赤光、岩波文庫、253頁、500円、1999.2.16改版第1刷
 
(13)〔入力者注、振り仮名は最小限にした〕
 自 明治三十八年
 至 明治四十二年
 
   1 折に触れ 明治三十八年作
 
 霜ふりて一もと立てる柿の木の柿はあはれに黒ずみにけり
 浅草の仏つくりの前来れば少女まぼしく落日《いりひ》を見るも
 書よみて賢くなれと戦場のわが兄は銭を呉れたまひたり
 戦場の兄よりとどきし銭もちて泣き居たりけり涙おちつつ
 馬屋のべにをだまきの花とぼしらにをりをり馬が尾を振りにけり
(14) 真夏日の畑のなかに我居りて戦ふ兄をおもひけるかな
 はるばると母は戦を思ひたまふ桑の木の実の熟める畑に
 たらちねの母の辺《べ》にゐてくろぐろと熟める桑の実を食ひにけるかな
 熱いでて一夜寝しかばこの朝け梅のつぼみをつばらかに見つ
 春風の吹くことはげし朝ぼらけ梅のつぼみは大きかりけり
 桑畑の畑のめぐりに紫蘇生ひて断《ちぎ》りて居ればにほひするかも
 入りかかる日の赤きころニコライの側の坂をば下りて来にけり
 寝て思へば夢の如かり山焼けて南の空はほの赤かりし
 さ庭べの八重山吹の一枝散りしばらく見ねばみな散りにけり
(15) 数学のつもりになりて考へしに五目ならべに勝ちにけるかも
 かたむく日すでに真赤《まあか》くなりたりと物干に出でて欠せりけり
 ゆふさりてランプともせばひと時は心静まりて何もせず居り
 
   2 地獄極楽図 明治三十九年作
 
 浄破璃にあらはれにけり脇差を差して女をいぢめるところ
 飯《いい》の中ゆとろとろと上る炎見てほそき炎口《えんく》のおどろくところ
 赤き池にひとりぼつちの真裸のをんな亡者の泣きゐるところ
 いろいろの色の鬼ども集りて蓮の華にゆびさすところ
(16) 人の世に嘘をつきけるもろもろの亡者の舌を抜き居るところ
 罪計《つみはかり》に涙ながしてゐる亡者つみを計れば巌より重き
 にんげんは牛馬《うしうま》となり岩負ひて牛頭馬頭どもの追ひ行くところ
 をさな児の積みし小石を打くづし紺いろの鬼見てゐるところ
 もろもろは裸になれと衣剥ぐひとりの婆の口赤きところ
 白き華しろくかがやき赤き華あかき光を放ちゐるところ
 ゐるものは皆ありがたき顔をして雲ゆらゆらと下《お》り来るところ
 
   蛍と蜻蛉 明治三十九年作
 
(17)蚕《こ》の部屋に放ちし蛍あかねさす昼なりしかば首すぢあかし
 蚊帳のなかに放ちし蛍夕さればおのれ光りて飛びそめにけり
 あかときの草の露玉七いろにかがやきわたり蜻蛉《あきつ》うまれぬ
 あかときの草に生れて蜻蛉はも未だ軟らかみ飛びがてぬかも
 小田のみち赤羅ひく日はのぼりつつ生れし蜻蛉もかがやきにけり
 
   折に触れて 明治三十九年作
 
 来て見れば雪消の川べしろがねの柳ふふめり蕗の薹も咲けり(早春二首)
 あづさゆみ春は寒けど日あたりのよろしき処つくづくし萌ゆ
(18) 生きて来《こ》し丈夫がおも赤くなり踊るを見れば嬉しくて泣かゆ (凱旋二首)
 凱旋《かえ》り来て今日のうたげに酒をのむ海のますらをに髯あらずけり
 み仏の生れましの日と玉蓮をさな朱の葉池に浮くらし (仏生会二首)
 み仏の御堂に垂るる藤なみの花のむらさき未だともしも
 青玉のから松の芽はひさかたの天にむかひて並びてを萌ゆ (若芽二首)
 はるさめは天の乳かも落葉松の玉芽あまねくふくらみにけり
 みちのくの仏の山のこごしこごし岩秀《いわお》に立ちて汗ふきにけり (立石寺一首)
 天の露おちくるなべに現し世の野べに山べに秋花咲けり
 涅槃会をまかりて来れば雪つめる山の彼方に夕焼のすも
(19) 小滝まで行著きがてにくたびれし息づく坂よ山鳩のこゑ
 夕ひかる里つ川水夏くさにかくるる処まろき山見ゆ
 淡青《たんじよう》の遠のむら山たび来つるわが目によしと寝つつ見にけり 火の山を繞る秋雲の八百雲をゆらに吹きまく天つ風かも (蔵王山五首)
 岩の秀に立てばひさかたの天の川南に垂れてかがやきにけり
 天なるや群がりめぐる高ぼしのいよいよ清し山高みかも
 雲の中の蔵王の山は今もかもけだもの住まず石あかき山
 あめなるや月読の山はだら牛うち臥すなして目に入りにけり
 病癒えし君がにぎ面《おも》の髯あたり目にし浮びてうれしくてならず (蕨真氏病癒ゆ)
 
(20)   5 虫 明治四十年作
 
 花につく赤《あか》小|蜻蛉《あきつ》もゆふされば眠りにけらしこほろぎのこゑ
 とほ世べの恋のあはれをこほろぎの語り部が夜々つぎかたりけり
 月落ちてさ夜ほの暗く未だかも弥勒は出でず虫鳴けるかも
 ヨルダンの河のほとりに虫鳴くと書《ふみ》に残りて年ふりにけり
 てる月の清き夜ごろを蟋蟀やねもころころに率寝《いね》て鳴くらむ
 きのふ見し千草もあらず虫の音も空に消入りうらさびにけり
 あきの夜のさ庭に立てば土の虫音はほそほそと悲しらに鳴く
(21) なが月の秋ゑらぎ鳴くこほろぎに螻蛄も交りてよき月夜かも
 
   6 雲 明治四十年作
 
 かぎろひの夕べの空に八重なびく朱の旗ぐも遠にいざよふ
 岩根ふみ天路《あめじ》をのぼる脚底《あしそこ》ゆいかづちぐもの湧き巻きのぼる
 蔵王の山はらにして目を放つ磐城の諸嶺《もろね》くも湧ける見ゆ
 底知らに瑠璃のただよふ天の門に凝れる白雲誰まつ白雲
 岩ふみて吾立つやまの火の山に雲せまりくる五百つ白雲
 遠ひとに吾恋ひ居れば久かたの天のたな雲に鶴《たづ》とびにけり
(22) あめつちの寄り合ふきはみ晴れとほる高山の背に雲ひそむ見ゆ
 八重山の八谷《やたに》かぜ起る時のまや峡間みなぎりて雲たちわたる
 たくひれのかけのよろしき妹が名の豊旗雲と誰がいひそめし
 小旗ぐも大旗雲のなびかひに今し八尺《やさか》の日は入らむとす
 いなびかりふくめる雲のたたずまひ物ほしにのぼりつくづくと見つ
 ひと国《ぐに》をはるかに遠き天ぐもの氷雲《ひぐも》のほとり行くは何ぞも
 雲に入る薬もがもと雲恋ひしもろこしの君は昔死にけり
 ひむがしの天の八重垣しろがねと笹べり輝く渡津見の雲
 
(23)   7 苅しほ 明治四十年作
 
 秋のひかり土にしみ照り苅しほに黄ばめる小田を馬の来る見ゆ
 竹おほき山べの村の冬しづみ雪降らなくに寒に入りけり
 ふゆの日のうすらに照れば竹群《たかむら》は寒々として霜しづくすも
 窓の外《と》に月照りしかば竹の実のさやのふる舞《まい》あらはれにけり
 霜の夜のさ夜のくだちに戸を押すや竹群が奥に朱《あけ》の月みゆ
 竹むらの影にむかひて琴ひかば清掻《すががき》にしも弾くべかりけり
 月あかきもみぢの山に小猿ども天つ領巾など欲りしてをらん
(24) 猿の子の目のくりくりを面白み日の入りがたをわがかへるなり
 
   留守居 明治四十年作
 
 まもりゐる縁《えん》の入日に飛びきたり蠅が手を揉むに笑ひけるかも
 留守居して一人し居れば青光る蠅のあゆみをおもひ無《な》に見し
 留守をもるわれの机にえ少女のえ少男《おとこ》の蠅がゑらぎ舞ふかも
 秋の日の畳の上に飛びあよむ蠅の行ひ見つつ留守すも
 入日さすあかり障子は薔薇色にうすら匂ひて蠅一つ飛ぶ
 事なくて見ゐる障子に赤とんぼかうべ動かす羽さへふるひ
(25) まもりゐのあかり障子にうつりたる蜻蛉《あきつ》は去りて何も来ぬかも
 留守もりて入日あかけれ紙ふくろ猫に冠せんとおもほえなくに
 
   新年の歌 明治四十一年作
 
 今しいま年の来《きた》るとひむがしの八百うづ潮に茜かがよふ
 高ひかる日の母を恋ひ地の廻《めぐ》り廻り極まりて天《あめ》新たなり
 東海に※[石+殷]馭廬《おのごろ》生《あ》れていく継ぎの真日《まひ》美《うる》はしく天明けにけり
 ひむがしの朱の八重ぐもゆ斑駒《ふちごま》に乗りて来らしも年の若子《わくご》は
 にひとしの真日《まひ》のうるはしくれなゐを高きに上り目蔭《まかげ》して見つ
(26) 新装《にいよそ》ふ日の大神の清明目《あかしめ》を見まくと集ふ現しもろもろ
 天明《あめあか》り年のきたるとくだかけの長鳴鳥がみな鳴けるかも
 しだり尾の鶏《かけ》の雄鳥《おとり》が鳴く声の野に遠音して年明けにけり
 ひむがしの空押し晴るし守らへる大和島根に春立てるかも
 うるはしと思ふ子ゆゑに命欲り夢のうつらと年明けにけり
 沖つとりかもかもせむと初春にこころ問《どい》して見まくたぬしも
 おほきみの大城《おおき》の森の濃緑《こみどり》のいやとことはに年ほぐらしも
 豊酒《とよみき》の屠蘇に吾ゑへば鬼子《おにこ》ども皆死しにけり赤き青きも
 くれなゐの梅はよろしもあらたまの年の始に見ればよろしも
 
(27)   10 雑歌 明治四十一年作
 
 あかときの畑の土のうるほひに散れる桐の花ふみて来にけり
 青桐のしみみ広葉《ひろは》の葉かげよりゆふべの色はひろごるらしき
 ひむがしのともしび二つこの宵も相寄らなくてふけわたるかな
 うつそみのこの世のくにに春さりて山焼くるかも天の足夜《たりよ》を
 ひさ方の天の赤瓊《あかぬ》のにほひなし遥けきかもよ山焼くる火は
 うつし世は一夏《いちげ》に入りて吾がこもる室《へや》の畳に蟻を見しかな
 真夏日の雲のみね天のひと方に夕退《ゆうそ》きにつつかがやきにけり
(28) 荒磯《ありそ》ねに八重寄る波のみだれたちいたぶる中の寂しさ思ふ
 秋の夜の灯《ともし》しづかに揺るる時しみじみわれは耳かきにけり
 ほそほそとこほろぎ鳴くに壁にもたれ膝に手を組む秋の夜かも
 旅ゆくと泉に下りて冷々《ひやひや》に我が口そそぐ月くさのはな
 
   11 塩原行 明治四十一年作
 
 晴れ透るあめ路の果てに赤城嶺《あかぎね》の秋の色はも更け渡りけり
 小筑波を朝を見しかば白雲の凝れるかかむり動くともせず
 関屋いでて坂路になればちらりほらり染めたる木々が見えきたるかも
(29) おり上《のぼ》り通り過がひしうま二つ遥かになりて尾を振るが見ゆ
 山角にかへり見すれば歩み来し街道筋は細りてはるけし
 馬車とどろ角《くだ》を吹き吹き塩はらのもみづる山に分け入りにけり
 山路わだ紅葉はふかく山たかくいよよ逼り来わがまなかひに
 つぬさはふ岩間を垂るるいは水のさむざむとして土わけ行くも
 とうとうと喇叭を吹けば塩はらの深染《こぞめ》の山に馬車入りにけり
 湯のやどのよるのねむりはもみぢ葉の夢など見つつねむりけるかも
 夕ぐれの川べに立ちて落ちたぎつ流るる水におもひ入りたり
 あかときを目ざめて居ればくだの音《ね》の近くに止みぬ馬車着けるらし
(30) 床ぬちにぬくまり居れば宿つ女が起きねと云へど起きがてぬかも
 世のしほと言《こと》のたふとさ名に負へる塩はらの山色づきにけり
 谷川の音をききつつ分け入れば一あしごとに山あざやけし
 山深くひた入り見むと露じもに染《そ》みし紅葉《もみじ》を踏みつつぞ行く
 三千尺《みちさか》の目下《ました》の極みかがよへる紅葉のそこに水たぎち見ゆ
 かへりみる谷の紅葉の明らけく天にひびかふ山がはの鳴り
 現し身が恋心なす水の鳴りもみぢの中に籠りて鳴るも
 山川のたぎちのどよみ耳底にかそけくなりて峰を越えつも
 ふみて入るもみぢが奥は横はる朽ち木の下を水ゆく音す
(31) 山がはの水のいきほひ大岩にせまりきはまり音とどろくも
 うつそみは常なけれども山川に映《は》ゆる紅葉をうれしみにけり
 うつし身の稀らにかよふ秋やまに親しみて鳴く蟋蟀のこゑ
 打ちわたす山の雑木《ぞうぎ》の黄にもみぢ明るき峡に道入りにけり
 もみぢ原ゆふぐれしづむ蟋蟀はこの寂しさに堪へて鳴くなり
 つかれより美し夢に入る如き思ひぞ吾がする蟋蟀のこゑ
 もみぢ照りあかるき中に我が心空しくなりてしまし居りけり
 しほ原の湯の出でどころとめ来ればもみぢの赤き処なりけり
 山の湯のみなもとどころ鉄色《かねいろ》にさびにけるかな草もおひなく
(32) 鉄《かね》さびし湯の源のさ流に蟹がいくつも死にて居たりし
 あまつ日は山のいただきを照らしたりふかき峡間の道のつゆじも
 親馬にあまえつつ来る仔馬にし心動きて過ぎがてにせり
 あしびきの山のはざまの西開き遠くれなゐに夕焼くる見ゆ
 橋のべのちひさ楓《かえるで》かへり路《じ》になかくれなゐと染めて居りけり
 天地のなしのまにまに寄り合へる貝の石あはれとことはにして
 ほり出すいはほのひまの貝の石ただ珍らしみありがてぬかも
 おくやまの深き岩間ゆ海つもの石と成り出づ君に恋ふるとき
 もみぢばの過ぎしを思ひ繁き世に生きつるなべに悲しみにけり
(33) もみぢ斑《ふ》の山の真洞に雲おり来《く》雲はをとめの領巾漏らし来も
 火に見ゆる玉手《たまで》の動き少女らは何に天降りてもみぢをか焚く
 天そそる白くもが上のいかし山|夜見の国さび月かたむきぬ
 まぼろしにもの恋ひ来れば山川の鳴る谷際《たにあい》に月満てりけり
 
   12 折に触れて 明治四十二年作
 
 潮沫《しおなわ》のはかなくあらばもろ共にいづべの方にほろびてゆかむ
 やうらくの珠はかなしと歎かひし女《おみな》のこころうつらさびしも
(34) 宵あさくひとり籠ればうらがなし雨蛙ひとつかいかいと鳴くも
 をさな妻こころに守り更けしづむ灯火《ともしび》の虫を殺してゐたり
 かがよりて見つつかなしもしみじみと水湧き居れば砂うごくかな
 夏晴れのさ庭の木かげ梅の実のつぶらの影もさゆらぎて居り
 春|闌《た》けし山峡の湯にしづ籠り※[木+(匆/心)]《たら》の芽|食《お》しつつひとを思はず
 馬に乗り湯どころ来つつ白梅のととのふ春にあひにけるかも
 ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも
 干柿を弟の子に呉れ居れば淡々と思ひいづることあり
 ゆふぐれのほどろ雪路《ゆきみち》をかうべ垂れ濡れたる靴をはきて行くかも
(35) 春の風ほがらに吹けばひさかたの天の高低《たかひく》に凧が浮べり
 萱ざうの小さき萌《もえ》を見てをれば胸のあたりがうれしくなりぬ
 青山の町かげの田の畔みちをそぞろに来つれ春あさみかも
 春あさき小田の朝道あかあかと金気浮く水にかぎろひのたつ
 明けがたに近き夜さまのおのづから我心にし触るらく思ほゆ
 天竺のほとけの世より子らが笑にくからなくて君も笑むかな
 さみだれはきのふより降り行々子《よしきり》をほのぼのやさしく聞く今宵かも
 八百会のうしほ遠鳴るひむがしのわた一つ天明《あまあけ》雲くだるなり
 
(36)   13 細り身 明治四十二年作
 
 重かりし熟の病のかくのごと癒えにけるかとかひな撫《さす》るも
 蜩蝉《かなかな》のまぢかくに鳴くあかつきを衰へはててひとり臥し居り
 あなうま粥|強飯《かたいい》を食《お》すなべに細りし息の太りゆくかも
 おとろへて寝床《ふしど》の上にものおもふ悲しきかなや蠅の飛ぶさへ
 たまたまに現しき時はわが命生きたかりしかこのうつし世に
 病みて思ふほのぼのとしてあり経たる和世《にごよ》の我に悔は多かり
 いはれ無《な》に涙がちなるこのごろを事更ぶともひと云ふらむか
(37) 閉づる目ゆ熱き涙のはふり落ちはふり落ちつつあきらめ兼ねつ
 やみ恍《ほほ》けおとろへにたれさ庭べに夕雨《ゆうさめ》ふれば嬉しくきこゆ
 みちのくに我|稚《おさな》くて熱を病みしことを仄かに思ひいでつも
 おとろへし胸に真手《まで》おき寂しめる我に聞ゆる蜩《ひぐらし》のこゑ
 熱落ちて衰へ出で来このごろの日八日夜八夜《ひやかよやよ》は現しからなく
 恣にやせ頬《ほほ》にのびし硬《こわ》ひげを手《た》ぐさにしつつさ夜ふけにけり
 うそ寒くなりて目ざめし室《へや》の外は月清く照り※[奚+隹]《かけ》なくきこゆ
 かうべあげ見れば狭庭の椎の木《こ》の間《ま》おほき月入るよるは静かに
(38) ぬば玉のふくる夜床に目ざむればをなご狂《きちがい》の歌ふがきこゆ
 日を凝ぎて現身さぶれ蝉の声もいよよ清《すが》しくなりにけるかな
 現身《うつしみ》は悲しけれどもあはれあはれ命いきなむとつひにおもへり
 おのが身しいとほしければかほそ身をあはれがりつつ飯《いい》食《お》しにけり
 火鉢べにほほ笑ひつつ花火する子供と居ればわれもうれしも
 病みて臥すわが枕べに弟妹《いろと》らがこより花火をして呉れにけり
 わらは等は汝兄《なえ》の面《おもて》のひげ振りのをかしなどいひ花火して居り
 平凡に堪へがたき性《さが》の童幼《わらわ》ども花火に飽きてみな去りにけり
(39) とめどなく物思ひ居ればさ庭ぺに未だいはけなく蟋蟀鳴くも
 宵浅き庭を歩めばあゆみ路のみぎりひだりに蟋蟀鳴くも
 つめたき土にうまれし蟋蟀のまだいはけなく鳴ける寂しさ
 さ庭べに何の虫ぞも鉦《かね》うちて乞ひのむがごとほそほそと鳴くも
 なにゆゑに花は散りぬる理法《ことわり》と人はいふとも悲しくおもほゆ
 たまゆらに仄触れにけれ延ふ蔦の別れて遠しかなし子等はも
 いつくしく瞬きひかる七星《ななほし》の高天《たかあめ》の戸にちかづきにけり
 神無月の土の小床《おどこ》にほそほそと亡びのうたを虫鳴きにけり
 うらがれにしづむ花野の際涯《はたて》よりとほくゆくらむ霜夜こほろぎ
(40) よひよひの露冷えまさる遠空をこほろぎの子らは死にて行くらむ
 
   14 分病室 明治四十二年作
 
 この度は死ぬかも知れずと思《も》ひし玉ゆら氷枕《ひようちん》の氷とけ居たりけり
 隣室に人は死ねどもひたぶるに帚《ははき》ぐさの実食ひたかりけり
 熱落ちてわれは日ねもす夜もすがら稚な児のごと物を思へり
 のびあがり見れば霜月の月照りて一本松のあたまのみ見ゆ
 
(43) 明治四十三年
 
   1 田螺と彗星
 
 とほき世のかりようびんがのわたくし児田螺はぬるきみづ恋ひにけり
 田螺はも背戸の円田《まろ》にゐると鳴かねどころりころりと幾つもゐるも
 わらくづのよごれて散れる水無田《みなしだ》に田螺の穀は白くなりけり
 気ちがひの面《おもて》まもりてたまさかは田螺も食ぺてよるに寝ねたる
 赤いろの蓮まろ葉の浮けるとき田螺はのどにみごもりぬらし
(44) 味噌うづの田螺たうべて酒のめば我が咽喉仏うれしがり鳴る
 ためらはず遠天《おんてん》に入れと彗星の白きひかりに酒たてまつる
 うつくしく瞬きてゐる星ぞらに三尺《みさか》ほどなるははき星をり
 
   をさな妻
 
 墓はらのとほき森よりほろほろと上《のぼ》るけむりに行かむとおもふ
 木のもとに梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり
 をさな妻こころに持ちてあり経《ふ》れば赤小蜻蛉《あかこあきつ》の飛ぶもかなしき
 目を閉づれすなはち見ゆる淡々し光に恋ふるもさみしかるかな
(45) ほこり風立ちてしづまるさみしみを市路《いちじ》ゆきつつかへりみるかも
 このゆふべ塀にかわけるさび紅《あけ》のべにがらの垂りをうれしみにけり
 嘴《はし》あかき小鳥さへこそ飛ぶならめはるばる飛ばば悲しきろかも
 細みづにながるる砂の片寄りに静まるほどのうれひなりけり
 水さびゐる細江の面《おも》に浮きふふむこの水草はうごかざるかな
 汗ばみしかうべを垂れて抜け過ぐる公園に今しづけさに会ひぬ
 をさな妻ほのかに守る心さへ熱病みしより細りたるなれ
 
(46)   3 悼堀内卓
 
 堀内はまこと死にたるかありの世かいめ世かくやしいたましきかも
 信濃路のゆく秋の夜のふかき夜をなにを思ひつつ死にてゆきしか
 うつそみの人の国をば君去りて何辺にゆかむちちははをおきて
 早はやも癒りて来よと祈《の》むわれになにゆゑに逝きし一言もなく
 いまよりはまことこの世に君なきかありと思へどうつつにはなきか
 深き夜のとづるまなこにおもかげに見えくる友をなげきわたるも
 霜ちかき虫のあはれを君と居て泣きつつ聞かむと思ひたりしか (十月作)
 
(47) 明治四十四年
 
   1 此の日頃
 
 よるさむく火を警《いまし》むるひやうしぎの聞え来る頃はひもじかりけり こよひはいまだ浅宵なれど床ぬちにのびつつ何か考へむとおもふ
 尺八のほろほろと鳴りて行く音も此世の涯に遠ざかりなむ
 入りつ日の赤き光のみなぎらふ花野はとほく恍け溶くるなり
 さだめなきものの魘《おそい》の来る如く胸ゆらぎして街をいそげり
(48) うらがなしいかなる色の光はや我のゆくへにかがよふらむか
 生くるもの我のみならず現し身の死にゆくを聞きつつ飯食しにけり
 をさなごの独り遊ぶを見守《みも》りつつ心よろしくなりてくるかも (一月作)
 
   おくに
 
 なにか言ひたかりつらむその言も言へなくなりて汝《なれ》は死にしか
 はや死にて汝はゆきしかいとほしと命のうちにいひにけむもの
 終に死にて往かむ今際《いまわ》の目にあはず涙ながらにわれは居るかな
 なにゆゑに泣くと額《ぬか》なで虚言《いつわり》も死に近き子に吾は言へりしか
(49) もろ足もかいはそりつつ死にし汝《な》があはれになりてここに居りがたし
 ひとたびは癒《なお》りて呉れよとうら泣きて千重にいひしがつひに空しき
 この世にし生きたかりしか一念《いちねん》も申さず逝きしをあはれとおもふ
 何も彼もあはれになりて思ひづるお国のひと世はみじかかりしか
 せまりくる現実《うつつ》は悲ししまらくも漂ふごときねむりにゆかむ
 やすらなる眠もがもと此の日ごろ眠ぐすりに親しみにけり
 なげかひも人に知らえず極まれば何に縋りて吾《あ》は行きなむか
 しみ到るゆふべのいろに赤くゐる火鉢のおきのなつかしきかも
(50) 現身《うつしみ》のわれなるかなと歎かひて火鉢をちかく身に寄せにけり
 ちから無く鉛筆きればほろほろと紅《くれない》の粉《こ》が落ちてたまれり
 灰のへにくれなゐの粉の落ちゆくを涙ながしていとほしむかも
 生きてゐる汝《なれ》がすがたのありありと何に今頃見えきたるかや (一月作)
 
   3 うつし身
 
 雨にぬるる広葉細葉の若葉森あが言ふこゑのやさしくきこゆ
 いとまなき吾なればいま時の間の青葉の揺《ゆれ》も見むとしおもふ
 しみじみとおのれ親しき朝じめり墓原《はかはら》の蔭に道ほそるかな
(51) やはらかに濡れゆく森のきずりに生《いき》の命の吾をこそ思へ
 よにも弱き吾なれば忍ばざるべからず雨ふるよ若葉かへるで
 うつしみは死しぬ此《かく》のごと吾《あ》は生きて夕いひ食しに帰りなむいま
 黒土に足駄の跡のつづけるを墓のはそみちにかへり見にけり
 うちどよむ衢のあひの森かげに残るみづ田をいとしくおもふ
 青山の町蔭の田の水《み》さび田にしみじみとして雨ふりにけり
 森かげの夕ぐるる田に白きとり海《うみ》とりに似しひるがへり飛ぶ
 寂し田に遠来《とおこ》し白鳥《しらとり》見しゆゑに弱ければ吾《あ》はうれしくて泣かゆ
 くわん草は丈ややのびて湿りある土に戦《そよ》げりこのいのちはや
(52) はるの日のながらふ光に青き色ふるへる麦の嫉《ねた》くてならぬ
 春浅き麦のはたけにうごく虫|手《た》ぐさにはすれ悲しみわくも
 うごき行く虫を殺してうそ寒く麦のはたけを横ぎりにけり
 いとけなき心|葬《はふ》りのかなしさに蒲公英を掘るせとの岡べに
 仄かにも吾に親しき予言《かねごと》をいはまくすらしき黄いろ玉はな (四月五月作)
 
   4 うめの雨
 
 おのが身をいとほしみつつ帰り来る夕細道に柿の花落つも
 はかなき身も死にがてぬこの心君し知れらば共に行きなむ
(53) 天に戦ぐほそ葉わか葉に群ぎもの心寄りつつなげかひにけり
 かぎろひのゆふさりくれど草のみづかくれ水なれば夕光なしや
 ゆふ原の草かげ水にいのちいくる蛙はあはれ啼きたるかなや
 うつそみの命は愛《お》しとなげき立つ雨の夕原に音鳴《ねな》くものあり くろく散る通草の花のかなしさを稚くてこそおもひそめしか
 おもひ出も遠き通草の悲し花きみに知らえず散りか過ぎなむ
 道のべの細川もいま濁りみづいきほひながる夜の雨ふり
 汝兄《なえ》よ汝兄たまごが鳴くといふゆゑに見に行きければ卵が鳴くも
(54) あぶなくも覚束なけれ黄いろなる円きうぶ毛が歩みてゐたり
 見てを居り心よろしも鶏の子はついばみ乍らゐねむりにけり
 庭つとり鶏《かけ》のひよこも心がなし生れて鳴けば母にし似るも
 乳のまぬ庭とりの子は自づから哀れなるかもよ物|食《は》みにけり
 常のごと心足らはぬ吾ながらひもじくなりて今かへるなり
 たまたまに手など触れつつ添ひ歩む枳殻《からたち》垣にほこりたまれり
 ものがくれひそかに煙草すふ時の心よろしさのうらがなしかり
 青葉空雨になりたれ吾はいまこころ細ほそと別れゆくかも
 天さかり行くらむ友に口寄せてひそかに何かいひたきものを (五月六月作)
 
(55)   5 蔵王山
 
 蔵王をのぼりてゆけばみんなみの吾妻の山に雲のゐる見ゆ
 たち上る白雲のなかにあはれなる山鳩啼けり白くものなかに
 ま夏日の目のかがやきに桜実《さくらご》は熟《う》みて黒しもわれは食みたり
 あまつ日に目蔭《まかげ》をすれば乳いろの湛《たたえ》かなしきみづうみの見ゆ
 死にしづむ火山のうへにわが母の乳汁《ちしる》の色のみづ見ゆるかな
 秋づけばはらみてあゆむけだものも酸《さん》のみづなれば舌触りかねつ
 赤|蜻蛉《あきつ》むらがり飛べどこのみづに卵うまねばかなしかりけり
(56) ひんがしの遠空にして一すぢのひかりは悲し荒磯しらなみ (八月作)
 
   6 秋の夜ごろ
 
 玉きはる命をさなく女童《めわらわ》をいだき遊びき夜半《よわ》のこほろぎ
 こよひもひとりねむるとうつらうつら悲しき虫に聞きほくるなり
 ことわりもなき物怨み我身にもあるが愛《いと》しく虫ききにけり
 少年の流されびとをいたましとこころに思ふ虫しげき夜に
 秋なればこほろぎの子の生れ鳴く冷たき土をかなしみにけり
 少年の流され人はさ夜の小床に虫なくよ何の虫よといひけむ
(57) 蟋蟀の音にいづる夜の静けさにしろがねの銭かぞへてゐたり
 紅き日の落つる野末の石の間のかそけき虫に聞き入りにけり
 足もとの石のひまより静けさに顫ひて出づるこほろぎのこゑ
 入りつ日の入りかくろへば露満つる秋野の末にこほろぎ鳴くも
 うちどよむちまたを過ぎてしら露のゆふ凝る原にわれは来にけり
 星おほき花原くれば露は凝りみぎりひだりにこほろぎ鳴くも
 濠のみづ干ゆけばここに細き水流れ会ふかな夕ひかりつつ
 女《め》の童をとめとなりて泣きし時かなしく吾はおもひたりしか
(58) さにづらふ少女ごころに酸漿の籠らふほどの悲しみを見し
 こほろぎはこほろぎゆゑに露原に音をのみぞ鳴く音をのみぞ鳴く (九月作)
 
   7 折に触れて
 
 なみだ落ちて懐しむかもこの室《へや》にいにしへ人は死に給ひにし (子規十周忌三首)
 自からをさげすみ果てし心すら此夜はあはれ和みてを居ぬ
 しづかに眼をつむり給ひけむ自《おの》づからすべては冷たくなり給ひけむ 涙ながししひそか事も消ゆるかや吾《あ》より秋なれば桔梗《きちこう》は咲きぬ (録三首)
 きちかうのむらさきの花|萎《しぼ》む時わが身は愛《は》しとおもふかなしみ
(59) さげすみ果てしこの身も堪へ難くなつかしきことありあはれあはれわが少女《おとめ》
 栗の実の笑みそむるころ谿越えてかすかなる灯に向ふひとあり (録三首)
 かどはかしに逢へるをとめの物語あはれみにつつ谿越えにけり
 死に近き狂人を守《も》るはかなさに己が身すらを愛《は》しとなげけり
 照り透るひかりの中に消ぬべくも蟋蟀と吾《あ》となげかひにけり
 つかれつつ目ざめがちなるこの夜ごろ寐《い》よりさめ聞くながれ水かな
 朝さざれ踏みの冷めたくあなあはれ人の思の湧ききたるかも
 秋川のさざれ踏み往き踏み来とも落ちゐぬ心君知るらむか
 土のうへの生けるものらの潜むべくあな慌し秋の夜の雨
(60) 秋のあめ煙りて降ればさ庭べに七面鳥は羽もひろげず
 寒ざむとひと夜の雨のふりしかば病める庭鳥をいたはり兼ねつ
 ほそほそとこほろぎの音はみちのくの霜ふる国へとほ去りぬらむ
     遠き世のガレーヌスは春のあけぼの Ornamentum loci をかなしみぬ。われは東海の国の伽羅の木かげ Pluma loci といひてなげかふ。
 
(61) 大正元年
 
   1 睦岡山中
 
 寒ざむとゆふぐれて来る山のみち歩めば路は濡れてゐるかな
 山ふかき落葉のなかに光り居る寂しきみづをわれは見にけり
 しづかなる眼のごときひかりみづ山の木原に動かざるかも
 われひとり山を越えつつ見入りたる水はするどく寒くひかれり
 都会のどよみをとほくこの水に口触れまくは悲しかるらむ
(62) 天さかる鄙の山路にけだものの足跡を見ればこころよろしき
 なげきより覚めて歩める山峡に黒き木の実はこぼれ腐りぬ
 寂しさに堪へて空しき吾の身に何か触れて来《こ》悲しかるもの
 ふゆ山に潜みて木末のあかき実を啄みてゐる鳥見つ今は
 かぜおこる木原をとほく入つ日のあかき光はふるひ流るも
 赤光のなかの歩みはひそか夜の細きかほそきこころにか似む (一月作)
 
   2 木の実
 
 しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな
(63) 赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり
 満ち足らふ心にあらぬ谿谷《たに》つべに酢をふける木の実を食むこころかな
 山遠く入りても見なむうら悲しうら悲しとぞ人いふらむか
 紅蕈の雨にぬれゆくあはれさを人に知らえず見つつ来にけり
 山ふかく谿の石原しらじらと見え来るほどのいとほしみかな
 かうぺ垂れ我がゆく道にぽたりぽたりと橡の木の実は落ちにけらずや
 ひとり居て朝の飯《いい》食む我が命は短かからむと思ひて飯はむ (一月作)
 
(64)   3 或る夜
 
 くれなゐの鉛筆きりてたまゆらは慎しきかなわれのこころの
 をさな妻をとめとなりて幾百日《いくももか》こよひも最早眠りゐるらむ
 寝ねがてにわれ煩草すふ爛草すふ少女は最早眠りゐるらむ
 いま吾は鉛筆をきるその少女安心をして眠りゐるらむ
 我友は蜜柑むきつつしみじみとはや抱《いだ》きねといひにけらずや
 けだものの暖かさうな寝すがた思ひうかべて独り寝にけり
 寒床にまろく縮まりうつらうつら何時のまにかも眠りゐるかな
 
(65)   4 木こり
 
 山腹の木はらのなかへ堅凝のかがよふ雪を踏みのぼるなり
 ゆらゆらと空気を揺りて伐られたり斧の光れば大木《おおき》ひともと
 斧ふりて木を伐る側に小夜床の陰《ほと》のかなしさ歌ひてゐたり
 雪の上を行けるをみなは堅飯《かたいい》と赤子を背負ひうたひて行けり
 雪のべに火がとろとろと燃えぬれば赤子は乳をのみそめにけり
 杉の樹の肌《はだえ》に寄ればあなかなしくれなゐの油|滲《し》み出《いず》るかなや
(66) はるばるも来つれこころは杉の樹の紅《あけ》の脂に寄りてなげかふ
 みちのくの蔵王の山のやま腹にけだものと人と生きにけるかも (二月作)
 
   5 犬の長鳴
 
 よる更けてふと握飯くひたくなり握飯くひぬ寒がりにつつ
 われひとりねむらむとしてゐたるとき外はこがらしの行くおときこゆ
 遠く遠く流るるならむ灯をゆりて冬の疾風《はやち》は外面《とのも》に吹けり
 長鳴くはかの犬族《けんぞく》のなが鳴くは遠街《おんがい》にして火かもおこれる
 さ夜ふけと夜の更けにける暗黒《あんこく》にびようびようと犬は鳴くにあらずや (二月作)
 
(67)   6 さみだれ
 
 さみだれは何に降りくる梅の実は熟みて落つらむこのさみだれに
 にはとりの卵の黄味の乱れゆくさみだれごろのあぢきなきかな
 胡頽子《ぐみ》の果のあかき色ほに出づるゆゑ秀《ほ》に出づるゆゑに歎かひにけり(【おくにを憶ふ】)
 ぬば玉のさ夜の小床《おどこ》にねむりたるこの現身《うつしみ》はいとほしきかな
 しづかなる女おもひてねむりたるこの現身はいとほしきかな
 鳥の子の※[卵+段]《すもり》に果てむこの心もののあはれと云はまくは憂《う》し
 あが友の古泉千樫は貧しけれさみだれの中をあゆみゐたりき
(68) けふもまた雨かとひとりごちながら三州味噌をあぶりて食むも (六月作)
 
   7 折々の歌
 
 とろとろとあかき落葉火《おちばひ》もえしかば女《め》の男《お》の童《わらわ》あたりけるかも
 雨ひと夜さむき朝けを目の下《もと》の死なねばならぬ鳥見て立てり
 ひとよ寝し街《まち》の悲しきひそみ土ここに白霜《しろしも》は降りてゐるかも
 猫の舌のうすらに紅《あか》き手ざはりのこの悲しさを知りそめにけり
 ほのかなる茗荷の花を目守る時わが思ふ子ははるかなるかも
 をさな児の遊びにも似し我《あ》がけふも夕かたまけてひもじかりけり (研究室二首)
(69) 屈まりて脳の切片を染めながら通草のはなをおもふなりけり
 みちのくの我家《わぎえ》の里に黒き蚕《こ》が二たびねぶり目ざめけらしも (故郷三首)
 みちのくに病む母上にいささかの胡瓜を送る障りあらすな
 おきなぐさに唇ふれて帰りしがあはれあはれいま思ひ出でつも
 秋に入る錬兵場のみづたまりに小蜻蛉《こあきつ》が卵を生みて居りけり
 曼珠沙華ここにも咲きてきぞの夜のひと夜の相《すがた》おもほゆるかも
 現身のわれをめぐりてつるみたる赤き蜻蛉が幾つも飛べり
 酒の糟あぶりて室に食むこころ腎虚のくすり尋ねゆくこころ
 けふもまた向ひの岡に人あまた群れゐて人を葬《はふ》りたるかな
(70) 何ぞもとのぞき見しかば弟妹《いろと》らは亀に酒をば飲ませてゐたり
 太陽はかくろひしより海空《うみぞら》に天の血垂りの雲のたなびき
 狂院に寝てをれば夜は温《ぬ》るし我がまぢかくに蟾蜍《ひき》は啼きたり
 伽羅ぼくに伽羅の果《み》こもりくろき猫ほそりてあゆむ夏のいぶきに
 蛇の子は色くろぐろとうまれつつ石の間《ひま》にもかくろひぬらむ
 ほそき雨墓原に降りぬれてゆく黒土に烟草の吸殻を投ぐ
 墓はらを白足袋はきて行けるひと遠く小さくなりにけるかも
 萱草をかなしと見つる目にいまは雨にぬれて行く兵隊が見ゆ
 墓はらを歩み来にけり蛇の子を見むと来つれど春あさみかも
(71) 病院をいでて墓原かげの土踏めば何になごみ来しあが心ぞも
 松風の吹きゐるところくれなゐの提灯つけて分け入りにけり
 
   8 夏の夜空
 
 墓原に来て夜空見つ目のきはみ澄み透りたるこの夜空かな
 なやましき真夏なれども天なれば夜空は悲しうつくしく見ゆ
 きやう人を守りつつ住めば星のゐる夜ぞらも久に見ずて経にけり
 目をあげてきよき天の原見しかども遠の珍《めずら》のここちこそすれ
 ひさびさに夜空を見ればあはれなるかな星群れてかがやきにけり
(72) 空見ればあまた星居りしかれども弥々とほくひかりつつ見ゆ
 汗ながれてちまたの長路ゆくゆゑにかうべ垂れつつ行けるなりけり
 ひさびさに星空を見て居りしかば己れ親しくなりてくるかも (七月作)
 
   9 土屋文明へ
 
 おのが身をあはれとおもひ山みづに涙落しし君を偲ばむ
 ものみなの饐《す》ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑ聞ゆ
 もの書かむと考へゐたれ耳ちかく蜩蝉《ひぐらし》なけばあはれに聞ゆ
 夕さればむらがりて来る油むし汗あえにつつ殺すなりけり
(73) かかる時|菴羅《あんら》の木の実くひたらば心落居むとおもふ寂しさ
 むらさきの桔梗のつぼみ割りたれば蕊《しべ》現れてにくからなくに
 秋ぐさの花さきにけり幾朝をみづ遣りしかとおもほゆるかも
 ひむがしのみやこの市路をひとつのみ朝草車行けるさぴしさ (七月作)
 
   10 狂人守
 
 うけもちの狂人も発たりか死にゆきて折をりあはれを感ずるかな
 かすかにてあはれなる世の相ありこれの相に親しみにけり
 くれなゐの百日紅《ひやくじつこう》は咲きぬれど此きやうじんはもの云はずけり
(74) としわかき狂人守りのかなしみは通草の花の散らふかなしみ
 気のふれし支那のをみなに寄り添ひて花は紅しと云ひにけるかな
 このゆふべ脳病院の二階より墓地見れば花も見えにけるかな
 ゆふされば青くたまりし墓みづに食血餓鬼《じきけちがき》は鳴きかゐるらむ
 あはれなる百日紅の下かげに人力車《じんりき》ひとつ見えにけるかな (九月作)
 
   11 海辺にて
 
 真夏の日てりかがよへり渚にはくれなゐの玉ぬれてゐるかな
 海の香は山ふかき国に生れたる我のこころに染まんとすらん
(75) 七夜《ななよ》寝て珠ゐる海の香をかげば哀れなるかもこの香いとほし
 白なみの寄するなぎさに林檎食む異国をみなはやや老いにけり
 あぶらなす真夏のうみに落つる日の八尺の紅《あけ》のゆらゆらに見ゆ
 きこゆるは悲しきさざれうち浸す潮波《うしおなみ》とどろ湧きたるならむ
 岩かげに海ぐさふみて玉ひろふくれなゐの玉むらさき斑のたま
 百鳥《ももとり》はいまだは啼かねわたつみは黒光りして明けたるらむか
 いささかの潮のたまりに赤きもの生きて居たれば嬉しむかな
 海の香はこよなく悲し珠ひろふわれのこころに染みにけるかも
 桜実《さくらご》の落ちてありやと見るまでに赤き珠ゐる岩かげを来し
(76) ながれ寄る沖つ藻見ればみちのくの春野小草《はるのおぐさ》に似てを悲しも
 荒磯べに欺くともなき蟹の子の常《とこ》くれなゐに見ゆらむあはれ
 かすかなる命をもちて海つもの美しくゐる荒磯べに来し
 海のべを紅毛の子の走れるを心しづかに我は見て居り
 くれなゐの三角の帆がゆふ海に遠ざかりゆくゆらぎ見えずも
 月ほそく入りなむとする海の上ほの暗くして舟なかりけり
 ぬば玉のさ夜ふけにして波の穂の青く光れば恋しきものを
 けふもまた岩かげに来つ靡き藻に虎斑魚の子かくろへる見ゆ
 しほ鳴のゆくへ悲しと海のべに幾夜か寝つるこの海のべに (九月作)
 
(77)   12 郊外の半日
 
 今しがた赤くなりて女中を叱りしが郊外に来て寒けをおぼゆ
 郊外はちらりほらりと人行きてわが息づきは和むとすらん
 郊外に未だ落ちゐぬこころもて※[虫+奚]※[虫+斥]《ばつた》にぎれば冷たきものを
 秋のかぜ吹きてゐたれば遠《おち》かたの薄のなかに曼珠沙華赤し
 ふた本の松立てりけり下かげに曼珠沙華赤し秋かぜが吹き
 いちめんの唐辛子|畑《ばた》に秋のかぜ天より吹きて鴉おりたつ
 いちめんに唐辛子あかき畑みちに立てる童《わらべ》のまなこ小さし
(78) 曼珠沙華咲けるところゆ相むれて現身に似ぬ囚人は出づ
 草の実はこぼれんとして居たりけりわが足元の日の光かも
 赭土《はに》はこぶ囚人の眼の光るころ茜さす日は傾きにけり
 トロツコを押す一人《いちにん》の囚人はくちびる赤し我をば見たり
 片方に松二もとは立てりしが囚はれ人は其処を通りぬ
 秋づきて小さく結《な》りし茄子の果を籠《こ》に盛る家の日向《ひなた》に蠅居り
 女のわらは入日のなかに両手もて籠《こ》に盛る茄子のか黒きひかり
 天伝《あまつた》ふ日は傾きてかくろへば栗煮る家にわれいそぐなり
 いとまなきわれ郊外にゆふぐれて栗飯食せば悲しこよなし
(79) コスモスの闇にゆらげばわが少女《おとめ》天の戸に残る光を見つつ (十月作)
 
   13 葬り火 黄涙余録の一
 
 あらはなる棺《ひつぎ》はひとつかつがれて穏田《おんでん》ばしを今わたりたり
 自殺せし狂者《きようじや》の棺《かん》のうしろより眩暈《めまい》して行けり道に入日あかく
 陸橋にさしかかるとき兵来れば棺はしまし地《つち》に置かれぬ
 まなこよりわれの涙は漲《はふ》るとも人に知らゆな悲しきゆゑに
 ひとねむるさ夜中にしてあな悲し狂人の自殺果てにけるはや
 死なねばならぬ命まもりて看護婦はしろき火かかぐ狂院のよるに
(80) 自らのいのち死なんと直《ひた》いそぐ狂人を守りて寝《い》ねざるものを
 土のうへに赤楝蛇《やまかがし》遊ばずなりにけり入る日あかあかと草はらに見ゆ
 歩兵隊代々木のはらに群れゐしが狂人のひつぎひとつ行くなり
 赤光のなかに浮びて棺《かん》ひとつ行き遥けかり野は涯ならん
 わが足より汗いでてやや痛みあり靴にたまりし土ほこりかも
 火葬場に細みづ白くにごり来《く》も向《むか》うにひとが米を磨ぎたれば 死はも死はも悲しきものならざらむ日のもとに木の実落つたはやすきかも
 両手《もろて》をばズボンの隠しに入れ居たりおのが身を愛《は》しと思はねどさびし
 葬り火は赤々と立ち燃ゆらんか我がかたはらに男居りけり
(81) うそ寒きゆふべなるかも葬り火を守るをとこが欠伸をしたり
 骨瓶《こつがめ》のひとつを持ちて価《ね》を問へりわが口は乾くゆふさり来《きた》り
 納骨の箱は杉の箱にして骨がめは黒くならびたりけり
 上野なる動物園にかささぎは肉食ひゐたりくれなゐの肉を
 おのが身しいとほしきかなゆふぐれて眼鏡のほこり拭ふなりけり
 
   14 冬来 黄涙余録の二
 
 自殺せる狂者をあかき火に葬りにんげんの世に戦《おのの》きにけり
 けだものは食《たべ》もの恋ひて啼き居たり何《なに》といふやさしさぞこれは
(82) ペリカンの嘴うすら赤くしてねむりけりかたはらの水光《みずひかり》かも
 ひたいそぎ動物園にわれは来たり人のいのちをおそれて来たり
 わが目より涙ながれて居たりけり鶴のあたまは悲しきものを
 けだもののにほひをかげば悲しくもいのちは明《あか》く息づきにけり
 支那国《しなこく》のほそき少女《おとめ》の行きなづみ思ひそめにしわれならなくに
 さけび啼くけだものの辺《べ》に潜みゐて赤き葬りの火こそ思へれ
 鰐の子も居たりけりみづからの命死なんとせずこの鰐の子は
 くれなゐの鶴のあたまに見入りつつ狂人守をかなしみにけり
 はしきやし暁星学校の少年の頬は赤羅ひきて冬さりにけり
(83) 泥いろの山椒魚は生きんとし見つつしをればしづかなるかも
 除隊兵写真をもちて電車に乗りひんがしの空明けて寒しも
 はるかなる南のみづに生れたる鳥ここにゐてなに欲しみ啼く
 
   15 柿乃村人へ 黄涙余録の三
 
 この夜ごろ眠られなくに心すら細らんとして告げやらましを
 たのまれし狂者《きようじや》はつひに自殺せりわれ現なく走りけるかも
 友のかほ青ざめてわれにもの云はず今は如何なる世の相《すがた》かや
 おのが身はいとほしければ赤楝蛇《やまかがし》も潜みたるなり土の中ふかく
(84) 世の色相《いろ》のかたはらにゐて狂者もり悲しき涙湧きいでにけり
 やはらかに弱きいのちもくろぐろと甲《よろ》はんとしてうつつともなし
 寒ぞらに星ゐたりけりうらがなしわが狂院をここに立ち見つ
 かの岡に瘋癲院のたちたるは邪宗来より悲しかるらむ
 みやこにも冬さりにけり茜さす日向のなかに髭剃りて居る
 遠国へ行かば剃刀のひかりさへ馴れて親しといへば歎かゆ (十一月作)
 
   16 ひとりの道
 
 霜ふればほろほろと胡麻の黒き実の地《つち》につくなし今わかれなむ
(85) 夕凝りし露霜ふみて火を恋ひむ一人のゆゑにこころ安けし
 ながらふるさ霧のなかに秋花を我摘まんとす人に知らゆな
 白雲は湧きたつらむか我ひとり行かむと思ふ山のはざまに
 神無月空の際涯《はて》よりきたるとき眼《め》ひらく花はあはれなるかも
 ひとりなれば心安けし谿ゆきて黒き木《こ》の実も食ふべかりけり
 ひかりつつ天《あめ》を流るる星あれど悲しきかもよわれに向はず
 おのづからうら枯るる野に鳥落ちて啼かざりしかも入日赤きに
 いのち死にてかくろひ果つるけだものを悲しみにつつ峡《かい》に入りつも
 みなし児の心のごとし立ちのぼる白雲の中に行かむとおもふ
(86) もみぢ斑《ふ》に照りとほりたる日の光りはざまにわれを動かざらしむ わが歩みここに極まり雲くだるもみぢ斑のなかに水のみにけり
 はるけくも山がひに来て白樺に触《さわ》りて居たり冷たきその幹
 ひさかたの天のつゆじもしとしとと独り歩まむ道ほそりたり (十一月作)
 
   17 青山の鉄砲山
 
 赤き旗けふはのぼらずどんたくの鉄砲山に小供らが見ゆ
 日だまりの中に同様のうなゐらは皆走りつつ居たりけるかも
 銃丸を土より掘りてよろこべるわらべの側を行き過《よ》ぎりけり
(87) 青竹を手に振りながら童子来て何か落ちゐぬ面持をせり
 ゆふ日とほく金《きん》にひかれば群童は眼《め》つむりて斜面をころがりにけり
 群童が皆ころがれば丘のへの童女《どうじよ》かなしく笑ひけるかも
 いちにんの童子ころがり極まりて空見たるかな太陽が紅し
 射的場に細みづ湧きて流れければ童《わらべ》ふたりが水のべに来し (十月作)
 
   18 折に触れて
 
 くろぐろと円らに熟るる豆柿に小鳥はゆきぬつゆじもはふり
 蔵王山《ざおうさん》に雪かも降るといひしときはや斑《はだら》なりといらへけらずや
(88) 狂者らは Paederastie をなせりけり夜しんしんと更けがたきかも
 ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕《やまこ》殺ししその日おもほゆ
 をりをりは脳解剖書読むことありゆゑ知らに心つつましくなり
 水のうへにしらじらと雪ふりきたり降りきたりつつ消えにけるかも
 身ぬちに重大を感ぜざれども宿直《とのい》のよるにうなじ垂れゐし
 この里に大山大将住むゆゑにわれの心の嬉しかりけり (十二月作)
 
   19 雪ふる日
 
 かりそめに病みつつ居ればうらがなし墓はらとほく雪つもる見ゆ
(89) 現身のわが血脈《けちみやく》のやや細り墓地にしんしんと雪つもる見ゆ
 あま霧し雪ふる見れば飯《いい》をくふ囚人のこころわれに湧きたり
 わが庭に鶩《あひる》ら啼きてゐたれども雪こそつもれ庭もほどろに
 ひさかたの天の白雪ふりきたり幾とき経ねばつもりけるかも
 枇杷の木の木ぬれに雪のふりつもる心|愛燐《あわれ》みしまらくも見し
 さにはべの百日紅《ひやくじつこう》のほそり木に雪のうれひのしらじらと降る
 天つ雪はだらに降れどさにづらふ心にあらぬ心にはあらぬ (十二月作)
 
(90)   20 宮益坂
 
 向うにも女は居たり青き甕もち童子《どうじ》になにかいひつけしかも
 馬に乗りて陸軍将校きたるなり女難の相か然にあらじか (十二月作)
 
(91) 大正二年
 
   1 さんげの心
 
 雪のなかに日の落つる見ゆほのぼのと懺悔《さんげ》の心かなしかれども
 こよひはや学問したき心起りたりしかすがにわれは床にねむりぬ
 風ひきて寝てゐたりけり窓の戸に雪ふる聞ゆさらさらといひて
 あわ雪は消なば消ぬがに降りたれば眼《まなこ》悲しく消《け》ぬらくを見む
 腹ばひになりて朱の墨すりしころ七面鳥に泡雪は降りし
(92) ひる日中床の中より目をひらき何か見つめんと思ほえにけり
 雪のうへ照る日光のかなしみに我がつく息はながかりしかも
 赤電車にまなこ閉づれば遠国《おんごく》へ流れて去なむこころ湧きたり
 家ゆりてとどろと雪はなだれたり今宵は最早幾時ならむ
 しんしんと雪ふる最上の上《かみ》の山に弟は無常を感じたるなり
 ひさかたの光に濡れて縦しゑやし弟は無常を感じたるなり
 電燈の球にたまりしほこり見ゆすなはち雪はなだれ果てたり
 天霧らし雪ふりてなんぢが妻は細りつつ息をつかむとすらし
 あまつ日に屋上の雪かがやけりしづごころなきいまのたまゆら
(93) しろがねのかがよふ雪に見入りつつ何を求めむとする心ぞも
 いまわれはひとり言いひたれども哀れあはれかかはりはなし
 ゆふぐれて心せはしく街ゆけば街には女おほくゆくなり (一月作)
 
   2 根岸の里
 
 にんげんの赤子を負へる子守居りこの子守はも笑はざりけり
 日あたれば根岸の里の川べりの青蕗《あおふき》のたう揺りたつらむか
 くれたけの根岸里べの春浅み屋上の雪凝りてかがよふ
 角兵衛のをさな童《わらべ》のをさなさに足をとどめて我は見んとす
(94) 笛の音のとろりほろろと鳴りひびき紅色《こうしよく》の獅子あらはれにけり
 いとけなき額のうへにくれなゐの獅子の頭《こうべ》を持つあはれさよ
 春のかぜ吹きたるならむ目《め》のもとの光のなかに塵うごく見ゆ
 ながらふる日光のなか一いろに我のいのちのめぐるなりけり (一月作)
 
   3 きさらぎの日
 
 狂院を早くまかりてひさびさに街をあゆめばひかり目に染む
 平凡に涙をおとす耶蘇兵士あかきじやけつを着つつ来にけり
 きさらぎの天つひかりに飛行船ニコライ寺《でら》のうへを走れり
(96) 杵あまた並べばかなし一様につぼの白米《しろごめ》に落ちにけるかも もろともに天を見上げし耶蘇士官あかきじやけつを着たりけるかも
 まぼしげに空に見入りし女あり黄色《こうしよく》のふね天馳《あまは》せゆけば
 二月ぞらに黄いろの船の飛べるときしみじみとして女《おみな》をぞおもふ この身はも何か知らねどいとほしく夜おそくゐて爪きりにけり (二月作)
 
   4 神田の火事
 
 これやこの昨日《きぞ》の夜の火に赤かりし跡どころなれや烟立ち見ゆ
 天明けし焼跡どころ燃えかへる火中《ほなか》に音の聞えけるかも
(97) 亡ぶるものは悲しけれども目の前にかかれとてしも赤き火にほろぶ
 たちのぼる灰燼のなかに黒眼鏡しろき眼鏡を売るぞ寂しき
 あきうどは眼鏡よろしと言あげてみづからの目に限鏡かけたり (三月作)
 
   5 口ぶえ
 
 このやうに何に顴骨《ほほぼね》たかきかや触《さや》りて見ればをみななれども
 この夜をわれと寝《ぬ》る子のいやしさのゆゑ知らねども何か悲しき
 目をあけてしぬのめごろと思ほえばのびのびと足をのばすなりけり
 ひんがしはあけぼのならむほそほそと口笛ふきて行く童子あり
(98) あかねさす朝明ゆゑにひなげしを積みし車に会ひたるならむ (五月作)
 
   6 おひろ 其の一
 
 なげかへばものみな暗しひんがしに出づる星さへあかからなくに
 とほくとほく行きたるならむ電燈を消せばぬばたまの夜も更けぬる
 夜くれば小夜床《さよどこ》に寝しかなしかる面《おも》わも今は無しも小床《おどこ》も
 かなしみてたどきも知らず浅草の丹塗の堂にわれは来にけり
 あな悲し観音堂に癩者ゐてただひたすらに銭《ぜに》欲りにけり
 浅草に来てうで卵買ひにけりひたさびしくてわが帰るなる
(99) はつはつに触れし子ゆゑにわが心今は斑《はだ》らに嘆きたるなれ
 代々木野をひた走りたりさびしさに生《いき》の命《いのち》のこのさぴしさに
 さびしさびしいま西方《さいほう》にゆらゆらと紅く入る日もこよなく寂し
 紙屑を狭庭《さにわ》に焚けばけむり立つ恋《こほ》しきひとは遥かなるかも
 ほろほろとのぼるけむりの天《てん》にのぼり消え果つるかに我も消《け》ぬかに
 ひさかたの悲天のもとに泣きながらひと恋ひにけりいのちも細く
 放《ほう》り投げし風呂敷包ひろひ持ち抱《いだ》きてゐたりさびしくてならぬ
 ひつたりといだきて悲しひとならぬ瘋癲学の書《ふみ》のかなしも
 うづ高く積みし書物《しよもつ》に塵たまり見の悲しもよたどき知らねば
(100) つとめなればけふも電車に乗りにけり悲しきひとは遥かなるかも
 この朝け山板の香のかよひ来てなげくこころに染みとほるなれ
 
    其の二
 
 ほのぼのと目を細くして抱かれし子は去りしより幾夜か経たる
 愁ひつつ去にし子ゆゑに藤のはな揺《ゆ》る光さへ悲しきものを
 しらたまの憂のをみな我《あ》に来《きた》り流るるがごと今は去りにし
 かなしみの恋にひたりてゐたるとき白藤の花咲き垂りにけり
 夕やみに風たちぬればほのぼのと躑躅の花は散りにけるかも
 おもひ出は霜ふる谿に流れたるうす雲の如くかなしきかなや
(101) あさぼらけひとめ見しゆゑしばだたくくろきまつげをあはれみにけり
 しんしんと雪ふりし夜に|その〔イ汝が〕指のあな冷たよと言ひて寄りしか
 狂院の煉瓦のうへに朝日子のあかきを見つつなげきけるかな
 わが生《あ》れし星を慕ひしくちびるの紅きをみなをあはれみにけり
 わが命つひに光りて触りしかば否といひつつ消ぬがにも寄る
 彼《か》のいのち死去《しい》ねと云はばなぐさまめ我《われ》の心は云ひがてぬかも
 すり下《おろ》す山葵《わさび》おろしゆ滲《し》みいでて垂る青みづのかなしかりけり
 啼くこゑは悲しけれども夕鳥は木に眠るなりわれは寝なくに
 
(102)   其の三
 
 愁へつつ去にし子ゆゑに遠山にもゆる火ほどの我がこころかな
 あはれなる女《おみな》の瞼《まぶた》恋ひ撫でてその夜ほとほとわれは死にけり
 このこころ葬らんとして来りつる畑に麦は赤らみにけり
 夏されば農園に来て心ぐし水すましをばつかまへにけり
 藻のなかに潜むゐもりの赤き腹はつか見そめてうつつともなし
 麦の穂に光のながれたゆたひて向うに山羊は啼きそめにけり
 この心葬り果てんと秀《ほ》の光る錐を畳に刺しにけるかも
 わらぢ虫たたみの上に出で来《こ》しに烟草のけむりかけて我《わが》居《お》り
(103) 念々にをんなを思ふわれなれど今夜《こよい》もおそく朱の墨するも
 この雨はさみだれならむ昨日よりわがさ庭べに降りてゐるかも
 つつましく一人し居れば狂院のあかき煉瓦に雨のふる見ゆ
 瑠璃いろにこもりて円き草の実は悲しき人のまなこなりけり
 ひんがしに星いづる時汝が見なばその目ほのぼのとかなしくあれよ (五月六月作)
 
   7 死にたまふ母 其の一
 
 ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なけれ《イなし》
 白ふぢの垂花《たりはな》ちればしみじみと今はその実の見えそめしかも
(104) みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる
 うちひさす都の夜にともる灯のあかきを見つつこころ落ちゐず
 ははが目を一目を見んと急ぎたるわが額《ぬか》のへに汗いでにけり
 灯《ともし》あかき都をいでてゆく姿かりそめの旅と人見るらんか
 たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや
 吾妻やまに雪かがやけばみちのくの我が母の国に汽車入りにけり
 朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車走るなり
 沼の上にかぎろふ青き光よりわれの愁《うれえ》の来《こ》むと云ふかや (白竜湖)
 上《かみ》の山の停車場に下り若くしていまは鰥夫《やもお》のおとうとを見たり
 
(105)   其の二
 
 はるばると薬をもちて来しわれを目守りたまへりわれは子なれば
 寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば
 長押なる丹ぬりの槍に塵は見ゆ母の辺《べ》の我が朝目《あさめ》には見ゆ
 山いづる太陽光を拝みたりをだまきの花咲きつづきたり
 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
 桑の香の青くただよふ朝明に堪へがたければ母呼びにけり
 死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな
 春なればひかり流れてうらがなし今は野《ぬ》のべに蟆子《ぶと》も生《あ》れしか
(106) 死に近き母が額を撫《さす》りつつ涙ながれて居たりけるかな
 母が目をしまし離《か》れ来て目守りたりあな悲しもよ蚕《かうこ》のねむり
 我が母よ死にたまひゆく我が母よ我《わ》を生まし乳足らひし母よ
 のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
 いのちある人あつまりて我が母のいのち死行《しゆ》くを見たり死ゆくを
 ひとり来て蚕《かうこ》のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり
 
   其の三
 
 楢若葉てりひるがへるうつつなに山蚕《やまこ》は青く生《あ》れぬ山蚕は
 日のひかり斑らに漏りてうら悲し山蚕は未だ小さかりけり
(107) 葬り道すかんぽの華ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや
 おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我ら行きつも
 わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし
 星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり
 さ夜ふかく母を葬りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
 はふり火を守《まも》りこよひは更けにけり今夜の天のいつくしきかも
 火を守りてさ夜ふけぬれば弟は現身のうたかなしく歌ふ
 ひた心|目守《まも》らんものかほの赤くのぼるけむりのその煙はや
 灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり
(108) 蕗の葉に丁寧にあつめし骨くづもみな骨瓶《こつがめ》に入れしまひけり
 うらうらと天に雲雀は啼きのぼり雪斑らなる山に雲ゐず
 どくだみも薊の花も焼けゐたり人葬所《ひとはふりど》の天《あめ》明けぬれば
 
   其の四
 
 かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出づる山ぺ行きゆくわれよ
 ほのかなる通草の花の散るやまに啼く山鳩のこゑの寂しさ
 山かげに雉子が啼きたり山かげに湧きづる湯こそかなしかりけれ
 酸《すゆ》き湯に身はかなしくも浸りゐて空にかがやく光を見たり
 ふるさとのわぎへの里にかへり来て白ふぢの花ひでて食ひけり
(109) 山かげに消《け》のこる雪のかなしさに笹かき分けて急ぐなりけり
 笹原をただかき分けて行き行けど母を尋ねんわれならなくに
 火のやまの麓にいづる酸《さん》の湯に一夜《ひとよ》ひたりてかなしみにけり
 ほのかなる花の散りにし山のべを霞ながれて行きにけるかも
 はるけくも峡《はざま》のやまに燃ゆる火のくれなゐと我《あ》が母と悲しき
 山腹にとほく燃ゆる火あかあかと煙はうごくかなしかれども
 たらの芽を摘みつつ行けり山かげの道ほそりつつ寂しく行けり
 寂しさに堪へて分け入る山かげに黒々と通草の花ちりにけり
 見はるかす山腹なだり咲きてゐる辛夷の花はほのかなるかも
(110) 蔵王山に斑ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨ゆきにけり
 しみじみと雨降りゐたり山のべの土赤くしてあはれなるかも
 遠天《おんてん》を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき
 やま峡に日はとつぷりと暮れゆきて今は湯の香の深くただよふ
 湯どころに二夜《ふたよ》ねむりて蓴菜を食へばさらさらに悲しみにけり
 山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ (五月作)
 
   8 みなづき嵐
 
 どんよりと空は曇りて居りしとき二たび空を見ざりけるかも
(111) 我が体《たい》にうつうつと汗にじみゐて今みな月の嵐ふきたつ
 わがいのち芝居に似ると云はれたり云ひたるをとこ肥りゐるかも
 みなづきの嵐のなかに顫《ふる》ひつつ散るぬば玉の黒き花みゆ
 狂院の煉瓦の角《かど》を見ゐしかばみなづきの嵐ふきゆきにけり
 狂じや一人蚊帳よりいでてまぼしげに覆盆子食べたしといひにけらずや
 ながながと廊下を釆つついそがしき心湧きたりわれの心に
 蚊帳のなかに蚊が二三疋ゐるらしき此寂しさを告げやらましを
 ひもじさに百日《ももか》を経たりこの心よるの女人《おみな》を見るよりも悲し
 日を吸ひてくろぐろと咲くダアリヤはわが目のもとに散らざりしかも
(112) かなしさは日光のもとダアリヤの紅色《くれない》ふかくくろぐろと咲く
 うつうつと湿り重たくひさかたの天低くして動かざるかも
 たたなはる曇りの下を狂人はわらひて行けり吾を離れて
 ダアリヤは黒し笑ひて去りゆける狂人は終にかへり見ずけり (六月作)
 
   9 麦奴
 
 病監の窓のしたびに紫陽花が咲き折をり風は吹き行きにけり
 いそぎ来て汗ふきにけり監獄のあかき煉瓦に降れるさみだれ
 飯《いい》かしぐ煙ならむと鉛筆の秀《ほ》を研ぎながらひとりおもへり
(113) 監房より今しがた来し囚人はわがまへにゐてすこし笑みつも
 光もて囚人の瞳てらしたりこの囚人を観ざるべからず
 紺いろの囚人の群笠かむり草刈るゆゑに光るその鎌
 監獄に通ひ来しより幾日経し蜩《かなかな》啼きたり二つ啼きたり
 まはりみち畑にのぼればくろぐろと麦奴《むぎのくろみ》は棄てられにけり (七月作)
 
   10 七月二十三日
 
 めん※[奚+隹]ら砂あび居たれひつそりと剃刀研人《かみそりとぎ》は過ぎ行きにけり
 夏休日《なつやすみ》われももらひて十日まり汗をながしてなまけてゐたり
(114) たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり
 十日なまけけふ来て見れば受持の狂人ひとり死に行きて居し
 鳳仙花かたまりて散るひるさがりつくづくとわれ帰りけるかも (七月作)
 
   11 屋上の石
 
 あしびきの山の峡《はざま》をゆくみづのをりをり白くたぎちけるかも
 しら玉の憂《うれい》のをんな恋ひたづね幾やま越えて来りけむかも
 鳳仙花城あとに散り散りたまる夕かたまけて忍び来にけり
 天そそるやまのまほらに夕よどむ光を見つつあひ歎きつも
(115) 屋上の石は冷《つ》めたしみすずかる信濃のくにに我は来にけり
 屋根の上に尻尾動かす鳥来りしばらく居つつ飛びにけるかも
 屋根踏みて居ればかなしもすぐ下の店に卵を数へゐる見ゆ
 屋根にゐて微《かそ》けき憂湧きにけり目《ま》したの街のなりはひの見ゆ (七月作)
 
   12 悲報来
 
     七月三十日夜、信濃国上諏訪に居りて、伊藤左千夫先生逝去の悲報に接す。すなはち予は高木村なる島木赤彦宅へ走る。時すでに夜半を過ぎゐたり。
 
 ひた走るわが道暗ししんしんと怺へかねたるわが道くらし
(116) すべなきか蛍をころす手のひらに光つぶれてせんすべはなし
 ほのぼのとおのれ光りてながれたる蛍を殺すわが道くらし
 氷室より氷をいだし居る人はわが走る時ものを云はざりしかも
 氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり
 死にせれば人は居ぬかなと歎かひて眠り薬をのみて寝んとす
 赤彦と赤彦が妻吾に寝よと蚤とり粉を呉れにけらずや
 罌粟《けし》はたの向うに湖《うみ》の光りたる信濃のくにに目ざめけるかも
 諏訪のうみに遠白く立つ流波《ながれなみ》つばらつばらに見んと思へや
 あかあかと朝焼けにけりひんがしの山並の空朝焼けにけり (七月作)
 
(117)   13 先師墓前
 
 ひつそりと心なやみて水かくる松葉ぼたんはきのふ植ゑにし
 しらじらと水のなかよりふふみたる水ぐさの花小さかりけり (八月作)
 
(119)   「赤光」初版跋
 
 〇明治三十八年より大正二年に至る足かけ九年間の作八百三十三(四)首を以てこの一巻を編んだ。たまたま伊藤左千夫先生から初めて教をうけた頃より先生に死なれた時までの作になっている。アララギ叢書第二編が予の歌集の割番に当った時、予は先ずこの一巻を左千夫先生の前に捧呈しようと思った。而して、今から見ると全然棄てなければならぬ様なひどい作までも輯録して往年の記念にしようとした。特に近ごろの予の作が先生から褒められるような事は殆ど無かったゆえに、大正二年二月以降の作は雑誌に発表せずにこの歌集に収めてから是非先生の批評をあおごうと思って居た。ところが七月三十日の、この歌集編輯がようやく大正二年度が終ったばかりの時に、突如として先生に死なれて仕舞った。それ以来気が落つかず、清書するさえものうくなって、後半の順序の統一しないのもその儘におくようになったのはその為めである。はじめの心と今の心と何という相違であろう。それでもどうにか歌集は出来上がった。悲しく予はこの一巻を先生の霊前にささげねばならぬ。
(120) 〇平福百穂、木下杢太郎の二氏が特に本書のために絵を賜わった事を予は光栄に思っている。そのうち木下杢太郎氏の仏頭図は明治四十三年十月三田文学に出た時分から密かに心に思って居たものである。このたび予の心願かなって到頭予のものになったのである。また、本書発行について予を励まし便利を与えられた長塚節、島木赤彦、中村憲吉、蕨桐軒、古泉千樫の諸氏並びに信濃諸同人に対し、又「とうとうと喇叭を吹けば」の句をくれた清水謙一郎氏に対し感謝の念をささげねばならぬ。
 〇文法の誤の数ケ所あること、送仮名法の一定せざること、漢字使用法の曖昧なること等は、億劫な為めにその儘にして置いた。本書の作物は今ごろ発行して読んでもらうのには、工合の悪いのが多い。しかし同じく読んでもらううえは自分に比較的親しいのを読んでもらおうと思って、新しい方を先にした。はじめの方をちょっと読んで頂くという心持である。本書は予のはじめての歌集である。世の先輩諸氏からいろいろ教えて頂いてもっと勉強したい。
 〇本書の「赤光」という名は仏説阿弥陀経から採ったのである。彼の経典には「地中蓮華大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔」というところがある。予が未だ童子の時分に遊び仲間に雛法師が居て切りに御経を諳誦して居た。梅の実をひろうにも水を浴びるにも「しゃくしき、しゃつこう、びゃくしき、びゃっこう」と誦して居(121)た。「しゃっこう」とは「赤い光」の事であると知ったのは東京に来て、新刻訓点浄土三部妙典という赤い表紙の本を買った時分であって、あたかも露伴の「日輪すでに赤し」の句を発見して嬉しく思ったころであった。それから繰って見ると明治三十八年は予の二十四歳のときである。大正二年九月二十四日よるしるす。
 
   「赤光」再版に際して
 
 〇多忙の身の上の故に「赤光」の歌も初版校正以来しみじみと繰読せずに経た。「赤光」の初版発行は大正二年十月である。いま初版が売切れて再版発行の運に到ったと聞くと、何となく嬉しい心が湧く。「赤光」の歌は私の敬愛する先輩諸氏からも遠国土に住むまだ知らない人々からも愛されて、そうして私は少し有名になった。
 〇おもうに短歌のような体の抒情詩を大っぴらにするということは、切腹面相を見せるようなものであるかも知れない。むかしの侍は切腹して臓腑も見せている。そうして西人はこのこころを besonderer Ehrgeiz などいう語の内容に関聯せしめてもの言っているが、「赤光」発行当時の私のこころは、少し色合が違っていた。大正元年九月の歌
(122)     銀銭光
  とりいだす紙つつみよりあらはるる銀貨のひかりかなしかりけれ
  電燈をひくくおろしてしろがねの銭かぞふればこほろぎが啼く
  さ夜ふけと夜はふけぬらし銀の銭かぞふればその音《ね》ひびきたるかな
  わがまなこ当面《まとも》に見たり畳をばころがり行きし銀銭のひかり
  しみじみと紙幣の面《めん》をながめたりわきて気味わるきものにはあらず
などがある。当時雑誌アララギの会計係であった私は、常にアララギの売行を気にしていた。その後アララギはだんだん発行を続けて倒れずにいる。私の微かな歌集「赤光」がアララギとどういう関係に立ちそれが如何に続いて来たかを念うときいろいろの追憶が湧いてくる。
 〇白面の友がきて、「赤光」は大正初年以後の短歌界に小さいながら一期を劃すように働掛けたと言放つ。私はその詞に対っていて苦笑もしない。ある夜、現歌壇の一部の Schematismus に対して「赤光」がいかに働掛けたかを思ったときいたく眉間を蹙めた。けれどもかかることは私の関するところではない。「赤光」は過去時における私の悲しい命の捨どころであった。
 〇歌つくりを現世出世の道とおもうな。そしてなお歌をつくっている。西国観世音の(123)札所を巡って来た故里の老いたる父は「茂吉は歌などつくるそうだな」と云った。それから田植が忙しいからと云って帰国した。いまは故里に梅の実黄に落ち、蚕は繭になり、その繭は絹糸になって、蔵王山の雪はだらに、それが消え、通草の実いよいよふくれて、大自然といえども刻々に変化してやむ時がない。「赤光」の再版に際して心に浮んだ断片を書きつけ置く。大正四年七月一日夜青山にて茂吉しるす。
 
   「赤光」三版に際して
 
 「赤光」が売切れて第三版を発行するということを東雲堂主人が通知して来た。私は嬉しいと思った。そこで久々で「赤光」の歌を読んでみた。いかにも不満な歌が多いので今更かなしんでいる。かつてはいいつもりで居ったのであって、それが今は駄目である。私は自分で少しずつ直したいと思ったけれども、その暇がない。それゆえに恥かしいけれども元の儘で第三版を発行し、私の歌を読まれたかたがたに感謝して居る。大正七年四月二十三日。長崎にて斎藤茂吉記。
 
(124)   改選「赤光」跋
 
 「赤光」の第五版が品切になってからもう一年ぐらいになるそうである。第三版を発行するとき、僕は長崎にいて「赤光」の歌の不満なのをところどころ象嵌して直そうとしたが、忙しいので果さなかった。大正九年十月のちょうど今ごろである。僕は「あらたま」の編輯を終えてからその原稿を東京へ送って、西浦上村|六杖板《ろくまいいた》というところに転地した。そこに五日間ばかりいるうち、夜のひまひまに油煙のたつランプのもとで、「赤光」の歌の余りひどいのを直し或は削った。それも長い間その儘になっていたが、ようやく大正十年九月すえになって、大いそぎで浄書し、順序を換えて旧い歌の方を先きにし、「あらたま」と体裁を揃えることにして、いよいよ改選「赤光」を発行することになった。「赤光」の歌は既にいろいろの書物に引用せられたけれども、今後「赤光」の歌を論ぜられる場合には、改選「赤光」の方に拠ってもらいたいと思う。しかし直した歌が皆気に入っているというのではない。不満の気持は依然としてあるけれども、そう濫りには直すことをしない。僕の外遊の日は既に迫った。僕は端的に改選「赤光」の前途を祝福する。大正十年十月十日。斎藤茂吉。東京青山にて。
(125) 〇大正十年十一月に「赤光」を改選して発行したが、大正十二年九月一日の大震災で紙型も何も焼けてしまった。それから、発行書肆東雲堂は大地震以後方針を替えたので、「赤光」の成行もそのままになっていた。
 〇しかるにこの度、春陽堂の小峰八郎氏の骨折により、それから東雲堂主人西村陽吉氏の承諾を得て、改選「赤光」を春陽堂から発行することになった。春陽堂発行のものには、先師の「左千夫全集」があり、長塚節のものがあり、僕のものも数種あるから、「赤光」もそこに纏めておくことは僕にもやはり気持がいい。
 〇このたびの改選「赤光」は大正十年版のものと内容が同じであるが、大正十年版の誤植を二、三改め、句を二つばかり変えた。それを念のためここに書くならば、
     誤          正
    炎口《ゑんく》    炎口《えんく》
    亡者《もうじや》   亡者《まうじや》
    恍《と》け溶《と》く 恍《ほけ溶《と》く
である。それから、『人間は馬牛《うまうし》となり』は、『人間は牛馬となり』であり、『弟は現身《うつしみ》(126)のうた歌ふ悲しく』をば、『弟は現身の歌悲しくうたふ』とした。それくらいに過ぎない。
 〇「赤光」の初版発行は大正二年で、もう一昔前である。初版発行当時にはいろいろ同情して頂いたので、「赤光」は僕を有名にした歌集である。それゆえ思出もなかなか深く、また同情して頂いた方々を忘却せざらむことを欲している。
 〇初版当時、表紙や挿絵のことで西村陽吉氏をいろいろ煩わしたことを想起する。このたびもやはり表紙や挿絵のことで小峰八郎氏を随分煩わした。実に果敢ない事にのみ骨折るようであるが、それは僕の性分であろうか。
 〇僕はおもいがけなく火事で不幸に陥ったけれども、みずからを謹んで、神明を怨むことをしない。そして一人心しずかに、この「赤光」の前途を祝福しようとおもう。大正十四年六月二十二日。東京青山にて斎藤茂吉しるす。
 〇なお、大正十年版の誤植中には、二〇頁第一首、『ゆらに咲きまく』は『ゆらに吹きまく』二七頁第二首『雲みそむ見ゆ』は『雲ひそむ見ゆ』の誤である。八四頁第二首『よるいねにけり』は『よるに寝ねたる』である。今度は誤植がないつもりであるから、これを以て「赤光」の定本としたい。校正には武藤善友君の助力をあおいだ。
 
(127)   新版「赤光」後記
 
 赤光は私の最初の歌集、即ち処女歌集で、戦なら初陣である。大正二年に東雲堂で初版を発行したとき、歌壇から評判せられ、私はこの歌集以来少しずつ有名になったことは、確か再版の後記にも書いたとおもう。
 その時は私もまだ若かったが、光陰は実に矢のごとく、私は今年六十八歳の翁になった。その間、好きなこととて作歌をやめず、幾分の進歩と変化とを示したが、いまだに歌壇では赤光のうわさが絶えない。
 これはこの老翁にとってありがたいことであり、おかげで青春の断片を追憶することも出来るのである。
 ただ絶版以来、赤光の残本が現在至って尠いために、古本の価が高くなり、迷惑をかけたのであったが、又、復刊を欲する書店も多いのであったが、『今更赤光でもあるまい』という私の気持が万事を抑制して、承諾することが出来ずにいたところ、私が山形県の疎開先から帰京した一昨年の暮以来、しきりに赤光復刊のことを私に話しかけたのは、千日書房主人中井克比古氏であった。 中井氏は専門書店であるがごとく、また無いがごとく、余り利潤にこだわらず、余情(128)という雑誌で「斎藤茂吉研究号」を出したりせられた人である。そうして「改選赤光」という大正十四年版の木下杢太郎氏画の口絵そっくりのものを作って示されるという人なので、限定版なら、特に中井氏にひどく迷惑をかけるようなこともあるまいと思ったりしているうちに、かくのごとき姿で復刊することになってしもうた。
 しかしながら、『今さら赤光でもあるまい』ということが私自身の心中を来往して居るのであるから、もしも私のことを云々せられるなら、私の近業について云々せられむことを希望しているのである。
 この私の心境を側に置いて、なお赤光の復刊を敢てしようとするのは、いささか別な訣の無いこともない。少し口はばたきことながら、赤光は初版の当時からある意味で歌壇に働きかけた歌集である。集中の「死にたまふ母」のごときは、その連作形態についてのみならず、その抒情表現の技法において多くの類歌を出したほどであった。然るに初版以来五年も経ぬうちに、『死にたまふ母だって左程ではないじゃないか』という人が出でたのを見るに及んで、世の歌集などに対する論讃の筆法のいかなるものだかということを思わぬわけにはまいらぬのである。赤光は既に『時』の批判を受けつつあるのである。然らば、なお、今時分になったところで復刊のうえ、一瞥してもらってもいいような気持もして居るのである。どうぞこの心境をも許していただきたい。
(129) 復刊については、中井克比古氏、藤森朋夫氏、北沢滋三氏の骨折を感謝する。昭和二十四年一月。斎藤茂吉。
 
初版 赤光
 
(133) 大正二年(七月迄)
 
   1 悲報来
 
 ひた走るわが道暗ししんしんと堪《こら》へかねたるわが道くらし
 ほのぼのとおのれ光りてながれたる蛍を殺すわが道くらし
 すべなきか蛍をころす手のひらに光つぶれてせんすべはなし
 氷室より氷をいだす幾人《いくにん》はわが走る時ものを云はざりしかも
 氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり
 死にせれば人は居ぬかなと歎かひて眠り薬をのみて寝んとす
 赤彦と赤彦が妻|吾《あ》に寝よと蚤とり粉《こな》を呉れにけらずや
(134) 罌粟《けし》はたの向うに湖《うみ》の光りたる信濃のくにに目ざめけるかも
 諏訪のうみに遠白く立つ流波《ながれなみ》つばらつばらに見んと思へや
 あかあかと朝焼けにけりひんがしの山並の空朝焼けにけり
七月三十日信濃上諏訪に滞在し、一湯浴びて寝ようと湯壺に浸つてゐた時、左千夫先生死んだといふ電報を受取つた。予は直ちに高木なる島木赤彦宅へ走る。夜は十二時を過ぎてゐた。
 
   2 屋上の石
 
 あしびきの山の峡《はざま》をゆくみづのをりをり白くたぎちけるかも
 しら玉の憂《うれい》のをんな恋ひたづね幾やま越えて来りけらしも
 鳳仙花城あとに散り散りたまる夕かたまけて忍び逢ひたれ
(135) 天そそるやまのまほらに夕よどむ光りのなかに抱きけるかも
 屋上の石は冷《つ》めたしみすずかる信濃のくにに我は来にけり
 屋根の上に尻尾動かす鳥来りしばらく居つつ去りにけるかも
 屋根踏みて居ればかなしもすぐ下の店に卵を数へゐる見ゆ
 屋根にゐて微《かそ》けき憂湧きにけり目《ま》したの街のなりはひの見ゆ (七月作)
 
   3 七月二十三日
 
 めん※[奚+隹]ら砂あび居たれひつそりと剃刀研人《かみそりとぎ》は過ぎ行きにけり
 夏休日《なつやすみ》われももらひて十日まり汗をながしてなまけてゐたり
 たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり
 十日なまけけふ来て見れば受持の狂人ひとり死に行きて居し
(136) 鳳仙花かたまりて散るひるさがりつくづくとわれ帰りけるかも (七月作)
 
   4 麦奴
 
 しみじみと汗ふきにけり監獄のあかき煉瓦にさみだれは降り
 雨空に煙上りて久しかりこれやこの日の午時ちかみかも
 飯《いい》かしぐ煙ならむと鉛筆の秀を研ぎて居て煙を見るも
 病監の窓の下びに紫陽花が咲き、折をり風は吹き行きにけり
 ひた赤し煉瓦の塀はひた赤し女刺しし男に物いひ居れば
 監房より今しがた来し囚人はわがまへにゐてやや笑《え》めるかも
 巻尺を囚人のあたまに当て居りて風吹き来しに外面《そとも》を見たり
 ほほけたる囚人の眼のやや光り女を云ふかも刺しし女を
(137) 相群れてべにがら色の囚人は往きにけるかも入り日赤《あか》けば
 まはりみち畑にのぼればくろぐろと麦奴《むぎのくろみ》は棄てられにけり 光もて囚人の瞳てらしたりこの囚人を観ざるべからず
 けふの日は何も答《いら》へず板の上に瞳を落すこの男はや
 紺いろの囚人の群《むれ》笠かむり草苅るゆゑに光るその鎌
 監獄に通ひ来しより幾日《いくひ》経し蜩《かなかな》啼きたり二つ啼き.たり
 よごれたる門札おきて急ぎたれ八尺《やさか》入りつ日ゆららに紅し
 黴毒のひそみ流るる血液を彼の男より採りて持ちたり (七月作)
    殺人未遂被告某の精神状態鑑定を命ぜられて某監獄に通ひ居たる時、折にふれて詠みすてたるものなり。
 
(138)   5 みなづき嵐
 
 どんよりと空は曇りて居りたれば二たび空を見ざりけるかも
 わが体にうつうつと汗にじみゐて今みな月の嵐ふきたれ
 わがいのち芝居に似ると云はれたり云ひたるをとこ肥りゐるかも
 みなづきの嵐のなかに顫ひつつ散るぬば玉の黒き花みゆ
 狂院の煉瓦の角を見ゐしかばみなづきの嵐ふきゆきにけり
 狂じや一人蚊帳よりいでてまぼしげに覆盆子食べたしといひにけらずや
 ながながと廊下を来つついそがしき心湧きたりわれの心に
 蚊帳のなかに蚊が二三疋ゐるらしき此寂しさを告げやらましを
 ひもじさに百日を経たりこの心よるの女人を見るよりも悲し
(139) 日を吸ひてくろぐろと咲くダアリヤはわが目のもとに散らざりしかも
 かなしさは日光のもとダアリヤの紅色《くれない》ふかくくろぐろと咲く
 うつうつと湿り重たくひさかたの天低くして動かざるかも
 たたなはる曇りの下を狂人はわらひて行けり吾を離れて
 ダアリヤは黒し笑ひて去りゆける狂人は終にかへり見ずけり (六月作)
 
   死にたまふ母 其の一
 
 ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なけれ
 白ふぢの垂花ちればしみじみと今はその実の見えそめしかも
 みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞいそぐなりけれ
 うち日さす都の夜に灯はともりあかかりければいそぐなりけり
(140) ははが目を一目を見んと急ぎたるわが額《ぬか》のへに汗いでにけり
 灯《ともし》あかき都をいでてゆく姿かりそめ旅とひと見るらんか
 たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや
 吾妻やまに雪かがやけばみちのくの我が母の国に汽車入りにけり
 朝さむみ桑の木の葉に霜ふれど母にちかづく汽車走るなり
 沼の上にかぎろふ青き光よりわれの愁《うれえ》の来むと云ふかや
 上の山の停車場に下り若くしていまは鰥夫のおとうと見たり
 
   其の二
 
 はるばると薬をもちて来しわれを目守りたまへりわれは子なれば
 寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば
 長押なる丹ぬりの槍に塵は見ゆ母の辺の我が朝目には見ゆ
(141) 山いづる太陽光を拝みたりをだまきの花咲きつづきたり
 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
 桑の香の青くただよふ朝明に堪へがたければ母呼びにけり
 死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな
 春なればひかり流れてうらがなし今は野《ぬ》のべに蟆子《ぶと》も生《あ》れしか
 死に近き母が額を撫りつつ涙ながれて居たりけるかな
 母が目をしまし離れ来て目守りたりあな悲しもよ蚕《かうこ》のねむり
 我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ
 のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にみて足乳ねの母は死にたまふなり
 いのちある人あつまりて我が母のいのち死行《しゆ》くを見たり死ゆくを
 ひとり来て蚕のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり
 
(142)   其の三
 
 楢わか葉照りひるがへるうつつなに山蚕は青く生れぬ山蚕は
 日のひかり斑《はだ》らに漏りてうら悲し山蚕は未だ小さかりけり
 葬り道すかんぼの華ほほけつつ葬り道ぺに散りにけらずや
 おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我ら行きつも
 わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし
 星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり
 さ夜ふかく母を葬りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
 はふり火を守りこよひは更けにけり今夜の天のいつくしきかも
 火を守りてさ夜ふけぬれば弟は現身のうた歌ふかなしく
 ひた心目守らんものかほの赤くのぼるけむりのその煙はや
(143) 灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり
 蕗の葉に丁寧に集めし骨くづもみな骨瓶《こつがめ》に入れ仕舞ひけり
 うらうらと天に雲雀は啼きのぼり雪斑らなる山に雲ゐず
 どくだみも薊の花も焼けゐたり人葬所の天明けぬれば
 
   其の四
 
 かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出《いず》る山べ行きゆくわれよ
 ほのかにも通草の花の散りぬれば山鳩のこゑ現なるかな
 山かげに雉子が啼きたり山かげの酸つぱき湯こそかなしかりけれ
 酸《さん》の湯に身はすつぽりと浸りゐて空にかがやく光を見たり
 ふるさとのわぎへの里にかへり来て白ふぢの花ひでて食ひけり
 山かげに消《け》のこる雪のかなしさに笹かき分けて急ぐなりけり
(144) 笹はらをただかき分けて行きゆけど母を尋ねんわれならなくに
 火の山の麓にいづる酸の温泉に一夜ひたりてかなしみにけり
 ほのかなる花の散りにし山のべを霞ながれて行きにけるはも
 はるけくも峡《はざま》のやまに燃ゆる火のくれなゐと我《あ》が母と悲しき
 山腹に燃ゆる火なれば赤赤とけむりはうごくかなしかれども
 たらの芽を摘みつつ行けり寂しさはわれよりほかのものとかはしる
 寂しさに堪へて分け入る我が目には黒ぐろと通草の花ちりにけり
 見はるかす山腹なだり咲きてゐる辛夷の花はほのかなるかも
 蔵王山に斑ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨《そは》ゆきにけり
 しみじみと雨降りゐたり山のべの土赤くしてあはれなるかも
 遠天を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき
(145) やま峡に日はとつぷりと暮れたれば今は湯の香の深かりしかも
 湯どころに二夜ねぶりて蓴菜を食へばさらさらに悲しみにけれ
 山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ (五月作)
 
   7 おひろ 其の一
 
 なげかへばものみな暗しひんがしに出づる星さへ赤からなくに
 とほくとほく行きたるならむ電燈を消せばぬば玉の夜《よる》もふけぬる
 夜くればさ夜床に寝しかなしかる面わも今は無しも小床も
 ふらふらとたどきも知らず浅草の丹ぬりの堂にわれは来にけり
 あな悲し観音堂に癩者ゐてただひたすらに銭欲りにけり
 浅草に来てうで卵買ひにけりひたさびしくてわが帰るなる
(146) はつはつに触れし子なればわが心今は斑らに嘆きたるなれ
 代々木野をひた走りたりさびしさに生きの命のこのさびしさに
 さびしさびしいま西方《さいほう》にくるくるとあかく入る日もこよなく寂し
 紙くづをさ庭に焚けばけむり立つ恋しきひとははるかなるかも
 ほろほろとのぼるけむりの天にのぼり消え果つるかに我も消ぬかに
 ひさかたの悲天のもとに泣きながらひと恋ひにけりいのちも細く
 放り投げし風呂敷包ひろひ持ち抱《いだ》きてゐたりさびしくてならぬ
 ひつたりと抱《だ》きて悲しもひとならぬ瘋癲学の書《ふみ》のかなしも
 うづ高く積みし書物に塵たまり見の悲しもよたどき知らねば
 つとめなればけふも電車に乗りにけり悲しきひとは遥かなるかも
 この朝け山椒の香のかよひ来てなげくこころに染みとほるなれ
 
(147)   其の二
 
 ほのぼのと目を細くして抱かれし子は去りしより幾夜か経たる
 うれひつつ去にし子ゆゑに藤のはな揺る光りさへ悲しきものを
 しら玉の憂のをんな我《あ》に来り流るるがごと今は去りにし
 かなしみの恋にひたりてゐたるとき白ふぢの花咲き垂りにけり
 夕やみに風たちぬればほのぼのと躑躅の花はちりにけるかも
 おもひ出は霜ふるたにに流れたるうす雲の如かなしきかなや
 あさぼらけひと目見しゆゑしばだたくくろきまつげをあはれみにけり
 わが生れし星を慕ひしくちびるの紅きをんなをあはれみにけり
 しんしんと雪ふりし夜にその指のあな冷たよと言ひて寄りしか
 狂院の煉瓦のうへに朝日子のあかきを見つつくち触りにけり
(148) たまきはる命ひかりて触りたれば否とは言ひて消ぬがにも寄る
 彼《か》のいのち死去《しい》ねと云はばなぐさまめ我の心は云ひがてぬかも
 すり下す山葵おろしゆ滲みいでて垂る青みづのかなしかりけり
 啼くこゑは悲しけれども夕鳥は木に眠るなりわれは寝なくに
 
   其の三
 
 愁へつつ去にし子のゆゑ遠山にもゆる火ほどの我《あ》がこころかな
 あはれなる女の瞼恋ひ撫でてその夜ほとほとわれは死にけり
 このこころ葬らんとして来りぬれ畑《はた》には麦は赤らみにけり
 夏されば農園に釆て心ぐし水すましをばつかまへにけり
 麦の穂に光ながれてたゆたへば向うに山羊は啼きそめにけれ
 藻のなかに潜むゐもりの赤き腹はつか見そめてうつつともなし
(149) この心葬り果てんと秀の光る錐を層にさしにけるかも
 わらぢ虫たたみの上に出で来しに姻草のけむりかけて我居り
 念々にをんなを思ふわれなれど今夜もおそく朱の墨するも
 この雨はさみだれならむ昨日よりわがさ庭べに降りてゐるかも
 つつましく一人し居れば狂院のあかき煉瓦に雨のふる見ゆ
 瑠璃いろにこもりて円き草の実はわが恋人のまなこなりけり
 ひんがしに星いづる時汝が見なばその眼ほのぼのとかなしくあれよ (五月六月作)
 
   8 きさらぎの日
 
 きやう院を早くまかりてひさびさに街を歩めばひかり目に染む
 平凡に涙をおとす耶蘇兵士あかき下衣《ちよつき》を着たりけるかも
(150) きさらぎの天のひかりに飛行船ニコライでらの上を走れり
 杵あまた並べばかなし一様につぼの白米に落ち居たりけり
 杵あまた馬のかうべの形せりつぼの白米に落ちにけるかも
 もろともに天を見上げし耶蘇士官あかき下衣《ちよつき》を着たりけるかも きさらぎの市路を来つつほのぼのと紅き下衣の悲しかるかも
 救世軍のをとこ兵士はくれなゐの下衣着たれば何とすべけむ
 まぼしげに空に見入りし女あり黄色《おうしよく》のふね天馳せゆけば
 二月ぞら黄いろき船が飛びたればしみじみとをんなに口触るかなや
 この身はも何か知らねどいとほしく夜おそくゐて爪きりにけり (二月作)
 
   9 口ぶえ
 
(151) このやうに何に顴骨《ほほぼね》たかきかや触《さや》りて見ればをんななれども
 この夜をわれと寝る子のいやしさのゆゑ知らねども何か悲しき
 目をあけてしぬのめごろと思ほえばのびのびと足をのばすなりけり
 ひんがしはあけぼのならむほそほそと口笛ふきて行く童子あり
 あかねさす朝明けゆゑにひなげしを積みし車に会ひたるならむ (五月作)
 
   10 神田の火事
 
 これやこの昨日の夜の火に赤かりし跡どころなれけむり立ち見ゆ
 天明けし焼跡どころ焼えかへる火中《ほなか》に音の聞えけるかも
 亡ぶるものは悲しけれども目の前にかかれとてしも赤き火にほろぶ
 たちのぼる灰燼のなかにくろ眼鏡白き眼鏡を売れりけるかも
(152) 和《のそ》あゆみ眼鏡よろしと言《こと》あげてみづからの眼に眼鏡かけたり (三月作)
 
   11 女学院門前
 
 売薬商人《くすりうり》しろき帽子をかかぶりて歌ひしかもよ薬のうたを
 売薬商人くすりを売ると足並をそろへて歌をうたひけるかも
 驢馬にのる少年の眼はかがやけり薬のうたは向うにきこゆ
 芝生には小松きよらに生ひたれば人間道《にんげんどう》の薬かなしも
 あかねさす昼なりしかば少女らのふりはへ袖はながかりしかも (三月作)
 
   12 呉竹の根岸の里
 
 にんげんの赤子を負へる子守居りこの子守はも笑はざりけり
(153) 日あたれば根岸の里の川べりの青蕗のたう揺《ゆ》りたつらむか
 くれたけの根岸里べの春浅み屋上の雪凝りてうごかず
 天のなか光りは出でて今はいま雪さんらんとかがやきにけり
 角兵衛のをさな童《わらべ》のをさなさに涙ながれて我は見んとす
 笛の音のとろりほろろと鳴りたれば紅色《こうしよく》の獅子あらはれにけり
 いとけなき額のうへにくれなゐの獅子の頭《あたま》を見そめしかもよ
 春のかぜ吹きたるならむ日のもとの光のなかに塵うごく見ゆ
 ながらふる日光のなか一いろに我のいのちのめぐるなりけり
 あかあかと日輪天にまはりしが猫やなぎこそひかりそめぬれ
 くれなゐの獅子のあたまは天なるや廻転光にぬれゐたりけり (一月作)
 
(154)   13 さんげの心
 
 雪のなかに日の落つる見ゆほのぼのと懺悔《さんげ》の心かなしかれども
 こよひはや学問したき心起りたりしかすがにわれは床にねむりぬ
 風引きて寝てゐたりけり窓の戸に雪ふる聞ゆさらさらといひて
 あわ雪は消なば消ぬがにふりたれば眼悲しく消ぬらくを見む
 腹ばひになりて朱の墨すりしころ七面鳥に泡雪はふりし
 ひる日中床の中より目をひらき何か見つめんと思ほえにけり
 雪のうへ照る日光のかなしみに我がつく息はながかりしかも
 赤電車にまなこ閉づれば遠国へ流れて去なむこころ湧きたり
 家ゆりてとどろと雪はなだれたり今夜は最早幾時ならむ
(155) しんしんと雪ふる最上の上の山弟は無常を感じたるなり
 ひさかたのひかりに濡れて縦しゑやし弟は無常を感じたるなり
 電燈の球にたまりしほこり見ゆすなはち雪はなだれ果てたり
 天錐らし雪ふりてなんぢが妻は細りつつ息をつかんとすらし
 あまつ日に屋上の雪かがやけりしづごころ無きいまのたまゆら
 しろがねのかがよふ雪に見入りつつ何を求めむとする心ぞも
 いまわれはひとり言いひたれどもあはれ哀れかかはりはなし
 家にゐて心せはしく街ゆけば街には女おほくゆくなり (一月作)
 
   14 墓前
 
 ひつそりと心なやみて水かける松葉ぼたんはきのふ植ゑにし
(156) しらじらと水のなかよりふふみたる水ぐさの花小さかりけり (八月作)
 
(157) 明治四十五年
 大正元年
 
   1 雪ふる日
 
 かりそめに病みつつ居ればうらがなし墓はらとほく雪つもる見ゆ
 現身のわが血脈《けちみやく》のやや細り墓地にしんしんと雪つもる見ゆ
 あま霧《きら》し雪ふる見れば飯《いい》をくふ囚人のこころわれに湧きたり
 わが庭に鶩《あひる》啼きてゐたれども雪こそつもれ庭もほどろに
 ひさかたの天の白雪ふりきたり幾とき経ねばつもりけるかも
 枇杷の木の木ぬれに雪のふりつもる心|愛燐《あわれ》みしまらくも見し
(158) さにはべの百日紅のほそり木に雪のうれひのしらじらと降る
 天つ雪はだらに降れどさにづらふ心にあらぬ心にはあらぬ (十二月作)
 
   2 宮益坂
 
 荘厳《しようごん》のをんな欲して走りたるわれのまなこに高山の見ゆ
 風を引き鼻汁《はな》ながれたる一人男《ひとりお》は駈足をせず富士の山見けり
 これやこの行くもかへるも面《おも》黄なる電車終点の朝ぼらけかも
 狂者もり眼鏡をかけて朝ぼらけ狂院へゆかず富士の山見居り
 馬に乗りりくぐん将校きたるなり女難の相か然《しか》にあらずか
 向ひには女は居たり青き甕もち童子になにかいひつけしかも
 天竺のほとけの世より女人《おんな》居りこの朝ぼらけをんな行くなり
(159) 雪ひかる三国一の富士山をくちびる紅き女も見たり (十二月作)
 
   3 折に触れて
 
 くろぐろと円らに熱るる豆柿に小鳥はゆきぬつゆじもはふり
 蔵王山に雪かもふるといひしときはや班《はだら》なりといらへけらずや
 狂者らは Paederastie をなせりけり夜しんしんと更けがたきかも
 ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕殺ししその日おもほゆ
 をりをりは脳解剖書読むことありゆゑ知らに心つつましくなり
 水のうへにしらじらと雪ふりきたり降りきたりつつ消えにけるかも
 身ぬちに重大を感ぜざれども宿直のよるにうなじ垂れゐし
 この里に大山大将住むゆゑにわれの心の嬉しかりけり (十二月作)
 
(160)   4 青山の鉄砲山
 
 赤き旗けふはのぼらずどんたくの鉄砲山に小供らが見ゆ
 日だまりの中に同様のうなゐらは皆走りつつ居たりけるかも
 銃丸を土より掘りてよろこべるわらぺの側を行き過《よ》ぎりけり
 青竹を手に振りながら童子来て何か落ちゐぬ面もちをせり
 ゆふ日とほく金にひかれば群童は眼《め》つむりて斜面をころがりにけり
 群童が皆ころがれば丘のへの童女かなしく笑ひけるかも
 いちにんの童子ころがり極まりて空見たるかな太陽が紅し
 射的場に細みづ湧きて流れければ童《わらべ》ふたりが水のべに来し (十月作)
 
(161)   5 ひとりの道
 
 霜ふればほろほろと胡麻の黒き実の地《つち》につくなし今わかれなむ
 夕凝りし露霜ふみて火を恋ひむ一人のゆゑにこころ安けし
 ながらふるさ霧のなかに秋花を我摘まんとす人に知らゆな
 白雲は湧きたつらむか我ひとり行かむと思ふ山のはざまに
 神無月空の果てよりきたるとき眼《め》ひらく花はあはれなるかも
 独りなれば心安けし谿ゆきてくちびる触れむ木の実ありけり
 ひかりつつ天を流るる星あれど悲しきかもよわれに向はず
 行くかたのうら枯るる野に鳥落ちて啼かざりしかも入日赤きに
 いのち死にてかくろひ果つるけだものを悲しみにつつ峡《かい》に入りけり
(162) みなし児に似たるこころは立ちのぼる白雲に入りて帰らんとせず
 もみぢ斑に照りとほりたる日の光りはざまにわれを動かざらしむ
 わが歩みここに極まれ雲くだるもみぢ斑のなかに水のみにけり
 はるばるも山峡に来て白樺に触《さや》りて居たり独りなりけれ
 ひさかたの天のつゆじもしとしとと独り歩まむ道はそりたり (十一月作)
 
   6 葬り火 黄涙余録の一
 
 あらはなる棺《ひつぎ》はひとつかつがれて穏田ばしを今わたりたり
 自殺せし狂者の棺《かん》のうしろより眩曇《めまい》して行けり道に入日あかく
 陸橋にさしかかるとき兵来れば棺《ひつぎ》はしまし地《つち》に置かれぬ 泣きながすわれの涙の黄なりとも人に知らゆな悲しきなれば
(163) 鴉らは我はねむりて居たるらむ狂人の自殺果てにけるはや
 死なねばならぬ命まもりて看護婦はしろき火かかぐ狂院のよるに
 自らのいのち死なんと直《ひた》いそぐ狂人を守りて火も恋ひねども
 土のうへに赤楝蛇《やまかがし》遊ばずなりにけり入る日あかあかと草はらに見ゆ
 歩兵隊代々木のはらに群れゐしが狂人のひつぎひとつ行くなり
 赤光のなかに浮びて棺《かん》ひとつ行き遥けかり野は涯《はて》ならん
 わが足より汗いでてやや痛みあり靴にたまりし土ほこりかも
 火葬場に細みづ白くにごり来も向うにひとが米を磨ぎたれば
 死はも死はも悲しきものならざらむ目のもとに木の実落つたはやすきかも
 両手をばズボンの隠しに入れ居たりおのが身を愛《は》しと思はねどさびし
 葬り火は赤々と立ち燃ゆらんか我がかたはらに男居りけり
(164) うそ寒きゆふべなるかも葬り火を守《まも》るをとこが欠伸をしたり
 骨瓶のひとつを持ちて価《ね》を問へりわが口は乾くゆふさり来り
 納骨の箱は杉の箱にして骨《こつ》がめは黒くならびたりけり
 上野なる動物園にかささぎは肉食ひゐたりくれなゐの肉を
 おのが身しいとほしきかなゆふぐれて眼鏡のほこり拭ふなりけり
 
   7 冬来 黄涙余録の二
 
 自殺せる狂者をあかき火に葬りにんげんの世に戦《おのの》きにけり
 けだものは食《たべ》もの恋ひて啼き居たり何といふやさしさぞこれは
 ペリカンの嘴《くちはし》うすら赤くしてねむりけりかたはらの水光《みずひかり》かも
 ひたいそぎ動物園にわれは来たり人のいのちをおそれて来たり
(165) わが目より涙ながれて居たりけり鶴のあたまは悲しきものを
 けだもののにほひをかげば悲しくもいのちは明《あか》く息づきにけり
 支那国《しなこく》のほそき少女の行きなづみ思ひそめにしわれならなくに
 さけび啼くけだものの辺《べ》に潜みゐて赤き葬りの火こそ思へれ
 鰐の子も居たりけりみづからの命死なんとせずこの鰐の子は
 くれなゐの鶴のあたまを見るゆゑに狂人守をかなしみにけり
 はしきやし暁星学校の少年の頬《ほほ》は赤羅ひきて冬さりにけり
 泥いろの山椒魚は生きんとし見つつしをればしづかなるかも
 除隊兵写真をもちて電車に乗りひんがしの天《あめ》明けて寒しも
 はるかなる南のみづに生れたる鳥ここにゐてなに欲《ほ》しみ啼く
 
(166)   柿乃村人へ 黄涙余録の三
 
 この夜ごろ眠られなくに心すら細らんとして告げやらましを
 たのまれし狂者はつひに自殺せりわれ現《うつつ》なく走りけるかも
 友のかほ青ざめてわれにもの云はず今は如何なる世の相《すがた》かや
 おのが身はいとほしければ赤楝蛇も潜みたるなり土の中ふかく
 世の色相《いろ》のかたはらにゐて狂者もり黄なる涙は湧きいでにけり
 やはらかに弱きいのちもくろぐろと甲《よろ》はんとしてうつつともなし
 寒ぞらに星ゐたりけりうらがなしわが狂院をここに立ち見つ
 かの岡に瘋癲院のたちたるは邪宗来《じやしゆうらい》より悲しかるらむ
 みやこにも冬さりにけり茜さす日向《ひなた》のなかに髭剃りて居《い》る
(167) 遠国へ行かば剃刀のひかりさへ馴れて親しといへば歎かゆ (十一月作)
 
   9 郊外の半日
 
 今しがた赤くなりて女中を叱りしが郊外に来て寒けをおぼゆ
 郊外はちらりほらりと人行きてわが息づきは和《なご》むとすらん
 郊外に未だ落ちゐぬこころもて※[虫+奚]※[虫+斥]《ばつた》にぎれば冷たきものを
 秋のかぜ吹きてゐたれば遠《おち》かたの薄のなかに曼珠沙華赤し
 ふた本の松立てりけり下かげに曼珠沙華赤し秋かぜが吹き
 いちめんの唐辛子畑に秋のかぜ天《あめ》より吹きて鴉おりたつ
 いちめんに唐辛子あかき畑みちに立てる童《わらべ》のまなこ小さし
 曼珠沙華咲けるところゆ相むれて現身に似ぬ囚人は出づ
(168) 草の実はこぼれんとして居たりけりわが足元の日の光かも
 赭土《はに》はこぶ囚人の眼《め》の光るころ茜さす日は傾きにけり
 トロツコを押す一人《いちにん》の囚人はくちびる赤し我《われ》をば見たり
 片方に松二もとは立てりしが囚はれ人《びと》は其処を通りぬ
 秋づきて小さく結《な》りし茄子の果を籠《こ》に盛る家の日向に蠅居り
 女のわらは入日のなかに両手《もろて》もて籠《こ》に盛る茄子のか黒きひかり
 天伝《あまつた》ふ日は傾きてかくろへば栗煮る家にわれいそぐなり
 いとまなきわれ郊外にゆふぐれて栗飯|食《お》せば悲しこよなし
 コスモスの闇にゆらげばわが少女天の戸に残る光を見つつ (十月作)
 
   10 海辺にて
 
(169) 真夏の日てりかがよへり渚にはくれなゐの玉ぬれてゐるかな
 海の香は山の彼方に生れたるわれのこころにこよなしかしも
 七夜寝て珠ゐる海の香をかげば哀れなるかもこの香いとほし
 白なみの寄するなぎさに林檎食む異国をみなはやや老いにけり
 あぶらなす真夏のうみに落つる日の八尺の紅《あけ》のゆらゆらに見ゆ
 きこゆるは悲しきさざれうち浸す潮波《うしおなみ》とどろ湧きたるならむ
 うしほ波鳴りこそきたれ海恋ひてここに寝《ぬ》る吾に鳴りてこそ来《く》れ
 もも鳥はいまだは啼かね海《わた》のなか黒光りして明けくるらむか
 岩かげに海ぐさふみて玉ひろふくれなゐの玉むらさき斑《ふ》のたま
 海の香はこよなく悲し珠ひろふわれのこころに染みてこそ寄れ
 桜実《さくらご》の落ちてありやと見るまでに赤き珠住む岩かげを来し
(170) ながれ寄る沖つ藻見ればみちのくの春野小草に似てを悲しも
 荒磯べに歎くともなき蟹の子の常《とこ》くれなゐに見ゆらむあはれ
 かすかなる命をもちて海つもの美しくゐる荒磯なるかな
 いささかの潮のたまりに赤きもの生きて居たれば嬉しむかな
 荒磯べに波見てをればわが血なし瞬きの間《ひま》もかなしかりけり
 海のべに紅毛《こうもう》の子の走りたるこのやさしさに我かへるなり
 かぎろひの夕なぎ海に小舟入れ西方《さいほう》のひとはゆきにけるはも
 くれなゐの三角の帆がゆふ海に遠ざかりゆくゆらぎ見えずも
 月ほそく入りなんとする海の上ここよ遥けく舟なかりけり
 ぬば玉のさ夜ふけにして波の穂の青く光れば恋しきものを
 けふもまた岩かげに来つ靡き藻に虎斑魚の子かくろへる見ゆ
(171) しほ鳴のゆくへ悲しと海のべに幾夜か寝つるこの海のべに
 
   11 狂人守
 
 うけもちの狂人も幾たりか死にゆきて折をりあはれを感ずるかな
 かすかなるあはれなる相《すがた》ありこれの相に親しみにけり
 くれなゐの百日紅は咲きぬれど此きやうじんはもの云はずけり
 としわかき狂人守りのかなしみは通草の花の散らふかなしみ
 気のふれし支那のをみなに寄り添ひて花は紅しと云ひにけるかな
 このゆふぺ脳病院の二階より墓地見れば花も見えにけるかな
 ゆふされば青くたまりし墓みづに食血餓鬼《じきけつがき》は鳴きかゐるらむ
 あはれなる百日紅の下かげに人力車《じんりき》ひとつ見えにけるかな (九月作)
 
(172)   12 土屋文明へ
 
 おのが身をあはれとおもひ山みづに涙を落す人居たりけり
 ものみなの 饉ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑ聞ゆ
 もの書かむと考へゐたれ耳ちかく蜩なけばあはれにきこゆ
 夕さればむらがりて来る油むし汗あえにつつ殺すなりけり
 かかる時 奄羅の果をも恋ひたらば心落居むとおもふ悲しみ
 むらさきの桔梗のつぼみ割りたれば蕊あらはれてにくからなくに
 秋ぐさの花さきにけり幾朝をみづ遣りしかとおもほゆるかも
 ひむがしのみやこの市路ひとつのみ朝草ぐるま行けるさびしも (七月作)
 
(173)   13 夏の夜空
 
 墓原に来て夜空見つ目のきはみ澄み透りたるこの夜空かな
 なやましき真夏なれども天《あめ》なれば夜空は悲しうつくしく見ゆ
 きやう人を守りつつ住めば星のゐる夜ぞらも久に見ずて経にけり
 目をあげてきよき天《あま》の原見しかども遠の珍《めずら》のここちこそすれ
 ひさびさに夜空を見ればあはれなるかな星群れてかがやきにけり
 空見ればあまた星居りしかれども弥々とほくひかりつつ見ゆ
 汗ながれてちまたの長路《ながじ》ゆくゆゑにかうべ垂れつつ行けるなりけり
 久ひさに星ぞらを見て居りしかばおのれ親しくなりてくるかも (七月作)
 
(174)   14 折々の歌
 
 とろとろとあかき落葉火もえしかば女《め》の男《お》の童をどりけるかも
 雨ひと夜さむき朝けを日の下の死なねばならぬ鳥見て立てり
 をんな寝《ぬ》る街の悲しきひそみ土ここに白霜は消えそめにけり
 猫の舌のうすらに紅き手の触《ふ》りのこの悲しさに目ざめけるかも
 ほのかなる茗荷の花を見守《みも》る時わが思ふ子ははるかなるかも
 をさな児の遊びにも似し我がけふも夕かたまけてひもじかりけり (研究室二首)
 屈まりて脳の切片を染めながら通草のはなをおもふなりけり
 みちのくの我家《わぎえ》の里に黒き蚕が二たびねぶり目ざめけらしも (故郷三首)
 みちのくに病む母上にいささかの胡瓜を送る障りあらすな
(175) おきなぐさに唇ふれて帰りしがあはれあはれいま思ひ出でつも
 曼珠沙華ここにも咲きてきぞの夜のひと夜の相《すがた》あらはれにけり
 秋に入る練兵場のみづたまりに小蜻蛉《こあきつ》が卵を生みて居りけり
 現身のわれをめぐりてつるみたる赤き蜻蛉が幾つも飛べり
 酒の糟あぶりて室《むろ》に食《は》むこころ腎虚のくすり尋ねゆくこころ
 けふもまた向ひの岡に人あまた群れゐて人を葬りたるかな
 何ぞもとのぞき見しかば弟妹《いろと》らは亀に酒をば飲ませてゐたり
 太陽はかくろひしより海のうへ天の血垂りのこころよろしき
 狂院に寝てをれば夜は温るし我《あ》に触るるなし蟾蜍《ひき》は啼きたり
 伽羅ぼくに伽羅の果こもりくろき猫ほそりてあゆむ夏のいぶきに
 蛇の子はぬば玉いろに生《あ》れたれば石の間《ひま》にもかくろひぬらむ
(176) ほそき雨墓原に降りぬれてゆく黒土に烟草の吸殻を投ぐ
 墓はらを白足袋はきて行けるひと遠く小さく悲しかりけり
 萱草をかなしと見つる眼にいまは雨にぬれて行く兵隊が見ゆ
 墓はらを歩み来にけり蛇の子を見むと来つれど春あさみかな
 病院をいでて墓原かげの土踏めば何になごみ来しあが心ぞも
 松風の吹き居るところくれなゐの提灯つけて分け入りにけり
 
   15 さみだれ
 
 さみだれは何に降りくる梅の実は熟《う》みて落つらむこのさみだれに
 にはとりの卵の黄味の乱れゆくさみだれごろのあぢきなきかな
 胡頽子《ぐみ》の果のあかき色ほに出づるゆゑ秀《ほ》に出づるゆゑに歎かひにけり (【おくにを憶ふ】)
(177) ぬば玉のさ夜の小床にねむりたるこの現身はいとほしきかな
 しづかなる女おもひてねむりたるこの現身はいとほしきかな
 鳥の子の※[卵+段]《すもり》に果てむこの心もののあはれと云はまくは憂し
 あが友の古泉千樫は貧しけれさみだれの中をあゆみゐたりき
 けふもまた雨かとひとりごちながら三州味噌をあぶりて食むも (六月作)
 
   16 両国
 
 肉太《ししぶと》の相撲とりこそかなしけれ赤き入り日に目《ま》かげをしたり
 川向の金の入日をいまさらに今さらさらに我も見入りつ
 猿の肉ひさげる家に灯《ひ》がつきてわが寂しさは極まりにけり
 猿の面いと赤くして殺されにけり両国ばしを渡り来て見つ
(178) きな臭き火縄おもほゆ薬種屋に亀の甲羅のぶらさがり見ゆ
 笛鳴ればかかれとてしもぬば玉の夜《よ》の灯《ひ》ともりて舟ゆきにけり 冬河の波にさやりてのぼる舟橋のべに来て帆を下ろしつつ
 あかき面安らかに垂れ稚《おさ》な猿死にてし居れば灯があたりたり (一月作)
 
   17 犬の長鳴
 
 よる深くふと握飯食ひたくなり握めし食ひぬ寒がりにつつ
 わが体ねむらむとしてゐたるとき外はこがらしの行くおときこゆ
 遠く遠く流るるならむ灯をゆりて冬の疾風《はやち》は行きにけるかも
 長鳴くはかの犬族《けんぞく》のなが鳴くは遠街《おんがい》にして火は燃えにけり
 さ夜ふけと夜の更けにける暗黒にびようびようと犬は鳴くにあらずや
(179) たちのぼる炎のにほひ一天《ひとあめ》を離《さか》りて犬は感じけるはや
 夜《よ》の底をからくれなゐに燃ゆる火の天《あめ》に輝《て》りたれ長鳴きこゆ
 生けるものうつつに生ける獣《けだもの》はくれなゐの火に長鳴きにけり (二月作)
 
   18 木こり 羽前国高湯村
 
 常《とこ》赤く火をし焚かんと現し身は木原へのぼるこころのひかり
 山腹の木はらのなかへ堅凝りのかがよふ雪を踏みのぼるなり
 天のもと光にむかふ楢木はら伐《こ》らんとぞする男とをんな
 をとこ群れをんなは群れてひさかたの天《てん》の下びに木を伐《き》りにけり
 さんらんと光のなかに木伐《きこ》りつつにんげんの歌うたひけるかも
 ゆらゆらと空気を揺りて伐《き》られたりけり斧のひかれば大木ひともと
(180) 山上に雲こそ居たれ斧ふりてやまがつの目はかがやきにけり
 うつそみの人のもろもろは生きんとし天然のなかに斧ふり行くも
 斧ふりて木を伐《こ》るそばに小夜床の陰《ほと》のかなしさ歌ひてゐたり もろともに男の面《おも》の赤赤と小雀《こがら》もゐつつ山みづの鳴る
 雪のうへ行けるをんなは堅飯と赤子を背負ひうたひて行けり
 雪のべに火がとろとろと燃えぬれば赤子は乳をのみそめにけり
 うち日さす都をいでてほそりたる我のこころを見んとおもへや
 杉の樹の肌《はだえ》に寄ればあな悲し くれなゐの油滲み出《いず》るかなや
 はるばるも来つれこころは杉の樹の紅《あけ》の油に寄りてなげかふ
 遠天に雪かがやけば木原なる大鋸《おか》くづ越えて小便をせり
 みちのくの蔵王の山のやま腹にけだものと人と生きにけるかも (二月作)
 
(181)   19 木の実
 
 しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな
 赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり
 満ち足らふ心にあらぬ 谷つべに酢をふける木の実を食《は》むこころかな
 山とほく入りても見なむうら悲しうら悲しとぞ人いふらむか
 紅蕈の雨にぬれゆくあはれさを人に知らえず見つつ来にけり
 山ふかく谿の石原しらじらと見え来るほどのいとほしみかな
 かうべ垂れ我《あ》がゆく道にぽたりぽたり橡の木の実は落ちにけらずや
 ひとり居て朝の飯《いい》食む我《あ》が命は短かからむと思《も》ひて飯はむ (一月作)
 
(182)   20 陸岡山中
 
 寒ざむとゆふぐれて来る山のみち歩めば路は湿れてゐるかな
 山ふかき落葉のなかに夕《ゆう》のみづ天《てん》より降りてひかり居りけり
 何ものの眼《まなこ》のごときひかりみづ山の木はらに動かざるかも
 現し身の瞳かなしく見入りぬる水はするどく寒くひかれり
 都会のどよみをとほくこの水に口触れまくは悲しかるらむ
 天さかる鄙《ひな》の山路にけだものの足跡を見ればこころよろしき
 なげきより覚めて歩める山峡に黒き木の実はこぼれ腐りぬ
 寂しさに堪へて空しき我《あ》が肌に何か触れて来《こ》悲しかるもの
 ふゆ山にひそみて玉のあかき実を啄《ついば》みてゐる鳥見つ今は
(183) 風おこる木原をとほく入りつ日の赤き光りはふるひ流るも
 赤光のなかの歩みはひそか夜の細きかほそきゆめごころかな (一月作)
 
   21 或る夜
 
 くれなゐの鉛筆きりてたまゆらは慎しきかなわれのこころの
 をさな妻をとめとなりて幾百日《いくももか》こよひも最早眠りゐるらむ
 寝ねがてにわれ烟草すふ烟草すふ少女は最早眠りゐるらむ
 いま吾は鉛筆をきるその少女安心をして眠りゐるらむ
 わが友は蜜柑むきつつ染《しみ》じみとはや抱《いだ》きねといひにけらずや
 けだものの暖かさうな寝《いね》すがた思ひうかべて独りねにけり
 寒床《さむとこ》にまろく縮まりうつらうつら何時のまにかも眠りゐるかな
(184) 水のべの花の小花の散りどころ盲目《めしい》になりて抱《いだ》かれて呉れよ (一月作)
 
(185) 明治四十四年
 
   1 此の日頃
 
 よるさむく火を警むるひようしぎの聞え来る頃はひもじかりけり
 この宵はいまだ浅けれ床ぬちにのびつつ何か考へむとおもふ
 尺八のほろはろと行く悲し音《ね》はこの世の涯《はて》に遠ざかりなむ
 入りつ日の赤き光のみなぎらふ花野はとほく恍《ほ》け溶《と》くるなり
 さだめなきものの魘《おそい》の来る如く胸ゆらぎして街をいそげり
 うらがなしいかなる色の光はや我のゆくへにかがよふらむか
 生くるもの我のみならず現し身の死にゆくを聞きつつ飯《いい》食《お》しにけり
(186) をさな児のひとり遊ぶを見守《みも》りつつ心よろしくなりてくるかも (一月作)
 
   2 おくに
 
 なにか言ひたかりつらむその言《こと》も言へなくなりて汝《なれ》は死にしか
 はや死にてゆきしか汝《いまし》いとほしと命のうちに吾《あ》はいひしかな
 とほ世べに往なむ今際《いまわ》の目にあはず涙ながらに嬉しむものを
 なにゆゑに泣くと額《ぬか》なで虚言《いつわり》も死に近き子に吾《あ》は言へりしか
 これの世に好きななんぢに死にゆかれ生きの命の力なし我《あれ》は
 あのやうにかい細りつつ死にし汝《な》があはれになりて居りがてぬかも
 ひとたぴは癒《なお》りて呉れよとうら泣きて千重にいひたる空しかるかな この世にも生きたかりしか一念も申さず逝きしよあはれなるかも
(187) 何も彼もあはれになりて思ひづるお国のひと世はみじかかりしか
 にんげんの現実《うつつ》は悲ししまらくも漂ふごときねむりにゆかむ
 やすらかな眠《ねむり》もがもと此の日ごろ眠ぐすりに親しみにけり
 なげかひも人に知らえず極まれば何に縋りて吾は行きなむか
 しみ到るゆふべのいろに赤くゐる火鉢のおきのなつかしきかも
 現身のわれなるかなと歎かひて火鉢をちかく身に寄せにけり
 ちから無く鉛筆きればほろほろと紅《くれない》の粉が落ちてたまるも
 灰のへにくれなゐの粉の落ちゆくを涙ながしていとほしむかも
 生きてゐる汝《なれ》がすがたのありありと何に今頃見えきたるかや (一月作)
 
(188)   3 うつし身
 
 雨にぬるる広葉細葉のわか葉森あが言ふ声のやさしくきこゆ
 いとまなき吾なればいま時の間の青葉の揺《ゆれ》も見むとしおもふ
 しみじみとおのに親しきわがあゆみ墓はらの蔭に道ほそるかな
 やはらかに濡れゆく森のゆきずりに生《いき》の疲《つかれ》の吾をこそ思へ
 よにも弱き吾なれば忍ばざるべからず雨ふるよ若葉かへるで
 にんげんは死にぬ此《かく》のごと吾《あ》は生きて夕《ゆう》いひ食しに帰へらなむいま
 黒土に足駄の跡の弱けれどおのが力とかへり見にけり
 うちどよむ衢のあひの森かげに残るみづ田をいとしくおもふ
 青山の町蔭の田の水《み》さび田にしみじみとして雨ふりにけり
(189) 森かげの夕ぐるる田に白きとり海とりに似しひるがへり飛ぶ
 寂し田に遠来《ろおこ》し白鳥《しらとり》見しゆゑに弱ければ吾《あ》はうれしくて泣かゆ
 くわん草は丈ややのびて湿《しめ》りある土に戦《そよ》げりこのいのちはや
 はるの日のながらふ光に青き色ふるへる麦の嫉《ねた》くてならぬ
 春浅き麦のはたけにうごく虫|手《た》ぐさにはすれ悲しみわくも
 うごき行く虫を殺してうそ寒く麦のはたけを横ぎりにけり
 いとけなき心|葬《はふ》りのかなしさに蒲公英を掘るせとの岡べに
 仄かにも吾に親しき予言《かねごと》をいはまくすらしき黄いろ玉はな (四月五月作)
 
   4 うめの雨
 
 おのが身をいとほしみつつ帰り来る夕細道《ゆうほそみち》に柿の花落つも
(190) はかなき身も死にがてぬこの心君し知れらば共に行きなむ
 さみだれのけならべ降れば梅の実の円《つぶら》大きくここよりも見ゆ
 天《あめ》に戦ぐほそ葉わか葉に群ぎもの心寄りつつなげかひにけり
 かぎろひのゆふさりくれど草のみづかくれ水なれば夕光《ゆうひかり》なしや
 ゆふ原の草かげ水にいのちいくる蛙はあはれ啼きたるかなや
 うつそみの命は愛《お》しとなげき立つ雨の夕原に音するものあり
 くろく散る通草の花のかなしさを稚《おさな》くてこそおもひそめしか
 おもひ出も遠き通草の悲し花きみに知らえず散りか過ぎなむ
 道のべの細川もいま濁りみづいきほひながる夜《よる》の雨ふり
 汝兄《なえ》よ汝兄たまごが鳴くといふゆゑに見に行きければ卵が鳴くも
 あぶなくも覚束なけれ黄いろなる円きうぶ毛が歩みてゐたり
(191) 見てを居り心よろしも鶏の子はついばみ乍らゐねむりにけり
 庭つとり鶏《かけ》のひよこも心がなし生れて鳴けば母にし似るも
 乳のまぬ庭とりの子は自《おの》づから哀れなるかもよもの食みにけり
 常のごと心足らはぬ吾にあれひもじくなりて今かへるなり
 たまたまに手など触れつつ添ひ歩む枳殻《からたち》垣にほこりたまれり
 ものがくれひそかに煙草すふ時の心よろしさのうらがなしかり
 青葉空雨になりたれ吾はいまこころ細ほそと別れゆくかも
 天さかり行くらむ友に口寄せてひそかに何かいひたきものを (五月六月作)
 
   5 蔵王山
 
 蔵王をのぼりてゆけばみんなみの吾妻の山に雲のゐる見ゆ
(192) たち上る白雲のなかにあはれなる山鳩啼けり白くものなかに
 ま夏日の日のかがやきに桜の実熟みて果しもわれは食みたり
 あまつ日に目蔭《まかげ》をすれば乳いろの湛かなしきみづうみの見ゆ
 死にしづむ火山のうへにわが母の乳汁《ちしる》の色のみづ見ゆるかな
 秋づけばはらみてあゆむけだものも酸《さん》のみづなれば舌触りかねつ
 赤|蜻蛉《あきつ》むらがり飛べどこのみづに卵うまねばかなしかりけり
 ひんがしの遠空《とおぞら》にして絹いとのひかりは悲し海つ波なれば (八月作)
 
   6 秋の夜ごろ
 
 玉きはる命をさなく女童《めわらわ》をいだき遊びき夜半《よわ》のこほろぎ
 こよひも生きてねむるとうつらうつら悲しき虫を聞きほくるなり
(193) ことわりもなき物怨み我身にもあるが愛《いと》しく虫ききにけり
 少年の流されびとのいとほしと思ひにければこほろぎが鳴く
 秋なればこはろぎの子の生れ鳴く冷たき土をかなしみにけり
 少年の流され人はさ夜の小床に虫なくよ何の虫よといひけむ
 かすかなるうれひにゆるるわが心蟋蟀聞くに堪へにけるかな
 蟋蟀の音にいづる夜の静けさにしろがねの銭かぞへてゐたり
 紅き日の落つる野末の石の間のかそけき虫にあひにけるかも
 足もとの石のひまより静けさに顫ひて出づる音に頼《よ》りにけり
 入りつ日の入りかくろへば露満つる秋野の末にこほろぎ鳴くも
 うちどよむちまたを過ぎてしら露のゆふ凝る原にわれは来にけり
 星おほき花原くれば露は凝りみぎりひだりにこほろぎ鳴くも
(194) こほろぎのかそけき原も家ちかみ今ほほ笑ふ女《め》の童《わらわ》きこゆ
 はるばると星落つる夜の恋がたり悲しみの世にわれ入りにけり
 濠のみづ干《ひ》ゆけばここに細き水流れ会ふかな夕ひかりつつ
 女《め》の童をとめとなりて泣きし時かなしく吾はおもひたりしか
 さにづらふ少女ごころに酸漿の籠《こも》らふほどの悲しみを見し
 ひとり歩む玉ひや冷とうら悲し月より降りし草の上の露
 こほろぎはこほろぎゆゑに露原に音をのみぞ鳴く音をのみぞ鳴く (九月作)
 
   7 折に触れて
 
 なみだ落ちて懐しむかもこの室《へや》にいにしへ人は死に給ひにし (子規十周忌三首)
 自《みず》からをさげすみ果てし心すら此夜はあはれ和みてを居ぬ
(195) しづかに眼《め》をつむり給ひけむ自《おの》づからすべては冷たくなり給ひけむ
 涙ながししひそか事も、消ゆるかや、吾より 秋なれば桔梗は咲きぬ (録三首)
 きちかうのむらさきの花萎む時わが身は愛《は》しとおもふかなしみ
 さげすみ果てしこの身も堪へ難くなつかしきことありあはれあはれわが少女
 栗の実の笑《え》みそむるころ谿越えてかすかなる灯に向ふひとあり (録三首)
 かどはかしに逢へるをとめのうつくしと思ひ通ひて谿越えにけり
 うつくしき時代《ときよ》なるかな山賊はもみづる谿にいのち落せし
 おのづからうら枯るるらむ秋ぐさに悲しかるかも実籠《みこも》りにけり
 ひさかたの霜ふる国に馬群れてながながし路くだるさみしみ
 死に近き狂人を守るはかなさに己が身すらを愛《は》しとなげけり
 照り透るひかりの中《なか》に消ぬべくも蟋蟀と吾《あ》となげかひにけり
(196) つかれつつ目ざめがちなるこの夜ごろ寐《い》よりさめ聞くながれ水かな
 朝さざれ踏みの冷めたくあなあはれ人の思の湧ききたるかも
 秋川のさざれ踏み往き踏み来とも落ちゐぬ心君知るらむか
 土のうへの生けるものらの潜むべくあな慌し秋の夜の雨
 秋のあめ煙りて降ればさ庭べに七面鳥は羽もひろげず
 寒ざむとひと夜の雨のふりしかば病める庭鳥をいたはり兼ねつ
 ほそほそとこほろぎの音はみちのくの霜ふる国へとほ去りぬらむ
 
   8 遠き世のガレーヌスは春のあけぼの Ornamentum loci をかなしみぬ。われは東海の国の伽羅の木かげ Pluma loci といひてなげかふ。
 
 伽羅ぼくのこのみのごとく仄かなるはかなきものか pluma loci よ
(197) ほのかなるものなりければをとめごはほほと笑ひてねむりたるらむ
 
(198) 明治四十三年
 
   1 田螺と彗星
 
 とはき世のかりようびんがのわたくし児田螺はぬるきみづ恋ひにけり
 田螺はも背戸の円田《まろた》にゐると鳴かねどころりころりと幾つもゐるも
 わらくづのよごれて散れる水無田《みなしだ》に田螺の殻は白くなりけり
 気ちがひの面まもりてたまさかは田螺も食べてよるいねにけり
 赤いろの蓮まろ葉の浮けるとき田螺はのどにみごもりぬらし
 味噌うづの田螺たうべて酒のめば我が咽喉仏うれしがり鳴る
 南蛮の男かなしと恋ひ生みし田螺にほとけの性ともしかり
(199) ためらはず遠天に入れと彗星の白きひかりに酒たてまつる
 うつくしく瞬きてゐる星ぞらに三尺《みさか》ほどなるははき星をり
 きさらぎの天《あめ》たかくして彗星《ほうきぼし》ありまなこ光りてもろもろは見る
 入り日ぞら暮れゆきたれば尾を引ける星にむかひて子等走りたり
 
   2 南蛮男
 
 くれなゐの千しほのころも肌につけゆららゆららに寄りもこそ寄れ (録八首)
 南蛮のをとこかなしと抱かれしをだまきの花むらさきのよる
 なんばんの男いだけば血のこゑすその時のまの血のこゑかなし
 南より笛吹きて来る黒ふねはつばくらめよりかなしかりけり
 夕がらす空に啼ければにつぽんの女のくちもあかく触りぬれ
(200) 入り日空見たる女はうらぐはし乳房おさへて居たりけるかな
 瞳青きをとこ悲しと島をとめほのぼのとしてみごもりにけり
 なんばんの黒ふねゆれてはてし頃みごもりし人いまは死にせり
 にほひたる畳のうへに白たまの静まりたるを見すぐしがてぬ (録三首)
 しらたまの色のにほひを哀とぞ見し玉ゆらのわれやつみびと
 罪ひとの触れんとおもふしら玉の戦《おのの》きたらばすべなからまし
 
   3 をさな妻
 
 墓はらのとほき森よりほろほろと上るけむりに行かむとおもふ
 木のもとに梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり
 をさな妻こころに持ちてあり経れば赤き蜻蛉の飛ぶもかなしも
(201) 目を閉づれすなはち見ゆる淡々し光に恋ふるもさみしかるかな
 ほこり風立ちてしづまるさみしみを市路ゆきつつかへりみるかも
 このゆふぺ塀にかわけるさび紅《あけ》のべにがらの垂りをうれしみにけり 公園に支那のをとめを見るゆゑに幼な妻もつこの身|愛《は》しけれ
 嘴《はし》あかき小鳥さへこそ飛ぶならめはるばる飛ばば悲しきろかも
 細みづにながるる砂の片寄りに静まるほどのうれひなりけり
 水さびゐる細江の面に浮きふふむこの水草はうごかざるかな
 汗ばみしかうぺを垂れて抜け過ぐる公園に今しづけさに会ひぬ
 をさな妻をさなきままにその目より涙ながれて行きにけるかも
 をだまきの咲きし頃よりくれなゐにゆららに落つる太陽《ひ》こそ見にけれ
 をさな妻ほのかに守る心さへ熱病みしより細りたるなれ (折々の作)
 
(202)   4 悼堀内卓
 
 堀内はまこと死にたるかありの世かいめ世かくやしいたましきかも
 信濃路のゆく秋の夜のふかき夜をなにを思ひつつ死にてゆきしか
 うつそみの人の国をば君去りて何辺《いずべ》にゆかむちちははをおきて
 早はやも癒りて来よと祈《の》むわれになにゆゑに逝きし一言もなく
 いまよりはまことこの世に君なきかありと思へどうつつにはなきか
 深き夜のとづるまなこにおもかげに見えくる友をなげきわたるも
 霜ちかき虫のあはれを君と居て泣きつつ聞かむと思ひたりしか (十月作)
 
(203) 自明治三十八年
 至明治四十二年
 
   1 折に触れ 明治三十八年作
 
 黒き実の円らつぶらとひかる実の柿は一本《いつぽん》たちにけるかも
 浅草の仏つくりの前来れば少女まぼしく落日《いりひ》を見るも
 本よみて賢くなれと戦場のわが兄《え》は銭を呉れたまひたり
 戦場のわが兄《え》より来し銭もちて泣きゐたりけり涙が落ちて
 桑畑の畑のめぐりに紫蘇生ひてちぎりて居ればにほひするかも
 はるばると母は戦を思《も》ひたまふ桑の木の実は熟みゐたりけり
(204) けふの日は母の辺にゐてくろぐろと熟《う》める桑の実食みにけるかも
 かがやける真夏日のもとたらちねは戦を思ふ桑の実くろし
 馬屋《まや》のべにをだまきの花|乏《とぼ》しらにをりをり馬が尾を振りにけり
 数学のつもりになりて考へしに五目並べに勝ちにけるかも
 熱いでて一夜寝しかばこの朝け梅のつぼみをつばらかに見つ
 春かぜの吹くことはげし朝ぼらけ梅のつぼみは大きかりけり
 入りかかる日の赤きころニコライの側の坂をば下りて来にけり
 寝て思へば夢《いめ》の如《ごと》かり山焼けて南の空はほの赤かりし
 さ庭べの八重山吹の一枝ちりしばらく見ねばみな散りにけり
 日輪がすでに真赤になりたれば物干にいでて欠伸せりけり
 ゆふさりてランプともせばひと時は心静まりて何もせず居り
 
(205)   2 地獄極楽図 明治三十九年
 
 浄玻※[王+黎]にあらはれにけり脇差を差して女をいぢめるところ
 飯《いい》の中ゆとろとろと上る炎見てほそき炎口《えんく》のおどろくところ
 赤き池にひとりぽつちの真裸《まはだか》のをんな亡者の泣きゐるところ
 いろいろの色の鬼ども集りて蓮の華にゆびさすところ
 人の世に嘘をつきけるもろもろの亡者の舌を抜き居るところ
 罪計《つみはかり》に涙ながしてゐる亡者つみを計れば巌より重き
 にんげんは馬牛となり岩負ひて牛頭馬頭どもの追ひ行くところ
 をさな児の積みし小石を打くづし紺いろの鬼見てゐるところ
 もろもろは裸になれと衣剥ぐひとりの婆の口赤きところ
(206) 白き華しろくかがやき赤き華赤き光りを放ちゐるところ
 ゐるものは皆ありがたき顔をして雲ゆらゆらと下《お》り来るところ
 
   3 蛍 【昼見れば首筋あかき螢かな】 芭蕉
 
 蚕《こ》の室《へや》に放ちしほたるあかねさす昼なりければ首は赤しも
 蚊帳のなかに放ちし蛍夕さればおのれ光りて飛びて居りけり
 あかときの草の露たま七いろにかがやきわたり蜻蛉|生《あ》れけり
 あかときの草に生れて蜻蛉《あきつ》はも未だ軟らかみ飛びがてぬかも
 小田のみち赤羅ひく日はのぼりつつ生《あ》れし蜻蛉《とんぼ》もかがやきにけり
                     (明治三十九年作)
 
(207)   4 折に触れて 明治三十九年作
 
 来て見れば雪げの川べ白がねの柳ふふめり蕗の薹も咲けり (二首)
 あづさ弓春は寒けど日あたりのよろしき処つくづくし萌ゆ
 生きて来し丈夫がおも赤くなりをどるを見れば嬉しくて泣かゆ (二首)
 凱旋《かえ》り来て今日のうたげに酒をのむ海のますらをに髯あらずけり
 み仏の生《あ》れましの日と玉蓮《たまはちす》をさな朱《あけ》の葉池に浮くらし (二首)
 み仏のみ堂に垂るる藤なみの花の紫いまだともしも
 青玉のから松の芽はひさかたの天《あめ》にむかひて並びてを萌ゆ (二首)
 春さめは天の乳かも落葉松の玉芽あまねくふくらみにけり
 みちのくの仏《ほとけ》の山のこごしこごし岩秀《いわお》に立ちて汗ふきにけり (立石寺)
(208) 天の露落ちくるなべに現し世の野べに山べに秋花咲けり
 涅槃会をまかりて来れば雪つめる山の彼方は夕焼のすも
 小滝まで行かむは未だくたびれの息つく坂よ山鳩のこゑ
 夕ひかる里つ川水夏くさにかくるる処まろき山見ゆ
 淡青《たんじよう》の遠《とお》のむら山たびごろもわが目によしと寝てを見にけり
 火の山を回《めぐ》る秋雲の八百雲をゆらに吹きまく天つ風かも (蔵王山五首)
 岩の秀に立てばひさかたの天の川南に垂れてかがやきにけり
 天なるや群がりめぐる高ぼしのいよいよ清く山高みかも
 雲の中の蔵王の山は今もかもけだもの住まず石あかき山
 あめなるや月読の山はだら牛うち臥すなして目に入りにけり
 病癒えし君がにぎ面《おも》の髯あたり目にし浮びてうれしくてならず (蕨真氏病癒ゆ)
 
(209)   5 虫 明治四十年作
 
 花につく朱の小|蜻蛉《あきつ》ゆふされば眠りけらしもこほろぎが鳴く
 とほ世べの恋のあはれをこほろぎの語り部が夜々つぎかたりけり
 月落ちてさ夜ほの暗く未だかも弥勒は出でず虫鳴けるかも
 ヨルダンの河のほとりに虫なくと書《ふみ》に残りて年ふりにけり
 なが月の清きよひよひ蟋蟀やねもころころに率寝《いね》て鳴くらむ
 きのふ見し千草もあらず虫の音も空に消入りうらさびにけり
 あきの夜のさ庭に立てばつちの虫音は細細と悲しらに鳴く
 なが月の秋ゑらぎ鳴くこほろぎに螻蛄《けら》も交りてよき月夜かも
 
(210)   6 雲 明治四十年作
 
 かぎろひの夕べの空に八重なびく朱の雲旗|遠《とお》にいざよふ
 岩根ふみ天路をのぼる脚底ゆいかづちぐもの湧き巻きのぼる
 蔵王の山はらにして目を放つ磐城の諸嶺《もろね》くも湧ける見ゆ
 底知らに瑠璃のただよふ天の門に凝れる白雲誰まつ白雲
 岩ふみて吾立つやまの火の山に雲せまりくる五百つ白雲
 遠ひとに吾恋ひ居れば久かたの天のたな雲に鶴飛びにけり
 あめつちの寄り合ふきはみ晴れとほる高山の背に雲ひそむ見ゆ
 八重山の八谷かぜ起りひさかたの天に白雲のゆらゆらと立つ
 たくひれのかけのよろしき妹が名の豊旗雲と誰がいひそめし
(211) 小旗ぐも大旗雲のなびかひに今し八尺の日は入らむとす
 いなびかりふくめる雲のたたずまひ物ほしにのりてつくづくと見つ
 ひと国をはるかに遠き天ぐもの氷雲《ひぐも》のほとり行くは何ぞも
 雲に入る薬もがもと雲恋ひしもろこしの君は昔死にけり
 ひむがしの天の八重垣しろがねと笹べり赫く渡津見の雲
 
   7 苅しほ 明治四十年作
 
 秋のひかり土にしみ照り苅しほに黄ばめる小田を馬が来る見ゆ
 竹おほき山べの村の冬しづみ雪降らなくに寒に入りけり
 ふゆの日のうすらに照れば並み竹は寒ざむとして霜しづくすも
 窓の外《と》に月照りしかば竹の葉のさやのふる舞《まい》あらはれにけり
(212) しもの夜のさ夜のくだちに戸を押すや竹群が奥に朱《あけ》の月みゆ
 竹むらの影にむかひて琴ひかば清掻《すががき》にしも引くべかりけり
 月あかきもみづる山に小猿ども天つ領巾など欲《ほ》りしてをらむ
 猿の子の目のくりくりを面白み日の入りがたをわがかへるなり
 
   8 留守居 明治四十年作
 
 まもりゐの縁の入り日に飛びきたり蠅が手をもむに笑ひけるかも
 一人して留守居さみしら青光る蠅のあゆみをおもひ無《な》に見し
 留守をもるわれの机にえ少女のえ少男の蠅がゑらぎ舞ふかも
 秋の日の畳の上に飛びあよむ蠅の行ひ見つつ留守すも
 入り日さすあかり障子はばら色にうすら匂ひて蠅一つとぶ
(213) 事なくて見ゐる障子に赤とんぼかうべ動かす羽さへふるひ
 まもりゐのあかり障子にうつりたる蜻蛉は行きて何も来ぬかも
 留守もりて入り日紅けれ紙ふくろ猫に冠せんとおもほえなくに
 
   9 新年の歌 明治四十一年作
 
 今しいま年の来《きた》るとひむがしの八百うづ潮に茜かがよふ
 高ひかる日の母を恋ひ地の廻《めぐ》り廻り極まりて天《あめ》新たなり
 東海に※[石+殷]馭廬《おのごろ》生《あ》れていく継ぎの真日|美《うる》はしく天明けにけり
 ひむがしの朱《あけ》の八重ぐもゆ斑駒《ふちごま》に乗りて来らしも年の若子は
 年のはの真日のうるはしくれなゐを高きに上り目蔭《まかげ》して見つ
 新装《にいよそ》ふ日の大神の清明目《あかしめ》を見まくと集ふ現しもろもろ
(214) 天明《あめあか》り年のきたるとくだかけの長鳴鳥がみな鳴けるかも
 しだり尾のかけの雄鳥が鳴く声の野に遠音《とおね》して年明けにけり
 ひむがしの空押し晴るし守らへる大和島根に春立てるかも
 うるはしと思ふ子ゆゑに命欲り夢のうつらと年明けにけり
 沖つとりかもかもせむと初春にこころ問して見まくたぬしも
 打日さす大城の森のこ緑のいや時じくに年ほぐらしも
 豊酒の屠蘇に吾ゑへば鬼子ども皆死ににけり赤き青きも
 くれなゐの梅はよろしも新たまの年の端に見れば特によろしも
 
   10 雑歌 明治四十一年作
 
 あかときの畑の土のうるほひに散れる桐の花ふみて来にけり
(215) 青桐のしみの広葉の葉かげよりゆふべの色はひろごりにけり
 ひむがしのともしび二つこの宵も相寄らなくてふけわたるかな
 うつそみのこの世のくにに春はさり山焼くるかも天の足り夜を
 ひさ方の天の赤瓊《あかぬ》のにほひなし遥けきかもよ山焼くる火は
 うつし世は一夏《いちげ》に入りて吾がこもる室の畳に蟻を点しかな
 真夏日の雲の峯|天《あめ》のひと方に夕退《ゆうそ》きにつつかがやきにけり
 荒磯ねに八重寄る波のみだれたちいたぶる中の寂しさ思ふ
 秋の夜を灯《ともし》しづかに揺るる時しみじみわれは耳かきにけり
 ほそほそと虫啼きたれば壁にもたれ膝に手を組む秋のよるかも
 旅ゆくと井《い》に下り立ちて冷々《ひやひや》に口そそぐべの月見ぐさのはな
 
(216)   11 塩原行 明治四十一年作
 
 晴れ透るあめ路の果てに赤城根の秋の色はも更け渡りけり
 小筑波を朝を見しかば白雲の凝れるかかむり動くともせず
 関屋いでて坂路になればちらりほらり染めたる木々が見えきたるかも
 おり上り通り過がひしうま二つ遥かになりて尾を振るが見ゆ
 山角にかへり見すれば歩み来し街道筋は細りてはるけし
 馬車とどろ角《くだ》を吹き吹き塩はらのもみづる山に分け入りにけり
 山路わだ紅葉はふかく山たかくいよよ逼り来《く》わがまなかひに
 とうとうと喇叭を吹けば塩はらの深染《こぞめ》の山に馬車入りにけり
 つぬさはふ岩間を垂るるいは水のさむざむとして土わけ行くも
(217) 湯のやどのよるのねむりはもみぢ葉の夢など見つつねむりけるかも
 夕ぐれの川べに立ちて落ちたぎつ流るる水におもひ入りたり
 あかときを目ざめて居ればくだの音の近くに止みぬ馬車着けるらし
 床ぬちにぬくまり居れば宿の女が起きねといへど起きがてぬかも
 世のしほと言のたふとき名に負へる塩はらの山色づきにけり
 谷川の音をききつつ分け入れば一あしごとに山あざやけし
 山深くひた入り見むと露じもに染みし紅葉を踏みつつぞ行く
 三千尺《みちさか》の目下《ました》の極みかがよへる紅葉のそこに水たぎち見ゆ
 かへりみる谷の紅葉の明らけく天に響かふ山がはの鳴り
 現し我が恋心なす水の鳴りもみぢの中に籠りて鳴るも
 山川のたぎちのどよみ耳底にかそけくなりて峯を越えつも
(218) ふみて入るもみぢが奥は横はる朽ち木の下を水ゆく音す
 山がはの水のいきほひ大岩にせまりきはまり音とどろくも
 うつそみは常なけれども山川に映ゆる紅葉をうれしみにけり
 うつし身の稀らにかよふ秋やまに親しみて鳴く蟋蟀のこゑ
 打ちわたす山の雑木の黄にもみぢ明るき峡に道入りにけり
 もみぢ原ゆふぐれしづむ蟋蟀はこのさみしみに堪へて鳴くなり
 つかれより美くしいめに入る如き思ひぞ吾がする蟋蟀のこゑ
 もみぢ照りあかるき中に我が心空しくなりてしまし居りけり
 しほ原の湯の出でどころとめ来ればもみぢの赤き処なりけり
 山の湯のみなもとどころ鉄色《かねいろ》にさびさびにけり草もおひなく
 鉄《かね》さびし湯の源のさ流れに蟹が幾つも死にてゐたりも
(219) 親馬にあまえつつ来る子馬にし心動きて過ぎがてにせり
 あしびきの山のはざまの西開き遠くれなゐに夕焼くる見ゆ
 橋のべのちひさ楓《かえるで》かへり路になかくれなゐと染めて居りけり
 天地のなしのまにまに寄り合へる只の石あはれとことはにして
 ほり出すいはほのひまの貝の石ただ珍らしみありがてぬかも
 玉ゆらのうれしごころもとはの世へ消えなく行かむはかなむ勿れ
 おくやまの深き岩間ゆ海つもの石と成り出づ君に恋ふるとき
 もみぢ葉の過ぎしを思ひ繁き世に触りつるなべに悲しみにけり
 山峡のもみぢに深く相こもりほれ果てなむか峡のもみぢに
 もみぢ斑の山の真洞に雲おり釆雲はをとめの領巾漏らし来も
 火に見ゆる玉手の動き少女らは何に天降《あも》りてもみぢをか焚く
(220) 天そそる白くもが上のいかし山夜見の国さび月かたむきぬ
 まぼろしにもの恋ひ来れば山川の鳴る谷際《たにあい》に月満てりけり
 
   12 折に触れて 明治四十二年作
 
 潮沫《しおなわ》のはかなくあらばもろ共にいづべの方にほろぴてゆかむ
 やうらくの珠はかなしと歎かひし女《おみな》のこころうつらさびしも
 宵あさくひとり居りけりみづひかり蛙《かわず》ひとつかいかいと鳴くも
 をさな妻こころに守り更けしづむ灯火《ともしび》の虫を殺してゐたり
 かがまりて見つつかなしもしみじみと水湧き居れば砂うごくかな
 夏晴れのさ庭の木かげ梅の実のつぶらの影もさゆらぎて居り
 春闌けし山峡の湯にしづ籠り※[木+(匆/心)]《たら》の芽|食《お》しつつひとを思はず
(221) 馬に乗り湯どころ来つつ白梅のととのふ春にあひにけるかも
 とり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見つつうれしも
 干柿を弟の子に呉れ居れば淡々と思ひいづることあり
 ゆふぐれのほどろ雪路をかうべ垂れ湿れたる靴をはきて行くかも
 世のなかの憂苦《うけく》も知らぬ女《め》わらはの泣くことはあり涙ながして
 春の風ほがらに吹けばひさかたの天《あめ》の高低《たかひく》に凧が浮べり
 萱ざうの小さき萌を見てをれば胸のあたりがうれしくなりぬ
 青山の町かげの田の畔みちをそぞろに来つれ春あさみかも
 春あさき小田の朝道あかあかと金気浮く水にかぎろひのたつ
 明けがたに近き夜さまのおのづから我心にし触るらく思ほゆ
 天竺のほとけの世より子らが笑《えみ》にくからなくて君も笑むかな
(222) さみだれはきのふより降り行々子《よしきり》をほのぼのやさしく聞く今宵かも
 八百会《やおあい》のうしほ遠鳴るひむがしのわたつ天明《あまあけ》雲くだるなり
 
   13 細り身 明治四十二年作
 
 重かりし熱の病のかくのごと癒えにけるかとかひな撫《さす》るも
 蜩《ひぐらし》のかなかなかなと鳴きゆけば吾のこころのほそりたりけれ
 あな甘《うま》、粥強飯《かゆかたいい》を食すなべに細りし息の太りゆくかも
 まことわれ癒えぬともへば群ぎものこころの奥がに悲しみ湧くも
 やまひ去り嬉しみ居ればほのぼのに心ぐけくもなりて来るかも
 たまたまの現しき時はわが命生きたかりしかこのうつし世に
 病みぬればほのぼのとしてあり経《へ》たる和世《にごよ》のすがた悲しみにけり
(223) いはれ無に涙がちなるこのごろを事更ぶともひと云ふらむか
 しまし間も今の悶えの酒狂《さかがり》になるを得ばかも嬉しかるべし
 閉づる目ゆ熱き涙のはふり落ちはふり落ちつつあきらめ兼ねつ
 やみ恍《ほほ》けおとろへにたれさ庭べに夕雨ふれば嬉しくきこゆ
 みちのくに我稚くて熱を病みしその日仄かにあらはれにけり
 おとろへし胸に真手《まで》おく若き子にあはれなるかも蜩きこゆ
 熱落ちておとろへ出で来もこのごろの日八日夜八夜《ひやかよやよ》は現しからなく
 恣にやせ頬にのびし硬《こわ》ひげを手ぐさにしつつさ夜ふけにけり
 うそ寒くおぼえ目ざめし室《へや》の外《と》は月清く照り鶏《かけ》なくきこゆ
 ぬば玉のふくる夜床に目ざむればをなご狂《きちがい》の歌ふがきこゆ
 かうべ上げ見ればさ庭の椎の木の間おほき月入るよるは静かに
(224) 日を継ぎて現身さぶれ蝉の声も清《すが》しくなりて人うつくしも
 現身ははかなけれども現し身になるが嬉しく嬉しかりけり
 おのが身し愛《いとお》しければかほそ身をあはれがりつつ飯食しにけり
 火鉢べにほほ笑ひつつ花火する子供と居ればわれもうれしも
 病みて臥すわが枕べに弟妹《いろと》らがこより花火をして呉れにけり
 わらは等は汝兄《なえ》の面《おもて》のひげ振りのをかしなどいひ花火して居り
 平凡に堪へがたき性《さが》の童幼《わらわ》ども花火に飽きてみな去りにけり
 なに故に花は散りぬる理法《ことわり》と人はいふとも悲しくおもほゆ
 とめどなく物思ひ居ればさ庭べに未だいはけなく蟋蟀鳴くも
 宵浅き庭を歩めばあゆみ路のみぎりひだりに蟋蟀なくも
 宵毎に土にうまれし蟋蟀のまだいとけなく啼きて悲しも
(225) さ庭べに何の虫ぞも鉦うちて乞ひのむがごとほそほそと鳴くも
 玉ゆらにほの触れにけれ延ふ蔦の別れて遠しかなし子等はも
 いつくしく瞬きひかる七星《ななほし》の高天《たかあめ》の戸にちかづきにけり
 神無月の土の小床《おどこ》にほそほそと亡びのうたを虫鳴きにけり
 うらがれにしづむ花野の際涯《はたて》よりとほくゆくらむ霜夜こほろぎ
 よひよひの露冷えまさる遠空をこほろぎの子らは死にて行くらむ
 
   14 分病室 明治四十二年作
 
 この度は死ぬかも知れずと思《も》ひし玉ゆら氷枕《ひようちん》の氷《ひ》は解け居たりけり
 隣室に人は死ねどもひたぶるに帚《ははき》ぐさの実食ひたかりけり
 熱落ちてわれは日ねもす夜もすがら稚な児のごと物を思へり
(226) のび上り見れば霜月の月照りて一本松のあたまのみ見ゆ
 
  赤光 をはり
〔2021年11月18(木)午後6時45分、入力終了〕