちで、所々に岩が自然の儘|水際《みづぎは》に横《よこた》はつて居る。縁《ふち》の高さも、池の形の名?しがたい樣に、波を打つて、色々な起伏を不規則に連《つら》ねて居る。
 池をめぐりては雜木《ざふき》が多い。何百本あるか勘定がし切《き》れぬ。中には、まだ春の芽を吹いて居らんのがある。割合に枝の繁《こ》まない所は、依然として、うらゝかな春の日を受けて、萌え出でた下草《したぐさ》さへある。壺菫《つぼすみれ》の淡き影が、ちらり/\と其間に見える。
 日本の菫《すみれ》は眠つて居る感じである。「天來《てんらい》の奇想の樣に」、と形容した西人《せいじん》の句は到底あてはまるまい。かう思ふ途端に余の足はとまつた。足がとまれば、厭《いや》になる迄そこに居る。居られるのは、幸福な人である。東京でそんな事をすれば、すぐ電車に引き殺される。電車が殺さなければ巡査が追ひ立てる。都會は太平の民《たみ》を乞食《こじき》と間違へて、掏摸《すり》の親分たる探偵《たんてい》に高い月俸を拂ふ所である。
 余は草を茵《しとね》に太平の尻をそろりと卸《おろ》した。こゝならば、五六日|斯《か》うしたなり動かないでも、誰も苦情を持ち出す氣遣《きづかひ》はない。自然の難有《ありがた》い所はこゝにある。いざとなると容赦《ようしや》も未練《みれん》もない代りには、人に因《よ》つて取り扱《あつかひ》をかへる樣な輕薄な態度はすこしも見せない。岩崎《いはさき》や三井《みつゐ》を眼中に置かぬものは、いくらでも居る。冷然として古今《ここん》帝王の權威を風馬牛《ふうばぎう》し得るものは自然のみであらう。自然のコは高く塵界を超越して、絶對の平等觀《びやうどうくわん》を無邊際《むへんさい》に樹立して居る。天下の羣小《ぐんせう》を麾《さしまね》いで、徒らにタイモンの憤《いきどほ》りを招くよりは、蘭《らん》を九|?《ゑん》に滋《ま》き、宦sけい》を百|畦《けい》に樹《う》ゑて、獨り其|裏《うち》に起臥する方が遙《はる》かに得策である。余は公平と云ひ無私《むし》と云ふ。左程《さほど》大事《だいじ》なものならば、日に千人の小賊《せうぞく》を戮《りく》して、滿圃《まんぽ》の草花《くさばな》を彼等の屍《しかばね》に培養《つちか》ふがよからう。
 何だか考《かんがへ》が理《り》に落《お》ちて一向《いつかう》つまらなくなつた。こんな中學程度の觀想《くわんさう》を練《ね》りにわざ/\、鏡が池|迄《まで》來はせぬ。袂から烟草を出して、寸燐《まつち》をシユツと擦《す》る。手應《てごたへ》はあつたが火は見えない。敷島《しきしま》のさきを付けて吸つてみると、鼻から烟が出た。なるほど、吸つたんだなと漸く氣がついた。寸燐《まつち》は短かい草のなかで、しばらく雨龍《あまりよう》の樣な細い烟りを吐いて、すぐ寂滅《じやくめつ》した。席をずらせて段々|水際《みずぎは》迄《まで》出て見る。余が茵《しとね》は天然に池のなかに、ながれ込んで、足を浸《ひた》せば生温《なまぬる》い水につくかも知れぬと云ふ間際《まぎは》で、とまる。水を覗《のぞ》いて見る。
 眼の屆く所は左迄《さまで》深さうにもない。底には細長い水草《みづくさ》が、徃生《わうじやう》して沈んで居る。余は徃生と云ふより外に形容すべき言葉を知らぬ。岡の薄《すゝき》なら靡《なび》く事を知つて居る。藻《も》の草ならば誘《さそ》ふ波の情《なさ》けを待つ。百年待つても動きさうもない、水の底に沈められた此《この》水草は、動くべき凡《すべ》ての姿勢を調《とゝの》へて、朝な夕なに、弄《なぶ》らるゝ期を、待ち暮らし、待ち明かし、幾代《いくよ》の思《おもひ》を茎の先に籠《こ》めながら、今に至る迄《まで》遂に動き得ずに、又《また》死に切れずに、生きて居るらしい。
 余は立ち上がつて、草の中から、手頃《てごろ》の石を二つ拾つて來る。功コ《くどく》になると思つたから、眼の先へ、一つ抛《はふ》り込んでやる。ぶく/\と泡《あわ》が二つ浮いて、すぐ消えた。すぐ消えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す。すかして見ると、三茎《みくき》程の長い髪が、慵《ものうげ》に搖《ゆ》れかゝつて居る。見付かつてはと云はぬ許《ばか》りに、濁つた水が底の方から隱《かく》しに來る。南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》。
 今度は思ひ切つて、懸命に眞中へなげる。ぽかんと幽《かす》かに音がした。靜かなるものは決して取り合はない。もう抛《な》げる氣も無くなつた。繪の具箱と帽子を置いた儘|右手《みぎて》へ廻る。
 二間餘りを爪先上《つまさきあ》がりに登《のぼ》る。頭の上には大きな樹がかぶさつて、身體《からだ》が急に寒くなる。向ふ岸の暗い所に椿《つばき》が咲いて居る。椿の葉は緑が深すぎて、晝見ても、日向《ひなた》で見ても、輕快な感じはない。殊に此椿は岩角《いはかど》を、奧へ二三間|遠退《とほの》いて、花がなければ、何があるか氣のつかない所に森閑として、かたまつてゐる。其花が! 一日勘定しても無論勘定し切れぬ程多い。然し眼が付けば是非勘定したく成程|鮮《あざや》かである。唯|鮮《あざや》かと云ふ許《ばか》りで、一向《いつかう》陽氣な感じがない。ぱつと燃え立つ樣で、思はず、氣を奪《と》られた、後《あと》は何だか凄くなる。あれ程人を欺《だま》す花はない。余は深山椿《みやまつばき》を見る度にいつでも妖女《えうぢよ》の姿を連想する。黒い眼で人を釣り寄せて、しらぬ間に、嫣然《えんぜん》たる毒《どく》を血管に吹く。欺《あざむ》かれたと悟《さと》つた頃は既に遅い。向ふ側の椿が眼に入《い》つた時、余は、えゝ、見なければよかつたと思つた。あの花の色は唯の赤ではない。眼を醒《さま》す程の派出《はで》やかさの奧に、言ふに言はれぬ沈んだ調子を持つてゐる。悄然《せうぜん》として萎《しを》れる雨中《うちゆう》の梨花《りくわ》には、只《たゞ》憐れな感じがする。冷やかに艶《えん》なる月下《げつか》の海棠《かいだう》には、只愛らしい氣持ちがする。椿の沈んで居るのは全く違ふ。黒ずんだ、毒氣のある、恐ろし味《み》を帶びた調子である。此調子を底に持つて、上部《うはべ》はどこ迄も派出《はで》に裝《よそほ》つてゐる。然も人に媚《こ》ぶる態《さま》もなければ、ことさらに人を招く樣子も見えぬ。ぱつと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱつと咲いて、幾百年の星霜《せいさう》を、人目にかゝらぬ山陰に落ち付き拂つて暮らしてゐる。只|一眼《ひとめ》見たが最後! 見た人は彼女の魔力から金輪際《こんりんざい》、免《のが》るゝ事は出來ない。あの色は只の赤ではない。屠《ほふ》られたる囚人《しうじん》の血が、自《おの》づから人の眼を惹《ひ》いて、自《おのづ》から人の心を不快にする如く一種異樣な赤である。
 見てゐると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。靜かな春に動いたものは只《たゞ》此一輪である。しばらくすると又ぽたり落ちた。あの花は決して散らない。崩《くづ》れるよりも、かたまつた儘枝を離れる。枝を離れるときは一度に離れるから、未練《みれん》のない樣に見えるが、落ちてもかたまつて居る所は、何となく毒々しい。又ぽたり落ちる。あゝやつて落ちてゐるうちに、池の水が赤くなるだらうと考へた。花が靜かに浮いて居る邊《あたり》は今でも少々赤い樣な氣がする。また落ちた。地の上へ落ちたのか、水の上へ落ちたのか、區別がつかぬ位《くらゐ》靜かに浮く。また落ちる。あれが沈む事があるだらうかと思ふ。年々《ねん/\》落ち盡す幾萬輪の椿は、水につかつて、色が溶け出して、腐つて泥になつて、漸く底に沈むのかしらん。幾千年の後《のち》には此古池が、人の知らぬ間《ま》に、落ちた椿の爲めに、埋《うづ》もれて、元の平地《ひらち》に戻るかも知れぬ。又一つ大きいのが血を塗つた、人魂《ひとだま》の樣に落ちる。又落ちる。ぽたり/\と落ちる。際限なく落ちる。
 こんな所へ美しい女の浮いてゐる所をかいたら、どうだらうと思ひながら、元の所へ歸つて、又烟草を呑んで、ぼんやり考へ込む。温泉場《ゆば》の御那美《おなみ》さんが昨日《きのふ》冗談に云つた言葉が、うねりを打つて、記憶のうちに寄せてくる。心は大浪にのる一枚の板子《いたご》の樣に搖《ゆ》れる。あの顔を種《たね》にして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落《お》とす。椿が長《とこしな》へに落《お》ちて、女が長《とこしな》へに水に浮いてゐる感じをあらはしたいが、夫《それ》が畫《ゑ》でかけるだらうか。かのラオコーンには――ラオコーン抔《など》はどうでも構はない。原理に背《そむ》いても、背《そむ》かなくつても、さう云ふ心持ちさへ出ればいゝ。然し人間を離れないで人間以上の永久と云ふ感じを出すのは容易な事ではない。第一顔に困る。あの顔を借りるにしても、あの表情では駄目だ。苦痛が勝つては凡《すべ》てを打ち壞《こ》はして仕舞ふ。と云つて無暗に氣樂では猶《なほ》困る。一層《いつそ》ほかの顔にしては、どうだらう。あれか、これかと指を折つて見るが、どうも思《おもは》しくない。矢張《やはり》御那美さんの顔が一番似合ふ樣だ。然し何だか物足らない。物足らないと迄は氣が付くが、どこが物足らないかゞ、吾ながら不明である。從つて自己の想像でいゝ加減に作り易《か》へる譯に行かない。あれに嫉?《しつと》を加へたら、どうだらう。嫉?では不安の感が多過ぎる。憎惡《ぞうを》はどうだらう。憎惡は烈《は》げし過ぎる。怒《いかり》? 怒では全然調和を破る。恨《うらみ》? 恨でも春恨《しゆんこん》とか云ふ、詩的のものならば格別、只の恨では餘り俗である。色々に考へた末、仕舞に漸くこれだと氣が付いた。多くある情緒《じやうしよ》のうちで、憐《あは》れと云ふ字のあるのを忘れて居た。憐れは神の知らぬ情《じやう》で、しかも神に尤も近き人間の情《じやう》である。御那美さんの表情のうちには此憐れの念が少しもあらはれて居らぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟《とつさ》の衝動で、此|情《じやう》があの女の眉宇《びう》にひらめいた瞬時に、わが畫《ゑ》は成就するであらう。然し――何時《いつ》それが見られるか解らない。あの女の顔に普段《ふだん》充滿して居るものは、人を馬鹿にする微笑《うすわらひ》と、勝たう、勝たうと焦《あせ》る八の字のみである。あれ丈《だけ》では、とても物にならない。
 がさり/\と足音がする。胸裏《きようり》の圖案は三|分《ぶ》二で崩れた。見ると、筒袖《つゝそで》を着た男が、脊《せ》へ薪を載《の》せて、熊笹《くまざゝ》のなかを觀海寺の方へわたつてくる。隣りの山からおりて來たのだらう。
 「よい御天氣で」と手拭《てぬぐひ》をとつて挨拶する。腰を屈《かゞ》める途端に、三尺帶に落《おと》した鉈《なた》の刃《は》がぴかりと光つた。四十|恰好《がつかう》の逞《たくま》しい男である。どこかで見た樣だ。男は舊知の樣に馴々《なれ/\》しい。
 「旦那も畫《ゑ》を御描《おか》きなさるか」余の繪の具箱は開《あ》けてあつた。
 「あゝ。此池でも畫《か》かうと思つて來て見たが、淋《さみ》しい所だね。誰も通らない」
 「はあい。まことに山の中で……旦那あ、峠で御降られなさつて、嘸《さぞ》御困りでござんしたろ」
 「え? うん御前はあの時の馬子《まご》さんだね」
 「はあい。かうやつて薪《たきゞ》を切つては城下《じやうか》へ持つて出ます」と源兵衛は荷を卸《おろ》して、其上へ腰をかける。烟草入を出す。古いものだ。紙だか革《かは》だか分らない。余は寸燐《まつち》を借《か》してやる。
 「あんな所を毎日越すなあ大變だね」
 「なあに、馴れてゐますから――夫《それ》に毎日は越しません。三日《みつか》に一|返《ぺん》、ことによると四日目《よつかめ》位になります」
 「四日《よつか》に一|返《ぺん》でも御免だ」
 「アハヽヽヽ。馬が不憫《ふびん》ですから四日目《よつかめ》位にして置きます」
 「そりやあ、どうも。自分より馬の方が大事なんだね。ハヽヽヽ」
 「それ程でもないんで……」
 「時に此池は餘程《よほど》古いもんだね。全體|何時《いつ》頃《ごろ》からあるんだい」
 「昔からありますよ」
 「昔から? どの位昔から?」
 「なんでも餘《よ》つ程《ぽど》古い昔から」
 「餘《よ》つ程《ぽど》古い昔《むか》しからか。成程」
 「なんでも昔《むか》し、志保田《しほだ》の孃樣が、身を投げた時分からありますよ」
 「志保田つて、あの温泉場《ゆば》のかい」
 「はあい」
 「御孃さんが身を投げたつて、現に達者で居るぢやないか」
 「いんにえ。あの孃さまぢやない。ずつと昔の孃樣が」
 「ずつと昔の孃樣。いつ頃かね、それは」
 「なんでも、餘程《よほど》昔しの孃樣で……」
 「その昔の孃樣が、どうして又身を投げたんだい」
 「その孃樣は、矢張《やは》り今の孃樣の樣に美しい孃樣であつたさうながな、旦那樣」
 「うん」
 「すると、ある日、一人《ひとり》の梵論字《ぼろんじ》が來て……」
 「梵論字《ぼろんじ》と云ふと虚無僧《こもそう》の事かい」
 「はあい。あの尺八を吹く梵論字《ぼろんじ》の事で御座んす。其|梵論字《ぼろんじ》が志保田の庄屋《しやうや》へ逗留《とうりう》して居るうちに、その美くしい孃樣が、其|梵論字《ぼろんじ》を見染《みそ》めて――因果《いんぐわ》と申しますか、どうしても一所になりたいと云ふて、泣きました」
 「泣きました。ふうん」
 「所が庄屋《しやうや》どのが、聞き入れません。梵論字《ぼろんじ》は聟《むこ》にはならんと云ふて。とう/\追ひい出しました」
 「其|虚無僧《こもそう》をかい」
 「はあい。そこで孃樣が、梵論字《ぼろんじ》のあとを追ふてこゝ迄來て、――あの向ふに見える松の所から、身を投げて、――とう/\、えらい騷ぎになりました。其時何でも一枚の鏡を持つてゐたとか申し傳へて居りますよ。夫《それ》で此池を今でも鏡が池と申しまする」
 「へえゝ。ぢや、もう身を投げたものがあるんだね」
 「まことに怪《け》しからん事で御座んす」
 「何代位前の事かい。それは」
 「なんでも餘《よ》つ程《ぽど》昔の事で御座んすさうな。夫《それ》から――これはこゝ限りの話だが、旦那さん」
 「何だい」
 「あの志保田の家には、代々《だい/\》氣狂が出來ます」
 「へえゝ」
 「全く祟《たゝ》りで御座んす。今の孃樣も、近頃は少し變だ云ふて、皆が囃《はや》します」
 「ハヽヽヽそんな事はなからう」
 「御座んせんかな。然しあの御袋樣《おふくろさま》が矢張り少し變でな」
 「うちにゐるのかい」
 「いゝえ、去年|亡《な》くなりました」
 「ふん」と余は烟草の吸殼《すひがら》から細い烟の立つのを見て、口を閉ぢた。源兵衛は薪《まき》を脊《せ》にして去る。
 畫《ゑ》をかきに來て、こんな事を考へたり、こんな話しを聽く許《ばか》りでは、何日《いくにち》かゝつても一枚も出來つこない。折角繪の具箱迄持ち出した以上、今日は義理にも下繪《したゑ》をとつて行かう。幸《さいはひ》、向側の景色は、あれなりで畧《ほゞ》纒まつてゐる。あすこでも申し譯に一寸《ちよつと》描《か》かう。
 一丈餘りの蒼黒《あをぐろ》い岩が、眞直に池の底から突き出して、濃き水の折れ曲る角に、嵯々《さゝ》と構《かま》へる右側には、例の熊笹が斷崖の上から水際《みづぎは》迄、一寸《いつすん》の隙間《すきま》なく叢生《さうせい》してゐる。上には三抱《みかゝへ》程の大きな松が、若蔦《わかづた》にからまれた幹を、斜《なゝ》めに捩《ねぢ》つて、半分以上水の面《おもて》へ乘り出してゐる。鏡を懷にした女は、あの岩の上からでも飛んだものだらう。
 三脚几に尻《しり》を据《す》ゑて、畫面に入るべき材料を見渡す。松と、笹と、岩と水であるが、偖《さて》水はどこでとめてよいか分らぬ。岩の高さが一丈あれば、影も一丈ある。熊笹は、水際でとまらずに、水の中|迄《まで》茂り込んで居るかと怪まるゝ位、鮮やかに水底|迄《まで》寫つて居る。松に至つては空に聳ゆる高さが、見上げらるゝ丈《だけ》、影も亦頗る細長い。眼に寫つた丈《だけ》の寸法では到底|収《をさま》りがつかない。一層《いつそ》の事、實物をやめて影丈|描《か》くのも一興だらう。水をかいて、水の中の影をかいて、さうして、是が畫《ゑ》だと人に見せたら驚ろくだらう。然し只《たゞ》驚ろかせる丈《だけ》では詰《つま》らない。成程|畫《ゑ》になつて居ると驚かせなければ詰《つま》らない。どう工夫をしたものだらうと、一心に池の面《おも》を見詰める。
 奇體なもので、影|丈《だけ》眺めて居ては一向|畫《ゑ》にならん。實物と見比べて工夫がして見度なる。余は水面から眸《ひとみ》を轉じて、そろり/\と上の方へ視線を移して行く。一丈の巖《いはほ》を、影の先から、水際の繼目《つぎめ》迄眺めて、繼目から次第に水の上に出る。潤澤の氣合《けあひ》から、皴皺《しゆんしゆ》の模樣を逐一《ちくいち》吟味して漸々《だん/\》と登つて行く。やうやく登り詰めて、余の双眼《さうがん》が今|危巖《きがん》の頂《いたゞ》きに達したるとき、余は蛇《へび》に睨《にら》まれた蟇《ひき》の如く、はたりと畫筆《ゑふで》を取り落した。
 緑《みど》りの枝を通す夕日を脊《せ》に、暮れんとする晩春の蒼黒《あをぐろ》く巖頭を彩《いろ》どる中に、楚然《そぜん》として織り出されたる女の顔は、――花下《くわか》に余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖《ふりそで》に余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。
 余が視線は、蒼白《あをじろ》き女の顔の眞中《まんなか》にぐさと釘付《くぎづ》けにされたぎり動かない。女もしなやかなる體?を伸《の》せる丈|伸《の》して、高い巖《いはほ》の上に一指も動かさずに立つて居る。此|一刹那《いつせつな》!
 余は覺えず飛び上つた。女はひらりと身をひねる。帶の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思つたら、既に向ふへ飛び下りた。夕日は樹梢《じゆせう》を掠《かす》めて、幽《かす》かに松の幹を染むる。熊笹は愈《いよ/\》青い。
 又驚かされた。
 
     十一
 
 山里《やまざと》の朧《おぼろ》に乘じてそゞろ歩く。觀海寺の石段を登りながら仰數春星《あふぎかぞふしゆんせい》一二三と云ふ句を得た。余は別に和尚に逢ふ用事もない。逢ふて雜話をする氣もない。偶然と宿を出でゝ足の向く所に任せてぶら/\するうち、つい此|石磴《せきとう》の下に出た。しばらく不許葷酒入山門《くんしゆさんもんにいるをゆるさず》と云ふ石を撫でゝ立つて居たが、急にうれしくなつて、登り出したのである。
 トリストラム、シヤンデーと云ふ書物のなかに、此書物程神の御覺召《おぼしめし》に叶《かな》ふた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力《じりき》で綴《つゞ》る。あとは只管《ひたすら》に神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見當が付かぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。從つて責任は著者にはないさうだ。余が散歩も亦|此《この》流儀を汲んだ、無責任の散歩である。只神を頼まぬ丈《だけ》が一層の無責任である。スターンは自分の責任を免《のが》れると同時に之を在天の神に嫁《か》した。引き受けて呉れる神を持たぬ余は遂に是を泥溝《どぶ》の中に棄てた。
 石段を登るにも骨を折つては登らない。骨が折れる位なら、すぐ引き返す。一段登つて佇《たゞず》むとき何となく愉快だ。それだから二段登る。二段目に詩が作りたくなる。黙然《もくねん》として、吾影を見る。角石《かくいし》に遮《さへぎ》られて三段に切れてゐるのは妙だ。妙だから又登る。仰いで天を望む。寐ぼけた奧から、小さい星がしきりに瞬《まばた》きをする。句になると思つて、又登る。かくして、余はとう/\、上迄登り詰めた。
 石段の上で思ひ出す。昔し鎌倉へ遊びに行つて、所謂《いはゆる》五山なるものを、ぐる/\尋ねて廻つた時、たしか圓覺寺《ゑんがくじ》の塔頭《たつちゆう》であつたらう、矢張りこんな風に石段をのそり/\と登つて行くと、門内から、黄《き》な法衣《ころも》を着た、頭の鉢の開いた坊主が出て來た。余は上《のぼ》る、坊主は下《くだ》る。すれ違つた時、坊主が鋭どい聲で何處へ御出《おいで》なさると問ふた。余は只|境内《けいだい》を拜見にと答へて、同時に足を停《と》めたら、坊主は直《たゞ》ちに、何もありませんぞと言ひ捨てゝ、すた/\下りて行つた。あまり洒落《しやらく》だから、余は少しく先《せん》を越された氣味で、段上に立つて、坊主を見送ると、坊主は、かの鉢《はち》の開いた頭を、振り立て/\、遂に姿を杉の木《こ》の間《ま》に隱した。其|間《あひだ》かつて一度も振り返つた事はない。成程《なるほど》禪僧は面白い。きび/\して居るなと、のつそり山門《さんもん》を這入《はい》つて、見ると、廣い庫裏《くり》も本堂も、がらんとして、人影は丸《まる》でない。余は其時に心からうれしく感じた。世の中にこんな洒落《しやらく》な人があつて、こんな洒落《しやらく》に、人を取り扱つてくれたかと思ふと、何となく氣分が晴々《せい/\》した。禪《ぜん》を心得て居たからと云ふ譯ではない。禪《ぜん》のぜの字も未だに知らぬ。只あの鉢の開いた坊主の所作《しよさ》が氣に入つたのである。
 世の中はしつこい、毒々しい、こせ/\した、其上づう/\しい、いやな奴で埋《うづま》つて居る。元來何しに世の中へ面《つら》を曝《さら》して居るんだか、解《げ》しかねる奴さへゐる。しかもそんな面《つら》に限つて大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのを以て、左《さ》も名誉の如く心得てゐる。五年も十年も人の臀《しり》に探偵《たんてい》をつけて、人のひる屁《へ》の勘定《かんぢやう》をして、それが人世だと思つてる。さうして人の前へ出て來て、御前は屁《へ》をいくつ、ひつた、いくつ、ひつたと頼みもせぬ事をヘへる。前へ出て云ふなら、それも參考にして、やらんでもないが、後《うし》ろの方から、御前は屁《へ》をいくつ、ひつた、いくつ、ひつたと云ふ。うるさいと云へば猶々《なほ/\》云ふ。よせと云へば益々《ます/\》云ふ。分つたと云つても、屁《へ》をいくつ、ひつた、ひつたと云ふ。さうして夫《それ》が處世の方針だと云ふ。方針は人々《にん/\》勝手である。只ひつた/\と云はずに黙つて方針を立てるがいゝ。人の邪魔になる方針は差し控へるのが禮義だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云ふなら、こつちも屁《へ》をひるのを以て、こつちの方針とする許りだ。さうなつたら日本も運《うん》の盡きだらう。
 かうやつて、美しい春の夜に、何等の方針も立てずに、あるいてるのは實際高尚だ。興|來《きた》れば興|來《きた》るを以て方針とする。興去れば興去るを以て方針とする。句を得れば、得た所に方針が立つ。得なければ、得ない所に方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。是が眞正の方針である。屁《へ》を勘定《かんぢやう》するのは人身攻撃の方針で、屁《へ》をひるのは正當防禦の方針で、かうやつて觀海寺の石段を登るのは隨縁放曠《ずゐえんはうくわう》の方針である。
 仰數春星《あふぎかぞふしゆんせい》一二三の句を得て、石磴《せきとう》を登りつくしたる時、朧《おぼろ》にひかる春の海が帶の如くに見えた。山門を入る。絶句《ぜつく》は纒める氣にならなくなつた。即座に已《や》めにする方針を立てる。
 石を甃《たゝ》んで庫裡《くり》に通ずる一筋道の右側は、岡つゝじの生垣《いけがき》で、垣の向《むかふ》は墓場であらう。左は本堂だ。屋根瓦《やねがはら》が高い所で、幽《かす》かに光る。數萬の甍《いらか》に、數萬の月が落ちた樣だと見上《みあげ》る。何所やらで鳩の聲がしきりにする。棟《むね》の下にでも住んで居るらしい。氣の所爲《せゐ》か、廂《ひさし》のあたりに白いものが、點々見える。糞《ふん》かも知れぬ。
 雨垂《あまだ》れ落ちの所に、妙な影が一列に並んでゐる。木とも見えぬ、草では無論ない。感じから云ふと岩佐又兵衛《いはさまたべゑ》のかいた、鬼《おに》の念佛《ねんぶつ》が、念佛をやめて、踴《をど》りを踴《をど》つて居る姿である。本堂の端《はじ》から端《はじ》迄、一列に行儀よく並んで躍《をど》つて居る。其影が又本堂の端《はじ》から端《はじ》迄一列に行儀よく並んで躍《をど》つて居る。朧夜《おぼろよ》にそゝのかされて、鉦《かね》も撞木《しゆもく》も、奉加帳《ほうがちやう》も打ちすてゝ、誘《さそ》ひ合《あは》せるや否や、此|山寺《やまでら》へ踴《をど》りに來たのだらう。
 近寄つて見ると大きな覇王樹《さぼてん》である。高さは七八尺もあらう、糸瓜《へちま》程な青い黄瓜《きうり》を、杓子《しやもじ》の樣に壓しひしやげて、柄《え》の方を下に、上へ上へと繼《つ》ぎ合《あは》せた樣に見える。あの杓子《しやもじ》がいくつ繼《つな》がつたら、御仕舞になるのか分らない。今夜のうちにも廂を突き破つて、屋根瓦の上|迄《まで》出さうだ。あの杓子《しやもじ》が出來る時には、何でも不意に、どこからか出て來て、ぴしやりと飛び付くに違ひない。古い杓子《しやもじ》が新しい小杓子《こしやもじ》を生んで、その小杓子《こしやもじ》が長い年月のうちに段々大きくなる樣には思はれない。杓子《しやもじ》と杓子《しやもじ》の連續が如何にも突飛《とつぴ》である。こんな滑稽な樹はたんとあるまい。しかも澄ましたものだ。如何なる是|佛《ぶつ》と問はれて、庭前《ていぜん》の柏樹子《はくじゆし》と答へた僧があるよしだが、もし同樣の問に接した場合には、余は一も二もなく、月下《げつか》の覇王樹《はわうじゆ》と應《こた》へるであらう。
 少時《せうじ》、晁補之《てうほし》と云ふ人の記行文を讀んで、未だに暗誦して居る句がある。「時に九月天高く露清く、山|空《むな》しく、月|明《あきら》かに、仰いで星斗《せいと》を視れば皆《みな》光《ひかり》大《だい》、たま/\人の上にあるがごとし、窓間《そうかん》の竹《たけ》數十|竿《かん》、相|摩戞《まかつ》して聲|切々《せつ/\》已《や》まず。竹間《ちくかん》の梅棕《ばいそう》森然として鬼魅《きび》の離立《りゝつ》笑?《せうひん》の?《じやう》のごとし。二三子相顧み、魄《はく》動いて寐《いぬ》るを得ず。遅明《ちめい》皆去る」と又口の内で繰り返して見て、思はず笑つた。此|覇王樹《さぼてん》も時と場合によれば、余の魄《はく》を動かして、見るや否や山を追ひ下げたであらう。刺《とげ》に手を觸れて見ると、いら/\と指をさす。
 石甃《いしだゝみ》を行き盡くして左へ折れると庫裏《くり》へ出る。庫裏の前に大きな木蓮《もくれん》がある。殆んど一《ひ》と抱《かゝへ》もあらう。高さは庫裏の屋根を拔いて居る。見上げると頭の上は枝である。枝の上も、亦枝である。さうして枝の重なり合つた上が月である。普通、枝があゝ重なると、下から空は見えぬ。花があれば猶《なほ》見えぬ。木蓮《もくれん》の枝はいくら重なつても、枝と枝の間はほがらかに隙《す》いてゐる。木蓮は樹下に立つ人の眼を亂す程の細い枝を徒《いたづ》らには張らぬ。花さへ明《あきら》かである。此|遙《はる》かなる下から見上げても一輪の花は、はつきりと一輪に見える。其一輪がどこ迄|簇《むら》がつて、どこ迄咲いて居るか分らぬ。それにも關《かゝは》らず一輪は遂に一輪で、一輪と一輪の間から、薄青い空が判然と望まれる。花の色は無論純白ではない。徒《いたづ》らに白いのは寒過ぎる。專《もつぱ》らに白いのは、ことさらに人の眼を奪ふ巧《たく》みが見える。木蓮の色は夫《それ》ではない。極度の白きをわざと避《さ》けて、あたゝかみのある淡黄《たんくわう》に、奧床しくも自《みづか》らを卑下《ひげ》して居る。余は石甃《いしだゝみ》の上に立つて、此おとなしい花が累々《るゐ/\》とどこ迄も空裏《くうり》に蔓《はびこ》る樣《さま》を見上げて、しばらく茫然として居た。眼に落つるのは花ばかりである。葉は一枚もない。
  木蓮の花許りなる空を瞻る
と云ふ句を得た。どこやらで、鳩がやさしく鳴き合ふて居る。
 庫裏《くり》に入る。庫裏は明け放してある。盗人《ぬすびと》は居らぬ國と見える。狗《いぬ》は固《もと》より吠えぬ。
 「御免」
と訪問《おとづ》れる。森《しん》として返事がない。
 「頼む」
と案内を乞ふ。鳩の聲がくうう/\と聞える。
 「頼みまあゝす」と大きな聲を出す。
 「おゝゝゝゝゝゝ」と遙《はる》かの向《むかふ》で答へたものがある。人の家を訪ふて、こんな返事を聞かされた事は決してない。やがて足音が廊下へ響くと、紙燭《しそく》の影が、衝立《ついたて》の向側にさした。小坊主がひよこりとあらはれる。了念《れうねん》であつた。
 「和尚《をしやう》さんは御出《おいで》かい」
 「居《を》られる。何しに御座つた」
 「温泉に居る畫工《ゑかき》が來たと、取次《とりつい》で御呉れ」
 「畫工《ゑかき》さんか。それぢや御上《おあが》り」
 「斷《こと》はらないでもいゝのかい」
 「よろしかろ」
 余は下駄を脱いで上がる。
 「行儀がわるい畫工《ゑかき》さんぢやな」
 「なぜ」
 「下駄を、よう御揃へなさい。そらこゝを御覽」と紙燭《しそく》を差しつける。黒い柱の眞中に、土間から五尺|許《ばか》りの高さを見計《みはから》つて、半紙を四つ切りにした上へ、何か認《したゝ》めてある。
 「そおら。讀めたろ。脚下《きやくか》を見よ、と書いてあるが」
 「成程《なるほど》」と余は自分の下駄を丁寧に揃へる。
 和尚の室は廊下を鍵《かぎ》の手に曲《まが》つて、本堂の横手にある。障子を恭《うや/\》しくあけて、恭《うや/\》しく敷居越しにつくばつた了念《れうねん》が、
 「あのう、志保田《しほだ》から、畫工《ゑかき》さんが來られました」と云ふ。甚《はなは》だ恐縮の體《てい》である。余は一寸|可笑《をか》しくなつた。
 「左樣か、是へ」
 余は了念《れうねん》と入れ代る。室が頗る狹い。中に圍炉裏《ゐろり》を切つて、鐵瓶《てつびん》が鳴る。和尚は向側に書見をして居た。
 「さあ是へ」と眼鏡《めがね》をはづして、書物を傍《かたはら》へおしやる。
 「了念。りようゝねえゝん」
 「はゝゝゝい」
 「座布團を上げんか」
 「はゝゝゝゝい」と了念は遠くで、長い返事をする。
 「よう、來られた。嘸《さぞ》退屈だろ」
 「あまり月がいゝから、ぶら/\來ました」
 「いゝ月ぢやな」と障子をあける。飛び石が二つ、松一本の外には何もない、平庭《ひらには》の向ふは、すぐ懸崖《けんがい》と見えて、眼の下に朧夜《おぼろよ》の海が忽ちに開ける。急に氣が大きくなつた樣な心持である。漁火《いさりび》がこゝ、かしこに、ちらついて、遙《はる》かの末は空に入つて、星に化《ば》ける積だらう。
 「是はいゝ景色。和尚さん、障子をしめて居るのは勿體《もつたい》ないぢやありませんか」
 「左樣《さう》よ。しかし毎晩見て居るからな」
 「何晩《いくばん》見てもいゝですよ、此景色は。私なら寐ずに見て居ます」
 「ハヽヽヽ。尤もあなたは畫工《ゑかき》だから、わしとは少し違ふて」
 「和尚さんだつて、うつくしいと思つてるうちは畫工《ゑかき》でさあ」
 「なる程それもさうぢやろ。わしも達磨《だるま》の畫《ゑ》位《ぐらゐ》は是で、かくがの。そら、こゝに掛けてある、此軸は先代がかゝれたのぢやが、中々ようかいとる」
 成程|達磨《だるま》の畫《ゑ》が小さい床《とこ》に掛つて居る。然し畫《ゑ》としては頗るまづいものだ。只《たゞ》俗氣《ぞくき》がない。拙《せつ》を蔽《おほ》はうと力《つと》めて居る所が一つもない。無邪氣な畫《ゑ》だ。此先代も矢張り此|畫《ゑ》の樣な構はない人であつたんだらう。
 「無邪氣な畫《ゑ》ですね」
 「わし等のかく畫《ゑ》はそれで澤山ぢや。氣象《きしやう》さへあらはれて居れば……」
 「上手で俗氣があるのより、いゝです」
 「はゝゝゝまあ、さうでも、賞めて置いてもらはう。時に近頃は畫工《ゑかき》にも博士があるかの」
 「畫工《ゑかき》の博士はありませんよ」
 「あ、左樣《さう》か。此間、何でも博士に一人逢ふた」
 「へえゝ」
 「博士と云ふとえらいものぢやろな」
 「えゝ。えらいんでせう」
 「畫工《ゑかき》にも博士がありさうなものぢやがな。なぜ無いだらう」
 「さういへば、和尚さんの方にも博士がなけりやならないでせう」
 「ハヽヽヽまあ、そんなものかな。――何とか云ふ人ぢやつたて、此間逢ふた人は――どこぞに名刺がある筈だが……」
 「どこで御逢ひです、東京ですか」
 「いやこゝで、東京へは、も二十年も出ん。近頃は電車とか云ふものが出來たさうぢやが、一寸乘つて見たい樣な氣がする」
 「つまらんものですよ。やかましくつて」
 「さうかな。蜀犬《しよくけん》日に吠《ほ》え、呉牛《ごぎう》月に喘《あへ》ぐと云ふから、わしの樣な田舍者は、却つて困るかも知れんてのう」
 「困りやしませんがね。つまらんですよ」
 「左樣《さう》かな」
 鐵瓶の口から烟が盛に出る。和尚は茶箪笥から茶器を取り出して、茶を注《つ》いでくれる。
 「番茶を一つ御上り。志保田の隱居さんの樣な甘《うま》い茶ぢやない」
 「いえ結構です」
 「あなたは、さうやつて、方々あるく樣に見受けるが矢張り畫《ゑ》をかく爲めかの」
 「えゝ。道具|丈《だけ》は持つてあるきますが、畫《ゑ》はかゝないでも構はないんです」
 「はあ、それぢや遊び半分かの」
 「さうですね。さう云つても善《い》いでせう。屁《へ》の勘定《かんぢやう》をされるのが、いやですからね」
 流石《さすが》の禪僧も、此語|丈《だけ》は解《げ》しかねたと見える。
 「屁《へ》の勘定《かんぢやう》た何かな」
 「東京に永く居ると屁《へ》の勘定《かんぢやう》をされますよ」
 「どうして」
 「ハヽヽヽヽ勘定《かんぢやう》丈ならいゝですが。人の屁《へ》を分析して、臀《しり》の穴が三角だの、四角だのつて餘計な事をやりますよ」
 「はあ、矢張り衛生の方かな」
 「衛生ぢやありません。探偵《たんてい》の方です」
 「探偵《たんてい》? 成程、それぢや警察ぢやの。一體警察の、巡査のて、何の役に立つかの。なけりやならんかいの」
 「さうですね、畫工《ゑかき》には入《い》りませんね」
 「わしにも入らんがな。わしはまだ巡査の厄介《やくかい》になつた事がない」
 「さうでせう」
 「しかし、いくら警察が屁《へ》の勘定《かんぢやう》をしたてゝ、構はんがな。澄《す》まして居たら。自分にわるい事がなけりや、なんぼ警察ぢやて、どうもなるまいがな」
 「屁《へ》位で、どうかされちや堪りません」
 「わしが小坊主のとき、先代がよう云はれた。人間は日本橋の眞中に臓腑《ざうふ》をさらけ出して、耻づかしくない樣にしなければ修業を積んだとは云はれんてな。あなたもそれ迄修業をしたらよかろ。旅|抔《など》はせんでも濟む樣になる」
 「畫工《ゑかき》になり澄《す》ませば、いつでもさうなれます」
 「それぢや畫工《ゑかき》になり澄《すま》したらよかろ」
 「屁《へ》の勘定《かんぢやう》をされちや、なり切れませんよ」
 「ハヽヽヽ。それ御覽。あの、あなたの泊《とま》つて居る、志保田の御那美さんも、嫁に入《い》つて歸つてきてから、どうも色々な事が氣になつてならん、ならんと云ふて仕舞にとう/\、わしの所へ法《ほふ》を問ひに來たぢやて。所が近頃は大分《だいぶ》出來てきて、そら、御覽。あの樣な譯のわかつた女になつたぢやて」
 「へえゝ、どうも只《たゞ》の女ぢやないと思ひました」
 「いや中々|機鋒《きほう》の鋭《する》どい女で――わしの所へ修業に來て居た泰安《たいあん》と云ふ若僧《にやくそう》も、あの女の爲めに、ふとした事から大事《だいじ》を窮明《きゆうめい》せんならん因縁《いんねん》に逢着《ほうちやく》して――今によい智識になるやうぢや」
 靜かな庭に、松の影が落ちる、遠くの海は、空の光りに應《こた》ふるが如く、應へざるが如く、有耶無耶《うやむや》のうちに微《かす》かなる、耀《かゞや》きを放《はな》つ。漁火《いさりび》は明滅す。
 「あの松の影を御覽」
 「奇麗ですな」
 「只《たゞ》奇麗かな」
 「えゝ」
 「奇麗な上に、風が吹いても苦にしない」
 茶碗に餘つた澁茶を飲み干して、糸底《いとぞこ》を上に、茶托《ちやたく》へ伏せて、立ち上《あが》る。
 「門|迄《まで》送つてあげよう。りようゝねえゝん。御客が御歸だぞよ」
 送られて、庫裏《くり》を出ると、鳩がくうゝう/\と鳴く。
 「鳩|程《ほど》可愛《かはい》いものはない、わしが、手をたゝくと、みな飛んでくる。呼んで見よか」
 月は愈《いよ/\》明るい。しん/\として、木蓮は幾朶《いくだ》の雲華《うんげ》を空裏《くうり》にフ《さゝ》げて居る。?寥《けつれう》たる春夜《しゆんや》の眞中《まなか》に、和尚ははたと掌《たなごゝろ》を拍《う》つ。聲は風中《ふうちゆう》に死して一羽の鳩も下りぬ。
 「下りんかいな。下りさうなものぢやが」
 了念は余の顔を見て、一寸《ちよつと》笑つた。和尚は鳩の眼が夜《よる》でも見えると思ふて居るらしい。氣樂なものだ。
 山門の所で、余は二人に別れる。見返へると、大きな丸い影と、小さな丸い影が、石甃《いしだゝみ》の上に落ちて、前後して庫裏の方に消えて行く。
 
     十二
 
 基督《キリスト》は最高度に藝術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー、ワイルドの説と記憶してゐる。基督《キリスト》は知らず。觀海寺の和尚の如きは、正《まさ》しく此資格を有《いう》して居ると思ふ。趣味があると云ふ意味ではない。時勢に通じてゐると云ふ譯でもない。彼は畫《ゑ》と云ふ名の殆んど下《くだ》すべからざる達磨《だるま》の幅《ふく》を掛けて、よう出來た抔《など》と得意である。彼は畫工に博士があるものと心得て居る。彼は鳩の眼を夜《よる》でも利くものと思つて居る。それにも關《かゝ》はらず、藝術家の資格があると云ふ。彼の心は底のない嚢《ふくろ》の樣に行き拔けである。何にも停滯《ていたい》して居らん。隨處《ずゐしよ》に動き去り、任意《にんい》に作《な》し去つて、些《さ》の塵滓《ぢんし》の腹部に沈澱《ちんでん》する景色《けしき》がない。もし彼の腦裏《なうり》に一點の趣味を貼《てふ》し得たならば、彼は之《ゆ》く所に同化して、行屎走尿《かうしそうねう》の際にも、完全たる藝術家として存在し得るだらう。余の如きは、探偵に屁《へ》の數を勘定《かんぢやう》される間は、到底畫家にはなれない。畫架に向ふ事は出來る。小手板《こていた》を握る事は出來る。然し畫工にはなれない。かうやつて、名も知らぬ山里へ來て、暮れんとする春色《しゆんしよく》のなかに五尺の痩?《そうく》を埋《うづ》めつくして、始めて、眞の藝術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。一たび此境界に入れば美の天下はわが有《いう》に歸する。尺素《せきそ》を染めず、寸?《すんけん》を塗らざるも、われは第一流の大畫工である。技《ぎ》に於て、ミケルアンゼロに及ばず、巧《たく》みなる事ラフハエルに讓る事ありとも、藝術家たるの人格に於て、古今の大家と歩武《ほぶ》を齊《ひとし》ふして、毫《がう》も遜《ゆづ》る所を見出し得ない。余は此温泉場へ來てから、未《ま》だ一枚の畫《ゑ》もかゝない。繪の具箱は醉興《すゐきよう》に、擔《かつ》いできたかの感さへある。人はあれでも畫家かと嗤《わら》ふかもしれぬ。いくら嗤はれても、今の余は眞の畫家である。立派な畫家である。かう云ふ境《きやう》を得たものが、名畫をかくとは限らん。然し名畫をかき得る人は必ず此|境《きやう》を知らねばならん。
 朝飯《あさめし》をすまして、一本の敷島をゆたかに吹かしたるときの余の觀想は以上の如くである。日は霞を離れて高く上《のぼ》つて居る。障子をあけて、後《うし》ろの山を眺めたら、蒼《あを》い樹が非常にすき通つて、例《れい》になく鮮《あざ》やかに見えた。
 余は常に空氣と、物象と、彩色の關係を宇宙《よのなか》で尤も興味ある研究の一と考へて居る。色を主にして空氣を出すか、物を主にして、空氣をかくか。又は空氣を主にして其うちに色と物とを織り出すか。畫《ゑ》は少しの氣合《きあひ》一つで色々な調子が出る。此調子は畫家自身の嗜好《しかう》で異《こと》なつてくる。それは無論であるが、時と場所とで、自《おの》づから制限されるのも亦《また》當前《たうぜん》である。英國人のかいた山水《さんすゐ》に明るいものは一つもない。明るい畫《ゑ》が嫌《きらひ》なのかも知れぬが、よし好きであつても、あの空氣では、どうする事も出來ない。同じ英人でもグーダル抔《など》は色の調子が丸《まる》で違ふ。違ふ筈である。彼は英人でありながら、かつて英國の景色《けいしよく》をかいた事がない。彼の畫題は彼の郷土にはない。彼の本國に比すると、空氣の透明の度の非常に勝《まさ》つて居る、埃及《エジプト》又は波斯邊《ペルシヤへん》の光景のみを擇《えら》んでゐる。從つて彼のかいた畫《ゑ》を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑ふ位|判然《はつきり》出來上つて居る。
 個人の嗜好はどうする事も出來ん。然し日本の山水《さんすゐ》を描《ゑが》くのが主意であるならば、吾々も亦日本固有の空氣と色を出さなければならん。いくら佛蘭西《フランス》の繪がうまいと云つて、其色を其儘に寫して、此が日本の景色《けいしよく》だとは云はれない。矢張り面《ま》のあたり自然に接して、朝な夕なに雲容烟態《うんようえんたい》を研究した揚句《あげく》、あの色こそと思つたとき、すぐ三脚几を擔《かつ》いで飛び出さなければならん。色は刹那に移る。一たび機を失《しつ》すれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。余が今見上げた山の端《は》には、滅多にこの邊で見る事の出來ない程な好《い》い色が充ちてゐる。折角來て、あれを逃《にが》すのは惜しいものだ。一寸寫してきやう。
 襖《ふすま》をあけて、椽側《えんがは》へ出ると、向ふ二階の障子に身を倚《も》たして、那美さんが立つて居る。顋《あご》を襟《えり》のなかへ埋《うづ》めて、横顔|丈《だけ》しか見えぬ。余が挨拶を仕樣《しやう》と思ふ途端《とたん》に、女は、左の手を落とした儘、右の手を風の如く動かした。閃《ひらめ》くは稻妻《いなづま》か、二折《ふたを》れ三折《みを》れ胸のあたりを、するりと走るや否や、かちりと音がして、閃《ひら》めきはすぐ消えた。女の左り手には九|寸《すん》五|分《ぶ》の白鞘《しらさや》がある。姿は忽ち障子の影に隱れた。余は朝つぱらから歌舞伎座《かぶきざ》を覗《のぞ》いた氣で宿を出る。
 門を出て、左へ切れると、すぐ岨道《そばみち》つゞきの、爪上《つまあが》りになる。鶯が所々《ところ/”\》で鳴く。左《ひだ》り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑が一面に植ゑてある。右には高からぬ岡が二つ程並んで、此所にもあるは蜜柑のみと思はれる。何年前か一度|此《この》地《ち》に來た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い師走《しはす》の頃であつた。其時蜜柑山に蜜柑がべた生《な》りに生《な》る景色を始めて見た。蜜柑取りに一枝賣つてくれと云つたら、幾顆《いくつ》でも上げましよ、持つて入《い》らつしやいと答へて、樹の上で妙な節の唄をうたひ出した。東京では蜜柑の皮でさへ藥種屋《やくしゆや》へ買ひに行かねばならぬのにと思つた。夜《よる》になると、頻りに銃《つゝ》の音がする。何だと聞いたら、獵師《れふし》が鴨《かも》をとるんだとヘへてくれた。其時は那美さんの、なの字も知らずに濟んだ。
 あの女を役者にしたら、立派な女形《をんながた》が出來る。普通の役者は、舞臺へ出ると、よそ行きの藝をする。あの女は家のなかで、常住《じやうぢゆう》芝居をして居る。しかも芝居をして居るとは氣がつかん。自然《しぜん》天然《てんねん》に芝居をして居る。あんなのを美的生活《びてきせいくわつ》とでも云ふのだらう。あの女の御蔭で畫《ゑ》の修業が大分《だいぶ》出來た。
 あの女の所作《しよさ》を芝居と見なければ、薄氣味がわるくて一日も居たゝまれん。義理とか人情とか云ふ、尋常の道具立《だうぐだて》を背景にして、普通の小説家の樣な觀察點からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。現實世界に在つて、余とあの女の間に纒綿《てんめん》した一種の關係が成り立つたとするならば、余の苦痛は恐らく言語《ごんご》に絶するだらう。余の此度の旅行は俗情を離れて、あく迄畫工になり切るのが主意であるから、眼に入るものは悉《こと/”\》く畫《ゑ》として見なければならん。能、芝居、若くは詩中の人物としてのみ觀察しなければならん。此《この》覺悟の眼鏡《めがね》から、あの女を覗《のぞ》いて見ると、あの女は、今迄見た女のうちで尤もうつくしい所作をする。自分でうつくしい藝をして見せると云ふ氣がない丈《だけ》に役者の所作よりも猶《なほ》うつくしい。
 こんな考《かんがへ》をもつ余を、誤解してはならん。社會の公民として不適當だ抔《など》と評しては尤《もつと》も不屆《ふとゞ》きである。善は行ひ難い、コは施《ほど》こしにくい、節操は守り安からぬ、義の爲めに命を捨てるのは惜しい。是等を敢《あへ》てするのは何人《なんびと》に取つても苦痛である。その苦痛を冒《をか》す爲めには、苦痛に打ち勝つ丈《だけ》の愉快がどこかに潜《ひそ》んで居らねばならん。畫《ゑ》と云ふも、詩と云ふも、あるは芝居と云ふも、此|悲酸《ひさん》のうちに籠《こも》る快感の別號に過ぎん。此|趣《おもむ》きを解し得て、始めて吾人の所作は壯烈にもなる、閑雅にもなる、凡《すべ》ての困苦に打ち勝つて、胸中一點の無上趣味を滿足せしめたくなる。肉體の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思はず、勇猛精進の心を驅《か》つて、人道の爲めに、鼎?《ていくわく》に烹《に》らるゝを面白く思ふ。若し人情なる狹き立脚地に立つて、藝術の定義を下し得るとすれば、藝術は、われ等ヘ育ある士人の胸裏に潜《ひそ》んで、邪《じや》を避《さ》け正《せい》に就《つ》き、曲《きよく》を斥《しりぞ》け直《ちよく》にくみし、弱《じやく》を扶《たす》け強《きやう》を挫《くじ》かねば、どうしても堪へられぬと云ふ一念の結晶して、燦《さん》として白日《はくじつ》を射返すものである。
 芝居氣があると人の行爲を笑ふ事がある。うつくしき趣味を貫《つらぬ》かんが爲めに、不必要なる犧牲を敢てするの人情に遠きを嗤《わら》ふのである。自然にうつくしき性格を發揮するの機會を待たずして、無理矢理に自己の趣味觀を衒《てら》ふの愚《ぐ》を笑ふのである。眞に個中《こちゆう》の消息《せうそく》を解し得たるものゝ嗤ふは其意を得て居る。趣味の何物たるをも心得ぬ下司《げす》下郎《げらう》の、わが卑《いや》しき心根に比較して他《た》を賤《いや》しむに至つては許《ゆる》し難い。昔《むか》し巖頭《がんとう》の吟《ぎん》を遺して、五十丈の飛瀑を直下して急湍《きふたん》に赴いた青年がある。余の視《み》る所にては、彼の青年は美の一字の爲めに、捨つべからざる命を捨てたるものと思ふ。死|其物《そのもの》は洵《まこと》に壯烈である、只|其《その》死を促《うな》がすの動機に至つては解し難い。去《さ》れども死|其物《そのもの》の壯烈をだに體し得ざるものが、如何にして藤村子《ふぢむらし》の所作を嗤ひ得べき。彼等は壯烈の最後を遂ぐるの情趣を味《あぢは》ひ得ざるが故に、たとひ正當の事情のもとにも、到底《たうてい》壯烈の最後を遂げ得べからざる制限ある點に於て、藤村子《ふぢむらし》よりは人格として劣等であるから、嗤《わら》ふ權利がないものと余は主張する。
 余は畫工である。畫工であればこそ趣味專門の男として、たとひ人情世界に墮在《だざい》するも、東西兩隣りの沒風流漢《ぼつふうりうかん》よりも高尚である。社會の一員として優に他をヘ育すべき地位に立つて居る。詩なきもの、畫《ゑ》なきもの、藝術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出來る。人情世界にあつて、美くしき所作は正である、義である、直《ちよく》である。正と義と直《ちよく》を行爲の上に於て示すものは天下の公民の模範である。
 しばらく人情界を離れたる余は、少なくとも此|旅中《りよちゆう》に人情界に歸る必要はない。あつては折角の旅が無駄になる。人情世界から、ぢやり/\する砂をふるつて、底にあまる、うつくしい金《きん》のみを眺めて暮さなければならぬ。余|自《みづか》らも社會の一員を以て任じては居らぬ。純粹なる專門畫家として、己《おの》れさへ、纒綿《てんめん》たる利害の累索《るゐさく》を絶つて、優《いう》に畫布裏《ぐわふり》に徃來して居る。况《いは》んや山をや水をや他人をや。那美さんの行爲動作と雖《いへ》ども只其儘の姿と見るより外に致し方がない。
 三丁程|上《のぼ》ると、向ふに白壁の一構《ひとかまへ》が見える。蜜柑のなかの住居《すまひ》だなと思ふ。道は間もなく二筋に切れる。白壁を横に見て左りへ折れる時、振り返つたら、下から赤い腰卷《こしまき》をした娘が上《あが》つてくる。腰卷が次第に盡きて、下から茶色の脛《はぎ》が出る。脛《はぎ》が出切《でき》つたら、藁草履《わらざうり》になつて、其藁草履が段々動いて來る。頭の上に山櫻が落ちかゝる。脊中《せなか》には光る海を負《しよつ》て居る。
 岨道《そばみち》を登り切ると、山の出鼻《でばな》の平《たひら》な所へ出た。北側は翠《みど》りを疊《たゝ》む春の峰で、今朝|椽《えん》から仰いだあたりかも知れない。南側には燒野とも云ふべき地勢が幅半丁程廣がつて、末は崩れた崖となる。崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村を跨《また》いで向《むかふ》を見れば、眼に入るものは言はずも知れた青海《あをうみ》である。
 路は幾筋もあるが、合ふては別れ、別れては合ふから、どれが本筋とも認められぬ。どれも路である代りに、どれも路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隱れたりして、どの筋につながるか見分のつかぬ所に變化があつて面白い。
 どこへ腰を据ゑたものかと、草のなかを遠近《をちこち》と徘徊《はいくわい》する。椽《えん》から見たときは畫《ゑ》になると思つた景色も、いざとなると存外纒まらない。色も次第に變つてくる。草原をのそつくうちに、何時《いつ》しか描《か》く氣がなくなつた。描《か》かぬとすれば、地位は構はん、どこへでも坐つた所がわが住居《すまひ》である。染《し》み込んだ春の日が、深く草の根に籠《こも》つて、どつかと尻を卸《おろ》すと、眼に入らぬ陽炎《かげろふ》を踏み潰した樣な心持ちがする。
 海は足の下に光る。遮《さへ》ぎる雲の一片《ひとひら》さへ持たぬ春の日影は、普《あま》ねく水の上を照らして、何時《いつ》の間《ま》にかほとぼりは波の底|迄《まで》浸み渡つたと思はるゝ程暖かに見える。色は一刷毛《ひとはけ》の紺青《こんじやう》を平《たひ》らに流したる所々に、しろかねの細鱗を疊んで濃《こま》やかに動いて居る。春の日は限り無き天《あめ》が下《した》を照らして、天《あめ》が下《した》は限りなき水を湛《たゝ》へたる間には、白き帆が小指の爪程に見えるのみである。然も其帆は全く動かない。徃昔《そのかみ》入貢《にふこう》の高麗船《こまぶね》が遠くから渡つてくるときには、あんなに見えたであらう。其外は大千世界《だいせんせかい》を極めて、照らす日の世、照らさるゝ海の世のみである。
 ごろりと寐る。帽子が額《ひたひ》をすべつて、やけに阿彌陀《あみだ》となる。所々の草を一二尺|抽《ぬ》いて、木瓜《ぼけ》の小株が茂つて居る。余が顔は丁度其一つの前に落ちた。木瓜《ぼけ》は面白い花である。枝は頑固で、かつて曲《まが》つた事がない。そんなら眞直《まつすぐ》かと云ふと、决して眞直でもない。只眞直な短かい枝に、眞直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜《しや》に構《かま》へつゝ全體が出來上つて居る。そこへ、紅《べに》だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔《やはら》かい葉さへちら/\着ける。評して見ると木瓜《ぼけ》は花のうちで、愚《おろ》かにして悟《さと》つたものであらう。世間には拙《せつ》を守《まも》ると云ふ人がある。此人が來世《らいせ》に生れ變ると屹度|木瓜《ぼけ》になる。余も木瓜《ぼけ》になりたい。
 小供のうち花の咲いた、葉のついた木瓜《ぼけ》を切つて、面白く枝振《えだぶり》を作つて、筆架《ひつか》をこしらへた事がある。それへ二錢五厘の水筆《すゐひつ》を立てかけて、白い穗が花と葉の間から、隱見《いんけん》するのを机へ載《の》せて樂んだ。其日は木瓜《ぼけ》の筆架ばかり氣にして寐た。あくる日、眼が覺めるや否や、飛び起きて、机の前へ行つて見ると、花は萎《な》へ葉は枯れて、白い穗|丈《だけ》が元の如く光つて居る。あんなに奇麗なものが、どうして、かう一晩のうちに、枯れるだらうと、その時は不審の念に堪へなかつた。今思ふと其時分の方が餘程|出世間的《しゆつせけんてき》である。
 寐るや否や眼についた木瓜《ぼけ》は二十年來の舊知己である。見詰めて居ると次第に氣が遠くなつて、いゝ心持ちになる。又詩興が浮ぶ。
 寐ながら考へる。一句を得るごとに寫生帖に記《しる》して行く。しばらくして出來上つた樣だ。始めから讀み直して見る。
  出門多所思。春風吹吾衣。芳草生車轍。廢道入霞微。停※[竹/(エ+卩)]而矚目。萬象帶晴暉。聽黄鳥宛轉。觀落英紛霏。行盡平蕪遠。題詩古寺扉。孤愁高雲際。大空斷鴻歸。寸心何窈窕。縹緲忘是非。三十我欲老。韶光猶依々。逍遙隨物化。悠然對芬菲。
 あゝ出來た、出來た。是で出來た。寐ながら木瓜《ぼけ》を觀て、世の中を忘れて居る感じがよく出た。木瓜《ぼけ》が出なくつても、海が出なくつても、感じさへ出れば夫《それ》で結構である。と唸りながら、喜んでゐると、エヘンと云ふ人間の咳拂《せきばらひ》が聞えた。こいつは驚いた。
 寐返りをして、聲の響いた方を見ると、山の出鼻を回つて、雜木《ざふき》の間から、一人の男があらはれた。
 茶の中折《なかを》れを被《かぶ》つてゐる。中折れの形は崩れて、傾《かたむ》く縁《へり》の下から眼が見える。眼の恰好はわからんが、慥《たし》かにきよろ/\ときよろつく樣だ。藍《あゐ》の縞物《しまもの》の尻を端折《はしよ》つて、素足《すあし》に下駄がけの出で立ちは、何だか鑑定がつかない。野生《やせい》の髯《ひげ》丈《だけ》で判斷すると正に野武士《のぶし》の價値はある。
 男は岨道《そばみち》を下りるかと思ひの外、曲り角から又引き返した。もと來た路へ姿をかくすかと思ふと、さうでもない。又あるき直してくる。此草原を、散歩する人の外に、こんなに行きつ戻りつするものはない筈だ。然しあれが散歩の姿であらうか。又あんな男が此|近邊《きんぺん》に住んで居るとも考へられない。男は時々立ち留る。首を傾ける。又は四方を見廻はす。大に考へ込む樣にもある。人を待ち合せる風にも取られる。何だかわからない。
 余は此|物騷《ぶつさう》な男から、ついに吾眼をはなす事ができなかつた。別に恐しいでもない、又|畫《ゑ》にしやうと云ふ氣も出ない。只眼をはなす事が出來なかつた。右から左、左りから右と、男に添ふて、眼を働かせてゐるうちに、男ははたと留つた。留ると共に、又ひとりの人物が、余が視界に點出《てんしゆつ》された。
 二人は双方《さうはう》で互に認識した樣に、次第に双方から近付いて來る。余が視界は漸々《だん/\》縮まつて、原の眞中で一點の狹き間に疊まれて仕舞ふ。二人は春の山を脊《せ》に、春の海を前に、ぴたりと向き合つた。
 男は無論例の野武士《のぶし》である。相手は? 相手は女である。那美《なみ》さんである。
 余は那美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。もしや懷《ふところ》に呑んで居りはせぬかと思つたら、さすが非人情《ひにんじやう》の余もたゞ、ひやりとした。
 男女は向き合ふた儘、しばらくは、同じ態度で立つて居る。動く景色《けしき》は見えぬ。口は動かして居るかも知れんが、言葉は丸《まる》で聞えぬ。男はやがて首を垂《た》れた。女は山の方を向く。顔は余の眼に入らぬ。
 山では鶯が啼く。女は鶯に耳を借《か》して、居るとも見える。しばらくすると、男が屹《きつ》と、垂れた首を擧げて、半《なか》ば踵《くびす》を回《めぐ》らしかける。尋常の樣《さま》ではない。女は颯《さつ》と體を開いて、海の方へ向き直る。帶の間から頭を出して居るのは懷劔《くわいけん》らしい。男は昂然《かうぜん》として、行きかゝる。女は二歩《ふたあし》許《ばか》り、男の踵《くびす》を縫《ぬ》ふて進む。女は草履ばきである。男の留《とま》つたのは、呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の右手《めて》は帶の間へ落ちた。あぶない!
 するりと拔け出たのは、九寸五分かと思ひの外、財布《さいふ》の樣な包み物である。差し出した白い手の下から、長い紐《ひも》がふら/\と春風《しゆんぷう》に搖れる。
 片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手頸に、紫《むらさき》の包。此《これ》丈《だけ》の姿勢で充分|畫《ゑ》にはならう。
 紫で一寸《ちよつと》切れた圖面が、二三寸の間隔をとつて、振り返る男の體《たい》のこなし具合で、うまい按排《あんばい》につながれてゐる。不即不離《ふそくふり》とは此刹那の有樣を形容すべき言葉と思ふ。女は前を引く態度で、男は後《しり》へに引かれた樣子だ。しかもそれが實際に引いてもひかれても居らん。兩者の縁《えん》は紫の財布《さいふ》の盡くる所で、ふつりと切れてゐる。
 二人の姿勢が此《かく》の如く美妙《びめう》な調和を保《たも》つて居ると同時に、兩者の顔と、衣服には飽迄《あくまで》、對照が認められるから、畫《ゑ》として見ると一層の興味が深い。
 脊《せ》のずんぐりした、色黒の、髯づらと、くつきり締つた細面《ほそおもて》に、襟の長い、撫肩《なでがた》の、華奢姿《きやしやすがた》。ぶつきら棒に身をひねつた下駄がけの野武士と、不斷着《ふだんぎ》の銘仙《めいせん》さへしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしく反《そ》り身に控へたる痩形《やさすがた》。はげた茶の帽子に、藍縞《あゐじま》の尻切《しりき》り出立《でだ》ちと、陽炎《かげろふ》さへ燃やすべき櫛目《くしめ》の通つた鬢《びん》の色に、黒繻子《くろじゆす》のひかる奧から、ちらりと見せた帶上の、なまめかしさ。凡《すべ》てが好畫題《かうぐわだい》である。
 男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧《たく》みに平均を保《たも》ちつゝあつた二人の位置は忽ち崩《くづ》れる。女はもう引かぬ、男は引かれうともせぬ。心的?態が繪を構成する上に、斯程《かほど》の影響を與へやうとは、畫家ながら、今迄氣がつかなかつた。
 二人は左右へ分かれる。双方に氣合《きあひ》がないから、もう畫《ゑ》としては、支離滅裂《しりめつれつ》である。雜木林《ざふきばやし》の入口で男は一度振り返つた。女は後《あと》をも見ぬ。すら/\と、こちらへ歩行《あるい》てくる。やがて余の眞正面《ましやうめん》迄來て、
 「先生、先生」
と二聲《ふたこゑ》掛けた。是はしたり、何時《いつ》目付《めつ》かつたらう。
 「何です」
と余は木瓜《ぼけ》の上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。
 「何をそんな所でして入《い》らつしやる」
 「詩を作つて寐てゐました」
 「うそを仰《おつ》しやい。今のを御覽でせう」
 「今の? 今の、あれですか。えゝ。少々拜見しました」
 「ホヽヽヽヽ少々でなくても、澤山御覽なさればいゝのに」
 「實の所は澤山拜見しました」
 「それ御覽なさい。まあ一寸《ちよつと》、こつちへ出て入《い》らつしやい。木瓜《ぼけ》の中から出て居《い》らつしやい」
 余は唯々《ゐゝ》として木瓜《ぼけ》の中から出て行く。
 「まだ木瓜《ぼけ》の中に御用があるんですか」
 「もう無いんです。歸らうかとも思ふんです」
 「それぢや御一所に參りませうか」
 「えゝ」
 余は再び唯々《ゐゝ》として、木瓜《ぼけ》の中に退《しりぞ》いて、帽子を被り、繪の道具を纒めて、那美さんと一所にあるき出す。
 「畫《ゑ》を御描きになつたの」
 「やめました」
 「こゝへ入《い》らしつて、まだ一枚も御描きなさらないぢやありませんか」
 「えゝ」
 「でも折角|畫《ゑ》をかきに入《い》らしつて、些《ちつ》とも御かきなさらなくつちや、詰《つま》りませんはね」
 「なに詰《つま》つてるんです」
 「おやさう。なぜ?」
 「何故《なぜ》でも、ちやんと詰まるんです。畫《ゑ》なんぞ描《か》いたつて、描《か》かなくつたつて、詰《つま》る所は同《おんな》じ事でさあ」
 「そりや洒落《しやれ》なの、ホヽヽヽヽ隨分|呑氣《のんき》ですねえ」
 「こんな所へくるからには、呑氣にでもしなくつちや、來た甲斐がないぢやありませんか」
 「なあに何處に居ても、呑氣にしなくつちや、生きてゐる甲斐はありませんよ。私なんぞは、今の樣な所を人に見られても耻かしくも何とも思ひません」
 「思はんでもいゝでせう」
 「さうですかね。あなたは今の男を一體何だと御思ひです」
 「さうさな。どうもあまり、金持ちぢやありませんね」
 「ホヽヽ善《よ》く中《あた》りました。あなたは占《うらな》ひの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本に居られないからつて、私に御金を貰ひに來たのです」
 「へえ、どこから來たのです」
 「城下《じやうか》から來ました」
 「隨分遠方から來たもんですね。それで、何所《どこ》へ行くんですか」
 「何でも滿洲《まんしう》へ行くさうです」
 「何しに行くんですか」
 「何しに行くんですか。御金を拾ひに行くんだか、死にゝ行くんだか、分りません」
 此時余は眼をあげて、ちよと女の顔を見た。今結んだ口元には、微かなる笑の影が消えかゝりつゝある。意味は解《げ》せぬ。
 「あれは、わたくしの亭主《ていしゆ》です」
 迅雷《じんらい》耳を掩《おほ》ふに遑《いとま》あらず、女は突然として一太刀《ひとたち》浴びせかけた。余は全く不意撃《ふいふち》を喰つた。無論そんな事を聞く氣はなし、女も、よもや、此所《こゝ》迄《まで》曝《さら》け出さうとは考へて居なかつた。
 「どうです、驚ろいたでせう」と女が云ふ。
 「えゝ、少々驚ろいた」
 「今の亭主ぢやありません、離縁《りえん》された亭主です」
 「なる程、それで……」
 「夫《それ》ぎりです」
 「さうですか。――あの蜜柑山に立派な白壁の家がありますね。ありや、いゝ地位にあるが、誰の家《うち》なんですか」
 「あれが兄の家《いへ》です。歸り路に一寸《ちよつと》寄つて、行きませう」
 「用でもあるんですか」
 「えゝ一寸《ちつと》頼まれものがあります」
 「一所に行きませう」
 岨道《そばみち》の登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、又一丁程を登ると、門がある。門から玄關へかゝらずに、すぐ庭口へ廻る。女が無遠慮につか/\行くから、余も無遠慮につか/\行く。南向きの庭に、棕梠《しゆろ》が三四本あつて、土塀の下はすぐ蜜柑畠である。
 女はすぐ、椽鼻《えんばな》へ腰をかけて、云ふ。
 「いゝ景色だ。御覽なさい」
 「成程、いゝですな」
 障子のうちは、靜かに人の氣合《けはひ》もせぬ。女は音なふ景色もない。只腰をかけて、蜜柑畠を見下《みおろ》して平氣でゐる。余は不思議に思つた。元來何の用があるのかしら。
 仕舞には話もないから、兩方共無言の儘で蜜柑畠を見下して居る。午《ご》に逼《せま》る太陽は、まともに暖かい光線を、山一面にあびせて、眼に餘る蜜柑の葉は、葉裏|迄《まで》、蒸《む》し返《かへ》されて耀《かゞ》やいてゐる。やがて、裏の納屋《なや》の方で、鷄《にはとり》が大きな聲を出して、こけこつこううと鳴く。
 「おやもう。御午《おひる》ですね。用事を忘れて居た。――久一《きういち》さん、久一《きういち》さん」
 女は及《およ》び腰《ごし》になつて、立て切つた障子を、からりと開《あ》ける。内は空《むな》しき十疊敷に、狩野派《かのうは》の双幅《さうふく》が空《むな》しく春の床を飾つて居る。
 「久一《きういち》さん」
 納屋《なや》の方で漸く返事がする。足音が襖《ふすま》の向《むかふ》でとまつて、からりと、開《あ》くが早いか、白鞘《しらさや》の短刀《たんたう》が疊の上へ轉《ころ》がり出す。
 「そら御伯父《をじ》さんの餞別《せんべつ》だよ」
 帶の間に、いつ手が這入《はい》つたか、余は少しも知らなかつた。短刀は二三度とんぼ返《がへ》りを打つて、靜かな疊の上を、久一《きういち》さんの足下《あしもと》へ走る。作《つく》りがゆる過ぎたと見えて、ぴかりと、寒いものが一|寸《すん》ばかり光つた。
 
     十三
 
 川舟《かはふね》で久一《きういち》さんを吉田の停車場《ステーシヨン》迄見送る。舟のなかに坐つたものは、送られる久一《きういち》さんと、送る老人と、那美さんと、那美さんの兄さんと、荷物の世話をする源兵衛と、それから余である。余は無論御|招伴《せうばん》に過ぎん。
 御招伴《おせうばん》でも呼ばれゝば行く。何の意味だか分らなくても行く。非人情の旅に思慮は入らぬ。舟は筏《いかだ》に縁《ふち》をつけた樣に、底が平《ひら》たい。老人を中に、余と那美さんが艫《とも》、久一《きういち》さんと、兄さんが、舳《みよし》に座をとつた。源兵衛は荷物と共に獨り離れてゐる。
 「久一《きういち》さん、軍《いく》さは好きか嫌ひかい」と那美さんが聞く。
 「出て見なければ分らんさ。苦しい事もあるだらうが、愉快な事も出て來るんだらう」と戰爭を知らぬ久一《きういち》さんが云ふ。
 「いくら苦しくつても、國家の爲めだから」と老人が云ふ。
 「短刀なんぞ貰ふと、一寸《ちよつと》戰爭に出て見たくなりやしないか」と女が又妙な事を聞く。久一《きういち》さんは、
 「さうさね」
と輕《かろ》く首肯《うけが》ふ。老人は髯《ひげ》を掀《かゝ》げて笑ふ。兄さんは知らぬ顔をして居る。
 「そんな平氣な事で、軍《いく》さが出來るかい」と女は、委細《ゐさい》構《かま》はず、白い顔を久一《きういち》さんの前へ突き出す。久一《きういち》さんと、兄さんが一寸《ちよつと》眼《め》を見合せた。
 「那美さんが軍人になつたら嘸《さぞ》強からう」兄さんが妹に話しかけた第一の言葉は是である。語調から察すると、たゞの冗談とも見えない。
 「わたしが? わたしが軍人? わたしが軍人になれりやとうになつてゐます。今頃は死んでゐます。久一《きういち》さん。御前も死ぬがいゝ。生きて歸つちや外聞《ぐわいぶん》がわるい」
 「そんな亂暴な事を――まあ/\、目出度《めでたく》凱旋《がいせん》をして歸つて來てくれ。死ぬ許《ばか》りが國家の爲めではない。わしもまだ二三年は生きる積りぢや。まだ逢へる」
 老人の言葉の尾を長く手繰《たぐる》と、尻が細くなつて、末は涙の糸になる。只《たゞ》男|丈《だけ》にそこ迄はだま〔二字傍点〕を出さない。久一《きういち》さんは何も云はずに、横を向いて、岸の方を見た。
 岸には大きな柳がある。下に小さな舟を繋《つな》いで、一人の男がしきりに垂綸《いと》を見詰めて居る。一行の舟が、ゆるく波足《なみあし》を引いて、其前を通つた時、此男は不圖《ふと》顔をあげて、久一《きういち》さんと眼を見合せた。眼を見合せた兩人《ふたり》の間には何らの電氣も通はぬ。男は魚《さかな》の事ばかり考へてゐる。久一《きういち》さんの頭の中には一尾の鮒《ふな》も宿《やど》る餘地がない。一行の舟は靜かに太公望《たいこうばう》の前を通り越す。
 日本橋《にほんばし》を通る人の數は、一|分《ぷん》に何百か知らぬ。もし橋畔《けうはん》に立つて、行く人の心に蟠《わだか》まる葛藤《かつとう》を一々に聞き得たならば、浮世《うきよ》は目眩《めまぐる》しくて生きづらからう。只知らぬ人で逢ひ、知らぬ人でわかれるから結句《けつく》日本橋に立つて、電車の旗を振る志願者も出て來る。太公望《たいこうばう》が、久一《きういち》さんの泣きさうな顔に、何等の説明をも求めなかつたのは幸《さいはひ》である。顧《かへ》り見《み》ると、安心して浮標《うき》を見詰めて居る。大方《おほかた》日露戰爭《にちろせんさう》が濟む迄見詰める氣だらう。
 川幅《かははゞ》はあまり廣くない。底は淺い。流れはゆるやかである。舷《ふなばた》に倚《よ》つて、水の上を滑つて、どこ迄行くか、春が盡きて、人が騷いで、鉢ち合せをしたがる所|迄《まで》行かねば已《や》まぬ。腥《なまぐさ》き一點の血を眉間《みけん》に印《いん》したる此青年は、余等一行を容赦《ようしや》なく引いて行く。運命の繩は此青年を遠き、暗き、物凄き北の國迄引くが故に、ある日、ある月、ある年の因果《いんぐわ》に、此青年と絡《から》み付けられたる吾等は、其因果の盡くる所迄此青年に引かれて行かねばならぬ。因果の盡くるとき、彼と吾等の間にふつと音がして、彼一人は否應《いやおう》なしに運命の手元迄|手繰《たぐ》り寄せらるゝ。殘る吾等も否應なしに殘らねばならぬ。頼んでも、もがいても、引いていて貰ふ譯には行かぬ。
 舟は面白い程やすらかに流れる。左右の岸には土筆《つくし》でも生えて居りさうな。土堤《どて》の上には柳《やなぎ》が多く見える。まばらに、低い家が其間から藁屋根《わらやね》を出し。煤《すゝ》けた窓を出し。時によると白い家鴨《あひる》を出す。家鴨《あひる》はがあ/\と鳴いて川の中|迄《まで》出て來る。
 柳と柳の間に的?《てきれき》と光るのは白桃《しろもゝ》らしい。とんかたんと機《はた》を織る音が聞える。とんかたんの絶間《たえま》から女の唄が、はあゝい、いようう――と水の上迄響く。何を唄ふのやら一向《いつかう》分らぬ。
 「先生、わたくしの畫《ゑ》をかいて下さいな」と那美さんが注文する。久一《きういち》さんは兄さんと、頻りに軍隊の話をして居る。老人はいつか居眠《ゐねむ》りをはじめた。
 「書いてあげませう」と寫生帖を取り出して、
  春風にそら解《ど》け繻子の銘は何
と書いて見せる。女は笑ひながら、
 「こんな一筆《ひとふで》がきでは、いけません。もつと私の氣象《きしやう》の出る樣に、丁寧にかいて下さい」
 「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔は夫れ丈《だけ》ぢや畫《ゑ》にならない」
 「御挨拶です事。それぢや、どうすれば畫《ゑ》になるんです」
 「なに今でも畫《ゑ》に出來ますがね。只少し足りない所がある。それが出ない所をかくと、惜しいですよ」
 「足りないたつて、持つて生《うま》れた顔だから仕方がありませんわ」
 「持つて生《うま》れた顔は色々になるものです」
 「自分の勝手にですか」
 「えゝ」
 「女だと思つて、人をたんと馬鹿になさい」
 「あなたが女だから、そんな馬鹿を云ふのですよ」
 「それぢや、あなたの顔を色々にして見せて頂戴」
 「是程毎日色々になつてれば澤山だ」
 女は黙つて向《むかふ》をむく。川縁《かはべり》はいつか、水とすれ/\に低く着いて、見渡す田のもは、一面《いちめん》のげん/\で埋《うづま》つてゐる。鮮《あざ》やかな紅《べに》の滴々《てき/\》が、いつの雨に流されてか、半分|溶《と》けた花の海は霞のなかに果《はて》しなく廣がつて、見上げる半空《はんくう》には崢エ《さうくわう》たる一|峰《ぽう》が半腹《はんぷく》から微《ほの》かに春の雲を吐いて居る。
 「あの山の向ふを、あなたは越して入《い》らしつた」と女が白い手を舷《ふなばた》から外《そと》へ出して、夢の樣な春の山を指《さ》す。
 「天狗岩《てんぐいは》はあの邊ですか」
 「あの翠《みどり》の濃い下の、紫に見える所がありませう」
 「あの日影の所ですか」
 「日影ですかしら。禿《は》げてるんでせう」
 「なあに凹《くぼ》んでるんですよ。禿《は》げて居りや、もつと茶に見えます」
 「さうでせうか。とも角、あの裏あたりになるさうです」
 「さうすると、七曲《なゝまが》りはもう少し左《ひだ》りになりますね」
 「七曲《なゝまが》りは、向ふへ、ずつと外《そ》れます。あの山の又一つ先きの山ですよ」
 「成程さうだつた。然し見當から云ふと、あのうすい雲が懸《かゝ》つてるあたりでせ う」
 「えゝ、方角はあの邊《へん》です」
 居眠をしてゐた老人は、舷《こべり》から、肘《ひぢ》を落して、ほいと眼をさます。
 「まだ着かんかな」
 胸膈《きようかく》を前へ出して、右の肘《ひぢ》を後《うし》ろへ張つて、左《ひだ》り手を眞直に伸《の》して、うゝんと欠伸《のび》をする序《ついで》に、弓を攣《ひ》く眞似をして見せる。女はホヽヽと笑ふ。
 「どうも是が癖で、……」
 「弓が御好と見えますね」と余も笑ひながら尋ねる。
 「若いうちは七分五厘まで引きました。押《お》しは存外今でも慥《たし》かです」と左の肩を叩いて見せる。舳《へさき》では戰爭談《せんさうだん》が酣《たけなは》である。
 舟は漸く町らしいなかへ這入《はい》る。腰障子に御肴《おんさかな》と書いた居酒屋《ゐざかや》が見える。古風《こふう》な繩暖簾《なはのれん》が見える。材木の置場《おきば》が見える。人力車の音さへ時々聞える。乙鳥《つばくろ》がちゝと腹を返して飛ぶ。家鴨《あひる》ががあ/\鳴く。一行は舟を捨てゝ停車場《ステーシヨン》に向ふ。
 愈《いよ/\》現實世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現實世界と云ふ。汽車程二十|世紀《せいき》の文明を代表するものはあるまい。何百と云ふ人間を同じ箱へ詰めて轟《ぐわう》と通る。情《なさ》け容赦《ようしや》はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場《ステーシヨン》へとまつてさうして、同樣に蒸?《じようき》の恩澤《おんたく》に浴《よく》さねばならぬ。人は汽車へ乘ると云ふ。余は積み込まれると云ふ。人は汽車で行くと云ふ。余は運搬《うんぱん》されると云ふ。汽車|程《ほど》個性を輕蔑したものはない。文明はあらゆる限《かぎ》りの手段をつくして、個性を發達せしめたる後、あらゆる限りの方法によつて此個性を踏み付け樣《やう》とする。一人前《ひとりまへ》何坪何合かの地面を與へて、此地面のうちでは寐るとも起きるとも勝手にせよと云ふのが現今の文明である。同時に此何坪何合の周圍に鐵柵《てつさく》を設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと威嚇《おど》かすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を擅《ほしいまゝ》にしたものが、此|鐵柵《てつさく》外にも自由を擅《ほしいまゝ》にしたくなるのは自然の勢《いきほひ》である。憐《あはれ》むべき文明の國民は日夜に此鐵柵に?み付いて咆哮《はうかう》して居る。文明は個人に自由を與へて虎の如く猛《たけ》からしめたる後、之を檻穽《かんせい》の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつゝある。此平和は眞の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨《にら》めて、寐轉《ねころ》んで居ると同樣な平和である。檻《をり》の鐵棒《てつぼう》が一本でも拔けたら――世は滅茶々々《めちや/\》になる。第二の佛蘭西革命《フランスかくめい》は此時に起るのであらう。個人の革命は今既に日夜《にちや》に起りつゝある。北歐の偉人イブセンは此革命の起るべき?態に就て具《つぶ》さに其例證を吾人に與へた。余は汽車の猛烈に、見界《みさかひ》なく、凡ての人を貨物同樣に心得て走る樣《さま》を見る度に、客車のうちに閉《と》ぢ籠《こ》められたる個人と、個人の個性に寸毫《すんがう》の注意をだに拂はざる此|鐵車《てつしや》とを比較して、――あぶない、あぶない。氣を付けねばあぶないと思ふ。現代の文明は此あぶないで鼻を衝《つ》かれる位充滿してゐる。おさき眞闇《まつくら》に盲動《まうどう》する汽車はあぶない標本の一つである。
 停車場《ステーシヨン》前の茶店に腰を下ろして、蓬餠《よもぎもち》を眺めながら汽車論を考へた。是は寫生帖へかく譯にも行かず、人に話す必要もないから、だまつて、餠を食ひながら茶を飲む。
 向ふの床几には二人かけて居る。等しく草鞋穿《わらぢば》きで、一人は赤毛布《あかげつと》、一人は千草色《ちくさいろ》の股引《もゝひき》の膝頭《ひざがしら》に繼布《つぎ》をあてゝ、繼布《つぎ》のあたつた所を手で抑へてゐる。
 「矢つ張り駄目かね」
 「駄目さあ」
 「牛の樣に胃袋が二つあると、いゝなあ」
 「二つあれば申し分はなえさ、一つが惡《わ》るくなりや、切つて仕舞へば濟むから」
 此|田舍者《ゐなかもの》は胃病と見える。彼等は滿洲《まんしう》の野《の》に吹く風の臭《にほ》ひも知らぬ。現代文明の弊《へい》をも見認《みと》めぬ。革命とは如何なるものか、文字さへ聞いた事もあるまい。或は自己の胃袋が一つあるか二つあるか夫《それ》すら辨《べん》じ得んだらう。余は寫生帖を出して、二人の姿を描《か》き取つた。
 ぢやらん/\と號鈴《ベル》が鳴る。切符《きつぷ》は既に買ふてある。
 「さあ、行きましよ」と那美さんが立つ。
 「どうれ」と老人も立つ。一行は揃《そろ》つて改札場《かいさつば》を通り拔けて、プラツトフオームへ出る。號鈴《ベル》がしきりに鳴る。
 轟《ぐわう》と音がして、白く光る鐵路の上を、文明の長蛇が蜿蜒《のたくつ》て來る。文明の長蛇は口から黒い烟を吐く。
 「愈《いよ/\》御別かれか」と老人が云ふ。
 「それでは御機嫌よう」と久一《きういち》さんが頭を下げる。
 「死んで御出《おい》で」と那美さんが再び云ふ。
 「荷物は來たかい」と兄さんが聞く。
 蛇は吾々の前でとまる。横腹の戸がいくつもあく。人が出たり、這入《はい》つたりする。久一《きういち》さんは乘つた。老人も兄さんも、那美さんも、余もそとに立つて居る。
 車輪が一つ廻れば久一さんは既に吾等が世の人ではない。遠い、遠い世界へ行つて仕舞ふ。其世界では烟硝《えんせう》の臭《にほ》ひの中で、人が働いて居る。さうして赤いものに滑つて、無暗に轉ぶ。空では大きな音がどゞん/\と云ふ。是からさう云ふ所へ行く久一《きういち》さんは車のなかに立つて無言《むごん》の儘、吾々を眺めて居る。吾々を山の中から引き出した久一《きういち》さんと、引き出された吾々の因果《いんぐわ》はこゝで切れる。もう既に切れかゝつて居る。車の戸と窓があいて居る丈《だけ》で、御互の顔が見える丈で、行く人と留まる人の間が六尺|許《ばか》り隔《へだゝ》つて居る丈《だけ》で、因果はもう切れかゝつてゐる。
 車掌が、ぴしやり/\と戸を閉《た》てながら、此方《こちら》へ走つて來る。一つ閉《た》てる毎《ごと》に、行く人と、送る人の距離は益《ます/\》遠くなる。やがて久一《きういち》さんの車室の戸もぴしやりとしまつた。世界はもう二つに爲つた。老人は思はず窓側《まどぎは》へ寄る。青年は窓から首を出す。
 「あぶない。出ますよ」と云ふ聲の下から、未練《みれん》のない鐵車《てつしや》の音がごつとり/\と調子を取つて動き出す。窓は一つ一つ、余等《われ/\》の前を通る。久一《きういち》さんの顔が小さくなつて、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、又一つ顔が出た。
 茶色のはげた中折帽の下から、髯だらけな野武士が名殘《なご》り惜氣《をしげ》に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思はず顔を見合《みあは》せた。鐵車《てつしや》はごとり/\と運轉する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然《ばうぜん》として、行く汽車を見送る。其茫然のうちには不思議にも今迄かつて見た事のない「憐《あは》れ」が一面《いちめん》に浮《う》いてゐる。
 「それだ! それだ! それが出れば畫《ゑ》になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小聲に云つた。余が胸中の畫面は此|咄嗟《とつさ》の際に成就《じやうじゆ》したのである。
                 2005年12月10日(土)午後2時28分、修正終了
                 2017年2月18日(土)午前11時5分、再修正終了
 
   二百十日
      ――明治三九、一〇、一――
 
     一
 
 ぶらりと兩手を垂《さ》げた儘、圭《けい》さんがどこからか歸つて來る。
 「何所《どこ》へ行つたね」
 「一寸《ちよつと》、町を歩行《ある》いて來た」
 「何か觀るものがあるかい」
 「寺が一軒あつた」
 「夫《それ》から」
 「銀杏《いてふ》の樹が一本、門前《もんぜん》にあつた」
 「夫《それ》から」
 「銀杏《いてふ》の樹から本堂迄、一丁半|許《ばか》り、石が敷き詰めてあつた。非常に細長い寺だつた」
 「這入《はい》つて見たかい」
 「やめて來た」
 「其|外《ほか》に何もないかね」
 「別段何もない。一體、寺と云ふものは大概の村にはあるね、君」
 「さうさ、人間の死ぬ所には必ずある筈ぢやないか」
 「成程さうだね」と圭《けい》さん、首を捻《ひね》る。圭さんは時々妙な事に感心する。しばらくして、捻《ひ》ねつた首を眞直にして、圭さんがかう云つた。
 「夫《それ》から鍛冶屋《かぢや》の前で、馬の沓《くつ》を替《か》へる所を見て來たが實に巧《たく》みなものだね」
 「どうも寺|丈《だけ》にしては、ちと、時間が長過ぎると思つた。馬の沓《くつ》がそんなに珍しいかい」
 「珍らしくなくつても、見たのさ。君、あれに使ふ道具が幾通《いくとほ》りあると思ふ」
 「幾通《いくとほ》りあるかな」
 「あてゝ見給へ」
 「あてなくつても好《い》いからヘへるさ」
 「何でも七つ許《ばか》りある」
 「そんなにあるかい。何と何だい」
 「何と何だつて、慥《たし》かにあるんだよ。第一爪をはがす鑿《のみ》と、鑿を敲《たゝ》く槌《つち》と、夫《それ》から爪を削《けづ》る小刀と、爪を刳《ゑぐ》る妙《めう》なものと、夫《それ》から……」
 「夫《それ》から何があるかい」
 「夫《それ》から變なものが、まだ色々あるんだよ。第一馬の大人《おとな》しいには驚ろいた。あんなに、削《けづ》られても、刳《ゑぐ》られても平氣で居るぜ」
 「爪だもの。人間だつて、平氣で爪を剪《き》るぢやないか」
 「人間はさうだが馬だぜ、君」
 「馬だつて、人間だつて爪に變りはないやね。君は餘つ程|呑氣《のんき》だよ」
 「呑氣《のんき》だから見てゐたのさ。然し薄暗い所で赤い鐵を打つと奇麗だね。ぴち/\火花《ひばな》が出る」
 「出るさ、東京の眞中でも出る」
 「東京の眞中でも出る事は出るが、感じが違ふよ。かう云ふ山の中の鍛冶屋《かぢや》は第一、音から違ふ。そら、此所《こゝ》迄《まで》聞えるぜ」
 初秋《はつあき》の日脚《ひあし》は、うそ寒く、遠い國の方へ傾《かたむ》いて、淋《さび》しい山里の空氣が、心細い夕暮《ゆふぐ》れを促《うな》がすなかに、かあん/\と鐵を打つ音がする。
 「聞えるだらう」と圭《けい》さんが云ふ。
 「うん」と碌《ろく》さんは答へたぎり黙然《もくねん》として居る。隣りの部屋で何だか二人しきりに話をしてゐる。
 「そこで、その、相手《あひて》が竹刀《しなひ》を落したんだあね。すると、その、ちよいと、小手《こて》を取つたんだあね」
 「ふうん。とう/\小手《こて》を取られたのかい」
 「とう/\小手《こて》を取られたんだあね。ちよいと小手《こて》を取つたんだが、そこがそら、竹刀《しなひ》を落したものだから、どうにも、かうにも仕樣がないやあね」
 「ふうん。竹刀《しなひ》を落したのかい」
 「竹刀《しなひ》は、そら、さつき、落して仕舞つたあね」
 「竹刀《しなひ》を落して仕舞つて、小手《こて》を取られたら困るだらう」
 「困らあゝね。竹刀《しなひ》も小手《こて》も取られたんだから」
 二人の話しはどこ迄行つても竹刀《しなひ》と小手《こて》で持ち切つて居る。黙然《もくねん》として、對坐してゐた圭さんと碌さんは顔を見合はして、にやりと笑つた。
 かあん/\と鐵を打つ音が靜かな村へ響き渡る。癇走《かんばし》つた上に何だか心細い。
 「まだ馬の沓《くつ》を打つてる。何だか寒いね、君」と圭さんは白い浴衣《ゆかた》の下で堅くなる。碌さんも同じく白地《しろぢ》の單衣《ひとへ》の襟《えり》をかき合せて、だらしのない膝頭《ひざがしら》を行儀《ぎやうぎ》よく揃へる。やがて圭《けい》さんが云ふ。
 「僕の小供の時住んでた町の眞中に、一軒|豆腐屋《とうふや》があつてね」
 「豆腐屋があつて?」
 「豆腐屋があつて、其豆腐屋の角《かど》から一丁|許《ばか》り爪先上《つまさきあ》がりに上がると寒磬寺《かんけいじ》と云ふ御寺があつてね」
 「寒磬寺《かんけいじ》と云ふ御寺がある?」
 「ある。今でもあるだらう。門前から見ると只|大竹藪《おほたけやぶ》ばかり見えて、本堂も庫裏《くり》もない樣だ。其御寺で毎朝四時頃になると、誰だか鉦《かね》を敲《たゝ》く」
 「誰だか鉦《かね》を敲《たゝ》くつて、坊主が敲《たゝ》くんだらう」
 「坊主だか何だか分らない。只竹の中でかん/\と幽《かす》かに敲《たゝ》くのさ。冬の朝なんぞ、霜が強く降つて、布團のなかで世の中の寒さを一二寸の厚さに遮《さへ》ぎつて聞いてゐると、竹藪のなかから、かん/\響いてくる。誰が敲《たゝ》くのだか分らない。僕は寺の前を通る度に、長い石甃《いしだゝみ》と、倒れかゝつた山門《さんもん》と、山門を埋《うづ》め盡くす程な大竹藪を見るのだが、一度も山門のなかを覗いた事がない。只竹藪のなかで敲《たゝ》く鉦《かね》の音|丈《だけ》を聞いては、夜具の裏《うち》で海老《えび》の樣になるのさ」
 「海老《えび》の樣になるつて?」
 「うん。海老《えび》の樣になつて、口のうちで、かん/\、かん/\と云ふのさ」
 「妙だね」
 「すると、門前の豆腐屋が屹度《きつと》起きて、雨戸《あまど》を明ける。ぎつ/\と豆を臼で挽《ひ》く音がする。ざあ/\と豆腐の水を易《か》へる音がする」
 「君の家《うち》は全體どこにある譯だね」
 「僕のうちは、つまり、そんな音が聞える所にあるのさ」
 「だから、何處にある譯だね」
 「すぐ傍《そば》さ」
 「豆腐屋の向《むかふ》か、隣りかい」
 「なに二階さ」
 「どこの」
 「豆腐屋の二階さ」
 「へえゝ。そいつは……」と碌《ろく》さん驚ろいた。
 「僕は豆腐屋の子だよ」
 「へえゝ。豆腐屋かい」と碌さんは再び驚ろいた。
 「夫《それ》から垣根の朝顔が、茶色に枯れて、引つ張るとがら/\鳴る時分、白い靄《もや》が一面に降《お》りて、町の外《はづ》れの瓦斯燈《ガスとう》に灯《ひ》がちら/\すると思ふと又|鉦《かね》が鳴る。かん/\竹の奧で冴《さ》えて鳴る。夫《それ》から門前の豆腐屋が此|鉦《かね》を合圖に、腰障子《こししやうじ》をはめる」
 「門前の豆腐屋と云ふが、それが君のうちぢやないか」
 「僕のうち、即ち門前の豆腐屋が腰障子《こししやうじ》をはめる。かん/\と云ふ聲を聞きながら僕は二階へ上がつて布團を敷いて寐る。――僕のうちの吉原揚《よしはらあげ》は旨《うま》かつた。近所で評判だつた」
 隣り座敷の小手《こて》と竹刀《しなひ》は双方とも大人《おとな》しくなつて、向ふの椽側では、六十餘りの肥《ふと》つた爺さんが、丸い脊《せ》を柱にもたして、胡坐《あぐら》の儘、毛拔《けぬ》きで顋《あご》の髯《ひげ》を一本々々に拔いて居る。髯の根をうんと抑へて、ぐいと拔くと、毛拔は下へ彈《は》ね返り、顋は上へ反《そ》り返る。丸《まる》で器械の樣に見える。
 「あれは何日《いくか》掛つたら拔けるだらう」と碌《ろく》さんが圭《けい》さんに質問をかける。
 「一生懸命にやつたら半日位で濟むだらう」
 「さうは行《い》くまい」と碌さんが反對する。
 「さうかな。ぢや一日《いちんち》かな」
 「一日《いちんち》や二日《ふつか》で奇麗に拔けるなら譯はない」
 「さうさ、ことによると一週間もかゝるかね。見給へ、あの丁寧に顋を撫《な》で廻しながら拔いてるのを」
 「あれぢや。古いのを拔いちまはないうちに、新しいのが生えるかも知れないね」
 「兎に角痛い事だらう」と圭さんは話頭《わとう》を轉じた。
 「痛いに違ひないね。忠告してやらうか」
 「なんて」
 「よせつてさ」
 「餘計な事だ。それより幾日《いくか》掛つたら、みんな拔けるか聞いて見《み》樣《やう》ぢやないか」
 「うん、よからう。君が聞くんだよ」
 「僕はいやだ、君が聞くのさ」
 「聞いても好《い》いが詰らないぢやないか」
 「だから、まあ、よさうよ」と圭さんは自己の申《まを》し出《だ》しを惜氣《をしげ》もなく撤回した。
 一度途切れた村鍛冶《むらかぢ》の音は、今日山里に立つ秋を、幾重《いくへ》の稻妻に碎く積りか、かあん/\と澄み切つた空の底に響き渡る。
 「あの音を聞くと、どうしても豆腐屋の音が思ひ出される」と圭さんが腕組《うでぐみ》をしながら云ふ。
 「全體《ぜんたい》豆腐屋の子がどうして、そんなになつたもんだね」
 「豆腐屋の子がどんなになつたのさ」
 「だつて豆腐屋らしくないぢやないか」
 「豆腐屋だつて、肴屋《さかなや》だつて――なろうと思へば、何にでもなれるさ」
 「さうさな、つまり頭だからね」
 「頭ばかりぢやない。世の中には頭のいゝ豆腐屋が何人ゐるか分らない。夫《それ》でも生涯豆腐屋さ。氣の毒なものだ」
 「それぢや何だい」と碌《ろく》さんが小供らしく質問する。
 「何だつて君、矢つ張りならうと思ふのさ」
 「ならうと思つたつて、世の中がしてくれないのが大分《だいぶ》あるだらう」
 「だから氣の毒だと云ふのさ。不公平な世の中に生れゝば仕方がないから、世の中がしてくれなくても何でも、自分でならうと思ふのさ」
 「思つて、なれなければ?」
 「なれなくつても何でも思ふんだ。思つてるうちに、世の中が、してくれる樣になるんだ」と圭さんは横着を云ふ。
 「さう注文通りに行《い》けば結構だ。ハヽヽヽ」
 「だつて僕は今日迄さうして來たんだもの」
 「だから君は豆腐屋らしくないと云ふのだよ」
 「是から先、又豆腐屋らしくなつて仕舞ふかも知れないかな。厄介《やくかい》だな。ハヽヽヽ」
 「なつたら、どうする積りだい」
 「なれば世の中がわるいのさ。不公平な世の中を公平にしてやらうと云ふのに、世の中が云ふ事をきかなければ、向《むかふ》の方が惡いのだらう」
 「然し世の中も何だね、君、豆腐屋がえらくなる樣なら、自然えらい者が豆腐屋になる譯だね」
 「えらい者た、どんな者だい」
 「えらい者つて云ふのは、何さ。例《たと》へば華族《くわぞく》とか金持とか云ふものさ」と碌さんはすぐ樣えらい者を説明して仕舞ふ。
 「うん華族や金持か、ありや今でも豆腐屋ぢやないか、君」
 「其豆腐屋|連《れん》が馬車へ乘つたり、別莊を建てたりして、自分|丈《だけ》の世の中の樣な顔をしてゐるから駄目だよ」
 「だから、そんなのは、本當の豆腐屋にして仕舞ふのさ」
 「こつちがする氣でも向《むかふ》がならないやね」
 「ならないのをさせるから、世の中が公平になるんだよ」
 「公平に出來れば結構だ。大いにやり給へ」
 「やり給へぢやいけない。君もやらなくつちあ。――只《たゞ》、馬車へ乘つたり、別莊を建てたりする丈《だけ》ならいゝが、無暗に人を壓逼《あつぱく》するぜ、あゝ云ふ豆腐屋は。自分が豆腐屋の癖に」と圭さんはそろ/\慷慨《かうがい》し始める。
 「君はそんな目に逢つた事があるのかい」
 圭さんは腕組をした儘ふゝんと云つた。村鍛冶の音は不相變《あひかはらず》かあん/\と鳴る。
 「まだ、かん/\遣《や》つてる。――おい僕の腕は太いだらう」と圭さんは突然腕まくりをして、黒い奴を碌さんの前に壓し付けた。
 「君の腕は昔から太いよ。さうして、いやに黒いね。豆を磨《ひ》いた事があるのかい」
 「豆も磨《ひ》いた、水も汲んだ。――おい、君|粗忽《そこつ》で人の足を踏んだらどつちが謝《あや》まるものだらう」
 「踏んだ方が謝《あや》まるのが通則の樣だな」
 「突然、人の頭を張り付けたら?」
 「そりや氣違《きちがひ》だらう」
 「氣狂《きちがひ》なら謝《あや》まらないでもいゝものかな」
 「さうさな。謝《あや》まらさす事が出來れば、謝《あや》まらさす方がいゝだらう」
 「それを氣違《きちがひ》の方で謝《あや》まれつて云ふのは驚ろくぢやないか」
 「そんな氣違《きちがひ》があるのかい」
 「今の豆腐屋|連《れん》はみんな、さう云ふ氣違《きちがひ》ばかりだよ。人を壓迫《あつぱく》した上に、人に頭を下げさせ樣とするんだぜ。本來なら向《むかふ》が恐れ入るのが人間だらうぢやないか、君」
 「無論それが人間さ。然し氣違《きちがひ》の豆腐屋なら、うつちやつて置くより外《ほか》に仕方があるまい」
 圭さんは再びふゝんと云つた。しばらくして、
 「そんな氣違《きちがひ》を搨キさせる位なら、世の中に生れて來ない方がいゝ」と獨《ひと》り言《ごと》の樣につけた。
 村鍛冶の音は、會話が切れる度に靜かな里の端《はじ》から端《はじ》迄かあん/\と響く。
 「頻《しき》りにかん/\やるな。どうも、あの音は寒磬寺《かんけいじ》の鉦《かね》に似てゐる」
 「妙に氣に掛るんだね。其|寒磬寺《かんけいじ》の鉦《かね》の音と、氣違の豆腐屋とでも何か關係があるのかい。――全體君が豆腐屋の伜《せがれ》から、今日《こんにち》迄に變化した因縁《いんねん》はどう云ふ筋道なんだい。少し話して聞かせないか」
 「聞かせてもいゝが、何だか寒いぢやないか。ちよいと夕飯《ゆふめし》前に温泉《ゆ》に這入《はい》らう。君いやか」
 「うん這入《はい》らう」
 圭さんと碌さんは手拭をぶら下げて、庭へ降りる。棕梠緒《しゆろを》の貸下駄《かしげた》には都らしく宿の燒印《やきいん》が押してある。
 
     二
 
 「此湯は何に利《き》くんだらう」と豆腐屋の圭さんが湯槽《ゆぶね》のなかで、ざぶ/\やりながら聞く。
 「何に利くかなあ。分析表《ぶんせきへう》を見ると、何にでも利く樣だ。――君そんなに、臍《へそ》ばかりざぶ/\洗つたつて、出臍《でべそ》は癒《なほ》らないぜ」
 「純透明《じゆんとうめい》だね」と出臍《でべそ》の先生は、兩手に温泉《ゆ》を掬《く》んで、口へ入れて見る。やがて、
 「味も何もない」と云ひながら、流しへ吐き出した。
 「飲んでもいゝんだよ」と碌さんはがぶ/\飲む。
 圭さんは臍《へそ》を洗ふのをやめて、湯槽《ゆぶね》の縁《ふち》へ肘《ひぢ》をかけて漫然《まんぜん》と、硝子越《ガラスご》しに外を眺めて居る。碌さんは首《くび》丈《だけ》湯に漬かつて、相手の臍から上を見上げた。
 「どうも、いゝ體格《からだ》だ。全く野生《やせい》の儘だね」
 「豆腐屋出身だからなあ。體格《からだ》が惡《わ》るいと華族や金持ちと喧嘩《けんくわ》は出來ない。こつちは一人|向《むかふ》は大勢だから」
 「さも喧嘩の相手がある樣な口振《くちぶり》だね。當《たう》の敵《てき》は誰だい」
 「誰でも構はないさ」
 「ハヽヽ呑氣《のんき》なもんだ。喧嘩《けんくわ》にも強さうだが、足の強いのには驚《おどろ》いたよ。君と一所でなければ、きのふ此處迄くる勇氣はなかつたよ。實は途中で御免《ごめん》蒙《かうむ》ろうかと思つた」
 「實際少し氣の毒だつたね。あれでも僕は餘程加減して、歩行《ある》いた積りだ」
 「本當かい? 果《はた》して本當ならえらいものだ。――何だか怪しいな。すぐ付け上がるからいやだ」
 「ハヽヽ付け上がるものか。付け上がるのは華族と金持ばかりだ」
 「又華族と金持ちか。眼の敵《かたき》だね」
 「金はなくつても、此方《こつち》は天下の豆腐屋だ」
 「さうだ、苟《いやしく》も天下の豆腐屋だ。野生《やせい》の腕力家だ」
 「君、あの窓の外《そと》に咲いてゐる黄色い花は何だらう」
 碌さんは湯の中で首を捩《ね》じ向ける。
 「かぼちやさ」
 「馬鹿あ云つてる。かぼちやは地の上を這《は》つてるものだ。あれは竹へからまつて、風呂場の屋根へあがつてゐるぜ」
 「屋根へ上がつちや、かぼちやになれないかな」
 「だつて可笑《をか》しいぢやないか、今頃花が咲くのは」
 「構《かま》ふものかね、可笑《をか》しいたつて、屋根にかぼちやの花が咲くさ」
 「そりや唄《うた》かい」
 「さうさな、前半は唄《うた》の積りでもなかつたんだが、後半に至つて、つい唄《うた》になつて仕舞つた樣だ」
 「屋根にかぼちやが生《な》る樣だから、豆腐屋が馬車なんかへ乘るんだ。不都合千萬だよ」
 「又|慷慨《かうがい》か、こんな山の中へ來て慷慨《かうがい》したつて始まらないさ。それより早く阿蘇《あそ》へ登つて噴火口《ふんくわこう》から、赤い岩が飛び出す所でも見るさ。――然し飛び込んぢや困るぜ。――何だか少し心配だな」
 「噴火口は實際猛烈なものだらうな。何でも、澤庵石《たくあんいし》の樣な岩が眞赤《まつか》になつて、空の中へ吹き出すさうだぜ。夫《それ》が三四町四方一面に吹き出すのだから壯《さか》んに違《ちがひ》ない。――あしたは早く起きなくつちや、いけないよ」
 「うん、起きる事は起きるが山へかゝつてから、あんなに早く歩行《ある》いちや、御免だ」と碌さんはすぐ豫防線を張つた。
 「とも角《かく》も六時に起きて……」
 「六時に起きる?」
 「六時に起きて、七時半に湯から出て、八時に飯を食つて、八時半に便所から出て、さうして宿を出て、十一時に阿蘇神社《あそじんぢや》へ參詣《さんけい》して、十二時から登るのだ」
 「へえ、誰が」
 「僕と君がさ」
 「何だか君|一人《ひと》りで登る樣だぜ」
 「なに構はない」
 「難有《ありがた》い仕合せだ。丸《まる》で御供《おとも》の樣だね」
 「うふん。時に晝は何を食ふかな。矢つ張り饂飩《うどん》にして置くか」と圭さんが、あすの晝飯《ひるめし》の相談をする。
 「饂飩《うどん》はよすよ。こゝいらの饂飩《うどん》は丸《まる》で杉箸《すぎばし》を食ふ樣で腹が突張《つゝぱ》つて堪らない」
 「では蕎麥《そば》か」
 「蕎麥《そば》も御免だ。僕は?類《めんるゐ》ぢや、とても凌《しの》げない男だから」
 「ぢや何を食ふ積《つもり》だい」
 「何でも御馳走が食ひたい」
 「阿蘇《あそ》の山の中に御馳走がある筈がないよ。だから此際《このさい》、ともかくも饂飩《うどん》で間に合せて置いて……」
 「此際《このさい》は少し變だぜ。此際《このさい》た、どんな際《さい》なんだい」
 「剛健《がうけん》な趣味を養成する爲めの旅行だから……」
 「そんな旅行なのかい。ちつとも知らなかつたぜ。剛健《がうけん》はいゝが饂飩《うどん》は平《ひら》に不賛成だ。かう見えても僕は身分が好《い》いんだからね」
 「だから柔弱《にうじやく》でいけない。僕なぞは學資に窮した時、一日に白米《はくまい》二合で間に合せた事がある」
 「痩《や》せたらう」と碌さんが氣の毒な事を聞く。
 「そんなに痩《や》せもしなかつたが只|虱《しらみ》が湧《わ》いたには困つた。――君、虱《しらみ》が湧《わ》いた事があるかい」
 「僕はないよ。身分が違はあ」
 「まあ經驗して見給へ。そりや容易に獵《か》り盡せるもんぢやないぜ」
 「※[者/火]《に》え湯《ゆ》で洗濯《せんたく》したらよからう」
 「※[者/火]《に》え湯《ゆ》? ※[者/火]《に》え湯《ゆ》ならいゝかも知れない。然し洗濯《せんたく》するにしても只では出來ないからな」
 「なある程、錢《ぜに》が一|文《もん》もないんだね」
 「一|文《もん》もないのさ」
 「君どうした」
 「仕方がないから、襯衣《しやつ》を敷居《しきゐ》の上へ乘せて、手頃な丸い石を拾つて來て、こつ/\叩《たゝ》いた。さうしたら虱《しらみ》が死なないうちに、襯衣《しやつ》が破れて仕舞つた」
 「おや/\」
 「しかも夫《それ》を宿のかみさんが見つけて、僕に退去《たいきよ》を命じた」
 「嘸《さぞ》困つたらうね」
 「なあに困らんさ、そんな事で困つちや、今日《けふ》迄生きて居られるものか。是から追ひ/\華族や金持ちを豆腐屋にするんだからな。滅多に困つちや仕方がない」
 「すると僕なんぞも、今に、とおふい、油揚《あぶらげ》、がんもどきと怒鳴《どな》つて、あるかなくつちやならないかね」
 「華族でもない癖に」
 「まだ華族にはならないが、金は大分《だいぶ》あるよ」
 「あつても其位ぢや駄目だ」
 「此位ぢや豆腐《とうふ》いと云ふ資格はないのかな。大《おほい》に僕の財産を見縊《みくび》つたね」
 「時に君、脊中《せなか》を流して呉れないか」
 「僕のも流すのかい」
 「流してもいゝさ。隣《とな》りの部屋の男も流しくらをやつてたぜ、君」
 「隣りの男の脊中《せなか》は似たり寄つたりだから公平だが、君の脊中《せなか》と、僕の脊中《せなか》とは大分《だいぶ》面積が違ふから損だ」
 「そんな面倒な事を云ふなら一人で洗ふ許《ばか》りだ」と圭さんは、兩足を湯壺《ゆつぼ》の中にうんと踏ん張つて、ぎうと手拭をしごいたと思つたら、兩端《りやうはじ》を握つた儘、ぴしやりと、音を立てゝ斜《はす》に膏切《あぶらぎ》つた脊中《せなか》へ宛《あ》てがつた。やがて二の腕へ力瘤《ちからこぶ》が急に出來上がると、水を含んだ手拭は、岡の樣に肉づいた脊中をぎち/\磨《こす》り始める。
 手拭の運動につれて、圭さんの太い眉がくしやりと寄つて來る。鼻の穴が三角形に膨脹《ばうちやう》して、小鼻が勃《ぼつ》として左右に展開する。口は腹を切る時の樣に堅く喰締《くひしば》つた儘、兩耳の方迄|割《さ》けてくる。
 「丸《まる》で仁王《にわう》の樣だね。仁王の行水《ぎやうずゐ》だ。そんな猛烈な顔がよくできるね。こりや不思議だ。さう眼をぐり/\させなくつても、脊中は洗へさうなものだがね」
 圭さんは何にも云はずに一生懸命にぐい/\擦《こす》る。擦《こす》つては時々、手拭を温泉《ゆ》に漬《つ》けて、充分水を含ませる。含ませるたんびに、碌さんの顔へ、汗《あせ》と膏《あぶら》と垢《あか》と温泉《ゆ》の交《まじ》つたものが十五六滴づゝ飛んで來る。
 「こいつは降參だ。ちよつと失敬して、流しの方へ出るよ」と碌さんは湯槽《ゆぶね》を飛び出した。飛び出しはしたものゝ、感心の極《きよく》、流しへ突つ立つた儘、茫然として、仁王《にわう》の行水《ぎやうずゐ》を眺めて居る。
 「あの隣りの客は元來《ぐわんらい》何者だらう」と圭さんが槽《ふね》のなかゝら質問する。
 「隣りの客どころぢやない。其顔は不思議だよ」
 「もう濟んだ。あゝ好い心持だ」と圭さん、手拭の一端《いつたん》を放《はな》すや否や、ざぶんと温泉《ゆ》の中へ、石の樣に大きな脊中を落す。滿槽《まんさう》の湯は一度に面喰つて、槽《ふね》の底から大恐惶《だいきやうくわう》を持ち上げる。ざあつ/\と音がして、流しへ溢《あふ》れだす。
 「ああいゝ心持ちだ」と圭さんは波のなかで云つた。
 「成程さう遠慮なしに振舞《ふるま》つたら、好い心持に相違ない。君は豪傑だよ」
 「あの隣りの客は竹刀《しなひ》と小手《こて》の事ばかり云つてるぢやないか。全體何者だい」と圭さんは呑氣《のんき》なものだ。
 「君が華族と金持ちの事を氣にする樣なものだらう」
 「僕のは深い原因があるのだが、あの客のは何だか譯が分らない」
 「なに自分ぢやあ、あれで分つてるんだよ。――そこでその小手《こて》を取られたんだあね――」と碌さんが隣りの眞似をする。
 「ハヽヽヽそこでそら竹刀《しなひ》を落したんだあねか。ハヽヽヽ。どうも氣樂なものだ」と圭さんも眞似して見る。
 「なにあれでも、實は慷慨家《かうがいか》かも知れない。そらよく草双紙《くさぞうし》にあるぢやないか。何《なん》とかの何々《なに/\》、實は海賊の張本《ちやうほん》毛剃九右衛門《けぞりくゑもん》て」
 「海賊《かいぞく》らしくもないぜ。さつき温泉《ゆ》に這入《はい》りに來る時、覗いて見たら、二人共|木枕《きまくら》をして、ぐう/\寐て居たよ」
 「木枕《きまくら》をして寐られる位の頭だから、そら、そこで、その、小手《こて》を取られるんだあね」と碌さんは、まだ眞似をする。
 「竹刀《しなひ》も取られるんだあねか。ハヽヽヽ。何でも赤い表紙の本を胸の上へ載せたまんま寐て居たよ」
 「其赤い本が、何でもその、竹刀《しなひ》を落したり、小手《こて》を取られるんだあね」と碌さんは、どこ迄も眞似をする。
 「何だらう、あの本は」
 「伊賀《いが》の水月《すゐげつ》さ」と碌さんは、躊躇《ちうちよ》なく答へた。
 「伊賀《いか》の水月《すゐげつ》? 伊賀《いが》の水月《すゐげつ》た何だい」
 「伊賀《いが》の水月《すゐげつ》を知らないのかい」
 「知らない。知らなければ耻かな」と圭さんは一寸首を捻《ひね》つた。
 「耻ぢやないが話せないよ」
 「話せない? なぜ」
 「なぜつて、君、荒木又右衛門《あらきまたゑもん》を知らないか」
 「うん、又右衛門《またゑもん》か」
 「知つてるのかい」と碌さん又湯の中へ這入る。圭さんは又|槽《ふね》のなかへ突立《つゝた》つた。
 「もう仁王《にわう》の行水《ぎやうずゐ》は御免だよ」
 「もう大丈夫、脊中はあらはない。あまり這入つてると逆上《のぼせ》るから、時々かう立つのさ」
 「只立つ許《ばか》りなら、安心だ。――それで、その、荒木又右衛門《あらきまたゑもん》を知つてるかい」
 「又右衛門《またゑもん》? さうさ、どこかで聞いた樣だね。豐臣秀吉《とよとみひでよし》の家來ぢやないか」と圭さん、飛んでもない事を云ふ。
 「ハヽヽヽこいつはあきれた。華族や金持ちを豆腐屋にするだなんて、えらい事を云ふが、どうも何《なんに》も知らないね」
 「ぢや待つた。少し考へるから。又右衛門だね。又右衛門、荒木又右衛門《あらきまたゑもん》だね。待ち給へよ、荒木の又右衛門と。うん分つた」
 「何だい」
 「相撲取《すまふとり》だ」
 「ハヽヽヽ荒木《あらき》、ハヽヽヽ荒木、又ハヽヽヽ又右衛門《またゑもん》が、相撲取《すまふと》り。愈《いよ/\》、あきれて仕舞つた。實に無識だね。ハヽヽヽ」と碌さんは大恐悦《だいきようえつ》である。
 「そんなに可笑《をか》しいか」
 「可笑《をか》しいつて、誰に聞かしたつて笑ふぜ」
 「そんなに有名な男か」
 「さうさ、荒木又右衛門《あらきまたゑもん》ぢやないか」
 「だから僕もどこかで聞いた樣に思ふのさ」
 「そら、落《お》ち行く先きは九州《きうしう》相良《さがら》つて云ふぢやないか」
 「云ふかも知れんが、其句は聞いた事がない樣だ」
 「困つた男だな」
 「ちつとも困りやしない。荒木又右衛門|位《ぐらゐ》知らなくつたつて、毫《がう》も僕の人格には關係はしまい。夫《それ》よりも五里の山路《やまみち》が苦《く》になつて、矢鱈《やたら》に不平を並べる樣な人が困つた男なんだ」
 「腕力や脚力を持ち出されちや駄目だね。到底|叶《かな》ひつこない。そこへ行くと、どうしても豆腐屋出身の天下だ。僕も豆腐屋へ年期奉公《ねんきぼうこう》に住み込んで置けばよかつた」
 「君は第一平生から惰弱《だじやく》でいけない。ちつとも意志がない」
 「是で餘つ程有る積りなんだがな。唯|饂飩《うどん》に逢つた時ばかりは全く意志が薄弱だと、自分ながら思ふね」
 「ハヽヽヽ詰らん事を云つてゐらあ」
 「然し豆腐屋にしちや、君のからだは奇麗過ぎるね」
 「こんなに黒くつてもかい」
 「黒い白いは別として、豆腐屋は大概|箚青《ほりもの》があるぢやないか」
 「なぜ」
 「なぜか知らないが、箚青《ほりもの》があるもんだよ。君、なぜほらなかつた」
 「馬鹿あ云つてらあ。僕の樣な高尚な男が、そんな愚《ぐ》な眞似をするものか。華族や金持がほれば似合ふかも知れないが、僕にはそんなものは向かない。荒木又右衛門だつて、ほつちや居まい」
 「荒木又右衛門か。そいつは困つたな。まだそこ迄は調べが屆いてゐないからね」
 「そりやどうでもいゝが、兎《と》も角《かく》もあしたは六時に起きるんだよ」
 「さうして、兎《と》も角《かく》も饂飩《うどん》を食ふんだらう。僕の意志の薄弱なのにも困るかも知れないが、君の意志の強固なのにも辟易《へきえき》するよ。うちを出てから、僕の云ふ事は一つも通らないんだからな。全く唯々諾々《ゐゝだく/\》として命令に服してゐるんだ。豆腐屋主義はきびしいもんだね」
 「なに此位|強硬《きやうかう》にしないと搨キ《ぞうちやう》していけない」
 「僕がかい」
 「なあに世の中の奴らがさ。金持ちとか、華族とか、何《なん》とか蚊《か》とか、生意氣に威張《ゐば》る奴らがさ」
 「然しそりや見當違《けんたうちがひ》だぜ。そんなものゝ身代《みがは》りに僕が豆腐屋主義に屈從するなたまらない。どうも驚ろいた。以來《いらい》君と旅行するのは御免だ」
 「なあに構《かま》はんさ」
 「君は構《かま》はなくつてもこつちは大いに構《かま》ふんだよ。其上旅費は奇麗に折半《せつぱん》されるんだから、愚《ぐ》の極《きよく》だ」
 「然し僕の御蔭で天地の壯觀たる阿蘇《あそ》の噴火口を見る事ができるだらう」
 「可愛想《かはいさう》に。一人《ひとり》だつて阿蘇《あそ》位登れるよ」
 「然し華族や金持なんて存外|意氣地《いくぢ》がないもんで……」
 「又身代りか、どうだい身代りはやめにして、本當の華族や金持ちの方へ持つて行つたら」
 「いづれ、其内持つてく積りだがね。――意氣地がなくつて、理窟がわからなくつて、個人としちあ三文の價値《かち》もないもんだ」
 「だから、どし/\豆腐屋にして仕舞ふさ」
 「其内、してやらうと思つてるのさ」
 「思つてる丈《だけ》ぢや劔呑《けんのん》なものだ」
 「なあに年が年中《ねんぢゆう》思つてゐりや、どうにかなるもんだ」
 「隨分氣が長いね。尤も僕の知つたものにね。虎列拉《コレラ》になる/\と思つてゐたら、とう/\虎列拉《コレラ》になつたものがあるがね。君のもさう、うまく行くと好いけれども」
 「時にあの髯を拔いてた爺さんが手拭をさげてやつて來たぜ」
 「丁度好いから君一つ聞いて見給へ」
 「僕はもう湯氣《ゆけ》に上がりさうだから、出るよ」
 「まあ、いゝさ、出ないでも。君がいやなら僕が聞いて見るから、もう少し這入《はい》つて居給へ」
 「おや、あとから竹刀《しなひ》と小手《こて》が一所に來たぜ」
 「どれ。成程、揃つて來た。あとから、まだ來るぜ。やあ婆さんが來た。婆さんも、此|湯槽《ゆぶね》へ這入るのかな」
 「僕は兎《と》も角《かく》も出るよ」
 「婆さんが這入るなら、僕も兎《と》も角《かく》も出やう」
 風呂場を出ると、ひやりと吹く秋風が、袖口からすうと這入つて、素肌《すはだ》を臍《へそ》のあたり迄吹き拔けた。出臍《でべそ》の圭さんは、はつくしようと大きな苦沙彌《くしやみ》を無遠慮にやる。上《あ》がり口《ぐち》に白芙蓉《はくふよう》が五六輪、夕暮の秋を淋《さび》しく咲いて居る。見上げる向《むかふ》では阿蘇《あそ》の山がごうゝ/\と遠くながら鳴つて居る。
 「あすこへ登るんだね」と碌さんが云ふ。
 「鳴つてるぜ。愉快だな」と圭さんが云ふ。
 
     三
 
 「姉《ねえ》さん、此人は肥《ふと》つてるだらう」
 「大分《だいぶん》肥えていなはります」
 「肥えてるつて、おれは、これで豆腐屋だもの」
 「ホヽヽ」
 「豆腐屋ぢや可笑《をか》しいかい」
 「豆腐屋の癖に西郷隆盛《さいがうたかもり》の樣な顔をして居るから可笑《をか》しいんだよ。時にかう、精進料理《しやうじんれうり》ぢや、あした、御山《おやま》へ登れさうもないな」
 「又御馳走を食ひたがる」
 「食ひたがるつて、是ぢや營養不良になる許《ばか》りだ」
 「なに是程御馳走があれば澤山だ。――湯葉《ゆば》に、椎茸《しひたけ》に、芋に、豆腐、色々あるぢやないか」
 「色々ある事はあるがね。ある事は君の商賣道具《しやうばいだうぐ》迄あるんだが――困つたな。昨日《きのふ》は饂飩《うどん》ばかり食はせられる。けふは湯葉《ゆば》に椎茸《しひたけ》ばかりか。あゝあゝ」
 「君此芋を食つて見給へ。掘りたてゞ頗る美味《びみ》だ」
 「頗る剛健な味がしやしないか――おい姉《ねえ》さん、肴《さかな》は何もないのかい」
 「生憎《あいにく》何も御座りまつせん」
 「御座りまつせんは弱つたな。ぢや玉子があるだらう」
 「玉子《たまご》なら御座りまつす」
 「其|玉子《たまご》を半熟《はんじゆく》にして來てくれ」
 「何に致します」
 「半熟《はんじゆく》にするんだ」
 「※[者/火]《に》て參《さん》じますか」
 「まあ※[者/火]《に》るんだが、半分|※[者/火]《に》るんだ。半熟《はんじゆく》を知らないか」
 「いゝえ」
 「知らない?」
 「知りまつせん」
 「どうも辟易《へきえき》だな」
 「何で御座りまつす」
 「何でもいゝから、玉子《たまご》を持つて御出《おいで》。それから、おい、ちよつと待つた。君ビールを飲むか」
 「飲んでもいゝ」と圭さんは泰然《たいぜん》たる返事をした。
 「飲んでもいゝか、夫《それ》ぢや飲まなくつてもいゝんだ。――よすかね」
 「よさなくつても好い。兎《と》も角《かく》も少し飲まう」
 「兎《と》も角《かく》もか、ハヽヽ。君程、兎《と》も角《かく》もの好きな男はないね。それで、あしたになると、兎《と》も角《かく》も饂飩《うどん》を食はうと云ふんだらう。――姉《ねえ》さん、ビールも序《つい》でに持つてくるんだ。玉子《たまご》とビールだ。分つたらうね」
 「ビールは御座りまつせん」
 「ビールがない?――君ビールはないとさ。何だか日本の領地《りやうち》でない樣な氣がする。情《なさけ》ない所だ」
 「なければ、飲まなくつても、いゝさ」と圭さんは又泰然たる挨拶をする。
 「ビールは御座りませんばつてん、惠比壽《えびす》なら御座ります」
 「ハヽヽヽ愈《いよ/\》妙になつて來た。おい君ビールでない惠比壽《えびす》があるつて云ふんだが、その惠比壽《えびす》でも飲んで見るかね」
 「うん、飲んでもいゝ。――その惠比壽《えびす》は矢つ張り罎《びん》に這入つてるんだらうね、姉《ねえ》さん」と圭さんは此時漸く下女に話しかけた。
 「ねえ」と下女は肥後訛《ひごなま》りの返事をする。
 「ぢや、兎《と》も角《かく》もその栓《せん》を拔いてね。罎《びん》ごと、こゝへ持つて御出《おいで》」
 「ねえ」
 下女は心得貌《こゝろえがほ》に起《た》つて行く。幅の狹い唐縮緬《たうちりめん》をちよきり結びに御臀《おしり》の上へ乘せて、絣《かすり》の筒袖《つゝそで》をつんつるてんに着てゐる。髪|丈《だけ》は一種異樣の束髪《そくはつ》に、大分《だいぶ》碌さんと圭さんの膽《たん》を寒からしめた樣だ。
 「あの下女は異彩《いさい》を放《はな》つてるね」と碌さんが云ふと、圭さんは平氣な顔をして、
 「さうさ」と何の苦《く》もなく答へたが、
 「單純でいゝ女だ」とあとへ、持つて來て、木に竹を接《つ》いだ樣につけた。
 「剛健な趣味がありやしないか」
 「うん。實際田舍者の精神に、文明のヘ育を施《ほどこ》すと、立派な人物が出來るんだがな。惜しい事だ」
 「そんなに惜しけりや、あれを東京へ連れて行つて、仕込んで見るがいゝ」
 「うん、それも好からう。然しそれより前に文明の皮を剥《む》かなくつちや、いけない」
 「皮が厚いから中々骨が折れるだらう」と碌さんは水瓜《すゐくわ》の樣な事を云ふ。
 「折れても何でも剥《む》くのさ。奇麗な顔をして、下卑《げび》た事ばかりやつてる。それも金がない奴だと、自分|丈《だけ》で濟《す》むのだが、身分がいゝと困る。下卑《げび》た根性を社會全體に蔓延《まんえん》させるからね。大變な害毒だ。しかも身分がよかつたり、金があつたりするものに、よくかう云ふ性根《しやうね》の惡い奴があるものだ」
 「しかも、そんなのに限つて皮が愈《いよ/\》厚いんだらう」
 「體裁|丈《だけ》は頗る美事《みごと》なものさ。然し内心はあの下女より餘つ程すれてゐるんだから、いやになつて仕舞ふ」
 「さうかね。ぢや、僕も是から、ちと剛健黨《がうけんたう》の御仲間入りをやらうかな」
 「無論の事さ。だから先づ第一着《だいいつちやく》にあした六時に起きて……」
 「御晝《おひる》に饂飩《うどん》を食つてか」
 「阿蘇《あそ》の噴火口を觀て……」
 「癇癪《かんしやく》を起して飛び込まない樣に要心《えうじん》をしてか」
 「尤も崇高《すうかう》なる天地間《てんちかん》の活力現象に對して、雄大の氣象を養つて、齷齪《あくそく》たる塵事《ぢんじ》を超越《てうゑつ》するんだ」
 「あんまり超越《てうゑつ》し過ぎるとあとで世の中が、いやになつて、却《かへ》つて困るぜ。だからそこの所は好加減《いゝかげん》に超越《てうゑつ》して置く事にしやうぢやないか。僕の足ぢや到底さうえらく超越《てうゑつ》出來さうもないよ」
 「弱い男だ」
 筒袖《つゝそで》の下女が、盆の上へ、麥酒《ビール》を一本、洋盃《コツプ》を二つ、玉子《たまご》を四個、並べつくして持つてくる。
 「そら惠比壽《えびす》が來た。此|惠比壽《えびす》がビールでないんだから面白い。さあ一杯《いつぱい》飲むかい」と碌さんが相手に洋盃《コツプ》を渡す。
 「うん、序《ついで》に其|玉子《たまご》を二つ貰はうか」と圭さんが云ふ。
 「だつて玉子は僕が誂《あつ》らへたんだぜ」
 「然し四つとも食ふ氣かい」
 「あしたの饂飩《うどん》が氣になるから、此うち二個は携帶《けいたい》して行《い》かうと思ふんだ」
 「うん、そんなら、よさう」と圭さんはすぐ斷念する。
 「よすとなると氣の毒だから、まあ上げやう。本來なら剛健黨《がうけんたう》が玉子《たまご》なんぞを食ふのは、ちと贅澤の沙汰だが、可哀想《かはいさう》でもあるから、――さあ食ふがいゝ。――姉《ねえ》さん、此|惠比壽《えびす》はどこで出來るんだね」
 「大方|熊本《くまもと》で御座りまつしよ」
 「ふん、熊本製《くまもとせい》の惠比壽《えびす》か、中々|旨《うま》いや。君どうだ、熊本製《くまもとせい》の惠比壽《えびす》は」
 「うん。矢つ張り東京製と同じ樣だ。――おい、姉《ねえ》さん、惠比壽《えびす》はいゝが、此玉子は生《なま》だぜ」と玉子を割つた圭さんは一寸眉をひそめた。
 「ねえ」
 「生《なま》だと云ふのに」
 「ねえ」
 「何だか要領を得ないな。君、半熟《はんじゆく》を命じたんぢやないか。君のも生《なま》か」と圭さんは下女を捨てゝ、碌さんに向《むか》つてくる。
 「半熟《はんじゆく》を命じて不熟《ふじゆく》を得たりか。僕のを一つ割つて見やう。――おや是は駄目だ……」
 「うで玉子《たまご》か」と圭さんは首を延して相手の膳の上を見る。
 「全熟《ぜんじゆく》だ。こつちのはどうだ。――うん、是も全熟《ぜんじゆく》だ。――姉《ねえ》さん、これは、うで玉子ぢやないか」と今度は碌さんが下女にむかふ。
 「ねえ」
 「さうなのか」
 「ねえ」
 「なんだか言葉の通《つう》じない國へ來た樣だな。――向ふの御客さんのが生玉子《なまたまご》で、おれのは、うで玉子なのかい」
 「ねえ」
 「なぜ、そんな事をしたのだい」
 「半分|※[者/火]《に》て參じました」
 「なある程。こりや、よく出來てらあ。ハヽヽヽ、君、半熟《はんじゆく》のいはれが分つたか」と碌さん横手《よこで》を打つ。
 「ハヽヽヽ單純なものだ」
 「丸《まる》で落《おと》し噺《ばな》し見た樣《やう》だ」
 「間違ひましたか。そちらのも※[者/火]て參じますか」
 「なに是でいゝよ。――姉《ねえ》さん、こゝから、阿蘇《あそ》迄何里あるかい」と圭さんが玉子に關係のない方面へ出て來た。
 「こゝが阿蘇《あそ》で御座りまつす」
 「こゝが阿蘇《あそ》なら、あした六時に起きるがものはない。もう二三日《にさんち》逗留《とうりう》して、すぐ熊本へ引き返さうぢやないか」と碌さんがすぐ云ふ。
 「どうぞ、何時《いつ》迄《まで》も御逗留《ごとうりう》なさいまつせ」
 「折角、姉《ねえ》さんも、あゝ云つて勸めるものだから、どうだらう、いつそ、さうしたら」と碌さんが圭さんの方を向く。圭さんは相手にしない。
 「こゝも阿蘇《あそ》だつて、阿蘇郡《あそぐん》なんだらう」と矢張《やは》り下女を追窮してゐる。
 「ねえ」
 「ぢや阿蘇《あそ》の御宮《おみや》迄はどの位あるかい」
 「御宮《おみや》迄は三里で御座りまつす」
 「山の上迄は」
 「御宮から二里で御座りますたい」
 「山の上はえらいだらうね」と碌さんが突然飛び出してくる。
 「ねえ」
 「御前《おまへ》登つた事があるかい」
 「いゝえ」
 「ぢや知らないんだね」
 「いゝえ、知りまつせん」
 「知らなけりや、仕樣がない。折角話を聞かうと思つたのに」
 「御山《おやま》へ御登りなさいますか」
 「うん、早く登りたくつて、仕方がないんだ」と圭さんが云ふと、
 「僕は登りたくなくつて、仕方がないんだ」と碌さんが打《ぶ》ち壞《こ》はした。
 「ホヽヽ夫《それ》ぢや、あなた丈《だけ》、こゝへ御逗留《ごとうりう》なさいまつせ」
 「うん、こゝで寐轉んで、あのごう/\云ふ音を聞いてゐる方が樂《らく》な樣だ。ごう/\と云やあ、さつきより、大分《だいぶ》烈《はげ》しくなつた樣だぜ、君」
 「さうさ、大分《だいぶ》、強くなつた。夜《よる》の所爲《せゐ》だらう」
 「御山《おやま》が少し荒れて居りますたい」
 「荒れると烈《はげ》しく鳴るのかね」
 「ねえ。さうしてよな〔二字傍点〕が澤山に降つて參りますたい」
 「よな〔二字傍点〕た何だい」
 「灰で御座りまつす」
 下女は障子をあけて、椽側《えんがは》へ人指《ひとさ》しゆびを擦《す》りつけながら、
 「御覽なさりまつせ」と黒い指先を出す。
 「成程、始終降つてるんだ。きのふは、こんなぢやなかつたね」と圭さんが感心する。
 「ねえ。少し御山が荒れて居りますたい」
 「おい君、いくら荒れても登る氣かね。荒れ模樣なら少々延ばさうぢやないか」
 「荒れゝば猶愉快だ。滅多に荒れた所なんぞが見られるものぢやない。荒れる時と、荒れない時は火の出具合が大變違ふんださうだ。ねえ、姉《ねえ》さん」
 「ねえ、今夜は大變赤く見えます。ちよと出て御覽なさいまつせ」
 どれと、圭さんはすぐ椽側《えんがは》へ飛び出す。
 「いやあ、こいつは熾《さかん》だ。おい君早く出て見給へ。大變だよ」
 「大變だ? 大變ぢや出て見るかな。どれ。――いやあ、こいつは――成程えらいものだね――あれぢや到底駄目だ」
 「何が」
 「何がつて、――登る途中で燒き殺されちまふだらう」
 「馬鹿を云つてゐらあ。夜だから、あゝ見えるんだ。實際晝間から、あの位やつてるんだよ。ねえ、姉《ねえ》さん」
 「ねえ」
 「ねえかも知れないが危險だぜ。こゝに斯うして居ても何だか顔が熱い樣だ」と碌さんは、自分の頬《ほつ》ぺたを撫《な》で廻す。
 「大袈裟《おほげさ》な事ばかり云ふ男だ」
 「だつて君の顔だつて、赤く見えるぜ。そらそこの垣の外に廣い稻田《いなだ》があるだらう。あの青い葉が一面に、かう照らされて居るぢやないか」
 「嘘ばかり、あれは星のひかりで見えるのだ」
 「星のひかりと火のひかりとは趣《おもむき》が違ふさ」
 「どうも、君も餘程|無學《むがく》だね。君、あの火は五六里先きにあるのだぜ」
 「何里先きだつて、向ふの方の空が一面に眞赤《まつか》になつてるぢやないか」と碌さんは向《むかふ》をゆびさして大きな輪を指の先で描《ゑが》いて見せる。
 「よるだもの」
 「夜《よる》だつて……」
 「君は無學だよ。荒木又右衛門《あらきまたゑもん》は知らなくつても好いが、此位な事が分らなくつちや耻だぜ」と圭さんは、横から相手の顔を見た。
 「人格にかゝはるかね。人格にかゝはるのは我慢《がまん》するが、命にかゝはつちや降參だ」
 「まだあんな事を云つてゐる。――ぢや姉《ねえ》さんに聞いて見るがいゝ。ねえ姉《ねえ》さん。あの位火が出たつて、御山へは登れるんだらう」
 「ねえい」
 「大丈夫かい」と碌さんは下女の顔を覗《のぞ》き込む。
 「ねえい。女でも登りますたい」
 「女でも登つちや、男は是非《ぜひ》登る譯かな。飛んだ事になつたもんだ」
 「兎《と》も角《かく》も、あしたは六時に起きて……」
 「もう分つたよ」
 言ひ棄てゝ、部屋のなかに、ごろりと寐轉《ねころ》んだ、碌さんの去つたあとに、圭さんは、黙然《もくねん》と、眉を軒《あ》げて、奈落から半空に向つて、眞直に立つ火の柱を見詰めてゐた。
 
     四
 
 「おい是から曲《ま》がつて愈《いよ/\》登るんだらう」と圭さんが振り返る。
 「こゝを曲《ま》がるかね」
 「何でも突き當りに寺の石段が見えるから、門を這入らずに左へ廻れとヘへたぜ」
 「饂飩屋《うどんや》の爺さんがか」と碌さんは頻りに胸を撫《な》で廻す。
 「さうさ」
 「あの爺さんが、何を云ふか分つたもんぢやない」
 「何故《なぜ》」
 「何故《なぜ》つて、世の中に商賣もあらうに、饂飩屋《うどんや》になるなんて、第一|夫《それ》からが不了簡《ふれうけん》だ」
 「饂飩屋《うどんや》だつて正業《せいげふ》だ。金を積んで、貧乏人を壓迫するのを道樂にする樣な人間より遙《はる》かに尊《たつ》といさ」
 「尊《たつ》といかも知れないが、どうも饂飩屋《うどんや》は性《しやう》に合はない。――然し、とう/\饂飩を食はせられた今となつて見ると、いくら饂飩屋の亭主を恨んでも後《あと》の祭《まつ》りだから、まあ、我慢して、こゝから曲がつてやらう」
 「石段は見えるが、あれが寺かなあ、本堂も何もないぜ」
 「阿蘇《あそ》の火で燒けちまつたんだらう。だから云はない事ぢやない。――おい天氣が少々|劔呑《けんのん》になつて來たぜ」
 「なに、大丈夫だ。天祐《てんいう》があるんだから」
 「どこに」
 「どこにでもあるさ。意思のある所には天祐《てんいう》がごろ/\してゐるものだ」
 「どうも君は自信家だ。剛健黨《がうけんたう》になるかと思ふと、天祐派《てんいうは》になる。此次ぎには天誅組《てんちゆうぐみ》にでもなつて筑波山《つくばさん》へ立て籠る積りだらう」
 「なに豆腐屋時代から天誅組《てんちゆうぐみ》さ。――貧乏人をいぢめる樣な――豆腐屋だつて人間だ――いぢめるつて、何等の利害もないんだぜ、只道樂なんだから驚ろく」
 「いつそんな目に逢つたんだい」
 「いつでもいゝさ。桀《けつ》紂《ちう》と云へば古來から惡人として通《とほ》り者《もの》だが、二十世紀は此|桀《けつ》紂《ちう》で充滿して居るんだぜ、しかも文明の皮を厚く被《かぶ》つてるから小憎《こにく》らしい」
 「皮ばかりで中味《なかみ》のない方がいゝ位なものかな。矢つ張り、金があり過ぎて、退屈《たいくつ》だと、そんな眞似がしたくなるんだね。馬鹿に金を持たせると大概|桀《けつ》紂《ちう》になりたがるんだらう。僕の樣な有コ《うとく》の君子は貧乏だし、彼等の樣な愚劣な輩《はい》は、人を苦しめる爲めに金錢を使つてゐるし、困つた世の中だなあ。いつそ、どうだい、さう云ふ、もゝんがあを十|把《ぱ》一《ひ》とからげにして、阿蘇《あそ》の噴火口から眞逆樣《まつさかさま》に地獄の下へ落しちまつたら」
 「今に落としてやる」と圭さんは薄黒く渦卷《うづま》く烟りを仰いで、草鞋足《わらぢあし》をうんと踏張《ふんば》つた。
 「大變な權幕《けんまく》だね。君、大丈夫かい。十|把《ぱ》一《ひ》とからげを放《はふ》り込まないうちに、君が飛び込んぢやいけないぜ」
 「あの音は壯烈だな」
 「足の下が、もう搖《ゆ》れて居る樣だ。――おい一寸《ちよつと》、地面《ぢめん》へ耳をつけて聞いて見給へ」
 「どんなだい」
 「非常な音だ。慥《たし》かに足の下がうなつてる」
 「其割に烟りがこないな」
 「風の所爲《せゐ》だ。北風だから、右へ吹きつけるんだ」
 「樹が多いから、方角が分らない。もう少し登つたら見當《けんたう》がつくだらう」
 しばらくは雜木林の間を行く。道幅は三尺に足らぬ。いくら仲が善《よ》くても並んで歩行《ある》く譯には行かぬ。圭さんは大きな足を悠々と振つて先へ行く。碌さんは小さな體?《からだ》をすぼめて、小股《こまた》に後《あと》から尾《つ》いて行く。尾《つ》いて行きながら、圭さんの足跡の大きいのに感心して居る。感心しながら歩行《ある》いて行くと、段々おくれて仕舞ふ。
 路は左右に曲折《きよくせつ》して爪先上《つまさきあが》りだから、三十分と立たぬうちに、圭さんの影を見失《みうしな》つた。樹と樹の間をすかして見ても何にも見えぬ。山を下《お》りる人は一人《ひとり》もない。上《あが》るものにも全く出合はない。只所々に馬の足跡《あしあと》がある。たまに草鞋《わらぢ》の切れが茨《いばら》にかゝつてゐる。其外に人の氣色《けしき》は更にない、饂飩腹《うどんばら》の碌さんは少々心細くなつた。
 きのふの澄み切つた空に引き易《か》へて、今朝宿を立つ時からの霧模樣には少し掛念《けねん》もあつたが、晴れさへすればと、好い加減な事を頼《たの》みにして、とう/\阿蘇《あそ》の社《やしろ》迄は漕《こ》ぎ付けた。白木《しらき》の宮に禰宜《ねぎ》の鳴らす柏手《かしはで》が、森閑と立つ杉の梢に響いた時、見上げる空から、ぽつりと何やら額《ひたひ》に落ちた。饂飩《うどん》を※[者/火]《に》る湯氣が障子の破れから、吹いて、白く右へ靡《なび》いた頃から、午過《ひるす》ぎは雨かなとも思はれた。
 雜木林を小半里《こはんみち》程來たら、怪しい空がとう/\持ち切れなくなつたと見えて、梢にしたゝる雨の音が、さあと北の方へ走る。あとから、すぐ新しい音が耳を掠《かす》めて、翻《ひるが》へる木《こ》の葉《は》と共に又北の方へ走る。碌さんは首を縮《ちゞ》めて、えつと舌打ちをした。
 一時間程で林は盡きる。盡きると云はんよりは、一度に消えると云ふ方が適當であらう。ふり返る、後《うしろ》は知らず、貫《つらぬ》いて來た一筋道の外は、東も西も茫々たる青草が波を打つて幾段となく連《つら》なる後《あと》から、むく/\と黒い烟りが持ち上がつてくる。噴火口こそ見えないが、烟りの出るのは、つい鼻の先である。
 林が盡きて、青い原を半丁と行かぬ所に、大入道《おほにふだう》の圭さんが空を仰いで立つてゐる。蝙蝠傘《かうもり》は疊んだ儘、帽子さへ、被《かぶ》らずに毬栗頭《いがぐりあたま》をぬつくと草から上へ突き出して地形を見廻してゐる樣子だ。
 「おうい。少し待つて呉れ」
 「おうい。荒れて來たぞ。荒れて來たぞうゝ。しつかりしろう」
 「しつかりするから、少し待つてくれえ」と碌さんは一生懸命に草のなかを這ひ上がる。漸く追ひつく碌さんを待ち受けて、
 「おい何を愚圖々々《ぐづ/\》してゐるんだ」と圭さんが遣《や》つつける。
 「だから饂飩《うどん》ぢや駄目だと云つたんだ。あゝ苦しい。――おい君の顔はどうしたんだ。眞黒だ」
 「さうか、君のも眞黒だ」
 圭さんは、無雜作《むざふさ》に白地《しろぢ》の浴衣《ゆかた》の片袖で、頭から顔を撫《な》で廻す。碌さんは腰から、ハンケチを出す。
 「なる程、拭くと、着物がどす黒くなる」
 「僕のハンケチも、こんなだ」
 「ひどいものだな」と圭さんは雨のなかに坊主頭を曝《さら》しながら、空模樣を見廻す。
 「よな〔二字傍点〕だ。よな〔二字傍点〕が雨に溶《と》けて降つてくるんだ。そら、その薄《すゝき》の上を見給へ」と碌さんが指をさす。長い薄の葉は一面に灰を浴びて濡れながら、靡《なび》く。
 「成程」
 「困つたな、こりや」
 「なあに大丈夫だ。ついそこだもの。あの烟りの出る所を目當《めあて》にして行《い》けば譯はない」
 「譯はなささうだが、是ぢや路が分らないぜ」
 「だから、さつきから、待つて居たのさ。こゝを左《ひだ》りへ行くか、右へ行くかと云ふ、丁度|股《また》の所なんだ」
 「成程、兩方共路になつてるね。――然し烟りの見當から云ふと、左《ひだ》りへ曲《ま》がる方がよささうだ」
 「君はさう思ふか。僕は右へ行く積《つも》りだ」
 「どうして」
 「どうしてつて、右の方には馬の足跡があるが、左の方には少しもない」
 「さうかい」と碌さんは、身?《からだ》を前に曲げながら、蔽ひかゝる草を押し分けて、五六歩、左の方へ進んだが、すぐに取つて返して、
 「駄目の樣だ。足跡は一つも見當らない」と云つた。
 「ないだらう」
 「そつちにはあるかい」
 「うん。たつた二つある」
 「二つぎりかい」
 「さうさ。たつた二つだ。そら、此所と此所に」と圭さんは繻子張《しゆすばり》の蝙蝠傘《かうもり》の先で、かぶさる薄《すゝき》の下に、幽《かす》かに殘る馬の足跡を見せる。
 「是丈かい心細いな」
 「なに大丈夫だ」
 「天祐《てんいう》ぢやないか、君の天祐《てんいう》はあてにならない事|夥《おびたゞ》しいよ」
 「なに是が天祐《てんいう》さ」と圭さんが云ひ了らぬうちに、雨を捲《ま》いて颯《さつ》とおろす一陣の風が、碌さんの麥藁帽を遠慮なく、吹き込めて、五六間先迄飛ばして行く。眼に餘る青草は、風を受けて一度に向ふへ靡《なび》いて、見るうちに色が變ると思ふと、又|靡《なび》き返して故《もと》の態《さま》に戻《もど》る。
 「痛快だ。風の飛んで行く足跡が草の上に見える。あれを見給へ」と圭さんが幾重《いくへ》となく起伏《きふく》する青い草の海を指《さ》す。
 「痛快でもないぜ。帽子が飛んぢまつた」
 「帽子が飛んだ? いゝぢやないか帽子が飛んだつて。取つてくるさ。取つて來てやらうか」
 圭さんは、いきなり、自分の帽子の上へ蝙蝠傘《かうもり》を重《おも》しに置いて、颯《さつ》と、薄の中に飛び込んだ。
 「おい此見當か」
 「もう少し左《ひだ》りだ」
 圭さんの身?《からだ》は次第に青いものゝ中に、深くはまつて行く。仕舞には首|丈《だけ》になつた。あとに殘つた碌さんは又心配になる。
 「おうい。大丈夫か」
 「何だあ」と向ふの首から聲が出る。
 「大丈夫かよう」
 やがて圭さんの首が見えなくなつた。
 「おうい」
 鼻の先から出る黒烟りは鼠色の圓柱《まるばしら》の各部が絶間《たえま》なく蠕動《ぜんどう》を起しつゝある如く、むく/\と捲き上がつて、半空《はんくう》から大氣の裡《うち》に溶け込んで碌さんの頭の上へ容赦なく雨と共に落ちてくる。碌さんは悄然《せうぜん》として、首の消えた方角を見詰めて居る。
 暫くすると、丸《まる》で見當の違つた半丁程先に、圭さんの首が忽然と現はれた。
 「帽子はないぞう」
 「帽子は入《い》らないよう。早く歸つてこうい」
 圭さんは坊主頭を振り立てながら、薄の中を泳いでくる。
 「おい、何處へ飛ばしたんだい」
 「何處だか、相談が纒《まとま》らないうちに飛ばしちまつたんだ。帽子はいゝが、歩行《ある》くのは厭《いや》になつたよ」
 「もういやになつたのか。まだあるかないぢやないか」
 「あの烟と、この雨を見ると、何だか物凄くつて、あるく元氣がなくなるね」
 「今から駄々《だゞ》を捏《こ》ねちや仕方がない。――壯快ぢやないか。あのむく/\烟の出てくる所は」
 「そのむく/\が氣味が惡《わ》るいんだ」
 「冗談《じようだん》云つちや、いけない。あの烟の傍《そば》へ行くんだよ。さうして、あの中を覗き込むんだよ」
 「考へると全く餘計《よけい》な事だね。さうして覗き込んだ上に飛び込めば世話はない」
 「兎《と》も角《かく》もあるかう」
 「ハヽヽヽ兎《と》も角《かく》もか。君が兎《と》も角《かく》もと云ひ出すと、つい釣り込まれるよ。さつきも兎《と》も角《かく》もで、とう/\饂飩《うどん》を食つちまつた。是で赤痢《せきり》にでも罹《か》かれば全く兎《と》も角《かく》もの御蔭だ」
 「いゝさ、僕が責任を持つから」
 「僕の病氣の責任を持つたつて、仕樣がないぢやないか。僕の代理に病氣になれもしまい」
 「まあ、いゝさ。僕が看病《かんびやう》をして、僕が傳染《でんせん》して、本人の君は助ける樣にしてやるよ」
 「さうか、それぢや安心だ。まあ、少々あるくかな」
 「そら、天氣も大分《だいぶ》よくなつて來たよ。矢つ張り天祐《てんいう》があるんだよ」
 「難有《ありがた》い仕合せだ。あるく事はあるくが、今夜は御馳走を食はせなくつちや、いやだぜ」
 「又御馳走か。あるきさへすれば屹度《きつと》食はせるよ」
 「それから……」
 「まだ何か注文があるのかい」
 「うん」
 「何だい」
 「君の經歴を聞かせるか」
 「僕の經歴つて、君が知つてる通りさ」
 「僕が知つてる前のさ。君が豆腐屋の小僧であつた時分から……」
 「小僧ぢやないぜ、是でも豆腐屋の伜《せがれ》なんだ」
 「其|伜《せがれ》の時、寒磬寺《かんけいじ》の鉦《かね》の音を聞いて、急に金持がにくらしくなつた、因縁話《いんねんばな》しをさ」
 「ハヽヽヽそんなに聞きたければ話すよ。其代り剛健黨にならなくちやいけないぜ。君なんざあ、金持の惡黨を相手にした事がないから、そんなに呑氣《のんき》なんだ。君はヂツキンスの兩都物語《りやうとものがた》りと云ふ本を讀んだ事があるか」
 「ないよ。伊賀《いが》の水月《すゐげつ》は讀んだが、ヂツキンスは讀まない」
 「それだから猶《なほ》貧民に同情が薄いんだ。――あの本のね仕舞の方に、御醫者さんの獄中《ごくちゆう》でかいた日記があるがね。悲慘《ひさん》なものだよ」
 「へえ、どんなものだい」
 「そりや君、佛國《ふつこく》の革命《かくめい》の起《おこ》る前に、貴族が暴威を振《ふる》つて細民《さいみん》を苦しめた事がかいてあるんだが。――それも今夜僕が寐ながら話してやらう」
 「うん」
 「なあに佛國の革命なんてえのも當然の現象さ。あんなに金持ちや貴族が亂暴をすりや、あゝなるのは自然の理窟だからね。ほら、あの轟々《ぐわう/\》鳴つて吹き出すのと同じ事さ」と圭さんは立ち留《ど》まつて、黒い烟の方を見る。
 濛々《もう/\》と天地を鎖《とざ》す秋雨《しうう》を突き拔いて、百里の底から沸き騰《のぼ》る濃いものが渦《うづ》を捲《ま》き、渦《うづ》を捲《ま》いて、幾百|噸《とん》の量とも知れず立ち上がる。其幾百噸の烟りの一|分子《ぶんし》が悉《こと/”\》く震動して爆發するかと思はるゝ程の音が、遠い遠い奧の方から、濃いものと共に頭の上へ躍《をど》り上がつて來る。
 雨と風のなかに、毛蟲の樣な眉《まゆ》を攅《あつ》めて、餘念もなく眺めて居た、圭さんが、非常な落ち付いた調子で、
 「雄大だらう、君」と云つた。
 「全く雄大だ」と碌さんも眞面目《まじめ》で答へた。
 「恐ろしい位だ」暫らく時をきつて、碌さんが付け加へた言葉は是である。
 「僕の精神はあれだよ」と圭さんが云ふ。
 「革命か」
 「うん。文明の革命さ」
 「文明の革命とは」
 「血を流さないのさ」
 「刀を使はなければ、何を使ふのだい」
 圭さんは、何にも云はずに、平手《ひらて》で、自分の坊主頭《ばうずあたま》をぴしや/\と二|返《へん》叩いた。
 「頭か」
 「うん。相手も頭でくるから、こつちも頭で行くんだ」
 「相手は誰だい」
 「金力や威力で、たよりのない同胞《どうばう》を苦しめる奴等さ」
 「うん」
 「社會の惡コを公然商買にして居る奴らさ」
 「うん」
 「商買なら、衣食《いしよく》の爲めと云ふ言ひ譯も立つ」
 「うん」
 「社會の惡コを公然道樂にして居る奴等は、どうしても叩きつけなければならん」
 「うん」
 「君もやれ」
 「うん、やる」
 圭さんは、のつそりと踵《くびす》をめぐらした。碌さんは黙然《もくねん》として尾《つ》いて行く。空にあるものは、烟りと、雨と、風と雲である。地にあるものは青い薄《すゝき》と、女郎花《をみなへし》と、所々にわびしく交《まじ》る桔梗《ききやう》のみである。二人は煢々《けい/\》として無人《むにん》の境《きやう》を行く。
 薄の高さは、腰を沒《ぼつ》する程に延びて、左右から、幅、尺《しやく》足らずの路を蔽ふて居る。身を横にしても、草に觸れずに進む譯には行かぬ。觸れゝれば雨に濡れた灰がつく。圭さんも碌さんも、白地の浴衣《ゆかた》に、白の股引《もゝひき》に、足袋《たび》と脚絆《きやはん》丈を紺《こん》にして、濡れた薄をがさつかせて行く。腰から下はどぶ鼠の樣に染まつた。腰から上と雖《いへ》ども、降る雨に誘《さそ》はれて着く、よな〔二字傍点〕を、一面に浴びたから、殆んど下水《げすゐ》へ落ち込んだと同樣の始末である。
 只さへ、うねり、くねつてゐる路だから、草がなくつても、どこへどう續いてゐるか見極《みきは》めのつくものではない。草をかぶれば猶更《なほさら》である。地に殘る馬の足跡さへ、漸く見つけた位だから、あとの始末は無論天に任《まか》せて、あるいて居ると云はねばならぬ。
 最初のうちこそ、立ち登《のぼ》る烟りを正面に見て進んだ路は、いつの間《ま》にやら、折れ曲つて、次第に横からよな〔二字傍点〕を受くる樣になつた。横に眺める噴火口が今度は自然《じねん》に後《うし》ろの方に見えだした時、圭さんはぴたりと足を留《と》めた。
 「どうも路が違ふ樣だね」
 「うん」と碌さんは恨《うら》めしい顔をして、同じく立ち留《どま》つた。
 「何だか、情《なさけ》ない顔をしてゐるね。苦しいかい」
 「實際|情《なさ》けないんだ」
 「どこか痛むかい」
 「豆《まめ》が一面に出來て、たまらない」
 「困つたな。餘つ程痛いかい。僕の肩へつらまつたら、どうだね。少しは歩行《ある》き好《い》いかも知れない」
 「うん」と碌さんは氣のない返事をした儘動かない。
 「宿へついたら、僕が面白い話をするよ」
 「全體いつ宿へつくんだい」
 「五時には湯元へ着く豫定なんだが、どうも、あの烟りは妙だよ。右へ行つても、左りへ行つても、鼻の先にある許《ばか》りで、遠くもならなければ、近くもならない」
 「上《のぼ》りたてから鼻の先にあるぜ」
 「さうさな。もう少し此路を行つて見樣ぢやないか」
 「うん」
 「それとも、少し休むか」
 「うん」
 「どうも、急に元氣がなくなつたね」
 「全く饂飩《うどん》の御蔭だよ」
 「ハヽヽヽ。其代り宿へ着くと僕が話しの御馳走をするよ」
 「話しも聞きたくなくなつた」
 「それぢや又ビールでない惠比壽《えびす》でも飲むさ」
 「ふゝん。此樣子ぢや、とても宿へ着けさうもないぜ」
 「なに、大丈夫だよ」
 「だつて、もう暗くなつて來たぜ」
 「どれ」と圭さんは懷中時計《くわいちゆうどけい》を出す。「四時五分前だ。暗いのは天氣の所爲《せゐ》だ。然しかう方角が變つて來ると少し困るな。山へ登つてから、もう二三里はあるいたね」
 「豆の樣子ぢや、十里位あるいてるよ」
 「ハヽヽヽ。あの烟りが前に見えたんだが、もうずつと、後《うし》ろになつて仕舞つた。すると我々は熊本の方へ二三里近付いた譯かね」
 「つまり山から夫《それ》だけ遠ざかつた譯さ」
 「さう云へばさうさ。――君、あの烟りの横の方から又新しい烟が見えだしたぜ。あれが多分、新しい噴火口なんだらう。あのむく/\出る所を見ると、つひ、そこにある樣だがな。どうして行かれないだらう。何でも此山のつい裏に違ひないんだが、路がないから困る」
 「路があつたつて駄目だよ」
 「どうも雲だか、烟りだか非常に濃く、頭の上へやつてくる。壯《さか》んなものだ。ねえ、君」
 「うん」
 「どうだい、こんな凄《すご》い景色はとても、かう云ふ時でなけりや見られないぜ。うん、非常に黒いものが降つて來る。君あたまが大變だ。僕の帽子を貸してやらう。――かう被《かぶ》つてね。それから手拭があるだらう。飛ぶといけないから、上から結《い》はい付けるんだ。――僕がしばつてやらう。――傘は、疊むがいゝ。どうせ風に逆《さか》らうぎりだ。さうして杖につくさ。杖が出來ると、少しは歩行《ある》けるだらう」
 「少しは歩行《ある》きよくなつた。――雨も風も段々強くなる樣だね」
 「さうさ、さつきは少し晴れさうだつたがな。雨や風は大丈夫だが、足は痛むかね」
 「痛いさ。登るときは豆が三つ許《ばか》りだつたが、一面になつたんだもの」
 「晩にね、僕が、烟草の吸殼《すひがら》を飯粒《めしつぶ》で練《ね》つて、膏藥《かうやく》を製《つく》つてやらう」
 「宿へつけば、どうでもなるんだが……」
 「あるいてるうちが難義か」
 「うん」
 「困つたな。――どこか高い所へ登ると、人の通る路が見えるんだがな。――うん、あすこに高い草山が見えるだらう」
 「あの右の方かい」
 「あゝ。あの上へ登つたら、噴火孔《ふんくわこう》が一《ひ》と眼《め》に見えるに違《ちがひ》ない。さうしたら、路が分るよ」
 「分るつて、あすこへ行く迄に日が暮れて仕舞ふよ」
 「待ち給へ一寸《ちよつと》時計を見るから。四時八分だ。未《ま》だ暮れやしない。君こゝに待つて居給へ。僕が一寸|物見《ものみ》をしてくるから」
 「待つてるが、歸りに路が分らなくなると、夫《それ》こそ大變だぜ。二人離れ/”\になつちまふよ」
 「大丈夫だ。どうしたつて死ぬ氣遣《きづかひ》はないんだ。どうかしたら大きな聲を出して呼ぶよ」
 「うん。呼んで呉れ玉へ」
 圭さんは雲と烟の這ひ廻るなかへ、猛然として進んで行く。碌さんは心細くも只一人|薄《すゝき》のなかに立つて、頼みにする友の後姿《うしろすがた》を見送つてゐる。しばらくするうちに圭さんの影は草のなかに消えた。
 大きな山は五分に一度位|宛《づゝ》時を限《き》つて、普段よりは烈しく轟《ぐわう》となる。其折は雨も烟りも一度に搖《ゆ》れて、餘勢が横なぐりに、悄然《せうぜん》と立つ碌さんの體?《からだ》へ突き當る樣に思はれる。草は眼を走らす限りを盡くして悉《こと/”\》く烟りのなかに靡《なび》く上を、さあ/\と雨が走つて行く。草と雨の間を大きな雲が遠慮もなく這ひ廻はる。碌さんは向ふの草山を見詰《みつ》めながら、顫《ふる》へてゐる。よな〔二字傍点〕のしづくは、碌さんの下腹迄|浸《し》み透《とほ》る。
 毒々しい黒烟りが長い渦《うづ》を七卷《なゝまき》まいて、むくりと空を突く途端に、碌さんの踏む足の底が、地震の樣に撼《うご》いたと思つた。あとは、山鳴《やまな》りが比較的靜まつた。すると地面の下の方で、
 「おゝゝい」と呼ぶ聲がする。
 碌さんは兩手を、耳の後《うし》ろに宛《あ》てた。
 「おゝゝい」
 慥《たし》かに呼んで居る。不思議な事に其聲が妙に足の下から湧いて出る。
 「おゝゝい」
 碌さんは思はず、聲をしるべに、飛び出した。
 「おゝゝい」と癇《かん》の高い聲を、肺《はい》の縮《ちゞ》む程《ほど》絞《しぼ》り出すと、太い聲が、草の下から、
 「おゝゝい」と應《こた》へる。圭さんに違《ちがひ》ない。
 碌さんは胸まで來る薄を無暗《むやみ》に押し分けて、づん/\聲のする方に進んで行く。
 「おゝゝい」
 「おゝゝい。どこだ」
 「おゝゝい。こゝだ」
 「どこだあゝ」
 「こゝだあゝ。無暗にくるとあぶないぞう。落ちるぞう」
 「どこへ落ちたんだあゝ」
 「こゝへ落ちたんだあゝ。氣を付けろう」
 「氣は付けるが、どこへ落ちたんだあゝ」
 「落ちると、足の豆が痛いぞうゝ」
 「大丈夫だあゝ。どこへ落ちたんだあゝ」
 「こゝだあ、もう夫《それ》から先へ出るんぢやないよう。おれがそつちへ行くから、そこで待つて居るんだよう」
 圭さんの胴間聲《どうまごえ》は地面のなかを通つて、段々近づいて來る。
 「おい、落ちたよ」
 「どこへ落ちたんだい」
 「見えないか」
 「見えない」
 「夫《それ》ぢや、もう少し前へ出た」
 「おや、何だい、こりや」
 「草のなかに、こんなものがあるから劔呑《けんのん》だ」
 「どうして、こんな谷があるんだらう」
 「火熔石《くわようせき》の流れたあとだよ。見給へ、なかは茶色で草が一本も生えて居ない」
 「なる程、厄介《やくかい》なものがあるんだね。君、上がれるかい」
 「上がれるものか。高さが二間|許《ばか》りあるよ」
 「弱つたな。どうしやう」
 「僕の頭が見えるかい」
 「毬栗《いがぐり》の片割《かたわ》れが少し見える」
 「君ね」
 「えゝ」
 「薄の上へ腹這《はらばひ》になつて、顔|丈《だけ》谷の上へ乘り出して見給へ」
 「よし、今顔を出すから待つて居給へよ」
 「うん、待つてる、此所だよ」と圭さんは蝙蝠傘《かうもり》で、崖《がけ》の腹をとん/\叩く。碌さんは見當を見計《みはから》つて、ぐしやりと濡れ薄の上へ腹をつけて恐る/\首|丈《だけ》を溝《みぞ》の上へ出して、
 「おい」
 「おい。どうだ。豆は痛むかね」
 「豆なんざどうでもいいから、早く上がつてくれ給へ」
 「ハヽヽヽ大丈夫だよ。下の方が風があたらなくつて、かへつて樂《らく》だぜ」
 「樂《らく》だつて、もう日が暮れるよ、早く上がらないと」
 「君」
 「えゝ」
 「ハンケチはないか」
 「ある。何にするんだい」
 「落ちる時に蹴爪《けつま》づいて生爪《なまづめ》を剥《は》がした」
 「生爪《なまづめ》を? 痛むかい」
 「少し痛む」
 「あるけるかい」
 「あるけるとも。ハンケチがあるなら抛《な》げて呉れ給へ」
 「裂《さ》いてやらうか」
 「なに、僕が裂《さ》くから丸《まる》めて抛《な》げてくれ給へ。風で飛ぶと、いけないから、堅く丸《まる》めて落すんだよ」
 「じく/\濡れてるから、大丈夫だ。飛ぶ氣遣《きづかひ》はない。いゝか、抛《な》げるぜ、そら」
 「大分《だいぶ》暗くなつて來たね。烟は相變らず出てゐるかい」
 「うん。空中《そらぢゆう》一面の烟だ」
 「いやに鳴るぢやないか」
 「さつきより、烈しくなつた樣だ。――ハンケチは裂けるかい」
 「うん、裂けたよ。繃帶《ほうたい》はもうでき上がつた」
 「大丈夫かい。血が出やしないか」
 「足袋《たび》の上へ雨といつしよに※[者/火]染《にじ》んでる」
 「痛さうだね」
 「なあに、痛いたつて。痛いのは生きてる證據だ」
 「僕は腹が痛くなつた」
 「濡れた草の上に腹をつけてゐるからだ。もういゝから、立ち給へ」
 「立つと君の顔が見えなくなる」
 「困るな。君いつその事に、此所へ飛び込まないか」
 「飛び込んで、どうするんだい」
 「飛び込めないかい」
 「飛び込めない事もないが――飛び込んで、どうするんだい」
 「一所にあるくのさ」
 「さうして何所《どこ》へ行く積りだい」
 「どうせ、噴火口から山の麓《ふもと》迄流れた岩のあとなんだから、此穴の中をあるいてゐたら、どこかへ出るだらう」
 「だつて」
 「だつて厭か。厭ぢや仕方がない」
 「厭ぢやないが――夫《それ》より君が上がれると好いんだがな。君どうかして上がつて見ないか」
 「それぢや、君は此穴の縁《ふち》を傳《つた》つて歩行《ある》くさ。僕は穴の下をあるくから。さうしたら、上下《うへした》で話が出來るからいゝだらう」
 「縁《ふち》にや路はありやしない」
 「草ばかりかい」
 「うん。草がね……」
 「うん」
 「胸位迄|生《は》えてゐる」
 「とも角も僕は上がれないよ」
 「上がれないつて、それぢや仕方がないな――おい。――おい。――おいつて云ふのにおい。何故《なぜ》黙つてるんだ」
 「えゝ」
 「大丈夫かい」
 「何が」
 「口は利けるかい」
 「利けるさ」
 「それぢや、何故《なぜ》黙つてるんだ」
 「一寸《ちよつと》考へて居た」
 「何を」
 「穴から出る工夫をさ」
 「全體何だつて、そんな所へ落ちたんだい」
 「早く君に安心させ樣と思つて、草山ばかり見詰めて居たもんだから、つい足元が御留守になつて、落ちて仕舞つた」
 「それぢや、僕の爲めに落ちた樣なものだ。氣の毒だな、どうかして上がつて貰へないかな、君」
 「さうさな。――なに僕は構はないよ。それよりか。君、早く立ち給へ。さう草で腹を冷《ひ》やしちや毒だ」
 「腹なんかどうでもいゝさ」
 「痛むんだらう」
 「痛む事は痛むさ」
 「だから、兎も角も立ち給へ。そのうち僕がこゝで出る工夫を考へて置くから」
 「考へたら、呼ぶんだぜ。僕も考へるから」
 「よし」
 會話はしばらく途切れる。草の中に立つて碌さんが覺束《おぼつか》なく四方を見渡すと、向ふの草山へぶつかつた黒雲が、峰の半腹《はんぷく》で、どつと崩れて海の樣に濁つたものが頭を去る五六尺の所迄押し寄せてくる。時計はもう五時に近い。山のなかばは只さへ薄暗くなる時分だ。ひゆう/\と絶間なく吹き卸《お》ろす風は、吹く度に、黒い夜《よる》を遠い國から持つてくる。刻々と逼《せま》る暮色のなかに、嵐は卍《まんじ》に吹きすさむ。噴火孔から吹き出す幾萬斛《いくまんごく》の烟りは卍《まんじ》のなかに萬遍《まんべん》なく捲き込まれて、嵐の世界を盡くして、どす黒く漲《みなぎ》り渡る。
 「おい。居るか」
 「居る。何か考へ付いたかい」
 「いゝや。山の模樣はどうだい」
 「段々荒れる許《ばか》りだよ」
 「今日は何日《いくか》だつけかね」
 「今日は九月二日さ」
 「ことによると二百十日《にひやくとをか》かも知れないね」
 會話は又切れる。二百十日《にひやくとをか》の風と雨と烟りは滿目《まんもく》の草を埋《うづ》め盡くして、一丁先は靡《なび》く姿さへ、判然《はき》と見えぬ樣になつた。
 「もう日が暮れるよ。おい。居るかい」
 谷の中の人は二百十日《にひやくとをか》の風に吹き浚《さら》はれたものか、うんとも、すんとも返事がない。阿蘇《あそ》の御山は割れる許《ばか》りにごうゝと鳴る。
 碌さんは青くなつて、又草の上へ棒の樣に腹這《はらばひ》になつた。
 「おゝゝい。居らんのか」
 「おゝゝい。こつちだ」
 薄暗い谷底を半町《はんちやう》許《ばか》り登つた所に、ぼんやりと白い者が動いて居る。手招《てまね》きをして居るらしい。
 「なぜ、そんな所へ行つたんだあゝ」
 「こゝから上がるんだあゝ」
 「上がれるのかあゝ」
 「上がれるから、早く來おゝい」
 碌さんは腹の痛いのも、足の豆も忘れて、脱兎《だつと》の勢《いきほひ》で飛び出した。
 「おい。こゝいらか」
 「そこだ。そこへ、一寸《ちよつと》、首を出して見てくれ」
 「かうか。――成程、こりや大變淺い。是なら、僕が蝙蝠傘《かうもり》を上から出したら、それへ、取《と》つ捕《つ》らまつて上がれるだらう」
 「傘《かさ》だけぢや駄目だ。君、氣の毒だがね」
 「うん。ちつとも氣の毒ぢやない。どうするんだ」
 「兵兒帶《へこおび》を解いて、其先を傘《かさ》の柄《え》へ結びつけて――君の傘《かさ》の柄《え》は曲つてるだらう」
 「曲つてるとも。大いに曲つてる」
 「其曲つてる方へ結びつけてくれないか」
 「結びつけるとも。すぐ結び付けてやる」
 「結び付けたら、其帶の端《はじ》を上からぶら下げて呉れ給へ」
 「ぶら下げるとも。譯はない。大丈夫だから待つてゐ玉へ。――さうら、長いのが天竺《てんぢく》から、ぶら下がつたらう」
 「君、しつかり傘《かさ》を握つて居なくつちやいけないぜ。僕の身體《からだ》は十七貫六百目あるんだから」
 「何貫目あつたつて大丈夫だ、安心して上がり給へ」
 「いゝかい」
 「いゝとも」
 「そら上がるぜ。――いや、いけない。さう、ずり下《さ》がつて來ては……」
 「今度は大丈夫だ。今のは試《ため》して見た丈《だけ》だ。さあ上がつた。大丈夫だ よ」
 「君が滑べると、二人共落ちて仕舞ふぜ」
 「だから大丈夫だよ。今のは傘《かさ》の持ち樣がわるかつたんだ」
 「君、薄の根へ足をかけて持ち應《こた》へてゐ玉へ。――あんまり前の方で蹈《ふ》ん張《ば》ると、崖《がけ》が崩れて、足が滑べるよ」
 「よし、大丈夫。さあ上がつた」
 「足を踏ん張つたかい。どうも今度もあぶない樣だな」
 「おい」
 「何だい」
 「君は僕が力がないと思つて、大《おほい》に心配するがね」
 「うん」
 「僕だつて一人前《いちにんまへ》の人間だよ」
 「無論さ」
 「無論なら安心して、僕に信頼したらよからう。からだは小さいが、朋友を一人谷底から救ひ出す位の事は出來る積りだ」
 「ぢや上がるよ。そらつ……」
 「そらつ……もう少しだ」
 豆で一面に腫《は》れ上がつた兩足を、うんと薄の根に踏ん張つた碌さんは、素肌《すはだ》を二百十日《にひやくとをか》の雨に曝《さら》した儘、海老《えび》の樣に腰を曲げて、一生懸命に、傘《かさ》の柄《え》にかじり付いて居る。麥藁帽子を手拭で縛りつけた頭の下から、眞赤《まつか》にいきんだ顔が、八|分《ぶ》通り阿蘇卸《あそお》ろしに吹きつけられて、喰ひ締めた反《そ》つ齒《ぱ》の上にはよな〔二字傍点〕が容赦なく降つてくる。
 毛繻子張《けじゆすば》り八間《はちけん》の蝙蝠《かうもり》の柄《え》には、幸《さいは》ひ太い瘤《こぶ》だらけの頑丈《ぐわんぢやう》な自然木《じねんぼく》が、付けてあるから、折れる氣遣は先づあるまい。其|自然木《じねんぼく》の彎曲《わんきよく》した一端に、鳴海絞《なるみしぼ》りの兵兒帶《へこおび》が、薩摩《さつま》の強弓《がうきゆう》に新しく張つた弦《ゆみづる》の如くぴんと薄を押し分けて、先は谷の中にかくれてゐる。其隱れて居るあたりから、しばらくすると大きな毬栗頭《いがぐりあたま》がぬつと現はれた。
 やつと云ふ掛聲と共に兩手が崖《がけ》の縁《ふち》にかゝるが早いか、大入道《おほにふだう》の腰から上は、斜《なゝ》めに尻に挿した蝙蝠傘《かうもり》と共に谷から上へ出た。同時に碌さんは、どさんと仰向《あふむ》きになつて、薄の底に倒れた。
 
     五
 
 「おい、もう飯だ、起きないか」
 「うん。起きないよ」
 「腹の痛いのは癒《なほ》つたかい」
 「まあ大抵|癒《なほ》つた樣なものだが、此樣子ぢや、いつ痛くなるかも知れないね。兎も角も〔四字傍点〕饂飩《うどん》が祟《たゝ》つたんだから、容易には癒りさうもない」
 「その位口が利ければ慥《たし》かなものだ。どうだい是から出掛けやうぢやないか」
 「どこへ」
 「阿蘇へさ」
 「阿蘇へまだ行く氣かい」
 「無論さ、阿蘇へ行く積りで、出掛けたんだもの。行かない譯には行かない」
 「そんなものかな。然し此豆ぢや殘念ながら致し方がない」
 「豆は痛むかね」
 「痛むの何のつて、かうして寐てゐても頭へずうん/\と響くよ」
 「あんなに、吸殼《すひがら》をつけてやつたが、毫《がう》も利目《きゝめ》がないかな」
 「吸殼《すひがら》で利目《きゝめ》があつちや大變だよ」
 「だつて、付けてやる時は大いに難有《ありがた》さうだつたぜ」
 「癒ると思つたからさ」
 「時に君はきのふ怒《おこ》つたね」
 「いつ」
 「裸《はだか》で蝙蝠傘《かうもり》を引つ張るときさ」
 「だつて、あんまり人を輕蔑するからさ」
 「ハヽヽ然し御蔭で谷から出られたよ。君が怒らなければ僕は今頃谷底で徃生して仕舞つたかも知れない所だ」
 「豆を潰《つぶ》すのも構はずに引つ張つた上に、裸で薄の中へ倒れてさ。それで君は難有《ありがた》いとも何とも云はなかつたぜ。君は人情《にんじやう》のない男だ」
 「其代り此宿迄|擔《かつ》いで來てやつたぢやないか」
 「擔《かつ》いでくるものか。僕は獨立して歩行《ある》いて來たんだ」
 「それぢや此所はどこだか知つてるかい」
 「大《おほい》に人を愚弄したものだ。こゝはどこだつて、阿蘇町さ。然も兎《と》も角《かく》もの饂飩《うどん》を強《し》ひられた三軒置いて隣の馬車宿だあね。半日《はんにち》山のなかを馳《か》けあるいて、漸く下りて見たら元の所だなんて、全體何てえ間拔《まぬけ》だらう。是からもう君の天祐は信用しないよ」
 「二百十日《にひやくとをか》だつたから惡るかつた」
 「さうして山の中で芝居染《しばゐじ》みた事を云つてさ」
 「ハヽヽヽ然しあの時は大いに感服して、うん、うん、て云つた樣だぜ」
 「あの時は感心もしたが、かうなつて見ると馬鹿氣《ばかげ》てゐらあ。君ありや眞面目《まじめ》かい」
 「ふゝん」
 「冗談か」
 「どつちだと思ふ」
 「どつちでも好いが、眞面目なら忠告したいね」
 「あの時僕の經歴談を聽かせろつて、泣いたのは誰だい」
 「泣きやしないやね。足が痛くつて心細くなつたんだね」
 「だつて、今日は朝から非常に元氣ぢやないか、昨日《きのふ》た別人の觀《くわん》がある」
 「足の痛いに關《かゝ》はらずか。ハヽヽヽ。實はあんまり馬鹿氣て居るから、少し腹を立てゝ見たのさ」
 「僕に對してかい」
 「だつて外に對するものがないから仕方がないさ」
 「いゝ迷惑だ。時に君は粥《かゆ》を食ふなら誂《あつ》らへてやらうか」
 「粥《かゆ》もだがだね。第一、馬車は何時に出るか聞いて貰ひたい」
 「馬車でどこへ行く氣だい」
 「どこつて熊本さ」
 「歸るのかい」
 「歸らなくつてどうする。こんな所に馬車馬《ばしやうま》と同居して居ちや命が持たない。ゆふべ、あの枕元でぽん/\羽目《はめ》を蹴られたには實に弱つたぜ」
 「さうか、僕はちつとも知らなかつた。そんなに音がしたかね」
 「あの音が耳に入《はい》らなければ全く剛健黨に相違ない。どうも君は憎くらしい程|善《よ》く寐る男だね。僕にあれ程堅い約束をして、經歴談をきかせるの、醫者の日記を話すのつて、いざとなると、丸《まる》で正體なしに寐ちまふんだ。――さうして、非常ないびき〔三字傍点〕をかいて――」
 「さうか、そりや失敬した。あんまり疲れ過ぎたんだよ」
 「時に天氣はどうだい」
 「上天氣だ」
 「くだらない天氣だ、昨日《きのふ》晴れゝばいゝ事を。――さうして顔は洗つたのかい」
 「顔はとうに洗つた。兎も角も起きないか」
 「起きるつて、只は起きられないよ。裸で寐てゐるんだから」
 「僕は裸で起きた」
 「亂暴だね。いかに豆腐屋育ちだつて、あんまりだ」
 「裏へ出て、冷水浴をしてゐたら、かみさんが着物を持つて來てくれた。乾《かわ》いてるよ。只《たゞ》鼠色になつてる許《ばか》りだ」
 「乾いてるなら、取り寄せてやらう」と碌さんは、勢《いきほひ》よく、手をぽん/\敲《たゝ》く。臺所の方で返事がある。男の聲だ。
 「ありや御者《ぎよしや》かね」
 「亭主かも知れないさ」
 「さうかな、寐ながら占《うらな》つてやらう」
 「占《うらな》つてどうするんだい」
 「占《うらな》つて君と賭《かけ》をする」
 「僕はそんな事はしないよ」
 「まあ、御者《ぎよしや》か、亭主か」
 「どつちかなあ」
 「さあ、早く極めた。そら、來るからさ」
 「ぢや、亭主にでもして置かう」
 「ぢや君が亭主に、僕が御者《ぎよしや》だぜ。負けた方が今日《けふ》一日《いちんち》命令に服するんだぜ」
 「そんな事は極めやしない」
 「御早う……御呼びになりましたか」
 「うん呼んだ。ちよつと僕の着物を持つて來てくれ。乾いてるだらうね」
 「ねえ」
 「夫《それ》から腹がわるいんだから、粥《かゆ》を焚《た》いて貰ひたい」
 「ねえ。御二人さんとも……」
 「おれは只《たゞ》の飯《めし》で澤山だよ」
 「では御一人さん丈《だけ》」
 「さうだ。夫《それ》から馬車は何時と何時に出るかね」
 「熊本通ひは八時と一時に出ますたい」
 「夫《それ》ぢや、その八時で立つ事にするからね」
 「ねえ」
 「君、いよ/\熊本へ歸るのかい。折角此所迄來て阿蘇《あそ》へ上らないのは詰らないぢやないか」
 「そりや、いけないよ」
 「だつて折角來たのに」
 「折角は君の命令に因《よ》つて、折角來たに相違ないんだがね。此豆ぢや、どうにも、かうにも、――天祐を空《むな》しくするより外《ほか》に道はあるまいよ」
 「足が痛めば仕方がないが、――惜しいなあ、折角思ひ立つて、――いゝ天氣だぜ、見給へ」
 「だから、君も一所に歸り給へな。折角一所に來たものだから、一所に歸らないのは可笑《をか》しいよ」
 「然し阿蘇《あそ》へ登りに來たんだから、登らないで歸つちあ濟まない」
 「誰に濟まないんだ」
 「僕の主義に濟まない」
 「又主義か。窮屈な主義だね。ぢや一度熊本へ歸つて又出直してくるさ」
 「出直して來ちや氣が濟まない」
 「色々なものに濟まないんだね。君は元來|強情《がうじやう》過ぎるよ」
 「さうでもないさ」
 「だつて、今迄只の一遍でも僕の云ふ事を聞いた事がないぜ」
 「幾度もあるよ」
 「なに一度もない」
 「昨日《きのふ》も聞いてるぢやないか。谷から上がつてから、僕が登らうと主張したのを、君が何でも下りやうと云ふから、此所迄引き返したぢやないか」
 「昨日は格別さ。二百十日《にひやくとをか》だもの。其代り僕は饂飩《うどん》を何遍も喰つてるぢやないか」
 「ハヽヽヽ、兎も角も……」
 「まあいゝよ。談判はあとにして、こゝに宿の人が待つてるから……」
 「さうか」
 「おい、君」
 「えゝ」
 「君ぢやない。君さ、おい宿の先生」
 「ねえ」
 「君は御者《ぎよしや》かい」
 「いゝえ」
 「ぢや御亭主かい」
 「いゝえ」
 「ぢや何だい」
 「雇人《やとひにん》で……」
 「おや/\。夫《それ》ぢや何にもならない。君、此男は御者《ぎよしや》でも亭主でもないんだとさ」
 「うん、夫《それ》がどうしたんだ」
 「どうしたんだつて――まあ好いや、夫《それ》ぢや。いゝよ、君、彼方《あつち》へ行つても好いよ」
 「ねえ。では御二人《おふたり》さんとも馬車で御越しになりますか」
 「そこが今|悶着中《もんちやくちゆう》さ」
 「へヽヽヽ。八時の馬車はもう直ぐ、支度が出來ます」
 「うん、だから、八時前に悶着《もんちやく》を方付《かたづ》けて置かう。一と先づ引き取つて呉れ」
 「へヽヽヽ御緩《ごゆ》つくり」
 「おい、行つて仕舞つた」
 「行くのは當り前さ。君が行け/\と催促《さいそく》するからさ」
 「ハヽヽありや御者《ぎよしや》でも亭主でもないんだとさ。弱つたな」
 「何が弱つたんだい」
 「何がつて。僕はかう思つてたのさ。あの男が御者《ぎよしや》ですと云ふだらう。すると僕が賭《かけ》に勝つ譯になるから、君は何でも僕の命令に服さなければならなくなる」
 「なるものか、そんな約束はしやしない」
 「なに、したと見傚《みな》すんだね」
 「勝手にかい」
 「曖昧《あいまい》にさ。そこで君は僕と一所に熊本へ歸らなくつちあ、ならないと云ふ譯さ」
 「そんな譯になるかね」
 「なると思つて喜こんでたが、雇人《やとひにん》だつて云ふから仕樣がない」
 「そりや當人が雇人だと主張するんだから仕方がないだらう」
 「もし御者《ぎよしや》ですと云つたら、僕は彼奴《あいつ》に三十錢やる積《つもり》だつたのに馬鹿な奴だ」
 「何にも世話にならないのに、三十錢やる必要はない」
 「だつて君は一昨夜《いつさくや》、あの束髪《そくはつ》の下女に二十錢やつたぢやないか」
 「よく知つてるね。――あの下女は單純で氣に入つたんだもの。華族や金持ちより尊敬すべき資格がある」
 「そら出た。華族や金持ちの出ない日はないね」
 「いや、日に何遍云つても云ひ足りない位、毒々しくつて圖迂々々《づう/\》しい者だよ」
 「君がかい」
 「なあに、華族や金持ちがさ」
 「さうかな」
 「例へば今日わるい事をするぜ。それが成功しない」
 「成功しないのは當り前だ」
 「すると、同じ樣なわるい事を明日《あした》やる。それでも成功しない。すると、明後日《あさつて》になつて、又同じ事をやる。成功する迄は毎日々々同じ事をやる。三百六十五日でも七百五十日でも、わるい事を同じ樣に重ねて行く。重ねてさへ行けば、わるい事が、ひつくり返つて、いゝ事になると思つてる。言語道斷《ごんごだうだん》だ」
 「言語道斷《ごんごだうだん》だ」
 「そんなものを成功させたら、社會は滅茶苦茶《めちやくちや》だ。おいさうだらう」
 「社會は滅茶苦茶《めちやくちや》だ」
 「我々が世の中に生活してゐる第一の目的は、かう云ふ文明の怪獣《くわいじう》を打ち殺して、金も力もない、平民に幾分でも安慰《あんゐ》を與へるのにあるだらう」
 「ある。うん。あるよ」
 「あると思ふなら、僕と一所《いつしよ》にやれ」
 「うん。やる」
 「屹度やるだらうね。いゝか」
 「屹度やる」
 「そこで兎も角も阿蘇《あそ》へ登らう」
 「うん、兎も角も阿蘇《あそ》へ登るがよからう」
 二人の頭の上では二百十一日の阿蘇《あそ》が轟々《ぐわう/\》と百年の不平を限りなき碧空《へきくう》に吐き出して居る。
   2005年12月23日(金)12時12分、修正終了。2016年3月17日(金)午前10時41分、再修正終了。
 
 
   野分
−明治四〇、一、一−
 
     一
 
 白井道也《しらゐだうや》は文學者である。
 八年|前《まへ》大學を卒業してから田舍の中學を二三箇所|流《なが》して歩いた末、去年の春|飄然《へうぜん》と東京へ戻つて來た。流す〔二字傍点〕とは門附《かどづけ》に用ゐる言葉で飄然〔二字傍点〕とは徂徠《そらい》に拘《かゝ》はらぬ意味とも取れる。道也の進退をかく形容するの適否は作者と云へども受合はぬ。縺《もつ》れたる糸の片端《かたはし》も眼を着《ちやく》すれば只《たゞ》一筋の末とあらはるゝに過ぎぬ。只一筋の出處《しゆつしよ》の裏には十重二十重《とへはたへ》の因縁《いんねん》が絡《から》んで居るかも知れぬ。鴻雁《こうがん》の北に去りて乙鳥《いつてう》の南に來るさへ、鳥の身になつては相當の辯解がある筈ぢや。
 始めて赴任《ふにん》したのは越後のどこかであつた。越後は石油の名所である。學校の在る町を四五町隔てゝ大きな石油會社があつた。學校のある町の繁榮は三|分《ぶ》二以上此會社の御蔭で維持されて居る。町のものに取つては幾個の中學校よりも此石油會社の方が遙《はる》かに難有《ありがた》い。會社の役員は金のある點に於て紳士《しんし》である。中學のヘ師は貧乏な所が下等に見える。此下等なヘ師と金のある紳士が衝突すれば勝敗《しようはい》は誰が眼にも明《あきら》かである。道也はある時の演説會で、金力《きんりよく》と品性《ひんせい》と云ふ題目のもとに、兩者の必ずしも一致せざる理由を説明して、暗《あん》に會社の役員等の暴慢と、青年子弟の何らの定見もなくして徒《いたづ》らに黄白萬能主義《くわうはくばんのうしゆぎ》を信奉するの弊《へい》とを戒《いまし》めた。
 役員|等《ら》は生意氣《なまいき》な奴だと云つた。町の新聞は無能のヘ師が高慢な不平を吐《は》くと評した。彼の同僚すら餘計な事をして學校の位地を危うくするのは愚だと思つた。校長は町と會社との關係を説いて、漫《みだり》に平地《へいち》に風波《ふうは》を起すのは得策でないと説諭した。道也の最後に望を屬《しよく》して居た生徒すらも、父兄の意見を聞いて、身の程を知らぬ馬鹿ヘ師と云ひ出した。道也は飄然《へうぜん》として越後を去つた。
 次に渡つたのは九州である。九州を中斷して其|北部《ほくぶ》から工業を除けば九州は白紙《はくし》となる。炭礦の烟《けむ》りを浴びて、黒い呼吸《いき》をせぬ者は人間の資格はない。垢光《あかびか》りのする背廣《せびろ》の上へ蒼《あを》い顔を出して、世の中がかうの、社會があゝの、未來の國民が何《なん》の蚊《か》のと白銅《はくどう》一個にさへ換算の出來ぬ不生産的な言説《げんせつ》を弄《ろう》するものに存在の權利のあらう筈がない。權利のないものに存在を許すのは實業家の御慈悲《おじひ》である。無駄口を叩《たゝ》く學者や、蓄音機の代理をするヘ師が露命《ろめい》をつなぐ月々幾片の紙幣は、どこから湧いてくる。手《て》の掌《ひら》をぽんと叩けば、自《おのづ》から降る幾億の富の、塵の塵の末を舐《な》めさして、生かして置くのが學者である、文士である、さてはヘ師である。
 金《かね》の力で活きて居りながら、金を誹《そし》るのは、生んで貰つた親に惡體《あくたい》をつくと同じ事である。其|金《かね》を作つてくれる實業家を輕《かろ》んずるなら食はずに死んで見るがいゝ。死ねるか、死に切れずに降參をするか、試めして見樣《みやう》と云つて抛《はふ》り出された時、道也は又飄然と九州を去つた。
 第三に出現したのは中國|邊《へん》の田舍である。こゝの氣風《きふう》は左程に猛烈な現金主義ではなかつた。只|土着《どちやく》のものが無暗に幅を利かして、他縣のものを外國人と呼ぶ。外國人と呼ぶ丈《だけ》なら夫《それ》迄《まで》であるが、色々に手を廻《ま》はして此外國人を征服しやうとする。宴會があれば宴會でひやかす。演説があれば演説であてこする。夫《それ》から新聞で厭味《いやみ》を並《なら》べる。生徒にからかはせる。さうして夫《それ》が何の爲めでもない。只他縣のものが自分と同化せぬのが氣に懸るからである。同化は社會の要素に違ない。佛蘭西《フランス》のタルドと云ふ學者は社會は模倣なりとさへ云ふた位だ。同化は大切かも知れぬ。其大切さ加減は道也と雖《いへ》ども心得て居る。心得て居る所ではない、高等なヘ育を受けて、廣義な社會觀を有して居る彼は、凡俗《ぼんぞく》以上に同化の功コ《くどく》を認めてゐる。たゞ高いものに同化するか低いものに同化するかゞ問題である。此問題を解釋しないで徒らに同化するのは世の爲めにならぬ。自分から云へば一分《いちぶん》が立たぬ。
 ある時|舊藩主《きうはんしゆ》が學校を參觀に來た。舊藩主は殿樣で華族樣である。所のものから云へば神樣である。此神樣が道也のヘ室へ這入つて來た時、道也は別に意にも留めず授業を繼續して居た。神樣の方では無論挨拶もしなかつた。是から事が六《む》づかしくなつた。ヘ場は神聖である。ヘ師がヘ壇に立つて業を授けるのは侍《さむらひ》が物《もの》の具《ぐ》に身を固めて戰場に臨む樣なものである。いくら華族でも舊藩主でも、授業を中絶させる權利はないとは道也の主張であつた。此主張の爲めに道也は又飄然として任地を去つた。去る時に土地のものは彼を目《もく》して頑愚だと評し合ふたさうである。頑愚と云はれたる道也は此|嘲罵《てうば》を背に受けながら飄然として去つた。
 三《み》たび飄然と中學を去つた道也は飄然と東京へ戻つたなり再び動く景色《けしき》がない。東京は日本で一番|世地辛《せちがら》い所である。田舍に居る程の俸給を受けてさへ樂には暮せない。况《ま》してヘ職を抛《なげう》つて兩手を袂へ入れた儘で遣り切るのは、立ちながらみいら〔三字傍点〕となる工夫と評するより外に賞《ほ》め樣《やう》のない方法である。
 道也には妻《さい》がある。妻《さい》と名がつく以上は養ふべき義務は附隨してくる。自《みづ》からみいら〔三字傍点〕となるのを甘んじても妻《さい》を干乾《ひぼし》にする譯《わけ》には行かぬ。干乾《ひぼし》にならぬ餘程前から妻君《さいくん》は既に不平である。
 始めて越後を去る時には妻君に一部始終を話した。其時妻君は御尤もで御座んすと云つて、甲斐々々しく荷物の手拵《てごしらへ》を始めた。九州を去る時にも其|?末《てんまつ》を云つて聞かせた。今度は又ですかと云つたぎり何にも口を開かなかつた。中國を出る時の妻君の言葉は、あなたの樣に頑固では何處へ入《い》らしつても落ち付けつこありませんわと云ふ訓戒的の挨拶に變化して居た。七年の間に三たび漂泊して、三たび漂泊するうちに妻君は次第と自分の傍を遠退《とほの》く樣になつた。
 妻君が自分の傍を遠退《とほの》くのは漂泊の爲めであらうか、俸禄《ほうろく》を棄てる爲めであらうか。何度漂泊しても、漂泊する度に月給が上がつたらどうだらう。妻君は依然として「あなたの樣に……」と不服がましい言葉を洩らしたらうか。博士にでもなつて、大學ヘ授に轉任しても矢張り「あなたの樣に……」が繰り返されるであらうか。妻君の了簡は聞いて見なければ分らぬ。
 博士になり、ヘ授になり、空《むな》しき名を空《むな》しく世間に謳《うた》はるゝが爲め、其反響が妻君の胸に轟いて、急に夫の待遇を變へるならば此細君は夫の知己《ちき》とは云へぬ。世の中が夫を遇する朝夕《てうせき》の模樣で、夫の價値を朝夕《てうせき》に變へる細君は、夫を評價する上に於て、世間並《せけんなみ》の一人である。嫁《とつ》がぬ前、名を知らぬ前、の己《おの》れと異《こと》なる所がない。從つて夫《をつと》から見ればあかの他人である。夫を知る點に於て嫁《とつ》ぐ前と嫁《とつ》ぐ後《のち》とに變りがなければ、少なくとも此點に於て細君らしい所がないのである。世界は此細君らしからぬ細君を以て充滿してゐる。道也は自分の妻《さい》を矢張り此同類と心得てゐるだらうか。至る所に容れられぬ上に、至る所に起居を共にする細君さへ自分を解してくれないのだと悟つたら、定めて心細いだらう。
 世の中はかゝる細君を以て充滿して居ると云つた。かゝる細君を以て充滿して居りながら、皆圓滿にくらして居る。順境にある者が細君の心事《しんじ》をこゝ迄に解剖する必要がない。皮膚病に罹《かゝ》ればこそ皮膚の研究が必要になる。病氣も無いのに汚ないものを顕微鏡《けんびきやう》で眺めるのは、事なきに苦しんで肥柄杓《こえびしやく》を振り廻すと一般である。只此順境が一轉して逆落《さかおと》しに運命の淵《ふち》へころがり込む時、如何《いか》な夫婦の間にも氣まづい事が起る。親子の覊絆《きづな》もぽつりと切れる。美くしいのは血の上を薄く蔽《おほ》ふ皮の事であつたと氣がつく。道也はどこ迄氣がついたか知らぬ。
 道也の三たび去つたのは、好んで自から窮地に陷《おちい》る爲めではない。罪もない妻《さい》に苦勞を掛ける爲めでは猶更ない。世間が己《おの》れを容れぬから仕方がないのである。世が容れぬなら何故《なぜ》こちらから世に容れられやうとはせぬ? 世に容れられ樣とする刹那に道也は奇麗に消滅して仕舞ふからである。道也は人格に於て流俗《りうぞく》より高いと自信して居る。流俗より高ければ高い程、低いものゝ手を引いて、高い方へ導いてやるのが責任である。高いと知りながらも低きに就くのは、自から多年のヘ育を受けながら、此ヘ育の結果がもたらした財寶を床下《ゆかした》に埋《うづ》むる樣なものである。自分の人格を他に及ぼさぬ以上は、折角に築き上げた人格は、築きあげぬ昔と同じく無功力で、築き上げた勞力|丈《だけ》を徒費した譯になる。英語をヘへ、歴史をヘへ、ある時は倫理さへヘへたのは、人格の修養に附隨して蓄へられた、藝をヘへたのである。單に此藝を目的にして學問をしたならば、ヘ場で書物を開いてさへ居れば濟む。書物を開いて飯を食つて滿足して居るのは綱渡りが綱を渡つて飯を食ひ、皿廻しが皿を廻はして飯を食ふのと理論に於て異《こと》なる所はない。學問は綱渡りや皿廻しとは違ふ。藝を覺えるのは末の事である。人間が出來上るのが目的である。大小の區別のつく、輕重の等差《とうさ》を知る、好惡《かうを》の判然する、善惡の分界を呑み込んだ、賢愚、眞僞、正邪の批判を謬《あや》まらざる大丈夫が出來上がるのが目的である。
 道也はかう考へて居る。だから藝を售《う》つて口を糊《こ》するのを耻辱とせぬと同時に、學問の根底たる立脚地を離るゝのを深く陋劣《ろうれつ》と心得た。彼が至る所に容れられぬのは、學問の本體に根據地を構へての上の去就《きよしう》であるから、彼自身は内に顧みて疚《やま》しい所もなければ、意氣地がないとも思ひ付かぬ。頑愚|抔《など》と云ふ嘲罵は、掌《てのひら》へ載せて、夏の日の南軒《なんけん》に、蟲眼鏡で檢査しても了解が出來ん。
 三度《みたび》ヘ師となつて三度《みたび》追ひ出された彼は、追ひ出されるたびに博士よりも偉大な手柄を立てた積りで居る。博士はえらからう、然し高が藝で取る稱號である。富豪が製艦費を獻納して從五位を頂戴するのと大した變りはない。道也が追ひ出されたのは道也の人物が高いからである。正しき人は神の造れる凡《すべ》てのうちにて最も尊きものなりとは西の國の詩人の言葉だ。道を守るものは神よりも貴《たつと》しとは道也が追はるゝ毎に心のうちで繰り返す文句である。但し妻君は甞《かつ》て此文句を道也の口から聞いた事がない。聞いても分かるまい。
 わからねばこそ餓え死にもせぬ先から、夫に對して不平なのである。不平な妻《さい》を氣の毒と思はぬ程の道也ではない。只|妻《さい》の歡心を得る爲めに吾が行く道を曲げぬ丈《だけ》が普通の夫と違ふのである。世は單に人と呼ぶ。娶《めと》れば夫である。交《まじ》はれば友である。手を引けば兄、引かるれば弟である。社會に立てば先覺者にもなる。校舍に入ればヘ師に違ひない。去るを單に人と呼ぶ。人と呼んで事足る程の世間なら單純である。妻君は常に此單純な世界に住んで居る。妻君の世界には夫としての道也の外には學者としての道也もない、志士としての道也もない。道を守り俗に抗する道也は猶更《なほさら》ない。夫が行く先き/\で評判が惡くなるのは、夫の才が足らぬからで、到る所に職を辭するのは、自から求むる醉興《すゐきよう》に外ならんと迄考へてゐる。
 醉興《すゐきよう》を三たび重ねて、東京へ出て來た道也は、もう田舍へは行かぬと言ひ出した。ヘ師ももうやらぬと妻君に打ち明けた。學校に愛想をつかした彼は、愛想をつかした社會?態を矯正するには筆の力によらねばならぬと悟つたのである。今迄はいづこの果《はて》で、どんな職業をしやうとも、己《おの》れさへ眞直であれば曲がつたものは苧殼《をがら》の樣に向ふで折れべきものと心得て居た。盛名はわが望む所ではない。威望もわが欲する所ではない。たゞわが人格の力で、未來の國民をかたちづくる青年に、向上の眼《まなこ》を開かしむる爲め、取捨分別《しゆしやふんべつ》の好例を自家身上に示せば足るとのみ思ひ込んで、思ひ込んだ通りを六年餘り實行して、見事に失敗したのである。渡る世間に鬼はないと云ふから、同情は正しき所、高き所、物の理窟のよく分かる所に聚《あつ》まると早合點して、此|年月《としつき》を今度こそ、今度こそ、と經驗の足らぬ吾身に、待ち受けたのは生涯の誤りである。世はわが思ふ程に高尚なものではない、鑑識のあるものでもない。同情とは強きもの、富めるものにのみ隨《したが》ふ影に外ならぬ。
 こゝ迄進んで居らぬ世を買ひ被《かぶ》つて、一足《いつそく》飛びに田舍へ行つたのは、地ならしをせぬ地面の上へ丈夫な家を建てやうとあせる樣なものだ。建てかけるが早いか、風と云ひ雨と云ふ曲者《くせもの》が來て壞《こは》して仕舞ふ。地ならしをするか、雨風《あめかぜ》を退治《たいぢ》るかせぬうちは、落ち付いて此世に住めぬ。落ち付いて住めぬ世を住める樣にしてやるのが天下の士の仕事である。
 金《かね》も勢《いきほひ》もないものが天下の士に耻ぢぬ事業を成すには筆の力に頼らねばならぬ。舌の援《たすけ》を藉《か》らねばならぬ。腦味噌を壓搾《あつさく》して利他《りた》の智慧を絞らねばならぬ。腦味噌は涸《か》れる、舌は爛《たゞ》れる、筆は何本でも折れる、夫《それ》でも世の中が言ふ事を聞かなければ夫《それ》迄《まで》である。
 然し天下の士と雖《いへ》ども食はずには働けない。よし自分|丈《だけ》は食はんで濟むとしても、妻《さい》は食はずに辛抱する氣遣《きづかひ》はない。豐かに妻を養はぬ夫は、妻の眼から見れば大罪人である。今年の春、田舍から出て來て、芝琴平町《しばことひらちやう》の安宿へ着いた時、道也と妻君の間にはこんな會話が起つた。
 「ヘ師を御已《おや》めなさるつて、是から何をなさる御積りですか」
 「別に是と云ふ積りもないがね、まあ、そのうち、どうかなるだらう」
 「其内どうかなるだらうつて、夫《それ》ぢや丸で雲を攫《つか》む樣な話しぢやありませんか」
 「さうさな。あんまり判然《はんぜん》としちや居ない」
 「さう呑氣ぢや困りますわ。あなたは男だから夫《それ》でよう御座んしやうが、ちつとは私の身にもなつて見て下さらなくつちやあ……」
 「だからさ、もう田舍へは行かない、ヘ師にもならない事に極めたんだよ」
 「極めるのは御勝手ですけれども、極めたつて月給が取れなけりや仕方がないぢやありませんか」
 「月給がとれなくつても金がとれゝば、よからう」
 「金がとれゝば……夫《そ》りやよう御座んすとも」
 「そんなら、いゝさ」
 「いゝさつて、御金がとれるんですか、あなた」
 「さうさ、まあ取れるだらうと思ふのさ」
 「どうして?」
 「そこは今考へ中だ。さう着《ちやく》、早々《さう/\》計畫が立つものか」
 「だから心配になるんですわ。いくら東京に居ると極めたつて、極めた丈《だけ》の思案ぢや仕方がないぢやありませんか」
 「どうも御前は無暗《むやみ》に心配性《しんぱいしやう》でいけない」
 「心配もしますわ、何處へ入《い》らしつても折合《をりあひ》がわるくつちや、御已《おや》めになるんですもの。私が心配性なら、あなたは餘《よ》つ程《ぽど》癇癪持《かんしやくも》ちですわ」
 「さうかも知れない。然しおれの癇癪は……まあ、いゝや。どうにか東京で食へる樣にするから」
 「御兄《おあにい》さんの所へ入《い》らしつて御頼みなすつたら、どうでせう」
 「うん、それも好いがね。兄は一體人の世話なんかする男ぢやないよ」
 「あら、さう何でも一人で極めて御仕舞になるから惡《わ》るいんですわ。昨日《きのふ》もあんなに親切に色々言つて下さつたぢやありませんか」
 「昨日《きのふ》か。昨日は色々世話を燒く樣な事を言つた。言つたがね……」
 「言つてもいけないんですか」
 「いけなかないよ。言ふのは結構だが……あんまり當《あて》にならないからな」
 「なぜ?」
 「なぜつて、其内段々わかるさ」
 「ぢや御友達の方にでも願つて、あしたからでも運動をなすつたらいゝでせう」
 「友達つて別に友達なんかありやしない。同級生はみんな散つて仕舞つた」
 「だつて毎年年始?を御寄こしになる足立《あだち》さんなんか東京で立派にして居らつしやるぢやありませんか」
 「足立《あだち》か、うん、大學ヘ授だね」
 「さう、あなたの樣に高く許《ばか》り構へて居らつしやるから人に嫌はれるんですよ。大學ヘ授だねつて、大學の先生になりや結構ぢやありませんか」
 「さうかね。ぢや足立《あだち》の所へでも行つて頼んで見やうよ。然し金さへ取れゝば必ず足立《あだち》の所へ行く必要はなからう」
 「あら、まだあんな事を言つて入《い》らつしやる。あなたは餘《よ》つ程《ぽど》強情ね」
 「うん、おれは餘《よ》つ程《ぽど》強情だよ」
 
     二
 
 午《ご》に逼《せま》る秋の日は、頂《いたゞ》く帽を透《とほ》して頭葢骨《づがいこつ》のなかさへ朗《ほがら》かならしめたかの感がある。公園のロハ臺はそのロハ臺たるの故を以て悉《こと/”\》くロハ的に占領されて仕舞つた。高柳君《たかやなぎくん》は、どこぞ空《あ》いた所はあるまいかと、さつきから丁度三度日比谷を巡回した。三度巡回して一脚の腰掛も思ふ樣に我を迎へないのを發見した時、重さうな足を正門のかたへ向けた。すると反對の方から同年輩の青年が早足に這入つて來て、やあと聲を掛けた。
 「やあ」と高柳君も同じ樣な挨拶をした。
 「どこへ行つたんだい」と青年が聞く。
 「今ぐる/\巡《まは》つて、休まうと思つたが、どこも空《あ》いてゐない。駄目だ、只《たゞ》で掛けられる所はみんな人が先へかけて居る。中々拔目はないもんだな」
 「天氣がいゝ所爲《せゐ》だよ。成程隨分人が出てゐるね。――おい、あの孟宗藪《まうさうやぶ》を回つて噴水の方へ行く人を見給へ」
 「どれ。あの女か。君の知つてる人かね」
 「知るものか」
 「それぢや何で見る必要があるのだい」
 「あの着物の色さ」
 「何だか立派なものを着てゐるぢやないか」
 「あの色を竹藪《たけやぶ》の傍へ持つて行くと非常にあざやかに見える。あれは、かう云ふ透明な秋の日に照らして見ないと引き立たないんだ」
 「さうかな」
 「さうかなつて、君さう感じないか」
 「別に感じない。然し奇麗は奇麗だ」
 「只《たゞ》奇麗|丈《だけ》ぢや可哀想《かはいさう》だ。君は是から作家になるんだらう」
 「さうさ」
 「夫《それ》ぢやもう少し感じが鋭敏でなくつちや駄目だぜ」
 「なに、あんな方は鈍くつてもいゝんだ。外《ほか》に鋭敏な所が澤山あるんだから」
 「ハヽヽヽさう自信があれば結構だ。時に君折角逢つたものだから、もう一遍あるかうぢやないか」
 「あるくのは、眞平《まつぴら》だ。是からすぐ電車へ乘つて歸へらないと午食《ひるめし》を食ひ損《そく》なう」
 「其|午食《ひるめし》を奢《おご》らうぢやないか」
 「うん、又今度にしやう」
 「何故《なぜ》? いやかい」
 「厭ぢやない――厭ぢやないが、始終御馳走にばかりなるから」
 「ハヽヽ遠慮か。まあ來給へ」と青年は否應《いやおう》なしに高柳君を公園の眞中の西洋料理屋へ引つ張り込んで、眺望のいゝ二階へ陣を取る。
 注文の來る間、高柳君は蒼い顔へ兩手で突《つ》つかい棒《ぼう》をして、さもつかれたと云ふ風に徃來を見てゐる。青年は獨りで「ふん大分《だいぶ》廣いな」「中々|繁昌《はんじやう》すると見える」「なんだ、妙な所へ姿見《すがたみ》の廣告|抔《など》を出して」抔《など》と半分口のうちで云ふかと思つたら、やがて洋袴《ヅボン》の隱袋《かくし》へ手を入れて「や、仕舞つた。烟草を買つてくるのを忘れた」と大きな聲を出した。
 「烟草なら、こゝにあるよ」と高柳君は「敷島《しきしま》」の袋を白い卓布《たくふ》の上へ抛《はふ》り出す。
 所へ下女が御誂《おあつらへ》を持つてくる。烟草に火を點《つ》ける間《ま》はなかつた。
 「是は樽麥酒《たるビール》だね。おい君|樽麥酒《たるビール》の祝杯を一つ擧げやうぢやないか」と青年は琥珀色《こはくいろ》の底から湧き上がる泡をぐいと飲む。
 「何の祝杯を擧げるのだい」と高柳君は一口飲みながら青年に聞いた。
 「卒業祝ひさ」
 「今頃卒業祝ひか」と高柳君は手のついた洋盃《こつぷ》を下へ卸《お》ろして仕舞つた。
 「卒業は生涯にたつた一度しかないんだから、何時《いつ》迄祝つてもいゝさ」
 「たつた一度しかないんだから祝はないでもいゝ位だ」
 「僕と丸《まる》で反對だね。――姉《ねえ》さん、此フライは何だい。え? 鮭《さけ》か。こゝん所《とこ》へ君、此オレンジの露をかけて見給へ」と青年は人指指《ひとさしゆび》と親指の間からちゆうと黄色《きいろ》い汁を鮭の衣《ころも》の上へ落《おと》す。庭の面《おもて》にはら/\と降る時雨《しぐれ》の如く、すぐ油の中へ吸ひ込まれて仕舞つた。
 「成程さうして食ふものか。僕は裝飾についてるのかと思つた」
 姿見《すがたみ》の札幌麥酒《さつぽろビール》の廣告の本《もと》に、大きくなつて構へてゐた二人の男が、此《この》時《とき》急に大きな破《わ》れる樣な聲を出して笑ひ始めた。高柳君はオレンジをつまんだ儘、厭な顔をして二人を見る。二人は一向《いつかう》構はない。
 「いや行《ゆ》くよ。いつでも行くよ。エヘヽヽヽ。今夜|行《ゆ》かう。あんまり氣が早い。ハヽヽヽヽ」
 「エヘヽヽヽ。いえね、實はね、今夜あたり君を誘つて繰《く》り出さうと思つて居たんだ。え? ハヽヽヽ。なにそれ程でもない。ハヽヽヽ。そら例のが、あれでせう。だから、どうにもかうにも遣《や》り切れないのさ。エヘヽヽヽ、アハヽヽヽヽヽ」
 土鍋《どなべ》の底の樣な赭《あか》い顔が廣告の姿見に寫つて崩《くづ》れたり、かたまつたり、伸びたり縮んだり、傍若無人《ばうぢやくぶじん》に動搖して居る。高柳君は一種異樣な厭な眼つきを轉じて、相手の青年を見た。
 「商人だよ」と青年が小聲に云ふ。
 「實業家かな」と高柳君も小聲に答へながら、とう/\オレンジを絞《しぼ》るのをやめて仕舞》つた。
 土鍋の底は、やがて勘定を拂つて、序《つい》でに下女にからかつて、二階を買ひ切つた樣な大きな聲を出して、さうして出て行つた。
 「おい中野君」
 「むむ?」と青年は鳥の肉を口一杯|頬張《ほゝば》つてゐる。
 「あの連中《れんぢゆう》は世の中を何《なん》と思つてるだらう」
 「何《なん》とも思ふものかね。たゞあゝやつて暮らしてゐるのさ」
 「羨《うら》やましいな。どうかして――どうもいかんな」
 「あんなものが羨《うらやま》しくつちや大變だ。そんな考だから卒業祝に同意しないんだらう。さあもう一杯景氣よく飲んだ」
 「あの人が羨《うらやま》ましいのぢやないが、あゝ云ふ風に餘裕がある樣な身分が羨ましい。いくら卒業したつてかう奔命《ほんめい》に疲れちや、少しも卒業の難有味《ありがたみ》はない」
 「さうかなあ、僕なんざ嬉しくつて堪《たま》らないがなあ。我々の生命は是からだぜ。今からそんな心細い事を云つちやあ仕樣がない」
 「我々の生命は是からだのに、是から先が覺束ないから厭になつて仕舞ふのさ」
 「何故《なぜ》? 何もさう悲觀する必要はないぢやないか、大《おほい》にやるさ。僕もやる氣だ、一所にやらう。大に西洋料理でも食つて――そらビステキが來た。是で御仕舞だよ。君ビステキの生燒《なまやき》は消化がいゝつて云ふぜ。こいつはどうかな」と中野君は洋刀《ナイフ》を揮《ふる》つて厚切《あつぎ》りの一片《いつぺん》を中央《まんなか》から切斷した。
 「なある程、赤い。赤いよ君、見給へ。血が出るよ」
 高柳君は何にも答へずにむしや/\赤いビステキを食ひ始めた。いくら赤くても决して消化がよさゝうには思へなかつた。
 人にわが不平を訴へんとするとき、わが不平が徹底せぬうち、先方から中途半把《ちゆうとはんぱ》な慰藉《ゐしや》を與へらるゝのは快《こゝろ》よくないものだ。わが不平が通じたのか、通じないのか、本當に氣の毒がるのか、御世辭に氣の毒がるのか分らない。高柳君はビステキの赤さ加減を眺めながら、相手はなぜかう感情が粗大《そだい》だらうと思つた。もう少し切り込みたいと云ふ矢先《やさき》へ持つて來て、ざああと水を懸けるのが中野君の例である。不親切な人、冷淡な人ならば始めから夫《それ》相應の用意をしてかゝるから、いくら冷たくても驚ろく氣遣《きづかひ》はない。中野君が斯樣な人であつたなら、出鼻《でばな》をはたかれても左程に口惜《くや》しくはなかつたらう。然し高柳君の眼に映ずる中野輝一《なかのきいち》は美しい、賢こい、よく人情を解して事理を辯《わきま》へた秀才である。此秀才が折々此癖を出すのは解《かい》しにくい。
 彼等は同じ高等學校の、同じ寄宿舍の、同じ窓に机を並べて生活して、同じ文科に同じヘ授の講義を聽いて、同じ年の此夏に同じく學校を卒業したのである。同じ年に卒業したものは兩手の指を二三度屈する程ゐる。然し此|二人《ふたり》位《ぐらゐ》親しいものはなかつた。
 高柳君は口數をきかぬ、人交《ひとまじは》りをせぬ、厭世家の皮肉屋と云はれた男である。中野君は鷹揚《おうやう》な、圓滿な、趣味に富んだ秀才である。此|兩人《ふたり》が卒然と交《まじはり》を訂《てい》してから、傍目《はため》にも不審と思はれる位|昵懇《ぢつこん》な間柄となつた。運命は大島の表と秩父《ちゝぶ》の裏とを縫ひ合《あは》せる。
 天下に親しきものが只《たゞ》一人《ひとり》あつて、只此一人より外に親しきものを見出《みいだ》し得ぬとき、此一人は親でもある、兄弟でもある。さては愛人である。高柳君は單なる朋友を以て中野君を目《もく》しては居らぬ。其中野君がわが不平を殘りなく聞いてくれぬのは殘念である。途中で夕立に逢つて思ふ所へ行かずに引き返した樣なものである。殘りなく聞いてくれぬ上に、呑氣《のんき》な慰藉《ゐしや》をかぶせられるのは猶更殘念だ。膿《うみ》を出してくれと頼んだ腫物《しゆもつ》を、いゝ加減の眞綿《まわた》で、撫《な》で廻はされたつてむづ痒《がゆ》い許《ばか》りである。
 然しかう思ふのは高柳君の無理である。御雛樣《おひなさま》に藝者の立《た》て引《ひ》きがないと云つて攻撃するのは御雛樣の戀を解《かい》せぬものゝ言草《いひぐさ》である。中野君は富裕《ふゆう》な名門《めいもん》に生《うま》れて、暖かい家庭に育つた外《ほか》、浮世の雨風は、炬燵《こたつ》へあたつて、椽側《えんがは》の硝子戸越《ガラスどごし》に眺めた許《ばか》りである。友禪《いうぜん》の模樣はわかる、金屏《きんびやう》の冴《さ》えも解せる、銀燭《ぎんしよく》の耀《かゞや》きもまばゆく思ふ。生きた女の美しさは猶更に眼に映《うつ》る。親の恩、兄弟の情、朋友の信、是等を知らぬ程の木強漢《ぼくきやうかん》では無論ない。但《たゞ》彼の住む半球には今迄いつでも日が照つて居た。日の照つて居る半球に住んでゐるものが、片足をとんと地に突いて、此足の下に眞暗な半球があると氣がつくのは地理學を習つた時|許《ばか》りである。たまには歩いて居て、氣がつかぬとも限らぬ。然し嘸《さぞ》暗い事だらうと身に沁《し》みてぞつとする事はあるまい。高柳君は此暗い所に淋しく住んでゐる人間である。中野君とは只《たゞ》大地を踏まえへ足の裏が向き合つて居るといふ外に何らの交渉もない。縫ひ合はされた大島の表と秩父《ちゝぶ》の裏とは覺束《おぼつか》なき針の目を忍んで繋ぐ、細い糸の御蔭である。此細いものを、する/\と拔けば鹿兒島縣と埼玉縣の間には依然として何百里の山河《さんが》が横《よこた》はつて居る。齒を病《や》んだ事のないものに、齒の痛みを持つて行くよりも、早く齒醫者に馳《か》けつけるのが近道だ。さう痛がらんでもいゝさと云はれる病人は、けつして慰藉を受けたとは思ふまい。
 「君|抔《など》は悲觀する必要がないから結構だ」と、ビステキを半分で斷念した高柳君は敷島をふかしながら、相手の顔を眺めた。相手は口をもが/\させながら、右の手を首と共に左右に振つたのは、高柳君に同意を表しないのと見える。
 「僕が悲觀する必要がない? 悲觀する必要がないとすると、つまり御目出度い人間と云ふ意味になるね」
 高柳君は覺えず、薄い唇を動かしかけたが、微《かす》かな漣《さゞなみ》は頬|迄《まで》廣がらぬ先に消えた。相手は猶《なほ》言葉をつゞける。
 「僕だつて三年も大學に居て多少の哲學書や文學書を讀んでるぢやないか。かう見えても世の中が、どれ程《ほど》悲觀すべきものであるか位は知つてる積《つも》りだ」
 「書物の上でだらう」と高柳君は高い山から谷底を見下《みお》ろした樣に云ふ。
 「書物の上――書物の上では無論だが、實際だつて、是で中々苦痛もあり煩悶もあるんだよ」
 「だつて、生活には困らないし、時間は充分あるし、勉強はしたい丈《だけ》出來るし、述作は思ふ通りにやれるし。僕に較《くら》べると君は實に幸福だ」と高柳君今度はさも羨《うらや》ましさうに嘆息《たんそく》する。
 「所が裏面《りめん》は中々そんな氣樂なんぢやないさ。是でも色々心配があつて、いやになるのだよ」と中野君は強ひて心配の所有權を主張して居る。
 「さうかなあ」と相手は、中々信じない。
 「さう君|迄《まで》茶かしちや、愈《いよ/\》つまらなくなる。實は今日あたり、君の所へでも出掛けて、大《おほい》に同情してもらはうかと思つて居た所さ」
 「譯をきかせなくつちや同情も出來ないね」
 「譯は段々話すよ。あんまり、くさ/\するから、かうやつて散歩に來た位なものさ。些《ち》つとは察しるがいゝ」
 高柳君は今度は公然とにや/\と笑つた。些《ち》つとは察しる積りでも、察しやうがないのである。
 「さうして、君は又なんで今頃公園なんか散歩して居るんだね」と中野君は正面から高柳君の顔を見たが、
 「や、君の顔は妙だ。日の射《さ》して居る右側の方は大變血色がいゝが、影になつてる方は非常に色澤《いろつや》が惡い。奇妙だな。鼻を境に矛盾《むじゆん》が睨《にら》めこをしてゐる。悲劇と喜劇の假面《めん》を半々につぎ合《あは》せた樣だ」と息もつがず、述べ立てた。
 此無心の評を聞いた、高柳君は心の秘密を顔の上で讀まれた樣に、はつと思ふと、右の手で額の方から顋《あご》のあたり迄、ぐるりと撫《な》で廻はした。かうして顔の上の矛盾をかき混《ま》ぜる積りなのかも知れない。
 「いくら天氣がよくつても、散歩なんかする暇《ひま》はない。今日は新橋の先|迄《まで》遺失品を探《さ》がしに行つて其歸りがけに一寸《ちよつと》序《つい》でだから、此所《こゝ》で休んで行かうと思つて來たのさ」と顔を攪《か》き廻した手を顎《あご》の下へかつて依然として浮かぬ樣子をする。悲劇の面《めん》と喜劇の面《めん》をまぜ返へしたから通例の顔になる筈であるのに、妙に濁つたものが出來上つて仕舞つた。
 「遺失品て、何を落したんだい」
 「昨日《きのふ》電車の中で草稿《さうかう》を失《うしな》つて――」
 「草稿? そりや大變だ。僕は書き上げた原稿が雜誌へ出る迄は心配でたまらない。實際草稿なんてものは、吾々に取つて、命より大切なものだからね」
 「なに、そんな大切な草稿でも書ける暇がある樣だといゝんだけれども――駄目だ」と自分を輕蔑した樣な口調《くてう》で云ふ。
 「ぢや何の草稿だい」
 「地理ヘ授法の譯《やく》だ。あした迄に屆ける筈にしてあるのだから、今なくなつちや原稿料も貰へず、又やり直さなくつちやならず、實に厭になつちまふ」
 「それで、探《さ》がしに行つても出て來《こ》ないのかい」
 「來《こ》ない」
 「どうしたんだらう」
 「大方車掌が、うちへ持つて行つて、はたき〔三字傍点〕でも拵《こしら》へたんだらう」
 「まさか、然し出なくつちや困るね」
 「困るなあ自分の不注意と我慢するが、その遺失品係りの厭な奴だ事つて――實に不親切で、形式的で――丸《まる》で版行《はんかう》におした樣な事をぺら/\と一通り述べたが以上、何を聞いても知りません/\で持ち切つて居る。あいつは廿世紀の日本人を代表して居る模範的人物だ。あすこの社長も屹度《きつと》あんな奴に違ない」
 「ひどく癪《しやく》に障つたものだね。然し世の中はその遺失品係りの樣なの許《ばか》りぢやないからいゝぢやないか」
 「もう少し人間らしいのが居るかい」
 「皮肉な事を云ふ」
 「なに世の中が皮肉なのさ。今の世のなかは冷酷の競進會《きやうしんくわい》見た樣なものだ」と云ひながら呑みかけの「敷島」を二階の欄干《てすり》から、下へ抛《な》げる途端《とたん》に、難有《ありがた》うと云ふ聲がして、ぬつと門口《かどぐち》を出た二人連《ふたりづれ》の中折帽の上へ、うまい具合に燃殼《もえがら》が乘つかつた。男は帽子から烟を吐いて得意になつて行く。
 「おい、ひどい事をするぜ」と中野君が云ふ。
 「なに過《あやま》ちだ。――ありや、さつきの實業家だ。構ふもんか抛《はふ》つて置け」
 「成程|先《さ》つきの男だ。何で今迄|愚圖々々《ぐづ/\》して居たんだらう。下で球《たま》でも突いて居たのか知らん」
 「どうせ遺失品係りの同類だから何でもするだらう」
 「そら氣がついた――帽子を取つてはたいて居る」
 「ハヽヽヽ滑稽《こつけい》だ」と高柳君は愉快さうに笑つた。
 「隨分人が惡いなあ」と中野君が云ふ。
 「成程善くないね。偶然とは申しながら、あんな事で仇《かたき》を打つのは下等だ。こんな眞似をして嬉しがる樣では文學士の價値《ねうち》も滅茶々々だ」と高柳君は瞬時にして又|元《もと》の浮かぬ顔にかへる。
 「さうさ」と中野君は非難する樣な賛成する樣な返事をする。
 「然し文學士は名前|丈《だけ》で、其實は筆耕《ひつかう》だからな。文學士にもなつて、地理ヘ授法の翻譯の下働《したばたら》きをやつてる樣ぢや、心細い譯だ。是でも僕が卒業したら、卒業したらつて待つてゝ呉れた親もあるんだからな。考へると氣の毒なものだ。此樣子ぢや何時《いつ》迄《まで》待つてゝ呉れたつて仕方がない」
 「まだ卒業した許《ばか》りだから、さう急に有名にはなれないさ。そのうち立派な作物《さくぶつ》を出して、大に本領を發揮する時に天下は我々のものとなるんだよ」
 「いつの事やら」
 「さう急《せ》いたつて、いけない。追々|新陳代謝《しんちんたいしや》してくるんだから、何でも氣を永くして尻を据《す》ゑてかゝらなくつちや、駄目だ。なに、世間ぢや追々我々の眞價を認めて來るんだからね。僕なんぞでも、かうやつて始終書いて居ると少しは人の口に乘るからね」
 「君はいゝさ。自分の好きな事を書く餘裕があるんだから。僕なんか書きたい事はいくらでもあるんだけれども落ち付いて述作なぞをする暇はとてもない。實に殘念でたまらない。保護者でもあつて、氣樂に勉強が出來ると名作も出して見せるがな。責《せ》めて、何でもいゝから、月々極つて六十圓|許《ばか》り取れる口があるといゝのだけれども、卒業前から自活はして居たのだが、卒業しても矢つ張りこんなに困難するだらうとは思はなかつた」
 「さう困難ぢや仕方がない。僕のうちの財産が僕の自由になると、保護者になつてやるんだがな」
 「どうか願ひます。――實に厭になつて仕舞ふ。君、今考へると田舍の中學のヘ師の口だつて、容易にあるもんぢやないな」
 「さうだらうな」
 「僕の友人の哲學科を出たものなんか、卒業してから三年になるが、まだ遊《あす》んでるぜ」
 「さうかな」
 「夫《それ》を考へると、子供の時なんか、譯もわからずに惡い事をしたもんだね。尤も今と其頃とは時勢が違ふから、ヘ師の口も今程|拂底《ふつてい》でなかつた知れないが」
 「何をしたんだい」
 「僕の國の中學校に白井道也《しらゐだうや》と云ふ英語のヘ師が居たんだがね」
 「道也《だうや》た妙な名だね。釜《かま》の銘《めい》にありさうぢやないか」
 「道也《だうや》と讀むんだか、何だか知らないが、僕等は道也《だうや》、道也《だうや》つて呼んだものだ。其|道也先生《だうやせんせい》がね――矢つ張り君、文學士だぜ。その先生をとう/\みんなして追ひ出して仕舞つた」
 「どうして」
 「どうしてつて、只いぢめて追ひ出しちまつたのさ。なに良《い》い先生なんだよ。人物や何かは、子供だから丸でわからなかつたが、どうも惡《わ》るい人ぢやなかつたらしい……」
 「それで、何故追ひ出したんだい」
 「夫《それ》がさ、中學校のヘ師なんて、あれで中々|惡《わ》るい奴が居るもんだぜ。僕らあ煽動《せんどう》されたんだね、つまり。今でも覺えて居るが、夜《よ》る十五六人で隊を組んで道也先生の家《うち》の前へ行つてワーつて咄喊《とつかん》して二《ふた》つ三《み》つ石を投げ込んで來るんだ」
 「亂暴だね。何だつて、そんな馬鹿な眞似をするんだい」
 「何故だかわからない。只面白いから遣るのさ。おそらく吾々の仲間でなぜやるんだか知つてたものは誰もあるまい」
 「氣樂だね」
 「實に氣樂さ。知つてるのは僕らを煽動したヘ師|許《ばか》りだらう。何でも生意氣だからやれつて云ふのさ」
 「ひどい奴だな。そんな奴がヘ師に居るかい」
 「居るとも。相手が子供だから、どうでも云ふ事を聞くからかも知れないが、居るよ」
 「夫《それ》で道也先生どうしたい」
 「辭職しちまつた」
 「可哀想《かはいさう》に」
 「實に氣の毒な事をしたもんだ。定めし轉任先をさがす間|活計《くわつけい》に困つたらうと思つてね。今度逢つたら大に謝罪の意を表する積りだ」
 「今どこに居るんだい」
 「どこに居るか知らない」
 「ぢや何時《いつ》逢ふか知れないぢやないか」
 「然しいつ逢ふかわからない。ことによるとヘ師の口がなくつて死んで仕舞つたかも知れないね。――何でも先生辭職する前にヘ場へ出て來て云つた事がある」
 「何て」
 「諸君、吾々はヘ師の爲めに生きべきものではない。道の爲めに生きべきものである。道は尊《たつと》いものである。此《この》理窟がわからないうちは、まだ一人前《いちにんまへ》になつたのではない。諸君も精出してわかる樣に御《お》なり」
 「へえ」
 「僕らは不相變《あひかはらず》ヘ場内でワーつと笑つたあね。生意氣だ、生意氣だつて笑つたあね。――どつちが生意氣か分りやしない」
 「隨分田舍の學校|抔《など》にや妙な事があるものだね」
 「なに東京だつて、あるんだよ。學校ばかりぢやない。世の中はみんな是なんだ。つまらない」
 「時に大分《だいぶ》長話しをした。どうだ君。是から品川の妙花園《めうくわゑん》迄行かないか」
 「何しに」
 「花を見にさ」
 「是から歸つて地理ヘ授法を譯さなくつちやならない」
 「一日《いちんち》位《ぐらゐ》遊んだつてよからう。あゝ云ふ美くしい所へ行くと、好い心持ちになつて、翻譯もはかゞ行くぜ」
 「さうかな。君は遊びに行くのかい」
 「遊《あそび》かた/”\さ。あすこへ行つて、一寸寫生して來て、材料にしやうと思つてるんだがね」
 「何の材料に」
 「出來たら見せるよ。小説をかいてゐるんだ。其うちの一章に女が花園《はなぞの》のなかに立つて、小さな赤い花を餘念《よねん》なく見詰めて居ると、其赤い花が段々薄くなつて仕舞に眞白になつてしまふと云ふ所を書いて見たいと思ふんだがね」
 「空想小説かい」
 「空想的で神秘的で、夫《それ》で遠い昔《むか》しが何だかなつかしい樣な氣持のするものが書きたい。うまく感じが出ればいゝが。まあ出來たら讀んでくれ給へ」
 「妙花園《めうくわゑん》なんざ、そんな參考にやならないよ。夫《それ》よりかうちへ歸つてホルマン、ハントの畫《ゑ》でも見る方がいゝ。あゝ、僕も書きたい事があるんだがな。どうしても時がない」
 「君は全體自然がきらいだから、いけない」
 「自然なんて、どうでもいゝぢやないか。此痛切な二十世紀にそんな氣樂な事が云つて居られるものか。僕のは書けば、そんな夢見た樣なものぢやないんだからな。奇麗でなくつても、痛くつても、苦しくつても、僕の内面の消息にどこか、觸れて居れば夫《それ》で滿足するんだ。詩的でも詩的でなくつても、そんな事は構はない。たとひ飛び立つ程痛くつても、自分で自分の身體《からだ》を切つて見て、成程痛いなと云ふところを充分書いて、人に知らせて遣りたい。呑氣なものや氣樂なものは到底夢にも想像し得られぬ奧の方にこんな事實がある、人間の本體はこゝにあるのを知らないかと、世の道樂ものにヘへて、おやさうか、おれは、まさか、こんなものとは思つて居なかつたが、云はれて見ると成程|一言《いちごん》もない、恐れ入つたと頭を下げさせるのが僕の願なんだ。君とは大分《だいぶ》方角が違ふ」
 「然しそんな文學は何だか心持ちがわるい。――そりや御隨意だが、どうだい妙花園《めうくわゑん》に行く氣はないかい」
 「妙花園《めうくわゑん》へ行くひまがあれば一頁でも僕の主張をかくがなあ。何だか考へると身體《からだ》がむづ/\する樣だ。實際こんなに呑氣にして、生燒《なまやき》のビステツキ抔《など》を食つちや居られないんだ」
 「ハヽヽヽ又あせる。いゝぢやないか、さつきの商人見た樣な連中《れんぢゆう》も居るんだから」
 「あんなのが居るから、こつちは猶《なほ》仕事がしたくなる。せめて、あの連中の十|分《ぶ》一の金と時があれば、書いて見せるがな」
 「ぢや、どうしても妙花園は不賛成かね」
 「遅くなるもの。君は冬服を着てゐるが、僕は未《いま》だに夏服だから歸りに寒くなつて風でも引くといけない」
 「ハヽヽヽ妙な逃げ路を發見したね。もう冬服の時節だあね。着換へればいゝ事を。君は萬事|無精《ぶしやう》だよ」
 「無精《ぶしやう》で着換へないんぢやない。ないから着換へないんだ。此夏服だつて、未《ま》だ一文も拂つて居やしない」
 「さうなのか」と中野君は氣の毒な顔をした。
 午飯《ひるめし》の客は皆去り盡して、二人が椅子を離れた頃は處々の卓布《たくふ》の上に?麭屑《ぱんくづ》が淋しく散らばつて居た。公園の中は最前よりも一層賑かである。ロハ臺は依然として、どこの何某《なにがし》か知らぬ男と知らぬ女で占領されてゐる。秋の日は赫《かつ》として夏服の脊中《せなか》を通す。
 
     三
 
 檜《ひのき》の扉《とびら》に銀の樣な瓦を載《の》せた門を這入ると、御影《みかげ》の敷石に水を打つて、斜《なゝ》めに十歩|許《ばか》り歩《あゆ》ませる。敷石の盡きた所に擦《す》り硝子《ガラス》の開き戸が左右《さいう》から寂然《ぢやくねん》と鎖《とざ》されて、秋の更《ふ》くるに任《まか》すが如く邸内は物靜かである。
 磨《みが》き上げた、柾《まさ》の柱に象牙の臍《へそ》を一寸《ちよつと》押すと、暫くして奧の方から足音が近づいてくる。がちやと鍵《かぎ》をひねる。玄關の扉は左右《さいう》に開かれて、下は鏡の樣なたゝきとなる。右の方に周圍《まはり》一|尺《しやく》餘《よ》の朱泥《しゆでい》まがひの鉢があつて、鉢のなかには棕梠竹《しゆろちく》が二三本|靡《なび》くべき風も受けずに、ひそやかに控へてゐる。正面には高さ四尺の金屏《きんびやう》に、三條《さんでう》の小鍛冶《こかぢ》が、異形《いぎやう》のものを相槌《あひづち》に、靈夢に叶《かな》ふ、御門《みかど》の太刀《たち》を丁《ちやう》と打ち、丁《ちやう》と打つてゐる。
 取次に出たのは十八九のしとやかな下女である。白井道也《しらゐだうや》と云ふ名刺を受取つた儘、あの若旦那樣で?と聞く。道也先生は首を傾《かたむ》けて一寸考へた。若旦那にも大旦那にも中野と云ふ人に逢ふのは今が始めてゞある。ことによると丸で逢へないで歸るかも計られん。若旦那か大旦那かは逢つて始めてわかるのである。或は分らないで生涯其れ限《ぎ》りになるかも知れない。今迄訪問に出懸けて、年寄か、小供か、跛《ちんば》か、眼つかちか、要領を得る前に門前から追ひ還《かへ》された事は何遍《なんべん》もある。追ひ還されさへしなければ大旦那か若旦那かは問ふところでない。然し聞かれた以上はどつちか片付けなければならん。どうでもいゝ事を、どうでもよくない樣に決斷しろと逼《せま》らるゝ事は賢者が愚物に對して拂ふ租税である。
 「大學を御卒業になつた方《はう》の……」と迄云つたが、ことによると、おやぢも大學を卒業して居るかも知れんと心付いたから
 「あの文學を御遣《おや》りになる」と訂正した。下女は何とも云はずに御辭儀をして立つて行く。白足袋の裏|丈《だけ》が目立つてよごれて見える。道也先生の頭の上には丸く鐵を鑄拔《いぬ》いた、かな灯籠《どうろう》がぶら下がつてゐる。波に千鳥《ちどり》をすかして、すかした所に紙が張つてある。此なかへ、どうしたら灯《ひ》がつけられるのかと、先生は仰向《あふむ》いて長い鎖《くさ》りを眺めながら考へた。
 下女が又出てくる。どうぞこちらへと云ふ。道也先生は親指の凹《くぼ》んで、前緒《まへを》のゆるんだ下駄を立派な沓脱《くつぬぎ》へ殘して、ひよろ長い糸瓜《へちま》の樣なからだを下女の後《うし》ろから運《はこ》んで行く。
 應接間は西洋式に出來て居る。丸い卓《テーブル》には、薔薇《ばら》の花を模樣に崩した五六輪を、淡《あは》い色で織り出したテーブル掛《かけ》を、雜作《ざふさ》もなく引き被《かぶ》せて、末は同じ色合《いろあひ》の絨毯《じゆうたん》と、續《つ》づくが如く、切れたるが如く、波を描《ゑが》いて床《ゆか》の上に落ちてゐる。暖炉は塞いだ儘の一尺前に、二枚折の小屏風《こびやうぶ》を穴隱《あなかく》しに立てゝある。窓掛は緞子《どんす》の海老茶色《えびちやいろ》だから少々全體の裝飾上調和を破る樣だが、そんな事は道也先生の眼には入《い》らない。先生は生れてから未《いま》だ甞てこんな奇麗な室《へや》へ這入つた事はないのである。
 先生は仰いで壁間《へきかん》の額を見た。京の舞子が友禪《いうぜん》の振袖《ふりそで》に鼓を調《しら》べてゐる。今打つて、鼓から、白い指が彈《はじ》き返された許《ばか》りの姿が、小指の先迄よくあらはれてゐる。然し、そんな事に氣のつく道也先生ではない。先生は只《たゞ》氣品のない畫《ゑ》を掛けたものだと思つた許《ばか》りである。向《むかふ》の隅にヌーボー式の書棚があつて、美しい洋書の一部が、窓掛の隙間《すきま》から洩れて射《さ》す光線に、金文字の甲羅《かふら》を干《ほ》して居る。中々立派である。然し道也先生是には毫《がう》も辟易《へきえき》しなかつた。
 所へ中野君が出てくる。紬《つむぎ》の綿入に縮緬《ちりめん》の兵子帶《へこおび》をぐる/\卷きつけて、金縁《きんぶち》の眼鏡越《めがねごし》に、道也先生をまぼしさうに見て、「や、御待たせ申しまして」と椅子へ腰をおろす。
 道也先生は、あやしげな、銘仙の上を蔽《おほ》ふに黒木綿《くろもめん》の紋付を以てして、嘉平次平《かへいぢひら》の下へ兩手を入れた儘、「どうも御邪魔をします」と挨拶をする。泰然《たいぜん》たるものだ。
 中野君は挨拶が濟んでからも、依然としてまぼしさうにして居たが、やがて思ひ切つた調子で
 「あなたが、白井道也と仰しやるんで」と大《おほい》なる好奇心を以て聞いた。聞かんでも名刺を見ればわかる筈だ。それを斯樣《かやう》に聞くのは世馴《よな》れぬ文學士だからである。
 「はい」と道也先生は落ち付いて居る。中野君のあては外《はづ》れた。中野君は名刺を見た時はつと思つて、頭のなかは追ひ出された中學校のヘ師|丈《だけ》になつてゐる。可哀想《かはいさう》だと云ふ念頭に尾羽《をは》うち枯らした姿を目前に見て、あなたが、あの中學校で生徒からいぢめられた白井さんですかと聞き糺《たゞ》したくてならない。いくら氣の毒でも白井違ひで氣の毒がつたのでは役に立たない。氣の毒がる爲めには、聞き糺《たゞ》す爲めには「あなたが白井道也と仰しやるんで」と切り出さなくつてはならなかつた。然し折角《せつかく》の切り出し樣も泰然たる「はい」の爲めに無駄死《むだじに》をして仕舞つた。初心《しよしん》なる文學士は二の句をつぐ元氣も作略《さりやく》もないのである。人に同情を寄せたいと思ふとき、向《むかふ》が泰然の具足で身を固めて居ては芝居にはならん。器用なものは此泰然の一角《いつかく》を針で突き透《とほ》しても思《おもひ》を遂げる。中野君は好人物ながら夫《それ》程《ほど》に人を取り扱ひ得る程世の中を知らない。
 「實は今日《けふ》御邪魔に上がつたのは、少々御願があつて參つたのですが」と今度は道也先生の方から打つて出る。御願は同情の好敵手である。御願を持たない人には同情する張《は》り合《あひ》がない。
 「はあ、何でも出來ます事なら」と中野君は快《こゝろよ》く承知した。
 「實は今度|江湖雜誌《かうこざつし》で現代青年の煩悶に對する解決と云ふ題で諸先生方の御高説を發表する計畫がありまして、夫《それ》で普通の大家|許《ばか》りでは面白くないと云ふので、可成《なるべく》新しい方も夫々《それ/”\》訪問する譯になりましたので――そこで實は一寸徃つて來てくれと頼まれて來たのですが、御差支《おさしつかへ》がなければ、御話を筆記して參りたいと思ひます」
 道也先生は靜かに懷《ふところ》から手帳と鉛筆を取り出した。取り出しはしたものゝ別に筆記したい樣子もなければ強ひて話させたい景色《けしき》も見えない。彼はかゝる愚《ぐ》な問題を、かゝる青年の口から解決して貰ひたいとは考へて居ない。
 「成程」と青年は、耀《かゞ》やく眼を擧げて、道也先生を見たが、先生は宵越《よひごし》の麥酒《ビール》の如く氣の拔けた顔をしてゐるので、今度は「左樣《さやう》」と長く引つ張つて下を向いて仕舞つた。
 「どうでせう、何か御説はありますまいか」と催促を義理ずくめにする。ありませんと云つたら、すぐ歸る氣かも知れない。
 「さうですね。あつたつて、僕の樣なものゝ云ふ事は雜誌へ載《の》せる價値《かち》はありませんよ」
 「いえ結構です」
 「全體どこから、聞いて入《い》らしつたんです。あまり突然ぢや纒《まとま》つた話の出來る筈がないですから」
 「御名前は社主が折々雜誌の上で拝見するさうで」
 「いえ、どうしまして」と中野君は横を向いた。
 「何でもよいですから、少し御話し下さい」
 「さうですね」と青年は窓の外を見て躊躇してゐる。
 「折角《せつかく》來たものですから」
 「ぢや何か話しませう」
 「はあ、どうぞ」と道也先生鉛筆を取り上げた。
 「一體《いつたい》煩悶と云ふ言葉は近頃|大分《だいぶ》はやる樣だが、大抵は當座《たうざ》のもので、所謂《いはゆる》三日坊主《みつかばうず》のものが多い。そんな種類の煩悶は世の中が始まつてから、世の中がなくなる迄續くので、ちつとも問題にはならないでせう」
 「ふん」と道也先生は下を向いたなり、鉛筆を動かしてゐる。紙の上を滑らす音が耳立つて聞える。
 「然し多くの青年が一度は必ず陷《おちい》る、又《また》必ず陷《おちい》る可《べ》く自然から要求せられて居る深刻な煩悶が一つある。……」
 鉛筆の音がする。
 「夫《それ》は何だと云ふと――戀である……」
 道也先生はぴたりと筆記をやめて、妙な顔をして、相手を見た。中野君は、今更《いまさら》氣がついた樣に一寸しよげ返つたが、すぐ氣を取り直して、あとをつゞけた。
 「只《たゞ》戀と云ふと妙に御聞きになるかも知れない。又近頃はあまり戀愛呼ばりをするのを人が遠慮する樣であるが、此種の煩悶は大なる事實であつて、事實の前にはいかなるものも頭を下げねばならぬ譯だからどうする事も出來ないのである」
 道也先生は又顔をあげた。然し彼の長い蒼白《あをじろ》い相貌《さうばう》の一微塵《いちみぢん》だも動いて居らんから、彼の心のうちは無論わからない。
 「我々が生涯を通じて受ける煩悶のうちで、尤も痛切な尤も深刻な、又尤も劇烈な煩悶は戀より外《ほか》にないだらうと思ふのです。夫《それ》でゞすね、かう云ふ強大な威力のあるものだから、我々が一度《ひとた》び此煩悶の炎火《えんくわ》のうちに入ると非常な變形をうけるのです」
 「變形? ですか」
 「えゝ形を變ずるのです。今迄は只《たゞ》ふわ/\浮いて居た。世の中と自分の關係がよくわからないで、のんべんぐらりんに暮らして居たのが、急に自分が明瞭になるんです」
 「自分が明瞭とは?」
 「自分の存在がです。自分が生きて居る樣な心持ちが確然と出てくるのです。だから戀は一方から云へば煩悶に相違ないが、然し此煩悶を經過しないと自分の存在を生涯|悟《さと》る事が出來ないのです。此《この》淨罪界に足を入れたものでなければ决して天國へは登れまいと思ふのです。只《たゞ》樂天だつて仕樣がない。戀の苦《くるし》みを甞《な》めて人生の意義を確かめた上の樂天でなくつちや、うそです。夫《それ》だから戀の煩悶は决して他の方法によつて解決されない。戀を解決するものは戀より外《ほか》にないです。戀は吾人《ごじん》をして煩悶せしめて、又吾人をして解脱《げだつ》せしむるのである。……」
 「その位な所で」と道也先生は三度目に顔を擧げた。
 「まだ少しあるんですが……」
 「承《うけたまは》るのはいゝですが、大分《だいぶ》多人數の意見を載せる積りですから、反《かへ》つてあとから削除すると失禮になりますから」
 「さうですか、夫《それ》ぢやその位にして置きませう。何だかこんな話をするのは始めてですから、嘸《さぞ》筆記しにくかつたでせう」
 「いゝえ」と道也先生は手帳を懷へ入れた。
 青年は筆記者が自分の説を聽いて、感心の餘り少しは賛辭でも呈するかと思つたが、相手は例の如く泰然として只《たゞ》いゝえと云つたのみである。
 「いや是は御邪魔をしました」と客は立ちかける。
 「まあいゝでせう」と中野君はとめた。責《せ》めて自分の説を少々でも批評して行つて貰ひたいのである。夫《それ》でなくても、先達《せんだつ》て日比谷で聞いた高柳君の事を一寸《ちよつと》好奇心から、あたつて見たいのである。一言《いちごん》にして云へば中野君はひまなのである。
 「いえ、折角ですが少々急ぎますから」と客はもう椅子を離れて、一歩テーブルを退《しりぞ》いた。いかにひまな中野君も「夫《それ》では」と遂に降參して御辭儀をする。玄關|迄《まで》送つて出た時思ひ切つて
 「あなたは、もしや高柳周作《たかやなぎしうさく》と云ふ男を御存じぢやないですか」と念晴《ねんば》らしの爲め聞いて見る。
 「高柳? どうも知らん樣です」と沓脱《くつぬぎ》から片足をタヽキへ卸《おろ》して、高い脊を半分|後《うし》ろへ捩《ね》じ向けた。
 「ことし大學を卒業した……」
 「それぢや知らん譯だ」と兩足ともタヽキの上へ運んだ。
 中野君はまだ何か云はうとした時、敷石をがら/\と車の軋《きし》る音がして梶棒《かぢぼう》は硝子《ガラス》の扉《とびら》の前にとまつた。道也先生が扉を開く途端に車上の人はひらり厚い雪駄《せつた》を御影《みかげ》の上に落した。五色の雲がわが眼を掠《かす》めて過ぎた心持ちで徃來へ出る。
 時計はもう四時過ぎである。深い碧《みど》りの上へ薄いセピヤを流した空のなかに、はつきりせぬ鳶《とび》が一羽舞つてゐる。雁《かり》はまだ渡つて來ぬ。向《むかふ》から袴《はかま》の股立《もゝだ》ちを取つた小供が唱歌を謠《うた》ひながら愉快さうにあるいて來た。肩に擔《かつ》いだ笹の枝には草の穗で作つた梟《ふくろふ》が踴《をど》りながらぶら下《さ》がつて行く。大方|雜子《ざふし》ゲ谷《や》へでも行つたのだらう。軒の深い菓物屋《くだものや》の奧の方に柿|許《ばか》りがあかるく見える。夕暮に近づくと何となくうそ寒い。
 藥王寺前《やくわうじまへ》に來たのは、帽子の庇《ひさし》の下から徃來《ゆきき》の人の顔がしかと見分けのつかぬ頃である。三十三|所《じよ》と彫《ほ》つてある石標《せきへう》を右に見て、紺屋《こんや》の横町を半丁程西へ這入るとわが家《や》の門口《かどぐち》へ出る、家《いへ》のなかは暗い。
 「おや御歸り」と細君が臺所で云ふ。臺所も玄關も大した相違のない程|小《ちひ》さな家である。
 「下女はどつかへ行つたのか」と二疊の玄關から、六疊の座敷へ通る。
 「一寸、柳町|迄《まで》使に行きました」と細君は又臺所へ引き返す。
 道也先生は正面の床《とこ》の片隅に寄せてあつた、洋灯《ランプ》を取つて、椽側《えんがは》へ出て、手づから掃除を始めた。何か原稿用紙の樣なもので、油壺《あぶらつぼ》を拭き、ほやを拭き、最後に心《しん》の黒い所を好い加減になすくつて、丸めた紙は庭へ棄てた。庭は暗くなつて樣子が頓《とん》とわからない。
 机の前へ坐つた先生は燐寸《マツチ》を擦《す》つて、しゆつと云ふ間《ま》に火をランプに移した。室《へや》は忽ち明《あきら》かになる。道也先生の爲めに云へば寧ろ明《あ》かるくならぬ方が揩オである。床《とこ》はあるが、言譯ばかりで、現《げん》に幅《ふく》も何も懸《かゝ》つて居らん。その代り累々《るゐ/\》と書物やら、原稿紙やら、手帳やらが積んである。机は白木《しらき》の三寶を大きくした位な單簡《たんかん》なもので、インキ壺と粗末な筆硯《ひつけん》の外には何物をも載せて居らぬ。裝飾は道也先生にとつて不必要であるのか、又は必要でも之に耽《ふけ》る餘裕がないのかは疑問である。唯《たゞ》道也先生が此一點の温氣《をんき》なき陋室《ろうしつ》に、晏如《あんじよ》として筆硯を呵《か》するの勇氣あるは、外部より見て爭ふ可からざる事實である。ことによると先生は裝飾以外のあるものを目的にして、生活して居るのかも知れない。唯《たゞ》此爭ふ可からざる事實を確めれば、確かめる程細君は不愉快である。女は裝飾を以て生れ、裝飾を以て死ぬ。多數の女はわが運命を支配する戀さへも裝飾視《さうしよくし》して憚《はゞ》からぬものだ。戀が裝飾ならば戀の本尊たる愛人は無論裝飾品である。否《いな》、自己自身すら裝飾品を以て甘んずるのみならず、裝飾品を以て自己を目《もく》してくれぬ人を評して馬鹿と云ふ。然し多數の女はしかく人世を觀《くわん》ずるにも拘《かゝは》らず、しかく觀ずるとは决して思はない。たゞ自己の周圍を纒綿《てんめん》する事物や人間が此裝飾用の目的に叶《かな》はぬを發見するとき、何となく不愉快を受ける。不愉快を受けると云ふのに周圍の事物人間が依然として舊態をあらためぬ時、わが眼に映ずる不愉快を左右前後に反射して、是でも改めぬかと云ふ。遂には是でもか、是でもかと念入りの不愉快を反射する。道也の細君がこゝ迄進歩して居るかは疑問である。然し普通一般の女性であるからには裝飾氣なき此空氣のうちに生息《せいそく》する結果として、自然此方向に進行するのが順當であらう。現に進行しつゝあるかも知れぬ。
 道也先生はやがて懷から例の筆記帳を出して、原稿紙の上へ寫し始めた。袴を着けた儘である。かしこまつた儘である。袴を着けた儘、かしこまつた儘で、中野輝一《なかのきいち》の戀愛論を筆記して居る。戀と此|室《へや》、戀と此道也とは到底調和しない。道也は何と思つて淨書して居るかしらん。人は樣々である、世も樣々である。樣々の世に、樣々の人が動くのも亦《また》自然の理である。只《たゞ》大きく動くものが勝ち、深く動くものが勝たねばならぬ。道也は、あの金縁《きんぶち》の眼鏡を掛けた戀愛論者よりも、小《ちひ》さく且《かつ》淺いと自覺して、かく愼重に筆記を寫し直して居るのであらうか。床《とこ》の後《うし》ろで?《こほろぎ》が鳴いて居る。
 細君が襖《ふすま》をすうと開けた。道也は振り向きもしない。「まあ」と云つたなり細君の顔は隱れた。
 下女は歸つた樣である。※[者/火]豆《にまめ》が切れたから、てつか味噌を買つて來たと云つて居る。豆腐が五厘高くなつたと云つて居る。裏の專念寺《せんねんじ》で夕《ゆふべ》の御務《おつと》めをかあん/\やつて居る。
 細君の顔が又|襖《ふすま》の後《うし》ろから出た。
 「あなた」
 道也先生は、いつの間《ま》にやら、筆記帳を閉《と》ぢて、今度は又別の紙へ、何か熱心に認《したゝ》めて居る。
 「あなた」と妻君は二度呼んだ。
 「何だい」
 「御飯です」
 「さうか、今行くよ」
 道也先生は一寸細君と顔を合せたぎり、すぐ机へ向つた。細君の顔もすぐ消えた。臺所の方でくす/\笑ふ聲がする。道也先生は此一節をかき終る迄は飯も食ひたくないのだらう。やがて句切りのよい所へ來たと見えて、一寸筆を擱《お》いて、傍《そば》へ積んだ草稿をはぐつて見て「二百三十一頁」と獨語した。著述でもして居ると見える。
 立つて次の間へ這入《はい》る。小《ちひ》さな長火鉢に平鍋《ひらなべ》がかゝつて、白い豆腐が烟《けむ》りを吐《は》いて、ぷる/\顫《ふる》へて居る。
 「湯豆腐かい」
 「はあ、何にもなくて、御氣の毒ですが……」
 「何、なんでもいゝ。食つてさへ居れば何でも構はない」と、膳にして重箱《ぢゆうばこ》をかねたる如き四角なものゝ前へ坐つて箸を執る。
 「あら、まだ袴を御脱ぎなさらないの、隨分ね」と細君は飯を盛つた茶碗を出す。
 「忙《いそ》がしいものだから、つい忘れた」
 「求めて、忙《いそ》がしい思《おもひ》をして居らつしやるのだから、……」と云つたぎり、細君は、湯豆腐の鍋と鐵瓶とを懸け換える。
 「さう見えるかい」と道也先生は存外平氣である。
 「だつて、樂で御金の取れる口は斷つて御仕舞なすつて、忙《いそ》がしくつて、一文にもならない事|許《ばか》りなさるんですもの、誰だつて醉興《すゐきよう》と思ひますわ」
 「思はれても仕樣がない。是がおれの主義なんだから」
 「あなたは主義だから夫《それ》でいゝでせうさ。然し私《わたくし》は……」
 「御前は主義が嫌《きらひ》だと云ふのかね」
 「嫌《きらひ》も好《すき》もないんですけれども、責《せ》めて――人並《ひとなみ》には――なんぼ私だつて……」
 「食へさへすればいゝぢやないか、贅澤を云《い》や誰だつて際限はない」
 「どうせ、さうでせう。私なんざどんなになつても御構ひなすつちや下さらないのでせう」
 「此《この》てつか味噌は非常に辛《から》いな。どこで買つて來たのだ」
 「どこですか」
 道也先生は頭をあげて向《むかふ》の壁を見た。鼠色の寒い色の上に大きな細君の影が寫つて居る。其影と妻君とは同じ樣に無意義に道也の眼に映じた。
 影の隣りに糸織《いとおり》かとも思はれる、女の晴衣《はれぎ》が衣紋竹《えもんだけ》につるしてかけてある。細君のものにしては少し派出《はで》過ぎるが、是は多少景氣のいゝ時、田舍で買つてやつたものだと今だに記憶してゐる。あの時分は今とは大分《だいぶ》考へも違つてゐた。己《おの》れと同じ樣な思想やら、感情やら持つてゐるものは珍らしくあるまいと信じて居た。從つて文筆の力で自分から卒先して世間を警醒しやうと云ふ氣にもならなかつた。
 今は丸《まる》で反對だ。世は名門を謳歌《おうか》する、世は富豪を謳歌する、世は博士、學士迄をも謳歌する。然し公正な人格に逢ふて、位地を無にし、金錢を無にし、もしくは其學力、才藝を無にして、人格其物を尊敬する事を解して居らん。人間の根本義たる人格に批判の標準を置かずして、其|上皮《うはかは》たる附屬物を以て凡てを律しやうとする。此《この》附屬物と、公正なる人格と戰ふとき世間は必ず、此附屬物に雷同《らいどう》して他の人格を蹂躙《じうりん》せんと試みる。天下|一人《いちにん》の公正なる人格を失ふとき、天下一段の光明を失ふ。公正なる人格は百の華族、百の紳商《しんしやう》、百の博士を以てするも償《つぐな》ひがたき程|貴《たつと》きものである。われは此人格を維持せんが爲めに生れたるの外、人世に於て何らの意義をも認め得ぬ。寒《かん》に衣《い》し、餓《うゑ》に食《しよく》するは此人格を維持するの一便法に過ぎぬ。筆《ふで》を呵《か》し硯《すゞり》を磨《ま》するのも亦此人格を他の面上に貫徹するの方策に過ぎぬ。――是が今の道也の信念である。此信念を抱《いだ》いて世に處する道也は細君の御機嫌ばかり取つては居れぬ。
 壁に掛けてあつた小袖《こそで》を眺めて居た道也はしばらくして、夕飯《ゆふめし》を濟ましながら、
 「どこぞへ行つたのかい」と聞く。
 「えゝ」と細君は二字の返事を與へた。道也は黙つて、茶を飲んで居る。末枯《うらが》るゝ秋の時節|丈《だけ》に頗る閑靜な問答である。
 「さう、べん/\と眞田《さなだ》の方を引つ張つとく譯にも行きませず、家主の方もどうかしなければならず、今月の末になると米《こめ》薪《まき》の拂で又心配しなくつちやなりませんから、算段に出掛けたんです」と今度は細君の方から切り出した。
 「さうか、質屋へでも行つたのかい」
 「質に入れる樣なものは、もうありやしませんわ」と細君は恨めしさうに夫の顔を見る。
 「ぢや、どこへ行つたんだい」
 「どこつて、別に行く所《ところ》もありませんから、御兄《おあにい》さんの所《ところ》へ行きました」
 「兄の所《とこ》? 駄目だよ。兄の所《ところ》なんぞへ行つたつて、何になるものか」
 「さう、あなたは、何でも始から、けなして御仕舞なさるから、よくないんです。いくらヘ育が違ふからつて、氣性が合はないからつて、血を分けた兄弟ぢやありませんか」
 「兄弟は兄弟さ。兄弟でないとは云はん」
 「だからさ、膝とも談合と云ふぢやありませんか。こんな時には、ちつと相談に入《い》らつしやるがいゝぢやありませんか」
 「おれは、行かんよ」
 「夫《それ》が痩我慢ですよ。あなたはそれが癖なんですよ。損ぢやあ、ありませんか、好んで人に嫌はれて……」
 道也先生は空然《くうぜん》として壁に動く細君の影を見てゐる。
 「それで才覺が出來たのかい」
 「あなたは何でも一足飛《いつそくとび》ね」
 「なにが」
 「だつて、才覺が出來る前には夫々《それ/”\》魂膽《こんたん》もあれば工面《くめん》もあるぢやありませんか」
 「さうか、それぢや最初から聞き直さう。で、御前が兄のうちへ行つたんだね。おれに内所《ないしよ》で」
 「内所だつて、あなたの爲めぢやありませんか」
 「いゝよ、爲めでいゝよ。夫《それ》から」
 「で御兄《おあにい》さんに、御目に懸つて色々今迄の御無沙汰の御詫《おわび》やら、何やらして、それから一部始終の御話をしたんです」
 「それから」
 「すると御兄《おあにい》さんが、そりや御前には大變氣の毒だつて大變|私《わたくし》に同情して下さつて……」
 「御前に同情した。ふうん。――一寸|其《その》炭取を取れ。炭をつがないと火種が切れる」
 「で、そりや早く整理しなくつちや駄目だ。全體なぜ今迄|抛《はふ》つて置いたんだつて仰しやるんです」
 「旨い事を云はあ」
 「まだ、あなたは御兄《おあにい》さんを疑《うたぐ》つてゐらつしやるのね。罸があたりますよ」
 「夫《それ》で、金でも貸したのかい」
 「ほらまた一足飛《いつそくと》びをなさる」
 道也先生は少々|可笑《をか》しくなつたと見えて、にやりと下を向きながら、黒く積んだ炭を吹き出した。
 「まあどの位あれば、是迄の穴が奇麗に埋《うま》るのかと御聞きになるから、――餘つ程言ひ惡《にく》かつたんですけれども――とう/\思ひ切つてね……」で一寸留めた。道也はしきりに吹いてゐる。
 「ねえ、あなた。とう/\思ひ切つてね――あなた。聞いて居らつしやらないの」
 「聞いてるよ」と赫氣《かつき》で赤くなつた顔をあげた。
 「思ひ切つて百圓|許《ばか》りと云つたの」
 「さうか。兄は驚ろいたらう」
 「さうしたらね。ふうんて考へて、百圓と云ふ金は、中々容易に都合がつく譯のものぢやない……」
 「兄の云ひさうな事だ」
 「まあ聞いて入《い》らつしやい。まだ、あとが有るんです。――然し、外《ほか》の事とは違ふから、是非なければ困ると云ふならおれが保證人になつて、人から借りてやつてもいゝつて仰しやるんです」
 「あやしいものだ」
 「まあさ、仕舞|迄《まで》御聞きなさい。――夫《それ》で、とも角も本人に逢つて篤《とく》と了簡を聞いた上にしやうと云ふ所|迄《まで》に漕ぎつけて來たのです」
 細君は大功名をした樣に頬骨の高い顔を持ち上げて、夫《をつと》を覗き込んだ。細君の眼付きが云ふ。夫は意氣地《いくぢ》なしである。終日終夜、机と首つ引をして、兀々《こつ/\》と出精《しゆつせい》しながら、妻《さい》と自分を安らかに養ふ程の働きもない。
 「さうか」と道也は云つたぎり、此手腕に對して、別段に感謝の意を表しやうともせぬ。
 「さうかぢや困りますわ。私がこゝ迄|拵《こしら》へたのだから、あとは、あなたが、どうとも爲《な》さらなくつちやあ。あなたの楫《かぢ》のとり樣で折角の私の苦心も何の役にも立たなくなりますわ」
 「いゝさ、さう心配するな。もう一ケ月もすれば百や貮百の金は手に這入る見込があるから」と道也先生は何の苦もなく云つて退《の》けた。
 江湖雜誌《かうこざつし》の編輯で二十圓、英和字典の編纂で十五圓、是が道也の極まつた収入である。但し此外に仕事はいくらでもする。新聞にかく、雜誌にかく。かく事に於ては毎日毎夜筆を休ませた事はない位である。然し金にはならない。たまさか二圓、三圓の報酬が彼の懷に落つる時、彼は却《かへ》つて不思議に思ふのみである。
 此物質的に何らの功能もない述作的勞力の裡《うち》には彼の生命がある。彼の氣魄《きはく》が滴々《てき/\》の墨汁《ぼくじふ》と化して、一字一畫に滿腔《まんこう》の精神が飛動して居る。此斷篇が讀者の眼に映じた時、瞳裏《とうり》に一道の電流を呼び起して、全身の骨肉が刹那《せつな》に震《ふる》へかしと念じて、道也は筆を執る。吾筆は道を載《の》す。道を遮《さへ》ぎるものは神と雖《いへ》ども許《ゆる》さずと誓つて紙に向ふ。誠は指頭《しとう》より迸《ほとばし》つて、尖《とが》る毛穎《まうえい》の端《たん》に紙を燒く熱氣あるが如き心地にて句を綴る。白紙が人格と化して、淋漓《りんり》として飛騰《ひとう》する文章があるとすれば道也の文章はまさに是である。去れども世は華族、紳商、博士、學士の世である。附屬物が本體を踏み潰す世である。道也の文章は出る度に黙殺せられてゐる。妻君は金にならぬ文章を道樂文章と云ふ。道樂文章を作るものを意氣地《いくぢ》なしと云ふ。
 道也の言葉を聞いた妻君は、火箸を灰のなかに刺した儘、
 「今でも、そんな御金が這入る見込があるんですか」と不思議さうに尋ねた。
 「今は昔より下落《げらく》したと云ふのかい。ハヽヽヽヽ」と道也先生は大きな聲を出して笑つた。妻君は毒氣《どくき》を拔かれて口をあける。
 「どうりや一勉強《ひとべんきやう》やらうか」と道也は立ち上がる。其夜彼は彼の著述人格論を二百五十頁までかいた。寐たのは二時過である。
 
     四
 
 「どこへ行く」と中野君が高柳君をつらまへた。所は動物園の前である。太い櫻の幹が黒ずんだ色のなかから、銀の樣な光りを秋の日に射返して、梢を離れる病葉《わくらば》は風なきに折々|行人《かうじん》の肩にかゝる。足元には、こゝかしこに枝を辭したる古い奴ががさついて居る。
 色は樣々である。鮮血を日に曝《さら》して、七日《なぬか》の間|日毎《ひごと》に其變化を葉裏に印して、注意なく一枚のなかに疊み込めたら、こんな色になるだらうと高柳君はさつきから眺めて居た。血を連想した時高柳君は腋の下から何か冷たいものが襯衣《しやつ》に傳はる樣な氣分がした。ごほんと取り締りのない咳《せき》を一つする。
 形も樣々である。火にあぶつたかき餠の?《なり》は千差萬別であるが、我も我もとみんな反《そ》り返《かへ》る。櫻の落葉もがさ/\に反り返つて、反り返つたまゝ吹く風に誘はれて行く。水氣《みづけ》のないものには未練も執着もない。飄々《へう/\》としてわが行末を覺束ない風に任せて平氣なのは、死んだ後《あと》の祭りに、から騷ぎにはしやぐ了簡かも知れぬ。風にめぐる落葉と攫《さら》はれて行くかんな屑とは一種の氣狂《きちがひ》である。只死したるものゝ氣狂である。高柳君は死と氣狂とを自然界に點綴《てんてつ》した時、瘠せた兩肩を聳《そび》やかして、又ごほんと云ふうつろな咳を一つした。
 高柳君は此瞬間に中野君からつらまへられたのである。不圖《ふと》氣がついて見ると世は太平である。空は朗らかである。美しい着物をきた人が續々《ぞく/\》行く。相手は薄羅紗《うすラシヤ》の外套《ぐわいたう》に恰好《かつかう》のい/\姿を包んで、顋《あご》の下に眞珠の留針《とめばり》を輝かしてゐる。――高柳君は相手の姿を見守つたなり黙つて居た。
 「どこへ行く」と青年は再び問ふた。
 「今圖書館へ行つた歸りだ」と相手は漸く答へた。
 「又地理學ヘ授法ぢやないか。ハヽヽヽ。何だか不景氣な顔をしてゐるね。どうかしたかい」
 「近頃は喜劇の面《めん》をどこかへ遺失《おと》して仕舞つた」
 「又新橋の先迄探がしに行つて、拳突《けんつく》を喰つたんぢやないか。つまらない」
 「新橋どころか、世界中《せかいぢゆう》探がしてあるいても落ちて居さうもない。もう、御やめだ」
 「何を」
 「何でも御やめだ」
 「萬事御やめか。當分御やめがよからう。萬事御やめにして僕と一所に來給へ」
 「どこへ」
 「今日はそこに慈善音樂會があるんで、切符を二枚買はされたんだが、外《ほか》に誰も行《い》き手《て》がないから、丁度いゝ。君|行《い》き給へ」
 「入《い》らない切符|抔《など》を買ふのかい。勿體《もつたい》ない事をするんだな」
 「なに義理だから仕方がない。おやぢが買つたんだが、おやぢは西洋音樂なんかわからないからね」
 「夫《それ》ぢや餘つた方を送つてやればいゝのに」
 「實は君の所へ送らうと思つたんだが……」
 「いゝえ。あすこへさ」
 「あすことは。――うん。あすこか。何、ありや、いゝんだ。自分でも買つたんだ」
 高柳君は何とも返事をしないで、相手を眞正面から見て居る。中野君は少々恐縮の微笑《びせう》を洩らして、右の手に握つた儘の、山羊《やぎ》の手袋で外套の胸をぴしや/\敲《たゝ》き始めた。
 「穿《は》めもしない手袋を握つてあるいてるのは何の爲めだい」
 「なに、今一寸、隱袋《ぽつけつと》から出したんだ」と云ひながら中野君は、すぐ手袋をかくしの裏《うち》に収めた。高柳君の癇癪《かんしやく》は是で少々|治《をさ》まつた樣である。
 所へ後《うし》ろからエーイと云ふ掛聲がして蹄《ひづめ》の音が風を動かしてくる。兩人《ふたり》は足早に道傍《みちばた》へ立ち退《の》いた。黒塗《くろぬり》のランドーの葢《おほひ》を、秋の日の暖かきに、拂い退《の》けた、中には絹帽《シルクハツト》が一つ、美しい紅《くれな》ゐの日傘《ひがさ》が一つ見えながら、兩人《ふたり》の前を通り過ぎる。
 「あゝ云ふ連中が行くのかい」と高柳君が顋《あご》で馬車の後《うし》ろ影を指《さ》す。
 「あれはコ川侯爵だよ」と中野君はヘへた。
 「よく、知つてるね。君はあの人の家來《けらい》かい」
 「家來《けらい》ぢやない」と中野君は眞面目に辯解した。高柳君は腹のなかで又一寸愉快を覺えた。
 「どうだい行かうぢやないか。時間がおくれるよ」
 「おくれると逢へないと云ふのかね」
 中野君は、すこし赤くなつた。怒つたのか、弱點をつかれた爲めか、耻づかしかつたのか、わかるのは高柳君|丈《だけ》である。
 「兎に角行かう。君はなんでも人の集まる所やなにかを嫌つて許《ばか》り居るから、一人坊《ひとりぼ》つちになつて仕舞ふんだよ」
 打つものは打たれる。參るのは今度こそ高柳君の番である。一人坊つちと云ふ言葉を聞いた彼は、耳がしいんと鳴つて、非常に淋しい氣持がした。
 「いやかい。いやなら仕方がない。僕は失敬する」
 相手は同情の笑を湛へながら半歩|踵《くびす》をめぐらしかけた。高柳君は又打たれた。
 「いかう」と單簡《たんかん》に降參する。彼が音樂會へ臨《のぞ》むのは生れてから、是が始めてゞある。
 玄關にかゝつた時は受付が右へ左《ひだ》りへの案内で忙殺《ばうさつ》されて、接待掛《せつたいがゝ》りの胸につけた、青いリボンを見失ふ程込み合つて居た。突き當りを右へ折れるのが上等で、左りへ曲がるのが並等である。下等はないさうだ。中野君は無論上等である。高柳君を顧みながら、こつちだよと、さも物馴《ものな》れたさまに云ふ。今日に限つて、特別に下等席を設けて貰つて、そこへ自分|丈《だけ》這入つて聽いて見たいと一人坊つちの青年は、中野君のあとを付きながら階段を上ぼりつゝ考へた。己《おの》れの右を上《のぼ》る人も、左りを上《のぼ》る人も、又あとからぞろ/\ついて來るものも、皆異種類の動物で、わざと自分を包圍して、のつぴきさせず二階の大廣間へ押し上げた上、あとから、慰み半分に手を拍《う》つて笑ふ策略《さくりやく》の樣に思はれた。後《うし》ろを振り向くと、下から緑《みど》りの滴《した》たる束髪《そくはつ》の腦巓《なうてん》が見える。コスメチツクで奇麗な一直線を七分三分の割合に錬り出した頭葢骨《づがいこつ》が見える。是等の頭が十も二十も重なり合つて、もう高柳周作《たかやなぎしうさく》は一歩でも退く事はならぬとせり上がつてくる。
 樂堂の入口を這入ると、霞に醉ふた人の樣にぽうつとした。空を隱す茂みのなかを通り拔けて頂《いたゞき》に攀《よ》ぢ登つた時、思ひも寄らぬ、眼の下に百里の眺めが展開する時の感じは是である。演奏臺は遙かの谷底にある。近づく爲めには、登り詰めた頂《いたゞき》から、規則正しく排列《はいれつ》された人間の間を一直線に縫ふが如くに下りて、自然と逼《せま》る擂鉢《すりばち》の底に近寄らねばならぬ。擂鉢《すりばち》の底は半圓形を劃して空に向つて廣がる内側面には人間の塀が段々に横輪をゑがいて居る。七八段を下りた高柳君は念の爲めに振り返つて擂鉢の側面を天井迄見上げた時、目がちら/\して一寸留つた。excuse me と云つて、大きな異人が、高柳君を蔽《おほ》ひかぶせる樣にして、一段下へ通り拔けた。駝鳥《だてう》の白い毛が鼻の先にふらついて、品のいゝ香りがぷんとする。あとから、腦巓《なうてん》の禿《は》げた大男が絹帽《シルクハツト》を大事さうに抱《かゝ》へて身を横にして女につきながら、二人を擦り拔ける。
 「おい、あすこに椅子が二つ空《あ》いてゐる」と物馴れた中野君は階段を横へ切れる。並《なら》んで居る人は席を立つて二人を通す。自分|丈《だけ》であつたら、誰も席を立つてくれるものはあるまいと高柳君は思つた。
 「大變な人だね」と椅子に腰を卸《お》ろしながら中野君は滿場を見廻はす。やがて相手の服裝に氣がついた時、急に小聲になつて、
 「おい、帽子を取らなくつちや、いけないよ」と云ふ。
 高柳君は卒然として帽子を取つて、左右を一寸見た。三四人の眼が自分の頭の上に注《そゝ》がれて居たのを發見した時、矢つ張り包圍攻撃だなと思つた。成程帽子を被つて居たものは此廣い演奏場に自分一人である。
 「外套は着て居てもいゝのか」と中野君に聞いて見る。
 「外套は構はないんだ。然しあつ過ぎるから脱がうか」と中野君は一寸立ち上がつて、外套の襟を三寸|許《ばか》り颯《さ》と返したら、左の袖がするりと拔けた、右の袖を拔くとき、領《えり》のあたりをつまんだと思つたら、裏を表《おも》てに、外套ははや疊まれて、椅子の脊中を早くも隱した。下は仕立《した》て卸《おろ》しのフロツクに、近頃|流行《はや》る白いスリツプが胴衣《ちよつき》の胸開《むねあき》を沿ふて細い筋を奇麗にあらはしてゐる。高柳君は成程いゝ手際だと羨ましく眺めて居た。中野君はどう云《いふ》ものか容易に坐らない。片手を椅子の脊に凭《も》たせて、立ちながら後《うし》ろから、左右へかけて眺めて居る。多くの人の視線は彼の上に落ちた。中野君は平氣である。高柳君は此平氣を又羨ましく感じた。
 しばらくすると、中野君は千以上陳列せられたる顔のなかで、漸くあるものを物色し得た如く、豐かなる双頬《さうけふ》に愛嬌の渦《うづ》を浮かして、輕《かろ》く何人《なんびと》にか會釋した。高柳君は振り向かざるを得ない。友の挨拶はどの邊《へん》に落ちたのだらうと、こそばゆくも首を捩《ね》じ向けて、斜《なゝ》めに三段|許《ばか》り上を見ると、忽ち目付《めつ》かつた。黒い髪のたゞ中に黄の勝つた大きなリボンの蝶を颯《さつ》とひらめかして、細くうねる頸筋《くびすぢ》を今眞直に立て直す女の姿が目付《めつ》かつた。紅《くれな》ゐは眼の縁《ふち》を薄く染めて、潤《うるほ》つた眼睫《まつげ》の奧から、人の世を夢の底に吸ひ込む樣な光《ひか》りを中野君の方に注《そゝ》いでゐる。高柳君はすわやと思つた。
 わが穿《は》く袴は小倉《こくら》である。羽織は染めが剥げて、濁つた色の上に垢《あか》が容赦《ようしや》なく日光を反射する。湯には五日|前《まへ》に這入つたぎりだ。襯衣《しやつ》を洗はざる事は久しい。音樂會と自分とは到底兩立するものでない。わが友と自分とは?――矢張り兩立しない。友のハイカラ姿と此魔力ある眼の所有者とは、千里を隔てゝも無線の電氣がかゝるべく作られてゐる。此一堂の裡《うち》に綺羅《きら》の香《かを》りを嗅ぎ、和樂の温《あたゝ》かみを吸ふて、落ち合ふからは、二人の魂《たましひ》は無論の事、溶《と》けて流れて、かき鳴らす箏《こと》の線《いと》の細きうちにも、めぐり合はねばならぬ。演奏會は數千の人を集めて、數千の人は悉《こと/”\》く双手《さうしゆ》を擧げながら此二人を歡迎して居る。同じ數千の人は悉《こと/”\》く五|指《し》を彈《はじ》いて、われ一人を排斥して居る。高柳君はこんな所へ來なければよかつたと思つた。友はそんな事を知り樣がない。
 「もう時間だ、始まるよ」と活版に刷つた曲目を見ながら云ふ。
 「さうか」と高柳君は器械的に眼を活版の上に落した。
 一、バイオリン、セロ、ピヤノ合奏とある。高柳君はセロの何物たるを知らぬ。二、ソナタ……ベートーベン作とある。名前|丈《だけ》は心得て居る。三、アダジヨ……パアージヤル作とある。是も知らぬ。四、と讀みかけた時|拍手《はくしゆ》の音が急に梁《はり》を動かして起つた。演奏者は既に臺上に現はれて居る。
 やがて三部合奏曲は始まつた。滿場は化石《くわせき》したかの如く靜かである。右手の窓の外に、高い樅《もみ》の木が半分見えて後《うし》ろは遐《はる》かの空の國に入る。左手《ひだりて》の碧《みど》りの窓掛けを洩れて、澄み切つた秋の日が斜めに白い壁を明らかに照らす。
 曲は靜かなる自然と、靜かなる人間のうちに、快よく進行する。中野は絢爛《けんらん》たる空氣の振動を鼓膜《こまく》に聞いた。聲にも色があると嬉しく感じてゐる。高柳は樅《もみ》の枝を離るゝ鳶《とび》の舞ふ樣《さま》を眺めてゐる。鳶《とび》が音樂に調子を合せて飛んでゐる妙だなと思つた。
 拍手《はくしゆ》が又|盛《さかん》に起《おこ》る。高柳君ははつと氣がついた。自分は矢張り異種類の動物のなかに一人坊《ひとりぼ》つちで居つたのである。隣りを見ると中野君は一生懸命に敲《たゝ》いて居る。高い高い鳶《とび》の空から、己《おの》れを此|窮屈《きゆうくつ》な谷底に呼び返したものゝ一人は、われを無理矢理にこゝへ連れ込んだ友達である。
 演奏は第二に移る。千餘人の呼吸《こきふ》は一度にやむ。高柳君の心は又|豐《ゆた》かになつた。窓の外を見ると鳶《とび》はもう舞つて居らぬ。眼を移して天井を見る。周圍一尺もあらうと思はれる梁《はり》の六角形に削《けづ》られたのが三本程、樂堂を竪《たて》に貫《つら》ぬいて居る、後《うし》ろはどこ迄通つてゐるか、頭《かしら》を回《めぐ》らさないから分らぬ。所々に模樣に崩した草花が、長い蔓と共に六角を絡《から》んでゐる。仰向いて見てゐると廣い御寺のなかへでも這入つた心持になる。さうして黄色い聲や青い聲が、梁を纒ふ唐草の樣に、縺《もつ》れ合つて、天井から降《ふ》つてくる。高柳君は無人《むにん》の境《きやう》に一人坊《ひとりぼ》つちで佇《たゝず》んでゐる。
 三度目の拍手が、斷《こと》わりもなく又|起《おこ》る。隣りの友達は人一倍けたゝましい敲《たゝ》き方をする。無人の境《きやう》に居つた一人坊つちが急に、霰《あられ》の如き拍手のなかに包圍された一人坊つちとなる。包圍は中々|已《や》まぬ。演奏者が闥《たつ》を排《はい》してわが室《しつ》に入らんとする間際《まぎは》に猶々烈しくなつた。?イオリンを温かに右の腋下《えきか》に護りたる演奏者は、ぐるりと戸側《とぎは》に體《たい》を回《めぐ》らして、薄紅葉《うすもみぢ》を點じたる裾模樣を臺上に動かして來る。狂ふ許《ばか》りに咲き亂れたる白菊の花束を、飄《ひるが》へる袖の影に受けとつて、なよやかなる上?《じやうく》を聽衆の前に、少しくかゞめたる時、高柳は感じた。――此女の樂を聽いたのは、聽かされたのではない。聽かさぬと云ふを、ひそかに忍び寄りて、偸《ぬす》み聽いたのである。
 演奏は喝采のどよめきの靜まらぬうちに又始まる。聽衆は咄嗟《とつさ》の際《さい》に悉《こと/”\》く死んで仕舞ふ。高柳君は又自由になつた。何だか廣い原に只一人立つて、遙かの向ふから熟柿《じゆくし》の樣な色の暖かい太陽が、のつと上《のぼ》つてくる心持ちがする。小供のうちはこんな感じがよくあつた。今は何故《なぜ》かう窮屈になつたらう。右を見ても左を見ても人は我を擯斥《ひんせき》して居る樣に見える。たつた一人の友達さへ肝心《かんじん》の所で無殘の手をぱち/\敲《たゝ》く。たよる所がなければ親の所へ逃げ歸れと云ふ話もある。其親があれば始からこんなにはならなかつたらう。七つの時おやぢは、どこかへ行つたなり歸つて來ない。友達は夫《それ》から自分と遊ばなくなつた。母に聞くと、おとつさんは今に歸る/\と云つた。母は歸らぬ父を、歸ると云つてだましたのである。其母は今でも居る。住み古《ふ》るした家を引き拂つて、生れた町から三里の山奧に一人|佗《わ》びしく暮らして居る。卒業をすれば立派になつて、東京へでも引き取るのが子の義務である。逃げて歸れば親子共|餓《う》えて死なゝければならん。――忽ち拍手の聲が一面に湧き返る。
 「今のは面白かつた。今迄のうち一番よく出來た。非常に感じをよく出す人だ。――どうだい君」と中野君が聞く。
 「うん」
 「君面白くないか」
 「さうさな」
 「さうさなぢや困つたな。――おいあすこの西洋人の隣りに居る、細《こま》かい友禪《いうぜん》の着物を着て居る女があるだらう。――あんな模樣が近頃|流行《はやる》んだ。派出《はで》だらう」
 「さうかなあ」
 「君はカラー、センスのない男だね。あゝ云ふ派出《はで》な着物は、集會の時や何かには極《ごく》いゝのだね。遠くから見て、見醒《みざ》めがしない。うつくしくつていゝ」
 「君のあれも、同じ樣なのを着てゐるね」
 「え、さうかしら、何、ありや、いゝ加減に着てゐるんだらう」
 「いゝ加減に着てゐれば辯解になるのかい」
 中野君は一寸會話をやめた。左の方に鼻眼鏡をかけて揉上《もみあげ》を容赦《ようしや》なく、耳の上で剃《そ》り落した男が帳面を出して頻りに何か書いてゐる。
 「ありや、音樂の批評でもする男かな」と今度は高柳君が聞いた。
 「どれ、――あの男か、あの黒服を着た。なあに、あれはね。畫工《ゑかき》だよ。いつでも來る男だがね、來るたんびに寫生帖を持つて來て、人の顔を寫してゐる」
 「斷《こと》はりなしにか」
 「まあ、さうだらう」
 「泥棒《どろぼう》だね。顔泥棒だ」
 中野君は小さい聲でくゝと笑つた。休憩時間《きうけいじかん》は十|分《ぷん》である。廊下《らうか》へ出るもの、喫烟《きつえん》に行くもの、用を足《た》して歸るもの、が高柳君の眼に寫る。女は小供の時見た、豐國《とよくに》の田舍源氏《ゐなかげんじ》を一枚々々はぐつて行く時の心持である。男は芳年《よしとし》の書いた討ち入り當夜の義士が動いてる樣だ。只《たゞ》自分が彼等の眼にどう寫るであらうかと思ふと、早く歸りたくなる。自分の左右前後は活動してゐる。うつくしく活動してゐる。然し衣食の爲めに活動してゐるのではない。娯樂の爲めに活動して居る。胡蝶《こてふ》の花に戯《たは》むるゝが如く、浮藻《うきも》の漣《さゞなみ》に靡《なび》くが如く、實用以上の活動を示してゐる。此堂に入るものは實用以上に餘裕のある人でなくてはならぬ。
 自分の活動は食ふか食はぬかの活動である。和煦《わく》の作用ではない肅殺《しゆくさつ》の運行である。儼《げん》たる天命に制せられて、無條件に生を享けたる罪業《ざいごふ》を償《つぐな》はんが爲めに働らくのである。頭から云へば胡蝶《こてふ》の如く、かく翩々《へんぺん》たる公衆の何《いづ》れを捕《とら》へ來つて比較されても、少しも耻《はづ》かしいとは思はぬ。云ひたき事、云ふて人が點頭《うなづ》く事、云ふて人が尊《たつと》ぶ事はないから云はぬのではない。生活の競爭に凡《すべ》ての時間を捧《さゝ》げて、云ふべき機會を與へて呉れぬからである。吾が云ひ度《たく》て云はれぬ事は、世が聞き度《たく》ても聞かれぬ事は、天がわが手を縛《ばく》するからである。人がわが口を箝《かん》するからである。巨萬の富をわれに與へて、一錢も使ふなかれと命ぜられたる時は富なき昔《むか》しの心安きに歸る能はずして、命《めい》を下せる人を逆《さか》しまに詛《のろ》はんとす。われは呪《のろ》ひ死《じ》にゝ死なねばならぬか。――忽ち咽喉《のど》が塞《ふさ》がつて、ごほん/\と咳き入る。袂からハンケチを出して痰《たん》を取る。買つた時の白いのが、妙な茶色に變つてゐる。顔を擧げると、肩から觀世《くわんぜ》よりの樣に細い金鎖《きんぐさ》りを懸けて、朱に黄を交《まじ》へた厚板の帶の間に時計を隱した女が、列のはづれに立つて、中野君に挨拶して居る。
 「よう、入《い》らつしやいました」と可愛《かはい》らしい二重瞼《ふたへまぶた》を細めに云ふ。
 「いや、大分《だいぶ》盛會ですね。冬田さんは非常な出來でしたな」と中野君は半身を、女の方へ向けながら云ふ。
 「えゝ、大喜びで……」と云ひ捨てゝ下りて行く。
 「あの女を知つてるかい」
 「知るものかね」と高柳君は拳突《けんつく》を喰はす。
 相手は驚ろいて黙つて仕舞つた。途端に休憩後の演奏は始まる。「四葉《よつば》の苜蓿花《うまごやし》」とか云ふものである。曲の續く間は高柳君はうつら/\と聽いてゐる。ぱち/\と手が鳴ると熱病の人が夢から醒《さ》めた樣に我に歸る。此|過程《くわてい》を二三度繰り返して、最後の幻覺から喚《よ》び醒《さ》まされた時は、タンホイゼルのマーチで銅鑼《どら》を敲《たゝ》き大喇叭《おほらつぱ》を吹く所であつた。
 やがて、千餘人の影は一度に動き出した。二人の青年は揉《も》まれながらに門を出た。
 日は漸く暮れかゝる。圖書館の横手に聳える松の林が緑《みど》りの色を微《かす》かに殘して、次第に黒い影に變つて行く。
 「寒くなつたね」
 高柳君の答は力の拔けた咳《せき》二つであつた。
 「君|先《さ》つきから、咳をするね。妙な咳だぜ。醫者にでも見て貰つたら、どうだい」
 「何、大丈夫だ」と云ひながら高柳君は尖つた肩を二三度ゆすぶつた。松林を横切つて、博物館の前に出る。大きな銀杏《いてふ》に墨汁を點《てん》じた樣な滴々《てき/\》の烏が亂れてゐる。暮れて行く空に輝くは無數の落葉《おちば》である。今は風さへ出た。
 「君|二三日前《にさんちまへ》に白井道也《しらゐだうや》と云ふ人が來たぜ」
 「道也先生?」
 「だらうと思ふのさ。餘り澤山ある名ぢやないから」
 「聞いて見たかい」
 「聞かうと思つたが、何だか極《きま》りが惡《わ》るかつたからやめた」
 「なぜ」
 「だつて、あなたは中學校で生徒から追ひ出された事はありませんかとも聞けまいぢやないか」
 「追ひ出されましたかと聞かなくつてもいゝさ」
 「然し容易に聞きにくい男だよ。ありや、困る人だ。用事より外に云はない人だ」
 「そんなになつたかも知れない。元來何の用で君の所へなんぞ來たのだい」
 「なあに、江湖雜誌の記者だつて、僕の所へ談話の筆記に來たのさ」
 「君の談話をかい。――世の中も妙な事になるものだ。矢つ張り金が勝つんだね」
 「なぜ」
 「なぜつて。――可哀想《かはいさう》に、そんなに零落したかなあ。――君道也先生、どんな、服裝《なり》をしてゐた」
 「さうさ、あんまり立派ぢやないね」
 「立派でなくつても、まあどの位な服裝《なり》をしてゐた」
 「さうさ。どの位とも云ひ惡《にく》いが、さうさ、まあ君位な所だらう」
 「え、此位か、此羽織位な所か」
 「羽織はもう少し色が好《い》いよ」
 「袴は」
 「袴は木綿ぢやないが、其代りもつと皺苦茶《しわくちや》だ」
 「要するに僕と伯仲《はくちゆう》の間か」
 「要するに君と伯仲の間だ」
 「さうかなあ。――君、脊《せい》の高い、ひよろ長い人だぜ」
 「脊《せい》の高い、顔の細長い人だ」
 「ぢや道也先生に違ない。――世の中は隨分無慈悲なものだなあ。――君番地を知つてるだらう」
 「番地は聞かなかつた」
 「聞かなかつた?」
 「うん。然し江湖雜誌で聞けばすぐわかるさ。何でも外《ほか》の雜誌や新聞にも關係してゐるかも知れないよ。どこかで白井道也と云ふ名を見た樣だ」
 音樂會の歸りの馬車や車は最前《さいぜん》から絡繹《らくえき》として二人を後ろから追ひ越して夕暮を吾家《わがや》へ急ぐ。勇ましく馳けて來た二|梃《ちやう》の人力《じんりき》が又追ひ越すのかと思つたら、大佛を横に見て、西洋軒《せいやうけん》のなかに掛聲ながら引き込んだ。黄昏《たそがれ》の白き靄のなかに、逼り來る暮色を彈《はじ》き返す程の目覺しき衣《きぬ》は由ある女に相違ない。中野君はぴたりと留まつた。
 「僕は是で失敬する。少し待ち合せて居る人があるから」
 「西洋軒《せいやうけん》で會食すると云ふ約束か」
 「うんまあ、さうさ。ぢや失敬」と中野君は向《むかふ》へ歩き出す。高柳君は徃來の眞中へたつた一人殘された。
 淋しい世の中を池《いけ》の端《はた》へ下《くだ》る。其時一人坊つちの周作はかう思つた。「戀をする時間があれば、此自分の苦痛をかいて、一篇の創作を天下に傳へる事が出來るだらうに」
 見上げたら西洋軒の二階に奇麗な花瓦斯《はなガス》がついて居た。
 
     五
 
 ミルクホールに這入る。上下《うへした》を擦《す》り硝子《ガラス》にして中一枚を透《す》き通《とほ》しにした腰障子に近く据ゑた一脚の椅子に腰を卸ろす。燒?麭《やきパン》を?《かじ》つて、牛乳を飲む。懷中には二十圓五十錢ある。只今地理學ヘ授法の原稿を四十一頁渡して金に換へて來た許《ばか》りである。一頁五十錢の割合になる。一頁五十錢を超ゆべからず、一ケ月五十頁を超ゆ可からずと申し渡されてある。
 是で今月はどうか、かうか食へる。外《ほか》から呉れる十圓近くの金は故里《ふるさと》の母に送らなければならない。故里《ふるさと》はもう落鮎《おちあゆ》の時節である。ことによると崩れかゝつた藁屋根に初霜が降つたかも知れない。鷄《にはとり》が菊の根方を暴《あ》らしてゐる事だらう。母は丈夫かしら。
 向ふの机を占領して居る學生が二人、西洋菓子を食ひながら、團子坂《だんござか》の菊人形《きくにんぎやう》の収入に付《つい》て大に論じてゐる。左に蜜柑をむきながら、其|汁《しる》を牛乳の中へたらして居る書生がある。一房《ひとふさ》絞《しぼ》つては、文藝倶樂部の藝者の寫眞を一枚はぐり、一房|絞《しぼ》つては一枚はぐる。藝者の繪が盡きた時、彼はコツプの中を匙《さじ》で攪《か》き廻して妙な顔をしてゐる。酸《さん》で牛乳が固まつたので驚ろいてゐるのだらう。
 高柳君はそこに重ねてある新聞の下から雜誌を引きずり出して、あれこれと見る。目的の江湖雜誌は朝日新聞の下に折れて居た。折れては居るがまだ新らしい。四五日前に出た許《ばか》りのである。折れた所は六號活字で何だか色鉛筆の赤い圏點《けんてん》が一面について居る。僕の戀愛觀と云ふ表題の下に中野春台《なかのしゆんたい》とある。春台《しゆんたい》は無論|輝一《きいち》の號である。高柳君は食ひ缺いた燒?麭《やきパン》を皿の上へ置いたなり「僕の戀愛觀」を見てゐたがやがて、にやりと笑つた。戀愛觀の結末に同じく色鉛筆で色情狂※[感嘆符三つ]と書いてある。高柳君は頁をはぐつた。六號活字は大分《だいぶ》長い。尤も色々の人の名前が出て居る。一番始めには現代青年の煩悶に對する諸家の解決とある。高柳君は急に讀んで見る氣になつた。――第一は靜心《せいしん》の工夫を積めと云ふ注意だ。積めとはどう積むのか些《ちつ》ともわからない。第二は運動をして冷水摩擦《れいすゐまさつ》をやれと云ふ。簡單なものである。第三は讀書もせず、世間も知らぬ青年が煩悶する法がないと論じてゐる。無いと云つても有れば仕方がない。第四は休暇ごとに必ず旅行せよと勸告してゐる。然し旅費の出處は明記してない。――高柳君はあとを讀むのが厭になつた。颯《さつ》と引つくりかへして、第一頁をあける。「解脱《げだつ》と拘泥《こうでい》……憂世子《いうせいし》」と云ふのがある。標題が面白いので一寸目を通す。
 「身體《からだ》の局部《きよくぶ》がどこぞ惡いと氣にかゝる。何をしてゐても、其《それ》がコダワ〔三字傍点〕つて來る。所が非常に健康な人は行住坐臥《ぎやうぢゆうざぐわ》ともにわが身體の存在を忘れて居る。一點の局部だにわが注意を集注すべき患所《くわんしよ》がないから、かく安々と胖《ゆた》かなのである。瘠せて蒼い顔をしてゐる人に、君は胃が惡いだらうと尋ねて見た事がある。すると其男が答へて、胃は少しも故障がない、其證據には僕は此年になるが、未《いま》だに胃がどこにあるか知らないと云ふた。其時は笑つて濟んだが、後《あと》で考へて見ると大に悟《さと》つた言葉である。此人は全く胃が健康だから胃に拘泥《こうでい》する必要がない、必要がないから胃がどこにあつても構はないのと見える。自在飲《じざいいん》、自在食《じざいしよく》、一向平氣である。此男は胃に於て悟《さとり》を開いたものである。……」
 高柳君は是は少し妙だよと口のなかで云つた。胃の悟りは妙だと云つた。
 「胃に就《つい》て道《い》ひ得べき事は、惣身《そうしん》に就ても道《い》ひ得べき事である。惣身《そうしん》に就て道《い》ひ得べき事は、精神に就ても道《い》ひ得べき事である。只精神生活に於ては得失の兩面に於て等しく拘泥を免かれぬ所が、身體《からだ》より煩ひになる。
 「一能《いちのう》の士《し》は一能に拘泥し、一藝《いちげい》の人《ひと》は一藝に拘泥して己《おの》れを苦しめて居る。藝能は氣の持ち樣ではすぐ忘れる事も出來る。わが缺點に至つては容易に解脱は出來ぬ。
 「百圓や二百圓もする帶をしめて女が音樂會へ行くと此帶が妙に氣になつて音樂が耳に入らぬ事がある。是は帶に拘泥するからである。然し是は自慢の例ぢや。得意の方は前云ふ通り祟《たゝ》りを避け易い。然し不面目《ふめんぼく》の側は中々強情に祟《たゝ》る。昔《むか》し去る所で一人の客に紹介された時、御互に椅子の上で禮をして双方共|頭《かしら》を下げた。下げながら、向ふの足を見ると其男の靴足袋の片々《かた/\》が破れて親指の爪が出て居る。こちらが頭を下げると同時に彼は滿足な足をあげて、破《や》れ足袋の上に加へた。此人は足袋の穴に拘泥して居たのである。……」
 おれも拘泥してゐる。おれのからだは穴だらけだと高柳君は思ひながら先へ進む。
 「拘泥は苦痛である。避けなければならぬ。苦痛其物は避け難い世であらう。然し拘泥の苦痛は一日で濟む苦痛を五日《いつか》、七日《なぬか》に延長する苦痛である。入《い》らざる苦痛である。避けなければならぬ。
 「自己が拘泥するのは他人が自己に注意を集注すると思ふからで、詰《つま》りは他人が拘泥するからである。……」
 高柳君は音樂會の事を思ひだした。
 「從つて拘泥を解脱するには二つの方法がある。他人がいくら拘泥しても自分は拘泥せぬのが一つの解脱法である。人が目を峙《そばだ》てゝも、耳を聳《そび》やかしても、冷評《れいひやう》しても罵詈《ばり》しても自分丈は拘泥せずにさつさと事を運《はこ》んで行く。大久保彦左衛門《おほくぼひこざゑもん》は盥《たらひ》で登城《とじやう》した事がある。……」
 高柳君は彦左衛門が羨ましくなつた。
 「立派な衣裝《いしやう》を馬士《まご》に着せると馬士《まご》はすぐ拘泥して仕舞ふ。華族や大名は此點に於て解脱の方を得てゐる。華族や大名に馬士《まご》の腹掛《はらがけ》をかけさすと、すぐ拘泥して仕舞ふ。釋迦《しやか》や孔子《こうし》は此點に於て解脱を心得てゐる。物質界に重《おもき》を置かぬものは物質界に拘泥する必要がないからである。……」
 高柳君は冷《さ》めかゝつた牛乳をぐつと飲んで、うゝと云つた。
 「第二の解脱法は常人《じやうじん》の解脱法である。常人の解脱法は拘泥を免《まぬ》かるゝのではない、拘泥せねばならぬ樣な苦しい地位に身を置くのを避けるのである。人の視聽を惹《ひ》くの結果、われより苦痛が反射せぬ樣にと始めから用心するのである。從つて始めより流俗《りうぞく》に媚《こ》びて一世に附和《ふわ》する心底《しんてい》がなければ成功せぬ。江戸風《えどふう》な町人は此解脱法を心得てゐる。藝妓《げいぎ》通客《つうかく》は此解脱法を心得て居る。西洋の所謂|紳士《ゼントルマン》は尤もよく此解脱法を心得たものである。……」
 藝者と紳士《ゼントルマン》が一所になつてるのは、面白いと、青年は又|燒?麭《やきパン》の一|片《ぺん》を、横合から半圓形に食ひ缺いた。親指についた牛酪《バタ》を其儘袴の膝へなすりつけた。
 「藝妓、紳士、通人《つうじん》から耶蘇《やそ》孔子《こうし》釋迦《しやか》を見れば全然たる狂人である。耶蘇、孔子、釋迦から藝妓、紳士、通人を見れば依然として拘泥して居る。拘泥のうちに拘泥を脱し得たりと得意なるものは彼等である。兩者の解脱は根本義に於て一致すべからざるものである。……」
 高柳君は今迄解脱の二字に於て曾《かつ》て考へた事はなかつた。只《たゞ》文界に立つて、ある物になりたい、なりたいがなれない、なれんのではない、金がない、時がない、世間が寄つてたかつて己《おの》れを苦しめる、殘念だ無念だと許《ばか》り思つて居た。あとを讀む氣になる。
 「解脱は便法《べんぱふ》に過ぎぬ。下《くだ》れる世に立つて、わが眞を貫徹し、わが善を標榜《へうばう》し、わが美を提唱するの際、?泥帶水《たでいたいすゐ》の弊をまぬがれ、勇猛精進《ゆうまうしやうじん》の志《こゝろざし》を固くして、現代|下根《げこん》の衆生《しゆじやう》より受くる迫害の苦痛を委却《ゐきやく》する爲めの便法である。此便法を證得《しようとく》し得ざる時、英靈の俊兒《しゆんじ》、又遂に鬼窟裏《きくつり》に墮在《だざい》して彼の所謂藝妓紳士通人と得失を較《かう》するの愚《ぐ》を演じて憚からず。國家の爲め悲しむべき事である。
 「解脱は便法である。此|方便門《はうべんもん》を通じて出頭《しゆつとう》し來る行爲、動作、言説の是非は解脱の關する所ではない。從つて吾人は解脱を修得する前に正鵠《せいこく》にあたれる趣味を養成せねばならぬ。下劣なる趣味を拘泥なく一代に塗抹《とまつ》するは學人の耻辱である。彼等が貴重なる十年二十年を擧げて故紙堆裏《こしたいり》に兀々《こつ/\》たるは、衣食の爲めではない、名聞《みやうもん》の爲めではない、乃至|爵禄財寶《しやくろくざいはう》の爲めではない。微《かす》かなる墨痕《ぼくこん》のうちに、光明の一|炬《きよ》を點じ得て、點じ得たる道火《だうくわ》を解脱の方便門《はうべんもん》より擔《にな》ひ出《いだ》して暗黒世界を遍照《へんぜう》せんが爲めである。
 「此故に眞に自家證得底《じかしようとくてい》の見解《けんげ》あるものゝ爲めに、拘泥の煩《はん》を拂つて、出來得る限り彼等をして第一種の解脱に近づかしむるを道コと云ふ。道コとは有道《いうだう》の士をして道を行はしめんが爲めに、吾人が是に對して與ふる自由の異名《いみやう》である。此大道コを解せざるものを俗人と云ふ。
 「天下の多數は俗人である。わが位に着《ちやく》するが爲めに此大道コを解し得ぬ。わが富に着するが爲めに此大道コを解し得ぬ。下《くだ》れるものは、わが酒とわが女に着するが爲めに此大道コを解し得ぬ。
 「光明は趣味の先驅である。趣味は社會の油である。油なき社會は成立せぬ。汚《けが》れたる油に廻轉する社會は墮落する。かの紳士、通人、藝妓の徒《と》は、汚《けが》れたる油の上を滑つて墓に入るものである。華族と云ひ貴顕《きけん》と云ひ豪商と云ふものは門閥《もんばつ》の油、權勢《けんせい》の油、黄白《くわうはく》の油を以て一世を逆《さか》しまに廻轉せんと欲するものである。
 「眞正《しんせい》の油は彼等の知る所ではない。彼等は生れてより以來此油に就て何等の工夫《くふう》も費やして居らん。何等の工夫を費やさぬものが、此大道コを解せぬのは許す。光明の學徒を壓迫せんとするに至つては、俗人の域を超越して罪人の群《むれ》に入る。
 「三味線《しやみせん》を習ふにも五六年はかゝる。巧拙《かうせつ》を聽き分くるさへ一ケ月の修業では出來ぬ。趣味の修養が三味《しやみ》の稽古より易《やす》いと思ふのは間違つて居る。茶の湯を學ぶ彼等は入《い》らざる儀式に貴重な時間を費やして、一々に師匠の云ふ通りになる。趣味は茶の湯より六《む》づかしいものぢや。茶坊主に頭を下げる謙コ《けんとく》があるならば、趣味の本家《ほんけ》たる學者の考は猶更《なほさら》傾聽せねばならぬ。
 「趣味は人間に大切なものである。樂器を壞《こぼ》つものは社會から音樂を奪ふ點に於て罪人である。書物を燒くものは社會から學問を奪ふ點に於て罪人である。趣味を崩すものは社會其物を覆《くつが》へす點に於て刑法の罪人よりも甚しき罪人である。音樂はなくとも吾人は生きて居る、學問がなくても吾人はいきて居る。趣味がなくても生きて居られるかも知れぬ。然し趣味は生活の全體に渉る社會の根本要素である。之れなくして生きんとするは野に入つて虎と共に生きんとすると一般である。
 「こゝに一人《いちにん》がある。此|一人《いちにん》が單に自己の思ふ樣にならぬと云ふ源因のもとに、多勢《たぜい》が朝に晩に、此|一人《いちにん》を突つき廻はして、幾年の後《のち》此|一人《いちにん》の人格を墮落せしめて、下劣なる趣味に誘ひ去りたる時、彼等は殺人より重い罪を犯したのである。人を殺せば殺される。殺されたものは社會から消えて行く。後患《こうくわん》は遺さない。趣味の墮落したものは依然として現存する。現存する以上は墮落した趣味を傳染せねばやまぬ。彼はペストである。ペストを製造したものはもちろん罪人である。
 「趣味の世界にペストを製造して罸せられんのは人殺しをして罸せられんのと同樣である。位地の高いものは尤も此罪を犯し易い。彼等は彼等の社會的地位からして、他に働きかける便宜の多い場所に立つてゐる。他に働きかける便宜を有して、働きかける道を辯へぬものは危險である。
 「彼等は趣味に於て專門の學徒に及ばぬ。しかも學徒以上他に働きかけるの能力を有して居る。能力は權利ではない。彼等のあるものは此區別さへ心得て居らん。彼等の趣味をヘ育すべく此世に出現せる文學者を捕へてすら之を逆《さか》しまに吾意の如くせんとする。彼等は單に大道コを忘れたるのみならず、大不道コを犯して恬然《てんぜん》として社會に横行《わうかう》しつゝあるのである。
 「彼等の意の如くなる學徒があれば、自己の天職を自覺せざる學徒である。彼等をヘ育する事の出來ぬ學徒があれば腰の拔けたる學徒である。學徒は光明を體せん事を要す。光明より流れ出づる趣味を現實せん事を要す。然して是を現實せんが爲めに、拘泥せざらん事を要す。拘泥せざらんが爲めに解脱を要す」
 高柳君は雜誌を開いた儘、茫然として眼を擧げた。正面の柱にかゝつて居る、八角時計がぼうんと一時を打つ。柱の下の椅子にぽつ然《ねん》と腰を掛けて居た小女郎《こぢよらう》が時計の音と共に立ち上がつた。丸テーブルの上には安い京燒《きやうやき》の花活《はないけ》に、淺ましく水仙を突きさして、葉の先が黄ばんでゐるのを、何時《いつ》迄も其儘に水をやらぬ氣と見える。小女郎は水仙の花に一寸《ちよつと》手を觸れて、花活のそばにある新聞をとり上げた。讀むかと思つたら四つに疊んで傍《かたはら》に置いた。この女は用もないのに立ち上がつたのである。退屈のあまり、ぼうんを聞いて器械的に立ち上がつたのである。羨ましい女だと高柳君はすぐ思ふ。
 菊人形の収入に就ての議論は片付いたと見えて、二人の學生は烟草《たばこ》をふかして徃來を見てゐる。
 「おや、富田《とみた》が通る」と一人が云ふ。
 「どこに」と一人が聞く。富田君は三寸|許《ばか》り開いて居た硝子戸《ガラスど》の間をちらと通り拔けたのである。
 「あれは、よく食ふ奴ぢやな」
 「食ふ、食ふ」と答へた所によると餘程食ふと見える。
 「人間は食ふ割《わり》に肥《ふと》らんものだな。あいつはあんなに食ふ癖に一向|肥《こ》えん」
 「書物は澤山讀むが、ちつとも、えらうならんのが居ると同じ事ぢや」
 「さうよ。御互に勉強は可成《なるべく》せん方がいゝの」
 「ハヽヽヽ。そんな積りで云つたんぢやない」
 「僕はさう云ふ積りにしたのさ」
 「富田は肥《ふと》らんが中々|敏捷《びんせふ》だ。矢張り澤山食ふ丈《だけ》の事はある」
 「敏捷な事があるものか」
 「いや、此間四丁目を通つたら、後《うし》ろから出し拔けに呼ぶものがあるから、振り反ると富田だ。頭を半分刈つた儘で、大きな敷布の樣なものを肩から纒《まと》ふて居る」
 「元來どうしたのか」
 「床屋から飛び出して來たのだ」
 「どうして」
 「髪を刈つて居つたら、僕の影が鏡に寫つたものだから、すぐ馳《か》け出したんださうだ」
 「ハヽヽヽそいつは驚ろいた」
 「おれも驚ろいた。さうして尚志會《しやうしくわい》の寄附金を無理に取つて、又床屋へ引き返したぜ」
 「ハヽヽヽ成程敏捷なものだ。夫《それ》ぢや御互に可成《なるべ》く食ふ事にしやう。敏捷にせんと、卒業してから困るからな」
 「さうよ。文學士の樣に二十圓位で下宿に屏息《へいそく》して居ては人間と生れた甲斐はないからな」
 高柳君は勘定《かんぢやう》をして立ち上つた。難有《ありがた》うと云ふ下女の聲に、文藝倶樂部の上につゝ伏して居た書生が、赤い眼をとろつかせて、睨める樣に高柳君を見た。牛の乳のなかの酸に中毒でもしたのだらう。
 
     六
 
 「私は高柳周作《たかやなぎしうさく》と申すもので……」と丁寧に頭を下げた。高柳君が丁寧に頭を下げた事は今迄何度もある。然し此時の樣に快よく頭を下げた事はない。ヘ授の家を訪問しても、翻譯《ほんやく》を頼まれる人に面會しても、其他の先輩に對しても皆丁寧に頭をさげる。先達《せんだつ》て中野のおやぢに紹介された時|抔《など》は愈《いよ/\》以て丁寧に頭をさげた。然し頭を下げるうちにいつでも壓迫を感じて居る。位地、年輩、服裝、住居が睥睨《へいげい》して、頭を下げぬか、下げぬかと催促されて已《やむ》を得ず頓首《とんしゆ》するのである。道也先生に對しては全く趣《おもむき》が違ふ。先生の服裝は中野君の説明した如く、自分と伯仲《はくちゆう》の間にある。先生の書齋は座敷をかねる點に於て自分の室《へや》と同樣である。先生の机は白木なるの點に於て、丸裸なるの點に於て、又尤も無趣味に四角張つたる點に於て自分の机と同樣である。先生の顔は蒼《あを》い點に於て瘠《や》せた點に於て自分と同樣である。凡《すべ》て是等の諸點に於て、先生と弟《てい》たりがたく兄《けい》たりがたき間柄にありながら、しかも丁寧に頭を下げるのは、逼《せ》まられて仕方なしに下げるのではない。仕方あるにも拘はらず、此方《こつち》の好意を以て下げるのである。同類に對する愛憐の念より生ずる眞正の御辭儀である。世間に對する御辭儀は此|野郎《やらう》がと心中に思ひながらも、公然には反比例《はんぴれい》に丁寧を極めたる虚僞《きよぎ》の御辭儀でありますと斷《こと》はりたい位に思つて、高柳君は頭を下げた。道也先生はそれと覺《さと》つたかどうか知らぬ。
 「あゝ、さうですか、私《わたし》が白井道也で……」とつくろつた景色《けしき》もなく云ふ。高柳君には此挨拶振りが氣に入つた。兩人はしばらくの間黙つて控《ひか》へてゐる。道也は相手の來意《らいい》がわからぬから、先方の切り出すのを待つのが當然と考へる。高柳君は昔《むか》しの關係を殘りなく打ち開《あ》けて、一刻も早く同類|相憐《あひあはれ》むの間柄になりたい。然しあまり突然であるから、一寸言ひ出しかねる。のみならず、一昔《ひとむか》し前の事とは申しながら、自分達がいぢめて追ひ出した先生が、その爲めにかく零落《れいらく》したのではあるまいかと思ふと、何となく氣がひけて云ひ切れない。高柳君はこんな所になると頗る勇氣に乏《とぼ》しい。謝罪かた/”\尋ねはしたが、愈《いよ/\》と云ふ段になると少々|怖《こは》くて罪滅《つみほろぼ》しが出來かねる。心に色々な冒頭を作つて見たが、どれも是も極《きま》りがわるい。
 「段々寒くなりますね」と道也先生は、こつちの了簡を知らないから、超然たる時候の挨拶をする。
 「えゝ、大分寒くなつた樣で……」
 高柳君の腦中の冒頭は是で丸《まる》で打《う》ち壞されて仕舞つた。いつその事自白は此次にしやうといふ氣になる。然し何だか話して行きたい氣がする。
 「先生、御忙《おいそ》がしいですか……」
 「えゝ、中々|忙《いそ》がしいんで弱ります。貧乏|閑《ひま》なしで」
 高柳君はやり損《そく》なつたと思ふ。再び出直さねばならん。
 「少し御話を承りたいと思つて上がつたんですが……」
 「はあ、何か雜誌へでも御載《おの》せになるんですか」
 宛《あて》は又はづれる。おれの態度がどうしても向《むかふ》には酌《く》み取れないと見えると青年は心中少しく殘念に思つた。
 「いえ、さうぢやないので――只《たゞ》――只つちや失禮ですが。――御邪魔なら又上がつてもよろしう御座いますが……」
 「いえ邪魔ぢやありません。談話と云ふから一寸聞いて見たのです。――わたしのうちへ話なんか聞きにくるものはありませんよ」
 「いゝえ」と青年は妙な言葉を以て先生の辭《ことば》を否定した。
 「あなたは何の學問をなさるですか」
 「文學の方を――今年大學を出た許《ばか》りです」
 「はあさうですか。では是から何か御遣りになるんですね」
 「遣れゝば、遣りたいのですが、暇《ひま》がなくつて……」
 「暇《ひま》はないですね。わたし抔《など》も暇がなくつて困つてゐます。然し暇は却つてない方がいゝかも知れない。何ですね。暇のあるものは大分《だいぶ》居る樣だが、餘り誰も何もやつてゐない樣ぢやありませんか」
 「夫《それ》は人に依りはしませんか」と高柳君はおれが暇さへあればと云ふところを暗《あん》にほのめかした。
 「人にも依るでせう。然し今の金持ちと云ふものは……」と道也は句を半分で切つて、机の上を見た。机の上には二寸程の厚さの原稿がのつてゐる。障子には洗濯した足袋《たび》の影がさす。
 「金持ちは駄目です。金がなくつて困つてるものが……」
 「金がなくつて困つてるものは、困りなりにやればいゝのです」と道也先生困つてる癖に太平な事を云ふ。高柳君は少々不滿である。
 「然し衣食《いしよく》の爲めに勢力をとられて仕舞つて……」
 「夫《それ》でいゝのですよ。勢力をとられて仕舞つたら、外《ほか》に何にもしないで構はないのです」
 青年は?然《あぜん》として、道也を見た。道也は孔子樣の樣に眞面目である。馬鹿にされてるんぢや堪らないと高柳君は思ふ。高柳君は大抵の事を馬鹿にされた樣に聞き取る男である。
 「先生ならいゝかも知れません」とつる/\と口を滑《すべ》らして、はつと言ひ過ぎたと下を向いた。道也は何とも思はない。
 「わたしは無論いゝ。あなただつて好いですよ」と相手迄も平氣に捲《ま》き込まうとする。
 「何故《なぜ》ですか」と二三歩逃げて、振り向きながら佇《たゝず》む狐の樣に探《さぐ》りを入れた。
 「だつて、あなたは文學をやつたと云はれたぢやありませんか。さうですか」
 「えゝ遣りました」と力を入れる。凡《すべ》て他の點に關しては斷乎たる返事をする資格のない高柳君は自己の本領に於ては何人《なんびと》の前に出てもひるまぬ積である。
 「それならいゝ譯だ。それなら夫《それ》でいゝ譯だ」と道也先生は繰り返して云つた。高柳君には何の事か少しも分らない。又、何故です〔四字傍点〕と突き込むのも、何だか伏兵《ふくへい》に罹《かゝ》る氣持がして厭《いや》である。一寸手のつけ樣がないので、黙つて相手の顔を見た。顔を見てゐるうちに、先方でどうか解決してくれるだらうと、暗《あん》に催促の意を籠《こ》めて見たのである。
 「分りましたか」と道也先生が云ふ。顔を見たのは矢つ張り何の役にも立たなかつた。
 「どうも」と折れざるを得ない。
 「だつてさうぢやありませんか。――文學はほかの學問とは違ふのです」と道也先生は凛然《りんぜん》と云ひ放つた。
 「はあ」と高柳君は覺えず應答をした。
 「ほかの學問はですね。其學問や、其學問の研究を阻害《そがい》するものが敵である。たとへば貧《ひん》とか、多忙とか、壓迫とか、不幸とか、悲酸《ひさん》な事情とか、不和とか、喧嘩とかですね。之があると學問が出來ない。だから可成《なるべく》之を避けて時と心の餘裕を得やうとする。文學者も今迄は矢張りさう云ふ了簡《れうけん》で居たのです。さう云ふ了簡どころではない。あらゆる學問のうちで、文學者が一番|呑氣《のんき》な閑日月《かんじつげつ》がなくてはならん樣に思はれてゐた。可笑《をか》しいのは當人自身迄が其氣でゐた。然し夫《それ》は間違です。文學は人生其物である。苦痛にあれ、困窮にあれ、窮愁《きゆうしう》にあれ、凡《およ》そ人生の行路にあたるものは即ち文學で、それ等を甞《な》め得たものが文學者である。文學者と云ふのは原稿紙を前に置いて、熟語字典を參考して、首をひねつてゐる樣な閑人《ひまじん》ぢやありません。圓熟して深厚な趣味を體して、人間の萬事を臆面《おくめん》なく取り捌《さば》いたり、感得したりする普通以上の吾々を指《さ》すのであります。其取り捌《さば》き方や感得し具合を紙に寫したのが文學書になるのです、だから書物は讀まないでも實際其事にあたれば立派な文學者です。從つてほかの學問ができ得る限り研究を妨害《ばうがい》する事物を避けて、次第に人世に遠《とほざ》かるに引き易《か》へて文學者は進んで此障害のなかに飛び込むのであります」
 「成程」と高柳君は妙な顔をして云つた。
 「あなたは、さうは考へませんか」
 さう考へるにも、考へぬにも生れて始めて聞いた説である。批評的の返事が出るときは大抵用意のある場合に限る。不意撃《ふいうち》に應ずる事が出來れば不意撃《ふいうち》ではない。
 「ふうん」と云つて高柳君は首を低《た》れた。文學は自己の本領である。自己の本領について、他人が答辯さへ出來ぬ程の説を吐《は》くならば其本領はあまり鞏固《きようこ》なものではない。道也先生さへ、こんな見すぼらしい家に住んで、こんな、きたならしい着物をきて居るならば、おれは當然二十圓五十錢の月給で澤山だと思つた。何だか急に廣い世界へ引き出された樣な感じがする。
 「先生は大分《だいぶ》御忙《おいそが》しい樣ですが……」
 「えゝ。進んで忙《いそが》しい中へ飛び込んで、人から見ると醉興《すゐきよう》な苦勞をします。ハヽヽヽ」と笑ふ。是なら苦勞が苦勞にたゝない。
 「失禮ながら今はどんな事をやつて御出《おい》でゞ……」
 「今ですか、えゝ色々な事をやりますよ。飯を食ふ方と本領の方と兩方遣らうとするから中々骨が折れます。近頃は頼まれてよく方々へ談話の筆記に行きますがね」
 「隨分御面倒でせう」
 「面倒と云ひや、面倒ですがね。さう面倒と云ふより寧ろ馬鹿氣《ばかげ》て居ます。まあいゝ加減に書いては來ますが」
 「中々面白い事を云ふのが居りませう」と暗《あん》に中野春台《なかのしゆんたい》の事を釣り出さうとする。
 「面白いの何のつて、此間はうま、うま〔四字傍点〕の講釋を聞かされました」
 「うま、うま〔四字傍点〕ですか?」
 「えゝ、あの小供が食物《たべもの》の事をうま/\と云ひませう。あれの來歴ですね。其人の説によると小供が舌が回《まは》り出してから一番早く出る發音がうま〔二字傍点〕/\ださうです。それで其時分は何を見てもうま/\、何を見なくつてもうま/\だからつまりは何《なに》にも付けなくてもいゝのださうだが、そこが小供に取つて一番大切なものは食物《たべもの》だから、とう/\食物《たべもの》の方で、うま/\を專有して仕舞つたのださうです。そこで大人《おとな》も其癖がのこつて、美味なものをうまい〔三字傍点〕と云ふ樣になつた。だから人生の煩悶は要するに元へ還つてうま/\[〔四字傍点〕]の二字に歸着《きちやく》すると云ふのです。何だか寄席《よせ》へでも行つた樣ぢやないですか」
 「馬鹿にして居ますね」
 「えゝ、大抵は馬鹿にされに行くんですよ」
 「然しそんなつまらない事を云ふつて失敬ですね」
 「なに、失敬だつていゝでさあ、どうせ、分らないんだから。さうかと思ふとね。非常に眞面目だけれども中々|突飛《とつぴ》なのがあつてね。此間は猛烈な戀愛論を聞かされました。尤も若い人ですがね」
 「中野ぢやありませんか」
 「君、知つてますか。ありや熱心なものだつた」
 「私の同級生です」
 「あゝ、さうですか。中野春台とか云ふ人ですね。餘《よ》つ程《ぽど》暇があるんでせう。あんな事を眞面目に考へてゐる位だから」
 「金持ちです」
 「うん立派な家《うち》に居ますね。君はあの男と親密なのですか」
 「えゝ、もとは極《ごく》親密でした。然しどうもいかんです。近頃は――何だか――未來の細君か何か出來たんで、あんまり交際してくれないのです」
 「いゝでせう。交際しなくつても。損にもなりさうもない。ハヽヽヽヽ」
 「何だか然し、かう、一人坊《ひとりぼ》つちの樣な氣がして淋《さび》しくつていけません」
 「一人坊《ひとりぼ》つちで、いゝでさあ」と道也先生又いゝでさあ〔五字傍点〕を擔《かつ》ぎ出した。高柳君はもう「先生ならいゝでせう」と突き込む勇氣が出なかつた。
 「昔から何か仕樣と思へば大概は一人坊つちになるものです。そんな一人の友達をたよりにする樣ぢや何も出來ません。殊によると親類とも仲違《なかたがひ》になる事が出來て來ます。妻《さい》に迄馬鹿にされる事があります。しまいに下女迄からかひます」
 「私はそんなになつたら、不愉快で生きて居られないだらうと思ひます」
 「それぢや、文學者にはなれないです」
 高柳君はだまつて下を向いた。
 「わたしも、あなた位の時には、こゝ迄とは考へて居なかつた。然し世の中の事實は實際こゝ迄やつて來るんです。うそぢやない。苦しんだのは耶蘇《やそ》や孔子|許《ばか》りで、吾々文學者は其苦しんだ耶蘇《やそ》や孔子を筆の先でほめて、自分|丈《だけ》は呑氣《のんき》に暮して行けばいゝのだ抔《など》と考へてるのは僞文學者《にせぶんがくしや》ですよ。そんなものは耶蘇や孔子をほめる權利はないのです」
 高柳君は今こそ苦しいが、もう少し立てば喬木《けうぼく》にうつる時節があるだらうと、苦しいうちに絹糸|程《ほど》な細い望みを繋《つな》いでゐた。其絹糸が半分|許《ばか》り切れて、暗い谷から上へ出るたよりは、生きてゐるうちは容易に來さうに思はれなくなつた。
 「高柳さん」
 「はい」
 「世の中は苦しいものですよ」
 「苦しいです」
 「知つてますか」と道也先生は淋《さび》し氣《げ》に笑つた。
 「知つてる積《つもり》ですけれど、いつ迄もかう苦しくつちや……」
 「遣り切れませんか。あなたは御兩親が御在りか」
 「母|丈《だけ》田舍にゐます」
 「おつかさん丈《だけ》?」
 「えゝ」
 「御母《おつか》さん丈《だけ》でもあれば結構だ」
 「中々結構でないです。――早くどうかしてやらないと、もう年を取つて居ますから。私が卒業したら、どうか出來るだらうと思つてたのですが……」
 「左樣《さやう》、近頃の樣に卒業生が殖《ふ》えちや、一寸、口を得《う》るのが困難ですね。――どうです、田舍《ゐなか》の學校へ行く氣はないですか」
 「時々は田舍《ゐなか》へ行かうとも思ふんですが……」
 「又いやになるかね。――さうさ、あまり勸められもしない。私も田舍《ゐなか》の學校は大分《だいぶ》經驗があるが」
 「先生は……」と言ひかけたが、又昔の事を云ひ出しにくゝなつた。
 「えゝ?」と道也は何も知らぬ氣《げ》である。
 「先生は――あの――江湖雜誌を御編輯になると云ふ事ですが、本當にさうなんで」
 「えゝ、此間から引き受けてやつて居ます」
 「今月の論説に解脱と拘泥と云ふのがありましたが、あの憂世子と云ふのは……」
 「あれは、わたしです。讀みましたか」
 「えゝ、大變面白く拝見しました。さう申しちや失禮ですが、あれは私の云ひたい事を五六段高くして、表出《へうしゆつ》した樣なもので、利益を享けた上に痛快に感じました」
 「それは難有《ありがた》い。それぢや君は僕の知己ですね。恐らく天下|唯一《ゆゐいつ》の知己かも知れない。ハヽヽヽ」
 「そんな事はないでせう」と高柳君は稍《やゝ》眞面目に云つた。
 「さうですか、夫《それ》ぢや猶《なほ》結構だ。然し今迄僕の文章を見てほめてくれたものは一人もない。君|丈《だけ》ですよ」
 「是から皆《み》んな賞める積です」
 「ハヽヽヽさう云ふ人がせめて百人も居てくれると、わたしも本望《ほんまう》だが――隨分|頓珍漢《とんちんかん》な事がありますよ。此間なんか妙な男が尋ねて來てね。……」
 「何ですか」
 「なあに商人ですがね。どこから聞いて來たか、わたしに、あなたは雜誌をやつて御出《おいで》ださうだが文章を御書きなさるだらうと云ふのです」
 「へえ」
 「書く事は書くとまあ云つたんです。するとね其男がどうぞ一つ、眼藥の廣告をかいてもらひたいと云ふんです」
 「馬鹿な奴ですね」
 「其代り雜誌へ眼藥の廣告を出すから是非一つ願ひたいつて――何でも點明水《てんめいすゐ》とか云ふ名ですがね……」
 「妙な名をつけて――。御書きになつたんですか」
 「いえ、とう/\斷はりましたがね。夫《それ》でまだ可笑《をか》しい事があるのですよ。其藥屋で賣出しの日に大きな風船を揚《あ》げるんだと云ふのです」
 「御祝ひの爲めですか」
 「いえ、矢張り廣告の爲めに。所が風船は聲も出さずに高い空を飛んでゐるのだから、仰向《あふむ》けば誰にでも見えるが、仰向《あふむ》かせなくつちやいけないでせう」
 「へえ、成程《なるほど》」
 「夫《それ》でわたしに其、仰向《あふむ》かせの役をやつてくれつて云ふのです」
 「どうするのです」
 「何、徃來をあるいて居ても、電車へ乘つてゐてもいゝから、風船を見たら、おや風船だ/\、何でもありや點明水《てんめいすゐ》の廣告に違ひないつて何遍も何遍も云ふのださうです」
 「ハヽヽ隨分思ひ切つて人を馬鹿にした依頼ですね」
 「可笑《をか》しくもあり馬鹿々々敷《ばか/\しく》もあるが、何も夫《それ》丈《だけ》の事をするにはわたしでなくてもよからう。車引でも雇《やと》へば譯ないぢやないかと聞いて見たのです。すると其男がね。いえ、車引なんぞ許《ばか》りでは信用がなくつていけません。矢つ張り髭でも生《は》やして尤もらしい顔をした人に頼まないと、人がだまされませんからと云ふのです」
 「實に失敬な奴ですね。全體|何物《なにもの》でせう」
 「何物《なにもの》つて矢張り普通の人間ですよ。世の中をだます爲めに人を雇《やと》ひに來たのです。呑氣《のんき》なものさハヽヽヽ」
 「どうも驚ろいちまふ。私なら撲《な》ぐつてやる」
 「そんなのを撲《なぐ》つた日にや片《かた》つ端《ぱし》から撲《なぐ》らなくつちやあならない。君さう怒るが、今の世の中はそんな男|許《ばか》りで出來てるんですよ」
 高柳君はまさかと思つた。障子にさした足袋《たび》の影はいつしか消えて、開《あ》け放《はな》つた一枚の間から、靴刷毛《くつはけ》の端《はじ》が見える。椽《えん》は泥だらけである。手《て》の平《ひら》程な庭の隅に一株の菊が、清らかに先生の貧《ひん》を照らしてゐる。自然をどうでもいゝと思つてゐる高柳君も此菊|丈《だけ》は美くしいと感じた。杉垣《すぎがき》の遙か向《むかふ》に大きな柿の木が見えて、空のなかへ五分珠《ごぶだま》の珊瑚《さんご》をかためて嵌《は》め込んだ樣に奇麗に赤く映《うつ》る。鳴子《なるこ》の音がして烏がぱつと飛んだ。
 「閑靜な御住居《おすまひ》ですね」
 「えゝ。蛸寺《たこでら》の和尚《をしやう》が烏を追つて居るんです。毎日がらん/\云はして、烏|許《ばか》り追つてゐる。あゝ云ふ生涯も閑靜でいゝな」
 「大變澤山柿が生《な》つて居ますね」
 「澁柿ですよ。あの和尚は何が惜しくて、あゝ澁柿の番ばかりするのかな。――君妙な咳を時々するが、身體《からだ》は丈夫ですか。大分《だいぶ》瘠せてる樣ぢやありませんか。さう瘠せてちやいかん。身體《からだ》が資本だから」
 「然し先生だつて隨分瘠せてゐらつしやるぢやありませんか」
 「わたし? わたしは瘠せてゐる。瘠せては居るが大丈夫」
 
     七
 
  白き蝶の、白き花に、
  小《ちさ》き蝶の、小《ちさ》き花に、
           みだるゝよ、みだるゝよ。
  長き憂は、長き髪に、
  暗き憂は、暗き髪に、
       みだるゝよ、みだるゝよ。
  いたづらに、吹くは野分《のわき》の、
  いたづらに、住むか浮世に、
  白き蝶も、黒き髪も、
       みだるゝよ、みだるゝよ。
と女はうたひ了る。銀椀《ぎんわん》に珠《たま》を盛りて、白魚《しらうを》の指に搖《うご》かしたらば、こんな聲が出《で》樣《やう》と、男は聽きとれて居た。
 「うまく、唱《うた》へました。もう少し稽古して音量が充分に出ると大きな場所で聽いても、立派に聽けるに違ひない。今度演奏會でためしに遣つて見ませんか」
 「厭《いや》だわ、ためしだなんて」
 「それぢや本式に」
 「本式にや猶《なほ》出來ませんわ」
 「それぢや、詰り御已《おや》めと云ふ譯ですか」
 「だつて澤山人の居る前なんかで、――耻づかしくつて、聲なんか出やしませんわ」
 「其新體詩はいゝでせう」
 「えゝ、わたし大好き」
 「あなたが、さうやつて、唱《うた》つてる所を寫眞に一つ取りませうか」
 「寫眞に?」
 「えゝ、厭《いや》ですか」
 「厭ぢやないわ。だけれども、取つて人に御見せなさるでせう」
 「見せてわるければ、わたし一人で見てゐます」
 女は何《な》にも云はずに眼を横に向けた。こぼれ梅を一枚の半襟《はんえり》の表《おもて》に掃き集めた眞中《まんなか》に、明星と見まがふ程の留針《とめばり》が的?《てきれき》と耀いて、男の眼を射る。
 女の振り向いた方には三尺の臺を二段に仕切つて、下には長方形の交趾《かうち》の鉢《はち》に細き蘭が搖《ゆ》るがんとして、香《かう》の烟《けむ》りのたなびくを待つて居る。上段にはメロスの愛神《?ーナス》の模像を、ほの暗き室《へや》の隅に夢かと許《ばか》り据ゑてある。女の眼は端《はし》なくも此裸體像の上に落ちた。
 「あの像は」と聞く。
 「無論模造です。本物は巴理《パリ》のルーヴルにあるさうです。然し模造でも美事《みごと》ですね。腰から上の少し曲つた所と兩足の方向とが非常に釣合がよく取れてゐる。――是が全身完全だと非常なものですが、惜しい事に手が缺けてます」
 「本物も缺けてるんですか」
 「えゝ、本物が缺けてるから模造もかけてるんです」
 「何の像でせう」
 「?ーナス。愛の神です」と男はことさらに愛と云ふ字を強く云つた。
 「?ーナス!」
 深い眼睫《まつげ》の奧から、?ーナスは溶《と》ける許《ばか》りに見詰められてゐる。冷《ひや》やかなる石膏の暖まる程、丸《まろ》き乳首《ちくび》の、呼吸につれて、かすかに動くかと疑《あや》しまるゝ程、女は瞳《ひとみ》を凝《こ》らして居る。女自身も艶《えん》なる?ーナスである。
 「さう」と女はやがて、かすかな聲で云ふ。
 「あんまり見てゐると?ーナスが動き出しますよ」
 「是で愛の神でせうか」と女は漸く頭《かしら》を回《めぐ》らした。
 あなたの方が愛の神らしいと云はうとしたが、女と顔を見合した時、男は急に躊躇した。云へば女の表情が崩れる。此、訝《いぶか》るが如く、訴ふるが如く、深い眼のうちに我を頼るが如き女の表情を一瞬たりとも、我から働きかけて打《う》ち壞《こは》すのは、メロスの?ーナスの腕《かひな》を折ると同じく大《おほい》なる罪科《ざいくわ》である。
 「氣高《けだか》過ぎて……」と男の我を援《たす》けぬをもどかしがつて女は首を傾けながら、我からと顔の上なる姿を變へた。男はしまつたと思ふ。
 「左樣《さう》、すこし堅過ぎます。愛と云ふ感じがあまり現はれて居ない」
 「何だか冷《つ》めたい樣な心持がしますわ」
 「其通りだ。冷《つ》めたいと云ふのが適評だ。何だか妙だと思つて居たが、どうも、いゝ言葉が出て來なかつたんです。冷《つ》めたい――冷《つ》めたい、と云ふのが一番いゝ」
 「何故《なぜ》こんなに、拵らへたんでせう」
 「矢つ張りフ※[ヒの小字]ヂアス式だから嚴格なんでせう」
 「あなたは、かう云ふのが御好き」
 女は石像をさへ、自分と比較して愛人の心を窺《うかゞ》つて見る。?ーナスを愛するものは、自分を愛してはくれまいと云ふ掛念《けねん》がある。女は?ーナスの、神である事を忘れてゐる。
 「好きつて、いゝぢやありませんか、古今《こゝん》の傑作ですよ」
 女の批判は直覺的である。男の好尚《かうしやう》は半《なか》ば傳説的である。なまじいに美學|抔《など》を聽いた因果で、男はすぐ女に同意する丈《だけ》の勇氣を失つてゐる。學問は己《おの》れを欺くとは心付かぬと見える。自から學問に欺かれながら、欺かれぬ女の判斷を、おたづらに誤《あや》まれりとのみ見る。
 「古今の傑作ですよ」と再び繰り返したのは、半《なか》ば女の趣味をヘ育する爲めであつた。
 「さう」と女は云つた許《ばか》りである。石火《せきくわ》を交《まじ》へざる刹那に、はつと受けた印象は、學者の一言の爲めに打ち消されるものではない。
 「元來?ーナスは、どう云ふものか僕にはいやな聯想がある」
 「どんな聯想なの」と女は大人《おとな》しく聞きつゝ、双《さう》の手を立ちながら膝の上に重ねる。手頸《てくび》からさきが二寸ほど白く見えて、あとは、しなやかなる衣《きぬ》のうちに隱れる。衣《きぬ》は薄紅《うすくれなゐ》に銀の雨を濃く淡く、所まだらに降らした樣な縞柄《しまがら》である。
 上になつた手の甲の、五つに岐《わか》れた先の、しだいに細まりて且《か》つ丸く、つやある爪に蔽はれたのが好《い》い感じである。指は細く長く、すらりとした姿を崩さぬ程に、柔らかな肉を持たねばならぬ。此|調《とゝの》へる姿が五本毎に異《こと》ならねばならぬ。異《こと》なる五本が一つにかたまつて、纒《まと》まる調子をつくらねばならぬ。美くしき手を持つ人は、美くしき顔を持つ人よりも少ない。美くしき手を持つ人には貴《たつと》き飾りが必要である。
 女は燦《さん》たるものを、細き肉に戴いてゐる。
 「其指輪は見馴《みな》れませんね」
 「是?」と重《かさ》ねた手は解けて、右の指に耀くものをなぶる。
 「此間|父樣《とうさま》に買つて頂いたの」
 「金剛石《ダイヤモンド》ですか」
 「さうでせう。天賞堂《てんしやうだう》から取つたんですから」
 「あんまり御父《おとう》さんを苛《いぢ》めちやいけませんよ」
 「あら、さうぢやないのよ。父樣《とうさま》の方から買つて下さつたのよ」
 「夫《そ》りや珍らしい現象ですね」
 「ホヽヽヽヽ本當ね。あなた其譯を知つてゝ」
 「知るものですか、探偵《たんてい》ぢやあるまいし」
 「だから御存じないでせうと云ふのですよ」
 「だから知りませんよ」
 「ヘへて上げませうか」
 「えゝヘへて下さい」
 「ヘへて上げるから笑つちやいけませんよ」
 「笑やしません。此通り眞面目《まじめ》でさあ」
 「此間ね、池上《いけがみ》に競馬があつたでせう。あの時|父樣《とうさま》があすこへ入《い》らしつてね。さうして……」
 「さうして、どうしたんです。――拾つて來たんですか」
 「あら、いやだ。あなたは失敬ね」
 「だつて、待つてゝもあとを仰しやらないですもの」
 「今云ふところなのよ。さうして賭《かけ》をなすつたんですつて」
 「こいつは驚ろいた。あなたの御父さんもやるんですか」
 「いえ、やらないんだけれども、試《ため》しにやつて見たんだつて」
 「矢張《やつぱ》りやつたんぢやありませんか」
 「遣つた事は遣つたの。それで御金を五百圓|許《ばか》り御取りになつたんだつて」
 「へえ。それで買つて頂いたのですか」
 「まあ、さうよ」
 「一寸拝見」と手を出す。男は耀くものを輕《かろ》く抑《おさ》へた。
 指輪は魔物である。沙翁《さをう》は指輪を種に幾多の波瀾を描いた。若い男と若い女を目に見えぬ空裏《くうり》に繋ぐものは戀である。戀を其儘手にとらすものは指輪である。
 三重《みへ》にうねる細き金の波の、環《わ》と合ふて膨《ふく》れ上るたゞ中を穿《うが》ちて、動くなよと、安らかに据ゑたる寶石の、眩《まば》ゆさは天《あめ》が下《した》を射れど、毀《こぼ》たねば波の中より奪ひがたき運命は、君ありての妾《われ》、妾《われ》故にの君である。男は白き指もろ共に指輪を見詰めて居る。
 「こんな指輪だつたのか知らん」と男が云ふ。女は寄り添ふて同じ長椅子《ソーフア》を二人の間に分《わか》つ。
 「昔《むか》しさる好事家《かうずか》が?ーナスの銅像を堀り出して、吾が庭の眺めにと橄欖《かんらん》の香《か》の濃く吹くあたりに据ゑたさうです」
 「それは御話? 突然なのね」
 「それから或日テニスをして居たら……」
 「あら、些《ちつ》とも分らないわ。誰がテニスをするの。銅像を堀り出した人なの?」
 「銅像を堀り出したのは人足《にんそく》で、テニスをしたのは銅像を堀り出さした主人の方です」
 「どつちだつて同じぢやありませんか」
 「主人と人足と同じぢや少し困る」
 「いゝえさ、矢つ張り堀り出した人がテニスをしたんでせう」
 「さう強情を御張りになるなら、夫《それ》でよろしい。――では堀り出した人がテニスをする……」
 「強情ぢやない事よ。ぢや銅像を堀り出さした方《はう》がテニスをするの、ね。いゝでせう」
 「どつちでも同じでさあ」
 「あら、あなた、御怒《おおこ》りなすつたの。だから堀り出さした方《はう》だつて、あやまつて居るぢやありませんか」
 「ハヽヽヽあやまらなくつてもいゝです。夫《それ》でテニスをして居るとね。指輪が邪魔になつて、ラケツトが思ふ樣に使へないんです。そこで、それをはづしてね、どこかへ置かうと思つたが小さいものだから置きなくすといけない。――大事な指輪ですよ。結納《ゆひなふ》の指輪なんです」
 「誰と結婚をなさるの?」
 「誰とつて、そいつは少し――矢つ張り去《さ》る令孃とです」
 「あら、お話しになつてもいゝぢやありませんか」
 「隱す譯ぢやないが……」
 「ぢや話して頂戴。ね、いゝでせう。相手はどなたなの?」
 「そいつは弱りましたね。實は忘れちまつた」
 「それぢや、ずるいわ」
 「だつて、メリメの本を貸しちまつて一寸調べられないですもの」
 「どうせ、御貸しになつたんでせうよ。よう御座います」
 「困つたな。折角の所で名前を忘れたもんだから進行する事が出來なくなつた。――ぢや今日《けふ》は御やめにして今度其令孃の名を調べてから御話をしませう」
 「いやだわ。折角の所でよしたり、なんかして」
 「だつて名前を知らないんですもの」
 「だから其先を話して頂戴な」
 「名前はなくつてもいゝのですか」
 「えゝ」
 「さうか、そんなら早くすればよかつた。――夫《それ》で色々考へた末、漸く考へついて、?ーナスの小指へ一寸はめたんです」
 「うまい所へ氣がついたのね。詩的ぢやありませんか」
 「所がテニスが濟んでから、すつかり夫《それ》を忘れて仕舞つて、しかも例の令孃を連れに田舍《ゐなか》へ旅行してから氣がついたのです。然し今更どうもする事が出來ないから、それなりにして、未來の細君には一寸した出來合の指環《ゆびわ》を買つて結納《ゆひなふ》にしたのです」
 「厭な方ね。不人情だわ」
 「だつて忘れたんだから仕方がない」
 「忘れるなんて、不人情だわ」
 「僕なら忘れないんだが、異人《いじん》だから忘れちまつたんです」
 「ホヽヽヽヽ異人《いじん》だつて」
 「そこで結納《ゆひなふ》も滯《とゞこほ》りなく濟んでから、うちへ歸つて愈《いよ/\》結婚の晩に――」でわざと句を切る。
 「結婚の晩にどうしたの」
 「結婚の晩にね。庭の?ーナスがどたり/\と玄關を上がつて……」
 「おゝおいやだ」
 「どたり/\と二階を上がつて」
 「怖《こは》いわ」
 「寢室の戸をあけて」
 「氣味がわるいわ」
 「氣味がわるければ、そこいらで、やめて置きませう」
 「だけれど、仕舞にどうなるの」
 「だから、どたり、どたりと寢室の戸をあけて」
 「そこは、よして頂戴。たゞ仕舞にどうなるの」
 「では間を拔きませう。――あした見たら男は冷《つ》めたくなつて死んでたさうです。?ーナスに抱きつかれた所|丈《だけ》紫色に變つてたと云ひます」
 「おゝ、厭だ」と眉をあつめる。艶《えん》なる人の眉をあつめたるは愛嬌に醋《す》をかけた樣なものである。甘き戀に醉《ゑ》ひ過ぎたる男は折々の此|酸味《さんみ》に舌を打つ。
 濃くひける新月《しんげつ》の寄り合ひて、互に頭《かしら》を擡《もた》げたる、うねりの下に、朧《おぼろ》に見ゆる情《なさ》けの波のかゞやきを男は只管《ひたすら》に打ち守る。
 「奧さんはどうしたでせう」女を憐むものは女である。
 「奧さんは病氣になつて、病院に這入るのです」
 「癒《なほ》るのですか」
 「さうさ。そこ迄は覺えて居ない。どうしたつけかな」
 「癒らない法はないでせう。罪も何もないのに」
 薄きにも拘《かゝ》はらず豐《ゆたか》なる下唇《したくちびる》はぷり/\と動いた。男は女の不平を愚かなりとは思はず、情《なさ》け深しと興がる。二人の世界は愛の世界である。愛は尤も眞面目なる遊戯である。遊戯なるが故に絶體絶命《ぜつたいぜつめい》の時には必ず姿を隱す。愛に戯《たは》むるゝ餘裕のある人は至幸である。
 愛は眞面目である。眞面目であるから深い。同時に愛は遊戯である。遊戯であるから浮いてゐる。深くして浮いてゐるものは水底の藻《も》と青年の愛である。
 「ハヽヽヽ心配なさらんでもいゝです。奧さんは屹度《きつと》癒ります」と男はメリメに相談もせず受合つた。
 愛は迷《まよひ》である。又悟りである。愛は天地萬有を其|中《うち》に吸収して刻下《こくか》に異樣の生命を與へる。故に迷である。愛の眼《まなこ》を放《はな》つとき、大千世界《だいせんせかい》は悉《こと/”\》く黄金《わうごん》である。愛の心に映《うつ》る宇宙は深き情《なさ》けの宇宙である。故に愛は悟りである。然して愛の空氣を呼吸するものは迷《まよひ》とも悟《さとり》とも知らぬ。只《たゞ》おのづから人を引き又人に引かるゝ。自然は眞空を忌み愛は孤立《こりつ》を嫌《きら》ふ。
 「わたし、本當に御氣の毒だと思ひますわ。わたしが、そんなになつたら、どうしやうと思ふと」
 愛は己《おの》れに對して深刻なる同情を有してゐる。只《たゞ》あまりに深刻なるが故に、享樂の滿足ある場合に限りて、自己を貫《つらぬ》き出でゝ、人の身の上にも亦普通以上の同情を寄せる事ができる。あまりに深刻なるが故に失戀の場合に於て、自己を貫《つらぬ》き出でゝ、人の身の上にも亦普通以上の怨恨を寄せる事が出來る。愛に成功するものは必ず自己を善人と思ふ。愛に失敗するものも亦必ず自己を善人と思ふ。成敗に論なく、愛は一直線である。只《たゞ》愛の尺度を以て萬事を律《りつ》する。成功せる愛は同情を乘せて走る馬車馬《ばしやうま》である。失敗せる愛は怨恨を乘せて走る馬車馬《ばしやうま》である。愛は尤も我儘なるものである。
 尤も我儘なる善人が二人、美くしく飾りたる室《しつ》に、深刻なる遊戯を演じてゐる。室外の天下は蕭寥《せうれう》たる秋である。天下の秋は幾多の道也先生を苦しめつゝある。幾多の高柳君を淋《さび》しがらせつゝある。而《しか》して二人は飽《あく》迄《まで》も善人である。
 「此間の音樂會には高柳さんと御一所でしたね」
 「えゝ、別に約束した譯でもないんですが、途中で逢つたものですから誘《さそ》つたのです。何だか動物園の前で悲しさうに立つて、櫻の落葉を眺めてゐるんです。氣の毒になつてね」
 「よく誘《さそ》つて御上げになつたのね。御病氣ぢやなくつて」
 「少し咳をしてゐた樣です。たいした事ぢやないでせう」
 「顔の色が大變御わるかつたわ」
 「あの男はあんまり神經質だもんだから、自分で病氣をこしらへるんです。さうして慰めてやると、却《かへ》つて皮肉を云ふのです。何だか近來は益《ます/\》變になる樣です」
 「御氣の毒ね。どうなすつたんでせう」
 「どうしたつて、好《この》んで一人坊つちになつて、世の中をみんな敵《かたき》の樣に思ふんだから、手の付け樣がないです」
 「失戀なの」
 「そんな話もきいた事もないですがね。いつそ細君でも世話をしたらいゝかも知れない」
 「御世話をして上げたらいゝでせう」
 「世話をするつて、あゝ氣六《きむ》づかしくつちや、駄目ですよ。細君が可哀想《かはいさう》だ」
 「でも。御持ちになつたら癒るでせう」
 「少しは癒るかも知れないが、元來が性分なんですからね。悲觀する癖があるんです。悲觀病に罹つてるんです」
 「ホヽヽヽヽどうして、そんな病氣が出たんでせう」
 「どうしてゞすかね。遺傳かも知れません。それでなければ小供のうち何かあつたんでせう」
 「何か御聞になつた事はなくつて」
 「いゝえ、僕ああまりそんな事を聞くのが嫌《きらひ》だから、それに、あの男は一向|何《なん》にも打ち明けない男でね。あれがもつと淡泊に思つた事を云ふ風だと慰め樣もあるんだけれども」
 「困つて居らつしやるんぢやなくつて」
 「生活にですか、えゝ、そりや困つてるんです。然し無暗に金をやらうなんていつたら擲《たゝ》きつけますよ」
 「だつて御自分で御金がとれさうなものぢやありませんか、文學士だから」
 「取れるですとも。だからもう少し待つてるといゝですが、どうも性急《せつかち》で卒業したあくる日からして、立派な創作家になつて、有名になつて、さうして樂に暮らさうつて云ふのだから六《む》づかしい」
 「御國は一體どこなの」
 「國は新潟縣です」
 「遠い所なのね。新潟縣は御米《おこめ》の出來る所でせう。矢つ張り御百姓なの」
 「農《のう》、なんでせう。――あゝ新潟縣で思ひ出した。此間あなたが御出《おいで》のとき行き違に出て行つた男があるでせう」
 「えゝ、あの長い顔の髭を生やした。あれはなに、わたしあの人の下駄を見て吃驚《びつくり》したわ。隨分薄つぺらなのね。丸《まる》で草履よ」
 「あれで泰然たるものですよ。さうして些《ちつ》とも愛嬌のない男でね。こつちから何か話しかけても、何《なん》にも應答をしない」
 「夫《それ》で何しに來たの」
 「江湖雜誌の記者と云ふんで、談話の筆記に來たんです」
 「あなたの? 何か話して御遣りになつて?」
 「えゝ、あの雜誌を送つて來てゐるからあとで見せませう。――夫《それ》であの男について妙な話しがあるんです。高柳が國の中學に居た時分あの人に習つたんです――あれで文學士ですよ」
 「あれで? まあ」
 「所が高柳なんぞが、色々な、いたづらをして、苛《いじ》めて追ひ出して仕舞つたんです」
 「あの人を? ひどい事をするのね」
 「夫《それ》で高柳は今となつて自分が生活に困難してゐるものだから、後悔して、嘸《さぞ》先生も追ひ出された爲めに難義をしたらう、逢つたら謝罪するつて云つてましたよ」
 「全く追ひ出された爲めに、あんなに零落《れいらく》したんでせうか。さうすると氣の毒ね」
 「夫《それ》から先達《せんだつて》江湖雜誌の記者と云ふ事が分つたでせう。だから音樂會の歸りにヘへてやつたんです」
 「高柳さんは入《い》らしつたでせうか」
 「行つたかも知れませんよ」
 「追ひ出したんなら、本當に早く御詫《おわび》をなさる方がいゝわね」
 善人の會話は是で一段落を告げる。
 「どうです、あつちへ行つて、少しみんなと遊《あす》ばうぢやありませんか。いやですか」
 「寫眞は御やめなの」
 「あ、すつかり忘れてゐた。寫眞は是非取らして下さい。僕は是で中々美術的な奴を取るんです。うん、商賣人の取るのは下等ですよ。――寫眞も五六年この方《かた》大變進歩してね。今ぢや立派な美術です。普通の寫眞はだれが取つたつて同じでせう。近頃のは個人々々の趣味で調子が丸で違つてくるんです。入《い》らないものを拔いたり、一體の調子を和《やはら》げたり、際《きは》どい光線の作用を全景にあらはしたり、色々な事をやるんです。早いものでもう景色《けいしよく》專門家や人物專門家が出來てるんですからね」
 「あなたは人物の專門家なの」
 「僕? 僕は――さうさ、――あなた丈《だけ》の專門家にならうと思ふのです」
 「厭なかたね」
 金剛石《ダイヤモンド》がきらりとひらめいて、薄紅《うすくれなゐ》の袖のゆるゝ中から細い腕《かひな》が男の膝の方に落ちて來た。輕《かろ》くあたつたのは指先ばかりである。
 善人の會話は寫眞撮影に終る。
 
     八
 
 秋は次第に行く。蟲の音《ね》は漸く細る。
 筆硯《ひつけん》に命を籠《こ》むる道也先生は、只《たゞ》人生の一大事因縁《いちだいじいんねん》に着《ちやく》して、他《た》を顧みるの暇《いとま》なきが故に、暮るゝ秋の寒きを知らず、蟲の音《ね》の細るを知らず、世の人のわれにつれなきを知らず、爪の先に垢《あか》のたまるを知らず、蛸寺《たこでら》の柿の落ちた事は無論知らぬ。動くべき社會をわが力にて動かすが道也先生の天職である。高く、偉《おほ》いなる、公《おほや》けなる、あるものゝ方《かた》に一歩なりとも動かすが道也先生の使命である。道也先生は其他《そのた》を知らぬ。
 高柳君はさうは行《ゆ》かぬ。道也先生の何事をも知らざるに反して、彼は何事をも知る。徃來の人の眼付きも知る。肌寒く吹く風の鋭《する》どきも知る。かすれて渡る雁《かり》の數も知る。美くしき女も知る。黄金《わうごん》の貴《たつと》きも知る。木屑《きくづ》の如く取り扱はるゝ吾身の果敢《はか》なくて、浮世の苦しみの骨に食い入る夕《ゆふべ》/\を知る。下宿の菜《さい》の憐れにして芋ばかりなるは固《もと》より知る。知り過ぎたるが君の癖にして、此癖を搨キせしめたるが君の病である。天下に、人間は殺しても殺し切れぬ程ある。然し此病を癒《なほ》してくれるものは一人もない。此病を癒《なほ》してくれぬ以上は何千萬人居るも、居らぬと同樣である。彼は一人坊つちになつた。己《おの》れに足りて人に待つ事なき呑氣《のんき》な一人坊つちではない。同情に餓《う》え、人間《にんげん》に渇《かつ》して遣瀬《やるせ》なき一人坊つちである。中野君は病氣と云ふ、われも病氣と思ふ。然し自分を一人坊つちの病氣にしたものは世間である。自分を一人坊つちの病氣にした世間は危篤なる病人を眼前に控へて嘯《うそぶ》いてゐる。世間は自分を病氣にした許《ばか》りでは滿足せぬ。半死《はんし》の病人を殺さねば已《や》まぬ。高柳君は世間を呪《のろ》はざるを得ぬ。
 道也先生から見た天地は人の爲めにする天地である。高柳君から見た天地は己《おの》れの爲めにする天地である。人の爲めにする天地であるから、世話をしてくれ手がなくても恨《うらみ》とは思はぬ。己《おの》れの爲めにする天地であるから、己《おの》れをかまつてくれぬ世を殘酷と思ふ。
 世話をする爲めに生れた人と、世話をされに生れた人とは是程違ふ。人を指導するものと、人にたよるものとは是程違ふ。同じく一人坊つちでありながら是程違ふ。高柳君には此違ひがわからぬ。
 垢染《あかじ》みた布團《ふとん》を冷やかに敷いて、五分刈りが七分程に延びた頭を薄ぎたない枕の上に横《よこた》へて居た高柳君は不圖《ふと》眼を擧げて庭前《ていぜん》の梧桐《ごとう》を見た。高柳君は述作をして眼がつかれると必ず此|梧桐《ごとう》を見る。地理學ヘ授法を譯して、草々《くさ/\》すると必ず此|梧桐《ごとう》を見る。手紙を書いてさへ行き詰まると屹度此|梧桐《ごとう》を見る。見る筈である。三坪程の荒庭《あれには》に見るべきものは一本の梧桐《ごとう》を除いては外《ほか》に何にもない。
 ことに此間《このあひだ》から、氣分がわるくて、仕事をする元氣がないので、あやしげな机に頬杖を突いては朝な夕なに梧桐《ごとう》を眺めくらして、うつら/\として居た。
 一葉《いちえふ》落ちてと云ふ句は古い。悲しき秋は必ず梧桐《ごとう》から手を下《くだ》す。ばつさりと垣にかゝる袷《あはせ》の頃は、左迄《さまで》に心を動かす縁《よすが》ともならぬと油斷する翌朝《よくあさ》又ばさりと落ちる。うそ寒いからと早く繰《く》る雨戸の外に又ばさりと音がする。葉は漸く黄ばんで來る。
 青いものが次第に衰へる裏から、浮き上がるのは薄く流した脂《やに》の色である。脂《やに》は夜毎を寒く明けて、濃く變つて行く。婆娑《ばさ》たる命は旦夕《たんせき》に逼《せま》る。
 風が吹く。どこから來るか知らぬ風がすうと吹く。黄ばんだ梢《こずゑ》は動《ゆる》ぐとも見えぬ先に一葉《ひとは》二葉《ふたは》がはら/\落ちる。あとは漸く助かる。
 脂《やに》は夜毎の秋の霜に段々濃くなる。脂《やに》のなかに黒い筋が立つ。箒《はうき》で敲《たゝ》けば煎餠を折る樣な音がする。黒い筋は左右へ燒けひろがる。もう危うい。
 風がくる。垣の隙《すき》から、椽《えん》の下から吹いてくる。危ういものは落ちる。しきりに落ちる。危ういと思ふ心さへなくなる程|梢《こずゑ》を離れる。明らさまなる月がさすと枝の數が讀まれる位あらわに骨が出る。
 僅かに殘る葉を蟲が食ふ。澁色《しぶいろ》の濃いなかにぽつりと穴があく。隣《とな》りにもあく、其|隣《とな》りにもぽつり/\とあく。一面が穴だらけになる。心細いと枯れた葉が云ふ。心細からうと見て居る人が云ふ。所へ風が吹いて來る。葉はみんな飛んで仕舞ふ。
 高柳君が不圖《ふと》眼を擧げた時|梧桐《ごとう》は凡《すべ》て此等の徑路《けいろ》を通り越して、から坊主になつてゐた。窓に近く斜めに張つた枝の先に只一枚の蟲食葉《むしくひば》がかぶりついてゐる。
 「一人坊つちだ」と高柳君は口のなかで云つた。
 高柳君は先月あたりから、妙な咳《せき》をする。始めは氣にもしなかつた。段々腹に答へのない咳が出る。咳|丈《だけ》ではない。熱も出る。出るかと思ふと已《や》む。已《や》んだから仕事をしやうかと思ふと又出る。高柳君は首を傾《かたむ》けた。
 醫者に行つて見てもらはうかと思つたが、見てもらうと決心すれば、自分で自分を病氣だと認定した事になる。自分で自分の病氣を認定するのは、自分で自分の罪惡を認定する樣なものである。自分の罪惡は判決を受ける迄は腹のなかで辯護するのが人情である。高柳君は自分の身體《からだ》を醫師の宣告にかゝらぬ先に辯護した。神經であると辯護した。神經と事實とは兄弟であると云ふ事を高柳君は知らない。
 夜《よる》になると時々|寐汗《ねあせ》をかく。汗で眼がさめる事がある。眞暗《まつくら》ななかで眼がさめる。此眞暗さが永久《えいきう》續いてくれゝばいゝと思ふ。夜があけて、人の聲がして、世間が存在してゐると云ふ事がわかると苦痛である。
 暗いなかを猶《なほ》暗くする爲めに眼を眠《ねむ》つて、夜着《よぎ》のなかへ頭をつき込んで、もう是ぎり世の中へ顔が出したくない。この儘《まゝ》眠りに入つて、眠りから醒《さ》めぬ間《ま》に、あの世に行つたら結構だらうと考へながら寐る。あくる日になると太陽は無慈悲にも赫奕《かくえき》として窓を照らしてゐる。
 時計を出しては一日に脉《みやく》を何遍《なんべん》となく驗《けん》して見る。何遍|驗《けん》しても平脉《へいみやく》ではない。早く打ち過ぎる。不規則に打ち過ぎる。どうしても尋常には打たない。痰《たん》を吐《は》く度《たび》に眼を皿の樣にして眺める。赤いものゝ見えないのが、せめてもの慰安である。
 痰《たん》に血の交《まじ》らぬのを慰安とするものは、血の交《まじ》る時には只生きて居るのを慰安とせねばならぬ。生きて居る丈を慰安とする運命に近づくかも知れぬ高柳君は、生きて居る丈《だけ》を厭《いと》ふ人である。人は多くの場合に於て此|矛盾《むじゆん》を冒《をか》す。彼等は幸福に生きるのを目的とする。幸福に生きんが爲めには、幸福を享受《きやうじゆ》すべき生そのものゝ必要を認めぬ譯には行かぬ。單なる生命は彼等の目的にあらずとするも、幸福を享《う》け得る必須《ひつす》條件として、あらゆる苦痛のもとに維持せねばならぬ。彼等が此|矛盾《むじゆん》を冒して塵界《ぢんかい》に流轉《るてん》するとき死なんとして死ぬ能はず、而《しか》も日ごとに死に引き入れらゝる事を自覺する。負債《ふさい》を償《つぐな》ふの目的を以て月々に負債を新たにしつゝあると變りはない。是を悲酸《ひさん》なる煩悶と云ふ。
 高柳君は床《とこ》のなかから這ひ出した。瓦斯糸《ガスいと》の蚊絣《かがすり》の綿入の上から黒木綿の羽織を着る。机に向ふ。矢つ張り翻譯をする了簡である。四五日《しごんち》其儘にして置いた机の上には、障子の破れから吹き込んだ砂が一面に輕《かろ》くたまつてゐる。硯《すゞり》のなかは白く見える。高柳君は面倒だと見えて、塵も吹かずに、上から水をさした。水入に在る水ではない。五六輪の豆菊《まめぎく》を挿した硝子《ガラス》の小瓶を花ながら傾けて、どつと硯の池に落した水である。さかに磨《す》り減らした古梅園《こばいゑん》をしきりに動かすと、じやり/\云ふ。高柳君は不愉快の眉をあつめた。不愉快の起る前に、不愉快を取り除く面倒を敢てせずして、不愉快の起つた時に唇《くちびる》を?《か》むのはかゝる人の例である。彼は不愉快を忍ぶべく餘り鋭敏である。而してあらかじめ之に備ふべくあまり自棄《じき》である。
 机上に原稿紙を展《の》べた彼は、一時間程|呻吟《しんぎん》して漸く二三枚黒くしたが、やがて打ち遣る樣に筆を擱《お》いた。窓の外には落ち損《そく》なつた一枚の桐の葉が淋しく殘つてゐる。
 「一人坊つちだ」と高柳君は口のうちで又|繰《く》り返《かへ》した。
 見るうちに、葉は少しく上に搖《ゆ》れて又下に搖《ゆ》れた。愈《いよ/\》落ちる。と思ふ間《ま》に風ははたとやんだ。
 高柳君は卷紙を出して、今度は故里《ふるさと》の御母《おつか》さんの所へ手紙を書き始めた。「寒氣《かんき》相加はり候《そろ》處《ところ》如何《いかゞ》御暮し被遊《あそばされ》候《そろ》や。不相變《あひかはらず》御丈夫の事と奉遙察《えうさつたてまつり》候《そろ》。私事も無事」と迄かいて、暫らく考へてゐたが、やがて此五六行を裂《さ》いて仕舞つた。裂いた反古《ほご》を口へ入れて苦茶々々《くちや/\》?んでゐると思つたら、ぽつと黒いものを庭へ吐き出した。
 一人坊つちの葉が又|搖《ゆ》れる。今度は右と左へ二三度首を振る。その振りが漸く収《をさま》つたと思ふ頃、颯《さつ》と音がして、病葉《わくらば》はぽたりと落ちた。
 「落ちた。落ちた」と高柳君は左《さ》も落ちたらしく云つた。
 やがて三尺の押入を開《あ》けて茶色の中折《なかをれ》を取り出す。門口《かどぐち》へ出て空を仰ぐと、行く秋を重いものが上から圍《かこ》んでゐる。
 「御婆さん、御婆さん」
 はいと婆さんが雜巾を刺す手をやめて出て來る。
 「傘《かさ》をとつて下さい。わたしの室《へや》の椽側《えんがは》にある」
 降れば傘をさす迄も歩く考である。どこと云ふ目的《あて》もないが只《たゞ》歩く積りなのである。電車の走るのは電車が走るのだが、何故《なぜ》走るのだかは電車にもわかるまい。高柳君は自分があるく丈《だけ》は承知してゐる。然し何故あるくのだかは電車の如く無意識である。用もなく、あてもなく、又あるき度《たく》もないものを無理にあるかせるのは殘酷である。殘酷があるかせるのだから敵《かたき》は取れない。敵《かたき》が取りたければ、殘酷を製造した發頭人《ほつとうにん》に向ふより外に仕方がない。殘酷を製造した發頭人《ほつとうにん》は世間である。高柳君はひとり敵《かたき》の中をあるいてゐる。いくら、あるいても矢つ張り一人坊つちである。
 ぽつり/\と折々降つてくる。初時雨《はつしぐれ》と云ふのだらう。豆腐屋の軒下に豆を絞《しぼ》つた殼《から》が、山の樣《やう》に桶《をけ》にもつてある。山の頂《いたゞき》がぽくりと缺けて四面から烟が出る。風に連れて烟は徃來へ靡《なび》く。塩物屋《しほものや》に鮭《さけ》の切身《きりみ》が、澁《さ》びた赤い色を見せて、並んで居る。隣りに、しらす干〔四字傍点〕がかたまつて白く反《そ》り返る。鰹節屋《かつぶしや》の小僧が一生懸命に土佐節《とさぶし》をさゝらで磨いてゐる。ぴかり/\と光る。奧に婚禮用の松が眞青《まつさを》に景氣を添へる。葉茶屋《はぢやや》では丁稚《でつち》が抹茶《まつちや》をゆつくり/\臼《うす》で挽《ひ》いてゐる。番頭は徃來を睨《にら》めながら茶を飲んでゐる。――「えつ、あぶねえ」と高柳君は突き飛ばされた。
 黒紋付《くろもんつき》の羽織に山高帽を被つた立派な紳士が綱曳《つなひき》で飛んで行く。車へ乘るものは勢《いきほひ》がいゝ。あるくものは突き飛ばされても仕方がない。「えつ、あぶねえ」と拳突《けんつく》を食はされても黙つて居らねばならん。高柳君は幽靈《いうれい》の樣にあるいてゐる。
 青銅《からかね》の鳥居《とりゐ》をくゞる。敷石の上に鳩《はと》が五六羽、時雨《しぐれ》の中を遠近《をちこち》してゐる。唐人髷《たうじんまげ》に結《い》つた半玉《はんぎよく》が澁蛇《しぶぢや》の目《め》をさして鳩を見てゐる。あらい八丈《はちぢやう》の羽織を長く着て、素足《すあし》を爪皮《つまかは》のなかへさし込んで立つた姿を、下宿の二階窓から書生が顔を二つ出して評してゐる。柏手《かしはで》を打つて鈴を鳴らして御賽錢《おさいせん》をなげ込んだ後姿《うしろすがた》が、見てゐる間《ま》にこつちへ逆戻《ぎやくもどり》をする。黒縮緬《くろちりめん》へ三《み》つ柏《がしは》の紋をつけた意氣な藝者がすれ違ふときに、高柳君の方に一瞥《いちべつ》の秋波《しうは》を送つた。高柳君は鉛《なまり》を背負《しよ》つた樣な重い心持ちになる。
 石段を三十六おりる。電車がごうつ/\と通る。岩崎《いはさき》の塀《へい》が冷酷に聳《そび》えてゐる。あの塀へ頭をぶつけて壞《こは》してやらうかと思ふ。時雨《しぐれ》はいつか休《や》んで電車の停留所に五六人待つてゐる。脊の高い黒紋付が蝙蝠傘《かうもり》を疊んで空を仰いでゐた。
 「先生」と一人坊つちの高柳君は呼びかけた。
 「やあ妙な所で逢ひましたね。散歩かね」
 「えゝ」と高柳君は答へた。
 「天氣のわるいのによく散歩するですね。――岩崎の塀を三度|周《まは》るといゝ散歩になる。ハヽヽヽ」
 高柳君は一寸いゝ心持ちになつた。
 「先生は?」
 「僕ですか、僕は中々散歩する暇なんかないです。不相變《あひかはらず》多忙でね。今日は一寸上野の圖書館迄|調《しら》べ物《もの》に行つたです」
 高柳君は道也先生に逢ふと何だか元氣が出る。一人坊つちでありながら、かう平氣にしてゐる先生が現在世のなかにあると思ふと、多少は心丈夫になると見える。
 「先生もう少し散歩をなさいませんか」
 「さう、少しなら、してもいゝ。何所《どつち》の方へ。上野はもうよさう。今通つて來た許《ばか》りだから」
 「私はどつちでもいゝのです」
 「ぢや坂を上《あが》つて、本郷の方へ行きませう。僕はあつちへ歸るんだから」
 二人は電車の路を沿ふてあるき出した。高柳君は一人坊《ひとりぼ》つちが急に二人坊《ふたりぼ》つちになつた樣な氣がする。さう思ふと空も廣く見える。もう綱曳《つなひき》から突き飛ばされる氣遣《きづかひ》はあるまいと迄思ふ。
 「先生」
 「何ですか」
 「さつき、車屋から突き飛ばされました」
 「そりや、あぶなかつた。怪我《けが》をしやしませんか」
 「いゝえ、怪我《けが》はしませんが、腹は立ちました」
 「さう。然し腹を立てても仕方がないでせう。――然し腹も立て樣によるですな。昔《むか》し渡邊崋山《わたなべくわざん》が松平侯《まつだひらこう》の供先《ともさき》に粗忽《そこつ》で突き當つてひどい目に逢つた事がある。崋山《くわざん》が其時の事を書いてね。――松平侯御横行《まつだひらこうごわうかう》――と云つてるですが。此御横行〔三字傍点〕の三字が非常に面白いぢやないですか。尊《たつと》んで御の字をつけてるが其裏に立派な反抗心がある。氣概《きがい》がある。君も綱引御横行《つなひきごわうかう》と日記にかくさ」
 「松平侯つて、だれですか」
 「だれだか知れやしない。それが知れる位なら御横行はしないですよ。その時發憤した崋山《くわざん》は未だに生きてるが、松平某なるものは誰も知りやしない」
 「さう思ふと愉快ですが、岩崎の塀などを見ると頭をぶつけて、壞してやりたくなります」
 「頭をぶつけて、壞せりや、君より先に壞してるものがあるかも知れない。そんな愚《ぐ》な事を云はずに正々堂々《せい/\だう/\》と創作なら、創作をなされば、それで君の壽命は岩崎|抔《など》よりも長く傳はるのです」
 「其創作をさせて呉れないのです」
 「誰が」
 「誰がつて譯ぢやないですが、出來ないのです」
 「からだでも惡いですか」と道也先生横から覗き込む。高柳君の頬は熱を帶びて、蒼《あを》い中から、ほてつてゐる。道也は首を傾《かたむ》けた。
 「君《きみ》坂を上がると呼吸《いき》が切れる樣だが、どこか惡いぢやないですか」
 強ひて自分にさへ隱さうとする事を言ひあてられると、言ひあてられる程、明白な事實であつたかと落膽《がつかり》する。言ひあてられた高柳君は暗い穴の中へ落ちた。人は知らず、かゝる冷酷なる同情を加へて憚《はゞ》からぬが多い。
 「先生」と高柳君は徃來に立ち留まつた。
 「何ですか」
 「私は病人に見えるでせうか」
 「えゝ、まあ、――少し顔色は惡いです」
 「どうしても肺病でせうか」
 「肺病? そんな事はないです」
 「いゝえ、遠慮なく云つて下さい」
 「肺の氣《け》でもあるんですか」
 「遺傳です。おやぢは肺病で死にました」
 「それは……」と云つたが先生返答に窮した。
 膀胱《ばうくわう》にはち切れる許《ばか》り水を詰めたのを針程の穴に洩らせば、針程の穴はすぐ白銅《はくどう》程になる。高柳君は道也の返答をきかぬが如くに、しやべつて仕舞ふ。
 「先生、私の歴史を聞いて下さいますか」
 「えゝ、聞きますとも」
 「おやぢは町で郵便局の役人でした。私が七つの年に拘引《かういん》されて仕舞ました」
 道也先生は、だまつた儘、話し手と一所にゆるく歩《ほ》を運ばして行く。
 「あとで聞くと官金《くわんきん》を消費したんださうで――其時はなんにも知りませんでした。母にきくと、おとつさんは今に歸る、今に歸ると云つてました。――然しとう/\歸つて來ません。歸らない筈です。肺病になつて、牢屋《らうや》のなかで死んで仕舞つたんです。それもずつとあとで聞きました。母は家を疊んで村へ引き込みました。……」
 向《むかふ》から威勢のいゝ車が二梃《にちやう》束髪の女を乘せてくる。二人は一寸《ちよつと》よける。話はとぎれる。
 「先生」
 「何ですか」
 「だから私には肺病の遺傳があるんです。駄目です」
 「醫者に見せたですか」
 「醫者には――見せません。見せたつて見せなくつたつて同じ事です」
 「そりや、いけない。肺病だつて癒らんとは限らない」
 高柳君は氣味の惡い笑ひを洩らした。時雨《しぐれ》がはら/\と降つて來る。からたち寺《でら》の門の扉に碧巖録提唱《へきがんろくていしやう》と貼りつけた紙が際立つて白く見える。女學校から生徒がぞろ/\出てくる。赤や、紫や、海老茶《えびちや》の色が徃來へちらばる。
 「先生、罪惡も遺傳するものでせうか」と女學生の間を縫ひながら歩《ほ》を移しつゝ高柳君が聞く。
 「そんな事があるものですか」
 「遺傳はしないでも、私は罪人の子です。切《せつ》ないです」
 「それは切《せつ》ないに違ひない。然し忘れなくつちやいけない」
 警察署から手錠《てぢやう》をはめた囚人《しうじん》が二人、巡査に護送されて出てくる。時雨《しぐれ》が囚人《しうじん》の髪にかゝる。
 「忘れても、すぐ思ひ出します」
 道也先生は少し大きな聲を出した。
 「然しあなたの生涯は過去にあるんですか未來にあるんですか。君は是から花が咲く身ですよ」
 「花が咲く前に枯れるんです」
 「枯れる前に仕事をするんです」
 高柳君はだまつてゐる。過去を顧みれば罪である。未來を望めば病氣である。現在は?麭《パン》の爲めにする寫字《しやじ》である。
 道也先生は高柳君の耳の傍《そば》へ口を持つて來て云つた。
 「君は自分|丈《だけ》が一人坊《ひとりぼ》つちだと思ふかも知れないが、僕も一人坊つちですよ。一人坊つちは崇高なものです」
 高柳君には此言葉の意味がわからなかつた。
 「わかつたですか」と道也先生がきく。
 「崇高――なぜ……」
 「それが、わからなければ、到底一人坊つちでは生きてゐられません。――君は人より高い平面に居ると自信しながら、人がその平面を認めて呉れない爲めに一人坊つちなのでせう。然し人が認めてくれる樣な平面ならば人も上《あが》つてくる平面です。藝者や車引に理會《りくわい》される樣な人格なら低いに極つてます。それを藝者や車引も自分と同等なものと思ひ込んで仕舞ふから、先方から見くびられた時腹が立つたり、煩悶《はんもん》するのです。もしあんなものと同等なら創作をしたつて、矢つ張り同等の創作しか出來ない譯だ。同等でなければこそ、立派な人格を發揮する作物《さくぶつ》も出來る。立派な人格を發揮する作物《さくぶつ》が出來れば、彼等からは見くびられるのは尤もでせう」
 「藝者や車引はどうでもいゝですが……」
 「例はだれだつて同じ事です。同じ學校を同じに卒業した者だつて變りはありません。同じ卒業生だから似たものだらうと思ふのはヘ育の形式が似てゐるのをヘ育の實體が似てゐるものと考へ違《ちがひ》した議論です。同じ大學の卒業生が同じ程度のものであつたら、大學の卒業生は悉《こと/”\》く後世に名を殘すか、又は悉《こと/”\》く消えて仕舞はなくつてはならない。自分こそ後世に名を殘さうと力《りき》むならば、たとひ同じ學校の卒業生にもせよ、外《ほか》のものは殘らないのだと云ふ事を假定してかゝらなければなりますまい。既に其假定があるなら自分と、ほかの人とは同樣の學士であるにも拘はらず既に大差別があると自認した譯ぢやありませんか。大差別があると自任しながら他《ひと》が自分を解してくれんと云つて煩悶するのは矛盾です」
 「夫《それ》で先生は後世に名を殘す御積りでやつてゐらつしやるんですか」
 「わたしのは少し、違ひます。今の議論はあなたを本位にして立てた議論です。立派な作物《さくもつ》を出して後世に傳へたいと云ふのが、あなたの御希望の樣だから御話しをしたのです」
 「先生のが承《うけたまは》る事が出來るなら、ヘへて頂けますまいか」
 「わたしは名前なんて宛《あて》にならないものはどうでもいゝ。只《たゞ》自分の滿足を得《う》る爲めに世の爲めに働くのです。結果は惡名にならうと、臭名《しうめい》にならうと氣狂にならうと仕方がない。只《たゞ》かう働かなくつては滿足が出來ないから働く迄の事です。かう働かなくつて滿足が出來ない所を以て見ると、これが、わたしの道に相違ない。人間は道に從ふより外にやり樣のないものだ。人間は道の動物であるから、道に從ふのが一番|貴《たつと》いのだらうと思つて居ます。道に從ふ人は神も避けねばならんのです。岩崎の塀なんか何でもない。ハヽヽヽ」
 剥げかゝつた山高帽を阿彌陀《あみだ》に被《かぶ》つて毛繻子張《けじゆすば》りの蝙蝠傘《かうもり》をさした、一人坊つちの腰辯當の細長い顔から後光《ごくわう》がさした。高柳君ははつと思ふ。
 徃來のものは右へ左へ行く。徃來の店は客を迎へ客を送る。電車は出來る丈《だけ》人を載せて東西に走る。織るが如き街《ちまた》の中に喪家《さうか》の犬の如く歩む二人は、免職になりたての屬官と、墮落した青書生と見えるだらう。見えても仕方がない。道也はそれで澤山だと思ふ。周作はそれではならぬと思ふ。二人は四丁目の角でわかれた。
 
     九
 
 小春の日に温《ぬく》め返された別莊の小天地を開いて結婚の披露をする。
 愛は偏狹《へんけふ》を嫌《きら》ふ、又專有をにくむ。愛したる二人の間に有り餘る情《じやう》を擧げて、博《ひろ》く衆生《しゆじやう》を潤《うる》ほす。有りあまる財を抛《なげう》つて多くの賓客《ひんかく》を會《くわい》す。來らざるものは和樂《わらく》の扇に麾《さしまね》く風を厭ふて、寒き雪空に赴《おもむ》く鳧雁《ふがん》の類《るゐ》である。
 圓滿なる愛は觸るゝ所の凡《すべ》てを圓滿にす。二人の愛は曇り勝ちなる時雨《しぐれ》の空さへも圓滿にした。――太陽の眞上《まうへ》に照る日である。照る事は誰でも知るが、だれも手を翳《かざ》して仰ぎ見る事のならぬ位|明《あきら》かに照る日である。得意なるものに明《あきら》かなる日の嫌《きらひ》なものはない。客は車を驅つて東西南北より來る。
 杉の葉の青きを擇《えら》んで、丸柱の太きを裝《よそほ》ひ、頭《かしら》の上一丈にて二本を左右より平《たひら》に曲げて續《つ》ぎ合せたるをアーチと云ふ。杉の葉の青きはあまりに嚴《おごそか》に過ぐ。愛の郷に入るものは、たゞおごそかなる門を潜《くゞ》るべからず。青きものは暖かき色に和《やはら》げられねばならぬ。
 裂けば烟《けぶ》る蜜柑の味はしらず、色こそ暖かい。小春の色は黄である。點々と珠を綴る杉の葉影に、ゆたかなる南海の風は通ふ。紫に明け渡る夜を待ちかねて、ぬつと出る旭日《あさひ》が、岡より岡を射て、萬顆《ばんくわ》の黄玉《くわうぎよく》は一時に耀《かゞや》く紀の國から、偸《ぬす》み來た香《かを》りと思はれる。此下を通るものは醉はねば出る事を許されぬ掟《おきて》である。
 緑門《アーチ》の下には新しき夫婦が立つてゐる。凡《すべ》ての夫婦は新らしくなければならぬ。新しき夫婦は美しくなければならぬ。新しく美しき夫婦は幸福でなければならぬ。彼等は此|緑門《アーチ》の下に立つて、迎へたる賓客《ひんかく》にわが幸福の一分《いちぶ》を與へ、送り出す朋友にわが幸福の一分を與へて、殘る幸福に共白髪《ともしらが》の長き末迄を耽《ふけ》るべく、新らしいのである、又美くしいのである。
 男は黒き上着に縞《しま》の洋袴《ずぼん》を穿《は》く。折々は雪を欺く白き手拭《ハンケチ》が黒き胸のあたりに漂《たゞよ》ふ。女は紋つきである。裾を色どる模樣の華やかなるなかから浮き上がるが如く調子よくすらりと腰から上が拔け出でゝゐる。?ーナスは浪のなかから生れた。此女は裾模樣のなかゝら生れて居る。
 日は明《あきら》かに女の頸筋《くびすぢ》に落ちて、角《かど》だゝぬ咽喉《のど》の方はほの白き影となる。横から見るとき其影が消えるが如く薄くなつて、判然《はつき》としたやさしき輪廓に終る。其上に紫のうづまくは一朶《いちだ》の暗き髪を束《つか》ねながらも額際《ひたひぎは》に浮かせたのである。金臺に深紅《しんく》の七寶《しつぱう》を鏤《ちりば》めたヌーボー式の簪《かんざし》が紫の影から顔|丈《だけ》出してゐる。
 愛は堅きものを忌《い》む。凡ての硬性を溶化《ようくわ》せねば已《や》まぬ。女の眼に耀く光りは、光りそれ自《みづ》からの溶けた姿である。不可思議なる神境から双眸《さうばう》の底に漂ふて、視界に入る萬有を恍惚《くわうこつ》の境に逍遙《せうえう》せしむる。迎へられたる賓客《ひんかく》は陶然として園内に入る。
 「高柳さんは入《い》らつしやるでせうか」と女が小《ちひ》さな聲で聞く。
 「え?」と男は耳を持つてくる。園内では樂隊が越後獅子《ゑちごじし》を奏してゐる。客は半分以上集まつた。夫婦はなかへ這入つて接待をせねばならん。
 「さうさね。忘れてゐた」と男が云ふ。
 「もう大分《だいぶ》御客さまが入《い》らしつたから、向《むかふ》へ行かないぢやわるいでせう」
 「さうさね。もう行く方がいゝだらう。然し高柳がくると可哀想《かはいさう》だからね」
 「こゝに入らつしやらないとですか」
 「うん。あの男は、わたしが、こゝに見えないと門|迄《まで》來て引き返すよ」
 「なぜ?」
 「なぜつて、こんな所へ來た事はないんだから――一人で一人坊つちになる男なんだから――、とも角もアーチを潜《くゞ》らせて仕舞はないと安心が出來ない」
 「入らつしやるんでせうね」
 「來るよ、わざ/\行つて頼んだんだから、いやでも來ると約束すると來ずにゐられない男だから屹度くるよ」
 「御厭《おいや》なんですか」
 「厭《いや》つて、なに別に厭な事もないんだが、つまり極《きま》りがわるいのさ」
 「ホヽヽヽヽ妙ですわね」
 極《きま》りのわるいのは自信がないからである。自信がないのは、人が馬鹿にすると思ふからである。中野君は只きまりが惡いからだと云ふ。細君は只妙ですわねと思ふ。此夫婦は自分達の極《き》まりを惡《わ》るがる事は忘れて居る。此夫婦の境界にある人は、いくら極りをわるがる性分でも、極りをわるがらずに生涯を濟ませる事が出來る。
 「入らつしやるなら、こゝに居て上げる方がいゝでせう」
 「來る事は受け合ふよ。――いゝさ、奧はおやぢや何か大分《だいぶ》居るから」
 愛は善人である。善人は其友の爲めに自家の不都合を犧牲にするを憚からぬ。夫婦は高柳君の爲めにアーチの下に待つてゐる。高柳君は來ねばならぬ。
 馬車の客、車の客の間に、只一人高柳君は蹌踉《さうらう》として敵地に乘り込んで來る。此海の如く和氣の漲りたる園遊會――新夫婦の面《おもて》に湛《たゝ》へたる笑の波に醉ふて、われ知らず幸福の同化を享《う》くる園遊會――行く年をしばらくは春に戻して、のどかなる日影に、窮陰《きゆういん》の面《ま》のあたりなるを忘るべき園遊會は高柳君にとつて敵地である。
 富と勢《いきほひ》と得意と滿足の跋扈《ばつこ》する所は東西|球《きう》を極《きは》めて高柳君には敵地である。高柳君はアーチの下に立つ新しき夫婦を十歩の遠きに見て、是がわが友であるとは慥《たし》かに思はなかつた。多少の不都合を犧牲にして迄、高柳君を待ち受けたる夫婦の眼に高柳君の姿がちらと映じた時、待ち受けたにも拘はらず、待ち受け甲斐のある御客とは夫婦共に思はなかつた。友誼《いうぎ》の三|分《ぶ》一は服裝が引き受ける者である。頭のなかで考へた友達と眼の前へ出て來た友達とは大分《だいぶ》違ふ。高柳君の服裝は此日の來客中で尤も憐れなる服裝である。愛は贅澤である。美なるものゝ外《ほか》には存在の價値《かち》を認めぬ。女は猶更《なほさら》に價値《かち》を認めぬ。
 夫婦が高柳君と顔を見合せた時、夫婦共「是は」と思つた。高柳君が夫婦と顔を見合せた時、同じく「是は」と思つた。
 世の中は「是は」と思つた時、引き返せぬものである。高柳君は蹌踉《さうらう》として進んでくる。夫婦の胸にはつときざした「是は」は、すぐと愛の光りに姿をかくす。
 「やあ、よく來てくれた。あまり遅いから、どうしたかと思つて心配してゐた所だつた」僞《いつは》りもない事實である。只「是は」と思つた事|丈《だけ》を略した迄である。
 「早く來《こ》やうと思つたが、つい用があつて……」是も事實である。けれども矢張り「是は」が略されてゐる。人間の交際にはいつでも「是は」が略される。略された「是は」が重なると、喧嘩なしの絶交となる。親しき夫婦、親しき朋友が、腹のなかの「是は、是は」でなし崩しに愛想《あいそ》をつかし合つてゐる。
 「是が妻《さい》だ」と引き合はせる。一人坊つちに美しい妻君を引き合はせるのは好意より出た罪惡である。愛の光りを浴びたものは、嬉しさがはびこつて、そんな事に頓着《とんぢやく》はない。
 何にも云はぬ細君は只しとやかに頭を下げた。高柳君はぼんやりしてゐる。
 「さあ、あちらへ――僕も一所に行かう」と歩を運《めぐ》らす。十間|許《ばか》りあるくと、夫婦はすぐ胡麻塩《ごましほ》おやぢにつらまつた。
 「や、どうもみごとな御庭ですね。かう廣くはあるまいと思つてたが――いえ始めてゞ。おとつさんから時々御招きはあつたが、いつでも折惡しく用事があつて――どうも、よく御手入れが屆いて、實に結構ですね……」
と胡麻塩《ごましほ》はのべつに述べたてゝ容易に動かない。所へ又二三人がやつてくる。
 「結構だ」「何坪ですかな」「私も年來|此邊《このへん》を心掛けて居りますが」抔《など》と新夫婦を取り捲いて仕舞ふ。高柳君は憮然《ぶぜん》として中心をはづれて立つてゐる。
 すると向《むか》ふから、襷《たすき》がけの女が駈けて來て、いきなり塩瀬《しほぜ》の五《いつ》つ紋《もん》をつらまへた。
 「さあ、入らつしやい」
 「入らつしやいたつて、もうほかで御馳走になつちまつたよ」
 「ずるいわ、あなたは、他《ひと》に此程《これほど》馳《か》けずり廻らせて」
 「旨いものも、ない癖に」
 「あるわよ、あなた。まあいゝから入らつしやいてえのに」とぐい/\引つ張る。塩瀬《しほぜ》は羽織が大事だから引かれながら行く、途端に高柳君に突き當つた。塩瀬は一寸驚ろいて振り向いた迄は、粗忽《そこつ》をして恐れ入つたと云ふ面相《めんさう》をしてゐたが、高柳君の顔から服裝を見るや否や、急に表情を變へた。
 「やあ、こりや」と上からさげすむ樣に云つて、然《しか》も立つて見てゐる。
 「入らつしやいよ。いゝから入らつしやいよ。構はないでも、いゝから入らつしやいよ」と女は高柳君を後目《しりめ》にかけたなり塩瀬を引つ張つて行く。
 高柳君はぽつ/\歩き出した。若夫婦は遙《はる》かあなたに遮《さへぎ》られて一所にはなれぬ。芝生《しばふ》の眞中《まんなか》に長い天幕《テント》を張る。中を覗いて見たら、暗い所に大きな菊の鉢がならべてある。今頃こんな菊がまだあるかと思ふ。白い長い花辯が中心から四方へ數百片延び盡して、延び盡した端から又隨意に反《そ》り返りつゝ、あらん限りの狂態を演じてゐるのがある。脊筋の通つた黄な片《ひら》が中へ中へと抱き合つて、眞中に大切なものを守護する如く、こんもりと丸くなつたのもある。松の鉢も見える。玻璃盤《はりばん》に堆《うづた》かく林檎を盛つたのが、白い卓布《たくふ》の上に鮮やかに映る。林檎の頬が、暗きうちにも光つてゐる。蜜柑を盛つた大皿もある。傍《そば》でけら/\と笑ふ聲がする。驚ろいて振り向くと、しるくはつとを被《かぶ》つた二人の若い男が、二人共|相好《さうがう》を崩してゐる。
 「妙だよ。實に」と一人が云ふ。
 「珍だね。全く田舍者なんだよ」と一人が云ふ。
 高柳君は凝《ぢつ》と二人を見た。一人は胸開《むねあき》の狹い。模樣のある胴衣《ちよつき》を着て、右手の親指を胴衣《ちよつき》のぽつけつとへ突き込んだ儘|肘《ひぢ》を張つて居る。一人は細い杖に言譯《いひわけ》程に身をもたせて、護謨《ゴム》びき靴の右の爪先を、竪《たて》に地に突いて、左足一本で細長いからだの中心を支へてゐる。
 「丸で給仕人《ウエーター》だ」と一本足が云ふ。
 高柳君は自分の事を云ふのかと思つた。すると色胴衣《いろちよつき》が
 「本當にさ。園遊會に燕尾服《えんびふく》を着てくるなんて――洋行しないだつて其位な事はわかりさうなものだ」と相鎚《あひづち》を打つてゐる。向《むか》ふを見ると成程|燕尾服《えんびふく》がゐる。しかも二人かたまつて、何か話をしてゐる。同類相集まると云ふ譯だらう。高柳君はようやくあれを笑つてるのだなと氣がついた。然し何故《なぜ》燕尾服が園遊會に適しないかは到底想像がつかなかつた。
 芝生の行《い》き當《あた》りに葭簀掛《よしずが》けの踊舞臺《をどりぶたい》があつて、何かしきりにやつてゐる。正面は紅白《こうはく》の幕で庇《ひさし》をかこつて、奧には赤い毛氈《まうせん》を敷いた長い臺がある。其上に三味線を抱《かゝ》えた女が三人、抱えないのが二人並んでゐる。彈《ひ》くものと唄ふものと分業にしたのである。舞臺の眞中に金紙《きんがみ》の烏帽子《えぼし》を被つて、眞白に顔を塗りたてた女が、棹《さを》の樣なものを持つたり、落したり、舞扇を開いたり、つぼめたり、長い赤い袖を翳《かざ》したり、翳《かざ》さなかつたり、何でもしきりに身振《しな》をしてゐる。半紙に墨黒々と朝妻船《あさづまぶね》とかいて貼り出してあるから、大方《おほかた》朝妻船と云ふものだらうと高柳君はしばらく後《うし》ろの方から小《ちひ》さくなつて眺めて居た。
 舞臺を左へ切れると、御影《みかげ》の橋がある。橋の向《むかふ》の築山《つきやま》の傍手《わきて》には松が澤山ある。松の間から暖簾《のれん》の樣なものがちら/\見える。中で女がきゝと笑つてゐる。橋を渡りかけた高柳君は又引き返した。樂隊が一度に滿庭の空氣を動かして起る。
 そろ/\と天幕《テント》の所迄歸つて來る。今度は中を覗くのをやめにした。中は大勢でがや/\してゐる。入口へ回つて見ると人で埋《うづま》つて皿の音がしきりにする。若夫婦はどこに居るか見えぬ。
 しばらく樣子を窺つてゐると突然萬歳と云ふ聲がした。樂隊の音は消されて仕舞ふ。石橋の向ふで萬歳と云ふ返事がある。是は迷子《まひご》の萬歳である。高柳君はのそりと疳違《かんちがひ》をした客の樣に天幕《テント》のうちに這入つた。
 皿だけ高く差し上げて人と人の間を拔けて來たものがある。
 「さあ、御上んなさい。まだあるんだが人が込んでゝ容易に手が屆かない」と云ふ。高柳君は自分にくれるにしては目の見當が少し違ふと思つたら、後《うし》ろの方で「難有《ありがた》う」と云ふ涼しい聲がした。十七八の桃色縮緬《もゝいろちりめん》の紋付をきた令孃が皿をもらつた儘《まゝ》立つてゐる。
 傍に居た紳士が、天幕《テント》の隅から一脚の椅子を持つて來て、
 「さあ此上へ御乘せなさい」と令孃の前に据ゑた。高柳君は一間|許《ばか》り左へ進む。天幕《テント》の柱に倚《よ》りかゝつて洋服と和服が烟草《たばこ》をふかしてゐる。
 「葉卷はやめたのかい」
 「うん、頭にわるいさうだから――然しあれを呑《の》みつけると、何だね、紙卷は到底|呑《の》めないね。どんな好《い》い奴でも駄目だ」
 「そりや、價段《ねだん》丈《だけ》だから――一本三十錢と三錢とは比較にならないからな」
 「君は何を呑《の》むのだい」
 「是を一つやつて見玉へ」と洋服が鰐皮《わにがは》の烟草入から太い紙卷を出す。
 「成程エジプシアンか。是は百本五六圓するだらう」
 「安い割にはうまく呑《の》めるよ」
 「さうか――僕も紙卷でも始め樣か。是なら日に二十本|宛《づゝ》にしても二十圓位であがるからね」
 二十圓は高柳君の全収入である。此紳士は高柳君の全収入を烟《けむ》にする積りである。
 高柳君は又左へ四尺程進んだ。二三人話をしてゐる。
 「此間ね、野添《のぞへ》が例の人造肥料會社を起すので……」と頭の禿げた鼻の低い金齒を入れた男が云ふ。
 「うん。ありや當つたね。旨くやつたよ」と眞四角な色の黒い、烟草入の金具の樣な顔が云ふ。
 「君も賛成者のうちに名が見えたぢやないか」と胡麻塩頭《ごましほあたま》の最前《さいぜん》中野君を中途で強奪したおやぢが云ふ。
 「それさ」と今度は禿げの番である。「野添《のぞへ》が、どうです少し持つてくれませんかと云ふから、左樣《さやう》さ、わたしは今回はまあよしませうと斷はつたのさ。所が、まあ、さう云はずと、責《せ》めて五百株でも、實はもう貴所《あなた》の名前にしてあるんだからと云ふのさ、面倒だからいゝ加減に挨拶をして置いたら先生すぐ九州へ立つて行つた。夫《それ》から二週間程して社へ出ると書記が野添《のぞへ》さんの株が大變|上《あが》りました。五十圓株が六十五圓になりました。合計三萬二千五百圓になりましたと云ふのさ」
 「そりや豪勢だ、實は僕も少し持たうと思つてたんだが」と四角が云ふと
 「ありや實際意外だつた。あんなに、とん々々拍子にあがらうとは思はなかつた」と胡麻塩が頻りに胡麻塩頭を掻く。
 「もう少し踏み込んで澤山僕の名にして置けばよかつた」と禿は三萬二千五百圓以外に殘念がつてゐる。
 高柳君は恐る/\三人の傍《そば》を通り拔けた。若夫婦に逢つて挨拶して早く歸りたいと思つて、見廻はすと一番奧の方に二人は黒いフロツクと五色の袖に取り卷かれて、中々寄りつけさうもない。食卓は漸く人數《にんず》が減つた。然し殘つて居る食品は殆んどない。
 「近頃は出掛けるかね」と云ふ聲がする。仙臺平《せんだいひら》をずる/\地びたへ引きずつて白足袋《しろたび》に鼠緒《ねずを》の雪駄《せつた》をかすかに出した三十|恰好《がつかう》の男だ。
 「昨日|須崎《すさき》の種田家《たねだけ》の別莊へ招待されて鴨獵《かもれふ》をやつた」と五分刈の淺黒いのが答へた。
 「鴨にはまだ早いだらう」
 「もういゝね。十羽ばかり取つたがね。僕が十羽、大谷《おほたに》が七羽、加瀬《かせ》と山内《やまのうち》が八羽|宛《づゝ》」
 「ぢや君が一番か」
 「いゝや、齋藤は十五羽だ」
 「へえ」と仙臺平は感心して居る。
 同期の卒業生は多いなかに、たつた五六人しか見えん。しかもあまり親《した》しくないもの許《ばか》りである。高柳君は挨拶|丈《だけ》して別段話もしなかつたが、今となつて見ると何だか戀しい心持ちがする。どこぞに居りはせぬかと見廻したが影も見えぬ。ことによると歸つたかも知れぬ。自分も歸らう。
 主客《しゆかく》は一である。主《しゆ》を離れて客《かく》なく、客《かく》を離れて主はない。吾々が主客《しゆかく》の別を立てゝ物我《ぶつが》の境《きやう》を判然と分劃するのは生存上《せいそんじやう》の便宜である。形を離れて色なく、色を離れて形なき強ひて個別するの便宜、着想を離れて技巧なく技巧を離れて着想なきを暫く兩體となすの便宜と同樣である。一たび此差別を立《りつ》したる時|吾人は一の迷路に入る。只生存は人生の目的なるが故に、生存に便宜なる此迷路は入る事|愈《いよ/\》深くして出づる事|愈《いよ/\》難きを感ず。獨り生存の欲を一刻たりとも擺脱《はいだつ》したるときに此迷は破る事が出來る。高柳君は此欲を刹那も除去し得ざる男である。從つて主客を方寸に一致せしむる事のできがたき男である。主は主、客《かく》は客《かく》としてどこ迄も膠着《かうちやく》するが故に、一たび優勢なる客《かく》に逢ふとき、八方より無形の太刀を揮《ふる》つて、打ちのめさるゝが如き心地がする。高柳君は此園遊會に於て孤軍重圍《こぐんぢゆうゐ》のうちに陷つたのである。
 蹌踉《さうらう》としてアーチを潜《くゞ》つた高柳君は又|蹌踉《さうらう》としてアーチを出《いで》ざるを得ぬ。遠くから振り返つて見ると青い杉の環《わ》の奧の方に天幕《テント》が小さく映つて、幕のなかゝら、奇麗な着物がかたまつてあらはれて來た。あのなかに若い夫婦も交つてるのであらう。
 夫婦の方では高柳をさがして居る。
 「時に高柳はどうしたらう。御前あれから逢つたかい」
 「いゝえ。あなたは」
 「おれは逢はない」
 「もう御歸りになつたんでせうか」
 「さうさ、――然し歸るなら、ちつとは歸る前に傍《そば》へ來て話でもしさうなものだ」
 「なぜ皆さんの居らつしやる所へ出て入らつしやらないのでせう」
 「損だね、あゝ云ふ人は。あれで一人ぢや矢つ張り不愉快なんだ。不愉快なら出てくればいゝのに猶々《なほ/\》引き込んで仕舞ふ。氣の毒な男だ」
 「折角愉快にしてあげやうと思つて、御招きするのにね」
 「今日は格別色がわるかつたやうだ」
 「屹度《きつと》御病氣ですよ」
 「やつぱり一人坊つちだから、色が惡いのだよ」
 高柳君は徃來をあるきながら、ぞつと惡寒《をかん》を催した。
     十
 
 道也先生長い顔を長くして煤竹《すゝだけ》で圍《かこ》つた丸火桶《まるひをけ》を擁《よう》してゐる。外を木枯《こがらし》が吹いて行く。
 「あなた」と次の間《ま》から妻君が出てくる。紬《つむぎ》の羽織の襟が折れてゐない。
 「何だ」とこつちを向く。机の前に居りながら、終日《しゆうじつ》木枯に吹き曝《さら》されたかの如くに見える。
 「本は賣れたのですか」
 「まだ賣れないよ」
 「もう一ケ月も立てば百や貮百の金は這入る都合だと仰しやつたぢやありませんか」
 「うん言つた。言つたには相違ないが、賣れない」
 「困るぢや御座んせんか」
 「困るよ。御前よりおれの方が困る。困るから今考へてるんだ」
 「だつて、あんなに骨を折つて、三百枚も出來てるものを――」
 「三百枚どころか四百三十五頁ある」
 「それで、どうして賣れないんでせう」
 「矢つ張り不景氣なんだらうよ」
 「だらうよぢや困りますわ。どうか出來ないでせうか」
 「南溟堂《なんめいだう》へ持つて行つた時には、有名な人の御序文があればと云ふから、夫《それ》から足立《あだち》なら大學ヘ授だから、よからうと思つて、足立にたのんだのさ。本も借金と同じ事で保證人がないと駄目だぜ」
 「借金は借りるんだから保證人も入るでせうが――」と妻君頭のなかへ人指《ひとさし》ゆびを入れてぐい/\掻く。束髪《そくはつ》が搖《ゆ》れる。道也は其頭を見てゐる。
 「近頃の本は借金同樣だ。信用のないものは連帶責任でないと出版が出來ない」
 「本當につまらないわね。あんなに夜遅く迄かゝつて」
 「そんな事は本屋の知らん事だ」
 「本屋は知らないでせうさ。然しあなたは御存じでせう」
 「ハヽヽヽ當人は知つてるよ。御前も知つてるだらう」
 「知つてるから云ふのでさあね」
 「言つて呉れても信用がないんだから仕方がない」
 「それでどうなさるの」
 「だから足立の所へ持つて行つたんだよ」
 「足立さんが書いてやると仰《おつしや》つて」
 「うん、書く樣な事を云ふから置いて來たら、又あとから書けないつて斷《こと》はつて來た」
 「何故《なぜ》でせう」
 「なぜだか知らない。厭なのだらう」
 「夫《それ》であなたは其儘にして御置きになるんですか」
 「うん、書かんのを無理に頼む必要はないさ」
 「でも夫《それ》ぢや、うちの方が困りますわ。此間|御兄《おあにい》さんに判を押して借りて頂いた御金ももう期限が切れるんですから」
 「おれも其方《そのはう》を埋《う》める積《つもり》で居たんだが――賣れないから仕方がない」
 「馬鹿々々しいのね。何の爲めに骨を折つたんだか、分りやしない」
 道也先生は火桶のなかの炭團《たどん》を火箸の先で突付《つつつ》きながら「御前から見れば馬鹿々々しいのさ」と云つた。妻君はだまつて仕舞ふ。ひゆう/\と木枯が吹く。玄關の障子の破れが紙鳶《たこ》のうなりの樣に鳴る。
 「あなた、何時《いつ》迄かうして入《い》らつしやるの」と細君は術《じゆつ》なげに聞いた。
 「何時《いつ》迄《まで》とも考はない。食へれば何時《いつ》迄《まで》かうしてゐたつていゝぢやないか」
 「二言目には食へれば/\と仰しやるが、今こそ、どうにかかうにかして行きますけれども、此分で押して行けば今に食《た》べられなくなりますよ」
 「そんなに心配するのかい」
 細君はむつとした樣子である。
 「だつて、あなたも、あんまり無考《むかんがへ》ぢや御座んせんか。樂に暮せるヘ師の口はみんな斷つて御仕舞なすつて、さうして何でも筆で食ふと頑固を御張りになるんですもの」
 「其通りだよ。筆で食ふ積《つもり》なんだよ。御前も其|積《つも》りにするがいゝ」
 「食べるものが食べられゝば私だつて其|積《つもり》になりますわ。私も女房ですもの、あなたの御好きで御遣りになる事をとや角《かく》云ふ樣な差し出口はきゝあしません」
 「それぢや、夫《それ》でいゝぢやないか」
 「だつて食べられないんですもの」
 「たべられるよ」
 「隨分ね、あなたも。現にヘ師をしてゐた方が樂《らく》で、今の方が餘つ程苦しいぢやありませんか。あなたは矢つ張りヘ師の方が御上手なんですよ。書く方は性に合はないんですよ」
 「よくそんな事がわかるな」
 細君は俯向《うつむ》いて、袂から鼻紙を出してちいんと鼻をかんだ。
 「私ばかりぢや、ありませんわ。御兄《おあにい》さんだつて、さう御仰《おつ》しやるぢやありませんか」
 「御前は兄の云ふ事をさう信用してゐるのか」
 「信用したつていゝぢやありませんか、御兄《おあにい》さんですもの、さうして、あんなに立派にして入らつしやるんですもの」
 「さうか」と云つたなり道也先生は火鉢の灰を丁寧に掻きならす。中から二寸釘が灰だらけになつて出る。道也先生は、曲つた眞鍮《しんちゆう》の火箸で二寸釘をつまみながら、片手に障子をあけて、ほいと庭先へ抛《はふ》り出した。
 庭には何にもない。芭蕉がずた/\切れて、茶色ながら立徃生をして居る。地面は皮が剥《む》けて、蓆《むしろ》を捲《ま》きかけた樣に反《そ》つくり返つてゐる。道也先生は庭の面《おもて》を眺めながら
 「大分《だいぶ》吹いてるな」と獨語《ひとりごと》の樣に云つた。
 「もう一遍《いつぺん》足立さんに願つて御覽になつたらどうでせう」
 「厭《いや》なものに頼んだつて仕方がないさ」
 「あなたは、夫《それ》だから困るのね。どうせ、あんな、豪《えら》い方《かた》になれば、すぐ、おいそれと書いて下さる事はないでせうから……」
 「あんな豪《えら》い方《かた》つて――足立がかい」
 「そりや、あなたも豪いでせうさ――然し向《むかふ》はとも角《かく》も大學校の先生ですから頭を下げたつて損はないでせう」
 「さうか、夫《それ》ぢや仰《おほせ》に從つて、もう一返《いつぺん》頼んで見やうよ。――時に何時《なんじ》かな。や、大變だ、一寸《ちよつと》社迄行つて、校正をしてこなければならない。袴を出してくれ」
 道也先生は例の如く茶《ちや》の千筋《せんすぢ》の嘉平治《かへいぢ》を木枯にぺらつかすべく一着して飄然《へうぜん》と出て行つた。居間の柱時計がぼん/\と二時を打つ。
 思ふ事積んでは崩す炭火《すみび》かなと云ふ句があるが、細君は恐らく知るまい。細君は道也先生の丸火桶の前へ來て、火桶の中を、丸《ま》るく掻きならしてゐる。丸い火桶だから丸く掻きならす。角な火桶なら角に掻きならすだらう。女は與へられたものを正しいものと考へる。其なかで差し當りのない樣に暮らすのを至善《しぜん》と心得てゐる。女は六角の火桶を與へられても、八角の火鉢を與へられても、六角に又八角に灰を掻きならす。それより以上の見識は持たぬ。
 立つても居らぬ、坐つても居らぬ、細君の腰は宙に浮いて、膝頭は火桶の縁《ふち》につき付けられてゐる。坐《す》はるには所を得ない、立つては考へられない。細君の姿勢は中途半把《ちゆうとはんぱ》で、細君の心も中途半把である。
 考へると嫁に來たのは間違つてゐる。娘のうちの方が、いくら氣樂で面白かつたか知れぬ。人の女房はこんなものと、誰かヘへてくれたら、來ぬ前によす筈であつた。親でさへ、あれ程に親切を盡してくれたのだから、二世《にせ》の契《ちぎ》りと掟《おきて》にさへ出て居る夫は、二重にも三重にも可愛《かはい》がつてくれるだらう、又可愛がつて下さるよと受合はれて、住み馴れた家《いへ》を今日限《けふかぎ》りと出た。今日限《けふかぎ》りと出た家《うち》へ二度とは歸られない。歸らうと思つてもおとつさんもお母《つか》さんも亡《な》くなつて仕舞つた。可愛がられる目的《あて》ははづれて、可愛がつてくれる人はもう此世に居ない。
 細君は赤い炭團《たどん》の、灰の皮を剥《む》いて、火箸の先で突《つ》つき始めた。炭火なら崩しても積む事が出來る。突付《つつつ》いた炭團《たどん》は壞《こは》れたぎり、丸い元の姿には歸らぬ。細君は此理を心得て居るだらうか。頻りに突付《つつつ》いてゐる。
 今から考へて見ると嫁に來た時の覺悟が間違つて居る。自分が嫁に來たのは自分の爲めに來たのである。夫の爲めと云ふ考はすこしも持たなかつた。吾が身が幸福になりたい許《ばか》りに祝言《しうげん》の盃もした。父、母も其《その》積《つもり》で高砂《たかさご》を聽いてゐたに違ない。思ふ事はみんなはづれた。此頃の模樣を父、母に話したら定めし道也はけしからぬと怒《おこ》るであらう。自分も腹の中では怒つてゐる。
 道也は夫の世話をするのが女房の役だと濟《す》ましてゐるらしい。それはこつちで云ひ度《たい》事である。女は弱いもの、年の足らぬもの、從つて夫の世話を受くべきものである。夫を世話する以上に、夫から世話されるべきものである。だから夫に自分の云ふ通りになれと云ふ。夫は决して聞き入れた事がない。家庭の生涯は寧ろ女房の生涯である。道也は夫の生涯と心得てゐるらしい。それだから治《をさ》まらない。世間の夫は皆道也の樣なものかしらん。みんな道也の樣だとすれば、この先結婚をする女は段々減るだらう。減らない所で見るとほかの旦那樣は旦那樣らしくして居るに違ない。廣い世界に自分一人がこんな思をしてゐるかと氣がつくと生涯の不幸である。どうせ嫁に來たからには出る譯には行かぬ。然し連れ添ふ夫がこんなでは、臨終迄本當の妻と云ふ心持ちが起らぬ。是はどうかせねばならぬ。どうにかして夫を自分の考へ通りの夫にしなくては生きて居る甲斐がない。――細君はかう思案しながら、火鉢をいぢくつて居る。風が枯芭蕉を吹き倒す程鳴る。
 表に案内がある。寒さうな顔を玄關の障子から出すと、道也の兄が立つてゐる。細君は「おや」と云つた。
 道也の兄は會社の役員である。其會社の社長は中野君のおやぢである。長い二重廻しを玄關へ脱いで座敷へ這入つてくる。
 「大分《だいぶ》吹きますね」と薄い更紗《サラサ》の上へ坐つて拔け上がつた額《ひたひ》を逆《さか》に撫《な》でる。
 「御寒いのによく」
 「えゝ、今日は社の方が早く引けたものだから……」
 「今御歸り掛けですか」
 「いえ、一旦《いつたん》うちへ歸つてね。それから出直して來ました。どうも洋服だと坐つてるのが窮屈で……」
 兄は糸織《いとおり》の小袖《こそで》に鐵御納戸《てつおなんど》の博多《はかた》の羽織を着てゐる。
 「今日《けふ》は――留守ですか」
 「はあ、只《たつた》今《いま》しがた出ました。おつゝけ歸りませう。どうぞ御緩《ごゆつ》くり」と例の火鉢を出す。
 「もう御構《おかまひ》なさるな。――どうも中々寒い」と手を翳《かざ》す。
 「段々押し詰りまして嘸《さぞ》御忙がしう、入《い》らつしやいませう」
 「へ、難有《ありがた》う。毎年暮になると大頭痛、ハヽヽヽ」と笑つた。世の中の人は可笑《をか》しい時ばかり笑ふものではない。
 「でも御忙《おいそが》がしいのは結構で……」
 「え、まあ、どうか、かうか遣つてるんです。――時に道也は矢張り不相變《あひかはらず》ですか」
 「難有《ありがた》う。この方は只《たゞ》忙がしい許《ばか》りで……」
 「結構でないかね。ハヽヽヽ。どうも困つた男ですねえ、御政《おまさ》さん。あれ程譯がわからないと迄は思はなかつたが」
 「どうも御心配ばかり懸けまして、私も色々申しますが、女の云ふ事だと思つて些《ちつ》とも取り上げませんので、まことに困り切ります」
 「さうでせう、私《わたし》の云ふ事だつて聞かないんだから。――わたしも傍《そば》に居るとつい氣になるから、つい兎《と》や角《かく》云ひたくなつてね」
 「御尤もで御座いますとも。みんな當人の爲めに仰しやつて下さる事ですから……」
 「田舍にゐりや、夫《それ》迄《まで》ですが、こつちに斯うしてゐると、當人の氣に入つても、入らなくつても、矢つ張り兄の義務でね。つい云ひ度《たく》なるんです。――すると些《ちつ》とも寄りつかない。全く變人だね。大人《おとな》しくしてヘ師をしてゐりや夫《それ》迄《まで》の事を、どこへ行つても衝突して……」
 「あれが全く心配で、私もあの爲めには、どんなに苦勞したか分りません」
 「さうでせうとも。わたしも、それやよく御察し申してゐるんです」
 「難有《ありがた》う御座います。色々御厄介に許《ばか》りなりまして」
 「東京へ來てからでも、こんな苦《く》だらん事をしないでも、どうにでも成るんでさあ。それを折角云つてやると、丸《まる》で取り合はない。取り合はないでもいゝから、自分|丈《だけ》立派に遣つて行けばいゝ」
 「それを私も申すので御座んすけれども」
 「いざとなると、矢つ張りどうかして呉れと云ふんでせう」
 「まことに御氣の毒さまで……」
 「いえ、あなたに何も云ふ積《つもり》はない。當人がさ。丸《まる》で無鐵砲ですからね。大學を卒業して七八年にもなつて筆耕《ひつかう》の眞似をしてゐるものが、どこの國にゐるものですか。あれの友達の足立なんて人は大學の先生になつて立派にしてゐるぢやありませんか」
 「自分|丈《だけ》はあれで中々えらい積《つも》りで居りますから」
 「ハヽヽヽえらい積《つもり》だつて。いくら一人でえらがつたつて、人が相手にしなくつちや仕樣がない」
 「近頃は少しどうかして居るんぢやないかと思ひます」
 「何とも云へませんね。――何でもしきりに金持やなにかを攻撃するさうぢやありませんか。馬鹿ですねえ。そんな事をしたつて、どこが面白い。一文にやならず、人からは擯斥《ひんせき》される。つまり自分の錆《さび》になる許《ばか》りでさあ」
 「少しは人の云ふ事でも聞いて呉れるといゝんですけれども」
 「仕舞《しまひ》にや人に迄迷惑をかける。――實はね、けふ社で以て赤面しちまつたんですがね。課長が私《わたし》を呼んで聞けば君の弟ださうだが、あの白井道也とか云ふ男は無暗に不穩《ふをん》な言論をして富豪|抔《など》を攻撃する。よくない事だ。ちつと君から注意したらよからうつて、散々《さん/”\》叱られたんです」
 「まあどうも。どうしてそんな事が知れましたんでせう」
 「そりや、會社なんてものは、夫々《それ/”\》探偵が屆きますからね」
 「へえ」
 「なに道也なんぞが、何をかいたつて、あんな地位のないものに世間が取り合ふ氣遣はないが、課長からさう云はれて見ると、放《はふ》つて置けませんからね」
 「御尤もで」
 「それで實は今日《けふ》は相談に來たんですがね」
 「生憎《あいにく》出まして」
 「なに當人は居ない方が反《かへ》つていゝ。あなたと相談さへすればいゝ。――で、わたしも今途中で段々考へて來たんだが、どうしたものでせう」
 「あなたから、篤《とく》と異見《いけん》でもして頂いて、又ヘ師にでも奉職したら、どんなもので御座いませう」
 「さうなればいゝですとも。あなたも仕合せだし、わたしも安心だ。――然し異見でおいそれと、云ふ通りになる男ぢやありませんよ」
 「さうで御座んすね。あの樣子ぢや、とても駄目で御座いませうか」
 「わたしの鑑定ぢや、到底《たうてい》駄目だ。――夫《それ》でこゝに一つの策があるんだが、どうでせう當人の方から雜誌や新聞をやめて、ヘ師になりたいと云ふ氣を起させる樣にするのは」
 「さうなれば私は實に難有《ありがた》いのですが、どうしたら、さう旨い具合に參りませう」
 「あの此間中《このあひだぢゆう》當人が頻りに書いてゐた本はどうなりました」
 「まだその儘になつて居ります」
 「まだ賣れないですか」
 「賣れる所《どころ》ぢや御座いません。どの本屋もみんな斷はりますさうで」
 「さう。それが賣れなけりや反《かへ》つて結構だ」
 「え?」
 「賣れない方がいゝんですよ。――で、先達てわたしが周旋した百圓の期限はもうぢきでせう」
 「慥《たし》か此月の十五日だと思ひます」
 「今日《けふ》が十一日だから。十二、十三、十四、十五、ともう四日《よつか》ですね」
 「えゝ」
 「あの方を手嚴《てきび》しく催促させるのです。――實はあなただから、今打ち明けて御話しするが、あれは、わたしが印を押して居る體《たい》にはなつてゐるが本當はわたしが融通したのです。――さうしないと當人が安心していけないから。――それであの方を今云ふ通り責める――何かほかに工面の出來る所がありますか」
 「いゝえ、些《ちつ》とも御座いません」
 「ぢや大丈夫、其方で段々責めて行く。――いえ、わたしは黙つて見てゐる。證文の上の貸手が催促に來るのです。あなたも濟《すま》してゐなくつちやいけません。――何を云つても冷淡に濟《す》ましてゐなくつちやいけません。决してこちらから、一言《ひとこと》も云はないのです。――それで當人いくら頑固だつて苦しいから、又、わたしの方へ頭を下げて來る。云へ來なけりやならないです。其、頭を下げて來た時に、取つて抑へるのです。いゝですか。さうたよつて來るなら、おれの云ふ事を聞くがいゝ。聞かなければおれは構はん。と云ひやあ、向《むかふ》でも否《いや》とは云はれんです。そこでわたしが、御政《おまさ》さんだつて、あんなに苦勞してやつて居る。雜誌なんかで法螺《ほら》許《ばか》り吹き立てゝ居たつて始まらない、是から性根《しやうね》を入れ易《か》へて、もつと着實な世間に害のない樣な職業をやれ、ヘ師になる氣なら心當りを奔走《ほんそう》してやらう、と持ち懸けるのですね。――さうすれば屹度《きつと》我々の思はく通りになると思ふが、どうでせう」
 「さうなれば私はどんなに安心が出來るか知れません」
 「やつて見ませうか」
 「何分宜しく願います」
 「ぢや、それは極つたと。そこでもう一つあるんですがね。今日《けふ》社の歸りがけに、神田を通つたら清輝館《せいきくわん》の前に、大きな廣告があつて、わたしは吃驚《びつくり》させられましたよ」
 「何の廣告で御座んす」
 「演説の廣告なんです。――演説の廣告はいゝが道也が演説をやるんですぜ」
 「へえ、些《ちつ》とも存じませんでした」
 「夫《それ》で題が大きいから面白い、現代の青年に告ぐと云ふんです。まあ何の事やら、あんなものゝ云ふ事を聞きにくる青年もなさゝうぢやありませんか。然し劔呑《けんのん》ですよ。やけになつて何を云ふか分らないから。わたしも課長から忠告された矢先だから、すぐ社へ電話をかけて置いたから、まあ好《い》いですが、何なら、やらせ度《たく》ないものですね」
 「何の演説をやる積《つも》りで御座んせう。そんな事をやると又|人樣《ひとさま》に御迷惑がかゝりませうね」
 「どうせ又過激な事でも云ふのですよ。無事に濟めばいゝが、つまらない事を云はうものなら取つて返しがつかないからね。――どうしても已《や》めさせなくつちや、いけないね」
 「どうしたら已《や》めるで御座んせう」
 「是もよせつたつて、頑固だから、よす氣遣はない。やつぱり欺《だま》すより仕方がないでせう」
 「どうして欺《だま》したらいゝでせう」
 「さうさ。あした時刻にわたしが急用で逢ひたいからつて使をよこして見ませうか」
 「さうで御座んすね。それで、あなたの方へ參る樣だと宜しう御座いますが……」
 「聞かないかも知れませんね。聞かなければ夫《それ》迄《まで》さ」
 初冬《はつふゆ》の日はもう暗くなりかけた。道也先生は風のなかを歸つてくる。
 
     十一
 
 今日も亦《また》風が吹く。汁氣《しるけ》のあるものを悉《こと/”\》く乾鮭《からさけ》にする積りで吹く。
 「御兄《おあにい》さんの所から御使です」と細君が封書を出す。道也は坐つた儘、體《たい》をそらして受け取つた。
 「待つてるかい」
 「えゝ」
 道也は封を切つて手紙を讀み下す。やがて、終りから卷き返して、再び?袋のなかへ収めた。何にも云はない。
 「何か急用でゞでも御座んすか」
 道也は「うん」と云ひながら、墨を磨《す》つて、何かさら/\と返事を認《したゝ》めてゐる。
 「何の御用ですか」
 「えゝ? 一寸待つた。書いて仕舞ふから」
 返事は僅か五六行である。宛名《あてな》をかいて、「是を」と出す。細君は下女を呼んで渡してやる。自分は動かない。
 「何の御用なんですか」
 「何の用かわからない。只《たゞ》、用があるから、すぐ來てくれとかいてある」
 「入《い》らつしやるでせう」
 「おれは行かれない。なんならお前行つて見てくれ」
 「私が? 私は駄目ですわ」
 「なぜ」
 「だつて女ですもの」
 「女でも行かないよりいゝだらう」
 「だつて。あなたに來いと書いてあるんでせう」
 「おれは行かれないもの」
 「どうして?」
 「是から出掛けなくつちやならん」
 「雜誌の方なら、一日|位《ぐらゐ》御休みになつてもいゝでせう」
 「編輯ならいゝが、今日は演説をやらなくつちやならん」
 「演説を? あなたがですか?」
 「さうよ、おれがやるのさ。そんなに驚ろく事はなからう」
 「こんなに風が吹くのに、よしになさればいゝのに」
 「ハヽヽヽ風が吹いて已《や》める樣な演説なら始めからやりやしない」
 「ですけれども滅多《めつた》な事はなさらない方がよござんすよ」
 「滅多な事とは。何がさ」
 「いゝえね。あんまり演説なんかなさらない方が、あなたの得《とく》だと云ふんです」
 「なに得《とく》な事があるものか」
 「あとが困るかも知れないと申すのです」
 「妙な事を云ふね御前は。――演説をしちやいけないと誰か云つたのかね」
 「誰がそんな事を云ふものですか。――云ひやしませんが、御兄《おあにい》さんからかうやつて、急用だつて、御使が來てゐるんですから行つて上げなくつては義理がわるいぢやありませんか」
 「それぢや演説を已《や》めなくつちやならない」
 「急に差支が出來たつて斷《こと》はつたらいゝでせう」
 「今更そんな不義理が出來るものか」
 「では御兄さんの方へは不義理をなすつても、いゝと仰《おつし》やるんですか」
 「いゝとは云はない。然し演説會の方は前からの約束で――それに今日の演説は只《たゞ》の演説ではない。人を救ふ爲めの演説だよ」
 「人を救ふつて、誰を救ふのです」
 「社のもので、此間の電車事件《でんしやじけん》を煽動《せんどう》したと云ふ嫌疑で引つ張られたものがある。――所が其家族が非常な慘?に陷《おちい》つて見るに忍びないから、演説會をして其収入をそちらへ廻してやる計畫なんだよ」
 「そんな人の家族を救ふのは結構な事に相違ないでせうが、社會主義だなんて間違へられるとあとが困りますから……」
 「間違へたつて構はないさ。國家主義も社會主義もあるものか、只《たゞ》正しい道がいゝのさ」
 「だつて、もしあなたが、其人の樣になつたとして御覽なさい。私は矢つ張り、其人の奧さん同樣な、ひどい目に逢はなけりやならないでせう。人を御救ひなさるのも結構ですが、些《ちつ》とは私の事も考へて、やつて下さらなくつちや、あんまりですわ」
 道也先生はしばらく沈吟《ちんぎん》してゐたが、やがて、机の前を立ちながら「そんな事はないよ。そんな馬鹿な事はないよ。コ川政府の時代ぢやあるまいし」と云つた。
 例の袴を突つかけると支度は一分たゝぬうちに出來上つた。玄關へ出る。風は未だに強く吹いてゐる。道也先生の姿は風の中に消えた。
 清輝館《せいきくわん》の演説會は此風の中に開かれる。
 講演者は四名、聽衆は三百名足らずである。書生が多い。其中に文學士高柳周作がゐる。彼は此風の中を襟卷《えりまき》に顔を包んで咳をしながらやつて來た。十錢の入場料を拂つて、二階に上《あが》つた時は、廣い會場はまばらに席をあまして寧ろ寂寞《せきばく》の感があつた。彼は南側の可成《なるべく》暖かさうな所に席をとつた。演説は既に始まつてゐる。
 「……文士保護は獨立しがたき文士の言ふ事である。保護とは貴族的時代に云ふべき言葉で、個人平等の世に之を云々するのは耻辱の極《きよく》である。退いて保護を受くるより進んで自己に適當なる租税を天下から拂はしむべきである」と云つたと思つたら、引き込んだ。聽衆は喝采する。隣りに薩摩絣《さつまがすり》の羽織を着た書生が居て話して居る。
 「今のが、黒田東陽《くろだとうやう》か」
 「うん」
 「妙な顔だな。もつと話せる顔かと思つた」
 「保護を受けたら、もう少し顔らしくなるだらう」
 高柳君は二人を見た。二人も高柳君を見た。
 「おい」
 「何だ」
 「いやに睨《にら》めるぢやねえか」
 「おつかねえ」
 「こんだ誰の番だ。――見ろ/\出て來た」
 「いやに、ひよろ長いな。此風にどうして出て來たらう」
 ひよろながい道也先生は綿服《めんぷく》の儘《まゝ》壇上にあらはれた。かれは此風の中を金釘の如く直立して來たのである。から風に吹き曝されたる彼は、から/\の古瓢箪《ふるべうたん》の如くに見える。聽衆は一度に手をたゝく。手をたゝくのは必ずしも喝采の意と解すべからざる場合がある。獨り高柳君のみは肅然として襟を正した。
 「自己は過去と未來の連鎖《れんさ》である」
 道也先生の冒頭は突如として來た。聽衆は一寸|不意撃《ふいうち》を食つた。こんな演説の始め方はない。
 「過去を未來に送り込むものを舊派と云ひ、未來を過去より救ふものを新派と云ふのであります」
 聽衆は愈《いよ/\》惑《まど》つた。三百の聽衆のうちには、道也先生をひやかす目的を以て入場してゐるものがある。彼等に一|寸《すん》の隙《すき》でも與へれば道也先生は壇上に嘲殺《てうさつ》されねばならぬ。角力《すまふ》は呼吸《こきふ》である。呼吸を計らんでひやかせば反《かへ》つて自分が放《はふ》り出されるばかりである。彼等は蛇の如く鎌首《かまくび》を持ち上げて待構へてゐる。道也先生の眼中には道《みち》の一字がある。
 「自己のうちに過去なしと云ふものは、われに父母《ふぼ》なしと云ふが如く、自己のうちに未來なしと云ふものは、われに子を生む能力なしといふと一般である。わが立脚地はこゝに於て明瞭である。われは父母《ふぼ》の爲めに存在するか、われは子の爲めに存在するか、或はわれ其物を樹立せんが爲めに存在するか、吾人生存の意義は此三者の一を離るゝ事が出來んのである」
 聽衆は依然として、だまつてゐる。或は烟《けむ》に捲《ま》かれたのかも知れない。高柳君は成程と聽いてゐる。
 「文藝復興《ぶんげいふくこう》は大《だい》なる意味に於て父母の爲めに存在したる大時期である。十八世紀末のゴシツク復活も又大なる意味に於て父母の爲めに存在したる小時期である。同時にスコツト一派の浪漫派《らうまんは》を生まんが爲めに存在した時期である。即ち子孫の爲めに存在したる時期である。自己を樹立せんが爲めに存在したる時期の好例《かうれい》はエリザベス朝の文學である。個人に就て云へばイブセンである。メレジスである。ニイチエである。ブラウニングである。耶蘇ヘ徒《ヤソけうと》は基督《キリスト》の爲めに存在してゐる。基督《キリスト》は古《いにし》への人である。だから耶蘇ヘ徒《ヤソけうと》は父の爲めに存在してゐる。儒者《じゆしや》は孔子の爲めに生きてゐる。孔子も昔《いにし》への人である。だから儒者は父の爲めに生きてゐる。……」
 「もうわかつた」と叫ぶものがある。
 「中々わかりません」と道也先生が云ふ。聽衆はどつと笑つた。
 「袷《あはせ》は單衣《ひとへもの》の爲めに存在するですか、綿入の爲めに存在するですか。又は袷自身の爲めに存在するですか」と云つて、一應聽衆を見廻した。笑ふにはあまり、奇警《きけい》である。愼《つゝ》しむにはあまり飄《へう》きんである。聽衆は迷《まよ》ふた。
 「六《む》づかしい問題ぢや、わたしにもわからん」と濟《す》ました顔で云つて仕舞ふ。聽衆は又笑つた。
 「それはわからんでも差支ない。然し吾々は何の爲めに存在して居るか? 是は知らなくてはならん。明治は四十年立つた。四十年は短かくはない。明治の事業は是で一段落を告げた……」
 「ノー、ノー」と云ふものがある。
 「どこかでノー、ノーと云ふ聲がする。わたしは其人に賛成である。さう云ふ人があるだらうと思ふて待つて居たのである」
 聽衆は又笑つた。
 「いや本當に待つてゐたのである」
 聽衆は三たび鬨《とき》を揚げた。
 「私《わたし》は四十年の歳月を短かくはないと申した。成程住んで見れば長い。然し明治以外の人から見たら矢張り長いだらうか。望遠鏡の眼鏡《めがね》は一寸の直徑《ちょくけい》である。然し愛宕山《あたごやま》から見ると品川の沖が此一寸のなかに這入つて仕舞ふ。明治の四十年を長いと云ふものは明治のなかに齷齪《あくせく》してゐるものゝ云ふ事である。後世《こうせい》から見ればずつと縮まつて仕舞ふ。ずつと遠くから見ると一彈指《いちだんし》の間《かん》に過ぎん。――一彈指《いちだんし》の間《かん》に何が出來る」と道也はテーブルの上をとんと敲《たゝ》いた。聽衆は一寸驚ろいた。
 「政治家は一大事業をした積《つも》りで居る。學者も一大事業をした積《つもり》で居る。實業家も軍人もみんな一大事業をした積《つもり》で居る。した積《つもり》で居るがそれは自分の積《つも》りである。明治四十年の天地に首を突き込んで居るから、した積《つも》りになるのである。――一彈指《いちだんし》の間《かん》に何が出來る」
 今度は誰も笑はなかつた。
 「世の中の人は云ふてゐる。明治も四十年になる、まだ沙翁《さをう》が出ない、まだゲーテが出ない。四十年を長いと思へばこそ、そんな愚痴《ぐち》が出る。一彈指《いちだんし》の間《かん》に何が出る」
 「もうでるぞ」と叫んだものがある。
 「もうでるかも知れん。然し今迄に出て居らん事は確かである。――一言にして云へば」と句を切つた。滿場はしんとしてゐる。
 「明治四十年の日月《じつげつ》は、明治開化の初期である。さらに語《ご》を換へて之を説明すれば今日の吾人は過去を有《も》たぬ開化のうちに生息してゐる。從つて吾人は過去を傳ふべき爲めに生れたのではない。――時は晝夜《ちうや》を舍《す》てず流れる。過去のない時代はない。――諸君誤解してはなりません。吾人は無論過去を有してゐる。然し其過去は老耄《らうまう》した過去か、幼稚な過去である。則《のつ》とるに足るべき過去は何にもない。明治の四十年は先例のない四十年である」
 聽衆のうちにさうかなあと云ふ顔をしてゐる者がある。
 「先例のない社會に生れたもの程自由なものはない。余は諸君が此先例のない社會に生れたのを深く賀するものである」
 「ひや、/\」と云ふ聲が所々《しよ/\》に起る。
 「さう早合點《はやがてん》に賛成されては困る。先例のない社會に生れたものは、自から先例を作らねばならぬ。束縛のない自由を享《う》けるものは、既に自由の爲めに束縛されて居る。此自由を如何に使ひこなすかは諸君の權利であると同時に大《だい》なる責任である。諸君。偉大なる理想を有せざる人の自由は墮落であります」
 言ひ切つた道也先生は、兩手を机の上に置いて滿場を見廻した。雷《らい》が落ちた樣な氣合《けはひ》である。
 「個人に就て論じてもわかる。過去を顧みる人は半白《はんぱく》の老人である。少壯の人に顧みるべき過去はない筈である。前途に大《だい》なる希望を抱くものは過去を顧みて戀々《れん/\》たる必要がないのである。――吾人が今日生きて居る時代は少壯の時代である。過去を顧みる程に老い込んだ時代ではない。政治に伊藤侯や山縣侯を顧みる時代ではない。實業に澁澤男や岩崎男を顧みる時代ではない。……」
 「大氣?《だいきえん》」と評したのは高柳君の隣りに居た薩摩絣《さつまがすり》である。高柳君はむつとした。
 「文學に紅葉氏一葉氏を顧みる時代ではない。是等の人々は諸君の先例になるが爲めに生きたのではない。諸君を生む爲めに生きたのである。最前《さいぜん》の言葉を用ゐれば是等の人々は未來の爲めに生きたのである。子の爲めに存在したのである。而して諸君は自己の爲めに存在するのである。――およそ一時代にあつて初期の人は子の爲めに生きる覺悟をせねばならぬ。中期の人は自己の爲めに生きる決心が出來ねばならぬ。後期の人は父の爲めに生きるあきらめをつけなければならぬ。明治は四十年立つた。まづ初期と見て差支なからう。すると現代の青年たる諸君は大《おほい》に自己を發展して中期をかたちづくらねばならぬ。後《うしろ》を顧みる必要なく、前を氣遣ふ必要もなく、只《たゞ》自我を思《おもひ》の儘に發展し得る地位に立つ諸君は、人生の最大愉快を極《きは》むるものである」
 滿場は何となくどよめき渡つた。
 「なぜ初期のものが先例にならん? 初期は尤も不秩序の時代である。偶然の跋扈《ばつこ》する時代である。僥倖《げうかう》の勢《いきほひ》を得る時代である。初期の時代に於て名を揚げたるもの、家を起したるもの、財を積みたるもの、事業をなしたるものは必ずしも自己の力量に由つて成功したとは云はれぬ。自己の力量によらずして成功するは士の尤も耻辱とする所である。中期のものは此點に於て遙《はる》かに初期の人々よりも幸福である。事を成すのが困難であるから幸福である。困難にも拘《かゝは》らず僥倖《げうかう》が少ないから幸福である。困難にも拘《かゝは》らず力量しだいで思ふ所へ行ける程の餘裕があり、發展の道があるから幸福である。後期に至るとかたまつて仕舞ふ。只《たゞ》前代を祖述《そじゆつ》するより外に身動きがとれぬ。身動きがとれなくなつて、人間が腐つた時、又|波瀾《はらん》が起る。起らねば化石《くわせき》するより外に仕樣がない。化石するのがいやだから、自から波瀾を起すのである。之を革命と云ふのである。
 「以上は明治の天下にあつて諸君の地位を説明したのである。かゝる愉快な地位に立つ諸君は此愉快に相當する理想を養はねばならん」
 道也先生は是《こゝ》に於て一轉語《いつてんご》を下した。聽衆は別にひやかす氣もなくなつたと見える。黙つてゐる。
 「理想は魂《たましひ》である。魂は形がないからわからない。只《たゞ》人の魂の、行爲に發現する所を見て髣髴《はうふつ》するに過ぎん。惜しいかな現代の青年は之を髣髴することが出來ん。之を過去に求めてもない、之を現代に求めては猶更《なほさら》ない。諸君は家庭に在つて父母を理想とする事が出來ますか」
 あるものは不平な顔をした。然しだまつてゐる。
 「學校に在つてヘ師を理想とする事が出來ますか」
 「ノー、ノー」
 「社會に在つて紳士を理想とする事が出來ますか」
 「ノー、ノー」
 「事實上諸君は理想を以《もつ》て居らん。家《いへ》に在つては父母を輕蔑し、學校に在つてはヘ師を輕蔑し、社會に出でゝは紳士を輕蔑してゐる。是等を輕蔑し得るのは見識《けんしき》である。然し是等を輕蔑し得る爲めには自己により大《だい》なる理想がなくてはならん。自己に何らの理想なくして他を輕蔑するのは墮落である。現代の青年は滔々《たう/\》として日に墮落しつゝある」
 聽衆は少しく色めいた。「失敬な」とつぶやくものがある。道也先生は昂然《かうぜん》として壇下を睥睨《へいげい》してゐる。
 「英國風を鼓吹《こすゐ》して憚《はゞ》からぬものがある。氣の毒な事である。己れに理想のないのを明かに暴露《ばくろ》して居る。日本の青年は滔々《たう/\》として墮落するにも拘《かゝ》はらず、未《いま》だ此所《こゝ》迄は墮落せんと思ふ。凡《すべ》ての理想は自己の魂である。うちより出《いで》ねばならぬ。奴隷《どれい》の頭腦に雄大な理想の宿りやうがない。西洋の理想に壓倒せられて眼がくらむ日本人はある程度に於て皆|奴隷《どれい》である。奴隷を以て甘んずるのみならず、爭つて奴隷たらんとするものに何等の理想が腦裏に醗酵《はつかう》し得る道理があらう。
 「諸君。理想は諸君の内部から湧き出なければならぬ。諸君の學問見識が諸君の血となり肉となり遂に諸君の魂となつた時に諸君の理想は出來上るのである。付燒刃《つけやきば》は何にもならない」
 道也先生はひやかされるなら、ひやかして見ろと云はぬ許《ばか》りに片手の拳骨《げんこつ》をテーブルの上に乘せて、立つて居る。汚ない黒木綿の羽織に、べんべらの袴は最前程に目立たぬ。風の音がごうと鳴る。
 「理想のあるものは歩く可き道を知つてゐる。大《だい》なる理想のあるものは大なる道をあるく。迷子《まひご》とは違ふ。どうあつても此道をあるかねば已《や》まぬ。迷ひたくても迷へんのである。魂がこちら/\とヘへるからである。
 「諸君のうちには、どこ迄歩く積りだと聞くものがあるかも知れぬ。知れた事である。行ける所|迄《まで》行くのが人生である。誰しも自分の壽命を知つてるものはない。自分に知れない壽命は他人には猶更《なほさら》わからない。醫者を家業にする專門家でも人間の壽命を勘定する譯には行かぬ。自分が何歳《なんさい》迄生きるかは、生きたあとで始めて言ふ可き事である。八十歳迄生きたと云ふ事は八十歳迄生きた事實が證據立てゝくれねばならん。假定《たとひ》八十歳迄生きる自信があつて、其自信通りになる事が明瞭であるにしても、現に生きたと云ふ事實がない以上は誰も信ずるものはない。從つて言ふべきものでない。理想の黙示《もくじ》を受けて行くべき道を行くのも其通りである。自己がどれ程に自己の理想を現實にし得るかは自己自身にさへ計られん。過去がかうであるから、未來もかうであらうぞと臆測《おくそく》するのは、今迄生きて居たから、是からも生きるだらうと速斷する樣なものである。一種の山である。成功を目的にして人生の街頭に立つものは凡《すべ》て山師《やまし》である」
 高柳君の隣りに居た薩摩絣は妙な顔をした。
 「社會は修羅場《しゆらぢやう》である。文明の社會は血を見ぬ修羅場《しゆらぢやう》である。四十年|前《ぜん》の志士は生死《せいし》の間《あひだ》に出入《しゆつにふ》して維新の大業を成就した。諸君の冒すべき危險は彼等の危險より恐ろしいかも知れぬ。血を見ぬ修羅場は砲聲劔光《はうせいけんくわう》の修羅場《しゆらぢやう》よりも、より深刻に、より悲慘である。諸君は覺悟をせねばならぬ。勤王の志士以上の覺悟をせねばならぬ。斃《たふ》るゝ覺悟をせねばならぬ。太平の天地だと安心して、拱手《きようしゆ》して成功を冀《こひねが》ふ輩《はい》は、行くべき道に躓《つまづ》いて非業《ひごふ》に死したる失敗の兒《じ》よりも、人間の價値は遙かに乏しいのである。
 「諸君は道を行かんが爲めに、道を遮《さへ》ぎるものを追はねばならん。彼等と戰ふときに始めて、わが生涯の内生命《ないせいめい》に、勤王の諸士が敢てしたる以上の煩悶と辛慘《しんさん》とを見出《みいだ》し得るのである。――今日《けふ》は風が吹く。昨日《きのふ》も風が吹いた。此頃の天候は不穩《ふをん》である。然し胸裏《きようり》の不穩はこんなものではない」
 道也先生は、がたつく硝子窓《ガラスまど》を通して、徃來の方を見た。折から一陣の風が、會釋なく徃來の砂を捲き上げて、屋《や》の棟《むね》に突き當つて、虚空《こくう》を高く逃《のが》れて行つた。
 「諸君。諸君のどれ程に剛健なるかは、わたしには分らん。諸君自身にも知れぬ。只《たゞ》天下後世が證據だてるのみである。理想の大道《たいだう》を行き盡して、途上に斃るゝ刹那《せつな》に、わが過去を一瞥《いちべつ》のうちに縮め得て始めて合點《がてん》が行《ゆ》くのである。諸君は諸君の事業そのものに由《よ》つて傳へられねばならぬ。單に諸君の名に由《よ》つて傳へられんとするは輕薄である」
 高柳君は何となく極りがわるかつた。道也の輝やく眼が自分の方に注いで居る樣に思《おもは》れる。
 「理想は人によつて違ふ。吾々は學問をする。學問をするものゝ理想は何であらう」
 聽衆は黙然《もくねん》として應ずるものがない。
 「學問をするものゝ理想は何であらうとも――金でない事|丈《だけ》は慥《たし》かである」
 五六ケ所に笑聲が起る。道也先生の裕福《ゆうふく》ならぬ事は其服裝を見たものゝ心から取り除《の》けられぬ事實である。道也先生は羽織のゆきを左右の手に引つ張りながら、先づ徐《おもむ》ろにわが右の袖を見た。次に眼を轉じて又徐ろにわが左の袖を見た。黒木綿の織目《おりめ》のなかに砂が一杯たまつてゐる。
 「隨分きたない」と落ち付き拂つて云つた。
 笑聲《せうせい》が滿場に起《おこ》る。是はひやかしの笑聲ではない。道也先生はひやかしの笑聲を好意の笑聲で揉み潰したのである。
 「先達《せんだつ》て學問を專門にする人が來て、私《わたし》も妻《さい》をもらふて子が出來た。是から金を溜めねばならぬ。是非共子供に立派なヘ育をさせる丈《だけ》は今のうちに貯蓄して置かねばならん。然しどうしたら貯蓄が出來るでせうかと聞いた。
 「どうしたら學問で金がとれるだらうと云ふ質問程馬鹿氣た事はない。學問は學者になるものである。金になるものではない。學問をして金をとる工夫を考へるのは北極へ行つて虎狩をする樣なものである」
 滿場は又|一寸《ちよつと》どよめいた。
 「一般の世人は勞力と金の關係について大《だい》なる誤謬《ごびう》を有してゐる。彼等は相應の學問をすれば相應の金がとれる見込のあるものだと思ふ。そんな條理《でうり》は成立する譯がない。學問は金に遠ざかる器械である。金がほしければ金を目的にする實業家とか商買人になるがいゝ。學者と町人とは丸で別途の人間であつて、學者が金を豫期して學問をするのは、町人が學問を目的にして丁稚《でつち》に住み込む樣なものである」
 「さうかなあ」と突飛な聲を出す奴がゐる。聽衆はどつと笑つた。道也先生は平然として笑のしづまるのを待つてゐる。
 「だから學問のことは學者に聞かなければならん。金が欲しければ町人の所へ持つて行くより外に致し方はない」
 「金が欲しい」とまぜ返《か》へす奴が出る。誰だかわからない。道也先生は「欲しいでせう」と云つたぎり進行する。
 「學問即ち物の理がわかると云ふ事と生活の自由即ち金があると云ふ事とは獨立して關係のないのみならず、反《かへ》つて反對のものである。學者であればこそ金がないのである。金を取るから學者にはなれないのである。學者は金がない代りに物の理がわかるので、町人は理窟がわからないから、其代りに金を儲《まう》ける」
 何か云ふだらうと思つて道也先生は二十秒程|絶句《ぜつく》して待つてゐる。誰も何も云はない。
 「それを心得んで金のある所には理窟もあると考へてゐるのは愚《ぐ》の極《きよく》である。しかも世間一般はさう誤認してゐる。あの人は金持ちで世間が尊敬してゐるからして理窟もわかつてゐるに違ない、カルチユアーもあるに極つてゐると――かう考へる。所が其實はカルチユアーを受ける暇がなければこそ金をもうける時間が出來たのである。自然は公平なもので一人の男に金ももうけさせる、同時にカルチユアーも授けると云ふ程|贔屓《ひいき》にはせんのである。此見やすき道理も辯《べん》ぜずして、かの金持ち共は己惚《うぬぼ》れて……」
 「ひや、ひや」「燒くな」「しつ、しつ」大分《だいぶ》賑やかになる。
 「自分達は社會の上流に位して一般から尊敬されてゐるからして、世の中に自分|程《ほど》理窟に通じたものはない。學者だらうが、何だらうが己《おれ》に頭をさげねばならんと思ふのは憫然《びんぜん》の次第で、彼等がこんな考を起《おこ》す事自身がカルチユアーのないと云ふ事實を證明してゐる」
 高柳君の眼は輝やいた。血が双頬《さうけふ》に上《のぼ》つてくる。
 「譯のわからぬ彼等が己惚《うぬぼれ》は到底|濟度《さいど》すべからざる事とするも、天下社會から、彼等の己惚を尤もだと是認するに至つては愛想《あいそ》の盡きた不見識と云はねばならぬ。よく云ふ事だが、あの男もあの位な社會上の地位にあつて相應の財産も所有して居る事だから萬更そんな譯のわからない事もなからう。豈《あに》計《はか》らんやある場合には、そんな社會上の地位を得て相當の財産を有して居ればこそ譯がわからないのである」
 高柳君は胸の苦しみを忘れて、ひや/\と手を打つた。隣の薩摩絣はえへんと嘲弄的《てうろうてき》な咳拂《せきばらひ》をする。
 「社會上の地位は何できまると云へば――色々ある。第一カルチユアーで極《きま》る場合もある。第二|門閥《もんばつ》で極まる場合もある。第三には藝能《げいのう》で極る場合もある。最後に金できまる場合もある。而して是は尤も多い。かやうに色々の標準があるのを混同して、金で相場がきまつた男を學問で相場がきまつた男と相互に通用し得る樣に考へてゐる。ほとんど盲目《めくら》同然である」
 エヘン、エヘンと云ふ聲が散らばつて五六ケ所に起る。高柳君は口を結んで、鼻から呼吸《いき》をはづませてゐる。
 「金で相場の極まつた男は金以外に融通は利かぬ筈である。金はある意味に於て貴重かも知れぬ。彼等は此貴重なものを擁して居るから世の尊敬を受ける。よろしい。そこ迄は誰も異存はない。然し金以外の領分に於て彼等は幅《はゝ》を利《き》かし得る人間ではない、金以外の標準を以て社會上の地位を得る人の仲間入は出來ない。もしそれが出來ると云へば學者も金持ちの領分へ乘り込んで金錢本位の區域内で威張つても好《い》い譯になる。彼等はさうはさせぬ。然し自分|丈《だけ》は自分の領分内に大人しくして居る事を忘れて他の領分迄のさばり出《で》樣《やう》とする。それが物のわからない、好い證據である」
 高柳君は腰を半分浮かして拍手をした。人間は眞似が好《すき》である。高柳君に誘ひ出されて、ぱち/\の聲が四方に起る。冷笑黨は勢《いきほひ》の不可なるを知つて黙した。
 「金は勞力の報酬である。だから勞力を餘計にすれば金は餘計にとれる。こゝ迄は世間も公平である。(否是すらも不公平な事がある。相場師|抔《など》は勞力なしに金を攫《つか》んで居る)然し一歩進めて考へて見るが好《い》い。高等な勞力に高等な報酬が伴ふであらうか――諸君どう思ひます――返事がなければ説明しなければならん。報酬なるものは眼前の利害に尤も影響の多い事情|丈《だけ》で極められるのである。だから今の世でもヘ師の報酬は小商人《こあきんど》の報酬よりも少ないのである。眼前以上の遠い所高い所に勞力を費やすものは、いかに將來の爲めにならうとも、國家の爲めにならうとも、人類の爲めにならうとも報酬は愈《いよ/\》減ずるのである。だによつて勞力の高下《かうげ》では報酬の多寡はきまらない。金錢の分配は支配されて居らん。從つて金のあるものが高尚な勞力をしたとは限らない。換言すれば金があるから人間が高尚だとは云へない。金を目安《めやす》にして人物の價値《かち》をきめる譯には行かない」
 滔々《たう/\》として述べて來た道也は一寸こゝで切つて、滿場の形勢を觀望した。活版に押した演説は生命がない。道也は相手次第で、どうとも變はる積《つもり》である。滿場は思つたより靜かである。
 「それを金があるからと云ふて無暗にえらがるのは間違つてゐる。學者と喧嘩する資格があると思つてるのも間違つてゐる。氣品のある人々に頭を下げさせる積《つもり》でゐるのも間違つてゐる。――少しは考へても見るがいゝ。いくら金があつても病氣の時は醫者に降參しなければなるまい。金貨を煎《せん》じて飲む譯には行かない……」
 あまり熱心な滑稽なので、思はず噴き出したものが三四人ある。道也先生は氣がついた。
 「さうでせう――金貨を煎《せん》じたつて下痢《げり》はとまらないでせう。――だから御醫者に頭を下げる。其代り御醫者は――金に頭を下げる」
 道也先生はにや/\と笑つた。聽衆も大人しく笑ふ。
 「それで好《い》いのです。金に頭を下げて結構です――然し金持はいけない。醫者に頭を下げる事を知つてながら、趣味とか、嗜好とか、氣品とか人品とか云ふ事に關して、學問のある、高尚な理窟のわかつた人に頭を下げることを知らん。のみならず却つて金の力で、それ等の頭をさげさせ樣とする。――盲目《めくら》蛇《へび》に怖《お》ぢずとはよく云つたものですねえ」
と急に會話調になつたのは曲折《きよくせつ》があつた。
 「學問のある人、譯のわかつた人は金持が金の力で世間に利益を與ふると同樣の意味に於て、學問を以て、わけの分つた所を以て社會に幸福を與へるのである。だからして立場こそ違へ、彼等は到底|冒《をか》し得べからざる地位に確たる尻を据ゑて居るのである。
 「學者がもし金錢問題にかゝれば、自己の本領を棄てゝ他の繩張内《なはばりうち》に這入るのだから、金持ちに頭を下げるが順當であらう。同時に金以上の趣味とか文學とか人生とか社會とか云ふ問題に關しては金持ちの方が學者に恐れ入つて來なければならん。今、學者と金持の間に葛藤《かつとう》が起るとする。單に金錢問題ならば學者は初手《しよて》から無能力である。然しそれが人生問題であり、道コ問題であり、社會問題である以上は彼等金持は最初から口を開く權能のないものと覺悟をして絶對的に學者の前に服從しなければならん。岩崎は別莊を立て連らねる事に於て天下の學者を壓倒してゐるかも知れんが、社會、人生の問題に關しては小兒と一般である。十萬坪の別莊を市の東西南北に建てたから天下の學者を凹《へこ》ましたと思ふのは凌雲閣《りよううんかく》を作つたから仙人《せんにん》が恐れ入つたらうと考へる樣なものだ……」
 聽衆は道也の勢《いきほひ》と最後の一句の奇警《きけい》なのに氣を奪はれて黙つてゐる。獨り高柳君がたまらなかつたと見えて大きな聲を出して喝采《かつさい》した。
 「商人が金を儲ける爲めに金を使ふのは專門上の事で誰も容喙《ようかい》が出來ぬ。然し商買上に使はないで人事上に其力を利用するときは、譯のわかつた人に聞かねばならぬ。さうしなければ社會の惡を自《みづか》ら醸造《ぢやうざう》して平氣で居る事がある。今の金持の金のある一部分は常に此目的に向つて使用されて居る。それと云ふのも彼等自身が金《かね》の主《しゆ》である丈《だけ》で、他のコ、藝の主《しゆ》でないからである。學者を尊敬する事を知らんからである。いくらヘへても人の云ふ事が理解出來んからである。災《わざはひ》は必ず己《おの》れに歸る。彼等は是非共學者文學者の云ふ事に耳を傾けねばならぬ時期がくる。耳を傾けねば社會上の地位が保《たも》てぬ時期がくる」
 聽衆は一度にどつと鬨《とき》を揚《あ》げた。高柳君は肺病にも拘《かゝは》らず尤も大《おほい》なる鬨《とき》を揚《あ》げた。生れてから始めてこんな痛快な感じを得た。襟卷《えりまき》に半分顔を包んでから風のなかをこゝ迄來た甲斐はあると思ふ。
 道也先生は豫言者の如く凛《りん》として壇上に立つてゐる。吹きまくる木枯は屋《をく》を撼《うご》かして去る。
 
     十二
 
 「ちつとは、好《い》い方《はう》かね」と枕元へ坐る。
 六疊の座敷は、疊がほけて、とんと打つたら夜《よる》でも埃《ほこ》りが見えさうだ。宮島産の丸盆に藥瓶と驗温器《けんをんき》が一所に乘つてゐる。高柳君は演説を聞いて歸つてから、とう/\喀血《かくけつ》して仕舞つた。
 「今日は大分《だいぶ》いゝ」と床の上に起き返つて後《うしろ》から掻卷《かいまき》を脊の半分迄かけてゐる。
 中野君は大島紬《おほしまつむぎ》の袂から魯西亞皮《ロシアがは》の卷莨入《まきたばこいれ》を出しかけたが、
 「うん、烟草を飲《の》んぢや、わるかつたね」と又袂のなかへ落す。
 「なに構はない。どうせ烟草位で癒りやしないんだから」と憮然《ぶぜん》として居る。
 「さうでないよ。初が肝心《かんじん》だ。今のうち養生しないといけない。昨日《きのふ》醫者へ行つて聞いて見たが、なに心配する程の事もない。來たかい醫者は」
 「今朝來た。暖《あつた》かにしてゐろと云つた」
 「うん。暖《あつた》かにしてゐるがいゝ。此|室《へや》は少し寒いねえ」と中野君は侘《わび》し氣《げ》に四方《あたり》を見廻した。
 「あの障子なんか、宿の下女にでも張らしたらよからう。風が這入つて寒いだらう」
 「障子|丈《だけ》張つたつて……」
 「轉地でもしたらどうだい」
 「醫者もさう云ふんだが」
 「それぢや、行くがいゝ。今朝さう云つたのかね」
 「うん」
 「それから君は何と答へた」
 「何と答へるつたつて、別に答へ樣もないから……」
 「行けばいゝぢやないか」
 「行けばいゝだらうが、只《たゞ》はいかれない」
 高柳君は元氣のない顔をして、自分の膝頭《ひざがしら》へ眼を落した。瓦斯双子《ガスふたこ》の端《はじ》から鼠色のフラネルが二寸ばかり食《は》み出《だ》してる。寸法も取らず別々に仕立てたものだらう。
 「夫《それ》は心配する事はない。僕がどうかする」
 高柳君は潤《うるほひ》のない眼を膝から移して、中野君の幸福な顔を見た。此顔しだいで返答はきまる。
 「僕がどうかするよ。何《なん》だつて、そんな眼をして見るんだ」
 高柳君は自分の心が自分の兩眼《りやうがん》から、外を覗いてゐたのだなと急に氣が付いた。
 「君に金を借りるのか」
 「借りないでもいゝさ……」
 「貰ふのか」
 「どうでもいゝさ。そんな事を氣に掛ける必要はない」
 「借りるのはいやだ」
 「ぢや借りなくつてもいゝさ」
 「然し貰ふ譯には行かない」
 「六《む》づかしい男だね。何だつてそんなに八《や》ケ|釜《ま》しくいふのだい。學校に居る時分は、よく君の方から金を借せの、西洋料理を奢《おご》れのとせびつたぢやないか」
 「學校に居た時分は病氣なんぞありやしなかつたよ」
 「平生《ふだん》ですら、さうなら病氣の時は猶更《なほさら》だ。病氣の時に友達が世話をするのは、誰から云つたつて可笑《をか》しくはない筈だ」
 「そりや世話をする方から云へばさうだらう」
 「ぢや君は何か僕に對して不平な事でもあるのかい」
 「不平はないさ難有《ありがた》いと思つてる位だ」
 「夫《それ》ぢや心快《こゝろよ》く僕の云ふ事を聞いてくれてもよからう。自分で不愉快の眼鏡を掛けて世の中を見て、見られる僕等迄を不愉快にする必要はないぢやないか」
 高柳君はしばらく返事をしない。成程自分は世の中を不愉快にする爲めに生きてるのかも知れない。どこへ出ても好かれた事がない。どうせ死ぬのだから、なまじい人の情《なさけ》を恩に着るのは反《かへ》つて心苦しい。世の中を不愉快にする位な人間ならば、中野一人を愉快にしてやつたつて五十歩百歩だ。世の中を不愉快にする位な人間なら、又一日も早く死ぬ方がましである。
 「君の親切を無《む》にしては氣の毒だが僕は轉地なんか、したくないんだから勘辯《かんべん》してくれ」
 「又そんなわからずやを云ふ。かう云ふ病氣は初期が大切だよ。時期を失《しつ》すると取り返しが付かないぜ」
 「もう、とうに取り返しが付かないんだ」と山の上から飛び下りた樣な事を云ふ。
 「それが病氣だよ。病氣の所爲《せゐ》でさう悲觀するんだ」
 「悲觀するつて希望のないものは悲觀するのは當り前だ。君は必要がないから悲觀しないのだ」
 「困つた男だなあ」としばらく匙《さじ》を投げて、すいと起《た》つて障子をあける。例の梧桐《ごとう》が坊主の枝を眞直《まつすぐ》に空に向つて曝《さら》してゐる。
 「淋しい庭だなあ。桐が裸で立つてゐる」
 「この間|迄《まで》葉が着いてたんだが、早いものだ。裸の桐に月がさすのを見た事があるかい。凄い景色《けしき》だ」
 「さうだらう。――然し寒いのに夜《よ》る起きるのはよくないぜ。僕は冬の月は嫌《きらひ》だ。月は夏がいゝ。夏のいゝ月夜に屋根舟に乘つて、隅田川から綾瀬《あやせ》の方へ漕《こ》がして行つて銀扇《ぎんせん》を水に流して遊んだら面白いだらう」
 「氣樂《きらく》云つてらあ。銀扇《ぎんせん》を流すたどうするんだい」
 「銀泥《ぎんでい》を置いた扇を何本も舟へ乘せて、月に向つて投げるのさ。きら/\して奇麗だらう」
 「君の發明かい」
 「昔しの通人《つうじん》はそんな風流をして遊んださうだ」
 「贅澤《ぜいたく》な奴らだ」
 「君の机の上に原稿があるね。矢つ張り地理學ヘ授法か」
 「地理學ヘ授法はやめたさ。病氣になつて、あんなつまらんものがやれるものか」
 「ぢや何だい」
 「久しく書きかけて、夫《それ》なりにして置いたものだ」
 「あの小説か。君の一代の傑作か。愈《いよ/\》完成する積《つもり》なのかい」
 「病氣になると、猶《なほ》遣りたくなる。今迄はひまになつたらと思つてたが、もう夫《それ》迄《まで》待つちやゐられない。死ぬ前に是非書き上げないと氣が濟まない」
 「死ぬ前は過激な言葉だ。書くのは賛成だが、あまり凝《こ》ると却《かへ》つて身體《からだ》がわるくなる」
 「わるくなつても書けりやいゝが、書けないから殘念でたまらない。昨夜《ゆうべ》は續きを三十枚かいた夢を見た」
 「餘つ程書きたいのだと見えるね」
 「書きたいさ。是でも書かなくつちや何の爲めに生れて來たのかわからない。それが書けないと極《きま》つた以上は穀潰《ごくつぶ》し同然ださ。だから君の厄介に迄なつて、轉地するがものはないんだ」
 「夫《それ》で轉地するのがいやなのか」
 「まあ、さうさ」
 「さうか、夫《それ》ぢや分つた。うん、さう云ふ積《つもり》なのか」と中野君はしばらく考へてゐたが、やがて
 「それぢや、君は無意味に人の世話になるのが厭なんだらうから、そこの所を有意味《いういみ》にしやうぢやないか」と云ふ。
 「どうするんだ」
 「君の目下《もくか》の目的は、かねて腹案のある述作を完成しやうと云ふのだらう。だから夫《それ》を條件にして僕が轉地の費用を擔任しやうぢやないか。逗子《づし》でも鎌倉《かまくら》でも、熱海《あたみ》でも君の好《すき》な所へ徃つて、呑氣《のんき》に養生する。只人の金を使つて呑氣に養生する丈《だけ》では心が濟まない。だから療養かた/”\氣が向いた時に續きをかくさ。さうして身體《からだ》がよくなつて、作《さく》が出來上つたら歸つてくる。僕は費用を擔任した代り君に一大傑作を世間へ出して貰ふ。どうだい。夫《それ》なら僕の主意も立ち、君の望も叶《かな》ふ。一擧兩得ぢやないか」
 高柳君は膝頭を見詰めて考へてゐた。
 「僕が君の所へ、僕の作《さく》を持つて行けば、僕の君に對する責任は濟む譯なんだね」
 「さうさ。同時に君が天下に對する責任の一分《いちぶ》が濟む樣になるのさ」
 「ぢや、金を貰はう。貰ひつ放しに死んで仕舞ふかも知れないが――いゝや、まあ、死ぬ迄書いて見《み》樣《やう》――死ぬ迄書いたら書けない事もなからう」
 「死ぬ迄かいちや大變だ。暖かい相州邊へ行つて氣を樂《らく》にして、時々一頁二頁づつ書く――僕の條件に期限はないんだぜ、君」
 「うん、よし屹度《きつと》書いて持つて行く。君の金を使つて茫然《ばうぜん》として居ちや濟まない」
 「そんな濟むの濟まないのと考へてちやいけない」
 「うん、よし分つた。兎も角も轉地しやう。明日《あした》から行かう」
 「大分《だいぶ》早いな。早い方がいゝだらう。いくら早くつても構はない。用意はちやんと出來てるんだから」と懷中から七子《なゝこ》の三折《みつを》れの紙入を出して、中から一束の紙幣《しへい》をつかみ出す。
 「こゝに百圓ある。あとは又送る。是《これ》丈《だけ》あつたら當分はいゝだらう」
 「そんなに入るものか」
 「なに是《これ》丈《だけ》持つて行くがいゝ。實は是は妻《さい》の發議《ほつぎ》だよ。妻《さい》の好意だと思つて持つて行つてくれ玉へ」
 「それぢや、百圓|丈《だけ》持つて行くか」
 「持つて行くがいゝとも。折角包んで來たんだから」
 「ぢや、置いて行つて呉れ玉へ」
 「そこでと、ぢや明日《あす》立つね。場所か? 場所はどこでもいゝさ。君の氣の向い所がよからう。向《むかふ》へ着いてから一寸手紙を出してくれゝばいゝよ。――護送する程の大病人でもないから僕は停車場へも行かないよ。――外に用はなかつたかな。――なに少し急ぐんだ。實は今日は妻《さい》を連れて親類へ行く約束があるんで、待つてるから、僕は失敬しなくつちやならない」
 「さうか、もう歸るか。それぢや奧さんによろしく」
 中野君は欣然として歸つて行く。高柳君は立つて、着物を着換へた。
 百圓の金は聞いた事がある。が見たのは是が始めてゞある。使ふのはもちろんの事始めてゞある。かねてから自分を代表する程の作物《さくぶつ》を何か書いて見たいと思ふて居た。生活難の合間《あひま》々々に一頁二頁と筆を執つた事はあるが、興《きよう》が催《もよほ》すと、すぐ已《や》めねばならぬ程、饑《うゑ》は寒《さむさ》は容赦なくわれを追ふてくる。此容子では當分仕事らしい仕事は出來さうもない。只地理學ヘ授法を譯して露命を繋いでゐる樣では馬車馬《ばしやうま》が秣《まぐさ》を食つて終日《しゆうじつ》馳《か》けあるくと變りはなさゝうだ。おれ〔二字傍点〕にはおれ〔二字傍点〕がある。此おれ〔二字傍点〕を出さないでぶら/\と死んで仕舞ふのは勿體ない。のみならず親の手前世間の手前面目ない。人から土偶《でく》の樣にうとまれるのも、此おれ〔二字傍点〕を出す機會がなくて、鈍根《どんこん》にさへ立派に出來る翻譯の下働き抔《など》で日を暮らして居るからである。どうしても無念だ。石に?《か》みついてもと思ふ矢先に道也の演説を聞いて床に就いた。醫者は大膽にも結核の初期だと云ふ。愈《いよ/\》結核なら、とても助からない。命のあるうちにと又舊稿に向つて見たが、綯《よ》る繩は遅く、逃げる泥棒は早い。何一つ見やげも置かないで、消えて行くかと思ふと、熱さへ餘計に出る。是一つ纒めれば死んでも言譯は立つ。立つ言譯を作るには手當もしなければならん。今の百圓は他日の萬金よりも貴《たつと》い。
 百圓を懷にして室《へや》のなかを二度三度廻る。氣分も爽《さはや》かに胸も涼しい。忽ち思ひ切つた樣に帽を取つて師走《しはす》の市《いち》に飛び出した。黄昏《たそがれ》の神樂坂《かぐらざか》を上《あが》ると、もう五時に近い。氣の早い店では、はや瓦斯《ガス》を點じてゐる。
 毘沙門《びしやもん》の提灯《ちやうちん》は年内に張り易《か》へぬ積《つもり》か、色が褪《さ》めて暗いなかで搖れてゐる。門前の屋臺《やたい》で職人が手拭を半襷《はんだすき》にとつて、頻りに壽司《すし》を握つてゐる。露店の三馬《さんま》は光る程に色が寒い。黒足袋を徃來へ並べて、頬被《ほゝかぶ》りに懷手をしたのがある。あれでも足袋は賣れるかしらん。今川燒《いまがはやき》は一錢に三つで婆さんの自製にかゝる。六錢五厘の萬年筆《まんねんふで》は安過ぎると思ふ。
 世は樣々だ、今こゝを通つてゐるおれは、翌《あす》の朝になると、もう五六十里先へ飛んで行く。とは壽司屋の職人も今川燒の婆さんも夢にも知るまい。それから、この百圓を使ひ切ると金の代りに金より貴《たつと》いあるものを懷にして又東京へ歸つて來る。とも誰も思ふものはあるまい。世は樣々である。
 道也先生に逢つて、實は是々だと云つたら先生はさうかと微笑するだらう。あす立ちますと云つたら或は驚ろくだらう。一世一代の作《さく》を仕上げてかへる積《つもり》だと云つたら嘸《さぞ》喜ぶであらう。――空想は空想の子である。尤も繁殖力に富むものを腦裏に植ゑつけた高柳君は、病の身にある事を忘れて、いつの間《ま》にか先生の門口《かどぐち》に立つた。
 誰か來客の樣であるが、折角來たのをとわざと遠慮を拔いて「頼む」と聲をかけて見た。「どなた」と奧から云ふのは先生自身である。
 「私です。高柳……」
 「はあ、御這入り」と云つたなり、出てくる景色《けしき》もない。
 高柳君は玄關から客間へ通る。推察の通り先客がゐた。市樂《いちらく》の羽織に、くすんだ縞ものを着て、帶の紋博多《もんはかた》丈《だけ》がいちゞるしく眼立つ。額の狹い頬骨の高い、鈍栗眼《どんぐりまなこ》である。高柳君は先生に挨拶を濟ました、あとで鈍栗《どんぐり》に黙禮をした。
 「どうしました。大分《だいぶ》遅く來ましたね。何か用でも……」
 「いゝえ、一寸――實は御暇乞に上がりました」
 「御暇乞? 田舍の中學へでも赴任するんですか」
 間《あひ》の襖《ふすま》をあけて、細君が茶を持つて出る。高柳君と御辭儀の交換をして居間へ退《しりぞ》く。
 「いえ、少し轉地しやうかと思ひまして」
 「それぢや身體《からだ》でも惡いんですね」
 「大した事もなからうと思ひますが、段々勸める人もありますから」
 「うん。わるけりや、行くがいゝですとも。何時《いつ》? あした? さうですか。夫《それ》ぢやまあ緩《ゆつ》くり話し給へ。――今一寸用談を濟まして仕舞ふから」と道也先生は鈍栗《どんぐり》の方へ向いた。
 「夫《それ》で、どうも御氣の毒だが――今申す通りの事情だから、少し待つてくれませんか」
 「夫《それ》は待つて上げたいのです。然し私の方の都合もありまして」
 「だから利子を上げればいゝでせう。利子|丈《だけ》取つて元金は春|迄《まで》猶豫して呉れませんか」
 「利子は今迄でも滯りなく頂戴して居りますから、利子さへ取れゝば好《い》い金なら、いつ迄でも御用立てゝ置きたいのですが……」
 「さうは行かんでせうか」
 「折角の御頼だから、出來れば、さうしたいのですが……」
 「行けませんか」
 「どうも洵《まこと》に御氣の毒で……」
 「どうしても、行かんですか」
 「どうあつても百圓|丈《だけ》拵へて頂かなくつちやならんので」
 「今夜中にですか」
 「えゝ、まあ、さうですな。昨日《きのふ》が期限でしたね」
 「期限の切れたのは知つてるです。それを忘れる樣な僕ぢやない。だから色々奔走して見たんだが、どうも出來ないから、わざ/\君の所へ使をあげたのです」
 「えゝ、御手紙は慥《たし》かに拜見しました。何か御著述があるさうで、夫《それ》を本屋の方へ御賣渡しになる迄延期の御申込でした」
 「左樣」
 「所がですて、此金の性質がですて――只《たゞ》利子を生ませる目的でないものですから――實は年末には是非入用だがと念を押して御兄《おあにい》さんに伺つた位なのです。所が御兄《おあに》さんが、いやそりや大丈夫、ほかのものなら知らないが、弟に限つて决して、そんな不都合はない。受合ふ。と仰しやるものですから、夫《それ》で私も安心して御用立て申したので――今になつて御違約では甚だ迷惑します」
 道也先生は黙然《もくねん》としてゐる。鈍栗《どんぐり》は烟草をすぱ/\呑む。
 「先生」と高柳君が突然横合から口を出した。
 「えゝ」と道也先生は、こつちを向く。別段|赤面《せきめん》した樣子も見えない。赤面する位なら用談中と云つて面會を謝絶する筈である。
 「御話し中甚だ失禮ですが。一寸伺つても、やう御座いませうか」
 「えゝ、いゝです。何ですか」
 「先生は今御著作をなさつたと承はりましたが、失禮ですが、其原稿を見せて頂く譯には行きますまいか」
 「見るなら御覽、待つてるうち、讀むのですか」
 高柳君は黙つてゐる。道也先生は立つて、床の間に積みかさねた書籍の間から、厚さ三寸程の原稿を取り出して、青年に渡しながら
 「見て御覽」といふ。表紙には人格論と楷書《かいしよ》でかいてある。
 「難有《ありがた》う」と兩手に受けた青年は、しばし此人格論の三字をしけ/”\と眺めて居たが、やがて眼を擧げて鈍栗《どんぐり》の方を見た。
 「君、此原稿を百圓に買つて上げませんか」
 「エヘヽヽヽ。私は本屋ぢやありません」
 「ぢや買はないですね」
 「エヘヽヽ御冗談を」
 「先生」
 「何ですか」
 「此原稿を百圓で私に讓《ゆづ》つて下さい」
 「其原稿?……」
 「安過ぎるでせう。何萬圓だつて安過ぎるのは知つてゐます。然し私は先生の弟子だから百圓に負けて讓つて下さい」
 道也先生は茫然として青年の顔を見守つてゐる。
 「是非讓つて下さい。――金はあるんです。――ちやんとこゝに持つて居ます。――百圓ちやんとあります」
 高柳君は懷《ふところ》から受取つた儘の金包を取り出して、二人の間に置いた。
 「君、そんな金を僕が君から……」と道也先生は押し返さうとする。
 「いゝえ、いゝんです。好《い》いから取つて下さい。――いや間違つたんです。是非此原稿を讓つて下さい。――先生私はあなたの、弟子です。――越後の高田で先生をいぢめて追ひ出した弟子の一人です。――だから讓つて下さい」
 愕然《がくぜん》たる道也先生を殘して、高柳君は暗き夜の中に紛《まぎ》れ去つた。彼は自己を代表すべき作物《さくぶつ》を轉地先よりもたらし歸る代りに、より偉大なる人格論を懷《ふところ》にして、是をわが友中野君に致《いた》し、中野君とその細君の好意に酬《むく》いんとするのである。
       2006.1.4(水)12時20分、2017年8.29(火)午前10.5、2回目修正終了
 
   虞美人草
  明治四〇、六、二三−四〇、一〇、二九
        一
 
 「隨分遠いね。元來《ぐわんらい》何所《どこ》から登るのだ」
と一人《ひとり》が手巾《はんけち》で額《ひたひ》を拭きながら立ち留つた。
 「何所《どこ》か己《おれ》にも判然せんがね。何所から登つたつて、同じ事だ。山はあすこに見えて居るんだから」
と顔も體?《からだ》も四角に出來上つた男が無雜作《むざふさ》に答へた。
 反《そり》を打つた中折れの茶の廂《ひさし》の下から、深き眉を動かしながら、見上げる頭の上には、微茫《かすか》なる春の空の、底迄も藍《あゐ》を漂《たゞよ》はして、吹けば搖《うご》くかと怪しまるゝ程柔らかき中に屹然として、どうする氣かと云はぬ許《ばか》りに叡山《えいざん》が聳えてゐる。
 「恐ろしい頑固な山だなあ」と四角な胸を突き出して、一寸櫻の杖に身を倚《も》たせて居たが、
 「あんなに見えるんだから、譯はない」と今度は叡山を輕蔑した樣な事を云ふ。
 「あんなに見えるつて、見えるのは今朝宿を立つ時から見えて居る。京都へ來て叡山が見えなくなつちや大變だ」
 「だから見えてるから、好いぢやないか。余計な事を云はずに歩行《ある》いて居れば自然と山の上へ出るさ」
 細長い男は返事もせずに、帽子を脱いで、胸のあたりを煽《あふ》いで居る。日頃からなる廂《ひさし》に遮《さへ》ぎられて、菜の花を染め出す春の強き日を受けぬ廣き額《ひたひ》丈《だけ》は目立つて蒼白《あをしろ》い。
 「おい、今から休息しちや大變だ、さあ早く行かう」
 相手は汗ばんだ額《ひたひ》を、思ふ儘春風に曝《さら》して、粘《ねば》り着いた黒髪の、逆《さか》に飛ばぬを恨む如くに、手巾《はんけち》を片手に握つて、額とも云はず、顔とも云はず、頸窩《ぼんのくぼ》の盡くるあたり迄、苦茶々々に掻き廻した。促がされた事には頓着《とんぢやく》する氣色《けしき》もなく、
 「君はあの山を頑固だと云つたね」と聞く。
 「うむ、動かばこそと云つた樣な按排《あんばい》ぢやないか。かう云ふ風に」と四角な肩をいとゞ四角にして、空《あ》いた方の手に榮螺《さゞえ》の親類をつくりながら、聊《いさゝ》か我も動かばこその姿勢を見せる。
 「動かばこそと云ふのは、動けるのに動かない時の事を云ふのだらう」と細長い眼の角《かど》から斜めに相手を見下《みおろ》した。
 「さうさ」
 「あの山は動けるかい」
 「アハヽヽ又始まつた。君は余計な事を云ひに生れて來た男だ。さあ行くぜ」と太い櫻の洋杖《すてつき》を、ひゆうと鳴らさぬ計《ばか》りに、肩の上迄上げるや否や、歩行《ある》き出した。瘠せた男も手巾《はんけち》を袂に収めて歩行《ある》き出す。
  「今日は山端《やまばな》の平八茶屋《へいはちぢやや》で一日《いちんち》遊んだ方がよかつた。今から登つたつて中途|半端《はんぱ》になる許《ばか》りだ。元來頂上迄何里あるのかい」
 「頂上迄一里半だ」
 「どこから」
 「どこからか分るものか、高の知れた京都の山だ」
 瘠せた男は何にも云はずににや/\と笑つた。四角な男は威勢よく喋舌《しやべ》り續ける。
 「君の樣に計畫ばかりして一向《いつかう》實行しない男と旅行すると、どこもかしこも見損《みそこな》つて仕舞ふ。連《つれ》こそいゝ迷惑だ」
 「君の樣に無茶に飛び出されても相手は迷惑だ。第一、人を連れ出して置きながら、何處から登つて、何處を見て、何處へ下りるのか見當がつかんぢやないか」
 「なんの、是しきの事に計畫も何も入つたものか、高があの山ぢやないか」
 「あの山でもいゝが、あの山は高さ何千尺だか知つてゐるかい」
 「知るものかね。そんな下らん事を。――君知つてるのか」
 「僕も知らんがね」
 「それ見るがいゝ」
 「何もそんなに威張らなくてもいゝ。君だつて知らんのだから。山の高さは御互に知らんとしても、山の上で何を見物して何時間かかる位は多少確めて來なくつちや、豫定通りに日程は進行するものぢやない」
 「進行しなければやり直す丈《だけ》だ。君の樣に余計な事を考へてるうちには何遍でも遣り直しが出來るよ」と猶《なほ》さつさと行く。瘠せた男は無言の儘あとに後《おく》れて仕舞ふ。
 春はものゝ句になりやすき京の町を、七條から一條迄横に貫《つら》ぬいて、烟《けぶ》る柳の間から、温《ぬく》き水打つ白き布を、高野川《たかのがは》の磧《かはら》に數へ盡くして、長々と北にうねる路を、大方《おほかた》は二里餘りも來たら、山は自《おのづ》から左右に逼《せま》つて、脚下に奔《はし》る潺湲《せんくわん》の響も、折れる程に曲る程に、あるは、こなた、あるは、かなたと鳴る。山に入りて春は更《ふ》けたるを、山を極《きは》めたらば春はまだ殘る雪に寒からうと、見上げる峯の裾を縫ふて、暗き陰に走る一條《ひとすぢ》の路に、爪上《つまあが》りなる向ふから大原女《おはらめ》が來る。牛が來る。京の春は牛の尿《いばり》の盡きざる程に、長くかつ靜かである。
 「おゝい」と後《おく》れた男は立ち留りながら、先《さ》きなる友を呼んだ。おゝいと云ふ聲が白く光る路を、春風に送られながら、のそり閑《かん》と行き盡して、萱《かや》許《ばか》りなる突き當りの山に打突《ぶつか》つた時、一丁|先《さ》きに動いて居た四角な影ははたと留つた。瘠せた男は、長い手を肩より高く伸《の》して、返れ々々と二度程|搖《ゆす》つて見せる。櫻の杖が暖かき日を受けて、又ぴかりと肩の先に光つたと思ふ間《ま》もなく、彼は歸つて來た。
 「何だい」
 「何だいぢやない。此所から登るんだ」
 「こんな所から登るのか。少し妙だぜ。こんな丸木橋《まるきばし》を渡るのは妙だぜ」
 「君見た樣に無暗に歩行《ある》いて居ると若狹《わかさ》の國へ出て仕舞ふよ」
 「若狹《わかさ》へ出ても構はんが、一體君は地理を心得て居るのか」
 「今|大原女《おはらめ》に聽いて見た。此橋を渡つて、あの細い道を向《むかふ》へ一里上がると出るさうだ」
 「出るとは何處へ出るのだい」
 「叡山の上へさ」
 「叡山の上の何處へ出るだらう」
 「そりや知らない。登つて見なければ分らないさ」
 「ハヽヽヽ君の樣な計畫好きでも其所迄は聞かなかつたと見えるね。千慮の一失か。それぢや、仰せに從つて渡るとするかな。君|愈《いよ/\》登りだぜ。どうだ、歩行《ある》けるか」
 「歩行《ある》けないたつて、仕方がない」
 「成程哲學者|丈《だけ》あらあ。それで、もう少し判然すると一人前《いちにんまへ》だがな」
 「何でも好いから、先へ行くが好い」
 「あとから尾《つ》いて來るかい」
 「いゝから行くが好ゝ」
 「尾《つ》いて來る氣なら行くさ」
 溪川《たにがは》に危うく渡せる一本橋を前後して横切つた二人の影は、草山の草繁き中を、辛《から》うじて一縷《いちる》の細き力に頂きへ拔ける小徑《こみち》のなかに隱れた。草は固《もと》より去年の霜を持ち越した儘立枯の姿であるが、薄く溶けた雲を透《とほ》して眞上から射し込む日影に蒸し返されて、兩頬《りやうけふ》のほてる許《ばか》りに暖かい。
 「おい、君、甲野《かふの》さん」と振り返る。甲野さんは細い山道に適當した細い體?《からだ》を眞直《まつすぐ》に立てた儘、下を向いて
 「うん」と答へた。
 「そろ/\降參しかけたな。弱い男だ。あの下を見給へ」と例の櫻の杖を左から右へかけて一振りに振り廻す。
 振り廻した杖の先の盡くる、遙か向ふには、白銀《しろかね》の一筋に眼を射る高野川を閃《ひら》めかして、左右は燃え崩るゝ迄に濃く咲いた菜の花をべつとりと擦《なす》り着けた背景には薄紫の遠山《ゑんざん》を縹緲《へうべう》のあなたに描《ゑが》き出してある。
 「なる程好い景色《けしき》だ」と甲野さんは例の長身を捩《ね》ぢ向けて、際《きは》どく六十度の勾配《かうばい》に擦《ず》り落ちもせず立ち留つて居る。
 「いつの間《ま》に、こんなに高く登つたんだらう。早いものだな」と宗近君《むねちかくん》が云ふ。宗近君は四角な男の名である。
 「知らぬ間《ま》に墮落したり、知らぬ間に悟つたりするのと同じ樣なものだらう」
 「晝が夜になつたり、春が夏になつたり、若いものが年寄りになつたり、するのと同じ事かな。それなら、おれも疾《と》くに心得て居る」
 「ハヽヽヽ夫《それ》で君は幾歳《いくつ》だつたかな」
 「おれの幾歳《いくつ》より、君は幾歳《いくつ》だ」
 「僕は分かつてるさ」
 「僕だつて分かつてるさ」
 「ハヽヽヽ矢つ張り隱す了見だと見える」
 「隱すものか、ちやんと分つてるよ」
 「だから、幾歳《いくつ》なんだよ」
 「君から先へ云へ」と宗近君は中々動じない。
 「僕は二十七さ」と甲野君は雜作《ざふさ》もなく言つて退《の》ける。
 「さうか、それぢや、僕も二十八だ」
 「大分《だいぶ》年を取つたものだね」
 「冗談を言ふな。たつた一つしか違はんぢやないか」
 「だから御互にさ。御互に年を取つたと云ふんだ」
 「うん御互にか、御互なら勘辯するが、おれ丈《だけ》ぢや……」
 「聞き捨てにならんか。さう氣にする丈《だけ》まだ若い所もある樣だ」
 「何だ坂の途中で人を馬鹿にするな」
 「そら、坂の途中で邪魔になる。ちょつと退《ど》いてやれ」
 百折《もゝを》れ千折《ちを》れ、五間とは直《すぐ》に續かぬ坂道を、呑氣《のんき》な顔の女が、御免やすと下りて來る。身の丈《たけ》に餘る粗朶《そだ》の大束を、緑《みど》り洩る濃き髪の上に壓《おさ》へ付けて、手も懸けずに戴きながら、宗近君の横を擦《す》り拔ける。生ひ茂る立ち枯れの萱をごそつかせた後《うし》ろ姿の眼につくは、目暗縞《めくらじま》の黒きが中を斜《はす》に拔けた赤襷《あかだすき》である。一里を隔てゝも、そこと指《さ》す指《ゆび》の先に、引つ着いて見える程の藁葺《わらぶき》は、此女の家でもあらう。天武天皇の落ち玉へる昔の儘に、棚引く霞は長《とこ》しへに八瀬《やせ》の山里を封じて長閑《のどか》である。
 「此邊の女はみんな奇麗だな。感心だ。何だか畫《ゑ》の樣だ」と宗近君が云ふ。
 「あれが大原女《おはらめ》なんだらう」
 「なに八瀬女《やせめ》だ」
 「八瀬女《やせめ》と云ふのは聞いた事がないぜ」
 「なくつても八瀬《やせ》の女に違ない。嘘だと思ふなら今度逢つたら聞いて見《み》樣《やう》」
 「誰も嘘だと云やしない。然しあんな女を總稱して大原女《おはらめ》と云ふんだらうぢやないか」
 「屹度《きつと》さうか、受合ふか」
 「さうする方が詩的でいゝ。何となく雅《が》でいゝ」
 「ぢや當分雅號として用ゐてやるかな」
 「雅號は好いよ。世の中には色々な雅號があるからな。立憲政體だの、萬有神ヘだの、忠、信、孝、悌、だのつて樣々な奴があるから」
 「なる程、蕎麥屋に藪《やぶ》が澤山出來て、牛肉屋がみんないろは〔三字傍点〕になるのも其格だね」
 「さうさ、御互に學士を名乘つてるのも同じ事だ」
 「詰らない。そんな事に歸着するなら雅號は廢《よ》せばよかつた」
 「是から君は外交官の雅號を取るんだらう」
 「ハヽヽヽあの雅號は中々取れない。試驗官に雅味のある奴がいない所爲《せゐ》だな」
 「もう何遍落第したかね。三遍か」
 「馬鹿を申せ」
 「ぢや二遍か」
 「なんだ、ちやんと知つてる癖に。憚りながら落第は是でたつた一遍だ」
 「一度受けて一遍なんだから、是からさき……」
 「何遍やるか分らないとなると、おれも少々心細い。ハヽヽヽ。時に僕の雅號はそれでいゝが、君は全體何をするんだい」
 「僕か。僕は叡山へ登るのさ。――おい君、さう後足《あとあし》で石を轉がしてはいかん。後《あと》から尾《つ》いて行くものが劔呑《けんのん》だ。――あゝ隨分|草臥《くたびれ》た。僕はこゝで休むよ」と甲野さんは、がさりと音を立てゝ枯薄《かれすゝき》の中へ仰向けに倒れた。
 「おやもう落第か。口でこそ色々な雅號を唱へるが、山登りはから駄目だね」と宗近君は例の櫻の杖で、甲野さんの寐て居る頭の先をこつ/\敲《たゝ》く。敲く度に杖の先が薄を薙《な》ぎ倒してがさ/\音を立てる。
 「さあ起きた。もう少しで頂上だ。どうせ休むなら及第してから、緩《ゆ》つくり休まう。さあ起きろ」
 「うん」
 「うんか、おや/\」
 「反吐《へど》が出さうだ」
 「反吐《へど》を吐いて落第するのか、おや/\。ぢや仕方がない。おれも一《ひ》と休息《やすみ》仕《つかまつ》らう」
 甲野さんは黒い頭を、黄ばんだ草の間に押し込んで、帽子も傘《かさ》も坂道に轉がした儘、仰向《あふむ》けに空を眺めてゐる。蒼白く面高《おもだか》に削《けづ》り成《な》せる彼の顔と、無邊際《むへんざい》に浮き出す薄き雲の?然《いうぜん》と消えて入る大いなる天上界《てんじやうかい》の間には、一塵の眼を遮ぎるものもない。反吐《へど》は地面の上へ吐くものである。大空に向ふ彼の眼中には、地を離れ、俗を離れ、古今の世を離れて萬里の天があるのみである。
 宗近君は米澤絣《よねざはがすり》の羽織を脱いで、袖疊みにして一寸肩の上へ乘せたが、又思ひ返して、今度は胸の中から兩手をむづと出して、うんと云ふ間《ま》に諸肌《もろはだ》を脱いだ。下から袖無《ちやん/\》が露《あら》はれる。袖無《ちやん/\》の裏から、もぢや/\した狐の皮が食《は》み出してゐる。是は支那へ行つた友人の贈り物として君が大事の袖無《ちやん/\》である。千羊《せんやう》の皮は一狐《いつこ》の腋《えき》にしかずと云つて、君はいつでも此|袖無《ちやん/\》を一着して居る。其癖裏に着けた狐の皮は斑《まだら》にほうけて、無暗に脱落する所を以て見ると、何でも余程|性《たち》の惡い野良狐《のらぎつね》に違ない。
 「御山《おやま》へ御登《おあが》りやすのどすか、案内しまほうか、ホヽヽ妙《けつたい》な所に寐てゐやはる」と又|目暗縞《めくらじま》が下りて來る。
 「おい、甲野さん。妙《けつたい》な所に寐て居やはるとさ。女に迄馬鹿にされるぜ。好い加減に起きてあるかうぢやないか」
 「女は人を馬鹿にするもんだ」
と甲野さんは依然として天《そら》を眺めて居る。
 「さう泰然と尻を据ゑちや困るな。まだ反吐《へど》を吐きさうかい」
 「動けば吐く」
 「厄介だなあ」
 「凡《すべ》ての反吐《へど》は動くから吐くのだよ。俗界|萬斛《ばんこく》の反吐《へど》皆|動《どう》の一字より來《きた》る」
 「何だ本當に吐く積りぢやないのか。つまらない。僕は又|愈《いよ/\》となつたら、君を擔《かつ》いで麓迄下りなけりやならんかと思つて、内心少々|辟易《へきえき》して居たんだ」
 「余計な御世話だ。誰も頼みもしないのに」
 「君は愛嬌のない男だね」
 「君は愛嬌の定義を知つてるかい」
 「何の蚊のと云つて、一分《いつぷん》でも余計動かずに居樣と云ふ算段だな。怪《け》しからん男だ」
 「愛嬌と云ふのはね、――自分より強いものを斃《たふ》す柔《やはら》かい武器だよ」
 「夫《それ》ぢや無愛想《ぶあいそ》は自分より弱いものを、扱《こ》き使ふ鋭利なる武器だらう」
 「そんな論理があるものか。動かうとすればこそ愛嬌も必要になる。動けば反吐《へど》を吐くと知つた人間に愛嬌が入るものか」
 「いやに詭辯《きべん》を弄《ろう》するね。そんなら僕は御先へ御免蒙るぜ。いゝか」
 「勝手にするがいゝ」と甲野さんは矢つ張り空を眺めて居る。
 宗近君は脱いだ兩袖をぐる/\と腰へ卷き付けると共に、毛脛《けずね》に纒《まつ》はる竪縞《たてじま》の裾をぐいと端折《はしを》つて、同じく白縮緬の周圍《まはり》に疊み込む。最前袖疊にした羽織を櫻の杖の先へ引き懸けるが早いか「一劔天下を行く」と遠慮のない聲を出しながら、十歩に盡くる岨路《そばみち》を飄然《へうぜん》として左へ折れたぎり見えなくなつた。
 あとは靜である。靜かなる事|定《さだま》つて、靜かなるうちに、わが一脉《いちみやく》の命を託すると知つた時、此|大乾坤《だいけんこん》のいづくにか通ふ、わが血潮は、肅々《しゆく/\》と動くにも拘はらず、音なくして寂定裏《じやくぢやうり》に形骸を土木視《どぼくし》して、しかも依稀《いき》たる活氣を帶ぶ。生きてあらん程の自覺に、生きて受くべき有耶無耶《うやむや》の累《わづらひ》を捨てたるは、雲の岫《しう》を出で、空の朝な夕なを變はると同じく、凡《すべ》ての拘泥を超絶したる活氣である。古今來《こゝんらい》を空《むな》しうして、東西位《とうざいゐ》を盡《つ》くしたる世界の外《ほか》なる世界に片足を踏み込んでこそ――それでなければ化石になりたい。赤も吸ひ、青も吸ひ、黄も紫も吸ひ盡くして、元の五彩に還す事を知らぬ眞黒な化石になりたい。それでなければ死んで見たい。死は萬事の終である。又萬事の始めである。時を積んで日となすとも、日を積んで月となすとも、月を積んで年となすとも、詮ずるに凡《すべ》てを積んで墓となすに過ぎぬ。墓の此方側《こちらがは》なる凡てのいさくさは、肉|一重《ひとえ》の垣に隔てられた因果に、枯れ果てたる骸骨に入《い》らぬ情《なさ》けの油を注《さ》して、要なき屍《しかばね》に長夜《ちやうや》の踴《をどり》をおどらしむる滑稽である。遐《はるか》なる心を持てるものは、遐《はるか》なる國をこそ慕へ。
 考へるともなく考へた甲野君は漸くに身を起した。又|歩行《ある》かねばならぬ。見たくもない叡山を見て、入《い》らざる豆の數々に、役にも立たぬ登山の痕迹《こんせき》を、二三日が程は、苦しき記念と殘さねばならぬ。苦しき記念が必要ならば數へて白頭に至つて盡きぬ程ある。裂いて髄に入《い》つて消えぬ程ある。いたづらに足の底に膨れ上る豆の十や二十――と切り石の鋭どき上に半《なか》ば掛けたる編み上げの踵《かゝと》を見下ろす途端、石はきりゝと面《めん》を更《か》へて、乘せかけた足をすはと云ふ間《ま》に二尺程滑べらした。甲野さんは
 「萬里の道を見ず」
と小聲に吟じながら、傘《かさ》を力に、岨路《そばみち》を登り詰めると、急に折れた胸突坂《むなつきざか》が、下から來る人を天に誘《いざな》ふ風情《ふぜい》で帽に逼つて立つて居る。甲野さんは眞廂《まびさし》を煽《あふ》つて坂の下から眞一文字に坂の盡きる頂きを見上げた。坂の盡きた頂きから、淡きうちに限りなき春の色を漲《みな》ぎらしたる果もなき空を見上げた。甲野さんは此時
 「只萬里の天を見る」
と第二の句を、同じく小聲に歌つた。
 草山を登り詰めて、雜木《ざふき》の間を四五段|上《のぼ》ると、急に肩から暗くなつて、踏む靴の底が、濕《しめ》つぽく思はれる。路は山の脊を、西から東へ渡して、忽ちのうちに草を失するとすぐ森に移つたのである。近江《あふみ》の空を深く色どる此森の、動かねば、その上《かみ》の幹と、その上《かみ》の枝が、幾重《いくへ》幾里に連なりて、昔《むか》しながらの翠《みど》りを年毎に黒く疊むと見える。二百の谷々を埋《うづ》め、三百の神輿《みこし》を埋《うづ》め、三千の惡僧を埋《うづ》めて、猶《なほ》余りある葉裏に、三藐三菩提《さまくさぼだい》の佛達を埋《うづ》め盡くして、森々《しん/\》と半空に聳ゆるは、傳ヘ大師《でんげうだいし》以來の杉である。甲野さんは只一人此杉の下を通る。
 右よりし左よりして、行く人を兩手に遮《さへ》ぎる杉の根は、土を穿《うが》ち石を裂いて深く地磐に食ひ入るのみか、餘る力に、跳ね返して暗き道を、二寸の高さに段々と横切つて居る。登らんとする岩《いわほ》の梯子《ていし》に、自然の枕木を敷いて、踏み心地よき幾級の階を、山靈《さんれい》の賜《たまもの》と甲野さんは息を切らして上《のぼ》つて行く。
 行く路の杉に逼つて、暗きより洩るゝが如く這ひ出づる日影蔓《ひかげかづら》の、足に纒《まつ》はる程に繁きを越せば、引かれたる蔓《つる》の長きを傳はつて、手も屆かぬに、朽ちかゝる齒朶《しだ》の、風なき晝をふら/\と搖《うご》く。
 「此所だ、此所だ」
と宗近君が急に頭の上で天狗《てんぐ》の樣な聲を出す。朽草《くちくさ》の土となる迄積み古《ふ》るしたる上を、踏めば深靴を隱す程に踏み答へもなきに、甲野さんは漸くの思で、蝙蝠傘《かはほりがさ》を力に、天狗の座迄、登つて行く。
 「善哉々々《ぜんざい/\》、われ汝を待つ事こゝに久しだ。全體何を愚圖々々して居たのだ」
 甲野さんは只あゝと云つた許《ばか》りで、いきなり蝙蝠傘《かはほりがさ》を放《はふ》り出すと、其上へどさりと尻持《しりもち》を突いた。
 「又|反吐《へど》か、反吐を吐く前に、一寸あの景色《けしき》を見なさい。あれを見ると折角の反吐も殘念ながら収まつちまふ」
と例の櫻の杖で、杉の間を指《さ》す。天を封ずる老幹の亭々と行儀よく並ぶ隙間に、的?《てきれき》と近江《あふみ》の湖《うみ》が光つた。
 「成程」と甲野さんは眸を凝《こ》らす。
 鏡を延べたと許《ばか》りでは飽き足らぬ。琵琶《びわ》の銘ある鏡の明かなるを忌んで、叡山の天狗共が、宵に偸《ぬす》んだ神酒《みき》の醉《ゑひ》に乘じて、曇れる氣息《いき》を一面に吹き掛けた樣に――光るものの底に沈んだ上には、野と山にはびこる陽炎《かげろふ》を巨人の繪の具皿にあつめて、只|一刷《ひとはけ》に抹《なす》り付けた、瀲?《れんえん》たる春色が、十里の外《ほか》に糢糊《もこ》と棚引いて居る。
 「成程」と甲野さんは又繰り返した。
 「成程|丈《だけ》か。君は何を見せてやつても嬉しがらない男だね」
 「見せてやるなんて、自分が作つたものぢやあるまいし」
 「さう云ふ恩知らずは、得て哲學者にあるもんだ。親不孝な學問をして、日々《にち/\》人間と御無沙汰になつて……」
 「誠に濟みません。――親不孝な學問か、ハヽヽヽヽ。君白い帆が見える。そら、あの島の青い山を背《うしろ》にして――丸《まる》で動かんぜ。何時《いつ》迄《まで》見て居ても動かんぜ」
 「退屈な帆だな。判然しない所が君に似て居らあ。然し奇麗だ。おや、此方《こつち》にも居るぜ」
 「あの、ずつと向ふの紫色の岸の方にもある」
 「うん、ある、ある。退屈だらけだ。べた一面だ」
 「丸《まる》で夢の樣だ」
 「何が」
 「何がつて、眼前の景色《けしき》がさ」
 「うんさうか。僕は又君が何か思ひ出したのかと思つた。ものは君、さつさと片付けるに限るね。夢の如しだつて懷手《ふところで》をしてゐちや、駄目だよ」
 「何を云つてるんだい」
 「おれの云ふ事も矢つ張り夢の如しか。アハヽヽヽ時に將門《まさかど》が氣?《きえん》を吐いたのは何所いらだらう」
 「何でも向ふ側だ。京都を瞰下《みおろ》したんだから。こつちぢやない。あいつも馬鹿だなあ」
 「將門か。うん、氣?を吐くより、反吐《へど》でも吐く方が哲學者らしいね」
 「哲學者がそんなものを吐くものか」
 「本當の哲學者になると、頭ばかりになつて、只考へる丈《だけ》か、丸《まる》で達磨《だるま》だね」
 「あの烟《けぶ》る樣な島は何だらう」
 「あの島か、いやに縹緲《へうべう》としてゐるね。大方|竹生島《ちくぶしま》だらう」
 「本當かい」
 「なあに、好い加減さ。雅號なんざ、どうだつて、質《もの》さへ慥《たし》かなら構はない主義だ」
 「そんな慥《たし》かなものが世の中にあるものか、だから雅號が必要なんだ」
 「人間萬事夢の如しか。やれ/\」
 「只死と云ふ事|丈《だけ》が眞《まこと》だよ」
 「いやだぜ」
 「死に突き當らなくつちや、人間の浮氣《うはき》は中々|已《や》まないものだ」
 「已《や》まなくつて好いから、突き當るのは眞つ平御免だ」
 「御免だつて今に來る。來た時にあゝさうかと思ひ當るんだね」
 「誰が」
 「小刀細工の好《すき》な人間がさ」
 山を下りて近江《あふみ》の野に入れば宗近君の世界である。高い、暗い、日のあたらぬ所から、うらゝかな春の世を、寄り付けぬ遠くに眺めて居るのが甲野さんの世界である。
 
     二
 
 紅《くれなゐ》を彌生《やよひ》に包む晝|酣《たけなは》なるに、春を抽《ぬき》んずる紫の濃き一點を、天地《あめつち》の眠れるなかに、鮮やかに滴たらしたるが如き女である。夢の世を夢よりも艶《あでやか》に眺めしむる黒髪を、亂るゝなと疊める鬢《びん》の上には、玉蟲貝《たまむしかひ》を冴々《さえ/\》と菫に刻んで、細き金脚《きんあし》にはつしと打ち込んでゐる。靜かなる晝の、遠き世に心を奪ひ去らんとするを、黒き眸のさと動けば、見る人は、あなやと我に歸る。半滴のひろがりに、一瞬の短かきを偸《ぬす》んで、疾風の威を作《な》すは、春に居て春を制する深き眼《まなこ》である。此瞳を遡《さかのぼ》つて、魔力の境を窮むるとき、桃源《たうげん》に骨を白うして、再び塵寰《ぢんくわん》に歸るを得ず。只の夢ではない。糢糊《もこ》たる夢の大いなるうちに、燦《さん》たる一點の妖星《えうせい》が、死ぬる迄我を見よと、紫色の、眉近く逼るのである。女は紫色の着物を着て居る。
 靜かなる晝を、靜かに栞《しをり》を抽《ぬ》いて、箔《はく》に重き一卷を、女は膝の上に讀む。
 「墓の前に跪《ひざま》づいて云ふ。此手にて――此手にて君を埋《うづ》め參らせしを、今は此手も自由ならず。捕はれて遠き國に、行く程もあらねば、此手にて君が墓を掃《はら》ひ、此手にて香を焚くべき折々の、長《とこ》しへに盡きたりと思ひ給へ。生ける時は、莫耶《ばくや》も我等を割き難きに、死こそ無慘なれ。羅馬《ろうま》の君は埃及《えじぷと》に葬むられ、埃及《えじぷと》なるわれは、君が羅馬《ろうま》に埋《うづ》められんとす。君が羅馬《ろうま》は――わが思ふ程の恩を、憂きわれに拒める、君が羅馬《ろうま》は、つれなき君が羅馬《ろうま》なり。去れど、情《なさけ》だにあらば、羅馬《ろうま》の神は、よも生きながらの辱《はづかしめ》に、市《いち》に引かるゝわれを、雲の上より餘所《よそ》に見給はざるべし。君が仇なる人の勝利を飾るわれを。埃及《えじぷと》の神に見離されたるわれを。君が片身と殘し給へるわが命こそ仇なれ。情《なさけ》ある羅馬《ろうま》の神に祈る。――われを隱し給へ。耻見えぬ墓の底に、君とわれを永劫に隱し給へ。」
 女は顔を上げた。蒼白《あをしろ》き頬の締れるに、薄き化粧をほのかに浮かせるは、一重《ひとへ》の底に、餘れる何物かを藏《かく》せるが如く、藏《かく》せるものを見極はめんとあせる男は悉《こと/”\》く虜《とりこ》となる。男は眩《まばゆ》げに半《なか》ば口元を動かした。口の居住《ゐずまひ》の崩るゝ時、此人の意志は既に相手の餌食《ゑじき》とならねばならぬ。下唇のわざとらしく色めいて、しかも判然《はつき》と口を切らぬ瞬間に、切り付けられたものは、必ず受け損ふ。
 女は唯|隼《はやぶさ》の空を搏《う》つが如くちらと眸を動かしたのみである。男はにや/\と笑つた。勝負は既に付いた。舌を?頭《あごさき》に飛ばして、泡吹く蟹と、烏鷺《うろ》を爭ふは策の尤も拙《つた》なきものである。風勵鼓行《ふうれいこかう》して、已《や》むなく城下の誓をなさしむるは策の尤も凡なるものである。蜜を含んで針を吹き、酒を強ひて毒を盛るは策の未だ至らざるものである。最上の戰《たゝかひ》には一語をも交ふる事を許さぬ。拈華《ねんげ》の一拶《いつさつ》は、此《こゝ》を去る八千里ならざるも、遂に不言にして又不語である。只躊躇する事刹那なるに、虚をうつ惡魔は、思ふ坪に迷《まよひ》と書き、惑《まどひ》と書き、失はれたる人の子、と書いて、すはと云ふ間《ま》に引き上げる。下界萬丈の鬼火《おにび》に、腥《なまぐ》さき青燐《せいりん》を筆の穗に吹いて、會釋もなく描《ゑが》き出《いだ》せる文字は、白髪《しらが》をたわし〔三字傍点〕にして洗つても容易《たやす》くは消えぬ。笑つたが最後、男は此笑を引き戻す譯には行くまい。
 「小野《をの》さん」と女が呼びかけた。
 「え?」とすぐ應じた男は、崩れた口元を立て直す暇《いとま》もない。唇に笑を帶びたのは、半《なか》ば無意識にあらはれたる、心の波を、手持無沙汰に草書に崩した迄であつて、崩したものゝ盡きんとする間際に、崩すべき第二の波の來ぬのを煩《わづら》つて居た折であるから、渡りに船の「え?」は心安く咽喉《のど》を滑り出たのである。女は固《もと》より曲者《くせもの》である。「え?」と云はせた儘、しばらくは何にも云はぬ。
 「何ですか」と男は二の句を繼いだ。繼がねば折角の呼吸が合はぬ。呼吸が合はねば不安である。相手を眼中に置くものは、王侯と雖《いへ》ども常に此感を起す。况んや今、紫の女の外《ほか》に、何ものも映らぬ男の眼には、二の句は固《もと》より愚かである。
 女はまだ何《なん》にも言はぬ。床に懸けた容齋《ようさい》の、小松に交《まじ》る稚子髷《ちごまげ》の、太刀持こそ、昔《むか》しから長閑《のどか》である。狩衣《かりぎぬ》に、鹿毛《かげ》なる駒《こま》の主人《あるじ》は、事なきに慣れし殿上人《てんじやうびと》の常か、動く景色《けしき》も見えぬ。只男|丈《だけ》は氣が氣でない。一の矢はあだに落ちた、二の矢の中《あた》つた所は判然せぬ。是が外《そ》れゝば、又繼がねばならぬ。男は氣息《いき》を凝《こ》らして女の顔を見詰めて居る。肉の足らぬ細面《ほそおもて》に豫期の情《じやう》を漲《みなぎ》らして、重きに過ぐる唇の、奇《き》か偶《ぐう》かを疑がひつゝも、手答《てごたへ》のあれかしと念ずる樣子である。
 「まだ、そこに入らしつたんですか」と女は落ち付いた調子で云ふ。是は意外な手答である。天に向つて彎《ひ》ける弓の、危うくも吾が頭の上に、瓢箪羽《へうたんば》を舞ひ戻した樣なものである。男の我を忘れて、相手を見守るに引き反《か》へて、女は始めより、わが前に坐《す》はれる人の存在を、膝に開ける一册のうちに見失つてゐたと見える。其癖、女は此書物を、箔《はく》美しと見つけた時、今|携《たづさ》へたる男の手から?《も》ぎ取る樣にして、讀み始めたのである。
 男は「えゝ」と申したぎりであつた。
 「此女は羅馬《ろうま》へ行く積《つもり》なんでせうか」
 女は腑《ふ》に落ちぬ不快の面持《おももち》で男の顔を見た。小野さんは「クレオパトラ」の行爲に對して責任を持たねばならぬ。
 「行きはしませんよ。行きはしませんよ」
と縁もない女王を辯護した樣な事を云ふ。
 「行かないの? 私だつて行かないわ」と女は漸く納得《なつとく》する。小野さんは暗い隧道《とんねる》を辛うじて拔け出した。
 「沙翁《しえくすぴや》の書いたものを見ると其女の性格が非常によく現はれて居ますよ」
 小野さんは隧道《とんねる》を出るや否や、すぐ自轉車に乘つて馳け出さうとする。魚は淵に躍る、鳶は空に舞ふ。小野さんは詩の郷《くに》に住む人である。
 稜錐塔《ぴらみつど》の空を燬《や》く所、獅身女《すふひんくす》の砂を抱く所、長河《ちやうが》の鰐魚《がくぎよ》を藏する所、二千年の昔|妖姫《えうき》クレオパトラの安圖尼《あんとにい》と相擁して、駝鳥の??《せふせふ》に輕く玉肌《ぎよくき》を拂へる所、は好畫題である又好詩料である。小野さんの本領である。
 「沙翁《しえくすぴや》の描《か》いたクレオパトラを見ると一種妙な心持ちになります」
 「どんな心持ちに?」
 「古い穴の中へ引き込まれて、出る事が出來なくなつて、ぼんやりしてゐるうちに、紫色のクレオパトラが眼の前に鮮やかに映つて來ます。剥げかゝつた錦繪《にしきゑ》のなかゝら、たつた一人がぱつと紫に燃えて浮き出して來ます」
 「紫? よく紫とおつしやるのね。何故《なぜ》紫なんです」
 「何故つて、さう云ふ感じがするのです」
 「ぢや、斯んな色ですか」と女は青き疊の上に半《なか》ば敷ける、長き袖を、さつと捌《さば》いて、小野さんの鼻の先に翻へす。小野さんの眉間《みけん》の奧で、急にクレオパトラの臭がぷんとした。
 「え?」と小野さんは俄然として我に歸る。空を掠《かす》める子規《ほとゝぎす》の、駟《し》も及ばぬに、降る雨の底を突き通して過ぎたる如く、ちらと動ける異《あや》しき色は、疾《と》く収まつて、美くしい手は膝頭に乘つてゐる。脉打《みやくう》つとさへ思へぬ程に靜かに乘つてゐる。
 ぷんとしたクレオパトラの臭は、次第に鼻の奧から逃げて行く。二千年の昔から不意に呼び出された影の、戀々《れん/\》と遠のく後《あと》を追ふて、小野さんの心は杳窕《えうてう》の境《さかひ》に誘《いざな》はれて、二千年のかなたに引き寄せらるゝ。 「そよと吹く風の戀や、涙の戀や、嘆息《ためいき》の戀ぢやありません。暴風雨《あらし》の戀、暦にも録《の》つて居ない大暴雨《おほあらし》の戀。九寸五分の戀です」と小野さんが云ふ。
 「九寸五分の戀が紫なんですか」
 「九寸五分の戀が紫なんぢやない、紫の戀が九寸五分なんです」
 「戀を斬ると紫色の血が出るといふのですか」
 「戀が怒《おこ》ると九寸五分が紫色に閃《ひか》ると云ふのです」
 「沙翁《しえくすぴや》がそんな事を書いてゐるんですか」
 「沙翁《しえくすぴや》が描《か》いた所を私《わたし》が評したのです。――安圖尼《あんとにい》が羅馬《ろうま》でオクテ?アと結婚した時に――使のものが結婚の報道《しらせ》を持つて來た時に――クレオパトラの……」
 「紫が嫉妬で濃く染まつたんでせう」
 「紫が埃及《えじぷと》の日で焦げると、冷たい短刀が光ります」
 「此位の濃さ加減なら大丈夫ですか」と言ふ間《ま》もなく長い袖が再び閃いた。小野さんは一寸話の腰を折られた。相手に求むる所がある時でさへ、腰を折らねば承知をせぬ女である。毒氣を拔いた女は得意に男の顔を眺めてゐる。
 「そこでクレオパトラがどうしました」と抑へた女は再び手綱《たづな》を緩める。小野さんは馳け出さなければならぬ。
 「オクテ?ヤの事を根堀り葉堀り、使のものに尋ねるんです。其尋ね方が、詰《なじ》り方が、性格を活動させてゐるから面白い。オクテ?ヤは自分の樣に脊《せい》が高いかの、髪の毛はどんな色だの、顔が丸いかの、聲が低いかの、年はいくつだのと、何所迄も使者を追窮《つゐきゆう》します。……」
 「全體|追窮《つゐきゆう》する人の年はいくつなんです」
 「クレオパトラは三十|許《ばか》りでせう」
 「夫《それ》ぢや私に似て大分《だいぶ》御婆さんね」
 女は首を傾けてホヽと笑つた。男は怪しき靨《ゑくぼ》のなかに捲き込まれた儘一寸途方に暮れてゐる。肯定すれば僞《いつは》りになる。唯否定するのは、あまりに平凡である。皓《しろ》い齒に交る一筋の金の耀いて又消えんとする間際迄、男は何の返事も出なかつた。女の年は二十四である。小野さんは、自分と三つ違である事を疾《と》うから知つてゐる。
 美しき女の二十《はたち》を越えて夫《をつと》なく、空《むな》しく一二三を數へて、二十四の今日《けふ》迄|嫁《とつ》がぬは不思議である。春院《しゆんゐん》徒《いたづら》に更《ふ》けて、花影|欄《おばしま》に酣《たけなは》なるを、遲日《ちじつ》早く盡きんとする風情《ふぜい》と見て、琴を抱《いだ》いて恨み顔なるは、嫁《とつ》ぎ後《おく》れたる世の常の女の習なるに、麈尾《ほつす》に拂ふ折々の空音《そらね》に、琵琶らしき響を琴柱《ことぢ》に聽いて、本來ならぬ音色を興あり氣に樂しむは愈《いよ/\》不思議である。仔細《しさい》は固《もと》より分らぬ。此男と此女の、互に語る言葉の影から、時々に覗き込んで、入らざる臆測に、有耶無耶《うやむや》なる戀の八卦《はつけ》をひそかに占《うら》なふ許《ばか》りである。
 「年を取ると嫉妬が揩オて來るものでせうか」と女は改たまつて、小野さんに聞いた。
 小野さんは又面喰ふ。詩人は人間を知らねばならん。女の質問には當然答ふべき義務がある。けれども知らぬ事は答へられる譯がない。中年の人の嫉妬を見た事のない男は、いくら詩人でも文士でも致し方がない。小野さんは文字に堪能《かんのう》なる文學者である。
 「さうですね。矢つ張り人に因るでせう」
 角《かど》を立てない代りに挨拶は濁つて居る。夫《それ》で濟ます女ではない。
 「私がそんな御婆さんになつたら――今でも御婆さんでしたつけね。ホヽヽ――然しその位な年になつたら、どうでせう」
 「あなたが――あなたに嫉妬なんて、そんなものは、今だつて……」
 「有りますよ」
 女の聲は靜かなる春風《はるかぜ》をひやりと斬つた。詩の國に遊んでゐた男は、急に足を外《はづ》して下界に落ちた。落ちて見れば只の人である。相手は寄り付けぬ高い崖の上から、此方《こちら》を見下《みおろ》してゐる。自分をこんな所に蹴落したのは誰だと考へる暇もない。
 「清姫《きよひめ》が蛇《じや》になつたのは何歳《いくつ》でせう」
 「左樣、矢つ張り十代にしないと芝居になりませんね。大方十八九でせう」
 「安珍《あんちん》は」
 「安珍は二十五位がよくはないでせうか」
 「小野さん」
 「えゝ」
 「あなたは御何歳《おいくつ》でしたかね」
 「私《わたし》ですか――私《わたし》はと……」
 「考へないと分らないんですか」
 「いえ、なに――慥《たし》か甲野君と御同《おな》い年《どし》でした」
 「さう/\兄と御同《おな》い年《どし》ですね。然し兄の方が餘つ程|老《ふ》けて見えますよ」
 「なに、さうでも有りません」
 「本當よ」
 「何か奢りませうか」
 「えゝ、奢つて頂戴。然し、あなたのは顔が若いのぢやない。氣が若いんですよ」
 「そんなに見えますか」
 「丸《まる》で坊つちやんの樣ですよ」
 「可愛想《かはいさう》に」
 「可愛らしいんですよ」
 女の二十四は男の三十にあたる。理も知らぬ、非も知らぬ、世の中が何故《なぜ》廻轉して、何故落ち付くかは無論知らぬ。大いなる古今の舞臺の極《きは》まりなく發展するうちに、自己は如何なる地位を占めて、如何なる役割を演じつゝあるかは固《もと》より知らぬ。只口|丈《だけ》は巧者である。天下を相手にする事も、國家を向ふへ廻す事も、一團の群衆を眼前に、事を處する事も、女には出來ぬ。女は只一人を相手にする藝當を心得て居る。一人と一人と戰ふ時、勝つものは必ず女である。男は必ず負ける。具象《ぐしやう》の籠の中に飼はれて、個體の粟を喙《ついば》んでは嬉しげに羽搏《はゞたき》するものは女である。籠の中の小天地で女と鳴く音《ね》を競ふものは必ず斃《たふ》れる。小野さんは詩人である。詩人だから、此籠の中に半分首を突き込んでゐる。小野さんは美事に鳴き損《そこ》ねた。
 「可愛らしいんですよ。丁度安珍の樣なの」
 「安珍は苛《ひど》い」
 許せと云はぬばかりに、今度は受け留めた。
 「御不服なの」と女は眼元|丈《だけ》で笑ふ。
 「だつて……」
 「だつて、何が御厭《おいや》なの」
 「私《わたし》は安珍の樣に逃げやしません」
 是を逃げ損ねの受太刀と云ふ。坊つちやんは機を見て奇麗に引き上げる事を知らぬ。
 「ホヽヽ私は清姫の樣に追つ懸けますよ」
 男は黙つてゐる。
 「蛇《ぢや》になるには、少し年が老《ふ》け過ぎてゐますかしら」
 時ならぬ春の稻妻は、女を出でゝ男の胸をするりと透《とほ》した。色は紫である。
 「藤尾《ふぢお》さん」
 「何です」
 呼んだ男と呼ばれた女は、面と向つて對座して居る。六疊の座敷は緑《みど》り濃き植込に隔てられて、徃來に鳴る車の響さへ幽《かす》かである。寂寞たる浮世のうちに、只二人のみ、生きて居る。茶縁《ちやべり》の疊を境に、二尺を隔てゝ互に顔を見合した時、社會は彼等の傍《かたへ》を遠く立ち退《の》いた。救世軍は此時太鼓を敲《たゝ》いて市中を練り歩《あ》るいて居る。病院では腹膜炎で患者が蟲の氣息《いき》を引き取らうとして居る。露西亞《ろしや》では虚無黨《きよむたう》が爆裂彈を投げてゐる。停車場《ステーシヨン》では掏摸《すり》が捕《つら》まつてゐる。火事がある。赤子《あかご》が生れかゝつてゐる。練兵場《れんぺいば》で新兵が叱られてゐる。身を投げてゐる。人を殺してゐる。藤尾の兄《あに》さんと宗近君は叡山に登つてゐる。
 花の香《か》さへ重きに過ぐる深き巷《ちまた》に、呼び交《か》はしたる男と女の姿が、死の底に滅《め》り込む春の影の上に、明らかに躍りあがる。宇宙は二人の宇宙である。脉々《みやく/\》三千條の血管を越す、若き血潮の、寄せ來る心臓の扉は、戀と開き戀と閉じて、動かざる男女《なんによ》を、躍然と大空裏《たいくうり》に描《ゑが》き出してゐる。二人の運命は此危うき刹那に定《さだ》まる。東か西か、微塵《みぢん》だに體《たい》を動かせばそれ限《ぎ》りである。呼ぶは只事ではない、呼ばれるのも只事ではない。生死以上の難關を互の間に控へて、羃然《べきぜん》たる爆發物が抛《な》げ出されるか、抛げ出すか、動かざる二人の身體《からだ》は二塊《ふたかたまり》の?である。
 「御歸りいつ」と云ふ聲が玄關に響くと、砂利《じやり》を軋《きし》る車輪がはたと行き留まつた。襖《ふすま》を開ける音がする。小走りに廊下を傳ふ足音がする。張り詰めた二人の姿勢は崩れた。
 「母が歸つて來たのです」と女は坐つた儘、何氣なく云ふ。
 「あゝ、さうですか」と男も何氣なく答へる。心を判然《はつき》と外に露はさぬうちは罪にはならん。取り返しのつく謎は、法庭《はふてい》の證據としては薄弱である。何氣なく、もてなして居る二人は、互に何氣のあつた事を黙許しながら、何氣なく安心してゐる。天下は太平である。何人《なんびと》も後指《うしろゆび》を指《さ》す事は出來ぬ。出來れば向ふが惡《わ》るい。天下は飽く迄も太平である。
 「御母《おつか》さんは、何處《どちら》へか行らしつたんですか」
 「えゝ、一寸買物に出掛けました」
 「大分《だいぶ》御邪魔をしました」と立ち懸ける前に居住《ゐずまひ》を一寸|繕《つく》ろひ直す。洋袴《づぼん》の襞《ひだ》の崩れるのを氣にして、常は出來る丈《だけ》樂に坐る男である。いざと云へば、突《つ》つかい棒《ぼう》に、尻を擧げる爲めの、膝頭に揃へた兩手は、雪の樣なカフスに甲《かふ》迄蔽はれて、くすんだ鼠縞の袖の下から、七寶《しつぱう》の夫婦釦《めをとぼたん》が、きらりと顔を出してゐる。
 「まあ御緩《ごゆつ》くりなさい。母が歸つても別に用事はないんですから」と女は歸つた人を迎へる氣色《けしき》もない。男はもとより尻を上げるのは厭《いや》である。
 「然し」と云ひながら、隱袋《かくし》の中を捜《さ》ぐつて、太い卷烟草を一本取り出した。烟草の烟は大抵のものを紛らす。况んや是は金の吸口の着いた埃及産《えじぷとさん》である。輪に吹き、山に吹き、雲に吹く濃き色のうちには、立ち掛けた腰を据ゑ直して、クレオパトラと自分の間隔を少しでも詰《つゞ》める便《たより》が出來んとも限らぬ。
 薄い烟りの、黒い口髭を越して、ゆたかに流れ出した時、クレオパトラは果然、
 「まあ、御坐り遊ばせ」と叮嚀な命令を下した。
 男は無言の儘再び膝を崩す。御互に春の日は永い。
 「近頃は女|許《ばか》りで淋《さむ》しくつていけません」
 「甲野君は何時《いつ》頃《ごろ》御歸りですか」
 「何時《いつ》頃《ごろ》歸りますか、ちつとも分りません」
 「御音信《おたより》が有りますか」
 「いゝえ」
 「時候が好いから京都は面白いでせう」
 「あなたも一所に御出《おいで》になれば宜《よ》かつたのに」
 「私《わたし》は……」と小野さんは後《あと》を暈《ぼ》かして仕舞ふ。
 「何故《なぜ》行らつしやらなかつたの」
 「別に譯はないんです」
 「だつて、古い御馴染《おなじみ》ぢやありませんか」
 「え?」
 小野さんは、烟草の灰を疊の上に無遠慮に落す。「え?」と云ふ時、不要意に手が動いたのである。
 「京都には長い事、居らしつたんぢやありませんか」
 「それで御馴染なんですか」
 「えゝ」
 「あんまり古い馴染だから、もう行く氣にならんのです」
 「隨分不人情ね」
 「なに、そんな事はないです」と小野さんは比較的眞面目になつて、埃及烟草《えじぷとたばこ》を肺の中迄吸い込んだ。
 「藤尾、藤尾」と向ふの座敷で呼ぶ聲がする。
 「御母《おつか》さんでせう」と小野さんが聞く。
 「えゝ」
 「私《わたし》はもう歸ります」
 「何故《なぜ》です」
 「でも何か御用が御在りになるんでせう」
 「あつたつて構はないぢやありませんか。先生ぢやありませんか。先生がヘへに來てゐるんだから、誰が歸つたつて構はないぢやありませんか」
 「然しあんまりヘへないんだから」
 「ヘはつて居ますとも、是《これ》丈《だけ》ヘはつてゐれば澤山ですわ」
 「さうでせうか」
 「クレオパトラや、何か澤山ヘはつてるぢやありませんか」
 「クレオパトラ位で好ければ、いくらでもあります」
 「藤尾、藤尾」と御母《おつか》さんは頻りに呼ぶ。
 「失禮ですが一寸御免蒙ります。――なにまだ伺ひたい事があるから待つてゐて下さい」
 藤尾は立つた。男は六疊の座敷に取り殘される。平床《ひらどこ》に据ゑた古薩摩《こさつま》の香爐《かうろ》に、何時《いつ》燒《た》き殘したる烟の迹か、こぼれた灰の、灰の儘に崩れもせず、藤尾の部屋は昨日《きのふ》も今日も靜かである。敷き棄てた八反《はつたん》の座布團に、主《ぬし》を待つ間《ま》の温氣《ぬくもり》は、輕く拂ふ春風に、ひつそり閑《かん》と吹かれてゐる。
 小野さんは黙然《もくねん》と香爐を見て、又黙然と布團を見た。崩《くづ》し格子《がうし》の、疊から浮く角に、何やら光るものが奧に挾まつてゐる。小野さんは少し首を横にして輝やくものを物色して考へた。どうも時計らしい。今迄は頓《とん》と氣がつかなかつた。藤尾の立つ時に、絹障《きぬざはり》のしなやかに、布團が擦《ず》れて、隱したものが出掛つたのかも知れぬ。然し布團の下に時計を隱す必要はあるまい。小野さんは再び布團の下を覗いて見た。松葉形《まつばがた》に繋《つな》ぎ合せた鎖の折れ曲つて、表に向いて居る方が、細く光線を射返す奧に、盛り上がる七子《なゝこ》の縁《ふち》が幽《かす》かに浮いて居る。慥《たし》かに時計に違ない。小野さんは首を傾けた。
 金は色の純にして濃きものである。富貴《ふうき》を愛するものは必ず此色を好む。榮誉を冀《こひねが》ふものは必ず此色を撰《えら》む。盛名を致すものは必ず此色を飾る。磁石の鐵を吸ふ如く、此色は凡《すべ》ての黒き頭を吸ふ。此色の前に平身せざるものは、彈力なき護謨《ごむ》である。一個の人として世間に通用せぬ。小野さんはいゝ色だと思つた。
 折柄《をりから》向ふ座敷の方角から、絹のざわつく音が、曲がり椽《えん》を傳はつて近付いて來る。小野さんは覗き込んだ眼を急に外《そ》らして、素知らぬ顔で、容齋《ようさい》の軸を眞正面に眺めて居ると、二人の影が敷居口にあらはれた。
 黒縮緬《くろちりめん》の三つ紋を撫《な》で肩《がた》に着こなして、くすんだ半襟に、髷|許《ばか》りを古風につや/\と光らして居る。
 「おや入らつしやい」と御母《おつか》さんは輕く會釋して、椽《えん》に近く座を占める。鶯も鳴かぬ代りに、目に立つ程の塵もなく掃除の行き屆いた庭に、長過ぎる程の松が、わが物顔に一本控へて居る。此松と此|御母《おつか》さんは、何となく同一體の樣に思はれる。
 「藤尾が始終御厄介になりまして――嘸《さぞ》わが儘ばかり申す事でございませう。丸《まる》で小供で御座いますから――さあ、どうぞ御樂《おらく》に――いつも御挨拶を申さねばならん筈で御座いますが、つい年を取つて居るもので御座いますから、失禮のみ致します。――どうも實に赤兒《ねんね》で、困り切ります、駄々ばかり捏《こ》ねまして――でも英語|丈《だけ》は御蔭さまで大變好きな模樣で――近頃では大分《だいぶ》六づかしいものが讀めるさうで、自分|丈《だけ》は中々得意で居ります。――何兄が居るので御座いますから、ヘへて貰へば好いので御座いますが、――どうも、その、矢つ張り兄弟は行《ゆ》かんものと見えまして――」
 御母《おつか》さんの辯舌は滾々《こん/\》として美事《みごと》である。小野さんは一字の間投詞を挾《さしはさ》む遑《いと》まなく、口車《くちぐるま》に乘つて馳けて行く。行く先は固《もと》より判然せぬ。藤尾は黙つて最前小野さんから借りた書物を開いて續《つゞき》を讀んでゐる。
 「花を墓に、墓に口を接吻《くちづけ》して、憂《う》きわれを、ひたふるに嘆きたる女王は、浴湯《ゆ》をこそと召す。浴《ゆあ》みしたる後《のち》は夕餉をこそと召す。此時賤しき厠卒《こもの》ありて小《ちひ》さき籃《かご》に無花果《いちじく》を盛りて參らす。女王の該撒《しいざあ》に送れる文《ふみ》に云ふ。願はくは安圖尼《あんとにい》と同じ墓にわれを埋《うづ》め給へと。無花果《いちじく》の繁れる青き葉陰にはナイルの泥《つち》に?の舌を冷やしたる毒蛇《どくだ》を、そつと忍ばせたり。該撒《しいざあ》の使は走る。闥《たつ》を排して眼《まなこ》を射れば――黄金の寐臺に、位高き裝《よそほひ》を今日と凝《こ》らして、女王の屍《しかばね》は是非なく横《よこた》はる。アイリスと呼ぶは女王の足のあたりに此世を捨てぬ。チヤーミオンと名づけたるは、女王の頭《かしら》のあたりに、月黒き夜《よ》の露をあつめて、千顆《せんくわ》の珠《たま》を鑄たる冠《かんむり》の、今落ちんとするを力なく支ふ。闥《たつ》を排したる該撒《しいざあ》の使はこは如何にと云ふ。埃及《えじぷと》の御代《みよ》しろし召す人の最後ぞ、斯くありてこそと、チヤーミオンは言ひ終つて、倒れながらに目を瞑《ねむ》る」
 埃及《えじぷと》の御代《みよ》しろし召す人の最後ぞ、斯くありてこそと云ふ最後の一句は、焚《た》き罩《こ》むる錬香《ねりかう》の盡きなんとして幽《かす》かなる尾を虚冥《きよめい》に曳く如く、全き頁が淡《あは》く霞んで見える。
 「藤尾」と知らぬ御母《おつか》さんは呼ぶ。
 男はやつと寛容《くつろい》だ姿で、呼ばれた方へ視線を向ける。呼ばれた當人は俯向《うつむい》てゐる。
 「藤尾」と御母《おつか》さんは呼び直す。
 女の眼は漸くに頁を離れた。波を打つ廂髪《ひさしがみ》の、白い額に接《つゞ》く下から、骨張らぬ細い鼻を承《う》けて、紅《くれなゐ》を寸に織る唇が――唇をそと滑つて、頬の末としつくり落ち合ふ?《あご》が――?を棄てゝなよやかに退《ひ》いて行く咽喉《のど》が――次第と現實世界に競《せ》り出して來る。
 「なに?」と藤尾は答へた。晝と夜の間に立つ人の、晝と夜の間の返事である。
 「おや氣樂な人だ事。そんなに面白い御本なのかい。――あとで御覽なさいな。失禮ぢやないか。――此通り世間見ずの我儘もので、まことに困り切ります。――その御本は小野さんから拝借したのかい。大變奇麗な――汚《よご》さない樣になさいよ。本なぞは大事にしないと――」
 「大事にして居ますわ」
 「それぢや、好ゝけれども、又|此間《こなひだ》の樣に……」
 「だつて、ありや兄さんが惡いんですもの」
 「甲野君が如何《どう》かしたんですか」と小野さんは始めて口らしい口を開《ひら》いた。
 「いえ、あなた、どうも我儘者の寄り合ひだもんで御座んすから、始終、小供の樣に喧嘩ばかり致しまして――此間《こなひだ》も兄の本を……」と御母《おつか》さんは藤尾の方を見て、言はうか、言ふまいかと云ふ態度を取る。同情のある恐喝手段は長者《ちやうしや》の好んで年少に對して用ゐる遊戯である。
 「甲野君の書物をどうなすつたんです」と小野さんは恐る/\聞きたがる。
 「言ひませうか」と老人は半《なか》ば笑ひながら、控へてゐる。玩具《おもちや》の九寸五分を突き付けた樣な氣合である。
 「兄の本を庭へ抛《な》げたんですよ」と藤尾は母を差し置いて、鋭どい返事を小野さんの眉間《みけん》へ向けて抛げつけた。御母《おつか》さんは苦笑ひをする。小野さんは口を開《あ》く。
 「これの兄も御存じの通り隨分變人ですから」と御母《おつか》さんは遠廻しに棄鉢《すてばち》になつた娘の御機嫌をとる。
 「甲野さんは未《ま》だ御歸りにならんさうですね」と小野さんは、うまい所で話頭を轉換した。
 「丸《まる》であなた鐵砲玉の樣で――あれも、始終身體が惡いとか申して、愚圖々々して居りますから、夫《それ》ならば、ちと旅行でもして判然《はき/\》したら宜《よ》からうと申しましてね――でも、まだ、何だ蚊だと駄々を捏《こ》ねて、動かないのを、漸く宗近に頼んで連れ出して貰ひました。所が丸《まる》で鐵砲玉で。若いものと申すものは……」
 「若いつて兄さんは特別ですよ。哲學で超絶してゐるんだから特別ですよ」
 「さうかね、御母《おつか》さんには何だか分らないけれども――それにあなた、あの宗近と云ふのが大の呑氣屋《のんきや》で、あれこそ本當の鐵砲玉で、隨分の困りものでしてね」
 「アハヽヽ快活な面白い人ですな」
 「宗近と云へば、御前《おまい》さつきのものは何處にあるのかい」と御母《おつか》さんは、きりゝとした眼を上げて部屋のうちを見廻はす。
 「此所です」と藤尾は、輕く諸膝《もろひざ》を斜めに立てて、青疊の上に、八反《はつたん》の座布團をさらりと滑べらせる。富貴の色は蜷局《とぐろ》を三重に卷いた鎖の中に、堆《うづたか》く七子《なゝこ》の葢《ふた》を盛り上げてゐる。
 右手を伸べて、輝くものを戛然《かつぜん》と鳴らすよと思ふ間《ま》に、掌《たなごゝろ》より滑る鎖が、やおら疊に落ちんとして、一尺の長さに喰ひ留められると、餘る力を横に拔いて、端《はじ》につけた柘榴石《ガーネツト》の飾りと共に、長いものがふらり/\と二三度搖れる。第一の波は紅《くれなゐ》の珠に女の白き腕《かひな》を打つ。第二の波は觀世に動いて、輕く袖口にあたる。第三の波の將《まさ》に靜まらんとするとき、女は衝《つ》と立ち上がつた。
 奇麗な色が、二色、三色入り亂れて、疾《と》く動く景色《けしき》を、茫然と眺めてゐた小野さんの前へぴたりと坐つた藤尾は
 「御母《おかあ》さん」と後《うしろ》を顧みながら、
 「かうすると引き立ちますよ」と云つて故《もと》の席に返る。小野さんの胴衣《ちよつき》の胸には松葉形に組んだ金の鎖が、釦《ぼたん》の穴を左右に拔けて、黒ずんだメルトン地を背景に燦爛《さんらん》と耀《かゞ》やいてゐる。
 「どうです」と藤尾が云ふ。
 「成程善く似合ひますね」と御母《おつか》さんが云ふ。
 「全體どうしたんです」と小野さんは烟《けむ》に卷かれながら聞く。御母《おつか》さんはホヽヽと笑ふ。
 「上げましやうか」と藤尾は流し目に聞いた。小野さんは黙つてゐる。
 「ぢや、まあ、止《よ》しませう」と藤尾は再び立つて小野さんの胸から金時計を外《はづ》して仕舞つた。
 
     三
 
 柳|?《た》れて條々《でう/\》の烟を欄に吹き込む程の雨の日である。衣桁《いかう》に懸けた紺の背廣の暗く下がるしたに、黒い靴足袋《くつたび》が三分一《さんぶいち》裏返しに丸く蹲踞《うづくま》つて居る。違棚の狹い上に、偉大な頭陀袋《づだぶくろ》を据ゑて、締括《しめくゝ》りのない紐をだら/\と嬾《ものうく》も垂らした傍《かたは》らに、錬齒粉《ねりはみがき》と白楊子《しろやうじ》が御早うと挨拶してゐる。立て切つた障子の硝子を通して白い雨の糸が細長く光る。
 「京都といふ所は、いやに寒い所だな」と宗近君は貸浴衣《かしゆかた》の上に銘仙の丹前を重ねて、床柱の松の木を脊負《しよつ》て、傲然と箕坐《あぐら》をかいた儘、外を覗きながら、甲野さんに話しかけた。
 甲野さんは駱駝《らくだ》の膝掛を腰から下へ掛けて、空氣枕の上で黒い頭をぶくつかせてゐたが
 「寒いより眠い所だ」
と云ひながら一寸顔の向を換へると、櫛を入れたての濡れた頭が、空氣の彈力で、脱ぎ棄てた靴足袋《くつたび》と一所になる。
 「寐てばかり居るね。丸《まる》で君は京都へ寐に來た樣なものだ」
 「うん。實に氣樂な所だ」
 「氣樂になつて、まあ結構だ。御母《おつか》さんが心配して居たぜ」
 「ふん」
 「ふんは御挨拶だね。是でも君を氣樂にさせるに就いては、人の知らない苦勞をしてゐるんだぜ」
 「君あの額の字が讀めるかい」
 「成程妙だね。?雨?風《せんうしうふう》か。見た事がないな。何でも人扁《にんべん》だから、人がどうかするんだらう。入《い》らざる字を書きやがる。元來何者だい」
 「分らんね」
 「分からんでもいゝや、夫《それ》より此襖が面白いよ。一面に金紙《きんがみ》を張り付けた所は豪勢だが、所々に皺が寄つてるには驚ろいたね。丸《まる》で緞帳芝居《どんちやうしばゐ》の道具立《だうぐだて》見た樣だ。そこへ持つて來て、筍《たけのこ》を三本、景氣に描《か》いたのは、どう云ふ了見だらう。なあ甲野さん、これは謎《なぞ》だぜ」
 「何と云ふ謎だい」
 「夫《それ》は知らんがね。意味が分からないものが描《か》いてあるんだから謎だらう」
 「意味が分からないものは謎にはならんぢやないか。意味があるから謎なんだ」
 「所が哲學者なんてものは意味がないものを謎だと思つて、一生懸命に考へてるぜ。氣狂の發明した詰將棋《つめしやうぎ》の手を、青筋を立てゝ研究して居る樣なものだ」
 「ぢや此|筍《たけのこ》も氣違の畫工《ゑかき》が描《か》いたんだらう」
 「ハヽヽヽ。其位|事理《じり》が分つたら煩悶もなからう」
 「世の中と筍《たけのこ》と一所になるものか」
 「君、昔話しにゴーヂアン、ノツトと云ふのがあるぢやないか。知つてるかい」
 「人を中學生だと思つてる」
 「思つてゐなくつても、まあ聞いて見るんだ。知つてるなら云つて見ろ」
 「うるさいな、知つてるよ」
 「だから云つて御覽なさいよ。哲學者なんてものは、よく胡魔化すもので、何を聞いても知らないと白?の出來ない執念深い人間だから、……」
 「どつちが執念深いか分りやしない」
 「どつちでも、いゝから、云つて御覽」
 「ゴーヂアン、ノツトと云ふのはアレキサンダー時代の話しさ」
 「うん、知つてるね。夫《それ》で」
 「ゴーヂアスと云ふ百姓がジユピターの神へ車を奉納《ほうなふ》した所が……」
 「おや/\、少し待つた。そんな事があるのかい。夫《それ》から」
 「そんな事があるのかつて、君、知らないのか」
 「そこ迄は知らなかつた」
 「何だ。自分こそ知らない癖に」
 「ハヽヽヽ學校で習つた時はヘ師が其所迄はヘへなかつた。あのヘ師も其所迄は屹度《きつと》知らないに違ない」
 「所が其百姓が、車の轅《ながえ》と横木を蔓《かづら》で結《ゆは》ひた結び目を誰がどうしても解く事が出來ない」
 「なある程、夫《それ》をゴーヂアン、ノツトと云ふんだね。
さうか。其|結目《ノツト》をアレキサンダーが面倒臭いつて、刀を拔いて切つちまつたんだね。うん、さうか」
 「アレキサンダーは面倒臭いとも何とも云やあしない」
 「夫《そ》りやどうでもいゝ」
 「此|結目《ノツト》を解いたものは東方の帝たらんと云ふ神託《しんたく》を聞いたとき、アレキサンダーがそれなら、かうする許《ばか》りだと云つて……」
 「そこは知つてるんだ。そこは學校の先生にヘはつた所だ」
 「それぢや、夫《それ》でいゝぢやないか」
 「いゝがね、人間は、それなら斯うする許《ばか》りだと云ふ了見がなくつちや駄目だと思ふんだね」
 「それも宜《よ》からう」
 「それも宜からうぢや張り合がないな。ゴーヂアン、ノツトはいくら考へたつて解けつこ無いんだもの」
 「切れば解けるのかい」
 「切れば――解けなくつても、まあ都合がいゝやね」
 「都合か。世の中に都合程卑怯なものはない」
 「するとアレキサンダーは大變な卑怯な男になる譯だ」
 「アレキサンダーなんか、そんなに豪いと思つてるのか」
 會話は一寸切れた。甲野さんは寐返りを打つ。宗近君は箕坐《あぐら》の儘旅行案内をひろげる。雨は斜めに降る。
 古い京をいやが上に寂びよと降る糠雨《ぬかあめ》が、赤い腹を空に見せて衝《つ》いと行く乙鳥《つばくら》の脊に應《こた》へる程繁くなつたとき、下京《しもきやう》も上京《かみきやう》もしめやかに濡れて、三十六峰《さんじふろつぽう》の翠《みど》りの底に、音は友禪《いうぜん》の紅《べに》を溶いて、菜の花に注ぐ流のみである。「御前川上、わしや川下で……」と芹《せり》を洗ふ門口《かどぐち》に、眉をかくす手拭の重きを脱げば、「大文字《だいもんじ》」が見える。「松蟲《まつむし》」も「鈴蟲《すゞむし》」も幾代《いくよ》の春を苔蒸して、鶯の鳴くべき藪に、墓ばかりは殘つてゐる。鬼の出る羅生門に、鬼が來ずなつてから、門もいつの代にか取り毀《こぼ》たれた。綱が?《も》ぎとつた腕の行末《ゆくへ》は誰にも分からぬ。只昔しながらの春雨《はるさめ》が降る。寺町では寺に降り、三條では橋に降り、祇園では櫻に降り、金閣寺では松に降る。宿の二階では甲野さんと宗近君に降つて居る。
 甲野さんは寐ながら日記を記《つ》けだした。横綴《よことぢ》の茶の表布《クロース》の少しは汗に汚《よ》ごれた角《かど》を、折る樣にあけて、二三枚めくると、一頁の三《さん》が一《いち》ほど白い所が出て來た。甲野さんは此所から書き始める。鉛筆を執つて景氣よく、
 「一奩樓角雨《いちれんろうかくのあめ》、閑殺古今人《かんさつすこゝんのひと》」
と書いて暫らく考へて居る。轉結《てんけつ》を添へて絶句《ぜつく》にする氣と見える。
 旅行案内を放《はふ》り出して宗近君はずしんと疊を威嚇《おどか》して椽側へ出る。椽側には御誂向《おあつらへむき》に一脚の籐《と》の椅子が、人待ち顔に、しめつぽく据ゑてある。連※[草冠/翹]《れんげう》の疎《まばら》なる花の間から隣り家《や》の座敷が見える。障子は立て切つてある。中《うち》では琴の音《ね》がする。
 「忽※[耳+吾]彈琴響《たちまちきくだんきんのひゞき》、垂楊惹恨新《すゐやううらみをひいてあらたなり》」
と甲野さんは別行に十字書いたが、氣に入らぬと見えて、すぐ|樣《さま》棒を引いた。あとは普通の文章になる。
 「宇宙は謎である。謎を解くは人々《ひと/”\》の勝手である。勝手に解いて、勝手に落ち付くものは幸福である。疑へば親さへ謎である。兄弟さへ謎である。妻も子も、かく觀ずる自分さへも謎である。此世に生まれるのは解けぬ謎を、押し付けられて、白頭《はくとう》に??《せんくわい》し、中夜《ちゆうや》に煩悶する爲めに生まれるのである。親の謎を解く爲めには、自分が親と同體にならねばならぬ。妻の謎を解く爲めには妻と同心にならねばならぬ。宇宙の謎を解く爲めには宇宙と同心同體にならねばならぬ。これが出來ねば、親も妻も宇宙も疑である。解けぬ謎である、苦痛である。親兄弟と云ふ解けぬ謎のある矢先に、妻と云ふ新しき謎を好んで貰ふのは、自分の財産の所置に窮してゐる上に、他人の金錢を預かると一般である。妻と云ふ新らしき謎を貰ふのみか、新らしき謎に、又新らしき謎を生ませて苦しむのは、預かつた金錢に利子が積んで、他人の所得をみづからと持ち扱ふ樣なものであらう。……凡《すべ》ての疑は身を捨てゝ始めて解決が出來る。只|如何《どう》身を捨てるかゞ問題である。死? 死とはあまりに無能である」
 宗近君は籐《と》の椅子に横平《わうへい》な腰を据ゑて先《さ》つきから隣りの琴を聽いてゐる。御室《おむろ》の御所《ごしよ》の春寒《はるさむ》に、銘を給はる琵琶の風流は知る筈がない。十三絃を南部《なんぶ》の菖蒲形《しやうぶがた》に張つて、象牙に置いた蒔繪の舌を氣高しと思ふ數奇《すき》も有《も》たぬ。宗近君は只漫然と聽いてゐる許《ばか》りである。
 滴々と垣を蔽ふ連※[草冠/翹]《れんげう》の黄《き》な向ふは業平竹《なりひらだけ》の一叢《ひとむら》に、苔の多い御影の突《つ》く這《ば》ひを添へて、三坪に足らぬ小庭には、一面に叡山苔《えいざんごけ》を這はしてゐる。琴の音《ね》は此庭から出る。
 雨は一つである。冬は合羽《かつぱ》が凍《こほ》る。秋は燈心が細る。夏は褌《ふどし》を洗ふ。春は――平打《ひらうち》の銀簪《ぎんかん》を疊の上に落した儘、貝合せの貝の裏が朱と金と藍に光る傍《かたはら》に、ころりんと掻き鳴らし、又ころりんと掻き亂す。宗近君の聽いてるのはまさに此ころりんである。
 「眼に見るは形である」と甲野さんは又別行に書き出した。
 「耳に聽くは聲である。形と聲は物の本體ではない。物の本體を證得しないものには形も聲も無意義である。何物かを此奧に捕《とら》へたる時、形も聲も悉《こと/”\》く新らしき形と聲になる。是が象徴である。象徴とは本來空《ほんらいくう》の不可思議を眼に見、耳に聽く爲めの方便である。……」
 琴の手は次第に繁くなる。雨滴《あまだれ》の絶間を縫ふて、白い爪が幾度か駒《こま》の上を飛ぶと見えて、濃《こまや》かなる調べは、太き糸の音《ね》と細き糸の音を綯《よ》り合せて、代る/\に亂れ打つ樣に思はれる。甲野さんが「無絃の琴を聽いて始めて序破急《じよはきふ》の意義を悟る」と書き終つた時、椅子に靠《もた》れて隣家《となり》許《ばか》りを瞰下《みおろ》して居た宗近君は
 「おい、甲野さん、理窟ばかり云はずと、ちとあの琴でも聽くがいゝ。中々旨いぜ」
と椽側から部屋の中へ聲を掛けた。
 「うん、先《さ》つきから拝聽してゐる」と甲野さんは日記をぱたりと伏せた。
 「寐ながら拝聽する法はないよ。一寸椽迄出張を命ずるから出て來なさい」
 「なに、こゝで結構だ。構つて呉れるな」と甲野さんは空氣枕を傾けた儘起き上がる景色《けしき》がない。
 「おい、どうも東山が奇麗に見えるぜ」
 「さうか」
 「おや、鴨川を渉《わた》る奴がある。實に詩的だな。おい、川を渉る奴があるよ」
 「渉《わた》つてもいゝよ」
 「君、布團着て寐たる姿やとか何とか云ふが、どこに布團を着て居る譯かな。一寸此所迄來てヘへて呉れんかな」
 「いやだよ」
 「君、さうかうして居るうちに加茂の水嵩《みづかさ》が揩オて來たぜ。いやあ大變だ。橋が落ちさうだ。おい橋が落ちるよ」
 「落ちても差し支へなしだ」
 「落ちても差し支へなしだ? 晩に都踊が見られなくつても差し支へなしかな」
 「なし、なし」と甲野さんは面倒臭くなつたと見えて、寐返りを打つて、例の金襖の筍《たけのこ》を横に眺め始めた。
 「さう落ち付いて居ちや仕方がない。こつちで降參するより外に名案もなくなつた」と宗近さんは、とう/\我《が》を折つて部屋の中《なか》へ這入つて來る。
 「おい、おい」
 「何だ、うるさい男だね」
 「あの琴を聽いたらう」
 「聽いたと云つたぢやないか」
 「ありや、君、女だぜ」
 「當り前さ」
 「幾何《いくつ》だと思ふ」
 「幾歳《いくつ》だかね」
 「さう冷淡ぢや張り合がない。ヘへて呉れなら、ヘへて呉れと判然《はつきり》云ふがいゝ」
 「誰が云ふものか」
 「云はない? 云はなければ此方《こつち》で云ふ許《ばか》りだ。ありや、島田《しまだ》だよ」
 「座敷でも開《あ》いてるのかい」
 「なに座敷はぴたりと締つてる」
 「それぢや又例の通り好加減《いゝかげん》な雅號なんだらう」
 「雅號にして本名なるものだね。僕はあの女を見たんだよ」
 「どうして」
 「そら聽き度くなつた」
 「何聽かなくつてもいゝさ。そんな事を聞くより此|筍《たけのこ》を研究して居る方が餘つ程面白い。此|筍《たけのこ》を寐てゐて横に見ると、脊《せい》が低く見えるがどう云ふものだらう」
 「大方君の眼が横に着いてゐる所爲《せゐ》だらう」
 「二枚の唐紙に三本|描《か》いたのは、どう云ふ因縁だらう」
 「あんまり下手だから一本負けた積りだらう」
 「筍の眞青《まつさを》なのは何故だらう」
 「食ふと中毒《あた》ると云ふ謎なんだらう」
 「矢つ張り謎か。君だつて謎を釋《と》くぢやないか」
 「ハヽヽヽ。時々は釋《と》いて見るね。時に僕がさつきから島田の謎を解いてやらうと云ふのに、一向《いつかう》釋《と》かせないのは哲學者にも似合はん不熱心な事だと思ふがね」
 「釋《と》きたければ釋くさ。さう勿體振《もつたいぶ》つたつて、頭を下げる樣な哲學者ぢやない」
 「それぢや、ひと先づ安つぽく釋《と》いて仕舞つて、後から頭を下げさせる事に仕《し》樣《やう》。――あのね、あの琴の主はね」
 「うん」
 「僕が見たんだよ」
 「そりや今聽いた」
 「さうか。それぢや別に話す事もない」
 「なければ、いゝさ」
 「いや好くない。それぢや話す。昨日《きのふ》ね、僕が湯から上がつて、椽側で肌を拔いで凉んで居ると――聽きたいだらう――僕が何氣なく鴨東《あふとう》の景色《けしき》を見廻はして、あゝ好い心持ちだと不圖眼を落して隣家を見下すと、あの娘が障子を半分開けて、開けた障子に靠《も》たれかゝつて庭を見て居たのさ」
 「別嬪《べつぴん》かね」
 「あゝ別嬪だよ。藤尾さんよりわるいが糸公《いとこう》より好い樣だ」
 「さうかい」
 「夫《それ》つきりぢや、餘《あん》まり他愛《たあい》が無さ過ぎる。夫《そ》りや殘念な事をした、僕も見れば宜《よ》かつた位義理にも云ふがいゝ」
 「夫《そ》りや殘念な事をした、僕も見れば宜かつた」
 「ハヽヽヽだから見せてやるから椽側迄出て來いと云ふのに」
 「だつて障子は締つてるんぢやないか」
 「其うち開《あ》くかも知れないさ」
 「ハヽヽヽ小野なら障子の開《あ》く迄待つてるかも知れない」
 「さうだね。小野を連れて來て見せてやれば好かつた」
 「京都はあゝ云ふ人間が住むに好い所だ」
 「うん全く小野的だ。大將、來いと云ふのになんの蚊のと云つて、とう/\來ない」
 「春休みに勉強しやうと云ふんだらう」
 「春休みに勉強が出來るものか」
 「あんな風ぢや何時《いつ》だつて勉強が出來やしない。一體文學者は輕いからいけない」
 「少々耳が痛いね。此方《こつち》も餘《あん》まり重くはない方だからね」
 「いえ、單なる文學者と云ふものは霞に醉つてぽうつとして居る許《ばか》りで、霞を披《ひら》いて本體を見付け樣《やう》としないから性根《しやうね》がないよ」
 「霞の醉《よ》つ拂《ぱらひ》か。哲學者は余計な事を考へ込んで苦《にが》い顔をするから、塩水の醉つ拂だらう」
 「君見た樣に叡山へ登るのに、若狹《わかさ》迄突き貫ける男は白雨《ゆふだち》の醉つ拂だよ」
 「ハヽヽヽ夫《そ》れぞれ醉つ拂つてるから妙だ」
 甲野さんの黒い頭は此時漸く枕を離れた。光澤《つや》のある髪で濕つぽく壓《お》し付けられて居た空氣が、彈力で膨《ふく》れ上がると、枕の位置が疊の上で一寸廻つた。同時に駱駝《らくだ》の膝掛が擦《ず》り落ちながら、裏を返して半分《はんぶ》に折れる。下から、だらしなく腰に捲き付けた平絎《ひらぐけ》の細帶があらはれる。
 「成程醉つ拂ひに違ない」と枕元に畏まつた宗近君は、即座に品評を加へた。相手は痩せた體?《からだ》を持ち上げた肱を二段に伸《のば》して、手の平に胴を支へた儘、自分で自分の腰のあたりを睨《ね》め廻して居たが
 「慥《たし》かに醉つ拂つてる樣だ。君は又珍らしく畏まつてるぢやないか」と一重瞼《ひとへまぶた》の長く切れた間から、宗近君をぢろりと見た。
 「おれは、是で正氣なんだからね」
 「居住《ゐずまひ》丈《だけ》は正氣だ」
 「精神も正氣だからさ」
 「どてら〔三字傍点〕を着て跪坐《かしこま》てるのは、醉つ拂つてゐながら、異?がないと得意になる樣なものだ。猶《なほ》可笑《をか》しいよ。醉つ拂ひは醉拂《よつぱらひ》らしくするがいゝ」
 「さうか、夫《そ》れぢや御免蒙らう」と宗近君はすぐさま胡坐《あぐら》をかく。
 「君は感心に愚《ぐ》を主張しないからえらい。愚にして賢と心得てゐる程|片腹《かたはら》痛い事はないものだ」
 「諫《いさめ》に從ふ事流るゝがごとしとは僕の事を云つたものだよ」
 「醉拂つて居ても夫《それ》なら大丈夫だ」
 「なんて生意氣を云ふ君はどうだ。醉拂つて居ると知りながら、胡坐《あぐら》をかく事も跪坐《かしこま》る事も出來ない人間だらう」
 「まあ立《たち》ん坊《ばう》だね」と甲野さんは淋《さび》し氣に笑つた。勢込んで喋舌《しやべ》つて來た宗近君は急に眞面目になる。甲野さんの此笑ひ顔を見ると宗近君は屹度《きつと》眞面目にならなければならぬ。幾多の顔の、幾多の表情のうちで、あるものは必ず人の肺腑に入る。面上の筋肉が我勝《われが》ちに躍る爲めではない。頭上の毛髪が一筋毎に稻妻を起す爲めでもない。涙管の關が切れて滂沱《ばうだ》の觀を添ふるが爲めでもない。いたづらに劇烈なるは、壯士が事もなきに劔を舞はして床《ゆか》を斬る樣なものである。淺いから動くのである。本郷座の芝居である。甲野さんの笑つたのは舞臺で笑つたのではない。
 毛筋程な細い管を通して、捕《とら》へがたい情《なさ》けの波が、心の底から辛うじて流れ出して、ちらりと浮世の日に影を宿したのである。徃來に轉がつてゐる表情とは違ふ。首を出して、浮世だなと氣が付けばすぐ奧の院へ引き返す。引き返す前に、捕《つら》まへた人が勝ちである。捕《つら》まへ損なへば生涯甲野さんを知る事は出來ぬ。
 甲野さんの笑は薄く、柔らかに、寧ろ冷やかである。其|大人《おとな》しいうちに、其速かなるうちに、其消えて行くうちに、甲野さんの一生は明かに描《ゑが》き出されてゐる。此瞬間の意義を、さうかと合點するものは甲野君の知己である。斬つた張つたの境に甲野さんを置いて、はゝあ、斯《こ》んな人かと合點する樣では親子と雖《いへ》ども未《いま》だしである。兄弟と雖ども他人である。斬つた張つたの境に甲野さんを置いて、始めて甲野さんの性格を描《ゑが》き出すのは野暮な小説である。二十世紀に斬つた張つたが無暗に出て來るものではない。
 春の旅は長閑《のどか》である。京の宿は靜かである。二人は無事である。巫山戯《ふざけ》てゐる。其間に宗近君は甲野さんを知り、甲野さんは宗近君を知る。是が世の中である。
 「立ん坊か」と云つた儘宗近君は駱駝《らくだ》の膝掛の馬簾《ばれん》をひねくり始めたが、やがて
 「何時《いつ》迄も立ん坊か」
と相手の顔は見ず、質問の樣に、獨語《ひとりごと》の樣に、駱駝《らくだ》の膝掛に話しかける樣に、立ん坊を繰り返した。
 「立ん坊でも覺悟|丈《だけ》はちやんとしてゐる」と甲野さんは此時始めて、腰を浮かして、相手の方に向き直る。
 「叔父さんが生きてると好ゝがな」
 「なに、阿爺《おやぢ》が生きて居ると却つて面倒かも知れない」
 「さうさなあ」と宗近君はなあ〔二字傍点〕を引つ張つた。
 「つまり、家《うち》を藤尾に呉れて仕舞へば夫《それ》で濟むんだからね」
 「夫《それ》で君はどうするんだい」
 「僕は立ん坊さ」
 「愈《いよ/\》本當の立ん坊か」
 「うん、どうせ家《うち》を襲《つ》いだつて立ん坊、襲《つ》がなくつたつて立ん坊なんだから一向《いつかう》構はない」
 「然しそりや、行《い》かん。第一叔母さんが困るだらう」
 「母がか」
 甲野さんは妙な顔をして宗近君を見た。
 疑がへば己《おのれ》にさへ欺むかれる。况《ま》して己《おのれ》以外の人間の、利害の衢《ちまた》に、損失の塵除《ちりよけ》と被《かぶ》る、面の厚さは、容易には度《はか》られぬ。親しき友の、わが母を、さうと評するのは、面の内側で評するのか、又は外側でのみ云ふ了見か。己《おのれ》にさへ、己《おのれ》を欺く魔の、どこにか潜んで居る樣な氣持は免かれぬものを、無二の友達とは云へ、父方の縁續きとは云へ、迂濶には天機を洩らし難い。宗近の言《こと》は繼母に對するわが心の底を見ん爲めの鎌か。見た上でも元の宗近ならば夫《それ》迄《まで》であるが、鎌を懸ける程の男ならば、思ふ通りを引き出した後《あと》で、どう引つ繰り返らぬとも保證は出來ん。宗近の言《こと》は眞率なる彼の、裏表の見界《みさかひ》なく、母の口占《くちうら》を一圖《いちづ》にそれと信じたる反響か。平生の彼是から推《お》して見ると多分さうだらう。よもや、母から頼まれて、曇る胸の、われにさへ恐ろしき淵の底に、詮索《さぐり》の錘《おもり》を投げ込む樣な卑劣な振舞はしまい。けれども、正直な者程人には使はれ易い。卑劣と知つて、人の手先にはならんでも、われに對する好意から、見損《みそく》なつた母の意を承《う》けて、御互に面白からぬ結果を、必然の期程《きてい》以前に、家庭のなかに打《ぶ》ち開《ま》ける事がないとも限らん。何《いづ》れにしても入らぬ口は發《き》くまい。
 二人は暫く無言である。隣家《となり》では未《ま》だ琴を彈いてゐる。
 「あの琴は生田流《いくたりう》かな」と甲野さんは、付かぬ事を聞く。
 「寒くなつた、狐の袖無《ちやん/\》でも着やう」と宗近君も、付かぬ事を云ふ。二人は離れ/\に口を發《き》いて居る。
 丹前の胸を開いて、違棚の上から、例の異樣な胴衣《ちよつき》を取り下ろして、體《たい》を斜めに腕を通した時、甲野さんは聞いた。
 「其|袖無《ちやん/\》は手製か」
 「うん、皮は支那に行つた友人から貰つたんだがね、表は糸公が着けて呉れた」
 「本物だ。旨いもんだ。御糸《おいと》さんは藤尾なんぞと違つて實用的に出來てゐるからいゝ」
 「いゝか、ふん。彼奴《あいつ》が嫁に行くと少々困るね」
 「いゝ嫁の口はないかい」
 「嫁の口か」と宗近君は一寸甲野さんを見たが、氣の乘らない調子で「無い事もないが……」とだらりと言葉の尾を垂れた。甲野さんは問題を轉じた。
 「御糸さんが嫁に行くと御叔父《をぢ》さんも困るね」
 「困つたつて仕方がない、どうせ何時《いつ》か困るんだもの。――夫《それ》よりか君は女房を貰はないのかい」
 「僕か――だつて――食はす事が出來ないもの」
 「だから御母《おつか》さんの云ふ通りに君が家《うち》を襲《つ》いで……」
 「夫《そ》りや駄目だよ。母が何と云つたつて、僕は厭《いや》なんだ」
 「妙だね、どうも。君が判然しないもんだから、藤尾さんも嫁に行かれないんだらう」
 「行かれないんぢやない、行かないんだ」
 宗近君はだまつて鼻をぴくつかせてゐる。
 「又|鱧《はも》を食はせるな。毎日|鱧《はも》許《ばか》り食つて腹の中が小骨だらけだ。京都と云ふ所は實に愚《ぐ》な所だ。もういゝ加減に歸らうぢやないか」
 「歸つてもいゝ。鱧《はも》位なら歸らなくつてもいゝ。然し君の嗅覺は非常に鋭敏だね。鱧《はも》の臭がするかい」
 「するぢやないか。台所でしきりに燒いてゐらあね」
 「其位蟲が知らせると阿爺《おやぢ》も外國で死なゝくつても濟んだかも知れない。阿爺《おやぢ》は嗅覺が鈍かつたと見える」
 「ハヽヽヽ。時に御叔父《をぢ》さんの遺物はもう、着いたか知ら」
 「もう着いた時分だね。公使館の佐伯《さへき》と云ふ人が持つて來て呉れる筈だ。――何にもないだらう――書物が少しあるかな」
 「例の時計はどうしたらう」
 「さう/\。倫敦《ろんどん》で買つた自慢の時計か。あれは多分來るだらう。小供の時から藤尾の玩具《おもちや》になつた時計だ。あれを持つと中々離さなかつたもんだ。あの鏈《くさり》に着いて居る柘榴石《ガーネツト》が氣に入つてね」
 「考へると古い時計だね」
 「さうだらう、阿爺《おやぢ》が始めて洋行した時に買つたんだから」
 「あれを御叔父《おぢ》さんの片身《かたみ》に僕に呉れ」
 「僕もさう思つて居た」
 「御叔父《をぢ》さんが今度洋行するときね、歸つたら卒業祝に是を御前にやらうと約束して行つたんだよ」
 「僕も覺えてゐる。――ことによると今頃は藤尾が取つて又|玩具《おもちや》にしてゐるかも知れないが……」
 「藤尾さんとあの時計は到底離せないか。ハヽヽヽなに構はない、夫《それ》でも貰はう」
 甲野さんは、だまつて宗近君の眉の間を、長い事見て居た。御晝の膳の上には宗近君の豫言通り鱧《はも》が出た。
 
     四
 
 甲野さんの日記の一節に云ふ。
 「色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず」
 小野さんは色を見て世を暮らす男である。
 甲野さんの日記の一節に又云ふ。
 「生死因縁無了期《しやうじいんねんれうきなし》、色相世界現狂癡《しきさうせかいきやうちをげんず》」
 小野さんは色相世界《しきさうせかい》に住する男である。
 小野さんは暗い所に生れた。ある人は私生兒だとさへ云ふ。筒袖を着て學校へ通ふ時から友達に苛《いぢ》められて居た。行く所で犬に吠えられた。父は死んだ。外《そと》で辛《ひど》い目に遇つた小野さんは歸る家が無くなつた。已《や》むなく人の世話になる。
 水底《みなそこ》の藻は、暗い所に漂《たゞよ》ふて、白帆行く岸邊に日のあたる事を知らぬ。右に搖《うご》かうが、左《ひだ》りに靡《なび》かうが嬲《なぶ》るは波である。唯其時々に逆らはなければ濟む。馴れては波も氣にならぬ。波は何物ぞと考へる暇もない。何故《なぜ》波がつらく己《おの》れにあたるかは無論問題には上《のぼ》らぬ。上つた所で改良は出來ぬ。只運命が暗い所に生へて居ろと云ふ。そこで生えてゐる。只運命が朝な夕なに動けと云ふ。だから動いてゐる。――小野さんは水底《みなそこ》の藻であつた。
 京都では孤堂先生《こだうせんせい》の世話になつた。先生から絣の着物をこしらへて貰つた。年に二十圓の月謝も出して貰つた。書物も時々ヘはつた。祇園の櫻をぐる/\周《まは》る事を知つた。智恩院の勅額《ちよくがく》を見上げて高いものだと悟つた。御飯も一人前《いちにんまへ》は食ふ樣になつた。水底《みなそこ》の藻は土を離れて漸く浮かび出す。
 東京は目の眩《くら》む所である。元禄の昔に百年の壽《ことぶき》を保つたものは、明治の代《よ》に三日住んだものよりも短命である。餘所《よそ》では人が蹠《かゝと》であるいて居る。東京では爪先《つまさき》であるく。逆立をする。横に行く。氣の早いものは飛んで來る。小野さんは東京できり/\と回つた。
 きり/\と回つた後《あと》で、眼を開けて見ると世界が變つて居る。眼を擦《こ》すつても變つてゐる。變だと考へるのは惡《わ》るく變つた時である。小野さんは考へずに進んで行く。友達は秀才だと云ふ。ヘ授は有望だと云ふ。下宿では小野さん/\と云ふ。小野さんは考へずに進んで行く。進んで行つたら陛下から銀時計を賜はつた。浮かび出した藻は水面で白い花をもつ。根のない事には氣がつかぬ。
 世界は色の世界である。只此色を味《あじは》へば世界を味はつたものである。世界の色は自己の成功につれて鮮やかに眼に映る。鮮やかなる事錦を欺くに至つて生きて甲斐ある命は貴《たふ》とい。小野さんの手巾《はんけち》には時々ヘリオトロープの香《にほひ》がする。
 世界は色の世界である、形は色の殘骸《なきがら》である。殘骸《なきがら》を論《あげつら》つて中味の旨きを解せぬものは、方圓の器《うつは》に拘《かゝ》はつて、盛り上る酒の泡をどう片づけて然るべきかを知らぬ男である。いかに見極めても皿は食はれぬ。唇を着けぬ酒は氣が拔ける。形式の人は、底のない道義の巵《さかづき》を抱《いだ》いて、路頭に跼蹐《きよくせき》してゐる。
 世界は色の世界である。いたづらに空華《くうげ》と云ひ鏡花《きやうくわ》と云ふ。眞如《しんによ》の實相とは、世に容れられぬ畸形の徒が、容れられぬ恨を、黒?郷裏《こくてんきやうり》に晴らす爲めの妄想である。盲人は鼎《かなへ》を撫でる。色が見えねばこそ形が究《きは》めたくなる。手のない盲人は撫でる事をすら敢てせぬ。ものゝ本體を耳目の外《ほか》に求めんとするは、手のない盲人の所作《しよさ》である。小野さんの机の上には花が活《い》けてある。窓の外には柳が緑を吹く。鼻の先には金縁の眼鏡が掛かつてゐる。
 絢爛《けんらん》の域を超えて平淡に入るは自然の順序である。我らは昔《むか》し赤ん坊と呼ばれて赤いべゞ〔二字傍点〕を着せられた。大抵のものは繪畫《にしきゑ》のなかに生ひ立つて、四條派《しでうは》の淡彩から、雲谷流《うんこくりう》の墨畫《すみゑ》に老いて、遂に棺桶の果敢《はか》なきに親しむ。顧みると母がある、姉がある、菓子がある、鯉の幟《のぼり》がある。顧みれば顧みる程|華麗《はなやか》である。小野さんは趣《おもむき》が違ふ。自然の徑路《けいろ》を逆《さか》しまにして、暗い土から、根を振り切つて、日の透る波の、明るい渚《なぎさ》へ漂ふうて來た。――坑《あな》の底で生れて一段ごとに美しい浮世へ近寄る爲には二十七年かゝつた。二十七年の歴史を過去の節穴から覗いて見ると、遠くなればなる程暗い。只其途中に一點の紅《くれなゐ》がほのかに搖《うご》いて居る。東京へ來立《きたて》には此|紅《くれなゐ》が戀しくて、寒い記憶を繰り返すのも厭《いと》はず、度々過去の節穴を覗いては、長き夜《よ》を、永き日を、あるは時雨《しぐ》るゝを床《ゆか》しく暮らした。今は――紅《くれなゐ》も大分《だいぶ》遠退《とほの》いた。其上、色も餘程|褪《さ》めた。小野さんは節穴を覗く事を怠たる樣になつた。
 過去の節穴を塞ぎかけたものは現在に滿足する。現在が不景氣だと未來を製造する。小野さんの現在は薔薇《ばら》である。薔薇の蕾《つぼみ》である。小野さんは未來を製造する必要はない。蕾《つぼ》んだ薔薇《ばら》を一面に開かせればそれが自《おのづ》からなる彼の未來である。未來の節穴を得意の管《くだ》から眺めると、薔薇はもう開いて居る。手を出せば捕《つら》まへられさうである。早く捕《つら》まへろと誰かゞ耳の傍《そば》で云ふ。小野さんは博士論文を書かうと決心した。
 論文が出來たから博士になるものか、博士になる爲に論文が出來るものか、博士に聞いて見なければ分らぬが、とにかく論文を書かねばならぬ。只の論文ではならぬ、必ず博士論文でなくてはならぬ。博士は學者のうちで色の尤も見事なるものである。未來の管《くだ》を覗く度に博士の二字が金色《こんじき》に燃えてゐる。博士の傍《そば》には金時計が天から懸つてゐる。時計の下には赤い柘榴石《ガーネツト》が心臓の?となつて搖れてゐる。其|側《わき》に黒い眼の藤尾さんが繊《ほそ》い腕を出して手招《てまね》ぎをしてゐる。凡《すべ》てが美くしい畫《ゑ》である。詩人の理想は此畫の中の人物となるにある。
 昔《むか》しタンタラスと云ふ人があつた。わるい事をした罸《ばち》で、苛《ひど》い目に逢ふたと書いてある。身體《からだ》は肩深く水に浸《ひた》つてゐる。頭の上には旨さうな菓物《くだもの》が累々と枝をたわゝに結實《な》つてゐる。タンタラスは咽喉《のど》が渇く。水を飲まうとすると水が退《ひ》いて行く。タンタラスは腹が減る。菓物《くだもの》を食はうとすると菓物《くだもの》が逃げて行く。タンタラスの口が一尺動くと向ふでも一尺動く。二尺|前《すゝ》むと向ふでも二尺|前《すゝ》む。三尺四尺は愚か、千里を行き盡しても、タンタラスは腹が減り通しで、咽喉が渇き續けである。大方今でも水と菓物《くだもの》を追つ懸けて歩いてるだらう。――未來の管《くだ》を覗く度に、小野さんは、何だかタンタラスの子分の樣な氣がする。それのみではない。時によると藤尾さんがつんと澄まして居る事がある。長い眉を押し付けた樣に短かくして、屹と睨めて居る事がある。柘榴石《ガーネツト》がぱつと燃えて、?のなかに、女の姿が、包まれながら消えて行く事がある。博士の二字が段々薄くなつて剥げながら暗くなる事がある。時計が遙かな天から隕石の樣に落ちて來て、割れる事がある。其時はぴしりと云ふ音がする。小野さんは詩人であるから色々な未來を描《ゑが》き出す。
 机の前に頬杖を突いて、色硝子の一輪挿をぱつと蔽ふ椿の花の奧に、小野さんは、例によつて自分の未來を覗いて居る。幾通りもある未來のなかで今日は一層出來がわるい。
 「此時計をあなたに上げたいんだけれどもと女が云ふ。どうか下さいと小野さんが手を出す。女が其手をぴしやりと平手《ひらて》でたゝいて、御氣の毒樣もう約束濟ですと云ふ。ぢや時計は入りません、然しあなたは……と聞くと、私? 私は無論時計にくつ付いてゐるんですと向《むかふ》をむいて、すた/\歩き出す」
 小野さんは、此所迄未來をこしらへて見たが、餘り殘刻《ざんこく》なのに驚いて、又最初から出直さうとして、少し痛くなり掛けた?を持ち上げると、障子が、すうと開《あ》いて、御手紙ですと下女が封書を置いて行く。
 「小野清三樣」と子昂流《すがうりう》にかいた名宛を見た時、小野さんは、急に兩肱に力を入れて、机に持たした體《たい》を跳ねる樣に後《うしろ》へ引いた。未來を覗く椿の管《くだ》が、同時に搖れて、唐紅《からくれなゐ》の一片《ひとひら》がロゼツチの詩集の上に音なしく落ちて來る。完き未來は、はや崩れかけた。
 小野さんは机に添へて左《ひだ》りの手を伸《の》した儘、顔を斜めに、受け取つた封書を掌《てのひら》の上に遠くから眺めて居たが、容易に裏を返さない。返さんでも大方の見當は付いて居る。付いて居ればこそ返しにくい。返した曉に推察の通りであつたなら、それこそ取り返しが付かぬ。かつて龜《かめのこ》に聞いた事がある。首を出すと打たれる。どうせ打たれるとは思ひながら、出來るならばと甲羅《かふら》の中に立て籠る。打たれる運命を眼前に控へた間際でも、一刻の首は一刻|丈《だけ》縮めてゐたい。思ふに小野さんは事實の判決を一寸《いつすん》に逃《のが》れる學士の龜《かめのこ》であらう。龜《かめのこ》は早晩首を出す。小野さんも今に封筒の裏を返すに違ない。
 良《やゝ》暫く眺めて居ると今度は掌《てのひら》が六《む》づ痒《が》ゆくなる。一刻の安きを貪《むさぼ》つた後《あと》は、安き思を、猶《なほ》安くする爲めに、裏返して得心したくなる。小野さんは思ひ切つて、封筒を机の上に逆《ぎやく》に置いた。裏から井上孤堂《ゐのうへこだう》の四字が明かにあらはれる。白い?袋に墨を惜しまず肉太に記した草字《さうじ》は、小野さんの眼に、針の先を並べて植ゑつけた樣に紙を離れて飛び付いて來た。
 小野さんは障《さは》らぬ神に祟《たゝり》なしと云ふ風で、兩手を机から離す。たゞ顔|丈《だけ》が机の上の手紙に向いて居る。然し机と膝とは一尺の谷で縁が切れてゐる。机から引き取つた手は、ぐにやりとして何だか肩から拔けて行きさうだ。
 封を切らうか、切るまいか。だれか來て封を切れと云へば切らぬ理由を説明して、序《つい》でに自分も安心する。然し人を屈伏させないと到底自分も屈伏させる事が出來ない。あやふやな柔術使は、一度徃來で人を抛《な》げて見ないうちはどうも柔術家たる所以《ゆゑん》を自分に證明する道がない。弱い議論と弱い柔術は似たものである。小野さんは京都以來の友人が一寸遊びに來て呉れゝばいゝと思つた。
 二階の書生が?イオリンを鳴らし始めた。小野さんも近日うちに?イオリンの稽古を始め樣《やう》として居る。今日はそんな氣も一向《いつかう》起らぬ。あの書生は呑氣《のんき》で羨しいと思ふ。――椿の花片《はなびら》が又一つ落ちた。
 一輪挿を持つた儘障子を開《あ》けて椽側へ出る。花は庭へ棄てた。水も序《つい》でにあけた。花活《はないけ》は手に持つてゐる。實は花活も序でに棄てる所であつた。花活を持つた儘椽側に立つてゐる。檜がある。塀がある。向《むかふ》に二階がある。乾きかけた庭に雨傘が干してある。蛇の目の黒い縁《ふち》に落花《らくくわ》が二片《ふたひら》貼付《へばりつ》いて居る。其他色々ある。悉《こと/”\》く無意義にある。みんな器械的である。
 小野さんは重い足を引き擦つて又部屋のなかへ這入つて來た。坐らずに机の前に立つてゐる。過去の節穴がすうと開《あ》いて昔の歴史が細長く遠くに見える。暗い。其暗いなかの一點がぱつと燃え出した。動いて來る。小野さんは急に腰を屈《かゞ》めて手を伸ばすや否や封を切つた。
 「拝啓|柳暗花明《りうあんくわめい》の好時節と相成※[候の草書]處愈御壯健|奉賀《がしたてまつり》※[候の草書]《さふらふ》。小生も不相變《あひかはらず》頑強、小夜《さよ》も息災に※[候の草書]へば、乍憚《はゞかりながら》御休神|可被下《くださるべく》※[候の草書]《さふらふ》。偖《さて》舊臘《きうらふ》中一寸申上※[候の草書]東京表へ轉住の義、其後《そのご》色々の事情にて捗《はか》どりかね※[候の草書]所、此程に至り諸事好都合に埓《らち》あき、愈近日中に斷行の運びに至り※[候の草書]筈につき左樣御承知|被下度《くだされたく》※[候の草書]《さふらふ》。二十年|前《ぜん》に其地を引き拂ひ※[候の草書]儘、兩度の上京に、五六日の逗留の外は、全く故郷の消息に疎《うと》く、萬事不案内に※[候の草書]へば到着の上は定めて御厄介の事と存※[候の草書]。
 「年來住み古《ふ》るしたる住宅は隣家|蔦屋《つたや》にて讓り受け度《たき》旨《むね》申込《まをしこみ》有之《これあり》、其他にも相談の口はかゝり※[候の草書]へども、此方《こちら》に取り極め申※[候の草書]。荷物其他|嵩張《かさば》り※[候の草書]ものは皆當地にて賣拂ひ、可成《なるべく》手輕に引き移る積りに御座※[候の草書]。唯|小夜《さよ》所持の琴一面は本人の希望により、東京迄持ち運び※[候の草書]事に相成※[候の草書]。故《ふる》きを棄てがたき婦女の心情御憐察|可被下《くださるべく》※[候の草書]《さふらふ》。
 「御承知の通|小夜《さよ》は五年|前《ぜん》當地に呼び寄せ※[候の草書]迄、東京にて學校ヘ育を受け※[候の草書]事とて切に轉住の速かなる事を希望致し居※[候の草書]。同人|行末《ゆくすゑ》の義に關しては大略御同意の事と存じ※[候の草書]へば別に不申述《まをしのべず》。追て其地にて御面會の上篤と御協議申上度と存※[候の草書]。
 「博覽會にて御地は定めて雜沓の事と存※[候の草書]。出立の節は可成《なるべく》急行の夜汽車を撰《えら》み度《たく》と存じ※[候の草書]へども、急行は非常の乘客の由につき、一層《いつそ》途中にて一二泊の上ゆる/\上京致すやも計りがたく※[候の草書]。時日刻限はいづれ確定次第御報|可致《いたすべく》※[候の草書]《さふらふ》。先は右當用迄|※[勹の中にタ]々不一」
 讀み終つた小野さんは、机の前に立つた儘である。卷き納めぬ手紙は右の手からだらりと垂れて、清三樣……孤堂とかいた端《はじ》が青いカシミヤの机掛の上に波を打つて二三段に疊まれてゐる。小野さんは自分の手元から半切れを傳はつて机掛の白く染め拔かれてゐるあたり迄順々に見下して行く。見下した眼の行き留つた時、已《やむ》を得ず、睛《ひとみ》を轉じてロゼツチの詩集を眺めた。詩集の表紙の上に散つた二片《ふたひら》の紅《くれなゐ》も眺めた。紅《くれなゐ》に誘はれて、右の角《かど》に在るべき色硝子の一輪挿も眺め樣《やう》とした。一輪挿は何處かへ行つてあらぬ。一昨日《をとゝひ》挿した椿は影も形もない。うつくしい未來を覗く管《くだ》が無くなつた。
 小野さんは机の前へ坐つた。力なく卷き納める恩人の手紙のなかゝら妙な臭が立ち上《のぼ》る。一種古ぼけた黴臭《かびくさ》いにほひが上《のぼ》る。過去のにほひである。忘れんとして躊躇する毛筋の末を引いて、細い縁《えにし》に、絶える程につながるゝ今と昔を、面《ま》のあたりに結び合はす香《にほひ》である。
 半世の歴史を長き穗の心細き迄|逆《さか》しまに尋ぬれば、溯《さかのぼ》る程に暗澹となる。芽を吹く今の幹なれば、通はぬ脉の枯れ枝《え》の末に、錐の力の尖れるを幸と、記憶の命を突き透すは要なしと云はんより寧ろ無慘である。ジエーナスの神は二つの顔に、後《うし》ろをも前をも見る。幸なる小野さんは一つの顔しか持たぬ。背《そびら》を過去に向けた上は、眼に映るは煕々《きゝ》たる前程のみである。後《うしろ》を向けばひゆうと北風が吹く。此寒い所をやつとの思ひで斬り拔けた昨日《きのふ》今日《けふ》、寒い所から、寒いものが追つ懸けて來る。今迄は只忘れゝばよかつた。未來の發展の暖く鮮やかなるうちに、己《おの》れを捲き込んで、一歩でも過去を遠退けば夫《それ》で濟んだ。生きて居る過去も、死んだ過去のうちに靜かに鏤《ちりばめ》られて、動くかとは掛念《けねん》しながらも、先づ大丈夫だらうと、其日、其日に立ち退《の》いては、顧みるパノラマの長く連なる丈《だけ》で、一點も動かぬに胸を撫でゝ居た。所が、昔しながらと高を括つて、過去の管《くだ》を今更覗いて見ると――動くものがある。われは過去を棄てんとしつゝあるに、過去はわれに近付いて來る。逼つて來る。靜かなる前後と枯れ盡したる左右を乘り超えて、暗夜《やみよ》を照らす提灯の火の如く搖れて來る、動いてくる。小野さんは部屋の中を廻り始めた。
 自然は自然を用ゐ盡さぬ。極《きは》まらんとする前に何事か起る。單調は自然の敵である。小野さんが部屋の中を廻り始めて半分《はんぷん》と立たぬうちに、障子から下女の首が出た。
 「御客樣」と笑ひながら云ふ。何故《なぜ》笑ふのか要領を得ぬ。御早うと云つては笑ひ、御歸んなさいと云つては笑ひ、御飯ですと云つては笑ふ。人を見て妄《みだ》りに笑ふものは必ず人に求むる所のある證據である。此下女は慥かに小野さんからある報酬を求めて居る。
 小野さんは氣のない顔をして下女を見たのみである。下女は失望した。
 「通しませうか」
 小野さんは「え、うん」と判然しない返事をする。下女は又失望した。下女が無暗に笑ふのは小野さんに愛嬌があるからである。愛嬌のない御客は下女から見ると半文《はんもん》の價値もない。小野さんは此心理を心得てゐる。今日《こんにち》迄《まで》下女の人望を繋いだのも全く此自覺に基づく。小野さんは下女の人望をさへ妄《みだ》りに落す事を好まぬ程の人物である。
 同一の空間は二物によつて同時に占有せらるゝ事能はずと昔しの哲學者が云つた。愛嬌と不安が同時に小野さんの腦髄に宿る事は此哲學者の發明に反する。愛嬌が退《の》いて不安が這入る。下女は惡《わ》るい所へ打《ぶ》つかつた。愛嬌が退《の》いて不安が這入る。愛嬌が附燒刃《つけやきば》で不安が本體だと思ふのは僞哲學者である。家主《いへぬし》が這入るに就て、愛嬌が示談《じだん》の上、不安に借家を讓り渡した迄である。夫《それ》にしても小野さんは惡《わ》るい所を下女に見られた。
 「通してもいゝんですか」
 「うん、さうさね」
 「御留守だつて云ひませうか」
 「誰だい」
 「淺井さん」
 「淺井か」
 「御留守?」
 「さうさね」
 「御留守になさいますか」
 「どう、しやうか知ら」
 「どつち、でも」
 「逢はうかな」
 「ぢや、通しましやう」
 「おい、一寸、待つた。おい」
 「何です」
 「あゝ、好《い》い。好《よ》し/\」
 友達には逢ひたい時と、逢ひ度くない時とある。それが判然すれば何の苦《く》もない。いやなら留守を使へば濟む。小野さんは先方の感情を害せぬ限りは留守を使ふ勇氣のある男である。只困るのは逢ひたくもあり、逢ひ度くもなくて、前へ行つたり後《うし》ろへ戻つたりして下女に迄馬鹿にされる時である。
 徃來で人と徃き合ふ事がある。双方で一寸|體《たい》を交《か》はせば、夫《それ》限《ぎり》で御互にもとの通り、あかの他人となる。然し時によると兩方で、同じ右か、同じ左りへ避《よ》ける。是ではならぬと反對の側へ出《で》樣《やう》と、足元を取り直すとき、向ふも是ではならぬと氣を換へて反對へ出る。反對と反對が鉢合せをして、おい仕舞つたと心づいて、又出直すと、同時同刻に向ふでも同樣に出直してくる。兩人は出直さうとしては出遅れ、出遅れては出直さうとして、柱時計の振子《ふりこ》の樣に此方《こつち》、彼方《あつち》と迷ひ續けに迷ふてくる。仕舞には双方で双方を思ひ切りの惡《わ》るい野郎だと惡口《わるくち》が云ひたくなる。人望のある小野さんは、もう少しで下女に思ひ切りの惡《わ》るい野郎だと云はれる所であつた。
 そこへ淺井君が這入つてくる。淺井君は京都以來の舊友である。茶の帽子の聊《いさゝ》か崩れかゝつたのを、右の手で壓《お》し潰す樣に握つて、疊の上へ抛《はふ》り出すや否や
 「えゝ天氣だな」と胡坐《あぐら》をかく。小野さんは天氣の事を忘れてゐた。
 「いゝ天氣だね」
 「博覽會へ行つたか」
 「いゝや、まだ行かない」
 「行つて見い、面白いぜ。昨日《きのふ》行つての、アイスクリームを食ふて來た」
 「アイスクリーム? さう、昨日は大分《だいぶ》暑かつたからね」
 「今度は露西亞料理《ろしあれうり》を食ひに行く積りだ。どうだ一所に行かんか」
 「今日かい」
 「うん今日でもいゝ」
 「今日は、少し……」
 「行かんか。あまり勉強すると病氣になるぞ。早く博士になつて、美しい嫁さんでも貰はうと思ふてけつかる。失敬な奴ちや」
 「なにそんな事はない。勉強がちつとも出來なくつて困る」
 「神經衰弱だらう。顔色が惡いぞ」
 「さうか、どうも心持ちがわるい」
 「さうだらう。井上の御孃さんが心配する、早く露西亞料理でも食ふて、好うならんと」
 「何故」
 「何故つて、井上の御孃さんは東京へ來るんだらう」
 「さうか」
 「さうかつて、君の所へは無論通知が來た筈ぢや」
 「君の所へは來たかい」
 「うん、來た。君の所へは來んのか」
 「いえ來た事は來たがね」
 「いつ來たか」
 「もう少し先刻《さつき》だつた」
 「愈《いよ/\》結婚するんだらう」
 「なにそんな事があるものか」
 「せんのか、何故?」
 「何故つて、そこには段々深い事情があるんだがね」
 「どんな事情が」
 「まあ、それは逐《お》つて緩《ゆ》つくり話すよ。僕も井上先生には大變世話になつたし、僕の力で出來る事は何でも先生の爲めにする氣なんだがね。結婚なんて、さう思ふ通りに急に出來るものぢやないさ」
 「然し約束があるんだらう」
 「夫《それ》がね、いつか君にも話さう/\と思つて居たんだが、――僕は實に先生には同情してゐるんだよ」
 「そりや、さうだらう」
 「まあ、先生が出て來たら緩《ゆつ》くり話さうと思ふんだね。さう向ふ丈《だけ》で一人極めに極めて居ても困るからね」
 「どんなに一人で極めて居るんだい」
 「極めてゐるらしいんだね、手紙の樣子で見ると」
 「あの先生も隨分|昔堅氣《むかしかたぎ》だからな」
 「中々自分で極めた事は動かない。一徹《いつてつ》なんだ」
 「近頃は家計《くらし》の方も餘りよくないんだらう」
 「どうかね。さう困りもしまい」
 「時に何時《なんじ》かな、君一寸時計を見てくれ」
 「二時十六分だ」
 「二時十六分?――それが例の恩賜の時計か」
 「あゝ」
 「旨い事をしたなあ。僕も貰つて置けばよかつた。かう云ふものを持つてゐると世間の受けが大分《だいぶ》違ふな」
 「さう云ふ事もあるまい」
 「いやある。何しろ天皇陛下が保證して下さつたんだから慥《たし》かだ」
 「君これから何處《どこか》へ行くのかい」
 「うん、天氣がいゝから遊ぶんだ。どうだ一所に行かんか」
 「僕は少し用があるから――然しそこ迄一所に出《で》樣《やう》」
 門口《かどぐち》で分れた小野さんの足は甲野の邸に向つた。
 
     五
 
 山門を入る事一歩にして、古き世の緑《みど》りが、急に左右から肩を襲ふ。自然石《じねんせき》の形?《かたち》亂れたるを幅一間に行儀よく並べて、錯落《さくらく》と平らかに敷き詰めたる徑《こみち》に落つる足音は、甲野さんと宗近君の足音|丈《だけ》である。
 一條《いちでう》の徑《こみち》の細く直《すぐ》なるを行き盡さゞる此方《こなた》から、石に眼を添へて遙かなる向ふを極《きは》むる行き當りに、仰げば伽藍がある。木賊葺《とくさぶき》の厚板が左右から内輪にうねつて、大《だい》なる兩の翼を、險しき一本の脊筋にあつめたる上に、今一つ小さき家根《やね》が小さき翼を伸《の》して乘つかつて居る。風拔《かざぬ》きか明り取りかと思はれる。甲野さんも、宗近君も此|精舍《しやうじや》を、尤も趣きある横側の角度から同時に見上げた。
 「明かだ」と甲野さんは杖を停《とゞ》めた。
 「あの堂は木造でも容易に壞す事が出來ない樣に見える」
 「つまり恰好《かつかう》が旨くさう云ふ風に出來てるんだらう。アリストートルの所謂|理形《フオーム》に適つてるのかも知れない」
 「大分《だいぶ》六づかしいね。――アリストートルは如何《どう》でも構はないが、此邊の寺はどれも、一種妙な感じがするのは奇體だ」
 「舟板塀趣味《ふないたべいしゆみ》や御神燈趣味《ごじんとうしゆみ》とは違ふさ。夢窓國師《むさうこくし》が建てたんだもの」
 「あの堂を見上げて、一寸變な氣になるのは、つまり夢窓國師になるんだな。ハヽヽヽ。夢窓國師も少しは話せらあ」
 「夢窓國師や大燈國師になるから、こんな所を逍遙する價値があるんだ。只見物したつて何になるもんか」
 「夢窓國師も家根《やね》になつて明治迄生きてゐれば結構だ。安直《あんちよく》な銅像より餘つ程いゝね」
 「さうさ、一目瞭然だ」
 「何が」
 「何がつて、此境内の景色《けしき》がさ。ちつとも曲つてゐない。どこ迄も明らかだ」
 「丁度おれの樣だな。だから、おれは寺へ這入ると好い氣持ちになるんだらう」
 「ハヽヽ左樣《さう》かも知れない」
 「して見ると夢窓國師がおれに似て居るんで、おれが夢窓國師に似てゐるんぢやない」
 「どうでも、好ゝさ。――まあ、ちつと休まうか」と甲野さんは蓮池《れんち》に渡した石橋《せきけう》の欄干に尻をかける。欄干の腰には大きな三階松《さんがいまつ》が三寸の厚さを透《す》かして水に臨んでゐる。石には苔の斑《ふ》が薄青く吹き出して、灰を交へた紫の質に深く食ひ込む下に、枯蓮《かれはす》の黄《き》な軸がすい/\と、去年の霜を彌生《やよひ》の中に突き出してゐる。
 宗近君は燐寸《まつち》を出して、烟草を出して、しゆつと云はせた燃え殘りを池の水に棄てる。
 「夢窓國師はそんな惡戯《いたづら》はしなかつた」と甲野さんは、?の先に、兩手で杖の頭《かしら》を丁寧に抑へてゐる。
 「それ丈《だけ》、おれより下等なんだ。ちつと宗近國師の眞似をするが好い」
 「君は國師より馬賊になる方がよからう」
 「外交官の馬賊は少し變だから、まあ正々堂々と北京《ぺきん》へ駐在する事にするよ」
 「東洋專門の外交官かい」
 「東洋の經綸さ。ハヽヽヽ。おれの樣なのは到底西洋には向きさうもないね。どうだらう、夫《それ》とも修業したら、君の阿爺《おやぢ》位にはなれるだらうか」
 「阿爺《おやぢ》の樣に外國で死なれちや大變だ」
 「なに、あとは君に頼むから構はない」
 「いゝ迷惑だね」
 「こつちだつて只死ぬんぢやない、天下國家の爲めに死ぬんだから、その位な事はしても宜《よ》からう」
 「此方《こつち》は自分一人を持て餘して居る位だ」
 「元來、君は我儘過ぎるよ。日本と云ふ考が君の頭のなかにあるかい」
 今迄は眞面目の上に冗談の雲がかゝつて居た。冗談の雲は此時漸く晴れて、下から眞面目が浮き上がつて來る。
 「君は日本の運命を考へた事があるのか」と甲野さんは、杖の先に力を入れて、持たした體を少し後《うし》ろへ開いた。
 「運命は神の考へるものだ。人間は人間らしく働けば夫《それ》で結構だ。日露戰爭を見ろ」
 「たま/\風邪が癒れば長命だと思つてる」
 「日本が短命だと云ふのかね」と宗近君は詰め寄せた。
 「日本と露西亞《ろしあ》の戰爭ぢやない。人種と人種の戰爭だよ」
 「無論さ」
 「亞米利加《あめりか》を見ろ、印度《いんど》を見ろ、亞弗利加《あふりか》を見ろ」
 「それは叔父さんが外國で死んだから、おれも外國で死ぬと云ふ論法だよ」
 「論より證據誰でも死ぬぢやないか」
 「死ぬのと殺されるのとは同じものか」
 「大概は知らぬ間《ま》に殺されてゐるんだ」
 凡《すべ》てを爪彈《つまはじ》きした甲野さんは杖の先で、とんと石橋《せきけう》を敲《たゝ》いて、慄《ぞつ》とした樣に肩を縮める。宗近君はぬつと立ち上がる。
 「あれを見ろ。あの堂を見ろ。峩山《がざん》と云ふ坊主は一椀の托鉢《たくはつ》丈《だけ》であの本堂を再建したと云ふぢやないか。しかも死んだのは五十になるか、ならんうちだ。やらうと思はなければ、横に寐た箸を竪にする事も出來ん」
 「本堂より、あれを見ろ」と甲野さんは欄干に腰をかけた儘、反對の方角を指す。
 世界を輪切りに立て切つた、山門の扉を左右に颯《さつ》と開《ひら》いた中を、――赤いものが通る、青いものが通る。女が通る。小供が通る。嵯峨《さが》の春を傾けて、京の人は繽紛絡繹《ひんぷんらくえき》と嵐山《らんざん》に行く。
 「あれだ」と甲野さんが云ふ。二人は又|色《いろ》の世界《せかい》に出た。
 天龍寺《てんりゆうじ》の門前を左へ折れゝば釋迦堂《しやかだう》で右へ曲れば渡月橋《とげつけう》である。京は所の名さへ美しい。二人は名物と銘打つた何やら蚊やらを矢鱈に並べ立てた店を兩側に見て、停車場《ステーシヨン》の方へ旅衣《たびごろも》七日《なのか》餘りの足を旅心地に移す。出逢ふは皆京の人である。二條《にでう》から半時《はんとき》毎《ごと》に花時を空《あだ》にするなと仕立てる汽車が、今着いた許《ばか》りの好男子好女子を悉《こと/”\》く嵐山の花に向つて吐き送る。
 「美しいな」と宗近君はもう天下の大勢《たいせい》を忘れてゐる。京程に女の綺羅《きら》を飾る所はない。天下の大勢《たいせい》も、京女《きやうをんな》の色には叶《かな》はぬ。
 「京都のものは朝夕都踊りをしてゐる。氣樂なものだ」
 「だから小野的だと云ふんだ」
 「然し都踊はいゝよ」
 「惡《わ》るくないね。何となく景氣がいゝ」
 「いゝえ。あれを見ると殆んど異性《セツクス》の感がない。女もあれ程に飾ると、飾りまけがして人間の分子が少なくなる」
 「さうさ其理想の極端は京人形だ。人形は器械|丈《だけ》に厭味《いやみ》がない
 「どうも淡粧《あつさり》して、活動する奴が一番人間の分子が多くつて危險だ」
 「ハヽヽヽいかなる哲學者でも危險だらうな。ところが都踊となると、外交官にも危險はない。至極御同感だ。御互に無事な所へ遊びに來てまあ善かつたよ」
 「人間の分子も、第一義が活動すると善いが、どうも普通は第十義位が無暗に活動するから厭《いや》になつちまう」
 「御互は第何義位だらう」
 「御互になると、是でも人間が上等だから、第二義、第三義以下には出ないね」
 「是でかい」
 「云ふ事はたわいがなくつても、そこに面白味がある」
 「難有《ありがた》いな。第一義となると、どんな活動だね」
 「第一義か。第一義は血を見ないと出て來ない」
 「それこそ危險だ」
 「血で以て巫山戯《ふざけ》た了見を洗つた時に、第一義が躍然とあらはれる。人間は夫《それ》程《ほど》輕薄なものなんだよ」
 「自分の血か、人の血か」
 甲野さんは返事をする代りに、賣店に陳《なら》べてある、抹茶々碗《まつちやぢやわん》を見始めた。土を捏《こ》ねて手造りにしたものか、棚三段を盡くして、あるものは悉《こと/”\》くとぼけ〔三字傍点〕て居る。
 「そんなとぼけ〔三字傍点〕た奴は、いくら血で洗つたつて駄目だらう」と宗近君は猶《なほ》まつはつて來る。
 「是は……」と甲野さんが茶碗の一つを取り上げて眺めて居る袖を、宗近君は斷はりもなく、力任せにぐいと引く。茶碗は土間の上で散々に壞れた。
 「斯うだ」と甲野さんが壞れた片《かけ》を土の上に眺めて居る。
 「おい、壞れたか。壞れたつて、そんなものは構はん。一寸|此方《こつち》を見ろ。早く」
 甲野さんは土間の敷居を跨《また》ぐ。「何だ」と天龍寺の方を振り返る向ふは例の京人形の後姿がぞろ/\行く許《ばか》りである。
 「何だ」と甲野さんは聞き直す。
 「もう行つて仕舞つた。惜しい事をした」
 「何が行つて仕舞つたんだ」
 「あの女がさ」
 「あの女とは」
 「隣りのさ」
 「隣りの?」
 「あの琴の主さ。君が大いに見たがつた娘さ。折角見せてやらうと思つたのに、下らない茶碗なんかいぢくつてゐるもんだから」
 「そりや惜しい事をした。どれだい」
 「どれだか、もう見えるものかね」
 「娘も惜しいが此茶碗は無殘《むざん》な事をした。罪は君にある」
 「有つて澤山だ。そんな茶碗は洗つた位ぢや追付《おつつ》かない。壞して仕舞はなけりや直らない厄介物だ。全體茶人の持つてる道具程氣に食はないものはない。みんな、ひねくれてゐる。天下の茶器をあつめて悉《こと/”\》く敲《たゝ》き壞してやりたい氣がする。何なら序《ついで》だからもう一つ二つ茶碗を壞して行かうぢやないか」
 「ふうん、一個何錢位かな」
 二人は茶碗の代を拂つて、停車場《ステーシヨン》へ來る。
 浮かれ人を花に送る京の汽車は嵯峨《さが》より二條《にでう》に引き返す。引き返さぬは山を貫いて丹波《たんば》へ拔ける。二人は丹波行の切符を買つて、龜岡《かめをか》に降りた。保津川《ほづがは》の急湍《きふたん》は此駅より下《くだ》る掟《おきて》である。下るべき水は眼の前にまだ緩く流れて碧油《へきいう》の趣《おもむき》をなす。岸は開いて、里の子の摘《つ》む土筆《つくし》も生へる。舟子《ふなこ》は舟を渚《なぎさ》に寄せて客を待つ。
 「妙な舟だな」と宗近君が云ふ。底は一枚板の平らかに、舷《こべり》は尺と水を離れぬ。赤い毛布《けつと》に烟草盆を轉がして、二人はよき程の間隔に座を占める。
 「左へ寄つて居やはつたら、大丈夫どす、波はかゝりまへん」と船頭が云ふ。船頭の數《かず》は四人である。眞つ先なるは、二間の竹竿、續《つ》づく二人は右側に櫂《かい》、左に立つは同じく竿である。
 ぎい/\と櫂《かい》が鳴る。粗削《あらけづ》りに平《たひら》げたる樫の頸筋を、太い藤蔓に捲いて、餘る一尺に丸味を持たせたのは、兩の手にむんづと握る便りである。握る手の節の隆《たか》きは、眞黒きは、松の小枝に青筋を立てて、うんと掻く力の脉を通はせた樣に見える。藤蔓に頸根を抑へられた櫂が、掻く毎に撓《しわ》りでもする事か、強《こは》き項《うなじ》を眞直《ますぐ》に立てた儘、藤蔓と擦れ、舷《こべり》と擦れる。櫂は一掻毎にぎい/\と鳴る。
 岸は二三度うねりを打つて、音なき水を、停《とゞ》まる暇なきに、前へ前へと送る。重《かさ》なる水の蹙《しゞま》つて行く、頭《かうべ》の上には、山城《やましろ》を屏風と圍ふ春の山が聳えて居る。逼りたる水は已《や》むなく山と山の間に入る。帽に照る日の、忽ちに影を失ふかと思へば舟は早くも山峡《さんけふ》に入る。保津《ほづ》の瀬は是からである。
 「愈《いよ/\》來たぜ」と宗近君は船頭の體《たい》を透《す》かして岩と岩の逼る間を半丁の向《むかふ》に見る。水はごうと鳴る。
 「成程」と甲野さんが、舷《ふなばた》から首を出した時、船ははや瀬の中に滑り込んだ。右側の二人はすはと波を切る手を緩める。櫂は流れて舷《ふなばた》に着く。舳《へさき》に立つは竿を横《よこた》へた儘である。傾《かた》むいて矢の如く下る船は、どゞゞと刻《きざ》み足に、船底に据ゑた尻に響く。壞《こ》はれるなと氣が付いた時は、もう走る瀬を拔けだしてゐた。
 「あれだ」と宗近君が指《ゆびさ》す後《うし》ろを見ると、白い泡が一町ばかり、逆《さ》か落しに?み合つて、谷を洩る微《かす》かな日影を萬顆《ばんくわ》の珠と我勝《われがち》に奪ひ合つてゐる。
 「壯んなものだ」と宗近君は大いに御意《ぎよい》に入つた。
 「夢窓國師とどつちがいゝ」
 「夢窓國師より此方《こつち》の方がえらい樣だ」
 船頭は至極冷淡である。松を抱く巖の、落ちんとして、落ちざるを、苦にせぬ樣に、櫂を動かし來り、棹を操《あやつ》り去る。通る瀬は樣々に廻《めぐ》る。廻《めぐ》る毎に新たなる山は當面に躍り出す。石山、松山、雜木山と數ふる遑《いとま》を行客《かうかく》に許さゞる疾き流れは、船を驅つて又|奔湍《ほんたん》に躍り込む。
 大きな丸い岩である。苔を疊む煩はしさを避けて、紫の裸身《はだかみ》に、撃ち付けて散る水沫《しぶき》を、春寒く腰から浴びて、緑《みど》り崩るゝ眞中に、舟こそ來れと待つ。舟は矢も楯も物かは。一圖《いちづ》に此大岩を目懸けて突きかゝる。渦捲いて去る水の、岩に裂かれたる向ふは見えず。削られて坂と落つる川底の深さは幾段か、乘る人のこなたよりは不可思議の波の行末《ゆくへ》である。岩に突き當つて碎けるか、捲き込まれて、見えぬ彼方《かなた》にどつと落ちて行くか、――舟は只まともに進む。
 「當るぜ」と宗近君が腰を浮かした時、紫の大岩は、はやくも船頭の黒い頭を壓して突つ立つた。船頭は「うん」と舳《へさき》に氣合を入れた。舟は碎ける程の勢いに、波を呑む岩の太腹に潜《もぐ》り込む。横たへた竿は取り直されて、肩より高く兩の手が揚がると共に舟はぐうと廻つた。此|獣奴《けだものめ》と突き離す竿の先から、岩の裾を尺も餘さず斜めに滑つて、舟は向ふへ落ち出した。
 「どうしても夢窓國師より上等だ」と宗近君は落ちながら云ふ。
 急灘《きふなん》を落ち盡すと向《むかふ》から空舟《からふね》が上《のぼ》つてくる。竿も使はねば、櫂は無論の事である。岩角に突つ張つた懸命の拳《こぶし》を収めて、肩から斜めに目暗縞《めくらじま》を掠めた細引繩に、長々と谷間傳ひを根限り戻り舟を牽いて來る。水行く外に尺寸《せきすん》の餘地だに見出《みいだ》しがたき岸邊を、石に飛び、岩に這ふて、穿《は》く草鞋《わらんぢ》の滅《め》り込む迄腰を前に折る。だらりと下げた兩の手は塞《せ》かれて注《そゝ》ぐ渦の中に指先を浸《ひた》す許《ばかり》である。うんと踏ん張る幾世《いくよ》の金剛力に、岩は自然《じねん》と擦《す》り減つて、引き懸けて行く足の裏を、安々と受ける段々もある。長い竹を此所《こゝ》、彼所《かしこ》と、岩の上に渡したのは、牽綱《ひきづな》をわが勢に逆《さから》はぬ程に、疾《と》く滑らす爲めの策《はかりごと》と云ふ。
 「少しは穩かになつたね」と甲野さんは左右の岸に眼を放つ。踏む角も見えぬ切つ立つた山の遙かの上に、鉈《なた》の音が丁々《ちやう/\》とする。黒い影は空高く動く。
 「丸《まる》で猿だ」と宗近君は咽喉佛《のどぼとけ》を突き出して峰を見上げた。
 「慣れると何でもするもんだね」と相手も手を翳《かざ》して見る。
 「あれで一日働いて若干《いくら》になるだらう」
 「若干《いくら》になるかな」
 「下から聞いて見《み》樣《やう》か」
 「此流れは餘り急過ぎる。少しも餘裕がない。のべつに駛《はし》つてゐる。所々にかう云ふ場所がないと矢張り行かんね」
 「おれは、もつと、駛《はし》りたい。どうも、先つきの岩の腹を突いて曲がつた時なんか實に愉快だつた。願くは船頭の棹を借りて、おれが、舟を廻したかつた」
 「君が廻せば今頃は御互に成佛《じやうぶつ》してゐる時分だ」
 「なに、愉快だ。京人形を見てゐるより愉快ぢやないか」
 「自然は皆第一義で活動してゐるからな」
 「すると自然は人間の御手本だね」
 「なに人間が自然の御手本さ」
 「それぢや矢つ張り京人形黨だね」
 「京人形はいゝよ。あれは自然に近い。ある意味に於て第一義だ。困るのは……」
 「困るのは何だい」
 「大抵困るぢやないか」と甲野さんは打ち遣つた。
 「さう困つた日にや方《はう》が付かない。御手本が無くなる譯だ」
 「瀬を下つて愉快だと云ふのは御手本があるからさ」
 「おれにかい」
 「さうさ」
 「すると、おれは第一義の人物だね」
 「瀬を下つてるうちは、第一義さ」
 「下つて仕舞へば凡人か。おや/\」
 「自然が人間を翻譯する前に、人間が自然を翻譯するから、御手本は矢つ張り人間にあるのさ。瀬を下つて壯快なのは、君の腹にある壯快が第一義に活動して、自然に乘り移るのだよ。それが第一義の翻譯で第一義の解釋だ」
 「肝膽相照らすと云ふのは御互に第一義が活動するからだらう」
 「まづそんなものに違ない」
 「君に肝膽相照らす場合があるかい」
 甲野さんは黙然《もくねん》として、船の底を見詰めた。言ふものは知らずと昔《むか》し老子が説いた事がある。
 「ハヽヽヽ僕は保津川《ほづがは》と肝膽相照らした譯だ。愉快々々」と宗近君は二たび三たび手を敲《たゝ》く。
 亂れ起る岩石を左右に?《めぐ》る流は、抱《いだ》くが如くそと割れて、半《なか》ば碧《みど》りを透明に含む光琳波《くわうりんなみ》が、早蕨《さわらび》に似たる曲線を描《ゑが》いて巖角《いはかど》をゆるりと越す。河は漸く京に近くなつた。
 「その鼻を廻ると嵐山《らんざん》どす」と長い棹を舷《こべり》のうちへ挿し込んだ船頭が云ふ。鳴る櫂に送られて、深い淵を滑る樣に拔け出すと、左右の岩が自《おのづか》ら開いて、舟は大悲閣《だいひかく》の下《もと》に着いた。
 二人は松と櫻と京人形の群《むら》がるなかに這ひ上がる。幕と連なる袖の下を掻《か》い潜《く》ぐつて、松の間を渡月橋に出た時、宗近君は又甲野さんの袖をぐいと引いた。
 赤松の二抱《ふたかゝへ》を楯に、大堰《おほゐ》の波に、花の影の明かなるを誇る、橋の袂の葭簀茶屋《よしずぢやや》に、高島田が休んでゐる。昔しの髷を今の世にしばし許せと被《かぶ》る瓜實顔《うりざねがほ》は、花に臨んで風に堪へず、俯目《ふしめ》に人を避けて、名物の團子を眺めて居る。薄く染めた綸子《りんず》の被布《ひふ》に、正しく膝を組み合せたれば、下に重ねる衣《きぬ》の色は見えぬ。只襟元より燃え出づる何の模樣の半襟かゞ、すぐ甲野さんの眼に着いた。
 「あれだよ」
 「あれが?」
 「あれが琴を彈いた女だよ。あの黒い羽織は阿爺《おやぢ》に違ない」
 「さうか」
 「あれは京人形ぢやない。東京のものだ」
 「どうして」
 「宿の下女がさう云つた」
 瓢箪《へうたん》に醉《ゑひ》を飾る三五の癡漢《うつけもの》が、天下の高笑《たかわらひ》に、腕を振つて後《うし》ろから押して來る。甲野さんと宗近さんは、體《たい》を斜めにえらがる人を通した。色の世界は今が眞《ま》つ盛《さか》りである。
 
     六
 
 丸顔に愁《うれひ》少し、颯《さつ》と映《うつ》る襟地《えりぢ》の中から薄鶯《うすうぐひす》の蘭の花が、幽《かすか》なる香《か》を肌に吐いて、着けたる人の胸の上にこぼれかゝる。糸子《いとこ》は斯《こ》んな女である。
 人に示すときは指を用ゐる。四つを掌《たなごゝろ》に折つて、餘る第二指の有《あり》丈《たけ》にあれぞと指《さ》す時、指す手は只一筋の紛れなく明らかである。五本の指をあれ見よと悉《こと/”\》く伸ばすならば、西東は當るとも、當ると思はるゝ感じは鈍くなる。糸子は五指を並べた樣な女である。受ける感じが間違つて居るとは云へぬ。然し變だ。物足らぬとは指點《さ》す指の短かきに過ぐる場合を云ふ。足り餘るとは指點《さ》す指の長きに失する時であらう。糸子は五指を同時に並べた樣な女である。足るとも云へぬ。足り餘るとも評されぬ。
 人に指點《さ》す指の、細《ほつ》そりと爪先《つまさき》に肉を落すとき、明かなる感じは次第に爪先に集まつて燒點《せうてん》を構成《かたちづく》る。藤尾》の指は爪先の紅《べに》を拔け出でゝ縫針の尖《と》がれるに終る。見るものゝ眼は一度に痛い。要領を得ぬものは橋を渡らぬ。要領を得過ぎたものは欄干を渡る。欄干を渡るものは水に落ちる恐れがある。
 藤尾と糸子は六疊の座敷で五指と針の先との戰爭をしてゐる。凡《すべ》ての會話は戰爭である。女の會話は尤も戰爭である。
 「暫らく御目に懸りませんね。よく入《い》らしつた事」と藤尾は主人役に云ふ。
 「父一人で忙がしいものですから、つい御無沙汰をして……」
 「博覽會へも入らつしやらないの」
 「いゝえ、まだ」
 「向島《むかふじま》は」
 「まだ何處へも行かないの」
 宅《うち》に許《ばか》り居て、よく斯う滿足して居られると藤尾が思ふ。――糸子の眼尻には答へる度に笑の影が翳《さ》す。
 「そんなに御用が御在りなの」
 「なに大した用ぢやないんですけれども……」
 糸子の答は大概半分で切れて仕舞ふ。
 「少しは出ないと毒ですよ。春は一年に一度しか來ませんわ」
 「さうね。わたしもさう思つてるんですけれども……」
 「一年に一度だけれども、死ねば今年|限《ぎ》りぢあありませんか」
 「ホヽヽヽヽ死んぢや詰らないわね」
 二人の會話は互に、死と云ふ字を貫いて、左右に飛び離れた。上野は淺草へ行く路である。同時に日本橋へ行く路である。藤尾は相手を墓の向側《むかふがは》へ連れて行かうとした。相手は墓に向側のある事さへ知らなかつた。
 「今に兄が御嫁でも貰つたら、出てあるきますわ」と糸子が云ふ。家庭的の婦女は家庭的の答へをする。男の用を足す爲めに生れたと覺悟をしてゐる女程憐れなものはない。藤尾は内心にふんと思つた。此眼は、此袖は、此詩と此歌は、鍋、炭取の類ではない。美くしい世に動く、美しい影である。實用の二字を冠《かむ》らせられた時、女は――美くしい女は――本來の面目を失つて、無上の侮辱を受ける。
 「一《はじめ》さんは、何時《いつ》奧さんを御貰ひなさる御積りなんでせう」と話し丈《だけ》は上滑《うはすべり》をして前へ進む。糸子は返事をする前に顔を揚げて藤尾を見た。戰爭は段々始まつて來る。
 「何時《いつ》でも、來て下さる方があれば貰ふだらうと思ひますの」
 今度は藤尾の方で、返事をする前に糸子を眤《じつ》と見る。針は眞逆《まさか》の用意に、中々|瞳《ひとみ》の中《うち》には出て來ない。
 「ホヽヽヽヽ何《ど》んな立派な奧さんでも、すぐ出來ますわ」
 「本當にさうなら、いゝんですが」と糸子は半分程裏へ絡《から》まつてくる。藤尾は一寸逃げて置く必要がある。
 「どなたか心當りはないんですか。一《はじめ》さんが貰ふと極まれば本氣に捜《さ》がしますよ」
 黐竿《もちざを》は屆いたか、屆かないか、分らぬが、鳥は確かに逃げた樣だ。然しもう一歩進んで見る必要がある。
 「えゝ、どうぞ捜《さ》がして頂戴、私の姉さんの積りで」
 糸子は際《きは》どい所を少し出過ぎた。二十世紀の會話は巧妙なる一種の藝術である。出ねば要領を得ぬ。出過ぎるとはたかれる。
 「あなたの方が姉さんよ」と藤尾は向ふで入れる捜索《さぐり》の綱を、ぷつりと切つて、逆《さか》さまに投げ歸した。糸子はまだ悟らぬ。
 「何故《なぜ》?」と首を傾ける。
 放つ矢の中《あた》らぬは此方《こちら》の不手際である。中《あた》つたのに手答もなく裝《よそほ》はるゝは不器量《ふきりやう》である。女は不手際よりは不器量を無念に思ふ。藤尾は一寸下唇を?んだ。此所迄推して來て停《とゞ》まるは、只勝つ事を知る藤尾には出來ない。
 「あなたは私《わたし》の姉さんになり度くはなくつて」と、素知らぬ顔で云ふ。
 「あらつ」と糸子の頬に吾を忘れた色が出る。敵はそれ見ろと心の中《うち》で冷笑《あざわら》つて引き上げる。
 甲野さんと宗近君と相談の上取りきめた格言に云ふ。――第一義に於て活動せざるものは肝膽相照らすを得ずと。兩人《ふたり》の妹は肝膽の外廓《そとぐるは》で戰爭をしてゐる。肝膽の中に引き入れる戰爭か、肝膽の外に追つ拂ふ戰爭か。哲學者は二十世紀の會話を評して肝膽相曇らす戰爭と云つた。
 所へ小野さんが來る。小野さんは過去に追ひ懸けられて、下宿の部屋のなかをぐる/\と廻つた。何度廻つても逃げ延びられさうもない時、過去の友達に逢つて、過去と現在との調停を試みた。調停は出來た樣な、出來ない樣な譯で、自己は依然として不安の?態にある。度胸《どきよう》を据ゑて、追つ懸けてくるものを取《と》つ押《つかま》へる勇氣は無論ない。小野さんは已《や》むを得ず、未來を望んで馳け込んで來た。袞龍《こんりよう》の袖に隱れると云ふ諺《ことわざ》がある。小野さんは未來の袖に隱れやうとする。
 小野さんは蹌々踉々《さう/\らう/\》として來た。只|蹌々踉々《さう/\らう/\》の意味を説明し難いのが殘念である。
 「どうか、なすつたの」と藤尾が聞いた。小野さんは心配の上に被《き》せる從容《しようよう》の紋付を、まだ誂へてゐない。二十世紀の人は皆此紋付を二三着|宛《づゝ》用意すべしと先の哲學者が述べた事がある。
 「大變御顔の色が惡い事ね」と糸子が云つた。便《たよ》る未來が戈《ほこ》を逆《さかし》まにして、過去をほじり出さうとするのは情《なさ》けない。
 「二三日寐られないんです」
 「さう」と藤尾が云ふ。
 「どう、なすつて」と糸子が聞く。
 「近頃論文を書いて入らつしやるの。――ねえ夫《それ》でゞしやう」と藤尾が答辯と質問を兼ねた言葉使ひをする。
 「えゝ」と小野さんは渡りに舟の返事をした。小野さんは、どんな舟でも御乘んなさいと云はれゝば、乘らずには居られない。大抵の嘘は渡頭《ととう》の舟である。あるから乘る。
 「さう」と糸子は輕く答へる。如何なる論文を書かうと家庭的の女子は關係しない。家庭的の女子は只顔色の惡い所|丈《だけ》が氣にかゝる。
 「卒業なすつても御忙いのね」
 「卒業して銀時計を御頂きになつたから、是から論文で金時計を御取りになるんですよ」
 「結構ね」
 「ねえ、さうでせう。ねえ、小野さん」
 小野さんは微笑した。
 「それぢや、兄やこちらの欽吾《きんご》さんと一所に京都へ遊びに入らつしやらない筈ね。――兄なんぞはそりや呑氣《のんき》よ。少し寐られなくなればいゝと思ふわ」
 「ホヽヽヽヽ夫《それ》でも家《うち》の兄より好ゝでせう」
 「欽吾《きんご》さんの方が幾何《いくら》好いか分かりやしない」と糸子さんは、半分無意識に言つて退《の》けたが、急に氣が付いて、羽二重《はぶたへ》の手巾《はんけち》を膝の上で苦茶々々《くちや/\》に丸めた。
 「ホヽヽヽヽ」
 唇の動く間から前齒の角《かど》を彩《いろ》どる金の筋がすつと外界に映《うつ》る。敵は首尾よくわが術中に陷《おちい》つた。藤尾は第二の凱歌を揚げる。
 「未《ま》だ京都から御音信《おたより》はないですか」と今度は小野さんが聞き出した。
 「いゝえ」
 「だつて端書位來さうなものですね」
 「でも鐵砲玉だつて云ふぢやありませんか」
 「だれがです」
 「ほら、此間、母がさう云つたでせう。二人共鐵砲玉だつて――糸子さん、殊に宗近は大の鐵砲玉ですとさ」
 「だれが? 御叔母《をば》さんが? 鐵砲玉で澤山よ。だから早く御嫁を持たして仕舞はないと何處へ飛んで行くか、心配でいけないんです」
 「早く貰つて御上げなさいよ。ねえ、小野さん。二人で好いのを見付けて上げ樣《やう》ぢやありませんか」
 藤尾は意味有り氣に小野さんを見た。小野さんの眼と、藤尾の眼が行き當つてぶる/\と顫へる。
 「えゝ好いのを一人周旋しませう」と小野さんは、手巾《はんけち》を出して、薄い口髭を一寸撫でる。幽《かす》かな香《にほひ》がぷんとする。強いのは下品だと云ふ。
 「京都には大分《だいぶ》御知合があるでせう。京都の方《かた》を一《はじめ》さんに御世話なさいよ。京都には美人が多いさうぢやありませんか」
 小野さんの手巾《はんけち》は一寸|勢《いきほひ》を失つた。
 「なに實際美しくはないんです。――歸つたら甲野君に聞いて見ると分ります」
 「兄がそんな話をするものですか」
 「夫《それ》ぢや宗近君に」
 「兄は大變美人が多いと申して居りますよ」
 「宗近君は前にも京都へ入らしつた事があるんですか」
 「いゝえ、今度が始めてゞすけれども、手紙を呉れまして」
 「おや、それぢや鐵砲玉ぢやないのね。手紙が來たの」
 「なに端書よ。都踊の端書をよこして、其はじに京都の女はみんな奇麗だと書いてあるのよ」
 「さう。そんなに奇麗なの」
 「何だか白い顔が澤山並んでゝ些《ちつ》とも分らないわ。只見たら好いかも知れないけれども」
 「只見ても白い顔が並んどる許《ばか》りです。奇麗は奇麗ですけれども、表情がなくつて、あまり面白くはないです」
 「それから、まだ書いてあるんですよ」
 「無精《ぶしやう》に似合はない事ね。何と」
 「隣家《となり》の琴は御前より旨いつて」
 「ホホホ一《はじめ》さんに琴の批評は出來さうもありませんね」
 「私にあて付けたんでせう。琴がまづいから」
 「ハヽヽヽ宗近君も大分《だいぶ》人の惡い事をしますね」
 「しかも、御前より別嬪《べつぴん》だと書いてあるんです。にくらしいわね」
 「一《はじめ》さんは何でも露骨なんですよ。私なんぞも一さんに逢つちや叶《かな》はない」
 「でも、あなたの事は褒めてありますよ」
 「おや、何と」
 「御前より別嬪だ、然し藤尾さんより惡いつて」
 「まあ、いやだ事」
 藤尾は得意と輕侮の念を交へたる眼を輝かして、すらりと首を後《うし》ろに引く。鬣《たてがみ》に比すべきものゝ波を起すばかりに見えたるなかに、玉蟲貝の菫のみが星の如く可憐《かれん》の光を放つ。
 小野さんの眼と藤尾の眼は此時再び合つた。糸子には意味が通ぜぬ。
 「小野さん三條《さんでう》に蔦屋《つたや》と云ふ宿屋が御座んすか」
 底知れぬ黒き眼のなかに我を忘れて、縋る未來に全く吸ひ込まれたる人は、刹那《せつな》の戸板返《といたがへ》しにずどんと過去へ落ちた。
 追ひ懸けて來る過去を逃《の》がるゝは雲《くも》紫《むらさき》に立ち騰《のぼ》る袖香爐《そでかうろ》の烟《けぶ》る影に、縹緲《へう/”\》の樂しみを是ぞと見極《みきは》むるひまもなく、貪《むさ》ぼると云ふ名さへ附け難き、眼と眼のひたと行き逢ひたる一拶《いつさつ》に、結ばぬ夢は醒めて、逆しまに、われは過去に向つて投げ返される。草間《さうかん》蛇《だ》あり、容易に青《せい》を踏む事を許さずとある。
 「蔦屋がどうかしたの」と藤尾は糸子に向ふ。
 「なに其蔦屋にね、欽吾さんと兄さんが宿《とま》つてるんですつて。だから、どんな所《とこ》かと思つて、小野さんに伺つて見たんです」
 「小野さん知つて居らしつて」
 「三條ですか。三條の蔦屋と。さうですね、有つた樣にも覺えて居ますが……」
 「それぢや、そんな有名な旅屋《はたごや》ぢやないんですね」と糸子は無邪氣に小野さんの顔を見る。
 「えゝ」と小野さんは切なさうに答へた。今度は藤尾の番となる。
 「有名でなくつたつて、好ゝぢやありませんか。裏座敷で琴が聽えて――尤も兄と一《はじめ》さんぢや駄目ね。小野さんなら、屹度《きつと》御氣に入るでせう。春雨がしと/\降つてる靜かな日に、宿の隣家《おとなり》で美人が琴を彈いてるのを、氣樂に寐轉んで聽いてゐるのは、詩的でいゝぢやありませんか」
 小野さんは何時《いつ》になく黙つてゐる。眼さへ、藤尾の方へは向けないで、床《とこ》の山吹を無意味に眺めてゐる。
 「好いわね」と糸子が代理に答える。
 詩を知らぬ人が、趣味の問題に立ち入る權利はない。家庭的の女子からいゝわね〔四字傍点〕位の賛成を求めて滿足する位なら始めから、春雨も、奧座敷も、琴の音《ね》も、口に出さぬ所であつた。藤尾は不平である。
 「想像すると面白い畫《ゑ》が出來ますよ。どんな所としたらいゝでせう」
 家庭的の女子には、何故《なぜ》こんな質問が出てくるのか、頓《とん》と其意を解《げ》しかねる。要らぬ事と黙つて控へてゐるより仕方がない。小野さんは是非共口を開かねばならぬ。
 「あなたは、どんな所がいゝと思ひます」
 「私? 私はね、さうね――裏二階がいゝわ――廻り椽で、加茂川がすこし見えて――三條から加茂川が見えても好ゝいんでせう」
 「えゝ、所によれば見えます」
 「加茂川の岸には柳がありますか」
 「えゝ、あります」
 「其柳が、遠くに烟《けむ》る樣に見えるんです。其上に東山が――東山でしたね奇麗な丸《まある》い山は――あの山が、青い御供《おそなへ》の樣に、こんもりと霞んでるんです。さうして霞のなかに、薄く五重の塔が――あの塔の名は何と云ひますか」
 「どの塔です」
 「どの塔つて、東山の右の角に見えるぢやありませんか」
 「一寸覺えませんね」と小野さんは首を傾《かた》げる。
 「有るんです、屹度《きつと》あります」と藤尾が云ふ。
 「だつて琴は隣りよ、あなた」と糸子が口を出す。
 女詩人《ぢよしじん》の空想は此一句で破れた。家庭的の女は美くしい世をぶち壞しに生れて來たも同樣である。藤尾は少しく眉を寄せる。
 「大變御急ぎだ事」
 「なに、面白く伺つてるのよ。それから其五重の塔がどうかするの」
 五重の塔がどうもする譯はない。刺身を眺めた丈《だけ》で臺所へ下げる人もある。五重の塔をどうかしたがる連中は、刺身を食はなければ我慢の出來ぬ樣にヘ育された實用主義の人間である。
 「それぢや五重の塔はやめましやう」
 「面白いんですよ。五重の塔が面白いのよ。ねえ小野さん」
 御機嫌に逆《さから》つた時は、必ず人を以て詫を入れるのが世間である。女王の逆鱗《げきりん》は鍋、釜、味噌漉《みそこし》の御供物《おくもつ》では直せない。役にも立たぬ五重の塔を霞のうちに腫物の樣に安置しなければならぬ。
 「五重の塔は夫《そ》れつきりよ。五重の塔がどうするものですかね」
 藤尾の眉はぴくりと動いた。糸子は泣きたくなる。
 「御氣に障つたの――私が惡《わ》るかつたわ。本當に五重の塔は面白いのよ。御世辭ぢやない事よ」
 針鼠は撫でれば撫でる程針を立てる。小野さんは、破裂せぬ前にどうかしなければならぬ。
 五重の塔を持ち出せば猶《なほ》怒《おこ》られる。琴の音《ね》は自分に取つて禁物である。小野さんはどうして調停したら好からうかと考へた。話が京都を離れゝば自分には好都合だが、無暗に縁のない離し方をすると、糸子さん同樣に輕蔑を招く。向ふの話題に着いて廻つて、しかも自分に苦痛のない樣に發展させなければならぬ。銀時計の手際では些《ち》と六づかし過ぎる樣だ。
 「小野さん、あなたには分るでせう」と藤尾の方から切つて出る。糸子は分らず屋として取り除《の》けられた。女二人を調停するのは眼の前に快《こゝろよ》からぬ言葉の果し合を見るのが厭《いや》だからである。文錦《あやにしき》やさしき眉に切り結ぶ火花の相手が、相手にならぬと見下げられゝば、手を出す必要はない。取除者《とりのけもの》を仲間に入れてやる親切は、取除者の方で、うるさく絡《からま》つてくる時に限る。大人《おとな》しくさへして居れば、取り除《の》けられ樣が、見下げられ樣が、當分自分の利害には關係せぬ。小野さんは糸子を眼中に置く必要がなくなつた。切つて出た藤尾にさへ調子《ばつ》を合せて居れば間違はない。
 「分りますとも。――詩の命は事實より確かです。然しさう云ふ事が分らない人が世間には大分《だいぶ》ありますね」と云つた。小野さんは糸子を輕蔑する料簡ではない、只藤尾の御機嫌に重きを置居た迄である。しかも其答は眞理である。只弱いものにつらく當る眞理である。小野さんは詩の爲めに愛の爲めには其位の犧牲を敢てする。道義は弱いものゝ頭《かしら》に耀かず、糸子は心細い氣がした。藤尾の方は漸く胸が隙《す》く。
 「夫《それ》ぢや、其續をあなたに話して見ませうか」
 人を呪はゞ穴二つと云ふ。小野さんは是非共えゝと答へなければならぬ。
 「えゝ」
 「二階の下に飛石が三つ許《ばか》り筋違《すじかひ》に見えて、其先に井桁《ゐげた》があつて、小米櫻《こゞめざくら》が擦《す》れ/\に咲いてゐて、釣瓶《つるべ》が觸るとほろ/\、井戸の中へこぼれさうなんです。……」
 糸子は黙つて聽いてゐる。小野さんも黙つて聽いてゐる。花曇りの空が段々|擦《ず》り落ちて來る。重い雲がかさなり合つて、彌生《やよひ》をどんよりと抑へ付ける。晝は次第に暗くなる。戸袋を五尺離れて、袖垣のはづれに幣辛夷《してこぶし》の花が怪しい色を併《なら》べて立つてゐる。木立に透かしてよく見ると、折々は二筋、三筋雨の糸が途切れ/\に映《うつ》る。斜めにすうと見えたかと思ふと、はや消える。空の中から降るとは受け取れぬ、地の上に落つるとは猶更《なほさら》思へぬ。糸の命は僅かに尺餘りである。
 居は氣を移す。藤尾の想像は空と共に濃《こまや》かになる。
 「小米櫻《こゞめざくら》を二階の欄干《てすり》から御覽になつた事があつて」と云ふ。
 「まだ、ありません」
 「雨の降る日に。――おや少し降つて來た樣ですね」と庭の方を見る。空は猶更《なほさら》暗くなる。
 「それからね。――小米櫻の後《うし》ろは建仁寺の垣根で、垣根の向ふで琴の音《ね》がするんです」
 琴は愈《いよ/\》出て來た。糸子は成程と思ふ。小野さんは是はと思ふ。
 「二階の欄干《てすり》から、見下《みおろ》すと隣家《となり》の庭が悉皆《すつかり》見えるんです。――序《つい》でに其庭の作りも話しませうか。ホヽヽヽヽ」と藤尾は高く笑つた。冷たい糸が辛夷《こぶし》の花をきらりと掠《かす》める。
 「ホヽヽヽヽ御厭なの――何だか暗くなつて來た事。花曇りが化け出しさうね」
 そこ迄近寄つて來た暗い雲は、そろ/\細い糸に變化する。すいと木立を横ぎつた、あとから直《すぐ》すいと追懸けて來る。見て居るうちにすい/\と幾本も一所に通つて行く。雨は漸く繁くなる。
 「おや本降《ほんぶり》になりさうだ事」
 「私《わたし》失禮するは、降つて來たから。御話し中で失禮だけれども。大變面白かつたわ」
 糸子は立ち上がる。話しは春雨と共に崩れた。
 
     七
 
 燐寸《まつち》を擦る事|一寸《いつすん》にして火は闇に入る。幾段の彩錦《さいきん》を捲《めく》り終れば無地の境《さかひ》をなす。春興は二人《ににん》の青年に盡きた。狐の袖無《ちやん/\》を着て天下を行くものは、日記を懷にして百年の憂を抱《いだ》くものと共に歸程《きてい》に上《のぼ》る。
 古き寺、古き社《やしろ》、神の森、佛の丘を掩ふて、いそぐ事を解《げ》せぬ京の日は漸く暮れた。倦怠《けた》るい夕べである。消えて行く凡《すべ》てのものゝの上に、星|許《ばか》り取り殘されて、夫《それ》すらも判然《はき》とは映らぬ。瞬くも嬾《ものう》き空の中にどろんと溶けて行かうとする。過去は此眠れる奧から動き出す。
 一人《いちにん》の一生には百の世界がある。ある時は土の世界に入り、ある時は風の世界に動く。又ある時は血の世界に腥《なまぐさ》き雨を浴びる。一人《いちにん》の世界を方寸に纒めたる團子《だんし》と、他の清濁を混じたる團子《だんし》と、層々|相連《あひつらな》つて千人に千個の實世界を活現する。個々の世界は個々の中心を因果の交叉點に据ゑて分相應の圓周を右に劃し左に劃す。怒《いかり》の中心より畫《ゑが》き去る圓は飛ぶが如くに速かに、戀の中心より振り來《きた》る圓周は?の痕を空裏《くうり》に燒く。あるものは道義の糸を引いて動き、あるものは奸譎《かんきつ》の圜《くわん》をほのめかして回《めぐ》る。縱横に、前後に、上下《しやうか》四方に、亂れ飛ぶ世界と世界が喰ひ違ふとき秦越《しんゑつ》の客こゝに舟を同じうす。甲野さんと宗近君は、三春行樂《さんしゆんかうらく》の興盡きて東に歸る。孤堂先生《こだうせんせい》と小夜子《さよこ》は、眠れる過去を振り起して東に行く。二個の別世界は八時發の夜汽車で端《はし》なくも喰ひ違つた。
 わが世界とわが世界と喰ひ違ふとき腹を切る事がある。自滅する事がある。わが世界と他《ひと》の世界と喰ひ違ふとき二つながら崩れる事がある。破《か》けて飛ぶ事がある。あるひは發矢《はつし》と熱を曳いて無極のうちに物別れとなる事がある。凄まじき喰ひ違ひ方が生涯に一度起るならば、われは幕引く舞臺に立つ事なくして自《おのづ》からなる悲劇の主人公である。天より賜はる性格は此時始めて第一義に於て躍動する。八時發の夜汽車で喰ひ違つた世界は左程《さほど》に猛烈なものではない。然し只逢ふて只別れる袖|丈《だけ》の縁《えにし》ならば、星深き春の夜を、名さへ寂《さ》びたる七條《しちでう》に、さして喰ひ違ふ程の必要もあるまい。小説は自然を彫琢《てうたく》する。自然其物は小説にはならぬ。
 二個の世界は絶えざるが如く、續かざるが如く、夢の如く幻《まぼろし》の如く、二百里の長き車のうちに喰ひ違つた。二百里の長き車は、牛を乘せ樣《やう》か、馬を乘せ樣《やう》か、如何なる人の運命を如何に東の方《かた》に搬《はこ》び去らうか、更に無頓着である。世を畏れぬ鐵輪《てつわ》をごとりと轉《まは》す。あとは驀地《ましぐら》に闇を衝く。離れて合ふを待ち佗《わ》び顔なるを、行《ゆ》いて歸るを快からぬを、旅に馴れて徂徠を意とせざるを、一樣に束《つか》ねて、悉く土偶《どぐう》の如くに遇待《もてなさ》うとする。夜《よ》こそ見えね、熾《さか》んに黒烟《くろけむり》を吐きつゝある。
 眠る夜《よ》を、生けるものは、提灯の火に、皆七條に向つて動いて來る。梶棒が下りるとき黒い影が急に明かるくなつて、待合に入る。黒い影は暗いなかから續々と現はれて出る。場内は生きた黒い影で埋《うづ》まつて仕舞ふ。殘る京都は定めて靜かだらうと思はれる。
 京の活動を七條の一點にあつめて、あつめたる活動の千と二千の世界を、十把一束《じつぱひとからげ》に夜明迄に、あかるい東京へ推し出さう爲めに、?車《きしや》は頻りに烟を吐きつゝある。黒い影はなだれ始めた。――一團の塊まりはばら/\に解《ほご》れて點となる。點は右へと左へと動く。暫くすると、無敵な音を立てて車輛の戸をはた/\と締めて行く。忽然としてプラツトフオームは、在る人を掃いて捨てた樣にがらんと廣くなる。大きな時計|許《ばか》りが窓の中から眼につく。すると口笛が遙かの後《うし》ろで鳴つた。車はごとりと動く。互の世界が如何なる關係に織り成さるゝかを知らぬ氣に、闇の中を鼻で行く、甲野さんは、宗近君は、孤堂先生は、可憐なる小夜子は、同じく此車に乘つて居る。知らぬ車はごとり/\と廻轉する。知らぬ四人は、四樣の世界を喰ひ違はせながら暗い夜《よ》の中に入る。
 「大分《だいぶ》込み合ふな」と甲野さんは室内を見廻はしながら云ふ。
 「うん、京都の人間は此汽車でみんな博覽會見物に行くんだらう。餘つ程乘つたね」
 「さうさ、待合所が黒山の樣だつた」
 「京都は淋《さび》しいだらう。今頃は」
 「ハヽヽヽ本當に。實に閑靜な所だ」
 「あんな所に居るものでも動くから不思議だ。あれでも矢つ張り色々な用事があるんだらうな」
 「いくら閑靜でも生れるものと死ぬものはあるだらう」と甲野さんは左の膝を右の上へ乘せた。
 「ハヽヽヽ生れて死ぬのが用事か。蔦屋の隣家《となり》に住んでる親子なんか、まあそんな連中だね。隨分ひつそり暮してるぜ。かたりともしない。あれで東京へ行くと云ふから不思議だ」
 「博覽會でも見に行くんだらう」
 「いえ、家《うち》を疊んで引つ越すんださうだ」
 「へえゝ。何時《いつ》」
 「何時か知らない。其所迄は下女に聞いて見なかつた」
 「あの娘もいづれ嫁に行く事だらうな」と甲野さんは獨り言の樣に云ふ。
 「ハヽヽヽ行くだらう」と宗近君は頭陀袋《づだぶくろ》を棚へ上げた腰を卸しながら笑ふ。相手は半分顔を背《そむ》けて硝子越に窓の外を透《すか》して見る。外は只暗い許《ばか》りである。?車は遠慮もなく暗いなかを突切つて行く。轟《がう》と云ふ音のみする。人間は無能力である。
 「隨分早いね。何哩位の速力か知らん」と宗近君が席の上へ胡坐《あぐら》をかきながら云ふ。
 「どの位早いか外が眞暗で些《ちつ》とも分らん」
 「外が暗くつたつて、早いぢやないか」
 「比較するものが見えないから分らないよ」
 「見えなくつたつて、早いさ」
 「君には分る?のか」
 「うん、ちやんと分る」と宗近君は威張つて胡坐《あぐら》をかき直す。話しは又途切れる。?車は速度を揩オて行く。向《むかふ》の棚に載せた誰やらの帽子が、傾いた儘、山高の頂《いたゞき》を顫はせてゐる。給仕《ボーイ》が時々室内を拔ける。大抵の乘客は向ひ合せに顔と顔を見守つてゐる。
 「どうしても早いよ。おい」と宗近君は又話しかける。甲野さんは半分眼を眠《ねむ》つてゐた。
 「えゝ?」
 「どうしてもね、――早いよ」
 「さうか」
 「うん。さうら――早いだらう」
 汽車は轟と走る。甲野さんはにやりと笑つたのみである。
 「急行列車は心持ちがいゝ。これでなくつちや乘つた樣な氣がしない」
 「又夢窓國師より上等ぢやないか」
 「ハヽヽヽ第一義に活動して居るね」
 「京都の電車とは大違だらう」
 「京都の電車か? あいつは降參だ。全然第十義以下だ。あれで運轉して居るから不思議だ」
 「乘る人があるからさ」
 「乘る人があるからつて――餘《あんま》りだ。あれで布設したのは世界一ださうだぜ」
 「さうでもないだらう。世界一にしちやあ幼稚過ぎる」
 「所が布設したのが世界一なら、進歩しない事も世界一ださうだ」
 「ハヽヽヽ京都には調和してゐる」
 「さうだ。あれは電車の名所古蹟だね。電車の金閣寺だ。元來十年一日の如しと云ふのは賞める時の言葉なんだがな」
 「千里の江陵《かうりよう》一日に還るなんと云ふ句もあるぢやないか」
 「一百里程壘壁の間さ」
 「そりや西郷隆盛だ」
 「さうか、どうも可笑《をか》しいと思つたよ」
 甲野さんは返事を見合せて口を緘《と》ぢた。會話は又途切れる。汽車は例によつて轟と走る。二人の世界は暫く闇の中に搖られながら消えて行く。同時に、殘る二人の世界が、細長い夜《よ》を糸の如く照らして動く電燈の下《もと》にあらはれて來る。
 色白く、傾く月の影に生れて小夜《さよ》と云ふ。母なきを、つゞまやかに暮らす親一人子一人の京の住居《すまひ》に、盂蘭盆《うらぼん》の燈籠を掛けてより五遍になる。今年の秋は久し振で、亡き母の精靈《しやうりやう》を、東京の苧殼《をがら》で迎へる事と、長袖の右左《みぎひだり》に開くなかゝら、白い手を尋常に重ねてゐる。物の憐れは小《ちひ》さき人の肩にあつまる。乘《の》し掛《かゝ》る怒《いかり》は、撫で下す絹しなやかに情《なさけ》の裾に滑り込む。
 紫に驕《おご》るものは招く、黄に深く情《なさけ》濃きものは追ふ。東西の春は二百里の鐵路に連なるを、願の糸の一筋に、戀こそ誠なれと、髪に掛けたる丈長《たけなが》を顫はせながら、長き夜《よ》を縫ふて走る。古き五年は夢である。只|滴《した》たる繪筆の勢に、有耶無耶《うやむや》を貫いて赫《くわつ》と染めつけられた昔の夢は、深く記憶の底に透つて、當時《そのかみ》を裏返す折々にさへ鮮《あざや》かに※[者/火]染《にじ》んで見える。小夜子の夢は命よりも明かである。小夜子は此明かなる夢を、春寒《はるさむ》の懷に暖めつゝ、黒く動く一條の車に載せて東に行く。車は夢を載せた儘ひたすらに、只東へと走る。夢を携へたる人は、落すまじと、ひしと燃ゆるものを抱《だ》きしめて行く。車は無二無三に走る。野には緑《みど》りを衝き、山には雲を衝き、星ある程の夜《よ》には星を衝いて走る。夢を抱《いだ》く人は、抱《いだ》きながら、走りながら、明かなる夢を暗闇の遠きより切り放して、現實の前に抛《な》げ出さんとしつゝある。車の走る毎に夢と現實の間は近づいてくる。小夜子の旅は明かなる夢と明かなる現實がはたと行き逢ふて區別なき境に至つて已《や》む。夜《よ》はまだ深い。
 隣りに腰を掛けた孤堂先生は左程《さほど》に大事な夢を持つて居らぬ。日毎に?の下に白くなる疎髯《そぜん》を握つては昔《むか》しを思ひ出さうとする。昔《むか》しは二十年の奧に引き籠つて容易には出て來ない。漠々たる紅塵のなかに何やら動いて居る。人か犬か木か草かそれすらも判然せぬ。人の過去は人と犬と木と草との區別がつかぬ樣になつて始めて眞の過去となる。戀々《れん/\》たるわれを、つれなく見捨て去る當時《そのかみ》に未練があればあるほど、人も犬も草も木も滅茶苦茶である。孤堂先生は胡麻塩交りの髯をぐいと引いた。
 「御前が京都へ來たのは幾歳《いくつ》の時だつたかな」
 「學校を廢《や》めてから、すぐですから、丁度十六の春でしやう」
 「すると、今年で何だね、……」
 「五年目です」
 「さう五年になるね。早いものだ、つい此間の樣に思つて居たが」と又髯を引つ張つた。
 「來た時に嵐山《あらしやま》へ連れていつて頂いたでせう。御母《おかあ》さんと一所に」
 「さう/\、あの時は花がまだ早過ぎたね。あの時分から思ふと嵐山も大分《だいぶ》變つたよ。名物の團子《だんご》もまだ出來なかつた樣だ」
 「いえ御團子はありましたわ。そら三軒茶屋《さんげんぢやや》の傍《そば》で喫《た》べたぢやありませんか」
 「さうかね。能く覺えて居ないよ」
 「ほら、小野さんが青いの許《ばか》り食べるつて、御笑ひなすつたぢやありませんか」
 「成程あの時分は小野が居たね。御母《おつか》さんも丈夫だつたがな。あゝ早く亡くならうとは思はなかつたよ。人間程分らんものはない。小野も夫《それ》から大分《だいぶ》變つたらう。何しろ五年も逢はないんだから……」
 「でも御丈夫だから結構ですわ」
 「さうさ。京都へ來てから大變丈夫になつた。來たては隨分蒼い顔をしてね、さうして何だか始終おど/\して居た樣だが、馴れると段々平氣になつて……」
 「性質が柔和《やさし》いんですよ」
 「柔和《やさし》いんだよ。柔和《やさし》過ぎるよ。――でも卒業の成績が優等で銀時計を頂戴して、まあ結構だ。――人の世話はするもんだね。あゝ云ふ性質《たち》の好い男でも、あの儘|放《ほふ》つて置けば夫《そ》れ限《ぎ》り、何處へどう這入つて仕舞ふか分らない」
 「本當にね」
 明かなる夢は輪を描《ゑが》いて胸のうちに回《めぐ》り出す。死したる夢ではない。五年の底から浮き刻《ぼ》りの深き記憶を離れて、咫尺《しせき》に飛び上がつて來る。女は只|眸《ひとみ》を凝《こ》らして眼前に逼る夢の、明らかに過ぐる程の光景を右から、左から、前後上下から見る。夢を見るに心を奪はれたる人は、老いたる親の髯を忘れる。小夜子は口をきかなくなつた。
 「小野は新橋迄|迎《むかへ》にくるだらうね」
 「入らつしやるでせうとも」
 夢は再び躍る。躍るなと抑へたる儘、夜を込めて搖られながらに、暗きうちを駛《か》ける。老人は髯から手を放す。やがて眼を眠《ねむ》る。人も犬も草も木も判然《はき》と映らぬ古き世界には、いつとなく黒い幕が下りる。小《ちひ》さき胸に躍りつゝ、轉《まは》りつゝ、抑へられつゝ走る世界は、闇を照らして火の如く明かである。小夜子は此明かなる世界を抱《いだ》いて眠に就いた。
 長い車は包む夜《よ》を押し分けて、遣らじと逆《さか》ふ風を打つ。追ひ懸くる冥府《よみ》の神を、力ある尾に敲《たゝ》いて、漸やくに拔け出でたる曉の國の青く烟《けぶ》る向ふが一面に競《せ》り上がつて來る。茫々たる原野の自《おのづ》から盡きず、しだいに天に逼つて上へ上へと限りなきを怪しみながら、消え殘る夢を排して、眼《まなこ》を半天に走らす時、日輪の世は明けた。
 神の代《よ》を空に鳴く金鷄の、翼《つばさ》五百里なるを一時に搏《はゞたき》して、漲《みな》ぎる雲を下界に披《ひら》く大虚の眞中《まんなか》に、朗《ほがらか》に浮き出す萬古《ばんこ》の雪は、末廣になだれて、八州の野《や》を壓する勢を、左右に展開しつゝ、蒼茫の裡《うち》に、腰から下を埋《うづ》めてゐる。白きは空を見よがしに貫ぬく。白きものゝ一段を盡くせば、紫の襞《ひだ》と藍の襞とを斜めに疊んで、白き地《ぢ》を不規則なる幾條《いくすぢ》に裂いて行く。見上ぐる人は這ふ雲の影を沿ふて、蒼暗き裾野から、藍、紫の深きを稻妻に縫ひつゝ、最上の純白に至つて、豁然《くわつぜん》として眼が醒める。白きものは明るき世界に凡《すべ》ての乘客を誘《いざな》ふ。
 「おい富士が見える」と宗近君が座を滑り下りながら、窓をはたりと卸す。廣い裾野から朝風がすうと吹き込んでくる。
 「うん。最先《さつき》から見えてゐる」と甲野さんは駱駝《らくだ》の毛布《けつと》を頭から被《かむ》つた儘、存外冷淡である。
 「さうか、寐なかつたのか」
 「少しは寐た」
 「何だ、そんなものを頭から被つて……」
 「寒い」と甲野さんは膝掛の中で答へた。
 「僕は腹が減つた。まだ飯は食はさないだらうか」
 「飯を食ふ前に顔を洗はなくつちや……」
 「御尤もだ。御尤もな事ばかり云ふ男だ。ちつと富士でも見るがいゝ」
 「叡山よりいゝよ」
 「叡山? 何だ叡山なんか、高が京都の山だ」
 「大變輕蔑するね」
 「ふゝん。――どうだい、あの雄大な事は。人間もあゝ來なくつちあ駄目だ」
 「君にはあゝ落ち付いちや居られないよ」
 「保津川が關の山か。保津川でも君より上等だ。君なんぞは京都の電車位な所だ」
 「京都の電車はあれでも動くからいゝ」
 「君は全く動かないか。ハヽヽヽ。さあ駱駝を拂ひ退《の》けて動いた」と宗近君は頭陀袋《づだぶくろ》を棚から取り卸す。室《へや》のなかはざわ付いてくる。明かるい世界へ馳け拔けた汽車は沼津で息を入れる。――顔を洗ふ。
 窓から肉の落ちた顔が半分出る。疎髯《そぜん》を一本毎にあるひは黒く或は白く朝風に吹かして
 「おい辯當を二つ呉れ」と云ふ。孤堂先生は右の手に若干《そこばく》の銀貨を握つて、へぎ〔二字傍点〕折《をり》を取る左と引き換に出す。御茶は部屋のなかで娘が注《つ》いで居る。
 「どうだね」と折の葢を取ると白い飯粒が裏へ着いてくる。なかには長芋の白茶《しらちや》に寐轉んでゐる傍《かたは》らに、一片《ひときれ》の玉子燒が黄色く壓《お》し潰され樣として、苦し紛れに首|丈《だけ》飯の境に突き込んでゐる。
 「まだ、食べたくないの」と小夜子は箸を執らずに折ごと下へ置く。
 「やあ」と先生は茶碗を娘から受取つて、膝の上の折に突き立てた箸を眺めながら、ぐつと飲む。
 「もう直《ぢき》ですね」
 「あゝ、もう譯はない」と長芋が髯の方へ動き出した。
 「今日はいゝ御天氣ですよ」
 「あゝ天氣で仕合せだ。富士が奇麗に見えたね」と長芋が髯から折のなかへ這入る。
 「小野さんは宿を捜《さ》がして置いて下すつたでせうか」
 「うん。捜《さ》が――捜がしたに違ない」と先生の口が、喫飯《めし》と返事を兼勤する。食事はしばらく繼續する。
 「さあ食堂へ行かう」と宗近君が隣りの車室で米澤絣の襟を掻き合せる。背廣の甲野さんは、ひよろ長く立ち上がつた。通り道に轉がつてゐる手提革鞄《てさげかばん》を跨いだ時、甲野さんは振り返つて
 「おい、蹴爪《けつま》づくと危ない」と注意した。
 硝子戸を押し開《あ》けて、隣りの車室へ足を踏ん込んだ甲野さんは、眞直に拔ける氣で、中途迄來た時、宗近君が後《うし》ろから、ぐいと背廣の尻を引つ張つた。
 「御飯が少し冷えてますね」
 「冷えてるのはいゝが、硬過《こはす》ぎてね。――阿爺《おとつさん》の樣に年を取ると、どうも硬《こは》いのは胸に痞《つか》えていけないよ」
 「御茶でも上がつたら……注《つ》ぎませうか」
 青年は無言の儘食堂へ拔けた。
 日毎夜毎を入り亂れて、盡十方《じんじつぱう》に飛び交《か》はす小世界の、普《あま》ねく天涯を行き盡して、しかも盡くる期なしと思はるゝなかに、絹糸の細きを厭はず植ゑつけし蠶の卵の並べる如くに、四人の小宇宙は、心なき?車のうちに行く夜半《よは》を背中合せの知らぬ顔に並べられた。星の世は掃き落されて、大空の皮を奇麗に剥ぎ取つた白日の、隱すなかれと立ち上《のぼ》る窓の中《うち》に、四人の小宇宙は偶《ぐう》を作つて、こゝぞと互に擦れ違つた。擦れ違つて通り越した二個の小宇宙は今白い卓布《たくふ》を挾んでハムエクスを平げつゝある。
 「おい居たぜ」と宗近君が云ふ。
 「うん居た」と甲野さんは獻立表《メヌー》を眺めながら答へる。
 「愈《いよ/\》東京へ行くと見える。昨夕《ゆうべ》京都の停車場《ステーシヨン》では逢はなかつた樣だね」
 「いゝや、些《ちつ》とも氣が付かなかつた」
 「隣りに乘つてるとは僕も知らなかつた。――どうも善く逢ふね」
 「少し逢ひ過ぎるよ。――此ハムは丸《まる》で膏《あぶら》許《ばか》りだ。君のも同樣かい」
 「まあ似たもんだ。君と僕の違位な所かな」と宗近君は肉刺《フオーク》を逆《さかしま》にして大きな切身を口へ突き込む。
 「御互に豚を以て自任して居るのかなあ」と甲野さんは、少々|情《なさ》けなささうに白い膏味《あぶらみ》を頬張る。
 「豚でもいゝが、どうも不思議だよ」
 「猶太人《ゆであじん》は豚を食はんさうだね」と甲野さんは突然超然たる事を云ふ。
 「猶太人《ゆであじん》は兎も角も、あの女がさ。少し不思議だよ」
 「あんまり逢ふからかい」
 「うん。――給仕《ボーイ》紅茶を持つて來い」
 「僕はコフヒーを飲む。此豚は駄目だ」と甲野さんは又女を外《はづ》して仕舞ふ。
 「これで何遍逢ふかな。一遍、二遍、三遍と何でも三遍|許《ばか》り逢ふぜ」
 「小説なら、是が縁になつて事件が發展する所だね。是《これ》丈《だけ》でまあ無事らしいから……」と云つたなり甲野さんはコフヒーをぐいと飲む。
 「是《これ》丈《だけ》で無事らしいから御互に豚なんだらう。ハヽヽヽ。――然し何とも云はれない。君があの女に懸想《けさう》して……」
 「さうさ」と甲野さん、相手の文句を途中で消して仕舞つた。
 「夫《それ》でなくつても、此位逢ふ位だからこの先、どう關係がつかないとも限らない」
 「君とかい」
 「なにさ、そんな關係ぢやない外《ほか》の關係さ。情交以外の關係だよ」
 「左樣《さう》」と甲野さんは、左の手で顎を支へながら、右に持つたコフヒー茶碗を鼻の先に据ゑたまゝぼんやり向ふを見てゐる。
 「蜜柑が食ひたい」と宗近君が云ふ。甲野さんは黙つてゐる。やがて
 「あの女は嫁にでも行くんだらうか」と毫も心配にならない氣色《けしき》で云ふ。
 「ハヽヽヽ。聞いてやらうか」と挨拶も聞く料簡はなさゝうである。
 「嫁か? そんなに嫁に行きたいものかな」
 「だからさ、そりや聞いて見なけりあ分からないよ」
 「君の妹なんぞは、どうだ。矢つ張り行きたい樣かね」と甲野さんは妙な事を眞面目に聞き出した。
 「糸公か。あいつは、から赤兒《ねんね》だね。然し兄思ひだよ。狐の袖無《ちやん/\》を縫つてくれたり、なんかしてね。あいつは、あれで裁縫が上手なんだぜ。どうだ肱突《ひじつき》でも造《こしら》へてもらつて遣らうか」
 「さうさな」
 「入らないか」
 「うん、入らん事もないが……」
 肱突は不得要領に終つて、二人は食卓を立つた。孤堂先生の車室を通り拔けた時、先生は顔の前に朝日新聞を一面に擴げて、小夜子は小《ちひ》さい口に、玉子燒をすくひ込んで居た。四個の小世界は夫《そ》れ/\に活動して、二たゝび列車のなかに擦れ違つた儘、互の運命を自家の未來に危ぶむが如く、又怪しまざるが如く、測るべからざる明日《あす》の世界を擁して新橋の停車場《ステーシヨン》に着く。
 「さつき馳けて行つたのは小野ぢやなかつたか」と停車場《ステーシヨン》を出る時、宗近君が聞いて見る。
 「さうか。僕は氣が付かなかつたが」と甲野さんは答へた。
 四個の小世界は、停車場《ステーシヨン》に突き當つて、しばらく、ばら/\となる。
 
     八
 
 一本の淺葱櫻《あさぎざくら》が夕暮を庭に曇る。拭き込んだ椽は、立て切つた障子の外に靜かである。うちは小形の長火鉢に手取形《てとりがた》の鐵瓶を沸《たぎ》らして前には絞り羽二重の座布團を敷く。布團の上には甲野の母が品《ひん》よく座《すわ》つてゐる。きりりと釣り上げた眼尻の盡くるあたりに、疳の筋が裏を通つて額へ突き拔けてゐるらしい上部《うはべ》を、淺黒く膚理《きめ》の細かい皮が包んで、外見|丈《だけ》は至極穩やかである。――針を海綿に藏《かく》して、ぐつと握らしめたる後、柔らかき手に膏藥《かうやく》を貼《は》つて創口《きずぐち》を快よく慰めよ。出來得べくんば唇を血の出る局所に接《つ》けて他意なきを示せ。――二十世紀に生れた人は是《これ》丈《だけ》の事を知らねばならぬ。骨を露《あら》はすものは亡《ほろ》ぶと甲野さんが甞て日記に書いた事がある。
 靜かな椽に足音がする。今|卸《おろ》したかと思はれる程の白足袋を張り切る許《ばか》りに細長い足に見せて、變り色の厚い?《ふき》の椽に引き擦るを輕く蹴返しながら、障子をすうと開ける。
 居住《ゐずまひ》を其儘の母は、濃い眉を半分程入口に傾けて、
 「おや御這入《おはいり》」と云ふ。
 藤尾は無言で後《あと》を締める。母の向《むかふ》に火鉢を隔てゝすらりと坐つた時、鐵瓶は頻りに鳴る。
 母は藤尾の顔を見る。藤尾は火鉢の横に二つ折に疊んである新聞を俯目《ふしめ》に眺める。――鐵瓶は依然として鳴る。
 口多き時に眞《まこと》少なし。鐵瓶の鳴るに任せて、徒らに差し向ふ親と子に、椽は靜かである。淺葱櫻《あさぎざくら》は夕暮を誘ひつゝある。春は逝きつゝある。
 藤尾はやがて顔を上げた。
 「歸つて來たのね」
 親、子の眼は、はたと行き合つた。眞《まこと》は一瞥に籠《こも》る。熱に堪へざる時は骨を露《あら》はす。
 「ふん」
 長烟管《ながぎせる》に烟草の殼を丁《ちやう》とはたく音がする。
 「どうする氣なんでせう」
 「どうする氣か、彼《あの》人《ひと》の料簡|許《ばか》りは御母《おつか》さんにも分らないね」
 雲井の烟は會釋なく、骨の高い鼻の穴から吹き出す。
 「歸つて來ても同《おんな》じ事ですね」
 「同《おんな》じ事さ。生涯あれなんだよ」
 御母《おつか》さんの疳の筋は裏から表へ浮き上がつて來た。
 「家《うち》を襲《つ》ぐのがあんなに厭《いや》なんでせうか」
 「なあに、口|丈《だけ》さ。夫《それ》だから惡《にく》いんだよ。あんな事を云つて私達《わたしたち》に當付《あてつ》ける積《つもり》なんだから……本當に財産も何も入らないなら自分で何かしたら、善いぢやないか。毎日々々愚圖々々して、卒業してから今日《けふ》迄《まで》もう二年にもなるのに。いくら哲學だつて自分一人位どうにかなるに極つてゐらあね。※[者/火]え切らないつちやありやしない。彼《あの》人《ひと》の顔を見るたんびに阿母《おつかさん》は疳癪が起つてね。……」
 「遠廻しに云ふ事は些《ちつ》とも通じない樣ね」
 「なに、通じても、不知《しら》を切つてるんだよ」
 「憎らしいわね」
 「本當に。彼《あの》人《ひと》がどうかして呉れないうちは、御前の方を如何《どう》にもする事が出來ない。……」
 藤尾は返事を控へた。戀は凡《すべ》ての罪惡を孕《はら》む。返事を控へたうちには、あらゆるものを犧牲に供するの決心がある。母は續ける。
 「御前も今年で二十四ぢやないか。二十四になつて片付かないものが滅多にあるものかね。――それを、嫁に遣らうかと相談すれば、御廢《およ》しなさい、阿母《おつか》さんの世話は藤尾にさせたいからと云ふし、そんなら獨立する丈《だけ》の仕事でもするかと思へば、毎日部屋のなかへ閉ぢ籠つて寐轉んでるしさ。――さうして他人《ひと》には財産を藤尾にやつて自分は流浪《るらう》する積《つもり》だなんて云ふんだよ。さも此方《こつち》が邪魔にして追ひ出しにでもかゝつてる樣で見つともないぢやないか」
 「何處へ行つて、そんな事を云つたんです」
 「宗近の阿爺《おとつさん》の所へ行つた時、さう云つたとさ」
 「餘つ程男らしくない性質《たち》ですね。夫《それ》より早く糸子さんでも貰つて仕舞つたら好いでせうに」
 「全體貰ふ氣があるのかね」
 「兄さんの料簡はとても分りませんわ。然し糸子さんは兄さんの所へ來たがつてるんですよ」
 母は鳴る鐵瓶を卸して、炭取を取り上げた。隙間なく澁の洩れた劈痕燒《ひゞやき》に、二筋三筋藍を流す波を描《ゑが》いて、眞白《ましろ》な櫻を氣儘に散らした、薩摩の急須《きふす》の中には、緑りを細く綯《よ》り込んだ宇治の葉が、午《ひる》の湯に腐《ふ》やけた儘、ひた/\に重なり合ふて冷えてゐる。
 「御茶でも入れ樣かね」
 「いゝえ」と藤尾は疾《と》く拔け出した香《かをり》の猶餘りあるを、急須《きふす》と同じ色の茶碗のなかに疊み込む。黄な流れの底を敲《たゝ》く程は、左程《さほど》とも思へぬが、縁《ふち》に近く漸く色を揩オて、濃き水は泡を面《おもて》に片寄せて動かずなる。
 母は掻き馴らしたる灰の盛り上りたるなかに、佐倉炭の白き殘骸《なきがら》の完きを毀《こぼ》ちて、心《しん》に潜む赤きものを片寄せる。温《ぬく》もる穴の崩れたる中には、黒く輪切の正しきを擇んで、ぴち/\と活ける。――室内の春光は飽く迄も二人《ふたり》の母子《ぼし》に穩かである。
 此作者は趣なき會話を嫌ふ。猜疑不和の暗き世界に、一點の精彩を着せざる毒舌は、美しき筆に、心地よき春を紙に流す詩人の風流ではない。閑花素琴《かんくわそきん》の春を司《つかさ》どる人の歌めく天《あめ》が下《した》に住まずして、半滴の氣韻だに帶びざる野卑の言語を臚列《ろれつ》するとき、毫端《がうたん》に泥を含んで双手に筆を運《めぐ》らし難き心地がする。宇治の茶と、薩摩の急須《きふす》と、佐倉の切り炭を描《ゑが》くは瞬時の閑《かん》を偸《ぬす》んで、一彈指頭《いちだんしとう》に脱離の安慰を讀者に與ふるの方便である。たゞし地球は昔《むか》しより廻轉する。明暗は晝夜を捨てぬ。嬉しからぬ親子の半面を最も簡短に叙するは此作者の切《せつ》なき義務である。茶を品し、炭を寫したる筆は再び二人の對話に戻らねばならぬ。二人の對話は少なくとも前段より趣がなくてはならぬ。
 「宗近と云へば、一《はじめ》も餘つ程|剽輕者《へうきんもの》だね。學問も何にも出來ない癖に大きな事ばかり云つて、――あれで當人は立派にえらい氣なんだよ」
 厩《うまや》と鳥屋《とや》と一所にあつた。牝鷄《めんどり》の馬を評する語に、――あれは鷄鳴《とき》をつくる事も、鷄卵《たまご》を生む事も知らぬとあつたさうだ。尤もである。
 「外交官の試驗に落第したつて、些《ちつ》とも耻づかしがらないんですよ。普通《なみ》のものなら、もう少し奮發する譯ですがねえ」
 「鐵砲玉だよ」
 意味は分からない。只思ひ切つた評である。藤尾は滑《なめ》らかな頬に波を打たして、にやりと笑つた。藤尾は詩を解する女である。駄菓子の鐵砲玉は黒砂糖を丸めて造る。砲兵工廠の鐵砲玉は鉛を鎔《と》かして鑄《い》る。いづれにしても鐵砲玉は鐵砲玉である。さうして母は飽く迄も眞面目である。母には娘の笑つた意味が分からない。
 「御前はあの人をどう思つてるの」
 娘の笑は、端《はし》なくも母の疑問を起す。子を知るは親に若《し》かずと云ふ。それは違つてゐる。御互に喰ひ違つて居らぬ世界の事は親と雖ども唐《から》、天竺《てんじく》である。
 「どう思つてるつて……別にどうも思つてやしません」
 母は鋭どき眉の下から、娘を屹と見た。意味は藤尾にちやんと分つてゐる。相手を知るものは騷がず。藤尾はわざと落ち付き拂つて母の切つて出るのを待つ。掛引は親子の間にもある。
 「御前あすこへ行く氣があるのかい」
 「宗近へですか」と聞き直す。念を押すのは滿を引いて始めて放つ爲めの下拵《したごしらへ》と見える。
 「あゝ」と母は輕く答へた。
 「いやですわ」
 「いやかい」
 「いやかいつて、……あんな趣味のない人」と藤尾はすぱりと句を切つた。筍《たけのこ》を輪切りにすると、斯んな風になる。張のある眉に風を起して、是《これ》限《ぎり》で澤山だと締切つた口元に猶《なほ》籠《こも》る何物かゞ一寸|閃《はため》いてすぐ消えた。母は相槌を打つ。
 「あんな見込のない人は、私《わたし》も好かない」
 趣味のないのと見込のないのとは別物である。鍛冶《かぢ》の頭《かみ》はかん〔二字傍点〕と打ち、相槌《あひづち》はとん〔二字傍点〕と打つ。去れども打たるゝは同じ劔《つるぎ》である。
 「いつそ、此所で、判然《はつきり》斷はらう」
 「斷はるつて、約束でもあるんですか」
 「約束? 約束はありません。けれども阿爺《おとつさん》が、あの金時計を一《はじめ》にやると御言ひのだよ」
 「それが、どうしたんです」
 「御前が、あの時計を玩具《おもちや》にして、赤い珠ばかり、いぢつて居た事があるもんだから……」
 「それで」
 「それでね――此時計と藤尾とは縁の深い時計だが之を御前に遣らう。然し今はやらない。卒業したら遣る。然し藤尾が欲しがつて繰《く》つ着《つ》いて行くかも知れないが、夫《それ》でも好いかつて、冗談半分に皆《みんな》の前で一《はじめ》に仰しやつたんだよ」
 「それを今だに謎だと思つてるんですか」
 「宗近の阿爺《おとつさん》の口占《くちうら》ではどうもさうらしいよ」
 「馬鹿らしい」
 藤尾は鋭どい一句を長火鉢の角《かど》に敲《たゝ》きつけた。反響はすぐ起る。
 「馬鹿らしいのさ」
 「あの時計は私が貰ひますよ」
 「まだ御前の部屋にあるかい」
 「文庫のなかに、ちやんと仕舞つてあります」
 「さう。そんなに欲しいのかい。だつて御前には持てないぢやないか」
 「いゝから下さい」
 鎖の先に燃える柘榴石《ガーネツト》は、蒔繪《まきゑ》の蘆雁《ろがん》を高く置いた手文庫の底から、怪しき光りを放つて藤尾を招く。藤尾はすうと立つた。朧《おぼろ》とも化けぬ淺葱櫻《あさぎざくら》が、暮近く消えて行くべき晝の命を、今|少時《しばし》と護る椽に、拔け出した高い姿が、振り向きながら、瘠面《やさおもて》の影になつた半面を、障子のうちに傾けて
 「あの時計は小野さんに上げても好いでせうね」
と云ふ。障子のうちの返事は聞えず。――春は母と子に暮れた。
 同時に豐かな灯《ひ》が宗近家の座敷に點《とも》る。靜かなる夜を陽に返す洋燈《ランプ》の笠に白き光りをゆかしく罩《こ》めて、唐草を一面に高く敲《たゝ》き出した白銅の油壺が晴がましくも宵に曇らぬ色を誇る。燈火《ともしび》の照らす限りは顔毎に賑やかである。
 「アハヽヽヽ」と云ふ聲が先づ起る。此|燈火《ともしび》の周圍《まはり》に起る凡《すべ》ての談話はアハヽヽヽを以て始まるを恰好《かつかう》と思ふ。
 「それぢや相輪?《さうりんたう》も見ないだらう」と大きな聲を出す。聲の主は老人である。色の好い頬の肉が双方から垂れ餘つて、抑へられた顎は已《やむ》を得ず二重《ふたへ》に折れてゐる。頭は大分《だいぶ》禿げかゝつた。之を時々撫でる。宗近の父は頭を撫で禿がして仕舞つた。
 「相輪?《さうりんたう》た何ですか」と宗近君は阿爺《おやぢ》の前で變則の胡坐《あぐら》をかいてゐる。
 「アハヽヽヽそれぢや叡山へ何しに登つたか分からない」
 「そんなものは通り路に見當らなかつた樣だね、甲野さん」
 甲野さんは茶碗を前に、くすんだ萬筋《まんすぢ》の前を合して、黒い羽織の襟を正しく坐つてゐる。甲野さんが問ひ懸けられた時、?然《にこやか》な糸子の顔は搖《うご》いた。
 「相輪?はなかつた樣だね」と甲野さんは手を膝の上に置いた儘である。
 「通り路にないつて……まあ何處から登つたか知らないが――吉田かい」
 「甲野さん、あれは何と云ふ所かね。僕等の登つたのは」
 「何と云ふ所か知ら」
 「阿爺《おとつさん》何でも一本橋を渡つたんですよ」
 「一本橋を?」
 「えゝ、――一本橋を渡つたな、君、――もう少し行くと若狹《わかさ》の國へ出る所ださうです」
 「さう早く若狹へ出るものか」と甲野さんは忽ち前言を取り消した。
 「だつて君が、さう云つたぢやないか」
 「それは冗談さ」
 「アハヽヽヽ若狹《わかさ》へ出ちや大變だ」と老人は大いに愉快さうである。糸子も丸顔に二重瞼《ふたへまぶた》の波を寄せた。
 「一體御前方は只|歩行《ある》く許《ばか》りで飛脚同然だからいけない。――叡山には東塔、西塔、横川《よかは》とあつて、その三ケ所を毎日徃來してそれを修業にしてゐる人もある位廣い所だ。只登つて下りる丈《だけ》ならどこの山へ登つたつて同じ事ぢやないか」
 「なに、只の山の積りで登つたんです」
 「アハヽヽそれぢや足の裏へ豆を出しに登つた樣なものだ」
 「豆は慥《たし》かです。豆は其方《そつち》の受持です」と笑ながら甲野さんの方を見る。哲學者も六づかしい顔|許《ばか》りはして居られぬ。燈火《ともしび》は明かに搖れる。糸子は袖を口へ當てゝ、崩しかゝつた笑顔の収まり際に頭《つむり》を上げながら、眸を豆の受持ち手の方へ動かした。眼を動かさんとするものは、先づ顔を動かす。火事場に泥棒を働らくの格である。家庭的の女にも此位な作略《さりやく》はある。素知らぬ顔の甲野さんは、すぐ問題を呈出した。
 「御叔父《をじ》さん、東塔とか西塔とか云ふのは何の名ですか」
 「矢張り延暦寺の區域だね。廣い山の中に、あすこに一《ひ》と塊《かた》まり、こゝに一と塊まりと坊が集《かた》まつて居るから、まあ之を三つに分けて東塔とか西塔とか云ふのだと思へば間違はない」
 「まあ、君、大學に、法、醫、文とある樣なものだよ」と宗近君は横合から、知つた樣な口を出す。
 「まあ、さうだ」と老人は即座に賛成する。
 「東《とう》は修羅《しゆら》、西《さい》は都に近ければ横川《よかは》の奧ぞ住みよかりけると云ふ歌がある通り、横川《よかは》が一番|淋《さび》しい、學問でもするに好い所となつてゐる。――今話した相輪?《さうりんたう》から五十丁も這入らなければ行かれない」
 「どうれで知らずに通つた譯だな、君」と宗近君が又甲野さんに話しかける。甲野さんは何とも云はずに老人の説明を謹聽してゐる。老人は得意に辯ずる。
 「そら謠曲の船辯慶にもあるだらう。――斯樣に候ものは、西塔の傍《かたはら》に住居《すまひ》する武藏坊辯慶にて候――辯慶は西塔に居つたのだ」
 「辯慶は法科に居たんだね。君なんかは横川《よかは》の文科組なんだ。――阿爺《おとつ》さん叡山の總長は誰ですか」
 「總長とは」
 「叡山の――つまり叡山を建てた男です」
 「開基《かいき》かい。開基は傳ヘ大師《でんげうだいし》さ」
 「あんな所へ寺を建てたつて、人泣かせだ、不便で仕方がありやしない。全體|昔《むか》しの男は醉興だよ。ねえ甲野さん」
 甲野さんは何だか要領を得ぬ返事を一口した。
 「傳ヘ大師は御前《おまい》、叡山の麓で生れた人だ」
 「成程さう云へば分つた。甲野さん分つたらう」
 「何が」
 「傳ヘ大師御誕生地と云ふ棒杭《ぼうぐひ》が坂本に建つて居ましたよ」
 「あすこで生れたのさ」
 「うん、さうか、甲野さん君も氣が着いたらう」
 「僕は氣が着かなかつた」
 「豆に氣を取られて居たからさ」
 「アハヽヽヽ」と老人が又笑ふ。
 觀ずるものは見ず。昔しの人は想《さう》こそ無上《むじやう》なれと説いた。逝く水は日夜を捨てざるを、徒らに眞と書き、眞と書いて、去る波の今書いた眞を今載せて杳然《えうぜん》と去るを思はぬが世の常である。堂に法華《ほつけ》と云ひ、石に佛足《ぶつそく》と云ひ、?《たう》に相輪《さうりん》と云ひ、院に淨土と云ふも、たゞ名と年と歴史を記《き》して吾《わが》事《こと》畢《をは》ると思ふは屍《しかばね》を抱《いだ》いて活ける人を髣髴《はうふつ》する樣なものである。見るは名あるが爲めではない。觀ずるは見るが爲めではない。太上《たいじやう》は形を離れて普遍の念に入る。――甲野さんが叡山に登つて叡山を知らぬは此故である。
 過去は死んで居る。大法鼓《だいほふこ》を鳴らし、大法螺《だいほふら》を吹き、大法幢《だいほふとう》を樹《た》てゝ王城の鬼門を護りし昔《むか》しは知らず、中堂に佛眠りて天葢に蜘蛛《くも》の糸引く古伽藍《ふるがらん》を、今更の樣に桓武天皇の御宇《ぎよう》から堀り起して、無用の詮議に、千古の泥を洗ひ落すは、一日に四十八時間の夜晝ある閑人《ひまじん》の所作《しよさ》である。現在は刻《こく》をきざんで吾を待つ。有爲の天下は眼前に落ち來《きた》る。双の腕《かひな》は風を截つて乾坤《けんこん》に鳴る。――是だから宗近君は叡山に登りながら何にも知らぬ。
 只老人|丈《だけ》は太平である。天下の興廢は叡山|一刹《いつさつ》の指揮によつて、夜來《やらい》、日來《にちらい》に面目を新たにするものぢやと思ひ籠めた樣に、?々《びゞ》として叡山を説く。説くは固《もと》より青年に對する親切から出る。只青年は少々迷惑である。
 「不便だつて、修業の爲めにわざ/\、あゝ云ふ山を擇んで開くのさ。今の大學|抔《など》はあまり便利な所にあるから、みんな贅澤になつて行かん。書生の癖に西洋菓子だの、ホヰスキーだのと云つて……」
 宗近君は妙な顔をして甲野さんを見た。甲野さんは存外眞面目である。
 「阿爺《おとつさん》叡山の坊主は夜十一時頃から坂本迄蕎麥を食ひに行くさうですよ」
 「アハヽヽ眞逆《まさか》」
 「なに本當ですよ。ねえ甲野さん。――いくら不便だつて食ひたいものは食ひたいですからね」
 「夫《それ》はのらくら〔四字傍点〕坊主だらう」
 「すると僕らはのらくら〔四字傍点〕書生かな」
 「御前達はのらくら〔四字傍点〕以上だ」
 「僕らは以上でもいゝが――坂本迄は山道二里|許《ばか》りありますぜ」
 「あるだらう、其位は」
 「それを夜の十一時から下りて、蕎麥を食つて、それから又登るんですからね」
 「だから、どうなんだい」
 「到底《とても》のらくら〔四字傍点〕ぢや出來ない仕事ですよ」
 「アハヽヽヽ」と老人は大きな腹を競《せ》り出して笑つた。洋燈《ランプ》の葢《かさ》が喫驚《びつくり》する位な聲である。
 「あれでも昔《むか》しは眞面目な坊主が居たものでせうか」と今度は甲野さんが不圖思ひ出した樣な樣子で聞いて見る。
 「それは今でもあるよ。眞面目なものが世の中に少ない如く、僧侶にも多くはないが――然し今だつて全く無い事はない。何しろ古い寺だからね。あれは始めは一乘止觀院《いちじようしくわんゐん》と云つて、延暦寺となつたのは大分《だいぶ》後《あと》の事だ。其時分から妙な行《ぎやう》があつて、十二年間山へ籠り切りに籠るんださうだがね」
 「蕎麥どころぢやありませんね」
 「どうして。――何しろ一度も下山しないんだから」
 「さう山の中で年|許《ばか》り取つてどうする了見かな」
と宗近君が今度は獨語《ひとりごと》の樣に云ふ。
 「修業するのさ。御前達もさうのらくら〔四字傍点〕しないで些《ちと》そんな眞似でもするがいゝ」
 「そりや駄目ですよ」
 「何故」
 「何故つて。僕は出來ない事もないが、さうした日にや、あなたの命令に背《そむ》く譯になりますからね」
 「命令に?」
 「だつて人の顔を見るたんびに嫁を貰へ/\と仰《おつし》やるぢやありませんか。是から十二年も山へ籠つたら、嫁を貰ふ時分にや腰が曲がつちまいます」
 一座はどつと噴き出した。老人は首を少し上げて頭の禿を逆《さか》に撫でる。垂れ懸つた頬の肉が顫へ落ちさうだ。糸子は俯向《うつむ》いて聲を殺した爲め二重瞼が薄赤くなる。甲野さんの堅い口も解けた。
 「いや修業も修業だが嫁も貰はなくちあ困る。何しろ二人だから億劫《おつくふ》だ。――欽吾さんも、もう貰はなければならんね」
 「えゝ、さう急には……」
 如何にも氣の無い返事をする。嫁を貰ふ位なら十二年叡山へでも籠る方が揩オであると心のうちに思ふ。凡《すべ》てを見逃さぬ糸子の目には欽吾の心がひらりと映つた。小さい胸が急に重くなる。
 「然し阿母《おつか》さんが心配するだらう」
 甲野さんは何とも答へなかつた。此老人も自分の母を尋常の母と心得てゐる。世の中に自分の母の心のうちを見拔いたものは一人《いちにん》もない。自分の母を見拔かなければ自分に同情しやう筈がない。甲野さんは眇然《べうぜん》として天地の間《あひだ》に懸つてゐる。世界滅却の日を只|一人《ひとり》生き殘つた心持である。
 「君が愚圖々々して居ると藤尾さんも困るだらう。女は年頃をはづすと、男と違つて、片付けるにも骨が折れるからね」
 敬ふべく愛すべき宗近の父は依然として母と藤尾の味方である。甲野さんは返事の仕樣がない。
 「一《はじめ》にも貰つて置かんと、わしも年を取つて居るから、何時《いつ》どんな事があるかも知れないからね」
 老人は自分の心で、わが母の心を推《すゐ》してゐる。親と云ふ名が同じでも親と云ふ心には相違がある。然し説明は出來ない。
 「僕は外交官の試驗に落第したから當分駄目ですよ」と宗近が横から口を出した。
 「去年は落第さ。今年の結果はまだ分らんだらう」
 「えゝ、まだ分らんです。ですがね、又落第しさうですよ」
 「何故」
 「矢つ張りのらくら〔四字傍点〕以上だからでせう」
 「アハヽヽヽ」
 今夕《こんせき》の會話はアハヽヽヽに始まつてアハヽヽヽに終つた。
 
     九
 
 眞葛《まくず》が原《はら》に女郎花《をみなへし》が咲いた。すら/\と薄《すゝき》を拔けて、悔《くい》ある高き身に、秋風を品《ひん》よく避《よ》けて通す心細さを、秋は時雨《しぐれ》て冬になる。茶に、黒に、ちりちりに降る霜に、冬は果てしなく續くなかに、細い命を朝夕《あさゆふ》に頼み少なく繋《つ》なぐ。冬は五年の長きを厭はず。淋しき花は寒い夜を拔け出でゝ、紅緑に貧《まづしさ》を知らぬ春の天下に紛れ込んだ。地に空に春風のわたる程は物みな燃え立つて富貴《ふうき》に色づくを、ひそかなる黄を、一本《ひともと》の細き末に頂いて、住むまじき世に肩身狹く憚かりの呼吸《いき》を吹く樣である。
 今迄は珠よりも鮮やかなる夢を抱《いだ》いて居た。眞黒闇《まくらやみ》に据ゑた金剛石にわが眼を授け、わが身を與へ、わが心を託して、其他なる右も左《ひだ》りも氣に懸ける暇《いとま》もなかつた。懷に抱《いだ》く珠の光りを夜《よ》に拔いて、二百里の道を遙々《はる/”\》と闇の袋より取り出した時、珠は現實の明海《あかるみ》に幾分か徃昔《そのかみ》の輝きを失つた。
 小夜子は過去の女である。小夜子の抱《いだ》けるは過去の夢である。過去の女に抱《いだ》かれたる過去の夢は、現實と二重の關を隔てゝ逢ふ瀬はない。たま/\に忍んで來れば犬が吠える。自《みづ》からも、わが來《く》る所ではないか知らんと思ふ。懷に抱《いだ》く夢は、抱《いだ》くまじき罪を、人目を包む風呂敷に藏《かく》して猶更《なほさら》に疑を路上に受くる樣な氣がする。
 過去へ歸らうか。水のなかに紛れ込んだ一雫《ひとしづく》の油は容易に油壺の中へ歸る事は出來ない。いやでも應でも水と共に流れねばならぬ。夢を捨てやうか。捨てられるものならば明海《あかるみ》へ出ぬうちに捨てゝ仕舞ふ。捨てれば夢の方で飛び付いて來る。
 自分の世界が二つに割れて、割れた世界が各自《てんで》に働き出すと苦しい矛盾が起る。多くの小説は此矛盾を得意に描《ゑが》く。小夜子の世界は新橋の停車場《ステーシヨン》へ打突《ぶつか》つた時、劈痕《ひゞ》が入つた。あとは割れる許《ばか》りである。小説は是から始まる。是から小説を始める人の生活程氣の毒なものはない。
 小野さんも同じ事である。打ち遣つた過去は、夢の塵をむく/\と掻き分けて、古ぼけた頭を歴史の芥溜《ごみため》から出す。おやと思ふ間《ま》に、ぬつくと立つて歩いて來る。打ち遣つた時に、生息《いき》の根を留めて置かなかつたのが無念であるが、生息《いき》は斷はりもなく向《むかふ》で吹き返したのだから是非もない。立ち枯れの秋草が氣紛《きまぐれ》の時節を誤つて、暖たかき陽炎《かげろふ》のちらつくなかに甦《よみが》へるのは情《なさ》けない。甦《よみがへ》つたものを打ち殺すのは詩人の風流に反する。追ひ付かれれば勞《いたは》らねば濟まぬ。生れてから濟まぬ事は只の一度もした事はない。今後とてもする氣はない。濟まぬ事をせぬ樣に、又自分にも濟む樣に、小野さんは一寸未來の袖に隱れて見た。紫の匂は強く、近付いて來る過去の幽靈も是ならばと度胸を据ゑかける途端に小夜子は新橋に着いた。小野さんの世界にも劈痕《ひゞ》が入る。作者は小夜子を氣の毒に思ふ如くに、小野さんをも氣の毒に思ふ。
 「阿父《おとつさん》は」と小野さんが聞く。
 「一寸出ました」と小夜子は何となく臆して居る。引き越して新たに家をなす翌日《あした》より、親一人に、子一人に春忙がしき世帶は、蒸《む》れやすき髪に櫛の齒を入れる暇もない。不斷着の綿入《めんいり》さへ見すぼらしく詩人の眼に映《うつ》る。――粧《よそほひ》は鏡に向つて凝《こ》らす、玻璃瓶裏《はりへいり》に薔薇の香《か》を浮かして、輕く雲鬟《うんくわん》を浸《ひた》し去る時、琥珀の櫛は條々《でう/\》の翠《みどり》を解く。――小野さんはすぐ藤尾の事を思ひ出した。是だから過去は駄目だと心のうちに語るものがある。
 「御忙《おいそが》しいでせう」
 「まだ荷物|抔《など》も其儘にして居ります……」
 「御手傳に出る積《つもり》でしたが、昨日《きのふ》も一昨日《をとゝひ》も會がありまして……」
 日毎の會に招かるる小野さんは其方面に名を得たる證據である。然しどんな方面か、小夜子には想像がつかぬ。只|己《おの》れよりは高過ぎて、とても寄り付けぬ方面だと思ふ。小夜子は俯向《うつむ》いて、膝に載せた右手の中指に光る金の指輪を見た。――藤尾の指輪とは無論比較にはならぬ。
 小野さんは眼を上げて部屋の中を見廻はした。低い天井の白茶けた板の、二た所迄節穴の歴然《れつき》と見える上、雨漏の染《し》みを侵《をか》して、こゝかしこと蜘蛛の圍《ゐ》を欺く煤《すゝ》がかたまつて黒く釣りを懸けてゐる。左から四本目の棧の中程を、杉箸が一本横に貫ぬいて、長い方の端《はじ》が、思ふ程下に曲がつてゐるのは、立ち退《の》いた以前の借主が通す繩に胸を冷やす氷嚢《ひようなう》でもぶら下げたものだらう。次の間《ま》を立て切る二枚の唐紙《からかみ》は、洋紙に箔を置いて英吉利《いぎりす》めいた葵の幾何《きか》模樣を規則正しく數十個並べてゐる。屋敷らしい縁《ふち》の黒塗が猶更《なほさら》卑しい。庭は二た間を貫ぬく椽に沿ふて勝手に折れ曲ると云ふ名のみで、幅は茶獻上程もない。丈《ぢやう》に足らぬ檜が春に用なき、去年の葉を硬く尖らして、瘠せこけて立つ後《うし》ろは、腰高塀に隣家《となり》の話が手に取る樣に聞える。
 家は小野さんが孤堂先生の爲めに周旋したに相違ない。然し極めて下卑《げび》て居る。小野さんは心のうちに厭な住居《すまひ》だと思つた。どうせ家を持つならばと思つた。袖垣《そでがき》に辛夷《こぶし》を添はせて、松苔を葉蘭《はらん》の影に疊む上に、切り立ての手拭が春風に搖《ふ》らつく樣な所に住んで見たい。――藤尾はあの家を貰ふとか聞いた。
 「御蔭さまで、好い家《うち》が手に入りまして……」と誇る事を知らぬ小夜子は云ふ。本當に好い家《うち》と心得てゐるなら情《なさ》けない。或る人に奴鰻《やつこうなぎ》を奢つたら、御蔭樣で始めて旨い鰻を食べましてと禮を云つた。奢つた男はそれより以來此人を輕蔑したさうである。
 いぢらしい〔五字傍点〕のと見縊《みくび》るのはある場合に於て一致する。小野さんは慥かに眞面目に禮を云つた小夜子を見縊つた。然し其うちに露いぢらしい〔五字傍点〕所があるとは氣が付かなかつた。紫が祟つたからである。祟があると眼玉が三角になる。
 「もつと好い家《うち》でないと御氣に入るまいと思つて、方々尋ねて見たんですが、生憎《あいにく》恰好《かつかう》なのがなくつて……」
と云ひ懸けると、小夜子は、すぐ、
 「いえ是で結構ですわ。父も喜んで居ります」と小野さんの言葉を打ち消した。小野さんは吝嗇《けち》な事を云ふと思つた。小夜子は知らぬ。
 細い面《おもて》を一寸奧へ引いて、上眼に相手の樣子を見る。どうしても五年|前《まへ》とは變つてゐる。――眼鏡は金に變つてゐる。久留米絣は背廣に變つてゐる。五分刈《ごぶがり》は光澤《つや》のある毛に變つてゐる。――髭は一躍して紳士の域に上《のぼ》る。小野さんは、何時《いつ》の間《ま》にやら黒いものを蓄へてゐる。もとの書生ではない。襟は卸し立てゞある。飾りには留針《ぴん》さへ肩を動かす度に光る。鼠の勝つた品《ひん》の好い胴衣《ちよつき》の隱袋《かくし》には――恩賜の時計が這入つてゐる。此上に金時計をとは、小さき胸の小夜子が夢にだも知る筈がない。小野さんは變つてゐる。
 五年の間|一日一夜《ひとひひとよ》も懷に忘られぬ命より明らかな夢の中なる小野さんはこんな人ではなかつた。五年は昔である。西東《にしひがし》長短の袂を分かつて、離愁を鎖す暮雲に相思の關《くわん》を塞《せ》かれては、逢ふ事の疎《うと》くなりまさる此|年月《としつき》を、變らぬとのみは思ひも寄らぬ。風吹けば變る事と思ひ、雨降れば變る事と思ひ、月に花に變る事と思ひ暮らしてゐた。然し、かうは變るまいと念じてプラツト、フオームへ下りた。
 小野さんの變りかたは過去を順當に延ばして、健氣《けなげ》に生ひ立つた阿蒙《あもう》の變りかたではない。色の褪《さ》めた過去を逆《さか》に捩ぢ伏せて、目醒しき現在を、相手が新橋へ着く前の晩に、性急《せいきふ》に拵らへ上げた樣な變りかたである。小夜子には寄り付けぬ。手を延ばしても屆きさうにない。變りたくても變られぬ自分が恨めしい氣になる。小野さんは自分と遠ざかる爲めに變つたと同然である。
 新橋へは迎《むかへ》に來て呉れた。車を傭《やと》つて宿へ案内して呉れた。のみならず、忙がしいうちを無理に算段して、蝸牛《かたつむり》親子して寐る庵《いほり》を借りて呉れた。小野さんは昔の通り親切である。父も左樣《さやう》に云ふ。自分もさう思ふ。然し寄り付けない。
 プラツト、フオームを下りるや否や御荷物をと云つた。小《ち》さい手提の荷にはならず、持つて貰ふ程でもないのを無理に受取つて、膝掛と一所に先へ行つた、刻《きざ》み足の後《うし》ろ姿を見たときに――是はと思つた。先へ行くのは、遙々《はる/”\》と來た二人を案内する爲めではなく、時候|後《おく》れの親子を追ひ越して馳け拔ける爲めの樣に見える。割符《わりふ》とは瓜二つを取つてつけて較べる爲めの證據《しるし》である。天に懸る日よりも貴しと護るわが夢を、五年《いつとせ》の長き香《か》洩る 「時」の袋から現在に引き出して、よも間違はあるまいと見較べて見ると、現在ははやくも遠くに立ち退《の》いて居る。握る割符《わりふ》は通用しない。
 始めは穴を出でゝ眩《まばゆ》き故と思ふ。少し慣れたらばと、逝く日を杖に、一度逢ひ、二度逢ひ、三度四度と重なるたびに、小野さんは愈《いよ/\》丁寧になる。丁寧になるに付けて、小夜子は愈《いよ/\》近寄り難くなる。
 やさしく咽喉《のど》に滑《す》べり込む長い顎を奧へ引いて、上眼に小野さんの姿を眺めた小夜子は、變る眼鏡を見た。變る髭を見た。變る髪の風《ふう》と變る裝《よそほひ》とを見た。凡《すべ》ての變るものを見た時、心の底でそつと嘆息《ためいき》を吐《つ》いた。あゝ。
 「京都の花はどうです。もう遅いでせう」
 小野さんは急に話を京都へ移した。病人を慰めるには病氣の話をする。好かぬ昔に飛び込んで、難有《ありがた》くほどけ掛けた記憶の綯《より》を逆《ぎやく》に戻すは、詩人の同情である。小夜子は急に小野さんと近付いた。
 「もう遅いでせう。立つ前に一寸|嵐山《あらしやま》へ參りましたが其時が丁度八分通りでした」
 「其位でせう、嵐山《あらしやま》は早いですから。それは結構でした。何誰《どなた》と御一所に」
 花を看る人は星月夜の如く夥《おびたゞ》しい。然し一所に行く人は天を限り地を限つて父より外にない。父でなければ――あとは胸のなかでも名は言はなかつた。
 「矢つ張り阿父《おとつさん》とですか」
 「えゝ」
 「面白かつたでせう」と口の先で云ふ。小夜子は何故《なぜ》か情《なさ》けない心持がする。小野さんは出直した。
 「嵐山《あらしやま》も元とは大分《だいぶ》違つたでせうね」
 「えゝ。大悲閣《だいひかく》の温泉|抔《など》は立派に普請が出來て……」
 「さうですか」
 「小督《こがう》の局《つぼね》の墓が御座んしたらう」
 「えゝ、知つてゐます」
 「彼所《あすこ》いらは皆《みんな》掛茶屋|許《ばか》りで大變賑やかになりました」
 「毎年《まいとし》俗になる許《ばか》りですね。昔の方が餘程好い」
 近寄れぬと思つた小野さんは、夢の中の小野さんとぱたりと合つた。小夜子ははつと思ふ。
 「本當に昔の方が……」と云ひ掛けて、わざと庭を見る。庭には何にもない。
 「私が御一所に遊びに行つた時分は、そんなに雜沓しませんでしたね」
 小野さんは矢張り夢の中の小野さんであつた。庭を向いた眼は、ちらりと眞向《まむき》に返る。金縁の眼鏡と薄黒い口髭がすぐ眸《ひとみ》に映《うつ》る。相手は依然として過去の人ではない。小夜子は床《ゆか》しい昔話の緒《いとくち》の、する/\と拔け出しさうな咽喉を抑へて、黙つて口をつぐんだ。調子づいて角を曲らうとする、どつこいと突き當る事がある。品《ひん》のいゝ紳士淑女の對話も胸のうちでは始終突き當つてゐる。小野さんは又口を開く番となる。
 「あなたはあの時分と少しも違つて入らつしやいませんね」
 「さうでせうか」と小夜子は相手を諾する樣な、自分を疑ふ樣な、氣の乘らない返事をする。變つて居りさへすればこんなに心配はしない。變るのは歳《とし》許《ばか》りで、徒《いた》づらに育つた縞柄と、用ゐ古るした琴が恨めしい。琴は蔽《おひ》のまゝ床の間に立て掛けてある。
 「私は大分《だいぶ》變りましたらう」
 「見違へる樣に立派に御成りです事」
 「ハヽヽヽ夫《それ》は恐れ入りますね。まだ是からどしどし變る積《つもり》です。丁度|嵐山《あらしやま》の樣に……」
 小夜子は何と答へていゝか分らない。膝に手を置いた儘、下を向いて居る。小さい耳朶《みゝたぶ》が、行儀よく、鬢《びん》の末を潜《くゞ》り拔けて、頬と頸の續目《つぎめ》が、暈《ぼか》した樣に曲線を陰に曳いて去る。見事な畫《ゑ》である。惜しい事に眞向《まむき》に座つた小野さんには分からない。詩人は感覺美を好む。是程の肉の上げ具合、是程の肉の退《ひ》き具合、是程の光線《ひ》に、是程の色の付き具合は滅多に見られない。小野さんが此瞬間に此美しい畫を捕へたなら、編み上げの踵を、地に滅《め》り込む程に回《めぐ》らして、五年の流を逆に過去に向つて飛び付いたかも知れぬ。惜しい事に小野さんは眞向《まむき》に坐つて居る。小野さんは只面白味のない詩趣に乏しい女だと思つた。同時に波を打つて鼻の先に翻へる袖の香《か》が、濃き紫の眉間《みけん》を掠《かす》めてぷんとする。小野さんは急に歸りたくなつた。
 「また來ませう」と背廣の胸を合せる。
 「もう歸る時分ですから」と小《ちひ》さな聲で引き留め樣《やう》とする。
 「また來ます。御歸りになつたら、どうぞ宜しく」
 「あの……」と口籠《くちごも》つてゐる。
 相手は腰を浮かしながら、あの〔二字傍点〕のあとを待ち兼ねる。早くと急《せ》き立てられる氣がする。近寄れぬものは益《ます/\》離れて行く。情ない。
 「あの……父が……」
 小野さんは、何とも知れず重い氣分になる。女は益《ます/\》切り出し惡《にく》くなる。
 「また上がります」と立ち上がる。云はうと思ふ事を聞いても呉れない。離れるものは沒義道《もぎだう》に離れて行く。未練も會釋もなく離れて行く。玄關から座敷に引き返した小夜子は惘然《まうぜん》として、椽に近く坐つた。
 降らんとして降り損《そこ》ねた空の奧から幽《かす》かな春の光りが、淡き雲に遮ぎられながら一面に照り渡る。長閑《のど》かさを抑へ付けたる頭の上は、晴るゝ樣で何となく欝陶《うつたう》しい。何處やらで琴の音《ね》がする。わが彈くべきは塵も拂はず、更紗《さらさ》の小包を二つ並べた間に、袋の儘で淋《さび》しく壁に持たれてゐる。何時《いつ》欝金《うこん》の掩《おひ》を除《の》ける事やら。あの曲は大分《だいぶ》熟《な》れた手に違ない。片々に抑へて片々に彈《はじ》く爪の、安らかに幾關《いくせき》の柱《ぢ》を徃きつ戻りつして、春を限りと亂るゝ色は甲斐々々しくも豐かである。聞いてゐると、あの雨をつい昨日《きのふ》の樣に思ふ。ちら/\に晝の蛍と竹垣に滴《したゝ》る連※[草冠/翹]《れんげう》に、朝から降つて退屈だと阿父樣《とうさま》が仰《おつし》やる。繻子《しゆす》の袖口は手頸に滑りやすい。絹糸を細長く目に貫《ぬ》いた儘、針差の紅《くれなゐ》をぷつりと刺して立ち上がる。盛り上がる古桐の長い胴に、鮮かに眼を醒ませと、へ〔傍点〕の字に渡す糸の數々を、幾度か抑へて、幾度か撥《は》ねた。曲はたしか小督《こがう》であつた。狂ふ指の、憂き晝を、苦茶苦茶に揉みこなしたと思ふ頃、阿父樣《とうさま》は御苦勞と手づから御茶を入れて下さつた。京は春の、雨の、琴の京である。なかでも琴は京に能う似合ふ。琴の好《すき》な自分は、矢張り靜かな京に住むが分である。古い京から拔けて來た身は、闇を破る烏の、飛び出して見て、そゞろ黒きに驚ろき、舞ひ戻らんとする夜はからりと明け離れた樣なものである。こんな事なら琴の代りに洋琴《ピアノ》でも習つて置けば善かつた。英語も昔の儘で、今は大方忘れてゐる。阿父《とうさま》は女にそんなものは必要がないと仰《おつし》やる。先の世に住み古るしたる人を便りに、小野さんには、追ひ付く事も出來ぬ樣に後れて仕舞つた。住み古るした人の世はいづれ長い事はあるまい。古るい人に先だゝれ、新らしい人に後れゝば、今日《けふ》を明日《あす》と、其日に數《はか》る命は、文《あや》も理《め》も危《あやふ》い。……
 格子ががらりと開《あ》く。古《いにしへ》の人は歸つた。
 「今歸つたよ。どうも苛《ひど》い埃でね」
 「風もないのに?」
 「風はないが、地面が乾いてるんで――どうも東京と云ふ所は厭な所だ。京都の方が餘つ程いゝね」
 「だつて早く東京へ引き越す、引き越すつて、毎日の樣に云つて居らしつたぢやありませんか」
 「云つてた事は、云つてたが、來て見るとさうでもないね」と椽側で足袋をはたいて座に直《なほ》つた老人は、
 「茶碗が出てゐるね。誰か來たのかい」
 「えゝ。小野さんが入らしつて……」
 「小野が? そりやあ」と云つたが、提《さ》げて來た大きな包をからげた細繩の十文字を、丁寧に一文字|宛《づゝ》ほどき始める。
 「今日はね。座布團を買はうと思つて、電車へ乘つた所が、つい乘り替を忘れて、ひどい目に逢つた」
 「おや/\」と氣の毒さうに微笑《ほゝゑ》んだ娘は
 「でも布團は御買ひになつて?」と聞く。
 「あゝ、布團|丈《だけ》はこゝへ買つて來たが、御蔭で大變遅れて仕舞つたよ」と包みのなかゝら八丈《はちぢやう》まがひの黄な縞を取り出す。
 「何枚買つて入らしつて」
 「三枚さ。まあ三枚あれば當分間に合ふだらう。さあ一寸敷いて御覽」と一枚を小夜子の前へ出す。
 「ホヽヽヽヽあなた御敷なさいよ」
 「阿父《おとつさん》も敷くから、御前も敷いて御覽。そら中々好いだらう」
 「少し綿が硬い樣ね」
 「綿はどうせ――價《ね》が價《ね》だから仕方がない。でも是を買ふ爲めに電車に乘り損《そく》なつて仕舞つて……」
 「乘替をなさらなかつたんぢやないの」
 「さうさ、乘替を――車掌に頼んで置いたのに。忌々《いま/\》しいから歸りには歩いて來た」
 「御草臥《おくたびれ》なすつたでせう」
 「なあに。是でも足はまだ達者だからね。――然し御蔭で髯も何も埃だらけになつちまつた。こら」と右手《めて》の指を四本|并《なら》べて櫛の代りに顎の下を梳《す》くと、果して薄黒いものが股について來た。
 「御湯に御這入んなさらないからですよ」
 「なに埃だよ」
 「だつて風もないのに」
 「風もないのに埃が立つから妙だよ」
 「だつて」
 「だつてぢやないよ。まあ試しに外へ出て御覽。どうも東京の埃には大抵のものは驚ろくよ。御前が居た時分もかうかい」
 「えゝ隨分|苛《ひど》くつてよ」
 「年々烈しくなるんぢやないかしら。今日なんぞは全く風はないね」と廂《ひさし》の外を下から覗いて見る。空は曇る心持ちを透かして春の日があやふやに流れてゐる。琴の音《ね》がまだ聽える。
 「おや琴を彈いて居るね。――中々旨い。ありや何だい」
 「當てゝ御覽なさい」
 「當てゝ見ろ。ハヽヽヽ阿父《おとつさん》には分らないよ。琴を聽くと京都の事を思ひ出すね。京都は靜でいゝ。阿父《おとつさん》の樣な時代後れの人間は東京の樣な烈しい所には向かない。東京はまあ小野だの、御前だのゝ樣な若い人が住まう所だね」
 時代後れの阿父《おとつさん》は小野さんと自分の爲めにわざ/\埃だらけの東京へ引き越した樣なものである。
 「ぢや京都へ歸りませうか」と心細い顔に笑《ゑみ》を浮べて見せる。老人は世に疎《うと》いわれを憐れむ孝心と受取つた。
 「アハヽヽヽ本當に歸らうかね」
 「本當に歸つても宜《よ》うござんすわ」
 「何故」
 「何故でも」
 「だつて來た許《ばかり》ぢやないか」
 「來た許《ばかり》でも構ひませんわ」
 「構はない? ハヽヽヽ冗談を……」
 娘は下を向いた。
 「小野が來たさうだね」
 「えゝ」娘は矢つ張り下を向いて居る。
 「小野は――小野は何かね――」
 「え?」と首を上げる。老人は娘の顔を見た。
 「小野は――來たんだね」
 「えゝ、入らしつてよ」
 「それで何かい。その、何も云つて行かなかつたのかい」
 「いゝえ別に……」
 「何にも云はない?――待つてれば好いのに」
 「急ぐから又來るつて御歸りになりました」
 「さうかい。それぢや別に用があつて來た譯ぢやないんだね。さうか」
 「阿父樣《おとうさま》」
 「何だね」
 「小野さんは御變りなさいましたね」
 「變つた?――あゝ大變立派になつたね。新橋で逢つた時は丸《まる》で見違へる樣だつた。まあ御互に結構な事だ」
 娘は又下を向いた。――單純な父には自分の云ふ意味が徹せぬと見える。
 「私は昔の通りで、ちつとも變つてゐないさうです。……變つてゐないたつて……」
 後《あと》の句は鳴る糸の尾を素足に踏む如く、孤堂先生の頭に響いた。
 「變つてゐないたつて?」と次を催促する。
 「仕方がないわ」と小さな聲で附ける。老人は首を傾けた。
 「小野が何か云つたかい」
 「いゝえ別に……」
 同じ質問と同じ返事は又繰返される。水車《みづぐるま》を踏めば廻る許《ばか》りである。何時《いつ》迄《まで》踏んでも踏み切れるものではない。
 「ハヽヽヽくだらぬ事を氣にしちや不可《いけ》ない。春は氣が欝《ふさ》ぐものでね。今日なぞは阿父《おとつさん》などにもよくない天氣だ」
 氣が欝《ふさ》ぐのは秋である。餠と知つて、酒の咎《とが》だと云ふ。慰さめられる人は、馬鹿にされる人である。小夜子は黙つてゐた。
 「ちつと琴でも彈いちやどうだい。氣晴《きばらし》に」
 娘は浮かぬ顔を、愛嬌に傾けて、床の間を見る。軸は空《むな》しく落ちて、徒に餘る黒壁の端を、竪に截つて、欝金《うこん》の蔽《おひ》が春を隱さず明らかである。
 「まあ廢《よ》しませう」
 「よ廢す? 廢すなら御廢し。――あの、小野はね。近頃忙がしいんだよ。近々《きん/\》博士論文を出すんださうで……」
 小夜子は銀時計すら入らぬと思ふ。百の博士も今の己《おの》れには無益である。
 「だから落ち付いて居ないんだよ。學問に凝《こ》ると誰でもあんなものさ。あんまり心配しないがいゝ。なに緩《ゆつ》くりしたくつても、して居られないんだから仕方がない。え? 何だつて」
 「あんなにね」
 「うん」
 「急いでね」
 「あゝ」
 「御歸りに……」
 「御歸りに――なつた? ならないでも? 好さゝうなものだつて仕方がないよ。學問で夢中になつてるんだから。――だから一日《いちんち》都合をして貰つて、一所に博覽會でも見やうつて云つてるんぢやないか。御前話したかい」
 「いゝえ」
 「話さない? 話せばいゝのに。一體小野が來たと云ふのに何をして居たんだ。いくら女だつて、少しは口を利かなくつちやいけない」
 口を利けぬ樣に育てゝ置いて何故《なぜ》口を利かぬと云ふ。小夜子は凡《すべ》ての非を負はねばならぬ。眼の中が熱くなる。
 「なに好いよ。阿父《おとつさん》が手紙で聞き合せるから――悲しがる事はない。叱つたんぢやない。――時に晩の御飯はあるかい」
 「御飯|丈《だけ》はあります」
 「御飯|丈《だけ》あればいゝ、なに御菜《おさい》は入らないよ。――頼んで置いた婆さんは明日《あした》くるさうだ。――もう少し慣れると、東京だつて京都だつて同じ事だ」
 小夜子は勝手へ立つた。孤堂先生は床の間の風呂敷包を解き始める。
 
     十
 
 謎《なぞ》の女《をんな》は宗近家へ乘り込んで來る。謎の女の居る所には波が山となり炭團《たどん》が水晶と光る。禪家では柳は緑花は紅《くれなゐ》と云ふ。あるひは雀はちゆ/\で烏はかあ/\とも云ふ。謎の女は烏をちゆ/\にして、雀をかあ/\にせねば已《や》まぬ。謎の女が生れてから、世界が急にごたくさになつた。謎の女は近づく人を鍋の中へ入れて、方寸《はうすん》の杉箸に交ぜ繰り返す。芋を以て自《みづ》から居るものでなければ、謎の女に近づいてはならぬ。謎の女は金剛石《ダイヤモンド》の樣なものである。いやに光る。そして其光りの出所《でどころ》が分らぬ。右から見ると左に光る。左から見ると右に光る。雜多な光を雜多な面から反射して得意である。神樂《かぐら》の面《めん》には二十通り程ある。神樂の面を發明したものは謎の女である。――謎の女は宗近家へ乘り込んでくる。
 眞率なる快活なる宗近家の大和尚《だいをしやう》は、斯く物騷な女が天《あめ》が下《した》に生を享《う》けて、頻りに鍋の底を攪《か》き廻して居るとは思ひも寄らぬ。唐木《からき》の机に唐刻の法帖《はふでう》を乘せて、厚い坐布團の上に、信濃《しなの》の國に立つ烟、立つ烟と、大きな腹の中から鉢の木を謡《うた》つて居る。謎の女は次第に近づいてくる。
 悲劇マクベスの妖婆《えうば》は鍋の中に天下の雜物《ざふもつ》を攫《さら》ひ込んだ。石の影に三十日《みそか》の毒を人知れず吹く夜《よる》の蟇《ひき》と、燃ゆる腹を黒き脊に藏《かく》す蠑?《ゐもり》の膽《きも》と、蛇の眼《まなこ》と蝙蝠《かはほり》の爪と、――鍋はぐら/\と※[者/火]える。妖婆はぐるり/\と鍋を廻る。枯れ果てゝて尖れる爪は、世を咀《のろ》ふ幾代《いくよ》の錆《さび》に瘠せ盡くしたる鐵《くろがね》の火箸を握る。※[者/火]え立つた鍋はどろ/\の波を泡と共に起す。――讀む人は怖ろしいと云ふ。
 それは芝居である。謎の女はそんな氣味の惡い事はせぬ。住むは都である。時は二十世紀である。乘り込んで來るのは眞晝間《まつぴるま》である。鍋の底からは愛嬌が湧いて出る。漾《たゞよ》ふは笑の波だと云ふ。攪《か》き淆《ま》ぜるのは親切の箸と名づける。鍋そのものからが品《ひん》よく出來上つて居る。謎の女はそろり/\と攪《か》き淆《ま》ぜる。手つきさへ能掛《のうがゝり》である。大和尚の怖《こは》がらぬのも無理はない。
 「いや。大分《だいぶ》御暖《おあつたか》になりました。さあどうぞ」と布團の方へ大きな掌《てのひら》を出す。女はわざと入口に坐つた儘兩手を尋常につかへる。
 「其《その》後《ゝち》は……」
 「どうぞ御敷き……」と大きな手は矢つ張り前へ突き出した儘である。
 「一寸出ますんで御座いますが、つい無人《ぶにん》だもので、出やう出やうと思ひながら、とう/\御無沙汰になりまして……」で少し句が切れたから大和尚が何か云はうとすると、謎の女はすぐ後《あと》を付ける。
 「まことに相濟みません」で黒い頭をぴたりと疊へつけた。
 「いえ、どう致しまして……」位《ぐらゐ》では容易に頭を上げる女ではない。ある人が云ふ。あまりしとやかに禮をする女は氣味がわるい。またある人が云ふ。あまり丁寧に御辭儀をする女は迷惑だ。第三の人が云ふ。人間の誠は下げる頭の時間と正比例するものだ。色々な説がある。たゞし大和尚は迷惑黨である。
 黒い頭は疊の上に、聲|丈《だけ》は口から出て來る。
 「御宅でも皆樣御變りもなく……毎々欽吾や藤尾が出まして、御厄介にばかりなりまして……先達《せんだつ》ては又結構なものを頂戴致しまして、とうに御禮に上がらなければならないんで御座いますが、つい手前にかまけまして……」
 頭は此所で漸く上がる。阿父《おとつさん》はほつと氣息《いき》をつく。
 「いや、詰らんもので……到來物でね。アハヽヽヽ漸く暖《あつた》かになつて」と突然時候をつけて庭の方を見たが
 「どうです御宅《おたく》の櫻は。今頃は丁度|盛《さかり》でせう」で結んで仕舞つた。
 「本年は陽氣の所爲《せゐ》か、例年より少し早目で、四五日|前《ぜん》が丁度|觀頃《みごろ》で御座いましたが、一昨日《いつさくじつ》の風で、大分《だいぶ》傷《いた》められまして、もう……」
 「駄目ですか。あの櫻は珍らしい。何とか云ひましたね。え? 淺葱櫻《あさぎざくら》。さう/\。あの色が珍らしい」
 「少し青味を帶びて、何だか、かう、夕方|抔《など》は凄い樣な心持が致します」
 「さうですか、アハヽヽヽ。荒川《あらかは》には緋櫻《ひざくら》と云ふのがあるが、淺葱櫻は珍らしい」
 「みなさんが左樣《さう》仰《おつしや》います。八重は澤山あるが青いのは滅多にあるまいつてね……」
 「ないですよ。尤も櫻も好事家《かうずか》に云はせると百幾種とかあるさうだから……」
 「へえゝ、まあ」と女は左《さ》も驚ろいた樣に云ふ。
 「アハヽヽ櫻でも馬鹿には出來ない。此間も一《はじめ》が京都から歸つて來て嵐山へ行つたと云ふから、どんな花だと聞いて見たら、只一重だと云ふ丈《だけ》でね、何にも知らない。今時のものは呑氣《のんき》なものでアハヽヽヽ。――どうです粗菓《そくわ》だが一つ御撮《おつま》みなさい。岐阜《ぎふ》の柿羊羹《かきやうかん》」
 「いえどうぞ。もう御構ひ下さいますな……」
 「あんまり、旨いものぢやない。只珍らしい丈《だけ》だ」と宗近老人は箸を上げて皿の中から剥ぎ取つた羊羹の一片《ひときれ》を手に受けて、獨りでむしや/\食ふ。
 「嵐山と云へば」と甲野の母は切り出した。
 「先達中《せんだつてぢゆう》は欽吾がまた、色々御厄介になりまして、御蔭樣で方々見物させて頂いたと申して大變喜んで居ります。まことにあの通の我儘者で御座いますから一《はじめ》さんも嘸《さぞ》御迷惑で御座いましたらう」
 「いえ、一《はじめ》の方で色々御世話になつたさうで……」
 「どう致しまして、人樣の御世話|抔《など》の出來る樣な男では御座いませんので。あの年になりまして朋友と申すものが只の一人も御座いませんさうで……」
 「あんまり學問をすると、さう誰でも彼でも無暗に附合が出來にくゝなる。アハヽヽヽ」
 「私には女で一向《いつかう》分りませんが、何だか欝《ふさ》いで許《ばかり》居る樣で――此方《こちら》の一《はじめ》さんにでも連れ出して戴かないと、誰も相手にして呉れない樣で……」
 「アハヽヽヽ一《はじめ》は又正反對。誰でも相手にする。家《うち》にさへ居るとあなた、妹《いもと》に許《ばかり》からかつて――いや、あれでも困る」
 「いえ。誠に陽氣で淡泊《さつぱり》してゝ、結構で御座いますねえ。どうか一《はじめ》さんの半分でいゝから、欽吾がもう少し面白くして呉れゝば好いと藤尾にも不斷申して居るんで御座いますが――それも是もみんな彼人《あれ》の病氣の所爲《せゐ》だから、今更|愚癡《ぐち》をこぼしたつて仕方がないとは思ひますが、なまじい自分の腹を痛めた子でない丈《だけ》に、世間へ對しても心配になりまして……」
 「御尤で」と宗近老人は眞面目に答へたが、序《ついで》に灰吹をぽんと敲《たゝ》いて、銀の延打《のべうち》の烟管《きせる》を疊の上にころりと落す。雁首《がんくび》から、餘る烟が流れて出る。
 「どうです、京都から歸つてから少しは好い樣ぢやありませんか」
 「御蔭樣で……」
 「先達て家《うち》へ見えた時|抔《など》は皆《みんな》と馬鹿話をして、大分《だいぶ》愉快さうでしたが」
 「へえゝ」是は仔細らしく感心する。「まことに困り切ります」是は困り切つた樣に長々と引き延ばして云ふ。
 「そりや、どうも」
 「彼人《あれ》の病氣では、今迄どの位心配したか分りません」
 「いつそ結婚でもさせたら氣が變つて好ゝかも知れませんよ」
 謎の女は自分の思ふ事を他《ひと》に云はせる。手を下《くだ》しては落度になる。向ふで滑つて轉ぶのを大人《おとな》しく待つてゐる。只滑る樣な泥海《ぬかるみ》を知らぬ間《ま》に用意する許《ばかり》である。
 「その結婚の事を朝暮《あけくれ》申すので御座いますが――どう在つても、うんと云つて承知して呉れません。私も御覽の通り取る年で御座いますし、夫《それ》に甲野もあんな風に突然外國で亡くなります樣な仕儀で、まことに心配でなりませんから、どうか一日《いちじつ》も早く彼人《あれ》の爲めに身の落付をつけてやりたいと思ひまして……本當に、今迄嫁の事を持ち出した事は何度だか分りません。が持ち出すたんびに頭から撥ね付けられるのみで……」
 「實は此間見えた時も、一寸其話をしたんですがね。君がいつ迄も強情を張ると心配するのは阿母《おつかさん》丈《だけ》で、可愛想だから、今のうちに早く身を堅めて安心させたら善からうつてね」
 「御親切にどうも難有《ありがた》う存じます」
 「いえ、心配は御互で、此方《こつち》も丁度どうかしなければならないのを二人|脊負《しよ》い込んでるものだから、アハヽヽヽどうも何ですね。何歳《いくつ》になつても心配は絶えませんね」
 「此方樣《こちらさま》抔《など》は結構で入らつしやいますが、私は――若し彼人《あれ》が何時《いつ》迄《まで》も病氣だ/\と申して嫁を貰つて呉れませんうちに、もしもの事があつたら、草葉の陰で配偶《つれあひ》に合はす顔が御座いません。まあどうして、あんなに聞き譯がないんで御座いませう。何か云ひ出すと、阿母《おつかさん》私《わたし》はこんな身體で、とても家《うち》の面倒は見て行かれないから、藤尾に聟を貰つて、阿母《おつか》さんの世話をさせて下さい。私《わたし》は財産なんか一錢も入らない。と、まあ斯うで御座んすもの。私が本當の親なら、それぢや御前の勝手におしと申す事も出來ますが、御存じの通りなさぬ中の間柄で御座いますから、そんな不義理な事は人樣に對しても出來かねますし、じつに途方に暮れます」
 謎の女は和尚を凝《じつ》と見た。和尚は大きな腹を出した儘考へて居る。灰吹がぽんと鳴る。紫檀の葢《ふた》を丁寧に被《かぶ》せる。烟管《きせる》は轉がつた。
 「成程」
 和尚の聲は例に似ず沈んでゐる。
 「そうかと申して生《うみ》の母でない私が壓制がましく、無暗に差出た口を利きますと、御聞かせ申し度くない樣な紛紜《ごた/”\》も起りませうし……」
 「ふん、困るね」
 和尚は手提の烟草盆の淺い抽出から欝金木綿《うこんもめん》の布巾を取り出して、鯨の蔓を鄭重に拭き出した。
 「いつそ、私から篤《とく》と談じて見ませうか。あなたが云ひ惡《にく》ければ」
 「色々御心配を掛けまして……」
 「さうして見るかね」
 「どんなもので御座いませう。あゝ云ふ神經が妙になつて居る所へ、そんな事を聞かせましたら」
 「なにそりや、承知して居るから、當人の氣に障らない樣に云ふ積《つもり》ですがね」
 「でも、萬一私が此方《こなた》へ出てわざ/\御願ひ申した樣に取られると、それこそ後《あと》が大變な騷ぎになりますから……」
 「弱るね、さう、疳が高くなつてちやあ」
 「丸《まる》で腫物《はれもの》へ障る樣で……」
 「ふうん」と和尚は腕組を始めた。裄《ゆき》が短かいので太い肘が無作法に見える。  謎の女は人を迷宮に導いて、成程と云はせる。ふうんと云はせる。灰吹をぽんと云はせる。仕舞には腕組をさせる。二十世紀の禁物は疾言《しつげん》と遽色《きよしよく》である。何故《なぜ》かと、ある紳士、ある淑女に尋ねて見たら、紳士も淑女も口を揃へて答へた。――疾言《しつげん》と遽色《きよしよく》は、尤も法律に觸れ易いからである。――謎の女の鄭重なのは尤も法律に觸れ惡《にく》い。和尚は腕組をしてふうんと云つた。
 「もし彼人《あれ》が斷然|家《うち》を出ると云ひ張りますと――私がそれを見て無論黙つて居る譯には參りませんが――然し當人がどうしても聞いて呉れないとすると……」
 「聟かね。聟となると……」
 「いえ、さうなつては大變で御座いますが――萬一の場合も考へて置かないと、いざと云ふ時に困りますから」
 「そりや、左樣《さう》」
 「それを考へると、あれが病氣でもよくなつて、もう少し確《しつ》かりして呉れないうちは、藤尾を片付ける譯に參りません」
 「左樣《さやう》さね」と和尚は單純な首を傾けたが
 「藤尾さんは幾歳《いくつ》ですい」
 「もう、明けて四《し》になります」
 「早いものですね。えつ。つい此間迄これつぱかりだつたが」と大きな手を肩とすれ/\に出して、ひろげた掌《てのひら》を下から覗き込む樣にする。
 「いえもう、身體《なり》許《ばかり》大きう御座いまして、から、役に立ちません」
 「……勘定すると四になる譯だ。うちの糸が二だから」
 話は放《はふ》つて置くと何處《どこ》かへ流れて行きさうになる。謎の女は引つ張らなければならぬ。
 「此方《こちら》でも、糸子さんやら、一《はじめ》さんやらで、御心配の所を、こんな餘計な話を申し上げて、嘸《さぞ》人の氣も知らない呑氣《のんき》な女だと覺《おぼ》し召すで御座いませうが……」
 「いえ、どう致して、實は私《わたし》の方から其事に就いて篤《とく》と御相談もしたいと思つて居た所で――一《はじめ》も外交官になるとか、ならんとか云つて騷いでゐる最中だから、今日《けふ》明日《あす》と云ふ譯にも行かないですが、晩《おそ》かれ、早かれ嫁を貰はなければならんので……」
 「で御座いますとも」
 「就ては、その、藤尾さんなんですがね」
 「はい」
 「あの方《かた》なら、まあ氣心も知れてゐるし、私《わたし》も安心だし、一《はじめ》は無論異存のある譯はなし――よからうと思ふんですがね」
 「はい」
 「どうでせう、阿母《おつかさん》の御考は」
 「あの通行き屆きませんものを夫《それ》程《ほど》迄に仰しやつて下さるのは寔《まこと》に難有《ありがた》い譯で御座いますが……」
 「いゝぢや、ありませんか」
 「さうなれば藤尾も仕合せ、私も安心で……」
 「御不足なら兎も角、さうでなければ……」
 「不足どころぢや御座いません。願つたり叶つたりで、此上もない結構な事で御座いますが、只|彼人《あれ》に困りますので。一《はじめ》さんは宗近家を御襲《おつ》ぎになる大事な身體で入らつしやる。藤尾が御氣に入るか、入らないかは分りませんが、まづ貰つて頂いたと致した所で、差し上げた後で、欽吾が矢張り今の樣では私も實の所甚だ心細い樣な譯で……」
 「アハヽヽさう心配しちや際限がありませんよ。藤尾さんさへ嫁に行つて仕舞へば欽吾さんにも責任が出る譯だから、自然と考もちがつてくるに極つてゐる。さうなさい」
 「さう云ふもので御座いませうかね」
 「それに御承知の通、阿父《おとつさん》がいつぞや仰しやつた事もあるし。さうなれば亡くなつた人も滿足だらう」
 「色々御親切に難有《ありがた》う存じます。なに配偶《つれあひ》さへ生きて居りますれば、一人で――こん――こんな心配は致さなくつても宜しい――ので御座いますが」
 謎の女の云ふ事は次第に濕氣を帶びて來る。世に疲れたる筆は此濕氣を嫌ふ。辛うじて謎の女の謎をこゝ迄叙し來つた時、筆は、一歩も前へ進む事が厭だと云ふ。日を作り夜を作り、海と陸《をか》と凡《すべ》てを作りたる神は、七日目に至つて休めと言つた。謎の女を書きこなしたる筆は、日のあたる別世界に入つて此濕氣を拂はねばならぬ。
 日のあたる別世界には二人の兄妹が活動する。六疊の中二階《ちゆうにかい》の、南を受けて明るきを足れりとせず、小氣味よく開け放ちたる障子の外には、二尺の松が信樂《しがらき》の鉢に、蟠《わだか》まる根を盛りあげて、くの字の影を椽に伏せる。一|間《けん》の唐紙は白地に秦漢瓦鐺《しんかんぐわたう》の譜を散らしに張つて、引手には波に千鳥が飛んでゐる。つゞく三尺の假の床は、軸を嫌つて、籠花活《かごはないけ》に輕い一輪をざつくばらんに投げ込んだ。
 糸子は床の間に縫物の五色を、彩《あや》と亂して、糸屑のこぼるゝ程の抽出《ひきだし》を二つ迄あらはに拔いた針箱を窓近くに添へる。縫ふて行く糸の行方は、一針毎に春を刻む幽《かす》かな音に、聽かれる程の靜かさを、兄は大きな聲で消して仕舞ふ。
 腹這は彌生《やよひ》の姿、寐ながらにして天下の春を領す。物指《ものさし》の先で頻りに敷居を敲《たゝ》いて居る。
 「糸公。こりや御前の座敷の方が明かるくつて上等だね」
 「替へたげませうか」
 「さうさ。替へて貰つた所で餘《あんま》り儲《まう》かりさうでもないが――然し御前には上等過ぎるよ」
 「上等過ぎたつて誰も使はないんだから好いぢやありませんか」
 「好いよ。好い事は好いが少し上等過ぎるよ。夫《それ》に此裝飾物がどうも――妙齡の女子には似合はしからんものがあるぢやないか」
 「何が?」
 「何がつて、此松さ。こりや慥か阿父《おとつさん》が苔盛園《たいせいゑん》で二十五圓で賣りつけられたんだらう」
 「えゝ。大事な盆栽よ。轉覆《ひつくりかへし》でもしやうもんなら大變よ」
 「ハヽヽヽ是を二十五圓で賣りつけられる阿爺《おとつさん》も阿爺《おとつさん》だが、それを又二階迄、えつちらおつちら擔《かつ》ぎ上げる御前も御前だね。矢つ張りいくら年が違つても親子は爭はれないものだ」
 「ホヽヽヽヽ兄さんは餘つ程馬鹿ね」
 「馬鹿だつて糸公と同じ位な程度だあね。兄弟だもの」
 「おやいやだ。そりや私《わたし》は無論馬鹿ですわ。馬鹿ですけれども、兄さんも馬鹿よ」
 「馬鹿よか。だから御互に馬鹿よで好いぢあないか」
 「だつて證據があるんですもの」
 「馬鹿の證據がかい」
 「えゝ」
 「そりや糸公の大發明だ。どんな證據があるんだね」
 「其盆栽はね」
 「うん、此盆栽は」
 「其盆栽はね――知らなくつて」
 「知らないとは」
 「私《わたし》大嫌よ」
 「へえゝ、今度《こんだ》此方《こつち》の大發明だ。ハヽヽヽ。嫌《きらひ》なものを、なんで又持つて來たんだ。重いだらうに」
 「阿父《おとう》さまが御自分で持つて入らしつたのよ」
 「何だつて」
 「日が中《あた》つて二階の方が松の爲めに好いつて」
 「阿爺《おやぢ》も親切だな。さうか夫《それ》で兄さんが馬鹿になつちまつたんだね。阿爺《おやぢ》親切にして子は馬鹿になりか」
 「なに、そりや、一寸。發句《ほつく》?」
 「まあ發句に似たもんだ」
 「似たもんだつて、本當の發句ぢやないの」
 「中々追窮するね。夫《それ》よりか御前今日は大變立派なものを縫つてるね。何だい夫《それ》は」
 「是? 是は伊勢崎《いせざき》でせう」
 「いやに光《ぴか》つくぢやないか。兄さんのかい」
 「阿爺《おとうさま》のよ」
 「阿爺《おとつさん》のもの許《ばかり》縫つて、些《ちつ》とも兄さんには縫つて呉れないね。狐の袖無《ちやん/\》以後|御見限《おみかぎ》りだね」
 「あらいやだ。あんな嘘ばかり。今着て入らつしやるのも縫つて上げたんだわ」
 「是かい。是はもう駄目だ。こら此通り」
 「おや、ひどい襟垢《えりあか》だ事、乎間《こなひだ》着た許《ばかり》だのに――兄さんは膏《あぶら》が多過ぎるんですよ」
 「何が多過ぎても、もう駄目だよ」
 「ぢや是を縫ひ上げたら、すぐ縫つて上げませう」
 「新らしいんだらうね」
 「えゝ、洗つて張つたの」
 「あの親父《おとつさん》の拝領ものか。ハヽヽヽ。時に糸公不思議な事があるがね」
 「何が」
 「阿爺《おとつさん》は年寄の癖に新らしいもの許《ばかり》着て、年の若いおれには御古《おふる》許《ばかり》着せたがるのは、少し妙だよ。此調子で行くと仕舞には自分でパナマの帽子を被つて、おれには物置にある陣笠《ぢんがさ》をかぶれと云ふかも知れない」
 「ホヽヽヽヽ兄さんは隨分口が達者ね」
 「達者なのは口|丈《だけ》か。可哀想《かはいさう》に」
 「まだ、あるのよ」
 宗近君は返事をやめて、欄干の隙間から庭前《にはさき》の植込を頬杖に見下して居る。
 「まだあるのよ。一寸《ちよいと》」と針を離れぬ糸子の眼は、左の手につんと撮《つま》んだ合せ目を、見る間《ま》に括《く》けて來て、いざと云ふ指先を白くふつくらと放した時、漸く兄の顔を見る。
 「まだあるのよ。兄さん」
 「何だい。口|丈《だけ》で澤山だよ」
 「だつて、まだあるんですもの」と針の針孔《めど》を障子へ向けて、可愛《かはい》らしい二重瞼を細くする。宗近君は依然として長閑《のどか》な心を頬杖に託して庭を眺めて居る。
 「云つて見ませうか」
 「う。うん」
 下顎は頬杖で動かす事が出來ない。返事は咽喉《のど》から鼻へ拔ける。
 「あし〔二字傍点〕。分つたでせう」
 「う。うん」
 紺の糸を唇に濕《しめ》して、指先に尖らすは、射損《いそく》なつた針孔《めど》を通す女の計《はかりごと》である。
 「糸公、誰か御客があるのかい」
 「えゝ、甲野の阿母《おつかさん》が御出《おいで》よ」
 「甲野の阿母《おつかさん》か。あれこそ達者だね、兄さんなんか到底叶はない」
 「でも品《ひん》がいゝわ。兄さん見た樣に惡口は仰しやらないからいゝわ」
 「さう兄さんが嫌《きらひ》ぢや、世話の仕榮《しばえ》がない」
 「世話もしない癖に」
 「ハヽヽヽ實は狐の袖無《ちやん/\》の御禮に、近日御花見にでも連れて行かうかと思つて居た所だよ」
 「もう花は散つて仕舞つたぢやありませんか。今時分御花見だなんて」
 「いえ、上野や向島《むかふじま》は駄目だが荒川《あらかは》は今が盛《さかり》だよ。荒川から萱野《かやの》へ行つて櫻草を取つて王子へ廻つて汽車で歸つてくる」
 「いつ」と糸子は縫ふ手を已《や》めて、針を頭へ刺す。
 「でなければ、博覽會へ行つて臺湾館で御茶を飲んで、イルミネーシヨンを見て電車で歸る。――どつちが好い」
 「わたし、博覽會が見たいわ。是を縫つて仕舞つたら行きませう。ね」
 「うん。だから兄さんを大事にしなくつちあ行けないよ。こんな親切な兄さんは日本中に澤山《たんと》はないぜ」
 「ホヽヽヽヽへえ、大事に致します。――一寸その物指を借《か》して頂戴」
 「さうして裁縫《しごと》を勉強すると、今に御嫁に行くときに金剛石《だいやもんど》の指環を買つてやる」
 「旨いのねえ、口|丈《だけ》は。そんなに御金があるの」
 「あるのつて、――今はないさ」
 「一體兄さんは何故落第したんでせう」
 「えらいからさ」
 「まあ――どこかそ其所いらに鋏はなくつて」
 「其蒲團の横にある。いや、もう少し左。――其鋏に猿が着いてるのは、どう云ふ譯だ。洒落《しやれ》かい」
 「是? 奇麗でせう。縮緬《ちりめん》の御申《おさる》さん」
 「御前がこしらへたのかい。感心に旨く出來てる。御前は何にも出來ないが、こんなものは器用だね」
 「どうせ藤尾さんの樣には參りません――あらそんな椽側へ烟草の灰を捨てるのは御廢《およ》しなさいよ。――これを借《か》して上げるから」
 「なんだい是は。へえゝ。板目紙《いためがみ》の上へ千代紙を張り付けて。矢つ張御前がこしらへたのか。閑人《ひまじん》だなあ。一體何にするものだい。――糸を入れる? 糸の屑をかい。へえゝ」
 「兄さんは藤尾さんの樣な方《かた》が好きなんでせう」
 「御前の樣なのも好きだよ」
 「私は別物として――ねえ、さうでせう」
 「嫌《いや》でもないね」
 「あら隱して入らつしやるわ。可笑《をか》しい事」
 「可笑《をか》しい? 可笑しくつてもいゝや。――甲野の叔母《をばさん》はしきりに密談をして居るね」
 「ことに因ると藤尾さんの事かも知れなくつてよ」
 「さうか、それぢや聽きに行かうか」
 「あら、御廢《およ》しなさいよ――わたし、火熨《ひのし》が居るんだけれども遠慮して取りに行かないんだから」
 「自分の家《うち》で、さう遠慮しちや有害だ。兄さんが取つて來てやらうか」
 「いゝから御廢しなさいよ。今下へ行くと折角の話をやめて仕舞つてよ」
 「どうも劔呑《けんのん》だね。夫《それ》ぢや此方《こつち》も氣息《いき》を殺して寐轉んでるのか」
 「氣息《いき》を殺さなくつてもいゝわ」
 「ぢや氣息《いき》を活かして寐轉ぶか」
 「寐轉ぶのはもう好い加減になさいよ。そんなに行儀がわるいから外交官の試驗に落第するのよ」
 「さうさな、あの試驗官はことによると御前と同意見かも知れない。困つたもんだ」
 「困つたもんだつて、藤尾さんも矢つ張り同意見ですよ」
 裁縫《しごと》の手を休《や》めて、火熨《ひのし》に逡巡《ためめら》つて居た糸子は、入子菱《いりこびし》に縢《かゞ》つた指拔を抽《ぬ》いて、?色《ときいろ》に銀《しろかね》の雨を刺す針差《はりさし》を裏に、如鱗木《じよりんもく》の塗美くしき葢《ふた》をはたと落した。やがて日永の窓に赤くなつた耳朶《みゝたぶ》のあたりを、平手《ひらて》で支へて、右の肘を針箱の上に、取り廣げたる縫物の下で、隱れた膝を斜めに崩した。襦袢の袖に花と亂るる濃き色は、柔らかき腕を音なく滑つて、くつきりと普通《つね》よりは明かなる肉の柱が、蝶と傾く絹紐《リボン》の下に鮮かである。
 「兄さん」
 「何だい。――仕事はもうおやめか。何だかぼんやりした顔をして居るね」
 「藤尾さんは駄目よ」
 「駄目だ? 駄目とは」
 「だつて來る氣はないんですもの」
 「御前聞いて來たのか」
 「そんな事がまさか無躾《ぶしつけ》に聞かれるもんですか」
 「聞かないでも分かるのか。丸《まる》で巫女《いちこ》だね。――御前がさう頬杖を突いて針箱へ靠《も》たれてゐる所は天下の絶景だよ。妹ながら天晴《あつぱれ》な姿勢だハヽヽヽ」
 「澤山《たんと》御冷《おひ》やかしなさい。人が折角親切に言つて上げるのに」
 云ひながら糸子は首を支へた白い腕をぱたりと倒した。揃つた指が針箱の角を抑へる樣に、前へ垂れる。障子に近い片頬は、壓《お》し付けられた手の痕を耳朶共にぽうと赤く染めてゐる。奇麗に圍ふ二重《ふたへ》の瞼は、涼しい眸を、長い睫《まつげ》に隱さうとして、上の方から垂れかゝる。宗近君は此|睫《まつげ》の奧からしみ/”\と妹に見られた。――四角な肩へ肉を入れて、倒した胴を肘に撥ねて起き上がる。
 「糸公、おれは叔父さんの金時計を貰ふ約束があるんだよ」
 「叔父さんの?」と輕く聞き返して、急に聲を落すと「だつて……」と云ふや否や、黒い眸は長い睫の裏にかくれた。派出《はで》な色の絹紐《リボン》がちらりと前の方へ顔を出す。
 「大丈夫だ。京都でも甲野に話して置いた」
 「さう」と俯目《ふしめ》になつた顔を半《なか》ば上げる。危ぶむ樣な、慰める樣な笑が顔と共に浮いて來る。
 「兄さんが今に外國へ行つたら、御前に何か買つて送つてやるよ」
 「今度《こんだ》の試驗の結果はまだ分らないの」
 「もう直《ぢき》だらう」
 「今度《こんだ》は是非及第なさいよ」
 「え、うん。アハヽヽヽ。まあ好いや」
 「好《よ》かないわ。――藤尾さんはね。學問がよく出來て、信用のある方《かた》が好きなんですよ」
 「兄さんは學問が出來なくつて、信用がないのかな」
 「さうぢやないのよ。さうぢやないけれども――まあ例《たとへ》に云ふと、あの小野さんと云ふ方があるでせう」
 「うん」
 「優等で銀時計を頂いたつて。今博士論文を書いて入らつしやるつてね。――藤尾さんはあゝ云ふ方《かた》が好なのよ」
 「さうか。おや/\」
 「何がおや/\なの。だつて名譽ですわ」
 「兄さんは銀時計も頂けず、博士論文も書けず。落第はする。不名譽の至だ」
 「あら不名譽だと誰も云やしないわ。只あんまり氣樂過ぎるのよ」
 「あんまり氣樂過ぎるよ」
 「ホヽヽヽヽ可笑《をか》しいのね。何だか些《ちつ》とも苦にならない樣ね」
 「糸公、兄さんは學問も出來ず落第もするが――まあ廢《よ》さう、どうでも好い。兎に角御前兄さんを好い兄さんと思はないかい」
 「そりや思ふわ」
 「小野さんとどつちが好い」
 「そりや兄さんの方が好いわ」
 「甲野さんとは」
 「知らないわ」
 深い日は障子を透《とほ》して糸子の頬を暖かに射る。俯向《うつむ》いた額の色|丈《だけ》がいちゞるしく白く見えた。
 「おい頭へ針が刺さつてる。忘れると危ないよ」
 「あら」と翻《ひるが》へる襦袢の袖のほのめくうちを、二本の指に、こゝと抑へて、輕く拔き取る。
 「ハヽヽヽ見えない所でも、旨く手が屆くね。盲目《めくら》にすると疳の好い按摩《あんま》さんが出來るよ」
 「だつて慣れてるんですもの」
 「えらいもんだ。時に糸公面白い話を聞かせ樣か」
 「なに」
 「京都の宿屋の隣に琴を引く別嬪《べつぴん》が居てね」
 「端書に書いてあつたんでせう」
 「あゝ」
 「あれなら知つてゝよ」
 「それがさ、世の中には不思議な事があるもんだね。兄さんと甲野さんと嵐山へ御花見に行つたら、其女に逢つたのさ。逢つた許《ばかり》ならいゝが、甲野さんが其女に見惚《みと》れて茶碗を落して仕舞つてね」
 「あら、本當? まあ」
 「驚ろいたらう。夫《それ》から急行の夜汽車で歸る時に、又其女と乘り合せてね」
 「嘘よ」
 「ハヽヽヽとう/\東京迄一所に來た」
 「だつて京都の人がさう無暗に東京へくる譯がないぢやありませんか」
 「それが何かの因縁《いんねん》だよ」
 「人を……」
 「まあ御聞きよ。甲野が汽車の中であの女は嫁に行くんだらうか、どうだらうかつて、頻りに心配して……」
 「もう澤山」
 「澤山なら廢《よ》さう」
 「其女の方《かた》は何と仰しやるの、名前は」
 「名前かい――だつてもう澤山だつて云ふぢやないか」
 「ヘへたつて好いぢやありませんか」
 「ハヽヽヽさう眞面目にならなくつても好い。實は嘘だ。全く兄さんの作り事さ」
 「惡《にく》らしい」
 糸子は目出度く笑つた。
 
     十一
 
 蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。文明の民は劇烈なる生存《せいそん》のうちに無聊《ぶれう》をかこつ。立ちながら三度の食に就くの忙《いそがし》きに堪へて、路上に昏睡の病を憂ふ。生を縱横に託して、縱横に死を貪るは文明の民である。文明の民|程《ほど》自己の活動を誇るものなく、文明の民|程《ほど》自己の沈滯に苦しむものはない。文明は人の神經を髪剃に削つて、人の精神を擂木《すりこぎ》と鈍くする。刺激に麻痺《まひ》して、しかも刺激に渇くものは數《すう》を盡くして新らしき博覽會に集まる。
 狗《いぬ》は香《か》を戀《した》ひ、人は色に趁《はし》る。狗と人とは此點に於て尤も鋭敏な動物である。紫衣《しい》と云ひ、黄袍《くわうはう》と云ひ、青衿《せいきん》と云ふ。皆人を呼び寄せるの道具に過ぎぬ。土堤《どて》を走る彌次馬は必ず色々の旗を擔《かつ》ぐ。擔がれて懸命に櫂を操るものは色に擔がれるのである。天下、天狗の鼻より著しきものはない。天狗の鼻は古へより赫奕《かくえき》として赤である。色のある所は千里を遠しとせず。凡《すべ》ての人は色の博覽會に集まる。
 蛾は燈《とう》に集まり、人は電光に集まる。輝やくものは天下を牽《ひ》く。金銀、??《しやこ》、瑪瑙《めなう》、琉璃《るり》、閻浮檀金《えんぶだごん》、の屬を擧げて、悉《こと/”\》く退屈の眸を見張らして、疲れたる頭を我破《がば》と跳ね起させる爲めに光るのである。晝を短かしとする文明の民の夜會には、あらはなる肌に鏤《ちりばめ》たる寶石が獨り幅を利かす。金剛石《ダイアモンド》は人の心を奪ふが故に人の心よりも高價である。泥海《ぬかるみ》に落つる星の影は、影ながら瓦よりも鮮に、見るものゝ胸に閃《きらめ》く。閃《きらめ》く影に躍る善男子《ぜんなんし》、善女子《ぜんによし》は家を空しうしてイルミネーシヨンに集まる。
 文明を刺激の袋の底に篩《ふる》ひ寄せると博覽會になる。博覽會を鈍き夜《よ》の砂に漉《こ》せば燦《さん》たるイルミネーシヨンになる。苟《いや》しくも生きてあらば、生きたる證據を求めんが爲めにイルミネーシヨンを見て、あつと驚かざるべからず。文明に麻痺したる文明の民は、あつと驚く時、始めて生きて居るなと氣が付く。
 花電車が風を截《き》つて來る。生きて居る證據を見てこいと、積み込んだ荷を山下雁鍋《やましたがんなべ》の邊《あたり》で卸す。雁鍋《がんなべ》はとくの昔に亡《な》くなつた。卸された荷物は、自己が亡《な》くならんとしつゝある名誉を回復せんと森の方《かた》にぞろ/\行く。
 岡は夜《よ》を掠めて本郷から起る。高き臺を朧に浮かして幅十町を東へなだれる下《お》り口は、根津に、彌生《やよひ》に、切り通しに、驚ろかんとするものを枡《ます》で料《はか》つて下谷へ通す。踏み合ふ黒い影は悉《こと/”\》く池の端《はた》にあつまる。――文明の人程驚ろきたがるものはない。
 松高くして花を隱さず、枝の隙間に夜《よ》を照らす宵|重《かさ》なりて、雨も降り風も吹く。始めは一片《ひとひら》と落ち、次には二片《ふたひら》と散る。次には數ふるひまに只はら/\と散る。此間中《このあひだぢゆう》は見るからに、萬紅《ばんこう》を大地に吹いて、吹かれたるものの地に屆かざるうちに、梢から後を追ふて落ちて來た。忙がしい吹雪《ふゞき》は何時《いつ》か盡きて、今は殘る樹頭に嵐も漸《やうや》く収つた。星ならずして夜を護《も》る花の影は見えぬ。同時にイルミネーシヨンは點《つ》いた。
 「あら」と糸子が云ふ。
 「夜の世界は晝の世界より美しい事」と藤尾が云ふ。
 薄《すゝき》の穗を丸く曲げて、左右から重《かさ》なる金の閃《きらめ》く中に織り出した半月《はんげつ》の數《かず》は分からず。幅廣に腰を蔽ふ藤尾の帶を一尺隔てゝ宗近君と甲野さんが立つてゐる。
 「是は奇觀だ。ざつと龍宮だね」と宗近君が云ふ。
 「糸子さん、驚いた樣ですね」と甲野さんは帽子を眉深く被つて立つ。
 糸子は振り返る。夜の笑は水の中で詩を吟ずる樣なものである。思ふ所へは屆かぬかも知れぬ。振り返る人の衣《きぬ》の色は黄に似て夜を欺くを、黒いものが幾筋も竪に刻んでゐる。
 「驚いたかい」と今度は兄が聞き直す。
 「貴所方《あなたがた》は」と糸子を差し置いて藤尾が振り返る。黒い髪の陰から颯《さつ》と白い顔が映《さ》す。頬の端は遠い火光《ひかり》を受けてほの赤い。
 「僕は三遍目だから驚ろかない」と宗近君は顔一面を明かるい方へ向けて云ふ。
 「驚くうちは樂《たのしみ》があるもんだ。女は樂が多くて仕合せだね」と甲野さんは長い體?《からだ》を眞直《ますぐ》に立てた儘藤尾を見下《みおろ》した。
 黒い眼が夜《よ》を射て動く。
 「あれが臺湾館なの」と何氣なき糸子は水を横切つて指を點《さ》す。
 「あの一番右の前へ出て居るのが左樣《さう》だ。あれが一番善く出來てゐる。ねえ甲野さん」
 「夜見ると」と甲野さんがすぐ但書を附け加へた。
 「ねえ、糸公、丸《まる》で龍宮の樣だらう」
 「本當に龍宮ね」
 「藤尾さん、どう思ふ」と宗近君はどこ迄も龍宮が得意である。
 「俗ぢやありませんか」
 「何が、あの建物がかね」
 「あなたの形容がですよ」
 「ハヽヽヽ甲野さん、龍宮は俗だと云ふ御意見だ。俗でも龍宮ぢやないか」
 「形容は旨く中《あた》ると俗になるのが通例だ」
 「中《あた》ると俗なら、中らなければ何になるんだ」
 「詩になるでせう」と藤尾が横合から答へた。
 「だから、詩は實際に外《はづ》れる」と甲野さんが云ふ。
 「實際より高いから」と藤尾が註釋する。
 「すると旨く中《あた》つた形容が俗で、旨く中《あた》らなかつた形容が詩なんだね。藤尾さん無味《まづ》くつて中《あた》らない形容を云つて御覽」
 「云つて見ませうか。――兄さんが知つてるでせう。聽いて御覽なさい」と藤尾は鋭どい眼の角《かど》から欽吾を見た。眼の角は云ふ。――無味《まづ》くつて中《あた》らない形容は哲學である。
 「あの横にあるのは何」と糸子が無邪氣に聞く。
 ?《ほのほ》の線を闇に渡して空を横に切るは屋根である。竪に切るは柱である。斜めに切るは甍《いらか》である。朧《おぼろ》の奧に星を埋《うづ》めて、限りなき夜を薄黒く地ならししたる上に、稻妻の穗は一を引いて虚空を走つた。二を引いて上から落ちて來た。卍《まんじ》を描《ゑが》いて花火の如く地に近く廻轉した。最後に穗先を逆に返して帝座《ていざ》の眞中を貫けと許《ばかり》抛げ上げた。かくして塔は棟に入り、棟は床に連なつて、不忍《しのばず》の池の、此方《こなた》から見渡す向《むかふ》を、右から左へ隙間《すきま》なく埋《うづ》めて、大いなる火の繪圖面が出來た。
 藍を含む黒塗に、金を惜まぬ高蒔繪《たかまきゑ》は堂を描《ゑが》き、樓を描き、廻廊を描き、曲欄《きよくらん》を描き、圓塔《ゑんたふ》方柱《はうちゆう》の數々を描《ゑが》き盡して、猶餘りあるを是非に用ひ切らん爲めに、描《ゑが》ける上を徃きつ戻りつする。縱横に空《くう》を走る?の線は一點一劃を亂すことなく整然として一點一劃のうちに活きて居る。動いて居る。しかも明かに動いて、動く限りは形を崩す氣色《けしき》が見えぬ。
 「あの横に見えるのは何」と糸子が聞く。
 「あれが外國館。丁度正面に見える。此所から見るのが一番奇麗だ。あの左にある高い丸い屋根が三菱館。――あの恰好《かつかう》が好い。何と形容するかな」と宗近君は一寸躊躇した。
 「あの眞中|丈《だけ》が赤いのね」と妹が云ふ。
 「冠《かんむり》に紅玉《ルビー》を嵌めた樣だ事」と藤尾が云ふ。
 「成程、天賞堂の廣告見た樣だ」と宗近君は知らぬ顔で俗にして仕舞ふ。甲野さんは輕く笑つて仰向いた。
 空は低い。薄黒く大地に逼る夜の中途に、※[者/火]え切らぬ星が路頭に迷つて放下《ぶらさ》がつてゐる。柱と連なり、甍《いらか》と積む萬點の?は逆《さか》しまに天を浸《ひた》して、寐とぼけた星の眼《まなこ》を射る。星の眼《まなこ》は熱い。
 「空が焦げる樣だ。――羅馬《ろうま》法王の冠《かんむり》かも知れない」と甲野さんの視線は谷中から上野の森へかけて大いなる圜《けん》を畫《ゑが》いた。
 「羅馬《ろうま》法王の冠《かんむり》か。藤尾さん、羅馬法王の冠はどうだい。天賞堂の廣告の方が好さゝうだがね」
 「孰《いづ》れでも……」と藤尾は澄ましてゐる。
 「孰《いづ》れでも差支なしか。兎に角|女王《クヰーン》の冠ぢやない。ねえ甲野さん」
 「何とも云へない。クレオパトラはあんな冠をかぶつてゐる」
 「どうして御存じなの」と藤尾は鋭どく聞いた。
 「御前の持つてゐる本に繪がかいてあるぢやないか」
 「空より水の方が奇麗よ」と糸子が突然注意した。對話はクレオパトラを離れる。
 晝でも死んでゐる水は、風を含まぬ夜の影に壓《お》し付けられて、見渡す限り平かである。動かぬは何時《いつ》の事からか。靜かなる水は知るまい。百年の昔に堀つた池ならば、百年以來動かぬ、五十年の昔ならば、五十年以來動かぬとのみ思はれる水底《みなそこ》から、腐つた蓮の根がそろ/\青い芽を吹きかけて居る。泥から生れた鯉と鮒が、闇を忍んで緩やかに?《あぎと》を働かしてゐる。イルミネーシヨンは高い影を逆《さかし》まにして、二丁餘の岸を、尺も殘さず眞赤《まつか》になつて此靜かなる水の上に倒れ込む。黒い水は死につゝもぱつと色を作《な》す。泥に潜《ひそ》む魚の鰭《ひれ》は燃える。
 濕《うるほ》へる?は、一抹に岸を伸《の》して、明かに向側《むかふがは》へ渡る。行く道に横《よこた》はる凡《すべ》てのものを染め盡して已《や》まざるを、ぷつりと截つて長い橋を西から東へ懸ける。白い石に野羽玉《ぬばたま》の波を跨ぐアーチの數は二十、欄に盛る擬寶珠《ぎぼしゆ》は悉《こと/”\》く夜を照らす白光の珠である。
 「空より水の方が奇麗よ」と注意した糸子の聲に連れて、殘る三人の眼は悉《こと/”\》く水と橋とに聚《あつま》つた。一間毎に高く石欄干を照らす電光が、遠き此方《こちら》からは、行儀よく一列に空《くう》に懸つて見える。下をぞろ/\人が通る。
 「あの橋は人で埋《うま》つてゐる」
と宗近君が大きな聲を出した。
 小野さんは孤堂先生と小夜子を連れて今此橋を通りつゝある。驚ろかんとあせる群集は辯天の祠《やしろ》を拔けて壓《お》して來る。向《むかふ》が岡《をか》を下りて壓して來る。東西南北の人は廣い森と、廣い池の周圍《まはり》を捨てゝ悉《こと/”\》く細長い橋の上に集まる。橋の上は動かれぬ。眞中に弓張を高く差し上げて、巡査が來る人と徃く人を左へ右へと制してゐる。來る人も徃く人も只揉まれて通る。足を地に落す暇はない。樂に踏む餘地を尺寸《せきすん》に見出して、安々と踵を着ける心持がやつと有つたなと思ふうち、もう後《うし》ろから前へ押し出される。歩くとは思へない。歩かぬとは無論云へぬ。小夜子は夢の樣に心細くなる。孤堂先生は過去の人間を壓《お》し潰す爲めに皆《みんな》が揉むのではないかと恐ろしがる。小野さん丈《だけ》は比較的得意である。多勢《たぜい》の間に立つて、多數より優れたりとの自覺あるものは、身動きが出來ぬ時ですら得意である。博覽會は當世である。イルミネーシヨンは尤も當世である。驚ろかんとして茲《こゝ》にあつまる者は皆當世的の男と女である。只あつと云つて、當世的に生存《せいそん》の自覺を強くする爲めである。御互に御互の顔を見て、御互の世は當世だと黙契して、自己の勢力を多數と認識したる後《のち》家に歸つて安眠する爲めである。小野さんは此多數の當世のうちで、尤も當世なものである。得意なのは無理もない。
 得意な小野さんは同時に失意である。自分一人でこそ誰が眼にも當世に見える。申し分《ぶん》のある筈がない。然し時代後れの御荷物を丁寧に二人迄|脊負《しよ》つて、幅の利かぬ過去と同一體だと當世から見られるのは、只見られるのではない、見咎められるも同然である。芝居に行つて、自分の着てゐる羽織の紋の大《おほき》さが、時代か時代後れか、それ許《ばかり》が氣になつて、見物には一向《いつかう》身が入らぬものさへある。小野さんは肩身が狹い。人の波の許す限り早く歩く。
 「阿爺《おとうさん》、大丈夫」と後《うしろ》から呼ぶ。
 「あゝ大丈夫だよ」と知らぬ人を間に挾んだ儘一軒置いて返事がある。
 「何だか危なくつて……」
 「なに自然《じねん》に押して行けば世話はない」と挾まつた人を遣り過ごして、苦しい所を娘と一所になる。
 「押される許《ばかり》で、些《ちつ》とも押せやしないわ」と娘は落ち付かぬながら、薄い片頬《かたほ》に笑《ゑみ》を見せる。
 「押さなくつてもいゝから、押される丈《だけ》押されるさ」と云ふうち二人は前へ出る。巡査の提灯が孤堂先生の黒い帽子を掠めて動いた。
 「小野はどうしたかね」
 「彼所《あすこ》よ」と眼元で指《さ》す。手を出せば人の肩で遮《さへ》ぎられる。
 「何處に」と孤堂先生は足を揃へ暇もなく、其儘|日和下駄《ひよりげた》の前齒を傾けて脊延《せいのび》をする。先生の腰が中心を失ひかけた所を、後《うし》ろから氣の早い文明の民が押《の》しかゝる。先生はのめつ〔三字傍点〕た。危うく倒れる所を、前に立つ文明の民の脊中で漸く喰ひ留める。文明の民は何處迄も前へ出たがる代りに、脊中で人を援ける事を拒まぬ親切な人間である。
 文明の波は自《おのづ》から動いて頼《たより》のない親と子を辯天の堂近く押し出して來る。長い橋が切れて、渡る人の足が土へ着くや否や波は急に左右に散つて、黒い頭が勝手な方へ崩れ出す。二人は漸く胸が廣くなつた樣な心持になる。
 暗い底に藍を含む逝く春の夜を透《す》かして見ると、花が見える。雨に風に散り後《おく》れて、八重に咲く遅き香《か》を、夜に懸けん花の願を、人の世の灯《ともしび》が下から朗かに照らして居る。朧に薄紅《うすくれなゐ》の螺鈿《らでん》を鐫《ゑ》る。鐫《ゑ》ると云ふと硬過る。浮くと云へば空を離れる。此宵と此花をどう形容したらよからうかと考へながら、小野さんは二人を待ち合せて居る。
 「どうも怖ろしい人だね」と追ひ付いた孤堂先生が云ふ。怖ろしいとは、本當に怖ろしい意味で且つ普通に怖ろしい意味である。
 「隨分出ます」
 「早く家《うち》へ歸りたくなつた。どうも怖しい人だ。どこから斯んなに出て來るのかね」
 小野さんはにや/\と笑つた。蜘蛛《くも》の子の樣に暗い森を蔽ふて至る文明の民は皆自分の同類である。
 「さすが東京だね。まさか、こんなぢや無からうと思つてゐた。怖しい所だ」
 數《すう》は勢《いきほひ》である。勢を生む所は怖しい。一坪に足らぬ腐れた水でも御玉杓子のうじよ/\湧く所は怖しい。况んや高等なる文明の御玉杓子を苦もなくひり〔二字傍点〕出す東京が怖しいのは無論の事である。小野さんは又にや/\と笑つた。
 「小夜や、どうだい。あぶない、もう少しで紛《はぐ》れる所だつた。京都ぢやこんな事はないね」
 「あの橋を通る時は……どうしやうかと思ひましたわ。だつて怖《こは》くつて……」
 「もう大丈夫だ。何だか顔色が惡い樣だね。草臥《くたびれ》たかい」
 「少し心持が……」
 「惡い? 歩きつけないのを無理に歩いた所爲《せゐ》だよ。夫《それ》に此人出ぢやあ。どつかで一寸《ちよいと》休まう。――小野、どつか休む所があるだらう、小夜が心持がよくないさうだから」
 「さうですか、其所へ出ると澤山茶屋がありますから」と小野さんは又先へ立つて行く。
 運命は丸い池を作る。池を回《めぐ》るものはどこかで落ち合はねばならぬ。落ち合つて知らぬ顔で行くものは幸である。人の海の湧き返る薄黒い倫敦《ろんどん》で、朝な夕なに回《めぐ》り合はんと心掛ける甲斐もなく、眼を皿に、足を棒に、尋ねあぐんだ當人は、只一重の壁に遮られて隣りの家に煤《すゝ》けた空を眺めて居る。それでも逢へぬ、一生逢へぬ、骨が舍利《しやり》になつて、墓に草が生へる迄逢ふ事が出來ぬかも知れぬと書いた人がある。運命は一重の壁に思ふ人を終古《しゆうこ》に隔てると共に、丸い池に思はぬ人をはたと行き合はせる。變なものは互に池の周圍《まはり》を回りながら近寄つて來る。不可思議の糸は闇の夜をさへ縫ふ。
 「どうだい女連《をんなれん》は大分《だいぶ》疲れたらう。こゝで御茶でも飲むかね」と宗近君が云ふ。
 「女連《をんなれん》はとにかく僕の方が疲れた」
 「君より糸公の方が丈夫だぜ。糸公どうだ、まだ歩けるか」
 「まだ歩けるわ」
 「まだ歩ける? そりやえらい。ぢや御茶は廢《よ》しにするかね」
 「でも欽吾さんが休みたいと仰しやるぢやありませんか」
 「ハヽヽヽ中々旨い事を云ふ。甲野さん、糸公が君の爲めに休んでやるとさ」
 「難有《ありがた》い」と甲野さんは薄笑をしたが、
 「藤尾も休んで呉れるだらうね」と同じ調子で付け加へる。
 「御頼みなら」と簡明な答がある。
 「どうせ女には敵《かな》はない」と甲野さんは斷案を下《くだ》した。
 池の水に差し掛けて洋風に作り上げた假普請《かりぶしん》の入口を跨ぐと、小《ちひさ》い卓に椅子を添へて此所《こゝ》、彼所《かしこ》に併《なら》べた大廣間に、三人四人|宛《づゝ》の群《むれ》が各《おの/\》口の用を辯じてゐる。どこへ席をとらうかと、四五十人の一座をずつと見廻した宗近君は、並んで右に立つてゐる甲野さんの袂をぐいと引いた。後《うしろ》の藤尾はすぐおやと思ふ。然し仰山に何事かと聞くのは不見識である。甲野さんは別段相圖を返した樣子もなく
 「あすこが空《あ》いてゐる」とずん/\奧へ這入つて行く。あとを跟《つ》けながら藤尾の眼は大きな部屋の隅から隅迄を殘りなく腹の中へ疊み込む。糸子は只下を見て通る。
 「おい氣が付いたか」と宗近君の腰は先づ椅子に落ちた。
 「うん」と云ふ簡潔な返事がある。
 「藤尾さん小野が來てゐるよ。後《うし》ろを見て御覽」と宗近君が又云ふ。
 「知つてゐます」と云つたなり首は少しも動かなかつた。黒い眼が怪しい輝を帶びて、頬の色は電氣燈のもとでは少し熱過ぎる。
 「どこに」と何氣なき糸子は、優しい肩を斜めに捩《ね》ぢ向けた。
 入口を左へ行き盡くして、二列目の卓を壁際に近く圍んで小野さんの連中は席を占めて居る。腰を卸した三人は突き當りの右側に、窓を控へて陣を取る。肩を動かした糸子の眼は、廣い部屋に所擇《ところえら》ばず散らついて居る群衆を端から端へ貫ぬいて、遙か隔たつた小野さんの横顔に落ちた。――小夜子は眞向《まむき》に見える。孤堂先生は脊中の紋ばかりである。春の夜を淋しく交る白い糸を、顎の下に拔くも嬾《もの》うく、世の儘に、人の儘に、又取る年の積る儘に捨てゝ吹かるゝ憂き髯は小夜子の方に向いて居る。
 「あら御連《おつれ》があるのね」と糸子は頸をもとへ返す。返すとき前に坐つてゐる甲野さんと眼を見合せた。甲野さんは何にも云はない。灰皿の上に竪に挾んだ燐寸箱《まつちばこ》の横側をしゆつと擦《す》つた。藤尾も口を結んだ儘である。小野さんとは脊中合せの儘でわかれる積《つもり》かも知れない。
 「どうだい、別嬪《べつぴん》だらう」と宗近君は糸子に調戯《からかひ》かける。
 俯目《ふしめ》に卓布を眺めてゐた藤尾の眼は見えぬ、濃い眉|丈《だけ》はぴくりと動いた。糸子は氣が付かぬ、宗近君は平氣である、甲野さんは超然としてゐる。
 「うつくしい方《かた》ね」と糸子は藤尾を見る。藤尾は眼を上げない。
 「えゝ」と素氣《そつけ》なく云ひ放つ。極めて低い聲である。答を與ふるに價せぬ事を聞かれた時に、――相手に合槌を打つ事を屑《いさぎよし》とせざる時に――女は此法を用ひる。女は肯定の辭に、否定の調子を寓する靈腕を有してゐる。
 「見たかい甲野さん、驚いたね」
 「うん、ちと妙だね」と卷烟草の灰を皿の中にはたき落す。
 「だから僕が云つたのだ」
 「何と云つたのだい」
 「何と云つたつて、忘れたかい」と宗近君も下向《したむき》になつて燐寸《まつち》を擦る。刹那《せつな》に藤尾の眸《ひとみ》は宗近君の額を射た。宗近君は知らない。啣《くは》へた卷烟草に火を移して顔を眞向《まむき》に起した時、稻妻は既に消えてゐた。
 「あら妙だわね。二人して……何を云つて入らつしやるの」と糸子が聞く。
 「ハヽヽヽ面白い事があるんだよ。糸公……」と云ひ掛けた時紅茶と西洋菓子が來る。
 「いやあ亡國の菓子が來た」
 「亡國の菓子とは何だい」と甲野さんは茶碗を引き寄せる。
 「亡國の菓子さハヽヽヽ。糸公知つてるだらう亡國の菓子の由緒《いはれ》を」と云ひながら角砂糖を茶碗の中へ抛《はふ》り込む。蟹の眼の樣な泡が幽《かす》かな音を立てゝ浮き上がる。
 「そんな事知らないわ」と糸子は匙《さじ》でぐる/\攪《か》き廻してゐる。
 「そら阿爺《おとつさん》が云つたぢやないか。書生が西洋菓子なんぞを食ふ樣ぢや日本も駄目だつて」
 「ホヽヽヽヽそんな事を仰しやるもんですか」
 「云はない? 御前餘つ程物覺がわるいね。そら此間甲野さんや何かと晩飯を食つた時、さう云つたぢやないか」
 「さうぢやないわ。書生の癖に西洋菓子なんぞ食ふのはのらくら〔四字傍点〕ものだつて仰しやつたんでせう」
 「はあゝ、さうか。亡國の菓子ぢやなかつたかね。兎に角|阿爺《おとつさん》は西洋菓子が嫌《きらひ》だよ。柿羊羹か味噌松風《みそまつかぜ》、妙なもの許《ばかり》珍重したがる。藤尾さんの樣なハイカラの傍《そば》へ持つて行くとすぐ輕蔑されて仕舞ふ」
 「さう阿爺《おとうさま》の惡口を仰しやらなくつてもいゝわ。兄さんだつて、もう書生ぢやないから西洋菓子を食べたつて大丈夫ですよ」
 「もう叱られる氣遣はないか。それぢや一つ遣るかな。糸公も一つ御上り。どうだい藤尾さん一つ。――然しなんだね。阿爺《おとつさん》の樣な人はこれから日本に段々少なくなるね。惜しいもんだ」とチヨコレートを塗つた卵糖《カステラ》を口一杯に頬張る。
 「ホヽヽヽヽ一人で饒舌《しやべ》つて……」と藤尾の方を見る。藤尾は應じない。
 「藤尾は何も食はないのか」と甲野さんは茶碗を口へ付けながら聞く。
 「澤山」と云つたぎりである。
 甲野さんは靜かに茶碗を卸して、首を心持藤尾の方へ向け直した。藤尾は來たなと思ひながら、瞬《またゝき》もせず窓を通して映《うつ》る、イルミネーシヨンの片割《かたわれ》を專念に見てゐる。兄の首は次第に故《もと》の位地に歸る。
 四人が席を立つた時、藤尾は傍目《わきめ》も觸らず、只正面を見たなりで、女王の人形が歩を移すが如く昂然として入口迄出る。
 「もう小野は歸つたよ、藤尾さん」と宗近君は洒落《しやらく》に女の肩を敲《たゝ》く。藤尾の胸は紅茶で燒ける。
 「驚ろくうちは樂《たのしみ》がある。女は仕合せなものだ」と再び人込へ出た時、何を思つたか甲野さんは復《また》前言を繰り返した。
 驚くうちは樂《たのしみ》がある! 女は仕合せなものだ! 家《うち》へ歸つて寐床へ這入る迄藤尾の耳に此二句が嘲《あざけり》の鈴《れい》の如く鳴つた。
 
     十二
 
 貧乏を十七字に標榜《へうばう》して、馬の糞、馬の尿《いばり》を得意氣に咏《えい》ずる發句《ほつく》と云ふがある。芭蕉《ばせを》が古池に蛙《かはづ》を飛び込ますと、蕪村《ぶそん》が傘《からかさ》を擔《かつ》いで紅葉《もみぢ》を見に行く。明治になつては子規《しき》と云ふ男が脊髓病《せきずゐびやう》を煩つて糸瓜《へちま》の水を取つた。貧に誇る風流は今日《こんにち》に至つても盡きぬ。只小野さんは是を卑しとする。
 仙人は流霞《りうか》を餐《さん》し、朝《てうかう》を吸ふ。詩人の食物は想像である。美くしき想像に耽《ふけ》るためには餘裕がなくてはならぬ。美くしき想像を實現する爲めには財産がなくてはならぬ。二十世紀の詩趣と元禄の風流とは別物である。
 文明の詩は金剛石《だいやもんど》より成る。紫より成る。薔薇の香《か》と、葡萄の酒と、琥珀《こはく》の盃より成る。冬は斑入《ふいり》の大理石を四角に組んで、漆に似たる石炭に絹足袋の底を煖《あたゝ》める所にある。夏は氷盤《ひようばん》に莓《いちご》を盛つて、旨《あま》き血を、クリームの白きなかに溶《とか》し込む所にある。あるときは熱帶の奇蘭を見よがしに匂はする温室にある。野路や空、月のなかなる花野を惜氣も無く織り込んだ綴《つゞれ》の丸帶にある。唐錦小袖振袖の擦れ違ふ所にある。――文明の詩は金にある。小野さんは詩人の本分を完《まつた》ふする爲めに金を得ねばならぬ。
 詩を作るより田を作れと云ふ。詩人にして産を成したものは古今を傾けて幾人もない。ことに文明の民は詩人の歌よりも詩人の行《おこなひ》を愛する。彼等は日毎夜毎に文明の詩を實現して、花に月に富貴《ふうき》の實生活を詩化しつゝある。小野さんの詩は一文にもならぬ。
 詩人程金にならん商買はない。同時に詩人程金の入《い》る商買もない。文明の詩人は是非共|他《ひと》の金で詩を作り、他《ひと》の金で美的生活を送らねばならぬ事となる。小野さんがわが本領を解する藤尾に頼《たより》たくなるのは自然の數《すう》である。あすこには中以上の恆産《こうさん》があると聞く。腹違の妹を片付けるに只の箪笥《たんす》と長持で承知する樣な母親ではない。殊に欽吾は多病である。實の娘に婿を取つて、かゝる氣がないとも限らぬ。折々に、解いて見ろと、わざとらしく結ぶ辻占《つじうら》があたればいつも吉《きち》である。急《せ》いては事を仕損ずる。小野さんは大人《おと》なしくして事件の發展を、自《おのづか》ら開くべき優曇華《うどんげ》の未來に待ち暮してゐた。小野さんは進んで仕掛ける樣な相撲《すまふ》をとらぬ、又とれぬ男である。
 天地は此有望の青年に對して悠久であつた。春は九十日の東風《とうふう》を限りなく得意の額に吹く樣に思はれた。小野さんは優しい、物に逆《さから》はぬ、氣の長い男であつた。――所へ過去が押し寄せて來た。二十七年の長い夢と背《そびら》を向けて、西の國へさらりと流した筈の昔から、一滴の墨汁にも較ぶべき程の暗い小《ちさ》い點が、明かなる都迄押し寄せて來た。押されるものは出る氣がなくても前へのめりたがる。大人《おとな》しく時機を待つ覺悟を氣長に極《き》めた詩人も未來を急がねばならぬ。黒い點は頭の上にぴたりと留《とゞま》つてゐる。仰ぐとぐる/\旋轉《せんてん》しさうに見える。ぱつと散れば白雨《ゆふだち》が一度にくる。小野さんは首を縮めて馳け出したくなる。
 四五日は孤堂先生の世話やら用事やらで甲野の方へ足を向ける事も出來なかつた。昨夜《ゆうべ》は出來ぬ工夫を無理にして、舊師への義理立てに、先生と小夜子を博覽會へ案内した。恩は昔受けても今受けても恩である。恩を忘れる樣な不人情な詩人ではない。一飯漂母《いつぱんへうぼ》をコとすと云ふ故事を孤堂先生からヘはつた事さへある。先生の爲めならば是から先何處迄も力になる積《つもり》でゐる。人の難儀を救ふのは美くしい詩人の義務である。此義務を果して、濃《こま》やかな人情を、得意の現在に、わが歴史の一部として、思出の詩料に殘すのは温厚なる小野さんに尤も恰好《かつかう》な優しい振舞である。只何事も金がなくては出來ぬ。金は藤尾と結婚せねば出來ぬ。結婚が一日早く成立すれば、一日早く孤堂先生の世話が思ふ樣に出來る。――小野さんは机の前で斯う云ふ論理を發明した。
 小夜子を捨てる爲ではない、孤堂先生の世話が出來る爲に、早く藤尾と結婚して仕舞はなければならぬ。――小野さんは自分の考に間違はない筈だと思ふ。人が聞けば立派に辯解が立つと思ふ。小野さんは頭腦の明暸な男である。
 こゝ迄考へた小野さんはやがて机の上に置いてある、茶の表紙に豐かな金文字を入れた厚い書物を開《あ》けた。中からヌーボー式に青い柳を染めて赤瓦の屋根が少し見える栞《しをり》があらはれる。小野さんは左の手に栞を滑らして、細かい活字を金縁の眼鏡の奧から讀み始める。五分《ごふん》許《ばかり》は無事であつたが、しばらくすると、何時《いつ》の間《ま》にやら、黒い眼は頁を離れて、筋違《すぢかひ》に日脚の伸びた障子の棧を見詰めてゐる。――四五日藤尾に逢はぬ、屹度《きつと》何とか思つてゐるに違ない。只の時なら四五日が十日《とをか》でも左《さ》して心配にはならぬ。過去に追ひ付かれた今の身には梳《くしけづ》る間《ま》も千金である。逢へば逢ふ度に願の的は近くなる。逢ねば元の君と我にたぐり寄すべき戀の綱の寸分だも縮まる縁《えにし》はない。のみならず、魔は節穴の隙にも射す。逢はぬ半日に日が落ちぬとも限らぬ、籠る一夜《ひとよ》に月は入《い》る。等閑《なほざり》の此四五日に藤尾の眉に如何な稻妻が差してゐるかは夢|測《はか》り難い。論文を書く爲めの勉強は無論大切である。然し藤尾は論文よりも大切である。小野さんはぱたりと書物を伏せた。
 芭蕉布《ばせうふ》の襖を開けると、押入の上段は夜具、下には柳行李が見える。小野さんは行李の上に疊んである脊廣を出して手早く着換へ終る。帽子は壁に主《ぬし》を待つ。がらりと障子を明けて、赤い鼻緒の上草履に、カシミヤの靴足袋を無理に突き込んだ時、下女が來る。
 「おや御出掛。少し御待ちなさいよ」
 「何だ」と草履から顔を上げる。下女は笑つてゐる。
 「何か用かい」
 「えゝ」と矢つ張り笑つてゐる。
 「何だ。冗談か」と行かうとすると、卸し立ての草履が片方《かた/\》足を離れて、拭き込んだ廊下を洋燈部屋《らんぷべや》の方へ滑つて行く。
 「ホヽヽヽヽ餘《あん》まり周章《あわて》るもんだから。御客樣ですよ」
 「誰だい」
 「あら待つてた癖に空つとぼけて……」
 「待つてた? 何を」
 「ホヽヽヽヽ大變眞面目ですね」と笑ひながら、返事も待たず、入口へ引き返す。小野さんは氣掛《きがゝり》な顔をして障子の傍《そば》に上草履を揃へた儘廊下の突き當りを眺めて居る。何が出てくるかと思ふ。焦茶の中折が鴨居を越す程の高い脊を伸《の》して、薄暗い廊下のはづれに折目正しく着こなした脊廣の地味な丈《だけ》に、胸開《むなあき》の狹い胴衣《ちよつき》から白い襯衣《しやつ》と白い襟が著るしく上品に見える。小野さんは姿よく着こなした衣裳を、見榮のせぬ廊下の片隅に、中ぶらりんに落ち付けて、光る眼鏡を斜めに、突き當りを眺めてゐる。何が出てくるのかと思ひながら眺めてゐる。兩手を洋袴《づぼん》の隱袋《かくし》に挿し込むのは落ちつかぬ時の、落ち付いた姿である。
 「そこを曲ると眞直です」と云ふ下女の聲が聞えたと思ふと、すらりと小夜子《さよこ》の姿が廊下の端《はじ》にあらはれた。海老茶色《えびちやいろ》の緞子《どんす》の片側が龍紋《りようもん》の所|丈《だけ》異樣に光線を射返して見える。在來《ありきた》りの銘仙の袷を、白足袋の甲を隱さぬ程に着て、きりゝと角を曲つた時、長襦袢らしいものがちらと色めいた。同時に遮ぎるものもない中廊下に七歩の間隔を置いて、男女《なんによ》の視線は御互の顔の上に落ちる。
 男はおやと思ふ。姿勢|丈《だけ》は崩さない。女ははつと躊躇《ためら》ふ。やがて頬に差す紅《くれなゐ》を一度にかくして、亂るゝ笑顔を肩共に落す。油を注《さ》さぬ黒髪に、漣《さゞなみ》の琥珀《こはく》に寄る幅廣の絹の色が鮮な翼を片鬢に張る。
 「さあ」と小野さんは隔たる人を近く誘ふ樣な挨拶をする。
 「どちらへか御出掛で……」と立ちながら兩手を前に重ねた女は、落した肩を、少しく浮かした儘で、氣の毒さうに動かない。
 「いえ何……まあ御這入《おはい》んなさい。さあ」と片足を部屋のうちへ引く。
 「御免」と云ひながら、手を重ねた儘|擦足《すりあし》に廊下を滑つて來る。
 男は全く部屋の中へ引き込んだ。女もつゞいて這入る。明かなる日永の窓は若き二人に若き對話を促がす。
 「昨夜は御忙《おいそが》しい所を……」と女は入口に近く手をつかへる。
 「いえ、嘸《さぞ》御疲でしたらう。どうです、御氣分は。もう悉皆《すつかり》好いですか」
 「はあ、御蔭》さまで」と云ふ顔は何となく窶《やつ》れてゐる。男は一寸眞面目になつた。女はすぐ辯解する。
 「あんな人込へは滅多に出つけた事がないもんですから」
 文明の民は驚ろいて喜ぶ爲めに博覽會を開く。過去の人は驚ろいて怖《こは》がる爲めにイルミネーシヨンを見る。
 「先生はどうですか」
 小夜子は返事を控へて淋しく笑つた。
 「先生も雜沓する所が嫌《きらひ》でしたね」
 「どうも年を取つたもんですから」と氣の毒さうに、相手から眼を外《はづ》して、疊の上に置いてある埋木《うもれぎ》の茶托を眺める。京燒の染付茶碗《そめつけぢやわん》は先《さつき》から膝頭《ひざがしら》に載つてゐる。
 「御迷惑でしたらう」と小野さんは隱袋《ポツケツト》から烟草入を取り出す。闇を照す月の色に富士と三保の松原が細かに彫つてある。其松に緑の繪の具を使つたのは詩人の持物としては少しく俗である。派出《はで》を好む藤尾の贈物かも知れない。
 「いえ、迷惑だなんて。此方《こつち》から願つて置いて」と小夜子は頭から小野さんの言葉を打ち消した。男は烟草入を開く。裏は一面の鍍金《ときん》に、銀《しろかね》の冴えたる上を、花やかにぱつと流す。淋しき女は見事だと思ふ。
 「先生|丈《だけ》なら、もつと閑靜な所へ案内した方が好かつたかも知れませんね」
 忙しがる小野を無理に都合させて、好《す》かぬ人込へわざ/\出掛けるのも皆《みんな》自分が可愛いからである。濟まぬ事には人込は自分も嫌《きらひ》である。折角の思に、袖振り交はして、長閑《のどか》な歩《あゆみ》を、春の宵に併《なら》んで移す當人は、依然として近寄れない。小夜子は何と返事をしていゝか躊躇《ためら》つた。相手の親切に氣兼をして、先方の心持を惡くさせまいと云ふ世態染《せたいじ》みた料簡からではない。小夜子の躊躇《ためら》つたのには、もう少し切ない意味が籠つてゐる。
 「先生には矢張京都の方が好くはないですか」と女の躊躇《ためら》つた氣色《けしき》をどう解釋したか、小野さんは再び問ひ掛けた。
 「東京へ來る前は、頻に早く移りたい樣に云つてたんですけれども、來て見ると矢張住み馴れた所が好いさうで」
 「さうですか」と小野さんは大人《おとな》しく受けたが、心の中《うち》では夫程《それほど》性《しやう》に合はない所へ何故《なぜ》出て來たのかと、自分の都合を考へて多少馬鹿らしい氣もする。
 「あなたは」と聞いて見る。
 小夜子は又口籠る。東京が好いか惡いかは、目の前に、西洋の臭のする烟草を燻《くゆ》らして居る青年の心掛一つで極る問題である。船頭が客人に、あなたは船が好きですかと聞いた時、好きも嫌《きらひ》も御前の舵《かじ》の取り樣《やう》一つさと答へなければならない場合がある。責任のある船頭にこんな質問を掛けられる程腹の立つ事はない樣に、自分の好惡《かうを》を支配する人間から、素知らぬ顔ですき〔二字傍点〕かきらひ〔三字傍点〕かを尋ねられるのは恨めしい。小夜子は又口籠る。小野さんは何故《なぜ》斯う豁達《はき/\》せぬのかと思ふ。
 胴衣《ちよつき》の隱袋《かくし》から時計を出して見る。
 「何所《どちら》へか御出掛で」と女はすぐ悟つた。
 「えゝ、一寸」と旨い具合に渡し込む。
 女は又口籠る。男は少し焦慮《じれつた》くなる。藤尾が待つてゐるだらう。――しばらくは無言である。
 「實は父が……」と小夜子は漸《やつ》との思で口を切つた。
 「はあ、何か御用ですか」
 「色々買物がしたいんですが……」
 「成程」
 「もし、御閑《おひま》ならば、小野さんに一所に行つて頂いて勸工場でゞも買つて來いと申しましたから」
 「はあ、さうですか。そりや、殘念な事で。丁度今から急いで出なければならない所があるもんですからね。――ぢや、かう爲《し》ませう。品物の名を聞いて置いて、私《わたし》が歸りに買つて晩に持つて行きませう」
 「夫《それ》では御氣の毒で……」
 「何構ひません」
 父の好意は再び水泡に歸した。小夜子は悄然《せうぜん》として歸る。小野さんは、脱いだ帽子を頭へ載せて手早く表へ出る。――同時に逝く春の舞臺は廻る。
 紫を辛夷《こぶし》の瓣《はなびら》に洗ふ雨|重《かさ》なりて、花は漸く茶に朽ちかゝる椽に、干す髪の帶を隱して、動かせば脊に陽炎《かげろふ》が立つ。黒きを外に、風が嬲《なぶ》り、日が嬲《なぶ》り、つい今しがたは黄な蝶がひらひらと嬲《なぶ》りに來た。知らぬ顔の藤尾は、内側を向いてゐる。くつきりと肉の締つた横顔は、後《うし》ろからさす日の影に、耳を蔽ふて肩に流す鬢の影に、しつとりとして仄《ほのか》である。千筋《ちすぢ》にぎらついて深き菫を一面に浴せる肩を通り越して、向ふ側はと覗き込むとき、眩《まば》ゆき眼はしんと靜まる。夕暮にそれかと思ふ蓼《たで》の花の、白きを人は潜むと云つた。髪多く餘る光を椽にこぼす此方《こなた》の影に、有るか無きかの細《ほつそ》りした顔のなかを、濃く引き殘したる眉の尾のみが慥かである。眉の下なる切長の黒い眼は何を語るか分らない。藤尾は寄木《よせき》の小机に肱を持たせて俯向《うつむ》いて居る。
 心臓の扉を黄金《こがね》の鎚《つち》に敲《たゝ》いて、青春の盃に戀の血潮を盛る。飲まずと口を背けるものは片輪である。月傾いて山を慕ひ、人老いて妄《みだ》りに道を説く。若き空には星の亂れ、若き地《つち》には花吹雪、一年を重ねて二十に至つて愛の神は今が盛《さかり》である。緑濃き黒髪を婆娑《ばさ》とさばいて春風《はるかぜ》に織る羅《うすもの》を、蜘蛛《くも》の圍《ゐ》と五彩の軒に懸けて、自《みづから》と引き掛《かゝ》る男を待つ。引き掛つた男は夜光の璧《たま》を迷宮に尋ねて、紫に輝やく糸の十字萬字に、魂を逆《さかしま》にして、後《のち》の世迄の心を亂す。女は只心地よげに見遣る。耶蘇ヘ《やそけう》の牧師は救はれよといふ。臨濟《りんざい》、黄檗《わうばく》は悟れと云ふ。此女は迷へとのみ黒い眸を動かす。迷はぬものは凡《すべ》て此女の敵《かたき》である。迷ふて、苦しんで、狂ふて、躍る時、始めて女の御意は目出度い。欄干に繊《ほそ》い手を出してわん〔二字傍点〕と云へといふ。わん〔二字傍点〕と云へば又わん〔二字傍点〕と云へと云ふ。犬は續け樣にわん〔二字傍点〕と云ふ。女は片頬《かたほ》に笑《ゑみ》を含む。犬はわん〔二字傍点〕と云ひ、わん〔二字傍点〕と云ひながら右へ左へ走る。女は黙つてゐる。犬は尾を逆《さかしま》にして狂ふ。女は益《ます/\》得意である。――藤尾の解釋した愛は是である。
 石佛《せきぶつ》に愛なし、色《いろ》は出來ぬものと始から覺悟をきめて居るからである。愛は愛せらるる資格ありとの自信に基《もとづ》いて起る。たゞし愛せらるゝの資格ありと自信して、愛するの資格なきに氣の付かぬものがある。此兩資格は多くの場合に於て反比例する。愛せらるゝの資格を標榜して憚からぬものは、如何なる犧牲をも相手に逼る。相手を愛するの資格を具へざるが爲である。?《へん》たる美目《びもく》に魂を打ち込むものは必ず食はれる。小野さんは危《あやふ》い。倩《せん》たる巧笑にわが命を托するものは必ず人を殺す。藤尾は丙午《ひのえうま》である。藤尾は己《おの》れの爲にする愛を解する。人の爲にする愛の、存在し得るやと考へた事もない。詩趣はある。道義はない。
 愛の對象は玩具《おもちや》である。神聖なる玩具《おもちや》である。普通の玩具《おもちや》は弄《もてあそ》ばるゝ丈《だけ》が能である。愛の玩具《おもちや》は互に弄《もてあそ》ぶを以て原則とする。藤尾は男を弄《もてあそ》ぶ。一毫も男から弄《もてあそ》ばるゝ事を許さぬ。藤尾は愛の女王である。成立つものは原則を外《はづ》れた戀でなければならぬ。愛せらるゝ事を專門にするものと、愛する事のみを念頭に置くものとが、春風《はるかぜ》の吹き回《まは》しで、旨《あま》い潮の滿干《みちひき》で、はたりと天地の前に行き逢つた時、此變則の愛は成就する。
 我《が》を立てゝ戀をするのは、火事頭巾《くわじづきん》を被つて、甘酒を飲む樣なものである。調子がわるい。戀は凡《すべ》てを溶かす。角張《かどば》つた繪紙鳶《ゑだこ》も飴細工であるからは必ず流れ出す。我《が》は愛の水に浸して、三日三晩の長きに渉つてもふやける〔四字傍点〕氣色《けしき》を見せぬ。どこ迄も堅く控へてゐる。我《が》を立てゝ戀をするものは氷砂糖である。
 沙翁《シエクスピア》は女を評して脆《もろ》きは汝が名なりと云つた。脆きが中に我《が》を通す昂《あが》れる戀は、炊《かし》ぎたる飯の柔らかきに御影《みかげ》の砂を振り敷いて、心を許す奧齒をがり/\と寒からしむ。?み締めるものに護謨《ごむ》の彈力がなくては無事には行かぬ。我《が》の強い藤尾は戀をする爲めに我《が》のない小野さんを擇んだ。蜘蛛《くも》の圍《ゐ》にかゝる油蝉はかゝつても暴れて行《い》かぬ。時によると網を破つて逃げる事がある。宗近君を捕《と》るは容易である。宗近君を馴らすは藤尾と雖《いへども》困難である。我《が》の女は顋で相圖をすれば、すぐ來るものを喜ぶ。小野さんはすぐ來るのみならず、來る時は必ず詩歌《しいか》の璧《たま》を懷に抱《いだ》いて來る。夢にだもわれを弄《もてあそ》ぶの意思なくして、滿腔の誠を捧げてわが玩具《おもちや》となるを榮譽と思ふ。彼を愛するの資格をわれに求むる事は露知らず、ただ愛せらるべき資格を、わが眼に、わが眉に、わが唇に、さてはわが才に認めて只管《ひたすら》に渇仰《かつがう》する。藤尾の戀は小野さんでなくてはならぬ。
 唯々《ゐゝ》として來《く》るべき筈の小野さんが四五日見えぬ。藤尾は薄き粧《よそほひ》を日毎にして我《が》の角《かど》を鏡の裡《うち》に隱してゐた。其五日目の昨夕《ゆうべ》! 驚くうちは樂《たのしみ》がある! 女は仕合せなものだ! 嘲《あざけり》の鈴《れい》はいまだに耳の底に鳴つてゐる。小机に肱を持たした儘、燃ゆる黒髪を照る日に打たして身動もせぬ。脊を椽に、顔を影なる居住《ゐずまひ》は、考へ事に明海《あかるみ》を忌む、昔からの掟《おきて》である。
 繩なくて十重《とへ》に括《くゝ》る虜《とりこ》は、捕はれたるを誇顔《ほこりがほ》に、麾《さしまね》けば來り、指《ゆびさ》せば走るを、他意なしとのみ弄《もてあそ》びたるに、奇麗な葉を裏返せば毛蟲が居る。思ふ人と併《なら》んで姿見に向つた時、大丈夫寫るは君と我のみと、神懸けて疑はぬを、見れば間違つた。男は其儘の男に、寄り添ふは見た事もない他人である。驚くうちは樂《たのしみ》がある! 女は仕合せなものだ!
 冴えぬ白さに青味を含む憂顔を、三五の卓を隔てゝ電燈の下《もと》に眺めた時は、――わが傍《かたへ》ならでは、若き美くしき女に近付くまじき筈の男が、氣遣《きづか》はし氣《げ》に、又|親《した》し氣に、此人と半々に洋卓《テーブル》の角を回つて向き合つてゐた時は、――撞木《しゆもく》で心臓をすぽりと敲《たゝ》かれた樣な氣がした。拍子に胸の血は悉《こと/”\》く頬に潮《さ》す。紅《くれなゐ》は云ふ、赫《くわつ》として此所《こゝ》に躍り上がると。
 我《が》は猛然として立つ。其儀ならばと云ふ。振り向いてもならぬ。不審を打つてもならぬ。一字の批評も不見識である。有《あれ》ども無きが如くに裝《よそほ》へ。昂然として水準以下に取り扱へ。――氣が付いた男は面目を失ふに違ない。是が復讐である。
 我《が》の女はいざと云ふ間際迄心細い顔をせぬ。恨むと云ふは頼る人に見替られた時に云ふ。侮《あなどり》に對する適當な言葉は怒《いかり》である。無念と嫉妬を交ぜ合せた怒である。文明の淑女は人を馬鹿にするを第一義とする。人に馬鹿にされるのを死に優《まさ》る不面目と思ふ。小野さんは慥かに淑女を辱《はづか》しめた。
 愛は信仰より成る。信仰は二つの神を念ずるを許さぬ。愛せらるべき、わが資格に、歸依の頭《かうべ》を下げながら、二心《ふたごゝろ》の脊を輕薄の街《ちまた》に向けて、何の社《やしろ》の鈴を鳴らす。牛頭《ごづ》、馬骨《ばこつ》、祭るは人の勝手である。只小野さんは勝手な神に戀の御賽錢《おさいせん》を投げて、波か字かの辻占《つじうら》を見てはならぬ。小野さんは、此黒い眼から早速《さそく》に放つ、見えぬ光りに、空かけて織りなした無紋の網に引き掛つた餌食《ゑじき》である。外へはやられぬ。神聖なる玩具《おもちや》として生涯大事にせねばならぬ。
 神聖とは自分一人が玩具《おもちや》にして、外の人には指もさゝせぬと云ふ意味である。昨夕《ゆうべ》から小野さんは神聖でなくなつた。それのみか向ふで此方《こつち》を玩具《おもちや》にしてゐるかも知れぬ。――肱を持たして、俯向《うつむ》く儘の藤尾の眉が活きて來る。
 玩具《おもちや》にされたのなら此儘では置かぬ。我《が》は愛を八つ裂《ざき》にする。面當《つらあて》はいくらもある。貧乏は戀を乾干《ひぼし》にする。富貴《ふうき》は戀を贅澤にする。功名は戀を犧牲にする。我《が》は未練な戀を踏み付ける。尖る錐に自分の股《もゝ》を刺し通して、それ見ろと人に示すものは我《が》である。自己が尤も價《あたひ》ありと思ふものを捨てゝ得意なものは我《が》である。我《が》が立てば、虚榮の市にわが命さへ屠《ほふ》る。逆しまに天國を辭して奈落の暗きに落つるセータンの耳を切る地獄の風は我《プライド》! 我《プライド》! と叫ぶ。――藤尾は俯向《うつむき》ながら下唇を?んだ。
 逢はぬ四五日は手紙でも出さうかと思つてゐた。昨夕《ゆうべ》歸つてからすぐ書きかけて見たが、五六行かいた後で何をとずた/\に引き裂いた。決して書くまい。頭を下げて先方から折れて出るのを待つてゐる。だまつて居れば屹度《きつと》出てくる。出てくれば謝罪《あやま》らせる。出て來なければ? 我《が》は一寸困つた。手の屆かぬ所に我《が》を立て樣がない。――なに來る、屹度來る、と藤尾は口の中《うち》で云ふ。知らぬ小野さんは果して我《が》に引かれつゝある。來つゝある。
 よし來ても昨夜《ゆうべ》の女の事は聞くまい。聞けばあの女を眼中に置く事になる。昨夕《ゆうべ》食卓で兄と宗近が妙な合言葉《あひことば》を使つてゐた。あの女と小野の關係を聞えよがしに、自分を焦《じ》らす料簡だらう。頭を下げて聞き出しては我《が》が折れる。二人で寄つてたかつて人を馬鹿にする積《つもり》ならそれでよい。二人が仄《ほのめ》かした事實の反證を擧げて鼻をあかしてやる。
 小野はどうしても詫《あやま》らせなければならぬ。つらく當つて詫《あやま》らせなければならぬ。同時に兄と宗近も詫《あやま》らせなければならぬ。小野は全然わがもので、調戯面《からかひづら》にあてつけた二人の惡戯《いたづら》は何の役にも立たなかつた、見ろ此通りと親しい所を見せつけて、鼻をあかして詫《あやま》らせなければならぬ。――藤尾は矛盾した兩面を我《が》の一字で貫《つらぬ》かうと、洗髪《あらひがみ》の後《うしろ》に顔を埋《うづ》めて考へてゐる。
 靜かな椽に足音がする。脊《せい》の高い影がのつと現はれた。絣の袷の前が開《ひら》いて、肌につけた鼠色の毛織の襯衣《しやつ》が、長い三角を逆樣《さかさま》にして胸に映《うつ》る上に、長い頸がある、長い顔がある。顔の色は蒼い。髪は渦を捲いて、二三ケ月は刈らぬと見える。四五日は櫛《くし》を入れないとも思はれる。美くしいのは濃い眉と口髭である。髭の質《たち》は極めて黒く、極めて細い。手を入れぬ儘に自然の趣を具へて何となく人柄に見える。腰は汚《よご》れた白縮緬を二重《ふたへ》に周《まは》して、長過ぎる端《はじ》を、だらりと、猫ぢやらしに、右の袂の下で結んでゐる。裾は固《もと》より合はない。引き掛けた法衣《ころも》の樣にふわついた下から黒足袋が見える。足袋|丈《だけ》は新らしい。嗅げば紺の匂がしさうである。古い頭に新らしい足の欽吾は、世を逆樣《さかさま》に歩いて、ふらりと椽側へ出た。
 拭き込んだ細かい柾目《まさめ》の板が、雲齋底《うんさいぞこ》の影を寫す程に、輕く足音を受けた時に、藤尾の脊中に脊負《せお》つた黒い髪はさらりと動いた。途端に椽に落ちた紺足袋が女の眼に這入る。足袋の主は見なくても知れてゐる。
 紺足袋は靜かに歩いて來た。
 「藤尾」
 聲は後《うしろ》でする。雨戸の溝をすつくと仕切つた栂《つが》の柱を脊に、欽吾は留つたらしい。藤尾は黙つてゐる。
 「又夢か」と欽吾は立つた儘、癖のない洗髪《あらひがみ》を見下《みおろ》した。
 「何です」と云ひなり女は、顔を向け直した。赤棟蛇《やまかゞし》の首を擡《もた》げた時の樣である。黒い髪に陽炎《かげろふ》を碎く。
 男は、眼さへ動かさない。蒼い顔で見下《みおろ》してゐる。向き直つた女の額を昵《じつ》と見下《みおろ》してゐる。
 「昨夕《ゆうべ》は面白かつたかい」
 女は答へる前に熱い團子をぐいと嚥《の》み下《くだ》した。
 「えゝ」と極めて冷淡な挨拶をする。
 「それは好かつた」と落ち付き拂つて云ふ。
 女は急《せ》いて來る。勝氣な女は受太刀だなと氣が付けば、すぐ急《せ》いて來る。相手が落ち付いてゐれば猶《なほ》急《せ》いて來る。汗を流して斬り込むならまだしも、斬り込んで置きながら悠々として柱に倚つて人を見下《みおろ》してゐるのは、酒を飲みつゝ胡坐《あぐら》をかいて追剥《おひはぎ》をすると同樣、ちと蟲がよすぎる。
 「驚くうちは樂《たのしみ》があるんでせう」
 女は逆《さか》に寄せ返した。男は動じた樣子もなく依然として上から見下《みおろ》してゐる。意味が通じた氣色《けしき》さへ見えぬ。欽吾の日記に云ふ。――或人は十錢を以て一圓の十分一《じふぶいち》と解釋し、或人は十錢を以て一錢の十倍と解釋すと。同じ言葉が人に依つて高くも低くもなる。言葉を用ゐる人の見識次第である。欽吾と藤尾の間には是《これ》丈《だけ》の差がある。段が違ふものが喧嘩をすると妙な現象が起る。
 姿勢を變へるさへ嬾《もの》うく見へた男は只
 「さうさ」と云つたのみである。
 「兄さんの樣に學者になると驚きたくつても、驚ろけないから樂《たのしみ》がないでせう」
 「樂《たのしみ》?」と聞いた。樂の意味が分つてるのかと云はぬ許《ばかり》の挨拶と藤尾は思ふ。兄はやがて云ふ。
 「樂《たのしみ》はさうないさ。其代り安心だ」
 「何故」
 「樂《たのしみ》のないものは自殺する氣遣がない」
 藤尾には兄の云ふ事が丸《まる》で分らない。蒼い顔は依然として見下《みおろ》してゐる。何故と聞くのは不見識だから黙つてゐる。
 「御前の樣に樂《たのしみ》の多いものは危ないよ」
 藤尾は思はず黒髪に波を打たした。屹《きつ》と見上げる上から兄は分つたかと矢張り見下《みおろ》してゐる。何事とも知らず「埃及《えじぷと》の御代《みよ》しろし召す人の最後ぞ、斯くありてこそ」と云ふ句を明かに思ひ出す。
 「小野は相變らず來るかい」
 藤尾の眼は火打石を金槌の先で敲《たゝ》いた樣な火花を射る。構はぬ兄は
 「來《こ》ないかい」と云ふ。
 藤尾はぎり/\と齒を?んだ。兄は談話を控へた。然し依然として柱に倚《よ》つてゐる。
 「兄さん」
 「何だい」と又|見下《みおろ》す。
 「あの金時計は、あなたには渡しません」
 「おれに渡さなければ誰に渡す」
 「當分|私《わたし》が預つて置きます」
 「當分御前が預かる? 夫《それ》もよからう。然しあれは宗近にやる約束をしたから……」
 「宗近さんに上げる時には私《わたし》から上げます」
 「御前から」と兄は少し顔を低くして妹の方へ眼を近寄せた。
 「私《わたし》から――えゝ私《わたし》から――私《わたし》から誰かに上げます」と寄木《よせき》の机に凭《もた》せた肘を跳ねて、すつくり立ち上がる。紺と、濃い黄と、木賊《とくさ》と海老茶《えびちや》の棒縞《ぼうじま》が、棒の如く揃つて立ち上がる。裾|丈《だけ》が四色《よいろ》の波のうねりを打つて白足袋の鞐《こはぜ》を隱す。
 「さうか」
と兄は雲齋底《うんさいぞこ》の踵を見せて、向《むかふ》へ行つて仕舞つた。
 甲野さんが幽靈の如く現はれて、幽靈の如く消える間に、小野さんは近付いて來る。幾度《いくたび》の降る雨に、土に籠る青味を蒸し返して、濕りながらに暖かき大地を踏んで近付いて來る。磨き上げた山羊の皮に被《かむ》る埃さへ目に付かぬ程の奇麗な靴を、刻み足に運ばして甲野家の門に近付いて來る。
 世を投げ遣りのだらりとした姿の上に、義理に着る羽織の紐を丸打に結んで、細い杖に本來空《ほんらいくう》の手持無沙汰を紛らす甲野さんと、近付いてくる小野さんは塀の側《そば》でぱたりと逢つた。自然は對照を好む。
 「何所へ」と小野さんは帽に手を懸けて、笑ひながら寄つてくる。
 「やあ」と受け應《こたへ》があつた。其儘|洋杖《すてつき》は動かなくなる。本來は洋杖《すてつき》さへ手持無沙汰なものである。
 「今、一寸行かうと思つて……」
 「行き玉へ。藤尾は居る」と甲野さんは素直に相手を通す氣である。小野さんは躊躇する。
 「君は何處へ」と又聞き直す。君の妹には用があるが、君はどうなつても構はないと云ふ態度は小野さんの取るに忍びざる所である。
 「僕か、僕は何處へ行くか分らない。僕が此杖を引つ張り廻す樣に、何かゞ僕を引つ張り廻す丈《だけ》だ」
 「ハヽヽヽ大分《だいぶ》哲學的だね。――散歩?」と下から覗き込んだ。
 「えゝ、まあ……好い天氣だね」
 「好い天氣だ。――散歩より博覽會はどうだい」
 「博覽會か――博覽會は――昨夕《ゆうべ》見た」
 「昨夕《ゆうべ》行つたつて?」と小野さんの眼は一時に坐る。
 「あゝ」
 小野さんはあゝ〔二字傍点〕の後から何か出て來るだらうと思つて、控へてゐる。時鳥《ほとゝぎす》は一聲で雲に入つたらしい。
 「一人で行つたのかい」と今度は此方《こちら》から聞いて見る。
 「いゝや。誘はれたから行つた」
 甲野さんにははたして連《つれ》があつた。小野さんはもう少し進んで見なければ濟まない樣になる。
 「さうかい、奇麗だつたろう」と先づ繋ぎに出して置いて、其うちに次の問を考へる事にする。所が甲野さんは簡單に
 「うん」の一句で答をして仕舞ふ。此方《こつち》は考のまとまらないうち、すぐ何とか附けなければならぬ。始めは「誰と?」と聞かうとしたが、聞かぬ前にいや「何時《なんじ》頃?」の方が便宜ではあるまいかと思ふ。一層《いつそ》「僕も行つた」と打つて出《で》樣《やう》か知ら、さうしたら先方の答次第で萬事が明暸になる。然しそれも入《い》らぬ事だ。――小野さんは胸の上、咽喉の奧でしばらく押問答をする。其間に甲野さんは細い杖の先を一尺ばかり動かした。杖のあとに動くものは足である。此相圖をちらりと見て取つた小野さんはもう駄目だ、よさうと咽喉の奧で折角の計畫をほごして仕舞ふ。爪の垢《あか》程|先《せん》を制せられても、取り返しを付け樣と意思を働かせない人は、ヘ育の力では翻へす事の出來ぬ宿命論者である。
 「まあ行き給へ」と又甲野さんが云ふ。催促される樣な氣持がする。運命が左へと指圖をしたらしく感じた時、後《うしろ》から押すものがあれば、すぐ前へ出る。
 「ぢやあ……」と小野さんは帽子をとる。
 「さうか、ぢやあ失敬」と細い杖は空間を二尺|許《ばか》り小野さんから遠退《とほの》いた。一歩門へ近寄つた小野さんの靴は同時に一歩杖に牽かれて故《もと》へ歸る。運命は無限の空間に甲野さんの杖と小野さんの足を置いて、一尺の間隔を爭はしてゐる。此杖と此靴は人格である。我等の魂は時あつて靴の踵に宿り、時あつて杖の先に潜む。魂を描《ゑが》く事を知らぬ小説家は杖と靴とを描く。
 一歩の空間を行き盡した靴は、光る頭《かうべ》を回《めぐ》らして、棄身に細い體を大地に托した杖に問ひかけた。
 「藤尾さんも、昨夕《ゆうべ》一所に行つたのかい」
 棒の如く眞直に立ち上がつた杖は答へる。
 「あゝ、藤尾も行つた。――ことに因ると今日は下讀が出來てゐないかも知れない」
 細い杖は地に着くが如く、又地を離るゝが如く、立つと思へば傾むき、傾むくと思へば立ち、無限の空間を刻んで行く。光る靴は突き込んだ頭に薄い泥を心持わるく被つた儘、遠慮勝に門内の砂利を踏んで玄關に掛《か》ゝる。
 小野さんが玄關に掛かると同時に、藤尾は椽の柱に倚りながら、席に返らぬ爪先を、雨戸引く溝の上に翳して、手廣く圍ひ込んだ庭の面を眺めてゐる。藤尾が椽の柱に倚りかゝる餘程前から、謎の女は立て切つた一間《ひとま》のうちで、鳴る鐵瓶を相手に、行く春の行き盡さぬ間《ま》を、根《こん》限り考へてゐる。
 欽吾はわが腹を痛めぬ子である。――謎の女の考は、凡《すべ》て此一句から出立する。此一句を布衍《ふえん》すると謎の女の人生觀になる。人生觀を摯竄キると宇宙觀が出來る。謎の女は毎日鐵瓶の音《ね》を聞いては、六疊敷の人生觀を作り宇宙觀を作つてゐる。人生觀を作り宇宙觀を作るものは閑のある人に限る。謎の女は絹布團の上で其日/\を送る果報な身分である。
 居住《ゐずまひ》は心を正す。端然《たんねん》と戀に焦《こが》れ給ふ雛《ひゝな》は、蟲が喰ふて鼻が缺けても上品である。謎の女はしとやかに坐る。六疊敷の人生觀も亦しとやかでなくてはならぬ。
 老いて夫《をつと》なきは心細い。かゝるべき子なきは猶更《なほさら》心細い。かゝる子が他人なるは心細い上に忌《いま》はしい。かゝるべき子を持ちながら、他人にかゝらねばならぬ掟《おきて》は忌はしいのみか情《なさ》けない。謎の女は自《みづから》を情《なさけ》ない不幸の人と信じてゐる。
 他人でも合はぬとは限らぬ。醤油と味淋《みりん》は昔から交つてゐる。然し酒と烟草を一所に呑めば咳が出る。親の器《うつは》の方圓に應じて、盛らるゝ水の調子を合はせる欽吾ではない。日を經れば日を重ねて隔りの關が出來る。此頃は江戸の敵《かたき》に長崎で巡り逢つた樣な心持がする。學問は立身出世の道具である。親の機嫌に逆《さから》つて、師走《しはす》正月の拍子をはづす爲めの修業ではあるまい。金を掛けてわざ/\變人になつて、學校を出ると世間に通用しなくなるのは不名誉である。外聞がわるい。嗣子《しし》としては不都合と思ふ。こんなものに死水を取つて貰ふ氣もないし、又取る程の働のある筈がない。
 幸と藤尾がゐる。冬を凌ぐ女竹《めだけ》の、吹き寄せて夜《よ》を積る粉雪をぴんと撥《は》ねる力もある。十目《じふもく》を街頭に集むる春の姿に、蝶を縫ひ花を浮かした派出《はで》な衣裳も着せてある。わが子として押し出す世間は廣い。晴れた天下を、晴れやかに練り行くを、迷ふは人の隨意である。三國一の婿と名乘る誰彼を、迷はしてこそ、焦《じ》らしてこそ、育て上げた母の面目は揚る。海鼠《なまこ》の氷つた樣な他人にかゝるよりは、羨しがられて華麗《はなやか》に暮れては明ける實の娘の月日に添ふて墓に入るのが順路である。
 蘭は幽谷に生じ、劔は烈士に歸す。美くしき娘には、名ある聟を取らねばならぬ。申込は澤山あるが、娘の氣に入らぬものは、自分の氣に入らぬものは、役に立たぬ。指の太さに合はぬ指輪は貰つても捨てる許《ばかり》である。大き過ぎても小さ過ぎても聟には出來ぬ。從つて聟は今日《こんにち》迄《まで》出來ずに居た。燦《さん》として群がるものゝうちに只一人小野さんが殘つてゐる。小野さんは大變學問のできる人だと云ふ。恩賜の時計を頂いたと云ふ。もう少し立つと博士になると云ふ。のみならず愛嬌があつて親切である。上品で調子がいゝ。藤尾の聟として耻づかしくはあるまい。世話になつても心持がよからう。
 小野さんは申分《まをしぶん》のない聟である。只財産のないのが缺點である。然し聟の財産で世話になるのは、如何に氣に入つた男でも幅が利かぬ。無一物の某《それがし》を入れて、大人《おとな》しく嫁姑を大事にさせるのが、藤尾の都合にもなる、自分の爲でもある。一つ困る事は其財産である。夫《をつと》が外國で死んだ四ケ月後の今日は當然欽吾の所有に歸して仕舞つた。魂膽はこゝから始まる。
 欽吾は一文の財産も入らぬと云ふ。家も藤尾に遣ると云ふ。義理の着物を脱いで便利の赤裸《はだか》になれるものなら、降つて湧いた温泉へ得たり賢こしと飛び込む氣にもなる。然し體裁に着る衣裳はさう無雜作に剥ぎ取れるものではない。降りさうだから傘《かさ》をやらうと投げ出した時、二本あれば遠慮をせぬが世間であるが、見す/\呉れる人が濡れるのを構はずに我儘な手を出すのは人の思《おも》はくもある。そこに謎が出來る。呉れると云ふのは本氣で云ふ嘘で、取らぬ顔付を見せるのも隣近所への申譯に過ぎない。欽吾の財産を欽吾の方から無理に藤尾に讓るのを、厭々ながら受取つた顔付に、文明の手前を繕《つくろ》はねばならぬ。そこで謎が解ける。呉れると云ふのを、呉れたくない意味と解いて、貰ふ料簡で貰はないと主張するのが謎の女である。六疊敷の人生觀は頗る複雜である。
 謎の女は問題の解決に苦しんでとう/\六疊敷を出た。貰ひたいものを飽く迄貰はないと主張して、しかも一日も早く貰つて仕舞ふ方法は微分積分でも容易に發見の出來ぬ方法である。謎の女が苦し紛れの屈託顔に六疊敷を出たのは、焦慮《じれつた》いが高《かう》じて、布團の上に坐《ゐ》たたまれないからである。出て見ると春の日は存外|長閑《のどか》で、平氣に鬢を嬲《なぶ》る温風はいやに人を馬鹿にする。謎の女は愈《いよ/\》氣色《きしよく》が惡くなつた。
 椽を左に突き當れば西洋館で、應接間につづく一部屋は欽吾が書齋に使つてゐる。右は鍵の手に折れて、折れたはづれの南に突き出した六疊が藤尾の居間となる。
 菱餠の底を渡る氣で眞直な向ふ角を見ると藤尾が立つてゐる。濡色に捌《さば》いた濃き鬢のあたりを、栂《つが》の柱に壓《お》し付けて、斜めに持たした艶《えん》な姿の中程に、帶深く差し込んだ手頸|丈《だけ》が白く見える。萩に伏し薄《すゝき》に靡く故里《ふるさと》を流離人《さすらひびと》はこんな風に眺める事がある。故里《ふるさと》を離れぬ藤尾は何を眺めて居るか分らない。母は椽を曲つて近寄つた。
 「何を考へてゐるの」
 「おや、御母《おつか》さん」と斜めな身體を柱から離す。振り返つた眼付には愁の影さへもない。我《が》の女と謎の女は互に顔を見合した。實の親子である。
 「どうかしたのかい」と謎が云ふ。
 「何故」と我《が》が聞き返す。
 「だつて、何だか考へ込んでゐるからさ」
 「何にも考へて居やしません。庭の景色《けしき》を見て居たんです」
 「さう」と謎は意味のある顔付をした。
 「池の緋鯉が跳ねますよ」と我《が》は飽く迄も主張する。成程濁つた水のなかで、ぽちやりと云ふ音がした。
 「おや/\。――御母《おつか》さんの部屋では少しも聞えないよ」
 聞えないんではない。謎で夢中になつてゐたのである。
 「さう」と今度は我《が》の方で意味のある顔付をする。世は樣々である。
 「おや、もう蓮の葉が出たね」
 「えゝ。まだ氣が付かなかつたの」
 「いゝえ。今|始《はじめ》て」と謎が云ふ。謎ばかり考へてゐるものは迂濶《うくわつ》である。欽吾と藤尾の事を引き拔くと頭は眞空になる。蓮の葉どころではない。
 蓮の葉が出たあとには蓮の花が咲く。蓮の花が咲いたあとには蚊帳《かや》を疊んで藏へ入れる。夫《それ》から蟋蟀《こほろぎ》が鳴く。時雨《しぐ》れる。木枯《こがらし》が吹く。……謎の女が謎の解決に苦しんでゐるうちに世の中は變つて仕舞ふ。それでも謎の女は一つ所に坐つて謎を解く積《つもり》でゐる。謎の女は世の中で自分程賢いものはないと思つてゐる。迂濶《うくわつ》だ抔《など》とは夢にも考へない。
 緋鯉ががぽちやりと又跳ねる。薄濁のする水に、泥は沈んで、上皮|丈《だけ》は輕く温《ぬる》む底から、朦朧と朱《あか》い影が靜かな土を動かして、浮いて來る。滑らかな波にきらりと射す日影を崩さぬ程に、尾を搖《ゆ》つて居るかと思ふと、思ひ切つてぽんと水を敲いて飛びあがる。一面に揚《あが》る泥の濃きうちに、幽《かす》かなる朱《あか》いものが影を潜めて行く。温《ぬる》い水を脊に押し分けて去る痕《あと》は、一筋のうねりを見せて、去年の蘆を風なきに嬲《なぶ》る。甲野さんの日記には鳥入雲無迹《とりいつてくもにあとなく》、魚行水有紋《うをゆいてみづにもんあり》と云ふ一聯が律にも絶句にもならず、其儘楷書でかいてある。春光は天地を蔽はず、任意に人の心を悦ばしむ。只謎の女には幸せぬ。
 「何だつて、あんなに跳ねるんだらうね」と聞いた。謎の女が謎を考へる如く、緋鯉も無暗に跳ねるのであらう。醉狂と云へば双方とも醉狂である。藤尾は何とも答へなかつた。
 浮き立ての蓮の葉を稱して支那の詩人は青錢《せいせん》を疊むと云つた。錢《ぜに》の樣な重い感じは無論ない。然し水際に始めて昨日、今日の嫩《わか》い命を托して、娑婆の風に薄い顔を曝すうちは錢の如く細かである。色も全く青いとは云へぬ。美濃紙の薄きに過ぎて、重苦しと碧《みどり》を厭ふ柔らかき茶に、日毎に冒す緑青《ろくしやう》を交ぜた葉の上には、鯉の躍つた、春の名殘が、吹けば飛ぶ、置けば崩れぬ珠となつて轉がつてゐる。――答をせぬ藤尾は只眼前の景色《けしき》を眺める。鯉は又躍つた。
 母は無意味に池の上を?《みつめ》て居たが、やがて氣を換へて
 「近頃、小野さんは來ない樣だね。どうかしたのかい」と聞いて見る。
 藤尾は屹と向き直つた。
 「どうしたんですか」と凝《じつ》と母を見た上で、澄して又庭の方へ眸を反《そ》らす。母はおやと思ふ。先《さつき》の鯉が薄赤く浮葉の下を通る。葉は氣輕に動く。
 「來《こ》ないなら、何とか云つて來《き》さうなもんだね。病氣でもしてゐるんぢやないか」
 「病氣だつて?」と藤尾の聲は疳走る程に高かつた。
 「いゝえさ。病氣ぢやないか〔三字傍点〕と聞くのさ」
 「病氣なもんですか」
 清水《きよみづ》の舞臺から飛び降りた樣な語勢は鼻の先でふゝんと留つた。母は又おやと思ふ。
 「あの人はいつ博士になるんだらうね」
 「何時《いつ》ですか」と餘所事《よそごと》の樣に云ふ。
 「御前《おまい》――あの人と喧嘩でもしたのかい」
 「小野さんに喧嘩が出來るもんですか」
 「さうさ、只ヘへて貰やしまいし、相當の禮をしてゐるんだから」
 謎の女には是より以上の解釋は出來ないのである。藤尾は返事を見合せた。
 昨夕《ゆうべ》の事を打ち明けて是々であつたと話して仕舞へば夫《それ》迄《まで》である。母は無論|躍起《やくき》になつて、此方《こつち》に同情するに違ない。打ち明けて都合が惡いとは露思はぬが、進んで同情を求めるのは、餓《うゑ》に逼つて、知らぬ人の門口《かどぐち》に、一錢二錢の憐《あはれみ》を乞ふのと大した相違はない。同情は我《が》の敵である。昨日《きのふ》迄《まで》舞臺に躍る操人形《あやつりにんぎやう》の樣に、物云ふも懶《ものう》きわが小指の先で、意の如く立たしたり、寐かしたり、果は笑はしたり、焦《じ》らしたり、どぎまぎ〔四字傍点〕さして、面白く興じて居た手柄顔を、母も天晴《あつぱ》れと、うごめかす鼻の先に、得意の見榮《みえ》をぴくつかせてゐたものを、――あれは、ほんの表向で、内實の昨夕《ゆうべ》を見たら、招く薄《すゝき》は向《むかふ》へ靡く。知らぬ顔の美しい人と、睦じく御茶を飲んで居たと、心外な葢《ふた》をとれば、母の手前で器量が下がる。我《が》が承知が出來ぬと云ふ。外《そ》れた鷹なら見限《みきり》をつけてもう入らぬと話す。あとを跟《つ》けて鼻を鳴らさぬ樣な犬ならば打ち遣つた後で、捨てゝ來たと公言する。小野さんの不心得はそこ迄は進んで居らぬ。放《はふ》つて置けば歸るかも知れない。いや歸るに違ないと、小夜子と自分を比較した我《が》が證言して呉れる。歸つて來た時に辛《から》い目に逢はせる。辛《から》い目に逢はせた後で、立たしたり、寐かしたりする。笑はしたり、焦《じ》らしたり、どぎまぎ〔四字傍点〕さしたりする。さうして、面白さうな手柄顔を、母に見せれば母への面目は立つ。兄と一《はじめ》に見せれば、兩人《ふたり》への意趣返しになる。――夫《それ》迄《まで》は話すまい。藤尾は返事を見合せた。母は自分の誤解を悟る機會を永久に失つた。
 「先《さつ》き欽吾が來やしないか」と母は又質問を掛ける。鯉は躍る。蓮は芽を吹く、芝生はしだいに青くなる、辛夷《こぶし》は朽ちた。謎の女はそんな事に頓着はない。日となく夜となく欽吾の幽靈で苦しめられてゐる。書齋に居れば何をしてゐるかと思ひ、考へて居れば何を考へてゐるかと思ひ、藤尾の所へ來れば、どんな話をしに來たのかと思ふ。欽吾は腹を痛めぬ子である。腹を痛めぬ子に油斷は出來ぬ。是が謎の女の先天的にヘはつた大眞理である。此眞理を發見すると共に謎の女は神經衰弱に罹つた。神經衰弱は文明の流行病である。自分の神經衰弱を濫用《らんよう》すると、わが子迄も神經衰弱にして仕舞ふ。さうしてあれの病氣にも困り切りますと云ふ。感染したものこそいゝ迷惑である。困り切るのは何方《どつち》の云ひ分《ぶん》か分らない。たゞ謎の女の方では、飽く迄も欽吾に困り切つてゐる。
 「さつき欽吾が來やしないか」と云ふ。
 「來たわ」
 「どうだい樣子は」
 「矢つ張り相變らずですわ」
 「あれにも、本當に……」で薄く八の字を寄せたが、
 「困り者だね」と切つた時、八の字は見る/\深くなつた。
 「何でも奧齒に物の挾《はさま》つた樣な皮肉ばかり云ふんですよ」
 「皮肉なら好いけれども、時々氣の知れない囈語《ねごと》を云ふにや困るぢやないか。何でも此頃は樣子が少し變だよ」
 「あれが哲學なんでせう」
 「哲學だか何だか知らないけれども。――先《さつ》き何か云つたかい」
 「えゝ又時計の事を……」
 「返せつて云ふのかい。一《はじめ》に遣らうがやるまいが餘計な御世話ぢやないか」
 「今どつかへ出掛けたでせう」
 「どこへ行つたんだらう」
 「屹度《きつと》宗近へ行つたんですよ」
 對話が此所迄進んだ時、小野さんが入らつしやいましたと下女が兩手をつかへる。母は自分の部屋へ引き取つた。
 椽側を曲つて母の影が障子のうちに消えたとき、小野さんは内玄關《ないげんくわん》の方から、茶の間の横を通つて、次の六疊を、廊下へ廻らず拔けて來る。
 磬《けい》を打つて入室相見《にふしつしやうけん》の時、足音を聞いた丈《だけ》で、公案の工夫が出來たか、出來ないか、手に取る樣にわかるものぢやと云つた和尚がある。氣の引けるときは歩き方にも現はれる。獣《けもの》にさへ屠所《としよ》のあゆみと云ふ諺《ことわざ》がある。參禪《さんぜん》の衲子《なふし》に限つた現象とは認められぬ。應用は才人小野さんの上にも利く。小野さんは常から世の中に氣兼をし過ぎる。今日は一入《ひとしほ》變である。落人《おちうど》は戰《そよ》ぐ芒《すゝき》に安からず、小野さんは輕く踏む青疊に、そと落す靴足袋《くつたび》の黒き爪先に憚りの氣を置いて這入つて來た。
 一睛《いつせい》を暗所《あんしよ》に點ぜず、藤尾は眼を上げなかつた。只疊に落す靴足袋の先をちらりと見た丈《だけ》ではゝあと悟つた。小野さんは座に着かぬ先から、もう舐《な》められてゐる。
 「今日《こんにち》は……」と座りながら笑ひかける。
 「入らつしやい」と眞面目な顔をして、始めて相手をまともに見る。見られた小野さんの眸はぐらついた。
 「御無沙汰をしました」とすぐ言譯を添へる。
 「いゝえ」と女は遮つた。只《たゞ》し夫《それ》限《ぎり》である。
 男は出鼻を挫かれた氣持で、何處から出直さうかと考へる。座敷は例の如く靜である。
 「大分《だいぶ》暖《あつた》かになりました」
 「えゝ」
 座敷のなかに此二句を點じた丈《だけ》で、後《あと》は故《もと》の如く靜になる。所へ鯉がぽちやりと又|跳《はね》る。池は東側で、小野さんの脊中に當る。小野さんは一寸振り向いて鯉が〔二字傍点〕と云はうとして、女の方を見ると、相手の眼は南側の辛夷《こぶし》に注《つ》いてゐる。――壺の如く長い瓣《はなびら》から、濃い紫が春を追ふて拔け出した後《あと》は、殘骸《なきがら》に空しき茶の汚染《しみ》を皺立てゝ、あるものはぽきりと絶えた萼《うてな》のみあらはである。
 鯉が〔二字傍点〕と云はうとした小野さんは又|廢《や》めた。女の顔は前よりも寄り付けない。――女は御無沙汰をした男から、御無沙汰をした譯を云はせる氣で、只いゝえ〔三字傍点〕と受けた。男は仕損《しま》つたと心得て、大分《だいぶ》暖《あつたか》になりましたと氣を換へて見たが、夫《それ》でも驗《げん》が見えぬので、鯉が〔二字傍点〕の方へ移らうとしたのである。男は踏み留まれる所迄滑つて行く氣で、氣を揉んでゐるのに、女は依然として故《もと》の所に坐つて動かない。知らぬ小野さんは又考へなければならぬ。
 四五日來なかつたのが氣に入らないなら、どうでもなる。昨夕《ゆうべ》博覽會で見付かつたなら少し面倒である。それにしても辯解の道はいくらでも付く。然し藤尾が果して自分と小夜子を、ぞろ/\動く黒い影の絶間なく入れ代るうちで認めたらうか。認められたら夫《それ》迄《まで》である。認められないのに、此方《こちら》から思ひ切つて持ち出すのは、肌を脱いで汚《むさ》い腫物《しゆもつ》を知らぬ人の鼻の前《さき》に臭《にほ》はせると同じ事になる。
 若い女と連れ立つて路を行くは當世である。只歩く丈《だけ》なら名譽にならうとも瑕疵《きず》とは云はせぬ。今宵《こよひ》限《かぎり》の朧《おぼろ》だものと、即興にそゝのかされて、他生《たしやう》の縁の袖と袂を、今宵限り擦り合せて、あとは知らぬ世の、黒い波のざわつく中に、西《にし》東《ひがし》首を埋《うづ》めて、あかの他人と化けて仕舞ふ。夫《それ》ならば差支ない。進んで斯うと話もする。殘念な事には、小夜子と自分は、碁盤の上に、譯もなく併《なら》べられた二つの石の引つ付く樣な淺い關係ではない。此方《こちら》から逃げ延びた五年の永き年月《としつき》を、向《むかふ》では離れじと、日《ひ》の間《ま》とも夜《よ》の間《ま》ともなく、繰り出す糸の、誠は赤き縁《えにし》の色に、細くとも是迄繋ぎ留められた仲である。
 只の女と云ひ切れば濟まぬ事もない。其代り、人も嫌ひ自分も好かぬ嘘となる。嘘は河豚汁《ふぐじる》である。其場限りで祟《たゝり》がなければ是程旨いものはない。然し中毒《あたつ》たが最後苦しい血も吐かねばならぬ。其上嘘は實《まこと》を手繰寄《たぐりよ》せる。黙つて居れば悟られずに、行き拔ける便《たより》もあるに、隱さうとする身繕《みづくろひ》、名繕《なづくろひ》、偖《さて》は素性繕《すじやうづくろひ》に、疑の眸の征矢《そや》はてつきり的《まと》と集《あつま》り易い。繕《つくろひ》は綻《ほころ》びるを持前とする。綻《ほころ》びた下から醜い正體が、それ見た事かと、現はれた時こそ、身の?《さび》は生涯洗はれない。――小野さんは是程の分別を持つた、利害の關係には暗からぬ利巧者である。西《にし》東《ひがし》隔たる京を縫ふて、五年の長き思の糸に括られてゐるわが情實は、目の前にすねて坐つた當人には話し度くない。少なくとも新らしい血に通ふ此頃の戀の脉が、調子を合せて、天下晴れての夫婦ぞと、二人の手頸《てくび》に暖たかく打つ迄は話し度くない。此情實を話すまいとすると、只の女と不知《しら》を切る當座の嘘は吐《つ》きたくない。嘘を吐《つ》くまいとすると、小夜子の事は名前さへも打ち明けたくない。――小野さんはしきりに藤尾の樣子を眺めてゐる。
 「昨夕《ゆうべ》博覽會へ御出《おいで》に……」と迄思ひ切つた小野さんは、御出になりましたか〔九字傍点〕にしやうか、御出になつたさうですね〔十一字傍点〕にしやうかの所で一寸ごとついた。
 「えゝ、行きました」
 迷つてゐる男の鼻面《はなづら》を掠めて、黒い影が颯《さつ》と横切つて過ぎた。男はあつと思ふ間《ま》に先《せん》を越されて仕舞ふ。仕方がないから、
 「奇麗でしたらう」とつける。奇麗でしたらうは詩人として餘り平凡である。口に出した當人も、是はひどいと自覺した。
 「奇麗でした」と女は明確《きつぱり》受け留める。後《あと》から
 「人間も大分《だいぶ》奇麗でした」と浴びせる樣に付け加へた。小野さんは思はず藤尾の顔を見る。少し見當がつき兼ねるので
 「さうでしたか」と云つた。當り障りのない答は大抵の場合に於て愚《ぐ》な答である。弱身のある時は、如何なる詩人も愚を以て自ら甘んずる。
 「奇麗な人間も大分《だいぶ》見ましたよ〔五字傍点〕」と藤尾は鋭どく繰り返した。何となく物騷な句である。なんだか無事に通り拔けられさうにない。男は仕方なしに口を緘《つぐ》んだ。女も留つた儘動かない。まだ白?しない氣かと云ふ眼つきをして小野さんを見てゐる。宗盛《むねもり》と云ふ人は刀を突きつけられてさへ腹を切らなかつたと云ふ。利害を重んずる文明の民が、さう輕卒に自分の損になる事を陳述する譯がない。小野さんはもう少し敵の動靜を審《つまびらか》にする必要がある。
 「誰か御伴《おつれ》がありましたか」と何氣なく聽いて見る。
 今度は女の返事がない。どこ迄も一つ關所を守つてゐる。
 「今、門の所で甲野さんに逢つたら、甲野さんも一所に行つたさうですね」
 「それ程知つて入らつしやる癖に、何で御尋ねになるの」と女はつんと拗《す》ねた。
 「いえ、別に御伴《おつれ》でもあつたのかと思つて」と小野さんは、うまく逃げる。
 「兄の外にですか」
 「えゝ」
 「兄に聞いて御覽になればいゝのに」
 機嫌は依然として惡いが、うまくすると、どうか、かうか渦の中を漕ぎ拔けられさうだ。向ふの言葉にぶら下がつて、徃つたり來たりするうちに、いつの間《ま》にやら平地《ひらち》へ出る事がある。小野さんは今迄毎度此手で成功してゐる。
 「甲野君に聞かうと思つたんですけれども、早く上がらうとして急いだもんですから」
 「ホヽヽ」と突然藤尾は高く笑つた。男はぎよつとする。其隙に
 「そんなに忙《いそが》しいものが、何で四五日無屆缺席をしたんです」と飛んで來た。
 「いえ、四五日大變忙しくつて、どうしても來られなかつたんです」
 「晝間も」と女は肩を後《うしろ》へ引く。長い髪が一筋毎に活きてゐる樣に動く。
 「えゝ?」と變な顔をする。
 「晝間もそんなに忙《いそが》しいんですか」
 「晝間つて……」
 「ホヽヽヽヽまだ分らないんですか」と今度は又庭迄響く程に疳高く笑ふ。女は自由自在に笑ふ事が出來る。男は茫然としてゐる。
 「小野さん、晝間もイルミネーシヨンがありますか」と云つて、兩手を大人《おとな》しく膝の上に重ねた。燦《さん》たる金剛石《だいやもんど》がぎらりと痛く、小野さんの眼に飛び込んで來る。小野さんは竹箆《しつぺい》でぴしやりと頬邊《ほゝぺた》を叩かれた。同時に頭の底で見られた〔四字傍点〕と云ふ音がする。
 「あんまり、勉強なさると却つて金時計が取れませんよ」と女は澄した顔で疊み掛ける。男の陣立は總崩《そうくづれ》となる。
 「實は一週間前に京都から故《もと》の先生が出て來たものですから……」
 「おや、さう、些《ちつ》とも知らなかつたわ。夫《それ》ぢや御忙《おいそがし》い譯ね。さうですか。さうとも知らずに、飛んだ失禮を申しまして」と嘯《うそぶ》きながら頭を低《た》れた。緑の髪が又動く。
 「京都に居つた時、大變世話になつたものですから……」
 「だから、いゝぢやありませんか、大事にして上げたら。――私はね。昨夕《ゆうべ》兄と一《はじめ》さんと糸子さんと一所に、イルミネーシヨンを見に行つたんですよ」
 「あゝ、さうですか」
 「えゝ、さうして、あの池の邊《ふち》に龜屋の出店があるでせう。――ねえ知つて入らつしやるでせう、小野さん」
 「えゝ――知つて――居ます」
 「知つて入らつしやる。――入らつしやるでせう。あすこで皆《みんな》して御茶を飲んだんです」
 男は席を立ちたくなつた。女はわざと落ち付いた風を、飽く迄も粧《よそほ》ふ。
 「大變|旨《おいし》い御茶でした事。あなた、まだ御這入《おはいり》になつた事はないの」
 小野さんは黙つてゐる。
 「まだ御這入《おはいり》にならないなら、今度《こんだ》是非其京都の先生を御案内なさい。私も又|一《はじめ》さんに連れて行つて貰ふ積《つもり》ですから」
 藤尾は一さん〔三字傍点〕と云ふ名前を妙に響かした。
 春の影は傾《かたぶ》く。永き日は、永くとも二人の專有ではない。床に飾つたマジヨリカの置時計が絶えざる對話を此一句にちん〔二字傍点〕と切つた。三十分程してから小野さんは門外へ出る。其|夜《よ》の夢に藤尾は、驚くうちは樂《たのしみ》がある! 女は仕合《しあはせ》なものだ! と云ふ嘲《あざけり》の鈴《れい》を聽かなかつた。
 
     十三
 
 太い角柱を二本立てゝ門と云ふ。扉はあるかないか分らない。夜中郵便《やちゆういうびん》と書いて板塀に穴があいてゐる所を見ると夜《よる》は締りをするらしい。正面に芝生を土饅頭《どまんぢゆう》に盛り上げて市《いち》を遮ぎる翠《みどり》を傘《からかさ》と張る松を格《かた》の如く植ゑる。松を廻れば、弧線を描《ゑが》いて、頭の上に合ふ玄關の廂《ひさし》に、浮彫の波が見える。障子は明け放つた儘である。呑氣《のんき》な白襖に舞樂の面《めん》程な草體を、大雅堂流の筆勢で、無殘に書き散らして、座敷との仕切《しきり》とする。
 甲野さんは玄關を右に切れて、下駄箱の透《す》いて見える格子をそろりと明けた。細い杖の先で合土《たゝき》の上をこち/\叩いて立つてゐる。頼むとも何とも云はぬ。無論應ずるものはない。屋敷のなかは人の住む氣合《けあひ》も見えぬ程にしんとしてゐる。門前を通る車の方が却つて賑やかに聞える。細い杖の先がこち/\鳴る。
 やがて靜かなうちで、すうと唐紙が明く音がする。清《きよ》や/\と下女を呼ぶ。下女は居ないらしい。足音は勝手の方に近付いて來た。杖の先はこち/\と云ふ。足音は勝手から内玄關《ないげんくわん》の方へ拔け出した。障子があく。糸子と甲野さんは顔を見合せて立つた。
 下女も居り書生も置く身は、氣輕く構へても滅多に取次に出る事はない。出《で》樣《やう》と思ふ間《ま》に、立てかけた膝を卸して、一針でも二針でも縫糸が先へ出るが常である。重たき琵琶の抱《だ》き心地と云ふ永い晝が、永きに堪へず崩れんとするを、鳴く?《あぶ》にうつとりと夢を支へて、清《きよ》を呼べば、清は裏へでも行つたらしい。からりとした勝手には茶釜|許《ばかり》が靜かに光つてゐる。黒田さんは例のごとく、書生部屋で、坊主頭を腕の中に埋《うづ》めて、机の上に猫の樣に寐て居るだらう。立ち退《の》いた空屋敷《あきやしき》とも思はるゝなかに、内玄關《ないげんくわん》でこち/\音がする。はてなと何氣なく障子を明けると――廣い世界にたつた一人の甲野さんが立つてゐる。格子から差す戸外《そと》の日影を脊に受けて、薄暗く高い身を、合土《たゝき》の眞中に動かしもせず、頻りに杖を鳴らしてゐる。
 「あら」
 同時に杖の音《ね》はとまる。甲野さんは帽の廂《ひさし》の下から女の顔を久しぶりの樣に見た。女は急に眼をはづして、細い杖の先を眺める。杖の先から熱いものが上《のぼ》つて、顔がぽうとほてる。油を拔いて、爲すが儘にふくらました髪を、落すが如く前に、糸子は腰を折つた。
 「御出《おいで》?」と甲野さんは言葉の尻を上げて簡單に聞く。
 「今一寸」と答へたのみで、苦のない二重瞼《ふたへまぶち》に愛嬌の波が寄つた。
 「御留守ですか。――阿爺《おとつ》さんは」
 「父は謠の會で朝から出ました」
 「さう」と男は長い體?《からだ》を、半分回して、横顔を糸子の方へ向けた。
 「まあ、御這入《おはいり》、――兄はもう歸りませう」
 「難有《ありがた》う」と甲野さんは壁に物を云ふ。
 「どうぞ」と誘ひ込む樣に片足を後《あと》へ引いた。着物はあらい縞の銘仙である。 「難有《ありがた》う」
 「どうぞ」
 「どこへ行つたんです」と甲野さんは壁に向けた顔を、少し女の方へ振り直す。後《うしろ》から掠《かす》めて來る日影に、蒼い頬が、氣の所爲《せゐ》か、昨日《きのふ》より少し瘠《こ》けた樣だ。
 「散歩でせう」と女は首を傾けて云ふ。
 「私《わたし》も今散歩した歸りだ。大分《だいぶ》歩いて疲れて仕舞つて……」
 「ぢや、少し上がつて休んで居らつしやい。もう歸る時分ですから」
 話は少しづゝ延びる。話の延びるのは氣の延びた證據である。甲野さんは粗柾《あらまさ》の俎下駄《まないたげた》を脱いで座敷へ上がる。
 長押作《なげしづく》りに重い釘隱《くぎかくし》を打つて、動かぬ春の床には、常信《つねのぶ》の雲龍《うんりゆう》の圖を奧深く掛けてある。薄黒く墨を流した絹の色を、角《かく》に取り卷く紋緞子《もんどんす》の藍に、寂《さ》びたる時代は、象牙の軸さへも落ち付いてゐる。唐獅子を青磁に鑄《い》る、口《くち》許《ばかり》なる香爐を、どつかと据ゑた尺餘の卓は、木理《はだ》に光澤《つや》ある膏《あぶら》を吹いて、茶を紫に、紫を黒に渡る、胡麻《ごま》濃《こま》やかな紫檀である。
 椽に遅日多し、世を只管《ひたすら》に寒がる人は、端近く絣の前を合せる。亂菊に襟晴れがましきを豐なる顎に壓《お》し付けて、面と向ふ障子の明《あきらか》なるを眩《まばゆ》く思ふ女は入口に控へる。八疊の座敷は眇たる二人を離れ離れに容れて廣過ぎる。間は六尺もある。
 忽然として黒田さんが現れた。小倉の襞《ひだ》を飽く迄潰した袴の裾から赭黒《あかぐろ》い足をによき/\と運ばして、茶を持つて來る。烟草盆を持つて來る。菓子鉢を持つて來る。六尺の距離は格《かた》の如く埋《うづ》められて、主客の位地は辛うじて、接待の道具で繋がれる。忽然として午睡の夢から起きた黒田さんは器械的に縁《えにし》の糸を二人の間に渡した儘、朦朧たる精神を毬栗頭《いがぐりあたま》の中に封じ込めて、再び書生部屋へ引き下がる。あとは故《もと》の空屋敷《あきやしき》となる。
 「昨夕《ゆうべ》は、どうでした。疲れましたらう」
 「いゝえ」
 「疲れない? 私《わたし》より丈夫だね」と甲野さんは少し笑ひ掛けた。
 「だつて、徃復《ゆきかり》共電車ですもの」
 「電車は疲れるもんですがね」
 「どうして」
 「あの人で。あの人で疲れます。さうでも無いですか」
 糸子は丸い頬に片靨《かたゑくぼ》を見せた許《ばかり》である。返事はしなかつた。
 「面白かつたですか」と甲野さんが聞く。
 「えゝ」
 「何が面白かつたですか。イルミネーシヨンがですか」
 「えゝ、イルミネーシヨンも面白かつたけれども……」
 「イルミネーシヨンの外に何か面白いものが有つたんですか」
 「えゝ」
 「何が」
 「でも可笑《をか》しいわ」と首を傾《かた》げて愛らしく笑つてゐる。要領を得ぬ甲野さんも何となく笑ひたくなる。
 「何ですか其面白かつたものは」
 「云つて見ませうか」
 「云つて御覽なさい」
 「あの、皆《みんな》して御茶を飲んだでせう」
 「えゝ、あの御茶が面白かつたんですか」
 「御茶ぢやないんです。御茶ぢやないんですけれどもね」
 「あゝ」
 「あの時小野さんが居らしつたでせう」
 「えゝ、居ました」
 「美しい方《かた》を連れて居らしつたでせう」
 「美しい? さう。若い人と一所の樣でしたね」
 「あの方を御存じでせう」
 「いゝえ、知らない」
 「あら。だつて兄がさう云ひましたわ」
 「そりや顔を知つてると云ふ意味なんでせう。話をした事は一遍もありません」
 「でも知つてゐらつしやるでせう」
 「ハヽヽヽ。どうしても知つてなければならないんですか。實は逢つた事は何遍もあります」
 「だから、さう云つたんですわ」
 「だから何と」
 「面白かつたつて」
 「何故」
 「何故でも」
 二重瞼《ふたへまぶた》に寄る波は、寄りては崩れ、崩れては寄り、黒い眸を、見よがしに弄《もてあそ》ぶ。繁き若葉を洩る日影の、錯落《さくらく》と大地に鋪《し》くを、風は枝頭《しとう》を搖《うご》かして、ちらつく苔の定かならぬ樣である。甲野さんは糸子の顔を見た儘、何故《なぜ》の説明を求めなかつた。糸子も進んで何故《なぜ》の譯を話さなかつた。何故〔二字傍点〕は愛嬌のうちに溺れて、要領を得る前に、行方《ゆくへ》を隱して仕舞つた。
 塗り立てゝ瓢箪形《へうたんなり》の池淺く、焙烙《はうろく》に熬《い》る玉子の黄味に、朝夕《あさゆふ》を樂しく暮す金魚の世は、尾を振り立てゝ藻に潜《もぐ》るとも、起つ波に身を攫《さらは》るゝ憂はない。鳴戸を拔ける鯛の骨は潮に揉まれて年々《とし/”\》に硬くなる。荒海の下は地獄へ底拔けの、行くも歸るも徒事《いたづらごと》では通れない。只|廣海《ひろうみ》の荒魚《あらうを》も、三つ尾の丸《まる》つ子《こ》も、同じ箱に入れられゝば、水族館に隣合《となりあはせ》の友となる。隔たりの關は見えぬが、仕切る硝子は透き通りながら、突き拔け樣とすれば鼻頭《はなづら》を痛める許《ばかり》である。海を知らぬ糸子に、海の話は出來ぬ。甲野さんはしばらく瓢箪形《へうたんなり》に應對をしてゐる。
 「あの女はそんなに美人でせうかね」
 「私は美《うつくし》いと思ひますわ」
 「さうかな」と甲野さんは椽側の方を見た。野面《のづら》の御影《みかげ》に、乾かぬ露が降りて、いつ迄も濕《しつ》とりと眺められる徑《わたし》二尺の、縁《ふち》を擇んで、鷺草《さぎさう》とも菫とも片づかぬ花が、數を乏しく、行く春を偸んで、ひそかに咲いて居る。
 「美しい花が咲いて居る」
 「何處に」
 糸子の目には正面の赤松と根方《ねがた》にあしらつた熊笹が見えるのみである。
 「何處に」と暖い顎を延ばして向《むかふ》を眺める。
 「あすこに。――其所からは見えない」
 糸子は少し腰を上げた。長い袖をふら付かせながら、二三歩膝頭で椽に近く擦り寄つて來る。二人の距離が鼻の先に逼ると共に微《かす》かな花は見えた。
 「あら」と女は留る。
 「奇麗でせう」
 「えゝ」
 「知らなかつたんですか」
 「いゝえ、些《ちつ》とも」
 「あんまり小《ちひ》さいから氣が付かない。何時《いつ》咲いて、何時《いつ》消えるか分らない」
 「矢つ張桃や櫻の方が奇麗でいゝのね」
 甲野さんは返事をせずに、只口のうちで
 「憐れな花だ」と云つた。糸子は黙つてゐる。
 「昨夜《ゆうべ》の女の樣な花だ」と甲野さんは重ねた。
 「どうして」と女は不審さうに聞く。男は長い眼を翻へして昵《じつ》と女の顔を見てゐたが、やがて、
 「あなたは氣樂でいゝ」と眞面目に云ふ。
 「さうでせうか」と眞面目に答へる。
 賞められたのか、腐《くさ》されたのか分らない。氣樂か氣樂でないか知らない。氣樂がいゝものか、わるいものか解《かい》し難《にく》い。只甲野さんを信じてゐる。信じてゐる人が眞面目に云ふから、眞面目にさうでせうかと云ふより外に道はない。
 文《あや》は人の目を奪ふ。巧は人の目を掠める。質は人の目を明かにする。さうでせうか〔六字傍点〕を聞いた時、甲野さんは何となく難有《ありがた》い心持がした。直下《ぢきげ》に人の魂を見るとき、哲學者は理解《りげ》の頭《かしら》を下げて、無念とも何とも思はぬ。
 「いゝですよ。それでいゝ。それで無くつちや駄目だ。いつ迄もそれでなくつちや駄目だ」
 糸子は美くしい齒を露はした。
 「どうせ斯うですわ。何時《いつ》迄《まで》立つたつて、斯うですわ」
 「さうは行かない」
 「だつて、是が生れ付なんだから、何時《いつ》迄《まで》立つたつて、變り樣がないわ」
 「變ります。――阿爺《おとつさん》と兄さんの傍《そば》を離れると變ります」
 「どうしてでせうか」
 「離れると、もつと利口に變ります」
 「私《わたし》もつと利口になりたいと思つてるんですわ。利口に變れば變る方がいゝんでせう。どうかして藤尾さんの樣になりたいと思ふんですけれども、こんな馬鹿だものだから……」
 甲野さんは世に氣の毒な顔をして糸子のあどけない口元を見てゐる。
 「藤尾がそんなに羨しいんですか」
 「えゝ、本當に羨ましいわ」
 「糸子さん」と男は突然優しい調子になつた。
 「なに」と糸子は打ち解けてゐる。
 「藤尾の樣な女は今の世に有過ぎて困るんですよ。氣を付けないと危《あぶ》ない」
 女は依然として、肉餘る瞼《まぶた》を二重《ふたへ》に、愛嬌の露を大きな眸の上に滴《したゝら》してゐるのみである。危《あぶ》ないといふ氣色《けしき》は影さへ見えぬ。
 「藤尾が一人出ると昨夕《ゆうべ》の樣な女を五人殺します」
 鮮かな眸に滴るものはぱつと散つた。表情は咄嗟《とつさ》に變る。殺す〔二字傍点〕と云ふ言葉は左程《さほど》に怖しい。――其他の意味は無論分らぬ。
 「あなたは夫《それ》で結構だ。動くと變ります。動いてはいけない」
 「動くと?」
 「えゝ、戀をすると變ります」
 女は咽喉から飛び出しさうなものを、ぐつと嚥《の》み下《くだ》した。顔は眞赤《まつか》になる。
 「嫁に行くと變ります」
 女は俯向《うつむ》いた。
 「夫《それ》で結構だ。嫁に行くのは勿體《もつたい》ない」
 可愛らしい二重瞼がつゞけ樣に二三度またたいた。結んだ口元をちよろ/\と雨龍《あまりよう》の影が渡る。鷺草とも菫とも片付かぬ花は依然として春を乏《とも》しく咲いてゐる。
 
     十四
 
 電車が赤い札を卸して、ぶうと鳴つて來る。入れ代つて後《うしろ》から町内の風を鐵軌《レール》の上に追ひ捲くつて去る。按摩が隙《すき》を見計つて恐る/\向側《むかふがは》へ渡る。茶屋の小僧が臼を挽《ひ》きながら笑ふ。旗振《はたふり》の着るヘル地の織目は、埃が一杯溜つて、黄色にぼけてゐる。古本屋から洋服が出て來る。鳥打帽が寄席《よせ》の前に立つてゐる。今晩の語り物が塗板に白くかいてある。空は針線《はりがね》だらけである。一羽の鳶も見えぬ。上の靜なる丈《だけ》に下は頗る雜駁《ざつばく》な世界である。
 「おい/\」と大きな聲で後《うしろ》から呼ぶ。
 二十四五の夫人が一寸振り向いた儘行く。
 「おい」
 今度は印絆天《しるしばんてん》が向いた。
 呼ばれた本人は、知らぬ氣に、來る人を避《よ》けて早足に行く。拔き競《くら》をして飛んで來た二輛の人力に遮ぎられて、間は益《ます/\》遠くなる。宗近君は胸を出して馳け出した。寛《ゆる》く着た袷と羽織が、足を下《おろ》す度《たんび》に躍《をどり》を踴《をど》る。
 「おい」と後《うしろ》から手を懸ける。肩がぴたりと留まると共に、小野さんの細面《ほそおもて》が斜めに見えた。兩手は塞がつて居る。
 「おい」と手を懸けた儘肩をゆす振る。小野さんはゆす振られながら向き直つた。
 「誰かと思つたら……失敬」
 小野さんは帽子の儘鄭寧に會釋した。兩手は塞がつてゐる。
 「何を考へてるんだ。いくら呼んでも聽えない」
 「さうでしたか。些《ちつ》とも氣が付かなかつた」
 「急いでる樣で、しかも地面の上を歩いて居ない樣で、少し妙だよ」
 「何が」
 「君の歩行方《あるきかた》がさ」
 「二十世紀だから、ハヽヽヽ」
 「夫《それ》が新式の歩行方《あるきかた》か。何だか片足が新で片足が舊の樣だ」
 「實際斯う云ふものを提《さ》げて居ると歩行《あるき》にくいから……」
 小野さんは兩手を前の方へ出して、此通りと云はぬ許《ばかり》に、自分から下の方へ眼を着けて見せる。宗近君も自然と腰から下へ視線を移す。
 「何だい、夫《それ》は」
 「此方《こつち》が紙屑籠で、こつちが洋灯《らんぷ》の臺」
 「そんなハイカラな形姿《なり》をして、大きな紙屑籠なんぞを提《さ》げてるから妙なんだよ」
 「妙でも仕方がない、頼まれものだから」
 「頼まれて妙になるのは感心だ。君に紙屑籠を提《さ》げて徃來を歩く丈《だけ》の義侠心があるとは思はなかつた」
 小野さんは黙つて笑ながら御辭儀をした。
 「時に何處へ行くんだね」
 「是を持つて……」
 「夫《それ》を持つて歸るのかね」
 「いゝえ。頼まれたから買つて行つてやるんです。君は?」
 「僕はどつちへでも行く」
 小野さんは内心少々當惑した。急いでゐる樣で、しかも地面の上を歩行《あるい》てゐない樣だと、宗近君が云つたのは、正に現下の?態によく適合《あてはま》つた小野評である。靴に踏む大地は廣くもある、堅くもある、然し何となく踏み心地が確かでない。にも拘はらず急ぎたい。氣樂な宗近君|抔《など》に逢つては立話をするのさへ難義である。一所にあるかうと云はれると猶更《なほさら》困る。
 常でさへ宗近君に捕《つら》まると何となく不安である。宗近君と藤尾の關係を知る樣な知らぬ樣な間《ま》に、自分と藤尾との關係は成り立つて仕舞つた。表向《おもてむき》人の許嫁《いひなづけ》を盗んだ程の罪は犯さぬ積《つもり》であるが、宗近君の心は聞かんでも知れてゐる。露骨な人の立居振舞の折折にも、氣のある所はそれと推測が出來る。夫《それ》を裏から壞しに掛つたと迄は行かぬにしても、事實は宗近君の望を、われ故に、永久に鎖した譯になる。人情としては氣の毒である。
 氣の毒は是《これ》丈《だけ》で氣の毒である上に、宗近君が氣樂に構へて、毫も自分と藤尾の仲を苦にして居ないのが猶更《なほさら》の氣の毒になる。逢へば隔意なく話をする。冗談を云ふ。笑ふ。男子の本領を説く。東洋の經綸を論ずる。尤も戀の事は餘り語らぬ。語らぬと云はんより寧ろ語れぬのかも知れぬ。宗近君は恐らく戀の眞相を解《げ》せぬ男だらう。藤尾の夫《をつと》には不足である。夫《それ》にも拘はらず氣の毒は依然として氣の毒である。
 氣の毒とは自我を沒した言葉である。自我を沒した言葉であるから難有《ありがた》い。小野さんは心のうちで宗近君に氣の毒だと思つてゐる。然し此氣の毒のうちに大いなる己《おのれ》を含んでゐる。惡戯《いたづら》をして親の前へ出るときの心持を考へて見るとわかる。氣の毒だつたと親の爲に悔ゆる了見よりは何となく物騷だと云ふ感じが重《おも》である。わが惡戯《いたづら》が、己《おの》れと掛け離れた別人の頭の上に落した迷惑はともかくも、此迷惑が反響して自分の頭ががんと鳴るのが氣味が惡い。雷《らい》の嫌《きらひ》なものが、雷《らい》を封じた雲の峰の前へ出ると、少しく逡巡《しゆんじゆん》するのと一般である。只の氣の毒とは餘程|趣《おもむき》が違ふ。けれども小野さんは之を稱して氣の毒と云つて居る。小野さんは自分の感じを氣の毒以下に分解するのを好まぬからであらう。
 「散歩ですか」と小野さんは鄭寧に聞いた。
 「うん。今、其|角《かど》で電車を下りた許《ばかり》だ。だから、どつちへ行つてもいゝ」
 此答は少々論理に叶はないと、小野さんは思つた。然し論理はどうでも構はない。
 「僕は少し急ぐから……」
 「僕も急いで差支ない。少し君の歩く方角へ急いで一所に行かう。――其紙屑籠を出せ。持つてやるから」
 「なに宜《い》いです。見つともない」
 「まあ、出しなさい。成程|嵩張《かさば》る割に輕いもんだね。見つともないと云ふのは小野さんの事だ」と宗近君は屑籠を搖《ふ》り乍ら歩き出す。
 「さう云ふ風に提《さ》げるとさも輕さうだ」
 「物は提《さ》げ樣《やう》一つさ。ハヽヽヽ。是《こり》や勸工場で買つたのかい。大分《だいぶ》精巧なものだね。紙屑を入れるのは勿體《もつたい》ない」
 「だから、まあ徃來を持つて歩けるんだ。本當の紙屑が這入つてゐちや……」
 「なに持つて歩けるよ。電車は人屑を一杯詰めて威張つて徃來を歩いてるぢやないか」
 「ハヽヽヽすると君は屑籠の運轉手と云ふ事になる」
 「君が屑籠の社長で、頼んだ男は株主か。滅多な屑は入れられない」
 「歌反古《うたほご》とか、五車反古《ごしやほご》と云ふ樣なものを入れちや、どうです」
 「そんなものは要らない。紙幣《しへい》の反古《ほご》を澤山入れて貰ひたい」
 「只の反古を入れて置いて、催眠術を掛けて貰ふ方が早さうだ」
 「まづ人間の方で先に反古《ほご》になる譯だな。乞ふ隗《くわい》より始めよか。人間の反古なら催眠術を掛けなくても澤山ゐる。何故かう隗《くわい》より始めたがるのかな」
 「中々|隗《くわい》より始めたがらないですよ。人間の反故《ほご》が自分で屑籠の中へ這入つて呉れると都合がいゝんだけれども」
 「自働屑籠を發明したら好からう。さうしたら人間の反故がみんな自分で飛び込むだらう」
 「一つ專賣でも取るか」
 「アハヽヽヽ好からう。知つたものゝうちで飛び込ましたい人間でもあるかね」
 「あるかも知れません」と小野さんは切り拔けた。
 「時に君は昨夕《ゆうべ》妙な伴《つれ》とイルミネーシヨンを見に行つたね」
 見物に行つた事は先《さつ》き露見して仕舞つた。今更隱す必要はない。
 「えゝ、君等も行つたさうですね」と小野さんは何氣なく答へた。甲野さんは見付けても知らぬ顔をしてゐる。藤尾は知らぬ顔をして、しかも是非共|此方《こちら》から白?させ樣とする。宗近君は向《むかふ》から正面に質問してくる。小野さんは何氣なく答へながら、心のうちに成程と思つた。
 「あれは君の何だい」
 「少し猛烈ですね。――故《もと》の先生です」
 「あの女は、それぢあ恩師の令孃だね」
 「まあ、そんなものです」
 「あゝやつて、一所に茶を飲んでゐる所を見ると、他人とは見えない」
 「兄妹《きやうだい》と見えますか」
 「夫婦さ。好い夫婦だ」
 「恐れ入ります」と小野さんは一寸笑つたがすぐ眼を外《そら》した。向側《むかふがは》の硝子戸のなかに金文字入の洋書が燦爛《さんらん》と詩人の注意を促がしてゐる。
 「君、あすこに大分《だいぶ》新刊の書物が來てゐる樣だが、見《み》樣《やう》ぢやありませんか」
 「書物か。何か買ふのかい」
 「面白いものがあれば買つてもいゝが」
 「屑籠を買つて、書物を買ふのは頗るアイロニーだ」
 「何故」
 宗近君は返事をする前に、屑籠を提げた儘、電車の間を向側《むかふがは》へ馳け拔けた。小野さんも小走《こばしり》に跟《つ》いて來る。
 「はあ大分《だいぶ》奇麗な本が陳列してゐる。どうだい欲しいものがあるかい」
 「左樣《さやう》」と小野さんは腰を屈めながら金縁の眼鏡を硝子窓に擦り寄せて餘念なく見取れてゐる。
 小羊《ラム》の皮を柔らかに鞣《なめ》して、木賊色《とくさいろ》の濃き眞中に、水蓮を細く金に描《ゑが》いて、瓣《はなびら》の盡くる萼《うてな》のあたりから、直なる線を底迄通して、ぐるりと表紙の周圍を回《まは》らしたのがある。脊を平らに截《た》つて、深き紅《くれなゐ》に金髪を一面に這はせた樣な模樣がある。堅き眞鍮版に、どつかと布《クロース》の目を潰して、重たき箔を楯形に置いたのがある。素氣《すげ》なきカーフの脊を鈍色《にびいろ》に緑に上下《うへした》に區切つて、双方に文字|丈《だけ》を鏤《ちりば》めたのがある。ざら目の紙に、品《ひん》よく朱の書名を配置した扉も見える。
 「みんな欲しさうだね」と宗近君は書物を見ずに、小野さんの眼鏡ばかり見てゐる。
 「みんな新式な裝釘《バインヂング》だ。どうも」
 「表紙|丈《だけ》奇麗にして、内容の保險をつけた氣なのかな」
 「あなた方のほうと違つて文學書だから」
 「文學書だから上部《うはべ》を奇麗にする必要があるのかね。それぢや文學者だから金縁の眼鏡を掛ける必要が起るんだね」
 「どうも、きびしい。然しある意味で云へば、文學者も多少美術品でせう」と小野さんは漸く窓を離れた。
 「美術品で結構だが、金縁眼鏡|丈《だけ》で保險をつけてるのは情《なさけ》ない」
 「兎角眼鏡が祟る樣だ。――宗近君は近視眼ぢやないんですか」
 「勉強しないから、なり度くてもなれない」
 「遠視眼でもないんですか」
 「冗談を云つちやいけない。――さあ好加減《いゝかげん》に歩かう」
 二人は肩を比《なら》べて又歩き出した。
 「君、鵜と云ふ鳥を知つてるだらう」と宗近君が歩き乍ら云ふ。
 「えゝ。鵜がどうかしたんですか」
 「あの鳥は魚《さかな》を折角呑んだと思ふと吐いて仕舞ふ。詰らない」
 「詰らない。然し魚《さかな》は漁夫《れふし》の魚籃《びく》の中に這入るから、いゝぢやないですか」
 「だからアイロニーさ。折角本を讀むかと思ふとすぐ屑籠のなかへ入れて仕舞ふ。學者と云ふものは本を吐いて暮して居る。なんにも自分の滋養にやならない。得《とく》の行くのは屑籠|許《ばかり》だ」
 「さう云はれると學者も氣の毒だ。何をしたら好いか分らなくなる」
 「行爲《アクシヨン》さ。本を讀むばかりで何にも出來ないのは、皿に盛つた牡丹餠《ぼたもち》を畫《ゑ》にかいた牡丹餠と間違へて大人《おとな》しく眺めてゐるのと同樣だ。ことに文學者なんてものは奇麗な事を吐く割に、奇麗な事をしないものだ。どうだい小野さん、西洋の詩人なんかによくそんなのがある樣ぢやないか」
 「左樣《さやう》」と小野さんは間《ま》を延ばして答へたが、
 「例へば」と聞き返した。
 「名前なんか忘れたが、何でも女を誤魔化したり、女房を打遣《うつちや》つたりしたのがゐるぜ」
 「そんなのは居ないでせう」
 「なにゐる、慥《たし》かに居る」
 「さうかな。僕もよく覺えてゐないが……」
 「專門家が覺えてゐなくつちや困る。――そりやさうと昨夜《ゆうべ》の女ね」
 小野さんの腋の下が何だかじめ/\する。
 「あれは僕よく知つてるぜ」
 琴の事件なら糸子から聞いた。其外に何も知る筈がない。
 「蔦屋の裏に居たでせう」と一躍して先へ出て仕舞つた。
 「琴を彈いてゐた」
 「中々旨いでせう」と小野さんは容易に悄然《しよげ》ない。藤尾に逢つた時とは少々樣子が違ふ。
 「旨いんだらう、何となく眠氣《ねむけ》を催したから」
 「ハヽヽヽ夫《それ》こそアイロニーだ」と小野さんは笑つた。小野さんの笑ひ聲は如何なる場合でも靜の一字を離れない。其上|色彩《つや》がある。
 「冷やかすんぢやない。眞面目な所だ。かりそめにも君の恩師の令孃を馬鹿にしちや濟まない」
 「然し眠氣を催しちや困りますね」
 「眠氣を催ふす所が好いんだ。人間でもさうだ。眠氣を催ふす樣な人間はどこか尊《たつ》とい所がある」
 「古くつて尊《たつ》といんでせう」
 「君の樣な新式な男はどうしても眠くならない」
 「だから尊《たつ》とくない」
 「許《ばかり》ぢやない。ことに依ると、尊《たつ》とい人間を時候|後《おく》れだ抔《など》とけなしたがる」
 「今日は何だか攻撃ばかりされてゐる。こゝいらで御分れにしませうか」と小野さんは少し苦しい所を、わざと笑つて、立ち留る。同時に右の手を出す。紙屑籠を受取らうと云ふ謎である。
 「いや、もう少し持つてやる。どうせ暇なんだから」
 二人は又歩き出す。二人が二人の心を並べた儘一所に歩き出す。双方で双方を輕蔑してゐる。
 「君は毎日暇の樣ですね」
 「僕か? 本はあんまり讀まないね」
 「外にだつて、あまり忙がしい事がありさうには見えませんよ」
 「さう忙がしがる必要を認めないからさ」
 「結構です」
 「結構に出來る間は結構にして置かんと、いざと云ふ時に困る」
 「臨時應急の結構。愈《いよ/\》結構ですハヽヽヽ」
 「君、相變らず甲野へ行くかい」
 「今行つて來たんです」
 「甲野へ行つたり、恩師を案内したり、忙がしいだらう」
 「甲野の方は四五日休みました」
 「論文は」
 「ハヽヽヽ何時《いつ》の事やら」
 「急いで出すが好い。何時《いつ》の事やらぢや折角忙がしがる甲斐がない」
 「まあ臨時應急にやりませう」
 「時にあの恩師の令孃はね」
 「えゝ」
 「あの令孃に就て余つ程面白い話があるがね」
 小野さんは急にどきんとした。何の話か分らない。眼鏡の縁《ふち》から、斜めに宗近君を見ると、相變らず、紙屑籠を搖《ふ》つて、揚々《やう/\》と正面を向いて歩いてゐる。
 「どんな……」と聞き返した時は何となく勢《せい》がなかつた。
 「どんなつて、余つ程深い因縁と見える」
 「誰が」
 「僕等とあの令孃がさ」
 小野さんは少し安心した。然し何だか引つ掛つてゐる。淺かれ深かれ宗近君と孤堂先生との關係をぷすりと切つて棄てたい。然し自然が結んだものは、いくら能才でも天才でも、どうする譯にも行かない。京の宿屋は何百軒とあるに、何で蔦屋へ泊り込んだものだらうと思ふ。泊らんでも濟むだらうにと思ふ。わざ/\三條へ梶棒を卸して、わざ/\蔦屋へ泊るのは入《い》らざる事だと思ふ。醉興だと思ふ。余計な惡戯《いたづら》だと思ふ。先方に益もないのに好んで人を苦しめる泊り方だと思ふ。然しいくら、どう思つても仕方がないと思ふ。小野さんは返事をする元氣も出なかつた。
 「あの令孃がね。小野さん」
 「えゝ」
 「あの令孃がねぢやいけない。あの令孃をだ。――見たよ」
 「宿の二階からですか」
 「二階からも見た」
 も〔傍点〕の字が少し氣になる。春雨の欄に出て、連翹《れんげう》の花|諸共《もろとも》に古い庭を見下《みくだ》された事は、とくの昔に知つてゐる。今更|引合《ひきあひ》に出されても驚ろきはしない。然し二階からも〔傍点〕となると劔呑《けんのん》だ。其外に未《ま》だ見られた事があるに極つてゐる。不斷なら進んで聞く所だが、何となく空景氣《からけいき》を着ける樣な心持がして、どこで〔三字傍点〕と押を強く出損《でそく》なつた儘、二三歩あるく。
 「嵐山《らんざん》へ行く所も見た」
 「見た丈《たけ》ですか」
 「知らない人に話は出來ない。見た丈《たけ》さ」
 「話して見れば好かつたのに」
 小野さんは突然冗談を云ふ。俄かに景氣が好くなつた。
 「團子を食つてゐる所も見た」
 「何所で」
 「矢つ張り嵐山《らんざん》だ」
 「夫《それ》つ切りですか」
 「まだ有る。京都から東京迄一所に來た」
 「成程勘定して見ると同じ?車でしたね」
 「君が停車場《ステーシヨン》へ迎へに行つた所も見た」
 「さうでしたか」と小野さんは苦笑した。
 「あの人は東京ものださうだね」
 「誰が……」と云ひ掛けて、小野さんは、眼鏡の珠のはづれから、變に相手の横顔を覗き込んだ。
 「誰が? 誰がとは」
 「誰が話したんです」
 小野さんの調子は存外落付いてゐる。
 「宿屋の下女が話した」
 「宿屋の下女が? 蔦屋の?」
 念を押した樣な、後《あと》が聞きたい樣な、後がないのを確かめたい樣な樣子である。
 「うん」と宗近君は云つた。
 「蔦屋の下女は……」
 「そつちへ曲るのかい」
 「もう少し、どうです、散歩は」
 「もう好い加減に引き返さう。さあ大事の紙屑籠。落さない樣に持つて行くがいゝ」
 小野さんは恭《うや/\》しく屑籠を受取つた。宗近君は飄然として去る。
 一人になると急ぎ度くなる。急げば早く孤堂先生の家《うち》へ着く。着くのは難有《ありがた》くない。孤堂先生の家《うち》へ急ぎたいのではない。小野さんは何だか急ぎたいのである。兩手は塞《ふさが》つてゐる。足は動いて居る。恩賜の時計は胴衣《ちよつき》のなかで鳴つてゐる。徃來は賑かである。――凡《すべ》てのものを忘れて、小野さんの頭は急いでゐる。早くしなければならん。然しどうして早くして好いか分らない。只一晝夜が十二時間に縮まつて、運命の車が思ふ方角へ全速力で廻轉して呉れるより外に致し方はない。進んで自然の法則を破る程な不料簡は起さぬ積《つもり》である。然し自然の方で、少しは事情を斟酌《しんしやく》して、自分の味方になつて働らいて呉れても好さゝうなものだ。さうなる事は受合だと保證がつけば、觀音樣へ御百度を踏んでも構はない。不動樣へ護摩《ごま》を上げても宜しい。耶蘇《やそ》ヘの信者には無論なる。小野さんは歩きながら神の必要を感じた。
 宗近と云ふ男は學問も出來ない、勉強もしない。詩趣も解しない。あれで將來何になる氣かと不思議に思ふ事がある。何が出來るものかと輕蔑《さげす》む事もある。露骨でいやになる事もある。然し今更の樣に考へて見ると、あの態度は自分には到底出來ない態度である。出來ないから此方《こちら》が劣つてゐると結論はせん。世の中には出來もせぬが、又|爲《し》度《た》くもない事がある。箸の先で皿を廻す藝當は出來るより出來ない方が上品だと思ふ。宗近の言語動作は無論自分には出來にくい。然し出來にくいから、却つて自分の名譽だと今迄は心得てゐた。あの男の前へ出ると何だか壓迫を受ける。不愉快である。個人の義務は相手に愉快を與へるが專一と思ふ。宗近は社交の第一要義にも通じて居らん。あんな男はたゞの世の中でも成功は出來ん。外交官の試驗に落第するのは當り前である。
 然しあの男の前へ出て感じる壓迫は一種妙である。露骨から來るのか、單調から來るのか、所謂《いはゆる》昔風の率直から來るのか、未だに解剖して見《み》樣《やう》と企てた事はないが兎に角妙である。故意に自分を壓《お》し付け樣として居る景色《けしき》が寸毫も先方に見えないのに此方《こちら》は何となく感じてくる。只|會釋《ゑしやく》もなく思ふ儘を隨意に振舞つてゐる自然のなかゝら、どうだと云はぬ許《ばかり》に壓迫が顔を出す。自分はなんだか氣が引ける。あの男に對しては濟まぬ裏面の義理もあるから、それが祟つて、コ義が制裁を加へるとのみ思ひ通して來たが夫《それ》許《ばかり》では決してない。例へば天を憚からず地を憚からぬ山の、無頓着に聳えて、面白からぬと云はんよりは、美くしく思へぬ感じである。星から墜つる露を、蕊《ずゐ》に受けて、可憐の辯《はなびら》を、折々は、風の音信《たより》と小川へ流す。自分はこんな景色《けしき》でなければ樂しいとは思へぬ。要するに宗近と自分とは檜山と花圃《はなばたけ》の差《ちがひ》で、本來から性《しやう》が合はぬから妙な感じがするに違ない。
 性が合はぬ人を、合はねば夫《それ》迄《まで》と澄してゐた事もある。氣の毒だと考へた事もある。情《なさけ》ないと輕蔑《さげす》んだ事もある。然し今日程羨しく感じた事はない。高尚だから、上品だから、自分の理想に近いから、羨ましいとは夢にも思はぬ。只あんな氣分になれたら嘸《さぞ》よからうと、今の苦しみに引き較べて、急に羨ましくなつた。
 藤尾には小夜子と自分の關係を云ひ切つて仕舞つた。あるとは云ひ切らない。世話になつた昔の人に、心細く附き添ふ小《ち》さき影を、逢はぬ五年を霞と隔てゝ、再び逢ふた許《ばかり》の朦朧《ぼんやり》した間柄と云ひ切つて仕舞つた。恩を着るは情《なさけ》の肌、師に渥《あつ》きは弟子《ていし》の分、其外には鳥と魚との關係だにないと云ひ切つて仕舞つた。出來るならばと辛防して來た嘘はとう/\吐《つ》いて仕舞つた。漸くの思で吐《つ》いた嘘は、嘘でも立てなければならぬ。嘘を實《まこと》と僞《いつ》はる料簡はなくとも、吐《つ》くからは嘘に對して義務がある、責任が出る。あからさまに云へば嘘に對して一生の利害が伴なつて來る。もう嘘は吐《つ》けぬ。二重の嘘は神も嫌《きらひ》だと聞く。今日からは是非共嘘を實《まこと》と通用させなければならぬ。
 夫《それ》が何となく苦しい。是から先生の所へ行けば屹度《きつと》二重の嘘を吐《つ》かねばならぬ樣な話を持ちかけられるに違ない。切り拔ける手はいくらもあるが、手詰に出られると跳ね付ける勇氣はない。もう少し冷刻に生れてゐれば何の雜作《ぞふさ》もない。法律上の問題になる樣な不都合はして居らん積《つもり》だから、判然《はつきり》斷はつて仕舞へば夫《それ》迄《まで》である。然しそれでは恩人に濟まぬ。恩人から逼られぬうちに、自分の嘘が發覺せぬうちに、自然が早く廻轉して、自分と藤尾が公然結婚する樣に運ばなければならん。――後《あと》は? 後は後から考へる。事實は何よりも有効である。結婚と云ふ事實が成立すれば、萬事は此新事實を土臺にして考へ直さなければならん。此新事實を一般から認められゝば、あとはどんな不都合な犧牲でもする。どんなにつらい考へ直し方でもする。
 只機一髪と云ふ間際で、煩悶する。どうする事も出來ぬ心が急《せ》く。進むのが怖《こは》い。退ぞくのが厭だ。早く事件が發展すればと念じながら、發展するのが不安心である。したがつて氣樂な宗近が羨ましい。萬事を商量するものは一本調子の人を羨ましがる。
 春は行く。行く春は暮れる。絹の如き淺黄《あさぎ》の幕はふわり/\と幾枚も空を離れて地の上に被さつてくる。拂ひ退《の》ける風も見えぬ徃來は、夕暮の爲すが儘に靜まり返つて、蒼然たる大地の色は刻々に蔓《はびこ》つて來る。西の果《はて》に用もなく薄燒けてゐた雲は漸く紫に變つた。
 蕎麥屋の看板におかめの顔が薄暗く膨れて、後《うしろ》から點《つ》ける灯《ひ》を今やと赤い頬に待つ向横町《むかふよこちやう》は、二間足らずの狹い徃來になる。黄昏《たそがれ》は細長く家と家の間に落ちて、鎖さぬ門《かど》を戸《こ》毎《ごと》にくゞる。部屋のなかは猶更《なほさら》暗いだらう。
 曲つて左側の三軒目迄來た。門構と云ふ名は付けられない。徃來を僅かに仕切る格子戸をそろりと明けると、なかは、ほのくらく近付く宵を、一段と刻んで下へ降りた樣な心持がする。
 「御免」と云ふ。
 靜かな聲は落付いた春の調子を亂さぬ程に穩《おだやか》である。幅一尺の揚板に、菱形の黒い穴が、椽の下へ拔けてゐるのを眺めながら取次を大人《おとな》しく待つ。返事はやがてした。うん〔二字傍点〕と云ふのか、あゝ〔二字傍点〕と云ふのかはい〔二字傍点〕と云ふのか、更に要領を得ぬ聲である。小野さんは矢張り菱形の黒い穴を覗きながら取次を待つてゐる。やがて障子の向《むかふ》でずしんと誰か跳ね起きた樣子である。怪しい普請と見えて根太《ねだ》の鳴る音が手に取る樣に聞える。例の壁紙模樣の襖が開《あ》く。二疊の玄關へ出て來たなと思ふ間《ま》もなく、薄暗い障子の影に、肉の落ちた孤堂先生の顔が髯|諸共《もろとも》に現はれた。
 平生からあまり丈夫には見えない。骨が細く、?が細く、顔は殊更《ことさら》細く出來上つたうへに、取る年は爭はれぬ雨と風と苦勞とを吹き付けて、辛《から》い浮世に、辛《から》くも取り留めた心さへ細くなる許《ばかり》である。今日は一層《ひとしほ》顔色が惡い。得意の髯さへも尋常には見えぬ。黒い隙間を白いのが埋《うづ》めて、白い隙間を風が通る。
 古《いにしへ》の人は顎の下迄影が薄い。一本|宛《づゝ》吟味して見ると先生の髯は一本毎にひよろ/\してゐる。小野さんは鄭寧に帽を脱いで、無言の儘挨拶をする。英吉利刈《いぎりすがり》の新式な頭は、眇然《べうぜん》たる「過去」の前に落ちた。
 徑《さしわたし》何十尺の圓を描《ゑが》いて、周圍に鐵の格子を嵌めた箱を幾何《いくつ》となくさげる。運命の玩弄兒《ぐわんろうじ》はわれ先にと此箱へ這入る。圓は廻り出す。此箱に居るものが青空へ近く昇る時、あの箱に居るものは、凡《すべ》てを吸ひ盡す大地へそろり/\と落ちて行く。觀覽車を發明したものは皮肉な哲學者である。
 英吉利式《いぎりすしき》の頭は、此箱の中で是から雲へ昇らうとする。心細い髯に、世を佗《わ》び古りた記念の爲めと、大事に胡麻塩を振り懸けてゐる先生は、あの箱の中で是から暗い所へ落ち付かうとする。片々《かた/\》が一尺昇れば片々《かた/\》は一尺下がる樣に運命は出來上つてゐる。
 昇るものは、昇りつゝある自覺を抱いて、降《くだ》りつゝ夜に行くものゝ前に鄭寧な頭《かうべ》を惜氣もなく下げた。之を神の作れるアイロニーと云ふ。
 「やあ、是は」と先生は機嫌が好い。運命の車で降りるものが、昇るものに出合ふと自然に機嫌がよくなる。
 「さあ御上り」と忽ち座敷へ取つて返す。小野さんは靴の紐を解く。解き終らぬ先に先生は又出てくる。
 「さあ御上り」
 座敷の眞中に、晝を厭はず延べた床を、壁際へ押し遣つたあとに、新調の座布團が敷いてある。
 「どうか、なさいましたか」
 「何だか、今朝から心持が惡くつてね。それでも朝のうちは我慢してゐたが、午《ひる》からとう/\寐て仕舞つた。今丁度うと/\してゐた所へ君が來たので、待たして御氣の毒だつた」
 「いえ、今格子を開《あ》けた許《ばかり》です」
 「さうかい。何でも誰か來た樣だから驚いて出て見た」
 「さうですか、夫《それ》は御邪魔をしました。寐て居らつしやれば好かつたですね」
 「なに大した事はないから。――夫《それ》に小夜も婆さんも居ないものだから」
 「何所かへ……」
 「一寸風呂に行つた。買物|旁《かた/”\》」
 床の拔殼は、こんもり高く、這ひ出した穴を障子に向けてゐる。影になつた方が、薄暗く夜着の模樣を暈《ぼか》す上に、投げ懸けた羽織の裏が、乏しき光線《ひかり》をきら/\と聚める。裏は鼠の甲斐絹《かひき》である。
 「少しぞく/\する樣だ。羽織でも着やう」と先生は立ち上がる。
 「寐て居らしつたら好いでせう」
 「いや少し起きて見《み》樣《やう》」
 「何ですかね」
 「風邪でもない樣だが、――なに大した事もあるまい」
 「昨夕《ゆうべ》御出《おで》になつたのが惡かつたですかね」
 「いえ、なに。――時に昨夕《ゆうべ》は大きに御厄介」
 「いゝえ」
 「小夜も大變喜んで。御蔭で好い保養をした」
 「もう少し閑だと、方々へ御供をする事が出來るんですが……」
 「忙がしいだらうからね。いや忙がしいのは結構だ」
 「どうも御氣の毒で……」
 「いや、そんな心配はちつとも要らない。君の忙がしいのは、つまり我々の幸福《しあはせ》なんだから」
 小野さんは黙つた。部屋はしだいに暗くなる。
 「時に飯は食つたかね」と先生が聞く。
 「えゝ」
 「食つた?――食はなければ御上り。何にもないが茶漬ならあるだらう」とふら/\と立ち懸ける。締め切つた障子に黒い長い影が出來る。
 「先生、もう好ゝんです。飯は濟まして來たんです」
 「本當かい。遠慮しちや不可《いか》ん」
 「遠慮しやしません」
 黒い影は折れて故《もと》の如く低くなる。えがらつぽい〔六字傍点〕咳が二つ三つ出る。
 「咳が出ますか」
 「から――からつ咳が出て……」と云ひ懸ける途端に又二つ三つ込み上げる。小野さんは憮然として咳の終るを待つ。
 「横になつて温《あつた》まつて居らしつたら好いでせう。冷えると毒です」
 「いえ、もう大丈夫。出だすと一時《いちじ》不可《いけ》ないんだがね。――年を取ると意氣地がなくなつて――何でも若いうちの事だよ」
 若いうちの事だとは今迄毎度聞いた言葉である。然し孤堂先生の口から聞いたのは今が始めてゞある。骨|許《ばかり》此世に取り殘されたかと思ふ人の、疎らな髯を風塵に託して、殘喘《ざんせん》に一昔と二昔を、互違《たがひちがひ》に呼吸する口から聞いたのは、少なくとも今が始めてゞある。子《ね》の鐘は陰《いん》に響いてぼうんと鳴る。薄暗い部屋のなかで、薄暗い人から此言葉を聞いた小野さんは、つくづく若いうちの事だと思つた。若いうちは二度とないと思つた。若いうち旨くやらないと生涯の損だと思つた。
 生涯の損をして此先生の樣に老朽した時の心持は定めて淋《さび》しからう。よく/\詰らないだらう。然し恩のある人に濟まぬ不義理をして死ぬ迄|寐醒《ねざめ》が惡いのは、損をした昔を思ひ出すより欝陶《うつたう》しいかも知れぬ。何《いづ》れにしても若いうちは二度とは來ない。二度と來ない若いうちにきめた事は生涯極つて仕舞ふ。生涯極つて仕舞ふ事を、自分は今どつちかに極めなければならぬ。今日藤尾に逢ふ前に先生の所へ來たら、あの嘘を當分見合せたかも知れぬ。然し嘘を吐《つ》いて仕舞つた今となつて見ると致し方はない。將來の運命は藤尾に任せたと云つて差し支ない。――小野さんは心中でかう云ふ言譯をした。
 「東京は變つたね」と先生が云ふ。
 「烈しい所で、毎日變つて居ます」
 「恐ろしい位だ。昨夜《ゆうべ》も大分《だいぶ》驚いたよ」
 「隨分人が出ましたから」
 「出たねえ。あれでも知つた人には滅多に逢はないだらうね」
 「さうですね」と瞹眛に受ける。
 「逢ふかね」
 小野さんは「まあ……」と濁しかけたが「まあ、逢はない方ですね」と思ひ切つて仕舞つた。
 「逢はない。成程廣い所に違ない」と先生は大いに感心してゐる。なんだか田舍染みて見える。小野さんは光澤《つや》の惡い先生の顔から眼を放して、自分の膝元を眺めた。カフスは眞白である。七寶《しつぱう》の夫婦釦《めをとぼたん》は滑な淡紅色《ときいろ》を緑の上に浮かして、華奢《きやしや》な金縁のなかに暖かく包まれてゐる。脊廣の地は品《ひん》の好い英吉利織《いぎりすおり》である。自己をまのあたりに物色した時、小野さんは自己の住むべき世界を卒然と自覺した。先生に釣り込まれさうな際どい所で急に忘れ物を思ひ出した樣な氣分になる。先生には無論分らぬ。
 「一所にあるいたのも久し振だね。今年で丁度五年目になるかい」と左《さ》も可懷《なつかし》げに話しかける。
 「えゝ五年目です」
 「五年目でも、十年目でも、かうして一つ所に住む樣になれば結構さ。――小夜も喜んでゐる」と後から繼《つ》ぎ足した樣に一句を付け添へた。小野さんは早速《さそく》の返事を忘れて、暗い部屋のなかに竦《すくま》る樣な氣がした。
 「先《さつ》き御孃さんが御出《おいで》でした」と仕方がないから渡し込む。
 「あゝ、――なに急ぐ事でも無かつたんだが、もしや暇があつたら一所に連れて行つて買物をして貰はうと思つてね」
 「生憎《あいにく》出掛《でが》けだつたものですから」
 「さうだつてね。飛んだ御邪魔をしたらう。何處ぞ急用でもあつたのかい」
 「いえ――急用でもなかつたんですが」と相手は少々言ひ淀む。先生は追窮しない。
 「はあ、さうかい。そりやあ」と漠々たる挨拶をした。挨拶が漠々たると共に、部屋のなかも朦朧と取締がなくなつて來る。今宵は月だ。月だが、まだ間《ま》がある。のに日は落ちた。床《とこ》は一間を申譯の爲めに濃い藍の砂壁に塗り立てた奧には、先生が秘藏の義董《ぎとう》の幅《ふく》が掛かつて居た。唐代の衣冠に蹣跚《まんさん》の履《くつ》を危うく踏んで、だらしなく腕に卷きつけた長い袖を、童子の肩に凭《もた》した醉態は、此家の淋《さび》しさに似ず、春王《はるわう》の四月に叶ふ樂天家である。仰せの如く額をかくす冠《かんむり》の、黒い色が著るしく目についたのは今先の事であつたに、不圖見ると、纓《ひも》か飾か、紋切形に左右に流す幅廣の絹さへ、ぼんやりと近付く宵を迎へて、來《く》る夜《よる》に紛れ込まうとする。先生も自分も愚圖々々すると一つ穴へはまつて、影の樣に消えて行きさうだ。
 「先生、御頼の洋燈《らんぷ》の臺を買つて來ました」
 「それは難有《ありがた》い。どれ」
 小野さんは薄暗いなかを玄關へ出て、臺と屑籠を持つてくる。
 「はあ――何だか暗くつて能く見えない。燈火《あかり》を點《つ》けてから緩《ゆつ》くり拝見し樣《やう》」
 「私が點《つ》けませう。洋燈《らんぷ》は何處にありますか」
 「氣の毒だね。もう歸つて來る時分だが。ぢや椽側へ出ると右の戸袋のなかにあるから頼まう。掃除はもうしてある筈だ」
 薄暗い影が一つ立つて、障子をすうと明ける。殘る影はひそかに手を拱《こまぬ》いて動かぬ程を、夜は襲つて來る。六疊の座敷は淋《さみ》しい人を陰氣に封じ込めた。ごほん/\と咳をせく。
 やがて椽の片隅で擦る燐寸《まつち》の音と共に、咳は已《や》んだ。明るいものは室《へや》のなかに動いて來る。小野さんは洋袴《づぼん》の膝を折つて、五分心《ごぶじん》を新らしい臺の上に載せる。
 「丁度能く合ふね。据りがいゝ。紫檀かい」
 「模擬《まがひ》でせう」
 「模擬《まがひ》でも立派なものだ。代は?」
 「何よう御座んす」
 「よくはない。幾何《いくら》かね」
 「兩方で四圓少しです」
 「四圓。成程東京は物が高いね。――少し許《ばかり》の恩給で遣つて行くには京都の方が遙かに好い樣だ」
 二三年前と違つて、先生は些額の恩給とわずかな貯蓄から上がる利子とで生活して行かねばならぬ。小野さんの世話をした時とは大分《だいぶ》違ふ。事に依れば小野さんの方から幾分か貢《みつ》いで貰ひたい樣にも見える。小野さんは畏まつて控えてゐる。
 「なに小夜さへなければ、京都に居ても差し支ないんだが、若い娘を持つと中々心配なもので……」と途中で一寸休んで見せる。小野さんは畏まつた儘應じなかつた。
 「私《わたし》抔《など》は何處《どこ》の果《はて》で死なうが同じ事だが、後に殘つた小夜がたつた一人で可哀想《かはいさう》だから此年になつて、わざ/\東京迄出掛けて來たのさ。――如何な故郷でももう出てから二十年にもなる。知合も交際《つきあひ》もない。丸《まる》で他國と同樣だ。夫《それ》に來て見ると、砂が立つ、埃が立つ。雜沓はする、物價《もの》は貴《たか》し、決して住み好いとは思はない。……」
 「住み好い所ではありませんね」
 「是でも昔は親類も二三軒はあつたんだが、長い間|音信不通《いんしんふつう》にしてゐたものだから、今では居所も分らない。不斷は左程《さほど》にも思はないが、かう遣つて、半日でも寝ると考へるね。何となく心細い」
 「成程」
 「まあ御前が傍《そば》に居て呉れるのが何よりの依頼《たより》だ」
 「御役にも立ちませんで……」
 「いえ、色々親切にしてくれて洵《まこと》に難有《ありがた》い。忙《いそが》しい所を……」
 「論文の方がないと、まだ閑なんですが」
 「論文。博士論文だね」
 「えゝ、まあさうです」
 「何時《いつ》出すのかね」
 何時《いつ》出すのか分らなかつた。早く出さなければならないと思ふ。
こんな引つ掛りがなければ、もう餘程書けたらうにと思ふ。口では
 「今一生懸命に書いてる所です」と云ふ。
 先生は襦袢の袖から手を拔いて、素肌の懷に肘迄収めた儘、二三度肩をゆすつて
 「どうも、ぞく/\する」と細長い髯を襟のなかに埋《うづ》めた。
 「御寝《おやす》みなさい。起きて居らつしやると毒ですから。私はもう御暇《おいとま》をします」
 「なに、まあ御話し。もう小夜が歸る時分だから。寐たければ私《わたし》の方で御免蒙つて寐る。それにまだ話も殘つてゐるから」
 先生は急に胸の中から、手を出して膝の上へ乘せて、双方を一度に打つた。
 「まあ緩《ゆつ》くりするが好い。今暮れた許《ばかり》だ」
 迷惑のうちにも小野さんは流石《さすが》氣の毒に思つた。是程迄に自分を引き留めたいのは、只當年の可懷味《なつかしみ》や、一夕《いつせき》の無聊ではない。よくよく行く先が案じられて、亡き後《あと》の安心を片時《へんし》も早く、脉の打つ手に握りたいからであらう。
 實は夕食《めし》もまだ食はない。居れば耳を傾けたくない話が出る。腰|丈《だけ》はとうから宙に浮いてゐる。然し先生の樣子を見ると無理に洋袴《づぼん》の膝を伸《のば》す譯にも行かない。老人は病を力《つと》めて、わが爲めに強いて元氣を付けてゐる。親しみ易き蒲團は片寄せられて、穴|許《ばかり》になつた。温氣《ぬくもり》は昔の事である。
 「時に小夜の事だがね」と先生は洋燈《らんぷ》の灯《ひ》を見ながら云ふ。五分心《ごぶじん》を蒲鉾形《かまぼこなり》に點《とも》る火屋《ほや》のなかは、壺に充《みつ》る油を、物言はず吸ひ上げて、穩かな?の舌が、暮れた許《ばか》りの春を、動かず守る。人|佗《わび》て淋《さみ》しき宵を、只一點の明《あか》きに償ふ。燈灯《ともしび》は希望《のぞみ》の影を招く。
 「時に小夜の事だがね。知つての通りあゝ云ふ内氣な性質《たち》ではあるし、今の女學生の樣にハイカラなヘ育もないから到底氣にも入るまいが、……」迄來て先生は洋燈《らんぷ》から眼を放した。眼は小野さんの方に向ふ。何とか取り合はなければならない。
 「いゝえ――どうして――」と受けて、一寸句を切つて見せたが、先生は依然として、此方《こつち》の顔から眸を動かさない。其上口を開《き》かずに何だか待つて居る。
 「氣に入らんなんて――そんな事が――ある筈がないですが」とぽつ/\に答へる。漸くに納得した先生は先へ進む。
 「あれも不憫だからね」
 小野さんは、さうだとも、さうでないとも云はなかつた。手は膝の上にある。眼は手の上にある。
 「私《わたし》がかうして、何《ど》うか斯うかしてゐるうちは好い。好いが此通りの身體だから、いつ何時《なんどき》どんな事がないとも限らない。其時が困る。兼ての約束はあるし、御前も約束を反故《ほご》にする樣な輕薄な男ではないから、小夜の事は私が居ない後《あと》でも世話はして呉れるだらうが……」
 「そりや勿論です」と云はなければならない。
 「そこは私《わたし》も安心してゐる。然し女は氣の狹いものでね。アハヽヽヽ困るよ」
 何だか無理に笑つた樣に聞える。先生の顔は笑つた爲めに愈《いよ/\》淋《さみ》しくなつた。
 「そんなに御心配なさる事も要らんでせう」と覺束《おぼつか》なく云ふ。言葉の腰がふら/\してゐる。
 「私《わたし》はいゝが、小夜がさ」
 小野さんは右の手で洋服の膝を摩《こす》り始めた。しばらくは二人とも無言である。心なき燈火《ともしび》が双方を半分《はんぶ》づゝ照らす。
 「御前の方にも色々な都合はあるだらう。然し都合はいくら立つたつて片付くものぢやない」
 「さうでも無いです。もう少しです」
 「だつて卒業して二年になるぢやないか」
 「えゝ。然しもう少しの間は……」
 「少しつて、何時《いつ》迄の事かい。そこが判然《はつきり》して居れば待つても好いさ。小夜にも私《わたし》からよく話して置く。然したゞ少しでは困る。いくら親でも子に對して幾分か責任があるから。――少しつて云ふのは博士論文でも書き上げて仕舞ふ迄かい」
 「えゝ、先づさうです」
 「大分《だいぶ》久しく書いてゐる樣だが、まあ何時《いつ》頃《ごろ》濟む積《つもり》かね。大體《おほよそ》」
 「可成《なるべく》早く書いて仕舞はうと思つて骨を折つてゐるんですが。何分問題が大きいものですから」
 「然し大體《おほよそ》の見當は着くだらう」
 「もう少しです」
 「來月位かい」
 「さう早くは……」
 「來々月《さらいげつ》はどうだね」
 「どうも……」
 「ぢや、結婚をしてからにしたら好からう、結婚をしたから論文が書けなくなつたと云ふ理由も出て來さうにない」
 「ですが、責任が重くなるから」
 「いゝぢやないか、今迄通りに働いてさへゐれば。當分の間、我々は經濟上、君の世話にならんでもいゝから」
 小野さんは返事の仕樣がなかつた。
 「収入は今どの位あるのかね」
 「僅かです」
 「僅とは」
 「みんなで六十圓|許《ばかり》です。一人が漸々《やう/\》です」
 「下宿をして?」
 「えゝ」
 「そりや馬鹿氣てゐる。一人で六十圓使ふのは勿體《もつたい》ない。家を持つても樂に暮せる」
 小野さんは又返事の仕樣《しやう》がなかつた。
 東京は物價《もの》が高いと云ひながら、東京と京都の區別を知らない。鳴海絞《なるみしぼり》の兵兒帶《へこおび》を締めて芋粥《いもがい》に寒さを凌いだ時代と、大學を卒業して相當の尊敬を衣帽《いばう》の末に拂はねばならぬ今の境遇とを比較する事を知らない。書物は學者に取つて命から二代目である。按摩《あんま》の杖と同じく、無くつては世渡りが出來ぬ程に大切な道具である。其書物は机の上へ湧いてでも出る事か、中には人の驚く樣な奮發をして集めてゐる。先生はそんな費用が、どれ位かゝるか丸《まる》で一切空《いつさいくう》である。從つて、おいそれと簡單な返事が出來ない。
 小野さんは何を思つたか、左手を疊へつかへると、右を伸《のば》して洋燈《らんぷ》の心《しん》をぱつと出した。六疊の小地球が急に東の方へ廻轉した樣に、一度は明るくなる。先生の世界觀が瞬《またゝき》と共に變る樣に明るくなる。小野さんはまだ螺旋《ねぢ》から手を放さない。
 「もう好い。其位で好い。あんまり出すと危ない」と先生が云ふ。
 小野さんは手を放した。手を引くときに、自分でカフスの奧を腕迄覗いて見る。やがて脊廣の表隱袋《おもてかくし》から、眞白な手巾《はんけち》を撮《つま》み出して丁寧に指頭《ゆびさき》の油を拭き取つた。
 「少し灯《ひ》が曲つてゐるから……」と小野さんは拭き取つた指頭《ゆびさき》を鼻の先へ持つて來てふん/\と二三度嗅いだ。
 「あの婆さんが切ると何時《いつ》でも曲る」と先生は股の開いた灯を見ながら云ふ。
 「時にあの婆さんはどうです、御間に合ひますか」
 「さう、まだ禮も云はなかつたね。段々|御手數《おてすう》を掛けて……」
 「いゝえ。實は年を取つてるから働らけるかと思つたんですが」
 「まあ、あれで結構だ。段々慣れてくる樣子だから」
 「さうですか、そりや好い按排《あんばい》でした。實はどうかと思つて心配してゐたんですが。其代り人間は慥《たしか》ださうです。淺井が受合つて行つたんですから」
 「さうかい。時に淺井と云へば、どうしたい。まだ歸らないかい」
 「もう歸る時分ですが。ことに因ると今日位の?車で歸つて來るかも知れません」
 「一昨《おととひ》かの手紙には、二三日|中《ちゆう》に歸るとあつたよ」
 「はあ、さうでしたか」と云つたぎり、小野さんは捩《ね》じ上げた五分心《ごぶじん》の頭を無心に眺めてゐる。淺井の歸京と五分心《ごぶじん》の關係を見極めんと思索する如くに眸子《ぼうし》は一點に集つた。
 「先生」と云ふ。顔は先生の方へ向け易へた。例になく口の角に聊《いさゝ》かの決心を齎《もたら》してゐる。
 「何だい」
 「今の御話ですね」
 「うん」
 「もう二三日待つて下さいませんか」
 「もう二三日」
 「つまり要領を得た御返事をする前に色々考へて見たいですから」
 「そりや好いとも。三日でも四日でも、――一週間でも好い。事が判然《はつきり》さへすれば安心して待つてゐる。ぢや小夜にもさう話して置かう」
 「えゝ、どうか」と云ひながら恩賜の時計を出す。夏に向ふ永い日影が落ちてから、夜《よ》の針は疾《と》く回るらしい。
 「ぢや、今夜は失禮します」
 「まあ好いぢやないか。もう歸つて來る」
 「また、すぐ來ますから」
 「それでは――御疎怱《おそう/\》であつた」
 小野さんはすつきりと立つ。先生は洋燈《らんぷ》を執る。
 「もう、どうぞ。分ります」と云ひつゝ玄關へ出る。
 「やあ、月夜だね」と洋燈《らんぷ》を肩の高さに支へた先生がいふ。
 「えゝ穩《おだやか》な晩です」と小野さんは靴の紐を締めつゝ格子から徃來を見る。
 「京都は猶《なほ》穩《おだやか》だよ」
 屈《こゞ》んでゐた小野さんは漸く沓脱《くつぬぎ》に立つた。格子が明《あ》く。華奢《きやしや》な體?《からだ》が半分|許《ばかり》徃來へ出る。
 「清三」と先生は洋燈《らんぷ》の影から呼び留めた。
 「えゝ」と小野さんは月のさす方から振り向いた。
 「なに別段用ぢやない。――かうして東京へ出掛けて來たのは、小夜の事を早く片付けて仕舞ひたいからだと思つて呉れ。分つたらうな」と云ふ。
 小野さんは恭《うや/\》しく帽子を脱ぐ。先生の影は洋燈《らんぷ》と共に消えた。
 外は朧である。半《なか》ば世を照らし、半ば世を鎖《とざ》す光が空に懸る。空は高きが如く低きが如く据《すわ》らぬ腰を、更《ふ》けぬ宵に浮かしてゐる。懸るものは猶更《なほさら》ふわ/\する。丸い縁《ふち》に黄を帶びた輪をぼんやり膨《ふく》らまして輪廓も確でない。黄な帶は外圍《そとゐ》に近く色を失つて、黒ずんだ藍のなかに※[者/火]染出《にじみだ》す。流れゝば月も消えさうに見える。月は空に、人は地に紛れやすい晩である。
 小野さんの靴は、濕つぽい光を憚かる如く、地に落す踵を洋袴《づぼん》の裾に隱して、小路《こうぢ》を蕎麥屋の行燈《あんどん》迄拔け出して左へ折れた。徃來は人の香《にほひ》がする。地に?《し》く影は長くはない。丸まつて動いて來る。こんもりと搖《ゆ》れて去る。下駄の音は朧に包まれて、霜の樣には冴えぬ。撫でゝ通る電信柱に白い模樣が見えた。すかす眸を不審と据ゑると白墨の相々傘《あひ/\がさ》が映《うつ》る。夫《それ》程《ほど》の淺い夜を、晝から引つ越して來た霞が立て籠める。行く人も來る人も何となく要領を得ぬ。逃れば靄のなか、出《いづ》れば月の世界である。小野さんは夢の樣に歩《ほ》を移して來た。?々《くゝ》として獨り行くと云ふ句に似てゐる。
 實は夕食《ゆふめし》もまだ食はない。いつもなら通りへ出ると、すぐ西洋料理へでも飛び込む料簡で、得意な襞《ひだ》の正しい洋袴《づぼん》を、誇り顔に運ぶ筈である。今宵はいつ迄立つても腹も減らない。牛乳《みるく》さへ飲む氣にならん。陽氣は暖か過ぎる。胃は重い。引く足は千鳥にはならんが、確《しか》と踏答《ふみごた》へがない樣な心持である。そと卸す所爲《せゐ》かも知れぬ。去ればとて、こつりと大地へ當てる氣にはならん。巡査の樣にあるけたなら世に朧は要らぬ。次に心配は要らぬ。巡査だから、あゝも歩ける。小野さんには――殊に今夜の小野さんには――巡査の眞似は出來ない。
 何故《なぜ》かう氣が弱いだらう――小野さんは考へながら、ふら/\歩いてゐる。――何故かう氣が弱いだらう。頭腦も人には負けぬ。學問も級友の倍はある。擧止動作から衣服《きもの》の着こなし方に至つて、悉《こと/”\》く粹を盡くしてゐると自信してゐる。只氣が弱い。氣が弱い爲めに損をする。損をする丈《だけ》ならいゝが乘《の》つ引《ぴ》きならぬ羽目《はめ》に陷《おち》る。水に溺れるものは水を蹴ると何かの本にあつた。脊に腹は替へられぬ今の場合、と諦めて蹴つて仕舞へば夫《それ》迄《まで》である。が……
 女の話し聲がする。人影は二つ、路の向ふ側を此方《こちら》へ近付いて來る。吾妻下駄と駒下駄の音が調子を揃へて生温《なまぬる》く宵を刻んで寛《ゆたか》なるなかに、話し聲は聞える。
 「洋燈《らんぷ》の台を買つて來て下さつたでせうか」と一人が云ふ。「さうさね」と一人が應《こた》へる。「今頃は來てゐらつしやるかも知れませんよ」と前の聲が又云ふ。「どうだか」と後《あと》の聲が又|應《こた》へる。「でも買つて行くと仰しやつたんでせう」と押す。「あゝ。――何だか暖《あつた》か過ぎる晩だこと」と逃げる。「御湯の所爲《せゐ》で御座んすよ。藥湯は温《あつた》まりますから」と説明する。
 二人の話は此所で小野さんの向側《むかふがは》を通り越した。見送ると並ぶ軒下から頭の影|丈《だけ》が斜《はす》に出て、蕎麥屋の方へ動いて行く。しばらく首を捩《ね》じ向けて、立ち留つて居た小野さんは、又歩き出した。
 淺井の樣に氣の毒氣の少ないものなら、すぐ片付ける事も出來る。宗近の樣な平氣な男なら、苦もなくどうかするだらう。甲野なら超然として板挾みになつてゐるかも知れぬ。然し自分には出來ない。向《むかふ》へ行つて一歩深く陷《はま》り、此方《こつち》へ來て一歩深く陷《はま》る。双方へ氣兼をして、片足づゝ双方へ取られて仕舞ふ。つまりは人情に絡《から》んで意思に乏しいからである。利害? 利害の念は人情の土台の上に、後《あと》から被《かぶ》せた景氣の皮である。自分を動かす第一の力はと聞かれゝば、すぐ人情だと答へる。利害の念は第三にも第四にも、ことによつたら全くなくつても、自分は矢張り同樣の結果に陷《おちい》るだらうと思ふ。――小野さんはかう考へて歩いて行く。
 如何に人情でも、こんなに優柔ではいけまい。手を拱《こまぬ》いて、自然の爲すが儘にして置いたら、事件はどう發展するか分らない。想像すると怖しくなる。人情に屈託してゐれば居る程、怖しい發展を、眼《ま》のあたりに見る樣になるかもしれぬ。是非こゝで、どうかせねばならん。然し、まだ二三日の餘裕はある。二三日能く考へた上で決斷しても遅くはない。二三日立つて善い智慧が出なければ、其時こそ仕方がない。淺井を捕《つらま》へて、孤堂先生への談判を頼んで仕舞ふ。實はさつきも其考で、淺井の歸りを勘定に入れて、二三日の猶豫をと云つた。こんな事は人情に拘泥しない淺井に限る。自分の樣な情に篤いものは到底斷わり切れない。――小野さんはかう考へて歩いて行く。
 月はまだ天《そら》のなかに居る。流れんとして流るゝ氣色《けしき》も見えぬ。地に落つる光は、冴ゆる暇なきを、重たき温氣《をんき》に封じ込められて、限りなき大夢を半空に曳く。乏しい星は雲を潜《くゞ》つて向側《むかふがは》へ拔けさうに見える。綿のなかに砲彈を打ち込んだのが辛うじて輝やく樣だ。靜かに重い宵である。小野さんは此なかを考へながら歩いて行く。今夜は半鐘も鳴るまい。
 
     十五
 
 部屋は南を向く。佛蘭西式《ふらんすしき》の窓は床《ゆか》を去る事五寸にして、すぐ硝子となる。明《あ》け放てば日が這入る。温《あたゝ》かい風が這入る。日は椅子の足で留まる。風は留まる事を知らぬ故、容赦なく天井迄吹く。窓掛の裏迄渡る。からりとして朗らかな書齋になる。
 佛蘭西窓《ふらんすまど》を右に避けて一脚の机を据ゑる。蒲鉾形《かまぼこなり》に引戸を卸せば、上から錠がかゝる。明《あ》ければ、緑の羅紗《らしや》を張り詰めた眞中を、斜めに低く手元へ削つて、脊を平らかに、書を開くべき便宜《たより》とする。下は左右を銀金具の抽出《ひきだし》に疊み卸して其四つ目が床に着く。床は樟《くす》の木の寄木《よせき》に假漆《?ーニツシ》を掛けて、禮に叶はぬ靴の裏を、ともすれば危からしめんと、てら/\する。
 其《その》外《ほか》に洋卓《てえぶる》がある。チツペンデールとヌー※[オに濁点]ーを取り合せた樣な組み方に、思ひ切つた今樣《いまやう》を華奢な昔に忍ばして、室《へや》の眞中を占領してゐる。周圍《まはり》に並ぶ四脚の椅子は無論|同式《どうしき》の構造《つくり》である。繻子《しゆす》の模樣も對《つゐ》とは思ふが、日除《ひよけ》の白蔽《しろおひ》に、卸す腰も、凭《もた》れる脊も、只心安しと氣を樂に落ち付ける許《ばかり》で、目の保養にはならぬ。
 書棚は壁に片寄せて、間《けん》の高さを九尺|列《つら》ねて戸口迄續く。組めば重ね、離せば一段の棚を喜んで、亡き父が西洋《むかふ》から取り寄せたものである。一杯に並べた書物が紺に、黄に、色々に、床《ゆ》かしき光を闘はすなかに花文字の、角文字《かくもじ》の金は、縱にも横にも奇麗である。
 小野さんは欽吾の書齋を見る度に羨しいと思はぬ事はない。欽吾も無論嫌つては居らぬ。もとは父の居間であつた。仕切りの戸を一つ明けると直《すぐ》應接間へ拔ける。殘る一つを出ると内廊下から日本座敷へ續く。洋風の二間は、父が手狹な住居《すまひ》を、二十世紀に取り擴げた便利の結果である。趣味に叶ふと云はんよりは、寧ろ實用に逼られて、時好の程度に己《おの》れを委却《ゐきやく》した建築である。左程《さほど》に嬉しい部屋ではない。けれども小野さんは非常に羨ましがつて居る。
 かう云ふ書齋に這入つて、好きな書物を、好きな時に讀んで、厭《あ》きた時分に、好きな人と好きな話をしたら極樂だらうと思ふ。博士論文はすぐ書いて見せる。博士論文を書いたあとは後代を驚ろかす樣な大著述をして見せる。定めて愉快だらう。然し今の樣な下宿住居で、隣り近所の亂調子に頭を攪き廻される樣では到底駄目である。今の樣に過去に追窮されて、義理や人情の紛紜《ごた/”\》に、日夜共心を使つて居ては到底駄目である。自慢ではないが自分は立派な頭腦を持つてゐる。立派な頭腦を持つてゐるものは、此頭腦を使つて世間に貢獻するのが天職である。天職を盡す爲には、盡し得る丈《だけ》の條件が入る。かう云ふ書齋は其條件の一つである。――小野さんはかう云ふ書齋に這入りたくて堪らない。
 高等學校こそ違へ、大學では甲野さんも小野さんも同年であつた。哲學と純文學は科が異なるから、小野さんは甲野さんの學力を知り樣がない。只「哲世界と實世界」と云ふ論文を出して卒業したと聞く許《ばかり》である。「哲世界と實世界」の價値は、讀まぬ身に分る筈がないが、兎に角甲野さんは時計を頂戴して居らん。自分は頂戴して居《を》る。恩賜の時計は時を計るのみならず、腦の善惡《よしあし》をも計る。未來の進歩と、學界の成功をも計る。特典に洩れた甲野さんは大した人間ではないに極つてゐる。其上卒業してから是と云ふ研究もしない樣だ。深い考を内に蓄《たくは》へて居るかも知れぬが、蓄《たくは》へて居るならもう出す筈である。出さぬは蓄《たくはへ》がない證據と見て差支ない。どうしても自分は甲野さんより有益な材である。その有益な材を抱いて奔走に、六十圓に、月々を衣食するに、甲野さんは、手を拱《こまぬ》いて、徒然《とぜん》の日を退屈さうに暮らしてゐる。此書齋を甲野さんが占領するのは勿體《もつたい》ない。自分が甲野の身分で此部屋の主人《あるじ》となる事が出來るなら、此二年の間に相應の仕事はしてゐるものを、親讓りの貧乏に、驥《き》も櫪《れき》に伏す天の不公平を、已《やむ》を得ず、今日《けふ》迄忍んで來た。一陽は幸《さち》なき人の上にも來《きた》り復《かへ》ると聞く。願くは/\と小野さんは日頃に念じてゐた。――知らぬ甲野さんはぽつ然《ねん》として机に向つてゐる。
 正面の窓を明けたらば、石一級の歩に過ぎずして、廣い芝生を一目に見渡すのみか、朗な氣が地つゞきを、すぐ部屋のなかに這入《はひい》るものを、甲野さんは締め切つた儘、ひそりと立て籠つてゐる。
 右手の小窓は、硝子を下《おろ》した上に、左右から垂れかゝる窓掛に半《なか》ば蔽はれてゐる。通ふ光線《ひかり》は幽《かす》かに床《ゆか》の上に落つる。窓掛は海老茶《えびちや》の毛織に浮出しの花模樣を埃の儘に、二十日程は動いた事がない樣である。色も大分《だいぶ》褪《さ》めた。部屋と調和のない裝飾も、過渡時代の日本には當然として立派に通用する。窓掛の隙間から硝子へ顔を壓《お》し付けて、外を覗くと扇骨木《かなめ》の植込《うゑごみ》を通して池が見える。棒縞の間から横へ拔けた波模樣の樣に、途切れ/\に見える。池の筋向《すじむかふ》が藤尾の座敷になる。甲野さんは植込も見ず、池も見ず、芝生も見ず、机に凭《よ》つて凝《じつ》としてゐる。焚き殘された去年の石炭が、煖炉のなかに只一個冷やかに春を觀ずる體《てい》である。
 やがて、かたりと書物を置き易へる音がする。甲野さんは手垢の着いた、例の日記帳を取り出して、誌《つ》け始める。
 「多くの人は吾に對して惡を施さんと欲す。同時に吾の、彼等を目して兇徒となすを許さず。又其兇暴に抗するを許さず。曰く。命に服せざれば汝を嫉《にく》まんと」
 細字に書き終つた甲野さんは、其《その》後《あと》に片假名でレオパルヂと入れた。日記を右に片寄せる。置き易へた書物を再び故《もと》の座に直して、靜かに讀み始める。細い青貝の軸を着けた洋筆《ぺん》がころ/\と机を滑つて床《ゆか》に落ちた。ぽたりと黒いものが足の下に出來る。甲野さんは兩手を机の角に突張つて、心持腰を後《うしろ》へ浮かしたが、眼を落して先づ黒いしたゝりを眺めた。丸い輪に墨が餘つて?《ぱつ》と四方に飛んでゐる。青貝は寐返りを打つて、薄暗いなかに冷たさうな長い光を放つ。甲野さんは椅子をづらす。手捜《てさぐり》に取り上げた洋筆軸《ぺんぢく》は父が西洋から買つて來て呉れた昔土産《むかしみやげ》である。
 甲野さんは、指先に軸を撮《つま》んだ手を裏返して、拾つた物を、指の谷から滑らして掌《てのひら》のなかに落し込む。掌の向を上下に易へると、長い軸は、ころころと前へ行き後《うし》ろへ戻る。動くたびにきらきら光る。小《ちひ》さい記念《かたみ》である。
 洋筆軸《ぺんぢく》を轉がし乍ら、書物の續きを讀む。頁をはぐると斯《こ》んな事が、かいてある。
 「劔客の劔を舞はすに、力|相若《あひし》くときは劔術は無術と同じ。彼、此《これ》を一籌《いつちう》の末に制する事能はざれば、學ばざるものゝ相對して敵となるに等しければなり。人を欺くも又之に類す。欺かるゝもの、欺くものと一樣の譎詐《きつさ》に富むとき、二人《ににん》の位地は、誠實を以て相對すると毫も異なる所なきに至る。此故に僞〔傍点〕と惡〔傍点〕とは優勢〔二字傍点〕を引いて援護となすにあらざるよりは、不足僞《ふそくぎ》、不足惡《ふそくあく》に出會《しゆつくわい》するにあらざるよりは、最後に、至善を敵とするにあらざるよりは、――効果を収むる事|難《かた》しとす。第三の場合は固《もと》より稀なり。第二も亦多からず。兇漢は敗コに於て匹敵するを以て常態とすればなり。人|相賊《あひぞく》して遂に達する能はず、或は千辛萬苦して始めて達し得べきものも、たゞ互に善を行ひコを施こして容易に到り得べきを思へば、悲しむべし」
 甲野さんは又日記を取り上げた。青貝の洋筆軸《ぺんぢく》を、ぽとりと墨壺の底に落す。落した儘容易に上げないと思ふと、遂には手を放した。レオパルヂは開いた儘、黄な表紙の日記を頁の上に載せる。兩足を踏張《ふんば》つて、組み合せた手を、頸根にうんと椅子の脊に凭れかゝる。仰向く途端に父の半身畫と顔を見合はした。
 餘り大きくはない。半身とは云へ胴衣《ちよつき》の釦《ぼたん》が二つ見へる丈《だけ》である。服はフロツクと思はれるが、背景の暗いうちに吸ひ取られて、明らかなのは、わずかに洩るゝ白襯衣《しろしやつ》の色と、額の廣い顔|丈《だけ》である。
 名ある人の筆になると云ふ。三年|前《ぜん》歸朝の節、父は此一面を携へて、遙かなる海を横濱の埠頭に上《のぼ》つた。夫《それ》より以後は、欽吾が仰ぐ度に壁間に懸つてゐる。仰がぬ時も壁間から欽吾を見下《みおろ》してゐる。筆を執るときも、頬杖を突くときも、假寐《うたゝね》の頭を机に支ふるときも――絶えず見下してゐる。欽吾が居ない時ですら、畫布《カン?ス》の人は、常に書齋を見下《みおろ》してゐる。
 見下す丈《だけ》あつて活きて居る。眼玉に締りがある。それも丹念に塗りたくつて、根氣任せに錬り上げた眼玉ではない。一刷毛《ひとはけ》に輪廓を描《ゑが》いて、眉と睫《まつげ》の間に自然の影が出來る。下瞼《したまぶた》の垂味《たるみ》が見える。取る年が集つて目尻を引張る波足が浮く。其《その》中《なか》に瞳が活きてゐる。動かないでしかも活きてゐる刹那《さつな》の表情を、其儘|畫布《カン?ス》に落した手腕は、會心の機を早速《さそく》に捕へた非凡の技《ぎ》と云はねばならぬ。甲野さんは此眼を見る度に活きてるなと思ふ。
 想界に一瀾を點ずれば、千瀾追ふて至る。瀾々《らん/\》相擁《あひよう》して思索の郷《くに》に、吾を忘るゝとき、懊惱《あうなう》の頭《かうべ》を上げて、此眼にはたりと逢へば、あつ、在《あ》つたなと思ふ。ある時はおや居たかと驚ろく事さへある。――甲野さんがレオパルヂから眼を放して、萬事を椅子の脊に託した時は、常よりも烈しくおや居たなと驚ろいた。
 思出の種に、亡き人を忍ぶ片身《かたみ》とは、思ひ出す便《たより》を與へながら、亡き人を故《もと》に返さぬ無慘なものである。肌に離さぬ數糸の髪を、懷《いだ》いては、泣いては、月日は只先へと廻《めぐ》るのみの浮世である。片身《かたみ》は燒くに限る。父が死んでからの甲野さんは、何となく此|畫《ゑ》を見るのが厭になつた。離れても別?がないと落付《おちつき》の根城を据ゑて、咫尺《しせき》に慈顔を髣髴《ほうふつ》するは、離れたる親を、記憶の紙に炙《あぶ》り出すのみか、逢へる日を春に待てとの占《うら》にもなる。が、逢はうと思つた本人はもう死んで仕舞つた。活きてゐるものは只眼玉|丈《だけ》である。夫《それ》すら活きて居るのみで毫も動かない。――甲野さんは茫然として、眼玉を眺めながら考へてゐる。
 親父も氣の毒な事をした。もう少し生きれば生きられる年だのに。髭も丸《まる》で白くはない。血色もみづ/\して居る。死ぬ氣は無論なかつたらう。氣の毒な事をした。どうせ死ぬなら、日本へ歸つてから死んで呉れゝば好いのに。言ひ置いて行きたい事も定めてあつたらう。聞きたい事、話したい事も澤山あつた。惜しい事をした。好い年をして三遍も四遍も外國へ遣られて、しかも任地で急病に罹つて頓死《とんし》して仕舞つた。……
 活きて居る眼は、壁の上から甲野さんを見詰めてゐる。甲野さんは椅子に倚り掛つた儘、壁の上を見詰めて居る。二人の眼は見る度にぴたりと合ふ。昵《じつ》として動かずに、合はした儘の秒を重ねて分に至ると、向ふの眸が何となく働らいて來た。睛《せい》を閑所《かんしよ》に轉ずる氣紛《きまぐれ》の働ではない。打ち守る光が次第に強くなつて、眼を拔けた魂がじり/\と一直線に甲野さんに逼つて來る。甲野さんはおやと、首を動《うごか》した。髪の毛が、椅子の脊を離れて二寸|許《ばかり》前へ出た時、もう魂は居なくなつた。何時《いつ》の間《ま》にやら、眼のなかへ引き返したと見える。一枚の額は依然として一枚の額に過ぎない。甲野さんは再び黒い頭を椅子の肩に投げかけた。
 馬鹿々々しい。が近頃時々|斯《こ》んな事がある。身體が衰弱した所爲《せゐ》か、頭腦《あたま》の具合が惡いからだらう。夫《それ》にしても此|畫《ゑ》は厭だ。なまじい親父に似て居る丈《だけ》が猶《なほ》氣掛りである。死んだものに心を殘したつて始まらないのは知れて居る。所へ死んだものを鼻の先へぶら下げて思へ/\と催促されるのは、木刀を突き付けて、さあ腹を切れと逼《せび》られる樣なものだ。うるさいのみか不快になる。
 それも唯の場合なら兎も角である。親父の事を思ひ出す度に、親父に氣の毒になる。今の身と、今の心は自分にさへ氣の毒である。實世界に住むとは、名|許《ばかり》の衣と住と食とを貪《むさぼ》る丈《だけ》で、頭は外《ほか》の國に、母も妹《いもと》も忘れゝばこそ、斯う生きても居る。實世界の地面から、踵を上げる事を解《げ》し得ぬ利害の人の眼に見たら、定めし馬鹿の骨頂だらう。自分は自分に凡《すべ》てを棄てる覺悟があるにもせよ、此|體《てい》たらくを親父には見せ度くない。親父は只の人である。草葉の蔭で親父が見てゐたら、定めて不肖の子と思ふだらう。不肖の子は親父の事を思ひ出したくない。思ひ出せば氣の毒になる。――どうも此|畫《ゑ》はいかん。折があつたら藏のなかへでも片付けてしまはう。……
 十人は十人の因果を持つ。羹《あつもの》に懲《こ》りて膾《なます》を吹くは、株《しゆ》を守つて兎を待つと、等しく一樣の大律《たいりつ》に支配せらる。白日天に中《ちゆう》して萬戸に午砲の飯《いひ》を炊《かし》ぐとき、蹠下《しよか》の民は褥裏《じよくり》に夜半《やはん》太平の計《はかりごと》熟す。甲野さんが只一人書齋で考へて居る間に、母と藤尾は日本間の方で小聲に話して居る。
 「ぢやあ、未《ま》だ話さないんですね」と藤尾が云ふ。茶の勝つた節糸《ふしいと》の袷は存外|地味《ぢみ》な代りに、長く明けた袖の後《うしろ》から紅絹《もみ》の裏が婀娜《あだ》な色を一筋《ひとすぢ》なまめかす。帶に代赭《たいしや》の古代模樣《こだいもやう》が見える。織物の名は分らぬ。
 「欽吾にかい」と母が聞き直す。是もくすんだ縞物を、年相應に着こなして、腹合せの黒|丈《だけ》が目に着く程に締めてゐる。
 「えゝ」と應じた藤尾は
 「兄さんは、まだ知らないんでせう」と念を押す。
 「まだ話さないよ」と云つた限《ぎり》、母は落ち付いてゐる。座布團の縁《ふち》を捲《まく》つて、
 「おや、烟管《きせる》はどうしたらう」と云ふ。
 烟管は火鉢の向ふ側にある。長い羅宇《らお》を、逆《ぎやく》に、親指の股に挾んで
 「はい」と手取形の鐵瓶の上から渡す。
 「話したら何とか云ふでせうか」と差し出した手を此方《こちら》側へ引く。
 「云へば御廢《およ》しかい」と母は皮肉に云ひ切つた儘、下を向いて、雁首へ雲井を詰める。娘は答へなかつた。答へをすれば弱くなる。尤も強い返事をしやうと思ふときは黙つてゐるに限る。無言は黄金《わうごん》である。
 五コの下で、存分に吸ひ付けた母は、鼻から出る烟と共に口を開《あ》いた。
 「話は何時《いつ》でも出來るよ。話すのが好ければ私《わたし》が話して上げる。なに相談するがものはない。かう云ふ風にする積《つもり》だからと云へば、夫《それ》限《ぎり》の事だよ」
 「そりや私《わたし》だつて、自分の考が極つた以上は、兄さんがいくら何と云つたつて承知しやしませんけれども……」
 「何にも云へる人ぢやないよ。相談相手に出來る位なら、初手《しよて》から斯うしないでも外にいくらも遣口はあらあね」
 「でも兄さんの心持一つで、此方《こつち》が困る樣になるんだから」
 「さうさ。夫《それ》さへなければ、話も何も要りやしないんだが。どうも表向|家《うち》の相續人だから、あの人がうんと云つて呉れないと、此方《こつち》が路頭に迷ふ樣になる許《ばかり》だからね」
 「其癖、何か話すたんびに、財産はみんな御前に遣るから、其|積《つもり》でゐるがいゝつて云ふんですがね」
 「云ふ丈《だけ》ぢや仕方がないぢやないか」
 「まさか催促する譯にも行かないでせう」
 「なに呉れるものなら、催促して貰つたつて、構はないんだが――只|世間體《せけんてい》がわるいからね。いくらあの人が學者でも此方《こつち》からさうは切り出し惡《にく》いよ」
 「だから、話したら好《い》ゝぢやありませんか」
 「何を」
 「何をつて、あの事を」
 「小野さんの事かい」
 「えゝ」と藤尾は明暸に答へた。
 「話しても好いよ。どうせ何時《いつ》か話さなければならないんだから」
 「さうしたら、何《ど》うにかするでせう。丸つきり財産を呉れる積《つもり》なら、呉れるでせうし。幾らか分けて呉れる氣なら、分けるでせうし、家《うち》が厭なら何所へでも行くでせうし」
 「だが、御母《おつか》さんの口から、御前の世話にはなりたくないから藤尾をどうかして呉れとも云ひ惡《にく》いからね」
 「だつて向《むかふ》で世話をするのが厭だつて云ふんぢやありませんか。世話は出來ない、財産はやらない。それぢや御母《おつか》さんを何《ど》うする積《つもり》なんです」
 「どうする積《つもり》も何も有りやしない。只あゝやつて愚圖々々して人を困らせる男なんだよ」
 「少しは此方《こつち》の樣子でも分りさうなもんですがね」
 母は黙つて居る。
 「此間金時計を宗近にやれつて云つた時でも……」
 「小野さんに上げると御云ひのかい」
 「小野さんにとは云はないけれども。一《はじめ》さんに上げるとは云はなかつたわ」  「妙だよあの人は。藤尾に養子をして、面倒を見て御貰ひなさいと云ふかと思ふと、矢つ張り御前を一《はじめ》に遣りたいんだよ。だつて一《はじめ》は一人息子ぢやないか。養子なんぞに來られるものかね」
 「ふん」と受けた藤尾は、細い首を横に庭の方《かた》を見る。夕暮を促がすとのみ眺められた淺葱櫻《あさぎざくら》は、悉《こと/”\》く梢を辭して、光る茶色の嫩葉《わかば》さへ吹き出してゐる。左に茂る三四本の扇骨木《かなめ》の丸く刈り込まれた間から、書齋の窓が少し見える。思ふさま片寄つて枝を伸《の》した櫻の幹を、右へ離れると池になる。池が盡きれば張り出した自分の座敷である。
 靜かな庭を一目見廻はした藤尾は再び横顔を返して、母を眞向《まむき》に見る。母はさつきから藤尾の方を向いたなり眼を放さない。二人が顔を合せた時、何を思つたか、藤尾は美くしい片頬《かたほ》をむづつかせた。笑と迄片付かぬものは、明かに浮ばぬ先に自然《じねん》と消える。
 「宗近の方は大丈夫なんでせうね」
 「大丈夫でなくつたつて、仕方がないぢやないか」
 「でも斷つて下すつたんでせう」
 「斷つたんだとも。此間行つた時に、宗近の阿爺《おとつさん》に逢つて、よく理由《わけ》は話して來たのさ。――歸つてから御前にも話した通り」
 「夫《それ》は覺えてゐますけれども、何だか判然《はつきり》しない樣だつたから」
 「判然《はつきり》しないのは向《むかふ》の事さ。阿爺《おとつさん》があの通り氣の長い人だもんだから」
 「此方《こつち》でも判然《はつきり》とは斷はらなかつたんでせう」
 「そりや今迄の義理があるから、さう子供の使の樣に、藤尾が厭だと申しますから、平《ひら》に御斷はり申しますとは云へないからね」
 「なに厭なものは、どうしたつて好くなりつこ無いんだから、一層《いつそ》平つたく云つた方が好いんですよ」
 「だつて、世間はさうしたもんぢやあるまい。御前はまだ年が若いから露骨《むきだし》でも構はないと御思《おおもひ》かも知れないが、世の中はさうは行かないよ。同じ斷はるにしても、そこにはね。矢つ張り葢《ふた》も味《み》もある樣に云はないと――只怒らして仕舞つたつて仕方がないから」
 「何とか云つて斷つたのね」
 「欽吾がどうあつても嫁を貰ふと云つて呉れません。私も取る年で心細う御座いますから」と一と息に下《くだ》して來る。一寸御茶を呑む。
 「年を取つて心細いから」
 「心細いから、欽吾《あれ》があの儘押し通す料簡なら、藤尾に養子でもして掛かるより外に致し方が御座いません。すると一《はじめ》さんは大事な宗近家の御相續人だから私共へ入らしつて頂く譯にも行かず、又藤尾を差し上げる譯にも參らなくなりますから……」
 「それぢや兄さんがもしや御嫁を貰ふと云ひ出したら困るでせう」
 「なに大丈夫だよ」と母は淺黒い額へ癇癪の八の字を寄せた。八の字はすぐとれる。やがて云ふ。
 「貰ふなら、貰ふで、糸子でも何でも勝手な人を貰ふがいゝやね。此方《こつち》は此方《こつち》で早く小野さんを入れて仕舞うから」
 「でも宗近の方は」
 「いゝよ。さう心配しないでも」と地烈太《ぢれつた》さうに云ひ切つた後で
 「外交官の試驗に及第しないうちは嫁|所《どころ》ぢやないやね」と付けた。
 「もし及第したら、すぐ何か云ふでせう」
 「だつて、彼《あの》男《をとこ》に及第が出來ますものかね。考へて御覽な。――もし及第なすつたら藤尾を差上ませうと約束したつて大丈夫だよ」
 「さう云つたの」
 「さうは云はないさ。さうは云はないが、云つても大丈夫、及第出來つ子ない男だあね」
 藤尾は笑ながら、首を傾けた。やがてすつきと姿勢を正して、話を切り上げながら云ふ。
 「ぢや宗近の御叔父《をぢさん》は慥《たし》かに斷はられたと思つてるんですね」
 「思つてる筈だがね。――どうだい、あれから一《はじめ》の樣子は、少しは變つたかい」
 「矢つ張り同《おんな》じですからさ。此間博覽會へ行つたときも相變らずですもの」
 「博覽會へ行つたのは、何時《いつ》だつたかね」
 「今日で」と考へる。「一昨日《をとゝひ》、一昨々日《さきをとゝひ》の晩です」と云ふ。
 「そんなら、もう一《はじめ》に通じてゐる時分だが。――尤も宗近の御叔父《をぢさん》があゝ云ふ人だから、殊に依ると謎が通じなかつたかも知れないね」とさも齒痒《はがゆ》さうである。
 「それとも一《はじめ》さんの事だから、御叔父《をぢさん》から聞いても平氣で居るのかも知れないわね」
 「さうさ。何方《どつち》が何方《どつち》とも云へないね。ぢや、かうし樣《やう》。兎も角も欽吾に話して仕舞はう。――こつちで黙つて居ちや、何時《いつ》迄《まで》立つても際限がない」
 「今、書齋にゐるでせう」
 母は立ち上がつた。椽側へ出た足を一歩《ひとあし》後《あと》へ返して、小聲に
 「御前、一《はじめ》に逢ふだらう」と屈《こごみ》乍《なが》ら云ふ。
 「逢ふかも知れません」
 「逢つたら少し匂はして置く方が好いよ。小野さんと大森へ行くとか云つてゐたぢやないか。明日《あした》だつたかね」
 「えゝ、明日《あした》の約束です」
 「何なら二人で遊んで歩く所でも見せてやると好い」
 「ホヽヽヽヽ」
 母は書齋に向ふ。
 からりとした椽を通り越して、奇麗な木理《もくめ》を一面に研ぎ出してある西洋間の戸を半分明けると、立て切つた中は暗い。圓鈕《ノツブ》を前に押しながら、開く戸に身を任せて、音なき兩足を寄木《よせき》の床《ゆか》に落した時、釘舌《ボールト》のかちやりと跳ね返る音がする。窓掛に春を遮《さへ》ぎる書齋は、薄暗く二人を、人の世から仕切つた。
 「暗い事」と云ひながら、母は眞中の洋卓《てえぶる》迄來て立ち留まる。椅子の脊の上に首|丈《だけ》見えた欽吾の後姿が、聲のした方へ、じいつと廻り込むと、なぞへに引いた眉の切れが三が一程あらはれた。黒い片髭が上唇を沿ふて、自然《じねん》と下りて來て、盡んとする角《かど》から、急に捲き返す。口は結んでゐる。同時に黒い眸《ひとみ》は眼尻迄|擦《ず》つて來た。母と子は此姿勢のうちに互を認識した。
 「陰氣だねえ」と母は立ちながら繰り返す。
 無言の人は立ち上る。上靴を二三度|床《ゆか》に鳴らして、洋卓《てえぶる》の角迄足を運ばした時、始めて
 「窓を明けませうか」と緩《ゆつくり》聞いた。
 「どうでも――母《おつか》さんはどうでも構はないが、只御前が欝陶《うつたう》しいだらうと思つてさ」
 無言の人は再び右の手の平を、洋卓越《てえぶるごし》に前へ出した。促がされたる母は先づ椅子に着く。欽吾も腰を卸した。
 「どうだね、具合は」
 「難有《ありがた》う」
 「ちつとは好い方かね」
 「えゝ――先《ま》あ――」と生返事をした時、甲野さんは脊を引いて腕を組んだ。同時に洋卓《てえぶる》の下で、右足の甲の上へ左の外踝《そとくろぶし》を乘せる。母の眼からは、只|裄《ゆき》の縮んだ卵色の襯衣《しやつ》の袖が正面に見える。
 「身體《からだ》を丈夫にして呉れないとね、母《おつか》さんも心配だから……」
 句の切れぬうちに、甲野さんは自分の顎を咽喉へ押し付けて、洋卓《てえぶる》の下を覗き込んだ。黒い足袋が二つ重なつてゐる。母の足は見えない。母は出直した。
 「身體が惡いと、つい氣分迄|欝陶敷《うつたうし》くなつて、自分も面白くないし……」
 甲野さんは不圖眼を上げた。母は急に言葉を移す。
 「でも京都へ行つてから、少しは好い樣だね」
 「さうですか」
 「ホヽヽヽヽ、さうですかつて、他人《ひと》の事の樣に。――何だか顔色が丈夫/\して來たぢやないか。日に燒けた所爲《せゐ》かね」
 「さうかも知れない」と甲野さんは、首を向け直して、窓の方を見る。窓掛の深い襞《ひだ》が左右に切れる間から、扇骨木《かなめ》の若葉が燃える樣に硝子に映《うつ》る。
 「ちつと、日本間の方へ話にでも來て御覽。あつちは、廓《から》つとして、書齋より心持が好いから。たまには、一《はじめ》の樣につまらない女を相手にして世間話をするのも氣が變つて面白いものだよ」
 「難有《ありがた》う」
 「どうせ相手になる程の話は出來ないけれども――それでも馬鹿は馬鹿なりにね。……」
 甲野さんは眩《まぶ》しさうな眼を扇骨木《かなめ》から放した。
 「扇骨木《かなめ》が大變奇麗に芽を吹きましたね」
 「見事だね。却つて生じいな花よりも、好ござんすよ。此所からは、たつた一本しつきや見えないね。向《むかふ》へ廻ると刈り込んだのが丸《まある》く揃つて、そりや奇麗」
 「あなたの部屋からが一番好く見える樣ですね」
 「あゝ、御覽かい」
 甲野さんは見たとも見ないとも云はなかつた。母は云ふ。――
 「それにね。近頃は陽氣の所爲《せゐ》か池の緋鯉が、まことに能く跳《はね》るんで……此所から聞えますかい」
 「鯉の跳《はね》る音がですか」
 「あゝ」
 「いゝえ」
 「聞えない。聞えないだらうねかう立て切つて有つちやあ。母《おつか》さんの部屋からでも聞えない位だから。此間藤尾に母《おつか》さんは耳が惡くなつたつて、散々笑はれたのさ。――尤も、もう耳も惡くなつて好い年だから仕方がないけれども」
 「藤尾は居ますか」
 「ゐるよ。もう小野さんが來て稽古をする時分だらう。――何か用でもあるかい」
 「いえ、用は別にありません」
 「あれも、あんな、氣の勝つた子で、嘸《さぞ》御前さんの氣に障る事もあらうが、まあ我慢して、本當の妹だと思つて、面倒を見て遣つて下さい」
 甲野さんは腕組の儘、じつと、深い瞳を母の上に据ゑた。母の眼は何故《なぜ》か洋卓《てえぶる》の上に落ちてゐる。
 「世話はする氣です」と徐《しづ》かに云ふ。
 「御前がさう云つて呉れると私《わたし》もまことに安心です」
 「する氣どころぢやない。したいと思つてゐる位です」
 「それ程に思つて呉れると聞いたら當人も嘸《さぞ》喜ぶ事だらう」
 「ですが……」で言葉は切れた。母は後《あと》を待つ。欽吾は腕組を解いて、椅子に倚る脊を前に、胸を洋卓《てえぶる》の角へ着ける程母に近付いた。
 「ですが、母《おつか》さん。藤尾の方では世話になる氣がありません」
 「そんな事が」と今度は母の方が身體を椅子の脊に引いた。甲野さんは一筋の眉さへ動かさない。同じ樣な低い聲を、靜かに繋《つな》げて行く。
 「世話をすると云ふのは、世話になる方で此方《こつち》を信仰――信仰と云ふのは神さまの樣で可笑《をか》しい」
 甲野さんは此所でぽつりと言葉を切つた。母はまだ番が回つて來ないと心得たか、尋常に控へてゐる。
 「兎に角世話になつても好いと思ふ位に信用する人物でなくつちや駄目です」
 「そりや御前にさう見限られて仕舞へば夫《それ》迄《まで》だが」と此所迄は何の苦もなく出したが、急に調子を逼らして、
 「藤尾《あれ》も實は可哀想《かはいさう》だからね。さう云はずに、どうかして遣つて下さい」と云ふ。甲野さんは肘を立てゝ、手の平で額を抑へた。
 「だつて見縊られて居るんだから、世話を燒けば喧嘩になる許《ばかり》です」
 「藤尾が御前さんを見縊るなんて……」と打ち消はしとやかな母にしては比較的に大きな聲であつた。
 「そんな事があつては第一|私《わたし》が濟まない」と次に添へた時はもう常に復してゐた。
 甲野さんは黙つて肘を立てゝ居る。
 「何か藤尾が不都合な事でもしたかい」
 甲野さんは依然として額に加へた手の下から母を眺めてゐる。
 「もし不都合があつたら、私《わたし》から篤《とく》と云つて聞かせるから、遠慮しないで、何でも話して御呉れ。御互のなかで氣不味《きまづ》い事があつちあ面白くないから」
 額に加へた五本の指は、節長に細《ほつそ》りして、爪の形さへ女の樣に華奢《きやしや》に出來てゐる。
 「藤尾は慥《たしか》二十四になつたんですね」
 「明けて四《し》になつたのさ」
 「もう何《ど》うかしなくつちやならないでせう」
 「嫁の口かい」と母は簡單に念を押した。甲野さんは嫁とも聟とも判然した答をしない。母は云ふ。
 「藤尾の事も、實は相談したいと思つてゐるんだが、其前にね」
 「何ですか」
 右の眉は矢張り手の下に隱れてゐる。眼の光《いろ》は深い。けれども鋭い點は何所にも見えぬ。
 「どうだらう。もう一遍考へ直して呉れると好いがね」
 「何をですか」
 「御前の事をさ。藤尾も藤尾でどうかしなければならないが、御前の方を先へ極めないと、母《おつか》さんが困るからね」
 甲野さんは手の甲の影で片頬《かたほ》に笑つた。淋《さみ》しい笑である。
 「身體《からだ》が惡いと御云ひだけれども、御前位の身體《からだ》で御嫁を取つた人は幾何《いくら》でもあります」
 「そりや、有るでせう」
 「だからさ。御前も、もう一遍考へ直して御覽な。中には御嫁を貰つて大變丈夫になつた人もある位だよ」
 甲野さんの手は此時始めて額を離れた。洋卓《てえぶる》の上には一枚の罫紙に鉛筆が添へて載せてある。何氣なく罫紙を取り上げて裏を返して見ると三四行の英語が書いてある。讀み掛けて氣が付いた。昨日《きのふ》讀んだ書物の中から備忘の爲め抄録して、其儘に捨てゝ置いた紙片《かみきれ》である。甲野さんは罫紙を洋卓《てえぶる》の上に伏せた。
 母は額の裏側|丈《だけ》に八の字を寄せて、甲野さんの返事を大人《おとな》しく待つてゐる。甲野さんは鉛筆を執つて紙の上へ烏と云ふ字を書いた。
 「どうだらうね」
 烏と云ふ字が鳥になつた。
 「さうして呉れると好いがね」
 鳥と云ふ字が鴃《げき》の字になつた。其下に舌の字が付いた。さうして顔を上げた。云ふ。
 「まあ藤尾の方から極めたら好いでせう」
 「御前が、どうしても承知して呉れなければ、さうするより外に道はあるまい」
 云ひ終つた母は悄然として下を向いた。同時に忰《せがれ》の紙の上に三角が出來た。三角が三つ重なつて鱗の紋になる。
 「母《おつ》かさん。家《うち》は藤尾に遣りますよ」
 「それぢや御前……」と打ち消にかゝる。
 「財産も藤尾に遣ります。私《わたし》は何にも入らない」
 「それぢや私達《わたしたち》が困るばかりだあね」
 「困りますか」と落ち付いて云つた。母子《おやこ》は一寸眼を見合せる。
 「困りますかつて。――私《わたし》が、死んだ阿父《おとつ》さんに濟まないぢやないか」
 「さうですか。ぢや何《ど》うすれば好いんです」と飴色に塗つた鉛筆を洋卓《てえぶる》の上にはたりと放《はふ》り出した。
 「どうすれば好いか、どうせ母《おつか》さんの樣な無學なものには分らないが、無學は無學なりにそれぢや濟まないと思ひますよ」
 「厭なんですか」
 「厭だなんて、そんな勿體《もつたい》ない事を今迄云つた事があつたかね」
 「有りません」
 「私《わたし》も無い積《つもり》だ。御前がさう云つて呉れるたんびに、御禮は始終《しよつちゆう》云つてるぢやないか」
 「御禮は始終《しよつちゆう》聞いてゐます」
 母は轉がつた鉛筆を取り上げて、尖つた先を見た。丸い護謨《ごむ》の尻を見た。心のうちで手の付け樣のない人だと思つた。やゝあつて護謨の尻をきゆうつと洋卓《てえぶる》の上へ引つ張りながら云ふ。
 「ぢや、何《ど》うあつても家《うち》を襲《つ》ぐ氣はないんだね」
 「家《うち》は襲《つ》いでゐます。法律上|私《わたし》は相續人です」
 「甲野の家は襲《つ》いでも、母《おつ》かさんの世話はして呉れないんだね」
 甲野さんは返事をする前に、眸を長い眼の眞中に据ゑてつく/”\と母の顔を眺めた。やがて、
 「だから、家も財産もみんな藤尾にやると云ふんです」と慇懃《いんぎん》に云ふ。
 「夫《それ》程《ほど》に御云ひなら、仕方がない」
 母は溜息と共に、此一句を洋卓《てえぶる》の上に打ち遣つた。甲野さんは超然として居る。
 「ぢや仕方がないから、御前の事は御前の思ひ通りにするとして、――藤尾の方だがね」
 「えゝ」
 「實はあの小野さんが好からうと思ふんだが、どうだらう」
 「小野をですか」と云つた限《ぎ》り、黙つた。
 「不可《いけ》まいか」
 「不可《いけ》ない事もないでせう」と緩《ゆつ》くり云ふ。
 「可《よ》ければ、さう極めやうと思ふが……」
 「好いでせう」
 「好いかい」
 「えゝ」
 「夫《それ》で漸く安心した」
 甲野さんは昵《じつ》と眼を凝《こ》らして正面に何物をか見詰めて居る。恰も前にある母の存在を認めざる如くである。
 「夫《それ》で漸く――御前どうか御爲《おし》かい」
 「母《おつ》かさん、藤尾は承知なんでせうね」
 「無論知つてゐるよ。何故」
 甲野さんは、矢張り遠方を見てゐる。やがて瞬《またゝき》を一つすると共に、眼は急に近くなつた。
 「宗近は不可《いけ》ないんですか」と聞く。
 「一《はじめ》かい。本來なら一《はじめ》が一番好いんだけれども。――父《おとつ》さんと宗近とは、あゝ云ふ間柄ではあるしね」
 「約束でもありやしなかつたですか」
 「約束と云ふ程の事はなかつたよ」
 「何だか父《おとつ》さんが時計を遣るとか云つた事がある樣に覺えてゐますが」
 「時計?」と母は首を傾《かた》げた。
 「父《おとつ》さんの金時計です。柘榴石《ガーネツト》の着いてゐる」
 「あゝ、さう/\。そんな事が有つた樣だね」と母は思ひ出した如くに云ふ。
 「一《はじめ》はまだ當《あて》にしてゐる樣です」
 「さうかい」と云つた限《ぎ》り母は澄ましてゐる。
 「約束があるなら遣らなくつちや惡い。義理が缺ける」
 「時計は今藤尾が預つてゐるから、私《わたし》から、よく、さう云つて置かう」
 「時計もだが、藤尾の事を重《おも》に云つてるんです」
 「だつて藤尾を遣らうと云ふ約束は丸《まる》で無いんだよ」
 「さうですか。――夫《それ》ぢや、好いでせう」
 「さう云ふと私《わたし》が何だか御前の氣に逆《さから》ふ樣で惡いけれども、――そんな約束は丸《まる》で覺《おぼえ》がないんだもの」
 「はあゝ。ぢや無いんでせう」
 「そりやね。約束があつても無くつても、一《はじめ》なら遣つても好いんだが、あれも外交官の試驗がまだ濟まないんだから勉強中に嫁でもあるまいし」
 「そりや、構はないです」
 「夫《それ》に一《はじめ》は長男だから、どうしても宗近の家を襲《つ》がなくつちやならずね」
 「藤尾へは養子をする積《つもり》なんですか」
 「したくはないが、御前が母《おつ》かさんの云ふ事を聞いて御呉れでないから……」
 「藤尾がわきへ行くにしても、財産は藤尾に遣ります」
 「財産は――御前|私《わたし》の料簡を間違へて取つて御呉れだと困るが――母《おつか》さんの腹の中には財産の事なんか丸《まる》でありやしないよ。そりや割つて見せたい位に奇麗な積《つもり》だがね。さうは見えないか知ら」
 「見えます」と甲野さんが云つた。極めて眞面目な調子である。母にさへ嘲弄の意味には受取れなかつた。
 「只年を取つて心細いから……たつた一人の藤尾を遣つて仕舞ふと、後《あと》が困るんでね」
 「成程」
 「でなければ一《はじめ》が好いんだがね。御前とも仲が善し……」
 「母《おつ》かさん、小野をよく知つてゐますか」
 「知つてる積《つもり》です。叮嚀で、親切で、學問が能く出來て立派な人ぢやないか。――何故」
 「そんなら好いです」
 「さう素氣《そつけ》なく云はずと、何か考があるなら聞かして御呉れな。折角相談に來たんだから」
 しばらく罫紙の上の樂書《らくがき》を見詰めてゐた甲野さんは眼を上げると共に穩かに云ひ切つた。
 「宗近の方が小野より母《おつか》さんを大事にします」
 「そりや」と忽ち出る。後《あと》から靜かに云ふ。
 「さうかも知れない――御前の見た眼に間違はあるまいが、外《ほか》の事と違つて、是《これ》許《ばか》りは親や兄の自由には行《い》かないもんだからね」
 「藤尾が是非にと云ふんですか」
 「え、まあ――是非とも云ふまいが」
 「そりや私《わたし》も知つてゐる。知つてるんだが。――藤尾は居ますか」
 「呼びませう」
 母は立つた。薄紅色《ときいろ》に深く唐草を散らした壁紙に、立ちながら、手頃に屆く電鈴《べる》を、白きたゞ中に押すと、座に返る程なきに應《こたへ》がある。入口の戸が五寸|許《ばかり》そつと明《あ》く、所を振り返つた母が
 「藤尾に用があるから一寸《ちよいと》」と云ふ。そつと明《あ》いた戸はそつと締る。
 母と子は洋卓《てえぶる》を隔てゝ差し向ふ。互に無言である。欽吾は又鉛筆を取り上げた。三つ鱗の周圍《まはり》に擦れ/\の大きさに圓《まる》を描《か》く。圓と鱗の間を塗る。黒い線を一本一本叮嚀に並行させて行く。母は所在なさに、忰《せがれ》の圖案を慇懃に眺めて居る。
 二人の心は無論わからぬ。只上部|丈《だけ》は如何にも靜である。もし手足《しゆそく》の擧止が、内面の消息を形而下に運び來《きた》る記號となり得るならば、此二人程に長閑《のどか》な母子《おやこ》は容易に見出《みいだ》し得まい。退屈の刻を、數《す》十の線に劃して、行儀よく三つ鱗の外部《そとがは》を塗り潰す子と、尋常に手を膝の上に重ねて、一劃ごとに黒くなる圓《まる》の中を、端然《たんねん》と打ち守る母とは、咸雍《かんよう》の母子《おやこ》である。和怡《わい》の母子《おやこ》である。挾《さしは》さむ洋卓《てえぶる》に、遮らるゝ胸と胸を對ひ合せて、春|鎖《とざ》す窓掛のうちに、世を、人を、爭を、忘れたる姿である。亡き人の肖像は例に因つて、壁の上から、閑靜なる此|母子《おやこ》を照らしてゐる。
 丹念に引く線は漸く繁くなる。黒い部分は次第に揩キ。殘るは只右手に當る弓形《ゆみなり》の一ケ所となつた時、がちやりと釘舌《ボールト》を捩《ねぢ》る音がして、待ち設けた藤尾の姿が入口に現はれた。白い姿を春に託す。深い背景のうちに肩から上が浮いて見える。甲野さんの鉛筆は引きかけた線の半《なか》ばでぴたりと留つた。同時に藤尾の顔は背景を拔け出して來る。
 「炙《あぶ》り出しはどうして」と言ひながら、母の隣迄來て、横合から腰を卸す。卸し終つた時、また、
 「出て?」と母に聞く。母は只藤尾の方を意味ありげに見たのみである。甲野さんの黒い線は此間に四本揩オた。
 「兄さんが御前に何か御用があると御云ひだから」
 「さう」と云つたなり、藤尾は兄の方へ向き直つた。黒い線がしきりに出來つゝある。
 「兄さん、何か御用」
 「うん」と云つた甲野さんは、漸く顔を上げた。顔を上げたなり何とも云はない。
 藤尾は再び母の方を見た。見ると共に薄笑《うすわらひ》の影が奇麗な頬にさす。兄はやつと口を切る。
 「藤尾、此|家《うち》と、私《わたし》が父《おとつ》さんから受け襲《つ》いだ財産はみんな御前にやるよ」
 「何時《いつ》」
 「今日から遣る。――其代り、母《おつか》さんの世話は御前がしなければ不可《いけ》ない」
 「難有《ありがた》う」と云ひながら、又母の方を見る。矢張り笑つて居る。
 「御前宗近へ行く氣はないか」
 「えゝ」
 「ない? どうしても厭か」
 「厭です」
 「さうか。――そんなに小野が好いのか」
 藤尾は屹《きつ》となる。
 「それを聞いて何になさる」と椅子の上に脊を伸《の》して云ふ。
 「何にもしない。私《わたし》の爲には何にもならない事だ。只御前の爲めに云つて遣るのだ」
 「私《わたし》の爲に?」と言葉の尻を上げて置いて、
 「さう」とさも輕蔑した樣に落す。母は始めて口を出す。
 「兄さんの考では、小野さんより一《はじめ》の方がよからうと云ふ話なんだがね」
 「兄さんは兄さん。私《わたし》は私です」
 「兄さんは小野さんよりも一《はじめ》の方が、母《おつか》さんを大事にして呉れると御言ひのだよ」
 「兄さん」と藤尾は鋭く欽吾に向つた。「あなた小野さんの性格を知つて入らつしやるか」
 「知つてゐる」と閑靜《しづか》に云ふ。
 「知つてるもんですか」と立ち上がる。「小野さんは詩人です。高尚な詩人です」
 「さうか」
 「趣味を解した人です。愛を解した人です。温厚の君子です。――哲學者には分らない人格です。あなたには一《はじめ》さんは分るでせう。然し小野さんの價値《ねうち》は分りません。決して分りません。一《はじめ》さんを賞める人に小野さんの價値《ねうち》が分る譯がありません。……」
 「ぢや小野にするさ」
 「無論します」
 云ひ棄てゝ紫の絹《リボン》は戸口の方へ搖《うご》いた。繊《ほそ》い手に圓鈕《ノツブ》をぐるりと回すや否や藤尾の姿は深い背景のうちに隱れた。
 
     十六
 
 叙述の筆は甲野の書齋を去つて、宗近の家庭に入る。同日である。又同刻である。
 相變らずの唐机《たうづくゑ》を控へて、宗近の父《おとつ》さんが鬼更紗《おにざらさ》の座蒲團の上に坐つてゐる。襯衣《しやつ》を嫌つた、黒八丈《くろはちじやう》の襦袢の襟が崩れて、素肌に、もぢや、もぢやと胸毛が見える。忌部燒《いんべやき》の布袋《ほてい》の置物に斯《こ》んなのが能くある。布袋の前に異樣の烟草盆《たばこぼん》を置く。呉祥瑞《ごしよんずゐ》の銘のある染付《そめつけ》には山がある、柳がある、人物がゐる。人物と山と同じ位な大きさに描《ゑが》かれて居る間を、一筋の金泥《きんでい》が蜿蜒と縁《ふち》迄|這上《はひあが》る。形は甕の如く、鉢が開いて、開いた頂が、がつくりと縮まると、丸い縁《ふち》になる。向ひ合せの耳を潜《くゞ》る蔓には、ぎりぎりと澁を帶びた籐《と》を卷き付けて手提《てさげ》の便を計る。
 宗近の父《おとつ》さんは昨日《きのふ》何處の古道具屋からか、繼のある此|烟草盆《たばこぼん》を堀り出して來て、今朝から祥瑞《しよんずゐ》だ、祥瑞《しよんずゐ》だと騷いだ結果、灰を入れ、火を入れ、しきりに烟草を吸つて居る。
 所へ入口の唐紙をさらりと開けて、宗近君が例の如く活?に這入つて來る。父は烟草盆から眼を離した。見ると忰は親讓りの背廣をだぶ/\に着て、カシミヤの靴足袋《くつたび》丈《だけ》に、大なる通《つう》を極めて居る。
 「何所ぞへ行くかね」
 「行くんぢやない、今歸つた所です。――あゝ暑い。今日は餘つ程暑いですね」
 「家《うち》に居ると、さうでもない。御前は無暗に急ぐから暑いんだ。もう少し落ち付いて歩いたらどうだ」
 「充分落ち付いてゐる積《つもり》なんだが、さう見えないかな。弱るな。――やあ、とう/\烟草盆へ火を入れましたね。成程」
 「どうだ祥瑞《しよんずゐ》は」
 「何だか酒甕《さかがめ》の樣ですね」
 「なに烟草盆《たばこぼん》さ。御前達が何だ蚊だつて笑ふが、斯うやつて灰を入れて見ると矢つ張り烟草盆らしいだらう」
 老人は蔓を持つて、ぐつと祥瑞《しよんずゐ》を宙に釣るし上げた。
 「どうだ」
 「えゝ。好いですね」
 「好いだらう。祥瑞《しよんずゐ》は贋の多いもんで容易には買へない」
 「全體|幾何《いくら》なんですか」
 「若干《いくら》だか當てゝ御覽」
 「見當が着きませんね。滅多な事を云ふと又此間の松見た樣に頭ごなしに叱られるからな」
 「壹圓八十錢だ。安いもんだらう」
 「安いですかね」
 「全く堀出《ほりだし》だ」
 「へえゝ――おや椽側にも又新らしい植木が出來ましたね」
 「さつき萬兩《まんりやう》と植ゑ替へた。夫《それ》は薩摩の鉢で古いものだ」
 「十六世紀頃の葡萄耳人《ぽるとがるじん》が被つた帽子の樣な恰好《かつかう》ですね。――此|薔薇《ばら》は又大變赤いもんだな、こりあ」
 「それは佛見笑《ぶつけんせう》と云つてね。矢つ張り薔薇の一種だ」
 「佛見笑《ぶつけんせう》? 妙な名だな」
 「華嚴經《けごんきやう》に外面如菩薩《げめんによぼさつ》、内心如夜叉《ないしんによやしや》と云ふ句がある。知つてるだらう」
 「文句|丈《だけ》は知つてます」
 「それで佛見笑《ぶつけんせう》と云ふんださうだ。花は奇麗だが、大變刺がある。觸つて御覽」
 「なに觸らなくつても結構です」
 「ハヽヽヽ外面如菩薩《げめんによぼさつ》、内心如夜叉《ないしんによやしや》。女は危ないものだ」と云ひながら、老人は雁首《がんくび》の先で祥瑞《しよんずゐ》の中を穿《ほじく》り廻す。
 「六づかしい薔薇があるもんだな」と宗近君は感心して佛見笑《ぶつけんせう》を眺めて居る。
 「うん」と老人は思ひ出した樣に膝を打つ。
 「一《はじめ》あの花を見た事があるかい。あの床《とこ》に挿してある」
 老人は居ながら、顔の向を後《うしろ》へ變へる。捩《ねぢ》れた頸に、行き所を失つた肉が、三筋程|括《くび》られて肩の方へ競《せ》り出して來る。
 茶がかつた平床《ひらどこ》には、釣竿を擔いだ蜆子和尚《けんすをしやう》を一筆《ひとふで》に描《か》いた軸を閑靜に掛けて、前に青銅の古瓶《こへい》を据ゑる。鶴程に長い頸の中から、すいと出る二莖《ふたくき》に、十字と四方に圍ふ葉を境に、數珠《じゆず》に貫《ぬ》く露の珠が二穗《ふたほ》宛《づゝ》偶《ぐう》を作つて咲いてゐる。
 「大變細い花ですね。――見た事がない。何と云ふんですか」
 「是が例の二人靜《ふたりしづか》だ」
 「例の二人靜? 例にも何にも今迄聞いた事がないですね」
 「覺えて置くがいゝ。面白い花だ。白い穗が屹度《きつと》二本|宛《づゝ》出る。だから二人靜。謡曲に靜《しづか》の靈が二人して舞ふと云ふ事がある。知つてゐるかね」
 「知りませんね」
 「二人靜。ハヽヽヽ面白い花だ」
 「何だか因果のある花ばかりですね」
 「調べさへすれば因果はいくらでもある。御前、梅に幾通《いくとほり》あるか知つてるか」と烟草盆《たばこぼん》を釣るして、又|烟管《きせる》の雁首《がんくび》で灰の中を掻き廻す。宗近君は此機に乘じて話頭を轉換した。
 「阿爺《おとつ》さん。今日ね、久し振に髪結床《かみひどこ》へ行つて、頭を刈つて來ました」と右の手で黒い所を撫で廻す。
 「頭を」と云ひながら羅宇《らお》の中程を祥瑞《しよんずゐ》の縁《ふち》でとんと叩いて灰を落す。
 「あんまり奇麗にもならんぢやないか」と眞向《まむき》に歸つてから云ふ。
 「奇麗にもならんぢやないかつて、阿爺《おとつ》さん、こりや五分刈《ごぶがり》ぢやないですぜ」
 「ぢや何刈だい」
 「分けるんです」
 「分かつて居ないぢやないか」
 「今に分かる樣になるんです。眞中が少し長いでせう」
 「さう云へば心持長いかな。廢《よ》せばいゝのに、見つともない」
 「見つともないですか」
 「夫《それ》に是から夏向は熱苦しくつて……」
 「所がいくら熱苦しくつても、かうして置かないと不都合なんです」
 「何故」
 「何故でも不都合なんです」
 「妙な奴だな」
 「ハヽヽヽ實はね、阿爺《おとつ》さん」
 「うん」
 「外交官の試驗に及第してね」
 「及第したか。そりや/\。さうか。そんなら早くさう云へば好いのに」
 「まあ頭でも拵《こしら》へてからに仕樣《しやう》と思つて」
 「頭なんぞは何《ど》うでも好いさ」
 「所が五分刈で外國へ行くと懲役人と間違へられるつて云ひますからね」
 「外國へ――外國へ行くのかい。何時《いつ》」
 「まあ此髪が延びて小野清三式になる時分でせう」
 「ぢや、まだ一ケ月位はあるな」
 「えゝ、其位はあります」
 「一ケ月あるならまあ安心だ。立つ前にゆつくり相談も出來るから」
 「えゝ時間はいくらでもあります。時間の方はいくらでもありますが、此洋服は今日《こんにち》限《かぎり》御返納に及びたいです」
 「ハヽヽヽ不可《いか》んかい。能く似合ふぜ」
 「あなたが似合ふ/\と仰しやるから今日《こんにち》迄《まで》着た樣なものゝ――至る所だぶ/\してゐますぜ」
 「さうか夫《それ》ぢや廢《よ》すがいゝ。又|阿爺《おとつ》さんが着やう」
 「ハヽヽヽ驚いたなあ。夫《それ》こそ御廢《およ》しなさい」
 「廢《よ》しても好い。黒田にでも遣るかな」
 「黒田こそいゝ迷惑だ」
 「そんなに可笑《をか》しいかな」
 「可笑《をか》しかないが、身體に合はないでさあ」
 「さうか、夫《それ》ぢや矢つ張り可笑しいだらう」
 「えゝ、つまる所|可笑《をか》しいです」
 「ハヽヽヽ時に糸にも話したかい」
 「試驗の事ですか」
 「あゝ」
 「まだ話さないです」
 「まだ話さない。なぜ。――全體|何時《いつ》分つたんだ」
 「通知のあつたのは二三日|前《まへ》ですがね。つい、忙《いそが》しいもんだから、まだ誰にも話さない」
 「御前は呑氣《のんき》過ぎていかんよ」
 「なに忘れやしません。大丈夫」
 「ハヽヽヽ忘れちや大變だ。まあもう、ちつと氣を付けるがいゝ」
 「えゝ是から糸公に話してやらうと思つてね。――心配して居るから。――及第の件とそれから此頭の説明を」
 「頭は好いが――全體何所へ行く事になつたのかい。英吉利《いぎりす》か、佛蘭西《ふらんす》か」
 「其邊はまだ分らないです。何でも西洋は西洋でせう」
 「ハヽヽヽ氣樂なもんだ。まあ何所へでも行くが好い」
 「西洋なんか行き度くもないんだけれども――まあ順序だから仕方がない」
 「うん、まあ勝手な所へ行くがいゝ」
 「支那や朝鮮なら、故《もと》の通《とほり》の五分刈で、此だぶ/\の洋服を着て出掛けるですがね」
 「西洋は八釜《やかま》しい。御前の樣な不作法ものには好い修業になつて結構だ」
 「ハヽヽヽ西洋へ行くと墮落するだらうと思つてね」
 「何故」
 「西洋へ行くと人間を二《ふ》た通《とほ》り拵《こし》へて持つて居ないと不都合ですからね」
 「二《ふ》た通《とほり》とは」
 「不作法な裏と、奇麗な表と。厄介でさあ」
 「日本でもさうぢやないか。文明の壓迫が烈しいから上部《うはべ》を奇麗にしないと社會に住めなくなる」
 「其代り生存競爭も烈しくなるから、内部は益《ます/\》不作法になりまさあ」
 「丁度なんだな。裏と表と反對の方角に發達する譯になるな。是からの人間は生きながら八《や》つ裂《ざき》の刑を受ける樣なものだ。苦しいだらう」
 「今に人間が進化すると、神樣の顔へ豚の睾丸《きんたま》をつけた樣な奴ばかり出來て、それで落付《おちつき》が取れるかも知れない。いやだな、そんな修業に出掛けるのは」
 「いつそ廢《やめ》にするか。うちに居て親父《おやぢ》の古洋服でも着て太平樂を並べてゐる方が好いかも知れない。ハヽヽヽ」
 「ことに英吉利人《いぎりすじん》は氣に喰はない。一から十迄英國が模範であると云はん許《ばかり》の顔をして、何でも蚊でも我流《がりう》で押し通さうとするんですからね」
 「だが英國紳士と云つて近頃|大分《だいぶ》評判がいゝぢやないか」
 「日英同盟だつて、何もあんなに賞めるにも當らない譯だ。彌次馬共が英國へ行つた事もない癖に、旗|許《ばかり》押し立てゝ、丸《まる》で日本が無くなつた樣ぢやありませんか」
 「うん。何所の國でも表が表|丈《だけ》に發達すると、裏も裏相應に發達するだらうからな。――なに國|許《ばかり》ぢやない個人でもさうだ」
 「日本がえらくなつて、英國の方で日本の眞似でもする樣でなくつちや駄目だ」
 「御前が日本をえらくするさ。ハヽヽヽ」
 宗近君は日本をえらくするとも、しないとも云はなかつた。不圖《ふと》手を伸《のば》すと更紗《さらさ》の結襟《ネクタイ》が白襟《カラ》の眞中《まんなか》迄浮き出して結目《むすびめ》は横に捩《ねぢ》れて居る。
 「どうも、此|襟飾《えりかざり》は滑つて不可《いけ》ない」と手探《てさぐり》に位地を正しながら、
 「ぢや糸に一寸話しませう」と立ちかける。
 「まあ御待ち、少し相談がある」
 「何ですか」と立ち掛けた尻を卸す機會《しほ》に、準胡坐《じゆんあぐら》の姿勢を取る。
 「實は今迄は、御前の位地もまだ極つて居なかつたから、左程《さほど》にも云はなかつたが……」
 「嫁ですかね」
 「さうさ。どうせ外國へ行くなら、行く前に極めるとか、結婚するとか、又は連れて行くとか……」
 「とても連れちや行かれませんよ。金が足りないから」
 「連れて行かんでも好い。ちやんと片を付けて、さうして置いて行くなら。留守中は私《わし》が大事に預かつてやる」
 「私《わたし》もさう仕《し》樣《やう》と思つてるんです」
 「どうだな其所で。氣に入つた婦人でもあるかな」
 「甲野の妹を貰ふ積《つもり》なんですがね。どうでせう」
 「藤尾かい。うん」
 「駄目ですかね」
 「なに駄目ぢやない」
 「外交官の女房にや、あゝ云ふんでないと不可《いけ》ないです」
 「そこでだて。實は甲野の親父《おやぢ》が生きてゐるうち、私《わし》と親父《おやぢ》の間に、少しは其話もあつたんだがな。御前は知らんかも知らんが」
 「叔父さんは時計を遣ると云ひました」
 「あの金時計かい。藤尾が玩弄《おもちや》にするんで有名な」
 「えゝ、あの太古の時計です」
 「ハヽヽヽあれで針が回るかな。時計はそれとして、實は肝心の本人の事だが――此間甲野の母《おつか》さんが來た時、序《ついで》だから話して見たんだがね」
 「はあ、何とか云ひましたか」
 「まことに好い御縁だが、まだ御身分が極つて御出《おいで》でないから殘念だけれども……」
 「身分が極まらないと云ふのは外交官の試驗に及第しないと云ふ意味ですかね」
 「まあ、さうだらう」
 「だらうは些《ちつ》と驚ろいたな」
 「いや、あの女の云ふ事は、非常に能辯な代りに能く意味が通じないで困る。滔々と述べる事は述べるが、遂に要點が分らない。要するに不經濟な女だ」
 多少|苦々《にが/\》しい氣色《けしき》に、烟管《きせる》でとんと膝頭を敲いた父《おとつ》さんは、視線さへ椽側の方へ移した。最前植ゑ易へた佛見笑《ぶつけんせう》が鮮《あざやか》な紅《くれなゐ》を春と夏の境《さかひ》に今ぞと誇つてゐる。
 「だけれども斷つたんだか、斷らないんだか分らないのは厄介ですね」
 「厄介だよ。あの女にかゝると今迄も隨分厄介な事が大分《だいぶ》あつた。猫撫聲《ねこなでごゑ》で長つたらしくつて――私《わし》や嫌《きらひ》だ」
 「ハヽヽヽそりや好いが――遂に談判は發展しずに仕舞つたんですか」
 「つまり先方の云ふ所では、御前が外交官の試驗に及第したら遣つてもいゝと云ふんだ」
 「ぢや譯ない。此通り及第したんだから」
 「所がまだあるんだ。面倒な事が。まことにどうも」と云ひながら父《おとつ》さんは、手の平を二つ内側へ揃へて眼の球をぐり/\擦《こす》る。眼の球は赤くなる。
 「及第しても駄目なんですか」
 「駄目ぢやあるまいが――欽吾がうちを出ると云ふさうだ」
 「馬鹿な」
 「もし出られて仕舞ふと、年寄の世話の仕手がなくなる。だから藤尾に養子をしなければならない。すると宗近へでも、何所へでも嫁にやる譯には行かなくなると、まあ斯う云ふんだな」
 「下らない事を云ふもんですね。第一甲野が家《うち》を出るなんて、そんな譯がないがな」
 「家《うち》を出るつて、まさか坊主になる料簡でもなからうが、つまり嫁を貰つて、あの御袋の世話をするのが厭だと云ふんだらうぢやないか」
 「甲野が神經衰弱だから、そんな馬鹿氣た事を云ふんですよ。間違つてる。よし出るたつて――叔母さんが甲野を出して、養子をする氣なんですか」
 「さうなつては大變だと云つて心配してゐるのさ」
 「そんなら藤尾さんを嫁にやつても好ささうなものぢやありませんか」
 「好い。好いが、萬一の事を考へると私も心細くつて堪らないと云ふのさ」
 「何が何だか分りやしない。丸《まる》で八幡《やはた》の藪不知《やぶしらず》へ這入つた樣なものだ」
 「本當に――要領を得ないにも困り切る」
 父《おとつ》さんは額に皺を寄せて上眼《うはめ》を使ひながら、頭を撫で廻す。
 「元來そりや何時《いつ》の事です」
 「此間だ。今日で一週間にもなるかな」
 「ハヽヽヽ私《わたし》の及第報告は二三日|後《おく》れた丈《だけ》だが、父《おとつ》さんのは一週間だ。親|丈《だけ》あつて、私《わたし》より倍以上氣樂ですぜ」
 「ハヽヽだが要領を得ないからね」
 「要領は慥《たしか》に得ませんね。早速要領を得る樣にして來ます」
 「どうして」
 「先づ甲野に妻帶の件を説諭して、坊主にならない樣にして仕舞つて、夫《それ》から藤尾さんを呉れるか呉れないか判然《はつきり》談判して來る積《つもり》です」
 「御前一人でやる氣かね」
 「えゝ、一人で澤山です。卒業してから何にもしないから、せめて斯《こ》んな事でもしなくつちや退屈でいけない」
 「うん、自分の事を自分で片付けるのは結構な事だ。一つ遣つて見るが好い」
 「それでね。もし甲野が妻《さい》を貰ふと云つたら糸を遣る積《つもり》ですが好いでせうね」
 「それは好い。構はない」
 「一先《ひとまづ》本人の意志を聞いて見て……」
 「聞かんでも好からう」
 「だつて、そりや聞かなくつちや不可《いけ》ませんよ。外《ほか》の事とは違ふから」
 「そんなら聞いて見るが好い。此所へ呼ばうか」
 「ハヽヽヽ親と兄の前で詰問しちや猶《なほ》不可《いけ》ない。是から私《わたし》が聞いて見ます。で當人が好いと云つたら、其|積《つもり》で甲野に話しますからね」
 「うん、宜《よ》からう」
 宗近君はずんど切《ぎり》の洋袴《づぼん》を二本ぬつと立てた。佛見笑《ぶつけんせう》と二人靜《ふたりしづか》と蜆子和尚《けんすをしやう》と活きた布袋《ほてい》の置物を殘して廊下つゞきを中二階《ちゆうにかい》へ上《あが》る。
 とん/\と二段踏むと妹の御太鼓《おたいこ》が奇麗に見える。三段目に水色の絹《リボン》が、横に傾いて、ふつくらした片頬が入口の方に向いた。
 「今日は勉強だね。珍らしい。何だい」といきなり机の横へ坐り込む。糸子ははたりと本を伏せた。伏せた上へ肉の附いた丸い手を置く。
 「何でもありませんよ」
 「何でもない本を讀むなんて、天下の逸民だね」
 「どうせ、さうよ」
 「手を放したつて好いぢやないか。丸《まる》で散らしでも取つた樣だ」
 「散らしでも何でも好くつてよ。御生《ごしやう》だから彼方《あつち》へ行つて頂戴」
 「大變邪魔にするね。糸公、父《おと》つさんが、さう云つてたぜ」
 「何て」
 「糸はちつと女大學でも讀めば好いのに、近頃は戀愛小説ばかり讀んでて、まことに困るつて」
 「あら嘘ばつかり。私が何時《いつ》そんなものを讀んで」
 「兄さんは知らないよ。阿父《おとつ》さんがさう云ふんだから」
 「嘘よ、阿父樣《おとうさま》がそんな事を仰《おつしや》るもんですか」
 「さうかい。だつて、人が來ると讀み掛けた本を伏せて、枡落《ますおと》し見た樣に一生懸命に抑へてゐる所を以て見ると、阿父《おとつ》さんの云ふところも滿更《まんざら》嘘とは思へないぢやないか」
 「嘘ですよ。嘘だつて云ふのに、あなたも餘つ程卑劣な方ね」
 「卑劣は一大痛棒だね。注意人物の賣國奴《ばいこくど》ぢやないかハヽヽヽ」
 「だつて人の云ふ事を信用なさらないんですもの。そんなら證據を見せて上げませうか。ね。待つて居らつしやいよ」
 糸子は抑へた本を袖で隱さん許《ばかり》に、机から手本《てもと》へ引き取つて、兄の見えぬ樣に帶の影に忍ばした。
 「掏《す》り替《か》へちや不可《いけ》ないぜ」
 「まあ黙つて、待つて居らつしやい」
 糸子は兄の眼を掠《かす》めて、長い袖の下に隱した本を、頻りに細工してゐたが、やがて
 「ほら」と上へ出す。
 兩手で叮嚀に抑へた頁の、殘る一寸角《いつすんかく》の眞中に朱印が見える。
 「見留《みとめ》ぢやないか。なんだ――甲野」
 「分つたでせう」
 「借りたのかい」
 「えゝ。戀愛小説ぢやないでせう」
 「種を見せない以上は何とも云へないが、まあ勘辨してやらう。時に糸公御前今年|幾歳《いくつ》になるね」
 「當てゝ御覽なさい」
 「當てゝ見ないだつて區役所へ行きや、すぐ分る事だが、一寸《ちよいと》參考の爲に聞いて見るんだよ。隱さずに云ふ方が御前の利益だ」
 「隱さずに云ふ方がだつて――何だか惡い事でもした樣ね。私《わたし》厭だわ、そんなに強迫されて云ふのは」
 「ハヽヽヽ流石《さすが》哲學者の御弟子|丈《だけ》あつて、容易に權威に服從しない所が感心だ。ぢや改めて伺ふが、取つて御幾歳《おいくつ》ですか」
 「そんな茶化《ちやか》したつて、誰が云ふもんですか」
 「困つたな。叮嚀に云へば云ふで怒るし。――一だつたかね。二かい」
 「大方そんな所でせう」
 「判然しないのか。自分の年が判然しない樣ぢや、兄さんも少々心細いな。とにかく十代ぢやないね」
 「餘計な御世話ぢやありませんか。人の年齡《とし》なんぞ聞いて。――それを聞いて何になさるの」
 「なに別の用でもないが、實は糸公を御嫁にやらうと思つてさ」
 冗談半分に相手になつて、調戯《からかは》れて居た妹の樣子は突然と變つた。熱い石を氷の上に置くと見る/\冷《さ》めて來る。糸子は一度に元氣を放散した。同時に陽氣な眼を陰に俯せて、疊みの目を勘定し出した。
 「どうだい、御嫁は。厭でもないだらう」
 「知らないわ」と低い聲で云ふ。矢つ張り下を向いた儘である。
 「知らなくつちや困るね。兄さんが行くんぢやない、御前が行くんだ」
 「行くつて云ひもしないのに」
 「ぢや行かないのか」
 糸子は頭《かぶり》を竪《たて》に振つた。
 「行かない? 本當に」
 答はなかつた。今度は首さへ動かさない。
 「行かないとなると、兄さんが切腹しなけりやならない。大變だ」
 俯向《うつむ》いた眼の色は見えぬ。只豐なる頬を掠《かす》めて笑の影が飛び去つた。
 「笑ひ事ぢやない。本當に腹を切るよ。好いかね」
 「勝手に御切んなさい」と突然顔を上げた。にこ/\と笑ふ。
 「切るのは好いが、あんまり深刻だからね。ならう事なら此《この》儘《まんま》で生きてゐる方が、御互に便利ぢやないか。御前だつてたつた一人の兄さんに腹を切らしたつて、詰らないだらう」
 「誰も詰ると云やしないわ」
 「だから兄さんを助けると思つてうんと御云ひ」
 「だつて譯も話さないで、藪から棒にそんな無理を云つたつて」
 「譯は聞さへすれば、いくらでも話すさ」
 「好くつてよ、譯なんか聞かなくつても、私《わたし》御嫁なんかに行かないんだから」
 「糸公御前の返事は鼠花火の樣にくる/\廻つて居るよ。錯亂體《さくらんたい》だ」
 「何ですつて」
 「なに、何でもいゝ、法律上の術語だから――それでね、糸公、いつまで行つても埓《らち》が明かないから、一と思に打ち明けて話して仕舞ふが、實はかうなんだ」
 「譯は聞いても御嫁にや行かなくつてよ」
 「條件つきに聞く積《つもり》か。中々狡猾だね。――實は兄さんが藤尾さんを御嫁に貰はうと思ふんだがね」
 「まだ」
 「まだつて今度《こんだ》が始《はじめ》てだね」
 「だけれど、藤尾さんは御廢《およ》しなさいよ。藤尾さんの方で來たがつて居ないんだから」
 「御前此間もそんな事を云つたね」
 「えゝ、だつて、厭がつてるものを貰はなくつても好いぢやありませんか。外に女がいくらでも有るのに」
 「そりや大いに御尤もだ。厭なものを強請《ねだ》るなんて卑怯な兄さんぢやない。糸公の威信にも關係する。厭なら厭と事が極まれば外に捜すよ」
 「一層《いつそ》さうなすつた方が可《い》いでせう」
 「だが其邊が判然しないからね」
 「だから判然させるの。まあ」と内氣な妹は少し驚いた樣に眼を机の上に轉じた。
 「此間甲野の御叔母《をば》さんが來て、下で内談をして居たらう。あの時その話があつたんだとさ。叔母さんが云ふには、今はまだ不可《いけ》ないが、一《はじめ》さんが外交官の試驗に及第して、身分が極つたら、どうでも御相談を致しませうつて阿爺《おとつさん》に話したさうだ」
 「それで」
 「だから好いぢやないか、兄さんがちやんと外交官の試驗に及第したんだから」
 「おや、何時《いつ》」
 「何時つて、ちやんと及第しちまつたんだよ」
 「あら、本當なの、驚ろいた」
 「兄が及第して驚ろく奴があるもんか。失禮千萬な」
 「だつて、そんなら早くさう仰しやれば好いのに。是でも大分《だいぶ》心配して上げたんだわ」
 「全く御前の御蔭だよ。大いに感泣してゐるさ。感泣はしてゐる樣なものゝ忘れちまつたんだから仕方がない」
 兄妹《きやうだい》は隔《へだて》なき眼と眼を見合せた。さうして同時に笑つた。
 笑ひ切つた時、兄が云ふ。
 「そこで兄さんも此通り頭を刈つて、近々《きん/\》洋行する筈になつたんだが、阿父《おとつ》さんの云ふには、立つ前に嫁を貰つて人格を作つてけつて責めるから、兄さんが、どうせ貰ふなら藤尾さんを貰ひませう。外交官の妻君にはあゝ云ふハイカラでないと將來困るからと云つたのさ」
 「夫《それ》程《ほど》御氣に入つたら藤尾さんになさい。――女を見るのは矢つ張り女の方が上手ね」
 「そりや才媛糸公の意見に間違はなからうから、充分兄さんも參考にはする積《つもり》だが、兎に角判然談判を極めて來なくつちやいけない。向ふだつて厭なら厭と云ふだらう。外交官の試驗に及第したからつて、急に氣が變つて參りませうなんて輕薄な事は云ふまい」
 糸子は微《かす》かな笑を、二三段に切つて鼻から洩した。
 「云ふかね」
 「どうですか。聞いて御覽なさらなくつちや――然し聞くなら欽吾さんに御聞きなさいよ。耻を掻くといけないから」
 「ハヽヽヽ厭なら斷《ことわ》るのが天下の定法《ぢやうはふ》だ。斷《こと》はられたつて耻ぢやない……」
 「だつて」
 「……ないが甲野に聞くよ。聞く事は甲野に聞くが――其所に問題がある」
 「どんな」
 「先決問題がある。――先決問題だよ、糸公」
 「だから、何《ど》んなつて、聞いてるぢやありませんか」
 「外でもないが、甲野が坊主になるつて騷ぎなんだよ」
 「馬鹿を仰しやい。縁喜でもない」
 「なに、今の世に坊主になる位な決心があるなら、縁喜は兎も角、大《おほい》に慶すべき現象だ」
 「苛《ひど》い事を……だつて坊さんになるのは、醉興になるんぢやないでせう」
 「何とも云へない。近頃の樣に煩悶が流行した日にや」
 「ぢや、兄さんからなつて御覽なさいよ」
 「醉興にかい」
 「醉興でも何でもいゝから」
 「だつて五分刈《ごぶがり》でさへ懲役人と間違へられる所を青坊主になつて、外國の公使館に詰めてゐりや氣違としきや思はれないもの。外の事なら一人の妹の事だから何でも聞く積《つもり》だが、坊主|丈《だけ》は勘辯して貰ひたい。坊主と油揚《あぶらげ》は小供の時から嫌《きらひ》なんだから」
 「ぢや欽吾さんもならないだつて好いぢやありませんか」
 「さうさ、何だか論理《ロジツク》が少し變だが、然しまあ、ならずに濟むだらうよ」
 「兄さんの仰しやる事は何所迄が眞面目で何所迄が冗談だか分らないのね。夫《それ》で外交官が勤まるでせうか」
 「かう云ふんでないと外交官には向かないとさ」
 「人を……夫《それ》で欽吾さんがどうなすつたんですよ。本當の所」
 「本當の所、甲野がね。家《うち》と財産を藤尾にやつて、自分は出てしまふと云ふんだとさ」
 「何故でせう」
 「つまり、病身で御叔母《をば》さんの世話が出來ないからださうだ」
 「さう、御氣の毒ね。あゝ云ふ方は御金も家《うち》もいらないでせう。さうなさる方が好いかも知れないわ」
 「さう御前迄賛成しちや、先決問題が解決しにくゝなる」
 「だつて御金が山の樣にあつたつて、欽吾さんには何にもならないでせう。夫《それ》よりか藤尾さんに上げる方が好《よ》ござんすよ」
 「御前は女に似合はず氣前が好いね。尤も人のものだけれども」
 「私《わたし》だつて御金なんかいりませんわ。邪魔になる許《ばかり》ですもの」
 「邪魔にする程ないから慥《たしか》だ。ハヽヽヽ。然し其心掛は感心だ。尼になれるよ」
 「おゝ厭だ。尼だの坊さんだのつて大嫌ひ」
 「其所|丈《だけ》は兄さんも賛成だ。然し自分の財産を棄てゝ吾家《わがいへ》を出るなんて馬鹿氣てゐる。財産はまあいゝとして、――欽吾に出られゝばあとが困るから藤尾に養子をする。すると一《はじめ》さんへは上げられませんと、かう御叔母《をば》さんが云ふんだよ。尤もだ。つまり甲野の我儘で兄さんの方が破談になると云ふ始末さ」
 「ぢや兄さんが藤尾さんを貰ふために、欽吾さんを留め樣《やう》と云ふんですね」
 「まあ一面から云へばさうなるさ」
 「それぢや欽吾さんより兄さんの方が我儘ぢやありませんか」
 「今度は非常に論理的《ロジカル》に來たね。だつて詰らんぢやないか、當然相續してゐる財産を捨てゝ」
 「だつて厭なら仕方がないわ」
 「厭だなんて云ふのは神經衰弱の所爲《せゐ》だあね」
 「神經衰弱ぢやありませんよ」
 「病的に違ないぢやないか」
 「病氣ぢやありません」
 「糸公、今日は例に似ず大いに斷々乎《だん/\こ》としてゐるね」
 「だつて欽吾さんは、あゝ云ふ方なんですもの。それを皆《みんな》が病氣にするのは、皆《みんな》の方が間違つてゐるんです」
 「然し健全ぢやないよ。そんな動議を呈出するのは」
 「自分のものを自分が棄てるんでせう」
 「そりや御尤だがね……」
 「要らないから棄てるんでせう」
 「要らないつて……」
 「本當に要らないんですよ、甲野さんのは。負惜《まけをし》みや面當《つらあて》ぢやありません」
 「糸公、御前は甲野の知己だよ。兄さん以上の知己だ。夫《それ》程《ほど》信仰してゐるとは思はなかつた」
 「知己でも知己でなくつても、本當の所を云ふんです。正しい事を云ふんです。叔母さんや藤尾さんがさうでないと云ふんなら、叔母さんや藤尾さんの方が間違つてるんです。私《わたし》は嘘を吐《つ》くのは大嫌です」
 「感心だ。學問がなくつても誠から出た自信があるから感心だ。兄さん大賛成だ。それでね、糸公、改めて相談するが甲野が家《うち》を出ても出なくつても、財産を遣つても遣らなくつても、御前甲野の所へ嫁に行く氣はあるかい」
 「夫《それ》は話が丸《まる》で違ひますわ。今云つたのは只正直な所を云つた丈《だけ》ですもの。欽吾さんに御氣の毒だから云つたんです」
 「よろしい。中々譯が分つてゐる。妹ながら見上げたもんだ。だから別問題として聞くんだよ。どうだね厭かい」
 「厭だつて……」と言ひ懸けて糸子は急に俯向《うつむ》いた。しばらくは半襟《はんえり》の模樣を見詰めてゐる樣に見えた。やがて瞬《しばたゝ》く睫《まつげ》を絡《から》んで一雫《ひとしづく》の涙がぽたりと膝の上に落ちた。
 「糸公、どうしたんだ。今日は天候|劇變《げきへん》で兄さんに面喰はして許《ばかり》ゐるね」
 答のない口元が結んだ儘しやくんで、見るうちに又|二雫《ふたしづく》落ちた。宗近君は親讓の脊廣の隱袋《かくし》から、苦茶々々の手巾《はんけち》をするりと出した。
 「さあ、御拭き」と云ひながら糸子の胸の先へ押し付ける。妹は作り付けの人形の樣に凝《じつ》として動かない。宗近君は右の手に手巾《はんけち》を差し出した儘、少し及び腰になつて、下から妹の顔を覗き込む。
 「糸公厭なのかい」
 糸子は無言の儘首を掉《ふ》つた。
 「ぢや、行く氣だね」
 今度は首が動かない。
 宗近君は手巾《はんけち》を妹の膝の上に落した儘、身體|丈《だけ》を故《もと》へ戻す。
 「泣いちや不可《いけ》ないよ」と云つて糸子の顔を見守つて居る。しばらくは双方共言葉が途切れた。
 糸子は漸く手巾《はんけち》を取上げる。粗《あら》い銘仙の膝が少し染《しみ》になつた。其上へ、手巾《はんけち》の皺を叮嚀に延《の》して四つ折に敷いた。角をしつかり抑へて居る。それから眼を上げた。眼は海の樣である。
 「私《わたし》は御嫁には行きません」と云ふ。
 「御嫁には行かない」と殆んど無意味に繰り返した宗近君は、忽ち勢をつけて、
 「冗談云つちや不可《いけ》ない。今厭ぢやないと云つた許《ばかり》ぢやないか」
 「でも、欽吾さんは御嫁を御貰ひなさりやしませんもの」
 「そりや聞いて見なけりや――だから兄さんが聞きに行くんだよ」
 「聞くのは廢《よ》して頂戴」
 「何故」
 「何故でも廢《よ》して頂戴」
 「ぢや仕樣《しやう》がない」
 「仕樣《しやう》がなくつても好いから廢《よ》して頂戴。私《わたし》は今の儘でちつとも不足はありません。是で好いんです。御嫁に行くと却つて不可《いけ》ません」
 「困つたな、何時《いつ》の間《ま》に、さう硬くなつたんだらう。――糸公、兄さんはね、藤尾さんを貰ふ爲めに、御前を甲野に遣らうなんて利己主義で云つてるんぢやないよ。今の所ぢや、只御前の事|許《ばかり》考へて相談してゐるんだよ」
 「そりや分つてゐますわ」
 「其所が分りさへすれば、後《あと》が話がし好い。それでと、御前は甲野を嫌つてるんぢやなからう。――よし、それは兄さんがさう認めるから構はない。好いかね。次に、甲野に貰ふか貰はないか聞くのは厭だと云ふんだね。兄さんには其理窟が更に解《げ》せないんだが、それも、それで可《よし》とするさ。――聞くのは厭だとして、もし甲野が貰ふと云ひさへすれば行つても好いんだらう。――なに金や家はどうでも構はないさ。一文無《いちもんなし》の甲野の所へ行かうと云やあ、却つて御前の名誉だ。夫《それ》でこそ糸公だ。兄さんも阿父《おとつ》さんも故障を云やしない。……」
 「御嫁に行つたら人間が惡くなるもんでせうか」
 「ハヽヽヽ突然大問題を呈出するね。何故」
 「何故でも――もし惡くなると愛想《あいそ》をつかされる許《ばかり》ですもの。だから何時《いつ》迄《まで》もかうやつて阿父樣《おとうさま》と兄さんの傍《そば》に居た方が好いと思ひますわ」
 「阿父樣《おとうさま》と兄さんと――そりや阿父樣も兄さんも何時迄も御前と一所に居たい事は居たいがね。なあ糸公、そこが問題だ。御嫁に行つて益《ます/\》人間が上等になつて、さうして御亭主に可愛がられゝば好いぢやないか。――それよりか實際問題が肝要だ。そこでね、先《さつき》の話だが兄さんが受合つたら好いだらう」
 「何を」
 「甲野に聞くのは厭だと、と云つて甲野の方から御前を貰ひに來るのは何時《いつ》の事だか分らずと……」
 「何時迄待つたつて、そんな事があるものですか。私《わたし》には欽吾さんの胸の中《なか》がちやんと分つてゐます」
 「だからさ、兄さんが受合ふんだよ。是非甲野にうんと云はせるんだよ」
 「だつて……」
 「何云はせて見せる。兄さんが責任を以て受合ふよ。なあに大丈夫だよ。兄さんも此頭が延び次第外國へ行かなくつちやならない。すると當分糸公にも逢へないから、平生《へいぜい》親切にしてくれた御禮に、遣つてやるよ。――狐の袖無《ちやん/\》の御禮に。ねえ好いだらう」
 糸子は何とも答へなかつた。下で阿父《おとつ》さんが謠をうたひ出す。
 「そら始まつた――ぢや行つて來るよ」と宗近君は中二階《ちゆうにかい》を下りる。
 
     十七
 
 小野と淺井は橋迄來た。來た路は青麥の中から出る。行く路は青麥のなかに入る。一筋を前後に餘して、深い谷の底を鐵軌《れえる》が通る。高い土手は春に籠る緑を今やと吹き返しつつ、見事なる切り岸を立て廻して、丸い屏風の如く弧形に折れて遙かに去る。斷橋《だんけう》は鐵軌《れえる》を高きに隔つる事|丈《ぢやう》を重ねて十に至つて南より北に横ぎる。欄に倚つて俯すとき廣き兩岸の青《せい》を極《きは》めつくして、始めて石垣に至る。石垣を底に見下《みおろ》して始めて茶色の路が細く横《よこた》はる。鐵軌《れえる》は細い路のなかに細く光る。――二人は斷橋の上迄來て留つた。
 「いゝ景色《けしき》だね」
 「うん、えゝ景色ぢや」
 二人は欄に倚つて立つた。立つて見る間《ま》に、限りなき麥は一分《いちぶ》宛《づゝ》延びて行く。暖たかいと云はんより寧ろ暑い日である。
 青蓆《あをむしろ》をのべつに敷いた一枚の果《はて》は、がたりと調子の變つた地味な森になる。黒ずんだ常磐木の中に、けば/\しくも黄を含む緑の、粉《こ》となつて空に吹き散るかと思はれるのは、樟《くす》の若葉らしい。
 「久しぶりで郊外へ來て好い心持だ」
 「たまには、かう云ふ所も好《え》えな。僕はしかし田舍から歸つた許《ばかり》だから一向《いつかう》珍しうない」
 「君はさうだらう。君をこんな所へ連れて來たのは少し氣の毒だつたね」
 「なに構はん。どうせ遊《あす》んどるんだから。然し人間も遊んどる暇があるやうでは駄目ぢやな、君。ちつとなんぞ金儲《かねまうけ》の口はないかい」
 「金儲《かねまうけ》は僕の方にやないが、君の方にや澤山あるだらう」
 「いや近頃は法科もつまらん。文科と同じこつちや、銀時計でなくちや通用せん」
 小野さんは橋の手擦《てすり》に脊を靠《も》たせた儘、内隱袋《うちがくし》から例の通り銀製の烟草入を出してぱちりと開《あ》けた。箔を置いた埃及烟草《エジプトたばこ》の吸口が奇麗に並んで居る。
 「一本どうだね」
 「や、難有《ありがた》う。大變立派なものを持つとるの」
 「貰ひ物だ」と小野さんは、自分も一本拔き取つた後で、又見えない所へ投げ込んだ。
 二人の烟は恙《つゝが》なく立ち騰《のぼ》つて、事なき空に入る。
 「君は始終こんな上等な烟草を呑んどるのか。餘程餘裕があると見えるの。少し借さんか」
 「ハヽヽヽ此方《こつち》が借りたい位だ」
 「なにそんな事があるものか。少し借せ。僕は今度國へ行つたんで大變|錢《ぜに》が入つて困つとる所ぢや」
 本氣に云つてゐるらしい。小野さんの烟草の烟がふうと横に走つた。
 「どの位要るのかね」
 「三十圓でも二十圓でも好《え》ゝ」
 「そんなにあるものか」
 「ぢや十圓でも好《え》え。五圓でも好《え》え」
 淺井君はいくらでも下げる。小野さんは兩肘を鐵の手擦《てすり》に後《うしろ》から持たして、山羊仔《きつど》の靴を心持前へ出した。烟草を啣《くは》えた儘、眼鏡越に爪先の飾を眺めて居る。遅日《ちじつ》影長くして光を惜まず。拭き込んだ皮の濃《こまや》かに照る上に、眼に入らぬ程の埃が一面に積んでゐる。小野さんは携へた細手の洋杖《すてつき》で靴の横腹をぽん/\と鞭うつた。埃は靴を離れて一寸《いつすん》程《ほど》舞ひ上がる。鞭うたれた局部|丈《だけ》は斑《まだら》に黒くなつた。並んで見える淺井の靴は、兵隊靴の如く重くかつ無細工《ぶさいく》である。
 「十圓位なら都合が出來ない事もないが――何時《いつ》頃《ごろ》迄」
 「今月|末《すゑ》には屹度《きつと》返す。それで好からう」と淺井君は顔を寄せて來る。小野さんは口から烟草を離した。指の股に挾んだ儘、一振はたくと三分《さんぶ》の灰は靴の甲に落ちた。
 體《たい》を其儘に白い襟の上から首|丈《だけ》を横に捩《ねぢ》ると、欄干に頬杖をついた人の顔が五寸下に見える。
 「今月|末《すゑ》でも、何時《いつ》でも好い。――其代り少し御願がある。聞いて呉れるかい」
 「うん、話して見い」
 淺井君は容易に受合つた。同時に頬杖をやめて脊を立てる。二人の顔はすれ/\に來た。
 「實は井上先生の事だがね」
 「おゝ、先生は何《ど》うしとるか。歸つてから、まだ尋ねる閑《ひま》がないから、行かんが。君先生に逢ふたら宜しく云ふて呉れ。序《ついで》に御孃さんにも」
 淺井君はハヽヽヽと高く笑つた。序《ついで》に欄干から胸をつき出して、涎《よだれ》の如き唾を遙かの下に吐いた。
 「其御孃さんの事なんだが……」
 「愈《いよ/\》結婚するか」
 「君は氣が早くつて不可《いけ》ない。さう先へ云つちまつちやあ……」と言葉を切つて、しばらく麥畑を眺めて居たが、忽ち手に持つた吸殼を向《むかふ》へ投げた。白いカフスが七寶《しつぱう》の夫婦釦《めをとぼたん》と共にかしやと鳴る。一寸に餘る金が空《くう》を掠めて橋の袂に落ちた。落ちた烟は逆樣《さかさま》に地から這ひ揚がる。
 「勿體《もつたい》ない事をするのう」と淺井君が云つた。
 「君本當に僕の云ふ事を聞いて呉れるのかい」
 「本當に聞いとる。夫《それ》から」
 「夫《それ》からつて、まだ何にも話しやしないぢやないか。――金の工面はどうでもするが、君に折入つて御願があるんだよ」
 「だから話せ。京都からの知己ぢや。何でもしてやるぞ」
 調子は大分《だいぶ》熱心である。小野さんは片肘を放して、ぐるりと淺井君の方へ向き直る。
 「君なら遣つて呉れるだらうと思つて、實は君の歸るのを待つてゐた所だ」
 「そりや、好《え》え時に歸つて來た。何か談判でもするのか。結婚の條件か。近頃は無財産の細君を貰ふのは不便だからのう」
 「そんな事ぢやない」
 「然し、さう云ふ條件を付けて置く方が君の將來の爲に好《え》えぞ。さう爲《せ》い。僕が懸合ふてやる」
 「そりや貰ふとなれば、さう云ふ談判にしても好いが……」
 「貰ふ事は貰ふ積《つもり》ぢやらう。みんな、さう思ふとるぞ」
 「誰が」
 「誰がてゝ、我々が」
 「そりや困る。僕が井上の御孃さんを貰ふなんて、――そんな堅い約束はないんだからね」
 「さうか。――いや怪しいぞ」と淺井君が云つた。小野さんは腹の中で下等な男だと思ふ。こんな男だから破談を平氣に持ち込む事が出來るんだと思ふ。
 「さう頭から冷やかしちや話が出來ない」と故《もと》の樣な大人《おと》なしい調子で云ふ。
 「ハヽヽヽ。さう眞面目にならんでも好い。さう大人《おとな》しくちや損だぞ。もう少し面《つら》の皮を厚くせんと」
 「まあ少し待つて呉れ玉へ。修業中なんだから」
 「ちと稽古の爲にどつかへ連れて行つてやらうか」
 「何分宜しく……」
 「などゝ云つて、裏では盛に修業しとるかも知れんの」
 「まさか」
 「いやさうでないぞ。近頃|大分《だいぶ》修飾《しやれ》る所を以て見ると。ことに先《さつき》の卷烟草入の出所《でどころ》抔《など》は甚だ疑はしい。さう云へば此烟草も何となく妙な臭《にほひ》がするわい」
 淺井君は茲《こゝ》に至つて指の股に焦げ付いて來さうな烟草を、鼻の先へ持つて來てふん/\と二三度嗅いだ。小野さんは愈《いよ/\》ノンセンスなわる洒落《じやれ》だと思つた。
 「まあ歩きながら話さう」
 惡洒落《わるじやれ》の續きを切る爲めに、小野さんは一歩橋の眞中《まんなか》へ踏み出した。淺井君の肘は欄干を離れる。右左地を拔く麥に、日は空から寄つて來る。暖かき緑は穗を掠めて畦《あぜ》を騰《のぼ》る。野を蔽ふ一面の陽炎《かげろふ》は逆上《のぼせ》る程に二人を込めた。
 「暑いのう」と淺井君は後《あと》から跟《つ》いて來る。
 「暑い」と待ち合はした小野さんは、肩の並んだ時、歩き出す。歩き出しながら眞面目な問題に入る。
 「先《さつき》の話だが――實は二三日前井上先生の所へ行つた所が、先生から突然例の縁談一條を持ち出されて、ね。……」
 「待つてましたぢや」と受けた淺井君は又何か云ひさうだから、小野さんは談話の速力を揩オて、急に進行してしまふ。――
 「先生が隨分|烈敷《はげしく》來たので、僕もさう世話になつた先生の感情を害する譯にも行かないから、熟考する爲に二三日の餘裕を與へて貰つて歸つたんだがね」
 「そりや愼重の……」
 「まあ仕舞迄聞いて呉れ玉へ。批評はあとで緩《ゆつ》くり聞くから。――夫《それ》で僕も、君の知つてゐる通、先生の世話には大變なつたんだから、先生の云ふ事は何でも聞かなければ義理がわるい……」
 「そりや惡い」
 「惡いが、外の事と違つて結婚問題は生涯の幸福に關係する大事件だから、いくら恩のある先生の命令だつて、さう、おいそれと服從する譯には行かない」
 「そりや行かない」
 小野さんは、相手の顔をぢろりと見た。相手は存外眞面目である。話は進行する。――
 「それも僕に判然たる約束をしたとか、或は御孃さんに對して濟まん關係でも拵らへたと云ふ大責任があれば、先生から催促される迄もない。此方《こつち》から進んで、どうでも方《かた》を付ける積《つもり》だが、實際僕は其點に關しては潔白なんだからね」
 「うん潔白だ。君程高尚で潔白な人間はない。僕が保證する」
 小野さんは又ぢろりと淺井君の顔を見た。淺井君は一向《いつかう》氣が着かない。話は又進行する。――
 「所が先生の方では、頭から僕にそれ丈《だけ》の責任があるかの如く見傚《みな》して仕舞つて、さうして萬事をそれから演繹《えんえき》してくるんだらう」
 「うん」
 「まさか根本に立ち返つて、あなたの御考は出立點が間違つてゐますと誤謬を指摘する譯にも行かず……」
 「そりや、餘り君が人が好過ぎるからぢや。もう少し世の中に擦れんと損だぞ」
 「損は僕も知つてるんだが、どうも僕の性質として、さう露骨《むき》に人に反對する事が出來ないんだね。ことに相手は世話になつた先生だらう」
 「さう、相手が世話になつた先生ぢやからな」
 「夫《それ》に僕の方から云ふと、今丁度博士論文を書きかけてゐる最中だから、そんな話を持ち込まれると餘計困るんだ」
 「博士論文をまだ書いとるか、えらいもんぢやな」
 「えらい事もない」
 「なにえらい。銀時計の頭でなくちや、とても出來ん」
 「そりや何《ど》うでも好いが、――それでね、今云ふ通りの事情だから、折角の厚意は難有《ありがた》いけれども、まあこゝのところは一旦斷はりたいと思ふんだね。然し僕の性質ぢや、とても先生に逢ふと氣の毒で、そんな強い事が云へさうもないから、それで君に頼みたいと云ふ譯だが。どうだね、引き受けて呉れるかい」
 「さうか、譯ない。僕が先生に逢ふてよく話してややう」
 淺井君は茶漬を掻き込む樣に容易《たやす》く引き受けた。注文通りに行つた小野さんは中休みに一二歩前へ移す。さうして云ふ。――
 「其代り先生の世話は生涯する考だ。僕も何時《いつ》迄《まで》もこんなに愚圖々々して居る積《つもり》でもないから――實の所を云ふと先生も故《もと》の樣に經濟が樂ぢやない樣だ。だから猶氣の毒なのさ。今度の相談も只結婚と云ふ單純な問題ぢやなくつて、それを方便にして、僕の補助を受けたい樣な素振《そぶり》も見えた位だ。だから、そりややるよ。飽く迄も先生の爲めに盡す積《つもり》だ。だが結婚したから盡す、結婚せんから盡さないなんて、そんな輕薄な料簡は少しも此方《こつち》にやないんだから――世話になつた以上はどうしたつて世話になつたのさ。それを返して仕舞ふ迄はどうしたつて恩は消えやしないからね」
 「君は感心な男だ。先生が聞いたら嘸《さぞ》喜ぶだらう」
 「よく僕の意志が徹する樣に云つて呉れ玉へ。誤解が出來ると又|後《あと》が困るから」
 「よし。感情を害せん樣にの。よう云ふてやる。其代り十圓貸すんぜ」
 「貸すよ」と小野さんは笑ながら答へた。
 錐《きり》は穴を穿《うが》つ道具である。繩は物を括《くゝ》る手段である。淺井君は破談を申し込む器械である。錐でなくては松板を潜《くゞ》り拔け樣《やう》と企《くはだ》てるものはない。繩でなくては榮螺《さゞえ》を取り卷く覺悟はつかぬ。淺井君にして始めて此談判を、風呂に行く氣で、引き受ける事が出來る。小野さんは才人である。よく道具を用ゐるの法を心得てゐる。
 只破談を申し込むのと、破談を申し込みながら、申し込んだ後《あと》を奇麗に片づけるのとは別才である。落葉を振ふものは必ずしも庭を掃く人とは限らない。淺井君は假令《たとひ》内裏《だいり》拜觀《はいくわん》の際でも落葉を振ひおとす事を敢てする無遠慮な男である。と共に、假令《たとひ》内裏拜觀の際でも一塵を掃ふ事を解せざる程に無責任の男である。淺井君は浮ぶ術を心得ずして、水に潜《もぐ》る度胸者である。否|潜《もぐ》るときに、浮ぶ術が必要であると考へ付けぬ豪傑である。只引受ける。遣つて見《み》樣《やう》と云ふ氣で、何でも引き受ける。夫《それ》丈《だけ》である。善惡、理非、輕重、結果を度外に置いて事物を考へ得るならば、淺井君は他意なき善人である。
 夫《それ》程《ほど》の事を知らぬ小野さんではない。知つて依頼するのは只破談を申し込めば夫《それ》で構はんと見限《みきり》を付けたからである。先方で苦?《くじやう》を云へば逃げる氣である。逃げられなくても、そのうち向ふから泣寐入にせねばならぬ樣な準備をとゝのへてある。小野さんは明日《あした》藤尾と大森へ遊びに行く約束がある。――大森から歸つたあとならば大抵な事が露見しても、藤尾と關係を絶つ譯には行かぬだらう。そこで井上へは約束通り物質的の補助をする。
 かう思ひ定めて居る小野さんは、淺井君が快よく依頼に應じた時、先づ片荷《かたに》丈《だけ》卸したなと思つた。
 「かう日が照ると、麥の香《にほひ》が鼻の先へ浮いてくる樣だね」と小野さんの話頭は漸く自然に觸れた。
 「香《にほひ》がするかの。僕には一向《いつかう》にほはんが」と淺井君は丸い鼻をふん/\と云はしたが、
 「時に君は矢張りあのハムレツトの家《うち》へ行くのか」と聞く。
 「甲野の家かい。まだ行つてゐる。今日も是から行くんだ」と何氣なく云ふ。
 「此間京都へ行つたさうぢやな。もう歸つたか。ちと麥の香《にほひ》でも嗅いで來たか知らんて。――つまらんのう、あんな人間は。何だか陰氣くさい顔ばかりして居るぢやないか」
 「さうさね」
 「あゝ云ふ人間は早く死んで呉れる方が好《え》え。大分《だいぶ》財産があるか」
 「ある樣だね」
 「あの親類の人はどうした。學校で時々顔を見たが」
 「宗近かい」
 「さう/\。あの男の所へ二三日|中《うち》に行かうと思つとる」
 小野さんは突然留つた。
 「何しに」
 「口を頼みにさ。出來る丈《だけ》運動して置かんと駄目だからな」
 「だつて、宗近だつて外交官の試驗に及第しないで困つてる所だよ。頼んだつて仕樣がない」
 「なに構はん。話に行つて見る」
 小野さんは眼を地面の上へ卸して、二三間は無言で來た。
 「君、先生の所へは何時《いつ》行つてくれる」
 「今夜か明日《あした》の朝行つてやる」
 「さうか」
 麥畑を折れると、杉の木陰のだら/\坂になる。二人は前後して坂を下りた。言葉を交す程の遑《いとま》もない。下り切つて疎《まばら》な杉垣を、肩を並べて通り越すとき、小野さんは云つた。――
 「君もし宗近へ行つたらね。井上先生の事は話さずに置いて呉れ玉へ」
 「話しやせん」
 「いえ、本當に」
 「ハヽヽヽ大變|耻《はに》かんどるの。構はんぢやないか」
 「少し困る事があるんだから、是非……」
 「好し、話しやせん」
 小野さんは甚だ心元なく思つた。半分程は今頼んだ事を取り返したく思つた。
 四つ角で淺井君に別れた小野さんは、安からぬ胸を運んで甲野の邸迄來る。藤尾の部屋へ這入つて十五分程過ぎた頃、宗近君の姿は甲野さんの書齋の戸口に立つた。
 「おい」
 甲野さんは故《もと》の椅子に、故《もと》の通りに腰を掛けて、故《もと》の如くに幾何模樣を圖案してゐる。丸に三つ鱗はとくに出來上つた。
 おいと呼ばれた時、首を上げる。驚いたと云はんよりは、激したと云はんよりは、臆したと云はんよりは、樣子振つたと云はんよりは寧ろ遙かに簡單な上げ方である。從つて哲學的である。
 「君か」と云ふ。
 宗近君はつか/\と洋卓《てえぶる》の角迄進んで來たが、いきなり太い眉に八の字を寄せて、
 「こりや空氣が惡い。毒だ。少し開《あ》け樣《やう》」と上下《うへした》の栓釘《ボールト》を拔き放つて、眞中の圓鈕《ノツブ》を握るや否や、正面の佛蘭西窓《ふらんすまど》を、床《ゆか》を掃ふ如く、一文字に開いた。室《へや》の中には、庭前に芽ぐむ芝生の緑と共に、廣い春が吹き込んで來る。
 「かうすると大變陽氣になる。あゝ好い心持だ。庭の芝が大分《だいぶ》色づいて來た」
 宗近君は再び洋卓《てえぶる》迄戻つて、始めて腰を卸した。今先方《いまさきがた》謎の女が坐つてゐた椅子の上である。
 「何をしてゐるね」
 「うん?」と云つて鉛筆の進行を留めた甲野さんは
 「どうだ。中々旨いだらう」と模樣で一杯になつた紙片を、宗近君の方へ、洋卓《てえぶる》の上を滑らせる。
 「何だこりや。恐ろしい澤山書いたね」
 「もう一時間以上書いてゐる」
 「僕が來なければ晩迄書いてゐるんだらう。くだらない」
 甲野さんは何とも云はなかつた。
 「是が哲學と何か關係でもあるのかい」
 「有つても好い」
 「萬有世界の哲學的象徴とでも云ふんだらう。よく一人の頭でこんなに並べられたもんだね。紺屋《こんや》の上繪師《うはゑし》と哲學者と云ふ論文でも書く氣ぢやないか」
 甲野さんは今度も何とも云はなかつた。
 「何だか、どうも相變らず愚圖々々してゐるね。いつ見ても※[者/火]え切らない」
 「今日は特別※[者/火]え切らない」
 「天氣の所爲《せゐ》ぢやないか、ハヽヽヽ」
 「天氣の所爲《せゐ》より、生きてる所爲《せゐ》だよ」
 「さうさね、※[者/火]え切つてぴん/\してゐるものは澤山《たんと》ない樣だ。御互も、かうやつて三十年近くも、しく/\して……」
 「何時《いつ》迄《まで》も浮世の鍋の中で、※[者/火]え切れずに居るのさ」
 甲野さんは茲《こゝ》に至つて始めて笑つた。
 「時に甲野さん、今日は報告|旁《かた/”\》少々談判に來たんだがね」
 「六つかしい來《き》樣《やう》だ」
 「近いうち洋行をするよ」
 「洋行を」
 「うん歐羅巴《ようろっぱ》へ行くのさ」
 「行くのはいゝが、親父《おやぢ》見た樣に、※[者/火]え切つちや不可《いけ》ない」
 「なんとも云へないが、印度洋さへ越せば大抵大丈夫だらう」
 甲野さんはハヽヽヽと笑つた。
 「實は最近の好機に於て外交官の試驗に及第したんだから、此通り早速頭を刈つてね、矢つ張り、最近の好機に於て出掛けなくつちやならない。塵事多忙だ。中々丸や三角を並べちやゐられない」
 「そりや御目出たい」と云つた甲野さんは洋卓越《てえぶるごし》に相手の頭を熟《つらつ》ら觀察した。然し別段批評も加へなかつた。質問も起さなかつた。宗近君の方でも進んで説明の勞を取らなかつた。從つて頭は夫《それ》限《ぎり》になる。
 「まづ此所迄が報告だ、甲野さん」と云ふ。
 「うちの母に逢つたかい」と甲野さんが聞く。
 「まだ逢はない。今日は此方《こつち》の玄關から、上つたから、日本間の方は丸《まる》で通らない」
 成程宗近君は靴の儘である。甲野さんは椅子の脊に倚りかゝつて、此樂天家の頭と、更紗模樣《さらさもやう》の襟飾と――襟飾は例に因つて襟の途中迄浮き出してゐる。――それから親讓の脊廣とを昵《ぢつ》と眺めて居る。
 「何を見てゐるんだ」
 「いや」と云つた儘矢つ張り眺めて居る。
 「御叔母《をば》さんに話して來《こ》やうか」
 今度はいや〔二字傍点〕とも何とも云はずに眺めて居る。宗近君は椅子から腰を浮かしかゝる。
 「廢《よ》すが好い」
 洋卓《てえぶる》の向側《むかふがは》から一句を明暸に云ひ切つた。
 徐《おもむろ》に椅子を離れた長髪の人は右の手で額を掻き上げながら、左の手に椅子の肩を抑へた儘、亡き父の肖像畫の方に顔を向けた。
 「母に話す位なら、あの肖像に話してくれ」
 親讓りの脊廣を着た男は、丸い眼を据ゑて、室《へや》の中に聳える、漆の樣な髪の主《あるじ》を見守つた。次に丸い眼を据ゑて、壁の上にある故人の肖像を見守つた。最後に漆の髪の主《あるじ》と、故人の肖像とを見較べた。見較べて仕舞つた時、聳えたる人は瘠せた肩を動かして、宗近君の頭の上から云ふ。――
 「父は死んで居る。然し活きた母よりも慥《たし》かだよ。慥かだよ」
 椅子に倚る人の顔は、此言葉と共に、自《おのづ》から又畫像の方に向つた。向つたなり暫くは動かない。活きた眼は上から見下《みおろ》して居る。
 しばらくして、椅子に倚る人が云ふ。――
 「御叔父《をじ》さんも氣の毒な事をしたなあ」
 立つ人は答へた。――
 「あの眼は活きてゐる。まだ活きてゐる」
 言ひ終つて、部屋の中を歩き出した。
 「庭へ出《で》樣《やう》、部屋の中は陰氣で不可《いけ》ない」
 席を立つた宗近君は、横から來て甲野さんの手を取るや否や、明け放つた佛蘭西窓《ふらんすまど》を拔けて二段の石階を芝生へ下《くだ》る。足が柔かい地に着いた時、
 「一體どうしたんだ」と宗近君が聞いた。
 芝生は南に走る事十間餘にして、高樫《たかがし》の生垣に盡くる。幅は半《なか》ばに足らぬ。繁き植込に遮《さへ》ぎられた奧は、五坪《いつつぼ》程の池を隔てゝ、張出《はりだし》の新座敷には藤尾の机が据ゑてある。
 二人は緩き歩調に、芝生を突き當つた。歸りには二三間|迂回《うねつ》て、植込の陰を書齋の方《かた》へ戻つて來た。双方共無言である。足並は偶然にも揃つてゐる。植込が眞中で開いて、二三の敷石に、池の方《かた》へ人を誘ふ曲り角迄來た時、突然新座敷で、雉子《きじ》の鳴く樣に、けたゝましく笑ふ聲がした。二人の足は申し合せた如くぴたりと留まる。眼は一時に同じ方角へ走る。
 四尺の空地《くうち》を池の縁《ふち》迄細長く餘して、眞直に水に落つる池の向側《むかふがは》に、横から伸《の》す淺葱櫻《あさぎざくら》の長い枝を軒のあたりに翳《かざ》して小野さんと藤尾が此方《こちら》を向いて笑ひながら椽鼻に立つてゐる。
 不規則なる春の雜樹《ざふき》を左右に、櫻の枝を上に、温《ぬる》む水に根を抽《ぬきん》でて這ひ上がる蓮の浮葉を下に、――二人の活人畫は包まれて立つ。仕切る枠が自然の景物の粹をあつめて成るが爲めに、――枠の形が趣きを損なはぬ程に正しくて、又眼を亂さぬ程に不規則なるが爲めに――飛石に、水に、椽に、間隔の適度なるが爲めに――高きに失はず、低きに過ぎざる恰好《かつかう》の地位にある爲めに――最後に、一息の短かきに、吐く幻影《まぼろし》と、忽然に現はれたる爲めに――二人の視線は水の向《むかひ》の二人にあつまつた。と共に、水の向《むかひ》の二人の視線も、水の此方《こなた》の二人に落ちた。見合す四人は、互に互を釘付にして立つ。際どい瞬間である。はつと思ふ刹那を一番早く飛び超えたものが勝になる。
 女はちらりと白足袋の片方を後《うしろ》へ引いた。代赭《たいしや》に染めた古代模樣の鮮かに春を寂《さ》びたる帶の間から、する/\と蜿蜒《うね》るものを、引き千切《ちぎ》れと許《ばかり》鋭どく拔き出した。繊《ほそ》き蛇《だ》の膨《ふく》れたる頭《かしら》を掌《たなごゝろ》に握つて、黄金《こがね》の色を細長く空に振れば、深紅《しんく》の光は發矢《はつし》と尾より迸《ほとば》しる。――次の瞬間には、小野さんの胸を左右に、燦爛たる金鎖が動かぬ稻妻の如く懸つて居た。
 「ホヽヽヽヽ一番あなたに能く似合ふ事」
 藤尾の癇聲《かんごゑ》は鈍い水を敲いて、鋭どく二人の耳に跳ね返つて來た。
 「藤……」と動き出さうとする宗近君の横腹を突かぬ許《ばかり》に、甲野さんは前へ押した。宗近君の眼から活人畫が消える。追ひかぶさる樣に、後《うしろ》から乘《の》し懸《かゝ》つて來た甲野さんの顔が、親しき友の耳のあたり迄着いたとき、
 「黙つて……」と小聲に云ひながら、烟《けむ》に卷かれた人を植込の影へ引いて行く。
 肩に手を掛けて押す樣に石段を上《あが》つて、書齋に引き返した甲野さんは、無言の儘、扉に似たる佛蘭西窓《ふらんすまど》を左右からどたりと立て切つた。上下《うへした》の栓釘《ボールト》を式《かた》の如く鎖《さ》す。次に入口の戸に向ふ。かねて差し込んである鍵をかちやりと回すと、錠は苦もなく卸《お》りた。
 「何をするんだ」
 「部屋を立て切つた。人が這入つて來ない樣に」
 「何故」
 「何故でも好い」
 「全體どうしたんだ。大變顔色が惡い」
 「なに大丈夫。まあ掛け給へ」と最前の椅子を机に近く引きずつて來る。宗近君は小供の如く命令に服した。甲野さんは相手を落ち付けた後《のち》、靜かに、用ひ慣れた安樂椅子に腰を卸す。體は机に向つた儘である。
 「宗近さん」と壁を向いて呼んだが、やがて首|丈《だけ》ぐるりと回して、正面から、
 「藤尾は駄目だよ」と云ふ。落ち付いた調子のうちに、何となく温《ぬる》い暖味があつた。凡《すべ》ての枝を緑に返す用意の爲めに、寂《さ》びたる中を人知れず通ふ春の脉《みやく》は、甲野さんの同情である。
 「さうか」
 腕を組んだ宗近君は是《これ》丈《だけ》答へた。あとから、
 「糸公もさう云つた」と沈んで付けた。
 「君より、君の妹の方が眼がある。藤尾は駄目だ。飛び上りものだ」
 かちやりと入口の圓鈕《ノツブ》を捩《ねぢ》つたものがある。戸は開《あ》かない。今度はとん/\と外から敲く。宗近君は振り向いた。甲野さんは眼さへ動かさない。
 「打ち遣つて置け」と冷やかに云ふ。
 入口の扉に口を着けた樣にホヽヽヽヽと高く笑つたものがある。足音は日本間の方へ馳けながら遠退《とほの》いて行く。二人は顔を見合はした。
 「藤尾だ」と甲野さんが云ふ。
 「さうか」と宗近君が又答へた。
 あとは靜かになる。机の上の置時計がきちきちと鳴る。
 「金時計も廢《よ》せ」
 「うん。廢さう」
 甲野さんは首を壁に向けた儘、宗近君は腕を拱《こまぬ》いた儘、――時計はきち/\と鳴る。日本間の方で大勢が一度に笑つた。
 「宗近さん」と欽吾は又首を向け直した。「藤尾に嫌はれたよ。黙つてる方がいゝ」
 「うん黙つて居る」
 「藤尾には君の樣な人格は解らない。淺墓な跳ね返りものだ。小野に遣つて仕舞へ」
 「此通り頭ができた」
 宗近君は節太の手を胸から拔いて、刈り立の頭の天邊《てつぺん》をとんと敲いた。
 甲野さんは眼尻に笑の波を、あるか、なきかに寄せて重重《おもおも》しく首肯《うなづ》いた。あとから云ふ。
 「頭が出來れば、藤尾なんぞは要らないだらう」
 宗近君は輕くうふん〔三字傍点〕と云つたのみである。
 「それで漸く安心した」と甲野さんは、くつろいだ片足を上げて、殘る膝頭の上へ載せる。宗近君は卷烟草を燻《くゆ》らし始めた。吹く烟のなかゝら、
 「是からだ」と獨語《ひとりごと》の樣に云ふ。
 「是からだ。僕も是からだ」と甲野さんも獨語《ひとりごと》の樣に答へた。
 「君も是からか。どう是からなんだ」と宗近君は烟草の烟《けむ》を押し開いて、元氣づいた顔を近寄《ちかよせ》た。
 「本來の無一物から出直すんだから是からさ」
 指の股に敷島を挾んだ儘、持つて行く口のある事さへ忘れて、呆氣《あつけ》に取られた宗近君は、
 「本來の無一物から出直すとは」と自《みづか》ら自《みづか》らの頭腦を疑ふ如く問ひ返した。甲野さんは尋常の調子で、落ち付き拂つた答をする。――
 「僕は此|家《うち》も、財産も、みんな藤尾にやつて仕舞つた」
 「やつて仕舞つた? 何時《いつ》」
 「もう少し先《さつき》。其紋盡しを書いてゐる時だ」
 「そりや……」
 「丁度その丸に三つ鱗を描《か》いてる時だ。――其模樣が一番よく出來てゐる」
 「遣つて仕舞ふつてさう容易《たやす》く……」
 「何|要《い》るものか。あればある程|累《わずらひ》だ」
 「御叔母《をば》さんは承知したのかい」
 「承知しない」
 「承知しないものを……夫《それ》ぢや御叔母《をば》さんが困るだらう」
 「遣らない方が困るんだ」
 「だつて御叔母《をば》さんは始終君が無暗な事をしやしまいかと思つて心配して居るんぢやないか」
 「僕の母は僞物《にせもの》だよ。君らがみんな欺かれてゐるんだ。母ぢやない謎だ。澆季《げうき》の文明の特産物だ」
 「そりや、あんまり……」
 「君は本當の母でないから僕が僻んでゐると思つてゐるんだらう。それならそれで好いさ」
 「然し……」
 「君は僕を信用しないか」
 「無論信用するさ」
 「僕の方が母より高いよ。賢いよ。理由《わけ》が分つてゐるよ。さうして僕の方が母より善人だよ」
 宗近君は黙つて居る。甲野さんは續けた。――
 「母の家《うち》を出て呉れるなと云ふのは、出ゝ呉れと云ふ意味なんだ。財産を取れと云ふのは寄こせと云ふ意味なんだ。世話をして貰ひたいと云ふのは、世話になるのが厭だと云ふ意味なんだ。――だから僕は表向母の意志に忤《さから》つて、内實は母の希望通にしてやるのさ。――見給へ、僕が家《うち》を出たあとは、母が僕がわるくつて出た樣に云ふから、世間もさう信じるから――僕は夫《それ》丈《だけ》の犧牲を敢てして、母や妹の爲めに計つてやるんだ」
 宗近君は突然椅子を立つて、机の角迄來ると片肘を上に突いて、甲野さんの顔を掩《お》ひかぶす樣に覗き込みながら、
 「貴樣、氣が狂つたか」と云つた。
 「氣違は頭から承知の上だ。――今迄でも蔭ぢや、馬鹿の氣違のと呼びつゞけに呼ばれて居たんだ」
 此時宗近君の大きな丸い眼から涙がぽた/\と机の上のレオパルヂに落ちた。
 「なぜ黙つて居たんだ。向《むかふ》を出して仕舞へば好いのに……」
 「向《むかふ》を出したつて、向《むかふ》の性格は墮落する許《ばかり》だ」
 「向《むかふ》を出さない迄も、此方《こつち》が出るには當るまい」
 「此方《こつち》が出なければ、此方《こつち》の性格が墮落する許《ばかり》だ」
 「何故財産をみんな遣つたのか」
 「要らないもの」
 「一寸僕に相談して呉れゝば好かつたのに」
 「要らないものを遣るのに相談の必要もなにもないからさ」
 宗近君はふうん〔三字傍点〕と云つた。
 「僕に要らない金の爲めに、義理のある母や妹を墮落させた所が手柄にもならない」
 「ぢや愈《いよ/\》家《うち》を出る氣だね」
 「出る。居れば兩方が墮落する」
 「出て何處へ行く」
 「何處だか分らない」
 宗近君は机の上にあるレオパルヂを無意味に取つて、脊皮を竪《たて》に、勾配のついた欅《けやき》の角でとん/\と輕く敲きながら、少し沈吟《ちんぎん》の體《てい》であつたが、やがて、
 「僕のうちへ來ないか」と云ふ。
 「君のうちへ行つたつて仕方がない」
 「厭かい」
 「厭ぢやないが、仕方がない」
 宗近君は昵《ぢつ》と甲野さんを見た。
 「甲野さん。頼むから來て呉れ。僕や阿父《おやぢ》の爲はとにかく、糸公の爲めに來て遣つてくれ」
 「糸公の爲めに?」
 「糸公は君の知己だよ。御叔母《をば》さんや藤尾さんが君を誤解しても、僕が君を見損《みそこ》なつても、日本中が悉《こと/”\》く君に迫害を加へても、糸公|丈《だけ》は慥かだよ。糸公は學問も才氣もないが、よく君の價値《ねうち》を解してゐる。君の胸の中《なか》を知り拔いてゐる。糸公は僕の妹だが、えらい女だ。尊《たつと》い女だ。糸公は金が一文もなくつても墮落する氣遣のない女だ。――甲野さん、糸公を貰つてやつてくれ。家《うち》を出ても好い。山の中へ這入つても好い。何所へ行つてどう流浪しても構はない。何でも好いから糸公を連れて行つて遣つてくれ。――僕は責任を以て糸公に受合つて來たんだ。君が云ふ事を聞いて呉れないと妹に合す顔がない。たつた一人の妹を殺さなくつちやならない。糸公は尊《たつと》い女だ、誠のある女だ。正直だよ、君の爲なら何でもするよ。殺すのは勿體《もつたい》ない」
 宗近君は骨張つた甲野さんの肩を椅子の上で振り動かした。
 
     十八
 
 小夜子は婆さんから菓子の袋を受取つた。底を立てゝ出雲燒《いづもやき》の皿に移すと、眞中にある青い鳳凰《ほうわう》の模樣が和製のビスケツトで隱れた。黄色な縁《ふち》は大分《だいぶ》殘つてゐる。揃へて渡す二本の竹箸を、落さぬ樣に茶の間から座敷へ持つて出た。座敷には淺井君が先生を相手に、京都以來の舊歡を暖めてゐる。時は朝である。日影はじり/\と椽に逼《せま》つてくる。
 「御孃さんは、東京を御存じでしたな」と問ひかけた。
 菓子皿を主客の間に置いて、やさしい肩を後《うしろ》へ引く序《ついで》に、
 「えゝ」と小聲に答へて、立ち兼ねた。
 「是は東京で育つたのだよ」と先生が足らぬ所を補つて呉れる。
 「さうでしたな。――大變大きくなりましたな」と突然別問題に飛び移つた。
 小夜子は淋しい笑顔を俯向《うつむ》けて、今度は答さへも控えた。淺井君は遠慮のない顔をして小夜子を眺めて居る。是から此女の結婚問題を壞すんだなと思ひながら平氣に眺めてゐる。淺井君の結婚問題に關する意見は大道易者の如く容易である。女の未來や生涯の幸福に就てはあまり同情を表《へう》して居らん。只頼まれたから頼まれたなりに事を運べば好いものと心得て居る。さうしてそれが尤も法學士的で、法學士的は尤も實際的で、實際的は最上の方法だと心得てゐる。淺井君は尤も想像力の少ない男で、しかも想像力の少ないのをかつて不足だと思つた事のない男である。想像力は理知の活動とは全然別作用で、理知の活動は却つて想像力の爲めに常に阻害せらるゝものと信じてゐる。想像力を待つて、始めて、全《まつ》たき人性に戻《もと》らざる好處置が、知慧分別の純作用以外に活きてくる場合があらう抔《など》とは法科のヘ室で、どの先生からも聞いた事がない。從つて淺井君は一向《いつかう》知らない。只斷はれば濟むと思つてゐる。淋しい小夜子の運命が、夫子《ふうし》の一言《いちごん》でどう變化するだらうかとは淺井君の夢にだも考へ得ざる問題である。
 淺井君が無意味に小夜子を眺めてゐるうちに、孤堂先生は變な咳を二つ三つ塞《せ》いた。小夜子は心元なく父の方《かた》を向く。
 「御藥はもう上がつたんですか」
 「朝の分はもう飲んだよ」
 「御寒い事は御座んせんか」
 「寒くはないが、少し……」
 先生は右の手頸へ左の指を三本懸けた。小夜子は淺井の居る事も忘れて、脉《みやく》をはかる先生の顔|許《ばかり》見詰めてゐる。先生の顔は髯と共に日毎に細長く瘠せこけて來る。
 「どうですか」と氣遣はし氣に聞く。
 「少し、早い樣だ。矢つ張り熱が除《と》れない」と額に少し皺が寄つた。先生が熱度を計つて、地烈《じれつ》たさうに不愉快な顔をするたびに小夜子は悲しくなる。夕立を野中に避けて、頼《たより》と思ふ一本杉を難有《ありがた》しと梢を見れば稻妻がさす。怖《こは》いと云ふよりも、年を取つた人に氣の毒である。行き屆かぬ世話から出る疳癪なら、機嫌の取りやうもある。氣で勝てぬ病氣の爲なら孝行の盡し樣がない。苟且《かりそめ》の風邪と、當人も思ひ、自分も苦にしなかつた昨日《きのふ》今日《けふ》の咳を、蔭へ廻つて聞いて見ると、醫者は性質《たち》が善くないと云ふ。二三日で熱が退《ひ》かないと云つて焦慮《じれ》る樣な輕い病症ではあるまい。知らせれば心配する。云はねば氣で通す。其上疳を起す。此調子で進んで行くと、一年の後《のち》には神經が赤裸《あかはだか》になつて、空氣に觸れても飛び上がるかも知れない。――昨夜《ゆうべ》小夜子は眼を合せなかつた。
 「羽織でも召して居らしつたら好いでせう」
 孤堂先生は返事をせずに、
 「驗温器があるかい。一つ計つて見《み》樣《やう》」と云ふ。小夜子は茶の間へ立つ。
 「どうかなすつたんですか」と淺井君が無雜作に尋ねた。
 「いえ、ちつと風邪を引いてね」
 「はあ、さうですか。――もう若葉が大分《だいぶ》出ましたな」と云つた。先生の病氣に對しては丸《まる》で同情も頓着もなかつた。病氣の源因と、經過と、容體を精しく聞いて貰はうと思つて居た先生は當《あて》が外《はづ》れた。
 「おい、無いかね。どうした」と次の間を向いて、常よりは大きな聲を出す。序《ついで》に咳が二つ出た。
 「はい、只今」と小《ち》さい聲が答へた。が驗温器を持つて出る樣子がない。先生は淺井君の方を向いて
 「はあ、さうかい」と氣のない返事をした。
 淺井君は詰らなくなる。早く用を片付けて歸らうと思ふ。
 「先生小野は一向《いつかう》駄目ですな、ハイカラに許《ばかり》なつて。御孃さんと結婚する氣はないですよ」とぱた/\と順序なく並べた。
 孤堂先生の窪《くぼ》んだ眼《まなこ》は一度に鋭どくなつた。やがて鋭どいものが一面に廣がつて顔中《かほぢゆう》苦々敷《にが/\し》くなる。
 「廢《よ》した方が好《え》えですな」
 置き失《な》くした驗温器を捜《さ》がしてゐた、次の間の小夜子は、長火鉢の二番目の抽出《ひきだし》を二寸程拔いた儘、はたりと引く手を留めた。
 先生の苦々しい顔は一層こまやかになる。想像力のない淺井君は頓《とん》と結果を豫想し得ない。
 「小野は近頃非常なハイカラになりました。あんな所へ行くのは御孃さんの損です」
 苦々敷《にが/\し》い顔はとう/\持ち切れなくなつた。
 「君は小野の惡口を云ひに來たのかね」
 「ハヽヽヽ先生本當ですよ」
 淺井君は妙な所で高笑をした。
 「餘計な御世話だ。輕薄な」と鋭どく跳ね付けた。先生の聲は漸く尋常を離れる。淺井君は始めて驚ろいた。暫く黙つてゐる。
 「おい驗温器はまだか。何を愚圖々々してゐる」
 次の間の返事は聞えなかつた。ことりとも云はぬうちに、片寄せた障子に影がさす。腰板の外《はづれ》から細い白木の筒がそつと出る。疊の上で受取つた先生はぽんと云はして筒を拔いた。取り出した驗温器を日に翳《かざ》して二三度やけに振りながら、
 「何だつて、そんな餘計な事を云ふんだ」と度盛《どもり》を透《すか》して見る。先生の精神は半《なか》ば驗温器にある。淺井君は此間に元氣を回復した。
 「實は頼まれたんです」
 「頼まれた? 誰に」
 「小野に頼まれたんです」
 「小野に頼まれた?」
 先生は腋の下へ驗温器を持つて行く事を忘れた。茫然としてゐる。
 「あゝ云ふ男だものだから、自分で先生の所へ來て斷はり切れないんです。それで僕に頼んだです」
 「ふうん。もつと精《くは》しく話すがいゝ」
 「二三日|中《ぢゆう》に是非こちらへ御返事をしなければならないからと云ひますから、僕が代理に遣つて來たんです」
 「だから、どう云ふ理由で斷はるんだか、夫《それ》を精《くは》しく話したら好いぢやないか」
 襖の蔭で小夜子が洟《はな》をかんだ。つゝましき音ではあるが、一重《ひとへ》隔てゝすぐ向《むかふ》に居る人のそれと受け取れる。鴨居に近く聞えたのは、襖越《ふすまごし》に立つて居るらしい。淺井君の耳にはどんな感じを與へたか知らぬ。
 「理由はですな。博士にならなければならないから、どうも結婚なんぞして居られないと云ふんです」
 「ぢや博士の稱號の方が、小夜より大事だと云ふんだね」
 「さう云ふ譯でもないでせうが、博士になつて置かんと將來非常な不利益ですからな」
 「よし分つた。理由はそれぎりかい」
 「それに確然たる契約のない事だからと云ふんです」
 「契約とは法律上有効の契約といふ意味だな。證文のやりとりの事だね」
 「證文でもないですが――其代り長い間御世話になつたから、其御禮としては物質的の補助をしたいと云ふんです」
 「月々金でも呉れると云ふのかい」
 「さうです」
 「おい小夜や、一寸|御出《おいで》。小夜や――小夜や」と聲は次第に高くなる。返事は遂にない。
 小夜子は襖の蔭に蹲踞《うづくま》つた儘、動かずに居る。先生は仕方なしに淺井君の方へ向き直つた。
 「君は妻君があるかい」
 「ないです。貰ひたいが、自分の口が大事ですからな」
 「妻君がなければ參考の爲めに聞いて置くがいゝ。――人の娘は玩具《おもちや》ぢやないぜ。博士の稱號と小夜と引き替にされて堪るものか。考へて見るがいゝ。如何《いか》な貧乏人の娘でも活物《いきもの》だよ。私《わし》から云へば大事な娘だ。人一人殺しても博士になる氣かと小野に聞いてくれ。それから、さう云つて呉れ。井上孤堂は法律上の契約よりもコ義上の契約を重んずる人間だつて。――月々金を貢《みつ》いでやる? 貢《みつ》いで呉れと誰が頼んだ。小野の世話をしたのは、泣き付いて來て可愛想《かはいさう》だから、好意づくでした事だ。何だ物質的の補助をするなんて、失禮千萬な。――小夜や、用があるから一寸出て御出《おいで》、おい居ないのか」
 小夜子は襖の蔭で啜《すゝ》り泣《なき》をしてゐる。先生は頻りに咳《せ》く。淺井君は面喰《めんくら》つた。
 斯う怒られ樣とは思はなかつた。又斯う怒られる譯がない。自分の云ふ事は事理明白である。世間に立つて成功するには誰の目にも博士號は大切である。瞹眛な約束をやめて呉れと云ふのも左程《さほど》不義理とは受取れない。世話をして貰ひつ放しでは不都合かも知れないが、して貰つた丈《だけ》の事を物質的に返すと云ひ出せば、喜んで此方《こつち》の義務心を滿足させ可き筈である。夫《それ》を突然怒り出す。――そこで淺井君は面喰《めんくら》つた。
 「先生さう怒つちや困ります。惡ければ又小野に逢つて話して見ますから」と云つた。是は本氣の沙汰である。
 しばらく黙つて居た先生は、稍《やゝ》落ち付いた調子で、
 「君は結婚を極めて容易《たやすい》事《こと》の樣に考へてゐるが、そんなものぢやない」と口惜《くちをし》さうに云ふ。
 先生の云ふ主意は分らんが、先生の樣子には流石《さすが》の淺井君も少し心を動かした。然し結婚は便宜によつて約束を取り結び、便宜によつて約束を破棄する丈《だけ》で差支ないと信じてゐる淺井君は、別に返事もしなかつた。
 「君は女の心を知らないから、そんな使に來たんだらう」
 淺井君は矢つ張り黙つてゐる。
 「人情を知らないから平氣でそんな事を云ふんだらう。小野の方が破談になれば小夜は明日《あした》から何處へでも行けるだらうと思つて、云ふんだらう。五年以來|夫《をつと》だと思ひ込んで居た人から、特別の理由もないのに、急に斷はられて、平氣ですぐ他家《わき》へ嫁に行く樣な女があるものか。あるかも知れないが小夜はそんな輕薄な女ぢやない。そんな輕薄に育て上げた積《つもり》ぢやない。――君はさう輕卒に破談の取次をして、小夜の生涯を誤まらして、それで好い心持なのか」
 先生の窪んだ眼が※[者/火]染《にじ》んで來た。頻りに咳が出る。淺井君は成程それが事實ならと感心した。漸く氣の毒になつてくる。
 「ぢや、まあ御待ちなさい、先生。もう一遍小野に話して見ますから。僕は只頼まれたから來たんで、そんな精《くは》しい事情は知らんのですから」
 「いや、話して呉れないでも好い。厭だと云ふものに無理に貰つてもらひたくはない。然し本人が來て自家《じか》に譯を話すが好い」
 「然し御孃さんが、さう云ふ御考だと……」
 「小夜の考《かんがへ》位《ぐらゐ》小野には分つてゐる筈ださ」と先生は平手《ひらて》で頬を打つ樣に、ぴしやりと云つた。
 「ですがな、それだと小野も困るでせうから、もう一遍……」
 「小野にさう云つて呉れ。井上孤堂はいくら娘が可愛くつても、厭だと云ふ人に頭を下げて貰つてもらふ樣な卑劣な男ではないつて。――小夜や、おい、居ないか」
 襖の向側《むかふがは》で、袖らしいものが唐紙の裾に中《あた》る音がした。
 「さう返事をして差支ないだらうね」
 答は更になかつた。やゝあつて、わつと云ふ顔を袖の中に埋《うづ》めた聲がした。
 「先生もう一遍小野に話しませう」
 「話さないでも好い。自家《じか》に來て斷はれと云つて呉れ」
 「兎に角……さう小野に云ひませう」
 淺井君は遂に立つた。玄關迄送つて來た先生に頭を下げた時、先生は
 「娘なんぞ持つもんぢやないな」と云つた。表へ出た淺井君はほつと息をつく。今迄こんな感じを經驗した事はない。横町を出て蕎麥屋の行燈《あんどう》を右に通へ出て、電車のある所迄來ると突然飛び乘つた。
 突然電車に乘つた淺井君は約一時間|餘《よ》の後《のち》、ぶらりと宗近家の門からあらはれた。つづいて車が二挺出る。一挺は小野の下宿へ向ふ。一挺は孤堂先生の家に去る。五十分程|後《おく》れて、玄關の松の根際に梶棒《かぢぼう》を上げた一挺は、黒い幌《ほろ》を卸した儘、甲野の屋敷を指して馳ける。小説は此三挺の使命を順次に述べなければならぬ。
 宗近君の車が、小野さんの下宿の前で、車輪《は》の音《おと》を留めた時、小野さんは丁度|午飯《ひるめし》を濟ました許《ばかり》である。膳が出てゐる。飯櫃《めしびつ》も引かれずにある。主人公は机の前へ座を移して、口から吹く濃き烟を眺めながら考へてゐる。今日は藤尾と大森へ行く約束がある。約束だから行かなければならぬ。然し是非行かねばならぬとなると、何となく氣が咎める。不安である。約束さへしなければ、もう少しは太平であつたらう。飯ももう一杯位は食へたかも知れぬ。賽《さい》は固《もと》より自分で投げた。一六《いちろく》の目は明かに出た。ルビコンは渡らねばならぬ。然し事もなげに河を横切つた該撒《シーザー》は英雄である。通例の人はいざと云ふ間際になつてから又思ひ返す。小野さんは思ひ返す度に、必ず廢《よ》せばよかつたと後悔する。乘り掛けた船に片足を入れた時、船頭が出ますよと棹《さを》を取り直すと、待つて呉れと云ひたくなる。誰か陸《をか》から來て引つ張つて呉れゝば好いと思ふ。乘り掛けた許《ばかり》ならまだ陸《をか》へ戻る機會があるからである。約束も履行せんうちは岸を離れぬ舟と同じく、まだ絶體絶命と云ふ場合ではない。メレヂスの小説にこんな話がある。――ある男とある女が諜《しめ》し合せて、停車場《ステーシヨン》で落ち合ふ手筈をする。手筈が順に行つて、汽笛がひゆうと鳴れば二人の名譽はそれぎりになる。二人の運命がいざと云ふ間際|迄《まで》逼つた時女は遂に停車場《ステーシヨン》へ來なかつた。男は待ち耄《ぼけ》の顔を箱馬車の中に入れて、空しく家《うち》へ歸つて來た。あとで聞くと朋友の誰彼が、女を抑留して、わざと約束の期を誤まらしたのだと云ふ。――藤尾と約束をした小野さんは、斯《こ》んな風に約束を破る事が出來たら、却つて仕合《しあはせ》かも知れぬと思ひつゝ烟草の烟を眺めて居る。それに淺井の返事がまだ來ない。諾《だく》と云へばどつちへ轉んでも幸である。否《ひ》と聞くならば、退《の》つ引《ぴ》きならぬ瀬戸際《せとぎは》迄あらかじめ押して置いて、振り返つてから、臨機應變に難關を切り拔けて行く積《つもり》の計畫だから、一刻も早く大森へ行つて仕舞へば濟む。否《ひ》と云ふ返事を待つ必要は無論ない。ないが、決行する間際になると氣掛りになる。頭で拵へ上げた計畫を人情が崩しにかゝる。想像力が實行させぬ樣に引き戻す。小野さんは詩人|丈《だけ》に尤も想像力に富んでゐる。
 想像力に富んで居ればこそ、自分で斷はりに行く氣になれなかつた。先生の顔と小夜子の顔と、部屋の模樣と、暮しの有樣とを眼《ま》のあたりに見て、眼《ま》のあたりに見たものを未來に延長《ひきのば》して想像の鏡に思ひ浮べて眺めると二《ふ》た通《とほり》になる。自分が此鏡のなかに織り込まれて居るときは、春である、豐である、悉《こと/”\》く幸福である。鏡の面《おもて》から自分の影を拭き消すと闇になる、暮になる。凡《すべ》てが悲慘《みじめ》になる。此一團の精神から、自分の魂|丈《だけ》を切り離す談判をするのは、小《ち》さき竈《かまど》に立つべき烟を豫想しながら薪《たきゞ》を奪ふと一般である。忍びない。人は眼を閉《つぶ》つて苦《にが》い物を呑む。こんな絡《から》んだ縁をふつりと切るのに想像の眼を開《あ》いてゐては出來ぬ。そこで小野さんは眼の閉《つぶ》れた淺井君を頼んだ。頼んだ後《あと》は、想像を殺して仕舞へば濟む。と覺束《おぼつか》ないが決心|丈《だけ》はした。然し犬一匹でも殺すのは容易な事ではない。持つて生れた心の作用を、不都合な所|丈《だけ》黒く塗つて、消し切りに消すのは、古來から幾千萬人の試みた窮策で、幾千萬人が等しく失敗した陋策《ろうさく》である。人間の心は原稿紙とは違ふ。小野さんが此決心をした其晩から想像力は復活した。――
 瘠せた頬を描《ゑが》く。落ち込んだ眼を描《ゑが》く。縺《もつ》れた髪を描《ゑが》く。蟲の樣な氣息《いき》を描《ゑが》く。――さうして想像は一轉する。
 血を描《ゑが》く。物凄き夜と風と雨とを描く。寒き灯火《ともしび》を描《ゑが》く。白張《しらはり》の提灯を描《ゑが》く。――慄然《ぞつ》として想像はとまる。
 想像のとまつた時、急に約束を思ひ出す。約束の履行から出る快《こゝろよ》からぬ結果を思ひ出す。結果は又も想像の力で曲々《きよく/\》の波瀾を起す。――良心を質に取られる。生涯受け出す事が出來ぬ。利に利がつもる。脊中が重くなる、痛くなる、さうして腰が曲る。寐覺がわるい。社會が後指《うしろゆび》を指《さ》す。
 惘然《まうぜん》として烟草の烟を眺めてゐる。恩賜の時計は一秒毎に約束の履行を促《うな》がす。橇《そり》の上に力なき身を託した樣なものである。手を拱《こま》ぬいて居れば自然と約束の淵へ滑り込む。「時」の橇《そり》程正確に滑るものはない。
 「矢つ張り行く事にするか。後暗《うしろぐら》い行《おこなひ》さへなければ行つても差支ない筈だ。それさへ愼めば取り返しはつく。小夜子の方は淺井の返事次第で、どうにかしやう」
 烟草の烟が、未來の影を朦朧と罩《こ》め盡す迄濃く搖曳《たなび》いた時、宗近君の頑丈な姿が、凡《すべ》ての想像を拂つて、現實界にあらはれた。
 何時《いつ》の間《ま》にどう下女が案内をしたか知らなかつた。宗近君はぬつと這入つた。
 「大分《だいぶ》狼籍《らうぜき》だね」と云ひながら紅溜《べにだめ》の膳を廊下へ出す。黒塗の飯櫃《めしびつ》を出す。土瓶迄運び出して置いて、
 「どうだい」と部屋の眞中に腰を卸した。
 「どうも失敬です」と主人は恐縮の體《てい》で向き直る。折よく下女が來て湯沸《ゆわかし》と共に膳椀を引いて行く。
 心を二六時に委《ゆだ》ねて、隻手《せきしゆ》を動かす事を敢てせざるものは、自《おのづ》から約束を踐《ふ》まねばならぬ運命を有《も》つ。安からぬ胸を秒毎に重ねて、じり/\と怖《こは》い所へ行く。突然と横合から飛び出した宗近君は、滑るべく餘儀なくせられたる人を、半途《はんと》に遮《さへぎ》つた。遮ぎられた人は邪魔に逢ふと同時に、一刻の安きを故《もと》の位地に貪《むさぼ》る事が出來る。
 約束は履行すべきものと極つてゐる。然し履行すべき條件を奪つたものは自分ではない。自分から進んで違約したのと、邪魔が降つて來て、守る事が出來なかつたのとは心持が違ふ。約束が劔呑《けんのん》になつて來た時、自分に責任がない樣に、人が履行を妨げて呉れるのは嬉しい。何故《なぜ》行かないと良心に責められたなら、行く積《つもり》の義務心はあつたが、宗近君に邪魔をされたから仕方がないと答へる。
 小野さんは寧ろ好意を以て宗近君を迎へた。然し此一點の好意は、不幸にして面白からぬ感情の爲に四方から深く鎖《とざ》されて居る。
 宗近君と藤尾とは遠い縁續である。自分が藤尾を陷《おとし》いれるにしても、藤尾が自分を陷《おとし》いれるにしても、二人の間に取り返しのつかぬ關係が出來さうな際どい約束を、素知らぬ顔で結んだのみか、今實行にとりかゝらうと云ふ矢先に、突然飛び込まれたのは、迷惑は偖《さて》置いて、大いに氣が咎める。無關係のものなら夫《それ》でも好い。突然飛び込んだものは、人もあらうに、相手の親類である。
 たゞの親類ならまだしもである。兼《かね》てから藤尾に心のある宗近君である。外國で死んだ人が、是こそ娘の婿ととうから許して居た宗近君である。昨日《きのふ》迄二人の關係を知らずに、昔の望を其儘に繋《つな》いでゐた宗近君である。偸《ぬす》まれた金の行先も知らずに、空金庫《からきんこ》を護つてゐた宗近君である。
 秘密の雲は、春を射る金鎖の稻妻で、半《なかば》劈《つんざか》れた。眠つてゐた眼を醒しかけた金鎖のあとへ、淺井君が行つて井上の事でも喋舌《しやべ》つたら――困る。氣の毒とは只先方へ對して云ふ言葉である。氣が咎めるとは、其上に此方《こちら》から濟まぬ事をした場合に用ゐる。困るとなると、もう一層|上手《うはて》に出て、利害が直接に吾身の上に跳ね返つて來る時に使ふ。小野さんは宗近君の顔を見て大いに困つた。
 宗近君の來訪に對して歡迎の意を表する一點好意の核は、氣の毒の輪〔五字傍点〕で尻こそばゆく取り卷かれてゐる。其上には氣が咎める輪〔六字傍点〕が氣味わるさうに重なつてゐる。一番外には困る輪〔三字傍点〕が黒墨を流した樣に際限なく未來に連《つら》なつてゐる。さうして宗近君は此未來を司《つかさ》どる主人公の樣に見えた。
 「昨日《きのふ》は失敬した」と宗近君が云ふ。小野さんは赤くなつて下を向いた。あとから金時計が出るだらうと、心元なく烟草へ火を移す。宗近君はそんな氣色《けしき》も見えぬ。
 「小野さん、さつき淺井が來てね。其事でわざわざ遣つて來た」とすぱりと云ふ。
 小野さんの神經は一度にびりゝと動いた。すこし、してから烟草の烟が陰氣にむうつと鼻から出る。
 「小野さん、敵《かたき》が來たと思つちや不可《いけ》ない」
 「いえ決して……」と云つた時に小野さんは又ぎくりとした。
 「僕は當《あて》つ擦《こす》り抔《など》を云つて、人の弱點に乘ずる樣な人間ぢやない。此通り頭が出來た。そんな暇は藥にしたくつてもない。あつても僕のうちの家風に背《そむ》く……」
 宗近君の意味は通じた。只頭の出來た由來が分らなかつた。然し問ひ返す程の勇氣がないから黙つてゐる。
 「そんな卑しい人間と思はれちや、急がしい所をわざ/\來た甲斐がない。君だつてヘ育のある事理《わけ》の分つた男だ。僕をさう云ふ男と見て取つたが最後、僕の云ふ事は君に對して全然無効になる譯だ」
 小野さんはまだ黙つてゐる。
 「僕はいくら閑人《ひまじん》だつて、君に輕蔑され樣と思つて車を飛ばして來やしない。――兎に角淺井の云ふ通なんだらうね」
 「淺井がどう云ひましたか」
 「小野さん、眞面目だよ。いゝかね。人間は年《ねん》に一度位眞面目にならなくつちやならない場合がある。上皮《うはかは》許《ばかり》で生きてゐちや、相手にする張合《はりあひ》がない。又相手にされても詰るまい。僕は君を相手にする積《つもり》で來たんだよ。好いかね、分つたかい」
 「えゝ、分りました」と小野さんは大人《おとな》しく答へた。
 「分つたら君を對等の人間と見て云ふがね。君はなんだか始終不安ぢやないか。少しも泰然として居ない樣だが」
 「さうかも――知れないです」と小野さんは術《じゆつ》なげながら、正直に白?した。
 「さう君が平たく云ふと、甚だ御氣の毒だが、全く事實だらう」
 「えゝ」
 「他人《ひと》が不安であらうと、泰然として居なからうと、上皮《うはかは》許《ばかり》で生きてゐる輕薄な社會では構つた事ぢやない。他人《ひと》所《どころ》か自分自身が不安でゐながら得意がつてゐる連中も澤山ある。僕も其|一人《いちにん》かも知れない。知れない所ぢやない、慥かに其|一人《いちにん》だらう」
 小野さんは此時始めて積極的に相手を遮ぎつた。
 「貴所《あなた》は羨しいです。實は貴所《あなた》の樣になれたら結構だと思つて、始終考へてる位です。そんな所へ行くと僕は詰らない人間に違ないです」
 愛嬌に調子を合せるとは思へない。上皮《うはかは》の文明は破れた。中から本音《ほんね》が出る。悄然《せうぜん》として誠を帶びた聲である。
 「小野さん、其所に氣が付いて居るのかね」
 宗近君の言葉には何だか暖味《あたゝかみ》があつた。
 「居るです」と答へた。しばらくして又、
 「居るです」と答へた。下を向く。宗近君は顔を前へ出した。相手は下を向いた儘、
 「僕の性質は弱いです」と云つた。
 「どうして」
 「生れ付きだから仕方がないです」
 是も下を向いた儘云ふ。
 宗近君は猶と顔を寄せる。片膝を立てる。膝の上に肱を乘せる。肱で前へ出した顔を支へる。さうして云ふ。
 「君は學問も僕より出來る。頭も僕より好い。僕は君を尊敬してゐる。尊敬してゐるから救ひに來た」
 「救ひに……」と顔を上げた時、宗近君は鼻の先に居た。顔を押し付ける樣にして云ふ。――
 「かう云ふ危《あや》うい時に、生れ付きを敲き直して置かないと、生涯不安で仕舞ふよ。いくら勉強しても、いくら學者になつても取り返しは付かない。此所だよ、小野さん、眞面目になるのは。世の中に眞面目は、どんなものか一生知らずに濟んで仕舞ふ人間が幾何《いくら》もある。皮《かは》丈《だけ》で生きて居る人間は、土《つち》丈《だけ》で出來てゐる人形とさう違はない。眞面目がなければだが、あるのに人形になるのは勿體《もつたい》ない。眞面目になつた後《あと》は心持がいゝものだよ。君にさう云ふ經驗があるかい」
 小野さんは首を垂れた。
 「なければ、一つなつて見給へ、今だ。こんな事は生涯に二度とは來ない。此機をはづすと、もう駄目だ。生涯眞面目の味を知らずに死んで仕舞ふ。死ぬ迄むく犬の樣にうろ/\して不安|許《ばかり》だ。人間は眞面目になる機會が重なれば重なる程出來上つてくる。人間らしい氣持がしてくる。――法螺《ほら》ぢやない。自分で經驗して見ないうちは分らない。僕は此通り學問もない、勉強もしない、落第もする、ごろ/\して居る。それでも君より平氣だ。うちの妹なんぞは神經が鈍いからだと思つてゐる。成程神經も鈍いだらう。――然しさう無神經なら今日でも、かう遣つて車で馳け付けやしない。さうぢやないか、小野さん」
 宗近君はにこりと笑つた。小野さんは笑はなかつた。
 「僕が君より平氣なのは、學問の爲でも、勉強の爲でも、何でもない。時々眞面目になるからさ。なるからと云ふより、なれるからと云つた方が適當だらう。眞面目になれる程、自信力の出る事はない。眞面目になれる程、腰が据る事はない。眞面目になれる程、精神の存在を自覺する事はない。天地の前に自分が儼存《げんそん》して居ると云ふ觀念は、眞面目になつて始めて得られる自覺だ。眞面目とはね、君、眞劔勝負の意味だよ。遣つ付ける意味だよ。遣つ付けなくつちや居られない意味だよ。人間全體が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたつて眞面目ぢやない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて眞面目になつた氣持になる。安心する。實を云ふと僕の妹も昨日《きのふ》眞面目になつた。甲野も昨日眞面目になつた。僕は昨日も、今日も眞面目だ。君も此際一度眞面目になれ。人|一人《ひとり》眞面目になると當人が助かる許《ばかり》ぢやない。世の中が助かる。――どうだね、小野さん、僕の云ふ事は分らないかね」
 「いえ、分つたです」
 「眞面目だよ」
 「眞面目に分つたです」
 「そんなら好い」
 「難有《ありがた》いです」
 「そこでと、――あの淺井と云ふ男は、丸《まる》で人間として通用しない男だから、あれの云ふ事を一々|眞《ま》に受けちや大變だが――本來を云ふと淺井が來て是々だと、あれが僕に話した通を君の前で箇條がきにしてゞも述べる所だね。さうして、君の云ふところと照し合せた上で事實を判斷するのが順當かも知れない。いくら頭の惡い僕でもその位な事は知つてる。然し眞面目になると、ならないとは大問題だ。契約があつたの、滑つたの轉んだの。嫁があつちやあ博士になれないの、博士にならなくつちや外聞が惡いのつて、丸《まる》で小供見た樣な事は、どつちがどつちだつて構はないだらう、なあ君」
 「えゝ構はないです」
 「要するに眞面目な處置は、どう付ければ好いのかね。そこが君の遣る所だ。邪魔でなければ相談にならう。奔走しても好い」
 悄然《せうぜん》として項垂《うなだ》れて居た小野さんは、此時居ずまひを正《たゞ》した。顔を上げて宗近君を眞向《まむき》に見る。眸は例になく確乎《しつか》と坐つて居た。
 「眞面目な處置は、出來る丈《だけ》早く、小夜子と結婚するのです。小夜子を捨てゝは濟まんです。孤堂先生にも濟まんです。僕が惡かつたです。斷はつたのは全く僕が惡かつたです。君に對しても濟まんです」
 「僕に濟まん? まあ夫《そり》や好い、後で分る事だから」
 「全く濟まんです。――斷はらなければ好かつたです。斷はらなければ――淺井はもう斷はつて仕舞つたんでせうね」
 「そりや君が頼んだ通り斷はつたさうだ。然し井上さんは君自身に來て斷はれと云ふさうだ」
 「ぢや、行きます。是から、すぐ行つて謝罪《あやま》つて來ます」
 「だがね、今僕の阿父《おやぢ》を井上さんの所へ遣つて置いたから」
 「阿父《おとつ》さんを?」
 「うん、淺井の話によると、何でも大變怒つてるさうだ。それから御孃さんはひどく泣いてると云ふからね。僕が君のうちへ來て相談をしてゐるうちに、何か事でも起ると困るから慰問《なぐさめ》かた/”\つなぎに遣つて置いた」
 「どうも色々御親切に」と小野さんは疊に近く頭を下げた。
 「なに老人はどうせ遊んでゐるんだから、御役にさへ立てば喜んで何でもして呉れる。それで、かうして置いたんだがね、――もし談判が調《とゝの》へば、車で御孃さんを呼びにやるから此方《こつち》へ寄こして呉れつて。――來たら、僕の居る前で、御孃さんに未來の細君だと君の口から明言してやれ」
 「やります。此方《こつち》から行つても好いです」
 「いや、此所へ呼ぶのはまだ外にも用があるからだ。それが濟んだら三人で甲野へ行くんだよ。さうして藤尾さんの前で、もう一遍君が明言するんだ」
 小野さんは少しく※[やまいだれ/鼾の左の下半分]《ひる》んで見えた。宗近君はすぐ付ける。
 「何、僕が君の妻君を藤尾さんに紹介してもいゝ」
 「さう云ふ必要があるでせうか」
 「君は眞面目になるんだらう。――僕の前で奇麗に藤尾さんとの關係を絶つて見せるがいゝ。其證據に小夜子さんを連れて行くのさ」
 「連れて行つても好いですが、あんまり面當《つらあて》になるから――なるべくなら穩便《をんびん》にした方が……」
 「面當《つらあて》は僕も嫌《きらひ》だが、藤尾さんを助ける爲だから仕方がない。あんな性格は尋常の手段ぢや直せつこない」
 「然し……」
 「君が面目ないと云ふのかね。かう云ふ羽目《はめ》になつて、面目ないの、極りが惡いのと云つて愚圖々々してゐるようぢや矢つ張り上皮《うはかは》の活動だ。君は今眞面目になると云つた許《ばかり》ぢやないか。眞面目と云ふのはね、僕に云はせると、つまり實行の二字に歸着するのだ。口|丈《だけ》で眞面目になるのは、口|丈《だけ》が眞面目になるので、人間が眞面目になつたんぢやない。君と云ふ一個の人間が眞面目になつたと主張するなら、主張する丈《だけ》の證據を實地に見せなけりや何にもならない。……」
 「ぢや遣りませう。どんな大勢の中でも構はない、遣りませう」
 「宜ろしい」
 「所で、みんな打ち明けて仕舞ひますが。――實は今日大森へ行く約束があるんです」
 「大森へ。誰と」
 「その――今の人とです」
 「藤尾さんとかね。何時《なんじ》に」
 「三時に停車場《ステーシヨン》で出合ふ筈になつてゐるんですが」
 「三時と――今|何時《なんじ》か知らん」
 ぱちりと宗近君の胴衣《ちよつき》の中程で音がした。
 「もう二時だ。君はどうせ行くまい」
 「廢《よ》すです」
 「藤尾さん一人で大森へ行く事は大丈夫ないね。うち遣つて置いたら歸つてくるだらう。三時過になれば」
 「一分でも後《おく》れたら、待ち合す氣遣《きづかひ》ありません。すぐ歸るでせう」
 「丁度好い。――何だか、降つて來たな。雨が降つても行く約束かい」
 「えゝ」
 「此雨は――中々|歇《や》みさうもない。――兎に角手紙で小夜子さんを呼ばう。阿父《おやぢ》が待ち兼《かね》て心配して居るに違ない」
 春に似合はぬ強い雨が斜めに降る。空の底は計られぬ程深い。深いなかから、とめどもなく千筋《ちすぢ》を引いて落ちてくる。火鉢が欲しい位の寒《さむさ》である。
 手紙は點滴の響の裡《うち》に認《したゝ》められた。使が幌《ほろ》の色を、打つ雨に搖《うご》かして、一散に去つた時、叙述は移る。最前宗近家の門を出た第二の車は既に孤堂先生の僑居《けうきよ》に在つて、應分の使命をつくしつゝある。
 孤堂先生は熱が出て寐た。秘藏の義董《ぎとう》の幅に背《そむ》いて横《よこた》へた額際を、小夜子が氷嚢《ひようなう》で冷してゐる。蹲踞《うづくま》る枕元に、泣き腫《はら》した眼を赤くして、氷嚢の括目《くゝりめ》に寄る皺を勘定して居るかと思はれる。容易に顔を上げない。宗近の阿父《おとつ》さんは、鐵線模樣《てつせんもやう》の臥被《かいまき》を二尺ばかり離れて、どつしりと尻を据ゑてゐる。厚い膝頭が坐布團から喰《は》み出して輕く疊を抑へた所は、血が退《ひ》いて肉が落ちた孤堂先生の顔に比べると威風堂々たるものである。
 宗近老人の聲は相變らず大きい。孤堂先生の聲は常よりは高い。對話は此兩人の間に進行しつゝある。
 「實はさう云ふ次第で突然參上致したので、御不快の所を甚だ恐縮であるが、取り急ぐ事と、どうか惡しからず」
 「いや、甚だ失禮の體《てい》たらくで、私こそ恐縮で。起きて御挨拶を申し上げなければならんのだが……」
 「どう致して、其儘の方が御話がし易くて結句《けつく》私の都合になります。ハヽヽヽ」
 「洵《まこと》に御親切にわざ/\御尋ね下すつて難有《ありがた》い」
 「なに、昔なら武士は相見互《あひみたがひ》と云ふ所で。ハヽヽヽ私|抔《など》もいつ何時《なんどき》御世話にならんとも限らん。然し久し振で東京へ御移《おうつり》では嘸《さぞ》御不自由で御困りだらう」
 「二十年目になります」
 「二十年目、そりあ/\。二《ふ》た昔《むかし》ですな。御親類は」
 「無いと同然で。久しい間、音信不通《いんしんふつう》にして居つたものですからな」
 「成程。それぢや、全く小野氏《をのうじ》丈《だけ》が御力ですな。そりや、どうも、怪《け》しからん事になつたもので」
 「馬鹿を見ました」
 「いや然し、どうにか、なりませう。さう御心配なさらずとも」
 「心配は致しません。たゞ馬鹿を見た丈《だけ》で、先刻よく娘にも因果を含めて申し聞かして置きました」
 「然し折角是迄御丹精になつたものを、さう思ひ切りよく御斷念《おあきらめ》になるのも惜《をし》いから、どうか此所は一と先づ私共に御任せ下さい。忰《せがれ》も出來る丈《だけ》骨を折つて見たいと申して居りましたから」
 「御好意は實に辱《かたじけ》ない。然し先方で斷はる以上は、娘も參りたくもなからうし、參ると申しても私が遣れん樣な始末で……」
 小夜子は氷嚢《ひようなう》をそつと上げて、額の露を丁寧に手拭でふいた。
 「冷やすのは少し休《や》めて見やう。――なあ小夜子行かんでも好いな」
 小夜子は氷嚢を盆へ載せた。兩手を疊の上へ突いて、盆の上へ蔽《お》ひかぶせる樣に首を出す。氷嚢へぽたり/\と涙が垂れる。孤堂先生は枕に着けた胡麻塩頭を
 「好いな」と云ひ乍ら半分程|後《うしろ》へ捩《ね》ぢ向けた。ぽたりと氷嚢へ垂れる所が見えた。
 「御尤で。御尤で……」と宗近老人は取り敢へず二遍つゞけざまに述べる。孤堂先生の首は故《もと》の位地に復した。潤《うる》んだ眼をひからして昵《じつ》と老人を見守つてゐる。やがて
 「然しそれが爲めに小野が藤尾さんとか云ふ婦人と結婚でもしたら、御子息には御氣の毒ですな」と云つた。
 「いや――そりや――御心配には及ばんです。忰《せがれ》は貰はん事にしました。多分――いや貰はんです。貰ふと云つても私が不承知です。忰《せがれ》を嫌ふ樣な婦人は、忰《せがれ》が貰ひたいと申しても私が許しません」
 「小夜や、宗近さんの阿父《おとつ》さんも、あゝ仰しやる。同《おんな》じ事だらう」
 「私は――參らんでも――宜しう御座います」と小夜子が枕の後《うしろ》で切れ/\に云つた。雨の音の強いなかで漸く聞き取れる。
 「いや、さうなつちや困る。私がわざ/\飛んで來た甲斐がない。小野氏《をのうじ》にも段々事情のある事だらうから、まあ忰の通知次第で、どうか、先刻御話を申した樣に御聞濟《おきゝずみ》を願ひたい。――自分で忰の事を彼是申すのは異《い》なものだが、忰は事理《わけ》の分つた奴で、決して後で御迷惑になる樣な取計《とりはからひ》は致しますまい。御破談になつた方が御爲だと思へば其方を御勸めして來るでせう。――始めて御目に懸つたのだがどうか私を御信用下さい。――もう何とか云つて來る時分だが、生憎《あいにく》の雨で……」
 雨を衝く一輛の車は輪を鳴らして、格子の前で留つた。がらりと明《あ》く途端に、ぐちやりと濡れた草鞋《わらぢ》を沓脱《くつぬぎ》へ踏み込んだものがある。――叙述は第三の車の使命に移る。
 第三の車が糸子を載せた儘、甲野の門に?々《りん/\》の響を送りつゝ馳けて來る間に、甲野さんは書齋を片付け始めた。机の抽出《ひきだし》を一つ宛《づゝ》拔いて、何時《いつ》となく溜つた徃復の書類を裂いては捨て、裂いては捨る。床《ゆか》の上は千切れた半切《はんきれ》で膝の所|丈《だけ》が堆《うづたか》くなつた。甲野さんは亂るゝ反故屑《ほごくづ》を踏み付けて立つた。今度は抽出《ひきだし》から一枚、二枚と細字に認《したゝ》めた控を取り出す。中には五六頁纒めて綴じ込んだのもある。大抵は西洋紙である。又西洋字である。甲野さんは一と目見て、すぐ机の上へ重ねる。中には半行も讀まずに置き易へるのもある。しばらくすると、重《かさ》なるものは小一尺の高《たかさ》迄來た。抽出は大抵|空《から》になる。甲野さんは上下《うへした》へ手を掛けて、總體を煖爐の傍《そば》迄持つて來たが、やがて、無言の儘抛げ込んだ。重なるものは主人公の手を離るゝと共に一面に崩れた。
 葡萄の葉を青銅に鑄《い》た灰皿が洋卓《てえぶる》の上にある。灰皿の上に燐寸《まつち》がある。甲野さんは手を延ばして燐寸《まつち》の箱を取つた。取りながら横に振ると、あたじけない五六本の音がする。今度は机へ歸る。レオパルヂの隣にあつた黄表紙《きべうし》の日記を持つて煖爐の前迄戻つて來た。親指を抑へにして小口を雨の樣に飛ばして見ると、黒い印氣《いんき》と鼠の鉛筆が、ちら、ちら、ちらと黄色い表紙迄來て留つた。何を書いたものやら一向《いつかう》要領を得ない。昨夕《ゆうべ》寐る前に書き込んだ、
  入v道無言客《みちにいるむごんのかく》。出v家有髪僧《いへをいづうはつのそう》。 の一聯が、最後の頁の最後の句である事|丈《だけ》を記憶してゐる。甲野さんは思ひ切つて日記を散らばつた紙の上へ乘せた。屈《しやが》んだ。煖爐敷《ハースラング》の前でしゆつと云ふ音がする。亂れた紙は、靜なるうちに、惓怠《けつたる》い伸《のび》をしながら、下から暖められて來る。きな臭い烟が、紙と紙の隙間を這ひ上《のぼ》つて出た。すると紙は下層《したがは》の方から動き出した。
 「うん、まだ書く事があつた」
と甲野さんは膝を立てながら、日記を烟のなかから救ひ出す。紙は茶に變る。ぼうと音がすると煖爐のうちは一面の火になつた。
 「おや、どうしたの」
 戸口に立つた母は不審さうに煖爐の中を見詰めて居る。甲野さんは聲に應じて體《たい》を斜めに開く。袂の先に火を受けて母と向き合つた。
 「寒いから部屋を煖めます」と云つたなり、上から煖爐の中を見下《みおろ》した。火は薄い水飴の色に燃える。藍と紫が折々は思ひ出した樣に交つて烟突の裏《うち》へ上《のぼ》つて行く。
 「まあ御あたんなさい」
 折から風に誘はれた雨が四五筋、窓硝子に當つて碎けた。
 「降り出しましたね」
 母は返事をせずに三足《みあし》程《ほど》部屋の中に進んで來た。すかす樣に欽吾を見て、
 「寒ければ、石炭を燒《た》かせ樣か」と云つた。
 めら/\と燃えた火は、搖《ゆら》ぐ紫の舌の立ち騰《のぼ》る後《あと》から、ぱつと一度に消えた。煖爐の中は眞黒である。
 「もう澤山です。もう消えました」
 云ひ終つた欽吾は、煖爐に背中を向けた。時に亡父《おやぢ》の眼玉が壁の上からぴかりと落ちて來た。雨の音がざあつとする。
 「おや/\、手紙が大變散らばつて――みんな要らないのかい」
 欽吾は床《ゆか》の上を眺めた。裂き棄てた書面は見事に亂れてゐる。或は二三行、或は五六行、甚だしいのは一行の半分で引き千切つたのがある。
 「みんな要りません」
 「それぢや、ちつと片付《かたづけ》樣《やう》。紙屑籠は何處にあるの」
 欽吾は答へなかつた。母は机の下を覗き込む。西洋流の籃製《かごせい》の屑籠が、足掛《あしかけ》の向《むかふ》に仄《ほのか》に見える。母は屈《こゞ》んで手を伸《のば》した。紺緞子《こんどんす》の帶が、窓からさす明《あかり》をまともに受けた。
 欽吾は腕を右へ眞直に、日蔽《ひおひ》のかゝつた椅子の脊頸を握つた。瘠せた肩を斜にして、ずる/\と机の傍《そば》迄《まで》引いて來た。
 母は机の奧から屑籠を引き擦り出した。手紙の斷片《きれ》を一つ一つ床《ゆか》から拾つて籠の中へ入れる。捩《ね》ぢ曲げたのを丹念に引き延ばして見る。「いづれ拝眉の上……」と云ふのを投げ込む。「……御免蒙り度|※[候の草書]《そろ》。尤も事情の許す場合には御……」と云ふのを投げ込む。「……は到底辛抱致しかね……」と云ふのを裏返して見る。
 欽吾は尻眼に母をじろりと眺めた。机の角に引き寄せた椅子の脊に、うんと腕の力を入れた。ひらりと紺足袋が白い日蔽《ひおひ》の上に揃つた。揃つた紺足袋はすぐ机の上に飛び上る。
 「おや、何をするの」と母は手紙の斷片《きれ》を持つた儘、下から仰向いた。眼と眼の間に怖《おそれ》の色が明かに讀まれた。
 「額を卸します」と上から落ち付いて云ふ。
 「額を?」
 怖《おそれ》は愕《おどろき》と變じた。欽吾は鍍金《ときん》の枠に右の手を懸けた。
 「一寸《ちよいと》御待ち」
 「何ですか」と右の手は矢張り枠に懸つてゐる。
 「額を外《はづ》して何にする氣だい」
 「持つて行くんです」
 「何所へ」
 「家《うち》を出るから、額|丈《だけ》持つて行くんです」
 「出るなんて、まあ。――出るにしても、もつと緩《ゆつくり》外《はづ》したら宜《よ》さゝうなもんぢやないか」
 「惡いですか」
 「惡くはないよ。御前が欲しければ持つて行くが、いゝけれども。何もそんなに急がなくつても好いんだらう」
 「だつて今|外《はづ》さなくつちや、時間がありません」
 母は變な顔をして呆然として立つた。欽吾は兩手を額に掛ける。
 「出るつて、御前本當に出る氣なのかい」
 「出る氣です」
 欽吾は後《うし》ろ向《むき》に答へた。
 「何時《いつ》」
 「是から、出るんです」
 欽吾は兩手で一度上へ搖り上げた額を、折釘《をれくぎ》から外《はづ》して、下へさげた。細い糸一本で額は壁とつながつてゐる。手を放すと、糸が切れて落ちさうだ。兩手で恭しく捧げた儘である。母は下から云ふ。
 「こんな雨の降るのに」
 「雨が降つても構はないです」
 「せめて藤尾に暇乞《いとまごひ》でもして行つてやつて御呉れな」
 「藤尾は居ないでせう」
 「だから待つて御呉れと云ふのだあね。藪から棒に出るなんて、御母《おつか》さんを困らせる樣なもんぢやないか」
 「困らせる積《つもり》ぢやありません」
 「御前が其氣でなくつても、世間と云ふものがあります。出るなら出る樣にして出て呉れないと、御母《おつか》さんが耻を掻きます」
 「世間が……」と云ひかけて額を持ちながら、首|丈《だけ》後《うしろ》へ向けた時、細長く切れた欽吾の眼は一度《ひとたび》は母に落ちた。やがて母から遠退《とほの》いて戸口に至つてはたと動かなくなつた。――母は氣味惡さうに振返る。
 「おや」
 天から降つた樣に、靜かに立つて居た糸子は、ゆるやかに頭《つむり》を下げた。鷹揚《おうやう》に膨《ふくら》ました廂髪《ひさしがみ》が故《もと》に歸ると、糸子は机の傍《そば》迄歩を移して來る。白足袋が兩方揃つた時、
 「御迎に參りました」と眞直に欽吾を見上げた。
 「鋏を取つて下さい」と欽吾は上から頼む。顎で差圖をした、レオパルヂの傍《そば》に、鋏がある。――ぷつりと云ふ音と共に額は壁を離れた。鋏はかちやりと床《ゆか》の上に落ちた。兩手に額を捧げた欽吾は、机の上でくるりと正面に向き直つた。
 「兄が欽吾さんを連れて來いと申しましたから參りました」
 欽吾は捧げた額を眼八分《めはちぶん》から、そろり/\と下の方へ移す。
 「受取つて下さい」
 糸子は確《しか》と受取つた。欽吾は机から飛び下りる。
 「行きませう。――車で來たんですか」
 「えゝ」
 「此額が乘りますか」
 「乘ります」
 「ぢやあ」と再び額を受取つて、戸口の方へ行く。糸子も行く。母は呼びとめた。
 「少し御待ちよ。――糸子さんも少し待つて頂戴。何が氣に入らないで、親の家《うち》を出るんだか知らないが、少しは私《わたし》の心持にもなつて見て呉れないと、私《わたし》が世間へ對して面目がないぢやないか」
 「世間はどうでも構はないです」
 「そんな聞譯《きゝわけ》のない事を云つて、――頑是《ぐわんぜ》ない小供みた樣に」
 「小供なら結構です。小供になれれば結構です」
 「又そんな。――折角《せつかく》、小供から大人《おとな》になつたんぢやないか。是迄に丹精するのは、一と通りや二た通りの事ぢやないよ、御前。少しは考へて御覽な」
 「考へたから出るんです」
 「どうして、まあ、そんな無理を云ふんだらうね。――それも是もみんな私《わたし》の不行屆から起つた事だから、今更泣いたつて、口説《くど》いたつて仕方がないけれども、――私《わたし》は――亡《な》くなつた阿父《おとつ》さんに――」
 「阿父《おとつ》さんは大丈夫です。何とも云やしません」
 「云やしませんたつて――何も、さう、意地にかかつて私《わたし》を苛《いぢ》めなくつても宜《よ》ささうなもんぢやないか」
 甲野さんは額を提《さ》げた儘、何とも返事をしなくなつた。糸子は大人《おとな》しく傍《そば》に着いてゐる。雨は部屋を取り卷いて吹き寄せて來る。遠い所から風が音を輳《あつ》めてくる。ざあつと云ふ高い響である。又廣い響である。響の裡《うち》に甲野さんは黙然《もくねん》として立つてゐる。糸子も黙然として立つてゐる。
 「少しは分つたかい」と母が聞いた。
 甲野さんは依然として黙してゐる。
 「是程云つても、まだ分らないのかね」
 甲野さんは矢張り口を開《ひら》かない。
 「糸子さん、かう云ふ體《てい》たらくなんですから。どうぞ御宅へ御歸りになつたら、阿父《おとつ》さんや兄さんに御覽の通りを御話して下さい。――まことに、こんな所をあなた方に御見せ申すのは、何とも蚊とも面目次第も御座いません」
 「御叔母《をば》さん。欽吾さんは出たいのですから、素直に出して御上げなすつたら好いでせう。無理に引つ張つても何にもならないと思ひます」
 「あなた迄|夫《それ》ぢや仕方がありませんね。――それは失禮ながら、まだ御若いから、さう云ふ奧底のない御考も出るんでせうが。――いくら出たいたつて、山の中の一軒家に住んでゐる人間ぢやなし、さう今が今思ひ立つて、今出られちや、出る當人より、殘つたものが困りまさあね」
 「何故」
 「だつて人の口は五月蠅《うるさい》ぢやありませんか」
 「人が何と云つたつて――それが何故惡いんでせう」
 「だつて御互に世間に顔出しが出來ればこそ、かうやつて今日《こんにち》を送つて居るんぢやありませんか。自分より世間の義理の方が大事でさあね」
 「だつて、こんなに出たいと仰《おつし》やるんですもの。御可哀想《おかはいさう》ぢやありませんか」
 「そこが義理ですよ」
 「それが義理なの。詰らないのね」
 「詰らなかありませんやね」
 「だつて欽吾さんは、どうなつても構はない……」
 「構はなかないんです。夫《それ》が矢つ張欽吾の爲になるんです」
 「欽吾さんより御叔母《をば》さんの爲になるんぢやないの」
 「世の中への義理ですよ」
 「分らないわ、私《わたし》には。――出たいものは世間が何と云つたつて出たいんですもの。それが御叔母《をば》さんの迷惑になる筈はないわ」
 「だつて、こんな雨が降つて……」
 「雨が降つても、御叔母《をば》さんは濡れないんだから構はないぢやありませんか」
 汽車のない時の事であつた。山の男と海の男が喧嘩をした。山の男が魚《さかな》は塩辛いものだと云ふ。海の男が魚に塩氣があるものかと云ふ。喧嘩は何時《いつ》迄《まで》立つても鎮まらなかつた。ヘ育と名《なづ》くる汽車がかゝつて、理性の楷段を自由に上下する方便が開けないと、御互の考は御互に分らない。ある時は俗社會の塩漬になり過ぎて、只見てさへも冥眩《めんけん》しさうな人間でないと、人間として通用しない事がある。夫《それ》は嘘《うそ》だ僞《いつはり》だと説いて聞かしても中々承知しない。何處迄も塩漬趣味を主張する。――謎の女と糸子の應對は、どこ迄行つても並行する丈《だけ》で一點には集まらない。山の男と海の男が魚《さかな》に對して根本的の觀念を異《こと》にする如く、謎の女と糸子とは、人間に對して冒頭《あたま》から考が違ふ。
 海と山とを心得た甲野さんは黙つて二人を見下《みおろ》してゐる。糸子の云ふところは辯護の出來ぬ程簡單である。母の主張は愛想《あいそ》のつきる程愚にして且《かつ》俗である。此二人の問答を前に控へて、甲野さんは阿爺《おやぢ》の額を抱いた儘立つて居る。別段退屈した氣色《けしき》も見えない。焦慮《じれつ》たさうな樣子もない。困つたと云ふ風情《ふぜい》もない。二人の問答が、日暮迄續けば、日暮迄額を持つて、同じ姿勢で、立つてゐるだらうと思はれる。
 所へ、雨の中の掛聲がした。車が玄關で留つた。玄關から足音が近付いて來た。眞先に宗近君があらはれた。
 「やあ、まだ行かないのか」と甲野さんに聞く。
 「うん」と答へたぎりである。
 「御叔母《をば》さんも此所か、丁度好い」と腰を掛ける。後《あと》から小野さんが這入つて來る。小野さんの影を一寸《いつすん》も出ない樣に小夜子が付いてくる。
 「御叔母《をば》さん、雨の降るのに大入《おほいり》ですよ。――小夜子さん、是が僕の妹です」
 活躍の兒《じ》は一句にして挨拶と紹介を兼《かね》る。宗近君は忙しい。甲野さんは依然として額を支へて立つた儘である。小野さんも手持無沙汰に席に着かぬ。小夜子と糸子は徒らに丁寧な頭《つむり》を下げた。打ち解けた言葉は無論交す機會がない。
 「雨の降るのに、まあ能く……」
 母は是|丈《だけ》の愛嬌を一面に振り蒔いた。
 「能く降りますね」と宗近君はすぐ答へた。
 「小野さんは……」と母が云ひ懸けた時、宗近君がまた遮《さへぎ》つた。
 「小野さんは今日藤尾さんと大森へ行く約束があるんださうですね。所が行かれなくなつて……」
 「さう――でも、藤尾はさつき出ましたよ」
 「まだ歸らないですか」と宗近君は平氣に聞いた。母は少しく不快な顔をする。
 「どうして大森|所《どころ》ぢやない」と獨語《ひとりごと》の樣に云つたが、一寸振り返つて、
 「みんな掛けないか。立つてると草臥《くたびれ》るぜ。もう直《ぢき》藤尾さんも歸るだらう」と注意を與へた。
 「さあ、どうぞ」と母が云ふ。
 「小野さん、掛け給へ。小夜子さんも、どうです。――甲野さん何だい、それは……」
 「父の肖像を卸しまして、あなた。持つて出るとか申して」
 「甲野さん、少し待ち給へ。もう藤尾さんが歸つて來るから」
 甲野さんは別に返事もしなかつた。
 「少し私が持ちませう」と糸子が低い聲で云ふ。
 「なに……」と甲野さんは提《さ》げて居た額を床《ゆか》の上へ卸して壁へ立て掛けた。小夜子は俯向《うつむ》きながら、そつと額の方を見る。
 「なんぞ藤尾に、御用でも御有《おあん》なさるんですか」
 是は母の言葉であつた。
 「えゝ、あるんです」
 是は宗近の答であつた。
 あとは――雨が降る。誰も何とも云はない。此時一輛の車はクレオパトラの怒《いかり》を乘せて韋駄天《ゐだてん》の如く新橋から馳けて來る。
 宗近君は胴衣《ちよつき》の上で、ぱちりと云はした。
 「三時二十分」
 何とも應《こた》へるものがない。車は千筋《ちすぢ》の雨を、黒い幌に彈《はじ》いて一散に飛んで來る。クレオパトラの怒《いかり》は布團の上で躍り上る。
 「御叔母《をば》さん京都の話でも、しませうかね」
 降る雨の地に落ちぬ間《ま》を追い越せと、乘る怒《いかり》は車夫の脊を鞭《むちう》つて馳けつける。横に煽《あふ》る風を眞向《まむき》に切つて、齒を逆に捩《ねぢ》ると、甲野の門内に敷き詰めた砂利が、玄關先迄長く二行に碎けて來た。
 濃い紫の絹紐《リボン》に、怒《いかり》をあつめて、幌を潜《くゞ》るときに颯《さつ》とふるはしたクレオパトラは、突然と玄關に飛び上がつた。
 「二十五分」
と宗近君が云ひ切らぬうちに、怒《いかり》の權化《ごんげ》は、辱しめられたる女王の如く、書齋の眞中に突つ立つた。六人の目は悉《こと/”\》く紫の絹紐《リボン》にあつまる。
 「やあ、御歸り」と宗近君が烟草を啣《くは》へながら云ふ。藤尾は一言《いちごん》の挨拶すら返す事を屑《いさぎよし》とせぬ。高い脊を高く反《そ》らして、屹と部屋のなかを見廻した。見廻した眼は、最後に小野さんに至つて、ぐさりと刺さつた。小夜子は脊廣の肩にかくれた。宗近君はぬつと立つた。呑み掛けの烟草を、青葡萄の灰皿に放《はふ》り込む。
 「藤尾さん。小野さんは新橋へ行かなかつたよ」
 「あなたに用はありません。――小野さん。何故入らつしやらなかつたんです」
 「行つては濟まん事になりました」
 小野さんの句切りは例になく明暸であつた。稻妻ははた/\とクレオパトラの眸から飛ぶ。何を猪子才《ちよこざい》なと小野さんの額を射た。
 「約束を守らなければ、説明が要ります」
 「約束を守ると大變な事になるから、小野さんはやめたんだよ」と宗近君が云ふ。
 「黙つて居らつしやい。――小野さん、何故入らつしやらなかつたんです」
 宗近君は二三歩大股に歩いて來た。
 「僕が紹介してやらう」と一足《ひとあし》小野さんを横へ押し退《の》けると、後《うしろ》から小《ちひ》さい小夜子が出た。
 「藤尾さん、是が小野さんの妻君だ」
 藤尾の表情は忽然として憎惡となつた。憎惡は次第に嫉妬《しつと》となつた。嫉妬の最も深く刻み込まれた時、ぴたりと化石した。
 「まだ妻君ぢやない。ないが早晩妻君になる人だ。五年|前《まへ》からの約束ださうだ」
 小夜子は泣き腫らした眼を俯せた儘、細い首を下げる。藤尾は白い拳《こぶし》を握つた儘、動かない。
 「嘘です。嘘です」と二遍云つた。「小野さんは私《わたし》の夫《をつと》です。私《わたし》の未來の夫《をつと》です。あなたは何を云ふんです。失禮な」と云つた。
 「僕は只好意上事實を報知する迄さ。序《ついで》に小夜子さんを紹介し樣《やう》と思つて」
 「わたしを侮辱する氣ですね」
 化石した表情の裏で急に血管が破裂した。紫色の血は再度の怒《いかり》を滿面に注《そゝ》ぐ。
 「好意だよ。好意だよ。誤解しちや困る」と宗近君はむしろ平然としてゐる。――小野さんは漸く口を開いた。――
 「宗近君の云ふ所は一々本當です。是は私の未來の妻に違ありません。――藤尾さん、今日《こんにち》迄《まで》の私は全く輕薄な人間です。あなたにも濟みません。小夜子にも濟みません。宗近君にも濟みません。今日《こんにち》から改めます。眞面目な人間になります。どうか許して下さい。新橋へ行けばあなたの爲にも、私の爲にも惡いです。だから行かなかつたです。許して下さい」
 藤尾の表情は三たび變つた。破裂した血管の血は眞白に吸収されて、侮蔑の色のみが深刻に殘つた。假面《めん》の形は急に崩れる。
 「ホヽヽヽヽ」
 歇私的里性《ヒステリせい》の笑は窓外の雨を衝いて高く迸《ほとばし》つた。同時に握る拳を厚板の奧に差し込む途端にぬら/\と長い鎖を引き出した。深紅《しんく》の尾は怪しき光を帶びて、右へ左へ搖《うご》く。
 「ぢや、是はあなたには不用なんですね。よう御座んす。――宗近さん、あなたに上げませう。さあ」
 白い手は腕をあらはに、すらりと延びた。時計は赭黒い宗近君の掌《てのひら》に確《しつか》と落ちた。宗近君は一歩を煖爐に近く大股に開いた。やつと云ふ掛聲と共に赭黒い拳が空《くう》に躍る。時計は大理石の角《かど》で碎けた。
 「藤尾さん、僕は時計が欲しい爲に、こんな醉興な邪魔をしたんぢやない。小野さん、僕は人の思をかけた女が欲しいから、こんな惡戯《いたづら》をしたんぢやない。かう壞して仕舞へば僕の精神は君らに分るだらう。是も第一義の活動の一部分だ。なあ甲野さん」
 「さうだ」
 呆然として立つた藤尾の顔は急に筋肉が働かなくなつた。手が硬くなつた。足が硬くなつた。中心を失つた石像の樣に椅子を蹴返して、床《ゆか》の上に倒れた。
 
     十九
 
 凝《こ》る雲の底を拔いて、小一日《こいちにち》空を傾けた雨は、大地の髓に浸み込む迄降つて歇《や》んだ。春は茲《こゝ》に盡きる。梅に、櫻に、桃に、李《すもゝ》に、且つ散り、且つ散つて、殘る紅《くれなゐ》も亦夢の樣に散つて仕舞つた。春に誇るものは悉《こと/”\》く亡《ほろ》ぶ。我《が》の女は虚榮の毒を仰いで斃れた。花に相手を失つた風は、徒らに亡き人の部屋に薫り初《そ》める。
 藤尾は北を枕に寐る。薄く掛けた友禪の小夜着《こよぎ》には片輪車《かたわぐるま》を、浮世らしからぬ恰好《かつかう》に、染め拔いた。上には半分程色づいた蔦が一面に這ひかゝる。淋しき模樣である。動く氣色《けしき》もない。敷布團は厚い郡内《ぐんない》を二枚重ねたらしい。塵さへ立たぬ敷布《シート》を滑かに敷き詰めた下から、粗い格子の黄と焦茶が一本|宛《づゝ》見える。
 變らぬものは黒髪である。紫の絹紐《リボン》は取つて捨てた。有る丈《たけ》は、有るに任せて枕に亂した。今日《けふ》迄《まで》の浮世と思ふ母は、櫛の齒も入れてやらぬと見える。亂るゝ髪は、純白《まつしろ》な敷布《シート》にこぼれて、小夜着《こよぎ》の襟の天鵞絨《びろうど》に連《つら》なる。其中に仰向けた顔がある。昨日《きのふ》の肉を其儘に、只色が違ふ。眉は依然として濃い。眼は先《さつき》母が眠らした。眠る迄母は丹念に撫《さす》つたのである。――顔より外は見えぬ。
 敷布《シート》の上に時計がある。濃《こまやか》に刻んだ七子《なゝこ》は無慘に潰れて仕舞つた。鎖|丈《だけ》は慥である。ぐる/\と兩葢の縁《ふち》を卷いて、黄金《こがね》の光を五分《ごぶ》毎《ごと》に曲折する眞中に、柘榴珠《ざくろだま》が、へしやげた葢の眼《まなこ》の如く乘つてゐる。
 逆《さか》に立てたのは二枚折の銀屏《ぎんびやう》である。一面に冴へ返る月の色の方《はう》六尺のなかに、會釋もなく緑青《ろくしやう》を使つて、柔婉《なよやか》なる莖を亂るる許《ばかり》に描《か》いた。不規則にぎざ/\を疊む鋸葉《のこぎりば》を描いた。緑青《ろくしやう》の盡きる莖の頭には、薄い瓣《はなびら》を掌《てのひら》程の大《おほき》さに描《か》いた。莖を彈《はじ》けば、ひら/\と落つる許《ばかり》に輕く描《か》いた。吉野紙を縮まして幾重の襞《ひだ》を、絞りに疊み込んだ樣に描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。凡《すべ》てが銀《しろかね》の中から生へる。銀《しろかね》の中に咲く。落つるも銀《しろかね》の中と思はせる程に描いた。――花は虞美人草《ぐびじんさう》である。落款《らくくわん》は抱一《はういつ》である。
 屏風の陰に用ひ慣れた寄木《よせき》の小机を置く。高岡塗《たかをかぬり》の蒔繪《まきゑ》の硯筥《すゞりばこ》は書物と共に違棚に移した。机の上には油を注《さ》した瓦器《かはらけ》を供へて、晝ながらの燈火《ともしび》を一本の燈心に點《つ》ける。燈心は新らしい。瓦器《かはらけ》の丈《たけ》を餘りて、三寸を尾に引く先は、油さへ含まず白くすらりと延びてゐる。
 外《ほか》には白磁の香爐がある。線香の袋が蒼ざめた赤い色を机の角に出してゐる。灰の中に立てた五六本は、一點の紅《くれなゐ》から烟となつて消えて行く。香《にほひ》は佛に似て居る。色は流るゝ藍である。根本《ねもと》から濃く立ち騰《のぼ》るうちに右に搖《うご》き左へ搖《うご》く。搖《うご》く度に幅が廣くなる。幅が廣くなるうちに色が薄くなる。薄くなる帶のなかに濃い筋がゆるやかに流れて、仕舞には廣い幅も、帶も、濃い筋も行方《ゆきがた》知れずになる。時に燃え盡した灰がぱたりと、棒の儘倒れる。
 違棚の高岡塗《たかをかぬり》は沈んだ小豆色《あづきいろ》に古木《こぼく》の幹を青く盛り上げて、寒紅梅《かんこうばい》の數點を螺鈿擬《らでんまがひ》に錬り出した。裏は黒地に鶯が一羽飛んでゐる。並ぶ蘆雁《ろがん》の高蒔繪《たかまきゑ》の中には昨日《きのふ》迄、深き光を暗き底に放つ柘榴珠《ざくろだま》が収めてあつた。兩葢に隙間なく七子《なゝこ》を盛る金側時計が収めてあつた。高蒔繪の上には一卷の書物が載せてある。四隅《よすみ》を金《きん》に立ち切つた箔《はく》の小口|丈《だけ》が鮮かに見える。間から紫の栞《しをり》の房が長く垂れて居る。栞を差し込んだ頁の上から七行目に「埃及《えじぷと》の御代しろし召す人の最後ぞ、斯くありてこそ」の一句がある。色鉛筆で細い筋を入れてある。
 凡《すべ》てが美くしい。美くしいものゝなかに横《よこた》はる人の顔も美くしい。驕《おご》る眼は長《とこしな》へに閉ぢた。驕る眼を眠《ねむ》つた藤尾の眉は、額は、黒髪は、天女《てんによ》の如く美くしい。
 「御線香が切れやしないかしら」と母は次の間から立ちかゝる。
 「今上げて來ました」と欽吾が云ふ。膝を正しく組み合はして、手を拱《こまぬ》いてゐる。
 「一《はじめ》さんも上げて遣つて下さい」
 「私《わたし》も今上げて來た」
 線香の香《にほひ》は藤尾の部屋から、思ひ出した樣に吹いてくる。燃え切つた灰は、棒の儘で、はたり/\と香爐の中に倒れつゝある。銀屏《ぎんびやう》は知らぬ間《ま》に薫《くゆ》る。
 「小野さんは、未《ま》だ來ないんですか」と母が云ふ。
 「もう來るでせう。今呼びに遣りました」と欽吾が云ふ。
 部屋はわざと立て切つた。隔《へだて》の襖《ふすま》丈《だけ》は明けてある。片輪車の友禪の裾|丈《だけ》が見える。あとは芭蕉布《ばせうふ》の唐紙で萬事を隱す。幽冥《いうめい》を仕切る縁《ふち》は黒である。一寸幅に鴨居から敷居迄眞直に貫いてゐる。母は襖の此方《こちら》に坐りながら、折々は、見えぬ所を覗き込む樣に、首を傾けて脊を反《そ》らす。冷かな足よりも冷かな顔の方が氣にかゝる。覗く度に黒い縁《ふち》は、すつきりと友禪の小夜着《こよぎ》を斜《はす》に斷ち切つてゐる。寫せば其儘の模樣畫になる。
 「御叔母《をば》さん、飛んだ事になつて、御氣の毒だが、仕方がない。御諦《おあきらめ》なさい」
 「斯《こ》んな事にならうとは……」
 「泣いたつて、今更仕樣がない。因果だ」
 「本當に殘念な事をしました」と眼を拭ふ。
 「あんまり泣くと却つて供養にならない。それより後《あと》の始末が大事ですよ。かうなつちや、是非甲野さんに居てもらふより仕方がないんだから、其氣になつて遣らないと、あなたが困る許《ばかり》だ」
 母はわつと泣き出した。過去を顧みる涙は抑へ易い。卒然として未來に於けるわが運命を自覺した時の涙は發作的《ほつさてき》に來る。
 「どうしたら好いか――夫《それ》を思ふと――一《はじめ》さん」
 切れ/”\の言葉が、涙と洟《はな》の間から出た。
 「御叔母《をば》さん、失禮ながら、ちつと平生《へいぜい》の考へ方が惡かつた」
 「私の不行屆から、藤尾はこんな事になる。欽吾には見放される……」
 「だからね。さう泣いたつて仕樣がないから……」
 「……洵《まこと》に面目次第も御座いません」
 「だから是から少し考へ直すさ。ねえ、甲野さん、さうしたら好いだらう」
 「みんな私《わたし》が惡いんでせうね」と母は始めて欽吾に向つた。腕組をしてゐた人は漸く口を開《ひら》く。――
 「僞《うそ》の子だとか、本當の子だとか區別しなければ好いんです。平たく當り前にして下されば好いんです。遠慮なんぞなさらなければ好いんです。なんでもない事を六づかしく考へなければ好いんです」
 甲野さんは句を切つた。母は下を向いて答へない。或は理解出來ないからかと思ふ。甲野さんは再び口を開《あ》いた。――
 「あなたは藤尾に家《うち》も財産も遣りたかつたのでせう。だから遣らうと私《わたし》が云ふのに、いつ迄も私《わたし》を疑《うたぐ》つて信用なさらないのが惡いんです。あなたは私《わたし》が家《うち》に居るのを面白く思つて御出《おいで》ゞなかつたでせう。だから私《わたし》が家《うち》を出ると云ふのに、面當《つらあて》の爲めだとか、何とか惡く考へるのが不可《いけ》ないです。あなたは小野さんを藤尾の養子にしたかつたんでせう。私《わたし》が不承知を云ふだらうと思つて、私《わたし》を京都へ遊びに遣つて、其留守中に小野と藤尾の關係を一日/\と深くして仕舞つたのでせう。さう云ふ策略が不可《いけ》ないです。私《わたし》を京都へ遊びにやるんでも私《わたし》の病氣を癒す爲に遣つたんだと、私《わたし》にも人にも仰しやるでせう。さう云ふ嘘が惡いんです。――さう云ふ所さへ考へ直して下されば別に家《うち》を出る必要はないのです。何時《いつ》迄《まで》も御世話をしても好いのです」
 甲野さんは是《これ》丈《だけ》でやめる。母は俯向《うつむ》いた儘、しばらく考へてゐたが、遂に低い聲で答へた。――
 「さう云はれて見ると、全く私《わたし》が惡かつたよ。――是から御前さんがたの意見を聞いて、どうとも惡い所は直す積《つもり》だから……」
 「夫《それ》で結構です、ねえ甲野さん。君にも御母《おつか》さんだ。家《うち》に居て面倒を見て上げるがいい。糸公にもよく話しておくから」
 「うん」と甲野さんは答へた限《ぎり》である。
 隣室の線香が絶えんとする時、小野さんは蒼白い額を抑へて來た。藍色の烟は再び銀屏を掠めて立ち騰《のぼ》つた。
 二日して葬式は濟んだ。葬式の濟んだ夜《よる》、甲野さんは日記を書き込んだ。――
 「悲劇は遂に來た。來るべき悲劇はとうから預想して居た。預想した悲劇を、爲すが儘の發展に任せて、隻手《せきしゆ》をだに下さぬは、業《ごふ》深き人の所爲に對して、隻手の無能なるを知るが故である。悲劇の偉大なるを知るが故である。悲劇の偉大なる勢力を味はゝしめて、三世《さんぜ》に跨がる業を根柢から洗はんが爲である。不親切な爲ではない。隻手を擧ぐれば隻手を失ひ、一目《いちもく》を搖《うご》かせば一目を眇《べう》す。手と目とを害うて、しかも第二者の業は依然として變らぬ。のみか時々に刻々に深くなる。手を袖に、眼を閉づるは恐るゝのではない。手と目より偉大なる自然の制裁を親切に感受して、石火の一拶に本來の面目に逢着せしむるの微意に外ならぬ。
 悲劇は喜劇より偉大である。之を説明して死は萬障を封ずるが故に偉大だと云ふものがある。取り返しがつかぬ運命の底に陷《おちい》つて、出て來ぬから偉大だと云ふのは、流るゝ水が逝いて歸らぬ故に偉大だと云ふと一般である。運命は單に最終結を告ぐるが爲にのみ偉大にはならぬ。忽然として生を變じて死となすが故に偉大なのである。忘れたる死を不用意の際に點出するから偉大なのである。巫山戯《ふざけ》たるものが急に襟を正すから偉大なのである。襟を正して道義の必要を今更の如く感ずるから偉大なのである。人生の第一義は道義にありとの命題を腦裏に樹立するが故に偉大なのである。道義の運行は悲劇に際會して始めて澁滯《じふたい》せざるが故に偉大なのである。道義の實踐はこれを人に望む事|切《せつ》なるにも拘はらず、われの尤も難《かた》しとする所である。悲劇は個人をして此實踐を敢てせしむるが爲に偉大である。道義の實踐は他人に尤も便宜にして、自己に尤も不利益である。人々《にん/\》力を茲《こゝ》に致すとき、一般の幸福を促《うな》がして、社會を眞正の文明に導くが故に、悲劇は偉大である。
 問題は無數にある。粟か米か、是は喜劇である。工か商か、是も喜劇である。あの女かこの女か、是も喜劇である。綴織《つゞれおり》か繻珍《しゆちん》か、是も喜劇である。英語か獨乙語か、是も喜劇である。凡《すべ》てが喜劇である。最後に一つの問題が殘る。――生か死か。是が悲劇である。
 十年は三千六百日である。普通の人が朝から晩に至つて身心を勞する問題は皆喜劇である。三千六百日を通して喜劇を演ずるものは遂に悲劇を忘れる。如何にして生を解釋せんかの問題に煩悶して、死の一字を念頭に置かなくなる。この生とあの生との取捨に忙がしきが故に生と死との最大問題を閑却する。
 死を忘るゝものは贅澤になる。一浮《いつぷ》も生中である。一沈《いつちん》も生中である。一擧手も一投足も悉《こと/”\》く生中にあるが故に、如何に踴《をど》るも、如何に狂ふも、如何に巫山戯《ふざけ》るも、大丈夫生中を出づる氣遣なしと思ふ。贅澤は高《かう》じて大膽となる。大膽は道義を蹂躙《じうりん》して大自在《だいじざい》に跳梁《てうりやう》する。
 萬人は悉《こと/”\》く生死の大問題より出立する。此問題を解決して死を捨てると云ふ。生を好むと云ふ。是《こゝ》に於て萬人は生に向つて進んだ。只死を捨てると云ふに於て、萬人は一致するが故に、死を捨てるべき必要の條件たる道義を、相互に守るべく黙契した。去れども、萬人は日に日に生に向つて進むが故に、日に日に死に背いて遠ざかるが故に、大自在に跳梁して毫も生中を脱するの虞《おそれ》なしと自信するが故に、――道義は不必要となる。
 道義に重《おもき》を置かざる萬人は、道義を犧牲にしてあらゆる喜劇を演じて得意である。巫山戯《ふざけ》る。騷ぐ。欺く。嘲弄する。馬鹿にする。踏む。蹴る。――悉《こと/”\》く萬人が喜劇より受くる快樂である。此快樂は生に向つて進むに從つて分化發展するが故に――此快樂は道義を犧牲にして始めて享受し得るが故に――喜劇の進歩は底止する所を知らずして、道義の觀念は日を追ふて下《くだ》る。
 道義の觀念が極度に衰へて、生を欲する萬人の社會を滿足に維持しがたき時、悲劇は突然として起る。是《こゝ》に於て萬人の眼は悉《こと/”\》く自己の出立點に向ふ。始めて生の隣に死が住む事を知る。妄《みだ》りに踴《をど》り狂ふとき、人をして生の境を踏み外《はづ》して、死の圜内《けんない》に入らしむる事を知る。人もわれも尤も忌み嫌へる死は、遂に忘る可からざる永劫《えいごふ》の陷穽《かんせい》なる事を知る。陷穽《かんせい》の周圍に朽ちかゝる道義の繩は妄りに飛び超ゆべからざるを知る。繩は新たに張らねばならぬを知る。第二義以下の活動の無意味なる事を知る。然して始めて悲劇の偉大なるを悟る。……」
 二ケ月|後《ご》甲野さんは此一節を抄録して倫敦《ろんどん》の宗近君に送つた。宗近君の返事にはかうあつた。――
 「此所では喜劇ばかり流行《はや》る」
             〔2006年4月16日(日)、午後1時58分、修正終了、2018年1月10日(水)午前10時40分、再修正終了〕