萬葉集總釋第七 樂浪書院 1936.7.5発行
 
(1)   萬葉集卷第十四
〔入力者注、歌に普通の読点ではない、白ごまの読点が時々使われるが、違いの説明がないので、普通の読点にした。句点と読点の中間的な区切りのようだ。特に必要とも思われない。〕
(3)     卷第十四概説
                  折口信夫
 
      卷第十四のこと
 
 この卷の、東歌の集録であることは、卷頭に記された見出しを信じることの外に、其自身の内容と、それらの歌が含む所の歴史的意義から見て、疑ひのない事である。唯、個々の歌について、その地理的事情の若干、又作者を暗示するやうな明記などによつで、東歌としては雜物を混じてゐることを考へる事は、誰にもあり勝ちな啓蒙的な疑ひである。だが其は、東歌の根柢における誤解が、さうした疑念を起させるものと思ふ。其で私は、短文ながら、東歌論をも附載して、この解説を完うしようと考へる。
 おなじ東歌でも、卷二十の中のものと、性質の違ふことは、目的を一つにした人の手で、一時に蒐集せられたものでない點である。而もその採集地が、此等の歌の發生し又は行はれて居た「あづま」の地でなかつたことも、一つに數へねばならぬ。凡は、都、大倭宮廷において次第に、これが(4)貯留せられて行つたことを第一に考へて置かねばならぬ。其上その蓄積は徐々に行はれたもので、決して一時に送達せられたものと思ふべき樣子を備へて居ないことである。
 さうして、集つてゐた東歌の全體を、其まゝ集録したものでもないことは、分類の上からも見られる。雜歌・相聞・譬喩歌。防人歌・挽歌の部類の外に、品物を以てする横の類別をも、少々は企てた痕を見せてゐる。此等の姿は、ほゞ宮廷における樂所式の方法・手段を思はせるものである。決して、採集するに隨つて、編纂したと謂つたものでなく、材料の間に長い年月の經過を思はせるものがある訣である。其だけに久しきに過ぎて「未勘國所歌」を生じるに到つたと見るべきである。何の歴史的事情なく、唯東歌らしいから集めたと言ふ考へからは、此點大した問題にもならぬ事であるが、宮廷用のものであつたと考へると、其實際集められ、用ゐられた當時から、そこに可なりの時を經て居ることが考へられるのである。
 漫然と又茫漠として、東國らしい匂ひのある歌を、單なる文學的動機によつて集めたと思ふ從來の考へ方よりは、正しいのではなからうか。雜歌に限つて、上總から初めて下總・常陸・信濃と謂つた順序で終つてゐるのは、偶然と言へば其までゝあるが、或は最初に脱落があるのかとも思はれる。相聞・譬喩の例を以てすれば、大體遠江・駿河の山東以外の諸國から相模・武藏〔二字傍線〕を經て、上總・下總・(5)常陸〔六字傍線〕と記録し、東山道に廻つて信濃〔二字傍線〕・上野・下野〔二字傍線〕及び、おなじ東山の所屬なる陸奥といふ風に、海に據るあづま〔三字傍点〕と、山に倚るあづま〔三字傍点〕とを分つてゐる。さうしてその他若干のあづま〔三字傍点〕的素質の濃厚な地方の歌をも併せ擧げてゐるのだ。
 東山道の陸奥は、當時略、磐城・岩代二國の設置があつたばかりで、少數の陸奥歌も、古今の東歌における如く、陸州地方に及んで居るとは見られない。信達平野の周圍に止るものと見てよい。が、此外「未勘國所歌」の中には、北陸の所屬なる出羽地方の歌らしいものを含有してゐる形跡はある。此亦將來研究の出發點になるであらう。
 
 注意すべきは、「三四八一」の歌の左註である。
 柿本朝臣人麻呂歌集中出「見上已記也」とある文は、十四の普通の例に從へば、「」の中のは餘計で、後人の書き足しとも、又同じ歌卷四と翼出してゐることを示す爲の特殊な書き方とも解せられる。若し、之を此まゝ最初からあるものと信じれば、卷四及び其と一續きの卷三とに、尠くとも接續してゐるものと言ふことが出來る。唯、表記法の萬葉假名が、三・四とは方法を異にしてゐる點に、色々な説明を構へる餘地が出來る。さうして、同時に、前に述べた部立て編纂は、大伴家持(6)等の壯年時代以後にあると見てよろしい訣である。此點斷定の限りではない。が、個々の歌に古色のあるものは多いが、全體として見れば、萬葉集としては、近代的なものをも多く含有する餘地のあるほど、編纂は遲れてゐると考へてよいのである。
 
 用字法においては、本卷は興味ある問題を持つてゐるが、この叢刊では、すべてを假名交り書き下しにした約束の上から、其をとりあげるよすがを失つた訣である。
 
 私は、私一己の考へを多く、本文に述べ過ぎた。誤りも多いだらうが、又今後正確な立論によつて證明せられて行くものもあるだらうと言ふ氣が強くする。だが、濫りに人に強ひる見えごとを厭うて、人々の名説は、之を參考にとりあげることを怠らなかつたつもりで居る。
 
   東歌
 
 東歌は、奈良朝時代だけのものでも、亦、萬葉集限りのものでもなかつた。古今集にも見え、更に降つて平安中期以後にも行はれた。東遊《かづまあそび》の詞曲及び、風俗歌《ふぞくうた》が其である。此三種の東歌は、時(7)代の違ふに連れて、其姿態も、用途も變つて來てゐる。が、其本來の意義は、凡推定出來る。
 東遊は、東國の舞踊《あそび》だと言ふ考へには、異論はあるまい。此は、東國舞踊の中、特別に發達した地方のものが、固定したのに違ひない。恐らく駿河・相模に跨る地方の神遊びと思はれる。足柄阪の東西では、おなじ東人の國も、事情が違つてゐる。此峠から先は、東《あづま》の中の東である。だから、このみ阪の神の向背は、殊に、宮廷にとつては、大問題である。足柄の神の歌舞を奏して、宮廷の爲の鎭齋とし、神に誓約させる事は、最意義のある事であつた筈だ。東遊「一歌」の詞章は、萬葉十四の「わをかけ山のかづの木の」の句の固定したものが這入つてゐるのを見ても、縁の深さが思はれる。卷十四を見ても、相摸國歌の足柄歌は、一部類をなしてゐる位である。平安中期の東遊は、かうした事情で、足柄の神遊の固定したものらしい。古今集の東歌は、大歌所の歌の一部或は、殆同等としての扱ひを受けてゐたものと考へることが出來る。此と竝んだ‥‥ふり〔二字傍線〕や神遊びの歌と似た、神事・儀式關係を持つたものに違ひない。唯一つを東遊、一つを東歌と言うたのは、片方が舞踊《あそび》を主として、聲樂方面は東風俗《あづまふぞく》なる「風俗歌」を分化してゐたからである。其だけ、單に東歌とのみ稱してとほつた時代よりは、遲れてゐることが、察せられる。風俗歌が短歌を本位とせないのは、東の催馬樂と言つた格にあつたからであり、又、短歌以外にも、國風・風俗の延長して來た爲(8)であつた。古今集のでは、まだ祭儀關係の想像は出來るが、萬葉の十四の東歌に溯ると、さうした輪廓さへも辿られない。だが、恒例又は臨時に、諸方の風俗の奏上せられた本義から推して見れば、卷十四の蒐集の目的は略わかると言ふものである。その中には固より、都からの旅行者の作もあらう。或は東人の爲に代作したものもあらう。漫然と東風の歌、と感じての分類の誤りらしいものもある樣に見える。が、一度は、東人の口に謠はれたものが、大部分であらう。
 東の國々の風俗《くにぷり》の短歌の傳承久しいものや、近時のものや、他郷の流傳したものや、さうした歌の宮廷で一度奏せられたあづまぶり〔五字傍線〕の詞曲が殘つたものらしい。
 隼人舞や、國栖の奏などは、宮廷の歴史から離す事の出來ぬ古いものになつてゐる。其他の舊版圖の國々のくにぶり〔四字傍点〕、就中悠紀・主基の國の風俗などとは、性質が違ふ。新附の叛服常ない國である。そのくにぶり〔四字傍点〕は重く扱はねばならぬはずである。其奏せられる場合を假定して見ると、荷前《のざき》貢進の際が、著しい一つであらうと考へられる。「東人の荷前《のざき》のはこ〔二字傍点〕の荷の緒〔三字右○〕にも‥‥」など言ふ樣に、都人の注意を惹いたほどの異風をして上京したのであつた。悠紀・主基の國々の威靈なる稻魂を、聖躬に鎭《ふ》る爲に、風俗を奏するのを思へば、東人の荷前の初穗を獻るに、東ぶり〔三字傍点〕の歌舞が行はれなかつたと考へるのが、寧、不自然である。
(9) 奈良朝における東歌は、さうした宮廷の年中行事の結果として集つた歌詞の記録であつたのだらう。十四の方は、雅樂寮などに傳へたものらしい。其を新しく企てたのが、卷二十の東歌である。ちようど、一・二に對して、三・四があり、十三に對して十六が出來た樣に、やはり家持の爲事を思はせるものであつた。
 防人として徴發せられた東人等に、歌を作らせたのは、單純な好奇心からではない。其内容は別の事を言うてゐても、歌を上る事が、宮廷の命に從ふ、といふ誓ひになつてゐたのである。思ふに、家持の趣味から、出た出來心ではなく、かう言ふ防人歌は、常に徴《め》されたのであらう。十四の中には、其よりも古い防人歌があり、防人云々を記してないものゝ中にも、防人のらしいものが見られる。又宮廷に仕へた舎人・使丁等の口ずさみもあるのであらう。十四の東歌の、概して二十のものよりも巧なのは、創作意識に囚はれてゐないからである。民間を傳り承せられて、角は磨滅してゐるにしても、風俗としてのてくにつく〔五字傍点〕は、十分に發揮せられてゐる。其中に、眞の抒情詩と見做すべきものは一つもないと言へる。さう見えても、叙事詩系統の情史的境遇を假想した物や、劇的な誇張の情熱的に見えるものばかりである。
 東人がなぜ、特別な才能を短歌に持つてゐたか。其は或は、東歌として殘つたものが多く、其中(10)から選擇せられたものだからかも知れぬ。併し、やはり、短歌の搖籃なる※[女+燿の旁]歌會《かがひ》――歌垣の類――や、神の妻訪《つまど》ひの式などが、短歌興立期の最中に、まだ信仰深く行はれて居た爲と言ふことも、理由になるであらう。其よりももつと大きな理由は、年々歳々、我々の歴史知識にない幾多の恒例又は臨時の儀式に當つて、京の宮廷に獻つたといふことが、やがて、東地方に於けるうぶ〔二字傍点〕のまゝの歌の生態をも常に刺戟してゐたからに違ひない。
 我々は、東歌――十四の――において、驚くべき技術の後世的と豫想したものをすら見ることが出來るのである。併し、都の歌が、短歌における一えきぞちずむ〔六字傍点〕を完成するに努めた點を考慮に入れゝば、問題は簡單である。
 
(11)     寫眞ゑとき
 
 歴史地理及び、考古學的な遺跡遺物によつて、多少とも殘された昔を見せようと言ふ試みは、この頃頻りに行はれて、殊に萬葉研究の上にも、相應の効果をあげてゐる。其があまりに近代風景であり過ぎたり、手づゝな構圖すら纒らない古代の製作物であつたりする爲、一方亦、誤解を招く虞れも伴うてゐる。私はすこし風をかへて、民俗の方面から、本書の註釋になりさうなものをお目にかけようと考へた。此二頁は、その試みに過ぎない。東歌に限らず、とりわけ萬葉精神全體に關係のありさうなものを選んだ訣である。
 沖繩諸島の生活によつて、其を示さうとした訣は、外的にも、多く奈良時代の俤を止めてゐるものと思はれるふしが多いからで、本土のものには、たとひ内的に、何千年以前を殘して居ると認定することの出來るものでも、外貌は、多く近代化してゐる。生活樣式は、如何に内が古典的でも、外は其を、さながら保つことが出來ないからである。
(12)〜(13)〔写真省略〕
(14)一、妻どひを避ける女。蘆屬處女・眞間弖古奈など、妻どひを避けた昔語りの生き證據として、其今も生存して居る最著しかつた一人をとつた。久高島|外間祝女《ホカマノロ》。結婚《トジトメユン》に當つて、七十數日を隱れ通したと言ふ、古風の保持者。
二、船。イ、たな〔二字傍点〕をつけない姿。
    ロ、たな〔二字傍点〕をつけたところ。
 此は、既に相當に發達したものであるが、刳《ク》り舟即、獨木舟である。たなゝし小舟は、かうした舟のもつと素朴なものだつたのである。
三、臼を舂くところ。唄をかけあひながら、おなじ動作を長くくり返す。
四、旅の出でたち(一)。祝女の殿内《トンチ》に出かけて、神及び神女と、別れの式を行ふ。かうした事が亦、家庭的にも行はれてゐる。妹の魂を、旅行者につけてやる。
五、旅の出でたち(二)。祝女、旅人の爲に、拜みする圖。やまと旅・唐旅《タウタビ》の海のとなか〔三字傍点〕の平安を祈るのである。
 
(1)〜(2)〔目次省略〕
 
(1)   萬葉集卷 第十四 折口信夫
 
(3)   東歌
 
3348 なつそひく 海上縣《うなかみがた》の澳《おき》つ洲《す》に、船はとゞめむ。さ夜更けにけり
 
【口譯】 海上《うなかみ》の縣《あがた》の澳の遠淺に、この〔二字傍点〕船はとめよう。あゝ夜が更けたことだ。
【語釋】 ○なつそひく うな〔二字傍点〕の枕詞。或は元、う〔傍点〕にかゝつたものかも知れない。なつそびく〔五字傍点〕と訓むのは惡い。○海上縣 海上〔二字傍点〕は地名。かた〔二字傍点〕は直觀的には潟〔傍点〕と受けとれるが、「縣《あがた》」の固定した形かた〔二字傍点〕(縣)とする説がよい。普通海上(ノ)郡《こほり》と言ふべきを嫌つて、古風にさう言つてゐたのだ。古くは海上(ノ)國である。上(ツ)海上(ノ)國・下(ツ)海上(ノ)國がある。こゝは上(ツ)海上だ。○澳つ洲 澳の洲。
【鑑賞】 民謠が文學味を深めて行く徑路を伺はせる歌。この歌に現れた夜のしづけさは、既に文學として鑑賞すべきものを持つてゐる。だが、其おこる處は、旅行者が旅先で行ふ、夜の鎭魂の歌としての意義と、その感情から來る調子とが、さうさせたのだ。海上から見た陸地との關係が適切に現れてゐる。殊に、三句と四句との、靜かにおさへてゐる力が注意せらるべきだ。
 
(4)   右一首、上總《かみつふさ》(ノ)國の歌
 
3349 葛飾の 眞間の浦まを 漕ぐ船の 船人《ふなびと》集動《さわ》ぐ。波立つらしも
 
【口譯】 葛飾の眞間の浦を漕いでる船の船子が、どや/\してゐる。浪が立つてるに違ひないことよ。
【語釋】 ○葛飾 下總の地名。江戸川に臨んだ廣い地域に亘つての稱號であつた。近世、川下の三角洲の發達によつて、更に廣がつて東西南北の葛飾郡に分れ、一部は新しく武藏分となつた。この頃は、ほゞ今の國府(ノ)臺を中心として江戸川に沿うて北へ、同じ臺地を今の千葉附近までの總稱であつた。○眞間 葛飾のうちの小地名。ほゞ今の國府(ノ)臺附近であらう。現在の眞間は、その舊地でなく、その高地から移つたものと見られる。この地名は、今も方言的に分布が廣く、崖の地形を表してゐる。○浦ま ま〔傍点〕(末)は、み〔傍点〕(未)の誤り、浦み〔二字傍点〕とする説もあるが、必しもさうと限るべきではない。み・び・ま〔三字傍点〕を通じて、「邊」を以て表すものと同樣の内容を持つ。だが、ほとり〔三字傍点〕を意味しない。漠然とその地點をさすことば。だから表現力は氣分的である。○さわぐ この語は、音の攘亂を示すばかりでない。人の亂れ動く状態を示すことが多い。○らしも も〔傍点〕は感動。ことよ〔三字傍点〕と譯するのが近代的だ。らし〔二字傍点〕は、想像の自信を持つた形を採るもの。譯すればちがひない〔五字傍点〕と言ふべきだ。そして、現在想像であるから、その上の語は現在完了想像風に解く必要がある。立つ〔二字傍点〕は、立つて(5)る〔四字傍点〕などゝ解く必要がある。
【鑑賞】 民謠の流動のあとを示す歌で、卷七の『かざはやの三保の浦まを漕ぐ船の船人さわぐ浪立つらしも』の類型である。かうした形が、流れて行つた土地々々によつて、妥當性を得る爲に、そこの地名を代入したものと思はれる。だから、萬葉に記録せられたこの二首以外に、幾つも同樣の歌が全國に行はれてゐたゞらう。さう言ふ點から見れば、これを單なる一首として鑑賞することは正しくないが、今日に於いては既に、その歴史を失つて、若干文學の領域から見るべきものであらう。萬葉集には、かうした趣向を持つた歌の型が、幾種類か既に現れてゐる。文學的の立場からは、趣向は煩ひと言ふべきものだが、文學動磯展開の上から見れば、必要なものだつたに違ひない。獨立の歌と見れば相當な價値はあるが、類型として觀察すると、遙かに落ちるのはやむを得ない。
 
    右一首、下總《しもつふさ》(ノ)國の歌
 
3350 筑波嶺《つくばね》の 新桑繭《にひぐはまよ》の衣《きぬ》はあれど、君が御衣《みけし》し あやに着欲《きほ》しも【或本(ノ)歌(ニ)曰(フ)。たらちねの。又云(フ)。あまたきほしも。】
 
(6)【口譯】 筑波嶺地方の今年出來の蠶の絲の着物は持つてゐるが、あのお方のお着物がむしやう〔四字傍点〕に着たいことよ。
【語釋】 ○筑波嶺――たらちね ね〔傍点〕は山の高處。「み――ね」と言ふに同じい。頂上をさす語が同時に山全體の名稱になる。筑波嶺は筑波山である。だが同時に、筑波嶺の周圍の土地をもさすことになる。たらちね〔四字傍点〕は、もと「母」の枕詞。それが慣用の結果、直に母を意味する樣になつたのだ。蠶を飼ふのは、主婦の管理に屬することであつた爲に、歌の類型としては、娘が、蠶と母とを結びつけて言ふことになつたのだ。だから、母の飼ふ新桑繭である。○新桑繭の衣 にひ〔二字傍点〕はほゞ新に當る。くはまよ〔四字傍点〕は桑繭。桑子(蠶)の繭を意味する。蠶の繭糸の衣がくはまよのきぬ〔七字傍点〕だ。○あれど 所有してゐることを示す外に、考へねばならないのは、古い文法の所謂、それは別だが・それは違ふが〔十二字傍点〕など譯すべき、あれど〔三字傍点〕と見るのがよいかも知れぬ。「桑繭の衣。それはそれとして、それは別だが」と解くのである。○君 直接に男を呼びかけてゐるのか、間接にあの人〔三字傍点〕と言つてゐるのか、總て場合によつて判斷が變つて來る。但、みけし〔三字傍点〕と言つた、衣の最上の敬語を用ゐてゐるのだから、こゝの君〔傍点〕は、階級の非常に高い人を示してゐるのかも知れぬ。○御衣 み〔傍点〕は敬語。けし〔二字傍点〕は動詞けす〔二字傍点〕の名詞形。けす〔二字傍点〕は着る〔二字傍点〕の敬意を持つた形の動詞。お着物〔三字傍点〕に當る。だが、みけし〔三字傍点〕と言ふ以上、對等の人の着物でなく、可なり身分の高い人のものである。着物が欲しいと言ふのは、同時にその人の靈魂を乞ふのである。靈魂は着物に附着して分割せられる。單なる主從の場合にも、毎年着物を與へることによつて、魂を授與する風があつた。だが同時に、戀愛結婚のしるしとして相手方に衣を與へる。或は互に肌着・中の衣を交換(7)した。この民俗によつて、この歌は説かれねばならぬ。單に衣を羨望するだけではなく、戀をうけ入れて欲しいと言ふことになるのだ。○あやに――あまた あやに〔三字傍点〕はあまた〔三字傍点〕などゝ共通の語根。説明出來ない状態を示す。むしやうに・やたらに〔九字傍点〕などゝ譯す。あまた〔三字傍点〕、昔の數に關する副詞は、數と量に共通して用ゐられた。あまた〔三字傍点〕は、多數であると共に、多量である。だからこゝでは、甚しく・いたく〔六字傍点〕或は更に、深く〔二字傍点〕などの意である。○着欲し 古い形容詞の一形式。たし・たい〔四字傍点〕と言ふ願望の助動詞の發逢せない前にあつた形。今もこの形の變化したものは、沖繩方言に殘つてゐる。時には、ほし〔二字傍点〕と動詞名詞の接合點に、が〔傍点〕或はま〔傍点〕を挿入することもある。
【鑑賞】 風俗歌としては、筑波嶺の地名を要したゞらうが、同時に「たらちねの」は、第二句との接合の隔りある點に、一種の大まかな味が出てゐる。さう感じることが、實は歌の現状を認めてのことかも知れぬ。本格的に言へば、「たらちねの新桑繭」の方がしなやかさもねばりもあり、民謠的でもある樣に思はれる。但、「君が御衣」と言ふ語の莊重な表現が、幾分この歌の調和を破つてゐる樣である。寧、「せなが衣し」・「君が衣し」などある方がしつくりする。だから、東歌として奏上する場合に、宮廷を意味する「君が御衣」と言ふ詞を代入したのではあるまいか。常陸歌には、若干ながら、さうした跡が見える。
 
(8)3351 筑波|嶺《ね》に 雪かも降らる。否然《いなを》かも。かなしき子ろが、布《にぬ》乾《ほ》さるかも
 
【口譯】 筑波山地方に雪が降つてゐるのか。それとも、あの可愛い娘が布を晒してゐるのか。
【語釋】 ○雪かも降らる かも〔二字傍点〕は疑問。雪降らるかもの意。文法的には同じことだが、後世の語感から言ふと、雪〔傍点〕とかも〔二字傍点〕の接合によつて、雪を疑ふ感じが深く出る。ふらる〔三字傍点〕は、ふれる〔三字傍点〕。ふる〔二字傍点〕とある〔二字傍点〕との融合した形。萬葉には、「‥‥らる」・「‥‥れる」の二つの形式が使はれてゐる。勿論、「‥‥らる」の方は古いのであらう。○否然《いなを》かも 「いなかもをかも」の副詞表現が、習慣的に融合してとつた形。さうかさうでないか〔九字傍点〕と、否定と肯定とに迷ふので、それとも〔四字傍点〕といふ意が出る。意味から言へば、いなかもをかも〔七字傍点〕と説明した方が訣り易いところだ。二つの違つた状態を竝べて、そのいづれに屬するか判斷に迷ふと言つた形をとるのだ。勿論、讀者の常識では、既に決定せられてゐることを、問題にしていふところに、技巧らしいもののある訣だ。尤も、類型としての發達にすぎないが、この場合は、布〔傍点〕とも判斷してゐない訣ではない。勿論、布の晒してあるものだと知つてゐるのだ。○かなしき子ろ かなし〔三字傍点〕は、愛するものに對する感情の表現である。心の痛むことを以て、可愛いことを示すのは、いとほし・めぐし〔七字傍点〕、その他、類例はいくらもある。子〔傍点〕は、普通、自分より低い者に對していふ親愛の表現。その分化した意義を、愛人に用ゐる。娘〔傍点〕と譯してよからう。ろ〔傍点〕はら〔傍点〕と同じい。勿論、複數を示すものではない。今日から考へると、親愛を表すための語尾、それが更に延長せられて漠然と物を指示し、含蓄を表す樣に感ぜられてゐる。○にぬ ぬの〔二字傍点〕の方言的發音。一面に於いては、か(9)うした標準語と變つた詞によつて、風俗歌の味を濃厚ならしめてゐたのだ。○乾さる ほせる〔三字傍点〕。ほしてる。ほしてある。
【鑑賞】 これも、後世まで永く續いた民謠の古い類型である。「高い山から谷底見ればお萬可愛や布晒す」と言ふ風に、近世には變化してゐるが、更に「瓜や茄子《なすび》の花ざかり」と謂つた形をすら分化してゐる。其間に幾多の同類のものがあつたことが思はれる。お萬の歌の場合には、この歌に見えた一方の「否然《いたを》かも」の反省がなくなつて、「かなしき子ろ」の方が、主になつてゐる訣だ。これも獨立した文學と見れば、雪の白さ、布の白さが目に着いて感じられるが、それには、「否然かも」といふ類型的な表現が妨げをして文學たらしめない。
 
    右二首、常陸(ノ)國の歌
 
3352 信濃なる すがの荒野に、杜鵑《ほとゝぎす》 鳴く聲聞けば、時過ぎにけり
 
【口譯】 信濃のこのすがの荒野で、ほとゝぎす、それが啼いてゐる聲を聞くといふと、あゝ、時が過ぎたことだ。
【語釋】 ○信濃なる 「信濃の」といふ「の」と同じいが、大地名から小地名につなぐ場合に、なる〔二字傍点〕の方が適切(10)なのだ。○すがの荒野 いま、何郡の地名か不明。此處と主張する土地は多い。たゞ、すが〔二字傍点〕郷の曠野であらう。東筑摩郡の苧賀《ソガ》郷とする説が有力なだけである。○ほとゝぎす 萬葉では、宛字を誤つて郭公・霍古鳥を用ゐてゐるところも多いが、其は誤澤だ。郭公は、今もいふ、かつかう〔四字傍点〕で、かうぽう鳥・閑古鳥或は呼子《よぶこ》鳥などゝ呼ばれるもので、ほとゝぎす〔五字傍点〕よりも早く鳴き出すものだ。ほとゝぎす〔五字傍点〕は、子規・杜鵑・蜀魂・不如歸などの字に當るもので、今も、ほとゝぎす〔五字傍点〕で、かつかう〔四字傍点〕より一月も遲れて啼く。萬葉では、五月に入ると啼くと考へてゐた。だから、こゝも凡、初夏過ぎた時候を感じた、とするものであらう。○時過ぎにけり 時〔傍点〕は期待した時〔傍点〕であるが、自分だけに限らず人にも期待させた時〔傍点〕とも考へられる。單に、春が過ぎて夏も深くなつたといふだけではあるまい。普通、東國《あづま》へ旅した人が、すが〔二字傍点〕の曠野で、都の家人に約束した時の過ぎたのに感じたのだとするが、其だけではないかもしれぬ。
【鑑賞】 旅人の歌と見る外に、いま一つの觀方がある。其方が、民謠的である。鳥と農事との關係を深く考へてゐた時代の人が、ほとゝぎす〔五字傍点〕が啼くと行はねばならぬ田の爲事を思ひ出したと見るのである。さうすれば、「時過ぎにけり」は、深い抒情的の驚きでなくなる。單に田行事の時が過ぎた、すぐに着手しようといふ位になつて了ふ。だが同時に、さうした類型から更に進んで、ほとゝぎす〔五字傍点〕の聲に、時の推移を心づくといつた興味の中心點が移つて、都の旅人が地方に來て、我が旅の長さに驚いたといつた文學的な空想に展開して行つた、と考へられないこ(11)とはない。だから、その場合にも、旅人の實感ではないことは事實である。これを文學的のものと定めてみると、「すがの荒野に」といふ位置の取り方と、「啼く聲聞けば」の迫らない憩ひのある反省が、何となくこの歌に、日光や草葉の色までも思はせる樣である。然し、さう考へるのは、この歌の動機に即しない鑑賞にすぎない。
 
    右一首、信濃(ノ)國の歌
 
   相聞
【標目】 前四首の歌に、「雜歌」とも何とも見出しなくて、こゝに「相聞」と出てゐるのは、問題である。
 
3353 あらたまの きべのはやしに なを立てゝ、ゆきかつましゞ。いを先立《さきだ》たね
 
【口譯】 ?
【語釋】 ○あらたま 地名とも又單なる枕詞とも採れる。此卷に遠江歌として入れたのは、これを地名と考へたからである。が勿論、さうした意味での誤解は、ざらにあつた。それで、この卷の編輯態度を信じきるの(12)も如何かと思ふ。○きべ これも、遠江の地名か否か訣らない。麁玉郡から離れた山香郡に岐階《きべ》(陛)郷があるが、其處では矛盾になる。きべ〔二字傍点〕を地名と見れば、あらたま〔四字傍点〕は枕詞であり、あらたま〔四字傍点〕を地名と見れば、きべ〔二字傍点〕を地名と見ないのが正しいらしい。き〔傍点〕及びきべ〔二字傍点〕の普通の例から言うて、き〔傍点〕は關塞である。通常城〔傍点〕・柵〔傍点〕を宛てる一種の障碍防禦の築造物である。きべ〔二字傍点〕は又きのへ〔三字傍点〕などいふ例もある。さうした簡單な關塞のあたりを斥す語である。村・郷の周圍に繞らした垣のやうなものと見れば、こゝにあたる。○はやし 靈はやし〔四字傍点〕の義で、分割した靈を鎭祭する意がある。旅行の際、きべ〔二字傍点〕まで送り出て、旅行者の靈を分割して留めやうとする行事らしく思はれる。直觀的には、林〔傍点〕と思はれるが、突然でもあり妥當性が少いやうでもある。○なを立てゝ 名を立てゝ〔五字傍点〕、又汝を立てゝ〔五字傍点〕とも考へられてゐる。然し、名〔傍点〕の方は、一種の戀歌の類型に入りすぎるやうでいけない。きべの別れに〔六字傍点〕いつまでも、愛人をして自分を見送り立たしめて、と採るのがよからう。○行きかつましじ かつ〔二字傍点〕は敢てする・能ふ。ましじ〔三字傍点〕はまじ〔二字傍点〕の原形、否定想像の古助動詞。行きゝるまい〔六字傍点〕に當る。關塞の邊《ほとり》に、汝を立たせておいてかへり見/\して行きえまい」である。○いを先立たね 最後のね〔傍点〕は、本文は「尼」の字であるから、〔傍点〕にとも訓める。さすれば、さきだてない〔六字傍点〕でといふ否定の中止である。ね〔傍点〕の場合は、さきだつてくれ・さきだつがよい〔十四字傍点〕位の意義だ。たゞ、い〔傍点〕が明らかでない。い〔傍点〕を寢〔傍点〕だとして、先に寢よ〔四字傍点〕といふ風にする説もある。「移乎」の「乎」が「毛」の誤りとすれば、妹よさきだてといふことになるから、何時までも立つてゐないで、さきだつて家に還れといふ意にもとれる。但し、主張は出來ない。
【鑑賞】 もし、「妹さき立たね」であると、調子の上の屈折が、あまりに激しくて、不安になる嫌(13)ひがある。私から言へば、「きべのはやし」に問題はなくて、却て第五句にそれがある。(古代研究國文學篇參照)鑑賞はあづかる。
 
3354 きべ人のまだら衾《ぶすま》に綿さはだ 入りなましもの。妹がを床に
 
【口譯】 岐陛《きべ》の里人のまだらの布でつくつた寢道具に綿澤山に入つてゐる。その樣に、俺も入つて寢たらよかつたらうものを。彼女の寢床に。だが、入れずにゐる。
【語釋】 ○きべ人 此處もきべ〔二字傍点〕を遠江の地名と見たのにすぎなからう。前歡との配列に必然的な意義がある訣ではない。これも、關塞を守る人とみてよい。だが、里人とする方が風俗らしく感じられる。○まだら 斑〔傍点〕として、斑幕・斑染と言つた樣に、違つた色彩を段々にするものと考へることも、必しも近代のことではない。だが、それがまだらぶすま〔六字傍点〕の存在を證明することにはならない。まだら〔三字傍点〕を以て植物の名とし、これを織つて製《つく》つた布ぶすまと見るのが正しからう。今も皮を利用する「また」の木はあるが、當るかどうか。○綿さはだ さはだ〔三字傍点〕はさはに〔三字傍点〕の誤りではない。多數・多量を意味する語。この語に焦點を置いて考へると、一・二句以下、「綿」までが「さはだ」の序歌となる。「綿さはだある如く、さはだ度多く入りなまし」となるのだ。だが、それでは、入りなまし〔五字傍点〕の入り〔二字傍点〕が落着かない。「入りなましもの」の上三句が序歌で、入る〔二字傍点〕をきつかけとして意義が轉換してゐるのだ。まだら衾に綿さはだ入れるが如く、我は入りなましと釋く方がよい。○入りなま(14)し 入らまし〔四字傍点〕の緊張した形で、意義は大して違はない。入つたらよかつたものをといふことで、入らうものをと解いてもわかるが、今まで入つて居ないのを言ふ。妹がを床に入りなましものを入らずにをりの意だ。
【鑑賞】 この歌を遠江歌としたのは、恐らく誤解であらうが、地名と解釋して其國で行はれてゐたであらう。さうすれば、「まだら衾」といふ地方生活を思はせるやうな語も、掛蒲團から一擧にえろちつく〔五字傍点〕な味を單純に出して來たところも夙俗歌らしくてよい。
 
    右二首、遠江(ノ)國の歌
 
3355 天《あま》の原《はら》富士の柴山 このくれの 時|移《ゆつ》りなは、逢はずかもあらむ
 
【口譯】 ひろ/”\とした空、それに突き出てゐる富士の山の柴山の木下闇《このくれ》ではないが、今この夕昏れの時が移り去つたら、二度と逢はずにゐねばならなからうよ。
【語釋】 ○天の原 天の廣さを原に見立てた。○富士の柴山 柴山〔二字傍点〕は、柴を採集しに入る山地。今で言へば、富士の裾の樹林を斥すのであらう。○このくれの 木之昏、即木下闇とこの暮れ〔四字傍点〕とがかけ詞になつてゐる。だから、一・二句は序歌。○時|移《ゆつ》りなば 時〔傍点〕は、古代には突きつめた時・盛んな時〔十字傍点〕を斥す習慣がある。ゆつり〔三字傍点〕はうつる〔三字傍点〕と同語。意義分化した讓る〔二字傍点〕がある。○逢はずかもあらむ 萬葉の用語例としては、上にか・や・かも〔四字傍点〕があつて下に想像の助動詞がある場合、大抵ねばならぬか〔六字傍点〕と言ふ意になる。だから、逢はないで寢ねば(15)ならぬか・寢ねばならぬだらうと言ふことだ。
【鑑賞】 この歌も勿論、富士の裾野に近い地方の民謠であるが、切迫した感情が、文學動機に近いものを感じさせる。殊に、下二句はそのまゝ純粹な抒情詩とさへ受けとれる位である。上二句の、目的を露出しないのどかな言ひ方から、「この暮れ」に急轉して來るところもよい。
 
3356 富士の嶺《ね》のいや遠長き山路をも、妹がりとへは、けによはず來《き》ぬ
 
【口譯】 富士の嶺《ね》地方の非常に遠くて長い山道すらも、おまへのところへの道といふのだから、呼吸《いき》をきらずにやつて來た。
【語釋】 ○富士のね 必しも富士山そのものでなく、其地方を意味する。だから、山路も富士の裾野の丘陵の道とみてよい訣だ。○いやとほながき いや〔二字傍点〕は、彌〔傍点〕とばかり釋かれるけれども、非常に〔三字傍点〕といふ最大級の用法もある。○妹がり 妹がりの道〔五字傍点〕といふ風に釋くのが本義に近いであらう。がり〔二字傍点〕は許・家などと解かれてゐるが、其は固定した意味で、早くはかうした意味、妹への道といつた用法だつたのだらう。○とへば といふ〔三字傍点〕の融合したとふ〔二字傍点〕の變化に、ば〔傍点〕の添つたもの。端的に譯して、妹がりのことだからと言つてもよい。○けによはず來ぬ こゝも必しも、よばず〔三字傍点〕と濁音に訓まなくてもよからう。け〔傍点〕は接頭語。によふ〔三字傍点〕は坤吟する。によはず〔四字傍点〕はその否定。この説多少不安があるが、まづよい。
(16)【鑑賞】 通ふ男が、女に自らの勤勞を告げて、その劬りを乞ひ願ふ歌で、「思うて通へば千里が一里」などいふ小唄の古い類型である。一・二句の悠々としたところは、好感をもてるが、三・四句の弛みすぎた叙事脈の表現は、抒情詩でないことを示してゐる。尚言へば、かくの如く、忠實であつたといふ事の表白が、それを享ける女に對しての、絶大な讃美になる訣である。
 
3357 霞居る富士の山邊《やまぴ》に、我が來なば、いづち向きてか 妹がなげかむ
 
【口譯】 私《わたし》がかうしてだん/\遠くへ行つたら、あの霞のかゝつてゐる富士の山の處で、私の行き方《がた》が訣らないで、彼女がどちら向いて泣いてゐることであらうよ。
【語釋】 ○霞ゐる ゐる〔二字傍点〕はぢつとかゝつてゐることである。涌き上《のぼ》る事を意味するたつ〔二字傍点〕の對。この語は、富士山に霞のかゝつてゐることを描寫するより寧、習慣的に言ふ一つの修辭である。用法から言へば、枕詞に入るものと思はれる。○富士の山び 一見とりとめのない言ひ方であるが、何處と斥すことを目的としてゐない。邊〔傍点〕は意義はない。富士の山の或方角に、愛人の存在を考へた迄である。○わが來なば 來る〔二字傍点〕といふ語の別義行く〔二字傍点〕に用ゐられてゐる。「わが來なば」は「わが行きなは」だ。順序としては、「わが來なばいづち向きてか霞ゐる富士の山びに妹が嘆かむ」となる歌である。それでなくては、來なば〔三字傍点〕の用法も不正確だし、第一、自ら富士山の近くにゐる事を明かに意識してゐながら、妹の動作とは言へ、「いづち向きてか」といふ理由が(17)訣らない。○いづち向きてか 方角の訣らぬ時に、いづち〔三字傍点〕と言ふ。こち・そち・あち〔六字傍点〕に對して、疑問をもつてゐる場合である。家なる妹が夫我の今どこにゐるか知らないでゐる心地に同感して、妹の所在ない心持ちをいつたのだ。又、「我《わ》が來なば」を「我が來ぬれば」の方言文法と見れば、以下二句の意味が變る。妹は歎きを吐く方角を知らないで、佗びてゐようといふことになる。詳しくは、「三四七四」參照。○なげかむ 溜息づくだらう。だが、この歌などには、別れた人の行く方に對してなげきを吐くことが、一種のまじつく〔四字傍点〕であつた事を示してゐるやうである。
【鑑賞】「いづち向きてか‥‥」は類型であるが、それをかう言つた所に、當代人には親しみが出て來たのでないかと思はれる。のび/\といふより以上に、品位をもつたひき緊《しま》りが表れてゐる。「いづち向きてか」といつた同情も、古風な生活意識が出てゐることが理會出來る。
 
3358 さ寢《ぬ》らくは、たまの緒ばかり。戀ふらくは、富士の高嶺の鳴る澤の如
    或本(ノ)歌(ニ)曰(フ)。まがなしみ ぬらくはしま(家《け》)らく。さ〔傍点〕ならくは 伊豆の高嶺の鳴る澤なすよ
   一本(ノ)歌(ニ)曰(フ)。會へらくは、たまの緒しけや、戀ふらくは、富士の高嶺に降る雪なすも
 
【口譯】 寢たことは短くて、ほんの魂筥の結び緒ほど。それに焦れてゐたことは、富士の高嶺の(18)鳴る澤の樣に、底知れぬほど深かつたことよ。
 或本 可愛さに寢たことは、ほんの暫らく。噂にひゞいたことは伊豆の高嶺の鳴る澤の樣であることよ。
 一本 會うて寢たことは、たまの紐の樣であつた爲か、その後焦れてゐることは常住不變で、富士の高嶺に降る雪の樣であることよ。
【語釋】 ○さ寢らく さ〔傍点〕は、特別の意義のあつたらしい接頭語。さぬ〔二字傍点〕は、共寢の意味に常に使つてゐる。さぬ〔二字傍点〕の連體形さぬる〔三字傍点〕に、名詞化語尾く〔傍点〕がついて音韻變化をおこしたさぬらく〔四字傍点〕は、時間觀念を入れてねたこと〔四字傍点〕と譯すべきだ。○たまの緒 玉を通す紐と言ふ考へは、萬葉にも既にあるが、元は鎭魂祭の魂筥を結んで切り揃へた多くの紐を言うたので、短かいことの比喩になつたのだ。その語が、使はれてゐるうちに、だん/\祝福の意を込めて、長く・長し〔四字傍点〕の枕詞となつたのだ。魂の緒は短いけれども、魂の緒によつて咒《じゆ》せられて、魂の鎭定した身及び命は長い、と言ふところから、さうなつたのだ。○戀ふらく 戀ふ〔二字傍点〕の連體形戀ふる〔三字傍点〕にく〔傍点〕のついた形。戀ふること。時間を加へて、焦れてゐたこと〔七字傍点〕と譯する。それ以前に焦れてゐたのか、それ以後忘れられないので續けて戀ひしてゐると言ふのか、これだけでは訣らぬ。○富士の高嶺 高嶺なる富士の嶺の意。單に富士山と言ふだけである。但、この場合、鳴る澤のあり場所を示してゐる、とも採れる。○鳴る澤のごと この語から端的に聯想せられることの外、廻りくどい心理を表すものではなからう。深い〔二字傍点〕とか長い〔二字傍点〕とか燃え焦れてゐる〔七字傍点〕とか、古人は直に聯想したのである。鳴る澤〔三字傍点〕は、轟き流れる澤の急流だとして、この歌以後、宮士の兩側、甲州にも駿河にも、其地だと言ふのがある。又、他の國にも固樣の地名はある。だが、富士の(19)場合は、特に其噴火口を言つたとの聯想が強い。中世以後、富士山頂八葉の邊をさう言つたのだと言ふ説がある。頂上の噴火口が、傳説的に底知れぬ鳴る澤として語られてゐた爲、かう言ふ歌も生じたとも見られる。
 或本 ○まがなしみ ま〔傍点〕は接頭語。まがなしみ〔五字傍点〕は、いとしさに・可愛さに〔九字傍点〕である。○ぬらくは は〔傍点〕は衍字とせられてゐるが、あつても訣るから、そのまゝにして置く。ねたことは〔五字傍点〕である。○しまらく 本文、「思家良久」とあるが、これでは訣らない。「家」は「間」の草書の誤りか、或は「末」の誤りかで、しまらく〔四字傍点〕だらう。『萬葉集論究』に松岡氏は、寢らくし辛く〔六字傍点〕と説いてゐられる。よい考へだが、普通の聯想ではない樣だ。○さならく 假りに數種の古本に從つて、佐〔傍点〕を補つて訓む。解釋も多少ぎこちないかも知れぬ。鳴ることの意から評判に轟く意と採つた。○伊豆の高嶺 伊豆の名を正確に見れば、一國中最この語の聯想に近いのは、天城山である。だが、妥當性は寧、伊豆山或は日金《ひがね》山などにある樣だ。だが、伊豆の北邊を中心として言へば、富士山も伊豆の高嶺と、伊豆人が言はなかつたとは言へぬ。これは前の歌の類型で、富士の高嶺を伊豆の高嶺と言ひ、その外の句が亂れたものであるから、強ひて鳴る澤〔三字傍点〕を伊豆山附近に求めて、温泉の流れ其外の急流と説く必要もない。○鳴る澤なすよ 鳴る澤なす……よ、と叙述語を省いた形だ。鳴る澤の如く深きことよとでも解けばよい。
 一本 ○會へらく 會へること。會うたこと。○たまの緒しけや たまの緒しけばやのば〔傍点〕音脱落の習慣によつたもの。しくあれば〔五字傍点〕の變體がしけば〔三字傍点〕だ。たまの緒しくあればは、たまの緒の如くなればの意である。や〔傍点〕がつくと、たまの緒の如く短かくあればやで、會ふには會つたが、ほんの暫くに過ぎなかつた爲にかと言(20)ふこと。○降る雪なすも 降る雪なすときじきことよ〔七字傍点〕、或は久しきことよ〔六字傍点〕など言ふ叙述語を脱した形。も〔傍点〕はそのことよ〔三字傍点〕にあたる。山の雪が恒にあるものと言ふ類型表現である。
【鑑賞】 右の三首は、富士山附近に於いて行はれた民謠の、類型の變化を示したもので、或本の歌は、傳承の誤りか書寫の誤りか、意の採りにくい處はあるが、外の二首は、大體訣る。殊に本文の歌は、文學としては價値少く、技巧も「たまの緒」と「鳴る澤」とでは、對比を失してゐるが、單なる民謠として見れば、三句以下に力點を起き、殊に熟知せられた鳴る澤が出てゐる處に、風俗《ふぞく》的の効果があつたのであらう。
 
3359 駿河の海 おし邊に生ふる濱葛《はまつゞや》 汝《いまし》を頼み、母に違《たが》ひぬ 一(ニ)云(フ)おやにたがひぬ
 
【口譯】 駿河の海。その波打ちぎはに生えた濱つゞら。それではないが、お前さんを信頼して、その爲に母の心にそむきました。どうか、この私を棄てないでおくれ。
【語釋】 ○おし邊 おしへ・おすひ〔六字傍点〕一つの語と思はれるが、磯邊〔二字傍点〕だとする舊説は受けとれぬ。へ・ひ〔二字傍点〕は邊〔傍点〕であるが、おし〔二字傍点〕は尚不明。波のよせることゝは思はれるが。○濱|葛《つゞや》 や〔傍点〕行・ら〔傍点〕行相通音だから、つゞら〔三字傍点〕をかう發音したのである。海岸のつゞらだが、同時に一種の植物の名であつたのである。但、こゝは枕詞。つゞら・(21)つた・くず〔七字傍点〕などは、あふ・別れる〔五字傍点〕など、蔓草の生態からいろんな動詞にかける。こゝはたがひぬ〔四字傍点〕に關係してゐるので、蔓が兩方に分れて行く樣から言ふのだ。○汝 又みまし〔三字傍点〕。當時に於いても既に、古語の部に入つてゐた。貴族的な二人稱。但、敬意の極めて深い場合と、親しみを込めて、自分より低いものに言つた場合とある。○頼み 信頼をかけて・頼つて。○母――おや この場合は親も母である。平安朝又はそれ以後も、母のことを特に祖《おや》の字を以て表してゐる。かうした場合は、兩親を斥すと見ない方がよい。○違《たが》ひぬ それた・うらぎつた・そむいた〔十二字傍点〕。かう言つて男に誠實を女が誓つてゐるのである。母すらも捨てゝ、あなたにすがつてゐると言ふのを第一義として、更に我を捨てるなと頼んでゐるのだ。
【鑑賞】 これも、文擧作品と取り扱ふには、少しく動機が不足の樣である。上句の序歌が、印象不鮮明である。中心は下句にある。それを響かせる爲には、却てこの序歌の方がよいかも知れぬと思はれるが、尚もの足りない。下句は、民謠ながら、民人共通の經驗なるが爲に、力強く響く。母に〔二字傍点〕と言ふ、細やかな音の感じを喜ぶ人もあらうが、私は大まかなおや〔二字傍点〕の方を、歌としては採る。
 
    右五首、駿河(ノ)國の歌。
 
3360 伊豆の海に立つ白浪の 在りつゝも繼ぎなむものを。亂れしめゝや
    或本(ノ)歌(ニ)曰(フ)。白雲の たえつゝもつがむともへや。亂れそめけむ
 
(22)【口譯】 伊豆の海に立つてゐる波ではないが、このまゝで二人の間がらはひき續けて行かうものを。どんなことがあつても、亂れ出すものか。疑つてくれるな。
 或本歌 伊豆の海。その水平線あたりに立ち昇る雲ではないが、あなたは二人の仲を、づる/”\べつたりに、絶えてはつゞけ/\してゆかうと思ふ生ぬるい心があつて、それで亂れかけたのですか。
【語釋】 ○白浪 過去の傳承詞章が固定して、やゝ文學語に近づかうとした姿を示すもの。必しも白く碎ける浪ではない。こゝ迄の二句は序歌。三句・四句にかゝる。○ありつゝも 現状のまゝであり/\して。も〔傍点〕は副詞句を作る語尾。○繼ぎなむものを つぐ〔二字傍点〕は、現代の繼ぐ〔二字傍点〕でなく、ひきつゞく・ひきつゞける〔十一字傍点〕の意で、連接しておこることを示す。○亂れしめゝや しめ〔二字傍点〕は初《そ》めの方言的發音。當時は染《そ》むならばしむ〔二字傍点〕と言ふのが普通であつた。こゝは染めるではなく初《そ》めるである。この歌の場合は「亂れそめゝやありつゝもつぎなむものを」と解した方が訣り易い。普通見る如く、ものを〔三字傍点〕に反撥の意があると考へるのはいけない。
 或本歌 ○白雲の これも「白浪」と同じ文學語になつて行くもの。この序歌と三・四句との關係は、更に印象的であるが、後代人には第四句の曲折が却て感情頓挫を作る。○たえつゝもつがむ ありつゝもつぎなむ〔九字傍点〕の反對で、微温的な交情を言ふ。「それを嫌つて‥‥と思《も》へや」と言つたのだ。○もへや 思へや〔三字傍点〕の母韵脱落とも見えるが、これは鼻母韵の存在したことを示してゐる。口譯は思へばや〔四字傍点〕のば〔傍点〕の脱落する文法によつて解いた。この形では、思はめや〔四字傍点〕の融合した形と見ることも出來る。思はうか思はないのに、其にどうして(23)亂れかけたのだらうと言ふ風に解くのである。併、この場合はこの方は妥當でない。
【鑑賞】 これは獨自の歌と見られさうだが、誓ひの歌である。「亂れしめゝや」は、反省でなく揚言である。序歌と三・四句との關係或は技巧は、民謠としてのよさを充分に發揮してゐるが、今の標準から言へば、第五句を痛感することが出來ない爲に、そこになつて印象が俄かに散漫になる。當時としては、あまり比喩に精密で情熱に乏しい嫌ひがあつたであらう。その見方からすれば、「亂れしめゝや」が烈々として生きて感ぜられる。
 この、或本と本文との關係は、全然異體とは言へない。却て唱和問答の樣にも見える。即、或本の方が、相手方の心のゆるみを咎めたのに對して、本文の歌が、それに答へて、決してさうでないと誓つたものと言ふことが出來る。これは外にもある例である。
 
    右一首、伊豆(ノ)國の歌。
 
3361 足柄《あしがら》の をてもこのもにさす羂《わな》の かなるましづみ、子ろ我《あれ》紐とく
 
【口譯】 足柄山のあちら側こちら側に設けた羂ではないが、人の噂のやかましい間をぢつとしてゐて、その後、彼女も我も、紐といて寢ることだ。?
(24)【語釋】 ○足柄 これだけでは、慣用上山の名とも採れるが、單なる其地方とも見える。をてもこのも〔三字傍点〕があるから、明らかに山と感ぜられるのだ。○をてもこのも をて〔二字傍点〕は地方發音で、をち〔二字傍点〕のことである。彼方此方《をちもこのも》、即このもかのも〔六字傍点〕である。をち〔二字傍点〕は通常遠方〔二字傍点〕の字を當てるが、彼方と言ふことだ。山の向う側こちら側の意。○さす羂 羂を構へる動作をさす〔二字傍点〕と言つたのだ。こゝ迄上三句、「かなる」の序歌と思はれる。○かなるましづみ これは難語である。序歌から見れば、かなる〔三字傍点〕は羂のかゝ〔二字傍点〕と響《な》る意らしい。それを人言の喧しいのにかけたのだ。併、必しも、さうした用語例を持つたともきめられない。しづみ〔三字傍点〕は、靜かさに〔四字傍点〕と言ふのなら、しづけみ〔四字傍点〕だ。こゝは動詞の連用だらう。靜かにして〔五字傍点〕、或は音たてず〔四字傍点〕の意かも知れぬ。さうすると、喧しい間をやり過してからと言ふ意ではない。評判のある間も、子ろに會つてゐるのであらう。假りにしづみ〔三字傍点〕を潜行的な動作と考へれば訣る。○子ろ我 ろ〔傍点〕は、親しみの語尾。愛人と自分とである。○紐とく この語を、下紐とく〔四字傍点〕と言ふ聯想から直に、相許すことを言ふものと感じるのは、過程を忘れてゐる。ひも〔二字傍点〕は、魂結びの結び目で、その結び目を作るものは紐の緒である。思ひ人同志互に、自分の魂を相手の肌のものに結びつけたのがひも〔二字傍点〕である。それをとくのは、再び會つた時のことで、初めてのかたらひには言はぬことだ。その意味で、喧しい期間を過して、再會するのか、その間も忍んで會ひ續けると言ふのか、今日では訣らない。結局、しづみ〔三字傍点〕と言ふ語が本道に理會出來れば訣る歌だ。
【鑑賞】 歌の主要な點の意義が不明なのだから、本道の調子も受けとる事は出來ない。それで、個々の詞の印象がてんでに強く響く。これを見ても調子がいかに、内容の上にたつてゐるかと(25)言ふことが訣るだらう。たゞ、山地の人の生活に即した類型の、一つの代表であつたらうと思はれる。
 
3362 相摸嶺《さがむね》の を峰見そくし 忘れ來る妹が名呼びて、我《あ》を哭《ね》し泣くな
    或本(ノ)歌(ニ)曰(フ)。武藏嶺の を峰見かくし 忘れゆく君が名かけて、我《あ》を哭しなくる
 
【口譯】 相摸大山の峰を遙かに見やつて、だん/\印象の薄れて來た彼女の名を新たに言ひたてさせて、俺を泣かせることよ。困つたなあ。
 或本歌 武藏大山の峰をかくれるまで見て、だん/\印象の薄れて來た彼女の名を言ひ出させて、私を泣かせることよ。
【語釋】 ○相摸嶺 相摸は古くさがむ〔三字傍点〕と言つたが、東歌では特別の場合の外、強ひてさがむ〔三字傍点〕と發音せずともよい。む〔傍点〕とみ〔傍点〕とは、常に音價動搖してゐるのだから、昔の習慣によれば一國の名を負ふ山は、その國中の靈山と言ふべきものであるから、相摸嶺も漠然と、相摸の山々を斥したのでなく、その國の國魂の所在なる山だらう。後世の信仰から見れば、阿夫利山即大山らしく思はれる。○を峰 を〔傍点〕は接頭語。みね〔二字傍点〕のみ〔傍点〕は讃稱。ね〔傍点〕は山頂。○見そくし、退《そく》を語根とした再活用。みそかし〔四字傍点〕と言つても同樣だ。遠く見やる・見はるかす〔十字傍点〕。○忘れくる 萬葉にもこの語は古い意味と後の用法とを併用してゐる。古いのは、面影に浮ばないことを言ふのだ。(26)こゝも、忘却して來たのでなく、幻影としてちらつかない樣になつたことなのだ。○妹が名呼びて 單に他人が彼女の名を言ひかけ噂したのではない。やはり一つの信仰儀禮によつてした訣だ。國境の坂で手向けする爲に、自分の秘藏してゐるものを神に捧げる。心中に持つてゐるものも亦、さうせねばならなかつた。後世、山上の懺悔の樣式になつた元が、これだ。神に愛人の名をうちあけて通して貰ふのである。呼びて〔三字傍点〕は、大聲を發すること。但、第五句にある使役の形がこゝにも響いて來るので、妹が名呼ばしめて我を泣かしめることよとなるのだ。○哭しなくな ね〔傍点〕は泣くの名詞。なく〔二字傍点〕は動詞。古く自動詞は、名詞・動詞を連用して意義を同定したのだ。それが後々、ねをなく・ねになく・ねのみなく〔十三字傍点〕など言ふ形を生じた。し〔傍点〕は普通用ゐられる緊張の助詞し〔傍点〕ではない。古く使役相を作つた助動詞の一つで、す・さす・しむ〔五字傍点〕などに當る古いものだ。ねなく〔三字傍点〕の間にはひつて、なかしむ〔四字傍点〕の意味になる。な〔傍点〕は感動の語尾。
 或本歌 ○武藏嶺 これも武藏の山々のうちの信仰的中心であるが、今のどれをさすものとも知れない。譬へば、秩父御嶽を言ふか。○見かくし 隱れるまで見ることを主體の動作の樣に言つて、見かくす〔四字傍点〕と言ふ樣にするのは常の事だ。○君が名かけて きみ〔二字傍点〕は男にも女にも通用する。こゝは女であらう。かく〔二字傍点〕はもと、神に祈誓し立願する時に、問題を心にもつてゐることだ。それが更に、口に言ひ表すことにもなる。「かけまくもかしこき」が、心に念じることにもなり、口に言ふことにもなるのはそれだ。こゝは口に言ふ方だ。ここも、「かけしめて我を泣かしめる」と、下の使役が上に及んでゐるのだ。○我《あ》を哭しなくる あ〔傍点〕は我〔傍点〕。哭しなくる〔五字傍点〕は、哭しなくな〔五字傍点〕と同型なことは疑ひない。る〔傍点〕が問題である。松岡靜雄氏は、なく〔二字傍点〕の下二段活用があ(27)つて、使役に用ゐられた−と言ふより作意動詞−としてゐられる。哭しなくな〔五字傍点〕の場合も、その終止形。こゝは連體形と見てゐられる。なくる〔三字傍点〕の場合、殊に都合がよい。名説である。だが尚疑問がある。姑くこのる〔傍点〕を感動のよ〔傍点〕の系統のものと見ておく。
【鑑賞】 これ等の歌、誰を主體としてゐるのであるか。嚮導者か、御坂の神か。古代人にもそれは不明であつたらう。これ等の歌、末に至るほどねばり〔三字傍点〕を深く持つて來る。怨み・拗るなど言ふ氣持ちが、歌がらに出すぎてゐる。近代樣に見れば、上句ののび/\しすぎたのと、下句の急轉するのとが、そぐはない感じをおこさせるが、前代風に考へると、一句から四句まで一つづきに詠んで、五句が曲折を作ることになつてゐる民謠の樣式上の類型である。面白いとも言へる。
 
3363 我が夫子《せこ》を大倭《やまと》へ遣《や》りてまつしたす、足柄山の杉のこのまか
 
【口譯】 私の大事の男を大倭へ行かして、待ち焦れてゐる〔七字傍点〕、この足柄山の杉の木立の間よ。
【語釋】 ○我が夫子 男に對して敬重感を持つて呼びかける語。男同志でも、女からも言ふ。○大倭へ遣りて 行くにまかせた結果は、やつた〔三字傍点〕と言ふ表現になる。言ひ換へれば、ゆかれたのである。やまと〔三字傍点〕は必しも大和一國を正確に斥すのでない。宮廷のある地方の感じだ。畿内方面と感じていゝ。○まつしたす 難語。私(28)は、まつしだす〔五字傍点〕即、まつりだす〔五字傍点〕の地方發音と見てゐる。献上する・献上させる意である。又、「須《す》」が草體「流《る》」に近いところから、まつしだる〔五字傍点〕(松枝垂る)とも思はれる。其外、説いろ/\あるが、契沖の「翳立《まぶしたつ》」以外には、松岡氏の、待時《まつしだ》し」位しか參考すべきものはない。まつりだす〔五字傍点〕の場合は、第五句が菅《すげ》のこの實か〔五字傍点〕となるのだ。松枝垂る〔四字傍点〕の場合は、『我が背子を大倭へ遣りて足柄山の杉の木の間の松の如く萎微《しだ》れ衰へてゐる私よ』と言ふことになる。○足柄山 今、相摸足柄上郡と駿東郡との境にまたがつてゐる。元、その地點から南へ遠く伊豆方面まで亘つて足柄と稱せられた。そのうち、古く峠道の開けてゐるのは、最北端の足柄の御坂で、その徑路は時代によつて幾度か變遷はしてゐる樣である。○杉のこのまか 「可」は感動の語尾。杉の木の間よ〔六字傍点〕で、この歌が一首として完結する爲には、まつしだす〔五字傍点〕に強い叙述力が必要だから、三句は重要なものである。「須疑《すぎ》」がすげ〔二字傍点〕とも訓めるから−或は須凝《すげ》とも訓める−「末《ま》」は、萬葉でしば/\「未《み》」と混亂してゐるから、木《こ》の實《み》ととつてもよい。木の實〔三字傍点〕ならば、まつしだす〔五字傍点〕にかなふ。菅《すげ》はこゝでは山菅〔二字傍点〕即|麥門冬《やますげ》である。尚鑑賞の欄に述べる。
【鑑賞】 この歌、當時相聞歌と見たかも知れぬが、それに拘泥する必要はない。宮廷へ足柄山の菅の木の實を奉らしに、我が夫子を派遣したと説けば、殆何の障りもなく宮廷に奏上する東人の誠意を披瀝した歌となる。勿論、「杉の實」でも、歌としては訣らぬことはないが、「菅の實」の方が正しい。その場合、「我が夫子」と言ふのは、特に相當な身分ある人が使ひに立つたのだから、地方官廳などで、かう言ふ歌をその官廳の人々が歌つたと見てもよい。「松枝垂る」(29)とすると、異樣な修辭の歌と見える。『わが夫子を大倭へ遣りて待つことは、松一木枝垂れてまじる足柄山の杉の木の間の如くあるよ』と言ふことになつて、やゝ變體に感ぜられるかも知れぬが、昔の咒法《まじつく》に、旅にある人の上を占ひ祈る爲に、松の木を立てそれの榮えと枝垂れとによつて、旅中の事を感じ知つた習慣を知つてゐれば、この解釋も自然に採れるだらう。何分、第三句が不明瞭だから、鑑賞に及ばない。たゞ、「まつりだす」と解すれば、宮廷を思ひ、使者の上を思ひ、誠意を純に表白したところに、纒綿した感情のよさがある。
 
3364 足柄《あしがら》の 箱根の山に粟蒔きで 實とはなれるを。逢はなくもあやし
    或本(ノ)歌(ノ)末句(ニ)云(フ)。はふくずのひかばよりこね。心《した》なほ/\に
 
【口譯】 足柄の箱根の山に、粟を蒔いておいて、それが實となつたやうに、二人の交情は成立して居ることよ。それに、この比《ごろ》、逢つてくれないのが、わからない。變だ。
【語釋】 ○箱根の山 今の足柄下郡箱根一帶の山。だが、山そのものを指すよりも、箱根地方を言ふのだ。○粟蒔きて 山麓の開墾地に粟を作つた樣子を直に上三句を通じての、序歌とした。○實とはなれるを 結婚以前の交情がどうあつても、婚約が成り立つと、或期間、所謂はな妻〔三字傍点〕の状態で、逢ひ睦ぶことが許されない。(30)それに對して、眞の結婚することを、實となる〔四字傍点〕といふ。だが、結婚後の語らひと、結婚前の語らひとは、習慣上の考へ方は違つても、事實が一つであるところから、かうした歌も出來るのである。○逢はなくも 逢はないこと〔六字傍点〕。も〔傍点〕は、「實とはなれるを逢はなく」を、副詞句としたのである。事は遂《と》げてゐるのに、其後、女が逢はないのがわからないといふのだ。○あやし 説明が出來ない・理會が出來ない。○はふくずの 枕詞。次の句の、引く・寄る〔四字傍点〕を起してゐる。○ひかば寄り來《こ》ね 自分が申し入れたら、自分に信頼し從ひ來よの意である。○心《した》なほ/\に した〔二字傍点〕は心の底〔三字傍点〕である。なほ/\に〔五字傍点〕は、普通いふ、素直に〔三字傍点〕があたる。拘泥なくといふことである。心の底から從順にの意である。
【鑑賞】 心變りを疑つたのではない。結婚前の常態である謹愼生活に對して、ふと不可解を感じたのである。だから、此歌には深い悶えもなく、輕くさうした習慣を歌つてゐる心安さがある。殊に下の句は、當時既に行はれた落語的な興味すら現れてゐる。
 
3365 鎌倉の みこしの崎の巖崩《いはく》えの、君が悔ゆべき心は持たじ
 
【口譯】 鎌倉のみこしが嶽の山の崎の巖崩えではないが、わたしと一つになつたのを、あなたの悔いなさるやうな心は、いつまでも、絶對に持ちますまい。
【語釋】 ○鎌倉 今もある鎌倉の地。○みこしの崎 後世、稻村※[个の小字]崎をそれと考へてゐるが、これは、海に出(31)た岬〔傍点〕でなくて、山の崎であらう。今もある鎌倉の御輿嶽の山の崎を言ふのであらう。○巖崩え くゆ〔二字傍点〕は崩れる・崩壞する〔七字傍点〕ことである。巖崩れのする場所。此語をきつかけに、次の動詞悔ゆ〔二字傍点〕にかけて、上の句全體を序歌としてゐる。○悔ゆべき 後悔するだらうところの。然し、悔ゆ〔二字傍点〕は殘念がる、或は後でくど/\繰言するといつた意味をもつてゐる。○もたじ もちますまい・もつことをしますまい。誓言である。私とした約束を繰返し思ひくどきなさるやうな心をば、持つ氣づかひはない、といふのだ。
【鑑賞】 元、不變な自然現象・山・川等にかけてするのが、誓約であつた。臣下から又婦人から、主君或は男子にするものである。其が一轉して、山や川が序歌に用ゐられることになる訣だ。この歌、常に見られてゐる目前の自然を捉へてゐるところに、風俗歌としての親しさをもつてゐる。誓言としては輕くて、多少浮氣つぼいところもあるが、民謠それ自身が、その眞實の生活の表現でなく、生活から遊離したものを、共通に娯しむところにあるのだから、それも爲方がない。
 
3366 まがなしみ、さ寢《ね》に我《わ》は行く。鎌倉の みなせの川よ 潮滿つなむか
 
【口譯】 あまりかはゆさに、抱き寢に俺は出掛けて行く。あの鎌倉のみなせ川をば、今ごろ、潮(32)がさしのぼつてゐるだらうよ。
【語釋】 ○まがなしみ ま〔傍点〕は接頭語。かなしみ〔四字傍点〕は、かはゆさに・いとしさに。○さ寢 既出。○みなせの川 又みなせ〔三字傍点〕川とも言つたと思はれる。後世、稻瀬川といはれ、今もある潮入りの川である。○よ ゆ〔傍点〕と同系の語。より〔二字傍点〕とも場合によつて用ゐられ、から〔二字傍点〕にも通じる。普通は、動作・出發の地點を斥す助詞だが、その叙述語が、進行の意味をもつものなる時、をば〔二字傍点〕の義に、その進行動作の經過するところを示す。潮がさし上るところが、稻瀬川なることを示すのだ。○潮滿つ 潮がさすのである。潮入りの川を、夕潮がさし上るのである。○なむか なむ〔二字傍点〕は、らむ〔二字傍点〕の地方的發音。滿つらむ〔四字傍点〕は、さしてるだらうである。滿ちなむ〔四字傍点〕の音韻變化ではない。か〔傍点〕は疑問でなく感動である。
【鑑賞】 叙事的な興味が、多く二句に出てゐるが、民謠としては、あるべき誇張である。風土に即した一種の趣向をもつた歌。
 
3367 百つ島 足柄小船《あしがらをぶね》あるき多み、目こそ離《か》るらめ。心は思《も》へど
 
【口譯】 足柄出來の船が、澤山の島、それに歩き寄るところが多いために、‥‥その樣に、この比《ごろ》、あの人が會ひに來ないでゐるのだらう。その心には思つてゐながらも。
【語釋】 ○百つ島 これも稍々難解。つ〔傍点〕は數詞語尾。百もある島の意と解く外ない。歌柄から言へば、或は、(33)足柄の枕詞と説く方が、よい樣である。○足柄小船 足柄地方は舟木が多くて、造船法も、特殊なものがあつたらしいのである。伊豆手船なども、同類のものだらう。一・二句は三句のための序歌。○歩き多み 「歩く」の所が稍適切を缺いたやうに、近代では感じられるが。多み〔二字傍点〕は、それが多さに〔六字傍点〕。舟の如く歩く處が多いためにである。○目こそ離るらめ 「海藻《め》刈るらめ」の意が、表にあるのかも知れね。簡軍に言へば、目離るらむ〔五字傍点〕である。めかる〔三字傍点〕は、顔を見る間が〔六字傍点〕空《あ》く・面會する時が距たる〔十字傍点〕で、男の通ひが遠のくことである。らむ〔二字傍点〕の第五變化らめ〔二字傍点〕を用ゐたのは、「それでこんな状態にしてるのだらう」といふ意。○心は思《も》へど 當事者以外の人が、慰めて言つてゐるのだ。通ふ男も心では思つてゐるのだが、逢ひにくるのは、それ故遠のいてゐるのだと教へるのだ。女についてゐる後見のやうなおとな〔三字傍点〕の女が言つてゐる訣であらう。
【鑑賞】 男女交情の後見者ともいふべき者が、古代の村々にゐて、若人の指導をした。かゝる女が、社會生活を豐かにし、文學・藝能を生んだことが多い。かうした女の生活氣分に沿うて出て來たのが、この種の歌である。だから、男女の情に理會深く、更に小説・戯曲的な物を、古代にさへ持ち來たした訣である。
 
3368 あしがりの 土肥《とひ》の河内《かふら》に出づる湯の よにもたよらに、子ろが言はなくに
 
【口譯】 あしがらの土肥川の峽谷に涌く温泉、それではないが、たゆら即あき/\した風には、(34)眞實あの娘が言はないことだ。それに‥‥。
【語釋】 ○あしがり あしがら〔四字傍点〕の地方的發音。當時、兩方に發音したのであらう。○土肥《とひ》 後世、相摸・伊豆兩方に、土肥の地がある。伊豆の土肥は、あまりに遠い。相摸では小田原以南、伊豆境までが、土肥の地に當る。後、どひ〔二字傍点〕と發音した。○かふち 河内〔二字傍点〕である。この地形は、今も地方に多くて、皆、峽谷の、水流を挾んだ兩岸の地の總稱である。細い平地帶。土肥の河内は、いま訣らない。後世の地理から湯河原とするが、それも定められない。○いづる湯 自然に涌く湯で、「いで湯」ともいふ。温泉のこと。この句をきつかけとして、上句が序歌。「たよら」を起してゐる。但、この歌に限つては、湯の音が同系音よに〔二字傍点〕のよ〔傍点〕をも起してゐると見てよい。○たよらに この語は、同音異義の語を數種もつてゐる。女の柔軟な身振りを示すことも、豐かな樣子に用ゐることも、倦怠の心持ちを表すこともある。この歌は、最後の意味らしい。嫌々さうに言ひ振舞はないのだから、熱意がつゞいてゐることを示す。○いはなくに かういふ形を皆、ないのに〔四字傍点〕と譯するのは、後世風である。に〔傍点〕は副詞語尾だから、いけなく〔四字傍点〕でも同じだ。文法的に言へば、「言はなくに‥‥あり」と言つた形である。
【鑑賞】 類型の中でも類型的。實感の鈍磨した感じがある。『筑波嶺の岩も轟《とどろ》に落つる水、よにもたゆらに、我が思はなくに』の常陸歌だけが、同類ではなからう。この歌の責任ではないが、下句の意味と、近代の人の享ける感じとは、どうしても矛盾するのは、鑑賞法上の問題である。
 
(35)3369 あしがりの まゝの小菅《こすげ》の菅枕《すがまくら》。あぜか枕《まか》さむ。子ろせ。手枕《たまくら》
 
【口譯】 足柄の眞間の地の小菅で出來た菅の枕。何のそれを枕にする必要があらう。愛人よ。これをせよ。この手枕を。
【語釋】 ○眞間《まゝ》 崖の地形をいふ語。必しも個有名詞ではないが、こゝは尠くとも、近隣の人が均しく、まゝ〔二字傍点〕として認めてゐた地であらう。近代これにあたる地を指※[手偏+適]しようとするのは、無理である。○小菅 こ〔傍点〕(小)は最小美辭。謂はゞ愛稱。すげ〔二字傍点〕といふのと同じである。○菅枕 すげ〔二字傍点〕の枕。菅〔傍点〕の熟語をつくる場合の變形。但、後世風に見れば、菅枕のうちに、「清枕《すがまくら》」の聯想があつたとも思はれる。○あぜか 疑問の副詞。何とてか・何にか〔七字傍点〕、と同じい。今のなぜか〔三字傍点〕に譯してもよからう。「何の枕《ま》くことあらむよ」である。○枕《まか》さむ 枕く〔二字傍点〕の敬語形。「枕かす」の第一變化。○子ろせ 娘《こ》ろ爲《せ》である。せ〔傍点〕はせよ〔二字傍点〕。よ〔傍点〕はなくても、命令形は出來た。
【鑑賞】 これは殊に民謠らしい誇張と、比喩の錯誤を其儘認容したところに、大衆に觸れる刺戟性のあつた訣だ。文學としては、その矛盾は享けとれないが、古代民謠としては、理想的のものであつたらう。
 
(36)3370 あしがらの 箱根の嶺《ね》ろのにこ草の 花妻なれや。紐解かず寢む
 
【口譯】 足柄の箱根の嶺《みね》のにこ草の花ではないが、おまへが花妻といふのなら、紐もとかずに寢よう。が、さうではないのだから、うち解《と》けて寢ないと言ふわけはない。
【語釋】 ○箱根の嶺《ね》ろ この場合、箱根は山の名でない。ねろ〔二字傍点〕は、峯〔傍点〕である。ろ〔傍点〕は、親しみの語尾。○にこ草 はこね〔三字傍点〕草、はこね〔三字傍点〕羊齒《しだ》と稱する物を、其と考へるのはいけない。にこ〔二字傍点〕草は普通・柔《にご》草と説かれるが、これも疑はしい。もし、にご〔二字傍点〕(柔)草と言へるなら、なよ〔二字傍点〕草と稱する、髪人形を製《つく》る草とも解けるが、其もよくない。恐らく、かのにげ〔四字傍点〕草或は單ににけ〔二字傍点〕草といふ玄參科の植物に當るだらう。この句を契機として「花」を起し、上三句を序歌としたのである。一體、萬葉で、「花」の序となる草は、必しも注意すべき花の咲く草木ではない。唯、偶然言ひ進んで、花〔傍点〕といふ語に行き觸れて、表現を展開したといふ程度なのが多い。こゝもさうである。○花妻なれや 「足柄《あしがり》のをてもこのもに」の歌で、釋いた。從來の口上は如何にともあれ、結婚以前に或機會、嚴肅な隔離生活をする、その日に見て許されない妻がはな〔二字傍点〕(花)妻〔傍点〕である。なれや〔三字傍点〕は、なればや〔四字傍点〕の音脱。「‥‥なれば、其は紐とかず寢ねばならむかもしらぬが、この場合、さうではない」といふことになる。○紐とかず寢む やはり、「をてもこのもに」の條で説いた。上のや〔傍点〕の勢力を受けて、此句の意味が逆轉するのである。
【鑑賞】 此歌の中心となる「花妻」なる語が、我々の生活に、しつくり享け入れられないのだか(37)ら、此歌の價値は、正しく判斷出來ない。やはり例の通り、序歌三句は、實感をもつて迫るといふ程には、我々に感ぜられないが、古代の若い男たちは、皆悉くかうした生活を經たのだから、深く此歌に同感したものと思はれる。
 
3371 足柄《あしがら》の 御坂《みさか》恐《かしこ》み、くもりよの 我《あ》がしたばへを 言出《こちで》つるかも
 
【口譯】 足柄の御《み》坂の神の恐しさに、とうとう俺の心の底にもつた思ひをうち明けたことよ。
【語釋】 ○あしがりのみさか みさか〔三字傍点〕は、さか〔二字傍点〕(坂)の敬語。即、同時に坂の神を言ふのである。「足柄峠の神」を言ふのである。○かしこみ 尊敬でなく、恐れる意だ。畏しさにだ。○くもりよの 枕詞にちがひない。「したばへ」に懸つてゐる。曇り夜空の底知れず廣がつてゐる意味から懸けたとも思はれるが、「隱《こも》り湯《ゆ》」が、地下に擴つてるといふ聯想から出たものとも思はれる。さすれば、く〔傍点〕はこ〔傍点〕、よ〔傍点〕はゆ〔傍点〕の音韻變化である。○したばへ 表にはあらはれないで、うちらに廣く根を張つてゐる状態。稱古風に言へば、ぞつこん思ひ込んでゐる心、と説いて訣る。つまり、秘密の思ひである。○こちでつるかも 言出《ことい》づが融合してこちづ〔三字傍点〕となる。つる〔二字傍点〕は現在完了の助動詞。かも〔二字傍点〕はことよ〔三字傍点〕。
【鑑賞】 「相摸嶺の小嶺」の歌のやうに、道の神は秘藏の「物」・「思ひ」を欲しがり、知りたがるものと信じて、旅中、峠・海峽などに於いて、思ひ人の名を言ふ事があつた。信仰と、社會(38)生活との間に横はる、二つの制裁におびえた古代人の心である。勿論、この歌は、さうした境遇にゐる人の作物である訣はない。かゝる經驗を、幾重にも重複して來た社會そのものゝ憂欝が、國振《くにぶり》の口を藉りて、かうした形を採つた訣で、かういふ表現の瞬間に既に、戯曲と同じ効果を捉へた訣で、經驗者には、或慰めと不變の世界を、未經驗者には、廣い理會と新しい刺戟とを與へたもので、明るい効果の方にふり代へられたものと言へる。だから歌として見ても、その叙事的な興味を見るべきで、決して古人の溜息を聽くつもりで見てはいけない。
 
3372 相摸路《さがむぢ》の 餘綾《ょろぎ》の濱のまなごなす 子らしかなしく 思はるゝかも
 
【口譯】 相摸地方のよろぎ〔三字傍点〕一帶の濱のまなご土のやうに、可愛く、あの娘《こ》が、思へてならぬことよ。
【語釋】 ○相摸路 相摸地方と譯する。のちに、路《ち》を專、道の意に解するやうになつてから、かうした地名についたち〔傍点〕は、そこへ通ふ道といふ風に使はれてゐる。然し、昔のち〔傍点〕は、大地・國土の意味をもつてゐたのが忘却せられたのだ。萬葉では、其舊い意味と、新しい理會とが竝立してゐる。○よろぎの濱 よろぎ〔三字傍点〕は、早くから、郡名となつてゐる。餘綾〔二字傍点〕、又淘綾〔二字傍点〕と書く。今、中郡の内。國府津より、東、大磯以西の地。はま〔二字傍点〕(濱)(39)は、岩石の多い海岸を、いそ〔二字傍点〕(磯)といふに對してゐる。多く沙濱〔二字傍点〕。○まなごなす まなご〔三字傍点〕は普通、まさご〔三字傍点〕と同義語としてゐるが、多少の相違があるかもしれない。細かな石をまじへた土であらう。なす〔二字傍点〕は、多く、ごとく〔三字傍点〕と譯して上の語を修飾化する。又ごとき〔三字傍点〕と譯すべき場合もある。この第三句は、同時に上二句と共に序歌として、「子ら」にかゝつてゐると見れば、如き〔二字傍点〕である。まなごのやうな細やかな娘、と採る外、いま一方法ある。上二句を序歌と見て、「まなご」を契機として、「その濱のまなごではないが、最愛子《まなご》のやうに思はれる娘はかなしく‥‥」といふのである。愛子〔二字傍点〕のことをまなご〔三字傍点〕といふから、砂土のまなご〔三字傍点〕からかけたと見る。さうしてその自分の愛子のやうに戀人が、可愛いと見るのだ。○子らは 原本、「兒良久」とある。古本によつて「波」と訂正して訓む説が多い。「久」は「之」に混用してゐるから、「子らしかなしく」らしく思はれる。○思はるゝかも 本集では、「思ほゆ」の方が多くて、「思はる」が寧少い。だが、兩用せられてゐたのだ。近代的には却てこの方が雄勢になつて來てゐる。思はうとしないが自然思ふ心が起つて來るのである。不可抗相・反射相といふ。
【鑑賞】 歌としては、技巧の入り込んだ、「まなごではないが、最愛子の氣のする子」といふ表現でない方が、おほまかで享け入れ易い。但、東歌では、當時の文學以上に、民謠としての技巧が、洗錬せられてゐるから、單なる素朴性をもつて、判斷することは出來ない。前の解釋にすれば、近代的には、あちらこちらに表現の大まかなところが出來てゐて、却てよい調子として(40)享け入れられる。
 
    右十二首、相摸(ノ)國の歌。
 
3373 多摩川に晒す調布《てづくり》 さら/\に、何ぞ、この子の、こゝだがなしき
 
【口譯】 多摩川で晒してゐる手織りの布ではないが、さら/\くり返し/\、なぜこの娘が、ひどく可愛いのか知らん。
【語釋】 ○多摩川 武藏國玉川。但、多摩地方を流れるからの名だ。こゝも玉川の流れる地方の河原の意である。○調布《てづくり》 調布〔二字傍点〕と書く。詳しくは手づくりの布。宮廷に奉る布であるから、調布を當て、普通の布に對して所謂ほうむすぱん〔六字傍点〕の意でてづくり〔四字傍点〕と言つたのだ。「さらす」此語をきつかけに、一・二句は「さら/\に」をおこす序歌となつてゐる。○さら/\に くり返し/\。いくら考へても。どこ/\までも。後世「更に」と言ひ、多く否定を伴ふ。○何ぞ 一體どう言ふ訣で。○この子 意中の娘を斥して、この〔二字傍点〕と言つたので、その・かの〔四字傍点〕と言つても同じだ。○こゝだ 多數を表す數詞。轉じて量を表す。
【鑑賞】 かう言ふ歌こそ、或御代の大嘗祭悠紀の國の風俗歌の、候補にもなつたと見る可能性がある。蟠りも煩悶もなく、歌ひあげてゐる。恋愛から遊離した情趣を、ただのどかにうたつただけで、趣向もなく計劃もなく、いかにも民謠らしいよさを持つてゐる。つまり、民謠と文學(41)との違ひが、こゝにある。
 
3374 武藏野に卜《うら》へ卜象灼《かたや》き まさでにも宣《の》らぬ君が名、うらに出《で》にけり
 
【口譯】 武藏野法で占ひ卜象《かた》を灼き出す、それではないが、口に出さないあの人の名が、まざまざと、表面に露れて、人に悟られたことだ。
【語釋】 ○武藏野に 國々に固有の占ひがあり、そのうち、海に屬するものと山に屬するものとがあつた。野獣を狩つて肩甲骨を以て占ふのが、山野の卜法だ。こゝのに〔傍点〕はによつて〔四字傍点〕のに〔傍点〕で、むさしの〔四字傍点〕は武藏野の方法だ。○卜へ うらなふ〔四字傍点〕の今一つ古い語形。下二段活。○卜象灼《かたや》き 別の語でくり返したにすぎない。かた〔二字傍点〕は所謂、※[日/町]形《まちかた》で朱櫻《はゝか》・蓍《めどはぎ》などの火力で灼き出すのである。海の占ひでは、龜の甲を用ゐた。壹岐の海人の秀手《ほつて》の卜《うら》へなどある。○まさでにも まざ/\と・明らかに。これは第四句と句を轉換して解くべきだ。『鴉とふ大をそ鳥のまさでにも來まさぬ君をころくとぞ鳴く』これも「まさでにもころくとぞ鳴く」である。その歌で見ても、「まさで」と言ふ語のあつたことが訣る。一・二句は「まさ」(正)をおこす序歌である。で〔傍点〕は「出《で》」とも思はれるが、いけない。まさ〔二字傍点〕は占ひの術語で、まさうら〔四字傍点〕と言ふ。○宣らぬ これも占ひに關係のある語。効果から言へば、一・二句の序歌が及んでゐる訣だ。又、縁語の古いものと見てもよい。のる〔二字傍点〕は、神及び貴人が宣下することである。それが後に、正式にものを言ふ場合に使ふことになつた。人前ではのる〔二字傍点〕ことをせ(42)なかつた戀をいふのだ。のる〔二字傍点〕は同時に占ひの術語。○卜に出にけり こゝのうら〔二字傍点〕は、末梢即、先端、うら〔二字傍点〕に底の心が現れたことで、ほに出づ〔四字傍点〕と同じことだ。不可抗的に顔色に露れたことを示すのだ。
【鑑賞】 「宣らぬ卜に」を見ても知れる樣に、上二句の序歌の効果が、「まさでにも」をおこすだけに止まらないで、餘つた印象の力が、尚現れねばならなかつた。そこに縁語が出來る。意識せない技巧と言ふべきであるが、外にもだん/\同類があるから、單に口を衝いて出るだけではなかつたのかも知れない。此などは、風俗的の効果は充分だが、其だけに其點が重苦しくなり、近代では武藏野卜法を詠んだ樣の直感も、さけられぬ。序歌と本義とに、輕重の區別がないから、古代風に言つてもよいものではなからう。だが、風俗の本格的なもので通つたのだらう。
 
3375 武藏野の小岫《をぐき》が雉子《きゞし》、立ち別れいにし宵より、夫《せ》ろに逢はなふよ
 
【口譯】 武藏野の丘陵にゐる雉がたち別れ飛ぶ、それではないが、あの人がたち別れて行つたその夜から、ずつとあの人にあはないでゐることよ。
【語釋】 ○小岫《をぐき》 を〔傍点〕は接頭語。くき〔二字傍点〕は岫〔傍点〕。字は山の穴あるもの〔七字傍点〕となつてゐる。又、古語くき〔二字傍点〕も洞〔傍点〕を意味するが、(43)地名では、丘陵地の意が多い。○が の〔傍点〕と言つて我々に訣る所だ。このが〔傍点〕が、古くは屡あつた。○きゞし きじ〔二字傍点〕又はきゞす〔三字傍点〕。○たち別れ 夜寢た雉が朝飛びたつて別れると言ふ意を、別れ出發するにかけたのだ。この語をきつかけとして、上二句は序歌となつてゐる。或は立つたまゝ別れると言つた意かも知れぬ。○いにし宵 最後の夜の記憶を述べたのである。あの去り行きし時からと言ふ意。○あはなふよ なふ〔二字傍点〕は凡、四段活用の樣に使はれてゐる否定の助動詞ぬ〔傍点〕に、語尾がついてなふ〔二字傍点〕となつたものらしい。都で言へば、ず〔傍点〕にあり〔二字傍点〕がついて、ら〔傍点〕行變格のざり〔二字傍点〕が出來たのと同格だ。一方また、なく〔二字傍点〕のか〔傍点〕行音の、近いは〔傍点〕行音に變つたとも見られる。他の活用にも及ぼして言へるが、この方は惡い。
【鑑賞】 動物と人間との間のことを、比喩を以て繋ぎ、そこにおこる混亂・融合が、後世の抒情詩の見方からは、何とも言へぬあはれを唆る。だが、當時は、縁語はもつと機械的に感じたかも知れない。この歌の如きは、歌物語的な背景を考へることによつて、幾分價値を増すものであらう。
 
3376 戀しけば袖も振らむを。武藏野の朮《うけら》が花の、色に出《づ》な。ゆめ
    或本(ノ)歌(ニ)曰(フ)。いかにして戀ひばか、妹に、武藏野の朮が花の、色に出《で》ずあらむ
 
【口譯】 戀ひしくてしかたがなくなつたら、私は袖も振つて居らうよ。だからあなたも、此武藏(44)野の朮の花ではないが、色に出しなさるな。精一ばい。
 或本歌 お前はさう言ふが、どう言ふ風にして焦れて居たら、可愛いお前に、その武藏野の朮の花ではないが、色に出さないで居られようか。そんなことは私には出來ない。
【語釋】 ○戀しけば 戀ひしからば〔六字傍点〕の如くから〔二字傍点〕の融合がけ〔傍点〕だと言はれてゐる。勿論、から・かり・かる・かれ〔八字傍点〕も皆け〔傍点〕で表される。だが其は寧逆で、け〔傍点〕で表す方が古かつたのであらう。これは戀しくば・戀しからば〔九字傍点〕の意である。○袖も振らむを 袖ふりても我は居らむをである。相手に袖ふりて居れと教へるのではない。○朮が花 をけら〔三字傍点〕とも言ふ。藥用植物。白花・赤花などある。白花を主と見て、色がないから色に出な〔四字傍点〕だと解く説はいけない。偶然朮が花〔三字傍点〕と出て、直に色〔傍点〕とつけただけのことである。○色に出な 顔色に露すな。思うてゐることを人に悟られるな、と言ふのである。づな〔二字傍点〕は、いづな・出すな〔六字傍点〕である。○ゆめ つゝしめ・氣をつけよ・戒心せよの意から轉じて、「戒心して‥‥すな」と言ふところから、普通の決して〔三字傍点〕と言ふ用語例を分化して來るのだ。齋《い》〔傍点〕む又はゆむ〔二字傍点〕の命令形である。
 或本歌 ○いかにして 「いかにして戀ひばか色に出ずあらむ」と續くので、色に出さないで居られるのを疑つて居るのである。相手の一通り理に合つた申し出でを否定してある訣だ。○戀ひばか 焦れたらさうしたら、と言ふ位の意。併、このこひ〔二字傍点〕は、普通言ふ樣な抽象的な思ひ〔二字傍点〕ではない。相手の心を捉らんとして、一種の咒法を行ふことを、まだこひ・こふ〔四字傍点〕と言つてゐた時代なのである。○妹に これは、「妹に戀ひばか」の轉倒法だ。
(45)【鑑賞】 この二首は、女の申し出でに對して、男が答へたかけあひの歌で、異傳一本歌と言ふべきものではない。男が堪へて居ないで、人に悟られさうなのに、女がひや/\して、尚堪へよと奨めたのに對して、男が女の氣強さを無理だ、と言はないばかりに言つた、拗ねと媚びとをもつて述べたのが、あとの歌だ。これも歌物語風の内容を思はせる、風俗歌風のものである。感情はあとの歌に深いが、歌として整ひ、民謠的のさら/\とした一首の味は、前歌が勝れてゐる。
 
3377 武藏野の草葉|兩《もろ》向き かもかくも、君がまに/\ 我《わ》は依りにしを
 
【口譯】 風に吹かれた武藏野の草の葉がどちらへでも向くやうに、どうでもかうでも、あなたの心通りに、わたしは以前から信頼して來たことよ。それに。
【語釋】 ○草葉兩向き 兩向く〔三字傍点〕は、すべての物が一つ方《かた》へ向くやうに見えるが、普通の使ひ方は、兩《もろ》方へ向くことで、どちらへでも向くのである。それで、次の「かもかくも」にかゝるのだ。考へ方によれば、「依りにしを」にかゝるとも見られるが、それでは「かもかくも」は力弱くなる。こゝまでの上二句は、第三句の序軟。○かもかくも あゝもかうも〔六字傍点〕といふので、兩端を捉へてどちらへでも〔六字傍点〕といふことを示す。「か行きかく行き」・「か思ひかく思ひ」の類。稍々新しく生じたとかく〔三字傍点〕と同じで、萬葉には兩方ともある。こゝでは、男の言ふ通りどうにでもなつてゐたことを言つてゐる。だから「草葉|兩《もろ》向き」を受ける訣だ。○君がまに/\(46)この儘でも習慣上訣るが、實は「君が言《こと》のまに/\」・「君が心のまに/\」といふところだ。○我は依りにしを にし〔二字傍点〕は過去から今迄存續してあることを示すので、て來た〔三字傍点〕と譯すればよい。依る〔二字傍点〕は、前出。信頼することであるが、こゝでは更に疑はずに〔四字傍点〕の意味が深い。を〔傍点〕は強く抑へる感動の深さから、意義が反轉することが多い。
【鑑賞】 こゝも、男が女の心を疑つたのに對して、改めて女が怨みを含めて誓つたのだ。考へ方によつては、自分の信頼に背いた男を怨んだやうにもとれるが、依る〔二字傍点〕といふ語を焦點におく以上、前の方がよい。
 
3378 入間路《いりまぢ》の おほやが原のいはゐ葛《づら》 引かばぬる/\、我《わ》にな絶えそね
 
【口譯】 入間地方の大家《おほや》の原のいはゐづら〔五字傍点〕、あの蔓草ではないが、私がかうして引いた以上は、今後いつまでも、づる/\と私にとぎれないで、交情をつゞけてくれ。
【語釋】 ○入間路の 又いるま〔三字傍点〕。「相摸路」參照。武藏國|入間《いるま》、又郡名。○おほや 適當にあたる土地はない。和名抄に、武藏國入間郡大家【於保也介】とある。これらしく思はれるが、多少疑問がある。○いはゐづら つら〔二字傍点〕は蔓草の總名。いはゐ〔三字傍点〕は、草の名である。今、何にあたるか知れない。すべりひゆ〔五字傍点〕を伯耆國で、いはゐづら〔五字傍点〕と言つたといふ説は、纔かにすがり處である。この語をきつかけに、上三句は序歌となつてゐる。○引かばぬる(47)ぬる、ひく〔二字傍点〕は、男が女に結婚の意志を示すことで、元、信仰を伴つたものと思はれる。神婚法の俤を留めるものであらう。かくひかばの〔六字傍点〕意義で、今後の事を女に示すのである。ぬる/\〔四字傍点〕は、物の容易に拔ける状態を示す語根ぬる〔二字傍点〕、それを重ねた副詞。○我《わ》にな絶えそね 我《わ》は我《われ》。な絶えそね〔五字傍点〕は、な絶えそ〔四字傍点〕に、更に希望命令とも言ふべきね〔傍点〕を添へたのである。詳しく言へば、「我に言《こと》な絶えそね」である。
【鑑賞】 序歌の効果が一語を越えて、及んでゐる。「引かば」の他に「ぬる/\」にかゝるのは、この一句が受け詞と見てもよいが、「な絶えそね」も縁語的の關係を結んでゐる。類型の多い歌で、現存のものからも、譬へはいくらでも擧げられる。下の句の調子のはずんでゐる所に、特徴はあるが、歌柄は低く、類型中でも劣つたものと見るべきだらう。
 
3379 わが夫子《せこ》を あどかも言はむ。武藏野の 朮《うけら》が花の、ときなきものを
 
【口譯】 あの人を、どういへばわたしの焦れてゐる心が言ひあらはされようか。この武藏野の朮《をけら》の花ではないが、いつもさかりであることよ。だのに。
【語釋】 ○あどかも言はむ あど〔二字傍点〕のあ〔傍点〕に、なに〔二字傍点〕の意味があるとすると、と〔傍点〕はなにと〔三字傍点〕のと〔傍点〕である。だが、同時にあど〔二字傍点〕即、なに〔二字傍点〕の意味をもつてゐるともいへる。いづれにしても、なにと言はうよ〔七字傍点〕で、夫子《せこ》についての表し方、夫子《せこ》を思ふ心の説明の爲方に、迷うてゐるのだ。併一方、結局、言ひ表し方がない程よい人だ、と讃めたと(48)も言へる。○ときなきものを 此も、唯偶然、朮の花〔三字傍点〕から導かれたゞけで、單に花〔傍点〕の縁語といふ風に見るべきである。時〔傍点〕は、盛り〔二字傍点〕を言ふ語で、類例がある。時なし〔三字傍点〕は、いつも盛り〔五字傍点〕の意で、盛りがない〔五字傍点〕といふことではない。これを、「當方の心が時なく戀しい」と説くのが、普通だが、それには心理過程が足りない。こゝのものを〔三字傍点〕は、「‥‥ことよ。それに、言ひあらはす方法があるものか」となるので、結局、肯定感を深めるのである。
【鑑賞】 三・四句は常識的である外は、遮二無二に讃美して疑はないところに、民謠を越えて、文學としての領域もある訣である。「比翼連理よの天に照る月は十五夜が盛り、あの君樣はいつも盛りよの」といふ松の葉小唄と、「時なきものを」が通じてゐる。
 
3380 埼玉の津に坐《を》る船の 風をいたみ、綱は絶ゆとも、言《こと》な斷えそね
 
【口譯】 埼玉の舟渡り場に居据つてゐる舟の、風の吹くひどさに、綱が截れることがあるとしても、お前と私との間には、交渉のきれるやうなことはあつてくれるな。
【語釋】 ○埼玉の津 今、不明。凡、現在の北埼玉郡埼玉村附近の、利根川舊水路にあつた地點であらう。○坐る舟 淺瀬に擱坐した舟で、たゞ泊つてゐる意味ではない。○風をいたみ 風の激しさに。こゝまでは、第四句の爲の序歌であるが、受け語が少し異風である。○鋼は絶ゆとも もやひ綱〔四字傍点〕である。絶ゆ〔二字傍点〕は、ちぎれ(49)る〔四字傍点〕こと。「綱の方は絶えても、言《こと》は斷えるな」といふのだ。たゞ、絶ゆ〔二字傍点〕といふ語から出て、興味を延長したにすぎない。○言な斷えそね 言斷え〔三字傍点〕は、絶交になることである。單におとづれを通じないといふ位の、微温的の表現ではない。恐らく、男が女に交情の變りないことを、憑んでゐるのであらう。相手に言ふと言ふよりは、祈りの氣持ちであらう。
【鑑賞】 此歌の動機を考へると、全く無成算に言ひ出したのが、結局、目的に到達したといふにすぎない。偶然、「綱は絶ゆとも」と表現に落ち込んだので、そこに目的を展開して來たゞけである。さうした男女關係の情痴を歌ふことに、興味をもつた時代の戯曲的な遊戯として生れたものにすぎない。眞面目な作風とはいへない。
 
3381 なつそひく 海邊《うなひ》を指して 飛ぶ鳥の、至らむとぞよ 我《あ》が下延《したば》へし
 
【口譯】 私の心の底をうち明ければ、海岸地方を目がけて飛んで行く鳥が海に行きつく。それではないが、お前の爲に行きついてゐようと、さうあれ以來ぞつこん思ひ込んで來たことだ。
【語釋】 ○なつそひく 枕詞。「三三四八」參照。○海邊《うなひ》 但、多くは地名になつて、村・里を呼んでゐる。○飛ぶ鳥 山地から海岸まで山の鳥が魚を探りに行く事實を、常に見てゐた武藏人の如き、山海を兩面にもつた(50)經驗から出たもので、上三句は序歌。但、海邊《うなひ》が、特殊な地名だけに二重に用ゐられて、「‥‥飛ぶ鳥の如く海邊に至らむ‥‥」となる。○至らむ 「鳥の至る如く、俺も處女の住むところに至らむ」の意である。そこにうなひ〔三字傍点〕の里が生きてくるのである。國は違つてゐるが、葦屋(ノ)菟會《うなひ》處女の如く、うなひ〔三字傍点〕の里について處女の聯想があつたものか、と思はれる。但、この語は、「射《い》てあらむ」のいたらむと見ることも出來るから、「鳥のいたるやうに、我も處女を射てあらむと思ひき」となるのかもしれない。○とぞよ よ〔傍点〕は單なる感動の語尾。○下延へし 「三三七一」參照。したばへにしの意である。「昔から今迄、さう思つてゐた」といふのだ。
【後記】 表現不足の歌と見て、さしつかへはない。たゞ、「いたる」といふ語が、大體の意義の傾向を示すことになつてゐたから、これで、訣つたものと思はれる。それだけに、民謠的な情熱らしいものも出てゐない。たゞ、いさゝか異風な風俗が思はれるだけである。
 
    右九首、武藏(ノ)國の歌。
 
3382 望陀《うまくた》の嶺ろの篠葉《さゝは》の露霜《つゆじも》の 濡れて我《わ》來《き》なは、汝《な》は戀ふばぞも
 
【口譯】 望陀《うまくた》の嶺の笹の葉の水霜に濡れて、俺の來たのは、お前をば戀ふればこそであるよ。
【語釋】 ○望陀の嶺ろ 上總國望陀或は馬來田《うまくた》、又、マクタ・ウマグタ・マグタ・ウマクダなど發音したかも知れぬ。元、郡名。今、君津郡の内、木更津の東、中郷村附近といふ。此邊の丘陵の一部をうまくた〔四字傍点〕の嶺《ね》ろと言つた(51)のか。○篠葉のつゆ霜《じも》 山の下草の笹の葉である。つゆじも〔四字傍点〕は、今も言ふ地方がある。秋の末の水霜のこと。の〔傍点〕は、に〔傍点〕の音韻變化。普通、この語は、枕詞として、の〔傍点〕を伴ふから、これも、「おく露|霜《じも》の濡れる如く泣き濡れて」と説くが、意味不徹底になる。○濡れて 前出。山道の笹の水霜に濡れるのである。○我《わ》來《き》なは なは〔二字傍点〕は、ぬるは〔三字傍点〕の音の地方的集約。「俺の來たことは」である。これを、我來なば〔四字傍点〕と釋く説は、第三句・第五句に無理を及ぼす。それならば、來ぬれば〔四字傍点〕の古い形と見た方がよい。○戀ふばぞも 戀ふればぞも〔六字傍点〕のれ〔傍点〕の脱落か、地方的に四段活の「戀《こ》ふ」があつて、戀へばぞも〔五字傍点〕と言つたのを、さう發音したかである。ぞも〔二字傍点〕は、戀ふればよ・恋ふればこそよ〔十二字傍点〕と譯する。これを、「我來なば」風に續けると、戀ひむはぞも〔六字傍点〕といふ風に説いて、戀ひるだらうよ〔七字傍点〕、と無理に譯せねばならぬ事になつてゐる。
【鑑賞】 山の彼方から女に逢ひに來る男の境遇を假定して詠んだ、叙事的な抒情詩で、民謠らしい詠歎である。女の理會と同情とを乞ふ趣きの歌である。
 
3383 望陀《うまくた》の嶺ろに隱《かく》り居、斯くだにも。國の遠かば、汝が顔《め》欲りせむ
 
【口譯】 望陀の山に隱れてゐて、これだけですらも、家が見えないで戀ひしいものを、更に國遠く距つて行つたら、お前の顔が見たくてならないだらう。
【語釋】 ○嶺《ね》ろに隱り居 「山の此方に來て望陀の里の見えないところにゐて」、といふことだ。○かくだにも (52)「かくの程度に見えぬだけでも」の意で、かく見えぬだにも〔八字傍点〕の意義省略。さうして、こゝに強く抑へることによつて、次の抒情が省かれてゐるのだ。「汝がめ欲りして戀し」といふやうな意味の語が含まれてゐるのだ。○國の遠かば 「かくだにも」の強い切れ目を受けて、更に別樣の方面に進んだ形だ。「この上、國遠く距たらば」の意で、遠かば〔三字傍点〕は、單に遠からば〔四字傍点〕だけの意味ではない。○汝が顔《め》(又、目)欲りせむ 目〔傍点〕は顔の代表。だから、顔及び顔を見る事に用ゐる。目欲る〔三字傍点〕は、顔を見欲る〔五字傍点〕事である。見欲る〔三字傍点〕即、逢ひたく思ふことである。欲りせむ〔四字傍点〕は、欲りす〔三字傍点〕の將然形。たがるだらう〔六字傍点〕の意。
【鑑賞】 東歌とても、多く正式の論理によつて叙述してゐるのに、これは亦飛躍した姿である。「かくだにも」と「國の遠かば」との間の深い切れ目と、突如として起る第四句の調子に疊みかけた第五句の疑はぬ力が、強くひゞく。民謠でなくては、望めない跳躍した調子は、心を惹かれる。
 
    右二首、上總(ノ)國の歌。
 
3384 葛飾《かつしか》の 眞間の手兒奈《てこな》を。まことかも。我《われ》によすとふ。眞間の手兒奈《てこな》を
 
【口譯】 名高い葛飾の眞間の手兒奈よ。それを本道かしらん。私に神樣がめあはせて下さるといふことだ。その眞間の手兒奈よ。それを。
【語釋】 ○葛飾の眞間 「三三四九」參照。○手兒奈 な〔傍点〕(奈)は、ら・ろ〔二字傍点〕と同じく親愛の語尾。東國の中でも、(53)娘をてこ〔二字傍点〕(手兒)といつた地方が多かつた。傳説上の眞間の處女を、その儘、「眞間の手兒奈」と固有名詞的に感じてゐたのだ。尚、鑑賞の項に述べる。○を をば〔二字傍点〕と説けぬこともないが、尚、感動と見るのが古風だ。○まことかも 「我によす」といふことを疑ひ歡んでゐるのだ。○よすとふ よす〔二字傍点〕は、神が人に命じて或事をあづける意味から、多く授ける〔三字傍点〕或はくれる〔三字傍点〕の敬語と考へられてゐた。手兒奈が自分に心をもつたといふことを、神のおぼしめしでめあはされたものといふ表現をとつたのである。感謝に滿ちた謂ひ方である。勿論、思ひをよす〔五字傍点〕といふ風に解してはいけない。とふ〔二字傍点〕は、といふ〔三字傍点〕の融合形。
【鑑賞】 歡喜によつて極度に單純化せられた抒情詩と見えるが、實はやはり傳説上の美女を空想して、それを自ら手に入れた樣に表現したので、この有頂點な誇張に滿ちた調子は、やはり類型が段々あつたのである。仁徳天皇の「みちのしりこはだ處女を」、藤原鎌足の「我《われ》はもや安見兒得たり」の類が多かつたのだ。さういふ影響によつて出來たものと見られる。これも古物語の一部をなしてゐたものであらう。葛飾の眞間に處女ゐて、多くの男に騷がれたが、誰れにも許さないで、遂に眞間の淵に身を投げて死んで、後《のち》までも塚をとゞめたといふ。下總の國府に近かつた爲に、其歌物語が、都までも傳へられて名高かつたのである。
 
3385 葛飾の 眞間の手兒奈がありしかば 眞間のおすひに波も とゞろに
              
(54)【口譯】 名高い眞間の手兒奈が居つた時に、眞間の波打ち際によせる波ではないが、とゞろに人が騷ぎよつて來たことだ。
【語釋】 ○ありしかば ば〔傍点〕は、第五變化につゞいて古くは、時處〔二字傍点〕の意を示めした。萬葉にも、その場合・その時〔七字傍点〕と譯して適當なのが多い。○眞間のおすひ 「三三五九」參照。磯邊〔二字傍点〕ではない。○波もとゞろに この歌では、「まゝのをすひに波も」の句が序歌として、「とゞろに」を起してゐるのだ。手兒奈を言つた聯想から、「とどろ」を起す運びとして、「おすひによする波」を据ゑたのだ。このも〔傍点〕は副詞句をつくるも〔傍点〕である。だから、「とゞろにも」と置き換へて説いてもよい。とゞろに〔四字傍点〕は、人の騷ぎよることを簡單に要約してこの語で表されたから用ゐた訣で、却てそれが、深く聯想を誘ふ訣である。
【鑑賞】 この歌、本居宣長説の如く、手兒奈の美貌を歡んで、「眞間のをすひに波すらもとゞろに寄せて來た」と説くのは、詩的であるが、あたらない。
 
3386 にほどりの 葛飾|早稻《わせ》を饗《にへ》すとも、そのかなしきを、外《と》に立てめやも
 
【口譯】 葛飾出來の早稻を以て新嘗祭りをしてゐるとしても、あの可愛い人を表に立てゝおかれようか。
(55)【語釋】 ○鳰鳥の 葛飾のかつ〔二字傍点〕をおこす枕詞。にほどり〔四字傍点〕は今も、にほ〔二字傍点〕ともみご〔二字傍点〕とも言ふ。かひつぶり〔五字傍点〕のことだ。水にもぐる處から、「潜《かづ》く」の音に聯想して、「かつしか」にかけたのである。○葛飾早稻 葛飾地方の早稻の新米。○饗すとも にへ〔二字傍点〕は神の食物。神なる御人天子の召すものも贄《にへ》である。必しも動物の料理したものでなくとも、飯の類も贄と言つた。にへす〔三字傍点〕は、食物を神に奉る意。「早稻」とあるから、新嘗の意が明らかに出て來る。勿論、にひなめ〔四字傍点〕は所謂新嘗の字面で、にひなめ〔四字傍点〕と言つたのではなく、にへのいみ〔五字傍点〕がにへなみ・にひなめ〔八字傍点〕となつたのだ。この卷のあとに『誰ぞこの家《や》の戸《と》おそぶるにふなみ〔四字傍点〕に我が背をやりていはふこの戸を』とある。この歌と同じ趣きである。そのにふなみ〔四字傍点〕はにひなめ〔四字傍点〕であり、にへのいみ〔五字傍点〕である。新米《にひよね》をめすから、にひ〔二字傍点〕(新)だと、聯想したにすぎない。神に贄を奉る間の禁欲行事をさすのである。だから、にへす〔三字傍点〕もにひなめす〔五字傍点〕と考へてよい。とも〔二字傍点〕は、こゝではにへすれども〔六字傍点〕の意味である。下にたてめや〔四字傍点〕と言ふ疑問が出て來るので、豫め假定のとも〔二字傍点〕を据ゑたのだ。○そのかなしきを その〔二字傍点〕はかの〔二字傍点〕と常に通じてゐる。かなしき〔四字傍点〕は、可愛ゆきもの・かなしき人・いとしき人と言ふところだ。○外《と》 と〔傍点〕は戸〔傍点〕とも採れるが、この場合は外〔傍点〕であらう。○立てめやも 立たしておけようか立たしてはおけないの意。立つ〔二字傍点〕は下二段。
【鑑賞】 東國では、新嘗の夜のもの忌みが嚴重で、その饗應を受けに下り給ふ神以外には、家人を出はらはして、選ばれた女だけが殘つてこの神を待つてゐる。この夜は親とても家にとめなかつた由は、「常陸風土記」に見える。その嚴重な夜ながら、戀人を家の表に立たしておけな(56)いと言ふのだ。信仰と現實生活の矛盾を詠んだもの。勿論、信仰衰へた時代には、さうした忍び男も出たであらうが、先、かうしたことは空想であらう。切實な戀愛を考へた、一種の戯曲的な歌と見てよからう。この歌も或は、手兒名の歌と竝んでゐるところから見れば、手兒名を物語る歌物語の中の一首だつたかも知れない。
 
3387 跫昔《あのおと》せず行かむ駒もが。葛飾の眞間の繼《つ》ぎ橋 止《や》まず通はむ
 
【口譯】 跫恩たてず歩くところの馬が欲しいものだ。俺は、處女《をとめ》の家への、葛飾の眞間の繼ぎ橋それをとぎれなく通はうと思ふ。
【語釋】 ○跫恩 脚の音。あ〔傍点〕は、「足」の熟語を作る時の形。○駒もが もが〔二字傍点〕は願望。或状態を欲し期待する語。こゝでは、あるべからざるものを空想してゐるのだ。○眞間の繼ぎ橋 眞間の入り江に架つてゐた繼ぎ橋。繼ぎ橋〔三字傍点〕は、一枚橋では渡しきれない水流に、柱を立てゝ更に一枚と言ふ風に、幾枚か板を縱に連ねた橋で、長橋のことになる。必しも八つ橋の樣に雁木形に架けたものを言ふのではない。入り江などの水流靜かで橋柱のもち易い處に作つたらしい。
【鑑賞】 古代に於いて、馬を持つた人は貴人である。さうした人が處女の處へ通ふ。その心はと(57)げてもとげなくとも、しきりなく通うてゐる状態を空想して、その人の心を述べた樣に作つたものだ。これも、歌物語の一部であらう。當時としては、一・二句の空想が面白かつたかも知れぬが、やはり、類型にすぎなからう。眞間の繼ぎ橋の如き、地方的のものを出して來たところに、風俗《ふぞく》式の興味が深かつたものと思はれる。
 
    右四首、下總(ノ)國の歌。
 
3388 筑波嶺の嶺《ね》ろに霞|坐《ゐ》 過ぎかてに、息づく君を。率寢《ゐね》てやらさね
 
【口譯】 筑波山の峰に霞がかゝつてすぎてゆくそれではないが、通りすぎきれないで溜息づいてゐるあの人よ。それを、ひと抱き寢して歸してをやりなさい。
【語釋】 ○嶺ろに霞坐 峰に霞がぢつとかゝつてゐて、それが又なくなると言ふ趣きをもつて、上二句を序歌とし、「すぎ」にかけたのだ。○すぎかてに 序歌は「かてに」まではかゝつてゐないと見るのが、原則的だ。すぎ〔二字傍点〕は、霞の盡き消え去るのと通りすぎるのとをかけたのだ。かてに〔三字傍点〕のに〔傍点〕は、否定助動詞ぬ〔傍点〕の中止形と言ふべきもの。かて〔二字傍点〕は、「三三五三」に述べた。下二段にはたらく敢へてする〔五字傍点〕の敢ふ〔二字傍点〕と同形の語だ。その第一變化にに〔傍点〕がついて、ゆかに・思はに〔六字傍点〕と同樣の否定をなしてゐるのだ。言ひかへれば、すぎあへず〔五字傍点〕と一つだ。○息づく 溜息づく・と息づく。○率寢て ゐね〔二字傍点〕は共寢すること。○やらさね やる〔二字傍点〕はゆかせる〔四字傍点〕。その敬語がや(58)らす〔三字傍点〕。やらさね〔四字傍点〕はその輕い命令。おゆかせなさい。
【鑑賞】 この歌、「君を」が、譬へば「人を」と言ふ風になつて居れば、息づく男自身が人事の樣に、自分をうちに入れてくれと言うてゐることにもなるが、こゝは「三三六七」の樣に作つた歌で、叙事的のものである。序歌は、同類のものはあるが、「すぎ」にかゝつてゐるところが、淡白でよい。「かてに」までかゝると見るのは、序歌の第一義でなく、又歌としても味が少くなる。この序歌、勿論外と關係はないが、「息づく」までかゝると後世式に考へれば、さうとも見える。第五句のにはかな曲折が、女歌として見れば面白い甘味をもつ。女の姉分の者の語などであらう。
 
3389 妹が門《かど》彌《いや》遠ぞきぬ。筑波山隱れぬほどに、袖は振りてな
 
【口譯】 彼女の家の門《かど》が非常に遠のいた。その家のあるところの筑波山、あれが隱れてしまはぬうちに、俺は袖を振らうよ。
【語釋】 ○妹が門 かど〔二字傍点〕は屋敷の入り口。○彌遠ぞきぬ いや〔二字傍点〕はいよ/\ます/\だが、最上級に譯すべき場合も多い。こゝはそれである。そく〔二字傍点〕はしりぞく・はるかになる〔十字傍点〕こと。○筑波山隱れぬほどに 筑波山に隱れ(59)ぬほどと譯するのは、理由がない。筑波山の裾にある妹が家が、殆見えなくなつて、たゞ見える筑波山も、だん/\地平線に遠のいて來た時の歌だ。山が隱れゝば、妹の家のしるし〔三字傍点〕と見るべきものもなくなるのだ。○袖は振りてな てな〔二字傍点〕はてむ〔二字傍点〕と同じい。嚴重に言へば、ておかう〔四字傍点〕である。袖ふる〔三字傍点〕は「三三七六」にも述べたが、袖を、領巾《ひれ》の類のまじつく〔四字傍点〕の布に代用することが多かつたので、それで思ふ人の魂を戀ひ呼ぶのであつた。だから、別れる時・思ひを示す時、皆根本の目的は同じであつた。は〔傍点〕はをば〔二字傍点〕の意。
【鑑賞】 「妹が門」と言ふ音だけで、當時の人は豐富な聯想をしたのである。二句と三句の間の飛躍が、妹が家を遠く見放した、と言ふ類型からすくつてゐる。
 
3390 筑波|嶺《ね》にかゞ鳴く鷲の 哭《ね》のみをか 泣き渡りなむ。逢ふとは無しに
 
【口譯】 筑波嶺にがく/\と鳴いてゐる鷲の哭《ね》ではないが、俺は泣いてばかり居つゞけねばならないか。逢ふと言ふではなくそのまゝで。
【語釋】 ○かゞ鳴く かゞ〔二字傍点〕は擬聲。かゞ〔二字傍点〕と鳴くのである。○哭のみをか ね〔傍点〕をきつかけにして、上三句を序歌としたのである。ね〔傍点〕はなく〔二字傍点〕の名詞。轉じて「音《ね》」となる。かう言ふ場合のね〔傍点〕は、音《ね》ではない。「三三六二」に述べたが、ねなく〔三字傍点〕で自動詞の意味が完全するのだ。其間に感動詞・助辭等を挿入する樣になつて、ね〔傍点〕に特殊な意味のある樣に思はれたのである。「ねなきのみをしてか‥‥」の意である。○泣き渡りなむ わたる〔三字傍点〕は、つゞ(60)ける・くらす〔七字傍点〕。上にか〔傍点〕があるからなむ〔二字傍点〕はねばならぬか〔六字傍点〕となる。上に述べた。○逢ふことなしに 逢ふと言ふではないまゝに。とはなしに〔五字傍点〕はならなくに〔五字傍点〕と同樣に使はれてゐる樣だが、多少相違がある。かうして出來た句は、同じ文章の外の部分と獨立して、反省を示す形を採る樣である。後世の用法は、こゝに、適用は出來ぬ。
【鑑賞】 序歌と本文との關係は、比喩と感じては甚、妥當感を失ふ。それから見ても、古人の序歌にもつた感じ方の、違つて居つたことが訣る。強ひて近代的に言へば、序歌が強いから、全體の歌がらも、めそ/\したものでなく感ぜられるが、當時はこれで、女の歌としても通じたのだ。
 
3391 筑波|嶺《ね》に 背《そ》がひに見ゆる葦穗山。惡しかるとがも さね 見えなくに
 
【口譯】 筑波山から、向うに見える葦穗山。それではないが、惡しい缺點も眞實見えないことよ。
【語釋】 ○筑波嶺に に〔傍点〕は、筑波嶺に對して・筑波嶺から見て、など譯すべきだ。○そがひ 後側《うしろ》或は後向き。遠くから見て、或物を距てゝその後に見えるのだから、むかう〔三字傍点〕と譯してよい。○葦穗山 今、足尾と書く。筑波山の北。古くは、其邊一帶の山の名。加波山をも含んだものといふ。この地名をきつかけにして上三句を序歌とし、「あしかる」のあし〔二字傍点〕を起してくる。○あしかるとが あしかる〔四字傍点〕は、あしくある〔五字傍点〕の融合形。とが〔二字傍点〕は、缺點。○さね 突きつめた感情を表す語で、感動詞に近い訣だ。眞・實などをさね〔二字傍点〕と訓むのは、心の底からの深い肯定をもつからであらう。○見えなくに 見えないことよ、或は、見えなくありといふ位の意。「三三(61)六八」參照。
【鑑賞】 戀人を全面的に讃美した歌である。だが「なくに」の普通の解釋からすれば、相手をあきらめようと思つても、些しの缺點を見出すことが出來ないものと見ても、男女感情に深い東歌としては新しすぎはしない。どちらにしても、單純化の出來たよい歌と言はねばならぬ。
 
3392 筑波|嶺《ね》の巖《いは》もとゞろに落つる水。よにも たゆらに 我《わ》が思はなくに
 
【口譯】 筑波山の巖が、どう/\と鳴る程に流れ落ちる水。それではないが、たゆらに慊々《アキ/\》した風には眞實、わたしは思つてゐないことよ。
【語釋】 ○巖もとゞろに も〔傍点〕は、副詞句をつくる語尾。「巖とゞろにも」である。○落つる水 「たよらに」を起して上三句を序歌としてゐる。○よにも 前の歌の「さね」と似た語で、たゞ、よに〔二字傍点〕といふ場合もある。元、誓約の語であつたらしい。眞に・まことに〔六字傍点〕、など譯するが、用語例はもつと急迫した感情を示してゐる。○たゆら 水の「絶ゆ」と倦怠の「倦《タユ》ら」とを懸けたのだ。嫌々・あき/\・かつたるく、などゝ譯す。○わが思はなくに 「わがたゆらに思はなくに」である。あなたのおつしやるやうに、だれた感じは持つてゐません、といふのだ。
【鑑賞】 此歌、恐らく、女の、男に疑はれたのに答へた誓約の歌であらう。かういふ場合に、「な(62)くに」のに〔傍点〕が、「‥‥ないのに、あなたに疑はれる」といふ風に、次第に、のに〔二字傍点〕の意味を導いて來たのであらう。類型すぎる程類型的だが、二・三句の誇張は、當時は喜ばれたのであらう。今では、全體の調子を破つてゐるが。
 
3393 筑波嶺の 彼面此面《をてもこのも》に守部坐ゑ 母こもれども、魂《たま》ぞ合ひにける
 
【口譯】 筑波山のむかう側・こちら側に山番を設ける、それではないが、母が子の監視をしてゐるけれども、このたましひ〔四字傍点〕の會つて、仲よくなるのは防げきれない。
【語釋】 ○彼面此面《をてもこのも》 「三三六一」參照。○守部坐ゑ 守部〔二字傍点〕は山守部の略。「夙《シユク》の者」などをもりべ〔三字傍点〕などゝするのはあたらない。其が、ひろく用ゐられることがある。すゑ〔二字傍点〕は、おくこと。をらしめること。設置すること。命令してをらしめること。この句をきつかけとして、上三句を序歌とし、下の「こもる」を起したのだ。○母こもれども こ〔傍点〕の字、本文には、「已」とある。「已」は、「可」の誤り、「母がもれども」とし、更に、「已」は「巴」の誤り、「母はもれども」とする説もあるが、これでも訣らぬことはない。「萬葉集全釋」に鴻巣盛廣氏は「已」は「い」の音假名として、「母いもれども」で、い〔傍点〕は古い主格の助詞としてゐられるのは名説だが、尚、定め難い。こもる〔三字傍点〕といふと、子守りをするやうに聞えるが、こもる〔三字傍点〕を一つの動詞と見れば、大して苦しくはない。親が世話をやくことである。こ〔傍点〕ともる〔二字傍点〕を離して見ようとしなければ、大體とほる。○魂ぞ合ひにける たま〔二字傍点〕(63)は靈魂である。あふ〔二字傍点〕は、合するである。古代は、「靈合《たまあひ》」の信仰があつた。Aの分靈がBに、Bの分靈がAの身に入つて、それ/”\の靈と一つになると二人の交情が離れなくなる。戀愛關係・友人關係すべてそれである。母は、世話をやいてゐるけれども、娘は戀人と魂の行き觸《ふ》れが行はれて、おのづと仲が濃くなつた〔十一字傍点〕といふのである。
【鑑賞】 昔は、どの家《いへ》の母でも、かやうに娘の世話をやいて或期間、男に會はせまいとした。さうした習慣の上に、抒情的叙事詩が出てくる。この歌は、母を持つた娘の歌でなく、さういふ社會に現れた民謠として見ねばならぬ。それだけに實感は薄いが、でも、四句と五句との反撥してゐる具合、五句の落着いてとめた具合などは、今も肯定出來る。
 
3394 さごろもの を筑波嶺ろの山の崎。忘らえ來《こ》ばこそ 汝《な》を懸《か》けなはめ
 
【口譯】 お前のことを心に思ふなとお前がいふが、筑波山の山の崎――お前の住んでゐる家のあたりが目にちらつくやうに感じなくなつたら、そしたら、お前のことを思はなくなるかもしれぬ。が‥‥。
【語釋】 ○さごろもの 「緒」或は「※[金+丸]」の枕詞か。さ〔傍点〕は接頭語。衣の綴り合せの紐羂のやうなものを、つく・(64)をつく〔五字傍点〕と言つたかと思ふ。○を筑波嶺ろ を〔傍点〕は最小美辭。筑波山といふに同じい。○山の崎 山の出鼻。それが、いつまでも見えて、妹《いも》の家のあたりの目標《めじるし》になつてゐるのであらう。多く、「山の崎、そこきりで妹を思ひ出さずなつたら」といふ風に説いてゐるのは、どうであらう。其なら一層、上三句を序歌と見て、「わ〔右○〕(廻)」(裾曲、隈曲など)に懸つたと見る方がよさゝうだ。○忘らえ來ばこそ 「三三六二」參照。普通の忘却でなく幻として目に浮かばなくなること。「さういふ時が來たら、始めて」が、「――來ばこそ」である。なを〔二字傍点〕は、汝《な》をである。○懸けなはめ 「三三七五」參照。かけ〔二字傍点〕は、口を出す意にもつかふが、こゝはさうとれない。「三三六二」參照。かけざらめ〔五字傍点〕。戀人の名を口に出すことは、たぶう〔三字傍点〕である(同歌參照)。上のこそ〔二字傍点〕の抑へから撥《は》ね反つて、懸けずにはゐられない〔十字傍点〕となる。
【鑑賞】 「忘らえ來ばこそ」に力點を置いて考へると、第五句は力強くひゞくし、これを輕く見れば、上三句が現實性をもつて快く迫つてくる。前の見方は古風で、後は今樣である。前に隨ふのは當然だが、後も捨てられないのが、後代鑑賞家の癖である。短歌の歴史性は、その中間に浮游してゐるやうである。
 
3395 を筑波の嶺《ね》ろに月|立《た》し 逢ひたよは、さはだなりぬを。また寢てむかも
 
【口譯】 算へてみると、あの人と逢つた時からは、筑波の山に月が顯《た》つ−出現−ではないが、月(65)が經つて、澤山の日數になつたことよ。だが、またあの人と寢られるか知らん。
【語釋】 ○月《つく》立《た》し つく〔二字傍点〕はつき〔二字傍点〕(月)。立《た》しは、立ち〔二字傍点〕の地方的發音。この語をきつかけとして上二句序歌となつてゐる。月立つ〔三字傍点〕は、月の出現し始めることが、新しい月になつたことを意味した考へが分化して、このやうにと、月日の經過の反省を示してゐる。で、三句を距てゝ四句に接してゐる訣だ。○逢ひたよは 逢ひたるよりは〔七字傍点〕である。よ〔傍点〕はゆ・より〔三字傍点〕などに通ずる。このよ〔傍点〕をよる〔二字傍点〕(夜)ととるのは、よくない。「さはだ」との連續は、氣分的にその方がよいが、文法的には、距りがありすぎる。○さはだ 「三三五四」參照。こゝは、日數の多いこと。○なりぬを 「になつたことよ。だから」と譯してよいが、これも詩としては、おほどかだが、描寫性に缺ける。なる〔二字傍点〕は、「離《ナ》る」である。四段に活いたのだ。「さはだ離れぬるを」だ。○また寢てむかも 再び逢うて寢ることを希望するととれる。だが、このかも〔二字傍点〕を疑問と見れば、再び逢ふ可能性を疑ふ方をとる。
【鑑賞】 民謠としての技巧を盡し、又民謠としての情熱を十分に出してゐる。その意味に於いて、傑れた風俗歌。
 
3396 を筑波の繁き木の間よ 立つ鳥の、目ゆか汝を見む。さ寢ざらなくに
 
【口譯】 筑波山のこんもりした木の間から、飛び立つ鳥の群《め》、それではないが、目でばかりお前を見てをらねばならないか。共寢した訣でもないことよ。
(66)【語釋】 ○を筑波‥‥鳥の 序歌。群《め》〔傍点〕から目〔傍点〕に懸けたといふ。稍々妥當性が疑はれる。○目ゆか 目ゆか見む〔五字傍点〕と續くのだ。か〔傍点〕に疑問がつゞくから、見ねばならんか〔七字傍点〕である。但、この場合の見る〔二字傍点〕は、男女の相會ふこと。顔は見ても、婚《あ》へないから、婚《あ》へないことを目ゆか見む〔五字傍点〕といつたのである。ゆ〔傍点〕は造格。媒介格の助辭だからで・を以て〔四字傍点〕など譯する。古代の特殊語で、單に目だけで見るといふ位のことでない。「まくはひ」に對して、「めくはせ」といふ語のあつたのと同じ關係だらう。尚、參考までに、私の舊説を摘載する。古語に、まゆに・まゆか〔六字傍点〕などいふ副詞(體言形容詞)があつて、其が東語にはまだ殘つてゐたので、意味は、なほざりに・おほよそに〔十字傍点〕などであつたのが、動詞となつて、まよ−ふ・まゆか−す〔九字傍点〕などやうの形を持つてゐたので、「まゆか汝を見む」の方は、「まゆ−に−か〔六字傍点〕〔おろそかに(よそに)〕汝を見むや」の意と考へられ、「人妻子ろを、まゆかせらふも」の方は、「人妻なるに、其人をおろそかに(よそに)思はれねことかな」の意であらう。○さ寢ざらなくに さ寢なくに〔五字傍点〕と同樣である。論理的に言へは、さ寢ざる〔四字傍点〕をいま一度、否定してゐるのだから、さ寐たるに〔五字傍点〕といふことになる。言ひ換へれば、さ寢ずといふ訣でもない〔十一字傍点〕ともとける。だが、かうした否定は慣用を重ねる裡に、否定感が弛むために、いま一つ否定を積み重ねる訣だ。だが一方、論理的に、否定に否定を重ねて、屈折ある肯定をつくることも現實の文法に多く、此二つを混用もする。だから、「一度も共寢しなかつたといふ訣でもない。それに」といふ解釋もよい。近代的に見れば、此に隨ふであらうが、古風に且「‥‥なくに」文法を誤解せずに考へると、ちつとも共寢することなく、目でばかり思ひ通じてゐねばならぬかといふ風に、譯するのが正當であらう。
(67)【鑑賞】 だが、又民謠として見ると、靡亂した戀愛情趣を好むから、古い風俗と言へども、さうしたところをねらはなかつたとはきめられない。一首の趣きから見ると、下句全體が、上句の序歌を成立させるに當つてゐると見られる。繁き木の間から立つ鳥だから、射ることも捕へることも出來ない。即、手に入れないで見てゐるばかり、といふ事に落ちつくものと思ふ。上の序歌は勿論類型だらうが、一つの類型を、本文で延長する爲方に變化の生ずることが考へられる。
 
3397 常陸なる 浪逆《なさか》の海の玉藻こそ、引けば絶えすれ。あどか たえせむ
 
【口譯】 常陸の浪逆の海の玉藻は、成程、引けばちぎれようが、俺たちはどうして/\とぎれるものか。
【語釋】 ○浪逆の海 今、不明。但、鹿島郡北浦と與田(ノ)浦の間の水域を言ふ説が有力だ。恐らく、浪逆〔二字傍点〕の義に捉はれたのだらう。○玉藻 たま〔二字傍点〕(玉)は古代人の好んだ讃め詞というてゐるが、さうした第二義を感じた時代のも、萬葉集中にあることはあるが、第一義は、まじつく〔四字傍点〕に使用せられる物につける語で、靈的・神秘な〔五字傍点〕と言ふ意義をもつ。海藻も元、禊ぎ・祓への咒物である。○こそ 一點に注意を緊張させるから、殘餘の部分を放任すみ形になる。それで、係り結びを完結した後に意味が飜つてくるのだ。玉藻はかうだが、他のある物は違ふといふ風になる。○引けば 藻を採集しようとして、たぐりひくのである。○絶えすれ 多く(68)否定反動を表す場合に、連用名詞とす〔傍点〕とが接合するやうに見える。が、必しも恒にさうではない。だから意義からいへば、絶えす〔三字傍点〕と絶ゆ〔二字傍点〕とは同じだ。絶えす〔三字傍点〕は斷言する〔四字傍点〕。男女關係では二人の間がきれること。○あどか あど〔二字傍点〕は、なに〔二字傍点〕或はなにと〔三字傍点〕である。近代的には、などか〔三字傍点〕と譯しても訣る。か〔傍点〕は疑問でなく感動。絶えせむよ〔五字傍点〕と下に廻して譯する。
【鑑賞】 浪逆の海の藻が、特にもろく引き切れるといふのならば、あざといながら訣る。だが、民謠として、どこの藻でも同じことを、特に地名を入れ替へる癖があるのだ。その點、民謠の弱點であり、同時にこの歌の弱點をなしてゐる。即、特殊性を強調するやうに見えて、實は、平凡普遍に歸するのが、あつけないのだ。
 
    右十首、常陸(ノ)國の歌。
 
3398 人皆の言《こと》は、絶ゆとも。埴科《はにしな》の石井の手兒《てこ》が 言《こと》な絶えそね
 
【口譯】 總ての人が絶交しても、俺はかまはない。あの埴科の石井の村の娘が絶交してくれるな。
【語釋】 ○人皆 皆人〔二字傍点〕と同じい。世間の人全體。○言は絶ゆとも ことたゆ〔四字傍点〕は音信が絶えると言ふ樣な生ぬるいことでない。言《こと》を交さないのだ。こゝでは、「人皆の言は絶ゆ」で村八分〔三字傍点〕にあつて村人から絶交せられることを言ふ。の〔傍点〕は「こと」につゞく。「たゆとも」で段落。たゆとも意に介せざらむの意。すぐに下文に續(69)けて解釋するのはいけない。○埴科 今も郡名がある。その中心となつた埴科の郷だ。所在不明。○石井の手兒 てこ〔二字傍点〕は處女《をとめ》。「三二八四」參照。傳説或は物語の上に、石井の手兒が傳つてゐたのだらう。石井のある村の娘で、石井に出て水を扱んだと言ふ人物の假稱が、傳來の久しさに固有名詞と感ぜられたのであらう。井〔傍点〕は水の湛へた處。古くは原則として掘り井戸ではない。石井〔二字傍点〕は岩井〔二字傍点〕と同じい。清水の岩の中に湛へられた水汲み場であらう。○が このが〔傍点〕も主格の助詞ではない。手兒の〔三字傍点〕言《こと》である。その言が絶えるのは、手兒が絶交を言ひ出ることになる。○言な絶えそね ことばが絶えるなよ。絶交してくれるな。
【鑑賞】 村人共有とも思はれてゐる處女を專有することは、村八分の原因になることは、しばしばあつた。これは、さうした社會制裁を土臺にしてゐる。だが、一方に強く、一方に弱く、女に哀願してゐる處が面白い。又此單純さは、古代の歌なればこそと思はれる。だが、同時に單なる抒情詩でなく、傳説上の女を、つひ最近に居つた人の樣に考へ、それがどうかすれば手に入る樣に見てうたふ處に、民謠としての抒情法があるのだ。結果から見れば劇詩的であり、叙事詩的でもある。
 
3399 信濃路《しなぬぢ》は、新《いま》の墾道《はりみち》。刈りばねに 足蹈ましむな。沓はけ。我が夫《せ》
 
【口譯】 信濃海道は、新規の造り道です。刈り株に、うつかりすれば足をお蹈みつけになりませ(70)うよ。沓をおはきなさいませ。あなたよ。
【語釋】 ○信濃路 こゝのぢ〔傍点〕は、國名についたぢ〔傍点〕の意味の分化したもの。「三三七二」參照。信濃の路、即、信濃海道だ。信濃を通つてゐる道にもなるし、信濃へ入る道にもなる。これは次の句から判斷して、大寶二年以後和銅六年に拓かれた(續紀)記録のある「岐蘇路」だらうと考へられてゐる。この道はしば/\崩壞したもと思はれるから、その前後にも幾度も改修せられ、舊本道|神坂《みさか》越えと併用せられてゐたのである。その神坂の道も、たび/\造られて、平安朝に至つてゐるから、「新《いま》の墾《は》り道」の詞だけでは、この歌の出來た時期も、此道がいづれであるかもきまらない。○新《いま》 古くは、新しいもの・新來のものを、いま〔二字傍点〕と言つてゐる。嚴格には今〔傍点〕に當らない。○墾り路 造り道。墾る〔二字傍点〕は土木作業を言ふ。開墾する或は道をつける。前の道が壞れたので、多少路線を改めてつけた路だらう。必しも全然別の道と言ふにも當らない。○刈りばね はね〔二字傍点〕は訣らぬ。凡、刈り株と思はれるが、或は植物の名か。○足蹈ましむな ふむ〔二字傍点〕は意味廣く、上におくこと・上を通ることに使ふのが普通だ。必しも蹈みつけることではない。しむ〔二字傍点〕は敬語の語尾と見る説と、否定するのとがある。本集には、敬語〔二字傍点〕のしむ〔二字傍点〕がない。但、『夏草のあひねの濱の蠣貝に足ふますな〔四字右○〕あかしてとほれ』(古事記)から見れば、ふます・ふましむ〔七字傍点〕同樣の敬語とも見られる。元暦本、布麻之奈牟」とあるのから、「蹈ましなむ−お蹈みなさらう」説を採るのが多くなつた。だが、敬語々尾「す」の再活用は、第一變化し・しむ〔三字傍点〕だから、ふまさむ〔四字傍点〕に當るふましむ〔四字傍点〕があつたのだ。ふましむな〔五字傍点〕はふまさむよ〔五字傍点〕と説ける。「やすみし〔右◎〕ゝ」・「立たし〔右◎〕ゝ」のし〔右◎〕と一つだ。○沓はけ 沓は足にぴつたりついた窄物。普通は藁沓。わらんぢ〔四字傍点〕になる。
(71)【鑑賞】 先にも言つた通り、この歌、和銅二年以後のものと言ひ、これを含むが爲に、卷十四の和銅以後成立を説く説もあるが、不安である。勿論それより新しいものもあるのは事實だらうが。考へるべきは、信濃路改修の時の勞働謠から出てゐることである。だから、特定の女性がその愛人に與へた實作ではない。而もそれが、時を經ていよ/\民謠的に變化改唱せられた、抒情的叙事詩にすぎなからう。この用意なくしては、古代の歌の鑑賞などは、結局空なものになる。この歌、民謠として見ても外的に擴がりすぎて、あはれが薄いと言はねばならぬ。
 
3400 信濃なる 千曲《ちぐま》の川のさゞれ石も、君し蹈みてば、玉と拾はむ
 
【口譯】 信濃の千曲川の單なるさゞれ石も、あのお方が蹈まれたからは、玉として、この通り拾ひませう。
【語釋】 ○千曲川 北信の南隅、甲信國境に出、佐久郡を通つて、北信を縱貫して越後に入る現在の川。但、犀川合流地點までの名であらう。その呼び名の中心地は今知れぬが、ほゞ國府の所在の小縣《ちひさがた》邊と見ればよからう。南信の筑摩《つかま》とは自ら別である。○さゞれ石《し》 さゞれいし〔五字傍点〕の融合。このし〔傍点〕は助詞ではない。○君し蹈みてば 蹈みてば〔四字傍点〕は、單なる過程でない。下の拾はむ〔三字傍点〕の想像に呼應する爲の論理的形態。蹈んだのを知つて、このうへは、と言ふのである。○玉と拾はむ と〔傍点〕は如く〔二字傍点〕と譯するのは正當の樣に見えるが、この場合は、た(72)ま〔〔二字傍点〕の信仰の上からたま〔二字傍点〕そのものとしての意味のと〔傍点〕に譯せなけねばならぬ。人のからだに觸れたものに魂がやどり、又魂の暫定的にはひつてゐる石・貝その外のものを、たま〔二字傍点〕と言つたことを知らねばならぬ。神靈のやどつた石その外を、靈感によつて拾ふ習慣が、昔からあつた。
【鑑賞】 男の通ひ路なる千曲川のさゞれ石全部を、男の身代りと見て親しむので、その中心は霊魂分割信仰にある。それを單に、近代風に美しく解するだけでは、歌の眞意には觸れないだらう。此類の歌は、後世はど單純化して、清純なものと感ぜられたらうが、それだけ、類型的な感じもして來る。
 
3401 なかまなに浮き居《を》る船の 漕ぎ出《で》なば、逢ふこと難し。今日にしあらずは
 
【口譯】 なかまなにたゞよひ坐《スワ》つてゐる此船が、明日漕ぎ出したら逢ふことも出來ない。今日でなくては‥‥‥。
【語釋】 ○なかまなに 今日では訣らぬ。歌から見れば、信州の地名と見る外ない。二・三句の關係から見れば、水に關した土地と思はれる。その地を指摘した舊説、皆單なる試みにすぎぬ。○浮き居る 浮き坐る〔四字傍点〕。うく〔二字傍点〕は漂流。をる〔二字傍点〕は坐洲する。流れも止りもせぬ有樣。○漕ぎ出なば 漕ぎいでなば〔六字傍点〕なのは勿論だ。但、歌としては、此句を契機として轉換せねばならぬ處だ。即上二句が序歌であるのが適切だ。さすれば、「漕ぎ(73)で」に、古くかけ詞的な意義のあつたのが思はれる。其の訣らぬ今は、單に漕ぎ出づ〔四字傍点〕と唯の出づ〔二字傍点〕とが掛つてゐるとでも解くより外はない。たゞ單純に、自分の乘つてゐる船が漕ぎ出たら逢ふこと難けむ、と言ふのではなからうことは確かだ。○逢ふこと難し 難けむ〔三字傍点〕を斷定的に言つたのだ。○今日にしあらずは 今日にしあらずばあふこと難し、と論理上は置き替へられるが、この歌の場合は、此句を詠歎的に用ゐてゐる訣だ。
【鑑賞】 もし普通解く如く、序歌を含まぬ歌とすれば、形は素直だが一・二句に物語式なものが感ぜられる。そして、四句五句の感情が強く煽られて響く。歌としてよいといふ意味でなく。
 
    右四首、信濃(ノ)國の歌。
 
3402 日のぐれに 碓氷の山を越ゆる日は、夫《せ》なのが 袖も、さやに振らしつ
 
【口譯】 あの別れた時、碓氷の山を越えたその日は、あの人が、袖をはつきりと振つてゐられた。それが今も、目に殘つてゐる。
【語釋】 ○日のぐれに ひのぐれの〔五字傍点〕の地方發音。枕詞。「うすひ」にかゝると見る説がよい。でなくては、日のぐれに山を越えると言つた理由が訣らぬ。○碓氷の山 碓氷の御坂。ほゞ今の路線に沿うたものであらう。その徑路は勿論變つてゐる。○越ゆる日は 第五句のつ〔傍点〕の時間がこゝに響いて、こえつる日は〔六字傍点〕である。更に言へば、「越えし日は」ともあるべき處だ(第五句參照)。せなが越えた日である。○夫なのが 格の助辭の・(74)が〔〔二字傍点〕の二つが重つてゐる。この場合は主格である。但、せなの〔三字傍点〕を續けて、せなろ・せなね・せなななど言ふ親しみを表す愛稱の語尾と見られぬこともない。○袖も 袖もさやに〔五字傍点〕と續いて、一つの副詞句である。袖がさやかなるほどである。○さやに 鮮明に・印象的に・はつきりと見えること。但、この場合は、軍に先頃のことのみを述べてゐるのではない。○振らしつ お振りになつてゐる・今お振りになつたで、嚴重には過去ではない。だが論理的に言へば、過去で、氣分的には、現在にしなければならなかつたのだ。だから、「さやに振らしき」と言つてもよい。だが、かう言つた訣は、今も振つてゐる樣に見えることを言ふつもりなのだ。殊にさやに〔三字傍点〕が、單なる過去の現象を述べてゐるのでないことを示してゐる。
【鑑賞】 右の樣に解釋することによつて、意義は順調に解けるが、調子は自然に心の中に展開して來るとは言へない。それが即、古代詞章が近代の心にぴつたりと來ないわびしさである。ただ、意義に關係なく遊離した調子として、この歌の外形を弄んでゐれば、流れる樣な調子が古樸に胸が響くが、それは正當なものとは言へぬ。
 
3403 我《あ》が戀は、まさかもかなし。くさまくら 多胡の入《い》り野《ぬ》の おくもかなしも
 
【口譯】 俺の焦れる思ひは、彼女が目の前でも可愛くてならぬ。更にこの多胡の入り野の奥ではないが、將來《おく》かけて、可愛いのに變りはないことよ。
(75)【語釋】 ○我が戀は 後世の樣に、戀ひを題詠したのではない。假りに「心は」と言つておいてもいゝ。○まさか 目前・現實を意味する語根に名詞語尾か〔傍点〕がついて、同じくまのあたり・現在〔七字傍点〕などの意味。○くさまくら 枕詞。「旅」に續く用法は、その偏傾したもので、元は自由だつたので、「多胡」にもかゝつたのだ。○多胡の入り野 今上野國多野郡の一部。元、多胡郡。その中心地は、矢田・吉井・池・多胡附近であらう。入り野〔三字傍点〕は耕野の山地深く入り込んだ處を言ふのが、普通である。現在の地に當てる説もあるが、よりどころはない。この句、「おく」の枕詞。三句四句を通じて序歌である。○おく 舊本、「父《ふ》」とあるのは、同類の誤字例から見て、「久《く》」なることは、ほゞ疑ひない。おく〔二字傍点〕は行きどまりの地。野の奥に續けて未來・行末の意味の古語おく〔二字傍点〕を出したのだ。將來のことを確然とかなしも〔四字傍点〕と言つたのは、この歌が誓約の歌だからである。但、おく〔二字傍点〕を心の奥に使つてゐる例もある。さうするとまさか〔三字傍点〕は目前と言ふことになる。目前もかく愛し、心の底からも愛してゐると言ふことになる。
【鑑賞】 誓約の歌は、普通女のするものだが、男がそれに固め返すこともあつたのだ。この歌、男のものと思はれる。近代的には誓ひの歌と見ず、戀心を概念的に言つたと採る方が、面白く感ぜられる樣であるが、この歌の我々に觸れる處は、そんな點よりも、形式の單純で而もたゝみかけてゐる力強さにあるのだ。そして風俗《ふぞく》らしい地理に即したところが、更にそれを助けてゐると言ふべきである。
 
(76)3404 上《かみ》つ毛野《けぬ》 安蘇の眞麻《まそ》むら 掻き擁《むだ》き寢《ぬ》れど飽かぬを。あどか 我《あ》がせむ
 
【口譯】 上野よ。その安蘇の里の眞麻の群ら生えをひん抱へて刈る、それではないが、ひん抱へて寢るが、寢飽かないことよ。これをまあ、俺はどうしたらよからうか。
【語釋】 ○上つ毛野 上つ毛野即上野國。○安蘇 郡名に殘つてゐる。後世、利根川の流域の變化の爲に、下野の部にはひつた。その中心安蘇郷は、今佐野・犬伏附近に當る。○眞麻むら 眞苧《まを》・からむし〔四字傍点〕と解くのはいかゞ。そ〔傍点〕は麻類の總稱。まそ〔二字傍点〕は普通の麻だらう。むら〔二字傍点〕はその草むら一かたまりを、任意に抱へて刈るから言つたので、實感の出た表現だ。○掻き擁き かき〔二字傍点〕は接頭語。むだき〔三字傍点〕は抱き。古くはうだき〔三字傍点〕とも言ふ。「武太伎」と書いたのは、鼻母音を寫したのだらう。この句をきつかけに上二句を序歡としてゐる。○飽かぬ 滿足しきらぬ。即寢れど寢飽かぬをである。○あどか なにか・なにとか〔七字傍点〕である。「三三九七」參照。など我がせむよ〔七字傍点〕の意味である。どうしたらよいか訣らぬと言ふのだ。
【鑑賞】 序歌が實生活を比喩化した點も、第三句の壓力感も、この歌のえろちつく〔五字傍点〕な味を純朴なものにしてゐる。つまり、肯定せずにゐられない力をもつてゐる訣だ。勿論、純抒情詩ではないが、それ以外に、民謠として別に持つ眞實が、「あどかあがせむ」に出てゐる。性感よりも、その底に横つてゐる民俗生活を、思はずにゐられない。
 
(77)3405 上《かみ》つ毛野《けぬ》 をどのたどりが川道《かはぢ》にも子らは逢はなも。一人のみして
 
    或本(ノ)歌(ニ)曰(フ)。上つ毛野 を野《の》のたどりがあはぢにも 夫《せ》なは逢はなも。見る人なしに
 
【口譯】 逢ふならば、上野よ。そのをど〔二字傍点〕のたどりの川ゆく道で、彼女が逢つてくれゝばよい。たつたひとりで。
 或本(ノ)歌 逢ふならば、上野よ。その小野のたどりのあは路で、あの人は逢つてくれゝばよい。外に見てゐる人なくて。
【語釋】 ○をどのたどり をど〔二字傍点〕は地名であらう。或本を見れば、小野郷である。その音韵變化か。併し、一方の傳承で、をど〔二字傍点〕を小野〔二字傍点〕と合理的にうたひ改めてゐたのかも知れぬ。どちらとも定められない。たどり〔三字傍点〕は、そのをど〔二字傍点〕或は小野〔二字傍点〕の中の小地名か、それとも單なる地形を表す語か不明。○川道 川原をゆく道。或本あはぢ〔三字傍点〕は、この卷に「あほか〔三字傍点〕ども」・あやは〔三字傍点〕ども」など、あやぶい〔四字傍点〕ことを示す用語例があるから、あはぢ〔三字傍点〕は危道〔二字傍点〕と思はれる。必しもかはぢ〔三字傍点〕の間違ひではなからう。うたひながら別の詞に聯想するのが、民謠の常だから。○子らは逢はなも かう言へば男の歌である。或本は「夫なは逢はなも」とあるから、女の歌になる。逢はなも〔四字傍点〕は、逢つてくれることを希望してゐるのである。此語の習慣としては、自分が逢ふと言はずに、相手方が自分に逢ふと言ふのが、古文の例である。だから、口譯では俺は娘に逢ひたい・私はあの人に逢ひたい〔俺は〜傍点〕と全然(78)別に吉ひ替へてよい。○ひとりのみして して〔二字傍点〕は、ありて・來て〔五字傍点〕などの代用。或本は、見る人を除外して〔八字傍点〕の意だ。
【鑑賞】 この二つの歌、單なる異傳であるが、見方によつては、男女唱和のものとも見られる。かけ合ひの歌には、かうしたほんの一部を改造した、と言ふにすぎないものが多かつたのだ。下句は平易に、素直に受けとれるが、上句の理會に遠いのが、鑑賞を妨げる。但、或本の第五句は、古代的には新しかつたかも知れぬが、近代的には甘く感ぜられる。
 
3406 上つ毛野 さぬの莖立《くくたち》折《を》りはやし、あれは待たむゑ。ことし 來ずとも
 
【口譯】 上野よ。そのさの〔二字傍点〕の野に生える草の岩莖、それを來年の春は折り離して、さうして、私は待つてゐませうよ。今年あなたが、還つていらつしやらないとしても。?
【語釋】 ○さぬの莖立《くくたち》 上野國群馬郡に佐野があるが、此も「安蘇の眞麻|群《むら》」と同じく、下野領に入つた佐野郷の事である。即、安蘇郡佐野。だが、その佐野から「莖立」につゞく理由はない。だから、佐野は、野から出た名とし、其狹野の野と見た。佐野の地の莖立といふ風に譯したが、原則的な解釋法ではない。同時に唯野の意と見て、野べに生える其莖立と見るのも危い。正式に言へば、莖立〔二字傍点〕につゞくさぬ〔二字傍点〕は、全然別殊のさぬ〔二字傍点〕(79)でなければならぬ。莖立といふ以上、さぬ〔二字傍点〕はどうしても、植物の名である。序歌は地名で、一轉して植物の莖立を言つたのだ。唯、其植物が、今の何に當るか訣らぬ。○莖立 くくたち〔四字傍点〕は、くき〔二字傍点〕(莖)たち〔二字傍点〕で、普通、野菜の蕊の立つたものである。だが、それも草に限らず木にも言つたらう。決して、一種の植物に限つた語ではない。○折りはやし はやす〔三字傍点〕は後世の語感からして、榮えさす〔四字傍点〕又は、賑はしくする〔六字傍点〕、といふやうに感じられるが、違ふ。はなす〔三字傍点〕に當る。但、はなす〔三字傍点〕の音韻變化ではない。靈ある植物の枝を折つて、分靈を作り、其をまつる〔三字傍点〕事が、元の神靈を祀ると一つに當る。人の旅立ちに立てゝ祭つた木の枝を折つて祭ると、旅行者の靈魂を祀ることになる。「三三五三」の「きべのはやし」も其である。「さぬ」の木を旅行者の爲に立て、その莖立を折り、分靈を迎へることである。○あれは待たむゑ ゑ〔傍点〕は、古い感動の語尾。本集にも形容詞の語尾には、屡ついてゐる。旅行者の靈を齋《いは》ひ待たうといふのである。○ことし來ずとも 今年〔二字傍点〕でも訣るが、少し突如としてゐる。こと〔二字傍点〕は言〔傍点〕。し〔傍点〕は緊張の助詞。來ずは、來たらず〔七字傍点〕。音信が來ないのである。
【鑑賞】 その意味で口譯すれば、「上野の佐野ではないが、さぬ〔二字傍点〕の木の蕊の枝を折り離し、それを祀つて、あなたの歸りを待つてゐませうよ。いつまでもこの樣に音信が來ないとしても」となる。咒術に關係させて説くことは、歌を殺風景にすることだが、二・三句を農村の賑々しい行事のやうに見るには、表現不足である。このやうにまで、まじつく〔四字傍点〕的なものは、民謠としても鑑賞に入りにくい。
 
(80)3407 上つ毛野 まぐはしまどに朝日さし 目眩《まぎら》はしもな。ありつゝ見れば
 
【口譯】 上野よ。そのまぐはしまど〔六字傍点〕に朝日輝くそれではないが、晴れがましくて目が開いてゐられぬことよ。ぢつとあの人を見てると。
【語釋】 ○まぐはしまど 地名に關係ある語と思へるが、どこまでが地名とも訣らぬ。「朝日さし」とあるを見れば、原則として土地讃めの章句から出たものと思はれる。まぐは〔三字傍点〕が地名か、まど〔二字傍点〕といふ地名にまぐはし〔四字傍点〕と讃め詞を添へたのか、すべて判斷出來ない。ともかく、讃め詞を据ゑて「朝日さし」から第四句を起したにすぎない。○まぎらはしもな まぎらはし〔五字傍点〕は、目先がちら/\すること。假令、語原がどうあらうとも、其點、疑ひはない。も〔傍点〕もな〔傍点〕も感動の語尾。○ありつゝ見れば ありつゝ〔四字傍点〕は、同じ状態をつゞけて行くこと。戀人を讃める語とも、目上の貴人を讃へる語とも思はれるが、尚一部不安がある。
【鑑賞】 下の句は、近代的にも同感出來るものが十分含まれてゐるやうだが、上の句の理會出來ないのが、全體の調子の上に大きな拘泥を作る。結局、土地讃めの詞章を殿讃めに移し、更にそこに住む人を讃めた、と見るべきであらう。さすれば、まど〔二字傍点〕は古語で門〔傍点〕である。その門の美しさを讃めて、「まぐはし」といひ、そのまぐ〔二字傍点〕或はまぐは〔三字傍点〕を上野の地名に結びつけてゐるのでなからうか。さうすれば、稍々鑑賞の領分に入つてくる。
 
(81)3408 新田《にひた》山 嶺《ね》にはつがなゝ、我《わ》によそり はしなる子らし、あやに悲しも
 
【口譯】 新田山、それが他の嶺につゞかない、それではないが、私に關聯して中途半端になつてゐるあの娘がむしやうに〔四字傍点〕可愛いことよ。
【語釋】 ○新田山 上野國新田郡、元、新田郷の山、今、太田の金山。獨立した山である。○嶺にはつかなゝ 「可」の字、濁音が〔傍点〕に用ゐたのであらう。つかなゝ〔四字傍点〕は普通、つかなで〔四字傍点〕といふ文法。中央式に言へは、つきなで〔四字傍点〕である。「都可奈那」の「那」は否定で〔傍点〕にあたる。上の「奈」は現在完了のな〔傍点〕、即、つきなむ〔四字傍点〕の形をで〔傍点〕で否定したのであらう。更に言へは、つかで〔三字傍点〕と同樣である。嶺につかず〔五字傍点〕と説いて、他の嶺から離れてゐるといふのはいかゞ。つがなで〔四字傍点〕ならば、嶺《ね》につゞかないで、といふことになる。上二句、序歌。第四句、「はし」或は「はしなる」を起す。○我《わ疲》によそり よそり〔三字傍点〕は、本集の例で見ると、よる〔二字傍点〕と同樣に用ゐられてゐるが、よそりなく〔五字傍点〕などを見ると、關係・因縁、と言つた意味が見られる。「われに近づいた爲に」或は「我に開聯して」と説いてよいやうだ。○はしなる はし〔二字傍点〕は中間〔二字傍点〕、その意義から、どちらつかずの場合に用ゐることが多い。「中途半端な」・「立場のなくなつた」、と譯すべきだ。之を、自分に即かず離れずの氣持ちでゐる娘と譯するのは、いけない。自分に靡いたために、親からも世の中からも、はした者〔四字傍点〕に扱はれた娘なのだ。即、序欧、「嶺につゞかないで」を受けて、中途半端とつゞけたのだ。○あやに 「三三五〇」參照。
(82)【鑑賞】 難解の歌のやうで、實はさらりとした歌である。複雜で悲痛な境遇に思ひ深い昔人の心が、よくわかる。但、これも、個人の經驗を詠んだのでなく、民謠としての、別の價値から見なければならぬ。その意味に於いて、すぐれた歌である。つまり、或華やかさを藏してゐる歌といふべきだ。
 
3409 伊香保ろに雨雲い繼ぎ、かぬまづく、人と喚《おた》ばふ、いざ 寢しめとら
 
【口譯】 伊香保地方に、雨雲があとから/\出て、やかましく〔?五字傍線〕、人がどなつてゐる。さあ、‥‥‥〔?五字傍線〕
【語釋】 ○伊香保ろ 今の榛名山を伊香保嶺と言つてゐるから、榛名の裾野であらう。○あま雲 雨雲(雨の雲)或は天雲《あまぐも》。○い繼ぎ い〔傍点〕は接頭語。繼ぎ〔二字傍点〕は、引きつゞき・連續的に、或は「三五一八」「いはのへにいかゝる雲の」とあるのと殆同じだから、そつちが、かゝる〔三字傍点〕なら、此も「い著き」で、離れぬといふことか。「喚ばふ」にかゝつてゐるのではないか。○かぬまづく 昔から一つも釋き得た説はない。此句、恐らく、副詞と思はれるから、く〔傍点〕は形容詞語尾か。さすれば、「姦《かたま》しく」・「かまびすしく」などに近い語と言へる。○人と喚ばふ 前の引用歌に「人ぞ喚ばふ」とある。さすれば、と〔傍点〕はぞ〔傍点〕に通じたのだ。「おたばふ」は、天雲の延《は》へた状態に續けた語か。おたばふ〔四字傍点〕はおらぶ〔三字傍点〕の再活用形、おらはふ〔四字傍点〕の音韻變化か。多くは、穩《おた》ひ・穩《おた》ふ、の(83)同系の語と見てゐる。穩やかになる・靜穩に歸すると採るのだ。すると、「かぬまづく」の意義が變る。或は動詞か。「かぬまづく人」といふ風に續く訣だ。○いざ寢しめとら いざ寢しめとよ・いざ寢しめとやの意だらう。いざ〔二字傍点〕は、誘ひ起《た》てる語。寢しめ〔三字傍点〕は、自分を寢させよであらう。さすれば、とよ〔二字傍点〕の意なら、作者自身が女に、俺を寢さしてくれと言ふことよ、と言うてゐるのだ。又他人の事をいふなら、俺を寢させてくれ、とあの人々は、やかましく言うてゐるのだらうか、といふことになる。
【鑑賞】 出來ない。
 
3410 伊香保ろの岨《そひ》のはり原 ねもごろに おくをなかねそ。まさかしよかば
 
【口譯】 伊香保地方の岨路の王孫《はり》(ぬはり)の原ではないが、ねもごろにしみ/”\とそんなに、將來のことを言ひなさるな。今さへよければよいではないか。
【語釋】 ○岨 「伊波保ろの岨の若松」(三四九五)とあるのと同型。山|岨《そば》・崖・或は崖沿ひの路。○はりはら このはり〔二字傍点〕は、木本の榛でなく、草本の王孫だ。「伊香保ろの岨の王孫《はり》原我が衣《きぬ》に染《つ》ぎよらしもよひたへと思へば」(三四三五)、これも類型。歌の上の類型は、必しも土地の現實を示すものではないが、岨路に沿うた王孫原があつたのであらう。はり〔二字傍点〕はぬはり〔三字傍点〕或はつちはり〔四字傍点〕即、漢名、王孫〔二字傍点〕にあたる草で、その花をもつて、花の汁を摺りつけて型染めにしたのだ。王孫原は古歌の習慣として、はりはらのはり〔七字傍点〕と謂つた意になる。○ねもごろに 枕(84)詞を受けた形は、根の絡み合つてゐるところからくる。此句をきつかけに上二句は、序歌となつてゐる。念入りに・よく/\・行きとゞく意の副詞。○おくをなかねそ 「三四〇三」參照。おく〔二字傍点〕は未來。かぬ〔二字傍点〕は、豫期する・豫約する。こゝでは、豫約させるな・未來の約束を強ひるな、といふことである。或は輕く、先ざきのことを言ふな、とも採ることも出來る。○まさかしよかば 同じく「三四〇三」參照。し〔傍点〕は緊張の助辭。よかば〔三字傍点〕は、よからばの意。ら〔傍点〕音脱落か。よけば〔三字傍点〕の變形か。この句、第四句に於いて、「まさかしよかば、おくをなかねそ」と解いてもよい。だが、第四句で言ひ切つて、第五句におかれると、獨立した詠歎句の意義をもつてくる。
【鑑賞】 調子の素直な拘泥のないところが、この歌の自由な心持ちに相應してゐる。この歌、誓約を迫る人を、煩はしがつたといふよりも、拘泥しない戀愛をあらはしてゐるもの、と見るべきであらう。民謠的に價値の多い歌。
 
3411 多朗《たこ》の嶺《ね》に寄せ綱|延《よ》へて、寄すれども、あにくやしづし。その面《かほ》よきに
 
【口譯】 多胡の山に引き寄せ網を引つばつて寄せる、それではないが、俺に女は靡いてゐるが、どう考へても、後悔せられて爲方がない。その表むきばかりがよくて、内心さうでないので。
【語釋】 ○多胡の嶺 多胡郡地方の山を斥したのだらう。○寄せ綱 八十《やそ》綱の音韵變化とも思はれるが、こゝ(85)では、更にその意が變つてゐる。又よせ糾《な》ふた綱とも思はれるが、こゝでは引き寄せる綱を考へてある樣だ。獲物などを引き寄せる綱の用途を、誇張して使つたのだらう。○延へて 向うからこちらへ、引き渡して、或はひつぱつて。上二句、よすれども〔五字傍点〕をきつかけにして出來た序歌。○寄すれども 寄せたれどもの意。「三四〇八」參照。單に思ひを寄せるだけでなく、靡く意がある。女が靡いてゐるが安心出來ないのである。○あにくやしづし あに〔二字傍点〕は「豈」の字を當てるあに〔二字傍点〕。たゞ、古く、あによくもあらず・あにもあらず〔十四字傍点〕など、反語にならぬものがある。これもそれだ。くやしづし〔五字傍点〕は難語だが、悔し〔二字傍点〕を語根として、形容詞語尾をなすたし・なし・らし〔六字傍点〕と同形のものがついて、地方發音としてくやしづし〔五字傍点〕となつたのであらう。○その面よきに その外面粧つてゐるのを見ても、心がぢれて來るのである。かほ〔二字傍点〕は本文「可把《かは》」だが、「把」を「抱」に改める眞淵説が行はれてゐる。
【鑑賞】 下句の調子に曲折があつてよさゝうだが、序歌の弊を著しく持つてゐる上句との氣分連續がない。
 
3412 上つ毛野 黒檜《くろほ》の嶺ろの葛葉蔓《くずはがた》 かなしけ子らに彌《いや》さかり來《く》も
 
【口譯】 上野國、その黒檜の山の葛の葉でないが、可愛い彼女に非常に遠ざかつて來たことよ。
【語釋】 ○黒檜の嶺ろ 黒檜《くろひ》のことをくろべ・くろぼ〔六字傍点〕など言ふから見れば、黒檜嶽に當るだらう。たゞ、これ(86)と斥すべきものに迷ふ。赤城山中の黒檜嶽が昔からさう言つたかも疑はしい。利根郡・勢多郡等に同名の村名があるが、皆木の名から出たので、この地名の遺つたものとは定められぬ。○葛葉蔓 かた〔二字傍点〕はかづら〔三字傍点〕と定めていゝ。別に説がある。葛〔傍点〕をくずは〔三字傍点〕と言ふのは、例もある。殊に葉は飼ひ葉に用ゐるからだ。上三句序歌。この序歌の成立、突然な氣がするが、類型があつたのであらう。「さかる」をおこす。○かなしけ子ら 可愛い娘。かなしけ〔四字傍点〕はかなしかる〔五字傍点〕と同じい。「三三七六」參照。○彌さかり來も いや〔二字傍点〕はます/\〔四字傍点〕。遠ざかつて行く過程を示す。だが、來も〔二字傍点〕を現在完了的に來たことよ〔五字傍点〕と見ると、いや〔二字傍点〕は非常に〔三字傍点〕の意味になる。妹の家に遠きを覺え、妹から離れたことを感じるのだ。
【鑑賞】 上の句、全く詞章本部に關係ない訣でもなからう。「黒檜の嶺ろ」で、妹及び自分の家のあたりを暗示してゐるものと見てよい。近代的に見れば、上句に下句と通ずる氣分が用意せられてゐないので、一種の姿に味がなく感ぜられる。
 
3413 利根川の 川瀬も知らずだゞ渡り 波に逢ふのす逢へる君かも
 
【口譯】 利根川の川の渡り瀬知らずにめつた渡りに渡つて、波にであつたその樣に、偶然ゆきあつたあなたよ。
【語釋】 ○利根川 上野國利根川。この歌にうたつてゐる中心地は、どの邊か訣らぬ。恐らく、沼田以南澁川(87)附近までを斥すものと見てよからう。○波に逢ふのす のす〔二字傍点〕はなす〔二字傍点〕と同形。たゞ、なす〔二字傍点〕の音韵變化と見るのはよくない。寧、この方が原形に近い。別に説がある。この句をきつかけに、以上四句が序歌となつて「あへる」をおこす。あやぶく・かしこく〔八字傍点〕と言ふ意味を含んだものと見て解くのは惡い。
【鑑賞】 民謠とは言へ、あまりに機智を弄した技巧が浮薄である。たゞ、「あへる」一語に重點をおいたのは、初めて逢つた喜びを示すのだらう。これを考へないから危險を冒して逢つた、と解くことになるのだ。
 
3414 伊香保ろの、八尺《やさか》の堰處《ゐで》に立つ虹《ぬじ》の 顯ろまでにさ寢をさ寢てば
 
【口譯】 伊香保地方の八尺の堰處に立つ虹それではないが、露骨に人目につくまでも、寢さへしたならば、人に知られても、後悔はない。
【語釋】 ○八尺の堰處 やさか〔三字傍点〕は地名か。それでも虹との關係が多少訣らぬから、或は八尺《やさか》もある深さか廣さか、ゐで〔二字傍点〕と言ふことから出たものと見るべきであらうか。ゐで〔二字傍点〕は、田へ水を引く爲に、河流を堰いて水を湛へた場所。さう言ふ地形が、自然に岩床の出た場所に出來てゐることも多い。こゝではさうした地形であらう。○立つ虹 たつ〔二字傍点〕は出現する意で、必しも今の樣に高くかゝるを言ふのでない。ゐで〔二字傍点〕の水の溢れ落つるしぶきなどで出來るのであらう。ぬじ〔二字傍点〕はにじ〔二字傍点〕(虹)。以上三句、「あらはろ」の爲の序歌。たゞ疑問は、たつ〔二字傍点〕と(88)あらはる〔四字傍点〕とは同義である、それを竝べ用ゐたのはいかゞと思はれる。實は、こゝに虹を言ふのも妥當を缺いてゐるのだ。考へとしては重苦しいが、別説の輪廓だけを言ふ。にじ〔二字傍点〕の語原はぬじ〔二字傍点〕で、蛇の精である。その出現をたつ〔二字傍点〕と言ひ、その姿を八尺の堰處にしば/\露出するを見た經驗から、言つたと見られぬこともない。○願ろ あらはる〔四字傍点〕の地方發音。○までも までに〔三字傍点〕と同じい。或は略してまで〔二字傍点〕。二人の間が露見するまでゞある。○さ寢をさ寢てば さねてば〔四字傍点〕と同じい。自動詞に補足語を置くのは、古語の文法だ。ぬ〔傍点〕(寢)に對して、名詞い〔傍点〕(寐)を重ねて、いぬ・いをぬ・いもねず〔九字傍点〕など言ふ。その形をぬ〔傍点〕(寢)の名詞形ね〔傍点〕で言つたものがこれだ。さね〔二字傍点〕は既に述べた。共寢だ。たゞ、かう言ふ風に重ねると、「共寢に共寢をした上は」と感ぜられる。それは必しも後世の語感ばかりではない樣だ。
【鑑賞】 これも、序歌と本部との間の氣分融合が、今一つぴつたり來ない。何か近代の人には訣らぬものがあるのではないか。
 
3415 上つ毛野《けぬ》 伊香保の沼に植小水葱《うゑこなぎ》 斯く戀ひむとや 種求めけむ
 
【口譯】 上野よ。その伊香保の沼なる植小水葱それではないが、自分で焦れようと思つて種を求めて、それでこんなに焦れてぬるのだらうよ。
【語釋】 ○伊香保の沼 伊香保にある沼で、今の榛名湖と思はれる。○沼に植小水葱 このに〔傍点〕はなる〔二字傍点〕の意であ(89)ること、口譯にある通りだ。別説ある。「山がたに〔右○〕蒔きし〔右○〕あだね」も、山がたなる〔二字右○〕蒔きあだねと言ふことだ。古代文法で、後世の文法形式をそのまゝ當てるのは間違ひだ。○植小水葱 こなぎ〔三字傍点〕は小水葱《こなぎ》。今もある草。古文法で言へば、「うゑしこなぎ」と言つても同じだ。その場合過去ではない。まだ時間觀念の文法上に出ない頃植ゑたるこなぎ〔七字傍点〕を、うゝるこなぎ〔六字傍点〕とも言はず、うゑこなぎ・うゑし〔八字傍点〕(助辭)こなぎ〔三字傍点〕と言ふ風に言つたのだ。その形式が殘存して、うゑこなぎ〔五字傍点〕、それを後の文法で言ふと、うゑし〔三字傍点〕は過去に、うゑ〔二字傍点〕は植ゑる爲のこなぎと言つた風に聞えるのだ。この句をきつかけに、上句は序歌。「種求む」にかゝつてゐる。○斯く戀ひむとや 今この如く焦れようとしてその爲に。や〔傍点〕は感動。疑問でない。けむ〔二字傍点〕の下に廻して、求めたんだらうよ〔八字傍点〕と解くのだ。○種求めけむ 戀の因子を、自ら求めたのだらう。自業自得だとする諦めの感じを出す。
【鑑賞】 小水葱と言へば、紫色の摺り染めの材料。總て染料の、着物に深くつく點から、戀ひにそむことの比喩にしてゐる。この歌も直接には、小水葱を以て戀を表してはゐないが、聯想の近い虚から小水葱と戀とが結びついた訣だ。古代文法がしつくり描寫性を伸べないので、氣分に拘泥が出來る。當時としては新しかつたものかも知れぬが、後世的には、「種求む」と言ふ隊な表現は感じない樣になつてゐる。だが、三句四句あたりは、この歌の技巧のきいた處であらう。
 
(90)3416 上つ毛野《けぬ》 かほやが沼のいはゐづら 引かばねれつゝ 我《あ》をな絶えそね
 
【口譯】 上野よ。かほやの沼のいはゐづら、其がづる/\と拔けて來る樣に、俺がひいたらついて來々《きい/\》して、俺からとぎれてくれるな。
【語釋】 ○かほやが沼 所在不明。○いはゐづら 「三三七八」參照。この歌と右の歌とは、單に一部變化しただけである。地名が「入間路《いりまぢ》の大家《おほや》个原」であり、「ひかばぬる/\」であり、「わを」が「わに」であるだけの差違なることすら、同形なることを見せてゐる。○ひかばぬれつゝ ぬる〔二字傍点〕はすつぽり拔けること。但、その状態を表した語。あとから/\ぬける樣をつゝ〔二字傍点〕で表したのだ。○我をな絶えそね あ〔傍点〕は我。「わにな絶えそね」と、意味に於いて違はぬ。現在の文法ではに〔傍点〕とを〔傍点〕に區別をつけるから、假りに口譯を替へて見た。
【鑑賞】 近代的には、あまりに類型的である上に、技巧としても、心を捉へるものがない。
 
3417 上つ毛野《けぬ》 いならの沼の大藺草《おほゐぐさ》 よそに見しよは、今こそまされ 【柿(ノ)本(ノ)朝臣人麻呂歌集に出づ】
 
【口譯】 上野よ。いならの沼の中にある大藺。それではないが、手が屆かないで、わきから見てゐた時よりは、逢ひそめた今の方が、より以上にかわゆい。
【語釋】 ○いならの沼 所在不明。○大藺草 所謂、太藺。上三句序歌。そのかゝりは「よそに見し」につゞ(91)くのだ。藺は水中に生えるので、遠くから見てゐると言つた考へ方である。○よそに わきから〔四字傍点〕と譯したが、よその者として・無關係の者として〔よそ〜傍点〕と、に〔傍点〕を譯する方がよい。或はおほ〔二字傍点〕(凡)からよそ〔二字傍点〕への聯想か。○見しよは 脇からあの人を見て居た時と比べるとゝ言ふこと。○今こそまされ 近勝りすることゝして、「他人でなくなつてます/\その人が立派に見える」と言ふ風にも解けるが、やはり戀心の募ることであらう。○柿(ノ)本(ノ)朝臣人麻呂歌集に出づ 後世の『柿本集」又は『人麻呂集』と稱するものとは、別本である。但、この註は、この歌、東歌としての傳への外に、『人麻呂集』にも見えてゐる、といふことを記したのである。同時に、必しも人麻呂の作物と言ふ意味でもない。
【鑑賞】 沼に生えてゐるものを、よそに見ると言ふ經驗を持つて來たところは、實感が出てゐて民謠らしい。但、下二句、直接感が乏しい樣だが、それは近代人の不感性によるのだ。
 
3418 上つ毛野《けぬ》 佐野田《さぬだ》の苗の むらなへに、ことは定めつ。今は如何にせも
 
【口譯】 上野よ。佐野田圃の苗それではないが、うらなへによつてはなしはきめてしまつた。もうどうも爲ようがない。
【語釋】 ○佐野田 前々の關係から見ても、このさぬ〔二字傍点〕も下野安蘇郡佐野であつて、群馬郡のではない。地名に「田」がつくのは、古代、普通の村里は高地にあつて、その低地部が田になつてゐた。これが田の〔二字傍点〕面《も》で、後世(92)のたんぼ〔三字傍点〕だ。飛鳥・衾等の村に對して、あすか田・ふすま田〔八字傍点〕と言ふのがこれである。單に佐野の村の田と言ふだけでは訣らぬ。○苗 佐野田に植ゑ竝べた苗から、音の聯想でむらなへ〔四字傍点〕をおこした。以上二句序歌。○むらなへ うらなひ〔四字傍点〕。む〔傍点〕はう〔傍点〕の鼻母音を示したのだ。但、普通|群苗《むらなへ》からうらなへ〔四字傍点〕にかけたとするのは、くどい。同時に、苗によつての占ひがあつたので、苗のむらなへ〔四字傍点〕と言ふのだとするのもより處がない。○ことは定めつ 神事によつて解決法をきめたのである。こゝでは、結婚のことを言ふのである。○今は如何にせも これも普通、他人の結婚申し出でを斷つて、まう神意によつて結婚した、と斷つたのだと説くが、外にも説ける。男の心の動搖を見て、今更神の意志は曲げられないと、女が男に外心を諦めさせようとしてゐるのだ、とも採れる。
【鑑賞】 信仰が社會を律して居た時代の民俗を、そのまゝ見る興味が、歌として以外に加はる。意味決定しないが、下句の緊張した調子は、よいと言はねばならぬ。
 
3419 いかほせよなか|中《?》次|下《?》思ひとろくまこそしつと忘れせなふも
 
【口譯】 ?
【語釋】 ○いかほせよ 不明。『白文萬葉集』は「伊可保加世」と改めてゐる。字のはめ方に疑問はあるが、「三四二二」に照らし合せ、又後に「吹」(次)の字のあるから見ると、適切な氣がする。伊香保嶺から下す風と言(93)ふことになる。それでなければ、舊説、いかほ夫《せ》よ」と言ふことになる。いかにも不穩當だ。○第二句 『白文』「欲奈可吹下」としてゐる。夜中吹き下し〔六字傍点〕のつもりと見える。巧妙だが、此句になると近代くさい。殊に二字までも二音三音を表す字があるのは、東歌としては異常だ。訣らぬ。○思ひとろ 『萬葉集論究』『思ひづる」としてゐるのはよい。思ひたる〔四字傍点〕か。○くまこそしつと くま〔二字傍点〕は「隈」か。しつと〔三字傍点〕はよしと、よきと〔六字傍点〕などに當る字の誤りか。回想のところ/”\がよいと言ふことだ。○忘れせなふも 忘れないことよ。「三三七五」參照。忘れせなふ〔五字傍点〕は、忘れせざり〔五字傍点〕だ。
【鑑賞】 出來ない。
 
3420 上つ毛野《けぬ》 佐野の船橋取り放し 親はさくれど、我《わ》はさかるがへ
 
【口譯】 上野よ。佐野の船橋取りはなして引きのける、それではないが、親は二人を引きのけるけれど、私はひきのけられようか。
【語釋】 ○佐野の船橋 これも下野の佐野にあつたのであらう。群馬郡の佐野烏川にあつたとするのは、考へものだ。下野の佐野ならば、渡良瀬川に渡してゐたのであらう。○船橋 橋柱を立てることが出來ない場合に、舟を連ねて橋の代用にしたのだ。○取り放し 水勢によつて綱が切れて、船同志ひき分けられることがある。その聯想でとりはなし〔五字傍点〕と言ひ、これを契機として上三句を序歌としたのだ。「さくれど」をおこす。(94)○親 兩親と言ふより、古風に母と言ふ方が適切だ。○さくれど 間を遠ざける・ひきはなす。○さかるがへ 本文、『舊本』「さか禮がへ」とある。『元暦本』によつて、「禮《れ》」を「流《る》」と改める。さかる〔三字傍点〕は、遠ざかるである。さくる〔三字傍点〕に對して言つたのだ。さかれる〔四字傍点〕ではない。『わがめづま人はさくれどあさがほのとしさへこゞと我はさかるがへ〔五字傍点〕』(東歌)、同樣の例だ。がへ〔二字傍点〕はべき・めや〔四字傍点〕の意に聞える。他に『會はすがへあらそふ妹』・『紐ときさけてぬるがへに』などある。なべ〔二字傍点〕と同語であるらしいが、やはりべし〔二字傍点〕と、譯することができる。
【鑑賞】 古代の歌物語のうちの、男の歌に答へたものが脱落して、風俗歌のにほひを深めて來たのだ。小説的の構想が先に來て、詩としての迫るものは感じさせない。
 
3421 伊香保|嶺《ね》に 雷《かみ》な鳴りそね。我が方《へ》にはゆゑは無けども、子らによりてぞ
 
【口譯】 伊香保山に、雷よ。そんなに鳴るな。我の爲には別のことはないが、彼女の爲に、さう願はれる。
【語釋】 ○伊香保嶺 榛名山。必しも榛名富士を斥すのではない。○雷 かみなり。○我がへ へは方《はう》・側《がは》。我家をわがへ〔三字傍点〕と言ふこともあるが、こゝはそれとは別である。○ゆゑ 故障〔二字傍点〕に當る。理由・わけ〔四字傍点〕ではたらぬ。○なけども なけ〔二字傍点〕はなかれ・なけれ〔六字傍点〕と同形。ら〔傍点〕行音脱落とも、その古形とも採れる。○よりてぞ その原因〔四字傍点〕(95)からであると言ふこと。
【鑑賞】 單に愛人が雷を嫌ふからと言つて、勞つたゞけではあるまい。雷鳴を遠ざける咒文の樣に、用ゐられたものだらう。さうした關係を考へず、眞直に近代的に見れば、多少戯曲的な處はあつても、純なよさ〔二字傍点〕はすてられぬ。
 
3422 伊香保風 吹く日吹かぬ日ありと言へど、我が戀ひのみし 時無かりけり
 
【口譯】 伊香保おろしの風よ。吹く日と吹かぬ日とあるけれど、我の焦れる心ばかりは時の差別がないことだ。
【語釋】 ○伊香保風 何風と言ふのは、其山の山颪である。○ありと言へど いへど〔三字傍点〕は、普通の「雖」に當てるいへども〔四字傍点〕で、言ふ〔二字傍点〕に關係ない。○時なかりけり 時の差別がないで訣るが、いつも盛りであると言ふことだ。
【鑑賞】 一句二句は類型であらうが、後代風な優美感を含んだ語。その外、總て柔軟な表現は、この歌自身から出てゐるものである。三句四句五句と、次々に反省をした樣な調子もよい。
 
3423 上つ毛野 伊香保の嶺ろに降ろよきの 行き過ぎ敢《か》てぬ。妹が家のあたり
 
(96)【口譯】 上野よ。伊香保の山に降りつもる雪ではないが、俺はゆきすぎきらないでゐる。彼女の家の邊。そこを。
【語釋】 ○嶺ろ ろ〔傍点〕は愛稱の語尾。ね〔傍点〕は峰。即、山を意味する。○降ろよき 降る雪。單に降るだけではなく、本集では、積る意味に用ゐてゐることが多い。この語を契機として、上三句を序歌として第四句の「雪」にかけてゐる。○敢《か》てぬ 敢へてせず・出來ない・あたはぬ。「三三五一・三三八八」參照。
【鑑賞】 平凡な歌と見えるが、單純にまとまつて清らかな氣持ちがする。山の雪の印象が、一首の中によい効果を齎らしてゐる。
 
    右二十二首、上野(ノ)國の歌。
 
3424 下つ毛野《けの》 三鴨《みかも》の山のこ楢《なら》のす まぐはし子らは、誰《た》が食器《け》か持たむ
 
【口譯】 下野よ。三鴨の山のこ楢ではないが、美しいあの子は、俺を除いて誰の食事の世話をするものか。やどの妻になるにきまつてゐる。
【語釋】 ○下つ毛野 下つ毛野の國で、後、聲音脱落でしもつけ〔四字傍点〕となる。○三鴨の山 都賀郡三鴨郷(倭名抄)。山はその附近にあつたのであらう。今三鴨村と稱するうちにある山。○こ楢のす こゝののす〔二字傍点〕は、‥‥の樣(97)に〔五字傍点〕と譯する例によつて、こ楢〔二字傍点〕を美し娘〔三字傍点〕の比喩としたのではない。こ楢〔三字傍点〕のこ〔傍点〕を子ろ〔二字傍点〕のこ〔傍点〕にかけたのだ。方言的には數種ある。のす〔二字傍点〕はなす〔二字傍点〕に同じい。既に述べた。○まぐはし子ろ 美しい〔三字傍点〕を意味するくはし〔三字傍点〕に接頭語ま〔傍点〕のついたもの。後世ならば「まぐはしき子ら」と言ふ處だ。古く、形容詞の語根を、下の語に續けて熟語を作つたのである。美しの娘〔四字傍点〕と言ふ位の語氣である。○誰《た》が食器《け》か持たむ 古代から今に至るまで、主婦は一家の食事を管理する權力を持つてゐる。け〔傍点〕は食饌を意味するだけでなく、食器をも意味してゐる。食器をとり扱ふことがけをもつ〔四字傍点〕である。勿論、食器は單なる食器でなく、祭器である。誰が家の食器を司らむ、と言ふことである。それと同時に、たが〔二字傍点〕とある以上は、他のものを拒否する言ひ方だから、他の誰のものでもない、と言ふことになる。俺の家の主婦となるだらう、と言ふ意味だ。
【鑑賞】 この歌、決して女の歸する處を思ひ煩うて、逡巡してゐる氣持ちではない。これも民俗的に興味はあるが、第五句ばかりで、重大な展開をしてゐる點は、調子を急迫させて、融合感を持たせにくい。だが、「小楢」を掲げ出した處は、民謠風である。
 
3425 下つ毛野《けぬ》 安蘇の川原よ 石踏まず空ゆと來《き》ぬよ。汝《な》が心|宣《の》れ
 
【口譯】 下野よ。安蘇の河原をば石を蹈んだ氣もせず、宙を飛ぶ樣にやつて來たことよ。だからあなたの心をお聞かせなさい。
(98)【語釋】 ○安蘇の川原 安蘇川は、秋山川だと言ふが、やはり利根本流の安蘇郡邊での名であらう。○川原 河道敷の、常は水のない砂或は石ばかりの廣々とした部分。○よ よ〔傍点〕は進行の動詞の補足語につく語尾。「三三六六」參照。○石蹈まず 口譯は、訣り易く譯したが、空を飛ぶ如く小石も蹈まないで來た、と言ふことになる。○空ゆと來《き》ぬよ と〔傍点〕は如く〔二字傍点〕の意。空ゆ行く如く來ぬるよの意。○心宣れ 自分の持つてゐる意中を言へである。のる〔二字傍点〕は神自身言ふこと。轉じて、儀禮的にものを言ふこと。更に、言ふ〔二字傍点〕の敬語。こゝは二番目の意味に近い。結婚の意志の有無を表白することを言ふ。
【鑑賞】 自分の勞を告げることは、恩を着せることではない。かくの如く忠實なるを示すのだ。たゞ、第四句までの表現は、古風であつて、恐らく古い叙事詩に現れた人物に關する事件を思はせるやうな、古典的な言ひ方であつたに違ひない。それだけ、四句から五句への展開が古風で、勿論、我々には適切に來ないのである。その古風な點を採るべきであらう。この歌、安蘇地方が、前の『安蘇の眞麻むら』の歌の出來た時から、時代を經て、下野領になつた時代に作られたものであらう。同じ東歌のうちにも、これだけの時の推移が見える。
 
    右二首、下野《しもつけ》(ノ)國の歌。
 
3426 會津嶺《あひづね》の國をさ遠み 逢はなはゞ、しぬぴにせむと ひも結ばさね
 
(99)【口譯】 會津嶺、それではないが、國の遠さに、逢ふことがなくなつたら、思ひ出し草にしようと思ふ。紐の緒を結んで下さいね。
【語釋】 ○會津嶺 磐梯山。「國をさ遠み」の序に置いたもの。枕詞といふべきだ。○國をさ遠み 故郷の遠い爲に。磐梯山が國原〔二字傍点〕(人里)離れてゐるからかけたのだ。○あはなはゞ あはざらば〔五字傍点〕である。なは〔二字傍点〕は既出。少し時間過程を補つて、逢はないに至らばといふ風に解く。○しぬび 口譯では、偲び草といつたが、訣り易く言つたまでゞある。表面は、人を偲ぶやうに聞えるが、元、秘めて咒する鎭魂の具であつた。○せむと と〔傍点〕の下に意味の省略があるものと見ておいた。だが、尚、東歌には、と〔傍点〕をぞ〔傍点〕の意に使つた例もあるから偲びにしようと思ふよと説いてよい。或は、せさせむ〔四字傍点〕の意味をかう言つたともいへる。且、敬語と見て、「あなたが‥‥になさる爲に」とも解ける。せむ〔二字傍点〕の「牟」『古本』、多く「毛」となつてゐるが、どちらでもさしつかへない。○ひも結ばさね むすばす〔四字傍点〕の輕い命令形。お結びなさいなである。ひも〔二字傍点〕(紐)は詳しくは、紐の緒〔三字傍点〕である。「三三五八」參照。この場合は、妹の靈を旅行者に結びつける事を、旅行者が乞うてゐるのである。相手も紐を結んでくれ、こちらも結んでやる、といふ紐結びの動作をしようとすゝめてゐる事ともとれる。
【鑑賞】 この歌、調子に單純化が見えるが、實感に遠い憾みがある。
 
3427 筑紫なるにほふ子故に、陸奥《みちのく》のかとりをとめの 結ひしひも解く
 
(100)【口譯】 筑紫の國の華やかな娘。そのために、東國地方の果ての香取の娘の結《ゆは》へた紐の緒をとくことだ。
【語釋】 ○筑紫 廣くは九州一圓にあたるが、こゝは、太宰府に近い筑前・筑後地方を斥すのだらう。○にほふ 派手に色めく美しさである。後世は、此語は、ほのかな美しさを表すことになる。○陸奥の 「みちのく」は「みちのおく」が融合したもの。みち〔二字傍点〕は、都から離れた地方の一群の國々をいふ。古代にも其文化の遲れた奥州・出羽をみち・みちの國〔六字傍点〕といひ、更にその※[こざと+奥]地といつた意味で、みちのおく〔五字傍点〕といふ。○香取處女 香取〔二字傍点〕は必しも下總の香取ではない。香取の神の分靈を祀つた香取御子神社が、遠く※[こざと+奥]地まで分布してゐたから、さうした土地の一つだらう。契沖が、※[糸+兼]處《かとり》女で※[糸+兼]を織る處女だといつてゐるのは、考へ過ぎである。○結ひし紐 別れ際に、靈をこめて結ひてくれた紐の緒である。元は、貞操觀念に關係なく、護身の爲の咒術であつたのだ。
【鑑賞】 防人などになつて九州へ行つた、男の心になつて作つた自由な歌とも見られるが、又、東國の女の、怨みの氣持ちを歌つたともいへる。いづれにしても、その當事者の作でないから、「結《ゆ》ひし紐とく」といつた、第三者の位置から見たやうな表現が出てくるのだ。抒情詩と見ない時には、この歌の價値は出てくる。つけて云ふ。こゝの陸奥は、磐城・岩代の中であらう。
 
(101)3428 あだたらの嶺《ね》に臥す猪鹿《しし》の ありつゝも 我《あれ》はいたらむ。ねどな避《さ》りそね
 
【口譯】 安達太郎山の嶺にねる野獣が、ぢつと〔三字傍点〕してゐるやうに、そのまゝ私の寢どころをかへなさるな。私はあなたのところへ歸りとゞきませう‥‥‥から。
【語釋】 ○あだたらの嶺 果して今の安達太郎山があたつてゐるかどうか訣らない。信達平原に在つた山。○臥《ふ》す猪鹿《しし》 野獣は、常に同じ處へ來て寢るから、状態の變らぬ意の「ありつゝ」に懸けたのだ。上二句、序歌。○ありつゝも この状態を續け/\して。その儘でこの四句にかゝるか五句にかゝるか、不明。後の方が正しい樣だ。但、四句だと「その中還る」となる。○我《あれ》はいたらむ いたる〔三字傍点〕は、既出。「三三八一」參照。ただ、到る〔二字傍点〕でなく遊離靈の信仰の盛んな時代だから、特に靈魂が想ふ人の所へ行くと意味を分化したとも思はれる。始中終、俺の靈はあくがれてお前の寢所に遊離して行くといふやうに見えるのだ。○ねどな避《さ》りそね ねど〔二字傍点〕は寢處。寢床又は、寢床のうちの寢場所といふことであらう。「避《さ》る」は、よける〔三字傍点〕。共寢した通りの位置に寢て居れといふこと。さる〔二字傍点〕は又とりさる事にもなる。自分の常の位置に靈が還るからであらう。
【鑑賞】 「嶺に臥す猪」以下一つの氣分が通つてゐるやうだが、第四句が、意味はわかつても、不安定。鑑真に能はぬ點がある。
 
    右三首、陸奥(ノ)國の歌。
 
(102)   譬喩歌
 
3429 遠つ淡海《あふみ》。引佐細江《いなさほそえ》の澪標《みをつくし》 我《あれ》を憑《たの》めて、あさましものを
 
【口譯】 こんなことなら、遠江の、その引佐の澪標ではないが、俺をあんなに信頼させないで、あせるならあせたらよかつたのに。
【語釋】 ○遠つ淡海《あふみ》 淡海〔二字傍点〕は湖。淡海の國が二つあるうち、都に近いのが 近つ淡海。都から遠いのが、遠つ淡海であつた。同じ近い淡海の中にも、遠い淡海と稱する地はあるが。こゝは、遠江(ノ)國。○引佐細江 今もそれと言つてゐるものは、濱名糊の東北、細い疏水のやうになつた引佐郡井伊谷川の末。入り江が細いから、細江と言つたのだ。○澪標 水脈標《みをじるし》。細江だから、砂などの爲に水の深淺が變るので、時々、水脈の標を立て換へるやうになつてゐたのであらう。此より上三句、序歌。「憑め」に懸り、又「あさまし」に縁を結んでゐる。○我《あれ》を憑めで 「※[氏/一]」の字、濁菅に訓む。清音に訓んでは意味が通じない。元の儘、立つてゐる澪標を信じて、淺瀬に乘り上げることなどあつたから、それと逆に、こんなことなら、たよりになるやうなことは言はないで、當てにさせないで、などいふ意味である。憑め〔二字傍点〕は、當てにすることをいふのである。○あさ(103)ましものを この發音も決して誤りでない。都風には「あせまし」といふところだ。あず〔二字傍点〕は、水が退く・から/\になる。まし〔二字傍点〕は、反現實の空想をいふ場合の助動詞。信頼させないで、あせたらよかつたのに、信頼させておいて、あせたことに對する反感を叙べる。
【鑑賞】 この歌の如きも、既に序歌・枕詞などの關係から、一方縁語・かけ〔二字傍点〕詞などの領域に入つてゐる。さうして、誠實感には乏しいが、端手な調子と表現のねばり〔三字傍点〕とが、いかにも後代民謠の色氣なるものを、出して來てゐる。
 
    右一首、遠江(ノ)國の歌。
 
3430 志太《しだ》(ノ)浦を朝漕ぐ船は、よし無しに漕ぐらめかもよ。よしこさるらめ
 
【口譯】 志太(ノ)浦をこの朝漕いでゐる舟は、よせるあて〔二字傍点〕なしに漕いでゐる筈があらうかよ。そのやうに、あの人もあて〔二字傍点〕があつて、彷徨《ウロツ》いてゐるんだらう。
【語釋】 ○志太(ノ)浦 駿河國志太郡。○朝漕ぐ船 朝開きして漕ぎ出した船であらう。○よしなしに 船の寄せる處と所縁《よし》とをかけてゐる。催馬樂『我門乎』、「わが門《かど》を、とさんかうさう、錬る男《をとこ》。よしこざるらしや」と類型。○漕ぐらめかもよ 漕ぐらめか〔五字傍点〕は「漕ぐらむ」の反語。もよ〔二字傍点〕は、その反語的氣分を深めてゐる。この句までが、上の歌に均しい動機を含んでゐる。○よしこさるらめ さるらめ〔四字傍点〕は、「こそあるらめ」である。(104)目的を持つてゐるのだらうといふこと。
【鑑賞】 この歌、『我門乎』を參考にして、あのやうに譯したが、獨立して説けば、五句だけで訣るものでなければならぬ。恐らく、あの二人は關係をもつてゐるだらう、といふ位の歌ではなからうか。この歌、民謠的にたゞ歌ふことが目的で、意味の反省をおろそかにした傾きがある。
 
    右一首、駿河(ノ)國の歌。
 
3431 あしがりのあきなの山に引《ひ》こ船の 後引《しりひ》かしもよ。こゝば來不敢《こかたに》
 
【口譯】 足柄|山彙《ヤマ》のあきな〔三字傍点〕の山から引き出す船ではないが、非常に來にくゝて、ぐず/\しりひいていらつしやることよ。
【語釋】 ○あきなの山 所在不明。○引こ船 引く〔右○〕船である。山地でこしらへた船を新しく引き下すことか。或は、舟木を挽き〔二字右○〕、つくる舟といふことか。「しりひかし」のひく〔二字傍点〕を起す。○しりひかしもよ ひかし〔三字傍点〕はひかす〔三字傍点〕。ひく〔二字傍点〕の敬語。しりひく〔四字傍点〕は、進捗せねこと、躊躇する事であらう。○こゝば こゝだ〔三字傍点〕と同じ。非常に。○來不敢《こかたに》 非常にやつて來にくゝして、躊躇していらつしやることよの意。
【鑑賞】 男の訪ねぬのを思ひ遣つた女の歌。女を他の女が慰める歌か。實感に遠い語と句法で、(105)興味は切れがちである。
 
3432 あしがりのわをかけ山の穀《かづ》の木の、我《わ》をかづさねも。かづさかすとも
 
【口譯】 足柄のかけ山〔二字傍点〕のかづ〔二字傍点〕(穀《かぢ》)の木ではないが、私をかどひ〔三字傍点〕出して下さいね。いくら、かどひ出し下さつても、かまひますものか。
【語釋】 ○穀《かづ(又かぢ)》 楮の木の類。方言によつて違ふ樹をいふが、漆科の植物ではない。この句をきつかけに上三句、序歌として「かづさねも」を起す。○わをかづさねも わを〔二字傍点〕は我《われ》を。ねも〔二字傍点〕は輕い命令の語尾。ゆかなむ・思はなむなど希望する意味のなむ〔二字傍点〕の語原。かづさ〔三字傍点〕は「かづす」の活用形。此語は、「かどふ」・「かどはす」・「かどはかす」などと一類の語で、結婚の一樣式として、娘の生家から男の家へ連れきたる風を言ふらしい。所謂、掠奪形式の結婚を示すか。だから、連れて行つて下さいといふ位の事で、かどはかしてくれといふ程強くはないのである。○かづさかすとも 上からの聯絡で、かづす〔三字傍点〕ことが出來ないとしてもといふ風に感ぜられるが、それでは文法組織が説けぬ。「かづさす」と「かづさかす」とは一つである。恰も「かどはす」と「かどはかす」、「ひやす」と「ひやかす」、「かける」と「かけらかす」とが同じいと同樣の關係だから、「かづすとも」の意味ととれば訣る。即、連れ出すともかまはない、或は嫌《いと》はないといふことを五句で獨立句式に感動的に言つたのだ。だから、此「受」は清吉スに訓むところだ。「かづさかずとも」と濁るのは、わるい。
(106)【鑑賞】 此歌、東歌中でも相摸歌として重要だつたと見えて、平安朝傳來の東遊「二歌」に「なをかけや。あまのかつのをけや。」と斷片的に殘されてゐる。風俗歌として特殊な歌枕を含んだ歌と見られたものであらう。だが、今日では、語格の紛糾が鑑賞をさまたげる。第二義的の言ひ方だが、かういふ歌こそ、飜作して興味を明らかにすべきだらう。事實に於いては、訣らない古代民謠が、その手で後代的に生かされた例がいくつもあるのだ。
 
3433 薪《たきゞ》樵《こ》る 鎌倉山のこ垂《た》る木を まつと 汝が言はゞ、戀《こ》ひつゝやあらむ
 
【口譯】 鎌倉山のしだれた木よ。それではないが、あなたが待つてゐるとさへ言うてくれたのだつたら、こんなに焦れ/\してゐる筈はないのだ。
【語釋】 ○薪樵る 枕詞。鎌〔傍点〕とうけたのだ。今のよりも大きな薙ぎ鎌も言ふのだらう。○鎌倉山 相摸國、今の鎌倉を繞る山か。○こたる木 「東の市の植ゑ木のこたるまで」とあるから、老木の樣子だと説くが、こたる〔三字傍点〕は、「をれこたる」などいふので、萎ひしをれた樣をいふらしい。以上三句序歌。「まつ」を起す。○まつと汝が言はゞ 松の木に「まつ」をかけた民謠的の技巧。いはざりしことに對して、かの時、待つと言はませばといふのである。別れしなに、いつまでも待つてゐると言つてくれたとしたらである。東歌を純粋な歌ば(107)かりと見るから、此句も未來へかけて説くのだが、此處は少くとも、上の如く説くべきである。この歌を、いつまでも焦れてゐようといふ風に、自ら慰めてゐる風に説く説の多いのは、四句を誤解したのである。あはれ〔三字傍点〕深さうに見えるが、語法にそはぬ解釋となる。や〔傍点〕と想像とが重つてゐる以上は、さう釋かないのが原則である。
【鑑賞】 近代的に言へば、鎌倉山のこたる〔三字傍点〕木を、人は松といふが、その如くお前が待つと言つたらといふ風に譯すれば、一つの爛熟した技巧となる。だが、それは、三句の終りの「乎」の意義に適《かな》はぬ。旅にゐる男から言うて來た怨言である點に、多少類型と變つたところが感ぜられる。それも亦、同類があるのかもしれない。併し、この歌のやうな技巧は、後世に榮えて來てゐる。
 
    右三首、相摸(ノ)國の歌。
 
3434 上つ毛野 安蘇山葛《あそやまつゞら》 野《の》を廣み、延《は》ひにしものを。あぜか 絶えせむ
 
【口譯】 上野よ、その安蘇山の山つゞらが、野の廣さに思ふ存分ひろがつたやうに、心の底にぞつこん思ひ込んだものを、どうしてとぎれようか。
【語釋】 ○安蘇山|葛《つゞら》 安蘇山のつゞらといふのは、接合が突然である。「安蘇山の山つゞら」と釋くべきであ(108)らう。單なる山のつゞらでなく、「山つゞら」といふ一類があつたのであらう。○野を廣み 野を廣くひろがつたといふ風には説けない。この副詞句をとつた理由は、廣さにまかせて、蔓《はびこ》つたその如く、心に下|延《ば》へたといふことである。この句以上序歌。「はひ」にかゝる。○延ひにしものを 山つゞらの延ふのと、思ふ心の根深く又は心の全部を占めたやうすを表すのだ。にし〔二字傍点〕は、前々から今迄思つて來たことをいふ。○あぜ あぜ〔二字傍点〕はなに〔二字傍点〕。なぜ〔二字傍点〕と譯するのは、今樣である。○絶えせむ 既出。
【鑑賞】 「延ひにし」を永續したやうに言へば、二人の仲を言ふやうになるが、これは一人の心を言つたので、誓約の歌である。誓約の歌であるから、其四句がひゞくのである。女が男に與へた物と見るべきであらう。「野を廣み延ひにしものを」に稍々特殊な處があるやうだが、結局、類型の作で、とり立てゝいふ程のこともない。
 
3435 伊香保ろの、岨《そひ》のはり原 我《わ》が衣《きぬ》に、つきよらしもよ。したへと思へば
 
【口譯】 伊香保地方の例の岨路の壬孫《はり》原。その王孫《はり》染の衣、其上、同じ重ねの着物と思へば、私の着物に配合が適當なことよ。
【語釋】 ○はり原 王孫原。「三四一〇」參照。歌で染物のことをいふ習慣が飛躍して、王孫原の王孫で染めた衣の色をかう言ふ。○つきよらしもよ つき〔二字傍点〕はつく〔二字傍点〕の名詞形。色の染みつく潮梅。よらし〔三字傍点〕はよろし〔三字傍点〕である。
(109)適當なこと。似合はしいこと。も〔傍点〕もよ〔傍点〕も感動。既出。摺り染めの王孫色がうまく染《つ》いたことである。同時に、わが情人として心に適つてゐることをいふ。但、この歌には、多少表現上のもつれ〔三字傍点〕がある。王孫の色を女に喩へたよりは、王孫染めの衣を女に比喩したと見る方がよささうだ。それで、「我《わ》が衣に」のに〔傍点〕は、我が衣として〔三字傍点〕である。つき〔二字傍点〕は配合・似合と用ゐられるのも普通である。すると、第三句に、「したへと思へば」を入れてみると、よくわかる。伊香保の王孫染めの衣、それが、したへ〔三字傍点〕と思ふにつけて我が衣とするに似合はしいといふのである。○したへと思へば 元暦校本以下、ひたへ〔三字傍点〕とあつて、たへ〔二字傍点〕は舊本、ひ〔傍点〕は古本に據つて補ふ。仙覺はひとへ〔三字傍点〕と釋き、新訓萬葉集に純栲《ひたたへ》としてゐるが、訣らない。ひた〔二字傍点〕は、無雙の縫ひ方をいふので、表を主としていふ場合には、直裏《ひたうら》といつて本集にも用例がある。したへ〔三字傍点〕の例はないが、語の成立からいふと、上の衣と同じ布で製《つく》つた下重《したがさ》ねのことになりさうだ。つまり、同族の間に戀ひの成就した場合の歌、と見るべきであらう。
【鑑賞】 右の如くひたへ〔三字傍点〕と説けば筋が通る。たゞ、慣用の至すところ、「王孫原」のをさまり處がなくなるのは、不安である。が、全體として柔軟な感を與へる歌といへる。
 
3436 しらとほふ を新田山の 守《も》る山の、末《うら》枯せなな、常葉《とこは》にもがも
 
【口譯】 新田山、その山の如く大事に番をしてゐる山のやうな娘。山ではないが、すがれること(110)をしないで、いつまでも緑葉で榮えてゐて欲しいことよ。
【語釋】 ○しらとほふ にひ〔二字傍点〕の枕詞。常陸風土記には「白遠新治之國しとある。語義不明。この方が音韻添加であらう。○を新田山 を〔傍点〕は愛稱。新田山「三四〇八」參照。○もる山 守部の管理してゐる山で、緩く言へば、大事な山。○末枯れせなな うらがれせなで〔七字傍点〕である。「三四〇八」參照。うらがれすることなくである。末枯〔二字傍点〕は、木の先の枯れ凋んでくること。○とこは 常盤《ときは》の奈良朝に於ける意の一分化。常葉と宛てゝゐる。葉の落ちることなく、常に緑である状態をいふ。
【鑑賞】 戀人の恒に若々しからむことを祈つたのだ。愛稱を加へた「を〔傍点〕新田山」が處女の比喩であることは、意表に出てゐながら妥當性をもつてゐる。類型であらうが、後代の者には珍らしく感じられる。これは元、主君、貴人を讃美したものが轉化したのであらう。
 
    右三首、上野(ノ)國の歌。
 
3437 陸奥のあだたら眞弓はじき置きて せらしめきなば、弦《つら》はかめかも
 
【口譯】 奥州の安達太郎山の檀《まゆみ》の弓、その弦を彈いたまゝにしておいて――使つたまに始末せずだん/\逸《そ》らしてしまつたら、二度と弓弦《ゆづる》をかけることは出來るものか‥‥。
【語釋】 ○陸奥のあだたら 安達太郎山「三四二七・二八」參照。○檀 木の名。原則的な弓の木故、まゆみ〔三字傍点〕(111)といふ。このの木で製つた弓を、更にまゆみ〔三字傍点〕(眞弓)といふやうになつた。○はじき置きて はじく〔三字傍点〕は、弦をはじく〔三字傍点〕。はづす〔三字傍点〕ことではない。弓の用が濟んでそのまゝにしておいたことである。弦をはねたきりで。○せらしめきなば 「せらしめ」は、そらしめる〔五字傍点〕であらう。「きなば」は來なば〔三字傍点〕である。おきなば〔四字傍点〕の音脱とも解けるが、おく〔二字傍点〕が重なるからいかゞ。○つら 弓弦《ゆづる》を言うた例が多い。○はかめやも はかむやもである。はく〔二字傍点〕は、はめる・あてがふ・つけるである。
【鑑賞】 時代の音覺が違ふところから、肝腎の三・四・五句が事々しく響いて素直に受け入れなく感じられるのは殘念だ。これなども、調子の上から尚、飜作があつてよい。
 
    右一首、陸奥(ノ)國の歌。
 
   雜歌
 
3438 つむが野に鈴が音《おと》聞ゆ。上信太《かむしだ》の殿の伸男《なかち》し 烏狩《とか》りすらしも
    或本(ノ)歌(ニ)曰(フ)。みつが野に 又曰(フ)。わくごし
 
【口譯】 つむが野で、尾鈴の音が聞える。上信太の御屋敷の仲の公達が、鳥狩りしていらつしや(112)るにちがひないことよ。
【語釋】 ○つむが野 不明。或本の歌には、みつが〔三字傍点〕野とあるが、それも訣らぬ。駿河或は常陸と思はれることは、上志(信)太の地名でわかる。駿河は志太、常陸は信太、又陸前にもある。どれかであらう。○鈴が音 下に鳥狩りとあるから、これは鷹の尾につけた鈴である。○殿 床をかいた建物。貴人・豪族の家の制だから、こゝは地方の豪家をいふのである。○仲男《なかち》 長男・末子以外の子。○わくご 後世の冠者〔二字傍点〕にあたる語。所謂元服期間にある者で、古代貴族子弟の青年時代の稱呼。○鳥狩り 鳥《とり》狩りである。鷹を以て小鳥を狩る行事。○らし 自信ある想像。
【鑑賞】 當時の地方の社會生活を思はせる歌。だが、此も戯曲的な要素を含んでゐる。作者が男か女か、讃美か羨望か、それらは皆、判斷出來ない。唯、咒咀の聲と見る樣な考へは成立しない。
 
3439 すゞがねの はゆま驛《うまや》のつゝみ井の水を賜へな。妹が直手《たゞて》よ
 
【口譯】》 驛馬のゐる驛舍のつゝみ井の水をおくれなさいな。彼女の直接《ぢか》の手から。
【語釋】 ○すゞがね 鈴の音。「驛馬」の枕詞と見る説がよい。これを鈴鹿嶺の驛と見る説があるが、當らない。驛馬に乘る人は、それが官の使であることを示す驛鈴をもつてゐた。その音から、驛馬の枕詞となるのだ。○はゆま驛 はゆま〔三字傍点〕は驛馬、早馬の義。官道に驛亭を設けて驛使のため、驛馬を用意してゐた。驛々の間の(113)官道を疾驅させる爲の馬だから、はゆま〔三字傍点〕。其馬を備へて、驛使を待つ驛亭を、「はゆまや」、或は「はゆまうまや」と言つたのだ。○つゝみ井 井〔傍点〕は、用水を湛へたところ。川・淵、或は池の類にもいふ。多く、清水の涌く處などを斥す。つゝみ〔三字傍点〕を包《つゝ》みと見れば、土を以て圍んだ井で、池或は其小さなもの。自然に清水を湛へる岩・土《つゝ》などで、人工で圍んであれば、包《つゝ》み井である。但、堀井ではない。○水を賜へな 妹に乞うてゐるのか、又たゞ假りに人を設けて言つてゐるのか明らかでない。○妹が直手よ この場合、妹〔傍点〕は彼女と譯するか、お前と譯するかいづれともとれる。直手〔二字傍点〕は、當時、ひさご〔三字傍点〕などで水を掬んで飲んだのに對して、手その物から飲みたいと言ふのだ。
【鑑賞】 これも、叙事詩的の色彩の濃い歌。事實、さうした女がゐた訣でなく、昔、驛亭の傍の水汲み場に居たといふ傳説上の女、その周知の美人を空想して詠んだので、すべての人の喜びをそゝる爲のもの。さういふ驛舍のあたりの宴會に歌ふ歌であらう。兩手を以て掬んだ水を直に男の口に含ませてくれるといつた情濃い女――眞間の手古奈とは反封の女の物語が多かつたのであらう。沖繩にも、これを手水《てみづ》といひ、許田《ちゆだ》の手水の歌及び古跡といふのがある。
 
3440 この川に朝菜洗ふ子。汝《なれ》も我《あれ》も、よちをぞもてる。いで 子|賜《たば》りに
(114) 一(ニ)云(フ)。ましな我《あれ》も
 
【口譯】 見れば、この河で朝菜を洗つてゐる娘さんよ。お前さんも俺も、相手するものをもつてゐる。どれ、娘さん、その相手の者を頂戴しませうよ。
【語釋】 ○朝菜洗ふ子 朝菜〔二字傍点〕は嚴格に言へば、朝のおかず〔三字傍点〕にする青物。それを洗ふといふことは、卑賤の處女といふことにはならない。昔の祭時には皆、貴人の處女もそれをした。その處女に呼びかけた風に言つたのである。○汝も我も 一本に「ましもあれも」とあるのと略々同じ。「まし」は「いまし」の音脱。汝《なれ》よりは古風で貴族用語らしい。さうして、二人ながら高い階級なることを、次の句とつゞけて示してゐるのだ。○よち 本集では數ヶ處用ゐてゐるが、皆意味は完全には訣らぬことになつてゐる。卷十二「與知子」を同じ趣きの歌に、「吾同子」と書いてゐる。それから見ると、貴族の息子・息女には同じ年頃の相手役が幾人かついてゐたのである。それが、よち〔二字傍点〕を用ゐたすべてに通じて訣るやうだ。宣長の言つた同年輩子とする説も、違つた意味に於いて訣る。もてる〔三字傍点〕は、互に相手役と倶に育てられるやうな身分だといふ事を示す。○いで子 いで〔二字傍点〕は自分みづから思ひ立つて、相手に呼びかける語。子〔傍点〕は朝菜洗ふ子〔五字傍点〕と同格、其娘に呼びかけたのだ。その子を〔四字傍点〕ともとれる。○賜《たば》りに たまはる〔四字傍点〕が「たばる」で、頂戴する事。給《たま》ふといふのとは違ふ。「たばりに」を給へな〔三字傍点〕の意味には解けない。こゝは、「たばらな」の地方的發音で、「たばらむ」と同じい。頂戴しようと乞ふことだ。
【鑑賞】 男もさうだが、女は殊に一群の女の子と倶に育つて、結婚にも、それらの相手役の者を連(115)れて、嫁《かた》づいた。夫としてはその女は勿論、相手役の女たちをも妻妾の待遇をする。この歌、與知子を頂かうといふことは、其主人なる處女に結婚を申し込む辭禮なのである。
 この歌も、こゝに達するまでの永い物語は、實際社會生活の上に、ある價値がかゝつてゐる。或は、結婚の前提となり常に歌はれた儀禮的の輕い歌かもしれない。
 
3441 ま遠《どほ》くの雲居に見ゆる妹が家《へ》に、いつか至らむ。歩め。我が駒
    柿(ノ)本(ノ)朝臣人麻呂歌集(ニ)曰(フ)。遠くして 又曰(フ)。歩め黒駒
 
【口譯】 距離の遠い地平線のあたりに見えてゐる彼女の家へ速くとゞきたいものだ。とつとゝ歩け。わが駒よ。
【語釋】 ○ま遠く ま〔傍点〕は、道の距離を示す接頭語。人麻呂集「遠くして」とあるのは、「遠くありて」の意。更にそのあり〔二字傍点〕は、「距たり」の代用に當る。○雲居 既出。妹の家をいふ時の慣用語。○妹が家《へ》 妹がいへ。熟語を作る時の音脱。○何時か至らむ 何時行きつくだらうではない。何時しか〔四字傍点〕と同じく、早からむことを願望する意に轉用せられてゐる。○歩め我が駒 滯る・止る〔四字傍点〕のを叱つてゐるのである。又、「歩め黒駒」といふのも、駒の色彩をいふのは、色を感じてゐるのでなく、赤的・青的と同じく、馬の名のやうに呼びかけてゐ(116)ると見るべきだ。
【鑑賞】 調子が立つてゐるが、類型であり、無内容でその上、近代的に見れば、下句が無用に張りすぎてゐる。大事件でもあるやうに。
 
3412 東路《あづまぢ》の手兒《てこ》のよび坂 越えかねて、山にか寢《ね》むも。宿りはなしに
 
【口譯】 東地方の手兒の呼び坂それが越えきれないで、今晩は山に寢ねばならぬか。やどりはなくて。
【語釋】 ○東路 このち〔傍点〕については、信濃路其外で述べた。東へゆく路と言ふより、東地方と説いて、東《あづま》のうちであることを示した方がよい。この歌は駿河の歌と思はれる。○手兒の呼び坂 『駿河風土記逸文』にある地名。後に田子の呼び坂と言つたとある。男に逢ふてこ〔二字傍点〕(娘)が、そこで鬼にとられて助けを呼んだからの名とある。同樣の傳説が駿河以外にもあつて、こゝも他國のかも知れない。○越えかねて 日のうちに越えきらうとしたのが、出來なかつたのである。單に險阻を怖れたのでなく、夜行を山の精靈に憚かつたのであらう。○山にか寢むも か〔傍点〕と下の想像との呼應する形で、ねばならぬか〔六字傍点〕の形である。も〔傍点〕は感動。
【鑑賞】 この歌、恐らく「田子の呼び坂」に對して、先入主を持つて恐れてゐる爲に、特に古風に、「東路の‥‥‥」と正式に言つたのであらう。或はその夜のことなく靜かならむことを祈つて、(117)この歌で精靈の心を和めようとするのであらう。併、後世風には、旅路のあはれがこの歌から受け取れる。かうした歌の鑑賞は、この二つの中間に於いて見るべきものであらう。
 
3443 うらもなく 我が行く道に、青柳の 張《は》りて立てれば、もの思《も》ひ出《づ》つも
 
【口譯】 何の氣もなしに自分の歩いてゐた路ばたに、春の青柳が芽を出して立つてゐたのを見た時に、此頃するもの案じが心に浮んで來たことよ。
【語釋】 ○うらもなく 何の成心もなく・底心もなくと言つた意味から、いろ/\分れたのであらう。○青柳 本の名はや〔傍点〕で、やの木〔三字傍点〕なる故にやぎ〔二字傍点〕とも言ひ、又の〔傍点〕がな〔傍点〕と變化して、やなぎ〔三字傍点〕ともなつたのだ。若枝の總て青く萠え出るからの名。○張りて立てれば はる〔二字傍点〕は靈魂がはひつて、物の生氣の出ること。冬籠りした本草が生きて枝・葉を出す事にも言ふ。立てれば〔四字傍点〕は、立つてゐる時に・立つてゐたから。○もの思ひ出つも もの思ひつゝ〔六字傍点〕でなく、もの思ひ出でつも〔八字傍点〕の音韵脱落變化。ものを思ひ出したのでなく、もの案じをしかけた又もの案じをしかけた、と言ふことだ。
【鑑賞】 この歌の動機になるものが、何か外にあるのだらうが、それは訣らぬ。それ等から切りはなして考へると、偶然の微妙な動機を捕へて、而も境地を畫くこと、我々の文學と同じ方法(118)をもつてしてゐる。姑らく、優れた歌の一つと見るべきであらう。
 
3444 きはつくの岡のくゝみら我《われ》摘めど、籠《こ》にものたなふ。せなと 摘まさね
 
【口譯】 きはつくの岡の莖みらそれを、我は摘んでゐるけれど、なか/\入れ物に一ぱいにならない。あなたよ。一しよにお摘みなさいな。
【語釋】 ○きはつくの岡 訣らぬ。但、仙覺の考へによつて、ほゞ常陸國眞壁郡と定めてもよからう。○くゝみら 莖みら。みら〔二字傍点〕は韮。韮の若い、まだ薹の出ないものであらう。○のたなふ 今多く、眞淵以下の説によつて、滿たなふ〔四字傍点〕と改めてゐる。だが、方言にさうあつたことも考へなければならない。たゞ、なふ〔二字傍点〕に續いてゐるから見れば、のつ〔二字傍点〕と言ふ形だつたと思はれる。これが滿つ〔二字傍点〕を意味して居たかどうかは訣らぬ。たゞ、な〔傍点〕行お〔傍点〕列音とま〔傍点〕行い〔傍点〕列音だから通じない限りもない。暫く滿つ〔二字傍点〕の意味で説いておく。なふ〔二字傍点〕はしば/\出て來た東語。ざり〔二字傍点〕に替る。○せなと摘まさね 東語では、ぞ〔傍点〕又はよ〔傍点〕に通じると〔傍点〕があつたのである。ぞ〔傍点〕は指示の意味からよ〔傍点〕と同じと考へることが出來るのだ。
【鑑賞】 韮の莖葉を採つてゐる處女が、男を呼びかけて、摘んでくれと言ふのを、輕い命令で言つたのが「摘まさね」だ。年中行事を中心に出來た唱和の歌と見えるが、やはり物語のにほひが濃厚だ。
 
(119)3445 水門《みなと》のや 葦が中なる玉小菅 刈り來《こ》。我がせこ。床の隔《へだ》しに
 
【口譯】 川口の葦の中の玉小菅。それを刈つていらつしやい。あなたよ。寢牀の目かくしに。
【語釋】 ○水門のや や〔傍点〕は體言を作る語尾。同時に或句に獨立感を與へる。意味の上には關係なく句をはつきりさせることに役立てる場合がある。たゞ、みなとの〔四字傍点〕と言ふことだ。みなと〔三字傍点〕は水門。川口の地峽によつて、挾まれた水の廣くなつた處。自然、船なども風よけにはひるので、これを湊と混亂する樣になつた。○葦が中なる 葦立ちの中にまじつた。○玉小菅 小菅を讃美した語か。たま〔二字傍点〕の意義は既に説いた。菅菰を編んで寢牀にかけるつもりなのである。○刈り來 刈り來よ。○床の隔しに とこ〔二字傍点〕は寢所。寢る座席は牀《ゆか》で、嚴格にはとこ〔二字傍点〕と區別がある。へだし〔三字傍点〕はへだて〔三字傍点〕と同語で、帷《とばり》・帳・壁代・竪菰の類。納戸の目かくしに當る。
【鑑賞】 かうした歌の成立の原因も考へられるが、主として、新室《にひむろ》の宴《うたげ》にうたはれたものだらう。決して貧家の樣子ではない。菅を用ゐるのは、古風で清淨な感じなのである。
 
3446 妹なろがつかふかはづのさゝら荻《をぎ》 あしと ひとごと語りよらしも
 
【口譯】 ? この頃一向逢へない。彼女が誓ひに立てた用水場の小荻それではないが、俺と逢(200)つてゐることが惡しいと、人のことばが、かたりよつて邪魔してゐるに違ひないことよ。
【語釋】 ○妹なろ 愛稱な・ろ〔二字傍点〕の一つに熟したもの。「いもなね」などに同じい。○つかふ 使ふ〔二字傍点〕か誓ふ〔二字傍点〕か、この歌さま/”\に採れて結着がつかぬから、假りに譯を作つて見た。○かはづ 川の門《と》。川の兩岸の出た處か、或は今も奥州・出羽邊で食物その外の洗ひ場をかはと〔三字傍点〕と言ふから、それに面影が見える樣でもある。○さゝら荻 さゝ〔二字傍点〕は小さい樣。ら〔傍点〕は體言語尾。小さい荻である。或はそれを神事に使つたと思はれる。荻の聯想で葦をおこす。この句をきつかけにして、上三句序歌。○あしとひとごと ひとごと〔四字傍点〕は、他人のことば・傍人の仲言《なかごと》。惡しと二人の仲を否定するもの言ひ。それではいけないと言うたのである。○語りよらしも 語りよるらしも〔七字傍点〕の融合。人があし〔二字傍点〕と語りよるのだ。よらしも〔四字傍点〕は時を補つてよつてるに違ひないことよ〔よつ〜傍点〕。但、古語のよらしも〔四字傍点〕は、大抵よろしも〔四字傍点〕の地方發音である。これだけがよるらしも〔五字傍点〕とは定め兼ねてゐる。
【鑑賞】 いづれにしても上二句が、も一つしつくりとけない。だから徹底出來ぬ。三・四句の變つた風俗《ふぞく》的な表現も、外の句におし及して鑑賞出來ないのが殘念だ。
 
3447 くさかげの あぬゝな行かむと 墾りし道。あぬゝは行かずて 荒草《あらくさ》立《だ》ちぬ
 
【口譯】 阿野野に行かうとして開墾した道。其道を、人が阿野野は通らないで荒草が成長してゐる。
(201)【語釋】 ○くさかげの あぬ〔二字傍点〕の枕詞。『倭姫世紀』に、草蔭阿野(ノ)國とある。○あぬゝな行かむと な〔傍点〕はに〔傍点〕の地方發音であらう。あぬゝ〔三字傍点〕は阿野野。前の阿野は伊勢だが、こゝは駿河其以東の東國に求むべきだらう。――尤、伊勢も東國にこめて言つたこともある。――詠史的な意味を持つた歌で、昔或貴人、阿野野へ通はうとして開かした道のことを語つたのである。○あぬゝは行かずて この下のぬ〔傍点〕を衍字と見る説が行はれてゐるが、さうするからは、上のあぬゝ〔三字傍点〕も動く。總てこの歌、拔き差しをすれば極端に弛むから、このまゝに説く外はない。阿野野には行くことなくなつてそのまゝ荒廢に歸したことを言ふか、道そのものが阿野野を通らないなりでと言ふのだから、阿野野まで通じなかつたことを言ふのか、問題だ。○荒草立ちぬ 荒草〔二字傍点〕は用途のある草に對して無駄な草。即、雜草である。清音であらくさたちぬ〔七字傍点〕としてもよし、あらくさだちぬ〔七字傍点〕と見ても訣る。たゞ、後の方は、道が荒草だつたと言ふことになるのだ。
【鑑賞】 詠史と言ふ風に見れば、一種の味を持つて感じられるが、何分にも斷言出來ない。だが、それ以上寓意があるとも見えない。或は思ふ。道に關する咒歌・咒文らしい處があるから、道に迷つたとか、道の障碍のあつた時にうたふものでないか。それにしてもこの歌は、その一つ前に起原がある訣だ。
 
3448 はなちらふ この向《むか》つ丘《を》のをなの丘《を》の ひじに著《つ》くまで 君が齡《よ》もがも
 
(222)【口譯】 目の前に立つ山なるをな〔二字傍点〕の嶺が、極端に低くなつて、泥田にとゞくほどあのお方の御壽命があつて欲しいことよ。
【語釋】 ○はなちらふ 收穫を壽する處から出た枕詞。あき〔二字傍点〕にかゝつた例もある。細部は訣らぬが、こゝも向つ丘〔三字傍点〕のほめ詞だらう。○向つ丘 新築の家を中心として言ふ詞。その眞向ひにある峯・丘の高處を斥す。○をなのを 山の名と思はれるが、或は山に關する普通名詞かも知れぬ。○ひじにつくまで ひし〔二字傍点〕はひち〔二字傍点〕の地方發音か。ざ〔傍点〕行とだ〔傍点〕行とでは大變違ふ樣だが、通ずることも多いのだから、必しもないとは言へぬ。又、假りにさう説くことが、類型もあつて適切な氣がする。ひし〔二字傍点〕を、今も沖繩地方で言ふ干瀬《ひせ》系統の詞、古く『大隅風土記逸文』の、海の中の洲を隼人の俗語「必志」と言うたのを引いて、海中の洲につくと言ふ説き方をするのは、あまり特例にとらはれすぎてゐる。山が低くなつて田の泥にとゞく或は泥に漬ると言ふ風に説く方が、音韵變化のあるべき點を考へると、無理が少い樣に思ふ。たゞ此歌の上句が、家ぼめに關係あるから思へば、このひし〔二字傍点〕は或は建築の一部最低い處を意味する語ではないか。向つ丘の高處が低まつて家の底に達する時までと言ふ風に説けるのかと思ふ。昔あつた語が悉く、今日に存してゐる訣でないから、あつたと言へぬかはり、なかつたとも斷言できない。○つくまで 舊本、「つく佐まで」とあるが、古本、ないものが多いから、訓に加へない。○君が齡もがも もがも〔三字傍点〕は願望。但、上のも〔傍点〕は存在を豫期する用語例である。そして、形式としては上に名詞を受ける。人もがも・ほしきこもがも・まかいもがも・みむよしもがも、皆あることを願ふのである。君が齡あれかし・ありにしがも〔十三字傍点〕の意である。よ〔傍点〕は齡である。
(223)【鑑賞】 この歌、必しも天子を祝福することから出發したものでもなからう。地方的豪族の宴會にその壽を賀した詞から、用途を擴げられたものと思ふことが出來る。氣分だけは通り、殊に下句は殆疑ひなくて強い力を感じさせるが、尚鑑賞をさけておく。
 
3449 白|栲《たへ》の衣の袖を まくらがよ 海人《あま》漕ぎ來《く》見ゆ。浪立つな。ゆめ
 
【口譯】 まくらがの方から、蜑が漕いで來る。それが見える。波よ立つな。氣をつけよ。
【語釋】 ○白栲の 「衣」と言ふ爲の序。枕詞と言ふ程のものでないが、分類から言へば、やはり枕詞と云ふべきだ。○衣の袖 「まくらが」のまく〔二字傍点〕をおこす枕詞。一句二句を通じて序歌。○まくらがよ まくらが〔四字傍点〕は地名。所在不明。但、『まくらがのこが漕ぐ船に‥‥』(三五五八)とあるこが〔二字傍点〕が、今の古河ならば、まくらが〔四字傍点〕も下總の地名である。ともかくさうすれば、まくらが〔四字傍点〕は大地名こが〔二字傍点〕は小地名となる。よ〔傍点〕は、この歌では、から〔二字傍点〕らしいが、通常進行の意味の動詞の補足語についてゐる場合は、をば〔二字傍点〕となる。まくらが〔四字傍点〕のあたりを漕いで來るのが見えると言ふことになる。○海人 海人部《あまべ》の略。海人部の民である。古代から日本民籍に入らずに、海岸地方に分布して居た民團。○漕ぎ來見ゆ 本集を通じて「漕ぎ來る見ゆ」と言はないのが原則だ。口譯には「漕いで來る。それが見える」と切つておく。○浪立つなゆめ ゆめ〔二字傍点〕は既に述べた。「三三七八」參照。或は既に、決してすな〔五字傍点〕と言ふ意味になつてゐるかも知れぬ。
(124)【鑑賞】 蜑をあはれんで、波の立つことを言つたのではない。さすれば何の爲か。恐らく咒歌の一つで、あの樣に船が出てゐる位だから、波のたつてゐるのは間違ひだと反省を與へるつもりでないか。その外に、何の暗示する處もない樣だ。鑑賞に及ばぬ。
 
3450 をぐさ男《を》と をぐさすけ男《を》と しをぶねの 竝べて見れば をぐさ傾《か》ちめり
 
【口譯】 ?  をぐさ男と、をぐさ若者と、その二人を竝べて見ると、どうもをぐさ男の方が傾いてゐる。私はをぐさに氣が引かれる。
【語釋】 ○をぐさ 第二句のと〔傍点〕を通じて、地名であらう。そのをぐさ〔三字傍点〕の地の男である。但、「すけを」に對してゐるから、壯夫《をとこ》即、正丁と言ふのが當つてゐよう。○をぐさすけ男 「すけを」のす〔傍点〕、「受」の字を書いてゐるが、ず〔傍点〕と訓むに及ばぬ。清音す〔傍点〕にも訓む字だ。すけを〔三字傍点〕はすきを〔三字傍点〕。次〔傍点〕の意である。次丁である。正丁の前後の年頃のもの。こゝでは、恐らくをぐさ男よりも若いのであらう。このをぐさ〔三字傍点〕も同じ地である。別の地である理由は、歌からは考へられない。傳説上のをぐさ男とをぐさ若者との名が、即明らかに區別を示してゐるのだ。○しをぶねの 枕詞。「かちめり」をおこす。「しほぷね」の地方發音。古代以來、ば〔傍点〕行音とわ〔傍点〕行音とが混同せられた(V・Wの關係か)例が多い。これもその一つ。しほぶね〔四字傍点〕は鹽海の船で、川舟に對して言ふ語だらう。○竝べて見れば 兩者を竝べて比較すれば。○をぐさ傾ちめり 字面で見ると、をぐさを〔四字傍点〕は「乎久佐乎」、をぐ(125)さすけを〔六字傍点〕は「乎具佐受家乎」を、それにをぐさかちめり〔七字傍点〕は「乎具佐」の字で表してゐる。字によつて土地の區別があるなら、このをぐさ〔三字傍点〕はをぐさすけを〔六字傍点〕である。だが字の上だけで、發音の上の區別ではない。地名も違つたものと思はれない。傳説で男の方を心易くをぐさ〔三字傍点〕と言つたので、やはり、をぐさ〔三字傍点〕男と採るのが順當であらう。○傾ちめり 舊本「利」を當てゝゐるが、古本「智」になつたものが多い。「かちめり」を「かつめり」とする説が行はれてゐるが、本集時代まだ外に助動詞めり〔二字傍点〕の例がないから、此はかつめり〔四字傍点〕ではない。かちむ〔三字傍点〕は「かたむ」・「かしぶ」など、傾く意の語である。其に「あり」の複合した形。かしいでゐる・かたむいてゐるの義だ。
【鑑賞】 一人の處女を、二人の男、而も同じ里の壯・若二男が爭つたのを、處女が苦しんだその物語から生れた第二次的の民謠。即その、謂はゞをぐさ處女〔五字傍点〕の心持ちを、劇的に表すことによつて、喜びを感じた歌である。古典的な、又鄙びた味のある歌だが、要所々々的確に來ない。
 
3451 さなづらの岡に粟蒔き かなしきが駒はたぐとも、我《わ》は そともはじ
 
【口譯】 いとし人が、出て行くといふので、其駒の手綱かいくり/\しても、私は手傳ひをして、しい〔二字傍点〕と追ひ立てることもすまい。なごり惜しいから。
【語釋】 ○さなづらの岡 さなづら〔四字傍点〕は地名であらう。○粟蒔き 粟を蒔いてゐて。上二句は序歌。どこにかゝるか訣らぬ。たぐ〔二字傍点〕又はかな〔二字傍点〕にかゝりさうだ。○かなしきが いとしい人が。このが〔傍点〕、所有格とも採れる。人(126)の馬に自分が乘つてゝもと言ふことにもなり得る。○たぐとも たぐ〔二字傍点〕は手でかき揚げる。馬の場合は、手で操縱すること。或は、「たぐ」は動物の喰ふこと。あの人の馬が粟を喰つてもと解けねこともない。○そともはじ そ〔傍点〕は、馬を追ふ聲である。今、しつ〔二字傍点〕と言ふのが、昔はそ〔傍点〕であつた。本集の假字「追馬」をそ〔傍点〕と訓ましてゐるのを見ても訣る。もはじ〔三字傍点〕は、「‥‥も追はじ」である。
【鑑賞】 この歌、これ以上解き方がない樣である。普通の説明は腑におちない。此でも、完全な歌とは言へない。だが、さうした歌もあるべきだ。
 
3452 おもしろき野《ぬ》をばな燒きそ。舊草《ふるくさ》に 新草《にひくさ》まじり、生《お》ひば生ふるかに
 
【口譯】 なつかしいこの野をば燒いてくれるな。去年のまゝの草に新しい草がまじつて、今は生えさうに見えてゐる。
【語釋】 ○おもしろき 普通の「おもしろし」ではない。本集にもある「面知《おもし》る」なる動詞を語根とした形容詞である。なじみ深いと言ふことである。○野をばな燒きそ 「野を燒くな」で、春の野燒きに當つて、このまゝにしておいてくれと言ふのだ。併これも、實生活を詠んだものとは思へない。物語を背景にして劇的な歌と見るべきだ。後に言ふ。○舊草 もとの草。以前のまゝの草。省られなくなつた草。○新草まじり 其に新草が同時に出てゐる樣である。新草〔二字傍点〕は若草と譯して大體當る。○生ひば生ふるかに 生ふ〔二字傍点〕は四段活だが、(127)上二段に言ふこともあつたのだ。生ふるかに〔五字傍点〕は、「生ふべく」・「生ふほどに」意の副詞である。古代の副詞は、更にその上に前提を置くことがあつた。「消《け》なば消《け》ぬかに」の類。意味は消ゆべく・消ゆるほどである。こゝもそれで、この下に動詞が略せられてゐる形である。あり〔二字傍点〕を補へば訣る。生ふるかにあり・生ふるかに見ゆ、生えさうだと言ふこと。
【鑑賞】 この歌、誰も感じる樣に、暗喩のあることは明らかだ。同じ野燒きの歌は多くある。それが更に、春の野草の歌になつてゐる。譬へば『武藏野は今日はな燒きそ若草のつまもこもれり我もこもれり』『むらさきの一もと故に武藏野の草は〔右○〕みなからあはれとぞ見る』この二首を參照すれば、自らこの歌の含んでゐる處が察せられる。舊草は既に省られなくなつた女、即この歌の主人。新草は同族のこれから愛を受ける筈の處女、即既に述べた若きよち〔二字傍点〕である。「おもしろき野」は、「草はみなからあはれとぞ見る」と言ふ、後の發想を開いたもので、同じ一つゞきの同族を言つたものだ。かう見れば、女が自分の愛の衰へた夫に對して言つてゐる趣きが訣るだらう。だが近代的には寧、自然描寫と見る方が、不徹底ながら面白味の感ぜられる歌である。
 
3453 かぜのとの、遠き我妹が着せし衣。袂のくだり まよひ來にけり
 
(128)【口譯】 遠くにゐる彼女が以前着てゐられた着物――今俺の着てゐる下の衣の袖が、すき切れして來たことよ。
【語釋】 ○かぜのと 風の音。「遠き」の枕詞。○著せし衣 自分に著せた着物ではない。し〔傍点〕は過去。きせ〔二字傍点〕は「きる」の敬語。「着てゐられた」である。後代はそれだけでは訣らぬが、昔は、男女互ひに中の衣を取り替へて著るのが別れの形式であつたから、自分の今下につけた著物と思へば、すぐ今妹が著てゐた著物と言ふことを思ひおこすのだ。その著物のいたんで來たのについて、別れて久しく、そして衣につけた魂の守りの力が薄れて來たことを危むのである。○袂のくだり 袂〔傍点〕はもと袖とは違ふ。本集の例を見ても「手本《たもと》」だ。腕のつけ根から二の腕へかけてを言ふらしい。袖のその部に當る處が袂である。そのくだり〔三字傍点〕と言ふのは、著物の二の腕に當る部分の垂れ下つてゐる處を言ふ。下の衣のくだりがいたむのである。○まよひ來にけり まよふ〔三字傍点〕は織り目が薄くすき切れ、絲が露はになつて來ることである。
【鑑賞】 これも咒歌的の成立を持つてゐるが、既にその域を脱して、幾分でも、抒情詩の領にはひつてゐる。近代的の見方もまじつてゐるだらうが、歌の細みも充分で、又古風な強さも、下の句に現れてゐて、優れた歌の一つだ。
 
3454 にはにたつ 麻で小衾《こぶすま》 今宵だに夫《つま》よし來《こ》せね。麻で小衾
 
(129)【口譯】 麻布の寢衾よ。戀しい/\今晩だけでも、あの人を私に引き寄せて下さいね。麻の寢衾よ。
【語釋】○にはにたつ 枕詞。「あさ」にかゝる。庭に作つた麻の意。庭に生ひ立たした義。庭に立てた。○麻で で〔傍点〕は「たへ」(栲)から出て、布の總名、麻布も「あさで」である。○小衾 こ〔傍点〕は愛稱。ふすま〔三字傍点〕は上にかける寢道具。○今宵だに 口譯は便宜に從つただけ。今宵〔二字傍点〕を緊張さしたので、強ひて言へば、「眞實今宵」と言ふことだ。○夫よし來せね つま〔二字傍点〕は配偶者。こゝは男。よす〔二字傍点〕は既出。「三三八四」參照。神の賜ふ事だから「くれる」意になる。意譯して「よこす」。來せね〔三字傍点〕は命令の語尾「こそ」の擬活用。ね〔傍点〕は輕い命令。「よこしてくれよ」と言ふ位の意。
【鑑賞】 この歌の氣分なども、後世に傳承すれば、單なる閨怨の歌として、枕その外を見て悲しむ風を導く訣であるが、これは違ふ。「麻で小衾」に對する咒術から出てゐる。旅中の夫の牀は家にゐた時のまゝにしてあり、それにかけた衾もそのまゝだ。而もそこに夫の靈も止まつてゐる。たゞ、違ふのは現し身のゐないだけだ。だから、それに向つて咒術的な意味で、かううたつてゐるのだ。だから、その咒に關する部分をとりのければ、抒情詩として獨立の出來る價値を生ずる。二句を五句でくり返すのは、短歌の一つの格で、聲樂上の一約束を保留してゐるのだ。
 
(130)   相聞
 
3455 戀しけば來ませ。我がせこ。垣《かき》つ柳《やぎ》 梢《うれ》摘みからし、我《われ》立ち待たむ
 
【口譯】 戀しくてしかたがなかつたらおいでなさい。あなたよ。私は屋敷團ひの柳の先を摘み枯らすまで、立つて待つてゐませう。
【語釋】 ○戀しけば 戀しからば・戀しくば。「三三七六」參照。○垣つ柳 垣内《かきつ》か垣之《かきつ》か。どちらにしても同じになる筈だ。かきつ〔三字傍点〕は垣で圍はれた屋敷うちであるが、單にその空地にある柳でなく、垣内を劃する垣の柳である。○梢摘みからし うれ〔二字傍点〕は末・木末・さき。枝垂れ柳でないから、梢が立つてゐるのである。摘みからし〔五字傍点〕は「摘み枯らす」。手すさびに摘んで枯れるに至ると採るのが普通だらうが、垣の柳が目を遮ぎるからその先を摘みとるのであらう。柳を枯らすのでなく先をつみとるだけだ。○立ち待たむ これも垣まで出て待つつもりを表すのだ。
【鑑賞】 下句が二通りに採れるが、普通の解の方が文學的に受け採れるかも知れぬが、それは後代の類型だ。却て、も一つの方が特殊性を持つて來る。
 
(131)3456 うつせみの 八十《やそ》ことのへは繁くとも。抗《あらそ》ひかねて、我《あ》を言《こと》なすな
 
【口譯】 口をあかせようとする澤山の文句は一ぱい群りよつて來るとしても、其に構ふな。それに抵抗しきれないで、私の名を口出しするやうな事はすな。
【語釋】 ○うつせみの 現實の生命を持つたからだ〔三字傍点〕。さうした人間。轉じて人間の社會。こゝは、世の中の〔四字傍点〕と言ふほどの意味もない。枕詞的に見てよい。○八十ことのへ 八十詞章《やそことのは》。へ〔傍点〕は、は〔傍点〕の方言發音。こゝは擬古的な言ひ方。古代詞章の上の用語を流用した。澤山の文句〔五字傍点〕だが、こゝは「ことのやそまがつみ」など言ふ樣に、禍になる澤山の詞章を言ふのだ。○繁くとも 頻發することがあらうとも。或は現にこの通りしげけれどもと譯してもよい。「我を言なすな」が將來を禁じてゐるのだから、假定でとも〔二字傍点〕を用ゐたのだ。○抗ひかねて 口を開かせようと言ひかゝつて來る詞に誘ひ出されることをいふ。負かさうとするのに抵抗しかねてである。○我を言なすな ことなす〔四字傍点〕は言成《ことな》すでなく、言出《こといだ》すから出たもの。口に出すことだ。儀禮的に物を言ふ場合に用ゐる。その場合は懺悔するに近い。
【鑑賞】 世間の口のうるさゝに負けると言ふだけでなく、もつと根本的で妖言に誘導せられてふつと名を言ふなと言ふことである。上一・二句の擬古的な言ひ方が、實感をそらしてゐるのでないか。
 
(132)3457 うちひさす 宮の我《わ》が夫《せ》は、大倭女《やまとめ》の膝|枕《ま》く毎に、我を忘らすな
 
【口譯】 宮廷にゐる私のあなたは、大倭女の膝を枕にする度毎に、私のことを忘れないで、思ひ出して下さい。
【語釋】 ○うちひさす 枕詞。「みや」をおこす。○宮の我が夫 宮廷を「みや」と言ふのは勿論だが、宮廷の大番《おほばん》に出てゐる男を「みやのわがせ」と言つた古風な新しい言ひ方は注意すべきだ。○大倭女 當時で言へば、都女に當る。○膝まく まく〔二字傍点〕は頭をあてゝ寢ること。即、枕することになる。○我を忘らすな 單に「忘れるな」と直譯すべきでなく、「思ひ出せ」と言ふのだ。或は忘らすな〔四字傍点〕は、「忘らさむ」の地方發音。又は「忘らす」に、感動の「な」がついて、「忘れていらつしやることよ」と言ふ意味と考へたいと思うてゐる。
【鑑賞】 『つくしなるにほふ子ゆゑに‥‥』(三四二七)の歌と裏表をなすものである。第五句を禁止に採る解釋が、一等歌としてはおもしろくない。
 
3458 汝夫《なせ》の子《こ》や とりの岡路《をかち》し 中だをれ 我《あ》を哭《ね》しなくよ。息衝《いくづ》くまでに
 
【口譯】 このとりの〔三字傍点〕岡の道が中だるみしてる其ではないが、近頃中だるみして、あなたはどうして、私を泣かせるのかよ。こんなに溜め息づくまでに。
(133)【語釋】 ○汝夫の子や あなたよ。と普通釋く。が、や〔傍点〕は呼びかけではない。直譯すれば「汝夫の子それは」位である。なせ〔二字傍点〕は「汝夫」。「汝なる我がせ」の意味。實は、「‥‥や我を哭し泣くよ」で、「我を哭かするかよ」である。○とりの岡路 所在不明の地名。をかぢ〔三字傍点〕は岡の道。丘陵或は相當な山道にも言ふ。し〔傍点〕は緊張の助辭。○中だをれ たをれ〔三字傍点〕は通常「たをり」。山の頂上に近い曲線勾配の弛い處を「たを・たわ」とも言ふ。鞍部。「禮」の字は又、り〔傍点〕とも訓む。たをり〔三字傍点〕でもよい。同時に、物のたるむことにも言ふ。この句をきつかけにして上三句序歌。○我を哭しなくよ 「三三六二」參照。私を泣かせることよ。○息衝くまでに いきづく〔四字傍点〕の音韵變化。までに〔三字傍点〕は「まで」の正式な形。それ程極端に〔六字傍点〕。
【鑑賞】 上句の比喩は、常の實驗から出てゐる。更にこれから延長せられるものが、なければならないのに、下句は急に飛躍しすぎてゐて、却て平凡だ。
 
3459 稻搗けば かゝる我《あ》が手を。今宵もか、殿の若子《わくご》が 取りてなげかむ
 
【口譯】 始終、稻を搗くので皸のきれてゐる私の手よ。これを、今夜あたりは、御屋敷の若樣が握つて、溜め息づいて下さるだらうよ。
【語釋】 ○稻搗けば 今日、米を搗く〔四字傍点〕といふ。糠《ぬか》をとるためでなく、籾殻《もみがら》をとるために搗くので、古代にも稻搗き唄は行はれてゐた。嚴格に稻と言へば、稻の莖についたまゝの物をいふので、しごきとつた籾は、稻で(134)はない。それを搗くことが稻搗き、と言はれたと見られるが、或はこの頃まだ、稻莖についたまゝ臼にさし込んで、籾を放し殻をとる方法を行うてゐたとも思はれる。搗けば〔三字傍点〕は、習慣的な動作を示すのである。○かゝる かけてある。ひつかいた樣になつてゐることで、特別に皹《ひゞ》・※[月+※[氏/一]]《あかぎれ》の類のきれてゐることである。これが、足にあることを示すのを、「あかゞり」といふ。○今宵もか か〔傍点〕は感動。最後に廻して譯する。も〔傍点〕は、今晩また〔四字傍点〕などいふ意味のも〔傍点〕ではない。漠然と指示する語。○殿の若子 「三四八三」或本歌參照。○とりてなげかむ とりあげて・手にもつて。歎く〔二字傍点〕は溜息づく。抽象的に言ふのではない。
【鑑賞】 眞實かうした境遇にある人たちの歌と見れば、あはれ〔三字傍点〕が深い。だが、かうして傳はるのは、當の作者が眞に作つたかもしれないその歌でなく、傳説化したものに過ぎない。又多くは、さういふ悲痛な戀情を空想することを娯しむ人たちを豫期した物語歌にすぎないことが多いのである。凡、かうした境遇にある女は、殿と呼ばれてゐる家の女奴《めやつこ》である。それとその家の子弟との通婚はゆるされてゐなかつた。若、さうした通婚によつて子が出來ると、子は卑しい親の方に、附けられることになつてゐた時代である。だから、その戀愛當事者の悲しみを考へることが、古代人に泣きの喜びを知らしめたのである。要するに、創作動機が加つてゐるかゐないかによつて、かういふ歌の價値を決するのである。たゞ、それを問題としなければ、この歌の價値は、問題でない。
 
(135)3460 誰ぞ この屋の戸おそぶる。にふなみに 我《わ》が夫《せ》を遣りて、齋《いは》ふこの戸を
 
【口譯】 誰がこの家の戸を押し動かしてゐるのだ。にひなみの物忌みに籠つて、主人《うちのひと》を外へ出して、齋《い》み籠つてゐるこの家の戸よ。それを。
【語釋】 ○誰ぞ 誰が〔二字傍点〕でなく、「誰であるか」である。「おそぶる」につゞいて、おそぶるのは誰かとなる。○この屋の戸 籠つてゐる我が家の戸である。○おそぶる 「おす」の再活用「おそふ」の、その又、再活用。おし動かすに近い意味であらう。おさへる〔四字傍点〕ではない。○にふなみに にふ〔二字傍点〕は、「にへ」の地方的發音。即、神の食物。「三三八六」參照。なみ〔二字傍点〕は之禁忌《なみ》。にへ〔二字傍点〕を奉る事の物忌みである。即、收穫祭を奉る日、それを享けに來る神を迎へるためにする禁忌・禁欲の生括。その間、古代日本の大部分では、巫女として家の女が殘り、男その他が、外へ避けてゐる。このにへなみ〔四字傍点〕(にへのいみ)が一方、「にひなみ」(新甞)又「にふなみ」ともなつたのだ。新嘗の字をあてるやうになつたのは、既に早くから合理化を經てゐる。にへなみ〔四字傍点〕は、主婦が忌み籠つてゐるのであるから、口譯にその意味をきかせた。○わが夫を遣りて この場合、恐らく主婦が、にへなみ〔四字傍点〕の神を迎へる巫女の役をする地方の歌である。遣りて〔三字傍点〕は、村共通の忌み籠り處があつたのである。それへ男が出かけた後を意味する。○齋ふこの戸を いはふ〔三字傍点〕はいむ〔二字傍点〕の再活用。中心意義は、鎭定した靈の遊離せぬやうに護ることで、近代の「齋ひ込める」などいふに近い。その準備行爲として、齋戒する事をもい(136)ふ。この戸を〔四字傍点〕は、「この家の戸を」を要約して言つたもの。を〔傍点〕は、第二句の意義上の繰り返しでもあり、補足、でもあるから、後代的には、「この戸をば」とだめをおすところだが、これも感動に見るのが、本道である。
【鑑賞】 「にほどりの葛飾早稻を贄すとも」の歌と、同じ境遇である。だが、あれは尚、處女の歌らしいが、これは違ふ。あれは、抒情的叙事詩であるが、これは叙事詩としての色が濃い。併、この方に却て曲折があつて、やがて文學を誘ひ發《だ》す形を示してゐる。
 
3161 あぜといへか さねに逢はなくに。ま日暮れて 宵なは來なに、明けぬしだ來る
 
【口譯】 どういふ訣か、あの人は、寢に會ひに來ないことよ。日が暮れて宵のうちに來ないで、夜の明けた時分にやつてくる。
【語釋】 ○あぜといへか 「なにのゆゑか」である。あぜか〔三字傍点〕は、「なにか」である。「あぜといふ」・「あどいふ」は、皆一つで、いふ〔二字傍点〕には意味はない。いへか〔三字傍点〕は、「いへばか」の音脱。なになればか〔六字傍点〕で、何故か〔三字傍点〕といふことになる。○さねに 眞に・實にの意味のさね〔二字傍点〕とする説が行はれてゐるが、「さねに」といふ例を聞かぬ。字を見ても、「佐宿爾」と書いて、寢ることを示してゐるのだ。東歌によくある用字例である。「あふ」といふ動詞の意味を補足するために、共寢を意味する「さね」をつけて、全體で共寢することを表す法があつた。○なく(137)に 屡々言つたやうに、「ないのに」でなく、「ないことよ」と切れる例が多い。こゝは、其を明らかにしてゐる。「三三六八」參照。○ま日暮れて 歌の本部には深い關係はない。「宵」を起す爲の習慣的の表現で、殆枕詞の輕いものと見てよい。ま〔傍点〕は「日暮れて」についた接頭語。○宵なは 「宵には」の地方的發音。○來《こ》なに 「來なで」と言ふべきところ。「三四〇八」參照。に〔傍点〕は否定助動詞の中止形。「來《こ》な」は、來なむ〔三字傍点〕と同樣。結局、「來《こ》で」に同じい。この變形の「‥‥なな」は、既出。○明けぬしだ來る 明けぬしだ〔五字傍点〕は、「明けぬるしだ」である。夜の明け方、あかとき・あかつきになつた時をいふのであらう。あさ〔二字傍点〕とあかつき〔四字傍点〕とは時間が違ふ。しだ〔二字傍点〕は時・機會。ぬ〔傍点〕は現在完了の助動詞、連體の方言的活用。
【鑑賞】 一・二句、意味は訣りながら、直接に感じない表現がある外は、昔も近代も同じ、女の考へ方を見せてゐる點は、民謠の、戀愛に於ける深さを、思はせてゐる。
 
3462 あしびきの山澤人《やまさはびと》の 人さはに、まなといふ子が あやにかなしさ
 
【口譯】 里を離れた山澤人ではないが、人さはに−人多く−可愛い/\と言うてゐる娘が、無上に可愛いことよ。
【語釋】 ○あしびきの山澤人の 「人さはに」を起す序歌。あしびきの〔五字傍点〕は枕詞。山澤人〔三字傍点〕は、澤の山深くある其邊に離れ里があつて、人が住む。それを、山澤人と言つたのであらう。さうした人の噂さを聞き、又里に來る(138)のを見てゐるから、かうした類型が出て來たのであらう。○人さはに 人多く・人誰も彼もが。○まなといふ子 まな〔二字傍点〕は、古く「最愛」など字を宛てゝゐる。肉親をいとほしむ意味の語根。轉じて、單に、愛情を示す語になつてゐる。但、此歌では、「まな子といふ子が」などいふ形で、まなご〔三字傍点〕を口馴れて、地方的にはまな〔二字傍点〕といつたのだと考へた方が、心持ちにしつくりする。用言としてゞなく、體言として感じればよい。誰も彼もが、彼女をまなご〔三字傍点〕/\、と呼ぶのだ。但、逆に人さはに〔四字傍点〕は、「誰も彼もを」ととれる。すると、多くの人を愛することの出來る女となる。恐らく、さうではあるまい。○あやにかなしさ あやに〔三字傍点〕、既出。かなしさ〔四字傍点〕は、名詞形をもつてとめる叙述部。句の終りによ〔傍点〕を添へて見れば、大體、傾向はわかる。
【鑑賞】 「山澤人」の音をひつくり繰り返へして、「人さはに」ともつて來た無意識の技巧から、直に、感動的な「まな」といふ句を續けた、曲折が面白い。自分の戀人が、誰にも騷れることに、不安を感じ諦めようとして、諦めきれない氣持ちが、深くないが廣く出てゐる。民謠としての立場である。
 
3463 ま遠くの野にも逢はなむ。心なく、里のみ中に逢へるせなかも
 
【口譯】 會ふ位ならば、距離の遠いところにある野で、會つてくれゝぱよい。人の氣もわからないで、里の眞中で、私に會つたあなたよ。
(139)【語釋】 ○ま遠く 「三四四一」參照。里の外〔三字傍点〕に離れた山野をいふのだ。○逢はなむ 逢つてくれ・逢つてほしい。なむ〔二字傍点〕は、希求を示す助詞。「これ位なら、‥‥であつて欲しい」の意だから、逢つてくれゝばよいといふ意になる。○心なく 理會なく・心を得るところなくである。○里のみ中に 人里の中央・正中を示す。
【鑑賞】 男の爲打ちに輕い怨みを叙べたのか、それとも「心なく」は、男の意志でなく、自然さうなつた廻り合せに遺憾を表してゐるともとれる。『上つ毛野 をどのたどりが‥‥‥』(三四〇五)のやうに、純抒情的な姿をとるよりも、却て民謠としては、この方が正しい形なのだらう。
 
3464 人言の 繁きによりて、まを薦《ごも》の 同《おや》じ枕は、我《わ》は枕《ま》かじやも
 
【口譯】 人の口のうるさいといふ原因によつて、あの人と同じ枕をば、私が枕《ま》いて寢ないでゐられるものですか。
【語釋】 ○人言 人の文句・世間の噂。○繁きによりて 繁き〔二字傍点〕は、一杯にたつた樣子。によりて〔四字傍点〕は、その事のために。語氣からいへば、その事のみによつて、と感じられる。○まをごもの? 枕詞。「枕」にかゝる。菰で編んだ莚、或は菅で製《つく》つた疊の類をぐる/\卷きにして、枕を作る。菰枕・菅枕などいふ。「まをごも」は、さうした菰の一種と思はれる。ま〔傍点〕を眞・正として、を〔傍点〕と二つながら接頭語に見るのはよくない。恐らく、まを〔二字傍点〕(植物)で菰疊の代用に編んだものを言ふらしい。まをごもの〔五字傍点〕は枕にかゝるのではなく、五句のまく〔二字傍点〕(140)にかゝつてゐると見る方が正しいのでないか。○おやじ枕 おやじ〔三字傍点〕は「おなじ」に同じ。これは、おなじ〔三字傍点〕の地方發音とは言へない。中央でも多く用ゐてゐる。幾分、古風な語なのであらう。○枕《ま》かじやも 「枕かずにゐようか」である。枕《ま》いて見せるといふ決心を示してゐるのだ。「枕かざらむやも」である。
【鑑賞】 民謠ながら強い氣魄をうける。但、近代的に見ても、「まをごもの」といふ枕詞が、五句につゞくのでないと、浮いて聞える弊がある。
 
3465 高麗《こま》錦 紐解きさけて寢るがへに、あどせろとかも、あやにかなしき
 
【口譯】 紐の緒を解き放つて、寢てゐるに拘らず、一體、どう言ふわけで、こんなに無上に可愛いのだらう。
【語釋】 ○こまにしき 枕詞。「紐」を起す。枕詞のうちには、景氣よく言ひ出す習慣のものがある。これもそれで、高麗錦の紐といふことではない。紐の讃め詞を、直に枕詞にしたものである。○紐 既出。秘密の結び目を持つた緒。○解き放《さ》けて 解きつけて・解きひろげてゞある。直に、性行爲を思ふ習慣は、よくない。第一段には、別れ住む間、互に紐に靈を結びこめてゐたのを、次に逢うた時、その紐を解きあけて咒術の解放を行ふ。その上で、共寢をするのだ。原則的には、衾の中ですることではなかつた。○がへに なべ・がへ・のへ〔六字傍点〕皆一つ語である。都では、なべに〔三字傍点〕を用ゐて、多く、と共に〔三字傍点〕の意につかふ。だから、こゝも氣分的に、(141)寢てゐるのに〔六字傍点〕、或は誤つた語原的に、寢てゐる其上に〔七字傍点〕、などゝは譯せられぬ。共に〔二字傍点〕と譯するのも地方的意義に適はないやうであるが、なべ〔二字傍点〕の逆作用と見ればよい。「‥‥それと共に他一方」と反對のことを言ふものと見てよい。寢てゐるのだが、それと別に、滿足しない状態を竝べたのだ。○あどせろとかも どうしろといふのかと譯するのが近代的に聞えるが、あど〔二字傍点〕は既に言つた通り、「あどいふ」・「あどす」が、なに〔二字傍点〕の意味だから、形は「あどせよ」と命令形になつてゐても、「なにとか」の意である。どうしてこんなにと譯する。
【鑑賞】 第一句に、華美の事を言つたのは、都の流行を遲くまで語句の上に保存してゐたのだ。其に對して、第四句のやうなくどい方言をまじへたりした流行遲れの感の深いところに、風俗歌としての誘惑があつたのだらう。抱き寢をしても尚且、飽かぬのを訝しむ心が、あざやかに出て來ない重苦しさがある。
 
3466 まがなしみ、寢《ぬ》れば言《こと》にづ。さ寢《ね》なへば、心のをろにのりで、かなしも
 
【口譯】 いとしさに抱き寢をすれば評判に立つ。又抱き寢しないでゐると、始中終、心の上にのしかゝつてをつて、いとしうてならぬことよ。
【語釋】 ○まがなしみ ま〔傍点〕は接頭語。○言《こと》にづ 人の文句に表れる・口先の問題になる。この語は、元來、不(142)可抗的に自分の詞として胸中のことが、表白されるのである〔不〜傍点〕。傳承の間に、他人の詞に現れる義に使はれ、更に展開したのだ。だが、こゝも第一義にとつた方が、歌柄が傑れてくるやうだ。○さ寢なへば 「さ寢ざれば」である。抱き寢をしないといふと・抱き寢をしない時には。「三三九四」參照。○心のをろ 古代詞章が傳承の間に加つた意味の誤解と、それを解決する合理觀とが、一つになつて新しく造つた語の一つ。この語だけを解剖しても、訣る理由はない。「玉の緒」などを延長して、對句的につくつたから出來た語だらう。此頃からも、心の上・心の中心といふ位に用ゐたのだらう。又或は、「心の緒」としての意味かもしれぬ。心の上に離れない結び紐である。○のりてかなしも 上に離れず置かれてゐる状態。「をろ」を緒ろ〔二字傍点〕と見るならば、紐が筐の神秘を保つために離れないやうに、心の上にのりかゝつて離れないといふことになる。
【鑑賞】 かうした單純な内容は、この樣式には適つてゐる。たゞ、四・五句が實感に遠い。この當時も、やはり、意義よりも氣分的の語であつたらう。「言にづ」を第一義的にとれば、ひとり笑《ゑ》みせられたり、獨り言が出たりする危險を、現在感じながら言つてゐるのだ。寢なかつた時の苦しさに對して、寢た今日の危さを言つてゐると思ふ。この方がよいが、だが、歌その物は、どちらか訣らない。
 
3467 奥山の 眞木《まき》の板戸を とゞとして、我が開かむに、入り來て寢《な》さね
 
(143)【口譯】 眞木の板戸を私が開けます時には、どうどうと音立てゝ入つて來て、お寢みなさいな。
【語釋】 ○奥山の 建築用材の讃詞から出て來た語。「眞木」にかゝる。○眞木 建築用材を讃めていふ語から出た名稱。栂・檜・樅、其他の柱になるやうな喬木。檜をいふことが多いと解せられてゐる。○とゞとして とゞ〔二字傍点〕は、とゞろ〔三字傍点〕の語根。どんどん・どろどろなど。また「入り來て」にかゝるとも見られる。男が足音とゞろに音立てゝといふのと、戸をとどろに音立てゝといふのとである。又、「とゞとして」で切ると説く眞淵説も面白い。すると、こゝまでが男の動作である。して〔二字傍点〕は、音立てゝの代用。忍び男に與へる歌が多い中で、かうした成婚を歌ふものもあつたのであらう。だが、同時に、それならばもつと、忍びの歌と變つた形をとりさうに思はれる。○我が開かむに 開きませう時に(1)、開きませうから(2)、開きませうならば(3)、――に〔傍点〕は「には」の意味がある――と、三樣に解ける。最後がよいやうである。だが、「とゞとして」との關係は、今日から遠慮なしにやつていらつしやい、私は、とゞろと戸を開ける、である。結局、考へ方は、三句・四句を續けて見るか、四句と三句とを轉倒して見るかである。それで、眞木の板戸をとゞろと音立てゝ、私が開ける時には、大手を振つて入つて來てお寢みなさいな、といふ風には説ける。○寢《な》さね なす〔二字傍点〕の輕い命令。なす〔二字傍点〕は、古く寢る〔二字傍点〕の使役と敬語とに用ゐる。この場合は、敬語だが、使役にもとれる。さすれば、私を寢させなさいな・私を抱き寢して下さいなとなるのだ。
【鑑賞】 「開きませうならば」の解釋にすれば、夜明け方早く、戸を開く時に、入り來て寢なされといふ風に見ればよいのだ。これも亦、類型があるから、さしつかへない。形が、堂々とし(144)すぎて情が乏しい。殊に、妻問ひの物語の形式ばかりを傳へたのだらう。意味の決定に及ばぬので、鑑賞に能はぬのである。成婚の儀禮歌として常に用ゐられたものかも知れぬ。
 
3468 山鳥の尾ろのはつ尾にかゞみ懸け となふべみこそ 汝《な》によそりけめ
 
【口譯】 山鳥の尾のその一番先の尾に蘿摩《・がゞいも》の蔓を懸けて〔八字傍線《?》〕捕へる、それではないが、お前が言ふ私にとなふ――言ふ通りになりさうに見えたからこそ、私はお前に思ひをかけた筈だが、ほんたうに其氣ではなかつたのか。
【語釋】 ○山鳥 今も言ふ山鳥である。○尾ろのはつ尾 ろ〔傍点〕は語尾。はつ〔二字傍点〕は最端を示す語。山鳥の羽ねのうちの最長いものに當る。この羽ねは、古代から神祭りの中心の、最神聖な人が頭につけることになつてゐた。殊に神遊びに關係のある場合に多い。○かゞみ懸け かゞみ〔三字傍点〕はかゞ芋〔三字傍点〕の古名。この場合は、その蔓を言ふのである。それを絡みつけて捕へることを言ふのであらう。この句について、いろ/\の説がある。『代匠記』に、瀏敬叔の『異苑』をひいて、魏の時代に南方から献じた山鳥の歌舞を見ようとした帝が、公子蒼舒の意見によつて、大鏡を鳥の前につけさせたら山鳥は自分の姿を見て、舞つて/\舞ひ死にゝ死んだ、と言ふ古事と關係があると見てゐる。又「妻ごひの山鳥に鏡を見せれば心が慰む」との『枕草子』の傳へによつて説かうとする説もある。又、宣長は、民俗的に、山鳥の尾の光り物のすることを、鏡懸け〔三字傍点〕と考へたのだ、とす(149)る。支那の古事が、民間傳承として、歸化人や先住漢人から傳へられて、普通知識となつてゐたことも、考へてよいが、この場合、さうした處で、それが何の關係をもつてゐるのか訣らない。だから、假りに蘿摩説を立てゝ見た。蘿摩は、ぱんや〔三字傍点〕に似た綿を持つた莢の出來る特殊な蔓草で、咒的な用途があつたかも知れない。○となふ とらふ〔三字傍点〕の方言發音。それに同音聯想で「循《とな》ふ」(從ふ)をかけた。循ふ〔二字傍点〕は指導者の發聲に從つてその通り行ふこと。或は行はせること。こゝは後の方だ。從へられさうだつたからだ。○べみ べくある爲・さうありさうだから。しぬべみ〔四字傍点〕は死にさうだから。泣きぬべみ〔五字傍点〕は泣きさうに思はれるからである。となふ〔三字傍点〕をきつかけとして、上三句は序歌となつてゐる。○汝《な》に 汝《なんじ》に。女をさす。○よそりけめ よそる〔三字傍点〕は「思ひよる」。既に度々解いた。こゝは關係する〔四字傍点〕ではない。けめ〔二字傍点〕は普通過去の想像だが、過去の印象の薄らいだことを言ふ場合に多く使ふ。「‥‥だつけ」が當る。女に言ひよつてゐたその初めのことを考へて、あの時それで、あゝいふ態度を採つたんだつけ、と云ふのだ。
【鑑賞】 かう解けば、下二句は無理がない樣に思ふ。上三句の序歌も幾分滑らかになるが、尚不安である。その上、昔と今とでは發想法が違ふので、四句・五句だけでは、近代の胸に響かない。たゞ珍らしい表現を感じるだけだ。
 
3469 夕占《ゆふけ》にも 今宵と告《の》らろ。我《あ》がせなは あぜぞも 今宵よしろ來まさぬ
 
(146)【口譯】 たそがれの辻占にも、今晩來ると示現《あらは》れた。それに、あの人は一體どうして、今晩こつちの方へ向いておいでにならぬのか。
【語釋】 ○夕占《ゆふけ》 夕占《ゆふうら》だ。たそがれ時の人顔の訣らぬ時分は、靈魂の遊離流動する時期と見て、この時の衢に立つて、人の詞を聞いて判斷する占法。聞く詞を象徴的に考へて解釋するのだから、詞自身が解決になるのだ。その點から見て、言語精靈の作用と抽象的にも見てゐる。「ことだまのさきはふ道の八衢に」と言ふ序歌は、それを示してゐる。「ことだまを八十の衢に夕占とふ」と言ふ例もある。○今宵とのらろ 彼の人の來るのは今宵だの意味である。のらろ〔三字傍点〕はのれり〔三字傍点〕或はのれる〔三字傍点〕である。のらり・のらる〔六字傍点〕の地方發音。但、今宵とのれる我が夫なと續く連體形とも思はれる。のる〔二字傍点〕は既に述べた。○わがせな 愛する男に言ふ。な〔傍点〕は愛稱。○あぜぞも なにぞも・なにぞ・なぜの意である。○よしろ來まさぬ よしろ〔三字傍点〕はよそり〔三字傍点〕の地方發音であらう。よそり〔三字傍点〕は思ひよる意味もあり、深く關係することにも使ひ、やつて來ると言つた場合にも用ゐる。
【鑑賞】 この歌の持つ信仰は、地方的のものでなく、歌も當時・後世に通じて多いものだ。たゞ、方言の、多くはひつてゐる點が、人の心を捉へたのだらう。
 
3470 逢ひ見ては、千歳や去《い》ぬる。否《いな》をかも。我《あれ》や然《し》か思《も》ふ。君待ち不敢《かてに》
    柿(ノ)本(ノ)朝臣人麻呂歌集に出づ。
 
(147)【口譯】 逢うて見てから後、千年もすぎ去つたか。それとも、私が勝手にさう思ふのか。あなたを待ちきれないで。
【語釋】 ○逢ひ見ては は〔傍点〕は感動に近い。「逢ひ見てより」と譯してもよい。あひ〔二字傍点〕は逢ふ〔二字傍点〕。みる〔二字傍点〕はかたらひする〔六字傍点〕こと。○去ぬる 行く・去る。こゝでは時間觀念を加へて過去と感じねばならぬ。○否をかも 「三三五一」參照。○我や然か思ふ しか〔二字傍点〕はかく〔二字傍点〕と譯し替へてもよい。しか思ふ〔四字傍点〕ことを疑つてゐるのである。自分だけがかうか、と言ふのである。○君待ち不敢 待ちおふせきることが出來ないでゐる女の心である。○柿(ノ)本(ノ)朝臣人麻呂歌集に出づ 東歌と柿本集の關孫は既に述べた。
【鑑賞】 「否をかも」が、特に東語と言ふ訣でもないが、それを採れば、殆、都の歌と同じだ。「千歳や去ぬる」など言ふ誇張も、都人もするのだが、東人なる故にある強い感じを持たせたのだらう。珍らしく、平安朝の調子に近い歌だ。だが、それが惡い理由にはならぬ。かどは磨れてゐるが、相當な歌である。
 
3471 しまらくは 寢つゝもあらむを。夢《いめ》のみに もとな 見えつゝ、我《あ》を哭しなくる
 
【口譯】 ちよつとの間位は、寢て過してもゐたいことよ。それに夢中現れ/\してひどいなあ。私(148)を泣かせることよ。
【語釋】 ○しまらくは ちよつとの間も寢られない事を、逆説するのである。○寢つゝもあらむを 夢を見ては醒めがちな樣子だ。○夢のみに 夢に〔二字傍点〕を緊張さしたのだ。夢だけに・夢ばかりに〔九字傍点〕など譯しても訣らない。氣分のみで表した。勿論、夢毎に〔三字傍点〕ではない。○もとな 平安朝に於けるあさまし〔四字傍点〕と似た語である。下に、心うく〔二字傍点〕など言ふ語のあるのが、習慣的に脱するのである。ひどくなさけなく〔八字傍点〕と言つた意味を一語で示す樣になつてゐる。そして、約束的の語尾を伴ひ生得の副詞である處から、文章上の位置が定らない。上にゆき下にゆきする。もとな見えつゝ〔七字傍点〕の場合は、もとなうく見えつゝ〔九字傍点〕である。見えつゝもとな〔七字傍点〕の場合は、見えつゝもとなうしく〔十字傍点〕である。又、もとな夢に見えつゝ〔九字傍点〕と言つた形も採れるのである。かう自由だから、此語の意味も、氣分次第に用ゐられた、と見える事が多い。勿論、萬葉學者の解釋も、まち/\だが、細かく説いてゐるのは、總て當らない。極めて・ひどく〔六字傍点〕など言ふ副詞が、續行する語を失つたまでの事だ。○見えつゝ 見え/\して。同じ樣な事が習慣的に重るのを示すのだ。○我を哭しなくる 上に「さめつゝ」とおけば訣る。「三三六二」或本歌參照。
【鑑賞】 此も前の歌と同じく、平安朝の女房歌集にあつても、思想としては不思議はない。唯、下句の方言的なるが爲に、東歌と言ふにすぎない。既に醒めて泣くことを言はないでゐる處に、計畫があるのかも知れない。夢に見えさへせなければ、悲しくても、暫らく位は、寢てゞも居られようにとも説ける。
 
(149)3472 人妻と、あぜか 共《そ》を言はむ。然らばか、隣の衣《きぬ》を借りて著なはも
 
【口譯】 人妻だからと言ふので、差別を立てゝ、人妻とあの人をなぜ言はねばならぬのか。それがあたりまへならば、隣の家の著物だつて、借りて着られぬ訣だよ。
【語釋】 ○人妻 よその妻・他人の妻。つま〔二字傍点〕は男からも女からも相手を言ふ。こゝは女だらう。○あぜか其を言はむ あぜ〔二字傍点〕は「なに」。か〔傍点〕の下に想像があるから、「言はねばならぬか」と疑ふのだ。そを〔二字傍点〕はかの人を〔四字傍点〕。事件上の主題としてあげるから、人稱を用ゐないだけだ。○然らばか 「それが正しいとすれば」・「それが本道とすれば」で、「次のことも正しからう」と比論的に較べるのだ。○借りて著なはも 「きなはも」のも〔傍点〕は、將然形につく語尾む〔傍点〕と同じもの。なは〔二字傍点〕はざら・ざり〔四字傍点〕に通ずる東《あづま》の否定動詞。「借りて著ざらむか」、即、「著てはならないことよ」となる。「著ないだらうか」と譯してはいけない。
【鑑賞】 宴歌の一つであらう。多くの人の前に限つて言ふことの出來ることは、個人的には行へないことであり、同時に總ての人の興味をひき、又そのあいろにい〔五字傍点〕もぱらどつくす〔六字傍点〕も、興味の中心となるのであつた。結婚以前の自由なつまどひ〔四字傍点〕、村の祭事に限つての貞操解放を、心に持つての歌である。單に、露骨に放恣な男女關係を欲する歌ではない。宴會は、嚴肅な生活の解放で(150)ある。此時の言動は、常の言動とは違つてゐた。神も人も、等しくそれを自由に受け入れたのだ。この歌、發想の論理に、平凡ながら人の思考を、目つぶしする樣な面白味があるのである。
 
3473 佐野《さぬ》山にうつや斧音《をのと》の 遠かども。寢もとか子ろが おもに見えつる
 
【口譯】 佐野の山に木をうつところの斧の音、それではないが、今は隔つてゐるが、やがて共寢をする時が來よう、と言ふのでか、あの娘が幻に露れた。
【語釋】 ○佐野山 佐野の山。本集では上野・下野兩方にあるが、やはり下野だらう。上野(ノ)國(ノ)歌參照。○うつや斧音 や〔傍点〕は名詞化する語尾。時として熟語をつなぐ語尾ともなる。をのと〔三字傍点〕は「をのゝ音」の融合。○遠かども 「遠けども」と同じい。「遠かれども」の音脱と見てよい。類型から見れば、「遠かどもおもに見えつる」となるのが普通だが、こゝは「寢もとか」と言ふ語があるから、單に遠方の人が幻影に現れたのだと言ふと、不自然になる。寢も〔二字傍点〕に續くのだ。この頃間違遠けれども、その中に寢るだらうと言ふので、女に逢ふ前表と見る外はない。勿論、子ろが寢ようと欲してゐる、と解けない。○寢もとか ねも〔二字傍点〕はねむ〔二字傍点〕である。先に述べた樣に、意志を示すのでなく、未來の蓮命を考へてゐるのである。○おもに見えつる おも〔二字傍点〕は總て、「於由」となつてゐる。文意から言へは、おも〔二字傍点〕に相違ない。眞淵は「母」の誤りとしてゐる。大體それで當つてゐる。髣髴・幻影・まぼろしである。に〔傍点〕はとして〔三字傍点〕。見えつる〔四字傍点〕は出現した〔四字傍点〕。
(151)【鑑賞】 この歌、論理に縺れがある。『みちのくのまぬのかや原遠けどもおもかげにして見ゆと言ふものを』と比べると訣る。それだけに、歌も純粹に觸れて來ない。つまり、調子の惡い歌。
 
3474 植竹《うゑたけ》のもとさへとよみ 出でて去《い》なば、何方《いづし》向きてか 妹がなぎかむ
 
【口譯】 このやうにごつた返して出かけて行つたら、その後《あと》で、妹は溜め息づくにも、方がつかないで困るたらうよ。
【語釋】 ○植竹のもとさへ うゑたけ〔四字傍点〕は、移し植ゑし竹。もとさへ〔四字傍点〕は、梢でなく幹までがの意。もと〔二字傍点〕は、根本《ねもと》でなく、幹《もと》である。この九音は、「とよみ」の序歌。とよみのひどいことを示すために、据ゑたのである。もとさへ〔四字傍点〕を、意義本部に入れてはいけない。家中だの、擧《こぞ》りてだの譯する必要はない。○とよみ こゝは、「とよむ程にして」である。○いでて去《い》なば 家を出て遠く行く直後を考へるのである。○いづし 「いづち」に同じ。○妹が歎かむ どちら向いて溜息づいてよいか訣らないだらうといふのである。溜息づくにも、あて〔二字傍点〕がなくなるのである。歎きを放つ法が立たなくなることを豫期していふのだ。なげき〔三字傍点〕即溜息は、本集にも不隨意の動作と考へてゐるが、稀には咒術のために、長大息を吐く意味に用ゐてゐる。『大野山霧立ち渡るわが歎くおきその風に霧立ちわたる』などは其である。旅行者の爲にすることだ。此點、尚訣らぬ部分がある。「奈藝可牟」の藝〔傍点〕は、古本多く氣〔傍点〕だが、藝〔傍点〕はギともゲとも用ゐてゐるから、字はいづれでも問題はない。
(152)【鑑賞】 この上三句を類型として、いくつも歌が出來ねばならぬ。さうして此歌のやうな場合は、そのうち甚適當でない附合だと思はれる程、氣分の流動がない。口譯には出來るだけ、その缺陷を補はうと試みた。それでも尚鑑賞は自由でない。
 
3475 戀ひつゝも 居らむとすれど、木綿間《ゆふま》山、隱れし君を思ひかねつも
 
【口譯】 ぢつと辛抱して、焦れ/\して居ようとは思ふけれども、木綿間山、あの山蔭に入つて行つたあの人を思つて、堪らなくなつてくることよ。
【語釋】 ○戀ひつゝも こひ〔二字傍点〕は、抽象的に譯したが、尚、靈乞ひ〔三字傍点〕の風俗が、此に見られる。思ふ人・遠くに居る人に向つて施す咒法。其靈をこちらに迎へとらう、とするのが底の意だ。それが、人を慕ふ形式ともなつて來た。だから、木綿間山に對して、こひ〔二字傍点〕を行うてゐたのである。○居らむとすれど それを續けて此儘、居ようと言ふのである。すれど〔三字傍点〕は、「思へど」の代用。○木綿間山 所在不明の地名。本卷の編者は、東國と見たのであらう。類型として『よしゑやし戀ひじとすれど木綿間山越えにし君が思ほゆらくに』がある。旅の歌とせられてゐる。だが、二つとも木綿間山の山蔭に見えなくなつたのだから、死人を追悼しての歌と見るのが本道ではないか。「越えにし君」の歌も、山だから言つたまでゞ、木綿間山が墓地と見られるやうだ。○隱れし君 山陰に見えなくなつたお方。○思ひかねつも 「思ひありかねつも」である。ぢつとしてゐられない(153)とも譯し、極端に言へば、生きてゐることが出來ないとも譯が出來る。「思ひありかねてゐることよ」だ。
【鑑賞】 このやうに、悲別歌と挽歌とは、實は區別はないのである。萬葉集の編者たちも、その點誤解してゐることが多いであらう。地名が東國にない限りは、この歌を、東歌と判斷する根據がないのである。然し、東歌の蒐集は、單に編輯者の爲事でなく、東歌を奏上した東人にあるのだ。東人が嘗て、奏上した歌が宮廷の記録にあれば、東歌となる訣だ。かういふ歌は、東人が他國の歌を東國化しないで、そのまゝ流用した姿をとゞめてゐるのかもしれない。一・二句には、よい感情が含まれてゐるが、分類の立たない歌を鑑賞しようとする事は、無理である。
 
3476 うべ 兒なは我《わ》ぬに戀ふなも。立と月《つく》の ぬがなへ行けば、こふしかるなも
    或本(ノ)歌末句(ニ)曰(フ)。ぬがなへ行けど、わぬかゆのへば
 
【口譯】 なる程お前は(彼の娘は)俺に焦れてゐるだらう。その筈だ。立つ月の數がだん/\ひき續き經過してゐるんだから、俺を戀ひしく思つてゐるだらう。その筈だ。
【語釋】 ○うべ兒なは うべ〔二字傍点〕は反省して了解肯定する語だ。この歌は、必、女の歌に答へたものでなけねばならぬ。必然性は少いが、前の『木綿間山』の歌を、旅の歌と見ての答への歌と見ることも出來る。こなは〔三字傍点〕の(154)な〔傍点〕は愛稱。ら〔傍点〕と同じい。こらは〔三字傍点〕である。○我ぬ われ〔二字傍点〕である。○戀ふなも なも〔二字傍点〕は「らむ」の方言發音。「戀ふらむ」である。焦れてゐるだらうその筈だ、と了解するのである。○立と月の 「立つ月の」の方言發音。「出現する月」である、が暦日のことになる。謂はゞついたちが重る〔七字傍点〕と言ふ位に感じればいゝ。○ぬがなへ 「ながらへ」の方言發音。『世の中は常なきものと語りつきながらへきたれ‥‥』。つゞき經過する意である。○ゆけば 別れてから月がながらへ過ぎたからである。○こふしかるなも こふし〔三字傍点〕は戀ひし〔三字傍点〕。本集に用例の多い、――戀ひしい〔四字傍点〕よりは多少古風に見える。―「こほし」の方言發音である。戀ひしく思つてるだらう。こゝまで「うべ」の勢力が及んでゐる。○ぬがなへゆけど 月日は重り經過するがなほとなる。○わぬかゆのへば 「ゆか」の轉倒とする人の説を宣長は採つてゐる。が〔傍点〕が主格の助辭であると、「ゆのへ」が訣らぬ。「ゆかのへ」説による。「ゆかなへ」を更に方言的に發音したのだ。我ゆかざればの義。俺が子の處へゆかないのでとなる。
【鑑賞】 『むべこらは我に戀ふらむ立つ月のながらへゆけばこほしかるらむ』を、單に東語で表現したにすぎない。別に東特有のものはない。併、近代に至るまで、方言から、異國情調を受けとる僻がついてゐるから、昔もこの點で喜ばれたであらう。かけ合ひの歌としてでなくては、味ひのない歌となる。まだしも、或本の方が、四句から五句の移り工合ひゆく〔二字傍点〕の配置などに興味がある。
 
(155)3477 東路の手兒《てこ》のよび坂。越えて行《い》なば、あれは戀ひむな。後《のち》は逢ひぬとも
 
【口譯】 東路の手兒のよび坂よ。それをあなたが越えて行つたら、私は焦れるだらうよ。將來逢ふにきまつてゐるにしても。
【語釋】 ○東路・手兒のよび坂 「三四四二」參照。○越えて行なば 越えて行つたらう時に。本集の東歌は、大體遠江・駿河を西の限界としてゐる樣だから、田子の呼び坂より向うは、東《あづま》以外の感が深いのだらう。○戀ひむな 「戀ひむよ」である。焦れるだらうと未來の心持ちを想像したのである。○後は逢ひぬとも 「逢はむとも」・「逢ふとも」と言つてもいゝ處だ。ぬ〔傍点〕を用ゐるのは、現在完了の助動詞としてゞはない。それが時の助動詞になる爲には、この語の表す確實性が力をもつてゐたのだ。だから、ぬべし〔三字傍点〕と言ひぬらむ〔三字傍点〕と言ひ或はなむ〔二字傍点〕とすら言ふ。契沖は、「あひぬとも」は「相寢とも」だとしてゐるが、その場合もあるだらうが、形は同じでも、さうではあるまい。かう言ふ違ふ場合も考へねばならぬ。
【鑑賞】 この歌の上句下句、各別々の生命を持つてゐる。そのつなぎ目は第四句にあるが、それには、この句が少し散漫で力弱い氣がする。それに、第五句の曲折が、一途な感銘を薄める嫌ひがある。文學といふよりも、まるで咒歌でゞもあるやうに。
 
(156)3478 とほしとふ こなのしら嶺《ね》に 逢ほしだも、逢はのへしだも、汝《な》にこそよされ
 
【口譯】 こなの白嶺の名のしら〔二字傍点〕ではないが、あふ時《しな》も逢はない時《しな》も、いつでも私は、お前に心がよつてゐる。
【語釋】 ○とほしとふ 枕詞。「こな」或は「しらね」にかゝつてゐるものと思はれるが、その理由は訣らない。又、「遠《とほし》と言《ふ》」では、「こなのしらね」に續く理由もない。○こなのしらね こな〔二字傍点〕は地名であらう。今訣らぬ。「奈」は「志」の誤りとして、越《こし》の白嶺、即、白山とする『古義』の説も適切すぎてあぶない。こな〔二字傍点〕の地にある白嶺であるだけは訣る。一・二句序歌として、三句四句均等に懸つてゐる。に〔傍点〕は「の」の地方發音。こなの白嶺の〔六字傍点〕である。「しだ」にかゝつてゐる。た〔傍点〕行音ら〔傍点〕行音は、地方によつて、音價が甚しく動搖してゐたから、同音聯想と見られる。○逢ほしだ 逢ふしだ〔四字傍点〕である。しだ〔二字傍点〕は時・場合〔三字傍点〕。今も方言的に言ふ「行きしな」・「歸りしな」・「逢ひしな」のしな〔二字傍点〕である。伊豫では、「昨日しな」・「をとつひしな」など言ふ。逢ふ時〔三字傍点〕、即逢つた時〔四字傍点〕である。○逢はのへしだ 「逢はなへしだ」の更に方言發音。逢はざる時。即、逢はなかつた時である。お前が逢つた時も逢はなかつた時も日によつてはあつたが、である。○汝にこそよされ な〔傍点〕は汝、よされ〔三字傍点〕はよそる〔三字傍点〕の活用「よそれ」の、方言發音。但、よすあり〔四字傍点〕の融合した形。即、よせれと同じだとする説が多い。どちらでも解けるが、よそれ〔三字傍点〕の方がよささうだ。
(157)【鑑賞】 古代の發想から言へば、「あほしだ逢はのへしだ」は、自分がでなく、彼が逢うた時逢はない時である。序歌の成立は不審だが、其本部に接する工合も對句の形も、技巧としては心を引かれる。但、それだけ眞情と言ふよりも、不變的な色氣に訴へすぎる。誓約の歌。抽象的に逢はずとも、あなたを思ふ心に變りはないと言つてるともとれる。
 
3479 あかみ山。草根刈りそけ逢はすがへ、あらそふ妹し、あやにかなしも
 
【口譯】 俺に逢つてくれてゐながら、あかみ山の草の根を刈りのけるその爲事ではないが、俺に一々抵抗する彼女が、無上に可愛いことよ。
【語釋】 ○あかみ山 今訣らぬ地名。同樣の地名はあるが、それが古代からのものと信ぜられないのは、あげる必要もあるまい。○草根刈りそけ 草を刈り取りその根を掘りのけるのである。上二句、序歌。どの詞にかかつてゐるか訣らないが、「あらそふ」をおこすもの、と見るべきだらう。「逢ふ」にかゝるとも見られる。あかみ山で共同作業をする日があつて、その日人々はその山に集りあふから、と言つた説明も不自然ではない。だが古風には、草刈り作業は競爭するからと見て、あらそふ〔四字傍点〕に懸つたと考へる方が自然である。○逢はすがへ あはす〔三字傍点〕はあふ〔二字傍点〕の敬語。だが、つまどひの歌の、前代からの習慣で、處女の動作に敬語をつける風を保つてゐると見るがよい。或は「逢ひしがへ」の地方發音か。がへ〔二字傍点〕は「三四六五」參照、逢うてくれる一方反對の(158)こともするのである。○あらそふ妹し 從順に身をまかせないのである。思ふ通りにならないと譯すれば、微温的だが當るだらう。俺には逢ひながら人には逢つた覺えがないと言ひあらそふと解く註釋類は、極めて面白いが、續き合ひとしてはなりたちにくい。し〔傍点〕緊張の助辭。○あやに 「三三五〇」參照。むしやうに。女のいとしい訣が訣らない程なのである。
【鑑賞】 序歌は、農村の刈草行事を持つて來た所に興がある。三・四句の矛盾は、處女の心に對する男の煩悶を適切に表す。たゞ民謠なる點で、深刻さに不足が感ぜられるのも是非がない。
 
3480 大君の命《みこと》畏み、かなし妹が手枕《たまくら》離れ、よだち來ぬかも
 
【口譯】 天子樣の御命令の畏さに、可愛い彼女の手枕を思ひきつて、賦役に徴發せられて來たことよ。
【語釋】 ○大君 皇族を總て申す語。君々の更に尊い御方々。即、尊貴族の意味で、「おほ君」と申したのだ。場合によつて、親王・王をさし申すこともあり、天子を申しあげる場合もある。結局、皇族總じての尊稱であつた。○命 おことば。御命令と譯してよい。○畏み 「‥‥かしこみ」の副詞形を造る根部畏む〔二字傍点〕は、おそれる・おそれ入る・おそれつゝしむなどの意味に展開する。一・二句、副詞句として宮廷の御命令の畏さに〔十字傍点〕と自動詞的になる。○かなし妹 かなし〔三字傍点〕は語根から熟語を作る形。○手枕離れ 手枕に別れて〔六字傍点〕位の意味である。直(159)譯してはまづい。枕・手枕〔三字傍点〕など言へば、底に性的の聯想をするが、それは第二段のことである。枕は咒術精神を多く含んでゐるものだから、手枕の中にゐるのが、咒術を完くする期間で、其期間中を、不隨意に脱してと言ふ位に考へるのが本道だらう。歌の解釋としては、重苦しいが、古代の歌は、此方法で説くのが最正しいのである。○よだち來ぬかも 「夜出發して來たことよ」と言ふ風に譯する説が行はれてゐるが、それは手枕につきすぎて考へたのだ。よだつ〔三字傍点〕は徭役即、賦役に召すを意味する「えだつ」にかけて説いた宣長の考へが正しい。「えだたれ來ぬるかも」と言ふべき處を、方言的の表情で「よだち來ぬかも」と言つたのだ。強ひて歌の意味以外に、文學的姿態を作る必要はなからう。
【鑑賞】 全部とは言はぬが、或部分、此歌から受ける性的な部分を拔いて考へねばならないだらう。近代的に見れば、個人のさびしさを述べる方に、重點を置く樣だが、古代人の發想としては、かくまでするも大君に仕へまつる爲よ、と服從・誓約の方に重きをおいてゐるのだ。
 
3481 ありぎぬの さゑ/\しづみ、家の妹にもの言はず來にて、思ひ苦し《ぐる》しも
    柿(ノ)本(ノ)朝臣人麻呂歌集中に出づ。上に見えて已に詮《あき》らかなり
 
【口譯】 別れしなの、どさくさしてゐたゝめに、自家《うち》の彼女に物を言はないで來てしまつて、思ひせつないことよ。
(160)【語釋】 ○ありぎぬのさゑ/\しづみ 難語である。思ふに、鎭魂の際に用ゐる衣服か。その用途・意味は瞭かでないのに、語原をたづねて、それから意義を知らうとするのは、無理である。柿本朝臣人麿歌集に、『珠衣のさゐ/\しづみ家のいもにもの言はず來にて思ひかねつも』(五〇三)とあるのと.深い関係あるはもとより、「ありぎぬ」の意味も略々考へられる。珠(玉)は、普通の例で見れば、靈的な・神秘な〔六字傍点〕といふ意義だから、靈的な衣である。それと名義が違つても、同じ物を指してゐる筈である。さうした衣を被つてゐる人に鎭魂術を施してゐる間に、その衣がざわめき鳴り、亦、靜まりする事を「さゑ/\しづみ」・「さゐ/\しづみ」といふのであらう。この語は鎭魂の咒文となり、更に歌の上の用語となつた結果、一つの傾向を生じて、そのざわめき騷ぐ側を此句から感じて用ゐたのであらう。一方又考へられるのは、二つの例からでは斷言出來ぬが、「もの言はず」にかゝつてゐるやうでもある。騷ぎ靜まつて、沈黙《しじま》に入つた状態と採るのである。上二句は、後の解ならば、序歌となる。○もの言はず來にて 舊本、「毛乃乃伊波受伎爾※[氏/一]」とあるが、古本「毛乃伊波受伎爾※[氏/一]」とあるのが多いから、「乃」を一つ省く。特殊の意味があるやうであるが、訣らない。たゞ、もの〔二字傍点〕が精靈を意味することによつて、精靈に對する詞章即、咒文を發することではないかと思はれる。唯、咄をしないでと言ふやうな義ではあるまい。○思ひ苦しも 思ひ〔二字傍点〕と苦し〔二字傍点〕とが熟してゐるので、苦しく思ふ・苦しいまでに思ひ事をする義であらう。この苦し〔二字傍点〕は、後代の「心苦し」と同じで、笑止・氣の毒などにあたる。○左註 「詮」の字、古本、色々になつてゐる。元暦校本、「記」、其他「訖」又「説」などある。契沖は、「註」かとしてゐる。いづれにしても、此歌が「人麻呂集」に出てゐる事の説明の他に、これ以前の部分に表れてゐ(161)たことを示した註と思はれる。この文句を其儘信じれば、卷四に出てゐる事を斥したのだ。すると、此卷と卷四とは一續きの物であることが考へられる。然し、左註に關しては、種々の考へ方が成り立つ。別の考へはあるが、くどくは述べない。
【鑑賞】 人麻呂の歌として確かだと信ぜられた側のもの、其が東歌にあることは東國まで、歌が流れて行つたか、それとも人麻呂の作物を東人が、歌を奏上する時に借用したのか、其事情は決められない。
 
3482 韓衣《からごろも》 襴《すそ》の打交《うちがへ》 逢はねども、けしき心を、我《あ》が思《も》はなくに
    或本(ノ)歌(ニ)曰(フ)。韓衣 襴《すそ》のうちがひ 逢はなへば、寢《ね》なへのからに 言《こと》たかりつも
 
【口譯】 韓衣、その襴《すそ》の打ち合せが出來ないしたて〔三字傍点〕で合はない、それではないが、私は逢はないでゐるけれども、異つた氣持ちを心に持つては居ないことよ。
【語釋】 ○韓衣 支那の制によつて作つた衣。日本の在來の服のやうに、褄前を重ねるのでないから、着物の上交、下交が重ならない。○襴の打交 着物の裾に當る部分に襴なる布を附けたもの。こゝは、其を在來語に宛てゝ、その内容をも含めて言つた廣い意味の裾である。うちがへ〔四字傍点〕は、元、交錯してゐるものを言つた語。着物の下部の重なる處。或本(ノ)歌の「うちが比《ひ》」は、方言發音といふ程でなく、二通りに言つた訣である。上三句、(162)序歌、「逢はず」にかけてある。○逢はねども 上交・下交が打ち合はされないと言ふことゝ、人の逢はない事をかけて、意味を展《ひら》いたのだ。但、逢ふことが出來ないでゐるといふのか、自ら逢はないでゐるといふのか、はつきりしない。或本(ノ)歌の「逢はなへば」は「逢はざれば」で、逢はないからの意。○けしき心 變つた心・違つた心。惡い方に傾いて聞える語。二心。或本(ノ)歌の「寢なへのからに」は「寢ざるながらに」である。共寢しないでゐるのにの意。○言《こと》たかりつも 「こちたかりつも」の方言發音。「こちたかり」は「言痛《こちた》かり」で、人言のうるさく立つことである。つも〔二字傍点〕は現在完了の「‥‥たことよ」であるが、こゝは存續態に譯して、評判がうるさく立つてゐることよ、とする方が適《かな》ふ。又、とも〔二字傍点〕をつも〔二字傍点〕と發音したとも見られぬでもない。
【鑑賞】 或本の歌と本文とでは、單に類型といふだけで、一首としては全然違つてゐる。或本の方は、東國風の言語癖を連ねてゐるが、本文の方は、別に特徴はない。それだけに理會し易いが、低調である。或本の方は、方言といふ點を條件として見ても、考へ方が自由に動いてゐない。むしろ論理遊戯にすぎない。
 
3483 晝解けば、解けなへ紐の、我がせなにあひよるとかも、夜解け易け
 
【口譯】 晝解くといふと、解けない所の紐が、あの人によりあふことが出來るといふのか、今晩はどうかすれば解けがちで困ることだ。
(163)【語釋】 ○晝解けば 「いつも晝解く時に」といふ風にも説けるが、こゝは、或夜の感じである。「今日の晝解いた時に」のつもりである。○とけなへ紐 「解けざる紐」だ。なへ〔二字傍点〕は屡々説いて來た。解けなかつた、と時間を補つて見る。○あひよるとかも 紐について聯想が集中してゐるから、かうした後世の所謂縁語といふべき語が出てくるのだ。あひよる〔四字傍点〕は、紐が右左から來て會ふこと。此場合のよる〔二字傍点〕は、信頼する〔四字傍点〕といふ程強いものではない。二人の靈が依り合ふといふところから出て、人が一處に逢ふといふ意義に用ゐてゐる。○とかも と〔傍点〕はといふ。かも〔二字傍点〕は疑問。相依る〔三字傍点〕といふ意味であつて、それで〔三字傍点〕と譯してもよい。即、二人が逢ふといふ前觸れとしてかといふのである。○易け 舊本、「也須流」とあるが、古本多く、「也須家」とあるに從ふ。やすけ〔三字傍点〕は、「やすかる」の義、「やすき」にも適ずる。既に述べた如く、形容詞かり〔二字傍点〕活用は、古くすべて、け〔傍点〕だ。「それで夜解けやすいのか」となる。但、結んでも/\しやらほどけのする義か。「流」とすると、同じ意味にも聞えるが、「本道は解ける訣があるものか」といふ風になつて、よくない。此夜も〔傍点〕夜の今〔三字傍点〕を指してゐるのだ。簡單にほどけたのを怪んで、夜分紐の解けるは、思ふ人來る兆との言ひ慣しを思ひ出したのだ。
【鑑賞】 これらも、平安朝の女房歌と内容に於いて、擇ぶところがない。たゞ、方言使用以外に、幼稚な論理を含んでゐるのは、東歌らしい氣のするところだらう。
 
3484 麻苧《あさを》らを 麻笥《をけ》に ふすさに績《う》まずとも、明日 きせさめや。いざせ。を床に
 
(164)【口譯】 麻苧をそんなに桶にたつぷりと績《う》みこまなくとも、明日の日、それを着なさらう訣もないのだ。さあいらつしやい。この寢間へ。
【語釋】 ○麻苧らを ら〔傍点〕は愛稱から轉じた含蓄を示す語尾。○麻笥 今謂ふ「苧桶《をごけ》」。桶は元、苧笥《をけ》であつたが、用法が廣くなつて、特に苧桶《ををけ》と言つた形をとるやうになつた。○ふすさに 「ふつさりと」なる語に關係があるらしい。本集には、「ふさ」の語もある。○績まずとも 麻苧を紡ぐことを今も績む〔二字傍点〕といふ。「とも」と「きせさめや」と呼應してゐるが、其は單なる文法上の形式である。意味から言へば、績まずともいゝではないか、と切るところだ。○明日きせさめや 「來せざらめや」で、來ることをしなからうか、即、來ない筈はないと説く説が有力だつたが、一方に、「伎《き》」を着《き》ると見るのもある。眞淵は、「着せざらめや」とした。橋本進吉氏・井上通泰氏は、「着る」の敬語「着《き》せす」の第一變化に、や〔傍点〕の添つたものと見てゐる。即、今一つ古風に見ると、「着ささむや」である。お着になりませうかと言ふことになる。この方が、文法上には一番無理がない。○いざせを床に、いざ行け」・「いざ來よ」など進行を促す場合は、「いざせ」・「いざさせ」などゝ後までも言つてゐる。床に入つて來ることを促してゐるのだ。「を床」のを〔傍点〕は接頭語。こゝは寢間でも、帳臺でもよいが、寢部屋の意に譯した。
【鑑賞】 赤彦の『燈のしたに算盤もてる妻の顔こらへられねばねなとこそ言へ』は、此歌の暗示から出てゐる。夫が呼びかけた歌と見れば、やはりさうした夫婦問答を傳へる物語の一部であ(165)らう。併一方に、必しも、これが男の歌と見なくとも解釋が成り立つ。變つた境地を詠んだ物として名高いが、第四句に尚、曇りが殘つてゐる。
 
3485 つるぎたち 身に添ふ妹をとりみかね、哭《ね》をぞ泣きつる。てこにあらなくに
 
【口譯】 身にくつついてゐる彼女を世話することが出來ないで、俺は泣いてばかりゐる。赤ん坊でもない。それに。
【語釋】 ○つるぎたち たち〔二字傍点〕は、古く、截《き》れ物の總名。つるぎ〔三字傍点〕は、兩刃《もろは》の兵器の一種。つるぎたち〔五字傍点〕は、正しくは、「つるぎのたち」である。枕詞。「身に添ふ」を起す。○身に添ふ 始終、體から離れぬこと。○妹を 「妹をとりみかね」と續くと見るのは、よくないかもしれない。「妹を」で切つて、妹よ〔二字傍点〕と譯してもよい。但、「とりみかね」との關係は、それをとりみかね〔八字傍点〕か、その妹がとりみかね〔九字傍点〕かで、この歌の解釋が分れる。○とりみる 熟語で、世話をする・後見する・介抱するの義。物をとりみる・手をとりみる、などいふことはない。【T】、妹を世話が出來なくなつたので、自分が泣く。【U】、妹が俺の世話が出來なくなつて、妹が泣く。【V】、妹に世話を受けることが出來なくなつて俺が泣く。「とりみかね」の見方によつて、三通りに分れる。【T】は、最通り易いが、「とりみかね」に無理がある。【U】か【V】であらう。【U】は、これから夫の世話も出來ないと言つて妹が、だゞつ子のやうに泣いてゐることで、文法的に常識的に通りがよい。だが、多少不安であ(166)る。そんなに、子どもの樣に泣かないでくれと言ふ意。東歌の上に見えた、文法の相の未固定なところから考へると、とりみる筈の妹の世話を受けることが出來ないで、俺はたまらない、とする【V】によるのが、一等正しいのでないかと思ふ。○手兒 一方に、多く娘のことに手兒と用ゐながら、やはりかうした意にも使つてゐる。赤ん坊・幼稚な子供。
【鑑賞】 右の通り、色々に見ることが出來る程だから、鑑賞の態度を決めることすら出來ない。
 
3486 かなし妹を。※[弓+付]《ゆづか》竝《な》べ捲《ま》き 同格男《もころを》のことゝし言はゞ、いや勝たましに
 
【口譯】 可愛い彼女よ。これが若し、對等に弓を射合せる同格の男のことゝ言ふのであつたら、ずんと勝つて居たらうものを、彼女には勝てない。
【語釋】 ○かなし妹を 最印象強い部分だから、最初に、前提として据ゑたのである。○※[弓+付]竝べ捲き 捲き〔二字傍点〕は「まく」の地方發音だらう。此句は、次の句につゞく。※[弓+付]は弓の握り柄《づか》。「竝べ捲く」は、、竝べ纒《ま》く」で、同じ樣な一對の弓の考へから、「同格《もころ》」に續けるのだらう。これは動くまいと思ふが、尚試みに言へば、競爭的に※[弓+付]を捲くことを、「※[弓+付]竝べ捲く」と言つたものと見て、互に射術を競ふ對手の男の義で、「同格《もころ》男」につゞいたと見られぬこともない。○同格男 もころ〔三字傍点〕は、本集に於いてすら、場所によつて用語例を異にしてゐる。同輩の意らしく、「如己男」といふ字を宛てゝゐる。又立つてゐる姿のやうだといふ時に、「たゝりしもころ」(167)とあるのを見れば、「ごとし」に近い。語根もこ〔二字傍点〕は、むこ〔二字傍点〕と通ずる「もこ」で、婿《むこ》又は仇《もこ》など正反對ながら、對等の者の義である。ろ〔傍点〕は語根につく語尾。「もころ男」は、同格の男・對等の男といふことになる。○こととし言はゞ 對等の男に關することだとすれば、男同志に關する限りは、といふ事である。○いや勝たましに いや〔二字傍点〕は、更に・愈々、この上なく・非常に、との兩意を兼ねてゐる。だから、強ひて口譯することの出來ない、氣分的な用語である。勝たまし〔四字傍点〕は、現實と逆の想像であるから、負けてゐるのである。こんなにならずに、ぐつと勝つてゐたらうものを、と空想してゐるのだ。に〔傍点〕は副詞語尾。三句以下を副詞句として、「かなし妹を」に對立させてゐるのだ。
【鑑賞】 近代人には、重要な部分が、一句で解決せられてゐる事に不滿が感じられるが、さうであればこそ、四句に亘つて、反省のことばが叙べられる訣だ。古文を讀むには、それだけの自分の練習が、細かい言語的理會の上に必要である。相當に評價せられてよい歌と思ふ。
 
3487 梓弓未に玉|纒《ま》き かくすゝぞ、寢なゝなりにし。おくを豫《か》ぬ/\
 
【口譯】 梓弓、その弓《ゆ》末に玉を纏きつけるといつた風に、あゝやつたりかうやつたりしてゐて、大事をとつてゐたゝめに、共寢をしないきりになつたことよ。將來のことを豫期ばかりして居つて。
(168)【語釋】 ○梓弓 梓の木で製つた信仰的の弓。梓は、よぐそあづさ・よぐそみねばり、又あんさ、など方言でいふ。堅くて彈力に富む木。○末に玉纒き 玉纒く〔三字傍点〕は、本集では、玉を纒《ま》きつけるのと、玉を嵌《は》め込んで螺鈿《らでん》のやうに磨き出しにするのと、兩樣に現れてゐる。こゝは、丁寧・念入りにしてゐる有樣だから、どちらとも定められぬ。○かくすゝぞ 「と爲《し》かく爲《し》」「彼爲斯爲《かしかくし》」の類で、「かくしつゝぞしと言ひ換へれば訣る。すゝ〔二字傍点〕は「爲々」だから、「しつゝ」と言ひ換へてよい。あゝやつたりかうやつたり丁寧にしてゐた樣子。此句をきつかけにして、一・二句は序歌。「末に玉纒き」の末〔傍点〕が、文本部にひゞいて、將來《すゑ》の意義を印象しておく〔二字傍点〕に關係して來る。○寢《ね》なゝなりにし 正しくは、「寢なひなりにし」とあるべきところだが、東語文法の細部まで考へる材料がない。此まゝで認めてもよい。寢なくなつたのだ。三句の「ぞ」は、し〔傍点〕で切れる。寢ないきりになつてしまつた事よ。○おくを豫ぬ/\ おく〔二字傍点〕は未來。「三四〇三」參照。「豫《か》ぬ」は豫期すること。豫ぬ/\〔四字傍点〕は、豫ねつゝである。三句まで、色々と未來の豫言《かねごと》−契約−ばかりしてゐてといふことだ。
【鑑賞】 五句まで讀み通して、意義を理會したのちに、新に第五句に叙べてゐる事は、既に、四句までの間に表れてゐて、無駄な氣が起る。其點に於いて、第五句は、その逡巡の感が深くなる事で、成功してゐるもの、と謂へるのであらう。但、句々から享ける印象は鮮明でなくて、類型以外にありながら、類型感がする。古典にも刺戟の如何が、價値の問題にかゝつてくることの多いのを思ふ。
 
(169)3488 おふしもと このもと山の ましばにも告《の》らぬ妹が名 卜象《かた》に出でむかも
 
【口譯】 このもと山のましばではないが、しば/\口にも出さぬ彼女の名が、卜象《かた》に出さうな氣がする。
【語釋】 ○おふしもと 枕詞(?)。「このもと山」にかゝつてゐる。しもと〔三字傍点〕とこのもと〔四字傍点〕とそれが各木に關係あることゝの聯想で、續いたものには違ひない。だが、語義は訣らぬ。おふしもと〔五字傍点〕は生える※[木+若]、或は大きい※[木+若]など、説がある。○このもと山 地名であらう。この〔二字傍点〕を此〔傍点〕とすれば、もと山〔三字傍点〕の説明が更に困難になる。上二句序歌。「ましば」をおこす。○ましば ま〔傍点〕は接頭語。但、ましば〔三字傍点〕の語は近代にも言ふ。しば〔二字傍点〕は柴木である。副詞「ましばに」にかゝつてゐる。○ましばにも しば/\〔四字傍点〕の語根のしば〔二字傍点〕に、接頭語ま〔傍点〕がついたと見る説と、ま〔傍点〕は接頭語、しば〔二字傍点〕は物を惜しむ吝嗇の「吝《しは》」とする截とがある。どちらもよい。宣長説「吝」を採らぬ人が多いが、古語になかつたとは言へぬ。感じの深い解釋だ。尚、『まさでにも告らぬ君が名うらにでにけり』(三三七四)によると、「ましばにも卜象に出でむかも」となるとも思はれる。ましは〔三字傍点〕(この際「波」をそのまゝ清音に訓む)・まさか〔三字傍点〕(三四〇三參照)は、近いから、まざ/”\と〔五字傍点〕の意にましは〔三字傍点〕と言はなかつたとも言へない。今は暫らく、「暫」説によつておく。「しば/\も告らぬ」だから、殆うちあけないと言ふことになる。(同番の歌參照)○卜象に出でむかも かた〔二字傍点〕は※[日/町]形《まちかた》。鹿骨・龜甲に灼き出した卜象である。(同番の歌參照)。に〔傍点〕はとして〔三字傍点〕である。「出でむかも」のかも〔二字傍点〕は感動とも疑問とも採れる。感動とすれば、出ることのさけられな(170)いのを覺悟してゐるのだ。この場合は 殊に「ましばにも」が五句と續く必要がある。近代的には疑問である方が訣る。懼れ愁へてゐることになる。
【鑑賞】 今日から見れば、類型以上に出ない歌。せめては第三句が訣れば、多少價値が出て來るかと思ふ。
 
3489 あづさゆみ よらの山邊の繁かくに、妹ろを立てゝ さ寢處《ねど》拂ふも
 
【口譯】 よら〔二字傍点〕の山邊の繁いそれではないが、しげく――頻繁に毎夜々々彼女を動して、寢處を拂はしめることよ。
【語釋】 ○あづさゆみ 枕詞。こゝは「よら」をおこす。靈弓の音に神がよることの聯想だ。或は弓弦の音を擬聲したのか。○よらの山邊 地名。由良の地名が多いから、そのどれかであらう。訣らぬ。○繁かくに 「しげゝくに」の方言發音。こゝはしげく〔三字傍点〕の意味の副詞に用ゐた。この句をきつかけに上三句序歌。これを序歌と見ないで、由良の山邊の繁つてゐる場所に、假りそめの寢場所を造るのだ、と説いてゐるのは、東歌と言ふ先入主に欺かれてゐるのだ。○妹ろを立てゝ ろ〔傍点〕は愛稱。たてゝ〔三字傍点〕は「立たせる」でなく、「催す」・「促す」で、妹の手によつてさ寢處を拂ふと言ふことになるのだ。○さ寢處拂ふも さね〔二字傍点〕は「さぬ」の名詞形。さねど〔三字傍点〕はねま〔二字傍点〕。はらふ〔三字傍点〕は牀をとる爲に拂ふのか、とつてあつた牀を拂ふのか訣らぬ。夫ときまつた人の來るのを待(171)つ爲の牀だから、その來た時は、その牀を大切にする必要はない。それで夫を迎へる爲の寢具は、夫の來た時改めて設け直すのであらう。その際によく障碍の入り込まない樣に祓ふのであらう。その役は妹がするのであるが、寢處はらふ〔五字傍点〕と言ふ動作は一般的に言ふのであるから、する人をたてる〔三字傍点〕で表し、それによつて寢處を改めたことを示すのだ。
【鑑賞】 幸福な結婚状態で、男が殆毎夜女の家に住むことの印象を、叙事氣分でうたつたものである。山の假寢とは思はれない。
 
3490 あづさゆみ 末は寄り寢む。まさかこそ、人目を多み、汝《な》をはしに措けれ
    柿(ノ)本(ノ)朝臣人麻呂歌集に出づ
 
【口譯】 あづさの弓ではないが、末には寄つて寢よう。現實の今こそ人目が多いので、お前を中途半ぱにうつちやつてあるが、併し‥‥。
【語釋】 ○あづさゆみ 枕詞。第二句の「すゑ」及び「より」をおこしてゐる。○末は寄り寢む すゑ〔二字傍点〕は近い將未を意味する語ではない。はて/\は〔五字傍点〕である。よりねむ〔四字傍点〕は、寄りあうて寢よう〔八字傍点〕である。○まさか 「三四〇三」參照。○こそ 或事象を強く指示する事によつて、他の部分が對象的の地位に浮び上つて來る語法である。○人目を多み 人の注意の集つてゐるのに憚つて。○汝をはしに措けれ はし〔二字傍点〕は端〔傍点〕ではない。さうする(172)と、忍んで來た者に對して言つてゐる樣に感じられて、すゑ〔二字傍点〕が妥當を缺いて來るのだ。現在の状態を言つて、女の身のきまらない有樣を言つたのだ。おけれ〔三字傍点〕はうつちやつてある・そのまゝにしてある。おけり〔三字傍点〕がこそ〔二字傍点〕の勢力を受けた形。だが、こそ〔二字傍点〕の力によつて更に反撥して、おいてゐる、だがすゑはよりねむ〔十四字傍点〕となるのだ。
【鑑賞】 この歌、第二句「すゑはよりなむ」ではなからうか。「より寢む」のまゝでも、方言發音として見られないことはないが、傳承の間に好みにまかせて寢る〔二字傍点〕に聯想を移して言つたものと思ふ。この歌、男が女の恨みに答へたのだ。いづれにしても、上二句が下三句の力に相應しない樣である。民謠ながら後半は現實をつかんでゐる。
 
3491 柳こそ 伐れば生えすれ。世の人の 戀に死なむを 如何にせよとぞ
 
【口譯】 柳は、なるほど伐れば又生える。が、生きかへらない世の中の人、おれが戀ひに死なうとしてゐるのを、どうしろと言ふのか。
【語釋】 ○柳こそ 柳を特に示したので、言ひ落された或ものを豫期することになる。○伐れば生えすれ 老いす・枯れす・死にす・朽ちす〔十二字傍点〕と言つた例である。多く否定或は條件文などに用ゐられる。それだけ效果は抽象的になつて來る。概念的に示すとも言へる。○世の人の 人間世界にゐる人間。即そのうち特に自分を斥してゐるのだ。○戀に死なむを 全體にあげて一部に歸る言ひ方だ。戀ひに死にかゝつてゐるそれを。○(173)如何にせよとぞ 如何にせよと言ふなるぞ。したいまゝにせよと、かまつてくれないのかと言ふ意。
【鑑賞】 比論の當を失してゐる點が、却て誇張的の効果を強めてゐる。民謠的な、觀念的な言ひ方が、細かく描寫する抒情詩とは、又別な効果をあげてゐる。その點で勝れた歌。
 
3492 小山田の池のつゝみにさす柳 なりもならずも。汝《な》と 二人はも
 
【口譯】 山の田の池のつゝみにさし植ゑにした柳。それではないが、なるならぬは問題外だ。あなたと私のその仲はよ。
【語釋】 ○小山田 を〔傍点〕は接頭語。山田〔二字傍点〕は山の傾斜地に作つた田。○池のつゝみに だから、池が必要であつた。今人は池の堤〔三字傍点〕と事もなく感じるが、今も分布の廣い樣に、昔もつゝみ〔三字傍点〕が池そのもの〔五字傍点〕を意味した。土坡で堰かれた―――包まれた――水溜りが、即つゝみ〔三字傍点〕であつた。だから直に今考へる樣な堤防を思はない方が本道だ。山田などの場合は、澤・谷の一部を引いて堰き止めたものだらう。序歌としては、このまゝ三句に續いて言つても同じだが、このに〔傍点〕はの〔傍点〕の地方發音ではないか。○さす柳 つゝみにさした柳。だが上がの〔傍点〕なれば、「さす柳〔傍点〕」で、熟語になつてゐる。或はし〔傍点〕の方言發音す〔傍点〕だと見ることも出來よう。柳の枝を折つてさしたもの。昔は物の成就不成就を占ふのに、その根のつくか否かをもつて判斷した。上三句、その意味において序歌。「なりもならずも」にかゝる。成・不成、占ひの上のぷらす・まいなす〔七字傍点〕の意味を、夫婦關係の上のなる・ならぬ〔五字傍点〕(174)にかけたのだ。○なりもならずも なる・ならぬ〔五字傍点〕は、單なる婚約或は成婚以外に、もつと性的の意味を持つてゐるらしい。今は二人の間がぴつたりとしなくとも、それを愁ふる必要はないと言ふ意味を略してゐる。單に夫婦になる・ならぬ〔五字傍点〕は問題でないと言ふ樣な、表面的のことではない。○汝と二人はも お前と俺と二人は‥‥よ。今の状態が變らないでゐる事を誓ふのである。井上道泰氏は、「波も」は「宿《ね》も」でねようよ〔四字傍点〕と言ふ意味に採つてゐる。面白いが調子急迫して、歌がら〔二字傍点〕を小さく低める。「をふの浦に」の歌の類型と見たのだ。
【鑑賞】 複雜な感情を、非常に單純化して、一氣に詠みあげてゐるのは、抒情力と言ふより戯曲力とも言ふべきものだ。民謠が生活を概念化することから、出て來る一種の利益である。
 
3493 早晩《おそはや》も 汝《な》をこそ待ため。向つ丘《を》の椎のこやでの 逢ひは違《たが》はじ
    或本(ノ)歌(ニ)曰(フ)。早晩も 君をし待たむ。向つ丘の椎のさ枝の ときはすぐとも
 
【口譯】 いつまでかゝつても、私はお前さんを待つてゐよう。この前の山の椎の小枝が、互ひちがひになつてるそれではないが、逢ふ約束を違へない樣に待つてゐよう。
 或本(ノ)歌 いつまでかゝつても、私はあなたをば待つてゐよう。この前山の椎の枝の若い盛りではないが、幾ら時がたつて行くとしても。
【語釋】 ○早晩《おそはや》も 「おそくも早くも」で、其事の行はれる時のおそき早きに貪著《とんぢやく》なくと言ふことになる。○(175)汝をこそ待ため 汝を待たむ〔五字傍点〕である。女が言ふのである。或本、「君をし待たむ」のし〔傍点〕は緊張の助辭。君〔傍点〕とあるから作者は明らかに女だ。○向つ丘の椎のこやで 「たがふ」をおこす序歌。たゞ、卒然と類型的な語が現れたまでゝある。意味はない。強ひて理由を求めれば、新築の宴《うたけ》にでも唱へたからと見るべきか。向つ丘〔三字傍点〕は既に説いた。椎のこやで〔五字傍点〕は、「椎のこえだ」の地方發音だらうと言ふ。尚若干の疑ひはある。椎の若枝を言つたものと見ておく。或本、「さえだ」のさ〔傍点〕は最小美辭。こやで〔三字傍点〕とあまり違ふまい。○逢ひは違はじ 舊本、「多家波自」。これをたけはじ〔四字傍点〕ともたがはじ〔四字傍点〕とも訓めるが、古本「家」を「我」としてゐるから、たがはじ〔四字傍点〕ときめていゝ。椎の若枝の互生してゐるのに注意したのだ。こゝに序歌を受けて、意義本部を形づくる。たがへまい〔五字傍点〕と採る方がよい。但、東語では、たがふ〔三字傍点〕の四段・下二段活も込めて、四段活に言つたのだらう。或本、「時はすぐとも」。三・四句の序歌をとき〔二字傍点〕で受けてゐる。とき〔二字傍点〕はさかり〔三字傍点〕である。こゝでは枝の發育時を言ふ。時はすぐとも〔六字傍点〕は、約束の時は通りすぎるとしても、いつまでもお前を待たうと言ふのだ。
【鑑賞】 或本の歌の方が都風で、本文のゝ方が「逢ひは違はじ」など、東風の發想を採つてゐる樣だ。總てに於いて「おそはやも」と言ひ出したから、來る時の考へが歌に漲つてゐる點、注意せられる。三句四句の序歌が、この歌の柔かな姿態を作つてゐる。
 
3494 子持《こもち》山 若かへるでの もみづまで寢《ね》もと 我《わ》は思《も》ふ。汝《な》は あどか思《も》ふ
 
(176)【口譯】 子持山よ。その若かへでではないが、あかくなるまで寢てゐよう、と俺は考へる。お前はどう考へてゐるね。
【語釋】 ○子持山 下野國。榛名山と吾妻峽谷を隔てゝ立つてゐる山。この山、古くからも知られてゐたであらう。室町初頭の『神道集』にその縁起が出てゐる。○若かへるで かへでの若葉である。出初めて暫く紅葉してゐる。上二句「もみづ」をおこす序歌。○もみづ 紅葉する。これは四段活。但、本集には上二段下二段のもある。又本集、もみぢ葉〔四字傍点〕を「黄葉」に當てるが、語原はやはり赤によつてゐる。もみ〔二字傍点〕は赤色。語尾つ〔傍点〕をつけて赤くなる義の動詞となる。必しも紅葉するに限らなかつたのだ。この場合、もみづ〔三字傍点〕は夜が開けてあたりが明くなることを言ふのだらう。「若かへるでが秋の紅葉するまで」ではない。たゞ、その意味の、もみづ〔三字傍点〕の用例が亡びたまでだらう。○寢もと我は思ふ ねも〔二字傍点〕はねむ〔二字傍点〕である。わはもふ〔四字傍点〕は思ふ〔二字傍点〕の音韵脱落或は融合。○汝はあどか思ふ あどか〔三字傍点〕は「などか」と直に解くのは惡い。あそ〔二字傍点〕はなに〔二字傍点〕である。あどか〔三字傍点〕の組織に於いて、なにとか〔四字傍点〕の意味が出て來るのだ。
【鑑賞】 この歌、若かへでが秋の紅葉するまで寢てゐようと、愛人に言ひかけた情痴を面白しとした故人の意見もあるが、さうした意味の誇張があるならば、この歌、却て文學を失ふものである。この歌の興味は、下句の自問自答の形式にかゝつてゐる。上句は、もみづまで〔五字傍点〕が、まだ少し不安なだけに鑑賞に入りにくい。
 
(177)3495 いはほろのそひの若松 限りとや、君が來まさぬ。うらもとなくも
 
【口譯】 伊香保地方の岨路の若松林。それがかぎらうてゐるではないが、まうあれ限りと言ふので、あの人がおいでにならないのか。ひどいしうちだ。
【語釋】 ○いはほろの か〔傍点〕行音は〔傍点〕行音は、喉音として、非常に近かつたのだから、これが「いかほろ」であることは疑ひなからう。勿論、同じ形でも、地方的の聯想で、意味を變化させて用ゐてゐることもあるが。あしがら〔四字傍点〕のあしがり〔四字傍点〕に於ける關係と違はない訣だ。○そひの若松 「三四一〇」參照。多く木の名をあげる場合に、特別に群を示す語をつけないことが多い。こゝも若松原〔三字傍点〕である。○かぎり ?。かぎる・かげろ・かげろふ〔十字傍点〕、皆太陽光の作用に用ゐるから、こゝも詞を固定させる序歌關係の習慣として、限り〔二字傍点〕に若松のかすみかげろうてゐる樣をかけたと思ふ。急傾斜地にかすむ樣に見えるからかけたと見るのだ。○とや や〔傍点〕は疑問。「君來まさぬや」となるのだ。○君が來まさぬ それで君がいらつしやらないのか〔それ〜傍点〕である。○うらもとなくも 「うらもとなくあるも」又は「うらもとなくもあり」の略とも解けるが、四句の前において、「うらもとなくも君が來まさぬ」と採る方が正しからう。うら〔二字傍点〕は心〔傍点〕の意味が退化して、氣分〔二字傍点〕或はそれより薄い意味で、接頭語としてつく。「もとなく」についてゐる。もとなく〔四字傍点〕は既に言つた。「三四七一」參照。「もとなくうし」といふ意味の、習慣的略語だ。もとなく〔四字傍点〕はひどく〔三字傍点〕で、ひどくなさけない・ひどくうらめしい・ひどく困つたなど言ふ意味を表す。それで、かうした形を採つてゐる時は、「もとなくもあり」でなくば、「もとなくあるも」(178)である。ひどいことよ〔六字傍点〕と言ふにすぎない。
【鑑賞】 四句までの間は、それでも順調に進んでゐながら、五句に至り、調子が躍つて、急に氣分に混亂をおこすのは、近代から見てさけられないことだ。
 
3496 たちはなのこばの垂髪《はなり》が思ふなむ心うつくし。いで あれは行《い》かな
 
【口譯】 こば〔二字傍点〕の娘が、俺を思つてゐるところの心がいとしい。どれ、俺は出かけようよ。
【語釋】 ○たちはなのこば たちばな〔四字傍点〕は、大地名か或は枕詞か判斷出來ない。武藏國橘樹郡も、古くからの地名だから、その橘樹郷と見てもよい。こば〔二字傍点〕は地名。所在不明。○垂髪《はなり》 處女から女になる或時期の娘。髪の形から出た稱號。放髪とも書く。處女の間は、髪をきり揃へておくが、この期間には髪を、伸びるに任かせて、しかもとり上げない。嚴格に言へば、處女となる前の形で、この歌の頃には、處女とはなり〔三字傍点〕とに區別はなかつたらう。元服出前の女である。○思ふなむ 「思ふらむ」の地方發音。口譯には、相像を拔いて、思うてゐる心と言つてもよい。傍《はた》から言ふのだから、想像の形をとるのだ。○うつくし 「いつくし」と同語。幼い者に對しての愛情を示すのを原則とする語。まだ、女にならぬ少女が、自分に好意をもつてゐるのが、可愛くてたまらないのだ。○いであれは行かな 四句まで事も無げにきて、五句が突如として重く聞えるのに、意味があらう。いで〔二字傍点〕は、自發的決心。いかな〔三字傍点〕は、「行《ゆ》かな」で、「行《ゆ》かむ」と同じい。まだ、男の通ふべきでない、娘(179)のところへ通ひ始めようとする心を示したのだ。
【鑑賞】 嚴密に言つて、さうした少女に觸れることは、信仰上の禁忌である。それが、地方によつては緩んでもゐたらうが、やはり社會的節制として、其を犯す事は、人に惡感を持たれてゐたにちがひない。そこに、男が逡巡した結果、これだけの決心をあらはしてゐる訣だ。それでなくては、此歌の作られた動機が訣らない。あんなに思つてくれるから、可愛い、訪問してやらうといふのである。ゐばつて居ると見えるが、女へ贈る男の歌だ。
 
3497 川かみの根白《ねじろ》高萱。あやに/\ さ寢《ね》/\てこそ、言に出にしか
 
【口譯】 川の傍《そば》の根白高萱ではないが、あやに/\――むしやうやたらに共寢に共寢を重ねたあげく、評判に現れたことよ。
【語釋】 ○川かみの かみ〔二字傍点〕は、「上」とも「邊《ほとり》」とも採れる。「うへ」が邊〔傍点〕とも採れるのと同じ事だ。この場合も、いづれとも決定し難い。たゞ、習慣に隨つて、川のほとり〔五字傍点〕と譯しておく。○根白高萱 根本の白い背の高い萱で、そんな種類があつたのか、それとも地下莖が波に洗はれて、露出してさう見えたのか。上二句、序歌。「あやに/\」を起してゐる。萱の近似音聯想。恐らく、屋根の葺草を讃めた新室|宴會《うたげ》の類型の語で(180)あらう。○あやに/\ あやに〔三字傍点〕は、説明を超越してゐる感情を表す語。四句にかゝるとも、亦五句にかゝつてゐるとも採れるが、五句と見る方が、調子から言つても傑れてゐるやうである。○さ寢/\てこそ さ寢〔二字傍点〕は、既出。「さ寢にさ寢しと言ふべきところを、疊語形式で表したのである。この形は、度重なつたことを示す。○言に出にしか 言に出づ〔四字傍点〕は、人言に現れたことから、噂にのぼつた、更に評判に立てられた、といふ種々の過程を表すことの出來る語である。
【鑑賞】 この歌、言《こと》に出たに對しての感じを歌つてゐるのだが、其點は、歌の上に出て來ない。覺悟の前だと、潔く人のそしり〔三字傍点〕を受ける心持ちをいふのらしいが、尚、疑問がある。描寫性よりも氣分に於いて傑れた歌。
 
3498 海《うな》はらの、ねやはら小菅《こすげ》 數多《あまた》あれば、君は忘らす。我忘るれや
 
【口譯】 海沿ひの野の根柔小菅、それが澤山におありだから、あなたは、私をお忘れになる筈です。だが、私は忘れますものか。
【語釋】 ○海はら 海の上を原と感じた海原〔二字傍点〕とは別に、海沿ひの原といふ見方から出來た語であらう。海岸を意味するうなひ〔三字傍点〕を古くは、菟原《うはら》と書いて攝津の地名にしてゐるのを見ると、うなひ・うなばら〔七字傍点〕は一つであつたことが思はれる。○ねやはら小菅 菅を女の比喩に用ゐることは、本集竝びに古歌謠に類例頗多い。それ(181)で、かうした突如たる比喩も出てくる訣だ。ねやはら〔四字傍点〕は・「根柔」と思はれるが、その音に、寢柔〔二字傍点〕を感じてゐるにちがひない。或は寧、その方が元かもしれぬ。催馬樂、「貫河の瀬々の小菅のやはら手枕、やはらかに寢る夜はなくて、おや(ィき)さくる妻」なども一例である。一方に、うなはら・ねやはら〔八字傍点〕と音覺の上の關係も考へて見ねばならぬ。○數多あれば 澤山もつていらつしやるといふことだが、此句から急に、比喩を離れてくる不安さは、古代人には感じなかつたらう。即、上一・二句は多く〔二字傍点〕の序歌である。下の句との關係が、そこで交錯してゐる。この交錯點に於いて、序歌を離れて現實に入るのだから、上の句と下の句とが思想として適切につゞかなくとも、受け入れる事が出來たのだ。謂はゞ、「數多あれば」で、一擧に現實の多くの女を思ひ浮べた訣である。○忘らす 「忘る」の敬語。○忘るれや 忘らす〔三字傍点〕は四段の忘る〔二字傍点〕を思はせる形。こゝは下二段である。かうした兩用の矛盾が恒にあつたのだ。「忘れてあらめや」といふところを、かう言つたのである。これも、文法觀念の錯覺である。忘れめや〔四字傍点〕を融合した形に於いて、忘れや〔三字傍点〕といふ。それは、四段の形である。更に下二段で言へば、忘るれや〔四字傍点〕になると、聯想が自然に判斷せしめたのである。忘れますものか・忘れてよいものですか、など譯してよい。
【鑑賞】 この歌、眞の嫉妬によつて詠んだ歌といふより、嫉妬を詠んで相共に娯しむといつた感じが近代的には享けられる。但、男が女に「忘れてゐるのだらう」と言つておこしたに對しての答へである。「ねやはら小菅」といふ語に、中心を集めて味ふ必要がある。
 
(182)3499 岡に寄せ我が刈る萱のさね萱の まこと なごやは、寢ろとへなかも
 
【口譯】 岡によせかけて、俺が刈り積んだ萱、そのさぬ萱ではないが、その女は、眞底からすなほには、寢よと言はないことよ。
【語釋】 ○岡によせ 「岡に寄せ」即、岡にもたせかけて刈り積むのである。だから當然此は序歌などではない。○我が刈る萱 「我が刈れる萱」で、今もいふ「刈萱」といふ語は、刈り積んだ萱といふことである。萱を岡に寄せて刈りおいてあると見れば、此句は解ける。○さね萱の ?。萱の一種の名か、根萱〔二字傍点〕に接頭語さ〔傍点〕の添つたものか此も瞭かでない。上三句が序歌となつて、「なごや」を起してゐる。○まことなごやは 「なごやは寢ろとまこといへなかも」である。眞實これつぽつちも言つたことがない、とつゞく。なごや〔三字傍点〕は、荒々しい・とげ/\しい、などの反對で、柔かであり、荒立つてゐない樣子をいふ。や〔傍点〕は副詞語尾。だから、なごやに・なごやかに〔九字傍点〕とせずとも、「なごやかに」の意味はある。「なごや寢ろとは」と、は〔傍点〕を後に廻して譯する。○寢ろとへなかも 寢ろ〔二字傍点〕は「寢よ」の地方表現。とへ〔二字傍点〕は「といふ」の融合したとふ〔二字傍点〕の活用。普通の文法では、とは〔二字傍点〕と言ふべきところである。なかも〔三字傍点〕は「ぬかも」と言ふ方訣り易いが、「なふ」の活用「なは」の音轉である。も〔傍点〕は感動。ざるも〔三字傍点〕に當る。「寢ろとはざるも」即、「寢ろといはぬかも」だ。或は、「寢ろとはなくも」即、「寢よといはなくも」の音韻變化とも見られる。女が、入つて寢よと言はぬのを歎くのだ。
(183)【鑑賞】 相當難歌らしく見えるが、四句までは調子の張つた歌と言へる。五句に至つて、方言的表現が近代の鑑賞に入らなくなつて了ふ。寧、「寢ろといはぬかも」位ならば、直感には快く來る。
 
3500 紫は、根をかもをふる。他人《ひと》の子のうらがなしけを 寢ををへなくに
 
【口譯】 紫草は、根まで盡くしてしまふと言ふが、さうか知らん。他所《よそ》の娘の可愛い彼女を、俺はまだ寢をふせないことよ。
【語釋】 ○紫 紫草。その根の汁を以て紫色の染料とした。茜草科の草。○根をかもをふる をふ〔二字傍点〕は、完全にする。その意義分化して、‥‥してしまふ・盡す、の義を生ずる。この用語例は、完全にとる・とつてしまふことである。根をありぎりに掘り盡して了ふこと。かも〔二字傍点〕は疑問。此を、「をふるかも」とした場合と違ふ。根きりこつきり取つてしまふと言ふが、今私の例で考へると、そんな事はあり得ない氣がするといふのだ。○他人《ひと》の子のうらがなしけ 他人の子〔四字傍点〕は、他所《よそ》の娘。まだ無關係の者なることを明らかに見せてゐる。の〔傍点〕は、關係代名詞的に用ゐられて、「人の子、それはうらがなしき人の子」といふ意だ。うらがなしけ〔六字傍点〕は、うらがなしかる者の意。うら〔二字傍点〕は半接頭語化してゐる。かなしけ〔四字傍点〕は、可愛い者である。○寢ををへなくに 寢ををふ〔四字傍点〕は「根をかもをふる」から呼び起された同音聯想だ。完全に抱き寢すること。をへなくに〔五字傍点〕は、それをし遂《と》げないことよ、である。調子だけを移して見れば、紫は根ををへない、俺も娘を寢ををへない、といふのだ。なくに〔三字傍点〕を「ないの(184)に」と譯しようとするから、一・二句と矛盾する感じがくるのだ。其矛盾感を脱するために、「根ををふるかも」にとる説が多い。「紫は根ををふる、俺は娘を寢ををへないのに」としなければならなく感じた訣だ。
【鑑賞】 此歌も、單なる音の聯想から、比論の誤りを犯して、そこに矛盾感から誇張した興味をとり出して來てゐる。技巧の點が、十分に注意せられてよい歌である。民謠的に張つた歌。
 
3501 安波|峰《を》ろの峰《を》ろ田に生《お》はるたはみづら 引かばぬる/\、あを 言《こと》な斷え
 
【口譯】 安房の山の山田に生えたたはみづら。それではないが、俺が引いたら、ずる/\と從つて來て、俺につきあひを絶やしてくれるな。
【語釋】 ○安波峰ろ 安房の峰である。ろ〔傍点〕は愛稱から出た含蓄語尾。恐らく房州の山を斥したのでなからう。狹い地名の方がおもしろい。今訣らぬ。○峰ろ田 峰の田。即谷田に對する山田。○生はる 「生える」の方言的表現。「生へる」の存在を思はせる古文法。○たはみづら たはみ〔三字傍点〕が名で、つら〔二字傍点〕が蔓草なるを示すのだらう。或はたは〔二字傍点〕が名で、みづら〔三字傍点〕が語尾か。この句をきつかけに上三句序歌。下の「ひかば・ぬる/\・たえ〔九字傍点〕」をおこしてゐる。「三三七八」參照。○あを言な斷え 「わになたえそね」と同じである。言たゆ〔三字傍点〕は絶交すること。な〔傍点〕を差しはさむことによつてなたえ〔三字傍点〕即たえるな・絶交すな〔八字傍点〕となる。あを〔二字傍点〕のを〔傍点〕はに〔傍点〕に通じる。
【鑑賞】 殊に類型的な歌で、鑑賞に及ばない。又田の中の蔓草を言つたのも、外に例が段々ある。
 
(185)3502 我がめづま 人はさくれど、あさがほの 年さへこゞと。我《わ》はさかるがへ
 
【口譯】 俺の可愛い妻、それを人は引き分けるけれど、年月こんなに迄長くそうてゐるのだもの。俺は引き分けられるものか。
【語釋】 ○我がめづま めづま〔三字傍点〕は、語根めづ〔二字傍点〕とつま〔二字傍点〕との融合とする説は理に合ふ。併、間隔をおいて逢ふ妻、かも知れない。目妻〔二字傍点〕をまづま〔三字傍点〕と訓む説もある。○人 當事者以外の者。○さくれど 引き離つけれど。○あさがほの 枕詞。上下の「さかる」にかゝる。蔓草の諸方へ岐れ延びる樣からつゞけるのだ。この歌の感じによつて言へば、一年生でなく年々に榮えてゆく點で、「年さへこゞと」と言つたのかも知れない。あさがほ〔四字傍点〕について、諸説まち/\である。槿説・桔梗説・晝顔説などあるが、皆多少弱點を持つてゐる。又、王朝の字書の訓によるのも、誤譯に謬られる虞れが多い。別説がある。○年さへこゞと 「年こゞと經るさへあるに」の意義。こゞと〔三字傍点〕は許多〔二字傍点〕。年數の多いことだ。だがさうすると、四句と五句との間に非常な飛躍のあるものと見ねばならぬ。歌としては、勿論それも一つの姿だ。だが今一つ、二人の仲は一年々々に増して(年さへ)非常に――決して/\――(こゞと)さかれめや、と續く。多く、「今はさかれてもいつまでもさかれては居まい」と言ふ風に解くが、訣り易いが、問題である。○さかるがへ 「三四二〇」參照。
【鑑賞】 これも類型の上に、小部分の意匠を加へたものである。だが今からは興味が起るまい。
 
(186)3503 あせか潟。汐干の ゆたに思へらば、朮《うけら》が花の 色に出《で》めやも
 
【口譯】 お前は顔色に露すなと言ふが、このあせか渇の汐干の波ではないが、ゆら/\と思つて居る位ならばなる程、朮の花ではないが、顔色に露さないで居られるだらう。が‥‥‥。
【語釋】 ○あせか潟 所在不明。「あさか潟」の方言發音であらう。但、本集にあるあさか潟〔四字傍点〕は、東歌としては適切でない。和泉などの歌の東に流れ、又は東歌に採用せられたものか。○汐干 汐干潟に殘る餘波のゆら/\と搖ぐ有樣。一句からこれまで、「ゆたに」をおこす序歌。○ゆたに思へらば いゝ加減にうつかり思つて居るのだつたら。心が一|途《づ》になつてゐる現状の反對を言ふ。○朮が花の 「色」の枕詞。既に述べた。○色に出めやも 女の顔を見て、自分の顔色に表情の露れたのを、女に咎められて、答へたのである。色に出さうか出さないですむだらうと言ふ意。
【鑑賞】 この歌、類型の上に序歌・枕詞の對照がちぐはぐで、興味が散る。たゞ、女とかけ合ひの歌の片割れだと言ふことに注意がいる。
 
3504 春べ咲く藤の末葉《うらば》の うら安に さ寢《ぬ》る夜ぞなき。子ろをし思《も》へば
 
(187)【口譯】 春ごろ咲く藤のうら葉ではないが、うら安――氣安く抱き寢した晩が、一晩もないことよ。彼女について考へめぐらせば。
【語釋】 ○春べ咲く 春べ〔二字傍点〕はたゞ春〔傍点〕である。春頃〔二字傍点〕と譯するのも、實は過ぎてゐる。咲く〔二字傍点〕は花が咲くのか葉の開くことを言つたのか訣らぬ。○藤の末葉 藤の蔓の先の葉。結ぼれた若葉がほどける樣子を言つたのだ。但、藤の末葉の中に咲く花を、飛躍してかう言つたのか。先、葉と採る方がよからう。上二句、「うら安」のうら〔二字傍点〕をおこす。○うら安に うら〔二字傍点〕は、心〔傍点〕の半接頭語化したもの。氣分より更に意味の薄いこと、既に述べた。うちとけて〔五字傍点〕など言ふ意味だらう。○さ寢る夜 さぬ〔二字傍点〕は一人寢ることではない。必、抱き寢することである。この歌に關する問題は、鑑賞の條で述べる。尚、時間を加へてさねし夜〔四字傍点〕と解くべきである。○子ろをし思へば 「あの娘を思うてゐるから」ではない。「彼女のことを考へると」である。
【鑑賞】 この歌晋通、思ひ人がある爲に寢ても、のんびり寢られないと解かれてゐる。即、氣安く寢る夜がない、あの子を思うてゐるので、と言ふのだ。勿論、さう採る方が歌がらも柔軟で、細みも充分に感じられる。だが、歌そのものが、さうでなければ爲方がない。
 
3505 うちひさつ みやのせ川のかほ花の 戀ひてか寢《ぬ》らむ。きぞも 今宵も
 
【口譯】 夜は寢る、みやのせ川のかほ花ではないが、彼女は焦れ寢に寢てゐるだらうよ。昨夜《ゆうべ》も、(188)其から今夜も。
【語釋】 ○うちひさつ 「うちひさす」の方言發音。語義不明。○みやのせ川 所在不明。○かほ花 朝顔・晝顔などいふ名は、このかほ花〔三字傍点〕から出てゐる。晝顔といひ水蓮の類といひ、諸説區々としてゐる。上三句、序歌。「寢らむ」を起してゐる。だが、氣分的には、「戀ひてか寢らむ」全體にかゝつてゐるやうに聞える。○戀ひてか寢らむ 女がこの一兩日、自分の訪はないのに、焦れ寢に寢てゐるだらうと想像したのである。かほ花の夜萎むことから出た聯想だ。○きぞも今宵も きぞの夜も今宵も〔七字傍点〕である。きぞ〔二字傍点〕は、昨日乃至、數日以前をもいふ。
【鑑賞】 近代的に、この歌は、非常に快く調和が感じられる。勿論、この歌自身に豫期出來ないことだが、川原のかほ花が毎日々々夜は凋れて寢る、あの娘も、この比毎日凋れて寢てるだらう、と享け入れられるのは、事實である。又それでなくとも、序歌の効果が相當、全體的に及んでゐることは、確かである。
 
3506 新室《にひむろ》のこどきに至れば、はだすすき 穗に出し君が見えぬ。この頃
 
【口譯】 新室の祝福に入り込んだ其時に、はだすすきではないが、ほにあらはして、私に言ひ寄(189)つたあの方が、訪《と》うて來られないこの頃よ。
【語釋】 ○新室 新しく建つた室である。必しも室《むろ》といふやうな、掘り下げの家でなくとも、古代の爲來りを守る儀禮だから、語もそのまゝ、新室《にひむろ》と謂うたのだ。その上、必しも新しく造つた家でなく、毎年收穫祭或は新嘗を行ふ時には、その家を新室と見做すのであつた。其際行ふ建物及び家主人《やあるじ》を祝福する唱言及び動作が、ことほぎ〔四字傍点〕である。○こどきに至れば 「ことほぎ」の音の融合がこどき〔三字傍点〕だとする説は、先づよい。契沖の「蠶時」説よりは面白い。言祝ぎのために行つたとも採れ、又言祝ぎの行はれる際に行つたとも採れる。こゝは處女自身が、祝福の鎭舞に入り込んだことをいふ。至れば〔三字傍点〕――いたる〔三字傍点〕は、既に述べた如く、單に行きつく〔四字傍点〕ではなく、入り込む〔四字傍点〕の義につかつてゐる。こゝは、下の「穗に出し」の時間關係の中にあるもので、至りし時・至れりし時の義にとる。自分が入り込んで行つた其時に、といふことだ。○はだずすき 「穗」の枕詞。慣用として、「穗に出づ」を起してゐるやうにも見える。はだずすき〔五字傍点〕は、穗の出た薄。おそらく、昔の幣束なるはた〔二字傍点〕同樣のものであつたからの名であらう。○穗に出し 「うらに出し」と同じい。底の心意が尖端に現れた、といふ意を、更に突き込んで、顔色に表し、自分を所望した君、といふことである。新室のうたげ〔三字傍点〕には、あるじ〔三字傍点〕の他に、正客としてのまれびと〔四字傍点〕を迎へ、其座に出た舞姫を、その欲するに任せて枕席に侍らしめるのが、慣例であつた。だから、穗に出し〔四字傍点〕は、直にその女を指し示したことになるのである。其時に指定せられた女が、その君なるまれびと〔四字傍点〕を思うての歌である。○見えぬこの頃 その頃逢つて、やゝ久しくその跡をひきつゞけて來ることをしないのを、その舞姫だつた女が、歎いた形に出來た歌。見えぬ〔三字傍点〕は、現れぬ・逢(190)ひに來ない、などの用語例がある。この頃〔三字傍点〕は、「この日頃よ」の意。但、永くも短くもいふ。こゝでは、相當永い期間をさすのだらう。
【鑑賞】 このやうに説いて來れば、相當に筋の通つた歌のやうに見えるが、實は、なか/\の難歌で、語句にも連接の惡い處が感じられる。さうして單に、叙事的な物に纔かに、女の獨白らしい匂ひを添へたゞけであるから、全然、感情のない歌と言ふべきである。「古代」を知るにはよい歌だが、文學としては、第一に形式から調つてゐない。
 
3507 谷狹み、峰に延《は》ひたる玉葛。絶えむの心、我《わ》が思《も》はなくに
 
【口譯】 谷の狹さに伸びきれないで、峯まで伸びた葛、それではないが、切れようと言つた心を、私は考へたこともないことよ。
【語釋】 ○谷挾み 谷の狹さに。○峰に延《は》ひたる 谷にとゞまらないで、山の頂上邊までひろがつてゐる。○玉葛 玉〔傍点〕は靈的なものの修飾語。玉葛〔二字傍点〕は咒術に用ゐた葛の一種。永く、文學語として用ゐられたので、却て何をさすか訣らなくなつてゐる。此句から上三句、序歌。「絶えむ」を起す。○絶えむの心 絶えむ〔三字傍点〕は、葛をひくと、ちぎれるといつた經驗から出たかけ〔二字傍点〕詞。男女關係の切れること。こゝは切れるよりも、間を絶つことである。の〔傍点〕は「といふところの」。○我が思《も》はなくに 「‥心‥思はなくに」といふ形である。意譯すれ(191)ば、「心をもたない」となる。詞の習慣はさうだが、意味から言へば、「心で思ふ」・「心もて思ふ」の意である。この場合、心〔傍点〕は殆、補足語同樣である。なくに〔三字傍点〕は「ないことよ」である。これも疑はれた女の答へと見るに及ばない。單なる誓約で、いつまで經つても、さういふ心をもちませんといふのである。
【鑑賞】 この序歌は、類型としても、殊に類型であつたらしい。それだけに、今見ても些の感激もない。『伊勢物語』の「谷せばみ峯まで延《は》へる玉かづら絶えむと人をわが思はなくに」などになると、「なくに」の用語例が變つてゐる時代だから、單なる誓約でなくて、疑はれたに對する辯明とせられた訣だ。たゞ、かうした類型ほど、諸國にひろがつて、それがいつまでも生きてをり、時代・地方の妥當性を捉へて幾度も勢力をもり返して來るのが、訣る。結局、文學と民謠との違ふところは、そこにある。皆が知つてゐる、或點まで用意がなされてゐるといふことが、主要な生命點になつてゐたのだ。
 
3508 しはつくの 三浦崎《みうらさき》なるねつこ草 あひ見ずあらば、あれ戀ひめやも
 
【口譯】 御浦崎のねつこ草ではないが、あゝして相語らうたことさへなくば、俺は、こんなに焦れる筈はないのだ。
(192)【語釋】 ○しはつくの 本文「芝付」を、しばつき〔四字傍点〕と普通訓むが、いさゝか訓み換へて見た。枕詞か、地名か。地名にしても、大地名を小地名の枕詞風に用ゐることもあり、又單に地形を表示するだけの語を据ゑる場合は、一層枕詞らしくなる。「しはつくに」と言ふ形で、土地の盡端の地方と言つた語と假説をおいて、正説を導かうと試みた。○御浦崎《みうらさき》(御宇艮佐伎)所在不明。大體に於いて、相摸の三浦崎、と定めてよからう。後世、呼び名の三浦|崎《みさき》なるに對して、氣分的に不安を感じるのだらうが、さき〔二字傍点〕はみさき〔三字傍点〕といふのが、後人の癖だから、このまゝで、三浦|崎《みさき》と感じるならば問題はない。三浦の地名分布が廣かりさうな氣のするところから、定めかねてゐるのだが、存外、少い名である。この位の點に、不安をもつなら、東歌に出た地名は、全部が決定不安になる。○ねつこ草 今、何に當るか訣らない。これより上三句、序歌。「ねつこ草」のねつ〔二字傍点〕を寐つ〔二字傍点〕に聯想して、直に「あひ見る」とかけた聯環法も、あつたと見てよからう。○あひ見ずあらば あひ見ないことを將來に豫期するのでなく、過去にあひ見たことを悔いて、否定的に假定していふのである。あひ見る〔四字傍点〕は、「逢媾《あひみ》る」で、媾《み》たから焦れてゐる。あの時、媾《み》なかつたとしたら‥‥、となるのだ。「逢媾ざりせば」と詳しくは言ふ。○あれ戀ひめやも 男の戀ひすぎるのに對して、女が警戒を與へて來たのを押し返した語。こんなに焦れようか、焦れなかつた筈だと言ふので、こゝも「我戀ひざらまし」の義と見ればよい。
【鑑賞】 東歌の多くの價値は、序歌にかかつてゐることが多い。このやうに序歌の係りの不明なものになると、興味が減殺せられる。下の句の情熱と、上の句の多少でも類型を破つた興味とが、相會うてこそ、かうした歌のよさ〔二字傍点〕が出て來るのである。
 
(193)3509 たくぶすま 白山風《しらやまかぜ》の寢なへども 子ろが襲著《おそぎ》のあろこそ えしも
 
【口譯】 白山颪のために、毎晩寢ないでゐるけれども、彼女の著物があるのが、よかつたことよ。
【語釋】 ○たくぶすま 栲衾である。栲衣で製つた掛け夜具。段々白くなつて行くからいふ語。家具の讃め詞から「白」を起す枕詞となる。○白山風 白山から吹く風。白山は北陸道の加賀を中心とした白山と見ても大體よからう。萬葉で、何風といふのは、大抵其地の山颪である。飛鳥風は、飛鳥の丘の山颪であるやうに。の〔傍点〕は、に」の地方發音。風によつて・風のために、である。○寐なへども 「寢ざれども」の地方文法。國の妹に與へた歌として、寢な碧いことを訴へたのだ。○子ろが襲著《おそぎ》 子ろ〔二字傍点〕は娘又、愛を以ていふ二人稱。ろ〔傍点〕は語尾。おそぎ〔三字傍点〕は理くつから言へば、おそひぎ〔四字傍点〕である。だが、地方的にはおそひ〔三字傍点〕に方言的理會を加へて、おそぎ〔三字傍点〕と言ひかへてゐたのではないか。その方が、所謂方言訛語らしい趣きが出る。おそひ〔三字傍点〕又おすひ〔三字傍点〕は、單に著物の上にかけるだけでは元なかつた。頭から被いだ物が、次第に變化して袿《うちぎ》のやうになつたのだ。女は寢る時に、衣を被つてゐるのが、平安朝にもあつた風だから、この頃は勿論、さうしたであらう。それを、別れに男がもらつて來たのである。旅寢でも女のするやうにして寢た樣が浮ぶ。○あろこそえしも 「あるこそ好《よ》しも」である。あるので助かつてゐると言つた感謝である。えし〔二字傍点〕は「好《よ》し」の古い發音であり、又地方では普通に行はれてゐたのだ。このえ〔傍点〕の形は、近代にも存してゐる。
(194)【鑑賞】 單純は單純であるが、近代的には、下句など殊に搏力がない。上句の描寫力も乏しく感ぜられる。素材だけの歌。
 
3510 み空行く雲にもがもな。今日行きで 妹にことゞひ、明日還り來む
 
【口譯】 空を通る雲になりたいな。さうすれば、今日の今、出掛けて行つて、彼女と言ひ交はせ、すぐ明日ひつ還して來ように。
【語釋】 ○み空行く み〔傍点〕は接頭語。行く〔二字傍点〕は、通行する・空を運行する、である。○雲にもがもな 雲でありたいことよ。が〔傍点〕に願望の根柢がある。第一にも〔傍点〕と結合して「‥しかも」・「‥もがも」を構成する。「人もがも」と言へば、人があつてほしい、である。「行きしかも」・「見しかも」は、行きたいことよ・見たいことよ、である。更に、感動を重ねて、「もがもな」となる。又として・になつて〔七字傍点〕といふ意味を加へる時に、「に」をその名詞の下におく。「雲もがも」は、雲があればよい、「雲にもがもな」は、雲としてあつたらよい、で、言ひ換へれば、雲になりたい、である。○今日行きて 明日を心にもつていふ類型的表現。直ぐ往復する意味の對句の片方。○妹にことゞひ 「許等杼比」はことゞひ〔四字傍点〕と訓む。ことゞふ〔四字傍点〕は言問〔二字傍点〕ではない。必、かけあひ〔四字傍点〕である。時としては、言ひかけすることにもなる。後に、とふ〔二字傍点〕を誤解して、言問とし、たゞ問ふ〔二字傍点〕位に用ゐた。だから、消息を問ふ〔五字傍点〕といふ位にとつてはいけない。ことゞひ〔四字傍点〕は、一つの儀式で、たゞ會話することではない。(195)毎日逢ひなじんでゐる時には、ことゞひ〔四字傍点〕はない訣である。初めて逢ひ、或は久しく逢はなかつた再會に、行ふ方式である。ことゞひ〔四字傍点〕を經ねば、共寢はしなかつたのである。○明日還り來む 「がも」は、其語の下に必、大きな休止を作るから、其次の文章は、初めから出直すのである。だから、次の文の「還り來む」を、還つて來ようと意志的に譯するのは、いかゞ。還つて來るだらうの方にとつて、來られるだらうと言ひ換へれば當る。
【鑑賞】 後世から見れば、若干の新味をもつた空想と思はれようが、當時は、類型の古典的のものとして歡ばれてゐたのである。形式が張りすぎて、其に伴ふ内容のしをり〔三字傍点〕がない。つまり、調子としては、失敗してゐる訣だ。
 
3511 青|嶺《ね》ろにたなびく雲の いさよひにものをぞ思ふ。年のこの頃
 
【口譯】 青山に一杯かゝつてゐる雲のぢつとしてゐる、それではないが、思ひきりわるく物思ひを俺はしてゐる。幾年このかた。
【語釋】 ○青嶺ろ 青嶺〔二字傍点〕といふ固有名詞か、單に青山〔二字傍点〕の地方表現か。但、此卷の編者は、地名と見たのであらう。ろ〔傍点〕は語尾。○たなびく 「全曳《たなひ》く」で、一杯かゝつてゐるの意。雲を言へば、習慣的に用ゐる語。反省なく使つてゐるのが常である。かゝる〔三字傍点〕と譯してもよい。上二句、「いさよひに」を起す序歌。○いさよひに (196)いさよふ〔四字傍点〕状態で、いざよひ〔四字傍点〕なども一例。ぐづ/\する・躊躇する・決斷がつかない・踏切りがよくない。「たゆたひに」と同義語。副詞としては、「ぐづ/\と」である。○ものをぞ思ふ もの思ふ・物を思ふ・案じる・心配する・煩悶する。舊本、「物能安乎曾於毛布」となつてゐる。「物をぞ我《あ》思《おも》ふ」の錯倒ならばそれでもよい。○年のこの頃 「この頃」を強調するために、「年」を据ゑたのである。口譯には、幾年このかたとしたが、必しも常にさうではない。たゞ、單に、年を頭に浮べる程、時の經つた事である。一年の中でもいふ。年頃〔二字傍点〕といふのと同じである。
【鑑賞】 青山にかゝる雲と言つた一種の色彩感を、次第に有効に感じて來て使つた類型も多かつたのであらう。これも、其一つ。繰り返される中に、或地方の風俗としての感じを強めて來たかも知れないが、元々流れ渡つた歌であらう。三句以下、どの句も必然性のない歌、と言ふことが出來る。
 
3512 一嶺《ひとね》ろに 言はるものから、あを嶺《ね》ろにいさよふ雲の よそりづまはも
 
【口譯】 山の喩へで言はうなら、一つ山だと彼女は言つてゐるけれど、どうだかなあ。あの青山にぶらついてゐる雲の、その氣の定らない、關係のある妻はよ。
(197)【語釋】 ○一嶺ろに 一續きになつてゐる山。其を山に關係あるものとして、一つもの・一緒のもの、の比喩に使ふ。「に」はとして〔三字傍点〕。「一嶺ろに」といふ副詞が、今一方にあつたから、興味を發して、「青嶺ろ」といふ對照を作つたと見る方がよさゝうだ。○言はるものから 「言はるゝ〔右○〕ものから」の地方表現だと考へられてゐるが違ふ。言へる〔三字傍点〕である。女が言つたのだ。だのに其爲に・だけれども。○青嶺ろにいさよふ雲の 右の歌參照。「よそる」の序歌とも見え、或は「いさよふ雲の」で、「いさよふ」を暗示して飛躍した謂ひ方ともとれる。○よそりづま 若し、三句・四句が、「よそる」にかゝるとすれば、雲が嶺によそる〔三字傍点〕である。その場合は、同じ語感を以てよする〔三字傍点〕に續けてゐるのだ。よそる〔三字傍点〕は、廣くよる〔二字傍点〕といふ意味に聞えるが、所縁《ゆかり》ある・關係ある、と採るのは、一等適切だ。「よそり妻」は、既にわけ〔二字傍点〕のある妻である。
【鑑賞】 口では、一つだと言つてるが、心はぶら/\してるぢやないかと咎めたのだ。歌の樣式としては、ありふれた形だつたけれども、面白い。だが、其は、漠然とした興味で、細部までかつきりと入つて來ないで、本道の歌の價値などは、判斷出來るものではない。必然性を踏みはづしたところに、よさ〔二字傍点〕があると言へば、あると言へる。
 
3513 夕さればみ山をさらぬにぬ雲の 何《あぜ》か絶えむと 言ひし子ろはも
 
【口譯】 日暮が來ると、山をのかずにぢつとしてゐる布雲、それではないが、何の切れるものか(198)と言つてゐた彼女はよ。それが今では、‥‥‥。
【語釋】 ○夕さればみ山を去らぬ 日暮れ毎に山にぢつとかゝつてゐる習慣を述べたのである。「み山」のみ〔傍点〕は接頭語。去らぬ〔三字傍点〕は「去らず坐《ゐ》る」である。○にぬ雲 布雲であらうが、尚考へねばならぬ。此句から上三句、序歌。「絶ゆ」を起す。○あぜか 何にか〔三字傍点〕。どうして〔四字傍点〕の意。○言ひし子ら 誓ひ言つた事を言ふのだ。し〔傍点〕の過去態が、現實は反對になつたことを豫期させる。○はも この感動が自然に、悔い心を見せてゐる。
【鑑賞】 最古風に説けば、その背いた女の、誓ひにかけた詞が、「夕さればみ山をさらぬ布雲」であつた。それを、背かれて後、反復してゐる形と見るのだ。併、當時に於いては、もはや既に、男が女の、「あぜか絶えむ」と言つた詞を表す前提として、發言したと見てよからう。即、普通の解釋の通りである。これによれば、類型は類型だが、この歌の纒綿した曲折ある調子が、單純ながら、男の心らしいものを表してゐる。但、近代的には、背いた女よりも、死んだ愛人を思ふ、と採れさうである。
 
3514 高き嶺に雲のつくのす 我さへに君に附きなゝ。高嶺と思《も》ひて
 
【口譯】 高い嶺に雲が近寄つて行くやうに、私も亦、あなたにくつゝいてゐませう。その高い嶺(199)と信頼して。
【語釋】 ○雲のつくのす つく〔二字傍点〕は、近付く・くっつく。のす〔二字傍点〕は、標準的に言へばなす〔二字傍点〕、東語の地方表現では、のす・がす〔四字傍点〕である。既出。そのやうに・其如く、である。○我さへに 直譯すれば、我までが〔四字傍点〕である。併、さへに〔三字傍点〕は氣分表現と見て、「我も」・「我また」と譯してもよい。○君に附きなゝ 君〔傍点〕は、男に對して女が、この誓ひの歌を詠みかけた男を、斥すのである。つきなゝ〔四字傍点〕は、雲の場合のつく〔二字傍点〕と用語例を變へて見る方がよい。近代では、味方する意味に用ゐるつく〔二字傍点〕に近い。くつつく・寄する・信頼する・屬する、の内容をもつ。「なゝ」は、上のな〔傍点〕は、助動詞ぬ〔傍点〕の將然形。つきぬ〔三字傍点〕の將然形つきな〔三字傍点〕に感動の「な」の添つたもので、つきなも・つきなむ〔八字傍点〕と同じい。「新田山 嶺にはつかなゝ、我《わ》によそり」の場合とは、別である。○高嶺と思ひて 高嶺と思ひ憑みて、の意、雲のつく高嶺と見做して、といふ風に解いては惡い。
【鑑賞】 やはり誓ひの歌である。當時はどうだつたか訣らぬが、近代では、感激が薄く輕い歌のやうに思はれる。第五句の反覆的の言ひ方が、今人には應へないのであらう。
 
3515 あがおもの忘れむしだは、國はふり 嶺に立つ雲を見つゝ偲ばせ
 
【口譯】 私の幻影が目にちら著かなくなつたときは、國を離れて國境の遠い山の嶺にのぼつてゐる雲を見い/\して、心の底に思つておいでなさい。
(200)【語釋】 ○わがおもの おもはたゞの面《おも》でなくて、髣髴・幻影である。古代の信仰では、旅行者は家人との間に交換した靈を持つてゐるから、それが、時々、幻影となつて目に映じるのである。それが、かなり頻繁になつたり、或は全然出現しなくなると、危險を感じたのだ。○忘れむしだ 忘れむ〔三字傍点〕は、忘却でなく、かういふ場合は、髣髴として現れない事である。さういふ不安な時に、かうせよと教へるのである。たゞ、山雲にわが顔を思ひ浮べよではない。○國はふり 一口に言へば、國を遠のいてゐるのである。其國内でない事を意味するか。國境と譯した。はふる〔三字傍点〕は、樣々の用語例がある。動搖する・滿ち逸出する。捨てる意味もある。又、捨てる意味の逆、自ら逸出する意で、雲が國を離れて、さうして遠い山の嶺に立つてゐる樣をいふものと見られる。○見つゝ偲ばせ 雲を見て人を思ふ事は、我國にも支那にも色んな聯想を誘ふ事實があるが、茲は、それらに關係せず考へねはならぬ。雲が顔に見えるのではない。勿論ない。又雲の立つ邊りを女の家の在る處と見よといふのでもない。恐らく、別れ際に振る領布を心にもつての歌であらう。かうして、私が領布を山で振つてゐる。この後、旅路で不安を感ぜられた時、遠い國境邊の山に立つてゐる雲に、私が領布を振つて靈の咒術を施してゐる姿を思ひ浮べて下さい、と言ふのではなからうか。
【鑑賞】 かう解いても、尚不安がある。だが、この種の歌に單なる抒情詩的感激のみを汲み取らうとするのは、よくない態度である。これだけを前提とせずに考へても、相當に價値は感じさせる歌である。其は、時代によつて第二義に轉換しても、尚、根抵に、あるものを支へる調子(201)のさせるところである。けれども、類型の匂ひがある。故郷の妻の送つた歌。
 
3516 對馬《つしま》(ノ)嶺《ね》は、したくもあらなふ。かむの嶺にたなびく雲を 見つゝ偲ばも
 
【口譯】 お前のいふ通り、高い對島(ノ)嶺は雲すら峰にかゝつてゐない。上の嶺にかゝつてゐる雲を見い/\して、お前を心深く思つてゐようよ。
【語釋】 ○對馬(ノ)嶺 國の名を負うた山は、その國の國魂とも見られてゐるもので、一等高い山を言ふことがあるが、必さうとも決まらない。此場合は、對馬に於ける信仰の中心であつた有明山と見て動かないであらう。對馬國下縣郡上島にある。○したくもあらなふ あらなふ〔四字傍点〕は「あらざり」の地方表現。下雲〔二字傍点〕は、下の雲と思はれるが、類のない語で、白雲の音變かも知れぬ。さすれば、此山には、俤を思ふべき雲もかゝらぬと言ふのだ。對爲嶺と神嶺とを對照的に言つて、神の嶺には雲がかゝり對馬嶺には雲がかゝらない、と言つたのは、此島には雲のかゝる山はない、下島の神の嶺の雲を見偲ばうといふのか。思ふに、「多」と「具」との間に「し」に當る文字が脱けてゐるのではないか。即、「したしくもあらなふ」で、對馬嶺を見れば、他國の山で懷しくもなく、寄りつき難いといひ、序歌的に三・四句へ移つたのではないか。又さうでなくとも、「したしく」と同原の語で、く〔傍点〕活形容詞の「したく」・「したし」と活くものがあつたことも考へられぬでもない。○かむの嶺に 神の嶺で、上の嶺ではなからう。これも特別に對爲嶺以外の嶺を對立させて來た理由が訣らない。對馬に(202)は、有明山より高い、同郡同島に矢立山があるが、有明山に次ぐ山としては、上縣郡下島に御嶽山がある。御嶽といふ名は、尚、信仰の中心になる山の名と後世ではしてゐるから、「可牟能禰《かむのね》」は、これにあたるかもしれない。だが、主張する根據はない。神の嶺の位置がきまれば、此歌わりにわかり易いのだらう。尚、鑑賞の條で言ふ。○偲ばも 「偲ばむ」の古い形。方言的にも殘つてゐたのだ。
【鑑賞】 對島からの返事。「あがおもの忘れむしだは」の歌と唱和したものらしい。さうして、防人として筑紫に遣され、對馬に居た東人の作と傳へたのだといふことは訣る。たゞ、二句・三句は、意味通じながら、幾多の問題をもつてゐる。歌柄から言へば、對馬(ノ)嶺と神嶺(上嶺)とが同じ島にない方が本道と思はれる。又、實際は、見えないにしても、九州邊にある神山を言つたもの、と見ることも出來る。譬へば、筑前あたりを出帆する頃、神山を望んで、これから行く對馬(ノ)嶺を、「したしくもあらず」といひ、我は神山の雲を望まむと言つた、と見れば訣る。眞淵が、國離れた足利山と見たのは、當らないにしても、さすが訓詁一遍の人でなかつたと思はれる。
 
3517 白雲の絶えにし妹を。あぜせろと 心にのりて夥多《こゝば》かなしけ
 
【口譯】 雲それの如く、とぎれてしまつた彼女よ。それがどうしようといふので、私の心へのし(203)かゝつて、こんなにまでひどく可愛いのか。
【語釋】 ○白雲の 「絶えにし」の序。枕詞と見てよい。白〔傍点〕は習慣的に添はるだけである。○絶えにし あの時以來絶えてしまつた。○あぜせろと あぜ〔二字傍点〕はなに〔二字傍点〕、せろ〔二字傍点〕はせよ〔二字傍点〕。「なにすとか」に近いが、命令の形をとつてゐるから、直譯すれば、どうせよ・どうしろ、となる。○心にのりて 「三四六六」參照。○夥多《ここば》 こゝら・こゝだ〔六字傍点〕と同じい。多數から多量に轉用して、甚〔傍点〕の意味に常に用ゐる。○かなしけ 「かなしかる」或は「かなしき」の古風表現。
【鑑賞】 たゞ、東歌であつて、雲に關する分類の歌だといふので、竝列したにすぎない。
 
3518 岩の上《へ》にいかゝる雲の かぬまづく 人ぞ喚《おたば》ふ。いざ 寢《ね》しめとら
 
【口譯】》 岩の上にかゝつてゐる雲、それではないが、やかましく人がどなつてゐる。勝手にどなれ。おれたちはさあ、寢《?》なさいといふことよ〔寢な〜傍線〕。
【語釋】 ○岩の上《へ》に 「岩の上《うへ》に」の母音融合。上〔傍点〕とあつても、邊《ほと》りである。○いかゝる雲 い〔傍点〕は接頭語。上二句、序歌。「かぬまづく」を起すらしい。すべて、本卷「三四〇九」の條參照。
【鑑賞】 此も、語の障壁の爲に、直觀的に觸れて來るものがない。
 
(204)3519 汝が母にこられ 我《あ》は行く。青雲の いで來《こ》。我妹子《わぎもこ》。あひ見て行かむ
 
【口譯】 お前のおつかさんにどなられて、俺は去つて行く。青空ではないが、ちよつと顔を出してくれ。愛する女よ。顔だけ見て出掛けよう。
【語釋】 ○汝《な》が母に 汝《なんぢ》の母に。忍び男の見張りをするのが母の役であつた。○こられ こる〔二字傍点〕は、のゝしられる義の古語であらう。上二段は、こりる〔三字傍点〕(懲)、四段は、懲りる程の目に遇はされる意味に使つたのであらう。が、その例はない。ころばゆ〔四字傍点〕は、叱責する、であらう。ころぶ〔三字傍点〕が、怒りどなる、である。その元の形のこる〔二字傍点〕は、どなり叱る意味をもつたと見てよからう。れ〔傍点〕は、所謂受身のれ〔傍点〕。○青雲 雲ではないがかう言ふ。青空のこと。曇つた中に、突如として青雲が出て霽《は》れて行く、其點から、「いで來《こ》」と願ふ意味にかゝるのだ。枕詞。○いで來 表へ出て來いといふのだ。○あひ見て行かむ 「あひ見る」は、其使ひ場所によつて、意味が違ふ。こゝは、一目見る事だらう。外で語ひすることと説けなくはないが、文意はさうではあるまい。
【鑑賞】 これも亦、抒情的叙事で、戯曲的なものである。だが、感情の相當に出てゐる點は見える。但、調子のひどく浮き/\した輕い味のものである。「青空」の語の利き方などは、殊にさうだ。併、かう考へることが、近代的か、と反省もせられる。
 
3520 おもがたの忘れむ時《しだ》は、大野《おほぬ》ろにたなびく雲を 見つゝ偲ばむ
 
(205)【口譯】 お前の幻影がちらつかなくなつた時には、野にかゝつてゐる雲を見い/\して、お前のことを心深く思つてゐよう。
【語釋】 ○おもがた 顔のかたち〔三字傍点〕と感じられるが、やは。幻影であらう。○しだ 既出。時・節・際。○大野《おほぬ》ろ ろ〔傍点〕は語尾。大野〔二字傍点〕は、自分の住む曠原である。或は、固有名詞として、地名に感じてゐたかもしれぬ。防人としては、筑前國大野郡などが聯想され易い。さすれば、大野の地の野原である。
【鑑賞】 歌の成立は、大野原としてゞあるが、本卷に採り入れたのは、固有名詞としてゞあらう。さうすれば、そこに緊張する焦點が出來てくる訣である。
 
3521 鴉とふ、大嘘鳥《おほをそどり》の、まさでにも 來まさぬ君を ころくとぞ鳴く
 
【口譯】 鴉といふ大うそつきの鳥が、こんなにお出にならないあのお方だのに、まざ/\ところく/\――近いうちに來ると啼いてゐる。
【語釋】 ○鴉とふ とふ〔二字傍点〕は、「といふ」の融合。意味からいへば、といふ〔三字傍点〕と間接表現をする必要がないが、憎しみを表現するために、用ゐたのだらう。「鴉なる」に同じい。○大嘘鳥 をそ〔二字傍点〕はうそ〔二字傍点〕に通ずる。大嘘を吐《つ》く鳥と説かれてゐるが、尚近代では、罵詈の意味を含んだ語かもしれぬ。○まさでにも はつきりと・まざまざと、幾分意譯すれば、しら/”\しく、である。「三三七四」參照。第五句に意味は續いてゐる。○來まさぬ(206)君を 來るかと思つて騙されたのである。鳥占の一種から來てゐる。○ころく 鴉の聲を擬聲して、諺に「此ごろ來る」と啼くものと言つてゐたのだらう。ころく〔三字傍点〕は「子《こ》ろ來《く》」とも説くが、「比來《ころく》」と見る方がよい。勿論普通の人間の詞としては不完全だが、鴉の聲をさう解釋して居た事はありさうである。歌主は女であり、「子ろ」は男であるとすれば、「子ろ來」では、稍々不安定だがそれも鴉の聲ならばさしつかへがない。この點からして、「子ろ來」を否定した訣ではない。
【鑑賞】 鴉の啼き聲についての信仰が古く、樣々に考へられてゐた結果、色々の傳承を生じてゐる。これも其一つ。此歌から、眞の戀ひを感じるよりは、ゆうもあ〔四字傍点〕を見るべきであらう。
 
3522 きそこそは 子ろとさ寢しか。雲の上ゆ鳴き行く田鶴《たづ》の ま遠く思ほゆ
 
【口譯】 ほんの昨日の晩、彼女と共寢をした。それにどうだ。雲の上を鳴いて通る鶴ではないが、何だか遠く/\思はれる。
【語釋】 ○きそこそは 「きぞの夜〔右○〕こそは」である。きそ〔二字傍点〕に印象を強めて言つたのである。昨日の晩、或は幾日以前もきそ〔二字傍点〕である。寧、さう採るのが、歌としてはよいであらう。○さ寢しか しか〔二字傍点〕は過去き〔傍点〕の第五變化。こそ〔二字傍点〕の結び。だが、こそ〔二字傍点〕の力で反撥して、それに〔三字傍点〕といふ新しい氣分を起す。○ゆ 進行の動詞の補足語につく助詞で、をば〔二字傍点〕である。「行く」の爲である。○鳴き行く鶴の 「多豆」を鶴と宛てたが、單に鶴に限らず(207)用法は古代程廣い樣である。姿態が大きくて、首が長く概して體の白い水禽類を言つたのでないか。三句・四句を序歌として、「ま遠く」を起してゐる。○ま遠く 距離の遠いこと、又時間の經つたこと、この兩義を本部と、序歌とに分けて用ゐてゐる。
【鑑賞】 愛人の戀しさに、ふと長く逢はない氣がして、反省すれば、つい昨日逢つたのである。同じ民謠とは言へ、純抒情詩と見てよい程のものをもつてゐる。而も序歌の「雲の上ゆ鳴き行く鶴」も、現に空を啼いて通る鳥の聲によつて、興を發したといふ解釋も出來る。勿論、さうとるのが、近代的で又むやみに古代の序歌の起原の時代を想像しての説明になるが、現代の人の鑑賞には、さう觸れてくるのも事實である。これなどは、東歌中でも傑れた部に屬する。
 
3523 坂越えて 阿倍の田の面に居る鶴《たづ》の ともしき君は、明日さへもがも
 
【口譯】 山坂越えて喘ぐ、その阿倍の田圃にゐる鶴ではないが、ともしい――よいこのお方は、明日までも逢ひたいものだ。
【語釋】 ○坂越えて 坂〔傍点〕は、今いふ小さい坂ばかりでなく、峠道をもいふ。「あへ」とかけた序。枕詞と見てよい。○阿倍の田 あへぐ〔三字傍点〕(喘)を「あふ」(下二段)といつた。その活用形あへ〔二字傍点〕にかけたのだ。併、本集時(208)代は、清濁の音韻は著しくなかつた。だから、あべ〔二字傍点〕にかゝつてゐるから、あへぐ〔三字傍点〕の古語はあぶ〔二字傍点〕だつたとも、あふ〔二字傍点〕からかゝつてゐるから、この地名はあへ〔二字傍点〕だともいふ必要はない。あべ〔二字傍点〕も分布の廣い地名だが、先、駿河國阿倍即、今の靜岡邊と見てよからう。○田の面 田圃。阿倍の里の田のある側、低地部である。○居る鶴 ぢつとしてゐる鶴。此句から上三句、序歌。「ともしき」を起してゐる。○ともし 多く居ないのを言ふのか、鶴そのものをも讃めたのか、ともし〔三字傍点〕の用語例は、こゝでは、動搖して感じられる。「ともしき君」と續く場合は、勿論、讀め詞である。元、少ないことをいふ乏し〔二字傍点〕から分化して、珍らしく美し、或は好し、又、羨ましいといふ意味と出てゐる。こゝは、好い方である。珍らしく來た人、といふ意はない。○明日さへもがも 明日も亦來て欲しい、と採る事も出來るが、こゝは、古風に明日までも居て欲しい、の意と採る方がよいやうである。即、夜が明けても還らずにあれといふことだ。
【鑑賞】 此歌も、山を越えて阿倍の市の田の面を見たやうに説くが、歌の意はさうではない。でも、さうした氣持ちを含んで見る餘裕もある歌だ。この歌は、序歌が傑れてゐる事によつて、下の句もたち勝つて見える。殊に右のやうに解することによつて、調子も昂つてくる。傑れた歌の一つである。
 右二首、前のは女、これは男、やはり唱和の歌と見ることが出來るやうである。
 
(209)3524 まを薦《ごも》の節《ふ》のま近くて逢はなへば、沖つ眞鴨の 歎きぞ 我《あ》がする
 
【口譯】 まを薦の編み目の近いやうに、近まに居つて、逢はないでゐるので、やるせなさに、沖の眞鴨ではないが、溜め息を自分はついて暮すことよ。
【語釋】 ○まを薦 「三四六四」參照。○節《ふ》のま近くて 舊本、「未知可久※[氏/一]」とあるが、「短し」は普通、みじかし〔四字傍点〕であるから、假名に疑問がある。その上、こゝは近くに居て逢はないといふところに、意味があるから、「細井本」によつて、「末《ま》」の誤寫と定める。○節《ふ》 疊・簾などの編目の間隔である。今の語でいへば、「め」である。節《ふ》と節《ふ》との距離の近いこと、言換へれば、間近いとも言へる。第二句と「節の」とで、「まぢかく」を起す序歌を構成してゐる。○逢はなへば 「逢はざれば」の地方表現。近く居りながら逢ふことが出來ないのである。○沖つ眞鴨 古代詞章に於ける「沖」は、たゞ沖か、底を意味するのか、訣らぬことが多い。こゝもさうであるが、暫く沖に集ふ眞鴨としておく。眞鴨は、今いふ鴨の一種のまがも〔三字傍点〕でなくて、單に鴨であらう。「歎き」の序。枕詞と言つてよい。鴨が水の上に出て、大息を吐くと考へて、「歎き」にかけたのである。○歎き 既出。溜め息である。○我がする する〔二字傍点〕はつく・はく〔四字傍点〕の代用。
【鑑賞】 此歌、序歌・枕詞の比喩が一致しない代りに、まを鷹のごも〔二字傍点〕と沖の眞鴨のがも〔二字傍点〕とが、同音聯想を詠んでゐる。その上、内容に於いて、類型的とは言へ、漸層的に昂めて行つたところが、歌をよくしてゐる。
 
(210)3525 水久君野《みくぐぬ》にかもの匍《は》ほのす 子ろが上《うへ》に言《こと》おろばへて、いまだ寝なふも
 
【口譯】 みくゞ野で、羚羊《かもしか》がはつて〔三字傍点〕ゐるそれではないが、彼女について口やかましくおろばへてゐて、而もまだ抱き寝しないでゐることよ。
【語釋】 ○みくゞ野 所在不明。かも〔二字傍点〕(鴨)が出て来るから、沼のぬ〔傍点〕に野〔傍点〕を當てたものと見てゐる。だがそれでは、鴨のはふ〔四字傍点〕と言ふ語が訣らない。姑く野〔傍点〕及びはふ〔二字傍点〕にかなふものとして、羚羊〔二字傍点〕を推定しておく。これにも、多少無理はある。○かもの匍ほのす 鶴草ならばはふ〔二字傍点〕は蔓延することだが、動物の場合は匍ふ〔二字傍点〕でなくては解けぬ。何しても、鴨にはふ〔二字傍点〕は適せぬ。羚羊は古くかましゝ〔四字傍点〕とも言つたから、名は、かま〔二字傍点〕或はかも〔二字傍点〕である訣だ。獣であれば、「匍ふ」と言ふ例は本集随所にある。羚羊が山地ばかりでなく、荒野にも來たことは珍らしくない。のす〔二字傍点〕は既に述べた。なす〔二字傍点〕である。第二句以上序歌。「かものはふ〔二字傍点〕」を「ことおろはへ〔二字傍点〕て」にかけたのだ。○子ろが上に うへ〔二字傍点〕は後代身上〔二字傍点〕と同様に使ふうへ〔二字傍点〕だ。「子ろに關聯して」である。○言おろばへて おろはふ〔四字傍点〕はおらぶ〔三字傍点〕の再活用おらばふ〔四字傍点〕の、方言發音。此語、自動は四段、他動を下二段に言つたと見える。おらぶ〔三字傍点〕は罵る〔二字傍点〕だから、言おらばふ〔五字傍点〕は、口やかましく言はれて・大評判を立てられてに當る。て〔傍点〕は「‥‥てゐて」・「‥‥ながら」。○いまだねなふも またねざることよ。
【鑑賞】 この様な序歌と、本部との関係は、類型的の感受によつて鋭敏に受ける處に、技巧のかひ(211)もあるが、後代になっては、かうした形は無意義である。序歌と本部との関係は、木で竹をついだ様にしか受けとれない。
 
3526 沼二つ通《かよ》は鳥《とり》がす 我《あ》が心|二行《ふたゆ》くなもと な思《よも》はりそね
 
【口譯】 沼二箇所飛び通ふ鳥の樣に、俺の心が二道かけてゐるだらう、とお前よ。思つてゐてはいけないぞ。
【語釋】 ○沼二つ 沼二箇。二つの沼である。○通は 「通ふ」の地方發音。ゆき通ふ〔四字傍点〕である。○鳥がす 「鳥なす」の地方發音。鳥の樣に〔四字傍点〕である。上二句序歌。「ふた行く」をおこす。鳥の通ひ處幾つかあるのを、男の、二妻に通ふことに思ひよそへたのである。○わが心 心が二行く〔三字傍点〕で、両方へ行くと身體的に言ったのではない。○二行くなも 竝び行はれることを言ふので、「夜晝ふた行く」などもある。竝行して現れる様子である。歌の上では、女が男に誓つたものと言つてもさしつかへがない。「あが心」と言つてゐるのだから。なも〔二字傍点〕はらむ〔二字傍点〕。二通りの心を持つてゐる者と言ふ事である。○な思《よも》はりそね 「莫思はりそね」のお〔傍点〕の音の、隣音の影響によつてや〔傍点〕行よ〔傍点〕に發音したのであらう。これを「於《お》」の誤寫と見るのも不自然だし、もはりそね〔五字傍点〕を思はりそね〔五字傍点〕と解くのはよいが、よ〔傍点〕を感動とするのはいかゞ。寧、文法的には、多少不都合でも、なよ〔二字傍点〕を汝〔傍点〕。もはりそね〔五字傍点〕に禁止のな〔傍点〕の脱落のあるものと見る眞淵説の方がよい。何故なら、な〔傍点〕に對する聯想誤解があると見られ(212)るのだから。おもはり〔四字傍点〕は思へり〔三字傍点〕。「莫思へりそね」である。思つてゐては困るよ。
【鑑賞】 今日から見れば、大して特殊な表現とも思はれないが、古代の方が却て、この歌に異郷的なものを感じたであらう。比喩の適切な樣で、妥當感を失つてゐるのが、却て幼稚で、好感を持たせる。重ねて言ふが、單に男の歌とばかり見てはならない。
 
3527 澳《おき》に住も雄鴨のもころ 八尺鳥《やさかどり》息づく妹を おきて來《き》ぬかも
 
【口譯】 沖にぢつとしてゐる雄鴨のすると同樣、水にもぐる八尺鳥ではないが、溜め息づいてゐる彼女を、あとに殘してやつて來たことよ。
【語釋】 ○澳に住も すも〔二字傍点〕は「すむ」の方言發音。沖の方にとどまつてゐる。○雄鴨 小さい鴨と採れるが、こゝは鳥の二種類をもつて比喩としたらしいのだから、雄の鴨と考へておく。○もころ 既に述べた。「三四八六」參照。此場合は下にすゑたのである。如く・同樣〔四字傍点〕と譯してほゞ當る。たゞ、雄鴨が息づくと採ると、八尺鳥の説明がつかない。相手の鳥が深く海中に潜いて、浮び出るのを省みないで、他にゆくことを採つて比喩としたと見れば、先、おちつく。そこにもころ〔三字傍点〕を用ゐた理由もあるのだらう。「雄鴨のもころ我は」と解けばよい。○八尺鳥 「八尺《やさか》の長息《なげき》」なる語に聯想を深めて、それだと考へ定めるのはいけない。なげき〔三字傍点〕の大き(213)く長いのを言ふやさか〔三字傍点〕でなく、水を出て長息《なげき》をつく八尺鳥から出た枕詞と見る。それでなければ、鳥を二つ竝べた爲に聯想が絡みついて、筋の通らぬ技巧になつてしまふ。○息づく妹 既に述べた。○おきて來ぬかも おく〔二字傍点〕はあとに殘す・うつちやつておく。來ぬかも〔四字傍点〕は「來ぬるかも」の地方表現。來たことよ。
【鑑賞】 この歌を初めから妹のことばかりを述べたものと見れば、技巧が矛盾感をおこさせる。をかも〔三字傍点〕を自分に八尺鳥〔三字傍点〕の序を妹にかけたと見れば、或點のよさはあるが、民謠としての計畫は納得できる。
 
3528 みづどりの立たむよそひに、妹のらに物いはず來にて、思ひかねつも
 
【口譯】 水鳥ではないが、立つ爲の支度のうちに、彼女にもの言はず來てしまつて、辛抱しきれないでゐることよ。
【語釋】 ○みづどりの 枕詞。水神から立つ聯想。「たつ」にかけてゐる。○よそひ 「よそふ」の名詞形。身のとりなり・身のまはりの意だから、「それをする最中に」と譯して見た。「とりまぎれて」を補つても訣る。立ちのいそぎ〔六字傍点〕とも言へる所だ。○妹のら 「妹なね」と同じ。愛稱語尾を重ねたもの。○物いはず來にて思ひかねつも 「三四八一」參照。
【鑑賞】 一首として獨立に見る時は、相當單純化の出來た歌だ。類型の一つと考へると、不滿は(214)感じるが、其等のうちでは、此歌の「思ひかねつも」が殊によくきいてゐさうである。
 
3529 とやの野《ぬ》に菟《をさぎ》狙《ねら》はり をさ/\も寢なへ子ゆゑに、母に嘖《ころ》ばえ
 
【口譯】 とやの野で兎をねらうてゐる、それではないが、をさ/\――きはだつても抱き寢したことのない彼女であるのに、その爲におつかさんから叱られてゐる。
【語釋】 ○とやの野 分布の多い地名。どこと定めにくい。が、古いものは下總に一處、『和名抄』に見えた印幡郡に鳥矢郷らしいものがある。○兎《をさぎ》狙《ねら》はり をさぎ〔三字傍点〕は兎。ねらはり〔四字傍点〕は狙ふ〔二字傍点〕の現在完了形。ねらへり〔四字傍点〕の舊發音。さうしてこれは、その中止形から來た枕詞樣式。二句以上序歌。「をさ/\」をおこす。○をさ/\も 物なれてしつかりしてゐる樣子を表す副詞。此頃既に、肯定形よりも否定を伴ふ形が多くなつてゐた。勿論平安朝の用語例によつて、説くことはいけない。きつぱりと・しつかりと・きはだつてなど譯すればよからう。○寢なへ子故に ねなへ〔三字傍点〕はねざる〔三字傍点〕。子〔傍点〕は娘〔傍点〕。既にしば/\述べた。ゆゑに〔三字傍点〕はだのに・その爲に〔七字傍点〕。○母にころばえ ころばえ〔四字傍点〕は「ころばゆ」の方言發音。ころぶ〔三字傍点〕は既に述べた。どなり叱られるのである。歌に現れた類型から見れば、忍んだのを娘の母に發見せられ叱られた、と言ふことゝ思はれる。併し今日から見れば、自分の母に、いさめ叱られてゐると考へることも出來る。ゆ〔傍点〕は受身の助動詞「る」の古形。「ころばゆ」と言ふ連用形と、多く見てゐるのは、採ることが出來ぬ。古代詞章の鑑賞は、さうした氣分の調節から(215)初めなければならぬ。
【鑑賞】 此歌などは、序歌と本部との關係を考へるに適當なものだ。近代人にとつては、どうしても、上二句が立體的に感じられるが、其を至極單純に、單なる言語技術としてのみ受けとることが出來たのである。近代の我々にとつては、この聲音の刺戟多い序歌が、複雜な感銘を與へて、この歌を惡くする。
 
3530 さを鹿の臥すや叢《くさむら》 見えずとも。子ろがかな門《ど》よ行かくし 吉《え》しも
 
【口譯】 雄鹿の寢てゐる草藪ではないが、あれに逢はなくても、彼女の表をば通つて行くのは、嬉しいことよ。
【語釋】 ○さ雄鹿 雄鹿〔二字傍点〕に接頭語さ〔傍点〕のついたもの。たゞ鹿の場合、さ〔傍点〕は五月《さつき》に關係あるものらしい。○臥すや叢 や〔傍点〕は用言を體言化する語尾。「ふす」と「くさむら」を結んで熟語に作るのである。口譯にはふすところの〔六字傍点〕と譯してよい。○叢 小《を》草の群りをも言ふが、たけの高い草の藪・ぼさ〔二字傍点〕の類を斥すのだらう。上二句序歌。「見えず」をおこす。所謂臥す鹿の牀が、草陰にあつて見えないのだ。○見えずとも 「見えずともよし。」と切れる句法の賂。「見えないでもかまはない、俺は行かう」となる。下句から又、改めて説きおこすのである。こゝは、自分に逢はないこと。自分の目に見えないと譯するのは、足りない。○かな門 と〔傍点〕は扉。この語も(216)家ぼめとして長く使つたので、その結果、内容は文學語的の空虚に陷いつてゐる。で、時代々々にその内容を異にしたに違ひない。雜木《かなぎ》をよせて造つた扉をかなど〔三字傍点〕と言つたのが、遂にほめ詞として、金の戸〔三字傍点〕と感ぜられる樣になつたのだ。○よ をば〔二字傍点〕。「三三六六」參照。○行かくしえしも ゆかく〔三字傍点〕は、動詞「行く」の第四變化に、名詞語尾「く」がついで作つた副詞。行くのが・行くことが、など譯してよい。し〔傍点〕は緊張の助詞。えしも〔三字傍点〕、よし〔二字傍点〕の舊發音。同時に地方發音。
【鑑賞】 物語歌の一つと見られるものである。其だけ、實生活から遊離した頼りなさを持つてゐる。單にうたひ揚げてゐる、と言ふだけの點がある。上三句の快さなど、此歌の傳承せられた原因であらう。けれど、これとて、類型を全く離れたものと考へきることも出來ない。但、近代の感覺には、上二句が處女の臥處の比喩、と言つた印象は却けることが出來ない。又それだけ、その融合感を尊いものゝ樣に、感じる人があるかも知れない。
 
3531 妹をこそあひ見に來《こ》しか。まよびきの 横山|邊《べ》ろの宍獣《しゝ》なすおもへる
 
【口譯】 彼女を見にやつて來たのだ。それに、丘陵の處の宍獣《しゝ》見たいに、ひき籠つて出て來ないことよ。
(217)【語釋】 ○妹をこそ こそ〔二字傍点〕は緊張の助詞。この壓力によつて、「逢ひ見に來しか」の句を餘つて、不滿の氣持ちが溢れるのである。この場合、反感を誘ひ出すものゝ樣に探つて、この歌を誤解してはいけない。○あひ見に來しか あひ見る〔四字傍点〕と言ふ語は、慣用久しくして、あひ〔二字傍点〕と言ふ語の反省を失つてゐる。こゝもそれだ。本集に於いても、「相」の義と見えるあひ〔二字傍点〕のあるのは、此訣だ。來しか〔三字傍点〕はこそ〔二字傍点〕の結び。○まよびきの 眉引〔二字傍点〕。「横」にかゝると解くが、寧、「横山」のほめ詞として、女の眉引きを聯想したのである。○横山邊ろ 横山邊と言ふに同じい。ろ〔傍点〕は語尾。横山〔二字傍点〕は丘陵〔二字傍点〕。○宍獣なす 狩獵の對象となる野獣。肉・毛皮を取る物としての獣。普通、肉をしゝ、しゝを取る獣〔八字傍点〕と言ふことになつてゐる。主として、かのしゝ・ゐのしゝ〔八字傍点〕を聯想してゐた。三句以下「しゝなす」まで、「思へる」の序歌。なす〔二字傍点〕は、こゝは「如く」の意。○思へる 思ふ〔二字傍点〕の現在完了形の連體法。併、單に思うてゐる〔五字傍点〕ではない。もの忌みに籠つて嚴重に人のゐる處に出ず謹んでゐること。諒闇をみものおもひ〔六字傍点〕と言ふが如きである。さうしたもの忌みでなくとも、人に會はないことにも轉義して用ゐる。こゝはそれだ。宍獣の横山に隱れて出て來ない樣に、姿を露さないことを言ふのだ。
【鑑賞】 「あひ見に來しか」の語感に囚はれて、横山べより夜里近く出る野獣の如く、我を憎み思へると言ふ風に説くのは、小説的でいけないと思ふ。
 
3532 春の野に草|食《は》む駒の口 やまず吾《あ》を偲ぶらむ 家の子ろはも
 
(218)【口譯】 春の野で草を喰つてゐる馬、それではないが、口の止まる間なく、私に焦れてゐるだらうところの家の彼女よ。
【語釋】 ○草食む駒の 若草を貪つてゐる馬の口の止まらないのから起したので、一・二句及び「口」までの一續きが序歌である。序歌は「口」までゝ、本部は「やまず」から受けてゐるものと見るがよい。しつきりなく、我を偲んで我が上を物語ると採る方は、序歌の效果はありさうに見えるが、我々の欲する處と、古人の好む所とは、別だと考へて見る必要がある。でないと、歌がらも卑しくなる。その上しぬぶ〔三字傍点〕と言ふ語にも合はない。「偲び言ふ」の意味だと見れば、それまでだけれども。○吾を偲ぶらむ 俺を絶えず偲ぶ〔七字傍点〕のである。偲ぶ〔二字傍点〕は心の底で深く思つてゐることだ。
【鑑賞】 この歌、世間ですかれてゐる處を、私は採つてゐないので、自ら序歌の重要性が薄くなつて來るが、是非もないことだ。
 
3533 ひとの子の愛《かな》しけ時《しだ》は、はますどり 足《あ》なゆむ駒の惜しけくもなし
 
【口譯】 俺の馬は歩き弱つてゐる。だが、よその娘の可愛くてならない時は、びつこひいてる駒が、大事とも思はれないことよ。
【語釋】 ○ひとの子 他人の娘。他家の處女。○愛しけ時 可愛く思つてゐる時。愛情に堪へられない頃。○(219)はますどり 濱の洲にゐる鳥が、足踏み込んで歩きにくがつてゐる樣子から、「足なゆむ」の枕詞にした。これも古代人の空想だ。あ〔傍点〕は足〔傍点〕。足なゆむ〔四字傍点〕は「足悩む」だと言ふ。だが、「蹇《あなへ》ぐ」などゝ關係がある語かも知れない。足ひいて歩き苦しんでゐるのである。○惜しけくもなし 「惜しかり」の副詞形。惜しけく〔四字傍点〕である。愛する〔三字傍点〕でも足りず、惜しむ〔三字傍点〕でも足りない意味を含んでゐる時には、この語大事がる〔四字傍点〕と譯するのが、適切の樣である。
【鑑賞】 獨立した歌としては、動機が不足である。やはり物語歌の一つとして、馬がそんなに苦しんでゐるではないか、と言ふ風に言はれたのに對して答へたのに相違ない。それだけに、此歌のもつてゐる感情も、用語も、古風なものである。さうした叙事的な知識を外にして考へる時、漠として古典的なにほひが、我々を動かすのである。それも併、決して正しい興味ではない。
 
3534 我《あ》が駒が門出《かどて》をしつゝ 出で難《かて》に爲《せ》しを 見立てし家の子らはも
 
【口譯】 俺の馬が門口を出々してゐるのに、片方出きれなく思つてゐた此俺を、見送つてゐた家の彼女よ。
【語釋】 ○我が駒 この歌以下三首「安可駒」とあるもの、卷二十防人歌に『安可駒を山野にはがしとりかに(220)て多摩の横山かしゆかやらむ』とあるもの、皆「赤駒」と説かれてゐるが、特に我が駒〔三字傍点〕と出來ない理由を持つたものはない。「可」を清音か〔傍点〕とのみ見てゐるのは正しくない。○門出をしつゝ 「門出」である。家の門を出ることである。こゝにつゝ〔二字傍点〕の助動詞のあるのは、つゝしかすがに〔七字傍点〕の意である。「駒は‥‥してゐるのに一方自分は‥‥」と、反對になつてゐることを示すものだ。○出で難に 出できれなく〔六字傍点〕である。「不敢《かてに》」のことはしば/\説いた。○爲し 思ひし・ふるまひし〔八字傍点〕などの代用。「あの際‥‥して居つた俺を」である。○見立てし 立つ〔二字傍点〕は下二段。出發させる〔五字傍点〕である。見て出發さした〔七字傍点〕だから、見送つた義になる。だが、本集の見る〔二字傍点〕には、特殊な意義のあるものが多いから、これも出發の際、旅人の爲、守護の咒術を行つたことになるのであらうと思ふ。○家の子らはも 愛人或は妻は、旅立ちに自分の分靈を與へて、夫を送るのだから、旅行中不安な度毎に、その面影を浮べることはあるべきことである。
【鑑賞】 家なる妹を思ひおこしての、純粹な發想と思はれるであらう。勿論さうした發想は、かう言ふ處から出て來たのである。旅中家人を戀ふる情は、却て歌から生れて來た傾きがある。旅宿の夜、或は特に不安な時、鎭魂術を行ふ爲に唱へる歌は、總て家人の上に關したものになるのであつた。さうして、端的には、かうした出發ぎはから、自分に見立ての守りを續けてゐる妹の咒術が、今も尚行はれてある樣に言ふのであつた。
 歌として見る時、いかにもたど/\しい詠み口が、何かを示してゐる樣な氣がする。
 
(221)3535 己がをゝ、凡《おほ》にな思《おも》ひそ。にはにたち、笑ますがからに、こまにあふものを
 
【口譯】 自分の命を粗末に思つてはいけない。そんなににこ/\していらつしやるけれども、‥《?》‥‥。
【語釋】 ○己がをゝ 「己が男」説は、一等合理的に聞かれるのが普通であらう。たゞ、此語は、記紀の崇神天皇の卷にあるのと、同じと見られる。「みまきいりひこはや 己がをゝ 竊み弑しせむと‥‥《弑せむと竊まく知らに(紀)》〔九字傍線〕 竊はく知らにと」とある。これが、傳承せられる間に意義を變じてゐたと思ふのがよい。崇神記紀の「己がをゝ」は諸説あるが、大子のみ靈の鎭齋場にあるたまの緒を竊み、弑しようとする者があると教へたのだ。即、天子御自身の靈の緒である。それが、玉の緒といふ自覺があつたらうが、意義はいのち〔三字傍点〕といふ程に考へられ、其意に於いて傳承せられてゐる中に、「己がをゝ」を注意せよといつた意味の類型が行はれたものと考へてよからう。だから、同じ古事記の沼河日賣の「命は な死せたまひそ」と同樣な内容をもつて來たと見てよからう。○凡《おほ》にな思ひそ おほに〔三字傍点〕ほとりとめもない・漠然としたといふ意を表す語に、副詞語尾のに〔傍点〕がついたもので、いゝかげんに・粗略にの意に用ゐる。自分の命をいゝかげんに思つて扱ふな、といふこと。○にはにたち 枕詞。「笑ますがからに」のから〔二字傍点〕を起すと見てよからう。通常、「にはにたつ」といふ形で、「あさ」或は「あさで」にかゝつてゐるやうに見える。一个處「にはにたつか《?》らうす〔四字傍線〕につき」といふ例がある。もし、枕詞でない(222)とすれば、普通いふ「庭に立ちて」、といふことである。○笑ますがからに 「笑《ゑ》む」の敬語笑ます〔三字傍点〕。『道に逢ひて笑ますがからに降る雪の消なば消ぬかにこふとふ我妹』の例から見ると、にこ/\していらつしやるけれどもといふことだ。言ひ換へれば、其と同時に、別の状態のある事をいふ語。○こまにあふものを 難句。前三首、後六首、皆、駒に關した歌である。尠くともこゝは、此卷の編者の意として、駒の歌と解釋してゐたにちがひない。だが、特に、駒にあふ〔四字傍点〕といふことが、諺か或前兆かでなければ、誤字があると見る外はない。或は、「古麻」の古〔傍点〕の字は、たまにあふ〔五字傍点〕かとも思ふが、他の句との續きが妥當とも思はれない。
【鑑賞】 不能。
 
3536 あが駒をうちてさをひき 心牽き 如何なるせなか 我《わ》がり來むと言ふ
 
【口譯】 自分の駒を撲つて、緒を牽く其ではないが、私の心を牽いて、一體、どういふお人が、私のところへ來ようとしてゐるといふ訣か。
【語釋】 ○あが駒 自分の駒。赤〔右○〕駒ではない。○うちてさをひき うちて〔三字傍点〕は、馬を撲ちたゝくことであらう。「さ緒牽き」のさ〔傍点〕は、接頭語。緒〔傍点〕は馬の緒、即、手綱の類だといふが、疑問がある。さ緒牽き〔四字傍点〕は緒を引張つて歩ませるといふことらしいが、細部が訣らない。上二句、序歌。「ひき」を起して、「心牽き」にかゝつてゐる。○心牽き 人の來る前兆が、心を動かすのだ。今ならば逆に、心躍りといふところだ。○いかなるせ(223)なか 假りに第四句と第五句と入れ換へて見れば訣る。「我がり來むと言ふせなは、如何《いか》なるせなか」である。「如《なる」は、どういふ・どんな・どうしたの意。「せな」のな〔傍点〕は愛稱。このか〔傍点〕も疑問でなくて、感動である。現代の口譯には、か〔傍点〕と譯するが、其は、「如何なる」から誘導されて來るので、實は、感動である。言ひ換へれば、「如何なるせなよ」・「如何なるせなぞ」である。果して疑問とすれば、下は反語となる。我がり來むといふせな〔二字傍点〕は、全體にない。それに、心牽く心理状態は、一體、どう言つたせな〔二字傍点〕が來むとするのか、といふことになる。その場合は、心牽き〔三字傍点〕が、「心躍りはありながら、しかも‥‥、と言つた姿になる。○我がり來むといふ 後代の用語例では、がり〔二字傍点〕が、家・許を意味するやうに考へられてゐたやうだ。だが、以前はそのが〔傍点〕は、必、上の語の所有格を表すものだつたと思はれる。り〔傍点〕は、意味不明であるが、これも元、獨立した語でなくて、補足語の語尾などであつたものと想像せられる。即、我が〔二字傍点〕は、我が家〔三字傍点〕を意味し、り〔傍点〕はに〔傍点〕に近い意味の語であつたと考へてよいやうである。といふは、そのせななる者が言ふのでなく、前兆が示してゐる意だ。
【鑑賞】 この歌、咒術的な内容をもつたもので、己が心に起る前兆らしいものに、度々騙されてゐるので、又起つて來た心動きが、信頼することが出來ないのである。同じことを、一層ひどく懷疑的に言つたのは、後の解釋である。この方が正しいかもしれぬ。如何なるせな〔六字傍点〕と言つたのは、幾人も、男をもつた女だからではない。外の誰もといふ風に言ひ直して見れば、訣るであらう。さうした動機で出來た歌を、男に送つたといふことも考へもれる。さうして、この歌(224)が東歌としてある訣は、さういふ女を豫定することによつて、出來た民謠といふまでゝある。
 
3537 くべ越しに麥|喰《は》むこうまの はつ/\に逢ひ見し子らし、あやにかなしも
    或本(ノ)歌(ニ)曰(フ) うませごし麥喰むこまの はつ/\に 新肌ふれし子らし かなしも
 
【口譯】 垣越しに畑の麥を喰ふ小馬が、かつ/\とゞくと言つた風に、かつ/\逢曳きした彼女が無しやうに可愛いことよ。
【語釋】 ○くべ越しに 沖繩諸島では、壁のことを「くび」といつてゐる。かべ〔二字傍点〕の音韻變化でなく、寧、かべ〔二字傍点〕とかき〔二字傍点〕と兩方に、くべ〔二字傍点〕なる音の岐れて行つたことを、暗示してゐる。くべ〔二字傍点〕は、放牧した牛馬の入り來ぬやうにした境界の垣で、普通、木を横たへて結んだ柵である。くべ越しに〔五字傍点〕は、垣を隔てゝの意。○うませ越し 「うませ」のう〔傍点〕は、鼻母音を表したもので、所謂ませ〔二字傍点〕である。ませ〔二字傍点〕は、場合によつて範圍が狹い。馬舍の前に横へた※[木+閂]をいふこともあるが、廣くはくべ〔二字傍点〕と同じい。この場合、「うませを越して」の意であらう。「うませごしに」の音略と見るべきではない。○麥喰む これは、畑に生えてゐる麥で、麥粒ではない。○こうまの 口譯に、小馬と譯しておいたが、實は不當かも知れぬ。うま〔二字傍点〕の音が鼻母音である爲に出來た表記法で、こま〔二字傍点〕ともいひ、こんま〔三字傍点〕とも發音したのだらう。こんま〔三字傍点〕が即、「古宇馬」と書かれたのだ。だから意味に於いて、駒にすぎない。上二句、序歌。「はつ/\に」を起す。○はつ/\ 「はつか」の語根はつ〔二字傍点〕が重つた副詞。(225)わづか・かつ/\、など譯する。馬の口が、麥の若生えにとゞく樣子をとらへたのである。○新肌ふれし 「仁必波太」は新肌と言ひ條、單に初めて男した肌といふことではなさゝうだ。古言に、にひ〔二字傍点〕で表される場合は多く、新しく事を爲初めるその一つ前の状態をいふのである。結婚を許される前の僅かの期間の状態を表す語だ。にひ〔二字傍点〕である。だからまだ、許されない時期の處女を犯したことになるのだ。併、暫らく舊説に從つておいてもよい。
【鑑賞】 かういふ歌になると、序歌によつて價値が決つてゐることが訣る。これあるが爲に、下の句も自らのび/\として來る。だが、純抒情詩でないことは、上の句の悠々たる點から見ても訣るであらう。或本になると、歌の中心興味は序歌を離れて、「新肌觸れし」に集中する。欲情の古典化したものが、歌全體を美しく感ぜしめるけれど、よく見れば、序歌の印象も強く殘つてゐて、兩方に對峙してゐる弊がある。
 
3538 ひろ橋を馬越し兼ねて 心のみ妹がり遣りて、我《わ》は此處にして
    或本(ノ)歌(ノ)發句(ニ)曰(フ) 小林《ヲバヤシ》に駒をはさゝげ
 
【口譯】 ひろ橋を馬が越し兼ねて行かない、それではないが、俺は心ばかりを、彼女のところへ行(226)かして、體はこゝに居って、行きかねてゐる。
【語釋】 ○ひろ橋 廣い橋と見る他、色々な説が成り立つ。二句から見れば、理に合はないやうにも思はれるので、契沖の「一尋ある橋」説のやうな考へも出る。だが、序歌・枕詞の使用例を見ると、一局部に注意を集めてゐることの多いことが知れる。橋を馬が越えかねるといふ考への上に、その橋を讃める詞がつくといつた事は不思議ではない。○馬越し兼ねて 馬がしりごみして、越えないのである。上二句、序歌。三句の文意は、即、心あせるばかりで身はとゞまつてゐるとも見られるし、又、「此處にして」を起すだけとも見られる。○小林に馬をはさゝげ はさゝげ〔四字傍点〕は「走《は》さしあげ」の融合と思はれる。今ならば、小林に馬を乘り入れて、といふところ。たゞ、あげ〔二字傍点〕が氣分上の語か、勾配のある林地に駒を奔せ入れた、といふ意か、或は、馬の狂奔するのを、あがる〔三字傍点〕といふから、あげ〔二字傍点〕はあがらして〔五字傍点〕の意ともとれる。○心のみ妹がり遣りて 妹がり〔三字傍点〕、彼女への路、砂女の家・許《もと》など。心ばかりを行くに任せたのである。○我は此處にして 「此處にしてかくあり」又は、こゝにして‥‥兼ねて居る」など、文法的にはとける。さうして、餘情を殘したと考へてよいが、餘情といふことは、後世、さう説明するだけで、必、發想法を省略してある場合なのである。
【鑑賞】 下の句、二句とも「て」で休止してゐる點、更に、序歌が、「て」で終つてゐる。これが、調子の特徴を作つてゐる。上二句を序歌と見ない説からすれば、この「て」が調子を破つてゐる。
 
(227)3539 あずのうへに駒を繋ぎて 危《あや》ほかど、人づま子ろを いきに 我《わ》がする
 
【口譯】 崖のところに馬をつないでおく、それではないが、危いけれど、他人の妻なる彼女を命がけで、俺は思つてゐる。
【語釋】 ○あずのうへに あず〔二字傍点〕は方言。必しも中央にはなかつた語とは言へない。即、『新撰字鏡』に「※[土+丹]、崩岸也、久豆禮又阿須」とあるから見れば、崩れ易い崖とも思はれる。うへ〔二字傍点〕は上でも邊でもよい。○駒を繋ぎて 其處に馬を繋いでおくから、馬が荒れると、落ちる惧れがあるのだ。上二句、序歌。「危ほか」にかゝる。○危ほかど 都詞では、「あやぶけれど」と言つた處である。即、あやほかれど〔六字傍点〕のれ〔傍点〕の音脱。或は、あやほけど〔五字傍点〕の音轉と見てもよい。危いけれど〔五字傍点〕である。他人の妻を犯すことがあれば、宗教上の罪惡であり、隨つて、嚴重な社會制裁を受けたのである。それで、人に知られる事を危惧したのだ。○人づま子ろを 舊本「比登麻都古呂」、古本「比登都麻呂」、類從古集其他古本「比登豆麻古呂」とあるに據つて、つま〔二字傍点〕とする。人〔傍点〕は他人、この場合、女。他人妻《ひとづま》なる女である。「を」は、人妻女なるに〔六字傍点〕と言つてもよい。○いきに我がする する〔二字傍点〕は思ふ〔二字傍点〕の代用。「いきに思ふ」である。「いきの緒に思ふ」の變形。一所懸命に思ふである。
【鑑賞】 かうした境遇にゐる男が、眞實にこの歌を殘したものとは思はれない。殘す機會もない。さうした感情を歌つた叙事詩の、抒情部分と見るのが正しい。かうした空想は、文學の萠芽時(228)代である「古代」を考へさせる。この歌、單に、人妻を思つてゐるだけでなく、もつと深刻な状態の空想の上に立つてゐるのだ。宗教上の禁忌を深く考へて見るべきだ。
 
3540 さわたりの手兒《てこ》にい行き逢ひ、あが駒が足掻きをはやみ、ことゞはず來ぬ
 
【口譯】 さわたりの娘に行き逢つてゐて、自分が乘つた駒の足掻きの速さに、ことばのかけあひ〔四字傍点〕もしないで還つて來た。
【語釋】 ○さわたり 地名とも、さうでないとも思はれる。地名ならば、亘理と言つた地名の分布が相當あつたやうだから、其に接頭語さ〔傍点〕のついたものと思はれるが、必しも定められない。或は、手近な一擧に行ける里、即、さ渡りに行くべき里といふ意で、村或は里を省いたと言へないこともない。○い行き逢ひ 約束したのでなく、偶然兩方行き逢うたのである。○あが駒 こゝも、「安可」を赤〔傍点〕と解して赤駒と説くが、いけない。○足掻き 馬の足を以て土を掻きたてること。即、乘つてゐた馬の早く走つたゝめである。道の行き違ひに、男は馬に乘つてゐたゝめに、行き逢ひながら、何事をもしなかつたのを悔いてゐるのである。○ことどはず ことゞふ〔四字傍点〕は既出。お互に何の文句も述べなかつたのである。けれども、「ことゞひ」を前提として媾ふのだから、第五句は、媾はなかつた事の殘念さを叙べてゐると思つてよい。
(229)【鑑賞】 叙事的な歌として見る外はない。それだけに、殆感情も含まれてゐない。
 
3541 あず邊《べ》から駒の行このす 危《あや》はども、人づま子ろを まゆかせらふも
 
【口譯】 崖のところを馬が通るやうに危いけれども、他人の妻なる彼女を、い|ゝ《?》かげんに見てゐることは出來ないことよ。
【語釋】 ○あず邊《べ》から あず〔二字傍点〕は、前々歌に出づ。から〔二字傍点〕》は「‥‥をば」で、進行の經由地をさす語尾。○行このす 「行くなり」の方言發音。○危はども 「危ぶけれども」の方言表現。前の歌、「危ほかど」とあり、こゝは、形容詞語尾と見るべきものがない。恐らく、か〔傍点〕或はけ〔傍点〕の音の音脱が行はれたのだらう。合理的には、「あやぶ」といふ動詞があつて、その終止形あやぶ〔三字傍点〕にとも〔二字傍点〕がついたと見るか、第五變化あやべ〔三字傍点〕にども〔二字傍点〕のついたのが音轉した、と見てよさゝうだが、それが果して「あやぶむとも」・「あやぶめども」の義を表すかゞ問題である。それならば一層、あや〔二字傍点〕を語根とした「あやか」・「あやけ」・「あやかり」などいふあやぶし〔四字傍点〕の意の形容詞があつたと見、そのあやかども〔五字傍点〕が音轉あやはども〔五字傍点〕になつたと見る方がよい。○まゆかせらふも 「三三九六」參照。らふも〔三字傍点〕はなふも〔三字傍点〕の音轉。まゆかせざるも〔七字傍点〕である。まゆかす〔四字傍点〕は、いゝかげんにする・凡にしておくの義。ま〔傍点〕を接頭語と見、行かせらふ〔五字傍点〕に行かしむ〔四字傍点〕の意義を感ずる語感説が行はれてゐるが、根據がない。それらの説によれば、ゆかしいことよ・ゆかしがらせることよ、といふ風に説かれるのだ。
(230)【鑑賞】 あまりに方言表現が錯雜して、鑑賞に入り難い。各語句の意義が直觀的に頭に入つて來なくとも、意義が訣ればよいといふのは、思想だけでよい、といふことになるのだ。さうした態度で歌を見ることは、全然間違ひである。
 
3542 さゞれ石に駒をはさせて 心いたみあが思《も》ふ妹が家のあたりかも
 
【口譯】 小石原に馬を走らして痛む、それではないが、俺が心痛く思つてゐる彼女の家の邊よ。
【語釋】 ○さゞれ石 既出。小石。○駒をはさせて せ〔傍点〕は使役。はさ〔二字傍点〕ははす〔二字傍点〕の活用。走らせて、である。上二句、序歌。「いたみ」を起す。○心いたみあが思ふ妹 心いたみ思ふ、とつゞく文法である。直譯すれば、心いたがり思ふ・心いたい程思ふ、といふことである。「いたみ思《も》ふ」を一つの語と解けば、此歌の意義は出て來ない。さうして、直に第五句に續く。○家のあたりかも 妹の家のある處を今は行きかねて、遠くから望んで、煩悶してゐるのである。「心痛み思ふ妹」でなく、「心痛み思ふ家のあたり」なのである。こゝに、多少後代と違つた發想法がある。
【鑑賞】 外見は單純さを具へてゐるが、この序歌の取り方は、近代的に見れば、輕薄で同感を逸らす。
 
(231)3543 むろがやの 都留の堤の なりぬかに子ろは言へども、いまだ寢《ね》なくに
 
【口譯】 都留の堤が出來上つた、それではないが、二人の仲が出來さうに、彼女は言うてゐるけれども、まだ共寢もしないことよ。
【語釋】 ○むろがやの 枕詞。「都留」にかゝるのであらう。室の屋根に葺く茅か、或は、群《むら》茅か訣らぬ。○都留の堤 都留川の堤であらう。(或は、都留の池堤か)。甲斐國北都留郡。今、都留川が桂川に合流する鶴川・四方津川附近にあつたのであらう。恐らく、壞れ易い山川の堤だつたから、印象に殘つてゐるのだらう。上二句、序歌。「なる」を起す。○なりぬかに かに〔二字傍点〕は、べく・ほどに〔五字傍点〕など譯する。副詞及副詞句を作る。か〔傍点〕と訓むか、が〔傍点〕と訓むか、本集では清濁混用だから定まらない。中世以後のかに〔二字傍点〕から見れば、清音に訓むべきであらう。「なりぬ」は既出。たゞ、ぬ〔傍点〕を眞の現在完了として、二人の間が成立したとするのは惡い。例の多い緊張のために挿入したぬ〔傍点〕である。だから、なりぬべく〔五字傍点〕の意に解いた。即、なるかに〔四字傍点〕である。女が二人の仲は成り立ちさうに言ふのである。○子ろは言へども 「子ろはなりぬかに言へども」である。單に、共寢をするだけでなく、夫婦關係が生じさうに、或は、それを許してもよいと言つた風に、女が素振り・口前で表すのだ。だが、何よりも先決問題になる共寢をせないでゐることを言ふのだ。○いまだ寢なくに 此句は單に、共寢しないでゐるといふだけでなく、「子ろがいまだ寢なくに」といふ風に見る方が本道だらう。
【鑑賞】 遊娼前形とも言ふべき生活が、村の女の間にもあつて、語らひ〔三字傍点〕を教へる女、誰にも許す(232)女、誰にも許しさうに見せかける詭計を用ゐる女があつた。この歌の女は、その後の者にあたるのだらう。此も、眞實の境遇短歌ではないが、多少遊戯氣分を含みながら、でも、地道な調子がよい。この歌によつて、或時代の桂川附近改修工事を、記念してゐる勞働歌と見ることも出來よう。
 
3544 あすか川 下濁れるを知らずして、せなゝと 二人さ寢て悔しも
 
【口譯】 あすか川、それではないが、底の濁つてゐるのを知らないで、あの人と二人共寢をして後、許した私の心がぢれつたいことよ。
【語釋】 ○あすか川 大和の外に名高いのは、河内のである。こゝは、本卷の編纂者の誤解か、東人が他國の歌を流用したかが、問題になるが、それよりも分布の廣かるべき地名として、東國にもあつたと見るのが、妥當であらう。出雲びとの移動と伴うた地名らしく、更に後代には、熊野信仰によつて運ばれた形跡もある。これを、大和の飛鳥に捉はれて考へる方が、却てよくない。「下濁る」の序。枕詞。○下濁れる 水の表面澄んで底の濁つてゐること。それを、男の表面清くて本心反いたことの比喩に用ゐたのである。○知らずして 「知らずありて」で、訣らないでの意。○せなゝ 既出。妹なね・妹なろの語尾と同じい。○悔しも ぢれつたいことよ。事件を後悔するよりも、自分の行動・心を齒痒がるのである。
(233)【鑑賞】 男の誓約の詞に、易々と欺むかれたのを悔いるのである。それでなくては、「下濁れる」が訣らない。その結果、神かけて寢たといふのだ。單に後代的な、二心を持つた男との考へなら、故意に『二人』ともつて來る訣はない。これも、境遇作物ではなからうけれども、民謠としての實感が出てゐる。
 
3545 あすか川 堰くと知りせば、數多《あまた》夜も率寢《ゐね》て來ましを。堰くと知りせば
 
【口譯】 あすか川、それではないが、二人の間を人が堰くといふことが、訣つてゐたら、あの時、幾晩も/\抱き寢をして來たらうのに。あの時、こんなに堰くと知つてゐたとしたら。
【語釋】 ○あすか川 「堰く」の序。枕詞。○堰く 通路を遮つて通さぬこと。水路・道路ともにいふ。こゝは、兩面にかけたもの。親などが、通路を妨げて逢はせないのである。後代の抽象的な言ひ方ではない。○知りせば 知つてゐたら、知つてゐたとしたら、假定前提法の條件。多く、過去に關聯していふ。これを、ませば・ましかば〔七字傍点〕で言つても、略効果は同じい。以前、知らなかつた事に對して、あの時、知つてゐるとしたらといふのである。だから、これに呼應する句は、まし〔二字傍点〕を以て結ぶのが常である。○數多夜も も〔傍点〕は副詞語尾。「幾晩も」のも〔傍点〕にあたらない。多くの夜、幾晩も連續して女に通ふことを考へたのだ。○率寢て來《こ》ましを ゐ寢〔二字傍点〕は既出。來まし〔三字傍点〕、この、來《こ》」は、恐らく、經險の連續を表す來る〔二字傍点〕であらう。もし、來る〔二字傍点〕と譯すれば、其時還(234)つて以來、久しく逢はなくて遠くに別れ住んでゐることを示す。「まし」は、條件の呼應。‥‥たものを・‥‥たらよかつた、などと、過去になかつたことを回想して、あつたやうに想像するのである。だから當然、かうしたらよかつたといふ條件を伴ふ。を〔傍点〕は感動。これを、なるに・のに〔五字傍点〕、と譯するに及ばない。第五句、短歌の舊樣式の一つ。既に述べてゐる。
【鑑賞】 單調であるが、表現に不純なところはない。たゞ、類型的な難がある。
 
3546 青柳《あをやぎ》の發《は》らろ川門《かはと》に 汝《な》を待つと、清水《せみど》は汲まず 立《た》ち處《ど》馴《な》らすも
 
【口譯】 芽出し柳の枝を出してゐる川の用水場で、あなたを待たうとして、この頃いつもうつとりと、清水は汲まないで、同じ立場に立つてゐることよ。
【語釋】 ○發《は》らろ 「發れる」の方言發音。枝芽の出ること。これも既に述べた。○川門 「三四四六」參照。或は、川の渡り場を言ふか。○汝を待つと 待つと〔三字傍点〕は、待たむと思ひて〔七字傍点〕である。待つとて〔四字傍点〕と譯せぬ方がよい。第五句から見れば、この頃來ない男を、來るか/\と待つてゐるのである。○清水《せみど》は汲まず せみど〔三字傍点〕は、しみづ〔三字傍点〕の方言發音。みど〔二字傍点〕はみづ〔二字傍点〕。しみづ〔三字傍点〕のことをせうづ〔三字傍点〕とも言ふから、せ〔傍点〕は必しも訛音ではない。しみづ〔三字傍点〕は清水といふよりも、冷水である。汲まず〔三字傍点〕――水を扱むのが、處女の爲事であつた。水を汲みに出て、男を待つてゐるのだ。村の處女を見るには、水汲み場が適當なので、そこで見初めた時からである。○立ち處馴ら(235)すも 立ち處〔三字傍点〕は、立ちどころ〔五字傍点〕であらう。馴らす〔三字傍点〕は馴る〔二字傍点〕の逆態表現。踏み馴らす・立ち馴らすなど、馴らす〔三字傍点〕は馴れる〔三字傍点〕のである。それを誤解して、「鳴らす」といふ用語例をさへ生じた。自分が立ち馴れることを逆に、その土地その物から見た表現をするのだ。
【鑑賞】 柳の枝を叙べたのは、單なる類型から緒口を切つたのであらうが、後代的に見て、この歌に趣きを添へてゐる。全體に空想を豐かに持つてゐる。此も、歌物語の一部として使つた抒情的叙事詩であらう。その叙事的部分から、この歌は、人に入り易くなつてゐる。
 
3547 ※[有+鳥]《あぢ》のすむすさの入り江の隱《こも》り沼《ぬ》の あな息《いき》づかし。見ず久にして
 
【口譯】 ※[有+鳥]鴨のぢつと居るすさの入り江の隱れ瀁《ふけ》ではないが、逢はないで永く經つた爲に、あゝ、溜め息づかれることよ。
【語釋】 ○鶴※[有+鳥]《あぢ》のすむ あぢ〔二字傍点〕は※[有+鳥]鴨である。慣用して、「すさの入り江」につゞく。卷十一「※[有+鳥]のすむすさの入り江の有磯松」。○すさの入り江 所在不明。但、西方の風俗を東歌に流用したのかもしれない。入り江〔三字傍点〕は、川・海・湖水等の水の、本幹部から入り込んだ水域。江とも、入り江ともいふ。○隱り沼《ぬ》 ぬ〔傍点〕は、水の溜つてゐる、稍々曠い地帶。場合によれば、後の沼にもなり、又池・湖などにも言ふことがある。こゝは、入り江の一處の、外から見えない泥瀁《ふけ》をいふのであらう。上三句、序歌。「あな息づかし」及び「見ず久」の見ず〔二字傍点〕に(236)かゝるのだらう。「こもりこひ息づきわたり」・「水隱《みごも》りに息づきあまり」などの例がある。「息づく」との關係は、「隱《こも》り」に主たる氣分があるのだらう。○あな息づかし あな〔二字傍点〕は感動。まあ・あゝ、などの意。息づかし〔四字傍点〕は既述。ほうと溜息の出る氣分を反省していふ。言ひ換へれば、やるせない、といふ位にあたる。○見ず久にして 「見ず久にありて」の代用。「見ず久」は、見ないで時永く經過した爲に。
【鑑賞】 單なる類型を辿つて歌ふ裡に、自ら一首に纏つたといふ歌。たゞ、三句あたりから、氣分は調つて來てゐる。かういふ歌は、諸國を流傳して、東國に至つたものと言つてよさゝうである。其だけに、個性は乏しいが、調子は立つた歌である。
 
3548 鳴る瀬ろに木積《こつ》の寄すなす いとのきてかなしけせろに 人さへ寄すも
 
【口譯】 さうでなくても、非常に可愛いあの人に、鳴る瀬に漂木が寄せる樣に、一層ひどく他人までが、私を關係づけて噂することよ。
【語釋】 ○鳴る瀬ろ ろ〔傍点〕は汎稱の語尾。地形であつて、半ば地名になつたものだらう。とゞめき・とゞろき〔八字傍点〕など言ふのと、同じ事情で出來た稱呼と思はれる。○木積の寄すなす こつ〔二字傍点〕は前後の關係から所謂|木積《こづみ》、即木屑のことだらうと考へられてゐる。こづみ〔三字傍点〕は、語原説は信ぜられないが、海岸などに澤山うち寄せる漂木の切れ端のことである。寄すなす〔四字傍点〕は寄せる如く〔五字傍点〕である。なす〔二字傍点〕は状態の比喩に使ふ語であるが、こゝは音の類似を示(237)すだけである。が歌の上の感じでは、人さへよす〔五字傍点〕がこつ〔二字傍点〕のよするのと竝べて考へられるほど、具體性を帶びて感ぜられるのだ。上二句、第五句にかゝつてゐる。但、第一句の「せろに」と、第四句の「せろに」と、第二句の「よす」と、第五句の「よす」と、同音聯想で出來てゐるのだ。○いとのきて 平安朝以後の「いとゞしく」或は「いとゞ」と同意義。元來叙述語にかゝる副詞なのに、その位置の關係上次に來る客語・補足語等の修飾語にもかゝつて行くと言つた複雜な用語例を持つてゐることも、いとゞ・いとゞしく〔八字傍点〕と同じである。「いとゞ〔三字傍点〕かなしきせろに人さへいとゞ〔三字傍点〕よすも」となるのだ。「たゞさへ‥‥なるに一層ひどく‥‥なることよ」と言ふ風に譯する。○かなしけせろ かなしかるせな〔七字傍点〕である。語尾け〔傍点〕は、既に述べた。○人さへよすも よす〔二字傍点〕はよせかこつける意と、思ひよせる意とある。口譯は前の義に從つた。後の意義では、「自分だけでなく、人迄が思ひをよせる」だ。いとのきて〔五字傍点〕の用語例で見れば、前者がよい。噂を甘受してるのだ。
【鑑賞】 形式上の偶然的な技巧は不愉快でない程度に出來てはゐるが、三句以下感情のあるのに對して、上二句が、あまりになんせんす〔五字傍点〕に聞える。
 
3549 たゆひ潟 潮滿ち渡る。いづゆかも かなしきせろが我がり通はむ
 
【口譯】 たゆひ潟、それへずつと汐がさして來た。可愛いあのお方が、どこを通つて私の處へ通ひなさるだらうか。
(238)【語釋】 ○たゆひ潟 かた〔二字傍点〕を潟とすれば、たゆひ〔三字傍点〕は地名である。但、所在不明。○潮滿ち渡る わたる〔三字傍点〕は手前から向うまでづゝと續く状態になることを言ふ。見渡す限り汐がさして行つた樣子だ。常は干潟を越えて眞直に來たその人の通ひ路が、弓と弦の如く遠くなつてしまつたのを歎くのである。○いづゆかも いづ〔二字傍点〕は不定の副詞。多く時間以外は、こ・れ・ち・ら〔四字傍点〕など、處・方角を示す語尾をつけるが、古くはその區別は自由であつたのだ。こゝはいづくゆか〔五字傍点〕或はいづらゆか〔五字傍点〕の意である。殊に語尾ゆ〔傍点〕があるから、明らかにそれが訣る。○我がり通はむ 我が方・我が處・我が家。尚語義に就いては既に述べた。通はむ〔三字傍点〕は第三句のかも〔二字傍点〕をつけて、通はむよ〔四字傍点〕の意味に採つておいたが、上に疑問の語があり、下に想像のあつた場合、か・や〔二字傍点〕は想像の語と相俟つて、ねばならぬか〔六字傍点〕の義を表すこと、既に述べた。さすれば、「かなしきせろが我が方へどちらを通つて來ねばならぬか」と言ふ意になる。又、とても通へる筈がないとも言へる。
【鑑賞】 東歌のうちでも、珍らしく時間と空間と事件との現れた歌である。夜に入つて女が、滿潮を見ながら、男を思つてゐるのだ。けれども肝腎の感情が足りない。殊に第四句などは、空虚を感ぜしめる。或女の實感でなく、名高い抒情的叙事詩であり、劇詩に近づいてゐる爲であらう。
 
3550 おしていなと いねはつかねど、浪の穗の いたぶらしもよ。きぞ一人寢て
 
【口譯】 そつけなく稻ばかり舂いてゐるのは、いぢばつていやだと言つてる訣ではないけれど、考(239)へても御覺。昨夜《ようべ》一人寢さゝれて、波の穗ではないが、心わく/\せずに居られようかよ。
【語釋】 ○おしていなと 「男の心を示すのに對して強ひて不承知だと言ふ風に」と言ふ意。言ひ換へれば、「どこまでもいやだとおしきつてゞは(ない)」。○いねはつかねど この歌の主人公と假想せられてゐる女は、稻を舂いてゐるのだ。それで、「こんなに一心不亂に稻を舂いてゐるのは、おしていなと言ふ訣ではないが」の意が、いね〔二字傍点〕及び第一句のいな〔二字傍点〕とによつて出て來るのだ。言ひ換へれば、「いなと言ふ訣で稻を舂いてゐる訣でもないが」と言ふことにもなる。女は憤りに煮える思ひをしながら、稻を舂いてゐるのだ。○浪の穗の 波頭のことゝ感じるのが今風であるが、古學者は多く、波うち碎ける渚のことゝ考へてゐる。枕詞。「ふる」或は「いたぶらし」をおこす。渚の轟き動搖する意味から、「いたぶらし」に續くのだ。○いたぶらし 「いたぶる」の形容詞活用。『風をいたみいたぶる波の間なく我が思ふ君はあひ思ふらむか』。波のひどく動搖することであらう。心の煩悶に堪へぬ樣子をいたぶらし〔五字傍点〕と形容語に言つたのだ。○もよ 感動の語尾を重ねたのである。○きぞ一人寢て きそ〔二字傍点〕はきその夜〔四字傍点〕即ようべ〔三字傍点〕である。一人寢て〔四字傍点〕は、待ちぼうけに一人寢して寢られなかつたのである。
【鑑賞】 これは稻舂きの勞働歌である。かけあひでうたひかけ、かけ合ひで杵をうつ片方の歌。稻舂き歌だけにいな〔二字傍点〕が出るのだ。恐らくおして〔三字傍点〕も、稻舂きに關する語が歌の上に、他の意味ではたらいてゐるのだらう。對立して稻舂きをしてゐる男の、目顔の合圖に對して、女が答へてゐる(240)つもりを作つたものだ。果してさうした關係にあつた男女の實感をうたつたかどうかは、問題である。ともかく、憤り・怨み・色氣などが、相當な程度に、勞働歌の調子にのつて出てゐるのが面白い。
 
3551 あぢかまの潟に咲く波。ひらせにも 紐解くものか。愛《かな》しけを措《を》きて
 
【口譯】 あぢかまの浦の干潟に碎ける波、それがひらせにとけるそれはないが《?それ〜傍線》、彼女の結んだ紐を解くことよ。あの可愛いものを外にして。
【語釋】 ○あぢかまの 同じ地名は、本卷に二つ、卷十一に一つ出てゐるが、所在不明。「味鎌」と書くか。○潟に咲く波 さく〔二字傍点〕はものゝ豐かに開け口をあく状態。笑ふにも、花の咲くにも、波の碎けるにも言ふ。元はほめ詞。○ひらせにも ひらせ〔三字傍点〕は平瀕。速瀬に對する。傾斜ある急流の場所でなく、平坦な淺瀬だらう。卷十九の家持の歌で訣る。平瀬として波の碎ける状態である。上三句序歌。「とく」をおこす。さわだつ波がとけるのである。それを「紐解く」にかけたのだ。このひらせ〔三字傍点〕を平夫《ひらせ》即平凡な男〔四字傍点〕と言ふ意義の語にかけたと見るのは、理由のないことだ。或は亡びた副詞に、ひたすら〔四字傍点〕とかのどかに〔四字傍点〕とか言つた意味の「ひらせに」と言ふ語があつたのかも知れない。今はたゞ、序歌の一部と見ておく。○紐解くものか 別れぎはに女が結んでくれた紐の緒である。これを解くのは、その女でなければならない。旅中に、他の女にこれを解き開かせる時(241)には、それに對して、男は或不安と悔いとを感じたのである。この歌もさうした動機で出來たもの、と見ねばならない。詳しくは、紐の緒を解く。○愛しけを措きて 愛しかるものをさしおいて〔愛〜傍点〕で、おきて〔三字傍点〕に注意。紐を解く筈の愛しき者をさしおいてゞある。
【鑑賞】 平瀬に夫《せ》をかけたと見るから女の歌となるが、譬ひ訣らない歌にしても、男の歌なる事は、紐の知識から知れる。其點の間違ひなる事は言へる。澁滯があるから、鑑賞は自由に出來ぬ。
 
3552 まつが浦に、さわゑうら立ち まひとごと 思ほすなもろ 我が思《も》ほのすも
 
【口譯】 松が浦にさわゑうらだつ、それではないが、すつかり同じ樣に、私が思ふ通りにあなたが思うていらつしやるだらうよ。
【語釋】 ○まつが浦 地名であらう。訣らない。松岡靜雄氏は、「松が末《うれ》」と見てゐられる。○さわゑうら立ち 難語。語形から見れば、騷がしく響き亂立することの樣に感ぜられるが、それがどうして序歌を形づくるのか訣らない。臆説を述べれば、うらだつ〔四字傍点〕は鼻母音と見て、「むらだつ」、さわゑ〔三字傍点〕は鳥の名、松がうら〔四字傍点〕は、松の梢《うれ》」とする。松の梢に群らだつ鳥が、どれもこれも一つに見える樣に、として、「まひとごと」にかゝると見られないだらうか。○まひとこと どうしてもこゝは副詞で、「我が思ふなすまひとごと思ほすらむ」と續くのでなくてはならない。それで、誰しも思ふ「人言説」は、やゝ採りにくい。「一如《ひとごと》」に接頭語ま〔傍点〕がついた等しく〔三字傍点〕(242)と言つた意味に採る。自分が相手を思ふ通りに、相手も自分を思つてゐるだらう、と信じ言ふ歌だ。○思ほすなもろ ろ〔傍点〕は語尾。よ〔傍点〕或はぞ〔傍点〕に通じるもの。なも〔二字傍点〕はなむ〔二字傍点〕即「思ほすらむよ」である。思つていらつしやるだらうよ。「眞《まつ》この如く思つていらつしやるだらうよ」である。○我が思ほすも 我が思ふなすも〔七字傍点〕で、も〔傍点〕は副詞語尾。四句と五句とをおきかへればよい。「我が思ふなす思ほすらむ」である。
【鑑賞】 女の歌と思はれる。相手の心を信じきつてゐるのは、例の少いものだ。但、序歌の通じない爲に、こだはりを心にもち來たす處がある。
 
3553 あぢかまの かけの水門《みなと》に干《い》る潮の こてたすくもか。入りて寢まくも
 
【口譯】 あぢかまのかけの川口にひく入り汐ではないが、ことたしかに入り込んで寢たいことよ。
【語釋】 ○あぢかまのかけの水門 みなと〔三字傍点〕とあるからは、川口であり、川はかけ川〔三字傍点〕に違ひない。但、それが後の遠江掛川に當るかどうかは訣らない。掛川を流れる日坂川は、水門〔二字傍点〕と言ふ地形を持たない。だから、別に求めねばならない。○干る潮 ひく潮である。川口のおち汐時の樣子をとらへたのだ。上三句序歌。第五句の「入りて」をおこす。○こてたすくもか 「ことたしくもか」の地方發音と想定して説明する。輕太子の御歌『笹葉にうつや霰のたし/”\にゐ寢てむ後は人はかゆとも』。このたし〔二字傍点〕の形容詞化したものと見る。外に「たしに」と言ふ副詞もあり、本集には「たしけく」がある。又疑ひはあるが、「慥使《タシカナルツカヒヲナミト》こゝろをぞ(243)使ひにやりし」などあるから、たし〔二字傍点〕が既に、形容詞活用に入つてゐたことは想像は出來る。或は「可」の字「受」の下にあつたものと見れば、「こてたすかくも」即、「言たしかくも」である。二人の仲確かに成立したことを意味する。言〔傍点〕にせよ辭〔傍点〕にせよ疑問はない。尚か〔傍点〕がそのまゝならば、よ〔傍点〕と同じ感動だから、意味にはさし響きがない。○入りて寢まくも 「妹のを牀に入りて寢まくあるも」、或は「‥‥思ふも」の意だ。まく〔二字傍点〕から直にも〔傍点〕に接しない。略語の形だ。或は、宣長説の如く、寢まし〔三字傍点〕(久→之)も〔傍点〕だと見ても意は同じだ。
【鑑賞】 これも第四句がほゞ意通じながら、わだかまりを作つてゐる爲に、鑑賞の妨げになる。
 
3554 妹が寢《ぬ》る床のあたりに、岩|潜《くゞ》る水にもがもよ。入りて寢まくも
 
【口譯】 岩をもぐる水であつたらいゝなあ、彼女の寢てゐる寢間の邊に、俺はそのまゝ入り込んで寢たいことよ。
【語釋】 ○妹が寢る これを重く見ず「牀」をおこす序の、やゝ實義ある語位に思ふのが正しい。でなくては、感情の過重がおこる。○床のあたり このとこ〔二字傍点〕も、寢間・寢場處と採ればよい。○岩潜る 岩潜り流れる意である。○水にもがもよ 水でありたい・水であつたらよい。更に、水になりたい。がもよ〔三字傍点〕のうち、願望の義はが〔傍点〕にある。も・もよ〔三字傍点〕は感動の語尾。○入りて寢まくも 前の歌に言つたと變りない。
【鑑賞】 情熱的なものと見てはいけない。たゞ輕いゆうもあ〔四字傍点〕と、色氣とを持つた、淡泊な風俗とし(244)て採るべきだ。
 
3555 まくらがの、こがの渡りの柄※[楫+戈]《からかぢ》の 音高しもよ。寢なへ子ゆゑに
 
【口譯】 まくらがの、そのこがの渡り場の柄※[楫+戈]仕立ての船の音ではないが、評判高くたつたことよ。抱き寢をしない娘だのに、その娘の爲に。
【語釋】 ○まくらがのこがのわたり わたり〔三字傍点〕は廣い水面の渡り場である。「まくらがのこが」は、既に述べた樣に訣らない。下總の古河ならば、渡り〔二字傍点〕は利根の渡りである。○柄※[楫+戈] 唐※[楫+戈]〔二字傍点〕とする説もあるが、やはり柄※[楫+戈]〔二字傍点〕で、長い※[楫+戈]〔三字傍点〕であらう。※[楫+戈]〔傍点〕は、一部分船べりに固定して漕ぐもの。櫓・おうる〔四字傍点〕總て※[楫+戈]である。上三句序歌。「音高し」をおこす。或は音〔傍点〕迄が序歌とも見られる。詳しくは「柄※[楫+戈]の船の柄※[楫+戈]の音高し」である。○音高しもな な〔傍点〕は感動の語尾。よ〔傍点〕と變らぬ。も〔傍点〕も同樣。音高し〔三字傍点〕は、※[楫+戈]の音と人の評判の高いのとにかけてある。○寢なへ子ゆゑに ねなへ〔三字傍点〕はねざる〔三字傍点〕である。「ねなふ」の連體形。ゆゑに〔三字傍点〕は既に説いた。
【鑑賞】 歌としては、音高し〔三字傍点〕だけを言ふので、それをいかにすれば變つた序歌の興味を動かすことが出來るかだけが、問題である。さうした類型の中に、小さな波動を起す試みをした模樣が、この歌にも見えてゐる。今から言へば、その點に興味がないから、序歌と本部との氣分的融合は、感じられない訣である。
 
(245)3556 潮船《しほぶね》の おかればかなし。さ寢つれば 人言繁し。なをどかもしむ
 
【口譯】 海の船それではないが、うつちやりぱなしにしてをいてはあまりいとしい。で、抱き寢をした處が、人の評判が一ぱいにたつた。俺はお前をどうすればよいのか。
【語釋】 ○潮船の 枕詞。既に言つた。○おかればかなし 直感的には「置ければ」の地方發音と思はれる。船を濱に引きあげておく樣子に解くべきだ。使はぬ間をおく〔二字傍点〕といふ。眞淵説の「浮ければ」の地方發音と見て、女の身をより處なしに漂はしておくと言つた意味に用ゐたものと見てもよい。或はたゞ、「起きてゐること」を古語ではおかれば〔四字傍点〕と言はぬ筈はないから、濱に倒しておいた船をおこすにかけたのかも知れない。「ひとりおきて思へばいとしくなり」と言へないこともない。○かなし こゝはあまりにかなし〔七字傍点〕と言ふ風に解けばよい。そして、「それ故に」と言ふ風に續ける。○さ寢つれば 助動詞つ〔傍点〕は習慣をも表すが、菅通は現在完了であり、又過去の事實を直前にもち來たして言ふ時に使ふ。「いとしさに抱き寢をした時に」と言ふことである。だから、單に「おかればかなし」・「きぬれば‥‥」と抽象的に竝べて來たのではなからう。譬ひ兩方現在完了形を竝べて居ても、さう解くのが本道である。○人言繁し 人言のたつだらうことを思ひ煩うてゐるのでなく、今甚しくたつてゐるのである。○なをどかもしむ なを〔二字傍点〕は汝を〔二字傍点〕である。しむ〔二字傍点〕はせむ〔二字傍点〕の地方發音。かも〔二字傍点〕は感動(普通疑問にとく)の語尾。ど〔傍点〕は、誰・いづれ・いつ・あど〔八字傍点〕などに通じて、疑間の語根はた〔傍点〕行の音綴(246)である。ど〔傍点〕だけで、いかゞ・いづれ・あど〔八字傍点〕などの意味が表れるのだ。即汝を何とかもせむ〔八字傍点〕である。眞淵の、「汝をあどかもせむ」のをあど〔三字傍点〕が融合して「汝をどかも」と言つた音列になつたものと見るのは、これより名説である。「汝をあどかせむ」が、謠ひものとして、長音となつてなをど〔三字傍点〕と聞えたとするのだ。
【鑑賞】 この歌、近代的には時間關係が、今少し強く表現せられてゐた方がいゝ樣な氣がする。それにしても、風俗《ふぞく》としての情熱も充分にあり、悲しさも深く感ぜられる。
 
3557 悩しけ人づまかもよ。漕ぐ船の 忘れはせなゝ、いや思《も》ひ益すに
 
【口譯】 せつないところのあの他人の妻だことなあ。漕いでゐる船ではないが、忘れようとすれば忘れはしないで、思ひつのりに思ふことよ。
【語釋】 ○悩しけ 「悩しかる」に同じい。病ひづく樣な氣がするのである。單に精神上にだけでなく、からだに強く響くことを言ふ。○人づまかもよ かもよ〔三字傍点〕はかも〔二字傍点〕によ〔傍点〕のついた形。かもや・かなや〔六字傍点〕などゝ同じい。人妻だなあと深く感じてゐるのだ。○漕ぐ船の 枕詞。どの語をおこすのか、判斷がつかない。「いやます/\に進みゆく」と續くのかとも思ふ。諸説いづれも信じ難いものばかりだ。○忘れはせなゝ 忘れはせなで〔六字傍点〕である。「三四〇八」參照。忘れはしないで〔七字傍点〕で、忘れようとすれば〔八字傍点〕と言ふ句を前提としてゐる。○いや思ひ益すに 「思ひ益《ます》にいや思ふ」の意だらう。或は「いや思ひ益すに嘆かゆ」と言つた形かも知れない。ともかくに〔傍点〕は(247)普通考へられる樣な感動の語尾ではない。言ひかへれば、いや思ひましに思ふと言ふことだ。
【鑑賞】 この歌、多少通じない處を持ちながら、氣分は通つてゐる。これも叙事詩的な意義を持つたものであらう。かう言ふ歌の起るのは、信仰と制裁とが嚴重であつた爲に、却てさう言ふ處に、危殆《ひやい》な興味が、民謠として張つて來たので、實生活がさうであつたことを意味せない。
 
3558 逢はずして行かば惜しけむ。まくらがの こが漕ぐ船に 君も逢はぬかも
 
【口譯】 逢はないで行つたら、殘り惜しからう。だから、このまくらがのこがを漕ぐ船で、あの人が逢つてくれゝばよいが。
【語釋】 ○逢はずして 「逢はずありて」の意。逢はないで・逢はないまゝで。○行かば惜しけむ 行かば〔三字傍点〕は、行つたら・行つてしまつたら、と、去つた後の事を考へてゐるのである。惜しけむ〔四字傍点〕は惜しからむ〔五字傍点〕の舊活用。氣懸りだらう・心殘りだらう。最後に一目逢つておきたいと思ふのである。○まくらがのこが 既出。○漕ぐ船に これは意味明瞭でありながら、何の爲に、船を持つて來たか、明らかではない。第一、船で逢つて欲しいと願つてゐる氣持ちからして訣らない。せめて、漕ぎ出す船に來て、別れを惜んでくれと譯すれば、幾分理由は立つやうだが、それもあまりに特殊なことを言つてゐるやうに思はれる。普通の解釋法で言へば、船の中で逢つて欲しいと言ふことになるのだ。野で逢ひたいとか、河原で逢ひたいといふのとは、違つてゐ(248)る。特に船の中で逢ひたいと言ふならば、さうせなければならぬ切羽詰つた事情が叙べられねばならぬ筈である。「逢はずして行かば惜しけむ」では、船で逢ふ理由にならない。さういふ歌はないにしても、陸では逢へないから、といふ事情でも叙べてあるのなら、まだ訣る。併、この歌でみると、「まくらがのこが」といふ語が、非常に浮いて聞える。或は、「漕ぐ」といふ語を起す序歌のやうにさへ見える。地名をもつて來て、同音の「漕ぐ」にひつかけたと考へられるのだ。さうして見れば、「漕ぐ船」が非常に輕くなる。○君も逢はぬかも 逢はぬかも〔五字傍点〕は、一目逢つて欲しいと言ふので、ぬかも〔三字傍点〕は非常に困難な事の實現を願ふ心持ちを表す。「行かぬかも」は、行つてくれゝばよい、「思はぬかも」は、思つてくれゝばよいである。さすれば、「逢はぬかも」は、自分の漕ぎ離れ行く船に妹が行き逢つてくれゝばと望んでゐるので、やはり、妹も船を漕いでくることになる。更に言ひ換へれば、「行かば惜しけむ」とあるが、既に漕ぎ離れてゐて、さて、この儘、去つてしまつたらと、考へてゐる時に行き遇ふ船がある。その船に乘つて君が居てくれゝばよいのにと、かう望みをかけてゐると見れば、訣る。古河漕ぐ船に妹が乘り居て我に逢へかし、である。ぬかも〔三字傍点〕は、「‥‥ないことよ」である。其を深く感じて、更に或状態を欲する意が表れるのだ。
【鑑賞】 この歌、ことばやすらかでありながら、意味は明らかでない。若、最後の解釋を採つてよければ、相當物語風な内容のある歌と見ねばならぬ。殊に、「まくらがのこが」を、地名として事實用ゐてゐるとすれば、さう考へるより外はない。
 
(249)3559 大船を舳《へ》ゆも艫《とも》ゆも かためてしこその里人、顯《あらは》さめかも
 
【口譯】 あれほど完全に、どの方面についても口堅めしておいたこそ〔二字傍点〕の里人だが、その里人が、二人の間を暴露してしまふかもしれない。
【語釋】 ○大船を 恐らく、枕詞であらう。「舳ゆも艫ゆも」にかゝる。たゞ、大船を堅めてし」と聞えるが、これは單に、「舳ゆも艫ゆも」即、當時もあつたらう諺、先からも後からも・始めからも終りからも〔先〜傍点〕と言ふ意味から、どの方面からもといふ意義に用ゐたのであらう。○竪めてし 堅む〔二字傍点〕は、口約束して漏さぬやうに誓つたことである。○こその里人 こそ〔二字傍点〕は里の名であらうが、所在不明。愛人の居る里を言ふのだらう。其里人即、愛人自らである。これが、相手の愛人でなくば、「堅めてし」が訣らぬ。若、別に見るならば、上三句で切れるとするか、こそ〔二字傍点〕を妹・子等などの義に、古く使つたと見るべきだ。「‥‥と堅めておいた事よ、だがその二人の間の秘密を、女の住むこそ〔二字傍点〕の里人が知つて、暴露するかもしれない」といふ風にも考へられる。○顯さめかも 普通の解釋によると、顯す氣遣ひはないと信じて居るやうに考へるのだ。だが、こゝは、反語と採つても訣るが−口堅めしておいたから、顯す氣遣ひはないと信じたことにも採れるが、一つ形と思はれる。「顯はさむかも」と言ひ換へてみると、顯しさうな氣がすると不安を叙べてゐることになる。
【鑑賞】 正反對の二通りの解釋が成り立つが、專信じてゐるのは、氣分から言へばよいが、此歌(250)が少し俗ぽく見える。惧れてゐると見る方がよいやうに思はれる。それに、とりわけこそ〔二字傍点〕の里人と、おほまかに言つてゐるのは、面白い。
 
3560 まがねふく 丹生《にふ》の眞赭《まそほ》の 色に出て言はなくのみぞ。あが戀ふらくは
 
【語釋】 ○まがねふく 枕詞。但、本集には類例がないので、「丹生《にふ》」にかゝつてゐるのか、その「に」にかゝつてゐるのか、「眞赭」にかゝつてゐるのか、すべて訣らぬ。又、單に、「丹生」の地で、まかね〔三字傍点〕即鐵を吹き分ける蹈鞴《たゝら》場があつたからだと言ふべきかもしれぬ。○丹生 分布の廣い地名。但、何處を斥したのか訣らぬ。上野甘樂郡説も、斷言の限りではない。「に」(丹)は赭土で、其を採る原が、にふ〔二字傍点〕(丹生)だとも思へるが、埴原《はにふ》とは別だ。其他の信仰から出來た水邊の地名と思はれる。○眞赭《まそほ》 そほ〔二字傍点〕は、そんぼ・そぼた〔六字傍点〕など、金澁田のことをいふ一面があり、又、赭土《そほに》・そほ船などがあつて、赤土には違ひない。其特殊なものを、まそほ〔三字傍点〕と言つた。即、「丹」である。上二句、序歌。「色に出」にかゝつてゐる。○色に出て 口譯以外にも、色には出して、しかも口では言はないと言つた言ひ方ともとれる。○言はなくのみぞ 「言はなく」は、言はないことゝ解くが、或は、「言はなくある〔二字傍点〕のみぞ」と見る方が、本道かもしれない。言はないでゐるばかりだと言へば、よくあたるやうだ。
【鑑賞】 この歌の如きは、風俗歌らしい條件を具へてゐる。その上、何の拘泥もなく平易で、漠(251)然と乍ら、意味の通じるといふ強みも持つてゐる。
 
3561 金門田《かなとだ》を あらがきまゆみひがとれば、雨を待《ま》とのす 君をら待《ま》とも
 
【口譯】 表の田を荒掻きをし、畝《ま》を讀みかぞへて、さてのちに、日が照つたので、降る雨を待つてゐるやうに、あなたを待つてゐることよ。
【語釋】 ○金門田 金門〔二字傍点〕は既出。屋敷の入口にある田。○あらがき 荒掻き。荒ごなしに土を掻き起すことである。○まゆみ 「間讀《まよ》み」で、畝の間を讀む事である。○ひかとれば 日が照れば〔五字傍点〕といふ説に隨ふ外はない。日が照つたので・日が照る時に。○雨を待とのす 「雨を待ちなす」で、降る雨を待つ如くである。○君をら待とも と〔傍点〕はつ〔傍点〕の地方發音。あなたの來られる事を待ち望んでゐる。
【鑑賞】 二・三句、意味通ぜぬに拘らず、氣分だけは訣る。その爲か、全體としても、氣分の拘泥は割合に少く、調子を感受することが出來るやうである。
 
3562 荒磯《ありそ》やに生ふる玉藻の うち靡き一人や寢《ね》らむ。あを待ち兼ねて
 
【口譯】 荒い巖石のところに生えてゐる藻ではないが、横に長くなつたまゝ、一人、寢てゐるで(252)あらうよ。私を待ち終せることが出來ないで。
【語釋】 ○荒磯やに 三内音相通で、わ・や〔二字傍点〕は變化し易い。「荒磯わ」である。○生ふる玉藻 海の巖石に藻が生えてゐるのを、序歌としたのだ。さうして、「靡き」にかゝつてゐる。○うち靡き うち〔二字傍点〕は接頭語。寢る状態を枕詞の關係で、靡く〔二字傍点〕と言ふ語を使ひ初めて、常に繰り返され、その結果、靡く〔二字傍点〕の意義は、自由に用ゐられてゐる。男女共寢にも、かうして獨寢の樣子にも用ゐてゐる。○一人や寢らむ 妹の上を思つてゐるのだ。今晩一人寢てゐるだらうと想像したのだ。
【鑑賞】 「うち靡き一人や寢らむ」といふ句が、この外多い類型であるが、この歌の中で見れば、さすがに生命を持つてゐる。
 
3563 ひた潟の磯の若布《わかめ》の 立ち亂《みだ》え 我《わ》をか待つなも。昨夜《きそ》も 今宵も
 
【口譯】 ひた潟の磯の若布の立ち亂れてゐる、それではないが、心亂れて私を、彼女は待つてゐるだらう。昨日の晩も、今晩も。
【語釋】 ○ひた潟 地名。所在不明。○磯の若布 磯端といふよりは、やはり海の巖石であらう。海邊の生活をしてゐる人だから、海藻が出來てゐる場所を知つてゐるわけだ。上二句、序歌。或は、次の句までを序歌と見てよい。「亂え」を起してゐる。○立ち亂え 強ひて直譯すれば、亂れ立ちである。みだる〔三字傍点〕の地方發音み(253)だゆ〔三字傍点〕、その活用。女が立ち居して心の亂れてゐる樣をいふのではない。亂え〔二字傍点〕だけでは、煩悶を示すのに不足だが、慣用で訣る上に、無意味な序歌の「立ち」の添うてゐることが、さうした氣分を助成する。○我をか待つなも 「我をか待つらむ」である。か〔傍点〕は感動。俺を待つてるだらうよ。
【鑑賞】 極めて單調に見えるが、序歌と本部との關係も、しつくりしてゐるし、女の氣持ちを思ひやつてゐる男の焦慮も、靜かに表れてゐて、相當の價値がある。かうしたひそやかな心持ちを托した歌を、男の歌ひさうな事情は、古代としては想像出來ない。この歌のもつてゐる哀さも、やはり、歌物語を通過して來た味はひであらう。
 
3564 こすげろの浦吹く風の 何《あど》すゝか かなしけ子らを思ひ過《すご》さむ
 
【口譯】 こすげろの浦を吹きすぎる風ではないが、どうして、可愛い彼女を心から思ひ過し追つぱらつてしまふことが出來ようよ。
【語釋】 ○こすげろの浦 地名。所在不明。但、「いかほろ」・「あをねろ」など言ふ風に、地名にも汎稱の接尾語がつくから、ろ〔傍点〕も接尾語と見る方がよい。歌の上ではあつても、常には言はぬだらう。○こすげ 葛飾區の元小菅〔二字傍点〕と稱した地とする説は、この頃にはまだ陸地でなかつたらうから、採用出來ない。こすげのうら〔六字傍点〕と(254)言ふ名が考へられるだけである。○浦吹く風の 地方を流れて來た類型ではあるが、浦を吹く風の觀察が現れてゐる。こゝでは第五句の「過さむ」をおこして、上二句序歌となつてゐる。○あどすゝか 「三四八七」參照。「かくすゝぞ」のすゝ〔二字傍点〕と同じく、しい/\〔四字傍点〕又はしつゝ〔三字傍点〕である。何しつゝ〔四字傍点〕である。常識的に言へば、何すとか〔四字傍点〕としても訣る。かう言ふす〔傍点〕は、常にある動詞に代用せられるもので、何なり・何なれば〔七字傍点〕などゝ同じで、場合によつてはなくても訣るのである。どうして・何で〔六字傍点〕と譯してよい。か〔傍点〕は感動。第五句の末に廻して解く。○思ひすごさむ すごす〔三字傍点〕はすぎさせる意。なくしてしまふ・うつちやつてしまふ。思ひ過す〔四字傍点〕は思ひすてる・思ひなくするである。言ひ換へれば、「心からすつかり忘れられよう筈がない」となる。風では、吹きやむこと。
【鑑賞】 近代的には、序歌と本部との氣持ちにそぐはないものは感ぜられるが、三句以下の表現は、實にしつかりしてゐる。
 
3565 彼の子ろと 寢ずやなりなむ。はだすすき うらぬの山に月片よるも
 
【口譯】 あの娘と、今晩も寢ないでしまはねばならないか。向うに見える浦野の山に、月が片よつてしまつたことよ。
【語釋】 ○彼の子ろ この歌では、かの〔二字傍点〕でその女の位置を示してゐる。家にあるのを、戸外又は遠くから思ひやつてゐるのだ。○と 「子ろと寢ずやなりなむ」だから、一處に寢る〔五字傍点〕と言ふ意味が出て來る。○寢ずやなり(255)なむ 上にや〔傍点〕があり下に想像のある例の形で、ねばならぬか〔六字傍点〕の意。寢ないで居ねばならぬかである。○はだずゝき 薄の穗だから、常に「ほ」にかゝる枕詞。だから當然、「末《うら》」にもかゝる。○うらぬの山 分布廣い地名であるが、延喜式にも見えてゐる浦野は、信濃國小縣郡浦野驛である。恐らく、保福寺峠附近の山であらう。今その地方で、この山に當てゝ言ふ山がある。○月《つく》 つき。○片よるも かたよることよ。よる〔二字傍点〕だけでも訣るが、著しくそれを示す時に「かたよる」と言ふ。西に浦野の山があつて、見ると、その山へかたより近づいてゐると言ふのである。意味に於いて、傾くと譯しても違ひはない。
【鑑賞】 どの句にも過不足なく一樣に感情がゆき亘つてゐる。勿論、或古人の抒情歌ではなからうが、民謠としてのひどい誇張を經てゐるものとは見えない。近代的に言へば、「寢ずやなりなむ」が幾らか張り過ぎた位だけのことである。それも、こゝが中心であれば爲方がない。今から見れば、男が家を出ることが出來ないで、女を思ひやつてゐると言ふ風に採るのが、普通であらうが、實際は女の家の門《かど》に行つてゐるもの、と思ふのが正しいのだらう。この歌では、「うらぬの山」が娘の里近くあるのか、男の里近くあるのかが、判斷出來ない。
 
3566 我妹子に我《あ》が戀ひ死なば、そわへかも かめに負《おほ》せむ。心知らずて
 
【口譯】 破女に焦れて俺が死んだら、原因を神に求めて責任を負はせるだらう。この訣を知らな(256)いで?‥‥‥。
【語釋】 ○我が戀ひ死なば 焦れ死にゝ死んだら、である。戀ひをしたら、ではない。○そわへかも 『古義』「和敝」を「故遠」の誤り、そこをかも〔五字傍点〕−その故に・そのことを−としてゐる。考へはよいが、少し重苦しい上に、字を替へすぎてゐる。今少し自然に、そわへかも〔五字傍点〕は「そへかも」の長音化したものを、さう寫音したものと見ればよい。即、神にそへる〔五字傍点〕である。言ひ換へれば、神によそへる〔六字傍点〕と言ふ意味に近い。神にかこつける・責任者を神に見たてる、である。かも〔二字傍点〕はおほせむ〔四字傍点〕の下に廻して解く。○かめ かみ〔二字傍点〕の地方發音。但、古本「未」或は「末」になつたのが相當あるから「未」即、み〔傍点〕として、神〔傍点〕と見ても、よからう。○負せむ おほす〔三字傍点〕はおはす〔三字傍点〕のである。神に責任を持つて行くこと。「神の禍ひによつて死んだものと、責任を持つて行くだらう」。『人知れず我が戀ひ死なばあぢきなくいづれの神になきなおふせむ』(勢語)と言ふ風に、類型が移つて行くのである。此場合、上から響くかも〔二字傍点〕は感動と採るよりも、「神に負ふせ言はむかも」として、疑問に見た方がよい。○心知らずて 自分の心を知らないで、ではない。心知る〔三字傍点〕は、意味が訣る・訣が訣る、と言ふことだ。
【鑑賞】 人が定命でなくて死んだら、古代には、犯しあつて神の祟りを受けたのだ、と解釋してゐた。それを土臺として言つた興味の中心の大衆的な歌。それだけに、後世までも若干の改修を加へて、傳承せられたものである。この歌の文學に觸れて來る點は、死んだ原因さへ知らずに、人の間違つた想像に任せねばならぬと言ふ、さびしさを掴んでゐる點である。それを後の(257)歌では「あぢきなく」と露骨に説明してゐる。
 
   防人《さきもり》の歌
 
3567 措《お》きて行《い》かは、妹はま愛《かな》し。持ちて行く梓の弓の弓束《ゆづか》にもがも
 
【口譯】 あとに殘して行くとすれば、彼女は可愛ゆくてならないだらう。持つて出かける梓の弓の弓束であつてくれゝばよい。
【語釋】 ○置きて行かば おく〔二字傍点〕は、あとにする・殘して・うつちやつておくなど譯する。こゝは殘しておく〔五字傍点〕のである。いかば〔三字傍点〕はゆかば〔三字傍点〕。○妹はま愛し 「まがなしからむ」・「まがなしけむ」と、正しくは言ふ處だ。まださうした文法表情が完全に出來てゐなかつたのだ。譯は「まがなしからむ」と見て譯すればいゝ。「可愛いくて/\爲方がなからう」である。○持ちて行く 手に持つて旅行する〔九字傍点〕で、戰《いくさ》の靈魂を扱ふいくさ人として、その靈器、弓を携へるのだ。○梓の弓 既に述べた。必しも梓弓でなくとも、弓を言ふ時に習慣上「梓弓」と言ふのだ。○弓束にもがも 弓束であつてほしいと口譯しておいたが、それで一通り訣る樣だ。だが「にもがも」の形では、※[弓+付]《ゆづか》にも籠められゝばよいと譯することも出來る。又それが正しい。度々述べた通り、旅行者(258)は妹の魂を身にそへてゆくのだから(弓の※[弓+付]に卷き込んでゆくつもりを述べてゐるのだ。さうした信仰の行はれてゐる時代には、それで、表現不足ではなかつたのだ。
【鑑賞】 この歌、今樣にとると、却て近代的な氣持ちにそぐはなくなる。出來る筈のないことを、比喩として言ふのだから、今述べた樣にすれば考へ得ることなのだ。文學以前のものが、多く入り込むとしても、歌としては受け容れ易くなる。
 
3568 おくれ居て戀ひは苦しも。朝獵りの君が弓にも ならましものを
 
【口譯】 殘されて居つて、焦れて居るのは苦しいことよ。朝獵りに夕獵りに持つていらつしやるあなたの弓になつてゐたらよかつたのに。
【語釋】 ○おくれて居て おくる〔三字傍点〕はおかれる〔四字傍点〕の意。殘される・うつちやつておかれる・あとになる。「遲《おく》る」もこの義から出た。この歌は、男が去る時の歌ではなく、男が遠くへ行つた後に、かの歌と合せて贈つたものと見ればよい。○戀ひは苦しも こひば〔三字傍点〕とあるが、將然・已然の區別の紛れ易い、又活用觀念の分れてゐなかつた東歌としては、戀ふれば苦しも〔七字傍点〕と採つてよからう。或は戀ひ〔二字傍点〕を名詞にして、「おくれゐての戀ひは苦しも」と見てもよい。「おくれ居てする戀ひは苦しも」と言ふ位の意味である。○朝獵りの これも強ひて特殊な朝獵りを言ふ必要もなささうだが、類型としての必然化、即興の偶然化で添へるものと見れば、不思議はな(259)い。其でも、家のたち際と見るより、家を出てからの生活を頭に入れての歌と見れば、此句は多少生きて來る。○ならましものを まし〔二字傍点〕は述べた通り、現實と反對した事を言ふ。單に弓になつたらよかつた〔弓〜傍点〕と譯してもよいが、こゝは別れ際の事を思ひ起して言つてゐると見るべきなのだから、あの時其氣のつかなかつたのが殘念だ・かの際弓になつておいたらよかつた朝獵り夕獵りに伴が出來るのに、と解くのがよいと思ふ。
【鑑賞】 弓を靈物と見、弓の中に靈のこもつてゐることを考へ、弓が女に化して人間に婚した物語などもあるから、かうした想像も、單に空想とは言へない。だが、男の歌よりは、感情が乏しい。殆形式だけの歌、と感じられる。
 
    右二首、問答。
 
3569 防人《さきもり》に立ちし朝明《あさけ》のかな門出《とで》に、手離《たばな》れ惜しみ 泣きし子らはも
 
【口譯】 防人として出發したあの夜のひきあけの門出《かどで》に、別れの殘り惜しさに泣いた彼女はよ。彼女が思はれる。
【語釋】 ○防人 神護六年筑豐肥六个國の兵士を、太宰府の管轄から防人司に移したのは、東國の防人に、永住の心がなかつた爲である。天平二年、又諸國の防人をやめて、東國の防人ばかりを徴したとあるのは、やはり其勇敢なのによるのである。それで、屯田制度を採つて、防人の土着を計つた。後世の松浦黨などは、そ(260)の子孫だと言はれてゐる。元、國の崎々を守るものゝ意で、任期も定まつてゐたが、その通りにはいかなかつたやうである。○に として。○立ちし 出發した。だが、徴發・催促の意味のたつ〔二字傍点〕かも知れない。謂はゞ、たてられた〔五字傍点〕と言ふべき處を、かう言つたとも見られる。○朝明 朝あけ〔三字傍点〕の融合。後世の夜明け〔三字傍点〕にほゞ當るだらう。あかとき〔四字傍点〕は午前二時頃を言ふのだから、今東じろみ〔四字傍点〕が、朝け〔二字傍点〕になるのだらう。○かな門出 單に門《かど》を出るだけではなく、門を出るには一種の儀式があつた爲に、朝門出・金門出〔六字傍点〕など言ふのだ。だから、公式に出發することになる。「金門出の時に」と言ふよりも、「金門出の式に」と譯する方が、もつと當るだらう。かな門〔三字傍点〕は古語。類型として使うたのだ。かなぎ〔三字傍点〕で造つた門であらうが、金《かね》といふ聯想を持つて來たのだ。○手離れ 手離れには違ひなからうが、尚内容のあることゝ思はれる。○惜しみ 手離れを惜しみ〔七字傍点〕と言ふ風に讀むのであらう。手離れを惜しがつて〔九字傍点〕ではなく、手離れの惜しさ〔七字傍点〕にである。○泣きし その時の印象が目に浮ぶのである。儀式の一つだらう。
【鑑賞】 人の心を唆る上句は、却て叙事的だ。平易な上に、人を引き易い種類のものだ。
 
3570 葦の葉に夕霧立ちて、鴨が哭《ね》の寒き夕し 汝《な》をばしぬばむ
 
【口譯】 海岸の蘆原、其葦の葉の上にずつと、夕霧が立ちのぼつて居て、鴨の鳴く聲の冷たく聞える晩になつたら、おれは、お前に焦れてたまらないことだらう。
(261)【語釋】 ○葦の葉に これから行つておちつく九州の任地を言ふのか、それとも、一時的の宿営地として知られてゐた難波などを想像したのか。海岸の葦の葉むらに霧の立つ樣子だ。だが、その點、此歌の弱點になつてゐるのだから、今目の前の葦群に夕霧の立つ樣を見て、更に此から行く任地の樣子を思つてゐるのだらう。○夕霧立ちて 夕霧の蘆むらごもりに、鴨の哭が聞えるのである。○鴨の哭 ね〔傍点〕はなく〔二字傍点〕の名詞。鴨の聲〔三字傍点〕である。○寒き 單なる寒さばかりでなく、冷たさ〔三字傍点〕をも言ふから、それを採つた。○し 緊張の助辭。○汝をばしぬばむ な〔傍点〕は汝〔傍点〕。しのぶことを約束する語と聞いてはならない。たまらなくなるだらう〔十字傍点〕、今すらかうだ、と別れ難さを述べてゐるのだ。
【鑑賞】 第一句から四句までの曲折のない表現が、作者なる防人の心が、何に集中してゐるか、實は捉へるに苦しむ。それで、多少曲折を作つて考へた。結局この歌も、叙事的な物だらう。それだけ一般に、今も喜ばれてゐる。が、存外感銘は薄い。
 
3571 己《おの》妻を 人の里に置き、おぼゝしく 見つゝぞ來ぬる。この道の間
 
【口譯】 自分の妻であるのに、其人をよその里に殘しておいて、ぼんやりながめ/\して來たことよ。こゝまで來る道の間ぢゆう。
【語釋】 ○己妻 おの〔二字傍点〕はおのれ・おのが〔六字傍点〕の語根。つま〔二字傍点〕と熟して、自分の妻なることを示す。○を たゞのを〔傍点〕で(262)はなく、感動から一歩出た反動のを〔傍点〕である。なのにそれをば〔七字傍点〕と譯した訣だ。○人の里 他人の住んでゐる里。他郷。自分の郷ではない。つま〔二字傍点〕と言ふから、既に正式に認められて通ひ慣れた女である。而も、まだ婿として住むだけの時期で、家人として迎へて來てなかつたので、「人の里」と言ふことになる。女から言へば、生れ里だけれども、男から言へば、他郷なのである。或は逆に、家に迎へて後も、主婦とならない間の女は、人の里にゐる樣な氣持ちだから、男には里でも、女には人の里だとも説ける。○おぼゝしく 語根おほ〔二字傍点〕を重ねて形容詞化したもの。とりとめなく・ぼんやりと・憂欝に、など譯できる。「おぼゝしく見る」と續いて、平安朝時代に多い憂欝な氣持ちを表す、ながむ〔三字傍点〕に當るものと見る事も出來る。口譯はそれによつておいた。○見つゝぞ來ぬる 單に周圍の景色を見て來たのではなからう。見つゝ〔三字傍点〕は見々して〔四字傍点〕である。前々から述べる樣に、「見る」は、特殊な意義として、守る・看護する〔六字傍点〕と言ふ風にも用ゐるから、「妹の里の方へ守りの目を遣りながら來た」と言ふのかも知れぬ。もし見つゝ〔三字傍点〕を「人の里におきその里を」と言ふ風に續けて行くとすれば、その里は妻の里でなければならぬ。そして、おぼゝしく〔五字傍点〕も自分の里でないから、明らかに見ることが出來ないと言ふことになるのだ。○この道の間 この〔二字傍点〕は漠然と、今まで歩いて來た道〔今〜傍点〕を斥す。間〔傍点〕は、距離と言ふよりも、こゝでは時間を表してゐる。その氣分を出す爲に、間ぢゆう〔四字傍点〕、と謂つた、つたない表現を用ゐた。
【鑑賞】 近代的には殆、問題のない歌だが、本義を辿らうとすると訣らぬことが出て來る。それを離れて見ると、三句以下は類の少いほど確實な、而もうるほひのある句である。
 
(263)   譬喩歌《ひゆか》
 
3572 何《あど》思《も》へか、あじくま山の楪樹《ゆづるは》の 莟《ふゝ》まる時に、風吹かずかも
 
【口譯】 あじくま山の楪の木の、まだつぼんでゐる時にだつて、なんの、風の吹かない限りがあらうか。
【語釋】 ○何思へか あど思へば・あどせろか・あどすゝか〔十五字傍点〕の條に述べた樣に、する・思ふ〔四字傍点〕などは、意味を表さない。どう言ふ訣か・何故か〔九字傍点〕、と言ふ位である。第五句の「吹かずかも」に響いて、吹かざる理なし〔七字傍点〕、と言ふ意を表すのだ。○あじくま山 所在不明。常陸筑波郡小田村説は、參考に値ひする。若、阿目《アモ》久麻なら、阿武隈だらう。○楪樹 後ゆづりは〔四字傍点〕。杠・交讓木など當てる。尚、「莟まる時に吹く風」を問題にしたのだから、或は葉を言ふのでなく、花を言ふ歌かとも思はれる。さすれば、楪よりも却て朴に近いものゝ樣な氣がする。その點疑問である。たゞ、莟まる〔三字傍点〕で葉を示し、それを吹きとく、或は解かないまでも故障を入れると言つた意味で、風吹く〔三字傍点〕と言つたものなら問題はない訣だが、それは不安である。○莟まる時に 花ならばつぼんでゐる〔六字傍点〕、葉ならば卷き込んでゐる〔七字傍点〕。まだ結婚期に達しない處女の比喩に用ゐたのだ。普通なれば、この(264)句がきつかけになつて序歌と本部とが分れるのだが、これは隱喩であるから、最後までゆづるは〔四字傍点〕で通して、その間に氣分をもつて比喩なることを感じさせるのである。○風吹かずかも 吹かずかもあらむ〔八字傍点〕である。助動詞ず〔傍点〕は、直に名詞につき、又かうしたかも〔二字傍点〕やけり・より〔四字傍点〕などにつくのである。
【鑑賞】 莟む〔二字傍点〕に對して、それの異變ををこす原因として、風を出したのだから、風によつて吹き散らされると見るのが、その語に對してゞも適切である。併又、風が吹きとく〔六字傍点〕と言ふことも出來るのだから、葉を言つたのだと採れないこともない。但、比喩の意義ははつきりしてゐる。婚期に達しない處女は、總て神の物で、これを犯すことは、人間最大のけがれとしてゐた。その嚴肅な禁忌も、稀には犯す者があり、又さう言ふ境涯を考へることが、歌の上で喜ばれた空想であつた。人妻を對象とした歌のあるのと、同じである。而も、その出來ないことを比論を以て、易々と解決しようとする處に、民謠の興味がある訣だ。
 
3573 あしびきの 山※[草冠/縵]《やまかづら》かげ ましばにも 得難きかげを。おきや枯らさむ
 
【口譯】 山の蔓草の※[草冠/縵]《かつら》よ。それは、容易に手に入れられないその※[草冠/縵]だのに、惜しくも、その儘にしておいて、枯らしてしまはねばならぬのか。
(265)【語釋】 ○あしびきの 枕詞。「山」にかゝる。○※[草冠/縵]嶺かげ 詳しくは、かう言つたのを、大抵は略して、山※[草冠/縵]、又は、山かげ、と言つてゐる。元は、かづら〔三字傍点〕もかげ〔二字傍点〕も蔓草の名で、それが物忌みの標識として頭に被り或は卷かれるところから、その頭の装飾をかづら〔三字傍点〕又はかげ〔二字傍点〕と言つた。尚、播磨風土記に見えた、兜をばかげ〔二字傍点〕と訓んだ例、或は後に、ひかげ〔三字傍点〕の絲〔傍点〕などいふかげ〔二字傍点〕から見れば、後代の鬘よりは、頭を深く覆ふ物の名となつてゐたらしい。かうして、熟語になつた場合には、正確に山かづら〔四字傍点〕を以て作つたかげ〔二字傍点〕と言つてよいやうだ。何故ならば、この比喩は、單に山かづら〔四字傍点〕を技巧として用ゐたゞけでなく、それを被る神女に對しての思ひを叙べたものと見るのが、一等適切なのだから。○ましばにも 「三四八八」參照。屡々の義を以て、その下に來る否定反感を加へて、容易に〔三字傍点〕といふ風に譯したが、尚考へれば、句を距てゝかゝる副詞の例と見れば、惜しくも〔四字傍点〕などといふ意味らしく思はれる。さう見る方が、歌の趣きは、二首ながら深くなるのだ。○得難きかげを 山かづらを集めて作つても、こんなよいかげ〔二字傍点〕は手に入らないと言つた讃め詞。を〔傍点〕は「‥‥よ。それに」である。非常に殘念がり、焦慮する氣持ちが出てゐる。○おきや枯らさむ このおく〔二字傍点〕は、そのまゝにしておく。言ひ換へれば、手も觸れずに、である。や〔傍点〕は、疑問から反感にかけるもので、下に廻つて、枯らさねばならぬかとなる。枯らさむ〔四字傍点〕は、山※[草冠/縵]のかげ〔五字傍点〕が頭につけないまゝで、枯れるに任せる。神の處女だといふので、所謂、おあづけ〔四字傍点〕といつた形でみてゐては、そのまゝ、女盛りが過ぎてしまふ、それを殘念がるのである。
【鑑賞】 どうしても、たゞの娘の盛りの過ぎるのを惜しむのではない。古代に於いて多かつた多數の尊い神女が、一生を神に仕へて終るのを、見す/\惜み來つた多くの經驗が、かうした譬喩(266)歌になつて出てゐるのだ。隱喩の形を採つたのは、神に對する恐れが考へられる。假令この歌自身が、さうでなくても、かういふ歌を誘ひ出す幾種かの歌が、さうして出來たことが思はれる。かう言ふ背景を考へると、この歌も稍價値を高めてくる。風俗・民謠は、社會生活と觸れてゐる點を、價値標準に加へて來なければ、普通文學と擇ぶところがなくなる。だが、その判斷に至つては、單にそれだけでない。文學としての民謠の位置が、其では立たない。即、民謠に歌はれた社會生活が、いかに根本的なものに觸れてゐるかといふことが、第一の標準とならなくてはならない。
 
3574 をさとなる花橘を引き攀ぢて、折らむとすれど、うら若みかも
 
【口譯】 をさと〔三字傍点〕といふ里の橘の花の枝を、たぐり寄せて折らうとは思つてゐるけれども、餘りの若々しさに、折らずに居ることよ。
【語釋】 ○を里 地名であらう。雄里・小里などあるが、何處と定める事は出來ない。こゝに限つて、を〔傍点〕を接頭語と見、たゞの里とするのは、理由はない。○花橘 橘の花、熟語の場合は、たちばなはな〔六字傍点〕といふことを避けて、花橘といふ慣例を作つたのである。○ひき攀《よ》ぢて ひく〔二字傍点〕は枝をひきよせる。攀づ〔二字傍点〕は、手許にたぐる(267)ことを原義としてゐるやうだ。物をたぐりよせながら、登つて行く義にも用ゐるのだ。○折らむとすれど この句になつて始めて、隱喩ながら、その目的を露はにしてくる。つまり、折る〔二字傍点〕といふ語の慣用の聯想から來るのである。自分の物にしよう、手に入れようといふことである。すれど〔三字傍点〕は、思へど〔三字傍点〕の代用。する動作〔四字傍点〕と見るのはわるい。○うら若みこそ 「うら若みこそ折らぬ」と言ふべきところを、「折らむとすれど」と言つたから、それで止めたのである。うら〔二字傍点〕は、譯不可能な接頭語のやうになつてゐる。たゞ、若い〔二字傍点〕よりも一層若いことを示す例だから、假りに、若し〔二字傍点〕を重ねて説いてゐる。あんまり若々しい、折らずに控へてゐるとか、え折らずに見てゐるといふことである。或は、「うら若みこそ思へ」と説いてもよい。
【鑑賞】 これ亦、「あど思へか、あじくま山の楪樹《ゆづるは》の」の歌の如く處女禁忌の制裁と信仰とを基として出來た歌だ。此歌を我々が見る時に、後代的な聯想によつて、此を助けて見てゐる事は疑ひない。何でもない小品だが、古人も悦んだ樣に、今も相當に認める事が出來る。併、古典的な鑑賞法が、早晩失はれる時になつたら、此等の歌の價値は、減殺するものと思はれる。
 
3575 みやじろの岡邊に立てるかほが花。な咲き出でそね。こめて偲ばむ
 
【口譯】 みやじろの岡のところに立つてゐる、容草《かほ》の花よ。それが咲き出すやうに、色に出さないやうにしてをれ。私たちは、心に深くもつて焦れてをらうよ。
(268)【語釋】 ○みやじろの岡 地名であらうが、所在不明。○岡邊 岡の傍《そば》でなく、岡の中の或場所をいふのであらう。○立てる 「生ひ立ち」などいふ立つ〔二字傍点〕で、必しも眞直に立つてゐることではない。○かほが花 既に言つた顔花。朝顔・晝額などと關係のあるもの。上三句、序歌。或は、次の句のな咲き〔三字傍点〕までを序歌と見てよい。「出で」を起してゐる。「顔花の咲き出た花、それではないが、な出でそね〔五字傍点〕」、となる。○な咲き出でそね 序歌に、「咲き出づ」といひ、本部にかけて、出で〔二字傍点〕を否定したのである。但、出で〔二字傍点〕だけでは、色に出づな〔五字傍点〕の意味はないが、な咲き〔三字傍点〕などいふ語に助勢せられて、自ら、色に出づな〔五字傍点〕の氣分が成立するのだ。咲き出づ〔四字傍点〕は、上機嫌で笑ひ出ることだけれども、こゝでは、咲き〔二字傍点〕を實語として、本部に加へてはならない。○こめて偲ばむ 外に表さないで・心の内にもつて。少し誇張を加へれば、秘めて、といふに當る。しぬぶ〔三字傍点〕は、元、心の底で思つてゐる事が、次第/\に外的に用ゐられるやうになつたのだ。これなどは、原則的な用法である。女には「な咲き出でそね」といひ、「こめてしぬばむ」と、自分の意志表示と勸誘とをしたのだ。
【鑑賞】 どの途、俺もかうだから、お前も心の中で思つて居れといふことにはなるが、歌では、そこまで言つてゐないのである。序歌を始め第四句に至るまで、別に取りえもないだけに、破綻もない。たゞ、「こめて偲ばむ」は、ふつゝかな、てづゝな感じを出してゐると言へよう。
 
3576 苗代《なはしろ》の小水葱《こなぎ》が花を衣に摺《す》り 馴るゝまに/\ 何《あぜ》かかなしけ
 
(269)【口譯】 苗代に生えた小水葱の花を、着物に摺りつけて、それが着|摺《な》れて來る、其ではないが、馴れるにつれていよ/\、どうしてこんなに可愛いのか。
【語釋】 ○苗代 新しく區劃した地−代《しろ》を造つて、それに種を下して、苗を育てるから苗代といふ。だから、「蒔き田」ではない。苗代に水葱を作ることは、古く普通であつたど思はれる。それを食用にもし、或は、花を以て染料にも用ゐたやうだ。水口《みなくち》祭に栽ゑたのが育つのだらう。『延喜内膳式』に見えてゐる。○小水葱が花 小水葱、前述。水葱の紫の花色を摺り染めにしたのである。古代は、模樣を染めることは、神祭りの物忌みの標であつたので、臨時の用である。だから、色が褪せ、型染めがこぼれ落ちても、氣に留めなかつた訣だ。○衣に摺り 摺り衣にするのである。これには、葉なり花なりを、其儘色にうち出すのと、型木《かたぎ》・型紙《かたがみ》に色を塗つて摺り出すのとあつた訣だ。上三句、序歌。「なる」を起す。○馴るゝまに/\ その摺り衣を着用して、その着物をきて褻れることゝ、馴れなじむの馴れるとかけたとも、なる〔二字傍点〕で、着摺れが出來ることをいふともとれる。褻れる〔三字傍点〕は、汚れるばかりでなく皺が寄り折り目もたゝぬやうになる事をいふ。馴るゝまに/\〔七字傍点〕は、馴れゝば珍らしげのなくなる筈なのに、馴れゝば馴れるほど、愈愛執深くなることを怪んだのだ。○あぜかかなしけ あぜ〔二字傍点〕はなに〔二字傍点〕。かなしけ〔四字傍点〕はかなしかる〔五字傍点〕。か〔傍点〕は感動。なにゝ〔三字傍点〕かくかなしかるよ、即、どうして可愛いのかよ、となる。
【鑑賞】 短歌上の技巧として、染色と戀愛との關係が深い。殊に、紫の色は、古代人に喜ばれた(270)爲に、さうした序歌・譬喩に、多く使はれ、其結果、此色が特に、戀愛を象徴する樣になつて來た。
 
   挽歌《ばんか》
 
3577 かなし妹を何地行かめと麥門冬《やますげ》の 背向《そがひ》に寢しく今し悔《くや》しも
 
【口譯】 可愛い彼女よ。それだのに、何處へ行くものかと安心して、あの夜、うしろ向きに寢たことが、今になつて後悔されることよ。
【語釋】 ○かなし妹を 「可愛い彼女よ」が更に展開して、「‥‥なるにそれに」と譯すべき意味を分化してくる。かなし〔三字傍点〕は形容詞の終止形でなく、實は形容詞語根として、名詞と熟語を造る。○何地行かめ こゝより他の場所へ行く筈があらうかと信じたのだ。恒に離れ得ぬものと考へたのだ。○麥門冬の 枕詞。「背向《そがひ》」のそが〔二字傍点〕を起してゐる。麥門冬〔三字傍点〕−既出。○そがひ 後側・向側・反對側で、後向きと譯するに當らないが、意を以て譯した。○寢しく く〔傍点〕は名詞化の語尾。寢しこと、である。下の「悔しも」に對して、上四句が、このく〔傍点〕によつて副詞句化してゐるのだ。○今し し〔傍点〕は緊張の助詞。今になつて・今始めて、など譯すれば、幾分か調子は(271)出る。○悔しも 殘念よりは、後悔せられる事よと譯する方があたる。自分の心鈍さをぢれつたく思ふ事である。あゝした自分が、齒痒くて/\ならぬ事よと譯する所である。幾ら繰り言をしても足りない事だ。
【鑑賞】 この歌、挽歌の區劃に入つてゐるが、これは、「何地行かめ」の句と「背向に寢しく」を中心に見る考へ方から言ふと、男女相諍うて、解けて寢なかつた夜から、相手の心が自分を離れたと思はれる。『吾夫子《わがせこ》を何處《いづく》行かめと辟竹《ききたけ》(又、ソキタケ)の背向に寢しく今し悔しも』(卷七)といふ歌などは、さう明らかに採れる。但、こんなに死ぬことなら、あんなに喧嘩をしなければよかつたと、喧嘩別れの日からでなく、間にも喧嘩したことを想ひ出してゐる歌と見れば、挽歌としての妥當性はもつてくる。結局、かうした歌は、挽歌にも、相聞にも考へ方によつて分類せられるのであらう。又、實用の上で、戀歌を挽歌に用ゐ、挽歌を戀歌として成立させると言つた誤解は、事實に澤山あつたのだ。挽歌として見る時、第四句を今言つたやうに考へれば、幾分露骨な官能も、緩められて感じられる。相當な物といふべきである。
 
    以前の歌詞は、國土山川の名を勘《かんが》へ知ることを得ず。
 
萬葉集 卷第十四
 
    〔2017年2月12日(日)午後5時25分、入力終了〕