萬葉集總釋 第八、樂浪書院、159頁、1935.12.25
                   同卷後半卷十六は高木市之助担当、著作権有り
 
(3) 卷第十五概説          今井邦子
 
 此の卷第十五は、目録に、先づ、
  天平八年内子夏六月、遣2使新羅國1之時、使人等各悲v別贈答、及海路之上慟v旅陳v思作歌竝當所誦詠古歌 一百四十五首
とあり、ついで、
  中臣朝臣宅守娶2藏部女嬬狹野茅上娘子1之時、勅斷2流罪1配2越前國1也、於是夫婦相2嘆易v別種1v會、各陳2慟情1答歌六十三首
とあつて、この二つの部立てから成つてゐる。即ち、二つの事件を中心として詠み歌はれた異つた二つの輯録が合して此の一卷をなしてゐるのである。前者には其の時に當つて新たに作られた歌ばかりでなく、折にふれてうたひ誦じられた古歌も混つて記録されてゐるが、後者は全部當事者二人の男女が互に切々の情を詠み出したものである。
 ただ、この兩者に共通すると思はれるのは、歌が、何れも、事件の進展年序に從つて、――時日(4)の明記はないが――配列されてゐる點である。
 又、歌體の上から云ふと、全卷を通じて、長歌五首、短歌二百首、旋頭歌三首、都合二百八首が數へられる。しかし、後者、即ち宅守と茅上娘子との贈答歌六十三首は、すべて短歌であつて、長歌、旋頭歌は一首も見受けられない。五首の長歌と三首の旋頭歌は全部遣新羅使の歌の中に含まれてゐるのである。
 元來此の二つの輯録は異つた二人の手によつて別々に行はれたものであらうと言はれてゐるのであつて、成る程この二つの事件の性質から言つても、同一人の蒐集と考へることは難があらうし、又、用字法の上から言つても、前者が計百三十七首中約八十首が一字一音の假名字を以て記され、他は多少とも一音一字以外の用字法(例へば、正訓、借訓の如き)を挿んでゐるのに對して、後者は計六十三首中約四十五首が一字一音を用ひて記載されて、義訓その他の用字法が甚だ少いのを以つてしても、この二部類の間に相違をみられるのである。
 それならば、この二つの部類の歌集は誰々の手に成つたものだらうか。まづ遣新羅使の部については、井上博士は「一行中の無名氏」(新考)と斷じ、粂川定一氏は一行中の副使大伴三中か、と論じてゐられる。(萬葉集講座、編纂研究篇)三中説は、三中が相當の歌人であつたこと、彼の姓《かばね》が宿禰(5)で、大伴家持と同族關係にあつたらしい事などをその論據とするのであつて、一歩前進した見解とは言へようが、にはかに、これを定説とすべくもない。後考を待つべきであらう。
 又宅守と娘子との相聞歌の輯録者は、事が事であり、秘めやかに贈り答へされたものであらうから、誰よりも、先づ第一に當事者二人のうちの何れか一人に擬せらるべきであらう。此の當事者(或は宅守?)の手控とも云ふ可きものが、何等かの機會に此の卷の編者の手に入つて、斯く採録されるに至つたものであらうか。しかし、これも單なる推測で等しく後究によるべきである。が、しかし、少くとも.右の二つの部立が異つた人の記録であるとは考へ得ることであらう。
 それならば、その異る二つの記録を合して、今の如き體裁に編纂した者は誰か。森本治吉氏は家持説として
   第一は用字法である。此の卷は略々一字一音の書法である。廿卷中此の方法は、卷五、十四、十五、十七、十八、十九、二十の七卷のみである。此の内卷十四は、東國の訛音を寫す爲殊更一字一音書にしたと云はれてある故、その用字法と編者との相關に就ての考察の資料となり得ないが、他の卷は皆家持關係の卷で、家持自身編した卷と考へられてゐるもののみである。よつて此を、卷十五が彼の手に成つたと見る一根據とし度いのである。
(6)   第二に、卷十五全體の編纂方針である。私は、萬葉の卷には、幾人もの編者の手で各個別に(或は數卷つながつて)編まれたにかかはらず、其編纂方法の根本的法則は二種しかない、と思ふものである。一つは歌の製作年順による配例、一つは歌の性質内容によつて同種の歌を一所に集むる累聚式の配列。而して家持の關係した卷は悉く第二の方法によつて編まれてゐる。(中略)今卷十五を視ると、前半の遣新羅使歌群が年月順である事は言ふ迄もない。後半の贈答歌群も、年月の明記こそなけれ(中略)此も年月順に配列されてゐる事が分る。(「奈良文化」昭和三年十一月號)
と述べてゐられる。次いで粂川氏は、同じく家持説を支持して、左の如き論據を示してゐられる。
   先づ第一に、前半の題詞「遣新羅使等悲v別……當所誦詠之古謌」の書振りと家持との關係である。古記(古哥・古歌)古詠等の文字は、卷一に一つ、卷十六に一つ、卷十七に二つ、卷十八に一つ、卷十九に一つ、合せて六つ程見えるが、卷一のを除いた他は、總て家持編纂の卷と云はれてゐるものだけに見出される。
   第二には、誦詠古謌中、人麻呂歌の左註と家持との關係である。……
    玉露刈る乎等女《をとめ》を過ぎて夏草の野島が埼に廬す我は(三六〇六)
     柿本朝臣人麿の歌に曰く、敏馬《みぬめ》を過ぎて、又曰く、船近づきぬ
        ……(三六〇七、三六〇八、三六〇九、三六一〇は略す)……
   然るに此等の歌は、既に卷三「柿本朝臣人麻呂覊旅歌八首」及び卷一「幸2于伊勢國1時留v京柿本朝臣人麿作歌」の中に次のやうな形で出てゐる。
(7)    玉藻刈る敏馬《みぬめ》を過ぎて夏草の野鳥が崎に船近づきぬ(二五〇)
      一本云、處女《をとめ》を過ぎて夏草の野島が崎に廬す我は
        ……(二五二、二五五、二五六、四〇は略す)……
   即ち三六〇六と二五〇……を…對照して見ると、何れも同根の歌であることが分り、且つ前者の本文は後者の註、後者の本文は前者の註となつて現はれてゐることが分る。……既に卷三の第二次編者が家持であるとすれば、卷十五の編者も亦恐らくは家持であらうと思はれる。
   第三には、後半(二七二七−三七三〇)の左註「右四首中臣朝臣宅守上道作歌」の書振りと家持との關係である。元來「上道」といふ語は、此の外卷三に一つ、卷六に一つ、卷十九に一つ、合計三つだけしか見えない語であるが、何れも家持の手を經たものと考へられる卷に於てのみ見出されるといふことは、注意すべきであらうと思はれる。(萬葉集講座)
等々と述べてゐられる。
 又、平岡好正氏は、此の卷の主要作者中臣宅守を全體の編者であらう、と説いてゐられるが(國學院雜誌、昭和二年七月號)、これは根據の薄い假想説であつて從ひ難い。從來の所では、右の家持説が最も根據ある説として聞かるべきものであらう。
 次いで此の卷の作について言ふべきであるが、傳は別卷に、作風は時にふれて「後記」に説くこ(8)とであるから、此處には承略する。たゞ試みに作者別に歌數を調べてみると左の如くになる。
 遣新羅使等一行の人々の歌では
  短歌 五首  阿部繼麻呂(大使)
  長歌一首  短歌二首 葛井連子老、六鯖。
  短歌 二首  大伴三中(副使)
  短歌 一首 旋頭歌一首 壬生宇太麻呂(大判官)
  短歌 一首  大藏陳呂(少判官)、秦間滿、大石蓑麻呂、田邊秋庭、羽栗、雪宅麻呂、大使之第二男、土師稻足、秦田麻呂。
 その他では
  短歌 六首  一行の妻たち
  短歌 二首  玉槻
  長歌一首 短歌一首 丹比大夫
  短歌 六首  人麻呂集古歌
  作者未詳は長歌二首、短歌百一首、旋頭歌二首。
となつてゐる。右の新羅便等の歌の中で、作者未詳なるものを、新考は一無名氏の作として、
(9)  此卷は一行中の無名氏の録したるもの(所謂家集)にて作者の名を記さざる歌はおほむね其人の作とおぼゆ。其人の名傳はらざるはくちをし
と云つてゐるが、斯かる多數の作を同一人の作と見るには種々困難があるのではあるまいか。
 宅守と茅上娘子との贈答歌では.
  短歌 四十首   宅守
  短歌 二十三吉  娘子
の割合であつて、共に長歌は一首もないが、短歌だけに就いて言ふならば、兩人共萬葉作者中では極めて多くの歌を殘してゐる方である。宅守は、家持、人麿、旅人、坂上郎女、憶良に次いで第七位にあり、娘子は赤人に次いで第九位にあるのである。
 終りに此の卷の文學的方面の價値について少しく述べてみると、後半の中臣朝臣宅守と狹野茅上娘子との戀愛贈答歌は、萬葉集前期中期後期を通じての白眉であり就中娘子作の「君が行く道のながてを」(三七二四)及び「歸りける人來れりと」(三七七二)の二首の如きは、單に萬葉集といはず我國古今の歌史を壓して永遠に白熱の炎をあげてゐる絶唱であつて今更その價値を事新らしくのべる迄もないのである。ここで私の學ぶ處は、男の歌と女の歌との別種な味に就てである。それは末葉の問(10)題でなしに.根本の問題としてであつて、六十三首にも亘《わた》つて贈答されてをる(終りの七首は宅守が花鳥に寄せて思ひを陳べて作つたものであるが)此の珍らしい相聞歌の價値はそこにも大きく興味が懸《かか》つてゐると思ふのである
 前半「遣新羅使」の歌は必ずしも非常に勝れた歌が揃《そろ》つてゐる譯ではなく.又歌人として非常に有名な人が加はつてゐる譯でもないが、然《しか》し、評釋者として一首々々を読み味はつてゆくと、そのなかに自からなる古人の純情が反映してゐて實に捨てがたい思ひになつてくるのである。わきて「雪連宅滿」の死を悼みて詠まれた三つの長歌は、なまなかの歌人の手に成つたものよりも、事情が事情だけに讀者の心に深いあはれを止むるものがある。
 大船に眞楫繁貫きなどと言つても、言ふやうもない冐險、不自由なる海路の樣を、そも出發の武庫の入江から歌ひ出して、遠く壹岐、對馬島の地の風物をも詠じ、年を越して再び海路を京に向ふ、播磨の家島、淡路島、と心ををどらせつつ家路にいそぐ心を歌ひ、つひに「大伴の御津の泊に船泊てて立田の山を何時か越ゆらむ」(三七二二)と歌ひ止めてある。長歌、旋頭歌、短歌、合せて百四十五首の作を讀み通すと自から一種の感慨に打たれざる者があらうか。この意味に於ても亦其の他いろいろの意味に於て之は尊い文獻ともなり得るのである。  昭和十年十月十四日。邦子しるす
 
〔目次省略〕
 
(3)  新羅に遣さるる使人等を悲しみて贈答し、及海路に情を慟み思を陳ぶ、并に所に當りて誦詠せる古歌
 
3578 武庫《むこ》の浦の 入江の渚鳥《すどり》 羽《は》ぐくもる 君を離れて 戀に死ぬべし
 
【題意】 新羅にさしむけられる使の人たちが別れを悲しんで贈答をなし、又|海路《うみぢ》に於てこころをいたみ、思を陳べ、又ところどころで誦し詠じた古い歌。遣新羅便のことは、目録に「天平八年丙子夏六月、使を新羅國に遣はさるる時云々」とあり、續日本紀、天平八年二月戊寅の條に「以2從五位下阿倍朝臣繼麻呂1爲2遣新羅大使1」、又同年夏四月丙寅の條に「遣新羅使阿倍朝臣繼麻呂等拜朝」、更に翌九年春正月辛丑の條に「遣新羅使者大判官從六位上壬生使主宇太麻呂、少判官正七位上大藏忌寸麻呂等入京。大使從五位下阿倍朝臣繼麻呂泊2津島1卒。副使從六位下大伴宿禰三中染v病不v得2入京1」とあつて、その間の消息が明かで(4)ある。
【口譯】 武庫の浦の入江に居る渚鳥が親鳥の翼の下に包まれるやうに、私をいとしまれる貴方に離れて、私は戀に死ぬ事でせう。
【語釋】 ○武庫の浦 澤瀉氏の新釋に「武庫川の河口から西、今の神戸港までを言つたらしい」とあるが妥當であらう。○入江の渚鳥 水の入りこんでゐる入江の洲にゐる鳥。ここまでは下の羽ぐくもる〔五字傍点〕を言ひ出す爲の序詞。○羽ぐくもる 鳥の雛を親鳥が羽根の下に覆ひ育てる事で、はぐくむに同じ。はぐくむ〔四字傍点〕と有り〔二字傍点〕と融合した語である。○君を離れて 貴方から離れての意。○戀に死ぬべし べし〔二字傍点〕は推量の助動詞。戀焦れて死ぬ事でせう、といふ意である。
【後記】 新羅に遣さるる使等の訣別の歌に(5)は、特に非常に優《すぐ》れたと云ふやうなものは見出されないし、同時に、まるつきり無味乾燥なものだと云ふ歌も見出されない。拙いものにも或程度のあはれがあり、良いと思ふ歌も、萬葉集中の秀れた作の中に入れれば、言ふまでもなく劣る歌である。
 しかし、かかる船路で、互に歌を詠み、無卿をなぐさめ、思をやつたと云ふことは、後人のわれらが見て、一種の懷しみを覺えしめられるのである。
 この三五七八の一首も前述の氣特で味はへば、特に言ふ程のものも無いけれど、第一句から二句、三句にかけて、目前の風物をとり入れ、その「入江の渚鳥」から「はぐくもる」と引起して來て、愛撫される夫に離れて在り得ない自分の戀心を詠み出でた妻の歌として、やはり嘘ならぬ心の情に讀者はうたれるのである。
 
3579 大船に 妹乘るものに あらませば 羽ぐくみ持ちて 行かましものを
 
【口譯】 新羅へ行く大きい船に、お前が乘つてよいならば、お前を愛撫しながら行くことだらうに。
【語釋】 ○大船に 大船〔二字傍点〕は使節等の乘つて行く船をさす。○妹乘るものに 妻のお前が乘つても良いもの(6)で、差支えないもので。○あらませば ませ〔二字傍点〕は假想を現す助動詞「まし」の未然形。即ち、「萬一何々であるならば」と云ふ意である。○行かましものを 此のまし〔二字傍点〕は願望を示す助動詞。ものを〔三字傍点〕は感動詞。
【後記】 前の歌の返歌として、缺點のない詠みぶりである。そして同時に、前の歌に比べると、どこまでも男の歌であるといふ點で味はひつつ面白く思つた。前の妻の歌が何處かロマンチツクな響をもつてゐるのに反して、此の歌は相當現實に即し、しかもその中で妻を愛撫する心情を表してゐる。頼もしげなる男の歌として味ははれる。
 第四句「はぐくみ持ちて」は前の「はぐくもる」の句を受けてゐるのと同時に、此の作者が日頃妻を愛撫し、慈《いつく》しみゐる感情の深さを自然に含んだ樣な感を讀者に與へるところで、よけいに歌を生かしてゐる。
 古の人の、まことある歌として、私は純粹に此の歌を味はうのである。
 
3580 君が行く 海邊の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息《いき》と知りませ
 
【口譯】 あなたのおいでになる港の宿に霧があらはれたならば、それは私が、あなたを偲びつつ立つて嘆くところの息とお思ひ下さい。
(7)【語釋】 ○吾が立ち嘆く 嘆くは悲しんで長く息をつく事。息が霧となつたことは古事記の天照大御神と須佐之男命の誓ひの條に「吹き棄《うつ》る氣吹之狹霧《いぶきのさぎり》に成りませる神の御名は」とある。○知りませ ませ〔二字傍点〕は尊敬の助動詞で.ここは命令形。
【後記】 十五卷中では心に殘る作である。此の時代は萬葉も後期の頃の事とて作風も古代の強い調子を缺き.歌風がおひ/\に細くなつてきてゐるが、狹霧を我が立ち嘆く息吹と歌つた處に一種古風な神秘的な味がある。
 そこが印象的である。そしてその心やりに女の心の眞實がこめられてあるのが可憐である。
 
3581 秋さらば 相見むものを 何しかも 霧に立つべく 嘆きしまるむ
 
【口譯】 秋になつたならば逢はうものを、どうして霧の息吹にたつやうに切なる嘆きをなさる事がありませう。
【語釋】 ○秋さらば さる〔二字傍点〕はものの動き移る義。即ち秋さる〔三字傍点〕は秋になる事。ここは「秋になつたならば」といふ意。卷二「夕さらは潮滿ち來なむ」(一二一)」卷五「春さらば奈良の都に召さげ給はね」(八三五)等も同じ詞の例でその時になつたならば、の意である。○何しかも どうして。し〔傍点〕は意を強める助詞。か〔傍点〕は疑を(8)もつた反語。も〔傍点〕は咏嘆の助詞。○霧に立つべく 霧となつて立ちなびく、それほどまでに、と云ふ意である。○嘆きしまさむ し〔傍点〕は強意の助詞。まさ〔二字傍点〕は敬語の助動詞「ます」の未然形。上の「何」を受けて、どうしてお嘆きなさる事がありませう、と云ふ意。
【後記】 この歌に就いても、前の三五七九の評語を一層力強く感じさせられるのである。同時に又、三五八〇の歌が三五七八の女の歌よりも、よりロマンチックであり、此の男の歌が前の男の歌よりも、より現實的であることを感じるのである。
 しかるに、私の個人の直觀から云ふと、女の歌は三五八〇が最も秀れて居り、男の歌はかへつて三五七九の方がよいのではないかと思はれる。しかし、此の歌は、作者が少し易々と詠み過ぎたやうで.實感は籠つてゐるが、特に第三句あたりが觀念的で、説明に流れ過ぎた感がある。
 
3582 大船を 荒海《あるみ》に出だし います君 恙《つつ》むことなく 早歸りませ
 
【口譯】 大きい船を荒海にこぎ出して行かれる君よ、さはる事なくはやくお歸り下さい。
【語釋】 ○荒海《あるみ》に出だし あるみ〔三字傍点〕はアラウサミの略があるみ〔三字傍点〕となつたもの。○います君 います〔三字傍点〕は行き坐《ま》す、(9)行かれるといふ事。卷二十「足柄の八重山越えていましなば誰をか君と見つつ偲《しぬ》ばむ」(四四四〇)などの例がある。○恙《つつ》むこと 恙む〔二字傍点〕はさしつかへる、故障がおこる事等をいふ。○早歸りませ ませは敬語の助動詞「ます」の命令形。早くおかへりなさい。
【後記】 單純に、旅に行く夫に向つて一路平安を祈る妻の心を詠み上げたものであるが、さすがに、句々の中に捨て難い味がある。例へば、「大船を荒海に出し」といふ詠み方なども、なんでもないやうでゐて、後世の滑かに言つてゐる歌に比べると.線の太さがあり、その中に、その頃の苦しい生治を思はせる感が自然に沁みこんでゐる。ここらも萬葉の有難い所であらう。
 
3583 眞幸《まさき》くて 妹が齋《いは》はば 沖つ浪 千重に立つとも さはりあらめやも
 
【口譯】 妻のそなたが無事で神に祈つたならば、沖の浪がいくへに立つともさはりがあらうか、いささかもあるまい。
【語釋】 ○眞幸くて 眞〔傍点〕は接頭語。さきくて〔四字傍点〕は平安で、無事でといふ意。「或説に眞幸而の而は與の誤にてマサキクトなるべしといへり」と古義にあつて、マサキクトと訓がついてゐる。これに從へば、男が無事であるやうにと妻が祈る、といふ意味になる。ここは誤字説に從はずにおく。即ち、妻が無事で、夫の(10)旅の安全を祈つてゐる、と解釋する。○齋はば いはふ〔三字傍点〕は忌み清める事で、つつしんで神に祈願する事をも言ふ。○あらめやも あらめや〔四字傍点〕にも〔傍点〕といふ感動の助詞がついて意《こころ》を強く表現したのである。あらめや〔四字傍点〕はあらめ〔三字傍点〕にや〔傍点〕の反語が添うたもの。あらうか、否といふ意になる。強い言ひ方である。
【後記】 この歌、後世ならば「眞幸くと妹が齋はば」と言ひさうな所である。この事は既に古義に言つてある所で、古義には「ト」と訓がついてゐるが私は從ひかねる。それでは感情の表れが安易であつて、此の時代の人の時代感情(?)にそぐはない感じがする。「眞幸くと妹が齋はば」と云ふ樣な詠み方は、ずつと世が文化的になり、感情が直線的でなくなつた頃に現れる句ではないだらうか。
 しかし家持の歌にも、
  眞幸くと言ひてしものを白雲にたちたなびくと聞けばかなしも (卷十七、三九五八)
といふのがある。家持の作は天平十八年の作でほぼ此の歌と同時代のものである。しかし、家持は貴族であるから、既に此の時代、心理にも歌風にも自然後世的なものが現れはじめてゐた事は、彼の歌を調べて見れば、直ちに分ることであるから、年代的には同時代であるが、歌風そのものは、家持の一首は後世的だと考へていいやうに思ふ。
 
(11)3584 別れなば うら悲しけむ 吾が衣《ころも》 したにを着ませ 直《ただ》に逢ふまでに
 
【口譯】 別れたならば心悲しい事でせう。私の着物を下にお召し下さい、ぢかにお目にかかるまで。
【語釋】 ○うら悲しけむ うら〔二字傍点〕は心の裏の方といふ意で、表面に現はさぬひそかなる悲しみをさす。「字良《ウラ》」は類聚古集その他の古寫本による。流布本は「字艮」になつてゐる。む〔傍点〕は未來の助動詞。心悲しいだらうの意。○したにを着ませ を〔傍点〕は感動を現す助詞、此の場合は調子を強める爲に用ひてゐる。膚身につけてお召しなさい、の意。○直に逢ふまでに 直に逢ふ〔四字傍点〕は新考に「ぢかに逢ふ」とあるをとる。萬葉人の眞情は、戀しい人とぢかに顔を合せる、それ程近々と逢ひ度いと云ふ願望を心に有つてゐるのである。まで〔二字傍点〕は直接に逢ふまでずつと續けて、といつた意味がこもつてゐる。
【後記】 これらの歌、この次の歌などは、ただ詠みぶりが萬葉調であり、此の時代の生活樣式を歌に表した、と云ふまでで、特に言ひ立てて云ふ程の歌ではない。
 
3585 我妹子が したにも著よと 贈りたる 衣の紐を 吾解かあやも
 
(12)【口譯】 我が妻が、したに著なさいとて贈つてくれた衣の紐を私が解かうか、いや決して解かない。
【語釋】 ○したにも著よと も〔傍点〕は略解に「宜長云、之多爾毛《シタニモ》の毛は乎《ヲ》の誤なりと言へり」とあり、古義・新考がそれに從つてゐるが、承認しがたい。下着に著て下さいとての意。○解かめやも や〔傍点〕は反語で、解かうか決して解かない、の意である。
 
3586 我が故に 思ひな痩《や》せそ 秋風の 吹かむその月 逢はむものゆゑ
 
【口譯】 私のために戀うて痩せ給ふな。秋風が吹くだらうその月には早く歸つてきて逢ふのだからして。
【語釋】 ○我が故に 私の爲に。○思ひな痩せそ な〔傍点〕は打消の助詞。そ〔傍点〕は感動を表す助詞。思ひ焦れて痩せるな、と云ふ意である。○逢はむものゆゑ ゆゑ〔二字傍点〕が一首に二つ出てくるが用法が違つてゐる。これは、逢はむものなるに、逢ふであらうのに、といふ意で、第一句の「爲に」の意ではない。
【後記】 この歌も、さう大騷ぎをして言ひたてる程のものを有つてゐない。
 しかし、例へば「我が故に思ひな痩せそ」と云ふ樣な言ひ方は、ただかりそめの言ひ方とし(13)ても、どこか眞實味があつていい感じがする。
 
3587 栲衾《たくぶすま》 新羅へいます 君が目を 今日か明日かと 齋《いは》ひて待たむ
 
【口譯】 新羅の國へいらつしやる貴方を見ます事を、今日か明日かと神に祈りつつお待ちしませう。
【語釋】 ○栲衾 語義未詳。新羅〔二字傍点〕に懸る枕詞。仲哀天皇の紀に「栲衾新羅國」とある。○君が目を 貴方を見る事を、といふ意。目〔傍点〕は卷十三「君が目に戀ひや明かさむ」(三二四八)、卷十五「妹が目|離《か》れて」(三七三一)、卷十七「君が目を見ず」(三九三四)の如く相手を見る事を云ふ。古義に「所見《みえ》」の縮まつたもので容儀《すがた》の義だと云つてゐるのも.同じ意に解いたものである。
【後記】 この歌も前同株、たゞ留守居する妻の心が、他意なくその人に注がれてゐる、それが自然に歌の調子となつてゐる處が、此の時代の、安易でない人の心から、自然に湧いたものと思はれて、私は味はつてゐるのである。
 
3588 遙々《はろ/\》に 思ほゆるかも 然れども けしき心を我が思《も》はなくに
(14)    右十一首は贈答
 
【口譯】 遠く/\思はれる事であるよ。しかしながら、あだし心を私は思ひません。
【語釋】 ○遙々に 新羅の國に對して言ふ詞で、遠くの方に、との意。卷五に「遙々に思ほゆるかも白雲の千重に隔てる筑紫の國は」(八六六)とある如くである。○思ほゆるかも かも〔二字傍点〕は感動の詞。思はれるの意。○けしき心を けしき心は「異《ケ》しき心」であつて、不實な心、あだし心である。卷十四に「から衣|襴《すそ》のうち交《か》へあはねども異《け》しき心を我《あ》が思《も》はなくに」(三四八二)とある如くである。○我が思はなくに 古の人は心を思ふ〔四字傍点〕、といふ樣に他動詞のやうな形で言つた。ここの處も、不實な心は私は思はぬ、と思ひ〔二字傍点〕を心の一つの働きとして取りあつかつてゐる。
【後記】 此の一首は詠みぶりにどこか古歌謠の調べがあるやうにふと思はれたが、それを辿つてみたらば、この歌の第一句、第二句などにほのかに味ははれる音樂的の調べもあるやうに思はれる。
 そこが、比の歌を讀んで、好ましく感じさせるのであらう。然し、下句に於てぐつと現實的になり、歌の調べも變つて來てゐる。
【左註】 右に書いた十一首は新羅使人等とその妻との贈り答への歌である、といふ意。
 
(15)3589 夕されば 晩蝉《ひぐらし》來鳴く 伊駒山《いこまやま》 越えてぞ吾が來《く》る 妹が目を欲《ほ》り
    右の一首は秦間滿
 
【口譯】 ゆふべになれば晩蝉が來て鳴く伊駒山、その山を越えて私は妻に逢ひたくて行くのだ。
【語釋】 ○夕されば 夕方になつてくれば、夕さる〔三字傍点〕は、朝さる・春さる・夏さると同じ用例。前出の「秋さらば」(三五八一)參照。○伊駒山 生駒山とも書く。大和より難波に下る道中にある山。大和國と河内國の境。○越(16)えてぞ吾が來る ぞ〔傍点〕は強意の助詞。越えて私が行く、の意。○妹が目を欲り 妻に逢ひ度くて。
【後記】 この作は卷十五のなかでは優秀な歌の部に入ると思ふ。調子に一種の哀調があり、内容に妹を思ふ痛切な情が含まれてゐる。
 難波で船出を待つてゐるうちに、ひそかに生駒山を越えて、奈良の家に妹を戀ふて歸つた人の心が、よく表現された歌である。次ぎの歌も同じやうな作ながら、此方が歌としてのよきしらべがある。
【左註】 右の一首は秦間滿《はたのはしまろ》の作である。滿〔傍点〕は麻呂に同じ。秦間滿は傳へが詳《つまびら》かでない。古義に、此下のに秦(ノ)田滿とあり、田は間の誤であらうか、又は間は田の誤か、同人であらうと説かれてある。
 
3590 妹に逢はず あらば術無《すべな》み 石根《いはね》ふむ 伊駒の山を 越えてぞ吾が來る
     右の一首は※[斬/足]《しまら》く私の家に還る時思を陳ぶ
 
【口譯】 妻に逢はないで居るのはやるせないから、岩をふむ伊駒山を越えて私は逢ひに行くのだ。
【語釋】 ○あらば術無み 「あらばすべなかるべみ」と假定的にいふべきを現在格で表したもの。み〔傍点〕は何々であるので、と譯す。尚み〔傍点〕は形容詞の語根に接して理由を表す語である。卷二「山を茂み・草深み」(一六)、(17)卷一「山を高み」(四四)、卷二「黄葉を茂み」(二〇八)等皆その例である。此の句は第四句の「越えて」にかかる。○岩根ふむ 岩根〔二字傍点〕》は單に岩のこと。嶮しい岩をふまねばならぬ、と云つた樣な意である。○越えてぞ吾が來る 古の人は行くことも來ることも來る〔二字傍点〕と言つたのである。
【後記】此の歌は前の三五八九と同じ人が二樣に詠んでみたもののやうであるが、前の歌の方が歌としては遙に秀れてゐる。
【左註】 右の一首はすこしの間、自分の家に還る時思ふ心をのべたのである。
 
3591 妹と在りし 時はあれども 別れては 衣手寒き ものにぞありける
 
(18)【口譯】 妻と一緒に居つた時はその樣な事はなかつたが、別れて來ては何となく肌寒いものであるよ。
【語釋】 ○妹と在りし 妻と共に在つた。○時はあれども その時はさもあらでありしかどといふ意になる。○衣手寒き 衣手〔二字傍点〕は袖のこと。○ものにぞありける ものにありけるの意。ぞ〔傍点〕は意を強めた助詞。
【後記】 此の一首はどう云ふものか好きになれない。その原因を尋ねて行くと、此の歌の下句にあるやうに思はれる。「衣手寒きものにぞありける」は、何となく古今集などに渡り行く歌の詠みぶりを連想させられる。
 しかし、此の作者は決して意識的に新境を開かうなどと思つてこんな詠み方をしたのでない事はよく分るが、兎に角、天平の當時かう云ふ歌が現れはじめ、その詠み振りがこの使人等の中にも流れ入つてゐたのかと思ふと、一種感慨がある。
 
3592 海原に 浮宿《うきね》せむ夜は 沖つ風 いたくな吹きそ 妹もあらなくに
 
【口譯】 海の浪の上に寢るだらう夜は、沖の風よ、ひどくは吹くな、妻も居らぬ故に。
【語釋】 ○浮寢せむ夜 浮寢〔二字傍点〕は海に浮んだまま船が泊つて、浪にゆられながら寢るので此の語が生れた。○(19)沖つ風 つは「の」と同意の助詞。卷一「國つ御神」(三二)、卷二「時つ風」(二二〇)、卷二「奥《おき》つ波」(二二二)なども同じ形で、集中用例多し。○いたくな吹きそ ひどく吹く勿れ、の意で、な〔傍点〕が打消の助詞、そ〔傍点〕は感動を現す助詞。○妹もあらなくに 妻もゐない事だからして、の意。
【後記】 此の歌の詠み方も、稍々うはついてゐて感心しない。「妹もあらなくに」の句もそれ程深くは響いて來ない。斯ういふ歌も雜つたのだなあ、と思つて讀んだ事である。
 
3593 大伴の 御津《みつ》に船乘《ふなの》り 榜《こ》ぎ出ては いづれの島に 廬《いほり》せむ我
 
右の三首は發するに臨める時作れる歌
 
【口譯】 大伴の御津の港で船に乘つてこぎ出してからは、どこの島でやどりしませう私は。
【語釋】 ○大伴の 元、大伴氏の領地だつたことから難波附近を總稱して言つた大地名。但、枕詞とみる説もある。○御津に船乘り 御津〔二字傍点〕は今、大阪市に「三津寺町」の名が殘つてゐる。その三津の濱を指したものであらう。に〔傍点〕は「……に於て」の意の助詞。○廬せむ我 廬する〔三字傍点〕は小屋を作つて宿る事。いはりせむ我〔六字傍点〕は「我いほりせむ」を逆にして自己の感動を強く表したもの。所謂名詞止めとなつてゐる。
【後記】 この歌は前二首に比べてずつと調子に萬葉ぶりの味があり、秀れた一首と云ふ譯ではな(20)いが、快く味ははれる歌である。第五句は此の時代として新しいのだらう。
【左註】 この三首は船出にのぞんだ時に作つた歌。
 
3594 潮待つと ありける船を 知らずして 悔《くや》しく妹を 別れ來にけり
 
【口譯】 潮時を待つとて船は止まつてゐたのであつたのに、それを知らないで乘つてゐて悔しくも妻に別れて來た事だ。
【語釋】 ○潮待つとありける船を と〔傍点〕は「とて」と解して良い意味の助詞。を〔傍点〕は感動の意を含んだ助詞。大船の事とて出帆の都合よき潮時をはかつてをつた船だつたのに。○悔しく妹を を〔傍点〕は「…から」の意を現す助詞。
【後記】 この歌は一見とぼけた樣なよみぶりをしてゐる。即ち、潮待ちをしてゐた船とも知らずに乘つたなどいふ事はあり得ぬ事である。
 そのあり得ぬ事を言つて悔しく妻と別れて來た事よと嘆くのは、後世人がきくとそら/”\しくきこえるけれど、かかる詠みぶりは萬葉時代にあつた事で、ただそれが古今集以後のさうした歌にくらべてやはりどこか素朴な味のあるのがよい處であらう。その味は多く三句以上に存(21)すると思ふ。
 
3595 朝びらき 漕《こ》ぎ出てくれば 武庫《むこ》の浦の 潮干の潟に 田鶴《たづ》が聲すも
 
【口譯】 朝港を船出して漕いでくれば武庫の浦の潮の干潟で鶴の啼く聲がする。
【語釋】 ○朝びらき 夜泊まつた船が朝出港する事。卷三(三五一)、卷九(一六七〇)、卷十七(四〇二九)等にも見えてゐる語である。○田鶴が聲すも も〔傍点〕は感動の助詞。
【後記】 出帆の朝らしき一種壯快の氣分から自《おのづか》らに作られた歌であらう。
 潮干潟にまことに鶴が群れて啼いてゐたのであらうが、「第五句の田鶴が聲すも」がよく利いてゐる。
 
3596 吾妹子《わぎもこ》が 形見に見むを 印南都麻《いなみつま》白波高み 外《よそ》にかも見む、
 
【口譯】 印南都麻と呼ぶ土地の名をきいて吾が妻の形見として見ようと思ふのに、波が高い故によそながらでも見てゆかう。
(22)【語釋】 ○形見に見むを 形見〔二字傍点〕は自分の思ふ人をしのぶよすがとなるもの。ここは、さう云ふ地名。形見に見ようものを、といふ意、○印南都麻 地名。卷四に「稻日都麻浦箕乎過而」(五〇九)とあり、卷六に「伊奈美嬬」(九四二)とある處で、加古河の河口にあつたと思はれる小島。○白浪高み 白浪が高く立つてゐるので。○外にかも見む 外ながらにか、と疑を入れた感動。も〔傍点〕はそれを強めた感歎の助詞。
 
3597 わたつみの 沖つ白浪 立ち來《く》らし 海人少女《あまをとめ》ども 島隱《しまがく》る見ゆ
 
【口譯】 大海の沖の白浪が荒立つてきたらしい。海人《あま》の少女たちが乘つてゐる船が島かげに避難してかくれるのが見える。
【語釋】 ○わたつみ 海の神樣の意と、海そのものの意とあるが、此處は後者の意に用ひたものである。○沖つ白浪立ち來らし 沖の方が荒立つて浪が高くなつてくる光景を直感的に寫した語。らし〔二字傍点〕は推量の助動詞。沖の波が高く立つて來るらしい、の意。○島隱る見ゆ 島かげにかくれて行くのが見える、といふ意。
【後記】 特にすぐれてゐるといふ程でもないが、景を大きくとり入れてゐて、その感じ方にやはり萬葉風のおもしろさがある。
 
(23)3598 ぬばたまの 夜は明けぬらし 多麻《たま》の浦に 求食《あさり》する鶴《たづ》 鳴き渡るなり
 
【口譯】 もはや夜が明けたらしい。多麻の浦に餌をさがす鶴が鳴き渡つてゐる。
【語釋】 ○ぬばたまの ぬばたま〔四字傍点〕は植物の名前で、その實が眞黒だから「黒」の枕詞となり、轉じて黒色のものは何でも懸かるやうになつて、夜・闇・髪などの枕詞となつたのである。○夜は明けぬらし らし〔四字傍点〕は推量の助動詞。夜は明けて了つたらしい。○多麻の浦に 多麻の浦〔四字傍点〕は所在未詳。全釋には「印南都麻と神島との間に置いてあるから、多分、備中の玉島であらう」とある。に〔傍点〕は「に向つて」の意の助詞。
【後記】 とりたてて言ふ處はないが清楚な感を受ける一首である。
 
3599 月《つく》よみの 光を清み 神島の 磯《いそ》みの島ゆ 船出す吾《われ》は
 
【口譯】 月の光が清らかであるから、神島の廻つた磯の島から私は船出をする事だ。
【語釋】 ○月よみ 月の意。書紀に「次(ニ)生2月神(ヲ)1。一書云、月弓尊、月夜見尊、月讀尊」とある。○光を清み 光が清々しいので。○神島の 神島〔二字傍点〕は代匠記に「神島は備中小田郡なり」とあり、古義に「神島は十三に、恐耶神之渡乃《カシコキヤカミノワタリノ》云々とよみて、その題詞に、備後(ノ)國神島濱作歌とあり。備後も備中の誤にて同處なり。さて今備中國に高《タカ》の島といふ有は神島なるべしと本居氏云り」とあり、澤瀉氏の新釋には「備中(24)小田郡に屬す。今のカウノシマと云つてゐる」とある。備中説が當つてゐよう。の〔傍点〕は「即ち」、「と同時に」の意で次につづく。○磯みの島ゆ 磯み〔二字傍点〕は島みなどと同じく磯の廻つたところを言ふ。神島、即ち、磯の廻つた島の意。ゆ〔傍点〕は「……から」の意の助詞。
【後記】 同じく清明なよい感じの歌である。如何にも清《さや》かな月の光を浴みて舟を出す時の心持を歌にしたやうな感がある。卷一の「※[就/火]田津《にぎたつ》に船乘りせむと月まてば潮もかなひぬ今は榜ぎ出でな」(八)といふ額田王の歌を思ひ出させる一首である。
 
3600 離磯《はなれそ》に 立てる室《むろ》の木 うたがたも 久しき時を 過ぎにけるかも
 
【口譯】 離れた磯に立つてゐる室の木、その木はおそらく久しい間をすぎて來たのかなあ。
【語釋】 ○離磯に 離れた磯に。○立てる室の木 室の木〔三字傍点〕は一説にはネズの木といひ、一語にはビヤクシンだといふが未詳。○うたがたも 意義未詳。代匠記は「けたし」とし、新考は「おそらくは」の意としてゐるが、略解には「はかなくあやふく定め難き事にたとふ」と説き、古義がこれに從つてゐる。しばらく前説に從つておく。○過ぎにけるかも かも〔二字傍点〕は疑の意の詞。過ぎて來たのかなあ、の意。
 
(25)3601 暫《しまし》くも 獨りありうる ものにあれや 島の室の木 離れてあるらむ
 
右の八首は船に乘り海に入りて路上に作れる歌
 
【口譯】 しばらくも獨りで居る事が出來るので、島の室の木は離れてゐる事だらうか。譯のわからぬ事だ。
【語釋】 ○暫《しまし》くも しばらくも、の古い形。○獨りありうる 獨りで居ることができる、といふ意。○ものにあれや やが疑問になる。從來は多く反語と解してゐるが疑問とみるべきである。ものにあればや、即ち、ものであるからか、の意となる。○離れてあるらむ らむ〔二字傍点〕は推量の助詞。離れてゐるのだらう、と云ふ意。
【左註】 右の八首は船に乘つて海にこぎ出して、その路上で作つた歌。
 
所に當りて誦詠せる古歌
 
3602 あをによし 奈良の都に たなびける 天《あま》の白雲 見れど飽かぬかも
 
右の一首は雲を詠める
 
【題意】 所にあたり、折にふれて誦みいでた古い歌。
(26)【口譯】 奈良の都になびいてゐる大空の白雲は見れどもあかない事だ。
【語釋】 ○あをによし 奈良〔二字傍点〕の枕詞。意義未詳。奈良よ青|埴《はに》を産出した事によるとも言はれてゐる。○天の白雲 天上に見える白い雲の事。○見れど飽かぬかも かも〔二字傍点〕は感動の詞。見ても/\飽きないなあ。
【後記】 これは海上で此の古歌によく似た雲の景色を見て、此の古歌を思ひ出して口で歌つたものであらう。
 但し、原作がそのまま歌はれたのか、すこし變化して歌はれたのかその點は明かでない。
【左註】 右の一首は雲を歌つたもの。
 
3603 青楊《あをやぎ》の 枝|伐《き》り下《おろ》し 齊種《ゆたね》まき 忌忌《ゆゆ》しき君に 戀ひわたるかも
 
【口譯】 やなぎの枝を伐りおろして淨めた種をまく、その種ではないが、畏い人に戀をする事だなあ。
【語釋】 ○青楊の枝伐り下し 代匠記には「田のほとりには柳をさしおくものなり。第十四には小山田の池のつつみにさす柳とよめるこれなり。春苗代にたね蒔かむとては、柳の枝のはびこりたれば、蔭ともなり、そこにかよふにもさはれば、枝をきりおろすなり」とあり、古義には「楊の枝を伐りて苗代の水にさして(27)神を齋ひ奉るといふなるべし」とあり、代匠記の説を評して「契沖が、春苗代種まかむとては、柳の枝のはびこりたれば蔭ともなりそこに通ふにもさはれば枝きりおろすなりと云れど、さらば枝伐り除《そ》けてなどこそ言ふべけれ於呂之とあるにかなひがたし」と言つてゐる。私としてはやはり、これは古義の説く如く、青柳の枝を切り苗代の水口にさして神をまつつた古事をとりいれたものといふ樣に考へられる。○齋種まき 齋種〔二字傍点〕は淨めた神聖な種。米を尊重する事よりその種を信仰的に尊重して「齋《ゆ》」といふ語を用ゐたものであらう。初句からこの句迄は、第四句の「ゆゆし」の序になつてゐる。○忌忌しき君に 畏れ思ふ君に。即ち、身分がちがふ人、位高く近づきがたき人に、といふ事を意味する。故に女の作で男の戀人をさして言つたと思はれる。に〔傍点〕は「に向つて」といふ意味を含む助詞。
【後記】 この歌第三句までは下句の「忌忌しき」を引き出さんための序であるが、其の序は目の前に見たものをそのままとりいれて詠まれてあるらしく、質朴な眞實味があるところに、萬葉歌特有のよさがある。但し、此の歌は古歌と云つても、前の歌同樣それ程古代の作といふのではないらしい。
 
3604 妹が袖 別れて久《ひさ》に なりぬれど 一日《ひとひ》も妹を 忘れて思へや
 
(28)【口譯】 わが妻とわかれて久しくなるけれど、一日でも妻を忘れようか、忘れる事はない。
【語釋】 ○妹が袖 妹〔傍点〕は妻の事。袖〔傍点〕は「別れ」を言はむ爲のかざりとしてつけた詞。○久になりぬれど 久しい間になつてしまつたけれど。○忘れて思へや 忘れて思ふ〔五字傍点〕は後世の「思ひ忘れる」に相當すると説かれてゐる。ここはその下に反語のや〔傍点〕がついてゐるので意味は反對になる。故に、妹を思ふ思ひを忘れようか、忘れるやうな事はせぬ、といふ意になる。同じ語の例は「大伴の美津《みつ》の濱なる忘貝《わすれがひ》家なる妹を忘れて念《おも》へや」(卷一、六八)、「越《こし》の海の信濃《しなぬ》の濱を行き暮らし長き春日も忘れておもへや」(卷十七、四〇二〇)、「垂姫の浦を漕ぐ船|楫間《かぢま》にも奈良の我家を忘れて思へや」(卷十八、四〇四八)等である。
 
3605 わたつみの 海に出でたる 飾磨河《しかまがは》 絶えむ日にこそ 吾が戀|止《や》まめ
 
右の三首は戀の歌
 
【口譯】 太洋の海に流れ出た飾磨河の、その水が絶える日が來るなら、私の戀も止みませう。
【語釋】 ○わたつみの わたつみ〔四字傍点〕は既出。元來は海の神をさす。それが轉じて海そのものを指すこととなつた。○飾磨河 播磨(ノ)國飾磨(ノ)郡にある川。今の姫路市を流れる船場川の古名だと鴻巣氏の全釋に説かれてある。○絶えむ日にこそ吾が戀止まめ これは我が戀の止む日なき事を強調する爲に、絶えむ日にこそ、といふ樣な言ひ方をしたのである。絶えむ〔三字傍点〕のむ〔傍点〕は未來の助動詞で、止むだらう日、といつた言ひ方である。(29)最後の止まめ〔三字傍点〕は、上にこそがあるから已然形になつてゐるので、普通なら止まむ〔三字右○〕である。
【左註】 右の三首は戀の歌である。航海中に故郷の萎を思ひ出して、古い戀の歌を口ずさんだものである。
 
3606 玉藻《たまも》刈る 乎等女《をとめ》をすぎて 夏草の 野島《ぬじま》が埼に 處《いほり》すわれは
 
柿本朝臣人麿の歌に曰く、敏馬《みぬめ》を過ぎて、又曰く、船近づきぬ
 
【口譯】 乎等女と呼ばれる處を通りすぎて野島が崎にいほりして宿る私は。
【語釋】 ○玉藻刈る 玉藻〔二字傍点〕の玉〔傍点〕はほめ詞、藻〔傍点〕は海草の總稱。第一句全體で乎等女〔三字傍点〕にかかる枕詞となる。懸り方は不明である。○乎等女 地名。現在の所在未詳。左註の柿本人麿の歌の敏馬〔二字傍点〕は今の神戸の東の海岸地方。既出。○夏草の 「野島《ぬじま》」のぬ〔傍点〕に懸る枕詞。○野島が埼 地名。淡路津名郡野島村。○廬す我は 廬す〔二字傍点〕は旅のやどりをする事。
【後記】 此の一首、古歌の味があつて甚だおもしろい。内容には特別な複雜さはない。ただ乎等女《をとめ》と呼ばれた地名の處を通りすぎて野島《ぬじま》が崎に船を止め、假小屋を作つて宿る事だ、といふだけのものだが、乎等女と呼ばれる古い名稱の地もよいし、それに冠《かむ》らせるのに「玉藻刈る」としたのも、覽際目前の風景だつたらうと思はしむるものがある。船を進めて處々の埼に假廬《かりいほ》をつく(30)りつゝ、日を重ねてゆく旅の情況も古風である。此の歌は人麿の作の「……敏馬を過ぎて……船近づきぬ」と詠んだものの轉化であるとしてもおもしろい味がある。
【左註】 柿本朝臣人麿の歌に「玉藻刈る敏馬《みぬめ》を過ぎて夏草の野島の埼に船近づきぬ」(卷三、二五〇)とある。それとこの歌とを比較する爲に左註に人麿の歌の相違點をあげて注意したのである。
 
3607 白妙の 藤江の浦に 漁《いざり》する 海人《あま》とや見らむ 族行く我を
 
柿本朝臣人麿の歌に曰く、荒栲の、又曰く、鱸釣る海人とか見らむ
 
【口譯】 藤江の浦にすなどりをする海人と見る事だらうか。旅をして行く私を。
【語釋】 ○白妙の 藤〔傍点〕に懸かる枕詞。たへ〔二字傍点〕は穀《かぢ》の木の皮からとつた繊維の織物の事。その色が白いから白栲《しろたへ》と言つた。後には白い布の絶稱として使はれるやうになつた。但し、白妙〔二字傍点〕は荒栲〔二字右○〕の誤といふ説が多い。私は誤とする説をとる。然し、誤でないとすれば、白い布の藤織物(藤の「つる」を編んでこしらへた織物)といふ意を以つて藤〔傍点〕に言ひかけた枕詞である。○藤江の浦に 藤江の浦〔四字傍点〕は地名。播磨國明石郡の海岸。○漁する すなどりする。○海人とや見らむ や〔傍点〕は疑問の助詞。見らむ〔三字傍点〕は、見るらむ、の意、海人と見る事だらうか。
(31)【後記】 此の歌も人麿作「荒栲《あらたへ》の藤江の浦に鱸《すずき》釣《つ》る白水郎《あま》とか見らむ旅行く吾を」(卷三、二五二)と顆似した歌であるが、人麿作の方がずつと現實的である。こちらはどこか謡物風で、それだけ迫りくる力が弱い。
【左註】 柿本人麿の歌には白妙の〔三字傍点〕を荒栲の〔三字右○〕としてあり、又、漁する〔三字傍点〕を鱸釣る〔三字右○〕としてある。
 
3608 天離《あまざか》る 鄙《ひな》の長道《ながぢ》を 戀ひ來れば 明石《あかし》の門《と》より 家の邊《あたり》見ゆ
 
柿本朝臣人麿の歌に曰く、大和島見ゆ
 
【口譯】 遠くはなれた田舍の長い路を、郷土戀ひしく思ひながらのぼつてくると、明石海峽の處から家のあたりが見える。
【語釋】 ○天離る 鄙〔傍点〕にかかる枕詞。さかる〔三字傍点〕は遠くはなれる事。下へのかかり方未詳。「……いかさまに、
あまざかひないはばしあふみあまざかいつとせ
おもほしめせか、天離《》る、夷《》にはあれど、石走《》る、淡海《》の國の……」(卷一、二九)、「天離《》る鄙に五年《》住ひつつ都の風俗《てぶり》忘らえにけり」(卷五、八八〇)等も同じ語の用例である。○明石の門 海門の處、つまり明石海峽をさしてゐる。
【後記】 人麿の作に「天離る夷《ひな》の長道ゆ戀ひ來れば明石の門より大和島《やまとしま》見ゆ」(卷三、二五五)の一(32)首があり、此の歌はそれが轉じて「家の邊見ゆ」となつたのであらうか。全體の調子から言つて、人麿の作の方がはるかに歌が大きいといふ感を受ける。
【左註】 柿本朝臣人麿の歌には、第五句が、「大和島見ゆ」とある。
 
3609 武庫《むこ》の海の にはよくあらし 漁《いざり》する 海人《あま》の釣船 浪の上《うへ》ゆ見ゆ
 
柿本朝臣人麿の歌に曰く、氣比の海の、又曰く、刈薦の亂れて出づ見ゆ海人の釣船
 
【口譯】 武庫の海の海上が浪立たずおだやかであるらしい。すなどりをしてゐる海人の釣船が波の上から見える。
【誤釋】 ○武庫の海 既出(三五七八)。○にはよくあらし には〔二字傍点〕は海面、海上穩かに波たたず。船を漕ぎ出すによろしい事を推測してゐる。あらし〔三字傍点〕は「あるらし」の意で、らし〔二字傍点〕は推量の助動詞。○海人の釣船 漁夫が釣に出てゐる船。○浪の上ゆ見ゆ 現代ならば「波の上に見ゆ」とも詠む所であるが、浪の上ゆ〔四字傍点〕と云つてあるのは、「浪の上から見える」と作者の位置をことわつてあるのか、又は、ゆ〔傍点〕は「……を通《とほ》して」の意で、「浪の上を通してその先に釣船が見える」の意かであらう。口譯はしばらく前者に從つておく。
【左註】 柿本朝臣人麿の歌に「飼飯の海のにはよくあらし苅薦《かりごも》の亂れ出づみゆ海人の釣船」とあり、(此の歌、(33)卷三・二五六に出てゐる)、それに「氣比《ケヒ》の海の(飼飯《ケヒ》の海の)」、又、「刈薦の亂れ出づみゆ海人の釣船」とあるといふ意味を記し、前の歌の異傳を註したのである。
 
3610 阿胡《あご》の浦に 船乘《ふなの》りすらむ 少女《をとめ》らが 赤裳の裾に 潮滿つらむか
 
柿本朝臣人麿の歌に曰く、網の浦、又曰く、玉裳の裾に
 
【口譯】 阿胡の浦に船遊びをしてゐるだらう娘達の赤い裳の裾に潮が今さし滿ちてゐる事だらうか。
【誤釋】 ○阿胡の浦に 阿胡の浦〔四字傍点〕は志摩の國|英虞《あご》の浦。但、代匠記には「なこのうらにて津の國なり」とある。に〔傍点〕は「に於いて」の意の助詞。○船乘りすらむ 船乘り〔三字傍点〕は船を乘り出して遊ぶ事。すらむ〔三字傍点〕で推定してゐるのである。○赤裳の裾に 此の時代官女は赤い裳をつけてゐた。後世緋の袴に變つた。○潮滿つらむか 潮が滿ちてゐるだらうか、と思ひやるのである。か〔傍点〕は疑問の助詞。
【後記】 この一首は左註に云ふ人麿の「英處の浦に船乘りすらむをとめ等の珠裳の裾に潮滿つらむか」の一首を轉じて誦したものであらう。古義によれば、之は人麿の作をかへて、即ち人麿の歌は官女の船遊びを歌ひ、この新羅使の人たちは「安胡の浦より船乘りして漕ぎ出で、漁業(34)などすらむ海人少女の美《うる》はしき紅裳の裾に潮滿ち來て、いかにわびしき目にかあふらむ」と見て詠んだのだと解してゐが、新解・全釋など皆官女としてゐるとほり、私も之は官女であらうと解される。
【左註】 柿本朝臣人麿の歌に「英虞の浦に船乘りすらむをとめ等が珠裳の裾に潮滿つらむか」とあり、(此の歌、卷・四〇に出てゐる)、又、「網の浦」、又、「玉裳の裾に」とある、といふ意味を書き現して、前の歌の異傳を註したものである。
 
七夕の歌一首
3611 大船に 眞楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き 海原《うなばら》を 榜《こ》ぎ出《で》て渡る 月人壯子《つきひとをとこ》
 
右柿本朝臣人麿の歌
 
【題意】 七夕の事を歌つた歌一首と云ふ意味である。但、此の題詞が無意味なるは後記に説く如くである。
【口譯】 大きい船に楫を澤山に貫きさしてひろい海を榜ぎ出して渡つてゐる月人壯子よ。
【語釋】 ○大船に眞楫繋貫き 昔の船は、大型の船には澤山の楫を貫きさして、それを揃へてこぎ出たのである。それを眞楫繁貫き〔五字傍点〕と詠んだのである。眞〔傍点〕は接頭語で意味なし。楫〔傍点〕は今のオールや櫓のやうに船を進(35)めるもの。しじ〔二字傍点〕は多數の意。○榜ぎ出て渡る 榜ぎ出して海のはてからはてへと渡つてゆく。○月人壯子 月を擬人化して男にしてゐるのである。
【後記】 七夕の歌としてあるが、特に七夕の歌の特徴が見えない。強ひて考へると「月人男を牽牛といふと見えたり」といふ契沖の説にきいて、彦星を月人壯子と云つたとも解する事が出來る。即ち、卷十に「夕|星《づゝ》も通ふ天路《あまぢ》を何時までか仰《あふ》ぎて待たむ月人壯子」(二〇一〇)、又、「秋風の清きゆふべに天漢《あまのがは》舟榜ぎ渡る月人壯子」(二〇四二)、「天の原往きてや射ると白檀弓《しらまゆみ》ひきて隱《かく》せる月人壯子」(二〇五一)などとあり、全然七夕の歌でないと言ひ切ることは出來まい。しかし、ここは丁度折から海上に月の浮び出でたあたりに此の古歌を誦して、旅の憂さをはらしたのであらう。以上の十首が卷頭に記す「所に當りて誦詠せる古歌」に相當するのである。
【左註】 この一首は柿本朝臣人麿の作で、それをここで思ひ出して歌つたのである。
 
備後國|水調郡長井浦《みつきのこほりながゐのうら》に舶|泊《は》てし夜作れる歌三首
 
3612 青丹《あをに》よし 奈良の都に 行く人もがも 草枕 旅行く船の 泊《とまり》告げむに【旋頭歌なり】
 
右の一首は大判官
 
(36)【題意】 遣新羅使一行の船が一夜長井浦に碇泊した時作られた歌三首といふ意。水調部は和名抄に云ふ御調郡。長井浦は今の絲崎だと稱される。
【口譯】 ふる里の奈良の都に行く人でもあればよいがなあ。旅を行く自分の船が今夜泊る筈の處を告げようものを。これは旋頭歌である。
【語釋】 ○行く人もがも 行く人でもあれかしと願望する。が〔傍点〕は願望を現す助詞。がも〔二字傍点〕のも〔傍点〕は感動を示す助詞。○草枕 旅〔傍点〕を修飾する枕詞。古の旅は甚だ苦しいもので、人家もない處で、草を枕とし、しとねとして宿つたので、轉じて旅〔傍点〕に懸かる枕詞となつたのである。○泊告げむに 泊〔傍点〕は船が宿づてゐる處。船のとまつてゐる處を報らせてやらうものを。
【後記】 旋頭歌は五七七・五七七の歌形で、もと歌謠で純文學の歌ではなかつたのだから、短歌に比べて調子がゆるやかである。爲に作によつては現代人にぴんと來ない事もあるが、此の一首は旅の憂ひを歌つてあるもの故、却つて靜かな旋頭歌の調子がぴつたりとして、不便な時代の旅の歌として感深きものがある。
【左註】 右の一首は大判官の作である。此の時の大判官は續紀に「天平九年正月辛丑、遣新羅使大判宮從六位上壬生使主宇太麿少判官正七位大藏忌寸麿等入京云々」とあって、その壬生の宇太麿の作である。
 
(37)3613 海原を 八十島隱《やそしまがく》り 來《き》ぬれども 奈良の都は 忘れかねつも
 
【口譯】 ひろい海の上を.澤山の島にかくれて来たけれども、故郷の奈良の都は忘れる事が出來ない。
【語釋】 ○八十島隱り 八十〔二字傍点〕は物の數の多いこと。數多くの島かげを通つての意。即ち、島の多い瀬戸内海をすぎてきたことを云ふのである。○忘れかねつも 忘れることが出来なかつたよ、といふ意。つ〔傍点〕は助動詞、も〔傍点〕は感動の助詞。
 
3614 歸るさに 妹に見せむに わたつみの 沖つ白玉 拾《ひり》ひて行かな
 
【口譯】 歸る時に妻に見せる爲に、海の沖の眞白な石を拾つて行きませう。
【語釋】 ○歸るさに 語源は「歸りさまに」と云はれてゐる。歸る時に、の意。○妹に見せむに 妻に見せる爲に。○沖つ白玉 沖の白玉は美しい貝や石などの類をさす。古、海濱の貝や美しい石などはすべて婦人の飾として身につけられたらしい。沖つ白玉と云つても沖で拾ふのではなく、沖から寄せられて來てゐる貝や石をさす。位、他卷にしらたま〔四字傍点〕を眞珠の意味に使つてゐるから、ここも沖の眞珠の意味かもしれない。つ〔傍点〕は「の」と同じ意の助詞。○拾《ひり》ひて行かな ひりひて〔四字傍点〕は「ひろひて」の意。な〔傍点〕は願望を現す助詞。
 
(38)風速浦《かざはやのうら》に舶泊てし夜作れる歌二首
 
3615 わが故に 妹《いも》歎《なげ》くらし 風早《かざはや》の 浦の沖邊に 霧たなびけり
 
【題意】 風速の浦に泊つた夜作つた歌二首。風速浦は安藝國三津町附近の津。(新考)
【口譯】 私故に妻が歎いてゐる事であらう。風速の浦の沖のあたりに霧がなびいてゐる。
【語釋】 ○わが故に 自分の爲に嘆くらしい、と敢郷の妻を思ひやつていふ情愛深い詞。○妹歎くらし 妻が歎いてゐるだらう、といふ意。らし〔二字傍点〕は根據ある推量の助動詞。
【後記】 前出に「君がゆく海邊の宿に霧たたば吾が立ち歎く息としりませ」(三五八〇)の歌があつた。それに對して此の歌は夫がいよいよ旅に出て、風速の浦に泊つた時、海邊にたなびき渡つてゐる霧を見て、郷里の妻を思ひやり、歎き詠んだものであらう。萬葉時代の純眞なる愛情に觸れる心地がして味ははれる一首である。
 
3616 沖つ風 いたく吹きせば 吾妹子《あぎもこ》が 歎きの霧に 飽《あ》かましものを
 
(39)【口譯】 沖の風がひどく吹いたならば、吾が妻の歎きによつて生ずるあの霧に飽くことが出來ようものを。
【語釋】 ○沖つ風 沖の方から吹いて來る風。○いたく吹きせば ひどく吹いたならば、強く吹いて運んで來てくれたならば、といふ意味で、せ〔傍点〕は助動詞す〔右○〕の未然形。○歎きの霧に 歎いて吐く息によつて生じた霧の意。に〔傍点〕は「…によつて」、「…でもつて」の意の助詞である。○飽かましものを 飽きる程充分にその霧を見ることが出來るだらうのに、の意。まし〔二字傍点〕は事實に反する事を假りに想像する假定推量の助動詞。「くやしかも斯く知らませばあをによし國内《くぬち》ことごと見せましものを」(卷五、七九七)、「暇あらばなづさひ渡り向つ峯《を》の櫻の花を折らまし〔二字右○〕ものを」(卷九、一七五〇)なども同じ例である。
 
安藝國|長門島《ながとのしま》にて船を磯邊に泊《は》てて作れる歌五首
 
3617 石走《いはばし》る 瀧《たぎ》もとどろに 鳴く蝉の 聲をし聞けば 京都《みやこ》し思ほゆ
 
右の一首は大石蓑麿《おほいしのみのまろ》
 
【題意】 安藝國の長門島で船を磯に着けて碇泊した時作つた五首の歌。長門島は卷十三に「うみをなす長門の浦に」(三二四三)と詠まれてゐる長門の浦である。
(40)【口譯】 岩にあたつてとどろと落ちる瀧の音にまじつて鳴く蝉の聲をきけば、ふる里の奈良の都が思はれる事だ。
【語釋】 ○石走る 水が石の上を激し走つてゆく光景を叙した詞。○瀧もとどろ 瀧の音の擬音。「葛飾《かつしか》の眞間《まま》の手兒名《てこな》がありしかば眞間の磯邊《おすひ》に波もとどろに」(卷十四、三三八五)、「筑波嶺《つくばね》の石《いは》もとどろに落つる水世にもたゆらに我が思《も》はなくに」(同、三三九二)等にも見えてある語である。○聲をし聞けば 聲を聞けば、といふ意であるが、し〔傍点〕といふ強意の助詞が入つてその心の切なることを表現してゐる。次の句の「京都し思ほゆ」のし〔傍点〕も同樣である。
【後記】 岩にあたつてたぎつ水音の轟きと、それに混つて鳴く蝉の喧ましい鳴き聲、どちらも耳を聾するばかりに響き來るものであつて、然かも決してうるさい感じを伴はず、寧ろこれあるが故に、心の深き想ひをも呼び醒され、離れて出でて來た故郷の奈良の都を想はせられる、さういふ所に味を有つた面白い歌と思ふ。赤人の傑作とされてゐる歌に「み吉野の象山のまの木ぬれにはここだもさはぐ鳥の聲かも」(卷六、九二四)の一首があつて、島木赤彦氏が「騷ぐと言つて反つて寂しく、鳥の聲が多いと言つていよ/\寂しい」といふ名批評をしてゐられるが、この一首、それと境地はやゝ似て居る。しかし、赤人の歌の洗練の極致を行つた高い歌品には(41)及び強い、唯、上句と下句の交流に一種のおもしろさを感じられる。
【左註】 右の一首は大石蓑麿といふ人の作。此の人の傳は未詳。なほ蓑〔傍点〕の字は西本願寺本及その他の古寫本には※[草冠/衣]〔傍点〕の字になつてゐる。
 
3618 山河の 清き川瀬に 遊べども 奈良の都は 忘れかねつも
 
【口譯】 山河の流れの清らかな川の瀬に遊んでゐるけれども、奈良の都は忘れがたい事だ。
【語釋】 ○山河の 山河〔二字傍点〕は山の中を流れてゐる河の事。○忘れかねつも つ〔傍点〕は助動詞、も〔傍点〕は感動の助詞。忘れ得ないことだなあ、の意。
【後記】 船から上陸してそのあたりの山に入り、清い山中の川のほとりに遊びつつなほ心は郷里の奈良の都を戀ひ思つてゐるのである。此の一首、特に上手といふ句はないが、きやけくとほつてゐる單純味に、眞に捨てがたい感を與へる歌で、古人にしてはじめて詠み得るものであらう。
 
3619 磯《いそ》の間ゆ 激《たぎ》つ山河 絶えずあらば またも相見む 秋かたまけて
 
(42)【口譯】 磯の間《あひだ》から激《たぎ》ち落ちる山河、その山河の水が絶えずにあつたならば又も相見ませう。秋になつてから。
【語釋】 ○磯の間ゆ激つ山河 磯岩の間から山水が激ち落ちてゐるその風景をとらへてよんだ句。山河〔二字傍点〕と第二句を名詞で一度切つて第三句につづけてゐる。○またも相見む 山河のみならず、あたり一帶の風景までもふくめて「また相見よう」と云つてゐるのであらう。○秋かたまけて かたまけ〔四字傍点〕は諸説行はれて、何れか定かでないが、「傾く」と關係のある語で片寄ること近づくことの意であらうか。本總釋卷五に「かたまけ〔四字傍点〕は不完全にととのふが原義で、春、冬、夕暮、ある時刻になり始めた、その時の始まつた事を現すと考へる」とあるが穩當であらうか。卷二(一九一)、卷五(八三八)、卷十(一八五四)、卷十一(二三七三)等にも見える語である。
 
3620 戀繁み 慰めかねて 晩蝉《ひぐらし》の 鳴く島かげに 廬《いほり》するかも
 
【口譯】 家を戀ふる心がしきりである故に、慰む事が出來なくなつて、ひぐらしの鳴く島のかげにかりの宿りをする事だ。
【語釋】 ○戀繁み 思ひ慕ふ心がつよいので。み〔傍点〕は既出。○慰めかねて 思ひなぐさめ得ないで。
(43)【後記】 とりたてて言ふ程の處もないが、「晩蝉の鳴く島かげ」によつて生きてゐる歌である。やはり此の時代でなければ詠み出で難いあはれがある。
 
3621 我が命を 長門の島の 小松原 幾代を經てか 神《かむ》さびわたる
 
【口譯】 長門の島の小松原、それはいく年月をへてかくも神々しく續いてゐるのか。
【語釋】 ○我が命を わが命を長くと願ふ意で長門〔二字傍点〕にかけた序辭であるが、遠い海路を航する作者のその時の氣持が長門〔二字傍点〕といふ地名に對してかうした枕詞を加へしめたと見るべきであらう、と解く澤瀉氏の説に賛成する。なほ之は服部高保の續冠辭考にも同樣の説が述べてある。○長門の島 安藝國安藝郡、今の呉市の南の倉橋島。○小松原 ここの小松〔二字傍点〕は必ずしも稚い松の意ではなく、老木ながらさして大木でないものの意。○幾代を經てか いく年月を經ての事かと疑つてゐる。か〔傍点〕は譯する場合最後の第五句の下に移して解するとよい。○神さびわたる 神さぶ〔三字傍点〕は神らしくあること。「……神ながら、神《かむ》さびいます、くしみたま、今のをつつに、たふときろかもし(卷五、八一三)、「君が行きけ長くなりぬ奈良道《ならぢ》なる島の木立も神《かむ》さびにけり」(同、八六七)等集中例多し。ここは樹が古びて神々しく見えることをさす。神さぶ〔三字傍点〕は別に「神らしくふるまふ」といふ意があるが、ここはその意味ではない。わたる〔三字傍点〕は經過してゐる事。
(44)【後記】 相當古調をもつた歌。現代人にはすこしばか/\しく思はれる事も、此の時代の人々には旅をする困難から僞りならず生れてくる心の聲であつたのであらう。「わが命を長門」といふ樣な詠みかたも、今人の心を以つてたゞ無態に推しはかつてはならない。此の人々が旅路の平安を願ひ、畏れつつしんで祈りながら旅をつづけた心を思ふべきである。詠みかけの言葉があつたり、調子が三句切れになつてゐたりして、それが決して浮薄にならない處を味ふべきである。
 
長門浦より舶出せし夜、月光を仰ぎ觀て作れる歌三首
 
3622 月《つく》よみの 光を清み 夕なぎに 水子《かこ》の聲呼び 浦|廻《み》榜《こ》ぐかも
 
【題意】 長門の浦から船出した夜、月の光を仰ぎ見て作つた歌三首、といふ意。長門浦は前の長門島に同じ。
【口譯】 月の光が清らかであるので、夕なぎに船頭等が聲をあげて浦の曲りを榜いでゐることだなあ。
【語釋】 ○夕なぎに 夕なぎ〔三字傍点〕は、夕方風がおさまつて海面のしづかになること。○水手の聲呼び 水手〔二字傍点〕》は船頭。船頭が何事か聲あげて。○浦廻榜ぐかも 浦廻〔二字傍点〕は海岸の曲つた處。かも〔二字傍点〕は感動の詞。曲りくねつた海(45)邊を榜いでゐるよ、と云ふ意。
 
3623 山の端《は》に 月かたぶけば 漁《いざり》する 海人《あま》のともしび 沖になづさふ
 
【口譯】 山のきはに月がおちかけると、漁《すな》どりをする海人の燈火《ともしび》が沖の方にたゞよつて見える。
【語釋】 ○山の端に 山の端〔三字傍点〕は山と空とくぎられてゐる處。即ち山ぎは。○月かたぶけば 月が傾くと。月が落ちかかると。○沖になづさふ 水に浸りただよふ事。
【後記】 この一首は上句と下句が合ひ過ぎてゐて、歌としては破綻の無い詠み方だけれど、萬葉集中の歌としては、太さに於いて不足を感ずる。然し乍ら、それも後世の類歌に比べると有繁《さすが》に嫌味の無いのが取柄《とりえ》であらう。
 
3624 吾《われ》のみや、夜船は榜《こ》ぐと 思へれば 沖邊の方に 楫《かぢ》の音《おと》すなり
 
【口譯】 自分の船だけが夜船を榜いでゐるんだらうかと思つてゐると、沖の方にもたれか榜ぐ楫の音がする。
【語釋】 ○吾のみや 吾〔傍点〕は自分の船の意になる。や〔傍点〕は疑問の助詞。夜船を榜ぎ出してゐるのは自分だけだら(46)うか、と疑つてゐるのである。○思へれば 思ひてあれば、の義。○楫の音すなり 楫〔傍点〕は櫓櫂の事。その水を打つ音がするといふ意。ここのなり〔二字傍点〕は多分に咏嘆の意をふくむ。
【後記】 海上の靜かな時には、途をいそぐままに夜も船を進めたとみえる。さういふ時に、自分の船の外に又沖の方にあたつてこぎゆく船の楫の音をきいた時、如何ばかり物戀しく懷しき情が動いたであらう。今になほ太洋を航行中船と船とがすれちがふ時、互に甲板に出て呼び合ひ、手巾を振つて會圖し合ふといふ。まして此の時代にあつての事を思ふと感慨は更に深い。それが靜かな月の夜の事である。
 此の一首はさういふ感動をよく表現し得てゐる。この三首のなかでは優れた一首と思はれる。
 
古き挽歌一首並に短歌
 
3625 夕されば 葦邊に騷ぎ 明け來《く》れば 沖になづさふ 鴨すらも 妻と副《たぐ》ひて 我が尾には 霜な降りそと 白妙の 羽《はね》指《さ》し交《か》へて 打ち拂ひ さ宿《ぬ》とふものを 逝《ゆ》く水の 還らぬ如く 吹く風の 見えぬが如く 跡も無き 世の人にして 別れにし(47) 妹が著せてし 褻衣《なれごろも》 袖片敷きて 獨かも寢む
 
【題意】 古い挽歌一首とその反歌としての短歌(一首)といふ意。前の三六二三の歌の「沖になづさふ」から聯想して誦したものであらう、と新考は説いてゐる。
【口譯】 夕になれば葦の生えてゐる淺瀬に集り騷ぎ、夜が明けて來れば沖に浮びただよふ鴨でさへも妻と共々に居つて、自分たちの尾の上には霜よ降るなとて、互に白くなつた羽をさし交《まじ》へて霜を打ち拂つてやりながら寢るといふのに、あたかも流れて逝く水が再び還らぬ樣に、吹き去る風が二度とは見えぬ樣に、自分の眼の前から姿を消して跡形もない、あの世の人となつても早別れてしまつた妻が著せてくれた――そしてもうよれ/\になつてしまつた衣の袖の片方を敷いて、獨り寢るのかなあ。
【語釋】 ○葦邊に騷ぎ 葦邊〔二字傍点〕は水淺く葦の生えてゐる處。さうした處は水が淀んでゐて水草などが茂り、水鳥の夜の宿りに適するのである。○鴨すらも すら〔二字傍点〕は強意の助詞。口語のさへ〔二字傍点〕に當る語。鴨でさへも。○妻と副ひて 副ひて〔三字傍点〕は相たづさへてゐる、連立つて一緒にゐる、といふ意。○我が尾には 新考は「ワガ尾ニハのワガ心ゆかず。相タグヘル相手の尾ニハフルトモ我尾ニハフルナといふやうに聞ゆればなり。おそらくはシモハフルトモツマガ尾ニなどいふ二句おちたるならむ」と説いてゐるが、必ずしもわが〔二字傍点〕は雄鳥の(48)一方のみをさすとみなくともよい。即ち、「副《たぐ》ひ居る我」なのであるから、結局はわれわれ〔四字傍点〕といふ意になるのである。さう解かなければ下につづく「羽指し交へて打拂ひ」の句が生きて來ない。○霜な降りそと な〔傍点〕は禁止の意を示す助詞。そ〔傍点〕は強意の助詞。と〔傍点〕は「とて」の意味に相當する語。○白妙の 古義は「鳥の羽は人身の衣の如くなれば比へて、白妙といへり。云々。白妙とはもと色の白きをいふより出たる言なれど、言ひなれては必しも色の上をとはず、人のきる物をいふことになれるより羽を人の衣に比へたるのみなるをや」と説いてゐるが、略解に「霜のおけるによりてかくいへるにや」とある通り、前に霜の降ることを言つてゐるので、それにつれて白妙〔二字傍点〕と想起して云つたものであらう。○羽指し交へて打ち拂ひ 互に羽を交して相手の背の霜をうち拂ふといふ意である。○さ宿とふものを おは接頭語。ねむるといはれてゐるのに、といふ意。○逝く水の還らぬ如く云々 一度世を去つた人の再びかへらぬ喩。大伴家持の歌にも「賜……吹く風の、見えぬが如く、逝く水の、止らぬ如く 常もなく……」(卷十九、四一六〇)といふのがある。○跡もなき世の人にして 跡形もない世、即ち、あの世の人として。○別れにし し〔傍点〕は過去の助動詞。別れてしまつた、の意。○妹が著せてし このしも同じく過去の助動詞。○褻衣 よれ/\になつた衣。妻がよれ/\の着物を著せたといふのではなく、妻の著せてくれた衣がもうよれ/\になつた、即ち、長い時日が繹過したといふ意味を含めて云つたのである。○袖片敷きて 袖の片方を敷いて。男女共寢をする時、「玉手さし交へ」とか、「たもとをまきて」とか云ふのに對して、獨り寢を修飾して「袖片〔右○〕敷く」と云つたのである。○獨かも寢む 獨寢むかも、の意。か〔傍点〕は疑問、も〔傍点〕は感動の助詞。
 
(49)反歌一首
 
3626 鶴《たづ》が鳴き 葦邊をさして 飛び渡る あなたつたづし 獨《ひとり》さぬれば
 
右|丹比《たぢひの》大夫の亡《みまか》れる妻を悽《いた》み愴《なげ》く歌
 
【題意】 右の長歌の反歌一首。
【口譯】 田鶴が鳴いて葦の生えたあたりへ飛び渡つて行く。ああ、心許なくさびしいことだ、獨りで寢てゐると。
【語釋】 ○鶴が鳴き たづ〔二字傍点〕は水禽一般の稱。鳴き〔二字傍点〕は連用形になつてゐて、第三句にかけて解すべきである、と古義は云つてゐるが、原形通り第二句につづけても意味の混亂はない。○あなたづたづし あな〔二字傍点〕は感嘆詞。たづたづし〔五字傍点〕はたどたどしで、心の安らかでない意。「草加江《くさかえ》の入江に求食《あさ》る葦鶴《あしたづ》のあなたづたづし友無しにして」(卷四、五七五)、も同じ語の例である。○獨さぬれば さ〔傍点〕は接頭語で意味なし。ぬれば〔三字傍点〕は、寢るといふと、の意。
【後記】 卷十五には長歌は極く少數しか收められてゐないが、その中の一つである。しかも之は古き挽歌で、有繋に古き歌の良さを有つてゐる。別れた妻を想ふ心の切なるものが、類型的に(50)なり勝ちな長歌の中にはつきりと出て居るところがよい。「逝く水の、還らぬ如く、吹く風の、見えぬが如く、跡もなき、世の人にして」などの句は稍々後世風であるけれど、能く読んでみると、眞實味があつて、矢張り良い。この歌は新考が三六二三の歌の「沖になづさふ」から連想して誦したものであらう、と説いてゐるが、面白い説だと思ふ。反歌の鶴《タヅ》の音韻から「あなたづたづし」と引いて來た詠みぶりなど、ちよつと淺くなりさうで、淺くならないところに古歌の良さがあるのであらう。
【左註】 右の長短各一首の歌は丹比大夫が亡くなつた事をいたみ歎いて詠んだ歌である、といふ意。作者の傳は未詳。
 
物に屬《つ》きて思を發《あら》はす歌一首並に短歌
 
3627 朝されば 妹が手に纏《ま》く 鏡なす 三津の濱びに 大船に 眞楫繁貫《まかぢしじぬ》き から國に 渡り行かむと 直向《ただむか》ふ敏馬《みぬめ》をさして 潮待ちて 水脈導《みをび》き行けば 沖邊には 白波高み 浦|廻《み》より 榜《こ》ぎて渡れば 吾妹子に 淡路の島は 夕されば 雲居|隱《がく》り(51)ぬ さ夜ふけて 行方を知らに 吾が心 明石の浦に 船|泊《と》めて 浮宿《うきね》をしつつ わたつみの 沖邊を見れば 漁《いざり》する 海人《あま》の少女は 小船《をぶね》乘《の》り つららに浮けり 曉《あかとき》の 潮滿ち來れば 葦邊には 鶴《たづ》鳴き渡る 朝なぎに 船出《ふなで》をせむと 船人も 水手《かこ》も聲よび 鳩鳥《にほどり》の なづさひ行けば 家島は 雲居に見えぬ 吾が思《も》へる 心|和《な》ぐやと 早く來て 見むと思ひて 大船を 榜《こ》ぎ我が行けば 沖つ浪 高く立ち來ぬ 外《よそ》のみに 見つつ過ぎ行き 多麻《たま》の浦に 船をとどめて 濱びより 浦磯を見つつ 哭《な》く兒なす 哭《ね》のみし泣かゆ 海神《わたつみ》の 手纏《たまき》の珠《たま》を 家づとに妹に遣らむと 拾《けり》ひ取り 袖には入れて 反《かへ》し遣《や》る 使無ければ 持てれどもしるしを無みと また置きつるかも
 
【題意】或物に觸れて感動を起した歌一首并に短歌(二首)、といふ意。物に屬《つ》きて思を發《あらは》す、は集中の「寄物陳思」といふとは異る。
【口譯】 三津の濱邊で大きな船に櫓を澤山つけて、新羅の國へ渡つて行かうとて、まともにある敏馬の岬をさして、潮の加減を待ちうけて水路をたどつて行くと、沖の方では白波が高いから(52)岸邊の曲つた所を通《とほ》つて榜いで渡ると、淡路の島は夕になつて雲の中に隱れてしまつた。夜がふけて方向がわからないので、明石の浦に船を泊めて、波に浮んで宿りをしながら海の沖の方を見ると、漁《すなどり》をする海人《あま》の少女たちは、小船に乘つてつらなつて浮んでゐた。夜明け方の潮が滿ちてくると葦の生えてゐるあたりでは田鶴が鳴いて行く。朝凪《あさなぎ》の折に船出をしようとて、船頭も水夫も聲あげて呼び交し、鳰《にほ》鳥のやうに水にたゞよつて行くと、家島が雲のあたりに見えて來た。自分が思ひ慕つてゐた心がなごむだらうかと、早く行つて見ようと思つて大船を榜いで自分が行くと、沖の浪が高く立つてやつて來た。外《よそ》ながらにだけ見ながら過ぎて行き、多麻の浦に船をとめて、濱邊からすぎて來た浦や磯を見ながら、泣きさけぶ兒どものやうにたゞ/\哭《な》かれることだ。海の神の腕輪の球を、家へのみやげに、妻にやらうと思つて、拾つて袖には入れてみたものの、送り返してやる使も無いので、持つてゐたとてしようのない事だとて、また捨ててしまつた事である。
【語釋】 ○朝されば妹が手に纏く鏡なす 「三津」のみ〔傍点〕を言ひ出すための序詞。一首の意に直接の關係はない。手に纏く〔四字傍点〕とは、鏡を手にし持つ事。朝毎に妻がけはひする姿をうつす爲に手にもつ鏡、といふ意と思はれる。なす〔二字傍点〕は、何々の如く、何々のやうにの意。三津《みつ》のみ〔右○〕一音に懸る。「鏡のやうに見る」と懸るのやあ(53)る。「……秋立てば、黄葉かざし、敷妙《しきたへ》の、袖たづさはり、鏡なす、見れども飽かに……」(卷二、一九六)、「臣女《たわやめ》の、匣《くしげ》に乘れる、鏡なす、見津の濱邊に、さ丹《に》づらふ……」(卷四、五〇九)なども同じ樣な例である。○三津の濱びに 三津〔二字傍点〕は難波の大伴の三津。既出。濱び〔二字傍点〕は濱邊。び〔傍点〕は「べ」と同意の接尾語。に〔傍点〕は場所を示す助詞。○眞揖繁貫き 眞〔傍点〕は接頭語。楫〔傍点〕は櫓櫂の類の船具。しじ〔二字傍点〕は數の多いこと。既出。○から國に から國〔三字傍点〕は韓國。ここは新羅國をさす。に〔傍点〕は「に向つて」の意の助詞。○直向ふ 眞正面に向ひ合つてゐる、といふ意で敏馬〔二字傍点〕を修飾してゐる。○敏馬をさして 敏馬〔二字傍点〕は前出の三六〇六參照。今の岩屋、大石等の海岸。さしては目ざして、の意。○潮待ちて 航行に都合のよい潮時をみはからつて。○水脈導き行けば 和名抄に「楊氏漢語抄(ニ)云(フ)、水脈船【美乎比岐能布禰】」とあり、水脈導く〔四字傍点〕は水先案内をする事であるが、ここは水先案内をさせつつ船を進めた、といふ意か、或は自ら水路を探りつつ航行したといふ意であらう。○白波高み 白波が高く荒れてゐるのでIといふ意。み〔傍点〕は、「……の故に」、「……だから」、「……ので」等と譯して當る語。前出三五九〇參照。○浦廻より 浦廻〔二字傍点〕は岸の曲つた處。より〔二字傍点〕は出發地點を示すのではなく、「……を通つて」、の意である。○榜ぎて渡れば 漕ぎつづけて行くと。○吾妹子に淡路の島は 吾妹子に〔四字傍点〕は吾妹子に逢ふ、といふ意から淡路〔二字傍点〕のあ〔右○〕に懸けた枕詞。○雲居隱りぬ 雲居〔二字傍点〕は單に雲〔傍点〕といふに同じく、雲にかくれた、といふ意。○さ夜ふけて さ〔傍点〕は接頭語。夜が更けて。○行方を知らに 行方〔二字傍点〕は方向。に〔傍点〕は古くな・に・ぬ・ね〔四字傍点〕と活用した打消の助動詞ぬ〔右○〕の連用形。「吾はもや安見兒得たり皆人の得がてに〔右○〕すとふ安見兒得たり」(卷二、九五)、「……言はむ術、爲む術知らに〔右○〕、石木をも、問ひさけ知らず……」(卷五、七九四)等集中に例が(54)多い。○吾が心明石の浦に 吾が心〔三字傍点〕は明石〔二字傍点〕の枕詞。略解に「宣長云、人は心の赤きをむねと尊む事なる故に續くるなり。集中、吾心清すみの池のと云へるも同じと言へり」とあるが如くである。○浮宿をしつつ 波に浮んで宿りをしながら、といふ意。○わたつみの この場合のわたつみ〔四字傍点〕は單に海の意。○小船乘り 小船にのり、小船を乘り出しなどの意、○つららに浮けり つららに〔四字傍点〕は「巨勢《こせ》山のつらつら椿つらつらに見つつ思ふな巨勢の春野を」(卷一、五四)、に見える「つらつら椿」の「つらつら」と關係があると説く説があるが、「つらつらに」は漢字の熟〔傍点〕に當る語で、つくづくに、よくよくに等と、物事を心こめてする状をいふのに對して、つらら〔三字傍点〕はものの連つてある状を云ふのである。○葦邊には に〔傍点〕は「に於て」と場所を示す助詞、「……に向つて」と方向を指す語ではない。○鶴鳴き渡る 渡る〔二字傍点〕はここでは一方から一方へ移動する意である。○鳰鳥の 鳰鳥はカヒツブリ、ムグリと稱される水禽。にほどりの〔五字傍点〕は普通「二人並ぶ」、「かづく」等にかかる枕詞であるがここはさうではない。の〔傍点〕は「……の如く」。即ち、鳰鳥のやうに、といふ意を以つて次句につづく。○家島は 家島〔二字傍点〕は播磨國の海上にある島、室津の沖、小豆島の東北にある。○雲居に見えぬ 雲の中に、文は雲の彼方に見えたといふ程の意で、遙か水平線の雲の漂うてあるあたりに見えて來たことを云つたものであらう。○吾が思へる心和ぐやと 島の名が家〔傍点〕であることから、自分が思ひ慕つてゐる故郷の「家」にかけて、その戀しい思ひが充たされるだらうかとて、と云ふ意を述べたのである。や〔傍点〕は疑問の助詞。○早く來て 早く行つて、の意。來る〔二字傍点〕と云ふ動詞も、上代にあつては、「さる」に行く〔二字傍点〕と來る〔二字傍点〕の二つの意があつたと同樣に、「來る」も觀點の置き所によつて現今で云ふゆく〔二字傍点〕の意にも用ひ(55)たと思はれる。此の歌の場合、及び「遠妻し高《たか》にありせば知らずとも手綱の濱の尋ね來なまし」(卷九、一七四六)、「霞ゐる富士の山傍に我が來なば何方《いづち》向きてか妹が嘆かむ」}(卷十四、三三五七)等がその例である。○傍ぎ我が行けば 我が榜ぎ行けば、といふに同じ。○沖つ浪 沖の方から押寄せてくる波。つ〔傍点〕は「の」と同じ意の助詞。○外《よそ》のみに 外ながらだけに、の意。波が高くて島に近寄り得なかつたことを言外にいふ。○多麻の浦に 既出二三頁。○濱びより 濱邊から。び〔傍点〕は「べ」と同じ意の接尾語。このより〔二字傍点〕は起點を示す助詞。○浦磯を見つつ 浦は砂地の濱、磯〔傍点〕は岩石のある濱。通り過ぎて來た浦々磯磯をふりかへつてみながら、の意であらう。○哭く兒なす 泣きさけぷ兒供のやうに。○哭のみし泣かゆ 哭〔傍点〕は「……を泣く」の意の名詞。(56)同じ意の名詞と動詞を重ねたもので、意味は、單に「泣く」と同じ。のみは限定を示す副助詞。いは強意の間投助詞。ゆ〔傍点〕は受身の助動詞。ただ/\哭かされる、といふ意。○海神の ここのわたつみ〔四字傍点〕は海の神樣の意。○手纏の珠 腕頸に卷いた腕輪の玉。○家づとに 家づと〔三字傍点〕は家苞。家へのみやげ物。家へのとどけもの。○拾ひ取り ひりふ〔三字傍点〕は「ひろふ」の古格。○袖には入れて この句は二句をとんで「持てれども」につづく。○反し遣る 故郷へ送りかへしてやる。○しるしを無みと しるし〔三字傍点〕は驗、詮、甲斐などの意。「を……み」は「……が……ので」「なので」と解して當る語。既出。とは「とて」の意。○また置きつるかも また置く〔四字傍点〕とはまたもとの處にかへして置く、即ち、捨ててしまう意。つる〔二字傍点〕は過去の助動詞。かも〔二字傍点〕は感動の助詞。
 
反歌二首
 
3628 多麻《たま》の浦の 沖つ白珠《しらたま》 拾《ひり》へれど またぞ置きつる 見る人を無み
 
【題意】 右の長歌の反歌二首。
【口譯】 多麻の浦の沖から寄せて來た白珠を拾つたけれども、また返して置いた事だ。それを見てくれる人が無いから。
【語釋】 ○沖つ白珠 沖の白珠。但、沖で白珠を拾つたのではなく、沖の方から濱にうち寄せられたのを採(57)るのであることは既に三六一四に於いて説いた通りである。○またぞ置きつる ぞは意を強める助詞。
 
3629 秋さらば 我が船|泊《は》てむ わすれ貝 寄せ來て置《お》けれ 沖つ白浪
 
【口譯】 秋になつたならば私の船はまたここに泊《と》まるだらう。わすれ貝を寄せ上げておいてくれ、沖の白浪よ。
【語釋】 ○我船泊てむ 秋には新羅國からの歸途再びこの浦に泊まるだらう、の意。○わすれ貝 山田博士の萬葉集講義に『今も世に忘貝といふ一種の貝あり。それは蛤又はあさりに似たる貝にして、大なるも二寸に過ぎず、殻白色にして紋脉蛤に似て縱に紫褐色の條斑及び細かき横の斑あり。内面つやありて紫の暈あり。内の四邊に刻みあり、相合せて摩ればささらの如き音を發す。この故に紀伊にては「ささらがひ」といふとぞ。(中略)。而してその忘貝といふ名の貝は紀伊國吹上浦の砂海又關東の海中及び阿波の海に多く産すと水族志にいへり。云々』とあるによつて明かである。さてここはその貝の名によせて「忘れずにあれ」の意を含めて詠んだ句である。○寄せ來て置けれ 寄せ來て〔四字傍点〕は沖邊の方から濱にうち寄せて來て、といふ意。置けれ〔三字傍点〕は、置けり〔三字右○〕の命令形である。浪に向つて「置きてあれ」と命令する意。
【後記】 この長歌、反歌を讀んで見ると、どういふ人の作かは知らないけれど、句々にたどた(58)どしい處ありとはいへ、新羅に遣さるる人のなかにも、相當の歌人が居つたと思はせられる事だ。もとより人麿の長歌に比すべくもないものであるとしても、萬葉末期の家持が苦心して長歌を作つてゐるのを見れば、歌人として名も無い新羅へ遣さるる人のなかに之だけの作をなし得た人のまじつてゐた事はおもしろい。此の長歌はかかる旅行をしてゐる使人等の心持を相當に詠み得てゐると思ふ。唯此の歌で私に不明な處は「沖邊を見れば、漁する、海人の少女は」とはつきり言つてゐるが、夜船のいざり火の光で沖邊の人が少女と見えたものかどうか、誇張句としてもすこし變だと思はれる事だ。反歌二首中三六二八の方には別に興がない。三六二九の歌には詠みぶりに一寸おもしろさがある。即ち、第四句を「置けれ」と命令形にして、第五句を名詞止にしてゐる形など動きをみせた處であらうか、後世的だがおもしろい。
 
周防國|玖珂《くが》郡|麻里布《まりふの》浦を行きし時作れる歌八首
 
3630 眞楫《まかぢ》貫《ぬ》き 船し行かずば 見れど飽かぬ 麻里布《まりふ》の浦に やどり爲ましを
 
【題意】 周防國玖珂郡麻里布の浦に行つた時作つた歌八首。麻里布の浦は岩國の東南室の木の古名だといふ説があるが未詳。を行きし時〔五字傍点〕は「……に向つて行つた時」の意。
(59)【口譯】 櫓を下して船が進み行くのでなかつたならば、いくら見ても飽きることのない麻里布の浦に宿りをしたいものだが。
【語釋】 ○船し行かずば 船が進み行かずあらば、の意。し〔傍点〕は強意の助詞。○爲ましを したいものを、といふ意。まし〔二字傍点〕は此處では希望を現す。
【後記】 萬葉時代の歌として常套的な行方をした歌で、特別良いといふ感もないが、ただ一首の上に素朴な氣特が流れてゐるのが取柄である。又、第二句の「行かずば〔右○〕」を「行かずは〔右○〕」と清《す》んで訓む説もあるが、それに從へば「行かずして」の意となつて、「行かずば」と云ふよりは一層勁直な感がすると思はれる。
 
3631 いつしかも 見むと思ひし 粟島を 外《よそ》にや戀ひむ 行くよしを無み
 
【口譯】 いつになつたら見ることだらうかと思つてゐた粟島を今も外ながら思ひしたつてゐようよ。行つて見る方法がないから。
【語釋】 ○いつしかも 何時になつたら、の意。し〔傍点〕は意を強めた助詞。かも〔二字傍点〕は疑問の助詞。○粟島 周防の海に在る島の名であらうが所在未詳。淡路の近くにあるあはしまとは別の處である。○外にや戀ひむ (60)や〔傍点〕は間投助詞。外ながら戀うてゐよう、といふ意。○行くよしを無み なしは手段、方法、たより等の意。行くたよりがないので、と云ふ意。
【後記】 この一首は麻里布の浦で作られた八首の中では好ましい歌である。どこがと取り立てて言ふ處はないが、粟島といふ島を中心に、それを日頃戀ひ思ふてゐた作者の心、その近くを通りながら行く事の出來ぬ心惜しさなど、稍々幼い氣特の、いはば無邪氣な愛らしい思慕の情を感じさせられる。さういふ良さを有つた歌であると思ふ。「外にや」と強めたところ、一度讀んで少し言ひすぎのやうな氣がしたが、讀み直してみると、やはり、作者は非常に粟島を日頃から戀ひつつ心に描いて居つたのに望みが果されなかつた、その心惜しさから、斯ういふ單純の歌に「外にや」と云ふやうな強い言葉が入つたのであらうと、むしろ可憐なやうに感じさせられたのである。
 
3632 大船に ※[爿+戈]※[爿+可]《かし》振り立てて 濱《はま》清《きよ》き 麻里布《まりふ》の浦に やどりか爲《せ》まし
 
【口譯】 大船にもやひ杙《くひ》を立てて濱邊の清《すが》すがしい麻里布の浦に宿りをしたいものだなあ。
【語釋】 ○※[爿+戈]※[爿+可] 和名抄に「唐韻云、※[爿+戈]※[爿+可]所2以繋1v舟、漢語抄云、加之《カシ》」とある。船を繋ぐ船具の名。もや(61)ひ杙。繋留する時船中それを立て起して用ひるやうに作られたものであらう。○振り立てて 振り〔二字傍点〕は接頭語か。しかし、「舟泊てて※[爿+戈]※[爿+可]《かし》振《ふ》り立てて廬《いほり》せむ名子江の濱邊過ぎがてぬかも」(卷七、一一九〇)、「青波に袖さへぬれて漕ぐ船の※[爿+戈]※[爿+可]《かし》振る程にさ夜ふけなむか」(卷二十、四三一三)とある例にも「かし振る〔二字傍点〕 」と云つてあるから或は意のある語か。○濱清き 濱邊の清々《すが/\》しい。○やどりか爲まし か〔傍点〕は咏嘆の助詞で意なし。まし〔二字傍点〕は願望を現す助動詞。
【後記】 この歌は第二句の「※[爿+戈]※[爿+可]《かし》振り立てて」が詳かでない。即ち、右にも述べた通り振り〔二字傍点〕が單なる接頭語か、又は意味のある詞か、何れかによつて異つた結果が出て來るのである。さういふやうに句としては決定されない疑問の殘るものがあり、それがひいて一首の意を明かにしないけれど、しかし、私獨り味ふに、この歌は讀んで居て面白い。調子にも張りがあり、心さやかに麻里布の浦にやどりをしたいものと希ふ思ひがうけとれて、譯は分らないが好ましい歌だと私は味はつてゐる。これは私個人の鑑賞を述べたまでである。
 
3633 粟島の 逢はじと思ふ 妹にあれや 安宿《やすい》も寢《ね》ずて 吾《あ》が戀ひ渡る
 
【口譯】 二度と逢はないだらうと思ふ妻であるからか、安らかな眠りも眠らずに私は戀ひつづけ(62)る事だ。
【語釋】 ○粟島の 眼前の粟島を見て、妻にあふ〔二字傍点〕といふ意に懸けて云つた序詞。○逢はじと思ふ 再び逢はないと思ふ、又逢ふことが出來ないと思ふ、といふ意。○妹にあれや や〔傍点〕は疑問。あれや〔三字傍点〕は、「あればや」の意。理由を現す。「打麻《うつそ》を麻績王白水郎なれや伊良虞が島の珠藻苅句をす」(卷一、三)も同じ用法である。○安宿も寢ずて 安宿〔二字傍点〕は安きねむり。名詞である。心安らかなねむりも眠らないで、の意。○戀ひ渡る 渡る〔二字傍点〕はものの繼續するを現す語。戀ひつづける、といふ意味である。
【後記】 この一首は一見普通の出來の歌のやうに思はれたが、能く落着いて味はつて見ると、この時代といふものを心に置いて味ははねばならぬ事を思ひ、今日の自分たちが思ひ及ばぬ程の不便な、かつは不安な旅をつづけて行く人が、自分の妻を思ひやつて「逢はじと思ふ妹にあれや」と嘆く氣持はまことに無理ない事で、自分たちの思ひ及ばぬあはれがあるのだと、心がついた次第である。自然、第五句の「吾が戀ひ渡る」も、決していゝ加減な氣持から生れ出た句ではないのである。
 たいした歌といふわけではないが、眞實の點に於て、輕く見すごせない歌といふべきであらう。
 
(63)3634 筑紫道《つくしぢ》の 可太《かだ》の大島 暫《しまし》くも 見ねば戀しき 妹を置きて來《き》ぬ
 
【口譯】 ちよつとの間も逢はないで居れば戀しくてたまらぬ妻を置いてやつて來たことだ。
【語釋】 ○筑紫道 筑紫へのみちではなく筑紫の國の意。○可太《かだ》の大島 可太〔二字傍点〕は地名とする説と、「太」の字をタと清《す》んで訓んで「方」即ち、方向といふ意に解く説とあるが詳かでない。從つて大島〔二字傍点〕も明かでない。下にも「大島の鳴門」(三六三八)とあるが、その大島は周防國屋代島のことである。今もその島をさして云つたものとすれば「筑紫道の可太」が腑におちない。因みに「太」の字は集中多くダと濁つて訓む場合に用ひられ、タと清讀する場合は少い。以上の二句はしましく〔四字傍点〕を言ひ出す爲の序詞。一首の意に影響なし。「大島《おほしま》しましくも」と同音を重ねて言ひ懸けたものである。○暫くも しばらくも、ちよつとの間も。
 
3635 妹が家|道《ぢ》 近くありせば 見れど飽かぬ 麻里布の浦を 見せましものを
 
【口譯】 妻の家へゆく道中が近いならば、いくら見ても飽きない美しい麻里布の浦を見せてやりたいものをなあ。
【語釋】 ○妹が家道 妹が家〔三字傍点〕は、古、男が女の許に通つて行つた風習からすれば必ずしも妻の家即ち夫の家(64)ではない。道〔傍点〕はこの場合家へゆくみち〔二字右○〕の意。
【後記】 古の人は何につけても、まことに心から妹といふものを聯想し、妹と共に何々せば、といふ心を述べて居るが、この歌などもその一つで、「見れど飽かぬ麻里布の浦」を自分が樂み見つつ妹を思ひ出してある。それではじめて生き、一首を構成してゐる。そこの處がおもしろ
 い。
 
3636 家人は 歸り早|來《こ》と 伊波比島《いはひじま》 齋《いは》ひ待つらむ 旅行く我《われ》を
 
【口譯】 家の人たちは早く歸つてくるやうにと神に祈つて待つてゐることだらう。旅をして行く私を。
【語釋】 ○家人 家族。○歸り早來と 早かへりこと、といふ心。早くかへつてくるやうにと、の意。○伊波比島 新考は上(ノ)關の西南にある祝島がそれであると説いてある。次の句の齋ふ〔二字傍点〕を言ふための序詞。
【後記】 この作は、斯かる旅の歌として普通當然の歌であ一つて、特別とり立てて言ふ處はない。しかし、やはり、祝島のほとりで直ちに家人の心を思ひ詠んだ言葉が、自然に「いはひ島いはひ待つらむ」と云ふやうに詠み出でられた處が捨て難い。
 
(65)3637 草枕 旅行く人を いはひ島 幾代|經《ふ》るまで 齋《いは》ひ來《き》にけむ
 
【口譯】 旅を行く人たちをいはつてやりながら、いはひ島はどれだけの年月をへて今まで齋ひつづけて來た事であらう。
【語釋】 ○草枕 旅〔傍点〕にかかる枕詞。前出の三六一二の歌參照。○旅行く人を この句は一句を隔てて「幾代經るまで」につづく。○いはひ島 島の名から轉じて航行する人々の平穩を守る意を有つたものであらう。○齋ひ來にけむ 來ぬ〔二字傍点〕とは繼續して今に至つてゐることを現す。
 
大島の鳴門《なると》を過ぎて再宿を經たる後、追ひて作れる歌二首
 
3638 これやこの 名に負《お》ふ鳴門《なると》の 渦潮《うづしほ》に 玉藻刈るとふ 海人《あま》少女ども
 
右の一首は田邊秋庭
 
【題意】 大島の鳴門を過ぎてから二晩たつた後、あとから作つた歌二首。大島の鳴門は澤瀉氏新釋に「大島は周防國大島郡の屋代島で、柳井津の東南の海上にある。その島と柳井津の東の大畠との間の海峽を今大畠瀬戸と云つてゐるが、そこが大島の鳴門である」と説いてある。
(66)【口譯】 これこそはあの評判にふさはしい鳴門の渦潮の中できれいな藻草を刈りとるといふ海人の少女たちだ。
【語釋】 ○これやこの これこそはあの、これぞあの、といふ意。や〔傍点〕は強意の助詞。○名に負ふ 名にふさはしい、評判にたがはぬ。○渦潮 潮流の渦を巻いてゐる處。○玉藻苅るとふ 玉〔傍点〕は美稱。藻〔傍点〕はここでは海草一般の稱。とふ〔二字傍点〕は「といふ」と解して當る語。
【後記】 調子に強い處があり、材料の生かし方も非常に巧い歌だと思ふ。萬葉の歌で第一句から強く歌ひ出でてあるものは珍しいのであって、それが「渦潮の鳴門」などを詠む場合自然にさういふ形に詠み出されてあるのも教へられるところである。さういふ歌の第五句として「海人少女ども」と名詞止にして強く止《と》めたところ、とにかく、調子の張つた手應へのある歌だと思ふ。渦潮に玉藻を刈る海人少女たちを想像して印象的に詠み出でた面白い歌である。
【左註】 右の一首は田邊秋庭の作つた歌。作者の傳は未詳。
 
3639 波の上《うへ》に 浮宿《うきね》せし夜《よひ》 何《あ》ど思《も》へか 心|愛《がな》しく 夢《いめ》に見えつる
 
【口譯】 浪の上に浮きただよつて宿つた夜、何と思つてゐる事か可愛くも夢に見たことだ。
(67)【語釋】 ○何《あ》ど思へか どんな風に自分を思つてゐることか、といふ意味である。新考はど〔傍点〕を「を」の誤とし「あを思へか」、即ち、自分を思つてゐるからだらうか、と解してゐるが從ひ難い。「何《あ》ど思へか阿自久麻《あじくま》山のゆづる葉の含《ふふ》まる時に風吹かずかも」(卷十四、三五七二)にも出てゐる語である。○心愛し かはいい、いとほしい、の意。○夢に見えつる いめ〔二字傍点〕は「ゆめ」の古語。つる〔二字傍点〕は完了の助動詞。ゆめに見たことだ、といふ意。
【後記】 一讀愛らしい心情を訴へられるやうな、情緒の美しく細やかな歌であつて、素朴味もあり、後世風とはちがふけれど、それでゐて一首の上にどことなくリズムの音樂的な感を受ける。或る意味から云つて、生地の歌と少しく異る藝術的面白味を有つた一首としてひゞいて來る。それは第三句から第四句にかけての心の動きの表現、それが第一句、第二句の「浪の上に浮宿《うきね》せし夜《よひ》」とひゞき合つておもしろく働きかけてくるのではなからうか。そして最後を幼《をさな》ぶりに「いめに見えつる」と結んであるので、嫌味におちず、讀む人に愛らしい感を與へるのではないだらうか。
 
熊毛浦《くまけのうら》に船|泊《は》てし夜作れる歌四首
 
(68)3640 都《みやこ》へに 行かむ船もが 刈菰《かりこも》の 亂れて思ふ 言《こと》告《つ》げやらむ
 
右の一首は羽栗《はくり》
 
【題意】 熊毛の浦に停泊した夜作つた歌四首。熊毛の浦は和名抄に「周防(ノ)國熊毛(ノ)郡。熊毛【久萬介】」とある郡の南方の浦。
【口譯】 都のほとりに行く船がほしいものだ。心亂れて思ひしたつてゐると言ひ傳へてやらう。
【語釋】 ○都へ へを方角を現す助詞と見て、都の方へ、と解するか、〜〔傍点〕を、附近、ほとり、の意の接尾語と見て、都のあたり、と見るべきか決し難い。○行かむ船もが 行くであらう船があればよいが、といふ意。もが〔二字傍点〕は願望の助詞。○刈菰の 亂れ〔二字傍点〕に懸かる枕詞。苅り取つた菰が散亂する、と云ふ意で懸ける。○亂れて思ふ 心みだれて思ふ、の意。現代ならば「思ひ亂れる」といふ所である。○言告げやらむ 言ひ告げ遣らう。こと〔二字傍点〕は一説には「事」の義とし、「亂れ思ふ事を告げやらう」と解いてあるが、やはり「言」の意とした方が穩當であらう。
【後記】 第一句の「都へ」の「へ」は、方向をあらはす助詞とみて「都の方へ」と解するか、接尾語とみて「都の邊り」と解するかについては決し難いのだが、私個人の好みから云ふと、助詞とみて、「都の方へ」と解する方が何處かはるかなる思ひがあつて味はひ深い心地がする。(69)この歌は相當好ましい歌で、調べも萬葉調の良さを失つてゐない。
【左註】 右の一首は羽栗の作。羽栗は傳未詳。代匠記は「寶字五年十一月癸未授d迎2清河1使外從五位下高元匪從五位上u、其録事羽栗翔者留2清河所1而不v歸。この人にや。又略して氏のみをかけるか、名の脱たる歟」と述べてゐる。
 
3641 暁《あかとき》の 家|戀《こひ》しきに 浦廻《うらみ》より 楫《かぢ》の音《おと》するは 海人少女《あまをとめ》かも
 
【口譯】 夜明け方に家が戀しく思はれるのに、海岸の曲つた處から櫓の音が聞えて來るのは海人の少女たちなのだらうかなあ。
【語釋】 ○曉の 時は曉であつて、ちやうどその頃は、といふ程の意を含めたもの。「曉の家」と云ふ意ではない。○浦廻より 岸の曲つた處から。灣曲の入り込んだ處か、出張つた處か何れか不明。○楫の音するは櫓の音がするのは。櫓の菅が都の方へ漕いで行くやうに聞えたのであらう。○海人少女かも かも〔二字傍点〕は疑問の助詞。
【後記】 この歌、類似の歌が多い樣だが、第一句、第二句と第五句が面白い。「あかときの家戀しきに」といふ句は、旅する人の實感に即した句であるし、浦廻を榜ぐ船の楫の音のするのは(70)海人乙女かもと想像してゐる處に、第一句、第二句の「あかときの家戀しきに」にひびき合ふ、曉の心動きが含まれてゐる。
 
3642 沖邊より 潮滿ち來《く》らし 韓《から》の浦に 求食《あさり》する鶴《たづ》 鳴きて騷ぎぬ
 
【口譯】 沖の方から潮が滿ち寄せてくるやうだ。韓の浦で餌を求食《あさ》る田鶴が鳴き騷いでゐた。
【語釋】 ○潮滿ち來らし 潮が滿ちて來るらしい。○韓の浦 未詳。略解に「からの浦は筑前韓泊歟。長門赤間より今の道一里程有とぞ」とあり、古義が之に從つてゐるが、この歌は周防國熊毛の浦に泊つた時作つたものである、と題詞にことわつてあるのだから、略解の説は當らないと思はれる。○求食する 餌をあさる。
【後記】 この歌では韓《から》の浦《うら》の所在がはつきりしないので困るのだが、歌はなか/\面白く味ははれる。勿論、赤人の「和歌の浦に潮みち來れば渇をなみ葦邊をさして鶴《たづ》鳴きわたる」の殆ど完成された傑作には及ぶよしもないが、何處か田舍乙女の樣な、或は、素人藝の面白さとでも云ふ樣な感じを受けるやうだ。
 
(71)3643 沖邊より 船人《ふなびと》のぼる 呼び寄せて いざ告げ遣《や》らむ 旅の宿《やどり》を【一に云ふ、旅のやどりをいざ告げやらな】
 
【口譯】 沖の方を通つて船頭たちが都の方に上《のぼ》つて行く。呼び寄せて、さあ言《こと》づけてやらう、旅の宿《やどり》の事を。或る傳へでは、旅の宿の事をさあことづけてやりませう。
【語釋】 ○沖邊より この場合のより〔二字傍点〕は「……を通つて」の意。古義は「澳の方より、船人の京の方に向ひて、漕|上《のぼ》る梶音するなり云々」と解してゐるが、現に沖を通過して〔四字右○]上つて行く船を見て詠んだものであらう。○船人のぼる 船頭たちが都の方をさして榜ぎ上《のぼ》つて行く、と云ふ意。いざ告げ遣らむ いざ〔二字傍点〕は促す言葉。さあ、家の者たちへ言づけしよう、と云ふ程の意である。○旅の宿を 宿〔傍点〕はやどりのさま、と云ふ意を含めていふ。○一に云ふ これは第四、第五句の異傳。告げやらな〔五字傍点〕のな〔傍点〕は願望を現す助詞。
【後記】 この歌は上句に面白い味がある。廣い海の上で、都の方へ行く船を見た時、實に「呼びよせて」といふ感じになるのであらう。たしかに、現に沖を通過して行く船を見て詠んだものと云ふ率直で現實的な感を受ける。
 
佐婆《さは》の海中に忽ち逆風漲浪に遇ひ漂流し經宿して後、幸に順風を得,豐前國下毛部|分間《わくまの》浦《うら》に到着す。是に艱難を追ひ怛《いた》み悽惆して作れる歌八首
 
(72)3644 大君の 命《みこと》恐《かしこ》み 大船の 行きのまにまに やどりするかも
 
右の一首は、雪宅麿《ゆきのやかまろ》
 
【題意】 佐婆の海に進んだ時、突如逆まく風、みなぎる激浪に出遇ひ、漂流して幾夜か經た後、幸ひに順風になつて、豐前國下毛郡分間の浦に到着した。そこで苦しかつたことを思ひ出して心を傷め、おそれしをれて作つた歌八首。佐婆〔二字傍点〕は周防國の郡名。今の三田尻邊。下毛郡は今大分縣に屬(73)す。分間浦は詳かでないが、新考は「分間は万間などの誤にて今の間々崎なるべし」と説いてゐる。
【口譯】 天子樣の仰せ言《ごと》をつつしみ戴いて大船が進むにまかせて旅寢することであるよ。
【語釋】 ○大君の 大君〔二字傍点〕は天子樣。○命恐み 命〔傍点〕は「御言《みこと》」、「おほせ言」の意。恐み〔二字傍点〕はおそれつつしみ。○行きのまにまに 行くにまかせて。この句は、佐婆沖まで進んだ時逆風にあつて押流されたことを言外に含めて意つてあるのであらう。
〔二頁にわたって「遣新羅使通過地圖(推定)」があるが、省略〕
(74)【後記】 この一首は題詞によつて一層味はひ深いものとなつた。かうした不便の時代には、どんな平安な海路と云へども、一度や二度逆風に遭つて、生死の境をさ迷ふやうな事が必ずあつた事であらう。さう云ふ困難に會ひ乍ら、かう云ふ歌を作つたと思ふと、第四、五句の味が一層深くなる。そして、その詠み出しが「大君のみことかしこみ」と云ふのであつてみると、たとへ此の時代の常套的句法とするとも、一種の感激をうけざるを得ない。
【左註】 右の一首は雪宅麿の作。雪宅麿は古義に「懷風藻に伊支(ノ)連古麻呂ありて目録には雪(ノ)連と記せり。和名抄に壹岐島(ハ)由伎と見ゆ」とある。あるひは壹岐連宅麿か。
 
3645 吾妹子《わぎもこ》は 早も來ぬかと 待つらむを 沖にや住まむ 家|附《づ》かずして
 
【口譯】 私の妻は私が早く歸つて來よかしと待つてゐるだらうものを、沖で暮らすことか、家に近づかないで。
【語釋】 ○早も來ぬかと 來ぬ〔二字傍点〕は古義に「奴《ヌ》は、不《ヌ》の意にあらず、希望の辭の禰《ネ》の活轉《うつろ》ひたるなり。常は來禰《コネ》とのみ云を、可《カ》の言へ連く故に、禰をうつして、奴《ヌ》と云るなり」とあり、新考はこれに據つてゐるが、ぬ〔傍点〕は尚打消の助動詞と見るべきである。こんな打消の助動詞のぬ〔傍点〕の下にか〔傍点〕が來る時はぬか〔二字傍点〕全體で願望の意(75)を表すことがある。「わが命も常にあらぬか昔見し象《きさ》の小河を行きて見むため」(卷三、三三二)、「天霧《あまぎら》し雪も零《ふ》らぬか灼然《いちじろ》くこのいつ芝に零《ふ》らまくを見むし(卷八、一六四三)等がその場合で、ここも早く來ないのか、來よかし、と逆に願望の意に變るのである。下の三六五一の「ぬか」も亦同じである。○沖にや住まむ や〔傍点〕は間投の助詞で意なし。○家附かずして 代匠記に「秋にいたりつくを秋附といふごとく家に近附なり」とあり、家に近づくこともしないで、の意であらう。この語は下に「吾妹子を行きて早見む淡路島雲居に見えぬ家づくらしも」(三七二〇)と使はれてゐる。
【後記】 この歌も前と同じ場合の作であらう。情に純なものがあり、詠み方に無理がない。下句が特に面白いと思ふ。
 
3646 浦廻《うらみ》より こぎ來し船を 風早み 沖つ御浦に やどりするかも
 
【口譯】 海岸の曲つた處を通つて榜いで來た船ではあるのに、風が速いため沖の方の浦で宿りをする事であるよ。
【語釋】 ○こぎ來し船を を〔傍点〕は目的格を示す普通のを〔右○〕ではなく、感動の助詞である。○風早み 風が早い故に、風が早い爲に。○沖つ御浦 代匠記には「海童ノ住深キ所ノ意ナルヘシ」。とあり、略解には「沖中の島の浦なり」とあり、全釋が之に從ひ、古義には「奥《オキ》は匣などの底を奥《オク》といふに同じく、行つまりたる處 (76)をいふ。御《ミ》は美稱なり。さればここは、海中にもあらず、海底にもあらず、海浦の入こみ行つまりたる處をいふ」とあり、又新考には「オキツミウラは沖の眞中なるべし」とあつて何れとも決し難いがしばらく古義説による。
 
3647 わぎもこが 如何に思へか ぬばたまの 一夜も闕《お》ちず 夢《いめ》にし見ゆる
 
【口譯】 私の妻がどんな風に思ふからか、一晩も缺けずに夢に現れることだ。
【語釋】 ○如何に思へか 如何に思へばか、の義。自分のことを如何樣に思ふ故にか、と云ふ意である。○ぬばたまの 夜〔傍点〕に懸かる枕詞。○一夜も闕ちず 一夜も闕かさず、一晩も洩らさず、の意。○夢にし見ゆる し〔傍点〕は意を強める助詞。
【後記】 かう云ふ歌は現代の我々には少し馬鹿ばかしく映ずるのであるが、この時代の人は矢張り本氣でかう云ふ歌を作つたのであらう。
  しかし又、考へ樣によつては、斯う云ふ詠み方が旅などに於ける常套的なもので、大勢の人がかう云ふ歌を作るので、何時となく聞き慣れてしまつて、その歌の調子を以て、かかる歌を作つたのかも知れない。こんな風に考へられるのは、私があまり近代人であるからだらうか。
 
(77)3648 海原の 沖邊に燭《とも》し 漁る《いざ》火は 明《あか》して燭《とも》せ 大和島見む
 
【口譯】》 海の沖のところで燈をともして漁をしてゐるその火は、もつと明るくしてともせよ。大和の國を見ようから。
【語釋】 ○漁る火 漁をする燈。○明して燭せ 代匠記に「夜を明してともせにも、又あきらかにともせにもあるべし」とあり、略解は前説、古義は後説、その他請註書も兩説に分れてゐるが、ここはもつと明るくともせ、の意に解すべきであらう。○大和島見む 大和島〔三字傍点〕は「大和の國」の意。島〔傍点〕は海上から、故郷の大和國の方を見ると、それが島のやうに見えることから、斯う言つたものであらう。
【後記】 この詠み方はなかなか歌人らしい味を有つた詠みぶりで、それだけナイーヴな感じとは異る。何だか近代的な歌の樣にひびくのは奇妙であると思つて、幾度も讀みかへして味はつてみた。しかし、海原に點々と漁りする灯に向つて呼び掛けた心持は、萬葉人特有の心である。たゞ詠みぶりが萬葉調のおほらかさを缺いてゐる感がある。
 
3649 鴨じもの 浮宿《うきね》をすれば 蜷《みな》の腸《わた》 か皇き髪に 露ぞ置きける
 
(78)【口譯】 鴨のやうに波に浮いて宿りをしてゐると、黒々とした髪に露がおりたことだ。
【語釋】 ○鴨じもの 鴨のやぅに、といふ意をもつて浮宿〔二字傍点〕に懸かる枕詞。○蜷の腸 みなといふ貝の腸が黒いことから黒に懸かる枕詞となつたもの。○か黒き髪に か〔傍点〕は接頭語で意味なし。
【後記】 前の歌に比べると、ずつと田舍びた單純な詠みぶりで、むしろ氣持がいい。「か黒き髪に露ぞおきける」などの句は、何でもなくよんでゐるものの、その時の若人の面影を偲ばせる自然さがある。
 
3650 ひさかたの 天照《あまて》る月は 見つれども 吾《あ》が《も》思ふ妹に 逢はぬ頃かも
 
【口譯】 空にかがやいてゐる月は見たけれども、私の慕ふ妻には逢はないこの頃であるなあ。
【語釋】 ○ひさかたの ※[誇の旁+瓜]形《ヒサカタ》の、といふ義で、※[誇の旁+瓜]《ひさご》の器《うつは》が圓曲してゐるやぅな、と云ふ意を以つて「空」「天」「日」その他の天象のことに懸かる枕詞だとする説が勢力がある。○天照る月は見つれども 天に照つてゐる月は見たが、と云ふ意。しばらく險惡な天候の中を漂流した後、やうやく雲霽れて月光を仰いでほつとした氣特を云つたものである。
【後記】 題詞に説明してゐる通り、しばらく險惡だつた天候の中を漂流した後、やうやく一天晴(79)れて月の光を見た喜び、心がほつとすると同時に、久しくも逢はぬ妹を戀しく思ふ心持、この上句と下句との對照の具合が面白いのである。
 
3651 ぬばたまの 夜渡る月は 早も出でぬかも 海原の 八十島の上ゆ 妹が邊《あたり》見む【旋頭歌なり】
 
【口譯】 夜、空を渡る月は早く出でてくれよ、海原の澤山の島々のほとりを通して妻のあたりを見よう。これも旋頭歌である。
【語釋】 ○ぬばたまの 夜〔傍点〕にかかる枕詞。前出の三五九八を參照。○夜渡る月 夜空を通る月。○早も出ぬかも 早く出ないのか、出よかし、と云ふ意。ぬかも〔三字傍点〕は前の三六四五に述べた「ぬか」と同じ用法である。卷十にも「春日なる三笠の山に月も出でぬかも佐紀山《さきやま》に咲ける櫻の花の見ゆべく」(一八八七)。○八十島の上ゆ 多くの島々の上を通《とほ》して、と云ふ意。八十〔二字傍点〕は數多いこと。○妹が邊見む 妻のゐる故郷のあたりを見よう。○旋頭歌なり この一首は旋頭歌體であるとことわつたもの。旋頭歌〔三字傍点〕は前出の三六一二參照のこと。
【後記】 旋頭歌のことは前の三六一二に於ても一寸ふれて云つた事であるが、形式は短歌よりも(80)稍々長く、從つて句も伸びる譯であるから、それだけ事象を廣く大きく描き出して來さうなものであるが、事實は常に之と反酎の現象を示してゐる。これは偏へに、その歌體が、云はゞ上句の繰り返し、或は繰り返さぬまでも、上句の氣持を離れず、對句的に反復して行く爲に、歌句は延びても内容に伸展がなく、自然束縛を受け、從つて自由性がなくなつてゐるのである。それだけ歌の内容が貧弱になり、反響が乏しくなる感をうける。
 一體に私は、どうも旋頭歌を讀んでも短歌ほどの感激を受けない。今ここに評する一首も、出來|映《ばえ》とすれば、穩かで破綻もないが、たゞなにか謠物を聽いてゐるやうで、眞に心を躍らす樣な感動は起る由もないのである。
 
筑紫館に至り遙に本郷を望み悽み愴きて作れる歌四首
 
3652 志珂《しか》の海人の 一日も闕《お》ちず 燒く鹽の 辛《から》き戀をも 吾はするかも
 
【題意】 筑紫の館に到着し、遙かに故國奈良の方を望み見て、心を傷め悲しんで作つた歌四首。筑紫館〔三字傍点〕は筑紫に置かれた官設の宿命。今の博多附近にあつたと稱せらる。
【口譯】 志珂の海人たちが一日も缺かさすに燒いてゐる鹽のやうに、辛《から》くつらい戀を私はするこ(81)とであるよ。
【語釋】 ○志河の海人の 志珂〔二字傍点〕は志珂島。福岡灣に在る。筑紫の館は此の島に設けてあつたと新考は説いてゐる。○燒く鹽の の〔傍点〕は「……の如く」、「……の樣に」の意。○辛き戀をも 辛く苦しい戀を、と云ふ意である。
【後記】 この一首は卷十一に「志珂の海人の火氣《けぶり》燒《た》き立てて燒《や》く鹽の辛き戀をも吾はするかも」(二七四二)とある歌とただ第二句が少し異るだけである。あるひはそれを作り更へたものか。卷十一の歌の作者は、石川君子朝臣だと云ふ一説が註してある。
 とにかく、此の歌は、遠い筑紫の館に到着して、故郷を偲び、心を傷め悲しんで作つた歌としては、どこか少し遊びがあるのではないか。その點は第三、四句あたりにあるのではないかと思はれる。唯、何となく痛切な行き方とは思はれない。
 
3653 志珂《しか》の浦に 漁《いざり》する海人《あま》 家人の 待ち戀ふらむに 明《あか》し釣《つ》る魚《うを》
 
【口譯】 志珂の浦で漁をしてゐる海人たちは、家の人々が待ち戀ふて居るだらうのに、夜通し魚を釣つてゐる。
(82)【語釋】 ○志珂の浦に 志珂の浦〔四字傍点〕は志珂島の浦。に〔傍点〕は「に於て」の意。○待ち戀ふらむに 待ち戀ふてゐるだらうのに、しかるに、の意。に〔傍点〕は接續の助詞。○明し釣る魚 明し〔二字傍点〕は代匠記は「夜をあかす」と解し、古義が之に從ひ、略解は「夜も歸らずして燈を明《あか》くともして釣すると言ふなり。云々。夜もすがら釣る事とも思へど、上のあかしてともせやまとじま見ゆと詠めるを思へば、さには有らざりけり」と説き、新考は「宇乎《ウヲ》は可毛《カモ》の誤にあらざるか。さらばツルは釣ルにあらでテエヲハなり」と説いてゐる。上に「待ち戀ふらむに」の句があつて下の意を現してゐるのだから、「待つてゐるのに歸りもせず夜通し」と解すが穩當であらう。しばらく代匠記の説に從つておく。
【後記】 この一首は眼前の景を叙した、それだけの歌のやうにみえて、題詞に云ふ、「本郷を望み悽み愴いて作つた歌」とあるに一致しないではないかとも思はれるが、代匠記に「此は我は勅命を蒙て行身なれは妹を思へともいかかせむ。己は心のままなる身にて心なく家人の待らむとも思はす、魚つるにのみ心を入れて夜をあかすらむ事よとよめるなるへし」とあるに聽くべきであらう。
 詠みぶりに稍々後世風の處があるが、この歌はこれで相當に面白い味がある。私がさう云つた點は、重に此の歌の下句について云つたのである。
 
(83)3654 可之布江《かしふえ》に 鶴《たづ》鳴き渡る 志珂《しか》の浦に 沖つ白波 立ちしくらしも【一に云ふ、滿ちしきぬらし】
 
【口譯】 可之布江に向つて田鶴が鳴きながら渡つて行く。志珂の浦には沖の白浪が立ちつづいてゐるらしいわい。或る傳へでは、滿ち重なつてゐるらしい。
【語釋】 ○可之布江 古義に「糟屋(ノ)郡香椎は、志珂の浦のむかひにあれば、彼(ノ)入江を可之布江といへるにや。志珂は、今は那珂(ノ)郡に屬たれど、元(ト)はこれも糟屋(ノ)郡の内なりと筑前名寄にいへり」とあり、新考も之を襲うて「げにカシヒをなまりてカシフといへるならむ。筑前風土記逸文に※[加/可]襲宮とあるはカシフとよみてカシヒの訛とすべきか、文カシヒとよみて襲の音シフをシヒに通用したりとすべきか(イヒボ、サヒガを揖保、雜賀と書く如く)。※[加/可]襲は可紫比ナリと註したるを思へばなほカシフとよむべきに似たり」と説いてゐる。この説に從ふべきであらう。○立ちしくらしも 立ちしく〔四字傍点〕は代匠記に「立し來らしもともきこえ、立|重《シク》らしもともきこゆ」とあり、略解、全釋等は後説に從つてゐる。ここでもしばらく後説に據つて「頻に立つ」「立ち重なる」の意に解しておく。因に、前説に從へば、し〔傍点〕は強意の助詞であつて、「立つて來る」といふ意である。も〔傍点〕は感動の助詞。○滿ちしきぬらし 第五句の異傳である。滿ちしきぬ〔五字傍点〕も「滿ち重《し》きぬ」とも「滿ちし來ぬ」とも解される。らし〔二字傍点〕は推量の助動詞。
【後記】 總體の詠みぶりとしては誇張によつた所があつて面白く感じられる。殊に第五句などは(84)珍らしい詠みぶりとして味ははれる。
 此の時代には、海邊の葦干潟などに多く鶴が下りて來て、潮が滿ちて來ると鳴き騷ぎ飛び翔けたであらう。さういふ實景をとらへて、大勢の人が、種々に歌を作つてゐる。
 この歌もその一つであるが、これなどは詠み方に誇張があるけれど、同時に、新しい感じを與へるものを有つてゐる。
 さう云ふ所は、矢張り、此の作を爲《な》した時代のしからしむる所であらう。
 
3655 今よりは 秋づきぬらし あしひきの 山松かげに 晩蝉《ひぐらし》鳴きぬ
【口譯】 今からは秋に近づくらしい。山の松蔭で晩蝉が鳴いたことだ。
【語釋】 ○今よりは 今からは。これからは。○秋づきぬらし 秋づく〔三字傍点〕は前の「家づく」(三六四五)の條で述べた通り、秋に近づくこと。ぬ〔傍点〕は完了、らし〔二字傍点〕は推量の助動詞。○あしひきの 山〔傍点〕に懸かる枕詞。語義は未詳。
【後記】 あつさりとした詠みぶりの歌。採り立てて良い歌とするものはないが、品がよいので、一通り讀んでみて快い感じをうける。それが此の歌の生命であらう。
 句を追つて讀み進むと、如何にも自然で、無理な詠み方の無い、そして、その中に清《す》んだ調(85)子が響いてゐる。斯う云ふ歌は、割合に私は好くのである。
 
七夕に天漢を仰ぎ觀、各所思を陳べて作れる歌三首
 
3656 秋萩に にはへる吾が裳 濡れぬとも 君が御船の 綱し取りてば
 
右の一首は大使
 
【題意】 七夕の夜あまの川を仰ぎ見て、各々思ひ/\のこころを陳べて作つた歌三首。この七月七日の頃は未だ筑紫の館に居つて、其處で七夕の宴を張つたものであらうか。
【口譯】 秋萩で染めた色美しい私の裳は濡れたとていとひません。あなたの御船の綱を握るならば。
【語釋】 ○秋萩ににほへる吾が裳 秋萩の花で摺つて染めた美しい私の裳。にほふ〔三字傍点〕は色の美しくかがやくこと。○ぬれぬとも 濡れたとて。「……よし」とか「……かまはぬ」と云ふ程の意を裏に含む。○綱し取りてば し〔傍点〕は張意の助詞。取りてば〔四字傍点〕は「ならば」で、この下に「よろし」といつた詞が省かれてゐる。
【後記】 筑紫の館にゐて、うち興じて詠まれた歌としての面白さがある。詠みぶりに氣の利いた處があるやうであり、又新しい詠み方ではあるが、第五句は誇張を眞似てゐる樣に思はれる。
(86)【左註】右の一首は遣新羅大使阿倍朝臣繼麿の作
 
3657 年にありて 一夜妹に逢ふ 牽牛《ひこぼし》も 我に益《まさ》りて 思ふらめやも
 
【口譯】 一年のうちに一夜だけ妻に逢ふ彦星も私に勝《まさ》つて妻を思ふだらうか。私ほどには思はないだらうよ。
【語釋】 ○年にありて 一年に於いて、一年中に、と云ふ意。○一夜妹に逢ふ 七月七日の一夜だけ織女星に逢ふ、と云ふ七夕傳説を例にもつてきたもの。○思ふらめやも らめ〔二字傍点〕は推量の助動詞。や〔傍点〕は反語、も〔傍点〕は感動の助詞。思ふだらうか、思はないであらうよ、と云ふ意。
【後記】 七夕の歌として、もう隨分詠み古された處を詠んでゐるに過ぎない。
 唯、此の人々が、故郷を去つて遠い旅路に居り、其處で七夕を迎へて詠んだ歌であるから、讀み流しには出來ない。
 
3658 夕|月夜《づくよ》 かげ立ち寄り合ひ 天の河 こぐ舟人を 見るが羨《とも》しさ
 
【口譯】 夕月の光の中に立つて、寄り添つて天の河を漕いで行く船頭(彦星)を見るのは羨しい(87)ことであるなあ。
【語釋】 ○夕月夜 單に夕月〔二字傍点〕と云ふに同じく夜〔傍点〕には深い意を含んでゐない。○かげ立ち寄り合ひ かげ〔二字傍点〕には光線のあたる所或は光線を意味する場合と、その反對に漢字の「蔭」の意に當る場合と二義あつて、ここもその何れか詳かでないが暫く前者の意に解しておく。○こぐ舟人を 舟人〔二字傍点〕は彦星をさす。○見るが羨しさ 見るのは羨しい事であるよ、と咏嘆の情を含めて云ふ。
【後記】 この「かげ立ち寄り合ひ」は諸説定まらないし、自分としても、これに據らうと云ふ程の註も見出せないので、此の歌の評は止めることにする。
 
海邊に月を望みて作れる歌九首
 
3659 秋風は 日《ひ》に日《け》に吹きぬ 吾妹子《わぎもこ》は 何時《いつ》とか我を 齋《いは》ひ待つらむ
 
大使の第二男
 
【題意】 海邊で月を眺めながら作つた歌九首。前の「筑紫館に至り遙に本郷を望み云々」の中にも殆ど直接望郷の歌がなかつたと同じ樣に、この一群の中にも月そのものを詠んだ歌は一首もない。海邊〔二字傍点〕は館の在る博多の海濱であらうか。
(88)【口譯】 秋風は日に日に吹くやうになつた。私の妻は、何時歸つて來る事かと、祈りながら私を待つてゐることだらう。
【語釋】 ○日に日に吹きぬ 日毎日毎に吹くやうになつた。○何時とか我を かは疑問の助詞。何時かへることかと私を、の意
【後記】 前にも出て來た同じ樣な感情を繰返して詠まれたに過ぎない。從つて、進み行く此の人人の長い旅路を思ひ遣るまでである。しかし、句々を追つて行くと、さすがに捨て難い味を見出すのである。
【左註】 この一首は大使阿倍繼麻呂の次男の作である。
 
3660 神《かむ》さぶる 荒津の埼に 寄する浪 間《ま》無くや妹に 戀ひ渡りなむ
 
右の一首は土師稻足《はにしのいなたり》
 
【口譯】 (神々しい荒津の埼に寄せ來る浪、その浪のやうに)少しの絶え間もなく妻に戀ひつづけてゐることだらうか。
【語釋】 ○神さぶる荒津の埼に寄する浪 この三句は間無く〔三字傍点〕を云ひ出すための序詞。神さぶる〔四字傍点〕は神々しい、(89)もの古びたる、といふ意。荒津〔二字傍点〕を修飾する語。荒津の埼〔四字傍点〕は今の福岡市の西公園になつてゐる處だと言はれててゐる。○間無くや妹に や〔傍点〕は疑を現す助詞。結句の下に移して解釋する。絶間なく妻に、と云ふ意。○戀ひ渡りなむ 戀ひつづけてゐよう。
【後記】 此の一首は、調子に張りがあつて、何か心をうたれるものがある。それは、第一、二句から第三句に詠み進んで來る調子で、何處か引締まつた、直向《ひたむ》きな心の調子が合つてゐる爲でもあらうか。
 下句は、此の時代としては當然のことであるけれど、上句が面白い爲に、妹に戀ふる心が、ちよつと生々しさを有つてひゞいて來るのである。
【左註】 右の一首は土師稻足の作である。土師稻足は傳未詳。
 
3661 風の共《むた》 寄せ來る浪に 漁《いざり》する 海人《あま》をとめ等《ら》が 裳《も》の裾《すそ》ぬれぬ【一に云ふ、海人の處女が裳の裾ぬれぬ】
 
【口譯】 風と共に寄せて來る浪のために漁《すなどり》をする海人《あま》の少女たちの裳の裾が濡れた。或る傳へでは、海人の處女の裳の裾が濡れた。
【語釋】 ○風の共 風とともに。風と一緒に。○寄せ來る浪に 押し寄せて來る波の爲に。○一に云ふ 第(90)四、第五句の異傳を示したものであるが、ただ「をとめ等が」が「をとめが」になつてゐるに過ぎない。
【後記】 萬葉の歌も、かうなつて來ると、讀んでゐてあまり感激も起らぬのである。
 
3662 天の原 振放《ふりさ》け見れば 夜ぞふけにける よしゑやし 獨り寢《ぬ》る夜は 明けば明けぬとも
 
右の一首は旋頭歌なり
 
【口譯】 空を遠く仰いで見ると夜は全く更けてしまつた。ままよ獨りさびしく寢る夜は明けるなら明けたとてかまはない。
【語釋】 ○天の原 空の意。○振放け見れば 振り仰いで遠く見遣ると。○よしゑやし よし〔二字傍点〕は許容の意を現す語である。單に「よし」に同じ。ゑ〔傍点〕は感動の助詞。後世にいふ「よしや」とか「ままよ」とか云ふ語に相當する。次に、やし〔二字傍点〕はや〔傍点〕もし〔傍点〕も共に感歎の助詞。結局よしゑやし〔五字傍点〕はよし〔二字傍点〕にだけ意味があつて、他はすべて助詞を重ねたに過ぎない。卷二「……よしゑやし、浦はなくとも、よしゑやし、潟はなくとも……」(一三一)、卷十二「里人も謂ひ繼ぐがねよしゑやし戀ひても死なむ誰名ならめや」(二八七三)、卷十七「……玉ほこの、路はし遠く、關さへに、隔《へな》りてあれこそ、よしゑやし、よしはあらむぞ、ほととぎす、來鳴かむ(91)月に……」(三九七八)等が此の語の例である。○明けば明けぬとも 明けなば明けぬとも、と云ふに同じ。明けるなら明けたとて、の意。
【後記】 旋頭歌である。前にも述べたやうに、どうも旋頭歌は歌體に制限されて、のび/\と心のままを詠み出づることが出來ない。此の歌も、旋頭歌としてはすなほに出來てゐるけれど、矢張り、短歌の自由に限り無きまで伸びゆくものに比べて、隨分束縛された窮屈さがある。
【左註】 右の一首は旋頭歌である。
 
3663 わたつみの 沖つ繩海苔 來る時と 妹が待つらむ 月は經につつ
 
【口譯】 私が歸つて來る時だといふので、妻が待つてゐるだらう、月は次第に過ぎ去つて行くことだ。
【語釋】 ○わたつみの沖つ繩海苔 來る〔二字傍点〕といふ語を言ひ出す爲の序詞。一首の意に關係なし。わたつみ〔四字傍点〕は海の事。繩海苔〔三字右○〕は細長い海藻のことであらう。その藻を手繰り寄せて採る、といふ意から「來る」に言ひ懸けたのであらう。○來る時と 私がかへつて來る時だとて。と〔傍点〕は「とて」の意。
【後記】 此の歌は、さして此處と云ふ所はないが、何處か良い味を有つてゐる。詠みぶりが自然(92)だからであらうか。それには、「わたつみの沖つ繩海苔」といふ枕詞が隨分効果的であると云ふことを感じさせられる。第四句で切つて、第五句で感慨を洩らしてゐるところも自然、効果をなしてゐる。
 
3664 志珂《しか》の浦に 漁《いざり》する海人《あま》 明け來れば 浦廻《うらみ》こぐらし 楫《かぢ》の音《おと》聞ゆ
 
【口譯】 志珂の浦で漁をしてゐる海人は夜が明けてくると灣曲を榜いでゐるらしい、櫓の音が聞えてくる。
【語釋】 ○明け來れば 夜が明けて來ると。明け〔二字傍点〕を名詞とみる説もあるが、やはり動詞とする方が穩かであらう。○浦廻こぐらし 夜釣りをしてゐた漁師が、夜が明け初めたので曲り濱を榜いで歸つてくるらしい、と云ふ意であらう。
【後記】 評するまでもなく、類歌を澤山見たし、特別の感激も起らない。
 
3665 妹を思ひ 寐《い》の寢《ね》らえぬに 曉の 朝霧|隱《ごも》り 雁がねぞ鳴く
 
【口譯】 妻のことを思つて寢るにも寢られないのに、曉の朝霧の中に姿を消して雁が鳴いてぬる(93)なあ。
【語釋】 ○寐の寢らえねに 寐〔傍点〕は「ねること」といふ名詞。寢ることも寢られねのに、と云ふ意。○朝霧隱り 朝霧が立ちこめた中にかくれて、といふ意。姿は見えずに鳴聲だけが聞えたのであらう。○雁がねぞ鳴く 雁がね〔三字傍点〕は單に「かり」といふに同じ。ぞ〔傍点〕は助詞。
【後記】 上句は萬葉の歌としては少しも珍しからぬ詠み方であるが、下句に何か此の人の感じたものが表れてゐるのである。あつさりと言つてゐるが、「朝ぎりごもり雁がねぞ鳴く」は此の歌の中の生命をなしてゐるのである。
 
3666 夕されば 秋風寒し 吾妹子が 解濯衣《ときあらひごろも》 行きて早著む
 
【口譯】 夕方になると秋風が寒い。自分の妻が解いて濯つてくれた衣を歸つて行つて早く著ませう。
【語釋】 ○夕されば 夕方になると。日暮がやつて來ると。○解濯衣 解いて濯つて仕立て直した衣。○行きて早著む 早く歸つて行つて著よう、と云ふ意。但、まだ歸途に就いてゐるのではなく、著む〔二字傍点〕と云つても「著たい」と云ふ願望の意を現してゐるのである。
(94)【後記】 この歌などを讀むと眞心の歌だと云ふ事を感ずる。それだけに一種の素朴な感を受けるのである。が、ただ第五句の行き方には、ややかるく調子にのつて詠んだやうなものが感じられる。
 然し「吾妹子が解濯衣」と云ふやうな實感から出た句がある爲に第五句をそれ程輕く評しても惡いやうな氣特にもなつて來る。
 
3667 わが旅は 久しくあらし 此の吾が著《け》る 妹が衣の 垢《あか》づく見れば
 
【口譯】 自分の旅も久しくなつたらしい。この自分が着てゐる妻の著物が垢のついたのを見ると。
【語釋】 ○久しくあらし 久しくあるらし。永くなつたらしい、といふ意。○此の吾が著《け》る ける〔二字傍点〕は吉義に「此吾著有《コノアガケル》なり、熱田(ノ)宮縁起、安酢媛(ノ)歌に 和何祁流意須比乃宇閉爾《ワガケルオスヒノウヘニ》」と述べてゐる通り、「著てある」即ち「著たる」の意で、單なる連體形「きる」とはちがふ。○妹が衣 妻が別れる時にくれた上衣の類であらう。
【後記】 この一首は卷二十の占部虫麿の歌「旅といへどま旅になりぬ家の妹《も》が著せし衣に垢づきにけり」(四三八八)によく似通つてゐる。又前の三六六六とも同じ樣な内容を詠んでゐるが、此の(95)歌の方が遙かにしみ/”\とした良い歌特有の誠實が一首に流れてゐる。特に下句が實感から出てゐると同時に、歌のリズムの中にもその實感を傳へ來たるあはれな調子が出てゐると思ふ。
 從つて、「わが旅は久しくあらし」も自然に受け容れられるのである。
 第三句が少しごつ/\してゐるが、此の場合も一種の朴訥な作者の氣持を好意的にうけとれない事もない。
 
筑前國志麻郡の韓亭《からどまり》に到りて船泊《ふねは》てて三日を經たり。時に夜月の先皎皎として流照す。奄《たちま》ち此の華《けはひ》に對して旅情悽噎、各心緒を陳べて聊以て裁せる歌六首
 
3668 大君の 遠《とほ》の朝廷《みかど》と 思へれど 日《け》長くしあれば 戀ひにけるかも
 
右の一首は大使
 
【題意】 筑前國志麻郡の韓亭に到つて停泊し、其處で三日を過した。時あたかも月の光は皎皎としてそそぎ照して居つた。たちまち此の光景を見て旅の愁を感じて悲み嘆き、各々心の思ひを陳べていささか作つた歌六首、志麻郡〔三字傍点〕は今の糸島郡の一部。韓亭〔二字傍点〕は和名抄に「志摩郡韓良」とあり、今の北崎村唐泊に當る。福岡縣の西に位し、當時韓國との交通の要地だつたのでこの名が出でたものか。華〔傍点〕は古義に「物華と云ふに(96)同じからむ、下に、於是瞻2望物華(ヲ)1とあり」と説いてゐる如く光景の意であらう。悽噎〔二字傍点〕は心を傷めむせび泣くこと。裁〔傍点〕は作るの意。
【口譯】 此の韓亭は、天子樣の遠いお役所だと思つてゐるけれども、日數が永くたつたので都が戀しく思はれる事だ。
【語釋】 ○大君の遠の朝廷 大君〔二字傍点〕は天子樣。遠の朝廷〔四字傍点〕は遠くにある役所、官廳のこと。普通太宰府、鎭守府などを指す。轉じてその官廳の所在する土地そのものを云ふ。今は韓亭が太宰府の所在地筑紫國にあるから斯く言つたのである。○思へれど 思つて居るけれど。○日長くしあれば 時日が多く經過したので。し〔傍点〕は強意の助詞。○戀ひにけるかも 故郷の都を戀しく思つた事であるよ、といふ意。
【後記】 歌ひ出しがおほらかに堂々と出てゐるわりに下句が單純に何の手もなく云はれてゐる所が、或る意味から云へば而白くもあり、又、物足りなくもある。
 それも、純朴でいゝと云へばそれで濟むやうなものゝ、どうも此の歌の題詞を讀み、上句を讀んでゐると、もつと良い歌になりさうでなり損ねてゐる氣がする。
【左註】 右の一首は大使阿倍繼麻呂の作。
 
(97)3669 旅にあれど 夜《よる》は火《ひ》燭《とも》し 居《を》る我《われ》を 闇にや妹が 戀ひつつあるらむ
 
右の一首は大判官
 
【口譯】 旅にはゐるけれども、夜にはともし火を燭して居る私を、妻は闇の中で戀ひつつゐることだらうか。
【語釋】 ○旅にあれど 旅の空にゐるけれども。○闇にや妹が 闇の中でか妻が、の意。裏に心の暗い意を含めて云つたのであらう。又新解は、當時にあつては燈油は極めて貴重なものであつたので、主人の留守中それを節約してつつましやかに生活してあるだらう妻を思ひやつたのであらう、と云ふやうに述べてゐる。や〔傍点〕は疑開の助詞。
【後記】 これは讀みかへしてみると、なかなかに深い味はひのあるおもしろい一首だと思ふ。詠み口が個性ある行き方であつて、しかも突飛に流れないで、よく心を傳へてゐると思ふ。
 自分としては、新解の説を合はせて、一層深く味はひ、かつ味はひした。實は卷十五を此處まで讀んで來る間にはかなり飽き/\するやうな、幾度もきいた歌を又きくやうな氣特になつてゐたものが、此の一首で非常に心を引きしめさせられ、思ひを新にせしめられたかの如くである。
(98)【左註】 右の一首は大判官壬生宇太麻呂の作。
 
3670 韓亭《からとまり》 能許《のこ》の浦波 立たぬ日は あれども家に 戀ひぬ日は無し
 
【口譯】 韓亭の近くの能許の浦浪が立たない日はあるけれども、私が家に向つて戀ひ慕はない日は無い。
【語釋】 ○韓亭 前の題詞を參照。○能許の浦 略解に「同國早良郡能解(乃計)と和名抄に見ゆれば、歌の能許は能解の誤ならんかとも思へど、朝野群載、中右記等に能古島と有れば然《さ》て有るべし」とあり、古義に「兵部省式に、筑前(ノ)國能巨(ノ)島手牧、朝野群載廿(ノ)卷、寛仁三年太宰府解に、筑前(ノ)國那珂郡能古(ノ)島、重録2在状1、小右記に、筑前(ノ)國乃古(ノ)島などある、其處なり」とある。即ち今の殘《のこノ》島である。唐泊(韓亭)からは東南の海中にある。○家に戀ひぬ 家を戀しく思はない、の意。に〔傍点〕は「に向つて」の意で,「に於て」の意ではない。
【後記】 この歌の詠み振りは、此の時代にあつて新しい詠みぶりとでも云ふのであるか、卷十四に「伊香保風吹く日吹かぬ日ありといへど吾が戀のみし時なかりけり」(三四二二)と云ふ歌があり、又、後世僧良寛にも「長崎の森のからすの鳴かぬ日はあれども袖のぬれぬ日はなし」の作(99)があることを思ひ合はせると、新歌風とは云へ、やはり萬葉の歌風として味はふべきであるが、卷十四の詠みぶりには古風な味が出てゐておもしろいのであるが、此の歌になると詠みくちが細かく調つて、それだけ萬葉も後の歌風といふ事が思はれるのである。
 
3671 ぬばたまの 夜《よ》渡る月に あらませば 家なる妹に 逢ひて來《こ》ましを
 
【口譯】 夜空を渡る月であつたならば、家に居る妻に逢つて來たいものをなあ。
【語釋】 ○ぬばたまの 夜〔傍点〕に懸かる枕詞。○あらませば あつたならば。ませ〔二字傍点〕は事實に反し假設して云ふ意を現したのである。○家なる妹に 家なる〔三字傍点〕は「家にある」の意。○逢ひて來ましを 逢つて來たいのになあ。まし〔二字傍点〕は願望の助動詞。を〔傍点〕は感動の助詞。
【後記】 不便な此の時代にあつて、遠い旅に出た人々が、あるひは鳥に身を變へ、ひとときに戀する者の處に歸り度いと希つた歌は、今日の我々が、遊戯的に句を飾るやうな場合とは全然異つた實感であらう。
 此の作者が「月にあらませば」と云つたのは、鳥よりも更におもしろい感を私に與へたのである。
 
(100)3672 ひさかたの 月は照りたり いとまなく 海人《あま》の漁火《いざり》は 燭し合へり見ゆ
 
【口譯】 月は空にかがやいてゐる。絶え間なく一面に海人のいざり火が燭《とも》し交《かは》してゐるのが見える。
【語釋】 ○ひさかたの 月〔傍点〕にかかる枕詞。前出の三六五〇參照。○いとまなく 絶え間なく、すきまなく一面にの意。暇なく、と解するはいかが。○漁火 いざり〔三字傍点〕はいざりびの略。○燭し合へり見ゆ 海人たちが澤山夜釣りに出て居つて、互ひに夜の海面を明るく照し出してゐる光景を叙した句。
【後記】 此の一首も、相當面白い歌として味ははれる。第二句で切り、一天くまなく月の照り渡つてゐる光景を現し、しかも、海上にはいとまなく海人のいざり火が海面をてらし出してゐる光景を叙するに「燭し合へり見ゆ」と云ふ詠み方をしてゐる、この詠み方に今人の及び難いものがあるのである。
 
3673 風吹けば 沖つ白波 恐《かしこ》みと 能許《のこ》の亭《とまり》に 數多夜《あまたよ》ぞ宿《ぬ》る
 
【口譯】 風が吹くと沖の白波が烈しいといふので能許の港で幾夜も幾夜も宿ることだ。
(101)【語釋】 ○恐みと 恐しいとて。おそろしさに。○能許の亭に さきの題詞に「韓亭に到りて船泊てて三日を經たり」とはつきり言つてあるのに、ここでは少し逆戻りした處の能許島の亭で「敷多夜ぞ宿る」と言つてゐるのは腑に落ちない。韓亭に到着する以前一行は此處にも逗留したのか、あるひは一行の一部は韓亭に、一部は此處に泊つたのか。或は風が烈しく波が荒れた爲に此處まで引返したのか、詳かでない。
【後記】 何でもない詠み方をしてゐるけれども、萬葉の歌は一度は讀み捨てたものでも二度繰り反して味はふと、どうも捨て難い感じになる。この歌なども「能許の亭に數多夜ぞ寢る」と云ふ所に、何か無理ならぬ、大げさではないけれど、ほんたうの人の心の聲があるやうに思はれる。
 
引津亭《ひきつのとまり》に船《ふね》泊《は》てて作れる歌七首
 
3674 草枕 旅を苦しみ 戀ひ居れば 可也《かや》の山邊に さを鹿鳴くも
 
【題意】 引津亭に船を泊めて作つた歌七首。引津亭〔三字傍点〕は今も引津浦と稱す。博多灣と隣合つた入海。
【口譯】 旅が苦しいので妻に戀ひ焦れて居ると、可也の山のあたりで男鹿が鳴いてゐるよ。
【語釋】 ○草枕 旅〔傍点〕に懸かる枕詞。既出三六一二參照。○旅を苦しみ 旅が苦しいので。○戀ひ居れば 戀ひ焦れてゐると。故郷の事どもを思ひ慕つてゐると、の意であらち。殊に下にさを鹿〔三字傍点〕が妻を呼んで鳴いて(102)ゐることを詠んでゐるのをみれば、家に置いて來た妻に焦れてゐたのかと思はれる。○可也の山 今も斯く稱してゐる。引津浦から東に當る。○さを鹿鳴くも さ〔傍点〕は接頭語で意なし。を〔傍点〕は「男」。も〔傍点〕は感動を現す助詞。牡鹿が鳴いてゐるなあ。
【後記】 第二、三句などの詠み振りが、萬葉の前期、中期などのものに無い、即ち、苦しいものを表面的にあらはに詠み出してある處、どこか現代人の歌をきく樣な感があるのは私の思ひすごしであらうか。
 下句は、さすがに古人の穩かさを有つた、面白い句であるけれども、それは詮ずる所「可也の山邊」が生きてゐるのではないだらうか。
 
3675 沖つ浪 高く立つ日に 遇《あ》へりきと 都の人は 聞きてけむかも
 
右の二首は大判官
 
【口譯】 沖の浪が高く荒れる日に出遇つたと都の人たちは聞いたことであらうか。
【語釋】 ○遇へりきと 遭遇したといふことを、の意。嚮《さき》の佐婆海上の難航のことか、又はその後にも出合つたか。○都の人 故郷の家人、即ち人たち。○聞きてけむかも けむ〔二字傍点〕は過去を推量する助動詞。かも〔二字傍点〕は(103)咏嘆の意を含む疑問の助詞。聞いた事だらうか、さうしたらさぞ心配することだらう、と云つた氣持を云つたもの。
【後記】 浪が高く立つた日に出遭つた、と都の人が聞いた事だらうか、とごく單純に詠んでゐる。れは例へば、佐婆の海上に難船した時の事であつたとしても、あるひは其の後、さう云ふ目に遭つたのだとしても、何れにしてもあはれ深い句である。
 此の下句は、自分の心から愛する者が、特にさういふ事を聞いて、共に恐しく、あはれに思つて欲しいなあと云ふやうな、人に向つてやゝ甘えた心地で詠み出した句でもあるのだらう。
 ほんたうの要點だけを云つて、たど/”\しい中に、何か捨て難い味のある句である。
【左註】 右の二首は大判宮壬生宇太麻呂の作。
 
3676 天飛《あまと》ぶや 雁を使に 得てしがも 奈良の都に 言《こと》告《つ》げ遣《や》らむ
 
【口譯】》 空を翔ける雁を使として得たいものだ。奈良の都へ消息の言葉を告げて遣らうと思ふ。
【語釋】 ○天飛ぶや 大空を翔ける。や〔傍点〕は間投の助詞。下の雁〔傍点〕を修飾する句である。○雁を使に に〔傍点〕は「……とするために」といふ意の助詞。鳥を使とする事は古事記輕(ノ)太子の歌に「阿麻登夫登理母都加比曾多豆(104)賀泥能《アマトブトリモツカヒソタヅガネノ》云々」とあり、本集卷十一にも「妹に戀ひ寐《いね》ぬ朝|明《け》に鴛鴦《をしどり》のここゆわたるは妹が使か」(二四九一)と見えてゐる。又雁〔傍点〕を使としたことは漢の蘇武の故事からよく知られてゐる。○得てしがも がも〔二字傍点〕は願望を現す助詞である。得たいものだ、と云ふ意。て〔傍点〕は完了の助動詞つ〔傍点〕の連用形。し〔傍点〕は未詳。森本治吉氏は、「山田博士(日本文法講義其他)武田博士(「しか」「てしか」考)は過去の助動詞キの連體形と説かれる。しかし、シガ、テシガに過去の意は無いと思はれるから、私はこれは『古に梁《やな》打つ人の無有世伐《ナカリセバ》此處《ここ》にもあらまし柘のさ枝は(三卷・三八七)』、『斯からむとかねて思里世婆《シリセバ》越《こし》の海のありその浪も見せましものを(十七卷・三九五九)』のセと連絡があると思ふ。憶測が許さるれば、佐行變格動詞の『す』と同活用の助動詞で、語勢を強めるか或は意味を確實に言ひ現す爲に使つてゐたものと考へる」(萬葉集講座)と説いてゐられる。
 
3677 秋の野を にほはす萩は 咲けれども 見るしるし無し 旅にしあれば
 
【口譯】 秋の野を美しく色どる萩の花は咲いてゐるけれども、見る甲斐がない、旅にゐることだから。
【語釋】 ○にほはす萩は 色美しくする萩は。にほふ〔三字傍点〕は既出(三六五六)。○咲けれども 咲きてあれども。咲いてはゐるが。○見るしるし無し 見る甲斐なし、見ても詮なし、の意。○旅にしあれば し〔傍点〕は強意の助(105)詞。旅に居るのだから。その奥の意を言へば、旅に居つて妻も居らず獨りさびしく見るのだから、と云つたやうな氣持であらう。
【後記】 斯う云ふ歌を推賞してゆくと、萬葉集全卷に亘つては數限りのない事になるのであらうが、何かあつさりとして品のある詠みぶりで、しかも、萬葉初期中期のよみぶりからみると後世風であり智識的洗練を加へられた作と受取られるのである。
 
3678 妹を思ひ 寐《い》の寢《ね》らえぬに 秋の野に さを鹿鳴きつ 妻おもひかねて
 
【口譯】 妻を思つて寢ることもねられないのに、秋の野で男鹿が鳴いた事だ、妻戀しさに堪へかねて。
【語釋】 ○寐の寢らえぬに 寐〔傍点〕はねること、と云ふ意の名詞。え〔傍点〕は「る」と同じ意の助動詞。ぬ〔傍点〕は打消の助動詞ず〔傍点〕の連體形。に〔傍点〕は接續助詞。寢る事も寢られない、しかるに、と云ふ程の意。○秋の野に 秋の野に於て、の意。○さを鹿鳴きつ さを鹿〔三字傍点〕は男鹿、既出。つ〔傍点〕は完了の助動詞。○妻おもひかねて 妻を思ふ思ひに堪え切れないで。妻を思ひ堪へかねて。
【後記】 人の好みはいろ/\になり、又男の好みと女の好みは異つてるのであらう。さう云ふ大(106)仰《おほぎやう》な事を言つて評する程の歌ではないが、私は斯かる歌からはあまり切實な感を受けない。ただ古人の感情を思ふのみである。
 
3679 大船に 眞楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き 時待つと 我《われ》は思へど 月ぞ經にける
 
【口譯】 大船に櫓を澤山つけてしばし好期を待つのだと私は思つてゐるが、もう一年過ぎてしまつたなあ。
【語釋】 ○時待つと 時〔傍点〕は出船の時期、順風の時。○我は思へど 上の句を受けて、ただ順風も待ちうけるのだ、とさう自分は思つてゐるが、と云ふ程の意となる。
【後記】 此の時代の海路を思はしむる歌。それで盡きてゐる一首とは思ふが、やはり、讀んでゐると、何處か朴訥で兩白い感を受ける。
 
3680 夜を長み 寐《い》の寢《ね》らえぬに あしひきの 山彦|響《とよ》め さを鹿鳴くも
 
【口譯】 夜が長いので眠りも眠られないのに、山彦をひゞかせて男鹿が鳴いてゐるよ。
【語釋】 ○夜を長み 夜が長い故に。秋の夜が長いので、の意。この歌が秋に作られたことは明かで、下(107)の三六八四には「秋の夜を長み」と詠まれてゐる。○寐の寢らえねに 既出。三六六五及び三六七八參照のこと。○あしひきの 山〔傍点〕に懸かる枕詞。○山彦響め 山彦〔二字傍点〕はこだまのこと。とよめ〔三字傍点〕は「ひびかせ」と云ふ意。○さを鹿鳴くも 男鹿が鳴いてゐるよ。も〔傍点〕は咏嘆の助詞。
【後記】 この歌をよむと三六七八を退《しりぞ》いても一度讀んでみる氣になる。其處でも言つた樣に、私はかう云ふ歌はさして好まないのであるが、かくいく人かの人によつてよまれた感情は尊重して味はふのである。
 
肥前國松浦軍|狛島亭《こましまのとまり》に船泊てし夜、遙に海の浪を望み、各旅の心を慟しみて作れる歌七首
 
3681 歸り來て 見むと思ひし わが宿の 秋萩|薄《すすき》 散りにけむかも
 
右の一首は秦田麿《はたのたまろ》
 
【題意】 肥前國松浦郡狛島亭に泊つた夜、遠く海の浪を望み見て、各々旅の氣特をかなしんで作つた歌七首。
 
狛島〔二字傍点〕は未詳。京大本に「柏島」とある。一説には狛〔傍点〕は「柏」の誤で、今の神集《かしは》島のことだと云はれてゐる。
 
【口譯】 歸つて行つて見ようと思つた自分の家の秋荻や薄は、もう散つてしまつたことだらうか(108)なあ。
【語釋】 ○歸り來て 歸つて行つて。來る〔二字傍点〕に「行く」の意のあることは上にしば/\説いた所である。○散りにけむかも かも〔二字傍点〕は咏嘆の意を含む疑問の助詞。散つてしまつたことであらうか、と云ふ意。
【後記】 嫌味のない歌だとは思ふが、何か内容も調子も、か弱すぎてもの足らなさを覺えしめられる。形は美しい歌となつてゐるが、それが、その美しさが貧窮に感じられて、萬葉の歌としては明かに末期の歌と云へるのである。
【左註】 右の一首は秦田麿の作である。秦田麿〔三字傍点〕は上掲三五八九の左註の「秦間滿」と同一人だと云ふ説がある。
 
3682 天地の 神を祈《こ》ひつつ 吾待たむ 早來ませ君 待たば苦しも
 
右の一首は娘子《をとめ》
 
【口譯】 天の神地の神に向つてお祈りをしながら私は待つて居りませう。早く歸つてお出で下さい。我君よ、お待ちしてゐるといふと辛《つら》うございます。
【語釋】 ○天地の神を祈ひつつ 天地の神〔四字傍点〕は天上界の神と國土の神、即ち、天神、地祇。を〔傍点〕は「に向つて」の(109)
たかだましじぬこ
意。こひつつ〔四字傍点〕は祈り願ひつつ、の意。卷十三にも「……竹珠《たかだま》を、繁《しじ》に貫《ぬ》き垂り、天地の、神をぞ吾が乞《こ》ふ、甚《いた》も術無《すべな》み」(三二八六)とある。○待たば苦しも 待たば〔三字傍点〕と未來格に云つて苦し〔二字傍点〕と現在格で受けてゐる。現今ならば、待つたら苦しからう、とでも云ふ所である。卷十四「おくれ居て戀ひば苦しも朝狩の君が弓にもならましものを」(三五六八)の歌も同じ用法である。も〔傍点〕は感動の助詞。
【後記】 この娘子については、私は新考の説く如く遊行女婦であるだらうと考へる。さういふ婦人の作つた歌として味はふと、何處か手慣れた歌ひ振りともとれ、又さういふ中にも何處か萬葉時代の人の眞實性を自然に具備した點のある事も感じられる。
 上句の歌ひ方など、此の時代に、尊重する人の旅する場合などに必ず用ひる詞《ことば》であり、それに續いて下句が、さういふ事情に置かれた殘る者の心として云ふべき事を云つたものである。ただ此の歌の場合、第四句で切つてあるが、その切りかたが稚拙である。第五句も「待たば」と未來格に云つて、「苦しも」と現在格で受けてゐるのは珍しい言ひ樣であると云ふだけで、たいした効果があるとは思はないし、表現も稍々露骨である。ついでに、この歌に似た境地で、苦しい、と云ふ詞を使つてゐる例を一、二擧げてみると、
 ぬばたまのこの夜な明けそ朱《あか》らびく朝行く君を待たば苦しも(卷十一、二三八九)
(110) おくれ居て戀ひば苦しも朝狩《あさがり》の君が弓にもならましものを(卷十四、三五六八)
などがある。
【左註】 右の一首は娘子の作。娘子〔二字傍点〕は略解に「宣長云、舟|泊《は》てたる所の娘子なるべし。下にも對馬娘子名玉槻とて歌有り。其類ひなりと言へり」とある。又新考は「遊行女婦ならむ」と云つてゐる。
 
3683 君を思ひ 吾が戀ひまくは あらたまの 立つ月|毎《ごと》に 避《よ》くる日もあらじ
 
【口譯】 あなたを思つて私が戀ひ焦れるだらうことは、更《かは》る月ごとに、一日も缺く日はありますまい。
【語釋】 ○君を思ひ 君〔傍点〕は女から男を指して云つたのか、男が女を指して云つたのか詳かでない。君〔傍点〕といふ言葉は、多くの場合は男に對して使ふのであるが、女に對して云つた場合も絶無ではない。(後記參照)○吾が戀ひまくは 戀ひまく〔四字傍点〕は「戀ひむこと」の意。く〔傍点〕は用言に附いてそれを名詞化する場合に用ひられる語で、接尾辭の類かと稱せられてゐる。○あらたまの 月〔傍点〕にかかる枕詞。○立つ月毎に かはる月月に、の意。○避くる日もあらじ 避くる日〔四字傍点〕は代匠記に「一日をよきて思はぬと云日あらじ。一日も落ず思ふべしとなり」とあり、略解、古義共に之に從つてゐる。但し、新考には「ヨクル日は避クル日にて忌む日なり。具註暦に註せる忌諱の日なり」と説いてゐる。しばらく代匠記の説に從つておく。又、全釋に「思ふこと(111)から開放される日は一日もあるまいといふのである」とある。一日一時も忘れ得ぬといふ強い戀慕の情を述べたのではなからうか。
【後記】 この一首の作者については種々論議のあるところで、代匠記は「これは右の哥よめる娘子が返しなるべし」といひ、略解は「故郷の女の歌なるを此處にて誦《とな》へしか。又は是れも右娘子の類ひにや有らん」といひ、新考は「おそらくは前の歌の和ならむ」と云つてゐる。
 自分の好《この》みから云ふと、かういふ歌ひ方は好《す》きな歌ひぶりとは云はれない。萬葉集の歌に對して、かう云ふことを言ふのは考へものだけれど、或る意味で私はもつと率直に響いて來る歌の方を好くのである。
 「避《よ》くる日」に就いては種々の説があるが、代匠記の説が最も穩當と思はれるので此の説に從ふが、それにしても四、五句のあたりは奇妙な詠み方である。作者については何んとも私には定め兼ねるが、強ひて云へば新考の説が穩かでないかと思はれる。
 
3684 秋の夜を 長みにかあらむ 何《な》ぞ幾許《ここば》 寐《い》の寢《ね》らえぬも 獨り宿《ぬ》ればか
 
【口譯】 秋の夜が長いからであらうか。どうしてこんなにひどく眠られないのだらう。獨りでさ(112)びしく寢てゐるからだらうか。
【語釋】 ○秋の夜を長みにかあらむ 秋の夜が長い爲であらうか。か〔傍点〕は疑問の助詞。○何ぞ幾許 ここば〔三字傍点〕は「ここだ」と云ふに同じく、甚しくの意。美夫君志に「コヽダはもと物の數の多きことなれども、アマタ、サハニなどいふとはことにて、イカバカリカといふことなる故に、幾許とは書るなり。さて其イカバカリカと云は、數の多きより云(フ)言なるを、轉じて甚しき意にも云るなり」と説いてある。こきだく・こきばく等もまた同類の語である。「足柄《あしがり》の安伎奈《あきな》の山に引《ひ》こ船の後引《しりひ》かしもよここば來難《こがた》に」(卷十四、三四三一)、「白雲の絶えにし妹を何爲《あぜせ》ろと心に乘りてここば悲しけ」(卷十四、三五一七)、「……渚には、あぢむらさはぎ、島廻には、木|末《ぬれ》花咲き、ここばくも、見の清《さや》けきか……」(卷十七、三九九一)とあるが集中の例である。ここは、どうしてこんなに、どうしてひどく等の意。○寐の寢らえぬも 既出(三六七八)。も〔傍点〕は感動を現す助詞。○獨り宿ればか 獨りねてゐるからか。か〔傍点〕は疑問の助詞。
【後記】 此の歌は、詠み口からみれば、下の句などがごつ/\した、眞にきれいにゆかない詠みぶりではあるが、何處か東歌などにある素朴な感情の表現がしてあつて、何となく私の興味をひくのである。然し、第二句あたりで少しことわりすぎてゐる爲に、矢張り東歌の勝れたものには遠く及ばない。私が主に面白いといふのは下句にその味があるのである。
 
(113)3685 足姫《たらしひめ》 御船《みふね》泊《は》てけむ 松浦《まつら》の海《うみ》 妹が待つべき 月は經につつ
 
【口譯】 (神功皇后が御船をとめられたであらう松浦の海で)妻が待つてゐる筈の日は次々に過ぎ去つて行つてゐる。
【語釋】 ○足姫 息長足《おきながたらし》姫、即ち神功皇后の御事。○御船泊てけむ松浦の海 松浦の海〔四字傍点〕は松浦郡の海。今新羅へ遣されて行く身が、松浦の狛島の亭に泊つてゐて、古、神功皇后が三韓征討の折も此處に船を泊められたといふ傳へを思ひ合せて云つたものであらう。以上の三句は松浦〔二字傍点〕の松〔右○〕と下の妹が待つ〔二字傍点〕の待つ〔二字右○〕とを懸けて言ひ出す爲の序であるが、現在其處に船をとめて出航の時期を待つて日を送つてゐるのであらうから、一首の意に全然無關係ではない。○待つべき月 待ちうけるべき月、即ち、歸り着くべき豫定の月といふ意。○經につつ ぐん/\經つてしまつた、と云ふ程の意。
【後記】 此の一首は調子に張りもあり、自然、張り滿ちた心が行きわたつてゐて、相當良い歌として味ははれる。「松」と「待つ」とをかけてゐる序も、後世風の歌の如き輕つぽい嫌味がなく、まことに自然に言つてゐて快い。
 
3686 旅なれば 思ひ絶えても ありつれど 家に在る妹し 思ひがなしも
 
(114)【口譯】 旅にゐることだから思ひあきらめてもゐたけれど、家に居る妻は思へば可愛くしたはしい事だよ。
【語釋】 ○旅なれば 旅にてあれば、旅に居るのだから。○思ひ絶えても 思ひきつても、思ひあきらめても。○家に在る妹し 故郷に居る妻は、の意。し〔傍点〕は強意の助詞。○思ひがなしも 略解は「妹が思ひを思ひ遣りて悲きとなり」といひ、古義は「家にある妹を、一(ト)すぢに戀しく思ふ心に堪られず、さても悲しや、となり」といひ、全釋がこれに從つてゐるが、新考の「オモフは作者が思ふにてカナシはカハユシといふ意なり」と説いてゐるのが穩かであらう。
【後記】 此の歌もなか/\に捨て難い良さのある歌だと思ふ。旅にゐて家の妹を思ひ遣《ヤ》る歌は前にも澤山出てゐるが、この歌、取立てて之をと云ふところも無いけれど、何かしんみ〔三字傍点〕に應へて來るもののあるのは、その人の心の入れ方の如何にあるのだらう。「旅なれば思ひ絶えてもありつれど」と、先づ自《みづか》ら云つて、さて、家にある妹の可愛さに耐へられぬ心を述べた處、何か自然な悲しさがあるのではないかと思ふ。
 
3687 あしひきの 山飛び越ゆる 雁がねは 都に行かば 妹に逢ひて來《こ》ね
 
(115)【口譯】 山を酪び越えてゆく雁は、都に行つたならば妻に逢つて來てくれよ。
【語釋】○あしひきの 山〔傍点〕に懸かる枕詞。○山飛び越ゆる 山を翔り飛び越えて、遠く東をさして行く、といふ程の意。○雁がね 全體で單に雁〔傍点〕のこと。雁の音〔三字傍点〕と云ふ意味ではない。○妹に逢ひて來ね ね〔傍点〕は願望を現す助詞。妻に逢つて來てくれ、即ち、消息を齎してくれよ、と云ふ意。
【後記】 類似の歌が前にも出てゐるが、此の歌は詠みぶりが如何にも勁直で、所謂竹を割つた樣な快い一首として私に味ははれる。初句の枕詞が第二句に懸かり、第三句に雁がねの出て來るのも、實に清明な氣持の良い詠みぶりで、それから第四句から第五句にかけて自分の願望を一直線に歌ひ上げてある處、如何にもさつぱりと、わだかまりの無い人に面向《おもむ》かふ心地である。大變に巧《うま》い歌とは事かはるのであるが、たゞ如何にも氣持の良い歌と思ふ。
 
壹岐島に到りて、雪連宅滿《ユキノムラジヤカマロ》が忽ち鬼病《えやみ》に遇ひて死去《みまか》れる時作れる歌一首並に短歌
 
3688 天皇《すめろぎ》の 遠の朝廷《みかど》と 韓《から》國に 渡る我背は 家人の 齋《いは》ひ待たねか 疊《たたみ》かも 過《あやまち》しけむ 秋さらば 歸りまさむと たらちねの 母に申《まを》して 時も過ぎ 月も經ぬれ(116)ば 今日か來む 明日かも來むと 家人は 待ち戀ふらむに 遠《とほ》の國 未だも着かず 大和をも 遠く離《さか》りて 石《いは》が根の 荒さ島根に 宿《やどり》する君
 
【題意】 壹岐島に到つた時、雪連宅滿が急に恐しい病に罹つて死んだ時作つた長歌一首と短歌(反歌二首)。壹岐島〔三字傍点〕は當時朝鮮・支那への渡航の要地であつた。雪連宅滿〔四字傍点〕は前の三六四四の作者雪宅麿と同一人。
【口譯】 天子樣の遠い所にあるお役所として、韓の國に渡つて行く我が友は、家の人たちが神にお祈りをして待つてゐない故《せい》か、座席の疊にでも過《あやまち》をしたのだらうか、秋になつたならばお歸りになりませうと、お母さんに申し上げて、もう時も過ぎ、月も經《た》つたことだから、今日は歸つて來るだらうか、明日は歸つて來るだらうかと、家の人たちは待ち戀うて居るだらうのに、遠い新羅の國には未だ着きもせず、故郷の大和からも遠く離れて、岩の荒々しい島に、永久《とわ》に眠る君よ
【語釋】 ○天皇の 天子樣の。すめろぎ〔四字傍点〕は山田博士の講義に「もと皇祖皇神祖などをよむ如く、御祖の天皇を申し、それより轉じて皇祖より當今の天皇までをかねて申したりしなり」と説かれてある。○遠の朝廷と 既出(三六六八)。例歌で此の語の下に韓國〔二字傍点〕とつづけたのは、かつて彼の國に日本府などが置かれた事があり、自然さうした考へから用ひたものであらう。○渡る我背は せ〔傍点〕は男子に對して呼ぶ稱で、我背〔二字傍点〕はわが(117)君、わが友と云ふ意。ここは宅滿をさす。渡航してゆく我が友は。○齋ひ待たねか 齋ひ待たねばか、と云ふに同じく、ね〔傍点〕は打消の助動詞。かは疑問の助詞。神を祀り祈つて待たないからか、と云ふ意。○疊かも過しけむ 疊に過をしたのだらうか。かも〔二字傍点〕は疑問の助詞。「けむ」の下に移して解釋すると良い。古事記傳に「多太未《タタミ》は疊なり、人の旅行のほどは、家にて、その疊を大切にして、つつしむこと、古(ノ)禮なり、これを過(チ)すれば、その旅行人に、禍あるなり、と云る如し。云々。古事記下(ツ)卷に輕太子者流2於伊余(ノ)湯(ニ)1也、亦將v流之時(ノ)歌(ニ)曰、意富岐美袁斯麻爾波夫良婆布那阿麻理伊賀幣理許牟叙和我多多彌由米《オホキミヲシマニハフラバフナアマリオイカヘリコムゾワガタタミユメ》、とあるを思(ヒ)合(ス)べし」とあり、旅行中の人の座席は大切に齋はぬと凶事を齎すといふ言傳へがあつたものとみえる。○歸りまさむと 歸つて參りませうと。まさ〔二字傍点〕は敬語の助動詞「ます」の未然形。だから、自分のことを敬語をもつて、その母に云つた事となり、理窟に合はない。從來の註釋書でもこの點は詳かでない。代匠記の「カヘリマサムとは宅滿が詞なれども歌主が引なほしてかくは云なり」と、云ふ説にでも從ふべきであらう。○たらちねの 母に懸かる枕詞。枕詞解には「帶乳根、足常と書けるは借字にして、たらちのち〔右○〕はし〔右○〕に通ひて足らしの意にて賛辭なり。云々。母は親しくことに貴きものなる所以に足根の母とはいふなり」とあるが、近くは、たらち〔三字傍点〕は「垂乳」、ね〔傍点〕は尊稱と解く説が有力である。○母に申して 四句を隔てて家人〔二字傍点〕にかかる。即ち宅滿がお母さんに申上げて、と云ふ意である。○時も過ぎ 歸京すると豫想してゐた時も經《た》ち。○月も經ぬれば 月もたち更つたことだから。もう歸つてもよいと思はれる頃だから、と云ふ程の意。○今日か來む か〔傍点〕は疑問の助詞。今日來むか、と云ふに同じ。○明日かも來むと がも〔二字傍点〕は疑問の助詞。明日(118)は歸つて來るだらうかとて、の意。○待ち戀ふらむに らむ〔二字傍点〕は推量の助動詞。に〔傍点〕は接續の助詞。待ち焦れてゐるだらうのに。○遠の國 遠い處にある國、即ち、新羅國をさす。○未だも着かず も〔傍点〕は感動を現す助詞。未だ着きもせず、の意。○大和をも を〔傍点〕は或る場所から〔二字右○〕離れることを示す助詞。前の三五七八の「君を離れて」のを〔傍点〕も同じ用法である。大和からも、の意。○遠く離《さか》りて 遠くはなれて。○石が根の 石が根〔三字傍点〕は岩石のこと。○荒き島根に 荒き〔二字傍点〕は荒々しいこと。島根〔二字傍点〕は單に「島」といふに同じ。ここは壹岐島をさす。○宿する君 宿つてゐる君よ。もう死んでしまつてゐるのだが、葬つたことを斯く言つたのであらう。
 
反歌二首
 
3689 石田《いはた》野に 宿《やどり》する君 家人の いづらと我《われ》を 問はば如何《いか》に言はむ
 
【題意】 右長歌の反歌二首
【口譯】 石田野に宿《やどり》をしてゐる君よ、お家の方が、あなたは何處に、と私に問はれたら何と答へませう。
【語釋】 ○石田野に 石田野〔三字傍点〕は原文、「伊波多野《イハタヌ》」である。但、和名抄に「壹岐(ノ)島石田【伊之太國府】郡石田」とあり、(119)早くからイシダと稱したらしい。今も同名を稱し、島の東南の地である。新考に「今壹岐國石田郡石田村なる海岸より八丁許入りたる處に石田峯といふ岡ありて其上に方四間許、高さ七八尺の古墳あり。土人は殿の墓又官人の塚と稱せり。是宅滿の墓なりといふ。(好古叢誌五篇下)」と述べてある。但、眞僞の程は詳かでない。に〔傍点〕は「に於いて」と場所を示す助詞。○いづらと我を いづらと〔四字傍点〕は「我背は何處と」の意。を〔傍点〕は「に向つて」の意を現す場合である。「あらたまの年の經行けばあど思ふと夜渡る吾を〔右○〕問ふ人や誰」(卷十、二一四〇)、等も同意の用法である。
 
3690 世の中は 常斯くのみと 別れぬる 君にやもとな 吾《あ》が戀ひ行かむ
 
右の三首は挽歌
 
【口譯】 世の中といふのは常に斯うしたものだと、別れてしまつた君をわけもなく私は懷しみながら旅を行くのだらうか。
【語釋】 ○世の中は 世の中といふものは、と云ふ程の意。○常斯くのみと 何時も何時も斯うしたものだと、の意。斯く〔二字傍点〕は「かく無常、かく辛い」とでも云ふところである。のみ〔二字傍点〕は斯く〔二字傍点〕を強く示した語。○別れぬる 死別をしてしまつた。○君にやもとな に〔傍点〕は「に向つて」の意。や〔傍点〕は疑問の助詞。第五句の下につけて解するとよい。もとな〔三字傍点〕は語義は「根據なく」で、わけもなく、よしなく、みだりに等の意に解される語で(120)ある。「相見ずは戀ひざらましを妹を見てもとなかくのみ戀ひば如何にせむ」(卷四、五八六)、「今更に君が手枕まきねめやわが紐の緒の解けつつもとな」(卷十一、二六一一)等集中用例が多い。○吾が戀ひ行かむ 第四句のや〔傍点〕を受けて、私が胸に哀別の情を燃して行くのだらうか、といふ疑問の意になる。
【後記】 題詞にもある樣に、これは壹岐島まで行つた時に、雪連宅滿《ゆきのむらじやかまろ》が病に仆れてしまつた、その時作られたものである。事情が事情だけに、讀む者の方にも非常な同情が湧くのであるから、自然心して味はふ事にもなり、又、作者も非常の感動をもつて作つてゐるので、例へば人麿の長歌の如く、長歌としての文學的價値を推賞すると云ふやうな場合と事變り、事實にうたれ、心情にうたれ讀み味はふのであつて、その意味で讀者に感動を與へると思ふ。内容の方面から云つてみても、例へば、「家人の、齋《いは》ひ待たねか、疊かも、過《あやまち》しけむ」等の句は、決して讀み過ごしに出來ない句であつて、此の時代の人の信仰、生活などにまで思ひ及ぼされるなか/\大切な句である。萬葉を學ぶ者にはこれらも一つの教となるものである。更に進んで「遠《とほ》の國、未だも着かず、大和をも、遠く離《さか》りて」の句には、萬葉集中でも他の歌に類の無い一種のあはれがある。ただ此の歌で問題と云ふべきは,上にも記した「歸りまさむ」と云ふ敬語を含んだ一句であるが、これはどうも、作者が死者に代つて詠んだ關係上、つひ、かういふ詞になつてしま(121)つたのであらう、と解するより仕方が無い。とにかく、此の長歌は、萬葉の中でも特色のあるものと考へる。
 反歌の方は、長歌に言ひ切れなかつた感情を、作者が歌つてゐるだけのもので、別に評するまでの事は無い。
【左註】 右の長歌一首、反歌二首、都合三首は挽歌(かなしみのうた)である。
 
3691 天地と 共にもがもと 思ひつつ 在りけむものを 愛《は》しけやし 家を離れて 波の上ゆ なづさひ來《き》にて あらたまの 月日も來經《きへ》ぬ 雁がねも 續《つ》ぎて來鳴《きな》けば  たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手ぬれて 幸《さき》くしも あるらむ如く 出で見つつ 待つらむものを 世のなかの 人の歎《なげき》は 相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野邊の 初尾花 假廬《かりほ》に葺《ふ》きて 雲|離《ばな》れ 遠き國邊の 露霜の 寒き山邊に やどりせるらむ
 
【口譯】 天地と同じやうにも長くありたいものだと思ひながら、居られたであらうものを、戀し(122)い家を離れ、浪の上を通つて、ただよひつつやつて來て、その間に、月日も來ては過ぎて行つてしまつた。雁も既に次から次へと飛んで來て鳴いたから、母も妻も朝露で裳の裾が濡れ、夕の霧で衣の袖がぬれて、君が無事で生きてでもゐる人のやうに、家を出でて見なから待つてゐるだらうに、この世のなかの人の歎きは心にかけぬ君だから、秋萩の散る野邊の初尾花を假小屋の屋根に葺いて、遠い國のあたりの、露や霜が降つて寒い山のあたりに宿りをしたのであらうか。
【語釋】 ○天地と共にもがもと 天地の永久なると等しく長くありたいものと、の意。がも〔二字傍点〕ほ願望を現す助詞。○在りけむものを 居つたことだらうのに。ものを〔三字傍点〕全體で感動の詞である。○愛しけやし はしきやし・はしきよしとも云ふ。「愛しき」といふ形容詞に「よしゑやし」、「あをによし」等のやし・よし〔四字傍点〕と同意の助詞の添はつたもの。「愛《は》しけやしま近《ぢか》き里を雲居にや戀ひつつ居《を》らむ月も經なくに」(卷四、六四〇)、「愛《は》しきやし吾家《わぎへ》の毛桃《けもも》本《もと》しげみ花のみ咲きてならざらめやも」(卷七、一三五八)、「……たむけの神に、幣《ぬさ》奉《まつ》り、我《あ》が乞ひ祈《の》まく、愛《は》しけやし、君がただかを、眞幸《まさき》くも、在り徘徊《たもとほ》り……」(卷十七、四〇〇八)等が集中に見える例である。はしき〔三字傍点〕何某と直ぐ下の體言にかかるのであるがここは次句の家〔傍点〕を修飾して、戀しい家、と云ふ意である。○浪の上ゆ ゆ〔傍点〕は「を通つて」の意を現す助詞。浪の上を通つて。○なづさひ來にて なづさふ〔四字傍点〕は既出。三六二三參照。漂ひ來て居つて、の意。○あらたまの 枕詞。意義不明。○月日も來經ぬ(123) 來經ぬ〔三字傍点〕は「過ぎぬ」と云ふに同じく、月日も過ぎてしまつた、と云ふ意である。○續ぎて來鳴けば 次々につづいて來て鳴けば。○たらちねの 母に懸かる枕詞。○母も妻らも 母も妻も。ら〔傍点〕は語調の上で添へたもので複數を示すものではない。○朝露に裳の裾ひづち に〔傍点〕は「に依つて」の意。ひづち〔三字傍点〕は古來論議區々として詳かでなかつたが「ぬかるみを行くときに、衣の裾が、泥土に汚れ、染みつかる事」と説く講義の説に從ふべきであらう。ひづち〔三字傍点〕の例は「……玉桙《たまぼこ》の、道來る人の,泣く涙、霈霖《ひさめ》に降れば、白妙の、衣ひづちて、立|留《どま》り……」(卷二、二三〇)、「……くれなゐの、赤裳の裾の、春雨に、にほひひづちて、通ふらむ、時の盛を……」(卷十七、三九六九)等とある。但、此處は泥によごれるのではなく、露にぬれたのである。此の歌のこれらの句以下二句は、人麿の長歌に「……朝露に、玉裳はひづち、夕霧に、衣は沾れて……」(卷二、一九四)とあるのと似通つてゐる。○衣手ぬれて 衣手〔二字傍点〕は袖のこと。○幸くしもあるらむ如く し〔傍点〕は強意の助詞。も〔傍点〕は感動の助詞。達者でゐるだらうかの如く。事實は死んでしまつてゐるのだが、家族の人達はまだその事を知らないものだから、と云ふやうな氣持を含めたもの。○世のなかの人の歎は 世の中に殘つてゐる人たちの歎きは。母や妻の歎きをさす。○相思はぬ君にあれやも 相思はぬ〔四字傍点〕は思ひ遣らぬ、心にとめぬ、の意。君にあれやも〔六字傍点〕は君であればや、即ち、君であるからと、と云ふ意。やも〔二字傍点〕は疑問の助詞。最後の句の下に置いて譯すると良い。○散らへる野邊の 散らへる〔四字傍点〕は「散る」といふ動詞にへる〔二字傍点〕の添うたもの。今散つてゐる野邊の、と云ふ意。○初尾花 初めて穗の出た芒のこと。○假廬に葺きて 略解に「荒城《あらき》に喪屋を造りたるさまなるべし」とある。土葬をした上に小屋を建て茅を屋根に葺いたのであらう。○(124)雲離れ 略解には「雲ゐに放れたる意にて青雲ノムカブス國などいへる如し」とあり、古義にも「雲居に遠く放れたる意なり」とあるが、新考は「トホキにかかれる枕辭にて雲ノ如クハナレといふ意ならむ」と枕詞説を言つてゐる。しばらく新考の説に從つておく。○遠き國邊の 遠い處にある國の。○露霜の寒き山邊に 露や霜が降つて寒い山のあたりに於て、の意。○やどりせるらむ 上の「君にあれやも」のやも〔二字傍点〕を受けて、永久のやどりをすることだらうか、と云ふ意になる。
 
反歌二首
 
3692 愛《は》しけやし 妻も兒どもも 高高《たかだか》に 待つらむ君や 島|隱《がく》れぬる
 
【題意】 右の長歌の反歌二首
【口譯】 可愛い妻も兒どもも首を長くして待つて居るだらう貴方は、島に隱れてしまつたのか。
【語釋】 ○愛しけやし 右の長歌に云ふ。○高高に 略解は「遠く望む意なり」といひ、古義は「遠く望み待(ツ)意なり。本居氏云(ク)今(ノ)俗言に、頸を長うして待(ツ)と云(ヒ)、待(ツ)ことの遲きを、頸が長うなると云(フ)に同じ。」といひ、新考は「人を待つ状なり」と云つてゐる。語義は詳かでないが、人を待ち焦れることを現す副詞句であらう。「白雲のたなびく山の高高に吾が念《も》ふ妹を見むよしもがも」(卷四、七五八)、「高山に※[鳥+爾]《たかべ》さ渡り高高に我が待つ君を待ち出でむかも」(卷十一、二〇八四)、「石上布留《いそのかみふる》の高橋高高に妹が待つらむ夜ぞふけにける」(125)(卷十二、二九九七)等何れも人を待つ思ひを修飾してゐる。○待つらむ君や島隱れぬる 待つらむ君〔五字傍点〕は上の「妻も兒どもも」から續く。妻子が待つて居るだらう君、と云ふ意である。や〔傍点〕は疑問の助詞で一首の最後に移して譯すると良い。君は島にかくれたのか、も早姿が見えない、といふ意。島隱る〔三字傍点〕は島に埋葬せられたことを自分で島に隱れてしまつたやうに云つたのである。
 
3693 黄葉《もみぢは》の 散りなむ山に 宿りぬる 君を待つらむ 人し悲しも
 
右の三首は葛井連子老《ふぢゐのむらじこおゆ》の作れる挽歌
 
【口譯】 黄葉した葉が散るだらう山にやどりをした君を、待ちうけてゐるであらう家人は、ほんとに悲しい事であるよ。
【語釋】 ○黄葉の散りなむ山に 秋たけてもみぢ散りしくだらう寂しい山に。に〔傍点〕は場所を示す助詞。○宿りぬる 地中に眠つてしまつた。葬られてしまつた。○人し悲しも 人は思へば悲しいことであるよ。人〔傍点〕は家人、妻などをさす。人し〔二字傍点〕のし〔傍点〕は強意の助詞。も〔傍点〕は感動を現す助詞。
【後記】 前の長歌及び反歌の作者は分らないが、此の歌の作者は葛井連子老《ふぢゐのむらじこおゆ》とはつきり註してある。前の作から比ぶれば、此の方がずつと歌の形が整ひ、修飾も立派に、インテリゲンチヤの(126)作と肯かされるものがある。それだけに、或る點では前の歌ほど生地《きぢ》に觸れて來ないところもあるが、やは、り事件が大きい背景をなしてゐるだけに、沁み/”\と讀まれる一首である。
 前の歌が、ひたすらに驚きと、悔いと、嘆きに向つて詠み入つてゐるのに對して、此の作は、一度《ひとたび》事件の全體を見渡し、それからおもむろに事を分けて叙しはじめてゐる。それ故に落着があつて、その方面で前の歌の不足を補つてゐるとも考へられる。勿論、作者はそんな心組から作つてゐるのではないのであるが、特に「秋萩の、散らへる野邊の」から終までのところは、一種澄み入るまでに心の通《とほ》つた、挽歌としてなか/\味はひ深きものがあると思ふ。
 反歌の方も、三六九二の下句を第四句で切つて、第五句に於ける死の表現に、萬葉らしい良さがあると思ふ。
【左註】 右の長歌一、反歌二、都合三首は葛井連子老の作つた挽歌である。葛井連子老は傳未詳。
 
3694 わたつみの 恐《かしこ》き路を 安けくも 無く煩《なや》み來《き》て 今だにも 喪《も》無く行かむと 壹岐《いき》の海人《あま》の 上手《ほつて》の卜筮《うらへ》を かた灼《や》きて 行かむとするに 歩《いめ》の如《ごと》 道の空路《そらぢ》に (127)わかれする君
【口譯】 海上の恐しい路を、安らかな事もなく苦しみながらやつて來て、せめてこれからだけでも凶《わる》い事なく行かうとて、その爲に壹岐の島の海人《あま》の巧《たくみ》な卜《うらなひ》を形に灼《ヤ》いて行かうとするのに、夢のやうに思ひがけなく、道即ち天空への道に向つて別れて行く君よ。
【語釋】 ○わたつみの わたつみ〔四字傍点〕は海の神で、轉じて海の意に用ひたもの。○恐き路を 恐き〔二字傍点〕は恐しい。を〔傍点〕は經由の場所を示す助詞。○安けくも無く煩み來て 安けく〔三字傍点〕は安き〔二字傍点〕といふ形容詞にく〔傍点〕といふ助詞を添へて名詞のやうに使つたもの。安らかな事、の意。安けくも無く〔六字傍点〕とは嚮《さき》に佐波の海上で遭難したことなどをさすのであらう。煩み來て〔四字傍点〕とは困《くる》しんで來て、といふ意。壹岐島までたどり着いた事をいふ。○今だにも 今からなりと、と云ふ意。「露霜に衣手ぬれて今だにも妹がり行かな夜はふけぬとも」(卷十、二二五七)とある今だにも〔四字傍点〕も同じ意である。○喪無く行かむと 喪〔傍点〕は凶事。「……平けく、安《やす》くもあらむを、事も無く、喪〔右○〕無くもあらむを……」(卷五、八九七)とあるも同じ例である。卜は「とて」の意。凶事無く行かうとて。○壹岐《ゆき》の海人の ゆき〔二字傍点〕は「いき」に同じ。い〔傍点〕音とゆ〔傍点〕音と通じたもの。○上手《ほつて》の卜筮を ほつて〔三字傍点〕は上手、巧の意。ほ〔傍点〕は「見渡せば明石の浦にともす火のほ〔右○〕にぞ出でぬる妹に戀ふらく(卷三、三二六)、」「新室《にひむろ》の言壽《ことぎ》に到ればはた薄《すすき》ほ〔右○〕に出《で》し君が見えぬ此の頃」(卷十四、三五〇六)のほ〔傍点〕と同じく、「穗」の意から點じてすべてものの秀れたるを云ふ。つ〔傍点〕は「の」と同じ意の助詞。て〔傍点〕は「手」の意。即ち、秀れたる人、といふ意になる。の〔傍点〕は下の語を(128)修飾することを示す助詞で、上手なる、上手な、の意。新考は「乃《ノ》は乎《ヲ》を誤れるなり」と云つてゐるが從ひ難い。(尤も新考は上手〔二字傍点〕を下の卜筮の修飾語とせずに、上の海人〔二字傍点〕につづけて「勝れたる水夫」の意に解いてゐる。)卜筮〔二字傍点〕は「卜合《うらあ》へ」の義と云はれてゐる。「うらなひ」のこと。ここは前途の安否を卜に依つて知らうとして卜を立ててみるのであらう。○かた灼きて かた灼く〔四字傍点〕は「肩灼く」「形灼く」の二樣に解される。共に古の卜の方法である。前者は鹿の肩骨を灼《や》いて、それに現れた燒け目によつて吉凶を判斷したのである。「形灼く」と云ふのは、燒いて形に現すと云つた意味で、主にその燒け目の形で卜ふ場合に云つた。即ち、「形に燒く」と云つた意味になる。それで、上句との釣合上、「卜を形に燒いて」と後解にとつた方が良い樣である。航海中、一孤島でのことだから龜甲を使つたものであらうか。○行かむとするに 行かうとするのに。に〔傍点〕は接續の助詞。○夢《いめ》の如 ゆめのやうに。はかなく思ひがけぬに、と云つた氣持。○道の空路に の〔傍点〕は「即ち」とか「同時に」とか譯して當る助詞で「吾が名はも千名《ちな》の〔右○〕五百《いほ》名に立ちぬとも君が名立たば惜しみこそ泣け」(卷四、七三一)、「……風|交《まじ》り、雨降る夜の〔右○〕、雨まじり、雪降る夜は……伏せ廬の〔右○〕、曲《ま》げ廬のうちに……」(卷五、八九二)等の「の」と同じである。空路〔二字傍点〕は空へ行く路、天界へ行く路の意。に〔傍点〕は「に向つて」といふ意の助詞。道、即ち・天界への道に向つて。
 
反歌二首
 
(129)3695 昔より 言《い》ひける言《こと》の 韓國《からくに》の 辛《から》くも此處《ここ》に 別《わかれ》するかも
 
【題意】 右の長歌の反歌二首。
【口譯】 昔から言ひ傳へて來た言葉のやうに、「からくにの辛《から》く」痛ましくも此の壹岐島で別れをする事だなあ。
【語釋】 ○昔より 昔からずつと。○言ひける言の の〔傍点〕は「の樣に」の意。言つて來た言葉のやうに。○韓國の辛《から》くも 辛く〔二字傍点〕は「つらく」の意。韓國へ渡るには多くの艱難を經なければならなかつた事から、何事もつらいことを「からくにの辛《から》く」と言ひ古されたものであらう、と言はれてゐる。も〔傍点〕は咏嘆の助詞。○此處に別するかも 此處〔二字傍点〕は壹岐島をさす。に〔傍点〕は「に於いて」といふ意の助詞。別れする〔四字傍点〕とは宅滿に死別れするといふ意である。かも〔二字傍点〕は感動の助詞。
 
3696 新羅へか 家にか歸る 壹帰《ゆき》の島 行かむたどきも 思ひかねつも
 
右の三首は六鯖《むさば》の作れる挽歌
 
【口譯】 新羅へ行くか、家に歸るか、ゆきの島ぢやないけれど、行かうとする方法も、思ひつかぬ事である。
(130)【語釋】 ○新羅へか 新羅國へ行くべきか。か〔傍点〕は疑問の助詞。○家にか歸る か〔傍点〕は同じく疑問の助詞。歸る〔二字傍点〕の下に移して譯すると良い。家にかへつたものだらうか。○壹岐の島 次句の「ゆかむ」に言ひつづけて口調の爲同類の音を重ねたもの。但、今ゐる場所が壹岐の島であるから、現在ゐる土地の地名を取つて序としたもの、と解して良い。○行かむたどきも たどき〔三字傍点〕は、てだて、方便、方法の意。行く手がかりも。○思ひかねつも 思ひかね〔四字傍点〕は思ひ定めぬ、思ひ得ぬ、などの意。
【後記】 前二つの作に比べて、此の長歌は極く簡潔に表してはあるが、やはり讀んで心に殘る作である
 「わたつみの、恐《かしこ》き路を」と云ふやうな句も、此の場合には、型通りと云ふよりも、實感から生《う》み出されたものとうけとられ、「安けくも、無く煩み來て」の句を素直に肯かせるのである。「壹岐《ゆき》の海の、上手の卜筮を、かた灼き」した事も事實であり、それだけ、此の船路に於ける人々の氣特の緊張を物語つてゐる。從つて、終の句の「夢の如」が如何にも夢の如く思はれて、なか/\効果的働きをなしてゐるのであつて、短いながらもやはり心に殘るのである。
 反歌二首について云へば、二首共に言ひ懸けの句があり、普通だとそれが稍々わづらはしく聞えて來るのだが、此の場合は、私には何か沁み/”\とうけ入れられて來る心地がする。即ち(131)三六九五の「韓國《からくに》の、辛く」の場合でも、初句の「昔より言ひける言《こと》」からつゞけて、無理なく聞え、「辛《から》くも此處に別」をすると云ふ歌ひぶりも眞實にひゞいて來る。
 三六九六の方の場合も、「壹蚊《ゆき》の島行かむたどき」と懸かつて來るのだが、上句の「新羅へか家にか歸る」とつづけてみると、心理の動きも無理なく加味されてゐて、下句の「たどきも思ひかねつも」が素直に味ははれる。
 總じてこれらの雪連宅滿を悼んだ挽歌は、新羅使の歌全體の中で、眞情をもつて讀者に迫り來る歌である。それも事件の上から當然の事かも知れない。
【左註】右の長歌、反歌の三首は六鯖の作つた挽歌である。六鯖〔二字傍点〕は代匠記に「廢帝紀云。寶字八年正月授(ク)2正六位上六人部連鯖麻呂(ニ)外從五位下(ヲ)1。この人の氏と名とを略してかけるなるへし」とある。その他の傳記は未詳。
 
對馬島の淺茅浦《あさぢのうら》に到りて船《ふね》泊《は》てし時、順風を得ず、經停まること五箇日《いつか》。ここに物華を瞻望し、各々慟心を陳《の》べて作れる歌三首
 
3697 百船の 泊《は》つる對馬の 淺茅山《あさぢやま》 時雨の雨に もみだひにけり
 
(132)【題意】 對馬の淺茅の浦に到つて船をとめた時、順風に遇はなかつたので日を送つて停まること五日間。そこであたりの風光を望み見てめいめいかなしみの心を述べて作つた歌三首。淺茅浦〔三字傍点〕は澤瀉氏新釋に「春日政治氏の説に『淺茅浦は、今の大口灣か』とある。(雜誌「能古」所載「萬葉人の歌へる北九州」)」とある。
【口譯】 澤山の船が泊る對馬の淺茅の浦の山は、時雨の雨に紅葉したことである。
【語釋】 ○百船の 百〔傍点〕は數の多いこと。「百船の泊つる津(「津」は船の泊る今日の港)」といふ意から對馬〔二字傍点〕のツ一音にかけた序詞である。○淺茅山 淺茅の浦の近くにある山、の意であらうが今どの山に當るか詳かでない。○時雨の雨に 時雨〔二字傍点〕は秋の雨。に〔傍点〕は「に依つて」の意。秋雨によつて。○もみだひにけり もみだひ〔四字傍点〕は「もみづ」といふ四段活用の動詞の未然形に所謂延言の「ふ」の添はつたもの。「もみづ」は秋、木の葉の變色すること。「わがやどにもみづがへるで見るごとに妹をかけつつ戀ひぬ日は無し」(卷八・一六二三)、「兒毛知山若鷄冠木《こもちやまわかかへるで》のもみづまで宿《ね》もと吾《わ》は思《も》ふ汝《な》は何《あ》どか思《も》ふ」(卷十四・三四九四)。
【後記】 自分たちが今想像してみても、この航海が、一路順風に送られて新羅へ着いたとは思はれない。その路々《みち/\》の困難に處して歌を詠み、嘆き、慰め合つて進んで行つた事は、今の私たちにいろ/\の感慨を湧き起こさせる。
 この一首も一題詞を讀み、きて歌を味はふと、「時雨の雨にもみだひにけり」とだけ言つてあるけれど、その中に含まれた此の人々の心情が思ひ遣られてあはれに思はれる。
(133) 尚「もみだひにけり」は、今にしてみれば珍らしい語法だと、私には味ははれたのである。
 
3698 天離《あまざか》る 鄙《ひな》にも月は 照れれども 妹ぞ遠くは 別れ來にける
 
【口譯】 田舍にも月は照つてゐるけれども、妻から遠く別れて來たものだなあ。
【語釋】 ○天離る ひなにかかる枕詞。○照れれども 照つてゐるけれども。何處に居つても同じ月を見ることが出來るけれども、と云つた意である。○妹ぞ遠くは ぞ〔傍点〕は強意の助詞。「妹にぞ遠く」、すなはち、妻からは遠くの意。鄙にゐても都と同じ月は見るが、都の妻は相見ず遠く別れて來たものだ、と云つたもの。
【後記】 この歌、上句、相當に面白く、「照れれども」と云つて、愛する妻から遠く離れ來つた自分を嘆いてゐる。全體としての感じ方にどこか稚拙にきこえるところがある。しかし、總體から云つて、かう云ふ事は私にはさして氣にはならない事で、やはり相當面白い。
 
3699 秋されば 置く露霜に 堪《あ》へずして 京師《みやこ》の山は 色づきぬらむ
 
【口譯】 秋になつたので降り置く露や霜にこらへきれないで、都の山々は黄葉《もみぢ》したことであらう。
(134)【語釋】 ○秋されば 秋され〔三字傍点〕は「秋さる」の已然形。秋になつたので。○置く露霜に 降り置く露や霜に。○堪へずして たへずして、の意。あへ〔二字傍点〕は「敢《あ》ふ」の連用形。「兒《こ》らが家路《いへぢ》やや間《あひだ》遠《どほ》しぬばたまの夜渡る月に競ひあへむかも」(卷三、三〇二)、「常の戀いまだ止まぬに都より馬にこひ來《こ》ば荷《にな》ひ堪《あ》へむかも」(卷十八、四〇八三)等とあるもこの語の例で、皆、「……にたへて我慢する」の意である。○色づきぬらむ 色づく〔三字傍点〕はここでは木の葉が寒氣に變色すること。
【後記】 此の歌に至ると、線の細さ、心の働きの稍々神經質になつてゐる點などから、一首としては整つてはゐるものの、萬葉も末期の歌と感じられるものである。
 
竹敷浦《たかしきのうら》に船《ふね》泊《は》てし時、各々心緒を陳《の》べて作れる歌十八首
3700 あしひきの 山下耀《やましたひか》る 黄葉《もみぢば》の 散りの亂《まがひ》は 今日にもあるかも
 
右の一首は大使
 
【題意】 竹敷の浦に船を泊めた時、めいめい心の思ひをのべて作つた歌十八首。竹敷浦〔三字傍点〕は今の竹敷《たけしき》要港。對馬下縣郡所屬。
【口譯】 山が赤く映えてゐる、黄葉が散りそして亂れる事の盛は今日であるのかなあで。
(135)【語釋】○あしひきの 山〔傍点〕に懸かる枕詞。既出。○山|下耀《したひか》る 山の下が耀《ひか》る、といふのではなく、山が下耀る、といふのであると云はれてある。下耀る〔三字傍点〕は卷六にも「……※[(貝+貝)/鳥]《うぐひす》の、來鳴く春べは、巖には、山下ひかり、錦なす、花咲きををり……」(一〇五三)とあり、「春の花紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女」〔卷十九、四一三九)等とある下照る〔三字傍点〕と同じである。山全體が紅葉に映えてひかる、といふ意である。○散りの亂は 散り〔二字傍点〕と亂ひ〔二字傍点〕とは共に體言の如く心得て見るべきである。故に全體で、散つて亂れること、亂れ散る事、の意である。○今日にもあるかも にも〔二字傍点〕のも〔傍点〕は感動の助詞。かも〔二字傍点〕は咏嘆の意を含めた疑問の助詞。
【後記】 この歌で問題になるのは第二句の「山下|耀《ひか》る」といふ詞であらう。語釋にも記して置いたが、考へ詰めてゆくと、諸家の説のどの説にも全然ぴつたりと心が肯き難い。どう云ふ處を見て此の詞を作者は詠み出でたものか、自分としては樣々に想像が擴がつて行くのである。それだけに此の歌は魅力のある歌と云はれよう。尚、結句などは私には非常に面白く思はれる。
【左註】 右の一首は大使阿倍朝臣繼麻呂の作である。
 
3701 竹敷《たかしき》の 黄葉《もみぢ》を見れば 吾妹子が 待たむといひし 時ぞ來にける
 
右の一首は副使
 
(136)【口譯】 竹敷の黄葉を見ると、自分の妻が、お待ちしませう、と云つたその時が來てしまつたことだ。
【語釋】 ○竹敷 前の三七〇〇の歌の題詞参照。○時ぞ來にける ぞ〔傍点〕は強意の助詞。時が来てしまつた、といふ意。秋には歸京の豫定だつたらしいものを、樹々が黄葉したといふのに未だ往路對馬にあるゆゑ妻を戀うて詠んだものである。
【後記】 この歌もなか/\面白くよまれてゐる、單純に詠み出してゐる中に、妻を思ふ心が靜かに沁みとほつてゐる。此の場合、初句の「竹敷」といふ地名が、一首の上に効果的に影を投げてゐる。又第四句の「む」は妻の意志を現した「む」とみるべきであらう。
【左註】 右の一首は副使の作歌。此の時の副使は大伴宿禰三中。巻三にも一首(四四三)同人の作がある。傳やや明かなるも別卷にゆづる。
 
3702 竹敷の 浦廻の黄葉 我行きて 歸り來るまで 散りこすなゆめ
 
右の一首は大判官
 
【口譯】 竹敷の浦の曲りの黄葉よ、私が新羅へ行つて歸つて來るまできつと散つてくれるな。
(137)【語釋】 ○我行きて 我新羅へ行きて、の意。○散りこすなゆめ こす〔二字傍点〕は願望の意を現す動詞。次田潤氏の萬葉集新講に「今島根縣の方言にゴセ(命令形)といふのがあつて『呉れ』と云ふ意味に用ゐられてゐるのは、恐らくこのコセの名殘であらう」とある。巻四「汝《な》をと吾《あ》を人ぞさくなるいでわが君人の中言《なかごと》聞きこすなゆめ」(六六〇)、巻八「霞立つ春日の里の梅の花山のあらしに散りこすなゆめ」(一四三七)、巻八「妹が目を始見《はつみ》の埼の秋萩はこの月頃は散りこすなゆめ」(一五六〇)等も同じ用例である。な〔傍点〕は禁止の助詞。ゆめ〔二字傍点〕は決して、きつと、どうぞ、等の意の副詞で、譯する場合は「散り」の上に置いて考へると良い。
【後記】 前の二首に比べると.此の歌の味は平凡で、自然、詠みぶりも劣つてゐる。すべてが此の時代の詠み口であつて、特に此の作者の面影がはっきりと浮かび上がるやうなものとはちがふのである。
【左註】 右の一首は大判官壬生使主宇太麻呂の作である。
 
3703 竹敷の うへかた山は 紅《くれなゐ》の 八入《やしほ》の色に なりにけるかも
 
右の一首は小判官
 
【口譯】 竹敷の上の方の山は紅の濃い色になった事であるよ。
(138)【語釋】 ○うへかた山は うへかた山〔五字傍点〕は代匠紀も略解も共に地名かと見てゐるが、古義には「上方山《うへかたやま》にて、上《うは》つ方にある山をいふべし、又即(チ)山(ノ)名に負たるにもあるべし」とあり、新考はこれを承けて「おそらくは山の名にはあらじ。山の名はありもすべけれど不知案内の地にて其名を知らねば上の方に見ゆるままにウヘカタ山といへるならむ」と説いてゐる。しばらく新考の説に從つておく。○八入の色に 八入の色〔四字傍点〕は濃い色の意。○なりにけるかも かも〔二字傍点〕は感動の助詞。色濃くなつた事であるよ。
【後記】 此の歌は、おほまかな言ひ樣ではあるけれど、第二句から第三句にかけて、作者の心の動きが奈邊にあつたか、と云ふ事をうかがふことが出來、出來映えとしては前歌に勝ると考へられる。
【左註】 右の一首は小判官の作。此時の小判官〔三字傍点〕は大藏忌寸麻呂(續日本紀)。
 
3704 もみぢ葉の 散らふ山邊ゆ こぐ船の にほひに愛《め》でて 出でて來にけり
 
【口譯】 もみぢ葉が散つてゐる山のあたりに添うて榜いでゐる船の美しさに牽かされて出て參りました。
【語釋】 ○散らふ山邊ゆ 散らふ〔三字傍点〕は「散る」といふ動詞に所謂延言のふ〔傍点〕の接したもの。山邊〔二字傍点〕は山の麓の浦磯(139)をさしたものであらう。ゆ〔傍点〕は「通つて」の意の助詞。山のあたりの海を通つて、と云ふ意。○にほひに愛でて にほひ〔三字傍点〕は色澤の美しいこと、立派なこと。「旅にして物|戀《こほ》しきに山下の赤《あけ》のそほ船沖に榜ぐ見ゆ」(卷三、二七〇)、「押照る、難波の埼に、引きのぼる、赤《あけ》のそほ舟、そほ舟に、綱取かけ……」(卷十三、三三〇〇)等と見えてゐるやうに此の場合も公の使なのだから船を丹塗りにしてあつたので、それで船のにほひと云つたのではなからうか。愛でて〔三字傍点〕は心引かれて、の意。
【後記】 この歌は下の左註にもある樣に、對馬の娘子玉槻の作であるが、恐らくは遊女であらうと云ふ説が大部分で、私もそれに賛成する。
 読んでみて、どこまでも女の歌であつて、なか/\良い味を出してゐる。丹塗の官船を見て物珍らしく、一種のあこがれを持つて、遊女たちが出で來た樣も、目に浮ぶ心地がして、又、後の更科日記の足柄山などに於いて、遊女の舞ふを見て寂しき旅情を慰められたるあたりを聯想させられて、さびしく辛い一行の旅情を、自《おのづか》ら和《やは》らげたものが有る樣にうけとれるのは、あまり立入り過ぎた鑑賞であらうか。
 上句の詠みぶりも、目前の風情を現し得て面白いと思ふ。此の時代には對馬にもかかる歌を詠む若き遊女が居つたのか、と思ふだけでも甚だ面白い。
 
(140)3705 竹敷《たかしき》の 玉藻靡かし こぎ出《で》なむ 君が御船《みふね》を いつとか待たむ
 
右の二首は對馬娘子《つしまのをとめ》名は玉槻《たまつき》
 
【口譯】 竹敷の美しい藻を靡かせて榜いでお出《い》でなさるだらうあなたのお船を、何時お歸りと思つてお待ちしませうか。
【語釋】 ○玉藻靡かし 玉〔傍点〕は美稱。靡かし〔三字傍点〕はおし分け靡かせの意。○こぎ出なむ なむ〔二字傍点〕は推量の助動詞。漕ぎ出るであらう。○君が御船を 貴方のお船を、遭新羅使の船を指す。○いつとか待たむ いつと〔三字傍点〕は何時歸ると思つて、の意。か〔傍点〕は疑問の助詞、句の最後に移して譯すと良い。何時おかへりとてお待ちしようか、と云ふ意。
【後記】 前の歌に比べて、やはり此の歌も相當面白く味ははれる。これも上句、目前の風物をとり入れて、出で行かむ船の樣を寫した面白い詠みぶりである。「こぎ出なむ」とあるから未だとどまつてゐる船に向つて、既に出で別れた後の嘆きを寄せてゐるのも女らしくてよいと云ふ樣に味はつた事である。
【左註】 右の二首は對馬の娘子で名を玉槻といふ者の作である。古義に「此は遊女の類なるべし」とある。
 
(141)3706 玉敷ける 清き渚《なぎさ》を 潮滿てば 飽かず吾《われ》行く 還《かへ》るさに見む
 
右の一首は大使
 
【口譯】 玉を敷きならべた清い渚であるものを、潮が滿ちて來たので心惜しくも私は船出して行く事だ。歸り途にはまた見よう。
【語釋】 ○玉敷ける 玉を敷いたやうな、といふ意を強く現したもので、海濱の美しいこと。○清き渚を を〔傍点〕は「ものを」といふ意を表す感動の助詞で、一句を隔てて「吾行く」につづく。清々しい渚なるものを、其處を離れて、と云ふ意。前出の「君を離れて」(三五七八)、「家を離れて」(三六九一)、又は、「妹を別れ」(三五九四)等の、「……から」と云ふ意のを〔傍点〕ではない。○潮滿てば 潮が滿ちたので。船出に好都合になつたので。○飽かず吾行く 飽かず〔三字傍点〕は心充分滿足せず、の意。充分に味ははずして去つて行く、と云ふ意で、一首の意味は一應ここで切れる。○還るさに見む 還るさ〔三字傍点〕は「かへり」と同じ意。さ〔傍点〕は接尾語。「行くさ」「來るさ」の「さ」と同じ用ひ樣である。還りに見ませう、の意。
【後記】 この一首、上句に於いて美しき海岸の風景を表すのに「玉敷ける〔四字右○]清き渚」と云つてるのは、概念的な表現である。又、下句に於いて少し無理があるのではないかと思はれる。讀み反(142)してみて意味はひと通り分るやうなものの、調べに何か不足な感がする。然し第九句で「還るさに見む」と言つて此の繼麻呂は新羅で客死したのだから、それを思ふと實状はあはれである。
【左註】 右の一首は大使阿倍朝臣繼麻呂の作である。
 
3707 秋山の 黄葉《もみぢ》を挿頭《かざ》し 我が居れば 浦潮滿《み》ち來《く》 いまだ飽《あ》かなくに
 
右の一首は副使
 
【口譯】 秋の山の黄葉を髪に挿して私が居ると海岸に潮が滿ちて來る。未だ飽きないのに。
【語釋】 ○秋山の 秋の山の、といふ意で地名にあらず。○黄葉を挿頭し 挿頭す〔三字傍点〕は髪に挿して飾りとすること。○我が居れば 我が遊び居れば、の意。○滴潮滿ち來 浦に潮が滿ちて來る、と云ふ意。來〔傍点〕は終止形で一應ここで切れる。○いまだ飽かなくに 未だ飽きる事がないのに、と云ふ意。なくに〔三字傍点〕は卷二「み薦《すず》苅る信塊《しなぬ》の眞弓引かずして弦著《をは》くるわざを知ると言はなくに」(九七)、卷三「苦しくも降り來る雨か三輪の埼|狹野《さぬ》のわたりに家もあらなくに」(二六五)等集中に用例甚だ多い。みな、「……でないのに」と云ふ打消の意を現す。
(243)【後記】私の好みから云へば、此の歌の方が前の概念的な歌よりも何か好ましい歌と思はれる。上句の詠みぶりも單純に云つてゐて、何かその人々の樣を髣髴とせしめ、もみぢをかざして遊んでゐる時、浦潮が滿ちて來るつゞき具合に無理が無く、第五句の「飽かなくに」も前の「還へるさに見む」よりは、一首の上から云へばずつと自然な味を出してゐる。對馬あたりに來て、都から遠き島の黄葉に遊ぶ人の心、而もなほ遠き旅路を前にひかへての歌であるから、その氣特をもつて味はふとなか/\趣が深いのである。
【左註】 右の一首は副使大伴宿禰三中の作である。
 
3708 物|思《も》ふと 人には見えじ 下紐の したゆ戀ふるに 月ぞ經にける
 
右の一首は大使
 
【口譯】 ものを思ひ悩んでゐるとは人には見えまい。心のうちに戀ひ慕つてゐるうちに月々が過ぎてしまつたなあ。
【語釋】 ○物思ふと 物を思ひわづらふとは、思ひ悩むむとは、の意。○下紐の 着物の下紐でした〔二字傍点〕に懸かる枕詞。○見えじ じ〔傍点〕は打消の推量を現す助動詞。○したゆ戀ふるに した〔二字傍点〕は裏《ぅら》と云ふに同じく「心の内」(144)「内心」である。「みなと葦《あし》に交《まじ》れる草の知草の《しりくさ》の人みな知りぬ吾がした思ひ」(卷十一、二四六八)、「あしひきの山田守る翁《をぢ》が置く蚊火《かび》のしたこがれのみ我が戀ひ居《を》らく」(卷十一、二六四九)、「……たらちねの、母の命《みこと》の,大船の、ゆくらゆくらに、した戀に、何時かも來《こ》むと、待たすらむ……」(卷十七、三九六二)等とあるした〔二字傍点〕も同じ意で集中には用例甚だ多い。ゆ〔傍点〕は「で以つて」といふ意を表す助詞。「眞野の浦のよどのつぎ橋こころゆ〔右○〕も思へや妹が夢にし見ゆる」(卷四、四九○)とあるゆ〔傍点〕と同じ用法である。心でもつて思つてゐるのに、の意。
【後記】 此の歌は、此の時代の人として正直に自家の心情を述べたものであらう。然し、現代の我々にはも早直接にさう響いて來る調子も内容もない作である。
【左註】 右の一首は大使阿倍朝臣繼麻呂の作である。
 
3709 家づとに 貝を拾《ひり》ふと 沖邊より 寄せ來る浪に 衣手ぬれぬ
 
【口譯】 家への土産に貝を拾はうとして沖の方から打寄せて來る波でもつて袖が濡れてしまつた。
【語釋】 ○家づと 家苞。家へのみやげ物。既出。○貝を拾《ひり》ふと ひりふ〔三字傍点〕は「ひろふ」の古い形。前出。拾(145)はうとて、の意。○沖邊より より〔二字傍点〕は「から」の意で出發點を示す助詞。沖の方から。○衣手ぬれぬ 衣手〔二字傍点〕は衣の袖のこと。袖をぬらしてしまつた、と云ふ意。
【後記】 單純。萬葉としては類型的な内容の歌で、さして取立てて云ふところも無い。
 
3710 潮干なば またも吾《われ》來む いざ行かむ 沖つ潮騷《しほざゐ》 高く立ち來《き》ぬ
 
【口譯】 潮が干たならばまた私はやつて來よう。今はさあ行かう、沖の潮|騷《ざゐ》が高く立つて來た。
【語釋】 ○またも吾來む 古義に「潮の高く興《たち》來て、船出すべき時に至りぬれば、心ならずとも、いざ/\此處を立(チ)別れて行(カ)む、潮涸になりなば、又も歸り來て、此(ノ)おもしろき瀲《なぎさ》に、吾は遊ばむぞ、となり」とあるが、新考は之を否定して「マタモワレコムは上にカヘルサニ見ムといへるとは異にて停泊中ニ又モ來ムといへるなり」と説いてゐる。あるひは新考に從ふべきか。○いざ行かむ さあ行かう。何處を指して行かうと云つたものか詳かでない。○沖つ潮騷 沖つ〔二字傍点〕は沖の、と云ふ意。潮騷〔二字傍点〕は代匠記に「鹽の荒きをいふ」とあり、講義に『春滿は「潮さわぎにて潮のさし來る時海の鳴を云」と云へり、「左爲《さゐ》」は「騷ぐ」の語幹の「さわ」の轉じたる語にして「シホサヰ」の語の意は潮の騷ぎの意なることは疑ふべからず。肥前肥後のあたりには潮の滿つるを「シホサヰ」といふといへり(中略)。又魚に「しはさゐふぐ」といへるあり。こ(146)れは河豚の類なるが、水族志に「此フグ河水ノ海ニ流出スル海口ニ群ヲナス」とあり。即ちこれ潮左爲《しほさゐ》の處に住む故の名なるべし』と説かれてある。即ち、潮が滿ちて來る時に騷ぐことを現す名詞である。「潮騷に伊艮虞《いらご》の島邊|榜《こ》ぐ船に妹乘るらむか荒き島回《しまみ》を」(卷一、四二)、「牛窓の浪の潮騷鳥響みよそりし君に逢はずかもあらむ」(卷十一、二七三一)等がその例である。
【後記】 「いざ行かむ」の句が、何處を指して行かうと云ふのか詳かでない爲に、此の歌全體がはつきりとしないのであるが、しかし、下句は面白く讀まれる。此の「潮騷」といふ語の解は春滿の説に教へられる所がある。
 
3711 わが袖《そで》は 袂《たもと》とほりて ぬれぬとも 戀《こひ》忘貝 とらずば行かじ
 
【口譯】 私の袖は袂を徹《とほ》して濡れたとて戀忘貝を採《と》らない以上は行くまい。
【語釋】 ○わが袖は袂とほりて 袖〔傍点〕と袂〔傍点〕との相違は代匠記に「袖と衣手と袂とはみなおなし詞なり。和名抄云。釋名云。袖【音岫、和名、曾天、下二字同、】所2以受(ル)1v手(ヲ)也。袂【音※[敝/大]】開(キ)張(テ)以臂屈伸(スル)也。※[衣+去]【音居】其中虚也。今の俗におもへるは袖はハ名なから袂に對する時は手をとほすところをいひ、たもとは袖のくたりの下をいへり。此哥もさ聞ゆるにや」とあり、古義に「そも/\蘇弖《ソテ》と多母登《タモト》との差別《けぢめ》を、委細に云(フ)時は、蘇弖《ソテ》は衣手《ソテ》にて、左右(ノ)手を指(シ)(147)入る所のハ名《おほな》、多母登《タモト》は手本《タモト》にて、衣手《ソテ》の本(ツ)方、臂《ひぢ》より肩までの間をいふなり」とある。ここは,私の衣の袖がすつかり濡れてしまつたとて、といふ程の意であらう。○戀忘貝 忘貝〔二字傍点〕は前出の三六二九參照。妻を思ふ戀の苦しさを忘れる貝。○とらずば行かじ 採らないならば行かじ、即ち、採らない以上はここを去るまい、の意。
【後記】 昔の人の感情には、今人と變つて、又、面白いところがある。それは勿論、時代的に解釋のつく事ではあるけれども、今の私共は、此の歌を讀むと、「とらずば行かじ」の句が、むしろ可笑しい程に大仰にうけとられる。
 さう云ふ心持から、ふと此の戀忘貝と云ふものが、何か愛らしい女性の譬喩になつてゐるのではないかとさへ思はれるのだけれど、私自身が、現代に於いて、さう感ずるだけのもので、作者はたゞ單に戀忘貝を拾はうとしてかく作つたものであらう。
 
3712 ぬばたまの 妹が乾《ほ》すべく あらなくに 我が衣手を ぬれていかにせむ
 
【口譯】 妻が乾すことも出來ないのに、私の衣の袖が濡れてしまつて、どうしたものであらう。
【語釋】 ○ぬばたまの 普通は夜・黒・闇などに懸かる枕詞であるが、ここでは妹〔傍点〕につづいてゐる。代匠記(148)には「長流がいはく此哥ぬば玉といひいでて夜とも黒ともつづけず、只いもといはむためと見えたり。案ずるに常にぬれたる袖をも妹とぬる夜はほすものなり。袖巻はさんいももなどよめるその心なり。しかればいもがほすべくといふ所によるぬる心あれば、ぬば玉といひ出せるなり。今案、ぬば玉といひてくろきとつづけ、くろき心に、夜とも髪ともつづくるは常の事なり云々。古事記に大|己貴《あなむちの》命の御哥に、ぬば玉のしろきみけしをまつふさにとりよそひおき云々。ぬば玉といふもののうるはしければ、白きみけしとも妹ともつづくなるべし。袖を妹とぬる夜はほすものなりとて、いもがほすべくといふ所に夜の心ありといへるはすこしむつかしくや」とあり、略解には「ヌバタマノ夜と言ふより轉じて、寢《い》の一言に續けりと翁言はれき。宜長云、是れ十一の巻に、ぬば玉の妹が黒髪云々と有る歌などを心得たがへて、誤りて詠めるなるべし」とあり、古義は又「しきたへの」とでもあつて袖に續くべきを寫し誤つたのだらうと説いてゐる。諸説紛々、何れとも決し兼ねる。後考に俟つべきであらう。○妹が乾すべく べく〔二字傍点〕は可能の意の助動詞。妻が乾すことが出来る、の意。但、上句全體は次句の意によつて反對の意となる。○あらなくに なくに〔三字傍点〕は前出(三七〇七)参照。妻が乾し得ないのに、の意。○我が衣手を 衣手〔二字傍点〕は衣の袖。を〔傍点〕は、ただ感動を現すだけで調子の爲に使つてゐる。普通の目的語を現す場合ではない。だから、第四、五句は、「我が袂ぬれて」の意である。
【後記】 左註もない事であるから、前の歌も此の歌も誰の作とも言ふ由も無いけれど.或は前と(149)同じ作者の歌か、又は前作着の歌を見て、次の人が此の作をなしたのか、兎に角、歌ふ心持に於いて此の二首はつながりがあると思ふ。此の歌は全く「ぬばたま」が何にかかるかに就いては諸説分れ、その分れてゐる説のどれをどれとも私には定めかねる。只その詞にとらはれずに此の歌を味はふと、前の歌と連絡があり、一方では濡れても忘貝を採らうとまで思ふ心を、此の歌ではそれをうち返して、乾すべき妹の在らぬ實情を反省して、濡れて如何にせん、と、やはり強く止めてゐる處、何か面白く讀みなされる。
 
3713 もみぢ葉は 今はうつろふ 吾妹子が 待たむといひし 時の經ゆけば
 
【口譯】 もみぢ葉は今はもう盛を過ぎてしまう、私の妻が待つて居りませうと云つたその秋の時が経《た》つて行くと云ふと。
【語釋】 ○今はうつろふ うつろふ〔四字傍点〕は「移る」といふ動詞に所謂延言の「ふ」の接したもの。移り變る、衰へる、の意。今はも早盛をすぎる。○待たむといひし お待ちしませうと言つた、と云ふ意で吾妹子の意志を現す。○時の經ゆけば 時〔傍点〕は歸京をお待ちしますと約した時。他の歌で見ると、秋の事であつたらしい。その秋が過ぎてゆくといふと。
(150)【後記】 平穏な歌ひぶりである。強《し》ひて云へば、やはり、此の中にも素直《すなほ》で優《やさ》しい感情のあるのが命であらう。
 
3714 秋されば 戀しみ妹を 夢《いめ》にだに 久しく見むを 明けにけるかも
 
【口譯】 秋になつたので戀しく思はれて、妻を夢にだけでも長く見たいのに、夜が明けてしまつたことだ。
【語釋】 ○秋されば 秋は歸京の豫定だつた秋。その秋が來たので。○戀しみ妹を 「戀しいので、妹を」と云ふ意である。妹を〔二字傍点〕は下の「見む」に懸かる。新考は「ハヤミ早風」「クシミ玉」と同じ用法で「コヒシキ妹」の意だと云つてゐるのは從ひ難い。○夢にだに せめて夢になりと、の意。○久しく見むを 長い間見てゐようものを、の意。○明けにけるかも かも〔二字傍点〕は感動の助詞。つれなくも明けてしまつたよ、と云つた氣持。
【後記】 此の歌は、一句一句落着いて味はつてゆかないと、ちよつと讀み違ひ、思ひ違ひをすることがあるかも知れない。それは第二句、第三句の語句の解釋によるのである。「戀しみ」が「妹」にかゝるか否かに就いて歌の陰影が變つて來る。「戀しみ」で一旦切つて、「妹を長く夢に(151)だけでも」と解いて來ると、なか/\陰影深く、面白い歌になて來る。
 
3715 獨りのみ 著《き》ぬる衣の 紐解かば 誰《たれ》かも結《ゆ》はむ 家遠くして
 
【口譯】 獨りでだけ著て來た衣の紐を、今此處で解いたならば、誰が結ぶことだらうか、家を遠く離れて居つて。
【語釋】 ○獨りのみ 獨りでだけ、の意。○著ぬる衣の 略解は「獨り着し衣の紐を解きなば」と云ひ、新考は「獨ノミ來ヌルワガ衣ノと譯すべし」と云つてゐる。しかし、何れの説も意味が充分通らない憾がある。略解の説に從へば「獨りで着た衣」の意であり、獨りで着た衣ならば、獨りでその衣の紐を解いたとて何の感慨もあるまいと思はれる。又、新考の詔に據つて「來ぬる」の意に解けば、下へのつながりが具合惡い。森本治吉氏は『「着て来た衣の」と云ふ意で、曾て其を解いて獨りでだけ着て、他の人と共寢をしたりする事などのなかつた衣の、とでも解すべきであらう』と云はれてゐる。○誰かも結はむ かも〔二字傍点〕は疑問の助詞。「結はむ」の下に移して譯す。誰が結ぶことだらうか、と云ふ意。○家遠くして 妻の居る故郷の家から遠く離れてゐるので.の意。
【後記】 この第一、第二句の續き具合に瞭《はつき》りしないものがあり、從つて.決定的な批評も下し兼ぬる譯であるが、しかし、作者が詠まうと心組んだ處は、やはり、森本氏の説に從ふのが最も(152)自然と思はれる。
 
3716 天雲《あまぐも》の たゆたひ來《く》れば 九月《ながつき》の 黄葉《もみぢ》の山も うつろひにけり
 
【口譯】 海上を漂つ《ただよ》てやつて來ると九月の黄葉した山も、も早盛を過ぎてしまつた。
【語釋】 ○天雲の たゆたひ〔四字傍点〕にかかる枕詞。○たゆたひ來れば 漂つて來れば。途中艱難に日を費してやつて來れば、といふ意であらう。○九月の ながつき〔四字傍点〕は陰暦九月。○黄葉の山も 黄葉した山も。地名ではない。○うつろひにけり うつろふ〔四字傍点〕は前出の三七一三參照。衰へ散りはててしまつた。
【後記】 この歌は、讀むとすうつと頭に入つて來る。それ故に、相當良い歌と思はれる。上句の表現が渺茫としてゐる處も、此の人々の現状に應《ふさ》はしく、それから下句に來て、「黄葉の山もうつろひにけり」と細々《こま/\》せずに鷹揚《おほやう》に歌つてゐる處もなか/\心得がある。かう云ふ歌は、何時讀んでも飽かない心地がする。
 
3717 旅にても 喪《も》無く早|來《こ》と 吾妹子が 結びし紐は 褻《な》れにけるかも
 
【口譯】 旅にあつても凶《わる》い事無く早く歸つていらつしやいと、私の妻が結んでくれた紐はもうよ(153)れ/\になつてしまつたなあ。【語釋】 ○旅にても 旅に在りても。旅に居つても、の意。○喪無く早來と 喪〔傍点〕は凶事。既出。早來と〔三字傍点〕は早く歸つて來よとて、の意。○褻れにけるかも 褻れ〔二字傍点〕は萎える、よごれてくた/\になる、よれ/\になること。かも〔二字傍点〕は感動の助詞。よれ/\になつてしまつたよ。
【後記】 取立てて云ふ程の事も無いけれど、下句に實感が出てゐる。
 
筑紫に回り來て海路京に入るに、播磨國家島に到れる時作れる歌五首
 
3718 家島は 名にこそありけれ 海原を 吾が戀ひ來《き》つる 妹もあらなくに
 
【題意】 新羅國に到つて使命を果し、筑紫に還つて來て、それから海路都に向つて、播磨國家島に行つた時作つた歌五首。
【口譯】 家島といふのもただ名ばかりであつた。海の上を私が戀ひ焦れて釆た妻もゐないのだから。
【語釋】 ○家島は 家島は前出の三六二七參照。○名にこそありけれ名だけであつた。家〔右○〕島と云つても自分の妻が其處には居ないのだから、家としての實質がない、といつた氣特である。○吾が戀ひ來つる 自(154)分が戀ひこがれて來た。○妹もあらなくに 妻も此の島にはゐない事だらう。なくに〔三字傍点〕は前出。三七〇七參照。
【後記】 此の一首は、家島といふ名の島に船が到つた時に作られた歌であるから、「名にこそありけれ」が面白く讀まれるのである。これまでの長い航海中妹に戀ひ來つる心を歌ひつゞけて來た人々の歌として、そこに作者ならずとも一種の感慨がある。
 
3719 草枕 旅に久しく あらめやと 妹に言ひしを 年の經ぬらく
 
【口譯】 旅に長く居らうか、長くはゐないよと妻に言つたものを、もう年が過ぎてし(155)まつた事だ。
【語釋】 ○草枕 旅にかかる枕詞。前出の三六一二參照。○あらめやと や〔傍点〕は反語の助詞。ゐようか、ゐないだらうと、の意。○妹に言ひしを 妻に言つたものを。○年の經ぬらく 年がたつてしまつた事だよ、と云ふ意。
【後記】 多くの歌を評して來ると、是等の歌に就いては、特別何も云ふ事が無くなつてしまふ。たゞ、作者の心を外々《よそ/\》しくは見過し得ないが、歌としては何程の出來映とも考へられない。
 
3720 吾妹子《わぎもこ》を 行きて早見む 淡路島 雲居に見えぬ 家づくらしも
 
【口譯】 自分の妻を行つて早く見よう。淡路島が雲のあたりに見えて來た。家に近づいたらしいなあ。
【語釋】 ○行きて早見む 現今なら「早く行きて見む」といふ所である。○雲居に見えぬ 雲の居るあたりに見えた。○家づくらしも 家づくは「秋づく」と同じ用法で、家に近づくこと。らしは推量の助動詞。も〔傍点〕は感動の助詞。家に近づいたらしいよ、と云つた意。
【後記】 此の一首は調子も張りがあつて、何か眞に勇躍する感情の動きもよく表されてゐる歌と(156)思ふ。それも一つには不自由な海路を辿つて新羅へ渡り、遂に此處まで還つたかと思ふ實際の航海に對する感慨が、作者のみならず、讀者の側にも潜んでゐて、それが一層此の歌に表された感情と合致するのであらう。
 
3721 ぬばたまの 夜明《よあか》しも船は こぎ行かな 御津《みつ》の濱松《はままつ》 待ち戀ひぬらむ
 
【口譯】 夜撤《よどほし》しても船は漕いで行きたいものだ。さぞ御津の濱松が待ち焦れてゐた事だらう。
【語釋】 ○ぬばたまの 夜〔傍点〕に懸かる枕詞。○夜明しも 夜を明しても。夜通しにも。○こぎ行かな な〔傍点〕は願望の助詞。漕いで行きたい、と云ふ意。○御津の濱松 大伴の御津の濱松。御津〔二字傍点〕は前出の三五九三を參照。この句は次句の待つ〔二字傍点〕にかけた序詞で、裏の心は家人が待つ、と云つたものである。○待ち戀ひぬらむ 待ち戀うてゐたことだらう、と云ふ語。卷一の山上憶良が唐から歸朝の途次詠んだ歌にも「いざ子どもはやもやまとへ大伴の御津の濱松待ち戀ひぬらむ」(六三)といふのがある。
【後記】 語釋にも述べた通り、此の歌は卷一にある山上憶良の歌と下句に於いては全然同じ事を云つてゐるのであつて、此の場合憶良の作が、如何にも生々と、此の一行の人々の心に蘇つたであらう。詠み口は、流石に憶良には及ぶべくもないが、實感は上句に於いてよく詠み出され(157)てゐると思はれる。
 
3722 大伴の 御津《みつ》の泊《とまり》に 船|泊《は》てて 立田の山を 何時《いつ》か越え往《い》かむ
 
【口譯】 大伴の御津の港に船を停めて、立田の山を自分達は何時越えて行くことだらうか。
【語釋】 ○大伴の御津 前出。三五九三參照。○立田の山を 立田の山〔四字傍点〕は御津から大和へ行く道にある山。今の龍田の龍田《たつた》神社のある西に當る山。先には伊駒(生駒)山を越えたことが三五八九・三五九〇に見えてゐる。○何時か越え往かむ か〔傍点〕は疑問の助詞。何時越え行くことであらうか、と云ふ意。
【後記】 歸心矢の如き此の一行の歌として、まことに無理ならぬ感情の迫つた歌である。特に「船泊てて立田の山を何時か越え往かむ」と讀みつゞけてゆくと、何か讀む者も感激にうたれるものがある。
 さて、卷十五の歌の大部分を占める遣新羅使の歌も、此の歌を以つて終とする。評し去り、評し來つて、中には内容も外形も當時の常套的、類型的の作がないではないけれど、とにかく、事情が事情だけに、全部を通して、やはり眞實感に動かされ、その勞をねぎらひ度い心にさへなるのは、萬葉の歌の徳とも申すべきか。
 
(158)中臣朝臣宅守《なかとみのあそみやかもり》狹野茅娘子《さぬのちがみのをとめ》と贈り答ふる歌
 
3723 あしひきの 山路越えむと する君を 心に持ちて 安けくもなし
 
【題意】 中臣朝臣宅守と狹野茅上娘子とが贈り答へた歌。此の卷の目録に「中臣胡臣宅守、藏部女嬬狹野茅娘子を娶りし時、勅して流罪に斷じて、越前國に配せらる。ここに夫婦別れ易く會ひ難きを相嘆き、各慟情を陳ぶる贈答の歌六十三首」とある。齋宮寮の一部であつた藏部の女嬬(下級女官)の狹野茅上娘子を禁を犯して娶つた爲に、中臣宅守は越前に流謫せられたのであると云はれてゐる。この事件のあつた年月は明かでないが、右の遣新羅使のことが天平八年であるから、それより後の事と考へられる。又續紀天平十二年六月十五日大赦の條に 「中臣宅守等(ハ)不v在(ラ)2赦(ス)限(リニ)1」と見えてゐるからそれより以前であつたことは明かである。尚、狹野茅上娘子の「茅」は細井本による。舊本には「※[第の竹が草冠」とあり、西本願寺本には「弟」とある。又、目録の「嬬」の字は白文萬葉集によつて改む。舊本には「嫂」とあり、代匠記は「娉」の誤と説き、略解はそれに據つて「藏部女を娶り、狹野茅上娘を娉る」と重婚の意に解してゐる。
【口譯】 山路を越えようとする貴方を心に思ひ抱いて居つて安らかに落ちついた氣もございません。
【語釋】 ○あしひきの 山〔傍点〕にかかる枕詞。○山路越えむとする君を 山路を越えて行かうとする君を、の意。(159)越前の流罪地へ行くのである。君〔傍点〕は宅守をさす。○心に持ちて 心に思ひ抱いて、といふ意。○安けくもなし 安けく〔三字傍点〕は前出、三六九四參照。心安らかな事もない、の意。
【後記】 此の中臣朝臣宅守、狹野茅上娘子の戀愛事件は、その贈答の歌によつて、萬葉集の中でも特に有名なものとなつてゐる。島木赤彦氏は、その昔「萬葉集の鑑賞及び其の批評」の中に、此の贈答歌は萬葉集全卷を通じての逸品であり、萬葉の前期・中期に於ける緊張を失ひはじめた末期に於ては、獨り此の歌が氣を吐いてゐる慨がある、と云ふ意味の事を書いて、これらの贈答歌を激賞して居られる。げに、その激賞も當然の事と思へるまでに、此の贈答歌は卷十五の燦然たる光であり、のみならず、歌集萬葉の中に於いての至寶とも云ふべきものである。
 この事から考へを進めて行くと、此の贈答歌は、その事情から云つても、又、鯉愛と云ふものの性質から云つても、極めて秘かに贈答され、互に深く内に秘められたものであらうのに、それが、何時どういふ機會にあつて、此の卷十五の編者の手に渡り、かくも千古に大いなる感動の波を、讀む人の心に傳へる事の出來るやうになつたものか、我々讀者から云ふと、それは得難き寶を、天惠によつて得た忝さをさへ感ずるのである。
 さて、その贈答歌の第一首として此の歌を味はつてみると、眞に滋味深きものがある。直ぐ此(160)の次の三七二四に於ける燃え上る※[火+餡の旁]のやうな一首を控へての詠み出しとして、云はば大悲劇の序の幕としてこれを味はふ行方《ゆきかた》でいつてみても、なか/\興味がある。激しいものを胸に疊んで居りながら、先づ第一番目に、第一句「あしひきの」と枕詞を入れ、次いで「山路越えむとする君を」とおもむろに詠み出でてゐる。その戀する人を心に思ひ抱いて居つて、安らかに居られない心の悲痛を、徐々に奏《かな》で出でて來る。勿論、一首としての獨立性も充分にあり、又、此の長い一聯の初めの歌として、目立たない中に、その位を保つて居るとも思はれる大いなるものを含んだ一首として、私は味はふのである。
 
3724 君が行く 道の長路《ながて》を 繰《く》り疊《たた》ね 燒き亡ぼさむ 天《あめ》の火もがも
 
【口譯】 貴方がいらつしやる長い路を繰りたたんで燒き亡ぼしてしまふ天の火もほしいものだなあ。
【誤釋】 ○道の長路を 長路〔二字傍点〕は長い道。の〔傍点〕は前にも述べたやうに同じ意の語を重ねて言ふ場合中間に挿入する助詞で、「即ち」と譯して當る。道即ち長い道、といふ意。○繰り疊ね 新解に「原文に久里多多禰《クリタタネ》とあるが、舊説、古葉略類聚鈔に、禰《ネ》を彌《ミ》に作つてゐるのによつて、繰り疊みの誤だとしてゐる。ところがあ(161)ひにく古葉略類聚鈔は、禰《ネ》を悉く彌《ミ》に作つてゐるので、證據にならない。元來タタミは、古くナ行にも活用したことは、タタナヅク、タタナハルの語の存するによつても知られる。よつてここも原文のままに、操り疊ねと讀むべきものと思はれる」とあるに據る。繰りたたんで、といふ意である。○燒き亡ぼさむ 燒いてなくしてしまふ。路が無くなれば、戀しい貴方は越前へなど行かずに私の傍に居られるであらう、と云つた樣な氣特を裏に言つたもの。○天の火もがも がも〔二字傍点〕は願望を現す助詞。人間の燃す火ではなく、天界の神秘な火もほしいものだ、といふ意。
【後記】 此の一首はあまりに有名な歌であつて、萬葉集を讀む人と否とに拘らず、人口に膾炙された歌であるが、讀んで直ちに感ずる如く、情熱的作品の絶唱とも云ふべきもので、それだけに此の歌に對しては古今の學者及び歌人、又一般の鑑賞家たちの批評は個性的に種々に分れるのである。昭和七年四月發行のアララギの中の萬棄集輪講(續稿五十六)において土屋文明氏は此の歌を評して、
 (前略)この一首は前評にも言へるが如く、幾分大仰にも見えるのである。「妹が門見む靡けこの山」などにしても、實作者となると、自己の作風の變遷につれて、或時はいたく傾倒し、また或時は幾分の反感を持つて對する。また止むを得ないのである。
と云つて居られるが、兎に角此の歌は異常なる誇張があり、誇張のために、或時は人の心に少(162)しく大仰な稍々厭はしいやうな感じを起させ、また或る場合には、異常なるが故に、一層痛切に、この歌の良さを尊きものにまで思はしめるものになるのである。此の歌に對する宅守の返歌は、讀んで行けば分るやうに、燃ゆるが如き娘子の歌に對して、ずつと現實的であり、律義な詠みぶりである。斯う云ふやうであるから、ある人々はまた、娘子の歌の傑作であることは認めながらも、どうも娘子の歌には誇張があつて、巧過ぎるだけ、稍々輕薄な感を覺えしめるが、宅守の歌は、一見何でもないやうであつて、反つて眞實感が深い、とも言はれる事がある。
 すべて女性の歌なり詩なり言葉なりに出て來る一種の誇張といふものは、女性にとつて、嘘のものだと言ひ切れるだらうか。古來女性の、非常時に遭遇した時歌はれた歌や、詩や、言葉や、その態度に、世の道理を超えて了つて、寄想天外なものが顯れ出て來るのは、過去の文學がこれを語つてゐる。戀する僧を追つて蛇になつた清姫、夫の別れを悲しんで石と化した佐用姫、これらの事は皆物語であり、詩であり、事實ではないかも知れないけれど、其處まで行つて了ふほどの女心といふものは、女性の私共には心底に、自然にうなづかれるものがあるのである。誇張には相違ないけれど、その中に、道理以上の眞實があることを否定出來ないのである。やはり、其處まで言はなければ、想ひ極まつた心が、そつくり其儘表現出來ないと思ふ程(163)の、切端詰つた感情が、作者の女性にあつたことが解る。
 由來、深く/\女性といふものの心を尋ね入つてゆくと、言語に絶し、道理に絶した心情になり果てて、女心が異常な状態に立ち至る時がある。してみると、この歌は所謂誇張の歌ではなくて、本當の女性の歌だ、徹底的な女性の歌だ、と私には感じ、味ははれるのである。味はふ人の側に立つてみると、其の人の心の状態、或は環境、或は年齡、或は性別によつて種々に批評出來るけれど、私は近來、この歌を味はひ入つて行くと、どうしても以上の結論になるのである。しかし、「誇張」と云つても、私の言ふのは、頭で細工したものや、才氣で歌ひ出したものでなしに、全身的に心根を傾けて詠み出したものの中に見出す道理を超えた女心の哀れを言ふのであつて、人間は何者でも切端詰つた場合には、奇想天外の行動にも出るのであるが、それが男性の場合と女性の場合と、確かに別がある。蛇になつたり、石になつたり、或は天から火を降らせろ、と云ふやうに、稚子《をさなご》のやうな、未完成な、言を換へて云へば、不明なもののある、無茶な、其れ故に一層本氣な願望を歌ひ出づる女心のあはれをうなづきつつ、無限に、味はひ深く、私は鑑賞するのである。
 
(164)3725 わが背子し 蓋《けだ》し罷《まか》らば 白妙の 袖を振らさね 見つつ慕《しぬ》ばむ
 
【口譯】 私の夫《つま》よ、若し行らつしやるのでしたら袖を振つて下さいまし、それを見ながらお慕ひ申しませう。
【語釋】 ○わが背子し し〔傍点〕は背子〔二字傍点〕を強く呼びかけた助詞。わが夫よ、の意。○蓋し罷らば 蓋し〔二字傍点〕は「若し」の意。別れたくはないのだけれど萬一、と云つた氣持である。罷る〔二字傍点〕はここでは行く、去るの意。○白妙の 袖につづく枕詞。○袖を振らさね さ〔傍点〕は敬語の助動詞。ね〔傍点〕は願望を現す助詞。袖をお振り下さい、の意。○見つつ慕ばむ 其の袖を見ながらお慕ひ申しませう、といふ意。
【後記】 前の歌に極度の昂奮を示した、その心の名殘からか、此の一首を讀むと、舞臺から下りて野の道を行く如き感がないでもない。しかし、やはり、此の娘子の歌を讀んでみると、歌そのものが非常に巧で、むしろ、此の歌などから巧過ぎるのではないかといふ考へを、忍《しの》び寄らせる事になつたのではなからうか。第一句の初から既に「し」といふやうな強い助詞を使つて、しかも、終までその爲に押し仆されないほどの緊張ぶりを見せてゐる點、第五句の引締め方などについてみても、たゞ、技量として驚嘆すべきものがあり、此處に到つて、私も、巧過ぎるといふ感が動かぬでもない。
 
(165)3726 この頃は 戀ひつつもあらむ 玉匣《たまくしげ》 明けてをちより 術なかるべし
 
右の四首は娘子の別に臨みて作れる歌
 
【口譯】 今の時は戀ひ焦れながらも居りませう。夜が明けた先からはやるせない事でせう。
【語釋】 ○この頃は 今の時は、今は、といふ意。○玉匣 玉〔傍点〕は美稱。匣を開《あ》く、といふ意を以つて明く〔二字傍点〕に懸かる枕詞。「玉匣明けまく惜しきあたら夜を袖《ころもで》離《か》れて一人かも寢む」(卷九、一六九三)。○明けてをちより をち〔二字傍点〕は彼方、遠、以後などの意。夜が明けた後は、と云ふ意。夜が明けて貴方とお別れをした後は。
【後記】 夜が明けると、其處に愛する者との別れが待つてゐる。目前にその人を見て、戀ひつゝある今の時を「この頃は戀ひつつもあらむ」と云ふ、即刻の氣持をとらへて歌ひ上げてある處、やはりその技量に驚き入るばかりである。
【左註】 右の四首は狹野茅上娘子が別れに臨んで作つた歌である。
 
3727 塵泥《ちりひぢ》の 數にもあらぬ 吾《われ》故《ゆゑ》に 思ひ侘《わ》ぶらむ 妹がかなしさ
 
【口譯】 塵や土くれのやうに物の數でない自分の爲に思ひ悶えてゐるだらう妻は不憫な事である(166)よ。
【語釋】 ○塵泥の ちり〔二字傍点〕は「ごみ」、ひぢ〔二字傍点〕はどろ・つちの意。の〔傍点〕は「……の樣に」と云ふ意の助詞。塵や土くれの樣な、と作者が自己を謙稱したもの。○數にもあらぬ ものの數でない、物の數にも入らぬつまらない、といふ意。○思ひ侘ぶらむ 思ひ悲むであらう、思ひさびしがつてゐるだらう、の意。○妹がかなしさ 妻が愛《いと》しく不憫でならない、と云つた氣持。かなし〔三字傍点〕は悲哀の意ではなく可愛いと云ふ意。
【後記】 前の三七二四の後記の中に一寸書いて置いたやうに、※[火+餡の旁]の如き調子の歌に對して、宅守の歌を讀んでみると、如何にも律義な詠みぶりで、ロマンチツクな娘子の詠みぶりに對して、ずつと現實的である。やはり、其處が男性の歌だからであらう。さういふ點に觸れてよく味はひ分けてみる必要がある。尚、古義に「かく此(ノ)度罪を被りて、遠く配流《はなた》れて、塵泥の如く世に容れられず、數まへられぬ吾なるものを、今更誰ありて、憐れがり、いとほしむ人の、をさをさあるべき。きるを唯妹のみ歎き愁ひて云々」とあるが、この説には從ひ難い。
 こゝは特別な事件に煩はされて、自分を「塵泥」と云つたのではなく、宅守が、切實なる娘子の衷情に對して感動のあまり自《みづから》を省みて自己を「塵泥の數にもあらぬ」と云つたのであらう。
 
(167)3728 あをによし 奈良の大路は 行きよけど この山道は 行き惡《あ》しかりけり
 
【口譯】 奈良の都の大路は行き易いけれども、この越前への山道は歩き難《にく》いことだなあ。
【語釋】 ○あをによし 奈良〔二字傍点〕にかかる枕詞。○行きよけど よけど〔三字傍点〕は、よかれど・よくあれど、の意。行き良いけれど。○この山道は この山道〔四字傍点〕は奈良の都から越前國へ下つて行く途次の山道。
【後記】 私は前の歌を評するに律義の語を以てした。此の歌に到つて、愈々その感を覺えさせられる。さういふ氣持も、主に此の下句などに現れてゐるのであつて、眞に朴訥に思を述べてゐる處、宅守その人の俤を見る心地がする。しかし、其の朴訥の感は、東歌に現れた朴訥さのそれとは事變つて、一首を讀み過してみると、朴訥さの中に、やはり、一種の洗練された感情のあることを見逃す譯にはゆかない。それが歌の何處かに薫《にほ》ひ出でてゐる心地である。
 
3729 愛《うるは》しと 吾が思《も》ふ妹を 思ひつつ 行けばかもとな 行き惡しかるらむ
 
【口譯】 可愛いと自分が思ふ妻のことを偲びながら行くから、譯もなく行き澁られてならないのだらうか。
(168)【語釋】 ○愛しと 可愛いと、いとほしいと。今の「うるはし」が美麗の意味であるのとはちがふ。○行けばかもとな か〔傍点〕は疑問の助詞。最後の句の下に移して譯すると良い。行くからか、の意。もとな〔三字傍点〕は理由なく、といふ意。既出、三六九〇參照。略解はこのもとな〔三字傍点〕を「第三句の上へ廻して心得べし」と云つてゐるが從ひ難い。これは次句の行き惡し〔四字傍点〕に懸かるのである。○行き惡しかるらむ 行き惡しかるらむか、の意。行き辛いのだらうか。
【後記】 眞に細やかな愛情の泌《にじ》み出してゐる歌であつて、下句が稍々なだらかさを缺いて、妹を思ひつゝ心の歩みをも同時に現してゐる心地がして、沁《し》み/”\とさせられる。
 
3730 畏《かしこ》みと 告《の》らずありしを み越路《こしぢ》の 峠《たむけ》に立ちて 妹が名|告《の》りつ
 
右の四首は中臣朝臣|宅守《やかもり》道に上りて作れる歌
 
【口譯】 畏多い事だからとて口に出して言はずにゐたのだが、越路の峠に立つて妻の名を呼ばはつた事である。
【語釋】 ○畏みと告らずありしを 代匠記に「勅令をおそれて妹がことを人にも告らずあらしをなり」とあり、略解に「かしこまり有りて行く道なれば、妹戀しとも言に出さざりしを」とあつて、流罪の身で憚多い(169)ことだから言ひ出さずにゐたが、と云ふ意だと云はれてゐる。併し、新解には「人の名を呼ぶ時は、その人の魂は、これに引かれて寄り來るものである。それで妹は戀しいけれど、その名を呼ぶことは、恐るべくあつたので、呼ばずに居つたものをの意」と解してある方が、妥當と思はれる。○み越路の み〔傍点〕は接頭語。越路〔二字傍点〕は越前への路。○峠に立ちて たむけ〔三字傍点〕は代匠記に「近江より鹽津山をこえて越前に入山の峠《たうげ》なり。およそさる所をたうげといふはもと手向《たむけ》なるべし。そこにて神たちにぬさ奉てつつがなからんことをいのればなり」とある。○妹が名告りつ 妻の名を呼んだ、といふ意。つ〔傍点〕は完了の助動詞。
【後記】 此の歌は、此の時代の信仰を以てして一入《ひとしほ》意義を有ち得る歌であつて、第一句と第五句の解釋を、代匠記によらず、新解によつて解釋する事を得るやうになつたのも、全く近代萬葉研究の精密に進歩した賜物と云ふべきであらう。
【左註】 右の四首は中臣朝臣宅守が越前へ流される道に於いて作つた歌である。
 
3731 思ふゑに 逢ふものならば 暫《しまし》くも 妹が目|離《カ》れて 吾《あれ》居《を》らめやも
 
【口譯】 思ひ焦れるによつて逢へるものだつたら、ちよつとの間だつて妻に會はないで自分が居らうか、絶えず會つてゐるだらうよ。
(170)【語釋】 ○思ふゑに ゑ〔傍点〕は「ゆゑ」の「ゆ」が上の思ふ〔二字傍点〕の「ふ」と同化して消えたものであると從來説かれてゐる。併し、森本治吉氏は、に〔傍点〕は「によつて」の意の助詞。ゑ〔傍点〕は感動を現す助詞で「よしゑやし」の「ゑ」と同じであると説いてゐられる。これに依つた方が一層よく意味が通る。(萬葉集講座、品詞概説)即ち、初句は思ふによつて、逢ふと云ふ意である。○逢ふものならば 「思ふによつて逢ふ」とさうしたものだつたら、と云ふ意。○暫《しまし》くも しましく〔四字傍点〕は「しばらく」の意。○妹が目離れて 目〔傍点〕は既出。三五七八參照。かれて〔三字傍点〕は「はなれて」の意。妹を見ることから離れて。即ち、妻に逢ふことをしないで、と云ふ意。○吾居らめやも や〔傍点〕は反語、も〔傍点〕は感動の助詞。自分はゐようか、ゐない、即ち、常に妻を見てゐる、と云ふ意になる。
【後記】 此の歌も第一句の解釋が從來の解説よりも更に精密に進んで來た爲に、歌の味を一層深からしめ、より深く作者の心情を正當に解することの出來ることを私はよろこぶのである。とにかく、此の二人の贈答歌は、俗に言ふ水も洩らさぬ程の心理にあるのだから、一句の解釋たりとも、特に、疎かには考へられぬのである。
 
3732 あかねさす 晝は物|思《も》ひ ぬばたまの 夜《よる》はすがらに 哭《ね》のみし泣かゆ
 
【口譯】 晝は物を思ひ悩み、夜は夜通し泣かれることである。
(171)【語釋】 ○あかねさす 枕詞。晝〔傍点〕につづく。○ぬばたまの 枕詞、夜〔傍点〕にかかる。○夜はすがらに すがらに〔四字傍点〕は、さながらに、ひたすらに、すつかり、盡く、等の譯をつけられてゐる。ここは「夜盡く」即ち、夜通しの意。「夜は夜もすがらに」と云ふに同じ。「……甚《いた》もすべなみ、ぬばたまの、夜はすがらに、赤らびく、日も暮るるまで…⊥(卷四、六一九)、「……あかねさす、晝はしみらに、ぬばたまの、夜はすがらに、この床の、ひしと鳴るまで、嘆きつるかも」(卷十三、三二七〇)。○哭のみし泣かゆ 哭泣く〔三字傍点〕は泣くを強く言ひ現したもの。のみ〔二字傍点〕もし〔傍点〕も意味を強めた詞。上の三六二七を參照。
【後記】 此の歌の第五句にある「哭のみし泣かゆ」は、萬葉集の中には隨分數多く詠まれた語であり、卷十五の中にも四ケ所に出て來るのであるが、あまりしば/\詠みなされてゐるので、大方の場合、人を戀ふる心の表現として、容易に藉《か》りて來て据ゑられた詞のやうにうけとられて來たのであるが、此の歌の場合は、何か眞實、實情を以て詠み出された自然さが目につくのである。一首の上に無理がなくて、句から句への運びも無理ならぬ詠みぶりである。
 
3733 吾妹が 形見《かたみ》の衣《ころも》 なかりせば 何物もてか 命繼がまし
 
【口譯】 私の妻がくれた形見の衣がなかつたならば何物をもつて苦しい命を繼がうか。
(172)【語釋】 ○形見の衣 形見に贈つてくれた衣。○何物もてか もてか〔三字傍点〕は古義に「母智加《モチカ》」の誤だと云つて詳細に論じてゐるが、もて〔二字傍点〕は「もちて」の略で、も早萬葉時代に用ひられてゐたのである。卷十八にも「片思《かたおもひ》を馬に太馬《ふつま》に負《おほ》せもて〔二字右○〕越邊に遣らば人|※[言+玄]《かた》はむかも」(四〇八一)と云ふ例がある。か〔傍点〕は疑問の助詞。何物を以つてか。○命繼がまし まし〔二字傍点〕は未來を想像する助動詞。命を繼いだものであらうか。何を以つて戀ひ焦れてゐる苦しい命(心)を繼いだものか、幸ひに形見の衣をもつて辛うじて慰められ生き續ける事の川來る氣がすることだ、、と云ふ氣持を述べたものである。
【後記】 形見の衣などいふ詞は、現代では甘く聞え、又大時代物めいた感じを起させられないでもないが、下句に詠み出された心の誠が、此の歌を、さういふ點から好轉化させてゐる。
 
3734 遠き山 關も越え來《き》ぬ 今更に 逢ふべきよしの 無きが不樂《さぶ》しさ【一に云ふ、さびしさ】
 
【口譯】 遠い山も關も越えて來た。今は全く逢ふべき方法の無いのがさびしいよ。或る傳へでは「さびしさ」とある。
【語釋】 ○遠き山 遙々遠い山々も、の意。○關も越え來ぬ 關〔傍点〕は越前國の愛發《あらち》の關。伊勢の鈴鹿、美濃の不破と共に所謂三關の一である。關も越えてたう/\遠く來てしまつた、と云ふ意。○今更に 今は更に、今は全く、の意。○逢ふべきよしの よし〔二字傍点〕は方法、手段。逢ふべき方法が。○無きが不樂しさ さぶし〔三字傍点〕は(173)心の慰まぬ事。さびし〔三字傍点〕は此のさぶし〔三字傍点〕の轉。さ〔傍点〕は接尾辭かと言はれる詞で、ただ「不樂し」といふ意である。○一に云ふ 第五句の異傳を示したものである。
【後記】 宅守の方の歌として、此の歌は割合に表面に、耐へ得ざる心の悲しみを、調子高く歌ひ出でてゐる。此の場合の結句は、普通の「寂しさ」といふよりも、「不樂《さぶ》しさ」といふ方が、一層作者の感情を直接に表し得た詞であらう。
 
3735 おもはずも 實《まこと》あり得《え》むや さ寢《ぬ》る夜の 夢《いめ》にも妹が 見えざらなくに
 
【口譯】 思はないでほんたうに居る事が出來ようか。寢てゐる夜の夢にも妻が見えて來るのに。
【語釋】 ○おもはずも實あり得むや 實〔傍点〕はまことに、ほんたうに、眞實、などの意。も〔傍点〕は感動、や〔傍点〕は疑問の助詞。思はないで、眞實、ゐることが出來ようか。ほんとに忘れてゐることが出來るものだらうか、といふ意。○さ寢る夜の さ〔傍点〕は接頭語。○見えざらなくに、見えないのではないのに、否定の否定で結局肯定の意となる。即ち、妻の夢ばかり見てゐるものを、といふ意を逆の形で言つたのである。「小筑波の繁き木《こ》の間よ立つ鳥の目ゆか汝《な》を見むさ寢ざらなくに」も否定の否定で、下に出て來る「術無けなくに」(三七四三)も同例である。
(174)【後記】 纏綿とした戀心を内にたたへてゐたから、斯うした歌が割合に苦心せずして湧き出て來たのであらう。一體、強く心に感動した事があると、初の一首が出來てしまふと次から次へと歌が生まれて來る。何か、此の歌もさういふ連續的の詩情によつて生まれたもののやうに思はれるが、しかし、それも甘い空想的なものでなく、現實的であるところに、戀のまことが見える處がよい。
 第二句、三句の滑かに行かないのも、一面には疵であり、一面にはそれ故にセンチメンタルに陷ちないで歌を眞實にしてゐる、といふ氣もする。
 
3736 遠くあれば一日一夜《ひとひひとよ》も 思はずて 在るらむものと 思《おも》ほしめすな
 
【口譯】 遠く離れてゐるのだから一日一晩位は思はないで居るだらうとはを考へ下さいますな。
【語釋】 ○遠くあれば 遠く離れてゐるから。○一日一夜も 一日一晩位は、とでもいふべき意。しばしは、ちよつとの間は、と云ふこと。○思はずて 思はずして。思はないで、忘れて。○思ほしめすな 思ほし〔三字傍点〕は「思ふ」といふ動詞に敬語の助動詞す〔傍点〕の添はつたもの。めす〔二字傍点〕も敬語。おぼしめすな、お考へなさるな、の意。
(175)【後記】 やはり前の歌から連續した氣持の現れてゐる歌である。此の方は、調子も澁滯せず、一筋に言つてゐるのであるが、又、味はひ方によつては、少し調子が良すぎるといふ感も起させられるのである。
 前の歌と合せ味はつて、歌といふものの傑作を生む事の容易ならざる事を思ふのである。
 
3737 他人《ひと》よりは 妹ぞも惡しき 戀もなく あらましものを 思はしめつつ
 
【口譯】 他人より誰よりも妻が惡かつたのだ。自分は戀もなくゐたいものをこんなに思ひ悩ませる。
【語釋】 ○他人よりは より〔二字傍点〕は比較の意を現す助詞。人に比べては、の意。○妹ぞも惡しき ぞ〔傍点〕は強意の助詞、も〔傍点〕は感動の助詞、き〔傍点〕は回想の意を表す助動詞。妻のあなたが惡かつたのだ、の意。○あらましものを まし〔二字傍点〕は願望の意の助動詞。居りたいものを。○思はしめつつ しめ〔二字傍点〕は使役の助動詞。つつ〔二字傍点〕の下に、「あり」と云つた樣な語が省いてある。
【後記】 この歌ひぶりは、よほど後世風で、表《おもて》を現さずに、裏がへしに言つて、一種効果を強からしめた詠み口である。しかし、それが、手先の遊戯としてではなく、戀心の窮極が、斯う言(176)つてみたかつたらうと肯かせるところが、此の歌の強味であらう。 眞に行詰つた戀の心は、時に戀する者に向つて、いつそお前なんかない方がよい、とまで恨めしく思はせられる刹那もあるのであらう。さういふ瞬間の氣持を訥々と歌ひ上げた、といふ歌で、なか/\面白く味ははれる。
 
3738 思ひつつ 寢《ぬ》ればかもとな ぬばたまの 一夜も闕《お》ちず 夢《いめ》にし見ゆる
 
【口譯】 思ひながら寢るからだらうか、わけもなく、一晩も缺かさずに夢に現れることだ。
【語釋】 ○寢ればかもとな か〔傍点〕は疑問の助詞。寢るからであらうか。もとな〔三字傍点〕は根據なく、譯もなく、の意。既出、三六九〇參照。二句を隔てて第五句につづく。○ぬばたまの 夜〔傍点〕に懸かる枕詞。○一夜も闕ちず 一晩も缺かさず。○夢にし見ゆる し〔傍点〕は強意の助詞。夢の中に現れる事であるよ。
【後記】 この一首は前に出でた「吾妹子が如何に思へかぬばたまの一夜も闕《お》ちす夢《ゆめ》にし見ゆる」(三六四七)の歌と第三句以下が全く同じである。
 萬葉集時代の歌ひぶりとして、天平の末あたりに相當流行した調子ではないかと思はれる節《ふし》がある。此の事は家持の初期あたりの歌を見ても思ひ合されるのである。
 
(177)3739 かくばかり 戀ひむと豫《かね》て 知らませば 妹をば見ずぞ あるべくありける
 
【口譯】 これ程までに戀ひ焦れようと前々から知つて居つたならば、妻を見ないで居るべきであつた。
【語釋】 ○かくばかり これほどに、こんなにまで。○戀ひむと豫て知らませは ませ〔二字傍点〕は推量の助動詞「ます」の已然形。事實に反して假定推量する語である。「口惜《くや》しかも斯く知らませ〔二字右○〕ばあをによし國内《くぬち》ことごと見せま〔二字右○〕しものを」(卷五、七九七)も同じ用法である。戀ひ焦れるだらうと萬一前から知つて居つたら、と云ふ意。○妹をば見ずぞ いつその事妻に逢はないで、と云ふ意。○あるべくありけり 居るべきであつた。逢はずにゐた方がよかつた、の意。
【後記】 此の歌も、前の三七三七の歌と同じやうな手法で詠んだ歌と見るべきであらう。第五句の「あるべくありける」といふ、斯ういふ調子は宅守の特色で、その人柄を現してゐるのであらう。
 一首の行き方としては、卷十一の「斯くばかり戀ひむものとし知らませば遠く見つべくありけるものを」(二三七二)と似通つた境地を有つてゐる。
 
(178)3740 天地《あめつち》の 神無きものに あらばこそ 吾《あ》が思《も》ふ妹に 逢はず死《しに》せめ
 
【口譯】 天の神、地の祇《かみ》が無いものだつたら、自分が慕つてゐる妻に逢はずに死にもしよう。
【語釋】 ○神なきものにあらばこそ こそ〔二字傍点〕は強意の助詞。神といふものがなかつたら、その時こそ、と云ふ意。言外に神がある以上は何時かは逢へる、と云つてゐるのである。○逢はず死せめ 死《しに》は、「死ぬ事」といふ名詞。上にこそ〔二字傍点〕と言ひ掛けてゐるから此處をせめ〔二字傍点〕と結んだもの。死ぬ事も爲よう。
【後記】 やはり此の時代の流行の調子を以つて現した歌とうけとつてよいであらう。卷四の笠女郎の歌に「天地の神し理《ことわり》なくばこそ吾が思ふ君に逢はず死《しに》せめ」とあるやうに、稍々逆手を使つて効果を擧げようとした詠みぶりで、詠み口も少しく知識を弄してゐる傾きがある。
 
3741 命をし 全《また》くしあらば あり衣《ぎぬ》の 在りて後にも 逢はざらめやも【一に云ふ、在りての後も】
 
【口譯】 命さへ無事でゐたならば、斯うして居る後にも逢はない事があらうか、と逢へるであらう。或る傳へでは「在りての後も」とある。【語釋】 ○命をし 略解はをし〔二字傍点〕を助辭だと言ひ、新考は「乎之《ヲシ》はおそらくは之毛《シモ》の誤ならむ」と言つてゐる。(179)略解の説に從つてを〔傍点〕もし〔傍点〕も共に感動を強く現す助詞と見ておく。○全くしあらば またく〔三字傍点〕は「まつたく」の意で、障りのないこと。し〔傍点〕は強意の助詞。○あり衣の語義未詳。枕詞で在り〔二字傍点〕に懸かる。○在りての後にも 在りて〔三字傍点〕は、ありありて、の意で、或る状態のつづくこと。流罪にあつて斯うしてゐるこの將來にでも、の意になる。○逢はざらめやも や〔傍点〕は反語、も〔傍点〕は感動の助詞。逢はないであらうか、逢うだらうよ、と云ふ意である。○一に云ふ 第四句の異傳を示したもの。
【後記】 此の歌は、或る傳への詠み方の方が、自分としては、歌が引締まるのではないかと思はれる。ここらの歌になつて來ると、緊張の中にも稍々慣れてしまつて初の歌ほど溌剌としたものが明かではない。
 
3742 逢はむ日を その日と知らず 常闇《とこやみ》に いづれの日まで 吾《あれ》戀《こ》ひ居《を》らむ
 
【口譯】 何時《いつ》かは逢ふであらう日を何日とも知らないで眞暗な氣持で、いつの日まで私は戀うて居るのであらう。
【語釋】 ○逢はむ日を 逢ふであらう日を。○その日と知らず 何日とも知らないで。○常闇に 卷二に「…(レ)…度會《わたらひ》の、齋宮《いはひのみや》ゆ、神《かむ》風に、い吹き惑《まど》はし、天雲を、日の目も見せず、常闇に、覆《おほ》ひ給ひて、定めて(180)し、瑞穂《みづほ》の國を……」(一九九)とあり、長い闇夜の樣に、といふ意であるが、ここは心の暗く辛い状の喩としたのである。上にも「闇にや妹が戀ひつつあるらむ」(三六六九)とあつて、直接には夜の暗いことを云つたものであるが、似た樣な使ひ樣である。○いづれの日まで 何れの日まで、いつの日まで。○吾戀ひ居らむ 私は焦れてゐることだらう。
【後記】 宅守としては、隨分技巧をこらした詠みぶりをしたもので、ちよつと珍らしい感じがする。「常闇《とこやみ》」にといふあらはしかたは、眞情から出た言葉とうけとられて思ひ深いものがある。
 
3743 旅といへば 言《こと》にぞ易《やす》き 少くも 妹に戀ひつつ 術《すべ》無《な》けなくに
 
【口譯】 旅といふと口に出して言ふのは易《やさ》しいが、妻を戀ひながらゐるのは實に仕樣のなく辛い事であるよ。
【語釋】 ○言にぞ易き ぞ〔傍点〕は強意の助詞。言葉ではやさしいが、口で言ふのはたやすいが。○少くも 一句を隔てて第五句につづく。○妹に戀ひつつ に〔傍点〕は「……に向つて」の意の助詞。妹に戀ひつつ居れば、の意。○術無けなくに 少くも術無けなくに、と續くのであつて、上(三七三五)にも述べた如く、否定の否定、即ち、肯定になるのである。少くも――術無く――無い、即ち、大いに術無い、といふ意である。故(181)に第五句全體は、何とも仕樣のない事だよ、實に方法もなく辛いことだよ。
【後記】 此の詠みぶりは、一通り讀んでみて譯はないやうで、詳しく讀みかへしてみると、少しく意味の通り難いやうな箇所がある。「少くも」といふ詞の單なる意味は分つても、第五句につゞけて之を味はふ場合、素直に來ないで、ややこしい解釋をして行かなければならないのである。
 
3744 吾妹子《わぎもこ》に 戀ふるに吾《あれ》は たまきはる 短き命も 惜しけくもなし
 
右の十四首は中臣朝臣宅守
 
【口譯】 私の妻に戀ひ焦れるが故に、私は短く尊い命も惜しい事はない。
【語釋】 ○戀ふるに我は に〔傍点〕は「だから」「の故に」の意の接續助詞。焦れてゐるのだから私は、の意。○たまきはる 命〔傍点〕につづく枕詞。冠辭考に「多麻《タマ》は魂《タマ》也。岐波流《キハル》は極《キハマル》にて、人の生れしより、ながらふる涯《カギリ》を遙にかけていふ語也。故に内とも限とも息内《イノチ》とも幾代ともつづけたり」とある。○短き命も惜しけくもなし 短く、そして尊いものである人の命、それさへ惜しい事はない。ひたすら妹が戀しくてならぬ、といふ意。全釋は、戀が苦しいからいつそ死んだ方がよい、だから短い壽命など惜しくない、と云ふ樣に解(182)してゐるがいかが。
【後記】 前の三首は稍々ごちや/\した歌ひぶりと思はれたのが、此の歌に來て、素直に、簡明に詠み出されてあるのは快い。簡單といつても貧弱といふのではなく、言ふべき點にはきちんきちんと觸れて、無駄なものが入らない、混み入つたものも入らない、すうつと詠んでしまつてある所が非常に快いのである。
【左註】 右の十四首は中臣朝臣宅守の作である。
 
3745 命あらば 逢ふこともあらむ わが故に はたな思ひそ 命だに經ば
 
【口譯】 命があつたらお逢ひすることもありませう。だから、貴方は私の爲に、物思ひをなさいますな、命さへ無事でしたら……。
【語釋】 ○わが故に 私の爲に。○はたな思ひそ はた〔二字傍点〕は山田博士の萬葉集講義に『元來「はた」といふ國語は「また」に似てしかも咏嘆の意を含ませたるなり。云々。さてこの「はた」には通常「將」字をあてたるが、これは多く「寧」字と相對して用ゐられ、擇一の義をあらはすものと見らる云々。』とある。「だからまあ」と言つた意であらう。「さを鹿の鳴くなる山を越え行かむ日だにや君に將《は》た逢はざらむ」(卷六、(183)九五三)、「多胡の埼木の暗《くれ》茂《しげ》にほととぎす來鳴き響《とよ》めばはた戀ひめやも」(卷十八、四〇五一)等がこの例である。な〔傍点〕は禁止の意を現す助詞。そ〔傍点〕は感動の助詞。でもまあお悩みなさいますな。○命だに經ば 命さへ長くつづいたならば。言外に、又逢うこともありませう、思ひの叶ふ時節も參りませう、とでも云ふべき意を含んでゐる。
【後記】 一首の中に二箇所「命」といふ重い詞を用ひて、目障りにならないのは、流石に此の娘子の歌だと賞讃し度い氣持が湧く。第五句を「命だに經ば」と切離して、「逢ふこともあらむ」に又反りつかしめる技巧の上でも、驚く可きものがある。全く此の娘子の歌才は驚嘆に値するのである。
 第四句の「はた」に就いては諸家の説も拜見したけれど、生意氣の事を言ふ樣だが、私の感じにはもつと/\強いものが來るのである。俗に碎いて云へば「だから」と力を入れて、相手の心を強く自分の考へに引入れてしまうやうな場合に押して行く、ごく/\俗に云へば「だからよ」といふ程にまで強く相手を引入れやうとした氣特から出た語ではないかと感じられて來るのである。しかし、勿論獨斷の直感から云つたまでのもので、何の據り所もないのである。
 
(184)3746 人の植《う》うる 田は植ゑまさず 今更に 國別れして 吾《あれ》はいかにせむ
【口譯】 人々の植ゑる田さへお植ゑなさらずに國を隔てて遠くお別れをしてしまつて、今更私はどうしたらよいでせうか。
【語釋】 ○田は植ゑまさず まさ〔二字傍点〕は敬語の助動詞「ます」の未然形。田はお植ゑにならず。即ち、人並の事をなされげに、といふ意で、田を植ゑると云ふのは譬喩か。○今更に 後世で云ふ意に同じ。第五句にかかる。○國別れして 國を異にして別れ住んで。○吾はいかにせむ 代匠記に「我はいかなるたつきによりてあらむとも知らずといふ心なり」とあり、多くの註書は之に據つてゐるが、新考に「吾は何ヲ以テ口ヲ糊セムといへるにあらず。吾は君ヲイカニセムの君ヲを略したるなり」と説いてあるのが妥當するのではあるまいか。
【後記】 此の歌は、流石に娘子の歌らしく、取材も表現も非常に珍らしく、目を※[目+堂]《みは》らせられる心地である。下句はさして不思議もないが、此の「人の植うる田は植ゑまさず」は、宅守自身が嘗て田をうゑた事があるのか、それとも、今目前に青年達が田植するのを見て、田植には直接關係はなくとも、遠流の地にゐる宅守を思ひなげくのあまり、田は植ゑまさず、と詠んでしまつたのか、なか/\疑問の殘る句である。この事を明かにしたい願ひを有つ。
 
(185)3747 わが宿の 松の葉見つつ 吾《あれ》待たむ 早歸りませ 戀ひ死なぬとに
 
【口譯】 わたくしの宿の松の葉を見ながら私は待つて居りませう。早くお歸りなさいませ、私が焦れ死なぬうちに。
【語釋】 ○松の葉見つつ 松の葉を見ながら。下に待つ〔二字傍点〕とあるのとこの松〔傍点〕と語音を合せたもの。○早歸りませ ませ〔二字傍点〕は敬語の助動詞「ます」の命令形。早くお歸り遊ばせよ。○戀ひ死なぬとに とに〔二字傍点〕は「程に」で、「……の間」の意である。從來、「……の時に」の意と解されてゐたが、それの誤であることは森本健吉氏「夜之不深刀爾考」(文學、第一卷第六號)に明かにされてゐる。「吾背子をな巨勢《こせ》の山の喚子鳥《よぶこどり》君|喚《よ》びかへせ夜の深《ふ》けぬとに〔二字右○〕」(卷十、一八二二)、「妹が袖われまくらかむ河の瀬に霧立ち渡れさ夜ふけぬとに〔二字右○〕」(卷十九、四一六三)などがその例である。私が戀ひ焦れて死なないうちに、といふ意。
【後記】 此の歌は、女性の歌として、何となく、如何にも可憐な味を有つてゐると思ふ。「松の葉見つつ」の「松」は、下の「待つ」と語音を合せたものであらうが、それが、古今集以後にある無理な合せ方でなく、如何にも此の娘子の宿に松の木があつて、思ひあまる時に、その松の木を眺めたりして、遠地の宅守に戀ひわたつてぬるその俤をさながら見る如き心地がする。(186)ほんたうの息使ひが籠められてゐるやうな、生々とした歌である。 合せ詞も、斯ういふ歌になつて來ると、わづらはしい感が無く、かへつて歌を生かして深みを與へてゐるのである。第五句の「戀ひ死なぬとに」に強い戀の叫びがあるので、一層合せ詞などの理に陷ちさうなものを打消してゐる。
 
3748 他國《ひとぐに》は 住《す》み惡《あ》しとぞいた 速《すむや》けく 早歸りませ 戀ひ死なぬとに
 
【口譯】 他國は住み惡いといふことです。速かに早くお歸りなさいませ、私が戀ひ焦れて死なないうちに。
【語釋】 ○他國は 他國〔二字傍点〕は故郷の大和國以外の國。ここは越前國をさす。○住み惡しとぞいふ ぞ〔傍点〕は強意の助詞。住みにくいと申すことです。住みづらいと聞いて居ります。○速けく すみやかに、と云ふに同じ意。第四、第五句は前の三七四七に同じ。
【後記】 此の歌は、上句がもどかしい樣な詠み方で、結句は前の歌と同じく「戀ひ死なぬとに」で結ばれてある。それで、第三句の「速けく」が一層實感に訴へて來るのであつて、娘子としては珍らしく訥々と詠み出でた心持を、又面白く考へるのである。
 
(187)3749 他國《ひとぐに》に 君をいませて 何時までか 吾《あ》が戀ひ居《を》らむ 時の知らなく
 
【口譯】 他國に貴方を居させて、何時まで私が戀うて居りますのやら、その最後の時期が分らない事でございます。
【語釋】 ○君をいませて 貴方を居させて、貴方を住ひさせて。○何時までか か〔傍点〕は疑問の助詞。第四句の下に移して譯すると良い。○時の知らなく 時〔傍点〕は、君を別れいませて戀してゐる間の時期。その時期が何時とも分らない事だ、と云ふ意。
【後記】 此の歌はさして取立てて言ふ程の事もなく、前の歌から流れて來た戀心が、これ位の歌を爲す事は、娘子としては、當然のことであらう。
 
3750 天地の 至極《そこひ》のうらに 吾《あ》が如く 君に戀ふらむ 人は實《さね》あらじ
 
【口譯】 天地の限りの内に、私のやうに貴方に戀うてゐるでせう人はほんとにございませんでせう。
【語釋】 ○天地の至極のうらに そこひ〔三字傍点〕は略解に「山のそき、野のそきと言へるソキに同じ」といひ、古義(188)には「曾久敝《ソクヘ》、曾伎敝《ソキヘ》など云ると同言にて、畢竟は、底《ソコ》といふに異ならず。云々。底《ソコ》は、上にまれ、下にまれ、竪にも横にも、行至極《ユキキハマレ》る處をいふ言なり」とある。即ち、限、果などの意。うら〔二字傍点〕は内、中などの意。天地の隅から隅までのうちに、と云ふ意である。○人は實あらじ 實〔傍点〕はまこと、ほんと、の意。「立易《たちかは》り月重なりて逢はざれどさね〔二字右○〕忘らえず面影にして」(卷九、一七九四)、「とらが鳴く東《あづま》を指してふさへしに行かむとおもへど由《よし》もさね〔二字右○〕なし」(卷十八、四一三一)等の例がある。人はほんとにありますまい、の意。
【後記】 此の歌も娘子らしい強い戀心の表現として、驚く可き作である。如何にも自分の心の底ひから、あるだけの思ひを打明けないではゐられない心の動きに依つて、傾く如く詠み出でられた歌といふべく、女の情を籠め盡してある歌と思はれる。
 第五句の調子を分けると、三・二・三になるのであつて、その中央の二に思ひ入つた強い感動を籠めてゐるのも、よく利いてゐる。
 
3751 白妙の 吾《あ》が下衣《したごろも》 失はず 持てれ我背子 直《ただ》に逢ふまでに
 
【口譯】 私の下衣を失はないで持つてゐて下きい、わが夫《つま》よ、直接お逢ひするまで。
【語釋】 ○白妙の 衣〔傍点〕に懸かる枕詞。○吾が下衣 私が形見に贈つた下着。○持てれ我背子 持てれ〔三字傍点〕は命令(189)形。持つてゐなさい、我夫よ。○直に逢ふまでに 直に〔二字傍点〕は、ぢかに、直接に、親しく、などの意。ぢかにおめにかかるまでは、と云ふ意。直に〔二字傍点〕の例は「春がすみ井《ゐ》の上《へ》ゆ直に道はあれご君に逢はむとたもとほり來《く》も」(卷七、一二五六)、「吾妹子が結《ゆ》ひてし紐を解かめやも絶えば絶ゆとも直に逢ふまでに」(卷九、一七八九)等である。
【後記】 此の時代、愛する者との別れに當つて、自分の下着を贈つたといふのは、なか/\興味ある事であつて、何事も古の人は、思ふ心をひたに表す、直ちに膚身に着くやうな戀をしてゐるので、斯う云ふ贈物を考へ出したのであらうと思はれ、心ひかれるものがある。其の點からすると「持てれ我背子直に逢ふまで」が利いて來るのである。この一首は前出の三七三三と合せ味はふべきである。
 
3752 春の日の うらがなしきに おくれ居《ゐ》て 君に戀ひつつ 顯《うつ》しけめやも
 
【口譯】 春の日が心がなしいのに、都に殘つてゐて、貴方を戀ひながら現心《うつしごころ》がありませうか、生きた空もございません。
【語釋】 ○うらがなしきに うら〔二字傍点〕は心。既出。心がなしいのに。○おくれ居て 後れてゐて。都に殘つてゐ(190)て。○顯しけめやも うつし〔三字傍点〕は現《うつつ》の意。けめ〔二字傍点〕は、「けむ」(推量の助動詞)の已然形。や〔傍点〕は反語、現心《うつしごころ》――しつかりした心があらうか、まるで魂の脱殻のやうです、といふ意。「あしひきの片山雉《かたやまきぎし》立ちゆかむ君におくれてうつしけめやも」(卷十二、三二一〇)とある第四、第五句が共通してゐる。
【後記】 春の日に、鬱々とものを思ふ心、それは一面から云ふと女らしい悩みがあるといへる。調子も、何かうら悲しいものを含んでゐて、美しい手弱女の、憂ふる姿を見るが如く、美しい歌とも味ははれる。
 
3753 逢はむ日の 形見にせよと たわやめの 思ひ亂れて 縫へる衣ぞ
 
右の九首は娘子
 
【口譯】 また逢ふ日までの形見になさいませと、たわやめの私が、思ひ亂れて縫つた衣なんです。
【語釋】 ○逢はむ日の 考に「あはん日まで也」とあるに從ふ。新解に「この衣は、やがて逢ふであらう、その喜の日に、形見として悲しく別れてゐた時代を思ひ起《おこ》す種にせよとて」とあるはいかが。○たわやめの たわやめ〔四字傍点〕は手弱女。男が自らを「ますらを」と稱するやうに、女が自らを弱々しい女と稱した語。○思ひ亂れて 悲しみのあまり思ひ亂れながら、と云ふ意。
(191)【後記】 前の歌では、自分の下着を形見に贈つてある事が分るし,此の歌では、又、宅守の爲に、新しく、一針毎に思ひを籠めて、その衣を縫つて贈つた事がわかる。此の風習は今日まである事であつて、まことに女心の籠《こも》つた優《やさ》しい歌と愛讀するのである。一見甘い歌のやうで、事實は甘さよりも、もつと深い眞情の籠つた歌であることを味はふべきである。
【左註】 右の九首は狹野茅上娘子の作つた歌である。
 
3754 過所《くわそ》なしに 關|飛《と》び越ゆる ほととぎす まねく我が子にも 止《や》まず通はむ
 
【口譯】 切手なしに關を飛び越えて行くあのほととぎすは、何回も何回も私の妻の所に絶えず通《かよ》ふだらう。しかるに私は行く事が出來ない。
【語釋】 ○過所なしに 過所〔二字傍点〕は關市令に「凡(ソ)欲(スル)v度(ラント)v關(ヲ)者(ハ)皆經(テ)2本部本司(ヲ)1請(フ)2過所(ヲ)1」とあり、釋名に「過所(ハ)至2關津1以示也。或云傳過也。移(シ)2所在(ヲ)1識(シテ)以(テ)爲(ス)v信(ト)」とある。後世の關所證文、關所切手のこと。訓みは略解はフミ、古義はフダとよんでゐるが、代匠記に「クワソナシニト音ニヨムベキ歟」とあるに據る。○ほととぎす ほととぎすの樣に、の意。○まねく我が子にも まねく〔三字傍点〕の訓は新訓萬葉による。數多く、何回も。我が子〔三字傍点〕は我が妻を愛稱したもの。○止まず通はむ 絶えず通ふであらう。
(192)【後記】 宅守の歌として、特色をなしてゐる一首である。ほととぎすの自在に鳴き渡るのを聞いて、「過所なしに」と詠み出でたのは、如何にも宅守らしい心情が見えて、ちよつと類の無いほととぎすの歌と思ふ。しかも、それが「まねく」妻の所に通ひ度い願ひを有つ心の譬喩として、一入面白く味はれるのである。
 
3755 うるはしと 吾《あ》が思《も》ふ妹を 山川を 中に隔《へな》りて 安けくもなし
 
【口譯】 愛《いと》しいと自分が思ふ妻であるのに、然るに、山や川を二人の中に隔てに置いて、心安らかな事もない。
【語釋】 ○うるはしと 可愛いと、懷しいと。○吾が思ふ妹を を〔傍点〕は感動を現す助詞。自分が慕つてゐる妹なるものを、自分が戀してゐる妻であるのに、しかるに、と云ふ意。○山川を 山川〔二字傍点〕は山の中の川と云ふのではなく、山や川、と云ふ意である。○中に隔りて へなりて〔四字傍点〕は隔てに置く、隔てにする、の意で、山や川を障害物に置くと云ふこと。
【後記】 さして評して言ふべき事はない。
 
(193)3756 向ひゐて 一日も闕《お》ちず 見しかども 厭はぬ妹を 月わたるまで
 
【口譯】 向ひあつてゐて一日も缺かさず見て居つたけれどもちつとも厭《あ》きない妻をこんなに幾月にもわたるまで見ないことである。
【語釋】 ○向ひゐて さし向つてゐて。○見しかども 見てゐたけれども。○厭はぬ妹を 飽きない妻を。○月わたるまで 幾月にも渡るまで。「見ないことよ」「相逢はない事よ」と言つた樣な意味を餘韻に有たせてゐるのである。
【後記】 此の歌、前から續いて讀んで來ると、特に珍らしい點は感じないけれど、ただ第五句の詠みぶりが、此の時代としては新しいものであつたらうと考へられた事である。
 
3757 吾《あ》が身こそ 關山越えて 此處に在らめ 心は妹に 依りにしものを
 
【口譯】 私の體は關山を越えて遠く此の地に居るであらう、心はとつくに妻の所に依つて行つてしまつたのになあ。
【語釋】 ○吾が身こそ 私の肉體こそ。○關山越えて 關山〔二字傍点〕は愛發《あらち》の關の置かれてゐた愛發山。○此處に在らめ 此處に在るだらう。此の先も此の越前に居るだらう、の意。○心は妹に に〔傍点〕は「に向つて」の意の助(194)詞。心は妻の所に向つて。○依りにしものを ものを〔三字傍点〕は感動の詞。依つて行つてしまつたものを。藻脱けの殻なのに、の意である。
【後記】 これも同じく前の戀心のつゞきを詠んだもので、特に取立てて云ふ所もない。
 
3758 刺竹《さすたけ》の 大宮人は 今もかも 人なぶりのみ 好みたるらむ【一に云ふ、今さへや】
 
【口譯】 大宮人たちは今も人を嬲《なぶ》ることばかり好んでることだらうかなあ。或る傳へでは、今でさへか、といふ意に詠んである。
【語釋】 ○刺竹の 大宮〔二字傍点〕にかかる枕詞。語義未詳。○今もかも 今も〔二字傍点〕は自分が都に居た時の樣に今も、の意。かもは疑問の助詞で一首の最後に移して譯すると良い。○人なぶりのみ なぶり〔三字傍点〕は現今も言ふ、人をからかひ戯れることである。人をなぶることばつかり、と云ふ意。○好みたるらむ 上のかも〔二字傍点〕を受けて、好んでる事だらうかなあ、の意となる。○一に云ふ 第三句の異傳を示したもので、此の場合はや〔傍点〕が疑問の助詞で、今でさへか、の意である。
【後記】 此の歌は、讀んで面白い歌である。それは、調子とか張りとか云ふものによらず、その詠みぶり、及びその詠みぶりから推し量られる内容に、讀む者をしてほゝ笑ましめるものがあ(195)るのではなからうか。即ち、宅守たちの戀を、かゝる樣《さま》に追ひ込んだ大宮人を、配所で思ひ遣つて、「今もかも人なぶり」を好んでゐるだらうと、恨みを言つてゐる所が面白いので、どうも宅守といふ人は、朴※[言+内ち]な、素直な、東人《あづまびと》のやうな純情を有つた人として、俤が浮んで來るのである。
 
3759 たちかへり 泣けども吾は しるし無《な》み 思ひ侘《わ》ぶれて 寢《ね》る夜しぞ多き
 
【口譯】 くりかへし、くりかへし泣くけれども、私は、詮《せん》ない事なので、思ひ困《こう》じて寢る夜が多いことだなあ。
【語釋】 ○たちかへり 繰りかへし、の意。○しるし無み 効果が無い故に、甲斐のない事なので。○思ひ佗ぶれて 佗ぶれ〔三字傍点〕は下二段活用の連體形。思ひわびて。思ひ悲しんで。○寢る夜しぞ多き し〔傍点〕もぞ〔傍点〕も強意の助詞。寢る夜の多き事よ、といふ意である。
【後記】 長い間には、斯うした夜も隨分經た事であらう。此の歌は稍々甘い氣もするが、さすがに、第五句などで一首を引締めてゐる。
 
(196)3760 さ寢《ぬ》る夜は 多くあれども 物|思《も》はず 安く寢《ぬ》る夜は 實《さね》なきものを
 
【口譯】 寢る夜は澤山あるけれどむ、物思ひをしないで、安々と寢る夜はほんとに無いものであるよ。
【語釋】 ○さ寢る夜は さ〔傍点〕は接頭語。○安く寢る夜は 安らかに眠る夜は。○實なきものを 實〔傍点〕は既出。三七五〇參照。ものを〔三字傍点〕は咏嘆の語。ほんとに無いものだよ、と云ふ意である。
【後記】 前の歌と稍々同じところを詠んだのであらうか。此の歌の方が、歌として大人びて居り、それだけ歌が引締つてゐる。
 
3761 世の中の 常の道理《ことわり》 かくさまに なり來《き》にけらし すゑし種子《たね》から
 
【口譯】 世の中の普通の道理として斯うした状態になつて來たのであるらしい、自分の蒔いた種子の故に。
【語釋】 ○世の中の常の道理 世間普通の道理、世の常道、の意。○かくさまに 斯く樣に、このやうに。○なり來にけらし けらし〔三字傍点〕は「けるらし」。なつて來たらしい、と云ふ意。○すゑし種子から すゑし〔三字傍点〕は「据ゑし」の義で、植ゑた、蒔いた、の意である。種子〔二字傍線〕は自分の犯した罪を指して云つてゐるのである。
(197)から〔二字傍点〕は「からに」の意で「故に」といふこと。「高麗劔《こまつるぎ》わが心から〔二字右○〕外《よそ》のみに見つつや君を戀ひわたりなむ」(卷十二、二九八三)、「豈もあらぬ自《おの》が身のから〔二字右○〕他《ひと》の子の言《こと》も盡さじ我も依りなむ」(卷十六、三七九九)等とあるのと同じ用法である。ここは、蒔いた種子の故に、と云ふ意。
【後記】 稍々理窟めいた、悟りめいた歌であつて、何處かさういふものとは違つた感じを受けるのは、宅守の人柄の現れであらう。一首の上でさうした所を探つてみると、「かくさまになり來にけらし」の句にあるのではあるまいか。自分から、自分のやつて來た事を省みて、「なり來にけらし」と他《ひと》事の樣な言ひ方をしてゐる所に面白さがある。
 
3762 吾妹子に 逢坂山を 越えて來て 泣きつつ居れど 逢ふよしも無し
 
【口譯】 「吾が妻に逢ふ」といふ逢坂山を越えて越前にやつて來て、泣きながら居るけれど逢う方法も無い事だ。
【語釋】 ○吾妹子に 逢坂山〔三字傍点〕につづく序であるが、同時に「吾妹子に逢ふ」と云ふ實際の意味を含ませてゐるのである。○逢坂山 今の大津市の南西にある山。○越えて來て 逢坂山を越えて越前國に來て、の意。○泣きつつ居れど 泣きの涙で日を送つてゐるけれど。
(198)【後記】 此の歌、一見さしたる事もない歌の樣で、よく讀むと幼子の樣に、ひたすらに、無邪氣な母心を訴へてゐる良さがある。「逢坂山を越えて來て泣きつゝ居れど」などいふ所は一層その感が深いのである。
 
3763 旅といへば 言《こと》にぞ易き 術もなく 苦しき旅も ことに益《ま》さめやも
【口譯】 旅といふと、口で言ふのは易しい。しかし仕樣もない程苦しい旅も言葉ではそれより以上に言ひ樣がない。
【語釋】 ○旅といへば 第一句及び第二句は前の三七四三に全く同じ。其の項を參照のこと。○術もなく 仕樣なく、方法もなく。○ことに益さめやも こと〔二字傍点〕は代匠記に原文「許等」をコラと訓んで「子等」即ち妻の意に解し、略解、古義共に之に從つてゐる。しかるに新考は「宜しくコトとよむべし。さてコトニマサメヤモは言ニ増シ言ハメヤハといふこと」と解してゐる。ここは新考の説に從つておく。やも〔二字傍点〕は反語。言葉に益して言はうか、言へない、の意。
【後記】 實驗者の聲であり歌である。斯う云ふ歌を讀み流してはならない。理窟めいた言方のやうであつて、實はさうではないのである。つく/”\と身に經驗した心の戀が、さながら歌にな(199)つたものと言へよう。只、第五句が諸説分れてゐるが、新考の説が最もよろしいと思ふ。但、説が分れるだけに、今直ちにわかり難いもののあることは惜しい氣がする。
 
3764 山川を 中に隔《へな》りて 遠くとも 心を近く おもほせ吾妹《わぎも》
 
【口譯】 山や川を間に隔つて遠く離れてゐても、氣特を近く思ひなさい、吾が妻よ。
【語釋】 ○山川を 山や川を。○中に隔りて へなる〔三字傍点〕は前出の三七五五參照。山や川を間にして隔つて、と云ふ意。○心を近く 心近く、心の隔なく、の意。○おもほせ吾妹 おもほせ〔四字傍点〕は「思へ」の敬稱。思ひなさい、吾が妻よ、と云ふ意。
【後記】 これは普通の作。取立てて言ふ事もない。
 
3765 まそ鏡 かけて偲《しぬ》べと まつり出《だ》す 形見の物を 人に示すな
 
【口譯】 心にかけて偲べとてお屆け申すこの形見の物を、人にお見せなさいますな。
【語釋】 ○まそ鏡 眞澄の鏡、よく澄んだ鏡。鏡は懸けて用ひるものだからかけて〔三字傍点〕につづく枕詞となつたのである、と代匠記は述べてゐる。○かけて偲べと かけて〔三字傍点〕は心にかけて、の意。心を罩めて偲べよとて。(200)○まつり出す 奉《まつ》り出す、差し上げ出す。お贈り申し上げる、などの意。○形見の物を 宅守から茅上娘子の處へ何か贈つたのであらう。○人に示すな な〔傍点〕は禁止の意の助詞。人に示されるな、人に見せなさるな。
【後記】 この贈答歌を讀んで、此の歌に至ると、何時も私は不思議な感情に滿たされて來る。それは即ち、形見の物と指されてある、その形見の物とは何であらうかと、しきりにその事が考へられるのである。人に示すなとは、その頃の人の信仰の畏懼から言つたものであらうか。又、考へ樣によつては、何か二人の間にだけ許し合つた品であらうか、とも想像が延びて行く。鏡であらうかといふ説も聞いてゐるが、此の第一句の「まそ鏡」に於て、直ちに贈つたものが鏡であるとは定め難い氣がする。
 とにかく、この二人の贈答歌には、普通の戀愛以上の特異な深さを、讀者に暗示する歌が幾所となくある事を思ふのである。
 
3766 愛《うるは》しと おもひしおもはば 下紐に 結《ゆ》ひ着《つ》け持ちて 止まず偲《しぬ》ばせ
 
右の十三首は中臣朝臣宅守
 
(201)【口譯】 いとしいとお思ひになるならば、衣の下紐に結びつけて持つてゐて、絶えずお偲びなさいませ。
【語釋】 ○おもひしおもはば し〔傍点〕は意味を強める助詞。おもひおもふ、といふは單に「思ふ」の意。同じ動詞を重ねて意を強く現したものである。○下紐 衣の下紐。○止まず偲ばせ 止まず〔三字傍点〕は絶えず。偲ばせ〔三字傍点〕は「偲べ」の敬稱。
【後記】 前の歌に續いて、此の歌が作られてゐるので、いよ/\形見の物とは何であらうかと思つて、しきりにそれを知り度い心が動いて來るのである。それだけ此の人々の愛情の深さも亦思はせられる事である。
【左註】 右の十三首は中臣朝臣宅守の作である。
 
3767 魂《たましひ》は あしたゆふべに 魂《たま》ふれど 吾《あ》が胸痛し 戀の繁きに
 
【口譯】 魂は、朝夕に祈り鎭めますけれど、私の胸は痛うございます、戀がはげしいために。
【語釋】 ○魂は 茅上娘子自身の魂。○魂ふれど 魂ふる〔三字傍点〕は古義に「鎭魂祭の祈祷《いのり》をすれどもの意なり、鎭魂祭をミタマフリ〔五字右○〕と云り、とこれも同人――源(中山)嚴水――説り、さもあるべし」とあり、新考には(202)「魂代を設け(おそらくは衣を魂代として)そを振り動して當人に元氣を附くるわざにて眠らむとする人をゆり動すに似たる心なるべくおぼゆ」とある。浮れ出る靈魂を祈り鎭めるといふ上代の信仰である。○吾が胸痛し 私の胸は苦しい。○戀の繁きに に〔傍点〕は「の故に」と原因を示す助詞。戀がはげしい故に、といふ意である。
【後記】 特色のある歌と思ふ。前にも述べた事だけれど、此の二人の戀は普通ありふれた戀と違つて、非常に深く互ひに思ひ合つた戀なので、自然「魂」といふ樣な言葉にふれて詠まないでは、我が思ふ心の底ひに觸れて詠み出すことの出來ない程の氣特を持つてゐたのであらう。第三句の「魂ふれど」に就いては、未だ決定的に云ふ事は出來ないけれど、私としては、やはり古義の説が妥當と思はれる。しかし、何か心に尋ね入つて行くとき、此の解釋でも滿足の出來ないほどのものを、私自身も感ずる事であるが、據り所もない事故、識者の研究を待つばかりである。
 とにかく、萬葉の中でも珍らしい境地に入つて歌つた歌であり、まして、後世に於いては見られない深みを有つた歌と思はれる。
 
(203)3768 この頃は 君を思ふと、術も無き 戀のみしつつ 哭《ね》のみしぞ泣く
 
【口譯】 この頃は貴方を慕ふとて、甲斐もない戀ばかりしながら、たゞ/”\泣いて居ります。
【語釋】 ○この頃は 今日此の頃は、ちかごろは。○君を思ふと と〔傍点〕は「とて」の意の助詞。貴方を思ふとて。第五句につづく。○術も無き 方法もない、仕樣のない、甲斐のない。○戀のみしつつ し〔傍点〕は「爲《な》す」といふ意の動詞「す」の連用形。戀ばかりしながら。○哭のみしぞ泣く のみ〔二字傍点〕もし〔傍点〕もぞ〔傍点〕もすべて意を強く言ひ現した助詞。哭泣く〔三字傍点〕は泣くを強く言ひ現したもの。
【後記】 前の歌に比して、此の歌は何となく幼《をさな》ぶりとでも言ふ樣な、娘らしい心の表現として、寧ろ無邪氣に味ははれる歌である。それは第三句から第四句にかけて、特にそんな感じがさせられるのである。
 
3769 ぬばたまの 夜見し君を 明《あく》る朝《あした》 逢はずまにして 今ぞ悔しき
 
【口譯】 夜お會ひした貴方に、翌朝はお逢ひしないままにお別れして、今は口惜しく思つて居ります。
【語釋】 ○ぬばたまの 夜〔傍点〕の枕詞。○夜見し君を 夜會つた貴方に、の意。○逢はずまにして 代匠記に(204)「あはずしてなり。まは助語なり」とあり、略解、古義之に從つてゐるが、新考が「マニは儘ニにて之を重ねたるがマニマニ又それを略せるがママニならむ。さらばアハヌ儘ニといふべきをアハズマニといへるは例の古格に從へるなるべし」と解してゐるのが穩かであらう。逢はないままにしてしまつて。お逢ひしない儘別れて、とでもいふ意であらう。○今ぞ悔しき ぞ〔傍点〕は強意の助詞。今は殘念な事と思つてゐます、の意である。
【後記】 取立てて言ふべき事を有たない。たゞ、「逢はずまにして」は珍らしい詠み方であると思はれた事である。
 
3770 あぢま野《ぬ》に 宿れる君が 歸り來《こ》む 時の迎へを 何時《いつ》とか待たむ
 
【口譯】 あぢま野に宿つて居られる貴方が、歸つていらつしやる時お迎へするのを、何時の事とお待ちしませうか。
【語釋】 ○あぢま野 越前國今立郡味眞の野。今の武生町の東南約二里の地。宅守が流されてゐたのは此處である。○歸り來む時の迎へ 歸つていらつしやるだらうその時のお迎へ。○何時とか持たむ か〔傍点〕は疑問の助詞。何時と待たうか。何時の事と思つてお待ちしてませうか。
【後記】 此の一首があつた爲に、宅守が越前國の何處に流されて居たかといふ事が分明で、我々(205)研究者にとつては眞に尊い一首である。此の歌には、娘子の鋭い才が現れてゐるといふよりも、亂れ騷いだ心が靜まつて、寧ろ一つの諦念に入つて、靜かに詠み出でた樣な、一種のおちつきと、落着のあるが故に一入のあはれさとが、讀む人に働きかけて來る。
 
3771 宮人の 安眠《やすい》も寢《ね》ずて 今日今日と 待つらむものを 見えぬ君かも
 
【口譯】 宮廷の人たちが安らかな眠りも眠らないで、今日か今日かと待つて居りませうものを、お見えにならない貴方です。
【語釋】 ○宮人の 宮廷の人たちが、の意。原文(206)に從へば宅守は元宮仕へしてゐたのであるらしいから、その當時の友人たちのことででもあらうか。略解は宮人〔二字傍点〕は「家人」の誤とし、古義、新考がこれによつてゐる。ここは原文の通りに記しておく。○安眠も寢ずて 安眠は安らかなねむり、と云ふ意の名詞。寢ずて〔三字傍点〕は「寢ずして」の意。安らかな眠もねむらずに、といふ意。○今日今日と 今日か今日かと。今日歸るか今日歸るかと、の意。○見えぬ君かも かも〔二字傍点〕は感動の助詞。見えない貴方ですよ。おいでのない貴方ですよ、などの意である。
【後記】 此の一首、初句の「宮人」を略解が「家人」の誤とし、古義、新考がこれに據つてゐる。この誤字説は、略解の著者が誤字と考へたまでで、他に何のより所も無いらしい。しかし考へてみるのに、一應原文に據つてはみたものの、私も「家人」の説をとり度いやうに思ふ。「宮人」は嚮に三七五八の「大宮人は今もかも人なぶりのみ」の歌から推して、宅守を戀愛の爲に嬲物にして、遠い越前まで追ひやつてゐるその宮人たちが、安眠《やすい》もねないで待つてゐるとは思へない。勿論、宮人と雖も、友人などは待つてはゐたであらうが、「今日今日」と待つてゐたであらうのは、他人よりも家人であつた筈である。その方が味はつてみて落付くのである。
 
3772 歸りける 人|來《きた》れりと いひしかば ほとほと死にき 君かと思ひて
 
(207)【口譯】 歸つた人が來たといふことでしたので、うれしさに殆ど死にさうでした、貴方かと思ひまして。
【語釋】 ○歸りける 赦免にあつて歸つた、といふ意。○人來れりと 赦免された人が京に着いたと、の意である。○いひしかば さういふ噂だつたので、の意。此の一群の相聞歌の冒頭にも述べた樣に、天平十二年六月、特赦を賜はつて入京した流人たちがあるが、其の時には宅守は「不v在(ラ)2赦(ス)限(ニ)1」とて赦免にはならなかつた事が續紀に見えてゐる。此の歌は其の時の事を詠んだものか。○ほとほと死にき ほとほと〔四字傍点〕は代匠記に「おどろきて胸のほとばしるなり」とあり、略解は宣長の説を擧げて「フタフタト爲《シ》ニケリ」と述べてゐるが、ここは新考の「ウレシサニ殆死ニキといへるならむ」と解くに據る。
【後記】 此の二人の贈答歌の中で、先にあつた三七二四の歌と共に、此の一首は有名な作である。眞に娘子の性格をそつくり歌に傾け盡くしたやうなうたひ方で、率直《そつちよく》にもの言ふ誠が、古今に類のない程大膽な句を生み出したのであらう。
 短い歌の形式の中に、「ほとほと死にき」と云ふ樣な思ひ切つた句を入れて、それが不自然にならない程の情熱がその句を挾んで前後にひそみ流れてゐるのである。
 讀めぽ讀むほど、良い歌とか、巧い歌とかいふ境地などは通り越えて、たゞ驚く可き歌とし(208)て、寧ろ嘆息されるほどの大した歌である。尚、詳しく言ふと、第一句に「歸りける人」と詠み出でた事も、非常に大膽な、思ひ切つた詠み方で、後の「ほとほと」が、斯ういふ詠み出し句を受けてゐるので、力の平均がとれて、此の一首を異常な歌として、その價値を大ならしめてゐるのである。
 
3773 君が共《むた》 行かましものを 同《おな》じこと 後《おく》れて居《を》れど 良《よ》きこともなし
 
【口譯】 貴方と一緒に行きたいものですのに――。行つても殘つても戀の苦しみは同じ事であります。都に殘つて居りますけれど、良い事もありません。
【語釋】 ○君が共 君と一緒に。○行かましものを まし〔二字傍点〕は願望を表す助動詞。ものを〔三字傍点〕は感動の語。行きたいものですのに。○同じこと 代匠記は「おもふ事のおなじことにてよきこともなしとなり」といひ、略解は「君が流され行きし思ひも、後れをる思ひも同じ事にて云々」といひ、古義、新考が之に從つてゐる。後説が穩かであらう。即ち、越前國へ流されて行つても、都に殘つてゐても戀の苦しさは同じこと、と云ふ意である。○後れて居れど 都に殘つて居るけれど。
【後記】 これも相當心の入つた歌で、普通の婦人にはなかなか詠み出でる事の出來ない詠みぶり(209)をしてゐる。しかし、多少ごたつく感を受ける句もない事はない。第三句、第四句などがそれであらうか。しかしながら、一面、特色も亦其處にあるのである。
 
3774 我背子が 歸り來まさむ 時のため 命殘さむ 忘れたまふな
 
右の八首は娘子
 
【口譯】 我が夫《つま》がお歸りなさいませう、その時のために、命生き長らへて居りませう。どうぞ私をお忘れなさいますな。
【語釋】 ○歸り來まさむ まさ〔二字傍点〕は敬語の助動詞。歸つておいでなさるだらう、の意。○時のため その時の爲に。○命殘さむ 生き長らへて居りませう、辛い日頃をこらへて、の意。○忘れたまふな 私をお忘れ下さいますな、の意。
【後記】 読み去り、読み來つて、此の歌に至ると、高き峰を越え、深き谷水を潜つて、辿り辿つて來たのが、結末に近づいた、といふ感を受けぬでもない。勿論、此の二人の戀愛受難は、これから後も長くつゞいたらしいけれど、此の一首は、苦しんだ者が、我が苦しんだ過ぎ來し跡を眺めて、嘆息するやうに詠み出された歌のやうに思はれる。(210)第四句で切つて、第五句で「忘れたまふな」と止めたところ、特にさういふ感がさせられるのである。
【左註】 右の八首は狹野茅上娘子の作である。
 
3775 あらたまの 年の緒長く 逢はざれど 異《け》しき心を 我《あ》が思《も》はなくに
 
【口譯】 長い年の間逢はないけれど、他《あだ》し心を私は思つては居りませんよ。
【語釋】 ○あらたまの 年〔傍点〕にかかる枕詞。○年の緒長く 年長く、と云ふに同じ。年の緒〔三字傍点〕は意義詳かでないが、年の長いのを緒紐に譬へて言つた言葉かと言はれてゐる。○異しき心を 既出。三五八八參照。あだな心を、と後世で云ふ意。○我が思《も》はなくに 私は思はない事です、と云ふ意である。
【後記】 此の歌、下句の詠みぶりに特色がある。あだし心、さういふ心を自分は思はない、と云ふのは、古い萬葉時代の人たちの心の表現であつて、此の表現を見ると、心《しん》に徹して言はうと思ふ心持がよく分る氣がする。
 
3776 今日もかも 京《みやこ》なりせば 見まく欲り 西の御厩《みまや》の 外《と》に立てらまし
 
(211)右の二首は中臣朝臣宅守
 
【口譯】 今日なども、都にゐるのだつたら、お逢ひしたさに、右馬寮の外に立つてゐようかなあ。
【語釋】 ○今日もかも かも〔二字傍点〕は疑問の助詞。一首の最後に移して譯すると良い。○京なりせば 京にありせば、即ち、京に居るのだつたら、の意。○見まく欲り 見る事を欲り、即ち、あなたにお目にかかりたくて。○西の御厩 石馬寮のこと。内裏の西南の隅にあつた馬寮。○外に立てらまし と〔傍点〕は「そと」の意と「ところ」の意とあるが、ここは前者に解しておく。さて一句全體は上のかも〔二字傍点〕を受けて、厩の外に立つてることだらう、と云ふ意になる。以前、其處で度々二人は逢つてゐたのであらう。
【後記】 此の歌は、歌としての良い惡いよりも、事情が、あるひは状況が面白く味ははれる歌である。「京《みやこ》なりせば」といひ、「見まく欲り」と述懷して、その場所「西の御厩」を指定して詠んでゐる所、何か二人の戀の成立ちさへも聯想させられて、ほほゑましい、無邪氣な、面白い歌として味ははれるのである。
【左註】 右の二首は中臣朝臣宅守の作である。
 
3777 昨日今日 君に逢はずて 爲《す》る術の たどきを知らに 哭のみしぞ泣く
 
(212)【口譯】 昨日も今日も、貴方にお逢ひしないで、施す術、――方法が分らず、泣いてばかり居ります。
【語釋】 ○昨日今日 昨日も今日も、此の頃毎日、といふ意。○君に逢はずて 君に逢はずして。貴方にお逢ひしないで。○爲る術のたどきをしらに の〔傍点〕は上にも述べたやうに同意の語を重ねる時中間に挿む助詞で、「即ち」と譯して當る。たどき〔三字傍点〕は既出。方法の意。に〔傍点〕は否定の助動詞「ぬ」の連用形。なすすべ、即ち方法を知らず、と云ふ意。○哭のみしぞ泣く 既出、三七八六參照。
【後記】 前に數々の歌を讀んで來てみると、此の歌などは、花で言へば末の花と見られるやうな一首である。
 
3778 しろたへの 吾《あ》が衣手を 取り持ちて 齋《いは》へ我背子 直《ただ》に逢ふまでに
 
右の二首は娘子
 
【口譯】 私の衣の袖を手に持つてお祈りなさい、我が夫よ、直々《ぢき/”\》お逢ひするまでは。
【語釋】 ○しろたへの 衣〔傍点〕に懸かる枕詞。○我が衣手を 衣手〔二字傍点〕は袖のこと。我が衣の袖を。○取り持ちて 手に取つて持つて、即ち、單に持つて、の意。○齋へ我背子 神を祀れよ、我夫、の意。夫よ、二人の幸(213)を神に祈れ、などの意である、
【後記】 「吾が衣手を取り持ちて齋へ」といふは、何かさう云ふ儀式でもあつたのか、解し兼ねる句である。たゞ單に「吾が衣手」と詠んであるのは、自分の贈つた形見の着物の袖を、といふ意味であらうが、思ひ切つた省略である。
 
3779 わが宿の 花橘は いたづらに 散りか過ぐらむ 見る人無しに
 
【口譯】 私の家の橘の花はいたづらに散り過ぎてしまうだらうか、見る人も無いのに。
【語釋】 ○わが宿の わが宿〔三字傍点〕は故郷の都にある宅守の家であらう。○花橘は 花橘〔二字傍点〕は花の咲いた橘といふ意。○いたづらに 無駄に、あだに。○散りか過ぐらむ 散り過ぐらむか、即ち、散り過ぎてしまうであらうか、といふ意。○見る人無しに 見る人もゐないのに。見る人〔三字傍点〕とは宅守自身を云つたものであらう。
【後記】 此の歌から後は、果して娘子に贈つたものか、宅守が自己の日記にでも書きつけて置いたに止まるものか明かでない。歌は嫌味なく、花橘を通して、言はんとする所を巧に言ひ表してゐる。
 
(214)3780 戀ひ死なば 戀ひも死ねとや ほととぎす 物思ふ時に 來鳴き響《とよ》むる
 
【口譯】 焦れ死ぬのだつたら焦れ死にもせよと言ふのだらうか、ほととぎすが、物思ひをしてゐる時に、やつて來て鳴きひゞかせてゐる事だ。
【語釋】 ○戀ひ死なは戀ひも死ねとや 焦れ死ぬならば焦れ死にもせよとてか、ほととぎすがさういふつもりでか、と云ふ意である。や〔傍点〕は疑問の助詞。○ほととぎす ほととぎすが、の意で第五句につづく。○物思ふ時に 私が物思ひをしてゐる時に、私が妻に焦れて悩んでゐる時に。○來鳴き響むる とよむ〔三字傍点〕は聲のひびくこと。來て鳴いて聲ひびかせる、と云ふ意。
【後記】 ほととぎすに呼び掛けて作つたものであるが、苦しい戀心があはれに詠みなされてゐる。此の歌を見ると、贈歌といふよりも、自分の心の慰めに作つたと云ふ感じがするのである。
 
3781 旅にして 物|思《も》ふ時に ほととぎす もとな勿《な》鳴きそ 吾《あ》が戀まさる
 
【口譯】 旅の空に居て物思ひをする時に、ほととぎすよ、無暗に鳴いてくれるな、私の戀しさが増す故に。
【語釋】 ○旅にして 旅に居つて。○ほととぎす ほととぎすよ、と呼びかけた語である。○もとな勿《な》鳴き(215)そ、もとな〔三字傍点〕は既出、三六九〇參照。理由なく、無茶苦茶にひどくの意。勿〔傍点〕は禁止。○吾が戀まさる 私の戀が益すから、といふ意。
【後記】 この歌は、なか/\良く出來てゐる歌で、實に自然に戀心のまさる思ひを言ひ表してゐるのである。
 
3782 雨隱《あまごも》り 物|思《も》ふ時に ほととぎす わが住む里に 來鳴き饗《とよ》もす
 
【口譯】 雨に閉ぢ籠められてゐて物思ひをしてゐる時に、ほととぎすが、私の住んでゐる里にとんで來て、聲を鳴きひゞかせてゐる。
【語釋】 ○雨隱り 雨に隱つて居て。雨が降るので家の中に居つて。心が晴々しないのに、と云つたやうな氣持。卷八に「雨隱《あまごも》りこころ欝悒《いぶせ》み出で見れば春日の山は色づきにけり」(一五六八)といふのがある。○ほととぎす ほととぎすが、の意。○わが住む里に わが住む里〔五字傍点〕は宅守流謫の地のあぢま野であらう。
【後記】 前の歌のつゞきであつて、特に取立てて言ふ所はない。
 
3783 旅にして 妹に戀ふれば、ほととぎす わが住む里に 此《こ》よ鳴き渡る
 
(216)【口譯】 旅に居つて妻に戀うてゐると.ほととぎすが、私の住んでゐる里に向つて此處を通つて鳴き渡つて行くよ。
【語釋】 ○妹に戀ふれは 妻に向つて焦れてゐると。○わが住む里に に〔傍点〕は「……に向つて」の意を現す助詞。私の住んでゐる里に向つて。○此よ鳴き渡る 此よ〔二字傍点〕は代匠記に「從此間なり」とあつて、此ゆ〔二字傍点〕と云ふに同じく比處を通つて、の意に解してゐる。諸註皆之に據る。即ち、「こ」一音で「此處」の意を現すのである。
【後記】 此の一首に稍々疑問がある。「此よ鳴き渡る」は、代匠記の説に從つて「此處より」、「此處を通つて」の意に解してみても、宅守のゐる現在の場所が、何か不安定である。
 それは場所の名が分らないからといふよりも、一首から受ける感じからして、宅守の居所が、何となく判然としない感じである。
 鴻巣氏の全釋には「ほととぎすが私の住む里にとんで來て云々」と解してあるが、それにも從ひ難く、もつと明かにしてみたい心の動きがある。
 
3784 心なき 鳥にぞありける ほととぎす 物|思《も》ふ時に 鳴くべきものか
 
(217)【口譯】 心ない鳥だよ、ほととぎすは。人が物思ひをしてゐる時に鳴いて良いものだらうか。
【語釋】 ○心なき 情知らぬ、つれない。○鳥にぞありける ぞ〔傍点〕は強意の助詞。鳥ではあるよ、の意。○鳴くべきものか べき〔二字傍点〕は許容の意を現す。か〔傍点〕は疑問の助詞。鳴いてよいものだらうか。裏は、鳴くといふそんな筈(そんなつれない事)はないよ、といふ意である。
【後記】 詠み出でた心持は分るけれど、下句あたりは少し體が崩れた歌ではないだらうか。
 
3785 ほととぎす 間《あひだ》しまし置け 汝《な》が鳴けば 吾《あ》が思《も》ふこころ 甚《いた》も術《すべ》なし
 
右の七首は中臣朝臣宅守が花鳥に寄せ思を陳べて作れる歌
 
【口譯】 ほととぎすよ、しばらく間を置いてから鳴いてくれ。お前が鳴くと、私のもの思ひをしてゐる心がとてもたまらないのだ。
【語釋】 ○間しまし置け 間隔を少し置け。間を暫く置いて鳴け、と云ふ意。○汝が鳴けば 汝〔傍点〕はほととぎすを指す。お前、ほととぎすが鳴くと。○吾が思ふこころ 私がもの思ひしてゐるその心が。○甚も術なし いたも〔三字傍点〕はいとも、はなはだも、たいへん、とてもなどの意。甚も術なし〔五字傍点〕とは何とも仕様がない、とても堪らない」と云ふ程の意である。
(218)【後記】 第二句を字餘りにした事は、此の歌柄を大きくしてゐる。それが此の一句に生氣を與へてゐるとも云へばいへるのである。
【左註】 右の七首は中臣朝臣宅守が花鳥に寄せて、心の思ひを陳べて作つた歌である。
 
萬葉集卷第十五
              〔2009年11月15日(日)午後5時35分、入力終了〕