萬葉集總釋第五 樂浪書院 1936.3.5発行
 
(1)萬葉集 卷第十
 
(3)   卷第十概説             安藤正次
 
 この卷の部立は、春雜歌・春相聞・夏雜歌・夏相聞・秋雜歌・秋相聞・冬雜歌・冬相聞の八つになつてゐる。この部立は、卷第八のそれと同じである。しかし、卷第八にあつては、これらの部立のうちの作品の排列は、年代順になつてゐるが、この卷のは、さうではない。これは、卷第十所收の作品が、作者未詳のもので、したがつて年代不明のものであるからである。本卷の編者が、やはり、根本において年代順排列の方針を支持しようとしてゐたらしいことは、各部立の最初に、柿本人麿歌集所載の歌をおいてゐる事實によつて、これを證することが出來る。同じく作者未詳・年代不明のものではあるが、人麿歌集所載のものは、人麿存生の時代によつて、その歌が人麿の作か、或は人麿と同時代の人の作か、もしくは人麿時代よりも以前の人の作かのいづれかであることが知られるので、これを、比較的年代の古いものとして、各部立の最初に載せたものと考へられる。しかして、本卷の編者は、人麿歌集所載以外のものの排列については、他の方法によるの他なきこと(4)を認め、こゝに、おのおのの歌の内容をたづねて、題材による分類を試みたのである。題材による分類は、卷第七にも見えてゐるが、卷第七の部立は、雜歌・譬喩歌・挽歌の三つで、そのうちの雜歌・譬喩歌だけが、題材によつて分類されてゐるのであるから、その點において、彼と此とは、趣を異にしてゐる。
 この卷の部立内の分類を見るに、雜歌にあつては、「詠鳥」・「詠霞」の類であり、相聞にあつては、「寄鳥」・「寄花」の類である。その詠物・寄物の題材が、どう分類されてゐるかは、目次の示す通りであるが、春雜歌のうちに、「旋頭歌二首」・「譬喩歌一首」、春相聞のうちに「問答十一首」、夏雜歌のうちに「問答二首」・「譬喩歌一首」、秋相聞のうちに「譬喩歌一首」・「旋頭歌一首」の目を存するのは、他の、題材による分類とは、標準を異にするものであり、分類法の上からいへば、正しいものといへない。しかし、これらは、あへて咎めるには及ぶまい。他の類別の内容について見ても、それぞれの歌が、すべて、その題目の示すところにかなつてゐるとはいへない。それは、これらの分類・配屬が、前にも述べたやうに、排列上における單なる便宜主義の結果に他ならないからである。されば、分類にも、かなりの無理がある。雜歌のうちにも、相聞の歌があり、詠物・寄物の題にも、妥當とおもはれぬものがある。
(5) この卷の歌が、すべて、作者未詳・年代不明のものであることは、既記の通りであるが、これは、本卷の鑑賞に當つて、特に注意を要する點である。作者がわからないといふことは、二つの事由を假想させる。一は、傳誦の久しきによる作者の忘却であり、一は、階級の低きによる作者の無視である。古い歌の人口に傳へられたものが、次第にその作者の名を失ひ、作者の微賤なるがために、秀歌といふべきものも無名で世に傳はるといふことは、いづれの世にも起り得る事實である。さういふ點から考へると、卷第十の歌が、作者未詳・年代不明であるのは、とりも直さず、これらのものが、人にあつては、各種の階數にわたり、時にあつては、かなりの久しい間に及んでゐることを示すものといつてもよいのである。これはまた、本卷所收の歌の全般的考察からも、歸納的に推考され得るところであらう。格調についてみても、素朴なもの、巧緻なもの、豪放なもの、典雅なもの、優婉なものが參差錯綜し、古調と新調とが入り亂れ、古今の先驅と見られるべきもの、三句切れといはれるものなども、これらのうちに見出されるのである。
 本卷所收の歌のうちで、七夕の歌九十八首は、特に異色を放つてゐるが、この七夕の歌が、かなり多くの人々の手になつたものであることは、少しく注意を加へて讀むものの、たゞちに首肯し得るところであらう。按ずるに、漢土からわが國への七夕傳説の渡來が、いつ頃であるかは明らかで(6)ない。これについては、いろいろの説があるが、本卷の七夕の歌についてみるに、これらの歌の時代にあつては、七夕傳説は、わが國において、まだ定型を成すに至らなかつたやうである。漢土の傳説が、さまざまの解釋によつて、それぞれ、ちがつた型式を形成しようとしてゐたらしく思はれる。古今集時代になると牽牛織女の傳説は、ほとんど單一化されるやうになつたが、この時代は、まだ混沌としてゐたのであつた。それが如實に、この卷にあらはれてゐるといへる。なほまた、七夕の歌を通じて、格調の上に、いろいろの異なる樣相の見えるのも、人と時とを異にするのによるものと思はれる。この點からいへば、全卷の姿が、この七夕の歌の上にあらはれてゐるともいへるやうである。
 この卷の作品は、總數五百三十九首、これを歌體によつて分類すれば、長歌三首、旋頭歌四首、短歌五百三十二首、さらにこれを、雜歌・相聞の類にしたがつて細別すれば、春雜歌七十八首、春相聞四十七首、夏雜歌四十二首、夏相聞十七首、秋雜歌二百四十三首、秋相聞七十三首、冬雜歌二十一首、冬相聞十八首である。
 
〔目次・図版目次省略、春雑歌の鳥を詠めるに註とあるが省略部分にはなし〕
 
(1)   萬葉集 卷第十  安藤正次
 
(3)     春雜歌《はるのざふのうた》
 
【標目】 ここに「春雜歌」とある標目は、一八一二から一八八九までの七十八首の總標であつて、次の「春相聞」に對するものである。同じく春雜敵に屬するものでも、最初の七首を除いては、「鳥を詠める」とか「雲を詠める」とかいふやうな小標目がある。最初の七首に小標目の無いのは、左註にあるやうに、それらが、柿本人麿歌集にあるのをそのまま採つたものであるからと見られる。本卷の目録には、これを「雜歌七首」としてあげてある。
 
1812 久方の 天《あめ》の芳山《かぐやま》 この夕 霞《かすみ》たなびく 春立つらしも
 
【口譯】 遠く香具山を見ると、今日の夕方は、霞がすつかりかゝつてゐる。春が立つのであらう。
【語釋】 ○久方の 「あめ」の枕詞。○天《あめ》の芳山《かぐやま》 奈良縣磯城郡香久山村にある香具山。かぐ〔二字傍点〕に「芳」字を(4)宛てたのは、この字の訓がカグハシであるから、その訓を假用したもの。香具山に「天の」といふ修飾語をつけていふことは、集中にもその例が多いし、古事記中卷には、「比佐迦多能阿米能迦具夜麻《ひさかたのあめのかぐやま》」といふ假字書きの例もあるが、それは、この山がもと天上にあつたといふ説話があり、また、それでなくとも、この山が特に神聖視されてゐたからである。○たなびく 原文には「霏※[雨+微]とある。この二字の原義は、雨雪などの細かに降る貌を現すのであるが、集中では、霞や霧について、タナビクといふ語をうつすに、この二字を以てしてゐる例が多い。霞の場合の例は、未卷に多く見えてゐる。霧の場合の例は、卷三「山の際《ま》ゆ出雲の兒等は霧なれや吉野の山の嶺に霏※[雨+微]《たなびく》」(四二九)、卷九「黒玉《ぬばたま》の夜の霧立つ衣手《ころもで》の高屋の上に霏※[雨+微]《たなびく》までに」(一七〇六)などである。たなびく〔四字傍点〕の語意は、すつかりかかること。「たな」と「ひく」(引・曳・延)との複合。たな〔二字傍点〕は「たな〔二字右○〕曇る」・「たな〔二字右○〕霧ふ」・「たな〔二字右○〕知る」などのたな〔二字傍点〕と同じく、すつかり・まつたく・すべてなどの意を加へる接頭辭
【後記】 大和平野の夕に立つて、はるかに彼方を眺めれば、一望坦々、秀麗な香具山の姿が、立ち初めた薄霞の中に、やうやく消え行かうとする。一昨日も、咋日も、今朝までも、霞がかゝつてゐたか、どうか、氣がつかなかつたのに、あゝもう春になるのだなあと感じる。かういふ感じが、「久方の天《あめ》の芳山《かぐやま》」といふ、のんびりした、しかも思を天涯に誘ふ趣のある言葉と相須つて、よく歌ひあげられてゐる。この歌が、四句切れであるのもよい。
 
(5)1813 纒向《まきむく》の 檜原《ひはら》に立てる 春霞 おほにし思《も》はゞ なづみ來《こ》めやも
 
【口譯】 纒向(地名)の檜原に立ちこめてゐる春の霞(は、眼界をぼんやりさせてゐるが、そのやうに、)ぼんやりあなたを思つてゐるのならば、苦しい思をしてまで あなたのところに來るものですか。
【語釋】 ○纏向 奈良縣磯城郡に纏向村があり、纏向山がある。○檜原 「纏向の檜原」といふのを、纏向地方の中にある檜原とよばれる地と解し、檜原を固有名詞と見る説もあるが、纏向地方のうちで、檜の生ひ茂つてゐる一帶の地域の、檜原とよばれたのがあつたのであらう。○おほに ぽんやり・いいかげんに・氣にも留めずに・疎略にといふほどの副詞。集中では、おほに〔三字傍点〕をうつすのに、「欝」・「疎」・「髣髴」、「おほに」と類語である「おほほしく」をあらはすのに「欝」・「欝悒」・「不清」・「不明」などの漢字を以てしてゐる。かういふ奈良人の用字意識から見ても、これらの語の意義は知られる。この歌の第三句までは、「おほに」の序詞。○なづみ くるしむ(苦)・なやむ(悩)といふほどの義。なづみくる〔五字傍点〕は、苦しい思をして來ること。
【後記】 この歌は、纒向の里もしくはその附近に住んでゐる女をたづねて來た男が、霞がくれの檜原を望見して詠みうかべたものであらう。その男が誰であるかは、問題にする要はない。或(6)は柿本人麿であるかも知れないが、この歌が人麿歌集中に載せられてゐるからといふ理由だけでは、これが人麿の歌であると確言することは出來ない。柿本氏の本貫が大和であることから、人麿も大和に生れたといふ説があり、人麿歌集中のものとして、萬葉集に採録されてゐる歌のうちには、纒向地方をうたつたものが多いことなどから考へれば、これを人麿の歌と見るのも、おもしろいが、それは、單なる想像に過ぎないことを心得ておかなければならない。
 
1814 古の 人の植《う》ゑけむ 杉が枝《え》に 霞たなびく 春は來ぬらし
 
【口譯】 昔の人が植ゑたと思はれる杉の木の枝に霞がすつかりかかつてゐる。もう春が來たらしい。
【語釋】 ○植ゑけむ けむ〔二字傍点〕は過去の推量をあらはす助動詞。植ゑけむ〔四字傍点〕は、植ゑたと思はれる。○杉が枝 原文に「杉枝」とあるが、これはスギガエと訓むのがよい。○霞たなびく たなびく〔四字傍点〕は終止形。
【後記】 この歌は、杉の大木の生ひつゞく根方に霞のたなびくを見つけて、春の來たことを知つた趣のものであるが、杉の大木をいひあらはすに、「古の人の植ゑけむ」といひ、杉の梢といはずに「杉が枝」といつたところに、技巧の跡が見られる。
 
(7)1815 子等《こら》が手を 纒向山《まきむくやま》に 春されば 木《こ》の葉《は》凌《しぬ》ぎて 霞たなびく
 
【口譯】 纒向山に春が來ると、木の葉をおしつけて、霞がすつかりかゝつてゐる。
【語釋】 ○子等が手を 子等〔二字傍点〕の「子《こ》」は、女の子といふほどの義、「等《ら》」は、元來複數を示す接尾辭であるが、ここでは、愛稱的のものと見るのがよいので、つまり、「子等《こら》」は、自分の思ふ女などを親しんでいふことになる。しかして、ここの子等が手を〔五字傍点〕は、「まきむく」の枕詞。「子等が手を枕《ま》く」とかかる。○春されば 春が來ればの義。○木の葉凌ぎて しぬぐ〔三字傍点〕といふ語にはいろ/\の義があるが、ここでは、卷六の「奥山の眞木の葉|凌《しぬ》ぎふる雪の」(一〇一〇)などの例によつても知られるやうに、おしつけると解すべきものであらう。霞について、おしつけるといふのは適切でないやぅにも見えるが、木の葉をおしつけて霞がたなびくとは、木の葉が見えなくなるくらゐに霞のたなびくといふ意味を強くいひあらはしたのである。
【後記】 「子等が手を」といふ枕詞も、よくはたらいてゐるし、「木の葉凌ぎて」といつたのも、霞の濃くあつくたなびいてゐる中に、蒼黒い木の葉の窺はれる風情を見せておもしろい。
 
1816 玉蜻《たまかぎる》 夕《ゆふ》去《さ》り來《く》れば さつ人《びと》の 弓月《ゆづき》が嶽《たけ》に 霞たなびく
 
(8)【口譯】 夕方になると、弓月が嶽に霞がすつかりかゝつて來《く》る。
【語釋】 ○玉蜻 古くからカゲロフ又はカギロヒと訓まれてゐるが、タマカギルと訓む説にしたがふ。集中に、玉限《たまかぎる》・玉垣入《たまかぎる》などと書いた例があり、靈異記には「多萬可岐留」と假字書きにした例もある。たまかぎる〔五字傍点〕のたま〔二字傍点〕は玉、かぎる〔三字傍点〕はRるで、かがやく意、玉の光を夕の光とみて、ここでは、玉の光る「夕」とかかる枕詞。○夕去り來れば 「夕されば」と同義。○さつ人《びと》の さつ人〔三字傍点〕は、獵人の義。さつ〔二字傍点〕は山幸《やまさち》・海幸《うみさち》のさち〔二字傍点〕と同語か。得物の義。集中には、「さつゆみ」「さつや」といふ語がある。得物をする弓、得物をする矢といふこと。さつやには「得物矢」といふ字をあてた例もある。ここのさつびとの〔五字傍点〕は、「ゆづき」の枕詞。「獵人《さつびと》の弓束《ゆづか》」とかかる。○弓月が嶽 奈良縣磯城郡纒向山の高峯。
【後記】 この歌は、夕方になると、弓月が嶽に霞がたなびくといふだけの、單純な内容をもつてゐるに過ぎないが、何となく趣ありげに感ぜしめるのは、二つの枕詞のうまくつかはれてゐるためである。ことに、「玉かぎる」といふ枕詞は、「ゆふ」(夕)にかゝると共に、「ほのか」といふ語などにもかゝるもので、縹渺たる情景を髣髴させるに、一そうの效果をあげてゐる。
 
1817 今朝《けさ》去《ゆ》きて明日《あす》は來牟等云 子鹿丹 朝妻《あさづま》山に 霞たなびく
 
(9)【語釋】 ○來牟等云 コムトイフと訓むか。「牟」は、元暦校本・類聚古集に「年」とある。それによればコネトイフと訓むか。こね〔二字傍点〕は來て欲しいといふ義。ね〔傍点〕は願望の助詞。ただし、「云」を第三句につけ、「來牟等」の三字をキナムと訓む説もある。○子鹿丹 舊訓にコカニとあるが、意味が通じない。元暦校本には「丹」字が無く、「子鹿」が「子庶」となつてゐて、シカスガニと訓んである。近年、生田耕一氏は、第二句をコネトイフとする説にしたがひ、第三句を「子等鹿名之」の五字であるとし、コラガナノと訓んで、次の句「あさづま」にかかるものと見る意見を發表してゐる。しかし、いづれの訓も、一長一短、いまだ定説をみるに至らない。○朝妻山 奈良縣南葛城郡葛城村に大字朝妻がある。朝妻山〔三字傍点〕は、そこに近くある山。
【後記】 上記のやうに、この歌はまだ定訓がないから、歌意を明らかにし難い。假に、「今朝|去《ゆ》きて明日は來むといふしかすがに朝妻山に霞たなびく」と訓む説によつてこれを解釋してみればどうかといふに、しかすがに〔五字傍点〕は「さうではあるがしかし」といふ意の副詞であるから、「今朝|去《ゆ》きて明日は來むといふ」と「朝妻山に霞たなびく」との照合がはつきりしない。これに比べると、「今朝|去《ゆ》きて明日は來ねといふ子等が名の朝妻山に霞たなびく」と訓む考は、歌意の解釋から見れば、適切のやうに見えるが、それには、原文の字を補つたり改めたりしなければならぬから、少し無理であらう。
 
(10)1818 子等が名に かけのよろしき 朝妻の 片山岸に 霞たなびく
    右は柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
 
【口譯】 朝妻といふのは、女たちの名としてよぴかけるに似合はしい名であるが、その朝妻といふ山の山ぞひの崖に、霞がすつかりかゝつてゐる。
【語釋】 ○千等が名に 子等が〔三字傍点〕は前出。名に〔二字傍点〕は名としての義。○かけのよろしき かけ〔二字傍点〕は、「かけまくもかしこき」のかけ〔二字傍点〕と同語で、言葉にかけていふ、もしくは呼びかけるといふほどの義。ここのかけ〔二字傍点〕は、カ行下二段の動詞「かく」の連用形で、名詞法に用ゐられてゐるもの。○片山岸に 片山岸〔三字傍点〕は、道路が一方は山にそひ、一方は谷に望んだ崖になつてゐる場合をいふ。
【後記】 「子等が名にかけのよろしき」は、單に、抽象的に、朝妻といふ地名の縁によつていひつゞけられたものなのではなく、地名によつて、現實的に、思ひ妻のことが聯想されたからなのであらう。朝妻の山もと、朝妻の里に妹が住んでゐたか、妹がりへの途に朝妻の山がながめやられたか、いづれにしても、この序詞的の一二の句には、現實の匂がこもつてゐる。また、朝妻山に霞たなびくといはずに、片山岸にと場所を指定してゐるのもよい。この「片山岸に」(11)は、語が不足なので無理に詠みこんだ句ではない。この句のために全體の歌が活きてゐる。
【左註】 以上の七首の歌は柿本人麿歡集のうちに見えてゐるといふのであるが、前にも述べたやうに、人麿集の歌のすべてが必ずしも人麿の歌であるとは見られない。人麿の歌と共に他の人々の歌もはいつてゐるといふのが普通に考へられてゐるところである。
 
   鳥を詠ず
 
1819 打靡《うちなび》く 春立ちねらし わが門《かど》の 柳のうれに 鶯なきつ
 
【題意】 これより以下、鳥に關する歌を集めてあるので、編者が假に「詠鳥」と題しておいたのである。
【口譯】 もう春の季節になつたのだらう。うちの門口《かどぐち》にある柳のさきの方の枝に來て、鶯が鳴いた。
【語釋】 ○打靡く 「春」の枕詞。木も草も、春に芽生えて、のどかな風に靡いて、しなやかな姿を見せるから、「打靡く」といふのが、春の一特徴をあらはすものとして、枕詞となつたのであらう。○春立つ 暦法の上で、立春といふ、それから、「春立つ」といふ語が出來たのであつて、春立つ〔三字傍点〕は春の季節になるといふ義。の柳のうれ うれ〔二字傍点〕は、「末《すゑ》」の義と解せられ、柳のうれ〔四字傍点〕は柳の木末《こずゑ》の義と説かれてゐるが、集中の用例を見(12)ると、うれ〔二字傍点〕は、小松・柳・菱・茨・萩・葦・尾花についていはれてゐるが、これらの植吻についてスヱとはいつてない。「末」字の書いてあるのもあるが、それはウレと訓むべきもの。(ただ卷十の「紅の末つむ花の」(一九九三)とある「末」には疑義がある。一二六頁參照。)スヱまたはコズヱといふ語の植物について用ゐられた例は、集中に見えないから、これについては何ともいへないが、このウレがいかなる植物についていはれるかを考へると、ウレは、風に靡く、しなやかな種類のものに用ゐられるやうである。さうすると、「柳のうれ」は、柳のさきの方の枝といふやうに解する方が、よくその感じがあらはれるのであらう。○鶯鳴きつ 「鳴きつ」のつ〔傍点〕は現在完了の助動詞。
【後記】 柳の枝に鶯のなくのを聞いて春の來たことを知るといふ、淡々たる歌、何等の奇がない。
 
1820 梅の花 咲ける岡邊《をかべ》に 家居《いへを》れば ともしくもあらず 鶯の聲
 
【口譯】 梅の花の咲いてゐる岡のあたりに住んでゐるから、鶯のなく聲はめづらしくもない。
【語釋】 ○家居《いへを》れば 原文に「家居者」とあるので、イヘヰセバと訓む説もあるが、イヘヲレバと訓むのがよい。いへをる〔四字傍点〕は、「いへ」と「をる」との複合した熟語。○ともしくもあらず ともしく〔四字傍点〕は、いろ/\に譯されるが、ここではめづらしいといふ義に解するのがよい。
【後記】 古今集の春の歌に、「野べちかく家居しせれば鶯のなくなる聲は朝な朝な聞く」とあるのは、これの類歌である。集中では本卷に「梓弓春山近く家居ればつぎて聞くらむ鶯の聲」(一八二九)といふ同趣の歌があり、春と秋との相違はあるが、やはり本卷二二三〇に「戀ひつゝも稻葉かきわけ家居ればともしくもあらず秋の夕風」といふ同型の歌がある。
 
1821 春霞 流るゝなべに 青柳《あをやぎ》の 枝くひもちて 鶯なくも
 
【口譯】 春霞がしづかに動くにつれて、鶯が青柳の枝をくはへながら鳴いてある。
【語釋】 ○流るる 霞について「流るる」といふのは、霞の靜かに動くことをいひあらはしてゐるが、ここでは、靜かに動くといふのは、霞がずうつと立ちこめて來ることを意味する。集中では、(14)雪の降るのをも、花の散るのをも、「流る」といつてゐる。○なべに 共にの義。「流るるなべに」は流れると共に、流れるにつれて。○枝くひもちて くひもち〔四字傍点〕といへば、くはへて持つ義であるから、くはへながらと譯してよいが、枝をくはへながらなくといふことは、事實の上にどうかといふ疑問も生ずる。卷十六に「白鷺の桙くひもちて飛びわたるらむ」(三八三一)とあるのは、桙なくはへ持ちてと解して差支ないが、ここのは、さうは解されない。按ふに、枝をつついてはなき、つついては鳴くのが、くはへてゐて鳴くのと同じやうに見えるから、それを「くひもちて」といつたのであらう。
【後記】 春光漸く野にみちて、たなびく霞は、ゆら/\と、次第にその濃さをましてくると、かつてはさゝなきに春を告げるに過ぎなかつた鶯も、今はのどかに柳の枝を弄んで、わが世の春を現してゐるといふ趣がよくあらはされてゐる。
 
1822 わがせこを なこせの山の 呼子鳥《よぶこどり》 君呼びかへせ 夜の更《ふ》けぬとに
 
【口譯】 わが夫《つま》のお越しなされないやうにと思ふ、その巨勢山にゐる呼子島は、夜の更《ふ》けないうちに、どうかわが夫を呼びかへしてほしい。
【語釋】 ○わがせこを を〔傍点〕は感動の助詞であるが、呼びかける意味を含む。○なこせの山 こせ〔二字傍点〕は地名。今(15)の奈良縣南葛城郡葛城村古瀬の地。古く「巨勢」と書かれてゐた。巨勢山は、古瀬附近の山。なこせ〔三字傍点〕は、「莫越(ナコセ)」の義で、そのコセを地名にいひかけたのであつて、初句からのつづきは、「わが夫よ、越すな」となる。しかし、嚴密にいへば、越すなといふのには、「なこし」(莫越)といはなければならないのであるが、サ行四段の「越す」とサ行下二段の「越す」とが、語幹を同じくして、共に Kos−であるから、ナコシとナコセとを、深くも考慮せずに、「巨勢」にいひかけたものであらう。「なこせ」と地名「巨勢」との關係は、地名「コセ」のコだけであつて、ナは「莫」、コは「來」であるとの説もあるが、それは採らない。○呼子鳥 よぶこどり〔五字傍点〕は、今カツコウ(郭公)といふ鳥。漢名布穀。○君 ここでは夫《おつと》をいふ。初句の「わがせこ」と、さすところが同じである。○ふけぬとに 夜の更けないうちにといふ義である。と〔傍点〕といふ語については、種々の説があるが、諸説いづれも採り難い。しかし、旁例などを參酌(16)すると、前記の如く解釋してよいやうである。
【後記】 巨勢山に夫のことをとり合せて詠んだ歌に、卷七の「わがせこをいでこせ山と人はいへど君も來まさず山の名にして」(一〇九七)といふのがある。來ぬを待つのと、歸るのを止めるのとの別はあるが、また、同工異曲といふべきものである。
 
1823 朝井手《あさゐで》に 來鳴く 貌鳥《かほどり》 汝《なれ》だにも 君に戀ふれや 時《とき》終《を》へず鳴く
 
【口譯】 朝の井堰《ゐぜき》に來て鳴く貌鳥よ、おまへでさへも、夫《つま》を戀しく思ふから、ひつきりなしに鳴くのか。
【語釋】 ○朝ゐでに ゐで〔二字傍点〕は井堰の義。古くは、川でも泉でも、すべて水を汲みあげるところを、「ゐ」といつてゐた。ゐで〔二字傍点〕は、川などの流を塞《せ》きとめて、水を汲むに便利のよいやうにしたところをいふ。○貌鳥 かほどり〔四字傍点〕については、諸説區々であるが、アヲバト(青鳩)であるといふ説と、カツコウ(郭公)であるといふ説とが有力である。○戀ふれや や〔傍点〕は疑の助詞。○時終へず 「時を終へず」といふので、「絶えず」、もしくは「常に」の義。
【後記】 きれいな水を深くたゝへてゐる井堰のほとり、おほひかぶさつてゐる緑のふさやかな木(17)木には、風がそよ/\と吹きわたつてゐる、爽やかな朝、戀しい思ひを胸に秘めてゐるやさしい人の耳に聞える貌鳥の聲、まあ、おまへも戀しい人があるさうなといふのが、この歌。
 
1824 冬ごもり 春さり來らし あしびきの 山にも野にも 鶯なくも
 
【口譯】 もう春がやつて來るらしい。山でも野でも鶯が鳴いてゐるよ。
【語釋】 ○冬ごもり 「春」の枕詞。冬は萬物が内に隱《こも》つてゐて、春になると外に張り出すから、「冬ごもり」を「はる」の枕詞とするのだと説かれてゐる。○あしびきの 「山」の枕詞。
【後記】 山でも野でも鶯が鳴くやうになつたので、それから春が來たことを推量した歌。平々淡淡。
 
1825 紫草《むらさき》の 根延《ねば》ふ横野《よこの》の 春野には 君をかけつゝ 鶯鳴くも
 
【口譯】 横野の、紫草《むらさきぐさ》の生《は》えひろがつてゐる春の野には、君を思ひつゞけて、鶯が鳴いてゐる。
【語釋】 ○紫草 紫草科紫草屬の多年生草本。根をとつて紫色の染料とする。ムラサキ。○根延《ねば》ふ 根の横に延びること。したがつて、廣く繁殖してゐる義。○横野 地名か。地名とすれば、延喜式神名帳に、河(18)内國澁川郡横野神社が見えて居り、その神社が、今、大阪府中河内郡巽村大字|大地《おほち》にあるので、横野はその附近であらうといはれてゐる。「横野の春野」は、横野にある春の野の義である。○君をかけつつ 君を心にかけつつの義で、思ひつゞけて。
【後記】 紫草が花をつけて生えひろがつて春の野には鶯の聲が聞える。人戀しの思に燃えてゐる女の耳には、それもまた同じ心にひゞく。
 
1826 春されば 妻《つま》をもとむと 鶯の 木《こ》ぬれをつたひ 鳴きつつもとな
 
(19)【口譯】 春になると、妻をさがしに、鶯が、木の尖《さき》の方をあちこちと鳴きつゞけてゐておちつかない。
【語釋】 ○もとむと もとむ〔三字傍点〕は探す・たづねるの義。○こぬれ 木のうれの義。うれ〔二字傍点〕については、一八一九の歌參照。○もとな もと〔二字傍点〕は、元・本で、よりどころ・しつかりしたところ・たよりなどの意味も出て來る。な〔傍点〕は「なし(無)」の語幹。したがつてもとな〔三字傍点〕には、よりどころがない・しつかりしない・たよりがない・むやみになどの意があるが、ここでは、おちつきがないと解するのがよい。
【後記】 木傳ふ鶯の聲を聞いて、妻を求める情熱を感じるのは、人に成心があるからであらうか。
 
1827 春日《かすが》なる 羽買《はかひ》の山ゆ 佐保《さほ》のうちへ 鳴《な》きゆくなるは たれ呼子鳥《よぶこどり》
 
【口譯】 春日のハガヒの山から、佐保の内へ鳴いて行く鳥は、誰を呼ぶ呼子鳥であらうか。
【語釋】 ○春日なる 今の春日山も嫩草山も三笠山も、また今の奈良の市をも含めたのが、昔の春日の地であらう。春日なる〔四字傍点〕は春日にある義。○羽買の山ゆ 羽買〔二字傍点〕は、集中には「羽易」とも書いてある。この山については、いろ/\の説があるが、三條西公條の「吉野詣記」に、「高圓の側なる羽易の山の下に客養寺とて、志深き人住みけり。」とあるのによつて、その客養《カクヤ》寺は能登川に沿つた地であるから、羽易の山は、今の白毫寺の上方のヲドリ山だらうといふ説(森口奈良吉氏の説。萬葉地理考參鰐。)がよいやうである。ただ(20)し、この山を現在の嫩草山に擬する説もある。(坂口保氏、萬葉集地理辭典。)ゆ〔傍点〕は「より」の意。○佐保のうち 佐保山と佐保川との間の地をいふか。この例は、集中卷五(九四九)・卷十(二二二一)・卷十一(二六七七)にも見えてゐるが、ことに、卷十七の、大伴家持の哀傷長逝之弟歌(三九五七)には、その遺骸が佐保の里を過ぎて、火葬を行ふ佐保山に行くことを叙して、「佐保のうちの里〔七字右○〕を往過ぎ、あしびきの山の木ぬれに、白雲に立ちたなびくと」といつてゐるによつて明らかである。○鳴きゆくなるは 鳴いて往くのはの義。ここのなる〔二字傍点〕の類例は、卷八「夏山の木ぬれのしげにほととぎす鳴きとよむなる〔二字右○〕聲の遙けさ」(一四九四)、卷九「春草を馬咋《うまくひ》山ゆ越え來《く》なる〔二字右○〕鴈の使は宿《やどり》過ぐなり」(一七〇八)などがある。○たれ呼子鳥 誰《たれ》を呼ぶ呼子鳥の義。
(21)【後記】 呼子鳥が、羽買の山より佐保に向つて鳴きゆくを聞いて詠んだ歌で、「ほととぎす平安城を筋かひに」を聯想せしめるが、この歌がゆつたりし過ぎてゐるのは、「鳴きゆくなるはたれ呼子鳥」の句法にゆるみがあるためであらう。
 
1828 答へぬに な呼びとよめそ 呼子鳥 佐保の山べを 上《のぼ》り下《くだ》りに
 
【口譯】 呼子鳥よ、返事をするものもないのに、上《のぼ》つたり下《くだ》つたりして、佐保山のほとりを鳴きさわがせるな。
【語釋】 ○な呼びとよめそ とよめ〔三字傍点〕は、マ行下二段動詞「とよむ」の連用形。とよむ〔三字傍点〕は令響の義。なよびとよめそ〔七字傍点〕は呼び響かせるなの意。「とよむ」は、使役の意を下にもち他動的表現に用ゐられる動詞で、補語(客語)を伴ふのを常とする。ここでは、「佐保の山べを」が、その補語(客語)である。山べをとよましめるのである。○上《のぼ》り下《くだ》りに この上り・下り〔四字傍点〕を、佐保の山べを高く上り低く下る義に解する説もある。もし、その説が、「山べ」を「上り」・「下り」の補語と見るのであれば、それは誤である。もつとも、「山べ」を「とよむ」の補語(客語)と見ても、なほ「上り下りに」を前説のやうに解する説は成立つ。しかし、この「上り下り」は、山麓と山頂とのそれではなく、山邊を水平的に上下することを意味するのであらう。しかして、その上下は、都の中心を標準としていつたものか。
(22)【後記】 この歌は、前の歌と堰聯がある。前者は、羽買の山を出て佐保に鳴きゆく呼子鳥を、後者は、佐保山に添つて上下する呼子鳥を詠じたものである。しかし、兩者は連作といふべきものではない。なほ、この歌の末句「上り下りに」については、語釋の項に述べたやうに、從來種々の解釋が下されてゐるが、さういふ種々の解釋が可能であるといふことは、このいひあらはし方に無理があるに外ならない。
 
1829 梓弓《あづさゆみ》 春山《はるやま》近《ちか》く 家《いへ》居《を》れば 續《つ》ぎて聞くらむ 鶯の聲
 
【口譯】 春の山に近く住んでゐるから、あなたはいつもいつも鵜の聲を聞いてゐろことでせう。
【語釋】 ○梓弓 「春山」のはる〔二字傍点〕にかかる枕詞。○家居れば 原文に「家居之」とあるので、イヘヲラシと訓む説もある。イヘヲラシとすれば、敬語のいひ方である。をらし〔三字傍点〕は「をらす」の連用形。「家居之」をイヘヲレバと訓むのは、「之」字を漢文の用法上の虚字と見ると共に、第四句との照應上から考へても、既定の條件のいひあらはし方が、ここに適切であるからである。○つぎて聞くらむ つぎて〔三字傍点〕は、引續きて、絶えずといふ義。
【後記】 古今集の「野邊近く家居しせれば鶯の鳴くなる聲は朝なあさを聞く」といふのは、自分(23)の上についていつたもの。この歌は、春山近く住んでゐる人を羨んで詠んだものと見られる。他人の上についていふのであれば、第三句をイヘヲラシと敬語に訓まなければいけないといふ説は穩かでない。もしその説をよしとするならば、第四句のキクラムもキカスラムと訓まなければならぬこととなる。他人に贈る歌ならば、その理も聞えないではないが、この歌を、單に他人の上を思ひ遣つて詠んだものとすれば、常語でイヘヲレバといひ、キクラムといふのに、何等の問題もないわけである。
 
1830 打靡《うちなび》く 春さり來れば 小竹《しぬ》のうれに 尾羽うち觸《ふ》りて 鶯なくも
 
【口譯】 春がやつて來ると、篠竹《しのだけ》の細い枝のききに尾や羽をさはらせて、鶯が鳴くよ。
【語釋】 ○打靡く 「春」にかかる枕詞。○小竹のうれに 「小竹《しぬ》」は、普通に篠竹《しのだけ》といふもの。日本書紀神代卷に、「篠、小竹也、此云2斯奴1」とある。○うれ 一八一九の項參照。○うち觸りて うち〔二字傍点〕は接頭辭。ふり〔二字傍点〕はラ行四段活用の動詞。
【後記】 小竹のうれに尾羽うち解れてといふのが、この歌のよいところである。小竹の細い枝の先をくゞり/\して鶯の鳴くのは、淺春の風情にふさはしい。
 
(24)1831 朝霧《あさぎり》に しぬねに濡《ぬ》れて 呼子鳥 三船《みふね》の山ゆ 鳴きわたる見ゆ
 
《口譯》 朝霧にびしよびしよにぬれて、呼子鳥が三船の山から鳴いて行くのが見える。
【語釋】 ○しぬぬに しぬぬ〔三字傍点〕は「しとと」といふのと同じやうに、ひどく霑れた状をいふ語。○三船の山 奈良縣吉野郡に屬して、吉野川のほとりにある、今も御舟山といはれる山。○御船の山ゆ ゆ〔傍点〕は「……より」の義。ここでは、「鳴きわたる」といふ動作の基點を示してゐる。○鳴きわたる 鳴くといふ動作の繼續する意味をあらはす語。鳴いて行くと譯してよい。
【後記】 卷九に「瀧の上の三船の山ゆ秋津邊に來鳴きわたるは誰呼子鳥」(一七一三)とあるのは、吉野離宮行幸の時の歌であるが、同じく三船の山の呼子鳥であるが、秋津のほとりに來鳴く呼子鳥は、その聲によつて人の心を動かし、しぬぬにぬれて、鳴きわたる呼子鳥は、雨中のわびしい姿を見せて、愁情を催さしめる。
 
1832 打靡《うちなび》く春さり來れば しかすがに 天雲|霧《きら》ひ 雪は降《ふ》りつゝ
 
【口譯】 春がやつて來ると、そんな筈ではないのに、雲が一ばいに空をかくして、雪が降つてゐ(25)る。
【語釋】 ○しかすがに そんな筈ではないのにと譯してよい。集中の用例から見ると、この語の上の句は切れるのが普通であるのに、この場合には、「春さり來れば」といふ條件法のいひあらはしになつてゐるので、種々の意見も出てゐるが、卷十八に「三島野に霞たなびき〔四字傍線〕しかすがに〔五字右○〕昨日も今日も雪は降りつつ」(四〇七九)の如き例もあつて、上からいひつづけられることも怪しむに足りないし、春さりくれば〔六字傍点〕は「春さり來れど」といはなければならぬといふ説も、根據がたしかでない。「しかすがに」のがに〔二字傍点〕には「……のに」の意義があるから、この語を前記の如く譯すれば無理がないのみならず、すべての場合を通じて差支を見ない。
【後記】 この種の類歌は相當に多い。凡作。神田本には、この歌の前に、「雪を詠ず」といふ題が載せてある。
 
1833 梅の花 降《ふ》り覆《おほ》ふ雪を ※[果/衣のなべぶたなし]《つつ》みもち 君に見せむと 取れば消《け》につつ
 
【口譯】 梅の花をふりかくす雪を包んで持つて行つて、あなたに見せようと思つて手に取ると、消えてしまふ。
(26)【語釋】 ○降り覆ふ 梅の花の上に降りかぷさること。○※[果/衣のなべぶたなし]み持ち ※[果/衣のなべぶたなし]んで持つて行つての義。○取れば 手に取れば。○消《け》につつ 「消《け》に」のに〔傍点〕は完了の助動詞「ぬ」の連用形。
【後記】 咲きにほふ梅の花の上に、ずんずん雪が降りかぶさる、そのきれいな雪を一人でみるのは惜いので、思ふ人の許に持つて行つて見せようといふ純情はまことに貴い。ところが、雪はどうしても包まれずに消えてしまふ。失望のほど思ひやられる。
 
1834 梅の花 咲き散り過ぎぬ しかすがに 白雪庭に 降《ふ》りしきりつゝ
 
【口譯】 梅の花は、咲いて、散つて、すんでしまつた。この季節に、そんな筈はないのに、白雪は、盛に庭に降つてゐる。
【語釋】 ○咲き散り過ぎぬ 三語同格の熟語ではない。最初に咲くと散るとをいひ、さらに、梅の花の時期の過ぎたことをいつたのである。したがつて、これを要約すれば、散り過ぎたことになる。○降りしきりつつ しきる〔三字傍点〕は重なる義。ふりしきる〔五字傍点〕は盛に降ること。
【後記】 この歌の人の注意をひくのは、第二句の表現だけであらう。それも、あまりよいとは思はれない。
 
(27)1835 いまさらに 雪降らめやも かぎろひの 燃ゆる春べと なりにしものを
 
【口譯】 今更、雪が降るといふことがあらうか、もうたしかに陽炎の燃える春の頃となつてゐるのに。
【語釋】 ○いまさらに 現代語の「イマサラ」と相通ずるものがある。原義は、いま、あらためての義。○降らめやも やも〔二字傍点〕のや〔傍点〕は反語の助詞。も〔傍点〕は感動の助詞。○かぎろひ 陽炎。○春べ 春邊。春の頃と譯す。○なりにしものを にし〔二字傍点〕のに〔傍点〕は完了の助動詞「ぬ」の連用形。し〔傍点〕は過去の助動詞「き」の連體形。この場合のに〔傍点〕は、時の關係を示してゐるといふよりは、確言をあらはしてゐると見る方がよい。
【康煕】 「今更に雪ふらめやも」と反語法を用ゐたのは、他の、「しかすがに」によつて同趣のことをいひあらはしたのよりも強い感じを與へるといへる。しかし、たゞそれだけである。
 
1836 風《かぜ》交《まじ》り 雪は降りつゝ しかすがに 霞たなびき 春さりにけり
 
【口譯】 風交りに雪が降つてゐて、そんな筈は無いのに、霞がたなびいて、もう春が來た。
【語釋】 ○風交り 雪の降るのに、風の加はること。
(28)【後記】 この歌を字句通りに解すると、疑問が生ずる。風交りに雪が降つてゐるのは、この歌を詠んだ場合の實況と見られるのに、霞のたなびいてゐるのを實景とすれば、風雪の日に霞がたなびくといふ、あり得べからざることを想定しなければならなくなる。しかし、この歌は、按ふに、春のある日、すなはち霞がたなびいて、もうたしかに春が來たと思はれた日から幾日かの後、さえ返つて、風雪のさかんな日があつたので、これはどうしたものだらう、この風雪の事實からみれば、そんな筈はないのに、いままでの經驗によれは、霞がたなびいて、もう春は來たのであるといふ心もちのものであらう。「春さりにけり」とにけり〔三字右○〕を用ゐたのも、この故からであらう。
 
1837 山《やま》の際《ま》に 鶯鳴きて打靡《うちなび》く 春とおもへど 雪降りしきぬ
 
【口譯】 山間《やまあひ》に鶯が鳴いて、もう春だとは思ふが、雪がさかんに降つてゐる。
【語釋】 ○山の際《ま》に 集中に「山際」とあるのはヤマノマと訓む。漢字の「際」は間または界の義。ここでは間の義に用ゐられてゐる。やまのま〔四字傍点〕は「やまあひ」といふに同じ。○降りしきぬ ふりしき〔四字傍点〕の「しき」は、或動作の反復される意をあらはす動詞「しく」の連用形。ぬ〔傍点〕は完了の助動詞。
(29)【康煕】 春寒料峭、谷の戸を出た鶯の、山間《やまあひ》の地に嬌聲を弄するものはあるが、雪の霏日々として降りしきるので、果して春か否かを疑ふ意。
 
1838 峯《を》の上《うへ》に 降り置《お》ける雪し 風の共《むた》 こゝに散るらし 春にあれども
    右一首は筑波山の作
 
【口譯】 山の上に降りためてある雪が風につれてこゝに散るのであらう、春ではあるけれども。
【語釋】 ○峯《を》の上《うへ》 を〔傍点〕は山の高處。○雪し し〔傍点〕は強意の助詞。○風の共《むた》 むた〔二字傍点〕は「ともに」の古語。助詞「の」もしくは「が」のついた體言を補語として副詞を構成する語。
【後記】 左註で知られるやうに、この歌は筑波山での作であるから、山下の春まだ寒く、雪の降つて來るのを、山上に降りためてある雪が、風に散つて來るのであらうと推想した、やさしい歌。
【左註》 卷十のうちで、作歌の場所をはつきり示してゐるのは、この左註だけである。
 
1839 君がため 山田の澤に 惠具《ゑぐ》摘《つ》むと 雪消《ゆきげ》の水に 裳《も》の裾《すそ》ぬれぬ
(30)【口譯】 あなたに、山間《やまあひ》の田の澤で惠具《ゑぐ》を摘んであげようとしたので、雪どけの水で裳の袖がぬれた。
【語釋】 ○山田の澤 山田〔二字傍点〕は、山を切り聞いてつくつた田もしくは山間《やまあひ》の田の義。ここは後者である。澤〔傍点〕は、低地で、水をたたへ草なども生え交つてゐるところ。山田の澤〔四字傍点〕とは、山田の間にさういふ澤があるのをいふ。○惠具《ゑぐ》 芹の類といふ説もあるが、烏芋(クロクワヰ)といふ説の方がよい。烏芋は莎草科の多年生草本。地中に塊莖を生じ、地上莖は高さ二三尺になる。その塊莖は食用に供せられるが、味がゑぐい。ヱグといふ名は、それから來てゐるのであらう。
【後記】 「裳の裾ぬれぬ」といつて、「裳裾ぬらしつ」とはいはないのが、おとなしくてよい。
 
1840 梅が枝《え》に 鳴きで移《うつ》ろふ 鶯の 羽《はね》白|妙《たへ》に 沫雪《あはゆき》ぞふる
 
【口譯】 梅の枝で、ちよい/\とんで鳴いてゐる鶯の羽も眞白に、沫雪が降つてゐる。
【語釋】 ○鴨きて移ろふ うつろふ〔四字傍点〕は、ここでは、枝から枝へ、ちよい/\飛びわたるをいふ。○白妙に 眞白にの義。しろたへ〔四字傍点〕は、白栲で、栲の皮の繊維で織つた白布のこと。それから轉じて白色をあらはす語として用ゐられるやうになつた。○沫雪 あわゆき〔四字傍点〕といふのは、雪の質が、沫のやうにもろいことを意味する。
(31)【後記】 梅が枝に鳴く鶯とふる雪との配合は、後世の歌にはめづらしくないものであるが、この頃の歌としては、まだ新鮮味を失つてゐない。
 
1841 山《やま》高《たか》み 降り來る雪を 梅の花 散りかも來ると おもひつるかも
    一に云ふ、「梅の花咲きかも散る」と
 
【口譯】 山が高いので、春になつても雪がふつて來るのを、梅の花が散つて來るのかと思つたよ。
【語釋】 ○山高み 山が高いので。み〔傍点〕は接尾辭。形容詞の語幹につく。○散りかも來る 「散り來る」といふ複合動詞の間に助詞「かも」の挿入されたもの。かも〔二字傍点〕はか〔傍点〕は疑問の助詞、も〔傍点〕は感動の助詞。
【後記】 高い山邊にゐて、春に惠まれることが遲いので、雪の降つて來るのをなつかしい梅の花の散るのと思ひたがへたといふのであるが、「山高み」といつたからとて、高い山の上にゐたといふわけではない。次の歌にも見えてゐるやうに、高い山の山かげに住んでゐるので、春光の到るのがおそいのである、
【左註】 本によると、これは、歌の下の細註になつてゐる。一本には、「梅の花咲きかも散る」となつてゐるといふのである。「咲きかも散る」は「咲き散る」といふ複合動詞の間に、前述のやうな助詞「かも」が(32)はいつたのである。「さきちる」は「さく」と「ちる」との對立的複合ではあるけれども、咲いて散るといふやうに、むしろ、散る方に重きをおいて用ゐられる語である。この一本の句の方が、前の本文のそれよりも少しくまさつてゐる。
 
1842 雪をおきて 梅をな戀ひそ あしびきの 山片就《やまかたつ》きて 家居《いへゐ》せる君
    右二首は問答
 
【口譯】 降つて來る雪をさしおいて、梅を戀しがりなさるな、山にくつついて住んでゐる君よ。
【語釋】 ○雪をおきて このおきて〔三字傍点〕は、さしおいて、とりのけてなどの義。○山片就《やまかたつ》きて かたつき〔四字傍点〕は、卷十九に、「谷|可多頭伎底家居有《カタツキテイヘヰセル》」(四二〇七)の例もあるが、かたよる義で、くつついてと解するのがよい。
【後記】 左註にもあるやうに、これは、前の歌に對する答の歌であつて、山が高いので、ふる雪を梅の散り來るのかと思つたといふ歌を贈られたから、さういふ山近い住居では、雪のふる佳景をこそ賞すべきであるのに、その雪をさしおいて梅に心をよせるのは心得がたいといふ意味を詠じて返歌としたのである。
【左註】 右の二首が問答の歌であることを註記したのである。
 
(33)   霞を詠める
1843 昨日《きのふ》こそ 年は竟《は》てしか 春霞 春日の山に はや立ちにけり
 
【題意】 以下三首、霞を詠じた歌であるから、その由を、ここに題したのである。
【口譯】 昨日《きのふ》、年が暮れたばかりだのに、春の霞は、もう春日の山に立つたんだね。
【語釋】 ○竟《は》てしか はて〔二字傍点〕は下二段活用の動詞「はつ」(竟・終・極)の連用形。しか〔二字傍点〕は、過去の助動詞「き」の已然形。「こそ」の結び。年が竟《は》てるといふのは、一年が終末になるといふ意。○はや はや〔二字傍点〕は「はやく」(早速)の語幹。ここでは副詞に用ゐられてゐる。「はやくも」といふに同じ。「もう」と譯してよい。
【後記】 昨日舊年を送つて、今日新年を迎へてあわたゞしいのに、春日山をみれば、もう霞が立つてゐるといふのであるが、作意の跡が見え、わざとらしさがある。
 
1844 冬過ぎて 春|來《きた》るらし 朝日さす 春日の山に 霞たなびく
 
【口譯】 冬が過ぎて、春が來《く》るのであらう。朝日のさしてゐる春日山に、霞がたなびいてゐる。
【語釋】 ○來る きたる〔三字傍点〕は「きたる」といふラ行四段活用の動詞の終止形。○朝日さす 現に朝日のさして(34)あるをいふ。
【後記】 「朝日さす」といふ語で、朝をあらはし、一夜あけてみると、今朝は春日山邊が霞んでゐるので、季節のかはりめを知つたといふ意をうたつたもの。
 
1845 鶯の 春になるらし 春日山 霞たなびく 夜目《よめ》に見れども
 
【口譯】 鶯の鳴く春になるのであらう。春日山には、夜目に見てもわかるほど、霞がたなびいてゐる。
【語釋】 ○鶯の春 鶯が時を得て鳴く春といふ意。○夜目に見れども 夜目で見てもよくわかるほどにといふ意を含めて、夜目に見るけれども霞がたなびいてゐるといつたのである。
【後記】 「鶯の春」といつたのも、思ひきつた修辭であるが、「夜目に見れども」といつて、夜の霞を詠じたのも、異彩を放つてゐる。
 
   柳を詠める
1846 霜枯《しもが》れし 冬の柳は 見る人の ※[草冠/縵]《かづら》にすべく 芽生《めば》えけるかも
 
(35)【題意】 以下八首、柳を詠じた歌であるから、その由を、ここに題したのである。
【口譯】 冬、霜枯れしてゐた柳は、もう、見る人が、髪の飾にしてもよいくらゐに、芽を出して來たね。
【語釋】 ○霜枯れし 霜にいためられて、葉も落ちてゐたことをいふ。○冬の柳 冬の間は霜枯れしてゐた、柳といふのを、「霜枯れし冬の柳」といつたのである。○※[草冠/縵] 柳の細條を髪に卷いて飾とするのである。
【後記】 滿目蕭條、まことにわびしかつた冬も漸く盡きて、春意の動くあり、柳の芽に生氣が萠えて、時、今や遊子の心をそゝる。「見る人の※[草冠/縵]にすべく」といつたところに、作者の機智を見る。
 
1847 淺緑《あさみどり》 染め懸けたりと 見るまでに 春の楊《やなぎ》は 芽生えけるかも
 
【口譯】 淺緑の色に糸を染めて懸けたのかと思はれるほどに、春の柳は芽を出したね。
【語釋】 ○淺緑《あさみどり》 薄い緑の色。○見るまでに 人の見るほどにといふことで、思はれるほどにの意。
【後記】 柳條の淺緑を、染めてかけた糸に見立てたのである。催馬樂に「淺緑、濃い縹、染めかけたりと見るまでに、玉光る、下光る、新京先雀の垂柳云々」とあるのは、これによつたもの(36)か。
 
1848 山の際《ま》に 雪は降りつつ しかすがに この河楊《かはやぎ》は 萠えにけるかも
 
【口譯】 山間《やまあひ》では、雪が降つてゐて、そんな筈ではないのに、この河楊はもう芽を出したよ。
【語釋】 ○山の際《ま》に一八三七の歌を見よ。○河楊《かはやぎ》 カハヤナギともいひ、「水楊」とも書く。水邊に多いネコヤナギのこと。○萠《も》え 芽生えと同義。
【後記】 山間《やまあひ》では、雪が降つてゐるから、春とは思へないが、水邊の水楊は、すでに萠えてゐる。何といつても春だといふ感じを詠じたのであるが、「この河楊」といつた「この」がきいてゐる。
 
1849 山の際《ま》の 雪は消《け》ざるを 水飯合《たぎちあふ》 川之副者《かはのやなぎは》 芽生えけるかも
 
【口譯】 山間《やまあひ》の雪はまだ消えないのに、水が勢よく流れ合ふ川べりの柳は、もう芽を出したよ。
【語釋】 ○水飯合 諸説區々であるが、しばらく、「飯」を「激」の誤とし、タギチアフと訓む説にしたがふ。たぎち〔三字傍点〕は「たぎつ」といふ四段活用の動詞の連用形。たぎつ〔三字傍点〕は、水のはやく流れるをいふ。°川之副者(37) この句についても、種々の説があるが、「副」を「楊」の誤とする説にしたがひ、カハノヤナギハと訓むことにする。
【後記】 本文に疑はしい點もあつて、はつきりしないが、山間の雪が消えないのに、川邊の楊の萠えたのを見て詠んだ歌で、一八四八の歌と、大體において一致するが、このまゝでは、前の歌の方がよい。
 
1850 朝《あさ》なさな わが見る柳 鶯の 來居《きゐ》て鳴くべき 森にはやなれ
 
【口譯】 毎朝毎朝《まいあさまいあさ》、わたしの見てゐる柳は、鶯が住んで鳴けるくらゐの森にはやくなれ。
【語釋】 °朝なさな アサナサナはアサナア〔右○〕サナの略。「あさな」のな〔傍点〕は、接尾辭、「毎」の義をあらはす。○來居《きゐ》て 住んでといふほどの意。
【後記】 柳に對して森になれと希求する稚情に、古拙のよさがある。
 
1851 青柳の 糸の細《くは》しさ 春風に 亂れぬいまに 見せむ子もがも
 
【口譯】 青柳の糸が、ほんとに美しい。春風に吹き亂されない間に、これを見せるやうな、かは(38)いゝ人がゐればよいのだが。
【語釋】 ○細《くは》しさ 「くはし」といふ形容詞の語幹に、接尾辭「さ」の結びついた語。くはし〔三字傍点〕は美しいことをいひあらはす語であるが、特に繊麗の美についていふ。○亂れぬいまに 亂れぬ間《あひだ》にといふ意であるが、い〔傍点〕は 特殊の助詞で、連體的修飾語と被修飾語との間に用ゐられる。卷三の歌にある、「――新世《あらたよ》に共にあらむと、玉の緒の絶えじい〔右○〕妹と結びてし事は果さず――」(四八一)とあるい〔傍点〕も、この例である。○見せむ子もがも 子〔傍点〕はかはいい人の意で、思ふ女をさす。がも〔二字傍点〕は願望の助詞。
【後記】 この歌は、第二句と第五句との二段切れの歌である。
 
1852 百磯城《ももしき》の 大宮人の かづらける 垂柳《しだりやなぎ》は 見れど飽《あ》かぬかも
 
【口譯】 大宮人が頭の飾にしてゐる垂柳《しだりやをぎ》はいくら見ても見飽きないね。
【語釋】 ○ももしきの 枕詞。「大宮」にかかる。○かづらける ※[草冠/縵]《かづら》にしてゐる。「かづら」といふ名詞から出た、カ行四段活用の動詞「かづらく」に、助動詞「り」のついたもの。
【後記】 この歌は、大宮人の※[草冠/縵]にしてゐるしだり柳の美しさを嘆稱したもの。
 
1853 梅の花 取り持ち見れば わが屋前《やど》の 柳の眉《まゆ》し おもほゆるかも
 
(39)【口譯】 梅の花を手に取り持つて見ると、自分のうちの柳の芽のことが思ひやられるよ。
【語釋】 ○屋前《やと》 やど〔二字傍点〕は、本來|屋所《やど》の義であらう。すなはち、後世の「やしき」といふにあたる。集中に見えてゐる「屋所」・「屋外」・「屋戸」・「屋前」は、いづれも通じてヤドと訓まれるが、「屋前」とあるのは、前庭の意を書きわけたものと推せられる。○柳の眉し  し〔傍点〕は助詞。柳の眉〔三字傍点〕といふのは、柳の若芽のこと。
【後記】 これは、旅中の歌であらう。梅の花を手にして、故郷の家の前庭にある柳を思ひ出したのは、旅情さもあることと肯かれる。この柳の眉を、家に待つ人に思ひ寄せる説は賛成し難い。
 
   花を詠める
1854 鶯の 木傳《こづた》ふ梅の 移《うつ》ろへば 櫻の花の 時|片設《かたま》けぬ
 
【題意】 以下二十首。梅・櫻・山吹などの花を詠んだ歌であるから、その由を題したのである。
【口譯】 鶯の、枝を傳つて鳴く梅の花が衰へると、櫻の花の時節が近づいて來た。
【語釋】 ○木傳《こづた》ふ 木の枝から枝へとび移ること。○移《うつ》ろへば うつろふ〔四字傍点〕は、本來物の變ることをいふ。色の變るのも、影の物に映ずるのも、花の散るのも、みな「うつろふ」といふ語であらはされるが、ここの「うつろふ」は衰へる義なのであらう。○片設《かたま》けぬ 「かたまく」のかた〔二字傍点〕は、すつかり・全く・專らなど(40)の義。まく〔二字傍点〕は、カ行下二段の動詞で、用意をするといふほどの義。すなはちかたむく〔四字傍点〕は、すつかり用意をととのへるといふ義であるが、この語は、常に、時期もしくは季節をあらはす語と共に用ゐられてゐるから、或時期、或季節の近づいて來る、迫つて來る意をあらはすことになる。ぬ〔傍点〕は完了の助動詞。
【後記】 これは、季節の推移に驚いた、感傷的の歌ではなく、春を趁ふ遊樂のあわたゞしさを詠んだものであらう。
 
1855 櫻花 時は過ぎねど 見る人の 戀の盛《さかり》と 今し散るらむ
 
【口譯】 櫻の花は、盛の時は過ぎたのではないけれども、今が、見る人が花を戀しがる頂上だと思つて、今散るのであらう。
【語釋】 ○時は過ぎねど 時〔傍点〕とは花の盛時の意。○戀の盛《さかり》 人のほめそやすことのもつとも盛な時の意。
【後記】 まだ見飽きないのに、櫻の花のはやくも散るのを見て、花にも心があつて、惜しまれるうちに散らうとするのであらうといつたのである。
 
1856 わがかざす 柳の糸を 吹き亂る 風にか妹が 梅の散るらむ
 
(41)【口譯】 わたしの頭にさしてゐる柳の枝を吹き亂す風で、妹が家の梅の花が散りはしまいか。
【語釋】 ○わがかざす かざす〔三字傍点〕は頭に挿すこと。原文に、「吾刺」とあるので、ワガサシツと訓み、挿木《さしき》にしたといふ意に解する説もある。○妹が梅 味の家の梅といふ意。
【後記】 挿頭の柳條を吹く風によつて、佳人の梅を懷ふ。懷ふところ、果して梅にありや否や。
 
1857 年のはに 梅は咲けども うつせみの 世の人君し 春無かりけり
 
【口譯】 毎年毎年、梅は咲くけれども、實世間の人であるあなたには、春といふものは無かつたのだ。
【語釋】 ○年のはに としのはに〔五字傍点〕といふ語が毎年の義をもつてゐることは、卷十九(四一六八)の註に、「毎年謂2之等之乃波1」とあるによつても知られる。○うつせみの うつせみ〔四字傍点〕は「うつしみ」(現身)の轉。これを「世」の枕詞とする説もあるが、「うつせみのよのひと」は、現身をもつてゐる世の人といふ義であるから、現身の意に解する方がよい。○春無かりけり 春が無いといふのは、いつも物寂しい有樣で、人生の春も知らないといふこと。
【後記】 梅の花の開いたのを見て、年々歳々、梅には春が訪づれるけれども、實社會に沈淪してゐる人には、さういふ幸運は惠まれないといふことを嘆いた歌。「春無かりけり」といふのが、(42)少しわざとらしい。
 
1858 うつたへに 鳥は喫《は》まねど しめ延えて 守《も》らまく欲《ほ》しさ 梅の花かも
 
【口譯】 絶對《ぜつたい》に鳥はたべないけれども、この梅の花は、縹繩《しめなは》をひき廻して、番をしたいものだね。
【語釋】 ○うつたへに もつぱら・全くなどの義。ここではぜつたいにといふのが、適當であらう。○しめ しめなはの義。他の者の濫入を許さぬため、もしくは、所有者・支配者のあることを示すために引き廻す標識の繩。○守《も》らまく欲しき 守らうと願望する、守りたいといふ意。
【後記】 表面にあらはれただけでは、梅の花を賞味する心から、人の手を觸れるのをも厭ふ意の歌と思はれるが、或は、これは、相聞の歌に入るべきものであつて、思ふ人を梅の花にたとへたものであるかと思はれる。
 
1859 おしなべて 高き山邊を 白妙《しろやへ》に にほはせたるは 梅の花かも
 
【口譯】 一面に、高い山地を眞白に色どつてゐるのは、梅の花であらうか。
【語釋】 ○おしなべて 一樣に、一面になどの意。○にほはせ にほふ〔三字傍点〕は色についていふ語で、色を出す、(43)美しい色を見せるといふほどの意であるから、にほはせ〔四字傍点〕はいろどると譯してよい。
【後記】 高い山地を眞白に色どるほどに、梅の林がつゞくといふことは疑はしい。從來の説に、これを櫻の誤としてゐるのは、もつともである。
 
1860 花咲きて 實《み》も成らねども 長きけに 思《おも》ほゆるかも 山吹の花
 
【口譯】 山吹は、花が咲いても實は出來ない、そのやうに、思ふ人との間は、約束ばかりなのであるが、長い月日にわたつて、思ひつゞけずにはゐられないよ。
【語釋】 ○長きけに け〔傍点〕は「日《け》」の義。に〔傍点〕は助詞。長い月日にわたつての意。○思《おも》ほゆるかも おもほゆる〔五字傍点〕は「おもはるる」で、おのづから思はれるといふ意。
【後記】 この歌は、長きにわたる戀の、實を結ばない嘆を、山吹の花に寓したものであらう。
 
1861 能登川の 水底さへに 光《て》るまでに 三笠の山は 咲きにけるかも
 
【口譯】 能登川の水の底へまでも、美しい花の色がうつるほどに、三笠の山の櫻の花はすつかり咲いたよ。
(44)【語釋】 ○能登川 春日山から出で、三笠山と高圓山との間を過ぎ、奈良市に入り、末は佐保川に合流する川。○光《て》る ここでは、花の色の美しくかがやくをいふ。「水底さへに光《て》る」といふのは、その美しいかがやきが水底にまで達するといふこと。
【後記】 御笠の山の櫻が滿開で、能登川の水底までも、明るく美しく相映發してゐる有樣がよく歌ひ出されてゐる。三笠の山の花が咲くといはずに、三笠の山が咲くといつた大膽な表現もよい。
 
1862 雪見れば いまだ冬なり しかすがに 春霞立ち 梅は散りつつ
 
【口譯】 雪を見ると、まだ冬である。さうだとすれば、そんな筈ではないのに、春の霞が立ち、梅の花は散つてゐる。
【後記】 この歌の第一句は、その意が曖昧である。殘つてゐる雪か、現に降つてゐる雪か、山上の雪か、はつきりしてゐない。そこに缺陷がある。
 
1863 去年《こぞ》咲きし 久木《ひさぎ》今咲く いたづらに 土《つち》にや落ちむ 見る人なしに
 
(45)【口譯】 去年咲いた久木《ひさぎ》の花が今咲いてゐるが、見る人も無く、つまらなく地上に散つてしまふのであらうか。
【語釋】 ○久木《ひさぎ》 今の何の木に當るか不明。和名抄や新撰字鏡には、「楸」を比佐木と訓んであるが、楸は、今のきささげであつて、見る人無しに散るのを嘆くほどの花は咲かない。
【後記】 去年咲いたといふことを、特殊の條件として取り出したについては、二つの解釋が可能である。一は、久木が去年はじめて花を見せたからとするのであり、一は、去年は、思ふ人と共に花をめでたのに、今年は一人さびしくこれをながめてゐるからで、かういつたとするのである。思ふに、後者が、その眞を得たるに近いのであらう。
 
1864 あしびきの 山の間《ま》照らす 櫻花 この春雨に 散り去《抄》かむかも
 
【口譯】 山間《やまあひ》のところをあかるく照らしてゐる櫻花も、この降り出した春雨にうたれて、散つてしまふだらうね。
【語釋】 ○山の間《ま》 一八三七の「山の際《ま》」參照。○照らす 櫻の花が、明るく、美しい色彩をあたりに映發させてゐるをいふ。
(46)【後記】 雨に花の散るを惜しむ趣はめづらしくないが、「山の間照らす」といふ句が光つてゐる。
 
1865 打靡《うちなび》く 春さり來らし 山《やま》の際《ま》の遠き木未《こぬれ》の 咲きゆく見れば
【口譯】 山間《やまあひ》の、遠くに見える、木の末端《さき》の花が、だん/\に咲くのを見ると、もう春がやつて來るのだらう。
【語釋】 ○打靡《うちなび》く 「春」の枕詞。○遠き木末 とほき〔三字傍点〕は遠くに見えるといふ意。こぬれ〔三字傍点〕は木のさきの方。
【後記】 木末《こぬれ》が咲くといふのは、一八六一の歌の、三笠の山が咲くといふのと同樣のいひ方で、木末《こぬれ》の花の咲くことであるが、これは、遠くながめやる木々が、まづ末端の方から花をつけて行くのを見て、春の來ることを推した歌である。卷八の一四二二に類歌がある。それも、これも、何の花の木であるかは知られないが、おそらく梅でもあらうか。
 
1866 きぎし鳴く 高圓《たかまと》の邊《べ》に 櫻花 散りて流《なが》らふ 見む人もがも
 
【口譯】 雉の鳴く高圓《たかまと》のあたりには、櫻の花が散り亂れてゐる。見る人もあればよいのに。
【語釋】 ○きぎし 雉。原文に「春※[矢+鳥]」とある。○高圓《たかまと》 高圓の山をいふか、高圓の野をいふか、明らかで(47)ない。○散りて流らふ ながらふ〔四字傍点〕は、或動作の繰返されて、その結果の連續してあらはれるをいふ語であるが、ここも、花が散つて、その散るといふ動作が繰返され、後から後から花が散り布くことをいつてゐるのである。
【後記】 春の歌として、いかにも悠揚迫らざる趣がある。
 
1867 阿保山の 櫻の花は 今日もかも 散り亂るらむ 見る人なしに
 
【口譯】 阿保山の櫻の花は、今日もまた、さだめし散り亂れてゐることだらう。見る人も無くつて。
【語釋】 ○阿保山 阿保〔二字傍点〕は佐保の誤とする説もあるが、改めるにも及ぶまい。阿保といふ地名は、山城にも伊賀にもあるが、佐保の地方にある、不退寺の丘陵が阿保山であるといふ説が有力である。○櫻の花は 本文には「佐宿木花者」とあるが、このままでは訓めない。これについては、種々の説があるが、いづれも賛成しがたい。しかし、まづ前後の關係から見て、佐宿木〔三字傍点〕は「さくら」といふ語のあるべきところだといふ推測説の一つにしたがつておく。
【後記】 見る人も無くで空しく散る櫻を惜しむ趣は、前の高圓の邊の歌とよく似てゐるが、今日もまたといつたのに、あはれはまさつてゐる。
 
(48)1868 かはづ鳴く 吉野の河の 瀧《たぎ》の上《うへ》の 馬醉木《あしび》の花ぞ 土に置《お》くなゆめ
 
【口譯】 これは、河鹿《かじか》の鳴く、吉野の川の早瀬の岸に咲く馬醉木《あしび》の花だよ。決して麁末にあつかふなよ。
【語釋】 ○かはづ 河鹿《かじか》。○瀧《たぎ》の上《うへ》 たぎは、急湍をいふ。うへは、ここでは岸の義。○馬醉木 あしび〔三字傍点〕は、また、アセビ・アセボなどともいふ。漢名※[木+侵の旁]木。卷二の一六六の歌參照。○土に置くなゆめ 原文には、「置末勿勤」とあつて、このままでは訓めないから、種々の誤字説があるが、これを「觸手勿勤」とし、テナフレソユメと訓まうとするのは、あまり改め過ぎてゐるやうである。「末」字を「土」の誤とし、ツチニオクナユメと訓むのが、比較的穩やかな考であらう。しかし、これにしても無理があるらしく、この句の解釋について、また種々の異見を生ずる。つちにおくな〔六字傍点〕を、花を地上に落すな、すなはち散るなといふ義に解する説と、大切にして地上に置くなといふ義に解するのと、少くとも二つの意見は對立する。今しばらく後者にしたがふことにする。
【後記】 この歌は、作者が、吉野川の岸に、馬醉木の花の咲いてゐるのを見て、その場で詠んだものであるか、或はまた、吉野川の岸に咲いてゐる馬醉木の花を折り取つて來て、詠んだものであるかについても、意見の對立があり、それは、第五句の解釋と關聯してもゐるが、第五句(49)を既記のやうに解すれば、作歌の場所についても、當然後者の説が承認されなければならぬ。なは、前者の説を採らうとするには、第四句の「曾」が問題になるので、或は、この「曾」を「者」に改めて、アシビノハナハと訓まうとするが、猥りに文字を改めるのはよろしくない。
 
1869 春雨《はるさめ》に あらそひかねて わが屋前《やど》の 櫻の花は 咲きそめにけり
 
【口譯】 春雨にさからふことが出來ないで、うちの庭の櫻の花は、咲き初めたよ。
【語釋】 ○あらそひかねて 抵抗しかねての意。すなはち、春の雨は花をさかせようとしてゐる、それに抵抗して咲くまいとしてゐても、負けてしまふといふこと。○わが屋前《やど》 一八五三の歌參照。
【後記】 春の雨が花を催すといふことを念頭におき、また、花の咲くのが待遠しかつたことを含めて詠んだ歌。
 
1870 春雨《はるさめ》は いたくな降りそ 櫻花 いまだ見なくに 散らまく惜しも
 
【口譯】 春雨は、ひどく降つてくれるな。そんなに降ると、櫻の花が、わたしのまだ見ないうちに散るだらう、それが惜しい。
(50)【語釋】 ○見なくに 見ないのに。○敢らまく 散るだらうのが。略して、散るのが、といつてもよい。
【後記】 前の一八六九の歌の春雨は、要ひ得ては花の父母たりといふほどに感謝すべきものであるが、この歌の春雨は、三日見ぬ間の嘆を起さしめる、花にとつては厭ふべき雨。
 
1871 春されば 散らまく惜しき 梅の花 しばしは咲かず 含《ふふ》みてもがも
 
【口譯】 春になると、咲けばぢきに散るだらう、その散るのが惜しいから、梅の花は、しばらくの間は、咲かずに、莟《つぼみ》のまゝでゐてほしい。
【語釋】 ○散らまく惜しき 散るだらう、それが惜しいといふ意である。○含《ふふ》みてもがも ふふむは「ふくむ」と同じ。花について「ふふむ」といふのは、まだ咲かない、未開の状態にあるのをいふ。がも〔二字傍点〕は願望の助詞。
【後記】 「春されば散らまく惜しき」といふいひ方では、春が來たことと散ることの關係が唐突であるやうに見える。しかし、作者は、そこに飛躍の興味を見出したのであらう。もつとも、梅の花を冬ながら咲くものと見、この歌を、冬の内に詠んだものとすれば、春には散るといつてもよいやうではあるが、もしさうならば、「春さらば」といふ筈である。「梅の花」は、寛永(51)本には「櫻」となつてゐるが、類聚古集をはじめ、諸古本に多く「梅」となつてゐる。春になると散るといふいひ方から考へても、「梅」とある方が適切に思はれる。
 
1872 見渡《みわた》せば 春日の野邊に 霞立ち 咲きにほへるは 櫻花かも
 
【口譯】 見渡すと、春日野のあたりに霞が立つて、美しい色に咲いてゐる花があるが、あれは櫻の花だらうか。
【後記】 ぼんやりと霞んでゐる野邊に、薄紅を見せて、櫻の花ののどかに咲いてゐる景情をうたつたもの。
 
1873 いつしかも この夜の明けむ 鶯の 木傳ひ散らす 梅の花見む
 
【口譯】 いつになつたら、夜が明けるだらう。夜が明けたら、鶯が枝から枝へ飛んで散らす梅の花を見よう。
【語釋】 ○いつしかも 何時《いつ》になつたらの意。し〔傍点〕は強意の助詞。かも〔二字傍点〕は感動の助詞。「いつしかもこのよのあけむ」は、はやく夜が明ければよいのにといふことを、婉曲にいひあらはしたのである。
(52)【後記】 この歌で問題になるのは、作者が「鶯の木傳ひ散らす梅の花見む」といつたのは、どういふ動機からかといふことである。漠然とさういふことを考へ出したか、或は何かの縁があつて、鶯を思ひ浮べたかといふことである。思ふに、この歌は、曉の寢覺に、鶯の聲を聞き、さだめて、あれは、梅の木の間に枝傳ひして、花を散らしてゐるのであらう、見たいものだ、はやく夜が明けないかしらと、朝を待つ心を詠んだものであらう。
 
   月を詠める
1874 春霞 たなびく今日の 暮三伏一向夜《ゆふづくよ》 清く照るらむ 高松《たかまと》の野《ぬ》に
 
【題意】 以下三首、月を詠じたものであるから、その由を題にしたのである。
【口譯】 春の霞のたなびいてのどかに暮れた今日の夕月夜であるから、さだめし、高圓の野では、月の光が清く照りわたつてゐることであらう。
【語釋】 ○暮三伏一向夜 「三伏一向」をツク、「暮」をユフと訓み、この一句をユフヅクヨと訓む。夕月夜の義である。「三伏一向」の訓については、附録「※[木+四]戯考略」參照。○高松 タカマトと訓む。高圓のこと。高圓〔二字傍点〕は既出。
(53)【後記】 霞に暮れた今日一日ののどけさから、高圓の野の月の光をおもひやつて詠んだものであらう。これを、晝のほどに、夜のさまを想像した歌と見るも誤であるし、霞のたなびいてゐる夕ぐれに、高圓の野の月を推想して、「きよく照るらむ」といふのは矛盾してゐるといふのも、一種の偏痴氣論であらう。「春霞たなびく今日の」とあるのは、霞に暮れた今日といふほどに、輕く考へて詩趣を味ふべきものであらう。「夕月夜」は夕月の義と解するがよい。
 
1875 春されば 木《き》のこのくれの 夕月夜《ゆふづくよ》 おぼつかなしも 山かげにして【一に云ふ、春されば木がくれ多き夕月夜】
 
【口譯】 春になると、木の葉がしげるので、その木下闇《きのしたやみ》で見る夕月は、はつきりしない、ことに山のかげにあるので。
【語釋】 ○木のこのくれ このくれ〔四字傍点〕は、木《こ》の暗《くれ》の義で、古く木の下闇のことを、さういつたのであらう。一九四八にも、「木のくれのゆふやみなるに」とある。一つの傳にある「木《こ》がくれ多き」といふのも、春になると、木の葉がしげるので、かげが多いといふ義。○おぼつかなしも はつきりしないといふ義。も〔傍点〕は感動の助詞。
(54)【後記】 山かげの木下闇にみる夕月の、薄い光の物げないのを、心細く感じたのであらう。
 
1876 朝霞《あさがすみ》 春日のくれは 木《こ》の間《ま》より 移ろふ月を いつとか待たむ
 
【口譯】 朝霞が立つて、春の日の薄暗い時は、木の間から出る月が、何時のことであるか待遠である。
【語釋】 ○春日のくれは この句、原文には、「春日之晩者」とある。「晩」はクレと訓むべきものと思はれるが、これを名詞とし、夕暮の意味と解する説もあるが、さうすると、初句「春霞」との關係がむづかしくなるので、また、これを朝霞の立つ春日が暮れたならばの意と解して、くれ〔二字傍点〕を「くる」(暮)といふ下二段活用の動詞の未然形とし、「者」を、バと訓んで、これを助詞と見る説もある。しかし、ここは、くれ〔二字傍点〕を、暗いといふ意味の名詞とし、朝霞が立つて、春の日の薄暗いことをいひあらはしたものと解するのが、比較的穩當な考であらう。前の一八七五の「このくれ」といふくれ〔二字傍点〕が、やはり暗《くれ》の意味であるのを參照してみれば、「はるびのくれ」のくれ〔二字傍点〕も同義と見るのがよいやうである。
【後記】 朝霞が深く立ちこめて薄ぐらいので、はやく夜に入つて月が出ればよいにといふ意をうたつたのである。
 
(55)   雨を詠める
1877 春の雨に ありけるものを 立ち隱《かく》り 妹《いも》が家道《いへぢ》に この日暮らしつ
 
【口譯】 春の雨であつたのに、途中で雨宿りをしてゐて、妹の家へ行くのに、一日くらしてしまつた。
【語釋】 ○春の雨にありけるものを 春の雨は、降り出すとしとしとと降つて容易にやまないことを、裏に含んでいつてゐる。○立ち隱り 雨がやむかと思つて、雨宿りをしてゐたこと。
【後記】 一二の句が、作者の意圖を十分にあらはしてゐないのは、この歌の瑕であらう。したがつて、「立ち隱り」といふ句の意味も、曖昧になつてゐる。
 
   河を詠める
1878 今往きて 聞くものにもが 飛鳥川《あすかがは》 春雨ふりて たぎつ瀬の音《と》を
 
【口譯】 今すぐ行つて、聞きたいものだ、明日香川の、春雨が降つたので、水が増して、激しく流れる瀬の音を。
(56)【語釋】 ○聞くものにもが が〔傍点〕は願望の助詞。聞くものでもあつてほしいといふことで、聞きたいものだと譯してよい。○たぎつ タ行四段活用の動詞の連體形。水の激しく流れる義。
【後記】 春雨を點滴の音に聞きながら、飛鳥川の早瀬に心を馳せてゐる人の歌。「今往きて」といふ初句にひかれて、全體が輕快に流れてゐる。
 
   煙を詠める
1879 春日|野《ぬ》に 煙立つ見ゆ をとめらし 春野の菟芽子《うはぎ》 つみて煮らしも
 
【口譯】 春日野に、煙の立つのが見える。あれは、少女たちが、春の野の嫁菜を摘んで(57)煮てゐるのであらう。
【語釋】 ○菟芽子《うはぎ》 卷二に「宇波疑《うはぎ》」(二二一)が見えてゐる。和名抄には、卷九の薺蒿の條に、「七卷食經云、薺蒿菜、一名莪蒿、上音鵝、於波岐〔三字右○〕」とあり、天治本新撰字鏡には、「莪」を宇波支〔三字右○〕と注してゐる。このオハギもしくはウハギは、今の嫁菜《よめな》である。○煮《に》らしも らし〔二字傍点〕は助動詞。この助動詞は、普通は動詞の終止形をうけるのであるが、この例のやうに、上一段の動詞の連用形をうけることもある。古格である。も〔傍点〕は感動の助詞。
【後記】 奈良の都から春日野のあたりを眺めやると、淡々しい煙の立つのが見える。あれは、少女たちが野遊に出て、つみためた嫁菜を煮てゐるのであらうと思ひやつたのである。春晝ののどけさにふさはしい歌。
 
   野遊
1880 春日野の 淺茅《あさぢ》が上《うへ》に 思ふどち 遊べる今日は 忘《わす》らえめやも
 
【題意】 以下四首、春の野の遊樂をろたつたものであるから、その由を記したのである。
【口譯】 春日野の、丈《たけ》の低い茅《ち》の生えてゐるところで、心の合つた同志が遊んでゐる今日のこと(58)は、忘られようか、忘られはしない。
【語釋】 ○淺茅 あさ〔二字傍点〕は、丈の低い、短いことをあらはす。茅《ち》の、花の出たのが茅花《つばな》である。○忘らえめやも わすらえ〔四字傍点〕は忘られの義。
【後記】 「淺茅が上」といつてゐるのによつてみると、茅花も咲いてゐたのであらう。やはらかい春の感觸が、友どちの間の鋭しみをましたことはいふまでもなからう。
 
1881 春霞 立つ春日野を 往きかへり われは相見《あひみ》む いや年のはに
 
【口譯】 この後も毎年、友だちと一緒に、この野を往つたり來たりして、春霞の立つ春日野を見よう。
【語釋】 ○往き還り 往つたり還つたりの義。○相見《あひみ》む 友と共に見ようといふこと。見る〔二字傍点〕は、春霞の立つ春日野を見るのである。○いや年のはに としのは〔四字傍点〕は毎年。いや〔二字傍点〕は、さらにの義。この後もと譯してよい。
【後記】 この歌の「往きかへり」は、「春霞立つ春日野を往きかへり」であると共に、「往きかへり」「春霞立つ春日野を相見」るのである。他の見方からすれば、第一第二の句は、「往きかへり」の補語であり、また、「相見る」の客語でもあるのである。
 
(59)1882 春の野に 心《こころ》述《の》べむと 思ふどち 來《きた》りし今日は 暮れずもあらぬか
 
【口譯】 春の野で、心をのんびりさせようと、心の合つた同志の來た今日は、日が暮れないでほしいものだ。
【語釋】 ○心《こころ》述《の》べむと 心をのんびりさせようとしての義。○暮れずもあらぬか 「あらぬか」のぬ〔傍点〕は、打消の助動詞「ぬ」の連體形。くれずもある〔六字傍点〕は、くれずにあるといふこと。む〔傍点〕感動の助詞。この句全體の意は、暮れずにゐてくれないか、すなはち暮れないでほしいといふのである。
【後記】 報告的の歌である。
 
1883 百磯城《ももしき》の 大宮人《おほみやびと》は 暇《いとま》あれや 梅をかざして こゝに集《つど》へる
 
【口譯】 大宮に仕へてゐる人たちは、暇《ひま》があるからであらうか、梅の花を頭にかざして、こゝに集つてゐる、
【語釋】 ○百磯城の 「大宮」の枕詞。○暇あれや 暇あればにやの義。や〔傍点〕は疑問の助詞。○ここに集《つど》へる つどへる〔四字傍点〕は、野遊のために集つて來てゐるのであるが、つどへ〔三字傍点〕は四段活用の動詞の已然形。る〔傍点〕は、完了(60)の助動詞「り」の連體形。上のや〔傍点〕をこの連體形で結んである。
【後記】 これは咲く花のにほふが如く盛であつた奈良朝の泰平の頌でもあらう。第三句「暇あれや」のや〔傍点〕を感動の助詞と見るのも、一つの考ではあるが、それでは、何だか、朝紳の遊樂を白眼視するやうな感じを伴つて、いちじるしく氣分を損ずるやうである。
 
   舊《ふ》りにしを歎《なげ》く
1884 冬過ぎて 春し來《きた》れば 年月は あらたなれども 人は舊《ふ》りゆく
 
【題意】 以下二首、身の老いたのを歎く意の歌である。
【口譯】 冬が過ぎて春が來ると、年月は新しい年月であるが、人間はだん/\古くなつて行く。
【語釋】 ○舊《ふ》りゆく ふる〔二字傍点〕は古くなるといふ意の動詞。四段活用。
【後記】 年々歳々、新しい年を迎へるのであるが、人は年々歳々老いて行くといふ歎は、老人の述懷である。
 
1885 物皆は 新《あらた》しきよし ただ人は 舊《ふ》りぬるのみし 宜《よろ》しかるべし
(61)【口譯】 すべての物は、新しいのがよい。ただ人だけは、年をとつたのばかりがよろしいにちがひない。
【語釋】 ○宜しかるべし べし〔二字傍点〕は、單なる推量をあらはすにも用ゐられるが、ここでは、強い推量をあらはしてゐるものと見られる。
【後記】 人が皆新奇にのみ心をよせる世にあつて、頑として、人だけは舊りぬるがよいと喝破した老人の意氣、まことに壯者を凌ぐ。しかし、一抹の哀愁のたゞよふもののあるのを奈何ともし難い。
 
   逢《あ》へるを懽《よろこ》ぶ
1886 住吉《すみのえ》の 里行きしかば 春花《はるばな》の いやめづらしき 君に逢へるかも
【題意】 人に逢つたのをよろこんだ歌。
【口譯】 住吉《すみのえ》の里を歩いてゐたところが、ほんとにおめづらしいあなたにお目にか1つたものですね。
【語釋】 ○住吉 攝津の住吉。○春花の 「めづらしき」にかかる枕詞。○いやめづらしき いや〔二字傍点〕はいよい(62)よの義であるが、ここではほんとにとか、非常にとかいふ意の副詞。めづらしき〔五字傍点〕は、めつたに逢はないので、珍しくなつかしいといふ意。
【後記】 「住吉の里行きしかば」といふ「里行きしかば」といふ句に、偶然の邂逅であつたことが、よくあらはれてゐる。
 
   旋頭《せどう》歌
1887 春日《かすが》なる 三笠の山に 月も出でぬかも 佐紀《さき》山に 咲ける櫻の 花も見ゆべく
 
【題意】 以下の二首が旋頭歌であることを示したのである。
【口譯】 春日にある三笠山に、月が出てほし(63)いものだ。佐紀山に咲いてゐる櫻の花が見えるやうに。
【語釋】 ○月も出でぬかも 月も出ないかなといふので、月も出てくれないかなあといふ願望の意を示してゐる。一八八二の「暮れずもあらぬか」參照。○佐紀山 佐保山の西に連なる丘陵。○櫻の花の見ゆべく 櫻の花が見えるやうに、月も出てほしいといふ意。
【後記】 東にある三笠の山から出る月の光で、北にある佐紀山の櫻の花を見ようといふのである。遠く月下の香雲を望まうといふのである。
 
1888 白雪の 當敷《とこし》く冬は 過ぎにけらしも 春霞 たなびく野邊の 鶯鳴きぬ
 
【口譯】 白雪の絶えず降つてゐる冬は、もうすんでしまつたのであらう。春霞のたなびく野邊の鶯が鳴いたよ。
【語釋】 ○常敷《とこし》く とこ〔二字傍点〕は不變の義。しく〔二字傍点〕は、その不變といふことを、動作的にいひあらはすために結びついた、一種の造語成分で、この場合に即していへば、白雪が降るといふ状態において變らない、すなはち、白雪が絶えず降るといふのが、白雪の「とこしく」なのである。類語の「高《たか》しく」・「太《ふと》しく」なども、「高《たか》」もしくは「太《ふと》」を動作的にいひあらはしたものである。
(64)【後記】 野邊の鶯の鳴くのによつて、春の來たことを知つたといふだけのこと。
 
   譬喩《ひゆ》歌
1889 わがやどの 毛桃《けもも》の下《した》に 月夜《つくよ》さし 下心《したごころ》よし うたてこの頃《ごろ》
 
【題意】 この一首が譬喩歌であることを示したのであるが、ここに譬喩歌といふのは、隱喩を主にした歌の義である。集中の譬喩歌は、戀の歌であるのを常とする。
【口譯】 わが家の前庭にある毛桃の木の下に月の光がさして、この頃は、いままでとはちがつて、心もちがよい。
【語釋】 ○わがやどの 原文に「吾屋前之」とある。「屋前」をヤドと訓むことおよびやど〔二字傍点〕の意味については、一八五三の歌、參照。○毛桃 桃の品種の一。實大きく、果皮に宅がある。○下に 毛桃の木の下にの義。○月夜《つくよ》さし 「つくよ」といふ語は、月もしくは月光といふ意にも用ゐられる。月の光がさしてといふ意。○下心《したごころ》 こころもちの義。○うたて うたて〔三字傍点〕には、(一)ますます(二)常とちがつて(三)へんに・異樣に、などの義がある。ここは(二)の義で、今までとちがつてといふ意に用ゐられたのであらう。
【後記】 この歌全體が譬喩なのであるが、毛桃の下の月夜を思ひ寄せたのはおもしろい。
 
(65)     春相聞《はるのさうもん》
 
【標目】 以下四十七首を、春雜歌に對して、春相聞(「相聞」についてに既出)としてあげたのであをが、最初の七首、柿本人麿歌集に載つてゐたものを除いては、「寄鳥」・「寄花」といふやうな小標目がついてゐることは、春雜歌の場合と同樣である。本卷の目録には、最初の七首を相聞七首と題してある。
 
1890 春日野《かすがぬ》に 友鶯《ともうぐひす》の 鳴き別れ 歸ります間《ま》も 思《おも》ほせわれを
 
【口譯】 春日野で、鶯|仲間《なかま》が鳴いて別れるやうに、わたくしたち二人も泣いてお別れいたしますが、どうかお歸りになる間も、わたくしをお思ひ下さいまし。
【語釋】 ○友鶯《ともうぐひす》 友千鳥などの例でも知られるやうに、何羽もゐる鶯をいふのであらう。○鳴き別れ 鶯の鳴き別れるのと人の泣き別れるのとの兩義をかねた句である。
【後記】 「友鶯の鳴き別れ」といふのに、わざとらしさが感じられないでもない。
 
(66)1891 冬隱《ふゆごも》り 春咲く花を 手折《たを》りもち 千たびの限《かぎ》り 戀ひわたるかも
 
【口譯】 春咲く花を手折つて持つて、わたしは、千度になるまでも、戀ひつゞけてゐるよ。
【語釋】 ○冬ごもり 「春」の枕詞。○千たびの限り かぎり〔三字傍点〕は及ぶまでの義で、極限をいふ。千度に及ぶまでもである。
【後記】 春咲く花を手折り持つことと、千度の限り戀ひわたることの關係が、はつきりしない。花を女に見せたく思つたり、共に挿頭《かぎし》にしたく思つたりするといふ解釋もあり、花に對して女を思ふのであるといふ説明もあるが、按ふに、この關係については、後者のいふところが、作者の意に近いのであらう。
 
1892 春山の 霧にまどへる 鶯も われにまさりて 物思はめや
 
【口譯】 春の山の霧に迷つてゐる鶯も、私以上に物を思つてゐようか、ゐはしない。
【語釋】 ○霧に迷へる 立ちこめてゐる霧のために、どうしてよいか困つてある意。○物思はめや や〔傍点〕は反語の「や」。
【後記】 鶯が霧に迷ふといふことは、後のものではあるが、朗詠集に「咽v霧山鶯啼尚少」といふ(67)句もあることは、代匠記にすでにいつてある通りである。春であるのに霧をいつてゐるので、とかくの論もあるが、霧も霞も、春秋に通じて詠んでゐることも、すでに代匠記にその説がある。
 
1893 出でて見る 向《むか》ひの崗《をか》の 本《もと》繁《しげ》く 咲きたる花の 成らずば止《や》まじ
 
【口譯】 家《うち》から出て見る、すぐ向ひの岡に、幹もいつぱいに咲いてゐる花の、實になるやうに、わが戀も成功しなければ、止《や》めにはしまい。
【語釋】 ○出でて見る 家から外へ出るとすぐ見えるところにあるをいふ。○本《もと》繁《しげ》く 幹の方に花が一ぱいに咲いてゐるといふ意で、したがつて、樹木全體に花の多くついてゐることをあらはしてゐる。
【後記】 「花」と「成る」との關係がはつきりしてゐないから、「花」を「桃」の誤とし、また「在」を「毛」の誤とし、第四句をサケルケモモノと訓まうとする説もある。卷七の一三五八、卷十一の二八三四に、「毛桃《けもも》」と「成る」とを結びつけて詠んだ例があるからである。しかし、根據もないのに、誤字説を立てるのもいかがと思はれる。やはり、花は實になるものといふ關係から來たものと見ておくのでよからう。
 
(68)1894 霞立つ 春の永日《ながひ》を 戀ひ暮らし 夜の深《ふ》け行きて 妹にあへるかも
【口譯】 霞の立つ、春の永い日を、一日戀しく思ひ暮らしてゐて、夜が更《ふ》けてから、やつと妹にあつたのだ。
【語釋】 ○春の永日を ながひといふ語はめづらしいが、卷十三に「霞立つ春の長日を」(三一五〇)といふ一例がある。
【後記】 春の日の長きに苦しむ、戀に亂れた男の心は、一二の句によくあらはれてゐる。
 
1895 春されば 先《ま》づ三枝《さきくさ》の 幸《さき》くあらば 後にも逢はむ 莫《な》戀ひそ吾妹《わぎも》
 
【口譯】 (春が來ると、まづ芽の出る三枝《さきくさ》の)無事でゐるならば、そのうちには逢へよう、さう戀しがるな、わがいとしい人よ。
【語釋】 ○先《ま》づ三枝《さきくさ》の ここまでは「さきく」の序詞であるが、「さきくさ」のさきく〔三字傍点〕と「さきく」(幸)との同音關係が主となつてゐる。先づ芽の出る三枝といふ。さきくさ〔四字傍点〕については種々の説があるうちに、山百合といふのが、有力であるが、山百合は春のものとしてふさはしくない。狩谷※[木+夜]齋は、箋註和名類聚抄にさきくさ〔四字傍点〕について、百合と薺※[くさがんむり/尼]との兩説を擧げてゐるが、薺※[くさがんむり/尼]は、本草和名によれば、和名サキクサナ、(69)又ミノハとなつてゐるが、ここにサキクサといふのは、薺※[くさがんむり/尼]か。これは後のツリガネサウといふものであるといふ。或は按ふに、傳説的に瑞草といひ傳へられてゐるサキクサはこれとは別のもので、靈芝であるとも考へられるが、ここでは、その瑞草を春のものとして取り出して、單に「さきくさの」だけを「さきく」(幸)の序としたのではなからうか。さうすれば、「春されば云々」は、春になつたので、まづ無事でさへあればといふことになる。○後にも そのうちにの意。直譯すればあとでも。
【後記】 「ききくさ」を薺※[くさがんむり/尼]と解すれば、春の初に萠え初める、名もめでたい草を材料にとりいれたといふことになり、「さきくさ」を瑞草とみれば、春のはじめにふさはしいものとしてとりあげたといふことになる。無事でゐればまた逢へるといふのは、さびしい諦めではあるが、春といへば、やはり春のほゝゑみも交されるのであらう。
 
1896 春されば しだり柳の とををにも 妹《いも》が心に 乘りにけるかも
    右柿本朝臣人麿歌集に出づ。
 
【口譯】 春になると、しだり柳がたを/\する、そのやうにたを/\と、妹《いも》のことが、わたしの心によりかゝつて來るよ。
(70)【語釋】 ○とををにも とをを〔三字傍点〕は「たわたわ」・「たをたを」などといふに同じく、やさしい、しなやかな状態をいふ。○心に乘る 心に思ひ浮ぶ、心の上にかかるといふほどの意。
【後記】 第三句の「とををにも」が相關的の地位に立ち、上の二句を序として、下の二句に臨んでゐる。すらつとした歌。
【左註】 以上の七首が人麿歌集に出てゐる由の註であるべきである。「右」の下に「七首」を脱したのであらうか。
 
   鳥に寄す
1897 春されば 百舌鳥の草ぐき 見えずとも われは見遣らむ 君があたりをば
 
【題意】 鳥にことよせて詠んだ相聞の歌といふこと。
【口譯】 春になると、百舌鳥は草にもぐるので、その姿は見えない、そのやうに、目に見えなくつても、わたしは、あなたのお家《うち》の方をながめて居りませう。
【語釋】 ○百舌鳥の草ぐき 「くさぐき」のくき〔二字傍点〕は潜《くき》であらう。くさぐき〔四字傍点〕は草をくぐること。
【後記】 百舌鳥の草ぐきを見出したのが、作者のはたらきであらう。
 
(71)1898 容鳥《かほどり》の 間無《まな》くしば鳴く 春の野の 草根の繁き 戀もするかも
 
【口譯】 呼子鳥が、絶間《たえま》無く、繰返し鳴いてゐる春の野の草の根は多い、そのやうに、わたしは、心づかひの多い戀をすることでもある。
【語釋】 ○容鳥 呼子鳥と同じで、今のカツコウか。一八二三の歌參照。○しば鳴く 繰返して鳴く。
【後記】 初句から「草根の」までは序であるが、序のうちの「容鳥の間なくしばなく」といふのが、繁き戀をするといふのと對應して、この歌を力強きものとしてゐる。
 
   花に寄す
1899 春されば うの花くたし わが越えし 妹が垣間《かきま》は 荒れにけるかも
 
【題意】 以下九首が、花にことよせて詠んだ相聞の歌である由を標記した。
【口譯】 春になると、雨がふりつゞいて、卯の花を腐したので、わたしが忍んで越えた、妹の家の垣根は荒れ果てたことだね。
【語釋】 ○うの花くたし うのはな〔四字傍点〕は、ウツギの花。くたし〔三字傍点〕は腐しての義。卷十九「宇能花乎令腐霖雨之《うのはなをくたすながめの》」(72)(四二一七)とあるやうに、ふりつづく雨が、ウツギの垣に咲いてゐる花をいためたことを「うのはなくたし」といつたのである。○垣間《かきま》 垣の間《ま》の義。縱に垣の上部を「かきほ」、垣の下部を「垣根」といふが、横に垣の間隔を「かきま」といふのである。
【後記】 親しく通ひなれてゐた垣間であるが、しばらく來なかつたうちに、雨のためにひどく荒れたのに驚いた意味の歌。
 
1900 梅の花 咲き散る苑《その》に われ行かむ 君が使を 片待《かたま》ちがてり
 
【口譯】 梅の花の散る園に、わたしは行つてみませう。君のお使を、一心《いつしん》にお待ち申しかたがた。
【語釋】 ○咲き散る 咲いて散るといふのであるが、かういふ場合には、散る方が主となつてゐる。○片待ちがてり、かたまち〔四字傍点〕は、一心に待つ、專ら待つといふ意。がてり〔三字傍点〕は「かたがた」(旁)の義。
【後記】 君の便を一心に待つてゐるが、おちついてゐられないので、櫻の花散る園に行かうといふのである。
 
1901 藤波《ふぢなみ》の 咲ける春野《はるぬ》に 蔓《は》ふ葛《かづら》 下《した》よし戀ひば 久しくもあらむ
 
(73)【口譯】 藤の花の咲いてゐる、春の野に蔓《は》ふ葛《かつら》は、下をばかり蔓つてゐるが、そのやうに、内心でばかり戀しく思つてゐるのでは、思ひを達するに久しくかゝるであらう。
【語釋】 ○下《した》よし戀ひば した〔二字傍点〕は内心をさしていふ。よ〔傍点〕は「より」の義。し〔傍点〕は強意の助詞。
【後記】 心に秘めた戀の苦しさにたへず、打開けようかどうかに迷つてゐるのであらう。
 
1902 春の野《ぬ》に 霞たなびき 咲く花の かくなるまでに 逢はぬ君かも
 
【口譯】 春の野に、霞がたなびいて、もう花が咲くほどになつたが、こんなになるまで、久しい間、君に逢はなかつたものだね。
【語釋】 ○かくなるまでに こんなに花の咲くやうになるまでも。
【後記】 久しく逢はぬうちに、季節の推移のはやかつたのを驚いたのである。
 
1903 わがせこに わが戀ふらくは 奥山の 馬醉木《あしび》の花の 今《いま》盛《さかり》なり
 
【口譯】 わたしの夫を、わたしが戀しがつてゐることは、奧山の馬醉木《あしび》の花のごとくに、ちやうど今、眞盛なのです。
(74)【語釋】 ○戀ふらく 戀しく思ふことの義。
【後記】 戀ふることが盛であるといふのは、やゝ異樣であるが、卷八にも、「今盛なりわが戀ふらくは」(一四四九)などとある。
 
1904 梅の花 しだり柳に 折りまじへ 花に供要《そなへ》ば 君に逢はむかも
 
【口譯】 梅の花を折つて、しだり柳に添へて、佛にあげる花として供養《くやう》したらば、あなたに逢へようかな。
【語釋】 ○花に供養《そなへ》ば 花に〔二字傍点〕は花としての義であるが、佛に奉る花としての意。そなへば〔四字傍点〕は原文に「供養」といふ文字を用ゐてあるが、「供養」をタムケと訓む説もあるが、舊訓ソナヘにしたがつておく。
【後記】 神に戀を祈る歌は多いが、佛に花を供養して逢ふのはめづらしい。
 
1905 をみなへし 佐紀野《さきぬ》に生《お》ふる 白躑躅《しらつつじ》 知らぬこともち 言はれしわがせ
 
【口譯】 (佐紀野に生えてゐる白躑躅)知らない事で、人にとやかくいはれました、わが夫よ。
【語釋】 ○をみなへし 「さき」に係る枕詞。○佐紀野《さきぬ》 前出(一八八七)の佐紀山の南方平地。今も都跡村のう(75)ちに大字佐紀がある。○白躑躅 白い花の躑躅であるが、このシラと次の句のシラとは類韻。○言はれしわがせ 「いはれし」のし〔傍点〕は連體形であるが、いはれし〔四字傍点〕は「わがせ」の修飾語ではない。いはれたよ、わが夫よの義。
【後記】 一・二・三句は、序詞、「白《しら》」の類韻である、「知らぬ」のしら〔二字傍点〕にかゝる。
 
1906 梅の花 われは散らさじ あをによし 平城《なら》なる人の 來つつ見るがね
 
【口譯】 梅の花を、わたしは散らすまい。奈良にゐる人の、よくやつて來て見るために。
【語釋】 ○あをによし 「奈良」の枕詞。○平城《なら》なる人 奈良の都にゐる人。○來つつ 來るといふ動作のくりかへして行はれることをつつ〔二字傍点〕であらはしてゐる。よく來ての意。○見るがね がね〔二字傍点〕は、ためにの義。
【後記】 梅の花の咲いたにつけて、思ふ人を待ちつけてゐる意の歌。或は待つ人に贈つた歌でもあらうか。
 
1907 かくしあらば 何か植《う》ゑけむ 山振《やまぶき》の やむ時も無く 戀ふらく思へば
 
【口譯】 こんなことならば、何のために山吹を植《う》ゑたのであらう。せつかく見せようと思つた人(76)は來ないで、ひつきりなしに、戀しがることを思ふと。
【語釋】 ○何か 何にか・何のためにか。○山振《やまぶき》の 「やま〔二字右○〕ぶきのやむ〔二字右○〕ときも」と、類韻の關係で次句にかかるのと同時に、これは、その植ゑたものが山吹であることをも示してゐるのである。○やむ時もなく 止む時もなく。絶えずの意。
【後記】 思ふ人に見せようと思つて、せつかく山吹を植ゑたのにと、來ぬ人をうらんだ歌。
 
   霜に寄す
1908 春されば 水草《みくさ》の上《うへ》に おく霜の 消《け》つつもわれは 戀ひわたるかも
 
【題意】 霜にことよせて詠んだ相聞の歌。
【口譯】 春になると、水草《みづくさ》の上におく霜が消えるやうに、元氣も失つて、わたしは戀ひつゞけてゐますよ。
【語釋】 ○水草《みくさ》 尾花と見る説もあるが、水中に生えてゐる草とするのがよい。集中にも、卷三に「池のなぎさに水草生ひにけり」(三七八)といふやうな例もある。○消《け》つつも 消えつつもである。「おく霜の」からのかかりは、霜が消える義であり、下の語句へは、元氣も失つて、戀ひわたるとつづく。
(77)【後記】 一・二・三句が「消つつ」にかゝる序詞。
 
   霞に寄す
1909 春霞 山にたなびき おほほしく 妹を相見《あひみ》て 後戀ひむかも
 
【題意】 以下六首、霞にことよせて詠んだ相聞の歌。
【口譯】 春霞が山にたなびいてぼんやりする、そのやうに、ぼんやり妹に逢つたたけで、後になつて戀しく思ふのだらうかね。
【語釋】 ○おほほしく 晴れきらない、ぼんやりしてゐること。○相見《あひみ》て 逢つての義。○後戀ひむかも 後になつて戀しく思ふのだらうかの意。
【後記】 「春霞山にたなびき」は序詞。
 
1910 春霞 立ちにし日より 今日《けふ》にまで わが戀|止《や》まず 本《もと》の繁《しげ》けば 【一に云ふ、片思《かたも》ひにして】
 
【口譯】 春霞の立つた日から、今日に至るまで、わたしの戀は止まない、心の本がよく繁つてゐるから。(一云、片思《かたおも》ひであつて。)
(78)【語釋】 ○今日にまで 今日に至るまでの義。○本《もと》の繁《しげ》けば 本〔傍点〕は心の本幹。しげけば〔四字傍点〕は「繁ければ」の古格で、既定の條件を示す。
【後記】 霞に寄せる意が薄いし、「本の繁けば」といふのが、はつきりしない。
 
1911 さ丹《に》づらふ 妹《いも》を思ふと 霞立つ 春日もくれに 戀ひわたるかも
 
【口譯】 紅顔の妹《いも》を思ふといふので、霞の立つ春の日の薄ぐらいやうに、心も暗く戀ひつゞけてゐるよ。
【語釋】 ○さ丹《に》づらふ さ〔傍点〕は接頭辭、丹《に》は紅《あか》い色で、にづらふ〔四字傍点〕は紅《あか》い色を呈してゐるといふ意。○妹を思ふと 思ふと〔三字傍点〕は思ふとての義。○春日もくれに くれに〔三字傍点〕は暗くといふ義。
【後記】 「霞立つ春日もくれに」は、霞立つ春の日は暗いといふことと、心もくれてとをかけていつてゐる。
 
1912 たまきはる わが山の上《へ》に 立つ霞 立つとも坐《う》とも 君がまにまに
 
【口譯】 わたしの住んでゐる山に立つ霞のやうに、立たうと坐らうと、あなたの仰せどはりにな(79)ります。
【語釋】 ○たまきはる 枕詞。たまきはる〔五字傍点〕といふ枕詞は、「うち」・「いのち」・「よ」にかかるを常としてゐるが、この場合は、「わが」にかかるか。○坐《う》とも 崇神紀に「急居此云|菟岐于《つきう》」とあるのは、「居」をウと訓んだ例である。「つきう」の場合はう〔傍点〕は終止形。ここの「うとも」のう〔傍点〕も同じく終止形。
【後記】 戀人に身をも心をも任せようといふやさしい歌。一・二・三句が序。「立つ霞」は類韻で「立つとも」のたつ〔二字傍点〕にかゝる。
 
1913 見渡せば 春日《かすが》の野邊に 立つ霞 見まくのほしき 君が容儀《すがた》か
 
【口譯】 見渡すと、春日野のあたりには霞が立つて美しい、あの霞のやうに、拜見したいのは、あなたのお姿で御座いますよ。
【語釋】 ○見まくのほしき 見ることが欲しいといふので、見たいといふ意。○君が容儀《すがた》か か〔傍点〕は感動の助詞。
 
1914 戀ひつつも 今日は暮らしつ 霞立つ 明日の春日《はるび》を いかに暮らさむ
 
(80)【口譯】 戀しがりながらも、やつと今日は日を暮らしました。霞の立つ明日の春日《はるび》はどうして暮らしませう。
【語釋】 ○明月の春日《はるび》 明日もまた、今日のやうに春の日永であらうといふ意を、この「春日《はるび》」といふ言葉に含めてある。
【後記】 戀に悩んで、霞立つ春の日永を暮らしかねる心の悶が、よくいひあらはされてゐる。
 
   雨に寄す
1915 わがせこに 戀ひて術《すべ》無《な》み 春雨の 降る別《わき》知らに 出でて來《こ》しかも
 
【題意】 以下四首、雨にことよせて詠んだ相聞の歌。
【口譯】 わが夫が戀しくてしかたが無いので、春雨の降つてゐるのも知らずに、家《うち》を出て來たのですよ。
【語釋】 ○わがせこに戀ひて 「わがせこを戀ひて」とも「わがせこに〔右○〕戀ひて」ともいふ。に〔傍点〕といふ助詞を伴ふ場合には、對象に深く心を寄せる意があらはれて來る。この例でも、夫に戀ひ焦れてである。○降る別《わき》知らに 降つてゐるかどうか、その差別も知らず、すなはちその判斷もつかずの意。
(81)【後記】 人に焦れて、おのれを忘れてしまつた、夢遊病的の戀のあはれをうたつてゐる。
 
1916 今さらに 君はい往かじ 春雨の こゝろを人の 知らざらなくに
 
【口譯】 今更、あなたはお出かけにはならないでせう。やるまいと降る春雨の心もちを、あなたは御存じないのでも御座いますまいに。
【語釋】 ○い往かじ い〔傍点〕は接頭辭。○春雨のこころ 人を止《と》めようとする春雨の心。○人の ここでは男をさしてゐる。○知らざらなくに 知らないことはないのに。
【後記】 やらずの雨。
 
1917 春雨《はるさめ》に 衣《ころも》はいたく 通《とほ》らめや 七日《なぬか》し降らば 七夜《ななよ》來《こ》じとや
 
【口譯】 春雨で、着物がひどく濡れ通りませうか、そんなことはありません。七日、雨が降つたら、七晩《ななばん》來《こ》まいとおつしやるのですか。
【語釋】 ○春雨に 春雨のためにの意。○七日し降らば七夜|來《こ》じとや 七日〔二字傍点〕といひ、七夜〔二字傍点〕といふ數字に、深い意味はない。ただ數の多いことをいつてゐるだけである。
(82)【後記】 男が、雨が降るから往けないといつて來たに對する憤懣の心をあらはしたもの。雨が降るからとは何のいひぐさですか、こんな春雨は、すつかり濡れたつて、大丈夫、とほりはしません、それに來ないといふのは薄情千萬と恨みをのべたのである。
 
1918 梅の花 散らす春雨 いたく降る 旅にや君が 廬《いほり》せるらむ
 
【口譯】 梅の花を散らす春雨が、ひどく降つてゐる。旅中で、わが夫は、小屋がけをしておいでだらうか。
【語釋】 ○旅にや 旅にてやの義。○廬せるらむ いほり〔三字傍点〕は假廬の義。假廬をつくつて旅寢をしてゐるだらうとの意。
【後記】 しとしとと降る春雨を聞いて、旅中の夫の上をおもふ、優婉の情。
 
   草に寄す
1919 國栖《くにす》等《ら》が 春菜《はるな》つむらむ 司馬《しま》の野《ぬ》の しましま君を おもふこの頃
 
【題意】 以下三首、草にことよせて詠んだ、相聞の歌。
(83)【口譯】 (國栖《くにす》等《ら》が、春菜《はるな》を採《つ》む司馬《しま》の野《ぬ》の)しきりにあなたを思つて居ります、この頃は。
【語釋】 ○國栖《くにす》等《ら》 國栖〔二字傍点〕は、「國巣」とも書かれてゐる。古く吉野地方にゐた土人。今も、國※[木+巣]《くず》村が、奈艮縣吉野郡にある。○司馬の野 今の何處にあたるか不明。○しましま 「しばしば」と同じ。ここでは頻りにといふ意。
【後記】 一・二・三句は序詞。「司馬《しま》の野《ぬ》の」のしま〔二字傍点〕が類韻で「しましま」にかゝる。
 
1920 春草《はるくさ》の 繁《しげ》きわが戀 大海《おほうみ》の 方《へ》にゆく波の 千重《ちへ》に積《つも》りぬ
 
【口譯】 春の草の繁つてゐるやうに繁《しげ》きわが戀は、大海の岸による浪が幾重《いくへ》にも重なるやうに、幾重にも積つた。
【語釋】 ○春草の 序詞、「繁き」にかかる。○大海の方《へ》にゆく浪の 「千重に」の序詞。「方《へ》」は「邊《へ》」で岸のこと。
【後記】 技巧の歌。
 
1921 おほほしく 君を相見て 菅の根の 長き春日《はるび》を 戀ひわたるかも
 
(84)【口譯】 ほんのちよつとあなたにお目にかゝつて、永い春の日一日、戀ひつゞけてゐますよ。
【語釋】 ○おほほしく ぼんやりといふ義であるが、ここでは、ほんのちよつとといふ意。○菅の根の 「長き」にかかる枕詞。
【後記】 なまじひに。思ふ人にちよつとでも逢つたことが、戀心を募らせて、春の永い一日中、戀ひつゞけてゐるといふ意。これを毎日毎日と解するのはよろしくない。一九二五の歌參照。
 
   松に寄す
1922 梅の花 咲きて散りなば 吾妹子《わぎもこ》を 來《こ》むか來《こ》じかと わが松の木ぞ
 
【題意】 松にことよせた相聞の歌。
【口譯】 梅の花が咲いて散つてしまつたならば、あなたを、來るだらうか、來ないだらうかと待つのは、わたしばかりです。
【語釋】 ○わが松の木ぞ あなたを待つのは、わが家の松の木だといふのであるが、實は自分のこと。
【後記】 梅の花の咲いてゐるうちは、梅が待つてゐたので、あなたは梅をたづねて來られたが、もう散つてしまつたあとは、あなたを待つのはわたしです。わたしをたづねておいでなさいと(85)いふのである。
 
   雲に寄す
1923 白檀弓《しらまゆみ》 今《いま》春山《はるやま》に ゆく雲の ゆきや別れむ 戀しきものを
 
【題意】 雲にことよせて詠んだ相聞の歌。
【口譯】 今、春の山に雲が往くが、あのやうに往き別れるのだらうか、戀しいのに。
【語釋】 ○白檀弓《しらまゆみ》 「春」の枕詞。白檀弓を「張る」とかかる。○ゆきや別れむ ゆきわかれ〔五字傍点〕は別れてよそにゆくこと。や〔傍点〕は疑問の助詞。
【後記】 「白檀弓」より「ゆく雲の」までは序詞。「ゆく雲の」から類韻で「ゆき」とかゝる。この歌は、すらりとしてゐて、悠揚追らざる趣を帶びてゐる。
 
   ※[草冠/縵]《かづら》を贈る
1924 ますらをが 伏しゐ歟きて 造りたる しだり柳の ※[草冠/縵]《かづら》せ吾妹《わぎも》
 
【題意】 ※[草冠/縵]を造つて女に贈る時に、添へた歌。
(86)【口譯】 丈夫《ますらを》であるわたしが、伏しては嘆き、坐《ゐ》ては嘆いて造つた、しだり柳の※[草冠/縵]《かづら》をなさい、わが妻よ。
【語釋】 ○伏しゐ嘆きて 女の上を思つて、起居、常に嘆いてといふ意。
【後記】 初句から「※[草冠/縵]せ吾妹」まで一氣にいひ下したのが、内容の強さとよく照應してゐる。
 
   別《わかれ》を悲しむ
1925 朝戸出の 君がすがたを よく見ずて 長き春日《はるび》を 戀ひや暮らさむ
 
【題意】 夫との別を悲しんだ歌。
【口譯】 朝のお出かけのあなたのお姿をよく見ないで、この春の永い一日を、戀ひくらすのであらうか。
【語釋】 ○朝戸出 朝、家を出ること。
【後記】 朝のわかれに、夫の姿をよく見なかつたのが心殘りで、一日を戀ひ暮らす可憐の情が、やさしくいひあらはされてゐる。
 
(87)   問答
1926 春山の 馬醉木《あしび》の花の 惡《あ》しからぬ 君にはしゑや よそるともよし
 
【題意】 これから下の歌が、男女間の問答の歌である由を題したのである。
【口譯】 わるくもないあなただから、ままよ、仰せにしたがつてもよいわ。
【語釋】 ○惡《あ》しからぬ わるくもない。○君にはしゑや しゑや〔三字傍点〕は、ままよといふやうな意味をもつ、嘆息をあらはす語。○よそる 「寄す」といふ語の、さらにラ行四段に活用したもの。近よる・從ふなどの意の動詞。
【後記】 やゝ頽敗的の女の歌。その氣分がよくあらはれてゐる。一・二句は序詞で、「馬醉木《あしび》の花の」から「あしからぬ」にかゝるのは、類韻の關係。
 
1927 石上《いそのかみ》 布留《ふる》の神杉 神《かみ》びにし われやさらさら 戀にあひにける
    右の一首は、春の歌にあらず。しかも、和の故を以て、この次に載す。
 
【口譯】 石上《いそのかみ》の布留の社の神杉は、古びてゐる、そのやうに、古びてゐるわたしだのに、今になつてまた、戀にあつたのだ。
(88)【語釋】 ○石上《いそのかみ》布留《ふる》 いそのかみ〔五字傍点〕は、本來、ふる〔二字傍点〕と共に、今の奈良縣山邊郡丹波市町附近の地名であつたが、「いそのかみ」の地域が廣く、「ふる」はその内の一區城であつた時代に、「いそのかみのふる」といふ意味で、「いそのかみ、ふる」と用ゐられる例となり、後には、それが、枕詞となり「ふる」(古)にかかるやうにもなつた。今もなほ、丹波市町の大字に石上および布留の名が殘つてゐる。○布留の神杉 布留の社の神杉。布留の社は、今の官幣大社石上神宮。○神びにし かみび〔三字傍点〕は「かみ」(神)に造語成分「ぶ」をつけて活用させた、バ行上二段活用の動詞「かみぶ」の連用形。この語は、集中にも、卷十七「木立《こだち》繁《しげ》しも伊久代《いくよ》神備《かみび》曾《ぞ》」(四〇二六)といふ一例があるに過ぎない。このかみび〔三字傍点〕は、本來は神々しく見える、神々しくなるの意であらうが、ここの例では、古くなるといふやうな意味に轉じてゐるのである。○われや や〔傍点〕は感動の助詞。○さらさら いまになつて・いまさら・あらためてなどの義。
【後記】 老境に入つて、新しい戀の對象を得たよろこびを歌つたもの。「われやさらさら」と驚いたところに、その眞情があらはれてゐる。
【左註】 右の歌は、春の歌ではないが、一九二六の歌に對する答の歌であるから、このところに載せたといふこと。
 
1928 狹野方《さぬかた》は 實《み》は成《な》らずとも 花のみに 咲きて見えこそ 戀のなぐさに
 
(89)【口譯】 狹野方《さぬかた》は、實にはならなくても、せめて花だけでも、咲いて見せてほしい。戀の慰めに。
【語釋】 ○狹野方は さぬかた〔四字傍点〕は地名か。卷十に「沙額田《さぬかた》の野邊の秋芽子《あきはぎ》」(二一〇六)、卷十三に「しなたつ都久摩左野方息長《つくまさぬかたおきなが》の遠智《をち》の小菅《こすげ》」(三三二三)などとある。今の滋賀縣坂田郡に屬する地かと思はれるが、はつきりしない。或は、今の坂田村といふ。このさぬかた〔四字傍点〕を地名とすれば、「さぬかたの土地の草木は」といふほどの意味で、「さぬかたは」といつたのであらう。○花のみに 花だけにでも。○見えこそ こそ〔二字傍点〕は願望をあらはす助詞。みせてほしい。○戀のなぐさに なぐさ〔三字傍点〕は慰めにの義。
【後記】 自分の戀は、よしいれられないにしても、せめて、やさしい言葉だけはかけてほしいといふ切なる思を訴へたもの。
 
1929 狹野方《さぬかた》は 實に成りにしを 今さらに 春雨降りて 花咲かめやも
 
【口譯】 狹野方《さぬかた》は、もう實になつてしまひましたのに、今更、春雨が降つても、花が咲きませうか、咲きはしません。
【後記】 前の歌に對する、女からの答。もう、わたしはあなたのものになつてゐるのに、そんな他人行儀なことをいひかけたつて、つまらないとの意か。
 
(90)1930 梓弓 引津《ひきつ》の邊《べ》なる 莫告藻《なのりそ》》の 花咲くまでに 逢はぬ君かも
 
【口譯】 引津のほとりにある莫告藻《なのりそ》の花の咲くまでも、あなたは逢つてくれませんね。
【語釋】 ○梓弓 「引津」のひき〔二字傍点〕にかかる枕詞。○引津《ひきつ》の邊《べ》 引津〔二字傍点〕は福岡縣糸島郡の西方の海岸にあるか。「邊《べ》」は附近。○莫告藻《なのりそ》(91) 海草の名。今のホンダハラ。
【後記】 これは、久しくあはぬ人にいひかけた歌。卷七「梓弓引津の邊なる莫告藻《なのりそ》の花つむまでにあはざらめやも莫告藻の花」(一二七九)といふ旋頭歌と、やゝ似てゐる。
 
1931 川上《かはのへ》の いつ藻の花の いつもいつも 來ませわがせこ 時じけめやも
 
【口譯】 (川の中にあるいつ藻の花の)何時《いつ》でもいつでも、おいでなさい、わが夫よ、時ならぬといふことはありません。
【語釋】 ○川上《かはのへ》の 川の中の。○いつ藻 いつ〔二字傍点〕は「五百箇《ユツ》」と同義で、數の多きこと。いつも〔三字傍点〕は多くの藻といふこと。○時じけめやも ときじけ〔四字傍点〕は、形容詞「ときじ」の已然形の古形。ときじ〔三字傍点〕は、時ならぬさまをいふ語。ときじけめやも〔七字傍点〕は、時ならぬことがあらうか、ありはしないといふ意。
【後記】 この歌は、女からの答である筈。しかし、卷四の吹黄刀自の歌(四九一)は、これと全く同じである。古歌をとつて答としたのかどうか、不明。「川中のいつ藻の花の」は序詞。「いつもいつも」にかゝる。
 
(92)1932 春雨の 止《や》まず降《ふ》り降《ふ》り わが戀ふる 人の目すらを 相見せなくに
 
【口譯】 春雨が、やまずにさかんに降つて、わたしの戀しく思ふ人のお目にもかゝらせないの。
【語釋】 ○人の目すらを相見せなくに 人の目をすら見せないといふのは、顔をさへも見せてくれないといふ意。
【後記】 雨に妨げられて、逢瀬のなきことを恨み、女より男におくつた歌。
 
1933 吾妹子《わぎもこ》に 戀ひつつ居《を》れば 春雨の 彼《かれ》も知るごと 止《や》まず降りつつ
 
【口譯】 あなたに戀ひ焦れてゐると、春雨が、あれもそれを知つてゐるやうに、止まずにさかんに降つてゐます。
【後記】 これは、春雨も、自分の戀ひやまぬ心に同情して、止まず降つてゐるといつたのである。
 
1934 相思《あひおも》はぬ 妹《いも》をやもとな 菅《すが》の根《ね》の 長き春日《はるび》を おもひ暮らさむ
 
【口譯】 こちらが思つても、むかふでは思つてもくれない妹《いも》であるのに、その妹《いも》を、あてもなく、春の永い一日、思ひ暮らすのだらうか。
(93)【語釋】 ○もとな ここでは、いたづらに・空しくなどといつてもよいが、あてもなくといふのが、適してゐるやうである。○菅の根の 「長き」にかかる枕詞。
【後記】 これは、女に與へた歌か。
 
1935 春されば 先《ま》づ鳴く鳥《とり》の 鶯の 言先立《ことさきだ》ちし 君をし待たむ
 
【口譯】 春になると、まづ鳴く鳥は鶯であるが、その鶯のやうに、さきにいひ出したあなたをお待ちしませう。
【語釋】 ○言先立《ことさきだ》ちし 言葉を先にいひ出したの意。
【後記】 女から男に答へたものと思はれるが、女らしい、やさしい歌である。
 
1936 相思はず あるらむ兒《こ》故《ゆゑ》 玉の緒《を》の 長き春日を 思ひ暮らさく
 
【口譯】 こちらが思つても、むかふでは思つてもくれない女であるのに、春の永い日を思ひ暮らすことだ。
【語釋】 ○兒《こ》故《ゆゑ》 兒《こ》といふのは女をさしてゐる。
(94)【後記】 一九三四の歌と大同小異。これは、問答の歌に屬するものではないやうである。
 
     夏雜歌《なつのざふのうた》
 
【標目】 ここに「夏雜歌」とある標目は、一九三七から一九七八までの四十二首の總標であつて、次の「夏相聞」に對するものである。
 
   鳥を詠める
1937 丈夫《ますらを》が 出で立ち向ふ 故郷《ふるさと》の 神名備《かむなび》山に 明け來れば 柘《つみ》の小枝《さえだ》に 夕されば 小松が末《うれ》に 里人の 聞き戀ふるまでに 山彦の 答ふるまでに 霍公島《ほととぎす》 妻戀《つまごひ》すらし さ夜中に鳴く
 
【題意】 以下、一九六三まで、鳥を詠んだ夏の歌であるから、かく題したのである。鳥とはいつてあるが、夏のことなので、實は、ほとんど、ほととぎすの歌ばかりである。
(95)【口譯】 男子であるわたしが、おもてに出るとすぐ向ふに見える、飛鳥の故京にある神名備山に、夜が明けて來ると、柘《つみ》の木の小枝《こえだ》で、夕方になると、小松の先端《さき》で村人が聞いてなつかしくなるくらゐに、山彦がそれに答へるくらゐに鳴いて、ほととぎすが、多分、妻を戀しがつてゐるのであらう、今、この眞夜中に鳴いてゐる。
【語釋】 ○丈夫《ますらを》が出で立ち向ふ 丈夫〔二字傍点〕は男子の義であるが、何故に特に男子の出で立ち向ふといつたかについて、説を立てる人もあるが、ここは、輕く考へて、作者が男子であるから、かういひ出したものと見るのでよからう。○故郷《ふるさと》 故京で、ここに故京といふのは飛鳥のこと。○神名備山《かむなびやま》 飛鳥の神名備山で、この山は、また、雷岳といふ名で知られてゐる。○柘《つみ》 山桑のこと。
【後記】 この歌が、どういふ時に詠まれたものであるかについては、學者によつて意見を異にしてゐる。しかし、反歌の「旅にして妻戀すらし」とある句から推して考へれば、作者もまた旅中にあつて妻戀する人と見る方がよいやうである、他郷の人であつて、飛鳥の故京に來てゐた作者が、眞夜中にほととぎすを聞いて、妻を思ふの情にたへず、この歌を詠んだものと考へられる。次にまた、眞夜中にほととぎすを聞いて詠んだとすると、「明け來れば云々」といひ、「夕されば云々」といつてゐるのが不用になるといふ説がある。しかし、ほととぎすが、朝夕(96)鳴くといふことは、「妻戀すらし」でこれをうけてゐると見れば、それでもよい。すなはち、朝夕に鳴いて里人に訴へ山彦を驚かしてゐるのは、妻を戀しがつてゐるからであらう、そのほととぎすが、夜中にも鳴いてゐる、きだめて妻戀しさに堪へられないのであらうといふ意を歌つたものとすれば、このまゝでも、よく解せられるではないか。
 
   反歌
1938 旅にして 妻戀《つまごひ》すらし ほととぎす 神名備山に さ夜ふけて鳴く
    右古歌集中に出づ
 
【口譯】 旅中で、妻を戀しがつてゐるのであらう。ほととぎすが、神名備山で、夜がふけても鳴いてゐる。
【後記】 自分が旅に出てゐて、妻を戀しく思つてゐるので、その心を推して、ほととぎすの心境をあはれんだ歌。
 
1939 ほととぎす 汝《な》が初聲《はつこゑ》は われにもが 五月《さつき》の珠《たま》に 交《まじ》へで貫《ぬ》かむ
 
(97)【口譯】 ほととぎすよ、おまへの初めて鳴く聲は、わたしにほしい。さうしたならば、五月の藥玉《くすだま》に、ほかのものと一しよにそれを糸にとほさう。
【後記】 ほととぎすの聲を糸に通して藥玉《くすだま》にするといふ思想は、集中にめづらしくない。卷八の「ほととぎすいたくな鳴きそ汝が聲を五月の玉にあへ貫《ぬ》くまでに」(一四六五)の如きは、ことによく似てゐる。
 
1940 朝霞 たなびく 野邊に あしびきの 山ほととぎす いつか來鳴かむ
 
【口譯】 朝霞のたなびく野邊に、山ほととぎすは、いつになつたら來て鳴くだらうか。
【語釋】 ○朝霞 古にあつては、必ずしも霞を春のものとばかりはしなかつた。
【後記】 ほととぎすを待つ情を、率直に、いひあらはしたもの。
 
1941 朝霞 八重山《やへやま》越《こ》えて 呼子鳥《よぶこどり》呼びや汝《な》が來《く》る やどもあらなくに
 
【口譯】 呼子鳥よ、おまへは、幾重にも重なる山を越えて、呼んで來るのか。とまるところも無いのに。
(98)【語釋】 ○朝霞 「八重」にかかる枕詞。○八重山 や〔傍点〕は數の多い義をあらはす。やへやま〔四字傍点〕は幾重にも重なり合つてゐる山といふこと。○呼びや汝《な》が來《く》る 汝が呼び來《く》るやで、や〔傍点〕は疑問の助詞。
【後記】 呼子鳥の歌は、この卷十にも、春雜歌の中にをさめてある。さういふ題から見ると、この歌が夏雜歌にあるのは誤としなければならない。
 
1942 ほととぎす 鳴く聲聞くや 卯の花の 吹き散る岳《をか》に 田草《くず》引くをとめ
 
【口譯】 ほととぎすの鳴く聲を聞くか。卯の花の咲いて散る岡で、葛《くず》の蔓《つる》をひいてゐるをとめよ。
【語釋】 ○咲き散る 咲くと散るとが並列されてはゐるが、實は散る方に重きがおかれてゐるのである。端的にいへば、卯の花の散る岡である。○田草 これをクズと訓むのは、「草」を「葛」の誤とする説にしたがふのである。集中では、クズに「田葛」を宛ててある。夏衣の料の葛布を織るために、葛の蔓を引くのである。
【後記】 卯の花の白く亂れ散る岡で葛を引いてゐる少女に、ほととぎすが鳴くかとたづねるのは都人ででもあらうか。
 
(99)1943 月夜《つくよ》よみ 鳴くほととぎす 見まく欲《ほ》り 吾《われ》草《くさ》取《と》れり 見む人もがも
 
【口譯】 月のよい夜なので、ほととぎすの鳴くのを見たいと思つて、わたしは草を取つた。見る人もあればよいが。
【語釋】 ○草取れり 草を取るといふことが明らかでない。「草取る」を鳥の木の枝にとまる義と解し、「吾《われ》」を「今《いま》」の誤とし、「見まく欲《ほ》り」をほととぎすが月を見たいと思ふのであると説く、本居宣長の説があり、また、「草とる」を手捕りにする意味であるとし、鷹が鳥を空中で捕へるのを「空とる」といふ、その「空とる」に對する語であると説く、清水濱臣の説があるが、いづれも當を得たとは思はれない。しかし、他に名説あるを聞かない。よつて、今は、假に、上記の口譯のやうに解しておいて、新しい見解の出るのを待つことにする。
 
1944 藤波《ふぢなみ》の 散らまく惜しみ ほととぎす 今城《いまき》の岳《をか》を 鳴きて越ゆなり
 
【口譯】 藤の花の散るのを惜しがつて、ほととぎすは、今城の岡を、鳴いて越して行くよ。
【語釋】 ○散らまく惜しみ 散ることが惜しいのでの意。○今城《いまき》の岳《をか》 奈良縣吉野郡にある。
【後記】 藤の花の散りてこぼれる頃に、ほととぎすの鳴いて行くのを聞いて詠んだもの。
 
(100)1945 朝霧の 八重山越えて ほととぎす 卯の花邊から 鳴きて越《こ》え來《き》ぬ
 
【口譯】 幾重にも重なる山を飛び越して、ほととぎすは、卯の花の咲いてゐるあたりから、鳴いて飛んで來た。
【語釋】 ○朝霧の 「八重」にかかる枕詞。
【後記】 八重山を飛び越して來たほととぎすが、卯の花の白く咲いてゐるあたりから鳴いて來たといふのであるが、「八重山越えて」と遠景を配し、「卯の花べから」と、印象の鮮やかな近景を配したところに、この歌のおもしろみはある。
 
1946 木高《こだか》くは かつて木植ゑじ ほととぎす 來鳴きとよめて 戀まさらしむ
 
【口譯】 丈《せい》の高い木は、決して植ゑまい。木が高いと、ほととぎすが來て鳴いて、高い聲を立てて、そのために戀を増さしめる。
【語釋】 ○木高《こだか》くは 木高《こだか》く木を植ゑまいといふのは、丈の高い木は植ゑまいといふこと。○かつて 決して。○とよめて 響《とよ》ましめての意である。「とよむ」はマ行下二段活用の動詞。
(101)【後記】 ほととぎすの聲を聞くと、戀心がまさるから、ほととぎすの好んで來るやうな、高い木は植ゑまいといふ、戀に悩むものの歌。末の句に力がある。
 
1947 逢ひ難き 君に逢へる夜 ほととぎす 他時《こととき》よりは 今こそ鳴かめ
 
【口譯】 逢ふことのむづかしいあなたに逢つてゐる晩だから、ほととぎすは、他《ほか》の時よりは、こんな時にこそ鳴けばよい。
【語釋】 ○他時《こととき》 他《ほか》の時の義。○今こそ鳴かめ 今こそ鳴くべきものだといふ意。
【後記】 一人でゐる時は、戀をまさらしめるから、ほととぎすの聲を聞くのが苦しい。今夜は、二人して聞くから、いくら鳴いてもよいといふのである。
 
1948 木《こ》のくれの 暮闇《ゆふやみ》なるに【一に云ふ、なれば】 ほととぎす いづくを家と 鳴きわたるらむ
 
【口譯】 木が茂つてくらくなつてゐる、おまけに、夕闇であるのに(夕闇であるから)ほととぎすは、どこを家《うち》と目ざして、鳴いて行くのであらう。
(102)【語釋】 ○木のくれの 木のくらがりので、くれ〔二字傍点〕は暗がりの義。
【後記】 第二句は、一に「ゆふやみなれば」とあるが、それでは「ゆふやみ」が強くひゞかない。原句の方がよい。
 
1949 ほととぎす 今朝の朝明《あさけ》に 鳴きつるは 君聞きけむか 朝宿《あさい》か寢《ね》けむ
 
【口譯】 時鳥が、今朝、夜明に鳴いたが、あなたはあれをお聞きになつたらうか、それとも朝寢《あさね》をしておいでだつたらうか。
【語釋】 ○朝明《あさけ》 夜の明け方。○鳴きつるは 鳴いたのは。○朝宿《あさい》か寢《ね》けむ 眠ることを「いをぬ」といふ。朝寢《あさね》は、「あさい」であるから、「あさいをぬ」は朝寢をすることを意味する。「朝宿《あさい》か寢けむ」は、「あさいをかねけむ」であつて、か〔傍点〕は疑問の助詞。
【後記】 めづらしく、美称《ほゝゑ》まれる歌。
 
1950 ほととぎす 花橘の枝に居《ゐ》て 鳴きとよもせば 花は散りつつ
 
【口譯】 ほととぎすが、花橘の枝にとまつて、鳴いて高い聲を立てると、花がしきりに散つてゐ(103)る。
【後記】 かういふ類想は集中に多い。
 
1951 うれたきや 醜《しこ》ほととぎす 今こそは 聲の嗄《か》るがに 來鳴きとよまめ
 
【口譯】 いやになつてしまふ、ろくでなしのほととぎすめ、今こそ、聲の嗄れるくらゐに、來て鳴いて、高い聲を立てればよいのに。
【語釋】 ○うれたきや 嘆かはしいよ、いやになるよなどの意。○醜《しこ》ほととぎす しこ〔二字傍点〕は、罵る言葉。馬鹿な、つまらない、いやな事の意。○嗄るがに 嗄れるほどに、嗄れるくらゐに等の意。
【後記】 時鳥を待つてゐたが、いつまでも鳴かないので憤慨した歌。
 
1952 このよひの おぼつかなきに ほととぎす 鳴くなる聲の 音の遙けさ
 
【口譯】 今夜がくらくてよくわからないので、ほととぎすも案内がわからないのであらう、鳴いてゐる聲も、遠く聞えることよ。
【語釋】 ○このよひの 原文に「今夜乃」とあるので、コノヨラノと訓む説、コヨヒノと訓む説などがある。(104)しかし、コノヨヒノと訓むのが、穩當であらう。○おぼつかなきに おぼつかなし〔六字傍点〕といふのは、ぼんやりしてゐる・はつきりしないの義であるが、ここでは、暗夜であるために、はつきりしないのである。
【後記】 暗夜に遠く時鳥の聲を聞いて、物足りなく感じてゐる人の心のおぼつかなさが、よくあらはれてゐる。
 
1953 五月《さつき》山 卯《う》の花月夜《はなづくよ》 ほととぎす 聞けども飽《あ》かず また鳴かぬかも
 
【口譯】 五月の項の山の卯の花の咲いてゐる月夜に聞くほととぎすは、聞き飽きない。また鳴かないかなあ。
【語釋】 ○嶋かぬかも 鳴かないかなあ、鳴いてほしいといふ意。
【後記】 卯の花の咲きつづいてゐる夏の山に、月がさして、ほととぎすが鳴く。まことに美しい歌。
 
1954 ほととぎす 來居《きゐ》も鳴かぬか わがやどの 花橘の 地《つち》に落ちむ見む
 
【口譯】 ほととぎすが、來てとまつて、鳴かないかしら。うちの庭の花橘の地上に散るのを見よ(105)う。
【語釋】 ○來居《きゐ》も鳴かぬか 「來居《きゐ》も」は、來ると居《ゐ》るとの二つの動作が、前後連續して行はれることを意味してゐる。
【後記】 この歌の上では、上下の二つの斷章の間に存する筈の因果關係が無視されてゐる。しかし、ほととぎすが來て鳴いたら、花橘が散るといふ事實は否定されない。であるから、これは、ほととぎすが來鳴かないかしら、さうしたら花橘の散るのが見られようといふべきのである。しかるに、その因と果との兩者を待望の同一線においていふから、かういふ句作りとなつて、前後別々のことをいつてゐるやうになるのである。しかし、こゝにまた一つのおもしろみがある。それは、作者が、兩者の關係を、聯想に訴へてゐることである。
 
1955 ほととぎす 厭《いと》ふ時無し あやめ草 ※[草冠/縵]《かづら》にせむ日 此《こ》ゆ鳴きわたれ
 
【口譯】 ほととぎすよ、何時でもかまはない、(しかし、同じ事なら)菖蒲《あやめ》を※[草冠/縵]《かづら》にする日に、こゝを鳴いて通つてくれ。
【語釋】 ○※[草冠/縵]《かづら》にせむ日 菖蒲を頭につける※[草冠/縵]《かづら》とする日といふのは、五月五日のこと。○此《こ》ゆ鳴きわたれ こ(106)ゆ〔二字傍点〕は「ここより」の義であるが、このゆ〔傍点〕は、鳴きわたるといふ動作が、此の處を中心として移行するからである。
【後記】 この歌も、前の歌と同じやうに、一・二の句の一團と、三句以下の一團とは、別々になつてゐる。口譯に示したやうに、中間に言葉を補へば、意味は連續するが、さうでなければ、懸れ離れになる。これもやはり、前後兩者の關係を、讀むものの聯想に任せた手法である。なほ、この歌と同じ歌が、卷十八(四〇三五)にある。
 
1956 大和《やまと》には なきてか來《く》らむ ほととぎす 汝《な》が鳴く毎《ごと》に 亡《な》き人おもほゆ
 
【口譯】 おまへは、大和の方へ、鳴いて行くのだらう。ほととぎすよ、わたしは、おまへの鳴くたびに、死んだ人を思ひ出してゐる。
【語釋】 ○なきてか來《く》らむ 來らむ〔三字傍点〕は、大和を内にしていつたいひ方で、「行くらむ」といふのと同意。
【後記】 この歌を、大和の人は樂しく聞くだらうが、自分は、その聲を聞くごとに亡き人を念つて悲しむといふやうに解する説もあるが、これは、さうではあるまい。おもふに大和から出て他郷に客死したものがあつたので、そのために、大和路に向つて鳴きゆく時鳥に悲しみを催す(107)のでもあらうか。
 
1957 卯の花の 散らまく惜しみ ほととぎす 野《ぬ》に出《で》山《やま》に入《い》り 來鳴きとよもす
 
【口譯】 卯の花の散るのが惜しいので、ほととぎすは、野に出たり、山にはいつたりして、來て鳴いて高い聲を立ててゐる。
【後記】 野山をとびまはつて鳴くほととぎすである。
 
1958 橘の 林を植ゑむ ほととぎす 常に冬まで 住みわたるがね
 
【口譯】 橘を植ゑて、林をこしらへよう。ほととぎすが、いつも冬まで住みつゞけて行くために。
【後記】 橘は、ほととぎすの來鳴くやどりと考へられて來てゐるが、そのために橘の林をつくらうとは、また奇想といふべきのであらう。
 
1959 雨《あめ》霽《は》れし 雲に副《たぐ》ひて ほととぎす 春日《かすが》をさして 此《こ》ゆ鳴きわたる
 
【口譯】 雨あがりの雲と一緒に、ほととぎすが、春日山をさして、こゝを鳴いて通る。
(108)【後記】 雨後の郭公。雨に洗はれた山の緑、空の青、殘つた雲の奔ると共に鳴いて行く一聲。好個の畫趣。
 
1960 物《もの》思《も》ふと いねぬ朝明《あさけ》に ほととぎす 鳴きでさわたる 術《すべ》無きまでに
 
【口譯】 物思ひがあるので、眠られない夜明けに、ほととぎすは、鳴いて通る。たまらないくらゐに。
【語釋】 ○さわたる さ〔傍点〕は接頭辭。○術なきまでに しかたのないくらゐに・たまらないくらゐに。
【後記】 夜通し眠られなかつたのに、夜明け頃になつて、ほととぎすのしきりに鳴くのが、一そう悲しみを催すたねとなる。「術なきまでに」といつたのが、よくきいてゐる。
 
1961 わが衣《きぬ》を 君に着《き》せよと ほととぎす われを領《うしは》き 袖に來居《きゐ》つつ
 
【口譯】 わたしの著物《きもの》をあなたに著せよと、ほととぎすは、わたしに命令して、袖に來て居ます。
【語釋】 ○領《うしは》き うしはく〔四字傍点〕は、保管する・支配する・占領するなどの意。○袖に來居つつ 意味不明。
【後記】 この歌は難解である。諸説よく肯綮を得たるものがない。
 
(109)1962 本《もと》つ人《びと》 ほととぎすをや めづらしみ 今や汝《な》が來る 戀ひつつ居《を》れば
 
【口譯】 昔馴染の人であるほととぎすを、めつたに來ないと思つて、戀しがつてゐると、もうすぐおまへが來るだらうか。
【語釋】 ○本《もと》つ人《びと》 本の人、すなはち昔から知つてゐる人。○ほととぎすをや 「ほととぎすを」は、末句の「戀ひつつ居れば」にかかる。や〔傍点〕は感動の助詞。○今や や〔傍点〕は疑問の助詞。
【後記】 この歌、從來、明解がない。しばらく、右のやうに説いておくが、句法に疑がある。
 
1963 かくばかり 雨の降らくに ほととぎす 卯の花山に なほか鳴くらむ
 
【口譯】 これほど雨が降つてゐるのに、ほととぎすは、卯の花の咲いてゐる山で、やはり鳴いてゐるのだらうか。
【後記】 雨中のほととぎすを想像したのであるが、卯の花山を點じたのがよい。
 
   蝉を詠める
 
(110)1964 黙然《もだ》もあらむ 時も鳴かなむ 日ぐらしの 物《もの》思《も》ふ時に 鳴きつつもとな
 
【口譯】 何もしないでゐる時にでも鳴けばよいのに、わたしの物思ひのある時に、日ぐらしが、むやみに鳴き立ててゐる。
【語釋】 ○黙然《もだ》もあらむ だまつてゐるといふのが本義であるが、ここでは、何もしてゐない時。○鳴きつつもとな 「もとな」は、「鳴きつつ」の上におきかへてみるがよい。ここでは、もとな〔三字傍点〕はむやみに・つまらなくなどの意。
【後記】 日ぐらしが嶋きたてるので、物思ひの妨げられるのを憤つたのである。怒を他に移すの類か。
 
   榛を詠ず
1965 思ふ子が 衣《ころも》摺らむに にほひこそ 島《しま》の榛原《はりはら》 秋立たずとも
 
【題意】 「榛」はここでは萩のことであらう。
【口譯】 いとしい人の着物を染めたいから、島の榛原は、秋にならない今でも、いゝに咲いてほしい。
(111)【語釋】 ○にほひこそ こそ〔二字傍点〕は願望の助詞。動詞にほふ〔三字傍点〕の連用形をうけてゐる。○島の榛原 島〔傍点〕は、今の奈良縣高市郡島庄の地か。草壁皇子の島宮もここにあつた。
【後記】 思ふ女のためには、季節に先だつて、花の咲くを願ふのも人情であらう。「秋立たずとも」を末句においたので、それが、力強くひゞく。
 
   花を詠める
1966 風に散る 花橘を 袖に受けて 君が御跡《みあと》と 思《しぬ》びつるかも
 
【口譯】 風にさそはれて散る花橘を、袖で受けて、わたしは、このところを、あなたの、(112)以前においでになつた御跡《おあと》だと、おしのび申上げました。
【語釋】 ○君が御跡と 原文には「爲君御跡」とある。この訓にはキミガミタメ・タテマツランなどもあるが、しばらくキミガミアトトといふ訓にしたがつておく。○思《しぬ》びつるかも 原文には「思鶴鴨」とある。オモヒツルカモと訓む説もあるが、シヌビツルカモにしたがふ。
【後記】 第四句になほ疑義があるので、はつきりしない。前記の通りに解するには、少しくいひ足りない憾がある。
 
1967 香《かぐ》はしき 花橘を 玉に貫き 送らむ妹は みつれてもあるか
 
【口譯】 香《かを》りのよい花橘を、玉のやうに糸に通して、送つてよこす筈の妹《いも》は、弱つてでもゐることであらうか。
【語釋】 ○みつれ 病のために弱つてゐること。
【後記】 いつも橘の花を糸に貫いて送つてよこすのに、送つて來ないので、病氣で弱つてでもゐるのではないかと心にかゝるのである。
 
(113)1968 ほととぎす 來鳴きとよもす 桶の 花散る庭を 見む人や誰《たれ》
 
【口譯】 ほととぎすが來て鳴いて、高い聲を立てる、橘の花の散る庭を見る人は誰だらう。
【後記】 見る人は誰だらうと疑ふと同時に、それは外の人でもない、あなたですといつたのである。
 
1969 わがやどの 花橘は 散りにけり 悔しき時に あへる君かも
 
【口譯】 わたしのうちの花橘は、もう散つてしまひました。殘念な時に、あなたはおいで下さいましたね。
【語釋】 ○悔しき時 殘念な時、あやにくの時の意。せつかく來たのに、もう花橘が散つてしまつてゐるからである。○あへる君かも 君にあへるかもといふ意味である。あへる〔三字傍点〕は逢つたといふ義であるが、ここでは、たづねて來て逢つたことを意味する。
【後記】 三句切ではあるが、調は輕くない。
 
1970 見渡《みわた》せば 向ひの野邊の 石竹《なでしこ》の 散らまく惜《を》しも 雨な降《ふ》りそね
 
(114)【口譯】 見わたすと、向ふの野邊に咲いてゐる撫子《なでしこ》の散るのが惜しい。雨よ降つてくれるな。
【語釋】 ○石竹 石竹〔二字傍点〕と書いてはあるが、瞿麥《なでしこ》のこと。○雨な降りそね ね〔傍点〕は願望の助詞。
【後記】 撫子のやさしい花の、雨に傷められるを惜しんだ、優婉な歌。
 
1971 雨間《あまま》あけて 國見《くにみ》もせむを 故郷《ふるさと》の 花橘は 散りにけむかも
 
【口譯】 雨の霽間《はれま》が出來たら、國見をしたいが、もう舊《もと》の京の花橘は散つてしまつたらうかなあ。
【語釋】 ○雨間《あまま》あけて 「雨間《あまま》」は雨の間で、降りつづいてゐる雨の霽れた間をいふ。雨間をあけるといふよのは、雨の霽間をつくるといふことであるが、實は、雨の霽間が出來たらといふ意。○國見 高い所に登つて土地の樣子を見ること。○故郷《ふるさと》 ここでは舊《もと》の京、すなはち飛鳥の里。
【後記】 この歌に花橘が詠まれてゐるのは、おそらく、この飛鳥の地には、花橘が多く、それが、國見をすれば、よく目につくものであつたからであらう。
 
1972 野邊《ぬべ》見れば 瞿麥《なでしこ》の花 咲きにけり わが待つ秋は 近づくらしも
 
【口譯】 野邊を見ると、瞿麥《なでしこ》の花が、すつかり咲いてゐる。わたしの待つてゐる秋は、近づくの(115)であらう。
【後記】 秋の近いころの清爽な氣分がよくあらはれてゐる。
 
1973 吾妹子《わぎもこ》に あふちの花は 散り過ぎず 今咲ける如《ごと》 ありこせぬかも
 
【口譯】 楝《あふち》の花は、散つてなくならずに、今咲いてゐるとほりに、咲きつづいてゐてくれないかなあ。
【語釋】 ○吾妹子《わぎもこ》に 「楝《あふち》」のあふ〔二字傍点〕にかかる枕詞。○散り過ぎず 散り失せずの意。○ありこせねかもかも あり〔二字傍点〕は「有」の義。こせ〔二字傍点〕は願望の助動詞。ぬ〔傍点〕は打消の助動詞。
【後記】 楝の花をめづるのはめづらしい。
 
1974 春日野《かすがぬ》の 藤は散りにて 何をかも 御狩の人の 折りてかざさむ
 
【口譯】 春日野の藤の花は散つてしまつて、これからは、御狩に來た人は、何を折つて挿頭《かざし》にするのだらうか。
【語釋】 ○御狩《みかり》の人 「御狩《みかり》」といつてゐるので、高貴の方の狩獵に際して扈從する人たちをさしていつたも(116)のであることがわかる。
【後記】 藤は散つてしまつてといつてゐるので、季節の變り目における風物の寂しさが、はつきりと知られる。
 
1975 時ならず 玉をぞ貫《ぬ》ける 卯の花の 五月《さつき》を待たば 久しかるべみ
 
【口譯】 時節はづれに、玉を糸にとほして、卯の花が、藥玉をつくつてゐる。五月を待つと、待ち遠しいから。
【語釋】 ○時ならず 不時にといふ意で、季節はづれのこと。藥玉は五月のものであるからである。○玉をぞ貫ける 卯の花の咲き連なつてゐるのが、藥玉を糸に貫いたやうに見えるからである。○卯の花の 卯の花が。○久しかるべみ 待遠しくあるであらうから。
【後記】 この歌については、從來種々の異見が出てゐるが、これは、「卯の花」が主語、「貫ける」が述語で、卯の花が、五月を待つのは待遠しいから、時ならず、花を糸に貫いて、藥玉をつくつたといふやうに解すべきのであらう。
 
(117)   問答
1976 卯の花の 咲き散る岳《をか》ゆ ほととぎす 鳴きでさわたる 君は聞きつや
 
【口譯】 卯の花の咲いて散る岡を、ほととぎすが、鳴いて行くが、あなたは、お聞きになりましたか。
【後記】 これは問の歌である。
 
1977 聞きつやと 君が問はせる ほととぎす しぬねに沾《ぬ》れて 此《こ》ゆ鳴きわたる
 
【口譯】 聞いたかと、あなたがおたづねになりましたほととぎすは、しつとり沾《ぬ》れて、こゝを鳴いて行きました。
【語釋】 ○問はせる 「問はす」といふ敬語の動詞に、完了の助動詞「る」のついた形。お問ひになつた。○しぬぬに しつとりと。
【後記】 前の歌に對する答。
 
   譬喩歌
 
(118)1978 橘の 花散る里に 通ひなば 山ほととぎす とよもさむかも
 
【口譯】 橘の花の散る里に、わたしが通《かよ》つて行つたならば、山ほととぎすは、高い聲を出して、さわぐだらうね。
【後記】 譬喩歌の性質は、既に述べた通りである。この歌は、よく本質にかなつてゐる。
 
     夏相聞《なつのさうもん》
 
【標目】 一九七九以下十七首、夏の相聞の歌を集めてある。
 
   鳥に寄す
1979 春されば ※[虫+果]〓《すがる》なす野の ほととぎす ほとほと妹《いも》に あはず來にけり
 
【口譯】 (春になると、※[虫+果]〓《すがる》のやうな、野にゐるほととぎす)もう少しで、妹《いも》にあはずに來てしまふところだつた。
(119)【語釋】 ○※[虫+果]〓《すがる》なす すがる〔三字傍点〕は、ジガバチのことだといふ。なす〔二字傍点〕は如くの義。すがるなす〔五字傍点〕は、すがるの如くで、郭公の小さい時は、すがるに似てゐるから、かういふのだといふ説がある。○ほとほと 殆んどの義。
【後記】 初句よ三句までは序詞。「ほととぎす」から「ほとほと」とつづく。類韻關係である。第二句の解釋については、なほ、疑義がある。今までの諸説は、いづれも想像説たるに過ぎない。
 
1980 五月山《さつきやま》 花橘に ほととぎす 隱《かく》らふ時に 逢へる君かも
 
【口譯】 五月の山に花橘が咲いてゐて、ほととぎすの姿がそれに隱れる時分に、あなたにお目にかゝりましたね。
【語釋】 ○五月山《さつきやま》 五月の頃の山といふ意味で、「五月《さつき》」を「山」の修飾語として用ゐたのである。○隱らふ ちよつと隱れるのでなく、ずつと見えないのである。
【後記】 郭公が花橘のかげで鳴いてゐるのを、郭公が花橘のかげに隱れて鳴くやうにとりなしたのは、一つのはたらきであるが、さらに、さういふ時に逢つたといつて、餘情をもたせてゐるところに、妙味がある。
 
(120)1981 ほととぎす 來鳴く五月《さつき》の 短夜《みじかよ》も ひとりし寢《ぬ》れば 明《あか》しかねつも
 
【口譯】 ほととぎすが來て鳴く五月の頃は、夜が短いのであるが、その短夜でも、一人で寢《ね》ると、明しかねたよ。
【語釋】 ○明しかねつも 明しかねたとは、明るのが待遠で困つたこと。
【後記】 すら/\とした、平明な歌。
 
   蝉に寄す
 
1982 日ぐらしは 時と鳴けども 物戀《ものごひ》に 手弱女《たわやめ》われは 定まらず泣く
 
【口譯】 茅蜩《ひぐらし》は、時が來たといふので鳴くけれど、戀のために、かよわい女であるわたしは、いつといふことはなく泣いてゐる。
【語釋】 ○物戀《ものごひ》に 原文「我戀」とあるので、ワガコヒニと訓んでもよいやうであるが、それでは、落着かない。一本に「物戀」とあるのによる方がよからう。ものごひ〔四字傍点〕は、物を戀ふるとはいふものの、實は、人を戀ふることをさしてゐるのである。
(121)【後記】 戀するものの心には、何時といつて、戀しくない時は無いのであるから、時定まらず泣かれるのも、もつともであらう。
 
   草に寄す
1983 人言《ひとごと》は 夏野《なつぬ》の草の 繁くとも 妹《いも》とわれとし たづさはり寢《ね》ば
 
【口譯】 人の噂は、夏野の草の繁つてゐるやうに繁くあつても、女と自分と一緒に寢さへすればよい。
【語釋】 ○たづさはり たづさはる〔五字傍点〕は、手を引き合ふ義にも用ゐられるが、ここでは、件ふ・連立つなどの意であるから、一緒にと解してよい。
【後記】 末の句を「たづさはり寢ば」といひさしたところに、まゝよ五千石君と寢ろの氣分が見える。
 
1984 この頃《ごろ》の 戀の繁《しげ》けく 夏草の 刈《か》り拂《はら》へども 生ひしくが如《ごと》
 
【口譯】 この頃の、戀心の盛なことは、夏草が、刈り掃つても、刈り掃つても、後から後から生(122)えるやうなものである。
【語釋】 ○戀の繁けく 戀心がしきりに動くこと。これは、草に寄せた歌であるから「繁けく」といつたのがよくきいてゐる。○生ひしくが如 しく〔二字傍点〕は、同じことの繰返されるをいふ。生ひしく〔四字傍点〕は、生ふといふ動作が繰返される、すなはち、後《あと》から後《あと》から生えること。
【後記】 よくとゝのつた歌である。老手。
 
1985 眞田葛《まくづ》延《は》ふ 夏野の繁く かく戀ひば まことわが命《いのち》 常ならあやも
 
【口譯】 葛《くず》の生え廣がつてゐる夏の野のやうに、頻繁に、こんなに戀をしたならば、ほんとに、わたしの命は、無事ではあるまい。
【語釋】 ○常ならめやも 「あたりまへであらうか、ありはしない」といふので、無事ではあるまいの意。
【後記】 「眞田葛《まくず》延ふ夏野の」といふかかり方は、このまゝでは解しにくい。これは、「夏野に延ふる眞田葛《まくず》の繁く」といふのを倒叙したのであるから、夏の野に生え廣がつてゐる葛の葉のやうに繁くと見ればよくわかる。
 
(123)1986 われのみや かく戀すらむ 杜若《かきつばた》 丹《に》づらふ妹は いかにかあらむ
 
【口譯】 わたしばかり、こんなに戀をするのであらうか、紅顔の美しい妹《いも》はどんななのであらう。
【語釋】 ○杜若《かきつばた》 「丹《に》づらふ」の枕詞。○丹《に》づらふ 紅《あか》らんでゐる。顔の紅らんで美しく見えること。
【後記】 「杜若《かきつばた》」は、枕詞ではあるが、そのかゝり方からいつても、杜若《かきつほた》のやうに美しいといつたとも見られる。この歌が、寄v草の中に入れられてゐるのも、さういふ點からであらう。
 
   花に寄す
1987 片搓《かたよ》りに 絲をぞわが搓《よ》る わがせこが 花橘を 貫《ぬ》かむと思《も》ひて
 
【口譯】 片一方からばかり搓《より》をかけて、わたしは糸を搓《よ》つてゐる。わが思ふ男のうちの花橘をその糸にとほさうと思つて。
【後記】 片戀ではあるが、いつかその思ひがかなはうかと、一心になつてゐる心を詠んだもの、花橘が、うまくその糸でとほせれば、それで戀がかなつたわけなのである。しかし、この歌は、少くとも熱情のこもつたものではない。技巧はすぐれてゐるが、何となく、眞實さに缺けてゐるやうにも感じられる。
 
(124)1988 鶯の 通《かよ》ふ垣根の 卯の花の うき事あれや 君が來まさぬ
 
【口譯】 (鶯が往來《ゆきき》をする垣根に咲いてゐる卯の花の)うき事があつてであらうか、君はおいでにならない。
【語釋】 ○うき事 いやな事。
【後記】 第三句までは序詞。「卯の花の」から「うき」とつゞく。
 
1989 卯の花の 開《さ》くとは無しに ある人に 戀ひやわたらむ 獨念《かたもひ》にして
 
【口譯】 咲く卯の花のやうに、咲くといふのでは無い程度にある人に、わたしは、戀ひつづけるのであらうか、片思ひであつて。
【語釋】 ○開《さ》くとは無しに 咲くといふのでは無いとは、戀を受け入れるほどになつてゐないことを意味する。○獨念 カタモヒと訓むべきのであらう。
【後記】 片戀のもどかしさを卯の花に思ひよせたのも、つらきをうしと思ひつめたからであらう。
 
(125)1990 われこそは にくくもあらめ わがやどの 花橘を 見には來《こ》じとや
 
【口譯】 わたしこそは憎くもございませうが,うちの庭の花橘を見においでにもならないのでせうか。
【後記】 多分の嫌味《いやみ》をふくんだ怨言。
 
1991 ほととぎす 來鳴《きな》きとよもす 岡邊《をかべ》なる 藤浪《ふぢなみ》見には 君は來《こ》じとや
 
【口譯】 ほととぎすが、來て鳴いて、高い聲を立てる岡邊にさく藤の花を見には、あなたは、おいでなさらないといふのですか。
【後記】 ほととぎすを聞きに、藤の花を見に來ないかといふのではあるが、實は、不實をうらむ詰問の歌。
 
1992 隱《こも》りのみ 戀ふれば苦し 瞿麥《なでしこ》の 花に咲き出よ 朝なさな見む
 
【口譯】 人にかくれてばかり戀をしてゐると苦しい。いつそ、瞿麥《なでしこ》が花になつて咲き出るやう(126)に、うち明《あ》けておしまひなさい。さうして、天下晴れて、毎朝毎朝逢ひませう。
【語釋】 ○隱《こも》りのみ 人目をはばかつてばかりゐること。○瞿麥《なでしこ》の 瞿麥の如く。
【後記】 人目を忍ぶ戀は苦しいから、いつそ人にも打明けて、公然逢へる中とならうといふのである。
 
1993 よそのみに 見つつを戀ひむ くれなゐの 末《うれ》採《つ》む花の 色に出でずとも
 
【口譯】 よそながらばかり見てでも、戀しく思つて居りませう。末端《さき》を摘《つ》む花である紅花の色が出るやうに、表《おもて》むきにならなくとも、それで滿足いたします。
【語釋】 ○よそのみに 人目を忍ぶから知らないふりをしてゐなければならぬをいふ。○くれなゐの末《うれ》採《うれつ》む花 紅花をいふ。紅花は、末端《さき》に咲く花を採つて染料とするので、その點から、「末《うれ》採《つ》む花」といふのである。後世は、これをスエツムハナといひ慣れてゐるので、萬葉の「末採花」をも、さう訓まうといふ説もあるが、集中の例によれば、やはり「末」をウレとし、ウレツムハナと訓むのがよからう。「紅の末採む花の」は、紅の末採む花の色の如くの意である。
【後記】 これは、前の歌が、忍ぶ戀路の苦しさにたへず、いつそ打明けたらばといふのとは反對(127)に、どこまでもこらへよう、忍從して行かうといふので、外《よそ》ながら見るだけで戀をつゞける覺悟をもつ、やさしい、しかも強い女性の情をうたつたもの。
 
   露に寄す
1994 夏草の 露分衣《つゆわけごろも》 著《つ》けなくに わが衣手《ころもで》の 于《ひ》る時も無き
 
【口譯】 夏草におく露を分けて通つた著物《きもの》を著《き》もしないのに、わたしの袖は乾く間も無い。
【語釋】 ○露分衣 霜の多い夏草を分ければ、衣服がぬれる、そのぬれた衣服を露分衣〔三字傍点〕といつたのである。
【後記】 戀の涙に袖のかはく間もないことをいつてゐるのである。
 
   日に寄す
1995 六月《みなづき》の 地《つち》さへ割《さ》けて 照る日にも わが袖|乾《ひ》めや 君に逢はずして
 
【口譯】 六月の、地《つち》までも裂けるくらゐに、強く照る日の光にも、わが、涙にぬれた袖が乾かうか、乾きはしない、君に逢はないでは。
(128)【後記】 地までも裂けるほどの強い日光にも涙が乾かないといふのは、めづらしいいひ方である。第四句までは、一氣に力強い言葉をつゞけて來て、第五句で、急轉、「君に逢はずして」と落したところ、まことに凡手ではない。
 
     秋雜歌《あきのざふのうた》
 
【標目】 ここに「秋雜歌」とある標目は、一九九六から二二三八までの二百四十三首の總標であつて、次の「秋相聞」に對するものである。
 
   七夕
1996 天漢《あまのがは》 水底《みなそこ》さへに 照らす舟《ふね》 竟《は》てし舟人 妹と見えきや
 
【題意】 以下、七夕を歌つたもの、長短歌併せて一百九十八首を總括して、ここに題したのである。七夕の歌がかくの如く多いのは、この傳説が、當代においていかにもてはやされたかを示すものである。
【口譯】 天の河の水底までも輝くやうな、立派な舟よ、岸についた舟人は、妹《いも》と逢つたかね。
(129)【語釋】 ○舟人 舟に乘つてゐた人といふので牽牛星をさす。○妹《いも》 織女星をいふ。
【口譯】 この歌、本文に幾多の疑義があつて、容易に論定し得ない。したがつて、定訓といふものは見出されないから、しばらく、彼此を參酌して、暴斷にわたらぬことを條件として、前記のやうな訓み方を採ることにした。
 
1997 久方《ひさかた》の 天《あま》の河原《かはら》に ぬえ鳥の うら歎《なげ》ましつ ともしきまでに
 
【口譯】 天の河原で、棚機が彦星を待ちわびて、歎いておいでになつた、めづらしいほどに。
【語釋】 ○久方の 「天《あま》」の枕詞。○ぬえ鳥の 「うら歎《なげ》」の枕詞。ぬえ鳥〔三字傍点〕は、今のトラツグミで、鳴く時に悲しさうな聲を出すから、これが「うらなげく」にかかるといふ。○ともしきまでに ともしき〔四字傍点〕を「うらやましい」と解する説もあるが、ここには「めづらしい」と見る解釋にしたがつた。
【後記】 この歌は、作者が、織女の待ちわびてゐるのを見た第三者の地位にあつて詠んだのであらう。
 
1998 わが戀《こひ》を 嬬《つま》は知れるを 往く船の 過ぎて來《く》べしや 事も告げなむ
 
(130)【口譯】 わたしの戀を、夫《をつと》の彦星は知つてゐるのに、時に後れて來べきであらうか、さうではない。もし何か理由があつて後れるならば、その事を知らせてほしい。
【語釋】 ○嬬 つま。ここでは夫のこと。○往く船の 「過ぎ」にかかる序として用ゐられてゐる。
【後記】 彦星の遲きをかこつ織女の歌である。
 
1999 朱《あか》らひく 敷妙《しきたへ》の子を しば見れば 人妻《ひとづま》故《ゆゑ》に われ戀ひぬべし
 
【口譯】 顔の色のよい、敷妙の子を、たびたび見ると、人妻であるのに、わたしは戀しくなるにちがひはなからう。
【語釋】 ○朱《あか》らひく 赤みを帶ひてゐるといふ義で、血色のよいことをいふ。○數妙《しきたへ》の子 「しきたへ」のしき〔二字傍点〕は下に敷くといふ「しく」の義であり、たへ〔二字傍点〕は布帛を意味する語であるが、集中では、多く枕詞として、袖・衣・手枕・枕・床などにかけて用ゐられてゐる。しかして、多くの場合を通じてみるに、「しきたへ」は、柔かい、しなやかな布帛のことであり、したがつて、それが枕詞として用ゐられるにあたつても、常に、温柔性をもつてゐるものにいひかけられることになつてゐたのは、疑ふべくもない。たま/\木枕にかけて用ゐられた例があるが、それは枕についての慣用から轉じたものと見られるから、問題にはならない。しきたへ〔四字傍点〕の用例が上述の如くであるとすると、しきたへの子〔六字傍点〕といふのも、從來の説のやうに、美し(131)い子と見るよりは、やさしい子もしくはしなやかな子と説く方が、原義に近いのではあるまいかと考へる。○人妻《ひとづま》故《ゆゑ》に 人の妻であるのにとの義。
【後記】 この歌が七夕の歌であるかどうかは疑問である。これを七夕の歌とみるには、敷妙の子を織女のこととしなければならない。
 
2000 天《あま》の河《がは》 安《やす》の渡りに 船《ふね》浮《う》けて 秋立つ待つと 妹に告げこそ
 
【口譯】天の河の安の渡場《わたしば》に、船を浮べて、秋の來るのを待つて居ると、わたしの妻に告げて下さい。
【語釋】 ○安《やす》の渡《わた》り 天の河にあるヤスといふ渡船場。やす〔二字傍点〕は、渡船場の地點の名と考へられてゐた。○浮けて うけ〔二字傍点〕はカ行下二段活用の動詞。「うかべ」の義。○告げこそ こそ〔二字傍点〕は願望の助詞。
【後記】 彦星が秋に來るのを待ちわびてゐる由を、織女への傳言の形式で詠んだもの。
 
2001 大空《おほぞら》ゆ 通ふわれすら 汝《な》が故に 天《あま》の河路《かわぢ》を なづみてぞ來《こ》し
 
【口譯】 大空を飛び通ふことの出來るわたしでさへも、おまへのためには、天の河の路を歩き悩(132)んで來たのだ。
【語釋】 ○大空ゆ ゆ〔傍点〕は「より」の義であるが、これは動作の行はれる範圍を動的に示すために用ゐられてゐるので、その點をのぞいては、「大空を」といふのと、大體において同樣である。
【後記】 彦星が、途中の苦辛を織女に物語つてゐるのである。
 
2002 八千戈《やちほこ》の 神の御世より 乏《とも》し※[女+麗]《づま》 人知りにけり 繼《つ》ぎてし思《おも》へば
 
【口譯】 八千戈の神の時代から、わたしのいとしい妻を、人が知つてしまつた、わたしが絶えず戀しく思つてゐるので。
【語釋】 ○八千戈の神の御世より 八千戈神〔四字傍点〕は、大國主神の別名。この神の御代からといへば、天孫降臨以前からといふことになる。○乏《とも》し※[女+麗]《づま》 いとしい妻。○繼《つ》ぎてし思へば つぎて〔三字傍点〕は繼續してといふ意。
【後記】 二人の中は、八千戈神の遠い昔の時代からであるが、さういふ昔から、自分が絶えず愛妻を大切にしてゐるので、天下の人々が皆それを知つてしまつたといふ、彦星の述懷である。
 
2003 わが戀ふる 丹《に》の秀《ほ》の面《おも》わ 今夕《こよひ》かも 天《あま》の河原《かはら》に 石枕《いはまくら》まく
 
(133)【口譯】 わたしの戀しく思ふ、紅顔の彼女は、今夜こそ、天の河原で、わたしと共に、石を枕として寢ることであらうか。
【語釋】 ○丹《に》の秀《ほ》の面《おも》わ 「丹《に》」は赤い色、「秀《ほ》」は、いちじるしくあらはれてあること、「面《おも》わ」は顔面。にのほのおもわ〔七字傍点〕は、赤い色のよく出てゐる顔、つまり紅顔といふこと、したがつて、紅顔の持主をあらはす。織女をさしてゐる。○石枕《いはまくら》まく いはまくら〔五字傍点〕は石の枕。まく〔二字傍点〕は枕にすること。カ行四段の動詞。
【後記】 織女との會合をたのしみにしてゐる彦星の心。
 
2004 おのが夫《つま》 乏《とも》しむ子等は 竟《は》てむ津の 荒磯《ありそ》まきて寢む 君待ちがてに
 
【口譯】 自分の夫をいとしがる女は、夫の舟の着く船着場《ふなつきば》の荒磯を枕にして寢るであらう、あなたを待ちかねて。
【語釋】 ○おのが夫 織女からいふおのが夫で、彦星をさす。○乏《とも》しむ子等 ともしむ〔四字傍点〕は、大事にする・愛する・いとしがるなどの義。子等〔二字傍点〕の「等《ら》」は、元來は複數を示すのであるが、ここは、愛するもの、小さいものを示す、つまり愛稱的の接尾辭。子等〔二字傍点〕は織女をさす。○竟てむ津 はて〔二字傍点〕は「はつる」で、船の着く義。○まきて 枕にして。「まく」といふ動詞の連用形。
(134)【後記】 織女が、彦星を待ちかねて、その舟の着く荒磯を枕にして寢るだらうと、第三者の想像。
 
2005 天地《あめつち》と 別れし時ゆ おのが妻 然《しか》ぞ手に在る 秋待つわれは
 
【口譯】 天は天、地は地と、相別れた時から、自分の妻は、ちやんと自分の妻として手中にある。であるから、わたしは、その妻に逢ふ秋を待つてゐるのだ。
【語釋】 ○然《しか》ぞ手に在る しか〔二字傍点〕はさう・そのとほりで、自分の妻は、自分の妻としてといふ意。
【後記】 天地開闢の時から、織女は自分の妻として、然《しか》く定まつてゐる、誰憚らぬ妻であるから、秋が來れば逢ふのだと、彦星の強い心を語つてゐるのである。
 
2006 彦星は 歎《なげ》かす妻に 言だにも 告《の》りにぞ來《き》つる 見れば苦しみ
 
【口譯】 彦星は、歎いてゐられる妻に、せめて慰めの言葉だけでもと、言つて聞かせに來た。見れば苦しいので。
【語釋】 ○歎かす 「なげく」の敬語。○告りにぞ來つる のる〔二字傍点〕(告)は、「いふ」(言・云)よりは強く、いつてきかせるといふほどの義。
(135)【後記】 この歌、第三者からの叙述であることには疑問はないが、意味のはつきりしない點がある。「見れば苦しみ」は、歎く樣子を見れば苦しいのでといふ義と思はれるが、さうすれば、「告りにぞ來つる」の「來つる」がきかなくなる。歎くのも、何を歎くのか、わからない。彦星のことを思つてか、別を惜しんでか、いづれにしても、さういふことならば、「言だにも告《の》りにぞ來つる」がをかしくなる。新考には、「見」の上に「不」を補ひ、ミズバクルシミと訓む説を立てゝゐられるが、それも、この矛盾を解決しようとされたのであらう。しかし、古本のいづれにも「不」字は無い。なほ、後考を待つ。
 
2007 久方の 天つ印《しるし》と 水無河《みなしがは》 隔《へだ》てておきし 神世《かみよ》し恨《うら》めし
 
【口譯】 天上の標《しるし》として、水の無い河を置いて、二人の間を隔てた神世が恨めしい。
【語釋】 ○久方の 枕詞。○天《あま》つ印《しるし》 しるし〔三字傍点〕は、彦星と織女とを隔てる、境界の標《しるし》をさしてゐる。○水無河《みなしがは》 天の河をいふ。みなし〔三字傍点〕は水が無いといふ義。
【後記】 神代から分れ分れに居なければならない二人の宿命を恨めしく思ふ心を述べたもの。
 
(136)2008 ぬば玉《たま》の 夜霧隱《よぎりがく》りて 遠くとも 妹が傳《つたへ》は 早く告げこそ
 
【口譯】 夜霧が立ちこめてゐて、道が遠くても、わたしの妻の傳言は、早く聞かせて下さい。
【語釋】 ○ぬば玉の 「夜」にかかる枕詞。○妹が傳《つたへ》は 原文に「妹傳」とある。古義では、この下に「言」字を補つて、イモガツテゴトと訓んでゐる。○告げこせ こせ〔二字傍点〕は、願望の意をあらはす助動詞。
【後記】 なつかしい妻の傳言ははやく聞きたいといふ彦星の心を詠んだもの。
 
2009 汝《な》が戀ふる 妹の命《みこと》は 飽き足りに 袖振る見えつ 雲隱《くもがく》るまで
 
【口譯】 あなたの戀しく思はれる妻の御方《おかた》は、十分滿足されるくらゐ、あなたの姿の雲にかくれるまで、袖を振つておいでになるのが見えました。
【語釋】 ○妹の命《みこと》は みこと〔三字傍点〕は、「ひと」(人)といふことを敬つていふに用ゐられる語であるから、ここでは、今の「おかた」といふ語にあたる。「あのひと」と「あのおかた」を比べてみると、このミコトのつかひ方がわかる。○飽き足りに あくまでもの本義に相當する語。十分滿足するくらゐにといふ意。
【後記】 この歌は、第三者が、別離の際における織女の樣子を彦星に告げる歌。
 
(137)2010 夕星《ゆふづつ》も 通《かよ》ふ天道《あまぢ》を 何時《いつ》までか 仰ぎし待たむ 月入壯《つきひとをとこ》
 
【口譯】 よいの明星も、もう空《そら》の道を通《かよ》つてゐるのに、いつまで、空を仰いで待たなければならないのか、月よ。
【語釋】 ○夕星《ゆふづつ》 太白星、よいの明星。○通《かよ》ふ天道《あまぢ》を 通ふ天道であるのにで、意味は、すでに天道を通つてゐるのにといふことになる。○月人壯《つきひとをとこ》 つきひとをとこ〔七字傍点〕は、「月人壯子」とも書く。月を人格化したのである、
【後記】 この歌を、鐵女が彦星を待ちわびて、月によびかけた歌と見る説もあるが、やはり、月を待つ歌であつて、七夕の歌では無い、紛れこんだのであらうといふ説に賛成したい。宵の明星も天道を通ふ頃になつたのに、いつまで月は出ないのかといふ心であらう。
 
2011 天の河 い向ひ立ちて 戀ふるとに 言だに告げむ 妻問ふまでは
 
【口譯】 天の河を隔てて、向き合ひに立つて、戀しく思つてゐる時に、せめて言葉だけでも知らせよう、妻をたづねるまでは。
【語釋】 ○い向ひ立ちて い〔傍点〕は接頭辭。向ひ立つ〔四字傍点〕は、河を隔てて、向き合つて立つこと。○戀ふるとに (138)「こふると」のと〔傍点〕は、「とき」(時)・「うち」(中)などの義。○妻どふまでは 原文に「※[女+麗]言及者」とあるが、諸説いづれも、その意を得ない。舊訓にツマトフマデハとあるので、新訓には、トフを「問ふ」と解し、※[女+麗]問フマデハと訓んでゐる。つまとふ〔四字傍点〕を妻を訪ふ意と見たのであらう。全釋でも、その意味に説いてある、本書もまた、しばらくこれにしたがつておいたが、試みに私説を述べれば、「※[女+麗]言及者」は、「者」を虚字とし、三字をツマモコトシケと訓むべきであつて、妻も自分の告げる言葉に引きつづいて、何かいつてくれと、妻からの言葉をも期待する意味をいつたのではあるまいかといふのである。
 
2012 白玉の 五百《いほ》つ集《つど》ひを 解《と》きも見ず 吾《あ》は干《ほ》しがたぬ 逢はむ日待つに
 
【口譯】 白玉のたくさんとほしてあるのを首にかけたまゝで、逢ふ日を待つてゐると、涙に袖を干しかねてゐる。
【語釋】 ○白玉の五百《いほ》つ集《つど》ひ 白玉をたくさん糸に通した首飾。○解きも見ず 首にかけた白玉の首飾の紐をほどいても見ないといふのであるから、首にかけたままと譯してよいが、なほ進んでいへば、この言葉には、二人うちとけて寢てもみないでといふ意味が含まれてゐる。二人寢るときには、首飾もはづして安らかに寢るからである。○干しがたぬ かたぬ〔三字傍点〕は、普通ならば「がてぬ」とあるべきところである。がて〔二字傍点〕は、「がつ」(タ行下二段活用かと思はれるが、用例が缺けてゐる。)の連用形、「がつ」は、或事にたへる、(139)或事をなし得るといふやうな意をあらはす助動詞と考へられる。「がてぬ」のぬ〔傍点〕は打消の助動詞。ここのがたぬ〔三字傍点〕は「がてぬ」と同語か。さうすれば、干すことができないの義である。
【後記】 彦星の歌とも、織女の歌とも見られるが、おそらく後者として詠まれたのであらう。
 
2013 天の河 水陰草《みづかげぐさ》の 秋風に 靡かふ見れば 時は來にけり
 
【口譯】 天の河の水の中に生えてゐる草が、秋風に靡いてゐるのを見ると、もう夫に逢へる時が來たのだ。
【語釋】 ○水陰草《みづかげくさ》 ミゴモリグサと訓む説があるが、それでは、水中に没してゐる草となる、これは、水中に生えてゐる草であるが、ずつと水の上にも出てゐるのであらうからミヅカゲゲサと訓む。○靡かふ見れば 原文「靡見者」とあるので、ナビクヲミレバとも訓めるが、靡くといふ動作の繰返されることをいひあらはすものと見てナビカフミレバと訓む方がよからう。○時は來にけり 彦星に逢ふ時が來たといふのである。
【後記】 織女が、時節到來をよろこんだ意。
 
(140)2014 わが待ちし 秋萩咲きぬ 今だにも にほひに行かな 遠方人《をちかたびと》に
 
【口譯】 わが待つてゐた秋萩が咲いた。せめて今でも、あちらにゐる人に逢ひに行かうよ。
【語釋】 ○秋萩咲きぬ 秩萩が咲いたといふことは、彦星の織女に逢へる季節の來たことを意味する。○今だにも 平常は逢へないから、せめて今だけでも。○遠方人《をちかたびと》 文字通りに解すれば、遠方人〔三字傍点〕は、遠方にゐる人であるけれども、をちかた〔四字傍点〕の本義は、アチラである。ここでは、その本義に用ゐられたのであつて、天の河の對岸にゐる人をさして、「をちかたびと」といつたのである。
【後記】 彦星の歌。
 
2015 わがせこに うら戀ひ居《を》れば 天の河 夜船《よふね》※[手偏+旁]《こ》ぎ動《とよ》む 梶《かぢ》の音《と》聞ゆ
 
【口譯】 わたしの夫《をつと》を、心のうちで鯉しがつてゐると、天の河で、夜船を漕ぎさわいでゐる櫂《かい》の音が聞える。
【語釋】 ○うら戀ひ うら〔二字傍点〕は心の義。心で戀ふのを「うらこふ」といふ。○梶《かぢ》の音 今いふかぢ〔二字傍点〕は舵で、ここにいふカヂではない。原文に「梶音所聞」とあるが「梶」は正字では無い。わが國で、楫をカヂと訓み櫂をカイと訓んでゐるが、釋名に「楫、捷也、撥v水使2舟捷飛疾1也」とあり、説文に「楫、舟櫂也」と(141)見え、方言に「楫或謂2之櫂1」といつてゐるによつてみれば、楫も櫂も相通ずることが知られる。しかして、國語においても、古くカヂといひ、カイといつたのも、つまり、同一物をさしてゐるのであつたが、いつか、カヂは、舵をさしていふ語となつたので、名實共に、今ではカイだけになつてゐるのである。したがつて、ここのかぢのと〔四字傍点〕は、すなはち櫂《かい》の音なのである。
【後記】 この夜船に乘つてゐるのは、彦星なのであらう。
 
2016 まけ長く 戀ふる心よ 秋風に 妹《いも》が音《おと》聞ゆ 紐解き往かな
 
【口譯】 長い月日の間、戀しがつてゐる心から、秋風の吹くに連れて、妻の聲が聞える。さあ着物の紐を解いて行かう。
【語釋】 ○まけ長く ま〔傍点〕は接頭辭、け〔傍点〕は日の義、けながく〔四字傍点〕は日を多く重ねる義。長い月日の間。○往かな な〔傍点〕は願望の助詞。
【後記】 第四句はやゝ異樣に思はれるので、「梶の音聞ゆ」であらうといふ説もあるが、もとのままでも意味は通ずるやうである。
 
2017 戀しくは け長きものを 今だにも 乏しむべしや 逢ふべき夜だに
 
(142)【口譯】 戀しいのは、長い月日の間であつたのに、せめて今だけでも、滿足させてくれるがよい。せめて逢ふ筈の夜だけでも。
【語釋】 ○戀しくは 戀しいことは。○け長き 二〇一六の歌參照。○乏しむべしや 乏しからしめるべきであらうか、さうではないといふので、乏しからしめるといふのは、物足りない感じをいだかせることをいふ。
【後記】 久しく戀ひつゞけてゐて、やつと逢ふ夜であるから、今夜だけは、十分滿足の出來るやうに取斗らつてほしいといふ意の歌である。彦星の歌としての作か。
 
2018 天の河 去歳《こぞ》のわたりで うつろへば 河瀬を踏むに 夜ぞふけにける
 
【口譯】 天の河の、去年の渡り場所が變つたので、河の瀬を踏んで探すのに、夜が更けてしまつた。
【語釋】 ○わたりで 渡り所の義であらう。渡《わた》り瀬《せ》といふのと同じだといふ説もある。○うつろへば 川瀬が變つたのでといふこと。○河瀬を踏むに 淺い所を探すのに足で踏んでみるから、「踏む」といつたのである。
(143)【後記】 彦星が、織女の許へ急がうとして、天の河をわたるになやんでゐる趣を詠んだのである。
 
2019 いにしへよ 擧げてし服《はた》も 顧《かへり》みず 天《あま》の河津《かはづ》に 年ぞ經にける
 
【口譯】 昔から、かけておいた織《お》りものも、打捨て置いて、彦星を待つために、天の河の船着所で幾年も過ぎてしまつた。
【語釋】 ○擧げてし服《はた》も 機織の道具にかけておいた、織るべき布帛の意。
【後記】 戀に心を奪はれてゐる織女をうたつたもの。
 
2020 天の河 夜船《よぶね》を榜《こ》ぎて 明けぬとも 逢はむと思《も》ふ夜《よ》 袖《そで》交《か》へずあらめや
 
【口譯】 天の河に夜船を榜《こ》いで、夜が明けても織女に逢はうと思ふ夜であるから、今夜は、織女と袖を交はして寢ずにおかうか、寢ずにはおかないぞ。
【語釋】 ○袖交へずあらめや 二人寢る時、着物の袖を互にかけてねる。これを袖を交はすといふ。この句は、本文に「袖易受將有」とあるが、ソデカヘズフラムと訓んでも、意味は通じない。舊訓には、ソデカハズアレヤとあるが、さうは訓めない。今しばらく契沖の説にしたがつて、「有」の下に「哉」字のあるも(144)のとし、ソデカヘズアラメヤと訓んでおく。
【後記】 夜船をこぐのに時の移るを嘆く彦星の心を詠んだもの。
 
2021 遠妻《とほづま》と 手枕《たまくら》交《か》へて 寢たる夜は 鷄《とり》が音《ね》な動《とよ》み 明けは明くとも
 
【口譯】 平常《ふだん》、遠く離れてゐる妻と、手枕をさし交《かは》して寢た夜は、夜が明けるには明けても、鷄は聲を立てゝ騷ぐなよ。
【後記】 久々で織女と逢つた彦星のねがひ。
 
2022 相見《あひみ》らく 飽き足らぬども いなのめの 明け行きにけり 船出せむ※[女+麗]《つま》
 
【口譯】 相見ることは、まだ滿足しないけれども、夜が明けてしまつた。船出しよう、妻よ。
【語釋】 ○相見らく 二人相見ることは。○いなのめ 「明け」にかかる枕詞。
【後記】 秋の長夜も、二人には短く、すぐ明けてしまつたのである、
 
2023 さねそめて いくだもあらねば 白栲《しろたへ》の 帶《おび》乞《こ》ふべしや 戀もすぎねば
 
(145)【口譯】 寢たばかりで、まだどれほどもたゝないから、白栲の帶をくれなどとおつしやるものではありません、戀もまだ濟みませんから。
【語釋】 ○さねそめて さ〔傍点〕は接頭辭、ね〔傍点〕は寢、そめて〔三字傍点〕は始めて。さねそめて〔五字傍点〕は寢始めてといふ意。ねたばかりで。○いくだも 幾何も。どれほども。○白栲《しろたへ》の 白い、栲《たへ》の繊維で織つた布を「しろたへ」といふ。○帶乞ふべしや 歸る仕度をするとて帶を乞ふのを斥けていふのである。帶を乞ふべきであらうか、乞ふべきではないとの意。○戀もすぎねば 戀も過ぎないから。二人の戀心も盡きないからといふ意。
【後記】 別を惜しんで、彦星をひきとめる、織女の情。
 
2024 萬世《よろづよ》に たづさはりゐて 相見ても 思《おも》ひ過《す》ぐべき 戀にあらなくに
 
【口譯】 萬世《よろづよ》も、手を握りあつてゐて、相見てゐても、それで氣の濟むやうな戀ではないのですよ。
【語釋】 ○たづさはり 手を携へてゐるといふので、手をつないでゐること。○思ひ過ぐべき おもひすぐ〔五字傍点〕とは、氣が濟む、それで思ひがなくなるといふ意。
【後記】 二人の仲の渝るまじき由を述べたのであるが、複雜な心もちを、よく簡明にいひつくし(146)てゐる。
 
2025 萬世《よろづよ》に 照るべき月も 雲隱《くもがく》り 苦しき物ぞ 逢はむと思《も》へど
 
【口譯】 萬世も永く照る筈の月も、雲に隱れて、切《せつ》ないものである、そのやうに、われらも、萬世の長い間にわたつて逢はうと思ふけれど、一年に一度しか逢へずに別れなければならないから、ほんとに切《せつ》ない。
【後記】 第五句の「逢はむと思へど」の一句で、二人の間柄の苦しいことを知らせようとしてゐるのでかなり大膽な手法である。たゞし、成効してゐるとはいへない。
 
2026 白雲の 五百重隱《いほへがく》りて 遠けども 夜去《よひさ》らず見む 妹があたりは
 
【口譯】 幾重も幾重もの白雲に隱れて遠いけれども、毎晩かゝさすに見よう、妻のゐるあたりは。
【語釋】 ○白雲の五百重隱《いほへがく》りて 「いほへ」のいほ〔二字傍点〕は數の多いことを示してゐる。白雲の幾重も幾重もにかくれてといふこと。つまり、幾重も幾重もの白雲にかくれてといふことになる。かくれる〔四字傍点〕といふのは、隔てられるの意。○夜去らず さらず〔三字傍点〕は、かかさずの義。毎晩々々の意。
(147)【後記】 彦星は、別離の後、毎夜、妻のあたりを望見して戀心を慰めようといふのである。
 
2027 わがためと 織女《たなばたつめ》の そのやどに 織《お》る白|布《たへ》は 織りてけむかも
 
【口譯】 わたしのためにと、織女が、その家《うち》で織る白布は、織りあげたであらうかね。
【後記】 彦星のためにといふので白布が、はやく出來上つたらうといふのである。
 
2028 君にあはず 久しき時ゆ 織《お》る服《はた》の 白栲衣《しろたへごろも》 垢つくまでに
 
【口譯】 あなたにお目にかゝらずに、ずつと前から織つて居ります服《はた》の、白栲《しろたへ》の着物地《きものぢ》は、垢がつくほどになりました。
【語釋】 ○織《お》る服《はた》の はた〔二字傍点〕は織《お》りもの。布帛類をさす。○白栲《しろたへ》の布 白い栲《たへ》の繊維で織る布。○垢つくまでに 人を思ふ心に悩まされて、捨てておくから、塵にまみれてよごれてしまふのである。この句の次に「なりぬ」の如き句を補つてみる。
【後記】 この歌は、二〇一九の歌と同巧異曲。
 
(148)2029 天の河 梶《かぢ》の音《と》聞ゆ 彦星と 織女《たなばたつめ》と 今夕《こよひ》逢ふらしも
 
【口譯】 天の河に櫂の音が聞える。彦星と織女は、今夜逢ふのだらう。
【後記】 直截であり、簡明である。
 
2030 秋されば 河ぞ霧《き》らへる 天の川 河に向ひ居て 戀ふる夜多し
 
【口譯】 秋になると、河に霧が立つてゐる。それで、天の川の河に向いてゐて、人を戀しく思ふ夜が多い。
【語釋】 ○河ぞ霧《き》らへる 原文「河霧」とあつて、カハキリタチテ・カハギリタテルなどの異訓がある。今、しばらく新訓にしたがつておく。○戀ふる夜多し 原文「戀夜多」とある。コフルヨゾオホキといふ訓もある。
【後記】 秋になると、天の河に霧がたちこめるので、待つ人のゐる方も見えないので、織女の戀心はまさるのであらう。
 
2031 よしゑやし 直《ただ》ならずとも ぬえ鳥の うら嘆《なげ》居《を》りと 告げむ子もがも
 
(149)【口譯】 よしや、直接に逢へずとも、わたしが心で嘆いてゐると、知らせに行つてくれるものでもあればよいが。
【語釋】 ○よしゑやし よし〔二字傍点〕は、よしや・たとへ。ゑ〔傍点〕もやし〔二字傍点〕も感動の助詞。○直《ただ》 直接の義。直接面會の意。○ぬえ鳥のうら歎《なけ》居りと 一九九七參照。
【後記】 ひとり悶えてゐる織女の胸中をうたつたのであらう。
 
2032 一年《ひととせ》に 七夕《なぬかのよ》のみ 逢ふ人の 戀も過ぎねば 夜はふけゆくも
    一に云ふ、盡きねばさよぞ明けにける。
 
【口譯】 一年のうちで、七月の七日の晩にばかり逢ふ人の戀も濟まないうちに、夜がふけて行くよ。
【口譯】 二星の睦言が、綿々として盡きず、夜の更け行くをうたつた作。
【左註】 一本の傳を記したのである。「戀も盡きないうちに、夜が明けた」といふのが、一本の語句の意なのであるが、本文の方が、餘韻をもつてゐておもしろい。
 
(150)2033 天の河 安《やす》の河原に 定まりで 神《かむ》つ集《つど》ひは 時《とき》待《ま》たなくに
    此の歌一首、庚辰の年、之を作る。
    右柿本朝臣人麿歌集に出づ。
 
【口譯】 神々の集會は、天の河の、安《やす》の河原で開かれるに定《き》まつてゐて、事があればいつでも開かれ、開會の期日を待つには及ばない。
【語釋】 ○安の河原 記・紀などには、天の安の河の河原に八百萬神を神集へに集へるといふことが見えてゐる。○神つ集ひは 原文には「神競者」とある。舊訓に、これをココロクラベハと訓んでゐるが、それでは、意味がよく通じない。○時待たなくに 原文「磨待無」とある。「磨」の訓トキを「時」のトキをあらはすのに借りたものとみる。古義には「磨」を「禁」の誤とし、イムトキナキヲと訓んでゐる。
【口譯】 この歌は、訓み方に疑義があるので、明確を缺くが、大體、上記のやうな訓法にしたがつてみれば、安の河原の集會は、事があればいつでも開かれて、時期は定まつてゐない、しかるに、われら二星の會合は、一年に一度、しかも、七月七日の夜ときまつてゐて、その他の場合は、いくら逢ひたくても逢ふことが出來ないと、二星が、自己の境遇にひきくらべて、神々の集會の自由なのを羨望した意のものなのであらう。
(151)【左註】 この一首の製作について記してある庚辰の年は天武天皇の八年であらう。ただし、それは、この歌を人麿の作もしくは人麿時代のものとしてである。
 「右柿本朝臣人麿歌集に出づ」とある「右」は、以上の三十八首をさしてゐる。
 
2034 棚機《たなばた》の、五百機《いほはた》立てて 織る布の 秋さり衣《ごろも》 誰か取り見む
 
【口譯】 織女《たなばたつめ》が、たくさんの機《はた》を立てゝ織つてゐる、その布《ぬの》で作つた、秋の着物は、誰が手に取つて見よう、それは彦星に外ならない。
【語釋】 ○棚機の たなばた〔四字傍点〕は、もと織機そのものをさしていふが、ここでは、「たなばたつめ」すなはち織女のこと。織女がの意。○五百機《いほはた》立てて いほ〔二字傍点〕は數の多いことをあらはす語。多くの織機を立てての意。○秋さり衣《ごろも》 秋が來て着る着物、すなはち、秋の衣といふ意。
【後記】 織女の織る布は、すべてこれ、愛する夫のものといふ意の歌。
 
2035 年《とし》にありて 今か枕《ま》くらむ ぬばたまの 夜霧隱《よぎりがく》りに 遠妻の手を
 
【口譯】 一年の間《あひだ》待つてゐて、今、彦星は、夜霧のかげで、遠く離れてゐる妻の手を枕として寢(152)るであらうか。
【語釋】 ○年にありて 一年待ちつづけて。○枕《ま》くらむ まく〔二字傍点〕は枕とするといふ義。○ぬば玉の 「夜」の枕詞。○夜霧隱りに 夜霧がかくしてゐるところで。○遠妻 平常、速く離れてゐる妻。
【後記】 「夜霧隱り」といふので、季節が秋であり、所が川のほとりであることが知られるし、「年にありて」で、彦星が一年に一度の逢瀬を待ちつゞけてゐたことがあらはれてゐる。七夕の歌として、上々のもの。
 
2036 わが待ちし 秋は來りぬ 妹とわれ 何事あれぞ 紐解かざらむ
 
【口譯】 わたしの待つてゐた秋は來た。わが妻とわたしは、何事があつて、紐を解かすにゐることがあらう。どんなことがあつても、紐を解いて寢よう。
【後記】 持ちに待つた秋の來たをよろこび、一つになるうれしさを、そのまゝにいひ出した、素朴な歌。
 
2037 年の戀 今夜《こよひ》盡《つ》くして 明日《あす》よりは 常の如くや わが戀ひ居らむ
 
(153)【口譯】 一年中の戀を、今夜ですつかり晴らして、明日からはまた、いつものとほりに、わたしは戀しがつてゐるのであらうか。
【後記】 歡樂極まつて哀傷多しである。二星の歡會も、明日からのわびしさを思へば、一脈の悲愁のたゞよふあるを奈何ともし難い。
 
2038 逢はなくは 日長《けなが》きものを 天の河 隔ててまたや わが戀ひ居らむ
 
【口譯】 逢はないのは、長い月日の間であるのに、せつかく逢つても、たゞ一夜で、また、わたしは、天の河を隔てゝ戀しがつてゐるのであらうか。
【後記】 やさしい悲しみである。
 
2039 戀《こひ》しけく 日長《けなが》きものを 逢ふべかる 夕《よひ》だに君が 來まさざるらむ
 
【口譯】 戀しいのは、長い月日の間であるのに、逢ふことの出來る今夜でさへも、あの方《かた》はおいでなさらないのだらう。
【後記】 第五句の上に、「何とて」のやうな語を入れてみるといふ説き方もあるが、このまゝ「お(154)いでなさらないのだらう」と嘆いたものと考へる方がよい。この歌は、夫を待つ織女の心をうたつたもの。
 
2040 牽牛《ひこぼし》と 織女《たなばたつめ》と 今夜《こよひ》逢《あ》ふ 天《あま》の河門《かはと》に 波立つなゆめ
 
【口譯】 牽牛と織女とが、今夜逢ふ、天の河の渡場《わたしば》には、決して、波が立つなよ。
【語釋】 ○天の河門《あまかはと》 天の河の河門《かはと》の義であるが、かはと〔三字傍点〕は、川の落合や、川口をもいふが、ここでは、川の渡場をさしてかはと〔三字傍点〕といつたのであらう。川を横に見れば、渡船の發着點も、「と」(門・入口)といへるからである。○波立つなゆめ ゆめ〔二字傍点〕は決しての義。
【後記】 この歌は、第三者の歌である。
 
2041 秋風の 吹きただよはす 白雲は 織女《たなばたつめ》の 天つ領巾《ひれ》かも
 
【口譯】 秋風が吹き漂《ただよ》はしてゐる白雲は、織女の頸にかけてゐる領巾《ひれ》であらうか。
【語釋】 ○天つ領巾《あまつひれ》 天上のものであるから「あまつ」といつたのである。
【後記】 秋風に吹かれる白雲を天つ領巾と見立てるのは、あへてめづらしいとはいへないが、す(155)が/\しい、よい歌である。
 
2042 しばしばも 相見ぬ君を 天の河 舟出はやせよ 夜のふけぬ間《ま》に
 
【口譯】 度々も相見ることの出來ないあなたであるのに、ゆる/\なさつてはいけません、夜のふけないうちに、天の河に、はやく舟出をなさいまし。
【後記】 織女が、彦星を待ちわびて、はやくはやくといそがせる心を詠んだものであらう。
 
2043 秋風の 清き夕《ゆふべ》に 天の河 舟|榜《こ》ぎわたる 月人壯子《つきひとをとこ》
 
【口譯】 秋風のこゝろもちよく吹く夕方に、月人壯子《つきひとをとこ》が、天の河を舟でこぎわたつてゐる。
【語釋】 ○月人壯子《つきひとをとこ》 月を人格化し、若い男子と見立てたもの。
【後記】 晴れたる秋空に、月のわたるを仰いで詠んだもので、七夕に直接の關係はないが、おそらく、七夕の折の詠なのでこゝに入つたものであらう。
 
2044 天の河 霧立ちわたり 牽牛《ひこぼし》の ※[楫+戈]《かぢ》の音聞ゆ 夜のふけゆけば
 
(156)【口譯】 夜がだん/\更けると、天の河に、霧が一ぱいに立つて、その霧の中から、牽牛のこぐ舟の櫂《かい》の音が聞える。
【語釋】 ○霧立ちわたり 霧が廣く一ぱいに行きわたること。○※[楫+戈] 櫂《かい》のこと。既出。
【後記】 天の河の、白い霧の中から、牽牛の舟の櫂の音が聞えて來る深夜の情景。歌がらも、よくこれにかなつてゐる。次の歌から見れば、この歌の霧も、彦星の舟の梶櫂しぶきより成るのであらう。きういふ説をとる學者が多いが、わたくしは、なほそれに疑をもつ。
 
2045 君が舟 今《いま》榜《こ》ぎ來《く》らし 天の河 霧立ちわたる この川の瀬に
 
【口譯】 あの方《かた》の舟が、今こちらに榜いで來るのであらう、天の河に、この川の瀬に霧が一ぱいに立つ。
【後記】 この歌では、天の川の川瀬の霧は、彦星の舟を榜ぐ櫂の飛沫なのである。霧の立つのを見て、織女が、夫の舟の榜ぎ來るのを知るといふのは、この歌の力點。
 
2046 秋風に 河浪立ちぬ しましくは 八十《やそ》の舟津に 御舟《みふね》とどめよ
 
(157)【口譯】 秋風のために、天の河の河波が立つた。しばらくの間は、たくさんの船着場《ふなつきば》のどこかに、御舟をおつけなさい。
【語釋】 ○しましくは しまし〔三字傍点〕は暫《しばし》と同じ。○八十《やそ》の舟津 「八十《やそ》」は數の多いことをあらはす語。卷三に「近江の海|八十《やそ》の湊に鵠《たづ》さはに鳴く」(二七三)、卷七に「近江の海湊は八十《やそ》あり」(一一一九)などの例もある。ただし、古義には、これを「安之舟津」で、「安」は安河のことだらうと説いてある。
【後記】 彦星の舟の危險を慮つて、風波を避けよといふのであらう。織女の歌の心か。
 
2047 天の河 川音《かはと》さやけし 牽牛《ひこぼし》の 秋《あき》榜《こ》ぐ船の 浪のさわぎか
 
【口譯】 天の河に、川音がはつきり聞えてゐる。あれは、この秋の夜に榜ぐ、牽牛の船の立てる浪の騷ぎなのか。
【語釋】 ○さやけし さやかに、はつきりしてゐること。○秋《あき》榜《こ》ぐ船《ふね》 秋に榜ぐ船の義か。ただし、略解では、秋〔傍点〕は速〔傍点〕の誤であるといふ本居宣長の説にしたがつて、これをハヤコグフネと訓んでゐる。さうすれば、急いで漕ぐ船といふことになる。
【後記】 二星以外の、第三者の立場からの歌であらう。
 
(158)2048 天の河 川門《かはと》に立ちて わが戀ひし 君來ますなり 紐解き待たむ 【一に云ふ、天の河川に向き立ち】
 
【口譯】 天の河の渡場《わたしば》に立つて、わたしの戀しがつた、あの方《かた》がおいでなさるのだ、紐を解いてお待ちしよう。【一云ふ、天の河の川の方に向いて立つてゐて】
【語釋】 ○川門《かはと》 二〇四〇の歌參照。
【後記】 織女の心もちである。この歌の一・二の句を、こゝの一云の通りに改めれば、卷八の一五一八の歌と全く同じになる。
 
2049 天の河 川門《かはと》に坐《を》りて 年月《としつき》を 戀ひ來《こ》し君に 今夜《こよひ》逢へるかも
 
【口譯】 天の河の渡場《わたしば》にゐて、今までの年月の間、戀しがつて來たあなたに、今夜お逢ひすることが出來ましたね。
【後記】 織女のよろこびの歌。
 
2050 明日《あす》よりは わが玉床を うち拂ひ 君といねずて ひとりかも寢む
 
(159)【口譯】 明日からは、また、わたしは、わたしの寢床を掃除して、あなたと一緒に寢ないで、一人で寢るのであらうか。
【語釋】 ○わが玉床をうち拂ひ 「玉床」の玉〔傍点〕は美稱、床をほめていつたのである。「うちはらひ」のうち〔二字傍点〕は接頭辭、はらひ〔三字傍点〕は塵を拂ふ義。これらの語句は、單に、掃除をしてといつてゐるだけであるが、前後の語勢から見れば、掃除をしてもつまらないといふ意が、言外にあらはれてゐる。
【後記】 逢つたよろこびは、たゞちに別れる悲しみを釀す、織女の心のうちをうたつた作。
 
2051 天《あま》の原《はら》 往さてや射ると 白眞弓 引きて隱せる 月人壯子《つきひとをとこ》
 
【口譯】 月人壯子は、大空に行つて射るとて、白眞弓を引いて、それを隱してゐる。
【語釋】 ○往きてや射ると 原文「往射跡」とあつて、訓に種々の説があるが、ユキテヤイルトといふのが、もつとも穩當であらう。ただし、この場合に、「射ようとしてか」と解するのは誤である。「ゆきてや」のや〔傍点〕は感動の助詞と見なければならぬ。○白眞弓 白〔傍点〕は色をあらはした語で、眞〔傍点〕は美稱の接頭辭。白木の弓のこと。弦月をさしてゐる。
【後記】 月人壯子は月を人格化していつてゐるのであるから、弦月の場合には、弦月それ自身が(160)月人壯子なのであるが、この歌では、大空に見えてゐる弦月を、月人壯子の隱し持つてゐる白木の弓と見立ててゐるのである。なほ、これは七夕の歌にはふさはしくないが、七夕の頃に詠まれた歌として、こゝに編入されてゐるのであらう。
 
2052 この夕《ゆふべ》 降《ふ》り來《く》る雨は 男星《ひこぼし》の 早《はや》榜《こ》ぐ船の かいの散りかも
 
【口譯】 今夜降つて來る雨は、彦星が、天の河をいそいで榜《こ》ぐ船の櫂《かい》の雫のとび散つたのであらうか。
【語釋】 ○早《はや》榜《こ》ぐ船 はや〔二字傍点〕は早くで、急いでの義。○散り 散つたものすなはち飛沫をいふ。
【後記】 これは、七夕の夜、地上で天の河邊を想像した歌。
 
2053 天の河 八十瀬《やそせ》霧《き》り合《あ》ふ 彦星《ひこぼし》の 時待つ船は 今し榜《こ》ぐらし
 
【口譯】 天の河の、多くの瀬に、霧がさかんに立ちのぼつてゐる。渡る時刻を待つてゐた、彦星の船は、今|漕《こ》いでゐるのであらう。
【語釋】 ○八十瀬《やそせ》霧《き》り合《あ》ふ 八十瀬〔三字傍点〕は多くの瀬。霧り合ふ〔四字傍点〕は、あちらからもこちらからも霧の立つこと。
(161)【後記】 この歌についても、彦星の漕ぐ船の櫂の飛沫が霧と立つのであるといふ説が、普通である。一應は、それでよい。しかし、なほ考へると、八十瀬を、川の流を横に見た場合としても、八十瀬が霧合ふといふことに無理があるやうであり、「時待つ船」といふ語との關係も、はつきりしないやうである。二〇四四の歌と對照してみるに、天の河に霧が立つ頃を見はからつて彦星が川をわたるといふやうなことがあつたのではなからうか。さう見ると、霧り合ふといふことと時待つ船が今榜ぐといふことが、ぴつたりあふやうに思はれる。なほ、この歌は、第V者から見た七夕の情景である。
 
2054 風吹きて 河浪《かはなみ》起《た》ちぬ 引舟《ひきふね》に 渡りも來ませ 夜の更けぬ間《ま》に
 
【口譯】 風が吹いて、河の浪が起つて來ました。引舟で渡つておいでなさい、夜の更けないうちに。
【語釋】 ○引舟に 引舟〔二字傍点〕は、綱を舟につけ、陸上から引いて、これを進めるをいふ。○渡りも來ませ 天の河を渡つておいでなさい。
【後記】 織女が、彦星の舟を榜ぐことを危ぶんだ心づかひを詠んだもの。
 
(162)2055 天の河 遠き渡《わた》りは 無けれども 君が舟出は 年にこそ待て
 
【口譯】 天の河には、距離の遠い渡《わた》しは御座《ござ》いませんけれど、あなたの舟にお乘りになるのは、わたしは、一年の間待つて居ります。
【語釋】 ○遠き渡《わた》り わたり〔三字傍点〕は、後世にいふ「わたし」である。渡しの遠いといふのは、船の出る所と船着場の距離の遠いことなのである。○舟出 舟に乘つての出發。もとは、舟の出かけること。
【後記】 織女の心を詠んだ作。
 
2056 天の河 打橋《うちはし》渡《わた》せ 妹が家道《いへぢ》 止まず通はむ 時待たずとも
 
【口譯】 天の河に、打橋を架《か》けてくれ、さうすると、妻の家《うち》へ行く道を、絶えず通はう、七夕の時を待たなくとも。
【語釋】 ○打橋 「うつしはし」(移橋)の義だといふ。板の橋で、とりはづしの目由に出來るもの。
【後記】 七夕の一夜の逢瀬に飽き足りぬ彦星の心を詠んだ作。
 
(163)2057 月かさね わが思ふ妹に 逢へる夜は 今し七夜《ななよ》を 續《つ》ぎこせぬかも
 
【口譯】 幾月もの長い間わたしの思つてゐた妻にあつた夜は、もう七夜も續《つづ》いてくれないかしら。
【語釋】 ○月かさね 幾月も重ねて。○七夜を 七〔傍点〕といふのは、七夕の縁もあるが、數の多いことをあらはしてゐるのである。○續ぎこせぬかも こせ〔二字傍点〕は願望の助動詞。
【後記】 七夕の夜を七夜も續けとねがふ彦星の心。
 
2058 年によそふ わが舟|榜《こ》がむ 天の河 風は吹くとも 浪立つなゆめ
 
【口譯】 一年待つて舟仕度《ふなじたく》をする、わたしの舟を、これから榜《こ》がう。天の河には、風は吹いても、浪は決して立つな。
【語釋】 ○年によそふ 前の時から一年たつて艤装するといふこと。
【後記】 よし、風は吹くとも、一年一度の舟よそひした舟を漕ぎ出さうといふのである。
 
2059 天の河 浪は立つとも わが舟は いざ榜ぎ出でむ 夜の更《ふ》けぬ間《ま》に
 
【口譯】 天の河に浪が立つても、わたしの舟は、さあ榜《こ》ぎ出さう、夜のふけぬうちに。
(164)【後記】 前の歌では、「浪立つなゆめ」といつてゐるが、こゝでは、浪が立つても榜《こ》ぎ出さうと心をきめたのである。
 
2060 直《ただ》今夜《こよひ》 逢ひたる兒等《こら》に 言《こと》どひも、いまだせずして さ夜ぞ明けにける
 
【口譯】 ほんの今夜《こんや》逢つた女に、話もまだしないで、夜が明けてしまつた。
【語釋】 ○直《ただ》今夜《こよひ》 ただ〔二字傍点〕は、唯の義。○言どひも ことどひ〔四字傍点〕は話し合ふこと。○兒等《こら》女のこと。既出。○さ夜 さ〔傍点〕は接頭辭。
【後記】 ろくに話す暇もないのに夜が明けたといふのである。
 
2061 天の河 白波高し わが戀ふる 君が舟出は 今せすらしも
 
【口譯】 天の河には、白浪が高く起つ。わたしの戀しがつてゐるあの方《かた》の舟出は、今なさるやうである。
【語釋】 ○今せすらしも せす〔二字傍点〕は「す」(爲)の敬語の形。なさる。
【後記】 織女が、彦星の船出を、こちらの岸で待ち受けてゐて、白浪が高く起《た》つ、今、あの方は(165)船出をなきるのであらうといつたのである。
 
2062 機《はたもの》の ※[足+搨の旁]木《ふみき》持ち行きて 天の河 打橋わたす 君が來むため
 
【口譯】 はた織り道具の、踏板《ふみいた》を持つて行つて、天の河に打橋を架《か》ける、あの方《かた》のいらつしやるために。
【語釋】 ○機の 「機」をハタモノといふのは、「はた(服布)のもの」、「はた(服布)」を織るものの義。○※[足+搨の旁]木《ふみき》 布を織る時に、足を踏みかける板。○打橋 既出。踏板を橋板として打橋の料とするのである。○わたす 架《か》ける。
【後記】 機の踏枚を以て打橋をかけるといふのは、奇想の天外より落つるもの。
 
2063 天の河 霧立ちのぼる 棚幡《たなばた》の 雲の衣の かへる袖かも
 
【口譯】 天の河には、霧が立ちのぼつてゐる。あれは棚機女《たなばたつめ》の着てゐる雲の衣の袖が、風にひるがへるのかな。
【語釋】 ○棚幡《たなばた》 たなばた〔四字傍点〕は、くはしくいへば「たなばたつめ」である。○かへる 飜る。飄る。
(166)【後記】 天の河に立ちのぼる霧を、織女の袖のひるがへるかと見たのは、七夕の歌としては新意を示したもの。
 
2064 いにしへに 織りてしはたを この夕《ゆふべ》 衣《ころも》に縫ひて 君待つわれを
 
【口譯】 以前織つた布を、今夜、着物に縫つて、わたしはあなたを待つて居りますよ。
【語釋】 ○いにしへ ここでは古の義ではなく、近い過去をいふ。○はた 服布の義。○われを 「われよ」といふに同じ。ただし、を〔傍点〕といふ感動の助詞は、同じ類の助詞「よ」よりも重く、強く念を推す意がある。
【後記】 夫の君の衣を縫ひながら待つ、女らしい織女の一面を歌つたもの。
 
2065 足玉《あしだま》も 手玉《ただま》 もゆらに 織るはたを 君が御衣《みけし》に 縫ひあへむかも
 
【口譯】 足の玉も、手の玉もゆらゆらさせて織る布を、あの方《かた》のお召しに、縫ひあげられようかね。
【語釋】 ○足玉も手玉も 足につける飾の玉、手につける飾の玉。○ゆらに ゆらゆらさせて。○御衣《みけし》「みけし」のみ〔傍点〕は尊稱。けし〔二字傍点〕は「着《き》る」の敬語「けす」の連用形、ここでは、名詞法に用ゐられてゐる。○縫(167)ひあへむかも あへ〔二字傍点〕は、或事に堪へる、或事なしとげるの意。ぬひあへむ〔五字傍点〕は縫ひあげられよう。
【後記】 足玉や手玉をゆらがせば、觸れ合ふ玉の音もおのづから清くひゞくであらう。同じく織るはたであつても、それは、ことさらに、君がみけしにふさはしいものであらう。美しい歌。格調もよい。
 
2066 月日|擇《え》り 逢ひてしあれば 別《わかれ》の 惜しかる君は 明日《あす》さへもがも
 
【口譯】 月日をよつてお逢ひしてゐるので、おわかれが惜しく思はれるあなたは、明日までおいで下さいな。
【語釋】 ○月日|擇《え》り 月日を選擇してといふこと。ここでは、一年のうちで、七月七日の夜ときまつてゐることをいふ。○別《わかれ》の 原文「別乃」、「乃」字を「久」の誤として、ワカレマクと訓む説があるが、よろしくない。ワカレチノとある舊訓も、適當ではない。しばらくワカレノ〔四字傍点〕と四音に訓む説にしたがふ。
【後記】 一年のうちで、きまつた日しか逢へないから、せめてのこと、明日までといふ愚痴をうつしたもの。
 
(168)2067 天の河 渡瀬《わたりぜ》深《ふか》み 船|泛《う》けて こぎ來る君が ※[楫+戈]《かぢ》の音《と》聞ゆ
 
【口譯】 天の河は、渡る瀬が深いので、船を浮べて漕いで來るあの方の櫂《かい》の音が聞える。
【語釋】 ○渡瀬深み 人の渡る瀬。瀬が深いので渡れないから、船を浮べるのである。
 
2068 天の原 ふり放《さ》け見れば 天の河 霧立ちわたる 君は來ぬらし
 
【口譯】 大空をはるかに見れば、天の河に霧が立ちわたつてゐる。あの方は、きつとおいでになるのだらう。
【語釋】 ○ふり放け見れば 「ふりさけ」のふりは接頭辭。さけ〔二字傍点〕は遠くにしての義。ふりさけみる〔六字傍点〕は、はるかにみる。○來ぬらし ぬ〔傍点〕は完了の助動詞。かういふ場合の「ぬ」は、これに伴ふ動詞と共に、きつと何何するの意に解してよい。
【後記】 「ふりさけ見れば」といふのが、同じく天上にある織女の上についていふ語としては適當でないやうにも思はれるが、織女の居所よりは遙に遠い地點に、天の河があると見ればよからう。
 
(169)2069 天の河 瀬|毎《ごと》に 幣《ぬさ》を奉《たてまつ》る 心は君を 幸《さき》く來ませと
 
【口譯】 天の河の、瀬といふ瀬には、幣を奉ります。その心もちは、あなたを、無事においでなさいといふのです。
【語釋】 ○幣《ぬさ》を奉る ぬさ〔二字傍点〕は神にささげるもの、麻・木綿・帛など。
 
2070 久方《ひさかた》の 天《あま》の河津《かはづ》に 舟《ふね》泛《う》けて 君待つ夜らは 明けずもあらぬか
 
【口譯】 天の河の船着場に舟を浮べてあなたを待つてゐる夜は、明けずにゐてくれないか。
【語釋】 ○天《あま》の河津《かはづ》 天の河の津の義。津〔傍点〕は船着場。○夜ら ら〔傍点〕は接尾辭。
【後記】 この歌は織女が天の河に船を浮べて彦星を待つ由を詠んだもので、異數の作意である。
 
2071 天の河 足ぬれわたり 君が手も いまだ枕《ま》かねば 夜のふけぬらく
 
【口譯】 天の河を、足をぬらして渡つて、まだ、あなたの手を枕にして寢もしないうちに、夜がふけてしまつたね。
(170)【後記】 これは、彦星の心をよんだ歌。天の河を徒渉したことになつてゐる。
 
2072 渡守《わたりもり》 船わたせをと 呼ぶ聲の いたらねばかも 楫《かぢ》の音《と》のせぬ
 
【口譯】 渡守よ、船を渡してくれよと呼ぶ聲が、とゞかないからであらうか、櫂の音もしない。
【語釋】 ○渡守《わたりもり》 後には「わたしもり」ともいふ。○船わたせを を〔傍点〕は感動の助詞。渡《わたし》船を出して渡してくれよの意。○いたらぬかもよ 對岸に達しないかしらの意。○楫《かぢ》の音《と》もせぬ こちらへこいで來る櫂の音も聞えないの意。
【後記】 彦星が、渡船に乘つて、天の河をわたらうとする心。卷七に「宇治河を船渡せをとよばへども聞えざるらし楫《かぢ》の音《と》もせず」(一一三八)といふ類歌がある。
 
2073 ま日《け》長く 河に向き立ち 在りし袖 今夜《こよひ》まかむと おもふがよさ
 
【口譯】 長い月日の間、天の河に向ひあつて立つてゐた女の袖を、今夜、枕にしようと思ふのがうれしい。
【語釋】 ○ま日《け》長く ま〔傍点〕は接頭辭、け〔傍点〕は日の義であるが、まけながく〔五字傍点〕は、多くの日の間の意。○おもふがよ(171)さ 思ふのがよいといふので、よい〔二字傍点〕は、この場合、嬉しい意と解すべきのであらう。この句、原文に「念之吉沙」とある。舊訓オモヘルガヨサ、今、略解・古義にしたがふ。
【後記】 彦星の意中である。
 
2074 天の河 渡瀬《わたりぜ》毎《ごと》に 思ひつつ 來しくもしるし 逢へらくおもへば
 
【口譯】 天の河の渡瀬にさしかゝる、その度《たび》ごとに、妻のことを思ひ思ひして來たかひがある、かうして逢つてゐるのをおもふと。
【語釋】 ○渡瀬《わたりぜ》 人の渡る瀬。せ〔傍点〕は「瀬」とも「湍」とも書く。水の深い所を「ふち」(淵)といふに對して、せ〔傍点〕は淺い所をいふとのみ考へられてゐるが、しかし、流が疾く、石に激するところでなければ、「せ」とはいはないのが本義である。
【後記】 天の河の急湍にさしかゝるごとに、かういふところを渡つて行かなければ逢へないのだと、困苦と期待との間に、妻のことを思ひつつ、やつと來たのであるが、その困苦にたへて來たかひがあつて、かうして逢つてゐるといふ意で、彦星の心をうたつたもの。
 
(172)2075 人さへや 見繼《みつ》がずあらむ 牽牛《ひこぼし》の 妻よぶ舟の 近づき往くを【一に云ふ、見つつあるらむ】
 
【口譯】 人までも見まもらないでゐようか、ゐはしない。彦星の、妻を迎へるための船が近づいて行くのを。(【一云ふ、人までも見まもつてゐるであらう。】)
【語釋】 ○人さへや 織女ばかりでなく、他の人までも。や〔傍点〕は反語の助詞、「見繼がずあらむ」の下につけて見るがよい。○見繼がず 見まもる・注目する。○見つつあるらむ この一云の傳にしたがふと、初句の「人さへや」のや〔傍点〕は感動詞の助詞。
【後記】 彦星が織女を迎へに行く船を、何人も注目するといふことを詠んだのである。卷八にも「牽牛《ひこぼし》の妻迎へ船榜ぎ出《づ》らし天の河原に霧の立てるは」(一五二七)といふ歌がある。
 
2076 天の河 瀬を早みかも ぬば玉の 夜はふけにつつ 逢はぬ牽牛《ひこぼし》
 
【口譯】 天の河の瀬が早いためであらうか、夜がふけてしまつて、彦星は、まだ織女に逢はない。
【語釋】 ○瀬を早みかも 瀬が速いためであらうかといふ意。この句は、「夜はふけにつつ」にかかる。○ぬば玉の 「夜」にかかる枕詞。○夜はふけにつつ 空しく夜がふけてしまつての意。この句で、一旦切れる。○逢はぬ牽牛《ひこぼし》 織女に蓬はない彦星よといふ意で、この句は、前の語句とは直接につづかない。
(173)【後記】 彦星をあはれんだ歌。
 
2077 渡守《わたりもり》 舟はや渡せ 一年《ひととせ》に 二たび通ふ 君にあらなくに
 
【口譯】 渡守《わたりもり》よ、舟をはやく出して渡してあげなさい。一年に二度通ふ方ではないからよ。
【語釋】 ○渡守 わたりもり。後にはわたしもり。
【後記】 これは、織女が渡守にいひかける言葉として詠まれたもの。
 
2078 玉葛《たまかづら》 絶えぬものから さ寢《ぬ》らくは 年のわたりに ただ一夜《ひとよ》のみ
 
【口譯】 二人の縁はきれはしないが、しかし、共寢をすることは、一年の間《あひだ》に、たゞ一晩だけである。
【語釋】 ○玉葛《たまかづら》 たま〔二字傍点〕は美稱、たまかづら〔五字傍点〕は「たえぬ」の枕詞。○絶えぬものから 絶えぬが、しかしながらの意。○さ寢《ぬ》らくは さ〔傍点〕は接頭辭。○年のわたり わたり〔三字傍点〕は經過する間の意味であらう。月日を經過することを「月日をわたる」ともいふ。としのわたり〔六字傍点〕は一年の間の意であらう。
【後記】 二星側から、二星自身の宿縁をうたつたものと見るべきのであらう。
 
(174)2079 戀ふる日は 日《け》長きものを 今夜だに 乏《とも》しむべしや 逢ふべきものを
 
【口譯】 戀しがつてゐる日は久しきにわたつてゐるのに、せめて今夜だけでも、物足りない思ひをすべきであらうか、すべきではない、逢ふ筈になつてゐるのに。
【後記】 この歌は、上記の歌(二〇一七)と大同小異である。
 
2080 織女《たなばた》の 今夜《こよひ》逢ひなば 常のごと 明日《あす》を隔《へだ》てて 年は長けむ
 
【口譯】 織女が今夜逢つたならば、いつものやうに、明日を界として、一年が長く感じられるであらう。
【語釋】 ○常のごと いつものやうにと解せられるが、例年の如くの意。○年は長けむ 來年の今日を待つ間の一年は長く感じられるだらうの意。
【後記】 織女の情をあはれんだ歌。
 
2081 天の河 棚橋わたせ 織女《たなばた》の い渡らさむに 棚橋わたせ
 
(175)【口譯】 天の河には、棚橋を架けよ、織女が渡られるために、棚橋を架けよ。
【語釋】 ○棚橋 板橋のこと。○い渡らさむに い〔傍点〕は接頭辭、わたらす〔四字傍点〕は「わたる」の敬語。織女に敬意を表したのである。
【後記】 この歌では、織女が天の河をわたつて行くことになつてゐる。
 
2082 天の河 河門《かはと》八十《やそ》あり いづくにか 君が御船《みふね》を わが待ち居らむ
 
【口譯】 天の河には、船の着くところがたくさんある。わたしは、どこで、あの方《かた》の御船を待つて居ようかしら。
【語釋】 ○河門《かはと》八十あり かはと〔三字傍点〕は船のつくところ。二〇四八の歌參照。なほ、二〇四六には「八十の舟津に」といふ句がある。河門といひ、舟津といふが、いづれも同じことをさしてゐるのである。「八十《やそ》」は數の多きをあらはす語で、實數を示してゐるのではない。
【後記】 織女の歌。
 
2083 秋風の 吹きにし日より 天の河 瀬に出立《いでた》ちて 待つと告げこそ
 
(176)【口譯】 秋風の吹き出した日から、天の河の瀬に出かけて、夫《つま》を待つてゐると、どうか知らせて下さい。
【語釋】 ○吹きにし日より 吹いた日からで、吹き初めた日からの意。○告げこそ こそ〔二字傍点〕は願望の助詞。
【後記】 織女の歌。この歌に似た歌が、古今集にある。「秋風の吹きにし日より久方の天の川原に立たぬ日はなし」。
 
2084 天の河 去年《こぞ》の渡瀬《わたりぜ》 荒れにけり 君が來まさむ 道の知らなく
 
【口譯】 天の河の、去年お渡りになつた瀬は、今年は荒れてしまひました。それで、あの方のおいでになる道がわからないのですよ。
【語釋】 ○渡瀬《わたりぜ》 既出。二〇六七・二〇七四參照。○荒れにけり 原文「有二家里」。略解は、「有」は「絶」の草書を誤つたものと見て、タエニケリと訓み、古義は、「有」を「失」の誤字と見て、ウセニケリと訓んでゐるが、いづれも穩當ではない。今、しばらく舊訓にしたがひ、アレニケりと訓み、アレを「荒れ」の義と解しておく。
【後記】 川の流が變つたので、彦星がどの渡瀬をわたつてくるかわからないから、迎へに行けないといふ、織女の物足りなさを詠んだ作。
 
(177)2085 天の河 湍瀬《せせ》に白浪 高けども ただ渡り來ぬ 待たば苦しみ
 
【口譯】 天の河の、どの瀬にも、どの瀬にも、白浪が高く立つてゐるけれども、わたしは、そのまゝ渡つて來た。波のしづまるのを待つと苦しいから。
【語釋】 ○湍瀬 原文にこの二字を用ゐてゐるが、湍〔傍点〕も瀬〔傍点〕も同義である。共にセと訓む。○待たば苦しみ 待つ〔二字傍点〕といふは、波の靜まるのを待つのである。織女の迎への舟を待つと解するのは、よろしくない。
【後記】 彦星の歌。
 
2086 牽牛《ひこぼし》の 妻よぷ舟の 引綱の 絶えむと君を わが思はなくに
 
【口譯】 彦星の妻を迎へる舟を曳く曳綱のやうに、わたしは、あなたを、縁がきれようとは思ひません。
【語釋】 ○引綱の 舟を曳く曳綱。初句よりここまでの三句は、下の句に對する序詞。ただし、「絶えむ」にかかるのではなく、絶えようとは思はないといふ全體にかかるのであつて、つまり曳綱のやうに絶えないといふのが主眼なのである。○絶えむと君をわが思はなくに あなたがきれるとは、わたしは思ひません(178)のよといふ意。
【後記】 この歌の上三句は序であるから、これは、七夕の歌ではない。七夕に寄せて戀の心を述べたもの。
 
2087 渡守《わたりもり》 舟出《ふなで》し出《い》でむ 今夜のみ相見て後は 逢はじものかも
 
【口譯】 渡守よ、舟出をして出かけよう。今夜だけ逢つて、その後《あと》は逢ふまいものであるか、さうではない。
【後記】 今別れても、また來年は逢へるのだから、さあ舟出して出かけようと、船人を促す彦星の歌。
 
2088 わが隱《かく》せる 揖《かぢ》棹《さを》なくて 渡守《わたりもり》 舟貸さめやも しばしはあり待て
 
【口譯】 わたしの隱《かく》しておいた櫂《かい》や棹《さを》がなくなつては、渡守が舟に乘せてくれますものか、もう少しの間《あひだ》、そのまゝで待つていらつしやい。
【語釋】 ○舟貸さめやも 原文「舟將惜八方」とあるが、「惜」は諸本に「借」とあるに從ふべきである。(179)「借」は古くはカルにもカスにも通じて用ゐられてゐる。しかして、ここに舟を貸すといふのは、舟に乘せることを意味してゐるのである。○あり待て あり〔二字傍点〕は、現状を維持する意味をあらはす語として、動作をあらはす動詞と共に複合動詞を形づくつてゐる。かういふ場合のありまつ〔四字傍点〕は、「そのままに待つ」と解してよいのである。
【後記】 織女の別を惜しむ情をうたつたもので、別れるのがいやなので、舟の櫂や棹をかくしたといふのである。羽織かくして袖ひきとめてといふのと、人情は、古今を通じて、かはりがない。
 
2089 乾坤《あめつち》の はじめの時ゆ 天の河 い向《むか》ひ居《を》りて 一年《ひととせ》に 二たび逢はぬ 妻戀《つまごひ》に 物おもふ人 天の河 安の川原の あり通《がよ》ふ せせの渡《わた》りに そほ船の 艫《とも》にも舳《へ》にも 舟艤《ふなよそ》ひ 眞揖《まかぢ》繁拔《しじぬ》き はたすすき 本葉《もとは》もそよに 秋風の 吹き來る夕《よひ》に 天の川 白浪|凌《しぬ》ぎ 落ちたぎつ 早瀬渡りて 稚草《わかくさ》の 妻が手|枕《ま》かむと 大船《おほふね》の 思ひたのみて 榜《こ》ぎ來《く》らむ その夫《つま》の子が あらたまの 年の緒長く 思ひ來《こ》し (180)戀を盡《つく》さむ 七月《ふみづき》の 七日の夕《よひ》は われも悲しも
 
【口譯】 天地開闢のはじめの時から、天の河のあちらの岸、こちらの岸に、さし向ひになつてみて、それで、一年に二度とは逢はない、妻を戀しく思つて物思ひをしてゐる人すなはち彦星、天の河の安の河原の、いつも通ふ瀬々を渡るに、朱塗の船の艫にも舳にも、船飾りをし、櫂をたくさんつけて、花薄の本の方の葉をそよ/\動かして、秋の風の吹いて來る夜、天の川の白浪をおしのけ、はげしく流れ落ちる平瀬をわたつて、妻の手を枕にして寢ようと、それをあてにして榜いで來る筈の、夫であるその人が、一年の長い間、思ひつゞけて來た、戀の心を十分にはらすであらう七月の七日の夜は、これを想像するわたしもまた悲しい。
【語釋】 ○二たび逢はぬ 原文に「兩遍不遭」とあるのを、新考には、「不遭を從來アハヌとよみて、ツマゴヒにつづけたるはわろし。アハズとよむべし。」といつてある。アハズと訓んだ新考の説には、なほ不明な點があるが、おそらくアハズのズを中止法に見たものと考へてよからう。しかし、それよりは、アハヌとよんで、そのヌを「物思ふ人」にかけてみる方が、なほよからうと思ふ。○せせの渡りに 原文「出出乃渡丹」とある。考に「出出」を「歳」の誤としてから、それに從ふ人が多い。しかし、「年の渡り」として、年に一度の川渡りの義とするには疑義がある。二〇三七の「年の戀」などの例において、「年の」が「一年中(181)の」の意であるを思へば、「年の」お一年に一度の義とは解されない。二〇七八の「年の渡り」の例の如きは、一年の間にの意に解すべきものであることは、すでに述べた。であるから。ここの「出出」は他の解釋によらなければならぬ。童蒙抄には、これを「世世」の誤とし、セセと訓んでゐる。しばらく、その説に從ひ、「せせ」は二〇八五の例により「湍瀬」の義とみることにする。新考は、「出出」を「世世」の誤とはしながらも、これをヨヨとしてゐる。その説は、これを採らない。○そほ船 そほ〔二字傍点〕は朱の義。○眞楫繁拔き 「まかぢ」のま〔傍点〕は接頭辭、かぢ〔二字傍点〕は櫂《かい》。「しじぬき」のしじ〔二字傍点〕は多くの義。○稚草の 「つま」(妻)の枕詞。○大船の 「思ひたのむ」の枕詞。○あらたまの 「とし」の枕詞。○われも悲しも われ〔二字傍点〕は作者自身をいふ。
【後記】 別にすぐれたところもないが、一通りの意味は通じてゐる。新考には、この歌は、もと三首であつたのが、混じて一首となつたのだらうといつてあるが、それは高い標準から見られたためであらう。たゞし、この歌が、次の二〇九二の長歌より劣つてゐることはいふまでもない。
 
   反歌
2090 狛錦《こまにしき》 紐解きかはし 天人《あめびと》の 妻《つま》問《と》ふ夕《よひ》ぞ われもしぬばむ
 
(182)【口譯】 今夜は、高麗錦の紐を、お互に解いて、天人が交會する夜である、わたしも、天上の夜のさまを思ひやらう。
【語釋】 ○狛錦 こま〔二字傍点〕高麗、高麗織の錦のことを「こまにしき」といふか。○妻問ふ つまどふ〔四字傍点〕は、本來は妻をたづねる義であり、また婚儀を行ふことであるが、轉じては交會の義となる。「紐解きかはし」といふ語の伴つてゐるのを見れば、ここは轉義の方に用ゐたのであらう。
 
2091 彦星の 川瀬を渡る さを舟の え行きて泊てむ 河津《かはづ》しおもほゆ
 
【口譯】 彦星の川の瀬をわたる小舟が、やつと行きつくであらう、その船着場の樣子が想像される。
【語釋】 ○さを舟の さ〔傍点〕は接頭辭。さ小舟の義。○え行きて泊てむ えゆきて〔四字傍点〕は、「行き得て」の義。やつと行つての意。泊てむ〔三字傍点〕は、つくであらう。
【後記】 彦星が、小舟で川瀬をわたつて行くのは、浪が高いので大分困難であらうが、やつと岸についた時に、迎へに出てゐる織女との會合は、どんな風であらうといふのである。
 
(183)2092 天地と 別れし時ゆ 久方の 天つしるしと 定めてし 天の河原に あらたまの 月を重ねて 妹《いも》に逢ふ 時さもらふと 立ち待つに わが衣手に 秋風の 吹き反《かへ》らへば 立ちて坐《ゐ》る たどきを知らに 村肝《むらぎも》の 心おぼえず 解衣《ときぎぬ》の 思ひ亂れて いつしかと わが待つ今夜《こよひ》 この川の 行きの長けく ありこせぬかも
 
【口譯】 天は天、地は地と別れた時から、われわれ牽牛・織女二星の間を分つ、天上の標《しるし》として定めてあつた天の河の河原に、わたしは、幾月も幾月も、妻の織女に逢ふ時がいつ來るかと思つて、立つて待つてゐると、わたしの袖に、秋風がたえず吹くので、立つてもゐても、どうしてよいかわからず、ぼんやりして、考もめちやくになり、はやくその夜にならないかと、わたしの待つてゐた今夜であるから、その今夜は、どうか、この河の流の如く長くあつてくれないかなあ。
【語釋】 ○天つしるしと 二〇〇七參照。○あらたまの 枕詞。「つき」にかかる。○時さもらふと さもらふ〔四字傍点〕は、樣子をうかがふ、待ちうけるなどの意。○吹き反《かへ》らへば 吹いて來るのが度々に及ぶことを、「吹きかへらふ」といふ。換言すれば、「しきりに吹けば」。卷一に「行幸《いでまし》の山越す風のひとり居《を》るわが衣手に朝夕《あさよひ》に還《かへ》らひぬれば」(五)といふ例もある。○立ちて坐《ゐ》るたどきを知らに 立つて坐《すわ》る方法を知らずといふ(184)意であるが、また坐つて立つ方法を知らずといふことも含まれてゐる。結局、立つてもゐても、どうしてよいかわからずの意となる。○村肝《むらぎも》の 「心」の枕詞。○心おぼえず 原文「心不欲」とあるのを、略解には、宜長の、欲〔傍点〕は「歡」の誤で、ココロサブシクと訓むのがよいといふ説を擧げてゐるし、古義では、不欲〔二字傍点〕は、「不知欲比」の脱落で、不知欲比はイザヨヒと訓み、心の浮れて定まらず、亂れてゐるのをいふといつてゐるし、新訓にはココロタユタヒと訓んであるが、しばらく舊訓にしたがつておく。○解衣《ときぎぬ》の 「亂れ」にかかる枕詞。○行きの長けく 原文「行長有得鴨」とある。この訓は、諸説區々であるが、しばらく新訓にしたがふことにした。
 
   反歌
2093 妹に逢ふ 時《とき》片待《かたま》つと 久方の 天の河原に 月ぞ經にける
 
【口譯】 妻に逢ふ時を、ひたすら待つといふので、天の河原で、幾月も經《た》つたことである。
【語釋】 ○片待つ 專念に待つ。
【後記】 彦星の歌。こゝまでが、七夕の歌で、長歌二首、短歌九十五首ある。玉石混淆ではあるが、それだけ、天平頃からの歌人の、いろいろの角度から見た七夕のおもかげが、よくこの上にあらはれてゐるといへる。
 
(185)   花を詠める
2094 さをしかの 心《こころ》相思《あひおも》ふ 秋萩の 時雨の降《ふ》るに 散らくし惜しも
 
【題意】 以下三十四首は花の歌。ただし、朝顔の花と尾花と女郎花を詠じた各一首を除いて、三十一首は、みな、萩の花を詠じたもの。
【口譯】 男鹿の、心をよせて思ひ合つてゐろ秋萩が、時雨の降るので散るのが惜しいよ。
【語釋】 ○心《こころ》相思《あひおも》ふ 秋萩が男鹿を思つてゐるに對して、男鹿も、秋萩に心をよせて思つてゐることをいふ。
 
2095 夕されば 野邊《ぬべ》の秋芽子《あきはぎ》 うら若み 露に枯れつつ 秋待ち難き
    右の二首、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
 
【口譯】 野邊にある秋萩は、若々しいので、夕方になると、露に枯れて行つて、秋までもちこたへるのはむづかしい。
【語釋】 ○うら若み うらわかい〔五字傍点〕とは若々しいことではあるが、若くてよわよわしい、ひよわいのである。(186)○秋待ち難き 秋を待つことが出來ないといふことで、即ち、秋までもちこたへるのはむづかしい意。
【左註】 以上の二首が人麿歌集のうちにあるといふのである。これらが、人麿の作であるかどうかはわからないが、この二首は、いづれも、やさしく細い、秋の情緒を、如實にゑがき出してゐる。鹿の花妻、露の秋萩、好個の詩材である。
 
2096 眞葛原《まくずはら》 なびく秋風 吹くごとに 阿太《あた》の大野の 萩が花散る
 
【口譯】 秋風が、葛《くす》のはえてゐる原を吹くと、葛が一面に靡き伏すが、さうした秋風の吹くたびに、阿太の大野に咲いてゐる萩の花は散る。
【語釋】 ○眞葛原 「まくず」のまは接頭辭。まくずはら〔五字傍点〕は、葛の生えてゐる原。○阿太の大野 あた〔二字傍点〕は、今の奈良縣宇智郡大阿太村・南阿太村他方。吉野川の北岸にある。
【後記】 大きくて細い歌である。この歌を誦してゐると、秋風の大野をわたる色が見えるやうである。
 
2097 鴈《かり》がねの 來鳴かむ日まで 見つつあらむ この萩原に 雨な降りそね
 
(187)【口譯】 雁が凍て鳴く頃まで見てゐようと思ふ、この、花の咲いてゐる萩原に、雨よ降つてくれるな。
【後記】 萩原には花が咲いてゐるのである。雨よ降るなといふのは、そのためである。花を惜しむと共に、作者は、萩の花に對して、雁の聲を聞かうとするのであらう。
 
2098 奥山に 住むとふ鹿の 初夜《よひ》去らず 妻問ふ萩の 散らまく惜しも
 
【口譯】 奥山に住むといふ鹿が、毎晩、きつと花妻を訪ねに來るのであるが、その花妻である萩の散るのが惜しい。
【語釋】 ○初夜《よひ》去らず 初夜《よひ》といふのは、鹿の來るのが初夜といふのであるが、必ずしもこれに拘泥するには及ばない。したがつて、よひさらず〔五字傍点〕は、「毎晩きつと」と解してよい。○妻問ふ萩の 鹿が妻問ひに來る萩といふので、鹿が萩のところへ妻問ひに來るのである。○散らまく惜しも 散らむことが惜しいといふ意。
 
2099 白露の 置かまく惜しみ 秋萩を 折りのみ折りて 置きや枯らさむ
 
(188)【口譯】 白露の萩の花におくのが惜しいので、秋萩をすつかり折つて、そのまゝ置いて枯らさうかしら。
【後記】 白露の置くのは惜しいから折つてしまはうといふのは無情のやうに聞えるが、露にいためられるのを見るよりは、自然に枯れるのに任せようと、萩をあはれむ意なのであるが、誇張に過ぎたといへばいへないでもない。
 
2100 秋田《あきた》刈《か》る 假廬《かりほ》の宿《やどり》 にほふまで 咲ける秋萩 見れど飽かぬかも
 
【口譯】 秋の田を刈るための、假小屋の住居も、美しい色に染まるほどに咲いた秋萩の花は、見ても飽きないね。
【語釋】 ○假廬《かりほ》 假につくつた小屋。○にほふ 秋萩の花の色が美しく映ずるをいふ。
 
2101 わが衣《ころも》 摺《す》れるにはあらず 高圓《たかまと》の 野邊《ぬべ》行きしかば 萩の摺れるぞ
 
【口譯】 わたしの着物は、わざ/\摺《す》つて染めたのではない。高圓の野邊を通つたところが、萩が自然に摺つたのだ。
 
(189)2102 このゆふべ 秋風吹きぬ 白露に あらそふ萩の 明日《あす》咲かむ見む
 
【口譯】 今日の夕方は、秋風が吹いた。もう秋だから、白露に負けまいとしてゐる萩が、明日は咲くだらうから、それを見よう。
【語釋】 ○白露にあらそふ 萩におく白露が、花を咲かせようとするに對して、萩は咲くまいと抗爭する意。
【後記】 「白露にあらそふ萩の」といつたところに、作者の意圖が見えるやうである。
 
2103 秋風は すずしくなりぬ 馬|並《な》めて いざ見に行かな 萩が花見に
 
【口譯】 秋風は、冷々《ひえぴえ》するやうになつた。さあ、馬を並べて、萩の花を見に行かう。
 
2104 朝顔《あさがほ》は 朝露|負《お》ひて 吹くといへど 夕陰《ゆふかげ》にこそ 咲きまさりけれ
 
【口譯】 親顔の花は、朝の露を受けて咲くものだといふけれども、夕方、何かの陰になるところで、一そうよく咲いてゐる。
【語釋】 ○朝顔 桔梗のこと。あさがほ〔四字傍点〕に關する諸説については、卷八・一五三八の語釋參照。○夕陰《ゆふかげ》 夕(190)方の物陰《ものかげ》といふ義。
【後記】 夕方,薄暗い、何かの陰《かげ》になるところで、紫の花がおもひの外に、勢よく咲いてゐる、それを見て、おや、この花は、朝露にぬれて咲くものだといふけれど、さうぢやないのだなと、見直した意味の歌。
 
2105 春されば 霞隱《かすみがく》りて 見えざりし 秋萩咲けり 折りてかざさむ
 
【口譯】 春になると、霞にかくれて見えなかつた秋萩の花が咲いた。折つて頭の飾にしよう。
【後記】 春は霞にかくれて見えなかつたといふのは、言葉をかざつたに過ぎない。秋になつてはじめて、萩の花に氣がついたといつてゐるのである。
 
2106 沙額田《さぬかた》の 野邊の秋萩 時なれば 今《いま》盛《さかり》なり 折りてかざさむ
 
【口譯】 沙額田の野邊の秋萩は、ちやうどその季節であるから、今、花が盛である。折つて、頭の飾にしよう。
【語釋】 ○沙額田《さぬかた》 地名。一九二八參照。
 
(191)2107 ことさらに 衣《ころも》は摺《す》らじ をみなへし 佐紀野《さきぬ》の萩に にほひて居《を》らむ
 
【口譯】 わざわざ、着物は摺つて染めまい。佐紀野に咲いてゐる萩の花の色に、衣を染めてゐよう。
【語釋】 ○をみなへし 「咲き」といふ意味で、「佐紀野」にかかる枕詞。○佐紀野 奈良の都の北方の野。一九〇五の歌參照。
 
2108 秋風は 疾《と》く疾《と》く吹き來《こ》 萩が花 散らまく惜しみ 競《きほ》ひ立つ見む
 
【口譯】 秋風は、はやくはやく吹いて來い。萩の花が、散るのを惜しんで、さわぎ立つのを見よう。
【語釋】 ○競《きほ》ひ立つ見む 原文「競竟」とあるのを、考では、「竟」は「立見」の誤とし、キソヒタツミムと訓んでゐる。今、文については考の説にしたがひ、訓については新訓にしたがふ。
【後記】 この歌は、難解であるが、秋風が吹いて來ると、散るのがいやなので、競ひ立つて風に杭爭しようとする、その樣が見事だから、風よはやく吹けといふ意味のものであらう。
 
(192)2109 わがやどの 萩の末《うれ》長し 秋風の 吹きなむ時に 咲かむと思ひて
 
【口譯】 わたしの家の庭にある萩の枝のさきは長くなつてゐる。秋風の吹くやうになつたら咲かうと思つて。
【語釋】 ○萩の末《うれ》長し 萩の枝が長く延びて、花が咲きさうになつてゐるのである。○吹きなむ時 「なむ」のな〔傍点〕は完了の助動詞「ぬ」の未然形。む〔傍点〕は未來の助動詞「む」の連體形。
【後記】 萩の枝が延びて、全體がふさやかになり、もう綻びさうになつてゐるのを、秋風が吹いたら咲かうといふ待機の姿勢にあると見立てたのである。
 
2110 人皆《ひとみな》は 萩を秋といふ よしわれは 尾花が末《うれ》を 秋とはいはむ
 
【口譯】 人は皆、萩が秋の花の第一であるといふ、人は何といつてもよい、わたしは、尾花の穗先を、秋の花の第一といはう。
【語釋】 ○秋といふ 「秋」といふ語だけで、秋の代表的のもの、秋の花の第一者といふ意を現してゐる。
【後記】 この卷の、秋の花を詠んだのを見ても、萩の花が大多數を示してゐる。作者は、かうい(193)ふ、この時代の大勢に抗つて、尾花を第一位におかうとするのである。
 
2111 玉梓《たまづさ》の 君が使の 手折《たを》りける この秋萩は 見れど飽かぬかも
 
【口譯】 あなたのお使の、手折つてもつて來た、この秋萩の花は、見ても飽きませんね。
【後記】 同じ秋萩の花であつても、これは、君が使の手折つたものであるから、特に、見れども飽かぬのであらう、
【語釋】 ○玉梓の 使〔傍点〕の枕詞。
 
2112 わがやどに 咲ける秋萩 常ならば わが待つ人に 見せましものを
 
【口譯】 わたしの家《うち》の庭に咲いてゐる秋萩が、散らないものであるならば、わたしの待つてゐる人に見せようものを。
【語釋】 ○常ならば つね〔二字傍点〕は、不變といふ意味に用ゐられてゐる。咲いてゐる花についていへば、散らないのが、「常」である。
 
(194)2113 手もすまに 植ゑしもしるく 出で見れば やどの早萩《わさはぎ》 咲きにけるかも
 
【口譯】 手も休めずに植ゑたのも、そのかひがあつて、外へ出て見ると、家《うち》の庭の、早咲《はやざき》の萩は咲いたね。
【語釋】 ○手もすまに 原文「手寸十名相」、古點テモスマニ、仙覺點、タキソナヘであるが、タキソナヘでは、語義不明である。古義には、「手文寸麻仁」の誤とする説を採用してゐるが、誤字説はともかくも、古來の訓にしたがつて、しばらくテモスマニと訓むことにする。テモスマニの語義については、明確な諭證を見出し得ないが、これも、しばらく、「手を休めずに」とする舊説にしたがつておく。○植ゑしもしるく 原文「殖之名知久」、古くこれをウヱシモシルクと訓んでゐる。略解には、「名」を「毛」の誤としてゐるが、或はさうであらう。
 
2114 わがやどに 植ゑ生《おほ》したる 秋萩を 誰か標《しめ》刺《さ》す われに知らえず
 
【口譯】 わたしの家《うち》の庭に植え育てた秋萩を、誰が自分のものだといふ標《しるし》を立てた、わたしに内所で。
【語釋】 ○標《しめ》刺《さ》す しめ〔二字傍点〕は、ここでは、自分のものだといふしるし。さす〔二字傍点〕は、立てる義。○われに知らえず(195) しらえずは知られずの義。内所で、秘密での意。
【後記】 自分のうちで育てあげた娘を秋萩にたとへたので、代匠記精撰本に「此は、いつく娘を守るに、密によばふ男あるを聞付て、よそへよめる歟」といつてゐる通りであらう。したがつて、これは、譬喩歌のうちに入るべきものである。
 
2115 手にとれば 袖さへにほふ をみなへし この白露に 散らまく惜しも
 
【口譯】 手に取ると、袖までその色に染まるほどよく咲いてゐる女郎花が、この白露のために散るのが惜しいよ。
【後記】 重げにおく白露のために、もう咲ききつてゐる女郎花の散るのが惜しいといふのである。
 
2116 白露に あらそひかねて 吹ける萩 散らば惜しけむ 雨なふりそね
 
【口譯】 花を咲かせようとする白露に逆らひかねて咲いた萩が、散つたらば惜しからう。雨よ降るなよ。
(196)【後記】 萩が露に抗しかねて咲くといふ類想は、二一〇二の、「白露にあらそふ萩の明日咲かむ見む」といふ歌にも見出される。
 
2117 をとめ等《ら》に 行相《ゆきあひ》の早稻《わせ》を 刈る時に なりにけらしも、萩が花咲く
 
【口譯】 夏の未、秋の始の頃に實る早稻を刈る時になつたのであらう。萩の花が咲いてゐる。
【語釋】 ○をとめらに 「ゆきあひ」の枕詞。○行相の ゆきあひ〔四字傍点〕は、去《ゆ》く夏と來る秋とが行き合ふ頃といふ意味であり、その頃に實る早稻を、「行き合ひの早稻」といふ。
【後記】 萩の花の咲くのによつて、早稻の收獲時を知るといふのである。この歌の初句をヲトメラガと訓み、第三句につゞくと見る説は採らない。ユキアヒを地名とする説もよろしくない。
 
2118 朝霧の たなびく小野《をぬ》の 萩が花 今や散るらむ いまだ飽かなくに
 
【口譯】 朝霧がたなびいてゐる野の萩の花は、今はもう散るだらう、わたしはまだ見飽きないのに。
【後記】 はるかに朝霧のたなびいてゐる野を望見して、萩の花の散るを惜しんだのである。
 
(197)2119 戀しくば 形見にせよと わがせこが 植ゑし秋萩 花咲きにけり
 
【口譯】 戀しく思ふならば、形見にせよといつて別れる時に、わが夫の植ゑた秋萩の花が咲いた。
【後記】 別れる時に夫の植ゑた、形見の萩が咲いたので、深く悲しみをそゝられたのである。
 
2120 秋萩に 戀盡さじと おもへども しゑやあたらし また逢はめやも
 
【口譯】 秋萩に對して、戀の心を傾け盡すまいと思ふけれども、えゝもう、惜しい、また來年まで逢へようか、逢へはしない。
【語釋】 ○しゑや 詠嘆の副詞。ええもう。○あたらし 惜しい。花の盛が惜しい。○また逢はめやも 逢ふといふのは、花の盛に逢ふことを意味する。
 
2121 秋風は 日《ひ》に異《け》に吹きぬ 高圓《たかまと》の 野邊《ぬべ》の秋萩 散らまく惜しも
 
【口譯】 秋風は、日ましに吹きつのつてゐる。高圓の野邊の秋萩は、この風で散るだらうが、それが惜しい。
(198)【語釋】 ○日《ひ》に異《け》に けに〔二字傍点〕は「何々にまさつて」「何々よりまさつて」の義。ひにけに〔四字傍点〕は、「日ましに」の意。「吹きぬ」といふ語と結びつけて、日ましに吹きつのつてゐると解する。
【後記】 秋の風が、日に日に、その秋らしさを加へて來る。この風に萩の花の散ることを思へば、愛惜の念禁ずる能はざるものがあるのである。
 
2122 丈夫《ますらを》の 心は無くて 秋萩の 戀にのみやも なづみてありなむ
 
【口譯】 男子の男子たる心も無くて、秋萩に對する戀にばかりこだはつてゐてよいのだらうか、さうではない。
【後記】 二一二〇の歌と同じやうに、これも、萩に對して、戀人に對すると同じやうな戀情をもち得る人の作。
 
2123 わが待ちし 秋は來りぬ 然れども 萩が花ども いまだ咲かずける
 
【口譯】 わたしの待つて居た秋は來た。しかし、萩の花は、まだ咲きもせずにゐる。
【語釋】 ○萩が花ぞも 「ぞも」のも〔傍点〕は、感動の助詞。○いまだ咲かずける ず〔傍点〕は、打消の助動詞「ず」の(199)連用形。「ずけり」といふ形は、古格であつて、後世には用ゐられない。
【後記】 格調がよい。淡白な歌。「然れども」といひ、「いまだ」といつてゐるところに、作者の心のはたらきもあらう。
 
2124 見まく欲り わが待ち戀ひし 秋萩は 枝もしみみに 花咲きにけり
 
【口譯】 見たく思つて、わたしの待ち焦れてゐた秋萩は、枝も一ぱいに、花が咲いてゐる。
【語釋】 ○枝もしみみに しみみに〔四字傍点〕は繁く滿ちてゐるさまをいふ。枝も一ぱいに。
 
2125 春日野の 萩し散りなば 朝東風《あさごち》の 風に副《たぐ》ひて ここに散り來《こ》ね
 
【口譯】 春日野の萩が散つたならば、朝の東風につれて、こゝに散つて來い。
【語釋】 ○朝東風の風 こちは東から吹く風の義。「こちのかぜ」といふのは重言であるが、明日《あす》の日《ひ》、今日《けふ》の日《ひ》などと同例である。○副《たぐ》ひて つれて・一緒になつて。○散り來《こ》ね ね〔傍点〕は願望の助詞。
 
2126 秋萩は鴈《かり》にあはじと言へればか【一に云ふ、言へれかも】 聲を聞きては 花に散りぬる
 
(200)【口譯】 秋萩は、雁に逢ふまいと言つたことがあるのか、雁の聲を聞くと、徒らに散つてしまふ。
【語釋】 ○鴈にあはじと あはじ〔三字傍点〕は逢ふまいの義と解せられるが、これを鴈と夫婦になるまいといふ義に解する説もある。○言へればか 一に「言へれかも」とあるのも、言へればかもの意であるから、同義。○花に散りぬる はなに〔三字傍点〕は「あだに」といふと同じ。徒らに・空しくなどの義。
【後記】 この歌の表現には特異性がある。傳説めかしていつてゐるのもおもしろい。
 
2127 秋さらば 妹《いも》に見せむと 植ゑし萩 露霜《つゆじも》負《お》ひて 散りにけるかも
 
【口譯】 秋になつたら、妻に見せようと思つて植ゑた萩は、露をうけて散つてしまつたよ。
【語釋】 ○露霜《つゆじも》 これをツユシモと訓んで、露と霜との二つを見るのも一つの見解であるが、ツユジモと訓んで、秋の末の、霜となりかけの露、すなはちミヅシモの義と解する方がよい。
 
   鴈を詠める
2128 秋風に 大和へ越ゆる 鴈がねは いや遠ざかる 雲隱《くもがく》りつつ
 
【口譯】 秋風の吹く空を飛んで、大和へ越えてゆく鴈は、雲に隱れて、ずんずん遠くなる。
 
(201)2129 明闇《あけぐれ》の 朝霧隱《あさぎりがく》り 鳴きてゆく 鴈はわが戀ふ 妹に告げこそ
 
【口譯】 夜が明けきらずまだくらい時分に、朝霧にかくれて鳴いてゆく鴈は、わたしの戀しがつてゐる妻に傳言をしてほしい。
【語釋】 ○明闇《あけぐれ》 夜が明けきらず、まだくらいのをあけぐれ〔四字傍点〕といつたのである。「ゆふぐれ」に對した語。
【後記】 第五句が、やゝいひ足りぬやうに見える。妹に知らせてくれといつても、何を告げるのか明らかでない。しかし、作者は、「わが戀ふ妹に」とあるので、わが戀ひこがれてゐることを傳へてほしいといふ意が通じると考へたのであらう。
 
2130 わがやどの 鳴きし鴈がね 雲の上に 今夜《こよひ》鳴くなり 國へかも行く
 
【口譯】 わたしのうちのあたりで鳴いてゐた鴈が、今夜は、雲の上で鳴いてゐる。本國へでも行くのであらうか。
【後記】 國へ行くといへば、本國に歸ることを意味する。後世の觀念からいへば、歸鴈は春の筈であるから、秋の歌としてをかしく見えるが、こゝでは、さういふことは念頭におかれてゐな(202)いのである。
 
2131 さを鹿の 妻どふ時に 月をよみ 切木四之泣《かりがね》聞ゆ 今し來らしも
 
【口譯】 男鹿が妻どひする頃には、月がよいので、鴈の聲が聞える、今來るらしい。
【語釋】 ○妻どふ 既出。○切木四之泣 附録「※[木+四]戯考略」參照。
 
2132 天雲《もまぐも》の 外《よそ》に鴈がね 聞きしより はだれ霜ふり 寒しこの夜は
    一に云ふ、いやますますに 戀こそまされ
 
【口譯】 空の雲の、ずつと遠くに、鴈の聲を聞いてから、薄霜が降つて、今夜は寒い。
【語釋】 ○天雲の外《よそ》に 天涯遙かにといふほどの意。天雲の彼方にである。○はだれ霜 うつすらとおく霜。
【後記】 秋の夜がふけて、遠く鴈の聲が聞えて來た頃から、急に寒さが身にしむやうになり、窓の外には、薄霜が見えるといふ意味の歌。
【左註】 この傳では、下の句が全くちがふことになるので、一首の意は、空遠く鴈の聲を聞いてから、いよいよますます戀心が盛になつて來るといふのである。鴈の聲のあはれさに催されて、戀心のまさることを(203)歌つたもの。
 
2133 秋の田を わが刈りばかの 過ぎぬれば 鴈が音聞ゆ 冬|片設《かたま》けて
 
【口譯】 秋の田を刈る、わたしの仕事が濟んだころには、冬が近くなつて、鴈の聲が聞える。
【語釋】 ○刈りばか 田を刈るに當つて幾つかに區劃して刈る、これを「かりばか」といふ説、刈りばか〔四字傍点〕は、自分の刈るべき仕事の分量の義であるといふ説、その他、種々の説があるが、かりばか〔四字傍点〕は、田を刈る仕事の分量をいふのが、その本義であつて、それから轉じては、稻の刈取りといふ義にも用ゐられるやうになつたのであらう。この場合は、仕事の分量といふよりは、稻を刈取ることそのものをさしていつてゐると見るのがよからう。○過ぎぬれば 濟んでしまつたのでといふ義であるが、濟んでしまつてみるとと解すれば、一そうよく、その意が通じる。○片設《かたまけ》て 既出。一八五四の歌參照。
【後記】 この歌は、秋の田の刈取りをすませてみると、今まで、いそがしいので、うつかりしてゐたが、もう冬もすぐ近く迫つて來てゐて、鴈の聲が寒く聞えるといふ意である。
 
2134 葦邊《あしべ》なる 荻の葉さやぎ 秋風の 吹き來るなべに 鴈鳴きわたる
(204)    一に云ふ、秋風に雁が音聞ゆ 今し來らしも
 
【口譯】 葦の生えてゐるところにある荻の葉をさわさわさせて、秋風が吹いて來たかと思ふと、空には鴈が鳴きわたつて行く。
【語釋】 ○吹き來るなべに 吹いて來ると共に。吹いて來ると同時に。
【後記】 晩秋の水邊の情景。
【左註】 この異傳よりも、本文の歌の方がよい。
 
2135 押照《おして》る 難波堀江《なにはほりえ》の 葦邊《あしべ》には 鴈《かり》宿《ね》たるかも 霜の降らくに
 
【口譯】 難波の堀江の、葦の生えてゐるところには、この霜のふるのに、鴈がとまつてゐるのだらうか。
【後記】 霜夜に、水邊に宿する鴈の旅情をおもひやつたもの。
 
2136 秋風に 山飛び越ゆる 鴈がねの 聲遠ざかる 雲隱るらし
 
【口譯】 秋の風が吹いてゐる中を、飛んで山を越える鴈の聲が遠くなつてゆく。雲に隱れて見え(205)なくなつてゐるのだらう。
【後記】 山を越えて遠くゆくと思はれる雁の聲を聞いて、雲に隱れるかすかな姿をおもひうかべてゐるのである。餘韻の縹渺たるものがある。
 
2137 朝に行く 雁の鳴く音は わが如く 物おもへかも 聲の悲しき
 
【口譯】 朝はやく飛んで行く雁の鳴く聲がするが、わたしのやうに、物思ひをしてゐるからであらうか、聲が悲しく聞える、
【後記】 晩秋の朝、薄霜を踏んで別れてゆく人を見送つての歌ででもあらうか。
 
2138 たづが音の 今朝鳴くなべに 雁がねは いづくさしてか 雲隱るらむ
 
【口譯】 鶴《たづ》の聲が今朝するかと思ふと、速く雁の聲が聞えるが、あれは、どこを目ざして雲に隱れるのであらう。
【後記】 鶴が來て鳴くかと思ふと、雁が去つて遠く雲に入るのである。雁の聲を耳にせぬやうに解する見方もあるが、幽かな聲はなほ空にあるのであらう。
 
(206)2139 ぬば玉の 夜わたる鴈は おほほしく 幾夜を經てか おのが名を告《の》る
 
【口譯】 夜、空を飛んで行く鴈は、どういふわけで、幾晩も幾晩も、カリカリと自分の名を名|告《の》るのであらうか。
【語釋】 ○ぬば玉の 「夜」にかかる枕詞。○おほほしく 不明といふほどの意。ここでは、何のあてもなからうに・どういふわけでなどと解してよからう。○おのが名を告《の》る 鴈をカリといふのは、その鳴聲による命名なのであるが、それを逆に、鴈が自分の名のカリを名告《なの》るといつたのである。
【後記】 作者は、何故、鴈は、カリカリと自分の名を名|告《の》つて飛んで行くのでせうといふ幼いがしかし味のある疑問に、興味を感じたのであらう。
 
2140 あらたまの 年の經行《へゆ》けば あともふと 夜《よ》わたをわれを 問ふ人や誰《たれ》
 
【口譯】 年月がたつたので、仲間《なかま》を誘ひ合せようと思つて、夜飛んで行くわたしを、おたづねになるのはどなたですか。
【語釋】 ○あらたまの 「年」の枕詞。○年の經行けば 年月の經過したことをいふのであるが、この國へ(207)來てから久しくなつたといふ意。○あともひ 召集する、誘ひ合ふなどの意であるが、國へ歸らうと思つて、友を誘ひ合せるといふことであらう。
【後記】 前の歌に對する鴈よりの返歌である。
 
   鹿鳴《しかのなく》を詠める
2141 この頃の 秋の朝明《あさけ》に 霧|隱《がく》り 妻呼ぶ雄鹿《しか》の 聲のさやけさ
 
【題意】 以下十六首、鹿を詠んだ歌であるが、すべて鹿の鳴くことを題材としてゐるから、ここには鹿鳴と書いたのであらう。
【口譯】 この頃の秋の朝のあけきつた時分に、霧にかくれて、妻を呼ぶ男鹿の聲が、よく徹つて聞える。
【語釋】 ○朝明《あさけ》 夜がすつかりあけた時分。早朝。○さやけさ ここでは、聲のはつきり澄みとほつてゐることをいふ。
 
2142 さを鹿の 妻ととのふと 鳴く聲の 至らむ極《きはみ》 靡け萩原
 
(208)【口譯】 男鹿の妻を呼び立てようとして鳴く聲の屆く限り、何處までも靡け、萩原よ。
【語釋】 ○ととのふ 呼び立てる。卷二に「大御身に、太刀取り帶ばし、太御手に弓取り持たし、御軍士《みいくさ》をあともひ給ひ、ととのふる鼓の音は、雷の聲と聞くまで」(一九九)、卷三に「大宮の内まで聞ゆ網引《あびき》すと網子《あご》ととのふる海人のよび聲」(二三九)などとある。○至らむ極《きはみ》 とどく果《はて》までも。
【後記】 男鹿の妻呼ぶ聲を聞いて、その情をあはれみ、鹿の聲の達する限り、萩原は靡き伏して、妻呼ぶ聲を妨げないやうにせよといふのである。
 
2143 君に戀ひ うらぶれ居れば 敷《しき》の野《ぬ》の 秋芽《あきはぎ》凌《しぬ》ぎ さ男鹿《をしか》鳴くも
 
【口譯】 君に戀ひ焦れて、元氣をなくしてゐると、敷《しき》の野に咲いてゐる秋萩を踏みわけて鳴いてゐるよ。
【語釋】 ○うらぶれ 心を傷めてゐること。○敷《しき》の野《ぬ》不明。或は今の奈良縣磯城郡の地方の野をいつたものか。
【後記】 鯉に心を傷めて悶えてゐる人は、鹿の鳴くのを聞いて、あれも妻戀しやの聲と、一そうあはれさを感じるのである。
 
(209)2144 鴈は來ぬ 萩は散りぬと さ男鹿の 鳴くなる聲も うらぶれにけり
 
【口譯】 鴈は來た、萩は散つたと、男鹿の鳴いて知らせる聲も、元氣を失つてゐる。
【後記】 鴈が來るし、萩が散るし、秋のあはれは深くなつてゐるのに、人の心を傷ましめる鹿の聲も聞えて來て、うらぶれてゐるのは、實は作者の心なのである。鴈が來た、萩が散つたといふことを鹿が知らせるやうにあやなしたところに、作者のはたらきが見える。
 
2145 秋萩の 戀も盡きねば さを鹿の 聲い續《つ》ぎい續《つ》ぎ 戀こそまされ
 
【口譯】 秋萩の花に對する戀心もまだ殘つてゐて、男鹿の聲が、あとからあとからと心をそゝるので、思ふ女に對する戀が募つて來る。
【語釋】 ○聲い續ぎい續ぎ いは接頭辭。いつぎいつぎ〔六字傍点〕はあとからあとからひきつづいての義。○戀こそまされ この戀〔傍点〕は、思ふ女に對する戀。
【後記】 この歌の本幹をなすのは、「秋萩の戀も盡きねば戀こそまされ」である。「さを鹿の聲い續ぎい續ぎ」は、第五句の修飾節として挿入されたものであるが、この歌は、この挿入節で光(210)つてゐるといへる。
 
2146 山近く 家や居《を》るべき さを鹿の 聲を聞きつつ いねがてぬかも
 
【口譯】 山の近くには住むものではない。わたしは山近く住んでゐるので、男鹿の聲を聞いて、ねむられずにゐるよ。
【語釋】 ○家や居《を》るべき 「家居《いへを》る」といふ語については、一八二〇の歌參照。
 
2147 山の邊に い行く獵夫《さつを》は 多けれど 山にも野《ぬ》にも さを鹿鳴くも
 
【口譯】 山のあたりに、獵をしに行く獵師は多いけれど、それを知らずに、山でも野でも男鹿が鳴いてゐるよ。
【語釋】 ○い行く獵夫《さつを》 「いゆく」のい〔傍点〕は接頭辭。「さつを」のを〔傍点〕は男の義。さつ〔二字傍点〕は、獵によつて得た物を意味する「さち」と同語。すなはち、さつを〔三字傍点〕は、山の「さち」を得る男の意。
【後記】 身に危險の迫るを知らずに、戀に鳴く男鹿をあはれんだ歌。
 
(211)2148 あしびきの 山より來《き》せば さを鹿の 妻呼ぶ聲を 聞かましものを
 
【口譯】 山から來たならば、男鹿の妻を呼ぶ聲を聞いたらうのに。
【語釋】 ○山より來せば 山の方の道を通つて來たならばの意。「來せば」のせ〔傍点〕は、助動詞「き」の未然形として、古く存してゐたもの。せば〔二字傍点〕は、假定條件をあらはし、しかば〔三字傍点〕は、既定條件をあらはす。
 
2149 山邊には 獵夫《さつを》のねらひ かしこけど 男鹿鳴くなり 妻の眼を欲《ほ》り
 
【口譯】 山のあたりでは、獵師の狙《ねら》ひがおそろしいけれど、妻に逢ひたさに、男鹿は鳴くのだ。
【語釋】 ○妻の眼を欲り 妻の眼が欲しくてといふのである、つまり、妻に逢ひたさにの意。
 
2150 秋萩の 散りぬる見れば おほほしみ 妻戀すらし さを鹿鳴くも
 
【口譯】 秋萩の散つてしまふのを見ると、氣もふさぐので、妻を戀しく思ふのであらう。男鹿が鳴くよ。
【語釋】 ○おほほしみ 二一三九の「おほほしみ」と同じやうに、不明ではつきりしないのでといふほどの意をもつのであるが、この場合に即していへば、氣がふさぐので。○妻戀《つまごひ》すらし つまごひをするのであ(212)らうといふいひ方になつてゐる。この妻〔傍点〕といふのを、花妻といはれる萩をさしてゐるといふ説もあるが、花妻ではなく、鹿の妻を意味してゐるのであらう。
【後記】 花妻である萩の散るを見て、氣の浮かぬ鹿の妻を呼ぶ聲をあはれと聞く意。
 
2151 山遠き 京《みやこ》にしあれば さを鹿の 妻呼ぶ聲は 乏しくもあるか
 
【口譯】 山に遠い京《みやこ》であるから、男鹿の、妻を呼ぶ聲は、めつたに聞けないよ。
 
2152 秋萩の 散り過ぎぬれば さを鹿は わび鳴きせむな 見ねば乏しみ
 
【口譯】 秋萩が散り過ぎてしまつたから、男鹿は、情なく思つて鳴くであらうよ。見なければ物足りないので。
【語釋】 ○散り過ぎぬれば 原文「散過去者」とあるので、チリスギユカバと訓まうとする説がある。それにても意味は通ずるが、もしその説を採るならば、第五句の、原文に「不見者乏焉」とあるのをミズバトモシミと訓まなければいけない。さうすると、全體の意味もかはつて來て、「秋萩が散り過ぎるやうになつたら、男鹿は情なく思つて鳴くであらうよ、見えないと物足りないので。」となる。
 
(213)2153 秋萩の 咲きたる野邊は さを鹿ぞ 露をわけつつ 妻問《つまどひ》しける
 
【口譯】 秋荻の花の咲いてゐる野邊では、男鹿が、露をおしわけて、妻問をしてゐるのだ。
【語釋】 ○妻問 既出。
【後記】 鹿が秋萩を踏みわけて行つた跡のあるのを見て詠んだものであらう。
 
2154 何《な》ぞ鹿の わび鳴《なき》すなる けだしくも 秋野の萩や 繁く散るらむ
 
【口譯】 どうして、鹿が困つた鳴きやうをしてゐるのか。多分、秋の野の萩の花が、盛に散るのであらう。
【語釋】 ○何《な》ぞ 何故に・どうして。○けだしくも おそらく・多分。○繁《しげ》く さかんに。
 
2155 秋萩の 咲きたる野邊に さを鹿は 散らまく惜しみ 鳴きぬるものを
 
【口譯】 男鹿は花の散るのを惜しんで鳴いてゐることであるよ、秋萩の花の咲いてゐる野邊に。
 
(214)2156 あしびきの 山のとかげに 鳴く鹿の 聲聞かすやも 山田守《も》らす兒《こ》
 
【口譯】 山の入り込んだところで鳴く鹿の聲をお聞きになるかね、山田の番をしておいでの人よ。
【語釋】 ○山のとかげ とかげ〔三字傍点〕は「常陰」の義であらう。いつも日の當らない、入り込んだ場所。○聲聞かすやも きかす〔三字傍点〕は「きく」の敬語。や〔傍点〕は疑の助詞。も〔傍点〕は感動の助詞。○山田|守《も》らす兒 もらす〔三字傍点〕は「もる」の敬語。
 
   蝉《ひぐらし》を詠める
2157 ゆふかげに 來鳴くひぐらし ここだくも 日毎《ひごと》に聞けど 飽かぬ聲かも
 
【口譯】 夕方に來て鳴くひぐらしは、たくさん、毎日聞くけれども、ほんとに聞き飽きない聲だ。
【語釋】 ○ゆふかげ かげ〔二字傍点〕は光の意で、夕の光を「ゆふかげ」といふのであるが、普通には「ゆうがた」の義と心得てよい。○ここだくも たくさん・多くの義。
【後記】 すらりとした、上品な歌。
 
   蟋蟀《こほろぎ》をよめる
(215)2158 秋風の 寒く吹くなべ わがやどの 淺茅《あさぢ》がもとに 蟋蟀《こほろざ》鳴くも
 
【題意】 以下三首コホロギを詠んだ歌である。蟋蟀は、和名抄には木里木里須とあるが、古くはコホロギといつたのである。この蟲は、今でもコホロギといふ。平安朝時代にキリギリスといつたのは、これである。
【口譯】 秋風の寒く吹くにつれて、わたしの家《うち》の庭にまばらに生えてゐる茅の根もとで、こほろぎが鳴いてゐる。
【後記】 感じのよい歌である。
 
2159 かげ草の 生ひたるやどの ゆふかげに 鳴く蟋蟀《こほろぎ》は 聞けど飽かぬかも
 
【口譯】 陰草《かげくさ》の生えてゐる、家《うち》の庭で、夕方鳴く蟋蟀《こほろぎ》は、いくら聞いても聞き飽きないね。
【語釋】 ○かげ草 建物とか木とか塀とか、さういふ物の陰に生える雜草。
【後記】 これもよい。
 
2160 庭草《にはくさ》に 村雨《むらさか》降りて こほろぎの 鳴く聲聞けば 秋づきにけり
 
【口譯】》 庭の草に、村雨が降つて、こほろぎの鳴くのを聞くと、すつかり秋らしくなつた。
(216)【語釋】 ○庭草 庭に生えてゐる草。○村雨 和名抄には、暴雨・白雨を無艮左女と訓んである。一しきりづつ強く急に降る雨を「むらさめ」といふ。○秋づきにけり 秋づく〔三字傍点〕は、秋らしくなる。
【後記】 蟋蟀の歌は、三首共に、情景兼ね備つて、歌柄がすぐれてゐる。
 
   蝦《かはづ》を詠める
2161 み吉野《よしぬ》の 石本《いはもと》去らず 鳴くかはづ うべも鳴きけり 河をさやけみ
 
【題意】 以下五首は河鹿《かじか》を詠んだ歌。カハヅは、今の河鹿《かじか》である。
【口譯】 吉野の川の石の下を離れずに鳴く河鹿は、鳴くのももつともである、河がきれいなので。
【語釋】 ○石本《いはもと》去らず 石本〔二字傍点〕をイソモトと訓む説もある。意味は同じである。○うべも うべ〔二字傍点〕は諾の義。うべも〔三字傍点〕はもつともにもといふ意の副詞。
 
2162 神名火《かむなぴ》の 山下《やました》響《とよ》み ゆく水の かはづ鳴くなり 秋といはむとや
 
【口譯】 神名火山の山の麓に、音を立てて、流れてゆく水に、かはづが鳴いてゐるのだ。秋だといはうとするのかしら。
(217)【語釋】 ○神名火 神奈備山といふのは、諸所にあるが、ここのかむなびは飛鳥の神奈備であらう。即ち雷岳のこと。○山下|響《とよ》み とよみ〔三字傍点〕は、動詞「とよむ」の連用形(中止法)。とよむ〔三字傍点〕は「ひびく」といふ意。
 
2163 草枕 旅に物おもひ わが聞けば 夕《ゆふ》片設《かたま》けて 鳴くかはづかも
 
【口譯】 旅中に、いろいろ物おもひをしてゐて、わたしが聞くと、夕方が迫つて來て、かはづが鳴いてゐるよ。
 
2164 瀬をはやみ 落ちたぎちたる 白浪に かはづ鳴くなり 朝夕《あさよひ》ごとに
 
【口譯】 瀬がはやいので、流れ落ちてわき立つてゐる白浪の中で、かはづが鳴いてゐるのだ、朝晩ごとに。
 
2165 上《かみ》つ瀬に かはづ妻呼ぶ 夕されば 衣手《ころもで》寒み 妻まかむとか
 
【口譯】 上の瀬で、かはづが妻を呼んでゐる。夕方になると、袖が寒いので、妻と共に寢ようとするのであらうか。
(218)【後記】 以上のかはづの歌は、いづれも凡作、特にいひたてるほどのことはない。
 
   鳥を詠める
2166 妹が手を 取石《とろし》の池の 波の間《ま》ゆ 鳥が音《ね》異《け》に鳴く 秋過ぎぬらし
 
【口譯】 取石《とろし》の池の浪の間から、水鳥が、今までとはちがつた聲で鳴くのが聞える、秋が過ぎたのであらう。
【語釋】 ○妹が手を 妹の手を取るといふので、「取石」にかかる枕詞。○取石の池 續日本紀の聖武天皇の神龜元年十月の條に、「行還至2和泉國取石頓宮1」とある地。今の大阪府泉北郡取石村である。○鳥が音《ね》異《け》に けに〔二字傍点〕は「ちがつて」。今までとは異に感じられるをいふ。
【後記】 水鳥の鳴く音の、今までとは變つて來たのを感じて、秋が暮れてゆくことをさとつたのである。季節の推移に敏感な詩人の佳作。
 
2167 秋の野の 尾花が末《うれ》に 鳴く百舌鳥《もず》の 聲聞くらむか 片待《かたま》つ吾妹《わぎも》
 
【口譯】 秋の野に咲いてる尾花のさきの方で鳴く百舌鳥の聲を、わたしを待ちぬいてゐる妻は聞(219)くであらうか。
【語釋】 ○片待つ吾妹 「片待」は原文に「片聞」とあるが、意が通じない。宣長の「片待」の誤とする説に從ふ。かたまつ〔四字傍点〕は、ひたすら待つといふ意。
【後記】 夫を待ちに待つてゐる妻が、秋風のわたる野に出て、尾花にすがる百舌鳥の聲を聞くだらうと想像しては、歸心も矢の如くならざるを得まい。秀逸である。
 
   露を詠める
2168 秋萩に おける白露 朝な朝な 珠とぞ見ゆる 置ける白露
 
【口譯】 秋萩においてゐる白露は、毎朝毎朝、珠と見える、置いてゐる白露は。
【語釋】 ○珠とぞ見ゆる 原文「珠斗曾見流」とあるのが、元暦校本には、「珠年管見流」となつてゐる。それによれば、珠トシゾ見ル。
 
2169 夕立の 兩降るごとに【一に云ふ、うちふれば】 春日野の 尾花が上の 白露おもほゆ
 
【口譯】 夕立の雨の降る、その度《たび》ごとに、(【一に云ふ、夕立の雨が降れば】)春日野の尾花の上におく白露の風情(220)がおもひやられる。
【語釋】 ○夕立の 後世になると、夕立の雨は、夏のものとなつてゐるが、古くは、秋の頃のものをも夕立といつた。俄に雲が起つて、夕暮のやうになつて、即ち夕だちて降る雨を「ゆふだち」といふのである。
【後記】 いやみのない、無難の作。
 
2170 秋萩の 枝もとををに 露霜《つゆじも》おき 寒くも時は なりにけるかも
 
【口譯】 秋萩の枝も撓《しな》ふほどに、水霜《みづしも》がおいて、時候が寒くなつたのだね。
【語釋】 ○とををに 「たわたわ」(撓々)の義といふ。物の撓《しな》ふ形容に用ゐられる副詞。○露霜《つゆじも》 二一二七の歌參照。
【後記】 いかにも寒くなつたものだといふ感が、實感として浮き出してゐる。
 
2171 白露と 秋の萩とは 戀ひ亂り わく事|難《かた》き わが情《こころ》かも
 
【口譯】 白露と萩の露とは、どれも戀しく思ひ亂れてゐるので、わたしのこゝろでは、どちらがよいと區別することが出來ない。
(221)【後記】 この歌、第三句の意味が、はつきりしない。代匠記精撰本には「戀亂トハ霹ト芽子トヲ共ニ痛ク愛スル意ナリ。(中略)貫之ノ、春秋ニ思ヒ亂テ分カネツ時ニ付ツゝウツル心ハトヨマレタル、今ノ歌ニ似タリ。」といつてある。
 
2172 わがやどの 尾花おしなべ おく露に 手觸れ吾妹子《わぎもこ》 散らまくも見む
 
【口譯】 わたしの家《うち》の庭にある尾花をおし靡かしておいてゐる露に、手をお觸れなさい、吾妹子よ、露の散るのを見ませう。
【語釋】 ○尾花おしなべ 露が重くおくので、尾花が押しつけられてゐるといふ意味でいつたのである。尾花をおしなびかして。○手觸れ ふれ〔二字傍点〕は命令形。「ふれよ」といふのを、古くは、單に「ふれ」といつた。
【後記】 庭にある、穗に出た尾花には、白露が一ばいにおいてゐる。いかにも美しい。白玉の散るのを見ようとするのは、望蜀の念に出づるもの。いはんや、金屋の阿嬌をして繊手をこれに觸れしめんとするにおいてをやである。
 
2173 白露を 取らば消《け》ぬべし いざ子ども 露に競《きほ》ひて 萩の遊《あそび》せむ
 
(222)【口譯】 白露を手に取つたらば消えるだらう。さあ、子供たち、露の消えないうちに、萩の宴をしよう。
【語釋】 ○露に競ひて 露に負けずの意であるが、露はぢき消えるものであるから、これを爭ひ、これに負けないといふことは、露の消えないうちにといふことになる。○萩の遊《あそび》 萩の花を鑑賞する會。
 
2174 秋田刈る 假廬《かりは》を作り わが居《を》れば 衣手寒く 露ぞ置きにける
 
【口譯】 秋の田を刈るための假小屋を作つて、わたしがゐると、着てゐる着物の袖が寒く、その袖の上に、露がおくのである。
【後記】 後撰集に、天智天皇の御製として載せた「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」といふのは、この歌の改作である。
 
2175 この頃の 秋風寒し 萩が花 散らす白露 おきにけらしも
 
【口譯】 この頃吹く秋風は寒い。萩の花を散らす白露は、もうおいてゐるだらうよ。
【後記】 秋風が寒く吹くやうになつたから、もう萩の花に白露がおりて、そのために花がいため(223)られて散ることにもならうといふのが、この歌の意味である、
 
2176 秋由刈る ※[くさがんむり/店]手《とまて》搖《うご》くなり 白露は 置く穗田《ほだ》なしと 告げに來《き》ぬらし【一に云ふ、告げに來らしも】
 
【口譯】 秋の田を刈るための假小屋の苫《とま》の端《はし》が動いてゐる。あれは、白露が、おりるべき、稻の穗のある田が無いと告げに來たのだらう。
【語釋】 ○※[くさがんむり/店]手《とまて》 ※[くさがんむり/店]〔傍点〕の字はよくわからない。代匠記精撰本の説に從つて、「苫」の字の誤とみる。しかして、とまて〔三字傍点〕は、假小屋の戸口に、苫が下げてある、その苫の端のことである。て〔傍点〕は、帆手・綱手などいふ「てしと同じであらう。ただし、宣長の説では、「※[くさがんむり/店]手搖」は「衣手※[さんずい+搖の旁]」でソデヒヂヌであるといふ。○一に云ふ告げに來らしも 告げに來らしも〔七字傍点〕は、告げに來るのであらうの意。本文の、告げに來たのであらうといふのと、時間的の相異がある。
【後記】 この歌を、前記の如き意味のものとすれば、まことにめづらしいものである。苫の端の風に動くのを、白露が、人が田を刈りつくしたから露のおき所がないと許へて來たのだらうといつたのは、奇想天外より落ちるといつてもよい。しかし、奇なるもの、かならずしも、常に、よいものではない。
 
(224)   山を詠める
2177 春は萠《も》え 夏は緑に くれなゐの 綵色《まだら》に見ゆる 秋の山かも
 
【口譯】 春は、草や木の芽が萠え、夏は、その葉が緑色になり、秋の山は、紅の色が、濃淡入り交つて見えるよ。
【語釋】 ○綵色《まだら》 この二字をイロイロと訓む説もあるが、いづれにしても、紅の色が濃淡相錯綜してゐることをいふのである。
【後記】 この歌は、山の、季節による變化を詠んだものであるが、「春は」・「夏は」といつて來て、第三・四句において、秋の特色をあげ、「秋の山かも」と結んでゐるのは、單調を避けようとした句法であるが、また、そこに、獨特の妙趣を生ぜしめてゐる。
 
   黄葉《もみぢ》を詠める
2178 妻ごもる 矢野の神山 露霜《つゆじも》に にほひそめたり 散らまく惜しも
 
【口譯】 矢野の神山は、水霜《みづじも》のために、色がつき初めた、散るのは惜しいね。
(225)【語釋】 ○妻ごもる 「矢野」のや〔傍点〕にかかる枕詞。「妻のこもる屋《や》」とつづくのである。○矢野の神山 矢野〔二字傍点〕といふ地名は諸所にある。いづれをさしてゐるか不明。
 
2179 朝露に にほひそめたる 秋山に 時雨《しぐれ》な降りそ ありわたるがね
    右の二首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
 
【口譯】 朝露のために、色づき初めた秋山には、時雨よ、降つてくれるな、色づいた黄葉が、そのまゝ殘るために。
【語釋】 ○ありわたるがね 「ありわたる」のあり〔二字傍点〕は、現状のままに存する義、わたる〔三字傍点〕は繼續する義であるから、ありわたる〔五字傍点〕は存續することになる。がね〔二字傍点〕は「ために」。
 
2180 九月《ながつき》の 時雨《しぐれ》の雨に ぬれとほり 春日《かすが》の山は 色づきにけり
 
【口譯】 九月に降る時雨の雨にすつかりぬれて、春日の山の木々の葉は、色づいたよ。
【後記】 時雨のために、木の葉が紅くなるといふことは、周知の事がらになつてゐたのである。
 
(226)2181 鴈がねの 寒き朝明《あさけ》の 露ならし 春日《かすが》の山を 黄《もみ》だすものは
 
【口譯】 鴈の鳴く聲の、寒く聞える、早朝に降る露であらう。春日の山の木々の葉をあかく染めるものは。
【語釋】 ○朝明《あさけ》 早朝。○黄《もみ》だすものは 原文「令黄物者」とある。もみだす〔四字傍点〕は、「もみづ」といふタ行四段活用の動詞が、さらにサ行四段に活用したものと見るのである。「もみだす」の構成については、疑はしい點もないではないが、舊訓もさうであり、後撰集にも、「鴈鳴きて寒き朝《あした》の露ならし龍田の山をもみだすものは」として、この歌を引いてゐるのなどによつても、まづ、この訓に從つておくべきのであらう。「もみづ」といふ語が、さらにハ行四段に活いた例が、卷十五(三六九七)にあるのを見ると、サ行四段に轉じて活くのも、あり得ぬこととは考へられない。なほ、この訓は、元暦校本にはニホハスとある。
【後記】 鴈の鳴く聲の寒い早朝の露であらうといつた、この語句は、いかにも冷々した露を感ぜしめる。
 
2182 この頃《ごろ》の 曉露《あかときつゆ》に わがやどの 萩の下葉は いろづきにけり
 
【口譯】 この頃、夜明け方に降りる露のために、わたしのうちの、萩の下葉は、色がつきました(227)よ。
 
2183 鴈がねは 今は來鳴きぬ わが待ちし 黄葉《もみぢ》はや繼《つ》げ 待てば苦しも
 
【口譯】 鴈は、もう來て鳴いた。わが待つてゐた黄葉は、はやく、鴈の後《あと》を繼《つ》げよ、待つてゐると苦しいね。
【語釋】 ○黄葉はや繼げ 鴈はもう鳴いたから、この後を繼いで、はやくあかくなれといふ意。
 
2184 秋山を ゆめ人|縣《か》くな 忘れにし そのもみぢ葉の 思ほゆらくに
 
【口譯】 秋の山のことを、人はどうか決して話題としてくるな。忘れてゐた、秋山のもみぢ葉のことが思ひ出されるからよ。
【語釋】 ○ゆめ人|懸《か》くな 決して、人は、言葉にかけるなといふ意。
【後記】 秋山の紅葉に對する執着心の深いことをいつてゐる。思出すと困るから、噂もしてくれるなといふのである。
 
(228)2185 大阪を わが越え來れば 二上《ふたかみ》に 黄葉《もみぢば》流る 時雨ふりつつ
 
【口譯】 大阪をわたしが越えて來ると、二上山では、紅葉が盛に散つてゐる、時雨の雨が降つてゐて。
【語釋】 ○大阪 奈良縣北葛城郡下田村の西にあつて、下田から河内へ越える逢坂のこと。二上山の北方に接してあるといふ。○流る あとからあとから紅葉の散るをいふ。
【後記】 「黄葉流る時雨ふりつつ」といふ下の句がよい。
 
2186 秋されば おく白露に わが門《かど》の 淺茅が未葉《うらば》 色づきにけり
 
【口譯】 秋になると、白露が置くので、わたしのうちの門前の、まばらに生えてゐる茅の、さきの方の葉も、赤い色に染まつて來た。
 
2187 妹が袖 卷來《まきき》の山の 朝露に にほふもみぢの 散らまく惜しも
 
【口譯】 卷來の山に降りる朝露で色づいた紅葉の散るのが惜しい。
【語釋】 ○妹が袖 「卷來」のまき〔二字傍点〕にかかる枕詞。○卷來の山 不明。
 
(229)2188 黄葉《もみぢば》の にほひは繁《しげ》し しかれども 妻梨の木を 手折りかざさむ
 
【口譯】 黄葉の色はきまざまである。しかし、そのうちでも美しい、梨の木の黄葉を手折つて、髪に挿さう。
【語釋】 ○繁し ここでは色が複雜であるといふ意。○妻梨の木 つま〔二字傍点〕といふ語は、輕く「妻無し」とつづけただけのことで、別に意味はない。序と見ればよい。
 
2189 露霜《つゆじも》の 寒き夕《ゆふべ》の 秋風に もみぢにけりも 妻梨の木は
 
【口譯】 水霜が降つて寒い夕方に吹く秋風のために、梨の木の葉が、あかくなつたよ。
 
2190 わが門《かど》の 淺茅色づく 吉隱《よなばり》の 浪柴の野の もみぢ散るらし
 
【口譯】 わたしの家の門前に、まばらに生えてゐる茅が、あかくなつた。さうしてみると、吉隱にある浪柴の野の紅葉は、もう散るだらう。
【語釋】 ○吉隱の浪柴の野 吉隱〔二字傍点〕は、奈良縣磯城郡初瀬町のうちに、その地がある。初瀬町から榛原町に向(230)ふ道の途中にあるといふ。浪柴の野〔四字傍点〕は、吉隱にあるといふが、詳かでない。
 
2191 鴈が音を 聞きつるなべに 高松《たかまと》の 野《ぬ》の上《へ》の草ぞ 色づきにける
 
【口譯】 鴈の聲を聞いたと同時に、高松の野のほとりの草が色づいて、あかくなつたね。
【語釋】 ○聞きつるなべに なべに〔三字傍点〕は共にの義であるが、ここでは、聞いたかと思ふと、聞いたと同時にといふやうな意。○高松の野 高圓の野のことか。
 
2192 わがせこが 白栲衣《しろたへごろも》 往き觸らば にほひぬべくも もみづ山かも
 
【口譯】 わが夫の着てゐる白い栲の着物が、通り掛《がか》りにさはつたなら、染まりもしさうに、山が紅葉してゐるよ。
【語釋】 ○白栲衣 白くさらした、栲《たへ》の繊維で織つた布の衣服。
【後記】 この歌で、當時、白栲の衣の着られてゐたことがわかるのであるが、それと同時に、白栲衣を着て、紅にもえる紅葉の山をゆく人の姿を想見するのもおもしろい。
 
(231)2193 秋風の 日に異《け》に吹けば 水莖《みづくき》の 岡の木《こ》の葉も 色づきにけり
 
【口譯】 秋風が日ましに冷やかに吹くので、岡の木の葉も、あかく染まつたよ。
【語釋】 ○日に異《け》に 日一日と秋らしさを増す意味で、「ひにけに」といつたので、けに〔二字傍点〕は「異《け》に」の義。ひにけに〔四字傍点〕は、日ましに。これを「日に日《け》に」と解する説もあるが、卷十のうちの「異《け》に」の用例を見るに、この場合だけを「日《け》に」の義と解するのは、理由が立たない。ただし、元暦校本・類聚古集・神田本など多く、「日異」をヒコトニと訓んでゐる。その訓によれば、「日毎に」の義となる。○水莖《みづくき》の 「岡」の枕詞。
【後記】 秋風のやうな、さらつとした歌。
 
2194 鴈がねの 來鳴きしなべに 韓衣《からごろも》 立田の山は もみぢ始《そ》めたり
 
【口譯】 鴈が來て鳴いたと同時に、立田の山は、紅葉しはじめたよ。
【語釋】 ○韓衣 「たつ」(裁)にかかる枕詞。韓衣を裁つといふ意味で。
 
2195 鴈がねの 聲聞くなべに 明日《あす》よりは 春日《かすが》の山は もみぢ始《そ》めなむ
 
【口譯】 鴈の鳴く聲を聞くと同時に、明日からは、春日の山は紅葉しはじめるだらう。
(232)【語釋】 ○もみぢ始《そ》めなむ 原文「黄始南」とある。これをニホヒソメナムと訓む説がある。二一八一の歌、參照。
 
2196 時雨《しぐれ》の雨 間無くし降れば 眞木《まき》の葉も あらそひかねて 色づきにけり
 
【口譯】 時雨の雨が、絶間なく降るので、眞木の葉も、抵抗することが出來なくて、あかく染まつたよ。
【語釋】 ○眞木 檜をいふ。建築材料としてよい木であるから、美稱ま〔傍点〕をつけて、「まき」といふ。
【後記】 檜のやうな常緑木は色かへぬわけであるが、秋になると、實際は、いくらか(233)色づくものであるから、かう歌つたのであらう。
 
2197 いちじろく 時雨の雨は 降らなくに 大城《おほき》の山は 色づきにけり
 
【口譯】 ひどくは、時雨の雨も降らないのに、大城の山は、あかく染まつたよ。
【語釋】 ○いちじろく 顯著にはといふ意。○大城の山 大野の山と同じ。福岡縣筑紫郡にある。
 
2198 風吹けば 黄葉《もみぢ》散りつつ しましくも 吾《あが》の松原 清からなくに
 
【口譯】 風が吹くと、紅葉が散つて、しばら(234)くの間も、吾《わが》の松原は、さつぱりしてゐない。
【語釋】 ○しましくも しましく〔四字傍点〕は「しばらく」といふ語と、ほぼ同意の語。○吾《わが》の松原 原文「吾松原」とある。舊訓ワカマツハラハ、元暦校本ワガマツハラノ。ただし、卷六の歌に「妹爾戀、吾乃松原」(一〇三〇)とあるのと同じ地名であるとすれば、ワガノマツバラと訓むべきやうである。前記卷六の歌の左註には、「吾松原在2三重郡1」とあつて、伊勢の地名であるが、所在はたしかでない。したがつて、この「吾」はアガと訓むかワガと訓むかも、明らかでないが、これは、しばらく舊訓によつてワガと訓んでおく。○清からなくに 紅葉が常に散らかつてゐるので、きれいではないといふのである。
 
2199 物《もの》思《も》ひて 隱《こも》らひ居《を》りて 今日見れば 春日《かすが》の山は 色づきにけり
 
【口譯】 物思ひをして、うちにばかり引籠つてゐて、今日久しぶりに外を見ると、春日の山は、いつの間にか、あかく染まつたよ。
 
2200 九月《ながつき》の 白露|負《お》ひて あしびきの 山のもみぢむ 見まくしもよし
 
【口譯】 九月の頃に降《お》りる白露を受けて、山のあかくなるのを見るのは、うれしい。
(235)【語釋】 もみぢむ もみづ〔三字傍点〕はダ行上二段の動詞。
 
2201 妹《いも》がりと 馬に鞍置きて 生駒《いこま》山 うち越え來れば 紅葉《もみぢ》散りつつ
 
【口譯】 妻のところへ行かうと、馬に鞍を置いて乘つて、生駒山を越えて來ると、道には紅葉が散つてゐる。
【後記】 初句および第二句を序と見る説は、よくなからう。しかし、「馬に鞍置きて」と「生駒山」との間に、何等かのつながりがあるやうに見えるので、そこに巧まざるおもしろみがある。
 
(236)2202 もみぢする 時になるらし 月人《つきひと》の 楓《かつら》の技の 色づく見れば
 
【口譯】 地上の草木も紅葉する季節になるのであらう、月の中のかつらの枝の紅くなるのを見ると。
【語釋】 ○月人《つきひと》の 月を人格化して「つきひと」といつたのである。「月人」の人は「内」の誤であつてツキノウチノと訓むべきのだといふ古義の説は、新考の賛成をも得てゐるが、それは、根據のない説である。「つきひと」といふ、人格化した名稱を用ゐたので月中の楓といふ意味にふさはしくないといふのであらうが、月の桂といひ、山人の松といふいひ方が許されるならば、「月人の楓」もまた、そのままに受容れられる筈である。○楓 古事記などにも、楓〔傍点〕をカツラをあらはす文字として用ゐてゐる。古事記天若日子の段に「湯津楓」とあるのを、日本書紀の同じ段には、「湯津杜木」と書き、「杜木此云2可豆羅1」といふ註がついてゐる。和名抄には、楓をヲカツラ、桂をメカツラと訓んでゐるが、楓と桂とは、メとヲとで分たれるほどの近い關係をもつものではない。しかし、それが、さういふやうに考へわけられてゐたといふことは、ただ楓の字をも桂の字をも、共にカツラとよんでゐたからであらう。したがつて、傳説にある月中の桂をあらはすに楓字を以てしてゐることも怪しむに足りない。
 
2203 里《さと》も異《け》に 霜は置くらし 高松の 野山司《ぬやまづかさ》の 色づく見れば
 
(237)【口譯】 里でも際立《きはだ》つて、霜が置くのであらう。高松の野山のうちの小高い所の紅く染まつたのを見ると。
【語釋】 ○里も異に 宣長説では、「里」を「旦」の誤とし、アサニケと訓んでゐる。古點には、里異〔二字傍点〕はサトゴトニと訓んであつたといふので、新訓は、それに從つてゐる。しかし、異〔傍点〕の字をゴトに借りた例も見えないから、サトゴトニと訓むのは當らないし、里〔傍点〕を旦〔傍点〕の誤とするのも、根據が無い。やはり、文字はもとのままとし、異〔傍点〕は、卷十のうちに見えてゐる、普通のつかひ方によるものと見て、サトモケニと訓み、里もきはだつて、の義に解すべきであらう。○野山司《ぬやまづかさ》 「ぬやまづかさ」といふ語は、他に例を見ない。つかさ〔三字傍点〕は阜の意味で、小高い所をさすのであるから、これによつて推考すれば、野や山の小高い所の義か。
 
2204 秋風の 日《ひ》に異《け》に吹けば 露しげみ 萩の下葉は 色づきにけり
 
【口譯】 秋風が日ましに冷たく吹くから、露が多くおくので、萩の下葉は、紅く染まつたよ。
 
2205 秋萩の 下葉もみぢぬ あら玉の 月の歴《へ》ゆけば 風を疾《いた》みかも
 
【口譯】 秋萩の下葉が紅くなつた。月がだんだん經《た》つて行《い》つて、風がひどくなつたからであらう(238)か。
【後記】 これは、前の二二〇四の歌と同趣の歌である。「秋風の日に異《け》に吹けば」と「月の歴ゆけば風を疾《いた》みかも」と、語は異なるが、意は同じである。前の歌の四・五の句と、後の歌の、一・二の句とも同樣である。しかも、この二首は見る人にちがつた感じを與へる。前者には、野を行く水のしづけさがあり、後者には、灘を下る流の急な勢がある。ひとへに、それは格調の差による。
 
2206 まそ鏡 南淵《みなぶち》山は 今日もかも 白露おきて 黄葉《もみぢ》散るらむ
 
(239)【口譯】 南淵《みなぶち》山には、今日もやつぱり、白露が降《お》りて、紅葉が散ることであらう。
【語釋】 ○まそ鏡 「南淵山《みなち》」のみ〔傍点〕にかかつて「見」とつづく枕詞。○南淵山 奈良縣高市郡にある稻淵山。
 
2207 わがやどの 淺茅《あさぢ》色づく 吉隱《よなばり》の 夏身《なつみ》の上に 時雨|降《ふ》るかも
 
【口譯】 わたしの家《うち》の庭にまばらに生えてゐる茅が、あかく染まつてゐる。吉隱の夏身あたりでは、時雨が降つてゐるだらう。
【語釋】 ○吉隱《よなばり》 二一九〇の歌參照。○夏身 今の何處にあたるか、不詳。
【後記】 自分の屋敷の淺茅の色づくによつて、夏身あたりの時雨をおもひやつたのである。
 
2208 鴈がねの 寒く鳴きしゆ 水莖《みづくき》の 岡の葛葉《くずは》は 色づきにけり
 
【口譯】 鴈が聲も寒さうに鳴いた時から、岡の葛《くず》の葉は、あかく染まつたよ。
【語釋】 ○寒く鳴きしゆ 寒さうに鳴いた時からの義。「時」を補つて解する。○水莖の 二一九三の歌參照。
 
(240)2209 秋萩の 下葉のもみぢ 花に繼ぐ 時過ぎゆかば 後《のち》戀《こ》ひむかも
 
【口譯】 秋萩の下葉の紅いのが、花の散つた後《あと》に殘つて、後繼者となる、その時が過ぎて行つたならば、後《あと》になつて、今が戀しく思はれるだらうよ。
【後記】 今は萩の花が盛である。これが散つてもまだ、下葉の紅葉が殘るから、しばらくは、物淋しさを感じまい。しかし、その下葉の紅葉の季節が過ぎてしまつたらば、花の盛のことが、いろ/\追懷されるであらうといふのである。
 
2210 明日香河《あすかがは》 黄葉《もみぢば》流る 葛城《かつらぎ》の 山の木《こ》の葉は 今し散るかも
 
【口譯】 飛鳥川には、紅葉が流れてゐる、葛城山の木の葉は、今散るのかなあ。
【語釋】 ○明日香河 これを大和の飛鳥川とするは當らない。山田孝雄氏の説によると、この「あすか河」は、河内國古市郡飛鳥里(今の南河内郡駒ケ谷村の内)の傍を流れる飛鳥川で、その川上に沿つた道路は、古の大坂である、この川の水源は三つあるが、そのうちの二つは二上嶽の西から出てゐるといふことである(アララギ第十六卷)。まことに、この説の通りであつて、葛城の山との關係もこれによつて、明らかになる。すなはち、葛城山といふのも、葛城郡にある山の義で、二上嶽をさすものと見られる。卷一の一六五の詞書にも、「葛城の二上山」とある。
 
2211 妹が紐 解くと結ぶと 立田山 今こそ黄葉 はじめたりけれ
 
【口譯】 (妹が紐を、解くとては、また結ぶとては立つ)、立田山は、今こそ紅葉しはじめたよ。
【後記】 この歌、初句と第二句とは、「立つ」にかゝる序詞。第二句については、とかくの説があるが、しばらく略解の説にしたがふ。
 
2212 鴈がねの なきにし日より 春日《かすが》なる 三笠の山は 色づきにけり
 
【口譯】 鴈の鳴いた日から、春日にある三笠の山は、あかく染まつたよ。
【語釋】 ○春日なる三笠の山 この春日〔二字傍点〕は、春日山をいふのではなく、廣く奈良の附近一帶の山野をさしていつてゐるのである。したがつて、春日にある三笠の山といへる。三笠山は、また御蓋山とも書いた。奈良市中から見て、春日山の前に見える山。
 
2213 この頃の あかとき露に わがやどの 秋の萩原 色づきにけり
 
(242)【口譯】 この頃の曉におく露で、わたしのうちの、萩の生えてゐるところは、紅く染まりましたよ。
【語釋】 ○あかとき露 あかときは「あかつき」(曉)で、曉におく露の義。○秋の萩原 秋には、萩が簇生して、萩原を成すところ。
 
2214 夕されば 鴈が越えゆく 龍田山 時雨に競《きほ》ひ 色づきにけり
 
【口譯】 夕方になると、鴈の越えて行く龍田山は、時雨と先を爭つて、紅く染まつたよ。
【語釋】 ○時雨と競《きほ》ひ 時雨と先後を爭ふ意。
 
2215 さ夜《よ》更《ふ》けて 時雨な降りそ 秋萩の 本葉《もとは》の黄葉《もみぢ》 散らまく惜しも
 
【口譯】 夜が更けてから、時雨は降つてくれるな、秋萩の下葉の紅くなつてゐるのの散るのが惜しいよ。
【語釋】 ○本葉 根元の葉、下葉のこと。
【後記】 靜夜寂々、たま/\、時雨の窓を拍つのに驚いて、萩の下葉をあはれむ、幽情の掬すべ(243)きものがある。
 
2216 古郷《ふるさと》の 初黄葉《はつもみぢば》を 手折《たを》り持ち 今日ぞわが來《こ》し 見ぬ人のため
 
【口譯】 もとの都の初紅葉を手折つて、それを手にして、今日わたしは來た、見ない人のために。
【後記】 古京を秋に訪れたところが、初紅葉の色が美しいので、共に來なかつた人のためにと、一枝手折つて來たのであらう。
 
2217 君が家《いへ》の 黄葉《もみぢば》はやく 散りにしは 時雨の雨に ぬれにけらしも
 
【口譯】 あなたのうちの紅葉が、はやく散つたのは、時雨の雨にぬれたのでせうね。
【後記】 染めるのも時雨、散らすのも時雨。
 
2218 一年《ひととせ》に 二《ふた》たび行《ゆ》かぬ 秋山を 情《こころ》に飽かず 過しつるかも
 
【口譯】 一年に二度|來《こ》ない秋の山であるのに十分にも見ないで、空しく過してしまつたことだ。
【語釋】 ○一年に二たび行かぬ 秋は、一年に二度とは來ないといふ意。○情《こころ》に飽《あ》かず 心で滿足しないと(244)いふ意。情《こころ》の飽き足りるほど、十分にも見ないでといふこと。
 
   水田《こなた》を詠める
2219 あしびきの 山田作る子 秀《ひ》でずとも 繩《なは》だに延《は》へよ 守《も》ると知るがね
 
【題意】 以下三首は水田の歌。水田は、和名抄に、漢語抄を引いて、水田、古奈多と記してあるによつて、コナタと訓むべきのである。コナタは、本來、熟田を意味したものであらう。熟田は、開墾して二年目の田をいふのであるが、それが轉じて耕作される田を意味するやうになつたと同樣に、コナタといふ語も、轉々して、陸田に對する水田を意味するやうになつたものと考へられる。
【口譯】 山田を作る人よ、まだ稻の穗が出なくても、繩だけでもお張《は》りなさい、番をしてゐると、他の人が知るやうに。
【語釋】 ○秀でずとも ひづ〔二字傍点〕は稻の穂が出ること。
【後記】 この歌は、譬喩の歌らしくも思はれる。あなたが妻としようと思ふのならば、はやく、この娘はあなたのだといふことがわかるやうに、はつきりおさせなさいといふやうにも解される。
 
(245)2220 さを鹿《しか》の 妻よぶ山の 岳邊なる 早田《わさだ》は刈らじ 霜は降《ふ》るとも
 
【口譯】 男鹿が妻を呼んで鳴く山の、岡のほとりにある、早稻の田は刈るまい、霜は降つても。
【後記】 田を刈るまいといふのは、鹿を驚かすまいといふ心づかひからであらう。
 
2221 わが門に 禁《も》る田を見れば 佐保の内の 秋萩すすき おもほゆるかも
 
【口譯】 わたしのうちの門前にある、人が番をしてゐる田を見ると、佐保の内に咲いてゐる秋萩や薄の花が思ひ出されるよ。
【語釋】 ○禁《も》る田 もる〔二字傍点〕は、守る・番をするの義。稻が熟するやうになると、番小屋を建てて番人をおく。○佐保の内 一八二七の歌參照。
【後記】 田舍にゐて、奈良の都の近郊佐保の秋を偲んだ歌であらう。
 
   河を詠める
2222 夕さらず 河蝦《かはづ》鳴くなる 三輪川の 清き瀬の音《と》を 聞かくしよしも
 
(246)【口譯】 夕方はいつでも河鹿の鳴く三輪川の、清い瀬のおとを聞くのがうれしい。
【語釋】 ○夕さらず 夕方かかさずといふ義で、夕方はいつでもといふこと。○三輪川 初潮川の下流、三輪山の附近における名。
【後記】 清爽といふ感じを伴ふ歌。
 
   月を詠める
2223 天《あめ》の海《うみ》に 月の船浮け 桂梶《かつらかぢ》 かけて榜《こ》ぐ見ゆ 月人壯子《つきひとをとこ》
 
【口譯】 月人壯子《つきひとをとこ》が、天の海に、月の船を浮べて、その船に、桂の木でこしらへた櫂をつけて漕いでゐるのが見える。
(247)【後記】 この歌における月人壯子は、月の人格化ではなく、月にゐる人らしくも思はれる。その混線してゐるところに、また詩韻の漂渺たるものがある。しかし、月の船といひ、桂の梶といふのは、確かに漢詩から來たものであらう。現に懷風藻の文武天皇の御製の詩に「月舟〔二字右○〕移2霧渚1、楓※[楫+戈]〔二字右○〕泛2霞濱1」の句があるが、月舟は月の船、楓※[楫+戈]は桂の梶であることは、言を須たない。
 
2224 この夜《よ》らは さ夜《よ》ふけぬらし 雁が音の 聞ゆる空ゆ 月立ちわたる
 
【口譯】 今夜は、夜が更けたのであらう、鴈の聲の聞える空を、月が移つて行く。
【語釋】 ○この夜《よ》らは 「夜ら」のら〔傍点〕は接尾辭。○月立ち渡る 月が出て空を動いて行くことを意味する。立つ〔二字傍点〕は出ること、わたる〔三字傍点〕は移り行くこと。
 
2225 わがせこが 挿頭《かざし》の萩に 置く露を さやかに見よと 月は照るらし
 
【口譯】 わが友が挿頭《かざし》にした萩の花に置く露を、はつきり見よと、月は照るのであらう。
【語釋】 ○わがせこ ここのせこ〔二字傍点〕は友をさしていつたのだらうといふ説がよい。
【後記】 月下の宴に、萩の花を挿頭にした人があつたのであらう。月も心ありげである。
 
(248)2226 心無き 秋の月夜《つくよ》の もの思《も》ふと いのねらえねに 照りつつもとな
 
【口譯】 物思をしてゐて、眠られないのに、察しの無い、秋の月が、徒らに照らしてゐる。
【語釋】 ○月夜《つくよ》 月夜といつて月を意味することは、集中に多い。ここもそれである。○いのねらえぬ 寢《い》の寐《ね》らえぬ。い〔傍点〕は眠ること、ね〔傍点〕は臥すこと。いのねらえぬ〔六字傍点〕は、眠られないといふこと。○もとな 既出。
【後記】 一・二の句は、句を隔てゝ、第五句につゞく。
 
2227 思はぬに 時雨の雨は 降りたれど 天雲《あまぐも》霽《は》れて 月夜《つくよ》さやけし
 
【口譯】 意外に、時雨の雨は降つたけれど、ぢきに、空の雲が霽れて、月が清く照つてゐる。
【後記】 雨後の明月、清光滿地に布くのであらう。
 
2228 萩が花 開《さき》のををりを 見よとかも 月夜《つくよ》の清き 戀まさらくに
 
【口譯】 萩の花が咲いて撓《しな》つてゐるのを見よといふのであらうか、月がよい、これでは、萩に對する戀心が増して來るだらうに。
(249)【語釋】 ○開《さき》のををり さき〔二字傍点〕は「咲き」であるが、ををり〔三字傍点〕は撓ふことを意味する動詞「ををる」の名詞形。
【後記】 曲《きよく》のある歌である。第五句が利《き》いてゐる。
 
2229 白露を 玉に作《な》したる 九月《ながつき》の 在明《ありあけ》の月夜《つくよ》 見れど飽かぬかも
 
【口譯】 白露を玉にこしらへてゐる、九月の、在明の月は、見ても見ても見飽きないよ。
【後記】 平明、淡々、水の如き味のある歌。容易に得難い明珠である。
 
   風を詠める
2230 戀ひつつも 稻葉かきわけ 家《いへ》居《を》れば 乏《とも》しくもあらず 秋の夕風
 
【口譯】 風を戀しがりながら、稻の葉をかきわけて住んで居《を》れば、秋の夕風は、不足でない。
【語釋】 ○戀ひつつも 風を戀ひつつもである。○家《いへ》居《を》れば 稻葉をかきわけて住んでゐるといふことは、稻葉のつづく田の面《も》に假廬をつくつて、そこに住むことを意味してゐる。○乏しくもあらず 第一句の「戀ひつつも」に照應する句で、足りなくはないといふこと。
 
(250)2231 萩が花 咲きたる野邊に ひぐらしの 鳴くなるなべに 秋の風吹く
 
【口譯】 秋の花の咲いてゐる野邊に、蜩の鳴くのにつれて、秋の風が吹く。
【後記】 この歌には、秋風の萩をわたるが如き餘韻がある。哀音遠く野をこえて、どこに消えるのであらうか。
 
2232 秋山の 木葉もいまだ もみぢねば 今日《けさ》吹く風は 霜も置きぬべく
 
【口譯】 秋山の木の葉はまだ紅葉もしてゐないのに、今朝吹く風ははや霜も置くほどになつてゐる。
 
   芳《かをり》を詠める
2233 高松《たかまと》の この峯《みね》も狹《せ》に 笠立てて 盈《み》ち盛《さか》りたる 秋の香《か》のよさ
 
【題意】 「芳」は「茸」の誤とする説もあるが、大矢本・京大本に、「芳」をカホリと訓んであるのに從ふ。
【口譯】 この高松の山も狹いほどに、笠を立てて、一ぱいに、盛に生えてゐる、秋のかをりのよいことよ。
(251)【後記】 松茸の芳《かをり》を詠んだのであるが、松茸といはずに、單に「秋の香のよさ」と結んだところに味がある。しかも、かういふ題材は、古今を通じて、まことに珍らしいものの一つである。
 
   雨を詠める
2234 一日《ひとひ》には 千重《ちへ》しくしくに わが戀ふる 妹《いも》があたりに 時雨降れ見む
    右の一首は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
 
【口譯】 一日のうちには、千度もくりかへし繰り返して、わたしの戀しく思ふ妹の住んでゐる邊《あたり》に、時雨よ降れ、それを見よう。
【語釋】 ○千重しくしくに ちへ〔二字傍点〕は千度といふ義。しくしく〔四字傍点〕は、同じ動作の重《かさ》なること、或事の上に同じ事の加へられることなどをあらはす、ここでは、繰返される義。
 
2235 秋田刈る 旅の廬《いほり》に 時雨降り わが袖ぬれぬ 干《ほ》す人なしに
 
【口譯】 秋の田を刈るための假小屋に、時雨が降つて、わたしの袖は、ぬれてしまつた。干してくれる人も無いのに。
(252)【語釋】 ○旅の廬《いほり》 田のほとりに作つた假小屋なのであるが、家を離れて宿泊してゐるところであるから、「旅の」といつたのである。
【後記】 この種の歌によつて、われわれは、當時の農民の耕作してゐる田が、村里よりも遠く離れたところにある場合の多かつたことを知り得るのである。二一〇〇・二一五六・二一七四・二二三〇の歌の如き、いづれもさうである。
 
2236 玉|襷《だすき》 かけぬ時無し わが戀は 時雨しふらば ぬれつつも行かむ
 
【口譯】 わたしは、心にかけて思はない時はない、わたしの戀は、つよい戀である、時雨が降るなら、ぬれてでも行かう。
【後記】 第三句の「わが戀は」は、孤立的であつて、しかも前後の句に對して重要な關係をもつてゐる。わが戀は、思ふ人を心にかけぬ時はないといふほどの強い戀であり。また、わが戀は、時雨が降るなら、ぬれてでも行かうといふほどの強い戀なのである。
 
2237 もみぢ葉を 散らす時雨の ふるなべに 夜《よ》さへぞ寒き 一人しぬれば
 
(253)【口譯】 紅葉を散らす時雨のふるにつれて、夜《よる》までも寒い、一人で寢るとや
【語釋】 ○夜《よ》さへぞ寒き この句は、一應は、その意味が適切でないやうに見える。「よるまでさむい」といふのは、意味をなさない、晝間に比べて、夜の寒いのはあたりまへであるからといふ理窟も出て來る。おそらく、そのためであらうか、古くから、フスマモサムシといふ訓が出來てゐる。原文の「夜副衣寒」とある夜副衣〔三字傍点〕をフスマと訓まうとするのである。しかし、夜副衣〔三字傍点〕をフスマと訓むべき旁例も見出されないから、それには無理があるやうである。それよりも、ヨサヘゾサムキと訓んで、常識的に、晝間も寒ければ、夜も寒い、夜は共寢をすれば、晝間よりもあつたかい筈であるが、この頃は一人寢であるから、夜も寒いと解すれば、作者の心の寒さまでもうかがはれてよいのではあるまいかと考へられる。
 
   霜を詠める
2238 天飛《あまと》ぶや 鴈のつばさの 覆羽《おほひば》の いづく漏《も》りてか 霜の降りけむ
 
【口譯】 空を飛ぶ鴈のつばさの、天を覆《おほ》つてゐる羽の、何處《どこ》を漏《も》つて、霜が降つたのであらう。
【語釋】 ○天飛ぶや や〔傍点〕は感動の助詞。天飛ぶ〔三字傍点〕はすぐに「鴈」につづく。○覆羽《おほひば》 天を一ぱいに覆つてゐる羽根。
【後記】 奇想である。格調もしつかりしてゐる。しかし、この歌を、鴈は群を成して飛ぶものだ(254)といふ約束の下に考へると、覆羽といふのは、多數の鴈の覆羽のことであり、それらの隙間から霜が降つたといふことにならうが、それでよいのであらうか。寒い夜に鳴きわたる聲を聞いて、大きな鴈の天を覆つて飛ぶのを夢幻的に感じたものと見る方が、「覆羽のいづく漏りてか」といふのにふさはしく思はれるが、作者の眞意は、果して、いづれにあつたのであらうか。新考には、いかに鴈が多くわたればとて、夜すがら絶間なく渡るものでもなく、また、空もせに渡るものでもない、誇張は詩歌の常であるといつても、霜の漏つて降るべき空間も時間もない趣に詠むべきではない、案ずるに、これは、鴈の聲をきいた折から、木草などに霜のきらめくのを認めた趣で、その霜を、たつた今ふつたものと假定していつたのであると説明してある。
 
     秋相聞《あきのさうもん》
 
【標目】 この部類には、柿本人麿歌集所出の相聞の歌五首をはじめとして、寄水田八首以下、すべてで、短歌七十一首、旋頭歌二首を收めてある。本卷の目録には、最初の五首を、相聞五首としてある。
 
(255)2239 秋山の したびが下《した》に 鳴く鳥の 聲だに聞かば 何か嘆かむ
 
【口譯】 秋山の、紅葉の照りかゞやく下陰《したかげ》で鳴く鳥のやうな、あの人の聲をだけでも聞いたなら、何を嘆かうか。何の嘆くこともない。
【語釋】 ○したび 紅葉の照りかがやくことをあらはす動詞「したぶ」の名詞形。
【後記】 一・二・三の三句は、「こゑ」といふための序である。思ふ人の聲だけでも聞ければ、それで滿足するといふ切なる戀を歌つたもの。
 
2240 誰《た》そ彼《かれ》と われをな問ひそ 九月《ながつき》の 露にぬれつつ 君待つわれを
 
【口譯】 あれは誰《だれ》だと、わたしをおたづねなさるな、九月の頃の夜露にぬれて、あの人を待つてゐるわたしですよ。
【語釋】 ○君待つわれを 君〔傍点〕といふのは、作者の待つ人である。戀人なのである。「われを」のを〔傍点〕は感動の助詞であるが、「ぞよ」といふやぅな強い意味をあらはしてゐる。
【後記】 外に立つて、戀人の來るのを待つてゐる意味の歌であらう。
 
(256)2241 秋の夜は 霧立ちわたり おほほしく 夢《いめ》にぞ見つる 妹がすがたを
 
【口譯】 秋の夜は、霧が立ちつゞいて、ぼんやりしてゐる、そのやうに、ぼんやり、妹《いも》の姿を夢に見たよ。
【後記】 一・二の句は「おほほしく」にかゝる序である。
 
2242 秋の野《ぬ》の 尾花が末《うれ》の 生《お》ひ靡《なび》き 心は妹に 依りにけるかも
 
【口譯】 秋の野の尾花のさきが、生《は》え靡いてゐるやうに、心は、妹に靡いて、その方に寄つてしまつたよ。
【語釋】 ○生《お》ひ靡《なび》き おひなびき〔五字傍点〕といふ語は、妥當でないので、「生」を「打」の誤とし、ウチナビキと訓まうとする説もあるが、根據のない説であるから、やはりオヒナビキとして解すべきものであらう。按ふに、「おひなびく」といふ語のおひ〔二字傍点〕は、「生《お》ひしげる」などの場合におけるおひ〔二字傍点〕と同じく、輕く添へられたものと考へてよいのであらう。今、なびく〔三字傍点〕といふ語に重きをおいて見れば、上からのかかりは、尾花の末《うれ》の靡くのであり、下へのかかりは、心は妹に靡いて寄るのである。
(257)【後記】 一・二の句は、「生ひ靡き」にかゝる序である。
 
2243 秋山に 霜降り覆《おほ》ひ 木の葉散り 歳は行くとも われ忘れめや
    右は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
 
【口譯】 秋の山に、霜が降りかぶさり、木の葉が散つて、歳が暮れて行く、そのやうに、歳月が經過しても、わたしは忘れようか、忘れはしない。
【後記】 一・二・三句は、「歳は行く」にかゝる序。
 
   水田《こなた》に寄す
2244 住吉《すみのえ》の 岸を田に墾《は》り 蒔きし稻の しか刈るまでに 逢はぬ君かも
 
【題意】 以下八首、水田に寄せて詠んだ相聞の歌である。前にも述べたやうに、水田は、古くコナタと訓んでゐるが、コナタは熟田の義、開墾して二年目の田をいふのであるから、一般にいふ水田の義とは、縁が遠い。今、ここに收められた歌を見るに、二二四四の歌だけが、本義におけるコナタに寄せた歌であつて、二二四五以下は、陸田に對する水田の意味の「こなた」に寄せた相聞の歌である。
(258)【口譯】 住吉の川の岸を、田に開墾して、種を蒔いて稻をつくつた、それが、もう刈り取るやうになつたが、さう刈りとるやうになるまでも、あなたにお目にかゝりませんね。
【語釋】 ○しか刈るまでに しか〔二字傍点〕は然《しか》の義。田を墾いてから稻を刈るまでの間もといふ意。久しい程度をいつてゐる。
【後記】 久しい間逢はなかつたことをいつてゐるのである。一・二・三の三句は序。「刈る」にかゝつてゐる。
 
2245 劔後《たちのしり》 玉纒田井《たままきたゐ》に いつまでか 妹を相見ず 家《いへ》戀《こ》ひ居《を》らむ
 
【口譯】 秋の田の假廬に、かうしてゐて、いつまで妹に逢はずに、家《うち》を戀しく思つてゐるのだらうか。
【語釋】 ○劔後《たちのしり》 劔の鞘尻に玉を纒《ま》くといふ意味で、「たままき」にかかる枕詞。○玉纏田井 田井〔二字傍点〕は田居とも書くが、田のある所の義、玉纏田井に家を戀しく思つてゐるといふのは、田の中の假廬にゐるといふことと解せられるが、たままき〔四字傍点〕は不明。○家戀ひ居らむ 家を戀しく思つてゐるのだらうの意。
 
(259)2246 秋の田の 穗の上《へ》に置ける 白露の 消《け》ぬべくわれは おもほゆるかも
 
【口譯】 秋の田の、稻の穗の上においてゐる白露のやうに、消えさうに、わたしは思はれるよ。
【語釋】 ○消《け》ぬべく 消えさうといふので、命も亡くなりさうだといふこと。
【後記】 卷八の「秋づけば尾花が上におく露の消ぬべくもあはおもほゆるかも」(一五六四)といふ歌と似てゐる。一・二・三句は序。
 
2247 秋の田の 穗向《ほむき》のよれる 片縁《かたより》に われは物もふ つれなきものを
 
【口譯】 秋の田の穗の向きが一方に片よつてゐる、そのやうに片よつて、わたしは物思ひをする、思ふ人は自分に對してつれないのに。
【語釋】 ○穗向のよれる ほむき〔三字傍点〕は、稻の穗の向いてゐる方向、ほむきのよれる〔七字傍点〕は、稻の穗が、そろつて、一方にだけ向いてゐることをいふ。よれる〔三字傍点〕は、片よつてゐること。
【後記】 一二の句は、「片よりに」の序。卷二の「秋の田の穗向のよれる片緑《かたより》に君によりななこちたかりとも」(一一四)にも、同樣の序が用ゐられてゐる。
 
(260)2248 秋の田を 假廬《かりいほ》つくり 廬《いほり》して あるらむ君を 見むよしもがも
 
【口譯】 秋の田を刈るための假小屋をつくつて、そこにとまつておいでの、わたしの人にあひたいものですね。
【語釋】 ○秋の田を假廬《かりいほ》つくり 秋の田を「カル」(刈)「カリイホ」(假廬)をつくりとつづつくのである。○廬《いほり》して 假住《かりずま》ひをして、住んでといふ意。
【後記】 秋の田を守るために、番小屋にゐる夫を、その妻の戀しがつて詠んだ歌であらう。たゞし、略解には、「班田使の妻などの詠なるべし」といつてある。
 
2249 鶴《たづ》が音《ね》の 聞ゆる田井《たゐ》に 廬《いほり》して われ旅なりと 妹に告げこそ
 
【口譯】 わたしは、鶴の聲の聞える田圃《たんぼ》に假住ひをして、旅にゐると、妹に告げて下さい。
【語釋】 ○田井 既出、ここは、田圃《たんぼ》の義で、「田井に廬《いほり》して」といふのは、田のほとりに番小屋がある、そこを旅寢の假の宿としてゐることを意味する。この歌が、秋相聞のうちにはいつてゐるのは、「田井に廬して」といふことが、秋の刈田の小屋を豫想させるからである。○われ旅なり 旅なり〔三字傍点〕とは、旅中にありとの義。
(261)【後記】 この歌は、遠く家を離れて旅にある男の、妻を思つて詠んだものと思はれるが、「告げこそ」といつても、それは誰に誂《あとら》へるのか明らかでない。
 
2250 春霞 たなびく田居《たゐ》に 廬《いほ》づきて 秋田刈るまで 思はしむらく
 
【口譯】》 春霞のたなびく頃の田圃に假小屋をつくつて住ひはじめて、秋の田を刈る今まで、その長い間、あなたは、わたしをして思はしめるよ。
【語釋】 ○廬づきて 假の宿《やど》にとまりはじめての煮。○秋田刈るまで 秋の田を刈る今までと、現在の季節をいつたのであらう。○思はしむらく 女が自分をして思はしむるよといふことであるが、換言すれば、わたしはあなたを思ひつづけてゐましたよといふ意。
【後記】 この歌の意味は、二二四四の歌を參照してみればわかる。兩者共に、春から秋まで、女を思ひつゞけてゐる意味のものなのである。
 
2251 橘を 守部《もりべ》の里の 門田早稻《かどたわせ》 刈る時過ぎぬ 來《こ》じとすらしも
 
【口譯】 守部《もりべ》の里の門田の早稻は、もう刈る時が過ぎてしまつた、早稻を刈る頃には來ようとい(262)つたのに、その時は過ぎてしまつた、來まいとするのであらうよ。【語釋】 ○橘を守部の里 橘を〔二字傍点〕は 「もり」にかかる枕詞。橘の實は珍重されたものであるから、大切にするといふ意味で、「橘をもる(守る)」とつづけたのであらう。古くは、橘を守るために守部を置いて守らしめたことがあると説く學者は、三代實録、光孝天皇仁和三年五月十四日の條に、「是日始置d守2韓橘1者二人u以2山城國※[人偏+搖の旁]丁1充v之」といふ文があるといふけれども、ここに韓橘とあるのは韓橋とあるのの誤かと思はれるから、これは例にはならない。守部といふものの置かれた事實が證明されぬとすれば、「橘を」は「もり」の枕詞とだけ見ておくのがよからう。しかして、モリベは地名であることはいふまでもないが、現今の何處にあたるか、明らかでない。○門田 門前の田の義。守部の里の家居に近いところの田であらう。
 
   露に零す
2252 秋萩の 咲き散る野邊の 夕露に ぬれつつ來ませ 夜はふけぬとも
 
【口譯】 秋萩の散る野邊の夕露にぬれておいでなさい、夜はふけてしまつても。
【語釋】 ○咲き散る 散る方に重きをおいて見るのがよい。
【後記】 思ふ人を待つ女の歌である。
 
(263)2253 色づかふ 秋の露霜 な降《ふ》りそね 妹《いも》が袂《たもと》を まかぬ今夜《こよひ》は
 
【口譯】 草や木の色づく水霜《みづしも》はふつてくれるなよ、妹《いも》の袂を枕にしない今夜は。
【語釋】 ○色づかふ 「色づく」といふ語の、さらに、ハ行に活用したもの。水霜がふると、草や木が紅くなるのを「色づかふ」といつたのである。○露霜 みづしものこと。既出。○な降《ふ》りそね ね〔傍点〕は願望の助詞。
【後記】 「妹の袂を枕にしない今夜は」といふ下に、「寒いから」といふ語を補つてみれば、歌の意味は、はつきりする。
 
2254 秋萩の 上に置きたる 白露の 消《け》かもしなまし 戀ひつつあらずは
 
【口譯】 秋萩の上に置いてゐる白露の消えるやうに、消えてしまはうか、戀しがつてゐないで。
【語釋】 ○消《け》かもしなまし 消えるといふことをしようかといふので、死んでしまはうかの意。
【後記】 第三句までは、「消《け》かもしなまし」の「消《け》」の序詞。
 
(264)2255 わがやどの 秋萩の上に 置く露の いちじろくしも われ戀ひめやも
 
【口譯】 わたしのうちの秋萩の上に置く露ははつきり目立つが、わたしは、はつきり目立つやうに戀しがつてゐようか、ゐはしない。
【語釋】 ○いちじろく 著《いちじる》くの意。はつきりする、目立つ。
【後記】 忍戀の歌。自分は、戀の心をしのびかくして、人の目に立たぬやうにしてるつもりだとの意。第三句までは「いちじろく」の序詞。
 
2256 秋の穗を しぬにおし靡《な》べ 置く露の 消《け》かもしなまし 戀ひつつあらずは
 
【口譯】 秋の稻穗を、しなやかにおし靡かせて、その上に置いてゐる露のやうに、消えてしまはうか、戀しがつてゐないで。
【語釋】 ○しぬに しぬ〔二字傍点〕はしなふ義。しなやかに。
【後記】 第三句までは、「消《け》かもしなまし」の「消《け》」にかゝる序詞。
 
2257 露霜《つゆじも》に 衣手《ころもで》ぬれて 今だにも 妹がり行かな 夜《よ》はふけぬとも
 
(265)【口譯】 露霜に、袖をぬらして、せめて今でも、妻のところへ行かうよ、夜はふけてしまつても。
 
2258 秋萩の 枝もとををに 置く露の 消かもしなまし 戀ひつつあらずは
 
【口譯】 秋萩の枝もしなふほどに置く露のやうに、消えてしまはうか、戀しがつてゐないで。
【後記】 第三句までは、「消《け》かもしなまし」の「消《け》」にかゝる序詞。
 
2259 秋萩の 上に白露 おくごとに 見つつぞしぬぶ 君が光儀《すがた》を
 
【口譯】 秋萩の上に、白露のやどるたび毎に、それを見ては思ひ出して居ります、あなたの美しいお姿を。
【後記】 女の美しい姿を、やさしい萩のしなやかな枝に、白露のおいたのにたとへたのである。萩にたとへるのは、人も容易におもひつき得るが、白露をそへたところに、畫龍點睛の妙がある。
 
(266)   風に寄す
2260 我妹子《わぎもこ》は 衣《きぬ》にあらなむ 秋風の 寒きこの頃 下《した》に着ましを
 
【口譯】 わが妻は、着物であつてくれればよい。秋風が寒く吹くこの頃は、下着に着ようものを。
【後記】 いとしい、かはいゝものを、常に身近くおきたいといふ心も、はたらいてゐよう。單に、寒さを防ぐといふことばかりから出た愚かしい願ではなからう。
 
2261 泊瀬風《はつせかぜ》 かく吹く三更《よひ》は 何時《いつ》までか 衣《ころも》片《かた》しき わがひとり寢む
 
【口譯】 泊瀬の里を吹く風が、こんなに吹く夜《よる》は、いつまで、わたしは、着物の片袖を下に敷いて寢るのたらうか。
【語釋】 ○泊瀬風 飛鳥風とか佐保風とかいふのと同じやうに、この土地によく吹く風に、土地の名をかぶせていつたのである。○衣片しき 共寢の時は、互に袖をかけあふが、ひとり寢の時は、片方の袖を下に敷いて寢るからである。
【後記】 この歌の如き表現樣式にあつては、「いつまでわたしは云々」といふのは、とても、わたしはひとり寢をしてゐることが出來ない、寒くてしかたがないといふやうな意味をあらはすこ(267)とになるのである。
 
   雨に寄す
2262 秋萩を 散らす長雨《ながめ》の 降《ふ》る頃は 一人起き居て 戀ふる夜ぞ多き
 
【口譯】 秋萩を散らす長雨の降る頃には、一人起きて居て、人を戀しく思ふ夜が多い。
【後記】 雨夜に人を思ふ切々の情が、にじみ出てゐる。
 
2263 九月《ながつき》の 時雨の雨の 山霧《やまぎり》の いぶせきわが胸 誰を見ば息《や》まむ
    一に云ふ、十月、時雨の雨降り
 
【口譯】 九月頃、時雨の雨が降つて、山霧の立つのがうつたうしいが、そのやうにうつたうしいわたしの胸は、誰にあつたらおちつくのであらうか。
【後記】 第三句までは、「いぶせき」の序詞。
【左註】 「十月時雨の雨降り」は、右の本文のと比べて、大差が無い。
 
(268)   蟋蟀《こほろぎ》に寄す
2264 こほろぎの 待ち歡《よろこ》べる 秋の夜を 寐る驗《しるし》無し 枕と吾《われ》は
 
【口譯】 蟋蟀は、待つてゐた秋の夜が來たので、よろこんでゐるのに、思ふ人が來ないから、枕とわたしは、寢るかひもない。
【後記】 蟋蟀は、秋の夜を、うれしさうに鳴いてゐるのに、自分は、ひとりさびしく枕をかゝへて寢てゐるので、寢るかひもないと嘆いたのである。
 
   蝦に寄す
2265 朝霞《あさがすみ》 鹿火屋《かひや》が下に 鳴くかはづ 聲だに聞かば われ戀ひめやも
 
【題意】 蝦はカハヅ、河鹿《かじか》のこと。
【口譯】 鹿火屋《かひや》の下で鳴いてゐる河鹿のやうに、せめて聲だけでも聞いたなら、わたしは、こんなに戀しがりはしようか、戀しがりはしはしない。
【語釋】 ○朝霞 「かひや」のか〔傍点〕にかかる枕詞。「朝霞のかすむ」といふやうにつづくのであらう。○鹿火屋《かひや》 「かひや」といふ語は、古來集中第一の難語として、諸説紛々、歸一するところがなく、われわれを(269)して首肯せしめるに足るものは一つもない。猪や鹿を逐ふために火を焚いてゐる假庵といふ説は、この字面から考へ出されたものであらう。しかるに、卷十六には、「朝霞香火屋が下の鳴くかはづ」(三八一八)とあるので、山田に猪鹿のつく所に小さき屋を作つて、布のきれ、何くれの臭い物に火をつけて、烟を立て鹿を追ひ拂ふのであるといふ説も出てゐる。或は、かひや〔三字傍点〕は飼屋で、養蠶のために別に建てた小屋であるといひ、或は、かひや〔三字傍点〕は蚊火屋で、蚊遣火をたくための家であるといひ、その他、學者の見解は、種々にわかれてゐるが、そのうちで、和歌色葉集に、但馬國では、河の岸の下に居屋のあるをかひやといふと見え、また、和歌童蒙抄に、かひやは、岸などのくづれたところに、柴の根などをさしかけて住んでゐるのをいふことが見えてゐるなどは、注意されるべきものであらう。色葉集の編者は、ただこれを或説として引いてゐるに止まり、童蒙抄の著者は、前記の説を、ひがことなめりと一蹴してゐるが、かういふ、川の流にさし出してつくつた床をもつてゐる小家がカヒヤとよばれたものではなかつたらうか。語源はしばらく措き、かくの如く考へることによつて、一通りの解釋はつくことと思ふ。近時、「かひや」のかひ〔二字傍点〕を「峽」、や〔傍点〕を「谷」の義とし、「かひや」を山間の溪流と解する説も出てゐるが、これは賛成し難い。
【後記】 第三句までは序詞。
 
   鴈に寄す
(270)2266 出でて去《い》なば 天《あま》飛ぶ鴈の なきぬべみ 今日今日といふに 年ぞ經《へ》にける
 
【口譯】 自分が旅に出ていつてしまつたならば、妻は、空を飛ぶ鴈のやうになくにちがひないから、今日は、今日はといつて、一日延ばしにしてゐるうちに、一年たつてしまつた。
【後記】 「天飛ぶ鴈の」は「なきぬべみ」の序詞。
 
   鹿に寄す
2267 さを鹿の 朝《あさ》伏《ふ》す小野《をぬ》の 草苦み 隱《かく》ろひかねて 人に知らゆな
 
【口譯】 男鹿が、朝、寢てゐる野の草が若いので低く、隱れかねる、そのやうに隱れかねて、二人の仲を人に知られるなよ。
【語釋】 ○小野 を〔傍点〕は接頭辭。○隱ろひかねて かくれかねて・つつみきれないで。
【後記】 第三句までは、「隱ろひかねて」の序詞。鹿が草に伏すといふことは、よく人の注意を惹くものであつたことは、次の歌でも知られる通りであるから、それで、こゝにも序におかれたのであらう。
 
(271)2268 さ男鹿の 小野《をぬ》の草伏《くさぶし》 いちじろく わが問はなくに 人の知れらく
 
【口譯】 男鹿の野の草に寢た跡は、はつきりと人の目につく、そのやうに、人の目につくほどに、わたしは、女をたづねたのではないのに、人は知つてゐるよ。
【語釋】 ○いちじろく 第四句につづけて見る。○わが問はなくに とふ〔二字傍点〕を、語る義とし、この句を「わたしは言はないのに」と解する人もあるが、「こととふ」(言問)といふやうな場合には、上に「こと」(言)といふ語があるから、とふ〔二字傍点〕も語るといふ義になるが、單獨では、さういふ義をもたないから、その説は從ひ難い。
【後記】 第三句までが序詞で、第四句にかゝる。
 
   鶴《たづ》に寄す
2269 今夜《こよひ》の 曉降《あかときくだ》ち 鳴く鶴《たづ》の 思ひは過ぎず 戀こそまされ
 
【口譯】 今夜は、もう更《ふ》けて晩方になつて、鶴が鳴いてゐる、その鶴も戀心が募つて鳴くのであらうがわたしも、胸の思ひがやすまらずに、戀心が一そう募つて來る。
【語釋】 ○今夜の 原文には、「今夜」とだけあるので、コノヨヒノ・コノヨラノなどの訓方もある。今は、(272)コヨヒノに從ふ。○曉降《あかときくだ》ち 夜が更けて曉方になつたことをいふ。○思ひは過ぎず おもひ〔三字傍点〕は名詞。すぎず〔三字傍点〕は盡きない、さつぱりしない。
【後記】 後の者方からすれば、この歌は、秋相聞にふさはしくない。或は、これが、秋夜の情調を歌つてゐるからであらうか。この歌の第三句までは序詞。第四句を隔てゝ第五句にかゝる。
 
   草に寄す
2270 道の邊の 尾花が下《もと》の 思草 今さらになぞ 物か念はむ
 
【口譯】 道のほとりの尾花の根もとには思草が生えてゐますが、わたしは、今になつて、どうして、物思ひをしませうか。
【語釋】 ○思草 野菰(ナンバキセル)のことだといふ。○なぞ 何故にの義。○物か念はむ 物を念はうか。
【後記】 第三句までは序詞であるが、「おもひぐさ」のおも〔二字傍点〕と「おもはむ」のおも〔二字傍点〕との類韻關係で、第五句にかゝる。
 
(273)   花に寄す
2271 草深み こほろぎさはに 鳴くやどの 萩見に君は いつか來まさむ
 
【口譯】 草が深いので、蟋蟀がたくさんに鳴く、わたしのうちの萩の花を見に、あの方は、いつおいで下さるだらうか。
【後記】 草深い庭に鳴く蟋蟀を聞きながら、萩の花に對して、來るあてもない人を待つてゐる女の歌。萩が咲きはじめてもまだ來ない人は、花の散る頃になつても、やはり姿を見せないのではあるまいかと、女は、物思ひにふけつてゐるのであらう。
 
2272 秋づけば 水草《みくさ》の花の あえぬがに 思へど知らじ ただに 逢はざれば
 
【口譯】 秋になると、水草の花が咲ききつて落ちようとする、わたしも、そのやうに、戀しい念が一ぱいで、心も破れるばかりに、あの人を思つてゐるが、あの人は知るまい、直接に逢つてゐないから。
【語釋】 ○秋づけば 秋になると。○水草《みくさ》 水中に生ずる草。「みくさ」のみ〔傍点〕は美稱で、みくさ〔三字傍点〕は眞草の義であるといふ説もある。○あえぬがに がに〔二字傍点〕は「ばかりに」といふ義。「あえぬ」のぬ〔傍点〕は、完了の助動詞、(274)あえ〔二字傍点〕は、「あゆ」といふ、ヤ行下二段活用の動詞の連用形。あゆ〔二字傍点〕は、こぼれ落ちる、もしくは溢れこぼれる意の動詞。○ただに 「直《ただ》に」で、ぢかに、直接にの意。
【後記】 一・二の句は、「あえ」につゞく序詞。
 
2273 何すとか 君は厭《いと》はむ 秋萩の その初花の うれしきものを
 
【口譯】 何として、あなたを嫌ひませうか、秋萩の初花を見るやうに、歡《うれ》しうございますのに。
【語釋】 ○何すとか 何をするとてかの義。何としてか。
【後記】 「秋萩のその初花の」は、「うれしき」の序詞。
 
2274 こいまろび 戀ひは死ぬとも いちじろく 色に出でじ 朝貌の花
 
【口譯】 ころげまはつて、苦しんで、戀死《こひじに》をしても、桔梗の花のはつきりと人の目につく色を見せるやうに、人にさういふ樣子を見せることはしまい。
【語釋】 ○こいまろび 展轉反側の義。こい〔二字傍点〕は、ヤ行上二段の動詞「こゆ」で、横臥する、病臥するといふ意味、まろぶ〔三字傍点〕は、バ行四段の動詞で、まはる、ころがる意味があるが、「こいまろぶ」といふ熟語は、煩悶(275)のため眠られず、寢がへりばかりをして、ころげてゐることに用ゐられる。○戀ひは死ぬとも 「戀ひ死ぬ」といふ複合動詞の間に、助詞「は」のはいつた形。
【後記】 「朝貌の花のいちじろく色には出でじ」とあつて、「朝貌の花」は序詞の位置にあるべきのを、この歌では、その「朝貌の花」が最後におかれてゐる。これは、異數である。
 
2275 言《こと》に出でて 云はばゆゆしみ 朝貌の 穗には咲き出《で》ぬ 戀をするかも
 
【口譯】 口に出していつたら大變なので、桔梗が穗の形に咲き出すやうには、おもてにあらはさない、内々の戀をすることであるよ。
【後記】 「朝貌の」は、穗に咲き出るといふだけにかゝる序詞。
 
2276 鴈がねの 初聲聞きて 咲き出たる やどの秋萩 見に來《こ》わがせこ
 
【口譯】 鴈の鳴く初聲を聞いて咲き出した、わたしのうちの秋萩を見にいらつしやい、わが夫《つま》よ。
【後記】 率直に夫を待つ心をいひあらはしたよい歌。
 
(276)2277 さ男鹿の 入野《いりぬ》のすすき 初尾花《はつをばな》 いづれの時か 妹が手まかむ
 
【口譯】 男鹿のわけ入る入野の薄《すすき》には、もう初尾花が出てゐるが、わたしは、いつになつたら、妹《いも》の手を枕にするだらうか。
【語釋】 ○さ男鹿の 男鹿の入ると、次の「入野」にかかつてゐる。○入野 京都府乙訓郡大原村大字上羽に入野神社があるので、その附近かといふ。
【後記】 第三句までが序詞であるが、そのかかり方については、種々の意見がある。初尾花のやうな、妹が手枕をしようとかかるのであるといひ、「初」といふ詞にのみかゝるので、いつか新枕をしようといふのであるといひ、また、「初尾花がいづ」とかゝるといふ。しかし、いづれの説もおちつかぬやうである。おもふに、これは、季節の推移を感じて、はやく妹が手枕をしたいといつたものであらう。すなはち、入野の薄《すすき》には、もう初尾花が見えるやうになつた、それだのに、わたしの戀はまだ實を結ぶに至らないと悲觀した意味のものであらう。
 
2278 戀ふる日の 日《け》長くしあれば み苑生《そのふ》の 韓藍《からあゐ》の花の 色に出《い》でにけり
 
【口譯】 戀しく思ふ日が、長い間にわたつてゐるから、園に咲く鷄頭花が人の目につく色に咲き(277)出るやうに、顔色に出て、人に知られてしまつた。
【語釋】 ○み苑生《そのふ》 み〔傍点〕は美稱。そのふ〔三字傍点〕は、草花や蔬菜などをつくる場處。○韓藍 鷄頭花。○色に出でにけり 韓藍についていへは、美しい色に咲くこと、人についていへば、戀慕の色が顔にあらはれて人に怪しまれることをいふ。
【後記】 三・四の句が、第五句にかゝる序。
 
2279 わが郷《さと》に 今咲く花の 女郎花《をみなへし》 堪《た》へぬ情《こころ》に なほ戀ひにけり
 
【口譯】 わたしの里に、今咲き出した花の女郎花を、わたしは、たまらない情で、やつぱり戀しく思つてゐるのだ。
【後記】 近頃、村で評判になつてゐる女を、女郎花にたとへたのである。
 
2280 萩が花 咲けるを見れば 君に逢はず まことも久《ひさ》に なりにけるかも
 
【口譯】 萩の花の咲いたのを見ると、あなたに逢はないで、ほんとに久しくなつたものですね。
 
(278)2281 朝露に 咲きすさびたる 鴨頭草《つきくさ》の 日たくるなべに 消《け》ぬべく思《おも》ほゆ
 
【口譯】 朝露にぬれて、盛に咲いてゐる鴨頭草が、日が傾いて來るとよわつてしまふやうに、戀になやまされてゐるわたしは、日が傾いて來るにつれて、命もなくなつてしまひさうに思はれる。
【語釋】 ○咲きすさびたる 盛に咲いてゐること。○鴨頭草《つきくさ》 露草とも、螢草ともいふ。○消ぬべく 消えてしまひさうに。消えるといふのは、鴨頭草の、ささやかな、ほのかな花が、夕方は萎れて、消えてしまひさうになるのと、人の命のはかなくなるのとをいひかけたのである。
【後記】 第三句までが序詞で、「消ぬべく」にかゝる。
 
2282 長き夜を 君に戀ひつつ 生けらずは 咲きて散りにし 花ならましを
 
【口譯】 長い夜どほし、あなたを戀しがつて生きてゐないで、咲いて散つてしまつた花であらうものを。
【後記】 長い夜を、戀にもだえてあかすくらゐならば、生きてゐてもつまらない、はかない命でも、一旦思ひをとげたのならば、それでよい、あの、咲いて散つた花は、咲いたので滿足して、(279)短い盛をくやまない、わたしは、あの、咲いて散つた花にあやかりたいといふのが、この歌の意味であらう。
 
2283 我妹子《わぎもこ》に 相坂山の はたすすき 穗には咲き出でず 戀ひわたるかも
 
【口譯】 相坂山の旗薄《はたすすき》の、穗を出して咲いてゐるやうに、表面にはあらはさずに、心のうちで戀ひつゞけてゐますよ。
【語釋】 ○吾妹子《わぎもこ》に 「相坂山」のあふ〔二字傍点〕にかけた枕詞。この枕詞は、また、第五句と照應して、實辭の如き力をもつ。○はたすすき 薄の穗が、風に靡いて、旗のやうに見えるから、「旗薄」といふのである。
【後記】 三句までは、序詞。第四句にかゝる。
 
2284 いささめに 今も見が欲《ほ》し 秋萩の しなひにあらむ 妹がすがたを
 
【口譯】 ちよつと、今も見たい、秋萩のやうにしなやかになつてゐる妻の姿を。
【語釋】 ○いささめに かりそめ・率爾《そつじ》に・ちよつと。
 
(280)2285 秋萩の 花野のすすき 穗には出でず わが戀ひわたる 隱嬬《こもりづま》はも
 
【口譯】 秋萩の花の咲いてゐる野の薄は、穗に出る、そのやうには、表面にあらはれないで、わたしは、内々《ない/\》の妻を戀ひつゞけてゐるよ。
【語釋】 ○隱嬬《こもりづま》 こもりづま〔五字傍点〕はかくしづま、人に知られぬやうに、秘密にもつてゐる妻。
【後記】 一・二句は「穗には出でず」の「穗」にかかる序詞。
 
2286 わがやどに 咲きし秋萩 散り過ぎて 實になるまでに 君にあはぬかも
 
【口譯】 わたしのうちの庭に咲いた秋萩が、もう散つてしまつて、實になるまでの長い間も、あの方に逢はないでゐますね。
 
2287 わがやどの 萩咲きにけり 散らぬ間に はや來て見べし 平城《なら》の里人
 
【口譯】 わたしのうちの庭の萩が咲きました。散らないうちに、はやく來てごらんなさい、平城の里に住む人よ。
【語釋】 ○見べし 上一段の動詞から、助動詞「べし」につづく時に、連用形からつづくのは古格である。(281)このべし〔二字傍点〕は命令・希求を意味する「べし」である。
 
2288 石走《いはばし》の 間間《まま》に生ひたる 貌花《かほばな》の 花にしありけり ありつつ見れば
 
【口譯】 (石橋《いはばし》の間々《あひだあひだ》に生えてゐる晝顔の花の)あだなものであつた、だん/\連れ添つてみると。
【語釋】 ○石走《いはばし》の 石橋《いはばし》の義で、河の中に並べて、人の渡るやうにしてある、とび/\の石。○貌花 晝顔のこと。○花にしありけり ここに花〔傍点〕といつたのは、あだあだしい、たよりにならぬものを意味する。○ありつつ見れば ありつつ〔四字傍点〕は、ひきつづいてである。ずうつと連れそつてみるとの意。
【後記】 自分の妻を、かうして連れそつてみると、末の頼みをかけることの出來ない、浮々したあだものであることがわかつたといふのが、この歌の意味なのであらう。一・二・三句は、序詞。「貌花の」から「花」と同語でいひかけたのである。
 
2289 藤原の 古りにし郷《さと》の 秋萩は 咲きて散りにき 君待ちかねて
 
【口譯】 藤原の古い都の秋萩は、あなたのおいでになるのを待ちきれずに、咲いて散つてしまひ(282)ました。
【語釋】 ○古りにし郷《さと》 古くなつた郷《さと》といふので、舊都の義。
【後記】 舊都に住んでゐて、戀人を待つてゐる女の歌か。
 
2290 秋萩を 散り過ぎぬべみ 手折《たを》り持ち 見れどもさぶし 君にしあらねば
 
【口譯】 秋萩が散り果ててしまふであらうから、手折《たを》つて手に持つて見るけれども、わが思ふ君ではないから、いくら美しくても物足りない。
 
(283)2291 朝《あした》咲《あした》き 夕《ゆふべ》は消《け》ぬる 鴨頭草《つきくさ》の 消《け》ぬべき戀も われはするかも
 
【口譯】 朝になると花が咲き、夕方になると花のしぼむ鴨頭草のやうに、命のはかなくなつてしまひさうな戀も、わたしはするのですね。
【後記】 第三句までは序詞。「消ぬべき」にかゝる。
 
2292 秋津野《あきつぬ》の 尾花刈りそへ 秋萩の 花を葺《ふ》かさね 君が假廬《かりほ》に
 
【口譯】 秋津野の尾花を刈つて、それを加へて、秋萩の花を、あなたのおとまりになる假小屋の屋根に、お葺きなさい。
 
2293 咲けりとも 知らずしあらば 黙然《もだ》もあらむ この秋萩を 見せつつもとな
 
【口譯】 咲いたとも知らないでゐるならば、だまつてもゐよう、この咲いた秋萩を見せて、しかたがないね。
【語釋】 ○この秋萩を見せつつもとな この、咲いた秋萩を見せるから、戀心を増させる、つまらないこと(284)をする、見せたつて、いたづらにわたしを悲しませるばかりではないかといふ意。もとな〔三字傍点〕は、みだりに・いたづらに・つまらなくなどの義。
 
   山に寄す
2294 秋されば 鴈飛びこゆる 龍田山 立ちても居ても 君をしぞ思ふ
 
【口譯】 (秋になると、鴈の飛びこえてゆく龍田山)立つても居ても、あなたのことを思つてゐます。
【後記】 一・二・三句は序の詞。「龍田山」のたつ〔二字傍点〕を「立ち」にいひかけてゐる。
 
   黄葉に寄す
2295 わがやどの 田葛葉《くずは》日にけに 色づきぬ 來まさぬ君は 何ごころぞも
 
【口譯】 わたしのうちの葛《くず》の葉が、日ましに、あかくなつて來た、こんなに久しくなるまでおいでなさらないあなたは、どういふおこゝろもちですか。
【語釋】 ○田葛葉《くずは》 集中にはくず〔二字傍点〕を「田葛」と書いてゐる例が多い。○日にけに 原文「日殊」とある。既(285)出の「日異」と同じで、日ましにの義。
【後記】 庭にある葛の紅葉の色の濃くなるにしたがつて、焦燥と不安とが深くなつてゆくのであらう。
 
2296 あしびきの 山さなかづら もみづまで 妹に逢はずや わが戀ひ居《を》らむ
 
【口譯】 山にあるさなかづらの葉があかくなるまで、長い間、妻に逢はずに、わたしは戀しがつてゐるのだらうか。
【語釋】 ○山さなかづら 山にあるさねかづら。さなかづら〔五字傍点〕は、さねかづらともいふ。美男《びなん》カヅラといふもの。○妹に逢はずやわが戀ひ居らむ 「妻に逢はずに、わたしは、戀しがつてゐなければならぬのだらうか。」もしくは、「妻に逢はずに、わたしは戀しがつてゐられるだらうか。」といふやうな意味。
 
2297 もみぢ葉《ば》の 過ぎがてぬ兒《こ》を 人妻と 見つつやあらむ 戀しきものを
 
【口譯】 そのまゝに見過せない女であるのに、人妻であるからと思つて眺めてゐようか、戀しいのに。
(286)【語釋】 ○黄葉《もみぢば》の 枕詞。「過ぎ」にかかる。「黄葉」からのつづきからいへば、この場合「過ぎ」は「散る」を意味する。○過ぎがてぬ そのままにすませてしまふことができない。捨置けないといふ意。
【後記】 人妻に對する戀をうたつたもの。
 
   月に寄す
2298 君に戀ひ しなえうらぶれ わが居れば 秋風吹きで 月かたぶきぬ
 
【口譯】 あなたに焦れて、元氣もなく、しよんぼり、わたしがすわつてゐると、秋風が吹いて、月も傾いた。
【後記】 秋の夜、ひとり月に對して、戀しい人をおもふ情にたへず、涙にくれがちに夜をふかしてゐると、風は淋しく吹いて、月は西に傾いて來た、かういふ情景は、遺憾なく描き出されてゐる。下の句の如きは、後世になつては、類型的のものとなつてしまつたが、この頃はまだ、その新味を失はなかつた時代である。
 
2299 秋の夜の 月かも君は 雲隱り しましも見ねば ここだ戀しき
 
(287)【口譯】 あなたは、秋の夜の月ですか知ら、月が雲に隱れるやうに、あなたがおいでなさらないで、ちよつとでもお目にかゝらないと、わたしは、非常にかなしうございます。
【語釋】 ○雲隱《くもがく》り 月の雲に隱れることをいつたのであるが、同時にこれは、人の姿を見せぬことをたとへてゐる。すなはち、この句は、月に對しては、叙述的の表現であり、人に對しては、譬喩的の表現である。○ここだ この語は、もと、「どれほど」といふやうな意味のものであるが、轉じて、非常に・甚しく、などの義に用ゐられる。
【後記】 かういふ情調は、後世の民謠などにもよく見出される。
 
2300 九月《ながつき》の ありあけの月夜 ありつつも 君が來《き》まさば われ戀ひめやも
 
【口譯】 (九月の頃の、在明月はさやかに照らしてゐる)かういふ風に、引續いて、あなたがおいで下さるのならば、わたしは、何の戀しがることがございませう。何の戀しがることもございません。
【語釋】 ○ありつつも 現在の存續を意味する。或状態が引續いてあること、すなはち存續することを「ありつつ」といつてゐるのである。この夜、戀人は來てゐるのである。で、かうしてあなたがいつも來て下(288)さるのならと、女がいつてゐるのである。
【後記】 「九月のありあけの月夜」は、次の「ありつつも」の序として用ゐられ、「ありあけ」のあり〔二字傍点〕と「ありつつ」のあり〔二字傍点〕とは類韻の關係に立つのであるが、この序詞は、單なる言葉の文《あや》ではなく、折からが九月の在明月夜であつたのであらう。この夜、たまたま、久しぶりの戀人がたづねて來たので、いつも、かうして來て下さるのならばといふ怨言も出て、涙でながめやる月が、序詞の語材ともなつたのであらう。
 
   夜に寄す
2301 よしゑやし 戀ひじとすれど 秋風の 寒く吹く夜は 君をしぞおもふ
 
【口譯】 もうよい、戀はしまいと思ひますけれど、やはり、秋風が吹いて寒い晩には、あなたのことを戀しく思ひます。
【語釋】 ○よしゑやし ゑ〔傍点〕もや〔傍点〕もし〔傍点〕も感動の助詞。もうよいとの意。
【後記】 あきらめてもあきらめられぬ戀。
 
(289)2302 里人《さとびと》し あな情《こころ》無《な》と おもふらむ 秋の長夜《ながよ》を いね臥《ふ》してのみ
 
【口譯】 里人は、わたしを、あゝ風流を解せぬものと思ふであらう。わたしが、秋の長い夜を、寢てばかりゐるから。
【後記】 戀に心をむしばまれてゐるので、秋の夜の情味などを掬むことが出來ず、空しく床中にあつて輾轉反側してゐる心の苦しさをうたつたもの。
 
2303 秋の夜を 長しといへど 積りにし 戀を盡《つく》せば 短くありけり
 
【口譯】 秋の夜を、長いとはいふが、積つた戀の心を晴らさうとすれば、長い夜も短く、晴らしつくさないうちに、夜が明けてしまつた。
 
   衣に寄す
2304 あきつ羽《は》に にほへる衣《ころも》 われは著《き》じ 君に奉《まつ》らば 夜も著るがね
 
【口譯】 蜻蛉の羽のやうに、色の美しい着物を、わたしは著まい、あなたにさし上げたら、それ(290)は、夜《よる》もおめしになるものとなりませう。
【語釋】 ○あきつ羽に 蜻蛉《あきつ》の羽の如くに。○君に奉《まつ》らば まつらば〔四字傍点〕はさしあげたらば。○夜も著るがね がね〔二字傍点〕は、元來、「何々するために」といふ場合のために〔三字傍点〕をあらはす「がに」と同語で、接尾辭であるが、「がね」の場合には、「ためのもの」といふ意をあらはすことが多く、したがつて、料・物・人などの義を有するやうになる。ここも、夜も著る料といふことで、君にさし上げたら、夜もおめし下さる物となるからの意に用ゐられてゐるのである。この「夜も」を、せめて夜《よる》でもの意に解する説もあるが、それは、後世的の考へ方で、ここは、晝おめしになることはもとより、夜も肌身につけて寢て下さるだらうからと、「夜も」に、重きがおかれてゐるのである。
【後記】 女らしい、やさしい情のこもつた歌である。「夜も着るがね」といひさしてゐるところに味がある。
 
   問答
2305 旅にすら 紐《ひも》解《と》くものを 事しげみ まろねわがする 長きこの夜を
 
【題意】 問答といふのは、男女贈答の歌の義である。
【口譯】 旅に出てすらも、着物の紐を解いて寢ることがあるのに、忙しくて、この長い秋の夜を、(291)あなたのところへも行けずに、丸寢をしてゐます。
【語釋】 ○事しげみ 多事の義。いそがしくて。○まろね 帶紐解かずに寢ること。
【後記】 忙しくて、妻をたづぬる暇もない男の、妻の許に、旅でさへ、こんな事はないのに、秋の長夜を丸寢をして、あなたを戀しく思ふといつてやつた歌。
 
2306 時雨ふる 曉月夜《あかときづくよ》 紐解かず 戀ふらむ君と 居《を》らましものを
 
【口譯】 時雨の降る明け方の月夜に、着物の紐を解かずに、わたしを戀してゐられるあなたと一緒に居りませうのに。
【後記】 前の歌に對する女の答である。あなたとご一緒に居たいのですが、さう出來ないのが殘念でございますといふのである。
 
2307 黄葉《もみぢば》に 置く白露の 色葉《にほひ》にも 出でじとおもへば ことの繁けく
 
【口譯】 紅葉の上におく白露があかい色になる、そのやうに、心に思ふことが、おもてに出ないやうにと思つてゐると、人の口がうるさくつて。
(292)【語釋】 ○色葉《にほひ》にも、「色葉」の訓については、いろ/\の説があるが、しばらく考にしたがつておく。○ことの繁けく こと〔二字傍点〕は「言」の義。口がうるさくてといふ意。
【後記】 忍ぶ戀が、いつしか人にいひ騷がれるやうになつたので、前途を悲觀した男が女に贈つた歌である。一・二の句は、第三句の序詞。織麗な序詞である。
 
2308 雨《あめ》降《ふ》れば たぎつ山川 石《いは》に觸《ふ》り 君が摧《くだ》けむ 情《こころ》は持たじ
    右の一首、秋の歌に類せず、しかも和なるを以て、之を載す。
 
【口譯】 (雨が降ると、はげしく流れる山川が、石にあたつてくだける、そのやうに)あなたがめちやめちやになるやうな情《こころ》は、わたしは、持つて居りません。
【語釋】 ○君が摧《くだ》けむ情《こころ》は持たじ 原文、「君之摧情者不持」とあるのを、從來、多く、キミガクダカムココロハモタジと訓んでゐる。しかし、クダカムと訓むことが、果して正しいかどうか。くだく〔三字傍点〕はカ行四段活用の動詞で、他動詞である。もし、これをクダカムと訓むとすれば、ここの意味は、「あなたが心をくだくやうな情《こころ》は、わたしは持つまい。」といふやうに見なければならない。もし、さうだとすれば、「心をくだく」を、單にくたく〔三字傍点〕とだけでいひあらはされるかどうかを考へて見なければならぬ。しかるに、「心をく(293)だく」は、この成語の形によつて、始めて、苦心する、思ひ苦しむといふ意味を現し得るのであるから、さういふ意味で用ゐられたとすれば、くだく〔三字傍点〕だけでは不十分なのである。「きみがくだかむこころ」とはあるが、このこころ〔三字傍点〕は、「くだかむ」の客語ではない。按ふに、これは、クダカムと訓むのではなく、クダケムと自動詞に訓むべきのであらう。上からの係りは、激流が石に觸れて、くだけるのであり、下への係りは、あなたががつかりして、めちやめちやになるやうな情はわたしは持つまいといふやうになるのであらう。新考もまた、クダカムといふ訓を排してゐるが、「摧」をクユベキと訓んでゐるのには、賛成しがたい。
【後記】 前の歌に對する女の答である。男が人の噂を氣にして、前途を悲觀してゐるのに對して、女は、どんなに人にいひ騷がれても、それに閉口して、あなたを失望させるやうな、弱い心はもつてゐないと男を安心させたのである。第三句までは、序詞もまた勢がよい。
【左註】 この答の歌は、秋の歌のやうではないのに、それをここに收めたのは、前の歌に和《こた》へたものであるからだといふのである。
 
   譬喩歌
2309 祝部《はふり》等《ら》が 齋《いは》ふ社の 黄葉《もみぢば》も 標繩《しめなは》越えて 散るとふものを
 
【題意】 ここで譬喩歌といふのは、譬喩による相聞の歌である。既出。
(294)【口譯】 神職たちのお祭りする社の紅葉でさへも標繩《しめなは》を越えて散るといふのに。
【語釋】 ○祝部《はふり》等《ら》 神職の階級の名にも、祝部がある。それは神主の次に位するもので、古書に神主・祝部と並べ、あげられてゐるものであるが、はふり〔三字傍点〕は、古くは、さらに廣く、一般的に神に奉仕するものの名稱でもあつた。ここは、その義に見るのが至當であらう。○齋ふ いはふ〔三字傍点〕は、お祭り申上げること。○標繩 或特定の地域が、或特定の目的のために專用されることを示し、かつ、或特定の人のみが出入を許されるとか、或特定の人に限つて出入が許されないとかいふことを標示するために張られる繩、この場合にあつては、神聖清淨な神域を、然らざる他の部分に對して區別するために張られた繩を「しめなは」といふ。
【後記】 神域の標繩の内にある紅葉は、神のもので、他の地域に散ることは許されない筈であるのに、それすら、標繩を越えて散るのではないか、親の守つてゐる娘は、容易に、保護者の目をのがれて人に逢ふことは出來ないことになつてゐるにしても、何とか出來ないものであらうか、自分はどうかして、戀する娘に逢つて、思ひのたけを話してみたいものであるといふ意をうたつたものが、この歌なのであらう。譬喩のとり方も上品であり、言葉づかひも洗錬されてゐる。
 
(295)   旋頭歌
2310 蟋蟀《こほろぎ》の わが床《とこ》のべに 鳴きつつもとな 起き居つつ 君に戀ふるに いねがてなくに
 
【口譯】 こほろぎが、わたしの床《とこ》のほとりに、鳴いてゐて、しようがない。起きてゐて、あなたが戀しくつて、眠られもしないのです。
【語釋】 ○鳴きつつもとな もとな〔三字傍点〕については、二二九三の歌參照。○いねがてなくに ねむられないのです。
 
2311 はたすすき、穗には咲き出ぬ 戀をわがする 玉蜻《たまかぎる》 ただ一目のみ 見し人ゆゑに
 
【口譯】 旗薄は、穗に咲き出るが、さう穗にあらはれない、人目を忍ぶ戀を、わたしは、します、たゞ一目見たばかりの女であるのに。
【語釋】 ○はたすすき 「穂に咲く」にかかる枕詞。○玉蜻《たまかぎる》 たまかぎる〔五字傍点〕はl「玉R《たまかぎ》る」の義で、かがやく玉の光は、一目見てもわかるといふ義で、「ただ一目」にかかるか。枕詞。
 
(296)     冬雜歌《ふゆのざふのうた》
 
【標目】 ここに「冬雜歌」とある標目は、二三一二から二三三二までの二十一首の總標であつて、次の「冬相聞」に對するものである。同じく、冬雜歌でも、二三一六以下には、小標目として、それ/”\の歌がついてゐるのに、はじめの四首に、それがないのは、春雜歌の場合と同じく、それらが、人麿歌集のものであるからであらうか。なほ、本卷の目録には、やはり、最初の四首を雜歌四首としてある。
 
2312 わが袖に 霰たばしる 卷《ま》き隱《かく》し 消たずてあらむ 妹が見むため
 
【口譯】 わたしの袖に、霰が飛び散つてゐる、袖で、それを卷いて隱して、とけないやうにしておかう、齋の見るために。
【語釋】 ○たばしる た〔傍点〕は接頭辭。はしる〔三字傍点〕は走る。○卷き隱し 袖を卷いて、その中に隱す。○消たずてあらむ 消《け》さずにおかうといふので、消さず〔三字傍点〕は「とかさず」の義。
【後記】 飛び散る霰をよろこんで、妻に見せようといふ純眞さは、まことに、後の世のものでは(297)ない。
 
2313 あしびきの 山かも高き 卷向《まきむく》の 岸の小松に み雪降り來る
 
【口譯】 山が高いのであらうか、卷向の川の岸にある小松に、雪が降つて來る。
【語釋】 ○山かも高き 卷向地方の山地へ來たら、雪が降つて來たので、山が高いために雪が降つて來るのかと疑つたのである。○卷向の岸の小松 卷何川の岸の小松である。卷七に、「卷向の山邊とよみてゆく水の」(一二六九)とある川がこれであり、また、この歌と同じく人麿歌集中の歌で、卷七の「卷向のあなしの川ゆ往く水の」(一一〇〇)、「卷向の川音高しも嵐かも疾《と》き」(一一〇一)とある、穴師の川も、卷向の川も共に同一の川をさしてゐるのであらう。
【後記】 山に近い川岸の小松に、白いものがちらつくので、仰いで山を見れば、一天灰色にとざされて、峰の木立も、飛雪にかくされてゐる。冬の或日の卷向の實景であらう。
 
2314 卷向《まきむく》の 檜原《ひはら》もいまだ 雲《くも》居《ゐ》ねば 小松が末《うれ》ゆ 沫雪《あわゆき》流る
 
【口譯】 卷向の檜原にも、まだ、雲がかからないでゐて、もう里近い小松の枝さきを、沫雪が流(298)れてゐる。
【語釋】 ○卷向の檜原 一八一三の歌參照。○沫雪流る 流る〔二字傍点〕といつたのは、雪の、小松の枝に、積つたのが、積つてはくづれ、積つてはくづ九、引きつづいて下に落ちて行くこと。その動作の移行をあらはすために、「小松が末《うれ》ゆ」と、「より」の意味のゆが用ゐられ、また、その動作の勢を示すために、「ながる」といふ語が用ゐられてゐる。
【後記】 萬葉集の典型的の格調を具へた歌。少しの緩みも無い。景趣も申分が無い。
 
2315 あしびきの 山道《やまぢ》も知らず 白橿《しらかし》の 枝もとををに 雪の降れれば【或は云ふ、枝もたわたわ】
    右は柿本朝臣人麿の歌集に出づ。但件の一首は、或本に云ふ、三方沙彌の作。
 
【口譯】 白橿の枝もしなつて、雪が降つてゐるから、山の道もわからない。
【語釋】 ○白橿《しらかし》 樫の一種。○枝もとををに 枝もしなつてである。或本にある、「枝もたわたわ」といふのも同義。枝もしなつて雪が降るといふのは、枝もしなふほどにの意。
【後記】 前の歌を、典型的の格調を具へた歌といへば、この歌は、素朴であつて、神韻のこもつた歌といふべきものであらう。これといふ特徴は無いけれども、朗々誦すべく、しかも、どこ(299)となく白々とした雪の世界を眼前に髣髴たらしめるものがある。
【左註】 但件一首とあるのは、最後の一首のことであらうか。三方沙彌は、傳記未詳。
 
   雪を詠める
2316 奈良山の 峯なほ霧《き》らふ うべしこそ 間垣《まがき》が下《もと》の 雪は消《け》ずけれ
 
【口譯】 奈良山の峰の方《はう》は、やはりまだ曇つてゐる。道理《だうり》で、うちの垣根の雪は消えないでゐる。
【語釋】 ○霧《き》らふ 霧が立つてゐるといふこと。曇つてゐる。○うべしこそ うべ〔二字傍点〕は、もつともで・道理《だうり》で・まことになどの義。し〔傍点〕は助詞。○消《け》ずけれ 「ずけれ」のず〔傍点〕は、打消の助動詞「ず」の連用形。
【後記】 雪げに曇つてゐる奈良山を見て詠んだ歌。
 
2317 こと降《ふ》らば 袖さへぬれて とほるべく 降りなむ雪の 空に消につつ
 
【口譯】 ほんとに降つたら、袖までもぬれとほるほどに降る筈の雪が、空で消えてしまつて、ほんとに降らなかつた。
【語釋】 ○ことふらば 「どうせ降るならば」と解する説もあるが、その説は採らない。「ことふらば」の(300)こと〔二字傍点〕は、「ことに」(殊ニ)・「ことさら」などのこと〔二字傍点〕と同じく、「こと」だけでも副詞に用ゐられる。こと〔二字傍点〕の意味は、特に・著く・よく、などであるが、ここでは「ほんとに」などの意に解してよい。○降りなむ雪 ふりなむ〔四字傍点〕はふつたらう雪の義であるから、降る筈の雪といふ意に見てよからう。○空に消《け》につつ につつ〔三字傍点〕の用ゐられるのは、この歌のやうに、期待の裏切られた場合である。ぬれとほるほどに降る筈であつたのに、その雪は、空に消えてしまつたのである。「につつ」のに〔傍点〕は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。
【後記】 雪の降るのをよろこんで、降れ降れ雪よと、心にねがつてゐたのに、その期待が裏切られたので、遺憾の念を、強くいひあらはした歌。
 
2318 夜を寒み 朝戸《あさと》を開《ひら》き 出で見れば 庭もはだらに み雪降りたり【一に云ふ、庭もほどろに雪ぞふりたる】
 
【口譯】 夜が寒いので、朝、戸をあけて、出て見ると、庭にも、薄く雪が降つてゐた。
【語釋】 ○はだら 「まだら(斑)」と同義と解されてゐるが、はだら〔三字傍点〕は薄い義で、「うつすら」といふ意味に當るのであらう。「ほどろ」もまた、「はだら」に同じである。
 
2319 夕されば 衣手《ころもで》寒し 高松《たかまと》の 山の木《き》毎《ごと》に 雪ぞふりたる
 
(301)【口譯】 夕方になると、袖が冷えて寒い。ふと見れば、高松山の木といふ木に雪が降つてゐる。寒い筈だ。
【後記】 調が高く、景がよい。
 
2320 わが袖に 降りつる雪も 流れ去《い》にて 妹が袂に い行き觸《ふ》れぬか
 
【口譯】 わたしの袖に雪がつもつたが、せめて、このわたしの袖に降つた雪でも、こゝからくづれていつて、妻の袂に降りかゝつてくれないかな。
【語釋】 ○流れ去《い》にて 流る〔二字傍点〕については、二三一四の歌參照。○い行き觸れぬか い〔傍点〕は接頭辭、行き觸れ〔四字傍点〕は、行つて觸れる、すなはち降りかかる義。
 
2321 沫雪は 今日《けふ》はな降《ふ》りそ 白栲《しろたへ》の 袖まきほさむ 人もあらなくに
 
【口譯】 沫雪は、今日は降つてくれるなよ。袖を枕にして、干してくれる人もゐないのだよ。
【語釋】 ○白栲の 「袖」の枕詞。○まき干さむ人 まき〔二字傍点〕は枕する義。枕にして干す人といふのは、妻のことをさしてゐるので、齋がゐれば、袖を枕にして共に寢てくれるから、ぬれた袖も乾くが、さういふ人も(302)今はゐないからといふ意。
 
2322 はなはだも 降《ふ》らぬ雪ゆゑ こちたくも 天《あま》つみ空は くもらひにつつ
 
【口譯】 ひどくも降らない雪だのに、大空は、一通《ひととほ》りでなくすつかり曇つてゐる。
【語釋】 ○はなはだも降らぬ雪ゆゑ 雪はひどくもふらないのにの意。○こちたくも ひととほりでなくたいへんに。○くもらひにつつ すつかり曇つてしまつてゐること。空はすつかり曇つてしまつてゐるが、雪はひどくもふらないと、二つの事實を對比して、その順應しないことが、ここの「くもらひにつつ」で示されてゐる。
【後記】 天候險惡、雪深く空を覆つてゐるのに、雪はさして降らない。降るならば、もつと降ればよいのにといふ意が、この歌の裏にはあるのであらう。
 
2323 わがせこを 今か今かと 出で見れば 沫雪ふれり 庭もほどろに
 
【口譯】 わが夫は、今來るか、今來るかと待ちかねて、おもてに出てみると、いつのまにか沫雪が降つてゐる。庭にもうつすりと。
(303)【語釋】 ○ほどろ 二三一八參照。
【後記】 情景兼ねそなへた、いい歌である。いつかふり出した雪が、白くうつすりと地上を見せてゐる夜、門に出て戀しい人を待つとたたすんでゐる、かぼそい、やさしい姿も、眼に見えるやうである。
 
2324 あしびきの 山に白きは わがやどに 昨日《きのふ》のゆふべ ふりし雪かも
 
【口譯】 山に白く見えるのは、わたしのうちに、昨日の暮方に降つた雪と同じ雪が殘つてゐるのだらうか。
【後記】 昨日の夕暮にふつた雪が、今朝になつてみると、もう消えてしまつてゐるのに、山を見ると白く見える。山でも、こちらと同じやうに、昨日は雪が降つたのだなとおもふ。朝起きて山の雪を見た時の歌であらう。
 
   花を詠める
2325 誰《た》が苑《その》の 梅の花ぞも 久方の 清き月夜《つくよ》に ここだ散り來る
 
(304)【口譯】 誰の庭の梅の花なのかしら、晴れわたつた月夜に、たくさん散つて來る。
【語釋】 ○久方の 「月夜」にかかる枕詞。○ここだ 多くの義。
【後記】 漢詩にありさうな情調。
 
2326 梅の花 先づ咲く枝を 手折《たを》りては 裹《つと》と名づけて よそへてむかも
 
【口譯】 梅の花の初咲の枝を手折つて、土産《みやげ》だといつて、あの人を思ふ自分の心を、これで知らせようかしら。
【語釋】 ○先づ咲く枝 はじめに咲く枝。初咲の枝の義。○よそへてむかも よそへ〔三字傍点〕は、ことよせる・託するなどの義。ここでは、自分の戀心を、この枝に託して知らせるといふ意。
 
2327 誰《た》が苑《その》の 梅にかありけむ ここだくも 開《さ》きてあるかも 見が欲《ほ》しきまでに
 
【口譯】 誰《だれ》の庭の梅だつたのだらう、たくさんに開《さ》いてゐるよ、見たいと思ふくらゐに。
【語釋】 この歌、右のやうに、語句を逐つて解しただけでは、言葉が不足のやうである。おもふに、これは、梅の枝を見てよんだ歌で、誰の苑の梅だつたのだらうといふのも、そのためであ(305)らう。從つて、第二・三句の「ここだくもさきてあるかも」も、その枝に、花の多くついてゐることをいつたもの、第五句の「見が欲しきまでに」は、その苑に行つて見たい義と解すべきものなのであらう。かくの如く説いてゆけば、一通り、その意義は、わかつて來るが、なほ、この見方から考へても、第二句は、妥當を缺く。本來ならば「梅にかあるらむ」とあるべきところである。原文には、「梅爾可有家武」とあるが、宣長説では、「家」を「良」の誤と見てゐる。誰の庭の梅なのだらうといふのが自然である。
 
2328 來て見べき 人もあらなくに 吾家《わぎへ》なる 梅の早花 《はつはな》 散りぬともよし
 
【口譯】 來て見るやうな人もゐないのだから、わたしのうちの梅の初花は、散つてしまつてもよい。
【語釋】 ○來て見べき 見べき〔三字傍点〕は古格である。「べし」といふ助動詞は、本來用言の終止形をうけるのを原則とするのであるが、古くは、上一段の動詞にかぎり、その連用形をうけたのである。
 
2329 雪寒み 咲きには咲かず 梅の花 よしこの頃は さてもあるがね
 
(306)【口譯】 雪が寒いので、梅の花は、咲くのは咲かないが、それもよからう。雪の寒いこの頃は、無事でゐるためには。
【語釋】 ○咲きには咲かず 咲くといふことからいへば咲かない、すなはち咲くまでにはならないといふ意。○よし それもよからう。○さてもあるがね そのままでゐるためには。無事でゐるためには。雪にいためられないためにはといふ意。
【後記】 梅の花の雪にいためられるのを惜しんで、このやうに、雪が寒い頃は、咲かなくてもよいとの心もちをのべた歌。たゞ、この歌は、表現も、うるほひに缺けてゐるし、内容も、理窟に流れすぎてゐる。
 
   露を詠める
2330 妹がため 上枝《ほつえ》の梅を 手折《たを》るとは 下技《しづえ》の露に ぬれにけるかも
 
【口譯】 妻のために、上の枝の梅を手折らうとして、下の枝にやどつてゐた露にぬれたのだよ。
【語釋】 ○手折るとは 手折るとてはの義。
【後記】 印象鮮明な、よい歌。
 
(307)   黄葉を詠める
2331 八田《やた》の野《ぬ》の 淺茅色づく 有乳《あらち》山 峰の沫雪 寒くふるらし
 
【口譯】 八田の野の浅茅があかくなつた。有乳山の峰の方では、さぞ寒くつて、沫雪が降つてゐるだらう。
【語釋】 ○八田《やた》の野《ぬ》 今の奈良縣生駒郡に矢田村があり、大字に矢田がある、そのあたりか。○有乳山 昔の愛發《あらち》の關のあつた山。近江の高島郡から越前の敦賀郡に趨える國境にある。
 
   月を詠める
2332 さ夜ふけば 出で來む月を 高山の 峯の白雲 隱すらむかも
 
【口譯】 夜がふけたならば出て來る筈の月であるのに、おそいのは、高い山の峰の白雲が隱すのであらうか。
【後記】 月の出のおそいのを、待つてゐるものが、峰の白雲がかくすのだらうといつたに過ぎないのではあるが、この古拙なところに、一種の味がある。
 
(308)     冬相聞《ふゆのさうもん》
 
【標目】 以下十八首、冬の相聞の歌を收めたのである。冬雜歌に對した標目である。最初の二首は、例によつて人麿歌集の歌。目録には、この二首を、相聞二首と題してゐる。
 
2333 ふる雪の 空に消《け》ぬべく 戀ふれども 逢ふよしなくて 月ぞ經にたる
 
【口譯】 ふつて來る雪は、下までとゞかず、空で消えてしまふが、わたしも、思ひをとげないうちに、命もなくなつてしまひさうに、戀しく思つてゐるけれども、戀人に逢へる方法もなくつて、月が經《た》つてしまつた。
【語釋】 ○ふる雪の空に消《け》ぬべく ふる雪が空で消えてしまふやうに、わたしも、命が半途でなくなつてしまひさうにと、第二句は、雙方にいひかけてある。
 
2334 沫雪は 千重にふりしけ 戀しくの 日長《けなが》きわれは 見つつ偲《しぬ》ばむ
(309)    右柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
 
【口譯】 沫雪は、幾重にも幾重にも降り重なれよ、人を戀しく思つてゐることの久しいわたしは、せめて、雪を見て心を慰めよう。
【語釋】 ○ふりしけ あとから後《あと》から降れとの意。このしく〔二字傍点〕といふ動詞は、同じ動作を繰返す義。○日《け》長き 久しい。○偲ばむ しぬぶ〔三字傍点〕は、ここでは、心を慰めることを意味する。
 
   露に寄す
2335 咲《さ》き出《で》照《て》る 梅の下枝《しづえ》に 置く露の 消ぬべく妹に 戀ふるこの頃
 
【口譯】 花が咲き出て照りかゞやいてゐる梅の木の下の方の枝におく露が消える、そのやうに、命もはかなくなりさうに、この頃は、妻を戀しく思つてゐる。
【後記】 第三句までは序であるが、この序のうちに、「咲き出照る梅」と「下枝の露」とを照應せしめてゐる手法は凡ではないが、序があまりにきら/\してゐるので、末二句が、何となく見すぼらしく見える。
 
(310)   霜に寄す
2336 はなはだも 夜《よ》ふけてな行き 道の邊の 湯小竹《ゆざさ》が上《うへ》に 霜の降る夜を
 
【口譯】 こんなにひどく、夜がふけてから、お出かけなさるな。道のほとりの、繁つてゐる小竹《ささ》の上には、霜もふる晩でございますのに。
【語釋】 ○はなはだも ひどく。○湯小竹《ゆざさ》 「湯《ゆ》」は、「湯津磐村《ゆついはむら》」などの例によれは、五百《いほ》の義で、數の多きことを示す語、ゆざさ〔三字傍点〕は多くの小竹といふこと。
【後記】 歸らうとする男を引き止める女の歌。
 
   雪に寄す
2337 小竹《ささ》の葉に はだれふり覆《おほ》ひ 消《け》なばかも 忘れむといへば まして念《おも》ほゆ
 
【口譯】 (小竹の葉に、薄雪がふりかぶさつて消える、そのやうに)消えてはかなくなつたら、忘れようかと、女がいふので、わたしは、一そう女がかはゆく思はれる。
【語釋】 ○消なばかも忘れむ 消なば忘れむかで、死んだら、あなたのことが忘れられるかも知れないといふ意。
(311)【後記】 情にもえる女の、はげしい戀の言葉を聞いて、女のかはいさが、一しほ身にしみた男の歌。一・二句が序の詞。「消なば」にかゝる。この序の詞は、よく利いてゐる。しかも、これに對する下の三句も、よく權衡がとれてゐて、全體をして迫力のあるものたらしめてゐる。
 
2338 霰ふり いたも風吹き 寒き夜や 旗野《はたぬ》に今夜《こよひ》 わがひとりねむ
 
【口譯】 霰がふつて、ひどく風が吹いて、こんなに寒い晩に、今夜、旗野で、わたしは、ひとり寢るのであらうか。
【語釋】 ○いたも風吹き いたも〔三字傍点〕はひどく。「いたく」の語幹いた〔二字傍点〕に感動の助詞「も」のついたもの。○寒き夜や や〔傍点〕は疑の助詞。○旗野《はたぬ》 奈良縣高市郡の波多か。
 
2339 吉名張《よなばり》の 野木《ぬぎ》にふり覆《おほ》ふ 白雪の いちじろくしも 戀ひむわれかも
 
【口譯】 吉名張の野の木に降りかぶさつてゐる白雪の、はつきり目に立つやうに、はつきり人目をはゞからずに、わたしは戀をしようね。
【語釋】 ○吉名張 前に吉隱とあるのと同じ。今の奈良縣磯城郡初瀬の東方に吉隱といふ村がある。既出。
(312)【後記】 第三句までは序の詞。「いちじろく」にかゝる。
 
2340 一目《ひとめ》見《み》し 人に戀ふらく 天霧《あまぎら》し ふり來る雪の 消《け》ぬべくおもほゆ
 
【口譯】 わたしは、一目見た人に戀をしてゐると、空かき曇つて降つて來る雪の消えるやうに、はかなくなつてしまひさうに思はれる。
【語釋】 ○天霧《あまぎら》し 空が曇つて。
【後記】 「天霧しふり來る雪の」は、「消ぬべく」の序詞。
 
(313)2341 思ひ出づる 時はすべなみ 豐國《とよくに》の 木綿山雪《ゆふやまゆき》の 消《け》ぬべくおもほゆ
 
【口譯】 思ひ出す時は、何ともしかたがないので、豐後の國の木綿山《ゆふやま》の雪の消える如くに、はかなくなつてしまひさうに思はれる。
【語釋】 ○木綿山 大分縣速見郡由布山。
【後記】 「豐國の木綿山雪の」は「消ぬべく」の序詞。
 
2342 夢《いめ》の如《ごと》 君を相見《あひみ》て 天霧《あまぎら》し 降り來る雪の 消《け》ぬべくおもほゆ
 
【口譯】 夢のやうに、あなたとお逢ひしたばかりで、空がかき曇つて降つて來る雪のは(314)かなく消えるやうに、はかなくなつてしまひさうに思はれます。
【後記】 一目相見た戀に、命も盡きるやうな心もちがするといふのである。「天霧し降り來る雪の」は、「消ぬべく」の序詞。
 
2343 わがせこが 言うるはしみ 出でて行かば 裳引き知らえむ 雪な降《ふ》りそね
 
【口譯】 わが男の言葉が親切なので、逢ひに出て行つたなら、裳裾を引く跡が雪に殘つて、人に知られるだらう、雪よ降つてくれるな、
【語釋】 ○言うるはしみ 言葉が親切なので。うるはしみ〔五字傍点〕は、形容詞「うるはし」の語幹に接尾辭「み」のついたもの。うるはし〔四字傍点〕は、いとしい・むつましい・心がひかれるなどの意。○裳引き 女の裳は裾を引くからである。○知らえむ 知られむ。
【後記】 男が女に戀の言葉を贈つて來る。その言葉にほだされて、逢ひに行かうとすると、雪が降り出した。この雪では、裳裾を引いた跡が殘るから人に知られようとおそれる。まことに、素朴な、やさしい心づかひである。
 
(315)2344 梅の花 それとも見えず 降る雪の いちじろけむな 間使《まつかひ》 遣《や》らば【一に云ふ、降る雪に間使やらばそれと知らむな】
 
【口譯】 梅の花が、梅の花とも見えないくらゐ白く降る雪は、はつきり人目につく、そのやうに人目につくであらうよ、間使《まづかひ》をやつたならば。(【一に云ふ、雪の降つてゐるのに、間使をやつたならば、人は、それが二人の間の使だと知るであらうよ。】)
【語釋】 ○いちじろけむな はつきり人に知られようよ、人の目につくだらうよなどの意。な〔傍点〕は感動の助詞。○間使 二人の間の使。
【後記】 雪が、梅花を壓して、一面に白く降つてゐる。異色を點ずるものは、雀のやうな小さいものでもすぐわかる。そこへ、文使を出せば、すぐそれが人目につく。さればとて、戀しい人に文はやりたし、どうしたらばよいか。この歌は、その心配をうたつたのである。「梅の花それとも見えず降る雪の」は、「いちじろけむな」の序ではあるが、また實景なのでもあらう。
 
2345 天霧ひ ふり來る雪の 消えぬとも 君に逢はむと ながらへわたる
 
【口譯】 空かき曇つて降つて來る雪の消えるやうに、命がはかなく消えるにしても、どうかあなたに逢はうと、生きながらへて、かうして月日を過してゐます。
【語釋】 ○消えぬとも 原文「消友」とある。キエヌトモと訓めば、自分の命がなくなつてしまつてもの意(316)であつて、一夜の逢瀬のためには、百年の命をもかけるといふことになる。これをケナメドモと訓めば、命がなくなるかも知れないがといふ意になる。
 
2346 うかねらふ 跡見山雪《とみやまゆき》の いちじろく 戀ひば妹が名 人知らむかも
 
【口譯】 跡見山《とみやま》の雪のはつきり目立つやうに、目だつて戀をしたならば、戀しい女の名を、人が知るであらうよ。
【語釋】 ○うかねらふ 窺《うかが》ひ覗《ねら》ふといふので、「跡見《とみ》」にかかる枕詞。○跡見山 今の奈良縣磯城郡櫻井町の鳥見山か。
【後記】 一・二の句は「いちじろく」にかゝる序詞。
 
2347 海小船《あまをぶね》 泊瀬《はつせ》の山に降る雪の 日長《けなが》く戀ひし君が音《おと》ぞする
 
【口譯】 (泊瀬の山に降る雪の)久しい間、戀しく思つてゐたあの方《かた》の、おいでなさる物音がする。
【語釋】 ○海小船《あまをぶね》 「初瀬」の枕詞。「海小船の泊《は》つ」とかかる。初句から第三句までは序詞。「降る雪の(317)消《け》」とかかり、「消《け》」と「日長《けなが》く」の「日《ケ》」と同音であるから、「日」にかかることになる。○君が音《おと》ぞする 音〔傍点〕はオトヅレの義とも説かれてゐるが、たづねて來る物音と見る方がよい。
 
2348 和射美《わざみ》の 嶺《みね》行き過ぎて 降る雪の 厭《いと》ひもなしと 白《まを》せその兒《こ》に
 
【口譯】 和射美《わざみ》の嶺をとほつて行く時に降る雪はいやだが、そのやうに、いやに思ふことはないと、その女にいつて下さい。
【語釋】 ○和射美《わざみ》 岐阜縣不破都の和※[斬/足]の嶺。○嶺行き過ぎて 嶺を通り過ぎる時に當つての意。○厭《いと》ひもなし この句、原文に「※[厭のがんだれなし]毛無跡」とあつて、種々の異訓があるが、ここにはイトヒモナシと訓んで、いやに思ふことはないと解しておく。いやな事はないといふのは、女の所に通ふのに、何等の厭ひはない、萬難を排してでも行くといふこと。
【後記】 初句から第三句までは、「厭ひ」にかゝる序詞。第五句の「白せその兒に」がおもしろい。一異彩を放つてゐる。
 
   花に寄す
                             
(318) 2349 わがやどに 咲きたる梅を 月《つくよ》夜よみ 夕夕《よひよひ》見せむ 君をこそ待て
 
【口譯】 わたしのうちに咲いてゐる梅を、月がよいので、お見せしようと、毎晩毎晩、あなたをお待ちしてゐます。
【後記】 人を待つやさしい心もちが、言外にあらはれてゐる。
 
   夜に寄す
2350 あしびきの 山のあらしは 吹かねども 君なき夕《よひ》は かねて寒しも
 
【口譯】 山からの嵐は、まだ吹かないけれど、あなたのおいでのない晩は、吹かない前から寒うございますよ。
【後記】 愛する人を缺いた獨居は、心の荒凉たるによつて、風なきに風を感じるのであらう。可憐。
 
萬葉集 卷第十
 
(319)   附録
 
     ※[木+四]戯考説
                      安藤正次
 
          一
 
 萬葉集卷十の(一八七四)「春霞田菜引今日之暮三伏一向夜不穢照良武高松之野爾」とある、第三句暮三伏一向夜〔六字右○〕は、古くからユフヅクヨと訓まれてゐる。また、卷十二の(二九八八)「梓弓末中一伏三起不通有之君者會奴嘆羽將息」とある第二句の末中一伏三起〔六字右○〕は、スヱノナカゴロ、卷十三の長歌(三二八四)に、「菅根之根毛一伏三句凝呂爾」とある、根毛一伏三向凝呂爾〔九字右○〕とあるのは、ネモコロゴロニと訓まれてゐる。これらについてみるに、三伏一向はツク、一伏三向・一伏三起はコロを書きあらはしたものと考へられるが、このうちで、一伏三向と一伏三起とは、同義をちがつた字面であらはしたのであるから、これは三伏一向がツク、一伏三向がコロであると見てよい。
(320) 三伏一向と一伏三向とは、樗蒲の采面をあらはしたものであることは、夙く北村節信の萬葉析木考、北靜廬の梅園日記、狩谷※[木+夜]齋の倭名類聚紗の箋註などの所説があり、明治の代になつては、木村正辭の美夫君志における、前記の諸書に本づいた解説、近くは、「國語と國文擧」第二卷第九號所載の葛城末治氏の「萬葉集に出でたる三伏一向及び一伏三起の意義について」といふ論文などがあつて、ほゞその要を得たるに近い。(これらの諸説についての私見は、昭和十一年一月の「臺大文學」創刊號所載の拙稿「※[木+四]戯考説」、同三月の同誌の「續※[木+四]戯考説」に辨じておいたから、委しくは、それに讓つておく。)
 要するに、從來の諸説を檢して、さらに諸種の文献を參覈して、わたくしの得たる結論は、三伏一向および一伏三向は、朝鮮で今日行はれてゐる※[木+四]戯の上にも見出される采面であつて、古くわが國においても、この※[木+四]戯が行はれてゐて、その三伏一向の場合をツク〔二字右・〕とよび、一伏三向の場合をコロ〔二字右・〕とよんでゐたから、ツクもしくはコロといふ同音語を書きあらはすのに、これらのそれぞれの字面を以てしたといふことになるので、この字面の説明においては、從來の諸説に多くを加へる要を見ないのであるが、何故にこれをツクといひ、これをコロといつたかを説くに當つては、まづ※[木+四]戯の由來を明らかにし、その傳説を詳らかにしなければならない。以下少しくこれについて述べてみ(321)よう。
 
          二
 
 朝鮮の※[木+四]戯については、古く金文豹の※[木+四]圍説、沈翼雲の※[木+四]戯經があり、後には、李※[日+卒]光の芝峰類説、李圭景の五洲衍文長箋、李※[さんずい+翼]の星湖※[人偏+塞]説などに、その説があるが、まづ、最初に※[木+四]戯の現状を明らかにするために、朝鮮總督府刊行「朝鮮の年中行事」および、今村鞆氏の「朝鮮風俗集」などによつて、その大體を述べると、左の通りである。
 ※[木+四]戯は、一に擲※[木+四]ともいひ、年末から年始にかけて一般的に行はれるが、朝鮮語でこれを Yootnori といふ。(筆者が卷間で聞いたところでは、普通に Yoot とのみいつてゐる。)※[木+四]《ユツ》は、主として、檀木または萩その他の堅い木でつくるが、斫※[木+四](Chang Chak Yoot または Chai Yoot)と栗※[木+四](Bam Yoot)との二種がある。斫※[木+四]といふのは、長さ四寸、徑八分ぐらゐの圓い二本の棒を縱に割つて四本とし、その兩端をやゝ細く削つたものであり、栗※[木+四]といふのは、長さ六分、徑四分ぐらゐのものであつて、縱に割つて四個一組とすることは、彼是同樣である。このうちで、栗※[木+四]は、多くは賭博用として農夫間に行はれ、斫※[木+四]は、正月の遊戯用として一般に行はれる。
(322) ※[木+四]戯は、二人以上は何人までも行ふことが出來るが、多くは、二人以上の偶數が二組に分れて各組から一人づつ出て、相手となつて行ふのが普通である。これを行ふものは、四つの※[木+四]《ユツ》を手にして二三尺ばかり高く擲げ、それが場面に落ちて變化する俯仰によつて點數を計算し、馬を馬田に進めるのであるが、その俯仰の變化は五種で、それぞれの名がある。三腑一仰を徒〔右・〕(to)、二俯二仰を開〔右・〕(Kai)、一俯三仰を杰〔右・〕(Kul)、四仰を流〔右・〕(Ryoot)、四俯を牟〔右・〕(mo)といひ、徒は一圏、開は二圏、杰は三圏、流は四圏、牟は五圏を進め得る定めである。馬は、適宜、小石のやうなものでも、マツチの棒のやうなものでもよいのであるが、馬田は上記の如きものを用ゐる。
 右の馬田の徒〔右・〕のところを起點とし、投げられた※[木+四]の俯仰の數により、右巡し、出〔右・〕のところを最終(323)點とし、四巡したものを勝とするのであるが、馬が入〔右・〕または拱〔右・〕のところにとゞまれば、その次には、左折して進むことが出來るし、入〔右・〕から左したものが中〔右・〕にとゞまれば、次にはまた出〔右・〕の方に向つて進むことが出來る。しかし、中〔右・〕のところを通過すると、裂〔右・〕のところまで行つて、それから出〔右・〕の方に向はなければならない。拱〔右・〕のところを通過した場合も同樣である。かうして、最終點である出〔右・〕のところまでを、はやく四巡したものが勝となるのであるが、もし、四仰の流〔右・〕または四俯の牟〔右・〕になるとか、或は、前進する敵手の馬を捕へるとかした時には、同一人が繼續して※[木+四]を擲げ、馬を進めることが出來るのである。
 右の馬田の出〔右・〕・入〔右・〕・拱〔右・〕・裂〔右・〕・中〔右・〕などの字面は、漢沛公西入定關中、舜重華垂拱平章事中、樊將軍眦裂鴻門中、楚覇王南出潰圍中の四句を、下のやうに排列するに本づくのである。
 
          三
 
 ※[木+四]戯については、星湖※[人偏+塞]説には、これを高麗の遺俗であるといつてゐるが、おそらく、これは、支那からはやく朝鮮に(324)入り、高麗に行はれたことを物語つてゐるのであらう。※[木+四]戯はまた※[手偏+歎]戯ともいはれることは.芝峰類説に「國俗、於2歳首1、男女相聚、以2骨或木1、截爲2四段1、擲v之以決2勝負1、曰2※[手偏+歎]戯1、訓蒙字會云※[手偏+歎]即樗蒲也。」とある通りであるが、訓蒙字會の※[手偏+歎]の條を檢すると、「※[手偏+歎]即樗蒲也」とは無いが、「※[手偏+歎]蒲賭博」と見え、※[ハングルでユンノルタン]と註してある。なほ、樗の條を見ると、「樗蒲四數賭博」とあり、蒲の條には、幼學字會を引いて、樗蒲※[ハングルでユッ]とある。この※[ハングルでユッ]は、すなはち Yoot であるから、※[木+四]といひ、※[手偏+歎]といひ、樗蒲といひ、文字こそ異なれ、ともに、鮮語 Yoot をあらはすものであることは明らかである。しかして、「※[木+四]」の字は、説文には匕也とある字でありサジは木製であるから木に从ひ、四は聲を示してゐるのである。しかし、※[木+四]戯の場合の※[木+四]は、李圭景が※[木+四]戯辨證説のうちに、「以2四木1爲v骰、取2四木之義1稱v※[木+四]、即象形會意、而爲2我東土字方音1也【俗訓※[木+丑]】」といつてゐるのに從ふべきのであらう。次に「※[手偏+歎]」の字は社甫の詩に白晝※[手偏+歎]錢高浪中などとある※[手偏+歎]錢の場合と同樣に、擲の意に用ゐられたのであらう。
 さて、次に「樗蒲」といふのは、この種の博戯の名稱として、支那でも古くから用ゐられて來てゐるのであるが、その名箋は詳かでない。事物紀原に、「博物志曰、樗蒲老子入2西戎1所v造、或云胡亦以v此卜也」といつてゐるのによると、樗蒲は支那發生のものでないやうに見えるが、何故に(325)樗蒲といふかは知られてゐない。唐書地理志には、遂州の土貢品として樗薄綾といふ品目を擧げてゐるが、この名稱の由來も明らかで無い。しかし、按ふに、これはその紋樣が樗蒲なるものに似てゐるからではあるまいか。宋の程大昌の演繁露には、「今世、蜀地織v綾、其文有2兩尾尖削、而中間寛厚者1、既不v象v花、亦非2禽獣1、乃遂名爲2樗蒲1、豈古制流2於機織1、至v此尚存也耶。」とあるが、こゝにある蜀地の樗蒲なるものは、唐書の樗蒲綾といふものと同一種なのであらう。しかして、この文樣の樗蒲なるものは、前記の文によると、兩尾尖削にして、中間寛厚なものであることが知られる。さういふ文樣が、いかにして樗蒲と名づけられたかといふに、何人も最初に念頭に思ひ浮べるのは、植物の樗のことであらう。しかるに、樗は、本草綱目の時珍の説に、「江東呼爲2虎目樹1、亦名2虎眼1、謂葉脱處有v痕、如2虎之眼1、又如2樗蒲子1、故得2此名1。」とあるのによると、樗の方が、その葉の落ちた痕が樗蒲子に似てゐるから、その名を得たのである。明の周祈の名義考にもまた、同樣の説が見えてゐる。その先後いづれにあるか、さらに檢討を要する問題であるが、わたくしの今日までに得たる見解によれば、樗蒲子の方が、むしろ樹木の樗にその名を負うたのであつて、上記の諸説は、本末を顛倒せるものではなからうかと思はれる。何となれば、樗蒲子を以て行ふ博戯は、古く六博といはれたものゝ流を汲むものと思はれるが、その後、種々の變繊を經て、宋代に至(326)つては、漸く古法を失つたやうであり、前引の演繁露の如きも唐の李※[皐+羽]の五木經を誤解してゐる點が少くないのによつて見ても、當時の人々が、、樗蒲に關する正當な智識をもつてゐなかつたことが窺はれるからである。
 樗滿子を以て行ふ博戯については、後節において示す如く、わが國において、古くこれをカリ〔二字右○〕と訓んでゐるが、その所以についてもまた、何等の解説を得てゐない。たゞ、高楠順次郎博士が、かつて、朝日新聞社發行の「天平文化」所收「天平時代を中心として印度と日本との關係」といふ論文のうちで、カリ〔二字右○〕を梵語で説いてゐられるが、同博士の所説は、いまだわれ/\を首肯せしめるに足りない。樗蒲はおそらく、漢土發生のものでなく、西域からの輸入かと思はれるし、カリ〔二字右○〕といふ語のみならず、この博戯における諸術語も、或は、西域その他からの外來語かと思はれるが、今日まで、なほ解決の端緒を得るに至らないことは、わたくしの遺憾としてゐるところである。
 
          四
 
 楚辭、招魂篇を按ずるに、「※[くさがんむり/昆]蔽象棋有2六簿1些、分v曹並進遒相迫些、成v梟而牟呼2五白1些」といふ一節がある。※[くさがんむり/昆]は玉であり、蔽は簿〔右・〕箸である。この文は、※[くさがんむり/昆]蕗を以て箸をつくり、象牙を以(327)て棋をつくり、箸を投じて棋を行ることをいつてゐるのであるが、この梟といひ、牟といひ、五白といふ、いづれも後の五木および四木などの博戯の采名と相通ずるものがある。これ、わたくしが樗蒲子を以て行ふ博戯は、古の六博の亞流であるといふ所以である。しかして、今、これらの采名を説かうとするには、わたくしは、まづ唐代における五木の戯の大要を述べなければならない。以下、唐國史補や五木經などの所説を參酌して、五木とよばれる樗蒲について概説を試みる。
 五木に用ゐられる投子、すなはち樗蒲子は、兩端が細く尖り、中央に至るにしたがつて幅廣くなつてゐる、一面は扁平で、他の一面はふくらみがあるやうな形のもので、その長さは、いろ/\あるらしい。西京雜記には、竹を以てつくつた、長さ六分のものなどが見えてゐるが、六分といふのは、短い方であるかも知れない。これらの樗蒲子の形は、前述の、北村節信の「折木四考」や、木村正辭の「美夫君誌卷二別記附録」などにも見えてゐるから、それによつて知られたいが、とにかく、さういふ投子を投げて、棋(馬ともいふ)をすゝめるのであるが、投子五子を用ゐるのを五木といつてゐる。それらの投子は、すべて、一面は黒く一面は白くなつてゐて、そのうちの二つの黒い面には犢を刻し、二つの白い面には雉を刻してゐる。しかして、五木を投じた場合にあらはれる種々の變化に應じて、棋を進める數が定められてゐる。そのあらはれた變化の相がいはゆる采であ(328)るといつてよい。采には王采四種、賤采六踵ある。五者すべて黒面をあらはした場合は盧〔右○〕、三者は無文黒面を表はし、二者は雉を畫いた白面を表はした場合は雉〔右○〕、三者は無文白面を表はし、二者は犢を書いた黒面をあらはした場合は犢〔右○〕、五者すべて白面を表はした場合は白〔右○〕、以上は王采である。次に三者は無文の白面、一者は雉文の白面、一者は犢文の黒面なのを開〔右○〕、三者は無文の黒面、一者は犢文の黒面、一者は雉文の白面なのを塞〔右○〕、二者は無文の白面、二者は雉文の白面、一者は無文の黒面なのを塔〔右○〕、二者は無文の黒面、二者は犢文の黒面、一者は無文の白面なのを禿〔右○〕、二者無文の黒面、三者無文の白面なのを※[木+厥]〔右○〕、二者無文の白面、三者無文の黒面なのを梟〔右○〕(または※[手偏+梟]・※[牛+建])と名づけてゐる。以上の六種が賤采である。
 さて、右の五木の采名を推して楚辭の采名を考へようとするには、無理がある。楚辭の註釋者は牟〔右○〕は盧〔右○〕であるとし、「成梟而牟呼五白些」といふのを解して、「倍v勝爲v率、五白博齒也、言棋已成v梟、當成v牟、故呼2五白1、以助2投者1也。」といつてゐるが、まことに牟〔右○〕が最上の采であつたことは、淮南子の詮言訓に、「善博者不v欲v牟、不v恐v不v勝、平心定意、捉2得其齊1、行由2其理1、雖v不2必勝1、得v籌必多。」とあるのによつても知られるが、六博は六木を用ゐたものと思はれるから、上記の註釋も、果してその當を得てゐるかどうか疑はしい。
(329) 五木から轉じたものに四木がある。四木の采色が九采であることは、前記北村氏、木村氏のすでに論じてゐるところであるから、今これを繰返さないが、こゝに注意すべきは、六博の采と五木の采とに一致しない點が見出されるやうに、五木と四木との間にもまた、出入がある筈である。しかも漢土における四木の采名も明らかでなく、四木の法がわが國に入つてからの采名も知られてゐないのである。わづかに、和名抄雜藝具に樗蒲采、陸詞曰※[木+梟]、音軒、和名加利、※[木+梟]子、樗蒲采名也と見えて、カリといふ名が記されてゐるが狩谷※[木+夜]齋は、和名抄の箋註に、樗蒲子がカリ〔二字右○〕と訓むべきもので、※[木+梟]をこれに充てるのはよろしくないといつてゐる。しかし、いづれにしても、こゝにカリの訓の見えてゐることは、注意に値する。樗蒲を國語でカリウチと訓むが、それはカリをウツといふ義であるから、カリといふ名が、その博全體を代表するやうになつてゐるとも見られるからである。この點においても、朝鮮の※[木+四]戯の采名は、或種の解決を與へてくれるやうである。
 前にも述べたやうに、朝鮮の※[木+四]戯は、その俯仰によつて、五種の變化を生ずる。四俯を牟〔右○〕、四仰を流〔右○〕、二俯二仰を開〔右○〕、三俯一仰を徒〔右○〕、一俯三仰を杰〔右○〕と名づける。支那の四木に比して采種の少いのは犢雉の文がないからである。
 右の采名のうち、牟〔右○〕は楚辞にある牟〔右○〕に比すべく、開〔右○〕は五木における雉一、犢一、白三の開〔右○〕に、徒〔右○》は(330)同じく五木の、犢二黒二、白一の禿〔右○〕に、杰〔右○〕は、五木の白三黒二の※[木+厥]〔右○〕に比すべきものであるが、四仰の流〔右○〕は、或は五木の盧〔右○〕に當るべきか。かくの如く采名を對比して見れば、これらの朝鮮における采名は、※[木+四]戯そのものと共に朝鮮に移入されたるものであることは、論ずるまでもない。しかし、※[木+四]戯の采名は、また他の文字で示されてゐる場合もある。※[木+四]戯辨證説には、牟〔右○〕を模〔右○〕、流〔右○〕を※[手偏+丑]〔右○〕、杰〔右○〕を傑〔右○〕、開〔右○〕を介〔右○〕、徒〔右○〕を都〔右○〕としてゐる。いづれも同音のものであるが、このうちで、流〔右○〕を※[手偏+丑]〔右○〕としてあるのは、どういふわけであらうか。※[手偏+丑]〔右○〕は音が Yoot であつて、※[木+四]〔右○〕の音と通ずることは、前引の※[木+四]戯辨證説に※[木+四]〔右○〕に註して「俗訓※[木+丑]〔右○〕」といつてゐるによつても知られる。※[木+四]字には、元來 Yoot の音は無いのである。さうすると、※[木+四]戯を Yoot といふのは、この采名から出たのであり、鮮語で※[木+四]戯を Yoot-nori といふのは、わが國語でカリウチといふのと同じ關係であらうと思はれる。
 わが國に於ける※[木+四]戯は、支那から直接に輸入されたか、或はまた朝鮮から移入されたか、明らかには知られないが、わが國の四木が、雉犢の文をもたなかつたらしいこと、したがつて、俯するか仰ぐかだけが問題であつたことなどから考へると、どうも朝鮮からの移入であつたらしく考へられる。しかして、これを朝鮮からの移入であるとすれば、采名なども、朝鮮のそれに類したものが用ゐられてゐたのであらうから、一伏三向、三伏一向などを解するのにも、またその點に注意を拂ふ(331)べきことは當然であるが、きて、まづ、一伏三向〔四字右・〕をコロ〔二字右・〕と訓むについて考へてみるに、これは、すでに、葛城氏もいつてゐられるやうに、朝鮮語で、その采名杰〔右○〕をコールといふのを見ると、大體において、その訓み方は、こゝに本づいてゐるのであらうと思はれる。たゞ、こゝで疑問となるのは和名抄は、前引の如く、※[木+梟]〔右○〕をカリと訓んでゐることである。※[木+梟]〔右○〕は、五木經の示すところによれば、白二黒三の場合の采名である。※[木+梟]〔右○〕は或は※[牛+建]〔右○〕とも書かれてゐるが、カリと訓まれるべき文字ではない。五木の場合でいへば、※[木+梟]〔右○〕は白二黒三、※[木+厥]〔右○〕は白三黒二、共に賤采である。これが四木となつて、どう變化したかは明らかでないが、朝鮮の※[木+四]戯の杰〔右○〕(もしくは傑〔右○〕)が、五木の※[木+厥]〔右○〕を承けたものであることは明らかに察せられるし、この杰〔右○〕がコールの音をもつてゐたりすることから考へると、この采名がカリの形で移入され、それが、和名抄においては、たま/\、類似の采名たる※[木+梟]〔右○〕と結びついて記入されたのでもあらうかと考へられる。これは、なほ考究を要する問題であるが、とにかく、一伏三向をコロ〔二字右○〕と訓むのは、杰〔右○〕の采が當時今日の朝鮮音に似てゐるコロといふやうな名稱でよばれてゐたからであらう。
 三伏一向〔四字右・〕をツク〔二字右・〕と訓むについては、※[木+四]戯における徒〔右○〕が兎〔右○〕と同音であるから、時に兎〔右○〕を假借することがある、その兎〔右○〕の聯想から、ツクといふ訓が出たといふ説もあるが、わたくしは、徒〔右○〕の采は、五(332)木の場合の禿〔右○〕に相當するものであり、またその名稱を繼承したものであらうと考へるので、その禿〔右○〕の國音からツク〔二字右○〕の音が生じて來たものであらうと思ふ。
 以上、わたくしは、卷十の三伏一向をツク〔二字右○〕と訓むことに因んで、※[木+四]戯の由來について一應の解説を試みた。訓讀の問題については、なほ詳解を要するものもあるが、それは別の機會に讓ることにした。            (昭和十一年二月稿)
 
                   (通卷五百十二頁)
 
 昭和十一年三月二十日  印刷
 昭利十一年三月二十五日 發行  萬葉集總釋第五
 
 著者 川田順
    安藤正次
 
  東京市中野區江古田一ノ二〇五四
 發行者  篠田太郎
  東京市小石川區林町四三
 印刷者  小谷實
 
發行所 東京市中野區江古田一丁目二〇五四番地 樂浪書院
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