萬葉集總釋第六 樂浪書院 1936.7.30発行
 
(1)  萬葉集卷第十一
 
(3)   卷第十一概説
 
                  春日政治
 
 卷十一は其の標題に「古今相聞往來歌類之上」としてあり、同じく下としてある卷十二と姉妹卷をなしてゐる。即ちこの兩卷は古今の相聞の歌を輯集した卷である。相聞往來は他卷に於て相聞といふのと同じであり、往來は贈答して相問ふ意から添へたのであつて、この四字は文選曹植の書に「往來數相聞」とあるのに據つたものであるといはれる。
 この卷の歌はかく全部相聞であり、而も男女相愛の歌即ち後世に所謂戀歌のみであるが、それらは卷首の目録に、
  旋頭歌十七首
  正述心緒歡百四十九首
  寄物陳思歌三百二首
  間答歌二十九首
(4)  譬喩歌十三首
とある如く、五つの標目の下に類聚されてゐる。先づ歌體の上から旋頭歌を最初に置いて短歌と別ち、短歌をば正述心緒・寄物陳思・問答・譬喩の順序を以て列ねたのである。しかし本文の實際に就いて見ると、旋頭歌一七首(人麿集一二首・古歌集五首)・正述心緒四七首(人麿集)・寄物陳思九三首(人麿集)・問答九首(人麿集)・正述心緒一〇二首(所出不明)・寄物陳思一八九首(所出不明)・問答二〇首(所出不明)・譬喩一三首(所出不明)の順序にすべて八標目に別つてゐる。即ち旋頭歌を人麿集所出・古歌集所出の順序で初に置き、次に先づ人麿集所出の歌について正述心緒・寄物陳思・問答の目を立て、更に所出不明の歌について同一の三目を反覆し、最後に譬喩の目の下に所出不明の歌を置いたのである。但しこの分類に於て譬喩の一つであるのは、人麿集所出の譬喩を缺いた爲であつて、若しそれがあれば他の正述心緒・寄物陳思・問答と共に反覆して、前後二つの譬喩を置筐いたものであらう。尚寄物陳思と譬喩とは其の物象によつて類聚して其の配列を順序立ててあり、殊に譬喩の部は一々「右何首寄v何喩v思」といふ左註を附してある。
 以上によつて明かな如く、この卷の歌體は旋頭歌の少數と短歌のみであつて、歌の總數は凡て四百九十首、長歌は一首もないながら、集中卷十に次いで歌數の多い卷である。只卷中の或歌には、(5)他本に據つた異傳の附記されたものがあり、又或歌は小異を以て前後に重載されたものがあつて、それらを同一歌と見るや否やに從つて、実際には歌數に多少の出入を生ずるわけであるが、今は全然それらをば除外しての數を示すものである。
 さて卷首の目録は五標目に約して、其の歌數も前後を合算したものを擧げてゐるが、只寄物陳思に三〇二首とあるのは、今本の二八二首に合はない。この二〇首の差は、恐らく寄物陳思の歌敦を合計する際に、誤つて後の寄物陳思に接してゐる問答の二〇首を數へ籠めたまゝ記したものではなからうかと考へられる。(因みに問答歌は更に前後を合せて二九首とした。つまり後の問答が二度數へられたのではなからうか。) 拾穗抄は本文を目録のやうに合せて、反覆きれてゐる部立を三標目に改め、正述心緒一四九首・寄物陳思二八二首・問答二九首として、歌の順序を換置してしまひ、古義もそれに從つてゐるが、恐らくさる古鈔本のあるのではなく、自分勝手な意改であらう。又萬葉考は、今本に人麿集や古歌集所出の歌のあるのを、後人の加へたものとして、之を除いて別卷(人麿集〕とし、かつ正述心緒以下の標目及び譬喩の左註を、人麿集が加はつてから、その集に倣つて註したものとして、すべて省いた如きは、餘りに大膽に過ぎた刪定である。
 抑々この卷に於ける正述心緒・寄物陳思は他卷に見なかつた部立であつて、之を譬喩に竝立させ(6)たことは、歌の表現樣式に對する編者の分別意識がより精密になつたことを證するものである。いふまでもなく正述心緒は本義の直接表現であり、寄物陳思は他の物象を藉りて本義を導き出す表現であり、譬喩は他の物象に代辯させて本義を隱した表現である。しかしこの分類が劃然たる標準によつて嚴別されてゐるかといふに、必ずしもさうは行かない。元來集の「寄物」といふ語が甚だ廣漠なものを攝ねてゐて、其の藉りられた物象が明かに本義の一部を成してゐるものでも、或は本義を起して來る無意義の序に過ぎないものでも、乃至は立派に譬喩(直喩・隱喩・諷喩)になつてゐるものでも、すべて皆寄物と言ひ得るのである。されば大體の區別は立つてゐるにしても、同一若しくは類似樣式の歌が、共に正述心緒にも寄物陳思にも入つてをり、又共に寄物陳思にも譬喩にも入つてゐることは免れない所であつて、言はば編者の自由な主觀によつた識別の混入することは、この時代として許されなくてはならない。次に問答は贈答歌と同じく、相應じた問歌と答歌とを組合せたものであつて、表現樣式別の間に之の挿入きれたことは、分類標準の混亂であるが、已に集の他の卷に存する標目であり、殊にそれが譬喩と並立させた場合が多いから、只漫然譬喩の前に置かれたものらしい。この問答歌といふものは、採取した原據の人麿集はじめ他の集に、已に問答として存したものであらうが、其の中には本來問答歌として成立つてゐたものもあり、又本來問答で(7)ない古歌によつて後人の作爲したものもある。前者には無論二人で詠まれたものもあり、又一人で連作したものもあるらしいし、後者には古歌の兩首を其のまゝ若しくは改作して番へたもの、又一方によつて他方を作り加へたものなどがあるやうに考へられる。
 歌の時代については、眞淵の萬葉考は、卷一・二・十三に次ぐ古いものとし、所謂古萬葉集六卷の中の第四卷と定めた。而して標題に於ける「古今」の語については、
  其古といふも上つ代にあらず、飛鳥岡本宮の中比より清御原の宮の比までの歌をいひ、今とは藤原宮より奈良宮の初めつ比までの歌をいふ事、載たる歌の體にてしるし。
と言つてゐるが、大體妥當のやうに思はれる。即ち大凡そ藤原朝を中心として奈良朝の初期にまで及んでゐるやうである。所出の原據の中に人麿集や古歌集のあることは已述の如くである。而してすべて作者の不明であることは、七・十・十三・十四などと同一である。只所出不明の寄物陳思の歌の中「志賀の海人の」(二七四二)の左註に「右一首或云石川君子朝臣作v之」とあるのが、この卷に見える唯一の作者名であるが、それも或云といふ一説であつて、もとより詳かではない。人麿集所出の歌の中には、人麿の作も交つてゐるかも知れないが、それも明かではない。因みにこの卷と卷十二との關係に就いてであるが、萬葉考は「此四五(【即ち十一・十二】)の卷を古今相聞歌上下の卷とするは歌(8)の數多ければなり。」と言つて、兩卷同時に成つたやうに考へてゐるが、最初から姉妹卷として撰ばれたかは疑はしく、恐らくこの卷が先づ編まれて、後に卷十二が續編されたのではなからうかと一般に言はれてゐる。部立の上から比較して見て、勿論兩卷相通じた點もあるが、それが寧ろ重複とも感ぜられ、一方に又各々孤立してゐる點もあつて、兩卷合せて完全な統一體をなしてゐず、殊に同一歌の兩卷に重載されてゐるものもあり、歌も概して卷十二の方がやゝ新しいやうに思はれることなどに由つて、さう想像されるのである。さてこの卷の最初の編者も亦其の時代も無論詳かではない。元來この卷の歌が初から今の形になつて集められてゐたか否かは明かでないが、已に天平初期の歌人等によつてこれらの歌の或物が口誦されてゐたことは、卷四に表れてゐる大伴氏關係の人々によつて模作された歌の多いのでも知れるのである。しかし集二十卷に整理された時分には、已に今の形に分類されてをり、從つて今の標目・左註等は附いてゐたものであらう。
 この卷の歌が集中に於て比較的古い時代のもの、而も作者不明のものであることは、已に或年處の傳誦を經、其の間に或流動を見たことの考へられるものであつて、從つて歌の成立に集團的な點があり、又民謠的色調の濃いものがある。この卷の歌は數こそ多いけれども、同想・類型のものの多分を占めてゐること、その上同一歌の異傳が附記されてをり、同一歌が小異を以て兩處に重載さ(9)れてゐることなどは、よくこの消息を物語つてゐる。又地方の地名の讀込まれたものも相當あつて、其の或物は明かに中央の發生と見るべきもののあると共に、亦地方民の間に謠はれた地方歌であらうと想像されるものもあるが、亦概して類想・同型のものが多い。さればこの卷の歌は概して個性の表れの鮮明なものが少く、民衆共通の情を歌つたもの、言はば中性的・概念的の作が多いと言はなくてはならない。しかし後期のもののやうに作爲に過ぎ技巧を凝らすと言つた弊は少く、却つて其の單純さが其の鈍重さが、素朴醇眞な思を僞らずに歌ひ上げさせたものであると言ひ得るであらう。若しそれ寄物・譬喩等に至つては、必ずしも賛し得るもののみではないが、其の取材及び其の表現に於て、近代人と異なる上代人の心理や、文化人より離れた野人の内生治を窺ふことの出來るものが鮮くないであらう。
 終にこの卷の用字法はすべて音訓交用であるが、借訓が多くて假名が少く、かつ形式語の補入が完全でない爲に、概して難讀の個處が多い。殊に人麿集所出のものの如きは、例の助辭ぬきの體であつて、極めて字數が少く(一首を十字で書いたものさへある)、おのづから誦讀の不定を來して容易に定訓を得難いものがある。要するにこの卷には尚訓方の不定なもの、從つて解釋の問題となるものが他卷よりも多い。この稿の如きも訓方を考へる上に自然多辯を費して、思はず紙數を過用(10)したことを、編纂者に向つて殊に謝するものである。
 
〔目次省略〕
 
(1)  萬葉集卷第十一 春日正治
 
(3)   旋頭歌
 
【標目】 旋頭歌は已に四・七・八・九・十等の諸卷に見えた。この旋頭歌は下の正述心緒以下の短歌であるのに對した歌體上の部立であつて、人麿集所出十二首、古歌集所出五首、すべて十七首を採録したものである。
 
2351 新室《にひむろ》の 壁草刈りに いまし給はね 草のごと 依合《よりあ》ふをとめは 君がまに/\
 
【口譯】 新築の家の壁草を苅りに入らつしやいませ。その草のやうに靡きよつて逢ふ少女はあなたの御意次第でございます。
【語釋】 ○新室 新しく建てた家。卷十四に「爾比牟路《ニヒムロ》のことぎにいたれば」(三五〇六)とある。○壁草 略解は後世のスサといふものであらうと言ひ、新考は壁下のこととしてあるが、草そのものを家の周圍のかこひとしたもの、延喜式の踐祚大甞祭式に「所v作八神殿一宇(中略)並以2黒木及草1亀葺、壁蔀以v草」(4)とある壁蔀〔二字傍点〕のことだらうといふ古義の説に從つておく。○いまし給はね います〔三字傍点〕は居るにも行くにも來るにもいふ語であつて、ここでは來る〔二字傍点〕意。○依合ふをとめ 依合ふ〔三字傍点〕は靡きよつて男に會ふのをいふ。このをとめ〔三字傍点〕は一人である。○君のまにまに 君の御意のまゝに許さうとの義。
【後記】 新築の棟上げの祝宴即ち室祷《むろほぎ》に謠はれた民謠らしく、上代の風習が思はれる。
 
2352 新室を 踏みしづめ子が 手玉《ただま》鳴らすも 玉のごと 照りたる君を 内へとまをせ
 
【口譯】 家を新築する爲に、其の地を踏みかためる舞をする少女が、手に卷いた玉をからから鳴らしてゐるよ。その玉のやうに照輝いて美しいお方に、内へお通り遊ばせと申し上げなさい。
【語釋】 ○踏みしづめ子が 地固《ぢかた》めの爲に踊る女の子であらう。○手玉 手の飾とした玉で、古代婦人の装身具。卷十「足玉も手珠もゆらに織る機を君がみけしに縫ひあへむかも」(二〇六五)とある。○玉のごと 上の手玉〔二字傍点〕を取つて、下を起したのである。○照りたる君 玉のやうに照輝いてゐる君といふので、君〔傍点〕は男を指す。○内へとまをせ 君に内へお這入りなさいと申し上げよと人に命じた句法。
【後記】 前の歌と同じ場合に用ゐられたらしい。
 
(5)2353 長谷《はつせ》の ゆ槻が下《もと》に 吾が隱せる妻 赤根さし 照れる月夜《つくよ》に人見てむかも【一つに云はく、人見つらむか】
 
【口譯】 初瀬の神木の槻の下に私がかくまつておいた妻よ。その妻を、明るく照るこの月夜に人が見出すであらうか、(ィ見出したであらうか)さて氣がかりな。
【語釋】 ○長谷 大和國初瀬、今ハセといふ地。○ゆ槻 ゆ〔傍点〕は齋〔傍点〕の意で、所謂神のよる木と考へられた神聖な槻の木の意であらう。○赤根さし 枕詞。照れる〔三字傍点〕にかゝる。○人見てむかも 見てむ〔三字傍点〕は未來完了で、見るだらうの義、一本にいふ見つらむか〔五字傍点〕は完了の推量で、見たであらうかの義。
【後記】 古義に「此歌は所由ありて長谷のあたりの山|隱《ごも》れる家に隱妻を率て行てかくしおけるほどよめるなるべし。たゞに荒山中の槻の木陰に放ちおけるを云にはあらず」といつてある。一わたりは聞えてゐるが、「照れる月夜に人見てむかも」とは如何なることか。何となれば夜ならずとも晝見れば尚明かなるわけである。これは月夜につれ出した時の歌ではないかと考へられる。而して暫し隱れる爲に齋槻の陰に身を潜めたのであると解しなくてはならないものだらう。「吾が隱せる妻」は我が隱してゐる妻といふので、男自身もそこにゐるのであらう。其の點からは「人見てむかも」の方がよいであらう。
 
(6)2354 ますらをの 思ひ亂れて 隱せるその妻 天地《あめつち》に とほり照るとも 顯れめやも【一つに云はく、丈夫の 思ひたけびて】
 
【口譯】 丈夫のいろ/\と思案して隱してゐる其の妻であるから、月の光が天地に徹つて輝いても顯はれようか、顯はれはしませんよ。
【語釋】 ○とほり照るとも 前の月の光を受けて、月の光が天地に貫き耀くともの義。○一つに云はく、丈夫の思ひたけびて 古義はこの方が理が協つてゐるといつてゐる。おもひたけぶ〔六字傍点〕は健《たけ》くしつかりと考へての意か。
【後記】 代匠記は「此モ亦右ノ歌主、二首ニテ餘意ヲ盡スナリ。」として、前の歌の連作と見た。古義も前歌と同一作者がおしかへして再びよんだのだとしてゐる。新考は前の男の歌に女の和へた歌であるとした。その方が妥當であらう。顯はるゝを氣遣ふ心弱き男、顯はるべきかはと力強き女の心の對照、兩者併せて面白い歌である。
 
2355 うつくしと 吾が念《も》ふ妹は 早も死ねやも 生けりとも 吾に依るべしと 人の言(7)はなくに
 
【口譯】 私のかはいゝと念ふ女は早く死ねよ。生きてゐたとて、私に依り來るだらうと、誰も言はないのだもの。
【語釋】 ○うつくしと うつくし〔四字傍点〕はいつくしとも言つて、愛すべきをいふ。卷五に「妻子見ればめぐしうつくし〔四字傍点〕」(八〇〇)とあるのが是である。この句は原文には「惠得」の二字であるので、古來種々に訓んだ。舊訓はメグマムトと訓んだけれども意をなさない。代匠記初稿本はウツクシトと、宣長は「息緒」の誤であつてイキノヲニと訓めと言つた。新考はメグシトと四音によんでゐる。意味はウツクシトと同一である。
【後記】 つれない戀人に死ねと願つてゐるが、呪つてはゐない。只先方に聞えよがしに強く迫つたものではなからうか。上古人の表現は恐ろしい詞を用ゐても、或|和《なご》やかさをもつてゐるのである。
 
2356 高麗錦 紐のかたへぞ 床に落ちにける 明日の夜し 來《き》なむと言はば 取置き待たむ
 
【口譯】 貴郎の高麗錦の襟紐が片一方床に落ちましたよ。明日の晩來ようとおつしやるなら、取(8)つて置いてお待申しませう。
【語釋】 ○高麗錦 高麗から舶來した錦。○紐のかたへぞ 襟紐は左右兩方につけてあつて胸元で結ぶ。かたへ〔三字傍点〕は其の一方。
【後記】 この歌は從來男の朝歸つた後に紐を見出して讀んだものと見てゐる。それ故新考の如きは「床落邇祁留を從來トコニオチニケルとよみたれどトコニオチタルまたはトコニオチニタルとあるべし。祁は誤字ならむ」と言つたのである。しかし文字どほり床に落ちにける〔七字傍点〕と現在のことにし、來なむと言はば〔七字傍点〕を目前の男に對して女の「來ますか來ませんか、來るとおつしやるなら」と言つたのだと解すべきである。併し來ないといふなら返すといふのではない。つまり來るまでは返さないといふのである。眼前男に對して女のいふ詞としてこそ、すべてが躍動して來る。從來の解はすべて誤つてゐる。
 
2357 朝戸出《あさとで》の 君が足結《あゆひ》を 濡らす露原 早く起き 出でつゝ吾も 裳裾濡らさな
 
【口譯】 朝お出かけになる貴郎の葦結を濡らす露を置いた原よ。私も早く起き出して貴郎と一しよに裳の裾を濡らしませう。
(9)【語釋】 ○朝戸出 男が朝女の家を出ること。卷十に「朝戸出の君が姿を」(一九二五)とある。○足結 男子の袴を膝の下で結ぶ紐。
【後記】 歸りゆく男の足結の濡れるのをいとほしんで、せめて私も一しよに裳裾を濡してその苦勞を別たうといふ女のやさしい心である。
 
2358 何せむに 命をもとな 永く欲《ほ》りせむ 生けりとも 吾が念《も》ふ妹に 安く會はなくに
 
【口譯】 何の爲に命をやたらに永くと欲《ねが》はうぞ。生きてゐても私の念ふ彼の女に容易に逢ふことは出來ないのだもの。
【語釋】 ○何せむに 何の爲に。○もとな むやみに・みだりにといふ義の副詞。
【後記】 前出の「うつくしと」(二三五五)と似たものであつて、何れも男の片戀であるが、前者は(10)先方に死ねといひ、後者は自ら死なうといふ。されど眞に死ぬと希ひ、眞に死なうといふのではない。死ねといふほどいとしさがあり、死なうといふほどいとしさがある。
 
2359 息《いき》の緒《を》に 吾は念へど 人目多みこそ 吹く風に あらばしま/\ 會ふべきものを
 
【口譯】 命がけに私は彼の女を思つてゐるけれど、人目が多い故にこそ會はれない。若し吹く風であつたなら、人目に立たずいくらでも會ふことが出來るだらうになあ。
【語釋】 ○息の緒に 命がけに〔四字傍点〕といふ義の副詞。卷四「いきの緒に思ひし君を許さく思へば」(六四四)參照。○人目多みこそ 人目多み〔四字傍点〕は人目を多みともいふ。人目が多いのでといふ義。こそ〔二字傍点〕は後に「得逢はね」といふ意を含ませてある。
【後記】 下の「玉垂の小簾のすけきに」(二三六四)は人を風とごまかさうといふのであり、又伊勢物語には「吹く風にわが身をなさば玉すだれ隙もとめても入るべきものを」とある同じ想である。
 
(11)2360 人の親の 未通女兒《をとめご》すゑて 守《もる》山邊《やまべ》から 朝《あさ》な朝《さ》な 通ひし君が 來ねば哀《かな》しも
 
【口譯】 守山の邊を毎朝通つたあの方が、來なくなつたので悲しいことだわよ。
【語釋】 ○人の親の未通女兒すゑて 人の親〔三字傍点〕は只親〔傍点〕といふこと、子〔傍点〕を「人の子」といふと同じ。すゑて〔三字傍点〕は居させて〔四字傍点〕である。この二句は「守る」を起す序。歌の本義には關係しないが、男の通ふ義に添へた匂ひ〔二字傍点〕である。○守山邊から 守山〔二字傍点〕については卷十三に「みもろは人のもる山〔三字傍点〕、本邊はあしび花さき、末邊は椿花さく、うらくはし山ぞ、泣く兒守る山〔三字傍点〕」(三二二二)とあるのによつて、代匠記は守山〔二字傍点〕を三諸山の別名であるとしてゐる。ミモロヤマのミを接頭辭とすればモルヤマは音韻上通ふわけである。から〔二字傍点〕はより〔二字傍点〕ともいひ、共にを〔傍点〕といふ副格と同じ。卷十「あさぎりの八重山こゆるほととぎす卯花邊から〔二字傍点〕なきてこゆらし」(一九四五)といふから〔二字傍点〕と同じものである。○朝《あさ》な朝《さ》な 日毎にといふ義。
【後記】 この旋頭歌は三句で切れてゐない。一種の破格であり、後世風である。
 
2361 天《あめ》なる 一つ棚橋 如何にか行かむ 若草の 妻がりと云はば 足よそひせむ
 
【口譯】 一つぎりの危險な棚橋をどうして渡つていかうか。いや妻の所へと云ふなら足をしつかり支度していかう。
(12)【語釋】 ○天《あめ》なる 「日」とつづいて、一つ〔二字傍点〕にかけた枕詞。○一つ棚橋 棚橋〔二字傍点〕は棚のやうに板を置いた假橋、一つ〔二字傍点〕はそこより他に橋のないのをいふのだらう。○若草の 妻〔傍点〕にかかる枕討、若草のやうに和やかな妻といふ義。○足よそひ 足のしつかりした支度、今の草鞋がけ〔四字傍点〕などいふことと同じであらう。
【後記】 この歌は妻〔傍点〕以下が難訓である。原文は「妻所云、足莊嚴」とあつて、舊訓はツマガリトイフアシヲウツクシとしたが通じ難い。童蒙抄がツマガリトイヘバアシヨソヒセム、古義がツマガリトイハバアユヒシタタムと訓んだのを折衷して見た。新訓のツマガイヘラクアシヨソヒセヨお一説であらうが、何となく氣拔けのした感がある。自分は上三句で躊躇したのを下三句で思ひ返して行かうと決意したものと説いて見た。
 
2362 山背《やましろ》の 久世の若子《わくご》が 欲しといふ吾を あふさわに 吾を欲しといふ 山背の久世
    右の十二首は柿本朝臣人麻呂の歌集に出づ。
 
【口譯】 山城の久世の村の若い男が、私を妻に欲しいといふ。分もわきまへず私を妻に欲しいなどいふ久世の若い男よ。
(13)【語釋】 ○山背の久世の若子が 山城國久世郷にて、今の久津川村附近、同村の大字に久世〔二字傍点〕といふ名が遺つてゐる。若子〔二字傍点〕は青年のこと。末の山背の久世〔五字傍点〕は地名のみを以てその若子を指したのである。○あふさわに 卷八「あふさわに誰の人かも手に纏《ま》かむちふ」(一五四七)とある。我が身分に過ぎてといふ副詞。
【後記】 これに類する歌謠は古代に多かつたやうであつて、古今集俳諧歌「足引の山田のそほづおのれさへわれをほしといふうれはしきこと」、催馬樂歌「やましろの狛のわたりの瓜つくりわれをほしといふいかにせむ」なども皆同想である。年頃の女の求婚された心ほこりの表れである。民謠色のゆたかなもの。
【左註】 以上十二首の旋頭歌は柿本朝臣人麻呂歌集から拔出したものである。他人の作もあらうけれど人麻呂の作も交つてゐるかも知れない。すべて旋頭歌は歌體が古いと共に想も比較的古朴であつて、從つて民間に歌はれたものが多いやうで、作者はむしろ定められないものが多いやうである。次の古歌集から拔出した五首も同樣である。
 
2363 崗《をか》ざきの たみたる道を 人な通ひそ ありつゝも 君が來まさむ 避《よ》き道にせむ
 
【口譯】 岡の前《きき》の回り路を人は通はないでくれろ。永くあの方が私の所へいらつしやる避《よ》け路に(14)しておかうから。
【語釋】 ○崗ざきの 岡の鼻の。○たみたる道 たむ〔二字傍点〕は回〔右○〕の字をも訓んであつて、めぐる〔三字傍点〕義。たみたる道〔五字傍点〕は直路と異なる回り路のことである。○ありつつも 卷四「佐保河のきしのつかさの柴な刈りそね、ありつつも〔五字傍点〕春し來たらは立隱るがね」(五二九)とある。持續してといふ義の副詞。○避《よ》き路 俗にいふよけ路〔三字傍点〕で人目をさけてゆく間道である。
【後記】 吾が情人の他人に知られることを恐れた女の心。新考は第三句を「人な塞《せ》きそね」の誤であると言つてゐるが、勝手な改字をしなくても意味はよく通るのである。
 
2364 玉垂《たまだれ》の 小簾《をず》のすけきに 入り通ひ來《こ》ね たらちねの 母が問はさば 風と申《まを》さむ
 
【口譯】 簾の隙のある所から這入つていらつしやい。母樣が聞付けて何の音かとお尋ねなされたら、風でござんすと申しませう。
【語釋】 ○玉垂の 玉垂の〔三字傍点〕緒《を》より小簾《をず》にかけた枕詞。○すけき この語の品詞が詳かでない。形容詞などのやうにも見えるが不明。老人の口のすげむ〔三字傍点〕といふは齒のまばらな義とすれば、それにでも關係のある語か。ともかく隙《すき》と同じこと。○問はさば さ〔傍点〕はす〔傍点〕といふ崇敬助動詞の未然形。
【後記】 前出の「息の緒に」(二三五九)參照。親に見守られる少女の危みながら如何にかして男を入(15)れむとする心。
 
2365 うち日さす 宮路にあひし 人妻ゆゑに 玉の緒の 念ひ亂れて 寢る夜しぞ多き
 
【口譯】 御所へかよふ路で出會つた他人の妻の爲に、心が亂れて寢る夜が多いことよ。
【語釋】 ○うち日さす 宮〔傍点〕つづく枕詞。この語法は未詳である。冠辭考は麗《うつく》しき日のさす宮と續けたといひ、古義は現《うつ》しく日光のさす宮といふのだといふ。(四六〇參照)。○宮路 宮城へかよふ大路。○玉の緒の 亂る〔二字傍点〕にかかる枕詞。
【後記】 こゝの人妻ゆゑに〔五字傍点〕は原文に「人妻妬」とあつて、※[女+后]〔傍点〕字を故〔傍点〕と讀ませてゐる。しかし※[女+后〔傍点〕字には故の義はない、されど下の「珍海《チヌノウミ》 濱邊小松 根深 吾戀度 人子※[女+后]〔傍点〕」(二四八六)の處に「或本歌云、血沼之海之 鹽干能小松 根母己呂爾 戀屋度 人兒故爾〔二字右○〕」とあるから、故に〔二字傍点〕と訓むことは動かず、尚卷十二にも※[女+后]〔傍点〕字をゆゑ〔二字傍点〕と訓むべき歌が二首ある。之については略解の追加に清水濱臣の説として擧げて、※[女+后]〔二字傍点〕は妬〔傍点〕の俗字であつて、ゆゑ〔二字傍点〕と訓むべきものではないが、遊仙窟に故〔傍点〕をネタマシゲニと訓じ、又字鏡に故に〔二字傍点〕を禰太介爾とあるから、古へは故・妬〔二字傍点〕を相通じ用ゐしものと見えるといひ、木村正辭博士の訓義辨證には、妬〔傍点〕を※[女+后]〔傍点〕と書いたのは六朝の俗字であら(16)う。而して人妻の我が思ふまゝにならないのをねたく思ふ意味に書いた字であらう。それで集には「人子※[女+后]」とか「人妻※[女+后]」とかに限つてゆゑ〔二字傍点〕といふべき所に用ゐたのであらうと言はれた。定説ともされないが、參考に書添へておく。この歌も三句で切れてゐない。
 
2366 まそ鏡 見しかと念ふ 妹に逢はぬかも 玉の緒の 絶えたる戀の 繁きこの頃
 
【口譯】 一所になりたいと思ふ彼の女に逢ひたいものだなあ、中絶した戀しさの頻りに強くなつたこの頃よ。
【語釋】 ○まそ鏡 ますみの鏡であつて「見る」にかゝる枕詞。○見しか 見たいといふこと。しか〔二字傍点〕は希望の助詞。○逢はぬかも 逢はないかなあ、逢へばよいがなあといふ意。○玉の緒の 前の歌と同じく枕詞であるが、こゝでは絶え〔二字傍点〕にかゝつてゐる。
【後記】 言葉の長さに比して、想の乏しい歌。
 
2367 海原《うなばら》の 路に乘れれや 吾が戀ひをりて 大船の ゆたにあるらむ 人の兒ゆゑに
    右の五首は古歌集の中に出づ。
 
(17)【口譯】 海路《うなぢ》に乘出してゐるからであらうか、私が戀ひをしてゐながら、大船の如く心が動搖して落着かないのだらう、それが而も他人の妻の爲に。
【語釋】 ○路に乘れれや 乘れれ〔三字傍点〕は乘れり〔三字傍点〕の已然形、乘れれや〔四字傍点〕は乘れればにやの意。この句は五句ゆたにあるらむ〔七字傍点〕にかゝる。○吾が戀ひをりて この句は輕く入れたに過ぎない。○大船の 枕詞であるが、初二句に縁して用ゐられてゐる。○ゆたにあるらむ ゆたに〔三字傍点〕は卷七「吾が心ゆたにたゆたに」(一三五二)とあるのと同じく、動搖して落着かないさまの副詞。○人の兒ゆゑに 他人の妻故にといふこと。他人の妻だのにといふ解が普通になつてゐるが取らない。但し人の妻だから危んで心が動搖するといふのではない。他人の妻を戀する爲に、かく心が落着かずに胸を焦がしてゐるよといふこと。
【後記】 この歌の上三句は原文が「海原乃路爾乘哉吾戀居」であつて、舊訓はウナバラノミチニノリテヤワガコヒヲラムとしたが、今略解の訓に從ふ。初二句は海路に船に乘つてゐるのかと假設して譬へたので、實際乘つてゐるのではなからう。
 
   正《ただ》に心緒《おもひ》を述ぶ
 
(18)【標目】 正に〔二字傍点〕は直接に〔三字傍点〕といふこと、直接に思想を表現するといふので、序をかりて言ひ出したり、喩を以て言ひあらはしたりせず、ありのままに述べるのをいふ。次に來る「物に寄せて思を陳ぶ」といふの對してゐる」原文は正述心緒、寄物陳思といふのであつて、四字にしたのは漢文風の作句である。この標目は「たらちねの」(二三六八)以下「戀ふること」(二四一四)まで四十七首を攝《か》ねたものである。而してこれら四十七首は共に人麿歌集から採られたものである。
 
2368 たらちねの 母が手放れ かくばかり 術なき事は 未だせなくに
 
【口譯】 母の手を放れて一人前の女となつてから、これほど術ない思をしたことは、未だ經驗しなかつたもの。
【語釋】 ○たらちねの 母〔傍点〕にかかる枕詞、既出。○母が手放れ 原文は「母之手放」とあつて、異訓があるが、卷五に「たらちしや波波何手波奈例《ハハガテハナレ》」(八八六)とあるから、かう訓むのが妥當であらう。○せなくに せぬに〔三字傍点〕といふに同じ。なく〔二字傍点〕はぬ〔傍点〕の名詞形又は副詞形になるので、それにに〔傍点〕の添つたもので、せぬのに〔四字傍点〕と譯するが、これは一種の詠歎法である。「言はなくに」・「思ひあへなくに」・「慰まなくに」などは皆同類である。
(19)【後記】 初戀に悶える未通女心を表し得て、まことに純な歌。
 
2369 人のぬる 熟睡《うまい》はねずて はしきやし 君が目すらを欲りて嘆くも【或本の歌に云はく、君を思ふに明けにけるかも】
 
【口譯】 世の人のする熟睡は出來ないで、いとしいあの方の姿だけでも見たいと歎いてゐます。(末句は一本には、「あの方を思ふので夜が明けて了つたよ。」)
【語釋】 ○人のぬる熟睡《うまい》はねずて 人〔傍点〕は世間一般の人、うまい〔三字傍点〕のい〔傍点〕は寢ること即ち睡眠といふ名詞、うま〔二字傍点〕はうまし〔三字傍点〕の語幹をつけたので熟睡といふこと。昔はいをぬ〔三字傍点〕と言つたので、ぬるうまい〔五字傍点〕といひ、うまいはねずて〔七字傍点〕といふ句法があるのである。○はしきやし はしき〔三字傍点〕は可愛いといふ形容詞の連體形、それにやし〔二字傍点〕といふ詠歎の助詞がついたので、この語は下の名詞につゞく。こゝでは「君が目」にかゝる。○君が目すらを 目〔傍点〕は見えるこだといふ名詞。すら〔二字傍点〕はだけでも〔四字傍点〕といふこと、戀人の姿だけでも夢に見たいといふ義。○欲りて嘆くも 欲りて〔三字傍点〕は希望して、も〔傍点〕は詠歎の助詞。
【後記】 戀の爲に世間普通の人のやうに樂々と睡られず、戀人に逢ふことは出來ないにしてもせめて姿だけでも夢に見たいと思ふが、睡られないのでそれさへ出來ないといふ巧みな表現である。或本の方はむしろ平板である。
 
(20)2370 戀ひ死なば 戀ひも死ねとや 玉桙の 路行く人の 言も告げなく
 
【口譯】 戀ひ死ぬなら戀ひ死ねといふのか、道を通る人が、誰もあの人の言傳をしてくれないよ。
【語釋】 ○珠桙の 道〔傍点〕にかゝる枕詞。玉桙〔二字傍点〕は立派な桙の義で、桙の身〔傍点〕(刀身)といふのからみち〔二字傍点〕にかゝるともいひ、古代の鉾にほ乳《ち》(飾をつける突出)が附いてゐたので、其のち〔傍点〕から道〔傍点〕へかゝるともいふ。○言も告げなく 流布本の原文は「事告兼」とあるが、嘉暦本に「事告無」とあるからそれに從ふ。告げなく〔四字傍点〕は前出のせなくに〔四字傍点〕と同じくに〔傍点〕はあつても無くても詠歎表現である。
【後記】 下に「戀ひ死なば戀ひも死ねとや我妹子が我家《わぎへ》の門を過ぎて行くらむ」(二四〇一)とあるのと似てゐる。
 
2371 心には 千たび思へど 人にいはず 吾が戀ふる妻 見むよしもがも
 
【口譯】 心中には絶えず思つてゐるが、人には言はずに私の戀ひつゝある女を見たいものだなあ。
【語釋】 ○千たび思へど 繰返し/\繁く思へどの義。○人にいはず この句は切れるのではなく、四句の「戀ふる」につづく。○見むよしもがも よし〔二字傍点〕はてだて、もがも〔三字傍点〕は願望の助詞。
 
(21)2372 かくばかり 戀ひむものとし 知らませば 遠く見るべく ありけるものを
 
【口譯】 實際會つてからこれほどに戀しく思はれるものと豫てわかつてゐたならば、いつそ遠く離れて見てゐるのであつたになあ。
【語釋】 ○知らませば ませ〔二字傍点〕は推量の助動詞まし〔二字傍点〕の未然形であつて、知らませば〔五字傍点〕は知つてゐたらうならといふ假定である。○遠く見るべく 原文はたゞ「遠可見」とあつて如何にも讀まれるので、古義はトホクミツベクと讀んでゐる。それも一訓であらう。○ものを のだのに〔四字傍点〕と餘意を含めた詠歎的表現。遠くで見てゐるんだつたになあといふ義。
【後記】 この歌の想はよほど類型的になり了つてゐる。卷十五「かくばかり戀ひむとかねて知らませば妹をば見ずぞあるべくありける」(三七三九)の如きは之を摸したものである。原文の「知者」をシラマセバと五音に訓むのも、集中に類歌があるから、それらに據つたものである。
 
2373 何時はしも 戀ひぬ時とは あらねども 夕かたまけて 戀ひはすべなし
 
【口譯】 何時といつて戀しく思はない時はないけれども、夕方になる時には戀しさが如何《どう》にもな(22)らない。
【語釋】 ○夕かたまけて かたまけて〔五字傍点〕は片より待ちまうけての義であるが、夕方になつてと同義。○戀ひはすべなし 原文が「戀無乏」であつて、集中無乏〔二字傍点〕をスベナカリとかスベヲナミとか讀ませた所があるに據つた。しかし乏〔傍点〕をスベに當てたについては定説がない。
【後記】 本句はやはり類型となつた。卷十二「何時はなも戀ひずありとはあらねどもうたて此の頃戀ひの繁しも」(二八七七)、卷十三「何時はしも戀ひぬ時とはあらねどもこの長月を吾が背子がしぬぴにせよと」(三三二九)などがある。
 
2374 かくのみし 戀ひやわたらむ たまきはる 命も知らず 歳を經につゝ
 
【口譯】 こんなにしてばかり戀ひつゞけることであらうか、我が命の盡きるのも知らず歳を經つつ。
【語釋】 ○かくのみし し〔傍点〕は強めの助詞。原文「是耳」を舊訓はカクシノミと訓んでゐるが、シのおき所が妥當でない。卷九「如具耳志《カクノミシ》戀ひし渡ればたまきはる命も吾は惜しけくもなし」(一七六九)は後の摸作であらうが、明かにカクノミシである。○戀ひやわたらむ わたる〔三字傍点〕は繼續する義、や〔傍点〕は疑問の助詞で、戀ひわたらむかといふのである。○たまきはる 命〔傍点〕にかゝる枕詞。意味は靈極まる〔四字傍点〕義だともいふが定説がない。
 
(23)2375 吾《われ》ゆ後 生れむ人は 我が如く 戀する道に あひこすなゆめ
 
【口譯】 私より後に生れて來る人は、私のやうに戀をする事に逢つてくれるなよ、決して。
【語釋】 ○あひこすなゆめ こす〔二字傍点〕は動詞につく形式動詞で、下二段活用。集中「與」の字で表してゐるやうにくれる〔三字傍点〕の義。くれる〔三字傍点〕は我が爲に〔四字傍点〕といふと同じく強く希望するのである。な〔傍点〕は禁止の助詞。ゆめ〔二字傍点〕は決して〔三字傍点〕といふ副詞。卷八に「散りこすなゆめといひつゝ」(一五〇七)とあるのは同一語形であつて、散つてくれるな決して〔十字傍点〕といふ義。
【後記】 戀に煩悶する悲痛な言。「こんな苦勞な事は孫子には決してさせまい。」といふ今の俗言に似た表現法である。古義の著者鹿持雅澄は其の辭世にこの歌を摸して、「我ゆのち生れむ人は古事《ふること》の吾が墾道《はりみち》に草な生《おほ》しそ」と詠んだ。
 
2376 ますらをの 現心《うつしごころ》も 我はなし 夜晝といはず 戀しわたれば
 
【口譯】 大丈夫と自信してゐた私は其のしつかりした本心も全く消え失せた。晝夜を問はす戀ひつゞけてゐるので。
(24)【語釋】 ○現心 うつゝ心。うつし・うつゝは「現」の字で表し、すべて覺醒してゐる情態。うつし心〔四字傍点〕は正氣とか本心とかをいふ。○夜晝といはず 夜といはず晝といはずの義。○戀ひしわたれば 「戀ひわたれば」の間にし〔傍点〕といふ強めの助詞を入れたもの。
【後記】 卷十二に「うつせみの現心も吾はなし妹を逢見ずて年の經ぬれば」(二九六〇)といふ同型の歌がある。
 
2377 何せんに 命つぎけむ 吾妹子《わぎもこ》に 戀ひざる前《さき》に 死なましものを
 
【口譯】 何の爲に私は生きつゞけてゐたことであらう。いつそ彼の女に戀をしないうちに死ぬべきであつたのになあ、
【語釋】 ○何せんに 何の爲にといふ副詞句。○命つぎけむ 命をつぐ〔四字傍点〕は生命をつづけてゐる義。○死なましものを まし〔二字傍点〕はむ〔傍点〕と同じく不定の來來を表す語であるが、過去の想像にもいふ。「見せましものを〔五字傍点〕」・「行かましものを〔五字傍点〕」・「あらましものを〔五字傍点〕」などましものを〔五字傍点〕の語形は多い。かゝる場合にものを〔三字傍点〕が希望の意をもつて來る。
【後記】 死ぬ〔二字傍点〕といふ詞を用ゐた戀歌は種々の形式を以て現れて來る。
 
(25)2378 よしゑやし 來まさぬ君を 何せんに 厭はず我は 戀ひつゝ居らむ
 
【口譯】 よしまゝよ、入らつしやらないあの方を何の爲にか私は嫌ひもせず打戀ひつゞけてゐようぞ、、いつそ斷念しよう。
【語釋】 ○よしゑやし よし〔二字傍点〕又はまゝよ〔三字傍点〕といふ副詞。ゑ〔傍点〕は詠歎の助詞で形容詞の終止形に添はる。よしゑ〔三字傍点〕といふだけの副詞がある。それへ更に詠歎の助詞や〔傍点〕とし〔傍点〕とが添はつた形。
【後記】 絶望の如くにして、あきらめられぬそこに悩みがある。
 
2379 見わたせば 近きわたりを たもとほり 今や來ますと 戀ひつゝぞ居る
 
【口譯】 見渡すと、あの方の所はつい近い邊だのに、若しや回《まは》り回《まは》つて今にも入らつしやるかと戀ひつゝ待つてゐます。
【語釋】 ○近きあたりを を〔傍点〕はなるを〔三字傍点〕の義。○たもとほり 「もとほり」にた〔傍点〕の接頭辭のついたもの、もとほる〔四字傍点〕は周《めぐ》り旋《めぐ》る義。○今や來ますと や〔傍点〕は疑問の助詞。
【後記】 卷七「見渡せば近き里みをたもとほり今ぞ我が來し領巾振りし野に」(一二四三)といふ類歌があるので、新考は渡〔傍点〕の字はもと里廻《さとみ》とあつたのを、上の見度〔二字傍点〕に紛れて渡〔傍点〕となつたのではな(26)いかと言つてゐるのは強ひたものである。尚たもとほり〔五字傍点〕を人目を憚つて男が回り道をする義とする舊説に反して、新考は道の迂回してゐるものと解してゐる。併しこの歌は二句で句切つて、たもとほり今や來ますとと三・四句をつゞけた方がよいやうに考へる。それ故舊説に從ふ。
 
2380 はしきやし 誰がさふれかも 玉桙の 路見わすれて 君が來まさぬ
 
【口譯】 誰か妨げをするからか、それとも路を見忘れてからか、いとしいあの方は入らつしやらないよ。
【語釋】 ○はしきやし これは五句の君〔傍点〕にかゝるのであらう。○誰がさふれかも さふれ〔三字傍点〕はさふ〔二字傍点〕(障)といふ下二段活用の動詞の已然形であつて障ふれば〔四字傍点〕の義、かも〔二字傍点〕は疑問の助詞。○路見わすれて この下に又かも〔二字傍点〕のある語意と見る。それ故五句は「誰がさふれかも」と、「路見わすれて(かも)」とを合せ受けてゐる。
【後記】 略解に「誰人の憚りて來まさぬか。又路を忘れて來まさぬかとなり。公《キミ》カのカ清むべし。歟の意なり。」とあるが、語釋に述べた如く、「君が來まさぬ」は「誰がさふれかも」と「路見わすれて」とを合せ承けるのであるから、その句に疑問のか〔傍点〕を置くのは所を誤つてゐる。やはり「君が」のが〔傍点〕は主格助詞にして、路見わすれての下にかも〔二字傍点〕の省かれたものとする方が妥當である。
 
(27)2381 君が目を 見まく欲りして この二夜 千とせのごとも 吾が戀ふるかも
 
【口譯】 貴郎のお姿を見ようと願つて、この二晩を千年のやうな心地をして戀ひ慕つてをりますよ。
【語釋】 ○見まく欲りして 見まく〔三字傍点〕は見む〔二字傍点〕の名詞形、見むこと〔四字傍点〕の義。欲り〔二字傍点〕はこの種の名詞形よりつづけて、今の「何々せんと欲す」といふ詞の連語を形づくる。殊にミマクホリは集中に多い。下に「我が命生ける日にこそ見まくほりすれ」(二五九二)。○この二夜 通ひつゞけた男が一夜來なくて、次の夜に今夜は來ようかと思つたが、來さうにもないといふのであらうか。
【後記】 逢はぬ夜の長さをいふのも類型である。
 
2382 うち日さす 宮路を人は 滿ちゆけど 吾が念ふ君は たゞ一人のみ
 
【口譯】 宮中へ通ふ大路に人は雜踏して通るが、私の意中のお方はたゞ一人だけですよ。
【語釋】 ○うち日さす 宮〔傍点〕につゞく枕詞。(二三六五參照)○宮路 宮中に通ふ大路。(同上參照)
【後記】 率直な表現に醇な一本氣の女心が出てゐる。卷十三「敷島の大和の國に人二人ありとし(28)念はば何か歎かむ」(三二四九)は類想。
 
2383 世の中は 常かくのみと 念へども かたて忘れず なほ戀ひにけり
 
【口譯】 世の中はいつもかうばかりまゝならぬものとは知りつゝ、かた/\では思ひ切ることが出來ずに、やつぱり戀しくなるわい。
【語釋】 ○かたて忘れず 原文は「半手不忘」とあつて半手〔二字傍点〕に異訓がある。舊訓ハテハ、考・略解ハタ、古義は「吾者」の誤としてワレハ、新考は「哥手」の誤としてウタテなどいふのが是である。新訓はそのままカタテと訓んでゐる。今それに從つて片方〔二字傍点〕と同義に見た。即ちかつ忘れずて〔六字傍点〕などいふと同義。源氏物語(紅葉賀の卷)には片一方の義にかたて〔三字傍点〕とある。
 
2384 我が背子は 幸《さき》くいますと 歸り來て 我に告げ來む 人も來ぬかも
 
【口譯】 私の夫は無事で入らつしやると、旅先から歸つて來て、私に告げて來る人は來ないかなあ、來てほしい。
【語釋】 ○歸り來て 原文は「遍來」であつて、異訓がある。考は「適喪」の誤としてタマタマモ、古義は(29)「遍多」の誤としてタビマネク、新考は「還來」の誤としてカヘリキテとする。しかし遍〔傍点〕の字はそのまゝかへる〔三字傍点〕と訓んでも餘り無理はない。○人も來ぬかも 原文は「人來鴨」であつて打消のヌは文字にないが、上からの關係上人の來てほしいとなるべき所であるから、打消を入れて訓んだ。不〔傍点〕の字が入るべくして省いてある例は集中に多い。(二三八七參照)
【後記】 單純であつて、來〔傍点〕の字を三つも重ねた無造作を愛すべきである。
 
2385 あらたまの 五年《いつとせ》ふれど 吾が戀ふる 跡なき戀の 止まぬ怪しも
 
【口譯】 五年立つても、私の戀ひてゐる効《かひ》ない戀の、思ひ止まないのが奇怪《ふしざ》だよ。
【語釋】 ○あらたまの 「年」に、從つて「月」にもかゝる枕詞。こゝは直ちに五年〔二字傍点〕とつゞくが、又「あらたまの年の五年」(四一一三)などともいふ。○吾が戀ふる 原文は「吾戀」とのみあつて、新訓の如くワガコヒノと訓む人もある、それでも意味は通ずる。○跡なき戀の 原文は「跡無戀」とあるからそのまゝ訓むのであるが、考はシルシナキコヒゾと訓み、略解はシルシナキコヒ)と訓んでゐる。故らに一音多くすることも無用である。アトナキも意味は同一である。○止まぬ怪しも 原文は「不止恠」とあつて、ヤマズアヤシモと訓む説もあるが、今舊訓に從ふ。新考はヤマヌアヤシサと訓んでゐる。
 
(30)2386 いはほすら ゆき通るべき 丈夫《ますらを》も 戀とふことは 後悔いにけり
 
【口譯】 巖石でさへ尚踏破つて行くべき大丈夫でも、戀といふことには後で悔いるほど困しむものである。
【語釋】 ○いはほすら すら〔二字傍点〕は原文「尚」の字で表してゐる如く、でもなほ〔四字傍点〕といふ義、一事をあげて他は推測させる副助詞。
【後記】 丈夫を以て自覺してゐる男子の戀に悩むといふ表現は、集中にはむしろ少くない型である。是はその丈夫の強さを徹底的に出して、戀の強さをおもはせようとしたものである。
 
2387 日暮れなば 人知りぬべみ 今日の日の 千年のごとも ありこせぬかも
 
【口譯】 日が暮れたらば、人が見つけるかも知れないから、今日一日は千年の長さであつてくれないかなあ。
【語釋】 ○日暮れなば 原文は流布本に「日位」となつてゐるが、西本願寺本には「日促」とあるから、之に從つてヒクレナバと訓むべきであらう。拾穗抄は早く「日低」に作つてあり、代匠記・略解・古義は之に從つて同じくヒクレナバと訓んだ。○人知りぬべみ べみ〔二字傍点〕はべし〔二字傍点〕の語幹にみ〔傍点〕の附いた形で、形容詞の語(31)幹にみ〔傍点〕の附いた形に準ずべきものである。意味は知るであらう故に〔八字傍点〕といふのである。但し原文は「人可知」であつてヒトシリヌベシとも訓まれるが、それを條件的の句にする爲に終を曲げて訓んで見たのである。この卷の人麻呂歌集所出の歌は眞の訓方は不明だとする方が妥當である。さて日暮るれば人知りぬべみ〔日暮〜傍点〕とは如何なることを言つたのであるか。そは難解であつて、代匠記は「夕べになれば、いとど心ぼそく涙もろなるゆゑに、人知ぬべし」といひ、略解は「日暮れて却りて人目多き事の由有りて、今日の日は千歳の如く長くあれかしと願ふなるべし」といひ、古義も自説は不徹底ながら略解の説を引き、契沖の説を否定してゐる。かくて新考は「案ずるに日位〔二字傍点〕は考にいへる如く日並〔二字傍点〕の誤としてヒナラベバとよむべし。(中略)日ヲ重ネバすなはち逢フ度ノ重ナラバとなり」と言つてゐる。しかし本文の「日並」となつてゐる本がなく、直ちにヒナラベバとするのも如何であり、尚考ふべきである。○ありこせぬかも こせ〔二字傍点〕はこす〔二字傍点〕の未然形。「あひこすなゆめ」(二三七五)のこす〔二字傍点〕と同じく、あつてくれぬかなあといふ義。この句も原文は「有與鴨」であつて、打消のヌが文字に表れてゐない。上の「人來鴨」(二三八四)をヒトノコヌカモと訓むのと同じである。
 
2388 立ちてゐむ たどきも知らに 思へども 妹に告げねば 間使《まづかひ》も來ず
 
【口譯】 立つたら坐らうすべも知らないほど、心があくがれてゐるが、彼の女にそれを明かさな(32)いから、女の方から間使も來ない、
【語釋】 ○立ちてゐむ 原文は「立居」とのみあるから、考はタチテヲル、略解はタチヰスル、古義はタチテヰテと訓ませてゐるが、今は新考の訓に從ふ。新考の説は「初二を略解にタチヰスルワザモシラエズとよみ、古義にタチテヰチタドキモシラズとよめり。卷十なる七夕長歌の立坐多土伎乎不知と共にタチモヰモタドキヲシラニとよまむかと思へど、卷十二に立而居|爲便《スベ》乃日時毛イマハナシと而の字を挿み書きたる例あれば、タチテヰムタドキモシラニとよむべし。立テリテサテスワラムスベモ知ラズといふ意ならむ」といふのである。○たどきも知らに たどき〔三字傍点〕はたづき〔三字傍点〕ともいひ、方便といふ義。知らに〔三字傍点〕のに〔傍点〕は打消の助動詞ず〔傍点〕の古い連用形であつて、こゝでは副詞句になつてゐる。又シラズとしても同義となる。○間使 代匠記は此方彼方の間に通ふ使とし、略解は字の如く折々消息するを言ふとした。間《ま》を場處的に取ると時間的に取るとの差である。古義は代匠記に從つて略解を否定したが、自分はむしろ互に相會ふ間隙《あひま》に遣る使と解したい。
【後記】 原文「立居」の訓方によつて、情趣がよほど違ふ。立ちてゐて〔五字傍点〕は焦燥であり、立ちて居む〔五字傍点〕は自失である。
 
2389 ぬば玉の この夜な明けそ あから引く 朝行く君を 待つは苦しも
 
(33)【口譯】 どうぞこの夜は明けてくれるな。朝になつて歸つてゆく君が、又來るのを待つのは苦しいから。
【語釋】 ○ぬば玉の 枕詞。ぬば玉〔三字傍点〕は射干(烏扇)の種子をいふ。黒いものだから、黒・夜・闇・髪などにかゝる。○あから引く 枕詞。赤く延く意ともいふが、赤らに光るの義らしい。「日」にかゝり、ここの如く「朝」にかかり、又「膚」にも「子」(女子)にもかゝる。○待つは苦しも 原文は「待苦」のみで、略解・古義はマテバクルシモ、新訓はマタバクルシモと改めた。確定と假定といづれでも聞えないことはないが、常習としてマツハクルシモと訓んで見た。亦マツガクルシサなども訓まれる。
【後記】 「あから引く」は君〔傍点〕にかゝると古義はいふ。しかし之は日〔傍点〕とかゝる枕詞であるから朝〔傍点〕にもかゝり得ようし、又上の「ぬば玉のこの夜」に對して、「あから引く朝」と言つたと見る方が妥當ではなからうか。
 
2390 戀するに 死《し》にするものに あらませば 我が身は千たび 死にかへらまし
 
【口譯】 戀をする爲に死ぬものであるならば、私のからだなどは干遍も繰返して死ぬことであらう。
(34)【語釋】 ○死《し》にする 死ぬ〔二字傍点〕といふ動詞の名詞形にサ變動詞のす〔傍点〕の附いて更に動詞となつたもの。しにする〔四字傍点〕といふ語形は集に多い。卷四「戀にまで人は死《しに》する」(五九八)、同「吾がおもふ君に逢はず死にせめ」(六〇五)など參照。○あらませば ませ〔二字傍点〕はまし〔二字傍点〕の未然形。○死にかへらまし 死にかへる〔五字傍点〕は死ぬことを繰返す義。
【後記】 卷四、笠女郎の作の「思ふにし死《し》にするものにあらませば千たびぞ吾は死にかへらまし」は、この古歌を少し改めたに過ぎない。熱烈そのもののやうでありながら、誇張した情の見えすきがある。笠女郎の反覆などはいよいよ以てである。
 
2391 玉ゆらに 昨日の夕べ 見しものを 今日のあしたに 戀ふべきものか
 
【口譯】》 暫くの間ながら昨晩會つたばかりなのに、今朝すぐ戀しくなるものであらうか。我ながら變であるよ。
【語釋】 ○玉ゆらに 原文は「玉響」とあつて異字に作つた本はない。タマユラニは舊訓であるが、集中他に見えない語である。後世の歌に用ゐられるのはここの訓方から出てゐるものであらう。尚この歌も風雅集に第四句を「今日の朝は」としてそのまゝ取られてゐる。久老はタマサカニと訓み、古義は「烏玉」(ヌバタマノ)の誤としてゐるが、姑らく舊訓に從つておく。玉ゆら〔三字傍点〕は古來暫し〔二字傍点〕の義とされてゐるが、語源的の説明は十分でない。略解は「紀に手玉玲瓏をタダマモユラ、瓊響※[王+倉]々をヲヌナトモユラと訓み、此集卷(35)廿『手に取るからにゆらぐ玉の緒』など有るを思ふに、物に付けたる玉の相觸れて鳴る音なり。さて其音の幽かなるを以て、少なく乏しき事に取りて斯く言ふなり。後に露の玉ゆらなど言ひて、しばしばかりの事とするも幽かなる意より轉じたるなり。」と説いてゐる。參考までに記しておく。○戀ふべきものか 反語の表現。
【後記】 玉ゆらの議論は萬葉集に於ける可なり大きな問題であつて、未だ定説を得ないものである。今後の研究に待つべきであらう。この歌と同想のものに下の「昨日見て今日こそ隔て吾妹子がこゝだく繼ぎて見まくし欲しも」(二五五九)がある。
 
2392 なか/\に 見ざりしよりは あひ見ては 戀《こほ》しきこゝろ まして思ほゆ
 
【口譯】 未だ逢はなかつた時よりは、なまなか逢つて見てから、戀しい心が増したやうに感ずる。
【語釋】 ○なか/\に なまなかにといふ義の副詞。「あひ見ては」にかかる。
【後記】 この想もよくある型であつて、前出の「かくばかり戀ひむものとし知らませば」(二三七二)なども是である。拾遺集「逢見ての後の心にくらぶれば昔は物をおもはざりけり」などは後に於ける全く同想のものである。
 
(36)2393 玉桙の 道ゆかずして あらませば ねもころかゝる 戀にはあはじ
 
【口譯】 道など歩かなかつたなら、深入りしたこんな戀には取附かれなかつたらうに。
【語釋】 ○ねもころかかる 原文は「惻隱此有」とあつて此有〔二字傍点〕をかかる〔三字傍点〕と訓むべきは論がない。只惻隱〔二字傍点〕の方は舊訓にシノビニとあるが、考がネモコロと訓んだのに從ふべきであらう。菅の根の〔四字傍点〕はネモコロ若しくはネモコロゴロにかかるのであるが、下の「菅の根の惻隱〔二字傍点〕君が結びてし」(二四七三)、「いはほ菅惻隱〔二字傍点〕吾は片念《かたもひ》ぞする」(四七二)などに徴してさう訓まれるのである。ねもころ〔四字傍点〕は後のねんごろ〔四字傍点〕であつて、心から深くといふ義。
【後記】 道行きぶりに見初めた戀で、平明であるが悩みがよく出てゐる。
 
2394 朝影に 吾が身はなりぬ 玉かぎる ほのかに見えて 去《い》にし子ゆゑに
 
【口譯】 細々と痩せたものに私の身はなつて了つた。ほんのちよつと見えて往つてしまつた彼の女の爲に。
【語釋】 ○朝影に 朝日を受けた物の陰影が細長く映ることから、身の痩せることを朝影になるといふ。○玉(37)かぎる 枕詞。ここの原文には「玉垣入」とあるが、又「玉限」「玉蜻」と書いてあるからタマカギルと訓むものらしい。卷一「玉限る〔三字傍点〕夕去り來れば」(四五)に既出。玉のきら/\する義。夕・ほのか・はるか等の枕詞とする。尚この枕詞については古義に玉蜻考があり、美夫君志に同補考がある。
【後記】 卷十二に同歌がある(三〇八五)。こゝのは正述心緒で而も人麻呂歌集中のもの、卷十二のは寄物陳思で而も人麻呂歌集外のもので表記形式も全く異なつてゐるのは面白い。この事は卷十一・十二の同時に撰ばれたことを疑はせ、かつこれらの卷の分類標準の極めて緩舒であることを物語つてゐる。
 
2395 行けど行けど 逢はぬ妹ゆゑ ひさかたの 天《あめ》の露霜《つゆじも》に 沾れにけるかも
 
【口譯】 いくら通つて行つても逢はない彼の女の爲に、天から降る露に沾れたよ。
【語釋】 ○露霜 露のこと、露と霜と二つではない。卷四「久方の天の露霜〔二字傍点〕おきにけり」(六五一)參照。
【後記】 新考は「行けど行けど」を、「待てど待てど」の誤としてゐるが、改めずともである。「行けど行けど」は直接「逢はぬ」にかゝるのであつて、下句は必ずしも反覆の意でなく、かくも露に沾れた今夜の事と見てよい。
 
(38)2396 たまさかに 我が見し人を 如何ならむ よもをもちてか また一目見む
 
【口譯】 ひよつとした機會に私が會つたあの方を、どういふ方便をもつてしたら、又一目見ることが出來るだらうか。
【語釋】 ○たまさかに 偶然に〔三字傍点〕といふ副詞。卷九「わたつみの、神のむすめに、邂爾《たまさかに》、いこぎむかひて」(一七四〇)とある。但し、邂爾〔二字傍点〕は、又「邂逅」とも書き、ワクラバニとも訓まれるが、ここは原文「玉坂〔右○〕」とあつて動かない。靈異記の訓釋は偶〔傍点〕の字にも邂逅〔二字傍点〕の字にもタマサカとつけてある。
 
2397 しましくも 見ねば戀《こほ》しき 吾妹子《わぎもこ》を 日にけに來れば 言《こと》の繁《しけ》けく
 
【口譯】 暫くの間も會はないでゐると戀しい吾が妻だのに、毎日毎日來ると世間の口がやかましいよ。さてどうすべきか。
【語釋】 ○しましくも 暫くも〔三字傍点〕の意。原文に「暫」とのみあるので、シマラクモとも訓まれる。集中の假名書きに「之麻思久毛」(三六〇一)ともあり、「思麻良久波」(三四七一)ともある。○吾妹子を 吾妹子なるものをの意。○日にけに來れば 原文に「日日來」とあるから、ヒニヒニクレバとも訓じてある。假名書きに(39)「比爾比爾」(三九七四)もあるが、ヒニケニの方が「比爾家爾」(三六五九)をはじめ多いから、姑らくそれにしておく。下に「月に日にけに〔四字傍点〕」(二五九六)ともある。日にけに〔四字傍点〕は日に日にと同じく日毎にである。け〔傍点〕はか〔傍点〕(日)やこよみ〔三字傍点〕(日讀)のこ〔傍点〕と同根で日〔傍点〕をいふ。○言の繁けく 世の評判のやかましい義。繁けく〔三字傍点〕は繁いことよといふ詠歎的表現。
【後記】 新考は四・五の句の原文「日日來事繁」をヒニヒニキナバコトノシゲケムと未定に訓んでゐる。それでも意味は通ずる。
 
2398 年きはる 世まで定めて 恃めたる 君によりてし ことの繁《しげ》けく
 
【口譯】 命の盡きる世まで定めて、恃みに思はせた君に、私がより添うた評判の喧しさよ。
【語釋】 ○年きはる 原文の「年切」を年〔傍点〕は玉の誤としてタマキハルと改訓する人もあるが、舊訓のまゝにして、年齡の極まる意とする。○恃めたる 恃みにさせたの義。○君によりてし 君に依りついたといふ義であらう。
【後記】 この歌も原文の文字の少い(十字)爲に、訓方が至難であつて、從つて眞の意義の取りにくい一つである。
 
(40)2399 あからひく 膚も觸れずて 寢たれども 心をけしく 吾が念《も》はなくに
 
【口譯】 障りがあつてお前の膚にふれて寢ることをしないけれども、變心したのではないに、疑ひなさるな。
【語釋】 ○あからひく 枕詞。赤味を帶びておる膚をかくいつたものらしい。(二三八九參照)○心をけしく けしく〔三字傍点〕は異なる義、原文の「心異」を訓んだのである。○吾が念《も》はなくに 念はぬに〔四字傍点〕の詠歎表現。「人の言はなくに」(二三五五)、「安く逢はなくに」(二三五八)、「いまだせなくに」(二三六八)などと同じ形式。心を念ふ〔四字傍点〕といふことは考を懷く義で古代に常用された。卷十六「淺香山影さへ見ゆる山の井の淺き心を吾が念はなくに」(三八〇七)などの如くである。
【後記】 原文の「心異」を舊訓がココロヲケニハと訓んだのを、古義は卷十四(三四八二)等の例歌によつて、文字を倒置して「異心」とし、ケシキココロヲと訓めと言つた。新考もそれに從つてゐる。しかし文字を置換へるのも如何であるから、姑らく新訓に從つて置いた。新考はこの歌を「女の許には行きしかど故ありて獨宿せしなり」と解してゐる。しかし全然女の處へ行かなかつたのをも「膚に觸れずて寢たれども」ともいひ得るであらう。
(41)2400 いで如何に こゝだ甚だ 利心《とごころの》 失するまで念《も》ふ 戀ふらくの故
 
【口譯】 まあどうして、こんなにひどく元氣のなくなるまで念ふことであらうか、それが人を戀ひ慕ふ爲にさあ。
【語釋】 ○いで如何に さあどうしての義。念ふ〔二字傍点〕へかゝる。○こゝだ甚だ 原文の「極太甚」を讀んだのである。舊訓はキハミハナハダであるが、宣長はネモコロゴロニと訓めと言つてゐる。略解や古義も之に從つてゐる。下に「大船に眞楫しゞ貫き※[手偏+旁]ぐほども極太〔二字傍点〕戀し年にあらば如何に」(二四九四)といふ歌があるが、極太〔二字傍点〕はココダクと訓んだらよささうだから、ココダクをココダとして甚だを重ねて訓んだ。新訓はココダハナハダシと切つて訓んでゐるが、それではいで如何に〔五字傍点〕が受けられない。こゝだ甚だ〔五字傍点〕は同義の副詞を二つ重ねて、極めてひどく〔六字傍点〕といふ義にして失する〔三字傍点〕へかけておく。○利心 利き心即ちしつかりした心。卷十二の「丈夫のさとき心も今はなし」(二九〇七)とある、さとき心〔四字傍点〕も同じ。○戀ふらく 戀ふる〔三字傍点〕の名詞形。
【後記】 この歌なども定訓は難いことであらう。
 
2401 戀ひ死なば 戀ひも死ねとや吾妹子《わぎもこ》が 吾家《わぎへ》の門を 過ぎてゆくらむ
 
(42)【口譯】 戀ひ死ぬならば戀ひ死ねといふのでか、彼の女は私の家の門を通り過ぎていくのだらうか、立寄りもしないで。
【語釋】 ○戀ひも死ねとや とや〔二字傍点〕はとてや〔三字傍点〕の義。や〔傍点〕は疑問の助詞であつて、過ぎてゆくらむ〔七字傍点〕にかゝる。
【後記】 「戀ひ死なば戀ひも死ねとや」は已に成語をなしてゐる。上の二三七〇に既出。この歌は初二で同音を繰返した上、三四で更に同音を繰返させて、聲調上の巧みがある。
 
2402 妹があたり 遠く見ゆれば 恠しくも 吾はぞ戀ふる 逢ふよしをなみ
 
【口譯】 女の家の邊が遠くに見えるので、不思犠なほど私は戀しくなる、逢ふ方便が無い爲に。
【語釋】 ○逢ふよしをなみ 原文の「相依無」を訓ませたのである。なみ〔二字傍点〕はなし〔二字傍点〕の語幹にみ〔傍点〕を添へたもので、なき故に〔四字傍点〕の義。この類は既に多く出てゐる。
【後記】 訓方は未だいくらでも出來さうであるが、どうも意味の徹底しない憾がある。
 
2403 玉ぐせの きよき河原に 身祓《みそぎ》して 齋《いは》ふいのちは 妹が爲こそ
 
【口譯】 美しい石原の清い河原で御祓をして、壽命の長いやうに祈るのも、皆思ふ女の爲である。
(43)【語釋】 ○玉ぐせの 原文に「玉久世」とある。玉〔傍点〕は「久世」に冠した美稱。久世〔二字傍点〕は山城國久世郡にある地名なので、宣長はこの歌を「山代の久世の河原に」の誤とし、古義も略々それに從つた。新考は山田孝雄博士の私信による説として、新撰字鏡の瀧(加波良久世又和太利世又加太)とあるカハラとクセとは二語であつて、こゝの久世は其の證である。久世は河原と同義で水石の相交る處、其の石の清いのを喩へて玉久世〔三字傍点〕といひ、又清き河原に〔五字傍点〕と反覆したものであらうとある。今大體その説に從つた。新解は久世を山城の久世川とすること、宣長と同じであるが、自分は普通名詞に考へておいた。○齋《いは》ふ 不淨のものを除祓して身命を守る義。卷二十「伊波負《イハフ》いのちは母父《おもちゝ》がため」(四四〇二)。○妹が爲こそ 原文は「妹爲」とのみあるが、卷十二に「贖命者《アガフイノチハ》、妹之爲社《イモガタメコソ》」(三二〇一)とあるのに倣つて、さう訓んだのである。このこそ〔二字傍点〕は、爲にこそあれの略であつて、爲なりといふを強めた表現。
【後記】 この歌は上代禊祓の風を見ることが出來るが、思ふ女の爲にわざ/\身祓をしたといふのではなくて、身祓の行事の行はれる時、それに寄せて戀歌の生じたものである。室壽《むろほぎ》の式に戀歌が出來るのと同じくそれが民謠の常である。
 
2404 思ひ依り 見ては依りにし 物にあれば 一目のほども 忘れて念へや
 
【口譯】 貴女を思つて心が依りそひ、又實際會つても依りそうたことであるから、一日だつて念(44)ひ忘れることはありませぬ。
【語釋】 ○思ひ依り 原文「思依」で、舊訓のやうにオモフヨリと依〔傍点〕を助詞のより〔二字傍点〕に用ゐることは假名遣の別(依る〔二字傍点〕のよ〔傍点〕は與〔傍点〕類、より〔二字傍点〕のよ〔傍点〕は用〔傍点〕類)の上から無理である。依〔傍点〕の字はやはり動詞よる〔二字傍点〕に用ゐるべきである。
【後記】 この歌は原文「思依見依物有一日間忘念」の十一宇であつて、古來難訓とされ未だ適當な訓方從つて解釋がない。舊訓以來前述の如く依〔傍点〕字を助詞より〔二字傍点〕に訓ませたものが多くて從ひ難い。古義が「思ひ依り見依りし物を何すとか(有〔傍点〕は何〔傍点〕の誤か)、一日|間《へだ》つを忘ると念はむ」と訓んで、「歌の意は、心に思ひ目に見て、二つなく縁りにし妹なるものを、いかなればたゞ一日障ることあれて隔てたりとも、忘れたりとは妹が念はむやはとなり」と解したのが、せめても我等に肯《うべ》なはれる。しかし改字の難がある。新訓は古義を參考したものであらうが「思ひ依り見依りにものはありなむを一日の間《ほど》も忘れて念《おも》へや」と訓んだのは、上を如何に解釋づけるかが明かでないが、下は古義よりも勝《まさ》つた訓方である。自分はそれらを參酌して上のやうに試訓し試釋した。「物にあれば」が少し無理に感ずるが、今これ以上に考へられない。物にあれば〔五字傍点〕はあるものを〔五字傍点〕と同一の義に取つたのである。
 
(45)2405 垣ほなす 人は言へども 高麗錦 紐ときあけし 我ならなくに
 
【口譯】 垣根のやうに繁く世人は評判するが、未だ高麗錦の紐を解きあけて共に寢た貴郎ではないのになあ。
【語釋】 ○垣ほなす 垣根の如くの義。垣ほ〔二字傍点〕のほ〔傍点〕はすべて秀でて高いものにいふ。なす〔二字傍点〕は如くであつて、連體格の形でありながら連用格である。卷一「衣《きぬ》に著くなす〔二字傍点〕目につく吾が背」(一九)の如くである。さて垣ほなす〔四字傍点〕は人垣をつくるやうに多きの義。卷四「垣ほなす人言聞きて」(七一三)。○君ならなくに 君ならぬにの詠歎表現。
【後記】 浮名を立つを辯解した形ではあるが、男にせがむ心が見える。君〔傍点〕は二人稱に取るべきであらう。
 
2406 高麗錦 紐解きあけて 夕べだに 知らざる命 戀ひつゝかあらむ
 
【口譯】 高麗錦の紐を解きあけて、今夜さへわからない命で、たよりなく人を待ち焦がれてゐることであらうか。
【語釋】 ○夕べだに 原文は「夕戸」とあつて舊訓戸〔傍点〕をトモと訓むのであるが、助詞のトと戸〔傍点〕とは假名遣の(46)別があるから無理である。考が戸〔傍点〕は谷〔傍点〕の誤としてユフベダニと訓んでから、多く之に從つてゐる。
【後記】 「夕べだに知らざる命」は、焦がれ死に命の絶えるのを言つたものである。
 
2407 百《もゝ》さかの 船こぎ入るゝ やうらさし 母は問ふとも 其の名は告《の》らじ
 
【口譯】 繰返し占を立てて判斷して、この人だらうと母が尋ねても、決してあの人の名は告げまいぞ。
【語釋】 ○百さかの 原文には「百積」とあつて、古來モモサカノと訓んで早く代匠記に百|斛《サカ》又は百|尺《サカ》の義とする説がある。古義はモモツミノと訓ばかりに訓んで百の物を積載せる義とした。いづれ船の大きいことをいふのであるが、モモツミといふ語も如何かと思ふから、姑らく百尺の説に從ふとするが、契沖が付けた百斛《モモサカ》といふ説も捨て難い。積〔傍点〕といふ字は音を借りたのであるが、やはり積むことに聯想をもつた用字法である。さて後世船の大きさを穀量で何石積みといふ。このサカは若しや石〔傍点〕の字音でモモサカは百石(即ち百斛)積みといふのではなからうか。彼の百石讃歎《もゝさかさんだん》は奈良朝に出來たものと傳へられてゐるが、それには「百《モモ》サカニ八十《ヤソ》サカソヘテタマヒテシ乳房ノムクイ今日ゾ吾ガスルヤ」と言つて乳汁の量をサカとしてある。無論石〔傍点〕の字音である。石・積・尺は皆シヤク、セキの同音であつて、シヤクは直音にする時サクとなり更にサカとなつたのである。自分は今其の説を持してゐるから試みに記して見た。○船こぎ入るゝ こ(47)れまでが「やうらさし」の序である。○やうらさし や〔傍点〕は彌度《ヤタビ》のヤ〔傍点〕で數多をいふ。うら〔二字傍点〕は浦を占にかけ、さし〔二字傍点〕はそれをさし當てるので判斷すること、即ち數度の占で判斷しといふ義。
【後記】 この歌は本義に關しない大きな序をもつてゐる。古義が「かく思ひよらず、他物をとりもちきて序とするをおもしろみたるものなり。」と言つてゐるが、この正述心緒のうちには例が少い。之はむしろ寄物陳思に入れてもよいものであらう。
 
2408 眉根《まよね》掻き 嚔《はな》ひ紐解け 待つらむや 何時かも見むと 念ふ我が君
 
【口譯】 眉を掻いたり、くさめをしたり、下紐が解けたりして、私を待つてゐましたか如何《いかゞ》、我が早く行つて會ひたいと待遠に思ふ貴女は。
【語釋】 ○眉根掻き 人に戀せられる時は眉が自然に痒くなるといふ俗説、卷四(五六二)、卷六(九九三)に出てゐる。まゆ〔二字傍点〕は古くまよ〔二字傍点〕といふ。卷五「常なりし笑《ゑ》まひ麻欲《マヨ》びき」(八〇四)參照。○嚔《はな》ひ はなひる〔四字傍点〕といふ上一段活用の動詞の連用形(中止形)。これも人に戀せられる時くさめをするといふ俗説による。○紐解け 解け〔二字傍点〕は自動詞、解けて〔三字傍点〕の義。紐の解けるのも人に戀ひられる兆。○待つらむや 原文は「待哉」とあつて略解はマテリヤモと改めたのは、二八〇八に據つたものであらう。意味はほゞ同じ。○念ふ我が君 (48)原文「念吾君」とあるが、嘉暦本には君〔傍点〕の字がないので、それに從つてオモヘルワレヲとする説もある。(新釋)さうすれば下の二八〇八とも合ふが姑らく流布本に從ふ。
【後記】 一切の兆をあげて、女に迫つてゐる。やゝ執こい感がある。下に「眉根かき嚔ひ紐解け待てりやも何時かも見むと戀ひ來し我を」(二八〇八)とある。末が少し變つてゐるが、恐らく同じ歌の傳へ誤まられたのだらうと言はれてゐる。
 
2409 君に戀ひ うらぶれ居れば 悔しくも 我が下紐の 結《ゆ》ふ手いたづらに
 
【口譯】 貴郎を戀しく思つて、思ひしをれてゐると、悔しいことに我が下紐の解けたのを結ぶ手もむだであつて、來ては下さらない。
【語釋】 ○うらぶれ居れば うら〔二字傍点〕は心、ぶれ〔二字傍点〕はわぶれ〔三字傍点〕だともいふが未詳。しよんぼりしてゐるとの義。○結ふ手いたづらに 原文は「結手徒」、舊訓はユフテモタダニと訓んであるが、考は徒〔傍点〕を倦の誤としてユフテタユシモと訓み、多く之に從つてゐる。今新訓に從つた。いたづらに〔五字傍点〕はむだに〔三字傍点〕の義。紐が解けたのを結ぶのも、男が來てくれたら徒勞とも思はないが、來もしないのを徒勞に結ばなくてはならぬといふのである。
【後記】 考の「結ふ手たゆしも」も面白いが、結んでも解け結んでも解けて結ぶ手がだるいといふのは、やゝ誇大に過ぎるから取らなかつた。
 
(49)2410 あら玉の 年ははつれど 敷妙の 袖かへし子を 忘れて念へや
 
【口譯】 今年も終つてしまふが、袖を交《か》はして寢た女を思ひ忘れようか、忘れられない。
【語釋】 ○敷妙の 枕詞。敷く栲(布帛の總稱)の義で夜の衣、枕などにつゞき、又衣・袖につゞく。○袖かへし子 袖をかはして共に寢た女。かへ〔二字傍点〕はかはし〔三字傍点〕の意。卷四「しきたへの衣手かへて」(五四六)。
【後記】 逢つて久しくなる女に對して、その年の暮れゆくのに際しての感慨である。
 
2411 白妙の 袖をはつ/\ 見しからに かゝる戀をも 吾はするかも
 
【口譯】 あの女の袖をほんの僅か見た爲に、こんな強い戀を私はすることかなあ。
【語釋】 ○白妙の 袖〔傍点〕につゞく枕詞。○はつ/\ 極めて僅かの義。こゝの原文は「小端」とある。卷七には「小端」(一三〇六)、又此卷の下に「端端」(二四六一)とあるのも、共にはツハツと訓ませるらしい。○見しからに から〔二字傍点〕はかれ〔二字傍点〕(故)と同根の語で、故〔傍点〕と同義。
 
2412 我妹子に 戀ひ術《すべ》なかり 夢に見むと 吾は念へど 寢《い》ねらえなくに
 
(50)【口譯】 離れてゐる吾が妻が戀しくて仕方がない。夢にでも見ようと思ふけれど、思で睡られないのだもの。
【語釋】 ○戀ひ術《すべ》なかり 原文は流布本に「戀無之」とあるが、嘉暦本等に「戀無乏」とある。無乏〔二字傍点〕をスベナシと訓むことは二三七三の「戀無乏」に於て言つた。こゝは考のやうにコヒテスベナシとも訓まれるが、略解の言つたやうに、卷十二に「吾妹兒爾 戀爲便名鴈《コヒスベナカリ》」(三〇三四)、卷十七に「和賀勢故爾 古非須弊奈賀利《コヒスベナカリ》」(三九七五)とあるから、それに準じて訓んだのである。○寢《い》ねらえなくに らえ〔二字傍点〕はられ〔二字傍点〕と同じく可能の助動詞。後世のる・らる〔三字傍点〕は古代はゆ・らゆ〔三字傍点〕であつた。
【後記】 夢に見ようと思ふけれど、寢られないのでそれも出來ないと言つたのが技巧である。寢られないのは戀に悩んでである。
 
2413 故もなく 吾が下紐を 解けしめて 人にな知らせ たゞに逢ふまでに
 
【口譯】 何のわけもなく私の下紐を解けさせて、さうした貴郎の思を人に知らせなさるな、直接に逢ふまでは。
【語釋】 ○解けしめて 原文は「令解」とある。舊訓(ワガシタヒモノ)トケタルヲとあり、諸説があるが、今代匠記に從ふ。○人にな知らせたゞに逢ふまでに 諸訓があるが今古義に從ふ。
 
(51)2414 戀ふること 心遣りかね 出でゆけば 山も川をも 知らず來にけり
 
【口譯】 戀しいことの心を慰めかねて、出てゆくと、山をも川をも意識しないで來て了つた。
【語釋】 ○心遣りかね 原文には「意追不得」とあつて、舊訓はナグサメカネテと訓んでゐるが、古義は追〔傍点〕を遣〔傍点〕の誤としてココロヤリカネと訓んだ。金澤文庫本に追〔傍点〕の字に「イ遣歟」とあるから、それに從つておかう。意味は慰めかねてと同じである。
【後記】 戀の悩みに堪へられず、無我夢中に歩き回つてゐるといふのである。
 
   物に寄せて思を陳ぷ
 
【標目】 前の正述心緒に對する部立であつて、外界の物象を媒として、之にこと寄せて思想を表現するものをいふ。こゝのは柿本人麿歌集から採つたのである。
 
2415 をとめらを 袖ふる山の 瑞垣《みづがき》の 久しき時ゆ 念ひけり吾は
 
(52)【口譯】 久しい以前から私はあなたを思つてゐましたよ。
【語釋】 ○をとめらを を〔傍点〕の助詞は原文には「乎」とあるので、考は之《ノ》の誤とし、古義は乎《ヲ》を之《ノ》に通ふ詞であると認めてゐる。○袖ふる山 袖を振る〔二字傍点〕を地名布留〔二字傍点〕にかけてある。布留山は大和國丹波市町大字布留にある山。○瑞垣の 神社の周圍にある玉籬。布留は石上神宮鎭座の處。下の二四一七參照。○念ひけり吾は 原文は「念來吾等者」とあるので、舊訓はオモヒキワレは、略解はオモヒコシワレハ、古義はオモヒコシアハ、新考は宣長の説に從つてモヒキツワレハ、新訓はオモヒケリワレハと訓んだ。來〔傍点〕の字はケリと訓むことが多いから之に從ふ。この歌は卷四の人麻呂の作「をとめらが袖ふる山のみづ垣の久しき時ゆ思ひき吾は」(五〇一)といふ歌の異傳であるから、必ずしも同一の訓方ではなかつたらう。
【後記】 さすが人麻呂の原作だけあつて、堂々たる風格がある。かくて戀も神々しくなる。
 
2416 ちはやぶる 神の持たせる 命をば 誰が爲にかも 長く欲りする
 
【口譯】 神の掌り給ふ命、即ち人力の如何とも出來ない命をば、長くあれかしと念《ねが》ふのは貴女より外誰の爲であらうぞ。
【語釋】 ○ちはやぶる 神〔傍点〕にかゝる枕詞。いちはやぶ(最速ぶ)猛く荒い義といふ。○持たせる 持たす〔三字傍点〕(す〔傍点〕は敬語)にあり〔二字傍点〕の附いて持たせり〔四字傍点〕となつた連體形。この句は原文「持在」とあつて、舊訓タモテル、宣長は(53)持〔傍点〕は祷〔傍点〕の誤でイノレルであらうと言つたが、今新訓に從つて崇敬の形に取つた。もの
【後記】 神力の如何ともすべからざるものさへ、戀人のためには動かさうとするといふ所に技巧がある。この歌は神に寄せたとも言へるが正述に近いものである。
 
2417 石上《いそのかみ》 布留の神杉 神《かむ》さびて 戀をも我は 更にするかも
 
【口譯】 神さびるほど年を取つてから、私は更に戀をすることであるよ。
【語釋】 ○石上布留の神杉 「神さびて」を起す序詞。大和國石上の布留神社の神木の杉をいふ。○神さびて 神の性を帶びて神々しくなるを神さぶ〔三字傍点〕といふ。こゝでは年老いて俗氣のないのをいふのであらう。
 
2418 如何ならむ 名に負ふ神に 手向けせば 吾が思ふ妹を 夢にだに見む
 
(54)【口譯】 どんな名をもつてゐる神樣に幣帛をさゝげて祈願したならば、私の思ふ女を夢にでも見ることが出來ようぞ。
【語釋】 ○名に負ふ神 原文は「名負神」とあつて種々の異訓があるが、考のナニオフカミニが妥當のやうに思ふ。古義はナオヘルカミニ、新考・新訓はナヲオフカミニと訓んでゐる。殊に新考はナニオフとナヲオフと混同してはならないと云つてゐるが、ナニオフが普通の言葉であらう。元來名に負ふ〔四字傍点〕といふ語は、名に實を負ひもつてゐる義であると思ふ。
【後記】 以上四首が神に寄せた戀である。すべて集中の寄物はその寄せる物象によつて、排列を順序立ててある。
 
2419 天地《あめつち》と いふ名の絶えて あらばこそ 汝《いまし》と我と 逢ふこと止《や》まめ
 
【口譯】 天地といふ名がなくなつて了つた時には、貴女と私と逢ふことが止みもしませう。(天地のある以上は逢ひつゞけませう。)
【語釋】 ○天地といふ名の絶えてあらばこそ 天地といふ名がなくなると言つたのであるが、つまり天地といふもの〔二字傍点〕が絶えたならばといふのと同じである。
(55)【後記】 戀を天地の生命に寄せたのは大きい讀振りである。さて、天地のあらむ限り會ひつゞけようといふのが後世の表現法であるものの、古代には之を反對に、天地が盡きたら止めようといふ表現法がよく用ゐられる。法王帝説の「斑鳩の富の小川の絶えばこそ我が大君の御名忘らえめ」の如き、卷六の吉野行幸の時山部赤人の作の「この山の盡きばのみこそ、この河の絶えばのみこそ、もゝしきの大宮處止む時もあらめ」(一〇〇五)の如き皆同じ表現樣式である。
 
2420 月見れば 國は同じぞ 山|隔《へだ》て 愛《うつく》し妹は へなりたるかも
 
【口譯】 月を見ると同じやうに見えるから、かしこもこゝも同じ國である。然るに山が隔てていとしい彼の女は私から隔たり離れてゐるよ。
【語釋】 ○國は同じぞ 原文は「國同」とのみあつて、舊訓はクニハオナジク、新考はクニオナジキヲ、新訓はクニハオナジヲと訓んでゐる。姑らく略解に從つた。舊訓のオナジクは同じくての義だらうけれども、接續がわるい。新考のクニオナジキヲはやゝ窮屈であり、新訓のオナジヲは終止をヲに受けるのが無理のやうである。○山隔て 略解、古義・新訓はヤマヘナリと自動詞に訓んでゐる。しかし新考が言ふやうにヘダテと他動詞にした方が、山が人を隔ててとなつてよささうである。○へなりたるかも へなり〔三字傍点〕は(56)後のへだたり〔四字傍点〕で自動詞である。離れてゐること。
【後記】 理窟らしくて理窟でない「月見れば國は同じぞ」などいふ單純さが却つて面白い。卷十八に古人の作だとして「月見れば同じ國なり山こそは君があたりを隔てたりけれ」(四〇七三)とあるのは、こゝの歌を云つたものであらうか。因みに古義は二句をクニハオヤジゾと訓ませてゐる。オナジは古くオヤジとも言つたのであるが、集中にはオヤジ・オナジ兩方出てゐる。現にこゝに出した卷十八の歌には於奈自《オナジ》とあり、卷十七には於夜目《オヤジ》と見えてゐる。これ以下七首寄山戀
 
2421 來る路は 石《いは》ふむ山の なくもがも 吾が待つ君が 馬つまづくに
 
【口譯】 こちらへ來る途中は、岩の出た山がなければよいがなあ。私の待つてゐるあの方の馬がつまづき倒れようから。
【語釋】 ○來る路は 原文に「※[糸+參]路者」とあるが、※[糸+參]〔傍点〕は繰〔傍点〕の字だらうといふ代匠記の説に從つて、來る〔二字傍点〕の假借とする。古義は參〔傍点〕の誤としてマヰリヂハと訓み、朝參《ミカドマヰリ》の路とし、京外の地から朝參する人を待つ官女の歌としたが、字の爲に考へ過ぎた説である。
(57)【後記】 かゝる歌をも寄物といふ。寄物といふ意は極めて漠然たるものである。
 
2422 石根《いはね》ふみ 重なる山は なけれども 逢はぬ日まねみ 戀ひわたるかも
 
【口譯】 岩かどをふみゆくさがしい而も重疊した山はないのだが、逢はない日がつゞくので戀ひつゞけてゐるよ。
【語釋】 ○石根ふみ重なる山はなけれども この三句は「逢はぬ」にかゝる條件句である。○まねみ まねし〔三字傍点〕の語幹にみ〔傍点〕の附いたもの。まねし〔三字傍点〕は數多度《あまたたび》なりといふ形容詞、まねみ〔三字傍点〕は數多度なる故にの義。
【後記】 凡作である。只「岩根ふみ重なる山」といふ成語は後世まで襲用された。尚重なる山を原文に「重成山」とあるので、古義はヘナレルヤマと訓んで之に從ふ人もあるが、ヘナルといふ語は自動的であるから、山自身が遠ざかることになつて、意味がそぐはない。古義は「相思ふ人の中間に、石根ふむさがしき山の、へだたれ〔四字傍点〕るにはあらねども」と譯してゐるが、こゝは「へだて〔三字傍点〕たるにはあらぬど」といはなくては妥當でない。この誤は二四二〇のヘナリ・ヘダツの交錯と同一である。
 
(58)2423 路の後《しり》 深津島山 しましくも 君が目見ねば 苦しかりけり
 
【口譯】 暫くの間でも貴郎のお姿に接しないと、私は苦しくてたまらないわよ。
【語釋】 ○路の後深津島山 「しましくも」を起す序。島山〔二字傍点〕のシマをしましく〔四字傍点〕のシマと合せて音から導いた序である。一國の京都に近い方を道の口といひ、遠い方を道の後《しり》また道の奥といひ、中間を道の中ともいふ。深津〔二字傍点〕は備後國の地名で、和名抄に備後國深津郡布加津とある所、今郡名は古への安那郡と合せて深安郡となつてゐる。今の福山市附近ば昔海が入込んでゐて、その隆起した所が古への島山の跡であらうかと言はれてゐる。路の後〔三字傍点〕は自然備後國即ち吉備の道の後を指したものと見るべきである。
【後記】 地方的の固有地名の入つてゐるのは、その地方の所産の民謠が多い。
 
2424 紐かゞみ 能登香《のとか》の山は 誰がゆゑか 君來ませるに 紐あけず寢む
 
【口譯】 紐を解くなと命ぜられた能登香山は、君が入らつしやつたのに、君より外の誰の爲に、紐をとかず寢ませうぞ。
【語釋】 ○紐かゞみ 裏面の鈕に紐のついた鏡。「能登香」の枕詞とした。○能登香の山 美作國津山市の東方に見える二子山であるといふ。大日本地名辭書に引いた美作名所栞に「吉野粟井村、在2國之東陽1、連山四合、層巒疊※[山+章]、蜿蜒起伏、中有2一山1、清秀奇※[山+肖]、聳2拔於衆山之表1者、爲2二子山1、兩峯双峙、松樹蔽2(59)其嶺1、葱鬱相對、恰似2※[巒の山が子]生者1、山有2二祠1、其在2西北1者、曰2能登香〔三字傍点〕神1、能降2膏雨1、其在2東南1者、曰2早風神1、能鎭2暴風1、村民尊崇」とある。紐鏡を能登香の山に連ねたのは、鏡の紐を莫解(ナトキ)と
からであるといふ契沖の説の如くであらう。而して其の莫解《ナトキ》を以て一篇の想を構へたのである。○誰がゆゑか 原文は「誰故」とのみあつて、タガユヱゾ(略解)とかタレユヱゾ(古義)とか訓ませ、多くの解は契沖の説「紐鏡ナトキソと云山の名は誰故か。思ふ人の來たる夜、などか紐解開て寢ざらむといふ意なり」といふのに從つてゐる。即ちタレ(が)ユヱゾはそこで切れる形とした。思ふにさうではない。「誰故」は誰が故か〔四字傍点〕として寢む〔二字傍点〕にまでかくべきものであつて、要するに君來ませるに、誰の故に紐解かずして寢よといふのかといふのであらう。歌ひ主の女は能登香山を以て自ら擬して「能登香の山は」と主語風に言起して、さて名は能登香といはれたとて、紐を解くに何の遠慮が入らうといふのであらうと思ふ。從つて訓も上の如くして見たのである。
【後記】 民謠風のかなり露骨な讀口である。
 
2425 山科の 強田《こはた》の山を 馬はあれど 歩《かち》ゆ我が來《こ》し 汝《な》をおもひかねて
 
【口譯】 馬はもつてゐるが、馬の支度を待たずに、徒歩《かち》で私は木幡山をやつて來たよ、お前を思ふにゐたゝまらないで。
(60)【語釋】 ○山科の強田の山を 山城國山科の木幡《こはた》山である。山を〔二字傍点〕のを〔傍点〕は原文にはないので、舊訓ニと訓んでゐる。しかしヲとニとではかゝり所が違ふので、論がある。姑らく略解に從つて置く。○歩ゆ我が來し 原文は「歩吾來」で舊訓はカチヨリワレクとあるが、今古義に從ふ。ゆ〔傍点〕はより〔二字傍点〕に當るが、かゝるゆ・より〔三字傍点〕はで〔傍点〕といふ義。今もから〔二字傍点〕をさう用ゐる地方がある。○汝をおもひかねて この訓にもナヲモヒカネテ(略解)、ナヲオモヒカネ(古義)などがあるが、どれも言葉が窮屈であるから姑らく字餘りにして見た。
【後記】 この歌は拾遺集にも採られ、源氏物語にも引歌にされてゐるが、強田の山のヲとニはともかく「馬はあれど」がどうも徹底しない句である。以上三首は地名の入つた山。
 
2426 遠山に 霞たなびき いや遠に 妹が目見ずて 吾戀ひにけり
 
【口譯】 いよ/\間遠に女の姿に接しないから、私は戀しくなつてゐる。
【語釋】 ○遠山に霞たなびき 「いや遠に」の序。遠山に霞がかゝつて、いよ/\遠く見えるのである。○吾戀ひにけり この原文は「吾戀」で訓方にはワガコフラクモ(略解・新考)、ワガコフルカモ(新訓)などがあるが、古義の最も素直なのに從つた。
【後記】 以上寄山戀。
 
(61)2427 是川《うぢがは》の 瀬々のしき浪 しく/\に 妹が心に 乘りにけるかも
 
【口譯】 この頃しきりに、彼の女の事が私の心にかゝつて戀しいよ。
【語釋】 ○是川の 原文「是川」を舊訓はコノカハノと訓んだのであるが、春滿が氏(ノ)上《カミ》を是上とも書く例によつてウヂガハと訓めといひ、和訓栞や萬葉集訓義辨證にも是〔傍点〕と氏〔傍点〕とはもと通用の文字であることを例證してある。即ち漢書地理志下の注に「古字氏是同」、後漢書李雲傳の注に「是與氏古字通」とあり、又橘氏の祖神梅(ノ)宮を攝家の人の管領するのを是定〔二字傍点〕といふが、西宮記にはそれを氏定〔二字傍点〕と記してある如きが是である。今之に從ふ。○しき浪 しき〔二字傍点〕はしく〔二字傍点〕といふ動詞の連用形で浪〔傍点〕と熟語をなしてゐる。しく〔二字傍点〕はしきる〔三字傍点〕と同じく繁く起るをいふ。しき浪〔三字傍点〕はしきりに寄せる浪の義。以上は「しく/\に」を起す序。因みに古義はコノカハノセセニシク〔二字傍点〕ナミと訓ませシク〔二字傍点〕を連體としてシクシクニにかけてある。これも一訓であらう。○しく/\に 前出のしく〔二字傍点〕といふ動詞の連體形を重ね、助詞に〔傍点〕を取らせて副詞としたもの、しきりに〔四字傍点〕若しくは繁く/\〔三字傍点〕の義。○妹が心に乘りにけるかも 妹が心に乘る〔六字傍点〕といふ語は當時の慣用成語であつて、女の事が自分の心にかゝるといふ義である。卷二「あづま人の荷前《のざき》の箱の荷の緒にも妹が心にのりにけるかも」(一〇〇)、卷四「もゝしきの大宮人は多かれど心にのりておもほゆる妹」(六九一)、卷十「春さればしだる柳のとをゝにも妹が心に乘りにけるかも」(一八九六)などがある。卷四の歌で意味が明かにされる。
(62)【後記】 序の浪も象徴的で、調子もよい歌である。
 
2428 千早人《ちはやびと》 宇治のわたりの はやき瀬に 逢はずありとも 後は我が妻
 
【口譯】 たとひ早い時分には會はないでゐたとしても、彼の女は後には必ず吾が妻ですよ。
【語釋】 ○千早人 枕詞。いちはや人即ち勇猛な人の義で氏〔傍点〕につゞく。卷七「千早人氏川浪を清みかも」(一一三九)參照。○宇治のわたり 宇治川の渡津《わたし》。これ以上が「速き瀬」の序である。○はやき瀬 速き瀬といつて、早き場合と轉じて、下の本義としたのである。
【後記】 「速き瀬」を人ごとの繁いのにたとへたのだといふ代匠記の説は、古義も從つてゐるが、後は〔二字傍点〕に對して早い時分〔四字傍点〕といふのを本義に取つておく。
 
2429 はしきやし 逢はぬ子故に 徒に 宇治川の瀬に 裳裾ぬらしつ
 
【口譯】 逢はない愛人の爲に宇治川の瀬を渡つて、むだに裳の裾沾らしたよ。
【語釋】 ○はしきやし 愛すべきといふ語で下の子〔傍点〕にかゝる。既出(二三六九)。○宇治川の瀬に 原文「是川瀬」とある。○裳裾ぬらしつ 原文は「裳襴潤」とあつて、略解・古義等はモノスソヌレヌと訓んでゐる。(63)が、他動詞にした方がよいやうである。下にこの歌の異傳と見るべき「はしきやし逢はぬ君ゆゑ徒にこの川の瀬に玉裳|沾津《ぬらしつ》」(二七〇五)ともあるからである。
 
2430 宇治川の 水泡《みなわ》さかまき 行く水の こと反さずぞ 思ひそめてし
 
【口譯】 宇治川の水の泡が逆卷いて流れゆく水の如く、心を翻さずと堅い決心で思ひ初めたことであるよ。
【語釋】 ○水泡 みなわ〔三字傍点〕はみのあわ〔四字傍点〕の約。○こと反さずぞ 原文は「事不反」とあつて、これは古義の訓方であるが、新考・新訓はコトカヘラズゾと訓んでゐる。カヘス・カヘル何れでも通ずるが、「ことを〔傍点〕變じない」と、「ことが〔傍点〕變じない」とを比較すると、「ことを變じない」の方が力がある。しかし水の方からいふとカヘラズの方が妥當の續き合ひになる。隨分難解の問題である。姑らく古義に從つておいた。
【後記】 古義はこの歌の解釋を契沖の説に從つて、「行く水の」までの本句を譬喩にとりながら、「又本(ノ)句は、たゞ不反をいはむためのみにて、逆(カ)卷(キ)流るゝ水の反らぬ意にいひつゞけたるならむか、……」と只序とも考へられると言つてゐる。かゝる修飾句は何れにも取られるのであつて、結局譬喩と序詞との限界は頗る不明に歸する。以上川に寄せたうち宇治川。
 
(64)2431 鴨川の 後瀬靜けく 後も逢はむ 妹には我は 今ならずとも
 
【口譯】 靜かに後になつて逢はう、あの女には私は今でないつたつて。
【語釋】 ○鴨川の 鴨川〔二字傍点〕は今の京都の賀茂川であらう。○後瀬 下流の瀬。鴨川の後瀬が「後も」を起してくれる序となつてゐる。しかし靜けく〔三字傍点〕といふ副詞も瀬に因んで出されてゐる。即ち後瀬〔二字傍点〕は「靜けく」と「後も」とを導き出してゐる。○後も も〔傍点〕は輕い詠歎につけたので,今も後もといふ並列の義ではない。
【後記】 「千早人」(二四二八)の歌と同じやうに今障りがあつて會ふことの出來ないのを、後には必ず我が物にしようと頑張つた心持である。尚「今ならずとも」は慣用成語であつて、卷四「この世には人言しげし來む世には逢はむ吾が背子今ならずとも」(五四一)、「一瀬には千度さはらひ行く水の後にもあはむ今ならずとも」(六九九)、卷十二「巨勢《こせ》なる能登瀬の河の後も逢はむ妹には吾は今ならずとも」(三〇一八)とあつて、最後の歌の如きは、三・四・五の句がこゝの歌と全然同一である。
 
2432 言に出でて いはばゆゝしみ 山川の たぎつ心を 塞《せ》きあへてあり
(65)【口譯】 口に出して言つては遠慮すべきであるので、山川の如く奔流する心を塞き止めてゐる苦しさよ。
【語釋】 ○いはばゆゝしみ ゆゝしみ〔四字傍点〕はゆゝし〔三字傍点〕といふ形容詞の語幹にみ〔傍点〕の附いてゆゝしい故にといふ義。ゆゝし〔三字傍点〕は忌み憚るべき情態。○たぎつ心を たぎつ〔三字傍点〕は奔流する義。四段活用の連體形。たぎち〔三字傍点〕は名詞となつて奔湍をいふ。○塞きあへてあり 原文は「塞耐在」とあるので訓じ煩らふのである。セキアヘテケリ(略解)、セカヘタリケリ(古義・全釋)、セキゾアヘタル(新考)、セキアヘニタリ(新訓)などがある。在〔傍点〕の字を終に置いてあるのでケリととぢめることは無理のやうである。新考や新訓はその爲に考へたのである。自分は只素直にセキアヘテアリと訓まうと思ふ。塞き〔二字傍点〕は水を止める義、あへ〔二字傍点〕はあふ〔二字傍点〕即ち堪ふる〔三字傍点〕義の動詞。塞きあへてありは止めぬいてある〔七字傍点〕とでも譯すべきか。
【後記】 河に寄せた戀では之が絶唱だらう。「たぎつ心」、「塞きあへてあり」などは表現の力強さが他の類ではない。源氏物語の桐壺の卷に引かれてある位であるから、相當人口に膾炙した歌であつたらう。
 
2433 水の上に 數かく如き 吾が命 妹に逢はむと うけひつるかも
 
(66)【口譯】 水の上に數を書くやうなたよりにならない私の命でも、彼の女に逢はうと神に誓ひ祈つたよ。
【語釋】 ○水の上に數かく如き吾が命 代匠記に涅槃經の「是身無常念念不v住、沿如2電光暴水幻炎1、亦如2畫水隨畫隨合1」といふ句から出たとある。人世無常の譬喩である。數書く〔三字傍点〕とは物の數を一つ二つ幾つと書付けるのだと古義は言つてゐる、一本二本といふやうに數を刻するを云ふとある新解の説もある。○妹に逢はむと 妹に逢はむ爲に長かれと。○うけひつるかも うけひ〔三字傍点〕は心に誓を立ててすること。
【後記】 古今集に「水の上に數かくよりもはかなきは思はぬ人をおもふなりけり」とある。水の上に數かくははかない譬はわかつてゐるが、「數かく」といふことは如何なることか、古今集の註釋などにも明かに解かれたものがない。無論涅槃經の語には數かく〔三字傍点〕といふ義は見えない。古義・新解の説もあるが、それらの説の如くさうする事が何の爲かが明かでない。數を書附けるといふことは、備忘の記録の主な事をいふ意味でもあらうか。水の上に備忘の爲に數を記しても跡方なく消えるとでもいふ義か、未だよく考へ得ない。
 
2434 荒礒《ありそ》こえ 外《ほか》ゆく波の 外ごころ 吾は思はじ 戀ひて死ぬとも
 
(67)【口譯】 他人に心を移すやうな他心《あだしごころ》を、私は決してもたない。たとひ貴女に會へないえ戀ひ死ぬとしても。
【語釋】 ○荒磯こえ外ゆく波の 「外ごころ」を導く序。しかも放埒な象徴をなしてゐる。外ゆく〔三字傍点〕は外へゆくのである。○外ごころ 他心《あだしごころ》・異心《ことごころ》などいつて、愛を他に移して了ふ義。○吾は思はじ 外心を思はじである。心を思ふ〔四字傍点〕といふことは已に述べておいた。(二三九九參照)
【後記】 下の譬喩の歌に「葦鴨のすだく池水はふるともまけ溝のへに吾越えめやも」(二八三三)とあるのと類想である。
 
2435 淡海《あふみ》の海 おきつ白波 知らねども 妹がりといひて 七日越え來ぬ
 
【口譯】 かの女の家は知らないけれども、そこへ行かうと思つて七日かゝつて山川を越えて來た。
【語釋】 ○淡海の海おきつ白浪 「知らねども」の序であつて、同音を重ねて續けたもの。淡海の海〔四字傍点〕は無論琵琶湖のことであつて、この歌は近江地方のものであらう。○妹がりといひて七日越え來ぬ 原文は「妹所云七日越來」とあつて、頗る難訓である。略解はイモガリトイハバナヌカコエコムと訓んで、更に宣長云として「或人説に、七日は直の誤にて、イモガリトイヘバ、タダニコエキヌなりと言へり。」と附加へ(68)てある。古義は全然之に從つた。自分は折衷して上のやうに訓んで見た。妹の家に行かうと言つて(即ち思つて)七日かゝつて長い道中を越えて來たといふ義に取つた。
【後記】 この歌も難訓、從つて難釋の一つである。
 
2436 大船の 香取の海に 碇おろし 如何なる人か 物念はざらむ
 
【口譯】 世のどんな人が物念をせずに平和にゐられるであらうか。(私はどうかさる物思ひのない人となりたい)
【語釋】 ○大船の ※[楫+戈]取《かとり》をとつて同音の地名「香取」に冠した枕詞。○香取の海 この香取の海は下總國のでなくて、近江國のであらう。卷七に「いづくにかふな乘りしけむ高島の香取の浦ゆ漕ぎでくる船」(一一七二)とあるのと同處であると契沖は言つてゐる。○碇おろし これまで三句は「如何なる」を導く序であつて、全然歌の本義には關係がない。因みに碇おろし〔四字傍点〕の原文は「慍下」とあつて碇〔傍点〕に慍〔傍点〕を借字してある。
【後記】 序に比して主想が寂しい。序も巧者には出來てゐるが、之も慣用成語である。下に「近江の海おき※[手偏+旁]ぐ船に碇おろしをきめて君が言待つ我ぞ」(二四四〇)、「大船のたゆたふ海に碇下し如何にせばかも吾が戀ひやまむ」(二七三八)などが皆同一樣式である。
 
(69)2437 奧つ藻を 隱《かく》さふ波の 五百重《いほへ》浪 千重《ちへ》しく/\に 戀ひわたるかも
 
【口譯】 私は幾重にも繁く/\、かの女を戀ひつゞけてゐるよ。
【語釋】 ○奧つ藻を隱さふ浪の五百重浪 「千重」を導く序詞。五百重・千重〔二字傍点〕とかさねて續けたのである。隱さふ〔三字傍点〕は隱す〔二字傍点〕を更にハ行四段に變じた語。所謂延言といふもので、動作の反覆を意味する。○しく/\に 二四二七に出てゐる。
【後記】 序詞が何となく忍ぶ戀を思はせる匂になつてゐる。
 
2438 人言は 暫《しま》しぞ吾妹《わぎも》 繩手《つなで》ひく 海ゆまさりて 深くしぞ思ふ
 
【口譯】 喧《やかま》しいうはさも暫くの間である、吾が妻よ。私は海よりも深くお前を思つてゐる。
【語釋】 ○繩手ひく 「海」といふ爲の序。本義に關係はない。繩手〔二字傍点〕は綱手繩ともいひ、船の舳先につけて船を曳く綱。○海ゆまさりて ゆ〔傍点〕はより〔二字傍点〕と同じ。○深くしぞ思ふ 原文は「深念」とのみあつて、考・略解はフカクシオモホユ、新訓はフカクシオモフヲと訓んでゐるが、姑らく舊訓に從つておく。
【後記】 初・二の句については、宣長が暫〔傍点〕は繁〔傍点〕の誤であらう、人ゴトノシゲケキワギモとか、繁(70)キワギモコとか訓むがよいと言つたと、略解は記してそれが穩かだと言つてをり、古義もこれに從つてゐる。この歌は文字どほり舊訓に從つて訓むと、前後の意味の續きがどうも不徹底である。人言は暫時の事なれば、我が深く思ふのを恃まば、今暫くはあれ後には必ず會はれるよなどいふ義か。
 
2439 淡海《あふみ》の海 おきつ島山 奧まけて 吾が念《も》ふ妹に 言の繁けく
 
【口譯】 奥深く心の下に私が思つてゐるかの女の上に、とかく人が口喧しく騷ぎ立てるよ。
【語釋】 ○おきつ島山 延喜式神名帳に近江蒲生郡奥津島神社とある處で、今の沖の島である。初・二の句は「奥まけて」を起す序、類音を以てつゞけてゐる。○奥まけて 略解に「オクマケテはオクマヘテと同じく、奧メテなり。奥メテは深メテと言ふにひとし。又末の事を奥と言へるも有れば、末をたのめて有る間に、人言の繁ければ、末おぼつかなしと言ふにも有るべし。」とある。下にこの歌の異傳とも見るべき「淡海の海奥つ島山奥まへて〔四字傍点〕我が念ふ妹が言の繁けく」(二七二八)といふのがある。略解がオクマヘテと同じと言つたのはこの歌の語からである。奥む〔二字傍点〕の更に延ばされたのが奥まふ〔三字傍点〕となつたのだとする説は肯《うべな》はれるかも知れない。しかし奥まく〔三字傍点〕もそれと同義であらうとすればすむが、まく〔二字傍点〕が何であるかとなると難解である。原文には「奥儲」と書いてあるが、果して設く〔二字傍点〕などの義か。夕かたまけて〔六字傍点〕などのまけて〔三字傍点〕と同じやう(71)に、奥の方によつてなどの義か甚だ詳かでない。姑らく奥めて・深めて〔六字傍点〕の説をかりることとする。○言の繁けく 二三九七・二三九八に既出。
【後記】 「奧まけて」の意義を知りたい。
 
2440 近江の海 沖こぐ船に 碇下し 藏《をさ》めて君が 言待つ我ぞ
 
【口譯】 落着いて氣長に、君の色よい御返事を待つてゐる私です。
【語釋】 ○近江の海沖こぐ船に碇下し 上の二四三六と同種の序詞。○藏めて君が 原文は「藏公之」とあつて、舊訓はカクレテキミガと訓んでゐるが、藏〔傍点〕の字をカクルと訓んだ他の例がなく、「玉藻苅藏《タマモカリヲサメ》」(三六〇)、「苅將藏《カリテヲサメム》」(一七一〇)、「藏而師《ヲサメテシ》」(三八一六)の如く皆ヲサムと訓んでゐるから、今新訓に從ふ。心を落着けての義。
 
2441 隱《こも》り沼《ぬ》の 下ゆ戀ふれば すべを無み 妹が名|告《の》りつ 忌むべきものを
 
【口譯】 隱して心中で戀ひ慕つてゐるとやる瀬ないので、つい女の名を口走つて了つた、憚るべきことだのに。
(72)【語釋】 ○隱り沼の 隱り沼〔三字傍点〕は水草にかくれて水の見えない沼、「下《した》」につゞく枕詞。○下ゆ戀ふれば 下〔傍点〕は心中をいふ。ゆ〔傍点〕はよ〔傍点〕ともより〔二字傍点〕ともいふが、共にに〔傍点〕若しくはで〔傍点〕の義にも用ゐられる。こゝは其の義であつてから〔二字傍点〕といふのではない。
【後記】 下に「隱り沼の下に戀ふれば飽き足らず人に語りつ忌むべきものを」(二七一九)とあるのは同歌の異傳であらう。「妹が名のりつ」とは 「人に語りつ」と同じことと見るべきである。古義が「妹が名を言に出して云つれば、今は人も知つらむ……」と言つたのは、妹が名を獨語したのだとでも取つたのだらうが、當らない。
 
2442 大地《おほつち》も 採らば盡きめど 世の中に 盡きせぬものは 戀にしありけり
 
【口譯】 この大地でさへ採つて行つたら、何時かは盡きるであらうけれど、世の中で盡きることのないものは、人を戀ひることであるよ。
【語釋】 ○採らば盡きめど 舊訓はトレバツクレドと常理的現在に訓んでゐる。必ずしもわるくはないが、實際なされないことには假定形の方がよい。盡きめど〔四字傍点〕のめ〔傍点〕は未來の助動詞む〔傍点〕の已然形。
【後記】 風格がやゝ後世的であるが、「大地も採らば盡きめど」の對比が壯大で而も素朴味があ(73)つてよい。寄土戀。
 
2443 隱處《こもりど》の 澤泉《さはいづみ》なる 石根《いはね》をも 通してぞ念ふ 吾が戀ふらくは
 
【口譯】 岩根をさへ透すばかりの念力で思つてゐるよ、私の戀は。
【語釋】 ○隱處の 「澤」を修飾する語。山澤は隱れた處である。○澤泉なる 澤の泉にある義。以上二句は石根のある場處をいふ。○石根をも通してぞ念ふ これが本義である。上に「石《いは》ほすら行きとほるべき建男も」(二三八六)とある心である。
【後記】 この歌は頗る難解である。略解は「こもりづの、さはいづみなる、いはねゆも、とほしてぞおもふ、わがこふらくは。」と訓み、さて「コモリヅは上に言へる如くコモリ水なり。處はドと訓めるを以て、通はせてヅに用ひたり。右に引ける古事記の、こもりづのしたよばへつつと言へるは枕詞なり。今は枕詞にあらず。さて澤泉は地名ならで、澤水を言へり。こもれる水の石根より流れ通ると言ふより、我が下におもひ通ふに言ひくだしたり。」と解した。コモリヅと訓んでコモリ水とし、イハネユモと訓んで石根から流れ通るとして考へた説としては、一わたり通ずる。しかし自分はむしろ古義の「歌意は吾が戀しく思ふやうは、丈夫心の二念な(74)く、石根をも透すばかりに、通りぬけたる心にてぞあるとなり。俗に、男の正念は、岩をも透すといふが如し。上に石尚行應建男《イハホスラユキトホルベキマスラヲ》とあるに、こゝろばえ似たり。さて澤泉在《サハイヅミナル》といへるは、たゞあるがまゝに文《アヤ》なせるにて、泉《イヅミ》に別《コト》に用あるには非ず」といつたのが妥當と考へる。「澤泉なる」と訓む以上、澤の泉に在る石根と解すべきであつて、其の泉が石根を通るなどとは解せられない。新考のやうに文字を改めたり補つたりして訓んだ上の解は又別問題である。
 
2444 白檀弓《しらまゆみ》 石邊《いそべ》の山の 常磐なる 命なれやも 戀ひつゝをらむ
 
【口譯】 永久にかはらない命だと思つて、氣永に戀ひ慕つてばかりゐられようか。(命も知れないことだから早く逢ひたい。)
【語釋】 ○白檀弓 枕詞。まゆみ〔三字傍点〕は檀《まゆみ》の木(衛矛《にしきぎ》科の亞喬木)で作つた弓。弓の射《い》から「いそべ」のい〔傍点〕につづけたのである。○石邊の山 固有の地名らしく、代匠記初稿本には「今、石邊伊之敝といふ所にや。」といひ、精撰本には「石邊山は近江ノ神崎郡ニアル由、彼國ノ者申シキ。前後ニ近江ヲヨメル歌多ケレバ、然ルベキニヤ。」とある。石の多いやうな山名を取り、常磐〔二字傍点〕を起す爲とした。以上二句は「常磐なる」の序詞。○常磐なる 永久に變らざるといふ形容動詞。ときは〔三字傍点〕はとこいは〔四字傍点〕(常磐)の約、とこ〔二字傍点〕は常住の義。
(75)○命なれやも戀ひつゝあらむ なれやも〔四字傍点〕はなればやも〔五字傍点〕であつて、やも〔二字傍点〕は反語である。而してこのやも〔二字傍点〕は戀ひつゝあらむ〔七字傍点〕へまでかゝる。常磐なる命なれば戀ひつゝあらむやもであつて、命なればと戀ひつゝあらむと兩ながら打消されるのである。永久の命だからと構へて戀ひつゝゐられようか、永久の命ではないから戀ひつゝはゐられないとなる。
【後記】 序がその上に枕詞をもつてゐるので、二重に迂回したものになつてゐる、以上二首寄石戀。
 
2445 淡海の海 しづく白玉 知らずして 戀せしよりは 今ぞまされる
 
【口譯】 女を見ないで戀ひしてゐた時よりも、逢つて後の今の方が更に思がまさつて來た。
【語釋】 ○淡海の海しづく白玉 「知らずして」を起す序詞。シラで繋いだことは無論であるが、シの音を三つ重ねて調子を取つてゐる。しづく〔三字傍点〕は原文「沈」の字を訓ませたのでしづむ義。卷七、一三一七參照。白玉〔二字傍点〕は眞珠のこと。
【後記】 類想の歌は多いが、これは調子のよい歌であり、白玉などいふ語が麗しさを匂はせてゐる。但し白玉は女に譬へたのではない。
 
(76)2446 白玉を 纒《ま》きてぞもたる 今よりは 我が玉にせむ 知れる時だに
 
【口譯】 白玉のやうな女を、手に纒《ま》いてゐるやうに手に入れた。今よりはせめて相知つた時だけなりと我が物と思はう。
【語釋】 ○知れる時だに 考は「末は知らねど、今相知時だに吾ものと思ひ定めんと也」と解し、略解・古義等が皆之に從つてゐる。この句をかく解した時、今よりは〔四字傍点〕が末永く〔三字傍点〕とやうに聞えるのと打合はないやうに感ぜられる。今よりは〔四字傍点〕と一旦いひて、さてかく相知れる今だけなりとと言ひせばめたとでもいふべきか。徹底しない所がある。
【後記】 新考は上の疑問からであらう、結句の「時」を後〔傍点〕としてシレルノチダニと改めてゐる。改字するのも如何《いかゞ》だが、とにかく疑は殘る。之は玉を女に比した譬喩歌である。
 
2447 白玉を 手に纒きしより 忘れじと 思ふこゝろは いつかかはらむ
 
【口譯】 白玉のやうなお前を手に入れてから、永久に忘れまいと思ふ私の心は何時變らうか。(決して變らない。)
(77)【語釋】 ○思ふこゝろは 原文は「念」とのみあつて、舊訓はオモヒシコトハとあるけれども、宣長は念〔傍点〕の下に心〔傍点〕を脱したのでオモフココロハと訓めといつた。念〔傍点〕一字でも何れ補讀することであるから、さう訓まれないことはない。○いつかかはらむ 原文は「何畢」で、舊訓はイツカヤムベキと訓んだけれども、是も宣長が畢〔傍点〕は異〔傍点〕の誤でイツカカハラムと訓めと言つた。文字を補つたり改めたりすることは警戒すべきことであるが、他に妥當のものがないから、それに從つておく。
【後記】 この歌の原文は凡て十字であつて、人麻呂歌集の中でも最も短小な表記法である。短小な表記ほど訓法の困難になることはもとよりである。かゝる歌は永久に誦讀が不定かも知れない。
 
2448 ぬば玉の 間《あひだ》あけつゝ 貫ける緒も くゝりよすれば 後《のち》あふものを
 
【口譯】 烏羽玉の間をあけて貫いた緒も、くゝりよせると後には其の玉が一しよに依合ふのだもの。
【語釋】 ○ぬば玉 烏扇の種子。黒色である。ぬば玉の〔四字傍点〕は枕詞とするが普通であるが、こゝのは實際その種子を緒に貫くと見なければならない。考は烏玉〔二字傍点〕は白玉〔二字傍点〕の誤として、シラタマヲと訓み、古義は之に從つてシラタマノと訓んだのは、烏羽玉を緒に貫くことはないといふ點から來たことであるが、今は原文のまゝ(78)にぬば玉〔三字傍点〕としておく。○間あけつゝ 間を離して貫くことと思ふ。○後あふものを 貫ける緒も〔五字傍点〕とあるからあふ〔二字傍点〕は緒のやうにも聞えるが、貫ける緒はくゝりよせるだけで、あふものはぬば玉と見なくてはならない。間あけつゝある玉が後に依合ふといふのである。
【後記】 この歌は譬喩だけであつて、本義は全く言つてゐない。所謂諷喩の表現である。我等の間も依せれば後には必ず依合ふといふ意を思はせたものである。
 
2449 香具山に 雲居たなびき おほゝしく 相見し子等を 後戀ひむかも
 
【口譯】 ほのかに見たあの女を、後までかく戀ひることであらうかまあ。
【語釋】 ○香具山に雲居たなびき 「おほゝしく」の序。雲居〔二字傍点〕は只雲といふに同じ。香具山に雲がたなびいて、山がぼんやり見えるやうにといふこと。以上が序。○おほゝしく おぼつかなくほのかなる貌であつて、ぼんやりといふこと。○子等 等〔傍点〕はたゞ添へたのみで複數ではない。○後戀ひむかも これから後戀ひることだらうかといふのではない。かく戀ひしく思ひ出されてならないと歎いたのである。
【後記】 大和地方の歌だらう。のんびりした讀口。
 
(79)2450 雲間より さ渡る月の おほゝしく 相見し子らを 見むよしもがも
 
【口譯】 ぼんやり逢つたあの女に、どうかして逢ひたいものだなあ。
【語釋】 ○雲間よりさ渡る月の 「おほゝしく」の序。雲間より〔四字傍点〕のより〔二字傍点〕はを〔傍点〕といふと同じく、さ渡る〔三字傍点〕のさ〔傍点〕は接頭醉、意味にさして關係はなく語調の爲につけたのである。
【後記】 前の歌と類想・類型であるがやゝ劣る。
 
2451 天雲の 依りあひ遠み 逢はずとも 異手枕《ことたまくら》を 吾纒かめやも
 
【口譯】 相隔たることの遠い爲に逢はないでゐても、他の女と寢ようか、決して寢ないよ。
【語釋】 ○天雲の依りあひ遠み 天雲の依りあひ〔七字傍点〕とは天の雲と國土と依合ふ所といふ義。遠み〔二字傍点〕は遠い爲にといふこと。天の雲と國土と依合ふ所は遠い地の果てに見えるから、其の如く遠い故にといふのである。それ故「天雲の依りあひ」までが「遠み」の序と見るべきである。○異手枕 異なる手枕であつて、他の女の手を枕にする義。○吾纏かめやも 枕をすることを枕をまく〔四字傍点〕只まくらく〔四字傍点〕ともいふ。纏かめやも〔五字傍点〕は反語。
 
2452 雲だにも 著《しる》くし立たば 意《こゝろ》やり 見つゝもゐてむ 直《たゞ》に逢ふまでに
 
(80)【口譯】 雲だけでもはつきり立つならば、それを慰めにして見てゐよう、直接逢ふまでは。
【語釋】 ○雲だにも 雲なりと。○意《こゝろ》やり 意をやりてであつて、心を慰めての義。原文「意追」で、舊訓ナクサメニとあるが、上の「意追不得《ココロヤリカネ》」(二四一四)に準ずべきである。○見つゝもゐてむ 原文は「見乍爲」で舊訓ミツツモシテムとあるのを、考は爲〔傍点〕を居〔傍点〕の誤としてミツツシヲラムと訓んで後多く之に從ふが、今、爲〔傍点〕をヰと訓み助動詞を補讀する。
【後記】 この歌は齊明紀に皇孫建王の薨じ給うた時、天皇の悼み詠ませ給うた御製「今木なるをむれが上に雲だにも著くし立たば何か歎かむ」に據つたものだらうと言はれてゐる。かゝる想は類型として後世まで及んでゐる。
 
2453 春柳《はるやなぎ》 かづらき山に 立つ雲の 立ちても坐《ゐ》ても 妹をしぞ念ふ
 
【口譯】 立つても坐《すわ》つても、あの女の事だけが思はれる。
【語釋】 ○春柳 「かづら」の枕詞。春の柳は之を※[草冠/縵]として頭を飾るに用ゐた。卷五に「春やなぎ※[草冠/縵]に折りし」(八四〇)とある。從つて葛城山〔三字傍点〕にかけたのである。○葛城山 大和國北葛城部にある。後世は濁音の位置が轉じてカツラギヤマといふが、もとカヅラキである。以上三句が「立ちても」を導く序。
(81)【後記】 この原文は「春楊 葛山 發雲 立座 妹念」で凡て十字、而も一句二字づゝに切揃へた漢詩的表現である。卷十一「秋されば雁飛びこゆる龍田山立ちても居ても君をしぞ思ふ」(二二九四)、卷十二「遠つ人|獵路《かりぢ》の池に住む鳥の立ちても居ても君をしぞ思ふ」(三〇八九)などの類想の歌がある。こゝの歌に於ける序は、何となく作者の見てゐる實景のやうに思はれて面白い。
 
2454 春日山 雲居がくりで 遠けども 家は思はず 君をしぞ思ふ
 
【口譯】 故郷の春日山は雲にかくれて遠いけれども、其の家のことは思はずに、こゝで逢つたそなたのことを思ふよ。
【語釋】 ○雲居がくりて 雲に隱れてであるが、雲居がくる〔五字傍点〕といふ熟語である。それ故がくる〔三字傍点〕と濁る。隱る〔二字傍点〕の活用は古代は四段である。
【後記】 この歌は略解に「是れは旅に在る人の旅にて女に逢ひて詠めるなるべし。女を指して君と詠めるも少からず。」といふ如くである。
 
2455 我が故に 云はれし妹は 高山の 峯の朝霧 過ぎにけむかも
 
(82)【口譯】 自分の爲に世間にうはさされたかの女は、今は死んで行つて了つたのかなあ。
【語釋】 ○我が故に云はれし妹は 自分との關係の爲に、世人に云ひさわがれた彼の女はの義。いはれし〔四字傍点〕は評判されたであつて、卷四「山管の實ならぬ事を吾により言はれし〔四字傍点〕君は誰とか寢らむ」(五六四)。○高山の峯の朝霧 「過ぎにけむかも」の序。高山の峯の朝霧の消え過ぐるごとくの義。○過ぎにけむかも 全釋に曰はく「過ぎは死ぬこと。代匠記精撰本に『高山の朝霧の晴過る如く我を思ふ心を過しやりても忘けむかの意なり』とあり、舊説多くこれに從つてゐるが、卷一の黄葉乃過伊去等《モミヂバノスギイニキト》(二〇七)とあるやうに、ここでは死と見るべきである。」とあるに從ふべきである。
【後記】 愛した女の死んだのを歎いたもの、而も我が爲に世にとり沙汰されたいとほしさを泣いたもの。しんみりとした格調である。
 
2456 ぬば玉の 黒髪山の 山草に 小雨降りしき しく/\思ほゆ
 
【口譯】 しきりにかの女のことが思はれてならないよ。
【語釋】 ○ぬば玉の 黒髪〔二字傍点〕の枕詞、既出。○黒髪山 奈良市の北方、佐保山の一部、今黒髪〔二字傍点〕の名が殘つてゐる。○小雨降りしき しき〔二字傍点〕はしきり〔三字傍点〕といふ義の動詞。以上四句は「しく/\」を導く序。
【後記】 この歌は第五句のみが本義になつてゐて、上四句は序である。しかし「春柳葛城山に」(83)(二四五三)でみ見て來たやうに、雨の降るのを見てでもゐるやうに感ぜられて、物思に耽ける氣分を匂はせてゐる。大伴旅人の「淡雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも」(一六三九)などはよく之に似てゐる。
 
2457 大野《おほぬ》らに 小雨降りしき 木《こ》の本に 時々依り來《こ》 我がおもふ人
 
【口譯】 折々はこちらに依つて來給へ、我が思ふお方よ。
【語釋】 ○大野らに 原文は「大野」とのみで新訓はオホヌニと四音に訓んでゐるが、卷六「荒野等《アラヌラ》に」(九二九)、下の「淺葉の野良《ヌラ》」(二七六(84)三)の如くヌラといふ語は用ゐられてゐたからそれに準じた。○小雨ふりしき 小雨降りしきてである。原文は「小雨被敷」であつて、訓方には論があらう。舊訓のやうにふりしく〔四字傍点〕と終止に切ることが妥當であるかは私には疑問である。新考のやうにフリシケバも一訓であらうが、フリシキが素直《すなほ》でよいと思ふ。上三句は只「依る」を導く序であるから、大野らに小雨がふりしきつて木の本に依る〔二字傍点〕とさへつづけば十分である。かゝる序を途中で終止に切ることは面白くない。○時々依り來 原文は「時依來」で舊訓はトキトヨリコヨとある。時には依つて來いといふ義で、それでも意味は通ずる。
 
2458 朝霜の 消《け》なば消《け》ぬべく 念ひつゝ 如何でこの夜を 明かしなむかも
 
【口譯】 君が來てくれないので、もうこの身も消えうせたいほどに思ひ苦しみながら、どうしてこの夜を明かされようか。
【語釋】 ○朝霜の 「消《け》」を導く枕詞。○消なば消ぬべく 消えるなら消えて了《しま》はうの義。○如何でこの夜を明かしなむかも 原文は「何此夜明鴨」とあつて、宣長は、何《イカデ》と言つては鴨《カモ》と留めるに語が整はない、何〔傍点〕は待〔傍点〕の誤であつて、マツニコノヨヲ云々と有つたらうと言ひ、古義は其の説に從つて、マツニコノヨヲ、アカシツルカモと訓んでゐるし、更に新考はマツニコノヨノ、アケニケルカモと訓むがよいと言つてゐる。(85)しかしなるべく文字を改めない方がよいし、この歌は舊訓のやうでも意は通ずるやうに思ふ。惟ふにこの歌は男の來ないのに絶望して消なば消ぬべくと言つたので、男の來るのを待つのではない。この思で男の來ない一夜がどう明かされようかといふのである。それ故待つ〔二字傍点〕といふことは要しないのである。尚イカデと言つてカモで受けては穩かでないといふ非難についてであるが、イカデはアカシナムで受けるので差支はない。
【後記】 この歌は自分の解したやうに解すれば、相當透徹してよい歌になる。
 
2459 吾が背子が 濱ゆく風の いや速《はや》に 急事《はやごと》なさば いや逢はざらむ
 
【口譯】 吾が夫《つま》があまり急ぎなさればなさるほど、いよ/\逢ふことは出來ませんよ。
【語釋】 ○濱ゆく風の 「いや速に」を導く序。○急事なさばいや逢はざらむ 原文は「急事益不相有」で舊訓はハヤコトマシテアハズヤアラムとあり、新訓はハヤゴトマシテアハズカモアラムとあるが、意味が取りかねる。略解や古義の訓に從ふのが妥當であらう。三句のイヤハヤニとこのイヤアハザラムと應じた具合が大層よい。
【後記】 女の方で大事を取つて男を宥めた歌。
 
2460 遠妻の 振りさけ見つゝ しぬぶらむ この月の面に 雲なたなびき
 
(86)【口譯】 遠方の妻が仰ぎ見て私の事を思ひ出してゐようから、この月の顔に雲がかゝらないでくれよ。
【語釋】 ○振りさけ見つゝ 遠く振仰ぎ見つゝの義。卷二「天の原ふりさけ見れば」(一四七)參照。○雲なたなびき 雲なたなびきそ〔傍点〕と同じで、そ〔傍点〕はあつてもなくてもよい。
【後記】 下に「吾が背子が振放け見つゝ歎くらむ清き月夜に雲なたなびき」(二六六九)とあるのはこの歌の異傳と思はれる位の類歌である。こゝのは男の歌、下のは女の歌の差異のみである。
 
2461 山の端に さし出づる月の はつ/\に 妹をぞ見つる 戀しきまでに
 
【口譯】 ほんの一寸ばかりかの女を見たよ、しかしそれがかく戀しくなるまでに見たよ。
【語釋】 ○山の端にさし出づる月の 「はつ/\に」と言ふ爲の序。○はつ/\に 二四一一既出。○戀しきまでに 原文は「及戀」で、略解に引いた宣長の説に、及〔傍点〕は後〔傍点〕の誤でノチコヒムカモであるとある。略解も之に賛し、古義も新考も之に從つた。さうすれば、上の「おほゝしく逢ひ見し子等を後戀ひむかも」(二四四九)と類想であつて解し易いが、しかし及〔傍点〕の字をそのまゝに訓むとコヒシキマデニより外ない。
 
(87)2462 我妹子《わぎもこ》し 我をおもはば まそ鏡 照出づる月の かげに身え來ね
 
【口譯】 我が妻が自分を思ふならば、この照出してゐる月の映像《かげ》として見えて來よ。
【語釋】 ○まそ鏡 照出づる〔四字傍点〕の枕詞。○かげに見え來ね 考に「面影にあらず。右のはつ/\にといふ如くほのかにだにも見え來よといふ也」といひ、略解もそれを取つてゐるが、面影といふも、ほのかの影といふも甚だ曖昧な表現である。この影は鏡にうつる映像と同じで、月面へ姿がうつり出よといふのである。
【後記】 上の「この月の面に雲なたなびき」(二四六〇)よりも更に一趣考であつて面白い。
 
2463 久方の 天照る月の 隱りなば 何になぞへて 妹をしぬばむ
 
【口譯】 空に耀く月が隱れたならば、何になぞらへて女を戀ひ慕ひませうぞ。
【語釋】 ○何になぞへて なぞへて〔四字傍点〕は後世のなぞらへて〔五字傍点〕である。たぐへて〔四字傍点〕ともいふ。又寄せて〔三字傍点〕とか託して〔三字傍点〕とかいふ意にもなる。この意味から、古義はこの歌を解して「てる月の光を見|愛《メデ》つゝ居ると人には云て、實は妹が戀しく思はるゝに堪かねて、外に出て居しに、やう/\その月も、西の山(ノ)端に隱れはてぬれば、今は何を見つゝ賞愛《ウツクシミ》して、内へもいらずに居ると、人に、なぞらへことよせていはむぞとなり。」といつてゐる。即ちなぞへて〔四字傍点〕はかこつけて〔五字傍点〕といふ義に解してゐる。なぞへて〔四字傍点〕の寄せて〔三字傍点〕とか託して〔三字傍点〕とかいふ義はさうではない。其の物を媒介として聯想する義であつて、決して口實にしてとか、かこつけてとかいふ意ではな(88)い。この歌は月その物を妹として考へるのではなくて、自分が月を見ることによつて妹も定めしこの月を見てゐるであらうなと思ふのが、月になぞへて妹をしぬぶのである。その月を見てゐる間が相離れてゐてもせめて自分の心やりである。さて月が隱れたならば何を媒介にして妹を聯想しよう、聯想して心やりにする媒介物を失ふから、いよ/\寂しいといふのである。源氏物語の須磨卷の「見るほどぞしばし慰むめぐりあはむ月の都ははるかなれども」といふのが是である。
 
2464 三日月の さやにも見えず 雲がくり 見まくぞほしき うたてこの頃
 
【口譯】 あの女を見たくなつたよ、妙にこの頃は。
【語釋】 ○さやにも見えず さやにも〔四字傍点〕はさやかにもである。三句を全然序に見るか、譬喩に見るかによつて意義が違つて來る。即ち序とすれば本義には何の意味をも加へず、譬喩と見れば意味として活らいて來る。略解が「妹に逢ひ難きにつけて、あやにくに見まほしさのしきるを、三日月のさやにも見えず、見え隱れするに譬ふ。」といひ、古義が「相見まほしく思ふ妹を、三日月のかすかなるごとく、清《サヤ》かにも見えず、はつ/\に見しのみにて、はやかげを隱したる故に、このごろは愈進みて、殊に甚しくぞ見まほしきとなり」といふ如きは、皆譬喩として、「さやにも見えず、雲隱り」を本義の中に入れたものである。然るに新考の「上三句は序なり。三日月ノサヤカニ見エズシテ雲ニ隱レテ見マクホシキ如ク見マクゾホシキとい(89)ふべきを略せるなり。」といふ如きは、全然序と考へ、本義は女のさやかに見えず雲隱れると否とに關しない。私は序の方に取つた。しかし譬喩に見ることも必ずしも妨げない。○うたてこの頃 うたて〔三字傍点〕はいよ/\ます/\ともいひ、へんに妙にとも解かれる語であるが、こゝは後の義と解しておく。うたてこの頃〔六字傍点〕は卷十(一八八九)・卷十二(二八七七)に見える。この副詞二つは見まくぞほしきの上にあるべきものである。しかし下へ置いた爲に却つてこの意味が殊に強く注意される。
 
2465 我が背子に 我が戀ひをれば わが宿の 草さへ思ひ うらぶれにけり
 
【口譯】 我が夫《つま》に私が戀ひ慕つてゐると、私の家の庭の草までが、思に萎れたよ。
【語釋】 ○うらぶれにけり 原文「浦乾來」で舊訓以來ウラガレニケリが通訓になつてゐるが、ヒル(乾)は古代上二段活用であつたので、乾〔傍点〕を已然形フレに假用したのだと見て、ウラブレニケリと訓む新釋の説に從ふ。うらぶれ〔四字傍点〕は萎れること。人にも草にも兼ねて用ゐたのである。
【後記】 略解が「わが思ひ有る時は、見る物聞く物も、さるかたに思はるゝなり」と言つた如く、對象に自己を投入したのである。「我が」を三度反覆した頭韻は技巧だが、下の句が如何にもよい。
 
2466 淺茅原《あさぢはら》 小野《をぬ》に標《しめ》ゆふ むな言を 如何なりといひて 君をし待たむ
 
(90)【口譯】 虚言《うそ》を何とこしらへ言つて、彼《あ》のお方を待つ口實にしませうか。
【語釋】 ○淺茅原 茅《ち》の疎らに生えた原。○小野に標ゆふ 標ゆふ〔三字傍点〕は木を打ち又は繩などを張つて標《しるし》とすること。以上二句はむな言〔三字傍点〕の序。卷十二(三〇六三)に同一句があり、この卷の下に「淺茅原|假標《かりじめ》刺して空言も」(二七五五)ともある。淺茅原小野に標ゆふ〔九字傍点〕がどうしてむな言〔三字傍点〕の序となるかは、餘り徹底してゐない。卷七「淺茅原後見む爲に標結はましを」(一三四二)など淺茅原に標をゆふことはあるが、下の「大野《おほぬ》らにたづきもしらに標結ひて」(二四八一)などの如く、考が「ばとしたる標結ひなれば虚言にたとふ」といひ、更に略解が「限り知られず、とりとめもなき野にしめ結ふをもて、空ゴトと言はん序として」といふ如くであらうか。尚考ふべきである。○むな言を 原文は「空事」で舊訓ソラゴトヲとあるが、卷二十に「牟奈許等《ムナゴト》もおやの名たつな」(四四六五)とあるのに從ふ。虚言の義。○如何なりといひて君をし待たむ 代匠記が「サテ人ヲ待ツ宵ノケシキナド人ノトガメ恠シムルヲ佗テ、イカナル事ヲ作リテカ君待ツト云事ヲ人ニ知ラレジトヨメルナリ。末ニ山ヨリ出ル月待ツト人ニハ云ヒテトヨメル、是ヨリ虚言ヲカマヘタルナリ」と解いて以來、皆之に從つてゐる、即ち人に悟られないやうに男を待つ口實を作らうといふ義に取るのを通説とする。
【後記】 私かに案《おも》ふに、「むな言を如何なりといひて君をし待たむ」は、絶えた男を招く手段の口實を作らうとするのであるとも取れるのであつて、男に言ひやる虚言を考へるのではなからうか。疑を存して一案を附記する。
 
(91)2467 路のべの 草深百合の ゆりにとふ 妹が命を 我知らめやも
 
【口譯】 後に逢はうといふ彼の女の命も、いつまでと知られようか。(いつまでと知られないから暫しも早く逢ひたいなあ。)
【語釋】 ○路のべの草深百合の ゆりに〔三字傍点〕を導く序。草深百合〔四字傍点〕は草深い中に咲く百合をいふ。○ゆりにといふ ゆり〔二字傍点〕はもとより〔二字傍点〕と同じ語であつて後〔傍点〕の義である。卷八「吾妹子が家の垣つのさゆり花ゆり〔二字傍点〕と云へるはいなとふに似る」(一五〇三)と同じである。とふ〔二字傍点〕はといふ〔三字傍点〕の約言であつて、又ちふ〔二字傍点〕ともいふ。とふ・ちふ〔四字傍点〕は終止には用ゐず、何れも連體の時に限る。この場合はとふ妹〔三字傍点〕とつゞく。
【後記】 序が何となく先方の女をおもはせる美しい素材である。
 
2468 みなと葦に 交れる草の しり草の 人皆知りぬ 吾が下おもひ
 
【口譯】 人が皆知つてゐる、私の心中の思をば。
【語釋】 ○みなと葦に交れる草のしり草の 知りぬ〔三字傍点〕を導く序。みなと〔三字傍点〕は水の門〔三字傍点〕で川口をいふ。しり草〔三字傍点〕は代匠記に「鷺(ノ)尻刺にて藺の事なり。」といつて、和名抄の「玉篇云、藺和名|爲《ヰ》、辨色立成云、鷺尻刺」とあるのを引いてゐる。しかし新考が「後人之に從ひたれど鷺(ノ)尻刺を略して尻草とはいふべからず。なほ考ふべ(92)し。」といふ如く、未だ定説はない。
 
2469 山ぢさの 白露重み うらぶるゝ 心ふかくも 我が戀やまず
 
【口譯】 心の萎れることが深くなつて、私の戀ひ焦がれることがやまない。
【語釋】 ○山ぢさ 原文は「山萵苣」とあつて萵苣は蔬菜のチシヤであるが、ヤマヂサといふのは九州中國などでいふチシヤノ木だらうともいふ。或はこの前後は皆草に寄せてあるから、山ぢさ〔三字傍点〕も草だらうともいふ。○白露重み 白露が重いのでの義。以上うらぶるる〔五字傍点〕の序。○うらぶるゝ心深くも 原文は「浦經心深」で、舊訓はウラブレテココロニフカクであるのを、考・略解はウラブルルココロヲフカミと訓んでゐる。私かに思ふに、一首の中に上にシラツユオモミといひ又ココロヲフカミといふは如何であらう。宣長は恐らく心深〔二字傍点〕は誤字であらうといひ、新考も疑つてゐるが、理由はいはない。只新訓が上をシラツユオモリとしたのは恐らく一つのミを除く爲であつたらう。之は當然考へらるべきことであつて、略解・古義などは未だ氣附かなかつたのである。自分はうらぶるゝ心が深い爲に我が戀やまずなどいふのは理窟らしくて理窟でないと思ふ。惟ふにうらぶるゝ心の深いのは條件句ではない、情態句であると思ふ。うらぶるゝ心が深く、我が戀止まずであると思ふ。それ故上のシラツユオモミは舊訓のまゝにしておいて、下はココロフカクモと改めた。新訓とは上下反對にした。さてうらぶるゝ〔五字傍点〕は植物の情態と人の情態とを兼ねていつた語である。
(93)【後記】 上の「草さへ思ひうらぶれにけり」(二四六五)を序とした行き方である。
 
2470 みなとに さねはふ小菅 しぬびずて 君に戀ひつゝ ありがてぬかも
 
【口譯】 心に隱し切れないほど貴郎に戀ひ焦がれて、苦しくて堪へられませんよ。
【語釋】 ○さねはふ小菅 さ〔傍点〕は接頭辭、ねはふ〔三字傍点〕は根延ふで根を廣げ張ること。さねはふ小菅はしなふ〔三字傍点〕(撓み垂れる義)を以てしぬび〔三字傍点〕を導く序とした。○しぬびずて 心の中に秘めきれないでの義。原文は「不竊隱」とあるからシヌビズテなど訓むのが最も妥當であらうが、さう訓むと下へのかゝりが甚だ不徹底になる。それ故宣長は核〔傍点〕は根〔傍点〕の誤、菅〔傍点〕の下の不〔傍点〕は之〔傍点〕の誤であつて、ネハフコスゲノ、ネモコロニであらうと言つた。古義・新考は之に從つた。その方が意味は解し易いが、餘り改字し過ぎる難がある。○ありがてぬかも がてぬ〔三字傍点〕のがて〔二字傍点〕はかつ〔二字傍点〕といふ動詞のあり〔二字傍点〕に附いた爲に濁音になつたのである。かつ〔二字傍点〕は堪ふ、能ふ〔四字傍点〕などの義で下二段に活用する。動詞に附いて其の動作の可能であることを表す。ぬ〔傍点〕は打消ず〔傍点〕の連體形。かてぬ〔三字傍点〕は堪へぬ、能はぬ〔六字傍点〕といふ義。かつ〔二字傍点〕はあふ〔二字傍点〕(下二段活用)に意味が似てゐる。ありがつ〔四字傍点〕はあるに堪ふる義。
【後記】 「しぬぴずて」のかゝり所が不徹底であるが、やはり「君に戀ひつゝ」に係つて、隱し切れないほど強く戀ひ焦がれるので、一方には隱さうと思ひつゝ堪へられないといふのであらう。
 
(94)2471 山城の 泉の小菅 おしなみに 妹が心を 我が念はなくに
 
【口譯】 私は彼の女の私に對する心を、他の人と同等には考へてゐない。格別のものに思つてゐるよ。
【語釋】 ○山城の泉の小菅 泉〔傍点〕は和名抄に、山城國相樂郡水泉以豆美とあるのが是である。この二句おしなみに〔五字傍点〕の序。菅の葉の伏靡いてゐるのを押靡《おしな》みと言ふ。○おしなみに 並々に、同等になどいふ副詞。○妹が心を 原文は「妹心」とのみあるので、舊訓はイモガココロハと訓んでゐる。それでも惡くはない。しかし古義がイモヲココロニと訓んでゐるのは心は我が心になるから、意味が全然ちがふ。新考が言つたやうに卷四に「妹之心乎《イモガココロヲ》わすれておもへや」(五〇二)とあるから、それに從つた。女の我に對する心をである。
 
2472 見渡しの 三室の山の 石穗菅《いはほすげ》 ねもころ吾は 片思ぞする【一つに云はく、三諸の山の 石小菅《いはこすげ》】
 
【口譯】 痛切に私は片思をするよ。
【語釋】 ○見渡しの 新考はヲチカタノといふ義と解してゐる。なるほど古今集にも「うち渡すをちかた人にもの申すわれ」といふ旋頭歌があつて、見渡す遠方の人といふ義らしい。この語は原文は「見渡」で三室の山に冠してあるので、略解は「見渡は打ワタスと同じく、打向ひ見る意とも思へど、猶|美酒《ウマザケ》の誤にて、枕詞ならん。」と言つてゐ、古義も之に從つてゐるが、字のまゝならば、ミワタシノと訓むより外ない。○三室の山(95)の石穗菅 三室山〔三字傍点〕は大和國三輪山であらうか。石穗菅〔三字傍点〕は巖石の上の菅であらう。一つには、三諸の山の石小菅《いはこすげ》とある。ミモロもミムロも同じことは勿論である。以上三句は序、菅の根をもつてねもころにつゞく。
【後記】 菅の根のねもころ〔四字傍点〕も飽きるほど類型がある。
 
2473 菅《すが》の根の ねもころ君が 結びてし 我が紐の緒は 解く人あらじ
 
【口譯】 心をこめて貴郎が結んで下された私の下紐は、又貴郎より外に解いて下さる人はありませんよ。
【語釋】 ○我が紐の緒は 原文は「我紐緒」で舊訓ワガヒモノヲヲとあるが、今新考に從ふ。紐の緒〔三字傍点〕は只紐といふこと。下の二六一一參照。
【後記】 これを男の歌とする解もあるが、今は「君」を男を指したと解して女の歌と見た。操立てて男を待つ心である。
 
2474 山菅の みだれ戀ひのみ せしめつゝ 逢はぬ妹かも 年は經につゝ
 
【口譯】 私に狂ふほどの戀ひばかりさせさせして、年は大分たつてゐるのに逢つてくれない彼の(96)女だなあ。
【語釋】 ○山菅の みだれ〔三字傍点〕にかゝる枕詞。○みだれ戀ひのみせしめつゝ みだれ戀ふ〔五字傍点〕といふ動詞の名詞形がみだれ戀ひ〔五字傍点〕である。みだれ戀ふは心が亂れて戀慕すること。○年は經につゝ 二三七四既出。
【後記】 「つゝ」の二つある所は無造作のやうにもあり、却つて調子を取つてゐる。
 
2475 我が宿の 軒のしだ草 生ふれども 戀わすれ草 見るに未だ生ひず
 
【口譯】 我が家の軒の羊齒草は生えるけれども、戀をわすれるわすれ草は見るが未だ生えない。
【語釋】 ○軒のしだ草 略解に「古今六帖にも、軒のしだくさと詠めり。今もシダと言ひて、山に生ふるはときはにて、古き屋根などに生ふるは冬枯るゝ物なり。(中略)契沖はシダ草はシノブ草なりとて、和名抄の垣衣屋遊等を引きて、人を戀ひしのぶ心とせり。然るに垣衣屋遊等をシダと言へる證無し。されど、此集シノブ草と詠める物無きを思へば、古へシダと言へるを後にシノブと言ひかへしにも有るべし。さてシダと言ふ詞を、慕ふ心に取りなして詠めるかと、或人は言へり。猶考ふべし。」とある。古義は「子太《シダ》は草名なるべし、今も齒朶《シダ》と云て、山に生るもの有り、されどそはときはにて、古き軒端などに生るものにはあらず、一種山に生る齒朶に似て、小くて濕地に生るものあり、古き軒などにも、たま/\生ふることあるべし。」といつて、契沖の説を疑ひかつ子太〔二字傍点〕と太〔傍点〕が濁音の字だから、下草ではないと思ふと附加へてゐる。(97)大體古義の説が妥當のやうに考へられる。羊齒植物は種々あるから屋根に生ずる羊齒植物であつて、山のシダに似たものであらう。しなふ〔三字傍点〕に取りなしたといふ説は肯はれない。○戀わすれ草 萱草をわすれ草といふから、戀わすれ草〔五字傍点〕といふ名を作つたのである。かつここでは必ずしも萱草を指したのではない。
【後記】 歌が後世風であり、又戯咲味をもつてゐる。
 
2476 打つ田に 稗は數多《あまた》に ありといへど 擇《え》らえし我ぞ 夜一人ぬる
 
【口譯】 田には稻に交つて稗が拔かれもせず澤山あるが、擇り捨てられた私は、夜一人ぼつちで寢るよ。
【語釋】 ○打つ田 打ち耕す田といふので只田のこと。○稗は數多にありといへど 稗〔傍点〕は稻に交つて稻を害するものだから、拔捨てられるものであるが、尚澤山交つてゐるけれどといふのである。ありといへど〔六字傍点〕はあれど〔三字傍点〕と同じでいへど〔三字傍点〕は後世のいへども〔四字傍点〕(雖)と思へばよい。
【後記】 卷十二に「水を多みあげに種蒔き稗を多み擇らえし業ぞ吾獨り寢る」(二九九九)といふ類歌がある。
 
2477 あしひきの 名に負ふ山菅 押伏せて 君し結ばば 逢はざらめやも
 
(98)【口譯】 貴郎さへ一しよになる氣で出て下されば、何で一しよになれないことがありませうぞ。
【語釋】 ○あしひきの名に負ふ山菅 あしひき〔四字傍点〕は山〔傍点〕の枕詞、山菅〔二字傍点〕にかゝる。名に負ふ〔四字傍点〕は山にあつて山菅と呼ぶをいふにや。山菅〔二字傍点〕はヤブランをいふ。(五六四參照)○押伏せて 山菅を押伏せて紐ぶのである。以上結ぶを導く序。押伏せて〔四字傍点〕を全釋は「無理に、強制的にの意であらう」と取つてゐる。さすれば山菅〔二字傍点〕まで二句だけが序となるわけである。自分は他に用例も見出せないから、押伏せて〔四字傍点〕はたゞ山菅を押伏せる義として、強ひて〔三字傍点〕といふ副詞には取らない。略解は押伏せてにあてたか否かは不明であるが、「強ひて〔三字傍点〕逢はんと言はば」と言つてゐる。猶考ふべきである。
【後記】 宣長は「名負」は必ず誤字であらう、「押」は根〔傍点〕の誤で根伏〔二字傍点〕はネモコロニであらうと言つた。古義は其の説を承けて、アシヒキノ、ヤマノヤマスゲ、ネモコロニと訓んだ。而して「名負」をヤマノと訓むのは、足引の名に負ふだから即ち山の事で義訓によるのだと言つてゐる。改字は愼むべきであるが、この歌の難解である證にはなる。尚木草を結んで祝福する古い習俗があつたといふので、四句までを全然山菅を結んで祝福することに取つた新考の説もある。
 
2478 秋柏《あきがしは》 潤和《うるわ》川べの しぬのめの 人にしぬべば 君にたへなく
 
(99)【口譯】 人に忍び隱す爲には、君に逢ふことを止めねばならぬ故、とても堪へられないよ。
【語釋】 ○秋柏 枕詞。秋の柏は夜露に潤ふもの故、潤和〔二字傍点〕につゞけるのであらう。○潤和川べの 原文は「潤和川邊」で舊訓ヌルワカハベノとあるが、今略解に從ふ。潤和川〔三字傍点〕は所在不明。駿河國富士郡|潤川《うるかがは》かといひ、播磨國明石郡|潤《じゆん》和の川かなどもいふが、確かでない。○しぬのめの 原文は「細竹目」で舊訓シノノメニとあるが、今考に從ふ。篠の群《むれ》のであつて下のしぬべば〔四字傍点〕を起す序。○人にしぬべば 原文は「人不顔面」で舊訓ヒトモアヒミジとあるが、亦考に從ふ。人目を隱れるとといふ義に取る。○君にたへなく 原文は「公無勝」で舊訓キミニマサラジとあるが、亦考に從ふ。人目を隱れると君に逢ひ難い故、君を戀しく思ふに堪へないといふ義に取る。
【後記】 この歌は卷中難訓難釋の一つであつて、諸説區々未だ妥當の訓釋に達してゐない。今姑らく大體考の説に據つたけれど、勿論滿足し得るものではない。下に「朝柏|閏八《うるは》川べの小竹《しぬ》の目のしぬびて宿れば夢に見えけり」(二七五四)とある歌の序は、こゝの歌に類似してゐる。
 
2479 さね葛《かづら》 のちも逢はむと 夢《いめ》のみに うけひわたりて 年は經につゝ
 
【口譯】 後に逢はうと思つて、それまでは夢にだけにもと祈りつゞけて年は經《た》ちましたよ。
【語釋】 ○さね葛 枕詞、卷二に「さね葛後もあはんと」(二〇七)とある。又さな葛〔三字傍点〕ともいふ。美男葛《びなんかづら》といふ(100)もので、這ひわたつて末が又合ふことから、後も逢ふ〔四字傍点〕にかゝるといふ。○夢のみに 原文は「夢耳」とあつて、舊訓の如くユメニノミとも訓まれるが、卷十四「伊米能美爾《イメノミニ》もとな見えつゝ」(三四七一)、卷十九「夢耳爾《イメノミニ》たもと卷き寢《ぬ》と」(四二三七)などあるに從つて、イメノミニと訓む。この句は甚だ陵味である。夢にだけ逢はうとの義か。略解にユメノミヲとあるのも同じ義である。新考は夢〔傍点〕を裏〔傍点〕としてシタノミニと訓んでゐるが、それは心中のみにといふ義となる。
 
2480 路のべの いちしの花の いちじろく 人皆知りぬ 我が戀妻は【或本の歌に云はく、いちじろく 人知りにけり 繼ぎてし念へば】
 
【口譯】 もう明かに世の人は知つた。私のいとしい妻をば。(或本には、「明瞭に世の人が知つたよ、やまず戀ひつゞけてゐるから。」)
【語釋】 ○いちしの花 羊蹄(ぎしぎし)の花。蓼科羊蹄屬の草木。莖の長さは二三尺、葉は長楕圓形又(101)は廣披針形。花は淡緑で、穗状花序に排列し、各節に十數花を密生して四五月頃開く。路傍の雜草中に生じてゐる。これをエゴノ木とする説があるが、こゝは前後草に寄せた歌のみであるし、羊蹄は路のべの草として普通であるから、この草とするのが妥當であらう。○繼ぎてし念へば 引續いてやまずおもふからの義。
【後記】 序からの音の反覆がしつくりと續いて如何にも平滑である。殊に路傍のさゝやかな草花に音韻上の聯想をもち易い處は、近代人にない一種の情趣を覺えさせる。或本のより本歌の方が單純で却つてよい。
 
2481 大野《おほぬ》らに たどきも知らに 標《しめ》結ひて 在りもかねつゝ 吾がかへり見し
 
【口譯】 とりとめもなく女に契つて、不安心さにあるにもあり得ないので、私は又立返つて言渡つたよ。
【語釋】 ○大野らに 原文は「大野」のみで、オホヌニと訓む人もあるが、今上の二四五七に準じた。○たどきも知らに 原文は「跡状不知」で舊訓アトカタシラズとあるが、卷十二「念ひやる跡状も我は今はなし」(二九四一)の跡状〔二字傍点〕がタヅキ又はタドキと訓むのを妥當と考へられるのに準じた。たどき〔三字傍点〕はたづき〔三字傍点〕と同じで、取りつくたよりをいふ。○標結ひて 標《しるし》を結んで我が物と領する義。以上三句はとりとめもなく女に(102)心をかけたのに譬へていふ。○在りもかねつゝ 原文は「有不得」で舊訓アリトモエメヤとあるが、今新訓に從ふ。○吾がかへり見し 原文は「吾眷」で舊訓ワガカヘリミムとあるが、今亦新訓に從つて、自分は又かへり見て女に言渡つたよの義と解して見た。
【後記】 この歌の末二句の訓方は未だ定説がないので、本義を明瞭にし難い。尚考ふべきである。
 
2482 水底《みなそこ》に 生ふる玉藻の うち靡き 心をよせて 戀ふるこの頃
 
【口譯】 かの人の方へ打靡いて、心をよせて戀ひ慕ふこの頃よ。
【語釋】 ○水底に生ふる玉藻の うち靡き〔四字傍点〕の序。○うち靡き 藻の水にうち靡くを、心が其の方へ向ふ義に用ゐた。
 
2483 敷妙の 衣手|離《か》れて 玉藻なす 靡きか寢《ぬ》らむ 吾《わ》を待ちがてに
 
【口譯】 かく私の袖に離れてゐるので、かの女は一人横になつて寢てゐるであらうか、私を待つことが出來ないで。
【語釋】 ○敷妙の衣手離れて 敷妙の〔三字傍点〕は衣〔傍点〕の枕詞、衣手〔二字傍点〕は袖である。衣手を離れるとは男の袖を敷くことの(103)出來ない意。下に「しきたへの衣手かれて吾を待つとあるらむ子等は面影に見ゆ」(二六〇七)とある。○靡きか寢らむ 靡き〔二字傍点〕は横たはること、か〔傍点〕は疑問の助詞。○吾を待ちがてに に〔傍点〕はず〔傍点〕の連用形、打消の助動詞であつて、助詞のに〔傍点〕ではない。待ちがてずに〔六字傍点〕と言換へればよい。
【後記】 「玉藻」は靡くとか靡き寢るとかに冠して、人麻呂はじめ慣用したのだが、當時女子の上に用ゐて美しい聯想のもたれる語であつたらう。
 
2484 君來ずは 形見にせむと 我が二人 植ゑし松の木 君を待ち出でむ
 
【口譯】 あのお方が來なかつたならば、其の代りとして見ようと、私ども二人で植ゑた庭の松の木が、まつ(待つ)といふ名だもの、必ずあのお方を待ちつけて、來ていたゞけるでせう。
【語釋】 ○形見 其の人の姿を偲ぶ材料。○君を持ち出でむ 待ち出づ〔四字傍点〕とは待つてゐて其の効《かひ》のあること。言換へると待つた人が來ること。原文は「君乎待出牟」とあるから前掲のやうに訓むより外ないのに、考には牟〔傍点〕を奈〔傍点〕に作つて、キミヲマチデナとし、略解は宣長の説として牟〔傍点〕を年〔傍点〕に改めて、キミヲマチデネと訓んでゐる。古義も之に從つた。考のマチデナは女自身の希望となつて、上の松の木を主とするに合はない。そこは宣長のマチデネの方がやはりよい。しかし改字しなくても、松の木は君を待ち出るだらうで十分である。
(104)【後記】 君の形見とした松の木を、形見としてのみ見るに慊らず、其の松の木が更に君を呼びよせるだらうと轉じて、而も松に嫁してゐるのが面白い。
 
2485 袖振るが 見ゆべき限り 吾はあれど 其の松が技に 隱《かく》りたりけり
 
【口譯】 彼の女の袖を振るのが見える筈の距離に私はゐるのに、あの松の枝に隱れて見えなくなつて了つたよ。
【語釋】 ○神振るが 袖振る〔三字傍点〕は別を惜しむのである。が〔傍点〕は主格助詞で、のが〔二字傍点〕といへばよい。○見ゆべき限り 見える筈の範圍の意で、道であるから距離といつてもよい。○其の松が枝に 其の〔二字傍点〕はあの〔二字傍点〕といふ義。
【後記】 男が女の家を出て歸る時の歌である。契沖が「其の松が枝」は上の歌の松をさしたのだと言つて、略解・古義が之に從つたのは誤である。
 
2486 茅渟《ちぬ》の海 濱邊の小松 根深めて 吾が戀ひわたる 人の子ゆゑに
    或本の歌に云はく、血沼《ちぬ》の海の 鹽干の小松 ねもころに 戀ひやわたらむ 人の兒故に
(105)【口譯】 深く思ひこんで私は戀ひつゞけてゐるよ、人妻の爲に。(或本の歌には、「真底から戀ひつゞけることであらうか、人妻の爲に。」)
【語釋】 ○茅淳の海 大阪灣のこと、原文には「珍海」と書いてあるが、珍〔傍点〕の字音チンをかりてチヌと用ゐたのであつて、或本の歌に血沼〔二字傍点〕とあるのと同訓である。○根深めて 茅渟の海濱邊の小松根〔十字傍点〕までが、深めて〔三字傍点〕を導く序。深めて〔三字傍点〕は深く〔二字傍点〕と同義の副詞。○血沼の海の鹽干の小松 小松の根からねもころに〔五字傍点〕を導く序。
【後記】 或本の歌は同歌の異傳であるが、原文の表記樣式が人麿集所出の一般とちがつて、助辭を加へ假名書きもあり、讀みよく長く書かれてあつて、明かに他本から取られたものである。
 
2487 奈良山の、小松が末《うれ》の うれむぞは 我が思ふ妹に 逢はずやみなむ
 
【口譯】 どうして、私の思ふかの女に逢はないで止まうか、逢はないではおかない。
【語釋】 ○小松の末の これは木の先をいふ。二句はうれむぞ〔四字傍点〕を導く序。○うれわぞは うれむぞ〔四字傍点〕は如何ぞ〔三字傍点〕といふ義の副詞。卷三に「海苦《わたつみ》の沖にもてゆきて放つとも宇禮牟曾〔四字傍点〕これがよみがへりなむ」(二二七)とある。下が反語となる。は〔傍点〕は強めにつけた助詞。
 
(106)2488 礒《いそ》の上に 立てる回香《むろ》の樹《き》 心いたく 何に深めて 思ひそめけむ
 
【口譯】 私はかく心を痛めて、何故に深くかの女を戀ひ初めたことであらうぞ。
【語釋】 ○立てる回香の樹 原文は「立回香瀧」で、舊訓タチマフタキノとあり、代匠記は瀧〔傍点〕を※[木+龍]〔傍点〕の誤として、タテルワカマツと訓み、考は瀧〔傍点〕は樹〔傍点〕の誤としてタテルムロノキと訓んだ。卷三に「吾妹子が見し鞆の浦の天木香樹《ムロノキ》は」(四四六)とあり、回香樹〔三字傍点〕は文字が近いから同一物であらうとして、多く之に從つてゐる。むろの木〔四字傍点〕は杜松《ねず》の木だらうといはれる。磯の上に危く立つてゐるむろの木は、痛ましく感ぜられるので心痛く〔三字傍点〕を導き出すのだらう。○心いたく 原文は「心哀」とあるが、古義は心衷〔二字傍点〕としてネモゴロニと訓み、むろの木の根〔傍点〕とかゝつたのであると解いてゐる。
 
2489 橘の 下《もと》に我立てば 下枝《しづえ》とり 成らむや君と 問ひし子等はも
 
【口譯】 橘の木の下に自分が立つてゐると、下枝《したえだ》を折取つて、「私どもの戀は障なく成立しませうか、貴郎。」と訊ねたあの女よなあ。
【語釋】 ○下に我立てば 原文は「本我立」で舊訓モトニワレタチとあり、多く之に從ふが、試みに改めて見た。我〔傍点〕は無論男自身のいふ我である。○下枝とり 女が下枝を折取つて男に示す義と取る。○成らむや君と 原文は「成哉君」で舊訓ナリヌヤキミトとあるが、今考に從ふ。「成らむや君」は女の詞の直接引(107)用である。成る〔二字傍点〕は橘の實の生《な》るに縁して言つたのである。
【後記】 この歌はさま/”\に考へられる。略解は「成は木の實の生《な》るに、戀の成るをたとへ言へり、こゝは其戀の成りぬるやと問ひたりし妹は遂に成らずなりて、離れて後思ひ出でて、ゆかしく思ふさまなり。上はナリヌヤと言はん序のみ。」と解した。全然序とするには「我立ち」といふ語が解し難い。代匠記は「我立〔二字傍点〕は女ノ我ナリ。下枝取ハ下枝ヲ取テ示スナリ。」と解して、古義も之に從つたが、男の歌であるから少し無理のやうである。新考は「從來相思の男女が對立せる趣に心得たるは誤なり。我といへるは男子即作者にて君といへるは媒なり。即對立せるは若き男と老いたる女即媒となり。四五の意は成ラムヤイカニトワガ媒ニ問ウタ其本尊樣はドウシタラウといへるなり。妹よりいまだ答の無きをおぼつかなみたるなり。」と解した。之にも直ちに從ひ難いから、自分は姑らく上のやうに試訓し試釋して見たのである。
 
2490 天雲に 翼《はね》うちつけて 飛ぶ鶴《たづ》の たづ/\しかも 君いまさねば
 
【口譯】 私はたよりなく感じますよ、あの方が入らつしやらないので。
【語釋】 ○天雲に翼うちつけて飛ぶ鶴の たづたづし〔五字傍点〕を導く序。うちつけて〔五字傍点〕は天雲に翼をつけてといふので(108)高く飛ぶこと。○たづたづし たどたどし〔五字傍点〕と同じで、たどりたどりする意。即ちたよりないといふ義。
【後記】 卷四の大伴旅人の「草香江の入江にあさるあし鶴のあなたづ/\し友なしにして」(五七五)は同巧で、多分この歌に倣つたものであらう。さてこの歌は表記形式が他とやゝ違つてゐて、助詞も精確に入れてあり假名書きもあつて、字數凡て二十字、訓方は固定してゐる。その點は前出(二四八六)の或本の「血沼の海の」と似てゐる。
 
2491 妹に戀ひ いねぬ朝明《あさけ》に 鴛鴦の 此處ゆわたるは 妹が使か
 
【口譯】 かの女を戀しく思つて寢なかつた明け方に、此處を飛んでゐるのはかの女の使か知ら。
【語釋】 ○朝明《あさけ》 あさあけ〔四字傍点〕の約、明け方のこと。○此處ゆわたるは こゝをわたると同じ。
【後記】 鴛鴦は雌雄睦まじい鳥で、夫婦に比せられるから、こゝに用ゐられたのである。
 
2492 思ふにし 餘りにしかば 鳩鳥《にほどり》の 足沾れ來しを 人見けむかも
 
【口譯】 かの女を思ふ思に餘つたから、逢ひに行つて、歸路の朝露で足を濡らして來たのを、人が見はしなかつたらうか。
(109)【語釋】 ○鳰鳥の 枕詞。鳰鳥〔二字傍点〕はカイツブリの事で、水禽であるから足沾れ〔三字傍点〕に冠したのである。
【後記】 この歌は卷十二「念ふにし餘りにしかばすべをなみ吾は言ひてき忌むべきものを」(二九四七)の左注に、柿本朝臣人麿歌集云「にほどりのなづさひ來しを人見けむかも」とあるのと、確かに同歌異傳である。
 
2493 高山の 岑ゆく鹿猪《しゝ》の 友を多み 袖振らず來つ 忘ると思ふな
 
【口譯】 此の間貴女の姿を見た時、同伴《つれ》の人が多かつたので袖を振らうにも振れずに歸つて了つた。私が貴女を忘れたなど思つて下さるな。
【語釋】 ○高山の岑ゆく鹿猪の 友を多み〔四字傍点〕の序。しし〔二字傍点〕といふ語はもと肉のことで、現にこの歌の原文にも宍〔傍点〕(肉〔右○〕の本字)とある。食用に供する肉は鹿や猪であつたので、鹿をも猪をもしし〔二字傍点〕と呼ぶのである。
【後記】 山間の獵夫などに歌はれた民謠であらう。
 
2494 大船に 眞楫しゞ貫き 漕ぐほども こゝだく戀し 年にあらば如何に
 
【口譯】 大船に楫を澤山つけて漕いでゆく間でも、かの女がたまらず戀しい。これが一年もかゝ(110)らうことなら、果してどんなであらうぞ。
【語釋】 ○漕ぐほども 原文は「※[手偏+旁]間」で舊訓コグホドヲとあるが、今略解に從ふ。○こゝだく戀し 原文は「極太戀」で舊訓イタクナコヒソとあるが、無理である。略解・古義はネモコロコヒシと訓んだが、今は上の「いで如何に極太甚《ココダハナハダ》」(二四〇〇)に準じた。○年にあらば如何に 原文は「年在如」で舊訓トシニアルイカニとあるが、代匠記に從〔五字傍点〕ふ。年にあらばは一年かゝつたらばの義。
【後記】 船乘りの歌であらう。略解は「海路の旅より歸る程の事と見ゆ」と言つたが、必ずしも歸る時とは限らない。むしろ出て行く方であらう。
 
2495 垂乳根の 母が養《か》ふ蠶《こ》の 繭《まよ》ごもり こもれる妹を 見むよしもがも
 
【口譯】 深窓に閉籠つてゐるかの女を見る方法はないかなあ。
【語釋】 ○垂乳根の母が養ふ蠶の繭ごもり こもれる〔四字傍点〕を導く序。繭ごもり〔四字傍点〕は蠶の蛹となつて繭の中にこもるをいふ。
【後記】 この序は、何となく母の其の子を育《はぐく》む如く響いて、本義ともよく調和してゐる。この序を用ゐたものには、卷十二「たらちねの母が養ふ蠶のまよ籠りいぶせくもあるか妹に逢はずし(111)て」(二九九一)、卷十三長歌「足乳根の母がかふこの繭ごもり息づき渡り……」(三二五八)などがある。
 
2496 肥人《こまびと》の 額髪《ぬかがみ》ゆへる 染木綿《しめゆふ》の 染《し》みにし心 我忘れめや【一つに云はく、忘らえめやも】
 
【口譯】 深く思ひ込んでかの女の戀しい心は、私がどうして忘れようか、忘れはしない。(一本には「忘れられようか、忘れられはしない。」)
【語釋】 ○肥人の この訓方は古來集中の一大難問である。舊訓はコマヒトノとあるのを、拾穂抄がウマヒトノと訓んでから、代匠記・略解以下之に從ふものが多い。然るに喜田博士は肥人考に於て肥人〔二字傍点〕をクマビトと訓み九州南部に住んだ種族の名とし、球磨の地名と關係があると説いた。尚新訓・新解などはヒヒトノと訓んでゐる。柴橋小彌太氏の説に據るといふ。自分は曾て舊訓の如くコマビトノと訓み得るといふ説を試みたことがある。西大寺本金光明最勝王經古點をはじめ、平安初期の最勝王經古點には壤〔傍点〕の字をコマヤク又はコマダツと訓み、この字と同義の肥〔傍点〕の字を副詞としてコマカニ若しくはコマヤカニと訓んでゐるから之をコマと訓むことは可能であるといふのである。コマは喜田博士のクマ(球磨)と關係があると見ることは亦可能であり、或は同一名の音韻上の少異であるとも見得る。何れにしても南九州に住んだ一種族(112)と見ることは妥當であらう。○額髪 舊訓はヒタヒカミと訓んだが、和名抄に※[髪の友が首]【俗云奴加々美】額前髪也とあるによつてヌカガミと訓む古義に從ふべきである。額の所に束ね結つた髪をいふ。○染木綿の 舊訓はソメユフノと訓んだが、心〔傍点〕の上に冠してあるから姑らく古義に從ふ。但しソム・シム何れでも同義である。染木綿〔三字傍点〕は染めた木綿《ゆふ》(楮皮の繊維を晒したもの)を髪を結ぶに用ゐたのであらう。喜田博士はこれは古代九州地方の風俗であつて、魏志に倭人の事を記した中に「以2木緜1招頭」とあるのが是であると言はれた。○染《し》みにし心 原文は「染心」で舊訓の如くソメシココロヲでも、新考の如くソメテシココロ(文シメテシココロ)でも通ずるが、姑らく卷二十「之美爾之許己呂《シミニシココロ》なほ戀ひにけり」(四四四五)に準じて、自動詞のシムにしておいた。女の事が深く浸み入つた心即ち深く思ひ込んだ心といふ義。
【後記】 この歌は可能と思はれる訓方が二三あつて、何れとも定め難い。異種族の異習俗が古歌の中に傳へられるのも貴いことである。
 
2497 隼人《はやひと》の 名に負ふ夜聲 いちじろく 吾が名は告《の》りつ 妻と恃ませ
 
【口譯】 はつきりと私の名を名のりました。もはや私は貴郎より外夫はないと考へてをります。貴郎も私を信じて妻と思つて下さい。
【語釋】 ○隼人の名に負ふ夜聲 いちじろく〔五字傍点〕を導く序。はやひと〔四字傍点〕は後世はやと〔三字傍点〕ともいつた。喜田博士の隼人(113)考によると、唐書倭國傳に「又有2邪古《ヤク》・波邪《ハヤ》・多尼《タネ》三小王1」とあつて、書紀の夜句人・隼人・多禰人に當るから、波邪《ハヤ》も亦九州南部の地名であつて、隼人は波邪の人であるとある。さて神代紀下海宮の條に「是以火酸芹命(ノ)苗裔諸(ノ)隼人人等、至v今不v離2天皇宮牆之傍1、代2吠狗1而奉事者也」と見え、大甞會式に「十一月卯日平明云々、隼人司率2隼人1、分2立左右1、朝集堂前、待v開v門乃發v聲」とあつて、其の宮門を衛る爲の夜の吠聲が明瞭に聞えるから、夜聲〔二字傍点〕をいちじろく〔五字傍点〕の序としたのである。名に負ふ〔四字傍点〕といふのはこの吠聲は隼人專門の職掌となつてゐて、其の職掌にふさはしい夜聲といふ義であらう。○吾が名は告りつ 女の名を名のることは婚を諾《うべ》なふことである。
【後記】 以上の二首は人、殊に異種族の人に寄せた歌であつて、異樣な風俗や職掌が當時の都人士に珍しく映じたからである。
 
2498 劔太刀《つさぎたち》 もろ刃の利《と》きに 足ふみて 死ににも死なむ 君に依りてば
 
【口譯】 私は劔の兩刃の鋭いのに足をふんで、死にもしませう、貴女の爲とならば。
【語釋】 ○もろ刃 兩刃のこと。○死ににも死なむ 死なむといふことを強くいふ表現。○君に依りてば て〔傍点〕は助動詞つ〔傍点〕の未然形。君に依らばを確定的に強めていふ形。
【後記】 下に「劍太刀諸刃の上に行きふりて死にかも死なむ戀ひつゝあらずは」(二六三六)といふ(114)類歌がある。戀の爲に死ぬといふ歌は多い中に、「劍太刀」而も「兩刃の利き」など如何にも峻烈な表現で、男性的な力強さに徹底してゐる。
 
2499 吾妹子に 戀ひしわたれば 劔太刀 名の惜しけくも 思ひかねつも
 
【口譯】 吾が妻に戀ひつゞけてゐると、もはや名の立つことが惜しいなどとは思つてゐられないよ。
【語釋】 ○戀ひしわたれば 戀ひわたればにし〔傍点〕といふ強めの助詞を挿んだものである。○劔太刀 枕詞。名〔傍点〕につゞくのは、古く刃をナといふからである。卷四「劔太刀名の惜しけくも吾はなし君に逢はずて年の經ぬれば」(六一六)、卷十二「劔太刀名の惜しけくも我はなしこの頃の間の戀ひの繁きに」(二九八四)など皆同じ樣式である。○惜しけくも 惜しけく〔四字傍点〕は繁けく〔三字傍点〕などと同じく、形容詞の更にく〔傍点〕を取つて、名詞若しくは副詞となる形。
 
2500 朝づく日 向ふつげ櫛 舊《ふ》りぬれど 何しか君が 見るに飽かざらむ
 
【口譯】 二人の中は隨分久しいことだけれども、どうして私は貴郎を見ても見飽かないことだら(115)う。
【語釋】 ○朝づく日 枕詞。朝になつて出る日、即ち朝日。つく〔二字傍点〕はなりゆく義。夕づく〔二字傍点〕日、秋づく〔二字傍点〕などいふ。さて朝日は向ひたいものだから、向ふ〔二字傍点〕にかけたのである。或はむかへ待つ義とも考へられる。○向ふつげ櫛 略解が「朝に槨匣《くしげ》に向ふ意にて、斯く續けたり。」といつたのがよからうか。古義は「すべて櫛の齒は、わが頭髪の方へ向へさすものなればいふなるべし。」といつた。新考が「向〔傍点〕を射〔傍点〕の誤としてサスヤとよむべきか。」といつたのは都合はよいが、例の改字の難がある。以上二句は舊りぬれど〔五字傍点〕の序。櫛は垢つき古び易いからつゞけたのである。つげ櫛〔三字傍点〕は黄楊の櫛。○舊りぬれど 男女の情交の年月經たることをいふ。
【後記】 序は女性にふさはしい取材であつて、恰も櫛を取りつゝ言つてゐる女を想はせる。
 
2501 里遠み こひうらぶれぬ まそ鏡 床のへ去らず 夢《いめ》に見えこそ
 
【口譯】 君の里が遠くて來たまふことが稀だから、私は戀ひに萎れて了ふ。君の姿が床の傍を離れずに常に夢に見えてほしい。
【語釋】 ○こひうらぶれぬ 原文は「眷浦輕」とあるので、舊訓は眷〔傍点〕を初句につけて、サトトホミウラブレニケリと訓み、略解は眷〔傍点〕を吾〔傍点〕の誤としてワレウラブレヌと訓み、古義はコヒウラブレヌと訓むべき理由を、(116)下に「里遠み戀ひわびにけりまそ鏡面影去らず夢に見えこそ」(二六三四)とあるのに考へ合せ、かつ上に「大野《オホヌラニ》云々|吾眷《アガコフラクハ》」(二四八一)とあるのも眷〔傍点〕字をコヒと訓むべき處であるからと云ひ、これをコヒとよむわけは明かでないが、或は眷《かへり》み慕ふ義を以て書いたのであらうかといつてゐる。妥當のやうに思ふ。但し上の二四八一の眷〔傍点〕の訓は古義に從はなかつた。うらぶる〔四字傍点〕は萎れてしよんぼりすること。○まそ鏡 床のほとりに置くものであるから、床のへ去らず〔六字傍点〕の序に冠したのである。
【後記】 古義はこの歌を解して「妹が家の里が程遠き故に云々」といつて、男の歌としてゐる。しかし「まそ鏡」によせ「床のへ去らず」と言つてゐるのは、どうしても女の歎きである。
 
2502 まそ鏡 手にとり持ちて 朝なさな 見れども君は 飽くこともなし
 
【口譯】 かく毎日毎日來ていたゞいて、貴郎にお逢ひ申すけれども、決して飽くことを知りません。
【語釋】 ○まそ鏡手にとり持ちて 朝なさな見れども〔八字傍点〕を導く序に用ゐてある。
【後記】 上の「朝づく日」(二五〇〇)と同じ讀口であつて、「まそ鏡手にとり持ちて」がよく活らいてゐる。無論女の歌である。
 
(117)2503 夕されば 床のへ去らぬ 黄楊《つげ》まくら 何しか汝が 主待ちがたき
 
【口譯】 夕べになると床の傍を離れない黄楊枕よ、何でお前は其の主を待ちつけることが出來ないのか。
【語釋】 ○夕されば 夕べになると。○黄楊まくら 黄楊の木で作つた枕であらう。○何しか 原文は「射然」で舊訓はイツシカと訓んでゐる。しかしそれでは意味が取り難いので、考は射〔傍点〕は何〔傍点〕の誤でナニシカと訓むがよいと言つた。これが最も解し易いから、改字は慊らないが從ふことにする。新訓は末二句の「射然汝主待固」の固〔傍点〕を嘉暦本によつて困〔傍点〕とし、イスシカ汝主《キミ》ヲ待テバ苦シモと訓んでゐるが、イツヂカを何と解するのか、「いつしかと待遠に」などいふのかも知れないが、少し無理のやうである。○汝《なれ》が が〔傍点〕は所有格にもなれば主格にもなるが、この場合は句が切れてゐるから姑らく主格と見て、下の主《ぬし》は更に其の主〔三字傍点〕と解したのである。
【後記】 この歌は黄楊枕に言問ふので、閨怨がよく出てゐるが、惜しいことには訓に不徹底な個處のあることである。
 
(118)2504 解衣《ときぎぬ》の 戀ひ亂れつゝ 浮沙《うきまなご》 浮きても吾は ありわたるかも
 
【口譯】 あの人に戀ひみだれて、心も落着かず私はながらへつゞけてゐますよ。
【語釋】 ○解衣の 枕詞。解きほどいた衣であるから亂れ〔二字傍点〕へかゝる。○浮沙浮きても吾は 原文は「浮沙生吾」で、舊訓はウキテノミ、マサゴナスワガと訓み、考は萍浮吾〔三字傍点〕の誤としてウキテモワレハと訓み、略解・古義もこれに從つてゐる。新訓は生〔傍点〕を浮〔傍点〕と改める古義に從つて、上のやうに訓んでゐる。今これに從ふ。浮沙〔二字傍点〕は浮いた沙であつて、乾いた沙は靜かな水に浮くものであるから、それを言つたのだらう。代匠記の「水のわきかへる所に、繊沙のうきてめぐるにたとへたり。」といふのは水底の沙の激する水に浮上るのをいふのだらうが、如何であらう。○ありわたるかも 原文は流布本では「戀度鴨」となつてゐるが、嘉暦本の「有度鴨」に作つてある。新訓は之に據つた。古今六帖に「ときぎぬの思ひ亂れてうき草のうきても我はありわたるかも〔七字傍点〕」とあり、戀〔傍点〕字を二つ重ねるよりもこの方がよいやうに考へられる。
 
2505 梓弓 引きてゆるさず あらませば かゝる戀には あはざらましを
 
【口譯】 あの人に許さなかつたならば、今こんな悲しい戀には逢はなかつたらうに。
【語釋】 ○梓弓引きてゆるさず 梓弓引きて〔五字傍点〕までが序でゆるさず〔四字傍点〕を導き出す。ゆるさず〔四字傍点〕は弓をゆるめず〔四字傍点〕といふのをゆるさず〔四字傍点〕と用ゐたのである。○あらませば ませ〔二字傍点〕はまし〔二字傍点〕の未然形、下にましを〔三字傍点〕を受けてゐる。共に(119)既に上に出てゐた。
【後記】 「あの人に許さなかつたならば」といふと自然女の歌になる。略解は「始めうけ引きしを悔いて詠める女の歌なり。」とある。契沖は「はれる弓をゆるさぬごとく、はじめこひせじと思ひしまゝの心ならば、かゝる物思ひはせじものをと悔ゆるなり。」といひ、梓弓が男のものであり、現に卷十二に「梓弓引きてゆるさぬ丈夫や戀とふものを忍《しぬ》びかねてむ」(二九八七)とあるのに考へ合せて、男の歌とも見られる。さうすればゆるさず〔四字傍点〕は心をゆるべず〔四字傍点〕と解くべきである。
 
2506 こと靈の 八十のちまたに 夕占《ゆふけ》問ふ うら正《まさ》にのれ 妹にあはむよし
 
【口譯】 四通八達の街路で、言葉の靈力で判斷する夕方の辻占の卜象《うらかた》をたしかに告げてくれよ、かの女に逢へるといふことを。
【語釋】 ○こと靈の 言靈〔二字傍点〕は言語の靈力をいふので、言語に言ひ表されると、其の言語に宿る靈力によつて實現されると信じたのが上代人の思想であつた。卷五に「言靈のさきはふ國と」(八九四)、卷十三に「敷島の倭の國は言靈の助くる國ぞま幸《さき》くありこそ」(三二五四)とあるなどが是である。さてこの句を古義はコトダ(120)マヲ、新考はコトダマニと訓んでゐるが、今は舊訓に從つて第三句の夕占〔二字傍点〕にかけて解する。○八十のちまた ちまた〔三字傍点〕は道の股であつて交叉路即ち辻をいふ。八十は多くの分枝路を出してゐる義。○夕占問ふ 夕占《ゆふけ》は夕卜《ゆふうら》ともいひ夕方の辻占をいふ。卷四「月夜には門に出立ち夕占問ひ」(七三六)參照。下の二六一三・二六二五にも出る。○うら正に告れ うら〔二字傍点〕は占の判斷に出た事柄、即ち卜形《うらかた》である。正に〔二字傍点〕は正確にの義。告れ〔二字傍点〕は卜者に求めるのである。この句をウラマサニノルと訓ませる説もあるが、さうすれば卜者が妹に逢へることを告げたとなつて、それでも通ずるが意味がちがふ。
 
2507 玉桙の 路行き占に うらなへば 妹に逢はむと 我に告りつる
 
【口譯】 往來の人の言葉で占つて見ると、その判斷はかの女に逢へると、私に告げたよ。
【語釋】 ○玉桙の 枕詞。路〔傍点〕につゞく。既出。○路行き占 明かには知り難いが、略解が言ふやうに、往來の人の物語などして行く言葉の、吾が顧ふことに叶ふや否やで判斷することであらう。
【後記】 以上二首は占に寄せた歌であるが、上代人の思想や習俗が見えて、面白い。
 
   問答
 
【標目】 二首を番《つが》へて贈答をした歌である。しかしこの中には實際に出來た贈答歌若しくは贈答として連作したものではなくて、贈答になりさうな二首を後から故意に寄せたもののあることは考へられる。
 
(121)2508 すめろぎの 神の御門を かしこみと 侍《さもら》ふ時に 逢へる君かも
 
【口譯】 天子樣の御所に、恐れ畏みながら私の奉侍してゐた際に、私はあなたにお逢ひしましたよ。(時もあらうにあんな際でしたもの。)
【語釋】 ○すめろぎの神の御門《みかど》をかしこみと すめろぎ〔四字傍点〕はすめらぎ〔四字傍点〕とも申し天皇の御事。天皇は現神《あきつかみ》にいますから神といふ。御門〔二字傍点〕は御所のことで宮中〔二字傍点〕といつてもよい。かしこみと〔五字傍点〕のと〔傍点〕は只副詞句とする爲に添へたもので、畏まりてといふに同じ。
【後記】 「侍ふ」の主語が曖昧であるが、女自身であると解して見た。新考はさう見てゐる。しかし略解には「戀ふる男の朝廷に侍ふ時に、故有りて女の見しなり。」とある。
 
2509 まそ鏡 見とも言はめや たまかぎる 石垣淵《いはがきぶち》の 隱《こも》りたる妻
    右二首
 
(122)【口譯】 見たとても見たなど人に言はうか、あの奥深く隱れてゐる妻のことは。
【語釋】 ○まそ鏡 見る〔二字傍点〕にかゝる枕詞。○見とも言はめや 見とも〔三字傍点〕は後世の見るとも〔四字傍点〕と同じ。とも〔二字傍点〕といふ假定の助詞には動詞の終止から來るのが原則であるが、見る〔二字傍点〕といふ語には見とも〔三字傍点〕といつた。○たまかぎる 枕詞。上(二三九四)にはほのかに〔四字傍点〕にかゝり、こゝは石垣淵〔三字傍点〕にかゝる。石垣淵〔三字傍点〕の例は已に卷二の二〇七に見えるが、意義は明かでない。○石垣淵 岩に圍まれた淵。隱る〔二字傍点〕にかゝる、三・四の句を合せて序とする。
【後記】 男の歌たることは勿論であるが、前の歌の答として如何に考ふべきか。前の歌でこの時あなたを見ましたよと言つたから、私も見たには見たが、秘密のことだから、黙《だま》つてゐたんだと答へたとするのか。この二首は違つた場合のものを寄せ集めてあるやうに見える。
【左註】 右二首〔三字傍点〕は、右二首で問答になつてあるといふ意味である。以下同樣。
 
2510 赤駒の 足掻《あが》きはやけば 雲居にも 隱《かく》りゆかもぞ 袖卷け吾妹《わぎも》
 
【口譯】 私の乘つてゐる赤駒の歩みが速いから、忽ち雲居はるかに隱れて行つてしまふぞ。暫く私の袖を枕にして別を惜しんでくれよ、吾が妻よ。
【語釋】 ○足掻きはやけば 足掻き〔三字傍点〕は馬の歩みをいふ。はやけば〔四字傍点〕ははやければ〔五字傍点〕である。上代には形容詞が未だけれ〔二字傍点〕形をもたないで、已然ははやけば・はやけど〔八字傍点〕など言つたのである。○雲居にも 只遙かにもといふ(123)義。○袖卷け吾妹 原文は「袖卷吾妹」で、舊訓ソデマカムワギモとあるが、宣長は「袖卷は此歌に由なし、卷〔傍点〕は擧〔傍点〕の誤にて、ソデフレならむ。古事記に羽擧をハフリと訓める例なり。」と言つて、後多く之に從ふ。○全釋は「集中、袖擧の熟字もなく、擧をフルと訓んだ例もないから、もとのまゝでマケとよむがよい。卷十に「白妙之袖纏將干《シロタヘノソデマキホサム》」(二三二一)とあるやうに、卷〔傍点〕は枕することである。」と解した。今それに從ふ。
 
2511 隱口《こもりく》の 豐泊瀬道《とよはつせぢ》は 常滑《とこなめ》の 恐《かしこ》きみちぞ 戀ふらくはゆめ
 
【口譯】 初瀬へ通ふ道は、川の石になめり〔三字傍点〕がついて滑《すべ》り易い危《あぶ》ない道だから、油斷をなさるな。
【語釋】 ○隱口の 泊瀬〔二字傍点〕につゞく枕詞、既出。○豐泊瀬道 豐〔傍点〕は美稱。泊瀬に通ふ道である。○常滑 川の石に常についてゐるなめり〔三字傍点〕。卷一に「見れど飽かぬ吉野の川の常滑〔二字傍点〕のたゆる時なく又かへり見む」(三七)とあつた。○戀ふらくはゆめ 原文は「戀由眼」で舊訓コフラクハユメと訓んでゐるが、意味が穩かでないので、考は戀〔傍点〕を曉〔傍点〕の誤としてアカシテヲユケ、古義は戀〔傍点〕を爾心〔二字傍点〕の二字としてナガココロユメ、新考は戀〔傍点〕を勿怠〔二字傍点〕の二字としてオコタルナユメと訓んでゐる。コフラクハユメは略解のいふやうに「我を戀ふとならば、ゆめ渡る事なかれと云へるにや。されど穩かならず。」である。尚考ふべきである。
【後記】 この歌も前の歌の答としては如何である。已に略解が之を疑つてゐる。古義は答歌として、この次に二首といふ左註が入るべきであるといつてゐ、新考も之に從つてゐるが、考ふべ(124)き餘地がある。
 
2512 味酒《うまざけ》の 三諸《みもろ》の山に 立つ月の 見がほし君が 馬の足音《あと》ぞする
    右三首
 
【口譯】 見たいと思つてゐるあのお方の馬の足音がするよ。
【語釋】 ○昧酒 枕詞。三輪〔二字傍点〕につゞくのが常であるが、三輪山〔三字傍点〕の別名たる三諸山〔三字傍点〕に同樣つゞけたものであらう。○立つ月の 立つ〔二字傍点〕は上ること。以上三句は見がほし〔四字傍点〕を導く序。○見がほし君が 見がほしき君と同じく見がほし〔四字傍点〕を直ちに體言へ冠して連體同樣に用ゐる。○馬の足音《あと》ぞする。あと〔二字傍点〕はあおと〔三字傍点〕の約である。この句を嘉暦本の「馬之音曾爲」によつて、新訓はウマノオトゾスルと訓んでゐる。
【後記】 この歌は前歌に關係がないやうである。而も前二首に合して、「右三首」といふ左註のあるのも心得られない。略解は「此次に答歌の有りけんが落失せたるか。又は定かなる贈答にも有らぬを、初めより斯く次でしか。」と言つてゐる。古義は「右三首」の左註は、歌がまぎれて三首となつたのを見て記した後人の所爲であらうといひ、この歌の答歌には、上の「戀ふること心やりかね出でゆけば山も川をも知らず來にけり」(二四一四)の如きがあるべきであるとい(125)つた、とにかくこの問答歌については少からず疑問がある。十分後考を要する。
 
(125)2513 雷神《なるかみ》の しばしとよみて さし曇り 雨の降らばや 君が留らむ
 
【口譯】 雷がしばらく鳴轟いて、空がかき曇り雨が降らうならば、君がお留り下さるだらうよ。
【語釋】 ○しばしとよみて 原文は「小動」とあつて、宣長は小〔傍点〕は光〔傍点〕の誤でヒカリトヨミテであらうと言つたが、このまゝでよからう。○雨のふればや 略解はアメモフレヤモと訓んで命令にしてゐるが、姑らく舊訓に從つておく。や〔傍点〕は係りのや〔傍点〕である。
 
2514 雷神の しばしとよみて 降らずとも 吾は留《とま》らむ 妹し留めてば
    右二首
 
【口譯】 雷がしばらく鳴轟いて雨が降らなくとも、私は留らうよお前が留めるならば。
【語釋】 ○妹し留めては 原文は「妹留者」で、舊訓イモシトドメバとあつて、多く之に從つてゐるが、トマルに對してはトムでよい。その方が上下調子が合ふ。
【後記】 この二首は贈答がよく合つてゐる。しかし實際男女二人の問答であるかは疑はしい。一(126)人が連作したものではなからうか。
 
2515 敷細布《しきたへ》の 枕動きて 夜《よる》も寢ず 思ふ人には 後も逢はむもの
 
【口譯】 枕が動いて夜も睡らずに戀ひ慕ふ貴女には、後は逢ふことが出來るでせうに。
【語釋】 ○枕動きて夜も寢ず 思に寢られないで、寢返りがちなのを、枕のうごいて寢られないと言つたのである。夜も寢ず〔四字傍点〕は下の思ふ〔二字傍点〕にかゝる副詞句、夜も寢ずにの義。
 
2516 敷細布の 枕に人は 言《こと》問《と》へや 其の枕には 苔生ひにたり
    右二首
 
【口譯】 あなたは此方の枕に少しお話し下さい。あの枕には久しく使はない爲に苔が生えましたよ。
【語釋】 ○枕に人は 原文は「枕人」とのみあつて、略解・古義などはマクラニヒトハと訓み、新考・新訓はマクラキシヒトと訓んでゐる。マクラキを動詞とすれば、枕詞のかゝりが變になつて惡い。全釋のマクラセシヒトの方がよい。自分は姑らく舊訓に從ふ。
(127)【後記】 「苔生ひにたり」は下にも「結へる紐解きし日遠み敷妙の吾が木枕に苔生ひにけり」(一六三〇)とある。皮肉をいふにはこの位の誇張もよいであらう。この歌は女の歌としなくてはならない。しからば前の歌は男の歌と見るべきであらう。新考は前の歌(二五一五)について、「通本に此歌を贈とし次なるを答としたれど、此歌は下に見えたる『しきたへの枕動きていねらえず物もふこよひはやもあけぬかも』の答にて、彼は男、比は女の歌ならむ。」といひ、後の歌(二五一六)については、「此歌の後に右二首とあれど前の歌の答にあらざる事上にいへる如し」といつた。前の歌は女の歌とも取られ、前後二首が關係の薄いものとも考へられる。凡てこの贈答の歌は有り來つた歌を勝手に番へたものではないかと思ふのである。それ故眞面目に贈答の豫想を以てこれらの歌を解釋すると、却つて本義を得ないものがあるのではなからうか。
    以前一百四十九首は柿本朝臣人麿の歌集に出づ。
 
【左註】 「垂乳根の」(二三六八)より「數妙の」(二五一六)まで正述心緒・寄物陳思・問答を合せて、正しく一百四十九首ある。
 
(128)   正に心緒を述ぶ
 
【標目】 前出。こゝのは人麿歌集以外のものを採つてある。
 
2517 たらちねの 母に障《さは》らば いたづらに いましも我も 事成るべしや
 
【口譯】 母に遠慮して居たならば、貴郎も私も思を遂げることは出來ますまい。
【語釋】 ○たらちねの 母〔傍点〕の枕詞、既出。○母に障らば 障らば〔三字傍点〕は憚つて氣にとめてゐたならばの義。○いたづらに 原文の「無用」を訓んだので、空しく〔三字傍点〕又はむだに〔三字傍点〕の義。この副詞は第五句の事成らぬ〔四字傍点〕を言つたものである。○事成るべしや 舊訓はコトヤナルベキとあるが、今古義に從ふ。
【後記】 下に「垂乳根の母にまをさば君も我も逢ふとはなしに年ぞ經ぬべき」(二五五七)と同想である。
 
2518 吾妹子《わぎもこ》が 吾を送ると 白妙の 袖ひづまでに 泣きしおもほゆ
 
(129)【口譯】 我が妻が私を送り出す際に、袖が濡れるまで泣いたのが思ひ出されるよ。
【語釋】 ○袖ひづまでに ひづ〔二字傍点〕は濡れる〔三字傍点〕といふダ行四段活用の自動詞で、こゝは連體形。之に對して濡らす〔三字傍点〕といふ他動詞のひづ〔二字傍点〕はダ行下二校活用である。
【後記】 平明に言つてはゐるが、哀感切なるものがある。
 
2519 奥山の 眞木の坂戸を 押開き しゑや出で來《こ》ね 後は何せむ
 
【口譯】 檜の板戸を押開いて、えゝもう出て入らつしやい、今でなくて後では何にならうぞ。
【語釋】 ○奥山の 眞木〔二字傍点〕の枕詞。○しゑや 歎詞。よしゑやし〔五字傍点〕と同じ義。卷四(六五九)に既出、下の二六六一にも出て來る。
【後記】 男の女を訪づれて促す意の民謠。
 
2520 かり薦の 一重をしきて さ寢《ぬ》れども 君としぬれば 寒けくもなし
 
【口譯】 薦蓆《こもむしろ》を一枚敷いて寢ても、貴郎とさへ寢れば寒くも何ともない。
【語釋】 ○かり薦 苅つた薦草《こもくさ》の蓆《むしろ》であらう。○寒けく 寒いことの義。形容詞に更にく〔傍点〕の副はつたもの(130)で、體言又は副詞となる。活用しない。
【後記】 卷四に「むし衾なごやが下に臥せれども妹とし寢ねば肌し寒しも」(五二四)とあるのに表裏であつて、古代人の率直な表現である。
 
2521 かきつばた 丹《に》づらふ君を いさゝめに 思ひ出でつゝ 歎きつるかも
 
【口譯】 あの顔色の赤々した貴女を、ふと思ひ出しては戀しさに歎息してゐますよ。
【語釋】 ○かきつばた 枕詞。其の花が美しいのでにづらふ〔四字傍点〕につゞける。○丹づらふ 顔の紅に美しいこと。丹〔傍点〕は赤色、づらふ〔三字傍点〕は色の映え合ふことを表す接尾辭。サニヅラフともいふ。サは接頭辭。○いさゝめに 原文に「率爾」とあるのを訓んだので、ふと〔二字傍点〕といふ義。卷七に「伊左左目丹《イササメニ》」(一三五五)とある。
【後記】 「君」は女を指したので、若い男の歌であらう。
 
2522 恨みむと 思ひてせなは ありしかば よそのみぞ見し 心は念《も》へど
 
【口譯】 お會ひしたら、恨をいはうと思つてゐた我が夫《つま》でしたから、外ばかり見てゐたよ、心では戀しく思つてゐながら。
(131)【語釋】 ○思ひてせなは 原文は「思狹名盤」で、舊訓オモフカセナハとある。代匠記初稿本に從つた。さうして代匠記は「心は、せながつらさをかねてうらみむとおもひて有しかば、心にはこひしくおもひながら、こらしめむとて、よそめには見えてあはぬよしなり。」と解した。上三句はその解に從つて、かねて恨を言はうと思つてゐた背なであつたからと解した。之を考などのやうに、我が夫が私に恨を言はうとすると聞いてゐたからの義と取るのは如何であらう。下二句は其の恨を言ひも出せず、それかと言つて打解けも出來ず、外ばかり見て面と向はれずにゐたと解すべきである。代匠記の懲らしめようと會はなかつたのではないであらう。
【後記】 この歌は解釋が種々に考へられるが、本文を改めない以上、この位な處が妥當であると思ふ。女の心持の面白い描寫である。
 
2523 さ丹づらふ 色には出でず 少くも 心のぅちに 吾が念《も》はなくに
 
【口譯】 顔色には出さないものの、私は心の中で貴女を淺く思つてゐるのではありませんよ。
【語釋】 ○さ丹づらふ さ〔傍点〕は接頭辭、丹づらふ〔四字傍点〕に同じ。上の二五二一參照。色〔傍点〕につゞく枕詞。○少くも 少くは〔三字傍点〕の義。少くは思はず即ち深く思ふといふ義。
【後記】 下に「言にいへば事にたやすしすくなくも心のうちにわがもはなくに」(二五八一)、卷十二(132)に「人目おほみ眼こそしぬぶれすくなくも心の内に我がもはなくに」(二九一一)といふ下部の同じ歌がある。
 
2424 吾が夫子《せこ》に たゞに逢はばこそ 名は立ため 言の通ひに 何かそこ故
 
【口譯】 吾が夫に直接會つたのなら名も立たうけれど、たゞ言葉だけ通はしてゐるのに、何でその爲に名が立つたであらうぞ。
【語釋】 ○何かそこ故 原文の「其故」とあるのをソコユヱと訓む。卷二「所虚故《ソコユヱ》になぐさめかねて」(一九四)、卷十九「曾己由惠爾《ソコユヱニ》こゝろなぐやと」(四一五四)などある。後世のソレユヱニである。この句は何でその爲に名の立つことがあらうぞとも解されるが、ここは上のやうに解して、世人の口やかましさを歎いた歌とするがよい。
 
2525 ねもころに 片思《かたもひ》すれか この頃の 吾がこゝろどの 生けるともなき
 
【口譯】》 眞底から片思ひをするからであらうか、この頃の私の魂は生きた心持がないよ。
【語釋】 ○片思すれか 片思をすればかの義。○こゝろど 原文に「情利」とあり、卷十七に「許己呂度《ココロド》(133)もなし」(三九七二)とあると同訓である。こゝろど〔四字傍点〕は精神のことと解せられ、集中心神・精神〔四字傍点〕と書いたのも皆同訓すべきであらう。○生けるともなき 原文は「生戸裳名寸」で舊訓イケリトモナキとあるが、戸〔傍点〕は助詞のと〔傍点〕とは異種の假名である。玉の小琴は卷二「山路をゆけば生跡毛無」(二一二)について、このと〔傍点〕は助詞のと〔傍点〕ではなく(但し跡〔傍点〕の字は助詞のと〔傍点〕と同類の假名なるにかゝはらず)利心《とごころ》・心利《こころど》などのと〔傍点〕であつて、心のはたらきと解し、イケルトモナシと訓じてゐる。この訓釋にはこゝの歌の「吾がこころど〔傍点〕の生けるとも〔二字傍点〕なき」が有力に參考されてゐる。亦玉勝間にも同樣なことを記してゐる。かく宣長は假名遣のことに觸れながら、集中の歌について精密には見ないで、漫然|利《・ト》〔傍点〕の假名だと言つたのである。古義もそのまゝ之に從つてゐる。しかし集中生〔傍点〕の字をトモナシと受ける例のトの假名に二種の別がある。卷二の二一五・二二七には刀〔傍点〕を用ゐ、こゝの歌の戸〔傍点〕と同類であつて助詞のトではない。卷二の二一二、卷六の九四六、卷十二の二九八〇・三〇六〇・三一〇七・三一八五は跡《・ト》〔傍点〕若しくは友《・トモ》〔傍点〕を用ゐて助詞トと同類である。かくて助詞トの類はイケリトモナシ、他のトは體言と見てイケルトモナシと訓ずべきである。只一つ注意すべきは、集中この語の唯一の假名書きである卷十九「伊家流等毛奈之《イケルトモナシ》」(四一七〇)であつて、助詞と同類の等〔傍点〕を用ゐながら、イケルといふ連體を受けてゐることである。而も流〔傍点〕も等〔傍点〕も別に異本はない。とにかく上に掲げた諸例は假名遣に從つて訓み別けておいても濟むが、この一例によると考へさせられる。私かに案ふに或は古い形が「生ける刀〔傍点〕もなし」であつて、後にトの假名遣の混淆と共に等・跡〔二字傍点〕の方に變じたものではなからう(134)か。それ故宣長説の如くにすべてをイケルトモナシと訓ずべきではなからうか。姑らく疑を存して、こゝのは假名遣に從つて生けるともなし〔七字傍点〕とし、其のと〔傍点〕は氣持〔二字傍点〕などの義と解しておいた。山田博士の講義は卷二の二一二の歌をイクルトモナシと訓じ、トは時・所〔二字傍点〕をあらはす語であつて、今の點〔傍点〕といふ義であると解してゐられる。詳しい論は彼の本について見るがよい。さてなき〔二字傍点〕と連體に止めたのは、片思すれか〔五字傍点〕に應じてゐるのである。
【後記】 訓釋に論はあるが、讀下して平明な古調を味はせられる。
 
2526 待つらむに 到らば妹が うれしみと 咲《ゑ》まむすがたを 往きて早見む
 
【口譯】 待つてゐる所へ私が行つたならば、女が嬉しさに喜び笑ふであらう姿を、往つて早く見たいものである。
【語釋】 ○うれしみと うれしみ〔四字傍点〕はうれし〔三字傍点〕の語幹にみ〔傍点〕を添へて、うれしいのでの義。と〔傍点〕は副格の句として只添へたのみである。直ちにうれしさに〔五字傍点〕と譯してよい語形である。上の「神の御門をかしこみと〔五字傍点〕」(二五〇八)參照。
【後記】 下に「念はぬに到らば妹がうれしみと笑まむ眉引《まよびき》おもほゆるかも」(二五四六)といふ同巧(135)なのがある。
 
2527 誰ぞこの 吾が宿に來喚ぶ たらちねの 母に嘖《ころ》ばえ 物思ふ吾を
 
【口譯】 誰がまあ私の家の戸口に來て喚ぶのだらう、母に叱られて思ひ悩んでゐる私を。
【語釋】 ○嘖《ころ》ばえ ころぶ〔三字傍点〕は叱るといふ古語。神代記に「發2稜威之嘖讓1云々、嘖讓此云2擧廬毘《コロビ》1」とある。え〔傍点〕は受身の助動詞ゆ〔傍点〕の連用形、後世のれ〔傍点〕と同じ。卷十四「寢なへ兒ゆゑに母にころばえ」(三五二九)とある。
【後記】 代匠記初稿本は「女に似つきたる歌なり。」と評してゐる如く、如何にも野趣に滿ちた而も醇な民謠ともいふべきもの。卷十四「誰ぞこの屋の戸おそぶる新甞《にふなみ》に我が背をやりて齋《いは》ふこの戸を」(三四六〇)に比すべきものである。
 
2528 さ寢《ね》ぬ夜は 千夜もありとも 我が夫子《せこ》が 思ひ悔ゆべき 心はもたじ
 
【口譯】 彼の人と寢ない夜は千夜あつたとしても、彼の人が後で悔いるやうな薄情な心を私はもつてゐないよ。
【語釋】 ○さ寢ぬ夜は さ〔傍点〕は接頭辭。このさ寢ぬ〔三字傍点〕は男と共に寢ぬの義。○思ひ悔ゆべき 女が心變りした爲(136)に、男が後悔するやうなの義。○心はもたじ 心は女の心である。
【後記】 「悔ゆべき心はもたじ」といふ語は、卷三「妹も吾も清みの川の河岸の妹が悔ゆべき心は持たじ」(四三七)・卷十四「鎌倉の三越の岬の岩崩《いはく》えの君が悔ゆべき心をもたじ」(三三六五)などに用ゐられてゐる。
 
2529 家人は 路もしみゝに 通へども 吾が待つ妹が 使|來《こ》》ぬかも
 
【口譯】 私の家の人たちは路を頻に往來《ゆきき》してゐるが、私の待つてゐる女からの使は來ないなあ。
【語釋】 ○しみゝに しみに〔三字傍点〕ともいふ。頻繁に〔三字傍点〕とか一杯に〔三字傍点〕とかいふ義の副詞。しみ〔二字傍点〕は繁《し》むといふ動詞の連用形、それにに〔傍点〕の動詞を附けて副詞としたもの、しみゝに〔四字傍点〕は更にそのみ〔傍点〕を重ねて疊語風にしたもの。卷三「内日さす京|思美彌爾《シミミニ》」(四六〇)・卷十「秋萩は枝も思美三荷《シミミニ》」(二一二四)參照。下に「大舟に葦荷刈積み四美見似《シミミニ》も」(二七四九)とある。○通へども 原文は流布本には「雖來」とあるが、嘉暦本・神田本の「雖從來」に從つて訓んだのである。
【後記】 代匠記は「家人ハ此ノ歌ニテハ妹ガ家人ナリ」と解してゐる。それも妥當でないやうに思ふが、男の家人としても何となく落着かない句である。新考は「家人は里人の誤ならむ」と(137)言つてゐる。姑らく疑を存しておく。
 
2530 あらたまの 柵戸《きへ》が竹垣 あみめゆも 妹し見えなば 吾こひめやも
 
【口譯】 竹垣の編目からでも、彼の女が見えたならば、吾がこんなに戀ひ慕はうか。
【語釋】 ○あらたまの柵戸《きへ》が竹垣 あらたま〔四字傍点〕は遠江國麁玉郡、今は廢せられて、引佐・濱名・磐田諸郡に編入されたが、和名抄に「遠江國麁玉郡阿良多末、今稱2有玉1」とあるのが是である。柵戸〔二字傍点〕は蝦夷を防ぐ爲に東北地方に設けられた柵《き》に附屬した民戸。孝徳紀に「大化三年造2渟足柵1置2柵戸1、四年治2磐舟柵1以備2蝦夷1、遂選d越與2信濃1之民u、始置2柵戸1」とある柵戸〔二字傍点〕が是である。卷十四の遠江國歌に「阿良多麻能伎倍《アラタマノキヘ》の林に」(三三五三)とも、「伎倍比等《キヘビト》のまだら衾に」(三三四)ともある。あらたまの柵戸が〔八字傍点〕は竹垣〔二字傍点〕の序に置いたのである。
【後記】 代匠記に「竹垣ノ編目ニモ見エナバトハ相見ヌ餘リに云ナリ」といつた如く、逢はれない歎きである。「麁玉の柵戸」は當時世に知られて有名なもので、かく歌の序に用ゐられたものであらう。
 
(138)2531 吾が夫子《せこ》が 其の名|告《の》らじと たまきはる 命は棄てつ 忘れたまふな
 
【口譯】 私の思ふ貴郎のお名前は、決して人に明かすまいと命をかけてをります。どうぞ貴郎も忘れて下さるな。
【語釋】 ○吾が夫子《せこ》が其の名 其の〔二字傍点〕は夫子が〔三字傍点〕を反覆して音數を滿たしたのであつて、なくても意味は同じであるが、反覆した爲に強く聞える。○たまきはる 命〔傍点〕にかゝる枕詞。上の二三七四參照。
【後記】 「其の名告らじとたまきはる命は棄てつ」の解は、代匠記の「タトヒ命ヲ失ナフ程ノ事アリトモ夫ノ名ヲバイハジト思ヒ定タルヲ命ヲ棄ツト云ヘリ。」といふに從つた。新考は「案ずるにこは處女が男の名をいへと親に責問はれてせむ方なきに身を棄てし時の歌ならむ」と解した。「命は棄てつ」と完了形を用ゐてゐるが、必ずしもさう解しなくとも、命はないものと思つてゐるの義にもかく言はれると思ふ。   
 
2532 凡《おほ》ならば 誰が見むとかも ぬば玉の 我が黒髪を 靡けてをらむ
 
【口譯】 並々の思ならば、貴郎より外誰が見る爲にまあ、かう私の黒髪を靡かしてゐませうぞ。
【語釋】 ○凡ならば 原文は「凡者」とあるので、種々の訓方があるが、考に從つておく。○靡けてをらむ(139) 上のかも〔二字傍点〕を受けて反語となる。靡けてをる〔五字傍点〕は黒髪を靡け垂れて其の美しさを示さむといふのであらう。原文は「靡而將居」とあるが、宣長はヌラステヲラムと訓まうと言つた。古義なども之に從つてゐるが、文字通りに訓んで置いた。ヌラスはぬる/\と靡かす意。卷二「たけば奴禮《ヌレ》」(一二三)とある、ヌル(下二段活用自動詞)の他動形である。
【後記】 卷九「君なくばなぞ身装はむ櫛匣《くしげ》なるつげの小櫛も取らむとももはず」(一七七七)とある如く、女は只男の爲に貌づくるといふ意。
 
2533 面《おも》忘れ いかなる人の するものぞ 我はしかねつ 繼ぎてし念《も》へば
 
【口譯】 思ふ人の面を忘れるといふことは、如何《どん》な人のすることであるぞ。私には面忘れは出來ないよ、引切りなしに思ひつゞけてゐるから。
【語釋】 上三句の意は、面忘れするといふことを聞くが、如何なる薄情の人のすることであるぞ、よく出來たものだ、我々には信じられないの義。古義が下二句を「いかで忘れむ忘れむと思へども、つゞきて絶えず思へば、吾は面忘をすることを得知ずとなり。」と解したのは、やゝ強ひてゐる。忘れようと力めたのではなく、只思の強くて忘れる暇がないといふ義だけであ(140)らう。
 
2534 相思はぬ 人の故にか あらたまの 年の緒長く 吾が戀ひをらむ
 
【口譯】 私を思つてもくれない女の爲に、永年の間私は戀ひつゞけることかなあ。
【語釋】 ○人の故にか 略解は「人ナルモノヲヤの意なり」と解してゐる。多くは之に從つてゐるが、たゞ人の爲に〔四字傍点〕と解すべきである。か〔傍点〕は疑問助詞で末句に送つて考へる。考が「をらむものかとなげけり」といつた如くである。○年の緒長く 年の連續をいふ。長くつゞくを緒長く〔三字傍点〕といつたのである。卷三(四六〇)參照。
【後記】 卷十「相思はぬ妹をやもとな菅《すが》の根の長き春日を念ひ暮さむ」(一九三四)と同巧。
 
2535  凡《おほよ》その 行《わざ》とはもはじ 我ゆゑに 人にこちたく 言はれしものを
 
【口譯】 並々のことだと思ひません、貴郎が私の爲に世人に口喧《やかま》しく言はれたのですもの。
【語釋】 ○凡その行とはもはじ 原文は「凡乃行者不念」で、舊訓オホヨソノワザハオモハズとある。從つてこの解を代匠記は「大カタノ人ノツラキワザヲバ思ヒモトガメズ」、考は「夫子《せこ》がしわざの恨むべき事(141)もあれど、こゝはけてもいひ念ふまじきと云へり。」としてある。今は古義の訓義に從つておく。
【後記】 我が爲に名の立つた男は氣の毒ながら、思へばそれだけ深い中よといつた心持。
 
2536 息《いき》の緒に 妹をしもへば 年月の 往くらむ別《わき》も 思ほえぬかも
 
【口譯】 命をかけて彼の女を思つてゐると、年月の過ぎゆくのも分りませんよ。
【語釋】 ○息の緒に 息の緒に〔四字傍点〕思ふとは命をかけて思ふこと。上の二三五九に既出。○往くらむ別《わき》も 別《わき》は區別の義。卷十に「春雨の降る別《わき》知らに」(一九一五)とあつた。
 
2537 たらちねの 母に知らえず 吾が持たる 心はよしゑ 君がまに/\
 
【口譯】 母に知られずに私の懷《いだ》いてゐる心は、えゝまゝよ貴郎の御意どほりになりませう。
【語釋】 ○心はよしゑ よしゑ〔三字傍点〕はよしや〔三字傍点〕の義、よしゑやし〔五字傍点〕ともいふ。卷二(一三一)參照。こゝではえゝまゝよ〔五字傍点〕と譯す。
【後記】 この歌を代匠記には「母にもしらせぬ心は、親のためうけれども、よしさはあれ、わが身は君がまゝになびきしたがはむとなり。」と解し、略解もそれに從つた。古義は中山嚴水の(142)説として「母あれば、此(ノ)身は君によりがたけれど、母にもしらさずしてもたる我が心は、よしやよし、君がまに/\よらむといへるにや。」と言つてゐる。後説がよいと思ふ。即ち母に知られずに持つてゐる(君を戀ふる)心だもの、いつそ君のまに/\ならうと解すべきであらう。卷十三「たらちねの母にも謂はず包めりし心はよしゑ君がまに/\」(三二八五)はもと同歌らしいが、同じやうに解せられる。全身を投げて男による少女の戀である。
 
2538 獨|寢《ぬ》と こも朽ちめやも 綾席《あやむしろ》 緒になるまでに 君をし待たむ
 
【口譯】 一人で寢たとて下敷《したじき》の菰まで腐りはしない。上敷《うはしき》の綾席が磨れて編緒だけになるまで、君の來るのを待ちませう。
【語釋】 ○獨寢と と〔傍点〕はとも〔二字傍点〕の義。○こも 原文「※[くさがんむり/交]」の字を用ゐてあるが、菰・蒋〔二字傍点〕と同じである。考は「※[くさがんむり/交]《こも》は蒋にて中重也、蓆《むしろ》は莚にて上重也」と解した。中重・上重の義に不明な點もあるが、新考が「いにしへは室内も板敷にて床《トコ》即寢處のみ菰・藁などを編みたるを敷き其上によき蓆を敷きしなり。よき蓆は今の疊の表に當り、菰莚の類は今の疊の床に當れり」といふに從ふべきだらう。○綾蓆 代匠記に「藺ヲサマ/”\ニ染テ織テ紋アル蓆ナリ」とある如くであらう。即ち上敷である。
(143)【後記】 「こも朽ちめやも」は下敷だけあれば寢るに差支ないといふ意。されば上敷だけは磨切《すりき》れてしまふまで、獨寢して貴郎の來る時を待つてゐる。即ち何時までも待つといふ心に、綾席の磨切れるまでといふ念力を示した閨怨である。
 
2539 相見ては 千年やいぬる 否《いな》をかも 我やしか思《も》ふ 君待ちがてに
 
【口譯】 お逢ひしてから千年も立つたのか知ら、いやさうではないのか知ら。私がさう思ふのか知ら、あの方を待ちかねてゐるので。
【語釋】 ○否をかも を〔傍点〕は詠歎、か〔傍点〕は疑問、も〔傍点〕は詠歎の助詞。いやさうではなからうかまあ〔いや〜傍点〕の義。○君持ちがてに がて〔二字傍点〕はかつ〔二字傍点〕(下二段活用)の未然形、に〔傍点〕はず〔傍点〕の連用の一形。
【後記】 卷十四「あひみてはちとせやいぬるいなをかもあれやしかもふきみまちがてに」(三四七〇)は全く同歌であつて、其の左註に「柿本朝臣人麿歌集出也」とある。平明な佳作。
 
2540 振分の 髪を短み 若草を 髪にたくらむ 妹をしぞ思ふ
 
【口譯】 振分髪が短いので、春の若草を補《た》して髪として束ね上げてゐる、いたいけな彼の女が思(144)はれてならない。
【語釋】 ○振分の髪を短み 古への童男童女は髪を左右に分けて肩の邊で末《すそ》を切つてゐた。それを振分け髪〔四字傍点〕といふ。上圖參照。○髪にたくらむ たく〔二字傍点〕は卷二に「多氣《タケ》ばぬれ」(一二三)とあるタケであつて、束ね上げる義。髪に〔二字傍点〕は髪として〔四字傍点〕の義。
【後記】 考は「いときなき女の兒の長き髪をうらやみて、かづら草と名づけて、わかく長き草をおのが髪にゆひそへなどすること今もあり。」と言つてゐる。童女の遊び事であらうが、野趣の中の可憐さである。
 
2541 たもとほり ゆきみの里に 妹を置きて 心空なり 士は踏めども
 
(145)【口譯】 ゆきみの里に彼の女をおいて來て、心は上《うは》の空になつてゐるよ、足は地面を蹈んではゐるが。
【語釋】 ○たもとほり 原文に「徊徘」とある如くあちこち歩き回ること。ゆき〔二字傍点〕につゞく枕詞。○ゆきみの里に 原文は「往箕之里爾」とある。地名であらうが、所在が不明である。妹を行き見る〔四字傍点〕の義に響いて聞える。○心空なり 心がうか/\と拔け出てゐる貌。
【後記】 卷十二「吾妹子が夜戸出のすがた見てしより心空なり地《つち》は踐めども」(二九五〇)・「立ちてゐてたどきを知らに吾が心天つ空なり土はふめども」(二八八七)とある。
 
2542 若草の 新手枕《にひたまくら》を まきそめて 夜をや隔てむ 憎くあらなくに
 
【口譯】 新しく手枕をして寢はじめてから、一夜も會はないではゐられようか、憎くはないのだから。
【語釋】 ○若草の 新《にひ》につゞく枕詞。○まきそめて まき〔二字傍点〕は枕する義の動詞。○夜をや隔てむ 逢はない夜を間に置くのを夜を隔つ〔四字傍点〕といふ。夜を隔てようか隔てはせじといふ反語表現。○憎くあらなくに 原文には「二八十一不在國」とある。八十一〔三字傍点〕をククと訓ぜさせるのは乘算の九九を用ゐた戯書であつて、卷三「十六《シシ》」(二三九)と同じ用字法である。
 
(146)2543 吾が戀ひし 事も語らひ 慰めむ 君が使を 待ちやかねてむ
 
【口譯】 私が戀ひ焦がれたことだけでも話して、自ら心を慰めようと思ふ、そのお方の使を待つてゐるが、それも待つても無駄でせうよ。
【語釋】 ○慰めむ む〔傍点〕は連體であつて、君が使〔三字傍点〕へつゞく。
【後記】 句を切らずに一氣に言下し、而も漸疊して行つた所に迫つた心持が出てゐる。
 
2544 現《うつつ》には 逢ふよしもなし 夢にだに 間なく見え君 戀ひに死ぬべし
 
【口譯】 現実には逢ふ手立《てだて》はない。夢にだけでも絶えず見えて下さいねえ貴郎、私は焦がれ死にしさうですもの。
【語釋】 ○間なく見え君 原文は「間無見君」であつて、舊訓のマナクミムキミでも通ずるが、今古義に從つた。見え〔二字傍点〕はよ〔傍点〕がなくても命令に用ゐられる。略解には「宣長云、マナクミエコソと有るべき歌なり。君は誤字なるべしと言へり。」とある。改字せずとも古義のやうに訓めば同義となる。
【後記】 卷五「現にはあふよしもなしぬば玉の夜の夢にを繼ぎて見えこそ」(八〇七)とあるのはこ(147)の歌を模したものであらう。
 
2545 誰《た》そ彼《かれ》と 問はば答へむ すべをなみ 君が使を 返しつるかも
 
【口譯】 誰であるかあの人はと家人が聞いたら答へやうがないので、止《と》めておきたい君の使を返してしまひましたよ。
【後記】 つゝむ戀は事毎に不安を覺えるといふ心持。
 
2546 思はぬに 到らば妹が うれしみと 笑《ゑ》まむ眉引《まよび》き おもほゆるかも
 
【口譯】 思ひがけない時に往つたならば、彼の女が嬉しさに笑ふ眉つきが思はれるよ。
【語釋】 ○眉引《まよび》き 眉の恰好をいふ。こゝはすぐ眼付と譯してもよい。
【後記】 上の「待つらむに到らば妹が嬉しみと」(二五二六)と同想である。こゝの歌もかの歌のやうに「往きて早見む」の意をもつてゐるであらう。
 
2547 かくばかり 戀ひむものぞと 念はねば 妹が袂を 纒《ま》かぬ夜もありき
 
(148)【口譯】 これ程に戀しく思ふものだとかねては念はなかつたから、彼の女の袂を枕にしない(往つて寢ない)夜もあつたよ。
【後記】 略解に「故ありて別れて後詠めるなり。」といつてゐるが、事情があつて暫く逢はれない時の歌とすべきであらう。容易く逢はれるうちは夜を隔てたこともあるが、かうして離れてゐると思はいよ/\強くなつて、かつての夜がれをよく出來たものだと今更怪しむ心持である。會はない夜のあつたのを悔しく思ふと解するのが通説であるが、如何であらう。
 
2548 斯くだにも 吾は戀ひなむ 玉梓の 君が使を 待ちやかねてむ
 
【口譯】 かうだけでもして私は戀ひてゐませう。それといふのはせめて貴郎の使でもと待つてゐるのだが、それも無駄でせうかなあ。
【語釋】 ○かくだにも かうだけでもの義。○吾は戀ひなむ このなむ〔二字傍点〕を代匠記以來たゞの未來完了ではなく祈《の》む義であると解してゐるが、自分は取らない。契沖の例に引いた卷三坂上郎女祭神歌の本歌の祈奈牟〔三字傍点〕、反歌の乞嘗〔二字傍点〕は皆祈〔傍点〕とか乞〔傍点〕とかが祈る義を表してゐるのであつて、なむ〔二字傍点〕は只自らの意志を表したに過ぎない。さてかうだけでも私は戀ひませうといふのは、君に會ふことは出來ないから、せめて君の使でも來(149)よかしと戀ひようと、下句の意を含ませたものである。○玉梓の 使〔傍点〕に冠する枕詞。既出。○待ちやかねてむ や〔傍点〕は疑問の詠歎。戀ひる効《かひ》もなく其の使さへ待ち難いであらうかなあといふ義。
【後記】 この歌は前人の註釋があまり凝り過ぎて、却つて難解にした感がある。「なむ」などは普通の助動詞に解すべきであつて、之を戀ひ祈る〔四字傍点〕とした爲に歌に、何ほどの補ひがあるであらうか。この歌の下句は、上の「吾が戀ひしことも語らひ」(二五四三)と同じである。
 
2549 妹にこひ 吾が泣く涙 しきたへの 木枕《こまくら》とほり 袖さへ沾れぬ 【或る本の歌に云はく 枕とほりて まけば寒しも】
 
【口譯】 彼の女を戀しく思つて、私が泣く涙は木枕をとほり越えて、袖までが濡れた。(或本の歌に「枕をとほつて、枕にするとつめたいよ。」)
【語釋】 ○しきたへの 枕〔傍点〕とつゞく枕詞。既出。○木枕とほり 原文は流布本には「木枕通而」とあり、考は木〔傍点〕は之〔傍点〕の誤として、上の句につけた。略解・古義・新考等はこれに從つてゐる。今新訓の採つた嘉暦本の木枕通〔三字傍点〕に據つた。木枕〔二字傍点〕は卷二「家に來て吾が屋を見れば玉床の外に向きけり妹が木枕〔二字傍点〕」(二一六)、下に「結へる紐解かむ日遠み敷妙の吾が木枕〔二字傍点〕は苔むしにけり」とある。木の枕であらう。○まけば寒しも まけば〔三字傍点〕(150)は纏へば〔三字傍点〕、又は枕すれば〔四字傍点〕といふ義。
【後記】 古義は「註に、或本歌云枕通而卷者寒母、これは用ふべからず、尾句穩ならざればなり。」と言つたが、必ずしもさうではない。本歌はやゝ誇張だけに止まるが、一本の「まけば寒しもの方が實感的である。
 
2550 立ちておもひ 居てもぞ念ふ 紅《くれなゐ》の 赤裳裾びき 去《い》にし姿を
 
【口譯】 立つても居ても戀しくて忘れられない、紅い赤裳の裾を引いて歩み去つた彼の女の姿が。
【語釋】 ○立ちておもひ居てもぞ念ふ 事毎に念ひ續けるのを云ふ。卷三「昼はも日のことごと、夜《よる》はも夜《よ》のことごと、立ちて居て〔五字傍点〕思ひぞ吾がする、逢はぬ兒ゆゑに」(三七二)の如く立ちて居て〔五字傍点〕思ふともいひ、卷四「三埼みのあり磯によする五百重浪立ちても居ても〔七字傍点〕我が念へる君」(五六八)の如く立ちても居ても〔七字傍点〕思ふともいふ語は集中に多い。○紅の赤裳裾びき 赤裳〔二字傍点〕は赤い裳、裳〔傍点〕は古昔腰部より下に著る衣の稱。
【後記】 「赤裳裾びき」は原文「赤裳下引》とあるが、源氏物語眞木柱の卷にはこの歌を引いて、「あかもたれ引きいにし姿を〔あか〜傍点〕と、にくげなるふることなれど、御ことぐさになりてなむ、ながめさせ給ひける。」とある。代匠記初稿本は「下引を昔はたれひきとよみけるか、式部が空に(151)おぼえてたがへける歟」と言つたが、精撰本に、他處の同例を引いて「サレド今ノ點ヨケレバ他ヲ取ラズ」と言つたのに從ふべきである。卷五「久禮奈爲能安可毛須蘇毘伎《クレナヰノアカモスソビキ》」(八〇四)、卷九「紅赤裳數十引《クレナヰノアカモスソビキ》」(一七四二)とある。
 
2551 思ふにし 餘りにしかば 術《すべ》をなみ 出でてぞ行きし その門を見に
 
【口譯】 彼の女を思ふのに思ひ餘つたから、しやうがなさにとう/\出て行つたよ、彼の女の門を見に。
【後記】 上に「念ふにし餘りにしかば鳰鳥の足濡れ來しを人見けむかも」(二四九二)、卷十二に「思ふにし餘りにしかば術を無み吾は言ひてき忌むべきものを」(二九四七)などの似たものがある。「其の門を見に」といふのは、行くべき時刻ならざるに行つたといふのか、會はれないながら門まで行つて見たといふのか。多くの註釋がこの歌は意の明かな歌として過ぎてゐるが考へれば不明である。前の義とした方が待つに待たれない情の強さが出てよいであらう。
 
2552 心には 千重《ちへ》しく/\に 念へども 使をやらむ すべの知らなく
 
(152)【口譯】 心中には頻りに戀しくてたまらないけれども、この思を傳へる爲に使をどうしてやつたらよいか、やる術《すべ》が分らないよ。
【語釋】 ○千重しく/\に 原文は「千遍敷及」で、舊訓はチヘニシクシクとあるが、姑らく上の「五百重浪《イホヘナミ》、千罷敷敷《チヘシクシクニ》」(二四三七)を訓んだのに準ずる。略解はチタビシクシクと訓んでゐるが、上の例に從つた方が妥當であらう。○使をやらむすべの知らなく 人に知られないやうに使をやることの困難を言つたものであらう、
 
2553 夢《いめ》のみに 見てすらこゝだ 戀ふる吾は 現《うつゝ》に見ては まして如何にあらむ
 
【口譯】 夢ばかれで見てゐてさへ、この位強く戀ひる私が、若し實際に彼の女に逢つたら、ましてどんな強い思になるだらうよ。
【語釋】 ○夢のみに 原文は「夢耳」とあるので舊訓はユメニノミとあるが、ユメはイメといふのが古形、ノミニと訓むことは、上の「さねかづら後も逢はむと」(二四七九)の條に言つた如くである。
【後記】 「あひ見ての後の心にくらぶれば」を己に豫想したるもの。
 
(153)2554 相見ては 面隱さるゝ ものからに つぎて見まくの ほしき君かも
 
【口譯】 お目にかゝると顔を隱したくなるのだのに、引きつゞいてお目にかゝりたく思ふ貴郎ですわよ。
【語釋】 ○相見ては 原文は「對面者」で、舊訓ムカヘレバとあり、考はアヒミレバと改めたが、今古義に從ふ。新考は面〔傍点〕を而〔傍点〕の誤としてムカヒテハと訓んでゐる。改字は出來るだけ避けた方がよいが、原文のまゝでさうも訓まれる。○ものからに ものながらに〔六字傍点〕でものだのに〔五字傍点〕と逆接する語。
【後記】 女の初心《うぶ》な心持であらう。
 
2555 朝戸《あさと》を 早くなあけそ あぢさはふ 目がほる君が こよひ來ませる
 
【口譯】 朝の戸を早くあけるなよ。逢ひたいと思ふ彼のお方が、今夜は來て入らつしやるよ。
【語釋】 ○朝戸を 原文は「旦戸遣乎」で、舊訓アサトヤリヲと訓んで、註は多く朝の遣戸を〔五字傍点〕の義としてゐる。新考は遣〔傍点〕の字は傍書の誤入したのであつて、アサトヲ又はアサノトヲと讀むべきかと言つてゐる。新訓は嘉暦本の「旦戸乎」とあるのに由つてアサトヲとした。今それに從つた。○あぢさはふ 目〔傍点〕とつゞく枕詞。味鴨が多く群れて飛ぶ義を以て、むれ〔二字傍点〕の約め〔傍点〕につゞいたものであらうと云ふ。卷二「味さはふ目〔傍点〕こ(154)とも絶えぬ」(一九六)、卷六「あぢさはふ妹が目〔傍点〕かれて」(九四二)などいふ例がある。集中に於けるこの語は皆「味澤相」と書かれてゐるが、古義はウマサハフと訓み、うまし〔三字傍点〕粟生《アハフ》の約、目〔傍点〕とかゝるのは群生《むらばえ》の義であらう(ムラの約マ、ハエの約ヘであつて、其のマヘを約めるとメとなる)と言つてゐるが、今通説に從ふ。○目がほる君 原文は「目之乏流君」で、舊訓メノホルキミとある。考はメガボルキミガ、宣長は流〔傍点〕は視〔傍点〕の誤としてメヅラシキキミ、古義は更にメヅラシキミガと訓んだが、字に就くと何れも妥當とは言はれない。今はメガホルキミガと訓んで、見がほし君が〔六字傍点〕と同義と見た。代匠記は「目之乏流君トハ見ル事ノホシキ君ナリ。乏ヲホルトヨメルハトモシキ物ハ欲《ホシ》キ故ナリ」と解してある。猶考ふべきものである。
【後記】 待ちに待つた男の久しぶりに來たのを、少しでも長く止置きたいといふ女の歌である。
 
2556 玉垂《たまだれ》の 小簾《をす》のたれすを ゆきがてに 寢《い》はなさずとも 君は通はせ
 
【口譯】 小さい簾を通りかねて、たとひ寢る間はないにしても、貴郎は通つて來て下さいませ。
【語釋】 ○玉垂の 緒《を》とつゞく枕詞。○小簾のたれすを 小さいすだれを〔七字傍点〕の義。只玉垂の〔三字傍点〕は小簾〔二字傍点〕のを〔傍点〕を導いたのみならず、その垂〔傍点〕は更にたれす〔三字傍点〕に於て音を反覆させ、しかもをすのたれす〔六字傍点〕とす〔傍点〕をも反覆させた語調の文《あや》である。たれす〔三字傍点〕は今いふすだれ〔三字傍点〕である。○ゆきがてに 原文は「往褐」とあり、難訓である。舊訓はユキカチニとあるが、代匠記はユキガテニと訓んだ。考は持掲《もちかゝげ》の誤とし、古義は引掲《ひきあげて》の誤ならむとした。今(155)代匠記の訓に從ひ、「往ガテニハ來ガテニノ意ナリ。來ルヲ往ト云コト。上ニ度々云カ如シ。」といふ釋に從つておく。○寢はなさずとも 原文は「寢者不眠友」とあつて、舊訓はイヲバネネドモ、考はイヲハネズトモと訓んだが、今略解に從つた。い〔傍点〕は寢る〔二字傍点〕ことの名詞、なさず〔三字傍点〕は寢《ぬ》の未然形な〔傍点〕にす〔傍点〕の崇敬助動詞がつき、更にそれを打消したのである。寢なさらず〔五字傍点〕の義。卷五「やすいしなさぬ」(八〇二)參照。こゝは簾を通りかねてたとひ寢なさる間がなかつたとしても、私を思ふ心があるなら通つて來てくれといふ意であらうか。
 
2557 たらちねの 母にまをさば 君も吾も あふとはなしに 年ぞ經ぬべき
 
【口譯】 母上にこの事を打明けたならば、貴郎も私もあふことが出來ずに、年を過すことになりませうよ。
【後記】 上に「たらちねの母にさはらば」(二五一七)といふ同型の歌があつた。
 
2558 愛《うつく》しと 思へりけらし な忘れと 結びし紐の 解くらく念《も》へば
 
【口譯】 彼の女は私を戀しいと思つてゐるらしいよ、忘れてくれるなと言つて結んでくれたこの下紐が自《おの》づと解けるのを思ふと。
(156)【語釋】 ○愛《うつく》し いつくし〔四字傍点〕ともいふ。いとしい〔四字傍点〕の義。○思へりけらし 思へり〔三字傍点〕は思つてゐる、けらし〔八字傍点〕はけるらし〔四字傍点〕で過去の推量であるが、こゝは強めの爲にけらし〔三字傍点〕を用ゐたので、時は現在である。○な忘れ な忘れそ〔四字傍点〕と同じ。下のそ〔傍点〕を省く例は多い。○解くらく 解くる〔三字傍点〕の名詞形、解けるの〔四字傍点〕の義。
【後記】 考が「是は旅に在てよめる歌にて……」と解した如くであらう。卷十二「白妙の君が下紐吾さへに今日むすびてな逢はむ日の爲」(三一八一)とあるのは別れに臨んで、女が男の下紐を結び、かつ自らのも結ぶといふのである。同卷「吾妹子が吾《あ》をしぬぶらし草枕旅のまろ寢に下紐とけぬ」(三一四五)はこゝの歌と同想であつて、人に思はれると下紐の自《おの》づと解けるといふ俗信は、かの嚔《くさめ》をするとか、眉が痒いとかいふ思想と共に、集中には多い型である。
 
2559 昨日見て 今日こそ隔て 吾妹子が こゝだく繼ぎて 見まくほりすも
 
【口譯】 昨日會つて、たゞ今日だけ隔たつたのに、かの女がしきりに打ちつゞいて見たいとはなあ。
【語釋】 ○今日こそ隔て 原文は「今日社間」で舊訓はケフコソアヒダとあるが、間〔傍点〕は卷七「目間心間哉《メハヘダツレドココロヘダテメヤ》」(一二一〇)と用ゐられてゐる。こゝは自動詞四段活用と見るべきである。卷五「白雲の千重の邊多(157)天留《ヘダテル》つくしの國は」(八六六)の用語が是である。○見まくほりすも 原文は「見卷欲毛」とあつて、舊訓はミマクホシカモ、古義は、ミマクシホシモと訓んでゐるが、試みに改訓して見た。
【後記】 一日の問も待ちきれないといふ男の心を詠んだ歌。
 
2560 人もなき 舊りにし郷に ある人を めぐくや君が 戀ひに死なする
 
【口譯】 人も住まないさびれた郷《さと》にゐるこの私を、かはいさうにも貴郎は戀ひ死にに死なせようとなさるのか。
【語釋】 ○舊りにし郷に 古々しく荒靡した郷をいふ。下に「大原のふりにし郷に妹を置きて」(二五八七)などいふも同じ。○ある人を ゐる私を〔四字傍点〕の義。○めぐくや めぐく〔三字傍点〕はめぐし〔三字傍点〕といふ形容詞の連用形。卷五の「妻子《めこ》見れば米具斯《メグシ》うつくし」(八〇〇)のめぐし〔三字傍点〕であつて、意はうつくし〔四字傍点〕と同じく愛らしい〔四字傍点〕といふこと、更にかはいさうな〔六字傍点〕といふ義ともなる。や〔傍点〕は疑問助詞であつて、下の死なする〔四字傍点〕に及ぶ。かはいさうに戀ひに死なせるのかといふこと。
【後記】 都離れた淋しい里に、とだえた男を待つ閨怨。郷の淋しさに一層の哀愁を覺え、「戀ひに死なする」といふ句に悶えの強さを出してゐる。
 
(158)2561 人ごとの 繁き間《ま》もりて 逢へりとも やへ吾が上に 言のしげけむ
 
【口譯】 世の人の口喧ましい隙を窺つて、貴郎に逢つたとしても、いよ/\私の身には評判がひどくなるでせうよ。
【語釋】 ○繁き間もりて 間〔傍点〕は隙〔傍点〕のこと、もりて〔三字傍点〕は見つめて〔四字傍点〕又はねらつて〔四字傍点〕の義。○やへ 原文に「八反」とあつて、古義は反〔傍点〕を多〔傍点〕と改めてハタと訓み、新考も之に從ひ、新訓はそのまゝハタと訓んでゐるが、改字も如何であり、反〔傍点〕をタと訓むのも無理であるから、姑らく舊訓に從つて、いやが上に〔五字傍点〕の義と取つておいた。
【後記】 「八反」の訓及び義はやはり疑問であつて、上の句と下の句との承應が不徹底に殘されてゐる。
 
2562 里人の 言よせ妻を 荒垣の よそにや吾が見む 憎からなくに
 
【口譯】 村の人々が私に言ひよせて評判してゐる女を、よそにのみ私は見てゐなければならないか、實際にくゝないあの子だのになあ。
【語釋】 ○言よせ妻を 下に「名にのみよせしこもり妻はも」(二七〇八)とある。言よせ〔三字傍点〕はいひよせる〔五字傍点〕といふ(159)義で、關係づけていふこと。○荒垣の 枕詞。よそ〔二字傍点〕にかゝる。目の麁い垣のことであらう。垣〔傍点〕を隔てる意からよそ〔二字傍点〕にかけたのである。新考は荒〔傍点〕は葦〔傍点〕又は蘆〔傍点〕の誤であらうとしてアシガキノと訓んでゐるが、垣〔傍点〕に主意を置いて見ることであるから、必ずしも改めるには及ぶまい。○憎からなくに 憎くあらぬのに〔七字傍点〕の詠歎表現。
【後記】 人の言騷ぐのを咎め顔に言起して、而も實は憎くないあの子だのにと言ひをさめた所に、輕い齟齬を見せてゐて却つて面白い。
 
2563 人目もる 君がまに/\ 我さへに 早く起きつゝ 裳の裾ぬれぬ
 
【口譯】 人目を注意しつゝ出て行く貴郎と一しよに、私までが早く起きて送り出して、朝露に裳の裾を濡らしましたよ。
【語釋】 ○人目もる もる〔二字傍点〕は見つめて〔四字傍点〕又はねらつて〔四字傍点〕の義、二五六一參照。
【後記】 上の旋頭歌「朝戸出の君が足結を濡らす露はら早く起き出でつゝ吾も裳裾ぬらさな」(二三五七)と同趣である。
 
(160)2564 ぬばたまの 妹が黒髪 今宵もか 吾がなき床に 靡けて寢《ぬ》らむ
 
【口譯】 彼の女はその黒髪を、今夜はまあ、自分のゐない床に、靡かせて寢てゐることであらうか。
【語釋】 ○ぬばたまの 枕詞、妹が〔二字傍点〕を隔てて下の黒髪〔二字傍点〕にかゝる。○今宵もか も〔傍点〕は詠歎、か〔傍点〕は疑問の助詞。
【後記】 自分の寂しみと共に女の心をも思ひやつた男の歌。
 
2565 花ぐはし 葦垣越しに たゞ一目 相見し兒ゆゑ 千たび嘆きつ
 
【口譯】 葦の垣根ごしに、唯一目見たばかりの彼の女の爲に、千度もため息を吐《つ》く戀に陷つたよ。
【語釋】 ○花ぐはし 枕詞、古義は「此は多くの句を隔て、第四句の兒〔傍点〕といふへかゝりて、女の美貌を花細《ハナグハシ》とほめたるものにてもあらむかと、松本弘蔭云り、猶考べし。」といつたが、やはり代匠記の「允恭紀ニ天皇御歌云、波那具波辭《ハナグハシ》、佐區羅能梅涅《サクラノメヂ》云々。此御歌ノ發句ト同ジ。橘ヲ香細《カグハシ》ト云如ク葦花ノ白クウルハシキヲホムル意ニ云ヘリ」といふ如くであらう。
【後記】 考が「人の家の花を垣ごしに見てうるはしむに譬て、妹を物ごしに一目見たるを云也」(161)と解し、略解がそのまゝ從つたのは初二句を譬喩と見たのであるが、それは萬葉句法の意を得てゐないものである。
 
2566 色に出でて 戀ひば人見て 知りぬべみ 心の中の こもり妻はも
 
【口譯】 顔色に出して戀ひ焦がれたならば、他人が見てそれと知らうから、只心中に隱してゐる内密の妻よなあ。
【語釋】 ○知りぬべみ 原文は「應知」で舊訓シリヌベシとあるが、今略解に從つた。べみ〔二字傍点〕はべし〔二字傍点〕の語幹にみ〔傍点〕を添へたものであつて、知りぬべきので〔七字傍点〕といふ義。○こもり妻 原文「隱妻」とあつて、シヌビヅマと訓んだものもあるが、隱〔傍点〕の字はコモルと訓むのが普通であり、卷十九に「己母利豆麻《コモリヅマ》」(四一四八)といふ語があるから、舊訓のまゝに從つた。かくし妻〔四字傍点〕の義。○はも 詠歎の助詞、隔たつてゐる妻を思つた歎きである。
【後記】 忍ぶ戀の普通にある型である。
 
2567 相見ては 戀慰むと 人は言へど 見て後にぞも 戀ひまさりける
 
【口譯】 逢つて見ると、戀の心が慰むといふはなしだが、私は逢つた後の方が戀の心が強くなつ(162)たよ。
【語釋】 ○見て後にぞも ぞも〔二字傍点〕を略解はもぞ〔二字傍点〕の誤だらうといひ、古義は從つたが、改めるには及ばない。ぞ〔傍点〕と係けた後に、詠歎のも〔傍点〕を添へたのである。卷十に「萩が花ぞも〔二字傍点〕未だ咲かずける」(二一二三)とある。
【後記】 上に「なか/\に見ざりしよりは相見ては戀しき心ましておもほゆ」(二三九二)とあり、逢うていや益す戀の類型。
 
2568 おほろかに 吾し思はば かくばかり 難き御門を まかり出でめやも
 
【口譯】 なみ大抵に私が貴女を思つてゐるならば、これほどに嚴重な御門を拔け出して來ませうか。
【語釋】 ○おほろかに 原文は「凡」とのみあつて、舊訓はオホヨソニ、略解はオホカタニと訓ませたが、今古義に從つた。卷二十「於煩呂加爾《オホロカニ》こゝろ思ひて」(四四六五)とあり、卷六「凡可爾おもひて行くな」(九七四)とある凡可〔二字傍点〕がオホロカと訓むことは動かぬであらう。なみ大抵に〔五字傍点〕といふ副詞。卷六(九七四)參照。○難き御門を 出入の嚴重な宮門を。
【後記】 略解に「カタキミカドは禁裏の御門の出入り安からぬを言ふ。とのゐなどする人の、忍(163)びて妹がり行きたるなり。」と解した如くであらう。上代の戀にはこんな事もあつたのであらう。
 
2569 思ふらむ 其の人なれや ぬば玉の夜ごとに君が 夢にし見ゆる【或本の歌に云はく 夜昼《よるひる》と云はず吾が 戀ひわたる】
 
【口譯】 私を思つてゐるであらう其の人であればか、夜毎にあのお方が夢に見えるよ。(或本の歌には、「夜昼の別なく私が戀ひつゞけるよ。」)
【語釋】 ○思ふらむ 原文は「將念」で、舊訓オモヒケムとあるが、將〔傍点〕字のみをケムと過去にするのは無理のやうであるから、略解に從つた。私を思つてゐるだらうの義。○其の人なれや 其の人〔三字傍点〕はその男を指す。なれや〔三字傍点〕はなればや〔四字傍点〕である。このや〔傍点〕は見ゆる〔三字傍点〕で承けてゐる。私の方を思つてゐてくれるだらう其の人であるかして、あのお方が私の夢に夜毎に入り來るよといふ義である。○或本の歌 夜昼と云はず吾が戀ひわたる〔夜〜傍点〕は末二句の異傳であるが、私の方を思つてゐてくれるだらう其の人であるかして、不思議に私の心にも夜昼なしに戀しく思はれてならないといふ義であらう。本文の方がよいやうである。
【後記】 この歌の上二句は古來訓義が不定である。代匠記は舊訓に從つて、「我思ヒケム其人ナレ(164)バニヤ、夜毎ニ君ガ夢ニ見ユルトナリ」と解した。これは已述の如くオモヒケムといふ訓方に難がある。考はオモヒナムソノヒトナルヤと訓じて、「あひ念はん人なるやは、思ふべき人とも無きにとかへるなり」と解した。オモヒナムはよいとしてもソノヒトナルヤと訓じて之を反語にするのは無理のやうである。略解はオモフラムソノヒトナレヤと訓じながら、解釋は考をそのまゝ踏んでゐる。古義も之に從つてゐる。しかしソノヒトナレヤは普通其の人なればにや〔八字傍点〕と解すべきは代匠記の解の如くである。而もこのや〔傍点〕は夢にし見ゆる〔六字傍点〕に應ずる格調であつて、反語としてそこで切つて了ふのではないからである。新考は同じく反語として更に其の人〔三字傍点〕は「第三者なり、相手の男にあらず」とし、「私ハアナタガ御念ニナル其人デハゴザイマスマイニ」と口譯してゐる。自分はこれを反語とするのは無理と思ふから上の如く解いて見た。而してオモフラムは新考の如く男の自分(女)を念ふことに取り、其の人〔三字傍点〕はやはり舊説の如く男のこととしたのである。
 
2570 かくのみし 戀ひば死ぬべし たらちねの 母にも告げつ やまず通はせ
 
【口譯】 こんなにばかり戀ひ焦がれてゐたならば、焦がれ死にに死んでしまふでせう。母にまで(165)この事はうち明けましたことではあり、絶間なく通つて來て下さいませ。
【語釋】 ○かくのみし 原文は「如是耳」で、舊訓はカクシノミと訓じた。シは強めの助詞で何處にも入り得るだらうが、今は卷九「如是耳志《カクノミシ》」」(一七六九)、卷十三「如是耳師《カクノミシ》」(三二五九)によつておいた。○戀ひば死ぬべし 原文は「戀者可死」で、舊訓コヒバシヌベシとある。略解がシヌベミと改めて以來、多く之に從ふが、自分は姑らく舊訓に從つた。シヌベミといふと條件句になつて次のたらちねの母にも告げつ〔た〜傍点〕に直接するやうになつて、戀ひ死なうから母にも告げたとやうになつて、意義上如何かと思ふ。自分は初二句は結句に對するものであつて、三・四句は結句の副詞句と考へたいからである。但しさう考へても必ずしもシヌベミと言はれないこともないが、シヌベシと切つても意義は十分接續する。○通はせ せ〔傍点〕は崇敬助動詞す〔傍点〕の命令形。
【後記】 これは續きあひの疑はしい歌である。略解のやうに「戀ひも死ぬべければ、母にも告げたり」といふのか、又は戀ひ死ぬべければ、やまず通はせといふのか。自分はむしろ後の方に考へて、「母にも告げつ」は「やまず通はせ」に對して副詞的の意味をなすものと取つて見た。
 
2571 丈夫《ますらを》は 友のさわぎに なぐさもる 心もあらむ 我ぞ苦しき
 
(166)【口譯】 殿方は友だちと交際してゐるのに紛れて心を慰めることも出來ようが、獨り物を思つてゐる女の身は堪へきれませぬ。
【語釋】 ○友のさわぎに 原文は「友之驂爾」で、古訓トモノソメキニとある。卷七に「おきつ波驂乎聞者〔四字傍点〕」(一一八四)とあるのは其の舊訓のやうにサワグヲキケバと訓むのが妥當らしいから、こゝもそれに從ふことにする。代匠記は初稿本に於て「驂、倉含切、驂馬也。そめきとよむべきやういまだかんがへず、驟をあやまれる歟。驟奔也、もし騷歟、騷動也。」、精撰本に於て「驂ハ此歌ニテハ昔ヨリソメキトヨメル歟。袖中抄ニモ今ノ點ト同ジク見エタリ。サレド他處ニハサワグト讀タレバ今モ然讀ベキカ。ソメキト云詞ハ古語ニ見及バザレバ新語ナルベシ。」と言つた。○なぐさもる なぐさむるである。原文は「名草溢」で、舊訓ナグサミチとあるが、卷四・卷九・卷十二に「名草漏」とあると同じくナグサモルと訓むべきである。下にも「名草漏〔三字傍点〕こゝろはなしに」(二五九六)とある。古義は卷四(五〇九)に於て、漏〔傍点〕はムルに借りたので、ナグサムルと訓むのがよいと言つてゐるが、姑らく通説に從つておく。勿論ナグサモルはナゲサムルの變音と見る。
【後記】 如何にも女らしい歌である。上四句を男の事に費して、それに對する自分の事を一句で表してゐるあたりは、女のつゝましさ而も迫つた情が見えてよい。
 
2572 いつはりも 似つきでぞする いつよりか 見ぬ人戀ふに 人の死にせし
 
(167)【口譯】 嘘をいふにも事實らしくおつしやるものです。何時の世からか、逢つたこともない人に戀をして死んだ例《ためし》がありますか。
【語釋】 ○似つきてぞする 似寄つてするといふので、嘘も事實らしく言ふものだの義。○いつよりか 原文は「何時從鹿」で舊訓イツクニカとあるが、六帖にイツヨリカとあるに從ふべきである。
【後記】 「貴女に戀ひ焦がれて焦がれ死にしさうだ」など口にばかり言ひながら輕薄である男をきめつけた女の歌である。初二句といひ、それに次いだ末三句といひ、日常語をそのまゝ連ねたやうに如何にも自然に、それだけよく情が躍動してゐる。卷四に「僞も似つきてぞするうつしくもまこと吾妹子吾に戀ひめや」(七七一)とあるのは同巧。
 
2573 心さへ まつれる君に 何をかも 言はずいひしと 吾がぬすまはむ
 
【口譯】 我が身のみならず心まで差上げた貴郎に、何をまあ言はないで言つたなど、私が僞りませうか、決して僞りはいたしませぬ。
【語釋】 ○まつれる君に 原文は「奉有君爾」で舊訓マタセルキミニとあるが、古義のやうにマツレルの方が妥當である。差上げる義。○言はずいひしと 原文は「不云言此跡」で、考はイハデイヒシト、略解は(168)イハズテイヒシトと訓んだが、考のイハデは古格でないし、略解のイハズテは字餘りで調がわるい。舊訓のままでも其の義となるからそれに從ふ。この意義は代匠記が「云ヒタルコトヲ云ハズト云ヒ、云ハヌ事ヲ云ヒタリト」と解した如くであらう。○吾がぬすまはむ ぬすまはむ〔五字傍点〕はぬすむ〔三字傍点〕といふ動作の持續を表すぬすまふ〔四字傍点〕にむ〔傍点〕の附いた形。ぬすむ〔三字傍点〕は僞ると同義。この句は三句何をかも〔四字傍点〕を承けて反語となる。
【後記】 下句の意味が一見曖昧なので、考が已に疑をもち、略解は「此四の句は如何なる故有りて斯くは訓めるにか、知るべき由無し。」 と言つたけれども、代匠記の解の如く考へれば、只僞をば言はないといふ女の誓言と取れる。それが妥當であらう。我が心を貴郎に與へたることなれば、その心の如何でか貴郎を欺くことをえせんやといふ表現が珍しいのである。
 
2574 面忘れ だにもえすやと 手握《たにぎ》りて 打てども懲りず 戀の奴《やつこ》は
 
【口譯】 あの方の面《かほ》を忘れることでも出來るかと、拳を握つて打つて見るが、平氣なものよ戀といふ奴《やつ》は。
【語釋】 ○だにもえすやと だにも〔三字傍点〕はだけでもせめて〔七字傍点〕の義。えすや〔三字傍点〕のえ〔傍点〕は可能を表す副詞、す〔傍点〕は爲《す》るの終止形、や〔傍点〕は疑問助詞。卷十二に 「旅寢えせめや」(三一五二)とある。○手握りて 手を把りてである。タニギ(169)リテと訓む。卷五に「さつ弓を多爾伎利《タニギリ》持ちて」(八〇四)とある。○打てども懲りず 原文は「雖打不寒」であるが、西本願寺本などには寒〔傍点〕を塞〔傍点〕に作つてあるので、代匠記はサハラズと讀むべきかといひ、古義はサヤラズとしたが、姑らく舊訓に從ふ。寒〔傍点〕は凝る〔二字傍点〕から懲る〔二字傍点〕に假借したのである。戀の奴〔三字傍点〕は戀を人格視した罵稱。卷十二(二九〇七)等に同語がある。
【後記】 輕い戯笑を弄んだ作。
 
2575 めづらしき 君を見むとぞ 左手の 弓執る方の 眉根かきつれ
 
【口譯】 珍しい貴郎にお目に掛らうといふ前兆に、左手の弓をもつ方の眉が痒くなつて掻きましたよ。
【語釋】 ○めづらしき 原文は「希將見」で舊訓マレニミムとある。考はメヅラシト、略解はメヅラシキと改めた。下に「益希將見裳」(二六二三)をイヤメヅラシモと訓むのが妥當らしいので、こゝは略解に從ふのが最もよく通ずる。○君を見むとぞ 原文は「君乎見常衣」であるが、結句のツレに應じないから、代匠記は常〔傍点〕の下に己〔傍点〕を脱したので、キミヲミムトコソかといひ、略解は結句の禮〔傍点〕は類〔傍点〕の誤かといひ、久老の信濃浸録はキミヲミトコソと訓み、古義は乎〔傍点〕を衍、衣〔傍点〕を社〔傍点〕の誤としてキミミムトコソと訓んでゐるが、姑らく舊訓に從つた。或はトコソのトにコが融合してトと短約されたとも解せられる。○眉根かきつれ 上の(170)「眉根かき鼻ひ紐とけ」(二四〇八)參照。
【後記】 二句の訓方及びそれと結句との承應には論が殘る。久老のやうに常〔傍点〕の字をトコと訓んでキミヲミムトコソと訓むのも一説であらう、尚後考を待つ。
 
2576 人間《ひとま》もり 葦垣越しに 吾妹子を 相見しからに 言ぞさだ多き
 
【口譯】 人目の隙をうかゞつて、葦の垣根ごしに、彼の女を見たので、人の口が喧《やか》ましいよ。
【語釋】 ○人間もり 上の「人目もる」(二五六三)參照。○言ぞさだ多き 言は人の口、さだ〔五字傍点〕は定め〔二字傍点〕と同語幹の語で、評判などいふ義。
【後記】 上の「花ぐはし葦垣越しに」(二五六五)と似てゐる。
 
2577 今だにも 目なともしめそ 相見ずて 戀ひむ年月 久しけまくに
 
【口譯】 せめて今の中だけでも、逢ふことを遠のかせないで下さい、これからは逢はないで戀しく思ふ年月が久しからうから。
【語釋】 ○目なともしめそ 目〔傍点〕は見え〔二字傍点〕で逢ふこと、ともしめ〔四字傍点〕は乏しからしめるの義、な〔傍点〕……そ〔傍点〕は例の禁止辭(171)である。逢ふことを稀ならしめるなの義。○久しけまくに 久しけむ〔四字傍点〕のむ〔傍点〕をまく〔二字傍点〕と變じてに〔傍点〕を附した詠歎表現、久しけむ〔四字傍点〕は久しけ〔三字傍点〕といふ未然形にむ〔傍点〕の附いて、久しからむ〔五字傍点〕といふに同じ。
【後記】 男の旅に出ようとする際などに、女の詠んだ歌。
 
2578 朝寢髪《あさねがみ》 吾は梳《けづ》らじ うつくしき 君が手枕 觸りてしものを
 
【口譯】 朝の寢亂れ髪を私は櫛けづるまい。懷かしいあのお方の手枕のさはつて亂れたのだものねえ。
【語釋】 ○觸りてしものを 觸り〔二字傍点〕は四段活用動詞の連用形、てし〔二字傍点〕は過去完了てき〔二字傍点〕の連體形。
【後記】 後朝に男と別かれて懷かしさに堪へぬ少女の情である。
 
2579 はや行きて いつしか君を 相見むと おもひし心 今ぞ和《な》ぎぬる
 
【口譯】 急いで行つて一刻も早く貴女にお逢ひしようと私の思つた心は、今やつと落着きましたよ。
【語釋】 ○今ぞ和ぎぬる 原文は流布本に「今曾水葱少熱」とあるが、令〔傍点〕は嘉暦本などに今〔傍点〕に作つてゐる。(172)水葱〔二字傍点〕は和ぎ〔二字傍点〕に、少熱〔二字傍点〕はぬる〔二字傍点〕に借りた戯書である。
【後記】 「君」は女を指したので、男が待遠に女と會つて喜んだ歌。
 
2580 面がたの 忘るとならば あぢきなく 男《をのこ》じものや 戀ひつゝ居らむ
 
【口譯】 若し女の顔形が忘れられるなら、かう無益に、男兒たる私が、戀ひつゞけてをらうか。
【語釋】 ○面がたの 面貌が〔三字傍点〕の義。卷十四の「於毛可多能和須禮牟之太波《オモカタノワスレムシダハ》」(三五二〇)參照。○男じものや じもの〔三字傍点〕といふ接尾辭はの如きもの〔五字傍点〕の意であるが、こゝはは男兒たるもの〔六字傍点〕の義となる。や〔傍点〕は疑間助詞であつて、結句の終に廻らして反語となる。
【後記】 女の面貌の忘れられねばこそ、かく戀ひつゞけてゐるのであるといふ歎き。
 
2581 言にいへば 耳にたやすし 少くも、心のうちに 我が念はなくに
 
【口譯】 言葉にいへば何でもなく聞える。ちよつとやそつとに心中には私が思つてゐるのではないのになあ。
【語釋】 ○耳にたやすし 耳には何でもなく聞える義。○少くも も〔傍点〕は詠歎助詞、少くも〔三字傍点〕は下の念はなくに〔五字傍点〕(173)にかゝる副詞。
【後記】 千萬無量の思、言語に表し難きを悶える心。この歌が原文「言云者三三二田八酢四小九毛心中二我念羽奈九二」と、故らに數字假名を繁用したのは、故意に書かれた一種の戯書である。
 
2582 あぢきなく 何のたは言 今更に わらは言する 老人《おいびと》にして
 
【口譯】 つまらなく何といふたは言を言ふものぞ。今更に子供のやうなことをいふものぞ、老人のくせに。
【語釋】 ○何のたは言 何のたは言するぞと詰る義。○わらは言する わらは言〔四字傍点〕は童言で子供のやうな言草の義。する〔二字傍点〕は連體であるがするぞ〔三字傍点〕と詰る義でこゝで切れる、老人〔二字傍点〕につゞくのではない。
【後記】 この歌については、早く代匠記が「此は左太過タル人ノ、人ヲ戀テ、其由ヲキカセテ後ミヅカラ身ヲ顧テ、童ノ遠慮モナク物云ヤウニ、齡ノ程ヲモ思ハズシテワカ/\シキ事ヲモ云ヒ出ヅルヨト悔ル意歟。或ハ老人ニ物云ヒ懸ラレテ厭フ意ニヨメル歟。」と兩説を出してゐて、後人は多く前説を取る。新考は後説に從つたが、「あぢきなく」、「今更に」などの副詞は自ら(174)顧みる語勢に聞えるから、通説に從ふべきであらう。
 
2583 相見て いくばく久も あらなくに 年月のごと 思ほゆるかも
 
【口譯】 逢つてから後、いか程久しい間でもないのに、長い年月が立つたやうに思はれるよ。
【語釋】 ○相見て 原文は「相見而」となつて、舊訓はアヒミテハとはを補つて訓んでゐる。卷四に「相見而者《アヒミテハ》いく日も經ねを」(七五一)とあるから、無理もないやうであるが、姑らく字に從つておく。代匠記は相〔傍点〕の上に不〔傍点〕の字を脱したので、アヒミデハかと言ひ、古義は之に從つてアヒミズテと訓んでゐる。訓方は無論古義の方がよい。○いくばく久も 原文は「幾久毛」で舊訓イクヒサシサモとあるが、考はイクヒサシクモ、略解はイクヒサニシモと訓んだ。今古義に從ふ。卷四の「相見ぬは幾久毛〔三字傍点〕あらなくに」(六六六)も同樣に訓せられなくてはならない。
【後記】 この歌のやうに「あひ見ていくぱく久もあらなくに」とも、前例卷四のやうに「相見ぬはいくばく久もあらなくに」とも言はれ、あひ見て〔四字傍点〕はあひ見てから後〔七字傍点〕の義、相見ぬは〔四字傍点〕は相見ぬ間は〔五字傍点〕の義であつて、要するに同一義に落ちる。
 
(175)2584 丈夫《ますらを》と おもへる我を かくばかり 戀せしむるは からくありけり
 
【口譯】 大丈夫と自覺してゐる私に、これほどまでに戀をさせるのは、辛《つら》いことであるよ。
【語釋】 ○からくはありけり 原文は「小可者有來」で、舊訓ウベニザリケルとある。ゾアリケルをザリケルといふのは集時代に確實な證はないから、取られないし、小可〔二字傍点〕をウベといふのは問題である。卷七に「黙《もだ》あらじと事のなぐさにいふ言を聞知れらくは少可者有來」(一二五八)の結句を舊訓はスクナカリケリと訓んだ。しかし、この兩者は同一に讀解すべき文字である。代匠記精撰本が卷七のもウヘニハアリケリと讀んだのは、この歌の舊訓を本にしたものであるが、略解は「宣長云、或人説、少可〔二字傍点〕は奇〔傍点〕の誤にて、アヤシカリケリなるべしと言へり。」とした。無論可〔傍点〕の下の者〔傍点〕を衍字としたのである。考はかの歌は者〔傍点〕を衍字として舊訓に從ひ、この歌は小可〔二字傍点〕を苛〔傍点〕の誤としてカラクハアリケリと訓み、古義は考に本づいて小可〔二字傍点〕は不可〔二字傍点〕の誤、者〔傍点〕は曾〔傍点〕の誤としてカラクゾアリケルと訓んだ。惟ふに少可、小可をウベと訓むもアヤシと訓むも疑はしく、かつ歌の意味が通じ難い。姑らく考に從ふ。古義の不可〔二字傍点〕をカラクといふはともかく者〔傍点〕を曾〔傍点〕と改めるには及ばないことである。
【後記】 萬葉男子の丈夫たる自覺のあつたことは、集中に多い「ますらをと思へる我」といふ語で明かである。この歌は平素大丈夫と自ら持してゐる自分が、戀に悩まされるのは、自ら堪へないといふのである。
 
(176)2585 かくしつゝ 吾が待つしるし あらぬかも 世の人みなの 常ならなくに
 
【口譯】 かうしてゐて私が逢ふ時を待つ効驗《しるし》があればよいなあ、世間の人は誰でも明日を知らない身だのにねえ。
【語釋】 ○かくしつゝ かく戀ひ焦がれつゝの義、待つ〔二字傍点〕にかゝる。○あらぬかも 原文に「有鴨」とのみあつて、舊訓アラムカモとあるが、略解のアラヌカモと改めたのに從ふべきである。この不〔傍点〕の字を略いた例は集中に多い。有つてほしいといふ希求の表現である。○常ならなくに 無常であるのになあといふ詠歎。
【後記】 「かくしつゝ」には、待てど待てど効ない歎きが見える。やがて空しく果てる危惧にさへ思ひ及んだのである。
 
2586 人言を 繁みと君に、玉梓の 使もやらず 忘るとおもふな
 
【口譯】 人の評判が高いので、貴女に使も差上げませんのです。決して忘れたとお考へなさるな。
【語釋】 ○人言を繁みと君に 原文は「人事茂君」で、舊訓ヒトコトヲシケクテキミニとあり、考はヒトゴトヲシゲシトキミニ、略解はヒトゴトノシゲケキキミニと改めたが、古義に從ふべきである。人言を繁み〔五字傍点〕(177)は例の如く人言の繁き故に〔七字傍点〕であり、と〔傍点〕はとて〔二字傍点〕である。○玉梓の 使〔傍点〕につゞく枕詞。既出。
【後記】 男の女をなだめた歌であらう。「忘るとおもふな」は上に「袖振らず來つ忘ると思ふな」(二四九三)といふ同巧がある。
 
2587 大原の ふりにし郷に 妹をおきて 吾寢ねかねつ 夢《いめ》に見えこそ
 
【口譯】 大原のさびれた里に彼の女をおいて來て、私は睡られないよ、夢に見えてくれろ。
【語釋】 ○大原のふりにし郷に 卷二に「吾が里に大雪ふれり大原のふりにしさとに降らまくは後」(一〇三)とある。大原〔二字傍点〕は大和國高市郡飛鳥村小原の地であらうといふ。ふりにし郷〔五字傍点》は古く淋びれた里の義。○夢に見えこそ こそ〔二字傍点〕は活用語の連用形について希望を表す助詞。
 
2588 夕されば 君來まさむと 待ちし夜の なごりぞ今も 寢ねがてにする
 
【口譯】 夕方になると貴郎が入らつしやらうと、待つてゐました前方の夜の常習で、入らつしやらないとわかつた今も睡りかねてゐます。
【語釋】 ○待ちし夜の 從前待ち得た夜をいふ。○なごりぞ なごり〔三字傍点〕は波凝《ナゴリ》であるといはれ、潮の引いた跡(178)に殘つた水をいふより、すべて或物の去つた跡にその物の一部の殘つたのをいふ。こゝでは待つことの習はしのつゞいてゐるのをいふ。
【後記】 男を待つ女の婉曲な閨怨。卷十二の「玉桙の君が使を待ちし世の名殘ぞ今もいねぬ夜の多き」(二九五四)はこの歌と同巧。
 
2589 相思はず 君はあるらし ぬば玉の 夢《いめ》にも見えず うけひて寢《ぬ》れど
 
【口譯】 貴郎は私の事を思はずに入らつしやるさうな。夢にもお見えにならないよ、私は見ようと神に祈つて寢るけれども。
【語釋】 ○うけひて うけふ〔三字傍点〕は神に誓つて祈るをいふ。卷四に「都路を遠みや妹が此の頃はうけひて寢れど夢に見え來ぬ」(七六七)とある。
 
2590 石根《いはね》ふみ 夜道は行かじと 思へれど 妹によりては 忍《しの》びかねつも
 
【口譯】 岩根を踏んで難儀な夜道は通ふまいと思つてゐるが、彼の女に引かれては我慢が出來ないよ。
(179)【語釋】 ○妹によりては よる〔二字傍点〕は心の引かれるをいふ。上の「君によりては」(二四九八)參照。
【後記】 平明な歌。
 
2591 人言の 繁き間もると 逢はずあらば 終にや兒らが 面忘れなむ
 
【口譯】 人の噂の喧《やか》ましいその隙をねらつてと思つて、逢はないでゐたならば、しまひには彼の女は私の面を忘れてしまはうよ。
【語釋】 ○間もる 間〔傍点〕は隙《すき》、もる〔二字傍点〕は見つめる〔四字傍点〕又は伺ふ・覗ふ〔四字傍点〕の義。上の「人言のしげき間もりて逢へりとも」(二五六一)參照。
【後記】 「面忘れ」は誇大に聞えるが、男が女に逢はれない焦燥を見る。
 
2592 戀死なむ 後は何せむ 吾が命 生ける日にこそ 見まくほりすれ
 
【口譯】 焦がれ死にをした後は、貴女にわかつていたゞいても、何の役に立ちませうぞ、私の命の生きてゐる間にこそ、お逢ひ申したく願ふのですよ。
【後記】 すべての句に弛みがなく張切つてゐて而も巧みな言下しである。卷四の大伴百代の歌(180)「こひ死なむ後は何せむ生ける日の爲こそ妹を見まくほりすれ」(五六〇)は此の古歌の燒直しであらう。この古歌は民間に廣く知られたものであつたらしい。
 
2593 敷栲の 枕動きて 寢ねらえず 物おもふ今宵 早も明けぬかも
 
【口譯】 枕が動いて睡ることが出來ない。かうしてもの思ひに悩む今夜は、早く明けてほしいなあ。
【語釋】 ○枕動きて 人を思つて睡られず、頭を動かす故枕の動くのを、枕が動いて寢られないと言つたのである。上の人麿歌集出の「しきたへの枕動きて夜も寢ず思ふ人には後も逢はむもの」(二五一五)參照。○早も明けぬかも 原文は「急明鴨」で、舊訓ハヤアケムカモとあるが、略解以下の改訓がよい。上の二五八五の有鴨〔二字傍点〕をアラヌカモと訓むべきと同じく、早く明けよかしといふ願望。
【後記】 來ない男を思うて輾轉反側、夜の明け難きをかこつ女の思。
 
2594 往かぬ吾を 來むとか夜《よる》も 門|閉《さ》さず あはれ吾妹子 待ちつゝあらむ
 
【口譯】 障があつて行かない私を、來るだらうと思つて、夜も門を鎖さすに、あゝ吾が妻は待つ(181)てゐるであらうか。
【語釋】 ○往かぬ吾を 上句は原文「不往吾來跡可夜門不閉」とあつて、舊訓ユカヌワレ クトカヨカドモ ササズシテとある。考はユカヌワヲ コムトカヨヒモ カドタテズと改めたが、今は考に本づいて再訂した略解に從ふ。
 
2595 夢《いめ》にだに 何かも見えぬ 見ゆれども 吾かも迷《まど》ふ 戀の繁きに
 
【口譯】 夢にさへどうして見えないだらうか、いや夢には見えるが、戀の繁いのに私が暗まされて見えないのか。
【後記】 男の來ぬのみか夢にさへ見えぬを怨みながら、否見えざるにあらざるべしといひ、而も見えて見えざるを己が戀の亂れに歸して、男に迫る所が巧みである。上下にかも〔二字傍点〕を繰返し、二三に見え、見ゆ〔四字傍点〕を繋いで調子も面白い。
 
2596 なぐさもる 心はなしに 斯くのみし 戀ひや渡らむ 月に日にけに【或本の歌に云はく おきつ浪 しきてのみやも 戀ひ渡りなむ】
 
(182)【口譯】 戀心を滿たすこだが出來ないで、かうしたまゝで焦がれつゞけることであらう、幾月も幾日も。
【語釋】 ○なぐさもる心はなしに 慰められる心はなくて、即ち心の慰められずにの義。卷五「なぐさむる心はなしに」(八九八)參照。○月に日にけに 日にけに〔四字傍点〕は日に日に〔四字傍点〕に同じ。け〔傍点〕は日《か》と同じく日のことである。上の「日にけに來れば言の繁けく」(二三九七)參照。○或本の歌 下三句の異傳である。○おきつ浪しきてのみやも おきつ浪〔四字傍点〕はしく〔二字傍点〕と言ふ爲の枕詞。しきて〔三字傍点〕は繁くあつて即ち頻つて〔三字傍点〕の義。
 
2597 如何にして 忘れむものぞ 吾妹子に 戀ひはまされど 忘らえなくに
 
【口譯】 どうしたら忘れることが出來ようか、吾が思ふ女に戀ひまさりこそすれ、決して忘れられないものを。
【語釋】 ○忘れむものぞ 原文は「忘物」とのみあつて舊訓ワスルルモノゾであるが、今古義に從ふ。新考が「イカニセバとならばこそワスレムモノゾといふべけれ。今はイカニシテを受けたればなほワスルルモノゾとよむべし。」といふ駁は必ずしも取れない。卷八「奈何爲而忘物曾戀云物乎」(一六二九)の如きは新考自身がワスレムモノゾと訓んでゐるではないか、イカニシテが已に疑問未定であるから、必ずしも假定形にしなくとも下の未定に應じ得る。○戀ひはまされど 原文は「戀益跡」とあつてハを補讀してあるが、それは(183)強めの助詞であり、コヒは尚動詞であつて名詞ではない、コヒマサレドである。。
 
2598 遠くあれど 君にぞ戀ふる 玉桙の 里人みなに 吾戀ひめやも
 
【口譯】 貴女には遠く隔たつてゐるが、私は貴女にだけ戀ひ焦がれてゐます、里人の誰にでも戀してゐるわけではありません。
【語釋】 ○君にぞ戀ふる 原文は「公衣戀流」で舊訓キミヲソコフルとあるが、今古義に從ふ。コフは自動詞で助詞ニにつゞく。○玉桙の 里〔傍点〕とつゞけたのに古來疑問がある。考が「君が住方の道の里人といはんとて、玉桙の冠辭を即道になしていへるは少し後のわざなり。」と解したのに多く從つてゐる。尚疑はあるが一説としておく。
【後記】 この歌は男の歌か女の歌か明かでないが、君〔傍点〕は女にも言はれるから男の歌として見た。新考は「男より『遠く隔りて住めば疎くやなり給はむ』などいひおこせしに答へたるならむ。」といつてゐるが、少し迂回した解である。
 
2599 驗《しるし》なき 戀をもするか 夕されば 人の手まきて 寢なむ兒ゆゑに
 
(184)【口譯】 効《かひ》のない戀をすることよ、夕方になれば他《ほか》の人の手を枕にして寢るだらう女の爲に。
【語釋】 ○戀をもするか か〔傍点〕は詠歎かも〔二字傍点〕と同じ。○まきて まく〔二字傍点〕は枕するといふ動詞。上の「若草の新手枕をまきそめて」(二五四二)參照。
【後記】 人妻を戀した煩悶。
 
2600 百世しも 千代しも生きて あらめやも 吾が念ふ妹を おきて歎かむ
 
【口譯】 百年も千年も人は生きてゐようか、どうして私の思ふ女を逢はずにおいて歎かうか。
【語釋】 ○吾が念ふ妹をおきて歎かむ この句は上につきにくい。それ故通説はこの句を反語とする爲に、上にいかで〔三字傍点〕などの語を補つて見てゐる。どうも無理な釋き方である、結句の原文は「置嘆」であつて、舊訓以來オキテナゲカムとなつてゐるが、或はオキテナゲクモなどであつて、命は短いものだから、かく妹を他において逢はずに終るかを歎いてゐるよなどの義か。新考が置歎〔二字傍点〕を不見嘆〔三字傍点〕の誤としてミズテナゲカクと訓ませたが、勝手な改字に加へて訓法が妥當でない。
 
2601 現《うつつ》にも 夢《いめ》にも吾は 思《も》はざりき 舊りたる君に こゝに逢はむとは
 
(185)【口譯】 覺《さ》めてゐる時も又夢のうちにも思ひかけなかつた。昔馴染の貴郎にこゝでお目にかゝらうとは。
【語釋】 ○現にも夢にも 古義に「現にも〔三字傍点〕は夢にも〔三字傍点〕といはむためにいへるなり、現の事は言に及ばず、夢にも云々の意なり。伊勢物語に、駿河なる宇都の山邊の現にも夢にも人の逢ぬなりけりとあるに同じ」とある。○舊りたる君に 昔逢つた貴郎にの義。
【後記】 相遠ざかつた男の圖らず訪ねて來たのを驚喜した女の歌。
 
2602 黒髪の 白髪《しろかみ》までと 結びてし 心一つを 今解かめやも
 
【口譯】 黒い髪が白髪《しらが》になるまでかはるまいと誓つた私の心一つを、今更變へるやうなことがありませうか。
【語釋】 ○白髪までと 原文は「白髪左右跡」で舊訓シラカミマデトとあるが、古義が、卷十七「ふる雪の之路髪《しろかみ》までに」(三九二二)によつて、シロカミと訓んだのがよいであらう。○結びてし 固めた〔三字傍点〕の義、下の解く〔二字傍点〕は之に對して緩べる〔三字傍点〕義。
【後記】 友白髪の思想は古くからあつた。
 
(186)2603 心をし 君にまつると 念へれば よしこの頃は 戀ひつゝをあらむ
 
【口譯】 私の心をば貴郎に差上げたと思つてゐますから、まゝよこの頃は逢はずとも戀ひつゞけてゐませう。
【語釋】 ○君にまつると 原文は「君爾奉跡」で舊訓キミニマタストとあるが、古義に從ふ。二五七三參照。○よし 縱〔傍点〕の字を訓む、まゝよの義。下の「よしこの頃はかくて通はむ」(二七七八)參照。
【後記】 全《す》べてを捧げての戀ならば怨みじといひながら、男に訴へる女の情。
 
2604 念ひ出でて 音には泣くとも いちじろく 人の知るべく 歎かすなゆめ
 
【口譯】 私の事を思ひ出して聲を立ててお泣きなさつても、際立つて人目に知れるやうな御歎息はなさいますな、用心して。
【語釋】 ○歎かすなゆめ 原文は「嘆爲勿謹」で舊訓ナゲキスナユメとあるが、今古義に從ふ。す〔傍点〕は崇敬の助動詞。
【後記】 人に知られるを警めた女の歌。
 
(187)2605 玉桙の 道ゆきぶりに 思はぬに 妹を相見て 戀ふる頃かも
 
【口譯】 道ゆきすがらに、思ひがけなく彼の女に出逢つたので、戀ひ焦がれる此の頃よ。
【語釋】 ○道ゆきぶりに 道行觸り〔四字傍点〕で道を行きつゝ出逢ふこと。
【後記】 上に「玉桙の道ゆかずしてあらませばねもころかゝる戀にあはざらむ」(二三九三)とあると同巧。
 
2606 人目おほみ 常かくのみし さもらはば 何れの時か 吾が戀ひざらむ
 
【口譯】 人が多く見てゐるといふので、いつでもかうしてばかり人の隙を待つてゐたならば、永久に戀の遂げられる時はなからう。
【語釋】 ○さもらはば 原文は「侯者」で舊訓はマタマセバとある。侯〔傍点〕は候〔傍点〕の誤であつて、考はサモラヘバと訓んだが、下が未定になつてゐるから、略解のやうにサモラハバと假定にした方がよい。サモラフは窺ひ待つ義。卷三「何時しかもこの夜明けむとさもらふ〔四字傍点〕にいの寢がてねば」(三八八)、卷十「妹に逢ふ時さもらふ〔四字傍点〕と立待つに」(二〇九二)等參照。○何れの時か吾が戀ひざらむ 逢ふことの出來ない爲に、何時までも、只戀(188)ひ焦がれてゐなくてはならないだらうの義。
【後記】 古義の「今は人目をも憚らじと思ふ下心なり。」と言つた如くであらう。
 
2607 敷栲の 衣手《ころもで》かれて 吾を待つと あるらむ子らは 面影に見ゆ
 
【口譯】 二人の袂を分つて後、私の行くのを待つといつて居るであらうあの子が、幻にちらつくよ。
【語釋】 ○衣手かれて 衣手〔二字傍点〕は袖〔傍点〕のこと、ころもで〔四字傍点〕もそで〔二字傍点〕も共に衣手〔二字傍点〕で表される。かれて〔三字傍点〕は離れて〔三字傍点〕である。○面影に見ゆ 幻影に見えること。
 
2608 妹が袖 別れし日より 白妙の 衣かたしき 戀ひつゝぞ寢る
 
【口譯】 彼の女の袖から離れ去つた日から、自分の衣物を片敷いて、戀しく思ひつゝ寢るよ。
【語釋】 ○妹が袖別れし日より 別れ〔二字傍点〕は他動詞であつて、妹が袖を〔傍点〕別れしである。卷三「白妙の袂を〔傍点〕別れにきびにし」(四八一)、卷十五「くやしく妹を〔傍点〕別れ來にけり」(三五九四)、卷二十「たらちねの母を〔傍点〕別れて」(四三四八)等を見よ。○白妙の 昔は多く白衣を着たので、白妙〔二字傍点〕は衣〔傍点〕とつゞく枕詞となつた。○衣かたしき 衣(189)の片身を下に敷くことであつて、獨寢することにいふ。卷九「吾が戀ふる妹は逢はさず玉の浦に衣片敷き一人かも寢む」(一六九二)參照。
 
2609 白妙の 袖はまゆひぬ 吾妹子が 家のあたりを やまず振りしに
 
【口譯】 衣の袖ははづれてしまつた、我が妻の家の方を斷えず振りまねいたので。
【語釋】 ○袖はまゆひぬ まゆふ〔三字傍点〕は布帛の絲筋が片寄つて壞れること。又まよふ〔三字傍点〕といふ。卷十四「袂のくだりまよひ〔三字傍点〕來にけり」(三四五三)參照。卷七「肩のまよひ〔三字傍点〕は誰か取り見む」(一二六五)といふ名詞もある。○家のあたりをやまず振りしに 振る〔二字傍点〕は他動詞で袖を振るのであるが、更に副格に家のあたりを〔六字傍点〕振るとを〔傍点〕を取つたのである。卷五「行く船を振り留みかね」(八七五)とある。かゝる場合は麾く〔二字傍点〕心持であらうか。
【後記】 やゝ誇張的であるが、振る袖のはづれたに寄せた民謠風な所が面白い。
 
2610 ぬば玉の 吾が黒髪を 引きぬらし みだれてさらに 戀ひわたるかも
 
【口譯】 私の黒髪を靡けて其の髪の亂れるやうに、心がみだれていよ/\焦がれつゞけてゐますよ。
(190)【語釋】 ○引ぬらし 髪をぬる/\靡かすこと。卷二「たけばぬれ〔二字傍点〕」(一二三)のぬれ〔二字傍点〕は自動詞でその他動詞がぬらす〔三字傍点〕である。上三句はみだれて〔四字傍点〕を起す序をなしてゐるが、又時の情景である。○みだれてさらに 原文は「亂而反」で舊訓ミダレテカヘリとあるが、意義が取りにくい。略解は「春海云、反〔傍点〕は已〔傍点〕の誤にて、ミダレテノミモなるべし。宣長は、而反〔二字傍点〕は留及〔二字傍点〕の誤にて、ミダルルマデニならんと言へり。何れにもあれ反〔傍点〕は必ず誤なり。」とあり。古義は反〔傍点〕は吾〔傍点〕の誤でミダレテアレハであらうとしてゐる。今しばらく新訓に從つた。
【後記】 訓方に疑はあるが、黒髪の亂れと共に心の思ひみだれる空閨の怨である。
 
2611 今更に 君が手枕《たまくら》 まき寢めや 吾が紐の緒の 解けつゝもとな
 
【口譯】 今更あのお方の手枕をして寢ることが出來ようか。出來はしないのに私の着物の紐はむだに解けて見せますよ。
【語釋】 ○吾が紐の緒の解けつゝもとな 紐の緒〔三字傍点〕はただ紐といふこと。下紐の自ら解けるのは思ふ人に逢はれる前兆とした。上の「結びし紐の解くらく念へば」(二五五八)參照。もとな〔三字傍点〕は空しく・効なく〔六字傍点〕などの義の副詞。上の「何せむに命をもとな〔三字傍点〕長くほりせむ」(二三五八)參照。
【後記】 中は絶えたものと思ひつゝ、尚下紐の解けるにも己が心を男に訴へたいのが女心。
 
(191)2612 白妙の 袖を觸れてよ 吾が背子に 吾が戀ふらくは 止む時もなし
 
【口譯】 着物の袖を一度觸れてから、あの殿子を私の戀しく思ふことは止む時もない。
【語釋】 ○袖を觸れてよ 原文は「袖觸而夜」で舊訓ソデヲフレテヤとし、從つて結句をナキとしてゐる。全然意の通じないわけでもないが、考がソデヲフレテユ、略解がソデフレテヨリなど試訓した如きが、更に通じ易い。しかし考や略解が夜〔傍点〕を從〔傍点〕の誤としたのは改字の難があるから、今、略解補正に從つた。元來ヨの假名は二種類あるが、夜〔傍点〕の訓ヨは用〔傍点〕類で從〔傍点〕のヨリ、ヨと合ふから、ヨリのヨと解することに無理はない。
【後記】 上には「白妙の袖をはつ/\見しからにかゝる戀をも吾はするかも」(二四一一)とある。況や一度觸れし袖をやである。
 
2613 夕卜《ゆふけ》にも 占《うら》にも告《の》れる 今宵だに 來まさぬ君を 何時とか待たむ
 
【口譯】 夕方の辻占にも他の占なひにも、必ず來ると判じた今夜さへ入らつしやらないあのお方を、何時見えるものと待ちませうか、永久に入らつしやらないでせう。
(192)【語釋】 ○夕卜にも 夕方辻に立つて人の言葉を聞き判斷する占ひをゆふけ〔三字傍点〕といふ。上の「言靈の八十の衢に夕占〔二字傍点〕問ふ」(二五〇六)參照。○占にも告れる 原文は「占爾毛告有」で舊訓ウラニモツゲアルとあるが、考に從ふがよい。嘉暦本に告〔傍点〕を吉〔傍点〕に作り、拾遺集に「うらにもよくあり」とあるので、原本が或はさうであつたらうかと考へられ、新訓の如きはウラニモヨクアルと訓んだが、占〔傍点〕には告《・の》る〔二字傍点〕のつゞくが常であるから流布本でよい。卷二「大船の津守が占〔傍点〕に告ら〔二字傍点〕むとは」(一〇九)參照。告れる〔三字傍点〕は來ますと告げたのである。
【後記】 「夕卜にも占にも」を二つの占なひとする説によつたが、之は夕卜の占にも〔六字傍点〕といふことを只繰返したのではないかとも思はれる。卷十六「百足らず八十の衢に夕卜にも占にもぞ問ふ死ぬべき吾が故」(三八一一)とある。思ひつめて占なひまでしてもつた期待も裏切られた絶望である。
 
2614 眉根《まよね》掻き 下いぶかしみ 思へるに いにしへ人を 相見つるかも
    或本の歌に曰はく 眉根掻き 誰をか見むと 思ひつゝ け長く戀ひし 妹にあへるかも
    一書の歌に曰はく 眉根掻き 下いぶかしみ 念へりし 妹が姿を 今日見つるかも
(193)【口譯】 眉が痒いので心中で果していかゞといぶかしく思つてゐるときに、恰も舊好《むかしなじみ》の人に逢つたよ。
  或本の歌に、「眉が痒くて、誰に逢へることだらうかと思ひつゞけて、年月長く戀ひ焦がれて來た妹に今逢はれたよ。」とあり、又一書の歌に、「眉が痒いので心中で果していかゞぞといぶかしく思つてゐた彼の女の姿を、今日見ることが出來たよ。」とある。
【語釋】 ○下いぶかしみ 下は心の義、心中である。いぶかしみは形容詞いぶかし〔四字傍点〕の語幹がむ〔傍点〕の語尾を取つて動詞となつた語。いぶかしく思ふ義。このいぶかしむは、逢へる前兆はあつたが果して如何やと覺束なく思つたのである。○いにしへ人 昔馴染の人、上の「舊りたる君」(二六〇一)といふと同じ。○誰をか見むと思ひつゝ 眉の痒いのは何人に逢はれる兆かと思ひつゝである。○け長く戀ひし け〔傍点〕は日〔傍点〕の事、日にけに〔四字傍点〕のけ〔傍点〕と同じ。け長く〔三字傍点〕は月日長く〔四字傍点〕の義。卷二「君が行きけ長く〔三字傍点〕なりぬ」(八五)參照。
【後記】 本歌は前兆を危ぶみながら、舊好の人にあへる驚喜であつて、前の「夕卜にも」と全然反對の心持。是は女の歌であらう。或本の歌は全然異なる歌であるが、「眉根かき誰をか見むと思ひつゝ」がやゝ似てゐるから附記したものであらう。一書の歌の方は、言葉つきまで類似してゐるから、本歌の異傳とも言はれるが、尚同一歌とすることは如何であらう。この二つは明かに男の歌である。
 
(194)2615 敷栲の 枕をまきて 妹と吾と 寢る夜はなくて 年ぞ經にける
 
【口譯】 枕を共にして、彼の女と私と寢る夜は一夜もなくて、幾年も立つたことよ。
【語釋】 ○枕をまきて 枕をすることをまく〔二字傍点〕といふことは既出。
【後記】 第二句は原文が「枕卷而」とあるが、古義は上に手〔傍点〕を補つてタマクラマキテと訓ませ、新考も之に從つてゐる。其の方がやゝ艶めくが、何處の本にもないから仕方がない。
 
2616 奥山の 眞木の坂戸を 音はやみ 妹があたりの 霜の上に寢ぬ
 
【口譯】 木の板戸は音が鋭い爲に、叩くことをやめて、彼の女の家の近傍で、霜の上に寢た。
【語釋】 ○奥山の 眞木〔二字傍点〕にかゝる枕詞。○眞木の板戸を 眞木〔二字傍点〕は必ずしも檜ではないだらう。只木と解して差支ない。上の二五一九參照。を〔傍点〕は下のはやみ〔三字傍点〕に應ずる助詞で、板戸は音が高いのでの義。○音はやみ はやし〔三字傍点〕といふ形容詞は健きこと、鋭きことに用ゐる。
【後記】 妹に逢はむと來つゝ、戸をたゝき得ずに戸外に寢たといふ哀れな情景。
 
(195)2617 あしひきの 山櫻戸を 開けおきて 吾が待つ君を 誰か留むる
 
【口譯】 山櫻の板戸を開いておいて、私の待つてゐるあの方を誰が留めて來《こ》させないのか。
【語釋】 ○山櫻戸 山櫻の板で造つた戸であらう。
【後記】 逢はうと行く男には叩きもし得ぬ眞木の板戸があり、山櫻戸を開いて待つ女には男の訪ひ來ぬ恨がある。一は霜の上に寢る冷たさ、一は山櫻戸を開け放つ温かさの對照も面白い。歌の姿の酷似したこの二首の一所にあるのは編者の意識的配列による。
 
2618 月夜《つくよ》よみ 妹に逢はむと 直道《たゞぢ》から 吾は來つれど 夜ぞ更けにける
 
【口譯】 月がよいので彼の女に逢はうと出掛けて、近道を私は來たけれど、すでに夜が深けてしまつたよ。
【語釋】 ○直道から 直道〔二字傍点〕はすぐぢ〔三字傍点〕ともいふ、近路である。から〔二字傍点〕はを〔傍点〕といふに同じ。上の「人の親のをとめ子すゑて守る山邊から〔二字傍点〕」(二三六〇)參照。
【後記】 月夜しかも直路を來て夜の更けたといふのは、隔たりのいたく遠いのであらう。明るく見えて尚戀の道の苦しい歎である。
 
(196)   物に寄せて思を陳ぶ》
 
【標目】 既出。こゝには人麿歌集以外の歌を採つてある。
 
2619 朝かげに 吾が身は成りね から衣 裾の合はずて 久しくなれば
 
【口譯】 朝の物の陰影のやうに、私の身は細く痩せてしまひました。思ふ人に逢はないで久しくなりましたから。
【語釋】 ○朝かげに 朝かげ〔三字傍点〕は朝日による物の陰影。細長い喩。上の二三九四參照。○から衣裾の合はずて から衣裾の〔五字傍点〕だけが合ふ〔二字傍点〕といふ爲の序詞である。卷十四「から衣裾のうちかへ合はねども」(三四八二)とある。考は「衣の裔《すそ》は打ちがへて合するものなるを譬へて不v相ともいひ下せる也。然ればから衣のからはことばのみ」と解いてゐる。から衣〔三字傍点〕を支那式の衣と解し、從つて支那に裾の合はない制があつたか否かなども考へられるが、今考に從ふ。から衣〔三字傍点〕は集中只裾〔傍点〕を起し、著《き》・裁《た》つを起すに止まる枕詞と用ゐた例が多いから、から〔二字傍点〕にはさして意味はないと見るべきである。かくてから衣〔三字傍点〕は只裾〔傍点〕を起す枕詞、更にから衣裾の〔五字傍点〕は合ふ〔二字傍点〕を起す序詞と見て、さて會ふ〔二字傍点〕を合はず〔三字傍点〕と轉じたのである。卷九「いその上布留のわさ田の穗には(197)出でず」(一七六八)は出づ〔二字傍点〕より出でず〔三字傍点〕に轉用した例である。
【後記】 「朝影に吾が身はなりぬ」は類想があるし、寄物の部分が際立ちすぎるのは情の薄れる憾がある。
 
2620 解衣《ときぎぬ》の 思ひ亂れて 戀ふれども 何しの故と 問ふ人もなし
 
【口譯】 思ひみだれて戀ひ焦がれてゐるけれども、何の故かと訊ねて同情してくれる人もない。
【語釋】 ○解衣の 亂れ〔二字傍点〕につゞく枕詞。卷十「解衣の思ひみだれて」(二〇九二)、卷十一「解衣の戀ひみだれつつ」(二五〇四)などある。○何しの故と この句に疑があつて解き難い歌とされてゐる。原文は「何如汝之故跡」とあり、舊訓ナゾナガユヱトである。代匠記は初稿本に於て「汝は妻をさせり、問人もなしは、とふ人もなきとよむべし。我こひを、汝がゆゑとなんぞとぶらふ人もなきやとなり。」と解した。汝〔傍点〕を二人稱として思ふ女を指すとすると、意義上妥當でない。精撰本は更に「第十二ニ此歌重テ出タルニハ第四ノ句|何之故其跡《ナニノユヱソト》トアレバ今汝之故ト書ルモ何故《ナニカユヱ》ナリ。六帖ニナゾナニユヱト問人モナシトナリ」といふ一説を出してゐるが、其の方が聞える。考は汝〔傍点〕を俗〔傍点〕の誤としてナニゾノユヱと訓み、新考は汝〔傍点〕を衍としてナニシノユヱトと改めて、「ナニノ故をナニシノ故といふはナニカ・イツカをナニシカ・イツシカといひタレノ人をタレシノ人といふが如し。」と言つた。大體肯はれる説である。
(198)【後記】 尚|案《おも》ふに、「何如汝之故跡」の汝〔傍点〕を衍とせずにシと訓ませることも出來るのではなからうか。シはソなどと同じく、三人稱が原意であらうが、廣く指示する意味から二人稱にも用ゐられたのではなからうか。記・紀やこの集の歌詞のシガをナガと同一に解した舊説もある程である。記して後考を待つ。
 
2621 摺衣《すりごろも》 著《け》りと夢《いめ》見《み》つ うつゝには 誰しの人の 言か繁けむ
 
【口譯】 摺衣を着てゐると夢に見た。實際にはどんな人との評判が高く言はれてゐることだらうか。
【語釋】 ○摺衣 昔山藍・榛・黄土などを以て摺つて染めた衣。○著《け》りと夢見つ 著り〔二字傍点〕は原文に「著有」とあり舊訓はキルとあるが、宣長のケリと訓んだのがよい。キアリの約の變音で、ツアリがセリとなると同じである。卷十五「この吾《あ》が氣流〔二字傍点〕妹が衣の垢つく見れば」(三六六七)。集中來有〔二字傍点〕と書いて助動詞のケリに用ゐたものも同じ音韻原則によつたものである。初二の句の夢見の事を、代匠記は「摺衣は樣々ノ紋ヲ亂レ摺ル物ナレバソレヲ著タリト見タラムハ、他言《ヒトゴト》ノ多カラム相ナルベシ。」と解いた。昔はさる迷信があつたものであらう。○誰しの人の 原文は「孰人之」とあり舊訓イヅレノヒトノとある。それで意の通じないわけではないが、古義は下の二六二八の一書の歡「誰之能人《タレシノヒト》も君にはまさじ」とあるのに從つて訓んだ。(199)今之に從ふ。誰しの人の〔五字傍点〕はどんな人の〔五字傍点〕の義。下の言〔傍点〕につゞくのであるが、どんな人の評判〔七字傍点〕といふのであつて、私がどんな人と關係があるといふ評判である。どんな人が評判するかと解くのは誤つてゐる。要するに誰しの人〔四字傍点〕は暗に自分の意中の人に擬した言方である。
【後記】 代匠記はこの歌を「第四ニ笠女郎ガ匣《クシゲ》ヲ開《アク》ト見ツレバ我思ヒヲ人ニシラスヤ、太刀ヲ身ニ副《ソフ》卜見ツルハ君ニ逢ハムタメナドヨメル各似ツキタル事」としてゐる。要するに古俗に於ける夢見の信仰であらう。浮名の立つを危惧しながら、誰しの人〔四字傍点〕と問はず語りに意中の人あるを肯定した所が、戀の甘さである。
 
2622 志賀《しか》の白水郎《あま》の 鹽やき衣 なれぬれど 戀ちふものは 忘れかねつも
 
【口譯】 思ふ人と已に昵《な》れ親んでゐるのであるが、相手を戀ひ焦がれる心は忘れがたく、今も戀ひつゞけてゐるよ。
【語釋】 ○志賀の白水郎の 志賀〔二字傍点〕は筑前國志賀島、博多灣口にある。○鹽やき衣 鹽を燒きとる仕事服。以上二句がなれ〔二字傍点〕を起す序。○なれぬれど 衣を著古すのをなる〔二字傍点〕といふ。それを互に昵《な》れ睦む義に轉じたのである。○戀ちふものは 戀ふちふことは〔七字傍点〕と同じ。
(200)【後記】 相見ての後の心にくらべて、昔は未だ物思ひが淺かつたといふでなくては戀はない。相逢ふ望を遂げて戀心が失せたらば戀は已に破れたものである。作者は戀の心の失せぬを怪しむほど未だ醇である。卷十二「大君の鹽やくあまの藤衣なるとはすれどいや愛づらしも」(二九七一)と同巧同想である。卷三「須磨の海人の鹽燒衣《しほやきぎぬ》の藤ごろも」(四一三)、卷六「須磨の蜑のしほやき衣のなれなばか」(九四七)などはこれを摸したものであらう。
 
2623 くれなゐの 八《や》しほの衣 朝なさな なるとはすれど いや愛《め》づらしも
 
【口譯】 私は思ふ人に毎日毎日馴れてゆくけれども、いよ/\可愛くてたまらぬよ。
【語釋】 ○くれなゐの八しほの衣四句のなる〔二字傍点〕を起す序。くれなゐ〔四字傍点〕は呉《くれ》の藍の義で、紅花《べにばな》で染めた紅色。八しほ〔三字傍点〕は八鹽入《やしほり》の略で、八《や》は數多たび、しほり〔三字傍点〕はしほいりで、しほ〔二字傍点〕即ち染汁に浸し入れて染めることをいふ。幾回も染汁に漬けたとは色の濃いことである。○朝なさな あさなあさな〔六字傍点〕の約、朝毎にといふ副詞であるが、必ずしも朝のみをいはず、日毎にといふ義に用ゐる。
【後記】 これも寄物の序が大きいが、これは「紅の八しほの衣」といふ語が、色の深さから關係の深さを聯想させて、一種の韻《にほひ》をなしてゐる。前掲の卷十二「大君のしほ燒く海人の藤衣」(二(201)九七一)と下句を同じくしてゐる。
 
2624 紅の 濃染のころも 色深く しみにしかばか 忘れかねつる
 
【口譯】 あの人を深く心に思ひこんだからか、どうしても忘れることが出來ないよ。
【語釋】 ○紅の濃染のころも色深く 深く〔二字傍点〕は色の濃いのを思の深いに轉じたのである。それ故色〔傍点〕以上を深く〔二字傍点〕を起す序と見るがよい。○しみにしかばか 原文は「染西齒蚊」で舊訓ソミニシカバカとある。上の「紅の濃染」に應ずるものとすれば、染〔傍点〕をソミと訓ずるのもよいが、上の「染《し》みにし心」(二四九六)に準じておく。卷二十「之美爾之《シミニs》こ/\ろなほこひにけり」(四四四五)とある。而して心がシムのだからシミと自動詞にしてシメと他動詞にしない方がよいであらう。
【後記】 濃く染まりついた色の褪せないのに、深く思ひ入つた心の弱らぬのを比してゐる。想はやはり平凡であるが、技巧の歌である。
 
2625 逢はなくに 夕占《ゆふけ》を問ふと 幣《ぬさ》に置くに 吾が衣手は 又ぞ續《つ》ぐべき
 
【口譯】 逢はれもしないのに、夕占を問ふとて神に幣として置く爲に、私の袖は續いて供へなく(202)てはならないだらう。
【語釋】 ○逢はなくに 思ふ人に逢はれもしないのにの義、夕占を問ふ〔五字傍点〕にかゝる。夕卜の合はないのにと解く説もあるが取らない。○幣に置くに 夕卜を問ふ爲に神に幣を供へるのである。幣に〔二字傍点〕のに〔傍点〕はとして、置くに〔六字傍点〕のに〔傍点〕はそれに〔三字傍点〕の義。○又ぞ續ぐべき 代匠記の「サキニ問シ夕卜ニアハムト告ツレド驗《シルシ》モナクテ人ニアハザリシニモ懲《コリ》ズシテ、又續テ衣ヲ幣ニ置テ重テ夕卜ヲキカマホシキトナリ。」といふ説に從ふ。考の「着たる衣の袖は又も續ぎつべきものとて解きてぬさとするといへり。」といふ説は如何かと思ふ。
【後記】 難解の歌の一つである。元來夕卜の事は明かでないが、夕卜を問ふには衣の袖を幣帛としたらしい。古今集に「手向にはつゞりの袖も切るべきに紅葉にあける神やかへさむ」といふのに似たと言はれてゐる。
 
2626 古ころも 打棄て人は 秋風の 立來る時に 物おもふものぞ
 
【口譯】 打棄てられた私は、秋風の立つて來る時分に、人戀しく物を念ふものであるよ。
【語釋】 ○古ころも 枕詞、古衣の如く打棄て〔三字傍点〕とかゝる。○釘棄て人は 原文は「打棄人者」とあつて、略解がウツテシヒトハと訓み、古義が之に從つてゐるが、姑らく字に即いて舊訓に從ふ。打棄てられた我が身をいふ。新考は打〔傍点〕を所〔傍点〕の誤としてステラエビトハと受身に訓んでゐる。意味はその通りであるが、改字(203)は一考を要する。全釋は「古き衣を打ち棄てた人。古妻即ち自分を棄てた薄情男に譬へてある。」と解してゐるが、古ごろも〔四字傍点〕を直接古妻に譬へるよりも、打棄て〔三字傍点〕を起す枕詞とする方が妥當であらう。
【後記】 自ら悲んだ歌とすべきであらう。卷三に家持が亡妻を悲しんだ歌に、「今よりは秋風寒く吹きなむをいかでか獨り長き夜を寢む」(四六二)とある如くである。
 
2627 はねかづら 今する妹が うら若み ゑみゝいかりみ 著けし紐解く
 
【口譯】 はねかづらを今したばかりの妻が、まだ年若いので、笑つたり怒つたりして、着物の紐を解くよ。
【語釋】 ○はねかづら 女の髪の飾につけたものらしい。卷四「はねかづら今する妹を夢に見て」(七〇五)、同「はねかづら今する妹はなかりしを」(七〇六)などがある。※[草冠/縵]の結び目をはねたもの、又は花かづらといひ、羽根かづちといふが明かでない。○ゑみゝいかりみ 動詞の連用にみ〔傍点〕をつけて重ねていふ時は、あゝしたりかうしたりといふ義となる。卷三「負ひみ抱《むだ》きみ」(四八一)、下の「梓弓引きみ弛べみ」(二六四〇)等參照。女の吾に對して笑つてみたりすねてみたりすること。
【後記】 相當遠慮ない嬌態を描いてゐる。上句の同じなものに、卷七「はねかづら今する妹をうら若みいざ率去河《いざかは》の音のさやけさ」(一一一二)がある。古く慣用された成句と見える。
 
(204)2628 いにしへの 倭文機帶《しづはたおび》を 結び垂れ 誰とふ人も 君にはまさじ
    一書の歌に いにしへの 狹織《さおり》の帶を むすぴたれ 誰しの人も 君にはまさじ
 
【口譯】 誰だつても貴郎にましていとしい人はありません。
【語釋】 ○いにしへの倭文機帶を結び垂れ 序詞。垂れ〔二字傍点〕の音を反覆して誰〔傍点〕を起してゐる。古風な倭文布で作つた帶に寄せたのである。倭文布は縞をなしてゐる布。卷三「倭文機の帶ときかへて」(四三一)參照。○一書の歌 同歌の異傳である。嘉暦本は歌〔傍点〕を曰〔傍点〕に作り、西本願寺本は歌〔傍点〕の下に云〔傍点〕の字がある。狹織の帶〔四字傍点〕は冠辭考に狹く織つた倭文布で、帶の料であらう。今さなだ〔三字傍点〕といふ細い紐も狹之機《さなはた》の意であらうと言つてゐる。○誰しの人も 原文は「誰之能人毛」とあつてさう訓むべきであらう。し〔傍点〕は強めの助詞。上の二六二一參照。
【後記】 麗しい古風である。歌の半ばを序詞に用ゐてゐるが、それが自ら對手の美しい姿を思はせてゐる。武烈紀の「大君の御帶の倭布機むすび垂れ誰やし人も相思はなくに」、繼體紀の「やすみしゝ我が大君のおばせるさゝらの御帶の結び垂れ誰やし人も上に出《で》てなげく」いふ先縱がある。女の歌であらう。
 
(205)2629 逢はずとも 我は恨みじ この枕 吾と念ひて まきてさ寢《ね》ませ
 
【口譯】 私は貴郎と逢はないでも怨みは致しません。貴郎はこの差上げる枕を私と思つて、枕にしてお寢《やす》み下さい。
【語釋】 ○さ寢ませ さ〔傍点〕は接頭辭。ませ〔二字傍点〕は崇敬動詞ます〔二字傍点〕の命令形。卷四「枕を離《さ》けずまきてさ寢《ね》ませ」(六三六)參照。
【後記】 男に枕を贈つた女の歌。この枕を自分と思つて寢てさへ下されば、たとひ來ぬ夜はあつても滿足するといふやさしい情緒。代匠記は遊仙窟にも枕を女に贈つて聊將(テ)代(テ)2左(ノ)腕(ニ)1、長夜(ニ)枕(セヨ)2渠《キミガ》頭(ニ)1といふ詩のあることを言つてゐる。
 
2630 結へる紐 解きし日遠み 敷妙の 吾が木枕《こまくら》は 苔むしにけり
 
【口譯】 結んだ紐を解いて逢つた日から遠い爲に、其の間に私の木枕に苔が生えましたよ。
【語釋】 ○結へる紐解きし日遠み 原文は「結紐解日遠」で、舊訓ムスブヒモトカムヒトホミとあるが、略解に從つた。舊訓によると、今結ぶ紐を解かう未來の日の遠いのでと解しなくてはならなく、下に續きに(206)くい。こゝは結んだ紐を解いた時から今まで良久しいことであるからといふので、始めて下の續きがよくなる。
【後記】 誇張した當てこすりは却つて怨みの度が和む。上に「敷妙の枕せし人言問へや其の枕には苔生ひにたり」(二五一六)といふのがあつた。
 
2631 ぬば玉の 黒髪しきて 長き夜を 手枕の上に 妹待つらむか
 
【口譯】 黒髪を敷いて、この長い夜に手枕の上に頭をして、彼の女は私を待つてゐることであらうか。
【語釋】 ○手枕の上に この句を初頭に置いて解く説もあるが、肯はれない。考が原文の「手枕〔二字傍点〕之上爾」を「乎床《・ヲドコ》〔二字傍点〕之上爾」と改めたが、それも變である。代匠記の「手枕ノ上ニ待トハミヅカラノ手ヲ枕ニシテ臥ナガラ我ヲ待ラムカトナリ」に從ふべきである。
【後記】 この歌は上の二首と共に置いてあるが、枕に寄せたといふ所は至つて薄い。只枕〔傍点〕といふ語が入つてゐるばかりである。
 
(207)2632 まそ鏡 たゞにし妹を 相見ずは 我が戀やまじ 年は經ぬとも
 
【口譯】 直接に彼の女に逢はれないことなら、私の戀は止まないよ、何年立つたとて。
【語釋】 ○まそ鏡 二句を隔てて三句にかゝつてゐる枕詞。○たゞにし〔傍点〕は強めの助詞、このし〔傍点〕はよく利《き》いてゐる。
【後記】 平明而も自由な読み口。
 
2633 まそ鏡 手に取持ちて 朝なさな 見む時さへや 戀の繁けむ
 
【口譯】 たとひ毎日毎日逢ふ時でさへも、私のこの切なる思は決して息まずにいよ/\強まることであらう。
【語釋】 ○まそ鏡手に取持ちて 朝なさな見む〔六字傍点〕を起す序詞。○見む時さへや 原文は「見人時禁屋」とあるが、嘉暦本其の他の古本に「將見時禁屋」とあるに從ふべきである。因みに禁〔傍点〕をサヘと訓むのは止める障《・サヘ》〔四字傍点〕の義からである。
【後記】 上に「まそ鏡手に取持ちて朝なさな見れども君は飽くこともなし」(二五〇二)とあるのはよく聞えてゐるが、この歌の下はやゝ解しにくい。しかしやはり古義が疑ひながら述べた意であ(208)らう。今の思の堪へられぬ強さを以て、これからを豫想した形に言做してゐる。
 
2634 里遠み 戀ひわびにけり まそ鏡 面影去らず 夢に見えこそ
    右の一首は上に柿本朝臣人麿の歌の中に見ゆるものなり。但《たゞ》句句相換ふるを以ての故に茲に載す。
 
【口譯】 里が遠いので私は戀ひ悩んでゐますよ。貴郎の幻影が私を離れずに夢に見えて下さい。
【語釋】 ○まそ鏡 枕詞、面影〔二字傍点〕につゞく。
【後記】 上の「里遠みうらぶれにけりまそかゞみ床のへ去らず夢に見えこそ」(二五〇一)の異傳であらう。
【左註】 人麿の歌といふのは右の二五〇一を指したものであつて、この註は當初からのものである。
 
2635 劔太刀 身に佩きそふる 丈夫《ますらを》や 戀とふものを 忍《しぬ》びかねてむ
 
【口譯】 劍太刀を身に佩びつけてゐる健き大丈夫が、戀などいふものを耐へ切れない筈はないがなあ。
(209)【語釋】 ○丈夫や や〔傍点〕はやは〔二字傍点〕の意であつて、下の忍びかねてむ〔六字傍点〕に應じて、忍びかねてゐようやゐてはならないといふことになり、更にかく忍びかねるとは如何と餘意を含めた形である。
【後記】 略解が言つたやうに、一二の句は「丈夫」といふ爲の序と見る方がよいであらう。しかしこの序が剛強を表すことに働いてゐる。萬葉男子が戀に悩む時、ますらを〔四字傍点〕と省みるのは亦一種の型をなした。
 
2636 つるぎ太刀 諸刃《もろは》の上に 行き觸りて 死にかも死なむ 戀ひつゝあらずは
 
【口譯】 太刀の兩刃の上にぶつつかつて、えゝ死んでしまはうか、こんな苦しい戀などしないで。
【語釋】 ○諸刃の上に 二四二九參照。○行き觸りて 舊訓はユキフレテとあるが、例の如く觸る〔二字傍点〕は四段活用である。○死にかも死なむ 死なむ〔三字傍点〕を強く言ふ形。か〔傍点〕は疑問、も〔傍点〕は詠歎であつて、死に死なむかもといふに同じ。
【後記】 上の「劍太刀もろ刃の利きに足踏みて死にかも死なむ君によりては」(二四二九)と似た歌である。前のよりも更に強烈な情を出してゐる。
 
(210)2637 うちはなひ 鼻をぞ嚔《ひ》つる つるぎたち 身に副ふ妹が 思ひけらしも
 
【口譯】 おや嚔《くさめ》が出る。私につきそふ彼の女が、私のことを思つてゐるらしいぞ。
【語釋】 ○うちはなひ 原文は「※[口+酉]」の一字で舊訓はウチナゲキとあるが、後の諸説は紛々である。代匠記は「※[口+酉]ノ字未考」といひ、考は晒〔傍点〕の字として晒(ハ)微笑といふ字注からウレシクモと訓み、略解は之を襲いだ。但し宣長が、※[口+湮の旁]〔傍点〕の誤、咽〔傍点〕と同字でムセブと訓むから、卷五に「しはぶかひ〔五字傍点〕鼻ひしびしに」(八九二)ともあり、こゝもシハブカヒと訓まうといふ説を掲げてゐる。古義は宣長に從つてゐる。木村博士の訓義辨證は、古葉略類聚抄が「〓」に作るを正しいとして、〓〔傍点〕は音義類によれば文〓〔傍点〕にも作つてあつて、訓は鼻噴也とあるから、こゝではウチハナヒと訓むがよいと説いた。今姑らく之に從ふ。ハナヒルはくさめ〔三字傍点〕をすることで、昔は人に思はれるとくさめ〔三字傍点〕をするといふ俗信があつた。二四〇八參照。○つるぎたち 枕詞、身に副ふ〔四字傍点〕を起す。○身に副ふ妹が 身に副ふ〔四字傍点〕は代匠記が「心ヲ思ヒ遣《オコ》セテ身ニ副フナリ」といつたやうに、心にて我に附添ふ義であらう。新考が我身ニ偶《タグ》フといふことであらうと解いたのは、意味がやゝ不明瞭である。
【後記】 初句の訓に疑問は殘るが仕方がない。上の「うつくしと思へりけらしな忘れと結びし紐の解くらく念へば」(二五五八)と同じく俗信による思慕である。こゝの歌は「劍太刀」に寄せたのが却つて歌をごちや/\させてゐる。若し初句を果してウチハナヒと訓むべきものとすれば、(211)愈々いやな反覆をしたものである。
 
2638 梓弓 未の腹野《はらぬ》に 鳥狩《とが》りする 君が弓弦《ゆづる》の 絶えむと思へや
 
【口譯】 私と貴郎との間は永久に絶えることはありませんぞ。
【語釋】 ○梓弓 末〔傍点〕にかゝる枕詞、末〔傍点〕は弓末《ゆずゑ》を指す。卷九「梓弓末の珠名は」(一七三八)の例がある。○末の腹野に 原文は「末之腹野」とある。諸説あるが、スヱといふ大字《おほな》の地にあるハラヌといふ野と解すべきであらう。無論其の地は未詳である。○君が弓弦の 此の句は直接絶えむ〔三字傍点〕を起してゐるが、要するに以上四句が絶えむ〔三字傍点〕を起す長い序詞となつてゐる。
【後記】 序の中に「君が」といふ語を入れた爲に、長序が空虚な贅物にならないで、生々として活いてゐる。固有地名があるから地方歌であらう。
 
2639 葛城の 襲津彦眞弓《そつひこまゆみ》 新木《あらき》にも たのめや君が 吾が名|告《の》りけむ
 
【口譯】 心強く我をたのみになさつてゐるので、貴女は私の名を人にあかしてしまつたのでせう。
(212)【語釋】 ○葛城の襲津彦眞弓 葛城襲津彦〔五字傍点〕は仁徳天皇の皇后磐之媛の御父で、武内宿禰の子である。神功紀應神紀によれば新羅征伐に向つた武將で、名の聞えた人であるから、定めて弓も強く、從つて強弓を襲津彦眞弓〔五字傍点〕といひ習はしたものであらう。○新木にも 新木〔二字傍点〕は未だ手馴れない弓のこと。引馴れない弓は硬強なので 元來強い襲津彦眞弓のその新木の弓といつて強さを重ねたのである。新木にも〔四字傍点〕は新木のやうにも〔七字傍点〕といふ副詞にした形。以上三句がたのめや〔四字傍点〕にかゝる序詞。新木のやうにも強く〔九字傍点〕と強く〔二字傍点〕を補つて見るべきである。○たのめや君が たのめや〔四字傍点〕はたのめばか〔五字傍点〕の意、君〔傍点〕は男から女を呼んだものであらう。
【後記】 無論男の歌であらう。古武將の強弓を修飾にかりた所に男性的な豪快味がある。
 
2640 梓弓 引きみ弛べみ 來《こ》ずば來ず 來ば來《こ》そをなぞ 來ずば來ばそを
 
【口譯】 駈引をなさらずと、來ないなら來ないで、來るなら來たらいゝでせうに、それをなぜ駈引をなさるのですか、駈引をなさるのですか。
【語釋】 ○引きみ弛べみ 引いたり弛めたりといふ副詞句。上の「ゑみゝ怒りみ」(二六二七)參照。引いたり弛めたりといふは人に對して駈引をすること。即ち引くなら引く、弛めるなら弛めると徹底すべきを、引くと見せて弛め、弛めると見せて引くのをいふ。この句は副詞句であるから、四句のなぞ〔二字傍点〕の下に入れてする〔二字傍点〕を補つて見るべきものであらう。○來ずば來ず 來ないなら來ないと、下の來ず〔二字傍点〕は連用中止形であるが、(213)次の來ば來〔三字傍点〕の來《こ》は命令形であつて、その命令形に對する中止であるから、意味は結局來ざれ〔三字傍点〕といふことになる。○來ば來《こ》そをなぞ 來ば來〔三字傍点〕は來るなら來い〔六字傍点〕といふこと、來《こ》は古くそのまゝ命令となり。そを〔二字傍点〕はそれだのに〔五字傍点〕の義。なぞ〔二字傍点〕は如何ぞ〔三字傍点〕でなぜ〔二字傍点〕である。已述の如くなぞ引きみ弛べみする〔十字傍点〕と補つて見るべきである。○來ずば來ばそを この句は三四の句を約して繰返したのである。來ずば〔三字傍点〕は上の來ずば來ず〔五字傍点〕の代り、來ば〔二字傍点〕は上の來ば來〔三字傍点〕の代り、そを〔二字傍点〕は上のそをなぞ〔四字傍点〕の代りである。
【後記】 上に「梓弓」の枕詞を置いたのみ、後は總べて語の反覆音の反覆から構成された歌、戯咲的にも見えるが、亦唇の薄い饒舌な女が一氣にまくし上げる調子が見えて躍動してゐる。卷四「來むといふも來ぬ時あるを來じといふを來むとは待たじ來じといふものを」(五二七)の方が後であつて、やはりこゝの歌より作爲が勝つてゐる。
 
2641 時守《ときもり》の 打鳴《うちな》す鼓 よみ見れば 時にはなりぬ 逢はなくもあやし
 
【口譯】 時報の役人が打鳴らす皷の音を數へて見ると、逢はうと約した時刻になつた。逢ひに來ないのは氣にかゝることだ。
【語釋】 ○時守の 時守〔二字傍点〕は職員令に守辰丁とあるもので、漏刻の目もりを見守つてゐて、其の時刻時刻に鐘(214)鼓を打鳴らす役人。漏刻とは水時計であつて、我が國では齊明記に皇太子(天智天皇)が初めて造つて人民に時を知らせ給うたとあり、天智紀にそれを十年夏四月に新築の宮殿に備へつけて、始めて用ゐて、鐘鼓で時を知らせ給うたとあるのが初である。○打鳴す鼓 ならす〔三字傍点〕を古くなす〔二字傍点〕と言つた。卷二「吹鳴《ふきな》せる小角《くだ》の音も」(一九九)參照。○よみ見れば 原文は「數見者」とあるから、舊訓のカゾフレバよりも略解のヨミミレバがよいであらう。○逢はなくもあやし も〔傍点〕は詠歎の助詞。逢はないのが氣にかゝる意。
【後記】 外國輸入の文化の背景が、其の人々の生活を鮮明に描き出させる。
 
2642 燈火の 影にかゞよふ うつせみの 妹が咲《ゑ》まひし 面影に見ゆ
 
【口譯】 燈火の火影に照り映えて見えるあの正眞《ほんもの》の彼の女の笑顔が、まざ/\幻影として見える(215)よ。
【語釋】 ○影にかゞよふ 影〔傍点〕はほかげ即ち燈光。かゞよふ〔四字傍点〕は耀くこと。○うつせみの 現實の身といふこと。ここは枕詞ではない。
【後記】 「うつせみの」といつたのが、面影ながらあまりに印象鮮明にといふ意味であらう。うつせみ〔四字傍点〕と面影〔二字傍点〕とを對照させた技巧ともいはれるが、うつせみ〔四字傍点〕か面影〔二字傍点〕かといふ境を不用意に言つたとも見られる。
 
2643 玉桙の 道ゆき疲れ いなむしろ しきても君を 見むよしもがも
 
【口譯】 度《たび》繁くまあ、あのお方に逢ひつゞけることが出來ましたらなあ。
【語釋】 ○いなむしろ 稻蓆といふ説もあるが、寢蓆《いねむしろ》といふ方が穩かだらう。殊にこゝの續き合などから考へてもさうである。卷八、一五二〇參照。これから上三句はしき〔二字傍点〕を起す序。○しきても 敷く〔二字傍点〕を繁く〔二字傍点〕に轉じたのである。繁く〔二字傍点〕は頻にする義の動詞である。既出。
【後記】 道を行き疲れて寢ね休むいなむしろと言回したのは、迂曲のやうにもあるが、この序詞の中には男の通ふ道の遠さ、妹と寢るなどの聯想をそゝつて、何とない韻《にほひ》がある。
 
(216)2644 小墾田《をはりだ》の 板田の橋の 壞《こぼ》れなば 桁より行かむ な戀ひそ吾妹《わぎも》
 
【口譯】 小墾田の板田の橋がこはれたならば、其の殘つた桁をつたつても必ず行くよ。決して心配するな吾が妻よ。
【語釋】 ○小墾田の 大和國高市郡飛鳥にある地名、推古天皇の皇居は小墾田宮である。○板田の橋の 板〔傍点〕は坂〔傍点〕の誤とするのが考の説であつて、或は推古紀に見える南淵坂田尼寺の附近とも考へられるが、坂〔傍点〕に作つた異本もなし、平安朝の歌枕にもいただのはし〔六字傍点〕が見えるから、姑らく原文に從つて其の地は未詳とするより外ない。○こぼれなば 略解はクヅレナバと改めたが、舊訓のまゝがよい。こぼる〔三字傍点〕は他動こぼつ〔三字傍点〕に對する自動である。
【後記】 新考は此の歌を解して、女の許から、君の來ないのは途中の坂田橋(新考は坂田〔二字傍点〕に從ふ)がこはれたのだらうと、戯れて言つてよこしたのに答へたのであると言つてゐるが、必ずしもそれまではと思ふ。男が誓を立てるに、あるべからざることをいふのが古代の風であるから、男自らが假設したものといふ方がよい。從つて考が、坂田の橋が朽ちてゐたなど考へたのも取られない説である。
 
(217)2645 宮木引く 泉の杣に 立つ民の やむ時もなく 戀ひわたるかも
 
【口譯】 私は引つ切りなしにあの人を戀ひつゞけてゐますわよ。
【語釋】 ○宮木引く 宮殿造營の用材を引出すこと。○泉の杣に 泉〔傍点〕は山城國相樂郡の地名。杣〔傍点〕は杣山ともいひ、材木を伐出す山。卷三「和束そま山」(四七六)參照。○立つ 人夫として服從すること。以上三句がやむ時もなく〔六字傍点〕の序詞。
【後記】 この歌は直ちに卷一藤原宮の役民の作れる歌(五〇)を聯想させるのである。宮殿造營の奉仕が當時の重大な事柄とされてゐたことが知れる。この歌も序が大きすぎるが、恰も皇居造營の事のあつた際にでも出來たものか。やはり民謠のやうである。
 
2646 住吉《すみのえ》の 津守網引《つもりあびき》の うけの緒の 浮かれか行かむ 戀ひつゝあらずは
 
【口譯】 いつそ浮かれ出て行かうか、こんなに戀ひ焦がれてゐずにさ。
【語釋】 ○津守網引の 津守〔二字傍点〕は住吉の津の番人。和名抄に西成郡津守郷がある。津守のゐた所であらう。網引〔二字傍点〕は引網である。卷三、二三八參照。○うけの緒の うけ〔二字傍点〕は網のうき〔二字傍点〕、和名抄に「泛子【宇介】」とあるもの。(218)緒〔傍点〕はたゞつゞけていふ語であつて、うけの緒〔四字傍点〕でうけ〔二字傍点〕のこと。以上が浮かれ〔三字傍点〕を起し來る序。○浮かれか行かむ か〔傍点〕は疑問助詞、下に回して浮かれ行かむかの義。浮かれ〔三字傍点〕は何處となくふら/\歩くあくのをいふ。
【後記】 以上三首は固有地名の入つた序があるから、一所に置いたのであるらしい。
 
2647 横雲の 空ゆ引越し 遠みこそ 目言《めごと》離《か》るらめ 絶ゆと隔つや
 
【口譯】 距離が遠いからこそ、お逢ひすることもお話することも難からうが、まさかふつつり切れてしまはうとお隔てなさるのではないでせうね。
【語釋】 ○横雲の 原文の「東細布」は他に例はないが、舊訓のやうにヨコグモノと訓むのであらうとされ、曉の横雲は東天に細い布を引くやうに見えるからと解かれてゐる。○空ゆ引越し ゆ〔傍点〕はに〔傍点〕又はを〔傍点〕と同じく其の場處を示す。引越し〔三字傍点〕は引延へわたり〔六字傍点〕といふこと。越し〔二字傍点〕を山を越すとする説もあるがさうではなからう。横雲の長く引延へた空の距たりを遠いと言つたのであらう。以上が遠み〔二字傍点〕を起す序。○目言離るらめ 目〔傍点〕は逢ふこと、言〔傍点〕は語らふこと。卷二「味さはふ目言も絶えぬ」(一九六)、卷四「何しかも目言をだにもこゝだ乏《とも》しき」(六八九)參照。離る〔二字傍点〕は疎くなること。らめ〔二字傍点〕はらむ〔二字傍点〕の已然形で上のこそ〔二字傍点〕に應じてゐるが、こゝで切れるのではなくて、遠いからこそ目言も疎くならうがと下へつゞく語氣である。○絶ゆと隔つや 絶ゆ〔二字傍点〕は縁を切ること、隔つ〔二字傍点〕は全くたよりもないこと、や〔傍点〕は疑の助詞。
(219)【後記】 この歌も訓義難解の一つであるが、姑らく上の如く解した。女が男にやつた歌となる。新訓は類聚古巣に從つて「横雲の空ゆ延《ひ》き越し遠みこそ目言疎からめ絶ゆと問はすや」と訓ませた。さうすれば男から女にやつた歌になる、亦一解であらう。
 
2648 かにかくに 物は念はず 飛騨人の 打つ墨繩の たゞ一道《ひとみち》に
 
【口譯】 彼方此方《あつちこつち》に思ひ悩みはいたしません、只一本筋に貴郎を頼みに思つてをります。
【語釋】 ○かにかくに かに〔二字傍点〕はああ、かくに〔五字傍点〕はかう〔二字傍点〕といふ副詞。彼方《あちら》に此方《こちら》にといふに同じ。卷四「かにかくに心は持たず」(六一九)參照。下の二六九一に「かにかくに物は念はず」といふ同句がある。○飛騨人の 飛騨人〔三字傍点〕は其の國の工匠。卷七、一一七三參照。○打つ墨繩の 墨繩〔二字傍点〕は今大工の用ゐる墨壺のこと。卷五「墨繩をはへたる如く」(八九四)とある。打つ〔二字傍点〕は墨壺の絲を引張つて、材木に直線を附ける動作をいふ。又引張る動作はハヘともカケとも言つた。成實論天長點には「止如牽繩」とある文を「止ハスミナハウツガ如シ」と訓じてゐる。飛騨人の打つ墨繩の〔九字傍点〕はそれの如くと序に置いたのである。○たゞ一道に 舊訓はタダヒトスヂニであるが、文字通りで通ずる。一道〔二字傍点〕は一本筋にといふこと、ヒタミチといふに同じ。
【後記】 この歌は一筋に男を頼むといふので、下の「かにかくに物は念はず朝露の吾が身一つは(220)君がまに/\」(二六九一)が我が一身を任せるといふのと比して、この方が男の心に衝入る強さがある。しかし、共にかにかくに思ひつゝ、思はず〔三字傍点〕と言つた所が女の悩みである。
 
2649 あしひきの 山田守る翁《をぢ》が 置く蚊火《かび》の 下焦がれのみ 我が戀ひをらく
 
【口譯】 心中で戀ひ焦がれてばかり、私は戀ひ焦がれてゐることよ。
【語釋】 ○山田守る翁が 翁〔傍点〕をヲヂといふ。神代紀に「老翁此云2烏膩《ヲヂ》1」とあり、卷十七に「さ山田の乎治〔二字傍点〕が」(四〇一四)とある。○置く蚊火の 蚊火〔二字傍点〕は蚊遣りの火であらう。卷十に「朝がすみ鹿火屋《かひや》が下に鳴くかはづ」(二二六五)とあつて、之を猪鹿を逐ふ火と解し、こゝのをも同一に取る説があり、又鹿火〔二字傍点〕と蚊火〔二字傍点〕とを別けて考へる説があり、その他にも種々の説があるが、こゝは姑らく文字に從つて解しておく。卷十の其の條參照。○下焦がれのみ 下〔傍点〕は心中をいふ。○我が戀ひをらく をらく〔三字傍点〕はをる〔二字傍点〕といふ連體形の一形で、をることよ〔五字傍点〕といふ詠歎的表現。
【後記】 例の大きな序の方が吾等の想像をそゝる。暗い中に焚いたものが、燃えるのでなく燻《く》ゆつてゐて、火のあるかなきかに見えるのを下焦がれに譬へたものであらう。
 
(221)2650 そぎ板もち 葺ける板目の あはせずは 如何にせむとか 吾が寐そめけむ
 
【口譯】 若し私をあの方に會はせないことにでもならう時、一體どうしようといふ考があつてか、私はあの方と寢初めたんだらう。
【語釋】 ○そぎ板もち 舊訓ソギイタモテとなつてゐるが古格でない。そぎ板〔三字傍点〕は今のコケラ、地方によつてはソゲ板といふのが是である。○葺ける板目の 板目〔二字傍点〕は板と板との葺合せ目。初二は序。板目の合ふとかけて、あはせず〔四字傍点〕と轉じたのである。○あはせずは 原文は「不令相者」で舊訓アハザラバとあるが、令〔傍点〕の字があるから、夙く代匠記の言つたのに從ふべきである。親などの許さないのをいふ。
【後記】 女の歌である。語の言回しは現代と違ふが、「私はあの方に許して了つた。ひよつとしてお母さんがいけないなんて言つたら、私どうしよう。」と言ふに過ぎない。少女の輕い心配である。
 
2651 難波人 葦火焚く屋の すしてあれど 己が妻こそ 常《とこ》めづらしき
 
【口譯】 難波の人の葦火を焚く家が煤けてゐるやうに、古びてはゐるけれど、自分の妻となると何時見ても見飽かないよ。
【語釋】 ○葦火焚く屋の 難波地方は葦が茂いから葦を燃料として焚くものと見える。○すしてあれど 原(222)文は。「酢四宇雖有」とあり、舊訓ススタレドであるが、字面からはスシテアレドといふべきであらう。他に見ない語であるが、煤けることにススといふ動詞があつたと見える。初二の句を序として、この句を人の古びてあれど〔六字傍点〕の義に轉用したのである。○常めづらしき 古義はツネメヅラシキと訓んだが、舊訓に從ふ。常〔傍点〕は永久の義。上のこそ〔二字傍点〕を承けるにめづらしき〔五字傍点〕の連體を以てするのは形容詞に於ける古格である。下の「最も今こそ〔二字傍点〕戀はすべなき〔二字傍点〕」(二七八一)も之に同じ。この頃は形容詞の已然形は未だ發達しなかつた。
【後記】》 序に野趣があると共に、素朴の醇情が見える。
 
2652 妹が髪 上竹葉野《あげたかはぬ》の 放ち駒 あらびにけらし 逢はなく思へば
 
【口譯】 彼の女の心は私から疎く離れてしまつたらしい。この頃絶えて逢はないのを思ふと。
【語釋】 ○妹が髪 枕詞、髪は上げたく〔四字傍点〕といふより、上竹葉野〔四字傍点〕にかゝる。○上竹葉野の、原文は「上小竹葉野之」とあつて、舊訓はアゲササハノノと訓んでゐるが、今は姑らく久老の信濃漫録中の城戸千楯の説に據る。(古義は千楯の説に基いて、原文の小〔傍点〕を衍字としてカミタカハヌと訓ませた。)前述の如く髪を上げたくと掛けたと解するのも千楯の説に據つたのである。タカハ又はタカバの地名は未詳である。和名抄には山城國綴喜郡多河郷、豐前國田河郡があり、又出羽國田河郡田河郷、壹岐郡田河郷などがあり、卷十二の「誰葉野」(二八六三)も同じかと思はれるが明かでない。尚卷五の序に「安藝國佐伯郡|高庭《タカバ》驛家」(八八六)な(223)どもある。○放ち駒 舊訓ハナレコマとあるが、考に從ふ。放牧の駒をいふ。以上三句は序詞。○あらびにけらし 原文は「蕩去家良思」、舊訓アレユキケラシとあるが、今略解に從ふ。アラブは離れ去るをいふ。卷二「放ち鳥あらびな行きそ」(一七二)とあるに同じ。○逢はなく思へば 舊訓アハヌオモヘバであるが、アハナクオモヘバ又はアハナクモヘバがよい。逢はぬを思へばの義。
【後記】 この歌は序詞ながら「妹が髪」とあるから、男の歌と見る方が妥當であらう。從つて「逢はなく思へば」といふのは、女が逢はないと見なければならない。さて「上小竹葉野之」の訓方については、まだ問題が殘されてゐる。アゲタカハヌと訓ずることは小〔傍点〕の字を衍としなくてはならないのであるが、小〔傍点〕のない異本もないのである。元來小竹〔二字傍点〕は集の用字としてはササ又はシヌに用ゐてある。小竹葉野をササバヌといふ一訓は古くあるが、上からの係りが意義をなさないといふので、タカバヌと改めたのであるが、小〔傍点〕を除かなければならない難がある。自分は試みにシヌの方を取つてシヌバヌと訓んで解して見る。上〔傍点〕のアゲは「妹が髪」から言つたのであつて、地名には入らない。きてアゲシヌハヌとつゞけたのは、上げしなふ〔五字傍点〕といふ義からであらうと思ふ。卷十二「たがは野に立ちしなひ〔三字傍点〕たる菅の根の」(二八六三或本歌)とある如く、髪の靡き垂れるをもしなふ〔三字傍点〕といふ。下の「吾妹子を聞き都賀野邊のしなひ〔三字傍点〕合歡木《ねぶ》吾はしぬび〔三字傍点〕得ず(224)間なくし念へば」(二七五二)のしなひ〔三字傍点〕も同語であるが、之はしなひ〔三字傍点〕からしぬび〔三字傍点〕を導いてゐる。從つて今の歌はしぬばぬ〔四字傍点〕にしなふ〔三字傍点〕を利《き》かせてあると見ることに無理はない。大日本地名辭書によれば武藏國には篠場《しのば》及び篠葉《しのば》が見える。前者は大里郡小原村に、後者は北足立郡草加村にある。これらの中に限ることは出來ないにしても、かゝる名の原野が何處かにあつたらうと思ふのである。試みに記して後考を待つ。
 
2653 馬の音《と》の とゞともすれば 松陰に 出でてぞ見つる けだし君かと
 
【口譯】 馬の足音がどん/\とすると、私は松の木蔭に出て見ましたよ、若しやあのお方ではないかと思つて。
【語釋】 ○とゞともすれば とゞ〔二字傍点〕はどん/\といふ擬聲語、卷十四「奥山の眞木の板戸をとゞ〔二字傍点〕として」(三四六七)參照。トドロニ・トドロクなどのトドも同じもの。○けだし君かと 原文は「若君香跡」で舊訓はモシハキミカトとあり、考はモシモと改めてゐるが、今古義に從ふ。卷十二「若雲君來まさずは」(二九二九)の若雲〔二字傍点〕はケダシクモと訓むのが妥當であるから、この歌もさう訓まれる。
【後記】 女の男を待つ心。表現は平明でありながら、情緒の切なるものがある。
 
(225)2654 君に戀ひ 寢《い》ねぬ朝明《あさけ》に 誰が乘れる 馬の足《あ》の音《おと》 吾に聞かする
 
【口譯】 あの人に戀ひ焦がれて寢られない明方に、誰が乘つて歸る馬の足音を私に聞かせて、いよ/\堪へられなくするのか。
【語釋】 ○馬の足の音 原文は「馬足音」とあり舊訓はウマノアシオトゾ、考はウマノアオトゾであるが、古義はウマノアノトゾと讀んだ。私かに案ふに末句の「聞かする」は誰が〔二字傍点〕の疑問詞に應じたものであつて、其の間にぞ〔傍点〕をば要しない。若し其のぞ〔傍点〕を終助詞とすると、聞かする〔四字傍点〕が孤立して連體終止が怪しくなる。それ故自分は卷十四「あのおと〔四字傍点〕せず」(三三八七)によつて、ウマノアノオトと訓む。
【後記】 前の歌に比しては、妬みを伴つて堪へられぬ閨怨。
 
2655 紅の 裾引く道を 中に置きて 妾《われ》や通はむ 君や來まさむ
    一つに云はく、裾|漬《つ》く川を  又曰はく、待ちにか待たむ
 
【口譯】 私と貴郎との間は大分道が隔たつてゐますが、私が通ひませうか、貴郎に來ていたゞきませうか。
(226)【語釋】 ○紅の裾引く道を 紅の裳裾を引いて行く道といふのは、自ら女であるから言つたのであつて、只人の行通ふ道といふに同じ。○中に置きて 隔ててといふ義。○裾漬く川を 「裾引く道を」の異傳、紅の裾を濡らす川をの義。○待ちにか待たむ 「君や來まさむ」の異傳であつて、待ちつゞけようかの義。
【後記】 初二句は續後紀の童謠「玉の兒の裾牽く坊《まち》に」とあるに似てゐて、女たる作者の通ふを想はせて優美である。末二句は古今集の「君や來む我やゆかむのいざよひに」に似てゐると言はれてゐるが、異傳によると、卷二「迎へか行かむ待ちにか待たむ」(八五)を聯想させる。
 
2656 天飛ぶや 輕《かる》の社の 齋槻《いはひつき》 幾世まであらむ こもり嬬《づま》ぞも
 
【口譯】 何時までかうして置かう隱し妻ぞまあ。
【語釋】 ○天飛ぶや 空飛ぶよの義で「鴈《かり》」にかゝる枕詞。かり〔二字傍点〕を轉じてかる〔二字傍点〕にもつゞける。○輕の社の 輕〔傍点〕は大和國高市郡にある地名。卷二「輕路者《カルノミチハ》」(二〇七)參照。輕の社〔三字傍点〕は延喜式に大和國高市郡輕樹坐神社二座とあるのかといふ。今白橿村大字池尻にある。○齋槻 神木として祀つてある槻の木。以上三句は序詞。神木の年久しく古いのを以て幾世〔二字傍点〕を起したのである。○こもり嬬ぞも こもり嬬〔四字傍点〕は人目をはゞかつて隱しておく妻。
【後記】 晴れて逢ふ日を待ちかねた歎きである。輕の社の齋槻は、其の隱妻のゐる地を出してゐ(227)るのだらうし、神木に寄せたのは、二人の間の神聖さを思はせてよい。
 
2657 神南備《かむなび》に 神籬《ひもろぎ》立てて いはへども 人の心は まもりあへぬもの
 
【口譯】 神の森に神籬を立てて神樣を齋き祀つても、人の心の變るのは、見張り切れないものだよ。
【語釋】 ○神南備に 神の森に。神の齋く森で固有の地名ではない。○神籬 神を祀る爲に常磐木を立てて前座とするもの。崇神紀に「神籬此云比莽侶伎」、和名抄に「日本紀私記云、神籬、俗云比保路岐」とある。ヒモロギの義を記傳には柴室木《フシムロギ》の意でフシをつゞめてとヒいふのだといひ、他にも諸説があつて明かでない。私案にはヒは靈の義、モロは守る義、ギは木であつて、神の宿る木の意ではないかと思ふ。
【後記】 やはり神に寄せた戀であるが、神に祈つても移りゆく人心を如何ともし難い歎き。下句は平易ながら力がある。この句は原文が「間守不敢物」であつて舊訓はマモリアヘヌカモ、考も之に從つて物〔傍点〕の字を疑〔傍点〕に改めてゐるが、無理のやうである。
 
2658 天雲の 八重雲がくり 鳴神の 音のみにやも 聞きわたりなむ
 
(228)【口譯】 評判にばかり聞いて(逢ふことが出來ずに)月日を過すことであらうかなあ。
【語釋】 ○天雲の八重雲がくり鳴神の 音〔傍点〕を起す序詞。空の雲の八重に深い雲の中で鳴る雷のといふ義。この序詞は暗に對手の深窓にあることを思はせてゐる。○音のみにやも 音〔傍点〕はうはさの義。やも〔二字傍点〕はかまあ〔三字傍点〕といふので疑問の歎きである。流布本の原文は「音爾耳八方」とあるが、嘉暦本に「音耳爾八方」とあるのがよい。ノミとニとの前後については、上の二四七九・二五五三等參照。
【後記】 古今集の「逢ふことは雲居はるかに鳴神の音に聞きつゝ戀ひわたるかな」はこの歌を踏まへたものである。雷は鳴る神であるから、寄神戀の中に挿入したのである。
 
2659 爭へば 神もにくます よしゑやし よそふる君が 惡《にく》からなくに
 
【口譯】 すべてあらがふことは神樣もおにくしみになるのだ。まゝよ抗辯などすまい、私との間を世人の噂する貴郎は内實惡くはないのだから。
【語釋】 ○神もにくます にくます〔四字傍点〕は惡むの敬語。○よしゑやし よしやと同じく、まゝよ〔三字傍点〕の義。○よそふる君が よそふ〔三字傍点〕はよす〔二字傍点〕の更にハ行活用となつた形。よそへいふ又はいひよそへることで、關係づけて言ふ意。よそふる君〔五字傍点〕は我に關係づけていふ貴部といふこと。
(229)【後記】 名の立つたのは迷惑ながら、さて抗辯も出來ぬまで深くなつた我が心よと、男に求めるうぶな女心である。
 
2660 夜ならべて 君を來ませと ちはやぶる 神の社を のまぬ日はなし
 
【口譯】 毎夜毎夜貴郎の來て下さるやうにと、神のお社を祈らない日とてはありません。
【語釋】 ○夜ならべて 毎夜引續いての義。○君を來ませと を〔傍点〕はよ〔傍点〕と同じく詠歎の助詞で、強めに用ゐる。
【後記】 女の歌。下の「吾妹子に」(二六六二)と同型。
 
2661 靈ちはふ 神も我をば 打棄《うつ》てこそ しゑや命の 惜しけくも無し
 
【口譯】 神樣ももう私をば見放して下さい。えゝもう命など惜しくはございません。
【語釋】 ○靈ちはふ ちはふ〔三字傍点〕は神力で幸《さき》はへる義。人の靈魂を幸にあらしめるといふので神〔傍点〕にかゝる枕詞。○打棄てこそ うつて〔三字傍点〕はうちうての約、うち〔二字傍点〕は接頭辭、うて〔二字傍点〕は棄《う》つの連用形、こそ〔二字傍点〕は希望の助詞。うちすて給への義。○しゑや えゝいつそなどいふ感動詞。
【後記】》 戀に破れた絶望の聲。神も見放し給へとは如何にも力強い表現である。
 
(230)2662 吾妹子に 又も逢はむと ちはやぶる 神の社を 祈《の》まぬ日はなし
 
【口譯】 愛《いと》しい彼の女に又逢ひたいと、神樣のお社を祈らない日とてはないよ。
【後記】 上の「夜ならべて」(二六六〇)は女の歌、これは男の歌、共に平凡。
 
2663 ちはやぶる 神の齋垣《いがき》も 越えぬべし 今は吾が名の 惜しけくもなし
 
【口譯】 神社の神聖な垣を押切つて越えもしませう。もう私の名の立つなど惜しいことはありません。
【語釋】 ○齋垣 いみがきの義で神聖な神垣のこと。和名抄に「日本紀私記云、瑞籬、俗云美豆加伎一云以賀岐瞳」とあつて、みづがき〔四字傍点〕ともいふ。○越えぬべし 神聖冒すべからざる神垣を敢へて越えようといふ義で、この戀の遂げられる爲には、如何なる神罰を蒙るも辭せずといふ義。
【後記】 卷七「木綿《ゆふ》かけて齋むこの杜も越えぬべく思ほゆるかも戀のしげきに」(一三七八)は類歌である。神に祈《の》むは平凡であるが、神意に違つても戀を遂げよう、まして名などものかはといふ力強さは、上の「靈ちはふ」(二六六一)と好一對である。以上寄神戀。
 
(231)2664 夕月夜《ゆふづくよ》 あかとき闇の 朝影に 吾が身はなりぬ 汝《な》を思《も》ひかねに
 
【口譯】 瘠せやつれた姿に私の體はなりました。貴女をいとしく思ふ心に堪へかねて。
【語釋】 ○夕月夜あかとき闇の 夕月夜の時分は明方に闇になるから言つたので、朝〔傍点〕につゞく序詞。○朝影に 既出、上の二六一九參照。○汝を思ひかねに 原文は「汝乎念金丹」で舊訓ナレヲオモフカニ、宣長は丹〔傍点〕を衍としてナヲオモヒガネかといひ、古義は丹〔傍点〕を手〔傍点〕の誤としてナヲオモヒカネテと訓んでゐる。今姑らく文字に從つて訓むことにした。に〔傍点〕は其の句を副詞句とする爲に添へたので、かねて〔三字傍点〕と言ふも同じ。
【後記】 月に寄せたものと見てこゝに取つたのである。
 
2665 月しあれば 明くらむ別《わき》も 知らずして 寢て吾が來しを 人見けむかも
 
【口譯】 月があるので、夜が明けたか否やの差別も知らずに、うつかり寢過して歸つて來たのを人が見はしなかつたらうかなあ。
【語釋】 ○明くらむ別も あき〔二字傍点〕は區別の意、上の「年月の往くらむ別も」(二五三六)參照。
【後記】 平安朝風に少し作爲があるやうにも思はれるが、月に欺かれて寢過したといふのはあり(232)さうな事。
 
2666 妹が目の 見まく欲しけく 夕闇の 木の葉がくれる 月待つごとし
 
【口譯】 彼の女の姿の見たさは、恰も夕闇の木の葉隱れの月の出るのを待つやうなものだ。
【語釋】 ○見まく欲しけく 見むことの欲しきことの義、まく〔二字傍点〕はむ〔傍点〕の連體の一形で名詞形。欲しけく〔四字傍点〕は欲し〔二字傍点〕の語幹のけく〔二字傍点〕を取つて副詞形又は名詞形となつたもの。○木の葉がくれる 原文は「木葉隱有」で、舊訓コノハゴモレルとあるが、下に「奥山の木の葉隱りて行く水の」(二七一一)のもコノハガクリテと訓まれるから、こゝも吉義の訓に從ふ。カクルは古く四段活用であるから、カクリアリの約がカクレリとなることは他の語と一般である。○月待つ如し 原文は「月待如」で舊訓はツキマツガゴトとあるが、ゴトは副詞形であるから、欲しけく〔四字傍点〕と從なつて文の結を失ふ。之も古義に從つた方がよい。
【後記】 これは十分直喩の樣式になつてゐて、集に於ける寄せるといふ義の甚だ漠たるを思はせる。之も技巧の勝つた後世風な歌。
 
2667 眞袖持ち 床打拂ひ 君待つと 居りし間に 月傾きぬ
 
(233)【口譯】 袖を持つて床を打拂つて、あの方《かた》を待つて居たうちに、月が西へ傾いて了つた。
【語釋】 ○君待つと 下にて〔傍点〕若しくはして〔二字傍点〕を補つて見る。
【後記】 卷二十家持の天漢の歌「秋風に今か今かと紐ときてうら待ちをるに月傾きぬ」(四三一一)は多分この歌を踏んだものであらう。
 
2668 二上《ふたがみ》に 隱ろふ月の 惜しけども 妹が袂を かるゝこの頃
 
【口譯】 まことに惜しくはあるが、據なく彼の女の袂から遠ざかつてゐるこの頃よなあ。
【語釋】 ○二上に隱ろふ月の 二上〔二字傍点〕は山の名、大和國北葛城郡の西方に峙つ。既出、一六四・一〇九八參照。この二句は惜しけども〔五字傍点〕の序詞。○惜しけども 後の惜しけれども〔六字傍点〕に同じ。卷五「命惜しけど〔五字傍点〕せむすべもなし」(八〇四)とある。すべて形容詞の已然形にけ〔傍点〕とのみ用ゐた。○かるゝこの頃 かるゝ〔三字傍点〕は離れること、妹が袂をかるゝ〔七字傍点〕は妹に逢はないこと。
【後記】 二上山に月の隱れるのを序に用ゐるのは、やはり大和平野に發生した地方歌であらう。
 
2669 吾が背子が 振りさけ見つゝ 歎くらむ 清き月夜《つくよ》に 雲なたなびき
 
(234)【口譯】 私の夫が遙かに眺めながら私を思つてゐるだらうこの清い月に、雲がかゝらないでおくれ。
【語釋】 ○歎くらむ 清き月夜〔四字傍点〕につゞく。らむ〔二字傍点〕は連體である。
【後記】 上の「遠妻の振りさけ見つゝしぬぶらむこの月の面に雲な棚引き」(二四六〇)は男の歌、これは女の歌、古代民謠の流動性を見ることが出來る。
 
2670 まそ鏡 清き月夜《つくよ》の ゆつりなば おもひは止まず 戀こそ増さめ
 
【口譯】 この清い月が西に傾いたならば、思が止まないでいよ/\戀しさが増さうよ。
【語釋】 ○まそ鏡 清き〔二字傍点〕を起す枕詞。○ゆつりなば 卷四に「松の葉に月はゆつりぬ」(六二三)とある。ゆつる〔三字傍点〕は月の傾くこと。原文は「湯徙去者」とあつて、舊訓はユツロヘバ、代匠記はユツリユケバとしたが、考以下の訓がよい。○おもひは止まず 略解や古義はオモヒハヤマジと訓んだが、止まずして〔五字傍点〕と下へ續く格だからヤマズであるとした新考の説がよい。この句を解して、代匠記精撰本は「今は來ジト思ヒ捨テモ寢ベキ事ナルニ、思ヒハヤマズシティトド戀ノマサルトナリ」といひ、古義は「吾思ひも、月と共に鎭るべきに、さはなくして人を待つたのみもない故に」としてゐるが、如何であらう。來ない我が夫を待ちわびる思の中にも、中天に清い月を見る間はまだしも、月の傾く心細さにつれて思ひはやまずして、いよ/\戀ひまさらうと(235)いふのではなからうか。尚この歌は必ずしも男を待つ女の思とのみも考へられない。下の二六七三參照。
【後記】 「思ひは止まず」が問題となる歌である。止みさうなものだのに止まずと理窟に解しないで、思ひは止まざるのみか、いよ/\強くなると解すべきではなからうか。
 
2671 こよひの 有明月夜《ありあけづくよ》 ありつゝも 君をおきては 待つ人もなし
 
【口譯】 かう待ちつゝ在り存《なが》らへてまあ、貴郎を待つより外待つ人もありません。
【語釋】 ○こよひの 原文は「今夜之」で舊訓はコノヨラノ、考はコノヨヒノとしたが、今夜〔二字傍点〕は集中コヨヒと讀むのが普通になつてゐるからそれに從つた。○有明月夜 以上が序詞、有明〔二字傍点〕のあり〔二字傍点〕を反覆してありつゝも〔五字傍点〕を起したのである。○ありつゝも 存《なが》らへつゞけての義。古義の「あり/\て夜更るまでも」と解したのは當らない。之は久しく絶えて來ない男に對する歌であつて、この句はかうして男の來ないながら夜な/\待ちつゞけてといふ義である。
【後記】 初二は序であるが、人を待つ夜の背景をなしてゐる。女が自分の誠意を見せて男に求める心を含ませたもの。新考は「ありつゝも」の下に君ヲバ待タムといふことを略したものと解いたが、元來ありつゝも〔五字傍点〕は現在ある情態を繼續しつゝの義であるから、かうありつゝも〔七字傍点〕即ち現(236)在の待つことを續けつゝもの義と取れば、必ずしも補入しなくてもよいと思ふ。
 
2672 此の山の 嶺《みね》に近しと 吾が見つる 月の空なる 戀もするかも
 
【口譯】 私は心が拔け出て、全く夢中な戀をすることであるわい。
【語釋】 ○此の山の嶺に近しと吾が見つる 月〔傍点〕とつゞく。山を出たばかりであると見たの義。○月の空なる 初句から此の月の〔二字傍点〕までが空なる〔三字傍点〕を起す序。空なる〔三字傍点〕は中天にある義、山を出たばかりであると見た月はやがて中天に上るとつゞけたのである。而して空なる〔三字傍点〕は心の空なることで、上《うは》の空とか夢中とかいふ義。上の「心空なり」(二五四一)參照。
【後記】 月が背景をなしてはゐるが、あまり長過ぎる序である。
 
2673 ぬば玉の 夜渡る月の ゆつりなば 更にや妹に 吾が戀ひをらむ
 
【口譯】 空ゆく月が西に傾いたならば、一層彼の女に戀ひ焦がれるであらう。
【後記】 月に對して隔つてゐる女を思ふにも、かく月の中天なる間は未だしも、月の傾くにつれていよ/\心細く更に戀しさのまさりゆかう氣特を歌つたもの。上の「まそ鏡清き月夜の」(二五六〇)(237)と同想であるが、この歌を見るとかの歌も必ずしも女の歌とのみは見られないのである。
 
2674 朽網山《くたみやま》 夕ゐる雲の 薄《うす》れゆかば 我は戀ひむな 君が目を欲《ほ》り
 
【口譯】 これから貴郎が影をかくして立去られたならば、私は戀しく思ひませうよ、貴郎にお逢ひしたくて。
【語釋】 ○朽網山 豐後國直入郡の久住《クヂユウ》山の古名。豐後風土記に朽網之峯とも救※[譚の旁]峰とも見えてゐるものである。○夕ゐる雲 夕方山にかゝる雲の義。以上薄れゆかば〔五字傍点〕の序。○薄れゆかば 原文は「薄往者」で舊訓はウスラガバ、考は薄〔傍点〕を轉〔傍点〕と改めてユツリナバ、古義は薄〔傍点〕を發〔傍点〕としてタチテイナバと訓み、新考はタチユカバと訓んだが、姑らく文字に即いて新訓に從ふ。嶺の夕雲が漸次薄くなつて消えゆくのを、一方人の影を隱して立去るに取つたのであらう。
【後記】 豐後地方の民謠と見るべきである。代匠記初稿本は初二句を序とする見方と、實境とする見方との二(238)説を出したのであるが、やはり之は序とすべきものであらう。「薄れゆかば」はこの歌の一疑點であるが、男の立去ることを言つたのであつて、情の薄らぐことと釋けないこともないが、それは餘りに近代風の見方であらう。歌は他地方へ別れゆく男に對した女の心と見るべきものと思ふ。
 
2675 君が著る 三笠の山に 居る雲の 立てばつがるゝ 戀もするかも
 
【口譯】 止むかと思ふと、次から次へと引續いて起つて來る戀心であるよ。
【語釋】 ○君が著る 枕詞、御笠〔二字傍点〕につゞく。○立てばつがるゝ 立てば〔三字傍点〕までが序。雲が立てば其の後から又續いて立つといふのをつがるゝ〔四字傍点〕につゞけたのである。
【後記】 卷三に山部赤人の作「高鞍の三笠の山に鳴く鳥の止めば繼がるゝ戀もするかも」(三七三)は同想であるが、恐らく赤人がこの歌を摸したものであらう。
 
2676 久方の 天飛ぶ雲に ありてしか 君を相見む おつる日なしに
 
【口譯】 空を飛ぶ雲であつてほしい。さすれば君にお目にかゝれるでせう、缺ける日がなしに。
【語釋】 ○君を相見む 原文は「君相見」で舊訓はキミニアヒミテとしたが、略解に從ふのが意義として妥(239)當である。
【後記】 雲になりたいといふのは、隔たる所を自由に往來し得るといふのだらう。卷十四に「みそら行く雲にもがもな今日ゆきて妹に言問ひ明日歸り來む」(三五一〇)とある。こゝの歌も男の心であらうか。
 
2677 佐保の内ゆ 嵐の風の 吹きぬれば 歸りは知らに 歎く夜ぞ多き
 
【口譯】 佐保の里の内を嵐の風が吹くので、歸らうともせず、歎く夜が多いよ。
【語釋】 ○佐保の内ゆ ゆ〔傍点〕はに〔傍点〕又はを〔傍点〕と同義の副格助詞。○嵐の風の吹きぬれば歸りは知らに この原文は「下風之吹禮波還者胡粉」であつて、舊訓はアラシフケレバ カヘルサハ クダケテと訓み、下の歎〔傍点〕を入れてナゲキとつゞけてゐる。しかし胡粉〔二字傍点〕をクダケチと訓むことの無理なのと、末句は「歎夜衣大寸」をナゲクヨゾオホキと訓むのが妥當なのとから、代匠記・考・略解・古義・新考等皆文字を加除して訓み改めてゐるが、適訓を得ない。童蒙抄が宗師案として「さほのうちゆおろしの風の吹きぬればかへさは胡粉なげく夜ぞ多き」と訓じたが、尚胡粉〔二字傍点〕の訓方を知らなかつた。胡粉〔二字傍点〕は集中皆シラニと訓んでゐるのである。新訓は童蒙抄に據つたものであらうが、文字に即いて訓むとすれば最も近いと思はれるから、姑らく之に從つておく。さてかう訓んだとして、其の意義が必ずしも妥當に可能であるか否かは亦問題である。○歌(240)く夜ぞ多き 訓方は己述の如く動かないであらうが、意義上、上につゞけて見る時、何と解すべきか。佐保にある女の處に通つて行つた男が、嵐の風の寒いので歸ることを懶く思ひ、止まつて却つて纏綿の情の盡きないことを言つたものか。
【後記】 自信ある訓義を得難い歌である。
 
2678 愛《は》しきやし 吹かぬ風故 玉くしげ あけてさ寢にし 吾ぞ悔しき
 
【口譯】 愛すべき凉風、吹きもしない其の凉風の爲に、戸を開けて待つてゐた私はつまらないわよ。
【語釋】 ○愛しきやし 原文は「級子八師」で舊訓はヨシヱヤシとあるが妥當でない。考が子〔傍点〕を寸〔傍点〕の誤としての訓に從ふ。級〔傍点〕は階〔傍点〕と同じくハシと訓じ得る。風〔傍点〕にかゝる修飾語。○吹かぬ風故 吹かない風の爲に。○玉くしげ あけ〔二字傍点〕につゞく枕詞。
【後記】 男を風に譬へた歌であるが、初句が男を思はせることは勿論、四・五の句は直ちに人にも通ふ語である。
 
2679 窓越しに 月おし照りて 足ひきの 嵐吹く夜は 君をしを思ふ
 
(241)【口譯】 窓をとほして月が照りこんで、山の嵐の吹く夜は、貴郎を戀しく思ひますよ。
【語釋】 ○月おし照りて 原文は「月臨照而」で舊訓はツキサシイリテとあるが、卷八「月押照有《ツキオシテレリ》」(一四八〇)に準じて訓んだ代匠記に從ふべきである。○足ひきの 「山」の枕詞を山〔傍点〕の義に代用したもの。
【後記】 月も風もあるが、こゝでは風の部に入れて配列されたのである。
 
2680 河千鳥 住む澤のへに 立つ霧の いちじろけむな 相言ひそめてば
 
【口譯】 私どもの間は世に現れることであらうよ、逢つて語らひ初めたならば。
【語釋】 ○河千鳥住む澤のへに立つ霧の いちじろけむ〔六字傍点〕の序。霧は白く目立つて見えるからいふ。住む澤〔三字傍点〕を代匠記はスミサハと訓んで地名とし、新考は住〔傍点〕は泣〔傍点〕の誤でナキサハといふ地名としたが、今は從はない。
 
2681 吾が背子が 使を待つと 笠も着ず 出でつゝぞ見し 雨の降らくに
 
【口譯】 我が夫から來る使を待つとて、笠も被《かぶ》らないで出ては見たよ、雨の降つてゐるのにさ。
【後記】 この歌は卷十二に問答歌(三一二一)として重出してゐる。醇朴な想を平明に言表して如何にも民謠の韻《にほひ》が高い。
 
(242)2682 唐衣 君に打著せ 見まく欲り 戀ひぞ暮しし 雨の降る日を
 
【口譯】 仕立てた着物を君に着せて見たいと思つて、待ち焦がれて暮したよ、雨の降る日を。
【語釋】 ○唐衣 考は文《あや》ある衣と解してゐるが、唐〔傍点〕はたゞ美稱に副へたまでであつて、新しい美しい衣などいふのであらう。○雨の降る日を 古義は雨の降る日なるものをと解したが、單に雨の降る日にの義でも通ずる。それは勿論考の言ふ如く雨が降つて男の來ない日であらう。
【後記】 「雨の降る日を」は男の來ないことをも言つてゐるが、又一首に淋しく徒然な情趣を與へてゐる。
 
2683 彼方《をちかた》の 埴生の小屋《をや》に ひさめ降り 床さへ沾れぬ 身にそへ吾妹《わぎも》
 
【口譯】 あちらの方の土間《どま》の小屋に大雨が降つて、床まで濡れた、もつと私の身にお寄りよ我が妻よ。
【語釋】 ○彼方の あちらのの義、自分の里を離れた方をいふ。○埴生の小屋 原文は「赤土少屋」で舊訓はハニフノコヤと訓んであるが、古事記、神武天皇の御製に「あしはらのしけこき袁夜《ヲヤ》に」とあるに從つてヲ(243)ヤがよい。代匠記は「ハニツチニテ塗タル土壁ナリ」といひ、考は「たゞに土の上にわら莚などとり敷て住ふ片山里などのまづしき庵をいふなり」といひ、新考は「埴生ニアル小屋即埴取場ノ小屋」としたが、今考の説に從ふ。○ひさめ降り 原文は「※[雨/脉]霖零」で舊訓はコサメフリとあるが、この文字は本によつて區區であつて、※[雨/脉]※[雨/沐]〔二字傍点〕とあり※[雨/泳]※[雨/沐]〔二字傍点〕ともある。※[雨/脉]霖は小雨であるが、※[雨/脉]※[雨/沐]は大雨であり、※[雨/沐]〔傍点〕は和名抄には「大雨也比左女〔三字傍点〕」とある。今之に從ふ。大雨が降り、水が屋内に流れ入つて直接土間にある床を濡したのである。
【後記】 自分の里を離れた所に女をつれて行つて、陋屋に宿《とま》つた時の歌。實境描きつくされて而も野趣溢るゝものがある。
 
2684 笠なみと 人には言ひて 雨づつみ とまりし君が 姿しおもほゆ
 
【口譯】 笠がないのでと人には言つて、雨籠《あまごも》りをして私の所に止《と》まつてゐて下さつたあの方《かた》の姿が懷かしく思はれるよ。
【語釋】 ○笠なみと なみ〔二字傍点〕はない爲にの義、と〔傍点〕と指定の助詞で言ひて〔三字傍点〕につゞく。舊訓はカサナシトで、それでも通ずるが、今古義に從ふ。○雨づつみ 雨の爲に家に籠つてゐること。原文「雨乍見」とあつて無論アマヅツミと訓むのであるが、又雨障〔二字傍点〕(卷四、五一九)とも書く。
(244)【後記】 笠のないのに託《かこ》つけて、止まつてくれた男を想ひ出して、懷かしむ女の心。
 
2685 妹が門 行きすぎかねつ 久方の 雨も降らぬか そを因《よし》にせむ
 
【口譯】 彼の女の門前をすどほりには出來ない。雨でも降つてくれないかなあ、それを口實に寄らうから。
【語釋】 ○雨も降らぬか 雨も降らないか、降つてほしいの義。
【後記】 前の歌もこの歌も共に雨に寄せ、而も雨を口實に女のもとに止まるといふものであるが、この兩歌を合せた如く思はれるものは、卷四「久方の雨も降らぬか雨づつみ君にたぐひて此の日暮さむ」(五二〇)である。
 
2686 夕卜《ゆふけ》問ふ 吾が袖に置く 白露を 君に見せむと 取れば消《け》につゝ
 
【口譯】 夜の辻占に判じようと、立ちつゞけた私の袖の上に結んだ白露を、貴郎に見せようと思つて、手に取れば消えてしまふよ。
【語釋】 ○夕卜問ふ 既出。今夜男の來るや否やを占なふのである。○吾が袖に置く白露を 原文は「吾柚(245)爾置白露乎」で舊訓ワガコロモデニオクツユヲとあるが、代匠記以來改めた。
【後記】 久しく待つたことを男に示さうといふのであるが、やゝ誇張にすぎる。
 
2687 櫻麻《さくらあさ》の 苧原《をふ》の下草 露しあれば 明かしてい行け 母は知るとも
 
【口譯】 櫻麻の麻畑の下草に朝露があつて沾れるから、夜を明かしてお歸りなさいませ、たとひ私の母が知らうと。
【語釋】 ○櫻麻の 一種の麻の名であらう。代匠記は麻は櫻の咲く頃蒔くものであるからといふ古説に、枝や葉の形が櫻に似てゐるからだらうと自説を加へ,考はサクラヲノと訓んで、サクラを地名としサクラヲノを枕詞とした。諸説區々であつて詳かでない。訓方もサクラアサノ・サクラヲノ兩樣あるが、今は舊訓に從ふ。新古今集にも「さくらあさのをふの浦浪立ちかへり」とある。○苧原の下草 苧原〔二字傍点〕は苧生《をふ》で麻畑のこと、下草〔二字傍点〕は其のもとの雜草をいふ。
【後記】 男の歸路に朝露に悩むをいとほしんだ女の心。母に知られるのは憚るべきことであるのに、それもまゝよと言ふ所に情のいたいけさがある。上の旋頭歌「朝戸出の君が足緒をぬらす露原早く起き出でつゝ吾も裳裾濡らさな」(二三五七)を想ひ起させる。卷十二に「櫻麻の麻原《をふ》の下(246)草はや生ひば妹が下紐解かずあらましを」(四〇四九)とあるのは、「櫻麻のをふの下草」をたゞ序に用ゐてある。この歌に於ても、或はこの成句は「露」を起す序であつて、必ずしも麻畑の邊を歸りゆくと解すべきものでないかも知れない。
 
2688 待ちかねて 内へは入らじ 白妙の 吾が衣手に 露は置きぬとも
 
【口譯】 私は君の入らつしやらないのを待つてゐて、家の中には這入るまい、たとひ夜更けて私の袖に露が置かうとも。
【後記】 かゝる想は類型をなしてゐる。早く卷二に「居明かして君をば待たむぬばたまの吾が黒髪に霜は降るとも」(八九)といふ古歌集中の歌がある。卷十二の「君待つと庭にし居れば打靡く吾が黒髪に霜ぞおきにける」(三〇四四)がそれに似てゐるし、其の或本の歌「白妙の我が衣手に露ぞ履きにける」は今の歌に近い。
 
2689 朝露の 消《け》やすき吾が身 老いぬとも 又をちかへり 君をし待たむ
 
【口譯】 朝露の如く消えやすい此の身は空しく老いゆくとも、又|若返《わかがへ》つて貴郎に逢ふのを待ちま(247)せう。
【語釋】 ○又をちかへり 原文は「又若反」で舊訓マタワカガヘリとあるが、古義に從ふ。卷四の「變若」(六五〇)をヲチ、卷六の「變著(若の誤)反」(一〇四六)をヲチカヘリと訓むのに準ずる。若反《わかがへ》る義。
【後記】 絶えて來ぬ男に對する女の心。「消やすき命老いぬとも」に淋しさを見せて、「又をちかへり君をし待たむ」に念力を見せてゐる。卷十二(三〇四三)には初句を露霜の〔三字傍点〕と變へたのみで全く同一の歌を載せてある。
 
2690 白妙の 吾が衣手に 露はおき 妹には逢はず たゆたひにして
 
【口譯】 私の袖に露は置いても、尚彼の女には逢ふことが出來ない。きて居たものか歸つたものかとためらひながら。
【語釋】 ○妹には逢はず 原文は「妹者不相」で、新訓の如きはイモハアハサズと訓み、全釋も從つてゐる。アハサズのサを敬語と見るのであらうが、舊訓で通ずるからそれに從ふ。○たゆたひにして 考が「行きもやらず去りもあへぬさまなり」と釋いた如くであつて、男自身の上である。
【後記】 女の家を訪ねて、外に立ちつくした男の心。「たゆたひにして」がよく活《はたら》いてゐる。
 
(248)2691 かにかくに 物は念はじ 朝露の 吾が身一つは 君がまに/\
 
【口譯】 彼是と思ひ迷ひますまい。朝露の如くはかない此の身一つは、貴郎の御意のまゝにお任せいたします。
【後記】 初二は代匠記の言つた如く、二心のないのであつて、上の二六四八のそれと同一である、「朝露の」は只輕く入れたのに過ぎないやうに考へられる。
 
2692 夕凝《ゆふごり》の 露置きにけり 朝戸出《あさとで》に 甚だ踐みて 人に知らゆな
 
【口譯】 夜《よる》結んだ霜が置いてゐますよ。朝のお出かけにひどくお踏みになつて、人に知られては困ります。
【語釋】 ○夕凝の 夜間に凝結《こりむす》ぷ意であらう。夕〔傍点〕は今いふ夕方ではない。○甚だ踐みて 原文は「甚踐而」で舊訓アトフミツケテとあり、後の諸訓區々であるが、代匠記が考へた一訓に從つて、文字どほりに訓んだ。
【後記】 霜に寄せて男を歸す心遣ひを歌つたもの。
 
(249)2693 斯くばかり 戀ひつゝあらずは 朝に日に 妹が履むらむ 地《つち》ならましを
 
【口譯】 これ程戀ひ焦がれてゐずに、いつそ毎日彼の女の踏み歩く地面であつたらよかつたになあ。
【語釋】 ○朝に日に 毎朝毎日の義であるが、只毎日といふも同じこと。こゝの原文は「朝爾日爾」で、同じ用字が卷四(六六八)にもあるが、他に「朝爾食爾《アサニケニ》」が卷三(三七七)以下數箇所に見えるのを見ると、こゝも或は新訓のやうにアサニケニと訓んでよいかも知れない。意義は勿論同一である。
【後記】 例の「あらずは……ならましを」の型であつて、この類歌は多い。
 
2694 あしひきの 山鳥の尾の 一峯《ひとを》越え 一目見し兒に 戀ふべきものか
 
【口譯】 一目見ただけの女に、かくも戀ひ焦がれる筈があらうか。
【語釋】 ○あしひきの山鳥の尾の 一峯〔二字傍点〕につゞく序詞。ヲの音を反覆してつゞけたものである。○一峯越え 更に一目見し〔四字傍点〕を起す序となり、上と合せて大きな序をなす。この序は山鳥の雌雄谷を隔てて棲むといふ傳説に據る。卷八「足引の山鳥こそは峯向《をむか》ひに嬬問《つまどひ》すといへ」(一六二九)參照。
【後記】 「一峯越え」は通説に從ふと、山一つ彼方の里で女に逢つたと、之から本義に解されて(250)ゐるが、これまでを序とする方が妥當のやうである、故らに一峯〔二字傍点〕と言つたのは「一目」の一《ひと》を起す爲であるらしく、本義は只「一目見し兒に」以下であらう。代匠記が「山鳥ノ尾ハ一峯ト云ハムタメ、一峯ハ一目ト云ハムタメニ次第ニ序ナリ」と解いたのに從ふべきである。
 
2695 吾妹子に 逢ふよしをなみ 駿河なる 不盡《ふじ》の高嶺の 燃えつゝかあらむ
 
【口譯】 私は妻に逢ふ術《すべ》がないので、駿河の不盡山のやうに、いつも心が燃えてゐることかなあ。
【語釋】 ○駿河なる不盡の高嶺の の〔傍点〕はの如くであつて、此の二句は燃えつつかあらむ〔八字傍点〕の譬喩としたもの。
【語釋】 燃ゆる・燒くる〔六字傍点〕といふ語をそのまゝ心の煩悶に用ゐることは、如何にも肯なはれる心理である。この爲に火山に聯想をもつのも自然であつて、從つて一國の名山不盡は、見たことのない人にまで借りられるやうになつたのだらう。
 
2696 荒熊の 住むとふ山の 師齒迫山《しはせやま》 責めて問ふとも 汝が名は告らじ
 
【口譯】 人が責立てて問うたとて、決して貴郎の名は告げません。
【語釋】 ○荒熊の住むといふ山の師齒迫山 責めて〔三字傍点〕の序詞。師齒迫山〔四字傍点〕は所在不明。略解に宣長の説を引いて、(251)シハセはしば/\責める意に取つて、責めて〔三字傍点〕に冠したのであらうと言つてゐる。
【後記】 上の「百さかの船こぎ入るゝ八占さし母は問ふとも其の名は告《の》らじ」(二四〇七)はこの歌と本義は同じであり、而も共に大きな序を冠したものであるが、誓詞の爲には故らに誇大なものを引出していふのが古代の風でもあつたらう。尚下の二七〇〇參照。
 
2697 妹が名も 吾が名も立たば 惜しみこそ ふじの高嶺の 燃えつゝ渡れ
    或歌に曰はく 君が名も 吾が名も立たば 惜しみこそ 不盡の高嶺の もえつゝも居れ
 
【口譯】 彼の女の名も私の名も世に立つたならば惜しいので、只心中に燃えつゝ過《すご》してゐるのだ。
 (或本の歌には、「貴郎の名も私の名も立つたならば惜しいので、只心中に燃えつゝゐるのです。」)
【語釋】 ○惜しみこそ 惜しみ〔三字傍点〕は形容詞惜し〔二字傍点〕の語幹にみ〔傍点〕の附いたもので、例の如く惜しさにとか惜しいのでとかいふ義。○或歌に曰はく 原文は「或歌曰」とあるが、或本の歌に曰はく〔八字傍点〕の義だらう。同歌の異傳である。
(252)【後記】 本歌は男の心、一本のは女の心となつてぬる。これも民謠の流動性を物語つてゐるものである。
 
2698 往きて見て 來れば戀しき 朝香潟《あさじゃがた》 山越に置きて 寢《い》ねがてぬかも
 
【口譯】 女のゐる朝香潟を、山越の彼方に置いて、戀しさに寢られないよなあ。
【語釋】 ○往きて見て來れば戀しき 朝〔傍点〕の序とした。通つて行つて逢つて歸つて來れば戀しく思はれる朝〔傍点〕とつゞけたのである。○朝香潟 所在不明とされてゐる。卷二「夕さらば潮みち來なむ住吉《すみのえ》の淺香の浦に玉藻刈りてな」(一二一)とある淺香の浦は、攝津國住吉神社の西南の地を云つたらしいといふから、其處にしても聞える。
【後記】 旅に出て、置いて來た妻を思ふ歌であらう。序も亦女に對する心であるから、自然本義を助ける韻《にほひ》になつてゐる。
 
2699 安太人《あだひと》の 魚梁《やな》うちわたす 瀬を速《はや》み 心は念《も》へど 直《たゞ》に逢はぬかも
 
【口譯】 ひどく心では思つてゐるけれど、直接に逢はれないよなあ。
(253)【語釋】 ○安太人の 安太〔二字傍点〕は地名。大和國宇智郡吉野河畔にあり、卷十に「阿太乃大野《アダノオホヌ》」(二〇九六)とある處。○魚梁うちわたす 安太人は古來吉野川に魚梁を設けて魚を捕るのを業とした。古事記の神武天皇の段に「到2吉野河之河尻1時、作v筌有2取v魚人1、爾天神御子問、汝者誰也、答曰僕者國神、名謂2贄持之1【此者阿陀之鵜養之祖】」とある。うちわたす〔五字傍点〕は架け渡す義。魚梁をかけることを打つといふ。卷三「梁《やな》は打たずて取らずかもあらむ」(三八六)參照。○潮を速み 初句より瀬を〔二字傍点〕までは速み〔二字傍点〕を起す序、速み〔二字傍点〕は速くと同義の動詞形である。烈しく、切《しき》りになどの義。
【後記】 卷四の人麿の歌に「三熊野の浦の濱木綿百重なす心は念へど直《たゞ》に逢はぬかも」(四九六)といふ末の同じものがある。人麿がこの歌に倣つたかも知れない。以下二十三首は廣く水に寄せたものを一所に置いたのである。
 
2700 玉かぎる 石垣淵《いしがきぶち》の こもりには 伏して死ぬとも 汝《な》が名はのらじ
 
【口譯】 隱れ忍んで戀ひわづらひに臥して死なうとも、貴郎の名は決して人に知らせません。
【語釋】 ○玉かぎる 石垣淵〔三字傍点〕の枕詞。○石垣淵の 石垣淵〔三字傍点〕は岩石の垣の如く圍んだ淵であつて、こもり〔三字傍点〕の序となる。卷二「玉かぎる石垣淵の隱《こも》りのみ戀ひつゝあるに」(二〇七)參照。○こもりには 原文は「隱庭」(254)で舊訓カクレニハとあり、古義はシヌビニハと改めたけれども、今は代匠記に從ふ。こもり〔三字傍点〕は隱れる〔三字傍点〕ことであつて、こもりには〔五字傍点〕は竊かにの義では〔傍点〕は添へたのみである。○伏して死ぬとも 原文は「伏以死」で舊訓フシテシヌトモとあり「代匠記は以〔傍点〕は助語であるとし、考は以〔傍点〕を雖〔傍点〕として同樣に訓じた。新訓はフシモチシナムとしたが、下に「こもりには戀ひて死ぬとも」(二七八四)とあるに準じて、今舊訓に從ふ。
【後記】 上の「荒熊の」(二六九六)の歌に似てゐるが、彼は勁く、是は哀れである。
 
2701 明日香川 明日も渡らむ 石《いは》ばしの 遠き心は 思ほえぬかも
 
【口譯】 明日彼の女の所へ行かう、間を置いて逢はうなどとは如何《どう》しても思はれないわい。
【語釋】 ○明日香川 明日も〔三字傍点〕を起す爲の枕詞。○明日も渡らむ 枕詞の明日香川〔四字傍点〕に應じて渡らむ〔三字傍点〕といつたので、明日も女の許に行つて逢はうといふ義。○石ばしの 枕詞。原文は「石走」とあるが、石橋《いしばし》即ち河中に並べた飛石の義であつて、「間近《まぢか》き」にかゝる語。卷四「石走の間近き君に戀ひ渡るかも」(五九七)とある。こゝには下の「遠き心は思ほえぬかも」全體を起すと見れば、間近き〔三字傍点〕意に通ずるのである。○遠き心 遠く隔てようといふ心。
【後記】 初二句を「明日モ亦明日香川ヲ渡リテ妹ガリ行カム」と明日香川〔四字傍点〕を本義に取らうといふ新考の説もあるが、今は從はない。古義が言ふ如く、卷二「明日香川明日だに(ィさへ)見むと思(255)へやも」(一九八)と同類に見る。只渡らむ〔三字傍点〕といひ、石ばしの〔四字傍点〕といふのは、川の縁で譬へたのである。
 
2702 飛鳥川 水ゆき増さり いや日けに 戀の増さらば ありがつましじ
 
【口譯】 かく日に増し戀の増さつて行つたならば、生きて居ることは出來まいよ。
【語釋】 ○飛鳥川水ゆき増さり 飛鳥川の水の流れが増さりゆきの義。第四句の増さらば〔四字傍点〕にかゝる序。○いや日けに いよ/\日に日にの義。○ありがつましじ 原文は「在勝申目」で舊訓アリカテヌカモとあるが、卷二の「布勝麻之自《アリガツマシジ》」(九四)と同訓であつて、目〔傍点〕は自〔傍点〕の誤とすべきである。在るに堪ふまじといふ義。
 
2703 眞薦《まこも》刈る 大野川原《おほぬかはら》の 水隱《みごも》りに 戀ひ來し妹が 紐解く吾は
 
【口譯】 隱れしのんで戀ひ焦がれて來た女の紐を今解いて寢るよ、私は。
【語釋】 ○眞薦刈る 薦〔傍点〕は蓆を作る草。眞〔傍点〕は美稱の接頭辭。○大野川原の 大和國法隆寺の傍を流れる富《とみ》の小川《をがは》の下流を大野川〔三字傍点〕といふ。以上二句は水隱り〔三字傍点〕を起す序。○水隱りに 只隱りに〔三字傍点〕といふと同じく水〔傍点〕は川の縁で添へただけである。隱りに〔三字傍点〕は竊かにしのんでの義。
【後記】 忍んだ戀をつゞけて來て、始めて成つた歡喜の聲である。下の二七〇三に同種のものが(256)あるが、それに比してやゝ官能的である。
 
2704 足引の 山下とよみ 逝く水の 時ともなくも 戀ひわたるかも
 
【口譯】 山の麓を轟かせて流れゆく水のやうに何時といた絶間はなく戀ひつゞけてゐるよ。
【語釋】 ○時ともなくも も〔傍点〕は二つともに詠歎の助詞。時となく〔四字傍点〕と同じく何時と差別なくの義。
【後記】 逝く水の晝夜を舍《お》かない譬は東西同じである。齊明紀「飛鳥川」の御製にこの歌の先蹤がある。
 
2705 愛《は》しきやし 逢はぬ君故 徒らに 此の川の瀬に 玉裳沾しつ
 
【口譯】 逢ふことの出來ないいとしい君の爲に、むだにこの川の瀬で裳裾を濡しましたよ。
【後記】 上に「愛《は》しきやし逢はぬ子故に徒らに宇治川の瀬に裳裾濡しつ」(二四二九)とあるのと、同歌の異傳である。この歌の君〔傍点〕も女を指すのであらう。語釋はすべて二四二九參照。
 
2706 泊瀬川《はつせがは》 速《はや》み早瀬を 掬《むす》び上げて 飽かずや妹と 問ひし君はも
 
(257)【口譯】 「いくら逢つても飽足らないよ。」我が愛人《つま》よと言ひかけてくれた彼の御方はなあ。
【語釋】 ○泊瀬川速み早瀬を掬び上げて 飽かずや〔四字傍点〕を起す序。速み早瀬〔四字傍点〕は代匠記に「早キ早瀬ナリ」と言つた如くである。速み〔二字傍点〕は速しの動詞形で連用であるが、早瀬〔二字傍点〕とつゞいて熟語を作る。○飽かずや妹と 飽かずや〔四字傍点〕は妹に問ふのではない。や〔傍点〕はよ〔傍点〕と同じであつて自ら歎くのである。妹〔傍点〕は無論呼掛である。○問ひし君はも 問ひし〔三字傍点〕は訊ねたのではない、話しかけたの義。君はも〔三字傍点〕は君は今どうしてゐることだらうと歎いたのである。
【後記】 曾て深い間であつた男の離れてしまつたのを悲しんだ女の歌。伊勢物語塗籠本には「大原やせかゐの水を掬《むす》び上げて飽くやと言ひし人はいづらか」といふ歌があつて、男が女を盗んでつれて行く途中に清水を手に掬つて飲ませたが、女が後に亡くなつたので、男がもとの清水の所へ來て詠んだといふ話に作つてある。こゝの歌から轉化して來たものである。
 
2707 青山の 石垣沼《いはがきぬま》の 水隱りに 戀ひや渡らむ 逢ふよしをなみ
 
【口譯】 心中に忍んで戀ひつゞけることであらう、彼の女に逢ふ術《すべ》がないので。
【語釋】 ○青山の 木々の青々と繁つた深い山をいふのだらう。○石垣沼の 岩が垣の如く取圍んだ沼のこ(258)と、石垣淵の類。以上二句は序。○水隱りに 上の二七〇三に既出。
【後記】 情調も聲調も二七〇三に比して高い。
 
2708 しなが鳥 猪名山《ゐなやま》とよに 行く水の 名のみに縁《よ》せし 内妻《こもりづま》はも 【一つに云はく 名のみし縁せて 戀ひつゝやあらむ】
 
【口譯】 猪名山に轟いて流れゆく水の如く、音高くばかり私との關係を評判された、あの箱入れの女は今どうなつてゐるだらう。(一本の末句は、「音高くばかり關係を評判されて、逢はずに戀ひ焦がれてゐることであらう。」)
【語釋】 ○しなが鳥 鳰《にほ》の一名。水上に居並《ゐなら》ぶところから、ゐな〔二字傍点〕にかゝる枕詞。○猪名山とよに 猪名山〔三字傍点〕は攝津國池田町の北方の山。それより猪名川が流れ出る。とよに〔三字傍点〕は原文「響爾」であつて、爾〔傍点〕は彌〔傍点〕の誤トヨミであらうといふ説もあるが、とよ〔二字傍点〕はもと情態言であつて、む〔傍点〕を取れば動詞となり、に〔傍点〕を取れば副詞となる。○行く水の 行く水の如く音高くの義。○名のみに縁せし 原文は「名耳所縁之」で舊訓ナニノミヨセシとあるが、集では名をのみ〔四字傍点〕といはず「名耳乎《ナノミヲ》」(卷六、九六三)の如く格助詞をノミの下に置くのが常であるから、かく改めた。古義はナノミヨセテシと訓んでゐるが、それも一訓であらう。評判のみに自分に關係づけたの義、言換へると自分との關係が評判だけに立つたのみで實際は逢はないといふこと。○内妻(259)はも 元來こもり妻〔四字傍点〕は男が隱しておく妻をいふが、又父母が守つて外に出さない女をもいふ。こゝは後の義。上の「垂乳根の母が養《か》ふ子のまよ籠りこもれる妹を」(二四九五)といふ類。
 
2709 吾妹子に 吾が戀ふらくは 水ならば しがらみ越えて 行くべくぞ思ふ 【或る本の歌發句に云はく 相思はぬ 人を念はく】
 
【口譯】 吾が妻に私の戀してゐることは、水に譬へたら塞《せ》く柵《しがらみ》を乘超えても行きさうに思はれる程だ。(或本の歌は初の部分が、「思つてくれない人を思ふことは。」)
【語釋】 ○しがらみ越えて しがらみ〔四字傍点〕は柵・※[竹/册]などの字を用ゐる。河中に杙を打ち、それに竹・柴などを編付けて、水を塞止《せきと》めるもの。○或本の歌發句に云はく 流布本は「或本歌句云」とあるが、歌〔傍点〕の下に發〔傍点〕のある嘉暦本に從ふ。この異本の歌句は下につゞけて見て妥當でない。
【後記】 奔迸止め難い情を譬へ得て巧妙。
 
2710 犬上《いぬがみ》の 鳥籠《とこ》の山なる いさや河 いさとを聞こせ 吾が名|告《の》らすな
 
【口譯】 人が訊ねても、いゝえ知らないわと仰《おつ》しやつて、私の名をば言ひなさるな。
(260)【語釋】 ○犬上の鳥籠の山なるいさや河 犬上〔二字傍点〕は近江國犬上郡、今の彦根地方。鳥籠の山〔四字傍点〕は坂田郡鳥居本村の南にあり、今、正法寺山といふ。その附近に古へのいさや河〔四字傍点〕が流れてゐる。今、大堀川とも芥川ともいふ。この三句がいさ〔二字傍点〕を起す序。○いさとを聞こせ いさ〔二字傍点〕は集中不知〔二字傍点〕を訓ませてゐて、いさ知らずと打消す副詞。とを〔二字傍点〕はと〔傍点〕と指定してを〔傍点〕を強めに入れたものである。聞こせ〔三字傍点〕は聞かす〔三字傍点〕の命令形。聞かす〔三字傍点〕を聞こす〔三字傍点〕といふは知らす〔三字傍点〕を知ろす〔三字傍点〕といふと同じ。聞こせ〔三字傍点〕は聞かせよ〔四字傍点〕といふことで、仰せよ〔三字傍点〕と崇敬していふこととなる。
(261)【後記】 近江國の地方歌であつたらう。この歌は古今集に載つてゐるので有名である。元永本などには十三卷に、顯昭註本には十五卷に見えるが、流布本は墨滅歌として卷末に出してある。流布本には「犬上のとこの山なるなとり(ィいさや)用いさとこたへよ我が名もらすな」とあり、六帖には「いぬ上やとこの山なるいさゝ(ィらィや)川いさとこたへてわが名もらすな」とあり、更に源氏物語朝顔の卷に引いて「もらしたまふなよ、ゆめ/\いさら川などもなれ/\しやとて」と書かれてゐる。
 
2711 奥山の 木《こ》の葉がくりて 行く水の 音聞きしより 常《つね》忘らえず
 
【口譯】 彼の人の事を評判に聞いてから、いつも忘れられない。
【語釋】 ○奥山の木の葉がくりて行く水の 音〔傍点〕を起す序。木の葉がくりて〔七字傍点〕は水が見えずに流れる音のみ聞えるといふ義をもたせてゐる。
【後記】 上の二七〇七と同巧、共に平明な作。
 
2712 言《こと》とくば 中はよどませ 水無河《みなしがは》 絶ゆとふことを ありこすなゆめ
 
(262)【口譯】 人言が喧《やかま》しいのなら、一時お見合せなさいませ。只それきりに絶えるといふ事はしないで下さいませ、決して。
【語釋】 ○言とくは 人言の甚だしいならば。○中はよどませ 原文は「中波余騰益」で舊訓ナカハヨドマシとあるが、略解の宣長説に從ふ。中は中途の一時をいふ。よどませ〔四字傍点〕は中止せよの義。よどむは水の湛へて流れないことを人のためらふとか見合せるとかに言つたので、無論下の水無河〔三字傍点〕に通はせて用ゐてある。○水無河 舊訓はミナセガハであるが、今文字に即いて訓む。水の無い河で、絶ゆ〔二字傍点〕の枕詞。○ありこすなゆめ こす〔二字傍点〕は俗のくれる〔三字傍点〕と同じく、あつてくれるな決しての義。上の「逢ひこすなゆめ」(二三七五)參照。
【後記】 作者に其の意識があつたか如何かは受合へないが、とく・よどませ・水無河・絶ゆ〔十一字傍点〕と上四句とも水の縁語があつて、一首を或|韻《ひゞき》でまとめてゐる。
 
2713 明日香川 逝く湍《せ》を早み 速《はや》けむと 待つらむ妹を 此の日暮らしつ
 
【口譯】 私を早く行くだらうと、彼の女は待つてゐるだらうのに、今日一日行かずに過ごしてしまつた。
【語釋】 ○明日香川逝く湍を早み 序詞。明日香川の流れろ瀬が早いのでといふ形であるが、條件的に下にかゝるのではなく、只速けむ〔三字傍点〕を起すのみである。○速けむと 原文は「將速登」で舊訓ハヤミムトとあり、(263)考が見〔傍点〕を補つてゐるのは、上の早み〔二字傍点〕を反覆して受けさせたのであるが、見〔傍点〕のある本もないから今新訓に從ふ。速けむ〔三字傍点〕は速からむと同じであつて、早く行くだらうの義に取る。○待つらむ妹を を〔傍点〕はなるをの義。
【後記】 末句について、新考は女の許には夜行くので、日の暮れるのを歎くべきでないから、クレヌカの誤であるとした。一往肯なはれる説でもあるが、又必ずしも晝に行かないと限らないだらう。
 
2714 ものゝふの 八十宇治川《やそうぢがは》の 急《はや》き瀬に 立ち得ぬ戀も 吾はするかも 【一つに云はく 立ちても君は 怠れかねつも】
 
【口譯】 立つても居ても堪《たま》らない戀をまあ、私はすることよなあ。(一本には、「立つ場合にもあなたは忘れられないよ。」)
【語釋】 ○ものゝふの八十宇治川の ものゝふの〔五字傍点〕は八十〔二字傍点〕を起す枕詞、八十〔二字傍点〕は更に八十氏〔三字傍点〕を以て宇治川〔三字傍点〕を起す序となる。卷一、五〇參照。○急き瀬に 以上は立ち得ぬ〔四字傍点〕を起す序。○立ち得ぬ戀も 立ち得ぬ〔四字傍点〕は急湍には立ちかねるよりかゝり、本義は立つても立つて居られぬとなる。上の「立ちて居てたどきも知らに思へども」(二三八八)と同じ意である。
(264)【後記】 一本の方はやゝ解しにくいが、卷七「早川の瀬には立つとも人にいはめやも」(一三八四)といふ如く、急湍に立つのを甚だ苦しいことと見るのであつて、命がけの場合でも愛人を忘れぬといふのであらうか。考の頭註には、一云の方は明かだと記してあるが、餘り明かでない。
 
2715 神名備《かむなび》の 打廻《うちた》む崎の 石淵《いはぶち》の 隱《こも》りてのみや 吾が戀ひをらむ
 
【口譯】 人に忍び隱れてばかり、私はあの人に戀ひ焦がれてゐることであらうか。
【語釋】 ○神名備の打廻む崎の 卷八の「明日香川|逝回《ゆきた》む岳《をか》の」(一五五七)とあるから、この神名備は飛鳥の山であらう。打廻む崎の〔五字傍点〕は原文「打廻前乃」とあり、舊訓ウチマフサキノ、代匠記以下種々の訓方があるが、今新訓に從ふ。飛鳥川の曲り回つてゐる神名備山の崎である。○石淵の 石垣淵のと同じ。以上隱り〔二字傍点〕の序。
【後記】 かゝる型の歌は多い。
 
2716 高山よ 出で來る水の 岩に觸り われてぞ念ふ 妹に逢はぬ夜は
 
【口譯】 心が千々に碎けて物を念ふよ、彼の女に逢はない夜には。
(265)【語釋】 ○高山よ 高い山よりの義。原文は「自高山」で舊訓タカネヨリとあるが、如何であらう。考の如くタカヤマユでもよいが、今古義に從ふ。代匠記のカグヤマユは取られない。以下三の句までわれて〔三字傍点〕の序。○われてぞ念ふ 摧《くだ》けて思ふと同じく、いろ/\に思ひ悩むこと。
【後記】 卷十「雨ふればたぎつ山川岩に觸り君が摧かむ心はもたじ」(二三〇八)は類想であるが、これらの序は情の激する象徴に適してゐて、永く後世まで襲用された。
 
2717 朝東風《あさごち》に ゐで越す浪の 世蝶〔二字□で囲む〕にも 逢はぬもの故 瀧もとゞろに
 
【口譯】 世蝶〔二字□で囲む〕にも逢はない彼の女の爲に、瀧の如く大きな聲に言ひ騷がれる。
【語釋】 ○朝東風に 朝吹く東風の爲に。○ゐで越す浪の ゐで〔二字傍点〕は井堰《ゐぜき》。卷七「泊瀬川流るゝ水脈《みを》の瀬を早み井提《ゐで》越す波の音のさやけく」(一一〇八)參照。○瀬蝶〔二字□で囲む〕にも 訓義不可解である。原文は「世蝶似裳」で舊訓セテフニモとある。仙覺抄に據ると、之が新點であつて古點はタヤスニモであるといふ。世蝶〔二字傍点〕をタヤスと訓ずるのは如何なる故か解し難い。新點のセテフを仙覺はいなせ〔三字傍点〕のせ〔傍点〕で約諾の義であり、瀬によそへたのであると言つたが、テフニモをといふにも〔五字傍点〕と解することは無理であるし、かつ下に續くことが困難になる。代匠紀はセテフニモは瀬といふにも〔六字傍点〕であつて、潮は逢ふ瀬であると解した。しかし集の中には、トイ(266)フはチフ若しくはトフであつて、テフの有つた確證がないから疑はれる。其の他改字して訓ずる諸説も、一として未だ妥當な解に達してゐないから、只原文のまゝにして、訓義を附けずに後考を待つことにする。
【後記】 「世蝶」の訓方については、童蒙抄は田螺〔二字傍点〕の誤としてタツヒ(立日)、考は蝶〔傍点〕は越〔傍点〕の誤でセゴシか、又は染〔傍点〕の誤でヨソメかといひ、宣長は且蛾津裳〔四字傍点〕の誤でカツガツモ、古義は前掲一一〇八の歌に據つて左也蚊似裳〔五字傍点〕即ちサヤカニモ、略解補正は正蝦〔二字傍点〕としてマサカニモと訓ませてゐるが、何れも改字の難がある上に、其の意味及び序からの接續が妥當でない。ともかく假初にも〔四字傍点〕とか直接にも〔四字傍点〕とかいふやうな副詞であつて、井堰越す浪の〔六字傍点〕に關聯した語音をもつた詞が來るべき筈である。かくてこの「世蝶」は集中難訓の一つである。
 
2718 高山の 石本《いはもと》たぎち 逝く水の 音には立てじ 戀ひて死ぬとも
 
【口譯】 私どもの仲は世に顯はすまい、たとひ焦がれ死なうとも。
【語釋】 ○高山の石本たぎち逝く水の 音〔傍点〕を起す序。たぎち〔三字傍点〕は奔流する義の動詞。岩石の下をたぎつて逝くのである。
【後記】 古今集の「吉野川岩切り通しゆく水の音には立てじ戀ひは死ぬとも》」・「山高みしたゆく(267)水のしたにのみ流れてこひむ戀ひは死ぬとも」などは、この歌の變形若しくは模倣であらう。
 
2719 隱沼《こもりぬ》の 下に戀ふれば 飽足らず 人に語りつ 忌むべきものを
 
【口譯】 心中に戀してゐるだけでは飽足らないで、人に話してしまつた、愼まねばならないことだのに。
【語釋】 ○隱沼の 下〔傍点〕につゞく枕詞。上の「隱沼の下ゆ戀ふれば」(二四四一)參照。
【後記】 二四四一と全く同想である。
 
2720 水鳥の 鴨の住む池の 下樋《したび》なみ いぶせき君を 今日見つるかも
 
【口譯】 氣がふさいで戀してゐた貴郎に、今日お逢ひすることが出來ましたことよまあ。
【語釋】 ○水鳥の鴨の住む地の下樋なみ いぶせき〔四字傍点〕につゞく序。水鳥の〔三字傍点〕は鴨〔傍点〕の枕詞。下樋〔二字傍点〕は水を引く爲に地下に埋めた樋。下樋のない池水は停滯するので、心の鬱屈するに比して冠したのである。○いぶせき君を 原文は「鬱悒君」で舊訓ユカシキキミヲとあるが、代匠記の改訓に從ふ。鬱悒〔二字傍点〕は又オホホシキとも訓むが、口調上イブセキを取る。いぶせき〔四字傍点〕は心の結ばれ塞がること。こゝは私の心の鬱屈して戀しく思ふ君と(268)いふ義。
【後記】 「下樋」は古事記の木梨の輕太子が輕大郎女に戀ひた「あしひきの山田を作り、山高み下樋を走《わし》せ、下問ひに我が問ふ妹を」を聯想させる古典語で、忍ぶ戀の悩みにはふさはしい象徴である。但しこゝの歌が全體として明るく出來てゐるのは、逢ひ得た喜悦に出たからであらう。
 
2721 玉藻刈る 井出のしがらみ 薄《うす》みかも 戀のよどめる 吾が情《こゝろ》かも
 
【口譯】 塞《せ》きとめる力の弱かつた爲に漏れたのか、それとも戀のよどみ餘つた私の心から漏れたのか。
【語釋】 ○玉藻刈る井出のしがらみ 薄み〔二字傍点〕につゞく序。玉藻刈る〔四字傍点〕は井出〔二字傍点〕の枕詞としたものであらう。井出のしがらみ〔七字傍点〕は堰ぜきとしての柵をいふ。○薄みかも 薄い爲にかまあといふ義で、堪忍ぶ力の弱いのをいふ。水の漏れるのを戀の世に漏れたことに轉じたのである。○戀のよどめる 戀心の湛へ溢れる義。○吾が情かも 上の薄みかも〔四字傍点〕と竝立する句法であるが、吾が情〔三字傍点〕は上にも及ぶのであつて、薄みかも〔四字傍点〕は薄き吾が情かも〔七字傍点〕といぶべきのを、下一つで約《つゞ》めて言つたのである。
【後記】 この歌は序詞に縁した薄み・よどめる〔六字傍点〕などを本義の方に用ゐてあつて、譬喩表現が巧み(269)に出來てゐる。
 
2722 吾妹子が 笠のかりての 和※[斬/足]野《わざみぬ》に 吾は入りぬと 妹に告げこそ
 
【口譯】 和※[斬/足]野に私が這入つたと、我が妻に告げてほしい。
【語釋】 ○笠のかりての かりて〔三字傍点〕は原文は「借手」とあるが、代匠記は「笠ニ小サキ輪ヲ著テソレニ緒ヲ著ル其輪ヲ借手ト云ニ依テ、和射見野ノ和ノヒトモジニツヅク」と言つた。恐らく其のやうなものであらう。○和※[斬/足]野 美濃國不破郡にある。卷二「高麗つるぎ和※[斬/足]が原の」(一九九)參照。
【後記】 考は「旅立し時か歸る時か何れにてもあるべし」と言つて、後人は多く之に從つてゐるが、新考の「遠ざかり行く時の歌ならむ」と言つたのがよいやうに思ふ。「告げこそ」の希求は誰に對して言つたのかとも疑はれるが、之は告げてくれる人があれかしといふ位の意味で、對者は漠然としてゐるのだらう。拾遺集「便あらばいかで都へ告げやらむ今日白河の關は越えぬと」の心持である。
 
2723 數多あらぬ 名をしも惜しみ 埋木の 下ゆぞ戀ふる 行方《ゆくへ》知らずて
 
(270)【口譯】 一つしかない名が惜しいので、心中で戀ひ焦がれてゐるよ、如何《どう》なるかもわからずに。
【語釋】 ○數多あらぬ名をしも惜しみ 略解に「吾身一つに二つ無き名なるをもて、あまた有らぬ名といへり」とある如く、一度立つた名は取換へることの出來ないのを言つたものであらう。名をしも惜しみ〔七字傍点〕は名が惜しいのでの義で、しも〔二字傍点〕は強めの助詞。○埋木の 地下に埋もれた木であるから、下〔傍点〕につゞく枕詞。○下ゆぞ戀ふる ゆ〔傍点〕はにて〔二字傍点〕の義、から〔二字傍点〕ではない。○行方知らずて かく下戀ひに戀ひつゝ、この身の遂に如何になるか分らないでの義。
【後記】 名を惜しむ戀。「數多あらぬ名」といふ語は如何にも名譽を重んずることの強い上代人の心が出てゐる。而も止まれぬ戀との葛藤である。
 
2724 秋風の 千江《ちえ》の浦回《うらみ》の 木《こ》づみなす 心は依りぬ 後は知らねど
 
【口譯】 秋風の吹く千江の海岸に寄る木づみのやうに、私の心はあの人に寄りましたよ。行末はどうならうと構はずに。
【語釋】 ○秋風の 千江〔二字傍点〕にかゝる枕詞らしくもあるが續き方が明かでない。代匠記は長流の説として「ちえ〔二字傍点〕は千枝なり。風はつねにふけども、とりわき秋風は木ごとにあたりて吹くものなれば、秋風の千枝とはつゞけたり」と言ひ、考は「此つゞけおぼつかなし。もしち〔傍点〕は風の古名なればいひ重ねたるか。又たち〔二字傍点〕を略(271)きてつゞけたるか。」と言つた。むしろ新考の如く枕詞とせず、秋風の吹く千江の浦回を略したのだとした方が通ずる。○千江の浦回の 石見ともいひ近江ともいふが、所在不明。○木づみなす 木づみ〔三字傍点〕は木屑の水に浮びよるもの、卷七「今はよらまし木積《こづみ》ならずとも」(一一三七)參照。
【後記】 寄る木づみ〔三字傍点〕に目を止めた上代人の觀察は、やはり近代人のそれと違つて面白い。木づみ〔三字傍点〕の歌は集中に四首見えるが、卷十九の家持の作は「卯の花を腐《くた》す霖雨《ながめ》の始水《はなみづ》による木積〔二字傍点〕なす依らむ兒もがも」(四二一七)といふ優艶なものになつてゐる。
 
2725 白細砂《しらまなご》 三津の黄土《はにふ》の 色に出でて 云はなくのみぞ 我が戀ふらくは
 
【口譯】 顔色に出して言はないだけよ、私の戀ひ焦がれてゐることは。
【語釋】 ○白細砂 枕詞。代匠記は「白キ細砂ノ滿ト云意ニ三津トハツツケタル歟。又三津ハ押並テ白細砂ヲ敷タル意歟」と言つたが、後の説がよいであらう。古義も其の意に取つてゐる。考は白細布《シロタヘノ》として異説をなしてゐるが、今取らない。○三津の黄土の 三津〔二字傍点〕は住吉の三津であつて、卷六「佳吉《すみのえ》の岸の黄土ににほひて行かむ」(一〇〇二)といふのが是であるといふ考の説が認められてゐる。以上が色に出でて〔五字傍点〕の序。○云はなくのみぞ 原文は「不云耳衣」で舊訓イハザルノミゾとあるが、今吉義に從ふ。
【後記】 「云はなくのみぞ我が戀ふらくは」は言ひ盡さずに餘意を含ませた表現であつて、云は(272)なくのみぞ〔七字傍点〕と言つたやうに、言ひ盡さない所に無量の熱情が迸つてゐる。
 
2726 風吹かぬ 浦に浪立つ 無き名をも 吾は負へるか 蓬ふとはなしに 【一に云はく 女と念ひて】
 
【口譯】 風の吹かない海岸に浪立つやうに、無實な名を私は背負《しよ》つたよ、彼の人に逢つたこともないのに。(一本には、「女と念つて。」)
【語釋】 ○風吹かぬ浦に浪立つ 譬喩である。風が吹いて浪の立つのは道理であるが、風も吹かないのに浪の立つ如くといふ義。○吾は負へるか か〔傍点〕はかも〔二字傍点〕である。
【後記】 譬喩の樣式が後世風である。古今集に「かねてより風に先だつ浪なれやあふことなきにまだき立つらむ」は同想である。一つに云はくの「女と念ひて」は結句の異傳と見るべきであるが、意味が上に續きにくいので、女〔傍点〕の字は何かの誤であらうと言はれたが、未だ肯なはれる説がない。
 
2727 菅島《すがしま》の 夏身《なつみ》の浦に 寄る浪の 間も置きて 吾が念《も》はなくに
 
【口譯】 間を置いて私は彼の人を思つてゐるのではない、絶間なく思ひつゞけてゐるのだよ。
(273)【語釋】 ○菅島の夏身の浦に寄る浪の 序詞。寄る浪の間も置かずといふ義で連なるものであらう。菅島〔二字傍点〕も夏身の浦〔四字傍点〕も所在不明。
【後記】 地方歌であらう。本義は無論概念的である。
 
2728 淡海《あふみ》の海 沖つ島山 奥まへて 吾が念ふ妹が 言の繋けく
 
【口譯】 深入して私の愛してゐる彼の女の評判が口喧ましいことよ。
【語釋】 ○奥まへて 奥めて〔三字傍点〕であつて、深めてと同じ。○言の繁けく 原文は「言繁」で舊訓コトノシゲケムとあるが、繁〔傍点〕の下に苦〔傍点〕のある嘉暦本に從ふ。
【後記】 上の「淡海のうみ沖つ島山奧まけて吾が念ふ妹が言の繁けく」(二三四九)と同歌である。
 
2729 霰ふり 遠つ大浦に 縁《よ》る浪の 縱《よし》も依すとも 憎からなくに
 
【口譯】 縱《まゝ》よ、彼の女を私に關係づけて人が言ひ騷がうと、實際憎くはないのだもの。
【語釋】 ○霰降り 枕詞。卷七にも「霰降り遠江《とほつあふみ》の吾跡《あど》川柳」(一二九三)とあるが、とほつ〔三字傍点〕へのかゝり方が詳かでない。代匠記は「とほつ〔三字傍点〕のと〔傍点〕もじを音〔傍点〕になして、霰ふる音といふ心につゞけたり」といひ、古義(274)は霰降り飛び打つ〔七字傍点〕といひ續けたので、トビウツはトブツと約《つゞ》まるからトホツにかけたのだらうと言ふ。冠辭考の説もあるが肯《うべ》なはれない。全釋には霰の降る音とほとほ〔四字傍点〕を遠つ〔二字傍点〕に冠したのだらうとある。亦一説である。○遠つ大浦に 遠つ淡海にある大浦にの意で、大浦は近江國伊香郡菅浦の奥にある所といふ。○縁る浪の 以筌三句依す〔二字傍点〕を起す序。○縱も依すとも 縱〔傍点〕はまゝよの義、も〔傍点〕は強めの助詞。依すとも〔四字傍点〕は自分を他人に關係づけていふともの義。古義はも〔傍点〕の原文毛〔傍点〕は或は惠〔傍点〕の誤で、よしゑ〔三字傍点〕ではないかと言つてゐる。改字しないでもよいであらう。
【後記】 「縱も伏すとも」と言棄てた所が活躍してゐる。又「縁る浪の」からよ〔傍点〕を反覆させ、而もこの句はヨシ・ヨスと重ねて調子を取つてゐる。
 
2730 紀の海の 名高《なだか》の浦に 依る浪の 音高きかも 逢はぬ子故に
 
【口譯】 評判高く言ひ騷がれることよ、逢つたこともない彼の女の爲に。
【語釋】 ○紀の海の名高の浦に依る浪の 音〔傍点〕につゞく序、而も名高〔二字傍点〕が音高き〔三字傍点〕に相響いてゐる。名高の浦〔四字傍点〕は紀伊國内海町附近の海といふ。卷七「紫の名高の浦の」(一三九二)參照。
【後記】 「逢はぬ子故に」は類型が多いが、かゝる歌は民謠として只聲調のよいのを長所とすべきである。
 
(275)2731 牛窓《うしまど》の 浪の潮さゐ 島とよみ 依せてし君に 逢はずかもあらむ
 
【口譯】 評判高く關係を言ひ騷がれた彼《あ》のお方に、どうして逢はずに置かれようか。
【語釋】 ○年窓の 牛窓〔二字傍点〕は備前國邑久郡にある港。○泊の潮さゐ 潮さゐ〔三字傍点〕は潮の騷ぎ鳴ること。卷一「潮さゐに伊良虞《いらご》の島邊」(四二)參照。○島とよみ 島が響勤する義で、このとよみ〔三字傍点〕は本義となつて、名の高く響くに轉じてゐる。それ故島〔傍点〕までを序として、とよみ〔三字傍点〕を起すと見るべきである。原文は「島響」で舊訓シマヒビキとあるが、略解に從ふ。○依せてし君に 原文は「所伏之君爾」で舊訓ヨラレシキミニとあるが、代匠記に從つておく。○逢はすかもあらむ かも〔二字傍点〕は反語かは〔二字傍点〕の義で、逢はざらむやはといふに同じ。
【後記】 どうせ名の立つた上はと、突進的である。やはり牛窓地方の民謠であらう。
 
2732 沖つ浪 邊浪《へなみ》の來寄る 左太《さだ》の浦の このさだ過ぎて 後戀ひむかも
 
【口譯】 この好い機會を逸しては、永久會はれずに戀ひ焦がれることだらうよ。
【語釋】 ○左太の浦の 左太の浦〔四字傍点〕は和泉ともいひ出雲ともいふが所在未詳。以上三句が下のさだ〔二字傍点〕を起す序。○このさだ過ぎて さだ〔二字傍点〕は時をいふ古言、しだ〔二字傍点〕ともいふ。しだ〔二字傍点〕は卷十四・二十の東國歌に多用してある。
(276)【後記】 女に逢ふ好機に會しながら、尚逢ひかねる悶えである。卷十二、三一六〇に同歌が採られてゐる。
 
2733 白浪の 來寄する島の 荒礒《ありそ》にも あらましものを 戀ひつゝあらずは
 
【口譯】 白浪が來寄せるといふ島の荒礒にでもなりたいものだなあ、こんなに戀ひ悩んでゐずして。
【語釋】 ○白浪の來寄する島の 來寄する〔四字傍点〕といふのが人の來依るに通ふのであつて、人は來依らずともせめて白浪でも來寄せるのを懷かしまうといふのであらう。
【後記】 この歌の荒礒になることを欲する意義については、誰もが疑問をもつてゐたやうであるし、從つて其の解き方が徹底しなかつた。今私案として上述の如く「來寄する」に意味をもたせて見た。
 
2734 潮滿てば 水沫《みなわ》に浮ぶ 細砂《まなご》にも 我はなりしか 戀ひは死なずて
 
【口譯】 潮が滿ちて來ると、沫と共に浮ぶ砂に我はなりたいよ、戀ひ死ぬ苦しみはせずに。
(277)【語釋】 ○吾はなりしか なりしか〔四字傍点〕はなりてしか〔五字傍点〕と同じく、なりたいといふ希望。原文の「吾者生鹿」を略解はワレハイケルカと訓じ、古義も從つた。しかし新考が「おなじく寄海歌の中ながら前後寄浪歌なる中に此歌を挿めるは前の歌と趣相似たる爲ならむ」と言つたやうに、何になりたいといふ同趣の歌を一所に列ねたものと見るべく、舊訓に從ふのがよい。○戀ひは死なずて 今はもう戀ひ死ぬまでの苦しみに陷つてゐるが、こんな苦しみはせずしての義。「なか/\に戀ひは死なずは」といふに同じ。
【後記】 さて細砂になりたいといふのは、滿潮の時乾いた砂が水沫に浮ぶのは暫しの命ながら、かゝる戀ひ死にの苦しみよりも、むしろ安けく願はしいといふのであらう。
 
2735 住吉《すみのえ》の 岸の浦回《うらみ》に しく浪の しく/\妹を 見むよしもがも
 
【口譯】 引つ切りなしに彼の女に逢つてゐたいものよなあ。
【語釋】 ○しく浪の 以上がしく/\〔四字傍点〕を起す序。○しく/\妹を 原文は「數妹乎」で舊訓カズニモイモヲとあるが、代匠記初稿の一訓がよい。
【後記】 卷十二「霍公鳥|飛幡《とばた》の浦にしく浪のしばしば君を見むよしもがも」(三一六五)は同趣。
 
(278)2736 風を痛み いたぶる浪の 間無く 吾が念《も》ふ君は 相|念《も》ふらむか
 
【口譯】 絶間なく私の思ひ焦がれてゐる彼のお方は、私の方《はう》を思つてくれるだらうか。
【語釋】 ○風を痛みいたぶる浪の 間無く〔三字傍点〕の序。風が強いので、強まる浪のといふ義。いたぶる〔四字傍点〕のぶる〔二字傍点〕は接尾辭で、いたくなる即ち強くなるといふこと。卷十四「波のほのいたぶらしもよ」(三五五〇)のいたぶらし〔五字傍点〕はいたぶる〔四字傍点〕の動詞が更に形容詞となつたもの。
【後記】 「大寺の餓鬼の後《しりへ》に額づくごとし」(六〇八)と言つたやうに、相念はぬ人を念ふのではないかの悩みである。序が不安の心持を出してゐるのもよく、末の念ふ〔二字傍点〕を反覆させて彼我對せさせてゐる句法も巧みである。
 
2737 大伴の 三津の白浪 間無く 我が戀ふらくを 人の知らなく
 
【口譯】 こんなに絶間なく私の戀ひ焦がれてゐることを、あの人は一向知らないわよ。
【語釋】 ○大伴の三津の白浪 間無く〔三字傍点〕の序。大伴の三津〔五字傍点〕は難波の御津、卷一の「大伴の御津の濱松」(六三)參照。
【後記】 前の歌と全然同巧である。末は「戀らく」・「知らなく」で彼我を對せさせてゐることも(279)酷似してゐる。
 
2738 大船の たゆたふ海に 碇おろし 如何にせばかも 吾が戀ひ止《や》まむ
 
【口譯】 どうしたならばまあ、私の戀がやみませうか。
【語釋】 ○大船のたゆたふ海に碇おろし 如何に〔三字傍点〕を起す序。しかし大船のたゆたふ〔七字傍点〕は心の動搖を、碇おろし〔四字傍点〕は心の靜止を思はせてゐる。
【後記】 上の「大船の香取の海に碇おろし如何なる人か物思はざらむ」(二四三六)は類想である。
 
2739 ※[且+鳥]鳩《みさご》ゐる 沖の荒磯《ありそ》に 縁る浪の 行方《ゆくへ》も知らず 我が戀ふらくは
 
【口譯】 行末どうなることやら分らない、私のこの戀は。
【語釋】 ○※[且+鳥]鳩ゐる沖の荒磯に縁る浪の 行方も知らず〔六字傍点〕を起す序。※[且+鳥]鳩〔二字傍点〕は荒磯に棲む鷲の類。卷三、三六二既出。
 
2740 大船の 舳《へ》にも艫《とも》にも よる浪の 依すとも吾は 君がまに/\
 
(280)【口譯】 私と貴郎との關係がどんなに言ひ騷がれても、私は貴郎の御意どほりよ。
【語釋】 ○大船の舳にも艫にもよる浪の 依す〔二字傍点〕を起す序。○依すとも 依すとも〔四字傍点〕ひるまじの義。
【後記】 古義が「船の舳にも艫にも浪のよする如く、此方《こゝ》よりも彼方《そこ》よりも、きま/”\に、いひよせらるれども、よしやさばれあだし心をわれはもたず、君が意に任せ侍らむ」と解いたのは、序に意味をもたせ過ぎて、依す〔二字傍点〕といふ語を誤釋したものである。
 
2741 大海に 立つらむ浪は 間《あひだ》あらむ 君に戀ふらく 止む時もなし
 
【口譯】 大海に立つ浪は絶間もありませうが、私の貴郎に戀ひることは止む時がありません。
【後記】 この歌は海に對比して思を述べたので、本義に關しない寄物とは類を與にする。
 
2742 志賀《しか》の海人《あま》の 烟《けぶり》焚き立てて 燒く鹽の 辛き戀をも 我はするかも
    右の一首或は云はく、石川君子朝臣之を作るといふ。
 
【口譯】 辛《つら》い戀を私はすることよなあ。
【語釋】 ○志賀の海人の烟焚き立てて燒く鹽の 辛き〔二字傍点〕を起す序。志賀〔二字傍点〕は筑前國の志賀島。上の「志賀の白水(281)郎の鹽燒衣」(二六二二)參照。
【後記】 鹽の辛いのを戀の苦しいのに借りて詠んだ歌は、この歌を本にしたものが多い。集中卷十五「志賀の海人の一日も落ちず燒く鹽の辛き戀をも我はするかも」(三六五二)は無論この歌の摸倣であり、卷十七「須磨人の海邊常去らず燒く鹽の辛き戀をもあれはするかも」(三九三二)は已に須磨に轉用されたものである。
【左註】 この卷の中で作者の名を出してあるものはこの歌だけ、但し一説としてである。石川君子朝臣は、卷三に石川少郎歌一首の端詞を以て「志賀の海人は海布《め》刈り鹽燒き暇無み櫛匣《くしげ》の小櫛取りも見なくに」(二七八)とあり、其の左註に「右今案石川朝臣君子號曰少郎子也」とある人であらう。卷三參照。こゝは或説としてあるから直ちに取ることは出來ないが、卷三のも志賀の白水郎の歌であるから、兩者に關係があるかも知れない。
 
2743 なか/\に 君に戀ひずは 比良の浦の 白水郎《あま》ならましを 玉藻刈りつゝ
    或本の歌に曰はく なか/\に 君に戀ひずは 留鳥《あみ》の浦の 海人ならましを 玉藻刈る/\
 
(282)【口譯】 なまなかに彼のお方に戀ひすることは止めて、比良の浦の海人でありたい、玉藻を刈り/\して。(或本の歌には、「なまなかに彼のお方に戀ひすることは止めて、留鳥の浦の海人でありたい、玉藻を刈り/\して。」)
【語釋】 ○なか/\に なまなかにで直接君に戀ひ〔四字傍点〕にかゝる。卷三「なか/\に人とあらずは」(三四三)參照。○比良の浦の 原文は「牧浦乃」で舊訓ヒラノウラノとあり、類聚古集など牧〔傍点〕を枚〔傍点〕に作つてあるから、牧〔傍点〕は誤であらう。近江國の比良〔二字傍点〕であらう。○或本の歌 比良〔二字傍点〕が留鳥〔二字傍点〕となり、刈りつゝ〔四字傍点〕が刈る/\〔四字傍点〕となつてゐるのみで、もとは同一歌であらう。留鳥〔二字傍点〕の字は舊訓アミとあるから、卷一に「網の浦」(五)とある讃岐國の地名だらうとされてゐる。
【後記】 卷十二の「後れゐて戀ひつゝあらずは田子の浦の海人ならましを玉藻刈る/\」(三二〇五)も多分同一歌の變化であつて、民謠の流動性をよく物語つてゐる。
 
2744 鱸捕る 海人の燭火《ともしび》 よそにだに 見ぬ人故に 戀ふる此の頃
 
【口譯】 外目《よそめ》にさへ未だ見ない人の爲に、戀ひ焦がれる此の頃よ。
【語釋】 ○鱸捕る海人の燭火 よそに見る〔五字傍点〕を起す序。漁火は沖合遙かに見えるから言ふのである。
 
(283)2745 湊入りの 葦わけ小舟 障《さはり》多み 吾が念ふ君に 逢はぬ頃かも
 
【口譯】 故障が多いので、私の思ふ彼のお方に逢はれない此の頃よなあ。
【語釋】 ○湊入りの葦わけ小舟 障多み〔三字傍点〕を起す序。河口に入る舟が葦の中を掻分けて進むのを障多いと言つたのである。
【後記】 難波あたりに出來た歌であらう。卷十二、二九九八に全く同じ序がある。參照。
 
2746 庭清み 沖へ漕出づる 海人舟の 楫取る間なき 戀もするかも
 
【後記】 絶間のない戀を私はすることよ。
【語釋】 ○庭清み 庭〔傍点〕は海面をいふ。卷三に「飼飯《けひ》の海の庭〔傍点〕よくあらし」(二五六)とある。清み〔二字傍点〕は清いので即ち靜かなのでの義。○楫取る間なき 楫取る〔三字傍点〕以上が序、間なき〔三字傍点〕以下が本義。○戀もするかも も〔傍点〕は詠歎の助詞。古義はコヒヲスルカモと改めたが、舊訓の方が却つて集の語格に合つてゐる。
【後記】 漁夫の船歌とでも見るべきであらうか。序の長過ぎるのがこの種の歌の通習である。
 
(284)2747 味鎌《あぢかま》の 鹽津を指して 漕ぐ船の 名は告《の》りてしを 逢はざらめやも
 
【口譯】 彼の女は已に名を告げたのだもの、逢はれないことがあらうか。
【語釋】 ○味鎌の 味鎌〔二字傍点〕は地名であらうが、所在は未詳。卷十四に「味鎌の潟にさく浪」(三五五一)・「味鎌の可家《かけ》の湊に」(三五五三)とある。而してこれらの歌の左註に「以前の歌詞、未だ國土山川の名を勘へ知ること得ず」とある。不明にしても東國にあるのであらう。○鹽津を指して 鹽津〔二字傍点〕も無論不明である。○漕ぐ船の 以上三句は序。船の名〔三字傍点〕と下を起す。古へ船に名をつけてあつたことは、卷十六に「奥津鳥鴨とふ船の還り來ば」(三八六六)とあり、應神紀に枯野《からぬ》、播磨風土記逸文に速鳥《はやとり》などがある。
【後記】 女の男に名を告げるのは、男に許すことであつた。卷十二に「住吉の敷津の浦の名告藻《なのりそ》の名は告りてしを逢はなくも怪し」(三〇七六)・「志賀の海人の磯に刈干す名告藻《なのりそ》の名は告りてしを如何に逢ひ難き」(三一七七)とあるのが是である。
 
2748 大舟に 葦荷刈り積み しみゝにも 妹が心に 乘りにけるかも
 
【口譯】 しきりに彼の女のことが、心に浮んで戀しく思はれるよ。
【語釋】 ○大舟に葦荷刈り積み しみゝ〔三字傍点〕を起す序。大舟に刈つた葦の荷を積むこと多く〔二字傍点〕といふを、しみゝに(285)も〔五字傍点〕と轉じたのである。○しみゝにも しげくもの義。
 
2749 驛路《はゆまぢ》に 引舟渡し たゞ乘りに 妹が心に 乘りにけるかも
 
【口譯】 一途《いちづ》に彼の女のことが、心に浮んで戀しく思はれるよ。
【語釋】 ○驛路に引舟渡し ただ乘りに〔五字傍点〕を起す序。驛路は宿次《しゆくつ》ぎ馬を配置した官道。引舟〔二字傍点〕は綱をつけて陸から曳行く舟。昔は水驛《みづうまや》(船着きの宿場)に引舟を設置してあつた。大寶令の厩牧令に「凡そ水驛の馬を配せざる處は、閑繁を量りて驛別に船四隻以下二隻以上を置け」とある。こゝの驛路は水驛のことである。○たゞ乘りに 引舟渡し〔四字傍点〕からは直接乘り〔二字傍点〕を起してゐるが、それはたゞ〔二字傍点〕といふ副詞をつけたのである。ただ〔二字傍点〕はひたすらに〔五字傍点〕である。さてこの句は末句に續いて、たゞ乘りに乘りにけるかも〔た〜傍点〕といふのである。
【後記】 二首とも舟に寄せて、而も末句は共に「妹が心に乘りにけるかも」である。この句は上の「宇治川の瀬々の敷浪しく/\に」(二四二七にあり、尚卷二の「東人の荷前《のざき》の箱の荷の緒にも」(一〇〇)にもあつた。
 
2750 吾妹子に 逢はず久しも うましもの 阿倍橘の 蘿《こけ》生《む》すまでに
 
(286)【口譯】 吾が妻に逢はないで久しく立つたよ、阿倍橘の木が苔を生ずるまでも。
【語釋】 ○うましもの 枕詞。甘美《うま》い物の義で、阿倍橘〔三字傍点〕につゞく。○阿倍橘の 和名抄に「橙 安倍太知波奈 似v柚而小者也」とあり、代匠記は花柚とし、考は今の橘とし、狩谷※[木+夜]齋は九年母とした。安倍〔二字傍点〕は地名とする説、饗《あへ》で饗膳の料の義とする説等があつて、未詳である。○蘿生すまでに 苔の生ずるまで老木になつたことで、久しいことをいふのである。
【後記】 誇張的表現が却つて情を弱める。
 
2751 あぢの住む 渚沙《すさ》の入江の 荒磯松 我《あ》を待つ兒等は たゞ一人のみ
 
【口譯】 私を待つてゐる女は、たゞ彼の女一人だけだ。
【語釋】 ○あぢの住む渚沙の入江の荒磯松 我〔傍点〕を起す序。あぢ〔二字傍点〕は味鳧《あぢがも》のこと。渚沙の入江〔五字傍点〕は所在不明。卷十四東歌の中に「あぢの住む須沙〔二字傍点〕の入江の隱《こも》り沼《ぬ》の」(三五四七)とあるから、東國地方と思はれるが、例の「未得勘知國土山川之名也」の中で、早く不明であつたらしい。荒磯松〔三字傍点〕はありそ〔三字傍点〕のあ〔傍点〕を以て我《あ》を起し、松〔傍点〕の音を待つ〔二字傍点〕で反覆させてゐる。
【後記】 本義は考が「其妹を專らうつくしむことば也」と言つた如くである。
 
(287)2752 吾妹子を 聞き都賀野邊《つがぬべ》の しなひ合歡木《ねぶ》 吾《あ》は隱《しぬ》び得ず 間なくし念《も》へば
 
【口譯】 私はもう隱し切れない、彼の女をかう絶間なく思ひつゞけてゐると。
【語釋】 ○吾妹子を聞き都賀野邊のしなひ合歡木 序。しなひ〔三字傍点〕が之に近いしぬび〔三字傍点〕を起してゐる。吾妹子を聞き〔六字傍点〕は吾妹子の上を聞きつぐといふを都賀野〔三字傍点〕の序とした。都賀野は神功紀・仁徳紀の菟餓野《とがぬ》かといひ、代匠記は卷十四の「都武賀野《つむがぬ》」(三四三八)かといふ。しなひ合歡木〔六字傍点〕は合歡木の枝も葉もなよ/\としなつてゐるからいふ。○吾は隱び得ず 原文は「吾者隱不得」で舊訓ワレハシノビエズとあり、考はワレハシヌバズとしたが、今古義に從ふ。
【後記】 序の中に「吾妹子を聞き都賀野邊」といつて、暗に本義に韻《ひゞ》いてゐるし、「しなひ合歡木」といふ語が亦女の姿に聯想をもたせてゐる、
 
2753 波の間ゆ 見ゆる小島《こじま》の 濱久木 久しくなりぬ 君に逢はずして
 
【口譯】 大分久しくなりましたよ、彼のお方にお逢ひしないで。
【語釋】 ○浪の間ゆ見ゆる小島の濱久木 久しく〔三字傍点〕を起す序。浪の間に見える小島、そこに生えてゐる濱久木といふのである。浪の間ゆ〔四字傍点〕は原文が「浪間從」で、舊訓のナミマヨリでもよいが、今古義に從ふ。濱久木〔三字傍点〕(288)は濱にある久木であらう。久木〔二字傍点〕は楸とも書き、あかめがしは〔六字傍点〕のことといふ。卷六、九二五參照。
【後記】 調子のなだらかな而も落着いた歌。沖の小島でも眺めてゐる女を想はせる。伊勢物語には「浪間より見ゆる小鳥の濱びさし久しくなりぬ君に逢ひ見で」となつてゐる。久しく〔三字傍点〕につゞけさせる爲に何時の間にか濱びさし〔四字傍点〕に變じて了つた。増鏡に見える後鳥羽天皇の御製「浪間なき隱岐の小島の濱びさし久しくなりぬみやこ隔てて」は更に伊勢物語に據られたものである。
 
2754 朝柏 閏八河邊《うるはかはべ》の しぬのめの しぬびて寢れば 歩《いめ》に見えけり
 
【口譯】 私があの方を思ひ慕つて寢ると、夢に見えたよ。
【語釋】 ○朝柏閏八河邊のしぬのめの しぬびて〔四字傍点〕を起す序。朝柏〔二字傍点〕は閏八《うるは》の枕詞。閏八河〔三字傍点〕は不明。上の「秋柏潤和川邊のしぬのめの」(二四七八)とあつたのと同所の異傳であると見える。その歌參照。
【後記】 思ひつゝ寢ればや人の見えつらむ嬉しさ。上の二四七八より平明である。
 
2755 淺茅原 假標《かりしめ》刺《さ》して 空言《むなごと》も よせてし君が 言をし待たむ
 
【口譯】 虚言《うそ》にしてが、一度私に關係づけて言ひ騷がれた貴郎だもの、私は貴郎のよいお便《たより》を待(289)つてゐますよ。
【語釋】 ○ 淺茅原假標刺して 空言〔二字傍点〕の序。淺茅原に假初の標を立てるのは取止めもないことであるから、空し〔二字傍点〕につゞくことは、已に上の「淺茅原小野に標結ふ空言を」(二四六六)に言つた如くである。標は刺す〔二字傍点〕ともいふ。卷十「秋萩を誰か標刺す〔三字傍点〕我に知らえず」(二一一四)とある。○空言も たとひ虚言にしてもの義。男と女の關係は全然ないのではない、無論あつて立つた評判であるが、虚言にしてからが評判まで立つたのではないかと、對手に迫る言草である。
【後記】 男のためらふのを促し迫る女の歌であらう。序は上の二四六六に似たもの。
 
2756 月草の 假なる命 なる人を 如何に知りてか 後も逢はむとふ
 
【口譯】 はかない命の人間であるのに、何と考へてか後に逢はうなど言ふのだらう。
【語釋】 ○月草の 枕詞。月草〔二字傍点〕は鴨頭草、又露草ともいひ、朝咲いて夕萎むはかない花であるから、假なる〔三字傍点〕に冠するのであらう。○假なる命なる人を 原文は「借有命在人乎」で舊訓カリナルイノチアルヒトヲとあるが、今略解に從ふ。但し新考が「命ナルを二句に割きたるは快からず」と言つた難はあるが、アルヒトヲも如何であるから姑らくナルヒトヲとする。○後も逢はむとふ も〔傍点〕はに〔傍点〕の代りの詠歎で、も亦〔二字傍点〕ではない。
(290)【後記】 そんな氣長い事を言つてゐたら、何時死ぬか知れやしないと、對手に迫るのである。
 
2757 大王《おほきみ》の 御笠に縫へる 有馬菅《ありますげ》 ありつゝ見れど 事なし吾妹《わぎも》
 
【口譯】 かうして常に見てゐるけれど、これといふ點の打ち所もない、私の妻は。
【語釋】 ○大王の御笠に縫へる有馬菅 ありつつ〔四字傍点〕を起す序。天皇の御笠を縫つて作る有馬の菅の義で、有馬は攝津國の地名。○事なし吾妹 原文は「事無吾味」で舊訓コトナキワギモとあるが、古義に從ふ。事なし〔三字傍点〕は難のないのをいふ。古義は「何の障ることなし」と解し、新考は便《たより》のないことに取つてゐるが、如何であらう。
【後記】 長く見て來た女を、飽きず愛《いつく》しむ意であらう。有馬菅に寄せた歌は卷十二に「人皆の笠に縫ふとふ有馬菅ありて後にも逢はむとぞ思ふ」(三〇六四)がある。
 
2758 菅の根の ねもころ妹に 戀ふるにし ますらを心《ごころ》 念ほえぬかも
 
【口譯】 眞底彼の女に戀して了つたので、大丈夫の精神もなくなつたよ。
【語釋】 ○菅の根の 例のね〔傍点〕につゞく枕詞。○戀ふるにしますらを心 原文は「戀四益卜思而心」で舊訓コ_(291)ヒセマシウラオモフココロとあるが、略解に「宣長云、思而〔二字傍点〕二字は男〔傍点〕の誤にて、三の句コフルニシ、四の句マスラヲゴコロ訓まんと言へり、これ穩かなり」といふに從ふ。○念ほえぬかも ますらを心〔五字傍点〕の念ほゆ〔三字傍点〕といふのは、大丈夫の雄心ありと自ら感ずるをいふ。こゝは感ぜぬのである。卷十八「丈夫の心思ほゆ大君の御言の幸《ささ》を聞けば貴み」(四〇九五)參照。
【後記】 「菅の根のねもころ」はいやな程類型が多く、本義も亦同想が多い。卷十二「丈夫のさとき心も今はなし戀の奴《やつこ》に吾は死ぬべし」(二九〇七)など其の一つ。
 
2759 吾がやどの 穗蓼古幹《ほたでふるから》 採《つ》みはやし 實になるまでに 君をし待たむ
 
【口譯】 實《まこと》の女夫《めうと》になるまで、氣長に貴郎を待つてゐませう。
【語釋】 ○穗蓼古幹 穗蓼〔二字傍点〕は花の穗状をなす種類の蓼をいふのであらう。古幹〔二字傍点〕は去年の枯れた莖をいふ。○採《つ》みはやし 實を摘んで蒔いて生《は》や(292)す義。以上が實になる〔四字傍点〕を導く序。○實になるまでに 實になる〔四字傍点〕はまことの夫婦として相見るのをいふ。卷七「花よりは實になりてこそ戀ひまさりけれ」(一三六五)參照。
【後記】 序は無論意義ない修飾であるが、如何にも待つことの長さを思はせる上に、「古幹採みはやし」といふ語には、枯れた情を又蘇らせてなどいふ意が聯想されて一種の韻《にほひ》をなしてゐる。
 
2760 あしひきの 山澤ゑぐを 摘みに行かむ 日だにも逢はむ 母は責むとも
 
【口譯】 山の澤のゑぐを摘みに參ります日なりと、私は貴郎にお逢ひしませう、母が知つて叱るにしても。
【語釋】 ○山澤ゑぐを ゑぐ〔二字傍点〕は烏芋《くろくわゐ》のこと。卷十「山田の澤に惠具〔二字傍点〕採むと」(一八三九)參照。○摘みに行かむ 行かむ〔三字傍点〕のむ〔傍点〕は連體で日〔傍点〕にゞく。○日だにも逢はむ 原文は「日谷毛相將」であるが、新訓・新解は嘉暦本の將〔傍点〕を爲〔傍点〕に作るのに從つて、ヒダニモアハセと訓んでゐる。これは下の句との續き合が妥當でないから取らない。
【後記】 ゑぐ摘む野趣と共に、田舍少女のいたいけさが出てゐる。この歌は寄物といふが、初から、皆本義になつてゐる。只ゑぐ〔二字傍点〕といふ草があるから寄物に入れて了つた。
 
(293)2761 奥山の 石本菅《いはもとすげ》の 根深くも 思ほゆるかも 吾が思ひ妻は
 
【口譯】 心から深く思はれてならないよ、私の思ひ妻は。
【語釋】 ○根深くも 根〔傍点〕より以上を序とするが、根深く〔三字傍点〕は心中に深くなどいふ心持にも取り得る。
【後記】 卷三の笠女郎の家持に贈つた「奥山の磐本菅を根深めて結びし情忘れかねつも」(三九七)はこの歌の本を借りたものである。
 
2762 蘆垣の 中の似兒草《にこぐさ》 にこよかに 我と咲《ゑ》まして 人に知らゆな
 
【口譯】 餘りにこ/\と私に笑顔をお送りなさつて、他人にそれと知られなさいますな。
【語釋】 ○蘆垣の中の似兒草 にこ〔二字傍点〕の音で下につゞかせる序。似兒草〔三字傍点〕は未詳である。箱根草のことといふが根據がない。或は和草の義ですべて葉や莖の柔かな草かとも思はれる。○にこよかに にこやかにと同じ。○我と咲まして 我と〔二字傍点〕は原文に「我共」とあるのを訓んだので、我に向つての義だらう。おのづからの意には取らない。
【後記】 卷四の「青山を横ぎる雲のいちじろく吾と咲まして人に知らゆな」(六八八)はこの歌を踏(294)まへたものである。何となく若い男女の柔かさを覺える歌である。
 
2763 紅《くれなゐ》の 淺葉《あさは》の野《ぬ》らに 刈る萱の 束の間も 吾《あ》を忘らすな
 
【口譯】 一寸の間も私を忘れて下さいますな。
【語釋】 ○紅の 枕詞。紅色の淺いといふのを淺葉〔二字傍点〕につゞけたのである。○淺葉の野らに 淺葉〔二字傍点〕は武藏國入間郡麻羽かともいひ、遠江國磐田郡淺羽かともいふ。野ら〔二字傍点〕のら〔傍点〕は只添へた接尾辭。○刈る萱の 以上は束〔傍点〕を起す序。○東の間も 束〔傍点〕は草のたば〔二字傍点〕の義で上から言下《いひおろ》したが、束〔傍点〕は又一握の長さを言ひ、束の間《ま》・束の間《あひだ》は短い時間をいふ。○吾を忘らすな 忘らす〔三字傍点〕は四段活用忘る〔二字傍点〕にす〔傍点〕の崇敬助動詞の附いたもの、忘れ給ふなと同じ。
【後記】 卷二「大名兒を彼方《をちかた》野べに刈るかやの束の間も吾忘れめや」(一一〇)はこの歌に據つたものであらう。
 
2764 妹が爲 命|遺《のこ》せり 刈薦の 念ひ亂れて 死ぬべきものを
 
【口譯】 彼の女に逢はう爲に、命を取止めて來た、戀に思ひ亂れて死んでしまふ筈だのを。
(295)【語釋】 ○刈薦の 亂れ〔二字傍点〕につゞく枕詞。
【後記】 この歌は枕詞に草〔傍点〕をもつてゐるのみで、他は全部本義の語を以て陳ねてゐるが、集の編者はかゝるものまで寄物の類に入れた。上の「山沢ゑぐ」(二七六〇)參照。
 
2765 吾妹子に 戀ひつゝあらずは 刈薦の 思ひ亂れて 死ぬべきものを
 
【口譯】 こんなに彼の女に焦がれ悶えてゐずに、思ひ狂つて死んだ方がましだよ。
【後記】 前の歌と類想であり、亦眞の寄物になつてゐない。
 
2766 三島江の 入江の薦を かりにこそ 吾をば君は 念ひたりけれ
 
【口譯】 冗談半分に、私を貴郎は思つて入らつしやつたのですね。
【語釋】 ○三島江の入江の薦を かり〔二字傍点〕を起す序。三島江〔三字傍点〕は攝津國三島郡にある。淀川の西岸。卷七、一三四八に既出。○かりにこそ かり〔二字傍点〕は上から薦を刈り〔四字傍点〕と言下して。本義には假〔傍点〕と轉じたのである。
【後記】 男の輕薄を怨んだ女の歌。例によつて序が長いが、本義は無量の怨恨を含んだ語氣がある。
 
(296)2767 足引の 山橘の 色に出でて 吾《あ》は戀ひなむを 人目|難《かた》みすな
 
【口譯】 堂々と顔色に出して私は戀ひ焦がれませうから、貴郎だつて人目などを憚りなさいますな。
【語釋】○足引の山橘の 色に出でて〔五字傍点〕を起す序。山橘〔二字傍点〕は藪柑子《やぶかうじ》のことで、實が赤いからである。○人目難みすな 原文は「八目難爲名」で舊訓ヤメカヤクスナとあるが、考が八〔傍点〕を人〔傍点〕の誤として訓んだのに從ふ。難みす〔三字傍点〕は難儀と思ふ義に取る。
【後記】 人目をしのんで煮え切らなかつた鯉の齒痒さに、女から突進的に出て男に迫つたのである。卷四「足引の山橘の色に出でよ語らひつぎて逢ふこともあらむ」(六六九)はこの歌を摸したもの。
 
2768 葦田鶴《あしたづ》の 騷ぐ入江の 白菅の 知られむ爲と こちたかるかも
 
【口譯】 私の心をあのお方に知られよう爲とて、人に口喧ましく言騷がれるのかまあ。
【語釋】 ○葦田鶴の騷ぐ入江の白菅の 知ら〔二字傍点〕を起す序。葦田鶴〔三字傍点〕は鶴のこと。葦邊にゐるからである。白菅〔二字傍点〕は(297)菅の一種。○こちたかるかも 原文は「乞痛鴨」で舊訓コヒイタムカモとあるが、考に從ふ。こちたかる〔五字傍点〕は言痛くあるで、口喧ましく騷ぐの義。
【後記】 この歌は本義の表現がやゝ不足で、古義が疑つたやうに穩かでないが、他に妥當な訓方もない。考は、序の「騷ぐ」といふ語を下に響かせて考へるのは後世意《のちのよごころ》であると戒めたが、さうした氣分の伴ふのも強ち妨げないであらう。
 
2769 吾が背子に 吾が戀ふらくは 夏草の 刈除《かりそ》くれども 生《お》ひ及《し》く如し
 
【口譯】 私のあの人に私の戀することは、夏草が刈りのけても、後から生えて來《き》生えて來《き》するやうなものだ。
【語釋】 ○生ひ及く如し 原文は「生及如」で舊訓オヒシクガゴトとあるが、古義に從ふ。ゴトは副格で終止にならないからである。上の「夕闇の木の葉隱れる月待つごとし」(二六六六)參照。
【後記】 直喩表現であつて、他の寄物と異なる。卷十「此の頃の戀の繁けく夏草の刈掃へども、生ひ及く如し」(一九八四)は同想、而も下三句は殆ど同形である。
 
(298)2770 道のべの いつ芝原の 何時も/\ 人の縱《ゆる》さむ ことをし待たむ
 
【口譯】 何時でもまゝよ、私はあの人の聽入れるのを待つてゐませう。
【語釋】 ○道のべのいつ芝原の 何時も〔三字傍点〕の序。いつ芝〔三字傍点〕は原文「五柴」とあり、卷八「この五柴〔二字傍点〕に」(一六四三)、卷四「この市柴〔二字傍点〕の」(五一三)なども同じであらう。こゝは草〔傍点〕に寄せるものの中であるから、古義のやうに、繁き芝〔三字傍点〕と解すべきであらう。いつ〔二字傍点〕はいつ藻・いつ橿などのいつ〔二字傍点〕の如く繁いことをいふ。○何時も/\ 代匠記が「イツニテモノ意ナリ」と言つた如くである。卷三「妹が家に咲きたる梅の何時も/\なりなむ時に事は定めむ」(三九八)參照。
【後記】 待たうといふのは、自分の誠意を見せて對手に求めるものである。
 
2771 吾妹子が 袖を憑みて 眞野の浦の 小菅の笠を 著ずて來にけり
 
【口譯】 吾が妻の袖をたよりにして、眞野の浦の小菅で縫つた笠もかぶらないで來たよ。
【語釋】 ○吾妹子が袖を憑みて 若し雨が降つたら、女の衣物を借りて袖を打被《うちかづ》いて歸らうといふのが代匠記の説で、多く之に從つてある。○眞野の浦の 攝津國の地名で、今の神戸市の西部に當る。
【後記】 眞淵は考に於て、「來にけり」とあるから、女の家へ着いた時、道すがら小雨に濡れた(299)ので、戯れにかう言つたのだらうかと言つてゐる。戯れて言つたといふ意味が明かでないが、契沖の雨降に衣物を借りて歸らうといふのも如何かと思ふ。自分もこの歌には何となく戯咲味を覺えるものであつて、途中で雨に逢つて女の處へ着いた男が、雨に降られてもこの袖に入れてもらひさへすれば何よりだなど、戯れたものではなからうか。
 
2772 眞野の池の 小菅を笠に 縫はずして 人の遠名《とほな》を 立つべきものか
 
【口譯】 彼の女と未だ契りもしないのに、かく廣く私の浮名の立つ筈があらうか。
【語釋】 ○眞野の池の 前の歌と同じ眞野であらう。○小菅を笠に縫はずして 小菅を笠に作つて自分の用に立てないでの義で、小菅を女に譬へて未だ我が物としないことをいふ。下の「かきつばた佐紀沼の菅を笠に縫ひ」(二八一八)、又卷十三の譬喩歌に「をちの小菅編まなくにい刈りもち來《き》」(三三二三)などあるのと同じ。○人の遠名を 人の〔二字傍点〕は男自身ので、遠名〔二字傍点〕は廣く立つ名をいふ。○立つべきものか か〔傍点〕は反語のかは〔二字傍点〕。立つべき筈はないのに、立つのは怪しいといふ詠歎の表現。
【後記】 この歌は本句が隱喩になつてゐて、前後の寄物と違つてゐるが、眞野の小菅で一所に列ねたものである。考が前の歌の答とし、略解・古義が從つてゐるが、取らない。
 
(300)2773 さす竹の 葉|隱《ごも》りてあれ 吾が背子が 吾許《わがり》し來ずは 吾が戀ひめやも
 
【後記】 貴郎はお家《うち》に籠つてゐて下さい。貴郎が私の處に入らつしやらなかつたら、私がこんなに戀ひ焦がれることがありませうか。
【語釋】 ○さす竹の 枕詞。さす竹〔三字傍点〕は立つ竹の義といふ。竹の葉の繁い意から、葉隱り〔三字傍点〕につゞく。○葉隱りてあれ 原文は「齒隱有」で舊訓ハニカクレタル、考はハゴモリニタルとあるが、今略解に從ふ。只隱りてあれ〔五字傍点〕に枕詞のつゞき合から葉〔傍点〕を冠したのである。
【後記】 相見て思の切なる餘りに言つたのである。この歌は「さす竹」を枕詞としてゐるが、前後が草に寄せる歌であるから、古義は「さす竹」は黍《きみ》であらうと言つてゐるが、次の歌に小竹《しぬ》があるから、同類の竹〔傍点〕をも一所にしたのだらう。この歌に「吾が」が三つあるのは、上の「吾が背子に吾が戀ひをれば吾が宿の」(二四六五)と同じく故らに重ねたのだと、代匠記の言つた如くである。
 
2774 神南備《かむなび》の 淺小竹原《あさしぬはら》の うるはしみ 我《あ》が思《も》ふ君が 聲のしるけく
 
(301)【口譯】 なつかしく私の思つてゐる彼のお方の聲が、たしかに其の人と聞えて來るよ、あれ。
【語釋】 ○神南備の淺小竹原の 飛鳥の神南備〔三字傍点〕の邊の疎らな篠原のの義。序であるがうるはしみ〔五字傍点〕へ掛るのは、篠原が美しいからといふより外解かれない。○うるはしみ 原文の「美」の一字を訓んだのであるが、こゝは三四の句をつゞけて、「美妾思公之」とあるのを、舊訓は美妾〔二字傍点〕をヲミナヘシ、思公之〔三字傍点〕をオモヘルキミガとしたが、略解に引いた宣長の説に「美妾をヲミナヘシと訓むべき由無し。是れは美の上か下に脱字有りて、妾思公之はワガオモフキミガなるべし」とある。古義は美〔傍点〕の字はもと繁美似裳《シミミニモ》とあつたのだらうといひ、下は宣長の説を肯定してアガモフキミガと少し改めて訓んでゐる。今はそれらの説を參酌し、而も文字に即いて訓んだ新訓に從ふ。卷二十に「宇流波之美安我毛布伎美波《ウルハシミアガモフキミハ》」(四四五一)といふ句がある。うるはしみ〔五字傍点〕は下の思ふ〔二字傍点〕につゞくので、親しみ思ふ即ち懷かしく思ふといふ義。○我が思ふ君が 上述の如く古義に從ふ。○聲のしるけく 聲のたしかに其の人であると聞えるよの義。
【後記】 この歌はまだ訓方に疑問が殘る。寄物に於ても、舊訓に從へば女郎花、この改訓に從へば小竹になるのである。古義は淺小竹原の繁《しみ》みにも〔三字傍点〕とかゝり易く訓んだのであるが、補宇の難があり、この改訓では文字には即いたがうるはしみ〔五字傍点〕への掛りにやゝ難が生ずる。尚考ふべきであらう。何れにしても本義は女が男の聲を聞いて頻りになつかしむのである。只代匠記が「我ヲ思フ心ハ聲ニ依テ知ラルトヨメル歟」と言つたのは如何であらう。古義の「わづかにその聲(302)を聞いてもそれとしるく」と解したのがよいと思ふ。
 
2775 山高み 谷べにはへる 玉葛 絶ゆる時なく 見むよしもがも
 
【口譯】 後長く中の絶えることなく、逢ひつゞけて行きたいものだなあ。
【語釋】 ○山高み谷べにはへる玉葛 絶ゆる時なく〔六字傍点〕にかゝる序。山が高いので低い谷の邊に延びてゐる玉葛といふのであらう。玉葛〔二字傍点〕は蔓草を總べて美稱したのである。○絶ゆる時なく 間を置かないでではなくて縁の切れることがなくの義であらう。
【後記】 卷十二「谷せばみ峯べに延へる玉葛はへてしあらば年に來ずとも」(三〇六七)・卷十四「谷せばみ峯に延ひたる玉葛絶えむの心我がもはなくに」(三五〇七)の如き類歌がある。只古義が疑つたやうに、こゝの歌は「山高み谷べにはへる」といひ、後のは「谷せばみ峯べに延へる」といつて、全く反對であるが、かゝる序などは意義の如何をさして問はないものであるから、其の場合の出まかせであらう。
 
2776 道のべの 草を冬野に 履枯《ふみか》らし 我立待つと 妹に告げこそ
 
(303)【口譯】 道端の草を、冬の枯野のやうに、履枯らすほど長く、私が外に立つて待つてゐると、内の女に告げてほしい。
【語釋】 ○草を冬野に 草を冬野の如くの義。冬野に〔三字傍点〕は下の枯らし〔三字傍点〕にかゝる。○履枯らし 草を履みつけて枯らすほど長くといふ義。
【後記】 女の家の外に立つて、女の出て逢ふのを待つ男の歌。考が男の許へ女が來ることと見たのは誤であらう。「履枯らし」を代匠記は 「道ニ立出テ待事ノ度カサナル驗《シルシ》ヲ云心ナリ」といひ、考も「日ごとに道に出でて待つ也」といひ、又古義が「道の邊の草をふみからして、女の家の邊に通ひ來て、立待つ」といひ、「待つことの度重れる勞《イタツキ》を示《アラハ》さむとなり」といつたのも皆如何であらう。女の家の邊に通つて來て立待つのであることは古義のいふ如くであるが、履枯らし〔四字傍点〕は今立待つ久しさを言つたのであつて、道のべ〔三字傍点〕は家の傍の道の邊と見たらよいであらう。即ち今夜の立ち草臥れをいふと見る方が、より痛切に聞える。
 
2777 疊薦《たゝみごも》 隔て編む數 通《かよ》はさば 道の芝草 生ひざらましを
 
【口譯】 疊にする薦を重ね編む數ほど、お通ひになつたら、道の芝草はこれほど生ひたちはすま(304)いになあ。
【語釋】 ○疊薦 疊にする薦である。○隔て編む數 薦を一筋づつ編緒で隔て編む其の數ほどの義。○通はさば さ〔傍点〕は崇敬助動詞す〔傍点〕の未然形。○道の芝草生ひざらましを 道の芝草の繁く生ひ立つたのに、君の通ひ來ることの間遠なのを托して、歎いたのである。
【後記】》 隨分珍しい譬喩を以てしてあるので、本義と離れる氣味もあるが、亦背景として古代の耕人生活を想はせて面白い。
 
2778 水底《みなそこ》に 生ふる玉藻の 生出《おひい》でず 縱《よ》し此の頃は かくて通はむ
 
【口譯】 水の底に生えてゐる玉藻が、水面に生え出ないやうに、まゝよ此の頃はかうして通ひませう。
【語釋】 ○水底に生ふる玉藻の生出でず 表面に表れずに忍んでの義。下のかくて〔三字傍点〕はそれを承けて代言してゐる。
 
2779 海原の 沖つ繩のり 打靡き 心もしぬに 念ほゆるかも
 
(305)【口譯】 私は身もなよ/\となり、心も打萎れて人が戀しく思はれるよ。
【語釋】 ○海原の沖つ繩のり 打靡き〔三字傍点〕の序。繩のり〔三字傍点〕は海苔の一種、つるも〔三字傍点〕の類であらうか。○打靡き 身のなよ/\としての義。○心もしぬに しぬ〔二字傍点〕は萎《しな》ゆの意ある語で、しぬに〔三字傍点〕は萎えて即ちしをれてといふ副詞形。卷一「心もしぬに古《いにし》へ思ほゆ」(二六六)參照。
【後記】 海藻の序も集中に多い型、四五の句も例が多い。
 
2780 紫の 名高の浦の 靡き藻の 心は妹に 依りにしものを
 
【口譯】 私の心は、すつかり彼の女に引付けられてしまつたものをなあ。
【語釋】 ○紫の名高の浦の靡き藻の 依りにし〔四字傍点〕を起す序。紫の〔二字傍点〕は名高〔二字傍点〕の枕詞。紫〔傍点〕は名高い色なのでかくいふ。名高の浦〔四字傍点〕は紀伊國の内海町の海岸をいふ。
【後記】 名高の浦の序は、卷七(一三九二・一三九六)に見え、四五の句も卷四(五〇五)・卷十五(三七五七)など多いが、こゝの歌はその中でも古いものであらう。
 
2781 海《わた》の底 沖を深めて 生ふる藻の 最《もと》も今こそ 戀はすべなき
 
(306)【口譯】》 私は實に今こそ戀しさにどうもしやうがないのだ。
【語釋】 ○海の底沖を深めて生ふる藻の 最も〔二字傍点〕を起す序。も〔傍点〕の音で續けたのである。海底の沖深く生ずる藻のといふ語。卷四「海の底沖を深めて吾が念《も》へる」(六七六)といふ句がある。○最も今こそ 原文は「最今社」(流布本は今〔傍点〕を令〔傍点〕に誤る)で舊訓イトモイマコソとあり、考は最〔傍点〕をモハラ、古妻も之に從つたが、今略解に從ふ。○戀はすべなき 上に「戀はすべなし」(二三七三)があつた。こそ〔二字傍点〕に對する形容詞のき〔傍点〕形の結びについては、已に上の「己が妻こそ常《とこ》めづらしき」(三六五一)の條で述べた。
【後記】 この歌の「沖を深めて」は全然序の中にあり、引例卷四のそれは、「深めて」が本義に用ゐてあるから、兩者は自ら異なる。考は、こゝの歌の沖を深めて深い思を譬へたのだといひ、略解も之を襲うたが、古義は之を否定してゐる。但し考は上の「葦田鶴の騷ぐ入江の」(二七六六)に於ては、「騷ぐ」を下に響いてゐないと言つてゐるのであつて、こゝの考へ方と矛盾がある。元來序詞の中の語が本義に響くや否やは、作者の意識に問はなくてはならないが、後人が之に對して一種の韻《にほひ》を感ずることは、亦妨ないことであらう。
 
2782 さねかねば 誰とも宿《ね》めど 沖つ藻の 靡きし君が 言待つ我を
 
(307)【口譯】 貴郎が私と寢ることが出來ないなら、私は誰とでも寢ませうけれど、私に靡きよつた貴郎ですもの、貴郎の色よい言を待つてゐる私ですよ。
【語釋】 ○さねかねば 原文は「左寐蟹齒」で舊訓サネカニハとあるが、代匠記精撰本に從ふ。蟹〔傍点〕は古義が、允恭紀衣通姫の歌に「さゝ蟹」を「佐々餓泥《サゝガネ》」とあるから、上代には蟹をカネと云つたので、こゝの蟹〔傍点〕はカネに借りたのであると云つた如くであらう。さねかねば〔五字傍点〕はさぬること得ずばの義で、君が我と寢ることがいやならといふこと。○誰とも宿めど 原文は「孰共毛宿常」で舊訓タレトモヌレドとあるが、上をさねかねば〔五字傍点〕とすると、やはり代匠記の訓がよい。君より外の何人とも寢ようがの義。○沖つ藻の 靡きし〔三字傍点〕に冠した枕詞。○靡きし君が 靡きし〔三字傍点〕を我(女)が靡きよりしとする考の説、我(女)に靡きよりしとする古義の説と分れるが、今古義に從ふ。君〔傍点〕は男を指す。○言待つ我を 言〔傍点〕は男の便りである。を〔傍点〕はよ〔傍点〕又はぞ〔傍点〕と同じ指定の感動助詞。
【後記】 新考は之を男の歌とした。女が、已に聞係のあつた男の絶えがちになつたのに迫るものと見るべきであらう。誰とも寐よう、男は貴郎だけではないといひ、しかし靡きよつた貴郎ではないかと、飽くまでも強く出てゐる女が面白い。以上五首は藻に寄せたものである。
 
2783 吾妹子が 奈何《いか》にとも吾《あ》を 思はねば 含《ふゝ》める花の 穗に咲きぬべし
                                        (308)【口譯】 彼の女は何とも私を思つてゐない樣子だから、私は蕾んでゐた花のやうに下に戀してゐたのであるが、その花がぱつと咲出すやうに、もう表へ出して彼の女に呼掛けようよ。
【語釋】 ○含める花の穗に咲きぬべし 含める花〔四字傍点〕は花の蕾をいふ。穗に咲く〔四字傍点〕は目立つて咲くこと、卷十「言に出でていはばゆゝしみ朝貌の穂には咲出ぬ戀をするかも」(二二七五)參照。忍んで戀してゐたものが、表へ出して戀することの譬喩。
【後記】 通じのない女に對して突進する男の歌。末句の寄物が隱喩樣式であるから總べての語が本義に働いて、相當充實的に言ひ得てゐる。以下花に寄せた歌。
 
2784 隱《こも》りには 戀ひて死ぬとも 御苑生《みをのふ》の 鷄冠草《からあゐ》の花の 色に出でめやも【類聚古集に云はく、鴨頭草は又鷄冠草に作ると云々。此の義に依れば、月草と和す可き歟。】
 
【口譯】 下焦がれに戀ひ死んでも、顔色に出して人に知られるやうなことをしようか。
【語釋】 ○隱りには 原文は「隱庭」で舊訓シノビニハとあるが、古義に從ふ。忍ぶ戀にの義、は〔傍点〕は強めの助詞。○御苑生の鷄冠草の花の 色に出で〔四字傍点〕の序。鷄冠草〔三字傍点〕は本草和名には「和名加良阿爲」とあるから、集中には幹藍・韓藍・辛藍などあるものと同じく。鷄頭花である。○類聚古集に云はく 此の註の意味は、(309)類聚古集には鴨頭草《つきくさ》を鷄冠草とも記してあるから、この意味ではこゝの鷄冠草といふ漢字は月草《つきくさ》と國譯すべきものかといふのである。この註の鴨頭草と鷄冠草を同じに見るのは誤である。類聚古集は藤原敦隆(保安元年卒)の著であるから、この註は次點以後のもの、或は仙覺新點の時附けられたものかと言はれる。この註は嘉暦本等にないのに從つて省くべきである。
【後記】 本義を上下に分けて、中に序(寄物)を置いたのも、亦一種の形式である。卷十「戀ふる日のけ長くしあれば御園生の辛藍の花の色に出でにけり」(二二七八)は其の結構も語句も似たものである。
 
2785 咲く花は 過ぐる時あれど 我が戀ふる 心の中《うち》は 止む時もなし
 
【口譯】 咲く花はうつろふ時があるが、私の戀ひ焦がれる心の中は、止む時はない。
【語釋】 ○過ぐる時あれど 過ぐる〔三字傍点〕は物の去行くことで、人の死にゆくことも、花の散ることも過ぐる〔三字傍点〕である。
 
2786 山吹の にほへる妹が 唐棣花色《はねずいろ》の 赤裳の姿  夢《いめ》に見えつゝ
 
(310)【口譯】 美しい彼の女の庭梅色の赤い裳を着た姿が、夢に見え見えするよ。
【語釋】 ○山吹の 枕詞。にほへる〔四字傍点〕につゞく。○にほへる妹が にほへる〔四字傍点〕は色の美しくある義。○唐棣花色の 唐棣花〔三字傍点〕は庭梅又はゆすら梅といふ花卉のこと。
【後記】 山吹と唐棣花と二つの花で飾り立てて華麗ではあるが、どうしても歌を分裂させる氣味がある。
 
2787 天地の 依合ひのきはみ 玉の緒の 絶えじと念ふ 妹があたり見つ
 
【口譯】 天地のあらむ限り、絶えず相見ようと思ふ、彼の女の家の邊を眺めた。
【語釋】 ○天地の依合ひのきはみ 天地が一しよになる世の最後までの義。卷二「天地の依合ひの極知らしめす神の命《みこと》と」(一六七)參照。○玉の緒の 枕詞。命のことではない。玉を貫く紐のことであるから、絶えじ〔三字傍点〕に冠する。
【後記】 頭に冠した修飾が大きく而も長く、本義が最後に小さくて、やゝ氣拔けがする。
 
2788 生《いき》の緒に 念ふは苦し 玉の緒の 絶えて亂れな 知らば知るとも
 
(311)【口譯】 命がけで心に思つてゐるのは苦しい。むしろ亂れ狂ひたい、人が知るなら知らうとも。
【語釋】 ○生の緒に念ふ 生の緒〔三字傍点〕は命のこと。生の緒に念ふ〔六字傍点〕とは命がけで思ふ義。上の二三五九・二五三六に既出。○玉の緒の絶えて亂れな 玉の緒の絶えて〔七字傍点〕は亂れ〔二字傍点〕を起す序。な〔傍点〕は自ら願望する助詞。
【後記】 「苦し」・「亂れ」などの語氣に力強さを見せ、「生の緒」・「玉の緒」を重ね、「知らば知る」と繰返し、而も二・四で切れて調子も整つてゐる。
 
2789 玉の緒の 絶えたる戀の 亂れには 死なまくのみぞ 又も逢はずして
 
【口譯】 中の絶えてしまつた戀の狂亂には、只死なうとのみ思ふ、もう逢はないで。
【語釋】 ○玉の緒の 枕詞。絶え〔二字傍点〕につゞく。○死なまくのみぞ 死なむのみぞと同じ。ぞ〔傍点〕は指定してこゝで切れる句法。
【後記】 新考は結句「又も逢はずして」を蛇足であると言つた。元來この句の意味は徹底しないのであつて、又逢はうなど思はないでといふ意か。又は、もう逢はれないからといふのであらうか。甚だ曖昧に填充された句である。
 
(312)2790 玉の緒の くゝり寄せつゝ 末終に 行きは別れず 同じ緒にあらむ
 
【口譯】 玉の貫緒を兩端からくゝり寄せて、しまひには玉が別れ/\にならず同じ緒にあるやうに、相寄つて同じ所に住まうよ。
【語釋】 ○玉の緒の 下のの〔傍点〕は主格の助詞で、玉の緒〔三字傍点〕は三・四・五の句の主語となる。玉の緒〔三字傍点〕は玉〔傍点〕を貫く緒であるが、同時に玉をも表してゐる。○くゝり寄せつゝ この句からは上を玉の緒を〔四字傍点〕とした方がよいが、只この句をくゝり寄せられつゝの意と考へておけばよい。○行きは別れず同じ緒にあらむ 行きは別れ〔五字傍点〕ずは左右別々に離れ去らずにの義。この述部に對して、主語の玉の緒〔三字傍点〕は玉のこととなる。
【後記】 「末終に行きは別れず」は本義にも取れるが、先づ歌全部を譬喩と見てよい。上の「烏羽玉の間あけつゝ貫ける緒をくゝり寄すれば後合ふものを」(二四四八)と類似してゐる。
 
2791 片絲もち 貫きたる玉の 緒を弱み 亂れやしなむ 人の知るべく
 
【口譯】 私の心は、戀の爲に狂ひ亂れるかも知れないよ、人の氣附くほどに。
【語釋】 ○片絲もち貫きたる玉の緒を弱み 亂れ〔二字傍点〕につゞく序。片絲〔二字傍点〕は縒合せない絲である。それを以て貫いた玉の緒は、弱いので切れて亂れるから、かく續けるのである。片絲〔二字傍点〕については卷七「片絲にあれど絶え(313)むと思へや」(一三一六)參照。
【後記】 序の「緒を弱み」が何となく忍ぶに餘る心の弱さを韻《ひゞ》かせて、しつくり「亂れやしなむ」につゞいてゐる。
 
2792 玉の緒の うつし心や 年月の 行易《ゆきかは》るまで 妹に逢はざらむ
 
【口譯】 かく正氣でゐて、長い年月の過ぎゆくまで、彼の女に逢はないでゐられようか。
【語釋】 ○うつし心や 原文は「島意哉」で舊訓シマココロニヤとあるが、宣長が島〔傍点〕を寫〔傍点〕の誤としたのに從ふ、寫〔傍点〕の字は卷七「紅の寫心《ウツシゴコロ》や妹に逢はざらむ」(一三四三)と用ゐられ、玉の緒の〔四字傍点〕を枕詞としたものは、卷十二「玉の緒のうつし心や八十楫《やそか》かけ」(三二一一)に見える。玉の緒の〔四字傍点〕からうつし〔三字傍点〕につゞくのを、古義は「間置きて貫きたる玉の緒を、くゝりよするにつれて、玉の彼《カシコ》へ此《コゝ》へ轉《ウツ》るをもて轉《ウツ》しとつゞきたるなるべし」と解いてゐる。うつし心〔四字傍点〕は現心で正氣といふこと。や〔傍点〕は五句にかゝつて、反意をもつ。
【後記】 夢の中などならば知らず、かく正氣で長い年月の間女に逢はないことは、とても堪へられないといふ意。
 
(314)2793 玉の緒の 間も置かず 見まく欲り 吾が思《も》ふ妹は 家遠くありて
 
【口譯】 間もおかずに逢ひたく私の思つてゐる彼の女は、どうも家が遠くてなあ。
【語釋】 ○玉の緒の間も置かず 玉の緒の〔四字傍点〕は枕詞。間も置かず〔五字傍点〕へかゝるのは、緒に貫いた玉は間が離れずに陳なつてゐるからである。○見まく欲り 下の思ふ〔二字傍点〕に直接する句であつて。見まほしく吾が思ふといふに同じ句法。○家遠くありて 屡々通ふことが出來ないといふ餘意を含めた歎き。
【後記】 まことに自然に言下した平明な作。以上七首が玉の緒に寄せた歌。
 
2794 隱《こも》りづの 澤たづみなる 石根《いはね》ゆも 通して念ふ 君に逢はまくは
 
【口譯】 山陰の澤泉の處の岩石をも透すほどの念力で思つてゐますよ、貴郎に逢ふことをば。
【語釋】 ○隱りづの澤たづみなる石根ゆも通して思ふ 上の二四四三と殆ど同じである。澤たづみなる〔六字傍点〕の原文は「澤立見爾有」で代匠記によつてさう訓んだのであるが、早く童蒙抄が二四四三に據つて立〔傍点〕を出〔傍点〕の誤としてサハイヅミナルと訓み、後多く之に從つてゐる。勿論サハタヅミといふ語は他に見えないが、ニハタヅミ(行潦)の語は集中に多いから、澤に流れ漂ふ水の義に取れないこともない。石根ゆも〔四字傍点〕は石根をもである。
(315)【後記】 多分二四四三と同一歌の流動的變形であらう。
 
2795 紀の國の 飽浦《あくら》の濱の 忘貝 我は忘れず 年は經れども
 
【口譯】 私は決して戀人を忘れない、長い年月經たけれども。
【語釋】 ○飽浦の濱 紀伊國海草郡田倉崎といふ。卷七「飽浦《あくうら》の清き荒磯を」(一一八七)とあるのと同じであらう。○忘貝 蛤に似て小さく扁平な貝だといふ。卷一「大伴の三津の濱なる忘貝家なる妹を忘れて念へや」(六八)參照。
【後記】 忘貝を戀を忘れる序とすることは、類型となつてゐる。
 
2796 水くゝる 玉のまじれる 磯貝の 片戀のみに 年は經につゝ
 
【口譯】 私は片思ひばかりで、長い年月立つたよ。
【語釋】 ○水くゝる玉にまじれる磯貝の 片〔傍点〕を起す序。水くゝる〔四字傍点〕は原文が「水泳」で舊訓ミナソコノとあるが、代匠記は景行紀の「泳宮此云2區玖利能彌椰《ククリノミヤ》1」に據つて、ミナククルと訓んだ。今、考以下に從ふ。但しクグルではなくククルと清むべきである。卷四「敷妙の枕ゆ久久流《ククル》涙にぞ」(五〇七)・卷十四「岩|具久留《グクル》(316)水にもがもよ」(三五五四)とあるのである。潜る義。玉〔傍点〕は美しい小石をいふ。磯貝〔二字傍点〕は石貝で鰒であると略解はいひ、何貝でも石に這付いてあるものは、皆鰒の如く片貝だから片戀〔二字傍点〕とつゞくと古義は解いた。今新考が、二枚貝でも離れ/”\となつた貝殻を廣く指すといふのに從ふ。
【後記】 下の「鰒の貝の片思《かたもひ》にして」(二七九八)と同型。但し磯貝は必ずしも鰒ではないこと已述の如くである。
 
2797 住吉《すみのえ》の 濱によるとふ うつせ貝 實《み》なき言もち 我戀ひめやも
 
【口譯】 實意のない言葉を弄して、私は人に戀などしようか。
【語釋】 ○住吉の濱によるとふうつせ貝 實なき〔三字傍点〕を起す序。うつせ貝〔四字傍点〕は石花貝《せがひ》の空になつたものといふ考以來の説は採られない。やはり代匠記の「カラニナリタル貝ナリ。ウツセウツボナド云フハ虚ノ字ノ心ナリ」に從ふべきである。全釋は空《ウツ》しといふ形容詞があつてウツセに轉じたものであらうかと、セ〔傍点〕の出自を説明しようとしてゐる。猶考ふべきである。○實なき言もち 實意のない言葉を以つての義。
【後記】 渾身の誠意を擧げて君を戀ひするのだから、輕薄に思つてくれては困ると、對手に求めるのである。
 
(317)2798 伊勢の白水郎《あま》の 朝な夕なに 潜《かづ》くとふ 鰒の貝の 片思《かたもひ》にして
 
【口譯】 私は片思ひばかりしてゐるよ。
【語釋】 ○朝な夕なに この句は原文が「朝魚夕菜爾」とあるから、朝食夕食の菜肴の料にであらうかと、代匠紀初稿本が言つてから(精撰本は除いて言はない)多く從つてゐるが、今は考の「こゝに魚菜の字を書しは筆ずさみのみ」に取る。○鰒の貝の 以上四句は序。鰒〔傍点〕は介殻が一枚で、二枚貝に比すると片一方のやうに見えるから、片思〔二字傍点〕につゞく。
【後記】 本義は結句だけで、他はすべて序詞である。只句の切れがなくて一氣に言下し、而も「にして」と餘意を含ませて、格調は堂々としてゐる。古今集の「いせの海人の朝な夕なにかづくてふみるめに人を飽くよしもがな」はこの歌を踏まへたものである。
 
2799 人言を 繁みと君を 鶉鳴く 人の古家《ふるへ》に 語らひてやりつ
 
【口譯】 人の評判が喧ましいので、あの方を、よその古い家でお話して、お歸しした。
【語釋】 ○繁みと君を 原文は「繁跡君乎」で舊訓シゲシトキミヲとあるが、今、略解に從ふ。繁みと〔三字傍点〕は繁いのでの義、と〔傍点〕は副詞句に只副へた助詞。筌の二五八六に類句がある、參照。君を〔二字傍点〕は結句語らひやりつ〔六字傍点〕に(318)つゞく。○鶉鳴く 古《ふる》につゞく枕詞。卷四「鶉鳴くふりにし郷ゆ念へども」(七七五)をはじめ、其の例がある。○人の古家に語らひてやりつ 原文は「人之古家爾相語而遣都」で舊訓ヒトノイニシヘニアヒイヒテヤリツとあるが、今、考に從ふ。人の古家〔四字傍点〕は他人の古い空家《あきや》をいふ。卷三「吾が背子が古家《ふるへ》の里の明日香には」(二六八)に古家《ふるへ》の例がある。
【後記】 古義が言つたやうに、飽足らぬ意を含めた女の歎きであらう。上の「彼方の埴生の小屋に」(二六八三)を聯想させる野趣あるものである。枕詞があるのみで寄物の意は薄いが。この枕詞も亦野趣を助けてゐる。
 
2800 明時《あかとき》と 鷄《かけ》は鳴くなり よしゑやし 獨り宿《ぬ》る夜は 明けば明けぬとも
 
【口譯】 明方だと鷄が時を告げるよ。えゝまゝよ、一人で寢た夜は明けるなら明けたつて。
【語釋】 ○明時と 原文は「旭時等」で舊訓アカツキトとあるが、集の假名書きは、「安可等伎」(卷十五、三六四一)の如く、すべてアカトキであるから、それに從ふべきである。○鷄は鳴くなり 原文は「鷄鳴成」で舊訓鷄〔傍点〕をトリとあるが、卷七に「庭つ鳥|可鷄《カケ》の垂尾の」(一四一三)ともあり、他の鳥と別つてさう訓むがよい。
(319)【後記】 すべて本義の語のみで、無意義の修飾がない。長い序をもつた歌の中に偶々かゝる歌に遇ふと、胸のすくをさへ覺える。殊に此の歌は平語を率直に言下して而も盡きない情を表し得てゐるし、歌調も二句切でよく整つてゐる。名作の一つであらう。卷十五の旋頭歌(三六六二)の下半は、この歌の下三句をそのまゝ借りてゐる。
 
2801 大海の 荒磯の渚鳥《すどり》 朝なさな 見まく欲しきを 見えぬ君かも
 
【口譯】 日日《ひにち》毎日お會ひしたいと思ふのに、お見えにならない彼のお方よなあ。
【語釋】 ○大海の荒磯の渚鳥 序である。代匠記初稿本は「長流が抄に、洲に居る鳥のあさる〔三字傍点〕といふ心に、朝な/\とはいひかけたりといへり」とあるのは面白い。契沖はそれを否定して、洲ざきなどにゐる鳥は朝な/\見まくほしいのによせて言つたのだらうと言つた。後人は多く之に從ふが、自分は長流の説に從ひたい。○朝なさな 既に屡々出たやうに、毎日といふと同じく、從つて毎夜としてもよい。
 
2802 念へども 念ひもかねつ 足引の 山鳥の尾の 長きこの夜を
    或本の歌に曰はく あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長き長夜を 一人かも寢《ね》む
 
(320)【口譯】 人を戀しく思ふけれども、思ひきれないよ、長いこの夜を思ひ明すけれども。(或本の歌には、「長い長い夜を、私は一人で寢ることかなあ。」)
【語釋】 ○足引の山鳥の尾の 長き〔二字傍点〕を起す序。○長きこの夜を を〔傍点〕はなるを〔三字傍点〕ではなくて、に〔傍点〕と同じを〔傍点〕である。從つてこの句は初句の上に置いて見るべきであらう。
 〔或本の歌〕 ○あしひきの山鳥の尾のしだり尾の 長き〔二字傍点〕を起す序。しだり尾〔四字傍点〕は垂下する尾である。卷十「梅の花しだり柳に折雜へ」(一九〇四)參照。○長き長夜を 原文は「長永夜乎」で舊訓ナガナガシヨヲとある。ナガナガシヨは中古以降慣用の語で語法上も別に差支はないが、集中に他に例もなく調も弱いから、今多く宣長の改訓に從ふ。
【後記】 初二の句を、古義は「つれなき人を戀しく思ふは何の益《シルシ》もなければ、今はしか思はじと思へども、なみ/\の物念にあらねば、思はじと思ふ思ひを忍《ネム》じかねて」と解してゐる。私かに案ふに、この句は獨寢に戀人を思ふ思の盡きないことを言つたもので、別に先方のつれないといふこと(321)も、思ふまいと思ふけれどもといふことも入れる必要はない。むしろさう解するのは誤つてゐる。この歌は眞淵が考に言つたやうに、單に「永き夜すがら人戀しらの重りつゝ思ひにたへがたき也」と解すべきものである。とかく考へ過ぎて強ひることがある。
 〔或る本の歌〕 この歌は考の言つた如く、前の歌とは全然別のものらしい。序から已に長々しくて、更に「長き長夜」と言つたのは、面白いといへば面白いが、ことさらめいて冗漫の謗はあらう。卷七「庭つ鳥鷄《かけ》の垂尾のみだり尾の長き心もおもほえぬかも」(一四一三)は類型である。こゝの歌は後に拾遺集に採られ、百人一首に拔かれたもので、昔は名歌とされたらしい。新古今集の後鳥羽院の御製に「櫻咲く遠山鳥のしだり尾のなが/\し日もあかぬ色かな」がある。
 
2803 里中に 鳴くなる鷄《かけ》の 喚立《よびた》てて 甚《いた》くは鳴かぬ 隱妻《こもりづま》はも 【一つに云はく 里とよみ 鳴くなる鷄の】
 
【口譯】 大聲に呼立てて、ひどく言渡らないあの隱妻はまあどうしてゐるだらう。(一つには、「里に響きわたつて、鳴く所の鷄の如く。」)
(322)【語釋】 ○里中に鳴くなる鷄の 喚立てて〔四字傍点〕を起す序。○喚立てて甚くは鳴かぬ 喚立てて〔四字傍点〕を上に加へて三句の序とするのが通説であるが、この句は鷄の動作と考へず、下の隱妻のこととし、喚たてて甚くは鳴かぬ〔十字傍点〕と一つに續けて、ね〔傍点〕は喚立てて〔四字傍点〕まで打消す句法と見るのが妥當であらう。意味は男に對して喚立ててひどく言渡ることはしないといふこと。鳴かぬ〔三字傍点〕を代匠記初稿本を始め多く人の泣かぬ〔三字傍点〕に取つてゐるが、同精撰本が「押アラハシテハ物ヲモ得云ハヌヲ鷄ニヨセテ云故ニ、イタクハナカヌト云ヘリ」と言つた説が意を得てゐると思ふ。尚この句を男自身の泣かぬこととして、我が泣かずに戀ふる隱妻の意と取るのが、考以來の通説となつてゐるが、新考が指摘したやうに隱妻の動作とすべきである。但し泣く〔二字傍点〕意に取らないことは已述の如くである。○隱妻はも 考はこの隱妻〔二字傍点〕を「心に忍びおもふ妻」と解し、略解・古義も之に從つたが、これは隱し妻のことと見るべきである。○一つに云はく 原文は「里動鳴成鷄」で舊訓サトトヨミナクナルカケとあつて、終のノを缺いてゐるが、當然補入すべきもの。拾穗抄に之〔傍点〕の字があるが、之は無くともである。はも〔二字傍点〕は詠歎の助詞で、今如何してゐるだらうといふ餘意を含ませてゐる。
【後記】 この歌は寄せた鷄と本義との境が餘り判然しないので、自然に解釋が分れるわけであるが、今姑らく以上の如く試譯した。
 
2804 高山に 高部《たかべ》さわたり 高々に 吾が待つ君を 待出でむかも
 
(323)【口譯】 首《くび》を延べて私が待つてゐる彼のお方を、果して待ちつけて逢へるだらうかなあ。
【語釋】 ○高山に高部さわたり 高々に〔三字傍点〕を起す序。同音の反覆を以てつゞけたのである、高部〔二字傍点〕は※[鳥+爾]〔傍点〕と書き小鴨のこと。卷三「潜《かづ》きする鴛鴦と高部と船の上に住む」(二五八)參照。さわたり〔四字傍点〕は飛び行きである。○高々に 待ち望む貌。爪立つて、背伸して、首を延べてなどいふ義。卷四「白雲の棚引く山の高々に」(七五八)參照。
【後記】 想は單純であるが、調子の整つた歌である。殊に本句は高〔傍点〕を、末句は待つ〔二字傍点〕を反覆して、頭韻に諧調を取つたものである。
 
2805 伊勢の海ゆ 鳴き來る鶴《たづ》の 音どろも 君が聞こさば 吾戀ひめやも
 
【口譯】 せめて音信《おとづれ》だけでも、あの方《かた》が下さるなら、私はこれほどに戀ひ焦がれませうか。
【語釋】 ○伊勢の海ゆ鳴き來る鶴の 音〔傍点〕の序。ゆ〔傍点〕は例によつてを〔傍点〕若しくはに〔傍点〕と同じ助詞。考が「伊勢の海をしも取出ていふは、その隣國に住る女の歌なるべし」と見たのは、誤であらう。○音どろも 原文は「音杼侶毛」で、舊訓の如くオトドロモとするより外ない。拾穗抄にはとゞろにも〔五字傍点〕といふ異本があるといひ、代匠記初稿本には長流の本にはとゞろにも〔五字傍点〕と訓んであるといふが、今はさる異本の有無は明かでない。さてこの語は他に見えないものであつて、甚だ難解である。拾穗抄は「音とゞろにも也」と解き、童蒙抄は(324)「音どもと云意、只おとづれをと云義也」と解いた。考が「音柁※[人偏+爾]毛《オトダニモ》」と改字したのは從はれないが、古義は音驚《オトオドロ》の省かれたので、音づれといふ語も之から轉じたものだから、結局音信だにもといふことであると説いた。新考は「案ずるにオトドロモとよみてオトヅレモといふ意とすべし。オトドロモは卷五なる書院餞酒日倭歌にヒト母禰ノウラブレヲルニとあるとおなじく方言ならむ」と言つた。私かに案ふに、オトヅレといふ語は集には見えないから、此の時代に於ける存在は不明であるが、オトドロを雅澄の如く後世のオトヅレの古形として見るのも一説、新考のやうにオトヅレの方言として見るのも一説であらう。只この語は音韻上母音同化が行はれてゐるやうに考へられる。即ち音《おと》がオ母音の連續であるのに、ドロが亦オ母音の連續である。(モもオ母音であるが、助詞だから除く)それ故オトヅレの如き語が母音の諧調によつてオトドロとなつたのだとは言ひ得るのである。それにしても、その原形が如何であつたかは尚不明である。姑らく後世のオトヅレと同義の語としておく。○君が聞こさば 原文は「君之所聞者」で舊訓キミガキコエバとあるが、他にオモホシ・シロシ・キコシを所念・所知・所聞と書いてあるに據つて、キミガキコサバと改訓した新考に從ふ。聞こす〔三字傍点〕は上の「いさとを聞こせ」(二七一〇)と同じく、仰《おつ》しやる義。聞こさば〔四字傍点〕は言ひおこしなさらばといふこと。
【後記】 考が、伊勢の隣國に住んでゐる女の歌であらうとしたのに對して、新考は、男が伊勢で故郷の妻を憶つて詠んだものとした。私かに案ふに「伊勢の海」は他の多くの歌の序と同じく、(325)其の地方の景物を取つたまでであつて、男女が共に同一地方にゐることを必ずしも妨げない。この歌は同一地方に近く住む男女の間に於て、男が已に離《か》れ/”\になり、音信さへ絶えたのを、女の歎いたと見るべきである。全釋は「音どろも君が聞かさば」と訓じて、女の音信を男が聞いたならばの義とし、音信のしやうもないからかく戀しいと補解して、終に、旅に(多分伊勢の方面に)出た夫を思つて女の詠んだものであらうとした。しかし何れの説も序といふものを餘り本義に引附けて解しようとする無理があるのではなからうか。
 
2806 吾妹子に 戀ふれにかあらむ 沖に住む 鴨の浮宿《うきね》の 安けくもなし
 
【口譯】 彼の女に戀ひ焦がれるからであらうか、沖に住む鴨の浮寢のやうに、ゆつくりとも睡られない。
【語釋】 ○戀ふれにかあらむ 原文は「戀爾可有牟」で舊訓コフルニカアラムとあり、それでも不通ではないが、略解に從ふがよい。戀ればにかあらむと原因を疑ふ義とすべきであるからである。○沖に住む鴨の浮宿の 譬喩であつて、浮宿の〔三字傍点〕は浮宿の如くといふこと。○安けくもなし 上の浮宿〔二字傍点〕の宿〔傍点〕はこの句に及んで、安眠出來ないといふことであらう。新考は三四の句を全然序と見て、心の安いことがないと取つた。(326)無論それも一解であらうが、今は通説に從ふ。
【後記】 平明で、それだけ後世風に感ぜられる。六帖の「人言の繁さまされば水鳥の鴨のうき寢の安けくもなし」は、末句をこの歌に取つたものであらう。
 
2807 明けぬべく 千鳥しば鳴く 白妙の 君が手枕 いまだ厭《あ》かなくに
 
【口譯】 明けるのだつて鳥たちが頻りに鳴きます。貴郎の手枕をまだし飽きないのにねえ。
【語釋】 ○千鳥しば鳴く 代匠記に「此ノ千鳥ハ多クノ鳥ヲ云」として、卷十六「吾が門に千鳥しばなく起きよ起きよ我が一夜妻《ひとよづま》人に知らゆな」(三八七三)を引いてゐる。從ふべきである。○白妙の 枕〔傍点〕につゞく枕詞としてある。考は原文の「白細乃」の白〔傍点〕を色〔傍点〕に改めて、シキタヘノと訓んでゐる。如何にも枕にはシキタヘノが普通であるが、栲《タヘ》の語さへあれば枕〔傍点〕にかゝり得るであらう。契沖が「白細ハ手ノ白キナリ」と言つたのは、拘はり過ぎたものである。
【後記】 前の歌と共に平明で後世風。鳥の聲に後朝を惜しむことは、後世に長く襲はれたものである。
 
(327)     問答
 
【標目】 既出。こゝには柿本人麿集所出以外の歌を載せてある。但し次の二八〇八だけは特例。
 
2808 眉根《まよね》掻《か》き 鼻ひ紐解け 待てりやも 何時かも見むと 戀ひ來し吾を
    右、上に柿本朝臣人麿の歌の中に見ゆ。但《たゞ》問答を以ての故に、累ねて茲に載すらくのみ。
 
【口譯】 眉を掻いたり嚔《くさめ》をしたり、下紐が解けたりして私を心待ちに待つてゐてくれましたか、早く逢ひたいものと戀ひ焦がれてやつて來た私を。
【語釋】 ○紐解け 舊訓はヒモトキとあるが、今考に從ふ。新考は舊訓がよいといふが、前兆として自然に解けるのであるからといふ考の説がよいであらう。○待てりやも 原文は「待八方」で舊訓マタメヤモ、考はマチシヤモと改めたが、今略解に從ふ。
(328)【左註】 この註文はやゝ不徹底である。多分、この歌を見ると已に上に採つた人麿歌集の中の歌に見えてゐるが、別に問答歌として記されてもゐるから、こゝにも問答歌として重載するといふのであらう。しかし上に揚げたといふのは、「眉根かき鼻ひ紐解け待つらむや何時かも見むと念ふ吾が君」(二四〇八)の事を指すのであらうが、語句に小異がある。代匠記はこの異同を指摘しないのを不審だと言つてゐるが、元來同一歌であつたものが、單獨に採られたものと、問答歌として記されたものとが、已に形を變へてゐたのであらうし、註者も小異はあるが同一歌と認めてかく記したものであらう。
 
2809 今日しあれば 鼻ひ鼻ひし 眉《まよ》痒《かゆ》み 思ひしことは 君にしありけり
    右二首
 
【口譯】 かくお會《あひ》する今日があるので考へると、嚔が出たり眉が痒いやうに感じたのは、貴郎の入らつしやる兆《しるし》でありましたよ。
【語釋】 ○今日しあれば 原文は「今日有者」で舊訓ケフナレバとあるが、今古義に從ふ。古義の言ふ如く、ケフナレバは今日にあればで、ケフシアレバは今日があればの義である。かく相會ふ今日であるからといふよりも、かく相會ふ今日があるからといふ方が妥當である。この句は結句までかゝるのである。○鼻ひ鼻ひし 原文は「鼻之鼻之火」で舊訓ハナシハナシヒとあるが、意義が取り難いので諸説區々である。今(329)略解補正が「鼻火鼻火之」の誤寫として、ハナヒハナヒシと訓んだのに從ふ。この事は代匠記精撰本の朱墨修正の一説にも見える。嚔を反覆するのである。し〔傍点〕はす〔傍点〕の中止と見る。○眉痒み思ひしことは 眉痒み〔三字傍点〕はこゝでは眉が痒いのでの義ではない。眉痒く〔三字傍点〕といふと同じ動詞形を用ゐたのである。思ひしことは〔六字傍点〕を代匠記以來怪しく思つたことはと取るが、眉が痒く思つたことはと取る新考の説がよい。
【後記】 前の歌は男が女の許へ來て問ふとし、こゝの歌はその男の問に答へたとしたのである。前の歌が人麿歌集所出の形とちがふので、古義はこゝの歌の方が理にかなつてゐるから、この方が原形であらうと言つてゐる。しかし卒かには斷言出來ないのであつて、問答歌に番《つが》へる爲にこの方が變へられたのかも知れない。
 
2810 音のみを 聞きてや戀ひむ まそ鏡 目に直《たゞ》に逢ひて 戀ひまくも多く
 
【口譯】 評判ばかり聞いて貴女に戀ひするのではない、目に直接逢つて戀ひ焦がれることが劇しいのです。
【語釋】 ○まそ鏡 見〔傍点〕とつゞくが普通であるが、目に見ることから目〔傍点〕につゞけたものであらう。○目に直に逢ひて 原文は「目直相而」で舊訓メニタダニミテとあるが、相〔傍点〕は皆アフに用ゐてあるから、新訓に從(330)ふ。考は原文のまゝでタダニアヒミテと假名附けし、古義はもと「直相見而」であつたのを錯誤したものとして、考と同訓してゐる。
【後記】 意味の甚だ解し難い歌である、代匠記は「音ノミ聞タルバカリニコヒム物カ、聞バカリニダニ戀ル我ナレバ、直目《タダメ》ニ相見テ後コヒム事ノ多サハ兼テ知ラルヽトナリ」とある。この解は初二の句を、音にのみ聞いて戀ふるものではないのに、然るに我は音にのみ聞いてかく戀ひるといふ意に取つた。是が第一の疑である。次に四五の句はこのまゝでは現在のことに取られるのに、未來の豫想に取つた。是が第二の疑問である。古義などは盲目に契沖に從つてゐるが、略解が言つたやうに、「猶穩かならず、考ふべし」である。自分はむしろ童蒙抄が「一説に音のみ聞て戀ふべきや、目に直ちに見しからかく戀ふ事の多きと見る説も有り」と素直に解した方がよいと思ふ。而して作者の意は、音にのみ聞いて戀ひるのは輕薄でもあらうが、我が戀ひるのは実際君をよく知つてかく強いので、眞心から戀ひるものであると、女に訴へたのであらう。
 
2811 この言を 聞かむとならし まそ鏡 照れる月夜も 闇のみに見つ
(331)    右二首
 
【口譯】 このお言葉を聞きたいと待ち焦がれてゐたのであらう、私は明るい月夜も闇とばかり見てゐましたよ。
【語釋】 ○聞かむとならし 原文は「開跡乎」で舊訓キクトニヤアラムとある。代匠記初稿本は跡〔傍点〕の下に有〔傍点〕があつて、キカムトナレヤか、或は「聞跡手鴨」とあつて、キカムトテカモかと言ひ、考は乎〔傍点〕を故哉〔傍点〕に改めてキキナムトカモと訓み、古義は「聞跡有之」とあつたのを草書から誤つたので、キカムトナラシと訓めと言つた。今、新考が乎〔傍点〕を平〔傍点〕の誤として、古義と同訓にしたのに從ふ。○闇のみに見つ 原文は「闇耳見」で舊訓ヤミニノミミユとあるが、今古義に從ふ。ニは無論ノミの下に置くが、集の語格である。
【後記】 この歌も不徹底である。代匠記に據る上謁の解を通説とするが、未だ疑問は殘る。「まそ鏡」の一語を以てのみ、一首に關係をつけてゐることが、故意の寄せ集めのやうにも考へられる。
 
2812 吾妹子に 戀ひてすべなみ 白妙の 袖かへししは 夢《いめ》に見えきや
 
【口譯】 貴女が戀しくて仕方がないので、夢に見ようと着物の袖を折返して寢たのが、貴女の夢(332)に見えませんでしたか。
【語釋】 ○袖かへししは、袖をかへして寢ると、思ふ人を夢に見るといふ俗信からである。卷十二「白妙の袖折返し戀ふればか妹が姿の夢にし見ゆる」(二九三七)參照。
【後記】 袖を折返して對手を夢に見ようとしたのを、更に其の自分が對手に見えたかと問ふのである。
 
2813 吾が背子が 袖反す夜の 夢ならし まことも君に 逢へりし如し
    右二首
 
【口譯】 吾が夫《つま》の袖を反して寢た、その夜の夢であつたらしい。本當に貴郎に逢つたやうに思ひました。
【語釋】 ○まことも も〔傍点〕はに〔傍点〕を詠歎的に言つたので、本當にまあといふ義。○逢へりし如し 舊訓はアヘリシガゴトであるが、例によつて古義に從ふ。上の「生《お》ひ及《し》く如し」(二七六九)參照。
【後記】 よく前の歌に應じた歌である。かゝる歌は初から問答として出來てゐたと言つてよいものである。
 
(333)2814 吾が戀は 慰めかねつ まけ長く 夢に見えずて 年の經ぬれば
 
【口譯】 私の戀しさは慰めかねてゐます。長い間貴郎が夢にも逢はないで、年が立ちましたから。
【語釋】 ○まけ長く まけ〔二字傍点〕のま〔傍点〕は接頭辭、け長く〔三字傍点〕と同じく、け〔傍点〕は日〔傍点〕のこと。
 
2815 まけ長く 夢にも見えず 絶えぬとも 吾が片戀は 止む時もあらず
    右二首
 
【口譯】 よし貴女には私を夢にも見てくれず、心は絶えてしまはうとも、私の貴女に對する片戀は止む時はない。
【語釋】 ○絶えぬとも 原文は「雖絶」で舊訓タユレドモとあり、考はタエタレドと訓んだが、こゝは絶えるのを先方のことと見て、未定にした方が妥當と思はれるから、代匠記に從つた。たとひ絶えたとしてもの義。○止む時もあらず 原文は「止時毛不有」で舊訓ヤムトキモナシとあるが、不有〔二字傍点〕はアラズとかアラジとかが妥當である。只之は自分の事をいふのだから、確定にして考に從つた。
【後記】 本句は問の歌の三・四を奪つて、却つて先方を刺すに用ゐたもので、なか/\巧みであ(334)る。この問答もよく相應じてゐる。
 
2816 うらぶれて 物な思ひそ 天雲の たゆたふ心 吾が念はなくに
 
【口譯】 そんなに萎れこんで心配するものではない、ふらついた心を私は決して持つてゐないから。
【語釋】 ○うらぶれて 思ひしをれてといふこと。○物な思ひそ 原文は「物魚念」であるのを、古義はモノナオモホシと訓んだが、別に敬語にする要を見ないから、舊訓のまゝでよい。○天雲の 枕詞。天の雲は中空に漂ふものであるから、たゆたふ〔四字傍点〕につゞくのである。○たゆたふ心吾が念はなくに 心〔傍点〕は念ふ〔二字傍点〕につゞくのであつて、心を念はなくに〔七字傍点〕とは心を持たぬにの義。
【後記】 女の恨んだのに對して、男の實意を誓つたものであらう。
 
2817 うらぶれて 物は念はじ 水無瀬川《みなせがは》 ありても水は 逝くとふものを
    右二首
 
【口譯】 打萎れて心配などは致しますまい。水無瀬川にさへ少しは水があつて、流れてゐるとい(335)ふのですもの。
【語釋】 ○水無瀬川 水のない川。固有名詞ではない。○ありても水は 水はあつてまあと轉《かへ》して見ればよい。ありても〔四字傍点〕を略解は「在り/\て猶」と解してゐるが、あり/\ては其のまま持續しての義であるから、ここには妥當でない。全釋がさありてもと解したのも遠い。さあり〔三字傍点〕が無理であるし、ても〔二字傍点〕を今のても〔二字傍点〕と解しては誤る。新考の「水ハアリテモなり」が得てゐる。
【後記】 問の意に恃みをかけて悲觀しないと答へたものである。只水無瀬川の譬喩に何となく心細さが伴つてゐる。古今集の「みなせ川ありて行く水なくばこそつひに我が身を絶えぬと思はめ」はこの歌を踏まへたものである。
 
2818 かきつばた 佐紀沼《さきぬ》の菅を 笠に縫ひ 著む日を待つに 年ぞ經にける
 
【口譯】 佐紀の沼の菅を笠にこしらへて、着る時節を待つてゐる中に、年が立つてしまつたよ。
【語釋】 ○かきつばた 枕詞。咲き〔二字傍点〕を地名の佐紀〔二字傍点〕にかけてつゞけたもの。卷十二「杜若さき澤に生ふる菅の根の」(三〇五二)ともある。○佐紀沼の菅を 佐紀〔二字傍点〕は奈良の北方の地。卷十「佐紀山」(一八八七)・「佐紀野」(一九〇五・二一〇七)參照。
(336)【後記】 菅を笠に縫つて著ないといふのは、女の我が物とならない諷喩である。上の「眞野の池の小菅を笠に縫はずして」(二七七二)と同じ。
 
2819 押照る 難波菅笠 置きふるし 後は誰が著む 笠ならなくに
    右二首
 
【口譯】 雛波の菅で縫つた笠をこんなに長く捨て古して、後で貴郎より外の誰もが著る笠ではないでせうに。
【語釋】 ○押照る 難波〔二字傍点〕に冠する四音の枕詞。又押照るや〔四字傍点〕と五音にもいふ。接續については諸説があつて未定。卷三・四四三參照。○置きふるし 捨てて置いて古くしての義。長い間自分を顧みないで年を取らせるといふ諷喩。
【後記】 男の問に於て婚せんと欲して婚し難き恨を言つて來たのに對し、本句に於ては其の責を男に負はせて歎き、而も末句に於ては我が身は君の物なりと操立てて見せたあたり、男を拔く一歩であらう。
 
(337)2820 かくだにも 妹を待ちなむ さ夜更けて 出で來し月の 傾《かたぶ》くまでに
 
【口譯】 かうしてだけでも彼の女を待つて見よう、出て來た月が夜更けて西に傾くまでも。
【語釋】 ○かくだにも かうだけでもといふこと。かく〔二字傍点〕は下の三四五句の意をいふ。だにも〔三字傍点〕とは、果して逢はれるか否か知れないが、せめてかうしてでもといふ義である。○さ夜更けて この句は直ちに出で來し〔四字傍点〕に續くのではなく、句を隔てて傾く〔二字傍点〕にかゝる。
【後記】 考はこの歌の二句の妹〔傍点〕を君〔傍点〕に改めて、女の男を待つ歌と見た。或はその方が次の答歌を解するにも解し易いかも知れないが、今は原文の字に從ふより外ない。かくてこの歌は古義がいふやうに、男が「女の門にいたりて、夜更けて(女の)しのび出來むを待つよしなり」と解するより外ない。次にこの歌の「かくだにも」は解しにくい句である。考が「更くるまでだに」と解したのはよいが、「だにも」のもつ餘意を釋くことが精しくない。古義が「此の如く夜は更行たりとも」といひ、新考が「カクバカリ」と釋したのも、共に如何であらう。上の「かくだにも吾は戀ひなむ玉梓の君が伎を待ちやかねてむ」(二五四八)は、逢ふことは難いが、せめてかうして君が使だけでも待ち焦がれよう、しかし其の使も果して來るかどうか知れないといふのである。こゝはそれと同じく、逢はれるか否か覺束ないながら、せめてかうして夜更けるまで(338)でも待たうといふのである。
 
2821 木の間より うつろふ月の 影を惜しみ 立ちもとほるに さ夜深けにけり
    右二首
 
【口譯】 木の間を移りゆく月の先が惜しさに、暫くあちこちしてゐる間に、夜が更けてしまひました。
【語釋】 ○木の間よりうつろふ月の より〔二字傍点〕はを〔傍点〕若しくはに〔傍点〕、うつろふ〔四字傍点〕は移動すること。代匠記が「木間ヨリ庭ニウツル月」と解したのは誤。考が「木の間をうつり行く月のおもしろき也」と解したのがよい。○立ちもとほるに 原文は「徘徊爾」で、舊訓タチヤスラフニとあり、考はタモトホレルニと改めたが、今略解に從ふ。もとほる〔四字傍点〕はあちこち廻り歩くこと。
【後記】 この歌を前の歌の答とする時は、女が家の内で月に心を引かれて、暫し外に出なかつた間に、男に出て逢ふことの晩くなつた辨解と見なくてはならない。「月」・「さ夜深け」など共通な文字も見えるが、何となく解に無理が生ずるし、これは月を賞する歌として單獨にあり得る歌であるから、やはり後から番《つ》がへたものらしいのである。
 
(339)2822 栲領巾《たくひれ》の 白濱浪の 寄りもあへず 荒ぶる妹に 戀ひつゝぞ居る【一つに云はく 戀ふるころかも】
 
【口譯】 寄りつけないやうに離れてゆく貴女に、私は戀ひ焦がれてゐるよ。(一つには、「戀ひ焦がれてゐる此の頃よ。」)
【語釋】 ○栲領布の 枕詞。栲(楮の繊維)を以て織つた領巾(女の襟から懸けて垂れてゐた布)は白いから、白《しろ》にかゝる。○白濱浪の 寄り〔二字傍点〕を起す序。白濱〔二字傍点〕は砂の白い濱をいふ。○荒ぶる妹に 荒ぶる〔三字傍点〕は疎く離れゆくこと。上の「荒びにけらし逢はなく思へば」(二六五二)參照。
 
2823 かへらまに 君こそ我に 栲領巾の 白濱浪の 寄る時もなき
    右二首
 
【口譯】 うらはらに、貴郎こそ私に寄りつく時はないではありませんか。
【語釋】 ○かへらまに 却つてといふ副詞。代匠記初稿本に「かへらまは却《カヘツテ》なり。ま〔傍点〕はあはずまこりずなどのたぐひにそへたる字なり」とある。新考が「カヘラマはカヘサマなり」と言つたのは語源的説明か否か曖昧であるが、カヘリサマの約とも考へられる。反對の義である。○寄る時もなき 原文は「縁時(340)無」で舊訓ヨルトキモナシとあるが、上にこそ〔二字傍点〕があるからなき〔二字傍点〕と訓まなくてはならないことは、代匠記の言つた如くである。
【後記】 この二首はよく應じた問答である。殊に答歌が、問の序をそのまゝ奪つて、對手を刺した手並は凡でない。かゝる歌はもとから問答として番がつてゐたことは勿論、或は一人の連作かも知れないと思はれるのである。
 
2824 念ふ人 來むと知りせば 八重葎《やへむぐら》 おほへる庭に 玉敷かましを
 
【口譯】 思ふ貴郎が入らつしやると知つたなら、八重葎の一面に生えてゐるこの庭に、玉を敷きつめるのでしたのに。
【語釋】 ○八重葎 八重にも繁つた葎の義。考は「むぐらは遠江人は、かなもぐらといひて、蔓草にて、荒れたる籬、屋の軒へもはひのぼれり」といひ、今もかなむぐら(葎草)といふものがあるが、特別にそれを指したものでもないであらう、古義の「彌重葎《ヤヘムグラ》にて草生繁りたる謂なり」と言つたのが近いだらう。○玉敷かましを 新考は「玉は美しき小石なり」と解したが、こゝは全然の假設であつて、歡迎の意をさう言つたまでのこと、眞の玉は無論のこと、美しい石で敷きつめることのあるを言つたのではなからう。
 
(341)2825 玉敷ける 家も何せむ 八重むぐら 覆へる小屋《をや》も 妹と居りてば    右二首
 
【口譯】 玉を敷きつめた家も何にしようぞ。たとへ八重葎の茂つてゐる小屋でも、貴女と一しよにさへ居たら。
【語釋】 ○家も何せむ 何せむは何にしよう何にもならないの義。卷五「白銀も黄金も玉も何せむに」(八〇三)參照。○覆へる小屋も 舊訓はハヒタルコヤモとあるが、覆〔傍点〕は前の歌と同じくオホヘル、小屋〔二字傍点〕はヲヤと訓むがよい。上の「彼方の埴生の小屋《をや》に」(二六八三)參照。
【後記】 この二首もよく合ふ問答である。前の二首が反撥的であつたのに比して、この二首は如何にも和やかな吸引である。この問答歌は相當愛誦きれたものと見えて、後人に摸作がある。卷六に「あらかじめ君來まさむと知らませば門にやどにも玉敷かましを」(一〇一三)・「玉敷きて待たましよりはたけそかに來る今宵し樂しく思ほゆ」(一〇一五)の唱和があり、卷十九に「葎はふ賤しきやども大君のまさむと知らば玉敷かましを」(四二七〇)があり、後のものでは六帖に「何せむに玉のうてなも八重葎はへらむ中に二人こそ寢め」がある。
 
(342)2826 かくしつゝ あり慰めて 玉の緒の 絶えて別れば 術《すべ》なかるべし
 
【口譯】 かうしてお互に慰めつゞけて來て、一日絶えて別れるとなつたら、戀しくてどうにも仕方がないでせう。
【語釋】 ○あり慰めて あり〔二字傍点〕は持續しての義。○玉の緒の 絶え〔二字傍点〕に冠した枕詞。
 
2827 紅《くれなゐ》の 花にしあらば 衣手に 染着けもちて 行くべく念ほゆ
    右二首
 
【口譯】 もし貴女が紅《べに》の花であつたなら、衣物の袖に染付けてもつて行きたい氣がします。
【語釋】 ○紅の花にしあらば 紅の花〔三字傍点〕は今のべにばな〔四字傍点〕のこと。上の「くれなゐの八しほの衣」(二六二三)・「くれなゐの濃染の衣」(二六二四)參照。代匠記は「君ガカホバセハ唯紅ト見ユルヲ、若實ノ紅ノ花ナラバ旅ノ衣ニ染著ケテ、身ニソヘテユカマシ物ヲトナリ」と解いた。紅花はやはり女だから擬したのであらう。
【後記】 この二首は用語の上の聞係が殆どない。只意味を以て強ひて番がへた感がないでもない。代匠紀は問の歌に「次ノ歌ニ依ルニ此ハ夫ノ旅ニ出ルニ妻ノヨメルナリ」と附記してある。先づさう取らなくてはならないであらう。
 
(343)   譬喩
 
【標目】 譬喩は表現形式からの部立であつて、已に卷三・七・十にあり、後の十三・十四にもある。相聞の中から譬喩表現の歌を抽出したものである。考はこの標目を後人の入れたものとして之を除き(上の正述心緒・寄物陳思・問答に於ても同じ)、かつこの歌に純粹の譬喩は少く、而も譬喩の歌は前の部にも交つてゐるから、正確な標準を立てて集めたものではないだらうと言つた。なるほど譬喩の歌は前の部にも混入してゐるし、こゝのは無論本義を出さない純粹の譬喩形式の歌のみではないが、主として諷喩、隱喩の歌が大部分を占めてゐるから、編者は正述心緒・寄物陳思に對して、明かに別けて部立をしたものである。從つてこの部の左註(考は同じく刪つた)も多分編者の加へたものであらう。
 
2828 紅の 濃染《こぞめ》のきぬを 下に着ば 人の見らくに にほひ出でむかも
 
【口譯】 紅色に濃く染めた衣を下に着たならば、人が見る時に表に赤く透《す》いて見えはしないだらうか。
【語釋】 ○人の見らくに 見らく〔三字傍点〕は見るを體言化したので、人の見るのに即ち人目にといふこと。○にほひ(344)出でむかも にほふ〔三字傍点〕は色に表れること。にほひ出でむ〔六字傍点〕は上衣を透して、下の色の表に見えようといふのである。
【後記】 美しい彼の女と契つたならば、たとへ忍んでの事にしろ、人が見れば直ぐそれと知れるだらうかといふ諷喩。戀の表れるのを恐れたものである。卷七「くれなゐの深染《こぞめ》の衣《ころも》下に着て上に取著《とりき》ば言《こと》なさむかも」(一三一三)は、更に表立つた妻とすると人が評判を立てるだらうかと憚つたものである。
 
2829 衣《ころも》しも 多くあらなむ 取易へて 著なばや君が 面《おも》忘れたらむ
    右の二首は衣に寄せて思を喩ふ
 
【口譯】 衣物だけは澤山ほしいものだ。取換へて著たならば、貴郎が私の顔を忘れて寄附《よりつ》かないだらうから。
【語釋】 ○多くあらなむ 多くあれかしといふ希望。未然につくなむ〔二字傍点〕は他に希求するのであつて、こゝは衣物に多くあれかしこいふ形である。原文は「多在南」で代匠記はサハニアラナムと訓み古義も從つたが、今舊訓に據る。○著なばや 原文は「著者也」で舊訓キテバヤとあり、考はキセバヤと訓んであるが、今(345)略解に從ふ。自分が著たならばであつて、や〔傍点〕は疑問助詞、結句へかゝるのである。○面忘れたらむ私の面を忘れてあらうの義。
【後記】 この歌は訓方が區々であつて、從つて種々に解釋された。代匠記は衣物を戀人に譬へて、君は思ふ人があいから我を面忘れするであらう、自分も思ふ人が多かつたならば、君を面忘れしようのにと言つた女の歌としてゐる。之は眞の譬喩に取らうとしたのである。考は四句をキセバヤキミヲと訓んで、自分に多くの著物があらば、君に著かへさせて如何にかして君を面忘れしてゐようと、思の餘りに言ふのであるとした。略解はキナバヤキミヲと訓みながら、其の釋を考と同一にしたのは訓義に矛盾がある。古義は全然考に從つてゐる。新考はキナパヤキミヲと訓んで、衣を取易へて著なば、君が自分の面を忘れようと取つた。全釋は之に從つて、更に結局の意味をば、君の如き薄情ものには我が顔を記憶してゐないだらうと考へた。甚だ難訓難釋であるが、姑らく新考の説に從つて、餘意は考の言ふ如く思の餘りにいふと取つておく。さうすれば勿論譬喩歌にはならない。この歌を譬喩に解することは相當困難であるが、編者が之を前のと一しよに置いたのを見ると、歌の原義はともあれ、少くも編者は前の歌と同樣譬喩歌と解してゐたのであらうとも思はれる。さすれば契沖のやうな考へ方が或はこゝには(346)妥當かも知れない。
【左註】 この譬喩の部はすべてこの樣式を以て、其の喩へた物を説明してある。考はこの左註をすべて後人の業として、皆省いてしまつた。それには及ばないことは、標目に於て述べた如くである。
 
2830 梓弓 弓束《ゆづか》卷きかへ 中見ては 更に引くとも 君がまに/\
    右の一首は弓に寄せて思を喩ふ
 
【口譯】 梓弓の握り革を卷きかへて暫く間をおいた後、再びお引きにならうとも貴郎の御意のまゝになりませう。
【語釋】 ○弓束卷きかへ 弓束〔二字傍点〕は弓の握りのこと。こゝは革で卷いてあるので、卷きかへ〔四字傍点〕は其の古くなつたのを新しくするをいふ、男が他の女に心を移すのに譬へたものらしい。○中見ては 原文は「中見判」で舊訓アテミテハとあり、童蒙抄ナカタエテ(義訓)、考ナカミテバ、古義所引の山田清賢説ナカミワリ、新訓ナカニミバ、全釋ナカミワキ、新考は「中廻而」の誤としてナカタメテかといふが、何れも直ちには肯なひ難い。今姑らく略解の訓に從ひ、間を置いての義と取つて見た。
【後記】 男の心の一時他に移つて暫く中絶えた後、再び我に寄り來よう時は、又其の心に任せよ(347)うと言ふ女の歌であらうか。此の釋は舊訓のまゝで仙覺抄が已に之を取つてをり、代匠記が襲いでゐるが、第三句のアテミテハが詳かに解釋されてゐない。それ故後の註解が皆この句を問題とするのであつて、上述の如き諸説があるが、何れも妥當でない。略解も古義も前人の説を掲げたのみで、自らは匙を投げた。尚略解・古義は「判」はハの假名に用ゐた例がないから、必ず誤字であらうと言つた。古鈔本には「刺」の字の行體に書いた本があり、訓にもアテミサシ・ナカミサシなどがあるが、それも亦釋に於て困難である。從つてこゝに自分の試みた訓釋も極めて自信のないものである。後の研究を待つべきである。
 
2831 みさごゐる 渚《す》にゐる船の 夕潮を 待つらむよりは 吾こそまさめ
    右の一首は船に寄せて思を喩ふ
 
【口譯】 ※[且+鳥]鳩のゐる洲の上に、擱坐してゐる船が、夕汐のさして來るのを待つ待遠しさよりも、私があの人を待つ待遠しさの方が長いだらう。
【語釋】 ○みさごゐる 渚〔傍点〕にかゝる枕詞。みさご〔三字傍点〕は※[且+鳥]鳩。上の二七三九參照。○渚にゐる船の ゐる〔二字傍点〕は和名抄に「〓」の字を訓んで、「船著v沙不v行也」とある語が是である。
(348)【後記】 夕潮を待つといふのに、夕方男の來ることを相響かせてゐるのであらう。之も眞の譬喩樣式にはなつてゐない。「吾こそまさめ」と言つたのが一種の對比になつた。それが亦強調の技巧でもある。
 
2832 山河に 筌《うへ》を伏せおきて 守《も》りあへず 年の八とせを 吾が竊《ぬす》まひし
    右の一首は魚に寄せて思を喩ふ
 
【口譯】 山河に筌を伏せておいて、番のしきれない隙を、永年私は其の魚を盗みづゞけて來た。
【語釋】 ○筌を伏せおきて 筌〔傍点〕は和名抄に「宇倍捕v魚竹笥也。笥【古厚反】取v魚竹器也」とあるもので、今ウケといふものである、伏せおきて〔五字傍点〕は水中に仕掛けおいてである。○年の八とせを 必ずしも八年をいふのではなく、永年といふ程のこと。○吾が竊まひし ぬすまふ〔四字傍点〕は盗むことを續ける意。し〔傍点〕はき〔傍点〕の連體で詠歎的表現。
【後記】 我が思ふ女の父母などに見守られるのを、長い間竊かに逢ひつゞけて來たといふのであらう。古義は上三句を結句にかゝる序とし、結句をアヲヌスマヒシと訓んで、對手の吾を欺いて來たのを恨んだのであると釋してゐる。要するに上三句を本義に關しない序と見るのである(349)が、譬喩の中の歌であるから、なるべく譬喩に見た方が妥當であらう。但し上の解し方に於ては、上三句と下こ句とが自他を變ずる難はあるのである。新考は初二をモリにかゝる序とし、三句の原文「不肯盛」は「肯盛而」の誤モリアヘテとして、人目をうかゞひおほせて長い間包み隱して來たと釋した。例の改字は肯なはれないから、姑らく疑を存しておく。
 
2833 葦鴨の すだく池水 溢《はふ》るとも まけ溝のへに 吾越えめやも
    右の一首は水に寄せで思を喩ふ
 
【口譯】 葦鴨の集まる池の水は、溢れると豫て設けの溝の方に流れ込むのであるが、私は思が溢れても餘處へ越えるやうなことはしない。
【語釋】 ○すだく 多く集まること。○溢るとも 原文は「雖溢」で舊訓マサルトモとあり、代匠記・考はアフルトモと改めたが、略解に從ふべきである。あふる〔三字傍点〕は古くはふる〔三字傍点〕といふ。○まけ溝のへに 原文に「儲溝方爾」で舊訓マケミゾカタニとあるが、今考に從ふ。まけ溝〔三字傍点〕は代匠記に「池水ノ多キ時水ヲ放テ塘ヲソコナハジト兼テ儲ケ置ク溝ナリ」とある如くである。まけ〔二字傍点〕は設けの義でかねて準備しておくことである。
(350)【後記】 思ふ女に逢ふことが出來ずに、思が胸に溢れても、我は決して他へ心を移さないといふ譬喩。上の「荒磯越え外ゆく波の外《ほか》ごころ吾は思はじ戀ひて死ぬとも」(二四三四)と同意である。「葦鴨のすだく」を代匠記は「人言ハ葦鴨のスダク如クサワギテ」の譬としてゐるが、これは單に池の修飾、殆ど序に近いものであつて、本義には關しないであらう。この譬喩法は前の歌に似てゐる。譬喩が何れも山樵田夫を思はせる。
 
2834 大和の 室原《むろふ》の毛桃 本しげく 言ひてしものを 成らずは止まじ
    右の一首は菓《このみ》に寄せで思を喩ふ
 
【口譯】 大和國の室生の毛桃の幹の繁く立つやうに、繁く言ひかはした間だもの、この戀が成立しないでは止むまいぞ。
【語釋】 ○室原の毛挑 室原〔二字傍点〕は今室生と書き、大和國宇陀郡室生村地方をいふ。有名な室生寺がある。毛桃〔二字傍点〕は果皮に茸毛の多い桃の種類。卷七、一三五八參照。○本しげく 本〔傍点〕は幹であつて、この毛桃の幹が一本立ちでなく、根本から多く分蘖してあるのをいふのであらう。この本〔傍点〕まで眞の序であつて、しげく〔三字傍点〕は序と本義とを兼ねてゐる。しげく〔三字傍点〕は深くと同じ。○成らずは止まじ 成らず〔三字傍点〕の成るは事の成立することを桃果(351)の縁で言つたのである。
【後記】 この歌は「室原の毛桃」を序としたのであつて、眞の譬喩ではない。上の寄物の群と何等の差はない。卷七「はしきやし吾家《わぎへ》の毛桃本繁く花のみ咲きて成らざらめやも」(一三五八)の方が諷喩になつてゐる。果樹に「成る」をかけることは、上の「橘の下に我立ち」(二四八九)にも見た所である。只こゝの歌は固有地名がある爲に地方歌の色が出てゐる。
 
2835 眞葛はふ 小野の淺茅を 心ゆも 人引かめやも 吾なけなくに
 
【口譯】 野原の淺茅を、勝手に人の引取ることがあらうか、私がついてゐる以上は。
【語釋】 ○眞葛はふ 小野〔二字傍点〕にかゝる枕詞。○心ゆも 心から(352)もであつて、吾が心のまゝにもの義。○人引かめやも 略解は原文の「引」は「刈」の誤で、ヒトカラメヤモであらうと言つて、之に從ふ説も多いが、引くでも必ずしも聞えないことはない。○吾なけなくに 我無きにはあらぬにといふ義。卷一「皇神の嗣ぎてたまへる吾なけなくに」(七七)參照。
【後記】 淺茅を女にたとへ、それを他人には觸れさせまいといふ男の歌とするのが、通解であらう。新考は之を女の歌として、「吾トイフモノ無クハアラヌニアダシ女ニ君ガ(自分ノ心力ラ)言カヨハスペキヤハ」の意としてゐる。それも一説であらうが、通説に從ふ。この歌は眞の諷喩になつてゐる。
 
2836 三島菅 いまだ苗なり 時待たば 著ずやなりなむ 三島|菅笠《すががさ》
 
【口譯】 三島菅は未だ生えたばかりの苗である。されど成長を待つてなど思つてゐたら、人に刈られて私が被《かぶ》ることが出來なくならう、三島菅笠よ。
【語釋】 ○三島菅 三島〔二字傍点〕は攝津國八部郡にある、淀川に沿うた地で、上の「三島江」(二七六六)と同處。○三島菅笠 三島菅を以て縫つた笠であつて、當時この名前があつたと見える。三島は薦《こも》にも詠まれるから、菅の産地でもあつたらしい。
(353)【後記】 彼の女は未だ婚期には早い子供であるが、成長してからなどと待つてゐたら、人手に取られてしまはうと憂へた諷喩。菅を笠に縫ふことを、女を我が妻とするに譬へた歌は、上の「眞野の池の小菅を笠に縫はずして」(二七七二)にも見えてゐた。三島菅といひ出して三島菅笠といひ納めた歌詞は、やはり民謠風であつて、恐らく三島地方の地方歌であらう。
 
2837 み吉野の 水隈《みぐま》が菅を 編まなくに 刈りのみ刈りて 亂りなむとや
 
【口譯】 吉野の川の曲り處《と》に生えた菅を,莚に編みもしないのに、刈つたばかりで整《そろ》へずに、亂したまゝで棄てておかうと仰つしやるのですか。
【語釋】 ○水隈 河の曲り入つた處。河隈《かはくま》(卷一、七九)といふに同じ。○編まなくに 編む〔二字傍点〕は薦莚に織ること。笠にするといふ説もあるが、笠は縫ふといふから、編むは莚がよいであらう。上の「疊薦隔て編む數通はさば」(二七七七)參照。編むは女に逢つて我が妻とするに譬へたのである。○刈りのみ刈りて 刈つたのみでの義。女を妻としようと約したのみでの譬。○亂りなむとや 亂り〔二字傍点〕は亂しと同じ他動詞。刈取つたまゝで本末を整へぬのをいふ。女の心を亂すに譬へたのである。とや〔二字傍点〕はとてやで、といふのかの義。
【後記】 一度契つた男の其の後|離《か》れがちであるのを、女の恨んだ歌と見るべきであらう。考以下、(354)之を男の歌として、女の逢はぬを恨んだものと解する説が多いが、菅を女に譬へる時「亂りなむ」をやはり菅即ち女の情態とした方が妥當のやうに思はれるから、新考の説が最も通ずるやうに感ずる。この歌もよく諷喩になつてゐる。
 
2838 河上に 洗ふ若菜の 流れ來て 妹があたりの 瀬にこそよらめ
    右の四首は草に寄せて思を喩ふ
 
【口譯】 河の上流で洗ふ若菜の取|外《はづ》されたのが流れて行つて、下流に物洗ふ彼の女のあたりの瀬に寄附きたいものだ。
【後記】 若菜を男自身に擬して、末は遂に彼の女の處に一しよになりたいといふ意の歌。從來多くは本句を譬喩にして、末句をすべて本義に取らうとする爲に、「瀬」を「より處」などと解くのは寧ろ無用である。これは全部を譬喩として見てすべて河端の事に描出して見た方がよい。卷十四「この河に朝菜洗ふ兒」(三四四〇)などと共に野趣を覺えるが、亦譬喩として相當巧妙に出來てゐるものである。
 
(355)2839 かくしてや なほや守らむ 大荒木の 浮田の杜《もり》の 標《しめ》ならなくに
 
【口譯】 このやうにして逢はれない彼の女を、依然見張つてゐなくてはならないだらうか。私は大荒木の浮田の森の標ではないのに。
【語釋】 ○なほや守らむ 原文は「猶八成牛鳴」で舊訓ナホヤヤミナムとあるが、文字について見て妥當でない。代匠記はナホヤナリナムと訓んで(「牛鳴」はムと義訓する假名であつて、玉篇に「牟(ハ)牛鳴(ナリ)」とある。こゝではナを補つてナムと訓んだのである。)、「浮田ノ杜ノ標ニハアラネド、カクシツツ猶心長ク戀ハ成ル時ノ有テ其標引タル如ク、人ヲ我妻ト領スル事ヤアラムト云意ヲヨメル歟」と釋した。これは成るを戀の成立する意に取つて一わたり聞えた説であるが、成りなむ〔四字傍点〕を下の標ならなくに〔六字傍点〕に應じさせるに、やゝ無理がある。略解所引の宣長の説は「或は朽の誤ならむか。ナリにてはシメナラナクニと言ふに由なし。朽チナムとは戀のむなしくなるを言ふ」と言つてある。意味は取れるが似寄らない形の文字に改める難がある。吉義はなほ〔二字傍点〕をなほ/\の義として、なほや成りなむ〔七字傍点〕を「たゞなほざりになりて、止なむやは」と釋したが、やはり無理である。全釋が「ナホヤナリナムは猶このまゝで老いてしまふであらうかの意」と言つたのは強ひてゐるし、尚この歌を、卷七「かくしてや尚や老いなむみ雪降る大荒木野の小竹《しぬ》にあらなくに」(一三四九)の同歌として、成〔傍点〕を老〔傍点〕の誤と考へられると言つたのは、亦肯なはれない。童蒙抄は成〔傍点〕は戍〔傍点〕の語で(356)あらうとし、ナホヤモリナムと訓んで、「戀思ふ人に手をもさゝで、神社のしめに人の手を添へぬ如くにして守りや果てん、杜のしめにてはあらぬにと云意と聞ゆれば、もりと讀べきか」と言つてゐる。意義上聞えた説である。しかるに神田本には成〔傍点〕を明かに戍〔傍点〕に作つてある(金澤文庫本は戍に作つて、成に校定してある)ので、新訓はナホヤマモラムとしてゐる。「牛鳴」は前述の如くムの假名であるから、童蒙抄のモリナムよりも新訓のマモラムの方が文字に即いて妥當である。自分は新訓の訓に從つて、童蒙抄の釋を取ることにした。意義は、依然かうして逢ふことは出來ずに、しかし自分のものとして他に手を染めさせぬやうに見守り續けるであらうかと歎いたのである。○大荒木の浮田の杜の 大荒木〔三字傍点〕は大和國宇智郡宇智村字今井にある荒木神社の地であるといふ。卷七「大荒木野の小竹にあらなくに」(一三四九)參照。浮田の杜〔四字傍点〕もそこであらう。○標ならなくに 標繩を張るのは人の冒し越えることを許さないのを示すのだから、自分の女を守つて他に犯されないやうにするのを譬へたのである。
【後記】 固有地名の入れられてあるのは、やはり地方歌である爲であつて、標に特殊の意義をつけるものではないであらう。前掲の卷七、一三四九とは何れかが摸作されたものであらう、この歌も對比であつて、眞の譬喩にはなつてゐない。
 
2840 幾ばくも 降らぬ雨ゆゑ 吾が背子が 御名の幾許《こゝだく》 瀧もとゞろに
(357)    右の一首は瀧に寄せて思を喩ふ
 
【口譯】 幾らも降らない雨の爲に、あのお方の御名前がひどく世間に評判される、瀧ほどどうどう音を立てて。
【語釋】 ○幾ばくも降らぬ雨ゆゑ 如何ほども逢つたのではない、即ち一二度逢つたばかりの原因での義。○御名の幾許 御名がひどくの義、こゝだくは許多といふ副詞。○瀧もとどろに 瀧のどう/\と響く如
くにの意。も〔傍点〕は強めの助詞。この句は雨に應じた譬喩である。
【後記】 この歌は初二句と結句とに譬喩をおいて、三四句は本義を直叙した一種の隱喩である。
 
萬葉集 卷第十一
〔2017年1月5日(木)午前11時55分、入力終了〕