夏目漱石全集
目次
小説
吾輩は猫である
倫敦塔
カーライル博物館
幻影の盾
琴のそら音
一夜
薤露行
趣味の遺傳
坊つちやん
草枕
二百十日
野分
虞美人草
吾輩は猫である 上
明治三八、一、一−三八、一〇、一〇
一
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
何所《どこ》で生れたか頓《とん》と見當がつかぬ。何でも薄暗いじめ/\した所でニヤー/\泣いて居た事|丈《だけ》は記憶して居る。吾輩はこゝで始めて人間といふものを見た。然もあとで聞くとそれは書生といふ人間中で一番|獰惡《だうあく》な種族であつたさうだ。此書生といふのは時々我々を捕《つかま》へて※[者/火]て食ふといふ話である。然し其當時は何といふ考もなかつたから別段恐しいとも思はなかつた。但《たゞ》彼の掌《てのひら》に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフハ/\した感じが有つた許《ばか》りである。掌《てのひら》の上で少し落ち付いて書生の顔を見たのが所謂《いはゆる》人間といふものゝ見始《みはじめ》であらう。此時妙なものだと思つた感じが今でも殘つて居る。第一毛を以て裝飾されべき筈の顔がつる/\して丸《まる》で藥罐《やくわん》だ。其《その》後《ご》猫にも大分《だいぶ》逢つたがこんな片輪には一度も出會《でく》はした事がない。加之《のみならず》顔の眞中が餘りに突起して居る。さうして其穴の中から時々ぷう/\と烟を吹く。どうも咽《む》せぽくて實に弱つた。是が人間の飲む烟草といふものである事は漸く此頃知つた。
此書生の掌の裏《うち》でしばらくはよい心持に坐つて居つたが、暫くすると非常な速力で運轉し始めた。書生が動くのか自分|丈《だけ》が動くのか分らないが無暗に眼が廻る。胸が惡くなる。到底助からないと思つて居ると、どさりと音がして眼から火が出た。夫《それ》迄《まで》は記憶して居るがあとは何の事やらいくら考へ出さうとしても分らない。
ふと氣が付いて見ると書生は居ない。澤山|居《を》つた兄弟が一疋も見えぬ。肝心《かんじん》の母親さへ姿を隱して仕舞つた。其上今迄の所とは違つて無暗に明るい。眼を明いて居《ゐ》られぬ位だ。果《は》てな何でも容子が可笑《をかし》いと、のそ/\這ひ出して見ると非常に痛い。吾輩は藁の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。
漸くの思ひで笹原を這ひ出すと向ふに大きな池がある。吾輩は池の前に坐つてどうしたらよからうと考へて見た。別に是といふ分別《ふんべつ》も出ない。暫くして泣いたら書生が又迎に來てくれるかと考へ付いた。ニヤー、ニヤーと試みにやつて見たが誰も來ない。其内池の上をさら/\と風が渡つて日が暮れかゝる。腹が非常に減つて來た。泣き度くても聲が出ない。仕方がない、何でもよいから食物《くひもの》のある所迄あるかうと決心をしてそろり/\と池を左《ひだ》りに廻り始めた。どうも非常に苦しい。其所を我慢して無理やりに這つて行くと漸くの事で何となく人間臭い所へ出た。此所へ這入つたら、どうにかなると思つて竹垣の崩《くづ》れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。縁は不思議なもので、もし此竹垣が破れて居なかつたなら、吾輩は遂に路傍《ろばう》に餓死《がし》したかも知れんのである。一樹の蔭とはよく云つたものだ。此垣根の穴は今日《こんにち》に至る迄吾輩が隣家《となり》の三毛を訪問する時の通路になつて居る。偖《さて》邸へは忍び込んだものゝ是から先どうして善《い》いか分らない。其内に暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降つて來るといふ始末でもう一刻も猶豫が出來なくなつた。仕方がないから兎に角明るくて暖かさうな方へ方へとあるいて行く。今から考へると其時は既に家の内に這入つて居つたのだ。こゝで吾輩は彼《か》の書生以外の人間を再び見るべき機會に遭遇したのである。第一に逢つたのがおさんである。是は前の書生より一層亂暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋《くびすぢ》をつかんで表へ抛《はふ》り出した。いや是は駄目だと思つたから眼をねぶつて運を天に任せて居た。然しひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出來ん。吾輩は再びおさんの隙《すき》を見て臺所へ這ひ上《あが》つた。すると間もなく又投げ出された。吾輩は投げ出されては這ひ上《あが》り、這ひ上《あが》つては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶して居る。其時におさんと云ふ者はつく/”\いやになつた。此間おさんの三馬《さんま》を偸《ぬす》んで此返報をしてやつてから、やつと胸の痞《つかへ》が下りた。吾輩が最後につまみ出され樣《やう》としたときに、此|家《うち》の主人が騷々しい何だといひながら出て來た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けて此宿なしの小猫がいくら出しても出しても御臺所《おだいどころ》へ上《あが》つて來て困りますといふ。主人は鼻の下の黒い毛を撚《ひね》りながら吾輩の顔を暫く眺めて居つたが、やがてそんなら内へ置いてやれといつたまゝ奧へ這入つて仕舞つた。主人は餘り口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜《くや》しさうに吾輩を臺所へ抛《はふ》り出した。かくして吾輩は遂に此|家《うち》を自分の住家《すみか》と極める事にしたのである。
吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合せる事がない。職業はヘ師ださうだ。學校から歸ると終日書齋に這入つたぎり殆んど出て來る事がない。家《うち》のものは大變な勉強家だと思つて居る。當人も勉強家であるかの如く見せて居る。然し實際はうちのものがいふ樣な勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書齋を覗いて見るが、彼はよく晝寐をして居る事がある。時々讀みかけてある本の上に涎《よだれ》をたらして居る。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色《たんくわうしよく》を帶びて彈力のない不活?な徴候をあらはして居る。其癖に大飯を食ふ。大飯を食つた後《あと》でタカヂヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ讀むと眠くなる。涎《よだれ》を本の上へ垂らす。是が彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考へる事がある。ヘ師といふものは實に樂《らく》なものだ。人間と生れたらヘ師となるに限る。こんなに寐て居て勤まるものなら猫にでも出來ぬ事はないと。夫《それ》でも主人に云はせるとヘ師程つらいものはないさうで彼は友達が來る度に何とかゝんとか不平を鳴らして居る。
吾輩が此|家《うち》へ住み込んだ當時は、主人以外のものには甚だ不人望であつた。どこへ行つても跳ね付けられて相手にしてくれ手がなかつた。如何に珍重されなかつたかは、今日《こんにち》に至る迄名前さへつけてくれないのでも分る。吾輩は仕方がないから、出來得る限り吾輩を入れてくれた主人の傍《そば》に居る事をつとめた。朝主人が新聞を讀むときは必ず彼の膝の上に乘る。彼が晝寐をするときは必ず其脊中に乘る。是はあながち主人が好きといふ譯ではないが別に構ひ手がなかつたから已《やむ》を得んのである。其後色々經驗の上、朝は飯櫃《めしびつ》の上、夜は炬燵《こたつ》の上、天氣のよい晝は椽側へ寐る事とした。然し一番心持の好いのは夜《よ》に入《い》つてこゝのうちの小供の寐床へもぐり込んで一所にねる事である。此小供といふのは五つと三つで夜《よる》になると二人が一つ床へ入《はい》つて一間《ひとま》へ寐る。吾輩はいつでも彼等の中間に己《おの》れを容るべき餘地を見出《みいだ》してどうにか、かうにか割り込むのであるが、運惡く小供の一人が眼を醒ますが最後大變な事になる。小供は――殊に小さい方が質《たち》がわるい――猫が來た/\といつて夜中でも何でも大きな聲で泣き出すのである。すると例の神經胃弱性の主人は必ず眼をさまして次の部屋から飛び出してくる。現に先達《せんだつ》て抔《など》は物指《ものさし》で尻ぺたをひどく叩かれた。
吾輩は人間と同居して彼等を觀察すればする程、彼等は我儘なものだと斷言せざるを得ない樣になつた。殊に吾輩が時々|同衾《どうきん》する小供の如きに至つては言語同斷《ごんごどうだん》である。自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、抛《はふ》り出したり、へつつい〔四字傍點〕の中へ押し込んだりする。而《しか》も吾輩の方で少しでも手出しを仕《し》樣《やう》ものなら家内《かない》總がゝりで追ひ廻して迫害を加へる。此間も一寸疊で爪を磨《と》いだら細君が非常に怒《おこ》つてそれから容易に座敷へ入れない。臺所の板の間で他《ひと》が顫へて居ても一向《いつかう》平氣なものである。吾輩の尊敬する筋向《すぢむかふ》の白君|抔《など》は逢ふ度毎に人間程不人情なものはないと言つて居らるゝ。白君は先日玉の樣な子猫を四疋産まれたのである。所がそこの家《うち》の書生が三日目にそいつを裏の池へ持つて行つて四疋ながら棄てゝ來たさうだ。白君は涙を流して其一部始終を話した上、どうしても我等|猫族《ねこぞく》が親子の愛を完くして美しい家族的生活をするには人間と戰つて之を剿滅《さうめつ》せねばならぬといはれた。一々|尤《もつとも》の議論と思ふ。又隣りの三毛君《みけくん》抔《など》は人間が所有權といふ事を解して居ないといつて大《おほい》に憤慨して居る。元來我々同族間では目刺《めざし》の頭でも鰡《ぼら》の臍《へそ》でも一番先に見付けたものが之を食ふ權利があるものとなつて居る。もし相手が此規約を守らなければ腕力に訴へて善《よ》い位のものだ。然るに彼等人間は毫も此觀念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等の爲に掠奪《りやくだつ》せらるゝのである。彼等は其強力を頼んで正當に吾人が食ひ得べきものを奪《うば》つて濟《すま》して居る。白君は軍人の家に居り三毛君は代言の主人を持つて居る。吾輩はヘ師の家《うち》に住んで居る丈《だけ》、こんな事に關すると兩君よりも寧ろ樂天である。唯其日/\が何うにか斯うにか送られゝばよい。いくら人間だつて、さういつ迄も榮へる事もあるまい。まあ氣を永く猫の時節を待つがよからう。
我儘で思ひ出したから一寸吾輩の家《うち》の主人が此我儘で失敗した話をし樣《やう》。元來此主人は何といつて人に勝《すぐ》れて出來る事もないが、何にでもよく手を出したがる。俳句をやつてほとゝぎす〔五字傍點〕へ投書をしたり、新體詩を明星〔二字傍点〕へ出したり、間違ひだらけの英文をかいたり、時によると弓に凝《こ》つたり、謠《うたひ》を習つたり、又あるときは?イオリン抔《など》をブー/\鳴らしたりするが、氣の毒な事には、どれもこれも物になつて居らん。其癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。後架《こうか》の中で謠をうたつて、近所で後架先生《こうかせんせい》と渾名《あだな》をつけられて居るにも關せず一向《いつかう》平氣なもので、矢張|是《これ》は平《たひら》の宗盛《むねもり》にて候《さふらふ》を繰返して居る。皆《み》んながそら宗盛だと吹き出す位である。此主人がどういふ考になつたものか吾輩の住み込んでから一月|許《ばか》り後《のち》のある月の月給日に、大きな包みを提《さ》げてあはたゞしく歸つて來た。何を買つて來たのかと思ふと水彩繪具と毛筆とワツトマンといふ紙で今日から謠や俳句をやめて繪をかく決心と見えた。果して翌日から當分の間といふものは毎日々々書齋で晝寐もしないで繪|許《ばか》りかいて居る。然し其かき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。當人もあまり甘《うま》くないと思つたものか、ある日其友人で美學とかをやつて居る人が來た時に下《しも》の樣な話をして居るのを聞いた。
「どうも甘《うま》くかけないものだね。人のを見ると何でもない樣だが自《みづか》ら筆をとつて見ると今更の樣に六づかしく感ずる」是は主人の述懷《じゆつくわい》である。成程|詐《いつは》りのない處だ。彼の友は金縁の眼鏡越に主人の顔を見ながら、「さう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像|許《ばか》りで畫《ゑ》がかける譯のものではない。昔《むか》し以太利《イタリー》の大家アンドレア、デル、サルトが言つた事がある。畫をかくなら何でも自然其物を寫せ。天に星辰《せいしん》あり。地に露華《ろくわ》あり。飛ぶに禽《とり》あり。走るに獣《けもの》あり。池に金魚あり。枯木《こぼく》に寒鴉《かんあ》あり。自然は是《これ》一幅の大活畫《だいくわつぐわ》なりと。どうだ君も畫らしい畫をかゝうと思ふならちと寫生をしたら」
「へえアンドレア、デル、サルトがそんな事をいつた事があるかい。ちつとも知らなかつた。成程こりや尤もだ。實に其通りだ」と主人は無暗に感心して居る。金縁の裏には嘲《あざ》ける樣な笑が見えた。
其翌日吾輩は例の如く椽側に出て心持善く晝寐をして居たら、主人が例になく書齋から出て來て吾輩の後《うし》ろで何かしきりにやつて居る。不圖《ふと》眼が覺《さ》めて何をして居るかと一分《いちぶ》許《ばか》り細目に眼をあけて見ると、彼は餘念もなくアンドレア、デル、サルトを極《き》め込んで居る。吾輩は此有樣を見て覺えず失笑するのを禁じ得なかつた。彼は彼の友に揶揄《やゆ》せられたる結果として先づ手初めに吾輩を寫生しつゝあるのである。吾輩は既に十分《じふぶん》寐た。欠伸《あくび》がしたくて堪らない。然し切角主人が熱心に筆を執つて居るのを動いては氣の毒だと思ふて、ぢつと辛棒して居つた。彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩《いろど》つて居る。吾輩は自白する。吾輩は猫として決して上乘の出來ではない。脊といひ毛並といひ顔の造作といひ敢て他の猫に勝《まさ》るとは決して思つて居らん。然しいくら不器量の吾輩でも、今吾輩の主人に描《ゑが》き出されつゝある樣な妙な姿とは、どうしても思はれない。第一色が違ふ。吾輩は波斯産《ペルシヤさん》の猫の如く黄を含める淡灰色に漆《うるし》の如き斑入《ふい》りの皮膚を有して居る。是《これ》丈《だけ》は誰が見ても疑ふべからざる事實と思ふ。然るに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色《とびいろ》でもない、去《さ》ればとて是等を交ぜた色でもない。只一種の色であるといふより外に評し方のない色である。其上不思議な事は眼がない。尤も是は寐て居る所を寫生したのだから無理もないが眼らしい所さへ見えないから盲猫《めくら》だか寐て居る猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア、デル、サルトでも是では仕樣《しやう》がないと思つた。然し其熱心には感服せざるを得ない。可成《なるべく》なら動かずに居つてやり度いと思つたが、先《さ》つきから小便が催ふして居る。身内《みうち》の筋肉はむづ/\する。最早一分も猶豫が出來ぬ仕儀《しぎ》となつたから、不得已《やむをえず》失敬して兩足を前へ存分のして、首を低く押し出してあーあと大《だい》なる欠伸《あくび》をした。さてかうなつて見ると、もう大人《おとな》しくして居ても仕方がない。どうせ主人の豫定は打《ぶ》ち壞《こ》はしたのだから、序《ついで》に裏へ行つて用を足《た》さうと思つてのそ/\這ひ出した。すると主人は失望と怒りを掻き交ぜた樣な聲をして、座敷の中から「此馬鹿野郎」と怒鳴《どな》つた。此主人は人を罵るときは必ず馬鹿野郎といふのが癖である。外に惡口の言ひ樣《やう》を知らないのだから仕方がないが、今迄辛棒した人の氣も知らないで、無暗に馬鹿野郎|呼《よば》はりは失敬だと思ふ。それも平生吾輩が彼の脊中へ乘る時に少しは好い顔でもするなら此|漫罵《まんば》も甘んじて受けるが、こつちの便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、小便に立つたのを馬鹿野郎とは酷《ひど》い。元來人間といふものは自己の力量に慢じて皆《み》んな搨キして居る。少し人間より強いものが出て來て窘《いぢ》めてやらなくては此先どこ迄搨キするか分らない。
我儘も此位なら我慢するが吾輩は人間の不コについて是よりも數倍悲しむべき報道を耳にした事がある。
吾輩の家の裏に十坪|許《ばか》りの茶園《ちやゑん》がある。廣くはないが瀟洒《さつぱり》とした心持ち好く日の當《あた》る所だ。うちの小供があまり騷いで樂々晝寐の出來ない時や、餘り退屈で腹加減のよくない折|抔《など》は、吾輩はいつでも此所へ出て浩然《かうぜん》の氣を養ふのが例である。ある小春の穩かな日の二時頃であつたが、吾輩は晝飯後《ちうはんご》快よく一睡した後《のち》、運動かた/”\この茶園へと歩を運ばした。茶の木の根を一本/\嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒して其上に大きな猫が前後不覺に寐て居る。彼は吾輩の近付くのも一向《いつかう》心付かざる如く、又心付くも無頓着なる如く、大きな鼾《いびき》をして長々と體を横《よこた》へて眠つて居る。他《ひと》の庭内に忍び入りたるものが斯く迄平氣に睡《ねむ》られるものかと、吾輩は竊《ひそ》かに其大膽なる度胸に驚かざるを得なかつた。彼は純粹の黒猫である。僅かに午《ご》を過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上に抛《な》げかけて、きら/\する柔毛《にこげ》の間より眼に見えぬ炎でも燃え出づる樣に思はれた。彼は猫中の大王とも云ふべき程の偉大なる體格を有して居る。吾輩の倍は慥《たし》かにある。吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立《ちよりつ》して餘念もなく眺めて居ると、靜かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐《ごとう》の枝を輕《かろ》く誘つてばら/\と二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。大王はくわつと其|眞丸《まんまる》の眼を開いた。今でも記憶して居る。其眼は人間の珍重する琥珀《こはく》といふものよりも遙かに美しく輝いて居た。彼は身動きもしない。双眸《さうぼう》の奧から射る如き光を吾輩の矮小《わいせう》なる額《ひたひ》の上にあつめて、御めえ〔三字傍點〕は一體何だと云つた。大王にしては少々言葉が卑《いや》しいと思つたが何しろ其聲の底に犬をも挫《ひ》しぐべき力が籠《こも》つて居るので吾輩は少なからず恐れを抱《いだ》いた。然し挨拶をしないと險呑《けんのん》だと思つたから「吾輩は猫である。名前はまだない」と可成《なるべく》平氣を裝《よそほ》つて冷然と答へた。然し此時吾輩の心臓は慥《たし》かに平時よりも烈しく鼓動して居つた。彼は大《おほい》に輕蔑せる調子で「何、猫だ? 猫が聞いてあきれらあ。全《ぜん》てえ何《ど》こに住んでるんだ」隨分|傍若無人《ばうじやくぶじん》である。「吾輩はこゝのヘ師の家《うち》に居るのだ」「どうせそんな事だらうと思つた。いやに瘠せてるぢやねえか」と大王|丈《だけ》に氣?を吹きかける。言葉付から察するとどうも良家の猫とも思はれない。然し其|膏切《あぶらぎ》つて肥滿して居る所を見ると御馳走を食つてるらしい、豐かに暮して居るらしい。吾輩は「さう云ふ君は一體誰だい」と聞かざるを得なかつた。「己《お》れあ車屋の黒よ」昂然たるものだ。車屋の黒は此近邊で知らぬ者なき亂暴猫である。然し車屋|丈《だけ》に強い許《ばか》りでちつともヘ育がないからあまり誰も交際しない。同盟敬遠主義の的《まと》になつて居る奴だ。吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々輕侮の念も生じたのである。吾輩は先づ彼がどの位無學であるかを試して見《み》樣《やう》と思つて左《さ》の問答をして見た。
「一體車屋とヘ師とはどつちがえらいだらう」
「車屋の方が強いに極つて居らあな。御めえ〔三字傍點〕のうち〔二字傍點〕の主人を見ねえ、丸《まる》で骨と皮ばかりだぜ」
「君も車屋の猫|丈《だけ》に大分《だいぶ》強さうだ。車屋に居ると御馳走が食へると見えるね」
「何《なあ》におれ〔二字傍點〕なんざ、どこの國へ行つたつて食ひ物に不自由はしねえ積りだ。御めえ〔三字傍點〕なんかも茶畠ばかりぐる/\廻つて居ねえで、ちつと己《おれ》の後《あと》へくつ付いて來て見ねえ。一と月とたゝねえうちに見違へる樣に太れるぜ」
「追つてさう願ふ事に仕《し》樣《やう》。然し家《うち》はヘ師の方が車屋より大きいのに住んで居る樣に思はれる」
「箆棒《べらぼう》め、うちなんかいくら大きくたつて腹の足《た》しになるもんか」 彼は大《おほい》に肝癪に障つた樣子で、寒竹《かんちく》をそいだ樣な耳を頻りとぴく付かせてあらゝかに立ち去つた。吾輩が車屋の黒と知己になつたのはこれからである。
其《その》後《ご》吾輩は度々黒と邂逅《かいこう》する。邂逅する毎に彼は車屋相當の氣?を吐く。先に吾輩が耳にしたといふ不コ事件も實は黒から聞いたのである。
或る日例の如く吾輩と黒は暖かい茶畠の中で寐轉びながら色々雜談をして居ると、彼はいつもの自慢話しを左《さ》も新しさうに繰り返したあとで、吾輩に向つて下《しも》の如く質問した。「御めえ〔三字傍點〕は今迄に鼠を何匹とつた事がある」智識は黒よりも餘程發達して居る積りだが腕力と勇氣とに至つては到底黒の比較にはならないと覺悟はして居たものゝ、此問に接したる時は、さすがに極りが善くはなかつた。けれども事實は事實で詐《いつは》る譯には行かないから、吾輩は「實はとらう/\と思つてまだ捕《と》らない」と答へた。黒は彼の鼻の先からぴんと突張《つつぱ》つて居る長い髭をびり/\と震はせて非常に笑つた。元來黒は自慢をする丈《だけ》にどこか足りない所があつて、彼の氣?を感心した樣に咽喉《のど》をころ/\鳴らして謹聽して居れば甚だ御《ぎよ》し易い猫である。吾輩は彼と近付になつてから直《すぐ》に此呼吸を飲み込んだから此場合にもなまじい己《おの》れを辯護して益《ます/\》形勢をわるくするのも愚《ぐ》である、いつその事彼に自分の手柄話をしやべらして御茶を濁すに若《し》くはないと思案を定《さだ》めた。そこで大人《おとな》しく「君|抔《など》は年が年であるから大分《だいぶん》とつたらう」とそゝのかして見た。果然彼は墻壁《しやうへき》の缺所《けつしよ》に吶喊《とつかん》して來た。「たんとでもねえが三四十はとつたらう」とは得意氣なる彼の答であつた。彼は猶《なほ》語をつゞけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたち〔三字傍點〕つてえ奴は手に合はねえ。一度いたち〔三字傍點〕に向つて酷《ひど》い目に逢つた」「へえ成程」と相槌《あひづち》を打つ。黒は大きな眼をぱちつかせて云ふ。「去年の大掃除の時だ。うちの亭主が石灰《いしばひ》の袋を持つて椽の下へ這ひ込んだら御めえ〔三字傍點〕大きないたち〔三字傍點〕の野郎が面喰《めんくら》つて飛び出したと思ひねえ」「ふん」と感心して見せる。「いたち〔三字傍點〕つてけども何鼠の少し大きいぐれえのものだ。此畜生《こんちきしやう》つて氣で追つかけてとう/\泥溝《どぶ》の中へ追ひ込んだと思ひねえ」「うまく遣つたね」と喝采《かつさい》してやる。「所が御めえ〔三字傍點〕いざつてえ段になると奴め最後《さいご》つ屁《ぺ》をこきやがつた。臭《くせ》えの臭くねえのつて夫《それ》からつてえものはいたち〔三字傍點〕を見ると胸が惡くならあ」彼は是《こゝ》に至つて恰《あたか》も去年の臭氣を今《いま》猶《なほ》感ずる如く前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻はした。吾輩も少々氣の毒な感じがする。ちつと景氣を付けてやらうと思つて「然し鼠なら君に睨《にら》まれては百年目だらう。君は餘り鼠を捕《と》るのが名人で鼠|許《ばか》り食ふものだからそんなに肥つて色つやが善いのだらう」黒の御機嫌をとる爲めの此質問は不思議にも反對の結果を呈出《ていしゆつ》した。彼は喟然《きぜん》として大息《たいそく》していふ。「考げえると詰らねえ。いくら稼いで鼠をとつたつて――一てえ人間程ふてえ奴は世の中に居ねえぜ。人のとつた鼠を皆《み》んな取り上げやがつて交番へ持つて行きあがる。交番じや誰が捕つたか分らねえから其たんび〔三字傍點〕に五錢|宛《づゝ》くれるぢやねえか。うちの亭主なんか己《おれ》の御蔭でもう壹圓五十錢位|儲《まう》けて居やがる癖に、碌なものを食はせた事もありやしねえ。おい人間てものあ體《てい》の善《い》い泥棒だぜ」さすが無學の黒も此位の理窟はわかると見えて頗る怒《おこ》つた容子で脊中の毛を逆立《さかだ》てゝ居る。吾輩は少々氣味が惡くなつたから善い加減に其場を胡魔化《ごまか》して家《うち》へ歸つた。此時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心した。然し黒の子分になつて鼠以外の御馳走を猟《あさ》つてあるく事もしなかつた。御馳走を食ふよりも寐て居た方が氣樂でいゝ。ヘ師の家《うち》に居ると猫もヘ師の樣な性質になると見える。要心しないと今に胃弱になるかも知れない。
ヘ師といへば吾輩の主人も近頃に至つては到底水彩畫に於て望のない事を悟つたものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた。
○○と云ふ人に今日の會で始めて出逢つた。あの人は大分《だいぶ》放蕩《はうたう》をした人だと云ふが成程|通人《つうじん》らしい風采をして居る。かう云ふ質《たち》の人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云ふよりも放蕩をする可く餘儀なくせられたと云ふのが適當であらう。あの人の妻君は藝者ださうだ、羨ましい事である。元來放蕩家を惡くいふ人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。又放蕩家をもつて自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い。是等は餘儀なくされないのに無理に進んでやるのである。恰も吾輩の水彩畫に於けるが如きもので到底卒業する氣づかひはない。然るにも關せず、自分|丈《だけ》は通人だと思つて濟《すま》して居る。料理屋の酒を飲んだり待合へ這入るから通人となり得るといふ論が立つなら、吾輩も一廉《ひとかど》の水彩畫家になり得る理窟だ。吾輩の水彩畫の如きはかゝない方がましであると同じ樣に、愚昧《ぐまい》なる通人よりも山出しの大野暮《おほやぼ》の方が遙かに上等だ。 通人論《つうじんろん》は一寸首肯しかねる。又藝者の妻君を羨しい抔《など》といふ所はヘ師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩畫に於ける批評眼|丈《だけ》は慥《たし》かなものだ。主人は斯くの如く自知《じち》の明《めい》あるにも關せず其|自惚心《うぬぼれしん》は中々拔けない。中二日《なかふつか》置いて十二月四日の日記にこんな事を書いて居る。
昨夜《ゆうべ》は僕が水彩畫をかいて到底物にならんと思つて、其所らに抛《はふ》つて置いたのを誰かゞ立派な額にして欄間《らんま》に懸けてくれた夢を見た。偖《さて》額になつた所を見ると我ながら急に上手になつた。非常に嬉しい。是なら立派なものだと獨りで眺め暮らして居ると、夜が明けて眼が覺めて矢張り元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になつて仕舞つた。
主人は夢の裡《うち》迄《まで》水彩畫の未練を脊負《しよ》つてあるいて居ると見える。是では水彩畫家は無論|夫子《ふうし》の所謂通人にもなれない質《たち》だ。
主人が水彩畫を夢に見た翌日例の金縁眼鏡の美學者が久し振りで主人を訪問した。彼は座につくと劈頭《へきとう》第一に「畫《ゑ》はどうかね」と口を切つた。主人は平氣な顔をして「君の忠告に從つて寫生を力《つと》めて居るが、成程寫生をすると今迄氣のつかなかつた物の形や、色の精細な變化|抔《など》がよく分る樣だ。西洋では昔《むか》しから寫生を主張した結果|今日《こんにち》の樣に發達したものと思はれる。さすがアンドレア、デル、サルトだ」と日記の事はおくび〔三字傍點〕にも出さないで、又アンドレア、デル、サルトに感心する。美學者は笑ひながら「實は君、あれは出鱈目《でたらめ》だよ」と頭を掻く。「何が」と主人はまだ※[言+虚]《いつ》はられた事に氣がつかない。「何がつて君の頻りに感服して居るアンドレア、デル、サルトさ。あれは僕の一寸|捏造《ねつざう》した話だ。君がそんなに眞面目に信じ樣《やう》とは思はなかつたハヽヽヽ」と大喜悦の體《てい》である。吾輩は椽側で此對話を聞いて彼の今日の日記には如何なる事が記《しる》さるゝであらうかと豫《あらかじ》め想像せざるを得なかつた。此美學者はこんな好《いゝ》加減な事を吹き散らして人を擔《かつ》ぐのを唯一の樂《たのしみ》にして居る男である。彼はアンドレア、デル、サルト事件が主人の情線《じやうせん》に如何なる響を傳へたかを毫も顧慮せざるものゝ如く得意になつて下《しも》の樣な事を饒舌《しやべ》つた。「いや時々冗談を言ふと人が眞《ま》に受けるので大《おほい》に滑稽的美感を挑撥《てうはつ》するのは面白い。先達《せんだつ》てある學生にニコラス、ニツクルベーがギボンに忠告して彼の一世の大著述なる佛國革命史を佛語で書くのをやめにして英文で出版させたと言つたら、其學生が又馬鹿に記憶の善い男で、日本文學會の演説會で眞面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽であつた。所が其時の傍聽者は約百名|許《ばか》りであつたが、皆熱心にそれを傾聽して居つた。夫《それ》からまだ面白い話がある。先達《せんだつ》て或る文學者の居る席でハリソンの歴史小説セオフアーノの話しが出たから僕はあれは歴史小説の中《うち》で白眉《はくび》である。ことに女主人公が死ぬ所は鬼氣《きき》人を襲ふ樣だと評したら、僕の向ふに坐つて居る知らんと云つた事のない先生が、さう/\あすこは實に名文だといつた。それで僕は此男も矢張僕同樣此小説を讀んで居らないといふ事を知つた」神經胃弱性の主人は眼を丸くして問ひかけた。「そんな出鱈目をいつて若し相手が讀んで居たらどうする積りだ」恰《あたか》も人を欺《あざむ》くのは差支ない、只|化《ばけ》の皮《かは》があらはれた時は困るじやないかと感じたものゝ如くである。美學者は少しも動じない。「なに其時や別の本と間違へたとか何とか云ふ許《ばか》りさ」と云つてけら/\笑つて居る。此美學者は金縁の眼鏡は掛けて居るが其性質が車屋の黒に似た所がある。主人は黙つて日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇氣はないと云はん許《ばか》りの顔をして居る。美學者はそれだから畫《ゑ》をかいても駄目だといふ目付で「然し冗談は冗談だが畫といふものは實際|六《む》づか敷《し》いものだよ、レオナルド、ダ、?ンチは門下生に寺院の壁のしみ〔二字傍點〕を寫せとヘへた事があるさうだ。なる程|雪隱《せついん》抔《など》に這入つて雨の漏る壁を餘念なく眺めて居ると、中々うまい模樣畫が自然に出來て居るぜ。君注意して寫生して見給へ屹度《きつと》面白いものが出來るから」「又|欺《だま》すのだらう」「いへ是《これ》丈《だけ》は慥《たし》かだよ。實際奇警な語ぢやないか、ダ、?ンチでもいひさうな事だあね」「成程奇警には相違ないな」と主人は半分降參をした。然し彼はまだ雪隱《せついん》で寫生はせぬ樣だ。
車屋の黒は其《その》後《ご》跛《びつこ》になつた。彼の光澤ある毛は漸々《だん/\》色が褪《さ》めて拔けて來る。吾輩が琥珀《こはく》よりも美しいと評した彼の眼には眼脂《めやに》が一杯たまつて居る。殊に著るしく吾輩の注意を惹いたのは彼の元氣の消沈と其體格の惡くなつた事である。吾輩が例の茶園で彼に逢つた最後の日、どうだと云つて尋ねたら「いたち〔三字傍點〕の最後屁《さいごつぺ》と肴屋《さかなや》の天秤棒《てんびんぼう》には懲々《こり/\》だ」といつた。
赤松の間に二三段の紅《こう》を綴つた紅葉《こうえふ》は昔《むか》しの夢の如く散つてつくばひ〔四字傍點〕に近く代る/”\花瓣《はなびら》をこぼした紅白《こうはく》の山茶花《さゞんくわ》も殘りなく落ち盡した。三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯《こがらし》の吹かない日は殆んど稀になつてから吾輩の晝寐の時間も狹《せば》められた樣な氣がする。
主人は毎日學校へ行く。歸ると書齋へ立て籠る。人が來ると、ヘ師が厭だ/\といふ。水彩畫も滅多にかゝない。タカヂヤスターゼも功能がないといつてやめて仕舞つた。小供は感心に休まないで幼稚園へかよふ。歸ると唱歌を歌つて、毬《まり》をついて、時々吾輩を尻尾《しつぽ》でぶら下げる。
吾輩は御馳走も食はないから別段|肥《ふと》りもしないが、先々《まづ/\》健康で跛《びつこ》にもならずに其日/\を暮して居る。鼠は決して取らない。おさんは未《いま》だに嫌ひである。名前はまだつけて呉れないが、欲をいつても際限がないから生涯此ヘ師の家《うち》で無名の猫で終る積りだ。
二
吾輩は新年來多少有名になつたので、猫ながら一寸鼻が高く感ぜらるゝのは難有《ありがた》い。
元朝早々主人の許《もと》へ一枚の繪端書《ゑはがき》が來た。是は彼の交友某畫家からの年始?であるが、上部を赤、下部を深緑《ふかみど》りで塗つて、其の眞中に一の動物が蹲踞《うづくま》つて居る所をパステルで書いてある。主人は例の書齋で此繪を、横から見たり、竪《たて》から眺めたりして、うまい色だなといふ。既に一應感服したものだから、もうやめにするかと思ふと矢張り横から見たり、竪《たて》から見たりして居る。からだを拗《ね》ぢ向けたり、手を延ばして年寄が三世相《さんぜさう》を見る樣にしたり、又は窓の方へむいて鼻の先迄持つて來たりして見て居る。早くやめて呉れないと膝が搖れて險呑で堪らない。漸くの事で動搖が餘り劇しくなくなつたと思つたら、小さな聲で一體何をかいたのだらうと云ふ。主人は繪端書の色には感服したが、かいてある動物の正體が分らぬので、先《さ》つきから苦心をしたものと見える。そんな分らぬ繪端書かと思ひながら、寐て居た眼を上品に半《なか》ば開《ひら》いて、落ちつき拂つて見ると紛《まぎ》れもない、自分の肖像だ。主人の樣にアンドレア、デル、サルトを極め込んだものでもあるまいが、畫家|丈《だけ》に形體も色彩もちやんと整つて出來て居る。誰が見たつて猫に相違ない。少し眼識のあるものなら、猫の中《うち》でも他《ほか》の猫ぢやない吾輩である事が判然とわかる樣に立派に描《か》いてある。この位明瞭な事を分らずにかく迄苦心するかと思ふと、少し人間が氣の毒になる。出來る事なら其繪が吾輩であると云ふ事を知らしてやりたい。吾輩であると云ふ事は好し分らないにしても、せめて猫であるといふ事|丈《だけ》は分らして遣りたい。然し人間といふものは到底吾輩|猫屬《ねこぞく》の言語を解し得る位に天の惠《めぐみ》に浴して居らん動物であるから、殘念ながら其儘にして置いた。
一寸讀者に斷つて置きたいが、元來人間が何ぞといふと猫々と、事もなげに輕侮の口調を以て吾輩を評價する癖があるは甚だよくない。人間の糟《かす》から牛と馬が出來て、牛と馬の糞から猫が製造された如く考へるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をするヘ師|抔《など》には有勝《ありがち》の事でもあらうが、はたから見て餘り見つともいゝ者ぢやない。いくら猫だつて、さう粗末簡便には出來ぬ。よそ目には一列一體、平等無差別、どの猫も自家固有の特色|抔《など》はない樣であるが、猫の社會に這入つて見ると中々複雜なもので十人|十色《といろ》といふ人間界の語《ことば》は其儘こゝにも應用が出來るのである。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違ふ。髯の張り具合から耳の立ち按排《あんばい》、尻尾《しつぽ》の垂れ加減に至る迄同じものは一つもない。器量、不器量、好き嫌ひ、粹《すゐ》無粹《ぶすゐ》の數《かず》を悉《つ》くして千差萬別と云つても差支へない位である。其樣に判然たる區別が存して居るにも關らず、人間の眼は只《ただ》向上とか何とかいつて、空ばかり見て居るものだから、吾輩の性質は無論|相貌《さうばう》の末を識別する事すら到底出來ぬのは氣の毒だ。同類相求むとは昔《むか》しからある語《ことば》ださうだが其通り、餠屋は餠屋、猫は猫で、猫の事なら矢張り猫でなくては分らぬ。いくら人間が發達したつて是《これ》許《ばか》りは駄目である。況んや實際をいふと彼等が自《みづか》ら信じて居る如くえらくも何ともないのだから猶更《なほさら》六づかしい。又況んや同情に乏しい吾輩の主人の如きは、相互を殘りなく解するといふが愛の第一義であるといふことすら分らない男なのだから仕方がない。彼は性の惡い牡蠣《かき》の如く書齋に吸ひ付いて、甞て外界に向つて口を開《ひら》いた事がない。それで自分|丈《だけ》は頗る達觀した樣な面構《つらがまへ》をして居るのは一寸|可笑《をか》しい。達觀しない證據には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟つた樣子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の畫《ゑ》だらう抔《など》と氣の知れぬことをいつて濟《すま》して居るのでもわかる。
吾輩が主人の膝の上で眼をねむりながら斯く考へて居ると、やがて下女が第二の繪端書を持つて來た。見ると活版で舶來の猫が四五疋ずらりと行列してペンを握つたり書物を開いたり勉強をして居る。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫ぢや/\を躍《をど》つて居る。其上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側《わき》に書を讀むや躍《をど》るや猫の春一日《はるひとひ》といふ俳句さへ認《したゝ》められてある。是は主人の舊門下生より來たので誰が見たつて一見して意味がわかる筈であるのに、迂濶な主人はまだ悟らないと見えて不思議さうに首を捻《ひね》つて、はてな今年は猫の年かなと獨言《ひとりごと》を言つた。吾輩が是程有名になつたのを未《ま》だ氣が着かずに居ると見える。
所へ下女が又第三の端書を持つてくる。今度は繪端書ではない。恭賀新年とかいて、傍《かたは》らに乍恐縮《きやうしゆくながら》かの猫へも宜しく御傳聲奉願上候《ごでんせいねがひあげたてまつりそろ》とある。如何《いか》に迂遠な主人でもかう明らさまに書いてあれば分るものと見えて漸く氣が付いた樣にフンと言ひながら吾輩の顔を見た。其眼付が今迄とは違つて多少尊敬の意を含んで居る樣に思はれた。今迄世間から存在を認められなかつた主人が急に一個の新面目《しんめんぼく》を施こしたのも、全く吾輩の御蔭だと思へば此位の眼付は至當だらうと考へる。
折柄門の格子《かうし》がチリン、チリン、チリヽヽヽンと鳴る。大方來客であらう、來客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋《さかなや》の梅公がくる時の外は出ない事に極めて居るのだから、平氣で、もとの如く主人の膝に坐つて居つた。すると主人は高利貸にでも飛び込まれた樣に不安な顔付をして玄關の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間も此位|偏屈《へんくつ》になれば申し分《ぶん》はない。そんなら早くから外出でもすればよいのに夫《それ》程《ほど》の勇氣も無い。愈《いよ/\》牡蠣《かき》の根性《こんじやう》をあらはして居る。しばらくすると下女が來て寒月《かんげつ》さんが御出《おいで》になりましたといふ。此|寒月《かんげつ》といふ男は矢張り主人の舊門下生であつたさうだが、今では學校を卒業して、何でも主人より立派になつて居るといふ話しである。此男がどういふ譯か、よく主人の所へ遊びに來る。來ると自分を戀《おも》つて居る女が有りさうな、無ささうな、世の中が面白さうな、つまらなさうな、凄《すご》い樣な艶《つや》つぽい樣な文句|許《ばか》り並べては歸る。主人の樣なしなび懸けた人間を求めて、態々《わざ/\》こんな話しをしに來るのからして合點が行かぬが、あの牡蠣的《かきてき》主人がそんな談話を聞いて時々|相槌《あひづち》を打つのは猶《なほ》面白い。
「暫く御無沙汰をしました。實は去年の暮から大《おほい》に活動して居るものですから、出樣々々《でやう/\》と思つても、つい此方角へ足が向かないので」と羽織の紐をひねくりながら謎見た樣な事をいふ。「どつちの方角へ足が向くかね」と主人は眞面目な顔をして、黒木綿の紋付羽織の袖口を引張る。此羽織は木綿でゆき〔二字傍点〕が短かい、下からべんべら者が左右へ五分位|宛《づゝ》はみ出して居る。「エヘヽヽ少し違つた方角で」と寒月君が笑ふ。見ると今日は前齒が一枚缺けて居る。「君齒をどうかしたかね」と主人は問題を轉じた。「えゝ實はある所で椎茸《しひたけ》を食ひましてね」「何を食つたつて?」「其、少し椎茸を食つたんで。椎茸の傘を前齒で?み切らうとしたらぼろりと齒が缺けましたよ」「椎茸で前齒がかけるなんざ、何だか爺々臭《ぢゞいくさ》いね。俳句にはなるかも知れないが、戀にはならん樣だな」と平手で吾輩の頭を輕《かろ》く叩く。「あゝ其猫が例のですか、中々肥つてるぢやありませんか、夫《それ》なら車屋の黒にだつて負けさうもありませんね、立派なものだ」と寒月君は大《おほい》に吾輩を賞める。「近頃|大分《だいぶ》大きくなつたのさ」と自慢さうに頭をぽか/\なぐる。賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。「一昨夜もちよいと合奏會をやりましてね」と寒月君は又話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりや御聞きにならんでもよいでせう。?イオリンが三|挺《ちやう》とピヤノの伴奏で中々面白かつたです。?イオリンも三挺位になると下手でも聞かれるものですね。二人は女で私《わたし》が其の中へまじりましたが、自分でも善く彈《ひ》けたと思ひました」「ふん、そして其女といふのは何者かね」と主人は羨ましさうに問ひかける。元來主人は平常|枯木寒巖《こぼくかんがん》の樣な顔付はして居るものゝ實の所は決して婦人に冷淡な方ではない、甞て西洋の或る小説を讀んだら、其中にある一人物が出て來て、其《それ》が大抵の婦人には必ずちよつと惚《ほ》れる。勘定をして見ると往來を通る婦人の七割弱〔三字傍点〕には戀着《れんちやく》するといふ事が諷刺的《ふうしてき》に書いてあつたのを見て、これは眞理だと感心した位な男である。そんな浮氣な男が何故《なぜ》牡蠣的生涯《かきてきしやうがい》を送つて居るかと云ふのは吾輩猫|抔《など》には到底分らない。或人は失戀の爲だとも云ふし、或人は胃弱《ゐじやく》のせいだとも云ふし、又或人は金がなくて臆病な性質《たち》だからだとも云ふ。どつちにしたつて明治の歴史に關係する程な人物でもないのだから構はない。然し寒月君の女連《をんなづ》れを羨まし氣《げ》に尋ねた事|丈《だけ》は事實である。寒月君は面白さうに口取《くちとり》の蒲鉾《かまぼこ》を箸で挾んで半分前齒で食ひ切つた。吾輩は又缺けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であつた。「なに二人とも去《さ》る所の令孃ですよ、御存じの方《かた》ぢやありません」と餘所々々《よそ/\》しい返事をする。「ナール」と主人は引張つたが「程」を略して考へて居る。寒月君はもう善い加減な時分だと思つたものか「どうも好い天氣ですな、御閑《おひま》なら御一所に散歩でもしませうか、旅順が落ちたので市中は大變な景氣ですよ」と促がして見る。主人は旅順の陷落より女連《おんなづれ》の身元を聞きたいと云ふ顔で、しばらく考へ込んで居たが漸く決心をしたものと見えて「それぢや出ると仕《し》樣《やう》」と思ひ切つて立つ。矢張り黒木綿の紋付羽織に、兄の紀念《かたみ》とかいふ二十年來|着古《きふ》るした結城紬《ゆふきつむぎ》の綿入を着たまゝである。いくら結城紬《ゆふきつむぎ》が丈夫だつて、かう着つゞけではたまらない。所々が薄くなつて日に透かして見ると裏からつぎ〔二字傍点〕を當てた針の目が見える。主人の服裝には師走《しはす》も正月もない。ふだん着も餘所《よそ》ゆきもない。出るときは懷手をしてぶらりと出る。外に着る物がないからか、有つても面倒だから着換へないのか、吾輩には分らぬ。但し此《これ》丈《だけ》は失戀の爲とも思はれない。
兩人《ふたり》が出て行つたあとで、吾輩は一寸失敬して寒月君の食ひ切つた蒲鉾《かまぼこ》の殘りを頂戴した。吾輩も此頃では普通一般の猫ではない。先づ桃川如燕《もゝかはじよえん》以後の猫か、グレーの金魚を偸《ぬす》んだ猫位の資格は充分あると思ふ。車屋の黒|抔《など》は固《もと》より眼中にない。蒲鉾の一切《ひときれ》位頂戴したつて人から彼此《かれこれ》云はれる事もなからう。それに此人目を忍んで間食《かんしよく》をするといふ癖は、何も吾等|猫族《ねこぞく》に限つた事ではない。うちの御三《おさん》抔《など》はよく細君の留守中に餠菓子|抔《など》を失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬して居る。御三|許《ばか》りぢやない現に上品な仕付《しつけ》を受けつゝあると細君から吹聽《ふいちやう》せられて居る小兒《こども》ですら此傾向がある。四五日前のことであつたが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覺まして、まだ主人夫婦の寐て居る間に對《むか》ひ合ふて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食ふ?麭《パン》の幾分に、砂糖をつけて食ふのが例であるが、此日は丁度|砂糖壺《さたうつぼ》が卓《たく》の上に置かれて匙《さじ》さへ添えてあつた。いつもの樣に砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙《ひとさじ》の砂糖をすくひ出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少《しば》らく兩人《りやうにん》は睨《にら》み合つて居たが、大きいのが又匙をとつて一杯をわが皿の上に加へた。小さいのもすぐ匙をとつてわが分量を姉と同一にした。すると姉が又一杯すくつた。妹も負けずに一杯を附加した。姉が又壺へ手を懸ける、妹が又匙をとる。見て居る間《ま》に一杯一杯々々と重なつて、遂には兩人《ふたり》の皿には山盛の砂糖が堆《うづたか》くなつて、壺の中には一匙の砂糖も餘つて居らん樣になつたとき、主人が寐ぼけ眼《まなこ》を擦《こす》りながら寢室を出て來て切角しやくひ出した砂糖を元の如く壺の中《なか》へ入れて仕舞つた。こんな所を見ると、人間は利己主義から割り出した公平といふ念は猫より優つて居るかも知れぬが、智慧は却つて猫より劣つて居る樣だ。そんなに山盛《やまもり》にしないうちに早く甞《な》めて仕舞へばいゝにと思つたが、例の如く、吾輩の言ふ事|抔《など》は通じないのだから、氣の毒ながら御櫃《おはち》の上から黙つて見物して居た。
寒月君と出掛けた主人はどこをどう歩行《ある》いたものか、其晩遲く歸つて來て、翌日食卓に就いたのは九時頃であつた。例の御櫃《おはち》の上から拜見して居ると、主人はだまつて雜※[者/火]《ざふに》を食つて居る。代へては食ひ、代へては食ふ。餠の切れは小さいが、何でも六切《むきれ》か七切《なゝきれ》食つて、最後の一切れを椀の中へ殘して、もうよさうと箸を置いた。他人がそんな我儘をすると、中々承知しないのであるが、主人の威光を振り廻はして得意なる彼は、濁つた汁の中に焦《こ》げ爛《たゞ》れた餠の死骸を見て平氣で濟まして居る。妻君が袋戸《ふくろど》の奧からタカヂヤスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それは利かないから飲まん」といふ。「でもあなた澱粉質《でんぷんしつ》のものには大變功能があるさうですから、召し上つたらいゝでせう」と飲ませたがる。「澱粉だらうが何だらうが駄目だよ」と頑固に出る。「あなたはほんとに厭きつぽい」と細君が獨言《ひとりごと》の樣にいふ。「厭きつぽいのぢやない藥が利かんのだ」「それだつて先達中《せんだつてぢゆう》は大變によく利く/\と仰《おつしや》つて毎日々々上つたぢやありませんか」「此間《こなひだ》うちは利いたのだよ、此頃は利かないのだよ」と對句《つゐく》の樣な返事をする。「そんなに飲んだり止《や》めたりしちや、いくら功能のある藥でも利く氣遣ひはありません、もう少し辛防が能くなくつちやあ胃弱なんぞは外の病氣たあ違つて直らないわねえ」と御盆を持つて控えた御三《おさん》を顧みる。「それは本當の所で御座います。もう少し召し上つて御覽にならないと、とても善《よ》い藥か惡い藥かわかりますまい」と御三は一も二もなく細君の肩を持つ。「何でもいゝ、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか、黙つて居ろ」「どうせ女ですわ」と細君がタカヂヤスターゼを主人の前へ突き付けて是非|詰腹《つめばら》を切らせ樣《やう》とする。主人は何にも云はず立つて書齋へ這入る。細君と御三は顔を見合せてにや/\と笑ふ。こんなときに後《あと》からくつ付いて行つて膝の上へ乘ると、大變な目に逢はされるから、そつと庭から廻つて書齋の椽側へ上《あが》つて障子の隙から覗いて見ると、主人はエピクテタスとか云ふ人の本を披《ひら》いて見て居つた。もしそれが平常《いつも》の通りわかるなら一寸えらい所がある。五六分すると其本を叩き付ける樣に机の上へ抛《はふ》り出す。大方そんな事だらうと思ひながら猶《なほ》注意して居ると、今度は日記帳を出して下《しも》の樣な事を書きつけた。
寒月と、根津、上野、池《いけ》の端《はた》、神田|邊《へん》を散歩。池の端の待合の前で藝者が裾模樣の春着をきて羽根をついて居た。衣裝《いしやう》は美しいが顔は頗るまづい。何となくうちの猫に似て居た。
何も顔のまづい例に特に吾輩を出さなくつても、よささうなものだ。吾輩だつて喜多床《きたどこ》へ行つて顔さへ剃《す》つて貰《もら》やあ、そんなに人間と異《ちが》つた所はありあしない。人間はかう自惚《うぬぼ》れて居るから困る。
寶丹《はうたん》の角を曲ると又一人藝者が來た。是は脊《せい》のすらりとした撫肩《なでがた》の恰好《かつかう》よく出來上つた女で、着て居る薄紫の衣服《きもの》も素直に着こなされて上品に見えた。白い齒を出して笑ひながら「源ちやん昨夕《ゆうべ》は――つい忙がしかつたもんだから」と云つた。但し其聲は旅鴉《たびがらす》の如く皺枯《しやが》れて居つたので、切角の風采《ふうさい》も大《おほい》に下落した樣に感ぜられたから、所謂源ちやんなるものゝ如何なる人なるかを振り向いて見るも面倒になつて、懷手《ふところで》の儘|御成道《おなりみち》へ出た。寒月は何となくそは/\して居る如く見えた。
人間の心理程|解《げ》し難いものはない。此主人の今の心は怒《おこ》つて居るのだか、浮かれて居るのだか、又は哲人の遺書に一道《いちだう》の慰安を求めつゝあるのか、ちつとも分らない。世の中を冷笑して居るのか、世の中へ交《まじ》りたいのだか、くだらぬ事に肝癪を起して居るのか、物外《ぶつぐわい》に超然《てうぜん》として居るのだか薩張《さつぱ》り見當が付かぬ。猫|抔《など》は其所へ行くと單純なものだ。食ひ度ければ食ひ、寐たければ寐る、怒《おこ》るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶體絶命に泣く。第一日記|抔《など》といふ無用のものは決してつけない。つける必要がないからである。主人の樣に裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に發揮する必要があるかも知れないが、我等|猫屬《ねこぞく》に至ると行住坐臥《ぎやうぢゆうざぐわ》、行屎送尿《かうしそうねう》悉《こと/”\》く眞正の日記であるから、別段そんな面倒な手數《てかず》をして、己《おの》れの眞面目《しんめんもく》を保存するには及ばぬと思ふ。日記をつけるひまがあるなら椽側に寐て居る迄の事さ。
神田の某亭で晩餐を食ふ。久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大變いゝ。胃弱には晩酌が一番だと思ふ。タカヂヤスターゼは無論いかん。誰が何と云つても駄目だ。どうしたつて利かないものは利かないのだ。
無暗にタカヂヤスターゼを攻撃する。獨りで喧嘩をして居る樣だ。今朝の肝癪がちよつと此所へ尾を出す。人間の日記の本色は斯う云ふ邊《へん》に存するのかも知れない。
先達《せんだつ》て○○は朝飯《あさめし》を廢すると胃がよくなると云ふたから二三日《にさんち》朝飯をやめて見たが腹がぐう/\鳴る許《ばか》りで功能はない。△△は是非|香《かう》の物《もの》を斷てと忠告した。彼の説によると凡《すべ》て胃病の源因は漬物にある。漬物さへ斷てば胃病の源を涸《か》らす譯だから本復は疑なしといふ論法であつた。夫《それ》から一週間|許《ばか》り香の物に箸を觸れなかつたが別段の驗《げん》も見えなかつたから近頃は又食ひ出した。××に聞くとそれは按腹揉療治《あんぷくもみれうぢ》に限る。但し普通のではゆかぬ。皆川流《みながはりう》といふ古流な揉《も》み方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出來る。安井息軒《やすゐそくけん》も大變此|按摩術《あんまじゆつ》を愛して居た。坂本龍馬《さかもとりようま》の樣な豪傑でも時々は治療をうけたと云ふから、早速|上根岸《かみねぎし》迄出掛けて揉《も》まして見た。所が骨を揉《も》まなければ癒らぬとか、臓腑の位置を一度?倒しなければ根治がしにくいとかいつて、それは/\殘酷な揉《も》み方をやる。後で身體が綿の樣になつて昏睡病《こんすゐびやう》にかゝつた樣な心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。A君は是非固形體を食ふなといふ。夫《それ》から、一日牛乳|許《ばか》り飲んで暮して見たが、此時は腸の中でどぼり/\と音がして大水でも出た樣に思はれて終夜眠れなかつた。B氏は横膈膜《わうかくまく》で呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる譯だから試しにやつて御覽といふ。是も多少やつたが何となく腹中《ふくちゆう》が不安で困る。夫《それ》に時々思ひ出した樣に一心不亂にかゝりはするものゝ五六分立つと忘れて仕舞ふ。忘れまいとすると横膈膜が氣になつて本を讀む事も文章をかく事も出來ぬ。美學者の迷亭《めいてい》が此|體《てい》を見て、産氣《さんけ》のついた男ぢやあるまいし止すがいゝと冷かしたから此頃は廢《よ》してしまつた。C先生は蕎麥《そば》を食つたらよからうと云ふから、早速かけ〔二字傍点〕ともり〔二字傍点〕をかはる/”\食つたが、此《これ》は腹が下《くだ》る許《ばか》りで何等の功能もなかつた。余は年來の胃弱を直す爲に出來得る限りの方法を講じて見たが凡《すべ》て駄目である。只|昨夜《ゆうべ》寒月と傾けた三杯の正宗は慥かに利目《きゝめ》がある。是からは毎晩二三杯|宛《づゝ》飲む事に仕《し》樣《やう》。
これも決して長く續く事はあるまい。主人の心は吾輩の眼球《めだま》の樣に間斷なく變化して居る。何をやつても永持《ながもち》のしない男である。其上日記の上で胃病をこんなに心配して居る癖に、表向は大《おほい》に痩我慢をするから可笑《をか》しい。先達《せんだつ》て其友人で某《なにがし》といふ學者が尋ねて來て、一種の見地から、凡《すべ》ての病氣は父祖の罪惡と自己の罪惡の結果に外ならないと云ふ議論をした。大分《だいぶ》研究したものと見えて、條理が明晰で秩序が整然として立派な説であつた。氣の毒ながらうちの主人|抔《など》は到底之を反駁する程の頭腦も學問もないのである。然し自分が胃病で苦しんで居る際《さい》だから、何とかかんとか辯解をして自己の面目を保たうと思つた者と見えて、「君の説は面白いが、あのカーライルは胃弱だつたぜ」と恰もカーライルが胃弱だから自分の胃弱も名譽であると云つた樣な、見當違ひの挨拶をした。すると友人は「カーライルが胃弱だつて、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれないさ」と極め付けたので主人は黙然《もくねん》として居た。かくの如く虚榮心に富んで居るものゝ實際は矢張り胃弱でない方がいゝと見えて、今夜から晩酌を始める抔《など》といふのは一寸滑稽だ。考へて見ると今朝雜※[者/火]をあんなに澤山食つたのも昨夜《ゆうべ》寒月君と正宗を引《ひつ》くり返した影響かも知れない。吾輩も一寸雜※[者/火]が食つて見たくなつた。
吾輩は猫ではあるが大抵のものは食ふ。車屋の黒の樣に横丁の肴屋迄遠征をする氣力はないし、新道《しんみち》の二絃琴《にげんきん》の師匠の所《とこ》の三毛《みけ》の樣に贅澤は無論云へる身分でない。從つて存外|嫌《きらひ》は少ない方だ。小供の食ひこぼした?麭《パン》も食ふし、餠菓子の?《あん》もなめる。香《かう》の物《もの》は頗るまづいが經驗の爲め澤庵を二切|許《ばか》りやつた事がある。食つて見ると妙なもので、大抵のものは食へる。あれは厭だ、是は厭だと云ふのは贅澤な我儘で到底ヘ師の家《うち》に居る猫|抔《など》の口にすべき所でない。主人の話しによると佛蘭西《フランス》にバルザツクといふ小説家があつたさうだ。此男が大の贅澤屋で――尤是は口の贅澤屋ではない、小説家|丈《だけ》に文章の贅澤を盡したといふ事である。バルザツクが或る日自分の書いて居る小説中の人間の名をつけ樣《やう》と思つて色々つけて見たが、どうしても氣に入らない。所へ友人が遊びに來たので一所に散歩に出掛けた。友人は固《もと》より何《なんに》も知らずに連れ出されたのであるが、バルザツクは兼ねて自分の苦心して居る名を目付《めつけ》樣《やう》といふ考へだから往來へ出ると何《なんに》もしないで店先の看板ばかり見て歩行《ある》いて居る。所が矢張氣に入つた名がない。友人を連れて無暗にあるく。友人は譯がわからずにくつ付いて行く。彼等は遂に朝から晩迄|巴理《パリ》を探險した。其歸りがけにバルザツクは不圖ある裁縫屋の看板が目についた。見ると其看板にマーカスといふ名がかいてある。バルザツクは手を拍《う》つて「是だ/\是に限る。マーカスは好い名ぢやないか。マーカスの上へZといふ頭文字をつける、すると申し分《ぶん》のない名が出來る。Zでなくてはいかん。Z. Marcus は實にうまい。どうも自分で作つた名はうまくつけた積りでも何となく故意《わざ》とらしい所があつて面白くない。漸くの事で氣に入つた名が出來た」と友人の迷惑は丸《まる》で忘れて、一人嬉しがつたといふが、小説中の人間の名前をつけるに一日《いちんち》巴理《パリ》を探險しなくてはならぬ樣では隨分|手數《てすう》のかゝる話だ。贅澤も此位出來れば結構なものだが吾輩の樣に牡蠣的《かきてき》主人《しゆじん》を持つ身の上ではとてもそんな氣は出ない。何でもいゝ、食へさへすれば、といふ氣になるのも境遇の然らしむる所であらう。だから今雜※[者/火]が食ひ度くなつたのも決して贅澤の結果ではない、何でも食へる時に食つて置かうといふ考から、主人の食ひ剰《あま》した雜※[者/火]がもしや臺所に殘つて居はすまいかと思ひ出したからである。……臺所へ廻つて見る。
今朝見た通りの餠が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着《かうちやく》して居る。白?するが餠といふものは今迄一返も口に入れた事がない。見るとうまさうにもあるし、又少しは氣味《きび》がわるくもある。前足で上にかゝつて居る菜つ葉を掻き寄せる。爪を見ると餠の上皮《うはかは》が引き掛つてねば/\する。嗅いで見ると釜の底の飯を御櫃《おはち》へ移す時の樣な香《にほひ》がする。食はうかな、やめ樣《やう》かな、とあたりを見廻す。幸か不幸か誰も居ない。御三《おさん》は暮も春も同じ樣な顔をして羽根をついて居る。小供は奧座敷で「何と仰しやる兎さん」を歌つて居る。食ふとすれば今だ。もし此機をはづすと來年迄は餠といふものゝ味を知らずに暮して仕舞はねばならぬ。吾輩は此刹那に猫ながら一の眞理を感得した。「得難き機會は凡《すべ》ての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は實を云ふとそんなに雜※[者/火]を食ひ度くはないのである。否|椀底《わんてい》の樣子を熟視すればする程|氣味《きび》が惡くなつて、食ふのが厭になつたのである。此時もし御三《おさん》でも勝手口を開けたなら、奧の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜氣《をしげ》もなく椀を見棄てたらう、しかも雜※[者/火]の事は來年迄念頭に浮ばなかつたらう。所が誰も來ない、いくら?躇して居ても誰も來ない。早く食はぬか/\と催促される樣な心持がする。吾輩は椀の中を覗き込み乍ら、早く誰か來てくれゝばいゝと念じた。矢張り誰も來てくれない。吾輩はとう/\雜※[者/火]を食はなければならぬ。最後にからだ全體の重量を椀の底へ落す樣にして、あぐりと餠の角を一寸《いつすん》許《ばか》り食ひ込んだ。此位力を込めて食ひ付いたのだから、大抵なものなら?み切れる譯だが、驚いた! もうよからうと思つて齒を引かうとすると引けない。もう一返?み直さうとすると動きがとれない。餠は魔物だなと疳《かん》づいた時は既に遲かつた。沼へでも落ちた人が足を拔かうと焦慮《あせ》る度にぶく/\深く沈む樣に、?めば?む程口が重くなる、齒が動かなくなる。齒答へはあるが、齒答へがある丈《だけ》でどうしても始末をつける事が出來ない。美學者迷亭先生が甞て吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといつた事があるが、成程うまい事をいつたものだ。此餠も主人と同じ樣にどうしても割り切れない。?んでも?んでも、三で十を割る如く盡未來際《じんみらいざい》方《かた》のつく期《ご》はあるまいと思はれた。此煩悶の際吾輩は覺えず第二の眞理に逢着した。「凡《すべ》ての動物は直覺的に事物の適不適を豫知す」眞理は既に二つ迄發明したが、餠がくつ付いて居るので毫も愉快を感じない。齒が餠の肉に吸収されて、拔ける樣に痛い。早く食ひ切つて逃げないと御三《おさん》が來る。小供の唱歌もやんだ樣だ、屹度《きつと》臺所へ馳け出して來るに相違ない。煩悶の極《きよく》尻尾《しつぽ》をぐる/\振つて見たが何等の功能もない、耳を立てたり寐かしたりしたが駄目である。考へて見ると耳と尻尾《しつぽ》は餠と何等の關係もない。要するに振り損の、立て損の、寐かし損であると氣が付いたからやめにした。漸くの事是は前足の助けを借りて餠を拂ひ落すに限ると考へ付いた。先づ右の方をあげて口の周圍を撫《な》で廻す。撫《な》でた位で割り切れる譯のものではない。今度は左《ひだ》りの方を伸《のば》して口を中心として急劇に圓を劃して見る。そんな呪《まじな》ひで魔は落ちない。辛防が肝心だと思つて左右|交《かは》る/”\に動かしたが矢張り依然として齒は餠の中にぶら下つて居る。えゝ面倒だと兩足を一度に使ふ。すると不思議な事に此時|丈《だけ》は後足《あとあし》二本で立つ事が出來た。何だか猫でない樣な感じがする。猫であらうが、あるまいが斯うなつた日にやあ構ふものか、何でも餠の魔が落ちる迄やるべしといふ意氣込みで無茶苦茶に顔中引つ掻き廻す。前足の運動が猛烈なので稍《やゝ》ともすると中心を失つて倒れかゝる。倒れかゝるたびに後足《あとあし》で調子をとらなくてはならぬから、一つ所に居る譯にも行かんので、臺所中あちら、こちらと飛んで廻る。我ながらよくこんなに器用に起《た》つて居られたものだと思ふ。第三の眞理が驀地《ばくち》に現前《げんぜん》する。「危きに臨めば平常なし能はざる所のものを爲し能ふ。之を天祐といふ」幸に天祐を享《う》けたる吾輩が一生懸命餠の魔と戰つて居ると、何だか足音がして奧より人が來る樣な氣合《けはひ》である。こゝで人に來られては大變だと思つて、愈《いよ/\》躍起《やくき》となつて臺所をかけ廻る。足音は段々近付いてくる。あゝ殘念だが天祐が少し足りない。とう/\小供に見付けられた。「あら猫が御雜※[者/火]を食べて踊《をどり》を踊つて居る」と大きな聲をする。此聲を第一に聞きつけたのが御三《おさん》である。羽根も羽子板も打ち遣つて勝手から「あらまあ」と飛込んで來る。細君は縮緬《ちりめん》の紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さへ書齋から出て來て「此馬鹿野郎」といつた。面白い/\と云ふのは小供|許《ばか》りである。さうして皆《み》んな申し合せた樣にげら/\笑つて居る。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる譯にゆかぬ、弱つた。漸く笑ひがやみさうになつたら、五つになる女の子が「御かあ樣、猫も隨分ね」といつたので狂瀾《きやうらん》を既倒《きたう》に何とかするといふ勢で又大變笑はれた。人間の同情に乏しい實行も大分《だいぶ》見聞《けんもん》したが、此時程恨めしく感じた事はなかつた。遂に天祐もどつかへ消え失せて、在來の通り四つ這になつて、眼を白黒するの醜態を演ずる迄に閉口した。さすが見殺しにするのも氣の毒と見えて「まあ餠をとつて遣れ」と主人が御三に命ずる。御三はもつと踊らせ樣《やう》ぢやありませんかといふ眼付で細君を見る。細君は踊は見たいが、殺して迄見る氣はないのでだまつて居る。「取つてやらんと死んで仕舞ふ、早くとつて遣れ」と主人は再び下女を顧みる。御三は御馳走を半分食べかけて夢から起された時の樣に、氣のない顔をして餠をつかんでぐいと引く。寒月君《かんげつくん》ぢやないが前齒が皆《み》んな折れるかと思つた。どうも痛いの痛くないのつて、餠の中へ堅く食ひ込んで居る齒を情《なさ》け容赦もなく引張るのだから堪らない。吾輩が「凡《すべ》ての安樂は困苦を通過せざるべからず」と云ふ第四の眞理を經驗して、けろ/\とあたりを見廻した時には、家人は既に奧座敷へ這入つて仕舞つて居つた。
こんな失敗をした時には内に居て御三《おさん》なんぞに顔を見られるのも何となくばつが惡い。いつその事氣を易へて新道の二絃琴の御師匠さんの所《とこ》の三毛子《みけこ》でも訪問し樣《やう》と臺所から裏へ出た。三毛子は此近邊で有名な美貌家《びばうか》である。吾輩は猫には相違ないが物の情《なさ》けは一通り心得て居る。うちで主人の苦《にが》い顔を見たり、御三の險突《けんつく》を食つて氣分が勝れん時は必ず此異性の朋友の許《もと》を訪問して色々な話をする。すると、いつの間《ま》にか心が晴々《せい/\》して今迄の心配も苦勞も何もかも忘れて、生れ變つた樣な心持になる。女性の影響といふものは實に莫大なものだ。杉垣の隙から、居るかなと思つて見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側に坐つて居る。其脊中の丸さ加減が言ふに言はれん程美しい。曲線の美を盡して居る。尻尾《しつぽ》の曲がり加減、足の折り具合、物憂《ものう》げに耳をちよい/\振る景色《けしき》抔《など》も到底形容が出來ん。ことによく日の當る所に暖かさうに、品《ひん》よく控えて居るものだから、身體は靜肅端正の態度を有するにも關らず、天鵞毛《ビロウド》を欺く程の滑らかな滿身の毛は春の光りを反射して風なきにむら/\と微動する如くに思はれる。吾輩は暫く恍惚として眺めて居たが、やがて我に歸ると同時に、低い聲で「三毛子さん/\」といひながら前足で招いた。三毛子は「あら先生」と椽を下りる。赤い首輪につけた鈴がちやら/\と鳴る。おや正月になつたら鈴迄つけたな、どうもいゝ音《ね》だと感心して居る間《ま》に、吾輩の傍《そば》に來て「あら先生、御目出度う」と尾を左《ひだ》りへ振る。吾等|猫屬《ねこぞく》間で御互に挨拶をするときには尾を棒の如く立てゝ、それを左《ひだ》りへぐるりと廻すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのは此三毛子|許《ばか》りである。吾輩は前回斷はつた通りまだ名はないのであるが、ヘ師の家《うち》に居るものだから三毛子|丈《だけ》は尊敬して先生々々といつてくれる。吾輩も先生と云はれて滿更《まんざら》惡い心持ちもしないから、はい/\と返事をして居る。「やあ御目出度う、大層立派に御化粧が出來ましたね」「えゝ去年の暮|御師匠《おししやう》さんに買つて頂いたの、宜《い》いでせう」とちやら/\鳴らして見せる。「成程善い音《ね》ですな、吾輩|抔《など》は生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」「あらいやだ、皆《み》んなぶら下げるのよ」と又ちやら/\鳴らす。「いゝ音《ね》でせう、あたし嬉しいわ」とちやら/\ちやら/\續け樣に鳴らす。「あなたのうちの御師匠さんは大變あなたを可愛がつて居ると見えますね」と吾身に引きくらべて暗に欣羨《きんせん》の意を洩らす。三毛子は無邪氣なものである「ほんとよ、丸《まる》で自分の小供の樣よ」とあどけなく笑ふ。猫だつて笑はないとは限らない。人間は自分より外に笑へるものが無い樣に思つて居るのは間違ひである。吾輩が笑ふのは鼻の孔を三角にして咽喉佛《のどぼとけ》を震動させて笑ふのだから人間にはわからぬ筈である。「一體あなたの所《とこ》の御主人は何ですか」「あら御主人だつて、妙なのね。御師匠《おししやう》さんだわ。二絃琴の御師匠さんよ」「それは吾輩も知つて居ますがね。其御身分は何なんです。何《いづ》れ昔《むか》しは立派な方なんでせうな」「えゝ」
君を待つ間《ま》の姫小松……………
障子の内で御師匠さんが二絃琴を彈き出す。「宜《い》い聲でせう」と三毛子は自慢する。「宜《い》い樣だが、吾輩にはよくわからん。全體何といふものですか」「あれ? あれは何とかつてものよ。御師匠さんはあれが大好きなの。……御師匠さんはあれで六十二よ。隨分丈夫だわね」六十二で生きて居る位だから丈夫と云はねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事をした。少し間《ま》が拔けた樣だが別に名答も出て來なかつたから仕方がない。「あれでも、もとは身分が大變好かつたんだつて。いつでも左樣《さう》仰《おつ》しやるの」「へえ元は何だつたんです」「何でも天璋院樣《てんしやうゐんさま》の御祐筆《ごいうひつ》の妹の御嫁に行つた先《さ》きの御《お》つかさんの甥の娘なんだつて」「何ですつて?」「あの天璋院樣《てんしやうゐんさま》の御祐筆《ごいうひつ》の妹の御嫁にいつた……」「成程。少し待つて下さい。天璋院樣の妹の御祐筆の……」「あらさうぢやないの、天璋院樣の御祐筆の妹の……」「よろしい分りました天璋院樣のでせう」「えゝ」「御祐筆のでせう」「さうよ」「御嫁に行つた」「妹の御嫁に行つたですよ」「さう/\間違つた。妹の御嫁に入《い》つた先《さ》きの」「御つかさんの甥の娘なんですとさ」「御つかさんの甥の娘なんですか」「えゝ。分つたでせう」「いゝえ。何だか混雜して要領を得ないですよ。詰る所|天璋院樣《てんしやうゐんさま》の何になるんですか」「あなたも餘つ程分らないのね。だから天璋院樣の御祐筆の妹の御嫁に行つた先きの御つかさんの甥の娘なんだつて、先《さ》つきつから言つてるんぢやありませんか」「それはすつかり分つて居るんですがね」「夫《それ》が分りさへすればいゝんでせう」「えゝ」と仕方がないから降參をした。吾々は時とすると理詰の虚言《うそ》を吐《つ》かねばならぬ事がある。
障子の中《うち》で二絃琴の音《ね》がぱつたりやむと、御師匠さんの聲で「三毛や三毛や御飯だよ」と呼ぶ。三毛子は嬉しさうに「あら御師匠さんが呼んで入らつしやるから、私《あた》し歸るわ、よくつて?」わるいと云つたつて仕方がない。「それぢや又遊びに入らつしやい」と鈴をちやら/\鳴らして庭先迄かけて行つたが急に戻つて來て「あなた大變色が惡くつてよ。どうかしやしなくつて」と心配さうに問ひかける。まさか雜※[者/火]を食つて踊りを踊つたとも云はれないから「何別段の事もありませんが、少し考へ事をしたら頭痛がしてね。あなたと話しでもしたら直るだらうと思つて實は出掛けて來たのですよ」「さう。御大事になさいまし。左樣なら」少しは名殘《なご》り惜し氣に見えた。是で雜※[者/火]の元氣も薩張《さつぱ》りと回復した。いゝ心持になつた。歸りに例の茶園を通り拔け樣《やう》と思つて霜柱の融《と》けかゝつたのを踏みつけながら建仁寺《けんにんじ》の崩《くづ》れから顔を出すと又車屋の黒が枯菊の上に脊を山にして欠伸《あくび》をして居る。近頃は黒を見て恐怖する樣な吾輩ではないが、話しをされると面倒だから知らぬ顔をして行き過ぎ樣《やう》とした。黒の性質として他《ひと》が己《おの》れを輕侮したと認むるや否や決して黙つて居ない。「おい、名なしの權兵衛、近頃ぢや乙《おつ》う高く留つてるぢやあねえか。いくらヘ師の飯を食つたつて、そんな高慢ちきな面《つ》らあするねえ。人《ひと》つけ面白くもねえ」黒は吾輩の有名になつたのを、まだ知らんと見える。説明して遣りたいが到底分る奴ではないから、先づ一應の挨拶をして出來得る限り早く御免蒙るに若《し》くはないと決心した。「いや黒君御目出度う。不相變《あひかはらず》元氣がいゝね」と尻尾《しつぽ》を立てゝ左へくるりと廻はす。黒は尻尾《しつぽ》を立てたぎり挨拶もしない。「何|御目出度《おめでて》え? 正月で御目出たけりや、御めへなんざあ年が年中御目出てえ方だらう。氣をつけろい、此|吹《ふ》い子《ご》の向《むこ》ふ面《づら》め」吹い子の向ふづらといふ句は罵詈《ばり》の言語である樣だが、吾輩には了解が出來なかつた。「一寸|伺《うか》がうが吹い子の向ふづらと云ふのはどう云ふ意味かね」「へん、手めえが惡體《あくたい》をつかれてる癖に、其譯を聞きや世話あねえ、だから正月野郎だつて事よ」正月野郎は詩的であるが、其意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。參考の爲め一寸聞いておきたいが、聞いたつて明瞭な答辯は得られぬに極まつてゐるから、面《めん》と對《むか》つた儘無言で立つて居つた。聊《いさゝ》か手持無沙汰の體《てい》である。すると突然黒のうちの神《かみ》さんが大きな聲を張り揚げて「おや棚へ上げて置いた鮭《しやけ》がない。大變だ。又あの黒の畜生《ちきしやう》が取つたんだよ。ほんとに憎らしい猫だつちあありあしない。今に歸つて來たら、どうするか見て居やがれ」と怒鳴《どな》る。初春《はつはる》の長閑《のどか》な空氣を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君が御代を大《おほい》に俗了《ぞくれう》して仕舞ふ。黒は怒鳴《どな》るなら、怒鳴りたい丈《だけ》怒鳴つて居ろと云はぬ許《ばか》りに横着な顔をして、四角な顋《あご》を前へ出しながら、あれを聞いたかと合圖をする。今迄は黒との應對で氣がつかなかつたが、見ると彼の足の下には一切れ二錢三厘に相當する鮭《しやけ》の骨が泥だらけになつて轉がつて居る。「君|不相變《あひかはらず》やつてるな」と今迄の行き掛りは忘れて、つい感投詞を奉呈した。黒は其位な事では中々機嫌を直さない。「何がやつてるでえ、此野郎。しやけ〔三字傍点〕の一切や二切で相變らずたあ何だ。人を見縊《みく》びつた事をいふねえ。憚《はゝか》りながら車屋の黒だあ」と腕まくりの代りに右の前足を逆《さ》かに肩の邊《へん》迄《まで》掻き上げた。「君が黒君だと云ふ事は、始めから知つてるさ」「知つてるのに、相變らずやつてるたあ何だ。何だてえ事よ」と熱いのを頻りに吹き懸ける。人間なら胸倉をとられて小突き廻される所である。少々|辟易《へきえき》して内心困つた事になつたなと思つて居ると、再び例の神さんの大聲が聞える。「ちよいと西川さん、おい西川さんてば、用があるんだよ此《この》人《ひと》あ。牛肉を一斤すぐ持つて來るんだよ。いゝかい、分つたかい、牛肉の堅くない所を一斤だよ」と牛肉注文の聲が四隣《しりん》の寂寞を破る。「へん年に一遍牛肉を誂へると思つて、いやに大きな聲を出しやあがらあ。牛肉一斤が隣り近所へ自慢なんだから始末に終へねえ阿魔《あま》だ」と黒は嘲《あざけ》りながら四つ足を踏張《ふんば》る。吾輩は挨拶の仕樣《しやう》もないから黙つて見て居る。「一斤位ぢやあ、承知が出來ねえんだが、仕方がねえ、いゝから取つときや、今に食つてやらあ」と自分の爲に誂へたものゝ如くいふ。「今度は本當の御馳走だ。結構々々」と吾輩は可成《なるべく》彼を歸さうとする。「御めつちの知つた事ぢやねえ。黙つてゐろ。うるせえや」と云ひ乍ら突然|後足《あとあし》で霜柱の崩れた奴を吾輩の頭へばさりと浴びせ掛ける。吾輩が驚ろいて、からだの泥を拂つて居る間《ま》に黒は垣根を潜《くゞ》つて、どこかへ姿を隱した。大方西川の牛《ぎう》を覘《ねらひ》に行つたものであらう。
家《うち》へ歸ると座敷の中が、いつになく春めいて主人の笑ひ聲さへ陽氣に聞える。はてなと明け放した椽側から上《あが》つて主人の傍《そば》へ寄つて見ると見馴れぬ客が來て居る。頭を奇麗に分けて、木綿の紋付の羽織に小倉の袴を着けて至極眞面目さうな書生體《しよせいてい》の男である。主人の手あぶりの角を見ると春慶塗《しゆんけいぬ》りの卷烟草入れと並んで越智東風君《をちとうふうくん》を紹介致|候《そろ》水島寒月といふ名刺があるので、此客の名前も、寒月君の友人であるといふ事も知れた。主客《しゆかく》の對話は途中からであるから前後がよく分らんが、何でも吾輩が前回に紹介した美學者迷亭君の事に關して居るらしい。
「それで面白い趣向があるから是非一所に來いと仰しやるので」と客は落ちついて云ふ。「何ですか、其西洋料理へ行つて午飯を食ふのに付いて趣向があるといふのですか」と主人は茶を續《つ》ぎ足して客の前へ押しやる。「さあ、其趣向といふのが、其時は私にも分らなかつたんですが、何《い》づれあの方《かた》の事ですから、何か面白い種があるのだらうと思ひまして……」「一所に行きましたか、なる程」「所が驚いたのです」主人はそれ見たかと云はぬ許《ばか》りに、膝の上に乘つた吾輩の頭をぽかと叩く。少し痛い。「又馬鹿な茶番見た樣な事なんでせう。あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア、デル、サルト事件を思ひ出す。「へヽー。君何か變つたものを食はうぢやないかと仰しやるので」「何を食ひました」「先づ獻立《こんだて》を見ながら色々料理についての御話しがありました」「誂へない前にですか」「えゝ」「夫《それ》から」「夫《それ》から首を捻つてボイの方を御覽になつて、どうも變つたものもない樣だなと仰しやるとボイは負けぬ氣で鴨のロースか小牛のチヤツプ抔《など》は如何《いかゞ》ですと云ふと、先生は、そんな月並《つきなみ》を食ひにわざ/\こゝ迄來やしないと仰しやるんで、ボイは月並といふ意味が分らんものですから妙な顔をして黙つて居ましたよ」「さうでせう」「夫《それ》から私の方を御向きになつて、君|佛蘭西《フランス》や英吉利《イギリス》へ行くと隨分|天明調《てんめいてう》や萬葉調《まんえふてう》が食へるんだが、日本ぢやどこへ行つたつて版で壓《お》した樣で、どうも西洋料理へ這入る氣がしないと云ふ樣な大氣?で――全體あの方《かた》は洋行なすつた事があるのですかな」「何迷亭が洋行なんかするもんですか、そりや金もあり、時もあり、行かうと思へば何時《いつ》でも行かれるんですがね。大方是から行く積りの所を、過去に見立てた洒落《しやれ》なんでせう」と主人は自分ながらうまい事を言つた積りで誘ひ出し笑をする。客は左《さ》迄《まで》感服した樣子もない。「さうですか、私は又いつの間《ま》に洋行なさつたかと思つて、つい眞面目に拜聽して居ました。それに見て來た樣になめくじ〔四字傍点〕のソツプの御話や蛙のシチユの形容をなさるものですから」「そりや誰かに聞いたんでせう、うそをつく事は中々名人ですからね」「どうも左樣《さう》の樣で」と花瓶の水仙を眺める。少しく殘念の氣色《けしき》にも取られる。「ぢや趣向といふのは、それなんですね」と主人が念を押す。「いえ夫《それ》はほんの冒頭なので、本論は是からなのです」「ふーん」と主人は好奇的な感投詞を挾む。「夫《それ》から、とてもなめくじ〔四字傍点〕や蛙は食はうつても食へやしないから、まあトチメンボー〔六字傍点〕位な所で負けとく事にし樣《やう》ぢやないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の氣なしに、それがいゝでせう、といつて仕舞つたので」「へー、とちめんぼうは妙ですな」「えゝ全く妙なのですが、先生が餘り眞面目だものですから、つい氣がつきませんでした」と恰も主人に向つて麁忽《そこつ》を詫びて居る樣に見える。「夫《それ》からどうしました」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪には一向同情を表して居らん。「それからボイにおいトチメンボー〔六字傍点〕を二人前《ににんまへ》持つて來いといふと、ボイがメンチボー〔五字傍点〕ですかと聞き直しましたが、先生は益《ます/\》眞面目な貌《かほ》でメンチボー〔五字傍点〕ぢやないトチメンボー〔六字傍点〕だと訂正されました」「なある。其トチメンボー〔六字傍点〕といふ料理は一體あるんですか」「さあ私も少し可笑《をか》しいとは思ひましたが如何にも先生が沈着であるし、其上あの通りの西洋通で入らつしやるし、ことに其時は洋行なすつたものと信じ切つて居たものですから、私も口を添へてトチメンボー〔六字傍点〕だトチメンボー〔六字傍点〕だとボイにヘへてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考へると實に滑稽なんですがね、暫く思案して居ましてね、甚だ御氣の毒樣ですが今日はトチメンボー〔六字傍点〕は御生憎《おあいにく》樣でメンチボー〔五字傍点〕なら御二人前《おふたりまへ》すぐに出來ますと云ふと、先生は非常に殘念な樣子で、夫《それ》ぢや切角こゝ迄來た甲斐がない。どうかトチメンボー〔六字傍点〕を都合して食はせてもらう譯には行くまいかと、ボイに二十錢銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して參りませうと奧へ行きましたよ」「大變トチメンボー〔六字傍点〕が食ひたかつたと見えますね」「暫くしてボイが出て來て眞《まこと》に御生憎《おあいにく》で、御誂《おあつらへ》ならこしらへますが少々時間がかゝります、と云ふと迷亭先生は落ち付いたもので、どうせ我々は正月でひまなんだから、少し待つて食つて行かうぢやないかと云ひ乍《なが》らポツケツトから葉卷を出してぷかり/\吹かし始められたので、私《わたく》しも仕方がないから、懷から日本新聞を出して讀み出しました、するとボイは又奧へ相談に行きましたよ」「いやに手數《てすう》が掛りますな」と主人は戰爭の通信を讀む位の意氣込で席を前《すゝ》める。「するとボイが又出て來て、近頃はトチメンボー〔六字傍点〕の材料が拂底で龜屋へ行つても横濱の十五番へ行つても買はれませんから當分の間は御生憎樣でと氣の毒さうに云ふと、先生はそりや困つたな、切角來たのになあと私の方を御覽になつて頻りに繰り返さるゝので、私も黙つて居る譯にも參りませんから、どうも遺憾ですな、遺憾|極《きはま》るですなと調子を合せたのです」「御尤もで」と主人が賛成する。何が御尤だか吾輩にはわからん。「するとボイも氣の毒だと見えて、其内材料が參りましたら、どうか願ひますつてんでせう。先生が材料は何を使ふかねと問はれるとボイはへヽヽヽと笑つて返事をしないんです。材料は日本派の俳人だらうと先生が押し返して聞くとボイはへえ左樣《さやう》で、それだものだから近頃は横濱へ行つても買はれませんので、まことにお氣の毒樣と云ひましたよ」「アハヽヽ夫《それ》が落ちなんですか、こりや面白い」と主人はいつになく大きな聲で笑ふ。膝が搖れて吾輩は落ちかゝる。主人は夫《それ》にも頓着《とんぢやく》なく笑ふ。アンドレア、デル、サルトに罹《かゝ》つたのは自分一人でないと云ふ事を知つたので急に愉快になつたものと見える。「夫《それ》から二人で表へ出ると、どうだ君うまく行つたらう、橡面坊《とちめんばう》を種に使つた所が面白からうと大得意なんです。敬服の至りですと云つて御別れした樣なものゝ實は午飯《ひるめし》の時刻が延びたので大變空腹になつて弱りましたよ」「夫《それ》は御迷惑でしたらう」と主人は始めて同情を表する。是には吾輩も異存はない。しばらく話しが途切れて吾輩の咽喉《のど》を鳴らす音が主客《しゆかく》の耳に入る。
東風君は冷めたくなつた茶をぐつと飲み干して「實は今日參りましたのは、少々先生に御願があつて參つたので」と改まる。「はあ、何か御用で」と主人も負けずに濟ます。「御承知の通り、文學美術が好きなものですから……」「結構で」と油を注《さ》す。「同志|丈《だけ》がよりまして先達《せんだつ》てから朗讀會といふのを組織しまして、毎月一回會合して此方面の研究を是から續け度い積りで、既に第一回は去年の暮に開いた位であります」「一寸伺つて置きますが、朗讀會と云ふと何か節奏《ふし》でも附けて、詩歌《しいか》文章の類《るゐ》を讀む樣に聞えますが、一體どんな風にやるんです」「まあ初めは古人の作からはじめて、追々は同人の創作なんかもやる積りです」「古人の作といふと白樂天《はくらくてん》の琵琶行《びはかう》の樣なものでゞもあるんですか」「いゝえ」「蕪村の春風馬堤曲《しゆんぷうばていきよく》の種類ですか」「いゝえ」「それぢや、どんなものをやつたんです」「先達《せんだつ》ては近松の心中物《しんぢゆうもの》をやりました」「近松? あの淨瑠璃《じやうるり》の近松ですか」近松に二人はない。近松といへば戯曲家の近松に極つて居る。夫《それ》を聞き直す主人は餘程|愚《ぐ》だと思つて居ると、主人は何にも分らずに吾輩の頭を叮嚀に撫《な》でゝ居る。藪睨《やぶにら》みから惚れられたと自認して居る人間もある世の中だから此位の誤謬《ごびう》は決して驚くに足らんと撫でらるゝが儘に濟《すま》して居た。「えゝ」と答へて東風子《とうふうし》は主人の顔色を窺ふ。「それぢや一人で朗讀するのですか、又は役割を極めてやるんですか」「役を極めて懸合《かけあひ》でやつて見ました。其主意は可成《なるべく》作中の人物に同情を持つて其性格を發揮するのを第一として、夫《それ》に手眞似や身振りを添へます。白《せりふ》は可成《なるべく》其時代の人を寫し出すのが主で、御孃さんでも丁稚《でつち》でも、其人物が出てきた樣にやるんです」「ぢや、まあ芝居見た樣なものぢやありませんか」「えゝ衣裝《いしやう》と書割《かきわり》がない位なものですな」「失禮ながらうまく行きますか」「まあ第一回としては成功した方だと思ひます」「それで此前やつたと仰しやる心中物といふと」「其、船頭が御客を乘せて芳原《よしはら》へ行く所《とこ》なんで」「大變な幕をやりましたな」とヘ師|丈《だけ》に一寸《ちよつと》首を傾《かたむ》ける。鼻から吹き出した日の出〔三字傍点〕の烟《けむ》りが耳を掠《かす》めて顔の横手へ廻る。「なあに、そんなに大變な事もないんです。登場の人物は御客と、船頭と、花魁《おいらん》と仲居《なかゐ》と遣手《やりて》と見番《けんばん》丈《だけ》ですから」と東風子は平氣なものである。主人は花魁《おいらん》といふ名をきいて一寸|苦《にが》い顔をしたが、仲居《なかゐ》、遣手《やりて》、見番《けんばん》といふ術語に付いて明瞭の智識がなかつたと見えて先づ質問を呈出した。「仲居といふのは娼家《しやうか》の下婢にあたるものですかな」「まだよく研究はして見ませんが仲居《なかゐ》は茶屋の下女で、遣手《やりて》といふのが女部屋《をんなべや》の助役《じよやく》見た樣なものだらうと思ひます」東風子は先《さ》つき、其人物が出て來る樣に假色《こわいろ》を使ふと云つた癖に遣手や仲居の性格をよく解して居らんらしい。「成程仲居は茶屋に隷屬《れいぞく》するもので、遣手は娼家に起臥する者ですね。次に見番〔二字傍点〕と云ふのは人間ですか又は一定の場所を指《さ》すのですか、もし人間とすれば男ですか女ですか」「見番は何でも男の人間だと思ひます」「何を司《つかさ》どつて居るんですかな」「さあそこ迄はまだ調べが屆いて居りません。其内調べて見ませう」これで懸合をやつた日には頓珍漢《とんちんかん》なものが出來るだらうと吾輩は主人の顔を一寸見上げた。主人は存外眞面目である。「それで朗讀家は君の外にどんな人が加《くはゝ》つたんですか」「色々居りました。花魁《おいらん》が法學士のK君でしたが、口髯を生やして、女の甘つたるいせりふを使《つ》かふのですから一寸妙でした。それに其花魁が癪を起す所があるので……」「朗讀でも癪を起さなくつちや、いけないんですか」と主人は心配さうに尋ねる。「えゝ兎に角表情が大事ですから」と東風子はどこ迄も文藝家の氣で居る。「うまく癪が起りましたか」と主人は警句を吐く。「癪|丈《だけ》は第一回には、些《ち》と無理でした」と東風子も警句を吐く。「所で君は何の役割でした」と主人が聞く。「私《わたく》しは船頭」「へー、君が船頭」君にして船頭が務まるものなら僕にも見番位はやれると云つた樣な語氣を洩らす。やがて「船頭は無理でしたか」と御世辭のない所を打ち明ける。東風子は別段癪に障つた樣子もない。矢張り沈着な口調で「其船頭で切角の催しも龍頭蛇尾《りゆうとうだび》に終りました。實は會場の隣りに女學生が四五人下宿して居ましてね、それがどうして聞いたものか、其日は朗讀會があるといふ事を、どこかで探知して會場の窓下へ來て傍聽して居たものと見えます。私《わたく》しが船頭の假色《こわいろ》を使つて、漸く調子づいて是なら大丈夫と思つて得意にやつて居ると、……つまり身振りが餘り過ぎたのでせう、今迄|耐《こ》らへて居た女學生が一度にわつと笑ひだしたものですから、驚ろいた事も驚ろいたし、極りが惡《わ》るい事も惡《わ》るいし、それで腰を折られてから、どうしても後《あと》がつゞけられないので、とう/\其《それ》限《ぎ》りで散會しました」第一回としては成功だと稱する朗讀會がこれでは、失敗はどんなものだらうと想像すると笑はずには居られない。覺えず咽喉佛《のどぼとけ》がごろ/\鳴る。主人は愈《いよ/\》柔かに頭を撫《な》でゝくれる。人を笑つて可愛がられるのは難有《ありがた》いが、聊《いさゝ》か無氣味な所もある。「夫《そ》れは飛んだ事で」と主人は正月早々弔詞《てうじ》を述べて居る。「第二回からは、もつと奮發して盛大にやる積りなので、今日出ましたのも全く其爲で、實は先生にも一つ御入會の上御盡力を仰ぎたいので」「僕にはとても癪なんか起せませんよ」と消極的の主人はすぐに斷はりかける。「いえ、癪|抔《など》は起して頂かんでもよろしいので、こゝに賛助員の名簿が」と云ひながら紫の風呂敷から大事さうに小菊版《こぎくばん》の帳面を出す。「是へどうか御署名の上|御捺印《ごなついん》を願ひたひので」と帳面を主人の膝の前へ開いたまゝ置く。見ると現今知名な文學博士、文學士連中の名が行儀よく勢揃《せいぞろひ》をして居る。「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生《かきせんせい》は掛念《けねん》の體《てい》に見える。「義務と申して別段是非願ふ事もない位で、ただ御名前|丈《だけ》を御記入下さつて賛成の意さへ御表《おへう》し被下《くださ》れば其れで結構です」「そんなら這入ります」と義務のかゝらぬ事を知るや否や主人は急に氣輕になる。責任さへないと云ふ事が分つて居れば謀叛《むほん》の連判?へでも名を書き入れますと云ふ顔付をする。加之《のみならず》かう知名の學者が名前を列《つら》ねて居る中に姓名|丈《だけ》でも入籍させるのは、今迄こんな事に出合つた事のない主人にとつては無上の光榮であるから返事の勢のあるのも無理はない。「一寸失敬」と主人は書齋へ印をとりに這入る。吾輩はぼたりと疊の上へ落ちる。東風子は菓子皿の中のカステラ〔四字傍点〕をつまんで一口に頬張る。モゴ/\しばらくは苦しさうである。吾輩は今朝の雜※[者/火]事件を一寸思ひ出す。主人が書齋から印形《いんぎやう》を持つて出て來た時は、東風子の胃の中にカステラが落ち付いた時であつた。主人は菓子皿のカステラが一切《ひときれ》足りなくなつた事には氣が着かぬらしい。もし氣がつくとすれば第一に疑はれるものは吾輩であらう。
東風子が歸つてから、主人が書齋に入つて机の上を見ると、いつの間《ま》にか迷亭先生の手紙が來て居る。
「新年の御慶《ぎよけい》目出度《めでたく》申納候《まをしをさめそろ》。……」
いつになく出が眞面目だと主人が思ふ。迷亭先生の手紙に眞面目なのは殆んどないので、此間|抔《など》は「其《その》後《ご》別に戀着《れんちやく》せる婦人も無之《これなく》、いづ方《かた》より艶書も參らず、先づ/\無事に消光|罷《まか》り在り候《そろ》間、乍憚《はゞかりながら》御休心|可被下候《くださるべくそろ》」と云ふのが來た位である。それに較べると此年始?は例外にも世間的である。
「一寸參堂仕り度候へども、大兄の消極主義に反して、出來得る限り積極的方針を以て、此千古未曾有の新年を迎ふる計畫故、毎日/\目の廻る程の多忙、御推察願上|候《そろ》……」
成程あの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違ひないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。
「昨日は一刻のひまを偸み、東風子にトチメンボー〔六字傍点〕の御馳走を致さんと存じ候《そろ》處《ところ》、生憎《あいにく》材料拂底の爲め其意を果さず、遺憾千萬に存《ぞんじ》候《そろ》。……」
そろ/\例の通りになつて來たと主人は無言で微笑する。
「明日は某男爵の歌留多會、明後日は審美學協會の新年宴會、其明日は鳥部ヘ授歡迎會、其又明日は……」
うるさいなと、主人は讀みとばす。
「右の如く謠曲會、俳句會、短歌會、新體詩會等、會の連發にて當分の間は、のべつ幕無しに出勤致し候《そろ》爲め、不得已《やむをえず》賀?を以て拜趨《はいすう》の禮に易《か》へ候《そろ》段《だん》不惡《あしからず》御宥恕《ごいうじよ》被下度《くだされたく》候《そろ》。……」
別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。
「今度御光來の節は久し振りにて晩餐でも供し度《たき》心得に御座|候《そろ》。寒厨《かんちゆう》何の珍味も無之《これなく》候《さふら》へども、せめてはトチメンボー〔六字傍点〕でもと只今より心掛居|候《そろ》……」
まだトチメンボー〔六字傍点〕を振り廻して居る。失敬なと主人は一寸むつとする。
「然しトチメンボー〔六字傍点〕は近頃材料拂底の爲め、ことに依ると間に合ひ兼《かね》候《そろ》も計りがたきにつき、其節は孔雀《くじやく》の舌でも御風味に入れ可申《まをすべく》候《そろ》。……」
兩天秤《りやうてんびん》をかけたなと主人は、あとが讀みたくなる。
「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の半《なか》ばにも足らぬ程故|健啖《けんたん》なる大兄の胃嚢《いぶくろ》を充たす爲には……」
うそをつけと主人は打ち遣つた樣にいふ。
「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる可《べか》らずと存《ぞんじ》候《そろ》。然る所孔雀は動物園、淺草花屋敷等には、ちらほら見受け候へども、普通の鳥屋|抔《など》には一向《いつかう》見當り不申《まをさず》、苦心《くしん》此《この》事《こと》に御座|候《そろ》。……」
獨りで勝手に苦心して居るのぢやないかと主人は毫も感謝の意を表しない。
「此孔雀の舌の料理は往昔《わうせき》羅馬《ローマ》全盛の砌《みぎ》り、一時非常に流行致し候《そろ》ものにて、豪奢風流の極度と平生よりひそかに食指《しよくし》を動かし居《をり》候《そろ》次第御諒察|可被下《くださるべく》候《そろ》……」
何が御諒察だ、馬鹿なと主人は頗る冷淡である。
「降《くだ》つて十六七世紀の頃迄は全歐を通じて孔雀は宴席に缺くべからざる好味と相成居|候《そろ》。レスター伯がエリザベス女皇《ぢよくわう》をケニルウオースに招待致し候《そろ》節《せつ》も慥《たし》か孔雀を使用致し候《そろ》樣《やう》記憶|致《いたし》候《そろ》。有名なるレンブラントが畫《ゑが》き候《そろ》饗宴の圖にも孔雀が尾を廣げたる儘卓上に横《よこた》はり居り候《そろ》……」
孔雀の料理史をかく位なら、そんなに多忙でもなさゝうだと不平をこぼす。
「とにかく近頃の如く御馳走の食べ續けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄の如く胃弱と相成るは必定……」
大兄の如くは餘計だ。何も僕を胃弱の標準にしなくても濟むと主人はつぶやいた。
「歴史家の説によれば羅馬人《ローマじん》は日に二度三度も宴會を開き候《そろ》由《よし》。日に二度も三度も方丈の食饌《しよくせん》に就き候へば如何なる健胃の人にても消化機能に不調を釀《かも》すべく、從つて自然は大兄の如く……」
又大兄の如くか、失敬な。
「然るに贅澤と衛生とを兩立せしめんと研究を盡したる彼等は不相當に多量の滋味を貪《むさぼ》ると同時に胃腸を常態に保持するの必要を認め、こゝに一の秘法を案出致し候《そろ》……」
はてねと主人は急に熱心になる。
「彼等は食後必ず入浴|致《いたし》候《そろ》。入浴後一種の方法によりて浴前《よくぜん》に嚥下《えんか》せるものを悉《こと/”\》く嘔吐《おうと》し、胃内を掃除致し候《そろ》。胃内《ゐない》廓清《くわくせい》の功を奏したる後《のち》又食卓に就き、飽く迄珍味を風好《ふうかう》し、風好《ふうかう》し了れば又湯に入りて之を吐出《としゆつ》致《いたし》候《そろ》。かくの如くすれば好物は貪《むさ》ぼり次第貪り候《さふらふ》も毫も内臓の諸機關に障害を生ぜず、一擧兩得とは此等の事を可申《まをすべき》かと愚考|致《いたし》候《そろ》……」
成程一擧兩得に相違ない。主人は羨ましさうな顔をする。
「廿世紀の今日《こんにち》交通の頻繁、宴會の揄チは申す迄もなく、軍國多事征露の第二年とも相成|候《そろ》折柄、吾人戰勝國の國民は、是非共|羅馬人《ローマじん》に傚《なら》つて此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機會に到着致し候《そろ》事と自信|致《いたし》候《そろ》。左《さ》もなくば切角の大國民も近き將來に於て悉《こと/”\》く大兄の如く胃病患者と相成る事と窃《ひそ》かに心痛|罷《まか》りあり候《そろ》……」
又大兄の如くか、癪に障る男だと主人が思ふ。
「此際吾人西洋の事情に通ずる者が古史傳説を考究し、既に廢絶せる秘法を發見し、之を明治の社會に應用致し候はゞ所謂|禍《わざはひ》を未萌《みばう》に防ぐの功コにも相成り平素|逸樂《いつらく》を擅《ほしいまゝ》に致し候《そろ》御恩返も相立ち可申《まをすべく》と存《ぞんじ》候《そろ》……」
何だか妙だなと首を捻《ひね》る。
「依《よつ》て此間|中《ぢゆう》よりギボン、モンセン、スミス等諸家の著述を渉猟《せふれふ》致し居候へども未《いま》だに發見の端緒《たんしよ》をも見出《みいだ》し得ざるは殘念の至に存《ぞんじ》候《そろ》。然し御存じの如く小生は一度思ひ立ち候《そろ》事《こと》は成功する迄は決して中絶仕らざる性質に候へば嘔吐方《おうとはう》を再興致し候《そろ》も遠からぬうちと信じ居り候《そろ》次第。右は發見次第御報道|可仕《つかまつるべく》候《そろ》につき、左樣御承知|可被下《くださるべく》候《そろ》。就てはさきに申上|候《そろ》トチメンボー〔六字傍点〕及び孔雀の舌の御馳走も可相成《あひなるべく》は右發見後に致し度、左《さ》すれば小生の都合は勿論、既に胃弱に惱み居らるゝ大兄の爲にも御便宜かと存《ぞんじ》候《そろ》草々不備」
何だとう/\擔《かつ》がれたのか、あまり書き方が眞面目だものだからつい仕舞迄本氣にして讀んで居た。新年|匆々《さう/\》こんな惡戯《いたづら》をやる迷亭は餘つぽどひま人《じん》だなあと主人は笑ひながら云つた。
夫《それ》から四五日は別段の事もなく過ぎ去つた。白磁の水仙がだん/\凋《しぼ》んで、青軸《あをぢく》の梅が瓶《びん》ながらだん/\開きかゝるのを眺め暮らして許《ばか》り居てもつまらんと思つて、一兩度《いちりやうど》三毛子を訪問して見たが逢はれない。最初は留守だと思つたが、二返目には病氣で寐て居るといふ事が知れた。障子の中で例の御師匠さんと下女が話しをして居るのを手水鉢《てうづばち》の葉蘭の影に隱れて聞いて居るとかうであつた。
「三毛は御飯をたべるかい」「いゝえ今朝からまだ何《なん》にも食べません、あつたかにして御火燵《おこた》に寐かして置きました」何だか猫らしくない。丸《まる》で人間の取扱を受けて居る。
一方では自分の境遇と比べて見て羨ましくもあるが、一方では己《おの》が愛して居る猫がかく迄厚遇を受けて居ると思へば嬉しくもある。
「どうも困るね、御飯をたべないと、身體《からだ》が疲れる許《ばか》りだからね」「さうで御座いますとも、私共でさへ一日御?《ごぜん》をいただかないと、明くる日はとても働けませんもの」
下女は自分より猫の方が上等な動物である樣な返事をする。實際此|家《うち》では下女より猫の方が大切かも知れない。
「御醫者樣へ連れて行つたのかい」「えゝ、あの御醫者は餘つ程妙で御座いますよ。私が三毛をだいて診察場へ行くと、風邪《かぜ》でも引居たのかつて私の脉《みやく》をとらうとするんでせう。いえ病人は私では御座いません。これですつて三毛を膝の上へ直したら、にや/\笑ひながら、猫の病氣はわしにも分らん、抛《はふ》つて置いたら今に癒るだらうつてんですもの、あんまり苛《ひど》いぢや御座いませんか。腹が立つたから、それぢや見て戴かなくつてもよう御座います是でも大事の猫なんですつて、三毛を懷《ふところ》へ入れてさつさと歸つて參りました」「ほんにねえ」
「ほんにねえ」は到底吾輩のうち抔《など》で聞かれる言葉ではない。矢張り天璋院《てんしやうゐん》樣の何とかの何とかでなくては使へない、甚だ雅《が》であると感心した。
「何だかしく/\云ふ樣だが……」「えゝきつと風邪を引いて咽喉《のど》が痛むんで御座いますよ。風邪《かぜ》を引くと、どなたでも御咳《おせき》が出ますからね……」
天璋院樣の何とかの何とかの下女|丈《だけ》に馬鹿叮嚀な言葉を使ふ。
「それに近頃は肺病とか云ふものが出來てのう」「ほんとに此頃の樣に肺病だのペストだのつて新しい病氣|許《ばか》り殖えた日にや油斷も隙もなりやしませんので御座いますよ」「舊幕時代に無い者に碌な者はないから御前も氣をつけないといかんよ」「さうで御座いませうかねえ」
下女は大《おほい》に感動して居る。
「風邪《かぜ》を引くといつても餘り出あるきもしない樣だつたに……」「いえね、あなた、それが近頃は惡い友達が出來ましてね」
下女は國事の秘密でも語る時の樣に大得意である。
「惡い友達?」「えゝあの表通りのヘ師の所《とこ》に居る薄ぎたない雄猫《をねこ》で御座いますよ」「ヘ師と云ふのは、あの毎朝無作法な聲を出す人かえ」「えゝ顔を洗ふたんびに鵝鳥《がてう》が絞め殺される樣な聲を出す人で御座んす」
鵝鳥《がてう》が絞め殺される樣な聲はうまい形容である。吾輩の主人は毎朝風呂場で含嗽《うがひ》をやる時、楊枝で咽喉をつゝ突いて妙な聲を無遠慮に出す癖がある。機嫌の惡い時はやけにがあ/\やる、機嫌の好い時は元氣づいて猶《なほ》があ/\やる。つまり機嫌のいゝ時も惡い時も休みなく勢よくがあ/\やる。細君の話しではこゝへ引越す前迄はこんな癖はなかつたさうだが、ある時|不圖《ふと》やり出してから今日《けふ》迄《まで》一日もやめた事がないといふ。一寸厄介な癖であるが、なぜこんな事を根氣よく續けて居るのか吾等猫|抔《など》には到底想像もつかん。それも先づ善いとして「薄ぎたない猫」とは隨分酷評をやるものだと猶《なほ》耳を立てゝあとを聞く。
「あんな聲を出して何の呪《まじな》ひになるか知らん。御維新前《ごゐつしんまへ》は中間《ちゆうげん》でも草履取りでも相應の作法は心得たもので、屋敷町|抔《など》で、あんな顔の洗ひ方をするものは一人も居らなかつたよ」「さうで御座いませうともねえ」
下女は無暗《むやみ》に感服しては、無暗《むやみ》にねえ〔二字傍点〕を使用する。
「あんな主人を持つて居る猫だから、どうせ野良猫《のらねこ》さ、今度來たら少し叩いて御遣り」「叩いて遣りますとも、三毛の病氣になつたのも全くあいつの御蔭に相違御座いませんもの、屹度《きつと》讐《かたき》をとつてやります」
飛んだ冤罪《ゑんざい》を蒙つたものだ。こいつは滅多に近《ち》か寄れないと三毛子にはとう/\逢はずに歸つた。
歸つて見ると主人は書齋の中《うち》で何か沈吟《ちんぎん》の體《てい》で筆を執つて居る。二絃琴の御師匠さんの所《とこ》で聞いた評判を話したら、さぞ怒《おこ》るだらうが、知らぬが佛とやらで、うん/\云ひながら神聖な詩人になり濟まして居る。
所へ當分多忙で行かれないと云つて、態々《わざ/\》年始?をよこした迷亭君が飄然《へうぜん》とやつて來る。「何か新體詩でも作つて居るのかね。面白いのが出來たら見せ玉へ」と云ふ。「うん、一寸うまい文章だと思つたから今飜譯して見《み》樣《やう》と思つてね」と主人は重たさうに口を開く。「文章? 誰《だ》れの文章だい」「誰れのか分らんよ」「無名氏か、無名氏の作にも隨分善いのがあるから中々馬鹿に出來ない。全體どこにあつたのか」と問ふ。「第二讀本」と主人は落ちつき拂つて答へる。「第二讀本? 第二讀本がどうしたんだ」「僕の飜譯して居る名文と云ふのは第二讀本の中《うち》にあると云ふ事さ」「冗談ぢやない。孔雀の舌の讐《かたき》を際《きは》どい所で討たうと云ふ寸法なんだらう」「僕は君の樣な法螺吹《ほらふ》きとは違ふさ」と口髯《くちひげ》を捻《ひね》る。泰然たるものだ。「昔《むか》しある人が山陽に、先生近頃名文はござらぬかといつたら、山陽が馬子《まご》の書いた借金の催促?を示して近來の名文は先づ是でせうと云つたといふ話があるから、君の審美眼も存外慥かも知れん。どれ讀んで見給へ、僕が批評してやるから」と迷亭先生は審美眼の本家《ほんけ》の樣な事を云ふ。主人は禪坊主が大燈國師《だいとうこくし》の遺誡《ゆゐかい》を讀む樣な聲を出して讀み始める。「巨人《きよじん》、引力《いんりよく》」「何だい其|巨人《きよじん》引力《いんりよく》と云ふのは」「巨人引力と云ふ題さ」「妙な題だな、僕には意味がわからんね」「引力と云ふ名を持つて居る巨人といふ積りさ」「少し無理な積り〔二字傍点〕だが表題だから先づ負けておくと仕《し》樣《やう》。夫《それ》から早々《さう/\》本文を讀むさ、君は聲が善いから中々面白い」「雜《ま》ぜかへしてはいかんよ」と豫《あらか》じめ念を押して又讀み始める。
ケートは窓から外面《そと》を眺める。小兒《せうに》が球《たま》を投げて遊んで居る。彼等は高く球を空中に擲《なげう》つ。球は上へ上へとのぼる。暫くすると落ちて來る。彼等は又球を高く擲《なげう》つ。再び三度。擲《なげう》つ度《たび》に球は落ちてくる。何故《なぜ》落ちるのか、何故《なぜ》上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答へる。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は萬物を己《おの》れの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んで仕舞ふ。小兒も飛んで仕舞ふ。葉が落ちるのを見たらう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落す事があらう。巨人引力が來いといふからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくる」
「それぎりかい」「むゝ、甘《うま》いぢやないか」「いや是は恐れ入つた。飛んだ所でトチメンボー〔六字傍点〕の御返禮に預つた」「御返禮でもなんでもないさ、實際うまいから譯して見たのさ、君はさう思はんかね」と金縁《きんぷち》の眼鏡の奧を見る。「どうも驚ろいたね。君にして此伎倆あらんとは、全く此度《こんど》といふ今度《こんど》は擔がれたよ、降參々々」と一人で承知して一人で喋舌《しやべ》る。主人には一向《いつかう》通じない。「何も君を降參させる考へはないさ。只面白い文章だと思つたから譯して見た許《ばか》りさ」「いや實に面白い。さう來なくつちや本ものでない。凄いものだ。恐縮だ」「そんなに恐縮するには及ばん。僕も近頃は水彩畫をやめたから、其代りに文章でもやらうと思つてね」「どうして遠近無差別《ゑんきんむさべつ》黒白平等《こくびやくびやうどう》の水彩畫の比ぢやない。感服の至りだよ」「さうほめてくれると僕も乘り氣になる」と主人は飽迄も疳違ひをして居る。
所へ寒月君《かんげつくん》が先日は失禮しましたと這入つて來る。「いや失敬。今大變な名文を拜聽してトチメンボー〔六字傍点〕の亡魂を退治《たいぢ》られた所で」と迷亭先生は譯のわからぬ事をほのめかす。「はあ、さうですか」と是も譯の分らぬ挨拶をする。主人|丈《だけ》は左《さ》のみ浮かれた氣色《けしき》もない。「先日は君の紹介で越智東風《をちとうふう》と云ふ人が來たよ」「あゝ上《あが》りましたか、あの越智東風《をちこち》と云ふ男は至つて正直な男ですが少し變つて居る所があるので、或は御迷惑かと思ひましたが、是非紹介して呉れといふものですから……」「別に迷惑の事もないがね……」「こちらへ上《あが》つても自分の姓名のことについて何か辯じて行きやしませんか」「いゝえ、そんな話もなかつた樣だ」「さうですか、どこへ行つても初對面の人には自分の名前の講釋《かうしやく》をするのが癖でしてね」「どんな講釋をするんだい」と事あれかしと待ち構へた迷亭君は口を入れる。「あの東風《こち》と云ふのを音《おん》で讀まれると大變氣にするので」「はてね」と迷亭先生は金唐皮《きんからかは》の烟草入《たばこいれ》から烟草をつまみ出す。「私《わたく》しの名は越智東風《をちとうふう》ではありません、越智《をち》こち〔二字傍点〕ですと必ず斷りますよ」「妙だね」と雲井《くもゐ》を腹の底迄呑み込む。「それが全く文學熱から來たので、こちと讀むと遠近〔二字傍点〕と云ふ成語《せいご》になる、のみならず其姓名が韻《ゐん》を踏んで居ると云ふのが得意なんです。それだから東風《こち》を音《おん》で讀むと僕が切角の苦心を人が買つて呉れないといつて不平を云ふのです」「こりや成程變つてる」と迷亭先生は圖に乘つて腹の底から雲井を鼻の孔《あな》迄《まで》吐き返す。途中で烟が戸迷《とまど》ひをして咽喉《のど》の出口へ引きかゝる。先生は烟管《きせる》を握つてごほん/\と咽《むせ》び返る。「先日來た時は朗讀會で船頭になつて女學生に笑はれたといつて居たよ」と主人は笑ひながら云ふ。「うむそれ/\」と迷亭先生が烟管《きせる》で膝頭を叩く。吾輩は險呑になつたから少し傍《そば》を離れる。「其朗讀會さ。先達《せんだつ》てトチメンボー〔六字傍点〕を御馳走した時にね。其話しが出たよ。何でも第二回には知名の文士を招待して大會をやる積りだから、先生にも是非御臨席を願ひ度いつて。夫《それ》から僕が今度も近松の世話物をやる積りかいと聞くと、いえ此次はずつと新しい者を撰《えら》んで金色夜叉《こんじきやしや》にしましたと云ふから、君にや何の役が當つてるかと聞いたら私は御宮《おみや》ですといつたのさ。東風《とうふう》の御宮《おみや》は面白からう。僕は是非出席して喝采《かつさい》し樣《やう》と思つてるよ」「面白いでせう」と寒月君が妙な笑ひ方をする。「然しあの男はどこ迄も誠實で輕薄な所がないから好い。迷亭|抔《など》とは大違ひだ」と主人はアンドレア、デル、サルトと孔雀の舌とトチメンボー〔六字傍点〕の復讐《かたき》を一度にとる。迷亭君は氣にも留めない樣子で「どうせ僕|抔《など》は行コ《ぎやうとく》の俎《まないた》と云ふ格だからなあ」と笑ふ。「まづそんな所だらう」と主人が云ふ。實は行コ《ぎやうとく》の俎《まないた》と云ふ語を主人は解《かい》さないのであるが、さすが永年ヘ師をして胡魔化《ごまか》しつけて居るものだから、こんな時にはヘ場の經驗を社交上にも應用するのである。「行コ《ぎやうとく》の俎《まないた》といふのは何の事ですか」と寒月が眞率《しんそつ》に聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の歸りがけに買つて來て挿したのだが、よく持つぢやないか」と行コ《ぎやうとく》の俎《まないた》を無理にねぢ伏せる。「暮といへば、去年の暮に僕は實に不思議な經驗をしたよ」と迷亭が烟管《きせる》を大神樂《だいかぐら》の如く指の尖《さき》で廻はす。「どんな經驗か、聞かし玉へ」と主人は行コ《ぎやうとく》の俎《まないた》を遠く後《うしろ》に見捨てた氣で、ほつと息をつく。迷亭先生の不思議な經驗といふのを聞くと左《さ》の如くである。
「慥《たし》か暮の二十七日と記憶して居るがね。例の東風《とうふう》から參堂の上是非文藝上の御高話を伺ひたいから御在宿を願ふと云ふ先《さ》き觸《ぶ》れがあつたので、朝から心待ちに待つて居ると先生中々來ないやね。晝飯を食つてストーブの前でバリー、ペーンの滑稽物を讀んで居る所へ靜岡の母から手紙が來たから見ると、年寄|丈《だけ》にいつ迄も僕を小供の樣に思つてね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいゝがストーブを焚いて室《へや》を煖《あたゝ》かにしてやらないと風邪《かぜ》を引くとか色々の注意があるのさ。成程親は難有いものだ、他人ではとてもかうはいかないと、呑氣《のんき》な僕も其時|丈《だけ》は大《おほい》に感動した。それにつけても、こんなにのらくらして居ては勿體ない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きて居るうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云ふ氣になつた。それから猶《なほ》讀んで行くと御前なんぞは實に仕合せ者だ。露西亞《ロシア》と戰爭が始まつて若い人達は大變な辛苦《しんく》をして御國《みくに》の爲に働らいて居るのに節季《せつき》師走《しはす》でもお正月の樣に氣樂に遊んで居ると書いてある。――僕はこれでも母の思つてる樣に遊んぢや居ないやね――其あとへ以て來て、僕の小學校時代の朋友で今度の戰爭に出て死んだり負傷したものゝ名前が列擧してあるのさ。其名前を一々讀んだ時には何だか世の中が味氣《あぢき》なくなつて人間もつまらないと云ふ氣が起つたよ。一番仕舞にね。私《わた》しも取る年に候へば初春《はつはる》の御雜※[者/火]を祝ひ候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、猶《なほ》の事《こと》氣がくさ/\して仕舞つて早く東風《とうふう》が來れば好いと思つたが、先生どうしても來ない。其|中《うち》とう/\晩飯になつたから、母へ返事でも書かうと思つて一寸《ちよいと》十二三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな藝は出來んから、何時《いつ》でも十行内外で御免蒙る事に極めてあるのさ。すると一日動かずに居つたものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風《とうふう》が來たら待たせて置けと云ふ氣になつて、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思ひ給へ。いつになく富士見町の方へは足が向かないで土手三番町《どてさんばんちやう》の方へ我れ知らず出て仕舞つた。丁度其晩は少し曇つて、から風が御濠《おほり》の向《むかふ》から吹き付ける、非常に寒い。神樂坂《かぐらざか》の方から汽車がヒユーと鳴つて土手下を通り過ぎる。大變|淋《さみ》しい感じがする。暮、戰死、老衰、無常迅速|抔《など》と云ふ奴が頭の中をぐる/\馳け廻る。よく人が首を縊《くゝ》ると云ふがこんな時に不圖《ふと》誘はれて死ぬ氣になるのぢやないかと思ひ出す。ちよいと首を上げて土手の上を見ると、何時《いつ》の間《ま》にか例の松の眞下《ました》に來て居るのさ」
「例の松た、何だい」と主人が斷句《だんく》を投げ入れる。
「首懸《くびかけ》の松さ」と迷亭は領《えり》を縮める。
「首懸の松は鴻《こう》の臺《だい》でせう」寒月が波紋《はもん》をひろげる。
「鴻《こう》の臺《だい》のは鐘懸《かねかけ》の松で、土手三番町のは首懸《くびかけ》の松さ。なぜ斯う云ふ名が付いたかと云ふと、昔《むか》しからの言ひ傳へで誰でも此松の下へ來ると首が縊《くゝ》り度くなる。土手の上に松は何十本となくあるが、そら首縊《くびくゝ》りだと來て見ると必ず此松へぶら下がつて居る。年に二三返は屹度ぶら下がつて居る。どうしても他《ほか》の松では死ぬ氣にならん。見ると、うまい具合に枝が往來の方へ横に出て居る。あゝ好い枝振りだ。あの儘にして置くのは惜しいものだ。どうかしてあすこの所へ人間を下げて見たい、誰か來ないかしらと、四邊《あたり》を見渡すと生憎《あいにく》誰も來ない。仕方がない、自分で下がらうか知らん。いや/\自分が下がつては命がない、危《あぶ》ないからよさう。然し昔の希臘人《ギリシヤじん》は宴會の席で首縊《くびくゝ》りの眞似をして餘興を添へたと云ふ話しがある。一人が臺の上へ登つて繩の結び目へ首を入れる途端に他《ほか》のものが臺を蹴返す。首を入れた當人は臺を引かれると同時に繩をゆるめて飛び下りるといふ趣向《しゆかう》である。果してそれが事實なら別段恐るゝにも及ばん、僕も一つ試み樣《やう》と枝へ手を懸けて見ると好い具合に撓《しわ》る。撓《しわ》り按排《あんばい》が實に美的である。首がかゝつてふわ/\する所を想像して見ると嬉しくて堪らん。是非やる事に仕《し》樣《やう》と思つたが、もし東風《とうふう》が來て待つて居ると氣の毒だと考へ出した。それでは先づ東風《とうふう》に逢つて約束通り話しをして、それから出直さうと云ふ氣になつて遂にうちへ歸つたのさ」
「それで市《いち》が榮えたのかい」と主人が聞く。
「面白いですな」と寒月がにや/\しながら云ふ。
「うちへ歸つて見ると東風《とうふう》は來て居ない。然し今日《こんにち》は無據處《よんどころなき》差支があつて出られぬ、何《いづ》れ永日《えいじつ》御面晤《ごめんご》を期すといふ端書があつたので、やつと安心して、是なら心置きなく首が縊れる嬉しいと思つた。で早速下駄を引き懸けて、急ぎ足で元の所へ引き返して見る……」と云つて主人と寒月の顔を見て濟まして居る。
「見るとどうしたんだい」と主人は少し焦《じ》れる。
「愈《いよ/\》佳境に入りますね」と寒月は羽織の紐をひねくる。
「見ると、もう誰か來て先へぶら下がつて居る。たつた一足違ひでねえ君、殘念な事をしたよ。今考へると何でも其時は死神《しにがみ》に取り着かれたんだね。ゼームス抔《など》に云はせると副意識下《ふくいしきか》の幽冥界《いうめいかい》と僕が存在して居る現實界が一種の因果法によつて互に感應したんだらう。實に不思議な事があるものぢやないか」迷亭はすまし返つて居る。
主人は又やられたと思ひ乍ら何も云はずに空也餠《くうやもち》を頬張《ほゝば》つて口をもご/\云はして居る。
寒月は火鉢の灰を丁寧に掻き馴らして、俯向《うつむ》いてにや/\笑つて居たが、やがて口を開《ひら》く。極めて靜かな調子である。
「成程伺つて見ると不思議な事で一寸有りさうにも思はれませんが、私|抔《など》は自分で矢張り似た樣な經驗をつい近頃したものですから、少しも疑がふ氣になりません」
「おや君も首を縊《くゝ》り度くなつたのかい」
「いえ私のは首ぢやないんで。是も丁度明ければ昨年の暮の事でしかも先生と同日同刻位に起つた出來事ですから猶更《なほさら》不思議に思はれます」
「こりや面白い」と迷亭も空也餠《くうやもち》を頬張る。
「其日は向島の知人の家《うち》で忘年會|兼《けん》合奏會がありまして、私もそれへ?イオリンを携《たづさ》へて行きました。十五六人令孃やら令夫人が集つて中々盛會で、近來の快事と思ふ位に萬事が整つて居ました。晩餐もすみ合奏もすんで四方《よも》の話しが出て時刻も大分《だいぶ》遲くなつたから、もう暇乞《いとまごひ》をして歸らうかと思つて居ますと、某博士の夫人が私のそばへ來てあなたは○○子さんの御病氣を御承知ですかと小聲で聞きますので、實は其|兩三日前《りやうさんにちまへ》に逢つた時は平常の通り何所《どこ》も惡い樣には見受けませんでしたから、私も驚ろいて精《くは》しく樣子を聞いて見ますと、私《わたく》しの逢つた其晩から急に發熱して、色々な譫語《うはこと》を絶間なく口走《くちばし》るさうで、其それ丈《だけ》なら宜《い》いですが其|譫語《うはこと》のうちに私の名が時々出て來るといふのです」
主人は無論、迷亭先生も「御安《おやす》くないね」抔《など》といふ月並《つきなみ》は云はず、靜肅に謹聽して居る。
「醫者を呼んで見てもらうと、何だか病名はわからんが、何しろ熱が劇しいので腦を犯して居るから、もし睡眠劑《すゐみんざい》が思ふ樣に功を奏しないと危險であると云ふ診斷ださうで私はそれを聞くや否や一種いやな感じが起つたのです。丁度夢でうなされる時の樣な重くるしい感じで周圍の空氣が急に固形體になつて四方から吾が身をしめつける如く思はれました。歸り道にも其事ばかりが頭の中にあつて苦しくて堪らない。あの奇麗な、あの快活なあの健康な○○子さんが……」
「一寸失敬だが待つて呉れ給へ。先《さ》つきから伺つて居ると○○子さんと云ふのが二返ばかり聞える樣だが、もし差支がなければ承はりたいね、君」と主人を顧みると、主人も「うむ」と生返事をする。
「いやそれ丈《だけ》は當人の迷惑になるかも知れませんから廢《よ》しませう」
「凡《すべ》て曖々然《あい/\ぜん》として昧々然《まい/\ぜん》たるかたで行く積りかね」
「冷笑なさつてはいけません、極《ごく》眞面目な話しなんですから……兎に角あの婦人が急にそんな病氣になつた事を考へると、實に飛花落葉《ひくわらくえふ》の感慨で胸が一杯になつて、總身《そうしん》の活氣が一度にストライキを起した樣に元氣がにはかに滅入《めい》つて仕舞ひまして、只|蹌々《さう/\》として踉々《らう/\》といふ形《かた》ちで吾妻橋《あづまばし》へきかゝつたのです。欄干に倚《よ》つて下を見ると滿潮《まんてう》か干潮《かんてう》か分りませんが、黒い水がかたまつて只動いて居る樣に見えます。花川戸《はなかはど》の方から人力車が一臺馳けて來て橋の上を通りました。其提燈の火を見送つて居ると、だん/\小くなつて札幌《さつぽろ》ビールの處で消えました。私は又水を見る。すると遙かの川上の方で私の名を呼ぶ聲が聞えるのです。果《は》てな今時分人に呼ばれる譯はないが誰だらうと水の面《おもて》をすかして見ましたが暗くて何《なん》にも分りません。氣のせいに違ひない早々《さう/\》歸らうと思つて一足二足あるき出すと、又|微《かす》かな聲で遠くから私の名を呼ぶのです。私は又立ち留つて耳を立てゝ聞きました。三度目に呼ばれた時には欄干に捕《つか》まつて居ながら膝頭ががく/\悸《ふる》へ出したのです。其聲は遠くの方か、川の底から出る樣ですが紛《まぎ》れもない○○子の聲なんでせう。私は覺えず「はーい」と返事をしたのです。其返事が大きかつたものですから靜かな水に響いて、自分で自分の聲に驚かされて、はつと周圍を見渡しました。人も犬も月も何《なん》にも見えません。其時に私は此「夜《よる》」の中に卷き込まれて、あの聲の出る所へ行きたいと云ふ氣がむら/\と起つたのです。○○子の聲が又苦しさうに、訴へる樣に、救を求める樣に私の耳を刺し通したので、今度は「今|直《すぐ》に行きます」と答へて欄干から半身を出して黒い水を眺めました。どうも私を呼ぶ聲が浪の下から無理に洩れて來る樣に思はれましてね。此水の下だなと思ひながら私はとう/\欄干の上に乘りましたよ。今度呼んだら飛び込まうと決心して流を見詰めて居ると又憐れな聲が糸の樣に浮いて來る。こゝだと思つて力を込めて一反《いつたん》飛び上がつて置いて、そして小石か何ぞの樣に未練《みれん》なく落ちて仕舞ひました」
「とう/\飛び込んだのかい」と主人が眼をぱちつかせて問ふ。
「其所迄行かうとは思はなかつた」と迷亭が自分の鼻の頭を一寸《ちよいと》つまむ。
「飛び込んだ後《あと》は氣が遠くなつて、しばらくは夢中でした。やがて眼がさめて見ると寒くはあるが、どこも濡れた所《とこ》も何もない、水を飲んだ樣な感じもしない。慥《たし》かに飛び込んだ筈だが實に不思議だ。こりや變だと氣が付いて其所いらを見渡すと驚きましたね。水の中へ飛び込んだ積りで居た所が、つい間違つて橋の眞中へ飛び下りたので、其時は實に殘念でした。前と後《うし》ろの間違|丈《だけ》であの聲の出る所へ行く事が出來なかつたのです」寒月はにや/\笑ひながら例の如く羽織の紐を荷厄介《にやくかい》にして居る。
「ハヽヽヽ是は面白い。僕の經驗と善く似て居る所が奇だ。矢張りゼームスヘ授の材料になるね。人間の感應と云ふ題で寫生文にしたら屹度文壇を驚かすよ。……そして其○○子さんの病氣はどうなつたかね」と迷亭先生が追窮する。
「二三日前《にさんちまへ》年始に行きましたら、門の内で下女と羽根を突いて居ましたから病氣は全快したものと見えます」
主人は最前から沈思の體《てい》であつたが、此時漸く口を開いて、「僕にもある」と負けぬ氣を出す。
「あるつて、何があるんだい」迷亭の眼中に主人|抔《など》は無論ない。
「僕のも去年の暮の事だ」
「みんな去年の暮は暗合《あんがふ》で妙ですな」と寒月が笑ふ。缺けた前齒のふちに空也餠《くうやもち》が着いて居る。
「矢張り同日同刻ぢやないか」と迷亭がまぜ返す。
「いや日は違ふ樣だ。何でも二十日《はつか》頃だよ。細君が御歳暮の代りに攝津大掾《せつつだいじやう》を聞かして呉れろと云ふから、連れて行つてやらん事もないが今日の語り物は何だと聞いたら、細君が新聞を參考して鰻谷《うなぎだに》だと云ふのさ。鰻谷《うなぎだに》は嫌ひだから今日はよさうと其日はやめにした。翌日になると細君が又新聞を持つて來て今日は堀川《ほりかは》だからいゝでせうと云ふ。堀川《ほりかは》は三味線もので賑やかな許《ばか》りで實《み》がないからよさうと云ふと、細君は不平な顔をして引き下がつた。其翌日になると細君が云ふには今日は三十三間堂です、私は是非攝津《せつつ》の三十三間堂が聞きたい。あなたは三十三間堂も御嫌ひか知らないが、私に聞かせるのだから一所に行つて下すつても宜《い》いでせうと手詰《てづめ》の談判をする。御前がそんなに行きたいなら行つても宜ろしい、然し一世一代と云ふので大變な大入だから到底|突懸《つつか》けに行つたつて這入れる氣遣はない。元來あゝ云ふ場所へ行くには茶屋と云ふものが在つてそれと交渉して相當の席を豫約するのが正當の手續きだから、それを踏まないで常規を脱した事をするのはよくない、殘念だが今日はやめ樣《やう》と云ふと、細君は凄い眼付をして、私は女ですからそんな六づか敷《し》い手續きなんか知りませんが、大原のお母あさんも、鈴木の君代さんも正當の手續きを踏まないで立派に聞いて來たんですから、いくらあなたがヘ師だからつて、さう手數《てすう》のかゝる見物をしないでも濟みませう、あなたはあんまりだと泣く樣《やう》な聲を出す。それぢや駄目でもまあ行く事に仕《し》樣《やう》。晩飯をくつて電車で行かうと降參をすると、行くなら四時迄に向《むかふ》へ着く樣にしなくつちや行《い》けません、そんなぐづ/\しては居られませんと急に勢がいゝ。何故《なぜ》四時迄に行かなくては駄目なんだと聞き返すと、其位早く行つて場所をとらなくちや這入れないからですと鈴木の君代さんからヘへられた通りを述べる。それぢや四時を過ぎればもう駄目なんだねと念を押して見たら、えゝ駄目ですともと答へる。すると君不思議な事には其時から急に惡寒《をかん》がし出してね」
「奧さんがですか」と寒月が聞く。
「なに細君はぴん/\して居らあね。僕がさ。何だか穴の明いた風船玉の樣に一度に萎縮《ゐしゆく》する感じが起ると思ふと、もう眼がぐら/\して動けなくなつた」
「急病だね」と迷亭が註釋を加へる。
「あゝ困つた事になつた。細君が年に一度の願だから是非|叶《かな》へてやりたい。平生《いつも》叱りつけたり、口を聞かなかつたり、身上《しんしやう》の苦勞をさせたり、小供の世話をさせたりする許《ばか》りで何一つ洒掃薪水《さいさうしんすゐ》の勞に酬《むく》いた事はない。今日は幸ひ時間もある、嚢中《なうちゆう》には四五枚の堵物《とぶつ》もある。連れて行けば行かれる。細君も行きたいだらう、僕も連れて行つてやりたい。是非連れて行つてやり度いがかう惡寒《をかん》がして眼がくらんでは電車へ乘る所か、靴脱《くつぬぎ》へ降りる事も出來ない。あゝ氣の毒だ/\と思ふと猶《なほ》惡寒《をかん》がして猶《なほ》眼がくらんでくる。早く醫者に見てもらつて服藥でもしたら四時前には全快するだらうと、それから細君と相談をして甘木《あまき》醫學士を迎ひにやると生憎《あいにく》昨夜《ゆうべ》が當番でまだ大學から歸らない。二時頃には御歸りになりますから、歸り次第すぐ上げますと云ふ返事である。困つたなあ、今|杏仁水《きやうにんすゐ》でも飲めば四時前には屹度癒るに極つて居るんだが、運の惡い時には何事も思ふ樣に行かんもので、たまさか妻君の喜ぶ笑顔を見て樂まうと云ふ豫算も、がらりと外《はづ》れさうになつて來る。細君は恨めしい顔付をして、到底入らつしやれませんかと聞く。行くよ必ず行くよ。四時迄には屹度直つて見せるから安心して居るがいゝ。早く顔でも洗つて着物でも着換へて待つて居るがいゝ、と口では云つた樣なものゝ胸中は無限の感慨である。惡寒は益《ます/\》劇しくなる、眼は愈《いよ/\》ぐら/\する。もしや四時迄に全快して約束を履行する事が出來なかつたら、氣の狹い女の事だから何をするかも知れない。情《なさ》けない仕儀になつて來た。どうしたら善からう。萬一の事を考へると今の内に有爲轉變《うゐてんぺん》の理、生者必滅《しやうじやひつめつ》の道を説き聞かして、もしもの變が起つた時取り亂さない位の覺悟をさせるのも、夫《をつと》の妻《つま》に對する義務ではあるまいかと考へ出した。僕は速《すみや》かに細君を書齋へ呼んだよ。呼んで御前は女だけれども many a slip 'twixt the cup and the lip と云ふ西洋の諺《ことわざ》位は心得て居るだらうと聞くと、そんな横文字なんか誰が知るもんですか、あなたは人が英語を知らないのを御存じの癖にわざと英語を使つて人にからかふのだから、宜しう御座います、どうせ英語なんかは出來ないんですから。そんなに英語が御好きなら、なぜ耶蘇學校《やそがくかう》の卒業生かなんかをお貰ひなさらなかつたんです。あなた位冷酷な人はありはしないと非常な權幕なんで、僕も切角の計畫の腰を折られて仕舞つた。君等にも辯解するが僕の英語は決して惡意で使つた譯ぢやない。全く妻《さい》を愛する至情から出たので、それを妻《さい》の樣に解釋されては僕も立つ瀬がない。それに先《さ》つきからの惡寒《をかん》と眩暈《めまひ》で少し腦が亂れて居た所へもつて來て、早く有爲轉變《うゐてんぺん》、生者必滅《しやうじやひつめつ》の理を呑み込ませ樣と少し急《せ》き込んだものだから、つい細君の英語を知らないと云ふ事を忘れて、何の氣も付かずに使つて仕舞つた譯さ。考へると是は僕が惡《わ》るい、全く手落ちであつた。此失敗で惡寒《をかん》は益《ます/\》強くなる。眼は愈《いよ/\》ぐら/\する。妻君は命ぜられた通り風呂場へ行つて兩肌《もろはだ》を脱いで御化粧をして、箪笥から着物を出して着換へる。もう何時《いつ》でも出掛けられますと云ふ風情《ふぜい》で待ち構へて居る。僕は氣が氣でない。早く甘木君が來てくれゝば善いがと思つて時計を見るともう三時だ。四時にはもう一時間しかない。「そろ/\出掛けませうか」と妻君が書齋の開き戸を明けて顔を出す。自分の妻《さい》を褒《ほ》めるのは可笑《をか》しい樣であるが、僕は此時程細君を美しいと思つた事はなかつた。もろ肌を脱いで石鹸で磨き上げた皮膚がぴかついて黒縮緬《くろちりめん》の羽織と反映して居る。其顔が石鹸と攝津大掾《せつつだいじよう》を聞かうと云ふ希望との二つで、有形無形の兩方面から輝やいて見える。どうしても其希望を滿足させて出掛けてやらうと云ふ氣になる。それぢや奮發して行かうかな、と一ぷくふかして居ると漸く甘木先生が來た。うまい注文通りに行つた。が容體をはなすと、甘木先生は僕の舌を眺めて、手を握つて、胸を敲《たゝ》いて脊を撫でゝ、目縁《まぶち》を引つ繰り返して、頭蓋骨《づがいこつ》をさすつて、しばらく考へ込んで居る。「どうも少し險呑《けんのん》の樣な氣がしまして」と僕が云ふと、先生は落ちついて、「いえ格別の事も御座いますまい」と云ふ。「あの一寸位外出致しても差支は御座いますまいね」と細君が聞く。「左樣《さやう》」と先生は又考へ込む。「御氣分さへ御惡くなければ……」「氣分は惡いですよ」と僕がいふ。「ぢやともかくも頓服《とんぷく》と水藥《すゐやく》を上げますから」「へえどうか、何だかちと、危《あぶ》ない樣になりさうですな」「いや決して御心配になる程の事ぢや御座いません、神經を御起しになるといけませんよ」と先生が歸る。三時は三十分過ぎた。下女を藥取りにやる。細君の嚴命で馳け出して行つて、馳け出して返つてくる。四時十五分前である。四時にはまだ十五分ある。すると四時十五分前頃から、今迄何とも無かつたのに、急に嘔氣《はきけ》を催ふして來た。細君は水藥《すゐやく》を茶碗へ注《つ》いで僕の前へ置いてくれたから、茶碗を取り上げて飲まうとすると、胃の中からげーと云ふ者が吶喊《とつかん》して出てくる。不得已《やむをえず》茶碗を下へ置く。細君は「早く御飲みになつたら宜《い》いでせう」と逼《せま》る。早く飲んで早く出掛けなくては義理が惡い。思ひ切つて飲んで仕舞はうと又茶碗を唇へつけると又ゲーが執念深く妨害をする。飲まうとしては茶碗を置き、飲まうとしては茶碗を置いて居ると茶の間の柱時計がチン/\チン/\と四時を打つた。さあ四時だ愚圖々々しては居られんと茶碗を又取り上げると、不思議だねえ君、實に不思議とは此事だらう、四時の音と共に吐《は》き氣《け》がすつかり留まつて水藥《すゐやく》が何の苦なしに飲めたよ。それから四時十分頃になると、甘木先生の名醫といふ事も始めて理解する事が出來たんだが、脊中がぞく/\するのも、眼がぐら/\するのも夢の樣に消えて、當分立つ事も出來まいと思つた病氣が忽ち全快したのは嬉しかつた」
「それから歌舞伎座へ一所に行つたのかい」と迷亭が要領を得んと云ふ顔付をして聞く。
「行きたかつたが四時を過ぎちや、這入れないと云ふ細君の意見なんだから仕方がない、やめにしたさ。もう十五分|許《ばか》り早く甘木先生が來てくれたら僕の義理も立つし、妻《さい》も滿足したらうに、わずか十五分の差でね、實に殘念な事をした。考へ出すとあぶない所だつたと今でも思ふのさ」
語り了つた主人は漸く自分の義務を濟ました樣な風をする。是で兩人に對して顔が立つと云ふ氣かも知れん。
寒月は例の如く缺けた齒を出して笑ひながら「それは殘念でしたな」と云ふ。
迷亭はとぼけた顔をして「君の樣な親切な夫《をつと》を持つた妻君は實に仕合せだな」と獨り言の樣にいふ。障子の蔭でエヘンと云ふ細君の咳拂《せきばら》ひが聞える。
吾輩は大人《おとな》しく三人の話しを順番に聞いて居たが可笑《をか》しくも悲しくもなかつた。人間といふものは時間を潰す爲めに強いて口を運動させて、可笑《をか》しくもない事を笑つたり、面白くもない事を嬉しがつたりする外に能もない者だと思つた。吾輩の主人の我儘で偏狹な事は前から承知して居たが、平常《ふだん》は言葉數を使はないので何だか了解しかねる點がある樣に思はれて居た。其了解しかねる點に少しは恐しいと云ふ感じもあつたが、今の話を聞いてから急に輕蔑したくなつた。彼《か》れはなぜ兩人の話しを沈黙して聞いて居られないのだらう。負けぬ氣になつて愚《ぐ》にもつかぬ駄辯を弄すれば何の所得があるだらう。エピクテタスにそんな事を爲《し》ろと書いてあるのか知らん。要するに主人も寒月も迷亭も太平《たいへい》の逸民《いつみん》で、彼等は糸瓜《へちま》の如く風に吹かれて超然と澄《すま》し切つて居る樣なものゝ、其實は矢張り娑婆氣《しやばけ》もあり慾氣《よくけ》もある。競爭の念、勝たう/\の心は彼等が日常の談笑中にもちら/\とほのめいて、一歩進めば彼等が平常罵倒して居る俗骨共《ぞくこつども》と一つ穴の動物になるのは猫より見て氣の毒の至りである。只其言語動作が普通の半可通《はんかつう》の如く、文切《もんき》り形《がた》の厭味を帶びてないのは聊《いさゝ》かの取《と》り得《え》でもあらう。
かう考へると急に三人の談話が面白くなくなつたので、三毛子の樣子でも見て來《き》やうかと二絃琴の御師匠さんの庭口へ廻る。門松《かどまつ》注目飾《しめかざ》りは既に取り拂はれて正月も早《は》や十日となつたが、うらゝかな春日《はるび》は一流れの雲も見えぬ深き空より四海天下を一度に照らして、十坪に足らぬ庭の面《おも》も元日の曙光を受けた時より鮮かな活氣を呈して居る。椽側に座蒲團が一つあつて人影も見えず、障子も立て切つてあるのは御師匠さんは湯にでも行つたのか知らん。御師匠さんは留守でも構はんが、三毛子は少しは宜《い》い方か、それが氣掛りである。ひつそりして人の氣合《けはひ》もしないから、泥足のまゝ椽側へ上《あが》つて座蒲團の眞中へ寐轉《ねこ》ろんで見るといゝ心持ちだ。ついうと/\として、三毛子の事も忘れてうたゝ寐をして居ると、急に障子のうちで人聲がする。
「御苦勞だつた。出來たかえ」御師匠さんは矢張り留守ではなかつたのだ。
「はい遲くなりまして、佛師屋《ぶつしや》へ參りましたら丁度出來上つた所だと申しまして」「どれお見せなさい。あゝ奇麗に出來た、是で三毛も浮かばれませう。金《きん》は剥げる事はあるまいね」「えゝ念を押しましたら上等を使つたから是なら人間の位牌よりも持つと申しておりました。……夫《それ》から猫譽信女《めうよしんによ》の譽の字は崩《くず》した方が恰好《かつかう》がいゝから少し劃を易へたと申しました」「どれ/\早速御佛壇へ上げて御線香でもあげませう」
三毛子は、どうかしたのかな、何だか樣子が變だと蒲團の上へ立ち上る。チーン南無猫譽信女《なむめうよしんによ》、南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》/\と御師匠さんの聲がする。
「御前も回向《ゑかう》をして御遣りなさい」
チーン南無猫譽信女《なむめうよしんによ》南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》/\と今度は下女の聲がする。吾輩は急に動悸《どうき》がして來た。座蒲團の上に立つた儘、木彫《きぼり》の猫の樣に眼も動かさない。
「ほんとに殘念な事を致しましたね。始めはちよいと風邪を引いたんで御座いませうがねえ」「甘木さんが藥でも下さると、よかつたかも知れないよ」「一體あの甘木さんが惡う御座いますよ、あんまり三毛を馬鹿にし過ぎまさあね」「さう人樣《ひとさま》の事を惡く云ふものではない。是も壽命《じゆみやう》だから」
三毛子も甘木先生に診察して貰つたものと見える。
「つまる所表通りのヘ師のうちの野良猫《のらねこ》が無暗《むやみ》に誘ひ出したからだと、わたしは思ふよ」「えゝあの畜生《ちきしやう》が三毛のかたきで御座いますよ」
少し辯解したかつたが、こゝが我慢のし所《どころ》と唾《つば》を呑んで聞いて居る。話しはしばし途切れる。
「世の中は自由にならん者でなう。三毛の樣な器量よしは早死《はやじに》をするし。不器量な野良猫《のらねこ》は達者でいたづらをして居るし……」「其通りで御座いますよ。三毛の樣な可愛らしい猫は鐘と太鼓で探してあるいたつて、二人《ふたり》とは居りませんからね」
二匹と云ふ代りに二《ふ》たりといつた。下女の考へでは猫と人間とは同種族ものと思つて居るらしい。さう云へば此下女の顔は吾等|猫屬《ねこぞく》と甚だ類似して居る。
「出來るものなら三毛の代りに……」「あのヘ師の所の野良《のら》が死ぬと御誂《おあつら》へ通りに參つたんで御座いますがねえ」
御誂《おあつら》へ通りになつては、ちと困る。死ぬと云ふ事はどんなものか、まだ經驗した事がないから好きとも嫌ひとも云へないが、先日餘り寒いので火消壺《ひけしつぼ》の中へもぐり込んで居たら、下女が吾輩が居るのも知らんで上から葢《ふた》をした事があつた。其時の苦しさは考へても恐しくなる程であつた。白君の説明によるとあの苦しみが今少し續くと死ぬのであるさうだ。三毛子の身代《みがは》りになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬ事が出來ないのなら、誰の爲でも死にたくはない。
「然し猫でも坊さんの御經を讀んでもらつたり、戒名《かいみやう》をこしらへてもらつたのだから心殘りはあるまい」「さうで御座いますとも、全く果報者《くわはうもの》で御座いますよ。たゞ慾を云ふとあの坊さんの御經が餘り輕少だつた樣で御座いますね」「少し短か過ぎた樣だつたから、大變御早う御座いますねと御尋ねをしたら、月桂寺《げつけいじ》さんは、えゝ利目《きゝめ》のある所をちよいとやつて置きました、なに猫だからあの位で充分淨土へ行かれますと御仰《おつし》あつたよ」「あらまあ……然しあの野良なんかは……」
吾輩は名前はないと?《しばし》ば斷つて置くのに、此下女は野良/\と吾輩を呼ぶ。失敬な奴だ。
「罪が深いんですから、いくら難有《ありがた》い御經だつて浮かばれる事は御座いませんよ」
吾輩は其《その》後《ご》野良が何百遍繰り返されたかを知らぬ。吾輩は此際限なき談話を中途で聞き棄てゝ、布團をすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八萬八千八百八十本の毛髪を一度にたてゝ身震ひをした。其《その》後《ご》二絃琴の御師匠さんの近所へは寄り付いた事がない。今頃は御師匠さん自身が月桂寺さんから輕少な御回向《ごゑかう》を受けて居るだらう。
近頃は外出する勇氣もない。何だか世間が慵《もの》うく感ぜらるゝ。主人に劣らぬ程の無性猫《ぶしやうねこ》となつた。主人が書齋にのみ閉ぢ籠つて居るのを人が失戀だ/\と評するのも無理はないと思ふ樣になつた。
鼠はまだ取つた事がないので、一時は御三《おさん》から放逐論《はうちくろん》さへ呈出《ていしゆつ》された事もあつたが、主人は吾輩の普通一般の猫でないと云ふ事を知つて居るものだから吾輩は矢張りのらくらして此|家《や》に起臥して居る。此點に就ては深く主人の恩を感謝すると同時に其|活眼《くわつがん》に對して敬服の意を表するに躊躇しない積りである。御三《おさん》が吾輩を知らずして虐待をするのは別に腹も立たない。今に左甚五郎《ひだりじんごらう》が出て來て、吾輩の肖像を樓門《ろうもん》の柱に刻《きざ》み、日本のスタンランが好んで吾輩の似顔をカン?スの上に描《ゑが》く樣になつたら、彼等|鈍瞎漢《どんかつかん》は始めて自己の不明を耻づるであらう。
三
三毛子は死ぬ。黒は相手にならず、聊《いさゝ》か寂寞《せきばく》の感はあるが、幸ひ人間に知己《ちき》が出來たので左程《さほど》退屈とも思はぬ。先達《せんだつ》ては主人の許《もと》へ吾輩の寫眞を送つて呉れと手紙で依頼した男がある。此間は岡山の名産|吉備團子《きびだんご》を態々《わざ/\》吾輩の名宛で屆けてくれた人がある。段々人間から同情を寄せらるゝに從つて、己《おのれ》が猫である事は漸く忘却してくる。猫よりはいつの間《ま》にか人間の方へ接近して來た樣な心持になつて、同族を糾合《きふがう》して二本足の先生と雌雄《しゆう》を決しやう抔《など》と云ふ量見は昨今の所|毛頭《まうとう》ない。夫《それ》のみか折々は吾輩も亦人間世界の一人だと思ふ折さへある位に進化したのは頼母《たのも》しい。敢て同族を輕蔑する次第ではない。只《たゞ》性情の近き所に向つて一身の安きを置くは勢の然らしむる所で、是を變心とか、輕薄とか、裏切りとか評せられては些《ち》と迷惑する。斯樣《かやう》な言語を弄して人を罵詈《ばり》するものに限つて融通の利かぬ貧乏性の男が多い樣だ。かう猫の習癖を脱化して見ると三毛子〔三字傍点〕や黒〔傍点〕の事|許《ばか》り荷厄介にして居る譯には行かん。矢張り人間同等の氣位《きぐらゐ》で彼等の思想、言行を評隲《ひやうしつ》したくなる。是も無理はあるまい。只其位な見識を有して居る吾輩を矢張り一般|猫兒《べうじ》の毛の生へたもの位に思つて、主人が吾輩に一言《いちごん》の挨拶もなく、吉備團子《きびだんご》をわが物顔に喰ひ盡したのは殘念の次第である。寫眞もまだ撮《と》つて送らぬ容子だ。是も不平と云へば不平だが、主人は主人、吾輩は吾輩で、相互の見解が自然|異《こと》なるのは致し方もあるまい。吾輩はどこ迄も人間になり濟まして居るのだから、交際をせぬ猫の動作は、どうしても一寸《ちよいと》筆に上《のぼ》りにくい。迷亭、寒月諸先生の評判|丈《だけ》で御免蒙る事に致さう。
今日は上天氣の日曜なので、主人はのそ/\書齋から出て來て、吾輩の傍《そば》へ筆《ふで》硯《すずり》と原稿用紙を並べて腹這《はらばひ》になつて、しきりに何か唸つて居る。大方草稿を書き卸す序開《じよびら》きとして妙な聲を發するのだらうと注目して居ると、稍《やゝ》暫くして筆太《ふでぶと》に「香一?《かういつしゆ》」とかいた。果てな詩になるか、俳句になるか、香一?《かういつしゆ》とは、主人にしては少し洒落《しやれ》過ぎて居るがと思ふ間もなく、彼は香一?《かういつしゆ》を書き放しにして、新たに行《ぎやう》を改めて「さつきから天然居士《てんねんこじ》の事をかゝうと考へて居る」と筆を走らせた。筆は夫《それ》丈《だけ》ではたと留つたぎり動かない。主人は筆を持つて首を捻《ひね》つたが別段名案もないものと見えて筆の穗を甞《な》めだした。唇が眞黒になつたと見て居ると、今度は其下へ一寸《ちよいと》丸をかいた。丸の中へ點を二つうつて眼をつける。眞中へ小鼻の開いた鼻をかいて、眞一文字に口を横へ引張つた、是では文章でも俳句でもない。主人も自分で愛想《あいそ》が盡きたと見えて、そこ/\に顔を塗り消して仕舞つた。主人は又|行《ぎやう》を改める。彼の考によると行さへ改めれば詩か賛か語か録か何《なん》かになるだらうと只|宛《あて》もなく考へて居るらしい。やがて「天然居士は空間を研究し、論語を讀み、燒芋を食ひ、鼻汁《はな》を垂らす人である」と言文一致體で一氣呵成《いつきかせい》に書き流した、何となくごた/\した文章である。夫《それ》から主人は是を遠慮なく朗讀して、いつになく「ハヽヽヽ面白い」と笑つたが「鼻汁《はな》を垂らすのは、ちと酷《こく》だから消さう」と其句|丈《だけ》へ棒を引く。一本で濟む所を二本引き三本引き、奇麗な併行線を描《か》く、線がほかの行《ぎやう》迄《まで》食《は》み出しても構はず引いて居る。線が八本並んでもあとの句が出來ないと見えて、今度は筆を捨てゝ髭を捻《ひね》つて見る。文章を髭から捻《ひね》り出して御覽に入れますと云ふ見幕で猛烈に捻《ひね》つてはねぢ上げ、ねぢ下ろして居る所へ、茶の間から妻君《さいくん》が出て來てぴたりと主人の鼻の先へ坐《す》はる。「あなた一寸」と呼ぶ。「なんだ」と主人は水中で銅鑼《どら》を叩く樣な聲を出す。返事が氣に入らないと見えて妻君は又「あなた一寸」と出直す。「なんだよ」と今度は鼻の穴へ親指と人さし指を入れて鼻毛をぐつと拔く。「今月はちつと足りませんが……」「足りん筈はない、醫者へも藥禮はすましたし、本屋へも先月拂つたぢやないか。今月は餘らなければならん」と濟《すま》して拔き取つた鼻毛を天下の奇觀の如く眺めて居る。「夫《それ》でもあなたが御飯を召し上らんで?麭《パン》を御食《おた》べになつたり、ジヤムを御舐《おな》めになるものですから」「元來ジヤムは幾罐|舐《な》めたのかい」「今月は八つ入《い》りましたよ」「八つ? そんなに舐《な》めた覺えはない」「あなた許《ばか》りぢやありません、子供も舐《な》めます」「いくら舐《な》めたつて五六圓位なものだ」と主人は平氣な顔で鼻毛を一本/\丁寧に原稿紙の上へ植付ける。肉が付いて居るのでぴんと針を立てた如くに立つ。主人は思はぬ發見をして感じ入つた體《てい》で、ふつと吹いて見る。粘着力《ねんちやくりよく》が強いので決して飛ばない。「いやに頑固だな」と主人は一生懸命に吹く。「ジヤム許《ばか》りぢやないんです、外に買はなけりや、ならない物もあります」と妻君は大《おほい》に不平な氣色《けしき》を兩頬に漲《みなぎ》らす。「あるかも知れないさ」と主人は又指を突つ込んでぐいと鼻毛を拔く。赤いのや、黒いのや、種々の色が交《まじ》る中に一本眞白なのがある。大《おほい》に驚いた樣子で穴の開《あ》く程眺めて居た主人は指の股へ挾んだ儘、其鼻毛を妻君の顔の前へ出す。「あら、いやだ」と妻君は顔をしかめて、主人の手を突き戻す。「一寸見ろ、鼻毛の白髪《しらが》だ」と主人は大《おほい》に感動した樣子である。さすがの妻君も笑ひながら茶の間へ這入る。經濟問題は斷念したらしい。主人は又|天然居士《てんねんこじ》に取り懸る。
鼻毛で妻君を追拂つた主人は、先づ是で安心と云はぬ許《ばか》りに鼻毛を拔いては原稿をかゝうと焦《あせ》る體《てい》であるが中々筆は動かない。「燒芋を食ふ〔五字傍点〕も蛇足《だそく》だ、割愛《かつあい》しやう」と遂に此句も抹殺《まつさつ》する。「香一?〔三字傍点〕も餘り唐突《たうとつ》だから已《や》めろ」と惜氣もなく筆誅《ひつちゆう》する。餘す所は「天然居士は空間を研究し論語を讀む人である」と云ふ一句になつて仕舞つた。主人は是では何だか簡單過ぎる樣だなと考へて居たが、えゝ面倒臭い、文章は御廢《おはい》しにして、銘|丈《だけ》にしろと、筆を十文字に揮《ふる》つて原稿紙の上へ下手な文人畫の蘭を勢よくかく。切角の苦心も一字殘らず落第となつた。夫《それ》から裏を返して「空間に生れ、空間を究《きは》め、空間に死す。空たり間たり天然居士|噫《あゝ》」と意味不明な語を連《つら》ねて居る所へ例の如く迷亭が這入つて來る。迷亭は人の家《うち》も自分の家《うち》も同じものと心得て居るのか案内も乞はず、づか/\上つてくる、のみならず時には勝手口から飄然《へうぜん》と舞ひ込む事もある、心配、遠慮、氣兼《きがね》、苦勞、を生れる時どこかへ振り落した男である。
「又巨人引力〔四字傍点〕かね」と立つた儘主人に聞く。「さう、何時《いつ》でも巨人引力〔四字傍点〕|許《ばか》り書いては居らんさ。天然居士〔四字傍点〕の墓銘を撰《せん》して居る所なんだ」と大袈裟な事を云ふ。「天然居士〔四字傍点〕と云ふなあ矢張り偶然童子〔四字傍点〕の樣な戒名かね」と迷亭は不相變《あひいかわらず》出鱈目《でたらめ》を云ふ。「偶然童子〔四字傍点〕と云ふのもあるのかい」「なに有りやしないが先づ其見當だらうと思つて居らあね」「偶然童子〔四字傍点〕と云ふのは僕の知つたものぢやない樣だが天然居士〔四字傍点〕と云ふのは、君の知つてる男だぜ」「一體だれが天然居士〔四字傍点〕なんて名を付けて濟まして居るんだい」「例の曾呂崎《そろさき》の事だ。卒業して大學院へ這入つて空間論〔三字傍点〕と云ふ題目で研究して居たが、餘り勉強し過ぎて腹膜炎で死んで仕舞つた。曾呂崎《そろさき》はあれでも僕の親友なんだからな」「親友でもいゝさ、決して惡いとは云やしない。然し其|曾呂崎《そろさき》を天然居士《てんねんこじ》に變化させたのは一體誰の所作《しよさ》だい」「僕さ、僕がつけてやつたんだ。元來坊主のつける戒名程俗なものは無いからな」と天然居士は餘程|雅《が》な名の樣に自慢する。迷亭は笑ひながら「まあ其|墓碑銘《ぼひめい》と云ふ奴を見せ給へ」と原稿を取り上げて「何だ……空間に生れ、空間を究《きは》め、空間に死す。空たり間たり天然居士|噫《あゝ》」と大きな聲で讀み上《あげ》る。「成程|是《これ》あ善《い》い、天然居士相當の所だ」主人は嬉しさうに「善いだらう」と云ふ。「此|墓銘《ぼめい》を澤庵石《たくあんいし》へ彫《ほ》り付けて本堂の裏手へ力石《ちからいし》の樣に抛《はふ》り出して置くんだね。雅《が》でいゝや、天然居士も浮かばれる譯だ」「僕もさう仕《し》樣《やう》と思つて居るのさ」と主人は至極眞面目に答へたが「僕あ一寸失敬するよ、ぢき歸るから猫にでもからかつて居て呉れ給へ」と迷亭の返事も待たず風然《ふうぜん》と出て行く。
計らずも迷亭先生の接待掛りを命ぜられて無愛想《ぶあいそ》な顔もして居られないから、ニヤー/\と愛嬌を振り蒔いて膝の上へ這ひ上《あが》つて見た。すると迷亭は「イヨー大分《だいぶ》肥《ふと》つたな、どれ」と無作法にも吾輩の襟髪《えりがみ》を攫《つか》んで宙へ釣るす。「あと足を斯うぶら下げては、鼠は取れさうもない、……どうです奧さん此猫は鼠を捕りますかね」と吾輩|許《ばか》りでは不足だと見えて、隣りの室《へや》の妻君に話しかける。「鼠|所《どころ》ぢや御座いません。御雜※[者/火]を食べて踴《をど》りをおどるんですもの」と妻君は飛んだ所で舊惡を暴《あば》く。吾輩は宙乘《ちうの》りをしながらも少々極りが惡かつた。迷亭はまだ吾輩を卸して呉れない。「成程|踴《をど》りでもおどりさうな顔だ。奧さん此猫は油斷のならない相好《さうがう》ですぜ。昔《むか》しの草双紙《くさざうし》にある猫又《ねこまた》に似て居ますよ」と勝手な事を言ひ乍ら、しきりに細君《さいくん》に話しかける。細君は迷惑さうに針仕事の手をやめて座敷へ出てくる。
「どうも御退屈樣、もう歸りませう」と茶を注《つ》ぎ易《か》へて迷亭の前へ出す。「どこへ行つたんですかね」「どこへ參るにも斷はつて行つた事の無い男ですから分りかねますが、大方御醫者へでも行つたんでせう」「甘木さんですか、甘木さんもあんな病人に捕《つら》まつちや災難ですな」「へえ」と細君は挨拶の仕樣《しやう》もないと見えて簡單な答へをする。迷亭は一向《いつかう》頓着しない。「近頃はどうです、少しは胃の加減が能《い》いんですか」「能《い》いか惡いか頓《とん》と分りません、いくら甘木さんにかゝつたつて、あんなにジヤム許《ばか》り甞《な》めては胃病の直る譯がないと思ひます」と細君は先刻《せんこく》の不平を暗《あん》に迷亭に洩らす。「そんなにジヤムを甞《な》めるんですか丸《まる》で小供の樣ですね」「ジヤム許《ばか》りぢやないんで、此頃は胃病の藥だとか云つて大根卸《だいこおろ》しを無暗に甞《な》めますので……」「驚ろいたな」と迷亭は感嘆する。「何でも大根卸《だいこおろし》の中にはヂヤスターゼが有るとか云ふ話しを新聞で讀んでからです」「成程それでジヤムの損害を償《つぐな》はうと云ふ趣向ですな。中々考へて居らあハヽヽヽ」と迷亭は細君の訴《うつたへ》を聞いて大《おほい》に愉快な氣色《けしき》である。「此間|抔《など》は赤ん坊に迄|甞《な》めさせまして……」「ジヤムをですか」「いゝえ大根卸《だいこおろし》を……あなた。坊や御父樣がうまいものをやるから御出《おいで》てつて、――たまに小供を可愛がつて呉れるかと思ふとそんな馬鹿な事|許《ばか》りするんです。二三日前《にさんちまへ》には中の娘を抱いて箪笥《たんす》の上へあげましてね……」「どう云ふ趣向がありました」と迷亭は何を聞いても趣向づくめに解釋する。「なに趣向も何も有りやしません、只其上から飛び下りて見ろと云ふんですは、三つや四つの女の子ですもの、そんな御轉婆《おてんば》な事が出來る筈がないです」「成程こりや趣向が無さ過ぎましたね。然しあれで腹の中は毒のない善人ですよ」「あの上腹の中に毒があつちや、辛防は出來ませんは」と細君は大《おほい》に氣?を揚げる。「まあそんなに不平を云はんでも善いでさあ。斯うやつて不足なく其日々々が暮らして行かれゝば上《じやう》の分《ぶん》ですよ。苦沙彌君《くしやみくん》抔《など》は道樂はせず、服裝にも構はず、地味に世帶向《しよたいむ》きに出來上つた人でさあ」と迷亭は柄《がら》にない説ヘを陽氣な調子でやつて居る。「所があなた大違いで……」「何か内々でやりますかね。油斷のならない世の中だからね」と飄然《へうぜん》とふわ/\した返事をする。「ほかの道樂はないですが、無暗に讀みもしない本|許《ばか》り買ひましてね。それも善い加減に見計《みはか》らつて買つてくれると善いんですけれど、勝手に丸善へ行つちや何册でも取つて來て、月末になると知らん顔をして居るんですもの、去年の暮なんか、月々のが溜つて大變困りました」「なあに書物なんか取つて來る丈《だけ》取つて來て構はんですよ。拂ひをとりに來たら今にやる/\と云つて居りや歸つて仕舞ひまさあ」「それでも、さう何時《いつ》迄《まで》も引張る譯にも參りませんから」と妻君は憮然《ぶぜん》として居る。「それぢや、譯を話して書籍費《しよじやくひ》を削減させるさ」「どうして、そんな言《こと》を云つたつて、中々聞くものですか、此間|抔《など》は貴樣は學者の妻《さい》にも似合はん、毫も書籍《しよじやく》の價値を解して居らん、昔《むか》し羅馬《ローマ》に斯う云ふ話しがある。後學の爲め聞いておけと云ふんです」「そりや面白い、どんな話しですか」迷亭は乘氣になる。細君に同情を表して居るといふよりむしろ好奇心に驅られて居る。「何んでも昔し羅馬《ローマ》に樽金《たるきん》とか云ふ王樣があつて……」「樽金《たるきん》? 樽金《たるきん》はちと妙ですぜ」「私は唐人《たうじん》の名なんか六づかしくて覺えられませんは。何でも七代目なんださうです」「成程七代目|樽金《たるきん》は妙ですな。ふん其七代目樽金がどうかしましたかい」「あら、あなた迄冷かしては立つ瀬がありませんは。知つて居らつしやるならヘへて下さればいゝぢやありませんか、人の惡い」と、細君は迷亭へ食つて掛る。「何冷かすなんて、そんな人の惡い事をする僕ぢやない。只七代目|樽金《たるきん》は振《ふる》つてると思つてね……えゝお待ちなさいよ羅馬《ローマ》の七代目の王樣ですね、こうつと慥《たし》かには覺えて居ないがタークヰン、ゼ、プラウドの事でせう。まあ誰でもいゝ、その王樣がどうしました」「その王樣の所へ一人の女が本を九册持つて來て買つて呉れないかと云つたんださうです」「成程」「王樣がいくらなら賣るといつて聞いたら大變な高い事を云ふんですつて、餘り高いもんだから少し負けないかと云ふと其女がいきなり九册の内の三册を火にくべて焚《や》いて仕舞つたさうです」「惜しい事をしましたな」「其本の内には豫言か何か外《ほか》で見られない事が書いてあるんですつて」「へえー」「王樣は九册が六册になつたから少しは價《ね》も減つたらうと思つて六册でいくらだと聞くと、矢張り元の通り一文も引かないさうです、それは亂暴だと云ふと、其女は又三册をとつて火にくべたさうです。王樣はまだ未練があつたと見えて、餘つた三册をいくらで賣ると聞くと、矢張り九册分のねだんを呉れと云ふさうです。九册が六册になり、六册が三册になつても代價は、元の通り一厘も引かない、それを引かせ樣《やう》とすると、殘つてる三册も火にくべるかも知れないので、王樣はとう/\高い御金を出して焚《や》け餘《あま》りの三册を買つたんですつて……どうだ此話しで少しは書物の難有味《ありがたみ》が分つたらう、どうだと力味《りき》むのですけれど、私にや何が難有《ありがた》いんだか、まあ分りませんね」と細君は一家の見識を立てゝ迷亭の返答を促《うな》がす。さすがの迷亭も少々窮したと見えて、袂からハンケチを出して吾輩をぢやらして居たが「然し奧さん」と急に何か考へ付いた樣に大きな聲を出す。「あんなに本を買つて矢鱈《やたら》に詰め込むものだから人から少しは學者だとか何とか云はれるんですよ。此間ある文學雜誌を見たら苦沙彌君《くしやみくん》の評が出て居ましたよ」「ほんとに?」と細君は向き直る。主人の評判が氣にかゝるのは、矢張り夫婦と見える。「何とかいてあつたんです」「なあに二三行|許《ばか》りですがね。苦沙彌君の文は行雲流水《かううんりうすゐ》の如しとありましたよ」細君は少しにこ/\して「それぎりですか」「其次にね――出づるかと思へば忽ち消え、逝《ゆ》いては長《とこしな》へに歸るを忘るとありましたよ」細君は妙な顔をして「賞めたんでせうか」と心元ない調子である。「まあ賞めた方でせうな」と迷亭は濟ましてハンケチを吾輩の眼の前にぶら下げる。「書物は商買道具で仕方も御座んすまいが、餘つ程偏屈でしてねえ」迷亭は又別途の方面から來たなと思つて「偏屈は少々偏屈ですね、學問をするものはどうせあんなですよ」と調子を合はせる樣な辯護をする樣な不即不離の妙答をする。「先達《せんだつ》て抔《など》は學校から歸つてすぐわきへ出るのに着物を着換へるのが面倒だものですから、あなた外套も脱がないで、机へ腰を掛けて御飯を食べるのです。御膳を火燵櫓《こたつやぐら》の上へ乘せまして――私は御櫃《おはち》を抱《かゝ》へて坐つて見て居りましたが可笑《をか》しくつて……」「何だかハイカラの首實檢の樣ですな。然しそんな所が苦沙彌君《くしやみくん》の苦沙彌君たる所で――兎に角|月並《つきなみ》でない」と切《せつ》ない褒め方をする。「月並か月並でないか女には分りませんが、なんぼ何でも、餘《あ》まり亂暴ですは」「然し月並より好いですよ」と無暗に加勢すると細君は不滿な樣子で「一體、月並々々と皆さんが、よく仰《おつし》やいますが、どんなのが月並なんです」と開き直つて月並の定義を質問する、「月並ですか、月並と云ふと――左樣《さやう》ちと説明し惡《に》くいのですが……」「そんな曖昧なものなら月並だつて好ささうなものぢやありませんか」と細君は女人《によにん》一流の論理法で詰め寄せる。「曖昧ぢやありませんよ、ちやんと分つて居ます、只説明し惡《に》くい丈《だけ》の事でさあ」「何でも自分の嫌ひな事を月並と云ふんでせう」と細君は我《われ》知らず穿《うが》つた事を云ふ。迷亭もかうなると何とか月並の處置を付けなければならぬ仕儀となる。「奧さん、月並と云ふのはね、先づ年は二八か二九からぬ〔十字傍点〕と言はず語らず物思ひ〔九字傍点〕の間《あひだ》に寐轉んで居て、此日や天氣晴朗〔七字傍点〕とくると必ず一瓢を携へて墨堤に遊ぶ〔十一字傍点〕連中《れんぢゆう》を云ふんです」「そんな連中《れんぢゆう》があるでせうか」と細君は分らんものだから好《いゝ》加減な挨拶をする。「何だかごた/\して私には分りませんは」と遂に我《が》を折る。「それぢや馬琴の胴へメジヨオ、ペンデニスの首をつけて一二年歐州の空氣で包んで置くんですね」「さうすると月並が出來るでせうか」迷亭は返事をしないで笑つて居る。「何そんな手數《てすう》のかゝる事をしないでも出來ます。中學校の生徒に白木屋の番頭を加へて二で割ると立派な月並が出來上ります」「さうでせうか」と細君は首を捻《ひね》つた儘|納得《なつとく》し兼ねたと云ふ風情《ふぜい》に見える。
「君まだ居るのか」と主人はいつの間《ま》にやら歸つて來て迷亭の傍《そば》へ坐《す》はる。「まだ居るのかは些《ち》と酷《こく》だな、すぐ歸るから待つて居給へと言つたぢやないか」「萬事あれなんですもの」と細君は迷亭を顧みる。「今君の留守中に君の逸話を殘らず聞いて仕舞つたぜ」「女は兎角多辯でいかん、人間も此猫位沈黙を守るといゝがな」と主人は吾輩の頭を撫《な》でゝくれる。「君は赤ん坊に大根卸《だいこおろ》しを甞《な》めさしたさうだな」「ふむ」と主人は笑つたが「赤ん坊でも近頃の赤ん坊は中々利口だぜ。其れ以來、坊や辛いのはどこと聞くと屹度舌を出すから妙だ」「丸《まる》で犬に藝を仕込む氣で居るから殘酷だ。時に寒月《かんげつ》はもう來さうなものだな」「寒月《かんげつ》が來るのかい」と主人は不審な顔をする。「來るんだ。午後一時迄に苦沙彌《くしやみ》の家《うち》へ來いと端書を出して置いたから」「人の都合も聞かんで勝手な事をする男だ。寒月を呼んで何をするんだい」「なあに今日のはこつちの趣向ぢやない寒月先生自身の要求さ。先生何でも理學協會で演説をするとか云ふのでね。其稽古をやるから僕に聽いてくれと云ふから、そりや丁度いゝ苦沙彌《くしやみ》にも聞かしてやらうと云ふのでね。そこで君の家《うち》へ呼ぶ事にして置いたのさ――なあに君はひま人だから丁度いゝやね――差支なんぞある男ぢやない、聞くがいゝさ」と迷亭は獨りで呑み込んで居る。「物理學の演説なんか僕にや分らん」と主人は少々迷亭の專斷《せんだん》を憤《いきどほ》つたものゝ如くに云ふ。「所が其問題がマグネ付けられたノツズルに就て抔《など》と云ふ乾燥無味なものぢやないんだ。首縊りの力學〔六字傍点〕と云ふ脱俗超凡《だつぞくてうぼん》な演題なのだから傾聽する價値があるさ」「君は首を縊《くゝ》り損《そ》くなつた男だから傾聽するが好いが僕なんざあ……」「歌舞伎座で惡寒《をかん》がする位の人間だから聞かれないと云ふ結論は出さうもないぜ」と例の如く輕口を叩く。妻君はホヽと笑つて主人を顧みながら次の間へ退く。主人は無言の儘吾輩の頭を撫《な》でる。此時のみは非常に丁寧な撫で方であつた。
それから約七分位すると注文通り寒月君が來る。今日は晩に演舌《えんぜつ》をするといふので例になく立派なフロツクを着て、洗濯し立ての白襟《カラー》を聳《そび》やかして、男振りを二割方上げて、「少し後れまして」と落ちつき拂つて、挨拶をする。「先《さ》つきから二人で大待ちに待つた所なんだ。早速願はう、なあ君」と主人を見る。主人も已《やむ》を得ず「うむ」と生返事をする。寒月君はいそがない。「コツプへ水を一杯頂戴しませう」と云ふ。「いよー本式にやるのか次には拍手の請求と御出《おいで》なさるだらう」と迷亭は獨りで騷ぎ立てる。寒月君は内隱しから草稿を取り出して徐《おもむ》ろに「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願ひます」と前置をして、愈《いよ/\》演舌の御浚《おさら》ひを始める。
「罪人を絞罪《かうざい》の刑に處すると云ふ事は重にアングロサクソン民族間に行はれた方法でありまして、夫《それ》より古代に溯《さかのぼ》つて考へますと首縊《くびくゝ》りは重《おも》に自殺の方法として行はれた者であります。猶太人中《ユダヤじんちゆう》に在《あ》つては罪人を石を抛《な》げつけて殺す習慣であつたさうで御座います。舊約全書を研究して見ますと所謂ハンギングなる語は罪人の死體を釣るして野獣又は肉食鳥の餌食《ゑじき》とする意義と認められます。ヘロドタスの説に從つて見ますと猶太人《ユダヤじん》はエヂプトを去る以前から夜中《やちゆう》死骸を曝《さら》されることを痛く忌み嫌つた樣に思はれます。エヂプト人は罪人の首を斬つて胴|丈《だけ》を十字架に釘付けにして夜中《やちゆう》曝し物にしたさうで御座います。波斯人《ペルシヤじん》は……」「寒月君首縊りと縁がだん/\遠くなる樣だが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「是から本論に這入る所ですから、少々御辛防を願ひます。……偖《さて》波斯人《ペルシヤじん》はどうかと申しますと是も矢張り處刑には磔《はりつけ》を用いた樣で御座います。但し生きて居るうちに張付《はりつ》けに致したものか、死んでから釘を打つたものか其|邊《へん》はちと分りかねます……」「そんな事は分らんでもいゝさ」と主人は退屈さうに欠伸《あくび》をする。「まだ色々御話し致したい事も御座いますが、御迷惑であらつしやいませうから……」「あらつしやいませうより、入《い》らつしやいませうの方が聞きいゝよ、ねえ苦沙彌君《くしやみくん》」と又迷亭が咎《とが》め立《だて》をすると主人は「どつちでも同じ事だ」と氣のない返事をする。「偖《さて》愈《いよ/\》本題に入りまして辯じます」「辯じます〔四字傍点〕なんか講釋師の云ひ草だ。演舌家はもつと上品な詞《ことば》を使つて貰ひたいね」と迷亭先生又|交《ま》ぜ返す。「辯じます〔四字傍点〕が下品なら何と云つたらいゝでせう」と寒月君は少々むつとした調子で問ひかける。「迷亭のは聽いて居るのか、交《ま》ぜ返して居るのか判然しない。寒月君そんな彌次馬に構はず、さつさと遣るが好い」と主人は可成《なるべく》早く難關を切り拔け樣とする。「むつとして辯じましたる柳かな、かね」と迷亭は不相變《あひかはらず》飄然《へうぜん》たる事を云ふ。寒月は思はず吹き出す。「眞に處刑として絞殺を用ひましたのは、私の調べました結果によりますると、オヂセーの二十二卷目に出て居ります。即ち彼《か》のテレマカスがペネロピーの十二人の侍女《じぢよ》を絞殺するといふ條《くだ》りで御座います。希臘語《ギリシヤご》で本文を朗讀しても宜しう御座いますが、ちと衒《てら》ふ樣な氣味にもなりますから已《や》めに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覽になると分ります」「希臘語《ギリシヤご》云々《うんぬん》はよした方がいゝ、さも希臘語《ギリシヤご》が出來ますと云はん許《ばか》りだ、ねえ苦沙彌君《くしやみくん》」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しさうな事は言はん方が奧床《おくゆか》しくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加擔する。兩人《りやうにん》は毫も希臘語《ギリシヤご》が讀めないのである。「それでは此兩三句は今晩拔く事に致しまして次を辯じ――えゝ申し上げます。
此絞殺を今から想像して見ますと、是を執行するに二つの方法があります。第一は、彼《か》のテレマカスがユーミアス及びフ※[ヒの小字]リーシヤスの援《たすけ》を藉《か》りて繩の一端を柱へ括《くゝ》りつけます。そして其繩の所々へ結び目を穴に開けて此穴へ女の頭を一つ宛《づゝ》入れて置いて、片方の端《はじ》をぐいと引張つて釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシヤツの樣に女がぶら下つたと見れば好いんだらう」「其通りで、それから第二は繩の一端を前の如く柱へ括《くゝ》り付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そして其高い繩から何本か別の繩を下げて、夫《それ》に結び目の輪になつたのを付けて女の頸を入れて置いて、いざと云ふ時に女の足臺を取りはづすと云ふ趣向なのです」「たとへて云ふと繩暖簾《なはのれん》の先へ提燈玉《ちやうちんだま》を釣した樣な景色《けしき》と思へば間違はあるまい」「提燈玉《ちやうちんだま》と云ふ玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすれば其|邊《へん》の所かと思ひます。――夫《それ》で是から力學的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云ふ事を證據立てゝ御覽に入れます」「面白いな」と迷亭が云ふと「うん面白い」と主人も一致する。
「先づ女が同距離に釣られると假定します。又一番地面に近い二人の女の首と首を繋いで居る繩はホリゾンタルと假定します。そこでα1α2……α6を繩が地平線と形づくる角度とし、T1T2……T6を繩の各部が受ける力と見做《みな》し、T7=Xは繩の尤低い部分の受ける力とします。Wは勿論女の體重と御承知下さい。どうです御分りになりましたか」
迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分つた」と云ふ。但し此大抵と云ふ度合は兩人《りやうにん》が勝手に作つたのだから他人の場合には應用が出來ないかも知れない。「偖《さて》多角形に關する御存じの平均性理論によりますと、下《しも》の如く十二の方程式が立ちます。T1cosα1=T2cosα2…… (1) T2cosα2=T3cosα3…… (2) ……」「方程式は其位で澤山だらう」と主人は亂暴な事を云ふ。「實は此式が演説の首腦なんですが」と寒月君は甚だ殘り惜し氣に見える。「夫《それ》ぢや首腦|丈《だけ》は逐《お》つて伺う事にしやうぢやないか」と迷亭も少々恐縮の體《てい》に見受けられる。「此式を略して仕舞ふと切角の力學的研究が丸《まる》で駄目になるのですが……」「何そんな遠慮はいらんから、ずん/\略すさ……」と主人は平氣で云ふ。「それでは仰せに從つて、無理ですが略しませう」「それがよからう」と迷亭が妙な所で手をぱち/\と叩く。
「夫《それ》から英國へ移つて論じますと、ベオウルフの中に絞首架《かうしゆか》即ちガルガと申す字が見えますから絞罪の刑は此時代から行はれたものに違ないと思はれます。ブラクストーンの説によると若《も》し絞罪に處せられる罪人が、萬一繩の具合で死に切れぬ時は再度《ふたゝび》同樣の刑罰を受くべきものだとしてありますが、妙な事にはピヤース、プローマンの中には假令《たとひ》兇漢でも二度絞める法はないと云ふ句があるのです。まあどつちが本當か知りませんが、惡くすると一度で死ねない事が往々實例にあるので。千七百八十六年に有名なフ※[ヒの小字]ツ、ゼラルドと云ふ惡漢を絞めた事がありました。所が妙なはづみで一度目には臺から飛び降りるときに繩が切れて仕舞つたのです。又やり直すと今度は繩が長過ぎて足が地面へ着いたので矢張り死ねなかつたのです。とう/\三返目に見物人が手傳つて往生さしたと云ふ話しです」「やれ/\」と迷亭はこんな所へくると急に元氣が出る。「本當に死に損《ぞこな》ひだな」と主人迄浮かれ出す。「まだ面白い事があります首を縊《くゝ》ると脊《せい》が一寸《いつすん》許《ばか》り延びるさうです。是は慥《たし》かに醫者が計つて見たのだから間違はありません」「それは新工夫だね、どうだい苦沙彌《くしやみ》抔《など》はちと釣つて貰つちあ、一寸延びたら人間並になるかも知れないぜ」と迷亭が主人の方を向くと、主人は案外眞面目で「寒月君、一寸位|脊《せい》が延びて生き返る事があるだらうか」と聞く。「それは駄目に極つて居ます。釣られて脊髓《せきずゐ》が延びるからなんで、早く云ふと脊《せい》が延びると云ふより壞《こは》れるんですからね」「それぢや、まあ止《や》めやう」と主人は斷念する。
演説の續きは、まだ中々長くあつて寒月君は首縊りの生理作用に迄論及する筈で居たが、迷亭が無暗に風來坊《ふうらいばう》の樣な珍語を挾むのと、主人が時々遠慮なく欠伸《あくび》をするので、遂に中途でやめて歸つて仕舞つた。其晩は寒月君が如何なる態度で、如何なる雄辯を振《ふる》つたか遠方で起つた出來事の事だから吾輩には知《し》れ樣《やう》譯がない。
二三日《にさんち》は事もなく過ぎたが、或る日の午後二時頃又迷亭先生は例の如く空々《くう/\》として偶然童子の如く舞ひ込んで來た。座に着くと、いきなり「君、越智東風《をちとうふう》の高輪事件《たかなわじけん》を聞いたかい」と旅順陷落の號外を知らせに來た程の勢を示す。「知らん、近頃は合《あ》はんから」と主人は平生《いつも》の通り陰氣である。「けふは其|東風子《とうふうし》の失策物語を御報道に及ばうと思つて忙しい所を態々《わざ/\》來たんだよ」「又そんな仰山な事を云ふ、君は全體|不埒《ふらち》な男だ」「ハヽヽヽヽ不埒と云はんより寧ろ無埒《むらち》の方だらう。それ丈《だけ》は鳥渡《ちよつと》區別して置いて貰はんと名譽に關係するからな」「おんなし事だ」と主人は嘯《うそぶ》いて居る。純然たる天然居士の再來だ。「此前の日曜に東風子《とうふうし》が高輪《たかなわ》泉岳寺《せんがくじ》に行つたんださうだ。此寒いのによせばいゝのに――第一|今時《いまどき》泉岳寺|抔《など》へ參るのはさも東京を知らない、田舍者の樣ぢやないか」「それは東風《とうふう》の勝手さ。君がそれを留める權利はない」「成程權利は正《まさ》にない。權利はどうでもいゝが、あの寺内に義士遺物保存會と云ふ見世物があるだらう。君知つてるか」「うんにや」「知らない? だつて泉岳寺へ行つた事はあるだらう」「いゝや」「ない? こりや驚ろいた。道理で大變東風を辯護すると思つた。江戸つ子が泉岳寺を知らないのは情《なさ》けない」「知らなくてもヘ師は務まるからな」と主人は愈《いよ/\》天然居士になる。「そりや好いが、其展覽場へ東風が這入つて見物して居ると、そこへ獨逸人《ドイツじん》が夫婦|連《づれ》で來たんだつて。それが最初は日本語で東風に何か質問したさうだ。所が先生例の通り獨逸語《ドイツご》が使つて見度くて堪らん男だらう。そら二口三口べら/\やつて見たとさ。すると存外うまく出來たんだ――あとで考へるとそれが災《わざはひ》の本《もと》さね」「それからどうした」と主人は遂に釣り込まれる。「獨逸人《ドイツじん》が大鷹源吾《おほたかげんご》の蒔繪《まきゑ》の印籠《いんろう》を見て、之を買ひ度いが賣つてくれるだらうかと聞くんださうだ。其時|東風《とうふう》の返事が面白いぢやないか、日本人は清廉の君子《くんし》許《ばか》りだから到底駄目だと云つたんだとさ。其邊は大分《だいぶ》景氣がよかつたが、夫《それ》から獨逸人《ドイツじん》の方では恰好《かつかう》な通辯を得た積りで頻に聞くさうだ」「何を?」「それがさ、何だか分る位なら心配はないんだが、早口で無暗に問ひ掛けるものだから少しも要領を得ないのさ。たまに分るかと思ふと鳶口《とびぐち》や掛矢〔二字傍点〕の事を聞かれる。西洋の鳶口《とびぐち》や掛矢〔二字傍点〕は先生何と翻譯して善いのか習つた事が無いんだから弱《よ》はらあね」「尤もだ」と主人はヘ師の身の上に引き較べて同情を表する。「所へ閑人《ひまじん》が物珍しさうにぽつ/\集つてくる。仕舞には東風《とうふう》と獨逸人《ドイツじん》を四方から取り卷いて見物する。東風は顔を赤くしてへどもどする。初めの勢に引き易へて先生大弱りの體《てい》さ」「結局どうなつたんだい」「仕舞に東風が我慢出來なくなつたと見えてさいなら〔四字傍点〕と日本語で云つてぐん/\歸つて來たさうだ、さいなら〔四字傍点〕は少し變だ君の國ではさよなら〔四字傍点〕をさいなら〔四字傍点〕と云ふかつて聞いて見たら何矢つ張りさよなら〔四字傍点〕ですが相手が西洋人だから調和を計るために、さいなら〔四字傍点〕にしたんだつて、東風子《とうふうし》は苦しい時でも調和を忘れない男だと感心した」「さいならはいゝが西洋人はどうした」「西洋人はあつけに取られて茫然と見て居たさうだハヽヽヽ面白いぢやないか」「別段面白い事もない樣だ。それを態々《わざ/\》報知《しらせ》に來る君の方が餘程《よつぽど》面白いぜ」と主人は卷烟草の灰を火桶《ひをけ》の中へはたき落す。折柄《おりから》格子戸のベルが飛び上る程鳴つて「御免なさい」と鋭どい女の聲がする。迷亭と主人は思はず顔を見合はせて沈黙する。
主人のうちへ女客は稀有《けう》だなと見て居ると、かの鋭どい聲の所有主は縮緬《ちりめん》の二枚重ねを疊へ擦り付けながら這入つて來る。年は四十の上を少し超《こ》した位だらう。拔け上つた生《は》へ際《ぎは》から前髪が堤防工事の樣に高く聳えて、少なくとも顔の長さの二分の一|丈《だけ》天に向つてせり出して居る。眼が切り通しの坂位な勾配《こうばい》で、直線に釣るし上げられて左右に對立する。直線とは鯨より細いといふ形容である。鼻|丈《だけ》は無暗に大きい。人の鼻を盗んで來て顔の眞中へ据ゑ付けた樣に見える。三坪程の小庭へ招魂社《せうこんしや》の石燈籠を移した時の如く、獨りで幅を利かして居るが、何となく落ち付かない。其鼻は所謂《いはゆる》鍵鼻《かぎばな》で、ひと度《たび》は精一杯高くなつて見たが、是では餘《あんま》りだと中途から謙遜して、先の方へ行くと、初めの勢に似ず垂れかゝつて、下にある唇を覗き込んで居る。かく著るしい鼻だから、此女が物を言ふときは口が物を言ふと云はんより、鼻が口をきいて居るとしか思はれない。吾輩は此偉大なる鼻に敬意を表する爲め、以來は此女を稱して鼻子《はなこ》/\と呼ぶ積りである。鼻子は先づ初對面の挨拶を終つて「どうも結構な御住居《おすまひ》ですこと」と座敷中を睨め廻はす。主人は「嘘をつけ」と腹の中で言つた儘、ぷか/\烟草をふかす。迷亭は天井を見ながら「君、ありや雨洩《あまも》りか、板の木目《もくめ》か、妙な模樣が出て居るぜ」と暗に主人を促がす。「無論雨の洩りさ」と主人が答へると「結構だなあ」と迷亭が濟まして云ふ。鼻子は社交を知らぬ人達だと腹の中で憤《いきどほ》る。暫くは三人|鼎坐《ていざ》の儘無言である。
「ちと伺ひたい事があつて、參つたんですが」と鼻子は再び話の口を切る。「はあ」と主人が極めて冷淡に受ける。これではならぬと鼻子は、「實は私はつい御近所で――あの向ふ横丁の角屋敷《かどやしき》なんですが」「あの大きな西洋館の倉のあるうちですか、道理であすこには金田《かねだ》と云ふ標札が出て居ますな」と主人は漸く金田の西洋館と、金田の倉を認識した樣だが金田夫人に對する尊敬の度合《どあひ》は前と同樣である。「實は宿《やど》が出まして、御話を伺うんですが會社の方が大變忙がしいもんですから」と今度は少し利いたらうといふ眼付をする。主人は一向《いつかう》動じない。鼻子の先刻《さつき》からの言葉遣ひが初對面の女としては餘り存在《ぞんざい》過ぎるので既に不平なのである。「會社でも一つぢや無いんです、二つも三つも兼ねて居るんです。夫《それ》にどの會社でも重役なんで――多分御存知でせうが」是でも恐れ入らぬかと云ふ顔付をする。元來こゝの主人は博士〔二字傍点〕とか大學ヘ授〔四字傍点〕とかいふと非常に恐縮する男であるが、妙な事には實業家に對する尊敬の度は極めて低い。實業家よりも中學校の先生の方がえらいと信じて居る。よし信じて居らんでも、融通の利かぬ性質として、到底實業家、金滿家の恩顧を蒙《かうむ》る事は覺束《おぼつか》ないと諦らめて居る。いくら先方が勢力家でも、財産家でも、自分が世話になる見込のないと思ひ切つた人の利害には極めて無頓着である。夫《それ》だから學者社會を除いて他の方面の事には極めて迂濶で、ことに實業界|抔《など》では、どこに、だれが何をして居るか一向知らん。知つても尊敬畏服の念は毫も起らんのである。鼻子の方では天《あめ》が下《した》の一隅にこんな變人が矢張日光に照らされて生活して居やうとは夢にも知らない。今迄世の中の人間にも大分《だいぶ》接して見たが、金田の妻《さい》ですと名乘つて、急に取扱ひの變らない場合はない、どこの會へ出ても、どんな身分の高い人の前でも立派に金田夫人で通して行かれる、况んやこんな燻《くすぶ》り返つた老書生に於てをやで、私《わたし》の家《うち》は向ふ横丁の角屋敷《かどやしき》ですとさへ云へば職業|抔《など》は聞かぬ先から驚くだらうと豫期して居たのである。
「金田つて人を知つてるか」と主人は無雜作《むざふさ》に迷亭に聞く。「知つてるとも、金田さんは僕の伯父の友達だ。此間なんざ園遊會へ御出《おいで》になつた」と迷亭は眞面目な返事をする。「へえ、君の伯父さんてえな誰だい」「牧山男爵《まきやまだんしやく》さ」と迷亭は愈《いよ/\》眞面目である。主人が何か云はうとして云はぬ先に、鼻子は急に向き直つて迷亭の方を見る。迷亭は大島紬《おほしまつむぎ》に古渡更紗《こわたりさらさ》か何か重ねて濟まして居る。「おや、あなたが牧山樣の――何で居らつしやいますか、些《ち》つとも存じませんで、甚だ失禮を致しました。牧山樣には始終御世話になると、宿《やど》で毎々御噂を致して居ります」と急に叮嚀な言葉使をして、御まけに御辭儀迄する、迷亭は「へえゝ何、ハヽヽヽ」と笑つて居る。主人はあつ氣《け》に取られて無言で二人を見て居る。「慥《たし》か娘の縁邊《えんぺん》の事に就きましても色々牧山さまへ御心配を願ひましたさうで……」「へえー、さうですか」と是《これ》許《ばか》りは迷亭にも些《ち》と唐突《たうとつ》過ぎたと見えて一寸|魂消《たまげ》た樣な聲を出す。「實は方々から呉れ/\と申し込は御座いますが、こちらの身分もあるもので御座いますから、滅多な所《とこ》へも片付けられませんので……」「御尤で」と迷亭は漸く安心する。「それに就て、あなたに伺はうと思つて上がつたんですがね」と鼻子は主人の方を見て急に存在《ぞんざい》な言葉に返る。「あなたの所へ水島寒月《みづしまかんげつ》といふ男が度々上がるさうですが、あの人は全體どんな風な人でせう」「寒月の事を聞いて、何《なん》にするんです」と主人は苦々敷《にが/\し》く云ふ。「やはり御令孃の御婚儀上の關係で、寒月君の性行《せいかう》の一斑を御承知になりたいといふ譯でせう」と迷亭が氣轉を利かす。「それが伺へれば大變都合が宜しいので御座いますが……」「それぢや、御令孃を寒月にお遣りになりたいと仰つしやるんで」「遣りたいなんてえんぢや無いんです」と鼻子は急に主人を參らせる。「外にも段々口が有るんですから、無理に貰つて頂かないだつて困りやしません」「それぢや寒月の事なんか聞かんでも好いでせう」と主人も躍起となる。「然し御隱しなさる譯もないでせう」と鼻子も少々喧嘩腰になる。迷亭は双方の間に坐つて、銀烟管《ぎんぎせる》を軍配團扇《ぐんばいうちは》の樣に持つて、心の裡《うち》で八卦《はつけ》よいやよいやと怒鳴つて居る。「ぢやあ寒月の方で是非貰ひたいとでも云つたのですか」と主人が正面から鐵砲を喰《くら》はせる。「貰ひたいと云つたんぢやないんですけれども……」「貰ひたいだらうと思つて居らつしやるんですか」と主人は此婦人鐵砲に限ると覺《さと》つたらしい。「話しはそんなに運んでるんぢやありませんが――寒月さんだつて滿更《まんざら》嬉しくない事もないでせう」と土俵|際《ぎは》で持ち直す。「寒月が何か其御令孃に戀着《れんちやく》したといふ樣な事でもありますか」あるなら云つて見ろと云ふ權幕で主人は反《そ》り返る。「まあ、そんな見當でせうね」今度は主人の鐵砲が少しも功を奏しない。今迄面白|氣《げ》に行司《ぎやうじ》氣取りで見物して居た迷亭も鼻子の一言《いちごん》に好奇心を挑撥《てうはつ》されたものと見えて、烟管《きせる》を置いて前へ乘り出す。「寒月が御孃さんに付《つ》け文《ぶみ》でもしたんですか、是や愉快だ、新年になつて逸話が又一つ殖えて話しの好材料になる」と一人で喜んで居る。「付《つ》け文《ぶみ》ぢやないんです、もつと烈しいんでさあ、御二人とも御承知ぢやありませんか」と鼻子は乙《おつ》にからまつて來る。「君知つてるか」と主人は狐付きの樣な顔をして迷亭に聞く。迷亭も馬鹿|氣《げ》た調子で「僕は知らん、知つて居りや君だ」と詰らん所で謙遜する。「いえ御兩人《おふたり》共《とも》御存じの事ですよ」と鼻子|丈《だけ》大得意である。「へえー」と御兩人《おふたり》は一度に感じ入る。「御忘れになつたら私《わた》しから御話をしませう。去年の暮向島の阿部さんの御屋敷で演奏會があつて寒月さんも出掛けたぢやありませんか、其晩歸りに吾妻橋で何かあつたでせう――詳しい事は言ひますまい、當人の御迷惑になるかも知れませんから――あれ丈《だけ》の證據がありや充分だと思ひますが、どんなものでせう」と金剛石《ダイヤ》入りの指環の嵌《はま》つた指を、膝の上へ併《なら》べて、つんと居ずまひを直す。偉大なる鼻が益《ます/\》異彩を放つて、迷亭も主人も有れども無きが如き有樣である。
主人は無論、さすがの迷亭も此|不意撃《ふいふち》には膽を拔かれたものと見えて、暫くは呆然として瘧《おこり》の落ちた病人の樣に坐つて居たが、驚愕の箍《たが》がゆるんで漸々《だん/\》持前の本態に復すると共に、滑稽と云ふ感じが一度に吶喊《とつかん》してくる。兩人《ふたり》は申し合せた如く「ハヽヽヽヽ」と笑ひ崩れる。鼻子|許《ばか》りは少し當てが外《はづ》れて、此際笑ふのは甚だ失禮だと兩人《ふたり》を睨《にら》みつける。「あれが御孃さんですか、成程こりやいゝ、仰つしやる通りだ、ねえ苦沙彌君《くしやみくん》、全く寒月はお孃さんを戀《おも》つてるに相違ないね……もう隱したつて仕樣《しやう》がないから白?し樣《やう》ぢやないか」「ウフン」と主人は云つた儘である。「本當に御隱しなさつても不可《いけ》ませんよ、ちやんと種は上つてるんですからね」と鼻子は又得意になる。「かうなりや仕方がない。何でも寒月君に關する事實は御參考の爲に陳述するさ、おい苦沙彌君《くしやみくん》、君が主人だのに、さう、にや/\笑つて居ては埒《らち》があかんぢやないか、實に秘密といふものは恐ろしいものだねえ。いくら隱しても、どこからか露見《ろけん》するからな。――然し不思議と云へば不思議ですねえ、金田の奧さん、どうして此秘密を御探知になつたんです、實に驚ろきますな」と迷亭は一人で喋舌《しやべ》る。「私《わた》しの方だつて、ぬかりはありませんやね」と鼻子はしたり顔をする。「あんまり、ぬかりが無さ過ぎる樣ですぜ。一體誰に御聞きになつたんです」「ぢき此裏に居る車屋の神《かみ》さんからです」「あの黒猫の居る車屋ですか」と主人は眼を丸くする。「えゝ、寒月さんの事ぢや、餘つ程使ひましたよ。寒月さんが、こゝへ來る度に、どんな話しをするかと思つて車屋の神さんを頼んで一々知らせて貰うんです」「そりや苛《ひど》い」と主人は大きな聲を出す。「なあに、あなたが何をなさらうと仰つしやらうと、夫《それ》に構つてるんぢやないんです。寒月さんの事|丈《だけ》ですよ」「寒月の事だつて、誰の事だつて――全體あの車屋の神さんは氣に食はん奴だ」と主人は一人|怒《おこ》り出す。「然しあなたの垣根のそとへ來て立つて居るのは向ふの勝手ぢやありませんか、話しが聞えてわるけりやもつと小さい聲でなさるか、もつと大きなうちへ御這入んなさるがいゝでせう」と鼻子は少しも赤面した樣子がない。「車屋|許《ばか》りぢやありません。新道《しんみち》の二絃琴の師匠からも大分《だいぶ》色々な事を聞いて居ます」「寒月の事をですか」「寒月さん許《ばか》りの事ぢやありません」と少し凄い事を云ふ。主人は恐れ入るかと思ふと「あの師匠はいやに上品ぶつて自分|丈《だけ》人間らしい顔をして居る、馬鹿野郎です」「憚《はゞか》り樣《さま》、女ですよ。野郎は御門違《おかどちが》ひです」と鼻子の言葉使ひは益《ます/\》御里《おさと》をあらはして來る。是では丸《まる》で喧嘩をしに來た樣なものであるが、そこへ行くと迷亭は矢張り迷亭で此談判を面白さうに聞いて居る。鐵枴仙人《てつかいせんにん》が軍鷄《しやも》の蹴合ひを見る樣な顔をして平氣で聞いて居る。
惡口《あくこう》の交換では到底鼻子の敵でないと自覺した主人は、暫く沈黙を守るの已《やむ》を得ざるに至らしめられて居たが、漸く思ひ付いたか「あなたは寒月の方から御孃さんに戀着した樣にばかり仰つしやるが、私《わたし》の聞いたんぢや、少し違ひますぜ、ねえ迷亭君」と迷亭の救ひを求める。「うん、あの時の話しぢや御孃さんの方が、始め病氣になつて――何だか譫語《うはこと》をいつた樣に聞いたね」「なにそんな事はありません」と金田夫人は判然たる直線流の言葉使ひをする。「それでも寒月は慥《たし》かに○○博士の夫人から聞いたと云つて居ましたぜ」「それがこつちの手なんでさあ、○○博士の奧さんを頼んで寒月さんの氣を引いて見たんでさあね」「○○の奧さんは、夫《それ》を承知で引き受けたんですか」「えゝ。引き受けて貰うたつて、只ぢや出來ませんやね、それや是やで色々物を使つて居るんですから」「是非寒月君の事を根堀り葉堀り御聞きにならなくつちや御歸りにならないと云ふ決心ですかね」と迷亭も少し氣持を惡くしたと見えて、いつになく手障《てざは》りのあらい言葉を使ふ。「いゝや君、話したつて損の行く事ぢやなし、話さうぢやないか苦沙彌君《くしやみくん》――奧さん、私《わたし》でも苦沙彌《くしやみ》でも寒月君に關する事實で差支のない事は、みんな話しますからね、――さう、順を立てゝ段々聞いて下さると都合がいゝですね」
鼻子は漸く納得《なつとく》してそろ/\質問を呈出する。一時荒立てた言葉使ひも迷亭に對しては又もとの如く叮嚀になる。「寒月さんも理學士ださうですが、全體どんな事を專門にして居るので御座います」「大學院では地球の磁氣の研究〔八字傍点〕をやつて居ます」と主人が眞面目に答える。不幸にして其意味が鼻子には分らんものだから「へえー」とは云つたが怪訝《けげん》な顔をして居る。「それを勉強すると博士になれませうか」と聞く。「博士にならなければ遣れないと仰つしやるんですか」と主人は不愉快さうに尋ねる。「えゝ。只の學士ぢやね、いくらでもありますからね」と鼻子は平氣で答へる。主人は迷亭を見て愈《いよ/\》いやな顔をする。「博士になるかならんかは僕等も保證する事が出來んから、ほかの事を聞いて頂く事に仕《し》樣《やう》」と迷亭も餘り好い機嫌ではない。「近頃でも其地球の――何かを勉強して居るんで御座いませうか」「二三日前《にさんちまへ》は首縊りの力學〔六字傍点〕と云ふ研究の結果を理學協會で演説しました」と主人は何の氣も付かずに云ふ。「おやいやだ、首縊り〔三字傍点〕だなんて、餘つ程變人ですねえ。そんな首縊り〔三字傍点〕や何かやつてたんぢや、とても博士にはなれますまいね」「本人が首を縊《くゝ》つちやあ六《む》づ箇敷《かし》いですが、首縊りの力學〔六字傍点〕なら成れないとも限らんです」「さうでせうか」と今度は主人の方を見て顔色を窺《うかゞ》ふ。悲しい事に力學〔二字傍点〕と云ふ意味がわからんので落ちつき兼ねて居る。然し是しきの事を尋ねては金田夫人の面目に關すると思つてか、只相手の顔色で八卦《はつけ》を立てゝ見る。主人の顔は澁い。「其外になにか、分り易いものを勉強して居りますまいか」「さうですな、先達《せんだつ》て團栗のスタビリチーを論じて併せて天體の運行に及ぶ〔二十三字傍点〕と云ふ論文を書いた事があります」「團栗《どんぐり》なんぞでも大學校で勉強するものでせうか」「さあ僕も素人《しろうと》だからよく分らんが、何しろ、寒月君がやる位なんだから、研究する價値があると見えますな」と迷亭は濟まして冷かす。鼻子は學問上の質問は手に合はんと斷念したものと見えて、今度は話題を轉ずる。「御話は違ひますが――此御正月に椎茸《しひたけ》を食べて前齒を二枚折つたさうぢや御座いませんか」「えゝ其缺けた所に空也餠《くうやもち》がくつ付いて居ましてね」と迷亭は此質問こそ吾|繩張内《なはばりうち》だと急に浮かれ出す。「色氣のない人ぢや御座いませんか、何だつて楊子を使はないんでせう」「今度逢つたら注意して置きませう」と主人がくす/\笑ふ。「椎茸《しひたけ》で齒がかける位ぢや、よ程齒の性《しやう》が惡いと思はれますが、如何《いかゞ》なものでせう」「善いとは言はれますまいな――ねえ迷亭」「善い事はないが一寸愛嬌があるよ。あれぎり、まだ?《つ》めない所が妙だ。今だに空也餠引掛所《くうやもちひつかけどころ》になつてるなあ奇觀だぜ」「齒を?《つ》める小遣がないので缺けなりにして置くんですか、又は物好きで缺けなりにして置くんでせうか」「何も永く前齒缺成《まへばかけなり》を名乘る譯でもないでせうから御安心なさいよ」と迷亭の機嫌は段々回復してくる。鼻子は又問題を改める。「何か御宅に手紙かなんぞ當人の書いたものでも御座いますなら一寸拜見したいもんで御座いますが」「端書なら澤山あります、御覽なさい」と主人は書齋から三四十枚持つて來る。「そんなに澤山拜見しないでも――其内の二三枚|丈《だけ》……」「どれ/\僕が好いのを撰《よ》つてやらう」と迷亭先生は「是なざあ面白いでせう」と一枚の繪葉書を出す。「おや繪もかくんで御座いますか、中々器用ですね、どれ拜見しませう」と眺めて居たが「あらいやだ、狸《たぬき》だよ。何だつて撰《よ》りに撰つて狸なんぞかくんでせうね――夫《それ》でも狸と見えるから不思議だよ」と少し感心する。「其文句を讀んで御覽なさい」と主人が笑ひながら云ふ。鼻子は下女が新聞を讀む樣に讀み出す。「舊暦《きうれき》の歳《とし》の夜《よ》、山の狸が園遊會をやつて盛に舞踏します。其歌に曰く、來《こ》いさ、としの夜《よ》で、御山婦美《おやまふみ》も來《く》まいぞ。スツポコポンノポン」「何ですこりや、人を馬鹿にして居るぢや御座いませんか」と鼻子は不平の體《てい》である。「此|天女《てんによ》は御氣に入りませんか」と迷亭が又一枚出す。見ると天女《てんによ》が羽衣を着て琵琶を彈いて居る。「此天女の鼻が少し小さ過ぎる樣ですが」「何、それが人並ですよ、鼻より文句を讀んで御覽なさい」文句にはかうある。「昔《むか》しある所に一人の天文學者がありました。ある夜《よ》いつもの樣に高い臺に登つて、一心に星を見て居ますと、空に美しい天女《てんによ》が現はれ、此世では聞かれぬ程の微妙な音樂を奏し出したので、天文學者は身に沁《し》む寒さも忘れて聞き惚れて仕舞ました。朝見ると其天文學者の死骸に霜が眞白に降つて居ました。是は本當の噺《はなし》だと、あのうそつきの爺やが申しました」「何の事ですこりや、意味も何もないぢやありませんか、是でも理學士で通るんですかね。ちつと文藝倶樂部でも讀んだらよささうなものですがねえ」と寒月君散々にやられる。迷亭は面白半分に「是《これ》やどうです」と三枚目を出す。今度は活版で帆懸舟《ほかけぶね》が印刷してあつて、例の如く其下に何か書き散らしてある。「よべの泊《とま》りの十六小女郎《じふろくこぢよろ》、親がないとて、荒磯《ありそ》の千鳥、さよの寐覺《ねざめ》の千鳥に泣いた、親は船乘り波の底」「うまいのねえ、感心だ事、話せるぢやありませんか」「話せますかな」「えゝ是なら三味線に乘りますよ」「三味線に乘りや本物だ。是《これ》や如何《いかゞ》です」と迷亭は無暗に出す。「いえ、もう是《これ》丈《だけ》拜見すれば、ほかのは澤山で、そんなに野暮でないんだと云ふ事は分りましたから」と一人で合點して居る。鼻子は是で寒月に關する大抵の質問を卒《を》へたものと見えて、「是は甚だ失禮を致しました。どうか私の參つた事は寒月さんへは内々に願ひます」と得手勝手な要求をする。寒月の事は何でも聞かなければならないが、自分の方の事は一切寒月へ知らしてはならないと云ふ方針と見える。迷亭も主人も「はあ」と氣のない返事をすると「いづれ其内御禮は致しますから」と念を入れて言ひながら立つ。見送りに出た兩人《ふたり》が席へ返るや否や迷亭が「ありや何だい」と云ふと主人も「ありあ何だい」と双方から同じ問をかける。奧の部屋で細君が怺《こら》へ切れなかつたと見えてクツ/\笑ふ聲が聞える。迷亭は大きな聲を出して「奧さん/\、月並の標本が來ましたぜ。月並もあの位になると中々|振《ふる》つて居ますなあ。さあ遠慮は入らんから、存分御笑ひなさい」
主人は不滿な口氣《こうき》で「第一氣に喰はん顔だ」と惡《にく》らしさうに云ふと、迷亭はすぐ引きうけて「鼻が顔の中央に陣取つて乙《おつ》に構へて居るなあ」とあとを付ける。「しかも曲つて居らあ」「少し猫脊《ねこぜ》だね。猫脊の鼻は、ちと奇拔《きばつ》過ぎる」と面白さうに笑ふ。「夫《をつと》を剋《こく》する顔だ」と主人は猶|口惜《くや》しさうである。「十九世紀で賣れ殘つて、二十世紀で店曝《たなざら》しに逢ふと云ふ相だ」と迷亭は妙な事ばかり云ふ。所へ妻君が奧の間《ま》から出て來て、女|丈《だけ》に「あんまり惡口を仰つしやると、又車屋の神さんにいつけ〔三字傍点〕られますよ」と注意する。「少しいつけ〔三字傍点〕る方が藥ですよ、奧さん」「然し顔の讒訴《ざんそ》抔《など》をなさるのは、餘り下等ですわ、誰だつて好んであんな鼻を持つてる譯でもありませんから――夫《それ》に相手が婦人ですからね、あんまり苛《ひど》いは」と鼻子の鼻を辯護すると、同時に自分の容貌も間接に辯護して置く。「何ひどいものか、あんなのは婦人ぢやない、愚人だ、ねえ迷亭君」「愚人かも知れんが、中々えら者だ、大分《だいぶ》引き掻かれたぢやないか」「全體ヘ師を何と心得て居るんだらう」「裏の車屋位に心得て居るのさ。あゝ云ふ人物に尊敬されるには博士になるに限るよ、一體博士になつて置かんのが君の不了見さ、ねえ奧さん、さうでせう」と迷亭は笑ひ乍ら細君を顧みる。「博士なんて到底駄目ですよ」と主人は細君に迄見離される。「是でも今になるかも知れん、輕蔑するな。貴樣なぞは知るまいが昔《むか》しアイソクラチスと云ふ人は九十四歳で大著述をした。ソフオクリスが傑作を出して天下を驚かしたのは、殆んど百歳の高齡だつた。シモニヂスは八十で妙詩を作つた。おれだつて……」「馬鹿々々しいは、あなたの樣な胃病でそんなに永く生きられるものですか」と細君はちやんと主人の壽命を豫算して居る。「失敬な、――甘木さんへ行つて聞いて見ろ――元來御前がこんな皺苦茶《しわくちや》な黒木綿の羽織や、つぎだらけの着物を着せて置くから、あんな女に馬鹿にされるんだ。あしたから迷亭の着て居る樣な奴を着るから出して置け」「出して置けつて、あんな立派な御召はござんせんは。金田の奧さんが迷亭さんに叮嚀になつたのは、伯父さんの名前を聞いてからですよ。着物の咎《とが》ぢや御座いません」と細君うまく責任を逃《の》がれる。
主人は伯父さん〔四字傍点〕と云ふ言葉を聞いて急に思ひ出した樣に「君に伯父があると云ふ事は、今日始めて聞いた。今迄つひに噂をした事がないぢやないか、本當にあるのかい」と迷亭に聞く。迷亭は待つてたと云はぬ許《ばか》りに「うん其伯父さ、其伯父が馬鹿に頑物《ぐわんぶつ》でねえ――矢張り其十九世紀から連綿と今日《こんにち》迄《まで》生き延びて居るんだがね」と主人夫婦を半々に見る。「オホヽヽヽヽ面白い事|許《ばか》り仰《おつし》やつて、どこに生きて居らつしやるんです」「靜岡に生きてますがね、それが只生きてるんぢや無いです。頭にちよん髷《まげ》を頂いて生きてるんだから恐縮しまさあ。帽子を被《かぶ》れつてえと、おれは此年になるが、まだ帽子を被《かぶ》る程寒さを感じた事はないと威張つてるんです――寒いから、もつと寐て居らつしやいと云ふと、人間は四時間寐れば充分だ。四時間以上寐るのは贅澤の沙汰だつて朝暗いうちから起きてくるんです。それでね、おれも睡眠時間を四時間に縮めるには、永年修業をしたもんだ、若いふちは何うしても眠《ねむ》たくて行かなんだが、近頃に至つて始めて隨處任意の庶境《しよきやう》に入《い》つて甚だ嬉しいと自慢するんです。六十七になつて寐られなくなるなあ當り前でさあ。修業も糸瓜《へちま》も入《い》つたものぢやないのに當人は全く克己の力で成功したと思つてるんですからね。それで外出する時には、屹度《きつと》鐵扇《てつせん》をもつて出るんですがね」「なにゝするんだい」「何にするんだか分らない、只持つて出るんだね。まあステツキの代り位に考へてるかも知れんよ。所が先達《せんだつ》て妙な事がありましてね」と今度は細君の方へ話しかける。「へえー」と細君が差《さ》し合《あひ》のない返事をする。「此年《ことし》の春突然手紙を寄こして山高帽子とフロツクコートを至急送れと云ふんです。一寸驚ろいたから、郵便で問ひ返した所が老人自身が着ると云ふ返事が來ました。二十三日に靜岡で祝捷會《しゆくせふくわい》があるから夫《それ》迄《まで》に間《ま》に合ふ樣に、至急調達しろと云ふ命令なんです。所が可笑《をか》しいのは命令中にかうあるんです。帽子は好い加減な大きさのを買つて呉れ、洋服も寸法を見計らつて大丸《だいまる》へ注文して呉れ……」「近頃は大丸でも洋服を仕立てるのかい」「なあに、先生、白木屋《しろきや》と間違へたんだあね」「寸法を見計つて呉れたつて無理ぢやないか」「そこが伯父の伯父たる所さ」「どうした?」「仕方がないから見計らつて送つてやつた」「君も亂暴だな。夫《それ》で間に合つたのかい」「まあ、どうにか、かうにか落《お》つ付《つ》いたんだらう。國の新聞を見たら、當日牧山翁は珍らしくフロツクコートにて、例の鐵扇を持ち……」「鐵扇|丈《だけ》は離さなかつたと見えるね」「うん死んだら棺の中へ鐵扇|丈《だけ》は入れてやらうと思つて居るよ」「それでも帽子も洋服も、うまい具合に着られて善かつた」「所が大間違さ。僕も無事に行つて難有《ありがた》いと思つてると、暫くして國から小包が屆いたから、何か禮でも呉れた事と思つて開けて見たら例の山高帽子さ、手紙が添へてあつてね、切角御求め被下《くだされ》候《さふら》へども少々大きく候《そろ》間《あひだ》、帽子屋へ御遣はしの上、御縮め被下度《くだされたく》候《そろ》。縮め賃は小爲替にて此方《こなた》より御送《おんおくり》可申上《まをしあぐべく》候《そろ》とあるのさ」「成程迂濶だな」と主人は己《おの》れより迂濶なものゝ天下にある事を發見して大《おほい》に滿足の體《てい》に見える。やがて「それから、どうした」と聞く。「どうするつたつて仕方がないから僕が頂戴して被《かぶ》つて居らあ」「あの帽子かあ」と主人がにや/\笑ふ。「其|方《かた》が男爵で入《いら》つしやるんですか」と細君が不思議さうに尋ねる。「誰がです」「其鐵扇の伯父さまが」「なあに漢學者でさあ、若い時|聖堂《せいだう》で朱子學《しゆしがく》か、何かにこり固まつたものだから、電氣燈の下で恭《うや/\》しくちよん〔三字傍点〕髷《まげ》を頂いて居るんです。仕方がありません」とやたらに顋《あご》を撫で廻す。「それでも君は、さつきの女に牧山男爵と云つた樣だぜ」「さう仰つしやいましたよ、私も茶の間で聞いて居りました」と細君も是《これ》丈《だけ》は主人の意見に同意する。「さうでしたかなアハヽヽヽヽ」と迷亭は譯もなく笑ふ。「そりや嘘ですよ。僕に男爵の伯父がありや、今頃は局長位になつて居まさあ」と平氣なものである。「何だか變だと思つた」と主人は嬉しさうな、心配さうな顔付をする。「あらまあ、能く眞面目であんな嘘が付けますねえ。あなたも餘つ程|法螺《ほら》が御上手で居らつしやる事」と細君は非常に感心する。「僕より、あの女の方が上《う》は手《て》でさあ」「あなただつて御負けなさる氣遣はありません」「然し奧さん、僕の法螺は單なる法螺ですよ。あの女のは、みんな魂膽があつて、曰く付きの嘘ですぜ。たちが惡いです。猿智慧から割り出した術數と、天來の滑稽趣味と混同されちや、コメヂーの神樣も活眼の士なきを嘆ぜざるを得ざる譯に立ち至りますからな」主人は俯目《ふしめ》になつて「どうだか」と云ふ。妻君は笑ひながら「同じ事ですは」と云ふ。
吾輩は今迄向ふ横丁へ足を踏み込んだ事はない。角屋敷の金田とは、どんな構へか見た事は無論ない。聞いた事さへ今が始めてゞある。主人の家《うち》で實業家が話頭に上《のぼ》つた事は一返もないので、主人の飯を食ふ吾輩迄が此方面には單に無關係なるのみならず、甚だ冷淡であつた。然るに先刻圖らずも鼻子の訪問を受けて、餘所《よそ》ながら其談話を拜聽し、其令孃の艶美を想像し、又其|富貴《ふうき》、權勢を思ひ浮べて見ると、猫ながら安閑として椽側に寐轉んで居られなくなつた。しかのみならず吾輩は寒月君に對して甚だ同情の至りに堪へん。先方では博士の奧さんやら、車屋の神さんやら、二絃琴の天璋院《てんしやうゐん》迄買収して知らぬ間《ま》に、前齒の缺けたのさへ探偵して居るのに、寒月君の方では只ニヤ/\して羽織の紐|許《ばか》り氣にして居るのは、如何に卒業したての理學士にせよ、餘り能がなさ過ぎる。と言つて、あゝ云ふ偉大な鼻を顔の中《うち》に安置して居る女の事だから、滅多な者では寄り付ける譯の者ではない。かう云ふ事件に關しては主人は寧ろ無頓着で且つ餘りに錢《ぜに》がなさ過ぎる。迷亭は錢に不自由はしないが、あんな偶然童子だから、寒月に援けを與へる便宜は尠《すくな》からう。して見ると可哀相《かはいさう》なのは首縊りの力學〔六字傍点〕を演説する先生|許《ばか》りとなる。吾輩でも奮發して、敵城へ乘り込んで其動靜を偵察してやらなくては、餘り不公平である。吾輩は猫だけれど、エピクテタスを讀んで机の上へ叩きつける位な學者の家《うち》に寄寓する猫で、世間一般の癡猫《ちべう》、愚猫《ぐべう》とは少しく撰を殊《こと》にして居る。此冒險を敢てする位の義侠心は固《もと》より尻尾《しつぽ》の先に疊み込んである。何も寒月君に恩になつたと云ふ譯もないが、是はたゞに個人の爲にする血氣躁狂《けつきさうきやう》の沙汰ではない。大きく云へば公平を好み中庸を愛する天意を現實にする天晴《あつぱれ》な美擧だ。人の許諾を經ずして吾妻橋事件|抔《など》を至る處に振り廻はす以上は、人の軒下に犬を忍ばして、其報道を得々として逢ふ人に吹聽する以上は、車夫、馬丁、無頼漢、ごろつき書生、日雇婆《ひやとひばゞあ》、産婆、妖婆《えうば》、按摩《あんま》、頓馬《とんま》に至る迄を使用して國家有用の材に煩《はん》を及ぼして顧みざる以上は――猫にも覺悟がある。幸ひ天氣も好い、霜解《しもどけ》は少々閉口するが道の爲めには一命もすてる。足の裏へ泥が着いて、椽側へ梅の花の印を押す位な事は、只|御三《おさん》の迷惑にはなるか知れんが、吾輩の苦痛とは申されない。翌日《あす》とも云はず是から出掛けやうと勇猛精進の大決心を起して臺所迄飛んで出たが「待てよ」と考へた。吾輩は猫として進化の極度に達して居るのみならず、腦力の發達に於ては敢て中學の三年生に劣らざる積りであるが、悲しいかな咽喉《のど》の構造|丈《だけ》はどこ迄も猫なので人間の言語が饒舌《しやべ》れない。よし首尾よく金田邸へ忍び込んで、充分敵の情勢を見屆けた所で、肝心の寒月君にヘへてやる譯に行かない。主人にも迷亭先生にも話せない。話せないとすれば土中にある金剛石《ダイヤモンド》の日を受けて光らぬと同じ事で、切角の智識も無用の長物となる。是は愚《ぐ》だ、やめ樣《やう》かしらんと上り口で佇《たゝず》んで見た。
然し一度思ひ立つた事を中途で已《や》めるのは、白雨《ゆふだち》が來るかと待つて居る時黒雲|共《とも》隣國へ通り過ぎた樣に、何となく殘り惜しい。それも非がこつちにあれば格別だが、所謂正義の爲め、人道の爲なら、たとひい無駄|死《じに》をやる迄も進むのが、義務を知る男兒の本懷であらう。無駄骨を折り、無駄足を汚《よご》す位は猫として適當の所である。猫と生れた因果で寒月、迷亭、苦沙彌諸先生と三寸の舌頭に相互の思想を交換する技倆はないが、猫|丈《だけ》に忍びの術は諸先生より達者である。他人の出來ぬ事を成就するのは其《それ》自身に於て愉快である。吾一箇でも、金田の内幕を知るのは、誰も知らぬより愉快である。人に告げられんでも人に知られて居るなと云ふ自覺を彼等に與ふる丈《だけ》が愉快である。こんなに愉快が續々出て來ては行かずには居られない。矢張り行く事に致さう。
向ふ横町へ來て見ると、聞いた通りの西洋館が角地面《かどぢめん》を吾物顔《わがものがほ》に占領して居る。この主人も此西洋館の如く傲慢《がうまん》に構へて居るんだらうと、門を這入つて其建築を眺めて見たが只人を威壓し樣《やう》と、二階作りが無意味に突つ立つて居る外に何等の能もない構造であつた。迷亭の所謂月並とは是であらうか。玄關を右に見て、植込の中を通り拔けて、勝手口へ廻る。さすがに勝手は廣い、苦沙彌先生の臺所の十倍は慥《たし》かにある。先達《せんだつ》て日本新聞に詳しく書いてあつた大隈伯の勝手にも劣るまいと思ふ位整然とぴか/\して居る。「模範勝手だな」と這入り込む。見ると漆喰《しつくひ》で叩き上げた二坪程の土間に、例の車屋の神さんが立ち乍ら、御飯焚きと車夫を相手に頻りに何か辯じて居る。こいつは劔呑《けんのん》だと水桶の裏へかくれる。「あのヘ師あ、うちの旦那の名を知らないのかね」と飯焚《めしたき》が云ふ。「知らねえ事があるもんか、此|界隈《かいわい》で金田さんの御屋敷を知らなけりや眼も耳もねえ片輪だあな」是は抱へ車夫の聲である。「なんとも云へないよ。あのヘ師と來たら、本より外に何にも知らない變人なんだからねえ。旦那の事を少しでも知つてりや恐れるかも知れないが、駄目だよ、自分の小供の歳《とし》さへ知らないんだもの」と神さんが云ふ。「金田さんでも恐れねえかな、厄介な唐變木《たうへんぼく》だ。構《かま》あ事《こと》あねえ、みんなで威嚇《おど》かしてやらうじやねえか」「それが好いよ。奧樣の鼻が大き過ぎるの、顔が氣に喰はないのつて――そりあ酷《ひど》い事を云ふんだよ。自分の面《つら》あ今戸燒《いまどやき》の狸《たぬき》見た樣な癖に――あれで一人前《いちにんまへ》だと思つて居るんだから遣れ切れないぢやないか」「顔ばかりぢやない、手拭を提げて湯に行く所からして、いやに高慢ちきぢやないか。自分位えらい者は無い積りで居るんだよ」と苦沙彌先生は飯焚にも大《おほい》に不人望である。「何でも大勢であいつの垣根の傍《そば》へ行つて惡口を散々いつてやるんだね」「さうしたら屹度恐れ入るよ」「然しこつちの姿を見せちやあ面白くねえから、聲|丈《だけ》聞かして、勉強の邪魔をした上に、出來る丈《だけ》ぢらして遣れつて、さつき奧樣が言ひ付けて御出《おいで》なすつたぜ」「そりや分つて居るよ」と神さんは惡口の三分の一を引き受けると云ふ意味を示す。成程此手合が苦沙彌先生を冷やかしに來るなと三人の横を、そつと通り拔けて奧へ這入る。
猫の足はあれども無きが如し、どこを歩いても不器用な音のした試しがない。空を踏むが如く、雲を行くが如く、水中に磬《けい》を打つが如く、洞裏《とうり》に瑟《しつ》を鼓《こ》するが如く、醍醐《だいご》の妙味を甞《な》めて言詮《ごんせん》の外《ほか》に冷暖《れいだん》を自知《じち》するが如し。月並な西洋館もなく、模範勝手もなく、車屋の神さんも、權助《ごんすけ》も、飯焚《めしたき》も、御孃さまも、仲働きも、鼻子夫人も、夫人の旦那樣もない。行きたい所へ行つて聞き度い話を聞いて、舌を出し尻尾《しつぽ》を掉《ふ》つて、髭をぴんと立てゝ悠々と歸るのみである。ことに吾輩は此道に掛けては日本一の堪能《かんのう》である。草双紙《くさざうし》にある猫又《ねこ又》の血脉を受けて居りはせぬかと自《みづか》ら疑ふ位である。蟇《がま》の額《ひたひ》には夜光《やくわう》の明珠《めいしゆ》があると云ふが、吾輩の尻尾には神祇《しんぎ》釋ヘ《しやくけう》戀《こひ》無常《むじやう》は無論の事、滿天下の人間を馬鹿にする一家相傳《いつかさうでん》の妙藥が詰め込んである。金田家の廊下を人の知らぬ間《ま》に横行する位は、仁王樣が心太《ところてん》を踏み潰すよりも容易である。此時吾輩は我ながら、わが力量に感服して、是も普段大事にする尻尾の御蔭だなと氣が付いて見ると只置かれない。吾輩の尊敬する尻尾大明神を禮拜《らいはい》してニヤン運長久を祈らばやと、一寸低頭して見たが、どうも少し見當が違ふ樣である。可成《なるべく》尻尾の方を見て三拜しなければならん。尻尾の方を見《み》樣《やう》と身體を廻すと尻尾も自然と廻る。追付かうと思つて首をねぢると、尻尾も同じ間隔をとつて、先へ馳け出す。成程|天地玄黄《てんちげんくわう》を三寸|裏《り》に収める程の靈物だけあつて、到底吾輩の手に合はない、尻尾を環《めぐ》る事|七度《なゝた》び半にして草臥《くたび》れたからやめにした。少々眼がくらむ。どこに居るのだか一寸方角が分らなくなる。構ふものかと滅茶苦茶にあるき廻る。障子の裏《うち》で鼻子の聲がする。こゝだと立ち留まつて、左右の耳をはすに切つて、息を凝らす。「貧乏ヘ師の癖に生意氣ぢやありませんか」と例の金切《かなき》り聲を振り立てる。「うん、生意氣な奴だ、ちと懲《こ》らしめの爲にいぢめてやらう。あの學校にや國のものも居るからな」「誰が居るの?」「津木《つき》ピン助《すけ》や福地《ふくち》キシヤゴが居るから、頼んでからかはしてやらう」吾輩は金田君の生國《しやうごく》は分らんが、妙な名前の人間|許《ばか》り揃つた所だと少々驚いた。金田君は猶《なほ》語をついで、「あいつは英語のヘ師かい」と聞く。「はあ、車屋の神さんの話では英語のリードルか何か專門にヘへるんだつて云ひます」「どうせ碌なヘ師ぢやあるめえ」あるめえ〔四字傍点〕にも尠なからず感心した。「此間ピン助に遇つたら、私《わたし》の學校にや妙な奴が居ります。生徒から先生番茶〔二字傍点〕は英語で何と云ひますと聞かれて、番茶〔二字傍点〕は savage tea であると眞面目に答へたんで、ヘ員間の物笑ひとなつて居ます、どうもあんなヘ員があるから、ほかのものゝ、迷惑になつて困りますと云つたが、大方あいつの事だぜ」「あいつに極つて居まさあ、そんな事を云ひさうな面構《つらがま》へですよ、いやに髭なんか生やして」「怪《け》しからん奴だ」髭を生やして怪《け》しからなければ猫|抔《など》は一疋だつて怪《け》しかり樣《やう》がない。「それにあの迷亭とか、へゞれけとか云ふ奴は、まあ何てえ、頓狂な跳返《はねつかへ》りなんでせう、伯父の牧山男爵だなんて、あんな顔に男爵の伯父なんざ、有る筈がないと思つたんですもの」「御前がどこの馬の骨だか分らんものゝ言ふ事を眞《ま》に受けるのも惡い」「惡いつて、あんまり人を馬鹿にし過ぎるぢやありませんか」と大變殘念さうである。不思議な事には寒月君の事は一言半句《いちごんはんく》も出ない。吾輩の忍んで來る前に評判記は濟んだものか、又は既に落第と事が極つて念頭にないものか、其《その》邊《へん》は懸念もあるが仕方がない。暫く佇んで居ると廊下を隔てゝ向ふの座敷でベルの音がする。そらあすこにも何か事がある。後《おくく》れぬ先に、と其方角へ歩を向ける。
來て見ると女が獨りで何か大聲で話して居る。其聲が鼻子とよく似て居る所を以て推すと、是が即ち當家の令孃寒月君をして未遂入水《みすゐじゆすゐ》を敢てせしめたる代物《しろもの》だらう。惜哉《をしいかな》障子越しで玉の御姿《おんすがた》を拜する事が出來ない。從つて顔の眞中に大きな鼻を祭り込んで居るか、どうだか受合へない。然し談話の模樣から鼻息の荒い所|抔《など》を綜合して考へて見ると、滿更《まんざら》人の注意を惹かぬ獅鼻《しゝばな》とも思はれない。女は頻りに喋舌《しやべ》つて居るが相手の聲が少しも聞えないのは、噂にきく電話といふものであらう。「御前は大和《やまと》かい。明日《あした》ね、行くんだからね、鶉《うづら》の三を取つて置いて御呉れ、いゝかえ――分つたかい――なに分らない? おやいやだ。鶉《うづら》の三を取るんだよ。――なんだつて、――取れない? 取れない筈はない、とるんだよ――へヽヽヽヽ御冗談をだつて――何が御冗談なんだよ――いやに人を御ひやらかすよ。全體御前は誰だい。長吉《ちやうきち》だ? 長吉なんぞぢや譯が分らない。お神さんに電話口へ出ろつて御云ひな――なに? 私《わたく》しで何でも辯じます?――お前は失敬だよ。妾《あた》しを誰だか知つてるのかい。金田だよ。――へヽヽヽヽ善く存じて居りますだつて。ほんとに馬鹿だよ此人あ。――金田だつてえばさ。――なに?――毎度御贔屓にあづかりまして難有《ありがた》う御座います?――何が難有《ありがた》いんだね。御禮なんか聞きたかあないやね――おや又笑つてるよ。御前は餘つ程|愚物《ぐぶつ》だね。――仰せの通りだつて?――あんまり人を馬鹿にすると電話を切つて仕舞ふよ。いゝのかい。困らないのかよ――黙つてちや分らないぢやないか、何とか御云ひなさいな」電話は長吉の方から切つたものか何の返事もないらしい。令孃は癇癪を起してやけにベル〔二字傍点〕をジヤラ/\と廻す。足元で狆《ちん》が驚ろいて急に吠え出す。是は迂濶に出來ないと、急に飛び下りて椽の下へもぐり込む。
折柄廊下を近《ちかづ》く足音がして障子を開ける音がする。誰か來たなと一生懸命に聞いて居ると「御孃樣、旦那樣と奧樣が呼んで入らつしやいます」と小間使らしい聲がする。「知らないよ」と令孃は劔突《けんつく》を食はせる。「一寸用があるから孃《ぢやう》を呼んで來いと仰つしやいました」「うるさいね、知らないてば」と令孃は第二の劔突《けんつく》を食はせる。「……水島寒月さんの事で御用があるんださうで御座います」と小間使は氣を利かして機嫌を直さうとする。「寒月でも、水月でも知らないんだよ――大嫌ひだわ、糸瓜《へちま》が戸迷《とまど》ひをした樣な顔をして」第三の劔突は、憐れなる寒月君が、留守中に頂戴する。「おや御前いつ束髪《そくはつ》に結《い》つたの」小間使はほつと一息ついて「今日《こんにち》」と可成《なるべく》單簡《たんかん》な挨拶をする。「生意氣だねえ、小間使の癖に」と第四の劔突を別方面から食はす。「そうして新しい半襟を掛けたぢやないか」「へえ、先達《せんだつ》て御孃樣から頂きましたので、結構過ぎて勿體ないと思つて行李の中へ仕舞つて置きましたが、今迄のが餘り汚《よご》れましたからかけ易へました」「いつ、そんなものを上げた事があるの」「此御正月、白木屋へ入らつしやいまして、御求め遊ばしたので――鶯茶《うぐひすちや》へ相撲《すまふ》の番附《ばんづけ》を染め出したので御座います。妾《あた》しには地味過ぎていやだから御前に上げ樣《やう》と仰つしやつた、あれで御座います」「あらいやだ。善く似合ふのね。にくらしいは」「恐れ入ります」「褒めたんぢやない。にくらしいんだよ」「へえ」「そんなによく似合ふものを何故《なぜ》だまつて貰つたんだい」「へえ」「御前にさへ、其位似合ふなら、妾《あた》しにだつて可笑《をか》しい事あないだらうぢやないか」「屹度よく御似合ひ遊ばします」「似あふのが分つてる癖に何故《なぜ》黙つてゐるんだい。そうして濟《すま》まして掛けて居るんだよ、人の惡い」劔突は留めどもなく連發される。此さき、事局はどう發展するかと謹聽して居る時、向ふの座敷で「富子や、富子や」と大きな聲で金田君が令孃を呼ぶ。令孃は已《やむ》を得ず「はい」と電話室を出て行く。吾輩より少し大きな狆《ちん》が顔の中心に眼と口を引き集めた樣な面《かほ》をして付いて行く。吾輩は例の忍び足で再び勝手から往來へ出て、急いで主人の家に歸る。探險は先づ十二分の成蹟《せいせき》である。
歸つて見ると、奇麗な家《うち》から急に汚ない所へ移つたので、何だか日當りの善い山の上から薄黒い洞窟《どうくつ》の中へ入《はい》り込んだ樣な心持ちがする。探險中は、ほかの事に氣を奪はれて部屋の裝飾、襖、障子の具合|抔《など》には眼も留らなかつたが、わが住居《すまひ》の下等なるを感ずると同時に彼《か》の所謂月並が戀しくなる。ヘ師よりも矢張り實業家がえらい樣に思はれる。吾輩も少し變だと思つて、例の尻尾《しつぽ》に伺ひを立てゝ見たら、其通り其通りと尻尾の先から御託宣《ごたくせん》があつた。座敷へ這入つて見ると驚いたのは迷亭先生まだ歸らない、卷烟草の吸ひ殼を蜂の巣の如く火鉢の中へ突き立てゝ、大胡坐《おほあぐら》で何か話し立てゝ居る。いつの間《ま》にか寒月君さへ來て居る。主人は手枕をして天井の雨洩《あまもり》を餘念もなく眺めて居る。不相變《あひかはらず》太平の逸民の會合である。
「寒月君、君の事を譫語《うはこと》に迄言つた婦人の名は、當時秘密であつた樣だが、もう話しても善からう」と迷亭がからかひ出す。「御話しをしても、私|丈《だけ》に關する事なら差支へないんですが、先方の迷惑になる事ですから」「まだ駄目かなあ」「それに○○博士夫人に約束をして仕舞つたもんですから」「他言をしないと云ふ約束かね」「えゝ」と寒月君は例の如く羽織の紐をひねくる。其紐は賣品にあるまじき紫色である。「其紐の色は、ちと天保調《てんぱうてう》だな」と主人が寐ながら云ふ。主人は金田事件|抔《など》には無頓着である。「さうさ、到底日露戰爭時代のものではないな。陣笠に立葵《たちあふひ》の紋の付いたぶつ割《さ》き羽織でも着なくつちや納まりの付かない紐だ。織田信長が聟入をするとき頭の髪を茶筌《ちやせん》に結《い》つたと云ふが其節用いたのは、慥《たし》かそんな紐だよ」と迷亭の文句は不相變《あひかはらず》長い。「實際是は爺《ぢゞい》が長州征伐の時に用いたのです」と寒月君は眞面目である。「もういゝ加減に博物館へでも献納してはどうだ。首縊りの力學〔六字傍点〕の演者、理學士水島寒月君ともあらうものが、賣れ殘りの旗本の樣な出《い》で立《たち》をするのはちと體面に關する譯だから」「御忠告の通りに致してもいゝのですが、此紐が大變よく似合ふと云つて呉れる人もありますので――」「誰だい、そんな趣味のない事を云ふのは」と主人は寐返りを打ちながら大きな聲を出す。「それは御存じの方なんぢやないんで――」「御存じでなくてもいゝや、一體誰だい」「去る女性《によしやう》なんです」「ハヽヽヽヽ餘程茶人だなあ、當てゝ見《み》樣《やう》か、矢張り隅田川の底から君の名を呼んだ女なんだらう、其羽織を着てもう一返|御駄佛《おだぶつ》を極め込んぢやどうだい」と迷亭が横合から飛び出す。「へヽヽヽヽもう水底から呼んでは居りません。こゝから乾《いぬゐ》の方角にあたる清淨《しやうじやう》な世界で……」「あんまり清淨《しやうじやう》でもなさゝうだ、毒々しい鼻だぜ」「へえ?」と寒月は不審な顔をする。「向ふ横丁の鼻がさつき押しかけて來たんだよ、こゝへ、實に僕等二人は驚いたよ、ねえ苦沙彌君」「うむ」と主人は寐ながら茶を飲む。「鼻つて誰の事です」「君の親愛なる久遠《くをん》の女性《によしやう》の御母堂樣だ」「へえー」「金田の妻《さい》といふ女が君の事を聞きに來たよ」と主人が眞面目に説明してやる。驚くか、嬉しがるか、耻づかしがるかと寒月君の樣子を窺《うかゞ》つて見ると別段の事もない。例の通り靜かな調子で「どうか私に、あの娘を貰つて呉れと云ふ依頼なんでせう」と、又紫の紐をひねくる。「所が大違さ。其御母堂なるものが偉大なる鼻の所有|主《ぬし》でね……」迷亭が半《なか》ば言ひ懸けると、主人が「おい君、僕はさつきから、あの鼻に就て俳體詩《はいたいし》を考へて居るんだがね」と木に竹を接《つ》いだ樣な事を云ふ。隣の室《へや》で妻君がくす/\笑ひ出す。「隨分君も呑氣《のんき》だなあ出來たのかい」「少し出來た。第一句が此顔に鼻祭り〔六字傍点〕と云ふのだ」「夫《それ》から?」「次が此鼻に神酒供へ〔七字傍点〕といふのさ」「次の句は?」「まだ夫《それ》ぎりしか出來て居らん」「面白いですな」と寒月君がにや/\笑ふ。「次へ穴二つ幽かなり〔七字傍点〕と付けちやどうだ」と迷亭はすぐ出來る。すると寒月が「奧深く毛も見えず〔八字傍点〕はいけますまいか」と各々《おの/\》出鱈目《でたらめ》を並べて居ると、垣根に近く、往來で「今戸燒《いまどやき》の狸《たぬき》/\」と四五人わい/\云ふ聲がする。主人も迷亭も一寸驚ろいて表の方を、垣の隙からすかして見ると「ワハヽヽヽヽ」と笑ふ聲がして遠くへ散る足の音がする。「今戸燒の狸といふな何だい」と迷亭が不思議さうに主人に聞く。「何だか分らん」と主人が答へる。「中々|振《ふる》つて居ますな」と寒月君が批評を加へる。迷亭は何を思ひ出したか急に立ち上つて「吾輩は年來美學上の見地から此鼻に就て研究した事が御座いますから、其|一斑《いつぱん》を披瀝《ひれき》して、御兩君の清聽を煩はし度いと思ひます」と演舌の眞似をやる。主人は餘りの突然にぼんやりして無言の儘迷亭を見て居る。寒月は「是非|承《うけたまは》りたいものです」と小聲で云ふ。「色々調べて見ましたが鼻の起源はどうも確《しか》と分りません。第一の不審は、もし是を實用上の道具と假定すれば穴が二つで澤山である。何もこんなに横風《わうふう》に眞中から突き出して見る必用がないのである。所がどうして段々御覽の如く斯樣にせり出して參つたか」と自分の鼻を抓《つま》んで見せる。「あんまりせり出しても居らんぢやないか」と主人は御世辭のない所を云ふ。「兎に角引つ込んでは居りませんからな。只二個の孔が併《なら》んで居る?體と混同なすつては、誤解を生ずるに至るかも計られませんから、豫《あらかじ》め御注意をして置きます。――で愚見によりますと鼻の發達は吾々人間が鼻汁《はな》をかむと申す微細なる行爲の結果が自然と蓄積してかく著明なる現象を呈出したもので御座います」「佯《いつは》りのない愚見だ」と又主人が寸評を挿入する。「御承知の通り鼻汁《はな》をかむ時は、是非鼻を抓《つま》みます、鼻を抓《つま》んで、ことに此局部|丈《だけ》に刺激を與へますと、進化論の大原則によつて、此局部は此刺激に應ずるが爲め他に比例して不相當な發達を致します。皮も自然堅くなります、肉も次第に硬くなります。遂《つ》ひに凝《こ》つて骨となります」「それは少し――さう自由に肉が骨に一足飛に變化は出來ますまい」と理學士|丈《だけ》あつて寒月君が抗議を申し込む。迷亭は何喰はぬ顔で陳《の》べ續ける。「いや御不審は御尤ですが論より證據此通り骨があるから仕方がありません。既に骨が出來る。骨は出來ても鼻汁《はな》は出ますな。出ればかまずには居られません。此作用で骨の左右が削り取られて細い高い隆起と變化して參ります――實に恐ろしい作用です。點滴《てんてき》の石を穿《うが》つが如く、賓頭顱《びんづる》の頭が自《おのづ》から光明を放つが如く、不思議薫《ふしぎくん》不思議臭《ふしぎしう》の喩《たとへ》の如く、斯樣《かやう》に鼻筋が通つて堅くなります。「それでも君のなんぞ、ぶく/\だぜ」「演者自身の局部は回護《くわいご》の恐れがありますから、態《わざ》と論じません。かの金田の御母堂の持たせらるゝ鼻の如きは、尤も發達せる尤も偉大なる天下の珍品として御兩君に紹介して置きたいと思ひます」寒月君は思はずヒヤヽヽと云ふ。「然し物も極度に達しますと偉觀には相違御座いませんが何となく怖しくて近づき難いものであります。あの鼻梁《びりやう》抔《など》は素晴しいには違ひ御座いませんが、少々|峻嶮《しゆんけん》過ぎるかと思はれます。古人のうちにてもソクラチス、ゴールドスミス若《もし》くはサツカレーの鼻|抔《など》は構造の上から云ふと隨分申し分《ぶん》は御座いませうが其申し分《ぶん》のある所に愛嬌が御座います。鼻高きが故に貴《たつと》からず、奇《き》なるが爲に貴《たつと》しとは此故でも御座いませうか。下世話《げせわ》にも鼻より團子と申しますれば美的價値から申しますと先づ迷亭位の所が適當かと存じます」寒月と主人は「フヽヽヽ」と笑ひ出す。迷亭自身も愉快さうに笑ふ。「偖《さて》只今迄辯じましたのは――」「先生辯じました〔五字傍点〕は少し講釋師の樣で下品ですから、よして頂きませう」と寒月君は先日の復讐をやる。「左樣《さやう》然らば顔を洗つて出直しませうかな。――えゝ――是から鼻と顔の權衡《けんかう》に一言《いちごん》論及したいと思ひます。他に關係なく單獨に鼻論《はなろん》をやりますと、かの御母堂|抔《など》はどこへ出しても耻づかしからぬ鼻――鞍馬山で展覽會があつても恐らく一等賞だらうと思はれる位な鼻を所有して入らせられますが、悲しいかなあれは眼、口、其他の諸先生と何等の相談もなく出來上つた鼻であります。ジユリアス、シーザーの鼻は大したものに相違御座いません。然しシーザーの鼻を鋏でちよん切つて、當家の猫の顔へ安置したらどんな者で御座いませうか。喩《たと》へにも猫の額と云ふ位な地面へ、英雄の鼻柱が突兀《とつこつ》として聳えたら、碁盤の上へ奈良の大佛を据え付けた樣なもので、少しく比例を失するの極、其美的價値を落す事だらうと思ひます。御母堂の鼻はシーザーのそれの如く、正《まさ》しく英姿《えいし》颯爽《さつさう》たる隆起に相違御座いません。然し其周圍を圍繞《ゐねう》する顔面的條件は如何《いかゞ》な者でありませう。無論當家の猫の如く劣等ではない。然し癲癇病《てんかんや》みの御かめ〔三字傍点〕の如く眉の根に八字を刻んで、細い眼を釣るし上げらるゝのは事實であります。諸君、此顔にして此鼻ありと嘆ぜざるを得んではありませんか」迷亭の言葉が少し途切れる途端、裏の方で「まだ鼻の話しをして居るんだよ。何てえ剛突《がうつ》く張《ばり》だらう」と云ふ聲が聞える。「車屋の神さんだ」と主人が迷亭にヘへてやる。迷亭は又やり初める。「計らざる裏手にあたつて、新たに異性の傍聽者のある事を發見したのは演者の深く名譽と思ふところであります。ことに宛轉《ゑんてん》たる嬌音《けうおん》をもつて、乾燥なる講筵《かうえん》に一點の艶味《えんみ》を添へられたのは實に望外の幸福であります。可成《なるべく》通俗的に引き直して佳人淑女《かじんしゆくぢよ》の眷顧《けんこ》に背《そむ》かざらん事を期する譯でありますが、是からは少々力學上の問題に立ち入りますので、勢《いきほひ》御婦人方には御分りにくいかも知れません、どうか御辛防を願ひます」寒月君は力學と云ふ語を聞いて又にや/\する。「私の證據立て樣《やう》とするのは、此鼻と此顔は到底調和しない。ツアイシングの黄金律〔三字傍点〕を失して居ると云ふ事なんで、夫《それ》を嚴格に力學上の公式から演繹《えんえき》して御覽に入れ樣《やう》と云ふのであります。先づHを鼻の高さとします。αは鼻と顔の平面の交叉《かうさ》より生ずる角度であります。Wは無論鼻の重量と御承知下さい。どうです大抵お分りになりましたか。……」「分るものか」と主人が云ふ。「寒月君はどうだい」「私にもちと分りかねますな」「そりや困つたな。苦沙彌《くしやみ》はとにかく、君は理學士だから分るだらうと思つたのに。此式が演説の首腦なんだから是を略しては今迄やつた甲斐がないのだが――まあ仕方がない。公式は略して結論|丈《だけ》話さう」「結論があるか」と主人が不思議さうに聞く。「當り前さ結論のない演舌は、デザートのない西洋料理の樣なものだ、――いゝか兩君能く聞き給へ、是からが結論だぜ。――偖《さて》以上の公式にウイルヒヨウ、ワイスマン諸家の説を參酌して考へて見ますと、先天的形體の遺傳は無論の事許さねばなりません。又此形體に追陪《つゐばい》して起る心意的?況は、たとひ後天性は遺傳するものにあらずとの有力なる説あるにも關せず、ある程度迄は必然の結果と認めねばなりません。從つて斯くの如く身分に不似合なる鼻の持主の生んだ子には、其鼻にも何か異?がある事と察せられます。寒月君|抔《など》は、まだ年が御若いから金田令孃の鼻の構造に於て特別の異?を認められんかも知れませんが、かゝる遺傳は潜伏期の長いものでありますから、いつ何時《なんどき》氣候の劇變と共に、急に發達して御母堂のそれの如く、咄嗟《とつさ》の間《かん》に膨脹するかも知れません、それ故に此御婚儀は、迷亭の學理的論證によりますと、今の中御斷念になつた方が安全かと思はれます、是には當家の御主人は無論の事、そこに寐て居らるゝ猫又殿《ねこまたどの》にも御異存は無からうと存じます」主人は漸々《やう/\》起き返つて「そりや無論さ。あんなものゝ娘を誰が貰ふものか。寒月君もらつちやいかんよ」と大變熱心に主張する。吾輩も聊《いさゝ》か賛成の意を表する爲ににやー/\と二聲|許《ばか》り鳴いて見せる。寒月君は別段騷いだ樣子もなく「先生方の御意向がさうなら、私は斷念してもいゝんですが、もし當人がそれを氣にして病氣にでもなつたら罪ですから――」「ハヽヽヽヽ艶罪《えんざい》と云ふ譯《わけ》だ」主人丈は大《おほい》にむきになつて「そんな馬鹿があるものか、あいつの娘なら碌《ろく》な者でないに極つてらあ。初めて人のうちへ來ておれを遣り込めに掛つた奴だ。傲慢《がうまん》な奴だ」と獨りでぷん/\する。すると又垣根のそばで三四人が「ワハヽヽヽヽ」と云ふ聲がする。一人が「高慢ちきな唐變木《たうへんぼく》だ」と云ふと一人が「もつと大きな家《うち》へ這入りてえだらう」と云ふ。又一人が「御氣の毒だが、いくら威張つたつて蔭辯慶《かげべんけい》だ」と大きな聲をする。主人は椽側へ出て負けない樣な聲で「八釜《やかま》しい、何だわざ/\そんな塀の下へ來て」と怒鳴《どな》る。「ワハヽヽヽヽサ※[エに濁點]ジ、チーだ、サ※[エに濁點]ジ、チーだ」と口々に罵しる。主人は大《おほい》に逆鱗《げきりん》の體《てい》で突然|起《た》つてステツキを持つて、往來へ飛び出す。迷亭は手を拍《う》つて「面白い、やれ/\」と云ふ。寒月は羽織の紐を撚《ひね》つてにや/\する。吾輩は主人のあとを付けて垣の崩れから往來へ出て見たら、眞中に主人が手持無沙汰にステツキを突いて立つて居る。人通りは一人もない、一寸狐に抓《つま》まれた體《てい》である。
四
例によつて金田邸へ忍び込む。
例によつて〔五字傍点〕とは今更解釋する必要もない。?〔傍点〕を自乘《じじよう》した程の度合を示す語《ことば》である。一度遣つた事は二度遣りたいもので、二度試みた事は三度試みたいのは人間にのみ限らるゝ好奇心ではない、猫と雖《いへど》も此心理的特權を有して此世界に生れ出でたものと認定して頂かねばならぬ。三度以上繰返す時始めて習慣なる語を冠せられて、此行爲が生活上の必要と進化するのも又人間と相違はない。何の爲めに、かく迄|足《あし》繁《しげ》く金田邸へ通ふのかと不審を起すなら其前に一寸人間に反問し度《た》い事がある。なぜ人間は口から烟を吸ひ込んで鼻から吐き出すのであるか、腹の足《た》しにも血の道の藥にもならないものを、耻かし氣《げ》もなく吐呑《とどん》して憚からざる以上は、吾輩が金田に出入《しゆつにふ》するのを、あまり大きな聲で咎《とが》め立《だ》てをして貰ひたくない。金田邸は吾輩の烟草である。
忍び込む〔四字傍点〕と云ふと語弊がある、何だか泥棒か間男《まをとこ》の樣で聞き苦しい。吾輩が金田邸へ行くのは、招待こそ受けないが、決して鰹《かつを》の切身《きりみ》をちよろまかしたり、眼鼻が顔の中心に痙攣的《けいれんてき》に密着して居る狆君《ちんくん》抔《など》と密談する爲ではない。――何探偵?――以ての外の事である。凡《およ》そ世の中に何が賤しい家業だと云つて探偵と高利貸程下等な職はないと思つて居る。成程《なるほど》寒月君の爲めに猫にあるまじき程の義侠心を起して、一度《ひとたび》は金田家の動靜を餘所《よそ》ながら窺つた事はあるが、それは只の一遍で、其後は決して猫の良心に耻づる樣な陋劣《ろうれつ》な振舞を致した事はない。――そんなら、何故《なぜ》忍び込む〔四字傍点〕と云ふ樣な胡亂《うろん》な文字《もんじ》を使用した?――さあ、それが頗る意味のある事だて。元來吾輩の考によると大空《たいくう》は萬物を覆ふ爲め大地《だいち》は萬物を載せる爲に出來て居る――如何に執拗《しつあう》な議論を好む人間でも此事實を否定する譯には行くまい。偖《さて》此|大空大地《たいくうだいち》を製造する爲に彼等人類はどの位の勞力を費やして居るかと云ふと尺寸《せきすん》の手傳もして居らぬではないか。自分が製造して居らぬものを自分の所有と極める法はなからう。自分の所有と極めても差し支ないが他の出入《しゆつにふ》を禁ずる理由はあるまい。此茫々たる大地を、小賢《こざか》しくも垣を圍《めぐ》らし棒杭《ぼうぐひ》を立てゝ某々所有地|抔《など》と劃し限るのは恰《あたか》もかの蒼天《さうてん》に繩張《なはばり》して、この部分は我《われ》の天、あの部分は彼《かれ》の天と屆け出る樣な者だ。もし土地を切り刻んで一坪いくらの所有權を賣買するなら我等が呼吸する空氣を一尺立方に割つて切賣をしても善い譯である。空氣の切賣が出來ず、空の繩張が不當なら地面の私有も不合理ではないか。如是觀《によぜくわん》によりて、如是法《によぜほふ》を信じて居る吾輩はそれだからどこへでも這入つて行く。尤行き度くない處へは行かぬが、志す方角へは東西南北の差別は入らぬ、平氣な顔をして、のそ/\と參る。金田如きものに遠慮をする譯がない。――然し猫の悲しさは力づくでは到底人間には叶《かな》はない。強勢は權利なりとの格言さへある此浮世に存在する以上は、如何に此方《こつち》に道理があつても猫の議論は通らない。無理に通さうとすると車屋の黒の如く不意に肴屋《さかなや》の天秤棒《てんびんぼう》を喰《くら》ふ恐れがある。理は此方《こつち》にあるが權力は向ふにあると云ふ場合に、理を曲げて一も二もなく屈從するか、又は權力の目を掠《かす》めて我理を貫くかと云へば、吾輩は無論後者を擇《えら》ぶのである。天秤棒は避けざる可からざるが故に、忍〔傍点〕ばざるべからず。人の邸内へは這入り込んで差支へなき故|込〔傍点〕まざるを得ず。此故に吾輩は金田邸へ忍び込む〔四字傍点〕のである。
忍び込む度《ど》が重なるにつけ、探偵をする氣はないが自然金田君一家の事情が見度くもない吾輩の眼に映じて覺え度くもない吾輩の腦裏に印象を留《とゞ》むるに至るのは已《やむ》を得ない。鼻子夫人が顔を洗ふたんびに念を入れて鼻|丈《だけ》拭く事や、富子令孃が阿倍川餠《あべかはもち》を無暗に召し上がらるゝ事や、夫《それ》から金田君自身が――金田君は妻君に似合はず鼻の低い男である。單に鼻のみではない、顔全體が低い。小供の時分喧嘩をして、餓鬼大將《がきだいしやう》の爲に頸筋《くびすぢ》を捉《つら》まへられて、うんと精一杯に土塀へ壓《お》し付けられた時の顔が四十年後の今日《こんにち》迄《まで》、因果をなして居りはせぬかと怪《あやし》まるゝ位|平坦《へいたん》な顔である。至極穩かで危險のない顔には相違ないが、何となく變化に乏しい。いくら怒《おこ》つても平《たひら》かな顔である。――其金田君が鮪《まぐろ》の刺身《さしみ》を食つて自分で自分の禿頭《はげあたま》をぴちや/\叩く事や、それから顔が低い許《ばか》りでなく脊《せい》が低いので、無暗に高い帽子と高い下駄を穿《は》く事や、夫《それ》を車夫が可笑《をか》しがつて書生に話す事や、書生が成程君の觀察は機敏だと感心する事や、――一々數へ切れない。
近頃は勝手口の横を庭へ通り拔けて、築山の陰から向ふを見渡して障子が立て切つて物靜かであるなと見極めがつくと、徐々《そろ/\》上り込む。もし人聲が賑かであるか、座敷から見透《みす》かさるゝ恐れがあると思へば池を東へ廻つて雪隱《せついん》の横から知らぬ間《ま》に椽の下へ出る。惡い事をした覺はないから何も隱れる事も、恐れる事もないのだが、そこが人間と云ふ無法者に逢つては不運と諦めるより仕方がないので、若し世間が熊坂長範《くまさかちやうはん》許《ばか》りになつたら如何なる盛コの君子も矢張り吾輩の樣な態度に出づるであらう。金田君は堂々たる實業家であるから固《もと》より熊坂長範《くまさかちやうはん》の樣に五尺三寸を振り廻す氣遣はあるまいが、承《うけたまは》る處によれば人を人と思はぬ病氣があるさうである。人を人と思はない位なら猫を猫とも思ふまい。して見れば猫たるものは如何なる盛コの猫でも彼の邸内で決して油斷は出來ぬ譯である。然し其油斷の出來ぬ所が吾輩には一寸面白いので、吾輩がかく迄に金田家の門を出入《しゆつにふ》するのも、只此危險が冒して見たい許《ばか》りかも知れぬ。それは追つて篤《とく》と考へた上、猫の腦裏を殘りなく解剖し得た時改めて御吹聽《ごふいちやう》仕《つかまつ》らう。
今日はどんな模樣だなと、例の築山の芝生《しばふ》の上に顎を押しつけて前面を見渡すと十五疊の客間を彌生《やよひ》の春に明け放つて、中には金田夫婦と一人の來客との御話《おはなし》最中《さいちゆう》である。生憎《あいにく》鼻子夫人の鼻が此方《こつち》を向いて池越しに吾輩の額の上を正面から睨め付けて居る。鼻に睨まれたのは生れて今日が始めてゞある。金田君は幸ひ横顔を向けて客と相對して居るから例の平坦な部分は半分かくれて見えぬが、其代り鼻の在所《ありか》が判然しない。只|胡麻塩色《ごましほいろ》の口髯が好い加減な所から亂雜に茂生《もせい》して居るので、あの上に孔が二つある筈だと結論|丈《だけ》は苦もなく出來る。春風《はるかぜ》もあゝ云ふ滑かな顔|許《ばか》り吹いて居たら定めて樂《らく》だらうと、序《ついで》ながら想像を逞《たくま》しうして見た。御客さんは三人の中《うち》で一番普通な容貌を有して居る。但し普通な丈《だけ》に、是ぞと取り立てゝ紹介するに足る樣な雜作《ざふさく》は一つもない。普通と云ふと結構な樣だが、普通の極《きよく》平凡の堂に上《のぼ》り、庸俗の室に入《い》つたのは寧ろ憫然の至りだ。かゝる無意味な面構《つらがまへ》を有す可き宿命を帶びて明治の昭代《せうだい》に生れて來たのは誰だらう。例の如く椽の下迄行つて其談話を承《うけたま》はらなくては分らぬ。
「……それで妻《さい》が態々《わざ/\》あの男の所迄出掛けて行つて容子を聞いたんだがね……」と金田君は例の如く横風《わうふう》な言葉使である。横風ではあるが毫も峻嶮な所がない。言語も彼の顔面の如く平板尨大《へいばんばうだい》である。
「成程あの男が水島さんをヘへた事が御座いますので――成程、よい御思ひ付きで――成程」と成程づくめのは御客さんである。
「所が何だか要領を得んので」
「えゝ苦沙彌ぢや要領を得ない譯で――あの男は私が一所に下宿をして居る時分から實に※[者/火]え切らない――そりや御困りで御座いましたらう」と御客さんは鼻子夫人の方を向く。
「困るの、困らないのつてあなた、私《わた》しや此年になる迄人のうちへ行つて、あんな不取扱《ふとりあつかひ》を受けた事はありやしません」と鼻子は例によつて鼻嵐を吹く。
「何か無禮な事でも申しましたか、昔しから頑固な性分で――何しろ十年一日の如くリードル專門のヘ師をして居るのでも大體御分りになりませう」と御客さんは體《てい》よく調子を合せて居る。
「いや御話しにもならん位で、妻《さい》が何か聞くと丸《まる》で劔もほろゝの挨拶ださうで……」
「それは怪《け》しからん譯で――一體少し學問をして居ると兎角慢心が萌《きざ》すもので、其上貧乏をすると負け惜しみが出ますから――いえ世の中には隨分無法な奴が居りますよ。自分の働きのないのにや氣が付かないで、無暗に財産のあるものに喰つて掛るなんてえのが――丸《まる》で彼等の財産でも捲き上げた樣な氣分ですから驚きますよ、あはゝゝ」と御客さんは大恐悦の體《てい》である。
「いや、まことに言語同斷《ごんごどうだん》で、あゝ云ふのは必竟世間見ずの我儘から起るのだから、些《ちつ》と懲《こ》らしめの爲にいぢめてやるが好からうと思つて、少し當つてやつたよ」
「成程|夫《それ》では大分《だいぶ》答へましたらう、全く本人の爲にもなる事ですから」と御客さんは如何なる當り方〔三字傍点〕か承《うけたまは》らぬ先から既に金田君に同意して居る。
「所が鈴木さん、まあなんて頑固な男なんでせう。學校へ出ても福地《ふくち》さんや、津木《つき》さんには口も利かないんださうです。恐れ入つて黙つて居るのかと思つたら此間は罪もない、宅の書生をステツキを持つて追つ懸けたつてんです――三十|面《づら》さげて、よく、まあ、そんな馬鹿な眞似が出來たもんぢやありませんか、全くやけ〔二字傍点〕で少し氣が變になつてるんですよ」
「へえどうして又そんな亂暴な事をやつたんで……」と是には、さすがの御客さんも少し不審を起したと見える。
「なあに、只あの男の前を何とか云つて通つたんださうです、すると、いきなり、ステツキを持つて跣足《はだし》で飛び出して來たんださうです。よしんば、些《ち》つとやそつと、何か云つたつて小供ぢやありませんか、髯面《ひげづら》の大僧《おほぞう》の癖にしかもヘ師ぢやありませんか」
「左樣《さやう》ヘ師ですからな」と御客さんが云ふと、金田君も「ヘ師だからな」と云ふ。ヘ師たる以上は如何なる侮辱を受けても木像の樣に大人《おとな》しくして居らねばならぬとは此三人の期せずして一致した論點と見える。
「それに、あの迷亭つて男は餘つ程な醉興人ですね。役にも立たない嘘八百を並べ立てゝ。私《わた》しやあんな變梃《へんてこ》な人にや初めて逢ひましたよ」
「あゝ迷亭ですか、不相變《あひかはらず》法螺《ほら》を吹くと見えますね。矢張苦沙彌の所で御逢ひになつたんですか。あれに掛つちやたまりません。あれも昔《むか》し自炊の仲間でしたがあんまり人を馬鹿にするものですから能く喧嘩をしましたよ」
「誰だつて怒りまさあね、あんなぢや。そりや嘘をつくのも宜《よ》う御座んせうさ、ね、義理が惡るいとか、ばつを合せなくつちあならないとか――そんな時には誰しも心にない事を云ふもんでさあ。然しあの男のは吐《つ》かなくつて濟むのに矢鱈《やたら》に吐《つ》くんだから始末に了《を》へないぢやありませんか。何が欲しくつて、あんな出鱈目を――よくまあ、しら/”\しく云へると思ひますよ」
「御尤で、全く道樂からくる嘘だから困ります」
「切角あなた眞面目に聞きに行つた水島の事も滅茶々々《めちや/\》になつて仕舞ひました。私《わたし》や剛腹《がうはら》で忌々敷《いま/\し》くつて――夫《それ》でも義理は義理でさあ、人のうちへ物を聞きに行つて知らん顔の半兵衛もあんまりですから、後《あと》で車夫にビールを一ダース持たせてやつたんです。所があなたどうでせう。こんなものを受取る理由がない、持つて歸れつて云ふんださうで。いえ御禮だから、どうか御取り下さいつて車夫が云つたら――惡《に》くいぢあありませんか、俺はジヤムは毎日|舐《な》めるがビールの樣な苦《にが》い者は飲んだ事がないつて、ふいと奧へ這入つて仕舞つたつて――言ひ草に事を缺いて、まあどうでせう、失禮ぢやありませんか」
「そりや、ひどい」と御客さんも今度は本氣に苛《ひど》いと感じたらしい。
「そこで今日|態々《わざ/\》君を招いたのだがね」と少時《しばらく》途切れて金田君の聲が聞える。「そんな馬鹿者は陰から、からかつてさへ居れば濟む樣なものゝ、少々|夫《それ》でも困る事があるぢやて……」と鮪《まぐろ》の刺身を食ふ時の如く禿頭《はげあたま》をぴちや/\叩く。尤吾輩は椽の下に居るから實際叩いたか叩かないか見え樣筈がないが、此|禿頭《はげあたま》の音は近來|大分《だいぶ》聞馴れて居る。比丘尼《びくに》が木魚の音を聞き分ける如く、椽の下からでも音さへ慥《たし》かであればすぐ禿頭《はげあたま》だなと出所《しゆつしよ》を鑑定する事が出來る。「そこで一寸君を煩はしたいと思つてな……」
「私に出來ます事なら何でも御遠慮なくどうか――今度東京勤務と云ふ事になりましたのも全く色々御心配を掛けた結果にほかならん譯でありますから」と御客さんは快よく金田君の依頼を承諾する。此|口調《くてう》で見ると此御客さんは矢張り金田君の世話になる人と見える。いや段々事件が面白く發展してくるな、今日は餘り天氣が宜《い》いので、來る氣もなしに來たのであるが、かう云ふ好材料を得《え》樣《やう》とは全く思ひ掛《が》けなんだ。御彼岸《おひがん》にお寺詣りをして偶然|方丈《はうぢやう》で牡丹餠《ぼたもち》の御馳走になる樣な者だ。金田君はどんな事を客人に依頼するかなと、椽の下から耳を澄して聞いて居る。
「あの苦沙彌と云ふ變物《へんぶつ》が、どう云ふ譯か水島に入れ智慧をするので、あの金田の娘を貰つては行《い》かん抔《など》とほのめかすさうだ――なあ鼻子さうだな」
「ほのめかす所《どころ》ぢやないんです。あんな奴の娘を貰ふ馬鹿がどこの國にあるものか、寒月君決して貰つちやいかんよつて云ふんです」
「あんな奴とは何だ失敬な、そんな亂暴な事を云つたのか」
「云つた所ぢやありません、ちやんと車屋の神さんが知らせに來てくれたんです」
「鈴木君どうだい、御聞の通りの次第さ、隨分厄介だらうが?」
「困りますね、外の事と違つて、かう云ふ事には他人が妄《みだ》りに容喙《ようかい》するべき筈の者ではありませんからな。その位な事は如何《いか》な苦沙彌でも心得て居る筈ですが。一體どうした譯なんでせう」
「それでの、君は學生時代から苦沙彌と同宿をして居て、今は兎に角、昔は親密な間柄であつたさうだから御依頼するのだが、君當人に逢つてな、よく利害を諭《さと》して見てくれんか。何か怒《おこ》つて居るかも知れんが、怒るのは向《むかふ》が惡《わ》るいからで、先方が大人《おとな》しくしてさへ居れば一身上の便宜も充分計つてやるし、氣に障《さ》はる樣な事もやめてやる。然し向《むかふ》が向《むかふ》なら此方《こつち》も此方《こつち》と云ふ氣になるからな――つまりそんな我《が》を張るのは當人の損だからな」
「えゝ全く仰しやる通り愚《ぐ》な抵抗をするのは本人の損になる許《ばか》りで何の益もない事ですから、善く申し聞けませう」
「それから娘は色々と申し込もある事だから、必ず水島にやると極める譯にも行かんが、段々聞いて見ると學問も人物も惡くもない樣だから、若し當人が勉強して近い内に博士にでもなつたら或はもらふ事が出來るかも知れん位は夫《それ》となくほのめかしても構はん」
「さう云つてやつたら當人も勵みになつて勉強する事でせう。宜しう御座います」
「それから、あの妙な事だが――水島にも似合はん事だと思ふが、あの變物《へんぶつ》の苦沙彌を先生々々と云つて苦沙彌の云ふ事は大抵聞く樣子だから困る。なにそりや何も水島に限る譯では無論ないのだから苦沙彌が何と云つて邪魔をし樣《やう》と、わしの方は別に差支へもせんが……」
「水島さんが可哀《かはい》さうですからね」と鼻子夫人が口を出す。
「水島と云ふ人には逢つた事も御座いませんが、兎に角こちらと御縁組が出來れば生涯の幸福で、本人は無論異存はないのでせう」
「えゝ水島さんは貰ひたがつて居るんですが、苦沙彌だの迷亭だのつて變り者が何だとか、かんだとか云ふものですから」
「そりや、善くない事で、相當のヘ育のあるものにも似合はん所作《しよさ》ですな。よく私が苦沙彌の所へ參つて談じませう」
「あゝ、どうか、御面倒でも、一つ願ひたい。夫《それ》から實は水島の事も苦沙彌が一番詳しいのだが先達《せんだつ》て妻《さい》が行つた時は今の始末で碌々聞く事も出來なかつた譯だから、君から今一應本人の性行學才等をよく聞いて貰ひたいて」
「かしこまりました。今日は土曜ですから是から廻つたら、もう歸つて居りませう。近頃はどこに住んで居りますか知らん」
「こゝの前を右へ突き當つて、左へ一丁|許《ばか》り行くと崩れかゝつた黒塀のあるうちです」と鼻子がヘへる。
「それぢや、つい近所ですな。譯はありません。歸りに一寸寄つて見ませう。なあに、大體分りませう標札《へうさつ》を見れば」
「標札《へうさつ》はあるときと、ないときとありますよ。名刺を御饌粒《ごぜんつぶ》で門へ貼り付けるのでせう。雨がふると剥がれて仕舞ひませう。すると御天氣の日に又貼り付けるのです。だから標札は當《あて》にやなりませんよ。あんな面倒臭い事をするよりせめて木札《きふだ》でも懸けたらよささうなもんですがねえ。ほんとうにどこ迄も氣の知れない人ですよ」
「どうも驚きますな。然し崩れた黒塀のうちと聞いたら大概分るでせう」
「えゝあんな汚ないうちは町内に一軒しかないから、すぐ分りますよ。あ、さう/\それで分らなければ、好い事がある。何でも屋根に草が生へたうちを探して行けば間違つこありませんよ」
「餘程特色のある家《いへ》ですなアハヽヽヽ」
鈴木君が御光來になる前に歸らないと、少し都合が惡い。談話も是《これ》丈《だけ》聞けば大丈夫澤山である。椽の下を傳はつて雪隱《せついん》を西へ廻つて築山の陰から往來へ出て、急ぎ足で屋根に草の生へて居るうちへ歸つて來て何喰はぬ顔をして座敷の椽へ廻る。
主人は椽側へ白毛布《しろげつと》を敷いて、腹這になつて麗《うらゝ》かな春日《はるび》に甲羅《かふら》を干して居る。太陽の光線は存外公平なもので屋根にペン/\草の目標のある陋屋《ろうをく》でも、金田君の客間の如く陽氣に暖かさうであるが、氣の毒な事には毛布《けつと》丈《だけ》が春らしくない。製造元では白の積りで織り出して、唐物屋《たうぶつや》でも白の氣で賣り捌《さば》いたのみならず、主人も白と云ふ注文で買つて來たのであるが――何しろ十二三年以前の事だから白の時代はとくに通り越して只今は濃灰色《のうくわいしよく》なる變色の時期に遭遇しつゝある。此時期を經過して他の暗黒色に化ける迄|毛布《けつと》の命が續くかどうだかは、疑問である。今でも既に萬遍なく擦り切れて、竪横《たてよこ》の筋は明かに讀まれる位だから、毛布《けつと》と稱するのはもはや僭上《せんじやう》の沙汰であつて、毛の字は省《はぶ》いて單にツト〔二字傍点〕とでも申すのが適當である。然し主人の考へでは一年持ち、二年持ち、五年持ち十年持つた以上は生涯持たねばならぬと思つて居るらしい。隨分|呑氣《のんき》な事である。偖《さて》其因縁のある毛布《けつと》の上へ前《ぜん》申す通り腹這になつて何をして居るかと思ふと兩手で出張つた顋を支へて、右手の指の股に卷烟草を挾んで居る。只《たゞ》夫《それ》丈《だけ》である。尤も彼がフケ〔二字傍点〕だらけの頭の裏《うち》には宇宙の大眞理が火の車の如く廻轉しつゝあるかも知れないが、外部から拜見した所では、そんな事とは夢にも思へない。
烟草の火は漸々《だん/\》吸口の方へ逼つて、一|寸《すん》許《ばか》り燃え盡した灰の棒がぱたりと毛布《けつと》の上に落つるのも構はず主人は一生懸命に烟草から立ち上《のぼ》る烟の行末を見詰めて居る。其烟りは春風《はるかぜ》に浮きつ沈みつ、流れる輪を幾重《いくへ》にも描《ゑが》いて、紫深き細君の洗髪《あらひがみ》の根本へ吹き寄せつゝある。――おや、細君の事を話して置く筈だつた。忘れて居た。
細君は主人に尻《しり》を向けて――なに失禮な細君だ? 別に失禮な事はないさ。禮も非禮も相互の解釋次第でどうでもなる事だ。主人は平氣で細君の尻の所へ頬杖を突き、細君は平氣で主人の顔の先へ莊嚴《さうごん》なる尻を据ゑた迄の事で無禮も糸瓜《へちま》もないのである。御兩人は結婚後一ケ年も立たぬ間《ま》に禮儀作法|抔《など》と窮屈な境遇を脱却せられた超然的夫婦である。――偖《さて》斯《かく》の如く主人に尻を向けた細君はどう云ふ了見か、今日の天氣に乘じて、尺に餘る緑の黒髪を、麩海苔《ふのり》と生卵でゴシ/\洗濯せられた者と見えて癖のない奴を、見よがしに肩から脊へ振りかけて、無言の儘小供の袖なしを熱心に縫つて居る。實は其洗髪を乾かす爲に唐縮緬の布團と針箱を椽側へ出して、恭《うや/\》しく主人に尻を向けたのである。あるいは主人の方で尻のある見當へ顔を持つて來たのかも知れない。そこで先刻御話しをした烟草の烟りが、豐かに靡《なび》く黒髪の間に流れ流れて、時ならぬ陽炎《かげろふ》の燃える所を主人は餘念もなく眺めて居る。然しながら烟は固《もと》より一所《いつしよ》に停《とゞ》まるものではない、其性質として上へ上へと立ち登るのだから主人の眼も此烟りの髪毛《かみげ》と縺《もつ》れ合ふ奇觀を落ちなく見《み》樣《やう》とすれば、是非共眼を動かさなければならない。主人は先づ腰の邊から觀察を始めて徐々《じよ/\》と脊中を傳《つた》つて、肩から頸筋に掛つたが、それを通り過ぎて漸々《やう/\》腦天に達した時、覺えずあつと驚いた。――主人が偕老同穴《かいらうどうけつ》を契つた夫人の腦天の眞中には眞丸《まんまる》な大きな禿《はげ》がある。而も其|禿《はげ》が暖かい日光を反射して、今や時を得顔に輝いて居る。思はざる邊《へん》に此不思議な大發見をなした時の主人の眼は眩《まば》ゆい中に充分の驚きを示して、烈しい光線で瞳孔の開くのも構はず一心不亂に見つめて居る。主人が此禿を見た時、第一彼の腦裏に浮んだのはかの家《いへ》傳來の佛壇に幾世となく飾り付けられたる御燈明皿《おとうみやうざら》である。彼の一家《いつけ》は眞宗で、眞宗では佛壇に身分不相應な金を掛けるのが古例である。主人は幼少の時其家の倉の中に、薄暗く飾り付けられたる金箔厚き厨子《づし》があつて、其|厨子《づし》の中にはいつでも眞鍮の燈明皿がぶら下つて、其燈明皿には晝でもぼんやりした灯《ひ》がついて居た事を記憶して居る。周圍が暗い中に此燈明皿が比較的明瞭に輝やいて居たので小供心に此|灯《ひ》を何遍となく見た時の印象が細君の禿に喚び起されて突然飛び出したものであらう。燈明皿は一分立たぬ間《ま》に消えた。此《この》度《たび》は觀音樣の鳩の事を思ひ出す。觀音樣の鳩と細君の禿とは何等の關係もない樣であるが、主人の頭では二つの間に密接な聯想がある。同じく小供の時分に淺草へ行くと必ず鳩に豆を買つてやつた。豆は一皿が文久《ぶんきう》二つで、赤い土器《かはらけ》へ這入つて居た。其|土器《かはらけ》が、色と云ひ大《おほき》さと云ひ此禿によく似て居る。
「成程似て居るな」と主人が、さも感心したらしく云ふと「何がです」と細君は見向きもしない。
「何だつて、御前の頭にや大きな禿があるぜ。知つてるか」
「えゝ」と細君は依然として仕事の手を已《や》めずに答へる。別段露見を恐れた樣子もない。超然たる模範妻君である。
「嫁にくるときからあるのか、結婚後新たに出來たのか」と主人が聞く。もし嫁にくる前から禿げて居るなら欺されたのであると口へは出さないが心の中《うち》で思ふ。
「いつ出來たんだか覺えちや居ませんわ、禿なんざどうだつて宜《い》いぢやありませんか」と大《おほい》に悟つたものである。
「どうだつて宜いつて、自分の頭ぢやないか」と主人は少々怒氣を帶びて居る。
「自分の頭だから、どうだつて宜いんだわ」と云つたが、さすが少しは氣になると見えて、右の手を頭に乘せて、くる/\禿を撫《な》でて見る。「おや大分《だいぶ》大きくなつた事、こんなぢや無いと思つて居た」と言つた所をもつて見ると、年に合はして禿が餘り大き過ぎると云ふ事を漸く自覺したらしい。
「女は髷に結《ゆ》ふと、こゝが釣れますから誰でも禿げるんですわ」と少しく辯護しだす。
「そんな速度で、みんな禿げたら、四十位になれば、から藥罐《やくわん》ばかり出來なければならん。そりや病氣に違ひない。傳染するかも知れん、今のうち早く甘木さんに見て貰へ」と主人は頻りに自分の頭を撫で廻して見る。
「そんなに人の事を仰しやるが、あな只つて鼻の孔へ白髪《しらが》が生へてるぢやありませんか。禿が傳染するなら白髪《しらが》だつて傳染しますわ」と細君少々ぷり/\する。
「鼻の中の白髪《しらが》は見えんから害はないが、腦天が――ことに若い女の腦天がそんなに禿げちや見苦しい。不具《かたは》だ」
「不具《かたは》なら、なぜ御貰ひになつたのです。御自分が好きで貰つて置いて不具《かたは》だなんて……」
「知らなかつたからさ。全く今日《けふ》迄知らなかつたんだ。そんなに威張るなら、なぜ嫁に來る時頭を見せなかつたんだ」
「馬鹿な事を! どこの國に頭の試驗をして及第したら嫁にくるなんて、ものが在るもんですか」
「禿はまあ我慢もするが、御前は脊《せ》いが人並|外《はづ》れて低い。甚だ見苦しくていかん」
「脊《せ》いは見ればすぐ分るぢやありませんか、脊《せい》の低いのは最初から承知で御貰ひになつたんぢやありませんか」
「それは承知さ、承知には相違ないがまだ延びるかと思つたから貰つたのさ」
「廿《はたち》にもなつて脊《せ》いが延びるなんて――あなたも餘つ程人を馬鹿になさるのね」と細君は袖なしを抛《はふ》り出して主人の方に捩《ね》ぢ向く。返答次第では其分には濟まさんと云ふ權幕《けんまく》である。
「廿《はたち》になつたつて脊《せ》いが延びてならんと云ふ法はあるまい。嫁に來てから滋養分でも食はしたら、少しは延びる見込みがあると思つたんだ」と眞面目な顔をして妙な理窟を述べて居ると門口《かどぐち》のベルが勢《いきほひ》よく鳴り立てゝ頼むと云ふ大きな聲がする。愈《いよ/\》鈴木君がペン/\草を目的《めあて》に苦沙彌先生の臥龍窟《ぐわりようくつ》を尋ねあてたと見える。
細君は喧嘩を後日に讓つて、倉皇《さうくわう》針箱と袖なしを抱《かゝ》へて茶の間へ逃げ込む。主人は鼠色の毛布《けつと》を丸めて書齋へ投げ込む。やがて下女が持つて來た名刺を見て、主人は一寸驚ろいた樣な顔付であつたが、こちらへ御通し申してと言ひ棄てゝ、名刺を握つた儘|後架《こうか》へ這入つた。何の爲に後架へ急に這入つたか一向要領を得ん、何の爲に鈴木藤十郎《すゞきとうじふらう》君の名刺を後架迄持つて行つたのか猶更《なほさら》説明に苦しむ。兎に角迷惑なのは臭い所へ隨行を命ぜられた名刺君である。
下女が更紗《さらさ》の座布團を床《とこ》の前へ直して、どうぞ是へと引き下がつた、跡で、鈴木君は一應室内を見廻はす。床に掛けた花開萬國春《はなひらくばんこくのはる》とある木菴《もくあん》の贋物《にせもの》や、京製《きやうせい》の安青磁《やすせいじ》に活《い》けた彼岸櫻|抔《など》を一々順番に點檢したあとで、不圖下女の勸めた布團の上を見るといつの間《ま》にか一疋の猫が濟まして坐つて居る。申す迄もなくそれはかく申す吾輩である。此時鈴木君の胸のうちに一寸の間《ま》顔色にも出ぬ程の風波が起つた。此布團は疑ひもなく鈴木君の爲に敷かれたものである。自分の爲に敷かれた布團の上に自分が乘らぬ先から、斷りもなく妙な動物が平然と蹲踞《そんきよ》して居る。是が鈴木君の心の平均を破る第一の條件である。もし此布團が勸められたまゝ、主《ぬし》なくして春風の吹くに任せてあつたなら、鈴木君はわざと謙遜の意を表《へう》して、主人がさあどうぞと云ふ迄は堅い疊の上で我慢して居たかも知れない。然し早晩自分の所有すべき布團の上に挨拶もなく乘つたものは誰であらう。人間なら讓る事もあらうが猫とは怪《け》しからん。乘り手が猫であると云ふのが一段と不愉快を感ぜしめる。是が鈴木君の心の平均を破る第二の條件である。最後に其猫の態度が尤も癪に障る。少しは氣の毒さうにでもして居る事か、乘る權利もない布團の上に、傲然《がうぜん》と構へて、丸い無愛嬌《ぶあいけう》な眼をぱちつかせて、御前は誰だいと云はぬ許《ばか》りに鈴木君の顔を見つめて居る。是が平均を破壞する第三の條件である。是程不平があるなら、吾輩の頸根《くびね》つこを捉《とら》へて引きずり卸したら宜《よ》ささうなものだが、鈴木君はだまつて見て居る。堂々たる人間が猫に恐れて手出しをせぬと云ふ事は有らう筈がないのに、なぜ早く吾輩を處分して自分の不平を洩らさないかと云ふと、是は全く鈴木君が一個の人間として自己の體面を維持する自重心の故であると察せらるゝ。もし腕力に訴へたなら三尺の童子も吾輩を自由に上下し得るであらうが、體面を重んずる點より考へると如何に金田君の股肱《ここう》たる鈴木藤十郎其人も此二尺四方の眞中に鎮座まします猫大明神を如何《いかん》ともする事が出來ぬのである。如何《いか》に人の見ていぬ場所でも、猫と座席爭ひをしたとあつては聊《いさゝ》か人間の威嚴に關する。眞面目に猫を相手にして曲直《きよくちよく》を爭ふのは如何《いか》にも大人氣《おとなげ》ない。滑稽である。此不名譽を避ける爲には多少の不便は忍ばねばならぬ。然し忍ばねばならぬ丈《だけ》其《それ》丈《だけ》猫に對する憎惡の念は揩キ譯であるから、鈴木君は時々吾輩の顔を見ては苦《にが》い顔をする。吾輩は鈴木君の不平な顔を拜見するのが面白いから滑稽の念を抑へて可成《なるべく》何喰はぬ顔をして居る。
吾輩と鈴木君の間に、斯《かく》の如き無言劇が行はれつゝある間に主人は衣紋をつくろつて後架から出て來て「やあ」と席に着いたが、手に持つて居た名刺の影さへ見えぬ所を以て見ると、鈴木藤十郎君の名前は臭い所へ無期徒刑に處せられたものと見える。名刺こそ飛んだ厄運《やくうん》に際會したものだと思ふ間《ま》もなく、主人は此野郎と吾輩の襟がみを攫《つか》んでえいと許《ばか》りに椽側へ擲《たゝ》きつけた。
「さあ敷きたまへ。珍らしいな。いつ東京へ出て來た」と主人は舊友に向つて布團を勸める。鈴木君は一寸之を裏返した上で、それへ坐る。
「ついまだ忙がしいものだから報知もしなかつたが、實は此間から東京の本社の方へ歸る樣になつてね……」
「それは結構だ、大分《だいぶ》長く逢はなかつたな。君が田舍へ行つてから、始めてぢやないか」
「うん、もう十年近くになるね。なに其《その》後《ご》時々東京へは出て來る事もあるんだが、つい用事が多いもんだから、いつでも失敬する樣な譯さ。惡《わ》るく思つてくれ玉ふな。會社の方は君の職業とは違つて隨分忙がしいんだから」
「十年立つうちには大分《だいぶ》違ふもんだな」と主人は鈴木君を見上げたり見下ろしたりして居る。鈴木君は頭を美麗《きれい》に分けて、英國仕立のトヰードを着て、派手な襟飾りをして、胸に金鎖りさへピカつかせて居る體裁、どうしても苦沙彌君の舊友とは思へない。
「うん、こんな物迄ぶら下げなくちや、ならん樣になつてね」と鈴木君は頻りに金鎖りを氣にして見せる。
「そりや本ものかい」と主人は無作法な質問をかける。
「十八金だよ」と鈴木君は笑ひながら答へたが「君も大分《だいぶ》年を取つたね。慥《たし》か小供がある筈だつたが一人かい」
「いゝや」
「二人?」
「いゝや」
「まだあるのか、ぢや三人か」
「うん三人ある。此先|幾人《いくにん》出來るか分らん」
「相變らず氣樂な事を云つてるぜ。一番大きいのはいくつになるかね、もう餘つ程だらう」
「うん、いくつか能く知らんが大方《おほかた》六つか、七つかだらう」
「ハヽヽヘ師は呑氣《のんき》でいゝな。僕もヘ員にでもなれば善かつた」
「なつて見ろ、三日で嫌《いや》になるから」
「さうかな、何だか上品で、氣樂で、閑暇《ひま》があつて、すきな勉強が出來て、よささうぢやないか。實業家も惡くもないが我々のうちは駄目だ。實業家になるならずつと上にならなくつちやいかん。下の方になると矢張りつまらん御世辭を振り撒《ま》いたり、好かん猪口《ちよこ》を頂きに出たり隨分|愚《ぐ》なもんだよ」
「僕は實業家は學校時代から大嫌《だいきらひ》だ。金さへ取れゝば何でもする、昔で云へば素町人《すちやうにん》だからな」と實業家を前に控えて太平樂を並べる。
「まさか――さう許《ばか》りも云へんがね、少しは下品な所もあるのさ、兎に角|金《かね》と情死《しんぢゆう》をする覺悟でなければやり通せないから――所が其金と云ふ奴が曲者《くせもの》で、――今もある實業家の所へ行つて聞いて來たんだが、金を作るにも三角術を使はなくちやいけないと云ふのさ――義理をかく〔二字傍点〕、人情をかく〔二字傍点〕、耻をかく〔二字傍点〕是で三角になるさうだ面白いぢやないかアハヽヽヽ」
「誰だそんな馬鹿は」
「馬鹿ぢやない、中々利口な男なんだよ、實業界で一寸有名だがね、君知らんかしら、つい此先の横丁に居るんだが」
「金田か? 何《な》んだあんな奴」
「大變怒つてるね。なあに、そりや、ほんの冗談だらうがね、その位にせんと金は溜らんと云ふ喩《たとへ》さ。君の樣にさう眞面目に解釋しちや困る」
「三角術は冗談でもいゝが、あす此女房の鼻はなんだ。君行つたんなら見て來たらう、あの鼻を」
「細君か、細君は中々さばけた人だ」
「鼻だよ、大きな鼻の事を云つてるんだ。先達《せんだつ》て僕はあの鼻に就て俳體詩《はいたいし》を作つたがね」
「何だい俳體詩と云ふのは」
「俳體詩を知らないのか、君も隨分時勢に暗いな」
「あゝ僕の樣に忙がしいと文學|抔《など》は到底駄目さ。それに以前から餘り數奇《すき》でない方だから」
「君シヤーレマンの鼻の恰好《かつかう》を知つてるか」
「アハヽヽヽ隨分氣樂だな。知らんよ」
「エルリントンは部下のものから鼻々と異名《いみやう》をつけられて居た。君知つてるか」
「鼻の事|許《ばか》り氣にして、どうしたんだい。好いぢやないか鼻なんか丸くても尖《と》んがつてゝも」
「決してさうでない。君パスカルの事を知つてるか」
「又知つてるかか、丸《まる》で試驗を受けに來た樣なものだ。パスカルがどうしたんだい」
「パスカルがこんな事を云つて居る」
「どんな事を」
「若しクレオパトラの鼻が少し短かゝつたならば世界の表面に大變化を來《きた》したらうと」
「成程」
「夫《それ》だから君の樣にさう無雜作《むざふさ》に鼻を馬鹿にしてはいかん」
「まあいゝさ、是から大事にするから。そりやさうとして、今日來たのは、少し君に用事があつて來たんだがね――あの元《もと》君のヘへたとか云ふ、水島――えゝ水島えゝ一寸思ひ出せない。――そら君の所へ始終來ると云ふぢやないか」
「寒月《かんげつ》か」
「さう/\寒月々々。あの人の事に就て一寸聞き度い事があつて來たんだがね」
「結婚事件ぢやないか」
「まあ多少|夫《それ》に類似の事さ。今日金田へ行つたら……」
「此間鼻が自分で來た」
「さうか。さうだつて、細君もさう云つて居たよ。苦沙彌さんに、よく伺はうと思つて上つたら、生憎《あいにく》迷亭が來ていて茶々を入れて何が何だか分らなくして仕舞つたつて」
「あんな鼻をつけて來るから惡《わ》るいや」
「いへ君の事を云ふんぢやないよ。あの迷亭君が居つたもんだから、さう立ち入つた事を聞く譯にも行かなかつたので殘念だつたから、もう一遍僕に行つてよく聞いて來てくれないかつて頼まれたものだからね。僕も今迄こんな世話はした事はないが、もし當人同士が嫌《い》やでないなら中へ立つて纒めるのも、決して惡い事はないからね――それでやつて來たのさ」
「御苦勞樣」と主人は冷淡に答へたが、腹の内では當人同士〔四字傍点〕と云ふ語《ことば》を聞いて、どう云ふ譯か分らんが、一寸心を動かしたのである。蒸し熱い夏の夜に一縷《いちる》の冷風《れいふう》が袖口を潜《くゞ》つた樣な氣分になる。元來この主人はぶつ切ら棒の、頑固|光澤《つや》消しを旨として製造された男であるが、去ればと云つて冷酷不人情な文明の産物とは自《おのづ》から其撰を異《こと》にして居る。彼が何《なん》ぞと云ふと、むかつ腹をたてゝぷん/\するのでも這裏《しやり》の消息は會得できる。先日鼻と喧嘩をしたのは鼻が氣に食はぬからで鼻の娘には何の罪もない話しである。實業家は嫌ひだから、實業家の片割れなる金田某も嫌《きらひ》に相違ないが是も娘其人とは沒交渉の沙汰と云はねばならぬ。娘には恩も恨みもなくて、寒月は自分が實の弟よりも愛して居る門下生である。もし鈴木君の云ふ如く、當人同志が好いた仲なら、間接にも之を妨害するのは君子の爲《な》すべき所作《しよさ》でない。――苦沙彌先生は是でも自分を君子と思つて居る。――もし當人同志が好いて居るなら――然しそれが問題である。此事件に對して自己の態度を改めるには、先づ其眞相から確めなければならん。
「君其娘は寒月の所へ來たがつてるのか。金田や鼻はどうでも構はんが、娘自身の意向《いかう》はどうなんだ」
「そりや、その――何だね――何でも――え、來たがつてるんだらうぢやないか」鈴木君の挨拶は少々|曖昧《あいまい》である。實は寒月君の事|丈《だけ》聞いて復命さへすればいゝ積りで、御孃さんの意向《いかう》迄は確かめて來なかつたのである。從つて圓轉滑脱の鈴木君も一寸|狼狽《らうばい》の氣味に見える。
「だらう〔三字傍点〕た判然しない言葉だ」と主人は何事によらず、正面から、どやし付けないと氣が濟まない。
「いや、是や一寸僕の云ひ樣がわるかつた。令孃の方でも慥《たし》かに意《い》があるんだよ。いえ全くだよ――え?――細君が僕にさう云つたよ。何でも時々は寒月君の惡口を云ふ事もあるさうだがね」
「あの娘がか」
「あゝ」
「怪《け》しからん奴だ、惡口を云ふなんて。第一それぢや寒月に意《い》がないんぢやないか」
「そこがさ、世の中は妙なもので、自分の好いて居る人の惡口|抔《など》は殊更《ことさら》云つて見る事もあるからね」
「そんな愚《ぐ》な奴がどこの國に居るものか」と主人は斯樣な人情の機微に立ち入つた事を云はれても頓《とん》と感じがない。
「その愚《ぐ》な奴が隨分世の中にやあるから仕方がない。現に金田の妻君もさう解釋して居るのさ。戸惑《とまど》ひをした糸瓜《へちま》の樣だなんて、時々寒月さんの惡口を云ひますから、餘つ程心の中《うち》では思つてるに相違ありませんと」
主人は此不可思議な解釋を聞いて、餘り思ひ掛けないものだから、眼を丸くして、返答もせず、鈴木君の顔を、大道易者《だいだうえきしや》の樣に眤《ぢつ》と見つめて居る。鈴木君はこいつ、此樣子では、ことによるとやり損なうなと疳《かん》づいたと見えて、主人にも判斷の出來さうな方面へと話頭を移す。
「君考へても分るぢやないか、あれ丈《だけ》の財産があつてあれ丈《だけ》の器量なら、どこへだつて相應の家《うち》へ遣れるだらうぢやないか。寒月君だつてえらい〔三字傍点〕かも知れんが身分から云や――いや身分と云つちや失禮かも知れない。――財産と云ふ點から云や、まあ、だれが見たつて釣り合はんのだからね。それを僕が態々《わざ/\》出張する位兩親が氣を揉んでるのは本人が寒月君に意があるからの事ぢやあないか」と鈴木君は中々うまい理窟をつけて説明を與へる。今度は主人にも納得が出來たらしいので漸く安心したが、こんな所にまご/\して居ると又|吶喊《とつかん》を喰ふ危險があるから、早く話しの歩を進めて、一刻も早く使命を完うする方が萬全の策と心付いた。
「それでね。今云ふ通りの譯であるから、先方で云ふには何も金錢や財産は入らんから其代り當人に附屬した資格が欲しい――資格と云ふと、まあ肩書だね、――博士になつたら遣つてもいゝなんて威張つてる次第ぢやない――誤解しちやいかん。先達《せんだつ》て細君の來た時は迷亭君が居て妙な事ばかり云ふものだから――いえ君が惡いのぢやない。細君も君の事を御世辭のない正直ないゝ方《かた》だと賞めて居たよ。全く迷亭君がわるかつたんだらう。――それでさ本人が博士にでもなつて呉れゝば先方でも世間へ對して肩身が廣い、面目《めんぼく》があると云ふんだがね、どうだらう、近々《きん/\》の内水島君は博士論文でも呈出して、博士の學位を受ける樣な運びには行くまいか。――なあに金田|丈《だけ》なら博士も學士も入らんのさ、唯《たゞ》世間と云ふ者があるとね、さう手輕にも行かんからな」
かう云はれて見ると、先方で博士を請求するのも、あながち無理でもない樣に思はれて來る。無理ではない樣に思はれて來れば、鈴木君の依頼通りにして遣りたくなる。主人を活《い》かすのも殺すのも鈴木君の意の儘である。成程主人は單純で正直な男だ。
「それぢや、今度寒月が來たら、博士論文をかく樣に僕から勸めて見《み》樣《やう》。然し當人が金田の娘を貰ふ積りか何《どう》だか、それから先づ問ひ正《たゞ》して見なくちやいかんからな」
「問ひ正《たゞ》すなんて、君そんな角張《かどば》つた事をして物が纒まるものぢやない。矢つ張り普通の談話の際に夫《それ》となく氣を引いて見るのが一番近道だよ」
「氣を引いて見る?」
「うん、氣を引くと云ふと語弊があるかも知れん。――なに氣を引かんでもね。話しをして居ると自然分るもんだよ」
「君にや分るかも知れんが、僕にや判然と聞かん事は分らん」
「分らなけりや、まあ好いさ。然し迷亭君見た樣に餘計な茶々を入れて打《ぶ》ち壞はすのは善くないと思ふ。假令《たとひ》勸めない迄も、こんな事は本人の隨意にすべき筈のものだからね。今度寒月君が來たら可成《なるべく》どうか邪魔をしない樣にして呉れ給へ。――いえ君の事ぢやない、あの迷亭君の事さ。あの男の口にかゝると到底助かりつこないんだから」と主人の代理に迷亭の惡口をきいて居ると、噂《うはさ》をすれば陰の喩《たとへ》に洩《も》れず迷亭先生例の如く勝手口から飄然と春風《しゆんぷう》に乘じて舞ひ込んで來る。
「いやー珍客だね。僕の樣な狎客《かふかく》になると苦沙彌は兎角粗略にしたがつていかん。何でも苦沙彌のうちへは十年に一遍位くるに限る。此菓子はいつもより上等ぢやないか」と藤村《ふぢむら》の羊羹《やうかん》を無雜作《むぞふさ》に頬張る。鈴木君はもぢ/\して居る。主人はにや/\して居る。迷亭は口をもが/\さして居る。吾輩は此瞬時の光景を椽側から拜見して無言劇と云ふものは優に成立し得ると思つた。禪家《ぜんけ》で無言の問答をやるのが以心傳心であるなら、此無言の芝居も明かに以心傳心の幕である。頗る短かいけれども頗る鋭どい幕である。
「君は一生|旅烏《たびがらす》かと思つてたら、いつの間《ま》にか舞ひ戻つたね。長生《ながいき》はしたいもんだな。どんな僥倖《げうかう》に廻《めぐ》り合はんとも限らんからね」と迷亭は鈴木君に對しても主人に對する如く毫も遠慮と云ふ事を知らぬ。如何《いか》に自炊の仲間でも十年も逢はなければ、何となく氣の置けるものだが迷亭君に限つて、そんな素振《そぶり》も見えぬのは、えらいのだか馬鹿なのか一寸見當がつかぬ。
「可哀《かはい》さうに、そんなに馬鹿にしたものでもない」と鈴木君は當らず障らずの返事はしたが、何となく落ちつきかねて、例の金鎖を神經的にいぢつて居る。
「君電氣鐵道へ乘つたか」と主人は突然鈴木君に對して奇問を發する。
「今日は諸君からひやかされに來た樣なものだ。なんぼ田舍者だつて――是でも街鐵《がいてつ》を六十株持つてるよ」
「そりや馬鹿に出來ないな。僕は八百八十八株半持つて居たが、惜しい事に大方《おほかた》蟲が喰つて仕舞つて、今ぢや半株ばかりしかない。もう少し早く君が東京へ出てくれば、蟲の喰はない所を十株ばかりやる所だつたが惜しい事をした」
「相變らず口が惡《わ》るい。然し冗談は冗談として、あゝ云ふ株は持つてゝ損はないよ、年々《ねん/\》高くなる許《ばか》りだから」
「さうだ假令《たとひ》半株だつて千年も持つてるうちにや倉が三つ位建つからな。君も僕も其邊にぬかりはない當世の才子だが、そこへ行くと苦沙彌|抔《など》は憐れなものだ。株と云へば大根の兄弟分位に考へて居るんだから」と又羊羹をつまんで主人の方を見ると、主人も迷亭の食《く》ひ氣《け》が傳染して自《おの》づから菓子皿の方へ手が出る。世の中では萬事積極的のものが人から眞似らるゝ權利を有して居る。
「株|抔《など》はどうでも構はんが、僕は曾呂崎《そろさき》に一度でいゝから電車へ乘らしてやりたかつた」と主人は喰ひ缺けた羊羹の齒痕《はあと》を撫然《ぶぜん》として眺める。
「曾呂崎が電車へ乘つたら、乘るたんびに品川迄行つて仕舞ふは、それよりやつぱり天然居士で澤庵石へ彫り付けられてる方が無事でいゝ」
「曾呂崎と云へば死んださうだな。氣の毒だねえ、いゝ頭の男だつたが惜しい事をした」と鈴木君が云ふと、迷亭は直《たゞ》ちに引き受けて
「頭は善かつたが、飯を焚く事は一番下手だつたぜ。曾呂崎の當番の時には、僕あいつでも外出をして蕎麥《そば》で凌《しの》いで居た」
「ほんとに曾呂崎の焚いた飯は焦《こ》げくさくつて心《しん》があつて僕も弱つた。御負けに御菜《おかず》に必ず豆腐をなまで食はせるんだから、冷たくて食はれやせん」と鈴木君も十年前の不平を記憶の底から喚び起す。
「苦沙彌はあの時代から曾呂崎の親友で毎晩一所に汁粉を食ひに出たが、其|祟《たゝ》りで今ぢや慢性胃弱になつて苦しんで居るんだ。實を云ふと苦沙彌の方が汁粉の數を餘計食つてるから曾呂崎より先へ死んで宜《い》い譯なんだ」
「そんな論理がどこの國にあるものか。俺の汁粉より君は運動と號して、毎晩|竹刀《しなひ》を持つて裏の卵塔婆《らんたふば》へ出て、石塔を叩いてる所を坊主に見つかつて劔突を食つたぢやないか」と主人も負けぬ氣になつて迷亭の舊惡を曝《あば》く。
「アハヽヽさう/\坊主が佛樣の頭を叩いては安眠の妨害になるからよして呉れつて言つたつけ。然し僕のは竹刀《しなひ》だが、此鈴木將軍のは手暴《てあら》だぜ。石塔と相撲をとつて大小三個|許《ばか》り轉がして仕舞つたんだから」
「あの時の坊主の怒り方は實に烈しかつた。是非元の樣に起せと云ふから人足を傭《やと》ふ迄待つて呉れと云つたら人足ぢやいかん懺悔の意を表する爲にあなたが自身で起さなくては佛の意に脊《そむ》くと云ふんだからね」
「其時の君の風采はなかつたぜ、金巾《かなきん》のしやつに越中褌《ゑつちゆうふんどし》で雨上りの水溜りの中でうん/\唸つて……」
「それを君が濟《すま》した顔で寫生するんだから苛《ひど》い。僕は餘り腹を立てた事のない男だが、あの時|許《ばか》りは失敬だと心《しん》から思つたよ。あの時の君の言草をまだ覺えて居るが君は知つてるか」
「十年前の言草なんか誰が覺えて居るものか、然しあの石塔に歸泉院殿黄鶴大居士《きせんゐんでんくわうかくだいこじ》安永五年|辰《たつ》正月と彫つてあつたの丈《だけ》はいまだに記憶して居る。あの石塔は古雅に出來て居たよ。引き越す時に盗んで行きたかつた位だ。實に美學上の原理に叶《かな》つて、ゴシツク趣味な石塔だつた」と迷亭は又好い加減な美學を振り廻す。
「そりやいゝが、君の言草がさ。かうだぜ――吾輩は美學を專攻する積りだから天地間《てんちかん》の面白い出來事は可成《なるべく》寫生して置いて將來の參考に供さなければならん、氣の毒だの、可哀相《かはいさう》だのと云ふ私情は學問に忠實なる吾輩如きものゝ口にすべき所でないと平氣で云ふのだらう。僕もあんまりな不人情な男だと思つたから泥だらけの手で君の寫生帖を引き裂いて仕舞つた」
「僕の有望な畫才が頓挫《とんざ》して一向《いつかう》振はなくなつたのも全くあの時からだ。君に機鋒《きほう》を折られたのだね。僕は君に恨がある」
「馬鹿にしちやいけない。こつちが恨めしい位だ」
「迷亭はあの時分から法螺吹だつたな」と主人は羊羹を食ひ了つて再び二人の話の中に割り込んで來る。
「約束なんか履行した事がない。夫《それ》で詰問を受けると決して詫びた事がない何とか蚊とか云ふ。あの寺の境内に百日紅《さるすべり》が咲いて居た時分、此|百日紅《さるすべり》が散る迄に美學原論と云ふ著述をすると云ふから、駄目だ、到底出來る氣遣はないと云つたのさ。すると迷亭の答へに僕はかう見えても見掛けに寄らぬ意志の強い男である、そんなに疑ふなら賭《かけ》を仕《し》樣《やう》と云ふから僕は眞面目に受けて何でも神田の西洋料理を奢《おご》りつこかなにかに極めた。屹度書物なんか書く氣遣はないと思つたから賭《かけ》をした樣なものゝ内心は少々恐ろしかつた。僕に西洋料理なんか奢《おご》る金はないんだからな。所が先生|一向《いつかう》稿を起す景色《けしき》がない。七日《なぬか》立つても二十日《はつか》立つても一枚も書かない。愈《いよ/\》百日紅《さるすべり》が散つて一輪の花もなくなつても當人平氣で居るから、愈《いよ/\》西洋料理に有り付いたなと思つて契約履行を逼ると迷亭濟まして取り合はない」
「又何とか理窟をつけたのかね」と鈴木君が相の手を入れる。
「うん、實にづう/\しい男だ。吾輩は外に能はないが意志|丈《だけ》は決して君方に負けはせんと剛情を張るのさ」
「一枚も書かんのにか」と今度は迷亭君自身が質問をする。
「無論さ、其時君はかう云つたぜ。吾輩は意志の一點に置いては敢て何人《なんぴと》にも一歩も讓らん。然し殘念な事には記憶が人一倍無い。美學原論を著はさうとする意志は充分あつたのだが其意志を君に發表した翌日から忘れて仕舞つた。夫《それ》だから百日紅《さるすべり》の散る迄に著書が出來なかつたのは記憶の罪で意志の罪ではない。意志の罪でない以上は西洋料理|抔《など》を奢る理由がないと威張つて居るのさ」
「成程迷亭君一流の特色を發揮して面白い」と鈴木君は何故《なぜ》だか面白がつて居る。迷亭の居らぬ時の語氣とは餘程違つて居る。是が利口な人の特色かも知れない。
「何が面白いものか」と主人は今でも怒《おこ》つて居る樣子である。
「夫《それ》は御氣の毒樣、夫《それ》だから其|埋合《うめあは》せをする爲に孔雀の舌なんかを金と太鼓で探して居るぢやないか。まあさう怒《おこ》らずに待つて居るさ。然し著書と云へば君、今日は一大珍報を齎《もた》らして來たんだよ」
「君はくるたびに珍報を齎《もた》らす男だから油斷が出來ん」
「所が今日の珍報は眞の珍報さ。正札付一厘も引けなしの珍報さ。君寒月が博士論文の稿を起したのを知つて居るか。寒月はあんな妙に見識張つた男だから博士論文なんて無趣味な勞力はやるまいと思つたら、あれで矢つ張り色氣があるから可笑《をか》しいぢやないか。君あの鼻に是非通知してやるがいゝ、此頃は團栗博士《どんぐりはかせ》の夢でも見て居るかも知れない」
鈴木君は寒月の名を聞いて、話しては行《い》けぬ/\と顋《あご》と眼で主人に合圖する。主人には一向《いつかう》意味が通じない。先《さ》つき鈴木君に逢つて説法を受けた時は金田の娘の事|許《ばか》りが氣の毒になつたが、今迷亭から鼻々と云はれると又先日喧嘩をした事を思ひ出す。思ひ出すと滑稽でもあり、又少々は惡《にく》らしくもなる。然し寒月が博士論文を草しかけたのは何よりの御見《おみ》やげで、是|許《ばか》りは迷亭先生自賛の如く先づ/\近來の珍報である。啻《たゞ》に珍報のみならず、嬉しい快よい珍報である。金田の娘を貰はうが貰ふまいがそんな事は先づどうでもよい。兎に角寒月の博士になるのは結構である。自分の樣に出來損ひの木像は佛師屋の隅で蟲が喰ふ迄|白木《しらき》の儘|燻《くすぶ》つて居ても遺憾はないが、是は旨く仕上がつたと思ふ彫刻には一日も早く箔を塗つてやりたい。
「本當に論文を書きかけたのか」と鈴木君の合圖はそつち除《の》けにして、熱心に聞く。
「よく人の云ふ事を疑ぐる男だ。――尤も問題は團栗《どんぐり》だか首縊《くびくゝ》りの力學だか確《しか》と分らんがね。兎に角寒月の事だから鼻の恐縮する樣なものに違ひない」
先《さ》つきから迷亭が鼻々と無遠慮に云ふのを聞くたんびに鈴木君は不安の樣子をする。迷亭は少しも氣が付かないから平氣なものである。
「其後鼻に就て又研究をしたが、此頃トリストラム、シヤンデーの中に鼻論《はなろん》があるのを發見した。金田の鼻|抔《など》もスターンに見せたら善い材料になつたらうに殘念な事だ。鼻名《びめい》を千載《せんざい》に垂れる資格は充分ありながら、あのまゝで朽ち果つるとは不憫千萬だ。今度こゝへ來たら美學上の參考の爲に寫生してやらう」と相變らず口から出任《でまか》せに喋舌《しやべ》り立てる。
「然しあの娘は寒月の所へ來たいのださうだ」と主人が今鈴木君から聞いた通りを述べると、鈴木君は是は迷惑だと云ふ顔付をして頻りに主人に目くばせをするが、主人は不導體の如く一向《いつかう》電氣に感染しない。
「一寸|乙《おつ》だな、あんな者の子でも戀をする所が、然し大した戀ぢやなからう、大方|鼻戀《はなごひ》位な所だぜ」
「鼻戀《はなごひ》でも寒月が貰へばいゝが」
「貰へばいゝがつて、君は先日大反對だつたぢやないか。今日はいやに軟化して居るぜ」
「軟化はせん、僕は決して軟化はせん然し……」
「然しどうか〔三字傍点〕したんだらう。ねえ鈴木、君も實業家の末席《ばつせき》を汚《けが》す一人だから參考の爲に言つて聞かせるがね。あの金田某なる者さ。あの某なるものゝ息女|抔《など》を天下の秀才水島寒月の令夫人と崇《あが》め奉るのは、少々提燈と釣鐘と云ふ次第で、我々朋友たる者が冷々《れい/\》黙過する譯に行かん事だと思ふんだが、たとひ實業家の君でも是には異存はあるまい」
「相變らず元氣がいゝね。結構だ。君は十年前と容子が少しも變つて居ないからえらい」と鈴木君は柳に受けて、胡麻化《ごまか》さうとする。
「えらいと褒めるなら、もう少し博學な所を御目にかけるがね。昔《むか》しの希臘人《ギリシヤじん》は非常に體育を重んじたものであらゆる競技に貴重なる懸賞を出して百方奬勵の策を講じたものだ。然るに不思議な事には學者の智識〔二字傍点〕に對してのみは何等の褒美も與へたと云ふ記録がなかつたので、今日《こんにち》迄《まで》實は大《おほい》に怪しんで居た所さ」
「成程少し妙だね」と鈴木君はどこ迄も調子を合せる。
「然るについ兩三日前に至つて、美學研究の際不圖其理由を發見したので多年の疑團《ぎだん》は一度に氷解。漆桶《しつつう》を拔くが如く痛快なる悟りを得て歡天喜地《くわんてんきち》の至境に達したのさ」
あまり迷亭の言葉が仰山なので、さすが御上手者の鈴木君も、こりや手に合はないと云ふ顔付をする。主人は又始まつたなと云はぬ許《ばか》りに、象牙の箸で菓子皿の縁《ふち》をかん/\叩いて俯《う》つ向《む》いて居る。迷亭|丈《だけ》は大得意で辯じつゞける。
「そこで此矛盾なる現象の説明を明記して、暗黒の淵から吾人の疑を千載《せんざい》の下《もと》に救ひ出してくれた者は誰だと思ふ。學問あつて以來の學者と稱せらるゝ彼《か》の希臘《ギリシヤ》の哲人、逍遙派《せうえうは》の元祖アリストートル其人である。彼の説明に曰くさ――おい菓子皿|抔《など》を叩かんで謹聽して居なくちやいかん。――彼等|希臘人《ギリシヤじん》が競技に於て得る所の賞與は彼等が演ずる技藝其物より貴重なものである。それ故に褒美にもなり、奬勵の具ともなる。然し智識其物に至つてはどうである。もし智識に對する報酬として何物をか與へんとするならば智識以上の價値あるものを與へざるべからず。然し智識以上の珍寶が世の中にあらうか。無論ある筈がない。下手なものを遣れば智識の威嚴を損する譯になる許《ばか》りだ。彼等は智識〔二字傍点〕に對して千兩箱をオリムパスの山程積み、クリーサスの富を傾《かたむ》け盡しても相當の報酬を與へんとしたのであるが、如何に考へても到底釣り合ふ筈がないと云ふ事を觀破《くわんぱ》して、それより以來と云ふものは奇麗さつぱり何にも遣らない事にして仕舞つた。黄白青錢《くわうはくせいせん》が智識の匹敵でない事は是で十分理解出來るだらう。偖《さて》此原理を服膺《ふくよう》した上で時事問題に臨んで見るがいゝ。金田某は何だい紙幣《さつ》に眼鼻をつけた丈《だけ》の人間ぢやないか、奇警なる語をもつて形容するならば彼は一個の活動紙幣《くわつどうしへい》に過ぎんのである。活動紙幣の娘なら活動切手位な所だらう。翻《ひるがへ》つて寒月君は如何《いかん》と見ればどうだ。辱けなくも學問最高の府を第一位に卒業して毫も倦怠の念なく長州征伐時代の羽織の紐をぶら下げて、日夜|團栗《どんぐり》のスタビリチーを研究し、夫《それ》でも猶《なほ》滿足する樣子もなく、近々《きん/\》の中ロード、ケル?ンを壓倒する程な大論文を發表し樣《やう》としつゝあるではないか。會《たまた》ま吾妻橋を通り掛つて身投げの藝を仕損じた事はあるが、これも熱誠なる青年に有りがちの發作的所爲《ほつさてきしよゐ》で毫も彼が智識の問屋《とんや》たるに煩ひを及ぼす程の出來事ではない。迷亭一流の喩《たとへ》をもつて寒月君を評すれば彼は活動圖書館である。智識をもつて捏《こ》ね上げたる二十八|珊《サンチ》の彈丸である。此彈丸が一たび時機を得て學界に爆發するなら、――もし爆發して見給へ――爆發するだらう――」迷亭はこゝに至つて迷亭一流と自稱する形容詞が思ふ樣に出て來ないので俗に云ふ龍頭蛇尾《りゆうとうだび》の感に多少ひるんで見えたがた忽ち「活動切手|抔《など》は何千萬枚あつたつて粉《こ》な微塵になつて仕舞ふさ。それだから寒月には、あんな釣り合はない女性《によしやう》は駄目だ。僕が不承知だ、百獣の中《うち》で尤も聡明なる大象と、尤も貪婪《たんらん》なる小豚と結婚する樣なものだ。さうだらう苦沙彌君」と云つて退《の》けると、主人は又黙つて菓子皿を叩き出す。鈴木君は少し凹《へこ》んだ氣味で
「そんな事も無からう」と術《じゆつ》なげに答へる。先《さ》つき迄迷亭の惡口を隨分ついた揚句こゝで無暗な事を云ふと、主人の樣な無法者はどんな事を素《す》つ破拔《ぱぬ》くか知れない。可成《なるべく》こゝは好《いゝ》加減に迷亭の鋭鋒をあしらつて無事に切り拔けるのが上分別なのである。鈴木君は利口者である。入らざる抵抗は避けらるゝ|丈《だけ》避けるのが當世で、無要の口論は封建時代の遺物と心得て居る。人生の目的は口舌ではない實行にある。自己の思ひ通りに着々事件が進捗すれば、それで人生の目的は達せられたのである。苦勞と心配と爭論とがなくて事件が進捗すれば人生の目的は極樂流に達せられるのである。鈴木君は卒業後此極樂主義によつて成功し、此極樂主義によつて金時計をぶら下げ、此極樂主義で金田夫婦の依頼をうけ、同じく此極樂主義でまんまと首尾よく苦沙彌君を説き落して當該事件が十中八九迄成就した所へ、迷亭なる常規をもつて律すべからざる、普通の人間以外の心理作用を有するかと怪まるゝ風來坊《ふうらいばう》が飛び込んで來たので少々其突然なるに面喰《めんくら》つて居る所である。極樂主義を發明したものは明治の紳士で、極樂主義を實行するものは鈴木藤十郎君で、今此極樂主義で困却しつゝあるものも又鈴木藤十郎君である。
「君は何にも知らんからさうでもなからう〔八字傍点〕抔《など》と澄し返つて、例になく言葉|寡《ずく》なに上品に控え込むが、先達《せんだつ》てあの鼻の主《ぬし》が來た時の容子を見たら如何に實業家|贔負《びいき》の尊公でも辟易するに極つてるよ、ねえ苦沙彌君、君|大《おほい》に奮闘したぢやないか」
「それでも君より僕の方が評判がいゝさうだ」
「アハヽヽ中々自信が強い男だ。夫《それ》でなくてはサ※[エに濁點]ジ、チーなんて生徒やヘ師にからかはれて濟《すま》まして學校へ出ちや居られん譯だ。僕も意志は決して人に劣らん積《つもり》だが、そんなに圖太くは出來ん敬服の至りだ」
「生徒やヘ師が少々愚圖々々言つたつて何が恐ろしいものか、サントブーヴは古今獨歩の評論家であるが巴里《パリ》大學で講義をした時は非常に不評判で、彼は學生の攻撃に應ずる爲め外出の際必ず匕首《あひくち》を袖の下に持つて防禦の具となした事がある。ブルヌチエルが矢張り巴里《パリ》の大學でゾラの小説を攻撃した時は……」
「だつて君や大學のヘ師でも何でもないぢやないか。高がリードルの先生でそんな大家を例に引くのは雜魚《ざこ》が鯨をもつて自《みづか》ら喩《たと》へる樣なもんだ、そんな事を云ふと猶《なほ》からかはれるぜ」
「黙つていろ。サントブーヴだつて俺だつて同じ位な學者だ」
「大變な見識だな。然し懷劔をもつて歩行《ある》く丈《だけ》はあぶないから眞似《まね》ない方がいゝよ。大學のヘ師が懷劔ならリードルのヘ師はまあ小刀《こがたな》位な所だな。然し夫《それ》にしても刃物は劔呑《けんのん》だから仲見世へ行つておもちやの空氣銃を買つて來て脊負《しよ》つてあるくがよからう。愛嬌があつていゝ。ねえ鈴木君」と云ふと鈴木君は漸く話が金田事件を離れたのでほつと一息つきながら
「相變らず無邪氣で愉快だ。十年振りで始めて君等に逢つたんで何だか窮屈な路次《ろじ》から廣い野原へ出た樣な氣持がする。どうも我々仲間の談話は少しも油斷がならなくてね。何を云ふにも氣を置かなくちやならんから心配で窮屈で實に苦しいよ。話は罪がないのがいゝね。そして昔《むか》しの書生時代の友達と話すのが一番遠慮がなくつていゝ。あゝ今日は圖らず迷亭君に遇つて愉快だつた。僕はちと用事があるから是で失敬する」と鈴木君が立ち懸けると、迷亭も「僕もいかう、僕は是から日本橋の演藝矯風會《えんげいけうふうくわい》に行かなくつちやならんから、そこ迄一所に行かう」「そりや丁度いゝ久し振りで一所に散歩し樣《やう》」と兩君は手を携へて歸る。
五
二十四時間の出來事を洩れなく書いて、洩れなく讀むには少なくも二十四時間かゝるだらう、いくら寫生文を鼓吹する吾輩でも是は到底猫の企《くはだ》て及ぶべからざる藝當と自白せざるを得ない。從つて如何《いか》に吾輩の主人が、二六時中精細なる描寫に價《あたひ》する奇言奇行を弄するにも關らず逐一之を讀者に報知するの能力と根氣のないのは甚だ遺憾である。遺憾ではあるが已《やむ》を得ない。休養は猫と雖も必要である。鈴木君と迷亭君の歸つたあとは木枯しのはたと吹き息《や》んで、しん/\と降る雪の夜の如く靜かになつた。主人は例の如く書齋へ引き籠る。小供は六疊の間《ま》へ枕をならべて寐る。一間半の襖を隔てゝ南向の室《へや》には細君が數へ年三つになる、めん子さんと添乳《そへぢ》して横になる。花曇りに暮れを急いだ日は疾《と》く落ちて、表を通る駒下駄の音さへ手に取る樣に茶の間へ響く。隣町《となりちやう》の下宿で明笛《みんてき》を吹くのが絶えたり續いたりして眠い耳底《じてい》に折々鈍い刺激を與へる。外面《そと》は大方|朧《おぼろ》であらう。晩餐に半《はん》ぺんの※[者/火]汁《だし》で鮑貝《あはびがひ》をからにした腹ではどうしても休養が必要である。
ほのかに承《うけたま》はれば世間には猫の戀とか稱する俳諧趣味の現象があつて、春さきは町内の同族共の夢安からぬ迄浮かれ歩《あ》るく夜もあるとか云ふが、吾輩はまだかゝる心的變化に遭逢《さうほう》した事はない。抑《そもそ》も戀は宇宙的の活力である。上《かみ》は在天の神ジユピターより下《しも》は土中に鳴く蚯蚓《みゝず》、おけらに至る迄此道にかけて浮身を窶《やつ》すのが萬物の習ひであるから、吾輩どもが朧《おぼろ》うれしと、物騷な風流氣を出すのも無理のない話しである。回顧すればかく云ふ吾輩も三毛子《みけこ》に思ひ焦《こ》がれた事もある。三角主義の張本金田君の令孃阿倍川の富子さへ寒月君に戀慕したと云ふ噂である。それだから千金の春宵《しゆんせう》を心も空に滿天下の雌猫《めねこ》雄猫《をねこ》が狂い廻るのを煩惱《ぼんなう》の迷《まよひ》のと輕蔑する念は毛頭ないのであるが、如何《いかん》せん誘はれてもそんな心が出ないから仕方がない。吾輩目下の?態は只休養を欲するのみである。かう眠くては戀も出來ぬ。のそ/\と小供の布團の裾《すそ》へ廻つて心地快《こゝちよ》く眠る。……
不圖眼を開《あ》いて見ると主人はいつの間《ま》にか書齋から寢室へ來て細君の隣に延べてある布團の中にいつの間《ま》にか潜《もぐ》り込んで居る。主人の癖として寐る時は必ず横文字の小本《こほん》を書齋から携へて來る。然し横になつて此本を二頁と續けて讀んだ事はない。ある時は持つて來て枕元へ置いたなり、丸《まる》で手を觸れぬ事さへある。一行も讀まぬ位なら態々《わざ/\》提《さ》げてくる必要もなささうなものだが、そこが主人の主人たる所でいくら細君が笑つても、止せと云つても、決して承知しない。毎夜讀まない本を御苦勞千萬にも寢室迄運んでくる。ある時は慾張つて三四册も抱《かゝ》へて來る。先達《せんだつて》中《ぢゆう》は毎晩ウエブスターの大字典さへ抱へて來た位である。思ふに是は主人の病氣で贅澤な人が龍文堂《りゆうぶんだう》に鳴る松風の音を聞かないと寐つかれない如く、主人も書物を枕元に置かないと眠れないのであらう、して見ると主人に取つては書物は讀む者ではない眠を誘ふ器械である。活版の睡眠劑である。
今夜も何か有るだらうと覗いて見ると、赤い薄い本が主人の口髯の先につかへる位な地位に半分開かれて轉がつて居る。主人の左の手の拇指《おやゆび》が本の間に挾まつた儘である所から推すと奇特にも今夜は五六行讀んだものらしい。赤い本と並んで例の如くニツケルの袂時計が春に似合はぬ寒き色を放つて居る。
細君は乳呑兒を一尺|許《ばか》り先へ放《はふ》り出して口を開《あ》いていびきをかいて枕を外《はづ》して居る。凡そ人間に於いて何が見苦しいと云つて口を開けて寐る程の不體裁はあるまいと思ふ。猫|抔《など》は生涯こんな耻をかいた事がない。元來口は音を出す爲め鼻は空氣を吐呑《とどん》する爲の道具である。尤も北の方へ行くと人間が無精になつて可成《なるべく》口をあくまいと儉約をする結果鼻で言語を使ふ樣なズー/\もあるが、鼻を閉塞して口|許《ばか》りで呼吸の用を辯じて居るのはズー/\よりも見ともないと思ふ。第一天井から鼠の糞《ふん》でも落ちた時危險である。
小供の方はと見ると是も親に劣らぬ體《てい》たらくで寢そべつて居る。姉のとん子は、姉の權利はこんなものだと云はぬ許《ばか》りにうんと右の手を延ばして妹の耳の上へのせて居る。妹のすん子は其復讐に姉の腹の上に片足をあげて踏反《ふんぞ》り返つて居る。双方共寐た時の姿勢より九十度は慥《たし》かに廻轉して居る。しかも此不自然なる姿勢を維持しつゝ兩人とも不平も云はず大人《おとな》しく熟睡して居る。
さすがに春の燈火《ともしび》は格別である。天眞爛漫ながら無風流極まる此光景の裏《うち》に良夜を惜しめと許《ばか》り床《ゆか》しげに輝やいて見える。もう何時《なんじ》だらうと室《へや》の中を見廻すと四隣はしんとして只聞えるものは柱時計と細君のいびきと遠方で下女の齒軋《はぎし》りをする音のみである。此下女は人から齒軋《はぎし》りをすると云はれるといつでも之を否定する女である。私は生れてから今日《こんにち》に至る迄|齒軋《はぎし》りをした覺は御座いませんと強情を張つて決して直しませうとも御氣の毒で御座いますとも云はず、只そんな覺は御座いませんと主張する。成程寐ていてする藝だから覺はないに違ない。然し事實は覺がなくても存在する事があるから困る。世の中には惡い事をして居りながら、自分はどこ迄も善人だと考へて居るものがある。是は自分が罪がないと自信して居るのだから無邪氣で結構ではあるが、人の困る事實は如何に無邪氣でも滅却する譯には行かぬ。かう云ふ紳士淑女は此下女の系統に屬するのだと思ふ。――夜《よ》は大分《だいぶ》更《ふ》けた樣だ。
臺所の雨戸にトン/\と二返|許《ばか》り輕く中《あた》つた者がある。はてな今頃人の來る筈がない。大方例の鼠だらう、鼠なら捕《と》らん事に極めて居るから勝手にあばれるが宜しい。――又トン/\と中《あた》る。どうも鼠らしくない。鼠としても大變用心深い鼠である。主人の内の鼠は、主人の出る學校の生徒の如く日中《につちゆう》でも夜中《やちゆう》でも亂暴狼藉の練修に餘念なく、憫然なる主人の夢を驚破《きやうは》するのを天職の如く心得て居る連中だから、斯《かく》の如く遠慮する譯がない。今のは慥《たし》かに鼠ではない。先達《せんだつ》て抔《など》は主人の寢室に迄|闖入《ちんにふ》して高からぬ主人の鼻の頭を囓《か》んで凱歌《がいか》を奏して引き上げた位の鼠にしては餘り臆病すぎる。決して鼠ではない。今度はギーと雨戸を下から上へ持ち上げる音がする、同時に腰障子を出來る丈《だけ》緩やかに、溝に添ふて滑らせる。愈《いよ/\》鼠ではない。人間だ。此深夜に人間が案内も乞はず戸締《とじまり》を外《は》づして御光來になるとすれば迷亭先生や鈴木君ではないに極つて居る。御高名|丈《だけ》は兼ねて承《うけたま》はつて居る泥棒陰士《どろぼういんし》ではないか知らん。愈《いよ/\》陰士とすれば早く尊顔を拜したいものだ。陰士は今や勝手の上に大いなる泥足を上げて二足《ふたあし》許《ばか》り進んだ模樣である。三足目と思ふ頃|揚板《あげいた》に蹶《つまづ》いてか、ガタリと夜《よる》に響く樣な音を立てた。吾輩の脊中の毛が靴刷毛《くつばけ》で逆《ぎやく》に擦《こ》すられた樣な心持がする。しばらくは足音もしない。細君を見ると未《ま》だ口をあいて太平の空氣を夢中に吐呑《とどん》して居る。主人は赤い本に拇指《おやゆび》を挾まれた夢でも見て居るのだらう。やがて臺所でマチを擦《す》る音が聞える。陰士でも吾輩程夜陰に眼は利かぬと見える。勝手がわるくて定めし不都合だらう。
此時吾輩は蹲踞《うづく》まりながら考へた。陰士は勝手から茶の間の方面へ向けて出現するのであらうか、又は左へ折れ玄關を通過して書齋へと拔けるであらうか。――足音は襖《ふすま》の音と共に椽側へ出た。陰士は愈《いよ/\》書齋へ這入つた。それぎり音も沙汰もない。
吾輩は此|間《ま》に早く主人夫婦を起して遣りたいものだと漸く氣が付いたが、偖《さて》どうしたら起きるやら、一向《いつかう》要領を得ん考のみが頭の中に水車《みづぐるま》の勢で廻轉するのみで、何等の分別も出ない。布團の裾《すそ》を啣《くわ》へて振つて見たらと思つて、二三度やつて見たが少しも効用がない。冷たい鼻を頬に擦《す》り付けたらと思つて、主人の顔の先へ持つて行つたら、主人は眠つた儘、手をうんと延ばして、吾輩の鼻づらを否《い》やと云ふ程突き飛ばした。鼻は猫にとつても急所である。痛む事|夥《おびたゞ》しい。此度《こんど》は仕方がないからにやー/\と二返|許《ばか》り鳴いて起こさうとしたが、どう云ふものか此時|許《ばか》りは咽喉《のど》に物が痞《つか》へて思ふ樣な聲が出ない。やつとの思ひで澁りながら低い奴を少々出すと驚居た。肝心の主人は覺《さ》める氣色《けしき》もないのに突然陰士の足音がし出した。ミチリ/\と椽側を傳《つた》つて近づいて來る。愈《いよ/\》來たな、かうなつてはもう駄目だと諦《あき》らめて、襖《ふすま》と柳行李の間にしばしの間身を忍ばせて動靜を窺《うか》がふ。
陰士の足音は寢室の障子の前へ來てぴたりと已《や》む。吾輩は息を凝《こ》らして、此次は何をするだらうと一生懸命になる。あとで考へたが鼠を捕《と》る時は、こんな氣分になれば譯はないのだ、魂《たましひ》が兩方の眼から飛び出しさうな勢《いきほひ》である。陰士の御蔭で二度とない悟《さとり》を開いたのは實に難有《ありがた》い。たちまち障子の桟《さん》の三つ目が雨に濡れた樣に眞中|丈《だけ》色が變る。それを透《すか》して薄紅《うすくれなゐ》なものが漸々《だん/\》濃く寫つたと思ふと、紙はいつか破れて、赤い舌がぺろりと見えた。舌はしばしの間《ま》に暗い中に消える。入れ代つて何だか恐しく光るものが一つ、破れた孔《あな》の向側にあらはれる。疑ひもなく陰士の眼である。妙な事には其眼が、部屋の中にある何物をも見ないで、只《たゞ》柳行李の後《うしろ》に隱れて居た吾輩のみを見詰めて居る樣に感ぜられた。一分にも足らぬ間《ま》ではあつたが、かう睨まれては壽命が縮まると思つた位である。もう我慢出來んから行李の影から飛出さうと決心した時、寢室の障子がスーと明いて待ち兼ねた陰士がついに眼前にあらはれた。
吾輩は叙述の順序として、不時の珍客なる泥棒陰士其人をこの際諸君に御紹介するの榮譽を有する譯であるが、其前|一寸《ちよつと》卑見を開陳して御高慮を煩はしたい事がある。古代の神は全智全能と崇められて居る。ことに耶蘇ヘの神は二十世紀の今日《こんにち》迄《まで》も此全智全能の面《めん》を被《かぶ》つて居る。然し俗人の考ふる全智全能は、時によると無智無能とも解釋が出來る。かう云ふのは明かにパラドツクスである。然るに此パラドツクスを道破《だうは》した者は天地開闢《てんちかいびやく》以來吾輩のみであらうと考へると、自分ながら滿更《まんざら》な猫でもないと云ふ虚榮心も出るから、是非共こゝに其理由を申し上げて、猫も馬鹿に出來ないと云ふ事を、高慢なる人間諸君の腦裏に叩き込みたいと考へる。天地萬有は神が作つたさうな、して見れば人間も神の御製作であらう。現に聖書とか云ふものには其通りと明記してあるさうだ。偖《さて》此人間に就て、人間自身が數千年來の觀察を積んで、大《おほい》に玄妙不思議がると同時に、益々《ます/\》神の全智全能を承認する樣に傾いた事實がある。それは外でもない、人間も斯樣《かやう》にうぢや/\居るが同じ顔をして居る者は世界中に一人も居ない。顔の道具は無論極つて居る、大《おほき》さも大概は似たり寄つたりである。換言すれば彼等は皆同じ材料から作り上げられて居る、同じ材料で出來て居るにも關《かゝは》らず一人も同じ結果に出來上つて居らん。よくまああれ丈《だけ》の簡單な材料でかく迄異樣な顔を思ひ就《つ》いた者だと思ふと、製造家の伎倆に感服せざるを得ない。餘程獨創的な想像力がないとこんな變化は出來んのである。一代の畫工が精力を消耗《せうかう》して變化を求めた顔でも十二三種以外に出る事が出來んのをもつて推せば、人間の製造を一手《いつて》で受負《うけお》つた神の手際《てぎは》は格別な者だと驚嘆せざるを得ない。到底人間社會に於いて目撃し得ざる底《てい》の伎倆であるから、是を全能的伎倆と云つても差し支ないだらう。人間は此點に於て大《おほい》に神に恐れ入つて居る樣である、成程人間の觀察點から云へば尤もな恐れ入り方である。然し猫の立場から云ふと同一の事實が却つて神の無能力を證明して居る共《とも》解釋が出來る。もし全然無能でなく共《とも》人間以上の能力は決してない者であると斷定が出來るだらうと思ふ。神が人間の數だけ其《それ》丈《だけ》多くの顔を製造したと云ふが、當初から胸中に成算があつて斯《か》程《ほど》の變化を示したものか、又は猫も杓子も同じ顔に造らうと思つてやりかけて見たが、到底旨く行かなくて出來るのも/\作り損《そこ》ねて此亂雜な?態に陷《おちい》つたものか、分らんではないか。彼等顔面の構造は神の成功の紀念と見らるゝと同時に失敗の痕迹《こんせき》とも判ぜらるゝではないか。全能とも云へ樣《やう》が、無能と評したつて差し支はない。彼等人間の眼は平面の上に二つ並んで居るので左右を一時《いちじ》に見る事が出來んから事物の半面|丈《だけ》しか視線内に這入らんのは氣の毒な次第である。立場を換へて見れば此位單純な事實は彼等の社會に日夜間斷なく起りつゝあるのだが、本人|逆《のぼ》せ上がつて、神に呑まれて居るから悟り樣がない。製作の上に變化をあらはすのが困難であるならば、其上に徹頭徹尾の模傚《もかう》を示すのも同樣に困難である。ラフアエルに寸分違はぬ聖母の像を二枚かけと注文するのは、全然似寄らぬマドンナを双幅《さうふく》見せろと逼《せま》ると同じく、ラフアエルにとつては迷惑であらう、否同じ物を二枚かく方がかえつて困難かも知れぬ。弘法大師に向つて昨日《きのふ》書いた通りの筆法で空海と願ひますと云ふ方が丸《まる》で書體を換へてと注文されるよりも苦しいかも分らん。人間の用ふる國語は全然|模傚主義《もかうしゆぎ》で傳習するものである。彼等人間が母から、乳母《うば》から、他人から實用上の言語を習ふ時には、只聞いた通りを繰り返すより外に毛頭の野心はないのである。出來る丈《だけ》の能力で人眞似をするのである。斯樣に人眞似から成立する國語が十年二十年と立つうち、發音に自然と變化を生じてくるのは、彼等に完全なる模傚《もかう》の能力がないと云ふ事を證明して居る。純粹の模傚《もかう》は斯《かく》の如く至難なものである。從つて神が彼等人間を區別の出來ぬ樣、悉皆《しつかい》燒印の御かめ〔三字傍点〕の如く作り得たならば益々《ます/\》神の全能を表明し得るもので、同時に今日《こんにち》の如く勝手次第な顔を天日《てんぴ》に曝《さ》らさして、目まぐるしき迄に變化を生ぜしめたのはかえつて其無能力を推知し得るの具ともなり得るのである。
吾輩は何の必要があつてこんな議論をしたか忘れて仕舞つた。本《もと》を忘却するのは人間にさへ有勝《ありがち》の事であるから猫には當然の事さと大目に見て貰ひたい。兎に角吾輩は寢室の障子をあけて敷居の上にぬつと現はれた泥棒陰士を瞥見《べつけん》した時、以上の感想が自然と胸中に湧き出でたのである。何故《なぜ》湧いた?――何故《なぜ》と云ふ質問が出れば、今一應考へ直して見なければならん。――えゝと、其譯はかうである。
吾輩の眼前に悠然とあらはれた陰士の顔を見ると其顔が――平常《ふだん》神の製作に就て其|出來榮《できばえ》を或は無能の結果ではあるまいかと疑つて居たのに、それを一時に打ち消すに足る程な特徴を有して居たからである。特徴とは外ではない。彼の眉目がわが親愛なる好男子水島寒月君に瓜二つであると云ふ事實である。吾輩は無論泥棒に多くの知己は持たぬが、其行爲の亂暴な所から平常《ふだん》想像して私《ひそ》かに胸中に描《ゑが》いて居た顔はないでもない。小鼻の左右に展開した、一錢銅貨位の眼をつけた、毬栗頭《いがぐりあたま》にきまつて居ると自分で勝手に極めたのであるが、見ると考へるとは天地の相違、想像は決して逞《たくまし》くするものではない。此陰士は脊《せい》のすらりとした、色の淺黒い一の字眉の、意氣で立派な泥棒である。年は二十六七歳でもあらう、夫《それ》すら寒月君の寫生である。神もこんな似た顔を二個製造し得る手際があるとすれば、決して無能をもつて目する譯には行かぬ。いや實際の事を云ふと寒月君自身が氣が變になつて深夜に飛び出して來たのではあるまいかと、はつと思つた位よく似て居る。只鼻の下に薄黒く髯の芽生えが植ゑ付けてないので偖《さて》は別人だと氣が付いた。寒月君は苦味《にがみ》ばしつた好男子で、活動小切手と迷亭から稱せられたる、金田富子孃を優に吸収するに足る程な念入れの製作物である。然し此陰士も人相から觀察すると其婦人に對する引力上の作用に於て決して寒月君に一歩も讓らない。若し金田の令孃が寒月君の眼付や口先に迷つたのなら、同等の熱度をもつて此泥棒君にも惚れ込まなくては義理が惡い。義理は兎に角、論理に合はない。あゝ云ふ才氣のある、何でも早分りのする性質《たち》だから此位の事は人から聞かんでも屹度《きつと》分るであらう。して見ると寒月君の代りに此泥棒を差し出しても必ず滿身の愛を捧げて琴瑟《きんしつ》調和の實を擧げらるゝに相違ない。萬一寒月君が迷亭|抔《など》の説法に動かされて、此千古の良縁が破れるとしても、此陰士が健在であるうちは大丈夫である。吾輩は未來の事件の發展をこゝ迄豫想して、富子孃の爲めに、やつと安心した。此泥棒君が天地の間に存在するのは富子孃の生活を幸福ならしむる一大要件である。
陰士は小脇になにか抱《かゝ》へて居る。見ると先刻《さつき》主人が書齋へ放《はふ》り込んだ古毛布《ふるげつと》である。唐棧《たうざん》の半纒《はんてん》に、御納戸《おなんど》の博多《はかた》の帶を尻の上にむすんで、生白《なまじろ》い脛《すね》は膝から下むき出しの儘今や片足を擧げて疊の上へ入れる。先刻《さつき》から赤い本に指を?まれた夢を見て居た、主人は此時寐返りを堂《だう》と打ちながら「寒月だ」と大きな聲を出す。陰士は毛布《けつと》を落して、出した足を急に引き込ます。障子の影に細長い向脛《むかふずね》が二本立つた儘|微《かす》かに動くのが見える。主人はうーん、むにや/\と云ひながら例の赤本を突き飛ばして、黒い腕を皮癬病《ひぜんや》みの樣にぼり/\掻く。其あとは靜まり返つて、枕をはづしたなり寐て仕舞ふ。寒月だと云つたのは全く我知らずの寐言と見える。陰士はしばらく椽側に立つた儘室内の動靜をうかゞつて居たが、主人夫婦の熟睡して居るのを見濟して又片足を疊の上に入れる。今度は寒月だと云ふ聲も聞えぬ。やがて殘る片足も踏み込む。一穗《いつすゐ》の春燈《しゆんとう》で豐《ゆた》かに照らされて居た六疊の間《ま》は、陰士の影に鋭どく二分せられて柳行李の邊《へん》から吾輩の頭の上を越えて壁の半《なか》ばが眞黒になる。振り向いて見ると陰士の顔の影が丁度壁の高さの三分の二の所に漠然と動いて居る。好男子も影|丈《だけ》見ると、八《や》つ頭《がしら》の化け物の如くまことに妙な恰好《かつかう》である。陰士は細君の寐顔を上から覗き込んで見たが何の爲めかにや/\と笑つた。笑ひ方迄が寒月君の模寫であるには吾輩も驚いた。
細君の枕元には四寸角の一尺五六寸|許《ばか》りの釘付けにした箱が大事さうに置いてある。是は肥前の國は唐津《からつ》の住人多々良三平君《たゝらさんぺいくん》が先日歸省した時|御土産《おみやげ》に持つて來た山の芋である。山の芋を枕元へ飾つて寐るのは餘り例のない話しではあるが此細君は※[者/火]物に使ふ三盆《さんぼん》を用箪笥へ入れる位場所の適不適と云ふ觀念に乏しい女であるから、細君にとれば、山の芋は愚か、澤庵が寢室に在つても平氣かも知れん。然し神ならぬ陰士はそんな女と知らう筈がない。かく迄鄭重に肌身に近く置いてある以上は大切な品物であらうと鑑定するのも無理はない。陰士は一寸山の芋の箱を上げて見たが其重さが陰士の豫期と合して大分《だいぶ》目方が懸りさうなので頗る滿足の體《てい》である。愈《いよ/\》山の芋を盗むなと思つたら、而《しか》も此好男子にして山の芋を盗むなと思つたら急に可笑《をか》しくなつた。然し滅多に聲を立てると危險であるから昵《じつ》と怺《こら》へて居る。
やがて陰士は山の芋の箱を恭《うや/\》しく古毛布《ふるげつと》にくるみ初めた。なにかからげるものはないかとあたりを見廻す。と、幸ひ主人が寐る時に解きすてた縮緬《ちりめん》の兵古帶《へこおび》がある。陰士は山の芋の箱を此帶でしつかり括《くゝ》つて、苦もなく脊中へしよふ。餘り女が好《す》く體裁ではない。それから小供のちやん/\を二枚、主人のめり安《やす》の股引《もゝひき》の中へ押し込むと、股のあたりが丸く膨《ふく》れて青大將《あをだいしやう》が蛙を飲んだ樣な――或は青大將の臨月《りんげつ》と云ふ方がよく形容し得るかも知れん。兎に角變な恰好《かつかう》になつた。嘘だと思ふなら試しにやつて見るが宜しい。陰士はめり安をぐる/\首《くび》つ環《たま》へ捲きつけた。其次はどうするかと思ふと主人の紬《つむぎ》の上着《うはぎ》を大風呂敷の樣に擴げて是に細君の帶と主人の羽織と繻絆と其他あらゆる雜物《ざふもつ》を奇麗に疊んでくるみ込む。其熟練と器用なやり口にも一寸感心した。夫《それ》から細君の帶上げとしごきとを續《つ》ぎ合はせて此包みを括《くゝ》つて片手にさげる。まだ頂戴するものは無いかなと、あたりを見廻して居たが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見付けて、一寸袂へ投げ込む。又其袋の中から一本出してランプに翳《かざ》して火を點《つ》ける。旨《う》まさうに深く吸つて吐き出した烟りが、乳色のホヤを繞《めぐ》つてまだ消えぬ間《ま》に、陰士の足音は椽側を次第に遠のいて聞えなくなつた。主人夫婦は依然として熟睡して居る。人間も存外|迂濶《うくわつ》なものである。
吾輩は又暫時の休養を要する。のべつに喋舌《しやべ》つて居ては身體が續かない。ぐつと寐込んで眼が覺《さ》めた時は彌生《やよひ》の空が朗らかに晴れ渡つて勝手口に主人夫婦が巡査と對談をして居る時であつた。
「それでは、こゝから這入つて寢室の方へ廻つたんですな。あなた方は睡眠中で一向《いつかう》氣がつかなかつたのですな」
「えゝ」と主人は少し極りがわるさうである。
「夫《それ》で盗難に罹《かゝ》つたのは何時《なんじ》頃ですか」と巡査は無理な事を聞く。時間が分る位なら何《な》にも盗まれる必要はないのである。それに氣が付かぬ主人夫婦は頻りに此質問に對して相談をして居る。
「何時《なんじ》頃かな」
「さうですね」と細君は考へる。考へれば分ると思つて居るらしい。
「あなたは夕《ゆう》べ何時《なんじ》に御休みになつたんですか」
「俺の寐たのは御前よりあとだ」
「えゝ私《わたく》しの伏せつたのは、あなたより前です」
「眼が覺めたのは何時《なんじ》だつたかな」
「七時半でしたらう」
「すると盗賊の這入つたのは、何時《なんじ》頃になるかな」
「なんでも夜なかでせう」
「夜中《よなか》は分りきつて居るが、何時《なんじ》頃かと云ふんだ」
「慥《たし》かな所はよく考へて見ないと分りませんわ」と細君はまだ考へる積りで居る。巡査は只形式的に聞いたのであるから、いつ這入つた所が一向《いつかう》痛痒《つうやう》を感じないのである。嘘でも何でも、いゝ加減な事を答へてくれゝば宜《よ》いと思つて居るのに主人夫婦が要領を得ない問答をして居るものだから少々|焦《じ》れ度くなつたと見えて
「それぢや盗難の時刻は不明なんですな」と云ふと、主人は例の如き調子で
「まあ、さうですな」と答へる。巡査は笑ひもせずに「ぢやあね、明治三十八年何月何日戸締りをして寐た處が盗賊が、どこそこの雨戸を外《はづ》してどこそこに忍び込んで品物を何點盗んで行つたから右告訴及候也《みぎこくそにおよびさふらふなり》といふ書面をお出しなさい。屆ではない告訴です。名宛はない方がいゝ」
「品物は一々かくんですか」
「えゝ羽織何點代價いくらと云ふ風に表にして出すんです。――いや這入つて見たつて仕方がない。盗《と》られたあとなんだから」と平氣な事を云つて歸つて行く。
主人は筆《ふで》硯《すずり》を座敷の眞中へ持ち出して、細君を前に呼びつけて「是から盗難告訴をかくから、盗られたものを一々云へ。さあ云へ」と恰も喧嘩でもする樣な口調で云ふ。
「あら厭だ、さあ云へだなんて、そんな權柄《けんぺい》づくで誰が云ふもんですか」と細帶を卷き付けた儘どつかと腰を据ゑる。
「其風はなんだ、宿場女郎の出來損《できそこな》ひ見た樣だ。なぜ帶をしめて出て來ん」
「これで惡《わ》るければ買つて下さい。宿場女郎でも何でも盗られりや仕方がないぢやありませんか」
「帶迄とつて行つたのか、苛《ひど》い奴だ。それぢや帶から書き付けてやらう。帶はどんな帶だ」
「どんな帶つて、そんなに何本もあるもんですか、黒繻子《くろじゆす》と縮緬《ちりめん》の腹合せの帶です」
「黒繻子と縮緬の腹合せの帶一筋――價《あたひ》はいくら位だ」
「六圓位でせう」
「生意氣に高い帶をしめてるな。今度から一圓五十錢位のにしておけ」
「そんな帶があるものですか。それだからあなたは不人情だと云ふんです。女房なんどは、どんな汚ない風をして居ても、自分さい宜《よ》けりや、構はないんでせう」
「まあいゝや、夫《それ》から何だ」
「糸織《いとおり》の羽織です、あれは河野《かうの》の叔母さんの形身《かたみ》にもらつたんで、同じ糸織でも今の糸織とは、たちが違ひます」
「そんな講釋は聞かんでもいゝ。値段はいくらだ」
「十五圓」
「十五圓の羽織を着るなんて身分不相當だ」
「いゝぢやありませんか、あなたに買つて頂きあしまいし」
「其次は何だ」
「黒足袋が一足」
「御前のか」
「あなたんでさあね。代價が二十七錢」
「それから?」
「山の芋が一箱」
「山の芋迄持つて行つたのか。※[者/火]て食ふ積りか、とろろ汁にする積りか」
「どうする積りか知りません。泥棒の所へ行つて聞いて入らつしやい」
「いくらするか」
「山の芋のねだん迄は知りません」
「そんなら十二圓五十錢位にして置かう」
「馬鹿々々しいぢやありませんか、いくら唐津《からつ》から掘つて來たつて山の芋が十二圓五十錢して堪まるもんですか」
「然し御前は知らんと云ふぢやないか」
「知りませんわ、知りませんが十二圓五十錢なんて法外ですもの」
「知らんけれども十二圓五十錢は法外だとは何だ。まるで論理に合はん。夫《それ》だから貴樣はオタンチン、パレオロガスだと云ふんだ」
「何ですつて」
「オタンチン、パレオロガスだよ」
「何です其オタンチン、パレオロガスつて云ふのは」
「何でもいゝ。夫《それ》からあとは――俺の着物は一向《いつかう》出て來んぢやないか」
「あとは何でも宜《よ》うござんす。オタンチン、パレオロガスの意味を聞かして頂戴」 「意味も何《な》にもあるもんか」
「ヘへて下すつてもいゝぢやありませんか、あなたは餘つ程私を馬鹿にして入らつしやるのね。屹度《きつと》人が英語を知らないと思つて惡口を仰やつたんだよ」
「愚《ぐ》な事を言はんで、早くあとを云ふが好い。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」 「どうせ今から告訴をしたつて間に合ひやしません。夫《それ》よりか、オタンチン、パレオロガスをヘへて頂戴」
「うるさい女だな、意味も何《な》にも無いと云ふに」
「そんなら、品物の方もあとはありません」
「頑愚だな。それでは勝手にするがいゝ。俺はもう盗難告訴を書いてやらんから」
「私も品數《しなかず》をヘへて上げません。告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いて頂かないでも困りません」
「それぢや廢《よ》さう」と主人は例の如くふいと立つて書齋へ這入る。細君は茶の間へ引き下がつて針箱の前へ坐る。兩人《ふたり》共十分間|許《ばか》りは何にもせずに黙つて障子を睨め付けて居る。
所へ威勢よく玄關をあけて、山の芋の寄贈者|多々良三平君《たゝらさんぺいくん》が上《あが》つてくる。多々良三平君はもと此《この》家《や》の書生であつたが今では法科大學を卒業してある會社の鑛山部に雇はれて居る。是も實業家の芽生《めばえ》で、鈴木藤十郎君の後進生である。三平君は以前の關係から時々舊先生の草廬《さうろ》を訪問して日曜|抔《など》には一日遊んで歸る位、此家族とは遠慮のない間柄である。
「奧さん。よか天氣で御座ります」と唐津訛《からつなま》りか何かで細君の前にヅボン〔三字傍点〕の儘立て膝をつく。
「おや多々良《たゝら》さん」
「先生はどこぞ出なすつたか」
「いゝえ書齋に居ます」
「奧さん、先生のごと勉強しなさると毒ですばい。たまの日曜だもの、あなた」
「わたしに言つても駄目だから、あなたが先生にさう仰しやい」
「そればつてんが……」と言ひ掛けた三平君は座敷中を見廻はして「今日は御孃さんも見えんな」と半分妻君に聞いて居るや否や次の間《ま》からとん〔二字傍点〕子とすん〔二字傍点〕子が馳け出して來る。
「多々良さん、今日は御壽司《おすし》を持つて來て?」と姉のとん〔二字傍点〕子は先日の約束を覺えて居て、三平君の顔を見るや否や催促する。多々良君は頭を掻きながら
「よう覺えて居るのう、此次は屹度《きつと》持つて來ます。今日は忘れた」と白?する。
「いやーだ」と姉が云ふと妹もすぐ眞似をして「いやーだ」とつける。細君は漸く御機嫌が直つて少々|笑顔《ゑがほ》になる。
「壽司は持つて來んが、山の芋は上げたらう。御孃さん喰べなさつたか」
「山の芋つてなあに?」と姉がきくと妹が今度も亦眞似をして「山の芋つてなあに?」と三平君に尋ねる。
「まだ食ひなさらんか、早く御母あさんに※[者/火]て御貰ひ。唐津《からつ》の山の芋は東京のとは違つてうまかあ」と三平君が國自慢をすると、細君は漸く氣が付いて
「多々良さん先達《せんだつ》ては御親切に澤山|難有《ありがた》う」
「どうです、喰べて見なすつたか、折れん樣に箱を誂《あつ》らへて堅くつめて來たから、長い儘でりましたらう」
「所が切角下すつた山の芋を夕《ゆう》べ泥棒に取られて仕舞つて」
「ぬす盗《と》が? 馬鹿な奴ですなあ。そげん山の芋の好きな男が居りますか?」と三平君|大《おほい》に感心して居る。
「御母《おか》あさま、夕べ泥棒が這入つたの?」と姉が尋ねる。
「えゝ」と細君は輕《かろ》く答へる。
「泥棒が這入つて――さうして――泥棒が這入つて――どんな顔をして這入つたの?」と今度は妹が聞く。この奇問には細君も何と答へてよいか分らんので
「恐《こは》い顔をして這入りました」と返事をして多々良君の方を見る。
「恐い顔つて多々良さん見た樣な顔なの」と姉が氣の毒さうにもなく、押し返して聞く。
「何ですね。そんな失禮な事を」
「ハヽヽヽ私《わたし》の顔はそんなに恐いですか。困つたな」と頭を掻く。多々良君の頭の後部には直徑一寸|許《ばか》りの禿《はげ》がある。一ケ月前から出來出《できだ》して醫者に見て貰つたが、まだ容易に癒りさうもない。此禿を第一番に見付けたのは姉のとん子である。
「あら多々良さんの頭は御母《おかあ》さまの樣に光《ひ》かつてよ」
「だまつて入らつしやいと云ふのに」
「御母《おか》あさま夕べの泥棒の頭も光《ひ》かつてゝ」と是は妹の質問である。細君と多々良君とは思はず吹き出したが、餘り煩はしくて話も何も出來ぬので「さあ/\御前さん達は少し御庭へ出て御遊びなさい。今に御母《おか》あさまが好い御菓子を上げるから」と細君は漸く子供を追ひ遣つて
「多々良さんの頭はどうしたの」と眞面目に聞いて見る。
「蟲が食ひました。中々癒りません。奧さんも有んなさるか」
「やだわ、蟲が食ふなんて、そりや髷で釣る所は女だから少しは禿げますさ」
「禿はみんなバクテリヤですばい」
「わたしのはバクテリヤぢやありません」
「そりや奧さん意地張りたい」
「何でもバクテリヤぢやありません。然し英語で禿の事を何とか云ふでせう」
「禿はボールドとか云ひます」
「いゝえ、それぢやないの、もつと長い名があるでせう」
「先生に聞いたら、すぐわかりませう」
「先生はどうしてもヘへて下さらないから、あなたに聞くんです」
「私《わたし》はボールドより知りませんが。長かつて、どげんですか」
「オタンチン、パレオロガスと云ふんです。オタンチンと云ふのが禿と云ふ字で、パレオロガスが頭なんでせう」
「さうかも知れませんたい。今に先生の書齋へ行つてウエブスターを引いて調べて上げませう。然し先生も餘程變つて居なさいますな。此天氣の好いのに、うちに昵《ぢつ》として――奧さん、あれぢや胃病は癒りませんな。ちと上野へでも花見に出掛けなさるごと勸めなさい」
「あなたが連れ出して下さい。先生は女の云ふ事は決して聞かない人ですから」
「此頃でもジヤムを舐《な》めなさるか」
「えゝ相變らずです」
「先達《せんだつ》て、先生こぼして居なさいました。どうも妻《さい》が俺のジヤムの舐《な》め方が烈しいと云つて困るが、俺はそんなに舐める積りはない。何か勘定違ひだらうと云ひなさるから、そりや御孃さんや奧さんが一所に舐めなさるに違ない――」
「いやな多々良さんだ、何だつてそんな事を云ふんです」
「然し奧さんだつて舐《な》めさうな顔をして居なさるばい」
「顔でそんな事がどうして分ります」
「分らんばつてんが――夫《そ》れぢや奧さん少しも舐《な》めなさらんか」
「そりや少しは舐《な》めますさ。舐《な》めたつて好いぢやありませんか。うちのものだもの」
「ハヽヽヽさうだらうと思つた――然し本《ほん》の事《こと》、泥棒は飛んだ災難でしたな。山の芋|許《ばか》り持つて行《い》たのですか」
「山の芋|許《ばか》りなら困りやしませんが、不斷着をみんな取つて行きました」
「早速困りますか。又借金をしなければならんですか。此猫が犬ならよかつたに――惜しい事をしたなあ。奧さん犬の大《ふと》か奴《やつ》を是非一丁飼ひなさい。――猫は駄目ですばい、飯を食ふ許《ばか》りで――ちつとは鼠でも捕《と》りますか」
「一匹もとつた事はありません。本當に横着な圖々《づう》/\敷《し》い猫ですよ」
「いやそりや、どうもかうもならん。早々棄てなさい。私《わたし》が貰つて行つて※ [者/火]て食はうか知らん」
「あら、多々良さんは猫を食べるの」
「食ひました。猫は旨う御座ります」
「隨分豪傑ね」
下等な書生のうちには猫を食ふ樣な野蠻人がある由は兼ねて傳聞したが、吾輩が平生|眷顧《けんこ》を辱《かたじけな》うする多々良君|其《その》人《ひと》も又此同類ならんとは今が今迄夢にも知らなかつた。况《いはん》や同君は既に書生ではない、卒業の日は淺きにも係はらず堂々たる一個の法學士で、六《む》つ井《ゐ》物産會社の役員であるのだから吾輩の驚愕も亦一と通りではない。人を見たら泥棒と思へと云ふ格言は寒月第二世の行爲によつて既に證據立てられたが、人を見たら猫食ひと思へとは吾輩も多々良君の御蔭によつて始めて感得した眞理である。世に住めば事を知る、事を知るは嬉しいが日に日に危險が多くて、日に日に油斷がならなくなる。狡猾になるのも卑劣になるのも表裏二枚合せの護身服を着けるのも皆事を知るの結果であつて、事を知るのは年を取るの罪である。老人に碌なものが居ないのは此理だな、吾輩|抔《など》も或は今のうちに多々良君の鍋の中で玉葱と共に成佛《じやうぶつ》する方が得策かも知れんと考へて隅の方に小さくなつて居ると、最前《さいぜん》細君と喧嘩をして一反《いつたん》書齋へ引き上げた主人は、多々良君の聲を聞きつけて、のそ/\茶の間へ出てくる。
「先生泥棒に逢ひなさつたさうですな。なんちゆ愚《ぐ》な事です」と劈頭《へきとう》一番に遣り込める。
「這入る奴が愚《ぐ》なんだ」と主人はどこ迄も賢人をもつて自任して居る。
「這入る方も愚《ぐ》だばつてんが、取られた方も餘り賢《かし》こくはなかごたる」
「何にも取られるものゝ無い多々良さんの樣なのが一番|賢《かし》こいんでせう」と細君が此度《こんど》は良人《をつと》の肩を持つ。
「然し一番|愚《ぐ》なのは此猫ですばい。ほんにまあ、どう云ふ了見ぢやらう。鼠は捕《と》らず泥棒が來ても知らん顔をして居る。――先生此猫を私《わたし》に呉んなさらんか。かうして置いたつちや何の役にも立ちませんばい」
「やつても好い。何にするんだ」
「※[者/火]て喰べます」
主人は猛烈なる此|一言《いちごん》を聞いて、うふと氣味の惡い胃弱性の笑を洩らしたが、別段の返事もしないので、多々良君も是非食ひ度いとも云はなかつたのは吾輩に取つて望外の幸福である。主人はやがて話頭を轉じて、
「猫はどうでも好いが、着物をとられたので寒くていかん」と大《おほい》に銷沈《せうちん》の體《てい》である。成程寒い筈である。昨日《きのふ》迄《まで》は綿入を二枚重ねて居たのに今日は袷に半袖のシヤツ丈《だけ》で、朝から運動もせず枯坐《こざ》したぎりであるから、不充分な血液は悉《こと/”\》く胃の爲に働いて手足の方へは少しも巡回して來ない。
「先生ヘ師|抔《など》をして居つたちや到底あかんですばい。ちよつと泥棒に逢つても、すぐ困る――一丁《いつちやう》今から考を換へて實業家にでもなんなさらんか」
「先生は實業家は嫌《きらひ》だから、そんな事を言つたつて駄目よ」
と細君が傍《そば》から多々良君に返事をする。細君は無論實業家になつて貰ひたいのである。
「先生學校を卒業して何年になんなさるか」
「今年で九年目でせう」と細君は主人を顧《かへり》みる。主人はさうだとも、さうで無いとも云はない。
「九年立つても月給は上がらず。いくら勉強しても人は褒めちやくれず、郎君獨寂寞《らうくんひとりせきばく》ですたい」と中學時代で覺えた詩の句を細君の爲めに朗吟すると、細君は一寸分りかねたものだから返事をしない。
「ヘ師は無論|嫌《きらひ》だが、實業家は猶《なほ》嫌ひだ」と主人は何が好きだか心の裏《うち》で考へて居るらしい。
「先生は何でも嫌なんだから……」
「嫌でないのは奧さん丈《だけ》ですか」と多々良君|柄《がら》に似合はぬ冗談を云ふ。
「一番嫌だ」主人の返事は尤簡明である。細君は横を向いて一寸澄したが再び主人の方を見て、
「生きて入らつしやるのも御嫌《おきらひ》なんでせう」と充分主人を凹《へこ》ました積《つもり》で云ふ。
「餘り好いてはおらん」と存外|呑氣《のんき》な返事をする。是では手のつけ樣《やう》がない。
「先生ちつと活?に散歩でもしなさらんと、からだを壞《こは》して仕舞ひますばい。――さうして實業家になんなさい。金なんか儲けるのは、ほんに造作《ざうさ》もない事で御座ります」
「少しも儲《まう》けもせん癖に」
「まだあなた、去年やつと會社へ這入つた許《ばか》りですもの。それでも先生より貯蓄があります」
「どの位貯蓄したの?」と細君は熱心に聞く。
「もう五十圓になります」
「一體あなたの月給はどの位なの」是も細君の質問である。
「三十圓ですたい。其内を毎月五圓|宛《づゝ》會社の方で預つて積んで置いて、いざと云ふ時に遣ります。――奧さん小遣錢で外濠線《そとぼりせん》の株を少し買ひなさらんか、今から三四個月すると倍になります。ほんに少し金さへあれば、すぐ二倍にでも三倍にでもなります」
「そんな御金があれば泥棒に逢つたつて困りやしないわ」
「それだから實業家に限ると云ふんです。先生も法科でも遣つて會社か銀行へでも出なされば、今頃は月に三四百圓の収入はありますのに、惜しい事で御座んしたな。――先生あの鈴木藤十郎と云ふ工學士を知つてなさるか」
「うん昨日《きのふ》來た」
「さうで御座んすか、先達《せんだつ》てある宴會で逢ひました時先生の御話をしたら、さうか君は苦沙彌君の所の書生をして居たのか、僕も苦沙彌君とは昔《むか》し小石川の寺で一所に自炊をして居つた事がある、今度行つたら宜しく云ふてくれ、僕も其内尋ねるからと云つて居ました」
「近頃東京へ來たさうだな」
「えゝ今迄九州の炭坑に居りましたが、此間《こなひだ》東京|詰《づめ》になりました。中々旨いです。私《わたし》なぞにでも朋友の樣に話します。――先生あの男がいくら貰つてると思ひなさる」
「知らん」
「月給が二百五十圓で盆暮に配當がつきますから、何でも平均四五百圓になりますばい。あげな男が、よかしこ取つて居るのに、先生はリーダー專門で十年|一狐裘《いちこきう》ぢや馬鹿氣て居りますなあ」
「實際馬鹿氣て居るな」と主人の樣な超然主義の人でも金錢の觀念は普通の人間と異《こと》なる所はない。否困窮する丈《だけ》に人一倍金が欲しいのかも知れない。多々良君は充分實業家の利益を吹聽してもう云ふ事が無くなつたものだから
「奧さん、先生の所へ水島寒月と云ふ人《じん》が來ますか」
「えゝ、善く入らつしやいます」
「どげんな人物ですか」
「大變學問の出來る方ださうです」
「好男子ですか」
「ホヽヽヽ多々良さん位なものでせう」
「さうですか、私《わたし》位なものですか」と多々良君眞面目である。
「どうして寒月の名を知つて居るのかい」と主人が聞く。
「先達《せんだつ》て或る人から頼まれました。そんな事を聞く丈《だけ》の價値のある人物でせうか」多々良君は聞かぬ先から既に寒月以上に構へて居る。
「君より餘程えらい男だ」
「さうで御座いますか、私《わたし》よりえらいですか」と笑ひもせず怒《おこ》りもせぬ。是が多々良君の特色である。
「近々《きん/\》博士になりますか」
「今論文を書いてるさうだ」
「矢つ張り馬鹿ですな。博士論文をかくなんて、もう少し話せる人物かと思つたら」
「相變らず、えらい見識ですね」と細君が笑ひながら云ふ。
「博士になつたら、だれとかの娘をやるとか遣らんとか云ふて居ましたから、そんな馬鹿があらうか、娘を貰ふ爲に博士になるなんて、そんな人物にくれるより僕にくれる方が餘程ましだと云つて遣りました」
「だれに」
「私《わたし》に水島の事を聞いて呉れと頼んだ男です」
「鈴木ぢやないか」
「いゝえ、あの人にや、まだそんな事は云ひ切りません。向ふは大頭ですから」
「多々良さんは蔭辯慶《かげべんけい》ね。うちへなんぞ來ちや大變威張つても鈴木さん抔《など》の前へ出ると小さくなつてるんでせう」
「えゝ。さうせんと、あぶないです」
「多々良、散歩をし樣《やう》か」と突然主人が云ふ。先刻《さつき》から袷一枚で餘り寒いので少し運動でもしたら暖かになるだらうと云ふ考から主人は此先例のない動議を呈出したのである。行き當りばつたりの多々良君は無論|逡巡《しゆんじゆん》する譯がない。
「行きませう。上野にしますか。芋坂《いもざか》へ行つて團子を食ひませうか。先生あすこの團子を食つた事がありますか。奧さん一返行つて食つて御覽。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によつて秩序のない駄辯を揮《ふる》つてるうちに主人はもう帽子を被つて沓脱《くつぬぎ》へ下りる。
吾輩は又少々休養を要する。主人と多々良君が上野公園でどんな眞似をして、芋坂《いもざか》で團子を幾皿食つたか其邊の逸事は探偵の必要もなし、又|尾行《びかう》する勇氣もないからずつと略して其《その》間《あひだ》休養せんければならん。休養は萬物の旻天《びんてん》から要求して然るべき權利である。此世に生息すべき義務を有して蠢動《しゆんどう》する者は、生息の義務を果す爲に休養を得ねばならぬ。もし神ありて汝は働く爲に生れたり寐る爲に生れたるに非ずと云はば吾輩は之に答へて云はん、吾輩は仰せの如く働く爲に生れたり故に働く爲に休養を乞ふと。主人の如く器械に不平を吹き込んだ迄の木強漢《ぼくきやうかん》ですら、時々は日曜以外に自辨休養をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を勞する吾輩如き者は假令《たとひ》猫と雖も主人以上に休養を要するは勿論の事である。只|先刻《さつき》多々良君が吾輩を目して休養以外に何等の能もない贅物の如くに罵つたのは少々氣掛りである。兎角|物象《ぶつしやう》にのみ使役せらるゝ俗人は、五感の刺激以外に何等の活動もないので、他を評價するのでも形骸以外に渉《わた》らんのは厄介である。何でも尻でも端折《はしよ》つて、汗でも出さないと働らいて居ない樣に考へてゐる。達磨《だるま》と云ふ坊さんは足の腐る迄座禪をして澄まして居たと云ふが、假令《たとひ》壁の隙から蔦《つた》が這ひ込んで大師の眼口を塞ぐ迄動かないにしろ、寐て居るんでも死んで居るんでもない。頭の中は常に活動して、廓然無聖《くわくねんむしやう》などと乙な理窟を考へ込んで居る。儒家にも靜坐の工夫と云ふのがある相だ。是だつて一室の中《うち》に閉居して安閑と躄《ゐざり》の修行をするのではない。腦中の活力は人一倍|熾《さかん》に燃えて居る。只外見上は至極沈靜端肅の態《てい》であるから、天下の凡眼は是等の知識巨匠をもつて昏睡假死《こんすゐかし》の庸人《ようじん》と見做《みな》して無用の長物とか穀潰《ごくつぶ》しとか入らざる誹謗《ひばう》の聲を立てるのである。是等の凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覺を有して生れ付いた者で、――然も彼《か》の多々良三平君の如きは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、此三平君が吾輩を目して乾屎?《かんしけつ》同等に心得るのも尤もだが、恨むらくは少しく古今の書籍を讀んで、稍《やゝ》事物の眞相を解し得たる主人迄が、淺薄なる三平君に一も二もなく同意して、猫鍋《ねこなべ》に故障を挾《さしはさ》む景色《けしき》のない事である。然し一歩退いて考へて見ると、かく迄に彼等が吾輩を輕蔑するのも、あながち無理ではない。大聲《たいせい》は俚耳《りじ》に入《い》らず、陽春《やうしゆん》白雪の詩には和するもの少なしの喩《たとへ》も古い昔からある事だ。形體以外の活動を見る能はざる者に向つて己靈《これい》の光輝を見よと強ゆるは、坊主に髪を結《い》へと逼《せま》るが如く、鮪《まぐろ》に演説をして見ろと云ふが如く、電鐵に脱線を要求するが如く、主人に辭職を勸告する如く、三平に金の事を考へるなと云ふが如きものである。必竟無理な注文に過ぎん。然しながら猫と雖も社會的動物である。社會的動物である以上は如何に高く自《みづか》ら標置するとも、或る程度迄は社會と調和して行かねばならん。主人や細君や乃至《ないし》御《お》さん、三平|連《づれ》が吾輩を吾輩相當に評價して呉れんのは殘念ながら致し方がないとして、不明の結果皮を剥いで三味線屋に賣り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳に上《のぼ》す樣な無分別をやられては由々敷《ゆゝし》き大事である。吾輩は頭をもつて活動すべき天命を受けて此|娑婆《しやば》に出現した程の古今來《こゝんらい》の猫であれば、非常に大事な身體である。千金の子《し》は堂陲《だうすゐ》に坐せずとの諺もある事なれば、好んで超邁《てうまい》を宗《そう》として、徒らに吾身の危險を求むるのは單に自己の災なるのみならず、又大いに天意に背く譯である。猛虎も動物園に入れば糞豚《ふんとん》の隣りに居を占め、鴻雁《こうがん》も鳥屋に生擒《いけど》らるれば雛鷄《すうけい》と俎《まないた》を同《おなじ》うす。庸人《ようじん》と相《あひ》互《ご》する以上は下《くだ》つて庸猫《ようべう》と化せざるべからず。庸猫たらんとすれば鼠を捕《と》らざるべからず。――吾輩はとうとう鼠をとる事に極めた。
先達中《せんだつてぢゆう》から日本は露西亞《ロシア》と大戰爭をして居るさうだ。吾輩は日本の猫だから無論日本|贔負《びいき》である。出來得べくんば混成猫旅團《こんせいねこりよだん》を組織して露西亞兵《ロシアへい》を引つ掻いてやりたいと思ふ位である。かく迄に元氣|旺盛《わうせい》な吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとらうとする意志さへあれば、寐て居ても譯なく捕《と》れる。昔《むか》しある人《ひと》當時有名な禪師に向つて、どうしたら悟れませうと聞いたら、猫が鼠を覘《ねら》ふ樣にさしやれと答へたさうだ。猫が鼠をとる樣にとは、かくさへすれば外《は》づれつこは御座らぬと云ふ意味である。女|賢《さかし》うしてと云ふ諺はあるが猫|賢《さかし》うして鼠捕り損ふと云ふ格言はまだ無い筈だ。して見れば如何《いか》に賢《かし》こい吾輩の如きものでも鼠の捕れん筈はあるまい。とれん筈はあるまい所か捕り損ふ筈はあるまい。今迄捕らんのは、捕り度くないからの事さ。春の日はきのふの如く暮れて、折々の風に誘はるゝ花吹雪《はなふゞき》が臺所の腰障子の破れから飛び込んで手桶の中に浮ぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光りに白く見える。今夜こそ大手柄をして、うち中《ぢゆう》驚かしてやらうと決心した吾輩は、あらかじめ戰場を見廻つて地形を飲み込んで置く必要がある。戰闘線は勿論餘り廣からう筈がない。疊數にしたら四疊敷もあらうか、その一疊を仕切つて半分は流し、半分は酒屋八百屋の御用を聞く土間である。へつゝいは貧乏勝手に似合はぬ立派な者で赤の銅壺《どうこ》がぴか/\して、後《うし》ろは羽目板の間《ま》を二尺遺して吾輩の鮑貝《あはびがひ》の所在地である。茶の間に近き六尺は膳《ぜん》椀《わん》皿《さら》小鉢《こばち》を入れる戸棚となつて狹き臺所をいとゞ狹く仕切つて、横に差し出すむき出しの棚とすれ/\の高さになつて居る。其下に摺鉢《すりばち》が仰向けに置かれて、摺鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いて居る。大根卸し、摺小木《すりこぎ》が並んで懸けてある傍らに火消壺|丈《だけ》が悄然《せうぜん》と控えて居る。眞黒になつた樽木《たるき》の交叉した眞中から一本の自在《じざい》を下ろして、先へは平たい大きな籠をかける。其籠が時々風に搖れて鷹揚《おうやう》に動いて居る。此籠は何の爲に釣るすのか、此|家《うち》へ來たてには一向《いつかう》要領を得なかつたが、猫の手の屆かぬ爲めわざと食物をこゝへ入れると云ふ事を知つてから、人間の意地の惡い事をしみ/”\感じた。
是から作戰計畫だ。どこで鼠と戰爭するかと云へば無論鼠の出る所でなければならぬ。如何に此方《こつち》に便宜な地形だからと云つて一人で待ち構へて居てはてんで戰爭にならん。是《こゝ》に於てか鼠の出口を研究する必要が生ずる。どの方面から來るかなと臺所の眞中に立つて四方を見廻はす。何だか東郷大將の樣な心持がする。下女は先《さ》つき湯に行つて戻つて來《こ》ん。小供はとくに寐て居る。主人は芋坂《いもざか》の團子を喰つて歸つて來て相變らず書齋に引き籠《こも》つてゐる。細君は――細君は何をして居るか知らない。大方居眠りをして山芋の夢でも見て居るのだらう。時々門前を人力が通るが、通り過ぎた後《あと》は一段と淋しい。わが決心と云ひ、わが意氣と云ひ臺所の光景と云ひ、四邊《しへん》の寂寞と云ひ、全體の感じが悉《こと/”\》く悲壯である。どうしても猫《ねこ》中《ちゆう》の東郷大將としか思はれない。かう云ふ境界に入ると物凄い内に一種の愉快を覺えるのは誰しも同じ事であるが、吾輩は此愉快の底に一大心配が横《よこた》はつて居るのを發見した。鼠と戰爭をするのは覺悟の前だから何疋來ても恐《こは》くはないが、出てくる方面が明瞭でないのは不都合である。周密なる觀察から得た材料を綜合して見ると鼠賊《そぞく》の逸出《いつしゆつ》するのには三つの行路がある。彼れらが若しどぶ鼠であるならば土管を沿ふて流しから、へつついの裏手へ廻るに相違ない。其時は火消壺の影に隱れて、歸り道を絶つてやる。或は溝へ湯を拔く漆喰《しつくひ》の穴より風呂場を迂回して勝手へ不意に飛び出すかも知れない。さうしたら釜の葢《ふた》の上に陣取つて眼の下に來た時上から飛び下りて一攫《ひとつか》みにする。夫《それ》からと又あたりを見廻すと戸棚の戸の右の下隅が半月形《はんげつけい》に喰ひ破られて、彼等の出入《しゆつにふ》に便なるかの疑がある。鼻を付けて臭《か》いで見ると少々鼠|臭《くさ》い。若しこゝから吶喊《とつかん》して出たら、柱を楯に遣り過ごして置いて、横合からあつと爪をかける。もし天井から來たらと上を仰ぐと眞黒な煤がランプの光で輝やいて、地獄を裏返しに釣るした如く一寸吾輩の手際では上《のぼ》る事も、下《くだ》る事も出來ん。まさかあんな高い處から落ちてくる事もなからうからと此方面|丈《だけ》は警戒を解く事にする。夫《それ》にしても三方から攻撃される懸念がある。一口なら片眼でも退治して見せる。二口ならどうにか、かうにか遣つて退《の》ける自信がある。然し三口となると如何《いか》に本能的に鼠を捕《と》るべく豫期せらるゝ吾輩も手の付け樣がない。さればと云つて車屋の黒如きものを助勢に頼んでくるのも吾輩の威嚴に關する。どうしたら好からう。どうしたら好からうと考へて好い智慧が出ない時は、そんな事は起る氣遣はないと決めるのが一番安心を得る近道である。又法のつかない者は起らないと考へたくなるものである。まづ世間を見渡して見給へ。きのふ貰つた花嫁も今日死なんとも限らんではないか、然し聟殿は玉椿千代も八千代もなど、御目出度い事を並べて心配らしい顔もせんではないか。心配せんのは、心配する價値がないからではない。いくら心配したつて法が付かんからである。吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと斷言すべき相當の論據はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。安心は萬物に必要である。吾輩も安心を欲する。因《よ》つて三面攻撃は起らぬと極める。
夫《そ》れでもまだ心配が取れぬから、どう云ふものかと段々考へて見ると漸く分つた。三個の計略のうち何《いづ》れを選んだのが尤も得策であるかの問題に對して、自《みづか》ら明瞭なる答辯を得るに苦しむからの煩悶である。戸棚から出るときには吾輩之に應ずる策がある、風呂場から現はれる時は之に對する計《はかりごと》がある、又流しから這ひ上るときは之を迎ふる成算もあるが、其うちどれか一つに極めねばならぬとなると大《おほい》に當惑する。東郷大將はバルチツク艦隊が對馬海峡《つしまかいけふ》を通るか、津輕海峡《つがるかいけふ》へ出るか、或は遠く宗谷海峡《そうやかいけふ》を廻るかに就て大《おほい》に心配されたさうだが、今吾輩が吾輩自身の境遇から想像して見て、御困却の段實に御察し申す。吾輩は全體の?況に於て東郷閣下に似て居るのみならず、此格段なる地位に於ても亦東郷閣下とよく苦心を同じうする者である。
吾輩がかく夢中になつて智謀をめぐらして居ると、突然破れた腰障子が開《あ》いて御三《おさん》の顔がぬうと出る。顔|丈《だけ》出ると云ふのは、手足がないと云ふ譯ではない。ほかの部分は夜目《よめ》でよく見えんのに、顔|丈《だけ》が著るしく強い色をして判然|眸底《ぼうてい》に落つるからである。御三《おさん》は其平常より赤き頬を益々《ます/\》赤くして洗湯から歸つた序《ついで》に、昨夜《ゆうべ》に懲りてか、早くから勝手の戸締をする。書齋で主人が俺のステツキを枕元へ出して置けと云ふ聲が聞える。何の爲に枕頭にステツキを飾るのか吾輩には分らなかつた。まさか易水《えきすゐ》の壯士を氣取つて、龍鳴《りゆうめい》を聞かうと云ふ醉狂でもあるまい。きのふは山の芋、今日《けふ》はステツキ、明日《あす》は何になるだらう。
夜はまだ淺い鼠は中々出さうにない。吾輩は大戰の前に一《ひ》と休養を要する。
主人の勝手には引窓がない。座敷なら欄間《らんま》と云ふ樣な所が幅一尺程切り拔かれて夏冬吹き通しに引窓の代理を勤めて居る。惜し氣もなく散る彼岸櫻を誘ふて、颯《さつ》と吹き込む風に驚ろいて眼を覺《さ》ますと、朧月《おぼろづき》さへいつの間《ま》に差してか、竈《へつつひ》の影は斜めに揚板の上にかゝる。寐過ごしはせぬかと二三度耳を振つて家内の容子を窺ふと、しんとして昨夜《ゆうべ》の如く柱時計の音のみ聞える。もう鼠の出る時分だ。どこから出るだらう。
戸棚の中でこと/\と音がしだす。小皿の縁《ふち》を足で抑へて、中をあらして居るらしい。こゝから出る哇《わい》と穴の横へすくんで待つて居る。中々出て來る景色《けしき》はない。皿の音はやがてやんだが今度はどんぶりか何かに掛つたらしい、重い音が時々ごと/\とする。而《しか》も戸を隔てゝすぐ向ふ側でやつて居る、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れて居らん。時々はちよろ/\と穴の口迄足音が近寄るが、又遠のいて一匹も顔を出すものはない。戸一枚向ふに現在敵が暴行を逞《たくま》しくしてゐるのに、吾輩は昵《ぢ》つと穴の出口で待つて居らねばならん隨分氣の長い話だ。鼠は旅順椀《りよじゆんわん》の中で盛に舞踏會を催ふして居る。せめて吾輩の這入れる丈《だけ》御三が此戸を開けて置けば善いのに、氣の利かぬ山出しだ。
今度はへつゝいの影で吾輩の鮑貝《あはびがひ》がことりと鳴る。敵は此方面へも來たなと、そーつと忍び足で近寄ると手桶の間から尻尾《しつぽ》がちらと見えたぎり流しの下へ隱れて仕舞つた。しばらくすると風呂場でうがい茶碗が金盥《かなだらひ》にかちりと當る。今度は後方《うしろ》だと振りむく途端に、五寸近くある大《おほき》な奴がひらりと齒磨の袋を落して椽《えん》の下へ馳け込む。逃がすものかと續いて飛び下りたらもう影も姿も見えぬ。鼠を捕《と》るのは思つたより六づかしい者である。吾輩は先天的鼠を捕る能力がないのか知らん。
吾輩が風呂場へ廻ると、敵は戸棚から馳け出し、戸棚を警戒すると流しから飛び上り、臺所の眞中に頑張つて居ると三方面共少々|宛《づゝ》騷ぎ立てる。小癪と云はうか、卑怯と云はうか到底彼等は君子の敵でない。吾輩は十五六回はあちら、こちらと氣を疲らし心《しん》を勞《つか》らして奔走努力して見たが遂に一度も成功しない。殘念ではあるがかゝる小人《せうじん》を敵にしては如何なる東郷大將も施こすべき策がない。始めは勇氣もあり敵愾心もあり悲壯と云ふ崇高な美感さへあつたが遂には面倒と馬鹿氣て居るのと眠いのと疲れたので臺所の眞中へ坐つたなり動かない事になつた。然し動かんでも八方睨《はつぽうにら》みを極め込んで居れば敵は小人《せうじん》だから大した事は出來んのである。目ざす敵と思つた奴が、存外けちな野郎だと、戰爭が名譽だと云ふ感じが消えて惡《に》くいと云ふ念|丈《だけ》殘る。惡《に》くいと云ふ念を通り過すと張り合が拔けてぼーとする。ぼーとしたあとは勝手にしろ、どうせ氣の利いた事は出來ないのだからと輕蔑の極《きよく》眠《ねむ》たくなる。吾輩は以上の徑路をたどつて、遂に眠《ねむ》くなつた。吾輩は眠《ねむ》る。休養は敵中に在つても必要である。
横向に庇《ひさし》を向いて開いた引窓から、又|花吹雪《はなふゞき》を一塊《ひとかたま》りなげ込んで、烈しき風の吾を遶《めぐ》ると思へば、戸棚の口から彈丸の如く飛び出した者が、避くる間《ま》もあらばこそ、風を切つて吾輩の左の耳へ喰《く》ひつく。之に續く黒い影は後《うし》ろに廻るかと思ふ間《ま》もなく吾輩の尻尾《しつぽ》へぶら下がる。瞬く間《ま》の出來事である。吾輩は何の目的もなく器械的に跳上《はねあが》る。滿身の力を毛穴に込めて此怪物を振り落とさうとする。耳に喰ひ下がつたのは中心を失つてだらりと吾が横顔に懸る。護謨管《ゴムくわん》の如き柔かき尻尾の先が思ひ掛なく吾輩の口に這入る。屈竟の手懸りに、碎けよと許《ばか》り尾を啣《くは》へながら左右にふると、尾のみは前齒の間に殘つて胴體は古新聞で張つた壁に當つて、揚板の上に跳ね返る。起き上がる所を隙間なく乘《の》し掛《かゝ》れば、毬《まり》を蹴《け》たる如く、吾輩の鼻づらを掠《かす》めて釣り段の縁《ふち》に足を縮めて立つ。彼は棚の上から吾輩を見卸す、吾輩は板の間から彼を見上ぐる。距離は五尺。其中に月の光りが、大幅《おほはゞ》の帶を空《くう》に張る如く横に差し込む。吾輩は前足に力を込めて、やつと許《ばか》り棚の上に飛び上がらうとした。前足|丈《だけ》は首尾よく棚の縁《ふち》にかゝつたが後足《あとあし》は宙にもがいて居る。尻尾には最前の黒いものが、死ぬとも離るまじき勢で喰ひ下つて居る。吾輩は危《あや》うい。前足を懸け易へて足懸りを深くしやうとする。懸け易へえる度に尻尾の重みで淺くなる。二三分《にさんぶ》滑れば落ちねばならぬ。吾輩は愈《いよ/\》危うい。棚板を爪で掻きむしる音ががり/\と聞える。是ではならぬと左の前足を拔き易へる拍子に、爪を見事に懸け損じたので吾輩は右の爪一本で棚からぶら下つた。自分と尻尾に喰ひつくものゝ重みで吾輩のからだがぎり/\と廻はる。此時迄身動きもせずに覘《ねら》ひをつけて居た棚の上の怪物は、こゝぞと吾輩の額を目懸けて棚の上から石を投ぐるが如く飛び下りる。吾輩の爪は一縷《いちる》のかゝりを失ふ。三つの塊《かた》まりが一つとなつて月の光を竪に切つて下へ落ちる。次の段に乘せてあつた摺鉢《すりばち》と、摺鉢の中の小桶とジヤムの空罐が同じく一塊《ひとかたまり》となつて、下にある火消壺を誘つて、半分は水甕の中、半分は板の間の上へ轉がり出す。凡《すべ》てが深夜に只ならぬ物音を立てゝ死物狂ひの吾輩の魂をさへ寒からしめた。
「泥棒!」と主人は胴間聲《どうまごゑ》を張り上げて寢室から飛び出して來る。見ると片手にはランプを提げ、片手にはステツキを持つて、寐ぼけ眼《まなこ》よりは身分相應の炯々《けいけい》たる光を放つて居る。吾輩は鮑貝《あはびがひ》の傍《そば》に大人《おとな》しくして蹲踞《うづくま》る。二疋の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。主人は手持無沙汰に「何だ誰だ、大きな音をさせたのは」と怒氣を帶びて相手も居ないのに聞いて居る。月が西に傾いたので、白い光りの一帶は半切《はんきれ》程に細くなつた。
六
かう暑くては猫と雖《いへども》遣り切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨|丈《だけ》で涼みたいものだと英吉利《イギリス》のシドニー、スミスとか云ふ人が苦しがつたと云ふ話があるが、たとひい骨|丈《だけ》にならなくとも好いから、責《せ》めて此|淡灰色《たんくわいしよく》の斑入《ふいり》の毛衣《けごろも》丈《だけ》は一寸洗ひ張りでもするか、もしくは當分の中《うち》質にでも入れたい樣な氣がする。人間から見たら猫|抔《など》は年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至つて單純な無事な錢《ぜに》のかゝらない生涯を送つて居る樣に思はれるかも知れないが、いくら猫だつて相應に暑さ寒さの感じはある。たまには行水の一度位あびたくない事もないが、何しろ此毛衣の上から湯を使つた日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢して此年になる迄洗湯の暖簾《のれん》を潜《くゞ》つた事はない。折々は團扇《うちは》でも使つて見《み》樣《やう》と云ふ氣も起らんではないが、兎に角握る事が出來ないのだから仕方がない。夫《それ》を思ふと人間は贅澤なものだ。なまで食つて然る可きものを態々《わざ/\》※[者/火]て見たり、燒いて見たり、酢に漬けて見たり、味噌をつけて見たり好んで餘計な手數《てすう》を懸けて御互に恐悦《きようえつ》して居る。着物だつてさうだ。猫の樣に一年中同じ物を着通せと云ふのは、不完全に生れついた彼等にとつて、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雜多《ざつた》なものを皮膚の上へ載せて暮さなくてもの事だ。羊の御厄介になつたり、蠶の御世話になつたり、綿畠の御情《おなさ》けさへ受けるに至つては贅澤は無能の結果だと斷言しても好い位だ。衣食は先づ大目に見て勘辨するとした所で、生存上直接の利害もない所迄此調子で押して行くのは毫も合點が行かぬ。第一頭の毛などゝ云ふものは自然に生えるものだから、放《はふ》つて置く方が尤も簡便で當人の爲になるだらうと思ふのに、彼等は入らぬ算段をして種々雜多な恰好《かつかう》をこしらへて得意である。坊主とか自稱するものはいつ見ても頭を青くして居る。暑いと其上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾《づきん》で包む。是では何の爲めに青い物を出して居るのか主意が立たんではないか。さうかと思ふと櫛とか稱する無意味な鋸樣《のこぎりやう》の道具を用ひて頭の毛を左右に等分して嬉しがつてるのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭葢骨《づがいこつ》の上へ人爲的の區劃を立てる。中には此仕切りがつむじ〔三字傍点〕を通り過して後《うし》ろ迄|食《は》み出して居るのがある。丸《まる》で贋造の芭蕉葉《ばせうは》の樣だ。其次には腦天を平らに刈つて左右は眞直に切り落す。丸い頭へ四角な枠《わく》をはめて居るから、植木屋を入れた杉垣根の寫生としか受け取れない。此外五分刈、三分刈、一分刈さへあると云ふ話だから、仕舞には頭の裏迄刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈などゝ云ふ新奇な奴が流行するかも知れない。兎に角そんなに憂身《うきみ》を窶《やつ》してどうする積りか分らん。第一、足が四本あるのに二本しか使はないと云ふのから贅澤だ。四本であるけば夫《それ》丈《だけ》はかも行く譯だのに、いつでも二本で濟まして、殘る二本は到來の棒鱈《ぼうだら》の樣に手持無沙汰にぶら下げて居るのは馬鹿々々しい。是で見ると人間は餘程猫より閑《ひま》なもので退屈の餘り斯樣《かやう》ないたづらを考案して樂んで居るものと察せられる。但《たゞ》可笑《をか》しいのは此|閑人《ひまじん》がよると障《さ》はると多忙だ多忙だと觸れ廻はるのみならず、其顔色が如何にも多忙らしい、わるくすると多忙に食ひ殺されはしまいかと思はれる程こせつい〔四字傍点〕て居る。彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになつたら氣樂でよからう抔《など》と云ふが、氣樂でよければなるが好い。そんなにこせ/\して呉れと誰も頼んだ譯でもなからう。自分で勝手な用事を手に負へぬ程製造して苦しい苦しいと云ふのは自分で火をかん/\起して暑い/\と云ふ樣なものだ。猫だつて頭の刈り方を二十通りも考へ出す日には、かう氣樂にしては居られんさ。氣樂になりたければ吾輩の樣に夏でも毛衣《けごろも》を着て通される丈《だけ》の修業をするがよろしい。――とは云ふものゝ少々熱い。毛衣では全く熱《あ》つ過ぎる。
是では一手專賣の晝寐も出來ない。何かないかな、永らく人間社會の觀察を怠つたから、今日は久し振りで彼等が醉興に齷齪《あくせく》する樣子を拜見しやうかと考へて見たが、生憎《あいにく》主人は此點に關して頗る猫に近い性分《しやうぶん》である。晝寐は吾輩に劣らぬ位やるし、殊に暑中休暇後になつてからは何一つ人間らしい仕事をせんので、いくら觀察をしても一向《いつかう》觀察する張合がない。こんな時に迷亭でも來ると胃弱性の皮膚も幾分か反應を呈して、暫らくでも猫に遠ざかるだらうに、先生もう來ても好い時だと思つて居ると、誰とも知らず風呂場でざあ/\水を浴びるものがある。水を浴びる音ばかりではない、折々大きな聲で相の手を入れて居る。「いや結構」「どうも良い心持ちだ」「もう一杯」などゝ家中《うちぢゆう》に響き渡る樣な聲を出す。主人のうちへ來てこんな大きな聲と、こんな無作法な眞似をやるものは外にはない。迷亭に極つて居る。
愈《いよ/\》來たな、是で今日半日は潰せると思つて居ると、先生汗を拭いて肩を入れて例の如く座敷迄づか/\上つて來て「奧さん、苦沙彌君はどうしました」と呼ばはりながら帽子を疊の上へ抛《はふ》り出す。細君は隣座敷で針箱の側《そば》へ突つ伏して好い心持ちに寐て居る最中にワン/\と何だか鼓膜へ答へる程の響がしたのではつと驚ろいて、醒めぬ眼をわざと?《みは》つて座敷へ出て來ると迷亭が薩摩上布《さつまじやうふ》を着て勝手な所へ陣取つて頻りに扇使ひをして居る。
「おや入らしやいまし」と云つたが少々|狼狽《らうばい》の氣味で「ちつとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいた儘御辭儀をする。「いえ、今來た許《ばか》りなんですよ。今風呂場で御三《おさん》に水を掛けて貰つてね。漸く生き歸つた所で――どうも暑いぢやありませんか」「此|兩三日《りやうさんち》は、たゞ凝《ぢつ》として居りましても汗が出る位で、大變御暑う御座います。――でも御變りも御座いませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。「えゝ難有《ありがた》う。なに暑い位でそんなに變りやしませんや。然し此暑さは別物ですよ。どうも體がだるくつてね」「私《わたく》し抔《など》も、ついに晝寐|抔《など》を致した事がないんで御座いますが、かう暑いとつい――」「やりますかね。好いですよ。晝寐られて、夜寐られりや、こんな結構な事はないでさあ」と不相變《あひかはらず》呑氣《のんき》な事を並べて見たが夫《それ》丈《だけ》では不足と見えて「私《わたし》なんざ、寐たくない、質《たち》でね。苦沙彌君|抔《など》の樣に來るたんびに寐て居る人を見ると羨しいですよ。尤も胃弱に此暑さは答へるからね。丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上に載せてるのが退儀でさあ。さればと云つて載つてる以上はもぎとる譯にも行かずね」と迷亭君いつになく首の處置に窮して居る。「奧さんなんざ首の上へまだ載つけて置くものがあるんだから、坐つちや居られない筈だ。髷の重み丈《だけ》でも横になり度くなりますよ」と云ふと細君は今迄寐て居たのが髷の恰好《かつかう》から露見したと思つて「ホヽヽ口の惡い」と云ひながら頭をいぢつて見る。
迷亭はそんな事には頓着なく「奧さん、昨日《きのふ》はね、屋根の上で玉子のフライをして見ましたよ」と妙な事を云ふ。「フライをどうなさつたんで御座います」「屋根の瓦が餘り見事に燒けて居ましたから、只置くのも勿體ないと思つてね。バタを溶かして玉子を落したんでさあ」「あらまあ」「所が矢つ張り天日《てんぴ》は思ふ樣に行きませんや。中々半熟にならないから、下へおりて新聞を讀んで居ると客が來たもんだから遂《つ》い忘れて仕舞つて、今朝になつて急に思ひ出して、もう大丈夫だらうと上つて見たらね」「どうなつて居りました」「半熟どころか、すつかり流れて仕舞ひました」「おや/\」と細君は八の字を寄せながら感嘆した。
「然し土用中あんなに涼しくつて、今頃から暑くなるのは不思議ですね」「ほんとで御座いますよ。先達《せんだつて》中《ぢゆう》は單衣《ひとへ》では寒い位で御座いましたのに、一昨日《をとゝひ》から急に暑くなりましてね」「蟹なら横に這ふ所だが今年の氣候はあとびさり〔五字傍点〕をするんですよ。倒行《たうかう》して逆施《げきし》す又可ならずやと云ふ樣な事を言つて居るかも知れない」「なんで御座んす、それは」「いえ、何でもないのです。どうも此氣候の逆戻りをする所は丸《まる》でハーキユリスの牛ですよ」と圖に乘つて愈《いよ/\》變ちきりんな事を言ふと、果せるかな細君は分らない。然し最前の倒行《たうかう》して逆施《げきし》すで少々懲りて居るから、今度は只「へえー」と云つたのみで問ひ返さなかつた。是を問ひ返されないと迷亭は切角持ち出した甲斐がない。「奧さん、ハーキユリスの牛を御存じですか」「そんな牛は存じませんは」「御存じないですか、一寸講釋をしませうか」と云ふと細君も夫《それ》には及びませんとも言ひ兼ねたものだから「えゝ」と云つた。「昔《むか》しハーキユリスが牛を引つ張つて來たんです」「其ハーキユリスと云ふのは牛飼でゞも御座んすか」「牛飼ぢやありませんよ。牛飼やいろはの亭主ぢやありません。其節は希臘《ギリシヤ》にまだ牛肉屋が一軒もない時分の事ですからね」「あら希臘《ギリシヤ》のお話しなの? そんなら、さう仰つしやればいゝのに」と細君は希臘《ギリシヤ》と云ふ國名|丈《だけ》は心得て居る。「だつてハーキユリスぢやありませんか」「ハーキユリスなら希臘《ギリシヤ》なんですか」「えゝハーキユリスは希臘《ギリシヤ》の英雄でさあ」「どうりで、知らないと思ひました。それで其男がどうしたんで――」「其男がね奧さん見た樣に眠くなつてぐう/\寐て居る――」「あらいやだ」「寐て居る間《ま》に、?ルカンの子が來ましてね」「?ルカンて何です」「?ルカンは鍛冶屋《かぢや》ですよ。此鍛冶屋のせがれが其牛を盗んだんでさあ。所がね。牛の尻尾《しつぽ》を持つてぐい/\引いて行つたもんだからハーキユリスが眼を覺《さ》まして牛やーい/\と尋ねてあるいても分らないんです。分らない筈でさあ。牛の足跡をつけたつて前の方へあるかして連れて行つたんぢやありませんもの、後《うし》ろへ/\と引きずつて行つたんですからね。鍛冶屋のせがれにしては大出來ですよ」と迷亭先生は既に天氣の話は忘れて入る。
「時に御主人はどうしました。相變らず午睡《ひるね》ですかね。午睡《ひるね》も支那人の詩に出てくると風流だが、苦沙彌君の樣に日課としてやるのは少々俗氣がありますね。何の事あない毎日少し宛《づゝ》死んで見る樣なものですぜ、奧さん御手數《おてすう》だが一寸起して入らつしやい」と催促すると細君は同感と見えて「えゝ、ほんとにあれでは困ります。第一あなた、からだが惡るくなる許《ばか》りですから。今御飯を頂いた許《ばか》りだのに」と立ちかけると迷亭先生は「奧さん、御飯と云やあ、僕はまだ御飯を頂かないんですがね」と平氣な顔をして聞きもせぬ事を吹聽する。「おやまあ、時分どきだのにちつとも氣が付きませんで――夫《それ》ぢや何も御座いませんが御茶漬でも」「いえ御茶漬なんか頂戴しなくつても好いですよ」「夫《それ》でも、あなた、どうせ御口に合ふ樣なものは御座いませんが」と細君少々厭味を並べる。迷亭は悟つたもので「いえ御茶漬でも御湯漬でも御免蒙るんです。今途中で御馳走を誂《あつ》らて來ましたから、そいつを一つこゝで頂きますよ」と到底|素人《しらうと》には出來さうもない事を述べる。細君はたつた一言《ひとこと》「まあ!」と云つたが其まあ〔二字傍点〕の中《うち》には驚ろいたまあ〔二字傍点〕と、氣を惡るくしたまあ〔二字傍点〕と、手數《てすう》が省けて難有《ありがた》いと云ふまあ〔二字傍点〕が合併して居る。
所へ主人が、いつになく餘り八釜敷《やかまし》いので、寐つき掛つた眠をさかに扱《こ》かれた樣な心持で、ふら/\と書齋から出て來る。「相變らず八釜敷《やかまし》い男だ。切角好い心持に寐《ね》樣《やう》とした所を」と欠伸交《あくびまじ》りに佛頂面《ぶつちやうづら》をする。「いや御目覺かね。鳳眠《ほうみん》を驚かし奉つて甚だ相濟まん。然したまには好からう。さあ坐り玉へ」とどつちが客だか分らぬ挨拶をする。主人は無言の儘座に着いて寄木細工の卷烟草入から「朝日」を一本出してすぱ/\吸ひ始めたが、不圖|向《むかふ》の隅に轉がつて居る迷亭の帽子に眼をつけて「君帽子を買つたね」と云つた。迷亭はすぐさま「どうだい」と自慢らしく主人と細君の前に差し出す。「まあ奇麗だ事。大變目が細かくつて柔らかいんですね」と細君は頻りに撫で廻はす。「奧さん此帽子は重寶《ちようはう》ですよ、どうでも言ふ事を聞きますからね」と拳骨をかためてパナマの横ツ腹をぽかりと張り付けると、成程意の如く拳《こぶし》程な穴があいた。細君が「へえ」と驚く間《ま》もなく、此《この》度《たび》は拳骨を裏側へ入れてうんと突ツ張ると釜の頭がぽかりと尖《と》んがる。次には帽子を取つて鍔《つば》と鍔とを兩側から壓《お》し潰して見せる。潰れた帽子は?棒《めんぼう》で延《の》した蕎麥の樣に平たくなる。夫《それ》を片端から蓆《むしろ》でも卷く如くぐる/\疊む。「どうです此通り」と丸めた帽子を懷中へ入れて見せる。「不思議です事ねえ」と細君は歸天齋正一《きてんさいしやういち》の手品でも見物して居る樣に感嘆すると、迷亭も其氣になつたものと見えて、右から懷中に収めた帽子をわざと左の袖口から引つ張り出して「どこにも傷はありません」と元の如くに直して、人さし指の先へ釜の底を載せてくる/\と廻す。もう休《や》めるかと思つたら最後にぽんと後《うし》ろへ放《な》げて其上へ堂《ど》つさりと尻餠を突いた。「君大丈夫かい」と主人さへ懸念らしい顔をする。細君は無論の事心配さうに「切角見事な帽子を若し壞《こ》はしでもしちやあ大變ですから、もう好い加減になすつたら宜《よ》う御座んせう」と注意をする。得意なのは持主|丈《だけ》で「所が壞《こ》はれないから妙でせう」と、くちや/\になつたのを尻の下から取り出して其儘頭へ載せると、不思議な事には、頭の恰好《かつかう》に忽ち回復する。「實に丈夫な帽子です事ねえ、どうしたんでせう」と細君が愈《いよ/\》感心すると「なにどうもしたんぢやありません、元から斯う云ふ帽子なんです」と迷亭は帽子を被つた儘細君に返事をして居る。
「あなたも、あんな帽子を御買になつたら、いゝでせう」と暫くして細君は主人に勸めかけた。「だつて苦沙彌君は立派な麥藁の奴を持つてるぢやありませんか」「所があなた、先達《せんだつ》て小供があれを踏み潰《つぶ》して仕舞ひまして」「おや/\そりや惜しい事をしましたね」「だから今度はあなたの樣な丈夫で奇麗なのを買つたら善からうと思ひますんで」と細君はパナマの價段《ねだん》を知らないものだから「是になさいよ、ねえ、あなた」と頻りに主人に勸告して居る。
迷亭君は今度は右の袂の中から赤いケース入りの鋏《はさみ》を取り出して細君に見せる。「奧さん、帽子はその位にして此鋏を御覽なさい。是が又頗る重寶《ちようはう》な奴で、是で十四通りに使へるんです」此鋏が出ないと主人は細君の爲めにパナマ責めになる所であつたが、幸に細君が女として持つて生れた好奇心の爲めに、此|厄運《やくうん》を免かれたのは迷亭の機轉と云はんより寧ろ僥倖《げうかう》の仕合せだと吾輩は看破した。「其鋏がどうして十四通りに使へます」と聞くや否や迷亭君は大得意な調子で「今一々説明しますから聞いて入らつしやい。いゝですか。こゝに三日月形《みかづきがた》の缺け目がありませう、こゝへ葉卷を入れてぷつりと口を切るんです。夫《それ》から此根にちよと細工がありませう、是で針金をぽつ/\やりますね。次には平たくして紙の上へ横に置くと定規《ぢやうぎ》の用をする。又|刃《は》の裏には度盛《どもり》がしてあるから物指《ものさし》の代用も出來る。こちらの表にはヤスリ〔三字傍点〕が付いて居る是で爪を磨《す》りまさあ。ようがすか。此|先《さ》きを螺旋鋲《らせんびやう》の頭へ刺し込んでぎり/\廻すと金槌《かなづち》にも使へる。うんと突き込んでこじ開けると大抵の釘付《くぎづけ》の箱なんざあ苦もなく葢《ふた》がとれる。まつた、こちらの刃《は》の先は錐《きり》に出來て居る。こゝん所《とこ》は書き損ひの字を削る場所で、ばら/\に離すと、ナイフとなる。一番仕舞に――さあ奧さん、此一番仕舞が大變面白いんです、こゝに蠅《はへ》の眼玉位な大きさの球《たま》がありませう、一寸、覗いて御覽なさい」「いやですは又|屹度《きつと》馬鹿になさるんだから」「さう信用がなくつちや困つたね。だが欺されたと思つて、ちよいと覗いて御覽なさいな。え? 厭ですか、一寸《ちよつと》でいゝから」と鋏を細君に渡す。細君は覺束なげに鋏を取りあげて、例の蠅の眼玉の所へ自分の眼玉を付けて頻りに覘《ねらひ》をつけて居る。「どうです」「何だか眞黒ですは」「眞黒ぢやいけませんね。も少し障子の方へ向いて、さう鋏を寐かさずに――さう/\夫《それ》なら見えるでせう」「おやまあ寫眞ですねえ。どうしてこんな小さな寫眞を張り付けたんでせう」「そこが面白い所でさあ」と細君と迷亭はしきりに問答をして居る。最前から黙つて居た主人は此時急に寫眞が見たくなつたものと見えて「おい俺にも一寸《ちよつと》覽《み》せろ」と云ふと細君は鋏を顔へ押し付けた儘「實に奇麗です事、裸體の美人ですね」と云つて中々離さない。「おい一寸御見せと云ふのに」「まあ待つて入らつしやいよ。美くしい髪ですね。腰迄ありますよ。少し仰向いて恐ろしい脊《せい》の高い女だ事、然し美人ですね」「おい御見せと云つたら、大抵にして見せるがいゝ」と主人は大《おほい》に急《せ》き込んで細君に食つて掛る。「へえ御待遠さま、たんと御覽遊ばせ」と細君が鋏を主人に渡す時に、勝手から御三《おさん》が御客さまの御誂《おあつらへ》が參りましたと、二個の笊蕎麥《ざるそば》を座敷へ持つて來る。
「奧さん是が僕の自辨《じべん》の御馳走ですよ。一寸御免蒙つて、こゝでぱくつく事に致しますから」と叮嚀に御辭儀をする。眞面目な樣な巫山戯《ふざけ》た樣な動作だから細君も應對に窮したと見えて「さあどうぞ」と輕く返事をしたぎり拜見して居る。主人は漸く寫眞から眼を放して「君此暑いのに蕎麥は毒だぜ」と云つた。「なあに大丈夫、好きなものは滅多に中《あた》るもんぢやない」と蒸籠《せいろ》の葢《ふた》をとる。「打ち立ては難有《ありがた》いな。蕎麥の延びたのと、人間の間が拔けたのは由來|頼母《たのも》しくないもんだよ」と藥味《やくみ》をツユ〔二字傍点〕の中へ入れて無茶苦茶に掻き廻はす。「君そんなに山葵《わさび》を入れると辛《か》らいぜ」と主人は心配さうに注意した。「蕎麥《そば》はツユ〔二字傍点〕と山葵《わさび》で食ふもんだあね。君は蕎麥《そば》が嫌いなんだらう」「僕は饂飩《うどん》が好きだ」「饂飩《うどん》は馬子《まご》が食ふもんだ。蕎麥《そば》の味を解しない人程氣の毒な事はない」と云ひ乍《なが》ら杉箸をむざと突き込んで出來る丈《だけ》多くの分量を二寸|許《ばか》りの高さにしやくひ上げた。「奧さん蕎麥を食ふにも色々流儀がありますがね。初心《しよしん》の者に限つて、無暗にツユ〔二字傍点〕を着けて、さうして口の内でくちや/\遣つて居ますね。あれぢや蕎麥の味はないですよ。何でも、かう、一《ひ》としやくひに引つ掛けてね」と云ひつゝ箸を上げると、長い奴が勢揃《せいぞろ》ひをして一尺|許《ばか》り空中に釣るし上げられる。迷亭先生もう善からうと思つて下を見ると、未《ま》だ十二三本の尾が蒸籠《せいろ》の底を離れないで簀垂《すだ》れの上に纒綿《てんめん》して居る。「こいつは長いな、どうです奧さん、此長さ加減は」と又奧さんに相の手を要求する。奧さんは「長いもので御座いますね」とさも感心したらしい返事をする。「此長い奴へツユ〔二字傍点〕を三分一《さんぶいち》つけて、一口に飲んで仕舞ふんだね。?んぢやいけない。?んぢや蕎麥の味がなくなる。つる/\と咽喉を滑り込む所がねうちだよ」と思ひ切つて箸を高く上げると蕎麥は漸くの事で地を離れた。左手《ゆんで》に受ける茶碗の中へ、箸を少し宛《づゝ》落して、尻尾《しつぽ》の先から段々に浸《ひた》すと、アーキミヂスの理論によつて、蕎麥の浸《つか》つた分量|丈《だけ》ツユ〔二字傍点〕の嵩《かさ》が揩オてくる。所が茶碗の中には元からツユ〔二字傍点〕が八分目這入つてゐるから、迷亭の箸にかゝつた蕎麥の四半分《しはんぶん》も浸《つか》らない先に茶碗はツユ〔二字傍点〕で一杯になつて仕舞つた。迷亭の箸は茶碗を去る五寸の上に至つてぴたりと留まつたきり暫く動かない。動かないのも無理はない。少しでも卸せばツユ〔二字傍点〕が溢《こぼ》れる許《ばか》りである。迷亭も茲《こゝ》に至つて少し?躇《ちうちよ》の體《てい》であつたが、忽ち脱兎の勢を以て、口を箸の方へ持つて行つたなと思ふ間《ま》もなく、つる/\ちゆうと音がして咽喉笛が一二度|上下《じやうげ》へ無理に動いたら箸の先の蕎麥は消えてなくなつて居つた。見ると迷亭君の兩眼から涙の樣なものが一二滴|眼尻《めじり》から頬へ流れ出した。山葵《わさび》が利いたものか、飲み込むのに骨が折れたものか是れは未だに判然しない。「感心だなあ。よくそんなに一どきに飲み込めたものだ」と主人が敬服すると「御見事です事ねえ」と細君も迷亭の手際を激賞した。迷亭は何にも云はないで箸を置いて胸を二三度|敲《たゝ》いたが「奧さん笊《ざる》は大抵三口半か四口で食ふんですね。夫《それ》より手數《てすう》を掛けちや旨く食へませんよ」とハンケチで口を拭いて一寸一息入れて居る。
所へ寒月君が、どう云ふ了見か此暑いのに御苦勞にも冬帽を被つて兩足を埃だらけにしてやつてくる。「いや好男子の御入來《ごにふらい》だが、喰ひ掛けたものだから一寸失敬しますよ」と迷亭君は衆人環座《しゆうじんくわんざ》の裏《うち》にあつて臆面もなく殘つた蒸籠《せいろ》を平《たひら》げる。今度は先刻《さつき》の樣に目覺しい食方もしなかつた代りに、ハンケチを使つて、中途で息を入れると云ふ不體裁もなく、蒸籠《せいろ》二つを安々と遣《や》つて除《の》けたのは結構だつた。
「寒月君博士論文はもう脱稿するのかね」と主人が聞くと迷亭も其|後《あと》から「金田令孃がお待ちかねだから早々《さう/\》呈出《ていしゆつ》し玉へ」と云ふ。寒月君は例の如く薄氣味の惡い笑を洩らして「罪ですから可成《なるべく》早く出して安心させてやりたいのですが、何しろ問題が問題で、餘程勞力の入る研究を要するのですから」と本氣の沙汰とも思はれない事を本氣の沙汰らしく云ふ。「さうさ問題が問題だから、さう鼻の言ふ通りにもならないね。尤もあの鼻なら充分鼻息をうかがふ丈《だけ》の價値はあるがね」と迷亭も寒月流な挨拶をする。比較的に眞面目なのは主人である。「君の論文の問題は何とか云つたつけな」「蛙の眼球《めだま》の電動作用に對する紫外光線《しぐわいくわうせん》の影響と云ふのです」「そりや奇だね。流石《さすが》は寒月先生だ、蛙の眼球は振《ふる》つてるよ。どうだらう苦沙彌君、論文脱稿|前《まへ》に其問題|丈《だけ》でも金田家へ報知して置いては」主人は迷亭の云ふ事には取り合はないで「君そんな事が骨の折れる研究かね」と寒月君に聞く。「えゝ、中々複雜な問題です、第一蛙の眼球のレンズの構造がそんな單簡《たんかん》なものでありませんからね。それで色々實驗もしなくちやなりませんが先《ま》づ丸い硝子《ガラス》の球《たま》をこしらへて夫《それ》からやらうと思つて居ます」「硝子《ガラス》の球なんかガラス屋へ行けば譯ないぢやないか」「どうして――どうして」と寒月先生少々|反身《そりみ》になる。「元來|圓《ゑん》とか直線とか云ふのは幾何學的のもので、あの定義に合つた樣な理想的な圓や直線は現實世界にはないもんです」「ないもんなら、廢《よ》したらよからう」と迷亭が口を出す。「夫《それ》で先づ實驗上差し支ない位な球を作つて見《み》樣《やう》と思ひましてね。先達《せんだつ》てからやり始めたのです」「出來たかい」と主人が譯のない樣にきく。「出來るものですか」と寒月君が云つたが、是では少々矛盾だと氣が付いたと見えて「どうも六づかしいです。段々|磨《す》つて少しこつち側の半徑が長過ぎるからと思つて其方《そつち》を心持落すと、さあ大變今度は向側《むかふがは》が長くなる。そいつを骨を折つて漸く磨り潰したかと思ふと全體の形がいびつ〔三字傍点〕になるんです。やつとの思ひで此いびつ〔三字傍点〕を取ると又直徑に狂ひが出來ます。始めは林檎程な大きさのものが段々小さくなつて苺《いちご》程《ほど》になります。それでも根氣よくやつて居ると大豆程になります。大豆程になつてもまだ完全な圓は出來ませんよ。私も隨分熱心に磨りましたが――此正月からガラス玉を大小六個磨り潰しましたよ」と嘘だか本當だか見當のつかぬ所を喋々《てふ/\》と述べる。「どこでそんなに磨つてゐるんだい」「矢つ張り學校の實驗室です、朝磨り始めて、晝飯のとき一寸休んで夫《それ》から暗くなる迄磨るんですが、中々樂ぢやありません」「夫《それ》ぢや君が近頃忙がしい/\と云つて毎日日曜でも學校へ行くのは其珠を磨りに行くんだね」「全く目下の所は朝から晩迄珠|許《ばか》り磨つて居ます」「珠作りの博士となつて入り込みしは――と云ふところだね。然し其熱心を聞かせたら、いかな鼻でも少しは難有《ありがた》がるだらう。實は先日僕がある用事があつて圖書館へ行つて歸りに門を出《で》樣《やう》としたら偶然|老梅君《らうばいくん》に出逢つたのさ。あの男が卒業後圖書館に足が向くとは餘程不思議な事だと思つて感心に勉強するねと云つたら先生妙な顔をして、なに本を讀みに來たんぢやない、今門前を通り掛つたら一寸|小用《こよう》がしたくなつたから拜借に立ち寄つたんだと云つたんで大笑をしたが、老梅君《らうばいくん》と君とは反對の好例として新撰蒙求《しんせんもうぎう》に是非入れたいよ」と迷亭君例の如く長たらしい註釋をつける。主人は少し眞面目になつて「君さう毎日々々珠|許《ばか》り磨つてるのもよからうが、元來いつ頃出來上る積りかね」と聞く。「まあ此容子ぢや十年位かゝりさうです」と寒月君は主人より呑氣《のんき》に見受けられる。「十年ぢや――もう少し早く磨り上げたらよからう」「十年ぢや早い方です、事に因ると廿年位かゝります」「そいつは大變だ、それぢや容易に博士にやなれないぢやないか」「えゝ一日も早くなつて安心さして遣りたいのですが兎に角珠を磨り上げなくつちや肝心の實驗が出來ませんから……」
寒月君はちよつと句を切つて「何、そんなにご心配には及びませんよ。金田でも私の珠|許《ばか》り磨つてる事はよく承知してゐます。實は二三日《にさんち》前《まへ》行つた時にも能く事情を話して來ました」としたり顔に述べ立てる。すると今迄三人の談話を分らぬ乍ら傾聽して居た細君が「それでも金田さんは家族中殘らず、先月から大磯へ行つて居らつしやるぢやありませんか」と不審さうに尋ねる。寒月君も是には少し辟易《へきえき》の體《てい》であつたが「そりや妙ですな、どうしたんだらう」ととぼけて居る。かう云ふ時に重寶なのは迷亭君で、話の途切れた時、極りの惡い時、眠くなつた時、困つた時、どんな時でも必ず横合から飛び出してくる。「先月大磯へ行つたものに兩三日《りやうさんち》前《まへ》東京で逢ふ抔《など》は神秘的でいゝ。所謂靈の交換だね。相思《さうし》の情《じやう》の切な時にはよくさう云ふ現象が起るものだ。一寸聞くと夢の樣だが、夢にしても現實より慥《たし》かな夢だ。奧さんの樣に別に思ひも思はれもしない苦沙彌君の所へ片付いて生涯戀の何物たるを御解しにならん方には、御不審も尤だが……」「あら何を證據にそんな事を仰しやるの。隨分輕蔑なさるのね」と細君は中途から不意に迷亭に切り付ける。「君だつて戀煩ひなんかした事はなさゝうぢやないか」と主人も正面から細君に助太刀をする。「そりや僕の艶聞などは、いくら有つてもみんな七十五日以上經過して居るから、君方《きみがた》の記憶には殘つて居ないかも知れないが――實は是でも失戀の結果、此歳になる迄獨身で暮らして居るんだよ」と一順列座の顔を公平に見廻はす。「ホヽヽヽ面白い事」と云つたのは細君で、「馬鹿にして居らあ」と庭の方を向いたのは主人である。只寒月君|丈《だけ》は「どうか其懷舊談を後學《こうがく》の爲に伺いたいもので」と相變らずにや/\する。
「僕のも大分《だいぶ》神秘的で、故小泉八雲先生に話したら非常に受けるのだが、惜しい事に先生は永眠されたから、實の所話す張合もないんだが、切角だから打ち開けるよ。其代り仕舞迄謹聽しなくつちやいけないよ」と念を押して愈《いよ/\》本文に取り掛る。「回顧すると今を去る事――えゝと――何年前だつたかな――面倒だから略《ほゞ》十五六年|前《まへ》として置かう」「冗談ぢやない」と主人は鼻からフンと息をした。「大變物覺えが御惡いのね」と細君がひやかした。寒月君|丈《だけ》は約束を守つて一言《いちごん》も云はずに、早くあとが聽きたいと云ふ風をする。「何でもある年の冬の事だが、僕が越後の國は蒲原郡《かんばらごほり》筍谷《たけのこだに》を通つて、蛸壺峠《たこつぼたうげ》へかゝつて、是から愈《いよ/\》會津領《あいづりやう》へ出《で》樣《やう》とする所だ」「妙な所だな」と主人が又邪魔をする。「だまつて聽いて入らつしやいよ。面白いから」と細君が制する。「所が日は暮れる、路は分らず、腹は減る、仕方がないから峠の眞中にある一軒屋を敲《たゝ》いて、これ/\斯樣《かやう》/\しか/”\の次第だから、どうか留めて呉れと云ふと、御安い御用です、さあ御上がんなさいと裸?燭《はだからふそく》を僕の顔に差しつけた娘の顔を見て僕はぶる/\と悸《ふる》へたがね。僕は其時から戀と云ふ曲者《くせもの》の魔力を切實に自覺したね」「おやいやだ。そんな山の中にも美しい人があるんでせうか」「山だつて海だつて、奧さん、其娘を一目あなたに見せたいと思ふ位ですよ、文金《ぶんきん》の高島田《たかしまだ》に髪を結《い》ひましてね」「へえー」と細君はあつけに取られて居る。「這入つて見ると八疊の眞中に大きな圍爐裏《ゐろり》が切つてあつて、其|周《まは》りに娘と娘の爺さんと婆さんと僕と四人坐つたんですがね。嘸《さぞ》御腹《おなか》が御減りでせうと云ひますから、何でも善いから早く食はせ給へと請求したんです。すると爺さんが切角の御客さまだから蛇飯《へびめし》でも炊いて上げ樣《やう》と云ふんです。さあ是からが愈《いよ/\》失戀に取り掛る所だから確《しつ》かりして聽き玉へ」「先生|確《しつ》りして聽く事は聽きますが、なんぼ越後の國だつて冬、蛇が居やしますまい」「うん、そりや一應尤もな質問だよ。然しこんな詩的な話しになるとさう理窟にばかり拘泥しては居られないからね。鏡花の小説にや雪の中から蟹《かに》が出てくるぢやないか」と云つたら寒月君は「成程」と云つたきり又謹聽の態度に復した。
「其時分の僕は隨分|惡《あく》もの食ひの隊長で、蝗《いなご》、なめくじ、赤蛙|抔《など》は食ひ厭《あ》きて居た位な所だから、蛇飯は乙《おつ》だ。早速御馳走にならうと爺さんに返事をした。そこで爺さん圍爐裏《ゐろり》の上へ鍋をかけて、其中へ米を入れてぐづ/\※[者/火]出したものだね。不思議な事には其鍋の葢《ふた》を見ると大小十個ばかりの穴があいて居る。其穴から湯氣がぷう/\吹くから、旨い工夫をしたものだ、田舍にしては感心だと見て居ると、爺さんふと立つて、どこかへ出て行つたが暫くすると、大きな笊《ざる》を小脇に抱《か》ひ込んで歸つて來た。何氣なく是を圍爐裏《ゐろり》の傍《そば》へ置いたから、其中を覗いて見ると――居たね。長い奴が、寒いもんだから御互にとぐろ〔三字傍点〕の捲《ま》きくらをやつて塊《かた》まつて居ましたね」「もうそんな御話しは廢《よ》しになさいよ。厭らしい」と細君は眉に八の字を寄せる。「どうしてこれが失戀の大源因になるんだから中々|廢《よ》せませんや。爺さんはやがて左手に鍋の葢をとつて、右手に例の塊《かた》まつた長い奴を無雜作《むざふさ》につかまへて、いきなり鍋の中へ放《はふ》り込んで、すぐ上から葢をしたが、流石《さすが》の僕も其の時|許《ばか》りははつと息の穴が塞《ふさが》つたかと思つたよ」「もう御やめになさいよ。氣味《きび》の惡《わ》るい」と細君頻りに怖《こは》がつて居る。「もう少しで失戀になるから暫く辛抱して入らつしやい。すると一分立つか立たないうちに蓋《ふた》の穴から鎌首《かまくび》がひよいと一つ出ましたのには驚ろきましたよ。やあ出たなと思ふと、隣の穴からも又ひよいと顔を出した。又出たよと云ふうち、あちらからも出る。こちらからも出る。とう/\鍋中《なべぢゆう》蛇の面《つら》だらけになつて仕舞つた」「なんで、そんなに首を出すんだい」「鍋の中が熱いから、苦しまぎれに這ひ出さうとするのさ。やがて爺さんは、もうよからう、引つ張らつしとか何とか云ふと、婆さんははあーと答へる、娘はあいと挨拶をして、名々《めい/\》に蛇の頭を持つてぐいと引く。肉は鍋の中に殘るが、骨|丈《だけ》は奇麗に離れて、頭を引くと共に長いのが面白い樣に拔け出してくる」「蛇の骨拔きですね」と寒月君が笑ひながら聞くと「全くの事骨拔だ、器用な事をやるぢやないか。夫《それ》から葢《ふた》を取つて、杓子《しやくし》でもつて飯と肉を矢鱈《やたら》に掻き交ぜて、さあ召し上がれと來た」「食つたのかい」と主人が冷淡に尋ねると、細君は苦《にが》い顔をして「もう廢《よ》しになさいよ、胸が惡《わ》るくつて御飯も何もたべられやしない」と愚痴をこぼす。「奧さんは蛇飯を召し上がらんから、そんな事を仰しやるが、まあ一遍たべてご覽なさい、あの味|許《ばか》りは生涯忘れられませんぜ」「おゝ、いやだ、誰が食べるもんですか」「そこで充分|御饌《ごぜん》も頂戴し、寒さも忘れるし、娘の顔も遠慮なく見るし、もう思ひ置く事はないと考へて居ると、御休みなさいましと云ふので、旅の勞《つか》れもある事だから、仰《おおせ》に從つて、ごろりと横になると、すまん譯だが前後を忘却して寐て仕舞つた」「夫《それ》からどうなさいました」と今度は細君の方から催促する。「夫《それ》から明朝《あくるあさ》になつて眼を覺《さま》してからが失戀でさあ」「どうかなさつたんですか」「いえ別にどうもしやしませんがね。朝起きて卷烟草をふかし乍ら裏の窓から見て居ると、向ふの筧《かけひ》の傍《そば》で、藥罐頭《やくわんあたま》が顔を洗つて居るんでさあ」「爺さんか婆さんか」と主人が聞く。「夫《それ》がさ、僕にも識別しにくかつたから、暫らく拜見して居て、其|藥罐《やくわん》がこちらを向く段になつて驚ろいたね。それが僕の初戀をした昨夜《ゆうべ》の娘なんだもの」「だつて娘は島田に結《い》つて居るとさつき云つたぢやないか」「前夜は島田さ、然も見事な島田さ。所が翌朝《あくるあさ》は丸藥罐《まるやくわん》さ」「人を馬鹿にして居らあ」と主人は例によつて天井の方へ視線をそらす。「僕も不思議の極《きよく》内心少々|怖《こは》くなつたから、猶|餘所《よそ》ながら容子を窺つて居ると、藥罐は漸く顔を洗ひ了つて、傍《かた》への石の上に置いてあつた高島田の鬘《かづら》を無雜作《むざふさ》に被《かぶ》つて、濟《すま》ましてうちへ這入つたんで成程と思つた。成程とは思つた樣なものゝ其時から、とう/\失戀の果敢《はか》なき運命をかこつ身となつて仕舞つた」「くだらない失戀もあつたもんだ。ねえ、寒月君、それだから、失戀でも、こんなに陽氣で元氣がいゝんだよ」と主人が寒月君に向つて迷亭君の失戀を評すると、寒月君は「然し其娘が丸藥罐でなくつて目出度く東京へでも連れて御歸りになつたら、先生は猶《なほ》元氣かも知れませんよ、とに角切角の娘が禿《はげ》であつたのは千秋の恨事ですねえ。夫《そ》れにしても、そんな若い女がどうして、毛が拔けて仕舞つたんでせう」「僕も夫《それ》に就ては段々考へたんだが全く蛇飯を食ひ過ぎたせいに相違ないと思ふ。蛇飯てえ奴はのぼせるからね」「然しあなたは、どこも何ともなくて結構で御座いましたね」「僕は禿《はげ》にはならずに濟んだが、其代りに此通り其時から近眼《きんがん》になりました」と金縁の眼鏡をとつてハンケチで叮嚀に拭いて居る。暫くして主人は思ひ出した樣に「全體どこが神秘的なんだい」と念の爲めに聞いて見る。「あの鬘《かづら》はどこで買つたのか、拾つたのかどう考へても未だに分らないからそこが神秘さ」と迷亭君は又眼鏡を元の如く鼻の上へかける。「丸《まる》で噺《はな》し家《か》の話を聞く樣で御座んすね」とは細君の批評であつた。
迷亭の駄辯も是で一段落を告げたから、もうやめるかと思ひの外、先生は猿轡《さるぐつわ》でも嵌《は》められないうちは到底黙つて居る事が出來ぬ性《たち》と見えて、又次の樣な事をしやべり出した。
「僕の失戀も苦《にが》い經驗だが、あの時あの藥罐を知らずに貰つたが最後生涯の目障《めざは》りになるんだから、よく考へないと險呑《けんのん》だよ。結婚なんかは、いざと云ふ間際になつて、飛んだ所に傷口が隱れて居るのを見出《みいだ》す事がある者だから。寒月君|抔《など》もそんなに憧憬《しようけい》したり??《しやうきやう》したり獨《ひと》りで六づかしがらないで、篤《とく》と氣を落ち付けて珠を磨るがいゝよ」といやに異見めいた事を述べると、寒月君は「えゝ可成《なるべく》珠|許《ばか》り磨つて居たいんですが、向ふでさうさせないんだから弱り切ります」とわざと辟易した樣な顔付をする。「さうさ、君などは先方が騷ぎ立てるんだが、中には滑稽なのがあるよ。あの圖書館へ小便をしに來た老梅君《らうばいくん》抔《など》になると頗る奇だからね」「どんな事をしたんだい」と主人が調子づいて承《うけたま》はる。「なあに、かう云ふ譯さ。先生其昔靜岡の東西館へ泊つた事があるのさ。――たつた一と晩だぜ――夫《それ》で其晩すぐにそこの下女に結婚を申し込んだのさ。僕も隨分|呑氣《のんき》だが、まだあれ程には進化しない。尤も其時分には、あの宿屋に御夏《おなつ》さんと云ふ有名な別嬪が居て老梅君《らうばいくん》の座敷へ出たのが丁度其|御夏《おなつ》さんなのだから無理はないがね」「無理がない所か君の何とか峠と丸《まる》で同じぢやないか」「少し似て居るね、實を云ふと僕と老梅《らうばい》とはそんなに差異はないからな。とにかく、その御夏さんに結婚を申し込んで、まだ返事を聞かないうちに水瓜《すゐくわ》が食ひ度くなつたんだがね」「何だつて?」と主人が不思議な顔をする。主人|許《ばか》りではない、細君も寒月も申し合せた樣に首をひねつて一寸考へて見る。迷亭は構はずどん/\話を進行させる。「御夏さんを呼んで靜岡に水瓜《すゐくわ》はあるまいかと聞くと、御夏さんが、なんぼ靜岡だつて水瓜《すゐくわ》位はありますよと、御盆に水瓜《すゐくわ》を山盛りにして持つてくる。そこで老梅君《らうばいくん》食つたさうだ。山盛りの水瓜《すゐくわ》を悉《こと/”\》く平らげて、御夏さんの返事を待つて居ると、返事の來ないうちに腹が痛み出してね、うーん/\と唸《うな》つたが少しも利目《きゝめ》がないから又御夏さんを呼んで今度は靜岡に醫者はあるまいかと聞いたら、御夏さんが又、なんぼ靜岡だつて醫者位はありますよと云つて、天地玄黄《てんちげんくわう》とかいふ千字文《せんじもん》を盗んだ樣な名前のドクトルを連れて來た。翌朝《あくるあさ》になつて、腹の痛みも御蔭でとれて難有《ありがた》いと、出立する十五分前に御夏さんを呼んで、昨日《きのふ》申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、御夏さんは笑ひながら靜岡には水瓜《すゐくわ》もあります、御醫者もありますが一夜作りの御嫁はありませんよと出て行つたきり顔を見せなかつたさうだ。夫《それ》から老梅君も僕同樣失戀になつて、圖書館へは小便をする外來なくなつたんだつて、考へると女は罪な者だよ」と云ふと主人がいつになく引き受けて「本當にさうだ。先達《せんだつ》てミユツセの脚本を讀んだら其うちの人物が羅馬《ローマ》の詩人を引用してこんな事を云つて居た。――羽より輕い者は塵《ちり》である。塵より輕いものは風である。風より輕い者は女である。女より輕いものは無《む》である。――よく穿《うが》つてるだらう。女なんか仕方がない」と妙な所で力味《りき》んで見せる。之を承《うけたまは》つた細君は承知しない。「女の輕いのがいけないと仰しやるけれども、男の重いんだつて好い事はないでせう」「重いた、どんな事だ」「重いと云ふな重い事ですは、あなたの樣なのです」「俺がなんで重い」「重いぢやありませんか」と妙な議論が始まる。迷亭は面白さうに聞いて居たが、やがて口を開いて「さう赤くなつて互に辯難攻撃をする所が夫婦の眞相と云ふものかな。どうも昔の夫婦なんてものは丸《まる》で無意味なものだつたに違ひない」とひやかすのだか賞るのだか曖昧な事を言つたが、それでやめて置いても好い事を又例の調子で布衍《ふえん》して、下《しも》の如く述べられた。
「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかつたんだつて云ふが、夫《それ》なら?《おし》を女房にして居ると同じ事で僕などは一向《いつかう》難有《ありがた》くない。矢つ張り奧さんの樣にあなたは重いぢやありませんかとか何とか云はれて見たいね。同じ女房を持つ位なら、たまには喧嘩の一つ二つしなくつちや退屈で仕樣がないからな。僕の母|抔《など》と來たら、おやぢの前へ出てはい〔二字傍点〕とへい〔二字傍点〕で持ち切つて居たものだ。さうして二十年も一所になつて居るうちに寺參りより外《ほか》に外《そと》へ出た事がないと云ふんだから情《なさ》けないぢやないか。尤も御蔭で先祖代々の戒名《かいみやう》は悉《こと/”\》く暗記して居る。男女間の交際だつてさうさ、僕の小供の時分|抔《など》は寒月君の樣に意中の人と合奏をしたり、靈の交換をやつて朦朧體《もうろうたい》で出合つて見たりする事は到底出來なかつた」「御氣の毒樣で」と寒月君が頭を下げる。「實に御氣の毒さ。而《しか》も其時分の女が必ずしも今の女より品行がいゝと限らんからね。奧さん近頃は女學生が墮落したの何だのと八釜敷《やかまし》く云ひますがね。なに昔はこれより烈しかつたんですよ」「さうでせうか」と細君は眞面目である。「さうですとも、出鱈目《でたらめ》ぢやない、ちやんと證據があるから仕方がありませんや。苦沙彌君、君も覺えて居るかも知れんが僕等の五六歳の時迄は女の子を唐茄子《たうなす》の樣に籠へ入れて天秤棒《てんびんぼう》で擔いで賣つてあるいたもんだ、ねえ君」「僕はそんな事は覺えて居らん」「君の國ぢやどうだか知らないが、靜岡ぢや慥《たし》かにさうだつた」「まさか」と細君が小さい聲を出すと、「本當ですか」と寒月君が本當らしからぬ樣子で聞く。
「本當さ。現に僕のおやぢが價《ね》を付けた事がある。其時僕は何でも六つ位だつたらう。おやぢと一所に油町《あぶらまち》から通町《とほりちやう》へ散歩に出ると、向ふから大きな聲をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴《どな》つてくる。僕等が丁度二丁目の角へ來ると、伊勢源《いせげん》と云ふ呉服屋の前で其男に出つ食はした。伊勢源と云ふのは間口が十間で藏が五《い》つ戸前《とまへ》あつて靜岡第一の呉服屋だ。今度行つたら見て來給へ。今でも歴然と殘つて居る。立派なうちだ。其番頭が甚兵衛と云つてね。いつでも御袋《おふくろ》が三日前に亡《な》くなりましたと云ふ樣な顔をして帳場の所へ控へて居る。甚兵衛君の隣りには初《はつ》さんといふ二十四五の若い衆《しゆ》が坐つて居るが、此初さんが又|雲照律師《うんせうりつし》に歸依して三七二十一日の間蕎麥湯|丈《だけ》で通したと云ふ樣な青い顔をして居る。初さんの隣りが長《ちやう》どんで是は昨日《きのふ》火事で焚《や》き出されたかの如く愁然《しうぜん》と算盤《そろばん》に身を凭《もた》して居る。長どんと併《なら》んで……」「君は呉服屋の話をするのか、人賣りの話をするのか」「さう/\人賣りの話しをやつて居たんだつけ。實は此伊勢源に就ても頗る奇譚《きだん》があるんだが、それは割愛して今日は人賣り|丈《だけ》にしておかう」「人賣も序《つい》でにやめるがいゝ」「どうして是が二十世紀の今日《こんにち》と明治初年頃の女子の品性の比較に就て大《だい》なる參考になる材料だから、そんなに容易《たやす》くやめられるものか――夫《それ》で僕がおやぢと伊勢源の前迄くると、例の人賣りがおやぢを見て旦那女の子の仕舞物《しまひもの》はどうです、安く負けて置くから買つて御呉んなさいと云ひながら天秤棒を卸して汗を拭いて居るのさ。見ると籠の中には前に一人|後《うし》ろに一人兩方とも二歳|許《ばか》りの女の子が入れてある。おやぢは此男に向つて安ければ買つてもいゝが、もう是ぎりかいと聞くと、へえ生憎《あいにく》今日はみんな賣り盡してたつた二つになつちまいました。どつちでも好いから取つとくんなさいなと女の子を兩手で持つて唐茄子か何ぞの樣におやぢの鼻の先へ出すと、おやぢはぽん/\と頭を叩いて見て、はゝあ可なりな音だと云つた。夫《それ》から愈《いよ/\》談判が始まつて散々《さんざ》價切《ねぎ》つた末おやぢが、買つても好いが品は慥《たし》かだらうなと聞くと、えゝ前の奴は始終見て居るから間違はありませんがね後《うし》ろに擔《かつ》いでる方は、何しろ眼がないんですから、ことによるとひゞが入つてるかも知れません。こいつの方なら受け合へない代りに價段《ねだん》を引いて置きますと云つた。僕は此問答を未だに記憶して居るんだが其時小供心に女と云ふものは成程油斷のならないものだと思つたよ。――然し明治三十八年の今日《こんにち》こんな馬鹿な眞似をして女の子を賣つてあるくものもなし、眼を放して後《うし》ろへ擔いだ方は險呑《けんのん》だ抔《など》と云ふ事も聞かない樣だ。だから、僕の考では矢張り泰西文明の御蔭で女の品行も餘程進歩したものだらうと斷定するのだが、どうだらう寒月君」
寒月君は返事をする前に先づ鷹揚《おうやう》な咳拂《せきばらひ》を一つして見せたが、夫《それ》からわざと落ち付いた低い聲で、こんな觀察を述べられた。「此頃の女は學校の行き歸りや、合奏會や、慈善會や、園遊會で、ちよいと買つて頂戴な、あらおいや? 抔《など》と自分で自分を賣りにあるいて居ますから、そんな八百屋のお餘りを雇つて、女の子はよしか、なんて下品な依托販賣《いたくはんばい》をやる必要はないですよ。人間に獨立心が發達してくると自然こんな風になるものです。老人なんぞは入らぬ取越苦勞をして何とか蚊《か》とか云ひますが、實際を云ふと是が文明の趨勢《すうせい》ですから、私|抔《など》は大《おほい》に喜ばしい現象だと、ひそかに慶賀の意を表して居るのです。買ふ方だつて頭を敲《たゝ》いて品物は確かゝなんて聞く樣な野暮は一人も居ないんですから其邊は安心なものでさあ。又此複雜な世の中に、そんな手數《てすう》をする日にあ、際限がありませんからね。五十になつたつて六十になつたつて亭主を持つ事も嫁に行く事も出來やしません」寒月君は二十世紀の青年|丈《だけ》あつて、大《おほい》に當世流の考を開陳して置いて、敷島の烟をふうーと迷亭先生の顔の方へ吹き付けた。迷亭は敷島の烟位で辟易する男ではない。「仰せの通り方今《はうこん》の女生徒、令孃|抔《など》は自尊自信の念から骨も肉も皮まで出來ていて、何でも男子に負けない所が敬服の至りだ。僕の近所の女學校の生徒|抔《など》と來たらえらいものだぜ。筒袖《つゝそで》を穿《は》いて鐵棒《かなぼう》へぶら下がるから感心だ。僕は二階の窓から彼等の體操を目撃するたんびに古代|希臘《ギリシヤ》の婦人を追懷するよ」「又|希臘《ギリシヤ》か」と主人が冷笑する樣に云ひ放つと「どうも美な感じのするものは大抵|希臘《ギリシヤ》から源を發して居るから仕方がない。美學者と希臘《ギリシヤ》とは到底離れられないやね。――ことにあの色の黒い女學生が一心不亂に體操をして居る所を拜見すると、僕はいつでも Agnodice の逸話を思ひ出すのさ」と物知り顔にしやべり立てる。「又六づかしい名前が出て來ましたね」と寒月君は依然としてにや/\する。「Agnodice はえらい女だよ、僕は實に感心したね。當時|亞典《アテン》の法律で女が産婆を營業する事を禁じてあつた。不便な事さ。Agnodice だつて其不便を感ずるだらうぢやないか」「何だい、其――何とか云ふのは」「女さ、女の名前だよ。此女がつら/\考へるには、どうも女が産婆になれないのは情《なさ》けない、不便極まる。どうかして産婆になりたいもんだ、産婆になる工夫はあるまいかと三日三晩手を拱《こまぬ》いて考へ込んだね。丁度三日目の曉方《あけがた》に、隣の家で赤ん坊がおぎあと泣いた聲を聞いて、うんさうだと豁然大悟《くわつぜんたいご》して、夫《それ》から早速長い髪を切つて男の着物をきて Hierophilus の講義をきゝに行つた。首尾よく講義をきゝ終《おほ》せて、もう大丈夫と云ふところでもつて、愈《いよ/\》産婆を開業した。所が、奧さん流行《はや》りましたね。あちらでもおぎあ〔三字傍点〕と生れるこちらでもおぎあ〔三字傍点〕と生れる。夫《それ》がみんな Agnodice の世話なんだから大變|儲《まう》かつた。所が人間萬事|塞翁《さいをう》の馬、七轉《なゝころ》び八起《やお》き、弱り目に祟《たゝ》り目で、つい此秘密が露見に及んで遂に御上《おかみ》の御法度《ごはつと》を破つたと云ふ所で、重き御仕置に仰せつけられさうになりました」「丸《まる》で講釋見た樣です事」「中々旨いでせう。所が亞典《アテン》の女連が一同連署して嘆願に及んだから、時の御奉行もさう木で鼻を括《くゝ》つた樣な挨拶も出來ず、遂に當人は無罪放免、是からはたとひ女たりとも産婆營業勝手たるべき事と云ふ御布令《おふれ》さへ出て目出度く落着を告げました」「よく色々な事を知つて入らつしやるのね、感心ねえ」「えゝ大概の事は知つて居ますよ。知らないのは自分の馬鹿な事位なものです。しかし夫《それ》も薄々は知つてます」「ホヽヽヽ面白い事|許《ばか》り……」と細君|相形《さうがう》を崩して笑つて居ると、格子戸のベルが相變らず着けた時と同じ樣な音を出して鳴る。「おや又御客樣だ」と細君は茶の間へ引き下がる。細君と入れ違ひに座敷へ這入つて來たものは誰かと思つたら御存じの越智東風《をちとうふう》君であつた。
茲《こゝ》へ東風君さへくれば、主人の家《うち》へ出入《でいり》する變人は悉《こと/”\》く網羅し盡したと迄行かずとも、少なくとも吾輩の無聊を慰むるに足る程の頭數は御揃になつたと云はねばならぬ。此《これ》で不足を云つては勿體ない。運|惡《わ》るくほかの家《うち》へ飼はれたが最後、生涯人間中にかゝる先生方が一人でもあらうとさへ氣が付かずに死んで仕舞ふかも知れない。幸にして苦沙彌先生門下の猫兒《べうじ》となつて朝夕《てうせき》虎皮《こひ》の前に侍《はん》べるので先生は無論の事迷亭、寒月|乃至《ないし》東風|抔《など》と云ふ廣い東京にさへ餘り例のない一騎當千の豪傑連の擧止動作を寢ながら拜見するのは吾輩にとつて千載一遇の光榮である。御蔭樣で此暑いのに毛袋でつゝまれて居ると云ふ難儀も忘れて、面白く半日を消光する事が出來るのは感謝の至りである。どうせ是《これ》丈《だけ》集まれば只事では濟まない。何か持ち上がるだらうと襖の陰から謹んで拜見する。
「どうも御無沙汰を致しました。暫く」と御辭儀をする東風君の顔を見ると、先日の如く矢張り奇麗に光つて居る。頭|丈《だけ》で評すると何か緞帳役者《どんちやうやくしや》の樣にも見えるが、白い小倉の袴のゴワ/\するのを御苦勞にも鹿爪らしく穿《は》いて居る所は榊原健吉《さかきばらけんきち》の内弟子としか思へない。從つて東風君の身體で普通の人間らしい所は肩から腰迄の間|丈《だけ》である。「いや暑いのに、よく御出掛だね。さあずゝと、こつちへ通り玉へ」と迷亭先生は自分の家《うち》らしい挨拶をする。「先生には大分《だいぶ》久しく御目にかゝりません」「さうさ、慥《たし》か此春の朗讀會ぎりだつたね。朗讀會と云へば近頃は矢張り御盛《おさかん》かね。其《その》後《ご》御宮《おみや》にやなりませんか。あれは旨かつたよ。僕は大《おほい》に拍手したぜ、君氣が付いてたかい」「えゝ御蔭で大きに勇氣が出まして、とう/\仕舞迄漕ぎつけました」「今度はいつ御催しがありますか」と主人が口を出す。「七八|兩月《ふたつき》は休んで九月には何か賑やかにやりたいと思つて居ります。何か面白い趣向は御座いますまいか」「左樣《さやう》」と主人が氣のない返事をする。「東風君僕の創作を一つやらないか」と今度は寒月君が相手になる。「君の創作なら面白いものだらうが、一體何かね」「脚本さ」と寒月君が成る可く押しを強く出ると、案の如く、三人は一寸毒氣をぬかれて、申し合せた樣に本人の顔を見る。「脚本はえらい。喜劇かい悲劇かい」と東風君が歩を進めると、寒月先生|猶《なほ》澄し返つて「なに喜劇でも悲劇でもないさ。近頃は舊劇とか新劇とか大部《だいぶ》やかましいから、僕も一つ新機軸を出して俳劇《はいげき》と云ふのを作つて見たのさ」「俳劇《はいげき》たどんなものだい」「俳句趣味の劇と云ふのを詰めて俳劇の二字にしたのさ」と云ふと主人も迷亭も多少|烟《けむ》に捲かれて控へて居る。「それで其趣向と云ふのは?」と聞き出したのは矢張り東風君である。「根が俳句趣味からくるのだから、餘り長たらしくつて、毒惡なのはよくないと思つて一幕物にして置いた」「成程」「先づ道具立てから話すが、是も極《ごく》簡單なのがいゝ。舞臺の眞中へ大きな柳を一本植ゑ付けてね。夫《それ》から其柳の幹から一本の枝を右の方へヌツと出させて、其枝へ烏を一羽とまらせる」「烏がぢつとして居ればいゝが」と主人が獨り言の樣に心配した。「何わけは有りません、烏の足を糸で枝へ縛り付けて置くんです。で其下へ行水盥《ぎやうずゐだらひ》を出しましてね。美人が横向きになつて手拭を使つて居るんです」「そいつは少しデカダンだね。第一誰が其女になるんだい」と迷亭が聞く。「何是もすぐ出來ます。美術學校のモデルを雇つてくるんです」「そりや警視廰が八釜敷《やかまし》く云ひさうだな」と主人は又心配して居る。「だつて興行さへしなければ構はんぢやありませんか。そんな事を兎や角云つた日にや學校で裸體畫の寫生なんざ出來つこありません」「然しあれは稽古の爲だから、只見て居るのとは少し違ふよ」「先生方がそんな事を云つた日には日本もまだ駄目です。繪畫だつて、演劇だつて、おんなじ藝術です」と寒月君大いに氣?を吹く。「まあ議論はいゝが、夫《それ》からどうするのだい」と東風君、ことによると、遣る了見と見えて筋を聞きたがる。「所へ花道から俳人|高濱虚子《たかはまきよし》がステツキを持つて、白い燈心《とうしん》入りの帽子を被つて、透綾《すきや》の羽織に、薩摩飛白《さつまがすり》の尻端折《しりつぱしよ》りの半靴と云ふこしらへで出てくる。着付けは陸軍の御用達《ごようたし》見た樣だけれども俳人だから可成《なるべく》悠々として腹の中では句案に餘念のない體《てい》であるかなくつちやいけない。夫《それ》で虚子が花道を行き切つて愈《いよ/\》本舞臺に懸つた時、不圖《ふと》句案の眼をあげて前面を見ると、大きな柳があつて、柳の影で白い女が湯を浴びて居る、はつと思つて上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまつて女の行水を見下ろして居る。そこで虚子先生|大《おほい》に俳味に感動したと云ふ思ひ入れが五十秒ばかりあつて、行水の女に惚れる烏かな〔十一字傍点〕と大きな聲で一句朗吟するのを合圖に、拍子木《ひやうしぎ》を入れて幕を引く。――どうだらう、かう云ふ趣向は。御氣に入りませんかね。君|御宮《おみや》になるより虚子《きよし》になる方が餘程いゝぜ」東風君は何だか物足らぬと云ふ顔付で「あんまり、あつけない樣だ。もう少し人情を加味した事件が欲しい樣だ」と眞面目に答へる。今迄比較的|大人《おとな》しくして居た迷亭はさう何時《いつ》迄もだまつて居る樣な男ではない。「たつたそれ丈《だけ》で俳劇はすさまじいね。上田敏君《うえだびんくん》の説によると俳味とか滑稽とか云ふものは消極的で亡國の音《いん》ださうだが、敏君|丈《だけ》あつてうまい事を云つたよ。そんな詰らない物をやつて見給へ。夫《それ》こそ上田君から笑はれる許《ばか》りだ。第一劇だか茶番だか何だかあまり消極的で分らないぢやないか。失禮だが寒月君は矢張り實驗室で珠を磨いてる方がいゝ。俳劇なんぞ百作つたつて二百作つたつて、亡國の音《いん》ぢや駄目だ」寒月君は少々|憤《むつ》として、「そんなに消極的でせうか。私は中々積極的な積りなんですが」どつちでも構はん事を辯解しかける。「虚子《きよし》がですね。虚子先生が女に惚れる烏かな〔八字傍点〕と烏を捕《とら》へて女に惚れさした所が大《おほい》に積極的だらうと思ひます」「こりや新説だね。是非御講釋を伺がひませう」「理學士として考へて見ると烏が女に惚れるなどと云ふのは不合理でせう」「御尤も」「其不合理な事を無雜作《むざふさ》に言ひ放つて少しも無理に聞えません」「さうかしら」と主人が疑つた調子で割り込んだが寒月は一向頓着しない。「何故《なぜ》無理に聞えないかと云ふと、是は心理的に説明するとよく分ります。實を云ふと惚れるとか惚れないとか云ふのは俳人其人に存する感情で烏とは沒交渉の沙汰であります。然る所あの烏は惚れてるなと感じるのは、つまり烏がどうのかうのと云ふ譯ぢやない、必竟《ひつきやう》自分が惚れて居るんでさあ。虚子自身が美しい女の行水《ぎやうずゐ》して居る所を見てはつと思ふ途端にずつと惚れ込んだに相違ないです。さあ自分が惚れた眼で烏が枝の上で動きもしないで下を見つめて居るのを見たものだから、はゝあ、あいつも俺と同じく參つてるなと癇違ひをしたのです。癇違ひには相違ないですがそこが文學的でかつ積極的な所なんです。自分|丈《だけ》感じた事を、斷りもなく烏の上に擴張して知らん顔をして濟《すま》して居る所なんぞは、餘程積極主義ぢやありませんか。どうです先生」「なる程御名論だね、虚子に聞かしたら驚くに違ひない。説明|丈《だけ》は積極だが、實際あの劇をやられた日には、見物人は慥《たし》かに消極になるよ。ねえ東風君」「へえどうも消極過ぎる樣に思ひます」と眞面目な顔をして答へた。
主人は少々談話の局面を展開して見たくなつたと見えて、「どうです、東風さん、近頃は傑作もありませんか」と聞くと東風君は「いえ、別段是と云つて御目にかける程のものも出來ませんが、近日詩集を出して見《み》樣《やう》と思ひまして――稿本《かうほん》を幸ひ持つて參りましたから御批評を願ひませう」と懷から紫の袱紗包《ふくさづゝみ》を出して、其中から五六十枚程の原稿紙の帳面を取り出して、主人の前に置く。主人は尤もらしい顔をして拜見と云つて見ると第一頁に
世の人に似ずあえかに見え給ふ
富子孃に捧ぐ
と二行にかいてある。主人は一寸神秘的な顔をして暫く一頁を無言の儘眺めて居るので、迷亭は横合から「何だい新體詩かね」と云ひながら覗き込んで「やあ、捧げたね。東風君、思ひ切つて富子孃に捧げたのはえらい」と頻りに賞める。主人は猶《なほ》不思議さうに「東風さん、此富子と云ふのは本當に存在して居る婦人なのですか」と聞く。「へえ、此前迷亭先生と御一所に朗讀會へ招待した婦人の一人です。つい此御近所に住んで居ります。實は只今詩集を見せ樣《やう》と思つて一寸寄つて參りましたが、生憎《あいにく》先月から大磯へ避暑に行つて留守でした」と眞面目くさつて述べる。「苦沙彌君、是が二十世紀なんだよ。そんな顔をしないで、早く傑作でも朗讀するさ。然し東風君此捧げ方は少しまづかつたね。此あえかに〔四字傍点〕と云ふ雅言《がげん》は全體何と言ふ意味だと思つてるかね」「蚊弱《かよわ》いとかたよわく〔四字傍点〕と云ふ字だと思ひます」「成程さうも取れん事はないが本來の字義を云ふと危う氣に〔四字傍点〕と云ふ事だぜ。だから僕ならかうは書かないね」「どう書いたらもつと詩的になりませう」「僕ならかうさ。世の人に似ずあえかに見え給ふう富子孃の鼻の下〔三字傍点〕に捧ぐとするね。僅かに三字のゆきさつだが鼻の下〔三字傍点〕があるのとないのとでは大變感じに相違があるよ」「成程」と東風君は解《げ》しかねた所を無理に納得《なつとく》した體《てい》にもてなす。
主人は無言の儘漸く一頁をはぐつて愈《いよ/\》卷頭第一章を讀み出す。
倦《う》んじて薫《くん》ずる香裏《かうり》に君の
靈か相思の烟のたなびき
おお我、あゝ我、辛《から》き此世に
あまく得てしか熱き口づけ
「これは少々僕には解《げ》しかねる」と主人は嘆息しながら迷亭に渡す。「是は少々振ひ過ぎてる」と迷亭は寒月に渡す。寒月は「なあゝる程」と云つて東風君に返す。
「先生御分りにならんのは御尤で、十年前の詩界と今日《こんにち》の詩界とは見違へる程發達して居りますから。此頃の詩は寐轉んで讀んだり、停車場で讀んでは到底分り樣がないので、作つた本人ですら質問を受けると返答に窮する事がよくあります。全くインスピレーシヨンで書くので詩人は其他には何等の責任もないのです。註釋や訓義《くんぎ》は學究のやる事で私共の方では頓《とん》と構ひません。先達《せんだつ》ても私の友人で送籍《そうせき》と云ふ男が一夜〔二字傍点〕といふ短篇をかきましたが、誰が讀んでも朦朧《もうろう》として取り留めがつかないので、當人に逢つて篤《とく》と主意のある所を糺《たゞ》して見たのですが、當人もそんな事は知らないよと云つて取り合はないのです。全く其邊が詩人の特色かと思ひます」「詩人かも知れないが隨分妙な男ですね」と主人が云ふと、迷亭が「馬鹿だよ」と單簡《たんかん》に送籍君《そうせきくん》を打ち留めた。東風君は是《これ》丈《だけ》ではまだ辯じ足りない。「送籍《そうせき》は吾々仲間のうちでも取除《とりの》けですが、私の詩もどうか心持ち其氣で讀んで頂きたいので。ことに御注意を願ひ度いのはからき〔三字傍点〕此世と、あまき〔三字傍点〕口づけと對《つゐ》をとつた所が私の苦心です」「餘程苦心をなすつた痕迹《こんせき》が見えます」「あまい〔三字傍点〕とからい〔三字傍点〕と反照する所なんか十七味調《じふしちみてう》唐辛子調《たうがらしてう》で面白い。全く東風君獨特の伎倆で敬々服々の至りだ」と頻りに正直な人をまぜ返して喜んで居る。
主人は何と思つたか、ふいと立つて書齋の方へ行つたがやがて一枚の半紙を持つて出てくる。「東風君の御作も拜見したから、今度は僕が短文を讀んで諸君の御批評を願はう」と聊《いさゝ》か本氣の沙汰である。「天然居士の墓碑銘《ぼひめい》ならもう二三遍拜聽したよ」「まあ、だまつて居なさい。東風さん、是は決して得意のものではありませんが、ほんの座興ですから聽いて下さい」「是非伺がひませう」「寒月君も序《ついで》に聞き給へ」「序《つい》でゞなくても聽きますよ。長い物ぢやないでせう」「僅々六十餘字さ」と苦沙彌先生|愈《いよ/\》手製の名文を讀み始める。
「大和魂《やまとだましひ》! と叫んで日本人が肺病やみの樣な咳《せき》をした」
「起し得て突兀《とつこつ》ですね」と寒月君がほめる。
「大和魂! と新聞屋が云ふ。大和魂! と掏摸《すり》が云ふ。大和魂が一躍して海を渡つた。英國で大和魂の演説をする。獨逸《ドイツ》で大和魂の芝居をする」
「成程こりや天然居士以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返つて見せる。
「東郷大將が大和魂を有《も》つて居る。肴屋《さかなや》の銀さんも大和魂を有《も》つて居る。詐僞師《さぎし》、山師《やまし》、人殺しも大和魂を有《も》つて居る」
「先生そこへ寒月も有《も》つて居るとつけて下さい」
「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答へて行き過ぎた。五六間行つてからエヘンと云ふ聲が聞こえた」
「其一句は大出來だ。君は中々文才があるね。それから次の句は」
「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示す如く魂である。魂であるから常にふら/\して居る」
「先生|大分《だいぶ》面白う御座いますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と云つたのは無論迷亭である。
「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇つた者がない。大和魂はそれ天狗《てんぐ》の類《たぐひ》か」
主人は一結杳然《いつけつえうぜん》と云ふ積りで讀み終つたが、流石《さすが》の名文も餘り短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思つて待つて居る。いくら待つて居ても、うんとも、すんとも、云はないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人は輕《かろ》く「うん」と答へた。うんは少し氣樂過ぎる。
不思議な事に迷亭は此名文に對して、いつもの樣に餘り駄辯を振はなかつたが、やがて向き直つて、「君も短篇を集めて一卷として、さうして誰かに捧げてはだうだ」と聞いた。主人は事もなげに「君に捧げてやらうか」と聽くと迷亭は「眞平《まつぴら》だ」と答へたぎり、先刻《さつき》細君に見せびらかした鋏をちよき/\云はして爪をとつて居る。寒月君は東風君に向つて「君はあの金田の令孃を知つてるのかい」と尋ねる。「此春朗讀會へ招待してから、懇意になつて夫《それ》からは始終交際をして居る。僕はあの令孃の前へ出ると、何となく一種の感に打たれて、當分のうちは詩を作つても歌を詠んでも愉快に興が乘つて出て來る。此集中にも戀の詩が多いのは全くあゝ云ふ異性の朋友からインスピレーシヨンを受けるからだらうと思ふ。夫《それ》で僕はあの令孃に對しては切實に感謝の意を表しなければならんから此機を利用して、わが集を捧げる事にしたのさ。昔《むか》しから婦人に親友のないもので立派な詩をかいたものはないさうだ」「さうかなあ」と寒月君は顔の奧で笑ひながら答へた。いくら駄辯家の寄合でもさう長くは續かんものと見えて、談話の火の手は大分《だいぶ》下火になつた。吾輩も彼等の變化なき雜談を終日聞かねばならぬ義務もないから、失敬して庭へ蟷螂《かまきり》を探しに出た。梧桐《あをぎり》の緑を綴る間から西に傾く日が斑《まだ》らに洩れて、幹にはつく/\法師《ぼふし》が懸命にないて居る。晩はことによると一雨かゝるかも知れない。
吾輩は猫である 下
明治三九、一、一−三九、八、一
七
吾輩は近頃運動を始めた。猫の癖に運動なんて利いた風だと一概に冷罵し去る手合《てあひ》に一寸申し聞けるが、さう云ふ人間だつてつい近年迄は運動の何者たるを解せずに、食つて寐るのを天職の樣に心得て居たではないか。無事是貴人《ぶじこれきにん》とか稱《とな》へて、懷手をして座布團から腐れかゝつた尻を離さゞるをもつて旦那の名譽と脂下《やにさが》つて暮したのは覺えて居る筈だ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になつたら山の中へ籠つて當分霞を食《くら》へのとくだらぬ注文を連發する樣になつたのは、西洋から神國へ傳染した輓近《ばんきん》の病氣で、矢張りペスト、肺病、神經衰弱の一族と心得ていゝ位だ。尤も吾輩は去年生れた許《ばか》りで、當年とつて一歳だから人間がこんな病氣に罹《かゝ》り出した當時の有樣は記憶に存して居らん、のみならず其|砌《みぎ》りは浮世の風中《かざなか》にふわついて居らなかつたに相違ないが、猫の一年は人間の十年に懸け合ふと云つてもよろしい。吾等の壽命は人間より二倍も三倍も短いに係らず、其短日月の間に猫一疋の發達は十分|仕《つかまつ》る所を以て推論すると、人間の年月と猫の星霜を同じ割合に打算するのは甚だしき誤謬《ごびう》である。第一、一歳何ケ月に足らぬ吾輩が此位の見識を有して居るのでも分るだらう。主人の第三女|抔《など》は數へ年で三つださうだが、智識の發達から云ふと、いやはや鈍いものだ。泣く事と、寐小便をする事と、おつぱいを飲む事より外に何にも知らない。世を憂ひ時を憤《いきどほ》る吾輩|抔《など》に較《くら》べると、からたわいのない者だ。夫《それ》だから吾輩が運動、海水浴、轉地療養の歴史を方寸のうちに疊み込んで居たつて毫も驚くに足りない。是しきの事をもし驚ろく者があつたなら、それは人間と云ふ足の二本足りない野呂間《のろま》に極つて居る。人間は昔から野呂間《のろま》である。であるから近頃に至つて漸々《やう/\》運動の功能を吹聽したり、海水浴の利益を喋々して大發明の樣に考へるのである。吾輩|抔《など》は生れない前から其位な事はちやんと心得て居る。第一海水が何故《なぜ》藥になるかと云へば一寸海岸へ行けばすぐ分る事ぢやないか。あんな廣い所に魚《さかな》が何疋居るか分らないが、あの魚《さかな》が一疋も病氣をして醫者にかゝつた試しがない。みんな健全に泳いで居る。病氣をすれば、からだが利かなくなる。死ねば必ず浮く。それだから魚の往生をあがる〔三字傍点〕と云つて、鳥の薨去を、落ちる〔三字傍点〕と唱へ、人間の寂滅《じやくめつ》をごねる〔三字傍点〕と號して居る。洋行をして印度洋を横斷した人に君、魚の死ぬ所を見た事がありますかと聞いて見るがいゝ、誰でもいゝえと答へるに極つて居る。それはさう答へる譯だ。いくら往復したつて一匹も波の上に今|呼吸《いき》を引き取つた――呼吸《いき》ではいかん、魚《さかな》の事だから潮《しほ》を引き取つたと云はなければならん――潮《しほ》を引き取つて浮いて居るのを見た者はないからだ。あの渺々《べう/\》たる、あの漫々《まん/\》たる、大海《たいかい》を日となく夜となく續け樣《ざま》に石炭を焚いて探がしてあるいても古往|今來《こんらい》一匹も魚が上がつ〔三字傍点〕て居らん所を以て推論すれば、魚《さかな》は餘程丈夫なものに違ないと云ふ斷案はすぐに下す事が出來る。それなら何故《なぜ》魚《さかな》がそんなに丈夫なのかと云へば是亦人間を待つてしかる後《のち》に知らざるなりで、譯はない。すぐ分る。全く潮水《しほみづ》を呑んで始終海水浴をやつて居るからだ。海水浴の功能はしかく魚《さかな》に取つて顯著である。魚《さかな》に取つて顯著である以上は人間に取つても顯著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル、リチヤード、ラツセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病|即席《そくせき》全快と大袈裟《おほげさ》な廣告を出したのは遲い/\と笑つてもよろしい。猫と雖も相當の時機が到着すれば、みんな鎌倉あたりへ出掛ける積りで居る。但し今はいけない。物には時機がある。御維新前《ごゐつしんまへ》の日本人が海水浴の功能を味はう事が出來ずに死んだ如く、今日《こんにち》の猫は未《いま》だ裸體で海の中へ飛び込むべき機會に遭遇して居らん。せいては事を仕損《しそ》んずる、今日《こんにち》の樣に築地へ打つちやられに行つた猫が無事に歸宅せん間は無暗に飛び込む譯には行かん。進化の法則で吾等猫輩の機能が狂瀾怒濤《きやうらんどたう》に對して適當の抵抗力を生ずるに至る迄は――換言すれば猫が死んだと云ふ代りに猫が上〔傍点〕がつたと云ふ語が一般に使用せらるゝ迄は――容易に海水浴は出來ん。
海水浴は追つて實行する事にして、運動|丈《だけ》は取り敢ずやる事に取り極めた。どうも二十世紀の今日《こんにち》運動せんのは如何にも貧民の樣で人聞きがわるい。運動をせんと、運動せんのではない。運動が出來んのである、運動をする時間がないのである、餘裕がないのだと鑑定される。昔は運動したものが折助《をりすけ》と笑はれた如く、今では運動をせぬ者が下等と見做《みな》されて居る。吾人の評價は時と場合に應じ吾輩の眼玉の如く變化する。吾輩の眼玉は只小さくなつたり大きくなつたりする許《ばか》りだが、人間の品隲《ひんしつ》とくると眞逆《まつさ》かさまにひつくり返る。ひつくり返つても差《さ》し支《つかへ》はない。物には兩面がある、兩端《りやうたん》がある。兩端《りやうたん》を叩いて黒白《こくびやく》の變化を同一物の上に起こす所が人間の融通のきく所である。方寸〔二字傍点〕を逆《さ》かさまにして見ると寸方〔二字傍点〕となる所に愛嬌がある。天の橋立を股倉《またぐら》から覗いて見ると又格別な趣《おもむき》が出る。セクスピヤも千古萬古セクスピヤではつまらない。偶《たま》には股倉からハムレツトを見て、君こりや駄目だよ位に云ふ者がないと、文界も進歩しないだらう。だから運動をわるく云つた連中が急に運動がしたくなつて、女迄がラケツトを持つて往來をあるき廻つたつて一向《いつかう》不思議はない。只猫が運動するのを利いた風だ抔《など》と笑ひさへしなければよい。さて吾輩の運動は如何なる種類の運動かと不審を抱《いだ》く者があるかも知れんから一應説明し樣《やう》と思ふ。御承知の如く不幸にして機械を持つ事が出來ん。だからボールもバツトも取り扱ひ方に困窮する。次には金がないから買ふ譯に行かない。此二つの源因からして吾輩の選んだ運動は一文入《いちもんい》らず器械なしと名づくべき種類に屬する者と思ふ。そんなら、のそ/\歩くか、或は鮪《まぐろ》の切身を啣《くは》へて馳け出す事と考へるかも知れんが、只四本の足を力學的に運動させて、地球の引力に順《したが》つて、大地を横行するのは、餘り單簡《たんかん》で興味がない。いくら運動と名がついても、主人の時々實行する樣な、讀んで字の如き運動はどうも運動の神聖を汚《け》がす者だらうと思ふ。勿論只の運動でもある刺激の下《もと》にはやらんとは限らん。鰹節競爭《かつぶしきやうさう》、鮭探《しやけさが》し抔《など》は結構だが是は肝心の對象物があつての上の事で、此刺激を取り去ると索然《さくぜん》として沒趣味なものになつて仕舞ふ。懸賞的興奮劑がないとすれば何か藝のある運動がして見たい。吾輩は色々考へた。臺所の廂《ひさし》から家根《やね》に飛び上がる方、家根の天邊《てつぺん》にある梅花形《ばいくわがた》の瓦の上に四本足で立つ術、物干竿を渡る事――是は到底成功しない、竹がつる/\滑《す》べつて爪が立たない。後《うし》ろから不意に小供に飛びつく事、――是は頗る興味のある運動の一《ひとつ》だが滅多にやるとひどい目に逢ふから、高々《たか/”\》月に三度位しか試みない。紙袋《かんぶくろ》を頭へかぶせらるゝ事――是は苦しい許《ばか》りで甚だ興味の乏しい方法である。殊に人間の相手が居らんと成功しないから駄目。次には書物の表紙を爪で引き掻く事、――是は主人に見付かると必ずどやされる危險があるのみならず、割合に手先の器用ばかりで總身の筋肉が働かない。是等は吾輩の所謂舊式運動なる者である。新式のうちには中々趣味の深いのがある。第一に蟷螂狩《たうらうが》り。――蟷螂狩《たうらうが》りは鼠狩り程の大運動でない代りにそれ程の危險がない。夏の半《なかば》から秋の始めへかけてやる遊戯としては尤《もつと》も上乘のものだ。其方法を云ふと先づ庭へ出て、一匹の蟷螂《かまきり》をさがし出す。時候がいゝと一匹や二匹見付け出すのは雜作《ざふさ》もない。偖《さて》見付け出した蟷螂君《かまきりくん》の傍《そば》へはつと風を切つて馳けて行く。するとすはこそと云ふ身構《みがまへ》をして鎌首をふり上げる。蟷螂《かまきり》でも中々|健氣《けなげ》なもので、相手の力量を知らんうちは抵抗する積りで居るから面白い。振り上げた鎌首を右の前足で一寸參る。振り上げた首は軟かいからぐにやり横へ曲る。此時の蟷螂君《かまきりくん》の表情が頗る興味を添へる。おやと云ふ思ひ入れが充分ある。所を一足《いつそく》飛びに君《きみ》の後《うし》ろへ廻つて今度は背面から君の羽根を輕《かろ》く引き掻く。あの羽根は平生大事に疊んであるが、引き掻き方が烈しいと、ぱつと亂れて中から吉野紙の樣な薄色の下着があらはれる。君は夏でも御苦勞千萬に二枚重ねで乙《おつ》に極《き》まつて居る。此時君の長い首は必ず後ろに向き直る。ある時は向つてくるが、大概の場合には首|丈《だけ》ぬつと立てゝ立つて居る。此方《こつち》から手出しをするのを待ち構へて見える。先方がいつ迄もこの態度で居ては運動にならんから、餘り長くなると又ちよいと一本參る。これ丈《だけ》參ると眼識のある蟷螂《かまきり》なら必ず逃げ出す。それを我無洒落《がむしやら》に向つてくるのは餘程無ヘ育な野蠻的|蟷螂《かまきり》である。もし相手が此野蠻な振舞をやると、向つて來た所を覘《ねら》ひすまして、いやと云ふ程張り付けてやる。大概は二三尺飛ばされる者である。然し敵が大人《おとな》しく背面に前進すると、こつちは氣の毒だから庭の立木を二三度飛鳥の如く廻つてくる。蟷螂君《かまきりくん》はまだ五六寸しか逃げ延びて居らん。もう吾輩の力量を知つたから手向ひをする勇氣はない。只右往左往へ逃げ惑《まど》ふのみである。然し吾輩も右往左往へ追つかけるから、君は仕舞には苦しがつて羽根を振《ふる》つて一大活躍を試みる事がある。元來|蟷螂《かまきり》の羽根は彼の首と調和して、頗る細長く出來上がつたものだが、聞いて見ると全く裝飾用ださうで、人間の英語《えいご》、佛語《ふつご》、獨逸語《ドイツご》の如く毫も實用にはならん。だから無用の長物を利用して一大活躍を試みた所が吾輩に對して餘り功能のあり樣《やう》譯がない。名前は活躍だが事實は地面の上を引きづゝてあるくと云ふに過ぎん。かうなると少々氣の毒な感はあるが運動の爲だから仕方がない。御免蒙つてたちまち前面へ馳け拔ける。君は惰性で急廻轉が出來ないから矢張り已《やむ》を得ず前進してくる。其鼻をなぐりつける。此時|蟷螂君《かまきりくん》は必ず羽根を廣げた儘|仆《たふ》れる。其上をうんと前足で抑へて少しく休息する。それから又放す。放して置いて又抑へる。七擒七縱《しちきんしちしよう》孔明《こうめい》の軍略で攻めつける。約三十分此順序を繰り返して、身動きも出來なくなつた所を見濟《みすま》まして一寸口へ啣《くは》へて振《ふ》つて見る。それから又吐き出す。今度は地面の上へ寐たぎり動かないから、此方《こつち》の手で突つ付いて、其勢で飛び上がる所を又抑へつける。これもいやになつてから、最後の手段としてむしや/\食つて仕舞ふ。序《つい》でだから蟷螂《かまきり》を食つた事のない人に話して置くが、蟷螂《かまきり》は餘り旨い物ではない。さうして滋養分も存外少ない樣である。蟷螂狩《たうらうが》りに次いで蝉取《せみと》りと云ふ運動をやる。單に蝉と云つた所が同じ物|許《ばか》りではない。人間にも油野郎《あぶらやらう》、みん/\野郎、おしいつく/\野郎がある如く、蝉にも油蝉、みん/\、おしいつく/\がある。油蝉はしつこくて行《い》かん。みん/\は横風《わうふう》で困る。只取つて面白いのはおしいつく/\である。是は夏の末にならないと出て來ない。八つ口の綻《ほころ》びから秋風《あきかぜ》が斷はりなしに膚《はだ》を撫《な》でゝはつくしよ風邪引いたと云ふ頃|熾《さかん》に尾を掉《ふ》り立てゝなく。善く鳴く奴で、吾輩から見ると鳴くのと猫にとられるより外に天職がないと思はれる位だ。秋の初はこいつを取る。是を稱して蝉取り運動と云ふ。一寸諸君に話して置くが苟《いやしく》も蝉と名のつく以上は、地面の上に轉がつては居らん。地面の上に落ちて居るものには必ず蟻がついて居る。吾輩の取るのは此蟻の領分に寐轉んで居る奴ではない。高い木の枝にとまつて、おしいつく/\と鳴いて居る連中を捕《とら》へるのである。是も序《ついで》だから博學なる人間に聞きたいがあれはおしいつく/\と鳴くのか、つく/\おしいと鳴くのか、其解釋次第によつては蝉の研究上少なからざる關係があると思ふ。人間の猫に優《まさ》る所はこんな所に存するので、人間の自《みづか》ら誇る點も亦|斯樣《かやう》な點にあるのだから、今即答が出來ないならよく考へて置いたらよからう。尤も蝉取り運動上はどつちにしても差し支はない。只聲をしるべに木を上《のぼ》つて行つて、先方が夢中になつて鳴いて居る所をうんと捕へる許《ばか》りだ。是は尤も簡畧な運動に見えて中々骨の折れる運動である。吾輩は四本の足を有して居るから大地を行く事に於ては敢て他の動物には劣るとは思はない。少なくとも二本と四本の數學的智識から判斷して見て人間には負けない積りである。然し木登りに至つては大分《だいぶ》吾輩より巧者な奴が居る。本職の猿は別物として、猿の末孫《ばつそん》たる人間にも中々|侮《あなど》るべからざる手合《てあひ》が居る。元來が引力に逆らつての無理な事業だから出來なくても別段の耻辱とは思はんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を與へる。幸に爪と云ふ利器があるので、どうかかうか登りはするものゝ、はたで見る程樂では御座らん。のみならず蝉は飛ぶものである。蟷螂君《かまきりくん》と違つて一たび飛んで仕舞つたが最後、切角の木登りも、木登らずと何の擇む所なしと云ふ悲運に際會する事がないとも限らん。最後に時々蝉から小便をかけられる危險がある。あの小便が稍《やゝ》ともすると眼を覘《ねら》つてしよぐつてくる樣だ。逃げるのは仕方がないから、どうか小便|許《ばか》りは垂れん樣《やう》に致したい。飛ぶ間際に溺《いば》りを仕《つかまつ》るのは一體どう云ふ心理的?態の生理的器械に及ぼす影響だらう。矢張りせつなさの餘りかしらん。或は敵の不意に出でゝ、一寸逃げ出す餘裕を作る爲の方便か知らん。さうすると烏賊《いか》の墨を吐き、ベランメーの刺物《ほりもの》を見せ、主人が羅甸語《ラテンご》を弄する類《たぐひ》と同じ綱目《かうもく》に入るべき事項となる。是も蝉學上|忽《ゆる》かせにすべからざる問題である。充分研究すれば是《これ》丈《だけ》で慥《たし》かに博士論文の價値はある。夫《それ》は餘事だから、其位にして又本題に歸る。蝉の尤も集注するのは――集注が可笑《をか》しければ集合だが、集合は陳腐《ちんぷ》だから矢張り集注にする。――蝉の尤も集注するのは青桐《あをぎり》である。漢名を梧桐《ごとう》と號するさうだ。所が此青桐は葉が非常に多い、而も其葉は皆|團扇《うちは》位な大《おほき》さであるから、彼等が生《お》い重なると枝が丸《まる》で見えない位茂つて居る。是が甚だ蝉取り運動の妨害になる。聲はすれども姿は見えずと云ふ俗謠《ぞくえう》はとくに吾輩の爲に作つた者ではなからうかと怪しまれる位である。吾輩は仕方がないから只聲を知るべに行く。下から一間|許《ばか》りの所で梧桐は注文通り二叉《ふたまた》になつて居るから、こゝで一休息《ひとやすみ》して葉裏から蝉の所在地を探偵する。尤もこゝ迄來るうちに、がさ/\と音を立てゝ、飛び出す氣早な連中が居る。一羽飛ぶともういけない。眞似をする點に於て蝉は人間に劣らぬ位馬鹿である。あとから續々飛び出す。漸々《やう/\》二叉《ふたまた》に到着する時分には滿樹|寂《せき》として片聲《へんせい》をとゞめざる事がある。甞てこゝ迄登つて來て、どこをどう見廻はしても、耳をどう振つても蝉氣《せみけ》がないので、出直すのも面倒だから暫く休息しやうと、叉《また》の上に陣取つて第二の機會を待ち合せて居たら、いつの間《ま》にか眠くなつて、つい黒甜郷裡《こくてんきやうり》に遊んだ。おやと思つて眼が醒めたら、二叉《ふたまた》の黒甜郷裡《こくてんきやうり》から庭の敷石の上へどたりと落ちて居た。然し大概は登る度に一つは取つて來る。只興味の薄い事には樹の上で口に啣《くは》へて仕舞はなくてはならん。だから下へ持つて來て吐き出す時は大方《おほかた》死んで居る。幾らぢやらしても引つ掻いても確然たる手答がない。蝉取りの妙味はぢつと忍んで行つておしい君《くん》が一生懸命に尻尾《しつぽ》を延ばしたり縮ましたりして居る所を、わつと前足で抑へる時にある。此時つく/\君《くん》は悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縱横無盡に振ふ。其早い事、美事なる事は言語道斷、實に蝉世界の一偉觀である。余はつく/\君を抑へる度にいつでも、つく/\君《くん》に請求して此美術的演藝を見せてもらう。夫《それ》がいやになると御免を蒙つて口の内へ頬張つて仕舞ふ。蝉によると口の内へ這入つて迄演藝をつゞけて居るのがある。蝉取りの次にやる運動は松滑《まつすべ》りである。是は長くかく必要もないから、一寸述べて置く。松滑《まつすべ》りと云ふと松を滑る樣に思ふかも知れんが、さうではない矢張り木登りの一種である。只蝉取りは蝉を取る爲に登り、松滑りは、登る事を目的として登る。此《これ》が兩者の差である。元來松は常磐《ときは》にて最明寺《さいみやうじ》の御馳走をしてから以來|今日《こんにち》に至る迄、いやにごつ/\して居る。從つて松の幹程滑らないものはない。手懸りのいゝものはない。足懸りのいゝものはない。――換言すれば爪懸りのいゝものはない。その爪懸りのいゝ幹へ一氣呵成《いつきかせい》に馳け上《あが》る。馳け上つて置いて馳け下がる。馳け下がるには二法ある。一はさかさになつて頭を地面へ向けて下りてくる。一は上《のぼ》つた儘の姿勢をくづさずに尾を下にして降りる。人間に問ふがどつちが六づかしいか知つてるか。人間の淺墓《あさはか》な了見では、どうせ降りるのだから下向《したむき》に馳け下りる方が樂だと思ふだらう。夫《それ》が間違つてる。君等は義經が鵯越《ひよどりごえ》を落《お》としたこと丈《だけ》を心得て、義經でさへ下を向いて下りるのだから猫なんぞは無論|下《し》た向きで澤山だと思ふのだらう。さう輕蔑するものではない。猫の爪はどつちへ向いて生へて居ると思ふ。みんな後《うし》ろへ折れて居る。夫《それ》だから鳶口のやうに物をかけて引き寄せる事は出來るが、逆に押し出す力はない。今吾輩が松の木を勢よく馳け登つたとする。すると吾輩は元來地上の者であるから、自然の傾向から云へば吾輩が長く松樹の巓《いたゞき》に留《とゞ》まるを許さんに相違ない。只置けば必ず落ちる。然し手放しで落ちては、あまり早過ぎる。だから何等かの手段を以て此自然の傾向を幾分かゆるめなければならん。是即ち降りるのである。落ちるのと降りるのは大變な違の樣だが、其實思つた程の事ではない。落ちるのを遲くすると降りるので、降りるのを早くすると落ちる事になる。落ちると降りるのは、ち〔傍点〕とり〔傍点〕の差である。吾輩は松の木の上から落ちるのはいやだから、落ちるのを緩《ゆる》めて降りなければならない。即ちあるものを以て落ちる速度に抵抗しなければならん。吾輩の爪は前《ぜん》申す通り皆|後《うし》ろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てれば此爪の力は悉《こと/”\》く、落ちる勢に逆《さから》つて利用出來る譯である。從つて落ちるが變じて降りるになる。實に見易き道理である。然るに又身を逆《さか》にして義經流に松の木|越《ごえ》をやつて見給へ。爪はあつても役には立たん。づる/\滑つて、どこにも自分の體量を持ち答へる事は出來なくなる。是《こゝ》に於てか切角降り樣《やう》と企てた者が變化して落ちる事になる。此通り鵯越《ひよどりごえ》は六づかしい。猫のうちで此藝が出來る者は恐らく吾輩のみであらう。それだから吾輩は此運動を稱して松滑《まつすべ》りと云ふのである。最後に垣巡《かきめぐ》りに就いて一言《いちげん》する。主人の庭は竹垣を以て四角にしきられて居る。椽側と平行して居る一片《いつぺん》は八九間もあらう。左右は双方共四間に過ぎん。今吾輩の云つた垣巡《かきめぐ》りと云ふ運動は此垣の上を落ちない樣《やう》に一周するのである。是はやり損ふ事もまゝあるが、首尾よく行くと御慰《おなぐさみ》になる。ことに所々に根を燒い丸太が立つて居るから、一寸休息に便宜がある。今日は出來がよかつたので朝から晝迄に三返やつて見たが、やるたびにうまくなる。うまくなる度に面白くなる。とう/\四返繰り返したが、四返目に半分程|巡《まは》りかけたら、隣の屋根から烏が三羽飛んで來て、一間|許《ばか》り向ふに列を正してとまつた。是は推參な奴だ。人の運動の妨《さまたげ》をする、ことにどこの烏だか籍《せき》もない分在《ぶんざい》で、人の塀へとまるといふ法があるもんかと思つたから、通るんだおい除《の》き玉へと聲をかけた。眞先の烏は此方《こつち》を見てにや/\笑つて居る。次のは主人の庭を眺めて居る。三羽目は嘴を垣根の竹で拭いて居る。何か食つて來たに違ない。吾輩は返答を待つ爲めに、彼等に三分間の猶豫《いうよ》を與へて、垣の上に立つて居た。烏は通稱を勘左衛門と云ふさうだが、成程勘左衛門だ。吾輩がいくら待つてゝも挨拶もしなければ、飛びもしない。吾輩は仕方がないから、そろ/\歩き出した。すると眞先の勘左衛門がちよいと羽を廣げた。やつと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思つたら、右向《みぎむき》から左向に姿勢をかへた丈《だけ》である。此野郎! 地面の上なら其分に捨て置くのではないが、如何《いかん》せん、只さへ骨の折れる道中に、勘左衛門|抔《など》を相手にして居る餘裕がない。といつて又立留まつて三羽が立ち退《の》くのを待つのもいやだ。第一さう待つていては足がつゞかない。先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけて居る。從つて氣に入ればいつ迄も逗留《とうりう》するだらう。こつちは是で四返目だ只さへ大分《だいぶ》勞《つか》れて居る。况《いはん》や綱渡りにも劣らざる藝當兼運動をやるのだ。何等の障害物がなくてさへ落ちんとは保證が出來んのに、こんな黒裝束《くろしやうぞく》が、三個も前途を遮《さへぎ》つては容易ならざる不都合だ。愈《いよ/\》となれば自《みづか》ら運動を中止して垣根を下りるより仕方がない。面倒だから、いつそ左樣《さやう》仕らうか、敵は大勢の事ではあるし、ことにはあまり此邊には見馴れぬ人體《にんてい》である。口嘴《くちばし》が乙《おつ》に尖《とん》がつて何だか天狗の啓《まを》し子《ご》の樣だ。どうせ質《たち》のいゝ奴でないには極つて居る。退却が安全だらう、あまり深入りをして萬一落ちでもしたら猶更《なほさら》耻辱だ。と思つて居ると左向《ひだりむけ》をした烏が阿呆《あはう》と云つた。次のも眞似をして阿呆と云つた。最後の奴は御鄭寧にも阿呆々々《あはう/\》と二聲叫んだ。如何に温厚なる吾輩でも是は看過《かんくわ》出來ない。第一自己の邸内で烏輩《からすはい》に侮辱されたとあつては、吾輩の名前にかゝはる。名前はまだないから係はり樣《やう》がなからうと云ふなら體面に係はる。決して退却は出來ない。諺《ことわざ》にも烏合《うがふ》の衆と云ふから三羽だつて存外弱いかも知れない。進める丈《だけ》進めと度胸を据ゑて、のそ/\歩き出す。烏は知らん顔をして何か御互に話をして居る樣子だ。愈《いよ/\》肝癪に障る。垣根の幅がもう五六寸もあつたらひどい目に合せてやるんだが、殘念な事にはいくら怒《おこ》つても、のそ/\としかあるかれない。漸くの事|先鋒《せんぽう》を去る事約五六寸の距離迄來てもう一息だと思ふと、勘左衛門は申し合せた樣に、いきなり羽搏《はゞたき》をして一二尺飛び上がつた。其風が突然餘の顔を吹いた時、はつと思つたら、つい踏み外《は》づして、すとんと落ちた。是はしくぢつたと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまつて上から嘴を揃へて吾輩の顔を見下して居る。圖太い奴だ。睨《にら》めつけてやつたが一向《いつかう》利かない。脊を丸くして、少々|唸《うな》つたが、益《ます/\》駄目だ。俗人に靈妙なる象徴詩がわからぬ如く、吾輩が彼等に向つて示す怒りの記號も何等の反應を呈出しない。考へて見ると無理のない所だ。吾輩は今迄彼等を猫として取り扱つて居た。それが惡《わ》るい。猫なら此位やれば慥《たし》かに應へるのだが生憎《あいにく》相手は烏だ。烏の勘公とあつて見れば致し方がない。實業家が主人苦沙彌先生を壓倒し樣《やう》とあせる如く、西行《さいぎやう》に銀製の吾輩を進呈するが如く、西郷隆盛君の銅像に勘公が糞《ふん》をひる樣なものである。機を見るに敏なる吾輩は到底駄目と見て取つたから、奇麗さつぱりと椽側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ。運動もいゝが度を過ごすと行《い》かぬ者で、からだ全體が何となく緊《しま》りがない、ぐた/\の感がある。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思ふ存分吸収したと見えて、ほてつてたまらない。毛穴から染み出す汗が、流れゝばと思ふのに毛の根に膏《あぶら》の樣にねばり付く。脊中がむづ/\する。汗でむづ/\するのと蚤が這つてむづ/\するのは判然と區別が出來る。口の屆く所なら?む事も出來る、足の達する領分は引き掻く事も心得にあるが、脊髄の縱に通ふ眞中と來たら自力の及ぶ限《かぎり》でない。かう云ふ時には人間を見懸けて矢鱈《やたら》にこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術を行ふか、二者其一を擇ばんと不愉快で安眠も出來兼ねる。人間は愚《ぐ》なものであるから、猫なで聲で――猫なで聲は人間の吾輩に對して出す聲だ。吾輩を目安《めやす》にして考へれば猫なで聲ではない、なでられ聲である――よろしい、兎に角人間は愚《ぐ》なものであるから撫でられ聲で膝の傍《そば》へ寄つて行くと、大抵の場合に於て彼|若《もし》くは彼女を愛するものと誤解して、わが爲す儘に任せるのみか折々は頭さへ撫《な》でゝくれるものだ。然るに近來吾輩の毛中《まうちゆう》にのみと號する一種の寄生蟲が繁殖したので滅多に寄り添ふと、必ず頸筋を持つて向ふへ抛《はふ》り出される。纔《わづ》かに眼に入《い》るか入《い》らぬか、取るにも足らぬ蟲の爲めに愛想《あいそ》をつかしたと見える。手を翻《ひるがへ》せば雨、手を覆《くつがへ》せば雲とは此事だ。高がのみの千疋や二千疋でよくまあこんなに現金な眞似が出來たものだ。人間世界を通じて行はれる愛の法則の第一條にはかうあるさうだ。――自己の利益になる間は、須《すべか》らく人を愛すべし。――人間の取り扱が俄然|豹變《へうへん》したので、いくら痒《か》ゆくても人力を利用する事は出來ん。だから第二の方法によつて松皮摩擦法《しやうひまさつほふ》をやるより外に分別はない。しからば一寸こすつて參らうかと又椽側から降りかけたが、いや是も利害相償はわぬ愚策だと心付いた。と云ふのは外でもない。松には脂《やに》がある。此|脂《やに》たる頗る執着心の強い者で、もし一たび、毛の先へくつ付け樣《やう》ものなら、雷が鳴つてもバルチツク艦隊が全滅しても決して離れない。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓延《まんえん》する。十本やられたなと氣が付くと、もう三十本引つ懸つて居る。吾輩は淡泊を愛する茶人的《ちやじんてき》猫《ねこ》である。こんな、しつこい、毒惡な、ねち/\した、執念深い奴は大嫌だ。たとひ天下の美猫《びめう》と雖《いへども》御免蒙る。况んや松脂《まつやに》に於てをやだ。車屋の黒の兩眼から北風に乘じて流れる目糞と擇ぶ所なき身分を以て、此|淡灰色《たんくわいしよく》の毛衣《けごろも》を大《だい》なしにするとは怪《け》しからん。少しは考へて見るがいゝ。といつた所できやつ中々考へる氣遣《きづかひ》はない。あの皮のあたりへ行つて脊中をつけるが早いか必ずべたりと御出《おいで》になるに極つて居る。こんな無分別な頓癡奇《とんちき》を相手にしては吾輩の顔に係はるのみならず、引いて吾輩の毛並に關する譯だ。いくら、むづ/\したつて我慢するより外に致し方はあるまい。然し此二方法共實行出來んとなると甚だ心細い。今に於て一工夫《ひとくふう》して置かんと仕舞にはむづ/\、ねち/\の結果病氣に罹《かゝ》るかも知れない。何か分別はあるまいかなと、後《あ》と足《あし》を折つて思案したが、不圖思ひ出した事がある。うちの主人は時々手拭と石鹸《シヤボン》を以て飄然といづれへか出て行く事がある、三四十分して歸つた所を見ると彼の朦朧たる顔色《がんしよく》が少しは活氣を帶びて、晴れやかに見える。主人の樣な汚苦《むさくる》しい男に此位な影響を與へるなら吾輩にはもう少し利目《きゝめ》があるに相違ない。吾輩は只でさへ此位な器量だから、是より色男になる必要はない樣なものゝ、萬一病氣に罹つて一歳|何《なん》が月《げつ》で夭折《えうせつ》する樣な事があつては天下の蒼生《さうせい》に對して申し譯がない。聞いて見ると是も人間のひま潰しに案出した洗湯《せんたう》なるものださうだ。どうせ人間の作つたものだから碌なものでないには極つて居るが此際の事だから試しに這入つて見るのもよからう。やつて見て功驗がなければよす迄の事だ。然し人間が自己の爲めに設備した浴場へ異類の猫を入れる丈《だけ》の洪量《かうりやう》があるだらうか。是が疑問である。主人が濟まして這入る位の所だから、よもや吾輩を斷はる事もなからうけれども萬一御氣の毒樣を食ふ樣《やう》な事があつては外聞がわるい。是は一先《ひとま》づ容子を見に行くに越した事はない。見た上で是ならよいと當りが付いたら、手拭を啣《くは》へて飛び込んで見《み》樣《やう》。とこゝ迄思案を定めた上でのそ/\と洗湯へ出掛けた。
横町を左へ折れると向ふに高いとよ竹のやうなものが屹立《きつりつ》して先から薄い烟を吐いて居る。是即ち洗湯である。吾輩はそつと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯とか未練とか云ふが、あれは表からでなくては訪問する事が出來ぬものが嫉妬半分に囃《はや》し立てる繰り言である。昔から利口な人は裏口から不意を襲ふ事にきまつて居る。紳士養成|方《ほう》の第二卷第一章の五ページにさう出て居るさうだ。其次のページには裏口は紳士の遺書にして自身コを得るの門なりとある位だ。吾輩は二十世紀の猫だから此位のヘ育はある。あんまり輕蔑してはいけない。偖《さて》忍び込んで見ると、左の方に松を割つて八寸位にしたのが山のやうに積んであつて、其隣りには石炭が岡の樣に盛つてある。なぜ松薪《まつまき》が山の樣で、石炭が岡の樣かと聞く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、只一寸山と岡を使ひ分けた丈《だけ》である。人間も米を食つたり、鳥を食つたり、肴《さかな》を食つたり、獣《けもの》を食つたり色々の惡《あく》もの食ひをしつくした揚句《あげく》遂に石炭迄食ふ樣に墮落したのは不憫《ふびん》である。行き當りを見ると一間程の入口が明け放しになつて、中を覗くとがんがらがんのがあんと物靜かである。其|向側《むかふがは》で何か頻りに人間の聲がする。所謂洗湯は此聲の發する邊《へん》に相違ないと斷定したから、松薪《まつまき》と石炭の間に出來てる谷あひを通り拔けて左へ廻つて、前進すると右手に硝子《ガラス》窓があつて、其そとに丸い小桶が三角形即ちピラミツドの如く積みかさねてある。丸いものが三角に積まれるのは不本意千萬だらうと、竊《ひそ》かに小桶諸君の意を諒《りやう》とした。小桶の南側は四五尺の間《あひだ》板が餘つて、恰《あたか》も吾輩を迎ふるものゝ如く見える。板の高さは地面を去る約一メートルだから飛び上がるには御誂《おあつら》への上等《じやうとう》である。よろしいと云ひながらひらりと身を躍らすと所謂洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついて居る。天下に何が面白いと云つて、未《いま》だ食はざるものを食ひ、未《いま》だ見ざるものを見る程の愉快はない。諸君もうちの主人の如く一週三度位、此洗湯界に三十分乃至四十分を暮すならいゝが、もし吾輩の如く風呂と云ふものを見た事がないなら、早く見るがいゝ。親の死目《しにめ》に逢はなくてもいゝから、是《これ》丈《だけ》は是非見物するがいゝ。世界廣しと雖もこんな奇觀は又とあるまい。
何が奇觀だ? 何が奇觀だつて吾輩は是を口にするを憚かる程の奇觀だ。此|硝子《ガラス》窓の中にうぢや/\、があ/\騷いで居る人間は悉《こと/”\》く裸體である。臺湾の生蕃《せいばん》である。二十世紀のアダムである。抑《そもそ》も衣裝《いしやう》の歴史を繙《ひもと》けば――長い事だから是はトイフエルスドレツク君に讓つて、繙《ひもと》く丈《だけ》はやめてやるが、――人間は全く服裝で持つてるのだ。十八世紀の頃大英國バスの温泉場に於てボー、ナツシが嚴重な規則を制定した時|抔《など》は浴場内で男女共肩から足迄着物でかくした位である。今を去る事六十年|前《ぜん》是も英國の去る都で圖案學校を設立した事がある。圖案學校の事であるから、裸體畫、裸體像の模寫、模型を買ひ込んで、こゝ、かしこに陳列したのはよかつたが、いざ開校式を擧行する一段になつて當局者を初め學校の職員が大困却をした事がある。開校式をやるとすれば、市の淑女を招待しなければならん。所が當時の貴婦人方の考によると人間は服裝の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思つて居た。人間として着物をつけないのは象の鼻なきが如く、學校の生徒なきが如く、兵隊の勇氣なきが如く全く其本體を失《しつ》して居る。苟《いやしく》も本體を失して居る以上は人間としては通用しない、獣類である。假令《たとひ》模寫模型にせよ獣類の人間と伍するのは貴女の品位を害する譯である。でありますから妾《せふ》等《ら》は出席御斷はり申すと云はれた。そこで職員共は話せない連中だとは思つたが、何しろ女は東西兩國を通じて一種の裝飾品である。米舂《こめつき》にもなれん志願兵にもなれないが、開校式には缺くべからざる化裝道具《けしやうだうぐ》である。と云ふところから仕方がない、呉服屋へ行つて黒布《くろぬの》を三十五反|八分七《はちぶんのしち》買つて來て例の獣類の人間に悉《こと/”\》く着物をきせた。失禮があつてはならんと念に念を入れて顔迄着物をきせた。斯樣にして漸くの事|滯《とゞこほ》りなく式を濟ましたと云ふ話がある。其位衣服は人間にとつて大切なものである。近頃は裸體畫々々々と云つて頻りに裸體を主張する先生もあるがあれはあやまつて居る。生れてから今日《こんにち》に至る迄一日も裸體になつた事がない吾輩から見ると、どうしても間違つて居る。裸體は希臘《ギリシヤ》、羅馬《ローマ》の遺風が文藝復興時代の淫靡《いんび》の風《ふう》に誘はれてから流行《はや》りだしたもので、希臘人《ギリシヤじん》や、羅馬人《ローマじん》は平常《ふだん》から裸體を見做《みな》れて居たのだから、之を以て風ヘ上の利害の關係がある抔《など》とは毫も思ひ及ばなかつたのだらうが北歐は寒い所だ。日本でさへ裸で道中がなるものかと云ふ位だから獨逸《ドイツ》や英吉利《イギリス》で裸になつて居れば死んで仕舞ふ。死んで仕舞つては詰らないから着物をきる。みんなが着物をきれば人間は服裝の動物になる。一たび服裝の動物となつた後《のち》に、突然裸體動物に出逢へば人間とは認めない、獣《けだもの》と思ふ。夫《それ》だから歐洲人ことに北方の歐洲人は裸體畫、裸體像を以て獣《けだもの》として取り扱つていゝのである。猫に劣る獣《けだもの》と認定していゝのである。美しい? 美しくても構はんから、美しい獣《けだもの》と見做《みな》せばいゝのである。かう云ふと西洋婦人の禮服を見たかと云ふものもあるかも知れないが、猫の事だから西洋婦人の禮服を拜見した事はない。聞く所によると彼等は胸をあらはし、肩をあらはし、腕をあらはして是を禮服と稱して居るさうだ。怪《け》しからん事だ。十四世紀頃迄は彼等の出《い》で立《た》ちはしかく滑稽ではなかつた、矢張り普通の人間の着るものを着て居つた。それが何故《なぜ》こんな下等な輕術師流《かるわざしりう》に轉化してきたかは面倒だから述べない。知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をして居ればよろしからう。歴史は兎に角彼等はかゝる異樣な風態をして夜間|丈《だけ》は得々《とく/\》たるにも係はらず内心は少々人間らしい所もあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこも悉《こと/”\》く見えなくして仕舞ふのみならず、足の爪一本でも人に見せるのを非常に耻辱と考へて居る。是で考へても彼等の禮服なるものは一種の頓珍漢的《とんちんかんてき》作用《さやう》によつて、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云ふ事が分る。それが口惜《くや》しければ日中《につちゆう》でも肩と胸と腕を出して居て見るがいゝ。裸體信者だつて其通りだ。それ程裸體がいゝものなら娘を裸體にして、序《つい》でに自分も裸になつて上野公園を散歩でもするがいゝ、できない? 出來ないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだらう。現に此不合理極まる禮服を着て威張つて帝國ホテル抔《など》へ出懸けるではないか。其因縁を尋ねると何にもない。只西洋人がきるから、着ると云ふ迄の事だらう。西洋人は強いから無理でも馬鹿氣て居ても眞似なければ遣り切れないのだらう。長いものには捲《ま》かれろ、強いものには折れろ、重いものには壓《お》されろと、さうれろ〔二字傍点〕盡しでは氣が利かんではないか。氣が利かんでも仕方がないと云ふなら勘辨するから、餘り日本人をえらい者と思つてはいけない。學問と雖も其通りだが是は服裝に關係がない事だから以下略とする。
衣服は斯《かく》の如く人間にも大事なものである。人間が衣服か、衣服が人間かと云ふ位重要な條件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、單に衣服の歴史であると申したい位だ。だから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。丸《まる》で化物に邂逅《かいこう》した樣だ。化物でも全體が申し合せて化物になれば、所謂化物は消えてなくなる譯だから構はんが、夫《それ》では人間自身が大《おほい》に困却する事になる許《ばか》りだ。其|昔《むか》し自然は人間を平等なるものに製造して世の中に抛《はふ》り出した。だからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸《あかはだか》である。もし人間の本性《ほんせい》が平等に安んずるものならば、よろしく此赤裸の儘で生長して然るべきだらう。然るに赤裸の一人が云ふにはかう誰も彼も同じでは勉強する甲斐がない。骨を折つた結果が見えぬ。どうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだと云ふ所が目につく樣にしたい。夫《それ》については何か人が見てあつと魂消《たまげ》る物をからだにつけて見たい。何か工夫はあるまいかと十年間考へて漸く猿股《さるまた》を發明してすぐさま之を穿《は》いて、どうだ恐れ入つたらうと威張つてそこいらを歩いた。是が今日《こんにち》の車夫の先祖である。單簡《たんかん》なる猿股を發明するのに十年の長日月を費やしたのは聊《いさゝ》か異《い》な感もあるが、夫《それ》は今日《こんにち》から古代に溯《さかのぼ》つて身を蒙昧《もうまい》の世界に置いて斷定した結論と云ふもので、其當時に此《これ》位《くらゐ》な大發明はなかつたのである。デカルトは「余は思考す、故に余は存在す」といふ三《み》つ子《ご》にでも分る樣な眞理を考へ出すのに十何年か懸つたさうだ。凡《すべ》て考へ出す時には骨の折れるものであるから猿股の發明に十年を費やしたつて車夫の智慧には出來過ぎると云はねばなるまい。さあ猿股が出來ると世の中で幅のきくのは車夫|許《ばか》りである。餘り車夫が猿股をつけて天下の大道を我物顔に横行濶歩するのを憎らしいと思つて負けん氣の化物が六年間工夫して羽織と云ふ無用の長物を發明した。すると猿股の勢力は頓《とみ》に衰へて、羽織全盛の時代となつた。八百屋、生藥屋《きぐすりや》、呉服屋は皆此大發明家の末流《ばつりう》である。猿股期、羽織期の後《あと》に來るのが袴期《はかまき》である。是は、何だ羽織の癖にと癇癪を起した化物の考案になつたもので、昔の武士今の官員|抔《など》は皆此種屬である。かやうに化物共がわれも/\と異《い》を衒《てら》ひ新《しん》を競《きそ》つて、遂には燕の尾にかたどつた畸形《きけい》迄《まで》出現したが、退いて其由來を案ずると、何も無理矢理に、出鱈目に、偶然に、漫然に持ち上がつた事實では決してない。皆勝ちたい/\の勇猛心の凝《こ》つて樣々の新形《しんがた》となつたもので、おれは手前ぢやないぞと振れてあるく代りに被つて居るのである。して見るとこの心理からして一大發見が出來る。夫《それ》は外でもない。自然は眞空を忌《い》む如く、人間は平等《びやうどう》を嫌ふと云ふ事だ。既に平等を嫌つて已《やむ》を得ず衣服を骨肉の如く斯樣につけ纒ふ今日に於て、此本質の一部分たる、これ等を打ち遣つて、元の杢阿彌《もくあみ》の公平時代に歸るのは狂人の沙汰である。よし狂人の名稱を甘んじても歸る事は到底出來ない。歸つた連中を開明人《かいめいじん》の目から見れば化物である。假令《たとひ》世界何億萬の人口を擧げて化物の域《ゐき》に引ずり卸して是なら平等だらう、みんなが化物だから耻づかしい事はないと安心しても矢つ張り駄目である。世界が化物になつた翌日から又化物の競爭が始まる。着物をつけて競爭が出來なければ化物なりで競爭をやる。赤裸《あかはだか》は赤裸でどこ迄も差別を立てゝくる。此點から見ても衣服は到底脱ぐ事は出來ないものになつて居る。
然るに今吾輩が眼下《がんか》に見下《みおろ》した人間の一團體は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も乃至《ないし》袴も悉《こと/”\》く棚の上に上げて、無遠慮にも本來の狂態を衆目環視《しゆうもくくわんし》の裡《うち》に露出して平々然《へい/\ぜん》と談笑を縱《ほしいま》まにして居る。吾輩が先刻《さつき》一大奇觀と云つたのは此事である。吾輩は文明の諸君子の爲めにこゝに謹んで其一般を紹介するの榮を有する。
何だかごちや/\して居て何《な》にから記述していゝか分らない。化物のやる事には規律がないから秩序立つた證明をするのに骨が折れる。先づ湯槽《ゆぶね》から述べやう。湯槽だか何だか分らないが、大方《おほかた》湯槽といふものだらうと思ふ許《ばか》りである。幅が三尺位、長《ながさ》は一間半もあるか、夫《それ》を二つに仕切つて一つには白い湯が這入つて居る。何でも藥湯《くすりゆ》とか號するのださうで、石灰《いしばひ》を溶かし込んだ樣な色に濁つて居る。尤も只濁つて居るのではない。膏《あぶら》ぎつて、重《おも》た氣《げ》に濁つて居る。よく聞くと腐つて見えるのも不思議はない、一週間に一度しか水を易へないのださうだ。其隣りは普通一般の湯の由《よし》だが是亦もつて透明、瑩徹《えいてつ》抔《など》とは誓つて申されない。天水桶《てんすゐをけ》を攪《か》き混《ま》ぜた位の價値は其色の上に於て充分あらはれて居る。是からが化物の記述だ。大分《だいぶ》骨が折れる。天水桶の方に、突つ立つて居る若造《わかざう》が二人居る。立つた儘、向ひ合つて湯をざぶ/\腹の上へかけて居る。いゝ慰みだ。双方共色の黒い點に於て間然《かんぜん》する所なき迄に發達して居る。此化物は大分《だいぶ》逞《たく》ましいなと見て居ると、やがて一人が手拭で胸のあたりを撫で廻しながら「金さん、どうも、こゝが痛んでいけねえが何だらう」と聞くと金さんは「そりや胃さ、胃て云ふ奴は命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加へる。「だつて此左の方だぜ」と左肺《さはい》の方を指す。「そこが胃だあな。左が胃で、右が肺だよ」「さうかな、おらあ又胃はこゝいらかと思つた」と今度は腰の邊を叩いて見せると、金さんは「そりや疝氣《せんき》だあね」と云つた。所へ二十五六の薄い髯を生やした男がどぶんと飛び込んだ。すると、からだに付いて居た石鹸《シヤボン》が垢《あか》と共に浮きあがる。鐵氣《かなけ》のある水を透かして見た時の樣にきら/\と光る。其隣りに頭の禿げた爺さんが五分刈を捕《とら》へて何か辯じて居る。双方共頭|丈《だけ》浮かして居るのみだ。「いやかう年をとつては駄目さね。人間もやきが廻つちや若い者には叶《かな》はないよ。然し湯|丈《だけ》は今でも熱いのでないと心持が惡くてね」「旦那なんか丈夫なものですぜ。其位元氣がありや結構だ」「元氣もないのさ。只病氣をしない丈《だけ》さ。人間は惡い事さへしなけりやあ百二十迄は生きるもんだからね」「へえ、そんなに生きるもんですか」「生きるとも百二十迄は受け合ふ。御維新前《ごいつしんまへ》牛込に曲淵《まがりぶち》と云ふ旗本《はたもと》があつて、そこに居た下男は百三十だつたよ」「そいつは、よく生きたもんですね」「あゝ、あんまり生き過ぎてつい自分の年を忘れてね。百迄は覺えて居ましたが夫《それ》から忘れて仕舞ましたと云つてたよ。夫《それ》でわしの知つて居たのが百三十の時だつたが、それで死んだんぢやない。夫《それ》からどうなつたか分らない。事によるとまだ生きてるかも知れない」と云ひながら槽《ふね》から上《あが》る。髯を生やして居る男は雲母《きらゝ》の樣なものを自分の廻りに蒔き散らしながら獨りでにや/\笑つて居た。入れ代つて飛び込んで來たのは普通一般の化物とは違つて脊中《せなか》に模樣畫をほり付けて居る。岩見重太郎《いはみぢゆうたらう》が大刀《だいたう》を振り翳《かざ》して蟒《うはゞみ》を退治《たいぢ》る所の樣《やう》だが、惜しい事に未《ま》だ竣功《しゆんこう》の期に達せんので、蟒《うはゞみ》はどこにも見えない。從つて重太郎先生|聊《いさゝ》か拍子拔けの氣味に見える。飛び込みながら「箆棒《べらぼう》に温《ぬ》るいや」と云つた。するとまた一人續いて乘り込んだのが「是《こ》りやどうも……もう少し熱くなくつちやあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢する氣色《けしき》とも見えたが、重太郎先生と顔を見合せて「やあ親方」と挨拶をする。重太郎は「やあ」と云つたが、やがて「民さんはどうしたね」と聞く。「どうしたか、ぢやん/\が好きだからね」「ぢやん/\許《ばか》りぢやねえ……」「さうかい、あの男も腹のよくねえ男だからね。――どう云ふもんか人に好かれねえ、――どう云ふものだか、――どうも人が信用しねえ。職人てえものは、あんなもんぢやねえが」「さうよ。民さんなんざあ腰が低いんぢやねえ、頭《づ》が高《た》けえんだ。夫《それ》だからどうも信用されねえんだね」「本當によ。あれで一《い》つぱし腕がある積りだから、――つまり自分の損だあな」「白銀町《しろかねちやう》にも古い人が亡《な》くなつてね、今ぢや桶屋の元さんと煉瓦屋の大將と親方ぐれえな者だあな。こちとらあ斯うして茲《こゝ》で生れたもんだが、民さんなんざあ、どこから來たんだか分りやしねえ」「さうよ。然しよくあれ丈《だけ》になつたよ」「うん。どう云ふもんか人に好かれねえ。人が交際《つきあ》はねえからね」と徹頭徹尾民さんを攻撃する。
天水桶は此位にして、白い湯の方を見ると是は又非常な大入《おほいり》で、湯の中に人が這入つてると云はんより人の中に湯が這入つてると云ふ方が適當である。しかも彼等は頗る悠々閑々《いう/\かん/\》たる物で、先刻《さつき》から這入るものはあるが出る物は一人もない。かう這入つた上に、一週間もとめて置いたら湯もよごれる筈だと感心して猶《なほ》よく槽《をけ》の中を見渡すと、左の隅に壓《お》しつけられて苦沙彌先生が眞赤《まつか》になつてすくんで居る。可哀《かはい》さうに誰か路をあけて出してやればいゝのにと思ふのに誰も動きさうにもしなければ、主人も出やうとする氣色《けしき》も見せない。只じつとして赤くなつて居る許《ばか》りである。是は御苦勞な事だ。可成《なるべく》二錢五厘の湯錢を活用しやうと云ふ精神からして、かやうに赤くなるのだらうが、早く上がらんと湯氣《ゆけ》にあがるがと主思《しゆうおも》ひの吾輩は窓の棚から少なからず心配した。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「是はちと利き過ぎる樣だ、どうも脊中の方から熱ひ奴がぢり/\湧いてくる」と暗に列席の化物に同情を求めた。「なあに是が丁度いゝ加減です。藥湯は此位でないと利きません。わたしの國なぞでは此倍も熱い湯へ這入ります」と自慢らしく説き立てるものがある。「一體此湯は何に利くんでせう」と手拭を疊んで凸凹頭《デコボコあたま》をかくした男が一同に聞いて見る。「色々なものに利きますよ。何でもいゝてえんだからね。豪氣《がうぎ》だあね」と云つたのは瘠せた黄瓜《きうり》の樣な色と形とを兼ね得たる顔の所有者である。そんなに利く湯なら、もう少しは丈夫さうになれさうなものだ。「藥を入れ立てより、三日目か四日目が丁度いゝ樣です。今日《けふ》等《など》は這入り頃ですよ」と物知り顔に述べたのを見ると、膨《ふく》れ返つた男である。是は多分|垢肥《あかぶと》りだらう。「飲んでも利きませうか」とどこからか知らないが黄色い聲を出す者がある。「冷《ひ》えた後《あと》抔《など》は一杯飲んで寐ると、奇體《きたい》に小便に起きないから、まあやつて御覽なさい」と答へたのは、どの顔から出た聲か分らない。
湯槽《ゆぶね》の方は此《これ》位《ぐらゐ》いにして板間《いたま》を見渡すと、居るは/\繪にもならないアダムがずらりと並んで各《おの/\》勝手次第な姿勢で、勝手次第な所を洗つて居る。其中に尤も驚ろくべきのは仰向けに寐て、高い明《あ》かり取《とり》を眺めて居るのと、腹這ひになつて、溝の中を覗き込んで居る兩アダムである。是は餘程閑なアダムと見える。坊主が石壁を向いてしやがんで居ると後《うし》ろから、小坊主が頻りに肩を叩いて居る。是は師弟の關係上|三介《さんすけ》の代理を務めるのであらう。本當の三介《さんすけ》も居る。風邪を引いたと見えて、此あついのにちやん/\を着て、小判形《こばんなり》の桶からざあと旦那の肩へ湯をあびせる。右の足を見ると親指《おやゆび》の股に呉絽《ゴロ》の垢擦《あかす》りを挾《はさ》んで居る。こちらの方では小桶を慾張つて三つ抱《かゝ》へ込んだ男が、隣りの人に石鹸《シヤボン》を使へ/\と云ひながら頻りに長談議をして居る。何だらうと聞いて見るとこんな事を言つて居た。「鐵砲は外國から渡つたもんだね。昔は斬り合ひ許《ばか》りさ。外國は卑怯だからね、それであんなものが出來たんだ。どうも支那ぢやねえ樣だ、矢つ張り外國の樣だ。和唐内《わたうない》の時にや無かつたね。和唐内《わたうない》は矢つ張り清和源氏《せいわげんじ》さ。なんでも義經《よしつね》が蝦夷《えぞ》から滿洲へ渡つた時に、蝦夷《えぞ》の男で大變|學《がく》のできる人がくつ付いて行つたてえ話しだね。それで其義經のむすこが大明《たいみん》を攻めたんだが大明《たいみん》ぢや困るから、三代將軍へ使をよこして三千人の兵隊を借《か》して呉れろと云ふと、三代樣《さんだいさま》がそいつを留めて置いて歸さねえ。――何とか云つたつけ。――何でも何とか云ふ使だ。――夫《それ》で其使を二年とめて置いて仕舞に長崎で女郎《ぢようろ》を見せたんだがね。其|女郎《ぢようろ》に出來た子が和唐内《わたうない》さ。それから國へ歸つて見ると大明《たいみん》は國賊に亡ぼされて居た。……」何を云ふのか薩張《さつぱ》り分らない。其|後《うし》ろに二十五六の陰氣な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯で頻りにたでゝ居る。腫物《はれもの》か何かで苦しんで居ると見える。其横に年の頃は十七八で君とか僕とか生意氣な事をべら/\喋舌《しやべ》つてるのは此近所の書生だらう。其又次に妙な脊中が見える。尻の中から寒竹《かんちく》を押し込んだ樣に脊骨の節が歴々と出て居る。而《さう》して其左右に十六むさしに似たる形が四個|宛《づゝ》行儀よく並んで居る。其十六むさしが赤く爛《たゞ》れて周圍《まはり》に膿《うみ》をもつて居るのもある。かう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際には其|一斑《いつぱん》さへ形容する事が出來ん。是は厄介な事をやり始めた者だと少々|辟易《へきえき》して居ると入口の方に淺黄木綿《あさぎもめん》の着物をきた七十|許《ばか》りの坊主がぬつと見《あら》はれた。坊主は恭《うや/\》しく此《これ》等《ら》の裸體の化物に一禮して「へい、どなた樣も、毎日相變らず難有《ありがた》う存じます。今日は少々御寒う御座いますから、どうぞ御緩《ごゆつ》くり――どうぞ白い湯へ出たり這入つたりして、ゆるりと御あつたまり下さい。――番頭さんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てた。番頭さんは「おーい」と答へた。和唐内《わたうない》は「愛嬌ものだね。あれでなくては商買《しやうばい》は出來ないよ」と大《おほい》に爺さんを激賞した。吾輩は突然この異《い》な爺さんに逢つて一寸驚ろいたから此方《こつち》の記述は其儘にして、しばらく爺さんを專門に觀察する事にした。爺さんはやがて今|上《あが》り立《た》ての四つ許《ばか》りの男の子を見て「坊ちやん、こちらへ御出《おいで》」と手を出す。小供は大福を踏み付けた樣な爺さんを見て大變だと思つたか、わーつと悲鳴を揚げてなき出す。爺さんは少しく不本意の氣味で「いや、御泣きか、なに? 爺さんが恐《こは》い? いや、これはこれは」と感嘆した。仕方がないものだから忽ち機鋒を轉じて、小供の親に向つた。「や、これは源さん。今日は少し寒いな。ゆうべ、近江屋へ這入つた泥棒は何と云ふ馬鹿な奴ぢやの。あの戸の潜《くゞ》りの所を四角に切り破つての。さうして御前の。何も取らずに行《い》んだげな。御巡《おまは》りさんか夜番でも見えたものであらう」と大《おほい》に泥棒の無謀を憫笑《びんせう》したが又一人を捉《つ》らまへて「はい/\御寒う。あなた方は、御若いから、あまり御感じにならんかの」と老人|丈《だけ》に只一人寒がつて居る。
暫くは爺さんの方へ氣を取られて他の化物の事は全く忘れて居たのみならず、苦しさうにすくんで居た主人さへ記憶の中《うち》から消え去つた時突然流しと板の間の中間で大きな聲を出すものがある。見ると紛れもなき苦沙彌先生である。主人の聲の圖拔けて大いなるのと、其濁つて聽き苦しいのは今日に始まつた事ではないが場所が場所|丈《だけ》に吾輩は少からず驚ろいた。是は正《まさ》しく熱湯の中《うち》に長時間のあひだ我慢をして浸《つか》つて居つた爲め逆上《ぎやくじやう》したに相違ないと咄嗟《とつさ》の際《さい》に吾輩は鑑定をつけた。夫《それ》も單に病氣の所爲《せゐ》なら咎《とが》むる事もないが、彼は逆上しながらも充分本心を有して居るに相違ない事は、何の爲に此法外の胴間聲《どうまごゑ》を出したかを話せばすぐわかる。彼は取るにも足らぬ生意氣書生を相手に大人氣《おとなげ》もない喧嘩を始めたのである。「もつと下がれ、おれの小桶に湯が這入つていかん」と怒鳴るのは無論主人である。物は見《み》樣《やう》でどうでもなるものだから、此怒號をたゞ逆上の結果と許《ばか》り判斷する必要はない。萬人のうちに一人位は高山彦九郎《たかやまひこくらう》が山賊《さんぞく》を叱《しつ》した樣だ位に解釋してくれるかも知れん。當人自身も其積りでやつた芝居かも分らんが、相手が山賊を以て自《みづか》ら居らん以上は豫期する結果は出て來ないに極つて居る。書生は後《うし》ろを振り返つて「僕はもとからこゝに居たのです」と大人《おとな》しく答へた。是は尋常の答で、只其地を去らぬ事を示した丈《だけ》が主人の思ひ通りにならんので、其態度と云ひ言語と云ひ、山賊として罵り返すべき程の事でもないのは、如何に逆上の氣味の主人でも分つて居る筈だ。然し主人の怒號は書生の席其ものが不平なのではない、先刻《さつき》から此兩人は少年に似合はず、いやに高慢ちきな、利《き》いた風の事ばかり併《なら》べて居たので、始終それを聞かされた主人は、全く此點に立腹したものと見える。だから先方で大人《おとな》しい挨拶をしても黙つて板の間へ上がりはせん。今度は「何だ馬鹿野郎、人の桶へ汚ない水をぴちや/\跳ねかす奴があるか」と喝《かつ》し去つた。吾輩も此小僧を少々心憎く思つて居たから、此時心中には一寸|快哉《くわいさい》を呼んだが、學校ヘ員たる主人の言動としては穩かならぬ事と思ふた。元來主人はあまり堅過ぎていかん。石炭のたき殼《がら》見た樣にかさ/\して然もいやに硬い。むかしハンニバルがアルプス山を超える時に、路の眞中に當つて大きな岩があつて、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をする。そこでハンニバルは此大きな岩へ醋《す》をかけて火を焚《た》いて、柔かにして置いて、夫《それ》から鋸《のこぎり》で此大岩を蒲鉾《かまぼこ》の樣に切つて滯《とゞこほ》りなく通行をしたさうだ。主人の如くこんな利目《きゝめ》のある藥湯へ※[者/火]《う》だる程這入つても少しも功能のない男は矢張り醋《す》をかけて火炙《ひあぶ》りにするに限ると思ふ。然らずんば、こんな書生が何百人出て來て、何十年かゝつたつて主人の頑固は癒りつこない。此|湯槽《ゆぶね》に浮いて居るもの、此流しにごろ/\して居るものは文明の人間に必要な服裝を脱ぎ棄てる化物の團體であるから、無論常規常道を以て律する譯にはいかん。何をしたつて構はない。肺の所に胃が陣取つて、和唐内が清和源氏になつて、民さんが不信用でもよからう。然し一たび流しを出て板の間に上がれば、もう化物ではない。普通の人類の生息《せいそく》する娑婆《しやば》へ出たのだ、文明に必要なる着物をきるのだ。從つて人間らしい行動をとらなければならん筈である。今主人が踏んで居る所は敷居である。流しと板の間の境にある敷居の上であつて、當人は是から歡言愉色《くわんげんゆしよく》、圓轉滑脱《ゑんてんくわつだつ》の世界に逆戻りをしやうと云ふ間際である。其間際ですら斯《かく》の如く頑固であるなら、此頑固は本人にとつて牢《らう》として拔くべからざる病氣に相違ない。病氣なら容易に矯正する事は出來まい。此病氣を癒す方法は愚考によると只一つある。校長に依頼して免職して貰ふ事即ち是なり。免職になれば融通の利かぬ主人の事だから屹度路頭に迷ふに極つてる。路頭に迷ふ結果はのたれ死にをしなければならない。換言すると免職は主人にとつて死の遠因になるのである。主人は好んで病氣をして喜こんで居るけれど、死ぬのは大嫌《だいきらひ》である。死なゝい程度に於て病氣と云ふ一種の贅澤がして居たいのである。夫《それ》だからそんなに病氣をして居ると殺すぞと嚇《おど》かせば臆病なる主人の事だからびり/\と悸《ふる》へ上がるに相違ない。此|悸《ふる》へ上がる時に病氣は奇麗に落ちるだらうと思ふ。それでも落ちなければ夫《それ》迄《まで》の事さ。
如何に馬鹿でも病氣でも主人に變りはない。一飯《いつぱん》君恩を重んずと云ふ詩人もある事だから猫だつて主人の身の上を思はない事はあるまい。氣の毒だと云ふ念が胸一杯になつた爲め、ついそちらに氣が取られて、流しの方の觀察を怠《おこ》たつて居ると、突然白い湯槽《ゆぶね》の方面に向つて口々に罵る聲が聞える。こゝにも喧嘩が起つたのかと振り向くと、狹い柘榴口《ざくろぐち》に一|寸《すん》の餘地もない位に化物が取りついて、毛のある脛と、毛のない股と入り亂れて動いて居る。折から初秋《はつあき》の日は暮るゝになんなんとして流しの上は天井迄一面の湯氣が立て籠める。かの化物の犇《ひしめ》く樣が其間から朦朧と見える。熱い/\と云ふ聲が吾輩の耳を貫ぬいて左右へ拔ける樣に頭の中で亂れ合ふ。其聲には黄なのも、青いのも、赤いのも、黒いのもあるが互に疊《かさ》なりかゝつて一種名?すべからざる音響を浴場内に漲らす。只混雜と迷亂とを形容するに適した聲と云ふのみで、外には何の役にも立たない聲である。吾輩は茫然として此光景に魅入《みい》られた許《ばか》り立ちすくんで居た。やがてわー/\と云ふ聲が混亂の極度に達して、是よりはもう一歩も進めぬと云ふ點迄張り詰められた時、突然無茶苦茶に押し寄せ押し返して居る群《むれ》の中から一大長漢がぬつと立ち上がつた。彼の身《み》の丈《たけ》を見ると他《ほか》の先生方よりは慥《たし》かに三寸位は高い。のみならず顔から髯が生えて居るのか髯の中に顔が同居して居るのか分らない赤つらを反《そ》り返して、日盛りに破《わ》れ鐘《がね》をつく樣な聲を出して「うめろ/\、熱い熱い」と叫ぶ。此聲と此顔ばかりは、かの紛々《ふんぷん》と縺《もつ》れ合ふ群衆の上に高く傑出して、其瞬間には浴場全體が此男一人になつたと思はるゝ程である。超人《てうじん》だ。ニーチエの所謂超人だ。魔中の大王だ。化物の頭梁《とうりやう》だ。と思つて見て居ると湯槽《ゆぶね》の後《うし》ろでおーいと答へたものがある。おやと又も其方《そちら》に眸《ひとみ》をそらすと、暗憺《あんたん》として物色も出來ぬ中に、例のちやん/\姿の三介《さんすけ》が碎けよと一塊《ひとかたま》りの石炭を竈《かまど》の中に投げ入れるのが見えた。竈の葢《ふた》をくゞつて、此塊りがぱち/\と鳴るときに、三介《さんすけ》の半面がぱつと明るくなる。同時に三介《さんすけ》の後《うし》ろにある煉瓦の壁が暗《やみ》を通して燃える如く光つた。吾輩は少々物凄くなつたから早々《さう/\》窓から飛び下りて家《いへ》に歸る。歸りながらも考へた。羽織を脱ぎ、猿股を脱ぎ、袴を脱いで平等にならうと力《つと》める赤裸々の中には、又赤裸々の豪傑が出て來て他の群小を壓倒して仕舞ふ。平等はいくらはだかになつたつて得られるものではない。
歸つて見ると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラ/\光らして晩餐を食つて居る。吾輩が椽側から上がるのを見て、のんきな猫だなあ、今頃どこをあるいてゐるんだらうと云つた。膳の上を見ると、錢《ぜに》のない癖に二三品|御菜《おかず》をならべて居る。其うちに肴《さかな》の燒いたのが一疋ある。是は何と稱する肴か知らんが、何でも昨日《きのふ》あたり御臺場近邊でやられたに相違ない。肴は丈夫なものだと説明して置いたが、いくら丈夫でもかう燒かれたり※[者/火]られたりしてはたまらん。多病にして殘喘《ざんぜん》を保《たも》つ方が餘程結構だ。かう考へて膳の傍《そば》に坐つて、隙《すき》があつたら何か頂戴しやうと、見る如く見ざる如く裝《よそほ》つて居た。こんな裝《よそほ》ひ方を知らないものは到底うまい肴は食へないと諦めなければいけない。主人は肴を一寸突つつい居たが、うまくないと云ふ顔付をして箸を置いた。正面に控えたる妻君は是亦無言の儘箸の上下《じやうげ》に運動する樣子、主人の兩顎《りやうがく》の離合開闔《りがふかいかふ》の具合を熱心に研究して居る。
「おい、其猫の頭を一寸|撲《ぶ》つて見ろ」と主人は突然細君に請求した。
「撲《ぶ》てば、どうするんですか」
「どうしてもいゝから一寸|撲《ぶ》つて見ろ」
かうですかと細君は平手《ひらて》で吾輩の頭を一寸|敲《たゝ》く。痛くも何ともない。
「鳴かんぢやないか」
「えゝ」
「もう一返やつて見ろ」
「何返やつたつて同じ事ぢやありませんか」と細君又平手でぽかと參《まゐ》る。矢張何ともないから、凝《ぢ》つとして居た。然し其何の爲めたるやは智慮深き吾輩には頓《とん》と了解し難い。是が了解出來れば、どうかかうか方法もあらうが只|撲《ぶ》つて見ろだから、撲《ぶ》つ細君も困るし、撲《ぶ》たれる吾輩も困る。主人は二度迄思ひ通りにならんので、少々|焦《じ》れ氣味《ぎみ》で「おい、一寸鳴く樣にぶつて見ろ」と云つた。
細君は面倒な顔付で「鳴かして何になさるんですか」と問ひながら、又ぴしやりと御出《おいで》になつた。かう先方の目的がわかれば譯はない、鳴いてさへやれば主人を滿足させる事は出來るのだ。主人はかくの如く愚物だから厭《いや》になる。鳴かせる爲めなら、爲めと早く云へば二返も三返も餘計な手數《てすう》はしなくても濟むし、吾輩も一度で放免になる事を二度も三度も繰り返へされる必要はないのだ。只|打《ぶ》つて見ろと云ふ命令は、打《ぶ》つ事それ自身を目的とする場合の外に用ふべきものでない。打《ぶ》つのは向ふの事、鳴くのは此方《こつち》の事だ。鳴く事を始めから豫期して懸つて、只|打《ぶ》つと云ふ命令のうちに、此方《こつち》の隨意たるべき鳴く事さへ含まつてる樣に考へるのは失敬千萬だ。他人の人格を重んぜんと云ふものだ。猫を馬鹿にして居る。主人の蛇蝎の如く嫌ふ金田君《かねだくん》ならやりさうな事だが、赤裸々を以て誇る主人としては頗る卑劣である。然し實の所主人は是程けちな男ではないのである。だから主人の此命令は狡猾《かうくわつ》の極に出《い》でたのではない。つまり智慧の足りない所から湧いた孑孑《ばうふら》の樣なものと思惟する。飯を食へば腹が張るに極まつて居る。切れば血が出るに極つて居る。殺せば死ぬに極まつて居る。それだから打《ぶ》てば鳴くに極つて居ると速斷をやつたんだらう。然しそれはお氣の毒だが少し論理に合はない。その格で行くと川へ落ちれば必ず死ぬ事になる。天麩羅《てんぷら》を食へば必ず下痢する事になる。月給をもらへば必ず出勤する事になる。書物を讀めば必ずえらくなる事になる。必ずさうなつては少し困る人が出來てくる。打《ぶ》てば必ずなかなければならんとなると吾輩は迷惑である。目白の時の鐘と同一に見傚《みな》されては猫と生れた甲斐がない。先づ腹の中で是《これ》丈《だけ》主人を凹《へこ》まして置いて、しかる後にやーと注文通り鳴いてやつた。
すると主人は細君に向つて「今鳴いた、にやあ〔三字傍点〕と云ふ聲は感投詞《かんとうし》か、副詞《ふくし》か何だか知つてるか」と聞いた。
細君は餘り突然な問なので、何にも云はない。實を云ふと吾輩も是は洗湯の逆上《ぎやくじやう》がまださめない爲めだらうと思つた位だ。元來此主人は近所合壁《きんじよがつぺき》有名な變人で現にある人は慥《たし》かに神經病だと迄斷言した位である。所が主人の自信はえらいもので、おれが神經病ぢやない、世の中の奴が神經病だと頑張つて居る。近邊のものが主人を犬々と呼ぶと、主人は公平を維持する爲め必要だとか號して彼等を豚々《ぶた/\》と呼ぶ。實際主人はどこ迄も公平を維持する積《つもり》らしい。困つたものだ。かう云ふ男だからこんな奇問を細君に對《むか》つて呈出するのも、主人に取つては朝食前《あさめしまへ》の小事件かも知れないが、聞く方から云はせると一寸神經病に近い人の云ひさうな事だ。だから細君は烟《けむ》に捲かれた氣味で何とも云はない。吾輩は無論何とも答へ樣がない。すると主人は忽ち大きな聲で
「おい」と呼びかけた。
細君は吃驚《びつくり》して「はい」と答へた。
「そのはい〔二字傍点〕は感投詞か副詞か、どつちだ」
「どつちですか、そんな馬鹿氣た事はどうでもいゝぢやありませんか」
「いゝものか、是が現に國語家《こくごか》の頭腦を支配して居る大問題だ」
「あらまあ、猫の鳴き聲がですか、いやな事ねえ。だつて、猫の鳴き聲は日本語ぢやあないぢやありませんか」
「夫《それ》だからさ。それが六づかしい問題なんだよ。比較研究と云ふんだ」
「さう」と細君は利口だから、こんな馬鹿な問題には關係しない。「それで、どつちだか分つたんですか」
「重要な問題だからさう急には分らんさ」と例の肴《さかな》をむしや/\食ふ。序《ついで》に其隣にある豚と芋のにころばしを食ふ。「是は豚だな」「えゝ豚で御座んす」「ふん」と大輕蔑の調子を以て飲み込んだ。「酒をもう一杯飲まう」と杯《さかづき》を出す。
「今夜は中々あがるのね。もう大分《だいぶ》赤くなつて入らつしやいますよ」
「飲むとも――御前世界で一番長い字を知つてるか」
「えゝ、前《さき》の關白太政大臣でせう」
「それは名前だ。長い字を知つてるか」
「字つて横文字ですか」
「うん」
「知らないわ、――御酒はもういゝでせう、是で御飯になさいな、ねえ」
「いや、まだ飲む。一番長い字をヘへてやらうか」
「えゝ。さうしたら御飯ですよ」
「Archaiomelesidonophrunicherata と云ふ字だ」
「出鱈目でせう」
「出鱈目なものか、希臘語《ギリシヤご》だ」
「何といふ字なの、日本語にすれば」
「意味はしらん。只綴り丈《だけ》知つてるんだ。長く書くと六寸三分位にかける」
他人なら酒の上で云ふべき事を、正氣で云つて居る所が頗る奇觀である。尤も今夜に限つて酒を無暗にのむ。平生なら猪口《ちよこ》に二杯ときめて居るのを、もう四杯飲んだ。二杯でも隨分赤くなる所を倍飲んだのだから顔が燒火箸の樣にほてつて、さも苦しさうだ。夫《それ》でもまだ已《や》めない。「もう一杯」と出す。細君はあまりの事に
「もう御よしになつたら、いゝでせう。苦しい許《ばか》りですわ」と苦々しい顔をする。
「なに苦しくつても是から少し稽古するんだ。大町桂月が飲めと云つた」
「桂月つて何です」さすがの桂月も細君に逢つては一文《いちもん》の價値もない。
「桂月は現今一流の批評家だ。夫《それ》が飲めと云ふのだからいゝに極つて居るさ」
「馬鹿を仰つしやい。桂月だつて、梅月だつて、苦しい思をして酒を飲めなんて、餘計な事ですわ」
「酒|許《ばか》りぢやない。交際をして、道樂をして、旅行をしろといつた」
「猶《なほ》わるいぢやありませんか。そんな人が第一流の批評家なの。まああきれた。妻子のあるものに道樂をすすめるなんて……」
「道樂もいゝさ。桂月が勸めなくつても金さへあればやるかも知れない」
「なくつて仕合せだわ。今から道樂なんぞ始められちやあ大變ですよ」
「大變だと云ふならよしてやるから、其代りもう少し夫《をつと》を大事にして、さうして晩に、もつと御馳走を食はせろ」
「是が精一杯の所ですよ」
「さうかしらん。夫《それ》ぢや道樂は追つて金が這入り次第やる事にして、今夜は是でやめやう」と飯茶椀を出す。何でも茶漬を三ぜん食つた樣だ。吾輩は其《その》夜《よ》豚肉|三片《みきれ》と塩燒の頭を頂戴した。
八
垣巡《かきめぐ》りと云ふ運動を説明した時に、主人の庭を結《ゆ》ひ繞《めぐ》らしてある竹垣の事を一寸述べた積りであるが、此竹垣の外がすぐ隣家、即ち南隣《みなみどなり》の次郎《じろ》ちやんとこと思つては誤解である。家賃は安いがそこは苦沙彌先生である。與《よ》つちやんや次郎《じろ》ちやん抔《など》と號する、所謂ちやん付きの連中と、薄つ片《ぺら》な垣一重を隔てゝ御隣り同志の親密なる交際は結んで居らぬ。此垣の外は五六間の空地《あきち》であつて、其盡くる所に檜《ひのき》が蓊然《こんもり》と五六本|併《なら》んで居る。椽側から拜見すると、向ふは茂つた森で、こゝに往む先生は野中の一軒家に、無名の猫を友にして日月《じつげつ》を送る江湖《かうこ》の處士《しよし》であるかの如き感がある。但《たゞ》し檜の枝は吹聽する如く密生して居らんので、其《その》間《あひだ》から群鶴館《ぐんかくくわん》といふ、名前|丈《だけ》立派な安下宿の安屋根が遠慮なく見えるから、しかく先生を想像するのには餘程骨の折れるのは無論である。然し此下宿が群鶴館なら先生の居《きよ》は慥《たし》かに臥龍窟《ぐわりようくつ》位な價値はある。名前に税はかゝらんから御互にえらさうな奴を勝手次第に付ける事として、此幅五六間の空地《あきち》が竹垣を添ふて東西に走る事約十間、夫《それ》から、忽ち鉤《かぎ》の手に屈曲して、臥龍窟《ぐわりようくつ》の北面を取り圍んで居る。此北面が騷動の種である。本來なら空地《あきち》を行き盡して又あき地、とか何とか威張つてもいゝ位に家の二側《ふたかは》を包んで居るのだが、臥龍窟《ぐわりようくつ》の主人は無論窟内の靈猫《れいべう》たる吾輩すら此あき地には手こずつて居る。南側に檜が幅を利かして居るごとく、北側には桐の木が七八本行列して居る。もう周圍一尺位にのびて居るから下駄屋さへ連れてくればいゝ價《ね》になるんだが、借家《しやくや》の悲しさには、いくら氣が付いても實行は出來ん。主人に對しても氣の毒である。先達《せんだつ》て學校の小使が來て枝を一本切つて行つたが、其つぎに來た時は新らしい桐の俎下駄《まないたげた》を穿《は》いて、此間の枝でこしらへましたと、聞きもせんのに吹聽して居た。ずるい奴だ。桐はあるが吾輩及び主人家族にとつては一文にもならない桐である。玉を抱《いだ》いて罪ありと云ふ古語があるさうだが、是は桐を生《は》やして錢《ぜに》なしと云つても然るべきもので、所謂寶の持ち腐《ぐさ》れである。愚《ぐ》なるものは主人にあらず、吾輩にあらず、家主《やぬし》の傳兵衛である。居ないかな、居ないかな、下駄屋は居ないかなと桐の方で催促して居るのに知らん面《かほ》をして屋賃《やちん》許《ばか》り取り立てにくる。吾輩は別に傳兵衛に恨もないから彼の惡口《あくかう》を此位にして、本題に戻つて此|空地《あきち》が騷動の種であると云ふ珍譚《ちんだん》を紹介|仕《つかまつ》るが、決して主人にいつてはいけない。是《これ》限《ぎ》りの話しである。抑《そもそ》も此|空地《あきち》に關して第一の不都合なる事は垣根のない事である。吹き拂ひ、吹き通し、拔け裏、通行御免天下晴れての空地《あきち》である。ある〔二字傍点〕と云ふと嘘をつく樣でよろしくない。實を云ふとあつた〔三字傍点〕のである。然し話しは過去へ溯《さかのぼ》らんと源因が分からない。源因が分からないと、醫者でも處方《しよはう》に迷惑する。だからこゝへ引き越して來た當時からゆつくりと話し始める。吹き通しも夏はせい/\して心持ちがいゝものだ、不用心だつて金のない所に盗難のある筈はない。だから主人の家に、あらゆる塀、垣、乃至は亂杭《らんぐひ》、逆茂木《さかもぎ》の類は全く不要である。然しながら是は空地《あきち》の向ふに住居する人間|若《もし》くは動物の種類|如何《いかん》によつて決せらるゝ問題であらうと思ふ。從つて此問題を決する爲には勢ひ向ふ側に陣取つて居る君子の性質を明かにせんければならん。人間だか動物だか分らない先に君子と稱するのは太《はなは》だ早計の樣ではあるが大抵君子で間違はない。梁上《りやうじやう》の君子|抔《など》と云つて泥棒さへ君子と云ふ世の中である。但し此場合に於ける君子は決して警察の厄介になる樣な君子ではない。警察の厄介にならない代りに、數でこなした者と見えて澤山居る。うぢや/\居る。落雲館《らくうんくわん》と稱する私立の中學校――八百の君子をいやが上に君子に養成する爲に毎月二圓の月謝を徴集する學校である。名前が落雲館だから風流な君子|許《ばか》りかと思ふと、それがそも/\の間違になる。其信用すべからざる事は群鶴館《ぐんかくくわん》に鶴の下りざる如く、臥龍窟《ぐわりようくつ》に猫が居る樣なものである。學士とかヘ師とか號するものに主人苦沙彌君の如き氣違のある事を知つた以上は落雲館の君子が風流漢|許《ばか》りでないと云ふ事がわかる譯だ。夫《それ》がわからんと主張するなら先づ三日|許《ばか》り主人のうちへ宿《とま》りに來て見るがいゝ。
前《ぜん》申す如く、こゝへ引き越しの當時は、例の空地《あきち》に垣がないので、落雲館の君子は車屋の黒の如く、のそ/\と桐畠に這入り込んできて、話をする、辨當を食ふ、笹の上に寐轉ぶ――色々の事をやつたものだ。それからは辨當の死骸即ち竹の皮、古新聞、或は古草履、古下駄、ふると云ふ名のつくものを大概こゝへ棄てた樣だ。無頓着なる主人は存外平氣に構へて、別段抗議も申し込まずに打ち過ぎたのは、知らなかつたのか、知つても咎《とが》めん積りであつたのか分らない。所が彼等諸君子は學校でヘ育を受くるに從つて、漸々《だん/\》君子らしくなつたものと見えて、次第に北側から南側の方面へ向けて蠶食《さんしよく》を企だてゝ來た。蠶食《さんしよく》と云ふ語が君子に不似合ならやめてもよろしい。但し外に言葉がないのである。彼等は水草《すゐさう》を追ふて居を變ずる沙漠の住民の如く、桐の木を去つて檜の方に進んで來た。檜のある所は座敷の正面である。餘程大膽なる君子でなければ此《これ》程《ほど》の行動は取れん筈である。一兩日の後《のち》彼等の大膽は更に一層の大を加へて大々膽《だい/\たん》となつた。ヘ育の結果程恐しいものはない。彼等は單に座敷の正面に逼るのみならず、此正面に於て歌をうたひだした。何と云ふ歌か忘れて仕舞つたが、決して三十一文字《みそひともじ》の類《たぐひ》ではない、もつと活?で、もつと俗耳《ぞくじ》に入り易い歌であつた。驚ろいたのは主人|許《ばか》りではない、吾輩迄も彼等君子の才藝に嘆服《たんぷく》して覺えず耳を傾けた位である。然し讀者も御案内であらうが、嘆服と云ふ事と邪魔と云ふ事は時として兩立する場合がある。此兩者が此際圖らずも合して一となつたのは、今から考へて見ても返す/”\殘念である。主人も殘念であつたらうが、已《やむ》を得ず書齋から飛び出して行つて、こゝは君等の這入る所ではない、出給へと云つて、二三度追ひ出した樣だ。所がヘ育のある君子の事だから、こんな事で大人《おとな》しく聞く譯がない。追ひ出されればすぐ這入る。這入れば活?なる歌をうたふ。高聲《かうせい》に談話をする。而も君子の談話だから一風《いつぷう》違つて、おめえ〔三字傍点〕だの知らねえ〔四字傍点〕のと云ふ。そんな言葉は御維新《ごゐつしん》前《まへ》は折助《をりすけ》と雲助《くもすけ》と三助《さんすけ》の專門的知識に屬して居たさうだが、二十世紀になつてからヘ育ある君子の學ぶ唯一の言語であるさうだ。一般から輕蔑せられたる運動が、かくの如く今日《こんにち》歡迎せらるゝ樣になつたのと同一の現象だと説明した人がある。主人は又書齋から飛び出して此君子流の言葉に尤も堪能《かんのう》なる一人を捉《つら》まへて、何故《なぜ》こゝへ這入るかと詰問したら、君子は忽ち「おめえ、知らねえ〔七字傍点〕」の上品な言葉を忘れて「こゝは學校の植物園かと思ひました」と頗る下品な言葉で答へた。主人は將來を戒めて放してやつた。放してやるのは龜の子の樣で可笑《をか》しいが、實際彼は君子の袖を捉《とら》へて談判したのである。此位やかましく云つたらもうよからうと主人は思つて居たさうだ。所が實際は女?氏《ぢよくわし》の時代から豫期と違ふもので、主人は又失敗した。今度は北側から邸内を横斷して表門から拔ける、表門をがらりとあけるから御客かと思ふと桐畠の方で笑ふ聲がする。形勢は益《ます/\》不穩である。ヘ育の功果は愈《いよ/\》顯著になつてくる。氣の毒な主人はこいつは手に合はんと、夫《それ》から書齋へ立て籠つて、恭《うや/\》しく一書を落雲館校長に奉つて、少々御取締をと哀願した。校長も鄭重なる返書を主人に送つて、垣をするから待つて呉れと云つた。しばらくすると二三人の職人が來て半日|許《ばか》りの間に主人の屋敷と、落雲館の境に、高さ三尺|許《ばか》りの四つ目垣が出來上がつた。是で漸々《やう/\》安心だと主人は喜こんだ。主人は愚物である。此位の事で君子の擧動の變化する譯がない。
全體人にからかふのは面白いものである。吾輩の樣な猫ですら、時々は當家の令孃にからかつて遊ぶ位だから、落雲館の君子が、氣の利かない苦沙彌先生にからかふのは至極尤もな所で、之に不平なのは恐らく、からかはれる當人|丈《だけ》であらう。からかふと云ふ心理を解剖して見ると二つの要素がある。第一からかはれる當人が平氣で濟まして居てはならん。第二からかふ者が勢力に於て人數に於て相手より強くなくてはいかん。此間主人が動物園から歸つて來てしきりに感心して話した事がある。聞いて見ると駱駝《らくだ》と小犬の喧嘩を見たのださうだ。小犬が駱駝《らくだ》の周圍を疾風の如く廻轉して吠え立てると、駱駝《らくだ》は何の氣もつかずに、依然として脊中《せなか》へ瘤《こぶ》をこしらへて突つ立つた儘であるさうだ。いくら吠えても狂つても相手にせんので、仕舞には犬も愛想《あいそ》をつかしてやめる、實に駱駝は無神經だと笑つて居たが、それが此場合の適例である。いくらからかふものが上手でも相手が駱駝と來ては成立しない。さればと云つて獅子や虎の樣に先方が強過ぎても者にならん。からかひかけるや否や八つ裂きにされて仕舞ふ。からかふと齒をむき出して怒《おこ》る、怒る事は怒るが、こつちをどうする事も出來ないと云ふ安心のある時に愉快は非常に多いものである。何故《なぜ》こんな事が面白いと云ふと其理由は色々ある。先づひまつぶしに適して居る。退屈な時には髯の數さへ勘定して見たくなる者だ。昔《むか》し獄に投ぜられた囚人の一人は無聊《ぶれう》のあまり、房《へや》の壁に三角形を重ねて畫《か》いて其の日をくらしたと云ふ話がある。世の中に退屈程我慢の出來にくいものはない、何か活氣を刺激する事件がないと生きて居るのがつらいものだ。からかふ〔四字傍点〕と云ふのもつまり此刺激を作つて遊ぶ一種の娯樂である。但し多少先方を怒らせるか、ぢらせるか、弱らせるかしなくては刺激にならんから、昔しからからかふ〔四字傍点〕と云ふ娯樂に耽《ふけ》るものは人の氣を知らない馬鹿大名の樣な退屈の多い者、若しくは自分のなぐさみ以外は考ふるに暇《いとま》なき程頭の發達が幼稚で、しかも活氣の使ひ道に窮する少年かに限つて居る。次には自己の優勢な事を實地に證明するものには尤も簡便な方法である。人を殺したり、人を傷《きずつ》けたり、又は人を陷《おとしい》れたりしても自己の優勢な事は證明出來る譯であるが、是等は寧ろ殺したり、傷《きずつ》けたり、陷《おとしい》れたりするのが目的のときによるべき手段で、自己の優勢なる事は此手段を遂行した後《のち》に必然の結果として起る現象に過ぎん。だから一方には自分の勢力が示したくつて、しかもそんなに人に害を與へたくないと云ふ場合には、からかふ〔四字傍点〕のが一番|御恰好《おかつかう》である。多少人を傷《きずつ》けなければ自己のえらい〔三字傍点〕事は事實の上に證據だてられない。事實になつて出て來ないと、頭のうちで安心して居ても存外快樂のうすいものである。人間は自己を恃《たの》むものである。否|恃《たの》み難い場合でも恃《たの》みたいものである。夫《それ》だから自己は是丈|恃《たの》める者だ、是なら安心だと云ふ事を、人に對して實地に應用して見ないと氣が濟まない。しかも理窟のわからない俗物や、あまり自己が恃《たの》みになりさうもなくて落ち付きのない者は、あらゆる機會を利用して、此證券を握らうとする。柔術使が時々人を投げて見たくなるのと同じ事である。柔術の怪しいものは、どうか自分より弱い奴に、只の一返でいゝから出逢つて見たい、素人でも構はないから抛《な》げて見たいと至極危險な了見を抱《いだ》いて町内をあるくのも是が爲である。其他にも理由は色々あるが、あまり長くなるから略する事に致す。聞きたければ鰹節《かつぶし》の一折《ひとをり》も持つて習ひにくるがいゝ、いつでもヘへてやる。以上に説く所を參考して推論して見ると、吾輩の考では奧山《おくやま》の猿《さる》と、學校のヘ師がからかふには一番手頃である。學校のヘ師を以て、奧山の猿に比較しては勿體《もつたい》ない。――猿に對して勿體ないのではない、ヘ師に對して勿體ないのである。然しよく似て居るから仕方がない、御承知の通り奧山の猿は鎖で繋がれて居る。いくら齒をむき出しても、きやつ/\騷いでも引き掻かれる氣遣はない。ヘ師は鎖で繋がれて居らない代りに月給で縛られて居る。いくらからかつたつて大丈夫、辭職して生徒をぶんなぐる事はない。辭職をする勇氣のある樣なものなら最初からヘ師|抔《など》をして生徒の御守《おも》りは勤めない筈である。主人はヘ師である。落雲館《らくうんくわん》のヘ師ではないが、矢張りヘ師に相違ない。からかふ〔四字傍点〕には至極適當で、至極|安直《あんちよく》で、至極無事な男である。落雲館の生徒は少年である。からかふ〔四字傍点〕事は自己の鼻を高くする所以《ゆゑん》で、ヘ育の功果として至當に要求して然るべき權利と迄心得て居る。のみならずからかひ〔四字傍点〕でもしなければ、活氣に充ちた五體と頭腦を、いかに使用して然るべきか十|分《ぶん》の休暇中|持《も》て餘《あ》まして困つて居る連中である。此《これ》等《ら》の條件が備はれば主人は自《おのづ》からからかはれ〔五字傍点〕、生徒は自《おのづ》からからかふ〔四字傍点〕、誰から云はしても毫も無理のない所である。それを怒《おこ》る主人は野暮《やぼ》の極、間拔の骨頂でせう。これから落雲館の生徒が如何《いか》に主人にからかつたか、是に對して主人が如何に野暮を極めたかを逐一かいてご覽に入れる。
諸君は四つ目垣とは如何なる者であるか御承知であらう。風通しのいゝ、簡便な垣である。吾輩|抔《など》は目の間から自由自在に往來する事が出來る。こしらへたつて、こしらへなくたつて同じ事だ。然し落雲館の校長は猫の爲めに四つ目垣を作つたのではない、自分が養成する君子が潜《くゞ》られん爲に、わざ/\職人を入れて結《ゆ》ひ繞《めぐ》らせたのである。成程いくら風通しがよく出來て居ても、人間には潜《くゞ》れさうにない。此竹を以て組み合せたる四寸角の穴をぬける事は、清國《しんこく》の奇術師|張世尊《ちやうせいそん》其人と雖《いへど》も六づかしい。だから人間に對しては充分垣の功能をつくして居るに相違ない。主人が其出來上つたのを見て、是ならよからうと喜んだのも無理はない。然し主人の論理には大《おほい》なる穴がある。此垣よりも大いなる穴がある。呑舟《どんしう》の魚をも洩らすべき大穴がある。彼は垣は踰《こ》ゆべきものにあらずとの假定から出立して居る。苟《いやしく》も學校の生徒たる以上は如何に粗末の垣でも、垣と云ふ名がついて、分界線の區域さへ判然すれば決して亂入される氣遣はないと假定したのである。次に彼は其假定を暫く打ち崩して、よし亂入する者があつても大丈夫と論斷したのである。四つ目垣の穴を潜《くゞ》り得る事は、如何なる小僧と雖《いへど》も到底出來る氣遣はないから亂入の虞《おそれ》は決してないと速定《そくてい》して仕舞つたのである。成程彼等が猫でない限りは此四角の目をぬけてくる事はしまい、したくても出來まいが、乘り踰《こ》える事、飛び越える事は何の事もない。却つて運動になつて面白い位である。
垣の出來た翌日から、垣の出來ぬ前と同樣に彼等は北側の空地へぽかり/\と飛び込む。但し座敷の正面迄は深入りをしない。若し追ひ懸けられたら逃げるのに、少々ひまが入《い》るから、豫《あらかじ》め逃げる時間を勘定に入れて、捕《とら》へらるゝ危險のない所で遊弋《いうよく》をして居る。彼等が何をして居るか東の離れに居る主人には無論目に入《い》らない。北側の空地《あきち》に彼等が遊弋《いうよく》して居る?態は、木戸をあけて反對の方角から鉤《かぎ》の手に曲つて見るか、又は後架《こうか》の窓から垣根越しに眺めるより外に仕方がない。窓から眺める時はどこに何が居るか、一目《いちもく》明瞭に見渡す事が出來るが、よしや敵を幾人《いくたり》見出したからと云つて捕《とら》へる譯には行かぬ。只窓の格子の中から叱りつける許《ばか》りである。もし木戸から迂回《うくわい》して敵地を突かうとすれば、足音を聞きつけて、ぽかり/\と捉《つら》まる前に向ふ側へ下りて仕舞ふ。膃肭臍《おつとせい》がひなたぼつこをして居る所へ密猟船が向つた樣な者だ。主人は無論後架で張り番をして居る譯ではない。と云つて木戸を開いて、音がしたら直ぐ飛び出す用意もない。もしそんな事をやる日にはヘ師を辭職して、其方專門にならなければ追つ付かない。主人方の不利を云ふと書齋からは敵の聲|丈《だけ》聞えて姿が見えないのと、窓からは姿が見える丈《だけ》で手が出せない事である。此不利を看破したる敵はこんな軍略を講じた。主人が書齋に立て籠つて居ると探偵した時には、可成《なるべく》大きな聲を出してわあ/\云ふ。其中には主人をひやかす樣な事を聞こえよがしに述べる。而も其聲の出所を極めて不分明にする。一寸聞くと垣の内で騷いで居るのか、或は向ふ側であばれて居るのか判定しにくい樣にする。もし主人が出懸けて來たら、逃げ出すか、又は始めから向ふ側にいて知らん顔をする。又主人が後架へ――吾輩は最前からしきりに後架々々ときたない字を使用するのを別段の光榮とも思つて居らん、實は迷惑千萬であるが、此戰爭を記述する上に於て必要であるから已《やむ》を得ない。――即ち主人が後架へまかり越したと見て取るときは、必ず桐の木の附近を徘徊《はいくわい》してわざと主人の眼につく樣にする。主人がもし後架から四隣《しりん》に響く大音を揚げて怒鳴りつければ敵は周章《あわ》てる氣色《けしき》もなく悠然と根據地へ引きあげる。此軍略を用ゐられると主人は甚だ困却する。慥《たし》かに這入つて居るなと思つてステツキを持つて出懸けると寂然《せきぜん》として誰も居ない。居ないかと思つて窓からのぞくと必ず一二人這入つて居る。主人は裏へ廻つて見たり、後架から覗いて見たり、後架から覗いて見たり、裏へ廻つて見たり、何度言つても同じ事だが、何度云つても同じ事を繰り返して居る。奔命《ほんめい》に疲れるとは此事である。ヘ師が職業であるか、戰爭が本務であるか一寸分らない位|逆上《ぎやくじやう》して來た。此逆上の頂點に達した時に下《しも》の事件が起つたのである。
事件は大概|逆上《ぎやくじやう》から出る者だ。逆上とは讀んで字の如く逆《さ》かさに上《のぼ》るのである、此點に關してはゲーレンもパラセルサスも舊弊なる扁鵲《へんじやく》も異議を唱ふる者は一人もない。只どこへ逆《さ》かさに上《のぼ》るかゞ問題である。又何が逆《さ》かさに上《のぼ》るかが議論のある所である。古來歐洲人の傳説によると、吾人の體内には四種の液が循環して居つたさうだ。第一に怒液《どえき》と云ふ奴がある。是が逆《さ》かさに上《のぼ》ると怒《おこ》り出す。第二に鈍液《どんえき》と名づくるのがある。是が逆《さ》かさに上《のぼ》ると神經が鈍《にぶ》くなる。次には憂液《いうえき》、是は人間を陰氣にする。最後が血液《けつえき》、是は四肢を壯《さか》んにする。其《その》後《ご》人文が進むに從つて鈍液、怒液、憂液はいつの間《ま》にかなくなつて、現今に至つては血液|丈《だけ》が昔の樣に循環して居ると云ふ話しだ。だから若し逆上する者があらば血液より外にはあるまいと思はれる。然るに此血液の分量は個人によつてちやんと極まつて居る。性分によつて多少の搆クはあるが、先づ大抵一人前に付五升五合の割合である。だによつて、此五升五合が逆《さ》かさに上《のぼ》ると、上《のぼ》つた所|丈《だけ》は熾《さか》んに活動するが、其他の局部は缺乏を感じて冷たくなる。丁度交番燒打の當時巡査が悉《こと/”\》く警察署へ集つて、町内には一人もなくなつた樣なものだ。あれも醫學上から診斷をすると警察の逆上と云ふ者である。で此逆上を癒やすには血液を從前の如く體内の各部へ平均に分配しなければならん。さうするには逆《さ》かさに上《のぼ》つた奴を下へ降《おろ》さなくてはならん。其方には色々ある。今は故人となられたが主人の先君|抔《など》は濡れ手拭を頭にあてゝ炬燵にあたつて居られたさうだ。頭寒足熱《づかんそくねつ》は延命息災の徴と傷寒論《しやうかんろん》にも出て居る通り、濡れ手拭は長壽法に於て一日も缺く可からざる者である。夫《それ》でなければ坊主の慣用する手段を試みるがよい。一所不住《いつしよふぢゆう》の沙門《しやもん》雲水行脚《うんすゐあんぎや》の衲僧《なふそう》は必ず樹下石上を宿《やど》とすとある。樹下石上とは難行苦行の爲めではない。全くのぼせ〔三字傍点〕を下《さ》げる爲に六祖《ろくそ》が米を舂《つ》きながら考へ出した秘法である。試みに石の上に坐つてご覽、尻が冷えるのは當り前だらう。尻が冷える、のぼせが下がる、是亦自然の順序にして毫も疑を挾《さしはさ》むべき餘地はない。斯樣《かやう》に色々な方法を用ゐてのぼせ〔三字傍点〕を下げる工夫は大分《だいぶ》發明されたが、未《ま》だのぼせ〔三字傍点〕を引き起す良方が案出されないのは殘念である。一概に考へるとのぼせは損あつて益なき現象であるが、さう許《ばか》り速斷してならん場合がある。職業によると逆上は餘程大切な者で、逆上せんと何にも出來ない事がある。其|中《うち》で尤も逆上を重んずるのは詩人である。詩人に逆上が必要なる事は汽船に石炭が缺く可からざる樣な者で、此供給が一日でも途切れると彼れ等は手を拱《こまぬ》いて飯を食ふより外に何等の能もない凡人になつて仕舞ふ。尤も逆上は氣違の異名《いみやう》で、氣違にならないと家業が立ち行かんとあつては世間體《せけんてい》が惡いから、彼等の仲間では逆上を呼ぶに逆上の名を以てしない。申し合せてインスピレーシヨン、インスピレーシヨンと左《さ》も勿體《もつたい》さうに稱《とな》へて居る。是は彼等が世間を瞞着《まんちやく》する爲めに製造した名で其實は正に逆上である。プレートーは彼等の肩を持つて此種の逆上を神聖なる狂氣と號したが、いくら神聖でも狂氣では人が相手にしない。矢張りインスピレーシヨンと云ふ新發明の賣藥の樣な名を付けて置く方が彼等の爲めによからうと思ふ。然し蒲鉾の種が山芋である如く、觀音の像が一寸八分の朽木《くちき》である如く、鴨南蠻《かもなんばん》の材料が烏である如く、下宿屋の牛鍋が馬肉である如くインスピレーシヨンも實は逆上である。逆上であつて見れば臨時の氣違である。巣鴨へ入院せずに濟むのは單に臨時〔二字傍点〕氣違であるからだ。所が此臨時の氣違を製造する事が困難なのである。一生涯の狂人は却つて出來安いが、筆を執つて紙に向ふ間《あひだ》丈《だけ》氣違にするのは、如何に巧者《かうしや》な神樣でも餘程骨が折れると見えて、中々拵へて見せない。神が作つてくれん以上は自力で拵へなければならん。そこで昔から今日《こんにち》迄《まで》逆上術も又逆上とりのけ術と同じく大《おほい》に學者の頭腦を惱ました。ある人はインスピレーシヨンを得る爲めに毎日澁柿を十二個づゝ食つた。是は澁柿を食へば便秘する、便秘すれば逆上は必ず起るといふ理論から來たものだ。又ある人はかんコ利を持つて鐵砲風呂《てつぱうぶろ》へ飛び込んだ。湯の中で酒を飲んだら逆上するに極つて居ると考へたのである。其人の説によると之で成功しなければ葡萄酒の湯をわかして這入れば一返で功能があると信じ切つて居る。然し金がないのでついに實行する事が出來なくて死んで仕舞つたのは氣の毒である。最後に古人の眞似をしたらインスピレーシヨンが起るだらうと思ひ付いた者がある。是はある人の態度動作を眞似ると心的?態も其人に似てくると云ふ學説を應用したのである。醉つぱらひの樣に管《くだ》を捲《ま》いて居ると、いつの間《ま》にか酒飲みの樣な心持になる、坐禪をして線香一本の間我慢して居るとどことなく坊主らしい氣分になれる。だから昔からインスピレーシヨンを受けた有名の大家の所作《しよさ》を眞似れば必ず逆上するに相違ない。聞く所によればユーゴーは快走船《ヨツト》の上へ寐轉んで文章の趣向を考へたさうだから、船へ乘つて青空を見つめて居れば必ず逆上|受合《うけあひ》である。スチーヴンソンは腹這に寐て小説を書いたさうだから、打《う》つ伏《ぶ》しになつて筆を持てば屹度血が逆《さ》かさに上《のぼ》つてくる。斯樣《かやう》に色々な人が色々の事を考へ出したが、まだ誰も成功しない。先づ今日《こんにち》の所では人爲的逆上は不可能の事となつて居る。殘念だが致し方がない。早晩隨意にインスピレーシヨンを起し得る時機の到來するは疑もない事で、吾輩は人文の爲に此時機の一日も早く來らん事を切望するのである。
逆上の説明は此位で充分だらうと思ふから、是より愈《いよ/\》事件に取りかゝる。然し凡《すべ》ての大事件の前には必ず小事件が起るものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古來から歴史家の常に陷《おちい》る弊竇《へいとう》である。主人の逆上も小事件に逢ふ度に一層の劇甚を加へて、遂に大事件を引き起したのであるからして、幾分か其發達を順序立てゝ述べないと主人が如何に逆上して居るか分りにくい。分りにくいと主人の逆上は空名に歸して、世間からはよもや夫《そ》れ程でもなからうと見くびられるかも知れない。切角逆上しても人から天晴《あつぱれ》な逆上と謠《うた》はれなくては張り合がないだらう。是から述べる事件は大小に係らず主人に取つて名譽な者ではない。事件其物が不名譽であるならば、責《せ》めて逆上なりとも、正銘の逆上であつて、決して人に劣るものでないと云ふ事を明かにして置きたい。主人は他に對して別に是と云つて誇るに足る性質を有して居らん。逆上でも自慢しなくてはほかに骨を折つて書き立てゝやる種がない。
落雲館に群がる敵軍は近日に至つて一種のダムダム彈を發明して、十|分《ぷん》の休暇、若しくは放課後に至つて熾《さかん》に北側の空地《あきち》に向つて砲火を浴びせかける。此ダムダム彈は通稱をボールと稱《とな》へて、擂粉木《すりこぎ》の大きな奴を以て任意是を敵中に發射する仕掛である。いくらダムダムだつて落雲館の運動場から發射するのだから、書齋に立て籠つてる主人に中《あた》る氣遣《きづかひ》はない。敵と雖《いへども》彈道の餘り遠過ぎるのを自覺せん事はないのだけれど、そこが軍略である。旅順の戰爭にも海軍から間接射撃を行つて偉大な功を奏したと云ふ話であれば、空地《あきち》へころがり落つるボールと雖ども相當の功果を収め得ぬ事はない。況や一發を送る度に總軍力を合せてわーと威嚇性《ゐかくせい》大音聲《だいおんじやう》を出《いだ》すに於てをやである。主人は恐縮の結果として手足に通ふ血管が収縮せざるを得ない。煩悶の極そこいらを迷付《まごつ》いて居る血が逆《さか》さに上《のぼ》る筈である。敵の計《はかりごと》は中々巧妙と云ふてよろしい。昔《むか》し希臘《ギリシヤ》にイスキラスと云ふ作家があつたさうだ。此男は學者作家に共通なる頭を有して居たと云ふ。吾輩の所謂學者作家に共通なる頭とは禿《はげ》と云ふ意味である。何故《なぜ》頭が禿げるかと云へば頭の營養不足で毛が生長する程活氣がないからに相違ない。學者作家は尤も多く頭を使ふものであつて大概は貧乏に極つて居る。だから學者作家の頭はみんな營養不足でみんな禿げて居る。偖《さて》イスキラスも作家であるから自然の勢《いきほひ》禿げなくてはならん。彼はつる/\然たる金柑頭《きんかんあたま》を有して居つた。所がある日の事、先生例の頭――頭に外行《よそゆき》も普段着《ふだんぎ》もないから例の頭に極つてるが――其例の頭を振り立て/\、太陽に照らしつけて往來をあるいて居た。これが間違ひのもとである。禿げ頭を日にあてゝ遠方から見ると、大變よく光るものだ。高い木には風があたる、光《ひ》かる頭にも何かあたらなくてはならん。此時イスキラスの頭の上に一羽の鷲が舞つて居たが、見るとどこかで生捕《いけど》つた一疋の龜を爪の先に攫《つか》んだ儘である。龜、スツポン抔《など》は美味に相違ないが、希臘《ギリシヤ》時代から堅い甲羅《かふら》をつけて居る。いくら美味でも甲羅《かふら》つきではどうする事も出來ん。海老《えび》の鬼殼燒《おにがらやき》はあるが龜の子の甲羅※[者/火]《かふらに》は今でさへない位だから、當時は無論なかつたに極つて居る。さすがの鷲も少々持て餘した折柄、遙かの下界にぴかと光つた者がある。その時鷲はしめたと思つた。あの光つたものゝ上へ龜の子を落したなら、甲羅は正《まさ》しく碎けるに極《き》はまつた。碎けたあとから舞ひ下りて中味《なかみ》を頂戴すれば譯はない。さうだ/\と覗《ねらひ》を定めて、かの龜の子を高い所から挨拶も無く頭の上へ落した。生憎《あいにく》作家の頭の方が龜の甲より軟らかであつたものだから、禿はめちや/\に碎けて有名なるイスキラスはこゝに無慘の最後を遂げた。それはさうと、解《げ》しかねるのは鷲の了見である。例の頭を、作家の頭と知つて落したのか、又は禿岩と間違へて落したものか、解決し樣《やう》次第で、落雲館の敵と此鷲とを比較する事も出來るし、又出來なくもなる。主人の頭はイスキラスのそれの如く、又|御歴々《おれき/\》の學者の如くぴか/\光つては居らん。然し六疊敷にせよ苟《いやしく》も書齋と號する一室を控へて、居眠りをしながらも、六づかしい書物の上へ顔を翳《かざ》す以上は、學者作家の同類と見傚《みな》さなければならん。さうすると主人の頭の禿げて居らんのは、まだ禿げるべき資格がないからで、其内に禿げるだらうとは近々《きん/\》此頭の上に落ちかゝるべき運命であらう。して見れば落雲館の生徒が此頭を目懸けて例のダムダム丸《ぐわん》を集注するのは策の尤も時宜に適したものと云はねばならん。もし敵が此行動を二週間繼續するならば、主人の頭は畏怖と煩悶の爲め必ず營養の不足を訴へて、金柑《きんかん》とも藥罐《やくわん》とも銅壺とも變化するだらう。猶二週間の砲撃を食《くら》へば金柑は潰れるに相違ない。藥罐は洩るに相違ない。銅壺ならひゞが入るにきまつて居る。此|睹易《みやす》き結果を豫想せんで、飽く迄も敵と戰闘を繼續しやうと苦心するのは、只本人たる苦沙彌先生のみである。
ある日の午後、吾輩は例の如く椽側へ出て午睡《ひるね》をして虎になつた夢を見て居た。主人に鷄肉《けいにく》を持つて來いと云ふと、主人がへえと恐る/\鷄肉を持つて出る。迷亭《めいてい》が來たから、迷亭に雁《がん》が食ひたい、雁鍋《がんなべ》へ行つて誂らへて來いと云ふと、蕪《かぶ》の香《かう》の物《もの》と、塩煎餠と一所に召し上がりますと雁の味が致しますと例の如く茶羅《ちやら》ツ鉾《ぽこ》を云ふから、大きな口をあいて、うーと唸つて嚇《おどか》してやつたら、迷亭は蒼くなつて山下《やました》の雁鍋は廢業致しましたが如何《いかゞ》取り計ひませうかと云つた。夫《それ》なら牛肉で勘辨するから早く西川へ行つてロースを一斤取つて來い、早くせんと貴樣から食ひ殺すぞと云つたら、迷亭は尻を端折《はしよ》つて馳け出した。吾輩は急にからだが大きくなつたので、椽側一杯に寐そべつて、迷亭の歸るのを待ち受けて居ると、忽ち家中《うちぢゆう》に響く大きな聲がして切角の牛《ぎう》も食はぬ間《ま》に夢がさめて吾に歸つた。すると今迄恐る/\吾輩の前に平伏して居たと思ひの外の主人が、いきなり後架から飛び出して來て、吾輩の横腹をいやと云ふ程|蹴《け》たから、おやと思ふうち、忽ち庭下駄をつつかけて木戸から廻つて、落雲館の方へかけて行く。吾輩は虎から急に猫と収縮したのだから何となく極りが惡くもあり、可笑《をか》しくもあつたが、主人の此權幕と横腹を蹴られた痛さとで、虎の事はすぐ忘れて仕舞つた。同時に主人が愈《いよ/\》出馬して敵と交戰するな面白いわいと、痛いのを我慢して、後《あと》を慕つて裏口へ出た。同時に主人がぬすつとう〔五字傍点〕と怒鳴る聲が聞える、見ると制帽をつけた十八九になる倔強《くつきやう》な奴が一人、四ツ目垣を向ふへ乘り越えつゝある。やあ遲かつたと思ふうち、彼《か》の制帽は馳け足の姿勢をとつて根據地の方へ韋駄天《ゐだてん》の如く逃げて行く。主人はぬすつとう〔五字傍点〕が大《おほい》に成功したので、又もぬすつとう〔五字傍点〕と高く叫びながら追ひかけて行く。然しかの敵に追ひ付く爲めには主人の方で垣を越さなければならん。深入りをすれば主人|自《みづか》らが泥棒になる筈である。前《ぜん》申す通り主人は立派なる逆上家である。かう勢に乘じてぬすつとう〔五字傍点〕を追ひ懸ける以上は、夫子《ふうし》自身がぬすつとう〔五字傍点〕に成つても追ひ懸ける積りと見えて、引き返す氣色《けしき》もなく垣の根元迄進んだ。今一歩で彼はぬすつとう〔五字傍点〕の領分に入《はい》らなければならんと云ふ間際に、敵軍の中から、薄い髯を勢なく生やした將官がのこ/\と出馬して來た。兩人《ふたり》は垣を境に何か談判して居る。聞いて見るとこんな詰らない議論である。
「あれは本校の生徒です」
「生徒たるべきものが、何で他《ひと》の邸内へ侵入するのですか」
「いやボールがつい飛んだものですから」
「なぜ斷つて、取りに來ないのですか」
「是から善く注意します」
「そんなら、よろしい」
龍騰虎闘《りゆうとうことう》の壯觀があるだらうと豫期した交渉はかくの如く散文的なる談判を以て無事に迅速に結了した。主人の壯んなるは只意氣込み丈《だけ》である。いざとなると、いつでも是で御仕舞だ。恰も吾輩が虎の夢から急に猫に返つた樣な觀がある。吾輩の小事件と云ふのは即ち是である。小事件を記述したあとには、順序として是非大事件を話さなければならん。
主人は座敷の障子を開いて腹這になつて、何か思案して居る。恐らく敵に對して防禦策を講じて居るのだらう。落雲館は授業中と見えて、運動場は存外靜かである。只校舍の一室で、倫理の講義をして居るのが手に取る樣に聞える。朗々たる音聲で中々うまく述べ立てゝ居るのを聽くと、全く昨日《きのふ》敵中から出馬して談判の衝に當つた將軍である。
「……で公コと云ふものは大切な事で、あちらへ行つて見ると、佛蘭西《フランス》でも獨逸《ドイツ》でも英吉利《イギリス》でも、どこへ行つても、此公コの行はれて居らん國はない。又どんな下等な者でも此公コを重んぜぬ者はない。悲しいかな、我が日本に在つては、未《ま》だ此點に於て外國と拮抗《きつかう》する事が出來んのである。で公コと申すと何か新しく外國から輸入して來た樣に考へる諸君もあるかも知れんが、さう思ふのは大《だい》なる誤りで、昔人《せきじん》も夫子《ふうし》の道《みち》一《いつ》以《もつ》て之《これ》を貫《つらぬ》く、忠恕《ちゆうじよ》のみ矣《い》と云はれた事がある。此|恕《じよ》と申すのが取りも直さず公コの出所《しゆつしよ》である。私《わたし》も人間であるから時には大きな聲をして歌|抔《など》うたつて見たくなる事がある。然し私《わたし》が勉強して居る時に隣室のものなどが放歌するのを聽くと、どうしても書物の讀めぬのが私《わたし》の性分である。であるからして自分が唐詩選《たうしせん》でも高聲《かうせい》に吟じたら氣分が晴々《せい/\》してよからうと思ふ時ですら、もし自分の樣に迷惑がる人が隣家に住んで居つて、知らず/\其人の邪魔をする樣な事があつては濟まんと思ふて、さう云ふ時はいつでも控えるのである。かう云ふ譯だから諸君も可成《なるべく》公コを守つて、苟《いやしく》も人の妨害になると思ふ事は決してやつてはならんのである。……」
主人は耳を傾けて、此講話を謹聽して居たが、茲《こゝ》に至つてにやりと笑つた。一寸此にやり〔三字傍点〕の意味を説明する必要がある。皮肉家が此《これ》をよんだら此にやり〔三字傍点〕の裏《うち》には冷評的分子が交つて居ると思ふだらう。然し主人は決して、そんな人の惡い男ではない。惡いと云ふよりそんなに智慧の發達した男ではない。主人は何故《なぜ》笑つたかと云ふと全く嬉しくつて笑つたのである。倫理のヘ師たる者が斯樣に痛切なる訓戒を與へるからは此《この》後《のち》は永久ダムダム彈の亂射を免かれるに相違ない。當分のうち頭も禿げずに濟む、逆上は一時に直らんでも時機さへくれば漸次回復するだらう、濡れ手拭を頂いて、炬燵にあたらなくとも、樹下石上を宿《やど》としなくとも大丈夫だらうと鑑定したから、にや/\と笑つたのである。借金は必ず返す者と二十世紀の今日《こんにち》にも矢張り正直に考へる程の主人が此講話を眞面目に聞くのは當然であらう。
やがて時間が來たと見えて、講話はぱたりと已《や》んだ。他のヘ室の課業も皆一度に終つた。すると今迄室内に密封された八百の同勢は鬨《とき》の聲をあげて、建物を飛び出した。其勢と云ふものは、一尺程な蜂の巣を敲《たゝ》き落した如くである。ぶん/\、わん/\云ふて窓から、戸口から、開きから、苟《いやしく》も穴の開《あ》いて居る所なら何の容赦もなく我勝ちに飛び出した。是が大事件の發端である。
先づ蜂の陣立てから説明する。こんな戰爭に陣立ても何もあるものかと云ふのは間違つて居る。普通の人は戰爭とさへ云へば沙河《しやか》とか奉天《ほうてん》とか又|旅順《りよじゆん》とか其外に戰爭はないものゝ如くに考へて居る。少し詩がゝつた野蠻人になると、アキリスがヘクトーの死骸を引きずつて、トロイの城壁を三匝《さんさふ》したとか、燕《えん》ぴと張飛が長坂橋《ちやうはんけう》に丈八《ぢやうはち》の蛇矛《だぼう》を横《よこた》へて、曹操《さうさう》の軍百萬人を睨め返したとか大袈裟な事|許《ばか》り連想する。連想は當人の隨意だが其《それ》以外の戰爭はないものと心得るのは不都合だ。太古蒙昧《たいこもうまい》の時代に在つてこそ、そんな馬鹿氣た戰爭も行はれたかも知れん、然し太平の今日《こんにち》、大日本國帝都の中心に於て斯《かく》の如き野蠻的行動はあり得べからざる奇蹟に屬して居る。如何に騷動が持ち上がつても交番の燒打以上に出る氣遣はない。して見ると臥龍窟主人の苦沙彌先生と落雲館|裏《り》八百の健兒との戰爭は、まづ東京市あつて以來の大戰爭の一として數へても然るべきものだ。左氏《さし》が陵《えんりよう》の戰《たゝかひ》を記するに當つても先づ敵の陣勢から述べて居る。古來から叙述に巧みなるものは皆此筆法を用ゐるのが通則になつて居る。だによつて吾輩が蜂の陣立てを話すのも仔細なからう。それで先づ蜂の陣立て如何《いかん》と見てあると、四つ目垣の外側に縱列を形《かた》ちづくつた一隊がある。是は主人を戰闘線内に誘致する職務を帶びた者と見える。「降參しねえか」「しねえ/\」「駄目だ/\」「出てこねえ」「落ちねえかな」「落ちねえ筈はねえ」「吠えて見ろ」「わん/\」「わん/\」「わん/\わん/\」是から先は縱隊總がゝりとなつて吶喊《とつかん》の聲を揚げる。縱隊を少し右へ離れて運動場の方面には砲隊が形勝の地を占めて陣地を布いて居る。臥龍窟《ぐわりようくつ》に面して一人の將官が擂粉木《すりこぎ》の大きな奴を持つて控へる。之と相對して五六間の間隔をとつて又一人立つ、擂粉木《すりこぎ》のあとに又一人、是れは臥龍窟《ぐわりようくつ》に顔をむけて突つ立つて居る。かくの如く一直線にならんで向ひ合つて居るのが砲手である。ある人の説によると是はベースボールの練習であつて、決して戰闘準備ではないさうだ。吾輩はベースボールの何物たるを解せぬ文盲漢《もんまうかん》である。然し聞く所によれば是は米國から輸入された遊戯で、今日《こんにち》中學程度以上の學校に行はるゝ運動のうちで尤も流行するものださうだ。米國は突飛《とつぴ》な事|許《ばか》り考へ出す國柄であるから、砲隊と間違へてもしかるべき、近所迷惑の遊戯を日本人にヘふべく丈《だけ》其《それ》丈《だけ》親切であつたかも知れない。又米國人は之を以て眞に一種の運動遊戯と心得て居るのだらう。然し純粹の遊戯でも斯樣に四隣を驚かすに足る能力を有して居る以上は使ひ樣で砲撃の用には充分立つ。吾輩の眼を以て觀察した所では、彼等は此運動術を利用して砲火の功を収めんと企てつゝあるとしか思はれない。物は云ひ樣でどうでもなるものだ。慈善の名を借りて詐僞を働らき、インスピレーシヨンと號して逆上をうれしがる者がある以上はベースボールなる遊戯の下《もと》に戰爭をなさんとも限らない。或る人の説明は世間一般のベースボールの事であらう。今吾輩が記述するベースボールは此特別の場合に限らるゝベースボール即ち攻城的砲術である。是からダムダム彈を發射する方法を紹介する。直線に布《し》かれたる砲列の中《なか》の一人が、ダムダム彈を右の手に握つて擂粉木《すりこぎ》の所有者に抛《はふ》りつける。ダムダム彈は何で製造したか局外者には分らない。堅い丸い石の團子の樣なものを御鄭寧に皮でくるんで縫ひ合せたものである。前《ぜん》申す通り此彈丸が砲手の一人の手中を離れて、風を切つて飛んで行くと、向ふに立つた一人が例の擂粉木《すりこぎ》をやつと振り上げて、之を敲《たゝ》き返す。たまには敲き損なつた彈丸が流れて仕舞ふ事もあるが、大概はポカンと大きな音を立てゝ彈《は》ね返る。其勢は非常に猛烈なものである。神經性胃弱なる主人の頭を潰す位は容易に出來る。砲手は是《これ》丈《だけ》で事足るのだが、其周圍附近には彌次馬兼援兵が雲霞の如く付き添ふて居る。ポカーンと擂粉木が團子に中《あた》るや否やわー、ぱち/\/\と、わめく、手を拍《う》つ、やれ/\と云ふ。中《あた》つたらうと云ふ。是でも利かねえかと云ふ。恐れ入らねえかと云ふ。降參かと云ふ。是《これ》丈《だけ》ならまだしもであるが、敲き返された彈丸は三度に一度必ず臥龍窟邸内へころがり込む。是がころがり込まなければ攻撃の目的は達せられんのである。ダムダム彈は近來諸所で製造するが隨分高價なものであるから、いかに戰爭でもさう充分な供給を仰ぐ譯に行かん。大抵一隊の砲手に一つ若《もし》くは二つの割である。ポンと鳴る度に此貴重な彈丸を消費する譯には行かん。そこで彼等はたま拾《ひろひ》と稱する一部隊を設けて落彈を拾つてくる。落ち場所がよければ拾ふのに骨も折れないが、草原とか人の邸内へ飛び込むとさう容易《たやす》くは戻つて來ない。だから平生なら成る可く勞力を避ける爲め、拾ひ易い所へ打ち落す筈であるが、此際は反對に出る。目的が遊戯にあるのではない、戰爭に存するのだから、わざとダムダム彈を主人の邸内に降らせる。邸内に降らせる以上は、邸内へ這入つて拾はなければならん。邸内に這入る尤も簡便な方法は四つ目垣を越えるにある。四つ目垣のうちで騷動すれば主人が怒《おこ》り出さなければならん。然らずんば兜《かぶと》を脱いで降參しなければならん。苦心の餘《あまり》頭がだん/\禿げて來なければならん。
今しも敵軍から打ち出した一彈は、照準《せうじゆん》誤《あやま》たず、四つ目垣を通り越して桐の下葉を振ひ落して、第二の城壁即ち竹垣に命中した。隨分大きな音である。ニユートンの運動律第一に曰くもし他の力を加ふるにあらざれば、一度び動き出したる物體は均一の速度を以て直線に動くものとす。もし此律のみによつて物體の運動が支配せらるゝならば主人の頭は此時にイスキラスと運命を同じくしたであらう。幸にしてニユートンは第一則を定むると同時に第二則も製造して呉れたので主人の頭は危うきうちに一命を取りとめた。運動の第二則に曰く運動の變化は、加へられたる力に比例す、而して其力の働く直線の方向に於て起るものとす。是は何の事だか少しくわかり兼ねるが、かのダムダム彈が竹垣を突き通して、障子を裂き破つて主人の頭を破壞しなかつた所を以て見ると、ニユートンの御蔭に相違ない。しばらくすると案の如く敵は邸内に乘り込んで來たものと覺しく、「こゝか」「もつと左の方か」抔《など》と棒でもつて笹の葉を敲《たゝ》き廻はる音がする。凡《すべ》て敵が主人の邸内へ乘り込んでダムダム彈を拾ふ場合には必ず特別な大きな聲を出す。こつそり這入つて、こつそり拾つては肝心の目的が達せられん。ダムダム彈は貴重かも知れないが、主人にからかふのはダムダム彈以上に大事である。此時の如きは遠くから彈の所在地は判然して居る。竹垣に中《あた》つた音も知つて居る。中《あた》つた場所も分つて居る、而して其落ちた地面も心得て居る。だから大人《おとな》しくして拾へば、いくらでも大人《おとな》しく拾へる。ライプニツツの定義によると空間は出來得べき同在現象の秩序である。いろはにほへと〔七字傍点〕はいつでも同じ順にあらはれてくる。柳の下には必ず鰌《どぢやう》が居る。蝙蝠《かうもり》に夕月はつきものである。垣根にボールは不似合かも知れぬ。然し毎日毎日ボールを人の邸内に抛《はふ》り込む者の眼に映ずる空間は慥《たし》かに此排列に慣れて居る。一眼《ひとめ》見ればすぐ分る譯だ。それを斯《かく》の如く騷ぎ立てるのは必竟ずるに主人に戰爭を挑《いど》む策略である。
かうなつては如何に消極的なる主人と雖も應戰しなければならん。さつき座敷のうちから倫理の講義をきいてにや/\して居た主人は奮然として立ち上がつた。猛然として馳け出した。驀然《ばくぜん》として敵の一人を生捕《いけど》つた。主人にしては大出來である。大出來には相違ないが、見ると十四五の小供である。髯の生えて居る主人の敵として少し不似合だ。けれども主人はこれで澤山だと思つたのだらう。詫び入るのを無理に引つ張つて椽側の前迄連れて來た。こゝに一寸敵の策略に就て一言《いちげん》する必要がある、敵は主人が昨日《きのふ》の權幕を見て此樣子では今日も必ず自身で出馬するに相違ないと察した。其時萬一逃げ損じて大僧《おほぞう》がつらまつては事面倒になる。こゝは一年生か二年生位な小供を玉拾ひにやつて危險を避けるに越した事はない。よし主人が小供をつらまへて愚圖々々理窟を捏《こ》ね廻したつて、落雲館の名譽には關係しない、こんなものを大人氣《おとなげ》もなく相手にする主人の耻辱になる許《ばか》りだ。敵の考はかうであつた。是が普通の人間の考で至極尤もな所である。但《たゞ》敵は相手が普通の人間でないと云ふ事を勘定のうちに入れるのを忘れた許《ばか》りである。主人に此《これ》位《くらゐ》の常識があれば昨日《きのふ》だつて飛び出しはしない。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣るし上げて、常識のあるものに、非常識を與へる者である。女だの、小供だの、車引きだの、馬子だのと、そんな見境ひのあるうちは、未《ま》だ逆上を以て人に誇るに足らん。主人の如く相手にならぬ中學一年生を生捕《いけど》つて戰爭の人質とする程の了見でなくては逆上家の仲間入りは出來ないのである。可哀《かはい》さうなのは捕虜である。單に上級生の命令によつて玉拾ひなる雜兵《ざふひやう》の役を勤めたる所、運わるく非常識の敵將、逆上の天才に追ひ詰められて、垣越える間《ま》もあらばこそ、庭前に引き据ゑられた。かうなると敵軍は安閑と味方の耻辱を見て居る譯に行かない。我も我もと四つ目垣を乘りこして木戸口から庭中に亂れ入る。其數は約一ダース許《ばか》り、ずらりと主人の前に並んだ。大抵は上衣《うはぎ》もちよつ着《き》もつけて居らん。白シヤツの腕をまくつて、腕組をしたのがある。綿《めん》ネルの洗ひざらしを申し譯に背中|丈《だけ》へ乘せて居るのがある。さうかと思ふと白の帆木綿《ほもめん》に黒い縁《ふち》をとつて胸の眞中に花文字を、同じ色に縫ひつけた洒落者《しやれもの》もある。いづれも一騎當千の猛將と見えて、丹波《たんば》の國は笹山《さゝやま》から昨夜《ゆうべ》着し立てゞ御座ると云はぬ許《ばか》りに、黒く逞しく筋肉が發達して居る。中學|抔《など》へ入れて學問をさせるのは惜しいものだ。漁師《れふし》か船頭にしたら定めし國家の爲めになるだらうと思はれる位である。彼等は申し合せた如く、素足に股引《もゝひき》を高くまくつて、近火の手傳にでも行きさうな風體《ふうてい》に見える。彼等は主人の前にならんだぎり黙然として一言《いちごん》も發しない。主人も口を開《ひら》かない。少時《しば》らくの間双方共|睨《にら》めくらをして居るなかに一寸殺氣がある。
「貴樣等はぬすつとう〔五字傍点〕か」と主人は尋問した。大氣?である。奧齒で?み潰した癇癪玉が炎となつて鼻の穴から拔けるので、小鼻が、いちぢるしく怒《いか》つて見える。越後獅子の鼻は人間が怒《おこ》つた時の恰好《かつかう》を形《かた》どつて作つたものであらう。それでなくてはあんなに恐しく出來るものではない。
「いえ泥棒ではありません。落雲館の生徒です」
「うそをつけ。落雲館の生徒が無斷で人の庭宅に侵入する奴があるか」
「然し此通りちやんと學校の徽章のついて居る帽子を被つて居ます」
「にせものだらう。落雲館の生徒なら何故《なぜ》むやみに侵入した」
「ボールが飛び込んだものですから」
「なぜボールを飛び込ました」
「つい飛び込んだんです」
「怪《け》しからん奴だ」
「以後注意しますから、今度|丈《だけ》許して下さい」
「どこの何者かわからん奴が垣を越えて邸内に闖入《ちんにふ》するのを、さう容易《たやす》く許されると思ふか」
「夫《それ》でも落雲館の生徒に違ないんですから」
「落雲館の生徒なら何年生だ」
「三年生です」
「屹度《きつと》さうか」
「えゝ」
主人は奧の方を顧みながら、おいこら/\と云ふ。
埼玉《さいたま》生れの御三《おさん》が襖をあけて、へえと顔を出す。
「落雲館へ行つて誰か連れてこい」
「誰を連れて參ります」
「誰でもいゝから連れてこい」
下女は「へえ」と答へたが、餘り庭前の光景が妙なのと、使の趣《おもむき》が判然しないのと、さつきからの事件の發展が馬鹿々々しいので、立ちもせず、坐りもせずにや/\笑つて居る。主人は是でも大戰爭をして居る積りである。逆上的敏腕を大《おほい》に振《ふる》つて居る積りである。然る所自分の召し使たる當然|此方《こつち》の肩を持つべきものが、眞面目な態度を以て事に臨まんのみか、用を言ひつけるのを聞きながらにや/\笑つて居る。益《ます/\》逆上せざるを得ない。
「誰でも構はんから呼んで來いと云ふのに、わからんか。校長でも幹事でもヘ頭でも……」
「あの校長さんを……」下女は校長と云ふ言葉|丈《だけ》しか知らないのである。
「校長でも、幹事でもヘ頭でもと云つて居るのにわからんか」
「誰もおりませんでしたら小使でもよろしう御座いますか」
「馬鹿を云へ。小使|抔《など》に何が分かるものか」
こゝに至つて下女も已《やむ》を得んと心得たものか、「へえ」と云つて出て行つた。使の主意は矢張り飲み込めんのである。小使でも引張つて來はせんかと心配して居ると、豈《あに》計らんや例の倫理の先生が表門から乘り込んで來た。平然と座に就くを待ち受けた主人は直ちに談判にとりかゝる。
「只今邸内に此者共が亂入致して……」と忠臣藏の樣な古風な言葉を使つたが「本當に御校《おんかう》の生徒でせうか」と少々皮肉に語尾を切つた。
倫理の先生は別段驚いた樣子もなく、平氣で庭前にならんで居る勇士を一通り見廻はした上、もとの如く瞳を主人の方にかへして、下《しも》の如く答へた。
「左樣《さやう》みんな學校の生徒であります。こんな事のない樣に始終訓戒を加へて置きますが……どうも困つたもので……何故《なぜ》君等は垣|抔《など》を乘り越すのか」
さすがに生徒は生徒である、倫理の先生に向つては一言《いちごん》もないと見えて何とも云ふものはない。大人《おとな》しく庭の隅にかたまつて羊の群《むれ》が雪に逢つた樣に控えて居る。
「丸《たま》が這入るのも仕方がないでせう。かうして學校の隣りに住んで居る以上は、時々はボールも飛んで來ませう。然し……餘り亂暴ですからな。假令《たとひ》垣を乘り越えるにしても知れないない樣に、そつと拾つて行くなら、まだ勘辨の仕樣もありますが……」
「御尤もで、よく注意は致しますが何分|多人數《たにんず》の事で……よく是から注意をせんといかんぜ。もしボールが飛んだら表から廻つて、御斷りをして取らなければいかん。いゝか。――廣い學校の事ですからどうも世話ばかりやけて仕方がないです。で運動はヘ育上必要なものでありますから、どうも之《これ》を禁ずる譯には參りかねるので。之を許すとつい御迷惑になる樣な事が出來ますが、是は是非御容赦を願ひたいと思ひます。其代り向後《かうご》は屹度表門から廻つて御斷りを致した上で取らせますから」
「いや、さう事が分かればよろしいです。球《たま》はいくら御投げになつても差支はないです。表からきて一寸斷はつて下されば構ひません。では此生徒はあなたに御引き渡し申しますから御連れ歸りを願ひます。いやわざ/\御呼び立て申して恐縮です」と主人は例に因つて例の如く龍頭蛇尾の挨拶をする。倫理の先生は丹波の笹山《さゝやま》を連れて表門から落雲館へ引き上げる。吾輩の所謂大事件は是で一と先づ落着を告げた。何のそれが大事件かと笑ふなら、笑ふがいゝ。そんな人には大事件でない迄だ。吾輩は主人の〔三字傍点〕大事件を寫したので、そんな人の〔五字傍点〕大事件を記《しる》したのではない。尻が切れて強弩《きやうど》の末勢《ばつせい》だ抔《など》と惡口するものがあるなら、是が主人の特色である事を記憶して貰ひたい。主人が滑稽文の材料になるのも亦此特色に存する事を記憶して貰ひたい。十四五の小供を相手にするのは馬鹿だと云ふなら吾輩も馬鹿に相違ないと同意する。だから大町桂月は主人をつらまへて未《いま》だ稚氣《ちき》を免かれずと云ふて居る。
吾輩は既に小事件を叙し了り、今又大事件を述べ了つたから、是より大事件の後《あと》に起る餘瀾《よらん》を描《ゑが》き出だして、全篇の結びを付ける積りである。凡《すべ》て吾輩のかく事は、口から出任せのいゝ加減と思ふ讀者もあるかも知れないが決してそんな輕率な猫ではない。一字一句の裏《うち》に宇宙の一大哲理を包含するは無論の事、其一字一句が層々《そう/\》連續すると首尾相應じ前後相照らして、瑣談繊話《さだんせんわ》と思つてうつかりと讀んで居たものが忽然豹變して容易ならざる法語となるんだから、決して寐ころんだり、足を出して五行ごとに一度に讀むのだなどゝ云ふ無禮を演じてはいけない。柳宗元《りうそうげん》は韓退之《かんたいし》の文を讀むごとに薔薇《しやうび》の水《みづ》で手を清めたと云ふ位だから、吾輩の文に對してもせめて自腹《じばら》で雜誌を買つて來て、友人の御餘りを借りて間に合はすと云ふ不始末|丈《だけ》はない事に致したい。是から述べるのは、吾輩|自《みづか》ら餘瀾と號するのだけれど、餘瀾ならどうせつまらんに極つてゐる、讀まんでもよからう抔《など》と思ふと飛んだ後悔をする。是非仕舞迄精讀しなくてはいかん。
大事件のあつた翌日、吾輩は一寸散歩がしたくなつたから表へ出た。すると向ふ横町へ曲がらうと云ふ角で金田の旦那と鈴木の藤《とう》さんが頻りに立ちながら話をして居る。金田君は車で自宅《うち》へ歸る所、鈴木君は金田君の留守を訪問して引き返す途中で兩人《ふたり》がばつたりと出逢つたのである。近來は金田の邸内も珍らしくなくなつたから、滅多にあちらの方角へは足が向かなかつたが、かう御目に懸つて見ると、何となく御懷かしい。鈴木にも久々《ひさ/\》だから餘所《よそ》ながら拜顔の榮を得て置かう。かう決心してのそ/\御兩君の佇立して居らるゝ傍《そば》近く歩み寄つて見ると、自然兩君の談話が耳に入《い》る。是は吾輩の罪ではない。先方が話して居るのがわるいのだ。金田君は探偵さへ付けて主人の動靜を窺《うか》がふう位の程度の良心を有して居る男だから、吾輩が偶然君の談話を拜聽したつて怒《おこ》らるゝ氣遣はあるまい。もし怒られたら君は公平と云ふ意味を御承知ないのである。とにかく吾輩は兩君の談話を聞いたのである。聞きたくて聽いたのではない。聞きたくもないのに談話の方で吾輩の耳の中へ飛び込んで來たのである。
「只今御宅へ伺ひました所で、丁度よい所で御目にかゝりました」と藤《とう》さんは鄭寧に頭をぴよこつかせる。
「うむ、さうかへえ。實は此間《こなひだ》から、君に一寸逢ひたいと思つて居たがね。それはよかつた」
「へえ、それは好都合で御座いました。何かご用で」
「いや何、大した事でもないのさ。どうでもいゝんだが、君でないと出來ない事なんだ」
「私に出來る事なら何でもやりませう。どんな事で」
「えゝ、さう……」と考へて居る。
「何なら、御都合のとき出直して伺ひませう。いつが宜しう、御座いますか」
「なあに、そんな大した事ぢや無いのさ。――それぢや切角だから頼もうか」
「どうか御遠慮なく……」
「あの變人ね。そら君の舊友さ。苦沙彌とか何とか云ふぢやないか」
「えゝ苦沙彌がどうかしましたか」
「いえ、どうもせんがね。あの事件以來|胸糞《むなくそ》がわるくつてね」
「御尤もで、全く苦沙彌は剛慢ですから……少しは自分の社會上の地位を考へて居るといゝのですけれども、丸《まる》で一人天下ですから」
「そこさ。金に頭はさげん、實業家なんぞ――とか何とか、色々小生意氣な事を云ふから、そんなら實業家の腕前を見せてやらう、と思つてね。此間《こなひだ》から大分《だいぶ》弱らして居るんだが、矢つ張り頑張つて居るんだ。どうも剛情な奴だ。驚ろいたよ」
「どうも損得と云ふ觀念の乏しい奴ですから無暗に痩我慢を張るんでせう。昔からあゝ云ふ癖のある男で、つまり自分の損になる事に氣が付かないんですから度《ど》し難いです」
「あはゝゝほんとに度し難い。色々手を易へ品を易へてやつて見るんだがね。とう/\仕舞に學校の生徒にやらした」
「そいつは妙案ですな。利目《きゝめ》が御座いましたか」
「これにやあ、奴も大分《だいぶ》困つた樣だ。もう遠からず落城するに極つてゐる」
「そりや結構です。いくら威張つても多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》ですからな」
「さうさ、一人ぢやあ仕方がねえ。それで大分《だいぶ》弱つた樣だが、まあどんな樣子か君に行つて見て來てもらはふと云ふのさ」
「はあ、さうですか。なに譯はありません。すぐ行つて見ませう。容子は歸りがけに御報知を致す事にして。面白いでせう、あの頑固なのが意氣銷沈《いきせうちん》して居る所は、屹度《きつと》見物《みもの》ですよ」
「あゝ、それぢや歸りに御寄り、待つてゐるから」
「それでは御免蒙ります」
おや今度も亦|魂膽《こんたん》だ、成程實業家の勢力はえらいものだ、石炭の燃殼《もえがら》の樣な主人を逆上させるのも、苦悶の結果主人の頭が蠅滑《はへすべ》りの難所となるのも、其頭がイスキラスと同樣の運命に陷《おちい》るのも皆實業家の勢力である。地球が地軸を廻轉するのは何の作用かわからないが、世の中を動かすものは慥かに金である。此金の功力《くりき》を心得て、此金の威光を自由に發揮するものは實業家諸君を置いて外に一人もない。太陽が無事に東から出て、無事に西へ入るのも全く實業家の御蔭である。今迄はわからずやの窮措大《きゆうそだい》の家に養なはれて實業家の御利益《ごりやく》を知らなかつたのは、我ながら不覺である。それにしても冥頑不靈《めいぐわんふれい》の主人も今度は少し悟らずばなるまい。是でも冥頑不靈《めいぐわんふれい》で押し通す了見だと危《あぶ》ない。主人の尤も貴重する命があぶない。彼は鈴木君に逢つてどんな挨拶をするのか知らん。其模樣で彼の悟り具合も自《おのづ》から分明《ぶんみやう》になる。愚圖々々しては居られん、猫だつて主人の事だから大《おほい》に心配になる。早々鈴木君をすり拔けて御先へ歸宅する。
鈴木君は不相變《あひかはらず》調子のいゝ男である。今日は金田の事などはおくびにも出さない、連《しき》りに當り障りのない世間話を面白さうにして居る。
「君少し顔色が惡《わ》るい樣だぜ、どうかしやせんか」
「別にどこも何ともないさ」
「でも蒼いぜ、用心せんといかんよ。時候がわるいからね。よるは安眠が出來るかね」
「うん」
「何か心配でもありやしないか、僕に出來る事なら何でもするぜ。遠慮なく云ひ給へ」
「心配つて、何を?」
「いえ、なければいゝが、もしあればと云ふ事さ。心配が一番毒だからな。世の中は笑つて面白く暮すのが得だよ。どうも君は餘り陰氣過ぎる樣だ」
「笑ふのも毒だからな。無暗に笑ふと死ぬ事があるぜ」
「冗談云つちやいけない。笑ふ門《かど》には福|來《きた》るさ」
「昔《むか》し希臘《ギリシヤ》にクリシツパスと云ふ哲學者があつたが、君は知るま い」
「知らない。それがどうしたのさ」
「其男が笑ひ過ぎて死んだんだ」
「へえー、そいつは不思議だね、然しそりや昔の事だから……」
「昔《むか》しだつて今だつて變りがあるものか。驢馬《ろば》が銀の丼《どんぶり》から無花果《いちじゆく》を食ふのを見て、可笑《をか》しくつてたまらなくつて無暗に笑つたんだ。所がどうしても笑ひがとまらない。とう/\笑ひ死にゝ死んだんだあね」
「はゝゝ然しそんなに留《と》め度《ど》もなく笑はなくつてもいゝさ。少し笑ふ――適宜に、――さうするといゝ心持ちだ」
鈴木君が頻りに主人の動靜を研究して居ると、表の門ががら/\とあく、客來《きやくらい》かと思ふとさうでない。
「一寸ボールが這入りましたから、取らして下さい」
下女は臺所から「はい」と答へる。書生は裏手へ廻る。鈴木は妙な顔をして何だいと聞く。
「裏の書生がボールを庭へ投げ込んだんだ」
「裏の書生? 裏に書生が居るのかい」
「落雲館《らくうんくわん》と云ふ學校さ」
「あゝさうか、學校か。隨分騷々しいだらうね」
「騷々しいの何のつて。碌々勉強も出來やしない。僕が文部大臣なら早速閉鎖を命じてやる」
「ハゝゝ大分《だいぶ》怒《おこ》つたね。何か癪に障る事でも有るのかい」
「あるのないのつて、朝から晩迄癪に障り續けだ」
「そんなに癪に障るなら越せばいゝぢやないか」
「誰が越すもんか、失敬千萬な」
「僕に怒つたつて仕方がない。なあに小供だあね、打《うつ》ちやつて置けばいゝさ」
「君はよからうが僕はよくない。昨日《きのふ》はヘ師を呼びつけて談判してやつた」
「それは面白かつたね。恐れ入つたらう」
「うん」
此時又|門口《かどぐち》をあけて「一寸ボールが這入りましたから取らして下さい」と云ふ聲がする。
「いや大分《だいぶ》來るぢやないか、又ボールだぜ君」
「うん、表から來る樣に契約したんだ」
「成程それであんなにくるんだね。さうーか、分つた」
「何が分つたんだい」
「なに、ボールを取りにくる源因がさ」
「今日は是で十六返目だ」
「君うるさくないか。來ない樣にしたらいゝぢやないか」
「來ない樣にするつたつて、來るから仕方がないさ」
「仕方がないと云へば夫《それ》迄《まで》だが、さう頑固にして居ないでもよからう。人間は角があると世の中を轉《ころ》がつて行くのが骨が折れて損だよ。丸いものはごろ/\どこへでも苦《く》なしに行けるが四角なものはころがるに骨が折れる許《ばか》りぢやない、轉がるたびに角《かど》がすれて痛いものだ。どうせ自分一人の世の中ぢやなし、さう自分の思ふ樣に人はならないさ。まあ何だね。どうしても金のあるものに、たてを突いちや損だね。只神經|許《ばか》り痛めて、からだは惡くなる、人は褒めてくれず。向ふは平氣なものさ。坐つて人を使ひさへすれば濟むんだから。多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》どうせ、叶《かな》はないのは知れて居るさ。頑固もいゝが、立て通す積りで居るうちに、自分の勉強に障つたり、毎日の業務に煩《はん》を及ぼしたり、とゞのつまりが骨折り損の草臥儲《くたびれまう》けだからね」
「御免なさい。今一寸ボールが飛びましたから、裏口へ廻つて、取つてもいゝですか」
「そら又來たぜ」と鈴木君は笑つて居る。
「失敬な」と主人は眞赤《まつか》になつて居る。
鈴木君はもう大概訪問の意を果したと思つたから、それぢや失敬ちと來《き》玉《たま》へと歸つて行く。
入れ代つてやつて來たのが甘木《あまき》先生である。逆上家《ぎやくじやうか》が自分で逆上家だと名乘る者は昔《むか》しから例が少ない、是は少々變だなと覺《さと》つた時は逆上の峠はもう越して居る。主人の逆上は昨日《きのふ》の大事件の際に最高度に達したのであるが、談判も龍頭蛇尾たるに係《かゝは》らず、どうかかうか始末がついたので其晩書齋でつく/”\考へて見ると少し變だと氣が付いた。尤《もつとも》落雲館が變なのか、自分が變なのか疑を存する餘地は充分あるが、何しろ變に違ない。いくら中學校の隣に居を構へたつて、斯《かく》の如く年が年中|肝癪《かんしやく》を起しつゞけはちと變だと氣が付いた。變であつて見ればどうかしなければならん。どうするつたつて仕方がない、矢張り醫者の藥でも飲んで肝癪の源《みなもと》に賄賂《わいろ》でも使つて慰撫《ゐぶ》するより外に道はない。かう覺つたから平生かゝりつけの甘木先生を迎へて診察を受けて見《み》樣《やう》と云ふ量見を起したのである。賢か愚か、其邊は別問題として、兎に角自分の逆上に氣が付いた丈《だけ》は殊勝《しゆしよう》の志、奇特《きどく》の心得と云はなければならん。甘木先生は例の如くにこ/\と落付き拂つて、「如何《どう》です」と云ふ。醫者は大抵|如何《どう》ですと云ふに極まつてる。吾輩は「如何《どう》です」と云はない醫者はどうも信用を置く氣にならん。
「先生どうも駄目ですよ」
「え、何そんな事があるものですか」
「一體醫者の藥は利くものでせうか」
甘木先生も驚ろいたが、そこは温厚の長者《ちやうしや》だから、別段激した樣子もなく、
「利かん事もないです」と穩かに答へた。
「私《わたし》の胃病なんか、いくら藥を飲んでも同じ事ですぜ」
「決して、そんな事はない」
「ないですかな。少しは善くなりますかな」と自分の胃の事を人に聞いて見る。
「さう急には、癒りません、だん/\利きます。今でももとより大分《だいぶ》よくなつて居ます」
「さうですかな」
「矢張り肝癪《かんしやく》が起りますか」
「起りますとも、夢に迄肝癪を起します」
「運動でも、少しなさつたらいゝでせう」
「運動すると、猶《なほ》肝癪が起ります」
甘木先生もあきれ返つたものと見えて、
「どれ一つ拜見しませうか」と診察を始める。診察を終るのを待ちかねた主人は、突然大きな聲を出して、
「先生、先達《せんだつ》て催眠術のかいてある本を讀んだら、催眠術を應用して手癖のわるいんだの、色々な病氣だのを直す事が出來ると書いてあつたですが、本當でせうか」と聞く。
「えゝ、さう云ふ療法もあります」
「今でもやるんですか」
「えゝ」
「催眠術をかけるのは六づかしいものでせうか」
「なに譯はありません、私《わたし》などもよく懸けます」
「先生もやるんですか」
「えゝ、一つやつて見ませうか。誰でも懸《かゝ》らなければならん理窟のものです。あなたさへ善ければ懸けて見ませう」
「そいつは面白い、一つ懸けて下さい。私《わたし》もとうから懸かつて見たいと思つたんです。然し懸かりきりで眼が覺めないと困るな」
「なに大丈夫です。それぢや遣りませう」
相談は忽ち一決して、主人は愈《いよ/\》催眠術を懸けらるゝ事となつた。吾輩は今迄こんな事を見た事がないから心ひそかに喜んで其結果を座敷の隅から拜見する。先生はまづ、主人の眼からかけ始めた。其方法を見て居ると、兩眼《りやうがん》の上瞼《うはまぶた》を上から下へと撫でゝ、主人が既に眼を眠《ねむ》つて居るにも係《かゝは》らず、頻りに同じ方向へくせを付けたがつて居る。しばらくすると先生は主人に向つて「かうやつて、瞼《まぶた》を撫《な》でゝ居ると、だん/\眼が重たくなるでせう」と聞いた。主人は「成程重くなりますな」と答へる。先生は猶《なほ》同じ樣に撫《な》でおろし、撫《な》でおろし「だん/\重くなりますよ、ようござんすか」と云ふ。主人も其氣になつたものか、何とも云はずに黙つて居る。同じ摩擦法は又三四分繰り返される。最後に甘木先生は「さあもう開《あ》きませんぜ」と云はれた。可哀想《かはいさう》に主人の眼はとう/\潰れて仕舞つた。「もう開《あ》かんのですか」「えゝもうあきません」主人は黙然《もくねん》として目を眠つて居る。吾輩は主人がもう盲目《めくら》になつたものと思ひ込んで仕舞つた。しばらくして先生は「あけるなら開《あ》いて御覽なさい。到底あけないから」と云はれる。「さうですか」と云ふが早いか主人は普通の通り兩眼《りやうがん》を開《あ》いて居た。主人はにや/\笑ひながら「懸かりませんな」と云ふと甘木先生も同じく笑ひながら「えゝ、懸りません」と云ふ。催眠術は遂に不成功に了る。甘木先生も歸る。
其次に來たのが――主人のうちへ此位客の來た事はない。交際の少ない主人の家にしては丸《まる》で嘘の樣である。然し來たに相違ない。しかも珍客が來た。吾輩が此珍客の事を一言《いちごん》でも記述するのは單に珍客であるが爲ではない。吾輩は先刻申す通り大事件の餘瀾《よらん》を描《ゑが》きつゝある。而《しか》して此珍客は此|餘瀾《よらん》を描《ゑが》くに方《あた》つて逸すべからざる材料である。何と云ふ名前か知らん、只顔の長い上に、山羊《やぎ》の樣な髯を生やして居る四十前後の男と云へばよからう。迷亭の美學者たるに對して、吾輩は此男を哲學者と呼ぶ積りである。なぜ哲學者と云ふと、何も迷亭の樣に自分で振り散らすからではない、只主人と對話する時の樣子を拜見して居ると如何にも哲學者らしく思はれるからである。是も昔《むか》しの同窓と見えて兩人《ふたり》共《とも》應對振りは至極打ち解けた有樣だ。
「うん迷亭か、あれは池に浮いてる金魚麩《きんぎよふ》の樣にふわ/\して居るね。先達《せんだつ》て友人を連れて一面識もない華族の門前を通行した時、一寸寄つて茶でも飲んで行かうと云つて引つ張り込んださうだが隨分|呑氣《のんき》だね」
「夫《それ》でどうしたい」
「どうしたか聞いても見なかつたが、――さうさ、まあ天稟《てんぴん》の奇人だらう、其代り考も何もない全く金魚麩だ。鈴木か、――あれがくるのかい、へえー、あれは理窟はわからんが世間的には利口な男だ。金時計は下げられるたちだ。然し奧行きがないから落ちつきがなくつて駄目だ。圓滑々々と云ふが、圓滑の意味も何もわかりはせんよ。迷亭が金魚麩ならあれは藁で括《くゝ》つた蒟蒻《こんにやく》だね。たゞわるく滑《なめら》かでぶる/\振《ふる》へて居る許《ばか》りだ」
主人は此|奇警《きけい》な比喩《ひゆ》を聞いて、大《おほい》に感心したものらしく、久し振りでハヽヽと笑つた。
「そんなら君は何だい」
「僕か、さうさな僕なんかは――まあ自然薯《じねんじよ》位な所だらう。長くなつて泥の中に埋《うま》つてるさ」
「君は始終泰然として氣樂な樣だが、羨ましいな」
「なに普通の人間と同じ樣にして居る許《ばか》りさ。別に羨まれるに足る程の事もない。只|難有《ありがた》い事に人を羨む氣も起らんから、夫《それ》丈《だけ》いゝね」
「會計は近頃豐かゝね」
「なに同じ事さ。足るや足らずさ。然し食ふて居るから大丈夫。驚かないよ」
「僕は不愉快で、肝癪が起つて堪《たま》らん。どつちを向いても不平|許《ばか》りだ」
「不平もいゝさ。不平が起つたら起して仕舞へば當分はいゝ心持ちになれる。人間は色々だから、さう自分の樣に人にもなれと勸めたつて、なれるものではない。箸は人と同じ樣に持たんと飯が食ひにくいが、自分の?麭《パン》は自分の勝手に切るのが一番都合がいゝ樣だ。上手な仕立屋で着物をこしらへれば、着たてから、からだに合つたのを持つてくるが、下手の裁縫屋《したてや》に誂へたら當分は我慢しないと駄目さ。然し世の中はうまくしたもので、着て居るうちには洋服の方で、こちらの骨格に合はしてくれるから。今の世に合ふ樣に上等な兩親が手際よく生んでくれゝば、それが幸福なのさ。然し出來損《できそ》こなつたら世の中に合はないで我慢するか、又は世の中で合はせる迄辛抱するより外に道はなからう」
「然し僕なんか、いつ迄立つても合ひさうにないぜ、心細いね」
「あまり合はない脊廣を無理にきると綻《ほころ》びる。喧嘩をしたり、自殺をしたり騷動が起るんだね。然し君なんか只面白くないと云ふ丈《だけ》で自殺は無論しやせず、喧嘩だつて遣つた事はあるまい。まあ/\いゝ方だよ」
「所が毎日喧嘩ばかりして居るさ。相手が出て來なくつても怒つて居れば喧嘩だらう」
「成程|一人喧嘩《ひとりげんくわ》だ。面白いや、いくらでもやるがいゝ」
「それがいやになつた」
「そんならよすさ」
「君の前だが自分の心がそんなに自由になるものぢやない」
「まあ全體何がそんなに不平なんだい」
主人は是《こゝ》に於て落雲館事件を始めとして、今戸燒《いまどやき》の狸《たぬき》から、ぴん助、きしやご其ほかあらゆる不平を擧げて滔々《たう/\》と哲學者の前に述べ立てた。哲學者先生はだまつて聞いて居たが、漸く口を開《ひら》いて、かやうに主人に説き出した。
「ぴん助やきしやごが何を云つたつて知らん顔をして居ればいゝぢやないか。どうせ下らんのだから。中學の生徒なんか構ふ價値があるものか。なに妨害になる。だつて談判しても、喧嘩をしても其妨害はとれんのぢやないか。僕はさう云ふ點になると西洋人より昔《むか》しの日本人の方が餘程えらいと思ふ。西洋人のやり方は積極的積極的と云つて近頃|大分《だいぶ》流行《はや》るが、あれは大《だい》なる缺點を持つて居るよ。第一積極的と云つたつて際限がない話しだ。いつ迄積極的にやり通したつて、滿足と云ふ域とか完全と云ふ境《さかひ》にいけるものぢやない。向《むかふ》に檜《ひのき》があるだらう。あれが目障りになるから取り拂ふ。と其向ふの下宿屋が又邪魔になる。下宿屋を退去させると、其次の家が癪に觸る。どこ迄行つても際限のない話しさ。西洋人の遣り口はみんな是さ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝つて滿足したものは一人もないんだよ。人が氣に喰はん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法庭《はふてい》へ訴へる、法庭《はふてい》で勝つ、夫《それ》で落着と思ふのは間違さ。心の落着は死ぬ迄|焦《あせ》つたつて片付く事があるものか。寡人政治《くわじんせいぢ》がいかんから、代議政體《だいぎせいたい》にする。代議政體がいかんから、又何かにしたくなる。川が生意氣だつて橋をかける、山が氣に喰はんと云つて隧道《トンネル》を堀る。交通が面倒だと云つて鐵道を布《し》く。夫《それ》で永久滿足が出來るものぢやない。去《さ》ればと云つて人間だものどこ迄積極的に我意を通す事が出來るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不滿足で一生をくらす人の作つた文明さ。日本の文明は自分以外の?態を變化させて滿足を求めるのぢやない。西洋と大《おほい》に違ふところは、根本的に周圍の境遇は動かすべからざるものと云ふ一大假定の下《もと》に發達して居るのだ。親子の關係が面白くないと云つて歐洲人の樣に此關係を改良して落ち付きをとらうとするのではない。親子の關係は在來の儘で到底動かす事が出來んものとして、其關係の下《もと》に安心を求むる手段を講ずるにある。夫婦君臣の間柄も其通り、武士町人の區別も其通り、自然其物を觀るのも其通り。――山があつて隣國へ行かれなければ、山を崩すと云ふ考を起す代りに隣國へ行かんでも困らないと云ふ工夫をする。山を越さなくとも滿足だと云ふ心持ちを養成するのだ。それだから君見給へ。禪家《ぜんけ》でも儒家《じゆか》でも屹度根本的に此問題をつらまへる。いくら自分がえらくても世の中は到底意の如くなるものではない、落日を回《めぐ》らす事も、加茂川を逆《さか》に流す事も出來ない。只出來るものは自分の心|丈《だけ》だからね。心さへ自由にする修業をしたら、落雲館の生徒がいくら騷いでも平氣なものではないか、今戸燒の狸でも構はんで居られさうなものだ。ぴん助なんか愚《ぐ》な事を云つたら此馬鹿野郎と濟まして居れば仔細《しさい》なからう。何でも昔《むか》しの坊主は人に斬り付けられた時|電光影裏《でんくわうえいり》に春風《しゆんぷう》を斬《き》るとか、何とか洒落《しや》れた事を云つたと云ふ話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな靈活な作用が出來るのぢやないかしらん。僕なんか、そんな六づかしい事は分らないが、とにかく西洋人風の積極主義|許《ばか》りがいゝと思ふのは少々誤まつて居る樣だ。現に君がいくら積極主義に働いたつて、生徒が君をひやかしにくるのをどうする事も出來ないぢやないか。君の權力であの學校を閉鎖するか、又は先方が警察に訴へる丈《だけ》のわるい事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たつたて勝てつこないよ。もし積極的に出るとすれば金の問題になる。多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》の問題になる。換言すると君が金持に頭を下げなければならんと云ふ事になる。衆を恃《たの》む小供に恐れ入らなければならんと云ふ事になる。君の樣な貧乏人でしかもたつた一人で積極的に喧嘩をしやうと云ふのが抑《そもそ》も君の不平の種さ。どうだい分つたかい」
主人は分つたとも、分らないとも言はずに聞いて居た。珍客が歸つたあとで書齋へ這入つて書物も讀まずに何か考へて居た。
鈴木の藤《とう》さんは金と衆とに從へと主人にヘへたのである。甘木先生は催眠術で神經を沈めろと助言《じよごん》したのである。最後の珍客は消極的の修養で安心を得ろと説法したのである。主人がいづれを擇ぶかは主人の隨意である。只此儘では通されないに極まつて居る。
九
主人は痘痕面《あばたづら》である。御維新《ごゐつしん》前《まへ》はあばた〔三字傍点〕も大分《だいぶ》流行《はや》つたものださうだが日英同盟の今日《こんにち》から見ると、こんな顔は聊《いさゝ》か時候|後《おく》れの感がある。あばた〔三字傍点〕の衰退は人口の攝Bと反比例して近き將來には全く其|迹《あと》を絶つに至るだらうとは醫學上の統計から精密に割り出されたる結論であつて、吾輩の如き猫と雖《いへど》も毫も疑を挾《さしはさ》む餘地のない程の名論である。現今地球上にあばたつ面《つら》を有して生息して居る人間は何人位あるか知らんが、吾輩が交際の區域内に於て打算して見ると、猫には一匹もない。人間にはたつた一人ある。而《しか》して其一人が即ち主人である。甚だ氣の毒である。
吾輩は主人の顔を見る度に考へる。まあ何の因果でこんな妙な顔をして臆面なく二十世紀の空氣を呼吸して居るのだらう。昔なら少しは幅も利いたか知らんが、あらゆるあばた〔三字傍点〕が二の腕へ立ち退《の》きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取つて頑《ぐわん》として動かないのは自慢にならんのみか、却つてあばた〔三字傍点〕の體面に關する譯だ。出來る事なら今のうち取り拂つたらよささうなものだ。あばた〔三字傍点〕自身だつて心細いに違ひない。夫《それ》とも黨勢不振の際、誓つて落日を中天《ちゆうてん》に挽回せずんば已《や》まずと云ふ意氣込みで、あんなに横風《わうふう》に顔一面を占領して居るのか知らん。さうすると此あばた〔三字傍点〕は決して輕蔑の意を以て視るべきものでない。滔々《たう/\》たる流俗に抗する萬古不磨《ばんこふま》の穴の集合體であつて、大《おほい》に吾人の尊敬に値する凸凹《でこぼこ》と云つて宜しい。只きたならしいのが缺點である。
主人の小供のときに牛込の山伏町に淺田宗伯《あさだそうはく》と云ふ漢法の名醫があつたが、此老人が病家を見舞ふときには必ずかご〔二字傍点〕に乘つてそろり/\と參られたさうだ。所が宗伯老《そうはくらう》が亡くなられて其養子の代になつたら、かご〔二字傍点〕が忽ち人力車に變じた。だから養子が死んで其又養子が跡を續《つ》いだら葛根湯《かつこんたう》がアンチピリンに化けるかも知れない。かご〔二字傍点〕に乘つて東京市中を練りあるくのは宗伯老の當時ですら餘り見つともいゝものでは無かつた。こんな眞似をして澄《すま》して居たものは舊弊な亡者《まうじや》と、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであつた。
主人のあばた〔三字傍点〕も其の振はざる事に於ては宗伯老のかご〔二字傍点〕と一般で、はたから見ると氣の毒な位だが、漢法醫にも劣らざる頑固な主人は依然として孤城落日のあばた〔三字傍点〕を天下に曝露しつゝ毎日登校してリードルをヘへて居る。
かくの如き前世紀の紀念を滿面に刻《こく》してヘ壇に立つ彼は、其生徒に對して授業以外に大《だい》なる訓戒を垂れつゝあるに相違ない。彼は「猿が手を持つ」を反覆するよりも「あばた〔三字傍点〕の顔面に及ぼす影響」と云ふ大問題を造作《ざうさ》もなく解釋して、不言《ふげん》の間《かん》に其答案を生徒に與へつゝある。もし主人の樣な人間がヘ師として存在しなくなつた曉には彼等生徒は此問題を研究する爲めに圖書館|若《もし》くは博物館へ馳けつけて、吾人がミイラによつて埃及人《エジプトじん》を髣髴《はうふつ》すると同程度の勞力を費やさねばならぬ。是《この》點《てん》から見ると主人の痘痕《あばた》も冥々《めい/\》の裡《うち》に妙な功コ《くどく》を施こして居る。
尤も主人は此|功コ《くどく》を施こす爲に顔一面に疱瘡《はうさう》を種《う》ゑ付けたのではない。是でも實は種《う》ゑ疱瘡《ばうさう》をしたのである。不幸にして腕に種《う》ゑたと思つたのが、いつの間《ま》にか顔へ傳染して居たのである。其頃は小供の事で今の樣に色氣《いろけ》もなにもなかつたものだから、痒《かゆ》い/\と云ひながら無暗に顔中引き掻いたのださうだ。丁度噴火山が破裂してラ?が顔の上を流れた樣なもので、親が生んでくれた顔を臺なしにして仕舞つた。主人は折々細君に向つて疱瘡《はうさう》をせぬうちは玉の樣な男子であつたと云つて居る。淺草の觀音樣で西洋人が振り反《かへ》つて見た位奇麗だつた抔《など》と自慢する事さへある。成程さうかも知れない。たゞ誰も保證人の居ないのが殘念である。
いくら功コになつても訓戒になつても、きたない者は矢つ張りきたないものだから、物心《ものごゝろ》がついて以來と云ふもの主人は大《おほい》にあばた〔三字傍点〕に就て心配し出して、あらゆる手段を盡して此醜態を揉み潰さうとした。所が宗伯老のかご〔二字傍点〕と違つて、いやになつたからと云ふてさう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と殘つて居る。此歴然が多少氣にかゝると見えて、主人は往來をあるく度毎にあばた〔三字傍点〕面《づら》を勘定してあるくさうだ。今日何人あばた〔三字傍点〕に出逢つて、其|主《ぬし》は男か女か、其場所は小川町の勸工場であるか、上野の公園であるか、悉《こと/”\》く彼の日記につけ込んである。彼はあばた〔三字傍点〕に關する智識に於ては決して誰にも讓るまいと確信して居る。先達《せんだつ》てある洋行歸りの友人が來た折なぞは、「君西洋人にはあばた〔三字傍点〕があるかな」と聞いた位だ。すると其友人が「さうだな」と首を曲げながら餘程考へたあとで「まあ滅多にないね」と云つたら、主人は「滅多になくつても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返へした。友人は氣のない顔で「あつても乞食か立《たち》ん坊《ばう》だよ。ヘ育のある人にはない樣だ」と答へたら、主人は「さうかなあ、日本とは少し違ふね」と云つた。
哲學者の意見によつて落雲館との喧嘩を思ひ留つた主人は其後書齋に立て籠つてしきりに何か考へて居る。彼の忠告を容れて靜坐の裡《うち》に靈活なる精神を消極的に修養する積《つもり》かも知れないが、元來が氣の小さな人間の癖に、あゝ陰氣な懷手《ふところで》許《ばか》りして居ては碌な結果の出《で》樣《やう》筈《はず》がない。夫《それ》より英書でも質に入れて藝者から喇叭節《らつぱぶし》でも習つた方が遙かにましだと迄は氣が付いたが、あんな偏屈な男は到底猫の忠告|抔《など》を聽く氣遣はないから、まあ勝手にさせたらよからうと五六日は近寄りもせずに暮した。
今日はあれから丁度|七日目《なぬかめ》である。禪家|抔《など》では一七日《いちしちにち》を限つて大悟して見せる抔《など》と凄《すさま》じい勢で結跏《けつか》する連中もある事だから、うちの主人もどうかなつたらう、死ぬか生きるか何とか片付いたらうと、のそ/\椽側から書齋の入口迄來て室内の動靜を偵察《ていさつ》に及んだ。
書齋は南向きの六疊で、日當りのいゝ所に大きな机が据ゑてある。只大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さ是に叶《かな》ふと云ふ大きな机である。無論出來合のものではない。近所の建具屋に談判して寐臺|兼《けん》机として製造せしめたる稀代《きたい》の品物である。何の故にこんな大きな机を新調して、又何の故に其上に寐て見《み》樣《やう》抔《など》といふ了見を起したものか、本人に聞いて見ない事だから頓《とん》とわからない。ほんの一時の出來心で、かゝる難物を擔ぎ込んだのかも知れず、或はことによると一種の精神病者に於て吾人が?《しば/\》見出《みいだ》す如く、縁もゆかりもない二個の觀念を連想して、机と寐臺を勝手に結び付けたものかも知れない。兎に角奇拔な考へである。只奇拔|丈《だけ》で役に立たないのが缺點である。吾輩は甞て主人が此机の上へ晝寐をして寐返りをする拍子に椽側へ轉げ落ちたのを見た事がある。夫《それ》以來此机は決して寐臺に轉用されない樣である。
机の前には薄つぺらなメリンスの座布團があつて、烟草の火で燒けた穴が三つ程かたまつてる。中から見える綿は薄黒い。此座布團の上に後《うし》ろ向きにかしこまつて居るのが主人である。鼠色によごれた兵兒帶《へこおび》をこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかゝつて居る。此帶へじやれ付いて、いきなり頭を張られたのは此間《こなひだ》の事である。滅多に寄り付くべき帶ではない。
まだ考へて居るのか下手の考と云ふ喩《たとへ》もあるのにと後《うし》ろから覗き込んで見ると、机の上でいやにぴか/\と光つたものがある。吾輩は思はず、續け樣に二三度|瞬《まばたき》をしたが、こいつは變だとまぶしいのを我慢して昵《ぢつ》と光るものを見詰めてやつた。すると此光りは机の上で動いて居る鏡から出るものだと云ふ事が分つた。然し主人は何の爲めに書齋で鏡|抔《など》を振り舞はして居るのであらう。鏡と云へば風呂場にあるに極まつて居る。現に吾輩は今朝風呂場で此鏡を見たのだ。此鏡〔二字傍点〕ととくに云ふのは主人のうちには是より外に鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗つたあとで髪を分けるときにも此鏡を用ゐる。――主人の樣な男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、實際彼は他《ほか》の事に無精《ぶしやう》なる丈《だけ》其《それ》丈《だけ》頭を叮嚀にする。吾輩が當家に參つてから今に至る迄主人は如何なる炎熱の日と雖《いへども》五分刈に刈り込んだ事はない。必ず二寸位の長さにして、それを御大《ごたい》さうに左の方で分けるのみか、右の端《はじ》を一寸|跳《は》ね返して澄《すま》して居る。是も精神病の徴候かも知れない。こんな氣取つた分け方は此机と一向《いつかう》調和しないと思ふが、敢て他人に害を及ぼす程の事でないから、誰も何とも云はない。本人も得意である。分け方のハイカラなのは偖《さて》措《お》いて、なぜあんなに髪を長くするのかと思つたら實はかう云ふ譯である。彼のあばた〔三字傍点〕は單に彼の顔を侵蝕せるのみならず、とくの昔《むか》しに腦天迄食ひ込んで居るのださうだ。だから若し普通の人の樣に五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばた〔三字傍点〕があらはれてくる。いくら撫でゝも、さすつてもぽつ/\がとれない。枯野に螢を放つた樣なもので風流かも知れないが、細君の御意《ぎよい》に入らんのは勿論の事である。髪さへ長くして置けば露見しないで濟む所を、好んで自己の非を曝くにも當らぬ譯だ。ならう事なら顔迄毛を生やして、こつちのあばた〔三字傍点〕も内濟《ないさい》にしたい位な所だから、只で生える毛を錢《ぜに》を出して刈り込ませて、私は頭蓋骨の上迄|天然痘《てんねんとう》にやられましたよと吹聽《ふいちやう》する必要はあるまい。――是が主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、其原因が鏡を見る譯で、其鏡が風呂場にある所以《ゆゑん》で、而《しかう》して其鏡が一つしかないと云ふ事實である。
風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書齋に來て居る以上は鏡が離魂病《りこんびやう》に罹《かゝ》つたのか又は主人が風呂場から持つて來たに相違ない。持つて來たとすれば何の爲めに持つて來たのだらう。或は例の消極的修養に必要な道具かも知れない。昔《むか》し或る學者が何とかいふ智識を訪ふたら、和尚《をしやう》兩肌を拔いで甎《かはら》を磨《ま》して居られた。何をこしらへなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造らうと思ふて一生懸命にやつて居る所ぢやと答へた。そこで學者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎《かはら》を磨《ま》して鏡とする事は出來まいと云ふたら、和尚から/\と笑ひながら左樣《さう》か、夫《そ》れぢややめよ、いくら書物を讀んでも道はわからぬのもそんなものぢやろと罵つたと云ふから、主人もそんな事を聞き?《かじ》つて風呂場から鏡でも持つて來て、したり顔に振り廻してゐるのかも知れない。大分《だいぶ》物騷になつて來たなと、そつと窺《うかゞ》つて居る。
かくとも知らぬ主人は甚だ熱心なる容子を以て一張來《いつちやうらい》の鏡を見詰めて居る。元來鏡といふものは氣味の惡いものである。深夜?燭を立てゝ、廣い部屋のなかで一人鏡を覗き込むには餘程の勇氣が入るさうだ。吾輩|抔《など》は始めて當家の令孃から鏡を顔の前へ押し付けられた時に、はつと仰天して屋敷のまはりを三度馳け回つた位である。如何に白晝と雖《いへ》ども、主人の樣にかく一生懸命に見詰めて居る以上は自分で自分の顔が怖《こは》くなるに相違ない。只見てさへあまり氣味のいゝ顔ぢやない。稍《やゝ》あつて主人は「成程きたない顔だ」と獨《ひと》り言《ごと》を云つた。自己の醜を自白するのは中々見上げたものだ。樣子から云ふと慥《たしか》に氣違の所作《しよさ》だが言ふことは眞理である。是がもう一歩進むと、己《おの》れの醜惡な事が怖《こは》くなる。人間は吾身が怖ろしい惡黨であると云ふ事實を徹骨徹髄に感じた者でないと苦勞人とは云へない。苦勞人でないと到底|解脱《げだつ》は出來ない。主人もこゝ迄來たら序《つい》でに「おゝ怖《こは》い」とでも云ひさうなものであるが中々云はない。「成程きたない顔だ」と云つたあとで、何を考へ出したか、ぷうつと頬《ほ》つぺたを膨《ふく》らました。さうしてふくれた頬《ほ》つぺたを平手《ひらて》で二三度叩いて見る。何のまじないだか分らない。此時吾輩は何だか此顔に似たものがあるらしいと云ふ感じがした。よく/\考へて見ると夫《そ》れは御三《おさん》の顔である。序《つい》でだから御三《おさん》の顔を一寸紹介するが、それは/\ふくれたものである。此間さる人が穴守稻荷《あなもりいなり》から河豚《ふぐ》の提灯《ちやうちん》をみやげに持つて來てくれたが、丁度あの河豚提灯《ふぐちやうちん》の樣にふくれて居る。あまりふくれ方が殘酷なので眼は兩方共紛失して居る。尤も河豚《ふぐ》のふくれるのは萬遍なく眞丸《まんまる》にふくれるのだが、お三とくると、元來の骨格が多角性であつて、其骨格通りにふくれ上がるのだから、丸《まる》で水氣《すゐき》になやんで居る六角時計の樣なものだ。御三が聞いたら嘸《さぞ》怒《おこ》るだらうから、御三は此位にして又主人の方に歸るが、かくの如くあらん限りの空氣を以て頬《ほ》つぺたをふくらませたる彼は前《ぜん》申す通り手のひらで頬《ほつ》ぺたを叩きながら「此位皮膚が緊張するとあばた〔三字傍点〕も眼につかん」と又|獨《ひと》り語《ごと》をいつた。
こんどは顔を横に向けて半面に光線を受けた所を鏡にうつして見る。「かうして見ると大變目立つ。矢つ張りまともに日の向いてる方が平《たひら》に見える。奇體な物だなあ」と大分《だいぶ》感心した樣子であつた。それから右の手をうんと伸《のば》して、出來る丈《だけ》鏡を遠距離に持つて行つて靜かに熟視してゐる。「此位離れるとそんなでもない。矢張り近過ぎるといかん。――顔|許《ばか》りぢやない何でもそんなものだ」と悟つた樣なことを云ふ。次に鏡を急に横にした。さうして鼻の根を中心にして眼や額や眉を一度に此中心に向つてくしや/\とあつめた。見るからに不愉快な容貌が出來上つたと思つたら「いや是は駄目だ」と當人も氣がついたと見えて早々《さう/\》やめて仕舞つた。「なぜこんなに毒々しい顔だらう」と少々不審の體《てい》で鏡を眼を去る三寸|許《ばか》りの所へ引き寄せる。右の人指しゆびで小鼻を撫でゝ、撫でた指の頭を机の上にあつた吸取り紙《がみ》の上へ、うんと押しつける。吸ひ取られた鼻の膏《あぶら》が丸《ま》るく紙の上へ浮き出した。色々な藝をやるものだ。それから主人は鼻の膏《あぶら》を塗抹《とまつ》した指頭《しとう》を轉じてぐいと右眼《うがん》の下瞼《したまぶた》を裏返して、俗に云ふべつかんかう〔六字傍点〕を見事にやつて退《の》けた。あばた〔三字傍点〕を研究して居るのか、鏡と睨《にら》め競《くら》をして居るのか其邊は少々不明である。氣の多い主人の事だから見て居るうちに色々になると見える。それどころではない。若し善意を以て蒟蒻問答的《こんにやくもんだふてき》に解釋してやれば主人は見性自覺《けんしやうじかく》の方便《はうべん》として斯樣《かやう》に鏡を相手に色々な仕草《しぐさ》を演じて居るのかも知れない。凡《すべ》て人間の研究と云ふものは自己を研究するのである。天地と云ひ山川《さんせん》と云ひ日月《じつげつ》と云ひ星辰《せいしん》と云ふも皆自己の異名《いみやう》に過ぎぬ。自己を措《お》いて他に研究すべき事項は誰人《たれびと》にも見出《みいだ》し得ぬ譯だ。若し人間が自己以外に飛び出す事が出來たら、飛び出す途端に自己はなくなつて仕舞ふ。而も自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくら仕てやりたくても、貰ひたくても、出來ない相談である。夫《それ》だから古來の豪傑はみんな自力で豪傑になつた。人のお蔭で自己が分る位なら、自分の代理に牛肉を喰はして、堅いか柔かいか判斷の出來る譯だ。朝《あした》に法を聽き、夕《ゆふべ》に道を聽き、梧前《ごぜん》燈下《とうか》に書卷を手にするのは皆此|自證《じしよう》を挑撥《てうはつ》するの方便《はうべん》の具《ぐ》に過ぎぬ。人の説く法のうち、他の辯ずる道のうち、乃至《ないし》は五車《ごしや》にあまる蠧紙堆裏《としたいり》に自己が存在する所以《ゆゑん》がない。あれば自己の幽靈である。尤もある場合に於て幽靈は無靈《むれい》より優るかも知れない。影を追へば本體に逢着《ほうちやく》する時がないとも限らぬ。多くの影は大抵本體を離れぬものだ。此意味で主人が鏡をひねくつて居るなら大分《だいぶ》話せる男だ。エピクテタス抔《など》を鵜呑《うのみ》にして學者ぶるよりも遙かにましだと思ふ。
鏡は己惚《うぬぼれ》の釀造器である如く、同時に自慢の消毒器である。もし浮華虚榮の念を以て之に對する時は是程愚物を煽動する道具はない。昔から搶纐掾sぞうじやうまん》を以て己《おのれ》を害し他を?《そこな》ふた事蹟の三分の二は慥《たし》かに鏡の所作《しよさ》である。佛國革命の當時物好きな御醫者さんが改良首きり器械を發明して飛んだ罪をつくつた樣に、始めて鏡をこしらへた人も定めし寐覺のわるい事だらう。然し自分に愛想《あいそ》の盡きかけた時、自我の萎縮した折は鏡を見る程藥になる事はない。妍醜瞭然《けんしうれうぜん》だ。こんな顔でよくまあ人で候《さふらふ》と反《そ》りかへつて今日《こんにち》迄《まで》暮らされたものだと氣がつくにきまつて居る。そこへ氣がついた時が人間の生涯中尤も難有《ありがた》い期節である。自分で自分の馬鹿を承知して居る程|尊《たつ》とく見える事はない。此|自覺性馬鹿《じかくせいばか》の前にはあらゆるえらがり〔四字傍点〕屋が悉《こと/”\》く頭を下げて恐れ入らねばならぬ。當人は昂然として吾を輕侮嘲笑して居る積りでも、こちらから見ると其昂然たる所が恐れ入つて頭を下げて居る事になる。主人は鏡を見て己《おの》れの愚を悟る程の賢者ではあるまい。然し吾が顔に印せられる痘痕《とうこん》の銘《めい》位は公平に讀み得る男である。顔の醜いのを自認するのは心の賤しきを會得《ゑとく》する楷梯《かいてい》にもならう。頼母《たのも》しい男だ。是も哲學者から遣り込められた結果かも知れぬ。
斯樣《かやう》に考へながら猶《なほ》樣子をうかがつてゐると、夫《それ》とも知らぬ主人は思ふ存分あかんべえ〔五字傍点〕をしたあとで「大分《だいぶ》充血して居る樣だ。矢つ張り慢性結膜炎だ」と言ひながら、人さし指の横つらでぐい/\充血した瞼《まぶた》をこすり始めた。大方|痒《かゆ》いのだらうけれども、只さへあんなに赤くなつて居るものを、かう擦《こす》つてはたまるまい。遠からぬうちに塩鯛《しほだい》の眼玉の如く腐爛するにきまつてる。やがて眼を開《ひら》いて鏡に向つた所を見ると、果せるかなどんよりとして北國の冬空の樣に曇つて居た。尤も平常《ふだん》から餘り晴れ/”\しい眼ではない。誇大な形容詞を用ゐると混沌《こんとん》として黒眼と白眼が剖判《ほうはん》しない位漠然として居る。彼の精神が朦朧として不得要領|底《てい》に一貫して居る如く、彼の眼も曖々然《あい/\ぜん》昧々然《まい/\ぜん》として長《とこし》へに眼窩《がんくわ》の奧に漂ふて居る。是は胎毒《たいどく》の爲だとも云ふし、或は疱瘡《はうさう》の餘波だとも解釋されて、小さい時分はだいぶ柳の蟲や赤蛙の厄介になつた事もあるさうだが、切角母親の丹精も、あるに其甲斐あらばこそ、今日《こんにち》迄《まで》生れた當時の儘でぼんやりして居る。吾輩ひそかに思ふに此?態は決して胎毒《たいどく》や疱瘡《はうさう》の爲ではない。彼の眼玉が斯樣に晦澁溷濁《くわいじふこんだく》の悲境に彷徨《はうくわう》して居るのは、とりも直さず彼の頭腦が不透不明《ふとうふめい》の實質から構成されていて、其作用が暗憺溟濛《あんたんめいもう》の極に達して居るから、自然と是が形體の上にあらはれて、知らぬ母親に入らぬ心配を掛けたんだらう。烟たつて火あるを知り、まなこ濁つて愚《ぐ》なるを證す。して見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保錢《てんぱうせん》の如く穴があいて居るから、彼の眼も亦天保錢と同じく、大きな割合に通用しないに違ない。
今度は髯をねぢり始めた。元來から行儀のよくない髯でみんな思ひ思ひの姿勢をとつて生えて居る。いくら個人主義が流行《はや》る世の中だつて、かう町々に我儘を盡くされては持主の迷惑は左《さ》こそと思ひやられる、主人もこゝに鑑《かんが》みる所あつて近頃は大《おほい》に訓練を與へて、出來る限り系統的に按排する樣に盡力して居る。其熱心の功果《こうくわ》は空《むな》しからずして昨今漸く歩調が少しとゝのふ樣になつて來た。今迄は髯が生えて居つたのであるが、此頃は髯を生やして居るのだと自慢する位になつた。熱心は成效の度に應じて鼓舞せられるものであるから、吾が髯の前途有望なりと見てとつた主人は朝な夕な、手がすいて居れば必ず髯に向つて鞭撻を加へる。彼《かれ》のアムビシヨンは獨逸《ドイツ》皇帝陛下の樣に、向上の念の熾《さかん》な髯を蓄へるにある。それだから毛孔が横向であらうとも、下向であらうとも聊《いさゝ》か頓着なく十把一《じつぱひ》とからげに握つては、上の方へ引つ張り上げる。髯も嘸《さぞ》かし難儀であらう、所有主たる主人すら時々は痛い事もある。がそこが訓練である。否《いや》でも應でもさかに扱《こ》き上げる。門外漢から見ると氣の知れない道樂の樣であるが、當局者|丈《だけ》は至當の事と心得て居る。ヘ育者が徒《いたづ》らに生徒の本性《ほんせい》を撓《た》めて、僕の手柄を見給へと誇る樣なもので毫も非難すべき理由はない。
主人が滿腔の熱誠を以て髯を調練して居ると、臺所から多角性の御三《おさん》が郵便が參りましたと、例の如く赤い手をぬつと書齋の中《うち》へ出した。右手《みぎ》に髯をつかみ、左手《ひだり》に鏡を持つた主人は、其儘入口の方を振りかへる。八の字の尾に逆《さ》か立《だ》ちを命じた樣な髯を見るや否や御多角《おたかく》はいきなり臺所へ引き戻して、ハヽヽヽと御釜の蓋《ふた》へ身をもたして笑つた。主人は平氣なものである。悠々と鏡を卸して郵便を取り上げた。第一信は活版ずりで何だかいかめしい文字が並べてある。讀んで見ると
拜啓|愈《いよ/\》御多祥|奉賀候《がしたてまつりそろ》回顧すれば日露の戰役は連戰連勝の勢に乘じて平和克復を告げ吾忠勇義烈なる將士は今や過半萬歳聲裡に凱歌を奏し國民の歡喜何ものか之に若《し》かん曩《さき》に宣戰の大詔煥發せらるゝや義勇公に奉じたる將士は久しく萬里の異境に在りて克《よ》く寒暑の苦難を忍び一意戰闘に從事し命《めい》を國家に捧げたるの至誠は永く銘して忘るべからざる所なり而《しかう》して軍隊の凱旋は本月を以て殆んど終了を告げんとす依つて本會は來る二十五日を期し本區内一千有餘の出征將校下士卒に對し本區民一般を代表し以て一大凱旋祝賀會を開催し兼て軍人遺族を慰藉せんが爲め熱誠之を迎へ聊《いさゝか》感謝の微衷を表し度《たく》就ては各位の御協賛を仰ぎ此盛典を擧行するの幸を得ば本會の面目|不過之《これにすぎず》と存|候《そろ》間|何卒《なにとぞ》御賛成奮つて義捐《ぎえん》あらんことを只管《ひたすら》希望の至に堪へず候《そろ》敬具
とあつて差し出し人は華族樣である。主人は黙讀一過の後《のち》直ちに封の中へ卷き納めて知らん顔をして居る。義捐《ぎえん》抔《など》は恐らくしさうにない。先達《せんだつ》て東北凶作の義捐金を二圓とか三圓とか出してから、逢ふ人毎に義捐をとられた、とられたと吹聽《ふいちやう》して居る位である。義捐とある以上は差し出すもので、とられるものでないには極つて居る。泥棒にあつたのではあるまいし、とられたとは不穩當である。然るにも關せず、盗難にでも罹つたかの如くに思つてるらしい主人が如何に軍隊の歡迎だと云つて、如何に華族樣の勸誘だと云つて、強談《がうだん》で持ちかけたらいざ知らず、活版の手紙位で金錢を出す樣な人間とは思はれない。主人から云へば軍隊を歡迎する前に先づ自分を歡迎したいのである。自分を歡迎した後《あと》なら大抵のものは歡迎しさうであるが、自分が朝夕《てうせき》に差し支へる間は、歡迎は華族樣に任せて置く了見らしい。主人は第二信を取り上げたが「ヤ、是も活版だ」と云つた。
時下秋冷の候《こう》に候《そろ》處貴家益々御隆盛の段|奉賀上候《がしあげたてまつりそろ》陳《のぶ》れば本校儀も御承知の通り一昨々年以來二三野心家の爲めに妨げられ一時其極に達し候得共《さふらへども》是れ皆不肖|針作《しんさく》が足らざる所に起因すと存じ深く自《みづか》ら警《いまし》むる所あり臥薪甞膽《ぐわしんしやうたん》其の苦辛の結果漸く茲《こゝ》に獨力以て我が理想に適するだけの校舍新築費を得るの途を講じ候《そろ》其《そ》は別義にも御座なく別册裁縫秘術綱要と命名せる書册出版の義に御座|候《そろ》本書は不肖|針作《しんさく》が多年苦心研究せる工藝上の原理原則に法《のつ》とり眞に肉を裂き血を絞るの思を爲《な》して著述せるものに御座|候《そろ》因つて本書を普《あまね》く一般の家庭へ製本實費に些少の利潤を附して御購求を願ひ一面斯道發達の一助となすと同時に又一面には僅少の利潤を蓄積して校舍建築費に當つる心算に御座|候《そろ》依つては近頃|何共《なんとも》恐縮の至りに存じ候へども本校建築費中へ御寄附|被成下《なしくださる》と御思召《おぼしめ》し茲《こゝ》に呈供仕|候《そろ》秘術綱要一部を御購求の上御侍女の方へなりとも御分與|被成下候《なしくだされそろ》て御賛同の意を御表章|被成下度《なしくだされたく》伏して懇願仕|候《そろ》匆々《さう/\》敬具
大日本女子裁縫最高等大學院
校長 縫田針作《ぬひだしんさく》 九拜
とある。主人は此鄭重なる書面を、冷淡に丸めてぽんと屑籠の中へ抛《はふ》り込んだ。切角の針作君の九拜も臥薪甞膽《ぐわしんしやうたん》も何の役にも立たなかつたのは氣の毒である。第三信にかゝる。第三信は頗る風變りの光彩を放つて居る。?袋が紅白のだんだらで、飴ん棒の看板の如くはなやかなる眞中に珍野苦沙彌先生《ちんのくしやみせんせい》虎皮下《こひか》と八分體《はつぷんたい》で肉太に認《したゝ》めてある。中からお太《た》さんが出るかどうだか受け合はないが表《おもて》丈《だけ》は頗る立派なものだ。
若し我を以て天地を律すれば一口《いつく》にして西江《せいかう》の水を吸ひつくすべく、若し天地を以て我を律すれば我は則《すなは》ち陌上《はくじやう》の塵のみ。すべからく道《い》へ、天地と我と什麼《いんも》の交渉かある。……始めて海鼠《なまこ》を食ひ出《いだ》せる人は其膽力に於て敬すべく、始めて河豚《ふぐ》を喫せる漢《をとこ》は其勇氣に於て重んずべし。海鼠《なまこ》を食《くら》へるものは親鸞《しんらん》の再來にして、河豚《ふぐ》を喫《きつ》せるものは日蓮《にちれん》の分身なり。苦沙彌先生の如きに至つては只|干瓢《かんぺう》の酢味噌《すみそ》を知るのみ。干瓢の酢味噌を食《くら》つて天下の士たるものは、われ未《いま》だ之を見ず。……
親友も汝を賣るべし。父母《ふぼ》も汝に私《わたくし》あるべし。愛人も汝を棄つべし。富貴《ふつき》は固《もと》より頼みがたかるべし。爵禄《しやくろく》は一朝《いつてう》にして失ふべし。汝の頭中に秘藏する學問には黴が生えるべし。汝何を恃《たの》まんとするか。天地の裡《うち》に何をたのまんとするか。神? 神は人間の苦しまぎれに捏造《でつざう》せる土偶《どぐう》のみ。人間のせつな糞《ぐそ》の凝結せる臭骸のみ。恃《たの》むまじきを恃《たの》んで安しと云ふ。咄々《とつ/\》、醉漢|漫《みだ》りに胡亂《うろん》の言辭を弄して、蹣跚《まんさん》として墓に向ふ。油盡きて燈《とう》自《おのづか》ら滅す。業盡きて何物をか遺す。苦沙彌先生よろしく御茶でも上がれ。……
人を人と思はざれば畏るゝ所なし。人を人と思はざるものが、吾を吾と思はざる世を憤《いきどほ》るは如何《いかん》。權貴榮達の士は人を人と思はざるに於て得たるが如し。只|他《ひと》の吾を吾と思はぬ時に於て怫然《ふつぜん》として色を作《な》す。任意に色を作《な》し來れ。馬鹿野郎。……
吾の人を人と思ふとき、他《ひと》の吾を吾と思はぬ時、不平家は發作的《ほつさてき》に天降《あまくだ》る。此發作的活動を名づけて革命といふ。革命は不平家の所爲にあらず。權貴榮達の士が好んで産する所なり。朝鮮に人參《にんじん》多し先生何が故に服せざる。
在巣鴨 天道公平《てんだうかうへい》 再拜
針作君は九拜であつたが、此男は單に再拜|丈《だけ》である。寄附金の依頼でない丈《だけ》に七拜程|横風《わうふう》に構へて居る。寄附金の依頼ではないが其代り頗る分りにくいものだ。どこの雜誌へ出しても沒書になる價値は充分あるのだから、頭腦の不透明を以て鳴る主人は必ず寸斷々々《ずた/\》に引き裂いて仕舞ふだらうと思の外、打ち返し/\讀み直して居る。こんな手紙に意味があると考へて、飽く迄其意味を究《きは》めやうといふ決心かも知れない。凡《およ》そ天地の間《かん》にわからんものは澤山あるが意味をつけてつかないものは一つもない。どんなむづかしい文章でも解釋しやうとすれば容易に解釋の出來るものだ。人間は馬鹿であると云はうが、人間は利口であると云はうが手もなくわかる事だ。夫《それ》所《どころ》ではない。人間は犬であると云つても豚であると云つても別に苦しむ程の命題ではない。山は低いと云つても構はん、宇宙は狹いと云つても差し支はない。烏が白くて小町が醜婦で苦沙彌先生が君子でも通らん事はない。だからこんな無意味な手紙でも何とか蚊《か》とか理窟さへつければどうとも意味はとれる。ことに主人の樣に知らぬ英語を無理矢理にこじ附けて説明し通して來た男は猶更《なほさら》意味をつけたがるのである。天氣の惡《わ》るいのに何故《なぜ》グード、モーニングですかと生徒に問はれて七日《なぬか》間《かん》考へたり、コロンバスと云ふ名は日本語で何と云ひますかと聞かれて三日三晩かゝつて答を工夫する位な男には、干瓢の酢味噌が天下の士であらうと、朝鮮の仁參《にんじん》を食つて革命を起さうと隨意な意味は隨處に湧き出る譯である。主人は暫らくしてグード、モーニング流に此難解の言句《ごんく》を呑み込んだと見えて「中々意味深長だ。何でも餘程哲理を研究した人に違ない。天晴《あつぱれ》な見識だ」と大變賞賛した。此|一言《いちごん》でも主人の愚《ぐ》な所はよく分るが、飜《ひるがへ》つて考へて見ると聊《いさゝ》か尤もな點もある。主人は何に寄らずわからぬものを難有《ありがた》がる癖を有して居る。是はあながち主人に限つた事でもなからう。分らぬ所には馬鹿に出來ないものが潜伏して、測るべからざる邊《へん》には何だか氣高《けだか》い心持が起るものだ。夫《それ》だから俗人はわからぬ事をわかつた樣に吹聽《ふいちやう》するにも係らず、學者はわかつた事をわからぬ樣に講釋する。大學の講義でもわからん事を喋舌《しやべ》る人は評判がよくつてわかる事を説明する者は人望がないのでもよく知れる。主人が此手紙に敬服したのも意義が明瞭であるからではない。其主旨が那邊《なへん》に存するか殆んど捕《とら》へ難いからである。急に海鼠《なまこ》が出て來たり、せつな糞《ぐそ》が出てくるからである。だから主人が此文章を尊敬する唯一の理由は、道家《だうけ》で道コ經を尊敬し、儒家《じゆか》で易經《えききやう》を尊敬し、禪家《ぜんけ》で臨濟録《りんざいろく》を尊敬すると一般で全く分らんからである。但し全然分らんでは氣が濟まんから勝手な釋釋をつけてわかつた顔|丈《だけ》はする。わからんものをわかつた積りで尊敬するのは昔から愉快なものである。――主人は恭しく八分體《はつぷんたい》の名筆を卷き納めて、是を机上に置いた儘懷手をして冥想に沈んで居る。
所へ「頼む/\」と玄關から大きな聲で案内を乞ふ者がある。聲は迷亭の樣だが、迷亭に似合はずしきりに案内を頼んで居る。主人は先から書齋のうちで其聲を聞いて居るのだが懷手の儘|毫《がう》も動かうとしない。取次に出るのは主人の役目でないといふ主義か、此主人は決して書齋から挨拶をした事がない。下女は先刻《さつき》洗濯石鹸《せんたくシヤボン》を買ひに出た。細君は憚《はゞか》りである。すると取次に出《で》べきものは吾輩|丈《だけ》になる。吾輩だつて出るのはいやだ。すると客人は沓脱《くつぬぎ》から敷臺へ飛び上がつて障子を開け放つてつか/\上り込んで來た。主人も主人だが客も客だ。座敷の方へ行つたなと思ふと襖を二三度あけたり閉《た》てたりして、今度は書齋の方へやつてくる。
「おい冗談ぢやない。何をして居るんだ、御客さんだよ」
「おや君か」
「おや君かもないもんだ。そこに居るなら何とか云へばいゝのに、丸《まる》で空家《あきや》の樣ぢやないか」
「うん、ちと考へ事があるもんだから」
「考へて居たつて通れ〔二字傍点〕位は云へるだらう」
「云へん事もないさ」
「相變らず度胸がいゝね」
「先達《せんだつて》から精神の修養を力《つと》めて居るんだもの」
「物好きだな。精神を修養して返事が出來なくなつた日には來客は御難だね。そんなに落ち付かれちや困るんだぜ。實は僕一人來たんぢやないよ。大變な御客さんを連れて來たんだよ。一寸出て逢つて呉れ給へ」
「誰を連れて來たんだい」
「誰でもいゝから一寸出て逢つてくれ玉へ。是非君に逢ひたいと云ふんだから」
「誰だい」
「誰でもいゝから立ち玉へ」
主人は懷手の儘ぬつと立ちながら「又人を擔ぐ積りだらう」と椽側へ出て何の氣もつかずに客間へ這入り込んだ。すると六尺の床を正面に一個の老人が肅然と端坐して控へて居る。主人は思はず懷から兩手を出してぺたりと唐紙《からかみ》の傍《そば》へ尻を片づけて仕舞つた。是では老人と同じく西向きであるから双方共挨拶の仕樣《しやう》がない。昔堅氣《むかしかたぎ》の人は禮羲はやかましいものだ。
「さあどうぞあれへ」と床の間の方を指して主人を促《うな》がす。主人は兩三年前迄は座敷はどこへ坐つても構はんものと心得て居たのだが、其《その》後《ご》ある人から床の間の講釋を聞いて、あれは上段の間《ま》の變化したもので、上使《じやうし》が坐はる所だと悟つて以來決して床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者が頑と構へて居るのだから上座《じやうざ》所《どころ》ではない。挨拶さへ碌には出來ない。一應頭をさげて
「さあどうぞあれへ」と向ふの云ふ通りを繰り返した。
「いや夫《それ》では御挨拶が出來かねますから、どうぞあれへ」
「いえ、夫《それ》では……どうぞあれへ」と主人はいゝ加減に先方の口上を眞似て居る。
「どうもさう、御謙遜では恐れ入る。却つて手前が痛み入る。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」
「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人は眞赤《まつか》になつて口をもご/\云はせて居る。精神修養も餘り効果がない樣である。迷亭君は襖の影から笑ひながら立見をして居たが、もういゝ時分だと思つて、後《うし》ろから主人の尻を押しやりながら
「まあ出玉へ。さう唐紙へくつついては僕が坐る所がない。遠慮せずに前へ出たまへ」と無理に割り込んでくる。主人は已《やむ》を得ず前の方へすり出る。
「苦沙彌君是が毎々君に噂をする靜岡の伯父だよ。伯父さん是が苦沙彌君です」
「いや始めて御目にかゝります、毎度迷亭が出て御邪魔を致すさうで、いつか參上の上御高話を拜聽致さうと存じて居りました所、幸ひ今日《こんにち》は御近所を通行致したもので、御禮|旁《かた/”\》伺つた譯で、どうぞ御見知り置かれまして今後共宜しく」と昔《むか》し風な口上を淀《よど》みなく述べたてる。主人は交際の狹い、無口な人間である上に、こんな古風な爺さんとは殆んど出會つた事がないのだから、最初から多少|場《ば》うての氣味で辟易して居た所へ、滔々と浴びせかけられたのだから、朝鮮仁參《てうせんにんじん》も飴ん棒の?袋もすつかり忘れて仕舞つて只苦しまぎれに妙な返事をする。
「私も……私も……一寸伺がう筈でありました所……何分よろしく」と云ひ終つて頭を少々疊から上げて見ると老人は未だに平伏して居るので、はつと恐縮して又頭をぴたりと着けた。
老人は呼吸を計つて首をあげながら「私ももとはこちらに屋敷も在つて、永らく御膝元でくらしたものでがすが、瓦解《ぐわかい》の折にあちらへ參つてから頓と出てこんのでな。今來て見ると丸《まる》で方角も分らん位で、――迷亭にでも伴《つ》れてあるいてもらはんと、とても用達《ようたし》も出來ません。滄桑《さうさう》の變《へん》とは申しながら、御入國《ごにふこく》以來《いらい》三百年も、あの通り將軍家の……」と云ひかけると迷亭先生面倒だと心得て
「伯父さん將軍家も難有《ありがた》いかも知れませんが、明治の代《よ》も結構ですぜ。昔は赤十字なんてものもなかつたでせう」
「それはない。赤十字|抔《など》と稱するものは全くない。ことに宮樣の御顔を拜むなどと云ふ事は明治の御代《みよ》でなくては出來ぬ事だ。わしも長生きをした御蔭で此通り今日《こんにち》の總會にも出席するし、宮殿下の御聲もきくし、もう是で死んでもいゝ」
「まあ久し振りで東京見物をする丈《だけ》でも得ですよ。苦沙彌君、伯父はね。今度赤十字の總會があるのでわざ/\靜岡から出て來てね、今日一所に上野へ出掛けたんだが今其歸りがけなんだよ。夫《それ》だから此通り先日僕が白木屋へ注文したフロツクコートを着て居るのさ」と注意する。成程フロツクコートを着て居る。フロツクコートは着て居るがすこしもからだに合はない。袖が長過ぎて、襟がおつ開《ぴら》いて、脊中へ池が出來て、腋の下が釣るし上がつて居る。いくら不恰好《ぶかつかう》に作らうと云つたつて、かう迄念を入れて形を崩す譯にはゆかないだらう。其上白シヤツと白襟が離れ/\になつて、仰むくと間から咽喉佛《のどぼとけ》が見える。第一黒い襟飾りが襟に屬して居るのか、シヤツに屬して居るのか判然《はんぜん》しない。フロツクはまだ我慢が出來るが白髪《しらが》のチヨン髷は甚だ奇觀である。評判の鐵扇はどうかと目を注《つ》けると膝の横にちやんと引きつけて居る。主人は此時漸く本心に立ち返つて、精神修養の結果を存分に老人の服裝に應用して少々驚いた。まさか迷亭の話程ではなからうと思つて居たが、逢つて見ると話以上である。もし自分のあばた〔三字傍点〕が歴史的研究の材料になるならば、此老人のチヨン髷や鐵扇は慥《たし》かにそれ以上の價値がある。主人はどうかして此鐵扇の由來を聞いて見たいと思つたが、まさか、打ちつけに質問する譯には行かず、と云つて話を途切らすのも禮に缺けると思つて
「大分《だいぶ》人が出ましたらう」と極めて尋常な問をかけた。
「いや非常な人で、それで其人が皆わしをじろ/\見るので――どうも近來は人間が物見高くなつた樣でがすな。昔《むか》しはあんなではなかつたが」
「えゝ、左樣《さやう》、昔はそんなではなかつたですな」と老人らしい事を云ふ。是はあながち主人が知《し》つ高振《たかぶ》りをした譯ではない。只|朦朧たる頭腦から好い加減に流れ出す言語と見れば差し支ない。
「それにな。皆此|甲割《かぶとわ》りへ目を着けるので」
「其鐵扇は大分《だいぶ》重いもので御座いませう」
「苦沙彌君、一寸持つて見玉へ。中々重いよ。伯父さん持たして御覽なさい」
老人は重たさうに取り上げて「失禮でがすが」と主人に渡す。京都の黒谷《くろだに》で參詣人が蓮生坊《れんしやうばう》の太刀を戴く樣なかたで、苦沙彌先生しばらく持つて居たが「成程」と云つた儘老人に返却した。
「みんなが是を鐵扇々々と云ふが、之は甲割《かぶとわり》と稱《とな》へて鐵扇とは丸《まる》で別物で……」
「へえ、何にしたもので御座いませう」
「兜を割るので、――敵の目がくらむ所を撃ちとつたものでがす。楠正成《くすのきまさしげ》時代から用ゐたやうで……」
「伯父さん、そりや正成《まさしげ》の甲割《かぶとわり》ですかね」
「いえ、是は誰のかわからん。然し時代は古い。建武時代《けんむじだい》の作かも知れない」
「建武時代かも知れないが、寒月君《かんげつくん》は弱つてゐましたぜ。苦沙彌君、今日歸りに丁度いゝ機會だから大學を通り拔ける序《つい》でに理科へ寄つて、物理の實驗室を見せて貰つた所がね。此|甲割《かぶとわり》が鐵だものだから、磁力の器械が狂つて大騷ぎさ」
「いや、そんな筈はない。是は建武時代の鐵で、性《しやう》のいゝ鐵だから決してそんな虞《おそ》れはない」
「いくら性《しやう》のいゝ鐵だつてさうはいきませんよ。現に寒月がさう云つたから仕方がないです」
「寒月といふのは、あのガラス球《だま》を磨《す》つて居る男かい。今の若さに氣の毒な事だ。もう少し何かやる事がありさうなものだ」
「可愛想《かはいさう》に、あれだつて研究でさあ。あの球を磨《す》り上げると立派な學者になれるんですからね」
「玉を磨《す》りあげて立派な學者になれるなら、誰にでも出來る。わしにでも出來る。ビードロやの主人にでも出來る。あゝ云ふ事をする者を漢土《かんど》では玉人《きうじん》と稱したもので至つて身分の輕いものだ」と云ひながら主人の方を向いて暗に賛成を求める。
「成程」と主人はかしこまつて居る。
「凡《すべ》て今の世の學問は皆|形而下《けいじか》の學で一寸結構な樣だが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。昔はそれと違つて侍《さむらひ》は皆命懸けの商買《しやうばい》だから、いざと云ふ時に狼狽せぬ樣に心の修業を致したもので、御承知でもあらつしやらうが中々玉を磨つたり針金を綯《よ》つたりする樣な容易《たやす》いものではなかつたのでがすよ」
「成程」と矢張りかしこまつて居る。
「伯父さん心の修業《しゆげふ》と云ふものは玉を磨る代りに懷手をして坐り込んでるんでせう」
「夫《それ》だから困る。決してそんな造作《ざうさ》のないものではない。孟子《まうし》は求放心《きうはうしん》と云はれた位だ。邵康節《せうかうせつ》は心要放《しんえうはう》と説いた事もある。又|佛家《ぶつか》では中峯和尚《ちゆうほうをしやう》と云ふのが具不退轉《ぐふたいてん》と云ふ事をヘへて居る。中々容易には分らん」
「到底分りつこありませんね。全體どうすればいゝんです」
「御前は澤菴禪師《たくあんぜんじ》の不動智神妙録《ふどうちしんめうろく》といふものを讀んだ事があるかい」
「いゝえ、聞いた事もありません」
「心をどこに置かうぞ。敵の身の働《はたらき》に心を置けば、敵の身の働《はたらき》に心を取らるゝなり。敵の太刀に心を置けば、敵の太刀に心を取らるゝなり。敵を切らんと思ふところに心を置けば、敵を切らんと思ふ所に心を取らるゝなり。我《わが》太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるゝなり。われ切られじと思ふ所に心を置けば、切られじと思ふ所に心を取らるゝなり。人の構《かまへ》に心を置けば、人の構に心を取らるゝなり。兎角心の置き所はないとある」
「よく忘れずに暗誦したものですね。伯父さんも中々記憶がいゝ。長いぢやありませんか。苦沙彌君分つたかい」
「成程」と今度も成程で濟まして仕舞つた。
「なあ、あなた、さうで御座りませう。心を何處に置かうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の働に心を取らるゝなり。敵の太刀に心を置けば……」
「伯父さん苦沙彌君はそんな事は、よく心得て居るんですよ。近頃は毎日書齋で精神の修養ばかりして居るんですから。客があつても取次に出ない位心を置き去りにして居るんだから大丈夫ですよ」
「や、それは御奇特な事で――御前|抔《など》もちと御一所にやつたらよからう」
「へヽヽそんな暇はありませんよ。伯父さんは自分が樂なからだだもんだから、人も遊んでると思つて居らつしやるんでせう」
「實際遊んでるぢやないかの」
「所が閑中《かんちゆう》自《おのづ》から忙《ばう》ありでね」
「さう、粗忽だから修業《しゆげふ》をせんといかないと云ふのよ、忙中|自《おのづか》ら閑《かん》ありと云ふ成句《せいく》はあるが、閑中|自《おのづか》ら忙《ばう》ありと云ふのは聞いた事がない。なあ苦沙彌さん」
「えゝ、どうも聞きません樣で」
「ハヽヽヽさうなつちやあ敵《かな》はない。時に伯父さんどうです。久し振りで東京の鰻でも食つちやあ。竹葉《ちくえふ》でも奢りませう。是から電車で行くとすぐです」
「鰻も結構だが、今日は是からすい〔二字傍点〕原《はら》へ行く約束があるから、わしは是で御免を蒙らう」
「あゝ杉原《すぎはら》ですか、あの爺さんも達者ですね」
「杉原《すぎはら》ではない、すい〔二字傍点〕原《はら》さ。御前はよく間違ばかり云つて困る。他人の姓名を取り違へるのは失禮だ。よく氣をつけんといけない」
「だつて杉原《すぎはら》とかいてあるぢやありませんか」
「杉原《すぎはら》と書いてすい〔二字傍点〕原《はら》と讀むのさ」
「妙ですね」
「なに妙な事があるものか。名目讀《みやうもくよ》みと云つて昔からある事さ。蚯蚓《きういん》を和名《わみやう》でみゝず〔三字傍点〕と云ふ。あれは目見ず〔三字傍点〕の名目《みやうもく》よみで。蝦蟆《がま》の事をかいる〔三字傍点〕と云ふのと同じ事さ」
「へえ、驚ろいたな」
「蝦蟆《がま》を打ち殺すと仰向きにかへる〔三字傍点〕。それを名目讀《みやうもくよ》みにかいる〔三字傍点〕と云ふ。透垣《すきがき》をすい〔二字傍点〕垣《がき》、茎立《くきたち》をくゝ〔二字傍点〕立《たち》、皆同じ事だ。杉原《すいはら》をすぎ原などと云ふのは田舍ものゝ言葉さ。少し氣を付けないと人に笑はれる」
「ぢや、その、すい〔二字傍点〕原《はら》へ是から行くんですか。困つたな」
「なに厭なら御前は行かんでもいゝ。わし一人で行くから」
「一人で行けますかい」
「あるいては六づかしい。車を雇つて頂いて、こゝから乘つて行かう」
主人は畏まつて直ちに御三《おさん》を車屋へ走らせる。老人は長々と挨拶をしてチヨン髷頭へ山高帽をいたゞいて歸つて行く。迷亭はあとへ殘る。
「あれが君の伯父さんか」
「あれが僕の伯父さんさ」
「成程」と再び座蒲團の上に坐つたなり懷手をして考へ込んで居る。
「ハヽヽ豪傑だらう。僕もあゝ云ふ伯父さんを持つて仕合せなものさ。どこへ連れて行つてもあの通りなんだぜ。君驚ろいたらう」と迷亭君は主人を驚ろかした積りで大《おほい》に喜んで居る。
「なにそんなに驚きやしない」
「あれで驚かなけりや、膽力の据つたもんだ」
「然しあの伯父さんは中々えらい所がある樣だ。精神の修養を主張する所なぞは大《おほい》に敬服していゝ」
「敬服していゝかね。君も今に六十位になると矢つ張りあの伯父見た樣に、時候おくれになるかも知れないぜ。確《しつ》かりして呉れ玉へ。時候おくれの廻り持ちなんか氣が利かないよ」
「君は頻りに時候おくれを氣にするが、時と場合によると、時候おくれの方がえらい〔三字傍点〕んだぜ。第一今の學問と云ふものは先へ先へと行く丈《だけ》で、どこ迄行つたつて際限はありやしない。到底滿足は得られやしない。そこへ行くと東洋流の學問は消極的で大《おほい》に味《あじはひ》がある。心其ものゝ修業をするのだから」と先達《せんだつ》て哲學者から承はつた通りを自説の樣に述べ立てる。
「えらい事になつて來たぜ。何だか八木獨仙君《やぎどくせんくん》の樣な事を云つてるね」
八木獨仙《やぎどくせん》と云ふ名を聞いて主人ははつと驚ろいた。實は先達《せんだつ》て臥龍窟《ぐわりようくつ》を訪問して主人を説服に及んで悠然と立ち歸つた哲學者と云ふのが取も直さず此八木獨仙|君《くん》であつて、今主人が鹿爪らしく述べ立てゝ居る議論は全く此八木獨仙君の受賣なのであるから、知らんと思つた迷亭が此先生の名を間不容髪《かんふようはつ》の際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りの假鼻《かりばな》を挫いた譯になる。
「君|獨仙《どくせん》の説を聞いた事があるのかい」と主人は劔呑だから念を推して見る。
「聞いたの、聞かないのつて、あの男の説ときたら、十年前學校に居た時分と今日《こんにち》と少しも變りやしない」
「眞理はさう變るものぢやないから、變らない所が頼母《たのも》しいかも知れない」
「まあそんな贔負《ひいき》があるから獨仙もあれで立ち行くんだね。第一|八木《やぎ》と云ふ名からして、よく出來てるよ。あの髯が君全く山羊《やぎ》だからね。さうしてあれも寄宿舍時代からあの通りの恰好《かつかう》で生えて居たんだ。名前の獨仙|抔《など》も振《ふる》つたものさ。昔《むか》し僕の所へ泊りがけに來て例の通り消極的の修養と云ふ議論をしてね。いつ迄立つても同じ事を繰り返して已《や》めないから、僕が君もう寐やうぢやないかと云ふと、先生氣樂なものさ、いや僕は眠くないと濟《すま》し切つて、矢つ張り消極論をやるには迷惑したね。仕方がないから君は眠くなからうけれども、僕の方は大變眠いのだから、どうか寐てくれ玉へと頼むやうにして寐かした迄はよかつたが――其晩鼠が出て獨仙君の鼻のあたまを?《かじ》つてね。夜なかに大騷ぎさ。先生悟つた樣な事を云ふけれども命は依然として惜しかつたと見えて、非常に心配するのさ。鼠の毒が總身《そうしん》にまはると大變だ、君どうかしてくれと責《せ》めるには閉口したね。夫《それ》から仕方がないから臺所へ行つて紙片《かみぎれ》へ飯粒を貼つて胡魔化《ごまか》してやつたあね」
「どうして」
「是は舶來の膏藥で、近來|獨逸《ドイツ》の名醫が發明したので、印度人|抔《など》の毒蛇に?まれた時に用ゐると即効があるんだから、是さへ貼つて置けば大丈夫だと云つてね」
「君は其時分から胡魔化《ごまか》す事に妙を得て居たんだね」
「……すると獨仙君はあゝ云ふ好人物だから、全くだと思つて安心してぐう/\寐て仕舞つたのさ。あくる日起きて見ると膏藥の下から糸屑がぶらさがつて例の山羊髯に引つかゝつて居たのは滑稽だつたよ」
「然しあの時分より大分《だいぶ》えらく〔三字傍点〕なつた樣だよ」
「君近頃逢つたのかい」
「一週間|許《ばか》り前に來て、長い間話しをして行つた」
「どうりで獨仙流の消極説を振り舞はすと思つた」
「實は其時|大《おほい》に感心して仕舞つたから、僕も大に奮發して修養をやらうと思つてる所なんだ」
「奮發は結構だがね。あんまり人の云ふ事を眞《ま》に受けると馬鹿を見るぜ。一體君は人の言ふ事を何でも蚊《か》でも正直に受けるからいけない。獨仙も口|丈《だけ》は立派なものだがね、いざとなると御互と同じものだよ。君九年前の大地震を知つてるだらう。あの時寄宿の二階から飛び降りて怪我をしたものは獨仙君|丈《だけ》なんだからな」
「あれには當人|大分《だいぶ》説がある樣ぢやないか」
「さうさ、當人に云はせると頗る難有《ありがた》いものさ。禪の機鋒《きほう》は峻峭《しゆんせう》なもので、所謂|石火《せきくわ》の機《き》となると怖《こは》い位早く物に應ずる事が出來る。ほかのものが地震だと云つて狼狽《うろた》へて居る所を自分|丈《だけ》は二階の窓から飛び下りた所に修業の効があらはれて嬉しいと云つて、跛《びつこ》を引きながらうれしがつて居た。負惜みの強い男だ。一體|禪《ぜん》とか佛《ぶつ》とか云つて騷ぎ立てる連中程あやしいのはないぜ」
「さうかな」と苦沙彌先生少々腰が弱くなる。
「此間來た時禪宗坊主の寐言《ねごと》見た樣な事を何か云つてつたらう」
「うん電光影裏《でんくわうえいり》に春風《しゆんぷう》をきるとか云ふ句をヘへて行つたよ」
「其電光さ。あれが十年前からの御箱《おはこ》なんだから可笑《をか》しいよ。無覺禪師《むかくぜんじ》の電光ときたら寄宿舍中誰も知らないものはない位だつた。夫《それ》に先生時々せき込むと間違へて電光影裏を逆《さか》さまに春風影裏に電光をきると云ふから面白い。今度爲して見玉へ。向《むかふ》で落ちつき拂つて述べたてゝ居る所を、こつちで色々反對するんだね。するとすぐ?倒して妙な事を云ふよ」
「君の樣ないづらものに逢つちや叶《かな》はない」
「どつちがいたづら者だか分りやしない。僕は禪坊主だの、悟つたのは大嫌だ。僕の近所に南藏院《なんざうゐん》と云ふ寺があるが、あすこに八十|許《ばか》りの隱居が居る。それで此間の白雨《ゆふだち》の時|寺内《じない》へ雷《らい》が落ちて隱居の居る庭先の松の木を割いて仕舞つた。所が和尚泰然として平氣だと云ふから、よく聞き合はせて見るとから聾《つんぼ》なんだね。それぢや泰然たる譯さ。大概そんなものさ。獨仙も一人で悟つて居ればいゝのだが、稍《やゝ》ともすると人を誘ひ出すから惡い。現に獨仙の御蔭で二人ばかり氣狂にされてゐるからな」
「誰が」
「誰がつて。一人は理野陶然《りのたうぜん》さ。獨仙の御蔭で大《おほい》に禪學に凝《こ》り固まつて鎌倉へ出掛けて行つて、とう/\出先で氣狂になつて仕舞つた。圓覺寺《ゑんがくじ》の前に汽車の踏切りがあるだらう、あの踏切り内《うち》へ飛び込んでレールの上で座禪をするんだね。夫《それ》で向ふから來る汽車をとめて見せると云ふ大氣?さ。尤も汽車の方で留つてくれたから一命|丈《だけ》はとりとめたが、其代り今度は火に入《い》つて燒けず、水に入つて溺れぬ金剛不壞《こんがうふゑ》のからだゞと號して寺内《じない》の蓮池《はすいけ》へ這入つてぶく/\あるき廻つたもんだ」
「死んだかい」
「其時も幸《さいはひ》、道場の坊主が通りかゝつて助けてくれたが、其《その》後《ご》東京へ歸つてから、とう/\腹膜炎で死んで仕舞つた。死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になつた原因は僧堂で麥飯や萬年漬《まんねんづけ》を食つたせいだから、詰る所は間接に獨仙が殺した樣なものさ」
「無暗に熱中するのも善《よ》し惡《あ》ししだね」と主人は一寸氣味のわるいといふ顔付をする。
「本當にさ。獨仙にやられたものがもう一人同窓中にある」
「あぶないね。誰だい」
「立町老梅君《たちまちらうばいくん》さ。あの男も全く獨仙にそゝのかされて鰻が天上する樣な事ばかり言つて居たが、とう/\君本物になつて仕舞つた」
「本物たあ何だい」
「とう/\鰻が天上して、豚が仙人になつたのさ」
「何の事だい、それは」
「八木《やぎ》が獨仙《どくせん》なら、立町《たちまち》は豚仙《ぶたせん》さ、あの位食ひ意地のきたない男はなかつたが、あの食意地と禪坊主のわる意地が併發したのだから助からない。始めは僕らも氣がつかなかつたが今から考へると妙な事ばかり並べて居たよ。僕のうち抔《など》へ來て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、僕の國では蒲鉾が板へ乘つて泳いで居ますのつて、頻りに警句を吐いたものさ。只吐いて居るうちはよかつたが君表のどぶ〔二字傍点〕へ金とん〔三字傍点〕を堀りに行きませうと促《うな》がすに至つては僕も降參したね。夫《それ》から二三日《にさんち》すると遂に豚仙になつて巣鴨へ収容されて仕舞つた。元來豚なんぞが氣狂になる資格はないんだが、全く獨仙の御蔭であすこ迄漕ぎ付けたんだね。獨仙の勢力も中々えらいよ」
「へえ、今でも巣鴨に居るのかい」
「居るだんぢやない。自大狂《じだいきやう》で大氣?を吐いて居る。近頃は立町老梅《たちまちらうばい》なんて名はつまらないと云ふので、自《みづか》ら天道公平《てんだうこうへい》と號して、天道の權化《ごんげ》を以て任じて居る。すさまじいものだよ。まあ一寸行つて見たまへ」
「天道公平《てんだうこうへい》?」
「天道公平《てんだうこうへい》だよ。氣狂《きちがひ》の癖にうまい名をつけたものだね。時々は孔平《こうへい》とも書く事がある。夫《それ》で何でも世人が迷つてるから是非救つてやりたいと云ふので、無暗に友人や何かへ手紙を出すんだね。僕も四五通貰つたが、中には中々長い奴があつて不足税を二度|許《ばか》りとられたよ」
「夫《それ》ぢや僕の所《とこ》へ來たのも老梅から來たんだ」
「君の所《とこ》へも來たかい。そいつは妙だ。矢つ張り赤い?袋だらう」
「うん、眞中が赤くて左右が白い。一風變つた?袋だ」
「あれはね、わざ/\支那から取り寄せるのださうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人は中間に在つて赤しと云ふ豚仙《ぶたせん》の格言を示したんだつて……」
「中々因縁のある?袋だね」
「氣狂《きちがひ》丈《だけ》に大《おほい》に凝《こ》つたものさ。さうして氣狂になつても食意地|丈《だけ》は依然として存して居るものと見えて、毎回必ず食物の事がかいてあるから奇妙だ。君の所《とこ》へも何とか云つて來たらう」
「うん、海鼠《なまこ》の事がかいてある」
「老梅《らうばい》は海鼠《なまこ》が好きだつたからね。尤《もつと》もだ。夫《それ》から?」
「夫《それ》から河豚《ふぐ》と朝鮮仁參《てうせんにんじん》か何か書いてある」
「河豚《ふぐ》と朝鮮仁參《てうせんにんじん》の取り合せは旨いね。大方|河豚《ふぐ》を食つて中《あた》つたら朝鮮仁參《てうせんにんじん》を煎じて飲めとでも云ふ積りなんだらう」
「さうでもない樣だ」
「さうでなくても構はないさ。どうせ氣狂だもの。夫《そ》れつきりかい」
「まだある。苦沙彌先生御茶でも上がれと云ふ句がある」
「アハヽヽ御茶でも上がれはきびし過ぎる。夫《それ》で大《おほい》に君をやり込めた積りに違ない。大出來だ。天道公平君萬歳だ」と迷亭先生は面白がつて、大《おほい》に笑ひ出す。主人は少からざる尊敬を以て反覆讀誦した書翰の差出人が金箔つきの狂人《きやうじん》であると知つてから、最前の熱心と苦心が何だか無駄骨の樣な氣がして腹立たしくもあり、又|瘋癲病者《ふうてんびやうしや》の文章を左程《さほど》心勞して翫味《ぐわんみ》したかと思ふと耻づかしくもあり、最後に狂人の作に是程感服する以上は自分も多少神經に異?がありはせぬかとの疑念もあるので、立腹と、慚愧と、心配の合併した?態で何だか落ちつかない顔付をして控へて居る。
折から表格子をあらゝかに開けて、重い靴の音が二た足程|沓脱《くつぬぎ》に響いたと思つたら「一寸頼みます、一寸頼みます」と大きな聲がする。主人の尻の重いに反して迷亭は又頗る氣輕な男であるから、御三《おさん》の取次に出るのも待たず、通れ〔二字傍点〕と云ひながら隔ての中の間《ま》を二た足|許《ばか》りに飛び越えて玄關に躍り出した。人のうちへ案内も乞はずにつか/\這入り込む所は迷惑の樣だが、人のうちへ這入つた以上は書生同樣取次を務めるから甚だ便利である。いくら迷亭でも御客さんには相違ない、其御客さんが玄關へ出張するのに主人たる苦沙彌先生が座敷へ構へ込んで動かん法はない。普通の男ならあとから引き續いて出陣すべき筈であるが、そこが苦沙彌先生である。平氣に座布團の上へ尻を落ちつけて居る。但し落ち付けて居るのと、落ち付いて居るのとは、其趣は大分《だいぶ》似て居るが、其實質は餘程違ふ。
玄關へ飛び出した迷亭は何か頻りに辯じて居たが、やがて奧の方を向いて「おい御主人一寸御足勞だが出てくれ玉へ。君でなくつちや、間に合はない」と大きな聲を出す。主人は已《やむ》を得ず懷手《ふところで》の儘のそり/\と出てくる。見ると迷亭君は一枚の名刺を握つた儘しやがんで挨拶をして居る。頗る威嚴のない腰つきである。其名刺には警視廰刑事巡査|吉田虎藏《よしだとらざう》とある。虎藏君と並んで立つて居るのは二十五六の脊《せい》の高い、いなせ〔三字傍点〕な唐棧《たうざん》づくめの男である。妙な事に此男は主人と同じく懷手《ふところで》をした儘、無言で突立《つつた》つて居る。何だか見た樣な顔だと思つて能く/\觀察すると、見た樣な所《どころ》ぢやない。此間深夜御來訪になつて山の芋を持つて行かれた泥棒君である。おや今度は白晝公然と玄關から御出《おいで》になつたな。
「おい此《この》方《かた》は刑事巡査で先達《せんだつ》ての泥棒をつらまへたから、君に出頭しろと云ふんで、わざ/\御出《おいで》になつたんだよ」
主人は漸く刑事が踏み込んだ理由が分つたと見えて、頭をさげて泥棒の方を向いて鄭寧に御辭儀をした。泥棒の方が虎藏君より男振りがいゝので、こつちが刑事だと早合點をしたのだらう。泥棒も驚ろいたに相違ないが、まさか私《わたし》が泥棒ですよと斷はる譯にも行かなかつたと見えて、濟まして立つて居る。矢張り懷手の儘である。尤も手錠《てぢやう》をはめて居るのだから、出さうと云つても出る氣遣はない。通例のものなら此樣子で大抵はわかる筈だが、この主人は當世の人間に似合はず、無暗に役人や警察を難有《ありがた》がる癖がある。御上《おかみ》の御威光となると非常に恐しいものと心得て居る。尤も理論上から云ふと、巡査なぞは自分達が金を出して番人に雇つて置くのだ位の事は心得て居るのだが、實際に臨むといやにへえ/\する。主人のおやぢは其昔場末の名主であつたから、上の者にぴよこ/\頭を下げて暮した習慣が、因果となつて斯樣に子に酬《むく》つたのかも知れない。まことに氣の毒な至りである。
巡査は可笑《をか》しかつたと見えて、にや/\笑ひながら「あしたね、午前九時迄に日本堤《にほんづゝみ》の分署迄來て下さい。――盗難品は何と何でしたかね」
「盗難品は……」と云ひかけたが、生憎《あいにく》先生大概忘れて居る。只覺えて居るのは多々良三平《たゝらさんぺい》の山の芋|丈《だけ》である。山の芋|抔《など》はどうでも構はんと思つたが、盗難品は……と云ひかけてあとが出ないのは如何にも與太郎の樣で體裁《ていさい》がわるい。人が盗まれたのならいざ知らず、自分が盗まれて置きながら、明瞭の答が出來んのは一人前《いちにんまへ》ではない證據だと、思ひ切つて「盗難品は……山の芋一箱」とつけた。
泥棒は此時餘程|可笑《をか》しかつたと見えて、下を向いて着物の襟へあごを入れた。迷亭はアハヽヽと笑ひながら「山の芋が餘程惜しかつたと見えるね」と云つた。巡査|丈《だけ》は存外眞面目である。
「山の芋は出ない樣だが外の物件はたいがい戻つた樣です。――まあ來て見たら分るでせう。夫《それ》でね、下げ渡したら請書《うけしよ》が入るから、印形《いんぎやう》を忘れずに持つて御出《おいで》なさい。――九時迄に來なくつてはいかん。日本堤分署《にほんづゝみぶんしよ》です。――淺草警察署の管轄内《くわんかつない》の日本堤分署です。――それぢや、左樣なら」と獨りで辯じて歸つて行く。泥棒君も續いて門を出る。手が出せないので、門をしめる事が出來ないから開け放しの儘行つて仕舞つた。恐れ入りながらも不平と見えて、主人は頬をふくらして、ぴしやりと立て切つた。
「アハヽヽ君は刑事を大變尊敬するね。つねにあゝ云ふ恭謙《きようけん》な態度を持つてるといゝ男だが、君は巡査|丈《だけ》に鄭寧なんだから困る」
「だつて切角知らせて來てくれたんぢやないか」
「知らせに來るつたつて、先は商賣だよ。當り前にあしらつてりや澤山だ」
「然し只の商賣ぢやない」
「無論只の商賣ぢやない。探偵と云ふいけすかない商賣さ。あたり前の商賣より下等だね」
「君そんな事を云ふと、ひどい目に逢ふぜ」
「ハヽヽ夫《それ》ぢや刑事の惡口《わるくち》はやめにしやう。然し刑事を尊敬するのは、まだしもだが、泥棒を尊敬するに至つては、驚かざるを得んよ」
「誰が泥棒を尊敬したい」
「君がしたのさ」
「僕が泥棒に近付きがあるもんか」
「あるもんかつて君は泥棒に御辭儀をしたぢやないか」
「いつ?」
「たつた今平身低頭《へいしんていとう》したぢやないか」
「馬鹿あ云つてら、あれは刑事だね」
「刑事があんななり〔二字傍点〕をするものか」
「刑事だからあんななり〔二字傍点〕をするんぢやないか」
「頑固だな」
「君こそ頑固だ」
「まあ第一、刑事が人の所へ來てあんなに懷手《ふところで》なんかして、突立《つつた》つて居るものかね」
「刑事だつて懷手をしないとは限るまい」
「さう猛烈にやつて來ては恐れ入るがね。君が御辭儀をする間あいつは始終あの儘で立つて居たのだぜ」
「刑事だから其位の事はあるかも知れんさ」
「どうも自信家だな。いくら云つても聞かないね」
「聞かないさ。君は口先|許《ばか》りで泥棒だ泥棒だと云つてる丈《だけ》で、其泥棒が這入る所を見屆けた譯ぢやないんだから。たゞさう思つて獨りで強情を張つてるんだ」
迷亭も是《こゝ》に於て到底|濟度《さいど》すべからざる男と斷念したものと見えて、例に似ず黙つて仕舞つた。主人は久し振りで迷亭を凹《へこ》ましたと思つて大得意である。迷亭から見ると主人の價値は強情を張つた丈《だけ》下落した積りであるが、主人から云ふと強情を張つた丈《だけ》迷亭よりえらくなつたのである。世の中にはこんな頓珍漢な事はまゝある。強情さへ張り通せば勝つた氣で居るうちに、當人の人物としての相場は遙かに下落して仕舞ふ。不思議な事に頑固の本人は死ぬ迄自分は面目《めんぼく》を施こした積りかなにかで、其時以後人が輕蔑して相手にして呉れないのだとは夢にも悟り得ない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのださうだ。
「兎も角もあした行く積りかい」
「行くとも、九時迄に來いと云ふから、八時から出て行く」
「學校はどうする」
「休むさ。學校なんか」と擲《たゝ》きつける樣に云つたのは壯《さかん》なものだつ た。
「えらい勢だね。休んでもいゝのかい」
「いゝとも僕の學校は月給だから、差し引かれる氣遣はない、大丈夫だ」と眞直に白?して仕舞つた。ずるい〔三字傍点〕事もずるい〔三字傍点〕が、單純なことも單純なものだ。
「君、行くのはいゝが路を知つてるかい」
「知るものか。車に乘つて行けば譯はないだらう」とぷん/\して居る。
「靜岡の伯父に讓らざる東京通なるには恐れ入る」
「いくらでも恐れ入るがいゝ」
「ハヽヽ日本堤分署と云ふのはね、君只の所ぢやないよ。吉原《よしはら》だよ」
「何だ?」
「吉原だよ」
「あの遊廓のある吉原か?」
「さうさ、吉原と云やあ、東京に一つしかないやね。どうだ、行つて見る氣かい」と迷亭君又からかひかける。
主人は吉原と聞いて、そいつは〔四字傍点〕と少々|逡巡《しゆんじゆん》の體《てい》であつたが、忽ち思ひ返して「吉原だらうが、遊廓だらうが、一反《いつたん》行くと云つた以上は屹度《きつと》行く」と入らざる所に力味《りきん》で見せた。愚人は得てこんな所に意地を張るものだ。
迷亭君は「まあ面白からう、見て來玉へ」と云つたのみである。一波瀾を生じた刑事々件は是で一先づ落着を告げた。迷亭は夫《それ》から相變らず駄辯を弄して日暮れ方、あまり遲くなると伯父に怒《おこ》られると云つて歸つて行つた。
迷亭が歸つてから、そこ/\に晩飯を濟まして、又書齋へ引き揚げた主人は再び拱手《きようしゆ》して下《しも》の樣に考へ始めた。
「自分が感服して、大《おほい》に見習はうとした八木獨仙君も迷亭の話しによつて見ると、別段見習ふにも及ばない人間の樣である。のみならず彼の唱道する所の説は何だか非常識で、迷亭の云ふ通り多少|瘋癲的《ふうてんてき》系統に屬しても居りさうだ。況や彼は歴乎《れつき》とした二人の氣狂《きちがひ》の子分を有して居る。甚だ危險である。滅多に近寄ると同系統内に引き摺り込まれさうである。自分が文章の上に於て驚嘆の餘《よ》、是こそ大見識を有して居る偉人に相違ないと思ひ込んだ天道公平《てんだうこうへい》事《こと》實名《じつみやう》立町老梅《たちまちらうばい》は純然たる狂人であつて、現に巣鴨の病院に起居してゐる。迷亭の記述が棒大のざれ言にもせよ、彼が瘋癲院中に盛名を擅《ほしい》まゝにして天道の主宰を以て自《みづか》ら任ずるは恐らく事實であらう。かう云ふ自分もことによると少々|御座《ござ》つて居るかも知れない。同氣相求め、同類相集まると云ふから、氣狂の説に感服する以上は――少なくとも其文章言辭に同情を表する以上は――自分も亦氣狂に縁の近い者であるだらう。よし同型中に鑄化《ちうくわ》せられんでも軒を比《なら》べて狂人と隣り合せに居《きよ》を卜《ぼく》するとすれば、境の壁を一重打ち拔いていつの間《ま》にか同室内に膝を突き合せて談笑する事がないとも限らん。こいつは大變だ。成程考へて見ると此程|中《ぢゆう》から自分の腦の作用は我ながら驚く位|奇上《きじやう》に妙《めう》を點《てん》じ變傍《へんばう》に珍《ちん》を添へて居る。腦漿《のうしやう》一勺《いつせき》の化學的變化は兎に角意志の動いて行爲となる所、發して言辭と化する邊《あたり》には不思議にも中庸を失した點が多い。舌上《ぜつじやう》に龍泉《りゆうせん》なく、腋下《えきか》に清風《せいふう》を生《しやう》ぜざるも、齒根《しこん》に狂臭《きやうしう》あり、筋頭《きんとう》に瘋味《ふうみ》あるを奈何《いかん》せん。愈《いよ/\》大變だ。ことによるともう既に立派な患者になつて居るのではないかしらん。まだ幸に人を傷《きずつ》けたり、世間の邪魔になる事をし出かさんから矢張り町内を追拂はれずに、東京市民として存在して居るのではなからうか。こいつは消極の積極のと云ふ段ぢやない。先づ脉搏からして檢査しなくてはならん。然し脉には變りはない樣だ。頭は熱いかしらん。是も別に逆上の氣味でもない。然しどうも心配だ。」
「かう自分と氣狂ばかりを比較して類似の點ばかり勘定して居ては、どうしても氣狂の領分を脱する事は出來さうにもない。是は方法がわるかつた。氣狂を標準にして自分を其方《そつち》へ引きつけて解釋するからこんな結論が出るのである。もし健康な人を本位にして其|傍《そば》へ自分を置いて考へて見たら或は反對の結果が出るかも知れない。夫《それ》には先づ手近から始めなくてはいかん。第一に今日來たフロツクコートの伯父さんはどうだ。心をどこに置かうぞ……あれも少々怪しい樣だ。第二に寒月はどうだ。朝から晩迄辨當持參で球ばかり磨いて居る。是も棒組《ばうぐみ》だ。第三にと……迷亭? あれはふざけ廻るのを天職の樣に心得て居る。全く陽性の氣狂に相違ない。第四はと……金田の妻君。あの毒惡な根性は全く常識をはづれて居る。純然たる氣じるしに極つてる。第五は金田君の番だ。金田君には御目に懸つた事はないが、先づあの細君を恭しくおつ立てゝ、琴瑟《きんしつ》調和して居る所を見ると非凡の人間と見立てゝ差支あるまい。非凡は氣狂の異名《いみやう》であるから、先づ是も同類にして置いて構はない。夫《それ》からと、――まだあるある。落雲館の諸君子だ、年齡から云ふとまだ芽生へだが、躁狂《さうきやう》の點に於ては一世を空《むな》しうするに足る天晴《あつぱれ》な豪のものである。かう數へ立てゝ見ると大抵のものは同類の樣である。案外心丈夫になつて來た。ことによると社會はみんな氣狂の寄り合かも知れない。氣狂が集合して鎬《しのぎ》を削《けづ》つてつかみ合ひ、いがみ合ひ、罵り合ひ、奪ひ合つて、其全體が團體として細胞の樣に崩れたり、持ち上つたり、持ち上つたり、崩れたりして暮して行くのを社會と云ふのではないか知らん。其中で多少理窟がわかつて、分別のある奴は却つて邪魔になるから、瘋癲院《ふうてんゐん》といふものを作つて、こゝへ押し込めて出られない樣にするのではないかしらん。すると瘋癲院に幽閉されて居るものは普通の人で、院外にあばれて居るものは却つて氣狂である。氣狂も孤立して居る間はどこ迄も氣狂にされて仕舞ふが、團體となつて勢力が出ると、健全の人間になつて仕舞ふのかも知れない。大きな氣狂が金力や威力を濫用して多くの小氣狂《せうきちがひ》を使役して亂暴を働いて、人から立派な男だと云はれて居る例は少なくない。何が何だか分らなくなつた。」
以上は主人が當夜|煢々《けい/\》たる孤燈の下《もと》で沈思熟慮した時の心的作用をありの儘に描《ゑが》き出したものである。彼の頭腦の不透明なる事はこゝにも著るしくあらはれて居る。彼はカイゼルに似た八字髯を蓄ふるにも係らず狂人と常人の差別さへなし得ぬ位の凡倉《ぼんくら》である。のみならず彼は切角此問題を提供して自己の思索力に訴へながら、遂に何等の結論に達せずしてやめて仕舞つた。何事によらず彼は徹底的に考へる腦力のない男である。彼の結論の茫漠として、彼の鼻孔から迸出《はうしゆつ》する朝日の烟の如く、捕捉しがたきは、彼の議論に於ける唯一の特色として記憶すべき事實である。
吾輩は猫である。猫の癖にどうして主人の心中をかく精密に記述し得るかと疑ふものがあるかも知れんが、此位な事は猫にとつて何でもない。吾輩は是で讀心術を心得て居る。いつ心得たなんて、そんな餘計な事は聞かんでもいゝ。ともかくも心得て居る。人間の膝の上へ乘つて眠つて居るうちに、吾輩は吾輩の柔かな毛衣《けごろも》をそつと人間の腹にこすり付ける。すると一道の電氣が起つて彼の腹の中の行《い》きさつが手にとる樣に吾輩の心眼に映ずる。先達《せんだつ》て抔《など》は主人がやさしく吾輩の頭を撫で廻しながら、突然此猫の皮を剥いでちやん/\〔五字傍点〕にしたら嘸《さぞ》あたゝかでよからうと飛んでもない了見をむら/\と起したのを即座に氣取《けど》つて覺えずひやつとした事さへある。怖《こは》い事だ。當夜主人の頭のなかに起つた以上の思想もそんな譯合《わけあひ》で幸にも諸君に御報道する事が出來る樣に相成つたのは吾輩の大《おほい》に榮譽とする所である。但し主人は「何が何だか分らなくなつた」迄考へて其あとはぐう/\寐て仕舞つたのである、あすになれば何をどこ迄考へたか丸《まる》で忘れて仕舞ふに違ない。向後《かうご》もし主人が氣狂に就て考へる事があるとすれば、もう一返出直して頭から考へ始めなければならぬ。さうすると果してこんな徑路を取つて、こんな風に「何が何だか分らなくなる」かどうだか保證出來ない。然し何返考へ直しても、何條《なんでう》の徑路《けいろ》をとつて進もうとも、遂に「何が何だか分らなくなる」丈《だけ》は慥《たし》かである。
十
「あなた、もう七時ですよ」と襖越《ふすまご》しに細君が聲を掛けた。主人は眼がさめて居るのだか、寐て居るのだか、向うむきになつたぎり返事もしない。返事をしないのは此男の癖である。是非何とか口を切らなければならない時はうん〔二字傍点〕と云ふ。此うん〔二字傍点〕も容易な事では出てこない。人間も返事がうるさくなる位|無精《ぶしやう》になると、どことなく趣があるが、こんな人に限つて女に好かれた試しがない。現在連れ添ふ細君ですら、あまり珍重して居らん樣だから、其他は推して知るべしと云つても大した間違はなからう。親兄弟に見離され、あかの他人の傾城《けいせい》に、可愛がらりやう筈がない、とある以上は、細君にさへ持てない主人が、世間一般の淑女に氣に入る筈がない。何も異性間に不人望な主人を此際ことさらに暴露する必要もないのだが、本人に於て存外な考へ違をして、全く年廻りのせいで細君に好かれないのだ抔《など》と理窟をつけて居ると、迷の種であるから、自覺の一助にもならうかと親切心から一寸申し添へる迄である。
言ひつけられた時刻に、時刻がきたと注意しても、先方が其注意を無にする以上は、向《むかふ》をむいてうん〔二字傍点〕さへ發せざる以上は、其|曲《きよく》は夫《をつと》にあつて、妻にあらずと論定したる細君は、遲くなつても知りませんよと云ふ姿勢で箒とはたき〔三字傍点〕を擔いで書齋の方へ行つてしまつた。やがてぱた/\書齋中を叩き散らす音がするのは例によつて例の如き掃除を始めたのである。一體掃除の目的は運動の爲か、遊戯の爲か、掃除の役目を帶びぬ吾輩の關知する所でないから、知らん顔をして居れば差し支ない樣なものゝ、こゝの細君の掃除法の如きに至つては頗る無意義のものと云はざるを得ない。何が無意義であるかと云ふと、此細君は單に掃除の爲めに掃除をして居るからである。はたき〔三字傍点〕を一通り障子へかけて、箒を一應疊の上へ滑らせる。夫《それ》で掃除は完成した者と解釋して居る。掃除の源因及び結果に至つては微塵の責任だに脊負つて居らん。かるが故に奇麗な所は毎日奇麗だが、ごみ〔二字傍点〕のある所、ほこり〔三字傍点〕の積つて居る所はいつでもごみ〔二字傍点〕が溜つてほこり〔三字傍点〕が積つて居る。告朔《こくさく》の?羊《きやう》と云ふ故事《こじ》もある事だから、是でもやらんよりはましかも知れない。然しやつても別段主人の爲にはならない。ならない所を毎日/\御苦勞にもやる所が細君のえらい所である。細君と掃除とは多年の習慣で、器械的の連想をかたちづくつて頑として結びつけられて居るにもかゝはらず、掃除の實《じつ》に至つては、妻君が未《いま》だ生れざる以前の如く、はたき〔三字傍点〕と箒が發明せられざる昔の如く、毫も擧《あが》つて居らん。思ふに此兩者の關係は形式論理學の命題に於ける名辭の如く其内容の如何《いかん》にかゝはらず結合せられたものであらう。
吾輩は主人と違つて、元來が早起の方だから、此時既に空腹になつて參つた。到底うちのものさへ膳に向はぬさきから、猫の身分を以て朝めしに有りつける譯のものではないが、そこが猫の淺ましさで、もしや烟の立つた汁の香《にほひ》が鮑貝《あはびがひ》の中から、うまさうに立ち上つておりはすまいかと思ふと、じつとして居られなくなつた。はかない事を、果敢《はか》ないと知りながら頼みにするときは、只其頼み丈《だけ》を頭の中に描いて、動かずに落ち付いて居る方が得策であるが、さてさうは行かぬ者で、心の願と實際が、合ふか合はぬか是非とも試驗して見たくなる。試驗して見れば必ず失望するにきまつてる事ですら、最後の失望を自《みづか》ら事實の上に受取る迄は承知出來んものである。吾輩はたまらなくなつて臺所へ這出した。先づへつゝい〔四字傍点〕の影にある鮑貝《あはびがひ》の中を覗いて見ると案に違《たが》はず、夕《ゆう》べ舐《な》め盡した儘、闃然《げきぜん》として、怪しき光が引窓を洩る初秋《はつあき》の日影にかゞやいて居る。御三《おさん》は既に炊き立《たて》の飯を、御櫃《おはち》に移して、今や七輪にかけた鍋の中をかきまぜつゝある。釜の周圍には沸き上がつて流れだした米の汁が、かさ/\に幾條《いくすぢ》となくこびり付いて、あるものは吉野紙を貼りつけた如くに見える。もう飯も汁も出來て居るのだから食はせてもよさゝうなものだと思つた。こんな時に遠慮するのは詰らない話だ、よしんば自分の望通りにならなくつたつて元々で損は行かないのだから、思ひ切つて朝飯の催促をしてやらう、いくら居候《ゐさふらふ》の身分だつてひもじいに變りはない。と考へ定めた吾輩はにやあ/\と甘へる如く、訴ふるが如く、或は又|怨《ゑん》ずるが如く泣いて見た。御三は一向《いつかう》顧みる景色《けしき》がない。生れ付いての御多角《おたかく》だから人情に疎《うと》いのはとうから承知の上だが、そこをうまく泣き立てゝ同情を起させるのが、こつちの手際である。今度はにやご/\とやつて見た。其泣き聲は吾ながら悲壯の音《おん》を帶びて天涯《てんがい》の遊子《いうし》をして斷腸の思あらしむるに足ると信ずる。御三は恬《てん》として顧みない。此女は聾《つんぼ》なのかも知れない。聾《つんぼ》では下女が勤まる譯がないが、ことによると猫の聲|丈《だけ》には聾なのだらう。世の中には色盲《しきまう》といふのがあつて、當人は完全な視力を具へて居る積りでも、醫者から云はせると片輪ださうだが、此御三は聲盲《せいまう》なのだらう。聲盲だつて片輪に違ひない。片輪のくせにいやに横風《わうふう》なものだ。夜中なぞでも、いくら此方《こつち》が用があるから開けてくれろと云つても決して開けてくれた事がない。たまに出して呉れたと思ふと今度はどうしても入れて呉れない。夏だつて夜露は毒だ。況んや霜に於てをやで、軒下に立ち明かして、日の出を待つのは、どんなに辛いか到底想像が出來るものではない。此間しめ出しを食つた時なぞは野良犬の襲撃を蒙つて、既に危うく見えた所を、漸くの事で物置の家根《やね》へかけ上《あが》つて、終夜|顫《ふる》へつゞけた事さへある。是等は皆御三の不人情から胚胎《はいたい》した不都合である。こんなものを相手にして鳴いて見せたつて、感應のある筈はないのだが、そこが、ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに戀のふみと云ふ位だから、大抵の事ならやる氣になる。にやごをう/\と三度目には、注意を喚起する爲めにことさらに複雜なる泣き方をして見た。自分ではベト?ンのシンフオニーにも劣らざる美妙の音《おん》と確信して居るのだが御三には何等の影響も生じない樣だ。御三は突然膝をついて、揚げ板を一枚はね除《の》けて、中から堅炭の四寸|許《ばか》り長いのを一本つかみ出した。それから其長い奴を七輪の角でぽん/\と敲《たた》いたら、長いのが三つ程に碎けて近所は炭の粉で眞黒くなつた。少々は汁の中へも這入つたらしい。御三はそんな事に頓着する女ではない。直ちにくだけたる三個の炭を鍋の尻から七輪の中へ押し込んだ。到底吾輩のシンフオニーには耳を傾けさうにもない。仕方がないから悄然《せうぜん》と茶の間の方へ引きかへさうとして風呂場の横を通り過ぎると、こゝは今女の子が三人で顔を洗つてる最中で、なか/\繁昌して居る。
顔を洗ふと云つた所で、上の二人が幼稚園の生徒で、三番目は姉の尻についてさへ行かれない位小さいのだから、正式に顔が洗へて、器用に御化粧が出來る筈がない。一番小さいのがバケツの中から濡《ぬ》れ雜巾《ざふきん》を引きずり出して頻りに顔中撫で廻はして居る。雜巾《ざふきん》で顔を洗ふのは定めし心持ちがわるからうけれども、地震がゆるたびにおもちろいわ〔六字傍点〕と云ふ子だから此位の事はあつても驚ろくに足らん。ことによると八木獨仙君より悟つて居るかも知れない。さすがに長女は長女|丈《だけ》に、姉を以て自《みづか》ら任じて居るから、うがひ茶碗をから/\かんと抛出《はふりだ》して「坊やちやん、それは雜巾よ」と雜巾をとりにかゝる。坊やちやんも中々自信家だから容易に姉の云ふ事なんか聞きさうにしない。「いやーよ、ばぶ」と云ひながら雜巾を引つ張り返した。此ばぶ〔二字傍点〕なる語は如何なる意義で、如何なる語源を有して居るか、誰も知つてるものがない。只此坊やちやんが癇癪を起した時に折々御使用になる許《ばか》りだ。雜巾は此時姉の手と、坊やちやんの手で左右に引つ張られるから、水を含んだ眞中からぽた/\雫《しづく》が垂れて、容赦なく坊やの足にかゝる、足|丈《だけ》なら我慢するが膝のあたりがしたゝか濡れる。坊やは是でも元禄《げんろく》を着て居るのである。元禄《げんろく》とは何の事だとだん/\聞いて見ると、中形《ちゆうがた》の模樣なら何でも元禄ださうだ。一體だれにヘ《をそ》はつて來たものか分らない。「坊やちやん、元禄が濡れるから御よしなさい、ね」と姉が洒落《しや》れた事を云ふ。其癖此姉はつい此間迄元禄と双六《すごろく》とを間違へて居た物識りである。
元禄《げんろく》で思ひ出したから序《ついで》に喋舌《しやべ》つて仕舞ふが、この子供の言葉ちがひをやる事は夥しいもので、折々人を馬鹿にした樣な間違を云つてる。火事で茸《きのこ》が飛んで來たり、御茶《おちや》の味噌《みそ》の女學校へ行つたり、惠比壽《えびす》、臺所《だいどこ》と並べたり、或る時|抔《など》は「わたしや藁店《わらだな》の子ぢやないわ」と云ふから、よく/\聞き糺して見ると裏店《うらだな》と藁店《わらだな》を混同して居たりする。主人はこんな間違を聞く度に笑つて居るが、自分が學校へ出て英語をヘへる時|抔《など》は、是よりも滑稽な誤謬を眞面目になつて、生徒に聞かせるのだらう。
坊やは――當人は坊やとは云はない。いつでも坊ば〔二字傍点〕と云ふ――元禄が濡れたのを見て「元《げん》どこ〔二字傍点〕がべたい〔三字傍点〕」と云つて泣き出した。元禄が冷たくては大變だから、御三が臺所から飛び出して來て、雜巾を取上げて着物を拭いてやる。此騷動中比較的靜かであつたのは、次女のすん子孃である。すん子孃は向ふむきになつて棚の上からころがり落ちた、御白粉《おしろい》の瓶をあけて、しきりに御化粧を施して居る。第一に突つ込んだ指を以て鼻の頭をキユーと撫でたから竪に一本白い筋が通つて、鼻のありかゞ聊《いさゝ》か分明《ぶんみやう》になつて來た。次に塗りつけた指を轉じて頬の上を摩擦したから、そこへもつてきて、是又白いかたまりが出來上つた。是《これ》丈《だけ》裝飾がとゝのつた所へ、下女が這入つて來て坊ばの着物を拭いた序《ついで》に、すん子の顔もふいて仕舞つた。すん子は少々不滿の體に見えた。
吾輩は此光景を横に見て、茶の間から主人の寢室迄來てもう起きたかとひそかに樣子をうかがつて見ると、主人の頭がどこにも見えない。其代り十文半《ともんはん》の甲の高い足が、夜具の裾から一本|食《は》み出して居る。頭が出ていては起こされる時に迷惑だと思つて、かくもぐり込んだのであらう。龜の子の樣な男である。所へ書齋の掃除をしてしまつた妻君が又箒とはたき〔三字傍点〕を擔いでやつてくる。最前《さいぜん》の樣に襖の入口から
「まだお起きにならないのですか」と聲をかけたまゝ、しばらく立つて、首の出ない夜具を見つめて居た。今度も返事がない。細君は入口から二歩《ふたあし》ばかり進んで、箒をとんと突きながら「まだなんですか、あなた」と重ねて返事を承はる。此時主人は既に目が覺めて居る。覺めて居るから、細君の襲撃にそなふる爲め、あらかじめ夜具の中に首|諸共《もろとも》立て籠つたのである。首さへ出さなければ、見逃《みのが》してくれる事もあらうかと、詰まらない事を頼みにして寐て居た所、中々許しさうもない。然し第一回の聲は敷居の上で、少くとも一間の間隔があつたから、まづ安心と腹のうちで思つて居ると、とんと突いた箒が何でも三尺位の距離に迫つて居たには一寸驚ろいた。のみならず第二の「まだなんですか、あなた」が距離に於ても音量に於ても前よりも倍以上の勢を以て夜具のなか迄聞えたから、こいつは駄目だと覺悟をして、小さな聲でうん〔二字傍点〕と返事をした。
「九時迄に入らつしやるのでせう。早くなさらないと間に合ひませんよ」
「そんなに言はなくても今起きる」と夜着の袖口から答へたのは奇觀である。妻君はいつでも此手を食つて、起きるかと思つて安心してゐると、又寐込まれつけて居るから、油斷は出來ないと「さあ御起きなさい」とせめ立てる。起きると云ふのに、猶《なほ》起きろと責めるのは氣に食はんものだ。主人の如き我儘者には猶氣に食はん。是《こゝ》に於てか主人は今迄頭から被つて居た夜着を一度に跳ねのけた。見ると大きな眼を二つとも開いて居る。
「何だ騷々しい。起きると云へば起きるのだ」
「起きると仰やつても御起きなさらんぢやありませんか」
「誰がいつ、そんな嘘をついた」
「いつでもですわ」
「馬鹿を云へ」
「どつちが馬鹿だか分りやしない」と妻君ぷんとして箒を突いて枕元に立つて居る所は勇ましかつた。此時裏の車屋の子供、八つちやんが急に大きな聲をしてワーと泣き出す。八つちやんは主人が怒《おこ》り出しさへすれば必ず泣き出すべく、車屋のかみさんから命ぜられるのである。かみさんは主人が怒るたんびに八つちやんを泣かして小遣《こづかひ》になるかも知れんが、八つちやんこそいゝ迷惑だ。こんな御袋《おふくろ》を持つたが最後朝から晩迄泣き通しに泣いて居なくてはならない。少しは此邊の事情を察して主人も少々怒るのを差し控へてやつたら、八つちやんの壽命が少しは延びるだらうに、いくら金田君から頼まれたつて、こんな愚《ぐ》な事をするのは、天道公平君よりもはげしく御出《おいで》になつて居る方だと鑑定してもよからう。怒るたんびに泣かせられる丈《だけ》なら、まだ餘裕もあるけれども、金田君が近所のゴロツキを傭《やと》つて今戸燒《いまどやき》をきめ込むたびに、八つちやんは泣かねばならんのである。主人が怒るか怒らぬか、まだ判然しないうちから、必ず怒るべきものと豫想して、早手廻しに八つちやんは泣いて居るのである。かうなると主人が八つちやんだか、八つちやんが主人だか判然しなくなる。主人にあてつけるに手數《てすう》は掛らない、一寸八つちやんに劔突を食はせれば何の苦もなく、主人の横つ面《つら》を張つた譯になる。昔《むか》し西洋で犯罪者を所刑にする時に、本人が國境外に逃亡して、捕《とら》へられん時は、偶像をつくつて人間の代りに火《ひ》あぶり〔三字傍点〕にしたと云ふが、彼等のうちにも西洋の故事に通曉する軍師があると見えて、うまい計略を授けたものである。落雲館と云ひ、八つちやんの御袋と云ひ、腕のきかぬ主人にとつては定めし苦手《にがて》であらう。其外苦手は色々ある。或は町内中|悉《こと/”\》く苦手かも知れんが、只今は關係がないから、漸々《だん/\》成し崩しに紹介致す事にする。
八つちやんの泣き聲を聞いた主人は、朝つぱらから餘程癇癪が起つたと見えて、忽ちがばと布團の上に起き直つた。かうなると精神修養も八木獨仙も何もあつたものぢやない。起き直りながら兩方の手でゴシ/\ゴシと表皮のむける程、頭中引き掻き廻す。一ケ月も溜つて居るフケは遠慮なく、頸筋やら、寐卷の襟へ飛んでくる。非常な壯觀である。髯はどうだと見ると是は又驚ろくべく、ぴん然とおつ立つて居る。持主が怒《おこ》つて居るのに髯|丈《だけ》落ち付いて居ては濟まないとでも心得たものか、一本々々に癇癪を起して、勝手次第の方角へ猛烈なる勢を以て突進して居る。是とても中々の見物《みもの》である。昨日《きのふ》は鏡の手前もある事だから、大人《おとな》しく獨乙《ドイツ》皇帝陛下の眞似をして整列したのであるが、一晩寐れば訓練も何もあつた者ではない、直ちに本來の面目に歸つて思ひ/\の出《い》で立《たち》に戻るのである。恰も主人の一夜作りの精神修養が、あくる日になると拭ふが如く奇麗に消え去つて、生れ付いての野猪的《やちよてき》本領が直ちに全面を暴露し來《きた》るのと一般である。こんな亂暴な髯をもつて居る、こんな亂暴な男が、よくまあ今迄免職にもならずにヘ師が勤まつたものだと思ふと、始めて日本の廣い事がわかる。廣ければこそ金田君や金田君の犬が人間として通用して居るのでもあらう。彼等が人間として通用する間は主人も免職になる理由がないと確信して居るらしい。いざとなれば巣鴨へ端書を飛ばして天道公平君に聞き合せて見れば、すぐ分る事だ。
此時主人は、昨日《きのふ》紹介した混沌たる太古の眼を精一杯に見張つて、向ふの戸棚を屹《きつ》と見た。是は高さ一間を横に仕切つて上下《じやうげ》共《とも》各《おの/\》二枚の袋戸をはめたものである。下の方の戸棚は、布團の裾とすれ/\の距離にあるから、起き直つた主人が眼をあきさへすれば、天然自然こゝに視線がむく樣に出來て居る。見ると模樣を置いた紙が所々破れて妙な腸《はらわた》があからさまに見える。腸《はらわた》には色々なのがある。あるものは活版摺で、あるものは肉筆である。あるものは裏返しで、あるものは逆さまである。主人は此|腸《はらわた》を見ると同時に、何がかいてあるか讀みたくなつた。今迄は車屋のかみさんでも捕《つらま》へて、鼻づらを松の木へこすりつけてやらう位に迄|怒《おこ》つて居た主人が、突然此|反古紙《ほごがみ》を讀んで見たくなるのは不思議の樣であるが、かう云ふ陽性の癇癪持ちには珍らしくない事だ。小供が泣くときに最中《もなか》の一つもあてがへばすぐ笑ふと一般である。主人が昔《むか》し去る所の御寺に下宿して居た時、襖一と重を隔てゝ尼が五六人居た。尼|抔《など》と云ふものは元來意地のわるい女のうちで尤も意地のわるいものであるが、この尼が主人の性質を見拔いたものと見えて自炊の鍋をたゝきながら、今泣いた烏がもう笑つた、今泣いた烏がもう笑つたと拍子を取つて歌つたさうだ、主人が尼が大嫌になつたのは此時からだと云ふが、尼は嫌《きらひ》にせよ全くそれに違ない。主人は泣いたり、笑つたり、嬉しがつたり、悲しがつたり人一倍もする代りに何《いづ》れも長く續いた事がない。よく云へば執着がなくて、心機《しんき》がむやみに轉ずるのだらうが、之を俗語に翻譯してやさしく云へば奧行のない、薄つ片《ぺら》の、鼻《はな》つ張《ぱり》丈《だけ》強いだゞつ子である。既にだゞつ子である以上は、喧嘩をする勢で、むつくと刎ね起きた主人が急に氣を換へて袋戸《ふくろど》の腸《はらわた》を讀みにかゝるのも尤《もつと》もと云はねばなるまい。第一に眼にとまつたのが伊藤博文の逆《さ》か立《だ》ちである。上を見ると明治十一年九月廿八日とある。韓國統監《かんこくとうかん》も此時代から御布令《おふれ》の尻尾《しつぽ》を追つ懸けてあるいて居たと見える。大將此時分は何をして居たんだらうと、讀めさうにない所を無理によむと大藏卿《おほくらきやう》とある。成程えらいものだ、いくら逆《さ》か立《だ》ちしても大藏卿である。少し左の方を見ると今度は大藏卿横になつて晝寐をして居る。尤もだ。逆か立ちではさう長く續く氣遣はない。下の方に大きな木板《もくばん》で汝は〔二字傍点〕と二字|丈《だけ》見える、あとが見たいが生憎《あいにく》露出して居らん。次の行には早く〔二字傍点〕の二字|丈《だけ》出てゐる。こいつも讀みたいがそれぎれで手掛りがない。もし主人が警視廰の探偵であつたら、人のものでも構はずに引つぺがすかも知れない。探偵と云ふものには高等なヘ育を受けたものがないから事實を擧げる爲には何でもする。あれは始末に行《ゆ》かないものだ。願くばもう少し遠慮をしてもらひたい。遠慮をしなければ事實は決して擧げさせない事にしたらよからう。聞く所によると彼等は羅織虚構《らしききよこう》を以て良民を罪に陷《おとしい》れる事さへあるさうだ。良民が金を出して雇つて置く者が、雇主を罪にする抔《など》ときては是又立派な氣狂である。次に眼を轉じて眞中を見ると眞中には大分縣《おほいたけん》が宙返りをして居る。伊藤博文でさへ逆か立ちをする位だから、大分縣が宙返りをするのは當然である。主人はこゝ迄讀んで來て、双方へ握り拳をこしらへて、之を高く天井に向けて突きあげた。あくびの用意である。
此あくびが又|鯨《くぢら》の遠吠《とほぼえ》の樣に頗る變調を極めた者であつたが、それが一段落を告げると、主人はのそ/\と着物をきかへて顔を洗ひに風呂場へ出掛けて行つた。待ちかねた細君はいきなり布團をまくつて夜着《よぎ》を疊んで、例の通り掃除をはじめる。掃除が例の通りである如く、主人の顔の洗ひ方も十年一日の如く例の通りである。先日紹介をした如く依然としてがー/\、げー/\を持續して居る。やがて頭を分け終つて、西洋手拭を肩へかけて、茶の間へ出御《しゆつぎよ》になると、超然として長火鉢の横に座を占めた。長火鉢と云ふと欅《けやき》の如輪木《じよりんもく》か、銅《あか》の總落《そうおと》しで、洗髪《あらひがみ》の姉御が立膝で、長烟管《ながぎせる》を黒柿《くろがき》の縁《ふち》へ叩きつける樣を想見する諸君もないとも限らないが、わが苦沙彌先生の長火鉢に至つては決して、そんな意氣なものではない、何で造つたものか素人には見當のつかん位古雅なものである。長火鉢は拭き込んでてら/\光る所が身上《しんしやう》なのだが、此|代物《しろもの》は欅か櫻か桐か元來不明瞭な上に、殆ど布巾をかけた事がないのだから陰氣で引き立たざる事|夥《おびたゞ》しい。こんなものを何處から買つて來たかと云ふと、決して買つた覺はない。そんなら貰つたのかと聞くと、誰も呉れた人はないさうだ。然らば盗んだのかと糺《たゞ》して見ると、何だか其邊が曖昧である。昔《むか》し親類に隱居が居つて、其隱居が死んだ時、當分留守番を頼まれた事がある。所が其後一戸を構へて、隱居所を引き拂ふ際に、そこで自分のものゝ樣に使つて居た火鉢を何の氣もなく、つい持つて來てしまつたのださうだ。少々たちが惡い樣だ。考へるとたちが惡い樣だがこんな事は世間に往々ある事だと思ふ。銀行家|抔《など》は毎日人の金をあつかひつけて居るうちに人の金が、自分の金の樣に見えてくるさうだ。役人は人民の召使である。用事を辨じさせる爲めに、ある權限を委托した代理人の樣なものだ。所が委任された權力を笠に着て毎日事務を處理して居ると、是は自分が所有して居る權力で、人民|抔《など》は之に就て何らの喙《くちばし》を容るゝ理由がないものだ抔《など》と狂つてくる。こんな人が世の中に充滿して居る以上は長火鉢事件を以て主人に泥棒根性があると斷定する譯には行かぬ。もし主人に泥棒根性があるとすれば、天下の人にはみんな泥棒根性がある。
長火鉢の傍《そば》に陣取つて、食卓を前に控へたる主人の三面には、先刻《さつき》雜巾で顔を洗つた坊ば〔二字傍点〕と御茶《おちや》の味噌〔二字傍点〕の學校へ行くとん〔二字傍点〕子と、御白粉罎《おしろいびん》に指を突き込んだすん〔二字傍点〕子が、既に勢揃をして朝飯を食つて居る。主人は一應此三女子の顔を公平に見渡した。とん子の顔は南蠻鐵《なんばんてつ》の刀の鍔の樣な輪廓を有して居る。すん子も妹|丈《だけ》に多少姉の面影を存して琉球塗《りうきうぬり》の朱盆《しゆぼん》位な資格はある。只坊ば〔二字傍点〕に至つては獨り異彩を放つて、面長《おもなが》に出來上つて居る。但し竪に長いのなら世間に其例もすくなくないが、此子のは横に長いのである。如何に流行が變化し易くつたつて、横に長い顔がはやる事はなからう。主人は自分の子ながらも、つく/”\考へる事がある。これでも生長しなければならぬ。生長する所ではない、其生長の速かなる事は禪寺《ぜんでら》の筍《たけのこ》が若竹に變化する勢で大きくなる。主人は又大きくなつたなと思ふたんびに、後《うし》ろから追手《おつて》にせまられる樣な氣がしてひや/\する。如何に空漠なる主人でも此三令孃が女である位は心得て居る。女である以上はどうにか片付けなくてはならん位も承知して居る。承知して居る丈《だけ》で片付ける手腕のない事も自覺して居る。そこで自分の子ながらも少しく持て餘して居る所である。持て餘す位なら製造しなければいゝのだが、そこが人間である。人間の定義を云ふと外に何にもない。只入らざる事を捏造《でつぞう》して自《みづか》ら苦しんで居る者だと云へば、夫《それ》で充分だ。
さすがに子供はえらい。是程おやぢが處置に窮してゐるとは夢にも知らず、樂しさうに御飯をたべる。所が始末におえないのは坊ばである。坊ばは當年とつて三歳であるから、細君が氣を利かして、食事のときには、三歳然たる小形の箸と茶碗をあてがふのだが、坊ばは決して承知しない。必ず姉の茶碗を奪ひ、姉の箸を引つたくつて、持ちあつかひ惡《にく》い奴を無理に持ちあつかつて居る。世の中を見渡すと無能無才の小人程、いやにのさばり出て柄《がら》にもない官職に登りたがるものだが、あの性質は全く此坊ば時代から萌芽《はうが》して居るのである。其因つて來《きた》る所はかくの如く深いのだから、決してヘ育や薫陶で癒《なほ》せる者ではないと、早くあきらめてしまふのがいゝ。
坊ばは隣りから分捕《ぶんど》つた偉大なる茶碗と、長大なる箸を專有して、頻りに暴威を擅《ほしいまゝ》にして居る。使ひこなせない者をむやみに使はうとするのだから、勢暴威を逞しくせざるを得ない。坊ばは先づ箸の根元を二本一所に握つた儘うんと茶碗の底へ突込んだ。茶碗の中は飯が八分通り盛り込まれて、其上に味噌汁が一面に漲つて居る。箸の力が茶碗へ傳はるや否や、今迄どうか、かうか、平均を保つて居たのが、急に襲撃を受けたので三十度|許《ばか》り傾いた。同時に味噌汁は容赦なくだら/\と胸のあたりへこぼれだす。坊ばは其位な事で辟易する譯がない。坊ばは暴君である。今度は突き込んだ箸を、うんと力一杯茶碗の底から刎ね上げた。同時に小さな口を縁《ふち》迄持つて行つて、刎ね上げられた米粒を這入る丈《だけ》口の中へ受納した。打ち洩らされた米粒は黄色な汁と相和して鼻のあたまと頬《ほ》つぺたと顋とへ、やつと掛聲をして飛び付いた。飛び付き損じて疊の上へこぼれたものは打算《ださん》の限りでない。隨分無分別な飯の食ひ方である。吾輩は謹んで有名なる金田君及び天下の勢力家に忠告する。公等《こうら》の他をあつかふ事、坊ばの茶碗と箸をあつかふが如くんば、公等《こうら》の口へ飛び込む米粒は極めて僅少のものである。必然の勢を以て飛び込むにあらず、戸迷《とまどひ》をして飛び込むのである。どうか御再考を煩はしたい。世故《せこ》にたけた敏腕家にも似合しからぬ事だ。
姉のとん子は、自分の箸と茶碗を坊ばに掠奪されて、不相應に小さな奴を以てさつきから我慢して居たが、もと/\小さ過ぎるのだから、一杯にもつた積りでも、あんとあけると三口程で食つて仕舞ふ。したがつて頻繁に御はちの方へ手が出る。もう四膳かへて、今度は五杯目である。とん子は御はちの葢《ふた》をあけて大きなしやもじ〔四字傍点〕を取り上げて、しばらく眺めて居た。是は食はうか、よさうかと迷つてゐたものらしいが、終《つひ》に決心したものと見えて、焦《こ》げのなささうな所を見計つて一掬《ひとしやく》ひしやもじの上へ乘せた迄は無難であつたが、それを裏返して、ぐいと茶碗の上をこいたら、茶碗に入《はい》りきらん飯は塊《かた》まつた儘疊の上へ轉がり出した。とん子は驚ろく景色《けしき》もなく、こぼれた飯を鄭寧に拾ひ始めた。拾つて何にするかと思つたら、みんな御はちの中へ入れてしまつた。少しきたない樣だ。
坊ばが一大活躍を試みて箸を刎ね上げた時は、丁度とん子が飯をよそひ了つた時である。さすがに姉は姉だけで、坊ばの顔の如何にも亂雜なのを見兼ねて「あら坊ばちやん、大變よ、顔が御ぜん粒だらけよ」と云ひながら、早速坊ばの顔の掃除にとりかゝる。第一に鼻のあたまに寄寓して居たのを取拂ふ。取拂つて捨てると思の外、すぐ自分の口のなかへ入れて仕舞つたのには驚ろいた。それから頬《ほ》つぺたにかゝる。こゝには大分《だいぶ》群《ぐん》をなして數《かず》にしたら、兩方を合せて約二十粒もあつたらう。姉は丹念に一粒づゝ取つては食ひ、取つては食ひ、とう/\妹の顔中にある奴を一つ殘らず食つてしまつた。此の時只今迄は大人《おとな》しく澤庵をかぢつて居たすん子が、急に盛り立ての味噌汁の中から薩摩芋のくづれたのをしやくひ出して、勢よく口の内へ抛《はふ》り込んだ。諸君も御承知であらうが、汁にした薩摩芋の熱したの程|口中《こうちゆう》に答へる者はない。大人《おとな》ですら注意しないと火傷《やけど》をした樣な心持ちがする。ましてすん子の如き、薩摩芋に經驗の乏しい者は無論狼狽する譯である。すん子はワツと云ひながら口中《こうちゆう》の芋を食卓の上へ吐き出した。その二三|片《ぺん》がどう云ふ拍子か、坊ばの前迄すべつて來て、丁度いゝ加減な距離でとまる。坊ばは固《もと》より薩摩芋が大好きである。大好きな薩摩芋が眼の前へ飛んで來たのだから、早速箸を抛《はふ》り出して、手攫《てづか》みにしてむしや/\食つて仕舞つた。
先刻《さつき》から此|體《てい》たらくを目撃して居た主人は、一言《いちごん》も云はずに、專心自分の飯を食ひ、自分の汁を飲んで、此時は既に楊枝を使つて居る最中であつた。主人は娘のヘ育に關して絶體的放任主義を執る積りと見える。今に三人が海老茶式部《えびちやしきぶ》か鼠式部《ねずみしきぶ》かになつて、三人とも申し合せた樣に情夫《じやうふ》をこしらへて出奔《しゆつぽん》しても、矢張り自分の飯を食つて、自分の汁を飲んで澄まして見て居るだらう。働きのない事だ。然し今の世の働きのあると云ふ人を拜見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻つて馬の眼玉を拔く事と、虚勢を張つて人ををどかす事と、鎌をかけて人を陷《おとしい》れる事より外に何も知らない樣だ。中學|抔《など》の少年輩迄が見樣《みやう》見眞似《みまね》に、かうしなくては幅が利かないと心得違ひをして、本來なら赤面して然る可きのを得々《とく/\》と履行して未來の紳士だと思つて居る。是は働き手と云ふのではない。ごろつき手と云ふのである。吾輩も日本の猫だから多少の愛國心はある。こんな働き手を見る度に撲《なぐ》つてやりたくなる。こんなものが一人でも殖えれば國家はそれ丈《だ》け衰へる譯である。こんな生徒の居る學校は、學校の耻辱であつて、こんな人民の居る國家は國家の耻辱である。耻辱であるにも關らず、ごろ/\世間にごろついて居るのは心得がたいと思ふ。日本の人間は猫程の氣概もないと見える。情《なさけ》ない事だ。こんなごろつき手に比べると主人|抔《など》は遙かに上等な人間と云はなくてはならん。意氣地のない所が上等なのである。無能な所が上等なのである。猪口才《ちよこざい》でない所が上等なのである。
かくの如く働きのない食ひ方を以て、無事に朝食《あさめし》を濟ましたる主人は、やがて洋服を着て、車へ乘つて、日本堤分署へ出頭に及んだ。格子をあけた時、車夫に日本堤といふところを知つてるかと聞いたら、車夫はへゝゝと笑つた。あの遊廓のある吉原の近邊の日本堤だぜと念を押したのは少々滑稽であつた。
主人が珍らしく車で玄關から出掛けたあとで、妻君は例の如く食事を濟ませて「さあ學校へ御いで。遲くなりますよ」と催促すると、小供は平氣なもので「あら、でも今日は御休みよ」と支度をする景色《けしき》がない。「御休みなもんですか、早くなさい」と叱《しか》る樣に言つて聞かせると「それでも昨日《きのふ》、先生が御休だつて、仰《おつしや》つてよ」と姉は中々動じない。妻君もこゝに至つて多少變に思つたものか、戸棚から暦《こよみ》を出して繰り返して見ると、赤い字でちやんと御祭日と出て居る。主人は祭日とも知らずに學校へ缺勤屆を出したのだらう。細君も知らずに郵便箱へ抛《はふ》り込んだのだらう。但し迷亭に至つては實際知らなかつたのか、知つて知らん顔をしたのか、そこは少々疑問である。此發明におやと驚ろいた妻君は夫《それ》ぢや、みんなで大人《おとな》しく御遊びなさいと平生《いつも》の通り針箱を出して仕事に取りかゝる。
其《その》後《ご》三十分間は家内平穩、別段吾輩の材料になる樣な事件も起らなかつたが、突然妙な人が御客に來た。十七八の女學生である。踵《かゝと》のまがつた靴を履《は》いて、紫色の袴を引きずつて、髪を算盤珠《そろばんだま》の樣にふくらまして勝手口から案内も乞はずに上《あが》つて來た。是は主人の姪《めひ》である。學校の生徒ださうだが、折々日曜にやつて來て、よく叔父さんと喧嘩をして歸つて行く雪江《ゆきえ》とか云ふ奇麗な名のお孃さんである。尤も顔は名前程でもない、一寸表へ出て一二町あるけば必ず逢へる人相である。
「叔母さん今日は」と茶の間へつか/\這入つて來て、針箱の横へ尻を卸した。
「おや、よく早くから……」
「今日は大祭日ですから、朝のうちに一寸上がらうと思つて、八時半頃から家《うち》を出て急いで來たの」
「さう、何か用があるの?」
「いゝえ、ただあんまり御無沙汰をしたから、一寸上がつたの」
「一寸でなくつていゝから、緩《ゆつ》くり遊んで入らつしやい。今に叔父さんが歸つて來ますから」
「叔父さんは、もう、どこへか入らしつたの。珍らしいのね」
「えゝ今日はね、妙な所へ行つたのよ。……警察へ行つたの、妙でせう」
「あら、何で?」
「此春這入つた泥棒がつらまつたんだつて」
「夫《それ》で引き合に出されるの? いゝ迷惑ね」
「なあに品物が戻るのよ。取られたものが出たから取りに來いつて、昨日《きのふ》巡査がわざ/\來たもんですから」
「おや、さう、それでなくつちや、こんなに早く叔父さんが出掛ける事はないわね。いつもなら今時分はまだ寐て入らつしやるんだわ」
「叔父さん程、寐坊はないんですから……さうして起こすとぷん/\怒《おこ》るのよ。今朝なんかも七時迄に是非おこせと云ふから、起こしたんでせう。すると夜具の中へ潜《もぐ》つて返事もしないんですもの。こつちは心配だから二度目に又おこすと、夜着の袖から何か云ふのよ。本當にあきれ返つてしまふの」
「なぜそんなに眠いんでせう。屹度《きつと》神經衰弱なんでせう」
「何ですか」
「本當にむやみに怒る方《かた》ね。あれでよく學校が勤まるのね」
「なに學校ぢや大人《おとな》しいんですつて」
「ぢや猶《なほ》惡るいわ。まるで蒟蒻閻魔《こんにやくえんま》ね」
「なぜ?」
「なぜでも蒟蒻閻魔《こんにやくえんま》なの。だつて蒟蒻閻魔の樣ぢやありませんか」 「只怒るばかりぢやないのよ。人が右と云へば左、左と云へば右で、何でも人の言ふ通りにした事がない、――そりや強情ですよ」
「天探女《あまのじやく》でせう。叔父さんはあれが道樂なのよ。だから何かさせ樣《やう》と思つたら、うら〔二字傍点〕を云ふと、此方《こつち》の思ひ通りになるのよ。此間《こなひだ》蝙蝠傘《かうもり》を買つてもらふ時にも、入《い》らない、入らないつて、態《わざ》と云つたら、入らない事があるものかつて、すぐ買つて下すつたの」
「ホヽヽヽ旨いのね。わたしも是からさうしやう」
「さうなさいよ。それでなくつちや損だわ」
「此間《こなひだ》保險會社の人が來て、是非御這入んなさいつて、勸めて居るんでせう、――色々譯を言つて、かう云ふ利益があるの、あゝ云ふ利益があるのつて、何でも一時間も話をしたんですが、どうしても這入らないの。うちだつて貯蓄はなし、かうして小供は三人もあるし、せめて保險へでも這入つて呉れると餘つ程心丈夫なんですけれども、そんな事は少しも構はないんですもの」
「さうね、もしもの事があると不安心だわね」と十七八の娘に似合しからん世帶染《しよたいじ》みた言《こと》を云ふ。
「その談判を蔭で聞いて居ると、本當に面白いのよ。成程保險の必要も認めないではない。必要なものだから會社も存在して居るのだらう。然し死なゝい以上は保險に這入る必要はないぢやないかつて強情を張つて居るんです」
「叔父さんが?」
「えゝ、すると會社の男が、それは死なゝければ無論保險會社は要りません。然し人間の命と云ふものは丈夫な樣で脆《もろ》いもので、知らないうちに、いつ危險が逼《せま》つて居るか分りませんと云ふとね、叔父さんは、大丈夫僕は死なゝい事に決心をして居るつて、まあ無法な事を云ふんですよ」
「決心したつて、死ぬわねえ。わたしなんか是非及第する積《つもり》だつたけれども、とう/\落第して仕舞つたわ」
「保險社員もさう云ふのよ。壽命は自分の自由にはなりません。決心で長《な》が生《い》きが出來るものなら、誰も死ぬものは御座いませんつて」
「保險會社の方が至當ですわ」
「至當でせう。夫《それ》がわからないの。いえ決して死なゝい。誓つて死なゝいつて威張るの」
「妙ね」
「妙ですとも、大妙《おほめう》ですわ。保險の掛金を出す位なら銀行へ貯金する方が遙かにましだつて濟まし切つて居るんですよ」
「貯金があるの?」
「あるもんですか。自分が死んだあとなんか、ちつとも構ふ考なんかないんですよ」
「本當に心配ね。なぜ、あんなゝんでせう、こゝへ入らつしやる方《かた》だつて、叔父さんの樣なのは一人も居ないわね」
「居るものですか。無類ですよ」
「ちつと鈴木さんにでも頼んで意見でもして貰ふといゝんですよ。あゝ云ふ穩やかな人だと餘つ程|樂《らく》ですがねえ」
「所が鈴木さんは、うちぢや評判がわるいのよ」
「みんな逆《さか》なのね。それぢや、あの方《かた》がいゝでせう――ほらあの落ち付いてる――」
「八木さん?」
「えゝ」
「八木さんには大分《だいぶ》閉口して居るんですがね。昨日《きのふ》迷亭さんが來て惡口をいつたものだから、思つた程利かないかも知れない」
「だつていゝぢやありませんか。あんな風に鷹揚《おうやう》に落ち付いて居れば、――此間《こなひだ》學校で演説をなすつたわ」
「八木さんが?」
「えゝ」
「八木さんは雪江さんの學校の先生なの」
「いゝえ、先生ぢやないけども、淑コ婦人會《しゆくとくふじんくわい》のときに招待して、演説をして頂いたの」
「面白かつて?」
「さうね、そんなに面白くもなかつたわ。だけども、あの先生が、あんな長い顔なんでせう。さうして天神樣の樣な髯を生やして居るもんだから、みんな感心して聞いて居てよ」
「御話しつて、どんな御話なの?」と妻君が聞きかけて居ると椽側の方から、雪江さんの話し聲をきゝつけて、三人の子供がどたばた茶の間へ亂入して來た。今迄は竹垣の外の空地《あきち》へ出て遊んで居たものであらう。
「あら雪江さんが來た」と二人の姉さんは嬉しさうに大きな聲を出す。妻君は「そんなに騷がないで、みんな靜かにして御坐はりなさい。雪江さんが今面白い話をなさる所だから」と仕事を隅へ片付ける。
「雪江さん何の御話し、わたし御話しが大好き」と云つたのはとん子で「矢つ張りかち〔二字傍点〕/\山の御話し?」と聞いたのはすん子である。「坊ばも御はなち」と云ひ出した三女は姉と姉の間から膝を前の方に出す。但し是は御話を承はると云ふのではない、坊ばも又御話を仕《つかまつ》ると云ふ意味である。「あら、又坊ばちやんの話だ」と姉さんが笑ふと、妻君は「坊ばはあとでなさい。雪江さんの御話がすんでから」と賺《す》かして見る。坊ばは中々聞きさうにない。「いやーよ、ばぶ」と大きな聲を出す。「おゝ、よし/\坊ばちやんからなさい。何と云ふの?」と雪江さんは謙遜した。
「あのね。坊たん、坊たん、どこ行くのつて」
「面白いのね。夫《それ》から?」
「わたちは田圃《たんぼ》へ稻刈いに」
「さう、よく知つてる事」
「御前がくうと邪魔《だま》になる」
「あら、くう〔二字傍点〕とぢやないわ、くる〔二字傍点〕とだわね」ととん子が口を出す。坊ばは相變らず「ばぶ」と一喝して直ちに姉を辟易させる。然し中途で口を出されたものだから、續きを忘れて仕舞つて、あとが出て來ない。「坊ばちやん、それぎりなの?」と雪江さんが聞く。
「あのね。あとでおならは御免だよ。ぷう、ぷう/\つて」
「ホヽヽヽ、いやだ事、誰にそんな事を、ヘはつたの?」
「御三《おたん》に」
「わるい御三《おさん》ね、そんな事をヘへて」と妻君は苦笑をして居たが、「さあ今度は雪江さんの番だ。坊やは大人《おとな》しく聞いて居るのですよ」と云ふと、さすがの暴君も納得したと見えて、それ限《ぎ》り當分の間は沈黙した。
「八木先生の演説はこんなのよ」と雪江さんがとう/\口を切つた。「昔ある辻《つじ》の眞中に大きな石地藏があつたんですつてね。所がそこが生憎《あいにく》馬や車が通る大變賑やかな場所だもんだから邪魔になつて仕樣がないんでね、町内のものが大勢寄つて、相談をして、どうして此石地藏を隅の方へ片付けたらよからうつて考へたんですつて」
「そりや本當にあつた話なの?」
「どうですか、そんな事は何とも仰しやらなくつてよ。――でみんなが色々相談をしたら、其町内で一番強い男が、そりや譯はありません、わたしが屹度《きつと》片づけて見せますつて、一人で其辻へ行つて、兩肌を拔いで汗を流して引つ張つたけれども、どうしても動かないんですつて」
「餘つ程重い石地藏なのね」
「えゝ、夫《それ》で其男が疲れて仕舞つて、うちへ歸つて寐て仕舞つたから、町内のものは又相談をしたんですね。すると今度は町内で一番利口な男が、私《わたし》に任せて御覽なさい、一番やつて見ますからつて、重箱のなかへ牡丹餠《ぼたもち》を一杯入れて、地藏の前へ來て、「こゝ迄|御出《おい》で」と云ひながら牡丹餠を見せびらかしたんだつて、地藏だつて食意地《くひいぢ》が張つてるから牡丹餠で釣れるだらうと思つたら、少しも動かないんだつて。利口な男はこれではいけないと思つてね。今度は瓢箪《へうたん》へ御酒を入れて、其瓢箪を片手へぶら下げて、片手へ猪口《ちよこ》を持つて又地藏さんの前へ來て、さあ飲みたくはないかね、飲みたければこゝ迄|御出《おい》でと三時間ばかり、からかつて見たが矢張り動かないんですつて」
「雪江さん、地藏樣は御腹《おなか》が減らないの」ととん子がきくと「牡丹餠が食べたいな」とすん子が云つた。
「利口な人は二度共しくじつたから、其次には贋札《にせさつ》を澤山こしらへて、さあ欲しいだらう、欲しければ取りに御出でと札を出したり引つ込ましたりしたが是も丸《まる》で益《やく》に立たないんですつて。餘つ程頑固な地藏樣なのよ」
「さうね。すこし叔父さんに似て居るわ」
「えゝ丸《まる》で叔父さんよ、仕舞に利口な人も愛想《あいそ》をつかしてやめて仕舞つたんですとさ。夫《それ》で其あとからね、大きな法螺《ほら》を吹く人が出て、私《わたし》なら屹度《きつと》片づけて見せますから御安心なさいと左《さ》も容易《たやす》い事の樣に受合つたさうです」
「其|法螺《ほら》を吹く人は何をしたんです」
「それが面白いのよ。最初にはね巡査の服をきて、付け髯をして、地藏樣の前へきて、こら/\、動かんと其方の爲にならんぞ、警察で棄てゝ置かんぞと威張つて見せたんですとさ。今の世に警察の假聲《こわいろ》なんか使つたつて誰も聞きやしないわね」
「本當ね、それで地藏樣は動いたの?」
「動くもんですか、叔父さんですもの」
「でも叔父さんは警察には大變恐れ入つて居るのよ」
「あらさう、あんな顔をして? それぢや、そんなに怖《こは》い事はないわね。けれども地藏樣は動かないんですつて、平氣で居るんですとさ。それで法螺吹《ほらふき》は大變|怒《おこ》つて、巡査の服を脱いで、付け髯を紙屑籠へ抛《はふ》り込んで、今度は大金持ちの服裝《なり》をして出て來たさうです。今の世で云ふと岩崎男爵の樣な顔をするんですとさ。可笑《をか》しいわね」
「岩崎の樣な顔つてどんな顔なの?」
「只大きな顔をするんでせう。さうして何もしないで、又何も云はないで地藏の周《まは》りを、大きな卷烟草をふかしながら歩行《ある》いて居るんですとさ」
「それが何になるの?」
「地藏樣を烟《けむ》に捲《ま》くんです」
「丸《まる》で噺《はな》し家《か》の洒落《しやれ》の樣ね。首尾よく烟《けむ》に捲《ま》いたの?」
「駄目ですわ、相手が石ですもの。胡魔化しも大抵にすればいゝのに、今度は殿下さまに化けて來たんだつて。馬鹿ね」
「へえ、其時分にも殿下さまがあるの?」
「有るんでせう。八木先生はさう仰《おつし》やつてよ。慥《たし》かに殿下樣に化けたんだつて、恐れ多い事だが化けて來たつて――第一不敬ぢやありませんか、法螺吹きの分際《ぶんざい》で」
「殿下つて、どの殿下さまなの」
「どの殿下さまですか、どの殿下さまだつて不敬ですわ」
「さうね」
「殿下さまでも利かないでせう。法螺吹きも仕樣がないから、とても私《わたし》の手際では、あの地藏はどうする事も出來ませんと降參をしたさうです」
「いゝ氣味ね」
「えゝ、序《ついで》に懲役《ちようえき》に遣ればいゝのに。――でも町内のものは大層氣を揉んで、又相談を開いたんですが、もう誰も引き受けるものがないんで弱つたさうです」
「それでお仕舞?」
「まだあるのよ。一番仕舞に車屋とゴロツキを大勢雇つて、地藏樣の周《まは》りをわい/\騷いであるいたんです。只地藏樣をいぢめて、居たゝまれない樣にすればいゝと云つて、夜晝|交替《かうたい》で騷ぐんだつて」
「御苦勞樣ですこと」
「それでも取り合はないんですとさ。地藏樣の方も隨分強情ね」
「それから、どうして?」ととん〔二字傍点〕子が熱心に聞く。
「それからね、いくら毎日々々騷いでも驗《げん》が見えないので、大分《だいぶ》みんなが厭《いや》になつて來たんですが、車夫やゴロツキは幾日《いくんち》でも日當《につたう》になる事だから喜んで騷いで居ましたとさ」
「雪江さん、日當《につたう》つてなに?」とすん〔二字傍点〕子が質問をする。
「日當と云ふのはね、御金の事なの」
「御金をもらつて何にするの?」
「御金を貰つてね。……ホヽヽヽいやなすん〔二字傍点〕子さんだ。――それで叔母さん、毎日毎晩から〔二字傍点〕騷ぎを爲《し》て居ますとね。其時町内に馬鹿竹《ばかたけ》と云つて、何《なんに》も知らない、誰も相手にしない馬鹿が居たんですつてね。其馬鹿が此騷ぎを見て御前方《おまへがた》は何でそんなに騷ぐんだ、何年かゝつても地藏一つ動かす事が出來ないのか、可哀想《かはいさう》なものだ、と云つたさうですつて――」
「馬鹿の癖にえらいのね」
「中々えらい馬鹿なのよ。みんなが馬鹿竹《ばかたけ》の云ふ事を聞いて、物はためしだ、どうせ駄目だらうが、まあ竹にやらして見《み》樣《やう》ぢやないかとそれから竹に頼むと、竹は一も二もなく引き受けたが、そんな邪魔な騷ぎをしないでまあ靜かにしろと車引やゴロツキを引き込まして飄然《へうぜん》と地藏樣の前へ出て來ました」
「雪江さん飄然〔二字傍点〕て、馬鹿竹の御友達?」ととん子が肝心な所で奇問を放つたので、細君と雪江さんはどつと笑ひ出した。
「いゝえ御友達ぢやないのよ」
「ぢや、なに?」
「飄然《へうぜん》と云ふのはね。――云ひ樣がないわ」
「飄然《へうぜん》て、云ひ樣がないの?」
「さうぢやないのよ、飄然と云ふのはね――」
「えゝ」
「そら多々良三平《たゝらさんぺい》さんを知つてるでせう」
「えゝ、山の芋をくれてよ」
「あの多々良さん見た樣なを云ふのよ」
「多々良さんは飄然なの?」
「えゝ、まあさうよ。――夫《それ》で馬鹿竹が地藏樣の前へ來て懷手《ふところで》をして、地藏樣、町内のものが、あなたに動いてくれと云ふから動いてやんなさいと云つたら、地藏樣は忽ちさうか、そんなら早くさう云へばいゝのに、とのこ/\動き出したさうです」
「妙な地藏樣ね」
「夫《それ》からが演説よ」
「まだあるの?」
「えゝ、夫《それ》から八木先生がね、今日《こんにち》は御婦人の會でありますが、私が斯樣《かやう》な御話をわざ/\致したのは少々|考《かんがへ》があるので、かう申すと失禮かも知れませんが、婦人といふものは兎角物をするのに正面から近道を通つて行かないで、却つて遠方から廻りくどい手段をとる弊《へい》がある。尤も是は御婦人に限つた事でない。明治の代《よ》は男子と雖《いへども》、文明の弊を受けて多少女性的になつて居るから、よく入らざる手數《てすう》と勞力を費やして、是が本筋である、紳士のやるべき方針であると誤解して居るものが多い樣だが、是等は開化の業《ごふ》に束縛された畸形兒《きけいじ》である。別に論ずるに及ばん。只御婦人に在つては可成《なるべく》只今申した昔話を御記憶になつて、いざと云ふ場合にはどうか馬鹿竹の樣な正直な了見で物事を處理して頂きたい。あなた方が馬鹿竹になれば夫婦の間、嫁姑《よめしうと》の間に起る忌はしき葛藤《かつとう》の三分一《さんぶいち》は慥《たし》かに減ぜられるに相違ない。人間は魂膽《こんたん》があればある程、其魂膽が祟《たゝ》つて不幸の源《みなもと》をなすので、多くの婦人が平均男子より不幸なのは、全く此魂膽があり過ぎるからである。どうか馬鹿竹になつて下さい、と云ふ演説なの」
「へえ、それで雪江さんは馬鹿竹になる氣なの」
「やだわ、馬鹿竹だなんて。そんなものになり度くはないわ。金田の富子さんなんぞは失敬だつて大變|怒《おこ》つてよ」
「金田の富子さんて、あの向横町《むかふよこちやう》の?」
「えゝ、あのハイカラさんよ」
「あの人も雪江さんの學校へ行くの?」
「いゝえ、只婦人會だから傍聽に來たの。本當にハイカラね。どうも驚ろいちまふわ」
「でも大變いゝ器量だつて云ふぢやありませんか」
「並ですわ。御自慢程ぢやありませんよ。あんなに御化粧をすればたいていの人はよく見えるわ」
「それぢや雪江さんなんぞは其かたの樣に御化粧をすれば金田さんの倍位美しくなるでせう」
「あらいやだ。よくつてよ。知らないわ。だけど、あの方《かた》は全くつくり過ぎるのね。なんぼ御金があつたつて――」
「つくり過ぎても御金のある方がいゝぢやありませんか」
「それもさうだけれども――あの方《かた》こそ、少し馬鹿竹になつた方がいゝでせう。無暗に威張るんですもの。此間もなんとか云ふ詩人が新體詩集を捧げたつて、みんなに吹聽して居るんですもの」
「東風《とうふう》さんでせう」
「あら、あの方が捧げたの、餘つ程|物數奇《ものずき》ね」
「でも東風さんは大變眞面目なんですよ。自分ぢや、あんな事をするのが當前《あたりまへ》だと迄思つてるんですもの」
「そんな人があるから、いけないんですよ。――夫《それ》からまだ面白い事があるの。此間《こなひだ》だれか、あの方の所《とこ》へ艶書を送つたものがあるんだつて」
「おや、いやらしい。誰なの、そんな事をしたのは」
「誰だかわからないんだつて」
「名前はないの?」
「名前はちやんと書いてあるんだけれども聞いた事もない人だつて、さうして夫《それ》が長い/\一間|許《ばか》りもある手紙でね。色々な妙な事がかいてあるんですとさ。私《わたし》があなたを戀《おも》つて居るのは、丁度宗ヘ家が神にあこがれて居る樣なものだの、あなたの爲ならば祭壇に供へる小羊となつて屠《ほふ》られるのが無上の名譽であるの、心臓の形《かた》ちが三角で、三角の中心にキユーピツドの矢が立つて、吹き矢なら大當りであるの……」
「そりや眞面目なの?」
「眞面目なんですとさ。現にわたしの御友達のうちで其手紙を見たものが三人あるんですもの」
「いやな人ね、そんなものを見せびらかして。あの方は寒月さんの所《とこ》へ御嫁に行く積《つもり》なんだから、そんな事が世間へ知れちや困るでせうにね」
「困るどころですか大得意よ。こんだ寒月さんが來たら、知らして上げたらいゝでせう。寒月さんは丸《まる》で御存じないんでせう」
「どうですか、あの方は學校へ行つて球《たま》ばかり磨いて居らつしやるから、大方知らないでせう」
「寒月さんは本當にあの方を御貰になる氣なんでせうかね。御氣の毒だわね」
「なぜ? 御金があつて、いざつて時に力になつて、いゝぢやありませんか」
「叔母さんは、ぢきに金、金つて品《ひん》がわるいのね。金より愛の方が大事ぢやありませんか。愛がなければ夫婦の關係は成立しやしないわ」
「さう、それぢや雪江さんは、どんな所へ御嫁に行くの?」
「そんな事知るもんですか、別に何もないんですもの」
雪江さんと叔母さんは結婚事件に就て何か辯論を逞しくして居ると、さつきから、分らないなりに謹聽して居るとん〔二字傍点〕子が突然口を開《ひら》いて「わたしも御嫁に行きたいな」と云ひだした。此無鐵砲な希望には、さすが青春の氣に滿ちて、大《おほい》に同情を寄すべき雪江さんも一寸毒氣を拔かれた體《てい》であつたが、細君の方は比較的平氣に構へて「どこへ行きたいの」と笑ながら聞いて見た。
「わたしねえ、本當はね、招魂社《せうこんしや》へ御嫁に行きたいんだけれども、水道橋を渡るのがいやだから、どうしやうかと思つてるの」
細君と雪江さんは此名答を得て、あまりの事に問ひ返す勇氣もなく、どつと笑ひ崩れた時に、次女のすん子が姉さんに向つて斯樣な相談を持ちかけた。
「御ねえ樣も招魂社《せうこんしや》がすき? わたしも大すき。一所に招魂社へ御嫁に行きませう。ね? いや? いやなら好いわ。わたし一人で車へ乘つてさつさと行つちまふわ」
「坊ばも行くの」と遂には坊ばさん迄が招魂社へ嫁に行く事になつた。斯樣に三人が顔を揃へて招魂社へ嫁に行けたら、主人も嘸《さぞ》樂であらう。
所へ車の音ががら/\と門前に留つたと思つたら、忽ち威勢のいゝ御歸りと云ふ聲がした。主人は日本堤分署から戻つたと見える。車夫が差出す大きな風呂敷包を下女に受け取らして、主人は悠然と茶の間へ這入つて來る。「やあ、來たね」と雪江さんに挨拶しながら、例の有名なる長火鉢の傍《そば》へ、ぽかりと手に携へたコ利樣《とつくりやう》のものを抛《はふ》り出した。コ利樣《とつくりやう》と云ふのは純然たるコ利《とつくり》では無論ない、と云つて花活《はない》けとも思はれない、只一種異樣の陶器であるから、已《やむ》を得ず暫くかやうに申したのである。
「妙なコ利ね、そんなものを警察から貰つて入らしつたの」と雪江さんが、倒れた奴を起しながら叔父さんに聞いて見る。叔父さんは、雪江さんの顔を見ながら、「どうだ、いゝ恰好《かつかう》だらう」と自慢する。
「いゝ恰好なの? それが? あんまりよかあないわ? 油壺なんか何で持つて入らつしつたの?」
「油壺なものか。そんな趣味のない事を云ふから困る」
「ぢや、なあに?」
「花活《はないけ》さ」
「花活《はないけ》にしちや、口が小《ち》いさ過ぎて、いやに胴が張つてるわ」
「そこが面白いんだ。御前も無風流だな。丸《まる》で叔母さんと擇《えら》ぶ所なしだ。困つたものだな」と獨りで油壺を取り上げて、障子の方へ向けて眺めて居る。
「どうせ無風流ですわ。油壺を警察から貰つてくる樣な眞似は出來ないわ。ねえ叔母さん」叔母さんは夫《それ》所ではない、風呂敷包を解いて皿眼《さらまなこ》になつて、盗難品を檢《しら》べて居る。「おや驚ろいた。泥棒も進歩したのね。みんな、解いて洗ひ張をしてあるわ。ねえちよいと、あなた」
「誰が警察から油壺を貰つてくるものか。待つてるのが退屈だから、あすこいらを散歩してゐるうちに堀り出して來たんだ。御前なんぞには分るまいが夫《それ》でも珍品だよ」
「珍品過ぎるわ。一體叔父さんはどこを散歩したの」
「どこつて日本堤界隈《にほんづゝみかいわい》さ。吉原へも這入つて見た。中々|盛《さかん》な所だ。あの鐵の門を觀た事があるかい。ないだらう」
「だれが見るもんですか。吉原なんて賤業婦の居る所へ行く因縁がありませんわ。叔父さんはヘ師の身で、よくまあ、あんな所へ行かれたものねえ。本當に驚ろいてしまふわ。ねえ叔母さん、叔母さん」
「えゝ、さうね。どうも品數《しなかず》が足りない樣だ事。是でみんな戻つたんでせうか」
「戻らんのは山の芋ばかりさ。元來九時に出頭しろと云ひながら十一時迄待たせる法があるものか、是だから日本の警察はいかん」
「日本の警察がいけないつて、吉原を散歩しちや猶《なほ》いけないわ。そんな事が知れると免職になつてよ。ねえ叔母さん」
「えゝ、なるでせう。あなた、私の帶の片側《かたかは》がないんです。何だか足りないと思つたら」
「帶の片側位あきらめるさ。こつちは三時間も待たされて、大切の時間を半日潰してしまつた」と日本服に着代へて平氣に火鉢へもたれて油壺を眺めて居る。細君も仕方がないと諦めて、戻つた品を其儘戸棚へ仕舞《しまひこ》込んで座に歸る。
「叔母さん、此油壺が珍品ですとさ。きたないぢやありませんか」
「それを吉原で買つて入らしつたの? まあ」
「何がまあ〔二字傍点〕だ。分りもしない癖に」
「それでもそんな壺なら吉原へ行かなくつても、どこにだつて有るぢやありませんか」
「所がないんだよ。滅多に有る品ではないんだよ」
「叔父さんは隨分|石地藏《いしぢざう》ね」
「又小供の癖に生意氣を云ふ。どうも此頃の女學生は口が惡《わ》るくつていかん。ちと女大學でも讀むがいゝ」
「叔父さんは保險が嫌《きらひ》でせう。女學生と保險とどつちが嫌なの?」
「保險は嫌ではない。あれは必要なものだ。未來の考のあるものは、誰でも這入る。女學生は無用の長物だ」
「無用の長物でもいゝ事よ。保險へ這入つても居ない癖に」
「來月から這入る積《つもり》だ」
「屹度《きつと》?」
「屹度だとも」
「およしなさいよ、保險なんか。それよりか其|懸金《かけきん》で何か買つた方がいゝわ。ねえ、叔母さん」叔母さんはにや/\笑つて居る。主人は眞面目になつて
「お前|抔《など》は百も二百も生きる氣だから、そんな呑氣《のんき》な事を云ふのだが、もう少し理性が發達して見ろ、保險の必要を感ずるに至るのは當前《あたりまへ》だ。ぜひ來月から這入るんだ」
「さう、それぢや仕方がない。だけど此間《こなひだ》の樣に蝙蝠傘《かうもり》を買つて下さる御金があるなら、保險に這入る方がましかも知れないわ。ひとが入《い》りません、入りませんと云ふのを無理に買つて下さるんですもの」
「そんなに入《い》らなかつたのか?」
「えゝ、蝙蝠傘《かうもり》なんか欲しかないわ」
「そんなら還《かへ》すがいゝ。丁度とん〔二字傍点〕子が欲しがつてるから、あれを此方《こつち》へ廻してやらう。今日持つて來たか」
「あら、そりや、あんまりだわ。だつて苛《ひど》いぢやありませんか、切角買つて下すつて置きながら、還せなんて」
「入《い》らないと云ふから、還せと云ふのさ。些《ちつ》とも苛《ひど》くはない」
「入《い》らない事は入らないんですけれども、苛《ひど》いわ」
「分らん事を言ふ奴だな。入《い》らないと云ふから還せと云ふのに苛《ひど》い事があるものか」
「だつて」
「だつて、どうしたんだ」
「だつて苛《ひど》いわ」
「愚《ぐ》だな、同じ事ばかり繰り返して居る」
「叔父さんだつて同じ事ばかり繰り返して居るぢやありませんか」
「御前が繰り返すから仕方がないさ。現に入《い》らないと云つたぢやないか」
「そりや云ひましたわ。入《い》らない事は入らないんですけれども、還すのは厭《いや》ですもの」
「驚ろいたな。沒分曉《わからずや》で強情なんだから仕方がない。御前の學校ぢや論理學をヘへないのか」
「よくつてよ、どうせ無ヘ育なんですから、何とでも仰しやい。人のものを還せだなんて、他人だつてそんな不人情な事は云やしない。ちつと馬鹿竹《ばかたけ》の眞似でもなさい」
「何の眞似をしろ?」
「ちと正直に淡泊になさいと云ふんです」
「お前は愚物の癖にやに強情だよ。夫《それ》だから落第するんだ」
「落第したつて叔父さんに學資は出して貰やしないわ」
雪江さんは言《げん》茲《こゝ》に至つて感に堪へざるものゝ如く、潸然《さんぜん》として一掬《いつきく》の涙《なんだ》を紫の袴の上に落した。主人は茫乎《ばうこ》として、其涙が如何なる心理作用に起因するかを研究するものゝ如く、袴の上と、俯《う》つ向いた雪江さんの顔を見詰めて居た。所へ御三が臺所から赤い手を敷居越に揃へて「お客さまが入らつしやいました」と云ふ。「誰が來たんだ」と主人が聞くと「學校の生徒さんで御座います」と御三は雪江さんの泣顔を横目に睨《にら》めながら答へた。主人は客間へ出て行く。吾輩も種取り兼《けん》人間研究の爲め、主人に尾《び》して忍びやかに椽へ廻つた。人間を研究するには何か波瀾がある時を擇《えら》ばないと一向《いつかう》結果が出て來ない。平生は大方の人が大方の人であるから、見ても聞いても張合のない位平凡である。然しいざとなると此平凡が急に靈妙なる神秘的作用の爲にむく/\と持ち上がつて奇なもの、變なもの、妙なもの、異《い》なもの、一と口に云へば吾輩猫共から見て頗る後學になる樣な事件が至る所に横風《わうふう》にあらはれてくる。雪江さんの紅涙《こうるゐ》の如きは正《まさ》しく其現象の一つである。かくの如く不可思議、不可測《ふかそく》の心を有して居る雪江さんも、細君と話をして居るうちは左程《さほど》とも思はなかつたが、主人が歸つてきて油壺を抛《はふ》り出すや否や、忽ち死龍《しりゆう》に蒸汽喞筒《じようきポンプ》を注ぎかけたる如く、勃然《ぼつぜん》として其|深奧《しんあう》にして窺知《きち》すべからざる、巧妙なる、美妙なる、奇妙なる、靈妙なる、麗質を、惜氣もなく發揚し了つた。而して其麗質は天下の女性《によしやう》に共通なる麗質である。只惜しい事には容易にあらはれて來ない。否あらはれる事は二六時中間斷なくあらはれて居るが、斯《かく》の如く顯著に灼然炳乎《しやくぜんへいこ》として遠慮なくはあらはれて來ない。幸にして主人の樣に吾輩の毛を稍《やゝ》ともすると逆さに撫でたがる旋毛曲《つむじまが》りの奇特家《きどくか》が居つたから、かゝる狂言も拜見が出來たのであらう。主人のあとさへ付いてあるけば、どこへ行つても舞臺の役者は吾知らず動くに相違ない。面白い男を旦那樣に戴いて、短かい猫の命のうちにも、大分《だいぶ》多くの經驗が出來る。難有《ありがた》い事だ。今度のお客は何者であらう。
見ると年頃は十七八、雪江さんと追《お》つゝ、返《か》つゝの書生である。大きな頭を地《ぢ》の隙いて見える程刈り込んで團子《だんご》つ鼻《ぱな》を顔の眞中にかためて、座敷の隅の方に控へて居る。別に是と云ふ特徴もないが頭蓋骨|丈《だけ》は頗る大きい。青坊主に刈つてさへ、あゝ大きく見えるのだから、主人の樣に長く延ばしたら定めし人目を惹く事だらう。こんな顔にかぎつて學問は餘り出來ない者だとは、かねてより主人の持説である。事實はさうかも知れないが一寸見るとナポレオンの樣で頗る偉觀である。着物は通例の書生の如く、薩摩絣《さつまがすり》か、久留米《くるめ》がすりか又|伊豫絣《いよがすり》か分らないが、ともかくも絣《かすり》と名づけられたる袷を袖短かに着こなして、下には襯衣《シヤツ》も襦袢《じゆばん》もない樣だ。素袷《すあはせ》や素足《すあし》は意氣なものださうだが、此男のは甚だむさ苦しい感じを與へる。ことに疊の上に泥棒の樣な親指を歴然と三つ迄|印《いん》して居るのは全く素足の責任に相違ない。彼は四つ目の足跡の上へちやんと坐つて、さも窮屈さうに畏《か》しこまつて居る。一體かしこまるべきものが大人《おとな》しく控へるのは別段氣にするにも及ばんが、毬栗頭《いがぐりあたま》のつんつるてんの亂暴者が恐縮して居る所は何となく不調和なものだ。途中で先生に逢つてさへ禮をしないのを自慢にする位の連中が、たとひ三十分でも人並に坐るのは苦しいに違ない。所を生れ得て恭謙の君子、盛コの長者《ちやうしや》であるかの如く構へるのだから、當人の苦しいにかゝはらず傍《はた》から見ると大分《だいぶ》可笑《をか》しいのである。ヘ場もしくは運動場であんなに騷々しいものが、どうして斯樣《かやう》に自己を箝束《かんそく》する力を具へて居るかと思ふと、憐れにもあるが滑稽でもある。かうやつて一人|宛《づゝ》相對《あひたい》になると、如何に愚?《ぐがい》なる主人と雖《いへど》も生徒に對して幾分かの重みがある樣に思はれる。主人も定めし得意であらう。塵積つて山をなすと云ふから、微々たる一生徒も多勢《たぜい》が聚合すると侮る可《べか》らざる團體となつて、排斥運動やストライキをし出《で》かすかも知れない。是は丁度臆病者が酒を飲んで大膽になる樣な現象であらう。衆を頼んで騷ぎ出すのは、人の氣に醉つ拂つた結果、正氣を取り落したるものと認めて差支あるまい。夫《それ》でなければ斯樣《かやう》に恐れ入ると云はんより寧ろ悄然として、自《みづか》ら襖に押し付けられて居る位な薩摩絣《さつまがすり》が、如何に老朽だと云つて、苟《かりそ》めにも先生と名のつく主人を輕蔑し樣がない。馬鹿に出來る譯がない。
主人は座布團を押しやりながら、「さあお敷き」と云つたが毬栗先生《いがぐりせんせい》はかたくなつた儘「へえ」と云つて動かない。鼻の先に剥げかゝつた更紗《さらさ》の座布團が「御乘んなさい」とも何とも云はずに着席して居る後《うし》ろに、生きた大頭がつくねんと着席して居るのは妙なものだ。布團は乘る爲めの布團で見詰める爲に細君が勸工場から仕入れて來たのではない。布團にして敷かれずんば、布團は正《まさ》しく其名譽を毀損せられたるもので、是を勸めたる主人も亦幾分か顔が立たない事になる。主人の顔を潰して迄、布團と睨めくらをして居る毬栗君《いがぐりくん》は決して布團其物が嫌《きらひ》なのではない。實を云ふと、正式に坐つた事は祖父《ぢい》さんの法事の時の外は生れてから滅多にないので、先つきから既にしびれ〔三字傍点〕が切れかゝつて少々足の先は困難を訴へて居るのである。夫《それ》にもかゝはらず敷かない。布團が手持無沙汰に控へて居るにもかゝはらず敷かない。主人がさあお敷きと云ふのに敷かない。厄介な毬栗坊主《いがぐりばうず》だ。此位遠慮するなら多人數《たにんず》集まつた時もう少し遠慮すればいゝのに、學校でもう少し遠慮すればいゝのに、下宿屋でもう少し遠慮すればいゝのに。すまじき所へ氣兼をして、すべき時には謙遜しない、否|大《おほい》に狼藉《らうぜき》を働らく。たちの惡《わ》るい毬栗坊主だ。
所へ後《うし》ろの襖をすうと開けて、雪江さんが一碗の茶を恭しく坊主に供した。平生なら、そらサ※[エに濁點]ジ、チーが出たと冷《ひ》やかすのだが、主人一人に對してすら痛み入つて居る上へ、妙齡の女性《によしやう》が學校で覺え立ての小笠原流《をがさはらりう》で、乙《おつ》に氣取つた手つきをして茶碗を突きつけたのだから、坊主は大《おほい》に苦悶の體《てい》に見える。雪江さんは襖をしめる時に後ろからにや/\と笑つた。して見ると女は同年輩でも中々えらいものだ。坊主に比すれば遙かに度胸が据《す》はつて居る。ことに先刻《さつき》の無念にはら/\と流した一滴の紅涙《こうるゐ》のあとだから、此にや/\がさらに目立つて見えた。
雪江さんの引き込んだあとは、双方無言の儘、しばらくの間は辛防して居たが、是では業《げふ》をする樣なものだと氣が付いた主人は漸く口を開《ひら》いた。
「君は何とか云つたけな」
「古井《ふるゐ》……」
「古井? 古井何とかだね。名は」
「古井武右衛門《ふるゐぶゑもん》」
「古井武右衛門――成程、大分《だいぶ》長い名だな。今の名ぢやない、昔の名だ。四年生だつたね」
「いゝえ」
「三年生か?」
「いゝえ、二年生です」
「甲の組かね」
「乙です」
「乙なら、わたしの監督だね。さうか」と主人は感心して居る。實は此大頭は入學の當時から、主人の眼について居るんだから、決して忘れる所《どころ》ではない。のみならず、時々は夢に見る位感銘した頭である。然し呑氣《のんき》な主人は此頭と此古風な姓名とを連結して、其連結したものを又二年乙組に連結する事が出來なかつたのである。だから此夢に見る程感心した頭が自分の監督組の生徒であると聞いて、思はずさうか〔三字傍点〕と心の裏《うち》で手を拍《う》つたのである。然し此大きな頭の、古い名の、而《しか》も自分の監督する生徒が何の爲めに今頃やつて來たのか頓《とん》と推諒《すゐりやう》出來ない。元來不人望な主人の事だから、學校の生徒|抔《など》は正月だらうが暮だらうが殆んど寄り付いた事がない。寄り付いたのは古井武右衛門君を以て嚆矢《かうし》とする位な珍客であるが、其來訪の主意がわからんには主人も大《おほい》に閉口して居るらしい。こんな面白くない人の家《うち》へ只遊びにくる譯もなからうし、又辭職勸告ならもう少し昂然と構へ込みさうだし、と云つて武右衛門君|抔《など》が一身上の用事相談がある筈がないし、どつちから、どう考へても主人には分らない。武右衛門君の樣子を見ると或は本人自身にすら何で、こゝ迄參つたのか判然しないかも知れない。仕方がないから主人からとう/\表向に聞き出した。
「君遊びに來たのか」
「さうぢやないんです」
「それぢや用事かね」
「えゝ」
「學校の事かい」
「えゝ、少し御話ししやうと思つて……」
「うむ。どんな事かね。さあ話し玉へ」と云ふと武右衛門君下を向いたぎり何《なん》にも言はない。元來武右衛門君は中學の二年生にしてはよく辯ずる方で、頭の大きい割に腦力は發達して居らんが、喋舌《しやべ》る事に於ては乙組中|鏘々《さう/\》たるものである。現に先達《せんだつ》てコロンバスの日本譯をヘへろと云つて大《おほい》に主人を困らしたは正《まさ》に此武右衛門君である。其|鏘々《さう/\》たる先生が、最前《さいぜん》から吃《どもり》の御姫樣の樣にもぢ/\して居るのは、何か云《い》はくのある事でなくてはならん。單に遠慮のみとは到底受け取られない。主人も少々不審に思つた。
「話す事があるなら、早く話したらいゝぢやないか」
「少し話しにくい事で……」
「話しにくい?」と云ひながら主人は武右衛門君の顔を見たが、先方は依然として俯向《うつむき》になつてるから、何事とも鑑定が出來ない。已《やむ》を得ず、少し語勢を變へて「いゝさ。何でも話すがいゝ。外に誰も聞いて居やしない。わたしも他言《たごん》はしないから」と穩やかにつけ加へた。
「話してもいゝでせうか?」と武右衛門君はまだ迷つて居る。
「いゝだらう」と主人は勝手な判斷をする。
「では話しますが」といゝかけて、毬栗頭《いがぐりあたま》をむくりと持ち上げて主人の方を一寸まぼしさうに見た。其眼は三角である。主人は頬をふくらまして朝日の烟を吹き出しながら一寸横を向いた。
「實はその……困つた事になつちまつて……」
「何が?」
「何がつて、甚だ困るもんですから、來たんです」
「だからさ、何が困るんだよ」
「そんな事をする考はなかつたんですけれども、濱田《はまだ》が借せ/\と云ふもんですから……」
「濱田と云ふのは濱田平助《はまだへいすけ》かい」
「えゝ」
「濱田に下宿料でも借したのかい」
「何そんなものを借したんぢやありません」
「ぢや何を借したんだい」
「名前を借したんです」
「濱田が君の名前を借りて何をしたんだい」
「艶書《えんしよ》を送つたんです」
「何を送つた?」
「だから、名前は廢《よ》して、投函役《とうかんやく》になると云つたんです」
「何だか要領を得んぢやないか。一體誰が何をしたんだい」
「艶書を送つたんです」
「艶書を送つた? 誰に?」
「だから、話しにくいと云ふんです」
「ぢや君が、どこかの女に艶書を送つたのか」
「いゝえ、僕ぢやないんです」
「濱田が送つたのかい」
「濱田でもないんです」
「ぢや誰が送つたんだい」
「誰だか分らないんです」
「些《ちつ》とも要領を得ないな。では誰も送らんのかい」
「名前|丈《だけ》は僕の名なんです」
「名前|丈《だけ》は君の名だつて、何の事だか些《ちつ》とも分らんぢやないか。もつと條理を立てゝ話すがいゝ。元來其艶書を受けた當人はだれか」
「金田つて向横丁《むかふよこちやう》に居る女です」
「あの金田といふ實業家か」
「えゝ」
「で、名前|丈《だけ》借したとは何の事だい」
「あすこの娘がハイカラで生意氣だから艶書を送つたんです。――濱田が名前がなくちやいけないつて云ひますから、君の名前をかけつて云つたら、僕のぢやつまらない。古井武右衛門の方がいゝつて――それで、とう/\僕の名を借して仕舞つたんです」
「で、君はあすこの娘を知つてるのか。交際でもあるのか」
「交際も何もありやしません。顔なんか見た事もありません」
「亂暴だな。顔も知らない人に艶書をやるなんて、まあどう云ふ了見で、そんな事をしたんだい」
「只みんながあいつは生意氣で威張つてるて云ふから、からかつてやつたんです」
「益《ます/\》亂暴だな。ぢや君の名を公然とかいて送つたんだな」
「えゝ、文章は濱田が書いたんです。僕が名前を借して遠藤が夜あすこのうち迄行つて投函して來たんです」
「ぢや三人で共同してやつたんだね」
「えゝ、ですけれども、あとから考へると、もしあらはれて退學にでもなると大變だと思つて、非常に心配して二三日《にさんち》は寐られないんで、何だか茫《ぼん》やりして仕舞ました」
「そりや又飛んでもない馬鹿をしたもんだ。それで文明中學二年生古井武右衛門とでもかいたのかい」
「いゝえ、學校の名なんか書きやしません」
「學校の名を書かない丈《だけ》まあよかつた。是で學校の名が出て見るがいゝ。夫《それ》こそ文明中學の名譽に關する」
「どうでせう退校になるでせうか」
「さうさな」
「先生、僕のおやぢさんは大變|八釜《やかま》しい人で、夫《それ》にお母《つか》さんが繼母《まゝはゝ》ですから、もし退校にでもならうもんなら、僕あ困つちまふです。本當に退校になるでせうか」
「だから滅多な眞似をしないがいゝ」
「する氣でもなかつたんですが、ついやつて仕舞つたんです。退校にならない樣に出來ないでせうか」と武右衛門君は泣き出しさうな聲をして頻りに哀願に及んで居る。襖《ふすま》の蔭では最前《さいぜん》から細君と雪江さんがくす/\笑つて居る。主人は飽く迄も勿體《もつたい》ぶつて「さうさな」を繰り返して居る。中々面白い。
吾輩が面白いといふと、何がそんなに面白いと聞く人があるかも知れない。聞くのは尤もだ。人間にせよ、動物にせよ、己《おのれ》を知るのは生涯の大事である。己《おのれ》を知る事が出來さへすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。其時は吾輩もこんないたづらを書くのは氣の毒だからすぐさま已《や》めて仕舞ふ積りである。然し自分で自分の鼻の高さが分らないと同じ樣に、自己の何物かは中々見當がつき惡《に》くいと見えて、平生から輕蔑して居る猫に向つてさへ斯樣な質問をかけるのであらう。人間は生意氣な樣でも矢張り、どこか拔けて居る。萬物の靈だ抔《など》とどこへでも萬物の靈を擔《かつ》いであるくかと思ふと、是しきの事實が理解出來ない。而《しか》も恬《てん》として平然たるに至つては些《ち》と一?《いつきやく》を催したくなる。彼は萬物の靈を脊中《せなか》へ擔《かつ》いで、おれの鼻はどこにあるかヘへてくれ、ヘへてくれと騷ぎ立てゝ居る。それなら萬物の靈を辭職するかと思ふと、どう致して死んでも放しさうにしない。此位公然と矛盾をして平氣で居られゝば愛嬌になる。愛嬌になる代りには馬鹿を以て甘《あまん》じなくてはならん。
吾輩が此際武右衛門君と、主人と、細君及雪江孃を面白がるのは、單に外部の事件が鉢合せをして、其鉢合せが波動を乙《おつ》な所に傳へるからではない。實は其|鉢合《はちあはせ》の反響が人間の心に個々別々の音色《ねいろ》を起すからである。第一主人は此事件に對して寧ろ冷淡である。武右衛門君のおやぢさんが如何《いか》に八釜《やかま》しくつて、おつかさんが如何に君を繼子《まゝこ》あつかひに仕《し》樣《やう》とも、あんまり驚ろかない。驚ろく筈がない。武右衛門君が退校になるのは、自分が免職になるのとは大《おほい》に趣《おもむき》が違ふ。千人|近《ぢか》くの生徒がみんな退校になつたら、ヘ師も衣食の途《みち》に窮するかも知れないが、古井武右衛門君|一人《いちにん》の運命がどう變化しやうと、主人の朝夕《てうせき》には殆んど關係がない。關係の薄い所には同情も自《おのづ》から薄い譯である。見ず知らずの人の爲めに眉をひそめたり、鼻をかんだり、嘆息をするのは、決して自然の傾向ではない。人間がそんなに情《なさけ》深い、思ひやりのある動物であるとは甚だ受け取りにくい。只世の中に生れて來た賦税《ふぜい》として、時々交際の爲めに涙を流して見たり、氣の毒な顔を作つて見せたりする許《ばか》りである。云はゞ胡魔化《ごまか》し性《せい》表情で、實を云ふと大分《だいぶ》骨が折れる藝術である。此胡魔化しをうまくやるものを藝術的良心の強い人と云つて、是は世間から大變珍重される。だから人から珍重される人間程怪しいものはない。試して見ればすぐ分る。此點に於て主人は寧ろ拙《せつ》な部類に屬すると云つてよろしい。拙だから珍重されない。珍重されないから、内部の冷淡を存外隱す所もなく發表して居る。彼が武右衛門君に對して「さうさな」を繰り返して居るのでも這裏《しやり》の消息はよく分る。諸君は冷淡だからと云つて、けつして主人の樣な善人を嫌つてはいけない。冷淡は人間の本來の性質であつて、其性質をかくさうと力《つと》めないのは正直な人である。もし諸君がかゝる際に冷淡以上を望んだら、夫《それ》こそ人間を買ひ被つたと云はなければならない。正直ですら拂底な世にそれ以上を豫期するのは、馬琴《ばきん》の小説から志乃《しの》や小文吾《こぶんご》が拔けだして、向ふ三軒兩隣へ八犬傳《はつけんでん》が引き越した時でなくては、あてにならない無理な注文である。主人はまづ此位にして、次には茶の間で笑つてる女連《をんなれん》に取りかゝるが、是は主人の冷淡を一歩|向《むかふ》へ跨《また》いで、滑稽の領分に躍り込んで嬉しがつて居る。此|女連《をんなれん》には武右衛門君が頭痛に病んで居る艶書事件が、佛陀の福音《ふくいん》の如く難有《ありがた》く思はれる。理由はない只|難有《ありがた》い。強ひて解剖すれば武右衛門君が困るのが難有《ありがた》いのである。諸君女に向つて聞いて御覽、「あなたは人が困るのを面白がつて笑ひますか」と。聞かれた人は此問を呈出した者を馬鹿と云ふだらう、馬鹿と云はなければ、わざとこんな問をかけて淑女の品性を侮辱したと云ふだらう。侮辱したと思ふのは事實かも知れないが、人の困るのを笑ふのも事實である。であるとすれば、是から私《わたし》の品性を侮辱する樣な事を自分でしてお目にかけますから、何とか云つちやいやよと斷はるのと一般である。僕は泥棒をする。然しけつして不道コと云つてはならん。若し不道コだ抔《など》と云へば僕の顔へ泥を塗つたものである。僕を侮辱したものである。と主張する樣なものだ。女は中々利口だ、考へに筋道が立つて居る。苟《いやしく》も人間に生れる以上は踏んだり、蹴《け》たり、どやされたりして、而《しか》も人が振りむきもせぬ時、平氣で居る覺悟が必用であるのみならず、唾を吐きかけられ、糞をたれかけられた上に、大きな聲で笑はれるのを快よく思はなくてはならない。それでなくては斯樣に利口な女と名のつくものと交際は出來ない。武右衛門先生も一寸したはづみから、とんだ間違をして大《おほい》に恐れ入つては居る樣なものゝ、斯樣に恐れ入つてるものを蔭で笑ふのは失敬だと位は思ふかも知れないが、それは年が行かない稚氣《ちき》といふもので、人が失禮をした時に怒《おこ》るのを氣が小さいと先方では名づけるさうだから、さう云はれるのがいやなら大人《おとな》しくするがよろしい。最後に武右衛門君の心行きを一寸紹介する。君は心配の權化《ごんげ》である。彼《か》の偉大なる頭腦はナポレオンのそれが功名心を以て充滿せるが如く、正に心配を以てはちきれんとして居る。時々其團子つ鼻がぴく/\動くのは心配が顔面神經に傳《つたは》つて、反射作用の如く無意識に活動するのである。彼は大きな鐵砲丸《てつぱうだま》を飲み下《くだ》した如く、腹の中《なか》に奈何《いかん》ともすべからざる塊《かた》まりを抱《いだ》いて、此|兩三日《りやうさんち》處置に窮して居る。其切なさの餘り、別に分別の出所《でどころ》もないから監督と名のつく先生の所へ出向いたら、どうか助けてくれるだらうと思つて、いやな人の家《うち》へ大きな頭を下げにまかり越したのである。彼は平生學校で主人にからかつたり、同級生を煽動して、主人を困らしたりした事は丸《まる》で忘れて居る。如何にからかはうとも困らせ樣《やう》とも監督と名のつく以上は心配して呉れるに相違ないと信じて居るらしい。隨分單純なものだ。監督は主人が好んでなつた役ではない。校長の命によつて已《やむ》を得ず頂いて居る、云はゞ迷亭の叔父さんの山高帽子の種類である。只名前である。只名前|丈《だけ》ではどうする事も出來ない。名前がいざと云ふ場合に役に立つなら雪江さんは名前|丈《だけ》で見合が出來る譯だ。武右衛門君は只《たゞ》に我儘なるのみならず、他人は己《おの》れに向つて必ず親切でなくてはならんと云ふ、人間を買ひ被つた假定から出立して居る。笑はれる抔《など》とは思も寄らなかつたらう。武右衛門君は監督の家《うち》へ來て、屹度人間について、一の眞理を發明したに相違ない。彼は此眞理の爲に將來|益《ます/\》本當の人間になるだらう。人の心配には冷淡になるだらう、人の困る時には大きな聲で笑ふだらう。かくの如くにして天下は未來の武右衛門君を以て充たされるであらう。金田君及び金田令夫人を以て充たされるであらう。吾輩は切に武右衛門君の爲に瞬時も早く自覺して眞人間《まにんげん》になられん事を希望するのである。然らずんば如何《いか》に心配するとも、如何に後悔するとも、如何に善に移るの心が切實なりとも、到底金田君の如き成功は得られんのである。否社會は遠からずして君を人間の居住地以外に放逐するであらう。文明中學の退校どころではない。
斯樣《かやう》に考へて面白いなと思つて居ると、格子ががら/\とあいて、玄關の障子の蔭から顔が半分ぬうと出た。
「先生」
主人は武右衛門君に「さうさな」を繰り返して居た所へ、先生と玄關から呼ばれたので、誰だらうと其方《そつち》を見ると半分程|筋違《すぢかひ》に障子から食《は》み出して居る顔は正《まさ》しく寒月君である。「おい、御這入り」と云つたぎり坐つて居る。
「御客ですか」と寒月君は矢張り顔半分で聞き返して居る。
「なに構はん、まあ御上がり」
「實は一寸先生を誘ひに來たんですがね」
「どこへ行くんだい。又赤坂かい。あの方面はもう御免だ。先達《せんだつて》は無闇にあるかせられて、足が棒の樣になつた」
「今日は大丈夫です。久し振りに出ませんか」
「どこへ出るんだい。まあ御上がり」
「上野へ行つて虎の鳴き聲を聞かうと思ふんです」
「つまらんぢやないか、夫《それ》より一寸御上り」
寒月君は到底遠方では談判不調と思つたものか、靴を脱いでのそ/\上がつて來た。例の如く鼠色の、尻につぎの中《あた》つたづぼんを穿《は》いて居るが、是は時代の爲め、若しくは尻の重い爲めに破れたのではない、本人の辯解によると近頃自轉車の稽古を始めて局部に比較的多くの摩擦を與へるからである。未來の細君を以て矚目《しよくもく》された本人へ文《ふみ》をつけた戀の仇《あだ》とは夢にも知らず、「やあ」と云つて武右衛門君に輕く會釋をして椽側へ近い所へ座をしめた。
「虎の鳴き聲を聞いたつて詰らないぢやないか」
「えゝ、今ぢやいけません、是から方々散歩して夜十一時頃になつて、上野へ行くんです」
「へえ」
「すると公園内の老木は森々《しん/\》として物凄いでせう」
「さうさな、晝間より少しは淋《さみ》しいだらう」
「夫《それ》で何でも成るべく樹の茂つた、晝でも人の通らない所を擇《よ》つてあるいて居ると、いつの間《ま》にか紅塵萬丈《こうぢんばんぢやう》の都會に住んでる氣はなくなつて、山の中へ迷ひ込んだ樣な心持ちになるに相違ないです」
「そんな心持ちになつてどうするんだい」
「そんな心持ちになつて、しばらく佇《たゝず》んで居ると忽ち動物園のうちで、虎が鳴くんです」
「さう旨く鳴くかい」
「大丈夫鳴きます。あの鳴き聲は晝でも理科大學へ聞える位なんですから、深夜|闃寂《げきせき》として、四望《しばう》人なく、鬼氣|肌《はだへ》に逼つて、魑魅《ちみ》鼻を衝く際《さい》に……」
「魑魅《ちみ》鼻を衝くとは何の事だい」
「そんな事を云ふぢやありませんか、怖《こは》い時に」
「さうかな。あんまり聞かない樣だが。夫《それ》で」
「夫《それ》で虎が上野の老杉《らうさん》の葉を悉《こと/”\》く振い落す樣な勢で鳴くでせう。物凄いでさあ」
「夫《そ》りや物凄いだらう」
「どうです冒險に出掛けませんか。屹度愉快だらうと思ふんです。どうしても虎の鳴き聲は夜なかに聞かなくつちや、聞いたとはいはれないだらうと思ふんです」
「さうさな」と主人は武右衛門君の哀願に冷淡である如く、寒月君の探檢にも冷淡である。
此時迄|黙然《もくねん》として虎の話を羨ましさうに聞いて居た武右衛門君は主人の「さうさな」で再び自分の身の上を思ひ出したと見えて、「先生、僕は心配なんですが、どうしたらいゝでせう」と又聞き返す。寒月君は不審な顔をして此大きな頭を見た。吾輩は思ふ仔細あつて一寸失敬して茶の間へ廻る。
茶の間では細君がくす/\笑ひながら、京燒の安茶碗に番茶を浪々《なみ/\》と注《つ》いで、アンチモニーの茶托《ちやたく》の上へ載せて、
「雪江さん、憚りさま、之を出して來て下さい」
「わたし、いやよ」
「どうして」と細君は少々驚ろいた體《てい》で笑ひをはたと留める。
「どうしてでも」と雪江さんはやに濟《すま》した顔を即席にこしらへて、傍《そば》にあつた讀賣新聞の上にのしかゝる樣に眼を落した。細君はもう一應|協商《けふしやう》を始める。
「あら妙な人ね。寒月さんですよ。構やしないわ」
「でも、わたし、いやなんですもの」と讀賣新聞の上から眼を放さない。こんな時に一字も讀めるものではないが、讀んで居ない抔《など》とあばかれたら又泣き出すだらう。
「ちつとも耻かしい事はないぢやありませんか」と今度は細君笑ひながら、わざと茶碗を讀賣新聞の上へ押しやる。雪江さんは「あら人の惡《わ》るい」と新聞を茶碗の下から、拔かうとする拍子に茶托《ちやたく》に引きかゝつて、番茶は遠慮なく新聞の上から疊の目へ流れ込む。「それ御覽なさい」と細君が云ふと、雪江さんは「あら大變だ」と臺所へ馳け出して行つた。雜巾でも持つてくる了見だらう。吾輩には此狂言が一寸面白かつた。
寒月君は夫《それ》とも知らず座敷で妙な事を話して居る。
「先生障子を張り易へましたね。誰が張つたんです」
「女が張つたんだ。よく張れて居るだらう」
「えゝ中々うまい。あの時々|御出《おいで》になる御孃さんが御張りになつたんですか」
「うんあれも手傳つたのさ。此位障子が張れゝば嫁に行く資格はあると云つて威張つてるぜ」
「へえ、成程」と云ひながら寒月君障子を見つめて居る。
「こつちの方は平《たひら》ですが、右の端《はじ》は紙が餘つて波が出來て居ますね」
「あすこが張りたての所で、尤も經驗の乏しい時に出來上つた所さ」
「成程、少し御手際が落ちますね。あの表面は超絶的《てうぜつてき》曲線《きよくせん》で到底普通のフアンクシヨンではあらはせないです」と、理學者|丈《だけ》に六づかしい事を云ふと、主人は
「さうさね」と好い加減な挨拶をした。
此樣子では何時迄嘆願をして居ても、到底見込がないと思ひ切つた武右衛門君は突然|彼《か》の偉大なる頭蓋骨を疊の上に壓《お》しつけて、無言の裡《うち》に暗に訣別《けつべつ》の意を表した。主人は「歸るかい」と云つた。武右衛門君は悄然《せうぜん》として薩摩下駄を引きずつて門を出た。可愛想《かはいさう》に。打ちやつて置くと巖頭《がんとう》の吟《ぎん》でも書いて華嚴滝《けごんのたき》から飛び込むかも知れない。元を糺《たゞ》せば金田令孃のハイカラと生意氣から起つた事だ。もし武右衛門君が死んだら、幽靈になつて令孃を取り殺してやるがいゝ。あんなものが世界から一人や二人消えてなくなつたつて、男子はすこしも困らない。寒月君はもつと令孃らしいのを貰ふがいゝ。
「先生ありや生徒ですか」
「うん」
「大變大きな頭ですね。學問は出來ますか」
「頭の割には出來ないがね、時々妙な質問をするよ。此間《こなひだ》コロンバスを譯して下さいつて大《おほい》に弱つた」
「全く頭が大き過ぎますからそんな餘計な質問をするんでせう。先生何と仰《おつし》やいました」
「えゝ? なあに好い加減な事を云つて譯してやつた」
「夫《それ》でも譯す事は譯したんですか、こりやえらい」
「小供は何でも譯してやらないと信用せんからね」
「先生も中々政治家になりましたね。然し今の樣子では、何だか非常に元氣がなくつて、先生を困らせる樣には見えないぢやありませんか」
「今日は少し弱つてるんだよ。馬鹿な奴だよ」
「どうしたんです。何だか一寸見た許《ばか》りで非常に可哀想《かはいさう》になりました。全體どうしたんです」
「なに愚《ぐ》な事さ。金田の娘に艶書を送つたんだ」
「え? あの大頭がですか。近頃の書生は中々えらいもんですね。どうも驚ろいた」
「君も心配だらうが……」
「何|些《ちつ》とも心配ぢやありません。却つて面白いです。いくら、艶書が降り込んだつて大丈夫です」
「さう君が安心して居れば構はないが……」
「構はんですとも私は一向《いつかう》構ひません。然しあの大頭が艶書をかいたと云ふには、少し驚ろきますね」
「それがさ。冗談にしたんだよ。あの娘がハイカラで生意氣だから、からかつてやらうつて、三人が共同して……」
「三人が一本の手紙を金田の令孃にやつたんですか。益《ます/\》奇談ですね。一人前の西洋料理を三人で食ふ樣なものぢやありませんか」
「所が手分けがあるんだ。一人が文章をかく、一人が投函する、一人が名前を借す。で今來たのが名前を借した奴なんだがね。是が一番|愚《ぐ》だね。しかも金田の娘の顔も見た事がないつて云ふんだぜ。どうしてそんな無茶な事が出來たものだらう」
「そりや、近來の大出來ですよ。傑作ですね。どうもあの大頭が、女に文《ふみ》をやるなんて面白いぢやありませんか」
「飛んだ間違にならあね」
「なになつたつて構やしません、相手が金田ですもの」
「だつて君が貰ふかも知れない人だぜ」
「貰ふかも知れないから構はないんです。なあに、金田なんか、構やしません」
「君は構はなくつても……」
「なに金田だつて構やしません、大丈夫です」
「それなら夫《それ》でいゝとして、當人があとに成つて、急に良心に責められて、恐ろしくなつたものだから、大《おほい》に恐縮して僕のうちへ相談に來たんだ」
「へえ、夫《それ》であんなに悄々《しほ/\》として居るんですか、氣の小さい子と見えますね。先生何とか云つて御遣んなすつたんでせう」
「本人は退校になるでせうかつて、夫《それ》を一番心配して居るのさ」
「何で退校になるんです」
「そんな惡《わ》るい、不道コな事をしたから」
「何、不道コと云ふ程でもありませんやね。構やしません。金田ぢや名譽に思つて屹度《きつと》吹聽《ふいちやう》して居ますよ」
「まさか」
「兎に角|可愛想《かはいさう》ですよ。そんな事をするのがわるいとしても、あんなに心配させちや、若い男を一人殺してしまひますよ。ありや頭は大きいが人相はそんなにわるくありません。鼻なんかぴく/\させて可愛《かはい》いです」
「君も大分《だいぶ》迷亭見た樣に呑氣《のんき》な事を云ふね」
「何、是が時代思潮です、先生はあまり昔《むか》し風《ふう》だから、何でも六づかしく解釋なさるんです」
「然し愚《ぐ》ぢやないか、知りもしない所へ、いたづらに艶書を送るなんて、丸《まる》で常識をかいてるぢやないか」
「いたづらは、大概常識をかいて居まさあ。救つて御やんなさい。功コ《くどく》になりますよ。あの容子ぢや華嚴《けごん》の滝へ出掛けますよ」
「さうだな」
「さうなさい。もつと大きな、もつと分別のある大僧《おほぞう》共がそれ所ぢやない、わるいいたづらをして知らん面《かほ》をして居ますよ。あんな子を退校させる位なら、そんな奴等を片《かた》つ端《ぱし》から放逐でもしなくつちや不公平でさあ」
「それもさうだね」
「夫《それ》でどうです上野へ虎の鳴き聲をきゝに行くのは」
「虎かい」
「えゝ、聞きに行きませう。實は二三日中《にさんちうち》に一寸歸國しなければならない事が出來ましたから、當分どこへも御伴《おとも》は出來ませんから、今日は是非一所に散歩をしやうと思つて來たんです」
「さうか歸るのかい、用事でもあるのかい」
「えゝ一寸用事が出來たんです。――ともかくも出やうぢやありませんか」
「さう。それぢや出《で》樣《やう》か」
「さあ行きませう。今日は私が晩餐を奢りますから、――夫《それ》から運動をして上野へ行くと丁度好い刻限です」と頻りに促がすものだから、主人も其氣になつて、一所に出掛けて行つた。あとでは細君と雪江さんが遠慮のない聲でげら/\けら/\から/\と笑つて居た。
十一
床の間の前に碁盤を中に据ゑて迷亭君と獨仙君が對坐して居る。
「たゞは遣らない。負けた方が何か奢るんだぜ。いゝかい」と迷亭君が念を押すと、獨仙君は例の如く山羊髯《やぎひげ》を引つ張りながら、かう云つた。
「そんな事をすると、切角の清戯《せいぎ》を俗了《ぞくれう》して仕舞ふ。かけ抔《など》で勝負に心を奪はれては面白くない。成敗《せいはい》を度外に置いて、白雲の自然に岫《しう》を出でゝ冉々《ぜん/\》たる如き心持ちで一局を了してこそ、個中《こちゆう》の味《あじはひ》はわかるものだよ」
「又來たね。そんな仙骨を相手にしちや少々骨が折れ過ぎる。宛然たる列仙傳中の人物だね」
「無絃《むげん》の素琴《そきん》を彈じさ」
「無線の電信をかけかね」
「とにかく、やらう」
「君が白を持つのかい」
「どつちでも構はない」
「流石《さすが》に仙人|丈《だけ》あつて鷹揚《おうやう》だ。君が白なら自然の順序として僕は黒だね。さあ、來給へ。どこからでも來給へ」
「黒から打つのが法則だよ」
「成程。しからば謙遜して、定石《ぢやうせき》にこゝいらから行かう」
「定石《ぢやうせき》にそんなのはないよ」
「なくつても構はない。新奇發明の定石だ」
吾輩は世間が狹いから碁盤と云ふものは近來になつて始めて拜見したのだが、考へれば考へる程妙に出來て居る。廣くもない四角な板を狹苦しく四角に仕切つて、目が眩《くら》む程ごた/\と黒白《こくびやく》の石をならべる。さうして勝つたとか、負けたとか、死んだとか、生きたとか、あぶら汗を流して騷いで居る。高が一尺四方位の面積だ。猫の前足で掻き散らしても滅茶々々になる。引き寄せて結べば草の庵にて、解くればもとの野原なりけり。入らざるいたづらだ。懷手《ふところで》をして盤を眺めて居る方が遙かに氣樂である。夫《それ》も最初の三四十|目《もく》は、石の並べ方では別段目障りにもならないが、いざ天下わけ目と云ふ間際に覗いて見ると、いやはや御氣の毒な有樣だ。白と黒が盤から、こぼれ落ちる迄に押し合つて、御互にギユー/\云つて居る。窮屈だからと云つて、隣りの奴にどいて貰ふ譯にも行かず、邪魔だと申して前の先生に退去を命ずる權利もなし、天命とあきらめて、ぢつとして身動きもせず、すくんで居るより外に、どうする事も出來ない。碁を發明したものは人間で、人間の嗜好が局面にあらはれるものとすれば、窮屈なる碁石の運命はせゝこましい人間の性質を代表して居ると云つても差支ない。人間の性質が碁石の運命で推知《すゐち》する事が出來るものとすれば、人間とは天空海濶《てんくうかいくわつ》の世界を、我からと縮めて、己《おの》れの立つ兩足以外には、どうあつても踏み出せぬ樣に、小刀細工で自分の領分に繩張りをするのが好きなんだと斷言せざるを得ない。人間とは強ひて苦痛を求めるものであると一言《いちごん》に評してもよからう。
呑氣《のんき》なる迷亭君と、禪機《ぜんき》ある獨仙君とは、どう云ふ了見か、今日に限つて戸棚から古碁盤を引きずり出して、此暑苦しいいたづらを始めたのである。さすがに御兩人御揃ひの事だから、最初のうちは各自任意の行動をとつて、盤の上を白石と黒石が自由自在に飛び交はして居たが、盤の廣さには限りがあつて、横竪の目盛りは一手《ひとて》毎に埋《うま》つて行くのだから、いかに呑氣《のんき》でも、いかに禪機があつても、苦しくなるのは當り前である。
「迷亭君、君の碁は亂暴だよ。そんな所へ這入つてくる法はない」
「禪坊主の碁にはこんな法はないかも知れないが、本因坊《ほんいんばう》の流儀ぢや、あるんだから仕方がないさ」
「然し死ぬ許《ばか》りだぜ」
「臣死をだも辭せず、況んや?肩《ていけん》をやと、一つ、かう行くかな」
「さう御出《おいで》になつたと、よろしい。薫風|南《みんなみ》より來つて、殿閣|微涼《びりやう》を生ず。かう、ついで置けば大丈夫なものだ」
「おや、ついだのは、さすがにえらい。まさか、つぐ氣遣はなからうと思つた。ついで、くりやるな八幡鐘《はちまんがね》をと、かうやつたら、どうするかね」
「どうするも、かうするもないさ。一劔天に倚《よ》つて寒し――えゝ、面倒だ。思ひ切つて、切つて仕舞へ」
「やゝ、大變々々。そこを切られちや死んで仕舞ふ。おい冗談ぢやない。一寸待つた」
「それだから、先《さ》つきから云はん事ぢやない。かうなつてる所へは這入れるものぢやないんだ」
「這入つて失敬仕り候。一寸此白をとつて呉れ玉へ」
「それも待つのかい」
「序《ついで》に其隣りのも引き揚げて見てくれ給へ」
「づう/\しいぜ、おい」
「Do you see the boy か。――なに君と僕の間柄ぢやないか。そんな水臭い事を言はずに、引き揚げてくれ給へな。死ぬか生きるかと云ふ場合だ。しばらく、しばらくつて花道《はなみち》から馳け出してくる所だよ」
「そんな事は僕は知らんよ」
「知らなくつてもいゝから、一寸どけ給へ」
「君さつきから、六返《ろつぺん》待つたをしたぢやないか」
「記憶のいゝ男だな。向後《かうご》は舊に倍し待つたを仕り候。だから一寸どけ給へと云ふのだあね。君も餘ツ程強情だね。座禪なんかしたら、もう少し捌《さば》けさうなものだ」
「然し此石でも殺さなければ、僕の方は少し負けになりさうだから……」
「君は最初から負けても構はない流ぢやないか」
「僕は負けても構はないが、君には勝たしたくない」
「飛んだ悟道だ。相變らず春風影裏《しゆんぷうえいり》に電光《でんくわう》をきつてるね」
「春風影裏ぢやない、電光影裏だよ。君のは逆《さかさ》だ」
「ハヽヽヽもう大抵|逆《さ》かになつていゝ時分だと思つたら、矢張り慥かな所があるね。それぢや仕方がないあきらめるかな」
「生死事大《しやうじじだい》、無常迅速《むじやうじんそく》、あきらめるさ」
「アーメン」と迷亭先生今度は丸《まる》で關係のない方面へぴしやりと一石《いつせき》を下《くだ》した。
床の間の前で迷亭君と獨仙君が一生懸命に輸贏《しゆえい》を爭つて居ると、座敷の入口には、寒月君と東風君が相ならんで其《その》傍《そば》に主人が黄色い顔をして坐つて居る。寒月君の前に鰹節《かつぶし》が三本、裸の儘疊の上に行儀よく排列してあるのは奇觀である。
此|鰹節《かつぶし》の出處《しゆつしよ》は寒月君の懷で、取り出した時は暖《あつ》たかく、手のひらに感じた位、裸ながらぬくもつて居た。主人と東風君は妙な眼をして視線を鰹節《かつぶし》の上に注いで居ると、寒月君はやがて口を開いた。
「實は四日|許《ばか》り前に國から歸つて來たのですが、色々用事があつて、方々馳けあるいて居たものですから、つい上がられなかつたのです」
「さう急いでくるには及ばないさ」と主人は例の如く無愛嬌な事を云ふ。
「急いで來んでもいゝのですけれども、此おみやげを早く獻上しないと心配ですから」
「鰹節《かつぶし》ぢやないか」
「えゝ、國の名産です」
「名産だつて東京にもそんなのは有りさうだぜ」と主人は一番大きな奴を一本取り上げて、鼻の先へ持つて行つて臭《にほ》ひをかいで見る。
「かいだつて、鰹節《かつぶし》の善惡《よしあし》はわかりませんよ」
「少し大きいのが名産たる所以《ゆゑん》かね」
「まあ食べて御覽なさい」
「食べる事はどうせ食べるが、こいつは何だか先が缺けてるぢやないか」
「それだから早く持つて來ないと心配だと云ふのです」
「なぜ?」
「なぜつて、そりや鼠が食つたのです」
「そいつは危險だ。滅多に食ふとペストになるぜ」
「なに大丈夫、其位かぢつたつて害はありません」
「全體どこで?《かじ》つたんだい」
「船の中でゝす」
「船の中? どうして」
「入れる所がなかつたから、?イオリンと一所に袋のなかへ入れて、船へ乘つたら、其晩にやられました。鰹節《かつぶし》だけなら、いゝのですけれども、大切な?イオリンの胴を鰹節《かつぶし》と間違へて矢張り少々|?《かじ》りました」
「そそつかしい鼠だね。船の中に住んでると、さう見境《みさかひ》がなくなるものかな」と主人は誰にも分らん事を云つて依然として鰹節《かつぶし》を眺めて居る。
「なに鼠だから、どこに住んでゝもそゝつかしいのでせう。だから下宿へ持つて來ても又やられさうでね。劔呑だから夜るは寐床の中へ入れて寐ました」
「少しきたない樣だぜ」
「だから食べる時には一寸お洗ひなさい」
「一寸位ぢや奇麗にやなりさうもない」
「それぢや灰汁《あく》でもつけて、ごし/\磨いたらいゝでせう」
「?イオリンも抱いて寐たのかい」
「?イオリンは大き過ぎるから抱いて寐る譯には行かないんですが……」と云ひかけると
「なんだつて? ?イオリンを抱いて寐たつて? 夫《それ》は風流だ。行く春や重たき琵琶のだき心と云ふ句もあるが、夫《それ》は遠きその上《かみ》の事だ。明治の秀才は?イオリンを抱いて寐なくつちや古人を凌ぐ譯には行かないよ。かい卷《まき》に長き夜《よ》守《も》るや?イオリンはどうだい。東風君、新體詩でそんな事が云へるかい」と向ふの方から迷亭先生大きな聲でこつちの談話にも關係をつける。
東風君は眞面目で「新體詩は俳句と違つてさう急には出來ません。然し出來た曉にはもう少し生靈《せいれい》の機微《きび》に觸れた妙音が出ます」
「さうかね、生靈《しやうりやう》はおがら〔三字傍点〕を焚いて迎へ奉るものと思つてたが、矢つ張り新體詩の力でも御來臨になるかい」と迷亭はまだ碁をそつちのけにして調戯《からかつ》て居る。
「そんな無駄口を叩くと又負けるぜ」と主人は迷亭に注意する。迷亭は平氣なもので
「勝ちたくても、負けたくても、相手が釜中《ふちゆう》の章魚《たこ》同然手も足も出せないのだから、僕も無聊で已《や》むを得ず?イオリンの御仲間を仕《つかまつ》るのさ」と云ふと、相手の獨仙君は聊《いさゝ》か激した調子で
「今度は君の番だよ。こつちで待つてるんだ」と云ひ放つた。
「え? もう打つたのかい」
「打つたとも、とうに打つたさ」
「どこへ」
「此白をはすに延ばした」
「なある程。此白をはすに延ばして負けにけりか、そんなら此方《こつち》はと――此方《こつち》は――此方《こつち》は此方《こつち》はとて暮れにけりと、どうもいゝ手がないね。君もう一返打たしてやるから勝手な所へ一目《いちもく》打ち玉へ」
「そんな碁があるものか」
「そんな碁があるものかなら打ちませう。――それぢやこのかど地面へ一寸曲がつて置くかな。――寒月君、君の?イオリンはあんまり安いから鼠が馬鹿にして?《かじ》るんだよ、もう少しいゝのを奮發して買ふさ、僕が以太利亞《イタリア》から三百年前の古物《こぶつ》を取り寄せてやらうか」
「どうか願ひます。序《ついで》にお拂ひの方も願ひたいもので」
「そんな古いものが役に立つものか」と何にも知らない主人は一喝にして迷亭君を極めつけた。
「君は人間の古物《こぶつ》と?イオリンの古物《こぶつ》と同一視して居るんだらう。人間の古物《こぶつ》でも金田某の如きものは今だに流行して居る位だから、?イオリンに至つては古い程がいゝのさ。――さあ、獨仙君どうか御早く願はう。けいまさのせりふぢやないが秋の日は暮れ易いからね」
「君の樣なせわしない男と碁を打つのは苦痛だよ。考へる暇も何もありやしない。仕方がないから、こゝへ一目《いちもく》入れて目《め》にしておかう」
「おや/\、とう/\生かしてしまつた。惜しい事をしたね。まさかそこへは打つまいと思つて、聊《いさゝ》か駄辯を振《ふる》つて肝膽を碎いて居たが、矢ツ張り駄目か」
「當り前さ。君のは打つのぢやない。胡魔化すのだ」
「夫《それ》が本因坊流、金田流、當世紳士流さ。――おい苦沙彌先生、さすがに獨仙君は鎌倉へ行つて萬年漬を食つた丈《だけ》あつて、物に動じないね。どうも敬々服々だ。碁はまづいが、度胸は据つてる」
「だから君の樣な度胸のない男は、少し眞似をするがいゝ」と主人が後《うし》ろ向《むき》のまゝで答へるや否や、迷亭君は大きな赤い舌をぺろりと出した。獨仙君は毫も關せざるものゝ如く、「さあ君の番だ」と又相手を促した。
「君は?イオリンをいつ頃から始めたのかい。僕も少し習はうと思ふのだが、よつぽど六づかしいものださうだね」と東風君が寒月君に聞いて居る。
「うむ、一と通りなら誰にでも出來るさ」
「同じ藝術だから詩歌《しいか》の趣味のあるものは矢張り音樂の方でも上達が早いだらうと、ひそかに恃《たの》む所があるんだが、どうだらう」
「いゝだらう。君なら屹度《きつと》上手になるよ」
「君はいつ頃から始めたのかね」
「高等學校時代さ。――先生|私《わたく》しの?イオリンを習ひ出した?末をお話しした事がありましたかね」
「いゝえ、まだ聞かない」
「高等學校時代に先生でもあつてやり出したのかい」
「なあに先生も何もありやしない。獨習さ」
「全く天才だね」
「獨習なら天才と限つた事もなからう」と寒月君はつんとする。天才と云はれてつんとするのは寒月君|丈《だけ》だらう。
「そりや、どうでもいゝが、どう云ふ風に獨習したのか一寸聞かし玉へ。參考にしたいから」
「話してもいゝ。先生話しませうかね」
「あゝ話し玉へ」
「今では若い人が?イオリンの箱をさげて、よく往來|抔《など》をあるいて居りますが、其時分は高等學校生で西洋の音樂|抔《など》をやつたものは殆んどなかつたのです。ことに私の居つた學校は田舍の田舍で麻裏草履さへないと云ふ位な質朴な所でしたから、學校の生徒で?イオリン抔《など》を彈くものは勿論一人もありません。……」
「何だか面白い話が向ふで始まつた樣だ。獨仙君いゝ加減に切り上げ樣《やう》ぢやないか」
「まだ片付かない所が二三箇所ある」
「あつてもいゝ。大概な所なら、君に進上する」
「さう云つたつて、貰ふ譯にも行かない」
「禪學者にも似合はん几帳面《きちやうめん》な男だ。それぢや一氣呵成《いつきかせい》にやつちまはう。――寒月君何だか餘つ程面白さうだね。――あの高等學校だらう、生徒が裸足《はだし》で登校するのは……」
「そんな事はありません」
「でも、皆《みん》なはだしで兵式體操をして、廻れ右をやるんで足の皮が大變厚くなつてると云ふ話だぜ」
「まさか。だれがそんな事を云ひました」
「だれでもいゝよ。さうして辨當には偉大なる握り飯を一個、夏蜜柑の樣に腰へぶら下げて來て、夫《それ》を食ふんだつて云ふぢやないか。食ふと云ふより寧ろ食ひ付くんだね。すると中心から梅干が一個出て來るさうだ。此梅干が出るのを樂しみに塩氣のない周圍を一心不亂に食ひ缺いて突進するんだと云ふが、成程元氣|旺盛《わうせい》なものだね。獨仙君、君の氣に入りさうな話だぜ」
「質朴剛健でたのもしい氣風だ」
「まだたのもしい事がある。あすこには灰吹きがないさうだ。僕の友人があすこへ奉職をして居る頃|吐月峰《とげつほう》の印《いん》のある灰吹きを買ひに出た所が、吐月峰|所《どころ》か、灰吹と名づくべきものが一個もない。不思議に思つて、聞いて見たら、灰吹き抔《など》は裏の藪へ行つて切つて來れば誰にでも出來るから、賣る必要はないと澄まして答へたさうだ。是も質朴剛健の氣風をあらはす美譚《びだん》だらう、ねえ獨仙君」
「うむ、そりや夫《それ》でいゝが、こゝへ駄目を一つ入れなくちやいけない」
「よろしい。駄目、駄目、駄目と。夫《それ》で片付いた。――僕は其話を聞いて、實に驚いたね。
そんな所で君が?イオリンを獨習したのは見上げたものだ。?獨《けいどく》にして不羣《ふぐん》なりと楚辭にあるが寒月君は全く明治の屈原《くつげん》だよ」
「屈原はいやですよ」
「それぢや今世紀のヱルテルさ。――なに石を上げて勘定をしろ? やに物堅い性質《たち》だね。勘定しなくつても僕は負けてるから慥かだ」
「然し極りがつかないから……」
「それぢや君やつてくれ給へ。僕は勘定所ぢやない。一代の才人ヱルテル君が?イオリンを習ひ出した逸話を聞かなくつちや、先祖へ濟まないから失敬する」と席をはづして、寒月君の方へすり出して來た。獨仙君は丹念に白石を取つては白の穴を埋《う》め、黒石を取つては黒の穴を埋めて、しきりに口の内で計算をして居る。寒月君は話をつゞける。
「土地柄が既に土地柄だのに、私の國のものが又非常に頑固なので、少しでも柔弱なものが居つては、他縣の生徒に外聞がわるいと云つて、無暗に制裁を嚴重にしましたから、隨分厄介でした」
「君の國の書生と來たら、本當に話せないね。元來何だつて、紺の無地の袴なんぞ穿《は》くんだい。第一《だいち》あれからして乙《おつ》だね。さうして塩風に吹かれ付けてゐるせいか、どうも、色が黒いね。男だからあれで濟むが女があれぢや嘸《さぞ》かし困るだらう」と迷亭君が一人這入ると肝心の話はどつかへ飛んで行つて仕舞ふ。
「女もあの通り黒いのです」
「それでよく貰ひ手があるね」
「だつて一國中《いつこくぢゆう》悉《こと/”\》く黒いのだから仕方がありません」
「因果だね。ねえ苦沙彌君」
「黒い方がいゝだらう。生《なま》じ白いと鏡を見るたんびに己惚《おのぼれ》が出ていけない。女と云ふものは始末におへない物件だからなあ」と主人は喟然《きぜん》として大息《たいそく》を洩らした。
「だつて一國中|悉《こと/”\》く黒ければ、黒い方で己惚《うぬぼ》れはしませんか」と東風君が尤もな質問をかけた。
「とも角も女は全然不必要な者だ」と主人が云ふと、「そんな事を云ふと妻君が後で御機嫌がわるいぜ」と笑ひながら迷亭先生が注意する。
「なに大丈夫だ」
「居ないのかい」
「小供を連れて、さつき出掛けた」
「どうれで靜かだと思つた。どこへ行つたのだい」
「どこだか分らない。勝手に出てあるくのだ」
「さうして勝手に歸つてくるのかい」
「まあさうだ。君は獨身でいゝなあ」と云ふと東風君は少々不平な顔をする。寒月君はにや/\と笑ふ。迷亭君は
「妻《さい》を持つとみんなさう云ふ氣になるのさ。ねえ獨仙君、君|抔《など》も妻君難の方だらう」
「えゝ? 一寸待つた。四六二十四、二十五、二十六、二十七と。狹いと思つたら、四十六|目《もく》あるか。もう少し勝つた積りだつたが、こしらへて見ると、たつた十八目の差か。――何だつて?」
「君も妻君難だらうと云ふのさ」
「アハヽヽヽ別段難でもないさ。僕の妻《さい》は元來僕を愛して居るのだから」
「そいつは少々失敬した。夫《それ》でこそ獨仙君だ」
「獨仙君ばかりぢやありません。そんな例はいくらでもありますよ」と寒月君が天下の妻君に代つて一寸辯護の勞を取つた。
「僕も寒月君に賛成する。僕の考では人間が絶對の域《ゐき》に入《い》るには、只二つの道がある許《ばか》りで、其二つの道とは藝術と戀だ。夫婦の愛は其一つを代表するものだから、人間は是非結婚をして、此幸福を完《まつた》ふしなければ天意に背《そむ》く譯だと思ふんだ。――がどうでせう先生」と東風君は相變らず眞面目で迷亭君の方へ向き直つた。
「御名論だ。僕|抔《など》は到底絶對の境《きやう》に這入れさうもない」
「妻《さい》を貰へば猶《なほ》這入れやしない」と主人むづかしい顔をして云つた。
「とも角も我々未婚の青年は藝術の靈氣にふれて向上の一路を開拓しなければ人生の意義が分からないですから、先づ手始めに?イオリンでも習はうと思つて寒月君にさつきから經驗譚《けいけんだん》をきいて居るのです」
「さう/\、ヱルテル君の?イオリン物語を拜聽する筈だつたね。さあ話し給へ。もう邪魔はしないから」と迷亭君が漸く鋒鋩《ほうばう》を収めると、
「向上の一路は?イオリン抔《など》で開ける者ではない。そんな遊戯三昧《いうぎざんまい》で宇宙の眞理が知れては大變だ。這裡《しやり》の消息を知らうと思へば矢張り懸崖に手を撒《さつ》して、絶後《ぜつご》に再び蘇《よみが》へる底《てい》の氣魄《きはく》がなければ駄目だ」と獨仙君は勿體《もつたい》振つて、東風君に訓戒じみた説ヘをしたのはよかつたが、東風君は禪宗のぜの字も知らない男だから頓《とん》と感心した容子もなく
「へえ、さうかも知れませんが、矢張り藝術は人間の渇仰《かつがう》の極致を表はしたものだと思ひますから、どうしても之を捨てる譯には參りません」
「捨てる譯に行かなければ、お望み通り僕の?イオリン談をして聞かせる事に仕《し》樣《やう》、で今話す通りの次第だから僕も?イオリンの稽古をはじめる迄には大分《だいぶ》苦心をしたよ。第一買ふのに困りましたよ先生」
「さうだらう麻裏草履がない土地に?イオリンがある筈がない」
「いえ、ある事はあるんです。金も前から用意して溜めたから差支ないのですが、どうも買へないのです」
「なぜ?」
「狹い土地だから、買つて居ればすぐ見つかります。見付かれば、すぐ生意氣だと云ふので制裁を加へられます」
「天才は昔から迫害を加へられるものだからね」と東風君は大《おほい》に同情を表した。
「又天才か、どうか天才呼ばはり丈《だけ》は御免蒙りたいね。それでね毎日散歩をして?イオリンのある店先を通るたびにあれが買へたら好からう、あれを手に抱《かゝ》へた心持ちはどんなだらう、あゝ欲しい、あゝ欲しいと思はない日は一日《いちんち》もなかつたのです」
「尤もだ」と評したのは迷亭で、「妙に凝つたものだね」と解《げ》しかねたのが主人で、「矢張り君、天才だよ」と敬服したのは東風君である。只獨仙君|許《ばか》りは超然として髯を撚《ねん》して居る。
「そんな所にどうして?イオリンがあるかゞ第一御不審かも知れないですが、是は考へて見ると當り前の事です。なぜと云ふと此地方でも女學校があつて、女學校の生徒は課業として毎日?イオリンを稽古しなければならないのですから、ある筈です。無論いゝのはありません。只?イオリンと云ふ名が辛うじてつく位のものであります。だから店でもあまり重きを置いて居ないので、二三梃一所に店頭へ吊《つ》るして置くのです。夫《それ》がね、時々散歩をして前を通るときに風が吹きつけたり、小僧の手が障つたりして、そら音《ね》を出す事があります。其|音《ね》を聞くと急に心臓が破裂しさうな心持で、居ても立つても居られなくなるんです」
「危險だね。水癲癇《みづてんかん》、人癲癇《ひとでんかん》と癲癇にも色々種類があるが君のはヱルテル丈《だけ》あつて、?イオリン癲癇だ」と迷亭君が冷やかすと、
「いや其位感覺が鋭敏でなければ眞の藝術家にはなれないですよ。どうしても天才肌だ」と東風君は愈《いよ/\》感心する。
「えゝ實際癲癇かも知れませんが、然しあの音色《ねいろ》丈《だけ》は奇體ですよ。其《その》後《ご》今日《こんにち》迄《まで》隨分ひきましたがあの位美しい音《ね》が出た事がありません。さうさ何と形容していゝでせう。到底言ひあらはせないです」
「琳琅?鏘《りんらうきうさう》として鳴るぢやないか」とむづかしい事を持ち出したのは獨仙君であつたが、誰も取り合はなかつたのは氣の毒である。
「私が毎日々々店頭を散歩して居るうちにとう/\此靈異な音《ね》を三度きゝました。三度目にどうあつても是は買はなければならないと決心しました。假令《たとひ》國のものから譴責されても、他縣のものから輕蔑されても――よし鐵拳制裁の爲めに絶息《ぜつそく》しても――まかり間違つて退校の處分を受けても――、是|許《ばか》りは買はずに居られないと思ひました」
「夫《それ》が天才だよ。天才でなければ、そんなに思ひ込める譯のものぢやない。羨しい。僕もどうかして、それ程猛烈な感じを起して見たいと年來心掛けて居るが、どうもいけないね。音樂會|抔《など》へ行つて出來る丈《だけ》熱心に聞いて居るが、どうも夫《それ》程《ほど》に感興が乘らない」と東風君は頻りに羨やましがつて居る。
「乘らない方が仕合せだよ。今でこそ平氣で話す樣なものゝ其時の苦しみは到底想像が出來る樣な種類のものではなかつた。――それから先生とう/\奮發して買ひました」
「ふむ、どうして」
「丁度十一月の天長節の前の晩でした。國のものは揃つて泊りがけに温泉に行きましたから、一人も居ません。私は病氣だと云つて、其日は學校も休んで寐て居ました。今晩こそ一つ出て行つて兼《かね》て望みの?イオリンを手に入れ樣《やう》と、床の中で其事ばかり考へて居ました」
「僞病《けびやう》をつかつて學校迄休んだのかい」
「全くさうです」
「成程少し天才だね、是《これ》や」と迷亭君も少々恐れ入つた樣子である。
「夜具の中から首を出して居ると、日暮れが待遠《まちどほ》でたまりません。仕方がないから頭からもぐり込んで、眼を眠《ねむ》つて待つて見ましたが、矢張り駄目です。首を出すと烈しい秋の日が、六尺の障子へ一面にあたつて、かん/\するには癇癪が起りました。上の方に細長い影がかたまつて、時々秋風にゆすれるのが眼につきます」
「何だい、其細長い影と云ふのは」
「澁柿の皮を剥《む》いて、軒へ吊《つ》るして置いたのです」
「ふん、それから」
「仕方がないから、床を出て障子をあけて椽側へ出て、澁柿の甘干《あまぼ》しを一つ取つて食ひました」
「うまかつたかい」と主人は小供みた樣な事を聞く。
「うまいですよ、あの邊の柿は。到底東京|抔《など》ぢやあの味はわかりませんね」
「柿はいゝが夫《それ》から、どうしたい」と今度は東風君がきく。
「夫《それ》から又もぐつて眼をふさいで、早く日が暮れゝばいゝがと、ひそかに神佛に念じて見た。約三四時間も立つたと思ふ頃、もうよからうと、首を出すと豈《あに》計《はか》らんや烈しい秋の日は依然として六尺の障子を照らしてかん/\する、上の方に細長い影がかたまつて、ふわ/\する」
「そりや、聞いたよ」
「何返もあるんだよ。夫《それ》から床を出て、障子をあけて、甘干しの柿を一つ食つて、又寐床へ這入つて、早く日が暮れればいゝと、ひそかに神佛に祈念をこらした」
「矢つ張りもとの所ぢやないか」
「まあ先生さう焦《せ》かずに聞いて下さい。夫《それ》から約三四時間夜具の中で辛抱して、今度こそもうよからうとぬつと首を出して見ると、烈しい秋の日は依然として六尺の障子へ一面にあたつて、上の方に細長い影がかたまつて、ふわ/\して居る」
「いつ迄行つても同じ事ぢやないか」
「夫《それ》から床を出て障子を開けて、椽側へ出て甘干しの柿を一つ食つて……」
「又柿を食つたのかい。どうもいつ迄行つても柿ばかり食つてゝ際限がないね」
「私もぢれつたくてね」
「君より聞いてる方が餘つ程ぢれつたいぜ」
「先生はどうも性急《せつかち》だから、話がしにくゝつて困ります」
「聞く方も少しは困るよ」と東風君も暗に不平を洩らした。
「さう諸君が御困りとある以上は仕方がない。大抵にして切り上げませう。要するに私は甘干しの柿を食つてはもぐり、もぐつては食ひ、とう/\軒端《のきば》に吊《つ》るした奴をみんな食つて仕舞ひました」
「みんな食つたら日も暮れたらう」
「所がさう行かないので、私が最後の甘干しを食つて、もうよからうと首を出して見ると、相變らず烈しい秋の日が六尺の障子へ一面にあたつて……」
「僕あ、もう御免だ。いつ迄行つても果《は》てしがない」
「話す私も飽き/\します」
「然し其位根氣があれば大抵の事業は成就するよ。だまつてたら、あしたの朝迄秋の日がかん/\するんだらう。全體いつ頃に?イオリンを買ふ氣なんだい」と流石《さすが》の迷亭君も少し辛抱し切れなくなつたと見える。只獨仙君のみは泰然として、あしたの朝迄でも、あさつての朝まででも、いくら秋の日がかん/\しても動ずる氣色《けしき》は更にない。寒月君も落ちつき拂つたもので
「いつ買ふ氣だと仰しやるが、晩になりさへすれば、すぐ買ひに出掛ける積りなのです。只殘念な事には、いつ頭を出して見ても秋の日がかん/\して居るものですから――いえ其時の私《わたく》しの苦しみと云つたら、到底今あなた方の御ぢれになる所《どころ》の騷ぎぢやないです。私は最後の甘干を食つても、まだ日が暮れないのを見て、?然《げんぜん》として思はず泣きました。東風君、僕は實に情《なさ》けなくつて泣いたよ」
「さうだらう、藝術家は本來多情多恨だから、泣いた事には同情するが、話はもつと早く進行させたいものだね」と東風君は人がいゝから、どこ迄も眞面目で滑稽な挨拶をして居る。
「進行させたいのは山々だが、どうしても日が暮れてくれないものだから困るのさ」
「さう日が暮れなくちや聞く方も困るからやめやう」と主人がとう/\我慢がし切れなくなつたと見えて云ひ出した。
「やめちや猶《なほ》困ります。是からが愈《いよ/\》佳境に入《い》る所ですから」
「夫《それ》ぢや聞くから、早く日が暮れた事にしたらよからう」
「では、少し御無理な御注文ですが、先生の事ですから、枉《ま》げて、こゝは日が暮れた事に致しませう」
「それは好都合だ」と獨仙君が澄まして述べられたので一同は思はずどつと噴き出した。
「愈《いよ/\》夜《よ》に入《い》つたので、まづ安心とほつと一息ついて鞍懸村《くらかけむら》の下宿を出ました。私は性來《しやうらい》騷々敷い所が嫌《きらひ》ですから、わざと便利な市内を避けて、人迹《じんせき》の稀《まれ》な寒村の百姓家にしばらく蝸牛《くわぎう》の庵《いほり》を結んで居たのです……」
「人迹の稀な〔五字傍点〕はあんまり大袈裟だね」と主人が抗議を申し込むと「蝸牛《くわぎう》の庵《いほり》も仰山《ぎやうさん》だよ。床の間なしの四疊半位にして置く方が寫生的で面白い」と迷亭君も苦情を持ち出した。東風君|丈《だけ》は「事實はどうでも言語が詩的で感じがいゝ」と褒めた。獨仙君は眞面目な顔で「そんな所に住んで居ては學校へ通ふのが大變だらう。何里位あるんですか」と聞いた。
「學校迄はたつた四五丁です。元來學校からして寒村にあるんですから……」
「夫《それ》ぢや學生は其邊に大分《だいぶ》宿をとつてるんでせう」と獨仙君は中々承知しない。
「えゝ、たいていな百姓家には一人や二人は必ず居ます」
「それで人迹《じんせき》稀《まれ》なんですか」と正面攻撃を喰《くら》はせる。
「えゝ學校がなかつたら、全く人迹《じんせき》は稀ですよ。……で當夜の服裝と云ふと、手織木綿の綿入の上へ金釦《きんボタン》の制服外套を着て、外套の頭巾《づきん》をすぽりと被つて可成《なるべく》人の目につかない樣な注意をしました。折柄柿落葉の時節で宿から南郷街道《なんがうかいだう》へ出る迄は木《こ》の葉で路が一杯です。一歩《ひとあし》運ぶごとにがさ/\するのが氣にかゝります。誰かあとをつけて來さうでたまりません。振り向いて見ると東嶺寺《とうれいじ》の森がこんもりと黒く、暗い中に暗く寫つて居ます。此東嶺寺と云ふのは松平家《まつだひらけ》の菩提所《ぼだいしよ》で、庚申山《かうしんやま》の麓にあつて、私の宿とは一丁位しか隔《へだた》つて居ない、頗る幽邃《いうすゐ》な梵刹《ぼんせつ》です。森から上はのべつ幕なしの星月夜で、例の天の河が長瀬川を筋違《すじかひ》に横切つて末は――末は、さうですね、先づ布哇《ハワイ》の方へ流れて居ます……」
「布哇《ハワイ》は突飛だね」と迷亭君が云つた。
「南郷街道を遂に二丁來て、鷹臺町《たかのだいまち》から市内に這入つて、古城町《こじやうまち》を通つて、仙石町《せんごくまち》を曲つて、喰代町《くひしろちやう》を横に見て、通町《とほりちやう》を一丁目、二丁目、三丁目と順に通り越して、夫《それ》から尾張町《をはりちやう》、名古屋町《なごやちやう》、鯱鉾町《しやちほこちやう》、蒲鉾町《かまぼこちやう》……」
「そんなに色々な町を通らなくてもいゝ。要するに?イオリンを買つたのか、買はないのか」と主人がじれつたさうに聞く。
「樂器のある店は金善《かねぜん》即ち金子善兵衛方ですから、まだ中々です」
「中々でもいゝから早く買ふがいゝ」
「かしこまりました。それで金善《かねぜん》方《かた》へ來て見ると、店にはランプがかん/\ともつて……」
「又かん/\か、君のかん/\は一度や二度で濟まないんだから難澁するよ」と今度は迷亭が豫防線を張つた。
「いえ、今度のかん/\は、ほんの通り一返のかん/\ですから、別段御心配には及びません。……灯影《ほかげ》にすかして見ると例の?イオリンが、ほのかに秋の灯《ひ》を反射して、くり込んだ胴の丸みに冷たい光を帶びて居ます。つよく張つた琴線の一部|丈《だけ》がきら/\と白く眼に映ります。……」
「中々叙述がうまいや」と東風君がほめた。
「あれだな。あの?イオリンだなと思ふと、急に動悸がして足がふら/\します……」
「ふゝん」と獨仙君が鼻で笑つた。
「思はず馳け込んで、隱袋《かくし》から蝦蟇口《がまぐち》を出して、蝦蟇口の中から五圓札を二枚出して……」
「とう/\買つたかい」と主人がきく。
「買はうと思ひましたが、まてしばし、こゝが肝心の所だ。滅多な事をしては失敗する。まあよさうと、際どい所で思ひ留まりました」
「なんだ、まだ買はないのかい。?イオリン一梃で中々人を引つ張るぢやないか」
「引つ張る譯ぢやないんですが、どうも、まだ買へないんですから仕方がありません」
「なぜ」
「なぜつて、まだ宵の口で人が大勢通るんですもの」
「構はんぢやないか、人が二百や三百通つたつて、君は餘つ程妙な男だ」と主人はぷん/\して居る。
「只の人なら千が二千でも構ひませんがね、學校の生徒が腕まくりをして、大きなステツキを持つて徘徊《はいくわい》して居るんだから容易に手を出せませんよ。中には沈澱黨|抔《など》と號して、いつまでもクラスの底に溜まつて喜んでるのがありますからね。そんなのに限つて柔道は強いのですよ。滅多に?イオリン抔《など》に手出しは出來ません。どんな目に逢ふかわかりません。私だつて?イオリンは欲しいに相違ないですけれども、命は是でも惜しいですからね。?イオリンを彈いて殺されるよりも、彈かずに生きてる方が樂ですよ」
「それぢや、とう/\買はずに已《や》めたんだね」と主人が念を押す。
「いえ、買つたのです」
「ぢれつたい男だな。買ふなら早く買ふさ。いやならいやでいゝから、早く方《かた》をつけたらよささうなものだ」
「えへヽヽヽ、世の中の事はさう、こつちの思ふ樣に埒《らち》があくもんぢやありませんよ」と云ひながら寒月君は冷然と「朝日」へ火をつけてふかし出した。
主人は面倒になつたと見えて、ついと立つて書齋へ這入つたと思つたら、何だか古ぼけた洋書を一册持ち出して來て、ごろりと腹這になつて讀み始めた。獨仙君はいつの間《ま》にやら、床の間の前へ退去して、獨りで碁石を並べて一人相撲《ひとりずまふ》をとつてゐる。切角の逸話も餘り長くかゝるので聽手が一人減り二人減つて、殘るは藝術に忠實なる東風君と、長い事にかつて辟易した事のない迷亭先生のみとなる。
長い烟をふうと世の中へ遠慮なく吹き出した寒月君は、やがて前《ぜん》同樣《どうやう》の速度を以て談話をつゞける。
「東風君、僕は其の時かう思つたね。到底こりや宵の口は駄目だ、と云つて眞夜中に來れば金善は寐て仕舞ふから猶駄目だ。何でも學校の生徒が散歩から歸りつくして、さうして金善がまだ寐ない時を見計らつて來なければ、折角の計畫が水泡に歸する。けれども其時間をうまく見計ふのが六づかしい」
「成程|是《こ》りや六づかしからう」
「で僕は其時間をまあ十時頃と見積つたね。夫《それ》で今から十時頃迄どこかで暮さなければならない。うちへ歸つて出直すのは大變だ。友達のうちへ話しに行くのは何だか氣が咎《とが》める樣で面白くなし、仕方がないから相當の時間がくる迄市中を散歩する事にした。所が平生ならば二時間や三時間はぶら/\あるいて居るうちに、いつの間《ま》にか經つてしまふのだが其|夜《よ》に限つて、時間のたつのが遲いの何のつて、――千秋の思とはあんな事を云ふのだらうと、しみ/”\感じました」と左《さ》も感じたらしい風をしてわざと迷亭先生の方を向く。
「古人を待つ身につらき置炬燵《おきごたつ》と云はれた事があるからね、又待たるゝ身より待つ身はつらいともあつて軒に吊られた?イオリンもつらかつたらうが、あてのない探偵の樣にうろ/\、まごついて居る君は猶更《なほさら》つらいだらう。累々《るゐ/\》として喪家《さうか》の犬の如し。いや宿のない犬程氣の毒なものは實際ないよ」
「犬は殘酷ですね。犬に比較された事は是でもまだありませんよ」
「僕は何だか君の話をきくと、昔《むか》しの藝術家の傳を讀む樣な氣持がして同情の念に堪へない。犬に比較したのは先生の冗談だから氣に掛けずに話を進行し玉へ」と東風君は慰藉した。慰藉されなくても寒月君は無論話をつゞける積りである。
「夫《それ》から徒町《おかちまち》から百騎町《ひやくきまち》を通つて、兩替町《りやうがへちやう》から鷹匠町《たかじやうまち》へ出て、縣廰の前で枯柳の數を勘定して病院の横で窓の灯《ひ》を計算して、紺屋橋《こんやばし》の上で卷烟草を二本ふかして、さうして時計を見た。……」
「十時になつたかい」
「惜しい事にならないね。――紺屋橋を渡り切つて川添に東へ上《のぼ》つて行くと、按摩に三人あつた。さうして犬が頻りに吠えましたよ先生……」
「秋の夜長に川端で犬の遠吠をきくのは一寸芝居がゝりだね。君は落人《おちうど》と云ふ格だ」
「何かわるい事でもしたんですか」
「是からしやうと云ふ所さ」
「可哀相《かはいさう》に?イオリンを買ふのが惡い事ぢや、音樂學校の生徒はみんな罪人ですよ」
「人が認めない事をすれば、どんないゝ事をしても罪人さ、だから世の中に罪人程あてにならないものはない。耶蘇《ヤソ》もあんな世に生れゝば罪人さ。好男子寒月君もそんな所で?イオリンを買へば罪人さ」
「それぢや負けて罪人として置きませう。罪人はいゝですが十時にならないのには弱りました」
「もう一返、町の名を勘定するさ。それで足りなければ又秋の日をかん/\させるさ。夫《それ》でも追付《おつつ》かなければ又甘干しの澁柿を三ダースも食ふさ。いつ迄も聞くから十時になる迄やり給へ」
寒月先生はにや/\と笑つた。
「さう先《せん》を越されては降參するより外はありません。それぢや一足飛びに十時にして仕舞ませう。偖《さて》御約束の十時になつて金善《かねぜん》の前へ來て見ると、夜寒の頃ですから、さすが目貫《めぬき》の兩替町《りやうがへちやう》も殆んど人通りが絶えて、向《むかふ》からくる下駄の音さへ淋《さみ》しい心持ちです。金善ではもう大戸をたてゝ、僅かに潜《くゞ》り戸|丈《だけ》を障子にして居ます。私は何となく犬に尾《つ》けられた樣な心持で、障子をあけて這入るのに少々薄氣味がわるかつたです……」
此時主人はきたならしい本から一寸眼をはづして、「おいもう?イオリンを買つたかい」と聞いた。「是から買ふ所です」と東風君が答へると「まだ買はないのか、實に永いな」と獨り言の樣に云つて又本を讀み出した。獨仙君は無言の儘、白と黒で碁盤を大半|埋《うづ》めて了《しま》つた。
「思ひ切つて飛び込んで、頭巾を被つた儘?イオリンを呉れと云ひますと、火鉢の周圍に四五人小僧や若僧がかたまつて話をして居たのが驚いて、申し合せた樣に私の顔を見ました。私は思はず右の手を擧げて頭巾をぐいと前の方に引きました。おい?イオリンを呉れと二度目に云ふと、一番前に居て、私の顔を覗き込む樣にして居た小僧がへえと覺束《おぼつか》ない返事をして、立ち上がつて例の店先に吊《つ》るしてあつたのを三四梃一度に卸して來ました。いくらかと聞くと五圓二十錢だと云ひます……」
「おいそんな安い?イオリンがあるのかい。おもちやぢやないか」
「みんな同價《どうね》かと聞くと、へえ、どれでも變りは御座いません。みんな丈夫に念を入れて拵らへて御座いますと云ひますから、蝦蟇口《がまぐち》のなかゝら五圓札と銀貨を二十錢出して用意の大風呂敷を出して?イオリンを包みました。此《この》間《あひだ》、店のものは話を中止してぢつと私の顔を見て居ます。顔は頭巾でかくしてあるから分る氣遣《きづかひ》はないのですけれども何だか氣がせいて一刻も早く往來へ出たくて堪りません。漸くの事風呂敷包を外套の下へ入れて、店を出たら、番頭が聲を揃へて難有《ありがた》うと大きな聲を出したのにはひやつとしました。往來へ出て一寸見廻して見ると、幸《さいはひ》誰も居ない樣ですが、一丁|許《ばか》り向《むかふ》から二三人して町内中に響けとばかり詩吟をして來ます。こいつは大變だと金善の角を西へ折れて濠端を藥王師道《やくわうじみち》へ出て、はんの木村から庚申山《かうしんやま》の裾へ出て漸く下宿へ歸りました。下宿へ歸つて見たらもう二時十分前でした」
「夜通しあるいて居た樣なものだね」と東風君が氣の毒さうに云ふと「やつと上がつた。やれ/\長い道中双六《だうちゆうすごろく》だ」と迷亭君はほつと一と息ついた。
「是からが聞き所ですよ。今迄は單に序幕です」
「まだあるのかい。こいつは容易な事ぢやない。大抵のものは君に逢つちや根氣負けをするね」
「根氣はとにかく、こゝでやめちや佛作つて魂入れずと一般ですから、もう少し話します」
「話すのは無論隨意さ。聞く事は聞くよ」
「どうです苦沙彌先生も御聞きになつては。もう?イオリンは買つて仕舞ひましたよ。えゝ先生」
「こん度は?イオリンを賣る所かい。賣る所なんか聞かなくつてもいゝ」
「まだ賣るどこぢやありません」
「そんなら猶聞かなくてもいゝ」
「どうも困るな、東風君、君|丈《だけ》だね、熱心に聞いてくれるのは。少し張合が拔けるがまあ仕方がない、ざつと話して仕舞はう」
「ざつとでなくてもいゝから緩《ゆつ》くり話し玉へ。大變面白い」
「?イオリンは漸くの思で手に入れたが、まづ第一に困つたのは置き所だね。僕の所へは大分《だいぶ》人が遊びにくるから滅多な所へぶらさげたり、立て懸けたりするとすぐ露見して仕舞ふ。穴を堀つて埋めちや堀り出すのが面倒だらう」
「さうさ、天井裏へでも隱したかい」と東風君は氣樂な事を云ふ。
「天井はないさ。百姓家《ひやくしやうや》だもの」
「そりや困つたらう。どこへ入れたい」
「どこへ入れたと思ふ」
「わからないね。戸袋のなかゝ」
「いゝえ」
「夜具にくるんで戸棚へ仕舞つたか」
「いゝえ」
東風君と寒月君は?イオリンの隱れ家《が》について斯《かく》の如く問答をして居るうちに、主人と迷亭君も何か頻りに話して居る。
「是《こ》りや何と讀むのだい」と主人が聞く。
「どれ」
「此二行さ」
「何だつて? Quid aliud est mulier nisi amiticiae inimica……是《こ》りや君|羅甸語《ラテンご》ぢやないか」
「羅甸語《ラテンご》は分つてるが、何と讀むのだい」
「だつて君は平生|羅甸語《ラテンご》が讀めると云つてるぢやないか」と迷亭君も危險だと見て取つて、一寸逃げた。
「無論讀めるさ。讀める事は讀めるが、こりや何だい」
「讀める事は讀めるが、こりや何だは手ひどいね」
「何でもいゝから一寸英語に譯して見ろ」
「見ろは烈しいね。丸《まる》で從卒の樣だね」
「從卒でもいゝから何だ」
「まあ羅甸語《ラテンご》などはあとにして、一寸寒月君のご高話を拜聽|仕《つかまつ》らうぢやないか。今大變な所だよ。愈《いよ/\》露見するか、しないか危機一髪と云ふ安宅《あたか》の關《せき》へかゝつてるんだ。――ねえ寒月君|夫《それ》からどうしたい」と急に乘氣になつて、又?イオリンの仲間入りをする。主人は情《なさ》けなくも取り殘された。寒月君は之に勢を得て隱し所を説明する。
「とう/\古つゞらの中へ隱しました。此つゞらは國を出る時|御祖母《おばあ》さんが餞別にくれたものですが、何でも御祖母さんが嫁にくる時持つて來たものださうです」
「そいつは古物《こぶつ》だね。?イオリンとは少し調和しない樣だ。ねえ東風君」
「えゝ、ちと調和せんです」
「天井裏だつて調和しないぢやないか」と寒月君は東風先生をやり込めた。
「調和はしないが、句にはなるよ、安心し給へ。秋《あき》淋《さび》しつゞらにかくす?イオリンはどうだい、兩君」
「先生今日は大分《だいぶ》俳句が出來ますね」
「今日に限つた事ぢやない。いつでも腹の中で出來てるのさ。僕の俳句に於ける造詣《ざうけい》と云つたら、故《こ》子規子《しきし》も舌を捲いて驚ろいた位のものさ」
「先生、子規さんとは御つき合でしたか」と正直な東風君は眞率な質問をかける。
「なにつき合はなくつても始終無線電信で肝膽相照らして居たもんだ」と無茶苦茶を云ふので、東風先生あきれて黙つて仕舞つた。寒月君は笑ひながら又進行する。
「それで置き所|丈《だけ》は出來た譯だが、今度は出すのに困つた。只出す丈《だけ》なら人目を掠《かす》めて眺める位はやれん事はないが、眺めた許《ばか》りぢや何にもならない。彈かなければ役に立たない。彈けば音が出る。出ればすぐ露見する。丁度|木槿垣《むくげがき》を一重隔てゝ南隣りには沈澱組の頭領が下宿して居るんだから劔呑だあね」
「困るね」と東風君が氣の毒さうに調子を合はせる。
「なる程、こりや困る。論より證據音が出るんだから、小督《こがう》の局《つぼね》も全く是でしくぢつたんだからね。是がぬすみ食をするとか、贋札《にせさつ》を造るとか云ふなら、まだ始末がいゝが、音曲《おんぎよく》は人に隱しちや出來ないものだからね」
「音さへ出なければどうでも出來るんですが……」
「一寸待つた。音さへ出なけりやと云ふが、音が出なくても隱《かく》し了《おお》せないのがあるよ。昔《むか》し僕等が小石川の御寺で自炊をして居る時分に鈴木の藤《とう》さんと云ふ人が居てね、此藤さんが大變|味淋《みりん》がすきで、ビールのコ利《とつくり》へ味淋を買つて來ては一人で樂しみに飲んで居たのさ。ある日|藤《とう》さんが散歩に出たあとで、よせばいゝのに苦沙彌君が一寸盗んで飲んだ所が……」
「おれが鈴木の味淋|抔《など》をのむものか、飲んだのは君だぜ」と主人は突然大きな聲を出した。
「おや本を讀んでるから大丈夫かと思つたら、矢張り聞いてるね。油斷の出來ない男だ。耳も八丁、目も八丁とは君の事だ。成程云はれて見ると僕も飲んだ。僕も飲んだには相違ないが、發覺したのは君の方だよ。――兩君まあ聞き玉へ。苦沙彌先生元來酒は飲めないのだよ。所を人の味淋だと思つて一生懸命に飲んだものだから、さあ大變、顔中|眞赤《まつか》にはれ上つてね。いやもう二目《ふため》とは見られない有樣さ……」
「黙つていろ。羅甸語《ラテンご》も讀めない癖に」
「ハヽヽヽ、夫《それ》で藤《とう》さんが歸つて來てビールのコ利《とつくり》をふつて見ると、半分以上足りない。何でも誰か飲んだに相違ないと云ふので見廻して見ると、大將隅の方に朱泥《しゆでい》を練りかためた人形の樣にかたくなつて居らあね……」
三人は思はず哄然《こうぜん》と笑ひ出した。主人も本をよみながら、くす/\と笑つた。獨り獨仙君に至つては機外《きぐわい》の機《き》を弄《ろう》し過ぎて、少々疲勞したと見えて、碁盤の上へのしかゝつて、いつの間《ま》にやら、ぐう/\寐て居る。
「まだ音がしないもので露見した事がある。僕が昔《むか》し姥子《うばこ》の温泉に行つて、一人のぢゞいと相宿になつた事がある。何でも東京の呉服屋の隱居か何かだつたがね。まあ相宿だから呉服屋だらうが、古着屋だらうが構ふ事はないが、只困つた事が一つ出來て仕舞つた。と云ふのは僕は姥子《うばこ》へ着いてから三日目に烟草を切らして仕舞つたのさ。諸君も知つてるだらうが、あの姥子と云ふのは山の中の一軒屋で只温泉に這入つて飯を食ふより外にどうもかうも仕樣のない不便の所さ。そこで烟草を切らしたのだから御難だね。物はないとなると猶《なほ》欲しくなるもので、烟草がないなと思ふや否や、いつもそんなでないのが急に呑みたくなり出してね。意地のわるい事に、其ぢゞいが風呂敷に一杯烟草を用意して登山して居るのさ。夫《それ》を少し宛《づゝ》出しては、人の前で胡坐《あぐら》をかいて呑みたいだらうと云はない許《ばか》りに、すぱ/\ふかすのだね。只ふかす丈《だけ》なら勘辯の仕樣もあるが、仕舞には烟を輪に吹いて見たり、竪に吹いたり、横に吹いたり、乃至は邯鄲《かんたん》夢《ゆめ》の枕《まくら》と逆《ぎやく》に吹いたり、又は鼻から獅子の洞入《ほらい》り、洞返《ほらがへ》りに吹いたり。つまり呑みびらかすんだね……」
「何です、呑みびらかすと云ふのは」
「衣裝道具《いしやうどうぐ》なら見せびらかすのだが、烟草だから呑みびらかすのさ」
「へえ、そんな苦しい思ひをなさるより貰つたらいゝでせう」
「所が貰はないね。僕も男子だ」
「へえ、貰つちやいけないんですか」
「いけるかも知れないが、貰はないね」
「それでどうしました」
「貰はないで偸《ぬす》んだ」
「おや/\」
「奴さん手拭をぶらさげて湯に出掛けたから、呑むならこゝだと思つて一心不亂立てつゞけに呑んで、あゝ愉快だと思ふ間《ま》もなく、障子がからりとあいたから、おやと振り返ると烟草の持ち主さ」
「湯には這入らなかつたのですか」
「這入らうと思つたら巾着《きんちやく》を忘れたのに氣がついて、廊下から引き返したんだ。人が巾着でもとりやしまいし第一それからが失敬さ」
「何とも云へませんね。烟草の御手際ぢや」
「ハヽヽヽぢゝいも中々眼識があるよ。巾着はとにかくだが、ぢいさんが障子をあけると二日間の溜め呑みをやつた烟草の烟りがむつとする程|室《へや》のなかに籠つてるぢやないか、惡事千里とはよく云つたものだね。忽ち露見して仕舞つた」
「ぢいさん何とかいゝましたか」
「さすが年の功だね、何にも言はずに卷烟草を五六十本半紙にくるんで、失禮ですが、こんな粗葉《そは》でよろしければどうぞお呑み下さいましと云つて、又湯壺へ下りて行つたよ」
「そんなのが江戸趣味と云ふのでせうか」
「江戸趣味だか、呉服屋趣味だか知らないが、夫《それ》から僕は爺さんと大《おほい》に肝膽相照《かんたんあひて》らして、二週間の間面白く逗留して歸つて來たよ」
「烟草は二週間中爺さんの御馳走になつたんですか」
「まあそんな所だね」
「もう?イオリンは片付いたかい」と主人は漸く本を伏せて、起き上りながら遂に降參を申し込んだ。
「まだです。是からが面白い所です、丁度いゝ時ですから聞いて下さい。序《ついで》にあの碁盤の上で晝寐をして居る先生――何とか云ひましたね、え、獨仙先生、――獨仙先生にも聞いて戴きたいな。どうですあんなに寐ちや、からだに毒ですぜ。もう起してもいゝでせう」
「おい、獨仙君、起きた/\。面白い話がある。起きるんだよ。さう寐ちや毒だとさ。奧さんが心配だとさ」
「え」と云ひながら顔を上げた獨仙君の山羊髯《やぎひげ》を傳はつて垂涎《よだれ》が一筋長々と流れて、蝸牛《かたつむり》の這つた迹の樣に歴然と光つて居る。
「あゝ、眠かつた。山上の白雲わが懶《ものう》きに似たりか。あゝ、いゝ心持ちに寐たよ」
「寐たのはみんなが認めて居るのだがね。ちつと起きちやどうだい」
「もう、起きてもいゝね。何か面白い話があるかい」
「是から愈《いよ/\》?イオリンを――どうするんだつたかな、苦沙彌君」
「どうするのかな、頓《とん》と見當がつかない」
「是から愈《いよ/\》彈く所です」
「是から愈《いよ/\》?イオリンを彈く所だよ。こつちへ出て來て、聞き給へ」
「まだ?イオリンかい。困つたな」
「君は無絃《むげん》の素琴《そきん》を彈ずる連中だから困らない方なんだが、寒月君のは、きい/\ぴい/\近所合壁《きんじよがつぺき》へ聞えるのだから大《おほい》に困つてる所だ」
「さうかい。寒月君近所へ聞えない樣に?イオリンを彈く方《ほう》を知らんですか」
「知りませんね、あるなら伺ひたいもので」
「伺はなくても露地《ろぢ》の白牛《びやくぎう》を見ればすぐ分る筈だが」と、何だか通じない事を云ふ。寒月君はねぼけてあんな珍語を弄するのだらうと鑑定したから、わざと相手にならないで話頭を進めた。
「漸くの事で一策を案出しました。あくる日は天長節だから、朝からうちに居て、つゞらの蓋《ふた》をとつて見たり、かぶせて見たり一日《いちんち》そは/\して暮らして仕舞ましたが愈《いよ/\》日が暮れて、つゞらの底で?《こほろぎ》が鳴き出した時思ひ切つて例の?イオリンと弓を取り出しました」
「愈《いよ/\》出たね」と東風君が云ふと「滅多に彈くとあぶないよ」と迷亭君が注意した。
「先づ弓を取つて、切先《きつさき》から鍔元《つばもと》迄しらべて見る……」
「下手な刀屋ぢやあるまいし」と迷亭君が冷評《ひやか》した。
「實際是が自分の魂だと思ふと、侍が研《と》ぎ澄した名刀を、長夜《ちやうや》の灯影《ほかげ》で鞘拂《さやばらひ》をする時の樣な心持ちがするものですよ。私は弓を持つた儘ぶる/\とふるへました」
「全く天才だ」と云ふ東風君について「全く癲癇だ」と迷亭君がつけた。主人は「早く彈いたらよからう」と云ふ。獨仙君は困つたものだと云ふ顔付をする。
「難有《ありがた》い事に弓は無難です。今度は?イオリンを同じくランプの傍《そば》へ引き付けて、裏表共能くしらべて見る。此《この》間《あひだ》約五分間、つゞらの底では始終|?《こほろぎ》が鳴いて居ると思つて下さい。……」
「何とでも思つてやるから安心して彈くがいゝ」
「まだ彈きやしません。――幸ひ?イオリンも疵《きず》がない。是なら大丈夫とぬつくと立ち上がる……」
「どつかへ行くのかい」
「まあ少し黙つて聞いて下さい。さう一句毎に邪魔をされちや話が出來ない。……」
「おい諸君、だまるんだとさ。シー/\」
「しやべるのは君|丈《だけ》だぜ」
「うん、さうか、是は失敬、謹聽々々」
「?イオリンを小脇に抱《か》い込んで、草履を突《つつ》かけた儘二三歩草の戸を出たが、まてしばし……」
「そら御出《おいで》なすつた。何でも、どつかで停電するに違ないと思つた」
「もう歸つたつて甘干しの柿はないぜ」
「さう諸先生が御まぜ返しになつては甚だ遺憾の至りだが、東風君一人を相手にするより致し方がない。――いゝかね東風君、二三歩出たが又引き返して、國を出るとき三圓二十錢で買つた赤毛布《あかげつと》を頭から被つてね、ふつとランプを消すと君|眞暗闇《まつくらやみ》になつて今度は草履の所在地《ありか》が判然しなくなつた」
「一體どこへ行くんだい」
「まあ聞いてたまひ。漸くの事草履を見つけて、表へ出ると星月夜に柿落葉、赤毛布《あかげつと》に?イオリン。右へ右へと爪先上りに庚申山《かうしんやま》へ差しかゝつてくると、東嶺寺《とうれいじ》の鐘がボーンと毛布《けつと》を通して、耳を通して、頭の中へ響き渡つた。何時《なんじ》だと思ふ、君」
「知らないね」
「九時だよ。是から秋の夜長をたつた一人、山道八丁を大平《おほだひら》と云ふところ迄登るのだが、平生なら臆病な僕の事だから、恐しくつて堪《たま》らない所だけれども、一心不亂となると不思議なもので、怖《こは》いにも怖くないにも、毛頭そんな念はてんで心の中に起らないよ。只?イオリンが彈きたい計《ばか》りで胸が一杯になつてるんだから妙なものさ。此|大平《おほだひら》と云ふところは庚申山《かうしんやま》の南側で天氣のいゝ日に登つて見ると赤松の間から城下が一目に見下《みおろ》せる眺望佳絶の平地で――さうさ廣さはまあ百坪もあらうかね、眞中に八疊敷程な一枚岩があつて、北側は鵜《う》の沼《ぬま》と云ふ池つゞきで、池のまはりは三抱へもあらうと云ふ樟《くすのき》ばかりだ。山のなかだから、人の住んでる所は樟腦《しやうなう》を採《と》る小屋が一軒ある許《ばか》り、池の近邊は晝でもあまり心持ちのいゝ場所ぢやない。幸ひ工兵が演習の爲め道を切り開いてくれたから、登るのに骨は折れない。漸く一枚岩の上へ來て、毛布《けつと》を敷いて、ともかくも其上へ坐つた。こんな寒い晩に登つたのは始めてなんだから、岩の上へ坐つて少し落ち着くと、あたりの淋《さみ》しさが次第々々に腹の底へ沁み渡る。かう云ふ場合に人の心を亂すものは只|怖《こは》いと云ふ感じ許《ばか》りだから、此感じさへ引き拔くと、餘る所は皎々冽々《かう/\れつ/\》たる空靈の氣|丈《だけ》になる。二十分程茫然として居るうちに何だか水晶で造つた御殿のなかに、たつた一人住んでる樣な氣になつた。しかも其一人住んでる僕のからだが――いやからだ許《ばか》りぢやない、心も魂も悉《こと/”\》く寒天か何かで製造された如く、不思議に透き徹つて仕舞つて、自分が水晶の御殿の中に居るのだか、自分の腹の中に水晶の御殿があるのだか、わからなくなつて來た……」
「飛んだ事になつて來たね」と迷亭君が眞面目にからかふあとに付いて、獨仙君が「面白い境界《きやうがい》だ」と少しく感心した容子に見えた。
「もし此?態が長くつゞいたら、私はあすの朝迄、切角の?イオリンも彈かずに、茫《ぼん》やり一枚岩の上に坐つてたかも知れないです……」
「狐でも居る所かい」と東風君がきいた。
「かう云ふ具合で、自他の區別もなくなつて、生きて居るか死んで居るか方角のつかない時に、突然|後《うし》ろの古沼の奧でギヤーと云ふ聲がした。……」
「愈《いよ/\》出たね」
「其聲が遠く反響を起して滿山の秋の梢を、野分《のわき》と共に渡つたと思つたら、はつと我に歸つた……」
「やつと安心した」と迷亭君が胸を撫で卸す眞似をする。
「大死一番乾坤新《たいしいちばんけんこんあらた》なり」と獨仙君は目くばせをする。寒月君には些《ちつ》とも通じない。
「それから、我に歸つてあたりを見廻はすと、庚申山《かうしんやま》一面はしんとして、雨垂れ程の音もしない。はてな今の音は何だらうと考へた。人の聲にしては鋭すぎるし、鳥の聲にしては大き過ぎるし、猿の聲にしては――此邊によもや猿は居るまい。何だらう? 何だらうと云ふ問題が頭のなかに起ると、是を解釋し樣《やう》と云ふので今迄靜まり返つて居たやからが、紛然《ふんぜん》雜然《ざつぜん》糅然《じうぜん》として恰もコンノート殿下歡迎の當時に置ける都人士狂亂の態度を以て腦裏をかけ廻る。其うちに總身《そうしん》の毛穴が急にあいて、燒酎を吹きかけた毛脛の樣に、勇氣、膽力、分別、沈着|抔《など》と號する御客樣がすう/\と蒸發して行く。心臓が肋骨の下でステヽコを踊り出す。兩足が紙鳶《たこ》のうなりの樣に震動をはじめる。是は堪《たま》らん。いきなり、毛布《けつと》を頭からかぶつて、?イオリンを小脇に掻い込んでひよろ/\と一枚岩を飛び下りて、一目散に山道八丁を麓の方へかけ下りて、宿へ歸つて布團へくるまつて寐て仕舞つた。今考へてもあんな氣味のわるかつた事はないよ、東風君」
「それから」
「それでお仕舞さ」
「?イオリンは彈かないのかい」
「彈きたくつても、彈かれないぢやないか。ギヤーだもの。君だつて屹度《きつと》彈かれないよ」
「何だか君の話は物足りない樣な氣がする」
「氣がしても事實だよ。どうです先生」と寒月君は一座を見廻はして大得意の容子である。
「ハヽヽヽ是は上出來。そこ迄持つて行くには大分《だいぶ》苦心慘憺たるものがあつたのだらう。僕は男子のサンドラ、ベロニが東方君子の邦《くに》に出現する所かと思つて、今が今迄眞面目に拜聽して居たんだよ」と云つた迷亭君は誰かサンドラ、ベロニの講釋でも聞くかと思の外、何にも質問が出ないので「サンドラ、ベロニが月下に竪琴を彈いて、以太利亞風《イタリアふう》の歌を森の中でうたつてる所は、君の庚申山へ?イオリンをかゝへて上《のぼ》る所と同曲にして異巧なるものだね。惜しい事に向ふは月中《げつちゆう》の嫦娥《じやうが》を驚ろかし、君は古沼《ふるぬま》の怪狸《くわいり》におどろかされたので、際どい所で滑稽と崇高の大差を來たした。嘸《さぞ》遺憾だらう」と一人で説明すると、
「そんなに遺憾ではありません」と寒月君は存外平氣である。
「全體山の上で?イオリンを彈かうなんて、ハイカラをやるから、おどかされるんだ」と今度は主人が酷評を加へると、
「好漢《かうかん》この鬼窟裏《きくつり》に向つて生計を營む。惜しい事だ」と獨仙君は嘆息した。凡《すべ》て獨仙君の云ふ事は決して寒月君にわかつたためしがない。寒月君ばかりではない、おそらく誰にでもわからないだらう。
「そりや、さうと寒月君、近頃でも矢張り學校へ行つて珠《たま》許《ばか》り磨いてるのかね」と迷亭先生はしばらくして話頭を轉じた。
「いえ、此間《こなひだ》中《うち》から國へ歸省して居たもんですから、暫時中止の姿です。珠ももうあきましたから、實はよさうかと思つてるんです」
「だつて珠が磨けないと博士にはなれんぜ」と主人は少しく眉をひそめたが、本人は存外氣樂で、
「博士ですか、エヘヽヽヽ。博士ならもうならなくつてもいゝんです」
「でも結婚が延びて、双方困るだらう」
「結婚つて誰の結婚です」
「君のさ」
「私が誰と結婚するんです」
「金田の令孃さ」
「へえゝ」
「へえつて、あれ程約束があるぢやないか」
「約束なんかありやしません、そんな事を言ひ觸らすなあ、向ふの勝手です」
「こいつは少し亂暴だ。ねえ迷亭、君もあの一件は知つてるだらう」
「あの一件た、鼻事件かい。あの事件なら、君と僕が知つてる許《ばか》りぢやない、公然の秘密として天下一般に知れ渡つてる。現に萬朝《まんてう》なぞでは花聟花嫁と云ふ表題で兩君の寫眞を紙上に掲ぐるの榮はいつだらう、いつだらうつて、うるさく僕の所へ聞きにくる位だ。東風君|抔《なぞ》は既に鴛鴦歌《ゑんあうか》と云ふ一大長篇を作つて、三箇月|前《ぜん》から待つてるんだが、寒月君が博士にならない許《ばか》りで、折角の傑作も寶の持ち腐れになりさうで心配でたまらないさうだ。ねえ、東風君さうだらう」
「まだ心配する程持ちあつかつては居ませんが、とに角滿腹の同情をこめた作を公けにする積りです」
「それ見たまへ、君が博士になるかならないかで、四方八方へ飛んだ影響が及んでくるよ。少ししつかりして、珠を磨いてくれ玉へ」
「へヽヽヽ色々御心配をかけて濟みませんが、もう博士にはならないでもいゝのです」
「なぜ」
「なぜつて、私にはもう歴然《れつき》とした女房があるんです」
「いや、こりやえらい。いつの間《ま》に秘密結婚をやつたのかね。油斷のならない世の中だ。苦沙彌さん只今御聞き及びの通り寒月君は既に妻子《さいし》があるんだとさ」
「子供はまだですよ。さう結婚して一と月もたゝないうちに子供が生れちや事でさあ」
「元來いつどこで結婚したんだ」と主人は豫審判事見た樣な質問をかける。
「いつゝて、國へ歸つたら、ちやんと、うちで待つてたのです。今日先生の所へ持つて來た、此|鰹節《かつぶし》は結婚祝に親類から貰つたんです」
「たつた三本祝ほのはけちだな」
「なに澤山のうちを三本|丈《だけ》持つて來たのです」
「ぢや御國の女だね、矢つ張り色が黒いんだね」
「えゝ、眞黒です。丁度私には相當です」
「それで金田の方はどうする氣だい」
「どうする氣でもありません」
「そりや少し義理がわるからう。ねえ迷亭」
「わるくもないさ。ほかへ遣りや同じ事だ。どうせ夫婦なんてものは闇の中で鉢合せをする樣なものだ。要するに鉢合せをしないでも濟む所をわざ/\鉢合せるんだから餘計な事さ。既に餘計な事なら誰と誰の鉢が合つたつて構ひつこないよ。只氣の毒なのは鴛鴦歌《ゑんあうか》を作つた東風君位なものさ」
「なに鴛鴦歌《ゑんあうか》は都合によつて、こちらへ向け易へてもよろしう御座います。金田家の結婚式には又別に作りますから」
「さすが詩人|丈《だけ》あつて自由自在なものだね」
「金田の方へ斷はつたかい」と主人はまだ金田を氣にして居る。
「いゝえ。斷はる譯がありません。私の方で呉れとも、貰ひたいとも、先方へ申し込んだ事はありませんから、黙つて居れば澤山です。――なあに黙つてゝも澤山ですよ。今時分は探偵が十人も二十人もかゝつて一部始終殘らず知れて居ますよ」
探偵と云ふ言語《ことば》を聞いた、主人は、急に苦《にが》い顔をして
「ふん、そんなら黙つて居ろ」と申し渡したが、それでも飽き足らなかつたと見えて、猶《なほ》探偵に就て下《しも》の樣な事をさも大議論の樣に述べられた。
「不用意の際に人の懷中を拔くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間《ま》に雨戸をはづして人の所有品を偸《ぬす》むのが泥棒で、知らぬ間《ま》に口を滑らして人の心を讀むのが探偵だ。ダンビラを疊の上へ刺して無理に人の金錢を着服するのが強盗で、おどし文句をいやに並べて人の意志を強ふるのが探偵だ。だから探偵と云ふ奴はスリ、泥棒、強盗の一族で到底人の風上《かざかみ》に置けるものではない。そんな奴の云ふ事を聞くと癖になる。決して負けるな」
「なに大丈夫です、探偵の千人や二千人、風上に隊伍を整へて襲撃したつて怖《こは》くはありません。珠|磨《たます》りの名人理學士水島寒月でさあ」
「ひや/\見上げたものだ。さすが新婚學士程あつて元氣旺盛なものだね。然し苦沙彌さん。探偵がスリ、泥棒、強盗の同類なら、其探偵を使ふ金田君の如きものは何の同類だらう」
「熊坂長範《くまさかちやうはん》位なものだらう」
「熊坂はよかつたね。一つと見えたる長範が二つになつてぞ失《う》せにけりと云ふが、あんな烏金《からすがね》で身代《しんだい》をつくつた向横丁《むかふよこちやう》の長範なんかは業《ごふ》つく張りの、慾張り屋だから、いくつになつても失せる氣遣はないぜ。あんな奴につかまつたら因果だよ。生涯たゝるよ、寒月君用心し給へ」
「なあに、いゝですよ。あゝら物々し盗人《ぬすびと》よ。手並はさきにも知りつらん。それにも懲りず打ち入るかつて、ひどい目に合せてやりまさあ」と寒月君は自若として寶生流《はうしやうりう》に氣?を吐いて見せる。
「探偵と云へば二十世紀の人間はたいてい探偵の樣になる傾向があるが、どう云ふ譯だらう」と獨仙君は獨仙君|丈《だけ》に時局問題には關係のない超然たる質問を呈出した。
「物價が高いせゐでせう」と寒月君が答へる。
「藝術趣味を解しないからでせう」と東風君が答へる。
「人間に文明の角《つの》が生へて、金米糖《こんぺいとう》の樣にいら/\するからさ」と迷亭君が答へる。
今度は主人の番である。主人は勿體振《もつたいぶ》つた口調で、こんな議論を始めた。
「夫《それ》は僕が大分《だいぶ》考へた事だ。僕の解釋によると當世人の探偵的傾向は全く個人の自覺心の強過ぎるのが原因になつて居る。僕の自覺心と名づけるのは獨仙君の方で云ふ、見性成佛《けんしやうじやうぶつ》とか、自己は天地と同一體だとか云ふ悟道の類ではない。……」
「おや大分《だいぶ》六づかしくなつて來た樣だ。苦沙彌君、君にしてそんな大議論を舌頭《ぜつとう》に弄《ろう》する以上は、かく申す迷亭も憚りながら御あとで現代の文明に對する不平を堂々と云ふよ」
「勝手に云ふがいゝ、云ふ事もない癖に」
「所がある。大《おほい》にある。君なぞは先達《せんだつ》ては刑事巡査を神の如く敬ひ、又今日は探偵をスリ泥棒に比し、丸《まる》で矛盾の變怪《へんげ》だが、僕などは終始一貫|父母未生以前《ふもみしやういぜん》から只今に至る迄、かつて自説を變じた事のない男だ」
「刑事は刑事だ。探偵は探偵だ。先達《せんだつ》ては先達《せんだつ》てで今日は今日だ。自説が變らないのは發達しない證據だ。下愚《かぐ》は移らずと云ふのは君の事だ。……」
「是はきびしい。探偵もさうまともにくると可愛《かはい》い所がある」
「おれが探偵」
「探偵でないから、正直でいゝと云ふのだよ。喧嘩はおやめ/\。さあ。其大議論のあとを拜聽しやう」
「今の人の自覺心と云ふのは自己と他人の間に截然《せつぜん》たる利害の鴻溝《こうこう》があると云ふ事を知り過ぎて居ると云ふ事だ。さうして此自覺心なるものは文明が進むにしたがつて一日/\と鋭敏になつて行くから、仕舞には一擧手一投足も自然天然とは出來ない樣になる。ヘンレーと云ふ人がスチーヴンソンを評して彼は鏡のかゝつた部屋に入《はい》つて、鏡の前を通る毎《ごと》に自己の影を寫して見なければ氣が濟まぬ程瞬時も自己を忘るゝ事の出來ない人だと評したのは、よく今日《こんにち》の趨勢《すうせい》を言ひあらはして居る。寐てもおれ、覺めてもおれ、此おれが至る所につけまつはつて居るから、人間の行爲言動が人工的にコセつく許《ばか》り、自分で窮屈になる許《ばか》り、世の中が苦しくなる許《ばか》り、丁度見合をする若い男女の心持ちで朝から晩迄くらさなければならない。悠々とか從容《しようよう》とか云ふ字は劃があつて意味のない言葉になつてしまふ。此點に於て今代《きんだい》の人は探偵的である。泥棒的である。探偵は人の目を掠《かす》めて自分|丈《だけ》うまい事をしやうと云ふ商賣だから、勢《いきほひ》自覺心が強くならなくては出來ん。泥棒も捕《つか》まるか、見つかるかと云ふ心配が念頭を離れる事がないから、勢《いきほひ》自覺心が強くならざるを得ない。今の人はどうしたら己《おの》れの利になるか、損になるかと寐ても醒《さ》めても考へつゞけだから、勢《いきほひ》探偵泥棒と同じく自覺心が強くならざるを得ない。二六時中キヨト/\、コソ/\して墓に入《い》る迄一刻の安心も得ないのは今の人の心だ。文明の咒詛《じゆそ》だ。馬鹿々々しい」
「成程面白い解釋だ」と獨仙君が云ひ出した。こんな問題になると獨仙君は中々|引込《ひつこ》んで居ない男である。「苦沙彌君の説明はよく我意《わがい》を得て居る。昔《むか》しの人は己れを忘れろとヘへたものだ。今の人は己れを忘れるなとヘへるから丸《まる》で違ふ。二六時中己れと云ふ意識を以て充滿して居る。それだから二六時中太平の時はない。いつでも焦熱地獄だ。天下に何が藥だと云つて己れを忘れるより藥な事はない。三更月下入無我《さんかうげつかむがにいる》とは此至境を咏《えい》じたものさ。今の人は親切をしても自然をかいて居る。英吉利《イギリス》のナイス抔《など》と自慢する行爲も存外自覺心が張り切れさうになつて居る。英國の天子が印度《インド》へ遊びに行つて、印度《インド》の王族と食卓を共にした時に、其王族が天子の前とも心づかずに、つい自國の我流を出して馬鈴薯《じやがいも》を手攫《てづか》みで皿へとつて、あとから眞赤《まつか》になつて愧《は》ぢじ入つたら、天子は知らん顔をして矢張り二本指で馬鈴薯《じやがいも》を皿へとつたさうだ……」
「それが英吉利《イギリス》趣味ですか」是は寒月君の質問であつた。
「僕はこんな話を聞いた」と主人が後《あと》をつける。「矢張り英國のある兵營で聯隊の士官が大勢して一人の下士官を御馳走した事がある。御馳走が濟んで手を洗ふ水を硝子鉢《ガラスばち》へ入れて出したら、此下士官は宴會になれんと見えて、硝子鉢《ガラスばち》を口へあてゝ中の水をぐうと飲んでしまつた。すると聯隊長が突然下士官の健康を祝すと云ひながら、矢張りフ※[ヒの小字]ンガー、ボールの水を一息に飲み干したさうだ。そこで並《な》み居る士官も我劣らじと水盃《みづさかづき》を擧げて下士官の健康を祝したと云ふぜ」
「こんな噺《はなし》もあるよ」とだまつてる事の嫌《きらひ》な迷亭君が云つた。「カーライルが始めて女皇《ぢよくわう》に謁した時、宮廷の禮に嫻《なら》はぬ變物《へんぶつ》の事だから、先生突然どうですと云ひながら、どさりと椅子へ腰を卸した。所が女皇の後《うし》ろに立つて居た大勢の侍從や官女がみんなくす/\笑ひ出した――出したのではない、出さうとしたのさ、すると女皇が後ろを向いて、一寸何か相圖をしたら、多勢《おほぜい》の侍從官女がいつの間《ま》にかみんな椅子へ腰をかけて、カーライルは面目を失はなかつたと云ふんだが隨分御念の入つた親切もあつたもんだ」
「カーライルの事なら、みんなが立つてゝも平氣だつたかも知れませんよ」と寒月君が短評を試みた。
「親切の方の自覺心はまあいゝがね」と獨仙君は進行する。「自覺心がある丈《だけ》親切をするにも骨が折れる譯になる。氣の毒な事さ。文明が進むに從つて殺伐の氣がなくなる、個人と個人の交際がおだやかになる抔《など》と普通云ふが大間違ひさ。こんなに自覺心が強くつて、どうしておだやかになれるものか。成程一寸見ると極《ごく》しづかで無事な樣だが、御互の間は非常に苦しいのさ。丁度相撲が土俵の眞中で四《よ》つに組んで動かない樣なものだらう。傍《はた》から見ると平穩至極だが當人の腹は波を打つて居るぢやないか」
「喧嘩も昔《むか》しの喧嘩は暴力で壓迫するのだから却つて罪はなかつたが、近頃ぢや中々巧妙になつてるから猶々《なほ/\》自覺心が揩オてくるんだね」と番が迷亭先生の頭の上に廻つて來る。「ベーコンの言葉に自然の力に從つて始めて自然に勝つとあるが、今の喧嘩は正にベーコンの格言通りに出來上つてるから不思議だ。丁度柔術の樣なものさ。敵の力を利用して敵を斃《たふ》す事を考へる……」
「又は水力電氣の樣なものですね。水の力に逆らはないで却つて是を電力に變化して立派に役に立たせる……」と寒月君が言ひかけると、獨仙君がすぐ其あとを引き取つた。
「だから貧時《ひんじ》には貧《ひん》に縛《ばく》せられ、富時《ふじ》には富《ふ》に縛せられ、憂時《いうじ》には憂《いう》に縛せられ、喜時《きじ》には喜《き》に縛せられるのさ。才人は才に斃れ、智者は智に敗れ、苦沙彌君の樣な癇癪持ちは癇癪を利用さへすればすぐに飛び出して敵のぺてんに罹《かゝ》る……」
「ひや/\」と迷亭君が手をたゝくと、苦沙彌君はにや/\笑ひながら「是で中々さう甘《うま》くは行かないのだよ」と答へたら、みんな一度に笑ひ出した。
「時に金田の樣なのは何で斃れるだらう」
「女房は鼻で斃れ、主人は因業《いんごふ》で斃れ、子分は探偵で斃れか」
「娘は?」
「娘は――娘は見た事がないから何とも云へないが――先づ着倒れか、食ひ倒れ、若《もし》しくは呑んだくれの類だらう。よもや戀ひ倒れにはなるまい。ことによると卒塔婆小町《そとばこまち》の樣に行き倒れになるかも知れない」
「それは少しひどい」と新體詩を捧げた丈《だけ》に東風君が異議を申し立てた。
「だから應無所住而生其心《おうむしよぢじゆうにしやうごしん》と云ふのは大事な言葉だ、さう云ふ境界に至らんと人間は苦しくてならん」と獨仙君しきりに獨り悟つた樣な事を云ふ。
「さう威張るもんぢやないよ。君などはことによると電光影裏《でんくわうえいり》にさか倒れをやるかも知れないぜ」
「とにかく此勢で文明が進んで行つた日にや僕は生きてるのはいやだ」と主人がいゝ出した。
「遠慮はいらないから死ぬさ」と迷亭が言下《ごんか》に道破《だうは》する。
「死ぬのは猶いやだ」と主人がわからん強情を張る。
「生れる時には誰も熟考して生れるものは有りませんが、死ぬ時には誰も苦にすると見えますね」と寒月君がよそ/\しい格言をのべる。
「金を借りるときには何の氣なしに借りるが、返す時にはみんな心配するのと同じ事さ」とこんな時にすぐ返事の出來るのは迷亭君である。
「借りた金を返す事を考へないものは幸福である如く、死ぬ事を苦にせんものは幸福さ」と獨仙君は超然として出世間的《しゆつせけんてき》である。
「君の樣に云ふとつまり圖太いのが悟つたのだね」
「さうさ、禪語に鐵牛面《てつぎうめん》の鐵牛心《てつぎうしん》、牛鐵面《ぎうてつめん》の牛鐵心《ぎうてつしん》と云ふのがある」
「さうして君は其標本と云ふ譯かね」
「さうでもない。然し死ぬのを苦にする樣になつたのは神經衰弱と云ふ病氣が發明されてから以後の事だよ」
「成程君などはどこから見ても神經衰弱以前の民だよ」
迷亭と獨仙が妙な掛合《かけあひ》をのべつにやつて居ると、主人は寒月東風二君を相手にして頻りに文明の不平を述べて居る。
「どうして借りた金を返さずに濟ますかゞ問題である」
「そんな問題はありませんよ。借りたものは返さなくちやなりませんよ」
「まあさ。議論だから、だまつて聞くがいゝ。どうして借りた金を返さずに濟ますかゞ問題である如く、どうしたら死なずに濟むかゞ問題である。否問題であつた。錬金術《れんきんじゆつ》は是である。凡《すべ》ての錬金術は失敗した。人間はどうしても死なゝければならん事が分明《ぶんみやう》になつた」
「錬金術以前から分明《ぶんみやう》ですよ」
「まあさ、議論だから、だまつて聞いて居ろ。いゝかい。どうしても死なゝければならん事が分明《ぶんみやう》になつた時に第二の問題が起る」
「へえ」
「どうせ死ぬなら、どうして死んだらよからう。是が第二の問題である。自殺クラブは此第二の問題と共に起るべき運命を有して居る」
「成程」
「死ぬ事は苦しい、然し死ぬ事が出來なければ猶《なほ》苦しい。神經衰弱の國民には生きて居る事が死よりも甚だしき苦痛である。したがつて死を苦にする。死ぬのが厭《いや》だから苦にするのではない、どうして死ぬのが一番よからうと心配するのである。只大抵のものは智慧が足りないから自然の儘に放擲して置くうちに、世間がいぢめ殺して呉れる。然し一と癖あるものは世間からなし崩しにいぢめ殺されて滿足するものではない。必ずや死に方に付いて種々考究の結果、嶄新《ざんしん》な名案を呈出するに違ない。だからして世界|向後《かうご》の趨勢は自殺者が揄チして、其自殺者が皆獨創的な方法を以て此世を去るに違ない」
「大分《だいぶ》物騷な事になりますね」
「なるよ。慥《たし》かになるよ。アーサー、ジヨーンスと云ふ人のかいた脚本のなかにしきりに自殺を主張する哲學者があつて……」
「自殺するんですか」
「所が惜しい事にしないのだがね。然し今から千年も立てばみんな實行するに相違ないよ。萬年の後《のち》には死と云へば自殺より外に存在しないものゝ樣に考へられる樣になる」
「大變な事になりますね」
「なるよ屹度《きつと》なる。さうなると自殺も大分《だいぶ》研究が積んで立派な科學になつて、落雲館《らくうんくわん》の樣な中學校で倫理の代りに自殺學を正科として授ける樣になる」
「妙ですな、傍聽に出たい位のものですね。迷亭先生御聞きになりましたか。苦沙彌先生の御名論を」
「聞いたよ。其時分になると落雲館《らくうんくわん》の倫理の先生はかう云ふね。諸君公コ|抔《など》と云ふ野蠻の遺風を墨守《ぼくしゆ》してはなりません。世界の青年として諸君が第一に注意すべき義務は自殺である。しかして己《おの》れの好む所は之を人に施こして可なる譯だから、自殺を一歩展開して他殺にしてもよろしい。ことに表の窮措大《きゆうそだい》珍野苦沙彌氏の如きものは生きて御座るのが大分《だいぶ》苦痛の樣に見受けらるゝから、一刻も早く殺して進ぜるのが諸君の義務である。尤も昔と違つて今日は開明の時節であるから槍、薙刀もしくは飛道具の類を用ゐる樣な卑怯な振舞をしてはなりません。只あてこすりの高尚なる技術によつて、からかひ殺すのが本人の爲め功コ《くどく》にもなり、又諸君の名譽にもなるのであります。……」
「成程面白い講義をしますね」
「まだ面白い事があるよ。現代では警察が人民の生命財産を保護するのを第一の目的として居る。所が其時分になると巡査が犬殺しの樣な棍棒《こんぼう》を以て天下の公民を撲殺《ぼくさつ》してあるく。……」
「なぜです」
「なぜつて今の人間は生命《いのち》が大事だから警察で保護するんだが、其時分の國民は生きてるのが苦痛だから、巡査が慈悲の爲めに打《ぶ》ち殺して呉れるのさ。尤も少し氣の利いたものは大概自殺して仕舞ふから、巡査に打殺《ぶちころ》される樣な奴はよく/\の意氣地なしか、自殺の能力のない白痴もしくは不具者に限るのさ。夫《それ》で殺されたい人間は門口《かどぐち》へ張札をして置くのだね。なに只、殺されたい男ありとか女ありとか、はりつけて置けば巡査が都合のいゝ時に巡《まは》つてきて、すぐ志望通り取計つてくれるのさ。死骸かね。死骸は矢つ張り巡査が車を引いて拾つてあるくのさ。まだ面白い事が出來てくる。……」
「どうも先生の冗談は際限がありませんね」と東風君は大《おほい》に感心して居る。すると獨仙君は例の通り山羊髯《やぎひげ》を氣にしながら、のそ/\辯じ出した。
「冗談と云へば冗談だが、豫言と云へば豫言かも知れない。眞理に徹底しないものは、とかく眼前の現象世界に束縛せられて泡沫《はうまつ》の夢幻《むげん》を永久の事實と認定したがるものだから、少し飛び離れた事を云ふと、すぐ冗談にしてしまふ」
「燕雀《えんぢやく》焉《いづく》んぞ大鵬《たいほう》の志《こゝろざし》を知らんやですね」と寒月君が恐れ入ると、獨仙君は左樣《さう》さと云はぬ許《ばか》りの顔付で話を進める。
「昔《むか》しスペインにコルド?と云ふところがあつた……」
「今でもありやしないか」
「あるかも知れない。今昔の問題はとにかく、そこの風習として日暮れの鐘がお寺で鳴ると、家々の女が悉《こと/”\》く出て來て河へ這入つて水泳をやる……」
「冬もやるんですか」
「其邊はたしかに知らんが、とにかく貴賤老若《きせんらうにやく》の別なく河へ飛び込む。但し男子は一人も交らない。只遠くから見て居る。遠くから見て居ると暮色蒼然《ぼしよくさうぜん》たる波の上に、白い肌《はだへ》が模糊《もこ》として動いて居る……」
「詩的ですね。新體詩になりますね。なんと云ふところですか」と東風君は裸體《らたい》が出さへすれば前へ乘り出してくる。
「コルド?さ。そこで地方の若いものが、女と一所に泳ぐ事も出來ず、さればと云つて遠くから判然其姿を見る事も許されないのを殘念に思つて、一寸いたづらをした……」
「へえ、どんな趣向だい」といづらと聞いた迷亭君は大《おほい》に嬉しがる。
「お寺の鐘つき番に賄賂を使つて、日沒を合圖に撞く鐘を一時間前に鳴らした。すると女|抔《など》は淺墓《あさはか》なものだから、そら鐘が鳴つたと云ふので、めい/\河岸《かし》へあつまつて半襦袢《はんじゆばん》、半股引《はんもゝひき》の服裝でざぶり/\と水の中へ飛び込んだ。飛び込みはしたものゝ、いつもと違つて日が暮れない」
「烈しい秋の日がかん/\しやしないか」
「橋の上を見ると男が大勢立つて眺めて居る。耻づかしいがどうする事も出來ない。大《おほい》に赤面したさうだ」
「それで」
「それでさ、人間は只眼前の習慣に迷はされて、根本の原理を忘れるものだから氣をつけないと駄目だと云ふ事さ」
「成程|難有《ありがた》い御説ヘだ。眼前の習慣に迷はされの御話しを僕も一つやらうか。此間ある雜誌をよんだら、かう云ふ詐欺師の小説があつた。僕がまあこゝで書畫骨董店を開くとする。で店頭に大家の幅や、名人の道具類を並べて置く。無論|贋物《にせもの》ぢやない、正直正銘《しやうぢきしやうめい》、うそいつはりのない上等品|許《ばか》り並べて置く。上等品だからみんな高價に極つてる。そこへ物數奇《ものずき》な御客さんが來て、此|元信《もとのぶ》の幅はいくらだねと聞く。六百圓なら六百圓と僕が云ふと、其客が欲しい事はほしいが、六百圓では手元に持ち合せがないから、殘念だがまあ見合せやう」
「さう云ふと極つてるかい」と主人は相變らず芝居氣《しばゐぎ》のない事を云ふ。迷亭君はぬからぬ顔で、
「まあさ、小説だよ。云ふとして置くんだ。そこで僕がなに代《だい》は構ひませんから、お氣に入つたら持つて入らつしやいと云ふ。客はさうも行かないからと躊躇する。それぢや月賦でいたゞきませう、月賦も細く、長く、どうせ是から御贔屓《ごひいき》になるんですから――いえ、ちつとも御遠慮には及びません。どうです月に十圓位ぢや。何なら月に五圓でも構ひませんと僕が極《ごく》きさく〔三字傍点〕に云ふんだ。夫《それ》から僕と客の間に二三の問答があつて、とゞ僕が狩野法眼元信《かのうほふげんもとのぶ》の幅を六百圓但し月賦十圓拂込の事で賣渡す」
「タイムスの百科全書見た樣ですね」
「タイムスは慥《たし》かだが、僕のは頗る不慥《ふたしか》だよ。是からが愈《いよ/\》巧妙なる詐僞《さぎ》に取りかゝるのだぜ。よく聞きたまへ月十圓|宛《づゝ》で六百圓なら何年で皆濟《かいさい》になると思ふ、寒月君」
「無論五年でせう」
「無論五年。で五年の歳月は長いと思ふか短かいと思ふか、獨仙君」
「一念萬年《いちねんばんねん》、萬年一念《ばんねんいちねん》。短かくもあり、短かくもなしだ」
「何だそりや道歌《だうか》か、常識のない道歌だね。そこで五年の間毎月十圓宛拂ふのだから、つまり先方では六十回拂へばいゝのだ。然しそこが習慣の恐ろしい所で、六十回も同じ事を毎月繰り返して居ると、六十一回にも矢張り十圓拂ふ氣になる。六十二回にも十圓拂う氣になる。六十二回六十三回、回を重ねるにしたがつてどうしても期日がくれば十圓拂はなくては氣が濟まない樣になる。人間は利口の樣だが、習慣に迷つて、根本を忘れると云ふ大弱點がある。其弱點に乘じて僕が何度でも十圓|宛《づゝ》毎月得をするのさ」
「ハヽヽヽまさか、夫《それ》程《ほど》忘れつぽくもならないでせう」と寒月君が笑ふと、主人は聊《いさゝ》か眞面目で、
「いやさう云ふ事は全くあるよ。僕は大學の貸費《たいひ》を毎月々々勘定せずに返して、仕舞に向《むかふ》から斷はられた事がある」と自分の耻を人間一般の耻の樣に公言した。
「そら、さう云ふ人が現にこゝに居るから慥《たし》かなものだ。だから僕の先刻《さつき》述べた文明の未來記を聞いて冗談だ抔《など》と笑ふものは、六十回でいゝ月賦を生涯拂つて正當だと考へる連中だ。ことに寒月君や、東風君の樣な經驗の乏しい青年諸君は、よく僕らの云ふ事を聞いてだまされない樣にしなくつちやいけない」
「かしこまりました。月賦は必ず六十回限りの事に致します」
「いや冗談の樣だが、實際參考になる話ですよ、寒月君」と獨仙君は寒月君に向ひだした。「たとへばですね。今苦沙彌君か迷亭君が、君が無斷で結婚したのが穩當でないから、金田とか云ふ人に謝罪しろと忠告したら君どうです。謝罪する了見ですか」
「謝罪は御容赦にあづかりたいですね。向ふがあやまるなら特別、私の方ではそんな慾はありません」
「警察が君にあやまれと命じたらどうです」
「猶々《なほ/\》御免蒙ります」
「大臣とか華族ならどうです」
「愈《いよ/\》もつて御免蒙ります」
「それ見玉へ。昔と今とは人間が夫《それ》丈《だけ》變つてる。昔は御上《おかみ》の御威光なら〔二字傍点〕何でも出來た時代です。其次には御上《おかみ》の御威光でも〔二字傍点〕出來ないものが出來てくる時代です。今の世はいかに殿下でも閣下でも、ある程度以上に個人の人格の上にのしかゝる事が出來ない世の中です。はげしく云へば先方に權力があればある程、のしかゝられるものゝ方では不愉快を感じて反抗する世の中です。だから今の世は昔《むか》しと違つて、御上《おかみ》の御威光だから〔三字傍点〕出來ないのだと云ふ新現象のあらはれる時代です、昔《むか》しのものから考へると、殆んど考へられない位な事柄が道理で通る世の中です。世態人情の變遷と云ふものは實に不思議なもので、迷亭君の未來記も冗談だと云へば冗談に過ぎないのだが、其邊の消息を説明したものとすれば、中々|味《あじはひ》があるぢやないですか」
「さう云ふ知己が出てくると是非未來記の續きが述べたくなるね。獨仙君の御説の如く今の世に御上《おかみ》の御威光を笠にきたり、竹槍の二三百本を恃《たのみ》にして無理を押し通さうとするのは、丁度カゴへ乘つて何でも蚊でも汽車と競爭しやうとあせる、時代後れの頑物《ぐわんぶつ》――まあわからずやの張本《ちやうほん》、烏金《からすがね》の長範先生《ちやうはんせんせい》位のものだから、黙つて御手際を拜見して居ればいゝが――僕の未來記はそんな當座間に合せの小問題ぢやない。人間全體の運命に關する社會的現象だからね。つら/\目下文明の傾向を達觀して、遠き將來の趨勢を卜すると結婚が不可能の事になる。驚ろくなかれ、結婚の不可能。譯はかうさ。前《ぜん》申す通り今の世は個性中心の世である。一家を主人が代表し、一郡を代官が代表し、一國を領主が代表した時分には、代表者以外の人間には人格は丸《まる》でなかつた。あつても認められなかつた。其れががらりと變ると、あらゆる生存者が悉《こと/”\》く個性を主張し出して、だれを見ても君は君、僕は僕だよと云はぬ許《ばか》りの風をする樣になる。ふたりの人が途中で逢へばうぬが人間なら、おれも人間だぞと心の中《うち》で喧嘩を買ひながら行き違ふ。それ丈《だけ》個人が強くなつた。個人が平等に強くなつたから、個人が平等に弱くなつた譯になる。人がおのれを害する事が出來にくゝなつた點に於て、慥《たし》かに自分は強くなつたのだが、滅多に人の身の上に手出しがならなくなつた點に於ては、明かに昔より弱くなつたんだらう。強くなるのは嬉しいが、弱くなるのは誰も難有《ありがた》くないから、人から一毫《いちがう》も犯《をか》されまいと、強い點をあく迄固守すると同時に、せめて半毛《はんまう》でも人を侵《をか》してやらうと、弱い所は無理にも擴げたくなる。かうなると人と人の間に空間がなくなつて、生きてるのが窮屈になる。出來る丈《だけ》自分を張りつめて、はち切れる許《ばか》りにふくれ返つて苦しがつて生存して居る。苦しいから色々の方法で個人と個人との間に餘裕を求める。かくの如く人間が自業自得で苦しんで、其苦し紛れに案出した第一の方案は親子別居の制さ。日本でも山の中へ這入つて見給へ。一家一門《いつけいちもん》悉《こと/”\》く一軒のうちにごろ/\して居る。主張すべき個性もなく、あつても主張しないから、あれで濟むのだが文明の民はたとひ親子の間でもお互に我儘を張れる丈《だけ》張らなければ損になるから勢《いきほ》ひ兩者の安全を保持する爲めには別居しなければならない。歐洲は文明が進んでゐるから日本より早く此制度が行はれて居る。たま/\親子同居するものがあつても、息子《むすこ》がおやぢから利息のつく金を借りたり、他人の樣に下宿料を拂つたりする。親が息子の個性を認めて之に尊敬を拂へばこそ、こんな美風が成立するのだ。此風は早晩日本へも是非輸入しなければならん。親類はとくに離れ、親子は今日《こんにち》に離れて、やつと我慢してゐる樣なものゝ個性の發展と、發展につれて此《これ》に對する尊敬の念は無制限にのびて行くから、まだ離れなくては樂が出來ない。然し親子兄弟の離れたる今日《こんにち》、もう離れるものはない譯だから、最後の方案として夫婦が分れる事になる。今の人の考では一所に居るから夫婦だと思つてる。夫《それ》が大きな了見違ひさ。一所に居る爲めには一所に居るに充分なる丈《だけ》個性が合はなければならないだらう。昔《むか》しなら文句はないさ、異體同心とか云つて、目には夫婦二人に見えるが、内實は一人前《いちにんまへ》なんだからね。夫《それ》だから偕老同穴《かいらうどうけつ》とか號して、死んでも一つ穴の狸に化ける。野蠻なものさ。今はさうは行かないやね。夫《をつと》は飽迄も夫《をつと》で妻はどうしたつて妻だからね。其妻が女學校で行燈袴《あんどんばかま》を穿《は》いて牢乎《らうこ》たる個性を鍛《きた》え上げて、束髪姿で乘り込んでくるんだから、とても夫《をつと》の思ふ通りになる譯がない。又|夫《をつと》の思ひ通りになる樣な妻なら妻ぢやない人形だからね。賢夫人になればなる程個性は凄い程發達する。發達すればする程|夫《をつと》と合はなくなる。合はなければ自然の勢《いきほひ》夫《をつと》と衝突する。だから賢妻と名がつく以上は朝から晩迄|夫《をつと》と衝突して居る。まことに結構な事だが、賢妻を迎へれば迎へる程双方共苦しみの程度が揩オてくる。水と油の樣に夫婦の間には截然《せつぜん》たるしきりがあつて、それも落ちついて、しきりが水平線を保つて居ればまだしもだが、水と油が双方から働らきかけるのだから家のなかは大地震の樣に上がつたり下がつたりする。是《こゝ》に於て夫婦雜居はお互の損だと云ふ事が次第に人間に分つてくる。……」
「それで夫婦がわかれるんですか。心配だな」と寒月君が云つた。
「わかれる。屹度《きつと》わかれる。天下の夫婦はみんな分れる。今迄は一所に居たのが夫婦であつたが、是からは同棲して居るものは夫婦の資格がない樣に世間から目《もく》されてくる」
「すると私なぞは資格のない組へ編入される譯ですね」と寒月君は際《きは》どい所でのろけを云つた。
「明治の御代に生れて幸さ。僕などは未來記を作る丈《だけ》あつて、頭腦が時勢より一二歩づゝ前へ出て居るからちやんと今から獨身で居るんだよ。人は失戀の結果だ抔《など》と騷ぐが、近眼者の視る所は實に憐れな程淺薄なものだ。それはとにかく、未來記の續きを話すとかうさ。其時一人の哲學者が天降《あまくだ》つて破天荒《はてんくわう》の眞理を唱道する。其説に曰くさ。人間は個性の動物である。個性を滅すれば人間を滅すると同結果に陷《おちい》る。苟《いやしく》も人間の意義を完《まつた》からしめん爲には、如何なる價《あたひ》を拂ふとも構はないから此個性を保持すると同時に發達せしめなければならん。かの陋習《ろうしふ》に縛せられて、いや/\ながら結婚を執行するのは人間自然の傾向に反した蠻風であつて、個性の發達せざる蒙昧《もうまい》の時代はいざ知らず、文明の今日《こんにち》猶《なほ》此|弊竇《へいとう》に陷《おちい》つて恬《てん》として顧《かへり》みないのは甚だしき謬見《びうけん》である。開化の高潮度に達せる今代《きんだい》に於て二個の個性が普通以上に親密の程度を以て連結され得べき理由のあるべき筈がない。此|覩易《みやす》き理由あるにも關らず無ヘ育の青年男女が一時の劣情に驅られて、漫《みだり》に合?《ごうきん》の式を擧ぐるは悖コ沒倫《はいとくぼつりん》の甚だしき所爲である。吾人は人道の爲め、文明の爲め、彼等青年男女の個性保護の爲め、全力を擧げ此蠻風に抵抗せざるべからず……」
「先生私は其説には全然反對です」と東風君は此時思ひ切つた調子でぴたりと平手《ひらて》で膝頭を叩いた。「私の考では世の中に何が尊《たつと》いと云つて愛と美程|尊《たつと》いものはないと思ひます。吾々を慰藉し、吾々を完全にし、吾々を幸福にするのは全く兩者の御蔭であります。吾人の情操を優美にし、品性を高潔にし、同情を洗錬するのは全く兩者の御蔭であります。だから吾人はいつの世いづくに生れても此二つのものを忘れることが出來ないです。此二つの者が現實世界にあらはれると、愛は夫婦と云ふ關係になります。美は詩歌《しいか》、音樂の形式に分れます。夫《それ》だから苟《いやしく》も人類の地球の表面に存在する限りは夫婦と藝術は決して滅する事はなからうと思ひます」
「なければ結構だが、今哲學者が云つた通りちやんと滅して仕舞ふから仕方がないと、あきらめるさ。なに藝術だ? 藝術だつて夫婦と同じ運命に歸着するのさ。個性の發展といふのは個性の自由と云ふ意味だらう。個性の自由と云ふ意味はおれはおれ、人は人と云ふ意味だらう。その藝術なんか存在出來る譯がないぢやないか。藝術が繁昌するのは藝術家と享受者の間に個性の一致があるからだらう。君がいくら新體詩家だつて踏張《ふんば》つても、君の詩を讀んで面白いと云ふものが一人もなくつちや、君の新體詩も御氣の毒だが君より外に讀み手はなくなる譯だらう。鴛鴦歌《ゑんあうか》をいく篇作つたつて始まらないやね。幸ひに明治の今日《こんにち》に生れたから、天下が擧《こぞ》つて愛讀するのだらうが……」
「いえそれ程でもありません」
「今でさへそれ程でなければ、人文《じんぶん》の發達した未來即ち例の一大哲學者が出て非結婚論《ひけつこんろん》を主張する時分には誰もよみ手はなくなるぜ。いや君のだから讀まないのぢやない。人々個々《にん/\こゝ》各《おの/\》特別の個性をもつてるから、人の作つた詩文|抔《など》は一向《いつかう》面白くないのさ。現に今でも英國|抔《など》では此傾向がちやんとあらはれて居る。現今英國の小説家中で尤も個性のいちゞるしい作品にあらはれた、メレヂスを見給へ、ジエームスを見給へ。讀み手は極めて少ないぢやないか。少ない譯さ。あんな作品はあんな個性のある人でなければ讀んで面白くないんだから仕方がない。此傾向が段々發達して婚姻が不道コになる時分には藝術も完く滅亡さ。さうだらう君のかいたものは僕にわからなくなる、僕のかいたものは君にわからなくなつた日にや、君と僕の間には藝術も糞もないぢやないか」
「そりやさうですけれども私はどうも直覺的にさう思はれないんです」
「君が直覺的にさう思はれなければ、僕は曲覺的《きよくかくてき》にさう思ふ迄さ」
「曲覺的《きよくかくてき》かも知れないが」と今度は獨仙君が口を出す。「とにかく人間に個性の自由を許せば許す程御互の間が窮屈になるに相違ないよ。ニーチエが超人なんか擔ぎ出すのも全く此窮屈のやり所がなくなつて仕方なしにあんな哲學に變形したものだね。一寸見るとあれがあの男の理想の樣に見えるが、ありや理想ぢやない、不平さ。個性の發展した十九世紀にすくんで、隣りの人には心置なく滅多に寐返りも打てないから、大將少しやけになつてあんな亂暴をかき散らしたのだね。あれを讀むと壯快と云ふより寧ろ氣の毒になる。あの聲は勇猛精進《ゆうまうしやうじん》の聲ぢやない、どうしても怨恨痛憤《ゑんこんつうふん》の音《おん》だ。それも其筈さ昔は一人えらい人があれば天下|翕然《きふぜん》として其旗下にあつまるのだから、愉快なものさ。こんな愉快が事實に出てくれば何もニーチエ見た樣に筆と紙の力で是を書物の上にあらはす必要がない。だからホーマーでもチエ?、チエーズでも同じく超人的な性格を寫しても感じが丸《まる》で違ふからね。陽氣ださ。愉快にかいてある。愉快な事實があつて、此愉快な事實を紙に寫しかへたのだから、苦味《にがみ》はない筈だ。ニーチエの時代はさうは行かないよ。英雄なんか一人も出やしない。出たつて誰も英雄と立てやしない。昔は孔子《こうし》がたつた一人だつたから、孔子も幅を利かしたのだが、今は孔子が幾人も居る。ことによると天下が悉《こと/”\》く孔子かも知れない。だからおれは孔子だよと威張つても壓《おし》が利かない。利かないから不平だ。不平だから超人|抔《など》を書物の上|丈《だけ》で振り廻すのさ。吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果不自由を感じて困つて居る。夫《それ》だから西洋の文明|抔《など》は一寸いゝやうでもつまり駄目なものさ。之に反して東洋ぢや昔《むか》しから心の修行をした。その方が正しいのさ。見給へ個性發展の結果みんな神經衰弱を起して、始末がつかなくなつた時、王者《わうしや》の民《たみ》蕩々《たう/\》たりと云ふ句の價値を始めて發見するから。無爲《むゐ》にして化《くわ》すと云ふ語の馬鹿に出來ない事を悟るから。然し悟つたつて其時はもう仕樣がない。アルコール中毒に罹つて、あゝ酒を飲まなければよかつたと考へる樣なものさ」
「先生方は大分《だいぶ》厭世的な御説の樣だが、私は妙ですね。色々伺つても何とも感じません。どう云ふものでせう」と寒月君が云ふ。
「そりや妻君を持ち立てだからさ」と迷亭君がすぐ解釋した。すると主人が突然こんな事を云ひ出した。
「妻《さい》を持つて、女はいゝものだ抔《など》と思ふと飛んだ間違になる。參考の爲めだから、おれが面白い物を讀んで聞かせる。よく聽くがいゝ」と最前《さいぜん》書齋から持つて來た古い本を取り上げて「此本は古い本だが、此時代から女のわるい事は歴然と分つてる」と云ふと、寒月君が
「少し驚きましたな。元來いつ頃の本ですか」と聞く。「タマス、ナツシと云つて十六世紀の著書だ」
「愈《いよ/\》驚ろいた。其時分既に私の妻《さい》の惡口を云つたものがあるんですか」
「色々女の惡口があるが、其内には是非《ぜひ》君の妻《さい》も這入る譯だから聞くがいゝ」
「えゝ聞きますよ。難有《ありがた》い事になりましたね」
「先づ古來の賢哲が女性觀を紹介すべしと書いてある。いゝかね。聞いてるかね」
「みんな聞いてるよ。獨身の僕迄聞いてるよ」
「アリストートル曰く女はどうせ碌でなしなれば、嫁をとるなら、大きな嫁より小さな嫁をとるべし。大きな碌でなしより、小さな碌でなしの方が災《わざはひ》少なし……」
「寒月君の妻君は大きいかい、小さいかい」
「大きな碌でなしの部ですよ」
「ハヽヽヽ、こりや面白い本だ。さああとを讀んだ」
「或人問ふ、如何なるか是《これ》最大奇蹟《さいだいきせき》。賢者答へて曰く、貞婦……」
「賢者つてだれですか」
「名前は書いてない」
「どうせ振られた賢者に相違ないね」
「次にはダイオジニスが出て居る。或人問ふ、妻を娶《めと》る何《いづ》れの時に於てすべきか。ダイオジニス答へて曰く青年は未だし、老年は既に遲し。とある」
「先生|樽《たる》の中で考へたね」
「ピサゴラス曰く天下に三の恐るべきものあり曰く火、曰く水、曰く女」
「希臘《ギリシヤ》の哲學者|抔《など》は存外迂濶な事を云ふものだね。僕に云はせると天下に恐るべきものなし。火に入《い》つて燒けず、水に入つて溺れず……」丈《だけ》で獨仙君一寸行き詰る。
「女に逢つてとろけずだらう」と迷亭先生が援兵に出る。主人はさつさとあとを讀む。
「ソクラチスは婦女子を御《ぎよ》するは人間の最大難事と云へり。デモスセニス曰く人若し其敵を苦しめんとせば、わが女を敵に與ふるより策の得たるはあらず。家庭の風波に日となく夜《よ》となく彼を困憊《こんぱい》起つ能はざるに至らしむるを得ればなりと。セネカは婦女と無學を以て世界に置ける二大厄とし、マーカス、オーレリアスは女子は制御し難き點に於て船舶に似たりと云ひ、プロータスは女子が綺羅《きら》を飾るの性癖を以て其|天稟《てんぴん》の醜を蔽ふの陋策《ろうさく》に本《もと》づくものとせり。?レリアス甞《かつ》て書を其友某におくつて告げて曰く天下に何事も女子の忍んでなし得ざるものあらず。願はくは皇天|憐《あはれみ》を垂れて、君をして彼等の術中に陷《おちい》らしむるなかれと。彼又曰く女子とは何ぞ。友愛の敵にあらずや。避くべからざる苦しみにあらずや、必然の害にあらずや、自然の誘惑にあらずや、蜜に似たる毒にあらずや。もし女子を棄つるが不コならば、彼等を棄てざるは一層の呵責《かしやく》と云はざる可からず。……」
「もう澤山です、先生。其位愚妻のわる口を拜聽すれば申《まを》し分《ぶん》はありません」
「まだ四五ページあるから、序《ついで》に聞いたらどうだ」
「もう大抵にするがいゝ。もう奧方の御歸りの刻限だらう」と迷亭先生がからかひ掛けると、茶の間の方で
「清や、清や」と細君が下女を呼ぶ聲がする。
「こいつは大變だ。奧方はちやんと居るぜ、君」
「ウフヽヽヽ」と主人は笑ひながら「構ふものか」と云つた。
「奧さん、奧さん。いつの間《ま》に御歸りですか」
茶の間ではしんとして答がない。
「奧さん、今のを聞いたんですか。え?」
答はまだない。
「今のはね、御主人の御考ではないですよ。十六世紀のナツシ君の説ですから御安心なさい」
「存じません」と妻君は遠くで簡單な返事をした。寒月君はくす/\と笑つた。
「私も存じませんで失禮しましたアハヽヽヽ」と迷亭君は遠慮なく笑つてると、門口《かどぐち》をあら/\しくあけて、頼むとも、御免とも云はず、大きな足音がしたと思つたら、座敷の唐紙が亂暴にあいて、多々良三平《たゝらさんぺい》君の顔が其間からあらはれた。
三平君今日はいつに似ず、眞白なシヤツに卸立《おろした》てのフロツクを着て、既に幾分か相場《さうば》を狂はせてる上へ、右の手へ重さうに下げた四本の麥酒《ビール》を繩ぐるみ、鰹節《かつぶし》の傍《そば》へ置くと同時に挨拶もせず、どつかと腰を下ろして、かつ膝を崩したのは目覺しい武者振《むしやぶり》である。
「先生胃病は近來いゝですか。かうやつて、うちに許《ばか》り居なさるから、いかんたい」
「まだ惡いとも何ともいやしない」
「いはんばつてんが、顔色はよかなかごたる。先生顔色が黄《きい》ですばい。近頃は釣がいゝです。品川から舟を一艘雇ふて――私は此前の日曜に行きました」
「何か釣れたかい」
「何も釣れません」
「釣れなくつても面白いのかい」
「浩然《かうぜん》の氣を養ふたい、あなた。どうですあなたがた。釣に行つた事がありますか。面白いですよ釣は。大きな海の上を小舟で乘り廻はしてあるくのですからね」と誰彼の容赦なく話しかける。
「僕は小さな海の上を大船で乘り廻してあるきたいんだ」と迷亭君が相手になる。
「どうせ釣るなら、鯨か人魚でも釣らなくつちや、詰らないです」と寒月君が答へた。 「そんなものが釣れますか。文學者は常識がないですね。……」
「僕は文學者ぢやありません」
「さうですか、何ですかあなたは。私の樣なビジネス、マンになると常識が一番大切ですからね。先生私は近來よつぽど常識に富んで來ました。どうしてもあんな所に居ると、傍《はた》が傍《はた》だから、おのづから、さうなつて仕舞ふです」
「どうなつて仕舞ふのだ」
「煙草でもですね、朝日や、敷島をふかしていては幅が利かんです」と云ひながら、吸口に金箔のついた埃及煙草《エヂプトたばこ》を出して、すぱ/\吸ひ出した、
「そんな贅澤をする金があるのかい」
「金はなかばつてんが、今にどうかなるたい。此煙草を吸つてると、大變信用が違ひま す」
「寒月君が珠を磨くよりも樂《らく》な信用でいゝ、手數《てすう》がかゝらない。輕便信用だね」と迷亭が寒月にいふと、寒月が何とも答へない間に、三平君は
「あなたが寒月さんですか。博士にや、とう/\ならんですか。あなたが博士にならんものだから、私が貰ふ事にしました」
「博士をですか」
「いゝえ、金田家の令孃をです。實は御氣の毒と思ふたですたい。然し先方で是非貰ふてくれ/\と云ふから、とう/\貰ふ事に極めました、先生。然し寒月さんに義理がわるいと思つて心配して居ます」
「どうか御遠慮なく」と寒月君が云ふと、主人は
「貰ひたければ貰つたら、いゝだらう」と曖昧な返事をする。
「そいつはおめでたい話だ。だからどんな娘を持つても心配するがものはないんだよ。だれか貰ふと、さつき僕が云つた通り、ちやんとこんな立派な紳士の御聟さんが出來たぢやないか。東風君新體詩の種が出來た。早速とりかゝり玉へ」と迷亭君が例の如く調子づくと三平君は
「あなたが東風君ですか、結婚の時に何か作つてくれませんか。すぐ活版にして方々へくばります。太陽へも出してもらひます」
「えゝ何か作りませう、何時頃《いつごろ》御入用ですか」
「いつでもいゝです。今迄作つたうちでもいゝです。其代りです。披露のとき呼んで御馳走するです。シヤンパンを飲ませるです。君シヤンパンを飲んだ事がありますか。シヤンパンは旨いです。――先生|披露會《ひろうくわい》のときに樂隊を呼ぶ積《つもり》ですが、東風君の作を譜にして奏したらどうでせう」
「勝手にするがいゝ」
「先生、譜にして下さらんか」
「馬鹿云へ」
「だれか、此うちに音樂の出來るものは居らんですか」
「落第の候補者寒月君は?イオリンの妙手だよ。しつかり頼んで見給へ。然しシヤンパン位ぢや承知しさうもない男だ」
「シヤンパンもですね。一瓶《ひとびん》四圓や五圓のぢやよくないです。私の御馳走するのはそんな安いのぢやないですが、君一つ譜を作つてくれませんか」
「えゝ作りますとも、一瓶二十錢のシヤンパンでも作ります。なんなら只でも作ります」
「たゞは頼みません、御禮はするです。シヤンパンがいやなら、かう云ふ御禮はどうです」と云ひながら上着《うはぎ》の隱袋《かくし》のなかゝら七八枚の寫眞を出してばら/\と疊の上へ落す。半身がある。全身がある。立つてるのがある。坐つてるのがある。袴を穿《は》いてるがある。振袖がある。高島田がある。悉《こと/”\》く妙齡の女子|許《ばか》りである。
「先生候補者が是《これ》丈《だけ》あるです。寒月君と東風君に此うちどれか御禮に周旋してもいゝです。こりやどうです」と一枚寒月君につき付ける。
「いゝですね。是非周旋を願ひませう」
「是でもいゝですか」と又一枚つきつける。
「それもいゝですね。是非周旋して下さい」
「どれをです」
「どれでもいゝです」
「君中々多情ですね。先生、是は博士の姪です」
「さうか」
「此方は性質が極《ごく》いゝです。年も若いです。是で十七です。――是なら持參金が千圓あります。――こつちのは知事の娘です」と一人で辯じ立てる。
「それをみんな貰ふ譯にやいかないでせうか」
「みんなですか、それは餘り慾張りたい。君|一夫多妻主義《いつぷたさいしゆぎ》ですか」
「多妻主義ぢやないですが、肉食論者《にくしよくろんしや》です」
「何でもいゝから、そんなものは早く仕舞つたら、よからう」と主人は叱り付ける樣に言ひ放つたので、三平君は
「それぢや、どれも貰はんですね」と念を押しながら、寫眞を一枚々々にポツケツトへ収めた。
「何だい其ビールは」
「お見やげで御座ります。前祝《まへいはひ》に角《かど》の酒屋で買ふて來ました。一つ飲んで下さい」
主人は手を拍《う》つて下女を呼んで栓《せん》を拔かせる。主人、迷亭、獨仙、寒月、東風の五君は恭《うや/\》しくコツプを捧げて、三平君の艶福を祝した。三平君は大《おほい》に愉快な樣子で
「こゝに居る諸君を披露會に招待しますが、みんな出てくれますか、出てくれるでせうね」と云ふ。
「おれはいやだ」と主人はすぐ答へる。
「なぜですか。私の一生に一度の大禮《たいれい》ですばい。出てくんなさらんか。少し不人情のごたるな」
「不人情ぢやないが、おれは出ないよ」
「着物がないですか。羽織と袴位どうでもしますたい。ちと人中《ひとなか》へも出るがよかたい先生。有名な人に紹介して上げます」
「眞平《まつぴら》御免だ」
「胃病が癒りますばい」
「癒らんでも差支ない」
「そげん頑固張りなさるなら已《やむ》を得ません。あなたはどうです來てくれますか」
「僕かね、是非行くよ。出來るなら媒酌人たるの榮を得たい位のものだ。シヤンパンの三々九度や春の宵。――なに仲人《なかうど》は鈴木の藤《とう》さんだつて? 成程そこいらだらうと思つた。これは殘念だが仕方がない。仲人が二人出來ても多過ぎるだらう、只の人間として正《まさ》に出席するよ」
「あなたはどうです」
「僕ですか、一竿風月閑生計《いつかんのふうげつかんせいけい》、人釣白蘋紅蓼間《ひとはつりすはくひんこうれうのかん》」
「何ですかそれは、唐詩選ですか」
「何だかわからんです」
「わからんですか、困りますな。寒月君は出てくれるでせうね。今迄の關係もあるから」
「屹度《きつと》出る事にします、僕の作つた曲を樂隊が奏するのを、きゝ落すのは殘念ですからね」
「さうですとも。君はどうです東風君」
「さうですね。出て御兩人《ごりやうにん》の前で新體詩を朗讀したいです」
「そりや愉快だ。先生私は生れてから、こんな愉快な事はないです。だからもう一杯ビールを飲みます」と自分で買つて來たビールを一人でぐい/\飲んで眞赤《まつか》になつた。
短かい秋の日は漸く暮れて、卷煙草の死骸が算を亂す火鉢のなかを見れば火はとくの昔に消えて居る。さすが呑氣《のんき》の連中も少しく興が盡きたと見えて、「大分《だいぶ》遲くなつた。もう歸らうか」と先づ獨仙君が立ち上がる。つゞいて「僕も歸る」と口々に玄關に出る。寄席《よせ》がはねたあとの樣に座敷は淋しくなつた。
主人は夕飯《ゆふはん》を濟まして書齋に入る。妻君は肌寒《はださむ》の襦袢の襟をかき合せて、洗《あら》ひ晒《ざら》しの不斷着を縫ふ。小供は枕を並べて寐る。下女は湯に行つた。
呑氣《のんき》と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。悟つた樣でも獨仙君の足は矢張り地面の外《ほか》は踏まぬ。氣樂かも知れないが迷亭君の世の中は繪にかいた世の中ではない。寒月君は珠磨《たます》りをやめてとう/\お國から奧さんを連れて來た。是が順當だ。然し順當が永く續くと定めし退屈だらう。東風君も今十年したら、無暗に新體詩を捧げる事の非を悟るだらう。三平君に至つては水に住む人か、山に住む人かちと鑑定が六づかしい。生涯《しやうがい》三鞭酒《シヤンパン》を御馳走して得意と思ふ事が出來れば結構だ。鈴木の藤《とう》さんはどこ迄も轉がつて行く。轉がれば泥がつく。泥がついても轉がれぬものよりも幅が利く。猫と生れて人の世に住む事もはや二年越しになる。自分では是程の見識家は又とあるまいと思ふて居たが、先達《せんだつ》てカーテル、ムルと云ふ見ず知らずの同族が突然大氣?を揚げたので、一寸|吃驚《びつくり》した。よく/\聞いて見たら、實は百年|前《ぜん》に死んだのだが、不圖した好奇心からわざと幽靈になつて吾輩を驚かせる爲に、遠い冥土から出張したのださうだ。此猫は母と對面をするとき、挨拶のしるしとして、一匹の肴《さかな》を啣《くは》へて出掛けた所、途中でとう/\我慢がし切れなくなつて、自分で食つて仕舞つたと云ふ程の不孝ものだけあつて、才氣も中々人間に負けぬ程で、ある時|抔《など》は詩を作つて主人を驚かした事もあるさうだ。こんな豪傑が既に一世紀も前に出現して居るなら、吾輩の樣な碌でなしはとうに御暇《おいとま》を頂戴して無何有郷《むかうのきやう》に歸臥してもいゝ筈であつた。
主人は早晩胃病で死ぬ。金田のぢいさんは慾でもう死んで居る。秋の木《こ》の葉は大概落ち盡した。死ぬのが萬物の定業《ぢやうごふ》で、生きてゐてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬ丈《だけ》が賢こいかも知れない。諸先生の説に從へば人間の運命は自殺に歸するさうだ。油斷をすると猫もそんな窮屈な世に生れなくてはならなくなる。恐るべき事だ。何だか氣がくさ/\して來た。三平君のビールでも飲んでちと景氣をつけてやらう。
勝手へ廻る。秋風にがたつく戸が細目にあいてる間から吹き込んだと見えてランプはいつの間《ま》にか消えて居るが、月夜と思はれて窓から影がさす。コツプが盆の上に三つ並んで、其二つに茶色の水が半分程たまつて居る。硝子《ガラス》の中のものは湯でも冷たい氣がする。まして夜寒の月影に照らされて、靜かに火消壺とならんで居る此液體の事だから、唇をつけぬ先から既に寒くて飲みたくもない。然しものは試しだ。三平などはあれを飲んでから、眞赤《まつか》になつて、熱苦《あつくる》しい息遣ひした。猫だつて飲めば陽氣にならん事もあるまい。どうせいつ死ぬか知れぬ命だ。何でも命のあるうちにして置く事だ。死んでからあゝ殘念だと墓場の影から悔《く》やんでも追付《おつつ》かない。思ひ切つて飲んで見ろと、勢よく舌を入れてぴちや/\やつて見ると驚いた。何だか舌の先を針でさゝれた樣にぴりゝとした。人間は何の醉興でこんな腐つたものを飲むのかわからないが、猫にはとても飲み切れない。どうしても猫とビールは性が合はない。是は大變だと一度は出した舌を引込《ひつこ》めて見たが、又考へ直した。人間は口癖の樣に良藥口に苦《にが》しと言つて風邪《かぜ》抔《など》をひくと、顔をしかめて變なものを飲む。飲むから癒るのか、癒るのに飲むのか、今迄疑問であつたが丁度いゝ幸だ。此問題をビールで解決してやらう。飲んで腹の中迄にがくなつたら夫《それ》迄《まで》の事、もし三平の樣に前後を忘れる程愉快になれば空前の儲《もう》け者《もの》で、近所の猫へヘへてやつてもいゝ。まあどうなるか、運を天に任せて、やつゝけると決心して再び舌を出した。眼をあいて居ると飲みにくいから、しつかり眠つて、又ぴちや/\始めた。
吾輩は我慢に我慢を重ねて、漸く一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起つた。始めは舌がぴり/\して、口中が外部から壓迫される樣に苦しかつたのが、飲むに從つて漸く樂《らく》になつて、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなつた。もう大丈夫と二杯目は難なく遣付《やつつ》けた。序《ついで》に盆の上にこぼれたのも拭ふが如く腹内《ふくない》に収めた。
夫《それ》から暫くの間は自分で自分の動靜を伺ふ爲め、ぢつとすくんで居た。次第にからだが暖かになる。眼のふちがぽうつとする。耳がほてる。歌がうたひ度くなる。猫ぢや/\が踊り度くなる。主人も迷亭も獨仙も糞を食《くら》へと云ふ氣になる。金田のぢいさんを引掻いてやりたくなる。妻君の鼻を食ひ缺きたくなる。色々になる。最後にふら/\と立ちたくなる。起《た》つたらよた/\あるき度くなる。こいつは面白いとそとへ出たくなる。出ると御月樣今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。
陶然とはこんな事を云ふのだらうと思ひながら、あてもなく、そこかしこと散歩する樣な、しない樣な心持でしまりのない足をいゝ加減に運ばせてゆくと、何だかしきりに眠い。寐てゐるのだか、あるいてるのだか判然しない。眼はあける積《つもり》だが重い|事夥《おびたゞ》しい。かうなれば夫《それ》迄《まで》だ。海だらうが、山だらうが驚ろかないんだと、前足をぐにやりと前へ出したと思ふ途端ぼちやんと音がして、はつと云ふうち、――やられた。どうやられたのか考へる間《ま》がない。只やられたなと氣がつくか、つかないのにあとは滅茶苦茶になつて仕舞つた。
我に歸つたときは水の上に浮いてゐる。苦しいから爪でもつて矢鱈《やたら》に掻いたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐつて仕舞ふ。仕方がないから後足《あとあし》で飛び上つておいて、前足で掻いたら、がりゝと音がして纔《わづ》かに手應《てごたへ》があつた。漸く頭|丈《だけ》浮くからどこだらうと見廻はすと、吾輩は大きな甕《かめ》の中に落ちて居る。此|甕《かめ》は夏迄|水葵《みづあふひ》と稱する水草《みづくさ》が茂つて居たが其後烏の勘公が來て葵《あふひ》を食ひ盡した上に行水《ぎやうずゐ》を使ふ。行水を使へば水が減る。減れば來なくなる。近來は大分《だいぶ》減つて烏が見えないなと先刻《さつき》思つたが、吾輩自身が烏の代りにこんな所で行水を使はう抔《など》とは思ひも寄らなかつた。
水から縁《ふち》迄は四寸|餘《よ》もある。足をのばしても屆かない。飛び上つても出られない。呑氣《のんき》にして居れば沈むばかりだ。もがけばがり/\と甕《かめ》に爪があたるのみで、あたつた時は、少し浮く氣味だが、すべれば忽ちぐうつともぐる。もぐれば苦しいから、すぐがりゞをやる。其うちからだが疲れてくる。氣は焦《あせ》るが、足は左程《さほど》利かなくなる。遂にはもぐる爲めに甕《かめ》を掻くのか、掻く爲めにもぐるのか、自分でも分りにくゝなつた。
其時苦しいながら、かう考へた。こんな呵責《かしやく》に逢ふのはつまり甕《かめ》から上へあがりたい許《ばか》りの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切つてゐる。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水の面《おもて》にからだが浮いて、浮いた所から思ふ存分前足をのばしたつて五寸にあまる甕《かめ》の縁《ふち》に爪のかゝり樣がない。甕《かめ》のふちに爪のかゝり樣がなければいくらも掻《が》いても、あせつても、百年の間身を粉《こ》にしても出られつこない。出られないと分り切つてゐるものを出《で》樣《やう》とするのは無理だ。無理を通さうとするから苦しいのだ。つまらない。自《みづか》ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問《がうもん》に罹《かゝ》つてゐるのは馬鹿氣てゐる。
「もうよさう。勝手にするがいゝ。がり/\はこれ限《ぎ》り御免蒙るよ」と、前足も、後足《あとあし》も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。
次第に樂になつてくる。苦しいのだか難有《ありがた》いのだか見當がつかない。水の中に居るのだか、座敷の上に居るのだか、判然しない。どこにどうしてゐても差支はない。只|樂《らく》である。否|樂《らく》そのものすらも感じ得ない。日月《じつげつ》を切り落し、天地を粉韲《ふんせい》して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んで此太平を得る。太平は死なゝければ得られぬ。南無阿彌陀佛々々々々々々。難有《ありがた》い々々々。
〔2005年11月3日(木)午前10時3分、修正終わり。2016年7月11日(月)午前11時25分、再校正終了。〕
倫敦塔
――明治三八、一、一〇――
二年の留學中|只《たゞ》一度|倫敦塔《ロンドンたふ》を見物した事がある。其《その》後《ご》再び行かうと思つた日もあるが止《や》めにした。人から誘はれた事もあるが斷《ことわ》つた。一度で得た記憶を二|返目《へんめ》に打壞《ぶちこ》はすのは惜しい、三《み》たび目に拭《ぬぐ》ひ去るのは尤も殘念だ。「塔」の見物は一度に限ると思ふ。
行つたのは着後|間《ま》もないうちの事である。其頃は方角もよく分らんし、地理|抔《など》は固《もと》より知らん。丸《まる》で御殿場《ごてんば》の兎が急に日本橋の眞中《まんなか》へ抛《はふ》り出された樣な心持ちであつた。表へ出れば人の波にさらはれるかと思ひ、家《うち》に歸れば汽車が自分の部屋に衝突しはせぬかと疑ひ、朝夕《あさゆふ》安き心はなかつた。此|響《ひゞ》き、此群集の中に二年住んで居たら吾が神經の繊維《せんゐ》も遂には鍋《なべ》の中の麩海苔《ふのり》の如くべと/\になるだらうとマクス、ノルダウの退化論を今更の如く大眞理と思ふ折さへあつた。
しかも余《よ》は他の日本人の如く紹介?を持つて世話になりに行く宛《あて》もなく、又在留の舊知とては無論ない身の上であるから、恐々《こは/”\》ながら一枚の地圖を案内として毎日見物の爲め若《もし》くは用達《ようたし》の爲め出あるかねばならなかつた。無論汽車へは乘らない、馬車へも乘れない、滅多《めつた》な交通機關を利用|仕《し》樣《やう》とすると、どこへ連れて行かれるか分らない。此広い倫敦《ロンドン》を蜘蛛手《くもで》十字に徃來する汽車も馬車も電氣鐵道も鋼條鐵道も余《よ》には何等の便宜をも与へる事が出來なかつた。余《よ》は已《やむ》を得ないから四ツ角へ出るたびに地圖を披《ひら》いて通行人に押し返されながら足の向く方角を定める。地圖で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時は又|外《ほか》の人に尋ねる、何人でも合點《がてん》の行く人に出逢ふ迄は捕へては聞き呼び掛けては聞く。かくして漸くわが指定の地に至るのである。
「塔」を見物したのは恰も此方法に依らねば外出の出來ぬ時代の事と思ふ。來《きた》るに來所《らいしよ》なく去るに去所《きよしよ》を知らずと云ふと禪語《ぜんご》めくが、余はどの路を通つて「塔」に着したか又如何なる町を横ぎつて吾|家《や》に歸つたか未《いま》だに判然しない。どう考へても思ひ出せぬ。只《たゞ》「塔」を見物した丈《だけ》は慥《たし》かである。「塔」其物の光景は今でもあり/\と眼に浮べる事が出來る。前はと問はれると困る、後《あと》はと尋ねられても返答し得ぬ。只《たゞ》前を忘れ後《あと》を失《しつ》したる中間が會釋《ゑしやく》もなく明るい。恰《あたか》も闇を裂《さ》く稻妻の眉に落つると見えて消えたる心地《こゝち》がする。倫敦塔《ロンドンたふ》は宿世《すくせ》の夢の燒點の樣だ。
倫敦塔《ロンドンたふ》の歴史は英國の歴史を煎じ詰めたものである。過去と云ふ怪《あや》しき物を蔽《おほ》へる戸帳《とばり》が自《おの》づと裂けて龕中《がんちゆう》の幽光《いうくわう》を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。凡《すべ》てを葬る時の流れが逆《さか》しまに戻つて古代の一片が現代に漂《たゞよ》ひ來れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り殘されたるは倫敦塔である。
此|倫敦塔《ロンドンたふ》を塔橋《たふけう》の上からテームス河を隔てゝ眼の前に望んだとき、余は今の人か將《は》た古《いにし》への人かと思ふ迄《まで》我を忘れて餘念もなく眺《なが》め入つた。冬の初めとはいひながら物靜かな日である。空は灰汁桶《あくをけ》を掻き交ぜた樣な色をして低く塔の上に垂れ懸つて居る。壁土を溶《とか》し込んだように見ゆるテームスの流れは波も立てず音もせず無理矢理《むりやり》に動いて居るかと思はるゝ。帆懸舟《ほかけぶね》が一|隻《せき》塔の下を行く。風なき河に帆をあやつるのだから不規則な三角形の白き翼がいつ迄も同じ所に停《とま》つて居る樣である。傳馬《てんま》の大きいのが二艘|上《のぼ》つて來る。只一人の船頭《せんどう》が艫《とも》に立つて艪《ろ》を漕《こ》ぐ、是も殆《ほと》んど動かない。塔橋の欄干のあたりには白き影がちら/\する、大方《おほかた》?《かもめ》であらう。見渡した處|凡《すべ》ての物が靜かである。物憂《ものう》げに見える、眠つて居る、皆過去の感じである。さうして其中に冷然と二十世紀を輕蔑する樣に立つて居るのが倫敦塔である。汽車も走れ、電車も走れ、苟《いやしく》も歴史の有らん限りは我のみは斯くてあるべしと云はぬ許《ばか》りに立つて居る。其偉大なるには今更の樣に驚かれた。此建築を俗に塔と稱《とな》へて居るが塔と云ふは單に名前のみで實は幾多《いくた》の櫓《やぐら》から成り立つ大きな地城《ぢしろ》である。並《なら》び聳《そび》ゆる櫓《やぐら》には丸きもの角張《かくば》りたるもの色々の形?はあるが、何《いづ》れも陰氣な灰色をして前世紀の紀念《きねん》を永劫《えいごふ》に傳へんと誓へる如く見える。九段《くだん》の遊就館《いうしうくわん》を石で造つて二三十|並《なら》べてそうしてそれを蟲眼鏡《むしめがね》で覗いたら或は此「塔」に似たものは出來上りはしまいかと考へた。余はまだ眺めて居る。セピヤ色の水分をもつて飽和《はうわ》したる空氣の中にぼんやり立つて眺めて居る。二十世紀の倫敦《ロンドン》がわが心の裏《うち》から次第に消え去ると同時に眼前の塔影が幻《まぼろし》の如き過去の歴史を吾が腦裏《なうり》に描《ゑが》き出して來る。朝起きて啜《すゝ》る澁茶に立つ烟《けむ》りの寐足らぬ夢の尾を曳く樣に感ぜらるゝ。暫《しばら》くすると向ふ岸から長い手を出して余を引張《ひつぱ》るかと怪しまれて來た。今迄|佇立《ちよりつ》して身動きもしなかつた余は急に川を渡つて塔に行きたくなつた。長い手は猶々強く余を引く。余は忽ち歩を移して塔橋を渡り懸けた。長い手はぐい/\牽《ひ》く。塔橋を渡つてからは一目散《いちもくさん》に塔門迄|馳《は》せ着けた。見る間《ま》に三萬坪に餘る過去の一大磁石《いちだいじしやく》は現世《げんせ》に浮游《ふいう》する此|小鐵屑《せうてつくづ》を吸収し了つた。門を入《はい》つて振り返つたとき、
憂《うれひ》の國に行かんとするものは此門を潜《くゞ》れ。
永劫《えいごふ》の呵責《かしやく》に遭《あ》はんとするものは此門をくゞれ。
迷惑の人と伍《ご》せんとするものは此門をくゞれ。
正義は高き主《しゆ》を動かし、神威《しんゐ》は、最上智《さいじやうち》は、最初愛《さいしよあい》は、われを作る。
我が前に物《もの》なし只《たゞ》無窮あり我は無窮に忍ぶものなり。
此門を過ぎんとするものは一切《いつさい》の望を捨てよ。
といふ句がどこぞで刻《きざ》んではないかと思つた。余は此時既に常態《じやうたい》を失《うしな》つて居る。
空濠《からほり》にかけてある石橋を渡つて行くと向ふに一つの塔がある。是は丸形の石造《せきざう》で石油タンクの?をなして恰《あたか》も巨人の門柱の如く左右《さいう》に屹立《きつりつ》して居る。其中間を連ねて居る建物の下を潜《くゞ》つて向《むかふ》へ拔ける。中塔とは此事である。少し行くと左手に鐘塔《しゆたふ》が峙《そばだ》つ。眞鐵《まがね》の盾《たて》、黒鐵《くろがね》の甲《かぶと》が野を蔽《おほ》ふ秋の陽炎《かげろふ》の如く見えて敵遠くより寄すると知れば塔上の鐘を鳴らす。星黒き夜、壁上《へきじやう》を歩む哨兵《せうへい》の隙《すき》を見て、逃《のが》れ出づる囚人の、逆《さか》しまに落す松明《たいまつ》の影より闇に消ゆるときも塔上の鐘を鳴らす。心|傲《おご》れる市民の、君の政《まつりごと》非なりとて蟻の如く塔下に押し寄せて犇《ひし》めき騷ぐときも亦《また》塔上の鐘を鳴らす。塔上の鐘は事あれば必ず鳴らす。ある時は無二に鳴らし、ある時は無三に鳴らす。祖《そ》來《きた》る時は祖を殺しても鳴らし、佛《ぶつ》來《きた》る時は佛を殺しても鳴らした。霜の朝《あした》、雪の夕《ゆふべ》、雨の日、風の夜を何遍となく鳴らした鐘は今いづこへ行つたものやら、余が頭《かうべ》をあげて蔦《つた》に古《ふ》りたる櫓《やぐら》を見上げたときは寂然《せきぜん》として既に百年の響を収めて居る。
又少し行くと右手に逆賊門《ぎやくぞくもん》がある。門の上には聖《セント》タマス塔が聳えて居る。逆賊門とは名前からが既に恐ろしい。古來から塔中に生きながら葬られたる幾千の罪人は皆舟から此門迄護送されたのである。彼らが舟を捨てゝ一度《ひとた》び此門を通過するや否《いな》や娑婆《しやば》の太陽は再《ふたゝ》び彼等を照らさなかつた。テームスは彼等にとつての三途《さんづ》の川で此門は冥府《よみ》に通ずる入口であつた。彼等は涙の浪に搖られて此|洞窟《どうくつ》の如く薄暗きアーチの下迄漕ぎ付けられる。口を開《あ》けて鰯《いわし》を吸ふ鯨《くぢら》の待ち構へて居る所迄來るや否やキーと軋《きし》る音と共に厚樫《あつがし》の扉は彼等と浮世の光りとを長《とこし》へに隔てる。彼等はかくして遂に宿命の鬼の餌食《ゑじき》となる。明日《あす》食はれるか明後日《あさつて》食はれるか或は又十年の後《のち》に食はれるか鬼より外に知るものはない。此門に横付《よこづけ》につく舟の中に坐して居る罪人の途中の心はどんなであつたろう。櫂《かい》がしわる時、雫《しづく》が舟縁《ふなべり》に滴たる時、漕ぐ人の手の動く時|毎《ごと》に吾が命を刻まるゝ樣に思つたであらう。白き髯を胸迄垂れて寛《ゆる》やかに黒の法衣《ほふえ》を纒《まと》へる人がよろめきながら舟から上る。是は大僧正クランマーである。青き頭巾《づきん》を眉深《まぶか》に被り空色の絹の下に鎖《くさ》り帷子《かたびら》をつけた立派な男はワイアツトであらう。是は會釋もなく舷《ふなべり》から飛び上《あが》る。はなやかな鳥の毛を帽に挿《さ》して黄金《こがね》作りの太刀の柄《え》に左の手を懸《か》け、銀の留め金にて飾れる靴の爪先を、輕《かろ》げに石段の上に移すのはローリーか。余は暗きアーチの下を覗いて、向ふ側には石段を洗ふ波の光の見えはせぬかと首を延ばした。水はない。逆賊門とテームス河とは堤防工事の竣功《しゆんこう》以來全く縁がなくなつた。幾多《いくた》の罪人を呑み、幾多の護送船を吐き出した逆賊門は昔《むか》しの名殘《なご》りに其裾を洗ふ笹波《さゝなみ》の音を聞く便《たよ》りを失つた。只《たゞ》向ふ側に存する血塔《けつたふ》の壁上に大《おほい》なる鐵環《てつくわん》が下《さ》がつて居るのみだ。昔《むか》しは舟の纜《ともづな》を此|環《くわん》に繋《つな》いだといふ。
左《ひだ》りへ折れて血塔《けつたふ》の門に入る。今は昔《むか》し薔薇《しやうび》の亂《らん》に目に餘る多くの人を幽閉したのは此塔である。草の如く人を薙《な》ぎ、鷄《にはとり》の如く人を潰《つぶ》し、乾鮭《からさけ》の如く屍《しかばね》を積んだのは此塔である。血塔と名をつけたのも無理はない。アーチの下に交番の樣な箱があつて、其|側《かたは》らに甲形《かぶとがた》の帽子をつけた兵隊が銃を突いて立つて居る。頗《すこぶ》る眞面目《まじめ》な顔をして居るが、早く當番を濟まして、例の酒舗《しゆほ》で一杯傾けて、一件《いつけん》にからかつて遊び度いといふ人相である。塔の壁は不規則な石を疊み上げて厚く造つてあるから表面は決して滑《なめらか》ではない。所々に蔦《つた》がからんで居る。高い所に窓が見える。建物の大きい所爲《せゐ》か下から見ると甚《はなは》だ小《ちひさ》さい。鐵の格子がはまつて居る樣だ。番兵が石像の如く突立ちながら腹の中で情婦と巫山戯《ふざけ》て居る傍《かたは》らに、余は眉を攅《あつ》め手をかざして此高窓を見上げて佇《たゝ》ずむ。格子を洩れて古代の色硝子《いろガラス》に微《かす》かなる日影がさし込んできら/\と反射する。やがて烟の如き幕が開《あ》いて空想の舞臺があり/\と見える。窓の内側は厚き戸帳《とばり》が垂れて晝もほの暗い。窓に對する壁は漆喰《しつくひ》も塗らぬ丸裸《まるはだか》の石で隣りの室とは世界《せかい》滅却《めつきやく》の日に至るまで動かぬ仕切《しき》りが設けられて居る。只《たゞ》其|眞中《まんなか》の六疊|許《ばか》りの場所は冴えぬ色のタペストリで蔽《おほ》はれて居る。地《ぢ》は納戸色《なんどいろ》、模樣は薄き黄《き》で、裸體《らたい》の女神《めがみ》の像と、像の周圍に一面に染め拔いた唐草《からくさ》である。石壁《いしかべ》の横には、大きな寢臺《ねだい》が横《よこた》はる。厚樫《あつがし》の心《しん》も透《とほ》れと深く刻みつけたる葡萄と、葡萄の蔓と葡萄の葉が手足の觸るゝ場所|丈《だけ》光りを射返す。此|寢臺《ねだい》の端《はじ》に二人《ふたり》の小兒《せうに》が見えて來た。一人は十三四、一人は十歳《とを》位と思はれる。幼なき方は床《とこ》に腰をかけて、寢臺《ねだい》の柱に半《なか》ば身を倚《も》たせ、力なき兩足をぶらりと下げて居る。右の肱を、傾けたる顔と共に前に出して年嵩《としかさ》なる人の肩に懸ける。年上なるは幼なき人の膝の上に金《きん》にて飾れる大きな書物を開《ひろ》げて、其あけてある頁の上に右の手を置く。象牙《ざうげ》を揉《も》んで柔《やはら》かにしたる如く美しい手である。二人《ふたり》とも烏の翼を欺くほどの黒き上衣《うはぎ》を着て居るが色が極《きは》めて白いので一段と目立つ。髪の色、眼の色、偖《さて》は眉根《まゆね》鼻付《はなつき》から衣裝《いしやう》の末に至る迄|兩人《ふたり》共殆んど同じ樣に見えるのは兄弟だからであらう。
兄が優しく清らかな聲で膝の上なる書物を讀む。
「我が眼の前に、わが死ぬべき折の樣を想ひ見る人こそ幸《さち》あれ。日毎夜毎に死なんと願へ。やがては神の前に行くなる吾の何を恐るゝ……」
弟は世に憐れなる聲にて「アーメン」と云ふ。折から遠くより吹く木枯《こがら》しの高き塔を撼《ゆる》がして一度《ひとた》びは壁も落つる許《ばか》りにゴーと鳴る。弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔をすりつける。雪の如く白い蒲團の一部がほかと膨《ふく》れ返《かへ》る。兄は又讀み初める。
「朝ならば夜の前に死ぬと思へ。夜ならば翌日《あす》ありと頼むな。覺悟をこそ尊《たふと》べ。見苦しき死に樣《ざま》ぞ耻の極みなる……」
弟又「アーメン」と云ふ。其聲は顫へて居る。兄は靜かに書をふせて、かの小さき窓の方《かた》へ歩みよりて外《と》の面《も》を見《み》樣《やう》とする。窓が高くて脊《せ》が足りぬ。床几《しやうぎ》を持つて來て其上につまだつ。百里をつゝむ黒霧《こくむ》の奧にぼんやりと冬の日が寫る。屠《ほふ》れる犬の生血《いきち》にて染め拔いた樣である。兄は「今日《けふ》も亦《また》斯うして暮れるのか」と弟を顧みる。弟は只「寒い」と答へる。「命さへ助けて呉るゝなら伯父樣に王の位を進ぜるものを」と兄が獨《ひと》り言《ごと》の樣につぶやく。弟は「母樣《はゝさま》に逢ひたい」とのみ云ふ。此時向ふに掛つて居るタペストリに織り出してある女神《めがみ》の裸體像が風もないのに二三度ふわり/\と動く。
忽然《こつぜん》舞臺が廻る。見ると塔門の前に一人の女が黒い喪服を着て悄然《せうぜん》として立つて居る。面影《おもかげ》は青白く窶《やつ》れては居るが、どことなく品格のよい氣高《けだか》い婦人である。やがて錠《ぢやう》のきしる音がしてぎいと扉が開《あ》くと内から一人の男が出て來て恭《うや/\》しく婦人の前に禮をする。
「逢ふ事を許されてか」と女が問ふ。
「否《いな》」と氣の毒さうに男が答へる。「逢はせまつらんと思へど、公《おほや》けの掟《おきて》なれば是非なしと諦《あきら》め給へ。私《わたくし》の情《なさけ》賣るは安き間《ま》の事にてあれど」と急に口を緘《つぐ》みてあたりを見渡す。濠《ほり》の内からかいつぶり〔五字傍点〕がひよいと浮き上る。
女は頸《うなじ》に懸けたる金《きん》の鎖《くさり》を解いて男に與へて「只《たゞ》束《つか》の間《ま》を垣間《かいま》見んとの願なり。女人《によにん》の頼み引き受けぬ君はつれなし」と云ふ。
男は鎖《くさ》りを指の先に卷きつけて思案の體《てい》である。かいつぶり〔五字傍点〕はふいと沈む。やゝありていふ「牢守《らうも》りは牢の掟《おきて》を破りがたし。御子等《みこら》は變る事なく、すこやかに月日を過させ給ふ。心安く覺《おぼ》して歸り給へ」と金《きん》の鎖《くさ》りを押戻す。女は身動きもせぬ。鎖ばかりは敷石の上に落ちて鏘然《さうぜん》と鳴る。
「如何にしても逢ふ事は叶《かな》はずや」と女が尋《たづ》ねる。
「御氣の毒なれど」と牢守《らうもり》が云ひ放《はな》つ。
「黒き塔の影、堅き塔の壁、寒き塔の人」と云ひながら女はさめ/”\と泣く。
舞臺が又變る。
丈《たけ》の高い黒裝束《くろしやうぞく》の影が一つ中庭の隅にあらはれる。苔寒き石壁の中《うち》からスーと拔け出た樣に思はれた。夜と霧との境に立つて朦朧《もうろう》とあたりを見廻す。暫くすると同じ黒裝束の影が又一つ陰の底から湧いて出る。櫓《やぐら》の角に高くかゝる星影を仰いで「日は暮れた」と脊《せ》の高いのが云ふ。「晝の世界に顔は出せぬ」と一人が答へる。「人殺しも多くしたが今日程|寐覺《ねざめ》の惡い事はまたとあるまい」と高き影が低い方を向く。「タペストリの裏《うら》で二人の話しを立ち聞きした時は、いつその事|止《や》めて歸らうかと思ふた」と低いのが正直に云ふ。「絞《し》める時、花の樣な唇《くちびる》がぴり/\と顫《ふる》ふた」「透《す》き通る樣な額《ひたひ》に紫色《むらさきいろ》の筋が出た」「あの唸《うな》つた聲がまだ耳に付いて居る」。黒い影が再び黒い夜の中《なか》に吸ひ込まれる時|櫓《やぐら》の上で時計の音ががあんと鳴る。
空想は時計の音と共に破れる。石像の如く立つて居た番兵は銃を肩にしてコトリ/\と敷石の上を歩いて居る。あるき乍《なが》ら一件《いつけん》と手を組んで散歩する時を夢みて居る。
血塔の下を拔けて向《むかふ》へ出ると奇麗な廣場がある。其|眞中《まんなか》が少し高い。其高い所に白塔がある。白塔は塔中の尤も古きもので昔《むか》しの天主である。竪《たて》二十間、横十八間、高さ十五間、壁の厚さ一丈五尺、四方に角樓《すみやぐら》が聳えて所々にはノーマン時代の銃眼《じゆうがん》さへ見える。千三百九十九年國民が三十三ケ條の非を擧げてリチヤード二世に讓位《じやうゐ》をせまつたのは此塔中である。僧侶、貴族、武士、法士の前に立つて彼が天下に向つて讓位を宣告したのは此塔中である。爾《その》時《とき》讓りを受けたるヘンリーは起《た》つて十字を額と胸に畫《くわく》して云ふ「父と子と聖靈の名によつて、我れヘンリーは此大英國の王冠と御代とを、わが正しき血、惠みある神、親愛なる友の援《たすけ》を藉《か》りて襲《つ》ぎ受く」と。偖《さて》先王の運命は何人《なんびと》も知る者がなかつた。其死骸がポント、フラクト城より移されて聖《セント》ポール寺に着した時、二萬の群集は彼《かれ》の屍《しかばね》を繞《めぐ》つて其|骨立《こつりつ》せる面影に驚かされた。或は云ふ、八人の刺客《せきかく》がリチヤードを取り卷いた時彼は一人の手より斧を奪ひて一人を斬り二人を倒した。去れどもエクストンが背後より下《くだ》せる一撃の爲めに遂に恨を呑んで死なれたと。或る者は天を仰いで云ふ「あらず/\。リチヤードは斷食《だんじき》をして自《みづか》らと、命の根をたゝれたのぢや」と。何《いづ》ずれにしても難有《ありがた》くない。帝王の歴史は悲慘の歴史である。
階下の一室は昔《むか》しヲルター、ロリーが幽囚の際|萬國史《ばんこくし》の草《さう》を記《しる》した所だと云ひ傳へられて居る。彼がエリザ式の半ヅボンに絹の靴下を膝頭で結んだ右足を左《ひだ》りの上へ乘せて鵞《が》ペンの先《さき》を紙の上へ突いたまゝ首を少し傾けて考へて居る所を想像して見た。然し其部屋は見る事が出來なかつた。
南側から入《はい》つて螺旋?《らせんじやう》の階段を上《のぼ》ると茲《こゝ》に有名な武器陳列場がある。時々手を入れるものと見えて皆ぴか/\光つて居る。日本に居つたとき歴史や小説で御目にかゝる丈《だけ》で一向《いつかう》要領を得なかつたものが一々明瞭になるのは甚だ嬉しい。然し嬉しいのは一時の事で今では丸《まる》で忘れて仕舞つたから矢張り同じ事だ。只《たゞ》猶《なほ》記憶に殘つて居るのが甲冑《かつちゆう》である。其|中《うち》でも實に立派だと思つたのは慥《たし》かヘンリー六世の着用したものと覺えて居る。全體が鋼鐵製で所々に象嵌《ざうがん》がある。尤も驚くのは其偉大な事である。かゝる甲冑《かつちゆう》を着けたものは少なくとも身の丈《たけ》七尺位の大男でなくてはならぬ。余が感服して此|甲冑《かつちゆう》を眺めて居るとコトリ/\と足音がして余の傍《そば》へ歩いて來るものがある。振り向いて見るとビーフ、イーターである。ビーフ、イーターと云ふと始終|牛《ぎう》でも食つて居る人の樣に思はれるがそんなものではない。彼は倫敦塔《ロンドンたふ》の番人である。絹帽《シルクハツト》を潰した樣な帽子を被《かぶ》つて美術學校の生徒の樣な服を纒《まと》ふて居る。太い袖の先を括《くゝ》つて腰のところを帶でしめて居る。服にも模樣がある。模樣は蝦夷人《えぞじん》の着る半纒《はんてん》について居る樣な頗る單純の直線を並《なら》べて角形《かくがた》に組み合はしたものに過ぎぬ。彼は時として槍《やり》をさへ携《たづさ》へる事がある。穗の短かい柄《え》の先《さき》に毛の下がつた三國志《さんごくし》にでも出さうな槍をもつ。其ビーフ、イーターの一人が余の後《うし》ろに止まつた。彼はあまり脊《せ》の高くない、肥《ふと》り肉《じゝ》の白髯《しらひげ》の多いビーフ、イーターであつた。「あなたは日本人では有りませんか」と微笑しながら尋ねる。余は現今の英國人と話をして居る氣がしない。彼が三四百年の昔から一寸顔を出したか又は余が急に三四百年の古《いにし》へを覗《のぞ》いた樣な感じがする。余は黙《もく》して輕《かろ》くうなづく。こちらへ來給へと云ふから尾《つ》いて行く。彼は指を以て日本製の古き具足《ぐそく》を指して、見たかと云はぬ許《ばか》りの眼付をする。余は又だまつてうなづく。是は蒙古《もうこ》よりチヤーレス二世に獻上《けんじやう》になつたものだとビーフ、イーターが説明をして呉れる。余は三たびうなづく。
白塔を出てボーシヤン塔に行く。途中に分捕《ぶんどり》の大砲が並《なら》べてある。其前の所が少しばかり鐵柵《てつさく》で圍《かこ》ひ込んで、鎖の一部に札が下《さ》がつて居る。見ると仕置場《しおきば》の跡とある。二年も三年も長いのは十年も日の通《かよ》はぬ地下の暗室に押し込められたものが、ある日突然地上に引き出さるゝかと思ふと地下よりも猶《なほ》恐しき此場所へ只《たゞ》据えらるゝ爲めであつた。久しぶりに青天を見て、やれ嬉しやと思ふ間もなく、目がくらんで物の色さへ定かには眸中《ぼうちゆう》に寫らぬ先に、白き斧《をの》の刃《は》がひらりと三尺の空《くう》を切る。流れる血は生きて居るうちから既に冷めたかつたであらう。烏が一疋下りて居る。翼《つばさ》をすくめて黒い嘴《くちばし》をとがらせて人を見る。百年|碧血《へきけつ》の恨《うらみ》が凝《こ》つて化鳥《けてう》の姿となつて長く此|不吉《ふきつ》な地を守る樣な心地がする。吹く風に楡《にれ》の木がざわ/\と動く。見ると枝の上にも烏が居る。暫くすると又一羽飛んでくる。何處から來たか分らぬ。傍《そば》に七つ許《ばか》りの男の子を連れた若い女が立つて烏を眺めて居る。希臘風《ギリシヤふう》の鼻と、珠《たま》を溶《と》いた樣にうるはしい目と、眞白な頸筋を形づくる曲線のうねりとが少からず余の心を動かした。小供は女を見上げて「鴉《からす》が、鴉《からす》が」と珍らしさうに云ふ。それから「鴉《からす》が寒《さ》むさうだから、?麭《パン》をやりたい」とねだる。女は靜かに「あの鴉《からす》は何にもたべたがつて居やしません」と云ふ。小供は「なぜ」と聞く。女は長い睫《まつげ》の奧に漾《たゞよ》ふて居る樣な眼で鴉を見詰めながら「あの鴉は五羽居ます」といつたぎり小供の問には答へない。何か獨《ひと》りで考へて居るかと思はるゝ位|澄《すま》して居る。余は此女と此鴉の間に何か不思議の因縁でもありはせぬかと疑つた。彼は鴉の氣分をわが事の如くに云ひ、三羽しか見えぬ鴉を五羽居ると斷言する。あやしき女を見捨てゝ余は獨りボーシヤン塔に入《い》る。
倫敦塔《ロンドンたふ》の歴史はボーシヤン塔の歴史であつて、ボーシヤン塔の歴史は悲酸《ひさん》の歴史である。十四世紀の後半にエドワード三世の建立《こんりふ》にかゝる此三層塔の一階室に入《い》るものは其|入《い》るの瞬間に於て、百代の遺恨《ゐこん》を結晶したる無數の紀念《きねん》を周圍の壁上に認むるであらう。凡《すべ》ての怨《うらみ》、凡《すべ》ての憤《いきどほり》、凡《すべ》ての憂《うれひ》と悲《かなし》みとは此《この》怨、此《この》憤、此《この》憂と悲の極端より生ずる慰藉《ゐしや》と共に九十一種の題辭となつて今に猶《なほ》觀る者の心を寒からしめて居る。冷やかなる鐵筆に無情の壁を彫つてわが不運と定業《ぢやうごふ》とを天地の間に刻み付けたる人は、過去といふ底なし穴に葬られて、空しき文字《もんじ》のみいつ迄も娑婆《しやば》の光りを見る。彼等は強ひて自《みづか》らを愚弄するにあらずやと怪しまれる。世に反語《はんご》といふがある。白といふて黒を意味し、小《せう》と唱《とな》へて大を思はしむ。凡《すべ》ての反語のうち自《みづか》ら知らずして後世に殘す反語ほど猛烈なるはまたと有るまい。墓碣《ぼけつ》と云ひ、紀念碑《きねんひ》といひ、賞牌《しやうはい》と云ひ、綬賞《じゆしやう》と云ひ此らが存在する限りは、空しき物質に、ありし世を偲《しの》ばしむるの具となるに過ぎない。われは去る、われを傳ふるものは殘ると思ふは、去るわれを傷《いた》ましむる媒介物《ばいかいぶつ》の殘る意にて、われ其者の殘る意にあらざるを忘れたる人の言葉と思ふ。未來の世|迄《まで》反語を傳へて泡沫《はうまつ》の身を嘲《あざけ》る人のなす事と思ふ。余は死ぬ時に辭世も作るまい。死んだ後《あと》は墓碑《ぼひ》も建てゝもらふまい。肉は燒き骨は粉《こ》にして西風の強く吹く日大空に向つて撒《ま》き散らしてもらはう抔《など》と入らざる取越苦勞をする。
題辭の書體は固《もと》より一樣でない。あるものは閑《ひま》に任せて叮嚀《ていねい》な楷書《かいしよ》を用ゐ、あるものは心急ぎてか口惜《くや》し紛《まぎ》れかがり/\と壁を掻いて擲《なぐ》り書《が》きに彫り付けてある。又あるものは自家の紋章を刻み込んで其中に古雅《こが》な文字《もんじ》をとゞめ、或は盾の形を描《ゑが》いて其内部に讀み難き句を殘して居る。書體の異《こと》なる樣に言語も亦《また》決して一樣でない。英語は勿論の事、以太利語《イタリーご》も羅甸語《ラテンご》もある。左《ひだ》り側に「我が望は基督《キリスト》にあり」と刻されたのはパスリユといふ坊樣《ばうさま》の句だ。此パスリユは千五百三十七年に首を斬られた。其|傍《かたはら》に JOHAN DECKER と云ふ署名がある。デツカーとは何者だか分らない。階段を上《のぼ》つて行くと戸の入口に T. C. といふのがある。是も頭文字《かしらもじ》丈《だけ》で誰やら見當がつかぬ。其《それ》から少し離れて大變綿密なのがある。先づ右の端《はじ》に十字架を描《ゑが》いて心臓を飾りつけ、其《その》脇に骸骨《がいこつ》と紋章を彫り込んである。少し行くと盾の中に下《しも》の樣な句をかき入れたのが目につく。「運命は空しく我をして心なき風に訴へしむ。時も摧《くだ》けよ。わが星は悲かれ、われにつれなかれ」。次には「凡《すべ》ての人を尊《たふと》べ。衆生《しゆじやう》をいつくしめ。神を恐れよ。王を敬《うやま》へ」とある。
斯んなものを書く人の心の中《うち》はどの樣であつたらうと想像して見る。凡《およ》そ世の中に何が苦しいと云つて所在のない程の苦しみはない。意識の内容に變化のない程の苦しみはない。使へる身體《からだ》は目に見えぬ繩で縛られて動きのとれぬ程の苦しみはない。生きるといふは活動して居るといふ事であるに、生きながら此《この》活動を抑へらるゝのは生といふ意味を奪はれたると同じ事で、その奪はれたを自覺する丈《だけ》が死よりも一層の苦痛である。此《この》壁の周圍をかく迄に塗抹《とまつ》した人々は皆|此《この》死よりも辛《つら》い苦痛を甞《な》めたのである。忍ばるゝ限り堪へらるゝ限りは此《この》苦痛と戰つた末、居ても起《た》つてもたまらなく爲《な》つた時、始めて釘の折《をれ》や鋭《する》どき爪を利用して無事の内に仕事を求め、太平の裏《うち》に不平を洩《も》らし、平地の上に波瀾を畫《ゑが》いたものであらう。彼等が題せる一字一畫は、號泣《がうきふ》、涕涙《ているゐ》、其他|凡《すべ》て自然の許す限りの排悶的《はいもんてき》手段を盡したる後《のち》猶飽く事を知らざる本能の要求に餘儀なくせられたる結果であらう。
又想像して見る。生れて來た以上は、生きねばならぬ。敢《あへ》て死を怖るゝとは云はず、只生きねばならぬ。生きねばならぬと云ふは耶蘇《ヤソ》孔子以前の道で、又|耶蘇《ヤソ》孔子以後の道である。何の理窟も入らぬ、只《たゞ》生きたいから生きねばならぬのである。凡《すべ》ての人は生きねばならぬ。此《この》獄に繋《つな》がれたる人も亦|此《この》大道に從つて生きねばならなかつた。同時に彼等は死ぬべき運命を眼前に控へて居つた。如何にせば生き延びらるゝだらうかとは時々刻々彼等の胸裏《きようり》に起《おこ》る疑問であつた。一度《ひとた》び此|室《へや》に入《い》るものは必ず死ぬ。生きて天日を再び見たものは千人に一人《ひとり》しかない。彼等は遅かれ早かれ死なねばならぬ。去《さ》れど古今に亙《わた》る大眞理は彼等に誨《をし》へて生きよと云ふ、飽く迄も生きよと云ふ。彼等は已《やむ》を得ず彼等の爪を磨《と》いだ。尖《と》がれる爪の先を以て堅き壁の上に一と書いた。一をかける後《のち》も眞理は古《いにし》への如く生きよと囁く、飽く迄も生きよと囁く。彼等は剥がれたる爪の癒《い》ゆるを待つて再び二とかいた。斧《をの》の刃《は》に肉飛び骨|摧《くだ》ける明日《あす》を豫期した彼等は冷やかなる壁の上に只一となり二となり線となり字となつて生きんと願つた。壁の上に殘る横《よこ》縱《たて》の疵《きず》は生《せい》を欲する執着《しふぢやく》の魂魄《こんぱく》である。余が想像の糸を茲《こゝ》迄たぐつて來た時、室内の冷氣《れいき》が一度に脊《せ》の毛穴から身の内に吹き込む樣な感じがして覺えずぞつとした。さう思つて見ると何だか壁が濕《しめ》つぽい。指先で撫でゝ見るとぬらりと露にすべる。指先を見ると眞赤《まつか》だ。壁の隅からぽたり/\と露の珠《たま》が垂れる。床《ゆか》の上を見ると其《その》滴《したゝ》りの痕《あと》が鮮やかな紅《くれな》ゐの紋を不規則に連ねる。十六世紀の血がにじみ出したと思ふ。壁の奧の方から唸《うな》り聲さへ聞える。唸り聲が段々と近くなると其《それ》が夜《よる》を洩《も》るゝ凄い歌と變化する。こゝは地面の下に通ずる穴倉で其内には人が二人《ふたり》居る。鬼の國から吹き上げる風が石の壁の破《わ》れ目を通つて小《さゝ》やかなカンテラを煽《あふ》るから只《たゞ》さへ暗い室《へや》の天井も四隅《よすみ》も煤色《すゝいろ》の油煙《ゆえん》で渦卷《うづま》いて動いて居る樣に見える。幽《かす》かに聞えた歌の音は窖中《かうちゆう》に居る一人の聲に相違ない。歌の主《ぬし》は腕を高くまくつて、大きな斧を轆轤《ろくろ》の砥石《といし》にかけて一生懸命に磨《と》いで居る。其《その》傍《そば》には一|挺《ちやう》の斧《をの》が抛《な》げ出してあるが、風の具合で其白い刃《は》がぴかり/\と光る事がある。他の一人は腕組をした儘立つて砥《と》の轉《まは》るのを見て居る。髯の中から顔が出て居て其半面をカンテラが照らす。照らされた部分が泥だらけの人參《にんじん》の樣な色に見える。「かう毎日の樣に舟から送つて來ては、首斬り役も繁昌《はんじやう》だなう」と髯がいふ。「左樣《さう》さ、斧《をの》を磨《と》ぐ丈《だけ》でも骨が折れるは」と歌の主《ぬし》が答える。是は脊《せ》の低い眼の凹《くぼ》んだ煤色《すゝいろ》の男である。「昨日《きのふ》は美しいのをやつたなあ」と髯が惜しさうにいふ。「いや顔は美しいが頸《くび》の骨は馬鹿に堅い女だつた。御蔭で此通り刃《は》が一分|許《ばか》りかけた」とやけに轆轤《ろくろ》を轉《ころ》ばす、シユ/\/\と鳴る間《あひだ》から火花がピチ/\と出る。磨《と》ぎ手は聲を張り揚げて歌ひ出す。
切れぬ筈《はず》だよ女の頸《くび》は戀の恨みで刃《は》が折れる。
シユ/\/\と鳴る音の外には聽えるものもない。カンテラの光りが風に煽《あふ》られて磨《と》ぎ手の右の頬を射る。煤《すゝ》の上に朱を流した樣だ。「あすは誰の番かな」と稍《やゝ》やありて髯が質問する。「あすは例の婆樣《ばあさま》の番さ」と平氣に答へる。
生《は》へる白髪《しらが》を浮氣《うはき》が染める、骨を斬られりや血が染める。
と高調子《たかでうし》に歌ふ。シユ/\/\と轆轤《ろくろ》が回《ま》はる、ピチ/\と火花が出る。「アハヽヽもう善からう」と斧を振り翳《かざ》して灯影《ほかげ》に刃《は》を見る。「婆樣《ばあさま》ぎりか、外に誰も居ないか」と髯が又問をかける。「それから例のがやられる」「氣の毒な、もうやるか、可愛相《かはいさう》になう」といへば、「氣の毒ぢやが仕方がないは」と眞黒な天井を見て嘯《うそぶ》く。
忽《たちま》ち窖《あな》も首斬りもカンテラも一度に消えて余はボーシヤン塔の眞中《まんなか》に茫然と佇《たゝず》んで居る。ふと氣が付いて見ると傍《そば》に先刻《さつき》鴉《からす》に?麭《パン》をやりたいと云つた男の子が立つて居る。例の怪しい女ももとの如くついて居る。男の子が壁を見て「あそこに犬がかいてある」と驚いた樣に云ふ。女は例の如く過去の權化《ごんげ》と云ふべき程の屹《きつ》とした口調《くてう》で「犬ではありません。左《ひだ》りが熊、右が獅子《しし》で是はダツドレー家《け》の紋章です」と答へる。實《じつ》の所余も犬か豚だと思つて居たのであるから、今|此《この》女の説明を聞いて益《ます/\》不思議な女だと思ふ。さう云へば今ダツドレーと云つたとき其言葉の内に何となく力が籠つて、恰《あたか》も己《おの》れの家名でも名乘《なの》つた如くに感ぜらるゝ。余は息を凝《こ》らして兩人《ふたり》を注視する。女は猶《なほ》説明をつゞける。「此紋章を刻《きざ》んだ人はジヨン、ダツドレーです」恰《あたか》もジヨンは自分の兄弟の如き語調である。「ジヨンには四人《よにん》の兄弟があつて、其《その》兄弟が、熊と獅子の周圍《まはり》に刻み付けられてある草花でちやんと分ります」見ると成程|四通《よとほ》りの花だか葉だかが油繪の枠《わく》の樣に熊と獅子を取り卷いて彫《ほ》つてある。「こゝにあるのは Acorns で是は Ambrose の事です。こちらにあるのが Rose で Robert を代表するのです。下の方に忍冬《にんどう》が描《か》いてありませう。忍冬《にんどう》は Honeysuckle だから Henry に當るのです。左《ひだ》りの上に塊《かたま》つて居るのが Geranium で是は G……」と云つたぎり黙つて居る。見ると珊瑚《さんご》の樣な唇《くちびる》が電氣でも懸けたかと思はれる迄にぶる/\と顫へて居る。蝮《まむし》が鼠に向つたときの舌の先の如くだ。しばらくすると女は此紋章の下に書き付けてある題辭を朗《ほが》らかに誦《じゆ》した。
Yow that the beasts do wel behold and se,
May deme with ease wherefore here made they be
Withe borders wherein ……………………………………
4 brothers' names who list to serche the grovnd.
女は此句を生れてから今日《けふ》迄《まで》毎日日課として暗誦《あんしよう》した樣に一種の口調をもつて誦《じゆ》し了つた。實を云ふと壁にある字は甚だ見惡《みにく》い。余の如きものは首を捻《ひね》つても一字も讀めさうにない。余は益《ます/\》此女を怪しく思ふ。
氣味が惡くなつたから通り過ぎて先へ拔ける。銃眼《じゆうがん》のある角を出ると滅茶苦茶《めちやくちや》に書き綴られた、模樣だか文字だか分らない中に、正しき畫《くわく》で、小《ちさ》く「ジエーン」と書いてある。余は覺えず其前に立留まつた。英國の歴史を讀んだものでジエーン、グレーの名を知らぬ者はあるまい。又|其《その》薄命と無殘の最後に同情の涙を濺《そゝ》がぬ者はあるまい。ジエーンは義父《ぎふ》と所天《をつと》の野心の爲めに十八年の春秋《しゆんじう》を罪なくして惜氣《をしげ》もなく刑場に賣つた。蹂《ふ》み躙《にじ》られたる薔薇《ばら》の蕊《しべ》より消え難き香《か》の遠く立ちて、今に至る迄《まで》史を繙《ひもと》く者をゆかしがらせる。希臘語《ギリシヤご》を解しプレートーを讀んで一代の碩學《せきがく》アスカムをして舌を捲《ま》かしめたる逸事は、此《この》詩趣ある人物を想見《さうけん》するの好材料《かうざいれう》として何人《なんびと》の腦裏《なうり》にも保存せらるゝであらう。余はジエーンの名の前に立留つたぎり動かない。動かないと云ふよりむしろ動けない。空想の幕は既にあいて居る。
始《はじめ》は兩方の眼が霞《かす》んで物が見えなくなる。やがて暗い中の一點にパツと火が點《てん》ぜられる。其火が次第《しだい》/\に大きくなつて内に人が動いて居る樣な心持ちがする。次にそれが漸々《だん/\》明るくなつて丁度|双眼鏡《さうがんきやう》の度を合せる樣に判然と眼に映じて來る。次に其|景色《けしき》が段々大きくなつて遠方から近づいて來る。氣がついて見ると眞中に若い女が坐つて居る、右の端《はじ》には男が立つて居る樣だ。兩方共どこかで見た樣だなと考へるうち、瞬《また》たく間《ま》にズツと近づいて余から五六間先で果《はた》と停《とま》る。男は前に穴倉の裏《うち》で歌をうたつて居た、眼の凹《くぼ》んだ煤色《すゝいろ》をした、脊《せ》の低い奴だ。磨《と》ぎすました斧《をの》を左手《ゆんで》に突いて腰に八寸程の短刀をぶら下げて身構へて立つて居る。余は覺えずギヨツとする。女は白き手巾《ハンケチ》で目隠しをして兩の手で首を載《の》せる臺を探《さが》す樣な風情《ふぜい》に見える。首を載せる臺は日本の薪割臺《まきわりだい》位の大きさで前に鐵の環《くわん》が着いて居る。臺の前部《ぜんぶ》に藁《わら》が散らしてあるのは流れる血を防ぐ要愼《えうじん》と見えた。背後《はいご》の壁にもたれて二三人の女が泣き崩れて居る、侍女《じぢよ》でゞもあらうか。白い毛裏を折り返した法衣《ほふえ》を裾長く引く坊さんが、うつ向いて女の手を臺の方角へ導いてやる。女は雪の如く白い服を着けて、肩にあまる金色《こんじき》の髪を時々雲の樣に搖《ゆ》らす。ふと其顔を見ると驚いた。眼こそ見えね、眉の形、細き面《おもて》、なよやかなる頸の邊《あた》りに至《いたる》迄《まで》、先刻《さつき》見た女其儘である。思はず馳《か》け寄らうとしたが足が縮《ちゞ》んで一歩も前へ出る事が出來ぬ。女は漸く首斬り臺を探《さぐ》り當てゝ兩の手をかける。唇がむづ/\と動く。最前《さいぜん》男の子にダツドレーの紋章を説明した時と寸分《すんぶん》違《たが》はぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫《をつと》ギルドフォード、ダツドレーは既に神の國に行つてか」と聞く。肩を搖《ゆ》り越した一握《ひとにぎ》りの髪が輕《かろ》くうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答へて「まだ眞《まこ》との道に入り玉ふ心はなきか」と問ふ。女|屹《きつ》として「まことゝは吾と吾|夫《をつと》の信ずる道をこそ言へ。御身達の道は迷ひの道、誤りの道よ」と返す。坊さんは何にも言はずに居る。女は稍《やゝ》落ち付いた調子で「吾|夫《をつと》が先なら追付かう、後《あと》ならば誘《さそ》ふて行かう。正しき神の國に、正しき道を踏んで行かう」と云ひ終つて落つるが如く首を臺の上に投げかける。眼の凹《くぼ》んだ、煤色《すゝいろ》の、脊《せ》の低い首斬り役が重《おも》た氣《げ》に斧をエイと取り直す。余の洋袴《ずぼん》の膝に二三點の血が迸《ほとば》しると思つたら、凡《すべ》ての光景が忽然《こつぜん》と消え失《う》せた。
あたりを見廻はすと男の子を連れた女はどこへ行つたか影さへ見えない。狐に化《ば》かされた樣な顔をして茫然と塔を出る。歸り道に又|鐘塔《しゆたふ》の下を通つたら高い窓からガイフォークスが稻妻《いなづま》の樣な顔を一寸出した。「今一時間早かつたら……。此三本のマツチが役に立たなかつたのは實に殘念である」と云ふ聲さへ聞えた。自分ながら少々氣が變だと思つてそこ/\に塔を出る。塔橋を渡つて後《うし》ろを顧みたら、北の國の例か此日もいつの間にやら雨となつて居た。糠粒《ぬかつぶ》を針の目からこぼす樣な細かいのが滿都の紅塵と煤煙を溶《と》かして濛々《もう/\》と天地を鎖《とざ》す裏《うち》に地獄の影の樣にぬつと見上げられたのは倫敦塔《ロンドンたふ》であつた。
無我夢中に宿に着いて、主人に今日は塔を見物して來たと話したら、主人が鴉《からす》が五羽居たでせうと云ふ。おや此主人もあの女の親類かなと内心大に驚ろくと主人は笑ひながら「あれは奉納の鴉です。昔《むか》しからあすこに飼つて居るので、一羽でも數が不足すると、すぐあとをこしらへます、夫《それ》だからあの鴉はいつでも五羽に限つて居ます」と手もなく説明するので、余の空想の一半は倫敦塔《ロンドンたふ》を見た其日のうちに打《ぶ》ち壞《こ》はされて仕舞つた。余は又主人に壁の題辭の事を話すと、主人は無造作に「えゝあの落書《らくがき》ですか、詰らない事をしたもんで、折角奇麗な所を臺なしにして仕舞ひましたねえ、なに罪人《ざいにん》の落書だなんて當になつたもんぢやありません、贋《にせ》も大分《だいぶ》ありまさあね」と澄《す》ましたものである。余は最後に美しい婦人に逢つた事と其婦人が我々の知らない事や到底讀めない字句をすら/\讀んだ事|抔《など》を不思議さうに話し出すと、主人は大《おほい》に輕蔑した口調《くてう》で「そりや當り前でさあ、皆《み》んなあすこへ行く時にや案内記を讀んで出掛けるんでさあ、其位の事を知つてたつて何も驚くにやあたらないでせう、何|頗《すこぶ》る別嬪《べつぴん》だつて?――倫敦《ロンドン》にや大分《だいぶ》別嬪が居ますよ、少し氣をつけないと險呑《けんのん》ですぜ」と飛んだ所へ火の手が揚《あが》る。是で余の空想の後半が又|打《ぶ》ち壞《こ》はされた。主人は二十世紀の倫敦人《ロンドンじん》である。
夫《それ》からは人と倫敦塔《ロンドンたふ》の話しをしない事に極めた。又再び見物に行かない事に極めた。
此篇は事實らしく書き流してあるが、實の所|過半《くわはん》想像的の文字《もんじ》であるから、見る人は其心で讀まれん事を希望する、塔の歴史に關して時々戯曲的に面白さうな事柄を撰《えら》んで綴り込んで見たが、甘《うま》く行かんので所々不自然の痕迹《こんせき》が見えるのは已《やむ》を得ない。其|中《うち》エリザベス《エドワード四世の妃》が幽閉中の二王子に逢ひに來る場と、二王子を殺した刺客《せきかく》の述懷《じゆつくわい》の場は沙翁《さをう》の歴史劇リチヤード三世のうちにもある。沙翁はクラレンス公爵の塔中で殺さるゝ場を寫すには正筆《せいひつ》を用い、王子を絞殺する模樣をあらはすには仄筆《そくひつ》を使つて、刺客の語を藉《か》り裏面から其樣子を描出《べうしゆつ》して居る。甞《かつ》て此劇を讀んだとき、其所を大《おほい》に面白く感じた事があるから、今其趣向を其儘用いて見た。然し對話の内容周圍の光景等は無論余の空想から捏出《ねつしゆつ》したもので沙翁とは何等の關係もない。夫《それ》から斷頭吏《だんとうり》の歌をうたつて斧を磨《と》ぐ所に就いて一言《いちげん》して置くが、此趣向は全くエーンズウオースの「倫敦塔《ロンドンたふ》」と云ふ小説から來たもので、余は之に對して些少の創意をも要求する權利はない。エーンズウオースには斧の刃のこぼれたのをソルスベリ伯爵夫人を斬る時の出來事の樣に叙してある。余が此書を讀んだとき斷頭場に用うる斧の刃のこぼれたのを首斬り役が磨《と》いで居る景色|抔《など》は僅に一二頁に足らぬ所ではあるが非常に面白いと感じた。加之《のみならず》磨ぎながら亂暴な歌を平氣でうたつて居ると云ふ事が、同じく十五六分の所作ではあるが、全篇を活動せしむるに足《た》るほどの戯曲的出來事だと深く興味を覺えたので、今其趣向其儘を蹈襲したのである。但し歌の意味も文句も、二吏の對話も、暗窖《あんかう》の光景も一切趣向以外の事は余の空想から成つたものである。序《つい》でだからエーンズウオースが獄門役に歌はせた歌を紹介して置く。
The axe was sharp, and heavy as lead,
As it touched the neck, off went the head!
Whir―whir―whir―whir!
Queen Anne laid her white throat upon the block,
Quietly waiting the fatal shock;
The axe it severed it right in twain,
And so quick―so true―that she felt no pain.
Whir―whir―whir―whir!
Salisbury's countess, she would not die
As a proud dame should―decorously.
Lifting my axe, I split her skull,
And the edge since then has been notched and dull.
Whir―whir―whir―whir!
Queen Catherine Howard gave me a fee, ―
A chain of gold―to die easily:
And her costly present she did not rue,
For I touched her head, and away it flew!
Whir―whir―whir―whir!
此全章を譯さうと思つたが到底思ふ樣に行かないし、且餘り長過ぎる恐れがあるから已《や》めにした。
二王子幽閉の場と、ジエーン所刑の場に就ては有名なるドラロツシの繪畫が尠《すくな》からず余の想像を助けて居る事を一言《いちげん》して聊《いさゝ》か感謝の意を表する。
舟より上《あが》る囚人のうちワイアツトとあるは有名なる詩人の子にてジエーンの爲め兵を擧げたる人、父子|同名《どうみやう》なる故|紛《まぎ》れ易いから記して置く。
塔中四邊の風致景物を今少し精細に寫す方が讀者に塔其物を紹介して其地を踏ましむる思ひを自然に引き起させる上に於て必要な條件とは氣が付いて居るが、何分かゝる文を草する目的で遊覽した譯ではないし、且《かつ》年月が經過して居るから判然たる景色がどうしても眼の前にあらはれ惡《にく》い。從つて動《やゝ》ともすると主觀的の句が重複《ちようふく》して、ある時は讀者に不愉快な感じを與へはせぬかと思ふ所もあるが右の次第だから仕方がない。(三十七年十二月二十日)
2005.11.5(土)、午前11時38分、修正終る。2015.12.2(水、再校正)
カーライル博物館
――明治三八、一、一五――
公園の片隅に通り掛《がゝり》の人を相手に演説をして居る者がある。向ふから來た釜形の尖つた帽子を被《か》づいて古ぼけた外套を猫脊《ねこぜ》に着た爺さんがそこへ歩みを佇《とゞ》めて演説者を見る。演説者はぴたりと演説をやめてつか/\と此|村夫子《そんぷうし》のたゝずめる前に出て來る。二人の視線がひたと行き當る。演説者は濁りたる田舍調子《ゐなかでうし》にて御前はカーライルぢやないかと問ふ。如何にもわしはカーライルぢやと村夫子《そんぷうし》が答へる。チエルシーの哲人《セージ》と人が言囃《いひはや》すのは御前の事かと問ふ。成程世間ではわしの事をチエルシーの哲人《セージ》と云ふ樣ぢや。セージと云ふは鳥の名だに、人間のセージとは珍らしいなと演説者はから/\と笑ふ。村夫子《そんぷうし》は成程猫も杓子《しやくし》も同じ人間ぢやのに殊更《ことさら》に哲人《セージ》抔《など》と異名《いみやう》をつけるのは、あれは鳥ぢやと渾名《あだな》すると同じ樣なものだのう。人間は矢張り當り前の人間で善かりさうなものだのに。と答へて是もから/\と笑ふ。
余は晩餐|前《まへ》に公園を散歩する度に川縁《かはべり》の椅子に腰を卸して向側を眺める。倫敦《ロンドン》に固有なる濃霧は殊に岸邊に多い。余が櫻の杖に頤《あご》を支《さゝ》へて眞正面を見て居ると、遙かに對岸の徃來を這ひ廻る霧の影は次第に濃くなつて五階|立《だて》の町續きの下から漸々《ぜん/\》此|搖曳《たなび》くものゝ裏《うち》に薄れ去つて來る。仕舞には遠き未來の世を眼前に引き出《いだ》したる樣に窈然《えうぜん》たる空の中《うち》に取《と》り留《とめ》のつかぬ鳶色《とびいろ》の影が殘る。其時此鳶色の奧にぽたり/\と鈍き光りが滴《したゝ》る樣に見え初める。三層四層五層|共《とも》に瓦斯《ガス》を點じたのである。余は櫻の杖をついて下宿の方へ歸る。歸る時必ずカーライルと演説使ひの話しを思ひだす。彼《か》の溟濛《めいもう》たる瓦斯の霧に混ずる所が徃時此|村夫子《そんぷうし》の住んで居つたチエルシーなのである。
カーライルは居らぬ。演説者も死んだであらう。然しチエルシーは以前の如く存在して居る。否《いな》彼の多年住み古した家屋敷さへ今|猶《なほ》儼然と保存せられてある。千七百八年チエイン、ロウが出來てより以來幾多の主人を迎へ幾多の主人を送つたかは知らぬが兎に角|今日《こんにち》迄《まで》昔の儘で殘つて居る。カーライルの歿後は有志家の發起《ほつき》で彼の生前使用したる器物調度圖書典籍を蒐《あつ》めて之を各室に按排《あんばい》し好事《かうず》のものには何時《いつ》でも縱覽せしむる便宜さへ謀《はか》られた。
文學者でチエルシーに縁故のあるものを擧げると昔《むか》しはトマス、モア、下《くだ》つてスモレツト、猶下つてカーライルと同時代にはリ、ハント抔《など》が尤も著名である。ハントの家はカーライルの直《ぢき》近傍で、現にカーライルが此|家《いへ》に引き移つた晩尋ねて來たといふ事がカーライルの記録に書いてある。又ハントがカーライルの細君にシエレーの塑像《そざう》を贈つたといふも知れて居る。此外にエリオツトの居つた家とロセツチの住んだ邸がすぐ傍《そば》の川端に向いた通りにある。然し是らは皆既に代《だい》がかはつて現に人が這入つて居るから見物は出來ぬ。只カーライルの舊廬《きうろ》のみは六ペンスを拂へば何人《なんびと》でも又|何時《なんどき》でも隨意に觀覽が出來る。
チエイン、ローは河岸端《かしつぱた》の徃來を南に折れる小路でカーライルの家《いへ》は其右側の中頃に在る。番地は二十四番地だ。
毎日の樣に川を隔てゝ霧の中にチエルシーを眺めた余はある朝遂に橋を渡つて其有名なる庵《いほ》りを叩いた。
庵《いほ》りといふと物寂《ものさ》びた感じがある。少なくとも瀟洒《せうしや》とか風流とかいふ念と伴《ともな》ふ。然しカーライルの庵《いほり》はそんな脂《やに》つこい華奢なものではない。徃來から直《たゞ》ちに戸が敲《たゝ》ける程の道傍《みちばた》に建てられた四階|造《づくり》の眞四角な家である。
出張つた所も引き込んだ所もないのべつに眞直に立つて居る。丸《まる》で大製造場の烟突の根本を切つてきて之に天井を張つて窓をつけた樣に見える。
是が彼が北の田舍から始めて倫敦《ロンドン》へ出て來て探しに探し拔いて漸々《やう/\》の事で探し宛てた家である。彼は西を探し南を探しハンプステツドの北迄探して終《つひ》に恰好の家を探し出す事が出來ず、最後にチエイン、ローへ來て此家を見てもまだすぐに取極める程の勇氣はなかつたのである。四千萬の愚物《ぐぶつ》と天下を罵つた彼も住家《すみか》には閉口したと見えて、其|愚物《ぐぶつ》の中に當然勘定せらるべき妻君へ向けて委細を報知して其意向を確めた。細君の答に「御申越の借家《しやくや》は二軒共不都合もなき樣|被存《ぞんぜられ》候へば私|倫敦《ロンドン》へ上《のぼ》り候《そろ》迄《まで》双方共御明け置《おき》願《ねがひ》度《たく》若《も》し又それ迄に取極め候《そろ》必要相生じ候《そろ》節《せつ》は御一存にて如何《いかゞ》とも御取計らひ被下《くだされ》度《たく》候《そろ》」とあつた。カーライルは書物の上でこそ自分獨りわかつた樣な事をいふが、家を極めるには細君の助けに依らなくては駄目と覺悟をしたものと見えて、夫人の上京する迄手を束《つか》ねて待つて居た。四五日《しごんち》すると夫人が來る。そこで今度は二人して又東西南北を馳《か》け廻つた揚句の果《はて》矢張りチエイン、ローが善《い》いといふ事になつた。兩人《ふたり》がこゝに引き越したのは千八百三十四年の六月十日で、引越の途中に下女の持つて居たカナリヤが籠の中で囀《さへづ》つたといふ事|迄《まで》知れて居る。夫人が此|家《いへ》を撰んだのは大《おほい》に氣に入つたものか外に相當なのがなくて已《やむ》を得なんだのか、いづれにもせよ此烟突の如く四角な家は年に三百五十圓の家賃を以て此新世帶の夫婦を迎へたのである。カーライルは此クロムウエルの如きフレデリツク大王の如き又製造場の烟突の如き家の中でクロムウエルを著はしフレデリツク大王を著はしヂスレリーの周旋《しうせん》にかゝる年給を擯《しりぞ》けて四角四面に暮したのである。
余は今此四角な家の石階の上に立つて鬼の面のノツカーをコツ/\と敲《たゝ》く。暫くすると内から五十恰好の肥つた婆さんが出て來て御這入りと云ふ。最初から見物人と思つて居るらしい。婆さんはやがて名簿の樣なものを出して御名前をと云ふ。余は倫敦《ロンドン》滯留中四たび此家に入り四たび此名簿に余が名を記録した覺えがある。此時は實に余の名の記入初《きにふはじめ》であつた。可成《なるべく》丁寧に書く積りであつたが例に因つて甚だ見苦しい字が出來上つた。前の方を繰りひろげて見ると日本人の姓名は一人もない。して見ると日本人でこゝへ來たのは余が始めてだなと下らぬ事が嬉しく感ぜられる。婆さんがこちらへと云ふから左手の戸をあけて町に向いた部屋に這入る。是は昔《むか》し客間であつたさうだ。色々なものが並《なら》べてある。壁に畫《ゑ》やら寫眞やらがある。大概はカーライル夫婦の肖像の樣だ。後《うし》ろの部屋にカーライルの意匠に成つたといふ書棚がある。夫《それ》に書物が澤山詰まつて居る。六づかしい本がある。下らぬ本がある。古びた本がある。讀めさうもない本がある。其外にカーライルの八十の誕生日の記念の爲めに鑄《い》たといふ銀牌《ぎんぱい》と銅牌《どうはい》がある。金牌《きんぱい》は一つもなかつた樣だ。凡《すべ》ての牌《はい》と名のつくものが無暗にかち/\して何時《いつ》迄も平氣に殘つて居るのを、もらうた者の烟の如き壽命と對照して考へると妙な感じがする。夫《それ》から二階へ上る。こゝに又大きな本棚があつて本が例の如くいつぱい詰まつて居る。矢張り讀めさうもない本、聞いた事のなささうな本、入りさうもない本が多い。勘定をしたら百三十五部あつた。此部屋も一時は客間になつて居つたさうだ。ビスマークがカーライルに送つた手紙と普露西《プロシア》の勲章がある。フレデリツク大王傳の御蔭と見える。細君の用ゐた寢臺《ねだい》がある。頗る不器用な飾り氣《け》のないものである。
案内者はいづれの國でも同じものと見える。先《さ》つきから婆さんは室内の繪畫器具に就て一々説明を與へる。五十年間案内者を專門に修業したものでもあるまいが非常に熟練したものである。何年何月何日にどうしたかうしたと恰も口から出任《でまか》せに喋舌《しやべ》つて居る樣である。然も其|流暢《りうちやう》な辯舌に抑揚があり節奏《せつそう》がある。調子が面白いから其方ばかり聽いて居ると何を言つて居るのか分らなくなる。始めのうちは聞き返したり問い返したりして見たが仕舞には面倒になつたから御前は御前で勝手に口上を述べなさい、わしはわしで自由に見物するからといふ態度をとつた。婆さんは人が聞かうが聞くまいが口上|丈《だけ》は必ず述べますといふ風で別段|厭《あ》きた景色《けしき》もなく怠る樣子もなく何年何月何日をやつて居る。
余は東側の窓から首を出して一寸近所を見渡した。眼の下に十坪程の庭がある。右も左も又向ふも石の高塀で仕切られて其形は矢張り四角である。四角はどこ迄も此家の附屬物かと思ふ。カーライルの顔は決して四角ではなかつた。彼は寧ろ懸崖の中途が陷落して草原の上に伏しかゝつた樣な容貌であつた。細君は上出來の辣韮《らつきよう》の樣に見受けらるゝ。今余の案内をして居る婆さんはあんぱんの如く丸《ま》るい。余が婆さんの顔を見て成程丸いなと思ふとき婆さんは又何年何月何日を誦《じゆ》し出した。余は再び窓から首を出した。
カーライル云ふ。裏の窓より見渡せば見ゆるものは茂る葉の木株、碧《みど》りなる野原、及びその間に點綴《てんてつ》する勾配の急なる赤き屋根のみ。西風の吹く此頃の眺めはいと晴れやかに心地よし。
余は茂る葉を見《み》樣《やう》と思ひ、青き野を眺め樣と思ふて實は裏の窓から首を出したのである。首は既に二返|許《ばか》り出したが青いものも何にも見えぬ。右に家が見える。左《ひだ》りに家が見える。向《むかふ》にも家が見える。其上には鉛色の空が一面に胃病やみの樣に不精無精《ふしやうぶしやう》に垂れかゝつて居るのみである。余は首を縮めて窓より中へ引き込めた。案内者はまだ何年何月何日の續きを朗らかに讀誦《どくじゆ》して居る。
カーライル又云ふ倫敦《ロンドン》の方《かた》を見れば眼に入るものはヱストミンスター、アベーとセント、ポールズの高塔の頂きのみ。其他|幻《まぼろし》の如き殿宇は煤《すゝ》を含む雲の影の去るに任せて隱見す。
「倫敦《ロンドン》の方《かた》」とは既に時代後れの話である。今日《こんにち》チエルシーに來て倫敦の方《かた》を見るのは家《いへ》の中《うち》に坐つて家《いへ》の方《かた》を見ると同じ理窟で、自分の眼で自分の見當を眺めると云ふのと大した差違はない。然しカーライルは自《みづか》ら倫敦に住んで居るとは思はなかつたのである。彼は田舍に閑居して都の中央にある大伽藍《だいがらん》を遙《はる》かに眺めた積りであつた。余は三度《みた》び首を出した。そして彼の所謂《いはゆる》「倫敦《ロンドン》の方《かた》」へと視線を延ばした。然しヱストミンスターも見えぬ、セント、ポールズも見えぬ。數萬の家、數十萬の人、數百萬の物音は余と堂宇との間に立ちつゝある、漾《たゞよ》ひつゝある、動きつゝある。千八百三十四年のチエルシーと今日《こんにち》のチエルシーとは丸《まる》で別物である。余は又首を引き込めた。婆さんは黙然《もくねん》として余の背後に佇立《ちよりつ》して居る。
三階に上《あが》る。部屋の隅を見ると冷やかにカーライルの寢臺《ねだい》が横《よこた》はつて居る。青き戸帳《とばり》が物靜かに垂れて空《むな》しき臥床《ふしど》の裡《うち》は寂然《せきぜん》として薄暗い。木は何の木か知らぬが細工は只無器用で素朴であるといふ外に何等の特色もない。其上に身を横《よこた》へた人の身の上も思ひ合はさるゝ。傍《かたは》らには彼が平生使用した風呂桶が九鼎《きうてい》の如く尊げに置かれてある。
風呂桶とはいふものゝバケツの大きいものに過ぎぬ。彼が此大鍋の中で倫敦《ロンドン》の煤《すゝ》を洗ひい落したかと思ふと益《ます/\》其人となりが偲ばるゝ。不圖《ふと》首を上げると壁の上に彼が徃生した時に取つたといふ漆喰製《しつくひせい》の面型《マスク》がある。此顔だなと思ふ。此|炬燵櫓《こたつやぐら》位の高さの風呂に入《はい》つて此質素な寢臺《ねだい》の上に寢て四十年間|八釜敷《やかまし》い小言《こごと》を吐き續けに吐いた顔は是だなと思ふ。婆さんの淀《よど》みなき口上が電話口で横濱の人の挨拶を聞く樣に聞える。
宜しければ上《あが》りませうと婆さんがいふ。余は既に倫敦《ロンドン》の塵と音を遙かの下界に殘して五重の塔の天邊《てつぺん》に獨坐する樣な氣分がして居るのに耳の元で「上《あが》りませう」といふ催促を受けたから、まだ上があるのかなと不思議に思つた。さあ上《あが》らうと同意する。上《あが》れば上《あが》るほど怪しい心持が起りさうであるから。
四階へ來た時は縹渺《へうべう》として何事とも知らず嬉しかつた。嬉しいといふよりはどことなく妙であつた。こゝは屋根裏である。天井を見ると左右は低く中央が高く馬の鬣《たてがみ》の如き形《かた》ちをして其一番高い脊筋を通して硝子張りの明り取りが着いて居る。此アチツクに洩れて來る光線は皆頭の上から眞直に這入る。さうして其頭の上は硝子一枚を隔てゝ全世界に通ずる大空である。眼に遮《さへぎ》るものは微塵もない。カーライルは自分の經營で此|室《しつ》を作つた。作つて此《これ》を書齋とした。書齋としてこゝに立籠《たてこも》つた。立籠つて見て始めてわが計畫の非なる事を悟つた。夏は暑くて居りにくゝ、冬は寒くて居りにくい。案内者は朗讀的にこゝ迄述べて余を顧りみた。眞丸《まんまる》な顔の底に笑の影が見える。余は無言の儘うなづく。
カーライルは何の爲に此天に近き一室の經營に苦心したか。彼は彼の文章の示す如く電光的の人であつた。彼の癇癖は彼の身邊を圍繞《ゐねう》して無遠慮に起《おこ》る音響を無心に聞き流して著作に耽《ふけ》るの餘裕を與へなかつたと見える。洋琴《ピアノ》の聲、犬の聲、鷄の聲、鸚鵡《あうむ》の聲、一切の聲は悉《こと/”\》く彼の鋭敏なる神經を刺激して懊惱《あうなう》已《や》む能はざらしめたる極《きよく》遂に彼をして天に最《もつと》も近く人に尤《もつと》も遠ざかれる住居を此四階の天井裏に求めしめたのである。
彼のエイトキン夫人に與へたる書翰《しよかん》にいふ「此|夏中《なつぢゆう》は開け放ちたる窓より聞ゆる物音に惱まされ候《そろ》事《こと》一方《ひとかた》ならず色々修繕も試み候へども寸毫も利目《き/\め》無之《これなく》夫《それ》より篤《とく》と熟考の末家の眞上に二十尺四方の部屋を建築致す事に取極め申|候《そろ》是は壁を二重に致し光線は天井より取り風通しは一種の工夫をもつて差支なき樣致す仕掛に候へば出來上り候《そろ》上は假令《たとひ》天下の鷄共一時に鬨《とき》の聲《こゑ》を揚げ候《そろ》とも閉口仕らざる積《つもり》に御座|候《そろ》」
斯《かく》の如く豫期せられたる書齋は二千圓の費用にて先《ま》づ/\思ひ通りに落成を告げて豫期通りの功果を奏したが之と同時に思ひ掛けなき障害が又も主人公の耳邊《じへん》に起つた。成程|洋琴《ピアノ》の音《ね》もやみ、犬の聲もやみ、鷄の聲、鸚鵡の聲も案の如く聞えなくなつたが下層に居るときは考だに及ばなかつた寺の鐘、汽車の笛|偖《さて》は何とも知れず遠きより來《きた》る下界の聲が呪《のろひ》の如く彼を追ひいかけて舊の如くに彼の神經を苦しめた。
聲。英國に於てカーライルを苦しめたる聲は獨逸《ドイツ》に於てシヨペンハウアを苦しめたる聲である。シヨペンハウア云ふ。「カントは活力論を著《あらは》せり、余は反《かへ》つて活力を弔《とむら》ふ文を草せんとす。物を打つ音、物を敲《たゝ》く音、物の轉がる音は皆活力の濫用にして余は之が爲めに日々苦痛を受くればなり。音響を聞きて何らの感をも起さゞる多數の人|我《わが》説《せつ》をきかば笑ふべし。去れど世に理窟をも感ぜず思想をも感ぜず詩歌《しいか》をも感ぜず美術をも感ぜざるものあらば、そは正に此輩なる事を忘るゝ勿れ。彼等の頭腦の組織は麁_《そくわう》にして覺《さと》り鈍き事其源因たるは疑ふべからず」カーライルとシヨペンハウアとは實に十九世紀の好一對《かういつつゐ》である。余が此《かく》の如く回想しつゝあつた時に例の婆さんがどうです下りませうかと促《うな》がす。
一層を下《くだ》る毎に下界に近づく樣な心持ちがする。冥想《めいさう》の皮が剥げる如く感ぜらるゝ。階段を降り切つて最下の欄干に倚つて通りを眺めた時には遂に依然たる一個の俗人となり了《をは》つて仕舞つた。案内者は平氣な顔をして厨《くりや》を御覽なさいといふ。厨《くりや》は徃來よりも下にある。今余が立ちつゝある所より又五六段の階を下らねばならぬ。是は今案内をして居る婆さんの住居《すまひ》になつて居る。隅に大きな竈《かまど》がある。婆さんは例の朗讀調を以て「千八百四十四年十月十二日有名なる詩人テニソンが初めてカーライルを訪問した時彼等兩人は此竈の前に對坐して互に烟草を燻《くゆ》らすのみにて二時間の間|一言《ひとこと》も交えなかつたのであります」といふ。天上に在つて音響を厭ひたる彼は地下に入つても沈黙を愛したるものか。
最後に勝手口から庭に案内される。例の四角な平地を見廻して見ると木らしい木、草らしい草は少しも見えぬ。婆さんの話しによると昔は櫻もあつた、葡萄もあつた。胡桃《くるみ》もあつたさうだ。カーライルの細君はある年二十五錢|許《ばか》りの胡桃《くるみ》を得たさうだ。婆さん云ふ「庭の東南の隅を去る五尺餘の地下にはカーライルの愛犬ニロが葬むられて居ります。ニロは千八百六十年二月一日に死にました。墓標も當時は存して居りましたが惜しいかな其後取拂はれました」と中々|精《くは》しい。
カーライルが麥藁帽を阿彌陀《あみだ》に被《かぶ》つて寢卷姿の儘|啣《くは》へ烟管《ぎせる》で逍遙したのは此庭園である。夏の最中《もなか》には蔭深き敷石の上にさゝやかなる天幕《テント》を張り其下に机をさへ出して餘念もなく述作に從事したのは此庭園である。星|明《あきら》かなる夜《よ》最後の一ぷくをのみ終りたる後、彼が空を仰いで「嗚呼《ああ》余が最後に汝を見るの時は瞬刻の後《のち》ならん。全能の神が造れる無邊大の劇場、眼に入《い》る無限、手に觸るゝ無限、是も亦我が眉目を掠《かす》めて去らん。而して余は遂にそを見るを得ざらん。わが力を致せるや虚ならず、知らんと欲するや切なり。而もわが知識は只|此《かく》の如く微《び》なり」と叫んだのも此庭園である。
余は婆さんの勞に酬ゆる爲めに婆さんの掌《てのひら》の上に一片《いつぺん》の銀貨を載せた。難有《ありがた》うと云ふ聲さへも朗讀的であつた。一時間の後《のち》倫敦《ロンドン》の塵《ちり》と煤《すゝ》と車馬の音とテームス河とはカーライルの家を別世界の如く遠き方《かた》へと隔てた。
2005.11.5(土)、午後2時10分、修正。2015.12.7(月)午前11時30分、再校。
幻影の盾
――明治三八、四、一
一心不亂と云ふ事を、目に見えぬ怪力をかり、縹緲《へうべう》たる背景の前に寫し出さうと考へて、此趣向を得た。是を日本の物語に書き下《おろ》さなかつたのは此趣向とわが國の風俗が調和すまいと思ふたからである。淺學にて古代騎士の?況に通ぜず、從つて叙事|妥當《だたう》を缺き、描景眞相を失する所が多からう、讀者の誨《をしへ》を待つ。
遠き世の物語である。バロンと名乘るものゝ城を構へ濠《ほり》を環《めぐ》らして、人を屠《ほふ》り天に驕《おご》れる昔に歸れ。今代《きんだい》の話しではない。
何時《いつ》の頃とも知らぬ。只アーサー大王の御代《みよ》とのみ言ひ傳へたる世に、ブレトンの一士人がブレトンの一女子に懸想《けさう》した事がある。其頃の戀はあだには出來ぬ。思ふ人の唇《くちびる》に燃ゆる情《なさ》けの息を吹く爲には、吾|肱《ひぢ》をも折らねばならぬ、吾|頸《くび》をも挫《くじ》かねばならぬ、時としては吾血潮さへ容赦もなく流さねばならなかつた。懸想《けさう》されたるブレトンの女は懸想《けさう》せるブレトンの男に向つて云ふ、君が戀、叶《かな》へんとならば、殘りなく圓卓の勇士〔五字右○〕を倒して、われを世に類《たぐ》ひなき美しき女と名乘り給へ、アーサーの養へる名高き鷹を獲て吾《わが》許《もと》に送り屆け給へと、男心得たりと腰に帶びたる長き劔《つるぎ》に盟《ちか》へば、天上天下《てんじやうてんか》に吾|志《こゝろざし》を妨ぐるものなく、遂に仙姫《せんき》の援《たすけ》を得て悉《こと/”\》く女の言ふ所を果《はた》す。鷹の足を纒《まと》へる細き金の鎖の端《はし》に結びつけたる羊皮紙《やうひし》を讀めば、三十一ケ條の愛に關する法章であつた。所謂《いはゆる》「愛《あい》の廳《ちやう》」の憲法《けんぱふ》とは是である。……盾《たて》の話しは此憲法の盛に行はれた時代に起つた事と思へ。
行く路を扼《やく》すとは、其《その》上《かみ》騎士の間に行はれた習慣である。幅廣からぬ徃還に立ちて、通り掛りの武士に戰《たゝかひ》を挑《いど》む。二人の槍の穗先が撓《しわ》つて馬と馬の鼻頭《はなづら》が合ふとき、鞍壺《くらつぼ》にたまらず落ちたが最後無難に此|關《せき》を踰《こ》ゆる事は出來ぬ。鎧《よろひ》、甲《かぶと》、馬|諸共《もろとも》に召し上げらるゝ。路を扼《やく》する侍《さむらひ》は武士の名を藉《か》る山賊の樣なものである。期限は三十日、傍《かたへ》の木立《こだち》に吾旗を翻《ひるが》へし、喇叭《らつぱ》を吹いて人や來《きた》ると待つ。今日《けふ》も待ち明日《あす》も待ち明後日《あさつて》も待つ。五六三十日の期が滿つる迄は必ず待つ。時には我意中の美人と共に待つ事もある。通り掛りの上臈《じやうらふ》は吾を護る侍《さむらひ》の鎧の袖に隱れて關《せき》を拔ける。守護の侍《さむらひ》は必ず路を扼《やく》する武士と槍《やり》を交《まじ》へる。交《まじ》へねば自身は無論の事、二世《にせ》かけて誓へる女性《によしやう》をすら通す事は出來ぬ。千四百四十九年にバーガンデの私生子〔三字傍点〕と稱する豪《がう》のものがラ、ベル、ジヤルダンと云へる路を首尾よく三十日間守り終《おほ》せたるは今に人の口碑《こうひ》に存《そん》する逸話である。三十日の間私生子〔三字傍点〕と起居を共にせる美人は只「清き巡禮の子」といふ名に其本名を知る事が出來ぬのは遺憾である。……盾の話しは此時代の事と思へ。
此盾は何時《いつ》の世のものとも知れぬ。パ?ースと云ふて三角を倒《さかし》まにして全身を蔽ふ位な大きさに作られたものとも違ふ。ギージといふ革紐にて肩から釣るす種類でもない。上部に鐵の格子を穿《あ》けて中央の孔から鐵砲を打つと云ふ仕懸《しかけ》の後世のものでは無論ない。いづれの時、何者が錬《きた》へた盾かは盾の主人なるヰリアムさへ知らぬ。ヰリアムは此盾を自己の室《へや》の壁に懸けて朝夕《てうせき》眺めて居る。人が聞くと不可思議な盾だと云ふ。靈《れい》の盾《たて》だと云ふ。此盾を持つて戰《たゝかひ》に臨むとき、過去、現在、未來に渉《わた》つて吾《わが》願《ねがひ》を叶へる事のある盾だと云ふ。名あるかと聞けば只|幻影《まぼろし》の盾《たて》と答へる。ヰリアムは其《その》他《た》を言はぬ。
盾の形は望《もち》の夜《よ》の月の如く丸い。鋼《はがね》で饅頭形《まんぢゆうがた》の表を一面に張りつめてあるから、輝やける色さへも月に似て居る。縁《ふち》を繞《めぐ》りて小指の先程の鋲《びやう》が奇麗に五分程の間を置いて植ゑられてある。鋲《びやう》の色も亦《また》銀色である。鋲《びやう》の輪の内側は四寸|許《ばか》りの圓を畫《くわく》して匠人《しやうじん》の巧《たくみ》を盡したる唐草《からくさ》が彫《ほ》り付けてある。模樣があまり細《こま》か過ぎるので一寸見ると只不規則の漣?《れんい》が、肌に答へぬ程の微風に、數へ難き皺《しわ》を寄する如くである。花か蔦《つた》か或《ある》は葉か、所々が劇しく光線を反射して餘所《よそ》よりも際立《きはだ》ちて視線を襲ふのは昔《むか》し象嵌《ざうがん》のあつた名殘《なごり》でもあらう。猶《なほ》内側へ這入ると延板《のべいた》の平《たひ》らな地《ぢ》になる。そこは今も猶《なほ》鏡の如く輝やいて面《おもて》にあたるものは必ず寫す。ヰリアムの顔も寫る。ヰリアムの甲《かぶと》の挿毛《さしげ》のふわ/\と風に靡《なび》く樣《さま》も寫る。日に向けたら日に燃えて日の影をも寫さう。鳥を追へば、こだま〔三字傍点〕さへ交へずに十里を飛ぶ俊鶻《しゆんこつ》の影も寫さう。時には壁から卸《おろ》して磨くかとヰリアムに問へば否《いな》と云ふ。靈の盾は磨《みが》かねども光るとヰリアムは獨《ひと》り語《ごと》の樣に云ふ。
盾の眞中《まんなか》が五寸|許《ばか》りの圓を描《ゑが》いて浮き上る。是には怖ろしき夜叉《やしや》の顔が隙間もなく鑄出《いいだ》されて居る。其顔は長《とこ》しへに天と地と中間にある人とを呪《のろ》ふ。右から盾を見るときは右に向つて呪ひ、左から盾を覗《のぞ》くときは左に向つて呪ひ、正面から盾に對《むか》ふ敵には固《もと》より正面を見て呪ふ。ある時は盾の裏にかくるゝ持主をさへ呪ひはせぬかと思はるゝ程|怖《おそろ》しい。頭《かしら》の毛は春夏秋冬《しゆんかしうとう》の風に一度に吹かれた樣に殘りなく逆立《さかだ》つて居る。しかも其一本/\の末は丸く平たい蛇の頭となつて其裂け目から消えんとしては燃ゆる如き舌を出して居る。毛と云ふ毛は悉《こと/”\》く蛇で、其蛇は悉《こと/”\》く首を擡《もた》げて舌を吐いて縺《もつ》るゝのも、捻《ね》ぢ合ふのも、攀《よ》ぢあがるのも、にじり出るのも見らるゝ。五寸の圓の内部に獰惡《だうあく》なる夜叉《やしや》の顔を辛《から》うじて殘して、額際《ひたひぎは》から顔の左右を殘なく?《うづ》めて自然《じねん》に圓の輪廓を形《かた》ちづくつて居るのは此毛髪の蛇、蛇の毛髪である。遠き昔《むか》しのゴーゴンとは是であらうかと思はるゝ位だ。ゴーゴンを見る者は石に化すとは當時の諺《ことわざ》であるが、此盾を熟視する者は何人《なんびと》も其|諺《ことわざ》のあながちならぬを覺《さと》るであらう。
盾には創《きず》がある。右の肩から左へ斜《はす》に切りつけた刀の痕《あと》が見える。玉を並《なら》べた樣な鋲《びやう》の一つを半《なか》ば潰して、ゴーゴン、メヂューサに似た夜叉《やしや》の耳のあたりを纒《まと》ふ蛇の頭を叩いて、横に延板の平《たひら》な地《ぢ》へ微《かす》かな細長い凹《くぼ》みが出來て居る。ヰリアムに此|創《きず》の因縁を聞くと何《なん》にも云はぬ。知らぬかと云へば知ると云ふ。知るかと云へば言ひ難しと答へる。
人に云へぬ盾の由來の裏には、人に云へぬ戀の恨みが潜《ひそ》んで居る。人に云はぬ盾の歴史の中《うち》には世も入らぬ神も入らぬと迄思ひつめたる望の綱が繋《つな》がれて居る。ヰリアムが日毎夜毎に繰り返す心の物語りは此盾と淺からぬ因果の覊絆《きづな》で結び付けられて居る。いざといふ時此盾を執つて……望は是である。心の奧に何者かほのめいて消え難き前世《ぜんせ》の名殘《なごり》の如きを、白日の下《もと》に引き出《いだ》して明《あか》ら樣《さま》に見極むるは此盾の力である。いづくより吹くとも知らぬ業障《ごふしやう》の風の、隙多き胸に洩れて目に見えぬ波の、立ちては崩れ、崩れては立つを浪なき昔、風吹かぬ昔に返すは此盾の力である。此盾だにあらばとヰリアムは盾の懸かれる壁を仰ぐ。天地人を呪ふべき夜叉《やしや》の姿も、彼が眼には畫《ゑが》ける天女《てんによ》の微《かす》かに笑《ゑみ》を帶べるが如く思はるゝ。時にはわが思ふ人の肖像ではなきかと疑ふ折さへある。只拔け出して語らぬが殘念である。
思ふ人! ヰリアムが思ふ人はこゝには居らぬ。小山を三つ越えて大河を一つ渉《わた》りて二十|哩《マイル》先の夜鴉《よがらす》の城《しろ》に居る。夜鴉の城とは名からして不吉であると、ヰリアムは時々考へる事がある。然し其夜鴉の城へ、彼は小兒《せうに》の時|度々《たび/\》遊びに行つた事がある。小兒の時のみではない成人してからも始終|訪問《おとづ》れた。クラヽの居る所なら海の底でも行かずには居られぬ。彼はつい近頃迄夜鴉の城へ行つては終日クラヽと語り暮したのである。戀と名がつけば千里も行く。二十|哩《マイル》は云ふに足らぬ。夜《よる》を守《まも》る星の影が自《おの》づと消えて、東の空に紅殼《べにがら》を揉み込んだ樣な時刻に、白城《はくじやう》の刎橋《はねばし》の上に騎馬の侍《さむらひ》が一人あらはれる。……宵の明星《みやうじやう》が本丸《ほんまる》の櫓《やぐら》の北角にピカと見え初《そ》むる時、遠き方《かた》より又|蹄《ひづめ》の音が晝と夜の境を破つて白城の方《かた》へ近づいて來る。馬は總身《そうしん》に汗をかいて、白い泡を吹いて居るに、乘手は鞭を鳴らして口笛をふく。戰國のならひ、ヰリアムは馬の背で人と成つたのである。
去年の春の頃から白城《はくじやう》の刎橋《はねばし》の上に、曉方《あけがた》の武者の影が見えなくなつた。夕暮の蹄《ひづめ》の音も野に逼《せま》る黒きものゝ裏《うち》に吸ひ取られてか、聞えなくなつた。其頃からヰリアムは、己《おの》れを己《おの》れの中《うち》へ引き入るゝ樣に、内へ内へと深く食ひ入る氣色《けしき》であつた。花も春も餘所《よそ》に見て、只心の中《うち》に貯《たくは》へたる何者かを使ひ盡す迄はどうあつても外界に氣を轉ぜぬ樣に見受けられた。武士の命は女と酒と軍《いく》さである。吾思ふ人の爲めにと箸の上げ下しに云ふ誰彼に傚《なら》つて、わがクラヽの爲めにと云はぬ事はないが、其聲の咽喉《のど》を出る時は、塞がる聲帶を無理に押し分ける樣であつた。血の如き葡萄の酒を髑髏形《どくろがた》の盃《さかづき》にうけて、縁《ふち》越すことをゆるさじと、髭の尾迄濡らして呑み干す人の中《なか》に、彼は只|額《ひたひ》を抑へて、斜めに泡を吹くことが多かつた。山と盛る鹿の肉に好味《かうみ》の刀《たう》を揮《ふる》ふ左も顧みず右も眺めず、只わが前に置かれたる皿のみを見詰めて濟す折もあつた。皿の上に堆《うづた》かき肉塊《にくくわい》の殘らぬ事は少ない。武士の命を三分して女と酒と軍《いく》さが其三ケ一を占むるならば、ヰリアムの命の三分二は既に死んだ樣なものである。殘る三分一は? 軍《いくさ》はまだない。
ヰリアムは身の丈《たけ》六尺一寸、痩せては居るが滿身の筋肉を骨格の上へたゝき付けて出來上つた樣な男である。四年|前《まへ》の戰《たゝかひ》に甲《かぶと》も棄て、鎧《よろひ》も脱いで丸裸になつて城壁の裏《うち》に仕掛けたる、カタパルトを彎《ひ》いた事がある。戰《たゝかひ》が濟んでから其有樣を見て居た者がヰリアムの腕には鐵の瘤《こぶ》が出るといつた。彼の眼と髪は石炭の樣に黒い。其髪は渦を卷いて、彼が頭《かしら》を掉《ふ》る度にきら/\する。彼の眼《まなこ》の奧には又|一双《いつさう》の眼があつて重なり合つて居る樣な光りと深さとが見える。酒の味に命を失ひ、未了《みれう》の戀に命を失ひつゝある彼は來るべき戰場にも亦命を失ふだらうか。彼は馬に乘つて終日終夜野を行くに疲れた事のない男である。彼は一片《いつぺん》の?麭《パン》も食はず一滴《いつてき》の水さへ飲まず、未明より薄暮《はくぼ》迄働き得る男である。年は二十六歳。夫《それ》で戰《いくさ》が出來ぬであらうか。夫《それ》で戰《いくさ》が出來ぬ位なら武士の家に生れて來ぬがよい。ヰリアム自身もさう思つて居る。ヰリアムは幻影《まぼろし》の盾《たて》を翳《かざ》して戰ふ機會があれば……と思つて居る。
白城《はくじやう》の城主狼のルーファス〔七字傍点〕と夜鴉《よがらす》の城主とは二十年來の好《よし》みで家の子郎黨の末に至る迄互に徃き來せぬは稀な位打ち解けた間柄であつた。確執《かくしつ》の起つたのは去年《こぞ》の春の初からである。源因は私《わたくし》ならぬ政治上の紛議《ふんぎ》の果《はて》とも云ひ、あるは鷹狩《たかがり》の歸りに獲物爭ひの口論からと唱へ、又は夜鴉の城主の愛女クラヽの身の上に係《かゝ》る衝突に本《もと》づくとも言觸らす。過ぐる日の饗筵《きやうえん》に、卓上の酒盡きて、居並《ゐなら》ぶ人の舌の根のしどろに緩《ゆる》む時、首席を占むる隣り合せの二人が、何事か聲高《こわだか》に罵る聲を聞かぬ者はなかつた。「月に吠ゆる狼の……ほざくは」と手にしたる盃を地に抛《なげう》つて、夜鴉の城主は立ち上る。盃の底に殘れる赤き酒の、斑《まだ》らに床《ゆか》を染めて飽きたらず、摧《くだ》けたる?片《くわうへん》と共にルーファスの胸のあたり迄跳ね上る。「夜迷《よま》ひ烏《がらす》の黒き翼《つばさ》を、切つて落せば、地獄の闇ぞ」とルーファスは革に釣る重き劔《つるぎ》に手を懸けてする/\と四五寸|許《ばか》り拔く。一座の視線は悉《こと/”\》く二人の上に集まる。高き窓洩る夕日を脊に負ふ、二人の黒き姿の、此世の樣とも思はれぬ中に、拔きかけた劔のみが寒き光を放つ。此時ルーファスの次に座を占めたるヰリアムが「渾名《あだな》こそ狼なれ、君が劔に刻める文字《もじ》に耻ぢづや」と右手《めて》を延ばしてルーファスの腰のあたりを指《ゆびさ》す。幅廣き刃《やいば》の鍔《つば》の眞下に pro gloria et patria と云ふ銘が刻んである。水を打つた樣な靜かな中に、只ルーファスが拔きかけた劔を元の鞘《さや》に収むる聲のみが高く響いた。是より兩家の間は長く中《なか》絶《た》えて、ヰリアムの乘り馴れた栗毛の馬は少しく肥えた樣に見えた。
近頃は戰《いく》さの噂《うはさ》さへ頻《しき》りである。睚眦《がいさい》の恨《うらみ》は人を欺《あざむ》く笑《ゑみ》の衣《ころも》に包めども、解け難き胸の亂れは空吹く風の音にもざわつく。夜となく日となく磨きに磨く刃《やいば》の冴《さえ》は、人を屠《ほふ》る遺恨の刃《やいば》を磨くのである。君の爲め國の爲めなる美しき名を藉りて、毫釐《がうり》の爭に千里の恨を報ぜんとする心からである。正義と云ひ人道と云ふは朝嵐に翻がへす旗にのみ染め出《いだ》すべき文字で、繰り出す槍の穗先には瞋恚《しんい》の?《ほむら》が燒け付いて居る。狼は如何にして鴉《からす》と戰ふべき口實を得たか知らぬ。鴉《からす》は何を叫んで狼を誣《し》ゆる積りか分らぬ。只時ならぬ血潮と迄見えて迸《ほと》ばしりたる酒の雫の、胸を染めたる恨を晴《はら》さでやとルーファスがセント、ジヨージに誓へるは事實である。尊き銘は劔にこそ彫れ、拔き放ちたる光の裏《うち》に遠吠ゆる狼を屠《ほふ》らしめ玉へとありとあらゆるセイントに夜鴉《よがらす》の城主が祈念を凝《こら》したるも事實である。兩家の間の戰《たゝかひ》は到底免かれない。いつ〔二字傍点〕といふ丈《だけ》が問題である。
末の世の盡きて、其末の世の殘る迄と誓ひたる、クラヽの一門に弓をひくはヰリアムの好まぬ所である。手創《てきず》負ひて斃れんとする父とたよりなき吾とを、敵の中より救ひたるルーファスの一家《いつけ》に事ありと云ふ日に、膝を組んで動かぬのはヰリアムの猶《なほ》好まぬ所である。封建の代《よ》のならひ、主《しゆ》と呼び從《じゆう》と名乘る身の危きに赴《おもむ》かで、人に卑怯と嘲けらるゝは彼の尤も好まぬ所である。甲《かぶと》も着《き》樣《やう》、鎧《よろひ》も繕《つくろ》はう、槍《やり》も磨《みが》かう、すはといふ時は眞先に行かう……然しクラヽはどうなるだらう。負ければ打死《うちじに》をする。クラヽには逢へぬ。勝てばクラヽが死ぬかも知れぬ。ヰリアムは覺えず空に向つて十字を切る。今の内姿を窶《やつ》して、クラヽと落ち延びて北の方《かた》へでも行かうか。落ちた後《あと》で朋輩が何といふだらう。ルーファスが人でなしと云ふだらう。内懷《うちぶところ》からクラヽの呉れた一束《ひとたば》ねの髪の毛を出して見る。長い薄色の毛が、麻を砧《きぬた》で打つて柔かにした樣にゆるくうねつてヰリアムの手から下がる。ヰリアムは髪を見詰めて居た視線を茫然とわきへそらす。それが器械的に壁の上へ落ちる。壁の上にかけてある盾の眞中《まんなか》で優しいクラヽの顔が笑つて居る。去年分れた時の顔と寸分|違《たが》はぬ。顔の周圍を卷いて居る髪の毛が……ヰリアムは呪はれたる人の如くに、千里の遠きを眺めて居る樣な眼付で石の如く盾を見て居る。日の加減か色が眞青《まつさを》だ。……顔の周圍を卷いて居る髪の毛が、先《さ》つきから流れる水に漬《つ》けた樣にざわ/\と動いて居る。髪の毛ではない無數の蛇の舌が斷間なく震動して五寸の圓の輪を搖り廻るので、銀地に絹糸の樣に細い炎《ほのほ》が、見えたり隱れたり、隱れたり見えたり、渦を卷いたり、波を立てたりする。全部が一度に動いて顔の周圍を廻轉するかと思ふと、局部が纔《わづ》かに動きやんで、すぐ其隣りが動く。見る間《ま》に次へ次へと波動が傳はる樣にもある。動く度に舌の摩《す》れ合ふ音でもあらう微《かす》かな聲が出る。微かではあるが只一つの聲ではない、漸く鼓膜に響く位の靜かな音のうちに――無數の音が交つて居る。耳に落つる一《ひとつ》の音が聽けば聽く程多くの音がかたまつて出來上つた樣に明かに聞き取られる。盾の上に動く物の數多き丈《だけ》、音の數も多く、又其動くものゝ定かに見えぬ如く、出る音も微《かす》かであらゝかには鳴らぬのである。……ヰリアムは手に下げたるクラヽの金毛《きんまう》を三たび盾に向つて振りながら「盾! 最後の望は幻影《まぼろし》の盾にある」と叫んだ。
戰《たゝかひ》は潮《うしほ》の河に上《のぼる》如く次第に近付いて來る。鐵を打つ音、鋼《はがね》を鍛《きた》へる響、槌《つち》の音、やすり〔三字傍点〕の響は絶えず中庭の一隅《いちぐう》に聞える。ヰリアムも人に劣らじと出陣の用意はするが、時には殺伐な物音に耳を塞《ふさ》いで、高き角櫓《すみやぐら》に上《のぼ》つて遙かに夜鴉《よがらす》の城の方《かた》を眺める事がある。霧深い國の事だから眼に遮ぎる程の物はなくても、天氣の好《よ》い日に二十|哩《マイル》先は見えぬ。一面に茶澁を流した樣な曠野《くわうや》が逼らぬ波を描《ゑが》いて續く間に、白金《しろがね》の筋が鮮かに割り込んで居るのは、日毎の樣に淺瀬を馬で渡した河であらう。白い流れの際立《きはだ》ちて目を牽《ひ》くに付けて、夜鴉の城はあの見當だなと見送る。城らしきものは霞の奧に閉ぢられて眸底《ぼうてい》には寫らぬが、流るゝ銀《しろがね》の、烟と化しはせぬかと疑はる迄末廣に薄れて、空と雲との境に入る程は、翳《かざ》したる小手の下より遙かに双《さう》の眼《まなこ》に聚《あつ》まつてくる。あの空とあの雲の間が海で、浪の?む切立《きつた》ち岩の上に巨巖を刻んで地から生へた樣なのが夜鴉の城であると、ヰリアムは見えぬ所を想像で描《ゑが》き出す。若《も》し其薄黒く潮風に吹き曝《さら》された角窓《かくまど》の裏《うち》に一人物を畫《ゑが》き足したなら死龍《しりよう》は忽ち活きて天に騰《のぼ》るのである。點睛《てんせい》に比すべきものは何人《なんびと》であらう、ヰリアムは聞かんでも能く知つて居る。
目の廻る程急がしい用意の爲めに、晝の間《ま》は夫《それ》となく氣が散つて浮き立つ事もあるが、初夜《しよや》過ぎに吾が室《へや》に歸つて、冷たい臥床《ふしど》の上に六尺一寸の長?を投げる時は考へ出す。初めてクラヽに逢つたときは十二三の小供で知らぬ人には口もきかぬ程内氣であつた。只髪の毛は今の樣に金色であつた……ヰリアムは又|内懷《うちぶところ》からクラヽの髪の毛を出して眺める。クラヽはヰリアムを黒い眼の子、黒い眼の子と云つてからかつた。クラヽの説によると黒い眼の子は意地が惡い、人がよくない、猶太人《ユダヤじん》かジプシイでなければ黒い眼色のものはない。ヰリアムは怒つて夜鴉《よがらす》の城へはもう來ぬと云つたらクラヽは泣き出して堪忍《かんにん》してくれと謝した事がある。……二人して城の庭へ出て花を摘んだ事もある。赤い花、黄な花、紫の花――花の名は覺えて居らん――色々の花でクラヽの頭と胸と袖を飾つてクヰーンだクヰーンだと其前に跪《ひざま》づいたら、槍を持たない者はナイトでないとクラヽが笑つた。……今は槍もある、ナイトでもある、然しクラヽの前に跪《ひざまづ》く機會はもうあるまい。ある時は野へ出て蒲公英《たんぽぽ》の蕊《しべ》を吹きくらをした。花が散つてあとに殘る、むく毛を束《つか》ねた樣に透明な球をとつてふつと吹く。殘つた種の數《かず》でうらなひをする。思ふ事が成るかならぬかと云ひながらクラヽが一吹きふくと種の數《かず》が一つ足りないので思ふ事が成らぬと云ふ辻《つじ》うらであつた。するとクラヽは急に元氣がなくなつて俯向《うつむ》いて仕舞つた。何を思つて吹いたのかと尋ねたら何でもいゝと何時《いつ》になく邪慳《じやけん》な返事をした。其日は碌々《ろく/\》口もきかないで塞ぎ込んで居た。……春の野にありとあらゆる蒲公英《たんぽぽ》をむしつて息の續《つ》づかぬ迄吹き飛ばしても思ふ樣な辻占《つじうら》は出ぬ筈だとヰリアムは怒る如くに云ふ。然しまだ盾と云ふ頼みがあるからと打消す樣に添へる。……是は互に成人してからの事である。夏を彩《いろ》どる薔薇の茂みに二人座をしめて瑠璃《るり》に似た青空の、鼠色に變る迄語り暮した事があつた。騎士の戀には四期があると云ふ事をクラヽにヘへたのは其時だとヰリアムは當時の光景を一度に目の前に浮べる。「第一を躊躇の時期と名づける、是は女の方で此戀を斥《しりぞ》けやうか、受けやうかと思ひ煩《わずら》ふ間《あひだ》の名である」といひながらクラヽの方を見た時に、クラヽは俯向《うつむ》いて、頬のあたりに微《かす》かなる笑《ゑみ》を漏らした。「此時期の間には男の方では一言《ひとこと》も戀をほのめかすことを許されぬ。只眼にあまる情《なさ》けと、息に漏るゝ嘆きとにより、晝は女の傍《かた》へを、夜は女の住居《すまひ》の邊《あた》りを去らぬ誠によりて、我意中を悟れかしと物言はぬうちに示す。」クラヽは此時池の向ふに据ゑてある大理石の像を餘念なく見て居た。「第二を祈念の時期と云ふ。男、女の前に伏して懇《ねんご》ろに我が戀|叶《かな》へ玉へと願ふ」クラヽは顔を背《そむ》けて紅《くれなゐ》の薔薇の花を唇につけて吹く。一瓣《ひとひら》は飛んで波なき池の汀《みぎは》に浮ぶ。一瓣《ひとひら》は梅鉢の形《かた》ちに組んで池を圍《かこ》へる石の欄干に中《あた》りて敷石の上に落ちた。「次に來るは應諾の時期である。誠ありと見拔く男の心を猶《なほ》も確めん爲め女、男に草々《くさ/”\》の課役をかける。劔《つるぎ》の力、槍の力で遂ぐべき程の事柄であるは言ふ迄もない」クラヽは吾を透《とほ》す大いなる眼を翻《ひるがへ》して第四はと問ふ。「第四の時期を Druerie と呼ぶ。武夫《ものゝふ》が君の前に額付《ぬかづ》いて渝《かは》らじと誓ふ如く男、女の膝下に跪《ひざま》づき手を合せて女の手の間に置く。女かたの如く愛の式を返して男に接吻《せつぷん》する。」クラヽ遠き代《よ》の人に語る如き聲にて君が戀は何《いづ》れの期ぞと問ふ。思ふ人の接吻さへ得なばとクラヽの方に顔を寄せる。クラヽ頬に紅《くれなゐ》して手に持てる薔薇の花を吾が耳のあたりに抛《なげう》つ。花びらは雪と亂れて、ゆかしき香《かを》りの一群《ひとむ》れが二人の足の下に散る。…… Druerie の時期はもう望めないはとヰリアムは六尺一寸の身を擧げてどさと寢返りを打つ。間《けん》にあまる壁を切りて、高く穿《うが》てる細き窓から薄暗き曙光《しよくわう》が漏れて、物の色の定かに見えぬ中《なか》に幻影《まぼろし》の盾のみが闇に懸る大蜘蛛の眼《まなこ》の如く光る。「盾がある、まだ盾がある」とヰリアムは烏の羽の樣な滑《なめら》かな髪の毛を握つてがばと跳ね起る。中庭の隅では鐵を打つ音、鋼《はがね》を鍛《きた》へる響、槌《つち》の音やすり〔三字傍点〕の響が聞え出す。戰《たゝかひ》は日一日と逼つてくる。
其日の夕暮に一城の大衆が、無下《むげ》に天井の高い食堂に會して晩餐の卓に就いた時、戰《たゝかひ》の時期は愈《いよ/\》狼將軍の口から發布された。彼は先づ夜鴉《よがらす》の城主の武士道に背《そむ》ける罪を數へて一門の面目を保《たも》つ爲めに七日《なぬか》の夜《よ》を期して、一擧に其城を屠《ほふ》れと叫んだ。其聲は堂の四壁を一周して、丸く組み合せたる高い天井に突き當ると思はるゝ位大きい。戰《たゝかひ》は固《もと》より近づきつゝあつた。ヰリアムは戰《たゝかひ》の近づきつゝあるを覺悟の前で此日此|夜《よ》を過ごして居た。去れど今ルーファスの口から愈《いよ/\》七日《なぬか》の後《のち》と聞いた時はさすがの覺悟も蟹《かに》の泡《あわ》の、蘆の根を繞《めぐ》らぬ淡き命の如くにいづくへか消え失せて仕舞つた。夢ならぬを夢と思ひて、思ひ終《おほ》せぬ時は、無理ながら事實とあきらめる事もある。去れど其事實を事實と證する程の出來事が驀地《ばくち》に現前せぬうちは、夢と思ふて其日を過すが人の世の習ひである。夢と思ふは嬉しく、思はぬがつらいからである。戰《たゝかひ》は事實であると思案の臍《ほぞ》を堅めたのは昨日《きのふ》や今日《けふ》の事ではない。只事實に相違ないと思ひ定めた戰ひが、起らんとして起らぬ爲め、であれかしと願ふ夢の思ひ〔四字傍点〕は却つて「事實になる」の念を抑ゆる事もあつたのであらう。一年は三百六十五日、過ぐるは束《つか》の間《ま》である。七日《なぬか》とは一年の五十|分《ぶ》一にも足らぬ。右の手を擧げて左の指を二本加へればすぐに七である。名もなき鬼に襲はれて、名なき故に鬼にあらずと、強いて思ひたるに突然正體を見付けて今更《いまさら》眼力《がんりき》の違《たが》はぬを口惜《くちを》しく思ふ時の感じと異《こと》なる事もあるまい。ヰリアムは眞青《まつさを》になつた。隣りに坐したシワルドが病氣かと問ふ。否と答へて盃を唇につける。充たざる酒の何に搖れてか縁《ふち》を越して卓の上を流れる。其時ルーファスは再び起《た》つて夜鴉《よがらす》の城を、城の根に張る巖《いはほ》もろともに海に落せと盃を眉のあたりに上げて隼《はやぶさ》の如く床《ゆか》の上に投げ下《くだ》す。一座の大衆はフラーと叫んで血の如き酒を啜《すゝ》る。ヰリアムもフラーと叫んで血の如き酒を啜《すゝ》る。シワルドもフラーと叫んで血の如き酒を啜《すゝ》りながら尻目にヰリアムを見る。ヰリアムは獨り立つて吾|室《へや》に歸りて、人の入《はい》らぬ樣に内側から締《しま》りをした。
盾だ愈《いよ/\》盾だとヰリアムは叫びながら室《へや》の中《なか》をあちらこちらと歩む。盾は依然として壁に懸つて居る。ゴーゴン、メヂューサとも較《くら》ぶべき顔は例に由つて天地人を合せて呪ひ、過去|現世《げんぜ》未來に渉つて呪ひ、近寄るもの、觸るゝものは無論、目に入らぬ草も木も呪ひ悉《つく》さでは已《や》まぬ氣色《けしき》である。愈《いよ/\》此盾を使はねばならぬかとヰリアムは盾の下にとまつて壁間を仰ぐ。室《へや》の戸を叩く音のする樣な氣合《けはひ》がする。耳を峙《そばだ》てゝ聞くと何の音でもない。ヰリアムは又|内懷《うちぶところ》からクラヽの髪毛を出す。掌《たなごゝろ》に乘せて眺めるかと思ふと今度はそれを叮嚀に、室《へや》の隅に片寄せてある三本脚の丸いテーブルの上に置いた。ヰリアムは又|内懷《うちぶところ》へ手を入れて胸の隱しの裏《うち》から何か書付の樣なものを攫《つか》み出す。室《へや》の戸口迄行つて横にさした鐵の棒の拔けはせぬかと振り動かして見る。締《しまり》は大丈夫である。ヰリアムは丸机に倚《よ》つて取り出した書付を徐《おもむ》ろに開く。紙か羊皮か慥《たし》かには見えぬが色合の古び具合から推すと昨今の物ではない。風なきに紙の表《おも》てが動くのは紙が己《おの》れと動くのか、持つ手の動くのか。書付の始めには「幻影《まぼろし》の盾の由來」とかいてある。すれたものか文字《もじ》のあとが微《かす》かに殘つて居る許《ばか》りである。「汝が祖《そ》ヰリアムは此盾を北の國の巨人に得たり。……」茲《こゝ》にヰリアムとあるはわが四世の祖だとヰリアムが獨り言ふ。「黒雲の地を渡る日なり。北の國の巨人は雲の内より振り落されたる鬼の如くに寄せ來《きた》る。拳《こぶし》の如き瘤《こぶ》のつきたる鐵棒を片手に振り翳《かざ》して骨も摧《くだ》けよと打てば馬も倒れ人も倒れて、地を行く雲に血潮を含んで、鳴る風に火花をも見る。人を斬るの戰《たゝかひ》にあらず、腦を碎き胴《どう》を潰《つぶ》して、人といふ形を滅《めつ》せざれば已《や》まざる烈しき戰《たゝかひ》なり。……」ヰリアムは猛《たけ》き者共よと眉をひそめて、舌を打つ。「わが渡り合ひしは巨人の中の巨人なり。銅板に砂を塗れる如き顔の中に眼《まなこ》懸りて稻妻を射る。我を見て南方の犬|尾《を》を捲いて死ねと、かの鐵棒を腦天より下《くだ》す。眼を遮《さへぎ》らぬ空《くう》の二つに裂くる響して、鐵の瘤《こぶ》はわが右の肩先を滑べる。繋ぎ合せて肩を蔽へる鋼鐵《はがね》の延板の、尤も外に向へるが二つに折れて肉に入る。吾がうちし太刀先は巨人の盾を斜《なゝめ》に斫《き》つて戞《かつ》と鳴るのみ。……」ヰリアムは急に眼を轉じて盾の方を見る。彼《かれ》の四世の祖《そ》が打ち込んだ刀痕は歴然と殘つて居る。ヰリアムは又讀み續ける。「われ巨人を切る事|三度《みたび》、三度目《みたびめ》にわが太刀は鍔元《つばもと》より三つに折れて巨人の戴く甲《かぶと》の鉢金の、内側に歪《ゆが》むを見たり。巨人の椎《つゐ》を下《くだ》すや四たび、四たび目に巨人の足は、血を含む泥を蹴《け》て、木枯の天狗の杉を倒すが如く、薊《あざみ》の花のゆらぐ中に、落雷も耻ぢよと許《ばか》り?《だう》と横たはる。横たはりて起きぬ間《ま》を、疾《と》くも縫へるわが短刀の光を見よ。吾ながら又なき手柄なり。……」ブラ?ーとヰリアムは小聲に云ふ。「巨人は云ふ、老牛の夕陽《せきやう》に吼《ほ》ゆるが如き聲にて云ふ。幻影《まぼろし》の盾を南方の豎子《じゆし》に付與す、珍重に護持せよと。われ盾を翳《かざ》して其|所以《ゆゑん》を問ふに黙して答へず。強いて聞くとき、彼兩手を揚げて北の空を指《ゆびさ》して曰く。ワルハラの國オヂンの座に近く、火に溶けぬ黒鐵《くろがね》を、氷の如き白炎《はくえん》に鑄《い》たるが幻影《まぼろし》の盾なり。……」此時戸口に近く、石よりも堅き廊下の床《ゆか》を踏みならす音がする。ヰリアムは又|起《た》つて扉に耳を付けて聽く。足音は部屋の前を通り越して、次第に遠ざかる下から、壁の射返す響のみが朗らかに聞える。何者か暗窖《あんかう》の中へ降《お》りていつたのであらう。「此盾何の奇特《きどく》かあると巨人に問へば曰く。盾に願へ、願ふて聽かれざるなし只其身を亡ぼす事あり。人に語るな語るとき盾の靈去る。……汝盾を執つて戰《たゝかひ》に臨めば四圍の鬼神《きじん》汝を呪ふことあり。呪はれて後《のち》蓋天蓋地の大歡喜に逢ふべし。只盾を傳へ受くるものに此秘密を許すと。南國の人此不祥の具を愛せずと盾を棄てゝ去らんとすれば、巨人手を振つて云ふ。われ今淨土ワルハラに歸る、幻影《まぼろし》の盾を要せず。百年の後《のち》南方に赤衣《せきい》の美人あるべし。其歌の此盾の面《おもて》に觸るゝとき、汝の兒孫盾を抱《いだ》いて抃舞《べんぶ》するものあらんと。……」汝の兒孫〔四字傍点〕とはわが事ではないかとヰリアムは疑ふ。表に足音がして室《へや》の戸の前に留《とま》つた樣である。「巨人は薊《あざみ》の中に斃れて、薊《あざみ》の中に殘れるは此盾なり」と讀み終つてヰリアムが又壁の上の盾を見ると蛇の毛は又|搖《うご》き始める。隙間なく縺《もつ》れた中を下へ下へと潜《もぐ》りて盾の裏側迄拔けはせぬかと疑はるゝ事もあり、又上へ上へともがき出て五寸の圓の輪廓|丈《だけ》が盾を離れて浮き出はせぬかと思はるゝ事もある。下に動くときも上に搖り出す時も同じ樣に清水が滑《なめら》かな石の間を?《めぐ》る時の樣な音が出る。只其音が一本々々の毛が鳴つて一束《ひとたば》の音にかたまつて耳朶《じだ》に達するのは以前と異なる事はない。動くものは必ず鳴ると見えるに、蛇の毛は悉《こと/”\》く動いて居るから其音も蛇の毛の數|丈《だけ》はある筈であるが――如何にも低い。前の世の耳語《さゝや》きを奈落の底から夢の間《ま》に傳へる樣に聞かれる。ヰリアムは茫然として此微音を聞いて居る。戰《いくさ》も忘れ、盾も忘れ、我身をも忘れ、戸口に人足《ひとあし》の留《とま》つたも忘れて聞いて居る。こと/\と戸を敲《たゝ》くものがある。ヰリアムは魔がついた樣な顔をして動かうともしない。こと/\と再び敲《たゝ》く。ヰリアムは兩手に紙片を捧げたまゝ椅子を離れて立ち上る。夢中に行く人の如く、身を向けて戸口の方に三歩|許《ばか》り近寄る。眼は戸の眞中を見て居るが瞳孔《どうこう》に寫つて腦裏に印する影は戸ではあるまい。外の方《かた》では氣が急《せ》くか、厚い樫《かし》の扉を拳《こぶし》にて會釋なく夜陰に響けと叩く。三度目に敲《たゝ》いた音が、物靜かな夜《よる》を四方に破つたとき、偶像の如きヰリアムは氷盤を空裏に撃碎する如く一時に吾に返つた。紙片を急に懷へかくす。敲《たゝ》く音は益《ます/\》逼つて絶間なく響く。開けぬかと云ふ聲さへ聞える。
「戸を敲《たゝ》くは誰《た》ぞ」と鐵の栓張《しんばり》をからりと外《はづ》す。切り岸の樣な額の上に、赤黒き髪の斜めにかゝる下から、鋭どく光る二つの眼《まなこ》が遠慮なく部屋の中へ進んで來る。
「わしぢや」とシワルドが、進めぬ先から腰懸の上にどさと尻を卸す。「今日の晩食に顔色が惡う見えたから見舞に來た」と片足を宙にあげて、殘れる膝の上に置く。
「左《さ》した事もない」とヰリアムは瞬きして顔をそむける。
「夜鴉《よがらす》の羽搏《はばた》きを聞かぬうちに、花多き國に行く氣はないか」とシワルドは意味有り氣《げ》に問ふ。
「花多き國とは?」
「南の事ぢや、トルバダウの歌の聞ける國ぢや」
「主《ぬし》がいに度いと云ふのか」
「わしは行かぬ、知れた事よ。もう六《むつ》つ、日の出を見れば、夜鴉《よがらす》の栖《す》を根から海へ蹴落す役目があるは。日の永い國へ渡つたら主《ぬし》の顔色が善くならうと思ふての親切からぢや。ワハヽヽヽ」とシワルドは傍若無人に笑ふ。
「鳴かぬ烏の闇に滅《め》り込む迄は……」と六尺一寸の身をのして胸板を拊《う》つ。
「霧深い國を去らぬと云ふのか。其|金色《きんいろ》の髪の主《ぬし》となら滿更《まんざら》嫌《いや》でもあるまい」と丸テーブルの上を指《ゆびさ》す。テーブルの上にはクラヽの髪が元の如く乘つて居る。内懷《うちぶところ》へ収めるのをつひ忘れた。ヰリアムは身を伸《の》した儘|口籠《くちごも》る。
「鴉《からす》に交る白い鳩を救ふ氣はないか」と再び叢中に蛇を打つ。
「今から七日《なぬか》過ぎた後《あと》なら……」と叢中の蛇は不意を打れて已《やむ》を得ず首を擡《もた》げかゝる。
「鴉を殺して鳩|丈《だけ》生かさうと云ふ注文か……夫《それ》は少し無理ぢや。然し出來ぬ事もあるまい。南から來て南へ歸る船がある。待てよ」と指を折る。「さうぢや六日目《むいかめ》の晩には間に合ふだらう。城の東の船付場へ廻して、あの金色《きんいろ》の髪の主《ぬし》を乘せやう。不斷は帆柱の先に白い小旗を揚げるが、女が乘つたら赤に易《か》へさせやう。軍《いく》さは七日目《なぬかめ》の午過《ひるすぎ》からぢや、城を圍めば港が見える。柱の上に赤が見えたら天下太平……」
「白が見えたら……」とヰリアムは幻影《まぼろし》の盾を睨む。夜叉《やしや》の髪の毛は動きもせぬ、鳴りもせぬ。クラヽかと思ふ顔が一寸《ちよつと》見えて又もとの夜叉に返る。
「まあ、よいは、何うにかなる心配するな。夫《それ》よりは南の國の面白い話でもせう」とシワルドは澁色の髭を無雜作に掻いて、若き人を慰める爲か話頭を轉ずる。
「海一つ向《むかふ》へ渡ると日の目が多い、暖かぢや。夫《それ》に酒が甘《うま》くて金《かね》が落ちて居る。土一升に金一升……うそぢや無い、本間《ほんま》の話ぢや。手を振るのは聞きとも無いと云ふのか。もう落付いて一所に話す折もあるまい。シワルドの名殘《なごり》の談義だと思ふて聞いて呉れ。さう滅入《めい》らんでもの事よ」宵に浴びた酒の氣がまだ醒めぬのかゲーと臭いのをヰリアムの顔に吹きかける。「いや是は御無禮……何を話す積りであつた。おゝ夫《それ》だ、其酒の湧く、金の土に交る海の向《むかふ》での」とシワルドはヰリアムを覗き込む。
「主《ぬし》が女に可愛がられたと云ふのか」
「ワハヽヽ女にも數多《あまた》近付はあるが、それぢやない。ボーシイルの會を見たと云ふ事よ」
「ボーシイルの會?」
「知らぬか。薄黒い島國に住んでいては、知らぬも道理ぢや。プロ?ンサルの伯とツールースの伯の和睦の會はあちらで誰れも知らぬものはないぞよ」
「ふむ夫《それ》が?」とヰリアムは浮かぬ顔である。
「馬は銀の沓《くつ》をはく、狗《いぬ》は珠の首輪をつける……」
「金の林檎を食ふ、月の露を湯に浴びる……」と平かならぬ人のならひ、ヰリアムは嘲る樣に話の糸を切る。
「まあ水を指《さ》さずに聽け。うそでも興があらう」と相手は切れた糸を接《つな》ぐ。
「試合の催しがあると、シミニアンの太守が二十四頭の白牛《はくぎう》驅つて埒《らち》の内を奇麗に地ならしする。ならした後へ三萬枚の黄金を蒔く。するとアグーの太守がわしは勝ち手にとらせる褒美を受持たうと十萬枚の黄金を加へる。マルテロはわしは御馳走役ぢやと云ふて?燭の火で※[者/火]燒《にたき》した珍味を振舞ふて、銀の皿小鉢を引出物に添へる」
「もう澤山ぢや」とヰリアムが笑ひながら云ふ。
「ま一つぢや。仕舞にレイモンが今迄誰も見た事のない遊びをやると云ふて先づ試合の柵の中へ三十本の杭を植ゑる。夫《それ》に三十頭の名馬を繋ぐ。裸馬ではない鞍も置き鐙《あぶみ》もつけ轡《くつわ》手綱《たづな》の華奢《きやしや》さへ盡してぢや。よいか。そして其眞中へ鎧、刀是も三十人分、甲《かぶと》は無論小手|脛當《すねあて》迄添へて並《なら》べ立てた。金高にしたらマルテロの御馳走よりも、嵩《かさ》が張らう。夫《それ》から圍《まは》りへ薪《たきゞ》を山の樣に積んで、火を掛けての、馬も具足《ぐそく》も皆燒いて仕舞ふた。何とあちらのものは豪興をやるではないか」と話し終つてカラ/\と心地よげに笑ふ。
「さう云ふ國へ行つて見よと云ふに主《ぬし》も餘程意地張りだなあ」と又ヰリアムの胸の底へ探りの石を投げ込む。
「そんな國に黒い眼、黒い髪の男は無用ぢや」とヰリアムは自《みづか》ら嘲る如くに云ふ。
「矢張り其|金色《きんいろ》の髪の主《ぬし》の居る所が戀しいと見えるな」
「言ふ迄もない」とヰリアムは屹《きつ》となつて幻影《まぼろし》の盾を見る。中庭の隅で鐵を打つ音、鋼《はがね》を鍛へる響、槌の音、ヤスリ〔三字傍点〕の響が聞え出す。夜《よ》はいつの間《ま》にかほの/”\と明け渡る。
七日《なぬか》に逼《せま》る戰《たゝかひ》は一日の命を縮めて愈《いよ/\》六日となつた。ヰリアムはシーワルドの勸むる儘にクラヽへの手紙を認《したゝ》める。心が急《せ》くのと、わきが騷がしいので思ふ事の萬分一《まんぶいち》も書けぬ。「御身の髪は猶《なほ》わが懷《ふところ》にあり、只此使と逃げ落ちよ、疑へば魔多し」とばかりで筆を擱《お》く。此手紙を受取つてクラヽに渡す者はいづこの何者か分らぬ。其頃|流行《はや》る樂人の姿となつて夜鴉《よがらす》の城に忍び込んで、戰《いくさ》あるべき前の晩にクラヽを奪ひ出して舟に乘せる。萬一手順が狂へば隙《すき》を見て城へ火をかけても志《こゝろざし》を遂げる。是《これ》丈《だけ》の事はシーワルドから聞いた、其あとは……幻影《まぼろし》の盾のみ知る。
逢ふはうれし、逢はぬは憂し。憂し嬉しの源《みなもと》から珠を欺く涙が湧いて出る。此清き者に何故《なぜ》流れるぞと問へば知らぬと云ふ。知らぬとは自然と云ふ意か。マリアの像の前に、跪《ひざまづ》いて祈願を凝《こ》らせるヰリアムが立ち上《あが》つたとき、長い睫《まつげ》がいつもより重《おも》た氣《げ》に見えたが、なぜ重いのか彼にも分らなかつた。誠は誠を自覺すれども其他を知らぬ。其|夜《よ》の夢に彼れは五彩の雲に乘るマリアを見た。マリアと見えたるはクラヽを祭れる姿で、クラヽとは地に住むマリアであらう。祈らるゝ神、祈らるゝ人は異なれど、祈る人の胸には神も人も同じ願の影法師に過ぎぬ。祭る聖母は戀ふ人の爲め、人戀ふは聖母に跪《ひざまづ》く爲め。マリアとも云へ、クラヽとも云へ。ヰリアムの心の中《うち》に二つのものは宿らぬ。宿る餘地あらば此戀は嘘の戀ぢや。夢の續か中庭の隅で鐵を打つ音、鋼《はがね》を鍛へる響、槌の音、ヤスリ〔三字傍点〕の響が聞えて、例の如く夜《よ》が明ける。戰《たゝかひ》は愈《いよ/\》せまる。
五日目から四日目に移るは俯せたる手を翻《ひる》がへす間《ま》と思はれ、四日目から三日目に進むは翻《ひる》がへす手を故《もと》に還《かへ》す間《ま》と見えて、三日、二日より愈《いよ/\》戰《たゝかひ》の日を迎へたるときは、手さへ動かすひまなきに襲ひ來る如く感ぜられた。「飛ばせ」とシーワルドはヰリアムを顧みて云ふ。並《なら》ぶ轡《くつわ》の間から鼻嵐が立つて、二つの甲《かぶと》が、月下に躍る細鱗の如く秋の日を射返す。「飛ばせ」とシーワルドが踵を半《なか》ば馬の太腹に蹴込む。二人の頭《かしら》の上に長く挿したる眞白な毛が烈しく風を受けて、振り落さるゝ迄に靡く。夜鴉《よがらす》の城壁を斜《なゝ》めに見て、小高き丘に飛ばせたるシーワルドが右手《めて》を翳《かざ》して港の方《かた》を望む。「帆柱に掲げた旗は赤か白か」と後れたるヰリアムは叫ぶ。「白か赤か、赤か白か」と續け樣に叫ぶ。鞍壺に延び上つたるシーワルドは體をおろすと等しく馬を向け直して一散に城門の方《かた》へ飛ばす。「續け、續け」とヰリアムを呼ぶ。「赤か、白か」とヰリアムは叫ぶ。「阿呆、丘へ飛ばすより壕の中へ飛ばせ」とシーワルドは只管《ひたすら》に城門の方《かた》へ飛ばす。港の入口には、埠頭《ふとう》を洗ふ浪を食つて、胴の高い船が心細く搖れて居る。魔に襲はれて夢安からぬ有樣である。左右に低き帆柱を控へて、中に高き一本の眞上には――「白だツ」とヰリアムは口の中で言ひながら前齒で唇を?む。折柄|戰《たゝかひ》の聲は夜鴉《よがらす》の城を撼《ゆる》がして、淋しき海の上に響く。
城壁の高さは四丈、丸櫓の高さは是を倍して、所々《ところ/”\》に壁を突き拔いて立つ。天の柱が落ちて其眞中に刺された如く見ゆるは本丸であらう。高さ十九丈壁の厚《あつさ》は三丈四尺、之を四階に分つて、最上の一層にのみ窓を穿《うが》つ。眞上より眞下に降《くだ》る井戸の如き道ありて、所謂《いはゆる》ダンジヨンは尤も低く尤も暗き所に地獄と壁|一重《ひとへ》を隔てゝ設けらるゝ。本丸の左右に懸け離れたる二つの櫓《やぐら》は本丸の二階から家根付の橋を渡して出入《しゆつにふ》の便《たよ》りを計る。櫓《やぐら》を環《めぐ》る三々五々の建物には厩《うまや》もある。兵士の住居《すまひ》もある。亂を避くる領内の細民が隱るゝ場所もある。後《うし》ろは切岸《きりぎし》に海の鳴る音を聞き、碎くる浪の花の上に舞ひ下《さが》りては舞ひ上《あが》る?《かもめ》を見る。前は牛を呑むアーチの暗き上より、石に響く扉を下《おろ》して、刎橋《はねばし》を鐵鎖《てつさ》に引けば人の踰《こ》えぬ濠《ほり》である。
濠《ほり》を渡せば門も破らう、門を破れば天主も拔かう、志《こゝろざし》ある方《かた》に道あり、道ある方《かた》に向へとルーファスは打ち壞したる扉の隙より、黒金《くろがね》につゝめる狼の顔を會釋もなく突き出す。あとに續けと一人が從へば、尻を追へと又一人が進む。一人二人の後《あと》は只|我先《われさき》にと亂れ入る。むく/\と湧く清水に、こまかき砂の浮き上りて一度に漾《たゞよ》ふ如く見ゆる。壁の上よりは、ありとある弓を伏せて蝟《ゐ》の如く寄手の鼻頭《はなさき》に、鉤《かぎ》と曲る鏃《やじり》を集める。空を行く長き箭《や》の、一矢《ひとや》毎に鳴りを起せば數千の鳴りは一《ひ》と塊《かたま》りとなつて、地上に蠢《うごめ》く黒影の響に和して、時ならぬ物音に、沖の?を驚かす。狂へるは鳥のみならず。秋の夕日を受けつ潜《くゞ》りつ、甲《かぶと》の浪|鎧《よろひ》の浪が寄せては崩れ、崩れては退《ひ》く。退《ひ》くときは壁の上|櫓《やぐら》の上より、傾く日を海の底へ震ひ落す程の鬨《とき》を作る。寄するときは甲《かぶと》の浪、鎧《よろひ》の浪の中より、吹き捲くる大風の息の根を一時にとめるべき聲を起す。退《ひ》く浪と寄する浪の間にヰリアムとシーワルドがはたと行き逢ふ。「生きて居るか」とシーワルドが劔《つるぎ》で招けば、「死ぬ所ぢや」とヰリアムが高く盾を翳《かざ》す。右に峙《そばだ》つ丸櫓の上より飛び來る矢が戞《かつ》と夜叉《やしや》の額を掠《かす》めてヰリアムの足の下へ落つる。此時崩れかゝる人浪は忽ち二人の間を遮《さへぎ》つて、鉢金《はちがね》を蔽ふ白毛《はくまう》の靡きさへ、暫くの間《ま》に、旋《めぐ》る渦《うづまき》の中に捲き込まれて見えなくなる。戰《たゝかひ》は午《ご》を過ぐる二《ふ》た時《とき》餘りに起つて、五時と六時の間にも未《ま》だ方付《かたづ》かぬ。一度びは猛き心に天主をも屠る勢であつた寄手の、何にひるんでか蒼然たる夜の色と共に城門の外へなだれながら吐き出される。搏《う》つ音の絶えたるは一時の間《ま》か。暫らくは鳴りも靜まる。
日は暮れ果てゝ黒き夜《よ》の一寸の隙間なく人馬を蔽ふ中《なか》に、碎くる波の音が忽ち高く聞える。忽ち聞えるは始めて海の鳴るにあらず、吾が鳴りの暫らく已《や》んで空《むな》しき心の迎へたるに過ぎぬ。此浪の音は何里の沖に萌《きざ》して此磯の遠きに崩るゝか、思へば古き響きである。時の幾代《いくよ》を搖《ゆる》がして知られぬ未來に響く。日を捨てず夜《よ》を捨てず、二六時中繰り返す眞理は永劫無極の響きを傳へて劔《つるぎ》打つ音を嘲《あざけ》り、弓引く音を笑ふ。百と云ひ千と云ふ人の叫びの、果敢《はか》なくて憐むべきを罵るときかれる。去れど城を守るものも、城を攻むるものも、おのが叫びの纔《わづ》かにやんで、此深き響きを不用意に聞き得たるとき耻づかしと思へるはなし。ヰリアムは盾に凝《こ》る血の痕を見て「汝われをも呪ふか」と劔を以て三たび夜叉《やしや》の面《おもて》を叩く。ルーファスは「烏なれば闇にも隱れん月照らぬ間《ま》に斬つて棄てよ」と息捲《いきま》く。シワルドばかりは額の奧に嵌《は》め込まれたる如き双の眼《まなこ》を放つて高く天主を見詰めたるまゝ一言《ひとこと》もいはぬ。
海より吹く風、海へ吹く風と變りて、碎くる浪と浪の間にも新たに天地の響を添へる。塔を繞《めぐ》る音、壁にあたる音の次第に募ると思ふうち、城の内にて俄かに人の騷ぐ氣合《けはひ》がする。それが漸々《だん/\》烈敷《はげし》くなる。千里の深きより來る地震の秒を刻み分《ふん》を刻んで押し寄せるなと心付けば其が夜鴉《よがらす》の城の眞下で破裂したかと思ふ響がする。――シワルドの眉は毛蟲を撲《う》ちたるが如く反《そ》り返る。――櫓の窓から黒烟りが吹き出す。夜《よる》の中に夜よりも黒き烟りがむく/\と吹き出す。狹き出口を爭ふが爲めか、烟の量は見る間《ま》に揩オて前なるは押され、後《あと》なるは押し、並《なら》ぶは互に讓るまじとて同時に溢《あふ》れ出づる樣《さま》に見える。吹き募る野分《のわき》は眞《ま》ともに烟を碎いて、丸く渦を卷いて迸《ほとばし》る鼻を、元の如く窓へ壓《お》し返さうとする。風に喰ひ留められた渦は一度になだれて空に流れ込む。暫くすると吹き出す烟りの中に火の粉が交り出す。夫《それ》が見る間に殖える。殖えた火の粉は烟|諸共《もろとも》風に捲かれて大空に舞ひ上《あが》る。城を蔽ふ天の一部が櫓を中心として大《だい》なる赤き圓を描《ゑが》いて、其圓は不規則に海の方《かた》へと動いて行く。火の粉を梨地《なしぢ》に點じた蒔繪《まきゑ》の、瞬時の斷間もなく或は消え或は輝きて、動いて行く圓の内部は一點として活きて動かぬ箇所はない。――「占めた」とシワルドは手を拍つて雀躍《こをどり》する。
黒烟りを吐き出して、吐き盡したる後《あと》は、太き火?が棒となつて、熱を追ふて突き上る風|諸共《もろとも》、夜の世界に流矢《ながれや》の疾《と》きを射る。飴を※[者/火]て四斗樽大の喞筒《ポンプ》の口から大空に注《そゝ》ぐとも形容される。沸《た》ぎる火の闇に詮なく消ゆるあとより又|沸《た》ぎる火が立ち騰《のぼ》る。深き夜を焦《こが》せとばかり※[者/火]え返る?の聲は、地にわめく人の叫びを小癪なりとて空一面に鳴り渡る。鳴る中に?は碎けて碎けたる粉《こ》が舞ひ上《あが》り舞ひ下《さが》りつゝ海の方《かた》へと廣がる。濁る浪の憤《いきどほ》る色は、怒る響と共に薄黒く認めらるゝ位なれば櫓《やぐら》の周圍は、煤《すゝ》を透《とほ》す日に照さるゝよりも明かである。一枚の火の、丸形に櫓を裏《つゝ》んで飽き足らず、横に這ふて?《ひめがき》の胸先にかゝる。炎は尺を計つて左へ左へと延びる。たま/\一陣の風吹いて、逆に舌先を拂へば、左へ行くべき鋒《ほこさき》を轉じて上に向ふ。旋《めぐ》る風なれば後《うし》ろより不意を襲ふ事もある。順に撫で/\?を馳け拔ける時は上に向へるが又向き直りて行き過ぎし風を追ふ。左へ左へと溶けたる舌は見る間に長くなり、又廣くなる。果《はて》は此所にも一枚の火が出來る、かしこにも一枚の火が出來る。火に包まれたる?《ひめがき》の上を黒き影が行きつ戻りつする。たまには暗き上から明るき中へ消えて入つたぎり再び出て來ぬのもある。
焦《や》け爛《たゞ》れたる高櫓《たかやぐら》の、機熟してか、吹く風に逆《さから》ひてしばらくは?と共に傾くと見えしが、奈落迄も落ち入らでやはと、三|分《ぶ》二を岩に殘して、倒《さか》しまに崩れか/\る。取り卷く?の一度にパツと天地を燬《や》く時、?《ひめがき》の上に火の如き髪を振り亂して佇《たゝず》む女がある。「クラヽ!」とヰリアムが叫ぶ途端に女の影は消える。燒け出された二頭の馬が鞍付のまゝ宙を飛んで來る。
疾《と》く走る尻尾を攫みて根元よりスパと拔ける體《てい》なり、先なる馬がヰリアムの前にて礑《はた》ととまる。とまる前足に力餘りて堅き爪の半ばは、斜めに土に喰ひ入る。盾に當る鼻づらの、二寸を隔てゝ夜叉《やしや》の面《おもて》に火の息を吹く。「四つ足も呪はれたか」とヰリアムは我とはなしに鬣《たてがみ》を握りてひらりと高き脊に跨《また》がる。足乘せぬ鐙《あぶみ》は手持無沙汰に太腹を打つて宙に躍る。此時何物か「南の國へ行け」と鐵|被《き》る剛《かた》き手を擧げて馬の尻をしたゝかに打つ。「呪はれた」とヰリアムは馬と共に空《くう》を行く。
ヰリアムの馬を追ふにあらず、馬のヰリアムに追はるゝにあらず、呪ひの走るなり。風を切り、夜《よる》を裂き、大地に疳走《かんばし》る音を刻んで、呪ひの盡くる所迄走るなり。野を走り盡せば丘に走り、丘を走り下《くだ》れば谷に走り入る。夜は明けたのか日は高いのか、暮れかゝるのか、雨か、霰《あられ》か、野分《のわき》か、木枯か――知らぬ。呪ひは眞一文字に走る事を知るのみぢや。前に當るものは親でも許さぬ、石蹴る蹄《ひづめ》には火花が鳴る。行手を遮《さへぎ》るものは主《しゆ》でも斃せ、闇吹き散らす鼻嵐を見よ。物凄き音の、物凄き人と馬の影を包んで、あつと見る睫《まつげ》の合はぬ間に過ぎ去る許《ばか》りぢや。人か馬か形か影かと惑ふな、只呪ひ其物の吼《たけ》り狂ふて行かんと欲する所に行く姿と思へ。
ヰリアムは何里飛ばしたか知らぬ。乘り斃した馬の鞍に腰を卸して、右手《めて》に額を抑へて何事をか考へ出《いだ》さんと力《つと》めて居る。死したる人の蘇《よみがへ》る時に、昔《むか》しの我と今の我との、あるは別人の如く、あるは同人の如く、繋《つな》ぐ鎖《くさ》りは情《なさ》けなく切れて、然も何等かの關係あるべしと思ひ惑《まど》ふ樣《さま》である。半時《はんとき》なりとも死せる人の頭腦には、喜怒哀樂の影は宿るまい。空《むな》しき心のふと吾に歸りて在りし昔を想ひ起せば、油然《いうぜん》として雲の湧くが如くに其折々は簇《むら》がり來《きた》るであらう。簇《むら》がり來《きた》るものを入るゝ餘地あればある程、簇《むら》がる物は迅速に腦裏を馳け廻《めぐ》るであらう。ヰリアムが吾に醒めた時の心が水の如く涼しかつた丈《だけ》、今思ひ起す彼此《かれこれ》も送迎に遑《いとま》なき迄、糸と亂れて其頭を惱まして居る。出陣、帆柱の旗、戰《たゝかひ》……と順を立てゝ排列して見る。皆事實としか思はれぬ。「其次に」と頭の奧を探るとぺら/\と黄色な?が見える。「火事だ!」とヰリアムは思はず叫ぶ。火事は構はぬが今心の眼に思ひ浮べた?の中にはクラヽの髪の毛が漾《たゞよ》つて居る。何故《なぜ》あの火の中へ飛び込んで同じ所で死なゝかつたのかとヰリアムは舌打ちをする。「盾の仕業だ」と口の内でつぶやく。見ると盾は馬の頭を三尺|許《ばか》り右へ隔てゝ表を空にむけて横《よこた》はつて居る。
「是が戀の果《はて》か、呪ひが醒めても戀は醒めぬ」とヰリアムは又|額《ひたひ》を抑へて、己《おの》れを煩悶の海に沈める。海の底に足がついて、世に疎《うと》き迄思ひ入るとき、何處《いづく》よりか、微《かす》かなる糸を馬の尾で摩《こす》る樣な響が聞える。睡《ねむ》るヰリアムは眼を開いてあたりを見廻す。こゝは何處《いづく》とも分らぬが、目の屆く限りは一面の林である。林とは云へ、枝を交へて高き日を遮ぎる一抱《ひとかゝ》へ二抱《ふたかゝ》への大木はない。木は一坪に一本位の割で其|大《おほき》さも徑六七寸位のものゝみであらう。不思議にもそれが皆同じ樹である。枝が幹の根を去る六尺位の所から上を向いて、しなやかな線を描《ゑが》いて生えて居る。其枝が聚《あつ》まつて、中が膨《ふく》れ、上が尖《と》がつて欄干の擬寶珠か、筆の穗の水を含んだ形?をする。枝の悉《こと/”\》くは丸い黄な葉を以て隙間なき迄に綴られて居るから、枝の重《かさ》なる筆の穗〔三字傍点〕は色の變る、面長な葡萄の珠で、穗の重《かさ》なる林の態《さま》は葡萄の房の累々と連《つら》なる趣《おもむ》きがある。下より仰げば少し宛《づゝ》は空も青く見らるゝ。只眼を放つ遙か向《むかふ》の果《はて》に、樹の幹が互に近づきつ、遠《とほざ》かりつ黒く並《なら》ぶ間に、澄み渡る秋の空が鏡の如く光るは心行《こゝろゆ》く眺めである。時々鏡の面《おもて》を羅《うすもの》が過ぎ行く樣《さま》迄《まで》横から見える。地面は一面の苔《こけ》で秋に入つて稍|黄食《きば》んだと思はれる所もあり、又は薄茶に枯れかゝつた邊《へん》もあるが、人の踏んだ痕《あと》がないから、黄は黄なり、薄茶は薄茶の儘、苔と云ふ昔《むか》しの姿を存して居る。こゝかしこに齒朶《しだ》の茂りが平《たひら》かな面《めん》を破つて幽情を添へる許《ばか》りだ。鳥も鳴かぬ風も渡らぬ。寂然《せきぜん》として太古の昔を至る所に描《ゑが》き出して居るが、樹の高からぬのと秋の日の射透《いとほ》すので、左程《さほど》靜かな割合に怖しい感じが少ない。其秋の日は極めて明かな日である。眞上から林を照らす光線が、かの丸い黄な無數の葉を一度に洗つて、林の中は存外明るい。葉の向きは固《もと》より一樣でないから、日を射返す具合も悉《こと/”\》く違ふ。同じ黄ではあるが透明、半透明、濃き、薄き、樣々の趣向を夫々《それ/”\》に凝《こ》らして居る。其れが亂れ、雜《まじ》り、重《かさ》なつて苔の上を照らすから、林の中に居るものは琥珀《こはく》の屏《びやう》を繞《めぐ》らして間接に太陽の光りを浴びる心地である。ヰリアムは醒めて苦しく、夢に落付くといふ容子に見える。糸の音《ね》が再び落ちつきかけた耳朶《じだ》に響く。今度は怪しき音の方へ眼をむける。幹をすかして空の見える反對の方角を見ると――西か東か無論わからぬ――爰《こゝ》許《ばか》りは木が重なり合うて一畝《ひとせ》程は際立つ薄暗さを地に印する中に池がある。池は大きくはない、出來損《できそこな》ひの瓜の樣に狹き幅を木陰《こかげ》に横たへて居る。是も太古の池で中に湛《たゝ》えるのは同じく太古の水であらう、寒氣《さむけ》がする程青い。いつ散つたものか黄な小さき葉が水の上に浮いて居る。こゝにも天《あめ》が下《した》の風は吹く事があると見えて、浮ぶ葉は吹き寄せられて、所々《ところ/”\》にかたまつて居る。群《むれ》を離れて散つて居るのはもとより數へ切れぬ。糸の音《ね》は三たび響く。滑《なめら》かなる坂を、護謨《ゴム》の輪が緩々《ゆる/\》練り上《あが》る如く、低《ひ》くきより自然に高き調子に移りてはたとやむ。
ヰリアムの腰は鞍を離れた。池の方に眼を向けた儘音ある方《かた》へ徐《おもむ》ろに歩を移す。ぼろ/\と崩るゝ苔の皮の、厚く柔らかなれば、あるく時も、坐れる時の如く林の中は森《しん》として靜かである。足音に我が動くを知るものゝ、音なければ動く事を忘るゝか、ヰリアムは歩むとは思はず只ふら/\と池の汀《みぎは》迄進み寄る。池幅の少しく逼りたるに、臥す牛を欺く程の岩が向側《むかふがは》から半《なか》ば岸に沿ふて蹲踞《うづくま》れば、ヰリアムと岩との間は僅か一丈|餘《よ》ならんと思はれる。其岩の上に一人の女が、眩《まば》ゆしと見ゆる迄|紅《くれなゐ》なる衣《ころも》を着て、知らぬ世の樂器を彈くともなしに彈いて居る。碧《みど》り積む水が肌《はだ》に沁《し》む寒き色の中に、此女の影を倒《さか》しまに※[草冠/?]《ひた》す。投げ出《いだ》したる足の、長き裳《もすそ》に隱くるゝ末迄明かに寫る。水は元より動かぬ、女も動かねば影も動かぬ。只弓を擦《す》る右の手が糸に沿ふてゆるく搖《うご》く。頭《かしら》を纒ふ、糸に貫《つらぬ》いた眞珠の飾りが、湛然《たんぜん》たる水の底に明星程の光を放つ。黒き眼の黒き髪の女である。クラヽとは似ても似つかぬ。女はやがて歌ひ出す。
「岩の上なる我《われ》がまこと〔三字傍点〕か、水の下なる影がまこと〔三字傍点〕か」
清く淋《さび》しい聲である。風の度《わた》らぬ梢から黄な葉がはら/\と赤き衣にかゝりて、池の面《おもて》に落ちる。靜かな影がちよと動いて、又元に還《かへ》る。ヰリアムは茫然として佇《たゝ》ずむ。
「まこと〔三字傍点〕とは思ひ詰めたる心の影を。心の影を僞《いつは》りと云ふが僞《いつは》り」女靜かに歌いやんで、ヰリアムの方《かた》を顧みる。ヰリアムは瞬きもせず女の顔を打ち守る。
「戀に口惜《くや》しき命の占《うら》を、盾に問へかし、まぼろし〔四字傍点〕の盾」
ヰリアムは崖を飛ぶ牡鹿《をじか》の如く、踵《くびす》をめぐらして、盾をとつて來る。女「只懸命に盾の面《おもて》を見給へ」と云ふ。ヰリアムは無言の儘盾を抱《いだ》いて、池の縁《ふち》に坐る。寥廓《れうくわく》なる天《てん》の下、蕭瑟《せうしつ》なる林の裏《うち》、幽冷なる池の上に音と云ふ程の音は何にも聞えぬ。只ヰリアムの見詰めたる盾の内輪《ないりん》が、例の如く環《めぐ》り出すと共に、昔《むか》しながらの微《かす》かな聲が彼の耳を襲ふのみである。「盾の中《うち》に何をか見る」と女は水の向《むかふ》より問ふ。「ありとある蛇の毛の動くは」とヰリアムが眼を放たずに答へる。「物音は?」「鵞筆《がひつ》の紙を走る如くなり」
「迷ひては、迷ひてはしきりに動く心なり、音なき方《かた》に音をな聞きそ、音をな聞きそ」と女|半《なか》ば歌ふが如く、半《なか》ば語るが如く、岸を隔てゝヰリアムに向けて手を波の如くふる。動く毛の次第にやみて、鳴る音も自《おのづ》から絶ゆ。見入る盾の模樣は霞むかと疑はれて程なく盾の面《おもて》に黒き幕かゝる。見れども見えず、聞けども聞えず、常闇《とこやみ》の世に住む我を怪しみて「暗し、暗し」と云ふ。わが呼ぶ聲のわれにすら聞かれぬ位|幽《かす》かなり。
「闇に烏を見ずと嘆かば、鳴かぬ聲さへ聞かんと戀はめ、――身をも命も、闇に捨てなば、身をも命も、闇に拾はば、嬉しからうよ」と女の歌ふ聲が百尺《ひやくせき》の壁を洩れて、蜘蛛の圍《ゐ》の細き通ひ路より來《きた》る。歌はしばし絶えて弓|擦《す》る音の風誘ふ遠きより高く低く、ヰリアムの耳に限りなき清凉の氣を吹く。其時暗き中に一點|白玉《はくぎよく》の光が點ぜらるゝ。見るうちに大きくなる。闇のひくか、光りの進むか、ヰリアムの眼の及ぶ限りは、四面|空蕩萬里《くうたうばんり》の層氷《そうひよう》を建て連らねたる如く豁《ほがら》かになる。頭《かしら》を蔽ふ天もなく、足を乘する地もなく冷瓏虚無《れいろうきよむ》の眞中《まなか》に一人立つ。
「君は今いづくに居《お》はすぞ」と遙かに問ふは彼《か》の女《をんな》の聲である。
「無の中《うち》か、有《う》の中《うち》か、玻璃瓶《ハリびん》の中《うち》か」とヰリアムが蘇《よみ》がへれる人の樣に答へる。彼の眼はまだ盾を離れぬ。
女は歌ひ出す。「以太利亞《イタリア》の、以太利亞《イタリア》の海紫に夜明けたり」
「廣い海がほの/”\とあけて、……橙色《だい/”\いろ》の日が浪から出る」とヰリアムが云ふ。彼の眼は猶《なほ》盾を見詰めて居る。彼の心には身も世も何もない。只盾がある。髪毛の末から、足の爪先に至るまで、五臓六腑を擧げ、耳目口鼻《じもくこうび》を擧げて悉《こと/”\》く幻影《まぼろし》の盾である。彼の總身《そうしん》は盾になり切つて居る。盾はヰリアムでヰリアムは盾である。二つのものが純一無雜の清淨界《しやうじやうかい》にぴたりと合ふたとき――以太利亞《イタリア》の空は自《おのづ》から明けて、以太利亞《イタリア》の日は自《おのづ》から出る。
女は又歌ふ。「帆を張れば、舟も行くめり、帆柱に、何を掲げて……」
「赤だつ」とヰリアムは盾の中に向つて叫ぶ。「白い帆が山影を横ぎつて、岸に近づいて來る。三本の帆柱の左右は知らぬ、中なる上に春風《しゆんぷう》を受けて棚曳《たなび》くは、赤だ、赤だクラヽの舟だ」……舟は油の如く平《たひら》なる海を滑つて難なく岸に近づいて來る。舳《へさき》に金色《きんいろ》の髪を日に亂して伸び上るは言ふ迄もない、クラヽである。
こゝは南の國で、空には濃き藍を流し、海にも濃き藍を流して其中に横《よこた》はる遠山《とほやま》も又濃き藍を含んで居る。只春の波のちよろ/\と磯を洗ふ端《はし》丈《だけ》が際限なく長い一條の白布《はくふ》と見える。丘には橄欖《かんらん》が深緑《ふかみど》りの葉を暖かき日に洗はれて、其葉裏には百千鳥《もゝちどり》をかくす。庭には黄な花、赤い花、紫の花、紅《くれなゐ》の花――凡《すべ》ての春の花が、凡ての色を盡くして、咲きては亂れ、亂れては散り、散りては咲いて、冬知らぬ空を誰に向つて誇る。
暖かき草の上に二人が坐つて、二人共に青絹を敷いた樣な海の面《おもて》を遙かの下に眺めて居る。二人共に斑入《ふい》りの大理石の欄干に身を靠《もた》せて、二人共に足を前に投げ出して居る。二人の頭の上から欄干を斜めに林檎の枝が花の蓋《かさ》をさしかける。花が散ると、あるときはクラヽの髪の毛にとまり、ある時はヰリアムの髪の毛にかゝる。又ある時は二人の頭と二人の袖にはら/\と一度にかゝる。枝から釣るす籠の内で鸚鵡《あうむ》が時々けたゝましい音《ね》を出す。
「南方の日の露に沈まぬうちに」とヰリアムは熱き唇をクラヽの唇につける。二人の唇の間に林檎の花の一片《ひとひら》がはさまつて濡れたまゝついて居る。
「此國の春は長《とこし》へぞ」とクラヽ窘《たしな》める如くに云ふ。ヰリアムは嬉しき聲に Druerie ! と呼ぶ。クラヽも同じ樣に Druerie ! と云ふ。籠の中なる鸚鵡《あうむ》が Druerie ! と鋭どき聲を立てる。遙か下なる春の海もドルエリと答へる。海の向ふの遠山もドルエリと答へる。丘を蔽ふ凡《すべ》ての橄欖《かんらん》と、庭に咲く黄な花、赤い花、紫の花、紅《くれなゐ》の花――凡《すべ》ての春の花と、凡《すべ》ての春の物が皆一齊にドルエリと答へる。――是は盾の中の世界である。而してヰリアムは盾である。
百年の齡《よは》ひは目出度も難有《ありがた》い。然しちと退屈ぢや。樂《たのしみ》も多からうが憂《うれひ》も長からう。水臭い麥酒《ビール》を日毎に浴びるより、舌を燒く酒精《アルコール》を半滴味はう方が手間がかゝらぬ。百年を十で割り、十年を百で割つて、剰《あま》す所の半時《はんとき》に百年の苦樂を乘《じよう》じたら矢張り百年の生を享《う》けたと同じ事ぢや。泰山もカメラの裏《うち》に収まり、水素も冷ゆれば液となる。終生の情《なさ》けを、分《ふん》と縮め、懸命の甘きを點と凝《こ》らし得るなら――然しそれが普通の人に出來る事だらうか? ――此猛烈な經驗を甞《な》め得《え》たものは古徃今來ヰリアム一人《いちにん》である。(二月十八日)
(2005.11.6(日)午後3時10分、修正終了、2016年6月6日(月)午前11時25分再校終了。)
琴のそら音
――明治三十八、五、一――
「珍らしいね、久しく來なかつたぢやないか」と津田《つだ》君が出過ぎた洋燈《ランプ》の穗を細めながら尋ねた。
津田君がかう云つた時、余ははち切れて膝頭の出さうなヅズボンの上で、相馬燒《さうまやき》の茶碗《ちやわん》の糸底《いとぞこ》を三本指でぐる/\廻しながら考へた。成程珍らしいに相違ない、此正月に顔を合せたぎり、花盛りの今日《けふ》迄《まで》津田君の下宿を訪問した事はない。
「來《き》やう/\と思ひながら、つい忙がしいものだから――」
「そりあ、忙がしいだらう、何と云つても學校に居たうちとは違ふからね、此頃でも矢張り午後六時迄かい」
「まあ大概その位さ、家《うち》へ歸つて飯を食ふとそれなり寢て仕舞ふ。勉強|所《どころ》か湯にも碌々《ろく/\》這入らない位だ」と余は茶碗を疊の上へ置いて、卒業が恨めしいと云ふ顔をして見せる。
津田君は此|一言《いちごん》に少々同情の念を起したと見えて「成程少し瘠せた樣だぜ、餘程苦しいのだらう」と云ふ。氣のせいか當人は學士になつてから少々肥つた樣に見えるのが癪に障る。机の上に何だか面白さうな本を廣げて右の頁の上に鉛筆で註が入れてある。こんな閑《ひま》があるかと思ふと羨ましくもあり、忌々《いま/\》しくもあり、同時に吾身が恨めしくなる。
「君は不相變《あひかはらず》勉強で結構だ、其讀みかけてある本は何かね。ノート抔《など》を入れて大分《だいぶ》叮嚀に調べて居るぢやないか」
「是か、なに是は幽靈の本さ」と津田君は頗る平氣な顔をして居る。此|忙《いそが》しい世の中に、流行《はや》りもせぬ幽靈の書物を澄まして愛讀する抔《など》といふのは、呑氣《のんき》を通り越して贅澤《ぜいたく》の沙汰だと思ふ。
「僕も氣樂に幽靈でも研究して見たいが、――どうも毎日芝から小石川の奧迄歸るのだから研究は愚か、自分が幽靈になりさうな位さ、考へると心細くなつて仕舞ふ」
「さうだつたね、つい忘れて居た。どうだい新世帶《しんじよたい》の味は。一戸を構へると自《おのづ》から主人らしい心持がするかね」と津田君は幽靈を研究する丈《だけ》あつて心理作用に立ち入つた質問をする。
「あんまり主人らしい心持もしないさ。矢ツ張り下宿の方が氣樂でいゝ樣だ。あれでも萬事整頓して居たら旦那の心持と云ふ特別な心持になれるかも知れんが、何しろ眞鍮《しんちゆう》の藥罐《やくわん》で湯を沸かしたり、ブリッキの金盥《かなだらひ》で顔を洗つてる内は主人らしくないからな」と實際の所を白?する。
「夫《それ》でも主人さ。是が俺のうちだと思へば何となく愉快だらう。所有と云ふ事と愛惜《あいせき》といふ事は大抵の場合に於て伴なうのが原則だから」と津田君は心理學的に人の心を説明して呉れる。學者と云ふものは頼みもせぬ事を一々説明してくれる〔三字傍点〕者である。
「俺の家《うち》だと思ばどうか知らんが、てんで俺の家《うち》だと思ひ度くないんだからね。そりや名前|丈《だけ》は主人に違ひないさ。だから門口《かどぐち》にも僕の名刺|丈《だけ》は張り付けて置いたがね。七圓五十錢の家賃の主人なんざあ、主人にしたところが見事な主人ぢやない。主人中の屬官なるものだあね。主人になるなら勅任主人か少なくとも奏任主人にならなくつちや愉快はないさ。只下宿の時分より面倒が殖える許《ばか》りだ」と深くも考へずに浮氣《うはき》の不平|丈《だけ》を發表して相手の氣色《けしき》を窺ふ。向ふが少しでも同意したら、すぐ不平の後陣《ごぢん》を繰り出す積りである。
「成程眞理は其邊にあるかも知れん。下宿を續けて居る僕と、新たに一戸を構へた君とは自《おのづ》から立脚地が違ふからな」と言語は頗る六づかしいが兎に角余の説に賛成|丈《だけ》はしてくれる。此模樣ならもう少し不平を陳列しても差《さ》し支《つかへ》はない。
「先づうちへ歸ると婆さんが横|綴《と》ぢの帳面を持つて僕の前へ出てくる。今日《こんにち》は御味噌を三錢、大根を二本、鶉豆《うづらまめ》を一錢五厘買ひましたと精密なる報告をするんだね。厄介極まるのさ」
「厄介極まるなら廢《よ》せばいゝぢやないか」と津田君は下宿人|丈《だけ》あつて無雜作な事を言ふ。
「僕は廢《よ》してもいゝが婆さんが承知しないから困る。そんな事は一々聞かないでもいゝから好《いゝ》加減にして呉れと云ふと、どう致しまして、奧樣の入らつしやらない御家《おうち》で、御臺所を預かつて居ります以上は一錢一厘でも間違ひがあつてはなりません、てつて頑《ぐわん》として主人の云ふ事を聞かないんだからね」
「夫《それ》ぢやあ、只うん/\云つて聞いてる振をして居りや宜《よ》からう」津田君は外部の刺激の如何《いかん》に關せず心は自由に働き得ると考へて居るらしい。心理學者にも似合しからぬ事だ。
「然し夫《それ》丈《だけ》ぢやないのだからな。精細なる會計報告が濟むと、今度は翌日《あす》の御菜《おかず》に就て綿密な指揮を仰ぐのだから弱る」
「見計らつて調理《こしら》へろと云へば好いぢやないか」
「所が當人見計らふ丈《だけ》に、御菜《おかず》に關して明瞭なる觀念がないのだから仕方がない」
「それぢや君が云ひ付けるさ。御菜《おかず》のプログラム位譯ないぢやないか」
「夫《それ》が容易《たやす》く出來る位なら苦にやならないさ。僕だつて御菜《おかず》上の智識は頗る乏しいやね。明日《あした》の御みおつけ〔四字傍点〕の實《み》は何に致しませうとくると、最初から即答は出來ない男なんだから……」
「何だい御みおつけ〔四字傍点〕と云ふのは」
「味噌汁の事さ。東京の婆さんだから、東京流に御みおつけ〔四字傍点〕と云ふのだ。先づ其《その》汁の實《み》を何に致しませうと聞かれると、實になり得べき者を秩序正しく並《なら》べた上で選擇をしなければならんだらう。一々考へ出すのが第一の困難で、考へ出した品物に就て取捨をするのが第二の困難だ」
「そんな困難をして飯を食つてるのは情ない譯だ、君が特別に數奇《すき》なものが無いから困難なんだよ。二個以上の物體を同等の程度で好惡《かうを》するときは決斷力の上に遅鈍なる影響を與へるのが原則だ」と又分り切つた事を態々《わざ/\》六づかしくして仕舞ふ。
「味噌汁の實迄相談するかと思ふと、妙な所へ干渉するよ」
「へえ、矢張り食物上にかね」
「うん、毎朝梅干に白砂糖を懸けて來て是非一つ食へツて云ふんだがね。之を食はないと婆さん頗る御機嫌が惡いのさ」
「食へばどうかするのかい」
「何でも厄病除《やくびやうよけ》のまじなひださうだ。さうして婆さんの理由が面白い。日本中ど此宿屋へ泊つても朝、梅干を出さない所はない。まじなひが利かなければ、こんなに一般の習慣となる譯がないと云つて得意に梅干を食はせるんだからな」
「成程|夫《それ》は一理あるよ、凡《すべ》ての習慣は皆相應の功力があるので維持せらるるのだから、梅干だつて一概に馬鹿には出來ないさ」
「なんて君迄婆さんの肩を持つた日にや、僕は愈《いよ/\》主人らしからざる心持に成つて仕舞はあ」と飲みさしの卷烟草を火鉢の灰の中へ擲《たゝ》き込む。燃え殘りのマツチの散る中に、白いものがさと動いて斜めに一の字が出來る。
「兎に角舊弊な婆さんだな」
「舊弊はとくに卒業して迷信|婆々《ばゝあ》さ。何でも月に二三返は傳通院邊の何とか云ふ坊主の所へ相談に行く樣子だ」
「親類に坊主でもあるのかい」
「なに坊主が小遣取りに占《うらな》ひをやるんだがね。其坊主が又余計な事|許《ばか》り言ふもんだから始末に行かないのさ。現に僕が家《うち》を持つ時|抔《など》も鬼門《きもん》だとか八方塞《はつぱうふさが》りだとか云つて大《おほい》に弱らしたもんだ」
「だつて家《うち》を持つてから其婆さんを雇つたんだらう」
「雇つたのは引き越す時だが約束は前からして置いたのだからね。實はあの婆々《ばゝあ》も四谷の宇野《うの》の世話で、是なら大丈夫だ獨りで留守をさせても心配はないと母が云ふから極めた譯さ」
「夫《それ》なら君の未來の妻君の御母《おつか》さんの御眼鏡《おめがね》で人撰《にんせん》に預《あづか》つた婆さんだから慥《たし》かなもんだらう」
「人間は慥《たし》かに相違ないが迷信には驚いた。何でも引き越すと云ふ三日前に例の坊主の所へ行つて見て貰つたんださうだ。すると坊主が今本郷から小石川の方へ向いて動くのは甚だよくない、屹度《きつと》家内に不幸があると云つたんだがね。――餘計な事ぢやないか、何も坊主の癖にそんな知つた風な妄言《まうごん》を吐かんでもの事だあね」
「然しそれが商賣だから仕樣《しやう》がない」
「商賣なら勘辨してやるから、金|丈《だけ》貰つて當り障りのない事を喋舌《しやべ》るがいゝや」
「さう怒つても僕の咎《とが》ぢやないんだから埓《らち》はあかんよ」
「其上若い女に祟《たゝ》ると御負けを附加《つけた》したんだ。さあ婆さん驚くまい事か、僕のうちに若い女があるとすれば近い内貰ふ筈の宇野の娘に相違ないと自分で見解を下《くだ》して獨りで心配して居るのさ」
「だつて、まだ君の所へは來んのだらう」
「來んうちから心配をするから取越苦勞さ」
「何だか洒落《しやれ》か眞面目か分らなくなつて來たぜ」
「丸《まる》で御話にも何もなりやしない。所で近頃僕の家《うち》の近邊で野良犬が遠吠をやり出したんだ。……」
「犬の遠吠と婆さんとは何か關係があるのかい。僕には聯想さへ浮ばんが」と津田君は如何に得意の心理學でも是は説明が出來|惡《にく》いと一寸眉を寄せる。余はわざと落ち付き拂つて御茶を一杯と云ふ。相馬燒の茶碗は安くて俗な者である。もとは貧乏士族が内職に燒いたとさへ傳聞して居る。津田君が三十|匁《め》の出殼《でがら》を浪々《なみ/\》此安茶碗についでくれた時余は何となく厭な心持がして飲む氣がしなくなつた。茶碗の底を見ると狩野法眼元信流《かのうほふげんもとのぶりう》の馬が勢よく跳ねて居る。安いに似合はず活?な馬だと感心はしたが、馬に感心したからと云つて飲みたくない茶を飲む義理もあるまいと思つて茶碗は手に取らなかつた。
「さあ飲み給へ」と津田君が促がす。
「此馬は中々勢がいゝ。あの尻尾《しつぽ》を振つて鬣《たてがみ》を亂して居る所は野馬《のんま》だね」と茶を飲まない代りに馬を賞めてやつた。
「冗談ぢやない、婆さんが急に犬になるかと、思ふと、犬が急に馬になるのは烈しい。夫《それ》からどうしたんだ」と頻りに後《あと》を聞きたがる。茶は飲まんでも差し支へない事となる。
「婆さんが云ふには、あの鳴き聲は唯の鳴き聲ではない、何でも此邊に變があるに相違ないから用心しなくてはいかんと云ふのさ。然し用心をしろと云つたつて別段用心の仕樣《しやう》もないから打ち遣つて置くから構はないが、うるさいには閉口だ」
「そんなに鳴き立てるのかい」
「なに犬はうるさくも何ともないさ。第一僕はぐう/\寐て仕舞ふから、いつどんなに吠ゑるのか全く知らん位さ。然し婆さんの訴へは僕の起きて居る時を擇《えら》んで來るから面倒だね」
「成程|如何《いか》に婆さんでも君の寐て居る時をよつて御氣を御付け遊ばせとも云ふまい」
「所へもつて來て僕の未來の細君が風邪を引いたんだね。丁度婆さんの御誂《おあつら》へ通りに事件が輻輳《ふくそう》したからたまらない」
「それでも宇野の御孃さんはまだ四谷に居るんだから心配せんでも宜《よ》さゝうなものだ」
「それを心配するから迷信|婆々《ばゞあ》さ、あなたが御移りにならんと御孃樣の御病氣がはやく御全快になりませんから是非此月|中《ぢゆう》に方角のいゝ所へ御轉宅遊ばせと云ふ譯さ。飛んだ預言者に捕《つら》まつて、大迷惑だ」
「移るのもいゝかも知れんよ」
「馬鹿あ言つてら、此間越した許《ばか》りだね。そんなに度々引越しをしたら身代限《しんだいかぎり》をする許《ばか》りだ」
「然し病人は大丈夫かい」
「君迄妙な事を言ふぜ。少々傳通院の坊主にかぶれて來たんぢやないか。そんなに人を威嚇《おど》かすもんぢやない」
「威嚇《おど》かすんぢやない、大丈夫かと聞くんだ。是でも君の妻君の身の上を心配した積《つもり》なんだよ」
「大丈夫に極《きま》つてるさ。咳嗽《せき》は少し出るがインフルエンザなんだもの」
「インフルエンザ?」と津田君は突然余を驚かす程な大きな聲を出す。今度は本當に威嚇《おど》かされて、無言の儘津田君の顔を見詰める。
「よく注意し給へ」と二句目は低い聲で云つた。初めの大きな聲に反して此低い聲が耳の底をつき拔けて頭の中へしんと浸み込んだ樣な氣持がする。何故《なぜ》だか分らない。細い針は根迄這入る、低くても透《とほ》る聲は骨に答へるのであらう。碧瑠璃《へきるり》の大空に瞳《ひとみ》程な黒き點をはたと打たれた樣な心持ちである。消えて失《う》せるか、溶けて流れるか、武庫山卸《むこやまおろ》しにならぬとも限らぬ。此瞳程な點の運命は是から津田君の説明で決せられるのである。余は覺えず相馬燒の茶碗を取り上げて冷たき茶を一時《いちじ》にぐつと飲み干した。
「注意せんといかんよ」と津田君は再び同じ事を同じ調子で繰り返す。瞳ほどな點が一段の黒味を揩キ。然し流れるとも廣がるとも片付かぬ。
「縁喜《えんぎ》でもない、いやに人を驚かせるぜ。ワハヽヽヽヽ」と無理に大きな聲で笑つて見せたが、腑の拔けた勢のない聲が無意味に響くので、我ながら氣が付いて中途でぴたりと已《や》めた。やめると同時に此笑が愈《いよ/\》不自然に聞かれたので矢張り仕舞迄笑ひ切れば善かつたと思ふ。津田君は此笑を何と聞いたか知らん。再び口を開《ひら》いた時は依然として以前の調子である。
「いや實は斯う云ふ話がある。つい此間の事だが、僕の親戚の者が矢張りインフルエンザに罹《かゝ》つてね。別段の事はないと思つて好《いゝ》加減にして置いたら、一週間目から肺炎に變じて、とう/\一箇月立たない内に死んで仕舞つた。其時醫者の話さ。此頃のインフルエンザは性《たち》が惡い、ぢきに肺炎になるから用心をせんといかんと云つたが――實に夢の樣さ。可哀さうでね」と言ひ掛けて厭な寒い顔をする。
「へえ、それは飛んだ事だつた。どうして又肺炎|抔《など》に變じたのだ」と心配だから參考の爲め聞いて置く氣になる。
「どうしてつて、別段の事情もないのだが――夫《それ》だから君のも注意せんといかんと云ふのさ」
「本當だね」と余は滿腹の眞面目を此四文字に籠めて、津田君の眼の中を熱心に覗き込んだ。津田君はまだ寒い顔をして居る。
「いやだ/\、考へてもいやだ。二十二や三で死んでは實につまらんからね。しかも所天《をつと》は戰爭に行つてるんだから――」
「ふん、女か? そりや氣の毒だなあ。軍人だね」
「うん所天《をつと》は陸軍中尉さ。結婚してまだ一年にならんのさ。僕は通夜《つや》にも行き葬式の供にも立つたが――其夫人の御母《おつか》さんが泣いてね――」
「泣くだらう、誰だつて泣かあ」
「丁度葬式の當日は雪がちら/\降つて寒い日だつたが、御經が濟んで愈《いよ/\》棺を埋《う》める段になると、御母《おつか》さんが穴の傍《そば》へしやがんだぎり動かない。雪が飛んで頭の上が斑《まだら》になるから、僕が蝙蝠傘《かうもり》をさし懸けてやつた」
「それは感心だ、君にも似合はない優しい事をしたものだ」
「だつて氣の毒で見て居られないもの」
「さうだらう」と余は又|法眼元信《ほふげんもとのぶ》の馬を見る。自分ながら此時は相手の寒い顔が傳染して居るに相違ないと思つた。咄嗟《とつさ》の間に死んだ女の所天《をつと》の事が聞いて見たくなる。
「それで其|所天《をつと》の方は無事なのかね」
「所天《をつと》は黒木軍に附いて居るんだが、此方はまあ幸《さいはひ》に怪我もしない樣だ」
「細君が死んだと云ふ報知を受取つたら嘸《さぞ》驚いたらう」
「いや、それに付いて不思議な話があるんだがね、日本から手紙の屆かない先に細君がちやんと亭主の所へ行つて居るんだ」
「行つてるとは?」
「逢ひに行つてるんだ」
「どうして?」
「どうしてつて、逢ひに行つたのさ」
「逢ひに行くにも何にも當人死んでるんぢやないか」
「死んで逢ひに行つたのさ」
「馬鹿あ云つてら、いくら亭主が戀しいつたつて、そんな藝が誰に出來るもんか。丸《まる》で林屋正三の怪談だ」
「いや實際行つたんだから、仕樣《しやう》がない」と津田君はヘ育ある人にも似合ず、頑固に愚《ぐ》な事を主張する。
「仕樣《しやう》がないつて――何だか見て來た樣な事を云ふぜ。可笑《をか》しいな、君本當にそんな事を話してるのかい」
「無論本當さ」
「是りや驚いた。丸《まる》で僕のうちの婆さんの樣だ」
「婆さんでも爺さんでも事實だから仕方がない」と津田君は愈《いよ/\》躍起《やくき》になる。どうも余にからかつて居る樣にも見えない。はてな眞面目で云つて居るとすれば何か曰くのある事だらう。津田君と余は大學へ入《はい》つてから科は違ふたが、高等學校では同じ組に居た事もある。其時余は大概四十何人の席末を汚すのが例であつたのに、先生は?然《きぜん》として常に二三番を下《くだ》らなかつた所をもつて見ると、頭腦は余よりも三十五六枚|方《がた》明晰に相違ない。其津田君が躍起になる迄辯護するのだから滿更《まんざら》の出鱈目ではあるまい。余は法學士である、刻下の事件を有の儘に見て常識で捌《さば》いて行くより外に思慮を廻《めぐ》らすのは能はざるよりも寧ろ好まざる所である。幽靈だ、祟《たゝり》だ、因縁だ抔《など》と雲を攫《つか》む樣な事を考へるのは一番|嫌《きらひ》である。が津田君の頭腦には少々恐れ入つて居る。其恐れ入つてる先生が眞面目に幽靈談をするとなると、余も此問題に對する態度を義理にも改めたくなる。實を云ふと幽靈と雲助は維新以來永久廢業した者とのみ信じて居たのである。然るに先刻《さつき》から津田君の容子を見ると、何だか此幽靈なる者が余の知らぬ間《ま》に再興された樣にもある。先刻《さつき》机の上にある書物は何かと尋ねた時にも幽靈の書物だとか答へたと記憶する。兎に角損はない事だ。忙がしい余に取つてはこんな機會は又とあるまい。後學の爲め話|丈《だけ》でも拝聽して歸らうと漸く肚《はら》の中で決心した。見ると津田君も話の續きが話したいと云ふ風である。話したい、聞きたいと事が極れば譯はない。漢水は依然として西南に流れるのが千古の法則だ。
「段々聞き糺《たゞ》して見ると、其妻と云ふのが夫《をつと》の出征前に誓つたのださうだ」
「何を?」
「もし萬一御留守中に病氣で死ぬ樣な事がありましても只は死にませんて」
「へえ」
「必ず魂魄|丈《だけ》は御傍へ行つて、もう一遍御目に懸りますと云つた時に、亭主は軍人で磊落《らいらく》な氣性だから笑ひながら、よろしい、何時《いつ》でも來なさい、戰《いく》さの見物をさしてやるからと云つたぎり滿州へ渡つたんだがね。其後そんな事は丸《まる》で忘れて仕舞つて一向氣にも掛けなかつたさうだ」
「さうだらう、僕なんざ軍《いく》さに出なくつても忘れて仕舞はあ」
「それで其男が出立をする時細君が色々手傳つて手荷物|抔《など》を買つてやつた中に、懷中持の小さい鏡があつたさうだ」
「ふん。君は大變詳しく調べて居るな」
「なにあとで戰地から手紙が來たので其|?末《てんまつ》が明瞭になつた譯だが。――其鏡を先生常に懷中して居てね」
「うん」
「ある朝例の如くそれを取り出して何心なく見たんださうだ。すると其鏡の奧に寫つたのが――いつもの通り髭だらけな垢染《あかじ》みた顔だらうと思ふと――不思議だねえ――實に妙な事があるぢやないか」
「どうしたい」
「青白い細君の病氣に窶《やつ》れた姿がスーとあらはれたと云ふんだがね――いえ夫《それ》は一寸信じられんのさ、誰に聞かしても嘘だらうと云ふさ。現に僕|抔《など》も其手紙を見る迄は信じない一人であつたのさ。然し向ふで手紙を出したのは無論こちらから死去の通知の行つた三週間も前なんだぜ。嘘をつくつたつて嘘にする材料のない時ださ。夫《それ》にそんな嘘をつく必要がないだらうぢやないか。死ぬか生きるかと云ふ戰爭中にこんな小説|染《じ》みた呑氣《のんき》な法螺《ほら》を書いて國元へ送るものは一人もない譯ださ」
「そりや無い」と云つたが實はまだ半信半疑である。半信半疑ではあるが何だか物凄い、氣味の惡い、一言《いちごん》にして云ふと法學士に似合はしからざる感じが起こつた。
「尤も話しはしなかつたさうだ。黙つて鏡の裏《うち》から夫《をつと》の顔をしけ/”\見詰めたぎりださうだが、其時|夫《をつと》の胸の中《うち》に訣別《けつべつ》の時、細君の言つた言葉が渦の樣に忽然と湧いて出たと云ふんだが、こりやさうだらう。燒小手《やきごて》で腦味噌をじゆつと焚《や》かれた樣な心持だと手紙に書いてあるよ」
「妙な事があるものだな」手紙の文句迄引用されると是非共信じなければならぬ樣になる。何となく物騷な氣合《けはひ》である。此時津田君がもしワツとでも叫んだら余は屹度《きつと》飛び上つたに相違ない。
「それで時間を調べて見ると細君が息を引き取つたのと夫《をつと》が鏡を眺めたのが同日同刻になつて居る」
「愈《いよ/\》不思議だな」是《この》時《とき》に至つては眞面目に不思議と思ひ出した。「然しそんな事が有り得る事かな」と念の爲め津田君に聞いて見る。
「こゝにもそんな事を書いた本があるがね」と津田君は先刻《さつき》の書物を机の上から取り卸しながら「近頃ぢや、有り得ると云ふ事|丈《だけ》は證明されさうだよ」と落ち付き拂つて答へる。法學士の知らぬ間《ま》に心理學者の方では幽靈を再興して居るなと思ふと幽靈も愈《いよ/\》馬鹿に出來なくなる。知らぬ事には口が出せぬ、知らぬは無能力である。幽靈に關しては法學士は文學士に盲從しなければならぬと思ふ。
「遠い距離に於て、ある人の腦の細胞と、他の人の細胞が感じて一種の化學的變化を起すと……」
「僕は法學士だから、そんな事を聞いても分らん。要するにさう云ふ事は理論上あり得るんだね」余の如き頭腦不透明なるものは理窟を承はるより結論|丈《だけ》呑み込んで置く方が簡便である。
「あゝ、つまりそこへ歸着するのさ。それに此本にも例が澤山あるがね、其内でロード、ブローアムの見た幽靈|抔《など》は今の話しと丸《まる》で同じ場合に屬するものだ。中々面白い。君ブローアムは知つて居るだらう」
「ブローアム? ブローアムたなんだい」
「英國の文學者さ」
「道理で知らんと思つた。僕は自慢ぢやないが文學者の名なんかシエクスピヤとミルトンと其外に二三人しか知らんのだ」
津田君はこんな人間と學問上の議論をするのは無駄だと思つたか「夫《それ》だから宇野の御孃さんもよく注意し玉ひと云ふ事さ」と話を元へ戻す。
「うん注意はさせるよ。然し萬一の事がありましたら屹度《きつと》御目に懸りに上りますなんて誓は立てないのだから其方は大丈夫だらう」と洒落《しやれ》て見たが心の中《うち》は何となく不愉快であつた。時計を出して見ると十一時に近い。是は大變。うちでは嘸《さぞ》婆さんが犬の遠吠を苦にして居るだらうと思ふと、一刻も早く歸りたくなる。「いづれ其内婆さんに近付きになりに行くよ」と云ふ津田君に「御馳走をするから是非來給へ」と云ひながら白山御殿町の下宿を出る。
我からと惜氣《をしげ》もなく咲いた彼岸櫻に、愈《いよ/\》春が來たなと浮かれ出したのも僅か二三日《にさんち》の間である。今では櫻自身さへ早待《はやま》つたと後悔して居るだらう。生温《なまぬる》く帽を吹く風に、額際から※[者/火]染《にじ》み出す膏《あぶら》と、粘《ねば》り着く砂埃《すなほこ》りとを一所に拭ひ去つた一昨日《をとゝひ》の事を思ふと、丸《まる》で去年の樣な心持ちがする。それ程きのふから寒くなつた。今夜は一層である。冴返《さえかへ》る抔《など》と云ふ時節でもないに馬鹿々々敷いと外套の襟を立てゝ盲?學校の前から植物園の横をだら/\と下りた時、どこで撞《つ》く鐘だか夜《よる》の中に波を描いて、靜かな空をうねりながら來る。十一時だなと思ふ。――時の鐘は誰が發明したものか知らん。今迄は氣が付かなかつたが注意して聽いて見ると妙な響である。一つ音が粘《ねば》り強い餠を引き千切《ちぎ》つた樣に幾つにも割れてくる。割れたから縁が絶えたかと思ふと細くなつて、次の音に繋がる。繋がつて太くなつたかと思ふと、又筆の穗の樣に自然と細くなる。――あの音はいやに伸びたり縮んだりするなと考へながら歩行《ある》くと、自分の心臓の鼓動も鐘の波のうねりと共に伸びたり縮んだりする樣に感ぜられる。仕舞には鐘の音にわが呼吸を合せ度くなる。今夜はどうしても法學士らしくないと、足早に交番の角を曲るとき、冷たい風に誘はれてポツリと大粒の雨が顔にあたる。
極樂水〔三字傍点〕はいやに陰氣なところである。近頃は兩側へ長家《ながや》が建つたので昔程|淋《さみ》しくはないが、其長家が左右共|闃然《げきぜん》として空家《あきや》の樣に見えるのは餘り氣持のいゝものではない。貧民に活動はつき物である。働いて居らぬ貧民は、貧民たる本性を遺失して生きたものとは認められぬ。余が通り拔ける極樂水《ごくらくみづ》の貧民は打てども蘇《よ》み返《がへ》る景色《けしき》なき迄に靜かである。――實際死んで居るのだらう。ポツリ/\と雨は漸く濃《こま》かになる。傘《かさ》を持つて來なかつた、殊によると歸る迄にはずぶ濡になる哩《わい》と舌打をしながら空を仰ぐ。雨は闇の底から蕭々《せう/\》と降る、容易に晴れさうにもない。
五六間先にたちまち白い者が見える。徃來の眞中に立ち留つて、首を延《のば》して此白い者をすかして居るうちに、白い者は容赦もなく余の方へ進んでくる。半分《はんぶん》と立たぬ間《ま》に余の右側を掠《かす》める如く過ぎ去つたのを見ると――蜜柑箱の樣なものに白い巾《きれ》をかけて、黒い着物をきた男が二人、棒を通して前後から擔いで行くのである。大方葬式か燒場であらう。箱の中のは乳飲子《ちのみご》に違ひない。黒い男は互に言葉も交へずに黙つて此棺桶を擔《かつ》いで行く。天下に夜中《やちゆう》棺桶を擔ふほど、當然の出來事はあるまいと、思ひ切つた調子でコツ/\擔いで行く。闇に消える棺桶を暫くは物珍らし氣に見送つて振り返つた時、又行手から人聲が聞え出した。高い聲でもない、低い聲でもない、夜が更けて居るので存外反響が烈しい。
「昨日《きのふ》生れて今日《けふ》死ぬ奴もあるし」と一人が云ふと「壽命だよ、全く壽命だから仕方がない」と一人が答へる。二人の黒い影が又余の傍《そば》を掠《かす》めて見る間に闇の中へもぐり込む。棺の後《あと》を追つて足早に刻む下駄の音のみが雨に響く。
「昨日生れて今日死ぬ奴もあるし」と余は胸の中《うち》で繰り返して見た。昨日生まれて今日死ぬ者さへあるなら、昨日病氣に罹つて今日死ぬ者は固《もと》よりあるべき筈である。二十六年も娑婆の氣を吸つたものは病氣に罹らんでも充分死ぬ資格を具へて居る。かうやつて極樂水《ごくらくみづ》を四月三日の夜の十一時に上《のぼ》りつゝあるのは、ことによると死にゝ上つてるのかも知れない。――何だか上りたくない。暫らく坂の中途で立つて見る。然し立つて居るのは、殊によると死にゝ立つて居るのかも知れない。――又|歩行《ある》き出す。死ぬと云ふ事が是程人の心を動かすとは今迄つい氣が付かなんだ。氣が付いて見ると立つても歩行《ある》いても心配になる、此樣子では家《うち》へ歸つて蒲團の中へ這入つても矢張り心配になるかも知れぬ。何故《なぜ》今迄は平氣で暮して居たのであらう。考へて見ると學校に居た時分は試驗とベースボールで死ぬと云ふ事を考へる暇がなかつた。卒業してからはペンとインキと夫《それ》から月給の足らないのと婆さんの苦情で矢張り死ぬと云ふ事を考へる暇がなかつた。人間は死ぬ者だとは如何に呑氣《のんき》な余でも承知して居つたに相違ないが、實際余も死ぬものだと感じたのは今夜が生れて以來始めてゞある。夜と云ふ無暗に大きな黒い者が、歩行《ある》いても立つても上下四方から閉ぢ込めて居て、其|中《なか》に余と云ふ形體を溶かし込まぬと承知せぬぞと逼る樣に感ぜらるゝ。余は元來呑氣な丈《だけ》に正直な所、功名心には冷淡な男である。死ぬとしても別に思ひ置く事はない。別に思ひ置く事はないが死ぬのは非常に厭だ、どうしても死に度くない。死ぬのは是程いやな者かなと始めて覺《さと》つた樣に思ふ。雨は段々密になるので外套が水を含んで觸《さは》ると、濡れた海綿を壓《お》す樣にじく/\する。
竹早町を横ぎつて切支丹坂《きりしたんざか》へかゝる。何故《なぜ》切支丹坂《きりしたんざか》と云ふのか分らないが、此坂も名前に劣らぬ怪しい坂である。坂の上へ來た時、ふと先達《せんだつ》てこゝを通つて「日本一急な坂、命の欲しい者は用心ぢや/\」と書いた張札が土手の横からはすに徃來へ差し出て居るのを滑稽だと笑つた事を思ひ出す。今夜は笑ふ所《どころ》ではない。命の欲しい者は用心ぢやと云ふ文句が聖書にでもある格言の樣に胸に浮ぶ。坂道は暗い。滅多に下りると滑つて尻餠を搗《つ》く。險呑《けんのん》だと八合目あたりから下を見て覘《ねらひ》をつける。暗くて何もよく見えぬ。左の土手から古榎《ふるえのき》が無遠慮に枝を突き出して日の目の通はぬほどに坂を蔽ふて居るから、晝でも此坂を下りる時は谷の底へ落ちると同樣あまり善《い》い心持ではない。榎《えのき》は見えるかなと顔を上げて見ると、有ると思へばあり、無いと思へば無い程な黒い者に雨の注ぐ音が頻りにする。此|暗闇《まつくら》な坂を下りて、細い谷道を傳つて、茗荷谷《めうがだに》を向《むかふ》へ上《あが》つて七八丁行けば小日向臺町の余が家へ歸られるのだが、向《むかふ》へ上がる迄がちと氣味がわるい。
茗荷谷《めうがだに》の坂の中途に當る位な所に赤い鮮《あざや》かな火が見える。前から見えて居たのか顔をあげる途端に見えだしたのか判然しないが、兎に角雨を透《すか》してよく見える。或は屋敷の門口《もんぐち》に立てゝある瓦斯燈《ガスとう》ではないかと思つて見て居ると、其火がゆらり/\と盆灯籠《ぼんどうろう》の秋風に搖られる具合に動いた。――瓦斯燈《ガスとう》ではない。何だらうと見て居ると今度は其火が雨と闇の中を波の樣に縫つて上から下へ動いて來る。――是は提灯《ちやうちん》の火に相違ないと漸く判斷した時それが不意と消えて仕舞ふ。
此火を見た時、余ははつと露子《つゆこ》の事を思ひ出した。露子は余が未來の細君の名である。未來の細君と此火とどんな關係があるかは心理學者の津田君にも説明は出來んかも知れぬ。然し心理學者の説明し得るものでなくては思ひ出してならぬとも限るまい。此赤い、鮮《あざや》かな、尾の消える繩に似た火は余をして慥《たし》かに余が未來の細君を咄嗟の際に思ひ出さしめたのである。――同時に火の消えた瞬間が露子の死を未練もなく拈出《ねんしゆつ》した。額を撫《な》でると膏汗《あぶらあせ》と雨でずる/\する。余は夢中であるく。
坂を下り切ると細い谷道で、其谷道が盡きたと思ふあたりから又向き直つて西へ西へと爪上《つまあが》りに新しい谷道がつゞく。此|邊《へん》は所謂《いはゆる》山の手の赤土で、少しでも雨が降ると下駄の齒を吸ひ落すほどに濘《ぬか》る。暗さは暗し、靴は踵《かゝと》を深く土に据ゑつけて容易《たやす》くは動かぬ。曲りくねつて無暗矢鱈に行くと枸杞垣《くこがき》とも覺しきものゝ鋭どく折れ曲る角でぱたりと又赤い火に出喰《でく》はした。見ると巡査である。巡査は其赤い火を燒く迄に余の頬に押し當てゝ「惡るいから御氣を付けなさい」と言ひ棄てゝ擦れ違つた。よく注意し給へと云つた津田君の言葉と、惡いから御氣をつけなさいとヘへた巡査の言葉とは似て居るなと思ふと忽ち胸が鉛《なまり》の樣に重くなる。あの火だ、あの火だと余は息を切らして馳け上る。
どこをどう歩行《ある》いたとも知らず流星の如く吾家《わがや》へ飛び込んだのは十二時近くであらう。三分心《さんぶしん》の薄暗いランプを片手に奧から驅け出して來た婆さんが頓狂な聲を張り上げて「旦那樣! どうなさいました」と云ふ。見ると婆さんは蒼い顔をして居る。
「婆さん! どうかしたか」と余も大きな聲を出す。婆さんも余から何か聞くのが怖しく、余は婆さんから何か聞くのが怖しいので御互にどうかしたかと問ひ掛けながら、其返答は兩方とも云はずに双方とも暫時|睨《にら》み合つて居る。
「水が――水が垂れます」是は婆さんの注意である。成程充分に雨を含んだ外套の裾と、中折帽の庇《ひさし》から用捨なく冷たい點滴が疊の上に垂れる。折目《をれめ》をつまんで抛《はふ》り出すと、婆さんの膝の傍《そば》に白繻子《しろじゆす》の裏を天井へ向けて帽が轉がる。灰色のチエスターフ※[ヒの小字]ールドを脱いで、一振り振つて投げた時はいつもより餘程重く感じた。日本服に着換へて、身顫ひをして漸くわれに歸つた頃を見計《みはから》つて婆さんは又「どうなさいました」と尋ねる。今度は先方も少しは落付いて居る。
「どうするつて、別段どうもせんさ。只雨に濡れた丈《ゞけ》の事さ」と可成《なるべく》弱身を見せまいとする。
「いえあの御顔色は只の御色では御座いません」と傳通院の坊主を信仰する丈《だけ》あつて、うまく人相を見る。
「御前の方がどうかしたんだらう。先《さ》ツきは少し齒の根が合はない樣だつたぜ」
「私は何と旦那樣から冷かされても構ひません。――然し旦那樣|雜談事《じやうだんごと》ぢや御座いませんよ」
「え?」と思はず心臓が縮みあがる。「どうした。留守中何かあつたのか。四谷から病人の事でも何《なん》か云つて來たのか」
「それ御覽遊ばせ、そんなに御孃樣の事を心配して居らつしやる癖に」
「何と云つて來た。手紙が來たのか、使が來たのか」
「手紙も使も參りは致しません」
「それぢや電報か」
「電報なんて參りは致しません」
「それぢや、どうした――早く聞かせろ」
「今夜は鳴き方が違ひますよ」
「何が?」
「何がつて、あなた、どうも宵から心配で堪《たま》りませんでした。どうしても只事《たゞごと》ぢや御座いません」
「何がさ。夫《それ》だから早く聞かせろと云つてるぢやないか」
「先達中《せんだつてぢゆう》から申し上げた犬で御座います」
「犬?」
「ええ、遠吠で御座います。私が申し上げた通りに遊ばせば、こんな事には成らないで濟んだんで御座いますのに、あなたが婆さんの迷信だなんて、餘《あん》まり人を馬鹿に遊ばすものですから……」
「こんな事にもあんな事にも、まだ何にも起らないぢやないか」
「いえ、さうでは御座いません、旦那樣も御歸り遊ばす途中御孃樣の御病氣の事を考へて居らしつたに相違御座いません」と婆さんずばと圖星を刺す。寒い刃《は》が闇に閃めいてひやりと胸打《むねうち》を喰はせられた樣な心持がする。
「それは心配して來たに相違ないさ」
「それ御覽遊ばせ、矢つ張り蟲が知らせるので御座います」
「婆さん蟲が知らせるなんて事が本當にあるものかな、御前そんな經驗をした事があるのかい」
「有る段ぢや御座いません。昔《むか》しから人が烏鳴きが惡いとか何とか善く申すぢや御座いませんか」
「成程烏鳴きは聞いた樣だが、犬の遠吠は御前一人の樣だが――」
「いゝえ、あなた」と婆さんは大輕蔑の口調《くてう》で余の疑を否定する。「同じ事で御座いますよ。婆《ばあ》や抔《など》は犬の遠吠でよく分ります。論より證據是は何かあるなと思ふと外《はづ》れた事が御座いませんもの」
「さうかい」
「年寄の云ふ事は馬鹿に出來ません」
「そりや無論馬鹿には出來んさ。馬鹿に出來んのは僕もよく知つて居るさ。だから何も御前を――然し遠吠がそんなに、よく當るものかな」
「まだ婆やの申す事を疑《うたぐ》つて入らつしやる。何でも宜しう御座いますから明朝《みやうあさ》四谷へ行つて御覽遊ばせ、屹度《きつと》何か御座いますよ、婆やが受合ひますから」
「屹度《きつと》何かあつちや厭だな。どうか工夫はあるまいか」
「夫《それ》だから早く御越し遊ばせと申し上げるのに、あなたが餘り剛情を御張り遊ばすものだから――」
「是から剛情はやめるよ。――兎も角あした早く四谷へ行つて見る事に仕《し》樣《やう》。今夜是から行つても好いが……」
「今夜入らしつちや、婆やは御留守居は出來ません」
「なぜ?」
「なぜつて、氣味《きび》が惡くつて居ても起《た》つても居られませんもの」
「それでも御前が四谷の事を心配して居るんぢやないか」
「心配は致して居りますが、私だつて怖しう御座いますから」
折から軒を遶《めぐ》る雨の響に和して、いづくよりともなく何物か地を這うて唸り廻る樣な聲が聞える。
「あゝ、あれで御座います」と婆さんが瞳を据え小聲で云ふ。成程陰氣な聲である。今夜はこゝへ寢る事にきめる。
余は例の如く蒲團の中へもぐり込んだが此唸り聲が氣になつて瞼《まぶた》さへ合はせる事が出來ない。
普通犬の鳴き聲といふものは、後も先も鉈刀《なた》で打《ぶ》ち切つた薪雜木《まきざつぼう》を長く繼《つ》いだ直線的の聲である。今聞く唸り聲はそんなに簡單な無造作の者ではない。聲の幅に絶えざる變化があつて、曲りが見えて、丸みを帶びて居る。?燭の灯《ひ》の細きより始まつて次第に福やかに廣がつて又油の盡きた燈心の花と漸次《ぜんじ》に消えて行く。どこで吠えるか分らぬ。百里の遠き外《ほか》から、吹く風に乘せられて微《かす》かに響くと思ふ間《ま》に、近づけば軒端《のきば》を洩れて、枕に塞ぐ耳にも薄《せま》る。ウヽヽヽと云ふ音が丸い段落をいくつも連ねて家の周圍を二三度|繞《めぐ》ると、いつしか其音がワヽヽヽに變化する拍子、疾《と》き風に吹き除《の》けられて遙か向ふに尻尾《しつぽ》はンンンと化して闇の世界に入《い》る。陽氣な聲を無理に壓迫して陰欝にしたのが此遠吠である。躁狂《さうきやう》な響を權柄《けんぺい》づくで沈痛ならしめて居るのが此遠吠である。自由でない。壓制されて已《やむ》をえずに出す聲である處が本來の陰欝、天然の沈痛よりも一層厭である、聞き苦しい。余は夜着の中に耳の根迄隱した。夜着の中でも聞える。而も耳を出して居るより一層聞き苦しい。又顔を出す。
暫くすると遠吠がはたと已《や》む。此|夜半《やはん》の世界から犬の遠吠を引き去ると動いて居るものは一つもない。吾家《わがや》が海の底へ沈んだと思ふ位靜かになる。靜まらぬは吾心のみである。吾心のみは此靜かな中から何事かを豫期しつゝある。去《さ》れども其何事なるかは寸分《すんぶん》の觀念だにない。性《しやう》の知れぬ者が此闇の世から一寸顔を出しはせまいかといふ掛念《けねん》が猛烈に神經を鼓舞するのみである。今出るか、今出るかと考へて居る。髪の毛の間へ五本の指を差し込んで無茶苦茶に掻いて見る。一週間程湯に入《はい》つて頭を洗はんので指の股《また》が油でニチヤ/\する。此靜かな世界が變化したら――どうも變化しさうだ。今夜のうち、夜の明けぬうち何かあるに相違ない。此一秒を待つて過ごす。此一秒も亦待ちつゝ暮らす。何を待つて居るかと云はれては困る。何を待つて居るか自分に分らんから一層の苦痛である。頭から拔き取つた手を顔の前に出して無意味に眺める。爪の裏が垢で薄黒く三日月形に見える。同時に胃嚢《ゐぶくろ》が運動を停止して、雨に逢つた鹿皮を天日《てんぴ》で乾《ほ》し堅めた樣に腹の中が窮窟になる。犬が吠ゑれば善《よ》いと思ふ。吠ゑて居るうちは厭でも、厭な度合が分る。かう靜かになつては、どんな厭な事が背後に起りつゝあるのか、知らぬ間《ま》に醸《かも》されつゝあるか見當がつかぬ。遠吠なら我慢する。どうか吠えて呉れゝばいゝと寢返りを打つて仰向けになる。天井に丸くランプの影が幽《かす》かに寫る。見ると其の丸い影が動いて居る樣だ。愈《いよ/\》不思議になつて來たと思ふと、蒲團の上で脊髄が急にぐにやりとする。只眼|丈《だけ》を見張つて、慥《たし》かに動いて居るか、居らぬかを確める。――確かに動いて居る。平常《ふだん》から動いて居るのだが氣が付かずに今日《けふ》迄《まで》過したのか、又は今夜に限つて動くのかしらん。――もし今夜|丈《だけ》動くのなら、只事ではない。然し或は腹工合のせゐかも知れまい。今日會社の歸りに池の端《はた》の西洋料理屋で海老《えび》のフライを食つたが、ことによるとあれが祟つて居るかもしれん。詰らん物を食つて、錢《ぜに》をとられて馬鹿々々しい廢《よ》せばよかつた。何しろこんな時は氣を落ち付けて寐るのが肝心だと堅く眼を閉ぢて見る。すると虹霓《にじ》を粉《こ》にして振り蒔く樣に、眼の前が五色の斑點でちら/\する。是は駄目だと眼を開《あ》くと又ランプの影が氣になる。仕方がないから又横向になつて大病人の如く、凝《ぢつ》として夜の明けるのを待たうと決心した。
横を向いて不圖目に入つたのは、襖《ふすま》の陰に婆さんが叮嚀に疊んで置いた秩父銘仙《ちゝぶめいせん》の不斷着である。此前四谷に行つて露子の枕元で例の通り他愛《たわい》もない話をして居つた時、病人が袖口の綻《ほころ》びから綿が出懸つて居るのを氣にして、よせと云ふのを無理に蒲團の上へ起き直つて縫つてくれた事をすぐ聯想する。あの時は顔色が少し惡い許《ばか》りで笑ひ聲さへ常とは變らなかつたのに――當人ももう大分《だいぶ》好くなつたから明日《あした》あたりから床を上げませうとさへ言つたのに――今、眼の前に露子の姿を浮べて見ると――浮べて見るのではない、自然に浮んで來るのだが――頭へ氷嚢を載《の》せて、長い髪を半分濡らして、うん/\呻《うめ》きながら、枕の上へのり出してくる。――愈《いよ/\》肺炎かしらと思ふ。然し肺炎にでもなつたら何とか知らせが來る筈だ。使も手紙も來ない所を以て見ると矢つ張り病氣は全快したに相違ない、大丈夫だ、と斷定して眠らうとする。合はす瞳の底に露子の青白い肉の落ちた頬と、窪《くぼ》んで硝子張《ガラスばり》の樣に凄い眼があり/\と寫る。どうも病氣は癒つて居らぬらしい。しらせは未《ま》だ來ぬが、來ぬと云ふ事が安心にはならん。今に來るかも知れん、どうせ來るなら早く來れば好《よ》い、來ないか知らんと寢返りを打つ。寒いとは云へ四月と云ふ時節に、厚夜着を二枚も重ねて掛けて居るから、只でさへ寢苦しい程暑い譯であるが、手足と胸の中《うち》は全く血の通はぬ樣に重く冷たい。手で身のうちを撫《な》でゝ見ると膏《あぶら》と汗で濕《しめ》つて居る。皮膚の上に冷たい指が觸《さは》るのが、青大將にでも這はれる樣に厭な氣持である。ことによると今夜のうちに使でも來るかも知れん。
突然何者か表の雨戸を破《わ》れる程叩く。そら來たと心臓が飛び上つて肋《あばら》の四枚目を蹴《け》る。何か云ふ樣だが叩く音と共に耳を襲ふので、よく聞き取れぬ。「婆さん、何か來たぜ」と云ふ聲の下から「旦那樣、何か參りました」と答へる。余と婆さんは同時に表口へ出て雨戸を開ける。――巡査が赤い火を持つて立つて居る。
「今しがた何かありはしませんか」と巡査は不審な顔をして、挨拶もせぬ先から突然尋ねる。余と婆さんは云ひ合した樣に顔を見合せる。兩方共何とも答をしない。
「實は今こゝを巡行するとね、何だか黒い影が御門から出て行きましたから……」
婆さんの顔は土の樣である。何か云はうとするが息がはずんで云へない。巡査は余の方を見て返答を促《うな》がす。余は化石の如く茫然と立つて居る。
「いや是は夜中《やちゆう》甚だ失禮で……實は近頃此界隈が非常に物騷なので、警察でも非常に嚴重に警戒をしますので――丁度御門が開《あ》いて居つて、何か出て行つた樣な按排《あんばい》でしたから、もしやと思つて一寸御注意をしたのですが……」
余は漸くほつと息をつく。咽喉《のど》に痞《つか》へて居る鉛の丸《たま》が下りた樣な氣持ちがする。
「是は御親切に、どうも、――いえ別に何も盗難に罹つた覺はない樣です」
「それなら宜しう御座います。毎晩犬が吠えて御八釜敷《おやかまし》いでせう。どう云ふものか賊が此|邊《へん》ばかり徘徊《はいくわい》しますんで」
「どうも御苦勞樣」と景氣よく答へたのは遠吠が泥棒の爲めであるとも解釋が出來るからである。巡査は歸る。余は夜が明け次第四谷に行く積りで、六時が鳴る迄まんじりともせず待ち明した。
雨は漸く上つたが道は非常に惡い。足駄をと云ふと齒入屋へ持つて行つたぎり、つい取つてくるのを忘れたと云ふ。靴は昨夜《ゆうべ》の雨で到底|穿《は》けさうにない。構ふものかと薩摩下駄を引掛けて全速力で四谷坂町迄馳けつける。門は開《あ》いて居るが玄關はまだ戸閉りがしてある。書生はまだ起きんのかしらと勝手口へ廻る。清と云ふ下總《しもふさ》生れの頬《ほつ》ペタの赤い下女が俎《まないた》の上で糠味噌《ぬかみそ》から出し立ての細根大根《ほそねだいこん》を切つて居る。「御早やう、何はどうだ」と聞くと驚いた顔をして、襷《たすき》を半分|外《はづ》しながら「へえ」と云ふ。へえでは埓《らち》があかん。構はず飛び上つて、茶の間へつか/\這入り込む。見ると御母《おつか》さんが、今起き立の顔をして叮嚀に如鱗木《じよりんもく》の長火鉢を拭いて居る。
「あら靖雄《やすを》さん!」と布巾《ふきん》を持つた儘あつけに取られたと云ふ風をする。あら靖雄さん〔六字傍点〕でも埓《らち》があかん。
「どうです、餘程惡いですか」と口早に聞く。
犬の遠吠が泥棒のせゐときまる位なら、ことによると病氣も癒つて居るかも知れない。癒つて居てくれゝば宜《よ》いがと御母《おつか》さんの顔を見て息を呑み込む。
「えゝ惡いでせう、昨日《きのふ》は大變降りましたからね。嘸《さぞ》御困りでしたらう」是では少々見當が違ふ。御母《おつか》さんの樣子を見ると何だか驚いて居る樣だが、別に心配さうにも見えない。余は何となく落ち付いて來る。
「中々惡い道です」とハンケチを出して汗を拭いたが、矢張り氣掛りだから「あの露子さんは――」と聞いて見た。
「今顔を洗つて居ます、昨夕《ゆうべ》中央會堂の慈善音樂會とかに行つて遅く歸つたものですから、つい寢坊をしましてね」
「インフルエンザは?」
「ええ難有《ありがた》う、もう薩張《さつぱ》り……」
「何ともないんですか」
「ええ風邪はとつくに癒りました」
寒からぬ春風に、濛々たる小雨《こさめ》の吹き拂はれて蒼空の底迄見える心地である。日本一の御機嫌にて候《そろ》と云ふ文句がどこかに書いてあつた樣だが、こんな氣分を云ふのではないかと、昨夕《ゆうべ》の氣味の惡かつたのに引き換へて今の胸の中《うち》が一層朗かになる。なぜあんな事を苦にしたらう、自分ながら愚《ぐ》の至りだと悟つて見ると、何だか馬鹿々々しい。馬鹿々々しいと思ふにつけて、たとひ親しい間柄とは云へ、用もないのに早朝から人の家《うち》へ飛び込んだのが手持無沙汰に感ぜらるゝ。
「どうして、こんなに早く、――何か用事でも出來たんですか」と御母《おつか》さんが眞面目に聞く。どう答へて宜《よ》いか分らん。嘘をつくと云つたつて、さう咄嗟《とつさ》の際に嘘がうまく出るものではない。余は仕方がないから「えゝ」と云つた。
「えゝ」と云つた後《あと》で、廢《よ》せば善《よ》かつた、――一思ひに正直な所を白?して仕舞へば善《よ》かつたと、すぐ氣が付いたが、「えゝ」の出たあとはもう仕方がない。「えゝ」を引き込める譯に行かなければ「えゝ」を活《い》かさなければならん。「えゝ」とは單簡《たんかん》な二文字であるが滅多に使ふものでない、是を活かすには餘程骨が折れる。
「何か急な御用なんですか」と御母《おつか》さんは詰め寄せる。別段の名案も浮ばないから又「えゝ」と答へて置いて、「露子さん/\」と風呂場の方を向いて大きな聲で怒鳴《どな》つて見た。
「あら、どなたかと思つたら、御早いのねえ――どうなすつたの、――何か御用なの?」露子は人の氣も知らずに又同じ質問で苦しめる。
「あゝ何か急に御用が御出來なすつたんだつて」と御母《おつか》さんは露子に代理の返事をする。
「さう、何の御用なの」と露子は無邪氣に聞く。
「えゝ、少し其、用があつて近所迄來たのですから」と漸く一方に活路を開く。隨分苦しい開き方だと一人で肚《はら》の中で考へる。
「それでは、私《わたし》に御用ぢやないの」と御母《おつか》さんは少々不審な顔付である。
「えゝ」
「もう用を濟まして入らしつたの、隨分早いのね」と露子は大《おほい》に感嘆する。
「いえ、まだ是から行くんです」とあまり感嘆されても困るから、一寸謙遜して見たが、どつちにしても別に變りはないと思ふと、自分で自分の言つて居る事が如何にも馬鹿らしく聞える。こんな時は可成《なるべく》早く歸る方が得策だ、長座《ながざ》をすればする程失敗する許《ばか》りだと、そろ/\、尻を立てかけると
「あなた、顔の色が大變惡い樣ですがどうかなさりやしませんか」と御母《おつか》さんが逆捻《さかねぢ》を喰はせる。
「髪を御刈りになると好いのね、あんまり髭が生えて居るから病人らしいのよ。あら頭にはねが上つてゝよ。大變亂暴に御歩行《おある》きなすつたのね」
「日和下駄《ひよりげた》ですもの、餘程上つたでせう」と脊中を向いて見せる。御母《おつか》さんと露子は同時に「おやまあ!」と申し合せた樣な驚き方をする。
羽織を干して貰つて、足駄を借りて奧に寢て居る御父《おと》つさんには挨拶もしないで門を出る。うらゝかな上天氣で、しかも日曜である。少々ばつは惡かつた樣なものゝ昨夜《ゆうべ》の心配は紅爐上の雪と消えて、余が前途には柳、櫻の春が簇《むら》がるばかり嬉しい。神樂坂迄來て床屋へ這入る。未來の細君の歡心を得んが爲だと云はれても構はない。實際余は何事によらず露子の好く樣にしたいと思つて居る。
「旦那髯は殘しませうか」と白服を着た職人が聞く。髯を剃るといゝと露子が云つたのだが全體の髯の事か顋髯《あごひげ》丈《だけ》かわからない。まあ鼻の下|丈《だけ》は殘す事にしやうと一人で極める。職人が殘しませうかと念を押す位だから、殘したつて餘り目立つ程のものでもないには極つて居る。
「源さん、世の中にや隨分馬鹿な奴が居るもんだねえ」と余の顋《あご》をつまんで髪剃を逆《ぎやく》に持ちながら一寸火鉢の方を見る。
源さんは火鉢の傍《そば》に陣取つて將棊盤の上で金銀二枚をしきりにパチつかせて居たが「本當にさ、幽靈だの亡者《まうじや》だのつて、そりや御前、昔《むか》しの事だあな。電氣燈のつく今日《こんにち》そんな箆棒《べらぼう》な話しがある譯がねえからな」と王樣の肩へ飛車を載せて見る。「おい由公御前かうやつて駒を十枚積んで見ねえか、積めたら安宅鮓《あたかずし》を十錢奢つてやるぜ」
一本齒の高足駄を穿《は》いた下剃《したぞり》の小僧が「鮓《すし》ぢやいやだ、幽靈を見せてくれたら、積んで見せらあ」と洗濯したてのタウエルを疊みながら笑つて居る。
「幽靈も由公に迄馬鹿にされる位だから幅は利かない譯さね」と余の揉《も》み上げを米?《こめか》みのあたりからぞきりと切り落す。
「あんまり短かゝあないか」
「近頃はみんな此位です。揉み上げの長いのはにやけ〔三字傍点〕てゝ可笑《をか》しいもんです。――なあに、みんな神經さ。自分の心に恐《こは》いと思ふから自然幽靈だつて搨キして出たくならあね」と刃《は》についた毛を人さし指と拇指《おやゆび》で拭ひながら又源さんに話しかける。
「全く神經だ」と源さんが山櫻の烟を口から吹き出しながら賛成する。
「神經つて者は源さんどこにあるんだらう」と由公はランプのホヤを拭きながら眞面目に質問する。
「神經か、神經は御めえ方々にあらあな」と源さんの答辯は少々漠然として居る。
白暖簾《しろのれん》の懸つた座敷の入口に腰を掛けて、先《さ》つきから手垢のついた薄つぺらな本を見て居た松さんが急に大きな聲を出して面白い事がかいてあらあ、よつぽど面白いと一人で笑ひ出す。
「何だい小説か、食道樂《くひだうらく》ぢやねえか」と源さんが聞くと松さんはさうよさうかも知れねえと上表紙《うはべうし》を見る。標題には浮世心理講義録有耶無耶道人著《うきよしんりかうぎろくうやむやだうじんちよ》とかいてある。
「何だか長い名だ、とにかく食道樂《くひだうらく》ぢやねえ。鎌さん一體是や何の本だい」と余の耳に髪剃を入れてぐる/\廻轉させて居る職人に聞く。
「何だか、譯の分らない樣な、とぼけた事が書いてある本だがね」
「一人で笑つて居ねえで少し讀んで聞かせねえ」と源さんは松さんに請求する。松さんは大きな聲で一節を讀み上げる。
「狸《たぬき》が人を婆化《ばか》すと云ひやすけれど、何で狸《たぬき》が婆化《ばか》しやせう。ありやみんな催眠術《さいみんじゆつ》でげす……」
「成程妙な本だね」と源さんは烟《けむ》に捲《ま》かれて居る。
「拙《せつ》が一返《ぺん》古榎《ふるえのき》になつた事がありやす、ところへ源兵衛村の作藏《さくざう》と云ふ若い衆《しゆ》が首を縊《くゝ》りに來やした……」
「何だい狸が何か云つてるのか」
「どうもさうらしいね」
「それぢや狸のこせへた本ぢやねえか――人を馬鹿にしやがる――夫《それ》から?」
「拙《せつ》が腕をニューと出して居る所へ古褌《ふるふんどし》を懸けやした――隨分|臭《くさ》うげしたよ――……」
「狸の癖にいやに贅澤を云ふぜ」
「肥桶《こいたご》を臺にしてぶらりと下がる途端|拙《せつ》はわざと腕をぐにやりと卸ろしてやりやしたので作藏君は首を縊《くゝ》り損《そくな》つてまご/\して居りやす。こゝだと思ひやしたから急に榎の姿を隱してアハヽヽヽと源兵衛村中へ響く程な大きな聲で笑つてやりやした。すると作藏君は餘程|仰天《ぎやうてん》したと見えやして助けて呉れ、助けて呉れと褌《ふんどし》を置去りにして一生懸命に逃げ出しやした……」
「こいつあ旨《うめ》え、然し狸が作藏の褌《ふんどし》をとつて何にするだらう」
「大方|睾丸《きんたま》でもつゝむ氣だらう」
アハヽヽヽと皆《みんな》一度に笑ふ。余も吹き出しさうになつたので職人は一寸髪剃を顔からはづす。
「面白《おもしれ》え、あとを讀みねえ」と源さん大《おほい》に乘氣になる。
「俗人は拙《せつ》が作藏を婆化《ばか》した樣に云ふ奴でげすが、そりやちと無理でげせう。作藏君は婆化《ばか》され樣《やう》、婆化《ばか》され樣《やう》として源兵衛村をのそ/\して居るのでげす。その婆化《ばか》され樣《やう》と云ふ作藏君の御注文に應じて拙《せつ》が一寸|婆化《ばか》して上げた迄の事でげす。すべて狸一派のやり口は今日《こんにち》開業醫の用ゐて居りやす催眠術でげして、昔から此手で大分《だいぶ》大方《たいはう》の諸君子を胡魔化《ごまか》したものでげす。西洋の狸から直傳《ぢきでん》に輸入致した術を催眠法とか唱へ、之を應用する連中を先生|抔《など》と崇《あが》めるのは全く西洋心醉の結果で拙《せつ》抔《など》はひそかに慨嘆の至《いたり》に堪へん位のものでげす。何も日本固有の奇術が現に傳《つたは》つて居るのに、一も西洋二も西洋と騷がんでもの事でげせう。今の日本人はちと狸を輕蔑し過ぎる樣に思はれやすから一寸全國の狸共に代つて拙《せつ》から諸君に反省を希望して置きやせう」
「いやに理窟を云ふ狸だぜ」と源さんが云ふと、松さんは本を伏せて「全く狸の言ふ通《とほり》だよ、昔だつて今だつて、こつちがしつかりして居りや婆化《ばか》されるなんて事はねえんだからな」と頻りに狸の議論を辯護して居る。して見ると昨夜《ゆうべ》は全く狸に致された譯かなと、一人で愛想《あいそ》をつかし乍《なが》ら床屋を出る。
臺町の吾家《わがや》に着いたのは十時頃であつたらう。門前に黒塗の車が待つて居て、狹い格子の隙《すき》から女の笑ひ聲が洩れる。ベルを鳴らして沓脱《くつぬぎ》に這入る途端「屹度《きつと》歸つて入らつしやつたんだよ」と云ふ聲がして障子がすうと明くと、露子が温かい春の樣な顔をして余を迎へる。
「あなた來て居たのですか」
「えゝ、お歸りになつてから、考へたら何だか樣子が變だつたから、すぐ車で來て見たの、さうして昨夕《ゆうべ》の事を、みんな婆やから聞いてよ」と婆さんを見て笑ひ崩れる。婆さんも嬉しさうに笑ふ。露子の銀の樣な笑ひ聲と、婆さんの眞鍮の樣な笑ひ聲と、余の銅の樣な笑ひ聲が調和して天下の春を七圓五十錢の借家《しやくや》に集めた程陽氣である。如何に源兵衛村の狸でも此位大きな聲は出せまいと思ふ位である。
氣のせゐか其《その》後《ご》露子は以前よりも一層余を愛する樣な素振《そぶり》に見えた。津田君に逢つた時、當夜の景況を殘りなく話したら夫《それ》はいゝ材料だ僕の著書中に入れさせて呉れろと云つた。文學士津田|眞方《まかた》著幽靈論の七二頁にK君の例として載つて居るのは余の事である。
〔2005.11.9(水)午後7時45分、修正終了。2016.6.21(火)午前11時10分、再校終了〕
一夜
――明治三八、九、一――
「美くしき多くの人の、美くしき多くの夢を……」と髯ある人が二たび三たび微吟《びぎん》して、あとは思案の體《てい》である。灯《ひ》に寫る床柱にもたれたる直《なほ》き脊《せ》の、此時少しく前にかゞんで、兩手に抱《いだ》く膝頭に險《けは》しき山が出來る。佳句《かく》を得て佳句を續《つ》ぎ能はざるを恨みてか、黒くゆるやかに引ける眉の下より安からぬ眼の色が光る。
「描《ゑが》けども成らず、描けども成らず」と椽《えん》に端居《はしゐ》して天下晴れて胡坐《あぐら》かけるが繰り返す。兼ねて覺えたる禪語《ぜんご》にて即興なれば間に合はす積りか。剛《こは》き髪を五|分《ぶ》に刈りて髯|貯《たくは》へぬ丸顔を傾けて「描《ゑが》けども、描けども、夢なれば、描けども、成りがたし」と高らかに誦《じゆ》し了つて、から/\と笑ひながら、室《へや》の中《なか》なる女を顧みる。
竹籠に熱き光りを避けて、微《かす》かにともすランプを隔てゝ、右手に違ひ棚、前は緑《みど》り深き庭に向へるが女である。
「畫家ならば繪にもしましよ。女ならば絹を枠《わく》に張つて、縫ひにとりましよ」と云ひながら、白地の浴衣《ゆかた》に片足をそと崩せば、小豆皮《あづきがは》の座布團を白き甲が滑り落ちて、なまめかしからぬ程は艶《えん》なる居ずまひとなる。
「美しき多くの人の、美しき多くの夢を……」と膝|抱《いだ》く男が再び吟じ出すあとにつけて「縫ひにやとらん。縫ひとらば誰に贈らん。贈らん誰に」と女は態《わざ》とらしからぬ樣《さま》ながら一寸《ちよと》笑ふ。やがて朱塗の團扇《うちは》の柄《え》にて、亂れかゝる頬の黒髪をうるさしと許《ばか》り拂へば、柄《え》の先につけたる紫のふさが波を打つて、緑《みど》り濃き香油の薫りの中に躍り入る。
「我に贈れ」と髯なき人が、すぐ言ひ添へて又から/\と笑ふ。女の頬には乳色の底から捕へ難き笑の渦《うづ》が浮き上つて、瞼《まぶた》にはさつと薄き紅《くれなゐ》を溶く。
「縫へば如何《どん》な色で」と髯あるは眞面目にきく。
「絹買へば白き絹、糸買へば銀の糸、金の糸、消えなんとする虹《にじ》の糸、夜と晝との界《さかひ》なる夕暮の糸、戀の色、恨みの色は無論ありましよ」と女は眼をあげて床柱の方を見る。愁《うれひ》を溶いて錬り上げし珠の、烈しき火には堪へぬ程に涼しい。愁の色は昔《むか》しから黒である。
隣へ通ふ路次を境に植え付けたる四五本の檜に雲を呼んで、今やんだ五月雨《さみだれ》が又ふり出す。丸顔の人はいつか布團を捨てゝ椽《えん》より兩足をぶら下げて居る。「あの木立《こだち》は枝を卸《おろ》した事がないと見える。梅雨《つゆ》も大分《だいぶ》續いた。よう飽きもせずに降るの」と獨り言の樣に言ひながら、ふと思ひ出した體《てい》にて、吾が膝頭を丁々《ちやう/\》と平手をたてに切つて敲《たゝ》く。「脚氣《かつけ》かな、脚氣かな」
殘る二人は夢の詩か、詩の夢か、ちよと解しがたき話しの緒《いとぐち》をたぐる。
「女の夢は男の夢よりも美くしかろ」と男が云へば「せめて夢にでも美くしき國へ行かねば」と此世は汚《けが》れたりと云へる顔付きである。「世の中が古くなつて、よごれたか」と聞けば「よごれました」と?扇《ぐわんせん》に輕《かろ》く玉肌《ぎよくき》を吹く。「古き壺には古き酒がある筈、味《あぢは》ひ給へ」と男も鵞鳥の翼《はね》を疊んで紫檀の柄《え》をつけたる羽團扇で膝のあたりを拂ふ。「古き世に醉へるものなら嬉しかろ」と女はどこ迄もすねた體《てい》である。
此時「脚氣かな、脚氣かな」と頻りにわが足を玩《もてあそ》べる人、急に膝頭をうつ手を擧げて、叱《しつ》と二人を制する。三人の聲が一度に途切れる間をクヽーと鋭どき鳥が、檜の上枝《うはえだ》を掠《かす》めて裏の禪寺の方へ拔ける。クヽー。
「あの聲がほとゝぎすか」と羽團扇を棄てゝ是も椽側《えんがは》へ這ひ出す。見上げる軒端《のきば》を斜めに黒い雨が顔にあたる。脚氣を氣にする男は、指を立てゝ坤《ひつじさる》の方《かた》をさして「あちらだ」と云ふ。鐵牛寺《てつぎうじ》の本堂の上あたりでクヽー、クヽー。
「一聲《ひとこゑ》でほとゝぎすだと覺《さと》る。二聲で好い聲だと思ふた」と再び床柱に倚《よ》りながら嬉しさうに云ふ。此髯男は杜鵑《ほとゝぎす》を生れて初めて聞いたと見える。「ひと目見てすぐ惚れるのも、そんな事でしよか」と女が問をかける。別に耻づかしと云ふ氣色《けしき》も見えぬ。五分刈は向き直つて「あの聲は胸がすくよだが、惚《ほ》れたら胸は痞《つか》へるだろ。惚れぬ事。惚れぬ事……。どうも脚氣らしい」と拇指《おやゆび》で向脛《むかふずね》へ力穴《ちからあな》をあけて見る。「九仞《きうじん》の上に一簣《いつき》を加へる。加へぬと足らぬ、加へると危《あや》うい。思ふ人には逢はぬがましだろ」と羽團扇が又動く。「然し鐵片が磁石に逢ふたら?」「はじめて逢ふても會釋はなかろ」と拇指《おやゆび》の穴を逆《さか》に撫でゝ澄まして居る。
「見た事も聞いた事もないに、是だなと認識するのが不思議だ」と仔細らしく髯を撚《ひね》る。「わしは歌麻呂《うたまろ》のかいた美人を認識したが、なんと畫《ゑ》を活かす工夫はなかろか」と又女の方を向く。「私《わたし》には――認識した御本人でなくては」と團扇のふさを繊《ほそ》い指に卷きつける。「夢にすれば、すぐに活《い》きる」と例の髯が無造作に答へる。「どうして?」「わしのは斯うぢや」と語り出さうとする時、蚊遣火《かやりび》が消えて、暗きに潜《ひそ》めるがつと出でゝ頸筋《くびすぢ》のあたりをちくと刺す。
「灰が濕《しめ》つて居るのか知らん」と女が蚊遣筒《かやりづゝ》を引き寄せて蓋をとると、赤い絹糸で括《くゝ》りつけた蚊遣灰が燻《いぶ》りながらふら/\と搖れる。東隣で琴と尺八を合せる音が紫陽花《あぢさゐ》の茂みを洩れて手にとる樣に聞え出す。すかして見ると明け放ちたる座敷の灯《ひ》さへちら/\見える。「どうかな」と一人が云ふと「人並ぢや」と一人が答へる。女|許《ばか》りは黙つて居る。
「わしのは斯うぢや」と話しが又元へ返る。火をつけ直した蚊遣の烟が、筒に穿《うが》てる三つの穴を洩れて三つの烟となる。「今度はつきました」と女が云ふ。三つの烟りが蓋の上に塊《かた》まつて茶色の球《たま》が出來ると思ふと、雨を帶びた風が颯《さつ》と來て吹き散らす。塊《かた》まらぬ間《うち》に吹かるゝときには三つの烟りが三つの輪を描《ゑが》いて、黒塗に蒔繪を散らした筒の周圍《まはり》を遶《めぐ》る。あるものは緩く、あるものは疾《と》く遶《めぐ》る。又ある時は輪さへ描《ゑが》く隙《ひま》なきに亂れて仕舞ふ。「荼毘《だび》だ、荼毘《だび》だ」と丸顔の男は急に燒場の光景を思ひ出す。「蚊の世界も樂ぢやなかろ」と女は人間を蚊に比較する。元へ戻りかけた話しも蚊遣火と共に吹き散らされて仕舞ふた。話しかけた男は別に語りつゞけ樣《やう》ともせぬ。世の中は凡《すべ》て是だと疾《と》うから知つて居る。
「御夢の物語りは」とやゝありて女が聞く。男は傍らにある羊皮の表紙に朱で書名を入れた詩集をとりあげて膝の上に置く。讀みさした所に象牙を薄く削《けづ》つた紙小刀《かみナイフ》が挾んである。卷《くわん》に餘つて長く外へ食《は》み出した所|丈《だけ》は細かい汗をかいて居る。指の尖《さき》で觸《さは》ると、ぬらりとあやしい字が出來る。「かう濕氣《しけ》てはたまらん」と眉をひそめる。女も「じめ/\する事」と片手に袂の先を握つて見て、「香《かう》でも焚きましよか」と立つ。夢の話しは又延びる。
宣コ《せんとく》の香爐に紫檀の蓋があつて、紫檀の蓋の眞中には猿を彫《きざ》んだ青玉《せいぎよく》のつまみ手がついて居る。女の手が此蓋にかゝつたとき「あら蜘蛛が」と云ふて長い袖が横に靡《なび》く、二人の男は共に床《とこ》の方を見る。香爐に隣る白磁《はくじ》の瓶《へい》には蓮の花がさしてある。昨日《きのふ》の雨を蓑《みの》着て剪《き》りし人の情《なさ》けを床《とこ》に眺むる莟《つぼみ》は一輪、卷葉は二つ。其葉を去る三寸|許《ばか》りの上に、天井から白金《しろがね》の糸を長く引いて一匹の蜘蛛が――頗る雅《が》だ。
「蓮の葉に蜘蛛|下《くだ》りけり香を焚く」と吟じながら女一度に數瓣《すうべん》を攫《つか》んで香爐の裏《うち》になげ込む。「?蛸懸不搖《せうせうかゝつてうごかず》、篆烟遶竹梁《てんえんちくりやうをめぐる》」と誦《じゆ》して髯ある男も、見て居る儘で拂はんともせぬ。蜘蛛も動かぬ。只風吹く毎に少しくゆれるのみである。
「夢の話しを蜘蛛もきゝに來たのだろ」と丸い男が笑ふと、「さうぢや夢に畫《ゑ》を活《い》かす話しぢや。きゝたくば蜘蛛も聞け」と膝の上なる詩集を讀む氣もなしに開く。眼は文字《もじ》の上に落つれども瞳裏《とうり》に映ずるは詩の國の事か。夢の國の事か。
「百二十間の廻廊があつて、百二十個の燈籠をつける。百二十間の廻廊に春の潮《うしほ》が寄せて、百二十個の燈籠が春風《しゆんぷう》にまたゝく、朧《おぼろ》の中、海の中には大きな華表《とりゐ》が浮かばれぬ巨人の化物の如くに立つ。……」
折から烈しき戸鈴《ベル》の響がして何者か門口《かどぐち》をあける。話し手ははたと話をやめる。殘るはちよと居ずまひを直す。誰も這入つて來た氣色《けしき》はない。「隣だ」と髯なしが云ふ。やがて澁蛇の目を開く音がして「又明晩」と若い女の聲がする。「必ず」と答へたのは男らしい。三人は無言の儘顔を見合せて微《かす》かに笑ふ。「あれは畫《ゑ》ぢやない、活《い》きて居る」「あれを平面につゞめれば矢張り畫《ゑ》だ」「然しあの聲は?」「女は藤紫」「男は?」「さうさ」と判じかねて髯が女の方を向く。女は「緋《ひ》」と賤《いや》しむ如く答へる。
「百二十間の廻廊に二百三十五枚の額が懸つて、其《その》二百三十二枚目の額に畫《か》いてある美人の……」
「聲は黄色ですか茶色ですか」と女がきく。
「そんな單調な聲ぢやない。色には直《なほ》せぬ聲ぢや。強ひて云へば、ま、あなたの樣な聲かな」
「難有《ありがた》う」と云ふ女の眼の中《うち》には憂をこめて笑の光が漲《みな》ぎる。
此時いづくよりか二疋の蟻が這ひ出して一疋は女の膝の上に攀《よ》ぢ上《のぼ》る。恐らくは戸迷《とまど》ひをしたものであらう。上がり詰めた上には獲物もなくて下《くだ》り路をすら失ふた。女は驚ろいた樣《さま》もなく、うろ/\する黒きものを、そと白き指で輕く拂ひ落す。落されたる拍子に、はたと他の一疋と高麗縁《かうらいべり》の上で出逢ふ。しばらくは首と首を合せて何かさゝやき合へる樣《やう》であつたが、此度は女の方へは向はず、古伊萬里《こいまり》の菓子皿を端《はじ》迄《まで》同行して、こゝで右と左へ分れる。三人の眼は期せずして二疋の蟻の上に落つる。髯なき男がやがて云ふ。
「八疊の座敷があつて、三人の客が坐はる。一人の女の膝へ一疋の蟻が上《のぼ》る。一疋の蟻が上《のぼ》つた美人の手は……」
「白い、蟻は黒い」と髯がつける。三人が齊《ひと》しく笑ふ。一疋の蟻は灰吹を上《のぼ》りつめて絶頂で何か思案して居る。殘るは運よく菓子器の中で葛餠に邂逅《かいこう》して嬉しさの餘りか、まご/\して居る氣合《けはひ》だ。
「其|畫《ゑ》にかいた美人が?」と女が又話を戻す。
「波さへ音もなき朧月夜《おぼろづきよ》に、ふと影がさしたと思へばいつの間《ま》にか動き出す。長く連なる廻廊を飛ぶにもあらず、踏むにもあらず、只影の儘にて動く」
「顔は」と髯なしが尋ねる時、再び東隣りの合奏が聞え出す。一曲は疾《と》くにやんで新たなる一曲を始めたと見える。餘り旨くはない。
「蜜を含んで針を吹く」と一人が評すると
「ビステキの化石を食はせるぞ」と一人が云ふ。
「造り花なら蘭麝《らんじや》でも焚き込めばなるまい」是は女の申し分だ。三人が三樣《さんやう》の解釋をしたが、三樣《さんやう》共頗る解しにくい。
「珊瑚《さんご》の枝は海の底、藥を飲んで毒を吐く輕薄の兒」と言ひかけて吾に歸りたる髯が「それ/\。合奏より夢の續きが肝心ぢや。――畫《ゑ》から拔けだした女の顔は……」と許《ばか》りで口ごもる。
「描《ゑが》けども成らず、描けども成らず」と丸き男は調子をとりて輕く銀椀を叩く。葛餠を獲たる蟻は此響きに度を失して菓子椀の中を右左《みぎひだ》りへ馳け廻る。
「蟻の夢が醒めました」と女は夢を語る人に向つて云ふ。
「蟻の夢は葛餠か」と相手は高からぬ程に笑ふ。
「拔け出ぬか、拔け出ぬか」と頻りに菓子器を叩くは丸い男である。
「畫《ゑ》から女が拔け出るより、あなたが畫《ゑ》になる方が、やさしう御座んしよ」と女は又髯にきく。
「それは氣がつかなんだ、今度からは、こちが畫《ゑ》になりましよ」と男は平氣で答へる。
「蟻も葛餠にさへなれば、こんなに狼狽《うろた》へんでも濟む事を」と丸い男は椀をうつ事をやめて、いつの間《ま》にやら葉卷を鷹揚《おうやう》にふかして居る。
五月雨《さみだれ》に四尺伸びたる女竹《めだけ》の、手水鉢《てうづばち》の上に蔽ひ重なりて、餘れる一二本は高く軒に逼《せま》れば、風誘ふたびに戸袋をすつて椽《えん》の上にもはら/\と所|擇《えら》ばず緑《みど》りを滴《したゝ》らす。「あすこに畫《ゑ》がある」と葉卷の烟をぷつとそなたへ吹きやる。
床柱に懸けたる拂子《ほつす》の先には焚き殘る香《かう》の烟りが染《し》み込んで、軸は若冲《ぢやくちゆう》の蘆雁《ろがん》と見える。雁《かり》の數は七十三羽、蘆《あし》は固《もと》より數へがたい。籠ランプの灯《ひ》を淺く受けて、深さ三尺の床《とこ》なれば、古き畫《ゑ》のそれと見分けの付かぬ所に、あからさまならぬ趣《おもむき》がある。「こゝにも畫《ゑ》が出來る」と柱に靠《よ》れる人が振り向きながら眺める。
女は洗へる儘の黒髪を肩に流して、丸張りの絹團扇を輕《かろ》く搖《ゆる》がせば、折々は鬢《びん》のあたりに、そよと亂るゝ雲の影、収まれば淡き眉の常よりも猶《なほ》晴れやかに見える。櫻の花を碎いて織り込める頬の色に、春の夜の星を宿せる眼を涼しく見張りて「私《わたし》も畫《ゑ》になりましよか」と云ふ。はきと分らねど白地に葛の葉を一面に崩して染め拔きたる浴衣《ゆかた》の襟をこゝぞと正せば、暖かき大理石にて刻《きざ》める如き頸筋が際立ちて男の心を惹《ひ》く。
「其儘、其儘、其儘が名畫ぢや」と一人が云ふと
「動くと畫《ゑ》が崩れます」と一人が注意する。
「畫《ゑ》になるのも矢張り骨が折れます」と女は二人の眼を嬉しがらせうともせず、膝に乘せた右手をいきなり後《うし》ろへ廻はして體をどうと斜めに反《そ》らす。丈《たけ》長き黒髪がきらりと灯《ひ》を受けて、さら/\と青疊に障《さは》る音さへ聞える。
「南無三、好事《かうず》魔多し」と髯ある人が輕《かろ》く膝頭を打つ。「刹那に千金を惜しまず」と髯なき人が葉卷の飲み殼《がら》を庭先へ抛《たゝ》きつける。隣りの合奏はいつしかやんで、樋《ひ》を傳ふ雨點《うてん》の音のみが高く響く。蚊遣火はいつの間《ま》にやら消えた。
「夜も大分《だいぶ》更けた」
「ほとゝぎすも鳴かぬ」
「寢ましよか」
夢の話しはつい中途で流れた。三人は思ひ/\に臥床《ふしど》に入る。
三十分の後《のち》彼等は美くしき多くの人の……と云ふ句も忘れた。クヽーと云ふ聲も忘れた。蜜を含んで針を吹く隣りの合奏も忘れた、蟻の灰吹を攀《よ》ぢ上《のぼ》つた事も、蓮の葉に下りた蜘蛛の事も忘れた。彼等は漸く太平に入る。
凡《すべ》てを忘れ盡したる後女はわがうつくしき眼と、うつくしき髪の主《ぬし》である事を忘れた。一人の男は髯のある事を忘れた。他の一人は髯のない事を忘れた。彼等は益々太平である。
昔《むか》し阿修羅《あしゆら》が帝釋天《たいしやくてん》と戰つて敗れたときは、八萬四千の眷屬《けんぞく》を領して藕糸孔中《ぐうしこうちゆう》に入つて藏《かく》れたとある。維摩《ゆゐま》が方丈の室に法を聽ける大衆は千か萬か其|數《かず》を忘れた。胡桃《くるみ》の裏《うち》に潜んで、われを盡大千世界《じんだいせんせかい》の王とも思はんとはハムレツトの述懷と記憶する。粟粒芥顆《ぞくりふかいくわ》のうちに蒼天《さうてん》もある、大地もある。一生《いつせい》師に問ふて云ふ、分子《ぶんし》は箸でつまめるものですかと。分子は暫く措《お》く。天下は箸の端《さき》にかゝるのみならず、一たび掛け得れば、いつでも胃の中に収まるべきものである。
又思ふ百年は一年の如く、一年は一刻の如し。一刻を知れば正に人生を知る。日は東より出でゝ必ず西に入る。月は盈《み》つればかくる。徒らに指を屈して白頭に到るものは、徒らに茫々たる時に身神を限らるゝを恨むに過ぎぬ。日月は欺くとも己れを欺くは智者とは云はれまい。一刻に一刻を加ふれば二刻と殖えるのみぢや。蜀川《しよくせん》十樣の錦、花を添へて、いくばくの色をか變ぜん。
八疊の座敷に髯のある人と、髯のない人と、涼しき眼の女が會して、斯《かく》の如く一夜《いちや》を過した。彼等の一夜を描《ゑが》いたのは彼等の生涯を描いたのである。
何故《なぜ》三人が落ち合つた? それは知らぬ。三人は如何なる身分と素性と性格を有する? それも分らぬ。三人の言語動作を通じて一貫した事件が發展せぬ? 人生を書いたので小説をかいたのでないから仕方がない。なぜ三人とも一時に寢た? 三人とも一時に眠くなつたからである。(三十八年七月二十六日)
〔2005年11月10日(木)午後8時20分、修正終了、2016年7月22日(金)午前11時25分、再修正終了〕
薤露行
――明治三八年、一一、一――
世に傳ふるマロリーの『アーサー物語』は簡淨素樸《かんじやうそぼく》と云ふ點に於て珍重すべき書物ではあるが古代のものだから一部の小説として見ると散漫の譏《そしり》は免がれぬ。况《ま》して材を其一局部に取つて纒つたものを書かうとすると到底萬事原著による譯には行かぬ。從つて此篇の如きも作者の隨意に事實を前後したり、場合を創造したり、性格を書き直したりして可成《かなり》小説に近いものに改めて仕舞ふた。主意はこんな事が面白いから書いて見《み》樣《やう》といふので、マロリーが面白いからマロリーを紹介しやうといふのではない。其の積りで讀まれん事を希望する。
實を云ふとマロリーの寫したランスロツトは或る點に於て車夫の如く、ギニ?アは車夫の情婦の樣な感じがある。此一點|丈《だけ》でも書き直す必要は充分あると思ふ。テニソンのアイヂルスは優麗都雅《いうれいとが》の點に於て古今の雄篇たるのみならず性格の描寫に於ても十九世紀の人間を古代の舞臺に躍らせる樣なかきぶりであるから、かゝる短篇を草するには大《おほい》に參考すべき長詩であるはいふ迄もない。元來なら記憶を新たにする爲め一應讀み返す筈であるが、讀むと冥々《めい/\》のうちに眞似がしたくなるからやめた。
一 夢
百、二百、簇《むら》がる騎士は數をつくして北の方《かた》なる試合《しあひ》へと急げば、石に古《ふ》りたるカメロツトの館《やかた》には、只《たゞ》王妃ギニ?アの長く牽《ひ》く衣《ころも》の裾の響のみ殘る。
薄紅《うすくれなゐ》の一枚をむざと許《ばか》りに肩より投げ懸けて、白き二の腕さへ明《あか》らさまなるに、裳《もすそ》のみは輕《かろ》く捌《さば》く珠《たま》の履《くつ》をつゝみて、猶《なほ》餘りあるを後《うし》ろざまに石階《せきかい》の二級に垂れて登る。登り詰めたる階《きざはし》の正面には大いなる花を鈍色《にびいろ》の奧に織り込める戸帳《とばり》が、人なきをかこち顔なる樣にてそよとも動かぬ。ギニ?アは幕の前に耳押し付けて一重《ひとへ》向ふに何事をか聽く。聽き了りたる横顔を又|眞向《まむかふ》に反《か》へして石段の下を鋭どき眼にて窺ふ。濃《こま》やかに斑《ふ》を流したる大理石の上は、こゝかしこに白き薔薇《ばら》が暗きを洩れて和《やはら》かき香《かを》りを放つ。君見よと宵に贈れる花輪のいつ摧《くだ》けたる名殘《なごり》か。しばらくはわが足に纒《まつ》はる絹の音にさへ心置ける人の、何の思案か、屹《き》と立ち直りて、繊《ほそ》き手の動くと見れば、深き幕の波を描《ゑが》いて、眩《まば》ゆき光り矢の如く向ひ側なる室の中よりギニ?アの頭《かしら》に戴ける冠《かんむり》を照らす。輝けるは眉間《みけん》に中《あた》る金剛石ぞ。
「ランスロツト」と幕押し分けたる儘にて云ふ。天を憚《はゞ》かり、地を憚かる中に、身も世も入らぬ迄力の籠《こも》りたる聲である。戀に敵なければ、わが戴《いたゞ》ける冠《かんむり》を畏《おそ》れず。
「ギニ?ア!」と應《こた》へたるは室の中なる人の聲とも思はれぬ程優しい。廣き額を半《なか》ば埋《うづ》めて又|捲《ま》き返《かへ》る髪の、黒きを誇る許《ばか》り亂れたるに、頬の色は釣り合はず蒼白《あをじろ》い。
女は幕をひく手をつと放して内に入る。裂目《さけめ》を洩れて斜《なゝ》めに大理石の階段を横切《よこぎ》りたる日の光は、一度に消えて、薄暗がりの中に戸帳《とばり》の模樣のみ際立《きはだ》ちて見える。左右に開く廻廊には圓柱《まるばしら》の影の重なりて落ちかゝれども、影なれば音もせず。生きたるは室の中なる二人《ふたり》のみと思はる。
「北の方《かた》なる試合にも參り合せず。亂れたるは額にかゝる髪のみならじ」と女は心ありげに問ふ。晴れかゝりたる眉に晴れがたき雲の蟠《わだか》まりて、弱き笑の強ひて憂の裏《うち》より洩れ來《きた》る。
「贈りまつれる薔薇の香《か》に醉《ゑ》ひて」とのみにて男は高き窓より表の方《かた》を見やる。折からの五月である。館《やかた》を繞《めぐ》りて緩《ゆる》く逝《ゆ》く江《え》に千本の柳が明《あきら》かに影を?《ひた》して、空に崩るゝ雲の峰さへ水の底に流れ込む。動くとも見えぬ白帆《しらほ》に、人あらば節《ふし》面白き舟歌も興がらう。河を隔てゝ木《こ》の間《ま》隱れに白く?《ひ》く筋の、一縷《いちる》の糸となつて烟に入るは、立ち上《のぼ》る朝日影に蹄《ひづめ》の塵を揚げて、けさアーサーが圓卓の騎士と共に北の方《かた》へと飛ばせたる本道である。
「うれしきものに罪を思へば、罪長かれと祈る憂き身ぞ。君一人|館《やかた》に殘る今日を忍びて、今日のみの縁《えにし》とならばうからまし」と女は安らかぬ心の程を口元に見せて、珊瑚の唇をぴり/\と動かす。
「今日のみの縁《えにし》とは? 墓に堰《せ》かるゝあの世迄も渝《かは》らじ」と男は黒き瞳を返して女の顔を眤《ぢつ》と見る。
「左《さ》ればこそ」と女は右の手を高く擧げて廣げたる掌《てのひら》を竪《たて》にランスロツトに向ける。手頸を纒ふ黄金《こがね》の腕輪がきらりと輝くときランスロツトの瞳は吾知らず動いた。「左《さ》ればこそ!」と女は繰り返す。「薔薇の香《か》に醉《ゑ》へる病を、病と許せるは我ら二人のみ。此カメロツトに集まる騎士は、五本の指を五十度繰り返へすとも數へ難きに、一人として北に行かぬランスロツトの病を疑はぬはなし。束《つか》の間《ま》に危うきを貪《むさぼ》りて、長き逢ふ瀬の淵と變らば……」と云ひながら擧げたる手をはたと落す。かの腕輪は再びきらめいて、玉と玉と撃てる音か、戛然《かつぜん》と瞬時の響きを起す。
「命は長き賜物ぞ、戀は命よりも長き賜物ぞ。心安かれ」と男は流石《さすが》に大膽である。
女は兩手を延ばして、戴ける冠《かんむり》を左右より抑へて「此|冠《かんむり》よ、此冠よ。わが額の燒ける事は」と云ふ。願ふ事の叶《かな》はば此|黄金《こがね》、此|珠玉《たま》の飾りを脱いで窓より下に投げ付けて見ばやといへる樣《さま》である。白き腕《かひな》のすらりと絹をすべりて、抑へたる冠の光りの下には、渦を卷く髪の毛の、珠の輪には抑へ難くて、頬のあたりに靡きつゝ洩れかゝる。肩にあつまる薄紅《うすくれなゐ》の衣の袖は、胸を過ぎてより豐かなる襞《ひだ》を描《ゑ》がいて、裾は強けれども剛《かた》からざる線を三筋程|床《ゆか》の上迄引く。ランスロツトは只|窈窕《えうてう》として眺めて居る。前後を截斷《せつだん》して、過去未來を失念したる間に只ギニ?アの形のみがあり/\と見える。
機微の邃《ふか》きを照らす鏡は、女の有《も》てる凡《すべ》てのうちにて、尤も明かなるものと云ふ。苦しきに堪へかねて、われとわが頭《かしら》を抑へたるギニ?アを打ち守る人の心は、飛ぶ鳥の影の疾《と》きが如くに女の胸にひらめき渡る。苦しみは拂ひ落す蜘蛛の巣と消えて剰《あま》すは嬉しき人の情ばかりである。「かくてあらば」と女は危うき間《ひま》に際《きは》どく擦《す》り込む石火《せきくわ》の樂みを、長《とこし》へに續《つ》づけかしと念じて兩頬に笑《ゑみ》を滴《したゝ》らす。
「かくてあらん」と男は始めより思ひ極《きは》めた態《てい》である。
「されど」と少時《しばし》して女は又口を開《ひら》く。「かくてあらん爲め――北の方《かた》なる試合に行き給へ。けさ立てる人々の蹄《ひづめ》の痕《あと》を追ひ懸けて病《やまひ》癒えぬと申し給へ。此頃の蔭口、二人《ふたり》をつゝつむ疑《うたがひ》の雲を晴し給へ」
「左程《さほど》に人が怖《こは》くて戀がなろか」と男は亂るゝ髪を廣き額に拂つて、わざと乍らから/\と笑ふ。高き室の靜かなる中に、常ならず快《こゝろよ》からぬ響が傳はる。笑へるははたと已《や》めて「此|帳《とばり》の風なきに動くさうな」と室の入口迄歩を移してことさらに厚き幕を搖り動かして見る。あやしき響は収まつて寂寞《じやくまく》の故《もと》に歸る。
「宵《よべ》見し夢の――夢の中なる響の名殘か」と女の顔には忽ち紅《こう》落ちて、冠の星はきら/\と震ふ。男も何事か心《こゝろ》躁《さわ》ぐ樣《さま》にて、ゆふべ見しと云ふ夢を、女に物語らする。
「薔薇《ばら》咲く日なり。白き薔薇と、赤き薔薇と、黄なる薔薇の間に臥したるは君とわれのみ。樂しき日は落ちて、樂しき夕暮の薄明りの、盡くる限りはあらじと思ふ。その時に戴《いたゞ》けるは此|冠《かんむり》なり」と指を擧げて眉間《みけん》をさす。冠の底を二重にめぐる一疋の蛇は黄金《こがね》の鱗《うろこ》を細かに身に刻んで、擡《もた》げたる頭《かしら》には青玉《せいぎよく》の眼《がん》を嵌《は》めてある。
「わが冠の肉に喰ひ入る許《ばか》り燒けて、頭《かしら》の上に衣《きぬ》擦る如き音を聞くとき、此黄金の蛇はわが髪を繞《めぐ》りて動き出す。頭《かしら》は君の方《かた》へ、尾はわが胸のあたりに。波の如くに延びるよと見る間《ま》に、君とわれは腥《なまぐ》さき繩にて、斷つべくもあらぬ迄に纒《まつ》はるゝ。中四尺を隔てゝ近寄るに力なく、離るゝに術《すべ》なし。たとひ忌《いま》はしき絆《きづな》なりとも、此繩の切れて二人《ふたり》離れ/”\に居らんよりはとは、其時苦しきわが胸の奧なる心遣りなりき。囓《か》まるゝとも螫《さ》さるゝとも、口繩《くちなは》の朽ち果つる迄斯くてあらんと思ひ定めたるに、あら悲し。薔薇の花の紅《くれなゐ》なるが、めら/\と燃え出《いだ》して、繋げる蛇を燒かんとす。しばらくして君とわれの間にあまれる一尋《ひとひろ》餘りは、眞中《まなか》より青き烟を吐いて金の鱗の色變り行くと思へば、あやしき臭《にほ》いを立てゝふすと切れたり。身も魂もこれ限り消えて失《う》せよと念ずる耳元に、何者かから/\と笑ふ聲して夢は醒めたり。醒めたるあとにも猶耳を襲ふ聲はありて、今聞ける君が笑も、宵《よべ》の名殘《なごり》かと骨を撼《ゆる》がす」と落ち付かぬ眼を長き睫《まつげ》の裏に隱してランスロツトの氣色《けしき》を窺《うかが》ふ。七十五度の闘技に、馬の脊《せ》を滑《すべ》るは無論、鐙《あぶみ》さへはづせる事なき勇士も、此夢を奇《く》しとのみは思はず。快《こ/\ろよ》からぬ眉根は自《おのづか》ら逼りて、結べる口の奧には齒さへ喰ひ締《し》ばるならん。
「さらば行かう。後《おく》れ馳《ば》せに北の方《かた》へ行かう」と拱《こまぬ》いたる手を振りほどいて、六尺二寸の?《からだ》をゆらりと起す。
「行くか?」とはギニ?アの半《なか》ば疑へる言葉である。疑へる中には、今更ながら別れの惜まるゝ心地《こゝち》さへほのめいて居る。
「行く」と云ひ放つて、つか/\と戸口にかゝる幕を半《なか》ば掲《かゝ》げたが、やがてするりと踵《くびす》を回《めぐ》らして、女の前に、白き手を執りて、發熱かと怪しまるゝ程のあつき唇を、冷やかに柔らかき甲の上につけた。曉の露しげき百合の花瓣《はなびら》をひたふるに吸へる心地《こゝち》である。ランスロツトは後《あと》をも見ずして石階を馳け降りる。
やがて三たび馬の嘶《いなゝ》く音《ね》がして中庭の石の上に堅き蹄《ひづめ》が鳴るとき、ギニ?アは高殿《たかどの》を下《くだ》りて、騎士の出づべき門の眞上なる窓に倚りて、かの人の出《いづ》るを遅しと待つ。黒き馬の鼻面《はなづら》が下に見ゆるとき、身を半《なか》ば投げだして、行く人の爲めに白き絹の尺ばかりなるを振る。頭《かしら》に戴ける金冠の、美しき髪を滑りてか、からりと馬の鼻を掠《かす》めて碎くる許《ばか》りに石の上に落つる。
槍の穗先に冠をかけて、窓近く差し出したる時、ランスロツトとギニ?アの視線がはたと行き合ふ。「忌まはしき冠よ」と女は受けとり乍《なが》ら云ふ。「さらば」と男は馬の太腹をける。白き兜《かぶと》の挿毛のさと靡くあとに、殘るは漠々たる塵のみ。
二 鏡
有《あり》の儘《まゝ》なる浮世を見ず、鏡に寫る浮世のみを見るシヤロツトの女は高き臺《うてな》の中に只一人住む。活《い》ける世を鏡の裡《うち》にのみ知る者に、面《おもて》を合はす友のあるべき由なし。
春戀し、春戀しと囀《さへ》づる鳥の數々に、耳|側《そばだ》てゝ木《こ》の葉《は》隱れの翼の色を見んと思へば、窓に向はずして壁に切り込む鏡に向ふ。鮮やかに寫る羽の色に日の色さへも其儘である。
シヤロツトの野に麥刈る男、麥打つ女の歌にやあらん、谷を渡り水を渡りて、幽《かす》かなる音の高き臺《うてな》に他界の聲の如く糸と細りて響く時、シヤロツトの女は傾けたる耳を掩ふて又鏡に向ふ。河のあなたに烟《けぶ》る柳の、果ては空とも野とも覺束なき間より洩れ出づる悲しき調と思へばなるべし。
シヤロツトの路行く人も亦|悉《こと/”\》くシヤロツトの女の鏡に寫る。あるときは赤き帽の首打ち振りて馬追ふさまも見ゆる。あるときは白き髯の寛《ゆる》き衣《ころも》を纒ひて、長き杖の先に小さき瓢《ひさご》を括《くゝ》しつけながら行く巡禮姿も見える。又あるときは頭《かしら》より只一枚と思はるゝ眞白の上衣《うはぎ》被《かぶ》りて、眼口も手足も確《しか》と分ちかねたるが、けたゝましげに鉦《かね》打ち鳴らして過ぎるも見ゆる。是は癩《らい》をやむ人の前世の業《ごふ》を自《みづか》ら世に告ぐる、むごき仕打ちなりとシヤロツトの女は知るすべもあらぬ。
旅商人《たびあきうど》の脊に負へる包の中には赤きリボンのあるか、白き下着のあるか、珊瑚《さんご》、瑪瑙《めなう》、水晶《すゐしやう》、眞珠《しんじゆ》のあるか、包める中を照らさねば、中にあるものは鏡には寫らず。寫らねばシヤロツトの女の眸《ひとみ》には映ぜぬ。
古き幾世を照らして、今の世にシヤロツトにありとある物を照らす。悉《こと/”\》く照らして擇《えら》ぶ所なければシヤロツトの女の眼に映るものも亦限りなく多い。只影なれば寫りては消え、消えては寫る。鏡のうちに永く停《とゞ》まる事は天に懸る日と雖《いへど》も難い。活《い》ける世の影なれば斯く果敢《はか》なきか、あるひは活ける世が影なるかとシヤロツトの女は折々疑ふ事がある。明らさまに見ぬ世なれば影ともまこととも斷じ難い。影なれば果敢《はか》なき姿を鏡にのみ見て不足はなからう。影ならずば?――時にはむら/\と起る一念に窓際に馳けよりて思ふさま鏡の外《ほか》なる世を見んと思ひ立つ事もある。シヤロツトの女の窓より眼を放つときはシヤロツトの女に呪ひのかゝる時である。シヤロツトの女は鏡の限る天地のうちに跼蹐《きよくせき》せねばならぬ。一重《ひとへ》隔て、二重《ふたへ》隔てゝ、廣き世界を四角に切るとも、自滅の期を寸時も早めてはならぬ。
去れど有の儘なる世は罪に濁ると聞く。住み倦めば山に遯《のが》るゝ心安さもあるべし。鏡の裏《うち》なる狹き宇宙の小さければとて、憂き事の降りかゝる十字の街《ちまた》に立ちて、行き交《か》ふ人に氣を配る辛《つ》らさはあらず。何者か因果の波を一たび起してより、萬頃《ばんけい》の亂れは永劫《えいごふ》を極《きは》めて盡きざるを、渦捲く中に頭《かしら》をも、手をも、足をも攫《さら》はれて、行く吾の果《はて》は知らず。かゝる人を賢しといはゞ、高き臺《うてな》に一人《ひとり》を住み古りて、しろかねの白き光りの、表とも裏とも分ち難きあたりに、幻《まぼろし》の世を尺に縮めて、あらん命を土さへ踏まで過すは阿呆《あはう》の極《きは》みであらう。わが見るは動く世ならず、動く世を動かぬ物の助にて、餘所《よそ》ながら窺ふ世なり。活殺生死の乾坤《けんこん》を定裏《ぢやうり》に拈出《ねんしゆつ》して、五彩の色相を靜中に描く世なり。かく觀ずればこの女の運命もあながちに嘆くべきにあらぬを、シヤロツトの女は何に心を躁《さわ》がして窓の外なる下界を見んとする。
鏡の長さは五尺に足らぬ。黒鐵《くろがね》の黒きを磨いて本來の白きに歸すマーリンの術になるとか。魔法に名を得し彼のいふ。――鏡の表に霧こめて、秋の日の上《のぼ》れども晴れぬ心地なるは不吉の兆なり。曇る鑑《かゞみ》の霧を含みて、芙蓉《ふよう》に滴たる音を聽くとき、對《むか》へる人の身の上に危うき事あり。?然《けきぜん》と故なきに響を起して、白き筋の横縱に鏡に浮くとき、其人|末期《まつご》の覺悟せよ。――シヤロツトの女が幾年月《いくとしつき》の久しき間此鏡に向へるかは知らぬ。朝《あした》に向ひ夕《ゆふべ》に向ひ、日に向ひ月に向ひて、厭《あ》くてふ事のあるをさへ忘れたるシヤロツトの女の眼には、霧立つ事も、露置く事もあらざれば、况《ま》して裂けんとする虞《おそれ》ありとは夢にだも知らず。湛然《たんぜん》として音なき秋の水に臨むが如く、瑩朗《えいらう》たる面《おもて》を過ぐる森羅《しんら》の影の、繽紛《ひんぷん》として去るあとは、太古の色なき境をまのあたりに現はす。無限上に徹する大空《たいくう》を鑄固めて、打てば音ある五尺の裏《うち》に壓《お》し集めたるを――シヤロツトの女は夜毎日毎に見る。
夜毎日毎に鏡に向へる女は、夜毎日毎に鏡の傍《そば》に坐りて、夜毎日毎の潤sはた》を織る。ある時は明るき潤sはた》を織り、ある時は暗き潤sはた》を織る。
シヤロツトの女の投ぐる梭《ひ》の音を聽く者は、淋《さび》しき皐《をか》の上に立つ、高き臺《うてな》の窓を恐る/\見上げぬ事はない。親も逝き子も逝きて、新しき代《よ》に只一人取り殘されて、命長き吾を恨み顔なる年寄の如く見ゆるが、岡の上なるシヤロツトの女の住居《すまひ》である。蔦《つた》鎖《とざ》す古き窓より洩るゝ梭《ひ》の音の、絶間なき振子《しんし》の如く、日を刻み月を刻むに急なる樣《さま》なれど、其音はあの世の音なり。靜なるシヤロツトには、空氣さへ重たげにて、常ならば動くべしとも思はれぬを、只此|梭《ひ》の音のみにそゝのかされて、幽《かす》かにも震ふか。淋《さび》しさは音なき時の淋しさにも勝る。恐る/\高き臺《うてな》を見上げたる行人《かうじん》は耳を掩ふて走る。
シヤロツトの女の織るは不斷の潤sはた》である。草むらの萌草《もえぐさ》の厚く茂れる底に、釣鐘の花の沈める樣を織るときは、花の影のいつ浮くべしとも見えぬ程の濃き色である。うな原のうねりの中に、雪と散る浪の花を浮かすときは、底知れぬ深さを一枚の薄きに疊む。あるときは黒き地《ぢ》に、燃ゆる?の色にて十字架を描《ゑが》く。濁世《ぢよくせ》にはびこる罪障《ざいしやう》の風は、すきまなく天下を吹いて、十字を織れる經緯《たてよこ》の目にも入ると覺しく、?のみは潤sはた》を離れて飛ばんとす。――薄暗き女の部屋は焚《や》け落つるかと怪しまれて明るい。
戀の糸と誠の糸を横縱に梭《ひ》くゞらせば、手を肩に組み合せて天を仰げるマリヤの姿となる。狂ひを經《たて》に怒りを緯《よこ》に、霰《あられ》ふる木枯《こがらし》の夜を織り明せば、荒野《あれの》の中に白き髯飛ぶリアの面影が出る。耻づかしき紅《くれなゐ》と恨めしき鐵色をより合せては、逢ふて絶えたる人の心を讀むべく、温和《おとな》しき黄と思ひ上がれる紫を交《かは》る/”\に疊めば、魔に誘はれし乙女《をとめ》の、我《われ》は顔《がほ》に高ぶれる態《さま》を寫す。長き袂に雲の如くにまつはるは人に言へぬ願の糸の亂れなるべし。
シヤロツトの女は眼《まなこ》深く額廣く、唇さへも女には似で薄からず。夏の日の上《のぼ》りてより、刻を盛る砂時計の九《こゝの》たび落ち盡したれば、今ははや午《ひる》過ぎなるべし。窓を射る日の眩《まば》ゆき迄明かなるに、室のうちは夏知らぬ洞窟《どうくつ》の如くに暗い。輝けるは五尺に餘る鐵の鏡と、肩に漂《たゞよ》ふ長き髪のみ。右手《めて》より投げたる梭《ひ》を左手《ゆんで》に受けて、女は不圖鏡の裡《うち》を見る。研《と》ぎ澄《すま》したる劔《つるぎ》よりも寒き光の、例《いつも》ながらうぶ毛の末をも照すよと思ふうちに――底事《なにごと》ぞ! 音なくて颯《さ》と曇るは霧か、鏡の面《おもて》は巨人の息をまともに浴びたる如く光を失ふ。今迄見えたシヤロツトの岸に連なる柳も隱れる。柳の中を流るゝシヤロツトの河も消える。河に沿ふて徃きつ來《きた》りつする人影は無論さゝぬ。――梭《ひ》の音ははたと已《や》んで、女の瞼《まぶた》は黒き睫《まつげ》と共に微《かす》かに顫へた。「凶事か」と叫んで鏡の前に寄るとき、曇は一刷《いつさつ》に晴れて、河も柳も人影も元の如くに見《あら》はれる。梭《ひ》は再び動き出す。
女はやがて世にあるまじき悲しき聲にて歌ふ。
うつせみの世を、
うつゝに住めば、
住みうからまし、
むかしも今も。」
うつくしき戀、
うつす鏡に、
色やうつろふ、
朝な夕なに。」
鏡の中なる遠柳の枝が風に靡いて動く間《あひだ》に、忽ち銀《しろがね》の光がさして、熱き埃《ほこ》りを薄く揚げ出す。銀《しろがね》の光りは南より北に向つて眞一文字にシヤロツトに近付いてくる。女は小羊を覘《ねら》ふ鷲の如くに、影とは知りながら瞬きもせず鏡の裏《うち》を見詰むる。十丁にして盡きた柳の木立を風の如くに駈け拔けたものを見ると、鍛へ上げた鋼《はがね》の鎧に滿身の日光を浴びて、同じ兜《かぶと》の鉢金《はちがね》よりは尺に餘る白き毛を、飛び散れとのみ?々《さん/\》と靡かして居る。栗毛の駒の逞《たくま》しきを、頭《かしら》も胸も革に裹《つゝ》みて飾れる鋲《びやう》の數《かず》は篩《ふる》ひ落せし秋の夜の星宿《せいしゆく》を一度に集めたるが如き心地である。女は息を凝《こ》らして眼を据える。
曲《ま》がれる堤《どて》に沿ふて、馬の首を少し左へ向け直すと、今迄は横にのみ見えた姿が、眞正面に鏡にむかつて進んでくる。太き槍をレストに収めて、左の肩に盾を懸けたり。女は領《えり》を延ばして盾に描《ゑが》ける模樣を確《しか》と見分け樣《やう》とする體《てい》であつたが、かの騎士は何の會釋もなく此鐵鏡を突き破つて通り拔ける勢で、愈《いよ/\》目の前に近づいた時、女は思はず梭《ひ》を抛《な》げて、鏡に向つて高くランスロツトと叫んだ。ランスロツトは兜《かぶと》の廂《ひさし》の下より耀く眼を放つて、シヤロツトの高き臺《うてな》を見上げる。爛々《らん/\》たる騎士の眼と、針を束《つか》ねたる如き女の鋭どき眼とは鏡の裡《うち》にてはたと出合つた。此時シヤロツトの女は再び「サー、ランスロツト」と叫んで、忽ち窓の傍《そば》に馳け寄つて蒼き顔を半《なか》ば世の中に突き出《いだ》す。人と馬とは、高き臺《うてな》の下を、遠きに去る地震の如くに馳け拔ける。
ぴちりと音がして皓々《かう/\》たる鏡は忽ち眞二つに割れる。割れたる面《おもて》は再びぴち/\と氷を碎くが如く粉微塵《こなみぢん》になつて室の中に飛ぶ。七卷八卷織りかけたる布帛《きぬ》はふつ/\と切れて風なきに鐵片と共に舞ひ上《あが》る。紅《くれなゐ》の糸、緑の糸、黄の糸、紫の糸はほつれ、千切《ちぎ》れ、解け、もつれて土蜘蛛の張る網の如くにシヤロツトの女の顔に、手に、袖に、長き髪毛にまつはる。「シヤロツトの女を殺すものはランスロツト。ランスロツトを殺すものはシヤロツトの女。わが末期《まつご》の呪を負ふて北の方《かた》へ走れ」と女は兩手を高く天に擧げて、朽ちたる木の野分《のわき》を受けたる如く、五色の糸と氷を欺く碎片の亂るゝ中に?《だう》と仆《たふ》れる。
三 袖
可憐なるエレーンは人知らぬ菫《すみれ》の如くアストラツトの古城を照らして、ひそかに墜《お》ちし春の夜《よ》の星の、紫深き露に染まりて月日を經たり。訪ふ人は固《もと》よりあらず。共に住むは二人の兄と眉さへ白き父親のみ。
「騎士はいづれに去る人ぞ」と老人は穩かなる聲にて問ふ。
「北の方《かた》なる仕合《しあひ》に參らんと、是迄は鞭《むちう》つて追懸けたれ。夏の日の永きにも似ず、いつしか暮れて、暗がりに路さへ岐れたるを。――乘り捨てし馬も恩に嘶《いなゝ》かん。一夜の宿の情《なさ》け深きに酬ひまつるものなきを耻づ」と答へたるは、具足を脱いで、黄なる袍《はう》に姿を改めたる騎士なり。シヤロツトを馳せる時何事とは知らず、岩の凹《くぼ》みの秋の水を浴びたる心地して、かりの宿りを求め得たる今に至る迄、頬の蒼きが特更《ことさら》の如く目に立つ。
エレーンは父の後《うし》ろに小さき身を隱して、此アストラツトに、如何なる風の誘ひてか、かく凛々《りゝ》しき壯夫《ますらを》を吹き寄せたると、折々は鶴と瘠せたる老人の肩をすかして、耻かしの睫《まつげ》の下よりランスロツトを見る。菜の花、豆の花ならば戯《たはむ》るゝ術《すべ》もあらう。偃蹇《えんけん》として澗底《かんてい》に嘯《うそぶ》く松が枝《え》には舞ひ寄る路のとてもなければ、白き胡蝶は薄き翼を収めて身動きもせぬ。
「無心ながら宿貸す人に申す」と稍《やゝ》ありてランスロツトがいふ。「明日《あす》と定まる仕合の催しに、後れて乘り込む我の、何の誰よと人に知らるゝは興なし。新しきを嫌《きら》はず、古きを辭せず、人の見知らぬ盾あらば貸し玉へ」
老人ははたと手を拍《う》つ。「望める盾を貸し申さう。――長男チアーは去《さん》ぬる騎士の闘技に足を痛めて今猶|蓐《じよく》を離れず。其時彼が持ちたるは白地に赤く十字架を染めたる盾なり。只の一度の仕合に傷《きずつ》きて、其|創口《きずぐち》はまだ癒えざれば、赤き血架《けつか》は空《むな》しく壁に古りたり。是を翳《かざ》して思ふ如く人々を驚かし給へ」
ランスロツトは腕を扼《やく》して「夫《それ》こそは」と云ふ。老人は猶《なほ》言葉を繼ぐ。
「次男ラ?ンは健氣《けなげ》に見ゆる若者にてあるを、アーサー王の催《もよほし》にかゝる晴の仕合に參り合はせずば、騎士の身の口惜しかるべし。只君が栗毛の蹄のあとに倶し連れよ。翌日《あす》を急げと彼に申し聞かせん程に」
ランスロツトは何の思案もなく「心得たり」と心安げに云ふ。老人の頬に疊める皺のうちには、嬉しき波がしばらく動く。女ならずばわれも行かんと思へるはエレーンである。
木に倚《よ》るは蔦、まつはりて幾世を離れず、宵に逢ひて朝《あした》に分るゝ君と我の、われにはまつはるべき月日もあらず。繊《ほそ》き身の寄り添はゞ、幹吹く嵐に、根なしかづらと倒れもやせん。寄り添はずば、人知らずひそかに括《くゝ》る戀の糸、振り切つて君は去るべし。愛|溶《と》けて瞼《まぶた》に餘る、露の底なる光りを見ずや。わが住める館《やかた》こそ古《ふ》るけれ、春を知る事は生れて十八度に過ぎず。物の憐れの胸に漲《みなぎ》るは、鎖《とざ》せる雲の自《おのづか》ら晴れて、麗《うらゝ》かなる日影の大地を渡るに異《こと》ならず。野をうづめ谷を埋《うづ》めて千里の外《ほか》に暖かき光りをひく。明かなる君が眉目にはたと行き逢へる今の思は、坑《あな》を出でゝ天下の春風に吹かれたるが如きを――言葉さへ交《か》はさず、あすの別れとはつれなし。
燭《しよく》盡きて更《かう》を惜めども、更《かう》盡きて客は寢《い》ねたり。寢《い》ねたるあとにエレーンは、合はぬ瞼《まぶた》の間より男の姿の無理に瞳《ひとみ》の奧に押し入らんとするを、幾たびか拂ひ落さんと力《つと》めたれど詮なし。強ひて合はぬ目を合せて、此影を追はんとすれば、いつの間《ま》にか其人の姿は既に瞼《まぶた》の裏《うち》に潜《ひそ》む。苦しき夢に襲はれて、世を恐ろしと思ひし夜もある。魂消《たまぎ》える物《もの》の怪《け》の話におのゝきて、眠らぬ耳に鷄の聲をうれしと起き出でた事もある。去れど恐ろしきも苦しきも、皆われ安かれと願ふ心の反響に過ぎず。われと云ふ可愛《かはゆ》き者の前に夢の魔を置き、物《もの》の怪の祟《たゝ》りを据ゑての恐と苦しみである。今宵《こよひ》の惱みは其等にはあらず。我と云ふ個靈の消え失せて、求むれども遂に得難きを、驚きて迷ひて、果ては情なくて斯くは亂るゝなり。我を司どるものゝ我にはあらで、先に見し人の姿なるを奇《く》しく、怪しく、悲しく念じ煩ふなり。いつの間《ま》に我はランスロツトと變りて常の心はいづこへか喪《うしな》へる。エレーンと吾名を呼ぶに、應《こた》ふるはエレーンならず、中庭に馬乘り捨てゝ、廂《ひさし》深き兜《かぶと》の奧より、高き櫓を見上げたるランスロツトである。再びエレーンと呼ぶにエレーンはランスロツトぢやと答へる。エレーンは亡《う》せてかと問へば在りと云ふ。いづこにと聞けば知らぬと云ふ。エレーンは微《かす》かなる毛孔《けあな》の末に潜《ひそ》みて、いつか昔《むか》しの樣《さま》に歸らん。エレーンに八萬四千の毛孔ありて、エレーンが八萬四千壺の香油を注《そゝ》いで、日に其|膚《はだへ》を滑かにするとも、潜《ひそ》めるエレーンは遂に出現し來る期《ご》はなからう。
やがてわが部屋の戸帳《とばり》を開きて、エレーンは壁に釣る長き衣《きぬ》を取り出《いだ》す。燭にすかせば燃ゆる眞紅の色なり。室にはびこる夜を呑んで、一枚の衣《きぬ》に眞晝の日影を集めたる如く鮮かである。エレーンは衣《きぬ》の領《えり》を右手《めて》につるして、暫らくは眩ゆきものと眺めたるが、やがて左に握る短刀を鞘ながら二、三度振る。から/\と床《ゆか》に音さして、すはと云ふ間《ま》に閃きは目を掠《かす》めて紅《くれなゐ》深きうちに隱れる。見れば美しき衣《きぬ》の片袖は惜氣《をしげ》もなく斷たれて、殘るは鞘の上にふわりと落ちる。途端に裸ながらの手燭は、風に打たれて颯《さ》と消えた。外は片破月《かたわれづき》の空に更けたり。
右手《めて》に捧ぐる袖の光をしるべに、暗きをすりぬけてエレーンはわが部屋を出る。右に折れると兄の住居《すまひ》、左を突き當れば今宵の客の寢所《しんじよ》である。夢の如くなよやかなる女の姿は、地を踏まざるに歩めるか、影よりも靜かにランスロツトの室の前にとまる。――ランスロツトの夢は成らず。
聞くならくアーサー大王のギニ?アを娶《めと》らんとして、心惑へる折、居ながらに世の成行を知るマーリンは、首を掉《ふ》りて慶事を肯《がへん》んぜず。此女|後《のち》に思はぬ人を慕ふ事あり、娶《めと》る君に悔《くい》あらん。と只管《ひたすら》に諫《いさ》めしとぞ。聞きたる時の我に罪なければ思はぬ人〔四字傍点〕の誰なるかは知るべくもなく打ち過ぎぬ。思はぬ人〔四字傍点〕の誰なるかを知りたる時、天《あめ》が下《した》に數多く生れたるものゝうちにて、此悲しき命《さだめ》に廻《めぐ》り合せたる我を恨み、此うれしき幸《さち》を享《う》けたる己《おの》れを悦びて、樂みと苦みの綯《なひまじ》りたる繩を斷たんともせず、此|年月《としつき》を經たり。心|疚《や》ましきは願はず。疚《や》ましき中に蜜あるはうれし。疚《や》ましければこそ蜜をも醸《かも》せと思ふ折さへあれば、卓を共にする騎士の我を疑ふ此日に至る迄王妃を棄てず。只|疑《うたがひ》の積もりて證據《あかし》と凝《こ》らん時――ギニ?アの捕はれて杭に燒かるゝ時――此時を思へばランスロツトの夢は未《いま》だ成らず。
眠られぬ戸に何物かちよと障つた氣合《けはひ》である。枕を離るゝ頭《かしら》の、音する方《かた》に、しばらくは振り向けるが、又元の如く落ち付いて、あとは古城の亡骸《なきがら》に脉も通はず。靜である。
再び障つた音は、殆んど敲《たゝ》いたと云ふべくも高い。慥《たし》かに人ありと思ひ極《きは》めたるランスロツトは、やをら身を臥所《ふしど》に起して、「たぞ」と云ひつゝ戸を半《なか》ば引く。差しつくる?燭の火のふき込められしが、取り直して今度は戸口に立てる乙女《をとめ》の方にまたゝく。乙女の顔は翳《かざ》せる赤き袖の影に隱れて居る。面映《おもはゆ》きは灯火《ともしび》のみならず。
「此深き夜を……迷へるか」と男は驚きの舌を途切《とぎ》れ々々に動かす。
「知らぬ路にこそ迷へ。年|古《ふ》るく住みなせる家のうちを――鼠だに迷はじ」と女は微《かす》かなる聲ながら、思ひ切つて答へる。
男は只怪しとのみ女の顔を打ち守る。女は尺に足らぬ紅絹《もみ》の衝立《ついたて》に、花よりも美くしき顔をかくす。常に勝る豐頬《ほうけふ》の色は、湧く血潮の疾《と》く流るゝか、あざやかなる絹のたすけか。たゞ隱しかねたる鬢《びん》の毛の肩に亂れて、頭《かしら》には白き薔薇を輪に貫ぬきて三輪挿したり。
白き香りの鼻を撲《う》つて、絹の影なる花の數さへ見分けたる時、ランスロツトの胸には忽ちギニ?アの夢の話が湧き歸る。何故《なにゆえ》とは知らず、悉《こと/”\》く身は痿《な》へて、手に持つ燭を取り落せるかと驚ろきて我に歸る。乙女《をとめ》はわが前に立てる人の心を讀む由もあらず。
「紅《くれなゐ》に人のまことはあれ。耻づかしの片袖を、乞はれぬに參らする。兜《かぶと》に捲いて勝負せよとの願なり」とかの袖を押し遣る如く前に出《いだ》す。男は容易に答へぬ。
「女の贈り物受けぬ君は騎士か」とエレーンは訴ふる如くに下よりランスロツトの顔を覗く。覗かれたる人は薄き唇を一文字に結んで、燃ゆる片袖を、右の手に半ば受けたる儘、當惑の眉を思案に刻む。やゝありて云ふ。「戰《たゝかひ》に臨む事は大小六十餘度、闘技の場に登つて槍を交へたる事は其|數《かず》を知らず。未《いま》だ佳人の贈り物を、身に帶びたる試しなし。情《なさけ》あるあるじの子の、情深き賜物を辭《いな》むは禮なけれど……」
「禮ともいへ、禮なしともいひてやみね。禮の爲めに、夜を冒して參りたるにはあらず。思の籠る此片袖を天《あめ》が下《した》の勇士に贈らん爲に參りたり。切に受けさせ給へ」とこゝ迄踏み込みたる上は、かよわき乙女《をとめ》の、却つて一徹に動かすべくもあらず。ランスロツトは惑ふ。
カメロツトに集まる騎士は、弱きと強きを通じてわが盾の上に描《ゑが》かれたる紋章を知らざるはあらず。又わが腕に、わが兜《かぶと》に、美しき人の贈り物を見たる事なし。あすの試合に後るゝは、始めより出づる筈ならぬを、半途より思ひ返しての仕業故である。闘技の埒《らち》に馬乘り入れてランスロツトよ、後れたるランスロツトよ、と謳《うた》はるゝ丈《だけ》ならば其迄の浮名である。去れど後《おく》れたるは病のため、後れながらも參りたるはまことの病にあらざる證據《あかし》よと云はゞ何と答へん。今幸に知らざる人の盾を借りて、知らざる人の袖を纒ひ、二十三十の騎士を斃す迄深くわが面《おもて》を包まば、ランスロツトと名乘りをあげて人驚かす夕暮に、――誰彼共にわざと後れたる我を肯《うけが》はん。病と臥せる我の作略《さりやく》を面白しと感ずる者さへあらう。――ランスロツトは漸くに心を定める。
部屋のあなたに輝くは物の具である。鎧の胴に立て懸けたるわが盾を輕々《かろ/”\》と片手に提げて、女の前に置きたるランスロツトはいふ。
「嬉しき人の眞心を兜《かぶと》にまくは騎士の譽《ほま》れ。難有《ありがた》し」とかの袖を女より受取る。
「うけてか」と片頬《かたほ》に笑《ゑ》める樣《さま》は、谷間の姫百合に朝日影さして、しげき露の痕《あと》なく晞《かわ》けるが如し。
「あすの勝負に用なき盾を、逢ふ迄の形身と殘す。試合果てゝて再びこゝを過《よ》ぎる迄守り給へ」
「守らでやは」と女は跪《ひざまづ》いて兩手に盾を抱《いだ》く。ランスロツトは長き袖を眉のあたりに掲げて、「赤し、赤し」と云ふ。
此時櫓の上を烏鳴き過ぎて、夜はほの/”\と明け渡る。
四 罪
アーサーを嫌ふにあらず、ランスロツトを愛するなりとはギニ?アの己《おの》れにのみ語る胸のうちである。
北の方《かた》なる試合|果《は》てゝ、行けるものは皆|館《やかた》に歸れるを、ランスロツトのみは影さへ見えず。歸れかしと念ずる人の便《たよ》りは絶えて、思はぬものゝの?《くつわ》を連ねてカメロツトに入《い》るは、見るも益なし。一日には二日を數へ、二日には三日を數へ、遂に兩手の指を悉《こと/”\》く折り盡して十日に至る今日《こんにち》迄《まで》猶歸るべしとの願《ねがひ》を掛けたり。
「遅き人のいづこに繋がれたる」とアーサーは左迄《さまで》に心を惱ませる氣色《けしき》もなくいふ。
高き室の正面に、石にて築く段は二級、半《なか》ばは厚き毛氈《まうせん》にて蔽ふ。段の上なる、大《おほい》なる椅子に豐かに倚《よ》るがアーサーである。
「繋《つな》ぐ日も、繋ぐ月もなきに」とギニ?アは答ふるが如く答へざるが如くもてなす。王を二尺左に離れて、床几の上に、纎《ほそ》き指を組み合せて、膝より下は長き裳《もすそ》にかくれて履《くつ》の在りかさへ定かならず。
よそ/\しくは答へたれ、心は其人の名を聞きてさへ躍るを。話しの種の思ふ坪に生えたるを、寒き息にて吹き枯らすは口惜《くちを》し。ギニ?アは又口を開く。
「後《おく》れて行くものは後《おく》れて歸る掟《おきて》か」と云ひ添へて片頬《かたほ》に笑ふ。女の笑ふときは危うい。
「後《おく》れたるは掟《おきて》ならぬ戀の掟《おきて》なるべし」とアーサーも穩《おだや》かに笑ふ。アーサーの笑にも特別の意味がある。
戀といふ字の耳に響くとき、ギニ?アの胸は、錐《きり》に刺されし痛《いたみ》を受けて、すはやと躍り上る。耳の裏には颯《さ》と音して熱き血を注《さ》す。アーサーは知らぬ顔である。
「あの袖《そで》の主こそ美しからん。……」
「あの袖とは? 袖の主《ぬし》とは? 美しからんとは?」とギニ?アの呼吸ははづんで居る。
「白き挿毛に、赤き鉢卷ぞ。去《さ》る人の贈り物とは見たれ。繋がるゝも道理ぢや」とアーサーは又から/\と笑ふ。
「主《ぬし》の名は?」
「名は知らぬ。只美しき故に美しき少女〔五字傍点〕と云ふと聞く。過ぐる十日を繋がれて、殘る幾日《いくひ》を繋がるゝ身は果報なり。カメロツトに足は向くまじ」
「美しき少女〔五字傍点〕! 美しき少女〔五字傍点〕!」と續け樣に叫んでギニ?アは薄き履《くつ》に三たび石の床《ゆか》を踏みならす。肩に負ふ髪の時ならぬ波を描いて、二尺餘りを一筋ごとに末迄渡る。
夫《をつと》に二心《ふたごゝろ》なきを神の道とのヘは古《ふ》るし。神の道に從ふの心易きも知らずと云はじ。心易きを自《みづか》ら捨てゝ、捨てたる後《のち》の苦しみを嬉しと見しも君が爲なり。春風《しゆんぷう》に心なく、花|自《おのづか》ら開く。花に罪ありとは下《くだ》れる世の言《こと》の葉《は》に過ぎず。戀を寫す鏡の明《あきらか》なるは鏡のコなり。かく觀ずる裡《うち》に、人にも世にも振り棄てられたる時の慰藉はあるべし。かく觀ぜんと思ひ詰めたる今頃を、わが乘れる足臺は覆《くつが》へされて、踵《くびす》を支ふるに一塵だになし。引き付けられたる鐵と磁石の、自然に引き付けられたれば咎《とが》も恐れず、世を憚りの關《せき》一重《ひとへ》あなたへ越せば、生涯の落ち付はあるべしと念じたるに、引き寄せたる磁石は火打石と化して、吸はれし鐵は無限の空裏を冥府《よみ》へ隕《お》つる。わが坐はる床几の底拔けて、わが乘る壇の床《ゆか》崩れて、わが踏む大地の殼《こく》裂けて、己《おの》れを支ふる者は悉《こと/”\》く消えたるに等し。ギニ?アは組める手を胸の前に合せたる儘、右左より骨も摧《くだ》けよと壓《お》す。片手に餘る力を、片手に拔いて、苦しき胸の悶《もだえ》を人知れぬ方《かた》へ洩らさんとするなり。
「なに事ぞ」とアーサーは聞く。
「なに事とも知らず」と答へたるは、アーサーを欺けるにもあらず、又|己《おのれ》を誣《し》ひたるにもあらず。知らざるを知らずと云へるのみ。まことはわが口にせる言葉すら知らぬ間《ま》に咽《のど》を轉《まろ》び出でたり。
ひく浪の返す時は、引く折の氣色《けしき》を忘れて、逆しまに岸を?む勢の、前よりは凄じきを、浪|自《みづか》らさへ驚くかと疑ふ。はからざる便りの胸を打ちて、度を失へるギニ?アの、己《おの》れを忘るゝ迄われに遠ざかれる後《のち》には、油然《いうぜん》として常よりも切なき吾に復《かへ》る。何事も解せぬ風情《ふぜい》に、驚ろきの眉をわが額の上にあつめたるアーサーを、わが夫《をつと》と悟れる時のギニ?アの眼には、アーサーは少《しば》らく前のアーサーにあらず。
人を傷《きずつ》けたるわが罪を悔ゆるとき、傷負へる人の傷ありと心付かぬ時程悔の甚《はなはだ》しきはあらず。聖徒に向つて鞭を加へたる非の恐しきは、鞭《むちう》てるものゝ身に跳ね返る罸なきに、自《みづか》らと其非を悔いたればなり。吾を疑ふアーサーの前に耻づる心は、疑はぬアーサーの前に、わが罪を心のうちに鳴らすが如く痛からず。ギニ?アは悚然《しようぜん》として骨に徹する寒さを知る。
「人の身の上はわが上とこそ思へ。人戀はぬ昔は知らず、嫁ぎてより幾夜か經たる。赤き袖の主《ぬし》のランスロツトを思ふ事は、御身のわれを思ふ如くなるべし。贈り物あらば、われも十日《とをか》を、二十日《はつか》を、歸るを、忘るべきに、罵しるは卑し」とアーサーは王妃の方《かた》を見て不審の顔付である。
「美しき少女〔五字傍点〕!」とギニ?アは三たびエレーンの名を繰り返す。このたびは鋭どき聲にあらず。去りとては憐《あはれ》を寄せたりとも見えず。
アーサーは椅子に倚《よ》る身を半《なか》ば回《めぐ》らして云ふ。「御身とわれと始めて逢へる昔を知るか。丈《ぢやう》に餘余る石の十字を深く地に埋《うづ》めたるに、蔦這ひかゝる春の頃なり。路に迷ひて御堂《みだう》にしばし憩《いこ》はんと入れば、銀に鏤《ちり》ばむ祭壇の前に、空色の衣《きぬ》を肩より流して、黄金《こがね》の髪に雲を起せるは誰《た》ぞ」
女はふるへる聲にて「あゝ」とのみ云ふ。床しからぬにもあらぬ昔の、今は忘るゝをのみ心易しと念じたる矢先に、忽然と容赦もなく描《ゑが》き出されたるを堪へ難く思ふ。
「安からぬ胸に、捨てゝ行ける人の歸るを待つと、凋《しを》れたる聲にてわれに語る御身の聲をきく迄は、天《あま》つ下《くだ》れるマリヤの此寺の神壇に立てりとのみ思へり」
逝ける日〔傍点〕は追へども歸らざるに逝ける事〔傍点〕は長《とこ》しへに暗きに葬むる能はず。思ふまじと誓へる心に發矢《はつし》と中《あた》る古き火花もあり。
「伴《ともな》ひて館《やかた》に歸し參らせんと云へば、黄金《こがね》の髪を動かして何処《いづこ》へとも、とうなづく……」と途中に句を切つたアーサーは、身を起して、兩手にギニ?アの頬を抑へながら上より妃《ひ》の顔を覗き込む。新たなる記憶につれて、新たなる愛の波が、一しきり打ち返したのであらう。――王妃の頬は屍《しかばね》を抱《いだ》くが如く冷たい。アーサーは覺えず抑へたる手を放す。折から廻廊を遠く人の踏む音がして、罵る如き幾多の聲は次第にアーサーの室に逼《せま》る。
入口に掛けたる厚き幕は總《ふさ》に絞らず。長く垂れて床《ゆか》をかくす。かの足音の戸の近くしばらくとまる時、垂れたる幕を二つに裂いて、髪多く丈《たけ》高き一人の男があらはれた。モードレツドである。
モードレツドは會釋もなく室の正面迄つか/\と進んで、王の立てる壇の下にとゞまる。續いて入るはアグラ?ン、逞《たく》ましき腕の、寛《ゆる》き袖を洩れて、赭《あか》き頸の、かたく衣《ころも》の襟に括《くゝ》られて、色さへ變る程肉づける男である。二人の後《あと》には物色する遑《いとま》なきに、どや/\と、我勝ちに亂れ入りて、モードレツドを一人前に、ずらりと並《なら》ぶ、數は凡《すべ》てにて十二人。何事かなくては叶《かな》はぬ。
モードレツドは、王に向つて會釋せる頭《かしら》を擡《もた》げて、そこ力のある聲にて云ふ。「罪あるを罰するは王者の事か」
「問はずもあれ」と答へたアーサーは今更といふ面持である。
「罪あるは高きをも辭せざるか」とモードレツドは再び王に向つて問ふ。
アーサーは我とわが胸を敲《たゝ》いて「黄金《わうごん》の冠《かんむり》は邪《よこしま》の頭《かしら》に戴かず。天子の衣《ころも》は惡を隱さず」と壇上に延び上る。肩に括《くゝ》る緋の衣の、裾は開けて、白き裏が雪の如く光る。
「罪あるを許さずと誓はば、君が傍《かたへ》に坐せる女をも許さじ」とモードレツドは臆する氣色《けしき》もなく、一指を擧げてギニ?アの眉間《みけん》を指《さ》す。ギニ?アは屹《き》と立ち上る。
茫然たるアーサーは雷火に打たれたる?の如く、わが前に立てる人――地を抽き出でし巖《いはほ》とばかり立てる人――を見守る。口を開《ひら》けるはギニ?アである。
「罪ありと我を誣《し》ひるか。何をあかしに、何の罪を數へんとはする。詐《いつは》りは天も照覽あれ」と繊《ほそ》き手を拔け出でよと空高く擧げる。
「罪は一つ。ランスロツトに聞け。あかしはあれぞ」と鷹の眼を後《うし》ろに投ぐれば、並《なら》びたる十二人は悉《こと/”\》く右の手を高く差し上げつゝ、「神も知る、罪は逃《のが》れず」と口々にいふ。
ギニ?アは倒れんとする身を、危く壁掛に扶《たす》けて「ランスロツト!」と幽《かすか》に叫ぶ。王は迷ふ。肩に纒《まつ》はる緋の衣の裏を半《なか》ば返して、右手《めて》の掌《たなごゝろ》を十三人の騎士に向けたる儘にて迷ふ。
此時|館《やかた》の中に「黒し、黒し」と叫ぶ聲が石?《せきてふ》に響を反《かへ》して、窈然《えうぜん》と遠く鳴る木枯《こがらし》の如く傳はる。やがて河に臨む水門を、天にひゞけと、錆びたる鐵鎖《てつさ》に軋《きし》らせて開く音がする。室の中なる人々は顔と顔を見合はす。只事ではない。
五 舟
?「《かぶと》に卷ける絹の色に、槍突き合はす敵の目も覺むべし。ランスロツトは其日の試合に、二十餘人の騎士を仆《たふ》して、引き擧ぐる間際に始めて吾名をなのる。驚く人の醒めぬ間《ま》を、ラ?ンと共に埒《らち》を出でたり。行く末は勿論アストラツトぢや」と三日過ぎてアストラツトに歸れるラ?ンは父と妹に物語る。
「ランスロツト?」と父は驚きの眉を張る。女は「あな」とのみ髪に挿す花の色を顫はす。
「二十餘人の敵と渡り合へるうち、何者の槍を受け損じてか、鎧の胴を二寸|下《さが》りて、左の股に創を負ふ……」
「深き創か」と女は片唾《かたづ》を呑んで、懸念の眼を?《みは》る。
「鞍に堪へぬ程にはあらず。夏の日の暮れ難きに暮れて、蒼き夕《ゆふべ》を草深き原のみ行けば、馬の蹄《ひづめ》は露に濡れたり。――二人は一言《ひとこと》も交《か》はさぬ。ランスロツトの何の思案に沈めるかは知らず、われは晝の試合のまたあるまじき派手やかさを偲《しの》ぶ。風渡る梢もなければ馬の沓《くつ》の地を鳴らす音のみ高し。――路は分れて二筋となる」
「左へ切ればこゝ迄十|哩《マイル》ぢや」と老人が物知り顔に云ふ。
「ランスロツトは馬の頭《かしら》を右へ立て直す」
「右? 右はシヤロツトへの本街道、十五|哩《マイル》は確かにあらう」是も老人の説明である。
「其シヤロツトの方《かた》へ――後《あと》より呼ぶ吾を顧みもせで轡《くつわ》を鳴らして去る。已《や》むなくて吾も從ふ。不思議なるはわが馬を振り向けんとしたる時、前足を躍らしてあやしくも嘶《いなゝ》ける事なり。嘶《いなゝ》く聲の果知らぬ夏野に、末廣に消えて、馬の足掻《あがき》の常の如く、わが手綱《たづな》の思ふ儘に運びし時は、ランスロツトの影は、夜と共に微《かす》かなる奧に消えたり。――われは鞍を敲《たゝ》いて追ふ」
「追ひ付いてか」と父と妹は聲を揃へて問ふ。
「追ひ付ける時は既に遅くあつた。乘る馬の息の、闇押し分けて白く立ち上《あが》るを、いやがうへに鞭《むちう》つて長き路を一散に馳け通す。黒きものゝ夫《それ》かとも見ゆる影が、二丁|許《ばか》り先に現はれたる時、われは肺を逆しまにしてランスロツトと呼ぶ。黒きものは聞かざる眞似して行く。幽《かす》かに聞えたるは轡《くつわ》の音か。怪しきは差して急げる樣《さま》もなきに容易《たやす》くは追ひ付かれず。漸くの事|間《あひだ》一丁程に逼りたる時、黒きものは夜《よる》の中に織り込まれたる如く、ふつと消える。合點行かぬわれは益《ます/\》追ふ。シヤロツトの入口に渡したる石橋に、蹄も碎けよと乘り懸けしと思へば、馬は何物にか躓《つまづ》きて前足を折る。騎《の》るわれは鬣《たてがみ》をさかに扱《こ》いて前にのめる。戞《かつ》と打つは石の上と心得しに、われより先に斃《たふ》れたる人の鎧の袖なり」
「あぶない!」と老人は眼の前の事の如くに叫ぶ。
「あぶなきはわが上ならず。われより先に倒れたるランスロツトの事なり……」
「倒れたるはランスロツトか」と妹は魂消《たまぎ》ゆる程の聲に、椅子の端《はじ》を握る。椅子の足は折れたるにあらず。
「橋の袂の柳の裏《うち》に、人住むとしも見えぬ庵室あるを、試みに敲《たゝ》けば、世を逃《のが》れたる隱士の居なり。幸ひと冷たき人を擔ぎ入るゝ。兜《かぶと》を脱げば眼さへ氷りて……」
「藥を堀《ほ》り、草を※[者/火]るは隱士の常なり。ランスロツトを蘇《よみがへ》してか」と父は話し半《なか》ばに我句を投げ入るゝ。
「よみ返《がへ》しはしたれ。よみに在る人と擇ぶ所はあらず。吾に歸りたるランスロツトはまことの吾に歸りたるにあらず。魔に襲はれて夢に物云ふ人の如く、あらぬ事のみ口走る。あるときは罪/\と叫び、あるときは王妃――ギニ?ア――シヤロツトと云ふ。隱士が心を込むる草の香りも、※[者/火]えたる頭《かしら》には一點の涼氣《りやうき》を吹かず。……」
「枕邊にわれあらば」と少女《をとめ》は思ふ。
「一夜《いちや》の後《のち》たぎりたる腦の漸く平らぎて、靜かなる昔の影のちら/\と心に映る頃、ランスロツトはわれに去れと云ふ。心許さぬ隱士は去るなと云ふ。兎角して二日を經たり。三日目の朝、われと隱士の眠覺めて、病む人の顔色の、今朝|如何《いかゞ》あらんと臥所《ふしど》を窺へば――在らず。劔《つるぎ》の先にて古壁に刻み殘せる句には罪はわれを追ひ、われは罪を追ふ〔十二字傍点〕とある」
「逃《のが》れしか」と父は聞き、「いづこへ」と妹はきく。
「いづこと知らば尋ぬる便《たよ》りもあらん。茫々と吹く夏野の風の限りは知らず。西東《にしひがし》日の通ふ境は極めがたければ、獨り歸り來ぬ。――隱士は云ふ、病《やまひ》怠らで去る。かの人の身は危うし。狂ひて走る方《かた》はカメロツトなるべしと。うつゝのうちに口走れる言葉にてそれと察せしと見ゆれど、われは確《しか》と、さは思はず」と語り終つて盃に盛る苦《にが》き酒を一息に飲み干して虹の如き氣を吹く。妹は立つてわが室に入る。
花に戯むるゝ蝶のひるがへるを見れば、春に憂ありとは天下を擧げて知らぬ。去れど冷やかに日落ちて、月さへ闇に隱るゝ宵を思へ。――ふる露のしげきを思へ。――薄き翼のいかばかり薄きかを思へ。――廣き野の草の陰に、琴の爪程小きものゝ潜むを思へ。――疊む羽に置く露の重きに過ぎて、夢さへ苦しかるべし。果《はて》知らぬ原の底に、あるに甲斐なき身を縮めて、誘ふ風にも碎くる危うきを恐るゝは淋しからう。エレーンは長くは持たぬ。
エレーンは盾を眺めて居る。ランスロツトの預けた盾を眺め暮して居る。其盾には丈《たけ》高き女の前に、一人の騎士が跪《ひざま》づいて、愛と信とを誓へる模樣が描《ゑが》かれて居る。騎士の鎧は銀、女の衣は炎の色に燃えて、地《ぢ》は黒に近き紺を敷く。赤き女のギニ?アなりとは憐れなるエレーンの夢にだも知る由がない。
エレーンは盾《たて》の女を己《おの》れと見立てゝ、跪まづけるをランスロツトと思ふ折さへある。斯くあれ〔四字傍点〕と念ずる思ひの、いつか心の裏《うち》を拔け出でて、斯くの通り〔五字傍点〕と盾の表にあらはれるのであらう。斯くありて後〔六字傍点〕と、あらぬ礎《いしずゑ》を一度び築ける上には、そら事を重ねて、其そら事の未來さへも想像せねば已《や》まぬ。
重ね上げたる空想は、又崩れる。兒戯に積む小石の塔を蹴返す時の如くに崩れる。崩れたるあとの吾に歸りて見れば、ランスロツトは在らぬ。氣を狂ひてカメロツトの遠きに走れる人の、吾が傍《そば》にあるべき所謂《いはれ》はなし。離るゝとも、誓さへ渝《かは》らずば、千里を繋ぐ牽《ひ》き綱もあらう。ランスロツトとわれは何を誓へる? エレーンの眼には涙が溢れる。
涙の中に又思ひ返す。ランスロツトこそ誓はざれ。一人誓へる吾の渝《かは》るべくもあらず。二人《ふたり》の中に成り立つをのみ誓とは云はじ。われとわが心にちぎるも誓には洩れず。此誓だに破らずばと思ひ詰める。エレーンの頬の色は褪《あ》せる。
死ぬ事の恐しきにあらず、死したる後《のち》にランスロツトに逢ひ難きを恐るゝ。去れど此世にての逢ひ難きに比ぶれば、未來に逢ふの却つて易きかとも思ふ。罌粟《けし》散るを憂しとのみ眺むべからず、散ればこそ又咲く夏もあり。エレーンは食を斷《た》つた。
衰へは春野燒く火と小さき胸を侵《を》かして、愁は衣に堪へぬ玉骨を寸々に削る。今迄は長き命とのみ思へり。よしやいつ迄もと貪《むさぼ》る願はなくとも、死ぬといふ事は夢にさへ見しためしあらず、束《つか》の間《ま》の春と思ひあたれる今日となりて、つら/\世を觀ずれば、日に開く蕾の中にも恨はあり。圓く照る明月のあすをと問はゞ淋《さび》しからん。エレーンは死ぬより外の浮世に用なき人である。
今は是迄の命と思ひ詰めたるとき、エレーンは父と兄とを枕邊に招きて「わが爲めにランスロツトへの文かきて玉はれ」といふ。父は筆と紙を取り出でゝ、死なんとする人の言《こと》の葉《は》を一々に書き付ける。
「天《あめ》が下《した》に慕へる人は君ひとりなり。君一人の爲めに死ぬるわれを憐れと思へ。陽炎《かげろふ》燃ゆる黒髪の、長き亂れの土となるとも、胸に彫るランスロツトの名は、星變る後《のち》の世《よ》迄も消えじ。愛の炎に染めたる文字の、土水の因果を受くる理《ことわり》なしと思へば。睫《まつげ》に宿る露の珠に、寫ると見れば碎けたる、君の面影の脆くもあるかな。わが命もしかく脆きを、涙あらば濺《そゝ》げ。基督《キリスト》も知る、死ぬる迄清き乙女《をとめ》なり」
書き終りたる文字は怪しげに亂れて定かならず。年寄の手の顫へたるは、老の爲とも悲の爲とも知れず。
女又云ふ。「息絶えて、身の暖かなるうち、右の手に此文を握らせ給へ。手も足も冷え盡したる後《のち》、ありとある美しき衣《きぬ》にわれを着飾り給へ。隙間なく黒き布《ぬの》しき詰めたる小船の中にわれを載せ給へ。山に野に白き薔薇、白き百合を採り盡して舟に投げ入れ給へ。――舟は流し給へ」
かくしてエレーンは眼を眠る。眠りたる眼は開く期《ご》なし。父と兄とは唯々《ゐゝ》として遺言《ゆゐごん》の如く、憐れなる少女《をとめ》の亡骸《なきがら》を舟に運ぶ。
古き江に漣《さゞなみ》さへ死して、風吹く事を知らぬ顔に平かである。舟は今|緑《みど》り罩《こ》むる陰を離れて中流に漕ぎ出づる。櫂《かい》操《あやつ》るは只一人、白き髪の白き髯の翁《おきな》と見ゆ。ゆるく掻く水は、物憂げに動いて、一櫂《ひとかい》ごとに鉛の如き光りを放つ。舟は波に浮ぶ睡蓮の睡れる中に、音もせず乘り入りては乘り越して行く。蕚《うてな》傾けて舟を通したるあとには、輕《かろ》く曳く波足と共にしばらく搖れて花の姿は常の靜さに歸る。押し分けられた葉の再び浮き上る表には、時ならぬ露が珠を走らす。
舟は杳然《えうぜん》として何處《いづく》ともなく去る。美しき亡骸《なきがら》と、美しき衣《きぬ》と、美しき花と、人とも見えぬ一個の翁《おきな》とを載せて去る。翁《おきな》は物をも云はぬ。只靜かなる波の中に長き櫂《かい》をくゞらせては、くゞらす。木に彫る人を鞭《むちう》つて起たしめたるか、櫂を動かす腕の外には活きたる所なきが如くに見ゆる。
と見れば雪よりも白き白鳥が、収めたる翼に、波を裂いて王者の如く悠然と水を練《ね》り行く。長き頸の高く伸《の》したるに、氣高《けだか》き姿はあたりを拂つて、恐るゝものゝありとしも見えず。うねる流を傍目《わきめ》もふらず、舳《へさき》に立つて舟を導く。舟はいづく迄もと、鳥の羽《は》に裂けたる波の合はぬ間《ま》を隨ふ。兩岸の柳は青い。
シヤロツトを過ぐる時、いづくともなく悲しき聲が、左の岸より古き水の寂寞《じやくまく》を破つて、動かぬ波の上に響く。「うつせみの世を、……うつゝ……に住めば……」絶えたる音はあとを引いて、引きたるは又しばらくに絶えんとす。聞くものは死せるエレーンと、艫《とも》に坐る翁《おきな》のみ。翁《おきな》は耳さへ借さぬ。只長き櫂《かい》をくゞらせてはくゞらする。思ふに聾《つんぼ》なるべし。
空は打ち返したる綿《わた》を厚く敷けるが如く重い。流を挾む左右の柳は、一本毎に緑《みど》りをこめて濛々《もう/\》と烟《けぶ》る。娑婆《しやば》と冥府《めいふ》の界《さかひ》に立ちて迷へる人のあらば、其人の靈を並《なら》べたるが此|氣色《けしき》である。畫《ゑ》に似たる少女《をとめ》の、舟に乘りて他界へ行くを、立ちならんで送るのでもあらう。
舟はカメロツトの水門に横付けに流れて、はたと留まる。白鳥の影は波に沈んで、岸高く峙《そばだ》てる樓閣の黒く水に映るのが物凄い。水門は左右に開《ひら》けて、石階の上にはアーサーとギニ?アを前に、城中の男女《なんによ》が悉《こと/”\》く集まる。
エレーンの屍《しかばね》は凡《すべ》ての屍《しかばね》のうちにて最も美しい。涼しき顔を、雲と亂るゝ黄金《こがね》の髪に埋《うづ》めて、笑へる如く横はる。肉に付着するあらゆる肉の不淨を拭ひ去つて、靈其物の面影を口鼻《こうび》の間に示せるは朗かにも又極めて清い。苦しみも、憂ひも、恨みも、憤《いきどほ》りも――世に忌はしきものゝ痕《あと》なければ土に歸る人とは見えず。
王は嚴かなる聲にて「何者ぞ」と問ふ。櫂《かい》の手を休めたる老人は?《おふし》の如く口を開《ひら》かぬ。ギニ?アはつと石階を下《くだ》りて、亂るゝ百合の花の中より、エレーンの右の手に握る文《ふみ》を取り上げて何事と封を切る。
悲しき聲は又水を渡りて、「……うつくしき……戀、色や……うつらう」と細き糸ふつて波うたせたる時の如くに人々の耳を貫く。
讀み終りたるギニ?アは、腰をのして舟の中なるエレーンの額《ひたひ》――透き徹るエレーンの額に、顫へたる唇をつけつゝ「美くしき少女〔六字傍点〕!」と云ふ。同時に一滴の熱き涙はエレーンの冷たき頬の上に落つる。
十三人の騎士は目と目を見合せた。
2005.11.12(土)12時14分、修正終了、2016年8月6日(日)午前11時32分再校終了
趣味の遺傳
――明治三九、一、一〇――
一
陽氣の所爲《せゐ》で神も氣違になる。「人を屠《ほふ》りて餓えたる犬を救へ」と雲の裡《うち》より叫ぶ聲が、逆しまに日本海を撼《うご》かして滿洲の果迄響き渡つた時、日人と露人ははつと應《こた》へて百里に餘る一大屠場を朔北《さくほく》の野《や》に開いた。すると渺々《べう/\》たる平原の盡くる下より、眼にあまる?狗《がうく》の群《むれ》が、腥《なまぐさ》き風を横に截り縱に裂いて、四つ足の銃丸を一度に打ち出した樣に飛んで來た。狂へる神が小躍りして「血を啜《すゝ》れ」と云ふを合圖に、ぺら/\と吐く?の舌は暗き大地を照らして咽喉《のど》を越す血潮の湧き返る音が聞えた。今度は黒雲の端《はじ》を踏み鳴らして「肉を食《くら》へ」と神が號《さけ》ぶと「肉を食《くら》へ! 肉を食《くら》へ!」と犬共も一度に咆《ほ》え立てる。やがてめり/\と腕を食ひ切る、深い口をあけて耳の根迄胴にかぶりつく。一つの脛《すね》を啣《くは》へて左右から引き合ふ。漸くの事肉は大半平げたと思ふと、又|羃々《べき/\》たる雲を貫《つら》ぬいて恐しい神の聲がした。「肉の後には骨をしやぶれ」と云ふ。すはこそ骨だ。犬の齒は肉よりも骨を?むに適して居る。狂ふ神の作つた犬には狂つた道具が具はつて居る。今日の振舞を豫期して工夫して呉れた齒ぢや。鳴らせ鳴らせと牙《きば》を鳴らして骨にかゝる。ある者は摧《くじ》いて髄《ずゐ》を吸ひ、ある者は碎いて地に塗る。齒の立たぬ者は横にこいて牙《きば》を磨《と》ぐ。
怖《こは》い事だと例の通り空想に耽りながらいつしか新橋へ來た。見ると停車場前の廣場は一杯の人で凱旋門《がいせんもん》を通して二間|許《ばか》りの路を開いた儘、左右には割り込む事も出來ない程行列して居る。何だらう?
行列の中には怪し氣な絹帽《シルクハツト》を阿彌陀《あみだ》に被つて、耳の御蔭で目隱しの難を喰ひ止めて居るのもある。仙臺平を窮屈さうに穿《は》いて七子《なゝこ》の紋付を人の着物の樣にいじろ/\眺めて居るのもある。フロツク、コートは承知したがズツクの白い運動靴をはいて同じく白の手袋を一寸見給へと云はぬ許《ばか》りに振り廻して居るのは奇觀だ。さうして二十人に一本|宛《づゝ》位の割合で手頃な旗を押し立てゝ居る。大抵は紫に字を白く染め拔いたものだが、中には白地に黒々と達筆を振《ふる》つたのも見える。此旗さへ見たら此群集の意味も大概分るだらうと思つて一番近いのを注意して讀むと木村六之助君の凱旋を祝す連雀町有志者とあつた。はゝあ歡迎だと始めて氣が付いて見ると、先刻《さつき》の異裝紳士も何となく立派に見える樣な氣がする。のみならず戰爭を狂神の所爲《せゐ》の樣に考へたり、軍人を犬に食はれに戰地へ行く樣に想像したのが急に氣の毒になつて來た。實は待ち合す人があつて停車場迄行くのであるが、停車場へ達するには是非共此群集を左右に見て誰も通らない眞中を只一人歩かなくつてはならん。よもやこの人々が余の詩想を洞見《どうけん》しはしまいが、只さへ人の注視をわれ一人に集めて徃來を練つて行くのは極りが惡《わ》るいのに、犬に喰ひ殘された者の家族と聞いたら定めし怒《おこ》る事であらうと思ふと、一層調子が狂ふ所を何でもない顔をして、急ぎ足に停車場の石段の上迄漕ぎ付けたのは少し苦しかつた。
場内へ這入つて見るとこゝも歡迎の諸君で容易に思ふ所へ行けぬ。漸くの事一等の待合へ來て見ると約束をした人は未《ま》だ來て居らぬらしい。暖爐の横に赤い帽子を被つた士官が何か頻りに話しながら折々|佩劔《はいけん》をがちやつかせて居る。其|傍《そば》に絹帽《シルクハツト》が二つ並《なら》んで、其一つには葉卷の烟りが輪になつてたなびいて居る。向ふの隅に白襟の細君が品《ひん》のよい五十|恰好《かつかう》の婦人と、傍《わ》きの人には聞えぬ程な低い聲で何事か耳語《さゝや》いて居る。所へ唐桟《たうざん》の羽織を着て鳥打帽を斜めに戴いた男が來て、入場券は貰へません改札場の中はもう一杯ですと注進する。大方|出入《でいり》の者であらう。室の中央に備へ付けたテーブルの周圍には待ち草臥《くたび》れの連中が寄つてたかつて新聞や雜誌をひねくつて居る。眞面目に讀んでるものは極めて少ないのだから、ひねくつて居ると云ふのが適當だらう。
約束をした人はなかなか來《こ》ん。少々退屈になつたから、少し外へ出て見《み》樣《やう》かと室の戸口を又ぐ途端に、脊廣を着た髯のある男が擦れ違ひながら「もう直《ぢき》です二時四十五分ですから」と云つた。時計を見ると二時三十分だ、もう十五分すれば凱旋の將士が見られる。こんな機會は容易にない、序《ついで》だからと云つては失禮かも知れんが實際余の樣に圖書館以外の空氣をあまり吸つた事のない人間は態々《わざ/\》歡迎の爲めに新橋迄くる折もあるまい、丁度|幸《さいはひ》だ見て行かうと了見を定めた。
室を出て見ると場内も又徃來の樣に行列を作つて、中には態々《わざ/\》見物に來た西洋人も交つて居る。西洋人ですらくる位なら帝國臣民たる吾輩は無論歡迎しなくてはならん、萬歳の一つ位は義務にも申して行かうと漸くの事で行列の中へ割り込んだ。
「あなたも御親戚を御迎ひに御出《おいで》になつたので……」
「えゝ。どうも氣が急《せ》くものですから、つい晝飯を食はずに來て、……もう二時間半|許《ばか》り待ちます」と腹は減つても中々元氣である。所へ三十前後の婦人が來て
「凱旋の兵士はみんな、こゝを通りませうか」と心配さうに聞く。大切の人を見はぐつては一大事ですと云はぬ許《ばか》りの決心を示して居る。腹の減つた男はすぐ引き受けて
「えゝ、みんな通るんです、一人殘らず通るんだから、二時間でも三時間でもこゝにさへ立つて居れば間違ひつこありません」と答へたのは中々自信家と見える。然し晝飯も食はずに待つて居ろと迄は云はなかつた。
汽車の笛の音を形容して喘息病《ぜんそくや》みの鯨の樣だと云つた佛蘭西《フランス》の小説家があるが、成程旨い言葉だと思ふ間もなく、長蛇の如く蜿蜒《のた》くつて來た列車は、五百人餘の健兒を一度にプラツトフオームの上に吐き出した。
「ついた樣ですぜ」と一人が領《くび》を延《のば》すと
「なあに、こゝに立つてさへ居れば大丈夫」と腹の減つた男は泰然として動《どう》ずる景色《けしき》もない。此男から云ふと着いても着かなくても大丈夫なのだらう。夫《それ》にしても腹の減つた割には落ち付いたものである。
やがて一二丁向ふのプラツトフオームの上で萬歳! と云ふ聲が聞える。其聲が波動の樣に順送りに近付いてくる。例の男が「なあに、まだ大丈……」と云ひ懸けた尻尾《しつぽ》を埋《うづ》めて余の左右に並《なら》んだ同勢は一度に萬―歳! と叫んだ。其聲の切れるか切れぬうちに一人の將軍が擧手の禮を施しながら余の前を通り過ぎた。色の焦《や》けた、胡麻塩髯《ごましほひげ》の小作りな人である。左右の人は將軍の後《あと》を見送りながら又萬歳を唱へる。余も――妙な話しだが實は萬歳を唱へた事は生れてから今日《こんにち》に至る迄一度もないのである。萬歳を唱へてはならんと誰からも申し付けられた覺は毛頭ない。又萬歳を唱へては惡《わ》るいと云ふ主義でも無論ない。然し其場に臨んでいざ大聲《たいせい》を發し樣《やう》とすると、いけない。小石で氣管を塞がれた樣でどうしても萬歳が咽喉笛へこびり付いたぎり動かない。どんなに奮發しても出て呉れない。――然し今日は出してやらうと先刻《さつき》から決心をして居た。實は早く其機がくればよいがと待ち構へた位である。隣りの先生ぢやないが、なあに大丈夫と安心して居たのである。喘息病《ぜんそくや》みの鯨が吼えた當時からそら來たなと迄覺悟をして居た位だから周圍のものがワーと云ふや否や尻馬についてすぐやらうと實は舌の根迄出しかけたのである。出しかけた途端に將軍が通つた。將軍の日に焦《や》けた色が見えた。將軍の髯の胡麻塩《ごましほ》なのが見えた。其瞬間に出しかけた萬歳がぴたりと中止して仕舞つた。何故《なぜ》?
何故《なぜ》か分るものか。何《なに》故《ゆゑ》とか此《この》故《ゆゑ》とか云ふのは事件が過ぎてから冷靜な頭腦に復したとき當時を回想して始めて分解し得た智識に過ぎん。何《なに》故《ゆゑ》が分る位なら始めから用心をして萬歳の逆戻りを防いだ筈である。豫期出來ん咄嗟《とつさ》の働きに分別が出るものなら人間の歴史は無事なものである。余の萬歳は余の支配權以外に超然として止《と》まつたと云はねばならぬ。萬歳がとまると共に胸の中《うち》に名?しがたい波動が込み上げて來て、兩眼から二雫《ふたしづく》ばかり涙が落ちた。
將軍は生れ落ちてから色の黒い男かも知れぬ。然し遼東《れうとう》の風に吹かれ、奉天の雨に打たれ、沙河《しやか》の日に射《い》り付けられゝば大抵なものは黒くなる。地體《ぢたい》黒いものは猶《なほ》黒くなる。髯も其通りである。出征してから白銀《しろがね》の筋は幾本も殖えたであらう。今日始めて見る我らの眼には、昔の將軍と今の將軍を比較する材料がない。然し指を折つて日夜に待佗《まちわ》びた夫人令孃が見たならば定めし驚くだらう。戰《いくさ》は人を殺すか左《さ》なくば人を老いしむるものである。將軍は頗る瘠せて居た。是も苦勞の爲めかも知れん。して見ると將軍の身體中で出征|前《ぜん》と變らぬのは身の丈《たけ》位なものであらう。余の如きは黄卷青帙《くわうくわんせいちつ》の間《あひだ》に起臥して書齋以外に如何なる出來事が起《おこ》るか知らんでも濟む天下の逸民である。平生戰爭の事は新聞で讀まんでもない、又其?況は詩的に想像せんでもない。然し想像はどこ迄も想像で新聞は横から見ても縱から見ても紙片《しへん》に過ぎぬ。だからいくら戰爭が續いても戰爭らしい感じがしない。其氣樂な人間が不圖停車場に紛れ込んで第一に眼に映じたのが日に焦《や》けた顔と霜に染つた髯である。戰爭はまのあたりに見えぬけれど戰爭の結果――慥《たし》かに結果の一片《いつぺん》、然も活動する結果の一片が眸底《ぼうてい》を掠《かす》めて去つた時は、此一片に誘はれて滿洲の大野《たいや》を蔽ふ大戰爭の光景があり/\と腦裏に描出《べうしゆつ》せられた。
然も此戰爭の影とも見るべき一片の周圍を繞《めぐ》る者は萬歳と云ふ歡呼の聲である。此聲が即ち滿洲の野《や》に起つた咄喊《とつかん》の反響である。萬歳の意義は字の如く讀んで萬歳に過ぎんが咄喊となると大分《だいぶ》趣《おもむき》が違ふ。咄喊はワーと云ふ丈《だけ》で萬歳の樣に意味も何もない。然し其意味のないところに大變な深い情《じやう》が籠つて居る。人間の音聲には黄色いのも濁つたのも澄んだのも太いのも色々あつて、其言語調子も亦分類の出來ん位|區々《まち/\》であるが一日二十四時間のうち二十三時間五十五分迄は皆意味のある言葉を使つて居る。着衣の件、喫飯《きつぱん》の件、談判の件、懸引の件、挨拶の件、雜話の件、凡《すべ》て件と名のつくものは皆口から出る。仕舞には件がなければ口から出るものは無いと迄思ふ。そこへもつて來て、件のないのに意味の分らぬ音聲を出すのは尋常ではない。出しても用の足りぬ聲を使ふのは經濟主義から云ふても功利主義から云つても割に合はぬに極つて居る。其割に合はぬ聲を不作法に他人樣《たにんさま》の御聞《おきゝ》に入れて何等の理由もないのに罪もない鼓膜に迷惑を懸けるのはよくせき〔四字傍点〕の事でなければならぬ。咄喊は此よくせき〔四字傍点〕を煎じ詰めて、※[者/火]詰めて、罐詰めにした聲である。死ぬか生きるか娑婆か地獄かと云ふ際どい針線《はりがね》の上に立つて身震ひをするとき自然と横膈膜の底から湧き上がる至誠の聲である。助けて呉れ〔五字傍点〕と云ふうちに誠はあらう、殺すぞ〔三字傍点〕と叫ぶうちにも誠はない事もあるまい。然し意味の通ずる丈《だけ》其《それ》丈《だけ》誠の度は少ない。意味の通ずる言葉を使ふ丈《だけ》の餘裕分別のあるうちは一心不亂の至境に達したとは申されぬ。咄喊にはこんな人間的な分子は交つて居らん。ワーと云ふのである。此ワーには厭味もなければ思慮もない。理もなければ非もない。詐《いつは》りもなければ懸引もない。徹頭徹尾ワーである。結晶した精神が一度に破裂して上下四圍の空氣を震盪《しんたう》さしてワーと鳴る。萬歳〔二字傍点〕の助けて呉れ〔五字傍点〕の殺すぞ〔三字傍点〕のとそんなけちな意味を有しては居らぬ。ワー其物が直《たゞ》ちに精神である。靈である。人間である。誠である。而して人界崇高の感は耳を傾けて此誠を聽き得たる時に始めて享受し得ると思ふ。耳を傾けて數十人、數百人、數千數萬人の誠を一度〔二字傍点〕に聽き得たる時に此の崇高の感は始めて無上絶大の玄境《げんきやう》に入る。――余が將軍を見て流した涼しい涙は此玄境の反應だらう。
將軍のあとに續いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。此《これ》は出迎と見えて其表情が將軍とは大分《だいぶ》違ふ。居《きよ》は氣を移すと云ふ孟子の語は小供の時分から聞いて居たが戰爭から歸つた者と内地に暮らした人とは斯《か》程《ほど》に顔つきが變つて見えるかと思ふと一層感慨が深い。どうかもう一遍將軍の顔が見たいものだと延び上つたが駄目だ。只場外に群がる數萬の市民が有らん限りの鬨《とき》を作つて停車場の硝子窓《ガラスまど》が破《わ》れる程に響くのみである。余の左右前後の人々は漸くに列を亂して入口の方へなだれかゝる。見たいのは余と同感と見える。余も黒い波に押されて一二間石段の方へ流れたが、それぎり先へは進めぬ。こんな時には余の性分としていつでも損をする。寄席《よせ》がはねて木戸を出る時、待ち合せて電車に乘る時、人込みに切符を買ふ時、何でも多人數競爭の折には大抵最後に取り殘される、此場合にも先例に洩れず首尾よく人後《じんご》に落ちた。而も普通の落ち方ではない。遙かこなたの人後《じんご》だから心細い。葬式の赤飯に手を出し損《そくな》つた時なら何とも思はないが、帝國の運命を決する活動力の斷片を見損ふのは殘念である。どうにかして見てやりたい。廣場を包む萬歳の聲は此時四方から大濤《おほなみ》の岸に崩れる樣な勢で余の鼓膜に響き渡つた。もうたまらない。どうしても見なければならん。
不圖思ひついた事がある。去年の春麻布のさる町を通行したら高い練塀のある廣い屋敷の内で何か多人數打ち寄つて遊んでゞも居るのか面白さうに笑ふ聲が聞えた。余は此時どう云ふ腹工合か一寸此邸内を覗いて見たくなつた。全く腹工合の所爲《せゐ》に相違ない。腹工合でなければ、そんな馬鹿氣た了見の起る譯がない。源因はとにかく、見たいものは見たいので源因の如何《いかん》に因つて變化出沒する譯には行かぬ。然し今云ふ通り高い土塀の向ふ側で笑つて居るのだから壁に穴のあいて居らぬ限りは到底思ひ通り志望を滿足する事は何人《なんびと》の手際でも出來かねる。到底見る事が叶《かな》はないと四圍の?況から宣告を下されると猶見てやり度くなる。愚《ぐ》な話だが余は一目でも邸内を見なければ誓つて此町を去らずと決心した。然し案内も乞はずに人の屋敷内に這入り込むのは盗賊の仕業だ。と云つて案内を乞ふて這入るのは猶《なほ》いやだ。此邸内の者共の御世話にならず、しかもわが人格を傷《きずつ》けず正々堂々と見なくては心持ちがわるい。さうするには高い山から見下《みおろ》すか、風船の上から眺めるより外に名案もない。然し双方共當座の間に合ふ樣な手輕なものとは云へぬ。よし、その儀なら此方《こつち》にも覺悟がある。高等學校時代で練習した高飛の術を應用して、飛び上がつた時に一寸見てやらう。是は妙策だ、幸い人通りもなし、あつた所が自分で自分が飛び上るに文句をつけられる因縁はない。やるべしと云ふので、突然双脚に精一杯の力を込めて飛び上がつた。すると熟練の結果は恐ろしい者で、かの土塀の上へ首が――首所ではない肩迄が思ふ樣に出た。此機をはづすと到底目的は達せられぬと、ちらつく兩眼を無理に据ゑて、こゝぞと思ふあたりを瞥見《べつけん》すると女が四人でテニスをして居た。余が飛び上がるのを相圖に四人が申し合せた樣にホヽヽと癇の高い聲で笑つた。おやと思ふうちにどたりと元の如く地面の上に立つた。
これは誰が聞いても滑稽である。冒險の主人公たる當人ですらあまり馬鹿氣て居るので今日《こんにち》迄《まで》何人《なんびと》にも話さなかつた位|自《みづか》ら滑稽と心得て居る。然し滑稽とか眞面目とか云ふのは相手と場合によつて變化する事で、高飛び其物が滑稽とは理由のない言草である。女がテニスをして居る所へ此方《こつち》が飛び上がつたから滑稽にもなるが、ロメオがジユリエツトを見る爲に飛び上つたつて滑稽にはならない。ロメオ位な所では未《ま》だ滑稽を脱せぬと云ふなら余は猶一歩を進める。此凱旋の將軍、英名|赫々《かく/\》たる偉人を拝見する爲めに飛び上がるのは滑稽ではあるまい。それでも滑稽か知らん? 滑稽だつて構ふものか。見たいものは、誰が何と云つても見たいのだ。飛び上がらう、夫《それ》がいゝ、飛び上がるに若《し》くなしだと、とう/\又先例によつて一蹴を試むる事に決着した。先づ帽子をとつて小脇に抱《か》い込む。此前は經驗が足りなかつたので足が引力作用で地面へ引き着けられた勢に、買ひたての中折帽が挨拶もなく宙返りをして、一間|許《ばか》り向《むかふ》へ轉がつた。夫《それ》をから車を引いて通り掛つた車夫が拾つて笑ひながらえへゝと差し出した事を記憶して居る。此度《こんど》は其手は喰はぬ。是なら大丈夫と帽子を確《しか》と抑へながら爪先で敷石を彈く心持で暗に姿勢を整へる。人後に落ちた仕合せには邪魔になる程近くに人も居らぬ。しばし衰へた、歡聲は盛り返す潮《うしほ》の岩に碎けた樣にあたり一面に湧き上がる。こゝだと思ひ切つて、兩足が胴のなかに飛び込みはしまいかと疑ふ程脚力をふるつて跳ね上つた。
幌《ほろ》を開いたランドウが横向に凱旋門を通り拔け樣《やう》とする中に――居た――居た。例の黒い顔が湧き返る聲に圍まれて過去の紀念の如く華やかなる群衆の中に點じ出されて居た。將軍を迎へた儀仗兵《ぎぢやうへい》の馬が萬歳の聲に驚ろいて前足を高くあげて人込の中に外《そ》れ樣《やう》とするのが見えた。將軍の馬車の上に紫の旗が一流れ颯《さつ》となびくのが見えた。新橋へ曲る角の三階の宿屋の窓から藤鼠《ふぢねずみ》の着物をきた女が白いハンケチを振るのが見えた。
見えたと思ふより早く余が足は又停車場の床《ゆか》の上に着いた。凡《すべ》てが一瞬間の作用である。ぱつと射る稻妻の飽く迄明るく物を照らした後《あと》が常よりは暗く見える樣に余は茫然として地に下りた。
將軍の去つたあとは群衆も自《おのづ》から亂れて今迄の樣に靜肅ではない。列を作つた同勢の一角《いつかく》が崩れると、堅い黒山が一度に動き出して濃い所が漸々《だん/\》薄くなる。氣早《きばや》な連中はもう引き揚げると見える。所へ將軍と共に汽車を下りた兵士が三々五々隊を組んで場内から出てくる。服地の色は褪《さ》めて、ゲートルの代りには黄な羅紗《らしや》を疊んでぐる/\と脛《すね》へ卷き付けて居る。いづれもあらん限りの髯を生やして、出來る丈《だけ》色を黒くして居る。是等も戰爭の片破《かたわ》れである。大和魂《やまとだましひ》を鑄固《いかた》めた製作品である。實業家も入らぬ、新聞屋も入らぬ、藝妓《げいしや》も入らぬ、余の如き書物と睨めくらをして居るものは無論入らぬ。只此|髯《ひげ》茫々《ばう/\》として、むさくるしき事乞食《こつじき》を去る遠からざる紀念物のみはなくて叶《かな》はぬ。彼等は日本の精神を代表するのみならず、廣く人類一般の精神を代表して居る。人類の精神は算盤《そろばん》で彈《はじ》けず、三味線に乘らず、三頁にも書けず、百科全書中にも見當らぬ。只此兵士等の色の黒い、みすぼらしい所に髣髴《ほうふつ》として搖曳《えうえい》して居る。出山《しゆつせん》の釋迦《しやか》はコスメチツクを塗つては居らん。金の指輪も穿《は》めて居らん。芥溜《ごみだめ》から拾ひ上げた雜巾をつぎ合せた樣なもの一枚を羽織つて居る許《ばか》りぢや。夫《それ》すら全身を掩《おほ》ふには足らん。胸のあたりは北風の吹き拔けで、肋骨《ろくこつ》の枚數は自由に讀める位だ。此|釋迦《しやか》が尊《たつと》ければ此兵士も尊《たつ》といと云はねばならぬ。昔《むか》し元寇《げんこう》の役《えき》に時宗《ときむね》が佛光國師《ぶつくわうこくし》に謁した時、國師は何と云ふた。威を振《ふる》つて驀地《ばくち》に進めと吼《ほ》えたのみである。このむさくろしき兵士等は佛光國師《ぶつくわうこくし》の熱喝《ねつかつ》を喫《きつ》した譯でもなからうが驀地《ばくち》に進むと云ふ禪機《ぜんき》に於て時宗と古今《こゝん》其《その》揆《き》を一《いつ》にして居る。彼等は驀地《ばくち》に進み了して曠如《くわうじよ》と吾家《わがや》に歸り來りたる英靈漢である。天上を行き天下《てんげ》を行き、行き盡してやまざる底《てい》の氣魄《きはく》が吾人の尊敬に價《あたひ》せざる以上は八荒《はつくわう》の中《うち》に尊敬すべきものは微塵《みぢん》程もない。黒い顔! 中には日本に籍があるのかと怪まれる位黒いのが居る。――刈り込まざる髯! 棕櫚箒《しゆろばうき》を砧《きぬた》で打つた樣な髯――此|氣魄《きはく》は這裏《しやり》に磅?《はうはく》として蟠《わだか》まり瀁《かうやう》として漲《みなぎ》つて居る。
兵士の一隊が出てくる度に公衆は萬歳を唱へてやる。彼等のあるものは例の黒い顔に笑《ゑみ》を湛《たゝ》へて嬉し氣に通り過ぎる。あるものは傍目《わきめ》もふらずのそ/\と行く。歡迎とは如何なる者ぞと不審氣に見える顔もたまには見える。又ある者は自己の歡迎旗の下に立つて揚々《やう/\》と後《おく》れて出る同輩を眺めて居る。あるひは石段を下《くだ》るや否や迎のものに擁せられて、餘りの不意撃に挨拶さへも忘れて誰彼の容赦なく握手の禮を施こして居る。出征中に滿洲で覺えたのであらう。
其|中《なか》に――是がはからずも此話をかく動機になつたのであるが――年の頃二十八九の軍曹が一人居た。顔は他の先生方と異《こと》なる所なく黒い、髯も延びる丈《だけ》延ばして恐らくは去年から持ち越したものと思はれるが目鼻立ちは外の連中とは比較にならぬ程立派である。のみならず亡友|浩《かう》さんと兄弟と見違へる迄よく似て居る。實は此男が只一人石段を下りて出た時ははつと思つて馳け寄らうとした位であつた。然し浩さんは下士官ではない。志願兵から出身した歩兵中尉である。しかも故歩兵中尉で今では白山の御寺に一年|餘《よ》も厄介になつて居る。だからいくら浩さんだと思ひたくつても思へる筈がない。但《たゞ》人情は妙なもので此軍曹が浩さんの代りに旅順で戰死して、浩さんが此軍曹の代りに無事で還つて來たら嘸《さぞ》結構であらう。御母《おつか》さんも定めし喜ばれるであらうと、露見《ろけん》する氣支《きづかひ》がないものだから勝手な事を考へながら眺めて居た。軍曹も何か物足らぬと見えて頻りにあたりを見廻して居る。外のものゝ樣に足早に新橋の方へ立ち去る景色《けしき》もない。何を探がして居るのだらう、もしや東京のものでなくて樣子が分らんのならヘへて遣りたいと思つて猶《なほ》目を放さずに打ち守つて居ると、どこをどう潜《くゞ》り拔けたものやら、六十|許《ばか》りの婆さんが飛んで出て、いきなり軍曹の袖にぶら下がつた。軍曹は中肉ではあるが脊《せい》は普通より慥《たし》かに二寸は高い。之に反して婆さんは人並|外《はづ》れて丈《たけ》が低い上に年のせいで腰が少々曲つて居るから、抱き着いたとも寄り添ふたとも形容は出來ぬ。もし余が腦中にある和漢の字句を傾けて、其|中《うち》から此有樣を叙するに最も適當なる詞《ことば》を探したなら必ずぶら下がる〔五字傍点〕が當選するにきまつて居る。此時軍曹は紛失物が見當つたと云ふ風で上から婆さんを見下《みおろ》す。婆さんはやつと迷兒《まひご》を見付けたと云ふ體《てい》で下から軍曹を見上げる。やがて軍曹はあるき出す。婆さんもあるき出す。矢張りぶらさがつた儘である。近邊《きんぺん》に立つ見物人は萬歳々々と兩人《ふたり》を囃《はや》したてる。婆さんは萬歳|抔《など》には毫も耳を借す景色《けしき》はない。ぶら下がつたぎり軍曹の顔を下から見上げた儘吾が子に引き摺《ず》られて行く。冷飯草履《ひやめしざうり》と鋲《びやう》を打つた兵隊靴が入り亂れ、もつれ合つて、うねりくねつて新橋の方へ遠《とほざ》かつて行く。余は浩さんの事を思ひ出して悵然《ちやうぜん》と草履と靴の影を見送つた。
二
浩《かう》さん! 浩さんは去年の十一月旅順で戰死した。二十六日は風の強く吹く日であつたさうだ。遼東《れうとう》の大野《たいや》を吹きめぐつて、黒い日を海に吹き落さうとする野分《のわき》の中に、松樹山《しようじゆざん》の突撃は豫定の如く行はれた。時は午後一時である。掩護《えんご》の爲めに味方の打ち出した大砲が敵壘の左突角《ひだりとつかく》に中《あた》つて五丈程の砂烟りを捲き上げたのを相圖に、散兵壕《さんぺいがう》から飛び出した兵士の數は幾百か知らぬ。蟻の穴を蹴返した如くに散り/”\に亂れて前面の傾斜を攀《よ》ぢ登る。見渡す山腹は敵の敷いた鐵條網で足を容るゝ餘地もない。所を梯子を擔《にな》ひ土嚢《どなう》を背負《しよ》つて區々《まち/\》に通り拔ける。工兵の切り開いた二間に足らぬ路は、先を爭ふ者の爲めに奪はれて、後《あと》より詰めかくる人の勢に波を打つ。こちらから眺めると只一筋の黒い河が山を裂いて流れる樣に見える。其黒い中に敵の彈丸は容赦なく落ちかゝつて、凡《すべ》てが消え失せたと思ふ位濃い烟が立ち揚《あが》る。怒《いか》る野分《のわき》は横さまに烟りを千切つて遙かの空に攫《さら》つて行く。あとには依然として黒い者が簇然《そうぜん》と蠢《うご》めいて居る。此|蠢《うご》めいて居るものゝうちに浩さんが居る。
火桶を中に浩《かう》さんと話をするときには浩さんは大きな男である。色の淺黒い髭の濃い立派な男である。浩さんが口を開いて興に乘つた話をするときは、相手の頭の中には浩さんの外何もない。今日《けふ》の事も忘れ明日《あす》の事も忘れ聽き惚れて居る自分の事も忘れて浩さん丈《だけ》になつて仕舞ふ。浩さんは斯樣に偉大な男である。どこへ出しても浩さんなら大丈夫、人の目に着くに極つて居ると思つて居た。だから蠢《うご》めいて居る抔《など》と云ふ下等な動詞は浩さんに對して用ひたくない。ないが仕方がない。現に蠢《うご》めいて居る。鍬の先に堀《ほ》り崩された蟻群《ぎぐん》の一匹の如く蠢《うご》めいて居る。杓《ひしやく》の水を喰《くら》つた蜘蛛《くも》の子の如く蠢《うご》めいて居る。如何なる人間もかうなると駄目だ。大いなる山、大いなる空、千里を馳け拔ける野分《のわき》、八方を包む烟り、鑄鐵《しゆてつ》の咽喉《のんど》から吼《ほ》えて飛ぶ丸《たま》――是等の前には如何なる偉人も偉人として認められぬ。俵に詰めた大豆の一粒の如く無意味に見える。嗚呼《あゝ》浩さん! 一體どこで何をして居るのだ! 早く平生の浩さんになつて一番|露助《ろすけ》を驚かしたらよからう。
黒くむらがる者は丸《たま》を浴びる度にぱつと消える。消えたかと思ふと吹き散る烟の中に動いて居る。消えたり動いたりして居るうちに、蛇の塀をわたる樣に頭から尾迄波を打つて然《しか》も全體が全體として漸々《だん/\》上へ上へと登つて行く、もう敵壘だ。浩さん眞先に乘り込まなければいけない。烟の絶間から見ると黒い頭の上に旗らしいものが靡《なび》いて居る。風の強い爲めか、押し返される所爲《せゐ》か、眞直ぐに立つたと思ふと寐る。落ちたのかと驚ろくと又高くあがる。すると又斜めに仆《たふ》れかゝる。浩さんだ、浩さんだ。浩さんに相違ない。多人數《たにんず》集まつて揉みに揉んで騷いで居る中にもし一人でも人の目につくものがあれば浩さんに違ない。自分の妻は天下の美人である。此天下の美人が晴れの席へ出て隣りの奧樣と撰ぶ所なく一向《いつかう》目立たぬのは不平な者だ。己《おの》れの子が己《おの》れの家庭にのさばつて居る間は天にも地にも懸替《かけがへ》のない若旦那である。此若旦那が制服を着けて學校へ出ると、向ふの小間物屋のせがれと席を列《なら》べて、しかも其間に少しも懸隔のない樣に見えるのは一寸物足らぬ感じがするだらう。余の浩さんに於けるも其通り。浩さんはどこへ出しても平生の浩さんらしくなければ氣が濟まん。擂鉢《すりばち》の中に攪《か》き廻される里芋の如く紛然雜然とゴロ/\して居てはどうしても浩さんらしくない。だから、何でも構はん、旗を振らうが、劔を翳《かざ》さうが、とにかく此混亂のうちに少しなりとも人の注意を惹くに足る働《はたらき》をするものを浩さんにしたい。したい段ではない。必ず浩さんに極つて居る。どう間違つたつて浩さんが碌々《ろく/\》として頭角をあらはさない抔《など》と云ふ不見識な事は豫期出來んのである。――夫《それ》だからあの旗持は浩さんだ。
黒い塊《かたま》りが敵壘の下迄來たから、もう壘壁を攀ぢ上るだらうと思ふうち、忽ち長い蛇の頭はぽつりと二三寸切れてなくなつた。是は不思議だ。丸《たま》を喰《くら》つて斃れたとも見えない。狙撃《そげき》を避ける爲め地に寢たとも見えない。どうしたのだらう。すると頭の切れた蛇が又二三寸ぷつりと消えてなくなつた。是は妙だと眺めて居ると、順繰《じゆんぐり》に下から押し上《あが》る同勢が同じ所へ來るや否や忽ちなくなる。しかも砦《とりで》の壁には誰一人としてとり付いたものがない。塹壕《ざんがう》だ。敵壘と我兵の間には此邪魔物があつて、此邪魔物を越さぬ間は一人も敵に近《ちかづ》く事は出來んのである。彼等はえい/\と鐵條網を切り開いた急坂《きふはん》を登りつめた揚句、此|壕《ほり》の端《はた》迄《まで》來て一も二もなく此深い溝の中に飛び込んだのである。擔《にな》つて居る梯子は壁に懸ける爲め、脊負《しよ》つて居る土嚢は壕《ほり》を埋《うづ》める爲めと見えた。壕《ほり》はどの位|埋《うま》つたか分らないが、先の方から順々に飛び込んではなくなり、飛び込んではなくなつてとう/\浩《かう》さんの番に來た。愈《いよ/\》浩さんだ。確《しつ》かりしなくてはいけない。
高く差し上げた旗が横に靡《なび》いて寸斷々々《ずた/\》に散るかと思ふ程強く風を受けた後《のち》、旗竿が急に傾いて折れたなと疑ふ途端に浩《かう》さんの影は忽ち見えなくなつた。愈《いよ/\》飛び込んだ! 折から二龍山《にりゆうざん》の方面より打ち出した大砲が五六發、大空に鳴る烈風を劈《つんざ》いて一度に山腹に中《あた》つて山の根を吹き切る許《ばか》り轟き渡る。迸《ほとば》しる砂烟は淋《さび》しき初冬《はつふゆ》の日蔭を籠めつくして、見渡す限りに有りとある物を封じ了る。浩さんはどうなつたか分らない。氣が氣でない。あの烟の吹いて居る底だと見當をつけて一心に見守る。夕立を遠くから望む樣に密に蔽ひ重なる濃き者は、烈しき風の捲返してすくひ去らうと焦《あせ》る中に依然として凝《こ》り固つて動かぬ。約二分間は眼をいくら擦《こす》つても盲目《めくら》同然どうする事も出來ない。然し此烟りが晴れたら――若し此烟りが散り盡したら、屹度《きつと》見えるに違ない。浩さんの旗が壕《ほり》の向側《むかふがは》に日を射返して耀き渡つて見えるに違ない。否|向側《むかふがは》を登りつくしてあの高く見える?《ひめがき》の上に翩々《へんぺん》と翻つて居るに違ない。外の人なら兎に角浩さんだから、その位の事は必ずあるに極つて居る。早く烟が晴れゝばいゝ。何故《なぜ》晴れんだらう。
占めた。敵壘の右の端《はじ》の突角の所が朧氣《おぼろげ》に見え出した。中央の厚く築き上げた石壁《せきへき》も見え出した。然し人影はない。はてな、もうあすこ等に旗が動いて居る筈だが、どうしたのだらう。それでは壁の下の土手の中頃に居るに相違ない。烟は拭ふが如く一掃《ひとはき》に上から下迄|漸次《ぜんじ》に晴れ渡る。浩《かう》さんはどこにも見えない。是はいけない。田螺《たにし》の樣に蠢《うご》めいて居たほかの連中もどこにも出現せぬ樣子だ。愈《いよ/\》いけない。もう出るか知らん、五秒過ぎた。まだか知らん、十秒立つた。五秒は十秒と變じ、十秒は二十、三十と重なつても誰|一人《いちにん》の塹壕から向ふへ這ひ上《あが》る者はない。ない筈である。塹壕に飛び込んだ者は向《むかふ》へ渡す爲めに飛び込んだのではない。死ぬ爲めに飛び込んだのである。彼等の足が壕底《がうてい》に着くや否や穹窖《きゆうかう》より覘《ねらひ》を定めて打ち出す機關砲は、杖を引いて竹垣の側面を走らす時の音がして瞬く間に彼等を射殺した。殺されたものが這ひ上がれる筈がない。石を置いた澤庵の如く積み重なつて、人の眼に觸れぬ坑内に横《よこた》はる者に、向《むかふ》へ上がれと望むのは、望むものゝ無理である。横《よこた》はる者だつて上がりたいだらう、上りたければこそ飛び込んだのである。いくら上がり度くても、手足が利かなくては上がれぬ。眼が暗んでは上がれぬ。胴に穴が開《あ》いては上がれぬ。血が通はなくなつても、腦味噌が潰れても、肩が飛んでも身體《からだ》が棒の樣に鯱張《しやちこば》つても上がる事は出來ん。二龍山《にりゆうざん》から打出した砲烟が散じ盡した時に上がれぬ許《ばか》りではない。寒い日が旅順の海に落ちて、寒い霜が旅順の山に降つても上がる事は出來ん。ステツセルが開城して二十の砲砦《はうさい》が悉《こと/”\》く日本の手に歸しても上《あが》る事は出來ん。日露の講和が成就して乃木將軍が目出度く凱旋しても上がる事は出來ん。百年三萬六千日|乾坤《けんこん》を提《ひつさ》げて迎に來ても上がる事は遂にできぬ。是が此塹壕に飛び込んだものゝ運命である。然して亦浩さんの運命である。蠢々《しゆん/\》として御玉杓子《おたまじやくし》の如く動いて居たものは突然と此底のない坑《あな》のうちに落ちて、浮世の表面から闇の裡《うち》に消えて仕舞つた。旗を振らうが振るまいが、人の目につかうがつくまいが斯うなつて見ると變りはない。浩さんが頻りに旗を振つた所はよかつたが、壕《ほり》の底では、ほかの兵士と同じ樣に冷たくなつて死んで居たさうだ。
ステツセルは降《くだ》つた。講和は成立した。將軍は凱旋した。兵隊も歡迎された。然し浩《かう》さんはまだ坑《あな》から上《あが》つて來ない。圖らず新橋へ行つて色の黒い將軍を見、色の黒い軍曹を見、脊《せ》の低い軍曹の御母《おつか》さんを見て涙迄流して愉快に感じた。同時に浩さんは何故《なぜ》壕《ほり》から上がつて來《こ》んのだらうと思つた。浩さんにも御母《おつか》さんがある。此軍曹のそれの樣に脊《せ》は低くない、又冷飯草履を穿《は》いた事はあるまいが、もし浩さんが無事に戰地から歸つてきて御母《おつか》さんが新橋へ出迎へに來られたとすれば、矢張りあの婆さんの樣にぶら下がるかも知れない。浩さんもプラツトフオームの上で物足らぬ顔をして御母《おつか》さんの群集の中から出てくるのを待つだらう。それを思ふと可哀さうなのは坑《あな》を出て來ない浩さんよりも、浮世の風にあたつて居る御母《おつか》さんだ。塹壕に飛び込む迄は兎に角、飛び込んで仕舞へば夫《それ》迄《まで》である。娑婆《しやば》の天氣は晴であらうとも曇であらうとも頓着はなからう。然し取り殘された御母《おつか》さんはさうは行かぬ。そら雨が降る、垂《た》れ籠《こ》めて浩さんの事を思ひ出す。そら晴れた、表へ出て浩さんの友達に逢ふ。歡迎で國旗を出す、あれが生きて居たらと愚痴つぽくなる。洗湯で年頃の娘が湯を汲んで呉れる、あんな嫁が居たらと昔を偲《しの》ぶ。是では生きて居るのが苦痛である。それも子福者であるなら一人なくなつても、あとに慰めてくれるものもある。然し親一人子一人の家族が半分缺けたら、瓢箪《へうたん》の中から折れたと同じ樣なものでしめ括《くゝ》りがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。御母《おつか》さんは今に浩一《かういち》が歸つて來たらばと、皺だらけの指を日夜《にちや》に折り盡してぶら下がる日を待ち焦《こ》がれたのである。其ぶら下がる當人は旗を持つて思ひ切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至る迄上がつて來ない。白髪《しらが》は揩オたかも知れぬが將軍は歡呼の裡《うち》に歸來《きらい》した。色は黒くなつても軍曹は得意にプラツトフオームの上に飛び下りた。白髪《しらが》にならうと日に燒け樣と歸りさへすればぶら下がるに差し支へはない。右の腕を繃帶で釣るして左の足が義足と變化しても歸りさへすれば構はん。構はんと云ふのに浩さんは依然として坑《あな》から上がつて來ない。是でも上がつて來ないなら御母《おつか》さんの方からあとを追ひかけて坑《あな》の中へ飛び込むより仕方がない。
幸ひ今日は閑《ひま》だから浩《かう》さんのうちへ行つて、久し振りに御母《おつか》さんを慰めてやらう? 慰めに行くのはいゝがあすこへ行くと、行く度に泣かれるので困る。先達《せんだつ》て抔《など》は一時間半|許《ばか》り泣き續けに泣かれて、仕舞には大抵な挨拶はし盡して、大《おほい》に應對に窮した位だ。其時|御母《おつか》さんはせめて氣立ての優しい嫁でも居りましたら、こんな時には力になりますのにと頻りに嫁々と繰り返して大《おほい》に余を困らせた。それも一段落告げたからもう善《よ》からうと御免蒙りかけると、あなたに是非見て頂くものがあると云ふから、何ですと聽いたら浩一の日記ですと云ふ。成程亡友の日記は面白からう。元來日記と云ふものは其日/\の出來事を書き記《し》るすのみならず、又|時々刻々《じゞこく/\》の心ゆきを遠慮なく吐き出すものだから、如何に親友の手帳でも斷りなしに目を通す譯には行かぬが、御母《おつか》さんが承諾する――否《いな》先方から依頼する以上は無論興味のある仕事に相違ない。だから御母《おつか》さんに讀んで呉れと云はれたときは大《おほい》に乘氣になつて夫《それ》は是非見せて頂戴と迄云はうと思つたが、此上又日記で泣かれる樣な事があつては大變だ。到底余の手際では切り拔ける譯には行かぬ。ことに時刻を限つてある人と面會の約束をした刻限も逼つて居るから、是は追つて改めて上がつて緩々《ゆる/\》拝見を致す事に願ひませうと逃げ出した位である。以上の理由で訪問はちと辟易《へきえき》の體《てい》である。尤も日記は讀みたくない事もない。泣かれるのも少しなら厭とは云はない。元々木や石で出來上つたと云ふ譯ではないから人の不幸に對して一滴の同情位は優に表し得る男であるが如何《いかん》せん性來《しやうらい》餘り口の製造に念が入つて居らんので應對に窮する。御母《おつか》さんがまああなた聞いて下さいましと啜《すゝ》り上げてくると、何と受けていゝか分らない。夫《それ》を無理矢理に體裁を繕ろつて半間《はんま》に調子を合せ樣《やう》とすると折角の慰藉的好意が水泡と變化するのみならず、時には思ひも寄らぬ結果を呈出して熱湯と迄沸騰する事がある。是では慰めに行つたのか怒らせに行つたのか先方でも了解に苦しむだらう。行きさへしなければ藥も盛らん代りに毒も進めぬ譯だから危險はない。訪問は何《いづ》れ其内として、先づ今日は見合せ樣《やう》。
訪問は見合せる事にしたが、昨日《きのふ》の新橋事件を思ひ出すと、どうも浩《かう》さんの事が氣に掛つてならない。何らかの手段で親友を弔《とむら》つてやらねばならん。悼亡《たうばう》の句|抔《など》は出來る柄《がら》でない。文才があれば平生の交際を其儘記述して雜誌にでも投書するが此筆では夫《それ》も駄目と。何かないかな? うむある/\寺參りだ。浩さんは松樹山《しようじゆざん》の塹壕からまだ上《あが》つて來ないが其紀念の遺髪は遙かの海を渡つて駒込の寂光院《ぢやくくわうゐん》に埋葬された。こゝへ行つて御參りをしてきやうと西片町の吾家《わがや》を出る。
冬の取つ付きである。小春と云へば名前を聞いてさへ熟柿《じゆくし》の樣ないゝ心持になる。ことに今年《ことし》はいつになく暖かなので袷羽織《あはせばおり》に綿入一枚の出で立ちさへ輕々《かろ/”\》とした快い感じを添へる。先の斜めに減つた杖を振り廻しながら寂光院と大師流《だいしりう》に古い紺青《こんじやう》で彫りつけた額を眺めて門を這入ると、精舍《しやうじや》は格別なもので門内は蕭條《せうでう》として一塵の痕《あと》も留《と》めぬ程掃除が行き屆いて居る。是はうれしい。肌の細かな赤土が泥濘《ぬか》りもせず干乾《ひから》びもせず、ねつとりとして日の色を含んだ景色《けしき》程|難有《ありがた》いものはない。西片町は學者町か知らないが雅《が》な家は無論の事、落ちついた土の色さへ見られない位近頃は住宅が多くなつた。學者がそれ丈《だけ》殖えたのか、或は學者がそれ丈《だけ》不風流なのか、まだ研究して見ないから分らないが、かうやつて廣々とした境内へ來ると、平生は學者町で滿足を表して居た眼にも何となく坊主の生活が羨しくなる。門の左右には周圍二尺程な赤松が泰然として控へて居る。大方《おほかた》百年位前から斯《かく》の如く控へて居るのだらう。鷹揚な所が頼母《たのも》しい。神無月《かんなづき》の松の落葉とか昔は稱《とな》へたものださうだが葉を振《ふる》つた景色《けしき》は少しも見えない。只|蟠《わだかま》つた根が奇麗な土の中から瘤《こぶ》だらけの骨を一二寸|露《あら》はして居る許《ばか》りだ。老僧か、小坊主か納所《なつしよ》かあるひは門番が凝性《こりしやう》で大方《おほかた》日に三度位掃くのだらう。松を左右に見て半町程行くとつき當りが本堂で、其右が庫裏《くり》である。本堂の正面にも金泥《きんでい》の額が懸つて、鳥の糞《ふん》か、紙を?んで叩きつけたのか點々と筆者の神聖を汚《け》がして居る。八寸角の欅柱《けやきばしら》には、のたくつた草書の聯《れん》が讀めるなら讀んで見ろと澄《すま》してかゝつて居る。成程讀めない。讀めない所を以て見ると餘程名家の書いたものに違ひない。ことによると王羲之《わうぎし》かも知れない。えらさうで讀めない字を見ると余は必ず王羲之《わうぎし》にしたくなる。王羲之《わうぎし》にしないと古い妙な感じが起らない。本堂を右手に左へ廻ると墓場である。墓場の入口には化銀杏《ばけいてふ》がある。但し化《ばけ》の字は余のつけたのではない。聞く所によると此|界隈《かいわい》で寂光院のばけ銀杏《いてふ》と云へば誰も知らぬ者はないさうだ。然し何が化《ば》けたつて、こんなに高くはなりさうもない。三抱《みかゝへ》もあらうと云ふ大木だ。例年なら今頃はとくに葉を振《ふる》つて、から坊主になつて、野分《のわき》のなかに唸《うな》つて居るのだが、今年《ことし》は全く破格な時候なので、高い枝が悉《こと/”\》く美しい葉をつけて居る。下から仰ぐと目に餘る黄金《こがね》の雲が、穩かな日光を浴びて、所々|鼈甲《べつかふ》の樣に輝くからまぼしい位見事である。其雲の塊《かたま》りが風もないのにはら/\と落ちてくる。無論薄い葉の事だから落ちても音はしない、落ちる間も亦頗る長い。枝を離れて地に着く迄の間に或は日に向ひ或は日に背《そむ》いて色々な光を放つ。色々に變りはするものゝ急ぐ景色《けしき》もなく、至つて豐かに、至つてしとやかに降つて來る。だから見て居ると落つるのではない。空中を搖曳《えうえい》して遊んで居る樣に思はれる。閑靜である。――凡《すべ》てのものゝ動かぬのが一番閑靜だと思ふのは間違つて居る。動かない大面積の中に一點が動くから一點以外の靜さが理解できる。しかも其一點が動くと云ふ感じを過重《くわちよう》ならしめぬ位、否其一點の動く事其れ自《みづか》らが定寂《ぢやうじやく》の姿を帶びて、しかも他の部分の靜肅な有樣を反思《はんし》せしむるに足る程に靡《なび》いたなら――其時が一番閑寂の感を與へる者だ。銀杏《いてふ》の葉の一陣の風なきに散る風情《ふぜい》は正に是である。限りもない葉が朝《あした》、夕《ゆふべ》を厭《いと》はず降つてくるのだから、木の下は、黒い地の見えぬ程扇形の小さい葉で敷きつめられて居る。さすがの寺僧もこゝ迄は手が屆かぬと見えて、當座は掃除の煩《はん》を避けたものか、又は堆《うづた》かき落葉を興ある者と眺めて、打ち棄てゝ置くのか。兎に角美しい。
しばらく化銀杏の下に立つて、上を見たり下を見たり佇《たゝず》んで居たが、漸くの事幹のもとを離れて愈《いよ/\》墓地の中へ這入り込んだ。此寺は由緒《ゆゐしよ》のある寺ださうで所々に大きな蓮臺《れんだい》の上に据ゑつけられた石塔が見える。右手の方《かた》に柵を控へたのには梅花院殿瘠鶴大居士《ばいくわゐんでんせきかくだいこじ》とあるから大方《おほかた》大名か旗本の墓だらう。中には至極簡略で尺たらずのもある。慈雲童子と楷書で彫つてある。小供だから小さい譯だ。此外石塔も澤山ある、戒名も飽きる程彫り付けてあるが、申し合はせた樣に古いの許《ばか》りである。近頃になつて人間が死なゝくなつた譯でもあるまい、矢張り從前の如く相應の亡者《まうじや》は、年々御客樣となつて、あの剥げかゝつた額の下を潜《くゞ》るに違ない。然し彼等が一度び化銀杏の下を通り越すや否や急に古《ふ》る佛《ぼとけ》となつて仕舞ふ。何も銀杏《いてふ》の所爲《せゐ》と云ふ譯でもなからうが、大方《おほかた》の檀家《だんか》は寺僧の懇請で、餘り廣くない墓地の空所《くうしよ》を狹《せば》めずに、先祖代々の墓の中に新佛《しんぼとけ》を祭り込むからであらう。浩《かう》さんも祭り込まれた一人《ひとり》である。
浩《かう》さんの墓は古いと云ふ點に於て此古い卵塔婆《らんたふば》内で大分《だいぶ》幅の利く方である。墓はいつ頃出來たものか確《しか》とは知らぬが、何でも浩さんの御父《おとつ》さんが這入り、御爺さんも這入り、其又御爺さんも這入つたとあるからけつして新らしい墓とは申されない。古い代りには形勝の地を占めて居る。隣り寺を境に一段高くなつた土手の上に三坪程な平地《へいち》があつて石段を二つ踏んで行《い》き當《あた》りの眞中にあるのが、御爺さんも御父《おとつ》さんも浩さんも同居して眠つて居る河上家代々之墓である。極めて分り易い。化銀杏を通り越して一筋道を北へ二十間歩けばよい。余は馴れた所だから例の如く例の路をたどつて半分程來て、ふと何の氣なしに眼をあげて自分の詣《まゐ》るべき墓の方を見た。
見ると! もう來て居る。誰だか分らないが後《うし》ろ向《むき》になつて頻りに合掌して居る樣子だ。はてな。誰だらう。誰だか分り樣はないが、遠くから見ても男でない丈《だけ》は分る。恰好から云つても慥《たし》かに女だ。女なら御母《おつか》さんか知らん。余は無頓着の性質で女の服裝|抔《など》は一向《いつかう》不案内だが、御母《おつか》さんは大抵黒繻子の帶をしめて居る。所が此女の帶は――後《うしろ》から見ると最も人の注意を惹く、女の背中一杯に廣がつて居る帶は決して黒つぽいものでもない。光彩陸離《くわうさいりくり》たる矢鱈《やたら》に奇麗なものだ。若い女だ! と余は覺えず口の中で叫んだ。かうなると余は少々ばつがわるい。進むべきものか退《しりぞ》くべきものか一寸留つて考へて見た。女は夫《それ》とも知らないから、しやがんだ儘熱心に河上家代々の墓を禮拝して居る。どうも近寄りにくい。去ればと云つて逃げる程惡事を働いた覺はない。どうしやうと迷つて居ると女はすつくら立ち上がつた。後《うし》ろは隣りの寺の孟宗藪で寒い程|緑《みど》りの色が茂つて居る。其の滴《した》たる許《ばか》り深い竹の前にすつくりと立つた。背景が北側の日影で、黒い中に女の顔が浮き出した樣に白く映る。眼の大きな頬の緊つた領《えり》の長い女である。右の手をぶらりと垂れて、指の先でハンケチの端《はじ》をつかんで居る。其ハンケチの雪の樣に白いのが、暗い竹の中に鮮かに見える。顔とハンケチの清く染め拔かれた外は、あつと思つた瞬間に余の眼には何物も映らなかつた。
余が此《この》年《とし》になる迄に見た女の數《かず》は夥しいものである。徃來の中、電車の上、公園の内、音樂會、劇場、縁日、隨分見たと云つて宜しい。然し此時程驚ろいた事はない。此時程美しいと思つた事はない。余は浩《かう》さんの事も忘れ、墓詣りに來た事も忘れ、極りが惡るいと云ふ事さへ忘れて白い顔と白いハンケチ許《ばか》り眺めて居た。今迄は人が後《うし》ろに居やうとは夢にも知らなかつた女も、歸らうとして歩き出す途端に、茫然として佇《たゝ》ずんで居る余の姿が眼に入《い》つたものと見えて、石段の上に一寸立ち留まつた。下から眺めた余の眼と上から見下《みおろ》す女の視線が五間を隔てゝ互に行き當つた時、女はすぐ下を向いた。すると飽く迄白い頬に裏から朱を溶いて流した樣な濃い色がむら/\と※[者/火]染《にじ》み出した。見るうちに夫《それ》が顔一面に廣がつて耳の付根迄|眞赤《まつか》に見えた。是は氣の毒な事をした。化銀杏の方へ逆戻りを仕《し》樣《やう》。いやさうすれば却つて忍び足に後《あと》でもつけて來た樣に思はれる。と云つて茫然と見とれて居ては猶《なほ》失禮だ。死地に活を求むと云ふ兵法もあると云ふ話しだから是は勢よく前進するに若《し》くはない。墓場へ墓詣りをしに來たのだから別に不思議はあるまい。只躊躇するから怪しまれるのだ。と決心して例のステツキを取り直して、つか/\と女の方にあるき出した。すると女も俯向《うつむ》いた儘歩を移して石段の下で逃げる樣に余の袖の傍《そば》を擦りぬける。ヘリオトロープらしい香《かを》りがぷんとする。香《かをり》が高いので、小春日に照りつけられた袷羽織《あはせばおり》の脊中からしみ込んだ樣な氣がした。女が通り過ぎたあとは、やつと安心して何だか我に歸つた風に落ち付いたので、元來何者だらうと又振り向いて見る。すると運惡く又眼と眼が行き合つた。此度《こんど》は余は石段の上に立つてステツキを突いて居る。女は化銀杏の下で、行きかけた體《たい》を斜めに捩《ねぢ》つて此方《こつち》を見上げて居る。銀杏は風なきに猶《なほ》ひら/\と女の髪の上、袖の上、帶の上へ舞ひさがる。時刻は一時か一時半頃である。丁度去年の冬浩さんが大風の中を旗を持つて散兵壕から飛び出した時である。空は研《と》ぎ上げた劔《つるぎ》を懸けつらねた如く澄んで居る。秋の空の冬に變る間際程高く見える事はない。羅《うすもの》に似た雲の、微《かす》かに飛ぶ影も眸《ひとみ》の裡《うち》には落ちぬ。羽根があつて飛び登ればどこ迄も飛び登れるに相違ない。然しどこ迄昇つても昇り盡せはしまいと思はれるのが此空である。無限と云ふ感じはこんな空を望んだ時に最もよく起る。此の無限に遠く、無限に遐《はる》かに、無限に靜かな空を會釋もなく裂いて、化銀杏が黄金《こがね》の雲を凝《こ》らして居る。其隣には寂光院の屋根瓦が同じく此|蒼穹《さうきゆう》の一部を横に劃して、何十萬枚重なつたものか黒々と鱗の如く、暖かき日影を射返して居る。――古き空、古き銀杏、古き伽藍と古き墳墓が寂寞《じやくまく》として存在する間に、美くしい若い女が立つて居る。非常な對照である。竹藪を後《うし》ろに脊負《しよ》つて立つた時は只顔の白いのとハンケチの白いの許《ばか》り目に着いたが、今度はすらりと着こなした衣《きぬ》の色と、其|衣《きぬ》を眞中から輪に截つた帶の色がいちゞるしく目立つ。縞柄だの品物|抔《など》は余の樣な無風流漢には殘念ながら記述出來んが、色合|丈《だけ》は慥《たし》かに華《はな》やかな者だ。こんな物寂びた境内に一分たりとも居るべき性質のものでない。居るとすればどこからか戸迷《とまどひ》をして紛れ込んで來たに相違ない。三越陳列場の斷片を切り拔いて落柿舍《らくししや》の物干竿へかけた樣なものだ。對照の極とは是であらう。――女は化銀杏の下から斜めに振り返つて余が詣《まゐ》る墓のありかを確かめて行きたいと云ふ風に見えたが、生憎《あいにく》余の方でも女に不審があるので石段の上から眺め返したから、思ひ切つて本堂の方へ曲つた。銀杏はひら/\と降つて、黒い地を隱す。
余は女の後姿を見送つて不思議な對照だと考へた。昔《むか》し住吉の祠《やしろ》で藝者を見た事がある。其時は時雨《しぐれ》の中に立ち盡す島田姿が常よりは妍《あで》やかに余が瞳を照らした。箱根の大地獄で二八餘《にはちあま》りの西洋人に遇つた事がある。其折は十丈も※[者/火]え騰《あが》る湯煙りの凄じき光景が、しばらくは和《やは》らいで安慰の念を余が頭に與へた。凡《すべ》ての對照は大抵此二つの結果より外には何も生ぜぬ者である。在來の鋭どき感じを削つて鈍くするか、又は新たに視界に現はるゝ物象を平時よりは明瞭に腦裏に印し去るか、是が普通吾人の豫期する對照である。所が今|睹《み》た對象は毫もそんな感じを引き起さなかつた。相除《さうぢよ》の對照でもなければ相乘《さうじよう》の對照でもない。古い、淋《さび》しい、消極的な心の?態が減じた景色《けしき》は更にない、と云つて此美くしい綺羅《きら》を飾つた女の容姿が、音樂會や、園遊會で逢ふよりは一《ひ》と際《きは》目立つて見えたと云ふ譯でもない。余が寂光院の門を潜《くゞ》つて得た情緒《じやうしよ》は、浮世を歩む年齡が逆行して父母未生以前《ふもみしやういぜん》に溯つたと思ふ位、古い、物寂《ものさ》びた、憐れの多い、捕へる程|確《しか》とした痕迹もなき迄、淡く消極的な情緒《じやうしよ》である。此|情緒《じやうしよ》は藪を後《うし》ろにすつくりと立つた女の上に、余の眼が注《そゝ》がれた時に毫も矛盾の感を與へなかつたのみならず、落葉の中に振り返る姿を眺めた瞬間に於て、却つて一層の深きを加へた。古伽藍と剥げた額、化銀杏と動かぬ松、錯落《さくらく》と列《なら》ぶ石塔――死したる人の名を彫《きざ》む死したる石塔と、花の樣な佳人とが融和して一團の氣と流れて圓熟|無礙《むげ》の一種の感動を余の神經に傳へたのである。
斯んな無理を聞かせられる讀者は定めて承知すまい。これは文士の嘘言《きよげん》だと笑ふ者さへあらう。然し事實はうそでも事實である。文士だらうが不文士だらうが書いた事は書いた通り懸價《かけね》のない所をかいたのである。もし文士がわるければ斷つて置く。余は文士ではない、西片町に住む學者だ。若し疑ふなら此問題をとつて學者的に説明してやらう。讀者は沙翁《さをう》の悲劇マクベスを知つて居るだらう。マクベス夫婦が共謀して主君のダンカンを寢室の中で殺す。殺して仕舞ふや否や門の戸を續け樣《ざま》に敲《たゝ》くものがある。すると門番が敲《たゝ》くは/\と云ひながら出て來て醉漢の管《くだ》を捲く樣なたわいもない事を呂律《ろれつ》の廻らぬ調子で述べ立てる。是が對照だ。對照も對照も一通りの對照ではない。人殺しの傍《わき》で都々逸《どゞいつ》を歌ふ位の對照だ。所が妙な事は此滑稽を挿んだ爲めに今迄の凄愴《せいさう》たる光景が多少和らげられて、此《こゝ》に至つて一段とくつろぎが付いた感じもなければ、又滑稽が事件の排列の具合から平生より一倍の可笑味《をかしみ》を與へると云ふ譯でもない。それでは何らの功果もないかと云ふと大變ある。劇全體を通じての物凄さ、怖しさは此一段の諧謔《かいぎやく》の爲めに白熱度に引き上げらるゝのである。猶《なほ》擴大して云へば此場合に於ては諧謔其物が畏怖である。恐懼《きようく》である、悚然《しようぜん》として粟を肌《はだへ》に吹く要素になる。其譯を云へば先づかうだ。
吾人が事物に對する觀察點が從來の經驗で支配せらるゝのは言を待たずして明瞭な事實である。經驗の勢力は度數と、單獨な場合に受けた感動の量に因つて高下搆クするのも爭はれぬ事實であらう。絹布團生れ落ちて御意《ぎよい》だ仰せだと持ち上げられる經驗が度重なると人間は余に頭を下げる爲めに生れたのぢやなと御意《ぎよい》遊ばす樣になる。金で酒を買ひ、金で妾《めかけ》を買ひ、金で邸宅、朋友、從五位《じゆごゐ》迄買つた連中《れんぢゆう》は金さへあれば何でも出來るさと金庫を横目に睨《にら》んで高《たか》を括《くゝ》つた鼻先を虚空遙かに反《そ》り返へす。一度の經驗でも御多分《ごたぶん》には洩れん。箔屋町《はくやちやう》の大火事に身代《しんだい》を潰《つぶ》した旦那は板橋の一つ半でも蒼くなるかも知れない。濃尾《のうび》の震災に瓦の中から堀《ほ》り出された生き佛はドンが鳴つても念佛を唱へるだらう。正直な者が生涯に一返萬引を働いても疑《うたがひ》を掛ける知人もないし、冗談《じようだん》を商賣にする男が十年に半日眞面目な事件を擔《かつ》ぎ込んでも誰も相手にするものはない。つまる所吾々の觀察點と云ふものは從來の惰性で解決せられるのである。吾々の生活は千差萬別であるから、吾々の惰性も商賣により職業により、年齡により、氣質により、兩性によりて各《おの/\》異なるであらう。が其通り。劇を見るときにも小説を讀むときにも全篇を通じた調子があつて、此調子が讀者、觀客の心に反應すると矢張り一種の惰性になる。もし此惰性を構成する分子が猛烈であればある程、惰性其物も牢《らう》として動かすべからず拔くべからざる傾向を生ずるに極つて居る。マクベスは妖婆《えうば》、毒婦、兇漢の行爲動作を刻意《こくい》に描寫した悲劇である。讀んで冒頭より門番の滑稽に至つて冥々《めい/\》の際讀者の心に生ずる唯一の惰性は怖〔傍点〕と云ふ一字に歸着して仕舞ふ。過去が既に怖《ふ》である、未來も亦|怖《ふ》なるべしとの豫期は、自然と己《おの》れを放射して次に出現すべき如何なる出來事をも此怖〔傍点〕に關連して解釋しやうと試みるのは當然の事と云はねばならぬ。船に醉つたものが陸《をか》に上《あが》つた後《あと》迄も大地を動くものと思ひ、臆病に生れ付いた雀が案山子《かゞし》を例の爺さんかと疑ふ如く、マクベスを讀む者も又怖〔傍点〕の一字をどこ迄も引張つて、怖〔傍点〕を冠すべからざる邊《へん》に迄持つて行かうと力《つと》むるは怪しむに足らぬ。何事をも怖〔傍点〕|化《くわ》せんとあせる矢先に現はるゝ門番の狂言は、普通の狂言諧謔とは受け取れまい。
世間には諷語《ふうご》と云ふがある。諷語《ふうご》は皆|表裏《へうり》二面の意義を有して居る。先生を馬鹿の別號に用ゐ、大將を匹夫の渾名《あだな》に使ふのは誰も心得て居やう。此筆法で行くと人に謙遜するのは益《ます/\》人を愚《ぐ》にした待遇法で、他を稱揚するのは熾《さかん》に他を罵倒した事になる。表面の意味が強ければ強い程、裏側の含蓄も漸く深くなる。御辭儀一つで人を愚弄するよりは、履物《はきもの》を揃へて人を揶揄《やゆ》する方が深刻ではないか。此心理を一歩開拓して考へて見る。吾々が使用する大抵の命題は反對の意味に解釋が出來る事となろう。さあどつちの意味にしたものだらうと云ふときに例の惰性が出て苦もなく判斷して呉れる。滑稽の解釋に於ても其通りと思ふ。滑稽の裏には眞面目がくつ付いて居る。大笑《たいせう》の奧には熱涙が潜んで居る。雜談《じやうだん》の底には啾々《しう/\》たる鬼哭《きこく》が聞える。とすれば怖〔傍点〕と云ふ惰性を養成した眼を以て門番の諧謔を讀む者は、其諧謔を正面から解釋したものであらうか、裏側から觀察したものであらうか。裏面から觀察するとすれば醉漢の妄語《まうご》のうちに身の毛もよだつ程の畏懼《ゐく》の念はある筈だ。元來|諷語《ふうご》は正語《せいご》よりも皮肉なる丈《だけ》正語よりも深刻で猛烈なものである。蟲さへ厭ふ美人の根性《こんじやう》を透見《とうけん》して、毒蛇の化身《けしん》即ち此|天女《てんによ》なりと判斷し得たる刹那に、其罪惡は同程度の他の罪惡よりも一層怖るべき感じを引き起す。全く人間の諷語《ふうご》であるからだ。白晝の化物の方が定石《ぢやうせき》の幽靈よりも或る場合には恐ろしい。諷語であるからだ。廢寺に一夜《いちや》をあかした時、庭前の一本杉の下でカツポレを躍るものがあつたら此カツポレは非常に物凄からう。是も一種の諷語であるからだ。マクベスの門番は山寺のカツポレと全然同格である。マクベスの門番が解けたら寂光院の美人も解けるはずだ。
百花の王をもつて許す牡丹《ぼたん》さへ崩れるときは、富貴の色も只|好事家《かうずか》の憐れを買ふに足らぬ程|脆《もろ》いものだ。美人薄命と云ふ諺《ことわざ》もある位だから此女の壽命も容易に保險はつけられない。然し妙齡の娘は概して活氣に充ちて居る。前途の希望に照らされて、見るからに陽氣な心持のするものだ。のみならず友染《いうぜん》とか、繻珍《しゆちん》とか、ぱつとした色氣のものに包まつて居るから、横から見ても縱から見ても派出《はで》である立派である、春景色である。其一人が――最も美くしき其一人が寂光院の墓場の中に立つた。浮かない、古臭い、沈靜な四顧の景物の中に立つた。すると其愛らしき眼、其はなやかな袖が忽然《こつぜん》と本來の面目を變じて蕭條《せうでう》たる周圍に流れ込んで、境内|寂寞《じやくまく》の感を一層深からしめた。天下に墓程落付いたものはない。然し此女が墓の前に延び上がつた時は墓よりも落ちついて居た。銀杏《いてふ》の黄葉《くわうえふ》は淋《さみ》しい。况《ま》して化けるとあるから猶《なほ》淋《さみ》しい。然し此女が化銀杏の下に横顔を向けて佇《たゝず》んだときは、銀杏の精が幹から拔け出したと思はれる位|淋《さみ》しかつた。上野の音樂會でなければ釣り合はぬ服裝をして、帝國ホテルの夜會にでも招待されさうな此女が、なぜかくの如く四邊の光景と映帶《えいたい》して索寞《さくばく》の觀を添へるのか。是も諷語《ふうご》だからだ。マクベスの門番が怖しければ寂光院の此女も淋《さみ》しくなくてはならん。
御墓を見ると花筒に菊がさしてある。垣根に咲く豆菊の色は白いもの許《ばか》りである。是も今の女の所爲《しよゐ》に相違ない。家《うち》から折つて來たものか、途中で買つて來たものか分らん。若しや名刺でも括《くゝ》りつけてはないかと葉裏迄覗いて見たが何もない。全體何物だらう。余は高等學校時代から浩《かう》さんとは親しい付き合ひの一人であつた。うちへはよく泊りに行つて浩さんの親類は大抵知つて居る。然し指を折つてあれこれと順々に勘定して見ても、こんな女は思ひ出せない。すると他人か知らん。浩さんは人好きのする性質で、交際も大分《だいぶ》廣かつたが、女に朋友がある事はついに聞いた事がない。尤も交際をしたからと云つて、必らず余に告げるとは限つて居らん。が浩さんはそんな事を隱す樣な性質ではないし、よし外の人に隱したからと云つて余に隱す事はない筈だ。かう云ふと可笑《をか》しいが余は河上家の内情は相續人たる浩さんに劣らん位|精《くは》しく知つて居る。さうして夫《それ》は皆浩さんが余に話したのである。だから女との交際だつて、もし實際あつたとすればとくに余に告げるに相違ない。告げぬ所を以て見ると知らぬ女だ。然し知らぬ女が花迄|提《さ》げて浩さんの墓參りにくる譯がない。是は怪しい。少し變だが追懸けて名前|丈《だけ》でも聞いて見《み》樣《やう》か、夫《それ》も妙だ。いつその事黙つて後《あと》を付けて行く先を見屆け樣《やう》か、それでは丸《まる》で探偵だ。そんな下等な事はしたくない。どうしたら善からうと墓の前で考へた。浩さんは去年の十一月|塹壕《ざんがう》に飛び込んだぎり、今日《けふ》迄《まで》上がつて來ない。河上家代々の墓を杖で敲《たゝ》いても、手で搖《ゆ》り動かしても浩さんは矢張塹壕の底に寐て居るだらう。こんな美人が、こんな美しい花を提《さ》げて御詣りに來るのも知らずに寐て居るだらう。だから浩さんはあの女の素性《すじやう》も名前も聞く必要もあるまい。浩さんが聞く必要もないものを余が探究する必要は猶更《なほさら》ない。いや是はいかぬ。かう云ふ論理ではあの女の身元を調べてはならんと云ふ事になる。然し其《それ》は間違つて居る。何故《なぜ》? 何故は追つて考へてから説明するとして、只今の場合是非共聞き糺《たゞ》さなくてはならん。何でも蚊でも聞かないと氣が濟まん。いきなり石段を一股《ひとまた》に飛び下りて化銀杏の落葉を蹴散らして寂光院の門を出て先づ左の方を見た。居ない。右を向いた。右にも見えない。足早に四つ角迄來て目の屆く限り東西南北を見渡した。矢張り見えない。とう/\取り逃がした。仕方がない、御母《おつか》さんに逢つて話をして見《み》樣《やう》、ことによつたら容子が分るかも知れない。
三
六疊の座敷は南向で、拭き込んだ椽側《えんがは》の端《はじ》に神代杉《じんだいすぎ》の手拭懸が置いてある。軒下から丸い手水桶《てうづをけ》を鐵の鎖で釣るしたのは洒落《しや》れて居るが、其下に一叢《ひとむら》の木賊《とくさ》をあしらつた所が一段の趣を添へる。四つ目垣の向ふは二三十坪の茶畠で其間に梅の木が三四本見える。垣に結《ゆ》ふた竹の先に洗濯した白足袋が裏返しに乾《ほ》してあつて其隣りには如露《じよろ》が逆さまに被《かぶ》せてある。其根元に豆菊が塊《かた》まつて咲いて累々《るゐ/\》と白玉《はくぎよく》を綴つて居るのを見て「奇麗ですな」と御母《おつか》さんに話しかけた。
「今年《ことし》は暖《あつ》たかだもんですからよく持ちます。あれもあなた、浩一の大好きな菊で……」
「へえ、白いのが好きでしたかな」
「白い、小さい豆の樣なのが一番面白いと申して自分で根を貰つて來て、わざ/\植えたので御座います」
「成程そんな事がありましたな」と云つたが、内心は少々氣味が惡かつた。寂光院の花筒に挿《はさ》んであるのは正に此種の此色の菊である。
「御叔母《をば》さん近頃は御寺參りをなさいますか」
「いえ、先達《せんだつ》て中《ぢゆう》から風邪の氣味で五六日伏せつて居りましたものですから、つい/\佛へ無沙汰を致しまして。――うちに居つても忘れる間《ま》はないのですけれども――年をとりますと、御湯に行くのも退儀になりましてね」
「時々は少し表をあるく方が藥ですよ。近頃はいゝ時候ですから……」
「御親切に難有《ありがた》う存じます。親戚のもの抔《など》も心配して色々云つて呉れますが、どうもあなた何分元氣がないものですから、それにこんな婆さんを態々《わざ/\》連れてあるいて呉れるものもありませず」
かうなると余はいつでも言句に窮する。どう云つて切り拔けていゝか見當がつかない。仕方がないから「はあゝ」と長く引つ張つたが、御母《おつか》さんは少々不平の氣味である。さあしまつたと思つたが別に片附け樣もないから、梅の木をあちらこちら飛び歩るいて居る四十雀《しじふから》を眺めて居た。御母《おつか》さんも話の腰を折られて無言である。
「御親類の若い御孃さんでもあると、こんな時には御相手にいゝですがね」と云ひながら不調法なる余にしては天晴《あつぱれ》な出來だと自分で感心して見せた。
「生憎《あいにく》そんな娘もおりませず。それに人の子には矢張り遠慮勝ちで……せがれに嫁でも貰つて置いたら、こんな時には嘸《さぞ》心丈夫だらうと思ひます。ほんに殘念な事をしました」
そら娶《よめ》が出た。くる度によめが出ない事はない。年頃の息子《むすこ》に嫁を持たせたいと云ふのは親の情《じやう》として左《さ》もあるべき事だが、死んだ子に娶《よめ》を迎へて置かなかつたのをも殘念がるのは少々|平仄《ひやうそく》が合はない。人情はこんなものか知らん。まだ年寄になつて見ないから分らないがどうも一般の常識から云ふと少し間違つて居る樣だ。それは一人で侘《わび》しく暮らすより氣に入つた嫁の世話になる方が誰だつて頼《たよ》りが多からう。然し嫁の身になつても見るがいゝ。結婚して半年《はんとし》も立たないうちに夫《をつと》は出征する。漸く戰爭が濟んだと思ふと、いつの間《ま》にか戰死して居る。二十《はたち》を越すか越さないのに、姑《しうと》と二人暮しで一生を終る。こんな殘酷な事があるものか。御母《おつか》さんの云ふところは老人の立場から云へば無理もない訴《うつたへ》だが、然し隨分我儘な願だ。年寄は是だからいかぬと、内心は頗る不平であつたが、滅多な抗議を申し込むと又|氣色《きしよく》を惡《わ》るくさせる危險がある。折角慰めに來ていつも失策をやるのは餘り器量のない話だ。まあ/\だまつて居るに若《し》くはなしと覺悟を極めて、反《かへ》つて反對の方角へと楫《かぢ》をとつた。余は正直に生れた男である。然し社會に存在して怨まれずに世の中を渡らうとすると、どうも嘘がつきたくなる。正直と社會生活が兩立するに至れば嘘は直ちにやめる積りで居る。
「實際殘念な事をしましたね。全體|浩《かう》さんは何故《なぜ》嫁をもらはなかつたんですか」
「いえ、あなた色々探して居りますうちに、旅順へ參る樣になつたもので御座んすから」
「それぢや當人も貰ふ積りで居たんでせう」
「それは……」と云つたが、其ぎり黙つて居る。少々樣子が變だ。或は寂光院事件の手懸りが潜伏して居さうだ。白?して云ふと、余は此時|浩《かう》さんの事も、御母《おつか》さんの事も考へて居なかつた。只あの不思議な女の素性と浩さんとの關係が知りたいので頭の中は一杯になつて居る。此日に於ける余は平生の樣な同情的動物ではない。全く冷靜な好奇獣《かうきじう》とも稱すべき代物《しろもの》に化して居た。人間も其日/\で色々になる。惡人になつた翌日は善男に變じ、小人の晝の後《のち》に君子の夜がくる。あの男の性格は抔《など》と手にとつた樣に吹聽する先生があるがあれは利口の馬鹿と云ふもので其日/\の自己を研究する能力さへないから、こんな傍若無人の囈語《げいご》を吐いて獨りで恐悦がるのである。探偵程劣等な家業は又とあるまいと自分にも思ひ、人にも宣言して憚からなかつた自分が、純然たる探偵的態度をもつて事物に對するに至つたのは、頗るあきれ返つた現象である。一寸言ひ淀《よど》んだ御母《おつか》さんは、思ひ切つた口調で
「其事に就て浩一は何かあなたに御話をした事は御座いませんか」
「嫁の事ですか」
「えゝ、誰か自分の好いたものがある樣な事を」
「いゝえ」と答へたが、實は此問こそ、こつちから御母《おつか》さんに向つて聞いて見なければならん問題であつた。
「御叔母《をば》さんには何か話しましたろう」
「いゝえ」
望の綱は是《これ》限《ぎ》り切れた。仕方がないから又眼を庭の方へ轉ずると、四十雀《しじふから》は既にどこかへ飛び去つて、例の白菊の色が、水氣《みづけ》を含んだ黒土に映じて見事に見える。其時不圖思ひ出したのは先日の日記の事である。御母《おつか》さんも知らず、余も知らぬ、あの女の事があるひは書いてあるかも知れぬ。よしあからさまに記してなくても一應目を通したら何か手懸りがあらう。御母《おつか》さんは女の事だから理解出來んかも知れんが、余が見ればかうだらう位の見當はつくわけだ。是は催促して日記を見るに若《し》くはない。
「あの先日御話しの日記ですね。あの中に何かかいてはありませんか」
「えゝ、あれを見ないうちは何とも思はなかつたのですが、つい見たものですから……」と御母《おつか》さんは急に涙聲になる。又泣かした。是だから困る。困りはしたものゝ、何か書いてある事は慥《たし》かだ。かうなつては泣かうが泣くまいがそんな事は構つて居られん。
「日記に何か書いてありますか? それは是非拝見しませう」と勢よく云つたのは今から考へて赤面の次第である。御母《おつか》さんは起《た》つて奧へ這入る。
やがて襖《ふすま》をあけてポツケツト入れの手帳を持つて出てくる。表紙は茶の革で一寸見ると紙入の樣な體裁である。朝夕|内《うち》がくしに入れたものと見えて茶色の所が黒ずんで、手垢でぴか/\光つて居る。無言の儘日記を受取つて中を見《み》樣《やう》とすると表の戸がから/\と開《あ》いて、頼みますと云ふ聲がする。生憎《あいにく》來客だ。御母《おつか》さんは手眞似で早く隱せと云ふから、余は手帳を内懷《うちぶところ》に入れて「宅へ歸つて見てもいゝですか」と聞いた。御母《おつか》さんは玄關の方を見ながら「どうぞ」と答へる。やがて下女が何とか樣が入らつしやいましたと注進にくる。何とか樣に用はない。日記さへあれば大丈夫早く歸つて讀まなくつてはならない。其ではと挨拶をして久堅町《ひさかたまち》の徃來へ出る。
傳通院の裏を拔けて表町の坂を下《お》りながら路々考へた。どうしても小説だ。たゞ小説に近い丈《だけ》何だか不自然である。然し是から事件の眞相を究《きは》めて、全體の成行が明瞭になりさへすれば此不自然も自《おの》づと消滅する譯だ。兎に角面白い。是非探索――探索と云ふと何だか不愉快だ――探究として置かう。是非探究して見なければならん。其《それ》にしても昨日《きのふ》あの女のあとを付けなかつたのは殘念だ。もし向後《かうご》あの女に逢ふ事が出來ないとすると此事件は判然《はんぜん》と分りさうにもない。入らぬ遠慮をして流星光底《りうせいくわうてい》ぢやないが逃がしたのは惜しい事だ。元來品位を重んじ過ぎたり、あまり高尚にすると、得てこんな事になるものだ。人間はどこかに泥棒的分子がないと成功はしない。紳士も結構には相違ないが、紳士の體面を傷《きずつ》けざる範圍内に於て泥棒根性を發揮せんと折角の紳士が紳士として通用しなくなる。泥棒氣のない純粹の紳士は大抵行き倒れになるさうだ。よし是からはもう少し下品になつてやらう。とくだらぬ事を考へながら柳町の橋の上迄來ると、水道橋の方から一輌の人力車が勇ましく白山の方へ馳け拔ける。車が自分の前を通り過ぎる時間は何秒と云ふ僅かの間《あひだ》であるから、余が冥想の眼をふとあげて車の上を見た時は、乘つて居る客は既に眼界から消えかゝつて居た。が其人の顔は? あゝ寂光院だと氣が着いた頃はもう五六間先へ行つて居る。こゝだ下品になるのはこゝだ。何でも構はんから追ひ懸けろと、下駄の齒をそちらに向けたが、徒歩で車のあとを追ひ懸けるのは餘り下品すぎる。氣狂でなくつてはそんな馬鹿な事をするものはない。車、車、車は居らんかなと四方を見廻したが生憎《あいにく》一輛も居らん。其うちに寂光院は姿も見えない位遙かあなたに馳け拔ける。もう駄目だ。氣狂と思はれる迄下品にならなければ世の中は成功せんものかなと惘然《ばうぜん》として西片町へ歸つて來た。
取り敢ず、書齋に立て籠つて懷中から例の手帳を出したが、何分|夕景《ゆふけい》ではつきりせん。實は途上でもあちこちと拾ひ讀みに讀んで來たのだが、鉛筆でなぐりがきに書いたものだから明るい所でも容易に分らない。ランプを點《つ》ける。下女が御飯はと云つて來たから、めしは後《あと》で食ふと追ひ返す。偖《さて》一頁から順々に見て行くと皆陣中の出來事のみである。しかも倥偬《こうそう》の際に分陰《ふんいん》を偸《ぬす》んで記しつけたものと見えて大概の事は一句二句で辯じて居る。「風、坑道内にて食事。握り飯二個。泥まぶれ」と云ふのがある。「夜來|風邪《ふうじや》の氣味、發熱。診察を受けず、例の如く勤務」と云ふのがある。「テント外の歩哨散彈に中《あた》る。テントに仆《たふ》れかゝる。血痕を印す」「五時大突撃。中隊全滅、不成功に終る。殘念※[感嘆符三つ]」殘念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助ける爲めの手控《てびかへ》であるから、毫も文章らしい所はない。字句を修飾したり、彫琢《てうたく》したりした痕跡は藥にしたくも見當らぬ。然しそれが非常に面白い。只《たゞ》有の儘を有の儘に寫して居る所が大《おほい》に氣に入つた。ことに俗人の使用する壯士的口吻がないのが嬉しい。怒氣天を衝くだの、暴慢なる露人だの、醜虜《しうりよ》の膽《たん》を寒からしむだの、凡《すべ》てえらさうで安つぽい辭句はどこにも使つてない。文體は甚だ氣に入つた、流石《さすが》に浩《かう》さんだと感心したが、肝心の寂光院事件はまだ出て來ない。段々讀んで行くうちに四行ばかり書いて上から棒を引いて消した所が出て來た。こんな所が怪しいものだ。之を讀みこなさなければ氣が濟まん。手帳をランプのホヤに押しつけて透《す》かして見る。二行目の棒の下からある字が三分の二ばかり食《は》み出して居る。郵〔傍点〕の字らしい。それから骨を折つてやう/\郵便局の三字|丈《だ》け片づけた。郵便局の上の字は大※[郷の中央部が空白]〔二字傍点〕|丈《だけ》見えて居る。是は何だらうと三分程ランプと相談をしてやつと分つた。本郷郵便局である。こゝ迄は漸く漕ぎつけたが其|外《ほか》は裏から見ても逆さまに見てもどうしても讀めない。とう/\斷念する。夫《それ》から二三頁進むと突然一大發見に遭遇した。「二三日《にさんち》一睡もせんので勤務中坑内|假寢《かしん》。郵便局で逢つた女の夢を見る」
余は覺えずどきりとした。「只二三分の間、顔を見た許《ばか》りの女を、程經て夢に見るのは不思議である」此句から急に言文一致になつて居る。「餘程衰弱して居る證據であらう、然し衰弱せんでもあの女の夢なら見るかも知れん。旅順へ來てから是で三度見た」
余は日記をぴしやりと敲《たゝ》いて是だ! と叫んだ。御母《おつか》さんが嫁々と口癖の樣に云ふのは無理はない。是を讀んで居るからだ。夫《それ》を知らずに我儘だの殘酷だのと心中で評したのは、こつちが惡《わ》るいのだ。成程こんな女が居るなら、親の身として一日でも添はしてやりたいだらう。御母《おつか》さんが嫁が居たら/\と云ふのを今迄誤解して全く自分の淋しいのをまぎらす爲と許《ばか》り解釋して居たのは余の眼識の足らなかつた所だ。あれは自分の我儘で云ふ言葉ではない。可愛い息子を戰死する前に、半月でも思ひ通りにさせてやりたかつたと云ふ謎《なぞ》なのだ。成程男は呑氣《のんき》なものだ。然し知らん事なら仕方がない。それは先づよしとして元來寂光院が此女なのか、或はあれは全く別物で、浩《かう》さんの郵便局で逢つたと云ふのは外の女なのか、是が疑問である。此疑問はまだ斷定出來ない。是《これ》丈《だけ》の材料でさう早く結論に高飛びはやりかねる。やりかねるが少しは想像を容れる餘地もなくては、凡《すべ》ての判斷はやれるものではない。浩さんが郵便局であの女に逢つたとする。郵便局へ遊びに行く譯はないから、切手を買ふか、爲替《かはせ》を出すか取るかしたに相違ない。浩さんが切手を手紙へ貼る時に傍《そば》に居たあの女が、どう云ふ拍子かで差出人の宿所姓名を見ないとは限らない。あの女が浩さんの宿所姓名を其時に覺え込んだとして、之に小説的分子を五|分《ぶ》許《ばか》り加味すれば寂光院事件は全く起らんとも云へぬ。女の方は夫《それ》で解《かい》せたとして浩さんの方が不思議だ。どうして一寸逢つたものをさう何度も夢に見るかしらん。どうも今少し慥《たし》かな土臺が欲しいがと猶讀んで行くと、こんな事が書いてある。「近世の軍略に於て、攻城は至難なるものゝ一として數へらる。我が攻圍軍の死傷多きは怪しむに足らず。此二三ケ月間に余が知れる將校の城下に斃れたる者は枚擧《まいきよ》に遑《いとま》あらず。死は早晩余を襲ひ來らん。余は日夜に兩軍の砲撃を聞きて、今か/\と順番の至るを待つ」成程死を決して居たものと見える。十一月二十五日の條にはかうある。「余の運命も愈《いよ/\》明日に逼《せま》つた」今度は言文一致である。「軍人が軍《いく》さで死ぬのは當然の事である。死ぬのは名誉である。ある點から云へば生きて本國に歸るのは死ぬべき所を死に損《そく》なつた樣なものだ」戰死の當日の所を見ると「今日限りの命だ。二龍山を崩す大砲の聲が頻りに響く。死んだらあの音も聞えぬだらう。耳は聞えなくなつても、誰か來て墓參りをして呉れるだらう。さうして白い小さい菊でもあげて呉れるだらう。寂光院は閑靜な所だ」とある。其次に「強い風だ。愈《いよ/\》是から死にゝ行く。丸《たま》に中《あた》つて仆《たふ》れる迄旗を振つて進む積りだ。御母《おつか》さんは、寒いだらう」日記はこゝで、ぶつりと切れて居る。切れて居る筈だ。
余はぞつとして日記を閉ぢたが、愈《いよ/\》あの女の事が氣に懸つて堪らない。あの車は白山の方へ向いて馳けて行つたから、何でも白山方面のものに相違ない。白山方面とすれば本郷の郵便局へ來んとも限らん。然し白山だつて廣い。名前も分らんものを探《たづ》ねて歩いたつて、さう急に知れる譯がない。兎に角今夜の間に合ふ樣な簡略な問題ではない。仕方がないから晩食《ばんめし》を濟まして其晩はそれぎり寢る事にした。實は書物を讀んでも何が書いてあるか茫々として海に對する樣な感があるから、已《やむ》を得ず床へ這入つたのだが、偖《さて》夜具の中でも思ふ通りにはならんもので、終夜安眠が出來なかつた。
翌日學校