(235)萬葉集卷第九
 
(237)萬葉集卷第九
 
 卷の九は、おおむね作者ならびに作歌事情の傳えられている歌を、雜歌、相聞、挽歌の三部に分かつて收録している。歌數は、長歌二十二首、短歌百二十五首、旋頭歌一首で計百四十八首である。時代は、雄略天皇の御製と傳えるもの一首がもつとも古く、他は、岡本の宮の時代の歌二首以外は、降つて藤原の宮時代以後の作らしく、年代の知られる最後のものは、天平五年の遣唐使に關する作である。柿本朝臣人麻呂歌集、高橋連蟲麻呂歌集、笠朝臣金村歌集、田邊史福麻呂歌集、および古集等の歌集所出の歌を採録することの多いのが特に目立つており、中にも高橋の蟲麻呂の作品と見られるその歌集所出の歌の大部分は、この卷にある。これらの歌集所出の歌は、左註において、その由を記しているが、その中には、右何首と歌數を明記したものと、歌數を明記しないものとがあつて、各歌集所出の歌の數を明白にすることは、困難である。雜歌の部における人麻呂歌集所出の分も、その範圍について諸説があつて、一定しかねるが、今假に、その最初の分を一六八二から一七〇九まで、第二の分を一七二〇から一七二五までとして、これによつて各歌集所出の歌の數を表示すれば、次のようになる。
        雜歌         相聞      挽歌      計
出所不明  四五(【内長二】)    一二(【内長一】)         五七
人麻呂集  三四          五        五       四四
蟲麻呂集  二三(【内長一〇施一】) 二(【内長一】)  五(【内長二】) 三〇
(238)古集             二                二
金村集               五(【内長二】)          五
福麻呂集              三(【内長一】)  七(【内長三】) 一〇
 これによつて、ほぼ本卷の組織を窺うことができるであろう。以上のうちには、資料のままを繼ぎ合わせたものもあるべく、また編纂に當つて書き改めたものもあるのだろう。その成立事情は、前諸卷と格別の相違はないようであるが、大伴の旅人の九州時代、および大伴の家持中心の集録は、見ることができない。
 用字法は、表意文字と表音文字とをまじえて書いており、各歌集所出の分は、大體その資料に近い形で傳えているのであろう。人麻呂集所出の分の如きは、字數をすくなく書く特色を存している。
 傳本は、古本系統として、一部分を存するものに、元暦校本《がんりやくこうほん》、藍紙本《らんしぼん》、傳壬生隆祐筆本《でんみぶのたかすけひつぼん》があり、全卷を存するものに、神田本がある。これに類聚古集、古葉略類聚鈔の所載を加えれば、他卷に比して古本系統の校勘資料に富んでいる方である。仙覺本系統としては、西本願寺本、金澤文庫本が、比較的古い時代の寫本として殘つている。
 
雜歌
 
【釋】雜歌 ザフカ。雜歌としては、長歌十二首、旋頭歌一首、短歌八十九首を收めている。人麻呂歌集、蟲麻呂歌集所出の歌が多く、人麻呂歌集所出の分は、その範圍に疑問があつて正確には云えないが、最小に見て三十四首はあり、蟲麻呂集所出の分は、二十三首ある。その外にも出所を明記しないで、纏つて取り入れた、いわゆる古記の類がある。
 
(239)泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇御製歌一首
 
泊瀬の朝倉の宮に天の下知らしめしし大泊瀬幼武《おほはつせわかたけ》の天皇《すめらみこと》の御製の歌一首
 
【釋】泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇 ハツセノアサクラノミヤニアメノシタシラシメシシオホハツセワカタケノスメラミコト。この形は、藍紙本等の古本系統によるものである。仙覺本系統には、「大泊瀬幼武天皇」の七字を小字二行とし、その下に天皇の二字を本行に加えている。これは卷の一二あたりの時代の標目の形式に接近させようとしたものであろう。「泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇」の如く、宮號の下に天皇の御名を入れる形は、本集でも「藤原宮御宇高天原廣野姫天皇」(卷二、一〇五前行標目)の如き例があり、他の古典にも、往々にして見受ける所である。この標目の書き方は、卷の一あたりの標目の書式を參考として書いたものらしいが、それとはすこし變わつたかような形のものとなつた。これは資料のままでもなく、一往整理された形のものと考えられる。大泊瀬幼武の天皇は、雄略天皇。古事記に、大長谷若建の命、日本書紀に、大泊瀬幼武の天皇とあり、本集卷の一には、大泊瀬稚武の天皇とある。
 
1664 暮《ゆふ》されば 小椋《をぐら》の山に 臥《ふ》す鹿《しか》の、
 今夜《こよひ》は鳴かず 寐《い》ねにけらしも。
 
 暮去者《ユフサレバ》 小椋山尓《ヲグラノヤマニ》 臥鹿之《フスシカノ》
 今夜者不v鳴《コヨヒハナカズ》 寐家良霜《イネニケラシモ》
 
【譯】夕方になると、小倉の山で寐る鹿は、今夜は鳴かないで寐てしまつたらしい。
【釋】小椋山尓。ヲグラノヤマニ。卷の八の重出には、この句を、「小倉乃山爾《ヲグラノヤマニ》」(一五一一)としている。椋の字は、狩谷?齋《かりやえきさい》の日本靈異記攷證に、京の字は、もと倉庫の義であつたが、京都の義に使用されるものと區別するために、木篇を加えたのだろうという。それで、クラの音に借りている。「椋橋乃《クラハシノ》 山乎高可《ヤマヲタカミカ》」(卷三、(240)二九〇)
 臥鹿之 フスシカノ。ノは、主格を示すために使われている。以上、夕方になれば、きまつて小椋の山に臥すと、鹿の習性をあげて説明している。參考欄に掲げたように、卷の八に載せたのには、この句を「鳴鹿者」としている。鹿の習性をいう句だから、夕方になれば臥すでは、視覺に訴えることになつてわるい。
【評語】卷の八の歌の重出で、作者を雄略天皇としている。第三句の相違は、卷の八の所傳の方が、重點があつてよく纏まつている。この卷のは傳誦の間に訛つたものであろう。
【參考】重出。
   崗本天皇御製歌一首
  暮去者《ユフサレバ》 小倉乃山爾《ヲグラノヤマニ》 鳴鹿者《ナクシカハ》 今夜波不v鳴《コヨヒハナカズ》 寐宿家良思母《イネニケラシモ》(卷八、一五一一)
 
右或本云、崗本天皇御製、不v審2正指1、因以累載
 
右は、或る本に云ふ、岡本の天皇の御製なりといへり。正指を審にせず。因りて以ちて累《かさ》ね載す。
 
【釋】或本云崗本天皇御製 アルマキニイフ、ヲカモトノスメラミコトノオホミウタトイヘリ。崗は岡に同じ。岡本の天皇は、舒明天皇、もしくは齊明天皇をいう。右の歌は、卷の八にも載せて、詞句に小異があり、それには崗本の天皇の御製としているので、ここに或る本というのは、卷の八の資料となつたものをさすことが知られる。ところで、この歌に、作者の兩傳のあることは、この歌が口誦されてきたためであつて、古歌と新歌とを明白に區別することのなかつた當時の傳誦事情によるものである。かような古歌の作者については、傳説的な性質を有するものと解すべきである。卷の八のは、題詞を「崗本天皇御製歌」として簡素であるが、それはその資料から來たものであろう。
 
(241)崗本宮御宇天皇、幸2紀伊國1時歌二首
 
岡本の宮に天の下知らしめしし天皇の紀伊の國に幸《い》でましし時の歌二首
 
【釋】崗本宮御宇天皇 ヲカモトノミヤニアメノシタシラシメシシスメラミコト。岡本の宮は、舒明天皇の明日香の岡本の宮、齊明天皇の後の岡本の宮の二つがある。舒明天皇の紀伊の國の行幸は、歴史に傳えないが、齊明天皇は、四年十月に、紀伊の國に行幸された。卷の一には、後の岡本の宮の御宇の標目のもとに、紀の温泉に幸《い》でましし時の歌を載せている。齊明天皇の四年十月十五日、紀の温湯に幸し、五年正月三日に還幸された。その間に、有間の皇子を誅せられることがあつた。
 
1665 妹がため 吾《われ》玉|拾《ひり》ふ。
 沖邊なる 玉|寄《よ》せ持ち來《こ》。
 沖つ白浪。
 
 爲v妹《イモガタメ》 吾玉拾《ワレタマヒリフ》
 奧邊有《オキベナル》 玉縁持來《タマヨセモチコ》
 奧津白浪《オキツシラナミ》
 
【譯】妻のために、わたしは玉を拾う。沖の方の玉を寄せて持つてきてくれ。沖の白浪よ。
【釋】吾玉拾 ワレタマヒリフ。タマは、貝、石など、玉の材料。拾フは、「多麻母比利波牟《タマモヒリハム》」(卷十七、四〇三八)、「比里比登里《ヒリヒトリ》」(卷十五、三六二七)、「可比乎比里布等《カヒヲヒリフト》」(同、三七〇九)など、假字書きに多くヒリフと書いている。ヒロフは「多麻等比呂波年《タマトヒロハム》」(卷十四、三四〇〇)の一例のみである。以上二句、作者自身の上を説明して、三句以下の伏線としている。句切。
 奧邊有玉縁持來 オキベナルタマヨセモチコ。オキベナルは、玉の所在を示す修飾句。奧ツ白浪に對して、希望を述べている。沖の方の、手にし難い玉を寄せ來よの意。玉は、二句の玉と同じく、貝、石など、玉の材(242)料となる物をいうが、眞珠などをも考えているだろう。句切。
【評語】當時の人が、装身具として玉を愛用したことが、この歌の基礎となつている。海濱に出れば、玉を拾うということが、男子たちの重要な目標になつていたのである。そうしてそれによつて、間接に清き濱邊の描寫がされている。次に別傳があるように、この歌自身が、人々に愛唱されたのも、その内容が、人々の共鳴する所であつたからである。妹ガタメという句を使用した歌は多く、慣用句になつている、妹のために玉を拾うことも「妹がため玉を拾ふと紀の國の湯等のみ埼にこの日暮らしつ」(卷七、一二二〇)などある。
 
1666 朝霧に 濡《ぬ》れにし衣 干《ほ》さずして、
 ひとりや君が 山路越ゆらむ。
 
 朝霧尓《アサギリニ》 沾尓之衣《ヌレニシコロモ》 不v干而《ホサズシテ》
 一哉君之《ヒトリヤキミガ》 山道將v越《ヤマヂコユラム》
 
【譯】朝霧に濡れてしまつた著物をほさないで、ひとりでか、あの方は、山路を越えているでしよう。
【釋】朝霧尓沾尓之衣 アサギリニヌレニシコロモ。朝の霧のために濡れてしまつた衣服で、旅に出た人の上を推量していう。
 不干而 ホサズシテ。集中、濡れた衣服をほすのは、多く妻のわざとして、歌われており、ここにほさずしてというのは、妻である作者自身が、旅行く人のかたわらにいないことを敍している。
 一哉君之 ヒトリヤキミガ。ヒトリは、單獨の意ではあるが、それは妻を伴なわない意が中心になつている。他に同行者がいるかも知れないが、それはこの歌では問題にしていない。ヤは、疑問の係助詞。これを受けて、越ユラムで結んでいる。キミは、夫をいう。
 山道將越 ヤマヂコユラム。コユラムは、夫の現在の?況を推量していうが、夫が現に山道を越えつつあり、または越えようとしていることを含んでいう。主としては、現に越えていることを推量しているが、しかしラ(243)ムの性格上、かならずしも現在のみに固定しているものではない。「往來趾見良武《ユキクトミラム》」(卷一、五五參照)。
【評語】これは家に留まつている妻の歌である。朝霧ニ濡レニシ衣というのは、今までの旅行で、既に濡れてしまつた衣服の謂であるが、同時に、この句で、朝霧の深くかかつている山を想像している。濡れた衣服をかわかす人もなく、ひとりさびしく夫が山を越えている有樣を推量して同情を寄せている。當時の衣服は、雨に堪えないで濡れとおるので、時にその點に感情が集中されるのである。
【參考】類句、山路越ゆらむ。
  山|科《しな》の石田《いはた》の小野のははそ原見つつや公が山路越ゆらむ(卷九、一七三〇)
  草蔭の荒藺《あらゐ》の埼の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ(卷十二、三一九二)
  玉かつま島熊山の夕晩《ゆふぐれ》に獨か君が山路越ゆらむ(同、三一九三)
 
右二首、作者未v詳
 
【釋】作者未詳 ツクレルヒトイマダツマビラカナラズ。前の歌は、旅に出た男の歌、後の歌は、家に留まつた女の歌で、兩者の間に關係があるのだろう。しかし歌の内容から見れば唱和の作とは云いがたい。
 
大寶元年辛丑冬十月、太上天皇大行天皇幸2紀伊國1時歌十三首
 
大寶元年辛丑の冬十月、太上天皇、大行天皇の紀伊の國に幸《い》でましし時の歌十三首
 
【釋】大寶元年辛丑冬十月 ダイホウノハジメノトシカノトウシノフユカムナヅキ。この時の行幸に關しては、續日木紀に、大寶元年九月の條に「丁亥《ヒノトヰ》、天皇幸(ス)2紀伊(ノ)國(ニ)1、」、冬十月の條に「丁未《ヒノトヒツジ》、車駕至(リタマフ)2武漏温泉(ニ)1。戊午《ツチノエウマ》、車駕自(リ)2紀伊1至(リタマフ)」とあり、武漏《むろ》の温泉(牟婁の湯、今の白濱温泉)を目的地としたことが知られる。本集には(244)卷の一に「大寶元年辛丑秋九月《ダイホウノハジメノトシカノトウシアキノナガツキ》太上天皇幸2于紀伊國1時歌」(五四・五五)、卷の二に「大寶元年辛丑幸2于紀伊國1時、見2結松1歌一首」(一四六)とあつて、卷の二のは、柿本朝臣人麻呂歌集所出の歌である。持統太上天皇、文武天皇の行幸御幸であつて、柿本の人麻呂およびその妻などが供奉したものと推考される。それでここに掲げた十三首も、人麻呂歌集所出であるかも知れない。それは一七〇九の左註の「右柿本朝臣人麻呂之歌集所v出」の範圖が明瞭でなく、ここから係かると見られないこともないからである。人麻呂歌集所出の範圍に入るとする根據は、大體次の如くである。一、この十三首は、作者に關して、左註に若干の記事のある以外には、作者未詳とも記していないこと。二、人麻呂歌集には、この行幸の時の歌のあること(卷二、一四六)。三、「黒牛方《クロウシガタ》 鹽干乃浦乎《シホヒノウラヲ》」(卷九、一六七二)の歌は、「古家丹《イニシヘニ》 妹等吾見《イモトワガミシ》 黒玉之《ヌバタマノ》 久漏牛方乎《クロウシガタヲ》 見佐府下《ミレバサブシモ》」(卷九、一七九八)の歌と、關係があるかも知れないこと。四、人麻呂歌集は、すくない字數で、歌を書くのを、特色とするが、この十三首は、十六字二首、十八字二首、十九字五首、二十字二首、二十一字二首であつて、たとえば人麻呂歌集所出の、紀伊國作歌四首(卷九、一七九六−九九)の字數が、十五字、十九字、二十一字、二十二字各一首であるのにくらべても、大差のないこと等である。歌品、内容から云つても、人麻呂歌集所出としてふさわしいものである。しかし、人麻呂歌集を論ずるには、一往これを除外しておく方が、無事であろう。
 太上天皇 オホキスメラミコト。持統天皇。
 大行天皇 サキノスメラミコト。文武天皇。大行は、崩御せる皇帝の、いまだ謚號《しごう》を奉らないあいだの稱號であるが、わが國では、文武天皇に限り、本集および正倉院文書などに、後からも大行天皇と記している。崩御の當時、大行天皇と記したのを、後にその語義を知らないものが、そのままに踏襲《とうしゆう》して使用するに至つたものであろう。
(245) 十三首 トヲマリミツ。一六六七から一六七九までで十三首であるが、その次の「後人歌二首」と題してある一六八〇、一六八一の二首は、同じ時の作と見られるが、十三首の數にはいつていない。
 
1667 妹がため 我《われ》玉求む。
 沖邊なる 白玉寄せ來《こ》。
 沖つ白波
 
 爲v妹《イモガタメ》 我玉求《ワレタマモトム》
 於伎邊有《オキベナル》 白玉依來《シラタマヨセコ》
 於岐都白浪《オキツシラナミ》
 
【譯】妻のために、わたしは玉を求める。沖の方の玉を寄せて持つてきてくれ。沖の白浪よ。
【評語】前出一六六五の歌の別傳で、ただ詞句に小異があるだけである。拾うの方が情景が描かれてよい。これは古歌を傳誦したのだろう。すべて傳誦歌は、詞句の上に、間隙が入りやすいものであつて、この歌の、求ムも、その嫌いがある。
 
右一首、上見既畢。但歌辭小換、年代相違、因以累載
 
右の一首は、上に見ゆること既に畢りぬ。但し歌の辭すこしく換り、年代相違へり。因りて以ちて累ね載す。
 
【釋】上見既畢 カミニミユルコトスデニヲハリヌ。上に、既に一六六五に同じ歌を載せたというのである。類似の文章は、「安利伎奴乃」云々の歌(卷十四、三四八一)の左註に「柿本朝臣人麿歌集ノ中ニ出ヅ。上ニ見ユルコト已ニ訖リヌ。」とある。
 
1668 白埼《しらさき》は 幸《さき》くあり待《ま》て。
 大船に 眞揖《まかぢ》繁貫《しじぬ》き また反《かへ》り見む。
 
 白埼者《シラサキハ》 幸在待《サキクアリマテ》
 大船尓《オホブネニ》 眞梶繁貫《マカヂシジヌキ》 又將v顧《マタカリミム》
 
(246)【譯】白埼は無事で待つていてくれ。大船に櫂を十分に取りつけて、また來て見よう。
【釋】白埼者 シラサキハ。シラサキは、和歌山縣日高郡白崎村の海岸で、紀伊水道に面して突出している。石灰石から成り、雪白色をしているので、白崎という。
 幸在待 サキクアリマテ。アリマテは、そのままにあつて待ての意で、命令形。「久自我波々《クジガハハ》 佐氣久阿利麻弖《サケクアリマテ》」(卷二十、四三六八)。この例は、防人の歌で、サケクと云つているが、大和人の歌には、サキクと云つている。句切。
【評語】行幸の下檢分か何かで、先發しているので、次いで來ることを期して、大船ニマ楫シジヌキと云つているのだろう。白埼ハ幸クアリマテは、サキの音を重ねている。「樂浪《ささなみ》の志賀の辛埼《からさき》幸くあれど」(卷一、三〇)の類である。大船ニマ楫シジヌキの句は、當時既に慣用句となつていたのだろう。勝地に對して、再來を期する氣もちが、その他に呼びかける形で歌われている。マタカヘリ見ムが、思想の中心になつているが、これは勝地を愛する類型的な表現である。全體としても、「久慈河は幸《さけ》くあり待て潮船にま?しじ貫き吾は歸り來む」(卷二十、四三六八)の如き、同型の歌があり、かような型の歌が歌い傳えられて、時に應じて地名をさし換えたものと思われる。
 
1669 三名部《みなべ》の浦 潮な滿ちそね。
(247) 鹿島《かしま》なる 釣する海人《あま》を
 見て歸り來《こ》む。
 
 三名部乃浦《ミナベノウラ》 鹽莫滿《シホナミチソネ》
 鹿島在《カシマナル》 釣爲海人乎《ツリスルアマヲ》
 見變來六《ミテカヘリコム》
 
【譯】三名部の浦よ、潮が滿ちてくるな。鹿島にいる釣する海人を見て歸つて來よう。
【釋】三名部乃浦 ミナベノウラ。和歌山縣日高郡南部町の海面。
 鹿島在 カシマナル。鹿島は、海岸から八町ほどの沖にある小島。この島と海岸とのあいだは、潮干にも徒歩では渡れない。それを、潮ナ滿チソネと云つたのは、興に乘じて歌つたまでである。
 見變來六 ミテカヘリコム。變は、反に通じて使つている。「伊往變良比《イユキカヘラヒ》 見跡不v飽可聞《ミレドアカヌカモ》」(卷七、一一七七)など用例が多い。
【評語】海上に、愛すべき小島の浮かんでいるのを見て、詠んだ歌である。旅中の興趣で、釣する海人を風光のうちに取り入れている。そういう人を珍しがり、なつかしがる都會人ふうの氣もちである。「玉藻刈る海未通女《あまをとめ》ども見にゆかむ船梶もがも。浪高くとも」(卷六、九三六)などいう歌はあるが、ここのは、別に女子に限つてもいない。漁業そのものに對する興味から出ているのだろう。なおこの四五句は、次の歌にも使われている。
 
1670 朝びらき 榜《こ》ぎでてわれは、
 湯羅《ゆら》の埼 釣する海人《あま》を
 見て歸り來《こ》む。
 
 朝開《アサビラキ》 滂出而我者《コギデテワレハ》
 湯羅前《ユラノサキ》 釣爲海人乎《ツリスルアマヲ》
 見反將v來《ミテカヘリコム》
 
【譯】朝、船を漕ぎ出して、わたしは、湯羅の埼で釣をする海人を見て歸つて來よう。
(248)【釋】朝開 アサビラキ。既出。「世間乎《ヨノナカヲ》 何物爾將v譬《ナニニタトヘム》 旦開《アサビラキ》 榜去師船之《コギイニシフネノ》 跡無如《アトナキガゴト》」(卷三、三五一)。假字書きの例には、「安佐妣良伎《アサビラキ》 許藝弖天久禮婆《コギデテクレバ》」(卷十五、三五九五)などある。碇泊していた船が、朝になつて榜ぎ出るのをいい、始めて水面を開く意でいうのだろう。山びらきのヒラキと、同樣の用法だろう。
 滂出而我者 コギデテワレは。滂は、大水の貌の字だが、本卷以下、往々にして、榜と通じて混用されている。誤字とすべきではない。
 湯羅前 ユラノサキ。和歌山縣日高郡由良町の岬。今、神谷崎という。「爲v妹《イモガタメ》 玉乎拾跡《タマヲヒリフト》 木國之《キノクニノ》 湯等乃三埼二《ユラノミサキニ》 此日鞍四通《コノヒクラシツ》」(卷七、一二二〇)とあり、美しい風景の地である。
【評語】前の歌と同樣の内容であつて、四五句は、同じ句を使つている。上三句に、この歌の特色があるわけであるが、釣する海人に興味を感じている氣もちはよくあらわれている。都會人らしい内容の歌であることは同樣である。
 
1671 湯羅の埼 潮干にけらし。
 白神《しらかみ》の 礒の浦|廻《み》を
 敢《あ》へて榜《こ》ぐなり。
 
 湯羅乃前《ユラノサキ》 鹽乾尓祁良志《シホヒニケラシ》
 白神之《シラカミノ》 礒浦箕乎《イソノウラミヲ》
 敢而滂動《アヘテコグナリ》
 
【譯】湯羅の埼は、潮が乾たらしい。白神の礒の浦を押し切つて漕いで行くのだ。
【釋】湯羅乃前 ユラノサキ。藍紙本、傳壬生隆祐筆本、類聚古集、古葉略類聚鈔の諸本、みな羅の字が無い。前の歌によつてユラノサキとするのだが、白神の礒との關係の問題もあつて、おちつかないものがある。
 白神之礒浦蓑乎 シラカミノイソノウラミヲ。シラカミの礒は、和歌山縣有田郡田栖川村栖原にある栖原山を一に白上山ともいうので、その山裾の海に入る處だという。そこから湯羅の埼までは海上二十キロもあるか(249)ら、大日本地名辭書にいうように、白崎であるかも知れない。ウラミのミは接尾語。蓑の字が書いてあるので、ウラミであることが確められる。
 敢而滂動 アヘテコグナリ。アヘテは、敢えて、しいて、押しての意。「率兒等《イザコドモ》 安倍而榜出牟《アヘテコギデム》 爾波母之頭氣師《ニハモシヅケシ》」(卷三、三八八)。滂動は、從來コギトヨムと讀まれていたが、佐竹昭廣氏の説に、人麻呂集には動の字を動詞ナルに當てて書いているから、コグナリだという。今これによる。「動神之《ナルカミノ》 吾耳聞師《オトノミキキシ》」(卷七、一〇九二)。
【評語】歌意によれば、湯羅の埼と白神の礒の浦とは、近接の地であるようである。その浦を、船漕ぐ人が力を入れて漕いでいるさまが描かれている。第五句の、敢ヘテ榜グナリが、この歌の眼目である。
 
1672 黒牛潟 潮干の浦を、
 紅の 玉裳裾ひき 行くは誰が妻。
 
 黒牛方《クロウシガタ》 鹽干乃浦乎《シホヒノウラヲ》
 紅《クレナヰノ》 玉裙須蘇延《タマモスソヒキ》 往者誰妻《ユクハタガツマ》
 
【譯】黒牛の潟の潮干の浦を、赤い美しい裳の裾を引いて行くのは、誰の妻だろう。
(250)【釋】黒牛方 クロウシガタ。和歌山縣海南市黒江の海で、黒牛の潟の意である。この海に、黒い牛を連想させる岩礁などがあつたのだろう。「黒牛乃海《クロウシノウミ》 紅丹穗經《クレナヰニホフ》 百礒城乃《モモシキノ》 大宮人四《オホミヤビトシ》 朝入爲良霜《アサリスラシモ》」(卷七、一二一八)の黒牛の海も同處で、いずれも黒牛の名に、くれないを配して詠んでいる。
 玉裙須蘇延 タマモスソヒキ。裙は、衣装の下裳を意味する字であつて、ここではモの意に使用している。「吾妹子之《ワギモコガ》 赤裳裙之《アカモノスソノ》 將2染?1《シミヒヂム》」(卷七、一〇九〇)。日本靈異記下卷、三十八條の歌謠には、「法師等乎裙著□侮」とあつて、裾著をモハキに當てている。裙の字義と裳とに共通するものがあつたので、漢風に書いたのだろう。タマモは、婦人の裳の美稱。スソヒキは、玉裳をつけた婦人の行歩するをえがく。
 往者誰妻 ユクハタガツマ。タガツマの下にゾの如き語が略されている。これは行幸に供奉した女房たちを詠んでいるので、誰が妻とは、假に設問したまでである。その風姿を賞するまでの輕い用法である。
【評語】黒牛潟という怪奇《かいき》な感じの地名に、紅の玉裳の裾を引く佳人を配し、色彩的にも對比して興味の中心としている。何處の海濱でも詠まれる内容ではあるが、この場合、黒牛潟の地名が、不動のものになつて、情景を構成している。この地名を初句に据えたのは、この歌が初めとすれば、やはり手段として稱うべきである。末に誰が妻とあるが、作者の愛人を中心にして言つているだろう。
 
1673 風莫《かぜなし》の 濱の白浪、
 いたづらに 此處《ここ》に寄り來《く》る。
 見る人無しに。
 
 風莫乃《カゼナシノ》 濱之白浪《ハマノシラナミ》
 徒《イタヅラニ》 於v斯依久流《ココニヨリクル》
 見人無《ミルヒトナシニ》
 
【譯】風莫の濱の白浪は、むだに此處に寄つてくることだ。見る人も無しに。
【釋】風莫乃 カゼナシノ。
(251)  カセナキノ(藍)
  カサナキノ(壬)
  カザナミノ(考)
  カゼナシノ(新校)
  ――――――――――
  風暴乃《カザハヤノ》(考)
  風早乃《カザハヤノ》(略)
 カゼナシノ濱は、所在不明。紀路歌枕抄に西牟婁郡瀬戸鉛山村《にしむろぐんせとなまりやまむら》の綱不知の事とし「山陰の入江にて、難風の時も、此浦へ漕入ぬれば、船の碇もおろさず綱にもおよばず、此故に名付ともいふ。海深き故の名ともいふとて、此所風なぎたる浦なれば、風莫浦とも云ふ」とある。その地に限らず、地勢の關係で、風の吹くことのすくない浦はあるものである。「風早之《カザハヤノ》 三穗乃浦廻乎《ミホノウラミヲ》」(卷七、一二二八)の歌によつて、風早の誤りとする説は、採用しがたい。風早があれば、風なしもあるわけである。
 於斯依久流 ココニヨリクル。クルは、來ルで、その連體形である。上に特殊の係助詞がなくて連體形で結ぶことは、「武藏禰能《ムザシネノ》 乎美禰見可久思《ヲミネミカクシ》 和須禮遊久《ワスレユク》 伎美我名可氣?《キミガナカケテ》 安乎禰思奈久流《アヲネシナクル》」(卷十四、三三六二或本)の如き例が、往々にしてある。下にコトゾのような語が省略される語氣である。句切。
【評語】見る人も無しに白波の寄せる景が歌われている。風莫の濱の白浪というのが、いかにもしずかな海岸を思わせる。こういう内容の歌は、佳景を賞するあまりに出たものであつて、何人かに見せたいという歌と同樣、類歌が多い。參考欄に掲げた類句の歌に見るように、三句に徒ニと置いて、五句に見ル人無シニと留める類型が成立している。しかし、その中では、この歌などが古い方だろうが、かならずしも創始とはいえないだろう。
【參考】類句。五句、見る人無しに。
  高圓《たかまと》の野邊の秋《あき》はぎ徒に咲きか散るらむ。見る人無しに(卷二、二三一)
(252)  去年《こぞ》咲きし久木《ひさぎ》今咲く。徒に土にやおちむ。見る人無しに(卷十、一八六三)
  阿保山の櫻の花は今日もかも散り亂るらむ。見る人無しに(同、一八六七)
  上つ毛野小野のたどりがあはぢにも夫《せ》なは逢はなも。見る人無しに(卷十四、三四〇五或本)
  わが屋戸の花橘は徒に散りか過ぐらむ。見る人無しに(卷十五、三七七九)
 
一云、於v斯依來藻《ココニヨリクモ》
 
一はいふ、ここに寄り來も。
 
【釋】於斯依來藻 ココニヨリクモ。本歌の第四句の別傳である。句切としては、連體形來ルで止めている本文よりは、この方が古風である。傳誦の間に生じた別傳だろうが、この方が、原形であるらしい。左註にいう類聚歌林の所傳であろう。
 
右一首、山上臣憶良類聚歌林曰、長忌寸意吉麻呂、應v詔作2此歌1
 
右の一首は、山上の臣憶良の類聚歌林に曰はく、長《なが》の忌寸意吉麻呂《いみきおきまろ》、詔に應《こた》へてこの歌を作るといへり。
 
【釋】山上臣憶良類聚歌林 ヤマノウヘノオミオクラノルヰズカリニ。書名。卷の一、六、左註參照。ここでは、その書に、撰者の憶良とほぼ時代を同じくしている、長の忌寸意吉麻呂の歌の載つていることが注意される。
 長忌寸意吉麻呂 ナガノイミキオキマロ。藤原時代の人。特殊の歌をよく詠んでいる(卷一、五七參照)。
 應詔 ミコトノリニコタヘテ。多分持統太上天皇の詔に應じて詠んだのだろう。卷の三にも「長忌寸意吉麻(253)呂應v詔歌一首」(二三八)があるが、共にこの作者の即興の詩才を愛して詔を下したものであろう。
 
1674 わが夫子が 使|來《こ》むかと
 いで立《た》ちし この松原を
 今日か過ぎなむ。
 
 我背兒我《ワガセコガ》 使將v來歟跡《ツカヒコムカト》
 出立之《イデタチシ》 此松原乎《コノマツバラヲ》
 今日香過南《ケフカスギナム》
 
【譯】あの方の使が來るだろうかといで立つた、この松原を、今日は通り過ぎて行くことだろうか。
【釋】我背兒我使將來歟跡 ワガセコガツカヒコムカト。ワガセコは、夫をいうと解せられる。もしこの歌の作者が男ならば、友人と解すべきであるが、多分そうではないであろう。また以上を序とする説が行われているが、それは無理である。次條參照。
 出立之 イデタチシ。イテタチシ(藍)、イデタチノ(略)。作者が立ちいでて、夫の使を待つた意で、次の句の松原を修飾する。この句をイデタチノと讀み、出立を地名とし、上の初二句を序と見る説がある。すなわち今の田邊市の海岸に、出立の名が殘つているというのである。(日比野道男氏萬葉地理研究、木下正俊氏萬葉集大成訓詁篇)。地名とすると、上二句を序とするのであるが、その序は、下三句の内容に對して意味の混亂を感じさせるものとなる。この語は、卷の十三にも「紀伊國之《キノクニノ》 室之江邊爾《ムロノエノベニ》 千年爾《チトセニ》 障事無《サハルコトナク》 萬世爾《ヨロヅヨニ》 如是將v在登《カクシアラムト》 大舟乃《オホブネノ》 思恃而《オモヒタノミテ》 出立之《イデタチシ》 清瀲爾《キヨキナギサニ》 朝名寸二《アサナギニ》 來依深海松《キヨルフカミル》 夕難岐爾《ユフナギニ》 來依繩法《キヨルナハノリ》」(三三〇二)とある。この長歌において、出立之をイデタチノと讀むと、非常に調子のわるい歌になつてしまう。よつて、ここもそれに準じて、イデタチシと讀むを可とする。それで意味は、十分に通ずるのである。そこで、わが夫子がいで立つたか、作者がいで立つたかであるが、これはどちらでも通じる。恐らく後者であろう。
 今日香過南 ケフカスギナム。その松原の近くに宿つておつたのが、今日か立ち過ぎようと、なごりを惜し(254)んでいる。
【評語】作者は、太上天皇の御幸に御供した女官の一人であろう。同じく御供した夫のたよりを待つて、その松原を徘徊した。その思い出のある松原に對する愛惜が歌われていると見られる。作者に取つて興趣のある題材であつて、第三者に取つては、説明に過ぎている憾みがある。男は、行幸に先行して準備し、女は、天皇に供奉して、常に男の進んだ跡を行つているのである。
 
1675 藤白《ふぢしろ》の み坂を越ゆと、
 白栲《しろたへ》の わが衣手は
 濡《ぬ》れにけるかも。
 
 藤白之《フヂシロノ》 三坂乎越跡《ミサカヲコユト》
 白栲之《シロタヘノ》 我衣手者《ワガコロモデハ》
 所v沾香裳《ヌレニケルカモ》
 
【譯】藤白のみ坂を越えるとして、白い布のわたしの著物は、濡れたことだつた。
【釋】藤白之三坂乎越跡 フヂシロノミサカヲコユト。藤白のみ坂は、和歌山縣海南市の南方にある山。ミは接頭語。坂に對して敬意を感じている。この坂は、齊明天皇の四年十一月に、有間の皇子の殺された地として知られている。
 白栲之 シロタヘノ。シロタヘは、アサ、コウゾなどの織布。染めてないもの。衣手の材料を説明する句。
 所沾香裳 ヌレニケルカモ。山の露で濡れたのである。
【評語】 「朝露に濡れにし衣ほさずしてひとりや君が山路越ゆらむ」などの歌の趣で、その歌中の人自身の立場である。單純な表現だが、かえつて旅の口吟歌らしい風情がある。これを涙で濡れたのだとする解があるのは、誤りである。
【參考】類句。五句、ぬれにけるかも。
(255)  武庫川の水尾《みを》をはやみか赤駒の足掻《あが》くたぎちに濡れにけるかも(卷七、一一四一)
  ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露に濡れにけるかも(同、一二四一)
  君がため浮沼《うきぬ》の池の菱採るとわが染《し》めし袖濡れにけるかも(同、一二四九)
  妹がためほつ枝の梅を手折るとは下枝《しづえ》の露に濡れにけるかも(卷十、二三三〇)
  行けど行けど逢はぬ妹ゆゑひさかたの天の露霜に濡れにけるかも(卷十一、二三九五)
  吾妹子に觸るとはなしに荒礒廻《ありそみ》にわが衣手は濡れにけるかも(卷十二、三一六三)
  室《むろ》の浦の迫戸《せと》の埼なる鳴島の礒越す浪に濡れにけるかも(同、三一六四)
 
1676 勢の山に 黄葉《もみち》常《つね》敷《し》く。
 神岡《かむをか》の 山の黄葉は
 今日か散るらむ。
 
 勢能山尓《セノヤマニ》 黄葉常敷《モミチツネシク》
 神岳之《カムヲカノ》 山黄葉者《ヤマノモミチハ》
 今日散濫《ケフカチルラム》
 
【譯】勢の山に黄葉が敷きつくしている。神岡の山の黄葉は、今日あたり散つているだろう。
【釋】勢能山尓 セノヤマニ。セノ山は、和歌山縣伊都郡、紀の川の右岸にある。大和の國から紀伊の國に行くのに越える山である。
 黄葉常敷 モミチツネシク。
  モミチツネシク(藍)
  モミチトコシク(細)
  ――――――――――
  黄葉常敷《モミヂチリシク》(略、宣長)
 常は、ツネともトコとも讀まれるが、トコは、シ、ツなどの助詞に接するもののほかには、直接に體言のみに接して、用言に接する例を見ない。假字書きの例、「等許奈都《トコナツ》」(常夏、卷十七、四〇〇〇)、「登許波《トコハ》」(常(256)葉、卷十四、三四三六)、「登許波都波奈《トコハツハナ》」(常初花、卷十七、三九七八)」「等許夜未《トコヤミ》」(常闇、卷十五、三七四二)、「等己與能久爾《トコヨノクニ》」(常世の國、卷五、八六五)、「床奈馬《トコナメ》」(常滑、卷九、一六九五)。一方ツネの方は、副詞として他の用言に接して使用される例が多い。「都禰斯良農《ツネシラヌ》 道乃長手袁《ミチノナガテヲ》」(卷五、八八八)、「可久之都禰見牟《カクシツネミム》」(卷十八、四一一六)の如きである。いつも敷いてある意で、黄葉の既に散つたことをいう。この語は、「白雪之《シラユキノ》 常敷冬者《ツネシクフユハ》 過去家良霜《スギニケラシモ》」(卷十、一八八八)、とも使用されている。以上二句、現に見る所を敍している。句切。
 神岳之 カムヲカノ。カムヲカは、明日香の神南備山で、雷の岡に同じ。藤原の京の時代の作なので、わが住む里に近い神岳を想起したのである。「神岳乃《カムヲカノ》 山之黄葉乎《ヤマノモミチヲ》」(卷二、一五九)。
【評語】旅先の風景を見て、わが住む郷を思いやつている。二句に黄葉常數クといい、四句に重ねて山ノ黄葉はと、黄葉の語を重ねるのを嫌わないのは、古風な味である。黄葉の散る頃の旅ごころである。見る所の事實を敍して、これによつて他所の季節の動きを推量する歌は多く、殊に黄葉に關するものが、しばしば見えており、この歌もその一つである。
 
1677 大和には 聞えゆかぬか。
 大我野《おほがの》の 竹葉《たかば》刈り敷き
 廬《いほり》せりとは。
 
 山跡庭《ヤマトニハ》 聞往歟《キコエユカヌカ》
 大我野之《オホガノノ》 竹葉苅敷《タカバカリシキ》
 廬爲有跡者《イホリセリトハ》
 
【譯】大和には聞えて行かないかなあ。大我野の竹の葉を刈つて敷いて廬をしているとは。
【釋】聞往歟 キコエユカヌカ。キコエモユクカ(藍)。文字表示が不十分なので、何かの語を補つて讀まなければならないが、歌意よりすれば、打消の助動詞ヌを補うのが自然である。打消のヌを補讀する例は、多く(257)あり、その中に、歟の字の使用してあるものには、「吾念情《ワガオモフココロ》 安虚歟毛《ヤスカラヌカモ》」(卷九、一七九二)の如きがある。句切。
 大我野之 オホガノノ。オホガ野は、今の和歌山縣橋本市、東家《トウケ》・市脇あたりの地で、もと相賀の庄と云つた處。
 竹葉苅敷 タカバカリシキ。
  サヽカリシキテ(類)
  タカハカリシキ(壬)
  ――――――――――
  小竹葉苅敷《ササバカリシキ》(代初書入)
 竹は、「竹島」(滋賀縣高島、卷七、一二三八)、「竹敷浦」(卷十五、三七〇〇)、「竹取翁」(卷十六、三七九〇など、タカと讀み馴れている。「妹之髪《イモガカミ》 上小竹葉野之《アゲタカバノノ》」(卷十一、二六五二)の如き、小竹葉と書いたものも、タカバであるようである。ここも竹葉をタカバと讀むがよい。竹と云つても、かならずしも大きい竹を意味しないことが知られる。
【評語】旅の辛勞を、大和に聞えないかと歌つている。竹葉刈リ敷キの句が、具體的で、草葉というよりも一層よくそのもようが描かれている。何處の野でもよいが、大我野は、音聲もわるくはない。
 
1678 紀《き》の國の 昔、弓雄の
 響矢《なりや》用《も》ち 鹿《しか》獲《と》り靡《な》べし
 坂の上《うへ》にぞある。
 
 木國之《キノクニノ》 昔弓雄之《ムカシユミヲノ》
 響矢用《ナリヤモチ》 鹿取靡《カトリナベシ》
 坂上尓曾安留《サカノウヘニゾアル》
 
【譯】紀伊の國の昔の弓雄が鏑矢をもつて、鹿を取り靡かせた坂の上なのだ。
【釋】昔弓雄之 ムカシユミヲノ。ユミヲは、文字通り弓雄だろうが、固有の人名か、または弓をよく射た男(258)の義か、不明。下文に、鹿取リ靡ベシと、過去の事實を云つているに依れば、多分ある一人の男をさしているのだろう。
 響矢用 ナリヤモチ。ナルヤモテ(藍)、カブラモテ(西)、ナリヤモテ(略)、ナリヤモチ(新訓)。ナリヤは、音響を發する矢。かぶら矢。
 鹿取靡 シカトリナベシ。シカトリナヒク(壬)、シカトリナメシ(考)、カトリナビケシ(古義)。鹿は、集中多くシカと讀んでいる。カとも讀むようであるが、一音の處に當てたと見られる例は稀である。ナベシは、靡かせたで、鹿を多く狩し得た意である。
【評語】何か古傳説でも取り扱つているようだが、不明である。ある坂の上に立つて、往時を追憶した、特殊の内容を有する歌である。旅行者の歌には、ありがちな題材で、笠の金村の鹽津山の歌(卷三、三六四)なども想起される。
 
1679 紀《き》の國に 止《や》まず通はむ。
 都麻《つま》の社《もり》 妻|寄《よ》し來《こ》せね。
 妻と言ひながら
 
 城國尓《キノクニニ》 不v止將2往來1《ヤマズカヨハム》
 妻社《ツマノモリ》 妻依來西尼《ツマヨシコセネ》
 妻常言長柄《ツマトイヒナガラ》
 
【譯】紀伊の國にやまずに通おう。妻の森よ、妻を寄せてください。妻というのだから。
【釋】城國尓不止將往來 キノクニニヤマズカヨハム。城國は、紀伊の國。キノクニ。往來をカヨフに當てて書いていると見られるものには、「言母不2往來1《コトモカヨハヌ》」(卷九、一七八三)、「鶯之《ウグヒスノ》 往來垣根乃《カヨフカキネノ》」(卷十・一九八八)などある。以上の二句は、欲する所を述べている。これは三句以下の敍述にもとづくものである。句切。
 妻社 ツマノモリ。今の和歌山縣橋本市の妻の地にあるモリ。または海草郡東山東村平尾の地は、倭名類聚(259)抄の郷名に、都麻とある處で、その地のモリともいう。モリは、神靈の宿る森林。ツマは、元來地形語で、別に一區劃を成して行き詰つている處をいうのだろうが、人倫の妻と音が同じなので、多くそれに寄せて歌つている。「稻日都麻《イナビツマ》」(卷四、五〇九參照)。
 妻依來西尼 ツマヨシコセネ。ヨシは、寄せる。四段活用としている。「妹慮豫嗣爾《メロヨシニ》 豫嗣豫利據禰《ヨシヨリコネ》」(日本書紀三)。コセは、希望をあらわす助動詞。「須臾毛《シマシクモ》 不通事無《ヨドムコトナク》 有巨勢濃香毛《アリコセヌカモ》」(卷二、一一九)の如く使用しているので、コセが未然形であることが知られる。それに、助詞ネが接續して、希望をあらわしている。句切。
 妻常言長柄 ツマトイヒナガラ。ナガラは、であるが故に、のままにの意。妻というがゆえに。「皇子隨《ミコナガラ》 任賜者《マケタマヘバ》」(卷二、一九九)、「山隨《ヤマナガラ》 如此毛現《カクモウツクシク》 海隨《ウミナガラ》 然眞有目《シカマコトナラメ》」(卷十三、三三三二)など、隨をナガラと讀んでいる。假字書きでは「思延《オモヒノベ》 宇禮之備奈我良《ウレシビナガラ》」(卷十九、四一五四)の如き、同じ意である。「皮服著而《カハゴロモキテ》 角附奈我良《ツノツキナガラ》」(卷十六、三八八四)、「波利夫久路《ハリブクロ》 應碑都々氣奈我良《オビツツケナガラ》」(卷十八、四一三〇)の如きは、――たままでの意に使用している。
【評語】妻という地名に興味を感じて、それを各句の初めに置いて歌つている。紀の國に止まず通おう、何とぞ妻を賜われかし、妻の森というのだからというのである。輕い調子の歌で、あかるく時の興を歌つている。
 
一云、嬬賜尓毛《ツマタマフニモ》  嬬云長良《ツマトイヒナガラ》
 
一は云ふ、妻賜ふにも 妻と云ひながら
 
【釋】嬬賜尓毛 ツマタマフニモ。略解に、爾を南の誤として、ツマタマハナモとする説などあるが、もとのままでよい。妻を賜うにも、妻の社という名だから顯著だというのである。しかしこれは下略の語法であり、(260)本文の方がわかりよい。これは坂上の人長の作とする方の傳來だろう。
 
右一首、或云坂上忌寸人長作
 
【釋】坂上忌寸人長 サカノウヘノイミキヒトヲサ。傳未詳。人長は、ヒトヲサか、ヒトナガか、不明。
 
後人歌二首
 
後れたる人の歌二首
 
【釋】後人歌 オクレタルヒトノウタ。オクレタルヒトは、家に留守している人をいう。あとに殘つた人の意である。但し、後人を、ノチノヒトと解すべき場合もある。「後(ノ)人(ノ)追(ヒテ)和(フル)(卷五、八七二)の如き、それである。これも大寶元年の紀伊の國の行幸の時の作である。
 
1680 朝裳《あさも》よし 紀《き》べ行く君が、
 信士山《まつちやま》 越ゆらむ今日ぞ。
 雨な零《ふ》りそね。
 
 朝裳吉《アサモヨシ》 木方往君我《キベユクキミガ》
 信土山《マツチヤマ》 越濫今日曾《コユラムケフゾ》
 雨莫零根《アメナフリソネ》
 
【譯】朝の裳を著る。その紀の國へ行く君が、信土山を越えているでしよう、今日です。雨よ、降つてくれるな。
【釋】朝裳吉 アサモヨシ。枕詞。麻の裳を著る意に、キの音に冠するとする説が、一往成立している。この語は、集中「朝毛吉」(卷一、五五、卷二、一九九)、「朝裳吉」(卷九、一六八〇、卷十三、三三二四)の如く、アサに朝の字を當てるものと、「麻裳吉」(卷四、五四三)、「麻毛吉」(卷七、一二〇九)の如く、麻の字を當て(261)るものとがある。このうち、朝の字を使つた歌の方が古いのであり、また古人は、男女關係に興味を感じて用語を作ることが多いから、これも婦人の朝裳に、興味を感じて作つたものであるかも知れない。しからばここの朝裳の用字は、漢字の正用である。ヨシは、感動を表示する語であるが、良しの意を感じて使用されているであろう。また著ルのキは甲類、木の國のキは乙類の音であるから、續きかたについても再考を要する。
 木方往君我 キベユクキミガ。木方は、普通キヘと讀んで、ヘを助詞とする解が有力である。キは地名で、紀の國のことであろうが、その一音の地名に、助詞ヘを附けていうことは、諧調とは云いがたい。一方に、體言のへを附けて、その方向を指示することは、「夜麻登幣邇《ヤマトベニ》 爾斯布岐阿宜弖《ニシフキアゲテ》」(古事記下卷)の大倭邊、「故事部爾夜良波《コシベニヤラバ》」(卷十八、四〇八一)の越邊など例が多い。よつてこの木方もキベと讀んで、紀の國の方向の意を成すものと見るべきである。方は、訓假字としても見られるが、むしろ表意文字として、方向の意を表しているものと見られる。このへは、その音韻の表示が動搖して、清音の字にも濁音の字にも書かれることは、他の一般のハ行音の語と同樣である。なおこの語は「木部行君乎《キベユクキミヲ》 何時可將v待《イツトカマタム》」(卷十三、三三二一)とも使用され、同じく助詞なしに使われている。
 信土山 マツチヤマ。信は、眞に通じてマの音に使用している。大和から紀伊の國に入つた處にある山。「白栲爾《シロタヘニ》 丹保布信士之《ニホフマツチノ》 山川爾《ヤマカハニ》」(卷七、一一九二)。
 越濫今日曾 コユラムケフゾ。ゾは、終助詞。句切。
【評語】夫が信土山を越えているだろうと思われる日に詠んでいる。雨の降りそうな空模樣なのだろう。案じている樣がよくあらわれている。當時防水の装備が乏しいので、雨に逢うことを非常に嫌うのである。
 
1681 後《おく》れ居て わが戀ひ居《を》れば、
(262) 白雲の 棚引く山を
 今日か越ゆらむ。
 
 後居而《オクレヰテ》吾戀居者《ワガコヒヲレバ》
 白雲《シラクモノ》 棚引山乎《タナビクヤマヲ》
 今日香越濫《ケフカコユラム》
 
【譯】あとに殘つていて、わたしが戀していると、白雲の、たなびく山を、今日あたり、越えているのでしよう。
【評語】前と同じく、旅に出た夫を思つている。白雲ノタナビク山というのが、いかにもはるかな土地の山という感じを與える。内容は、平易で、すなおに詠まれている。「ここにして家やもいづく。白雲のたなびく山を越えて來にけり」(卷三、二八七)。
 
獻2忍壁皇子1歌一首 詠21
 
忍壁《おさかべ》の皇子に獻《たてまつ》れる一首【仙人の形を詠める。】
 
【釋】忍壁皇子 オサカベノミコ。天武天皇の第九皇子。慶雲元年五月薨じた。天武天皇の十年三月の國史の編纂、および大寶の律令の制定に關係されているので、學間のあつた方であることが知られる。この歌以降は、柿本朝臣人麻呂歌集の所出の範圍に入ること、用字法などから見ても、疑いを容れないところであつて、この歌も人麻呂の作と考えられるのであるが、次に出る歌は、舍人の皇子に獻るとあり、舍人の皇子は、日本書紀の撰者として知られている方なので、人麻呂が、かような學識のある方に召されて歌を獻つていたことがわかるのである。
 詠仙人形 ヤマビトノカタヲヨメル。忍壁の皇子が、仙人の像または、畫などを所有せられていて、それについて詠んだものであろう。神仙思想がさかんにはいつて來た時代で、その圖像なども、愛玩されたものと見(263)える。
 
1682 とこしへに 夏冬行けや、
 裘《かはごろも》 扇放たぬ。
 山に住む人。
 
 常之倍尓《トコシヘニ》 夏冬往哉《ナツフユユケヤ》
 裘《カハゴロモ》 扇不v放《アフギハナタヌ》
 山住人《ヤマニスムヒト》
 
【譯】永久に、夏と冬とが進行するというのだろうか、皮服を著て扇を放さない。山に住んでいる人は。
【釋】常之倍尓夏冬往哉 トコシヘニナツフユユケヤ。ユケヤは、疑問條件法。はたして永久に夏と冬とが進行するだろうかの意になる。強い疑問だから、その條件の内容は、そんなはずはないのだがの意になる。ここはその起り得ない場合であるが、仙人の世界では、そういうこともあるのかの意を含んでいる。
 裘 カハゴロモ。獣皮の衣服。寒氣を防ぐ衣料。「火鼠のかはごろもをたまへ」(竹取物語)。倭名類聚鈔に「裘、説文云裘、音求、加波古路毛、俗云、加波岐奴。皮衣也。」
 扇不放 アフギハナタヌ。アフギは、團扇である。倭名類聚鈔に、「扇、四聲字苑云、扇、式戰反、玉篇作v※[竹/扇]、在2竹部1、阿布岐。所2以取1v風也。」上のユケヤを受けて結んでいる。句切。
 山住人 ヤマニスムヒト。仙人をいう。山中に神仙ありとする思想から來ている。仙人は日本にはいなかつたので、仙の字をヤマビトと訓し、それにつけてこの句となつた。
【評語】即興の作として、皇子の邸にあつたものについて詠んだのであろう。人間世界とは違つた時間の經過を持つていると考えられた仙人の世界が、歌われている。それはそんな世界もあるだろうという憧憬の思いを寄せた、時代の思想を描いている。人麻呂の時代に、仙人が好奇心をもつて迎え入れられた文獻として注意される。仙人は、女子の形を採るものもあるが、この歌のは、服装から云つても男子だろう。仙人が、どのよう(264)な姿でえがかれていたかがわかる。
【參考】仙人に關する歌。
   仙柘《つみ》の枝の歌
  霞降り吉志美《きしみ》が高嶽《たけ》を峻《さか》しみと草取りはなち殊が手を取る
   右の一首は、或るは云ふ、吉野人|味稻《うましね》の、柘の枝の仙媛に與ふる歌なりといへり。但し柘枝傳を見るに、この歌あることなし。(卷三、三八五)
  わが盛りいたくくたちぬ。雲に飛ぶ藥はむともまた變《を》ちめやも(卷五、八四七)
  海原の遠きわたりをみやびをのみやびを見むとなづさひぞ來し
   右の一首は、白紙に書きて屋の壁に懸け著けたり。題して云ふ、蓬莱の仙媛が化《な》れる嚢蘰《ふくろかづら》、風流秀才の士のためにす、こは凡客の望み見る所ならざらむかといへり。(卷六、一〇一六)
  あしひきの山行きしかば山人の我に得しめし山裹《やまつと》ぞこれ(卷二十、四二九三)
 
獻2舍人皇子1歌二首
 
舍人の皇子に獻れる歌二首
 
【釋】舍人皇子 トネリノミコ。天武天皇の第三皇子。日本書紀の撰者として知られ、やはり學問を理解された方と思われる。人麻呂集の歌が、かような方々に獻られているのは、當時の歌の詠まれた世界を語るものである。同じ題は、下の一七〇四の前行にもある。
 
1683 妹が手を 取りて引き攀《よ》ぢ
(265)ふさ手折《たを》り
 わが插頭《かざ》すべき 花咲けるかも。
 
 妹手《イモガテヲ》 取而引與治《トリテヒキヨヂ》
 ?手折《フサタヲリ》
 吾刺可《ワガカザスベキ》 花開鴨《ハナサケルカモ》
 
【譯】妻の手を取つて引き寄せるように、引き寄せてふさふさと手折つて、わたしの插頭《かざし》にすべき花が咲いたなあ。
【釋】妹手取而引與治 イモガテヲトリテヒキヨデ。妹ガ手ヲ取リテまで序詞。手を取つて引き寄せると續く。ヨヂは、手もとに寄せる意。「青柳乃《アヲヤギノ》 保都枝與治等理《ホツエヨヂトリ》」(卷十九、四二八九)。「右は合歡ノ花并セテ茅花ヲ折リ攀ヂテ贈レルナリ」(卷八、一四六一左註參照)。
 ?手折 フサタヲリ。從來ウチタヲリと、讀まれていたが、?は、新撰字鏡に「擧隅反、盛土也、法也、累也、採也」とあつて、ウチと讀むべき根據がない。よつて竹岡正夫氏、眞鍋次郎氏の説(萬葉)に、?は手首の義。正倉院文書に、手?とあるは、タフサにあててあるとして、?をフサと讀むべしとする。今、これによる。この字形は、「?手折《フサタヲリ》 多武山霧《タムノヤマギリ》」(卷九、一七〇四)、「?手折《フサタヲリ》 吾者持而往《ワレハモチテユク》」(卷十三、三二二三)とある。フサタヲリは、ふさふさと折る意である。その用例。「布佐多乎里家流《フサタヲリケル》 乎美奈敝之香物《ヲミナヘシカモ》」(卷十七、三九四三)。「ふさ折りもつは誰が子なるらむ」(建久年中行事)。
 吾刺可 ワガカザスベキ。刺は、頭刺の意に使われている。文字を、ある語の符號とする用法の目立つものである。可の字は、漢文ふうに多く動詞の上に置いて書かれているが、ここに國語の配列通りに、動詞の字の下に書かれているのは、特例で、例はすくない。「萬代爾《ヨロヅヨニ》 語續可《カタリツグベキ》 名者不v立之而《マハタテズシテ》」(卷六、九七八)。
【評語】花を賞した歌であるが、序詞が氣が利いている。巧みをねらつて、時の興を助けた歌である。寓意はなく、宴席などでの即興の作であろう。
 
(266)1684 春山は 散り過ぎぬとも
 三輪山は いまだ含《ふふ》めり。
 君待ちがてに。
 
 春山者《ハルヤマハ》 散過去鞆《チリスギヌトモ》
 三和山者《ミワヤマハ》 未含《イマダフフメリ》
 君待勝尓《キミマチガテニ》
 
【譯】春の山は、よし散り過ぎても、三輪山はまだつぼんでおります。あなたをお待ちしかねて。
【釋】春山者 ハルヤマハ。すべての春の山は。
 散過去鞆 チリスギヌトモ。チリスクレトモ(壬)、チリスギヌレドモ(代精)。よし散り過ぎてしまつたとしても。
 未含 イマダフフメリ。まだ花が咲かないでいる。句切。
 君待勝尓 キミマチガテニ。人麻呂集の歌に、ガテに、勝の字を當ててあるのは、ガテの語義考察の上に、重要な資料となるものである。
【標語】三輪山のほとりに、君のお出でを待つべきわけがあつたのだろう。春の實景以外に、含む所のある歌である。
 
泉河邊、間人宿祢作歌二首
 
泉河の邊《ほとり》にて間人《はしびと》の宿称の作れる歌二首
 
【釋】泉河 イヅミガハ。今の木澤川。京都府相樂郡に發して、流れて淀川に入る。大和の國から奈良山を越えて山城の國に入る旅人(267)は、まずこの川のほとりに出る。綴喜の郡の泉の郷を流れるので、泉川という。
 間人宿称 ハシビトノスクネ。何人か不明。天武天皇の十三年十二月、間人の連に、宿禰を賜わつた。神魂《かむむすび》の命の系統と傳える。集中この姓の人に、間人の連老(卷一、三)、間人の宿禰大浦(卷三、二八九)があるが、老は、舒明天皇の御代の人で、時代が違う。しかしここは大浦だという推定はできない。
 
1685 河の瀬の 激《たぎ》つを見れば、
 玉もかも 散り亂れたる。
 川の常かも。
 
 河瀬《カハノセノ》 激乎見者《タギツヲミレバ》
 玉鴨《タマモカモ》 散亂而在《チリミダレタル》
 川常鴨《カハノツネカモ》
 
【譯】河の瀬の激するのを見れば、玉が散り亂れたのか。それとも川の習いだろうか。
【釋】激乎見者 タギツヲミレバ。タギツは、激しく流れる。
 玉鴨散亂而在 タマモカモチリミダレタル。タマヲカモチリミダシタルとも讀まれるが、この歌は、次の歌と共に連作を成しているのであつて、次の歌には、牽牛星の頭插の玉が亂れたのかと自動に云つているので、ここもそれと歩調を合わせることとした。句切。
 川常鴨 カハノツネカモ。川としてきまつたことかの意。
【評語】激流を見て、玉を亂したのかと疑つている。その見方は、ごく普通の考えかたである。五句に、川の常かと云つたのは、正直すぎて曲がなさそうだが、かえつて素朴の感を與えるものである。
 
1686 彦星の 頭插《かざし》の玉の、
 嬬戀《つまごひ》に 亂れにけらし。
 この川の瀬に。
 
 孫星《ヒコホシノ》 頭刺玉之《カザシノタマノ》
 嬬戀《ツマゴヒニ》 亂祁良志《ミダレニケラシ》
 此川瀬尓《コノカハノセニ》
 
(263)【譯】牽牛星が頭插にしている玉が、妻戀いのために亂れたのだろう。この川の瀬に。
【釋】孫星 ヒコボシノ。ヒコボシは、男の星の義。孫の字は、ヒコの訓のために當てて書いている。七夕傳説の牽牛星のこと。
 頸刺玉之 カザシノタマノ。カザシノタマは、頭髪に刺してある玉である。普通に、花を頭插にすることは歌うが、玉を頭插にするのは特殊で、天人の風俗を想像したのだろう。
 嬬戀 ツマゴヒニ。妻すなわち織女星に戀するためにで、戀のために思い亂れて、頭插の玉が散つたとするのである。
【評語】美しい空想によつて、川の激流を敍している。前の歌と共に、連作として味わうべく、これによつて、激流の美しさが浮かびあがつてくる。
 
鷺坂作歌一首
 
鷺坂にて作れる歌一首
 
【釋】鷺坂 サギサカ。京都府久世郡|城陽《じようよう》町久世にある。泉川を渡つてから、宇治川に出る通路にあり、大和から山城、近江の國府などに赴く街道に當る。「山代《ヤマシロノ》 久世乃鷺坂《クセノサギサカ》」(卷九、一七〇七)。
 
1687 白鳥《しらとり》の 鷺坂山の 松蔭に
 宿りて行かな。
 夜も深《ふ》け行くを。
 
 白鳥《シラトリノ》 鷺坂山《サギサカヤマノ》 松影《マツカゲニ》
 宿而往奈《ヤドリテユカナ》
 夜毛深往乎《ヨモフケユクヲ》
 
【譯】白い鳥の鷺坂山の松の木かげに、宿つて行こう。夜も更けて行くものを。
(269)【釋】白鳥 シラトリノ。枕詞。鷺を説明する。
【標語】行き暮れて道のほとりに宿ろうとする旅の心ぼそさが詠まれているが、その場處の敍述が美しい詞で作られているので、全體が美しくなつている。白鳥は、枕詞だが、歌を美しくするのに役立つている。松蔭と處を明示したのもよい。
 
名木河作歌二首
 
名木河《なぎがは》にて作れる歌二首
 
【釋】名木河 ナギガハ。所在不明。倭名類聚鈔に、久世郡に那紀の郷があり、今の小倉村伊勢田の邊だろうという。なお二首とあるのは、一首の誤りだろうとする説があるが、これについては、一六八九の歌の評語に記した。
 
1688 ?《あぶ》り干《ほ》す 人もあれやも、
 濡衣《ぬれぎぬ》を 家には遣《や》らな。
 旅のしるしに。
 
 ?干《アブリホス》 人母在八方《ヒトモアレヤモ》
 沾衣乎《ヌレギヌヲ》 家者夜良奈《イヘニハヤラナ》
 羈印《タビノシルシニ》
 
【譯】ここでは火であぶつてほす人も無いことだ。濡れた著物を、家へ送つてやりたい。旅のしるしに。
【釋】?干人母在八方 アブリホスヒトモアレヤモ。ヤモは反語。旅にあつて濡れた著物をあぶつてほす人が無いの意。句切。
 沾衣乎 ヌレギヌヲ。雨に濡れた衣服を。
 家者夜良奈 イヘニハヤラナ。願望の語法。句切。
(270) 羈印 タビノシルシニ。旅をしていることを明白にするために。シルシは、記念、證明などの意のある語。ここは輕く、旅をしている表明にぐらいである。
【評語】突然、沾衣とあるが、この一首は、後に出る名木河にて作れる歌三首と同時同人の作と考えられる。それを何故に二つに分けたかといえば、この人麻呂集所出の一連のうち、一六八七から一六九三までは、季節のない歌を集め、一六九四以下は、季節のある歌を集めたものと思われる。歌の順序としては、後の三首の方が先で、この一首がそれに續くものであり、四首を併わせて連作と見られるものであるが、殊にこの一首は、一六九八のアブリホス人モアレヤモの歌とは不可分の關係に立つものである。それをかように分離したのは、人麻呂集の編纂が、作者と見られる人麻呂の企畫に反して行われたことを證明する。さて、沾衣を旅のしるしとして家にやりたいと歌い納めたのは、よく旅中に雨に逢つたものわびしさ、家戀しさを描いている。
 
1689 荒礒邊《ありそべ》に 著《つ》きて榜《こ》がさね。
 杏人《ももひと》の 濱を過ぐれば
 戀《こほ》しくありなり。
 
 在衣邊《アリソベニ》 著而榜尼《ツキテコガサネ》
 杏人《モモヒトノ》 濱過者《ハマヲスグレバ》
 戀布在奈利《コホシクアリナリ》
 
【譯】礒の方に著いて船をお榜ぎなさい。杏人の濱を通り過ぎるので、その礒がなつかしく思われる。
【釋】在衣邊著而榜尼 アリソベニツキテコガサネ。自分の乘つている船の、水手《かこ》に向かつて言つている。岸邊近く船を進めよの意。なお榜尼は、コガサニとも、讀まれる。「吾爾尼保波尼《ワレニニホハネ》」(卷九、一六九四)參照。句切。
 杏人 モモヒトノ。
  カラヒトノ(西)
(271)  カラモモノ(札、士清)
  ウマヒトノ(補)
  ――――――――――
  京人《ミヤコビト》(略、宣長)
 次の句の濱に冠して、地名であろうが、訓法不明。杏は、倭名類聚鈔に加良毛毛とあり、新撰字鏡に辛桃と註しているのもその意である。杏人をカラモモと讀むのは、杏仁に同じとするのである。カラヒトとするのは、カラモモのカラを借りたとするものである。しかしカラモモのカラを借りたとするよりも、まだしもモモを借りたとする方が無事だろう。いずれにしても所在も不明なのだから致し方がない。前後、山城の國を經て近江の國に旅行しての作であるから、琵琶湖畔の地名であるかも知れない。百人の義であるかもしれない。
 濱過者 ハマヲスグレバ。船上に、その濱を通過するのでの意。
 戀布在奈利 コホシクアリナリ。助動詞ナリは、古くは動詞の終止形を受ける。アリは、ラ行變格だから、アリナリとなる。「伊多玖佐夜藝帝阿理那理《イタクサヤギテアリナリ》」(古事記中卷)、「美奈不之天阿利奈利《ミナフシテアリナリ》」(正倉院文書、續修別集第四十八卷)。
【評語】海岸の風光を愛する心が、船人に對していう語となつて、歌われている。輕い内容の旅の歌である。但しこの一首は、名木河での作ではない。前の歌とのあいだに中斷された部分があるのだろう。この卷の編纂法は、もとの資料のままに切つて繼いだ部分が多く、この部分もそういう編纂になつていると考えられるので、たまたま中間を裁斷してかような形に繼ぎ合わせてしまつたのだろう。それで用字法なども資料のままになつていると考えられるのである。
 
高島作歌二首
 
高島にて作れる歌二首
 
(272)【釋】高島 タカシマ。滋賀縣高島郡の地。琵琶湖の北方の西岸の地である。
 
1690 高島の 阿渡《あと》河波は 騷《さわ》けども、
 吾《われ》は家思ふ。
 宿り悲しみ。
 
 高島之《タカシマノ》 阿渡川波者《アトカハナミハ》 驟鞆《サワケドモ》
 吾者家思《ワレハイヘオモフ》
 宿加奈之弥《ヤドリカナシミ》
 
【譯】高島の阿渡川の波は騷ぐけれども、わたしは家を思う。宿りに感傷して。
【釋】阿波川波者 アトカハナミハ。アト川は、今の安曇川。東流して琵琶湖にそそぐ。
 驟鞆 サワケドモ。このドモは、ある事が行われるが、それは別としての意に使われている。「小竹之葉者《ササノハハ》 三山毛清爾《ミヤマモサヤニ》 亂友《サヤケドモ》 吾者妹思《ワレハイモオモフ》 別來禮婆《ワカレキヌレバ》」(卷二、一三三)のドモの用法に同じ。
 宿加奈之弥 ヤドリカナシミ。カナシミは、心に感傷する意の形容。
【評語】河波の立ち騷ぐほとりに旅宿する感傷が歌われている。無量の旅情が、よく寫されている。三句の騷ケドモは、いかにも人麻呂らしい表現で、感慨を描く要素になつている。人麻呂の作とする「小竹の葉はみ山もさやに」の歌と、同巧の歌である。重出が傳えられるのは、後人によつて愛誦されたためであろう。
【參考】重出。
  高島の阿渡白波はさわけども吾は家思ふ。いほりかなしみ(卷七、一二三八)
 
1691 旅なれば 三更《よなか》を指して 照る月の、
 高島山に 隱らく惜しも。
 
 客在者《タビナレバ》 三更刺而《ヨナカヲサシテ》 照月《テルツキノ》
 高島山《タカシマヤマニ》 隱惜毛《カクラクヲシモ》
 
【譯】旅なので、夜中を目ざして照る月が、高島山に隱れるのが惜しいなあ。
(273)【釋】三更刺而 ヨナカヲサシテ。ヨナカは、「狹夜深而《サヨフケテ》 夜中乃方爾《ヨナカノカタニ》」(卷七、一二二五)の歌に照らして地名とする。その條參照。ここでは、夜半とも見られる。サシテは、目ざして。夜中に向かつて。
【評語】旅にあつて、夜半に照る月の隱れるのを惜しんでいる。深夜の旅情が、月に對して別れを惜しむ形で表現されている。
 
紀伊國作歌二首
 
紀伊の國にて作れる歌二首
 
1692 わが戀ふる 妹は逢はさず。
 玉の浦に 衣片敷き
 ひとりかも寐む。
 
 吾戀《ワガコフル》 妹相佐受《イモハアハサズ》
 玉浦丹《タマノウラニ》 衣片敷《コロモカタシキ》
 一鴨將v寐《ヒトリカモネム》
 
【譯】わたしの思つている妻は逢つてくれない。玉の浦に著物を片敷いてひとりでか寐よう。
【釋】吾戀妹相佐受 ワガコフルイモハアハサズ。アハサズは、敬語法の否定。お逢いにならないだが、敬意は輕くなつている。句切。
 玉浦丹 タマノウラニ。タマノ浦は、「玉之裏《タマノウラ》 離小島《ハナレコジマノ》 夢石見《イメニシミユル》」(卷七・一二〇二)とあつて、和歌山縣東牟婁郡だというが、東牟婁郡では、奧過ぎる。もつと、和歌山市寄りに求めらるべきである。和歌の浦だろう。
 衣片敷 コロモカタシキ。男女が寐る時には、その衣服を敷いて寐るのだが、ひとりで寐る時には、自分の衣服だけを敷くことになる。それをカタシキという。
(274)【評語】かつて行幸御幸のおりに、夫婦共に御供して旅行した。そのなつかしい地に、今はその妻に死別してから、ひとりさびしく旅行する心が詠まれている。幻影の妻を追つて、しかも逢うことを得ないで、ひとり礒邊に旅衣を片敷いて寐ようとする。悲痛の作で、よくその情趣が描かれている。四五句は、慣用句として、しばしば使用されている。なお次の歌も、この歌と同時同人の連作と見るべきである。
 
1693 玉匣《たまくしげ》 明けまく惜しき あたら夜を、
 袖《ころもで》離《か》れて ひとりかも寐む。
 
 玉匣《タマクシゲ》 開卷惜《アケマクヲシキ》 ?夜矣《アタラヨヲ》
 袖可禮而《コロモデカレテ》 一鴨將v寐《ヒトリカモネム》
 
【譯】玉匣のふたをあける。そのように夜の明けるのが惜しい、惜しむべき夜を、妻の袖に離れて、ひとりでか寐るのだろう。
【釋】玉匣 タマクシゲ。枕詞。匣の蓋をあけるということから、そのアクと、同音の夜の開けるに冠している。
 ?夜矣 アタラヨヲ。?は、悋の異體字。惜しむべき意に、アタラと讀む。アタラヨは、明けることの惜しまれる夜。
【評語】前の歌と連作をなしている。亡き妻を求めてひとり旅宿する寂寥感が歌われている。獨カモ寐ムは、類型的な句で、この歌あたりが古い方だが、なお前行の歌詞を受けているのだろう。普通の旅の心を詠んだものとも解せられる歌であるが、ここでは連作として見るべきだろう。
 
鷺坂作歌一首
 
鷺坂にて作れる歌一首
 
(275)1694 細領巾《たくひれ》の 鷺坂山の 白《しら》つつじ、
 吾ににほはね。
 妹に示さむ。
 
 細比禮乃《タクヒレノ》 鷺坂山《サギサカヤマノ》 白管自《シラツツジ》
 吾尓尼保波尼《ワレニニホハネ》
 妹尓示《イモニシメサム》
 
【譯】コウゾの領巾のように白い、鷺坂山の白ツツジは、わたしのために咲いてくれ。わが妻に見せよう。
【釋】細比禮乃 タクヒレノ。枕詞。細は、細布の義をもつて、栲に代えて使用している。栲の領巾は白いので、鷺を修飾する。
 白管自 シラツツジ。ツツジは赤いのが普通なので、時に白と言つている。
 吾尓尼保波尼 ワレニニホハネ。尼の字を、字音假字として、右の中に、ニおよびネの音の表示に使つていると見られる。これは、字音の渡來の種類によるもので、ニというのは、尼僧などの場合に、ニと言つていたのを使用したのだろう。但し、「伊弊爾可弊利提《イヘニカヘリテ》 奈利乎斯麻佐爾《ナリヲシマサニ》」(卷五、八〇一)の例によれば、ニホハニと讀むべきであるかも知れない。ニホハネは、におつてほしい意で、色にあらわれよ、咲き出でよの意。句切。
【評語】旅先の風光品物などを愛人に見せたいという思想は、類型的なものだが、特に咲キイデヨと注文したのが特色である。栲領巾ノ鷺坂山ノ白ツツジは、白い物を重ねた所が計畫的である。この歌以下十六首は、季節順に配列してあり、以下五首は、春の歌である。
 
泉河作歌一首
 
泉河にて作れる歌一首
 
(276)1695 妹《いも》が門《かど》 入《い》り泉川《いづみがは》の 常滑《とこなめ》に
 み雪殘れり。
 いまだ冬かも。
 
 妹門《イモガカド》 入出見川乃《イリイヅミガハノ》 床奈馬尓《トコナメニ》
 三雪遺《ミユキノコレリ》
 未冬鴨《イマダフユカモ》
 
【譯】妻の家の門を、出入をする。その泉川の岩床に、雪が殘つている。まだ冬なのだろうか。
【釋】妹門入出見川乃 イモガカドイリイヅミガハノ。妹が門入りまでは、序詞。イヅミ川のイヅを引き起している。
 床奈馬尓 トコナメニ。トコナメは、卷の一、卷の七に常滑と書いてる。岩床の水に濡れて常に滑らかなもの。
 三雪遺 ミユキノコレリ。雪がまだ消えないで殘つている。句切。
【評語】早春に泉川のあたりを過ぎてその風物を敍している。作者は妻の家を思い、妹ガ門入リの序を使つて、巧みに泉川を起している。巧みな歌だが、感興は深い。
 
名木河作歌三首
 
名木河にて作れる歌三首
 
1696 衣手の 名木の川邊を、
 春雨に 吾《われ》立ち濡《ぬ》ると、
 家念ふらむか。
 
 衣手乃《コロモデノ》 名木之川邊乎《ナギノカハベヲ》
 春雨《ハルサメニ》 吾立沾等《ワレタチヌルト》
 家念良武可《イヘオモフラムカ》
 
(277)【譯】著物が和ぐ。その名木の川邊を、春雨にわたしが濡れると、家では思つているだろうか。
【釋】衣手乃 コロモデノ。枕詞。かかり方については、諸説があるが、衣服を著馴れて和ぐという意に、地名のナギに冠するのだろう。
 名木之川邊乎 ナギノカハベヲ。このヲは、名木の川邊なるをの意に、下の吾立チ濡ルの場處を指示している。
 吾立沾等 ワレタチヌルト。タチは、接頭語で、強い意はないが、濡れる時の?態に即して、使われてはいる。
 家念良武可 イヘオモフラムカ。家では念うだろうかの意。この歌におけるこの句の用法によつて、「吾馬爪衝《ワガウマツマヅク》 家思良下《イヘオモフラシモ》」(卷七、一一九一)、「吾馬難《ワガウマナヅム》 家戀良下《イヘコフラシモ》」(同、一一九二)のイヘオモフ、イヘコフが、同樣の意に使われているとすることもできる。
【評語】以下三首、および前出の一六八八の歌と共に連作として、まず最初に總説ふうに歌つている。これで大體の輪郭が描かれ、以下順次、その感情を精寫してゆくのである。そこで衣手の枕詞が、やはり伏線としての用を成していることが知られる。家では、旅に辛勞している自分をどう思つているだろうかという、旅人としての心情が、正面から歌われている。
 
1697 家人《いへびと》の 使なるらし。
 春雨の 避《よ》くれど吾を
 濡《ぬ》らす念《おも》へば。
 
 家人《イヘビトノ》 使在之《ツカヒナルラシ》
 春雨乃《ハルサメノ》 與久列杼吾乎《ヨクレドワレヲ》
 沾念者《ヌラスオモヘバ》
 
【譯】家の人の使なのだろう。春雨が、避けてもわたしを濡らすのを思うと。
(278)【釋】家人 イヘビトノ。イヘビトは、家にある人で、主として妻をいう。
 與久列杼吾等乎 ヨクレドワレヲ。ヨクレは、避ける意の動詞で、「與寄道者無荷《ヨキヂハナシニ》」(卷七、一二二六)、「與久流日毛安良自《ヨクルヒモアラジ》」(卷十五、三六八三)などの使用例がある。
【評語】春雨がつきまとつて濡らすのを、家人の使かと疑つたのは、巧みな感想である。しつとりと濡れた困惑が、家人をなつかしむ形であらわれている所に、特色がある。
 
1698 ?《あぶ》りほす 人もあれやも、
 家人の 春雨すらを 間使《まづかひ》にする。
 
 ?干《アブリホス》 人母在八方《ヒトモアレヤモ》
 家人《イヘビトノ》 春雨須良乎《ハルサメスラヲ》 間使尓爲《マヅカヒニスル》
 
【譯】火であぶつてほす人があるというのだろうか、家の人は、春雨のような者をも、使にしている。
【釋】?干人母在八方 アブリホスヒトモアレヤモ。前の一六八八の歌と同じ句だが、ここでは疑問條件法になつている。ヤモは疑問が深く、反語になつている。同一の形の文が、一つは獨立文として、一つは前提法として使用され、しかも同一人によつて、多分同じ時に使用されたかと見られるのは、興味をひく。作者は、この二種の用法に、さして區別を感じていないだろう。この歌において、初二句は、作者自身の上をいい、三句以下は、家人が主になつていて、嚴密に云えば初二句は三句以下の條件にならないのである。これは獨立文としてもよく、これに脚をつけて、前提法としてもよいのである。そこで使用されている助詞についていえば、ヤモは、終助詞ともなり、係助詞ともなることになる。そのどちらが原形的であるかといえば、終助詞としての用法が原形的で、轉じて係助詞にも使用されることになつたものと推定される。これはひとりヤモだけの問題でなくして、他のすべての係助詞にわたつて共通している性質である。ゾなどでもこういう傾向は指摘される。たとえば「夕去者《ユフサレバ》 公來座跡《キミキマサムト》 待夜之《マチシヨノ》 名凝衣今《ナゴリゾイマモ》 宿不v勝爲《イネガテニスル》」(卷十一、二五八八)の歌において、ゾを(279)受けてスルと結んでいるけれども、歌意は、ナゴリゾで切れ、今モイネガテニスルは,それを受けて説明を補足しているものである。ナゴリニゾの意であるとする解釋は、恐らくは當つていないだろう。
 間使尓爲 マヅカヒニスル。マヅカヒは、兩者のあいだの使者。アレヤモを受けて結んでいる。
【評語】以上三首は連作で、既出の一六八八の歌と共に一團を成している。この歌で條件法になつている句を、一六八八では受けて繰り返し、しかもそこでは獨立文として使用している。ここの三首に對して、一六八八の歌は、反歌のような性質を成している。その構成の巧みを味わうべきである。
 
宇治河作歌二首
 
宇治河にて作れる歌二首
 
【釋】宇治河 ウヂガハ。琵琶湖から發して山城の國に入り、宇治の地を流れるので、宇治河の名を得ている。ここには巨椋の入江が詠まれているのは、もと宇治川が流入してできた水面だからである。
 
1699 巨椋《おほくら》の 入江|響《とよ》むなり。
 射目人《いめびと》の 伏見が田井に
 雁《かり》渡るらし。
 
 巨椋乃《オホクラノ》 入江響奈理《イリエトヨムナリ》
 射目人乃《イメビトノ》 伏見何田井尓《フシミガタヰニ》
 雁渡良之《カリワタルラシ》
 
【譯】巨椋の入江が鳴り響いている。弓を射る人が伏して見る、その伏見の田に雁が渡るらしい。
【釋】巨椋乃入江響奈理 オホクラノイリエトヨムナリ。オホクラノ入江は、宇治川の水が廣がつて入江を成している處。後、桃山時代に堤防を築いて河流と分離して池とした。當時は、廣かつたらしい。トヨムは、物音が響くのをいうが、ここは入江におりていた雁が、一度に立つた物音をいうのだろう。句切。
(280) 射目人乃 イメビトノ。枕詞。イメは、弓を射る人の、かくれているところであり、その人が、弓を射るのに伏してねらうので、伏見に冠している。射目は、鹿猪などを射るために身を隱す場所だという(大野豊氏)。雁を射る人の隱れる所にもいうか。
 伏見何田井尓 フシミガタヰニ。フシミは、京都市の伏見の地。巨椋の入江の北方に當る。ヰは接尾語。雲ヰのヰに同じ。定著を感ずる物につける。
【評語】初二句で事實を直寫して云い切つたのが強い感じを與える。廣々とした水面に立つ物音を描いて、それからその物音の説明に移つたのは、心の動いた順序によるもので、自然な形の表現である。以下十首、秋の歌である。
 
(281)1700 秋風の 山吹きて瀬の 響《な》るなへに、
 天の白雲 翔りあふかも。
 
 金風《アキカゼノ》 山吹瀬乃《ヤマフキテセノ》 響苗《ナルナヘニ》
 天雲《アマノシラクモ》 翔相鴨《カケリアフカモ》
 
【譯】秋風が山を吹いて川瀬が鳴り響くと共に、大空の白雲が飛びあうことだなあ。
【釋】金風 アキカゼノ。金を秋に當てるのは。五行説によるもので、季節を木火土金水の五行に配當すれば、秋は金に當るとするからである。「金野乃《アキノノノ》」(卷一、七參照)。 
 山吹瀬乃響苗 ヤマフキテセノナルナヘニ。
  ヤマフクセセノヒヒクナヘ(藍)
  ヤマフキノセノナルナヘニ(西)
  ヤマフキノセノトヨムナヘ(代精)
  ヤマフキセセノトヨムナヘ(定本)
  ――――――――――
  山吹瀬々響苗《ヤマフクセセノヒヒクナヘニ》(神)
 ヤマフキノセと讀む説は、宇治川に山吹の瀬という名處があるというが、それは疑問で、その地名は、この歌あたりから云い出したことだろう。秋風が山を吹く實景と、見るべきである。響は、前の歌には、トヨムと讀まれているが、「足引之《アシヒキノ》 山河之瀬之《ヤマカハノセノ》 響苗爾《ナルナヘニ》」(卷七、一〇八八)によれば、響苗を、ナルナヘニと讀まれる。
 天雲翔相鴨 アマノシラクモカケリアフカモ。
  アマクモカケルカリニアへルカモ(藍)
  ――――――――――
 天雲翔雁相鴨《アマクモカケルカリニアヘルカモ》(壬)
 天雲翔雁相鴨《アマグモカケルカリニアフカモ》(童)
 天雲翔雁相鴨《アマグモカケルカリニヲミルカモ》(童)
(282) 藍紙本、類聚古集、古葉略類聚鈔以外の諸本には、翔の下に鴈の字がある。藍紙本などには鴈の字は無いが、訓にはある。この訓に釣られて鴈の字が加わつたとも見られるし、もと鴈の字のあつた本によつて訓が得られたとも見られ、どちらにも證據にならない。鴈の字の無いのによれば、天雲を、補讀しなければならない。歌意から云えば、鴈でなくて、雲の飛ぶ方が、歌がらが大きくなる。「多奈妣家流《タナビケル》 安麻能之良久毛《アマノシラクモ》」(卷十五、三六〇二)。
【評語】傳來の文字に疑問があつて、完全に原歌を味わうことができない。雄大な内容の歌らしいが、殘念なことである。今の訓によつて味わえば、その大きな構想が窺えるが、それで完全な原形であるかどうかを知らない。
 
獻2弓削皇子1歌三首
 
弓削の皇子に獻《たてまつ》れる歌三首
 
1701 さ夜中と 夜は深けぬらし。
 雁《かり》が音《ね》の 聞ゆる空ゆ 月渡る見ゆ。
 
 佐宵中等《サヨナカト》 夜者深去良斯《ヨハフケヌラシ》
 鴈音《カリガネノ》 所v聞空《キコユルソラニ》 月渡見《ツキワタルミユ》
 
【譯】ま夜中と夜はふけたらしい。雁の聲の聞える空を、月の渡るのが見える。
【釋】所聞空 キコユルソラユ。從來キコユルソラニと讀んで恠《あや》しまなかつた句であるが、類歌を卷の十に載せたのには、三句以下「雁鳴乃《カリガネノ》 所v聞空從《キコユルソラユ》 月立度《ツキタチワタル》」(卷十、二二二四)とある。物のわたる場處を指示する句については、「見渡者《ミワタセバ》 潮干乃潟爾《シホヒノカタニ》 多頭鳴渡《タヅナキワタル》」(卷六、一〇三〇)、「見渡者《ミワタセバ》 淡路島爾《アハヂノシマニ》 多豆渡所v見《タヅワタルミユ》」(卷七、一一六〇)などの如く、助詞ニを受けるものは、その渡つて行く方向を指示しており、また「喚子鳥《ヨブコドリ》 三(283)船山從《ミフネノヤマユ》 喧渡所v見《ナキワタルミユ》」(卷十、一八三一)、「我門從《ワガカドユ》 喧過渡《ナキスギワタル》 霍公鳥《ホトトギス》」(卷十九、四一七六)などの如く、助詞ユを受けるものは、その通過する道程を指示している。今この歌で、月の渡る所の、雁ガネノ聞ユル空は、その渡り行く道程であつて、月の渡り行く方向ではないのだから、キコユルソラユと讀むべく、ユを補讀することになるのである。雁の鳴聲の聞える空を通つての意で、ユは、本來の意義に使われている。
【評語】深夜の情景が、自然な形で歌われている。巧みを求めない、おちついた歌である。卷の十に類歌があり、古今和歌集にもこれを載せているのは、人々に愛誦されて傳えられたのであろう。
【參考】類歌。
  この夜らはさ夜更けぬらし。雁がねの聞ゆる空ゆ月たち渡る(卷十、二二二四)
 
1702 妹があたり 茂き雁がね、
 夕霧に 來《き》鳴きて過ぎぬ。
 すべなきまでに。
 
 妹當《イモガアタリ》 茂苅音《シゲキカリガネ》
 夕霧《ユフギリニ》 來鳴而過去《キナキテスギヌ》
 及v乏《スベナキマデニ》
 
【譯】妹の家の邊には、澤山の雁が、夕霧に來て鳴いて行つた。しかたのないまでに。
【釋】妹當 イモガアタリ。愛人の家のあたり。その家のある方角をさしている。
 茂苅音 シゲキカリガネ。シゲキは、數の多いのをいう。苅は、雁の借字。
 來鳴而過去 キナキテスギヌ。今ここに妹のあたりに、鳴いて過ぎて行つた。句切。
 及乏 スベナキマデニ。從來トモシキマデニと讀まれていた。澤瀉博士は、「戀無乏《コヒハスベナシ》」(卷十一、二三七三)などによつて、スベナキマデニと、讀んでいる。その方が通りがよい。乏しいことが、スベナキに當るのである。
(284)【評語】妹ガアタリ茂キ雁ガネというような、ただ言葉を積み重ねたような云い方が、かえつて思い惱んでいる心を表現するに役立つている。雁の聲に感傷するという内容は、思い寄り易く、類想もあるのだが、上記のような時殊の表現で、持つている歌である。
 
1703 雲|隱《がく》り 雁鳴く時に、
 秋山の 黄葉《もみち》片待つ。
 時は過ぎねど。
 
 雲隱《クモガクリ》 鴈鳴時《カリナクトキニ》
 秋山《アキヤマノ》 黄葉片待《モミチカタマツ》
 時者雖v過《トキハスギネド》
 
【譯】雲に隱れて雁の鳴く時に、秋山の黄葉を待ち設ける。時は過ぎないのだが。
【釋】黄葉片待 モミチカタマツ。カタマツは、片より待つで、ひたすらに待つ意。句切。
 時者經過 トキハスギネド。
  トキハスクトモ(藍)
  トキハスキネト(西)
  トキハスグレド(代精)
  ――――――――――
  時者雖不過《トキハスギネド》(略、宣長)
 打消を意味する文字が無くて、その意に補讀すべきものと考えられる。この種の補讀は、助詞カ、カモに接續する場合に多く、この句の場合のようなのは、例は無いが、人麻呂集所出には、打消の意味を補讀すべき場合が、しばしばあるから、ここももとからこのような形になつていたのだろう。黄葉すべき時節は、まだ來ないのだがの意である。
【評語】雁の聲に催されて、秋山の黄葉を待つ心が、まだその時に到らないのに、動いている。秋の氣分の出ている歌だが、五句は説明に落ちて、理くつになつている。
 
(285)獻2舍人皇子1歌二首
 
舍人の皇子に獻れる歌二首
 
【釋】獻舍人皇子歌 トネリノミコニタテマツレルウタ。歌詞に、細川を詠んでいるのを見ると、その邊に皇子の邸宅でもあつたものだろう。
 
1704 ふさたをり 多武《たむ》の山霧
 しげみかも
 細川の瀬に 波の騷ける。
 
 ?手折《フサタヲリ》 多武山霧《タムノヤマギリ》
 茂鴨《シゲミカモ》
 細川瀬《ホソカハノセニ》 波驟祁留《ナミノサワケル》
 
【譯】ふさふさ折つてたわめる。その多武の山の霧が茂くあるゆえか、細川の瀬に浪が騷いでいる。
【釋】?手折 フサタヲリ。枕詞。ふさふさと、手折つてたわむというので、タムに冠する。?は、一六八三參照。
 多武山霧 タムノヤヤギリ。タムノ山は、奈良縣磯城郡高市郡に跨つている塔の峰。高市郡の方面から眺めている。
 細川瀬 ホソカハノセニ。ホソ川は、多武の山の西南を流れて、飛鳥川に入る小川である。
 波驟祁留 ナミノサワケル。サワケルは、三句の茂ミカモを受けて結んでいる。
【評語】山中の情景、霧の立つこと茂くして、川の瀬の騷ぐように覺えるさまである。初句の枕詞は、無用であり、細川も小流で、その瀬の騷ぐということが、大げさに感じられる。「あしひきの山川の瀬の鳴るなへに弓月が嶽に雲立ち渡る」(卷七、一〇八八)の壯大なのに及ばない。
 
(286)1705 冬ごもり 春べに戀ひて
 植ゑし木の、
 實のなる時を 片待つわれぞ。
 
 冬木成《フユゴモリ》 春部戀而《ハルベニコヒテ》
 植木《ウヱシキノ》
 實成時《ミノナルトキヲ》 片待吾等敍《カタマツワレゾ》
 
【譯】冬の中から春の頃を慕つて植えた木の、實のなる時を待ちこがれるわたくしです。
【釋】冬木成 フユゴモリ。冬の終り頃。ここは、枕詞ではなく、實際の季節である。「冬木成《フユゴモリ》 時敷時跡《トキジキトキト》」(卷三、三八二)、「難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花」(古今和歌集序)などの用法に同じ。
 春部戀而 ハルベニコヒテ。ハルヘヲコヒテ(藍)、ハルベニコヒテ(童)。從來多くは、春ベヲ戀ヒテと讀んでいたものであるが、童蒙抄に、春ベニ戀ヒテとしているのがよい。動詞戀フは、助詞ニを受けて、これによつて、その戀う所の方向を指示するのを通例とする。但し助詞ヲを受ける例も無いではない。集中、ヲを受ける例は、次の如くである。
  風乎太尓《カゼヲダニ》 戀流波乏之《コフルハトモシ》 風小谷《カゼヲダニ》 將v來登時待者《コムトシマタバ》 何香將v嘆《ナニカナゲカム》(卷四、四八九)
 これは、三四句の、風ヲダニ來ムトシ待タバに合わせて、風ヲダニ戀フルはと云つている。
  波之家也思《ハシケヤシ》 不遠里乎《マヂカキサトヲ》 雲居爾也《クモヰニヤ》 戀管將v居《コヒツツヲラム》 月毛不v經國《ツキモヘナクニ》(卷四、六四〇)
  家尓之弖《イヘニシテ》 吾者將v戀名《ワレハコヒムナ》 印南野乃《イナミノノ》 淺茅之上尓《アサヂガウヘニ》 照之月夜乎《テリシツクヨヲ》(卷七・一一七九)
  香山爾《カグヤマニ》 雲位桁曳《クモヰタナビキ》 於保々思久《オホホシク》 相見子等乎《アヒミシコラヲ》 後戀矣鴨《ノチコヒムカモ》(卷十二 二四四九)
  高麗劔《コマツルギ》 己之景迹故《ワガココロカラ》 多耳《ヨソノミニ》 見乍哉君乎《ミツツヤキミヲ》 戀渡奈矣《コヒワタリナム》(卷十二、二九八三)
  伊都之可母《イツシカモ》 見牟等於毛比師《ミムトオモヒシ》 安波之麻乎《アハシマヲ》 與曾爾也故非無《ヨソニヤコヒム》 由久與思乎奈美《ユクヨシヲナミ》(卷十五、三六三一)
(287)  多妣爾安禮杼《タビニアレド》 欲流波火等毛之《ヨルハヒトモシ》 乎流和禮乎《ヲルワレヲ》 也未爾也伊毛我《ヤミニヤイモガ》 古非都追安流良牟《コヒツツアルラム》(同、三六六九)
  多知波奈乃《タチバナノ》 之多布久可是乃《シタフクカゼノ》 可具波志伎《カグハシキ》 都久波能夜麻乎《ツクハノヤマヲ》 古比須安良米可毛《コヒズアラメカモ》(卷二十、四三七一)
 これらの例において、戀フは、助詞ヲを受けているが、いずれも戀フの目的物について説明がなされてあり、そのヲは、なるものをの意が濃厚であつて、それゆえに使用されているものである。しかるに今この歌では、目的物の説明も無く、なるものをの意でもないから、ハルベニコヒテと讀むを至當とするのである。
【評語】木を植えてやがて實のなるのを待つことに、寓意が感じられる。舍人の皇子が、やがて時代に迎えられるのを待つているものとも解せられる。舍人の皇子は、天武天皇の第三皇子で、御母は新田部の皇女だから、この歌が何時作られたものであるかはわからないが、ある時期に、周圍の人々が帝位につくべき方として希望を懸けたこともあるのだろう。それは高市の皇子の薨後だろう。
 
舍人皇子御歌一首
 
舍人の皇子の御歌一首
 
1706 ぬばたまの 夜霧は立ちぬ。
 衣手を 高屋《たかや》の上に 棚引くまでに。
 
 黒玉《ヌバタマノ》 夜霧立《ヨギリハタチヌ》
 衣手《コロモデヲ》 高屋於《タカヤノウヘニ》 霏※[雨/微]麻天尓《タナビクマデニ》
 
【譯】くらい夜の霧は立つた。その高屋の上にたなびくまでに。
【釋】黒玉 ヌバタマノ。枕詞。
 夜霧立 ヨギリハタチヌ。ヨルキリタチヌ(藍)、ヨキリハタチヌ(西)、ヨギリゾタテル(略)、ここで句を切ることには多く一致しているが、訓には諸説がある。夜霧の下に、助詞を補讀するとせば、他に同形の例が(288)あるなどの事情のない限り、ハを補うのが穩當である。句切。
 衣手 コロモデヲ。「衣手能《コロモデノ》 田上山之《タナカミヤマノ》」(卷一、五〇)の、例に任せて、コロモデノとも讀まれる。枕詞。衣手の手というので、タの音に冠する。コロモデヲは、「衣手乎《コロモデヲ》 打廻乃里爾《ウチミノサトニ》」(卷四、五八九)の、一例がある。
 高屋於 タカヤノウヘニ。タカヤは、高い家屋とする説と、地名説とあり、どちらでも通じる。地名とすれば、略解に、「神名帳に、大和城上郡高屋安倍神社とある所なるべし」とあるのでよい。これは今の磯城郡櫻井町大字谷の若櫻神社の境内にある高屋神社である。
【評語】枕詞を二つまでも使つており、主想は、極めて單純である。高屋が地名であるにしても、その高の語は、動かない所であろう。特にこの皇子の作をここに載せたのは、前の、多武の山霧の歌に應じられた作であるからかも知れない。そうすれば、高屋は、家屋をさすことになり、それは多分その時の御座所のことになるのだろう。歌は、これによつて活氣を帶びて來る。
 
鷺坂作歌一首
 
鷺坂にて作れる歌一首
 
1707 山城の 久世《くせ》の鷺坂、
 神代より 春は萌《は》りつつ
 秋は散りけり。
 
 山代《ヤマシロノ》 久世乃鷺坂《クセノサギサカ》
 自2神代1《カミヨヨリ》 春者張乍《ハルハハリツツ》
 秋者散來《アキハチリケリ》
 
【譯】山城の久世の鷺坂は、神代から、春は草木の芽が出、秋は散つたのだ。
(289)【釋】春者張乍 ハルハハリツツ。ハリツツは、萌リツツで、草木の芽のふくらむをいう。張の字は、膨脹の意味に使つたのだろう。春の意に張の字を使つたものに「在乍毛《アリツツモ》 張之來者《ハルシキタラバ》 立隱金《タチカクルガネ》」(卷四、五二九)があり、春の語義は、草木の芽の膨張することであつたのだろう。
【評語】季節の推移による風物の變化は、太古から同じことが繰り返されていることを歌つている。思想的な歌である。山城の久世の鷺坂を通つて、この感を深くして、この作を成したのだろう。春秋を竝べているが、歌は、秋の葉の散る頃に詠んだものである。
 
泉河邊作歌一首
 
泉河の邊にて作れる歌一首
 
1708 春草を 馬咋《うまくひ》山ゆ 越え來《く》なる
 雁《かり》の使は 宿《やど》り過ぐなり。
 
 春草《ハルクサヲ》 馬咋山自《ウマクヒヤマユ》 越來奈流《コエクナル》
 雁使者《カリノツカヒハ》 宿過奈利《ヤドリスグナリ》
 
【譯】春草を馬が食う。その名の咋山を通つて越えてくる雁の使は、宿りを過ぎて行くのだ。
【釋】春草馬咋山自 ハルクサヲウマクヒヤマユ。ハルクサヲウマまで序詞。春草を馬が食う意に、クヒを引き起している。クヒ山は地名。延喜式神名に、綴喜郡に咋岡神社とある。京都府綴喜郡田邊町飯岡にある小山で、その麓に咋岡神社がある。ユは、そこを通つて。
【評語】序が巧奇である。但し秋の歌なので、歌われた時の季節ではない。雁の使を詠むために、わざわざ春草から歌い出した手段と見られる。雁の使というのは、家人からの使を連想している。それがいたずらに旅の宿りを過ぎてゆく時の感慨である。指定の助動詞ナリを二度使用して、雁を強く提示している。
 
(290)獻2弓削皇子1歌一首
 
弓削の皇子に獻れる歌一首
 
1709 御食向《みけむか》ふ 南淵《みなぶち》山の 巖には、
 落《ふ》りしはだれか、削り殘れる。
 
 御食向《ミケムカフ》 南淵山之《ミナブチヤマノ》 巖者《イハホニハ》
 落波太列可《フリシハダレカ》 削遺有《ケヅリノコレル》
 
【譯】南淵山の巖には、降つたはだれの雪だろうか、削り殘つている。
【釋】御食向 ミケムカフ。枕詞。ミケムカフは、御食事を供える意であつて、他の例は「御食向《ミケムカフ》 木※[瓦+缶]宮乎《キノヘノミヤヲ》」(卷二、一九六)、「御食向《ミケムカフ》 淡路乃島二《アハヂノシマニ》」(卷六、九四六)、「御食向《ミケムカフ》 味原宮者《アヂフノミヤハ》」(同、一〇六二)とあり、それぞれ、酒《き》、粟《あは》、味に冠していると考えられる。それでここもミナ(御肴)に冠するのだろう。ミ(肉)に冠するというのは、音韻が違うので疑わしい。
 南淵山之 ミナブチヤマノ。ミナブチ山は、奈良縣高市郡にある山、今、稻淵山という。
 落波太列可 フリシハダレカ。ハダレは、はだれの雪の略。うすく降つた雪。カは、疑問の係助詞。
 削遺有 ケヅリノコレル。
  ケツリノコセル(西)
  ケヅリノコレル(定本)
  ――――――――――
  消遺有《キエノコリケル》(考)
 誤字説もあるが、原文のままでよい。巖について、その殘つた雪を歌うので、削リ殘レルと云つている。この削るの語を使つたのは、漢文學の影響があるのだろう。「萬丈(ノ)崇巖削成秀」(懷風藻、紀の男人)。
【評語】南淵山の巖に雪のところどころ殘つているのを詠んでいる。削リ殘レルと云つたのが、手段であるが、(291)それがためにかえつて後人の誤解を招いて、消エ殘リタルの誤りとする説を生じた。消エ殘リタルならば、降リシハダレカと、疑問の辭を用いる要はない。この歌は、冬の歌である。
 
右、柿本朝臣人麻呂之歌集所v出
 
【釋】右柿本朝臣人麻呂之歌集所出 ミギハカキノモトノアソミヒトマロノウタノシフニイヅルトコロ。ただ右とのみあつて、何首ともないので、係かる範圍が不明である。作者について記事のないものからとすれば、大寶元年の紀伊の國の行幸御幸の歌からになる。人麻呂歌集に、その時の歌あること、歌の内容から推してそうかとも考えられ、また若干の疑問も殘る。仙人の形を詠める歌からは、まちがいのない所である。
 
1710 吾妹子が
 赤裳ひづちて 植ゑし田を、
 刈りて藏《をさ》めむ 倉無《くらなし》の濱。
 
 吾妹兒之《ワギモコガ》
 赤裳?塗而《アカモヒヅチテ》 殖之田乎《ウヱシタヲ》
 苅將v藏《カリテヲサメム》 倉無之濱《クラナシノハマ》
 
【譯】あの子が赤い裳をぬらして植えた田を、刈つて藏に收めよう、その倉の無い濱だ。
【釋】吾妹兒之赤裳?塗而殖之田乎苅將藏 ワギモコガアカモヒヅチテウヱシタヲカリテヲサメム。以上四句、序詞。刈りて藏めむ倉の意に續く。連體形の句。ワギモコは、ここは妻というほどでもない。ただ女性の愛稱。ヒヅチテは、濡れそぼちてで、文字通り泥まみれになつての意。
 倉無之濱 クラナシノハマ。所在未詳。和爾雅《わにが》に、豐前中津の龍王濱とある。
【評語】倉無の濱の名に興じて詠んだ、序詞中心の歌である。その地を通つて詠んだのだろう。四句まで序詞で埋める歌は、相聞の歌には、往々にしてあるが、かような地名の説明の歌は珍しい。歌が遊戯的にもてあそ(292)ばれるようになつたことを語つている。
 
1711 百傳《ももづた》ふ 八十《やそ》の島|廻《み》を 榜《こ》ぎ來れど、
 粟の小島し、見れど飽かぬかも。
 
 百轉《モモヅタフ》 八十島廻乎《ヤソノシマミヲ》 榜雖v來《コギクレド》
 粟小島志《アハノコジマシ》 雖v見不v足可聞《ミレドアカヌカモ》
 
【譯】澤山の島々を漕いできたが、粟の小島は、見ても飽きないなあ。
【釋】百轉 モモヅタフ。枕詞。轉は、傳に通じて使用されている。「展傳《コイマロビ》 戀者死友《コヒハシストモ》」(卷十一、二二七四)の展傳も、展轉に同じである。百に傳う意に八十に冠している。
 粟小島志 アハノコジマシ。アハノ小島は、今の何の島か、不明。天平八年の遣新羅の使人が、周防の國玖珂郡麻里布の浦を行きし時の歌に「伊都之可母《イツシカモ》 見牟等於毛比師《ミムトオモヒシ》 安波之麻乎《アハシマヲ》 與曾爾也故非無《ヨソニヤコヒム》 由久與志乎奈美《ユクヨシヲナミ》」(卷十五、三六三一)とある安波之麻は四國と見られるが、ここは小島とあつて別だろう。藍紙本等には、志を者に作り、アハノコジマハとしているが、シの方が提示の力が強くてよい。
【評語】多くの島々の中に、特に粟の小島を稱美している。見レド飽カヌカモというほめ方は、類型的で手輕だが、感歎これを久しくするという氣もちは窺われる。大がかりな表現の歌である。
 
右二首、或云、柿本朝臣人麻呂作
 
【釋】或云柿本朝臣人麻呂作 アルハイフ、カキノモトノアソミヒトマロガツクレルトイヘリ。傳誦した歌なので、人麻呂の作という傳來もあつたのだろう。もとより確實性のあるものとは云いがたい。
 
登2筑波山1詠v月一首
 
(293)筑波山に登りて月を詠める一首
 
1712 天《あま》の原 雲なき夕《よひ》に、
 ぬばたまの 宵《よ》渡る月の
 入らまく惜しも。
 
 天原《アマノハラ》 雲無夕尓《クモナキヨヒニ》
 烏玉乃《ヌバタマノ》 宵度月乃《ヨワタルツキノ》
 入卷?毛《イラマクヲシモ》
 
【譯】大空に雲の無い夜に、夜の空を過ぎゆく月のはいるのが惜しいなあ。
【評語】山上にあつて、雲の無い夜に月の入るのを惜しんでいる。雄大な氣象の感じられる歌である。初句の、天の原も、極めて效果が大きい。ヌバタマノ夜渡ル月というのは、月の説明として平凡だが、それでよく夜空を渡る月を表現し得ている。
 
幸2芳野離宮1時歌二首
 
【釋】幸芳野離宮時歌 ヨシノノトツミヤニイデマシシトキノウタ。何時の行幸とも知られない。前後の歌の時代から云えば、藤原の宮の時代だろう。
 
1713 瀧の上の 三船の山ゆ
 秋津|邊《べ》に 來《き》鳴きわたるは、
 誰喚子鳥《たれよぶこどり》。
 
 瀧上乃《タギノウヘノ》 三船山從《ミフネノヤマユ》
 秋津邊《アキツベニ》 來鳴度者《キナキワタルハ》
 誰喚兒鳥《タレヨブコドリ》
 
【譯】激流の上の三船の山を通つて、秋津のあたりに、來て鳴いて飛ぶのは、誰を呼ぶ喚子鳥だろう。
【釋】瀧上乃三船山從 タギノウヘノミフネノヤマユ。タギは激流。ミフネノ山は、吉野の離宮の上流にある(294)山。笠の金村の歌にも「瀧上之《タギノウヘノ》 御舟乃山爾《ミフネノヤマニ》」(卷六、九〇七)とある。その山の形に、船を連想させるものがあり、瀧の上の御船の語に、興味を感じて使つている。
 秋津邊 アキツベニ。アキツは、吉野の離宮のある處の地名。「花散相《ハナチラフ》 秋津乃野邊爾《アキツノノベニ》 宮柱《ミヤバシラ》 太敷座波《フトシキマセバ》」(卷一、三六)。
 誰喚兒鳥 タレヨブコドリ。誰を呼ぶ喚子鳥ぞの意。喚子鳥は、その聲が、人を呼ぶように聞えるからの名で、他の歌にも鳴きながら飛ぶことが歌われ、そのような習性をもつている鳥であることが知られる。「呼兒鳥《ヨブコドリ》 象乃中山《キサノナカヤマ》 呼曾越奈流《ヨビゾコユナル》」(卷一、七〇)、「呼子鳥《ヨブコドリ》 三船山從《ミフネノヤマユ》 喧渡所v見《ナキワタルミユ》」(卷十、一八三一)。
【評語】吉野山中の景を敍して、平易に歌われている。五句のかけ詞が、さして技巧を感じさせないで、自然に使われているのは、單純な形だからである。よぶこ鳥は、その鳴聲が、人を呼ぶように聞えるというので、その名を得ており、歌にも、常にその意に詠まれている。これは一つの約束が成立しているものと見てよい。
 
1714 落ち激《たぎ》ち 流るる水の、
 磐《いは》に觸れ 淀める淀に
 月の影見ゆ。
 
 落多藝知《オチタギチ》 流水之《ナガルルミヅノ》
 磐觸《イハニフレ》 與抒賣類與杼尓《ヨドメルヨドニ》
 月影所v見《ツキノカゲミユ》
 
【譯】落下し激して流れる水が、岩に觸れて、淀んでいる淀みに月の光が見える。
【釋】落多藝知 オチタギチ。タギチは、激しく流れる意の動詞で、タギチ、タギツの用例がある。
 與杼賣類與杼尓 ヨドメルヨドニ。ヨドメルは、水の流れないでたまるのをいう。ヨドは、その處。
【評語】激しく流れ落ちる水が、岩石に觸れて作つた淀みに、月光のさしているさまが、實によく歌われてい(295)る。激流の中の、一旦しずまつた處に月の影のさしている、動中の靜ともいうべき一點が、まさしくも描き出されている。練達の士の作であることを思わしめる。淀メル淀と、ヨドの語を重ねたのも、效果を助けている。
 
右三首、作者未v詳
 
【釋】右三首作者未詳 ミギノミツハツクレルヒトイマダツマビラカナラズ。勿論誰と推定することはできないが、いずれも立派な作品であり、風格において通ずる所があるから、同一人の作であろう。
 
槐本歌一首
 
【釋】槐本歌 ヱノモトノウタ。槐は、ヱニスと讀まれる字で、本草和名に、槐實に和名惠乃美と註しているによれば、槐本はヱノモトか。また新撰字鏡に、槐に加太久美の訓があり、これは建築上の用語と考えられるが、また同書、欟に豆支、又加太久彌の訓がある。これによれば欟に通じて使用したもののようであつて、ツキモトとも讀まれる。越前國司解(大日本古文書二十五、二一四頁)は、天平寶字元年に越前の國から、東大寺の墾地の目録を報告した文書であるが、その中に、「九柿本里、廿垣本田三段中、廿一垣本田二段中、廿三槐本田二段中、廿五槐本田一段二百十六歩中、廿六槐本田六段上」等の記事がある。これによれば、垣本田を槐本田とも書いたとするよりも、別意とする方が順當であるから、カキモトではないようである。また柿本に同じとする説があるが、根據はない。この次に、山上歌、春日歌、高市歌、春日藏歌など、みな氏と見られるので、これも氏と見られる。槻木氏は、新撰姓氏録左京皇別に、「坂田宿禰、息長眞人同祖。天渟中原瀛眞人天皇《アマノヌナハラオキノマヒトノスメラミコト》謚天武御世、出家入道、法名信正。娶2近江國人槻本公1、戸、附2母氏1唱2槻木公1、改2槻本1賜2坂田宿禰1。」また天武天皇の朱鳥元年六月、槻本の村主勝麻呂に連を賜わつたことがあり、槻本の公もあつた。なお正倉院文書(296)には、槐田という氏も見える。ヱノモトという氏は見受けない。以下五首、一團となつて、一七一九の左註にいう古記から出たものの如くである。この五首は、姓氏と思われるものによつて作者を記している。
 
1715 樂浪《さざなみ》の 比良《ひら》山風の 海吹けば、
 釣する海人《ま》の 袂《そで》かへる見ゆ。
 
 樂浪之《サザナミノ》 平山風之《ヒラヤマカゼノ》 海吹者《ウミフケバ》
 釣爲海人之《ツリスルアマノ》 袂變所v見《ソデカヘルミユ》
 
【譯】樂浪の比良の山風が湖水を吹くので、釣をする海人の袖の飜えるのが見える。
【釋】樂浪之平山風之 ササナミノヒラヤマカゼノ。ササナミは、琵琶湖の南方の總地名であり、ヒラ山は、その北方にあつて、京都府と滋賀縣との堺に立つ山である。これによつて、ササナミの地名が、ヒラ山をも含むものとされるが、しかし古人のいう地名は、その地に對していうのであつて、地圖の上などの知識にもとづくものではない。ササナミのヒラ山というのは、ササナミの地に立つて見たヒラ山であつて、この意味において、ヒラ山がササナミの地域内にもなるのである。その山から吹いて來る風が、ヒラ山風である。「佐左浪乃《ササナミノ》 連庫山爾《ナミクラヤマニ》」(卷七、一一七〇)の如きも、この用法である。
【評語】湖上の風光が、いきいきと描かれている。比良の山から吹きおろす風で、湖上が波立つているさまが、目に見えるようである。
 
山上歌一首
 
【釋】山上歌 ヤマノウヘノウタ。ヤマノウヘは山上の憶良。卷の一に「幸2于紀伊國1時、川島皇子御作歌」(三四)に註して「或云山上憶良作」とあるのは、これによつて記したものと解せられる。
 
(297)1716 白波の 濱松の木の 手向草《たむけぐさ》、
 幾代までにか 年は經ぬらむ。
 
 白那弥之《シラナミノ》 濱松之木乃《ハママツノキノ》 手酬草《タムケグサ》
 幾世左右二箇《イクヨマデニカ》 年薄經濫《トシハヘヌラム》
 
【譯】白浪のうち寄せる濱の松の木に懸けてある手向の品は、幾代までに、年を經ているのだろうか。
【釋】濱松之木乃 ハママツノキノ。卷の一には、濱松ガ枝ノとある。枝の方が、手向草の所在を明示してよい。
 手酬草 タムケグサ。手向の祭に使用した材料。すなわち幣《ぬさ》で、アサ、コウゾの類をいう。これを樹枝に縣けて手向を行つたと思われる。
 年薄經濫 トシハヘヌラム。卷の一には、年ノ經ヌラムとある。年ハというと、特に年を提示する氣もちである。年ノの方が、すなおでよい。
【評語】かような歌は、旅行く人がしばしば吟誦したものと見えて、作者を異にして、傳えられるようになつたのであろう。旅行者のすくなかつた時代に、特に遺物につけて前人を思う感慨が歌われている。
【參考】別傳。
   幸2于紀伊國1時、川島皇子御作歌 或云、山上臣憶良作
   白浪乃《シラナミノ》 濱松之枝乃《ハママツガエノ》 手向草《タムケグサ》 幾代左右二賀《イクヨマデニカ》 年乃經去良武《トシノヘヌラム》 一云 年者經尓計武
    日本紀曰、朱鳥四年庚寅秋九月、天皇幸2紀伊國1也(卷一、三四)
    如2角沙彌記濱哥1曰
  旨羅那美能《シラナミノ》一句 婆麻々都我延能《ハママツガエノ》二句 他年氣倶佐《タムケグサ》三句 伊倶與麻弖爾可《イクヨマデニカ》四句 等自能倍爾計牟《トシノヘニケム》五句(歌經標式)
 
(298)右一首、或云川島皇子御作歌
 
【釋】或云川島皇子御作歌 アルハイフ、カハシマノミコノツクリマセルウタ。卷の一の所載によつて、この註を附したのであろう。川島の皇子は、天智天皇の皇子、持統天皇の五年九月薨じた(卷一、三四參照)。
 
春日歌一首
 
【釋】春日歌 カスガノウタ。カスガは、春日の藏首老であろう、藤原時代の人(卷一、五六參照)。
 
1717 三川《みつかは》の 淵瀬もおちず 小網《さで》刺《さ》すに
 衣手|濕《ぬ》れぬ。
 干《ほ》す兒は無しに。
 
 三川之《ミツカハノ》 淵瀬物不v落《フチセモオチズ》 左提刺尓《サデサスニ》
 衣手潮《コロモデヌレヌ》
 干兒波無尓《ホスコハナシニ》
 
【譯】三川の淵も瀬も殘さずに、小網をかけるので、著物が濡れた。ほす人も無しに。
【釋】三川之 ミツカハノ。ミツカハは、川の名であろうが、所在未詳。
 淵瀬物不落 フチセモオチズ。オチズは、脱落せずで、淵瀬のことごとく。
 左提刺尓 サデサスニ。サデは、小網。サスは、小網を河中に插し込むので、小網を入れて魚を捕るをいう。
 衣手潮 コロモデヌレヌ。潮は、仙覺の萬葉集註釋には、濕に作つている。仙覺本の諸本には湖に作るにより、代匠記初稿本に沾の誤りとし、考に潤の誤り、略解に濕の誤りとしている。潮は、本來濕潤の義のある字であるから、古本系統の諸本に、潮に作るのでよい。句切。
 干兒波無尓 ホスコハナシニ。コは、ここでは女子をさしている。妻というよりもつと遊離した立場で、女(299)子をさしているであろう。
【評語】魚を捕るので濡れた衣服を、ほす兒も無いというのは、旅の寂寥を歌つたものである。この兒は、家に殘した妻の愛稱とも取れるが、漠然と周邊のさびしさを感じているものともいえる。多分後者なのだろう。
 
高市歌一首
 
【釋】高市歌 タケチノウタ。タケチは、高市の連黒人であろう。藤原時代の人(卷一、七〇參照)。
 
1718 あともひて 榜《こ》ぎ行く船は、
 高島の 阿渡《あと》の水門《みなと》に
 泊《は》てにけむかも。
 
 足利思代《アトモヒテ》 榜行船薄《コギユクフネハ》
 高島之《タカシマノ》 足速之水門尓《アトノミナトニ》
 極尓濫鴨《ハテニケムカモ》
 
【譯】つれだつて漕いで行く船は、高島の阿渡の河口に停泊しただろうなあ。
【釋】足利思代 アトモヒテ。四字とも訓假字。率いて、連れだつて。何艘か連れ立つて漕いで行く船である。「御軍士乎《ミイクサヲ》 安騰毛比賜《アトモヒタマヒ》」(卷二、一九九)。
 高島之足速之水門尓 タカシマノアトノミナトニ。アトは、滋賀縣高島郡安曇。ミナトは、その川口。
【評語】漕ぎ行く船の前途を問題にしているのは、作者自身が、旅の心ぼそさを感じているからである。高市の黒人の作に、「何處にか船泊すらむ。安禮《あれ》の埼漕ぎたみ行きし棚無し小船」(卷一、五八)というのがあるが、それと同樣の手段で、旅の寂寥感を、船に寄せて歌つている。何艘かの船の漕ぎ去つたあとの空虚な湖面が、眼前に展開している景を思うべきである。アトモヒテ、アトノ水門と、アトの音を重ねて、調子をつけている。作者の興味は、かなり多くこの點に懸かつている。
 
(300) 春日藏歌一首
 
【釋】春日藏歌 カスガノクラノウタ。カスガノクラは、春日の藏首老であろう。藏首はカバネで、その一字だけを記している。前には、春日の歌とあり、ここには藏の字がはいつているが、すべて左註にいうように、古記によつたもので、資料とした所に、既にかようにあつたのだろう。元來おぼえ書きふうに記されたものと見える。
 
1719 照る月を 雲な隱しそ。
 島かげに わが船泊てむ
 泊《とまり》知らずも。
 
 照月遠《テルツキヲ》 雲莫隱《クモナカクシソ》
 島陰尓《シマカゲニ》 吾船將v極《ワガフネハテム》
 留不v知毛《トマリシラズモ》
 
【譯】照る月を雲よ隱してくれるな。島陰にわたしの船の泊る場處がわからない。
【評語】月光をたよりに泊地を求めようとしている。おりしも浮雲が漂つて、その月が隱れようとする心ぼそさが感じられる歌で、特に第三句以下が感情を描いている。
【參考】類歌。
  大葉山霞たなびきさ夜更けてわが船泊てむとまり知らずも(卷七、一二二四、卷九、一七三二)
 
右一首、或本云、小辨作也。或記2姓氏1、無v記2名字1。或?2名號1、不v?2姓氏1。然依2古記1、便以v次載。凡如v此類、下皆放v焉。
 
右の一首は、或る本に云ふ、小辨の作なりといへり。或るは姓氏を記し、名字を記すことなく、或る(301)は名號を?ひて、姓氏を?はず。然れども古記に依りて、すなはち次を以ちて載す。およそかくの如き類、下皆これに放《なら》へ。
【釋】小辨作也 スナキオホトモヒガツクレル。小辨は、「高市連黒人近江舊都歌一首」(卷三、三〇五)の左註にも「右歌、或本曰、小辨作也、未v審2此小辨者1也」と見えている。これは、辨官のうちの左右の少辨であるとも、また人名ともいう。今、辨官として訓した。
 古記 フルキフミ。資料とした古い記録の類をいうと見えるが、いかなるものとも知られない。何人かが、得るにしたがつて歌を記し留めておいたものと見える。この前後、特に筆録者自身だけの備忘録といつたふうの資料である。
 
元仁歌三首
 
【釋】元仁歌 グワヌニノウタ。元仁は、どういう人とも知られない。「右、有2吉田連老1、字曰2石麻呂1。所v謂仁敬之子也」(卷十六、三八五四左註)とある、仁敬は、吉田の宜の字《あざな》と考えられているように、當時の學者が、漢風の字を附けていた、その種の字であろう。また、僧であるかも知れないが、歌意は僧らしくはない。
 
1720 馬|竝《な》めて うち群れ越え來《き》
 今見つる 芳野の川を、
 いつ反り見む。
 
 馬屯而《ウマナメテ》 打集越來《ウチムレコエキ》
 今見鶴《イマミツル》 芳野之川乎《ヨシノノカハヲ》
 何時將v顧《イツカヘリミム》
 
【譯】馬を竝べて、大勢で越えて來て、今日見た、吉野の川を、いつまた來て見ることだろうか。
【釋】馬屯而 ウマナメテ。屯は、屯集の義をもつて書いている。多數の馬での意であるから、ナメテと義讀(302)している。
 打集越來 ウチムレコエキ。コエは、大和の中部から吉野川のほとりに出るために山を越えたのをいう。
【評語】馬竝メテウチムレ越エ來という續き方は、流暢でない。それから續いて今見ツルという、今がここに出るのは、不自然である。何時カヘリ見ムは、またいずれの日にか來り見ようの意だろうが、言おうとする心の表現が不十分である。素人くさい歌たるを免れない。
 
1721 苦しくも 晩《く》れゆく日かも。
 吉野川 清き河原を
 見れど飽かなくに。
 
 辛苦《クルシクモ》 晩《クレ》去《ユク・ヌル》日鴨《ヒカモ》
 吉野川《ヨシノガハ》 清河原乎《キヨキカハラヲ》
 雖v見不v飽君《ミレドアカナクニ》
 
【譯】困つたことには日がくれて行くなあ。吉野川の清らかな河原を、見ても飽きないのに。
【釋】晩去日鴨 クレユクヒカモ。クレヌルヒカモ(類)、クレユクヒカモ(壬)。去は、ユクともヌルとも讀まれる。クレユクの方が進行態であつて、清き河原に對する愛惜の情が出るようである。句切。
【評語】吉野川の佳景に對して、日の暮れたのを歎いている。見レド飽カヌの類型的表現によつている。初二句は、感情的でよい。
【參考】類型。
  苦しくも降りくる雨か。神《みわ》が埼佐野のわたりに家もあらなくに(卷三、二六五)
 
1722 吉野川 河浪高み
 瀧《たき》の浦を 見ずかなりなむ。
(303) 戀《こほ》しけまくに。
 
 吉野川《ヨシノガハ》 河浪高見《カハナミタカミ》
 多寸能浦乎《タキノウラヲ》 不v視歎成嘗《ミズカナリナム》
 戀布眞國《コホシケマクニ》
 
【譯】吉野川の川浪が高くて、激流の川中を見ないでしまうだろうか。あとで戀しいだろうに。
【釋】多寸能浦乎 タキノウラヲ。タキは、激流。キは、清音にも濁音にも、假字書きの例があり、ここは清音の字が使われている、タキノウラは、激流の彎曲した地形をいう。吉野川のうち、灣の形?を成している處である。
 戀布眞國 コホシケマクニ。コホシケは、形容詞。それにムコトの意のマク、および助詞ニの接續した形。後に戀しくあるだろうことよの意。
【評語】吉野川の川水が多くて、船を出したりすることができなかつたのであろう。勝地に來て、十分に賞美することのできないのを歎いている。意をつくしてはいるが、情趣に乏しいのは、説明に過ぎたからである。
 
絹歌一首
 
【釋】絹歌 キヌノウタ。キヌは、人名の略稱であろう。絹麻呂とでもいう人だろう。
 
1723 河蝦《かはづ》鳴く 六田《むつた》の河の 川楊《かはやなぎ》の、
 ねもころ見れど 飽かぬ河かも。
 
 河蝦鳴《カハヅナク》 六田乃河之《ムツタノカハノ》 川楊乃《カハヤナギノ》
 根毛居侶雖v見《ネモコロミレド》 不v飽河鴨《アカヌカハカモ》
 
【譯】河蝦の鳴く六田の河の川楊の根。そのようにねんごろに見ても、飽きない川だなあ。
【釋】河蝦鳴六田乃河之川楊乃 カハヅナクムツタノカハノカハヤナギノ。以上序詞。川楊の根という所から、同音のネを引き起している。但し以上は實景で、これを敍して序に利用しているのである。ムツタは、吉野川(304)の一地點。下市町の下流。ムツタノカハは、六田の地における吉野川のこと。カハヤナギは、川邊の楊樹。
【評語】序の使用が巧みであるが、それだけに得意がつていて、腰が浮いている。河に對する感動が、從になつている。河蝦と河楊を使つて六田の川を描いてはいるのだが、根本的に態度を變えてかからねばならない。
 
島足歌一首
 
【釋】島足歌 シマタリノウタ。シマタリは、人名だろうが、いかなる人とも知られない。
 
1724 見まく欲《ほ》り 來《こ》しくもしるく、
 吉野川 音《おと》の清《さや》けさ。
 見るにともしく。
 
 欲v見《ミマクホリ》 來之久毛知久《コシクモシルク》
 吉野川《ヨシノガハ》 音清左《オトノサヤケサ》
 見二友敷《ミルニトモシク》
 
【譯】見たいと思つてきたこともかいがあつて、吉野川は、音がさやかだ。見るに願わしく。
【釋】來之久毛知久 コシクモシルク。コシクは、來しこと。シルクは、かいのある意の形容で、形容詞の副詞形。音ノサヤケサを修飾する。「來之久毛知久《コシクモシルク》 相流君可聞《アヘルキミカモ》」(卷八、一五七七)。
 見二友敷 ミルニトモシク。トモシクは、稀にあるので愛される意の形容詞。その副詞形。この下にアリの如き語が省略されているが、内容的には、やはり、音ノサヤケサを修飾している。
【評語】見マク、來シクモシルク、見ルニトモシクと、クの音に終る語を重ねたのは、作者が意識してかどうかはわからないが、結果としては、音調を亂して流暢の感を失つた。やはり前の歌と同樣に、説明し過ぎている。
 
(305)麻呂歌一首
 
【釋】麻呂歌 マロノウタ。マロは、石上の麻呂、藤原の麻呂などもあるが、左註に人麻呂集所出とあるによれば、柿本の人麻呂らしい。下に出る歌詞「麻呂等言八子」(卷九、一七八三)のマロも同樣と見られ、人麻呂をマロと略稱することがあつたと見える。
 
1725 古《いにしへ》の 賢《さか》しき人の 遊びけむ
 吉野の川原、見れど飽かぬかも。
 
 古之《イニシヘノ》 賢人之《サカシキヒトノ》 遊兼《アソビケム》
 吉野川原《ヨシノノカハラ》 雖v見不v飽鴨《ミレドアカヌカモ》
 
【譯】昔の賢い人の遊んだであろう吉野の川原は、見ても飽きないなあ。
【釋】古之賢人之 イニシヘノサカシキヒトノ。イニシヘノサカシキヒトは、何人とも知られない。作者には、あの人と心に指摘する人があつたはずである。漢語の古賢を譯したと思われる語である。
 遊兼 アソビケム。ケムは過去推量の助動詞で、その連體形である。
【評語】吉野川の敍述に特色があるが、知識的であつて、興趣を伴なわない。吉野川について、古人を思うことは、文學思想表現の型になつていたのだろう。それに見レド飽カヌカモというあらわし方も、類型によつている。
 
右、柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
【釋】右柿本朝臣人麻呂之歌集出 ミギハカキノモトノアソミヒトマロノウタノシフニイヅ。これも所出の範圍があきらかでないが、槐本の歌(一七一五)以下の五首は、近江の國の歌に他の地方の歌と思われるものが(306)まじつており、作者の記事は氏に依つているのに對して、元仁の歌(一七二〇)以下の六首は、芳野の歌であること、作者は名によつていることの二點に相違があるから、別種の資料によつたと見るを妥當とする。從つて元仁の歌以下六首が、人麻呂集所出として確實なものと見られる。人麻呂が、自分のおぼえのために歌を記し留めておいたものと推測される。
 
丹比眞人歌一首
 
【釋】丹比眞人歌 タヂヒノマヒトノウタ。タヂヒノマヒトは、何人か不明。卷の二にも、「丹比眞人名闕、擬2柿本朝臣人麻呂之意1報歌一首」(二二六)の題詞がある。
 
1726 難波潟 潮干にいでて 玉藻刈る
 海《あま》の未通女《をとめ》ら、汝《な》が名|告《の》らさね。
 
 難波方《ナニハガタ》 鹽干尓出而《シホヒニイデテ》 玉藻苅《タマモカル》
 海未通等《アマノヲトメラ》 汝名告左祢《ナガナノラサネ》
 
【譯】難波潟の潮のひたのに出て藻を刈る海人の娘さん、あなたの名をおつしやい。
【釋】玉藻苅 タマモカル。海藻を刈る意であるが、それは海女の手わざの代表的な云い方で、鹽干にいでてと云つているのに見ても、實際に海藻を刈つているのではないだろう。
 海未通等 アマノヲトメラ。アマノヲトメラ(矢)、アマヲトメドモ(考)。以上の如き兩樣の訓が考えられる。アマヲトメドモは「安麻乎等女等母《アマヲトメドモ》 思麻我久流見由《シマガクルミユ》」(卷十五、三五九七)、「多麻毛可流登布《タマモカルトフ》 安麻乎等女杼毛《アマヲトメドモ》」(同、三六三八)のような假字書きのものがあるが、それらは娘子の幾人かを描いているものであつて、ドモは複數を示し、ここには適わない。ここはその中の一人について云つているのだろう。アマノヲトメの例は、「伊射理須流《イザリスル》 安麻能乎等女波《アマノヲトメハ》」(卷十五、三六二七)がある。ヲトメラのラは、單なる接尾語で、複數で(307)はなく、一人をさしている。未通は、他の例は、未通女と書いているが、ここは女の字を略している。その娘子に呼びかけている語法である。
 汝名告左祢 ナガナノラサネ。ノラサネは、名のりなさいと希望する語法。「伊波紀欲利《イハキヨリ》 奈利提志比等迦《ナリテシヒトカ》 奈何名能良佐祢《ナガナノラサネ》」(卷五、八〇〇)。
【評語】娘子に對して名を問うのは、妻とする意志を表示しているが、これはそれほどの重い意味でなく、旅の心やりに、戯れに問いかけているのだろう。その娘子の敍述にも、格別の特色はなく、ただありのままに敍したまでである。但し和フル歌によると、眞實の海人ではなく、遊行女婦の類であるかも知れない。そうすれば、海人の娘子に擬したのは、一つの手段といえる。
 
和歌一首
 
和《こた》ふる歌一首
 
1727 漁《あさり》する 人とを見ませ。
 草枕 旅行く人に 妾《われ》は及《し》かなく。
 
 朝入爲流《アサリスル》 人跡乎見座《ヒトトヲミマセ》
 草枕《クサマクラ》 客去人尓《タビユクヒトニ》 妾者不v敷《ワレハシカナク》
 
【譯】すなどりをする人と御覽ください。草の枕の旅を行く人に、わたくしは及びません。
【釋】朝入爲流 アサリスル。アサリは、海に出て漁りをすることであるが、主として鶴や娘子などについて云つている。しばしば朝入の字を使つているが「暮名寸爾《ユフナギニ》 求食爲鶴《アサリスルタヅ》」(卷七、一一六五)の求食もアサリと讀まれており、朝は借字で、淺い渚に入る義であろう。
 人跡乎見座 ヒトトヲミマセ。ヲは、感動の助詞。ミマセは命令形。句切。
(308) 客去人尓 タビユクヒトニ。タビユクヒトは、前の歌の作者をさしている。
 妾者不敷 ワレハシカナク。
  アフニハシカシ(類)
  ツマニハシカジ(拾)
  ――――――――――
  妻者不敷《ツマハシカセジ》(代精)
  妻者不教《ツマトハノラジ》(略)
  妾名不教《ワガナハノラジ》(新考)
 難訓の句であつて、諸説がある。妾は、女子の謙稱の一人稱に使われ、また妻妾の妾の義に使われる。敷は、及くの意に使用した例は、シクシクなどの場合に使用したものがそれに近い。よつて今、原文のままにワレハシカナクと讀み、旅行く人にくらぶべき身分の者でないから、ただ海人とのみ見よの意とする。上二句の意は、これで落ちつくのである。
【評語】旅人を、都からの貴人として、この歌を詠んでいると思われる。訓讀が決定的であるとはしがたいが、難波あたりの娘子としては、一往かような返事をするだろう。
 
石川卿歌一首
 
【釋】石川卿歌 イシカハノマヘツギミノウタ。石川の卿は、何人かわからない。天平寶字六年五月に年七十五で薨じた石川の年足だろうという。次の歌の作者、天平九年に四十四歳で薨じた藤原の宇合より六年の年長であるから、同じ時代の人といえる。
 
1728 慰めて 今夜《こよひ》は寐《ね》なむ。
 明日よりは 戀ひかも行かむ。
(309) 此間《こ》ゆ別れなば。
 
 名草目而《ナグサメテ》 今夜者寐南《コヨヒハネナム》
 從2明日1波《アスヨリハ》 戀鴨行武《コヒカモユカム》
 從2此間1別者《コユワカレナバ》
 
【譯】心を慰めて今夜は寐よう。明日から先は、戀してか行こう。此處から別れたなら。
【釋】戀鴨行武 コヒカモユカム。カモは、疑問の係助詞。戀いつつか行くだろうの意。句切。
 從此間別者 コユワカレナバ。此間は、此處の意に使われている。ここからずつと別れて行つたら。
【評語】妻に別れる時の歌で、平易に情を述べている。旅舍などで、かりそめに逢つた女との別れであるかも知れない。
 
宇合卿歌三首
 
【釋】宇合卿歌 ウマカヒノマヘツギミノウタ。宇合は、藤原の宇合。目録のこの部分、藍紙本には、この一行を「飯女歌三首」に作つている。ここの三首が、初めの一首は海濱、後の二首が石田の社であること、第二首は女子の歌らしいことなどと併わせて、一人一處の作ではないらしく、作者についてなお考うべきものを殘している。「飯女歌三首」とあるのも、そのままには從われないが、何か混雜のあつたことを語る手がかりになるかも知れない。
 
1729 曉《あかとき》の 夢《いめ》に見えつつ、
 梶島の 石《いは》越す浪の、
 しきてし念《おも》ほゆ。
 
 曉之《アカトキノ》 夢所v見乍《イメニミエツツ》
 梶島乃《カヂシマノ》 石越浪乃《イハコスナミノ》
 敷弖志所v念《シキテシオモホユ》
 
【譯】曉の夢に見えながら、梶島の岩を越す浪のように、しきりに思われる。
(310)【釋】曉之夢所見乍 アカトキノイメニミエツツ。夜明け方の夢に、愛人が見えるのである。
 梶島乃石超浪乃 カヂシマノイハコスナミノ。以上二句、序詞。浪が重ねて寄せる意をもつて、シキテを引き起している。カヂシマは、所在未詳。カヂは樹名によつて島名としたのだろう。その島のほとりの海濱に旅宿してこの歌を詠み、實景を序に利用したのである。
 敷弖志所念 シキテシオモホユ。シキテは、重きて、頻きてで、かさねがさね。
【評語】夢に人を見ること、浪によつてシキテを出してくること、いずれも類型的であるが、しかも曉ノ夢といい、梶島ノ石越ス浪といい、特殊の描寫があつて、情趣のゆたかな作品を成している。實景を利用した序も效果的で、懸詞のいやみを感じさせないでいる。
 
1730 山科《やましな》の 石田《いはた》の小野の 柞《ははそ》原、
 見つつや公が 山|道《ぢ》越ゆらむ。
 
 山品之《ヤマシナノ》 石田乃小野之《イハタノヲノノ》 母蘇原《ハハソバラ》
 見乍哉公之《ミツツヤキミガ》 山道越良武《ヤマヂコユラム》
 
【譯】山科の石田の野原のハハソの原を、見ながらか、あの方は、山道を越えているでしよう。
【釋】山品之石田乃小野之 ヤマシナノイハタノヲノノ。ヤマシナノイハタは、京都市醍醐。逢坂山を越えて近江の國に出る要路に當る。これから山路にさしかかるのである。ヲノは、地名ではなく、野原の意であろう。
 母蘇原 ハハソバラ。ハハソは、イヌブナ科の落葉|喬木《きようぼく》。コナラ。
【評語】山路を越えゆく夫を思いやつて詠んだ歌は、珍しくはない。ただ柞原というだけが、その山路の特色を描いている。山路越ユラムは、本卷一六六六參照。
【參考】類歌。
  草かげの荒藺《あらゐ》の埼の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ(卷十二、三一九二)
 
(311)1731 山科の 石田の社《もり》に 手向《たむけ》せば、
 けだし吾妹《わぎも》に ただに逢はむかも。
 
 山科乃《ヤマシナノ》 石田社尓《イハタノモリニ》 布麻越者《タムケセバ》
 蓋吾妹尓《ケダシワギモニ》 直相鴨《タダニアハムカモ》
 
【譯】山科の石田の森に、手向の祭をしたら、多分わが妻に、じかに逢うだろうかなあ。
【釋】石田社尓 イハタノモリニ。イハタノモリは、石田にある神社で、モリは、森林形體による神道信仰の目標をいう。
 布麻越者 タムケセバ。布麻は、手向に使用する幣《ぬさ》の材料で、これで幣をあらわしている。越は、その布麻を、森にうち越すので使用しているのだろう。かくて布麻越をもつて、手向の意に使用していると見られる。「何名負神《イカナラムナニオフカミニ》 幣嚮奉者《タムケセバ》」(卷十一、二四一八)も、幣嚮奉の字を、義をもつてタムケと讀んでいる。タムケは、道中にあつて、神を祭つて障害のないことを願う行事。
【評語】手向の祭をして、妻との再會を期する歌は無いでもないが、この歌は、四五句の表現に特色がある。道中に手向の祭をしながら、妻を思う心が、描き出されている。
 
基師歌二首
 
【釋】基師 キシ。基は、細井本、藍紙本等には碁に作つている。今、類聚古集、傳壬生隆祐筆本等による。碁に作るによつては、碁の檀越説、圍碁の師説等がある。思うに、基は、法師の名の一字を取つて稱したので、師は法師の義であろう。日本靈異記中卷に、僧智光を光師と稱している。また正倉院文書、寫未寫大乘經論疏目録(大日本古文書二十四ノ三九五)に、論疏の撰者として、上宮王、吉藏、憬興、法寶等と竝んで、基師というのがある。この師は法師の意で、法號の一字を書いて、基とのみ記したものと思われる。この文書は、天(312)平十八年のものと推定されている。
 
1732 大葉《おほば》山 霞たなびき、
 さ夜ふけて わが船|泊《は》てむ
 泊《とまり》知らずも。
 
 母山《オホバヤマ》 霞棚引《カスミタナビキ》
 左夜深而《サヨフケテ》 吾舟將v泊《ワガフネハテム》
 等万里不v知母《トマリシラズモ》
 
【譯】大葉山には霞がかかり、夜が更けて、わたしの船の碇泊すべき處を知らない。
【釋】母山 オホバヤマ。卷の七に重出しているのに、大葉山とあるので、オホバヤマと讀む。オホバは、祖母、伯母をいうので、母の上に祖の字が落ちたのだろうという説(宣長)もあるが、初めから略書したものだろう。但し山名としてのオホバの名義や所在はわからない。紀伊の國だろうという。
【評語】夜が更けて船を留むべき處の知れない心ほそさがよく詠まれている。(卷七、一二二四參照)。
【參考】重出。
 大葉山《オホバヤマ》 霞蒙《カスミタナビキ》 狹夜深而《サヨフケテ》 吾船將v泊《ワガフネハテム》 停不v知文《トマリシラズモ》(卷七、一二二四)
 
1733 思《しの》ひつつ 來《く》れどきかねて、
 水尾《みを》が埼、眞長《まなが》の浦を
 また反《かへ》り見つ。
 
 思乍《シノヒツツ》 雖v來々不v勝而《クレドキカネテ》
 水尾埼《ミヲガサキ》 眞長乃浦乎《マナガノウラヲ》
 又顧津《マタカヘリミツ》
 
【譯】風光を賞しながら來るけれども、來かねて、水尾が埼から、眞長の浦をまたふり返つて見た。
【釋】思乍 シノヒツツ。眞長の浦の風光を、心に忘れられず思いながら。
 水尾埼眞長乃浦乎 ミヲガサキマナガノウラヲ。ミヲガ埼は、滋賀縣滋賀郡の北端の岬角で、今、明神崎と(313)いう。その北方が、マナガノ浦である。作者は、北方から舟行しており、ミヲガ埼まできて、マナガノ浦を顧みたのである。ミヲガ埼とマナガノ浦とは、竝立ではない。ミヲガ埼から見たマナガノ浦の意である。「廬原乃《イホハラノ》 淨見乃埼乃《キヨミノサキノ》 見穗乃浦之《ミホノウラノ》」(卷三、二九六)という類である。本卷樂浪の比良山風(卷九、一七一五參照)。
【評語】平淡に事を敍しているが、湖上の風光を愛して、顧みがちにきた氣もちはわかる。水尾が埼を廻れば、眞長の浦が見えなくなるので、特に顧みたのである。
 
小弁歌一首
 
【釋】小弁歌 スナキオホトモヒノウタ(卷九、一七一九左註參照)。
 
1734 高島の 阿渡《あと》の湖《みなと》を 榜《こ》ぎ過ぎて、
 鹽津《しほつ》菅浦《すがうら》、今か榜《こ》ぐらむ。
 
 高島之《タカシマノ》 足利湖乎《アトノミナトヲ》 滂過而《コギスギテ》
 鹽津菅浦《シホツスガウラ》 今香將v滂《イマカコグラム》
 
【譯】高島の阿渡の河口を漕ぎ過ぎて、鹽津の菅浦を、今は漕いでいるだろうか。
【釋】高島之足利湖乎 タカシマノアトノミナトヲ。タカシマノアトノミナトは、滋賀縣高島郡の安曇川《あとがわ》の河口。
 鹽津菅浦 シホツスガウラ。シホツは、伊香郡に屬し、琵琶湖の北端の奧にある。そこから越前に越える山を鹽津山という。ここでは北方の總稱にシホツを使つている。スガウラは、琵琶湖の北部から南方に向かつて突出している岬の西側にある。
【評語】湖北に向かつて船を出して行つた人の上を想像して詠んでいる。作者に取つては、歌中の地名は、いずれも舊識の地であるだろう。その思い出が背景となつており、それによつて情趣を保つている作品である。
 
(314)伊保麻呂歌一首
 
【釋】伊保麻呂歌 イホマロノウタ。イホマロは、いかなる人とも知られない。
 
1735 わが疊 三重の河原の 礒《いそ》のうらに、
 かくしもがもと 鳴く河蝦《かはづ》かも。
 
 吾疊《ワガタタミ》 三重乃河原之《ミヘノカハラノ》 礒裏尓《イソノウラニ》
 如v是鴨跡《カクシモガモト》 鳴河蝦可物《ナクカハヅカモ》
 
【譯】わたしの敷物は三重だが、その三重の河原の石の浦に、こうありたいものだと河蝦が鳴いている。
【釋】吾疊 ワガタタミ。枕詞。タタミは、スゲ、コモなどを織つて作つた敷物。重ねて敷くので三重に冠する。
 三重乃河原之 ミヘノカハラノ。三重は、三重縣三重郡。その河原は、今の内部川《うちべがわ》。
 礒裏尓 イソノウラニ。礒の浦に。
 如是鴨跡 カクシモガモト。カクシモガモは、かようにありたいの意で、河蝦の語によつて、風光なり居心なりを賞したことになるが、これは河蝦の鳴き聲の描寫で、河暇の聲を意味あるかのように聞きなしたのである。「烏とふ大をそ鳥のまさでにも來まさぬ君をコロクとぞ鳴く」(卷十四、三五二一)と同じ手法である。
【評語】河蝦の聲に興じた輕快な作品である。旅のある時の氣ばらしとでもいうべきで、あまりむずかしく考えない方がよい。
 
式部大倭芳野作歌一首
 
式部の大倭の、芳野にて作れる歌一首
 
(315)【釋】式部大倭 ノリノツカサノヤマト。式部省の役人であつた大倭であろう。ヤマトは、氏か名か、不明。藤原武智麻呂傳に、神龜年中の人物を記した中に、文雅に百濟の公倭麻呂の名をあげているが、その人かどうか、不明。
 
1736 山高み 白木綿花《しらゆふばな》に 落ち激《たぎ》つ
 夏身《なつみ》の川門《かはと》、見れど飽かぬかも。
 
 山高見《ヤマタカミ》 白木綿花尓《シラユフバナニ》 落多藝津《オチタギツ》
 夏身之川門《ナツミノカハト》 雖v見不v飽香裳《ミレドアカヌカモ》
 
【譯】山が高いので、白木綿の花のように落ち激する夏身の川のせまつた處は、見ても飽きないなあ。
【釋】白木綿花尓 シラユフバナニ。シラユフバナは、白いコウゾのさらしたのが花のように見えるもの。譬喩によつて、激流の樣を敍する句。
 落多藝津 オチタギツ。タギツは、動詞として使われている。連體形。
 夏身之川門 ナツミノカハト。ナツミは、吉野川の一地點の地名、離宮よりは上流になる。カハトは、河の兩岸が對して門戸のような感じの地形で、渡り場所などにいう。
【評語】吉野の激流を賞する歌としてよくまとまつている。五句は類型的である。譬喩に白木綿花を使つたのが、特色になる。これは、笠の金村の作に類歌があり、いずれかが前の歌を受けているだろう。多分吟誦されて傳わつたのであろう。
【參考】類歌。
  山高三《ヤマタカミ》 白木綿花《シラユフバナニ》 落多藝追《オチタギツ》 瀧之河内者《タギノカフチハ》 雖v見不v飽香聞《ミレドアカヌカモ》(卷六、九〇九笠の金村)
 
兵部川原歌一首
 
(316)【釋】兵部川原 ツハモノノツカサノカハラ。兵部省の役人で、カハラは、多分、氏だろう。何人とも知れない。
 
1737 大|瀧《たぎ》を 過ぎて夏箕《なつみ》に
 傍《そ》ひてゐて、
 清き川瀬を 見るが清《さや》けさ。
 
 大瀧乎《オホタギヲ》 遇而夏箕尓《スギテナツミニ》
 傍爲而《ソヒテヰテ》
 淨河瀬《キヨキカハセヲ》 見河明沙《ミルガサヤケサ》
 
【譯】大瀧を過ぎて夏箕に沿つていて、清らかな川瀬を見るのが、さわやかなことだ。
【釋】大瀧乎 オホタギヲ。オホタギは、吉野の離宮の上方で、落下する吉野川の本流。後、崩壞して瀧が無くなつたそうである。
 過而夏箕尓 スギテナツミニ。ナツミは、吉野の離宮より上流にある地名。
 傍爲而 ソヒテヰテ。ソハリキテ(略)。吉野川の夏箕の地點に接していて。
 見何明沙 ミルガサヤケサ。サヤケサは、作者の心が、清明を感じていることを寫している。
【評語】作者は、上流に向かつて歩を進めている。その次第を敍して、平淡明朗な作を成している。經過どおり具體的に敍して行つたのが、よい結果になつている。
 
詠2上總末珠名娘子1一首 并2短歌1
 
上總《かみつふさ》の周淮《すゑ》の珠名《たまな》の娘子《をとめ》を詠める一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】上總末珠名娘子 カミツフサノスヱノタマナノヲトメ。スヱは、地名。倭名類聚鈔の郷名に、「上總國周淮郡、季」とあり、郡名にもなつている。この郡は、今、君津郡の一部となつている。タマナは、娘子の名。(317)人名の終りにつくナは愛稱の性質を持つている。作者と考えられる高橋の蟲麻呂は、常陸の國の役人であつたようであり、どういう機會にこの娘子のことを聞いたかわからないが、養老三年七月に、常陸の國守藤原の宇合を按察使として、安房上總下總の三國を管せしめることがあるから、その頃在任して、上總の國にも往來したものであるかも知れない。
 
1738 しなが鳥 安房《あは》に繼ぎたる
 梓弓 周淮《すゑ》の珠名は、
 胸|別《わけ》の 廣き吾妹《わぎも》、
 腰|細《ぼそ》の ?羸娘子《すがるをとめ》の、
 その姿《さま》の 端正《きらきら》しきに、
 花の如 咲《ゑ》みて立てれば、
 玉|桙《ほこ》の 道行く人は、
 おのが行く 道は行かずて、
 召《よ》ばなくに 門《かど》に至りぬ。
 さし竝ぶ 隣の君は、
 あらかじめ 己妻《おのづま》離《か》れて、
 乞はなくに 鎰《かぎ》さへ奉る。」
 人皆の かく迷《まど》へれば、
(318) 容《かほ》艶《にほ》ひ 縁《よ》りてぞ妹は
 戯《たは》れてありける。」
 
 水長鳥《シナガドリ》 安房尓繼有《アハニツギタル》
 梓弓《アヅサユミ》 末乃珠名者《スヱノタマナハ》
 胸別之《ムナワケノ》 廣吾妹《ヒロキワギモ》
 腰細之《コシボソノ》 須輕娘子之《スガルヲトメノ》
 其姿之《ソノサマノ》 端正尓《キラキラシキニ》
 如v花《ハナノゴト》 咲而立者《ヱミテタテレバ》
 玉桙乃《タマホコノ》 道往人者《ミチユクヒトハ》
 己行《オノガユク》 道者不v去而《ミチハユカズテ》
 不v召尓《ヨバナクニ》 門至奴《カドニイタリヌ》
 指竝《サシナラブ》 隣之君者《トナリノキミハ》
 預《アラカジメ》 己妻離而《オノヅマカレテ》
 不v乞尓《コハナクニ》 鎰左倍奉《カギサヘマツル》
 人皆乃《ヒトミナノ》 如是迷有者《カクマドヘレバ》
 容艶《カホニホヒ》 縁而曾妹者《ヨリテゾイモハ》
 多波礼弖有家留《タハレテアリケル》
 
【譯】安房の地に續いている周淮《すえ》の珠名は、胸の廣い娘子で、蜂のような腰の細い娘子であり、その形の美しいのに、花のように笑つて立つていると、道を行く人は、自分の行く道は行かないで、呼ばないのに門口に來た。竝んでいる隣の主人は、前もつて自分の妻を離別して、頼まないのに鍵までも贈つている。人皆がかように迷つているので、顔も花やかにうち寄つて、この娘子は、戯れていた。
【構成】第一段、鎰サヘ奉ルまで。娘子の美を敍し、衆人の迷つていることを述べる。第二段、終りまで。娘子の嬌態を、總括的に敍している。
【釋】水長鳥 シナガドリ。枕詞。尾長鳥の義で、ニワトリをいう。?ガ鳴クの枕詞と共に、鳴き聲によつてアの音に冠し、ここは地名の安房に冠している。水をシに使つた例には「水良玉《シラタマノ》 五百都集乎《イホツツドヒヲ》」(卷十、二〇一二)がある。
 安房尓繼有 アハニツギタル。アハは、地名。養老二年、上總《かずさ》の國の、平群《へぐり》、安房《あわ》、朝夷《あさひな》、長狹《ながさ》の四郡を割いて安房の國を置き、天平十三年上總の國に併せ、天平寶字二年舊によつて安房の國を置いた。この歌の詠まれた時代は、一國となつていたかどうか不明であるが、國名郡名としてでなく、大地名として擧げたのであろう。周淮と安房とは、直接に隣接しないが、大體の地勢は接續している。
 梓弓 アヅサユミ。枕詞。弓の末の義をもつて、地名のスヱに冠する。
 末乃珠名者 スヱノタマナは。花ノ如咲ミテ立テレバまでの主格として提示している。
 胸別之廣吾妹 ムナワケノヒロキワギモ。ムナワケは、胸をいう。動物の胸が、物をおし分ける性質がある(319)のでいうのだろう。その胸の廣いのを美人の相としている。ワギモは、わが妹の義で、自分の愛人をいう語であるが、ここに女子の愛稱として三人稱に使用しているのは、轉用である。この歌の終りに近く、縁リテゾ妹ハとある妹も、同樣の用法である。二人稱の語が、漸次客觀性を増加して行く過程を示すものとして注意される。
 腰細之須輕娘子之 コシボソノスガルヲトメノ。スガルは、蜂の一種、似我蜂《じがばち》、?羸《くわら》。色黒く腰が極めて細い。腰のくくりの細いのを美人の相としている。漢士に細腰を貴ぶことからきているのだろう。胸別ノ廣キ吾妹と、腰細ノ?羸娘子とは、同一人を重ねて説明している。「飛翔《トビカケル》 爲輕如來《スガルノゴトキ》 腰細丹《コシボソニ》 取餝氷《トリカザラヒ》」(卷十六、三七九一)。
 其姿之 ソノサマノ。ソノカホノ(西)。日本書紀、容姿にカホともカタチとも訓している。類聚名義抄には、姿に、スカタ、カタチ、カホシナ、サマ、フルマヒの諸訓がある。ここは形の方だろうが、二音の場處だからサマとする。
 端正尓 キラキラシキニ。ウツケシケサニ(西)、キラキラシクニ(代初)、キラキラシキニ(童)、イツクシケサニ(考)、イツクシキニ(定本)。日本靈異記中卷訓釋に「端正、岐良支良シ」とあり、日本書紀にも、端正にキラキラシと訓している。美麗である意の形容である。
 玉桙乃 タマホコノ。枕詞。
 指竝 サシナラブ。枕詞。サシは接頭語。
 隣之君者 トナリノキミハ。キミは、主君の意で、敬稱に使用する。
 鎰左倍奉 カギサヘマツル。鎰は、倭名類聚鈔に「鑰、四聲字苑云、鑰音藥、字亦作v〓關具也」とあり、能龕手鑑《りようがんしゆかん》に「鑰正鎰俗」とあつて鑰の俗字である。門戸の鍵であるが、ここは倉庫などの鍵をさしているであろう。(320)マツルは進上する意。以上、娘子の美なるによつて、人々の迷えることを敍する。句切。
 容艶 カホニホヒ。カホヨキニ(西)、ウチシナヒ(略、宣長)。艶は、「霞立《カスミタチ》 開艶者《サキニホヘルハ》 櫻花鴨《サクヲバナカモ》」(卷十、一八七二)、「白妙丹《シロタヘニ》 令2艶色1有者《ニホハシタルハ》 梅花鴨《ウメノハナカモ》」(同、一八五九)など、本集ではニホフに當てて書いていると見られる。容顔の美を發揮する意の句。
 縁而曾妹者 ヨリテゾイモハ。ヨリテは、男子に寄り添う意。
 多波礼弖有家留 タハレテアリケル。類聚名義抄、婬にタハルの訓がある。色情に任せて行爲する意である。
【評語】以下二十三首は、高橋の蟲麻呂の歌集の所出の歌で、その格調からして同一人の作とされ、よつて蟲麻呂の作品であろうと考えられる。蟲麻呂の作品の題材には、人事と自然の兩方面があり、いずれも鮮麗な敍述をなしている點が特に注意されている。殊に蟲麻呂は、人事を敍述することに興味を有し、物語ふうの作品を多く殘している。その取り扱つた人物は、過去の人と現在の人とがある。過去の人物としては、水の江の浦島の子、葦屋《あしのや》の菟原《うない》娘子、葛飾《かずしか》の眞間の娘子等があつて、これらは傳説の内容について語る所の多いのが特色である。現在の人物と思われるものには、この周淮《すえ》の珠名の娘子や河内の大橋をひとり行く娘子などがある。これらは、それぞれにその人物を敍して、やはり物語ふうな作品を成している。この周淮の珠名の娘子を歌つた一篇は、娼婦型の一娘子を取り扱つたもので、當時の實際の世相の一面を描いている珍しい作品である。その婬奔な風俗を、是認してはいないが、山上の憶良の作品に見るように、露骨な教訓はしていない。蟲麻呂にあつては、その事實に興味を有して、これに文學作品の形を與えたのである。それは敍述であり描寫であつて、これを豐麗な詞章で表現する所に、その眞價が存するのである。この一篇は、美しい作品だが、娘子の嬌態を中心に、隣人たちの狂える?が描かれ、しかもこの娘子の個性が寫されていないのは、やや物足らぬ感がある。
 
(321)反歌
 
1739 金門《かなと》にし 人の來《き》立てば、
 夜中にも 身はたな知らに、
 いでぞ逢ひける。
 
 金門尓之《カナトニシ》 人乃來立者《ヒトノキタテバ》
 夜中母《ヨナカニモ》 身者田菜《ミハタナ》不v知《シラニ》
 出曾相來《イデゾアヒケル》
 
【譯】門口に人がきて立てば、夜中でも、その身はすべてを忘れて、出て逢つている。
【釋】金門尓之 カナトニシ。カナトは、門をいう。カネ(金)によつて、門の堅固であることを表現する。「小金門尓《ヲカナトニ》」(卷四、七二三)參照。
 身者田菜不知 ミハタナシラニ。タナシラニは、すべて知らずの意。身の上をもうち捨てて。「家忘《イヘワスレ》 身毛多奈不v知《ミモタナシラニ》」(卷一、五〇)。
 出曾相來 イデゾアヒケル。イデテゾアヒケル(略)。イデ逢ヒケリというべきを、ゾを入れてイデを強調している。
【評語】娘子の行動の一端を敍して、長歌の末尾の内容を、更に説明している。敍事ふうな表現であることが注意されるべきである。そうしてそれがなかなか效果的である。作者の批判は露出していないが、是認しない態度はわかる。しかしそれよりも作者は、事實そのものに興味を持つているのである。
 
詠2水江浦島子1一首 并2短歌1
 
水《みづ》の江《え》の浦島《うらしま》の子《こ》を詠める一首 【短歌并はせたり。】
 
(322)【釋】水江浦島子 ミヅノエノウラシマノコ。丹後國風土記には、水江浦嶼子とあつて、その下の文に嶼子とあるによればミヅノエノウラノシマコかも知れないが、同じ書の歌には「等許余弊爾《トコヨベニ》 久母多智和多留《クモタチワタル》 美頭能叡能《ミヅノエノ》 宇良志麻能古賀《ウラシマノコガ》 許等母知和多留《コトモチワタル》」とある。コは、愛稱。日本書紀雄路天皇の二十二年七月の條に「丹波國餘社郡管川人《タニハノクニヨサノコホリツツカハノヒト》、水江浦島子《ミヅノエノウラシマノコ》、乘v船而釣《フネニノリテツリシ》、遂得2大龜《ツヒニオホカメヲエタルニ》1、便化2爲女《スナハチヲミナニナリキ》1。於v是浦島子《ココニウラシマノコ》、感以爲v婦《タケリテメトシ》、相逐入v海《アヒシタガヒテウミニイリ》、到2蓬莱山《トコヨノシマニイタリ》1、歴2覩仙家《ヒジリノクニヲメグリミキ》1。語在2別卷《コトハコトマキニアリ》1」とあつて、丹波の國餘社の郡(今、京都府與謝郡)の事としている。然るにこの歌中には、墨吉ノ岸ニイデヰテとあつて、墨吉の地が浦島の家郷であつたように歌つているが、これはこの傳説が、わが國の西方の海岸地方に分布していたのであつて、攝津の墨吉(住吉)地方にも、その傳承があつたものと考えられる。但しこの物語が神仙譚化しているのは文筆詞人の間におけることであつて、民間には、それよりも原形的なものにおいて傳わつていたであろう。水の江は氏のように傳えられ、浦島の子は、もと浦人というほどの意味であつたものが、固有名詞のように取り扱われるに至つたものである。
 
1740 春の日の 霞める時に
 住吉《すみのえ》の 岸にいで居《ゐ》て、
 釣船の とをらふ見れば、
 古《いにしへ》の 事ぞ念ほゆる。」
 水の江の 浦島の兒が、
 堅魚《かつを》釣り 鯛釣り矜《ほこ》り、
 七日まで 家にも來《こ》ずて、
(323) 海界《うなさか》を 過ぎて榜《こ》ぎ行くに、
 海若《わたつみ》の 神の女《むすめ》に、
 邂《たまさか》に い榜《こ》ぎ向かひ
 あひあとらひ こと成りしかば、
 かき結び 常世《とこよ》に至り、
 海若《わたつみ》の 神の宮の
 内の重《へ》の 妙《たへ》なる殿に、
 携《たづさは》り 二人入り居て、
 老《おい》もせず 死《しに》もせずして
 永き世に ありけるものを、
 世の中の 愚人《おろかびと》の
 吾妹子に 告《の》りて語らく、
 須臾《しましく》は 家に歸りて、
 父母に 事も告《の》らひ、
 明日の如 吾は來《き》なむと
 言ひければ 妹がいへらく、
 常世《とこよ》邊に また歸り來て、
(324) 常の如 逢はむとならば、
 この篋《くしげ》 開くなゆめと、
 そこらく 堅《かた》めし事を、
 住吉《すみのえ》に 還《かへ》り來《きた》りて、
 家見れど 家も見かねて、
 里見れど 里も見かねて、
 あやしと そこに念はく、
 家ゆいでて 三歳《とせ》のほどに
 垣もなく 家|滅《う》せめやと、
 この箱を 開きて見てば、
 本の如 家はあらむと、
 玉くしげ 少し開くに、
 白雲の 箱よりいでて、
 常世《とこよ》べに 棚引きぬれば、
 立ち走り、叫《さけ》び袖振り、
 こいまろび 足ずりしつつ、
 たちまちに 情《こころ》消失《けう》せぬ。
(325) 若かりし 膚《はだ》も皺《しわ》みぬ。
 黒かりし 髪も白《しら》けぬ。
 ゆなゆなは 氣《いき》さへ絶えて、
 後つひに 壽《いのち》死にける、
 水の江の 浦島の子が
 家どころ見ゆ。」
 
 春日之《ハルノヒノ》 霞時尓《カスメルトキニ》
 墨吉之《スミノエノ》 岸尓出居而《キシニイデヰテ》
 釣船之《ツリフネノ》 得乎良布見者《トヲラフミレバ》
 古之《イニシヘノ》 事曾所v念《コトゾオモホユル》
 水江之《ミヅノエノ》 浦島兒之《ウラシマノコガ》
 竪魚釣《カツヲツリ》 鯛釣矜《タヒツリホコリ》
 及2七日1《ナヌカマデ》 家尓毛不v來而《イヘニモコズテ》
 海界乎《ウナサカヲ》 過而榜行尓《スギテコギユクニ》
 海若《ワタツミノ》 神之女尓《カミノムスメニ》
 邂尓《タマサカニ》 伊許藝?《イコギムカヒ》
 相誂良比《アヒアトラヒ》 言成之賀婆《コトナリシカバ》
 加吉結《カキムスビ》 常代尓至《トコヨニイタリ》
 海若《ワタツミノ》 神之宮乃《カミノミヤノ》
 内隔之《ウチノヘノ》 細有殿尓《タヘナルトノニ》
 携《タヅサハリ》 二人入居而《フタリイリヰテ》
 耆不v爲《オイモセズ》 死不v爲而《シニモセズシテ》
 永世尓《ナガキヨニ》 有家留物乎《アリケルモノヲ》
 世間之《ヨノナカノ》 愚人之《オロカビトノ》
 吾妹兒尓《ワギモコニ》 告而語久《ノリテカタラク》
 須臾者《シマシクハ》 家歸而《イヘニカヘリテ》
 父母尓《チチハハニ》 事毛告良比《コトモノラヒ》
 如2明日1《アスノゴト》 吾者來南登《ワレハキナムト》
 言家禮婆《イヒケレバ》 妹之答久《イモガイヘラク》
 常世邊《トコヨベニ》 復變來而《マタカヘリキテ》
 如v今《イマノゴト》 將v相跡奈良婆《アハムトナラバ》
 此篋《コノクシゲ》 開勿勤常《ヒラクナユメト》
 曾己良久尓《ソコラクニ》 堅目師事乎《カタメシコトヲ》
 墨吉尓《スミノエニ》 還來而《カヘリキタリテ》
 家見跡《イヘミレド》 宅毛見金手《イヘモミカネテ》
 里見跡《サトミレド》 里毛見金手《サトモミカネテ》
 恠常《アヤシト》 所許尓念久《ソコニオモハク》
 從v家出而《イヘユイデテ》 三歳之間尓《ミトセノホドニ》
 垣毛無《カキモナク》 家滅目八跡《イヘウセメヤト》
 此?乎《コノハコヲ》 開而見手齒《ヒラキテミテバ》
 如v本《モトノゴト》 家者將v有登《イヘハアラムト》
 玉篋《タマクシゲ》 小披尓《スコシヒラクニ》
 白雲之《シラクモノ》 自v箱出而《ハコヨリイデテ》
 常世邊《トコヨベニ》 棚引去者《タナビキヌレバ》
 立走《タチハシリ》 叫袖振《サケビソデフリ》
 反側《コイマロビ》 足受利四管《アシオズリシツツ》
 頓《タチマチニ》 情消失奴《ココロケウセヌ》
 若有之《ワカカリシ》 皮毛皺奴《ハダモシワミヌ》
 黒有之《クロカリシ》 髪毛白斑奴《カミモシラケヌ》
 由奈由奈波《ユナユナハ》 氣左倍絶而《イキサヘタエテ》
 後遂《ノチツヒニ》 壽死祁流《イノチシニケル》
 水江之《ミヅノエノ》 浦島子之《ウラシマノコガ》
 家地見《イヘドコロミユ》
 
【譯】春の日の霞んでいる時に、墨吉の岸に出ていて、釣船の搖れているのを見ると、昔の事が思われる。水の江の浦島の子が、鰹魚を釣り鯛を釣り、調子に乘つて七日までも家に歸らないで、海の堺を過ぎて榜いで行くと、海の神の娘に、偶然榜いで逢つて、話をしあつて相談ができたので、つれ立つて、仙人の世界に行き、海の神の宮殿の、内部のりつぱな御殿に、手を取つて二人はいつていて、老いもせず死にもしないで、永久にあつたものを、世の中のおろかな人間が、その愛人に告げていうには、ちよつとのあいだ家に歸つて、父母に事も語り、明日にもわたしは來ようと言つたから、妻が答えるには、仙人の世界にまた歸つてきて、今のように逢おうとなら、この箱をあけてはいけないと、大層約束したことなのに、墨吉に歸つてきて、家を見ても家も見ることができず、里を見るけれども里も見ることができないで、不思議だとそこで思うには、家を出て三年のあいだに、垣も無く家が消えようかと、この箱をあけて見たら、もとのように家があるだろうと、美しい箱をすこしあけると、白雲が箱から出て、仙人の世界の方へと棚引いたので、立ち走り叫び袖を振り、ころび廻つて足ずりをしながら、たちまちに氣を失つた。若かつた皮膚も皺がよつた。黒かつた髪も白くなつた。それからは呼吸さえも絶えて、その後はついに命を失つて死んでしまつた水の江の浦島の子の家のあつた土地が(326)見える。
【構成】第一段、古ノ事ゾ思ホユルまで。序の分。春の日に海岸に出て往時を追憶する。第二段、終りまで。追憶の内容である浦島の物語を述べ、その家郷の見えることをもつて結ぶ。
【釋】墨吉之岸尓出居而 スミノエノキシニイデヰテ。スミノエは、住吉の神を祭つてある土地で、わが國の西海の海岸沿いに多い地名である。そのうち大和人に親しまれたのは、攝津の住吉で、これもその地と考えられる。浦島の子は、日下部《くさかべ》の首《おびと》の祖と傳え、その系統の氏族の傳承したものと見られるが、新撰姓氏録、和泉の國の皇別に、日下部の首があり、開化天皇の皇子|彦坐《ひこいます》の命の後とされている。その地は、和泉の國大鳥郡の日下《くさか》(久佐部)で、攝津の住吉に近接した處である。
 得乎良布見者 トヲラフミレバ。トヲラフは、トヲ(撓)を語幹として活用した動詞であろう。他に同形の用例を見ないが「由古作枳爾《ユコサキニ》 奈美奈等惠良比《ナミナトヱラヒ》」(卷二十、四三八五)のトヱラヒは、多分同語であろう。
 古之事曾所念 イニシヘノコトゾオモホユル。イニシヘノコトは、浦島の子のことをいう。その事は、日本書紀および丹後國風土記には、雄略天皇の御代の事としているが、これは勿論傳説であつて、その時代は信ず(327)ることはできない。句切。
 堅魚釣 カツヲツリ。カツヲは、倭名類聚鈔に「鰹魚、唐韵云、鰹音堅、漢語抄云、加豆乎、式文用2堅魚二字1大?也。大曰v鰹、小曰v※[魚+兌]」とある。延喜式にも、煮堅魚など多く見えて、古くから食用に供していたことが知られる。
 鯛釣矜 タヒツリホコリ。タヒは、倭名類聚鈔に、「崔禹食輕云、鯛都條反、多比。味甘冷無v毒、貌似v※[魚+即]而紅鰭者也」とある。本集には、「醤酢爾《ヒシホスニ》 蒜都伎合而《ヒルツキアヘテ》 鯛願《タヒネガフ》 吾爾勿所v見《ワレニナミエソ》 水葱乃煮物《ナギノアツモノ》」(卷十六、三八二九)とあつて、その食用に供した?態が歌われている。ホコリは、優越感をあらわしている。獲物が多いので、得意になつて。
 及七日家尓毛不來而 ナヌカマデイヘニモコズテ。七日は、この種の異郷訪問説話にしばしばあらわれる日數で、相當に多い日數を示す。鎭火祭の祝詞に、伊佐奈美の命が、黄泉の國に赴かれる條に「夜七夜晝七日《ヨハナナヨヒハナヌカ》、吾奈見給比曾《アヲナミタマヒソ》。吾奈妹申給比支《アガナセノミコトトマヲシタマヒキ》」とある。靈異記の地獄廻りの説話にも、七日を經て歸ることが見えている。
 海界乎過而榜行尓 ウナサカヲスギテコギユクニ。ウナサカは、古事記上卷に、「塞(キテ)2海坂(ヲ)1而返(リ)入(リタマヒ)」とあり、それは海との交通の路にある坂をいうが、ここはすこし違つて、海の限界の意に使つているのだろう。同一の語に對する解釋が變つたものと考えられる。知らないあいだに、海の限界範圍を過ぎて榜いで行く意である。浦島の行つた別世界が、海のかなたの遠い處にありとしている。
 海若神之女尓 ワタツミノカミノムスメニ。ワタツミノカミノヲトメニ(矢)。海若は海神をいう。國語にワタツミというのは、海の神靈の義で、古事記上卷には、綿津見の神とある。下文にも、海若ノ神ノ宮ノとある。カミノムスメは、神の娘子の義。ムスメは、神田本の訓である。海幸山幸の神話では、この娘子をもつて(328)海神の女子としているので、ここにいうワタツミノカミノムスメも、海神の女なる娘子の意であろう。
 邂尓 タマサカニ。邂は、邂逅(メグリアヒ)の義。たまたま、偶然に。類聚名義抄に、邂、邂逅、偶に、タマサカの訓がある。「玉坂《タマサカニ》 吾見人《ワガミシヒトヲ》 何有《イカナラム》 依以《ヨシヲモチテカ》 亦一目見《マタヒトメミム》」(卷十一、二三九六)。
 伊許藝?相誂良比 イコギムカヒアヒアトラヒ。イコキワシラヒカタラヒ(西)、イコギワシリテアヒアトラヒ(代精)、イコギワシラヒカガラヒ(考)、イコギムカヒテアヒカガラヒ(略)、イコギムカヒアヒカタラヒ(古義)。イは、接頭語。?は、新撰字鏡に「趙也、走也、?騰也、疾行也、疾行曰v?、疾?曰v走」とあつて、疾行の義の字であるが、類聚名義抄には、ワシル、ムカフ、ヲモムクの訓がある。よつてムカヒの訓を採る。喜んで馳せ向かう意であろう。誂は、日本書紀垂仁天皇の卷に、アトラヘテの訓があり、類聚名義抄にアツラフの訓がある。ここは良比の二字を送つてあるから、アヒアトラヒで、相互に誘い合う意とすべきである。
 言成之賀婆 コトナリシカバ。コトは、語りあうことで、相談が成立したからの意。婚姻の約束のできたのをいう。「足千根乃《タラチネノ》 母爾障良婆《ハハニサハラバ》 無用《イタヅラニ》 伊麻思毛吾毛《イマシモワレモ》 事應v成《コトヤナルベキ》」(卷十一、二五一七)。
 加吉結 カキムスビ。カキムスヒ(神)、カキツラネ(西)、カキチキリテ(童)、カイツラネ(考)。カキは接頭語。結合して、あい伴なつての意である。
 常代尓至 トコヨニイタリ。トコヨは、永久不變の世界の義で、思想上の世界である。古事記上卷の終りに「故御毛沼命者《カレミケヌノミコトハ》、跳2浪穗1《ナミノホヲフミテ》、渡3坐于2常世國1《トコヨノクニニワタリマシ》」などあつて、海のあなたにありとされていた。神仙思想が渡來するに及んで、仙人の住む世界を、この語であらわすようになり、年を取らないで若くていられる國の概念が成立した。「吾妹兒者《ワギモコハ》 常世國爾《トコヨノクニニ》 住家良思《スミケラシ》 昔見從《ムカシミシヨリ》 變若益爾家利《ヲチマシニケリ》」(卷四、六五〇)の如きは、この思想で使つている。この歌では、そこに海神の宮殿があることになつている。
 内隔之 ウチノヘノ。へは、障壁で、宮殿には、内外の障壁が多いとしている。その内部の意である。「皇(329)祖《スメロキノ》 神之御門爾《カミノミカドニ》 外重爾《トノヘニ》 立候《タチサモラヒ》 内重爾《ウチノヘニ》 仕奉《ツカヘマツリテ》」(卷三、四四三)。八雲立つ出雲八重垣のヤヘガキも、障壁の多くある宮殿の義である。
 細有殿尓 タヘナルトノニ。タヘは、緻密な織物をいい、これを尊重する心から、轉じてりつぱな意に、タヘナルの語を使うようになつたものと考えられる。この意味に使つた例は、集中これのみであるが、シロタヘなどの語に、白妙の字を當てているところを見ると、既にその意味に使われていたのであろう。ここでは、宮殿を稱えて、タヘナルトノと言つている。トノは、大きな建築物。
 耆不爲死不爲而 オイモセズシニモセズシテ。常世に住む人は、年取ることもなく死ぬこともないという思想である。これは神仙思想の不老不死の語を、その儘に直譯している。仙人は、不老不死であるとするのである。列子《れつし》湯問篇に、仙郷を敍して「珠?之樹(ハ)、皆(ナ)叢生(シ)、華實(ハ)皆有(リ)2滋味1、食(ヘバ)v之|皆《ミナ》不v老(イ)不v死(ナ)」とある。
 世間之愚人乃 ヨノナカノオロカビトノ。ヨノナカノシレタルヒトノ(西)、ヨノナカノカタクナビトノ(古義)、ヨノナカノオロカビトノ(新訓)。愚は、類聚名義抄に、オロカナリと訓している。ヨノナカノオロカビトとは、浦島の子をいい、作者の批判がされている。そのままに仙郷に留まつて、不老不死でおればよいものをの意である。
 吾妹兒尓 ワギモコニ。ワギモコは、海神の女をいう。この語は、もと二人稱として女子に對していう語であつたが、ここでは、浦島の子が、その妻にの意に、三人稱として使われている。次の、妹ガイヘラクのイモの用法もこれに同じである。二人稱の語が、三人稱として使われる傾向に轉じて行くのである。
 事毛告良比 コトモノラヒ。コトは、言葉。ここでは事情をいうことばである。ノラヒは、語つて。ノルの繼續する意。
 如明日 アスノゴト。明日のようにも、明日にも。短い時間にの意。
(330) 妹之答久 イモガイヘラク。イモカイラヘク(神)、イモガイヘラク(考)、イモガコタヘラク(總索引)。七音に整えるには、イモガイヘラクあたりであろう。イラフ、コタフは、共に下二段活であるから、イラヘク、コタヘラクとはいわない。イラフラク、コタフラクといわねばならない。イヘラクは、言えることの意。
 復變來而 マタカヘリキテ。變の字は、反に通じて使用されている。「釣爲海人乎《ツリスルアマヲ》 見變來六《ミテカヘリコム》」(卷九、一六六九)。
 此篋開勿勤常 コノクシゲヒラクナユメト。篋は竹製の箱で、クシゲが竹製であつたことを語る。クシゲは、櫛箱。女子が櫛に靈魂をつけて封じておく神聖な箱。下に玉篋とある。後世は玉手箱という。それを開くなとする禁止の約束である。その箱を開くことによつて、靈魂を封じた呪術が破れる。丹後國風土記には、娘子が玉匣を取つて浦島の子に與えたとある。異郷の者が禁止をして、人間の方がその禁を破るので、別離になるのが、この種の説話の型である。ユメは、心を用いよの意。勤の字は、努力の意に使つている。
 曾己良久尓 ソコラクニ。ソコラクは、ソコバクに同じ。許多。たくさんに。集中、他に用例は無い。「片時の程とくだししを、そこらの年ごろ、そこらのこがね賜ひて」(竹取物語)。
 堅目師事乎 カタメシコトヲ。カタメシは、約東し、契約した意。コトヲは、ことなるものをの意。
 所許尓念久 ソコニオモハク。ソコは、其處。ソコニは、そこで、それで。
 三歳之間尓 ミトセノホドニ。海神の宮にわずかに三年を經過したのに、人間世界では數百年を經過したというのである。三年を經たというのは、この種の説話におけるきまつた條件の一つである。海幸山幸の神話では、山幸彦が、海神の宮に至つて、三年を經て故郷を思つて大きな嘆息をしたとある。
 家滅目八跡 イヘウセメヤト。家が無くなることはないと。このトは、次の、本ノ如家アラムトのトと共に、トシテの意に、玉クシゲスコシ開クに接續する。かように中間にトを插むのは、語りもの、昔話などにしばし(331)ば見る形で、そういう性質の形を受けているのだろう。本集では、柿本の人麻呂の日竝みし皇子の尊の殯《あらき》の宮の時の歌(卷二、一六七)に、「天乎婆《アメヲバ》 所v知食登《シラシメサヘト》」の形で出ている。
 玉篋小披尓 タマクシゲスコシヒラクニ。タマは美稱。本來は、靈魂の宿つている箱の義である。それをあけるので、禁を破ることになり、またこれで海神の女の呪術が破れることになる。
 白雲之自箱出而常世邊棚引去者 シラクモノハコヨリイデテトコヨベニタナビキヌレバ。白雲が箱から出て、常世の方に歸つたのでの意。白雲は靈氣で、神女がその靈氣を封じて、浦島の子に授けたので、それを持つているあいだは、浦島の子が年老いることが無かつたとする思想である。トコヨベは、常世の方向。「等許余弊爾《トコヨベニ》 久母多智和多留《タモタチワタル》」(丹後國風土記)。
 立走叫袖振反側足受利四管 タチハシリサケビソデフリコイマロピアシズリシツツ。浦島の子が箱をあけたことを後悔して、狂い廻る?が寫されている。これはこの説話が、舞曲として傳えられた時の、浦島の子の狂亂の舞の部分に相當するもので、海幸山幸の神話では、隼人の狂舞となつてあらわれている。
 頓情消失奴 タチマチニココロケウセヌ。たちまちに精神を失つてしまつた。氣を失つた。句切で、以下同じ形の文を、三個重ねて疊みかけている。
 髪毛白斑奴 カミモシラケヌ。白斑は、白まだらをいう。白髪まじりになつた意で、年老いたことをいう。句切。
 由奈由奈波 ユナユナハ。ユは、ユリに同じで、それから後の意。「佐由理花《サユリバナ》 由利登云者《ユリトイヘルハ》」(卷八、一五〇三)。ナは、接尾語。朝ナ朝ナ、夜ナ夜ナ、諾《うべ》ナ諾ナなど、しばしば同じ語を重ねて使われる。それから後々はの意である。他に用例は無い。
 壽死祁流 イノチシニケル。人間に歸つた浦島の子が、遂に死んだことを述べる。連體形の句。
(332) 家地見 イヘドコロミユ。初めの、墨吉ノ岸ニ出デヰテを受けて、その地が浦島の子の家郷の地として傳えられたことを語つている。中間にも、墨吉ニ歸リ來リテ家見レド家モ見カネテの句があつた。
【評語】海岸に生育した異郷説話の一つが、ある文筆家に取りあげられて、神仙思想と結合して、仙女に逢う物語として成立した浦島の説話を、ここではまた長歌に翻譯している。その説話の内容を敍述しているのが特色であつて、ここに物語の語り手である性質を發揮しているが、構成としては、作者自身の立場があきらかにされ、第一段と、および末尾とにそれが説かれている。これは整備された形體であつて、殊に初めの、春ノ日ノ霞メル時ニ云々の歌い起しは、全體の空氣を作るものとして極めて效果が多い。作者は、浦島その人に對して、世ノ中ノ愚人と批評しているが、それは故國に歸ろうという心などを起さないで、そのまま常世の國に留まつていたらよかつたという意で、大衆の持つ氣もちであることも、物語そのものに興味を持つ作者の立場があきらかにされていてよい。この浦島の歌には、全然龜のことに觸れていないが、龜が娘子に化して婚姻するというのは、神婚説話の重要な要素であるに拘わらず、これの無いのは、その事を怪奇《かいき》として、遺却したものと見るべきである。これは浦島の説話の一展開を意味するものである。
 
反歌
 
1741 常世邉《とこよべ》に 住むべきものを、
 劍刀《つるぎたち》 おの行《わざ》から 鈍《おそ》やこの君。
 
 常世邊《トコヨベニ》 可v住物乎《スムベキモノヲ》
 劔刀《ツルギタチ》 己之心柄《オノガワザカラ》 於曾也是君《オソヤコノキミ》
 
《譯】仙人の世界に住むべきであるのに、自分の所業のゆえに、愚なことだなあ。この人は。
【釋】常世邊 トコヨベニ。トコヨは、長歌の語を受けている。常世の國の方に。
(333) 劔刀 ツルギタチ。枕詞。次の句の己之に冠していると見られる。その己之は、ワガ、ナガ、オノガ、サガ、シガの五訓がある。ワに冠するのは、古代の劔には、柄の頭に輪があるからだという。しかし高麗劔がワに冠する例はあるが、劔刀がワに冠する例は無い。ナに冠するのは、劔には名があるからだという。ナに冠するのは、他に三例あるが、いずれも名ノ惜シケクと績く例であつて、劔刀を丈夫の象徴として譬喩の意に名を惜しむに冠するのであろう。オノに冠する例は、他には無い。身に冠する例が多いから、轉用してオノに冠しているのだろう。サガ、シガに冠するわけはわからない。
 己之行柄 オノガワザカラ。
  ワカココロカラ(藍)
  オノガワザカラ(新訓)
  ――――――――――
  己之心柄《サカココロカラ》(西)
  己之心柄《ナガココロカラ》(童)
  己之心柄《シガココロカラ》(略)
  己之心柄《ワガココロカラ》(古義)
 字面は、古證本の多くは行であつて、心に作る本のあるのは、訓にひかれてのことと思われる。行に作るによれば、オノガワザカラと讀むほかはなく、それでよく意が通じる。己は、自己の義を有する字で、ここもその意に使用されている。この字は集中、「己世爾《オノガヨニ》 未v渡《イマダワタラヌ》 朝川渡《アサカハワタル》」(卷二、一一六)など、多くオノ、オノガと讀まれている。ただこの歌と「己之母乎《ワガハハヲ》 取久乎不v知《トラクヲシラニ》 己之父乎《ワガチチヲ》 取久乎思良爾《トラクヲシラニ》」(卷十三、三二三九)の例の己之だけが、ナガとも讀まれていた。己をナと讀むことは、日本書紀に「大己貴、此云2於褒婀娜武智《オホアナムチ》1」とあり、この神名を、風土記類に、大名持とも大汝とも書いているのによるのである。このナは、二人稱のナレ(汝)のナと同語で尊稱であるが、今の浦島の歌と共に、自己の意に使われているのだから、ワガと讀むのが順當である。あなたの心からではなくして、自分の心からである。ワザは所業、禁止を破つて玉篋をあけた(334)ことをいう。「風流無三《ミヤビナミ》 吾爲類和射乎《ワガスルワザヲ》 害目賜名《トガメタマフナ》」(卷四、七二一)などの用例があり、「凡乃《オホヨソノ》 行者不v念《ワザハオモハジ》」(卷十一、二五三五)の例は、行をワザと讀んでいる。カラは、故、理由。なお佐竹昭廣氏の説(萬葉第四號)に、類聚名義抄に、行にココロの訓があり、仙覺本に心としたのは、訓に引かれての改變であるとされた。
 於曾也是君 オソヤコノキミ。オソは、愚鈍の意。ヤは、感動の助詞。[於曾能風流士《オソノミヤビヲ》」(卷二、一二六)。コノキミは、浦島の子をさす。
【評語】長歌の、世ノ中ノ愚人ノ云々の意を取つて歌つている。やはり、大衆と同樣の心で、常世に住むべきであつたのにと殘念がり、オソヤコノ君と批判しているのが面白く、この作者の人間的であることを示している。
【參考】浦島の子の説話。
  丹後國風土記に曰はく、與謝の郡、日置《ひおき》の里、この里に筒川の村あり。ここの人夫《たみ》日下部《くさかべ》の首等《おびとら》が先祖《とほつおや》は、名を筒川《つつかは》の嶼子《しまこ》といひき。人となり姿容《かたち》秀美《うるは》しく風流《みやび》なること類《たぐひ》なかりき。こはいはゆる水の江の浦の嶼子《しまこ》といふ者なり。こは舊宰《もとのみこともち》伊豫部《いよべ》の馬義《うまかひ》の連《むらじ》が記せるに相乖《あひそむ》くことなし。故《かれ》ほぼ所由之旨《ゆゑよし》を陳べむ。長谷《はつせ》の朝倉《あさくら》の宮に天の下知らしめしし天皇の御世、嶼子ひとり小船に乘りて海中に汎《う》かび出で、釣して三日三夜を經て一つの魚だに得ず、すなはち五色の龜を得たり。心に奇異《あや》しと思ひて船の中に置きて、やがて寐《い》ねつるに、たちまちに婦人《をとめ》となりき。その容《かたち》美麗《うるは》しく、また比《たと》ふべきものなかりき。嶼子、問ひて曰はく、「人宅《ひとさと》遙遠《はるか》にして、海庭《うなばら》に人なし、※[言+巨]人《なにびと》のたちまちに來たれる」と云ふ。女娘《をとめ》微笑《ほほゑ》みて對《こた》へて曰はく、「風流之士《みやびを》獨|蒼海《うみ》に汎《う》かべり。近《した》しく談らむとするこころに勝《あ》へず、就風雲來《おとづれき》つ」といふ。嶼子また問ひて曰はく、「何處よりか來つる」といふ。女娘答へて曰はく、「天上仙家の人なり。請《ねが》はくは君な疑ひそ。相談《かたら》ひて感《めぐ》みたまへ」といふ。ここに嶼子、神女なることを知りて懼れ疑ふ心を鎭めき。女娘語ひて曰はく、「賤妾《やつこ》が意《こころ》は、天地と畢《を》へ日月と極まらむとおもふを、但《ただ》、君いかにかする。許不《いなう》の意《こころ》を早先《すみやか》にしたまへ」といふ。嶼子答へて曰はく、「また言ふと(335)ころなし。何をか解《し》らむや」といふ。女娘曰はく、「君、うべ棹を廻らして蓬山《とこよ》に赴《ゆ》きまさね」といふ。嶼子從ひて往かむとするに、女娘、目を眠らしむ。すなはち意《おも》はざるほどに、海中《わたなか》の博大《ひろ》き島に至りき。その地は玉を敷けるが如く、闕臺《うてな》は?映《きらきら》しく棲堂《たかどの》は玲瓏《かがや》き、目に見ざりし所、耳に聞かざりし所なり。手を携へて徐《おもぶる》に行き、一つの大きなる宅《いへ》の門に到りき。女娘曰はく、「君しまし此處に立ちたまへ」といひて、門を開きて内に入りき。すなはち七《ななたり》の豎子《わらは》來たりて相語らひて曰はく、「こは龜比賣《かめひめ》の夫《せ》なり」といふ。また八《やたり》の豎子來たりて相語らひて曰はく、「こは龜比賣の夫なり」といふ。ここに女娘の名は龜比賣なることを知りき。すなはち女娘出で來たりしとき、嶼子、豎子等の事を語りき。女娘曰はく、「その七の豎子は昴星《すばる》なり。その八の豎子は畢星《あめふり》なり。君なあやしみそ」といひて、すなはち前に立ちて引導《みちび》き、内に進み入りき。女娘の父母、共に相迎へ揖《をろが》みて坐《ゐどころ》を定めき。ここに人間《このよ》と仙都《とこよ》との別《わかち》を稱説《と》き、人と神と偶《たまさか》に會へる嘉《よろこび》を談議《かた》り、すなはち百品《ももくさ》の芳《かぐは》しき味を薦《すす》め、兄弟姉妹等は坏を擧げて獻酬《とりかは》し、隣の里の幼女等は紅顔《にのほ》にして戯れ接《まじは》り、仙歌《うた》は寥亮《さやか》に神舞《まひ》は※[しんにょう+委]※[しんにょう+施の旁]《もこよか》に、その歡宴《うたげ》をなすこと人間《このよ》に萬倍《まさ》れり。ここに日の暮るることを知らず。ただ黄昏《たそがれ》の時に群仙侶等、漸々《やくやく》に退き散《あら》け、すなはち女娘獨留り、雙の眉袖に接《まじは》りて夫婦《いもせ》の理《ことわり》を成しき。時に嶼子、舊俗《もとつよ》を遺《わす》れて仙都《とこよ》に遊ぶこと既に三歳を經たり。忽に土《くに》を懷ふ心を起し、ひとり親に戀ふ。故《かれ》、吟哀《かなしみ》繁く發《おこ》り、嗟嘆《なげき》日に益りき。女娘問ひて曰はく、「比來《このごろ》君夫《きみ》が貌を觀るに、常の時に異なり。願はくはその志を聞かむ」といふ。嶼子對へて曰はく「古の人、小人は土《くに》を懷ひ、死せる狐は丘を首《まくら》にすと言ひき。僕《あれ》、虚談《いつはり》なりと以《おも》ひしに、今これ信《まこと》にしかなり」といふ。女娘間ひて曰はく、「君歸らむと欲《おもほ》すか」といふ。嶼子答へて曰はく、「僕、近く親故之俗《むつまじきよ》を離れて遠く神仙之堺《とこよ》に入り、戀ひ眷《しの》ふに忍《あ》へず、すなはち輕《かろがろ》しき慮《おもひ》を申《の》べつ。望《ねが》はくは、暫《しまし》本俗《もとつくに》に還りて、二親を拜みまつらむ」といふ。女娘、涙を拭ひて歎きて曰はく、「意《こころ》は金石と等しく、共に萬歳《よろづよ》を期《ちぎ》りしに、何ぞ郷里《ふるさと》を眷《した》ひて、一時《たちまち》に棄て遺《わす》るる」といひて、すなはち相携へて俳※[人偏+回]《たちやすら》ひ、相談ひて慟哀《なげきかな》しみ、遂に袂を接《まじ》へて退き去り、(336)岐路《わかれぢ》に就きき。ここに女娘の父母と親族と、但《ただ》に悲しみて副ひ送りき。女娘、玉匣を取りて嶼子に授けて謂ひて曰はく、「君、終《つひ》に賤妾《われ》を遺《わす》れずして眷《かへり》み尋ねむとならば、堅く匣を握《と》り、愼《ゆ》めな開き見たまひそ」といふ。すなはち相分れて船に乘り、よりて目を眠らしめき。忽に本土《もとつくに》筒川の郷に到り、すなはち村邑を瞻眺《なが》むるに、人と物と遷《うつろ》ひ易《かは》り、更に由る所なかりき。ここに、郷人《さとびと》に問ひて曰はく、「水の江の浦の嶼子が家の人、今、何處《いづく》にかある」といふ。郷人答へて曰はく、「君は何處の人なれば、舊遠《むかし》の人を問ふ。吾、聞かくは、古老達《おきなたち》相傳《つた》へて曰はく。先の世に水の江の浦の嶼子といふものあり。ひとり蒼海《うみ》に遊びてまた還り來たらず。今にして三百餘歳を經つといへり。何ぞ忽にこれを問へる」といふ。すなはち棄《う》てし心を喞《ふふ》みて郷里を廻りしかども、一《ひとり》の親しきものにも會はず、はやく旬月を逕《すぐ》しき。すなはち玉匣を撫でて神女を感思《した》ふ。ここに嶼子、前《きき》の日の期《ちぎり》を忘れて忽に玉匣を開きつ。未瞻之間《たちまちのあひだ》に芳《かぐは》しき蘭《らに》のごとき體《かたち》、風と雲とに率《したが》ひて蒼天《あおぞら》に翩《ひるがへ》り飛びき。嶼子、すなはち期要《ちぎり》に乖遠《そむ》きて、また會ひ難きことを知り、首を廻らして蜘※[虫+厨]《たたず》まひ、涙に咽びて俳?《たもとほ》りき。ここに涙を拭ひて歌ひて曰はく、
  常世邊《とこよべ》に雲立ち渡る。水の江の浦島の子が言持ち渡る
   神女、遙に芳《よき》音《こゑ》を飛ばして歌ひて曰はく、
  大和邊《やまとべ》に風吹き上げて雲離れ退《そ》き居りともよ吾《わ》を忘らすな
   嶼子、更《また》戀望《こひしさ》に勝へずして歌ひて曰はく、
  娘《こ》らに戀ひ朝戸を開き吾が居れば常世の濱の波の音《と》聞ゆ
   後時《のち》の人追ひ加へて歌ひて曰はく、
  水の江の浦島の子が玉くしげ開けずありせばまたも逢はましを
  常世邊に雲たちわたる。經ゆ間無く言ひは繼がめど我ぞ悲しき(原漢文、丹後國風土記、釋日本紀所引)
 
(337)見2河内大橋獨去娘子1歌一首 并2短歌1
 
河内《かふち》の大橋を獨|去《ゆ》く娘子《をとめ》を見る歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】河内大橋 カフチノオホハシ。歌詞によれば、片足羽川に架した丹塗の大橋である。片足羽川は、石川とする説と、大和川とする説とがある。石川は、河内の國の南方の山間から發して、北流して大和川にそそぐ清流であるが、その川に架したものとすれば、河内の國府へ通ふためであり、相當に華麗であつたと思われるこの橋の所在としてふさわしくない。これは奈良の京から、難波の宮へ通う道にあつたものなるべく、當時の大和川は、河内の國にはいつてから北流していたから、龍田山を越えてこの川を渡るために架せられてあつたのだろう。行幸の通路に當るので華麗に造られてあつたのだろう。安寧天皇の皇居を、片鹽の浮穴の宮というが、それはもとの大縣郡、後の中河内郡である。その片鹽は、この片足羽に同じだろうか。
 
1742 級照《しなて》る 片足羽河《かたしはがは》の、
 さ丹塗《にぬり》の 大橋の上ゆ、
 紅《くれなゐ》の 赤裳裾引き
 山|藍《あい》もち 摺れる衣《きぬ》著て、
 ただひとり い渡らす兒は、
 若草の 夫《つま》かあるらむ。
 橿《かし》の實《み》の 獨か宿《ぬ》らむ。」
 問はまくの 欲《ほ》しき我妹《わぎも》が
(338) 家の知らなく。」
 
 級照《シナテル》 片足羽河之《カタシハガハノ》
 左丹塗《サニヌリノ》 大橋之上從《オホハシノウヘユ》
 紅《クレナヰノ》 赤裳數十引《アカモスソヒキ》
 山藍用《ヤマアヰモチ》 摺衣服而《スレルキヌキテ》
 直獨《タダヒトリ》 伊渡爲兒者《イワタラスコハ》
 若草乃《ワカクサノ》 夫香有良武《ツマカアルラム》
 橿實之《カシノミノ》 獨歟將v宿《ヒトリカヌラム》
 問卷乃《トハマクノ》 欲我妹之《ホシキワギモガ》
 家乃不v知久《イヘノシラナク》
 
【譯】段になつて日の照つている片足羽川の、赤く塗つた大橋の上を通つて、くれないで染めた赤い裳の裾を引き、山藍で摺つた著物を著て、ただ獨りで渡られる娘さんは、若草のような夫があるだろうか。カシの實のようにひとりで寐るだろうか。聞きたいと思うその子の家を知らないことだ。
【構成】第一段、獨カ宿ラムまで。大橋の上を行く娘子を敍して、その身の上を想像している。第二段、終りまで。その家を知らないことを述べる。
【釋】級照 シナテル。枕詞。階段を成して日が照る意で、聖コ太子の御歌に「斯那提流《シナテル》 箇多烏箇夜摩爾《カタヲカヤマニ》」(日本書紀一〇四)の如く、片岡に冠してその地形を説明していたものが、轉用して、ここでは、片だけに懸かつているのだろう。
 片足羽河之 カタシハガハノ。カタアスハカハノ(神)、カタシハガハノ(考)。カタシハ河は、題詞の條參照。カタシハは、堅い岩の義か。家の敷地を、アスハというのと同語で、脚岩の義だろう。
 左丹塗大橋之上從 サニヌリノオホハシノウヘユ。橋を赤く塗つたのは、装飾のためばかりでなく、魔よけの思想があるものと思われる。船を赤く塗るのと同じ。ユは、を通つて。
 山藍用 ヤマアヰモチ。ヤマアヰは、タカトウダイ科の多年生草本、山中の陰地に生ずる。その葉の汁で衣を染める。
 若草乃 ワカクサノ。枕詞。
(339) 橿實之 カシノミノ。枕詞。カシの實は、ただ一つずつ成るものだから、ヒトリに冠している。
 獨歟將宿 ヒトリカヌラム。ラムは、現在推量の助動詞だが、將來についてもいうので、現に大橋の上を渡つている娘子に對して、ひとりで寐るかと推量する。「行來跡見良武《ユキクトミラム》」(卷一、五五)參照。句切。
 欲我妹之 ホシキワギモガ。このワギモも愛すべき女子の意に使用している。
【評語】現在の人物を取り扱つて、事實を敍述しその身の上を想像している。娘子がただ獨大橋の上を渡るというだけの平凡な事柄を題材として、物語ふうな扱いかたである。前半の色彩の描寫は、殊に一篇を美しく鮮麗にしている。路行く娘子を敍して、これだけの作品を作つたのが、人事に興味をもつこの作者の特色である。
 
反歌
 
1743 大橋の 頭《つめ》に家あらば、
 うらがなしく ひとりゆく兒に
 宿|借《か》さましを。
 
 大橋之《オホハシノ》 頭尓家有者《ツメニイヘアラバ》
 心悲久《ウラガナシク》 獨去兒尓《ヒトリユクコニ》
 屋戸借申尾《ヤドカサマシヲ》
 
【譯】大橋の橋詰に家があつたなら、悲しそうにひとりで行く娘さんに、宿を貸したかつたものを。
【釋】頭尓家有者 ツメニイヘアラバ。ツメは、橋のつめ、橋のたもと。「于知波志能《ウチハシノ》 都梅能阿素弭爾《ツメノアソビニ》 伊提麻栖古《イデマセコ》」(日本書紀、一二四)。正倉院文書、高橋の蟲麻呂の優婆塞貢進解《うばそくこうしんげ》に「山背國葛野郡橋頭里」。この橋頭は、ハシヅメか、ハシモトか。
 心悲久 ウラガナシク。アハレシク(藍)、ココロイタク(温)、ウラガナシク(代精)、マガナシク(略)。字に即して讀めば、ウラガナシクである。悲をイタクと讀む例は無いが、「情哀《ココロイタク》 伊去吾妹可《イユクワギモカ》 若子乎置而《ミドリゴヲオキテ》」(340)(卷三、四六七)、「心哀《ココロイタク》 何妹《ナニシカイモニ》 相云始《アヒイヒソメシ》」(卷十二、三一三〇)など、哀をイタクと讀んでいる。この句は、獨去クを修飾するものであつて、娘子がたよりなげに悲しそうな樣子をして行くのだから、心いたく行くでは意を成さない。やはりウラガナシクとすべきであろう。
【評語】作者は、この反歌に至つて、娘子の有樣を、ウラ悲シクヒトリ行クと敍した。これによつて、一層物語に近づいたといえる。長歌の内容を補つて、作者の感想を述べている。五句の宿借サマシヲの句も、その娘子に興味を持ち、これを隣む心が、よく描かれている。
 
見2武藏小埼沼鴨1作歌一首
 
武藏の小埼《をざき》の沼《ぬま》の鴨を見て作れる歌一首
 
【釋】武藏小埼沼 ムザシノヲザキノヌマ。歌詞に、埼玉の小埼の沼とある。埼玉の郷は、今の熊谷市と羽生市とのあいだで、そこに小埼の沼があつたのだろう。ムザシは、古事記上卷に、「无耶志國造《ムザシノクニノミヤツコ》」、本集に「牟射志野《ムザシノ》」(卷十四、三三七六)など書かれている。
 
1744 埼玉《さきたま》の 小埼《をざき》の沼に 鴨ぞ翼《はね》きる。
 おのが尾に 零《ふ》り置ける霜を
 掃《はら》ふとならし。
 
 前玉之《サキタマノ》 小埼乃沼尓《ヲザキノヌマニ》 鴨曾翼霧《カモゾハネキル》
 己尾尓《オノガヲニ》 零置流霜乎《フリオケルシモヲ》
 掃等尓有斯《ハラフトナラシ》
 
【譯】埼玉の小埼の沼で鴨が翼を強く振つている。自分の尾に降つて置いている霜を拂うというのだろう。
【釋】鴨曾翼霧 カモゾハネキル。ハネキルは、翼を強く振つて水分などを拂うこと、句切。
【評語】寒夜に小埼の沼のほとりに宿して、鴨の羽ばたく音を聞いて詠んだ歌である。寒夜の旅情が溢れるば(341)かりに盛りあがつている。旋頭歌で、前三句で事を敍し、後三句で推量している。
 
那賀郡曝井歌一首
 
那賀《なか》の郡の曝井《さらしゐ》の歌一首
 
【釋】那賀郡曝井 ナカノコホリノサラシヰ。ナカノ郡は、武藏の國の那珂の郡、常陸の國の那珂の郡の兩説があるが、次に大地名を冠しないで手綱の濱とあるのは、常陸の國と認められるから、これも常陸の國の那珂の郡と見るべきである。その曝井は、常陸國風土記那賀の郡に「自(リ)v郡東北挾(ミテ)2粟河(ヲ)1而置(ク)2驛家《ウマヤヲ》1。當(リテ)2其(ノ)以南(ニ)1、泉出(ヅ)2坂(ノ)中(ニ)1。水多(ク)流尤(モ)清(シ)。謂(フ)2之曝井(ト)1。縁(ヒテ)v泉(ニ)所v居(ル)村落(ノ)婦女、夏(ノ)月(ニ)會集《ツドヒ》、浣《アラヒ》v衣(ヲ)曝(シ)乾(セリ)」とあるもので、今、東茨城郡に屬し、渡里村臺渡の瀧坂の清泉が存している由である。サラシヰは、衣を洗いさらす井の意。以下蟲麻呂の歌中には、風土記の記事と連絡のあるものに、筑波山の?歌があり、これを併わせて、風土記と蟲麻呂との關係を論ずる資料となつている。
 
1745 三栗《みつぐり》の 那賀に向かへる 曝井《さらしゐ》の、
 絶えず通はむ 彼所《そこ》に妻もが。
 
 三栗乃《ミツグリノ》 中尓向有《ナカニムカヘル》 曝井之《サラシヰノ》
 不v絶將v通《タエズカヨハム》 彼所尓妻毛我《ソコニツマモガ》
 
【譯】三栗の中。その那賀に向かつている曝井の絶えないように、絶えず通おうとおもうあそこに妻がほしいものだ。
【釋】三栗乃中尓向有曝井之 ミツグリノナカニムカヘルサラシヰノ。以上三句、序詞。井の水が絶えず涌出するというので、絶エズを引き起している。ミツグリノ、枕詞。三子の栗の中央の意で、地名のナカに冠している。ナカは地名。那賀郡をさす。その郡役所の所在地に向かつている曝井の意である。以上は、曝井に對し(342)て感興を起して序に使つたのである。
 不絶將通 タユズカヨハム。この曝井の地に絶えず通い來ようの意。連體句と見るべきだろう。
 彼所尓妻毛我 ソコニツマモガ。ソコは、曝井の地をさす。
【評語】詞句の巧みを弄して、極めて輕快にできている。三栗ノという歌い起しから、轉々して最後に、ソコニ妻モガと結んでいる。その結句もやはり輕い氣もちで云つている。曝井に興じて詞をもてあそんだというだけの歌だが、曝井のようなものを見ても、人事に結びつけてゆく所に、この作者の特色はあらわれている。
 
手綱濱歌一首
 
手綱の濱の歌一首
 
【釋】手綱濱 タヅナノハマ。今、茨城縣多賀郡松岡町に、手綱の地名が殘つている。その附近の海岸で、關川を中心とする地。常陸の國の北端に近い。
 
1746 遠妻《とほづま》し 高《たか》にありせば、
 知らずとも
 手綱の濱の 尋ね來なまし。
 
 遠妻四《トホヅマシ》 高尓有世婆《タカニアリセバ》
 不v知十方《シラズトモ》
 手綱乃濱能《タヅナノハマノ》 尋來名益《タヅネキナマシ》
 
【譯】遠方にいる妻が、多珂にいたならば、道を知らないでも、手綱の濱の名のように、尋ね來ただろうに。
【釋】遠妻四 トホヅマシ。トホヅマは、遠方の妻。家に殘して來た妻をいう。シは、強意の助詞。「遠嬬《トホヅマノ》 此間不v在者《ココニアラネバ》」(卷四、五三四)。
 高尓有世婆 タカニアリセバ。タカは地名。倭名類聚鈔に「多珂郡多珂」とある處で、郡の所在地である。(343)今の松原村。伸びあがるようにして人を待つ形容の副詞に、タカダカニがあり、タカニもその意を含んでいるらしい。それを地名のタカと懸詞にしているのだろう。
 手綱乃濱能、タヅナノハマノ。一句插入句で、序詞。同音によつて、尋ねを引き起している。今手綱の濱に居り、その地名を利用してこの序詞を置いている。
【評語】地名の同音を利用した輕快な作である。旅にあつて遠妻を思つているのだが、詞句の興味本位になつてしまつて、沈痛な旅情は感じられない。作者は、多分|史生《ししよう》ぐらいの微官で、常陸の國の役人となつてきており、その役向きで國内を巡行して、かような北方まできたのだろう。その妻は、奈良の京にいたか、または常陸の國府まで伴なつてきていたか、不明であるが、速妻というから、大和の方だろう。この人には、この歌以外に、妻に關して歌つたものが無い。
 
春三月、諸卿大夫等、下2難波1時歌二首 并2短歌1
 
春三月、諸卿大夫等の難波に下りし時の歌二首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】春三月 ハルヤヨヒ。何年か不明。蟲麻呂と縁故の深い藤原の宇合は、神龜三年十月に、知造難波宮事《チゾウナニワグウジ》となつているが、それと關係があるかどうかわからない。一七四九の歌にある君ガミユキは、天皇の行幸と解せられ、その下檢分乃至準備のための旅行とすれば、當時三月頃の行幸としては、天平六年三月十日、聖武天皇の難波の宮への行幸があり、その年のことであるかも知れない。
 諸卿大夫等 マヘツギミタチ。卿と大夫とは、文字としては、官位によつて區別して書いているが、訓はどちらもマヘツギミである。卿大夫等が幾人か難波に下つたのに、作者も同行したのである。作者は微官で、卿大夫等の中にははいらない。
 
(344)1747 白雲の 龍田《たつた》の山の
 瀧《たぎ》の上の 小?《をぐら》の嶺に
 咲きををる 櫻の花は、
 山高み 風し止《や》まねば、
 春雨の 繼ぎてし零《ふ》ふれば、
 秀《ほ》つ枝は 散り過ぎにけり。」
 下枝《しつえ》に 殘れる花は、
 須臾《しましく》は 散りな亂れそ。
 草枕 旅行く君が
 還《かへ》りくるまで。」
 
 白雲之《シラクモノ》 龍田山之《タツタノヤマノ》
 瀧上之《タギノウヘノ》 小?嶺尓《ヲグラノミネニ》
 開乎爲流《サキヲヲル》 櫻花者《サクラノハナハ》
 山高《ヤマタカミ》 風之不v息者《カゼシヤマネバ》
 春雨之《ハルサメノ》 繼而零者《ツギテシフレバ》
 最末枝者《ホツエハ》 落過去祁利《チリスギニケリ》
 下枝尓《シつエニ》 遺有花者《ノコレルハナハ》
 須臾者《シマシクハ》 落莫亂《チリナミダレソ》
 草枕《クサマクラ》 客去君之《タビユクキミガ》
 及2還來1《カヘリクルマデ》
 
【譯】白雲の立つ、その龍田の山の激流に臨んでいる小椋の嶺に、咲き滿ちている櫻の花は、山が高くて風が止まないので、春雨が續いて降るので、上の枝は散り過ぎてしまつた。下の枝に殘つている花は、しばらくは散り亂れるな。草の枕の旅を行く君が歸つて來るまで。
【構成】第一段、散リ過ギニケリまで。龍田山の櫻花の、上の枝の散つてしまつたことを述べる。第二段、終りまで。下枝の花に對して希望を述べる。
【釋】白雲之 シラクモノ。枕詞。白雲が立つということから、同音に依つて、龍田山に冠している。しかしこの句は、龍田山の説明にもなつている。「白雲乃《シラクモノ》 龍田山乃《タツタノヤマノ》」(卷六、九七一)。この例も蟲麻呂の作である。
(345) 小?嶺尓 ヲグラノミネニ。ヲグラノミネは、龍田山の一峰であろうが、所在不明。タギノウヘノとあるタギを、大和川の本流、今の龜が瀬の激流とし、その上方に求める説もある。
 開乎爲流 サキヲヲル。花が咲いて枝のたわむをいう。乎爲流の乎爲は、この語に使用される慣用文字である。「山邊爾波《ヤマベニハ》 花咲乎爲里《ハナサキヲヲリ》」(卷三、四七五)。
 繼而零者 ツギテシフレバ。シに相當する字無く、讀み添えている。
 最末枝者 ホツエハ。最末枝は 義をもつてホツエと讀んでいる。末枝と書いたものは、「爲v妹《イモガタメ》 末枝梅乎《ホツエノウメヲ》 手折登波《タヲルトハ》 下枝之露爾《シツエノツユニ》 沾家類可聞《ヌレニケルカモ》」(卷十、二三三〇)などあり。ホツエは、樹木の上方の枝をいう。なお用例には「本都延波《ホツエハ》 登理韋賀良斯《トリヰガラシ》 志豆延波《シヅエハ》 比登々理賀良斯《ヒトトリカラシ》(古事記四四)、「青柳乃《アヲヤギノ》 保都枝與治等理《ホツエヨヂトリ》」(卷十九、四二八九)。
 下枝尓 シツエニ。シツエは、ホツ枝に對して、下方の枝をいう。用例は、前條に引用した古事記の歌中にある。ホツ枝とシツ枝とを對比していうのは、古事記上卷、天の岩戸の段に「於2上枝1。取(リ)2著(ケ)八尺勾?《ヤサカノマガタマ》之五百津之御須麻流之玉(ヲ)1、於2中(ツ)枝1、取(リ)2繋(ケ)八尺(ノ)鏡(ヲ)1、於《ニ》2下枝1、取2垂|白丹寸手青丹寸手《シロニギテアヲニギテヲ》1」とあり、前條に引いた例の外にも「末枝爾《ホツエニ》 毛知引懸《モチヒキカケ》 仲枝爾《ナカツエニ》 伊加流我懸《イカルガカケ》 下枝爾《シツエニ》 比米乎懸《ヒメヲカケ》」(卷十三、三二三九)とあり、これらは、ホツ枝、シツ枝のほかに、ナカツ枝をも擧げている。シは下方、(346)ツは助詞。エは枝の義である。
 客去君之 タビユクキミガ。次の句に還リ來ルマデとあるので、このキミは、同行している卿大夫等をさしているものと考えられる。
 及還來 カヘリクルマデ。カヘリクルマデ(藍)、カヘリクマデニ(略)、カヘリコムマデ(古義)。助動詞ムがマデに接續する例はない。未然のことであつても、不定時をもつて接續している。同行の人が難波から歸つてくるまでである。「和禮由伎弖《ワレユキテ》 可敝里久流末低《カヘリクルマデ》 知里許須奈由米《チリコスナユメ》」(卷十五、三七〇二)。
【評語】山の櫻を歌うにしても、上つ枝と下枝との遲速を歌いわけたのは、よく自然を見ているあらわれで、この作者の特色が出ている。上ツ枝は散り過ギニケリと嗟歎し、改めて下枝ニ殘レル花ハと、密接にそれを受けて敍述している手段も、巧みである。小品の長歌で、内容も平凡だが、表現で同感させる。初句の白雲の枕詞も、この歌では、よく利いている。
 
反歌
 
1748 わが行《ゆ》きは 七日は過ぎし。
 龍田彦、
 ゆめこの花を 風にな散らし。
 
 吾去者《ワガユキハ》 七日不v過《ナヌカハスギジ》
 龍田彦《タツタビコ》
 勤此花乎《ユメコノハナヲ》 風尓莫落《カゼニナチラシ》
 
【譯】わたしの旅行は、七日間は過ぎまい。龍田彦よ、決してこの花を風に散らすな。
【釋】吾去者 ワガユキハ。ユキは、旅行で、難波への往來である。
 七日者不遇 ナヌカハスギジ。このナヌカは實數をいう。七日以内に歸つてくる豫定だつたのである。しか(347)も次の歌によれば、ただ一夜寐ただけで歸つて來た。句切。
 龍田彦 タツタビコ。延喜式神名、大和の國平群郡に「龍田比古龍田比女神社二座」とある。龍田町にある龍田神社の祭神で、風の神である。この神は、龍田の地にいる由で、この名を得たのであろう。延喜式に載せた龍田の風の神の祭の祝詞には、崇神天皇の御夢にあらわれた神の名を、天の御柱の命、國の御柱の命といい、この神を、龍田の立野の小野に祭るとしているのは、別の神社とされている。この句は、龍田彦を呼びかけている。呼格。
 風尓莫落 カゼニナチラシ。ナは、禁止の意の副詞。ナチラシは、散らすなかれ。チラシは、散ルの使役法である。この種のナは、上にある語の方に接著する性質があるが、ここはカゼニナチラシだろう。
【評語】長歌では、旅行ク君ガと云つたが、反歌では、自分を含めて一行の意に、ワガ行キと云つている。龍田彦という神名を歌い入れたのは、やはりこの作者の特色で、人物を取り扱うのと通ずる所がある。
 
1749 白雲の 龍田の山を
 夕暮に うち越え行けば、
 瀧《たぎ》の上の 櫻の花は、
 咲きたるは 散り過ぎにけり。
 含《ふふ》めるは 咲き繼ぎぬべし。」
 こちごちの 花の盛りに 見ざれども、
 かにかくに 君がみゆきは、
(348) 今にしあるべし。」
 
 白雲乃《シラクモノ》 立田山乎《タツタノヤマヲ》
 夕晩尓《ユフグレニ》 打越去者《ウチコエユケバ》
 瀧上之《タギノウヘノ》 櫻花者《サクラノハナハ》
 開有者《サキタルハ》 落過祁里《チリスギニケリ》
 含有者《フフメルハ》 可2開繼1《サキツギヌベシ》
 許知期智乃《コチゴチノ》 花之盛尓《ハナノサカリニ》雖v不v見《ミザレドモ》
 左右《カニカクニ》 君之三行者《キミガミユキハ》
 今西應v有《イマニシアルベシ》
 
【譯】白雲の立つ、その龍田の山を、夕暮に越えて行けば、激流の上の櫻の花は、咲いたのは散り過ぎてしまつた。つぼんでいるのは、咲き繼ぐだろう。あちらこちらの花の盛りに見ないけれども、とにかく、天皇のおでましは、今が適當である。
【構成】第一段、咲キ繼ギヌベシまで。龍田山の櫻花の現?を述べる。第二段、終りまで。作者の意見を述べる。
【釋】許知期智乃 コテゴチノ。此方此方ので、あちこちのに同じ。まだアチの語が成立していなかつた。「己知碁知乃枝之《コチゴチノエノ》」(卷二、二一〇》。
 雖不見 ミザレドモ。ミサレトモ(神)、ミズトヘド(考)、ミズトイヘド(略)。五音の一句で、七吾の句を伴なつていない。長歌の定型からいえば、變則なので、誤字説脱字説もある。原文のままならば、特に破調を試みたものとされる。蟲麻呂の歌には、下に「山下之《アラシノ》 風莫吹登《カゼナフキソト》 打越而《ウチコエテ》」(卷九、一九五一)のような七五調の句もあるので、ここもその調子が出たものと見られる。これは「于知波志能《ウチハシノ》 都梅能阿素弭爾《ツメノアソビニ》 伊堤麻栖古《イデマセコ》」(日本書紀一二四)などにも見られる所である。
 左右 カニカクニ。左右の文字の用例には、「左毛右毛《カニモカクニモ》」(卷十六、三八三六)があつて、カニカクニの訓が確められる。
 君之三行者 キミガミユキハ。ミユキは、行幸をいう。ミは崇敬の接頭語。
【評語】この歌も、櫻花を敍して、咲キタルハ散リ過ギニケリ。フフメルハ咲キ繼ギヌベシと説明したあたりがよく、全體に簡單な内容だが、これによつて情趣を成している。君ガミユキハ云々の句によつて、作者たちの旅行の目的も推測される。
 
(349)反歌
 
1750 暇あらば なづさひ渡り、
 向つ峯《を》の 櫻の花も
 折らましものを。
 
 暇有者《イトマアラバ》 魚津柴比渡《ナヅサヒワタリ》
 向峯之《ムカツヲノ》 櫻花毛《サクラノハナモ》
 折末思物緒《ヲラマシモノヲ》
 
【譯】暇があつたら、谷を渡つて行つて、向こうの嶺の櫻の花も折つたろうものを。
【釋】魚津柴比渡 ナヅサヒワタリ。ナヅサフは、水に浸つてその抵抗を排するをいう。船、水鳥などが、水面をわけるのによく使う。ここは谷川を渡つて。「八雲刺《ヤクモサス》 出雲子等《イヅモノコラガ》 黒髪者《クロカミハ》 吉野川《ヨシノノカハノ》 奧名豆颯《オキニナヅサフ》(卷三、四三〇)。
【評語】公用の旅であり、夕暮でもあるので、櫻の花を折る暇の無いのを惜しんでいる。ナヅサヒ渡りあたりに特色が見られるだけである。
 
難波經宿、明日還來之時歌一首 并2短歌1
 
難波に經宿《やど》りて明《あす》の日還り來し時の歌一首 【短歌を并はせたり。】
 
【釋】難波經宿明日還來之時 ナニハニヤドリテアスノヒカヘリコシトキ。經宿は、一夜宿るをいう。代匠記初稿本に「天台山賦曰、陟降《チヨクコウシテ》信宿、迄《イタル》2于仙都(ニ)1。翰曰、再宿(ヲ)爲(ス)v信(ト)。言、上下兩宿(シテ)、至(ル)2于仙都(ニ)1也。」この歸途は、往途の人數の一部分だつたのだろう。豫想外に早く歸ることになつたものらしい。
 
(350)1751 島山を い行きもとほる
 河副《かはぞひ》の 岡邊《をかべ》の道ゆ、
 昨日こそ わが越え來《こ》しか。
 一夜のみ宿《ね》たりしからに、
 峯《を》の上《うへ》の 櫻の花は、
 瀧《たぎ》の瀬ゆ落ちて流る。」
 君が見む その日までには、
 嵐《あらし》の 風な吹きそと うち越えて、
 名に負へる社《もり》に 風祭《かぜまつり》せな。」
 
 島山乎《シマヤマヲ》 射往廻流《イユキモトホル》
 河副乃《カハゾヒノ》 丘邊道從《ヲカベノミチユ》
 昨日己曾《キノフコソ》 吾超來牡鹿《ワガコエコシカ》
 一夜耳《ヒトヨノミ》 宿有之柄二《ネタリシカラニ》
 峯上之《ヲノウヘノ》 櫻花者《サクラノハナハ》
 瀧之瀬從《タギノセユ》 落墮而流《オチテナガル》
 君之將v見《キミガミム》 其日左右庭《ソノヒマデニハ》
 山下之《アラシノ》 風莫吹登《カゼナフキソト》 打越而《ウチコエテ》
 名二負有社尓《ナニオヘルモリニ》 風祭爲奈《カザマツリセナ》
 
【譯】島山を行き廻つている河ぞいの岡邊の道を通つて、昨日こそわたしが越えてきたのだ。一夜だけ寐たばかりだのに、峯の上の櫻の花は、激流の瀬を通つて、落ちて流れる。君が御覽になるその日までは、荒い風は吹くなと、山を越えて、名に負うているお社で、風の祭をしよう。
【構成】第一段、落チテ流ルまで、櫻の花の現?を述べる。第二段、終りまで。風が吹かないように祭をしようとする意を述べる。
【釋】島山乎 シマヤマヲ。シマヤマは、川に臨んでいる山をいう。離れ島ではない。
 射往廻流 イユキモトホル。イユキモトホル(西)、イユキメグレル(考)。次の句の川を修飾するとする見方と、句を隔てて道を修飾するとする見方とある。川ゾヒノ岡邊ノ道というのは、川に沿つて岡がある、そのほとりの道というのだから、島山ヲイ行キモトホルの句は、川だけの修飾句と見る方がよいであろう。
(351) 河副乃 カハゾヒノ。この河は、龍田川、今の大和川であろう。龍田路は、大和川の右岸(北岸)に沿つていた。
 丘邊道從 ヲカベノミチユ。ヲカベノミチは、龍田路である。ユは、それを通つて。以上、具體的によくこの道の特色を描き出している。
 吾越來牡鹿 ワガコエコシカ。牡鹿は、訓假字として使用している。コソに對して、時の助動詞の已然形シカで結んでいる。シカは バ、ドの如き助詞を伴なつて前提法を作るものが古く、これをもつて文を結ぶのは、奈良時代に入つて起つたもののようである。しかもなお前提法の語氣を存して、諸例いずれもシカに終る文をもつて、前提として、後續の文を有している。ここも昨日こそ越え來しかどものような語氣に解すべきである。
 峯上之 ヲノウヘノ。ヲノヘノ(神)。ヲノウヘノ(西)、ミネノヘノ(童)。峯上は、下の筑波山に登る歌(一七五三)、また「足引乃《アシヒキノ》 峯上之櫻《ヲノウヘノ》 如此開爾家里《サクラカクサキニケリ》」(卷十九、四一五一)の歌では、ヲノウヘ若しくはヲノヘと讀まれている。前の歌に見える、瀧ノ上ノ小?ノ嶺ニ咲キヲヲル櫻ノ花だから、ミネノウヘニでもよいか。
 瀧之瀬從 タギノセユ。激流の瀬を通過して、この瀧の瀬は、大和川のうち、龜が瀬あたりの急瀬をいうのだろう。
(352) 君之將見 キミガミム。このキミは、往路の第一の長歌にいう所の、旅行ク君か、第二の長歌にいう所の、君ガミユキの天皇か、不明である。第一の長歌および反歌に、風のことを云つているのと呼應するものとせば、同行して難波に下り、後れて歸る人をいうのだろう。
 山下之 アラシノ。ヤマオロシノ(西)、アラシノ(古義)。集中、下風をアラシと讀み、また山下は「衣袖丹《コロモデニ》 山下吹而《アラシノフキテ》」(卷十三、三二八二)の歌にはアラシと讀まれている。ここは兩樣の訓が考えられるが、ヤマオロシノカゼは、文證が無いから、證のあるにまかせてアラシノとすべきである。
 打越而 ウチコエテ。龍田山を越えて。その東麓立野に龍田神社がある。
 名二負有社尓 ナニオヘルモリニ。ナニオヘルモリは、風の神として名に負つている社で、龍田神社をいう。
 風祭爲奈 カザマツリセナ。カザマツリは、風の神を祭つて、風の吹き荒れないように要請する祭。セナは、自分のしようと思うのをあらわす。
【評語】難波に下つて一宿しただけなのに、花が激流に流れる樣を敍して、この上風の吹かないようにと願つている。風祭のような特殊の語を出したのが特色である。花の散りゆくあわただしさと、これを惜しむ心とがよく措かれている。
 
反歌
 
1752 い行相《ゆきあひ》の 坂の麓に 咲きををる
 櫻の花を 見せむ兒もがも。
 
 射行相乃《イユキアヒノ》 坂上之蹈本爾《サカノフモトニ》 開乎爲流《サキヲヲル》
 櫻花乎《サクラノハナヲ》 令v見兒毛欲得《ミセムコモガモ》
 
【譯】人々の往來する坂の麓に咲き滿ちている櫻の花を、見せる娘もほしいなあ。
(353)【釋】射行相乃 イユキアヒノ。イは接頭語。人々の行き違う處の意に、坂を修飾する。行き違う處の意に使用した例に「※[女+感]嬬等爾《ヲトメヲニ》 行相乃速稻乎《ユキアヒノワセヲ》」(卷十、二一一七)がある。
【評語】見せる兒がほしいという形は、類型的であるが、その花の表現に、特色があつて、感興を保つている。長歌の内容とは關係が無いようだが、ウチ越エテとあるを受けて、山の東麓の櫻花を詠んだのだろう。
 
?税使大伴卿登2筑波山1時歌一首 井2短歌1
 
?税使大伴の卿の筑波山に登りし時の歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】?税使大伴卿 ケミサイシオホトモノマヘツギミ。?税使は、正倉院文書の長門國正税帳に天平七年の?税使、續日本紀に寶龜七年の?税使のことが見えるが、ここはその以前であろう。臨時の官で、諸國に出張して、その國の正倉に存在する正税の租稻を?し、正税帳と勘合することをつかさどる。大伴の卿は、大伴の安麻呂、旅人のうち、多分旅人だろうとされている。?税使は通例五位程度の人を任命するのに、安麻呂は、和銅七年五月に大納言兼大將軍正三位をもつて薨じているので、奈良時代初期における?税使としては、地位が高すぎる。この歌は、?税使として下つてきた大伴の卿が筑波山に登つた時の歌で、高橋の蟲麻呂は案内して行つて、この歌を作つたのである。
 
1753 衣手《ころもで》 常陸《ひたち》の國、
 二竝《ふたなら》ぶ 筑波の山を、
 見まく欲《ほ》り 君が來《き》ますと、
 熱《あつ》けくに 汗かきなけ
(354) 木《こ》の根取り 嘯《うそぶ》き登り、
 峯《を》の上《うへ》を 公に見すれば、
 男《を》神も 許したまひ
 女《め》神も ちはひたまひて、
 時となく 雲居《くもゐ》雨降る
 筑波|嶺《ね》を 清《さや》に照らして、
 いふかりし 國のまほらを
 委曲《つばらか》に 示したまへば、
 歡《うれ》しみと 紐の緒解きて
 家の如 解けてぞ遊ぶ。」
 うち靡く 春見ましゆは、
 夏草の 茂くはあれど
 今日の樂しさ。
 
 衣手《コロモデ》 常陸國《ヒタチノクニ》
 二竝《フタナラブ》 筑波乃山乎《ツクハノヤマヲ》
 欲v見《ミマクホリ》 君來座登《キミキマスト》
 熱尓《アツケクニ》 汗可伎奈氣《アセカキナケ》
 木根取《コノネトリ》 嘯鳴登《ウソブキノボリ》
 峯上乎《ヲノウヘヲ》 公尓令v見者《キミニミスレバ》
 男神毛《ヲガミモ》 許賜《ユルシタマヒ》
 女神毛《メガミモ》 千羽日給而《チハヒタマヒテ》
 時登無《トキトナク》 雲居雨零《クモアメフル》
 筑波嶺乎《ツクハネヲ》 清照《サヤニテラシテ》
 言借石《イブカリシ》 國之眞保良乎《クニノマホラヲ》
 委曲尓《ツバラカニ》 示賜者《シメシタマヘバ》
 歡登《ウレシミト》 ?之緒解而《ヒモノヲトキテ》
 家如《イヘノゴト》 解而曾遊《トケテゾアソブ》
 打靡《ウチナビク》 春見麻之從者《ハルミマシユハ》
 夏草之《ナツクサノ》 茂者雖v在《シゲクハアレド》
 今日之樂者《ケフノタヌシサ》
 
【譯】常陸の國の二峰の竝ぶ筑波の山を、見たいと思つてあなたがおいでになるので、熱いのに汗をかき、長い息をつき、木の根を手にして息を吹いて登り、峰の上をあなたにお見せすれば、男嶽もお許しになり、女嶽も好意をお示しになつて、何時という時がなく雲が懸かつて雨の降る筑波山を、はつきりと照らして、ぼんやりしていた國の中心を、明細にお見せになつたので、うれしい事と、著物の紐を解いて、わが家にいるように、(355)うち解けて遊びます。草木の靡く春見ようよりは、夏草が茂くはあるけれども、今日が樂しいことです。
【構成】第一段、解ケテゾ遊ブまで。大伴の卿を案内して登山し、うち解けて遊ぶことを敍する。第二段、終りまで。作者の感想。
【釋】衣手 コロモデ。枕詞。常陸國風土記、國號の由來の條に、一説として、日本武の尊が、この國の新治の縣においでになつた時に、國造が、新に井を掘らしめた所、流泉が淨澄で愛すべくあつたので、御輿を停めて水を翫び手を洗ひ、御衣の袖が泉に垂れて濡れたので、袖を漬す義によつて、この國の名とした。風俗の諺に、筑波の岳に黒雲かかり、衣袖ひたちの國というのはこれであると記している。これは地名起原説話だが、これでこの枕詞が、その地に行われていたことが知られる。
 二竝 フタナラブ。筑波山は、二峰竝立の山形なので、これを説明し修飾する。
 君來座登 キミガキマスト。キミは、大伴の卿をいう。
 熱尓 アツケクニ。アツケクは、熱いことの體言。「見吉野乃《ミヨシノノ》 山下風之《ヤマノアラシノ》 寒久尓《サムケクニ》」(卷一、七四)のサムケクニと、同じ語形の句。
 汗可伎奈氣 アセカキナケ。
  アセカキナケ(新訓)
  ――――――――――
  汗可伎奈氣伎《アセカキナゲキ》(代精)
  汗可伎奈?《アセカキナデ》(考)
 アセは、倭名類聚鈔に「汗、蒋魴韵云、汗音寒、一音翰、阿勢。人身上熱汁也」とある。カキナケは、動詞カキとナケとだろうが、カキを接頭語と見るか、獨立語と見るかの二解がある。しかし接頭語としては、カキナケが、アセの説明語となり、解釋に困難である。アセカキと、ナケとを分離する方が、まだしも解釋しやすい。この場合、カキは、汗の出る動作をいう。汗をかくという。ナケは、「奴要鳥能《ヌエドリノ》 宇良奈氣之都追《ウラナケシツツ》」(卷十七、(356)三九七八)のナケに同じく、そのウラナケは、「奴要子鳥《スエコドリ》 卜歎居者《ウヲナケヲレバ》」(卷一、五)、「奴延鳥之《ヌエドリノ》 裏歎座津《ウラナケマシツ》」(卷十、一九九七)、「奴延鳥《ヌエドリノ》 浦嘆居《ウラナケヲリト》」(同、二〇三一)の卜歎裏歎浦嘆と同じと考えられる。このナケは、下二段活動詞の連用形で、長い息がつかれる意であろう。
 木根取 コノネトリ。山に登るために、木の根を手がかりとするのである。
 嘯鳴登 ウソブキノボリ。ウソブキは、内部の空虚な物を吹くような聲を出すのをいう。あえぎつつ登るので、聲が出るのである。日本書紀卷の二、「風招即嘯也《カゼヲキハスナハチウソブキナリ》」「弟居v濱而嘯之時《オトノミコトウミベタニマシマシテウソブキタマフトキニ》、迅風忽起《ハヤチタチマチニオコル》」などの嘯に、ウソブキ、ウソブクと訓している。
 男神毛許賜 ヲガミモユルシタマヒ。ヲガミは、筑波山の西の峰で、これを男神として信仰している。ユルシタマヒは、登ることを許し、かつ國土を示すことをいう。風土記に、西の峰を雄神といい、登臨せしめずとある。
 女神毛千羽日給而 メガミモチハヒタマヒテ。メガミは女神、東の峰をいう。チハヒは、靈力をあらわすをいう。チは、靈力あることをいい、それを發揮するのがチハフである。「靈治波布《タマチハフ》 神毛吾者《カミモワレヲバ》 打葉乞《ウツテコソ》」(卷十一、二六六一)。この靈力に依つて、雲が晴れて國土の樣子が示される意である。許シタマヒチハヒタマヒテ委曲ニ示シタマエバの文脈である。
 時登無 トキトナク。その時となく、何時と定まらずに。
 雲居雨零 クモヰアメフル。クモヰは、雲が居て。ヰは動詞。連體形の句。
 言借石 イフカリシ。今まで明瞭でなかつた意。シは、時の助動詞。
 國之眞保良乎 クニノマホラヲ。クニノマホラは、國土の最上の處。良い處。國の中心地。
 委曲尓 ツバラカニ。日本靈異記中卷の訓釋に、「委曲、ツ波比良計苦」とある。本集では「委曲毛《ツバラニモ》 見管行(357)武雄《ミツツユカムヲ》」(卷一、一七)の例があつて、ツバラニと讀んでいる。ここもツバラニでもよいが、「奧山之《オクヤマノ》 八峯乃海石榴《ヤツヲノバキ》 都婆良可爾《ツバラカニ》 今日者久良佐禰《ケフハケラサネ》 大夫之徒《マスラヲノトモ》」(卷十九、四一五二)の例があるによつて、ツバラカニと讀む。こまかに、詳細にの意の副詞である。
 示賜者 シメシタマヘバ。神が許諾して國内の風光を見せてくださつたので。
 歡登 ウレシミト。ウレシミは、形容詞から轉成した動詞で、トを併わせてうれしい事としての意になる。「不v念丹《オモハヌニ》 到者妹之《イタラバイモガ》 歡三跡《ウレシミト》 咲牟眉曵《ヱマムマヨビキ》 所v思鴨《オモホユルカモ》」(卷十一、二五四六)、「宇禮之美登《ウレシミト》 安我麻知刀敷爾《アガマチトフニ》」(卷十七、三九五七)の用例がある。
 ?之緒解而 ヒモノヲトキテ。衣服の紐を解いてくつろぐ意。
 解而曾遊 トケテゾアソブ。このトケテもやはり衣帶がおのずからゆるやかになつての意と見られる。自動詞。句切。
 打靡 ウチナビク。枕詞。
 春見麻之從者 ハルミマシユハ。ユは、ここは比較を示すに使つている。
【評語】敍事が精細である。殊に山氣が晴れて國土の見渡されることを敍したあたりがよい。しかしほんとうに歡をつくした喜びにうすいのはやむを得ない。
 
反歌
 
1754 今日の日に いかにか及《し》かむ。
 筑波|嶺《ね》に 昔の人の
 來《き》けむその日も。
 
 今日尓《ケフノヒニ》 何如將v及《イカニカシカム》
 筑波嶺《ツクハネニ》 昔人之《ムカシノヒトノ》
 將v來其日毛《キケムソノヒモ》
 
(358)【譯】今日の日にどうして及びましようか。筑波山に昔の人の來たでしようその日も。
【評語】昔の人とは、誰をさすか不明。大伴の旅人の父安麻呂あたりの思い出か。これはさすがに躍動的で、感情が出ている。二句の四三の音節の調子が快く、また末句の下略した云い方も、調子の輕さを助けている。
 
詠2霍公鳥1一首 并2短歌1
 
霍公鳥を詠める一首 【短歌を并はせたり。】
 
1755 うぐひすの 卵《かひこ》の中《なか》に
 ほととぎす ひとり生れて、
 己《わ》が父に 似ては鳴かず、
 己《わ》が母に 似ては鳴かず、
 卯の花の 咲きたる野邊ゆ、
 飛び翻《かへ》り 來《き》鳴きとよもし、
 橘の 花を居散らし、
 終日《ひねもす》に 鳴けど聞きよし。
 幣《まひ》はせむ 遠くな行きそ。
 わが屋戸の 花橘に
 住み渡れ、鳥。
 
 ?之《ウグヒスノ》 生卵乃中尓《カイヒコノナカニ》
 霍公鳥《ホトトギス》 獨所v生而《ヒトリウマレテ》
 己父尓《ワガチチニ》 似而者不v鳴《ニテハナカズ》
 己母尓《ワガハハニ》 似而者不v鳴《ニテハナカズ》
 宇能花乃《ウノハナノ》 開有野邊從《サキタルノベユ》
 飛翻《トビカヘリ》 來鳴令v響《キナキトヨモシ》
 橘之《タチバナノ》 花乎居令v散《ハナヲヰチラシ》
 終日《ヒネモスニ》 雖v喧聞吉《ナケドキキヨシ》
 幣者將v爲《マヒハセム》 遐莫去《トホクナユキソ》
 吾屋戸之《ワガヤドノ》 花橘尓《ハナタチバナニ》
 住度鳥《スミワタレトリ》
 
(359)【譯】鶯の卵の中に、ホトトギスがひとり生まれて、自分の父に似ては鳴かず、自分の母に似ては鳴かず、卯の花の咲いている野邊を通つて、飛び翻り來て鳴き響かせ、橘の花にとまつて散らし、一日中鳴いているが、聞くのはよいものだ。贈り物をしよう。遠くへ行くな。わたしの宿の橘の花に住んで過せ、鳥よ。
【構成】第一段、鳴ケド聞キヨシまで、ホトトギスの上を敍し、その聲の愛すべきを述べる。第二段、終りまで。ホトトギスに對して、自分の宿に永住せよと希望する。
【釋】?之生卵乃中尓霍公鳥獨所生而 ウグヒスノカヒコノナカニホトトギスヒトリウマレテ。ホトトギスの類が、みずから巣をいとなんで雛を育てないで、ウグイスのような他鳥の巣の中に卵を産んで、これに孵化させる習慣であることは、今日知られている事實である。この事が、古くから認められて、以上の句になつている。なお大伴の家持の歌にも、「木の暗闇《くれやみ》四月《うづき》し立てば、夜ごもりに鳴くほととぎす、古ゆ語り繼ぎつる、(360)鶯のうつし眞子かも」(卷十九、四一六六)とも歌つている。カヒコは、卵をいう。倭名類聚鈔に「卵、陸詞曰、卵音〓、加比古鳥胎也」とある。古事記に、仁コ天皇の皇子建貝古の王を、建卵の王とも書いている。古今六帖、拾遺抄、源氏物語等には、カヒとのみもいう。カヒは殻の義で、コは愛稱である。ヒトリウマレテは、ホトトギスが一羽だけ生まれての意。
 己父尓 ワガチチニ。サカチチニ(藍)、シカチチニ(類)、ナガチチニ(童)、ワガチチニ(考)。ナガチチニの訓が多く行われているが、己の字をナと讀むことは、大己貴の神の場合の如き例があるから、訓として成立する。しかし本集には、他にも「高麗劔《コマツルギ》 己之景迹故《ワガココロカラ》」(卷十二、二九八三)、「親々《ムツマジキ》 己之家尚乎《ワガイヘスラヲ》」(卷十三、三二七二)の如く、己之をワガと讀んでいる例があり、今の場合も、かならずしもナガと讀んで、汝のの義とするを要せぬのだから、むしろワガで統一する方がまさつている。下の己母尓も同斷である。また「己之母乎《ワガハハヲ》 取久乎不v知《トラクヲシラニ》 己之父乎《ワガチチヲ》 取久乎思良爾《トラクヲシラニ》」(卷十三、三二三九)の己之も同樣である。「己之行柄《オノガワザカラ》」(一七四一)參照。ナガチチは、鶯をさす。ホトトギスが、父なるウグイスの聲に似ないで鳴くことを述べる。
 宇能花乃開有野邊從 ウノハナノサキタルノベユ。ウノハナは、ユキノシタ科の落葉灌木。卯の花の咲いている野邊を通過して。
 飛翻 トビカヘリ。トヒカヘリ(西)、トビカケリ(略)。翻は、輕く疾く飛ぶ意の字で、類聚名義抄には、カケルの訓がある。ここは「檀岡爾《マユミノヲカニ》 飛反來年《トビカヘリコネ》」(卷二、一八二)による。
 花乎居令散 ハナヲヰチラシ。橘の樹にとまつて、その花を散らし。
 幣者將爲 マヒハセム。マヒは、贈り物。他處へ行かないように物を贈つて留めようの意。獨立句。慣用句で、しばしば使われている。
 住度鳥 スミワタレトリ。スミワタレは命令形で、トリは、鳥を呼びかけている。この留め方は、柿本の人(361)麻呂の「靡此山《ナビケコノヤマ》」(卷二、一三一)などと同じ形である。
【評語】ホトトギスを愛し、その鳥が、卯の花の咲いている野邊を通り花橘に來て鳴くことを敍するのは、常の型であるが、その素姓を述べて、鶯の卵の中から生まれて云々と敍しているのは、こういう關係に興味をもつこの作者の特色として、この歌を、ホトトギスの多くの歌の中の、特殊の存在とするものである。末句を命令形であらわし、鳥と呼びかけて留めたのも、特色のある表現である。
 
反歌
 
1756 かき霧《き》らし 雨の零《ふ》る夜《よ》を
 ほととぎす 鳴きて行くなり。
 あはれその鳥。
 
 掻霧之《カキキラシ》 雨零夜乎《アメノフルヨヲ》
 霍公鳥《ホトトギス》 鳴而去成《ナキテユクナリ》
 ※[立心偏+可]怜其鳥《アハレソノトリ》
 
【譯】空がかき曇つて雨の降る夜を、ホトトギスが鳴いて行くことだ。ああ、その鳥よ。
【釋】掻霧之 カキキラシ。カキは接頭語。空一面にかき曇つて。雲霧が立ちこめて。
 ※[立心偏+可]怜其鳥 アハレソノトリ。アハレは、感動に堪えない意の副詞。
【評語】反歌では轉じて夜のホトトギスを詠んでいる。その聲に對する感動が、よく表現されている。
 
登2筑波山1歌一首 并2短歌1
 
筑波山に登る歌一首 【短歌を并はせたり。】
 
(362)1757 草枕 旅の憂《うれへ》を
 慰もる 事もありやと、
 筑波|嶺《ね》に 登りて見れば、
 尾花ちる 師付《しづく》の田井に
 雁がねも 寒く來鳴きぬ。
 新治《にひはり》の 鳥羽《とば》の淡海《あふみ》も、
 秋風に 白浪立ちぬ。」
 筑波嶺の よけくを見れば、
 長きけに 念ひ積み來《こ》し
 憂は息《や》みぬ。」
 
 草枕《クサマクラ》 客之憂乎《タビノウレヘヲ》
 名草漏《ナグサモル》 事毛有哉跡《コトモアリヤト》
 筑波嶺尓《ツクハネニ》 登而見者《ノボリテミレバ》
 尾花落《ヲバナチル》 師付之田井尓《シヅクノタヰニ》
 鴈泣毛《カリガネモ》 寒來喧奴《サムクキナキヌ》
 新治乃《ニヒハリノ》 鳥羽能淡海毛《トバノアフミモ》
 秋風尓《アキカゼニ》 白浪立奴《シラナミタチヌ》
 筑波嶺乃《ツクハネノ》 吉久乎見者《ヨケクヲミレバ》
 長氣尓《ナガキケニ》 念積來之《オモヒツミコシ》
 憂者息沼《ウレヘハヤミヌ》
 
【譯】草の枕の旅の憂悶を、慰めることもあるかと、筑波山に登つて見れば、尾花の散る師付の田に、雁も寒そうに來て鳴いた。新治の鳥羽の湖も、秋風に白浪が立つた。筑波山のよくあることを見ると、長いあいだ思い積んできた憂悶は止んだ。
【構成】第一段、白浪立チヌまで。筑波山に登つて見た景觀を敍する。第二段、終りまで。筑波山の勝景によつて旅の憂のやんだことを述べる。
【釋】客之憂乎 タビノウレヘヲ。ウレヘは、本集には假字書きの例が無い。三代實録、貞觀八年九月の宣命に「因v茲日夜無v間、憂禮比保之加比御座」とあり、これによれば、四段か上二段かと思われるが、朝日(363)新聞社版六國史によれば、この憂禮比の三字は諸本に無いそうである。新訂増補國史大系には、印本によつてこの三字を補うとあつて、底本には無いようである。日本書紀の傍訓、土佐日記、竹取物語には、ウレヘとある。これにより、ウレヘと讀むべきである。
 名草漏 ナグサモル。自動詞として使用される。自動的に慰さまれる意。羽グクモルと同樣の語法。「吾戀流《ワガコフル》 千重乃一隔母《チヘノヒトヘモ》 名草漏《ナグサモル》 情毛有哉跡《ココロモアリヤト》」(卷四、五〇九)。他動詞ナグサムルの例、「奈具佐牟流《ナグサムル》 許々呂波阿良麻志《ココロハアラマシ》」(卷五、八八九)、「左奈葛《サナカヅラ》 後毛相得《ノチモアハムト》 名草武類《ナグサムル》 心乎持而《ココロヲモチテ》」(卷十三、三二八〇)、「大夫波《マスラヲハ》 友之驂爾《トモノサワキニ》 名草溢《ナグサフル》 心毛將v有《ココロモアラム》 我曾苦寸《ワレゾクルシキ》」(卷十一、二五七一)。
 尾花落 ヲバナチル。薄の穗の散る意で、次の師付の田井を修飾している。
 師付之田井尓 シヅクノタヰニ。シヅクは、地名。筑波山の東の麓で、今、新治郡千代田村に志筑の名が存している。
 新治乃鳥羽能淡海毛 ニヒハリノトバノアフミモ。ニヒハリは、常陸國風土記に、新治郡の四至を記して「東(ハ)、那賀(ノ)郡(ノ)堺(ナル)大山、南(ハ)、白壁(ノ)郡、西(ハ)、毛野河、北(ハ)、下野(ト)常陸(ト)二國(ノ)堺(ニシテ)即波太(ノ)岡(ナリ)」とある。今の眞壁郡の一部に當り、葦穗山《あしほやま》の西方である。今新治郡と稱するのは、古の茨城郡の一部で、文禄年中に、古名を附して郡を立てたもので、全く別地である。トバの淡海は、大日本地名辭書に「今高道祖の西北にして、眞壁郡上野村、鳥羽村と、同郡黒子村、騰波江《トバエ》村、大寶村との間なる卑濕《ヒシツ》、蓋(シ)是(レ)なり。古風土記に、筑波(ノ)郡西十里(ニ)、在2騰波江《トバノエ》1、長二千九百歩、廣一千五百歩、東筑波郡、南毛野河、西(ト)北(トハ)新治郡、艮(ハ)白壁(ノ)郡(ナリ)と載せしにて明白とす」とある。大體筑波山の西方に當り、東方の志筑の田井と、相對して東西の風光が敍せられていることがわかる。
 吉久乎見者 ヨケクヲミレバ。ヨケクは、良いこと。風光の佳なるをいう。「吉雲曾無寸《ヨケクモゾナキ》」(卷二、二〇九)のヨケクに同じ。クはコトの意の助詞。
(364) 長氣尓 ナガキケニ。ケは時間。ある長さの時をいう。
 憂者息奴 ウレヘハヤミヌ。初めの、旅の憂を受けて、その憂愁のやんだことをいう。
【評語】初めに旅の憂悶を慰めようとして筑波山に登ることを敍し、終りに、長キケニ念ヒ積ミ來シ憂ハ止ミヌと結んで呼應している。中間、筑波山上から見下した風光の描寫が、清麗であつて、旅の憂が止んだというにふさわしい。情熱には乏しいが、まとまつた作品である。
 
反歌
 
1758 筑波嶺の 裾廻《すそみ》の田井に 秋田刈る
 妹がり遣らむ 黄葉《もみち》手折《たを》らな。
 
 筑波嶺乃《ツクハネノ》 須蘇廻乃田井尓《スソミノタヰニ》 秋田苅《アキタカル》
 妹許將v遣《イモガリヤラム》 黄葉手折奈《モミチタヲラナ》
 
【譯】筑波山の裾の田で秋田を刈る娘さんのもとに遣る黄葉を手折りましよう。
【釋】須蘇廻乃田井尓 スソミノタヰニ。ミは、地形語につける接尾語。
 妹許將遣 イモガリヤラム。イモは、女子に對する愛稱で、ここは三人稱として使つている。特にさす人があるのではなく、稻刈の娘子を、漠然とさしている。ヤラムは、連體形。
【評語】稻刈の娘子に黄葉を折つて遣ろうというまでで、格別の事はなく、ただ黄葉に興ずる心が詠まれているだけである。それに稻刈の娘子に興味を持つたのが、特色といえよう。
 
登2筑波嶺1爲2?歌會1日作歌一首 并2短歌1
 
筑波嶺に登りて?歌會《かがひ》をせし日に作れる歌一首 【短歌并はせたり。】
 
(365)【釋】?歌會 カガヒ。?は、玉篇に「徒了徒卿二切、往來貌」。?歌は、文選の魏都賦に「或明發而?歌」。李善の註に、「?歌、巴土人歌也」とある。左註に、「?歌者、東俗語曰2賀我比1」とあり、歌中に「加賀布?歌爾」とあつて、カガヒと讀むべきことが知られる。常陸國風土記、香島郡童子女松原の條に、「?歌之會」に註して「俗云2宇太我岐1、又云2加我?1也」とあり、ウタガキともいう。ウタガキは、日本書紀武烈天皇の卷には、歌場の字に當て、また攝津國風土記、古事記などには歌垣の字に當てて訓している。男女會集して遊樂し歌をかけ合せる行事である。筑波山の歌垣の事は、常陸國風土記に見えているから、次にその文を出す。
【參考】筑波山の行事。
それ筑波の岳は、高く雲に秀で、最頂《いただき》は、西の峰|崢エ《さが》しく、これを雄神といひて登臨《のぼ》らしめず。但し東の峰は、四方盤石にして昇り降り決屹《さが》しく、その側に流泉あり、冬も夏も絶えず。坂より東の諸國の男女、春の花の開《さ》ける時、秋の葉の黄《もみ》つ節《とき》、相携《たづさ》ひ駢?《つらな》り、飲食を齎《もたら》し、騎に歩に登臨り、遊樂び栖遲《す》めり。その唱《うた》に曰はく、
筑波嶺に會はむと云ひし子は誰が言聞けばかみ寐《ね》會はずけむ
筑波嶺に廬《いほ》りて妻無しにわが寐む夜ろは早も明けぬかも
詠ふ歌|甚《いと》多くして載車《のする》にあへず。世の諺に曰はく、筑波峰の會に娉《つまどひ》の財を得ざるものは、兒女とせずといへり。(常陸國風土記、もと漢文)
 
(366)1759 鷲《わし》の住む 筑波の山の
 裳羽服津《もはきづ》の その津の上に、
 率《あとも》ひて 未通女《をとめ》壯士《をとこ》の
 往き集《つど》ひ ?歌《かが》ふ?歌《かがひ》に、
 他妻《ひとづま》に 吾も交《まじ》らむ。
 わが妻に 他《ひと》も言問《ことと》へ。」
 この山を 領《うしは》く神の
 昔より 禁《いさ》めぬ行事《わざ》ぞ。
 今日のみは めぐしもな見そ。
 言《こと》も咎むな。」【?歌は、東の俗の語にかがひといふ。】
 
 鷲住《ワシノスム》 筑波乃山之《ツクハノヤマノ》
 裳羽服津乃《モハキヅノ》 其津乃上尓《ソノツノウヘニ》
 率而《アトモヒテ》 未通女壯士之《ヲトメヲトコノ》
 往集《ユキツドヒ》 加賀布?歌尓《カガフカガヒニ》
 他妻尓《ヒトヅマニ》 吾毛交牟《ワレモマジラム》
 吾妻尓《ワガツマニ》 他毛言問《ヒトモコトトヘ》
 此山乎《コノヤマヲ》 牛掃神之《ウシハクカミノ》
 從來《ムカシヨリ》 不v行事敍《イサメヌワザゾ》
 今日耳者《ケフノミハ》 目串毛勿見《メグシモナミソ》
 事毛咎莫《コトモトガムナ》【?歌者、東俗語曰2賀我比1】
 
【譯】鷲の住む筑波の山の、裳羽服津の、その津の上で、誘い合つて娘子や壯士の、行き集まつて、歌をかけ合う?歌に、人の妻に自分も通おう。わたしの妻に人も物いうがよい。この山を領している神が、今までも禁じないことだ。今日ばかりはかわいと見るな。事も咎めるな。
【構成】第一段、人モ言問ヘまで。筑波山に登つて?歌をすることを述べる。第二段、終りまで。神の禁じない行事であることをいう。
【釋】鷲住 ワシノスム。枕詞。筑波山を敍述説明する。往時森林繁茂し、實際にワシが住んでいたのだろう。「筑波禰爾《ツクハネニ》 可加奈久和之能《カカナケワシノ》」(卷十四、三三九〇)。
(367) 裳羽服津乃 モハキヅノ。モハキヅは、筑波山中の地名であろうが、所在不明。これをモハキヅと讀むのは、訓讀であるが、集中、羽を字音假字としてウの音に當てている以外には、他の三字は音讀の例が無いから、モハキヅの訓は、まず動かないであろう。ツは、「隱津之《コモリツノ》 澤立見爾有《サワタツミニアル》 石根從毛《イハネユモ》」(卷十一、二七九四)の如く、かならずしも船つきでなく、水邊の意に使用されていると見られる例もあり、モハキ津も、そういうふうに解してよいと思う。語義については、代匠記精撰本に「裳羽服津は、此神ニ詣ツル者、此處ニシテ肅敬シテ裳ヲモハク故ニ裳帶津《モハキツ》ト云意ニ名付タル歟。津ハ集ル處ヲ云ヘリ」とある。モハキについては、裳および服の字を使つているのは、語義の考慮に入れて然るべく、裳は、婦人の腰部に纏う衣裳であることを思えば、ハキは、それを著る意だろうとの推量がされる。類聚名義抄には、著帶佩などの字にハクの訓がある。モハキの語は、日本靈異記下卷第三十八條の歌謠に「法師等乎裙著□侮《アナヅリソ》、曾之中要帶薦槌懸有《ソガナカニコシオビコモヅチサガレリ》」というのがある。裙は、衣服の下部をいう字であるが、本集では「紅《クレナヰノ》 玉裙須蘇延《タマモスソヒキ》 往者誰妻《ユクハタガツマ》」(卷九、一六七二)の如く、裳の義に使用されている。この靈異記の歌謠の意は、法師等を裳はきと侮るな。その裳の中に、腰帶や薦槌がさがつているという意である。裳は、婦人以外では、法師がこれをつけたことは、催馬樂《さいばら》の老鼠にも、「西寺の老鼠、若鼠、御《おん》裳つんづ、袈裟つんづ、法師に申さむ、師に申せ」の句があるので確められる。そこで法師の裳の中には、薦槌がさがつているというので、モハキ津をこれに準じて考えれば、筑波山の女峰の陰部であることが知られる。山の凹處を陰部に比していうことは、古事記に、安寧天皇の山陵を畝火山之美冨登にありとし、これを日本書紀に畝傍山の南の御陰の井の上の陵と記している。凹處で水の出る處だからモハキ津というと考えられる。その津の上方の處で、?歌の會が催されたのである。女體に對して崇信する思想が、根柢を成しているのだろう。
 其津乃上尓 ソノツノウヘニ。モハキ津の上の地點をさしている。いくらかの平地があるのだろう。
(368) 率而 アトモヒテ。誘い合つて。「足利思代《アトモヒテ》 榜行舟薄《コギユクフネハ》」(卷九、一七一八)。
 加賀布?歌尓 カガフカガヒニ。カガフは、動詞カグが、ハ行に再活用したものと見れば、「歸香具禮《ユキカグレ》 人乃言時《ヒトノイフトキ》」(卷九、一八〇七)のカグレとの關係が考えられる。またカケアフの約言とも言われている。カケアフは、歌を懸け合う義であるが、その名詞形に、?歌の字を當てているのを見れば、あながちに否定もできかねる。この行事には、歌が重要な位置を占めているようである。
 牛掃神之 ウシハクカミノ。ウシハクは、領する。カミは山の神靈をいう。
 目串毛勿見 メグシモナミソ。メグシは、愛憐すべくある意の形容詞。めぐしとは見るなの意。句切。
 東俗語 アヅマノヨノコト。東國の語を註している。俗語は、民間の語の意に使われ、或る場合には、漢語に對して國語をいい、また或る場合には、文語に對して口語を意味する。「東俗語云、可豆思賀能麻末能弖胡《カヅシカノママノテゴ》」(卷三、四三一)、「越俗語、東風謂2之|安由乃可是《アユノカゼ》1也」(卷十七、四〇一七)。
【評語】東國に存在した特殊風俗の資料として貴重である。作者高橋の蟲麻呂が、敍事的な方面に興味をもつていたので、その行事の内容が傳わつたのである。蟲麻呂の作品には、倫理的な批判はなく、事實をすなおに感受する所があつて、それがかような題材をも取り扱うゆえでもあり、またそれがいやみに落ちないゆえでもある。この歌は、感興に乘ることは十分とはいえないが、それは題材の性質によるもので、やむを得ない所である。終りの方に短い文章を重ねた表現は有效である。
 
反歌
 
1760 男《を》神に 雲立ち登り 時雨ふり
 沾《ぬ》れ通《とほ》るとも、われ還《かへ》らめや。
 
 男神尓《ヲガミニ》 雲立登《クモタチノボリ》 斯具禮零《シグレフリ》
 沾通友《ヌレトホルトモ》 吾將v反哉《ワレカヘラメヤ》
 
(369)【譯】男峰に雲が立ち渡つて、時雨が降つて濡れ通つても、わたしは歸りはしない。
【釋】男神尓 ヲガミニ。ヲノカミニ(藍)。ヲガミは、筑波の男女二峰のうち、男峰の方を、ただちに男神と云つている。
 沾通友 ヌレトホルトモ。衣服が濡れて中まで通つても。
【評語】長歌には、主として女峰の方面が説明されていると見られるので、反歌ではこれを補つて男峰を説いている。季節も示され、感興の盡きせぬもののあることを敍して、長歌の敍事説明に過ぎたのを補つている。
 
右件歌者、高橋連蟲麻呂歌集中出
 
【釋】右件歌者 ミギノクダリノウタハ。何首とも記していないが、上總の末の珠名の娘子を詠める歌以下をさすものと考えられる。いずれも高橋の蟲麻呂の作と認められる。蟲麻呂は、既にしばしば出て、傳記は明瞭でない。以上の歌は、大伴の旅人が?税使として常陸の國に下つた歌があり、また藤原の宇合の常陸の守時代とも推量されているので、それらは奈良時代の初めの頃に屬するのであろう。
 
詠2鳴鹿1一首 并2短歌1
 
鳴鹿を詠める一首 【短歌を并はせたり。】
 
【釋】詠鳴鹿 シカヲヨメル。鳴鹿は、字に即しては、ナクシカであるが、鹿の聲を詠んでいるので、鳴の字を添えたのであろう。「湯原王鳴鹿歌一首」(卷八、一五五〇)、「大伴宿祢家持鹿鳴歌二首」(同、一六〇二)。
 
1761 三諸《みもろ》の 神奈備山《かむなびやま》に
(370) 立ち向かふ み垣《かき》の山に、
 秋はぎの 妻をまかむと、
 朝|月夜《づくよ》 明けまく惜しみ、
 あしひきの 山彦《やまびこ》とよめ
 喚《よ》び立て鳴くも。
 
 三諸之《ミモロノ》神邊山尓《カムナビヤマニ》
 立向《タチムカフ》 三垣乃山尓《ミカキノヤマニ》
 秋〓子之《アキハギノ》 妻卷六跡《ツマヲマカムト》
 朝月夜《アサヅクヨ》 明卷鴦視《アケマクヲシミ》
 足日木乃《アシヒキノ》 山響令v動《ヤマビコトヨメ》
 喚立鳴毛《ヨビタテナクモ》
 
【譯】神社である神奈備山に向き合つている宮處の垣の山に、秋ハギの妻を抱こうと、朝の月夜の明けるのを惜しんで、山に反響させて、鹿が妻を呼び立てて鳴いている。
【構成】全篇一文。
【釋】三諸之神邊山尓 ミモロノカムナビヤマニ。三諸の神奈備山は、明日香の神奈備で、明日香川に臨んでいる雷の岡をいう。邊の字は、「未通女等者《ヲトメラハ》 赤裳須素引《アカモスソヒク》 清濱備乎《キヨキハマビヲ》」(卷六、一〇〇一)の如く、邊の意をビともいうので、ビの訓假字として使用している。
 立向 タチムカフ。向き合つている。
 三垣乃山尓 ミカキノヤマニ。ミカキは、皇居の垣をいう。ここは皇居の垣をなしている山である。明日香の清御原の宮の垣を成している山に。
 秋〓子之妻卷六跡 アキハギノツマヲマカムト。鹿はハギに親しいものであるから、ハギをもつて鹿の妻とする構想のもとに歌われている句である。この考え方は、當時の人のあいだに行われていた考え方であつたであろう。「吾岳爾《ワガヲカニ》 棹壯鹿來鳴《サヲシカキナク》 先芽之《ハツハギノ》 花嬬問爾《ハナヅマトヒニ》 來鳴棹壯鹿《キナクサヲシカ》」(卷八、一五四一)など、例歌は多い。マカムは、手もて卷こうの意。
(371) 朝月夜 アサヅクヨ。朝まで殘つている月夜。
 喚立鳴毛 ヨビタテナクモ。鹿がその妻を呼び立てて鳴いている意。
【評語】鹿の語を使用しないで詠んでいるのは、鳴く鹿に感興を覺えて詠まれたからである。内容は單純だが、美しい歌である。明日香の清御原の宮の時代の歌である。
 
反歌
 
1762 明日《あす》の夕《よひ》 逢はざらめやも。
 あしひきの 山彦とよめ
 呼び立て哭《な》くも。
 
 明日之夕《アスノヨヒ》 不v相有八方《アハザラメヤモ》
 足日木乃《アシヒキノ》 山彦令v動《ヤマビコトヨメ》
 呼立哭毛《ヨビタテナクモ》
 
【譯】明日の夜、逢はないことはないだろう。それだのに山に反響させて、男鹿が呼び立てて鳴いている。
【評語】上二句を補つただけで、三句以下は、長歌の末を繰り返しそれと密接な關係を保つているのは、古い形で、口誦歌謠の性質を遺存している。これも鹿の語を出していない。
 
右件歌、或云、柿本朝臣人麻呂作
 
【釋】或云柿本朝臣人麻呂作 アルヒトノイハク、カキノモトノアソミヒトマロノツクレル。これも人麻呂の作という別傳もあるというだけで、肯定にも否定にも、他に材料が無い。
 
沙弥女王歌一首
 
(372)【釋】沙弥女王 サミノオホキミ。傳未詳。
 
1763 倉橋の 山を高みか、
 夜隱《よごもり》に 出で來《く》る月の
 片待ち難《がた》き。
 
 倉橋之《クラハシノ》 山乎高歟《ヤマヲタカミカ》
 夜?尓《ヨゴモリニ》 出來月之《イデクルツキノ》
 片待難《カタマチガタキ》
 
【譯】倉橋の山が高くてか、夜おそく出てくる月の待ち遠いことです。
【釋】倉橋之山乎高歟 クラハシノヤマヲタカミカ。クラハシノ山は、磯城郡倉橋の東方の山。倉橋山が高いゆえか。
 夜?尓 ヨゴモリニ。ヨゴモリは、夜の後半、明け方に近い部分をいう。「夜隱爾《ヨゴモリニ》 出來月乃《イデクルツキノ》」(卷三、二九〇參照)。
 片待難 カタマチガタキ。ひたすら待つに困難である。待ちかねる。
【評語】左註にあるように間人の大浦の歌と、末句が異なるだけである。大浦の歌の方が情趣があり、この歌の方がわかりやすい。
【參考】類歌。
  倉橋の山を高みか夜ごもりに出で來る月の光ともしき。(卷三、二九〇、間人の大浦)
 
右一首、間人宿祢大浦歌中既見。但末一句相換、亦作歌兩主、不v敢2正指1。因以累載。
 
右の一首は、間人《はしびと》の宿祢大浦《すくねおほうら》の歌の中に既に見えたり。但し末の一句相換り、また作歌の兩《ふたり》の主、正(373)しく指すに敢《あ》へず。因りて累ね載す。
 
【釋】間人宿祢大浦歌中既見 ハシビトノスクネオホウラノウタノナカニスデニミエタリ。卷の三、二九〇の歌をさす。
 
七夕歌一首 并2短歌1
 
【釋】七夕歌 ナヌカノヨヒノウタ。七夕は、七月七日の夕で、この夜、牽牛星が、天の川を渡つて織女星に逢うと傳えている。
 
1764 ひさかたの 天《あま》の河瀬に、
 上《かみ》つ瀬に 珠橋《たまはし》渡し
 下《しも》つ瀬に 船浮け居《す》ゑ、
 雨|降《ふ》りて 風吹かずとも、
 風吹きて 雨降らずとも、
 裳《も》濕《ぬ》らさず 息《や》まず來ませと、
 玉橋わたす。
 
 久堅乃《ヒサカタノ》 天漢尓《アマノカハセニ》
 上瀬尓《カミツセニ》 珠橋渡之《タマハシワタシ》
 下湍尓《シモツセニ》 船浮居《フネウケスヱ》
 雨零而《アメフリテ》 風不v吹登毛《カゼフカズトモ》
 風吹而《カゼフキテ》 雨不v落等物《アメフラズトモ》
 裳不v令v濕《モヌラサズ》 不v息來益常《ヤマズキマセト》
 玉橋渡須《タマハシワタス》
 
【譯】天の川に、上流の瀬に美しい橋をかけ、下流の瀬に船を浮かべて置いて、雨が降つて風が吹かないでも、風が吹いて雨が降らないでも、裳を濡らさずに、やまずにいらつしやいと、美しい橋をかけます。
【釋】天漢尓 アマノカハセニ。漢は、一字でアマノガハの意を成す字であるが、更に天の字を加えて、その(374)意をあきらかにしている。この天漢尓の三字は、七音の句の處に置かれているが、このままでは、アマノガハニと讀むべきであるが、ヒサカタノの枕詞を受けては、六音では調子が整わない。そこで一音を補うとなると、アマノカハラニ、アマノカハセニ、アマノカハツニなどが考えられる。從來は、アマノカハラニと讀んでいたのであるが、カハラは、河原で、河中の廣い陸地をいい、この歌のように、上つ瀬、下つ瀬と受けるのに適しない。そこでカハセ、またはカハツが選まれるが、「久方乃《ヒサカタノ》 漢瀬尓《アマノカハセニ》 船泛而《フネウケテ》」(卷八、一五一九)、また「久堅之《ヒサカタノ》 天河津爾《アマノカハヅニ》 舟泛而《フネウケテ》」(卷十、二〇七〇)と、どちらも、ヒサカタノを受け、舟浮ケテと續く例が存している。今は、下に、上つ瀬、下つ瀬とあり、そのすべてが天の川の瀬であるのだから、セの一音を補つて、天の川瀬にとしておく。
 上瀬尓 カミツセニ。上流の瀬に。上の天ノ川瀬ニを受けて、以下その上流および下流の瀬に分けて敍述している。
 珠橋渡之 タマハシワタシ。タマハシは、橋の美稱。朱ぬりの橋などを想像しているだろう。
 雨零而風不吹登毛 アメフリテカゼフカズトモ。雨降リテに重點があり、風吹カズトモは添えていうだけである。但しこの歌は、吟誦された歌を聞いて記し留めておいたものの如く、他にも疑問の句があり、この句も、雨降リテ風吹カストモと歌つたのを誤解して不の字を當てて記したものであるかも知れない。次の句同斷。
 裳不令濕 モヌラサズ。裳は、女子の衣裳であるが、この歌は、織女に代つて詠んでいるから、この句は不審である。意は、河を徒歩で渡らないでの意である。
【評語】美しい詞句でできており、調子に愛すべきものがあるが、部分には、疑問があり、傳來を重ねているらしいことが想像される。反歌によつても、織女星に代つて詠んでいるのだろうと考えられる。
 
(375)反歌
 
1765 天漢《あまのがは》 霧立ち渡る。
 今日今日と わが待つ君し、
 船出《ふなで》すらしも。
 
 天漢《アマノガハ》 霧立渡《キリタチワタル》
 且今日且今日《ケフケフト》 吾待君之《ワガマツキミシ》
 船出爲等霜《フナデスラシモ》
 
【譯】天の川に霧が立ち渡る。今日か今日かとわたしの待つている君が船出をするらしい。
【釋】且今日且今日 ケフケフト。且は、或るいはの意に添えて書き、今日か今日かの意をあらわしている。「且今日且今日《ケフケフト》 吾待君者《ワガマヅキミハ》」(卷二、二二四)。
【評語】波が騷ぎ、船を榜ぐなどで、水を刺戟すれば、霧が立つのである。その霧の立つによつて、牽牛の船の榜ぎ出たことを推量している。古人の自然觀照のくわしいことを見るべきである。織女星に代つて詠んでいる。
 
右件歌、或云、中衛大將藤原北卿宅作也
 
右の件の歌は、或る人の云はく、中衛の大將藤原の北の卿の宅にて作れるといへり。
 
【釋】中衛大將藤原北卿宅 チユウヱノダイシヤウフヂハラノキタノマヘツギミノイヘ。中衛は、神龜五年八月、始めて中衛府を置き、大同二年、四月、右近衛とした。藤原の北の卿は、藤原の房前。房前が中衛の大將となつたのは、いつかわからないが、卷の五の八一一の文章には、天平元年十月に、房前のことを中衛と稱している。その房前の家での七夕の會の歌と傳えるのである。その會の時に、房前が中衛の大將であつたのか、(376)傳えた時の官名であつたのかもわからない。
 
相聞
 
【釋】相聞 サウモニ。相聞の歌としては、長歌五首、短歌二十四首を收めている。男女關係の歌のほかに、男子どうしの贈答と見える歌も相當にある。田邊正男氏の説に、相はサグの音の字だから、相聞をサガモニと讀むべきだという。
 
振田向宿称、退2筑紫國1時歌一首
 
振《ふる》の田向《たむけ》の宿称の、筑紫の國に退りし時の歌一首
 
【釋】振田向宿祢 フルノタムケノスクネ。傳未詳。フルは、天武天皇十三年十二月に、布留の連に宿称を賜わつた、その氏であろう。田向は名か。訓もタムケかタムキかタムカヒか不明。
 退筑紫國時歌 ツクシノクニニマカリシトキノウタ。ツクシは、九州の北方、後の筑前筑後の兩國の地をいうが、歌には豐國の香春が詠まれているから、廣く北九州の意に使用しているのだろう。日本書紀神武天皇の卷には、筑紫の國の菟狹《うさ》とあり、これは今の大分縣の宇佐と考えられるから、その方面をも、ツクシの國と稱したのだろう。元來ツクシの地名は、内海の海上から、九州の地を眺めて稱したものだろうが、ここの用法は、その古意に近い。マカルは、京から筑紫をさして退出する意。
 
1766 吾妹子は 釧《くしろ》にあらなむ。
 左手《ひだりて》の わが奧の手に
(377) 纏《ま》きて去《い》なましを。
 
 吾妹兒者《ワギモコハ》 久志呂尓有奈武《クシロニアラナム》
 左手乃《ヒダリテノ》 吾奧手尓《ワガオクノテニ》
 纏而去麻師乎《マキテイナマシヲ》
 
【譯】妻は、わたしの釧であるとよい。左手であるわたしの奧の手に纏いて行くものを。
【釋】久志呂尓有奈武 クシロニアラナム。クシロは、腕輪で、玉、貝、石、銅などを材料としている。貝釧は、石器時代から使用され、貝を輪の形に切つたものであるが、玉釧は、丸玉、小玉の類を緒につらぬいて二三十卷いたものと推定されている。ナムは、願望の助動詞。句切。
 左手乃吾奧手二 ヒダリテノワガオクノテニ。オクノテは、手の奧の方ではなく、ただ手を貴ぶ意にいう。兩手のうち特に左手を尊重し、これを左手の奧の手と言つたのである。事實は手首に纏いたのだろう。
【評語】玉だつたら手に纏いて行こうという内容の歌は珍しくはないが、この歌では、釧や、奧の手のような特殊の語が使用されて、目新しく感じられる。男子がクシロをつけるのは、既に古風になつていたのだろう。それらの比較的古い風俗が、この歌の時代を思わせ、そうしてかえつて目新しさを感じさせたのである。
 
拔氣大首、任2筑紫1時、娶2豐前國娘子?兒1作歌三首
 
拔氣《ぬきけ》の大首《おほびと》の、筑紫に任《ま》けらえし時、豐前の國の娘子《をとめ》紐《ひも》の兒《こ》を娶りて作れる歌三首
 
【釋】拔氣大首 ヌキケノオホビト。傳未詳。拔氣は氏か。訓法も不明。大首はカバネ、オビトの原形であろう。
 任筑紫時 ツクシニマケラエシトキ。歌詞には、豐國ノ香春は吾家とあり、多分、豐前の國の役人となつて行つたのだろう。筑紫は、北九州の稱で、豐國をも含めていうこと、前の歌の題詞に説けるが如くである。
 
1767 豐国《とよくに》の 香春《かはる》は吾宅《わぎへ》、
(378) 紐《ひも》の兒《こ》に いつがり居《を》れば
 香春《かはる》は吾家《わぎへ》。
 
 豐國乃《トヨクニノ》 加波流波吾宅《カハルハワギヘ》
 紐兒尓《ヒモノコニ》 伊都我里座者《イツガリヲレバ》
 革流波吾家《カハルハワギヘ》
 
【譯】豐國の香春は、わたしの家だ。紐の兒と一所にいると、香春はわたしの家だ。
【釋】豐國乃加波流波吾宅 トヨクニノカハルハワギヘ。カハルは、福岡縣田川郡|香春《かわら》町。もと豐前の國に屬していた。ワギヘは、ワガイヘの約言。我家なりの意。句切。
 伊都我里座者 イツガリヲレバ。イツガリは、イは接頭語。ツガリは、連繋する意。倭名類聚鈔に「?、唐韻云、?蘇果反、日本紀私記云、加奈都賀利鐵?也」とあるのは、金屬のツガリの意である。「比毛能緒能《ヒモノヲノ》 移都我利安比弖《イツガリアヒテ》」(卷十八、四一〇六)。これによつても、イツガリが、紐の縁語であることがわかる。
【評語】二句と五句とに同句を繰り返して、躍動的に歡喜の情を表現している。イツガリヲレバは、紐の兒の名の縁語だが、露骨で、下品である。香春ハ我家の句は、力強く簡潔に、他郷でもわが家のように思う意を云い得ている。歌われる歌として情熱の盛りあがつている作である。
 
1768 石上《いそのかみ》 布留《ふる》の早田《わさだ》の 穗には出でず、
 心のうちに 戀ふるこの頃。
 
 石上《イソノカミ》 振乃早田乃《フルノワサダノ》 穗尓波不出《ホニハイデズ》
 心中尓《ココロノウチニ》 戀流比日《コフルコノゴロ》
 
【譯】石上の布留の早稻の田のように、穗には出ないで、心の中で戀しているこの頃だ。
【釋】石上振乃早田乃 イソノカミフルノワサダノ。以上二句、序詞。早田の稻は、早く穗に出るが、そのようには穗に出ない意に、懸かつている。イソノカミフルは、奈良縣山邊郡。
 穗尓波不出 ホニハイデズ。色にあらわさない意を、稻が穗に出ないという形であらわしている。
(379)【評語】歌全體の内容が平凡であり、序詞も類型的である。内容からいえば、紐の兒を得る前の歌らしいが、大和の國の地名を使用しているのは、歸つてからの歌だとも見られる。全然別の場合の作であるかもしれない。いずれにしても、前の歌ほどの活氣は見られない。
 
1769 かくのみし 戀ひし渡れば、
 たまきはる 命も吾は
 惜しけくもなし。
 
 如v是耳志《カクノミシ》 戀思度者《コヒシワタレバ》
 靈刻《タマキハル》 命毛吾波《イノチモワレハ》
 惜雲奈師《ヲシケクモナシ》
 
【譯】かようにばかり戀して過すので、命もわたしは惜しいこともない。
【釋】戀思度者 コヒシワタレバ。シは、強意の助詞。戀い渡ればの意を、シを使つて、戀ヒに力を入れたのである。
 靈刻 タマキハル。枕詞。靈刻と書いたのは、靈を切りちぢめる意に書いたのだろうか。
【評語】思いつめた氣もちは、表現されている。戀のために命を惜しとしない意の歌は、類歌もあり、常用されていたものと思われる。この歌は、逢つてから後の歌らしい。
【參考】類句、命も惜しけくもなし。
  靈ちはふ神も吾をばうつてこそ。しゑや命の惜しけくも無し(卷十一、二六六一)
  君に逢はず久しくなりぬ。玉の緒の長き命の惜しけくも無し(卷十二、三〇八二)
  吾妹子に戀ふるに吾はたまきはる短き命も惜しけくも無し(卷十五、三七四四)
 
大神大夫、任2長門守1時、集2三輪河邊1宴歌二首
 
(380)大神《おほみわ》の大夫の長門の守に任《ま》けらえし時、三輪河の邊《ほとり》に集《つど》ひて宴《うたげ》せる歌二首
 
【釋】大神大夫 オホミワノマヘツギミ。大神の高市《たけち》麻呂のこと。日本書紀に大三輪の朝臣高市麻呂、三輪の君高市麻呂、續日本紀に大神の朝臣高市麻呂と書いている。大寶二年正月、長門の守に任ぜられた。(卷一、四四左註參照)。
 三輪河 ミワガハ。泊瀬川の、三輪附近を流れる時の稱。
 
1770 三諸《みもろ》の 神の帶ばせる 泊瀬《はつせ》河、
 水脈《みを》し絶えずは、われ忘れめや。
 
 三諸乃《ミモロノ》 神能於婆勢流《カミノオバセル》 泊瀬河《ハツセガハ》
 水尾之不v斷者《ミヲシタエズハ》 吾忘禮米也《ワレワスレメヤ》
 
【譯】三諸山の神が、帶にしておいでになる泊瀬川よ、水の流が絶えないならば、わたしは忘れないでしよう。
【釋】三諸乃神能於婆勢流 ミモロノカミノオバセル。ミモロノカミは、三輪山をいう。山そのものを神としている。オバセルは、帶ばせるで、山麓を流れる川の説明である。
 水尾之不斷者 ミヲシタエズハ。ミヲは、水脈、水流。河でも海でも特に水の盛り上る筋をミヲという。タエズハは、絶えないならばで、絶えない限りはの意。
【評語】泊瀬川の説明に特色があり、神かけて誓うような調子の高い歌である。多分、大神の高市麻呂の作だろう。日本書紀敏達天皇十年二月の條に、蝦夷《えみし》の魁帥綾糟等《ひとこのかみあやかすら》が、泊瀬の中流におり立つて、三諸の岳に向かつて、漱水《くちそそ》ぎて盟を立てて變らないことを誓つたことが見えている。
 
1771 後《おく》れ居て 吾《われ》はや戀ひむ。
 春霞 たなびく山を
(381) 君が越えいなば。
 
 於久禮居而《オクレヰテ》 吾波也將v戀《ワレハヤコヒム》
 春霞《ハルガスミ》 多奈妣久山乎《タナビクヤマヲ》
 君之越去者《キミガコエイナバ》
 
【譯】あとに殘つていて、わたしが戀うことでしよう。春霞のたなびく山を、あなたが越えて行つたら。
【釋】吾波也將戀 ワレハヤコヒム。ヤは、感動の助詞。かようなハヤの用例は、「淡海之海《アフミノウミ》 浪恐登《ナミカシコミト》 風守《カゼマモリ》 年者也將2經去1《トシハヤヘナム》 榜者無二《コグトハナシニ》」(卷七、一三九〇)の如きがある。これによつても、吾ハが一團を成して、これにヤが接續していることがわかる。これらのヤは、係助詞であるが、疑問ではなく、強調の意が強くなつており、我がか、年がかの意になつている。これは、古事記中卷の「阿禮波夜惠奴《アレハヤヱヌ》」「阿豆麻波夜《アヅマハヤ》」のハヤであり、「吾者毛也安見兒得有《アハモヤヤスミコエタリ》」(卷二、九五)のヤでもある。
【評語】春霞たなびく山と、行くべき方の山を敍述したのは、情趣がある。すぐ續いて阿倍の大夫の類歌もあり、「おくれゐて吾はや戀ひむ」の如き句は、慣用句となつていたのだろう。
【參考】類歌。
  おくれゐて我はや戀ひむ。印南野の秋はぎ見つつ去なむ子ゆゑに(卷九、一七七二)
  おくれゐて我が戀ひ居れば白雲のたなびく山を今日か越ゆらむ(同、一六八一)
  明日よりは我は戀ひむな。名欲山石ふみならし君が越えいなば(同、一七七八)
  朝霞たなびく山を越えていなば我は戀ひむな。あはむ日までに(卷十二、三一八八)
 
右二首、古集中出
 
【釋】古集 フルキシフ。卷の七、一二四六の左註にも、古集とある。古歌集に同じであろう。ここの引用は、特に題詞を有しており、その作歌年代のほぼ推知される點で注意される。
 
(382)大神大夫、任2筑紫國1時、阿倍大夫作歌一首
 
大神《おほみわ》の大夫の筑紫の國に任《ま》けらえし時、阿倍の大夫の作れる歌一首
 
【釋】大神大夫 オホミワノマヘツギミ。これも大神の高市麻呂か。高市麻呂が筑紫の國の官に任命されたことは傳わらない。
 阿倍大夫 アベノマヘツギミ。何人か不明。高市麻呂とほぼ時代を等しくして、安倍の廣庭がある。天平四年二月、七十四歳で薨じているから、慶雲三年二月に、五十歳で卒したと傳える高市麻呂にくらべて、二歳の年少である。
 
1772 後《おく》れ居て 吾《われ》はや戀ひむ。
 稻見《いなみ》野の 秋はぎ見つつ
 去《い》なむ子ゆゑに。
 
 於久禮居而《オクレヰテ》 吾者哉將v戀《ワレハヤコヒム》
 稻見野乃《イナミノノ》 秋〓子見都津《アキハギミツツ》
 去奈武子故尓《イナムコユヱニ》
 
【譯】あとに殘つていて、わたしは戀うことでしよう。稻見野の秋ハギを見ながら、行くでしようその子ゆえに。
【釋】稻見野乃 イナミノノ。イナミ野は、兵庫縣印南郡の野。
 去奈武子故尓 イナムコユヱニ。コは、普通女子に對していう語である。ここは、大神の大夫に同行するその妻などをさしているのだろう。その人は、多分作者の縁者なのだろう。
【評語】前の歌と同じ形の歌で、ただ秋になつているだけの差違である。かような形の歌が歌い傳えられて、時に臨んで一部を改めるだけで通用していたものと思われる。三句以下、稻見野の秋ハギを點出しただけに、(383)若干の風趣の感じられる歌である。
 
獻2弓削皇子1歌一首
 
【釋】獻弓削皇子歌 ユゲノミコニタテマツレルウタ。以下相聞の歌に、獻るというのは、作者が自分の心を歌によつて申すというに限らず、もつと廣く解してよいと思う。世間ばなしを申しあげるような意味で、自分の歌を獻つて、かような歌はいかがですかというほどの輕いものもあるのだろう。その中には皇子の生活に觸れているものもあつて、感興が呼び起されるのである。雜歌の中における同種の題詞の歌においても、そういう傾向は認められるが、相聞の歌は、元來人事を扱つているので、その趣が一層濃厚なのである。
 
1773 神南備《かむなび》の 神依《かみよ》せ板《いた》に する杉の、
 念《おも》ひも過ぎず。
 戀のしげきに。
 
 神南備《カムナビノ》 神《カミ》依《ヨセ・ヨリ》板尓《イタニ》 爲杉乃《スルスギノ》
 念母不v過《オモヒモスギズ》
 戀之茂尓《コヒノシゲキニ》
 
【譯】神社で、神寄せ板にする杉の名のように、思いも過ぎ去らない。戀が繁くあるので。
【釋】神南備神依板尓爲杉乃 カムナビノカミヨセイタニスルスギノ。以上三句、序詞。同音によつて、過ギズを引き起している。カムナビは、神靈のある森。ここは、明日香の神南備か、三輪山かのうちであろう。どちらも杉には縁がある。カミヨセイタは、從來カミヨリイタと讀まれていたが、板に神が寄るのではなくして、神を寄せるために板をたたくのだから、カミヨセイタである。その板をたたいて祈ると神が寄るとする信仰である。これは神事を行うに當つて、板をたたいて神を招請したのであろう。略解に、宣長の説を引いて「杉を神より板にするといふ事は、琴の板とて、杉の板をたたきて神を請招する事あり、今も伊勢の祭禮には、此事(384)有、琴頭《ことがみ》に神の御影の降り給ふなり」とある。古事記中卷には、仲哀天皇が琴をお彈きになつて、神寄せをする記事がある。杉から思ヒ過グに續く例には、「石上《イソノカミ》 振乃山有《フルノヤマナル》 杉村乃《スギムラノ》 思過倍吉《オモヒスグベキ》 君爾有名國《キミニアラナクニ》」(卷三、四二二)の如きがある。
 念母不過 オモヒモスギズ。物思いが過ぎ去らない。思わなくならない。句切。
【評語】神奈備の神よせ板を持つてきたのは、珍しい。これだけで相手の注意をひくに十分である。人麻呂集には、神事に關する材料が比較的に多く、これもその一つである。杉は、直立した巨樹が多いので、特に神聖な樹木として感じられていた。「三諸の神の神杉」(卷二、一五六)の歌も、そういう信仰に觸れているのだろうが、惜しいことに、その歌は、三句以下が難解で、眞意を得ることができない。
 
獻2舍人皇子1歌二首
 
1774 たらちねの 母の命《みこと》との 言《こと》にあれば、
 年の緒長く 憑《たの》み過《す》ぎなむ。
 
 垂乳根乃《タラチネノ》 母之命乃《ハハノミコトノ》 言尓有者《コトニアレバ》
 年緒長《トシノヲナガク》 憑過武也《タノミスギナム》
 
【譯】育てて下すつたお母さんのお言葉だから、長い年月を頼みにして過しましよう。
【釋】母之命乃 ハハノミコトノ。ミコトは、尊稱。
 言尓有者 コトニアレバ。コトニアラハ(元)。コトナレバ(童)、コトニアレバ(新訓)。有を未然形に讀むのと、已然形に讀むのと、兩説があつて、どちらでも通じないものでもない。これは四句以下の訓法によつて決定されるべき問題であつて、今ここに頼みにして過すことにしようの意とすれば、已然に讀む方がうち合うのである。なお五句の解の條參照。
(385) 年緒長 トシノヲナガク。トシノヲは、年の續くのを、緒にたとえた云い方で、この句も多く見えている慣用句である。
 憑過武也 タノミスギナム。タノミスキメヤ(元)、タノミスキナム(元赭)、タノメスキメヤ(神)、タノメスキムヤ(西)。文字表示が不十分で、諸訓があるが、也を讀むか讀まないかの二種にわかれる。内容から見て讀まない方がわかりよい。タノミスギナムと讀むのは、也を決辭として、讀まない訓法である。またタノミスギムヤと讀むとすれば、助動詞ムに助詞ヤが接續することになるが、かような例としては、「於毛波受母《オモハズモ》 麻許等安里衣牟也《マコトアリエムヤ》 左奴流欲能《サヌルヨノ》 伊米爾毛伊母我《イメニモイモガ》 美延射良奈久爾《ミエザラナクニ》」(卷十五、三七三五)がある。このムヤは、メヤと同じく、反語になるもので、眞實あり得ようや、あり得ないの意になる。よしお母さんのお言葉だからと言つても、長い年月を、頼みにして過されようや、それはできないの意となるが、それでは三句の解に無理ができる。なお動詞スグを、時間上の經過に使つた例に、「和何余須凝奈牟《ワガヨスギナム》」(卷五、八八六)など、多數ある。
【評語】タラチネノという枕詞の用法から考えても、母に對して親愛を感じている。題詞から見ても、作者は男子として解すべきであろう。母の許諾があるから、忍んで待つていようとの心を女に通ずるものとして、成立していると見られる。訓法の不安定と共に、種々の場合が想像されて、解釋に苦しむ所のある歌である。
 
1775 泊瀬河《はつせがは》 夕渡り來て、
 我妹子《わぎもこ》が 家の金門《かなと》に
 近づきにけり。
 
 泊瀬河《ハツセガハ》 夕渡來而《ユフワタリキテ》
 或妹兒何《ワギモコガ》 家《イヘノ》門《カナトニ・カドベニ》
 近舂二家里《チカヅキニケリ》
 
【譯】泊瀬川を、夕方に渡つてきて、わが妻の家の門口に近づいたことだ。
【釋】家門 イヘノカナトニ。イヘノミカトハ(元)、イヘノカドベニ(童)、イヘノミカドニ(略)。文字表示(386)が不十分なので、諸種の訓法がある。イヘノカドベニ、イヘノミカドニなどの訓も考えられる。カナトは金門の義で、堅固な門の意にいう。ミカドの語は、貴人の門に使われており、妹の家の門にはふさわない。最小限に音を補うとすれば、カドベか。
 近舂二家里 チカヅキニケリ。舂は訓假字として、ツキの音韻表示に使用されている。
【評語】これも作者の、自分の場合の歌を、ある機會に皇子に獻つたものであろう。妹の家に近づいてゆく喜びが、よくあらわれている。初二句の敍述が、よくその情趣を描いている。穴師の里に住んでいた妻を藤原の京からおとずれた頃の歌であろう。
 
右三首、柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
石川大夫遷v任上v京時、播磨娘子贈歌二首
 
石川の大夫の任を遷さえて京《みやこ》に上りし時、播磨《はりま》の娘子《をとめ》の贈れる歌二首
 
【釋】石川大夫 イシカハノマヘツギミ。續日本紀に、靈龜元年五月の條に、從五位の下石河の朝臣|君子《きみこ》を播磨の守とすとある、その人であろう。石河の君子は、卷の三、二七八參照。
 播磨娘子 ハリマノヲトメ。何人とも知られない。國司の上京の時に、その國の娘子が歌を贈ることは「藤原宇合大夫、遷v任上v京時、常陸娘子贈歌一首」(卷四、五二一)などがある。
 
1776 絶等寸《たゆらき》の 山の峯《を》の上《へ》の 櫻花
 咲かむ春べは 君が思《しの》はむ。
 
 絶等寸笶《タユラキノ》 山之峯上乃《ヤマノヲノヘノ》 櫻花《サクラバナ》
 將v開春部者《サカムハルベハ》 君之將v思《キミガシノハム》
 
(387)【譯】絶等寸の山の峯の上の櫻の花の咲く春の頃は、あなたが思いやるでしよう。
【釋】絶等寸笶 タユラキノ。タユラキは、播磨の國の山の名だろうが、所在不明。多分國府の近傍であろう。當時の國府は、今の姫路市にあつたというから、この山も、餝磨郡、印南郡あたりに求めらるべきだろう。
 君之將思 キミガシノハム。
  キミヲオモハム(元)
  ――――――――――
  君乎將思《キミヲオモハム》(西)
  君乎將思《キミヲシヌバム》(考)
 仙覺本系統の諸本には君乎とあるが、これによれば、娘子が、花の咲く頃には君を思おうということになる。花咲く頃に思おうというのは、冷淡なようである。古本系統の元暦校本等によれば、君之とあり、石川の大夫が、花咲く頃には思うだろうの意となる。それは櫻花を思おうの意で、それでよく通ずる。常は思うことなくとも、花咲く頃には思うであろうの意である。
【評語】櫻の花咲く頃には、この山の花を思うでしようと疑つている。自分のことを影にして、櫻花に寄せているのは、上品である。身分の高下を氣にしていて、かような形を採つたものとも考えられる。絶等寸のような特殊の地名も、地方の歌らしい感じを與える。
 
1777 君なくは 何《な》ぞ身《み》装餝《よそ》はむ。
 匣《くしげ》なる 黄楊《つげ》の小梳《をぐし》も
 取らむとも念はず。
 
 君無者《キミナクハ》 奈何身將2装餝1《ナゾミヨソハム》
 匣有《クシゲナル》 黄楊之小梳毛《ツゲノヲグシモ》
 將v取跡毛不v念《トラムトモモハズ》
 
【譯】あなたがおいででなくば、何しに身を飾りましよう。櫛匣の中の黄楊の小櫛も、手にしようとも思いません。
(388)【釋】奈何身將装餝 ナゾミヨソハム。ナソミカサラム(西)、ナゾミヨソハム(童)。類聚名義抄、装にヨソフ、装、飾にカザルの訓がある。集中にも「腰細丹《コシボソニ》 取餝氷《トリカザヲヒ》」(卷十六、三七九一)の餝氷の如きは、カザラヒと讀むべきが如くである。ヨソフも、「水都等利乃《ミヅトリノ》 多々武與曾比爾《タタムヨソヒニ》」(卷十四、三五二八)など假字書きのものがあつて、衣装をととのえる意に使用している。ここもその意に歌つていると思われるから、ヨソハムがよいであろう。句切。
 匣有 クシゲナル。クシゲは、櫛笥の義。
【評語】代匠記に、「詩衛風云、自《ヨリ》2伯之《キミノ》東(セシ)1首如(シ)2飛蓬(ノ)1、蓋無(カラムヤ)2膏沐1、誰(カ)適(ク)爲v容《カタチヅクラム》」以下、漢文學に類似の詞のあるのを擧げているように、内容としては、特別のものではない。表現は、初二句で、一旦強く云い切り、三四五句で、更にこれを補つて、笥の黄楊の小櫛を擧げているのは、精細になつていてよい。一體に強く言い切つた調子が、思い入つた樣をよくあらわしている。
 
藤井連、遷v任上v京時、娘子贈歌一首
 
藤井の連の任を遷さえて京に上りし時、娘子《をとめ》の贈れる歌一首
 
【釋】藤井連 フヂヰノムラジ。何人か不明、葛井の大成か、葛井の廣威か。位階の正をオホキといい、從をヒロキというによれば、この二人は兄弟で、大成が兄か。何處の國司であつた時の事とも知られない。從つて娘子も、何處の國の娘子とも知られない。
 
1778 明日よりは 吾は戀ひむな。
 名欲《なほり》山
(389) 石《いは》踏《ふ》み平《なら》し 君が越えいなば。
 
 從2明日1者《アスヨリハ》 吾波孤悲牟奈《ワレハコヒムナ》
 名欲山《ナホリヤマ》
 石踏平之《イハフミナラシ》 君我越去者《キミガコエイナバ》
 
【譯】明日からは、わたくしは戀うことでしよう。名欲山の石を踏みつけて、あなたが越えて行きましたら。
【釋】名欲山 ナホリヤマ。所在不明。豐後の國の直入郡の山とする説があるが、直入郡は、大分縣の西方の山地で、何處の國司でも、その山を通つて歸京するとは思われない。葛井の大成は、筑後の守であつたから、筑後から上京する時に、直入の山を詠んだのだろうか。
 石踏平之 イハフミナラシ。フミナラシは、踏んでたいらかにする意で、踏みつけてに同じ。
【評語】送別の歌として、型にはまつた歌で、格別のことはない。山名なども、何處の山にでもさしかえが利く性質に置かれている。類歌は、一七七一參照。
 
藤井連和歌一首
 
藤井の連の和ふる歌一首
 
1779 命《いのち》をし まさきくもがも。
 名欲《なほり》山
 石《いは》踐《ふ》み平《なら》し またまたも來《こ》む。
 
 命《イノチ》乎志《ヲシ・ヲシ》 麻勢久可願《マサキクモガモ・マセヒサシクモガモ》
 名欲山《ナホリヤマ》
 石踐平之《イハフミナラシ》 復亦毛來武《マタマタモコム》
 
【譯】命は無事でありたいものです。名欲山の石を踏みつけて、またまたも來ましよう。
【釋】命乎志麻勢久可願 イノチヲシマサキクモガモ。
  イノチヲシマセヒサシカレ(西)
(390)  イノチヲシマセヒサシクモガモ(定本)
  ――――――――――
  命乎志麻狹伎久可母願《イノチヲシマサキクモガモ》(考)
  命乎志麻幸久母願《イノチヲシマサキクモガモ》(古義)
 原文のままでは、初句を七音としイノチヲシマセヒサシクモガモとする外に讀み方が考えられない。そこで誤字説も出てくるのである。命ヲマ幸クモガモとするのは、勢を幸の誤りとするのであつて、參考としては、「命《イノチヲ》 幸久吉《サキクヨケムト》 石流《イハバシル》 垂水々乎《タルミノミヅヲ》 結飲都《ムスビテノミツ》」(卷七、一一四二)がある。ここで多分、句切であろう。
【評語】訓には問題が殘るが、三句以下の内容は明白であり、初二句も、どちらかの命について言つていることは確である。しかし一首としては氣やすめの詞のようで、情熱は感じられない。
 
鹿島郡苅野橋、別2大伴卿1歌一首 并2短歌1
 
鹿島の郡の刈野《かるの》の橋にて大伴の卿に別るる歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】鹿島郡苅野橋 カシマノコホリノカルノノハシニテ。カシマノ郡は、茨城縣の鹿島郡である。カルノノ橋は、倭名類聚鈔に、常陸の國鹿島の郡に輕野の郷がある。その地は、今、輕野村と稱し、神の池の南方で、利根川を隔てて下總の國に面している。歌詞によれば、その橋の處から、下總の海上の津をさして船を出したのである。當時は、利根川の下流は、今よりも水域が廣かつたようであり、それを渡つて對岸に向かつたのである。
 別大伴卿歌 オホトモノマヘツギミニワカルルウタ。前に、?税使大伴の卿の筑波山に登る時の歌があつた。?税の事を終えて、下總の國に向かつた時に、高橋の蟲麻呂が送つてきて、別れを惜しんで詠んだ歌である。大伴の卿は、大伴の旅人と推定される。
 
1780 牡牛《ことひうし》の 三宅《みやけ》の滷《かた》に
(391) さし向かふ 鹿島《かしま》の埼に、
 さ丹塗《にぬり》の 小船《をぶね》を設《ま》け
 玉|纏《まき》の 小楫《をかぢ》繁貫《しじぬ》き、
 夕汐の 滿《みち》のとどみに
 御船子《みふなこ》を 率《あとも》ひ立てて、
 喚《よ》び立てて 御船いでなば、
 濱もせに 後《おく》れな居りて、
 反側《こいまろ》び 戀ひかも居らむ。
 足摩《あしず》りし 哭《ね》のみや泣かむ。
 海上《うなかみ》の その津をさして
 君が榜《こ》ぎ行かば。
 
 牡牛乃《コトヒウシノ》 三宅之滷尓《ミヤケノカタニ》
 指向《サシムカフ》 鹿島之埼尓《カシマノサキニ》
 狹丹塗之《サニヌリノ》 小船儲《ヲブネヲマケ》
 玉纒之《タママキノ》 小梶繁貫《ヲカヂシジヌキ》
 夕鹽之《ユフシホノ》 滿乃登等美尓《ミチノトドミニ》
 三船子呼《ミフナコヲ》 阿騰母比立而《アトモヒタテテ》
 喚立而《ヨビタテテ》 三船出者《ミフネイデナバ》
 濱毛勢尓《ハマモセニ》 後奈居而《オクレナヲリテ》
 反側《コイマロビ》 戀香裳將v居《コヒカモヲラム》
 足垂之《アシズリシ》 泣耳八將v哭《ネノミヤナカム》
 海上之《ウナカミノ》 其津於指而《ソノツヲサシテ》
 君之己藝歸者《キミガコギユカバ》
 
【譯】牡牛のいる、三宅の潟に向きあつている鹿島の埼に、赤く塗つた船を用意し、玉で飾つた櫂をとりつけて、夕方の汐の滿ちて來た時に、船人を誘い立てて、呼び立ててお船が出ましたら、濱いつぱいに後に殘つていて、ころび廻つて戀うてもいましよう。足ずりをして泣いてばかりかおりましよう。海上のあの津をさして、あなたが榜いでおいでになつたら。
【構成】全篇一文。
【釋】牡牛乃 コトヒウシノ。枕詞。コトヒウシは、大きい牛で、倭名類聚鈔に「辨色立成云、特牛俗語云古止(392)頭大牛也」とある。本集には「事負乃牛之《コトヒノウシノ》 倉上之瘡《クラノウヘノカサ》」(卷十六、三八三八)とある。コトヒは、殊負で、特に荷を負うことの多いのをいう。次句の三宅は、地名だが、屯倉をミヤケといい、屯倉には貢物を運ぶために特牛がいたので、枕詞としたのであろう。
 三宅之滷尓 ミヤケノカタニ。ミヤケは、倭名類聚鈔に、下總の國海上の郡に三宅の郷があり、今千葉縣海上郡海上町に三宅の地名がある。利根川の河口に近い右岸の地であるが、當時は、鹿島から水面を隔てて對していたであろう。滷は、諸本に酒に作る。そのままではサカ(坂)に當てたものと見るべきであるが、サカに當てたとすることに、不安があるので、今、字形の類似により滷の誤りとするによる。
 指向 サシムカフ。向き合つている。サシは接頭語。
 鹿島之埼尓 カシマノサキニ。鹿島の埼は、常陸の國の側である。
 狹丹塗之小船儲 サニヌリノヲブネヲマケ。官船は、赤く塗つてあるので、それを美化してかようにいい、それにつれて次の句をも言つている。これらの句は、七夕の歌などに常用されている句であろう。ヲブネというが、ヲは愛稱の接頭語。
 玉纏之小梶繁貫 タママキノヲカヂシジヌキ。玉を卷いた楫の意だが、ただ文飾に過ぎない。
 夕鹽之滿乃登等美尓 ユフシホノミチノトドミニ。夕方の汐の滿ちた極みに。
 三船子呼 ミフナコヲ。ミは接頭語。相手の船の船人ゆえに、敬意を表して附けてある。
 阿騰母比立而 アトモヒタテテ。アトモヒは、誘つて。引きつれて。
 喚立而 ヨビタテテ。船子たちの聲をかけあつて。
 濱毛勢尓 ハマモセニ。濱いつぱいに。濱もふさぐまでに。
 後奈居而 オクレナヲリテ。
(393)  ヲクレナミヰテ(元)
  オクレナヲリテ(矢)
  ――――――――――
  後奈美居而《オクレナミヰテ》(略)
 オクレナミヰテのミに當る字が脱落したのだとする説がある。上の「濱もせに」の句に對しては、それももつともだが、このままで解くとすれば、ナを助詞と見るのである。かようなナの用例には、「手寸十名相《タキソナヒ》 殖之名知久《ウヱシナシルク》」(卷十、二一一三)、「久佐可氣乃《クサカゲノ》 安努奈由可武等《アノナユカムト》 波里之美知《ハリシミチ》」(卷十四、三四四七)、「可久須酒曾《カクススゾ》 宿莫奈那里尓思《ネナナナリニシ》」(同、三四八七)などあり、これらのナを、すべて誤字もしくは轉音とするは、無理である。このナは、助詞で、後にあらわれる係助詞ナムのナに相當するものであろう。本集には係助詞ナムは無いが、その前身とも見るべきナモは「何時奈毛《イツハナモ》 不v戀有登者《コヒズアリトハ》 雖v不v有《アラネドモ》」(卷十二、二八七七)があり、かようなナの存在がかならずしも唐突でないことを示している。この助詞ナの意義は、その上にある語を提示する義であろう。ナは、接續助詞としては、古くから使われているので、それと關係のある語とすべきである。
 足垂之 アシズリシ。略解に、垂は、摩の誤りかとしている。訓のアシズリシは、動かない所であろう。シは、する意の動詞。去つた人を思つて、いても立つてもいられない?を描いている、「反側《コイマロビ》 足受利四管《アシズリシツツ》」(卷九、一七四〇)。これも同一人の作である。
 海上之其津乎指而 ウナカミノソノツヲサシテ。ウナカミは、下總の國の海上郡の津で、船のさして行く津である。其津乎の乎は、寫本にすべて乎であり、版本も、初めは乎であつたが、寛永二十年に出版した本には、誤つて於としたので、學者のあいだに疑義を生じて、諸説を生ずるに至つた。
【評語】送別の歌として、類型的だが、よく纏まつている。船の敍述は、大げさだが特色があり、七夕の歌などの影響を受けている。初めの地理の説明も、この作者の特色のある所だが、全體としては、格別の作とも云われない。
 
(394)反歌
 
1781 海つ路《ぢ》の 和《な》ぎなむ時も 渡らなむ。
 かく立つ浪に 船出《ふなで》すべしや。
 
 海津路乃《ウミツヂノ》 名木名六時毛《ナギナムトキモ》 渡七六《ワタラナム》
 加九多都波二《カクタツナミニ》 船出可v爲八《フナデスベシヤ》
 
【譯】海の方の道の凪いでいる時にでも渡るべきでしよう。こんなに浪が立つているのに渡るべきではないでしよう。
【釋】海津路乃 ウミツヂノ。ウミツヂは、海の方の道。今、内水路に面して、外海の荒れている模樣を氣にしているので、以下の句がある。日本書紀、東海にウメツミチと訓しているのは、海の道の義である。
 名木名六時毛 ナギナムトキモ。トキモは、時にもの意。
 船出可爲八 フナデスベシヤ。ヤは反語。
【評語】船出を留める語氣の強いのが特色である。二句と三句のナムは、性質が違うが、同音で重ねているのは、かえつて耳ざわりである。この歌、三句切になつている。海上にやや風波が荒いので、この作を成したのであろう。
 
右二首、高橋連蟲麻呂之歌集中出
 
與v妻歌一首
 
妻に與ふる歌一首
 
(395)【釋】與妻歌 ツマニアタフルウタ。人麻呂歌集から出ている歌で、作者を人麻呂とすれば、妻は人麻呂の妻になる。この妻は、人麻呂の前の妻で、輕の娘子と呼ばれ、持統天皇に仕えた才媛であつた人であろう。
 
1782 雪こそは 春日《はるび》消《き》ゆらめ。
 心さへ 消え失《う》せたれや、
 言《こと》も通はぬ。
 
 雪己曾波《ユキコソハ》 春日消良米《ハルビキユラメ》
 心佐閉《ココロサヘ》 消失多列夜《キエウセタレヤ》
 言母不2往來1《コトモカヨハヌ》
 
【譯】雪こそは、春の日に消えているだろう。あなたは心までも消え失せたか、そんなこともないだろうに、言も通じてこない。
【釋】雪己曾波春日消良米 ユキコソハハルビキユラメ。大和の國にいる妻を思い、雪こそは春の日に逢つて消えているだろうと推量している。これは三句以下の前提になるものである。句切。
 心佐閉 ココロサヘ。妻の心。
 消失多列夜 キエウセタレヤ。タレヤは、疑問條件法。そんなことはあるはずはないがの意に、強い疑いになつている。
【評語】作者は、多分雪のすくない南方の國(四國だろう)からこの歌を送つているだろう。堅く約した妻からのたよりのうち絶えたのに誘いかけている。巧みな誘いである。
 
妻和歌一首
 
妻の和ふる歌一首
 
(396)1783 松反《まつがへ》り しひてあれやは、
 三栗《みつぐり》の 中《なか》ゆ上《のぼ》り來《こ》ぬ。
 麻呂といふ奴。
 
 松反《マツガヘリ》 四臂而有八羽《シヒテアレヤハ》
 三栗《ミツグリノ》 中上不v來《ナカユボリコヌ》
 麻呂等言八子《マロトイフヤツコ》
 
【譯】歸つてくるのをためらつているのですか。そんなこともないでしように、三栗の那珂から上京してこない。麻呂という奴さん。
【釋】松反四臂而有八羽 マツガヘリシヒテアレヤハ。
  マツカヘリシヒテアリヤハ(元赭)
  マツカヘリシヒテアレヤハ(西)
  ――――――――――
  松反四臂而有八母《マツガヘリシヒニテアレヤモ》(略)
  松反四臂両有八物《マツガヘリシヒニテアレヤモ》(古義)
  松反四臂而有八物《マツガヘリシヒテアレヤモ》(新考)
 諸説があつて、訓義ともに一定しがたい。四臂而をシヒニテと讀む説のあるのは、次に引く大伴の家持の歌に、シヒニテとあるによるものであるが、この字面では、シヒテと讀むのが穏當である。マツガヘリシヒテは、大伴の家持の放逸せる鷹を詠んだ歌の反歌に、「麻追我敝里《マツガヘリ》 之比爾弖安禮可母《シヒニテアレカモ》 佐夜麻太乃《サヤマダノ》 乎治我其日爾《ヲヂガソノヒニ》 母等米安波受家牟《モトメアハズケム》」(卷十七、四〇一四)と詠んでいるのは、この歌によつたのであろうが、鷹の歌に使つているのを見れば、鷹に關することであろう。よつて思うに、マツガヘリは、放した鷹が待つに歸ることをいうのであろう。マツは、松か待ツか、不明。シヒは、橋本進吉博士は、目しひ耳しひのシヒではないかと言われた。ハ行四段活用とするのだろうが、證明はない。この四臂は、甲類のヒで、強ヒのヒは、乙類のヒである。アレヤハのヤは、疑問の係助詞で、ハは輕く添えたものと見られる。已然條件法。待つ歸りを澁つているのか、そんなこともないだろうがの意と解せられる。山家集下卷に「ふたつありける鷹の、いらごわたりをすると申し(397)けるが、ひとつの鷹はとどまりて、木の末にかかりて侍ると申しけるをききて、すたかわたるいらごがさきを疑ひてなほ木にかへる山がへりかな」とある、山がへりの語も、このマツガヘリと關係のある語であろうか。さてこの二句は、前提となる。
 三栗 ミツグリノ。枕詞。三個の果實を有している栗で、中に冠している。
 中上不來 ナカユノボリコヌ。
  ナカツカヘコス(元赭)
  ナカニヰテコヌ(西)
  ナカニイテコヌ(温)
  ナカニノボリコヌ(新訓)
  ――――――――――
  中出不來《ナカニモイデキデ》(童)
  中止不來《ナカタエテコズ》(補正)
  中止不來《ナカタエテコヌ》(新考)
 三栗ノという枕詞を冠しているので、中は誤字とは見られない。さて、原文のままでは、ナカノボリコヌと讀まれるが、人麻呂集の常として、助詞に當る字を省路することも多いから、これを補つて讀むことも考えられる。そこで今助詞ユを補うこととした。ユを補つて讀むべき例は「雁音《カリガネノ》 所v聞空《キコユルソラユ》 月渡見《ツキワタルミユ》」(卷九、一七〇一)などある。ナカは、人麻呂が讃岐の國から上つて來る時の歌(卷二、二二〇)に、「天地《アメツチ》 日月與共《ヒツキトトモニ》 滿將v行《タリユカム》 神乃御面跡《カミノミオモト》 次來《ツギキタル》 中乃水門從《ナカノミナトユ》 船浮而《フネウケテ》 吾榜來者《ワガコギクレバ》」とある中の水門であろう。この中の水門は、讃岐の國にもと那珂の郡があつて、そこの船の出入する處、今の仲多度郡の中津であろう、そのナカの地から上つてこないというと見える。人麻呂が、讃岐の國に行つておつて、そのナカを通つて上京してこない意とするのである。この句は、終止と見られる。
 麻呂等言八子 マロトイフヤツコ。
  マロライハハコ(元赭)
(398)  マロトイハハコ(矢)
  マロトイヘヤコ(代初)
  マロトイフヤツコ(新訓)
  ――――――――――
  麻追等言八毛《マツトイハメヤモ》(考)
  麻追等言八方《マツトイハムヤモ》(略)
  麻追等言八子《マツトイヘヤコ》(古義)
 諸説があるが、マロトイフヤツコの訓に落ちつくものと考えられる。マロは、前の歌の作者の麻呂で、人麻呂その人を畧稱している。ヤツコは、奴婢の意。當時奴婢階級があつて、政府、寺院、もしくは個人の所有として、取り扱われていた。そこで歌にも、戀を奴にたとえていうことなどがあり、また親しい仲でも相手を奴に擬していうことも行われた。「戯奴之爲《ワケガタメ》 吾手母須麻爾《ワガテモスマニ》 春野爾《ハルノノニ》 拔流茅花曾《ヌケルツバナゾ》 御食而肥座《ヲシテコエマセ》」(卷八、一四六〇)の如きも、その一例であつて、これは紀の女郎が、大伴の家持を目して、戯の奴と言つているのである。ここに麻呂トイフ奴というのも、その例で、愛人を呼ぶに、戯れに賤奴をもつてしたものと解せられる。紀の女郎の歌も、この歌などによつたものだろう。
【評語】意義の不明の句もあるが、全體の大意は察知される。ずいぶん思い切つた大膽な表現で、辛辣な云い方である。作者の才氣の非凡であつたことが知られる。人麻呂の妻と考えられるこの作者は、持統天皇に仕えた女官で、その紀伊の國や伊勢の國への行幸にも御供したと考えられる。一時穴師の里に住んでいたであろうが、不幸にして人麻呂に先んじて死んだ。才色兼備の才媛であつたように考えられる。
 
右二首、柿本朝臣人麻呂之歌集中出
 
贈2入唐使1歌一首
 
【釋】贈入唐使歌 ニフタウシニオクレルウタ。歌の左註にあるように、いずれの時のとも知られない。藤原(399)の宮の時代から、奈良時代の前半にかけては、大寶二年、靈龜元年、天平五年の三囘がある。神龜五年八月の歌の前に載せてあるが、この順序は、おもく考えることはできない。
 
1784 海若《わたつみ》の いづれの神を齋祈《いの》らばか、
 ゆくさも來《く》さも 船の早けむ。
 
 海若之《ワタツミノ》 何神乎《イヅレノカミヲ》 齋祈者歟《イノラバカ》
 往方毛來方毛《ユクサモクサモ》 舶之早兼《フネノハヤケム》
 
【譯】海神のどの神を祭つて祈願をしたら、行く途も歸る途も船が早いだろう。
【釋】海若之何神乎 ワタツミノイヅレノカミヲ。海神は種類が多く、たとえば阿曇《あづみ》氏の祭る綿津見の神、津守氏の祭る住吉の神などあるので、そのいずれの神がよかろうというのである。
 齋祈者歟 イノラバカ。タムケハカ(元)、イノラハカ(元赭)、マツラバカ(童)、イハハバカ(考)。イハハバカとも讀まれているが、まだ神ヲイハフという思想は無いので、イノラバカの訓が選定される。イノルは、願つて神威神力の發揚を期するをいう。
 往方毛來方毛 ユクサモクサモ。サは、方向の義。往路も歸途も。
 舶之早兼 フネノハヤケム。ハヤケは形容詞。ムは助動詞。
【評語】長歌の反歌のような歌だ。送別の辭としては格別のことはない。海神に多種ありとした思想は、當時の幼稚な宗教思想として注意される。
 
右一首、渡海年記未v詳
 
右の一首は、海を渡りし年記いまだ詳ならず。
 
【釋】渡海年記未詳 ウミヲワタリシトシツキイマダツマビラカナラズ。何年の遣唐の時とも知られない由を(400)註している。歌の出所は註していない。
 
神龜五年戊辰秋八月歌一首 并2短歌1
 
神龜五年戊辰の秋八月の歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】神龜五年戊辰秋八月歌 シニキノイツトセツチノエタツノアキハツキノウタ。以下、いかにも笠の金村らしい題詞の書き方で、きちようめんなその人がらも思われる。金村の歌集には、おおむね作歌の年月が記されている。ただ本集に取り入れる際に、その年月を省いたものも存するのであろう。
 
1785 人と成る 事は難きを、
 邂逅《わくらば》に 成れる吾が身は、
 死《しに》も生《いき》も 公がまにまと
 念ひつつ ありし間《あひだ》に、
 うつせみの 世の人なれば、
 大|王《きみ》の 御命《みこと》かしこみ、
 天離《あまざか》る 夷《ひな》治《をさ》めにと、
 朝鳥の 朝|立《だち》しつつ
 群鳥《むらどり》の 群立《むらだ》ち行けば、
 留り居て 吾は戀ひむな。
(401) 見ず久ならば 
 
 人跡成《ヒトトナル》 事者難乎《コトハカタキヲ》
 和久良婆尓《ワクラバニ》 成吾身者《ナレルワガミハ》
 死毛生毛《シニモイキモ》 公之隨意常《キミガマニマト》
 念乍《オモヒツツ》 有之間尓《アリシアヒダニ》
 虚蝉乃《ウツセミノ》 代人有者《ヨノヒトナレバ》
 大王之《オホキミノ》 御命恐美《ミコトカシコミ》
 天離《アマサカル》 夷治尓登《ヒナヲサメニト》
 朝鳥之《アサドリノ》 朝立爲管《アサダチシツツ》
 群鳥之《ムラドリノ》 群立行者《ムラダチユケバ》
 留居而《トマリヰテ》 吾者將v戀奈《ワレハコヒムナ》
 不v見久有者《ミズヒサナラバ》
 
【譯】人となる事はむずかしいのだが、たまたま人となつたわが身は、死ぬも生きるも、君の心まかせと思つていたあいだに、この世の人の事ですから、天皇の命令を承つて、天のように遠い地方を治めにと、朝の鳥のように朝立つて行くので、群る鳥のように群つて行くので、留まつていてわたくしは戀うことでしよう。見ないで久しかつたなら。
【構成】全篇一文。
【釋】人跡成事者難乎和久良婆尓成吾身者 ヒトトナルコトハカタキヲワクラバニナレルワガミハ。佛説に、容易に人身を得難いとする思想によつている。ワクラバニは、偶然にで、偶然にして人身を得たことを述べている。容易に得がたい人身を、偶然にも得た自分はの意で、山上の憶良の貧窮問答の歌(卷五、八九二)の「和久良婆爾《ワクラバニ》 比等等波安流乎《ヒトトハアルヲ》」とある思想に同じ。憶良の歌は、何年に作られたか不明であるから、この歌との先後は論じられないが、かような思想を盛つた歌は、既に別に行われていたのだろう。
 死毛生毛公之隨意常 シニモイキモキミガマニマト。隨意の字は、三音の處にも四音の處にも使われている。三音ならばマニマ、四音ならばマニマニと讀まれる。マニマの例は、「可毛加久母《カモカクモ》 伎美我麻爾麻等《キミガマニマト》」(巻十七、三九九三)、「末支太末不《マキタマフ》 官乃末爾末《ツカサノマニマ》」(卷十八、四一一三)などある。これによれば、マニマニは、マニマに助詞ニの添つたもので、やがてマニを重ねいうように感ずるに至つたものだろう。生死ともに公の御心まかせとの意である。後にも記すように、この歌は、女子に代つて作つているようであるから、この句があるのだろう。そうとすれば、キミというのは、愛する夫をいう。
 虚蝉乃 ウツセミノ。枕詞。代の人に冠している。語義については、卷の一、二四參照。
(402) 代人有者 ヨノヒトナレパ。この世の人間であるから、この世の拘束を免れずに、地方にも旅するというのである。この句は、相手の男の説明である。
 大王之御命恐美 オホキミノミコトカシコミ。慣用句で、しばしば使用されている。勅命を受けての義であるが、役に任ぜられることなどにもいう。
 天離 アマザカル。枕詞。
 夷治尓登 ヒナヲサメニト。ヒナは地方、地方を治めるとして。地方官として任命されたことをいう。天ザカル夷治メニトの句は、後に大伴の家持が、その越中の守時代に、度々使用して、慣用句となつている。
 朝鳥之 アサドリノ。枕詞。譬喩によつて朝立に冠している。
 群島之 ムラドリノ。枕詞。これも譬喩によつて群立に冠している。かような鳥を譬喩に使うことは、古事記上卷、八千矛の神の歌「牟良登理能《ムラドリノ》 和賀牟禮伊那婆《ワガムレイナバ》 比氣登理能《ヒケドリノ》 和賀比氣伊那婆《ワガヒケイナバ》」(五)以下多數であり、これは八千矛の神の歌のような、歌われる歌からきたものと推考される。
 吾者將戀奈 ワレハコヒムナ。ナは、感動の助詞。本集では助動詞ムに接續するものが多い。
【評語】地方官として赴く人を送る歌としては、前半の敍述、すなわち稀に人身を得たことから説き起して、死生も君がままであるというのが、いかにも仰山である。歌を贈られた人は、作者よりも地位の高い人であつたのだろうが、それにしてもかなり思想をしいて歌詞にしたような所がある。後半は類型的で、歌い傳えられたものを踏襲する所が多いのだろう。笠の金村は、「神龜の元年甲子の冬十月、紀伊の國に幸でましし時|從駕《みとも》の人に贈らむがために娘子に誂《あとら》へらえて作れる歌一首」(卷四、五四三)のように、しばしば娘子に代つて歌を詠んでおり、これもその類であろう。その娘子というのは、金村の女なるべく、集中に、笠の女郎として呼ばれている人であるかも知れない。當時、歌の贈答が儀禮になつていたので、人に代つて詠む場合もすくなか(403)らず、大伴の坂上の郎女、大伴の家持なども、その旨を明記した代作を詠んでいる。
 
反歌
 
1786 み越路《こしぢ》の 雪|零《ふ》る山を 越えむ日は、
 留《と》まれる吾を 懸《か》けてしのはせ。
 
 三越道之《ミコシヂノ》 雪零山乎《ユキフルヤマヲ》 將v越日者《コエムヒハ》
 留有吾乎《トマレルワレヲ》 懸而小竹葉背《カケテシノハセ》
 
【譯】越の國に行く路の、雪の降る山を越える日には、留まつているわたくしを、心にかけてお思いください。
【釋】三越道之雪零山乎 ミコシヂノユキフルヤマヲ。ミコシヂは、越の國へ行く道で、北陸道のこと。近江の國から愛發《あらち》山を越えて、越前に出る。ミは接頭語で、三ではない。雪フル山は、その山を想像しているのだろう。
 懸而小竹葉背 カケテシノハセ。カケテは、心に懸けてである。シノハセは、思慕する意のシノフの敬語法の命令形。
【評語】北陸へ赴任するというので、雪フル山といい、それが歌の趣を作るに役立つている。しかし作歌の時は、八月だというから、北國の旅の概念をあらわすために、慣用語が無雜作に使用されたものと見られる。
 
天平元年己巳冬十二月歌一首 并2短歌1
 
天平の元年己巳の冬十二月の歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】天平元年己巳冬十二月歌 テニヒヤウノハジメノトシツチノトミノフユシハスノウタ。歌詞によると、作者はこの時、公用で、布留の里に宿つてこの歌を詠んでいる。略解には、續日本紀、天平元年十一月、京及(404)び畿内の班田司を任ずとあるを引いて、班田使としての旅行だろうとしている。年月も一致するから、多分そうであろう。その班田の使の低い役をしていたと見える。
 
1787 うつせみの 世の人なれば、
 大王の 御命《みこと》恐《かしこ》み
 礒城《しき》島の 大和の國の
 石上《いそのかみ》 布留《ふる》の里に、
 紐解かず 丸寐《まろね》をすれば、
 わが著たる 衣《ころも》は穢《な》れぬ。」
 見るごとに 戀はまされど
 色にいでば 人知りぬべみ、
 冬の夜の あかしも得ぬを、
 寐《い》も宿《ね》ずに 吾はぞ戀ふる。
 妹が直香《ただか》に。」
 
 虚蝉乃《ウツセミノ》 世人有者《ヨノヒトナレバ》
 大王之《オホキミノ》 御命恐弥《ミコトカシコミ》
 礒城島能《シキシマノ》 日本國乃《ヤマトノクニノ》
 石上《イソノカミ》 振里尓《フルノサトニ》
 紐不v解《ヒモトカズ》 丸寐乎爲者《マロネヲスレバ》
 吾衣有《ワガキタル》 服者奈禮奴《コロモハナレヌ》
 毎v見《ミルゴトニ》 戀者雖v益《コヒハマサレド》
 色二山上復有山者《イロニイデバ》 一可v知美《ヒトシリヌベミ》
 冬夜之《フユノヨノ》 明毛不v得呼《アカシモエヌヲ》
 五十母不v宿二《イモネズニ》 吾齒曾戀流《ワレハゾコフル》
 妹之直香仁《イモガタダカニ》
 
【譯】この世の人であるから、天皇の命令を承つて、礒城島の大和の國の、石上の布留の里に、著物の紐も解かないで、そのままに寐ると、わたしの著ている著物は、くたくたになつた。それを見る度に、戀は増るが、顔色に出したら人が知るので、冬の夜の明かしも得ないのに、眠りもしかねてわたしは戀をする。妻の本身に。
【構成】第一段、衣は穢レヌまで。布留の里に宿ることを敍する。第二段、終りまで。眠りもしかねて妻を戀(405)うことを述べる。
【釋】礒城島能 シキシマノ。枕詞。礒城島の宮のある國の意に、大和に冠する。その礒城島の宮は、崇神天皇の礒城の瑞籬《みづがき》の宮によるといい、また欽明天皇の礒城島の金利《かなさし》の宮によるともいう。多分欽明天皇の時代に、外國關係がさかんになり、外國にあつて大和の國を稱するに用い始めたのだろうという。シキシマは、泊瀬溪谷にはいろうとする一帶の地で、泊瀬川に臨み、川を隔てて三輪山に對している。シキの地で、水に面しているから、呼んでシキシマという。
 日本國乃 ヤマトノクニノ。ヤマトノ國は、大和の國をいう。日本の字を使用したのは、日の本のヤマトと言つたのから出た借字である。
 石上振里尓 イソノカミフルノサトニ。イソノカミは、奈良縣山邊郡の地名。その地の中のフルの里に。
 ?不解丸寐乎爲者 ヒモトカズマロネヲスレバ。衣服の紐を解かないで、著たままで寐るので。マロネは、衣服をきたままで、寐ること。
 服者奈禮奴 コロモハナレヌ。ナレヌは、衣服を著古して、萎え、よごれ、皺だらけになつた意。このナレは、馴狎の意のナルと同語である。「和伎毛故我《ワギモコガ》 牟須比思比毛波《ムスビシヒモハ》 奈禮爾家流香聞《ナレニケルカモ》」(卷十五、三七一七)、「都流波美能《ツルバミノ》 奈禮爾之伎奴爾《ナレニシキヌニ》 奈保之可米夜母《ナホシカメヤモ》」(卷十八、四一〇九)。句切で、以上、事實を敍している。
 毎見戀者雖益 ミルゴトニコヒハマサレド。上の、衣ハナレヌを受けて、そのよごれた衣服を見るごとに、家に對する戀は増すがの意。家にあらば、かような事もなく、清潔な衣服にも著換えられるがの意を含んでいる。奈良の京にあるわが家に對する戀である。
 色二山上復有山者 イロニイデバ。この歌は、次點の歌であるが、古くは、イロイロニヤマノウヘニマタアルヤマハと讀んでいた。それを代匠記の精撰本に、イロニイデバと讀むべしとして「其故は、古樂府ニ、藁砧(406)今何在、山上更安v山云々。此山上更安v山トハ、出ノ字ヲ云ヘリ。正シク山ヲフタツ重ネテカクニハアラネド、見タル所相似タル故ナリ。唐ノ孟遲ガ、山上有v山不v得v歸ト作レルモ此に依レリ。今モ此義ヲ意得テ、イデト云フタ文字ヲ、山上復有山トハカケルナリ」と記している。但し契沖の引いた古樂府の詩は、玉臺新詠には「藁砧今何在、山上復有v山、何當2大刀頭1、破鏡飛上v天」とあるから、それによつたものであろう。この詩は、隱語を多く使用しており、藁砧《こうちん》は?《ふ》で夫に通じ、山上復有山は出、大刀頭《たいとうとう》は環《かん》で還《かん》に通じ、破鏡飛上天《はきようひしようてん》は月で、「夫今何在、出何當2還月1」の意とされている。これは戰役に徴發された夫を思う詩で、夫は何時歸るだろうかということを、露骨にいうことを憚つて、かように歌つたのである。その詩の句を採つて書いたのである。金村の作品に、かような戯書のあるのは珍しい。
 冬夜之明毛不得呼 フユノヨノアカシモエヌヲ。冬の夜が長く、かつ寒くして、容易に明かし難くあるのを。
 五十母不宿二 イモネズニ。五十は、イの訓假字。睡眠の意である。
 吾齒會戀流 ワレハゾコフル。ゾは係助詞。それを受けてコフルと結んでいる。句切。その戀フルの目的は、次の句で示されている。
 妹之直香仁 イモガタダカニ。イモは、作者の妻。タダカは、まさしき存在の意で、本身、本體をいう。「亂而念《ミダレテオモフ》 君之直香曾《キミガタダカゾ》」(卷四、六九七)、「波之家夜之《ハシケヤシ》 吉美賀多太可乎《キミガタダカヲ》 麻佐吉久毛《マサキクモ》 安里多母等保利《アリタモトホリ》」(卷十七、四〇〇八)。
【評語】穢れた衣服を見ることによつて、旅情の増ることを敍しているのは、眞實の境地であろう。やはり初めの數句の大げさな表現が、かえつて情趣を害している。ウツセミノ世ノ人ナレバの歌い起しは、突然である。しかし末尾の冬ノ夜ノ明カシモ得ヌヲ以下が、しんみりしていてよい。
 
(407)反歌
 
1788 布留山ゆ 直《ただ》に見渡す 京《みやこ》にぞ、
 寐《い》も宿《ね》ず戀ふる。
 遠からなくに。
 
 振山從《フルヤマユ》 直見渡《タダニミワタス》 京二曾《ミヤコニゾ》
 寐不v宿戀流《イモネズコフル》
 遠不v有尓《トホカラナクニ》
 
【譯】布留の山から、直接に見瀕す京に、眠りもしないで戀している。遠くはないのだのに。
【釋】振山從 フルヤマユ。フル山は、フルの里の山であろうが、山と言つても、さして高いわけではなく、小高い處をいうのだろう。ユは、そこからずうつと眺める意に使つている。
 直見渡 タダニミワタス。タダニは、直接に、目の前に。連體形の句。
 京二曾 ミヤコニゾ。ミヤコは、平城の京をいう。布留の山から五キロほどの距離である。それで五句の、遠カラナクニが出て來る。
【評語】説明的である嫌いはあるが、率直に情意を寫して、多少の風情がある。寐モ宿ズ戀フルといい、夜の歌であるのに、布留山ユ直ニ見渡ス京と視覺に訴えた説明を附けたのは、おもしろくない。この歌では、この上の三句の敍述が、生きていなくてはならなかつたのである。
 
1789 吾妹子が 結《ゆ》ひてし紐を
 解かめやも。
 絶えば絶ゆとも 直《ただ》に逢ふまでに。
 
 吾妹兒之《ワギモコガ》 結手師?乎《ユヒテシヒモヲ》
 將v解八方《トカメヤモ》
 絶者絶十方《タエバタユトモ》 直二相左右二《タダニアフマデニ》
 
(408)【譯】わが妻の結んだ著物の紐を解きはしないだろう。切れるなら切れても、じかに逢うまでは。
【釋】結手師?乎 ユヒテシヒモヲ。妻が再會を期して結んだ衣服の紐である。女が、男の衣の紐を結ぶ風習であつた。
 將解八方 トカメヤモ。長歌の、紐解カズ丸寐ヲスレバの句を受けて、これは解かないという意志を示している。句切。三句切である。
 絶者絶十方 タエバタユトモ。衣服の紐が切れるなら、それも致し方がないの意で、この句の下に、語を省略した形である。紐が切れるなら、切れるとても、解きはしないの意である。
【評語】長歌の、紐解カズ丸寐ヲスレバを受けて細説している。類想のある歌であるが、下四五句あたりが、力強く詠まれている。以上の長歌一首と反歌二首とは、相聞の部に收めてあるが、妻に贈つた歌とは見えない。旅にあつてひとり詠んだ作のようである。
【參考】類想。
  二人して結ひてし紐を獨して吾は解き見じ。直に逢ふまでは(卷十二、二九一九)
 
右件五首、笠朝臣金村之歌中出
 
【釋】笠朝臣金村之歌中出 カサノアソミカナムラノウタノナカニイヅ。同樣の文は、卷の三、および卷の六に見えて、いずれも歌ノ中ニ出ヅとある。ただ卷の二、「靈龜元年歳次2乙卯1秋九月、志貴親王薨時作歌」(二三〇−二三二)の左註だけが「右歌笠朝臣金村歌集出」となつている。しかしこれらは多分同一の集録をさすものであろう。それは金村自身の集録と考えられる。
 
(409)天平五年癸酉、遣唐使舶、發2難波1入v海之時、親母贈v子歌一首 并2短歌1
 
天平の五年癸酉、遣唐使の舶の、難波を發《た》ちて海に入りし時、親母《はは》の、子に贈れる歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】天平五年癸酉遣唐使舶發難波入海之時 テニヒヤウノイツトセミヅノトトリノトシ、ケニタウシノフネノナニハヲタチテウミニイリシトキ。天平四年八月、從四位の上多治比の眞人廣成を遣唐の大使とし、從五位の下中臣の朝臣名代を副使とし、判官四人、録事四人等を定めた。五年閏三月、節刀を授け、夏四月、難波津から進發した。この年の遣唐使に關する歌は、卷の五(八九四)、卷の八(一四五三)、卷の十九(四二四五)等に見えている。
 
1790 秋はぎを 妻|問《ど》ふ鹿《か》こそ、
 一子《ひとりこ》に 子持てりといへ。」
 鹿兒《かこ》じもの わが獨子の
 草枕 旅にし行けば、
 竹珠《たかだま》を 繁《しじ》に貫《ぬ》き垂《た》り、
 齋戸《いはひべ》に 木綿《ゆふ》取《と》り垂《し》でて、
 齋《いは》ひつつ わが思ふ吾子《あこ》、
 眞幸《まさき》くありこそ。」
 
 秋〓子乎《アキハギヲ》 妻問鹿許曾《ツマドフカコソ》
 一子二《ヒトリゴニ》 子持有跡五十戸《コモタリトイヘ》
 鹿兒自物《カコジモノ》 吾獨子之《ワガヒトリゴノ》
 草枕《クサマクラ》 客二師往者《タビニシユケバ》
 竹珠乎《タカダマヲ》 密貫垂《シジニヌキタリ》
 齊戸尓《イハヒベニ》 木綿取四手而《ユフトリシデテ》
 忌日管《イハヒツツ》 吾思吾子《ワガオモフアコ》
 眞好去有欲得《マサキクアリコソ》
 
【譯】秋ハギを妻としておとずれる鹿は、ただ一人の子として子を持つているという。その鹿のようなわたし(410)の一人子が、草の枕の旅に行くので、竹の珠をいつぱいに緒につらぬいて懸け、齋戸《いはひべ》に木綿を取りさげて、物忌みをしながらわたしの待つているわが子よ。無事であつてください。
【構成】第一段、子持テリトイヘまで。譬喩による序説。鹿がただ一人の子を持つことをいう。第二段、終りまで。ただ一人の子が旅に行くので、物忌みをして無事を祈ることを敍する。
【釋】秋〓子乎妻問鹿許曾 アキハギヲツマドフカコソ。ハギを鹿の妻とする思想を歌つている。「秋〓子之《アキハギノ》 妻卷六跡《ツマヲマカムト》」(卷九、一七六一)參照。ツマドフは、婚姻を求める。「故《カレ》、都麻杼比《ツマドヒ》之物(ト)云(ヒ)而、賜(ヒ)入(レキ)也」(古事記下卷)。
 一子二子特有跡五十戸 ヒトリゴニコモテリトイヘ。五十はイ、戸はヘの訓假字。鹿が一人子に子を持つていると人々がいう意であるから、上の鹿コソを受けるのは、子持有であるはずであるが、こういう場合は、調子の上から、結びが移動して、言フがこれを受けて、已然形で結ぶことになる。「悔二破有跡五十戸《クイニハアリトイヘ》」(卷四、六七四)參照。以上は、次の句の鹿兒ジモノを起す準備として歌われている。句切。
 鹿兒自物 カコジモノ。枕詞。カコは鹿をいう。コは、愛稱。鹿の子ではない。上文のように鹿は多く一匹の子を持つので、次の獨子を引き起している。
 竹珠乎密貫垂齋戸尓木綿取四手而 タカダマヲシジニヌキタリイハヒベニユフトリシデテ。祭典の具體的敍述。齋戸に木綿をさげるというのが、この歌における敍述の特色である。ユフは、アサ、コウゾの繊維で、これをさげることによつても、イハヒベが甕でないことが確められる。「齋戸乎《イハヒベヲ》 忌穿居《イハヒホリスヱ》 竹玉乎《タカダマヲ》 繁爾貫垂《シジニヌキタリ》」(卷三、三七九)參照。
 忌日管 イハヒツツ。イハヒをして、旅に出たわが子の無事を期するのである。
 眞好去有欲得 マサキクアリコソ。好去の文字は、幸福に行く意の字で、好去好來歌《こうきよこうらいか》の如くも使用されてい(411)る。歌詞にも「奈何好去哉《イカニサキクヤ》」(卷四、六四八)、「新夜乃《アラタヨノ》 好去通牟《サキクカヨハム》 事計《コトハカリ》」(卷十三、三二二七)の用例がある。ここはそれに眞の字を添えてマサキクと讀むべきことを指示している。欲得は、通例ガモに當てられる字で、コソと讀む例は他にないが、ここは有の字に引かれて、コソと讀んでいる。
【評語】獨子を遠く海外の異域に旅立たせる母親の愛情がよく描かれている。祭典の敍述も、この歌にあつては極めて有效である。最初の鹿の獨子を持つ習性の句は、女子の作らしい前置きである。
 
反歌
 
1791 旅人の 宿りせむ野に 霜降らば、
(412) わが子羽ぐくめ。
 天《あめ》の鶴群《たづむら》。
 
 客人之《タビビトノ》 宿將v爲野尓《ヤドリセムノニ》 霜降者《シモフラバ》
 吾子羽裹《ワガコハグクメ》
 天乃鶴群《アメノタヅムラ》。
 
【譯】旅人が宿りをするだろう野に、霜が降つたら、わたしの子を包んでください。空飛ぶ鶴の群よ。
【釋】吾子羽裹 ワガコハグクメ。ハグクメは、羽で包む意の命令形。集中では、まだ育てる意には使つていない。「羽具久美母知弖《ハグクミモチテ》 由可麻之母能乎《ユカマシモノヲ》」(卷十五、三五七九)。
 天乃鶴群 アメノタヅムラ。鶴は、天を飛ぶものなので、アメノを冠している。
【評語】極寒の地を行くわが子に對する母親の情愛が溢れている。霜降ラバというのは、寒氣を豫想したのだが、大陸の氣候の實際を知らないので、作者の知識の範圍での敍述になつている。天ノ鶴群は、天空から舞いおりる鶴の群を想像した語で、いかにもよくこの歌に適している。
 
思2娘子1作歌一首 并2短歌1
 
娘子《をとめ》を思ひて作れる歌一首 【短歌并はせたり。】
 
1792 白玉の 人のその名を、
 なかなかに 辭《こと》を下延《したば》へ
 逢はぬ日の まねく過ぐれば、
 戀ふる日の 累《かさな》り行けば、
 思ひ遣る たどきを知らに、
(413) 肝向《きもむか》ふ 心|摧《くだ》けて、
 珠だすき 懸《か》けぬ時|無《な》く
 口息まず わが戀ふる兒を、
 玉|釧《くしろ》 手に取持ちて
 まそ鏡 直目《ただめ》に見ねば、
 下檜《したひ》山 下ゆく水の
 上にいです わが念ふ情、
 安からぬかも。
 
 白玉之《シラタマノ》 人乃其名矣《ヒトノソノナヲ》
 中中二《ナカナカニ》 辭緒下延《コトヲシタバヘ》
 不v遇日之《アハヌヒノ》 數多過者《マネクスグレバ》
 戀日之《コフルヒノ》 累行者《カサナリユケバ》
 思遣《オモヒヤル》 田時乎白土《タドキヲシラニ》
 肝向《キモムカフ》 心摧而《ココロクダケテ》
 珠手次《タマダスキ》 不v懸時無《カケヌトキナク》
 口不v息《クチヤマズ》 吾戀兒矣《ワガコフルコヲ》
 玉釧《タマクシロ》 手尓取持而《テニトリモチテ》
 眞十鏡《マソカガミ》 直目尓不v視者《タダメニミネバ》
 下檜山《シタヒヤマ》 下逝水乃《シタユクミヅノ》
 上丹不v出《ウヘニイデズ》 吾念情《ワガオモフココロ》
 安虚歟毛《ヤスカラヌカモ》
 
【譯】白玉のように美しい人の名を、なまなかにその言葉を心に思つて、逢わない日が多く過ぎるので、戀う日がかさなつてゆくので、思わなくなる手段を知らず、心が摧けて、美しいたすきのように心に懸けないことなく、口にやまずにわたしの戀うあの子を、玉くしろのように手に取り持つて、澄んだ鏡のように直接の目で見ないので、下檜のある山の下ゆく水のように、上に出ないで、わたしの思う心は安らかでないことだなあ。
【構成】全篇一文。
【釋】白玉之 シラタマノ。シラタマは、特に貴い玉として愛賞されているので、それを譬喩として使つている。この歌では、思う子の名をおもく取り扱つているので、ソノ名を修飾していると見るべきである。
 人乃其名矣 ヒトノソノナヲ。ヒトは、思う人をさす。
 中々二 ナカナカニ。ここでは、なまなかにの意に使つている。
 辭緒下延 コトヲシタバヘ。コトは、言語。思う子の名のこと。ヲは助詞。シタバヘは、おもてに出さずに(414)心中に思うをいう。「伊多良武等曾與《イタラムトゾヨ》 阿我之多波倍思《アガシタバヘシ》」(卷十四・三三八一)。但し「隱沼乃《コモリヌノ》 下延置而《シタバヘオキテ》」(卷九、一八〇九)の用法は違う。その條參照。
 思遣田時乎白土 オモヒヤルタドキヲシラニ。思いなくす方法を知らず。「思遣《オモヒヤル》 鶴寸乎白土《タヅキヲシラニ》」(卷一、五)。
 肝向 キモムカフ。枕詞。腹の中に心がありとし、藏腑が向かい合つている意に、心に冠する。
 心摧而 ココロクダケテ。思い亂れて分別もつきかねるようになるのをいう。「村肝之《ムラギモノ》 情摧而《ココロクダケテ》 如此許《カクバカリ》 余戀良苦乎《ワガコフラクヲ》 不v知香安累良武《シラズカアルラム》」(卷四、七二〇)。
 珠手次 タマダスキ。枕詞。
 不懸時無 カケヌトキナク。心にかけて思わない時なく。
 口不息 クチヤマズ。思う子の名を、絶えず口にのぼせて戀うのである。獨語に口に出すをいう。「波流能野爾《ハルノノニ》 久佐波牟古麻能《クサハムコマノ》 久知夜麻受《クチヤマズ》 安乎思努布良武《アヲシノブラム》 伊敝乃兒呂波母《イヘノコロハモ》」(卷十四、三五三二)。
 玉釧 タマクシロ。枕詞。釧は、手につける物であるから、手に冠する。玉をつけたくしろ。
 手尓取持而 テニトリモチテ。手に取つて持つてであるが、愛人に接することを、譬喩に、手に取り持つというのだろう。
 眞十鏡 マソカガミ。枕詞。見に冠している。
 正目尓不視者 タダメニミネバ。タダメは、直接の目。直接に見ないので。
 下檜山下逝水乃 シタヒヤマシタユクミヅノ。以上二句、序詞。譬喩によつて、上ニ出デズを引き起している。シタヒは、下ヒ山で、紅葉の山であるという(大野晋氏)。檜は、ヒの甲類の字であるが、下樋ならば、ヒは乙類である。下樋は、木材で作つて地中に埋めた水路をいう。シタヒ山は、その水路のある山。本朝神社考に引いた攝津國風土記に、下樋山の地名を傳えており、もしこの歌が難波あたりで詠まれたものであれば、そ(415)の山をさしているかもしれない。シタの同音によつて、下ユク水といい、次の上ニ出デズを引き起している。
 上丹不出 ウヘニイデズ。顔色にあらわさないで。
 安虚歟毛 ヤスカラヌカモ。
  ヤスキソラカモ(元赭)
  ヤスミナシカモ(童)
  ヤスカラヌカモ(定本)
  ――――――――――
  安不在歟毛《ヤスカラヌカモ》(古義)
  安在歟毛《ヤスカラヌカモ》(新考)
 虚は、空虚の義で、カラに當てる。ヌに當る文字はないが、讀み添えるのである。空虚をカラというのは、古い文獻の支持はないが、植物の幹をカラというのは、中心の空虚なものをいうから、カラに空虚の義を感じていたであろう。打消のヌを補讀する例は、多いことである。
【評語】その子の名を中心として歌つているのは、重點があつてよいが、全體の敍述は、冗長で、煩雜を感じさせる。枕詞や慣用句を、無雜作に使つているのも、粗雜な點である。しかし白玉ノ人ノソノ名ヲあたりの起りは、感じもよく、部分的にはよい處もある。
 
反歌
 
1793 垣ほなす 人の横言《よこごと》 繁みかも、
 逢はぬ日|數多《まね》く 月の經ぬらむ。
 
 垣保成《カキホナス》 人之横辭《ヒトノヨコゴト》 繁香裳《シゲミカモ》
 不v遭日數多《アハヌヒマネク》 月乃經良武《ツキノヘヌラム》
 
【譯】垣を成している人の口出しが繁くてか、逢わない日が多く月がたつのだろう。
【釋】垣保成 カキホナス。枕詞。カキホは、垣をその突起せる形?の方からいう語。その垣のようなの意で、(416)人の横言に冠している。
 人之横辭 ヒトノヨコゴト。ヒトは、周圍の人々。ヨコゴトは、横から口を出す言で、さまたげになる言である。讒言をヨコシマゴトというが、もつと廣く使つている。
 繁香裳 シゲミカモ。カモは、疑問の係助詞。
【評語】これによれば、先方が逢つてくれないようである。相手のもようを想像している歌で、ぐちつぽい内容である。
 
1794 立《た》ち易《かは》り 月|重《かさ》なりて 逢はねども、
 眞實《さね》忘らえず。
 面影にして。
 
 立易《タチカハリ》 月重而《ツキカサナリテ》 雖v不v遇《アハネドモ》
 核不v所v忘《サネワスラエズ》
 面影思天《オモカゲニシテ》
 
【譯】立ちかわつて月がかさなつて逢わないけれども、ほんとうに忘れられない。面影に見えて。
【釋】立易 タチカハリ。月が變つて。タチは、接頭語。
 核不所忘 サネワスラエズ。サネは、眞實にの意の副詞。句切。
【評語】月をかさねても、その人の面影がちらついて忘れられない由である。面影を見つめて、不安な氣もちが描かれている。
 
右三首、田邊福麻呂之歌集出
 
【釋】田邊福麻呂之歌集出 タナベノサキマロノウタノシフニイデタリ。田邊の福麻呂の歌集は、この卷には「蘆檜木笶《アシヒキノ》」(一八〇六)の左註にあり、そのほかに、卷の六、一〇六七の左註にも見えている。その條參照。(417)福麻呂は、大伴の家持と同時代の人。卷の十八の卷初に、天平二十年三月、造酒司《ミキノツカサ》の令史であつて、橘の諸兄の使として越中の國に赴いた事のほかはあまり知られない。その歌集の歌は、福麻呂の作品と見られる。
 
挽歌
 
【釋】挽歌 メニカ。挽歌としては、長歌五首、短歌十二首を收めている。柿本人麻呂歌集の歌五首、田邊福麻呂歌集の歌七首、高橋蟲麻呂歌集の歌五首で、すべて人々の歌集から出た歌である。
 
宇治若郎子宮所歌一首
 
宇治《うぢ》の若郎子《わきいらつこ》の宮所《みやどころ》の歌一首
 
【釋】宇治若郎子宮所歌 ウヂノワキイラツコノミヤドコロノウタ。ウヂノワキイラツコは、應神天皇の皇子。王仁《わに》について書を學び、その他、古事記、日本書紀に、この方に關し説話がある。御母は、春日の袁登比賣《おとひめ》で、丸邇《わに》氏の出であり、柿本氏は、その氏の支流である。その宮所は、京都府宇治市の離宮址であるという。その宮所で詠んだ歌で、人麻呂歌集から出ている。
 
1795 妹らがり 今木《いまき》の嶺に 茂り立つ
 嬬《つま》松《まつ》の木は 古《ふる》人見けむ。
 
 妹等許《イモラガリ》 今木乃嶺《イマキノミネニ》 茂立《シゲリタツ》
 嬬待木者《ツママツノキハ》 古人見祁牟《フルヒトミケム》
 
【譯】妻のもとに今くる。その今木の嶺に茂つて立つている、妻が待つという、その松の木は、昔の人が見たであろう。
【釋】妹等許 イモラガリ。枕詞。妹のもとに今くるという意に、地名のイマキに冠している。ラは接尾語。(418)「妹等所《イモラガリ》 我通路《ワガカヨヒヂノ》」(卷七、一一二一)。
 今木乃嶺 イマキノミネニ。イマキの地名に、今來をかけている。但し、木の音は乙類、來は甲類で、音韻は違う。イマキノ嶺は、宇治の宮所の附近にあるのだろう。日本書紀通證に「今來嶺、在2宇治彼方町東岸1、今曰2離宮山1、【一名朝日山】」とあるが、この歌によつて考えたのではなかろうか、不明。
 嬬待木者 ツママツノキハ。ツマは序詞。妻が待つから、同音の松の木に冠している。「吾妹乎《ワギモコヲ》 將v來香不v來香跡《コムカコジカト》 吾待乃木曾《ワガマツノキゾ》」(卷十、一九二二)。
 古人見祁牟 フルヒトミケム。フルヒトは、昔の人で、宇治の若郎子を含んでいるのだろう。
【評語】枕詞や序の技巧が目立つている歌で、懷古の情は、しつくりと出ていない。妹ラガリ今木の續きは、近江の國からの上京の途中で、自然に躍る心があらわれているのだろう。案外その邊に、この歌の作歌動機があるのかも知れない。
 
紀伊國作歌四首
 
【釋】紀伊國作歌 キノクニニテツクレルウタ。以下四首の歌は、紀伊の國に旅して、かつて共に遊んだが、今は亡き妻を思う意味の歌である。當時の人が、妻と共にただ遊覽に旅行したとは考えられないから、その國の役人として行つたか、または行幸に御供して行つたものと見るべく、人麻呂集には、大寶元年十月、持統天皇、文武天皇の紀伊の國への行幸の時の作があるから、多分その時に、夫妻とも御供して旅行したのだろう。作者の妻は、持統天皇に仕えた女官であつたと考えられる。そうして作者は、その後にひとりまたこの國に旅行する機會に接して、以下の歌を作つたのであろう。なお既出の紀伊國作歌二首(卷九、一六九二、一六九三)も、同じ時の作であろう。
 
(419)1796 黄葉《もみちば》の 過ぎにし子らと、
 携《たづさは》り 遊びし礒を、
 見れば悲しも。
 
 黄葉之《モミチバノ》 過去子等《スギニシコラト》
 携《タヅサハリ》 遊礒麻《アソビシイソヲ》
 見者悲裳《ミレバカナシモ》
 
【譯】黄葉のように過ぎ去つてしまつた妻と、手を携えて遊んだ礒を見れば、悲しいことだ。
【釋】黄葉之 モミチバノ。枕詞。譬喩によつて、過ギニシに冠する。「葉《モミチバノ》 過去君之《スギニキミガ》 形見跡曾來師《カタミトゾコシ》」(卷一、四七)。
 過去子等 スギニシコラト。スギニシは、この世を通過し去つた意で、死んだことをいう。コラは、妻をいう。ラは接尾語。
【評語】悲しい内容であるだけに、すなおに表現してあるのがよい。黄葉の枕詞は、無常觀の背景があるだろうし、また妻の死んだ時節か、今この國にきている時節かによつて、引き出されているだろう。一首の詩趣を催すに役立つている。
 
1797 潮氣《しほけ》立つ 荒礒《ありそ》にはあれど、
 行く水の 過ぎにし妹が
 形見とぞ來し。
 
 鹽氣立《シホケタツ》 荒礒丹者雖v在《アリソニハアレド》
 往水之《ユクミヅノ》 過去妹之《スギニシイモガ》
 方見等曾來《カタミトゾコシ》
 
【譯】潮の氣の立つ荒礒ではあるけれども、行く水のように過ぎてしまつた妻の形見の地として來たのだ。
【釋】鹽氣立 シホケタツ。シホケは、海水から放出する氣で、香、しめりなどをいう。「鹽氣能味《シホケノミ》 香乎禮流國爾《カヲレルクニニ》」(卷二、一六二)。
(420) 往水之 ユクミヅノ。枕詞。譬喩によつて、過ギニシに冠している。
【評語】荒礒に立つて亡き妻を思う無限の感慨が、敍事的に歌われている。ユク水の枕詞も、無常觀から來ている。行つて歸らない心である。この歌、人麻呂の「眞草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とぞ來し」(卷一、四七)と、同型同想であり、作者を同じくすることを證明する一端となつている。
 
1798 古《いにしへ》に 妹とわが見し、
 ぬばたまの 黒牛潟を
 見ればさぶしも。
 
 古家丹《イニシヘニ》 妹等吾見《イモトワガミシ》
 黒玉之《ヌバタマノ》 久漏牛方乎《クロウシガタヲ》
 見佐府下《ミレバサブシモ》
 
【譯】昔、妻とわたしの見た、黒牛潟を見れば、心が慰まないことだ。
【釋】古家丹 イニシヘニ。イニシヘは、わずかに數年前のことにも使つている。ここもあまり年數は經過していないだろう。
 黒玉之 ヌバタマノ。枕詞。
 久漏牛方乎 クロウシガタヲ。クロウシガタは、黒牛潟で、大寶元年の行幸の歌(卷九、一六七二)に見えている。その歌に、「紅の玉裙裾引き行く」と詠まれているのは、今は思い出の亡き妻をさしているのだろう。
【評語】黒牛潟のような特色のある海なので、一層忘れかねるものがある。この地名によつて、印象が強くなつている。大伴の旅人の「妹と來し敏馬《みぬめ》の埼を歸るさに獨して見れば涙ぐましも」(卷三、四四九)は、同樣の内容で、しかもずつと弱く涙もろい。
 
1799 玉つ島 礒の浦|廻《み》の 眞砂《まなご》にも、
(421) にほひに行かな。
 妹が觸《ふ》れけむ。
 
 玉津島《タマツシマ》 礒之裏未之《イソノウラミノ》 眞名仁文《マナゴニモ》
 尓保比去名《ニホヒニユカナ》
 妹觸險《イモガフレケム》
 
【譯】玉つ島の礒の浦の砂土にも、著物を染めに行こう。あれは妻が觸れた砂だろう。
【釋】玉津島 タマツシマ。和歌の浦にある島の名。
 眞名仁文 マナゴニモ。神田本には、名の下に子の字があるが、原形かどうかはわからない。
 尓保比去名 ニホヒニユカナ。ニホヒニは、色に染めにで、ここは砂で衣服に色をつける意。但し染料として染めるのではなく、その砂の色の自然に移るのをいう。從來ニホヒテと讀まれていたが、同じく補讀を要するので、ニホヒニと讀むがよい。ユカナは、願望の語法。「今谷毛《イマダニモ》 爾寶比爾往奈《ニホヒニユカナ》」(卷十、二〇一四)。
 妹觸險 イモガフレケム。イモガフレケム(略)、イモガフリケム(古義)。險は、字音假字。その砂には、亡き妻が觸れたであろうと想像している。
【評語】心の無い海邊の砂も、亡き妻が觸れたろうと思うと、無限の感慨がある。玉つ島を見て、むかし妻が行幸の御供をして舟遊したことを思い起している。その濱邊にいて、?徊して去ることのできない情趣が描かれている。
 
右五首、柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
過2足柄坂1見2死人1作歌一首
 
足柄の坂を過ぎて死《みまか》れる人を見て作れる歌一首
 
(422)【釋】足柄坂 アシガラノサカ。東海道の通路で、神奈川縣足柄上郡矢倉澤から、西へ靜岡縣へ越える坂である。「安思我良乃《アシガラノ》 美佐可加思古美《ミサカカシコミ》」(卷十四、三三七一)。
 
1800 小垣内《をかきつ》の 麻を引き干《ほ》し
 妹なねが 作り著《き》せけむ
 白細《しろたへ》の 紐をも解かず、
 一重|結《ゆ》ふ 帶を三重結ひ、
 苦しきに 仕へまつりて、
 今だにも 國に罷《まか》りて、
 父母も 妻をも見むと、
 思ひつつ 行きけむ君は、
 鳥が鳴く 東《あづま》の國の
 恐《かしこ》きや 神の御《み》坂に、
 和靈《にぎたま》の 衣《ころも》寒らに、
 ぬばたまの 髪は亂れて、
 國問へど 國をも告らず、
 家問へど 家をも言はず、
 丈夫の 行《ゆ》きの進《すす》みに
(423) 此處《ここ》に臥《こや》せる。
 
 小垣内之《ヲカキツノ》 麻矣引干《アサヲヒキホシ》
 妹名根之《イモナネガ》 作服異六《ツクリキセケム》
 白細乃《シロタヘノ》 ?緒毛不解《ヒモヲモトカズ》
 一重結《ヒトヘユフ》 帶矣三重結《ヲビヲミヘユヒ》
 苦伎尓《クルシキニ》 仕奉而《ツカヘマツリテ》
 今谷裳《イマダニモ》 國尓退而《クニニマカリテ》
 父妣毛《チチハハモ》 妻矣毛將v見跡《ツマヲモミムト》
 思乍《オモヒツツ》 往祁牟君者《ユキケムキミハ》
 鳥鳴《トリガナク》 東國能《アヅマノクニノ》
 恐耶《カシコキヤ》 神之三坂尓《カミノミサカニ》
 和靈乃《ニキタマノ》 服寒等丹《コロモサムラニ》
 烏玉乃《ヌバタマノ》 髪者亂而《カミハミダレテ》
 邦問跡《クニトヘド》 國矣毛不v告《クニヲモノラズ》
 家問跡《イヘトヘド》 家矣毛不v云《イヘヲモイハズ》
 益荒夫乃《マスラヲノ》 去能進尓《ユキノススミニ》
 此間偃有《ココニコヤセル》
 
【譯】垣の内の麻を引いてほして、妻の君の作つて著せたであろう白い織物の紐をも解かないで、一重結ぶ帶を三重結ぶまでに痩せて、苦しいのにお仕え申しあげて、今だけでも國に歸つて、父母をも妻をも見ようと、思いながら行つたであろう君は、鷄の鳴く東方の國の、おそろしい神靈のある坂に、おだやかな靈魂の著ている著物は寒そうに、黒い髪は亂れて、國を問うが、國をも告げず、家を問うが、家をもいわず、男子の旅行の途中で、ここに伏している。
【構成】全篇一文。
【釋】小垣内之 ヲカキツノ。ヲは接頭語、愛稱である。カキツは、垣の内、圍いの内で、アサの植えてある場處を指示している。「和我勢故我《ワガセコガ》 布流伎可吉都能《フルキカキツノ》 佐久良婆奈《サクラバナ》」(卷十八、四〇七七)、「鶯能《ウグヒスノ》 鳴之可伎都爾爾保敝理之《ナキシカキツニニホヘリシ》 梅此雪爾《ウメコノユキニ》 宇都呂布良牟可《ウツロフラムカ》」(卷十九、四二八七)。
 麻矣引干 アサヲヒキホシ。垣内に栽培した麻を引いて日にほして。妹の動作を敍し、以上で、衣服の材料を説明している。
 妹名根之 イモナネガ。ナネは、婦人の愛稱。イモの語と重ねて、愛すべき女子をあらわしている。ここは死人の妻をいう。「如是許《カクバカリ》 名姉之戀曾《ナネガコフレゾ》 夢爾所v見家留《イメニミエケル》」(卷四、七二四)。
 作服異六 ツクリキセケム。使役を示す文字はないが、補つて讀む。かような例は、「人不v見者《ヒトミズハ》 我袖用手《ワガソデモチテ》 將v隱乎《カクサムヲ》 所燒作可將v有《ヤケツツカアラム》 不v服而來來《キセズテキニケリ》」(卷三、二六九)がそれであると考えられる。作り著セケムは、次の、白栲の紐を修飾する連體形の句になつているが、本來は、白栲の衣の上にいうべき處である。
 白細乃 シロタヘノ。白布の衣で、事實の敍述である。但しこの歌では、衣の語を略して、直に紐と云つている。
(424) 一重結帶矣三重結 ヒトヘユフオビヲミヘユヒ。痩せた形容。帶は、普通一重廻すものであるのを、三重廻すまでになつたのである。「一重耳《ヒトヘノミ》 妹之將v結《イモガムスバム》 帶乎尚《オビヲスラ》 三重可v結《ミヘムスブベク》 吾身者成《ワガミハナリヌ》」(卷四、七四二)、「二無《フタツナキ》 戀乎思爲者《コヒヲシスレバ》 常帶乎《ツネノオビヲ》 三重可v結《ミヘムスブベク》 我身者成《ワガミハナリヌ》」(卷十二、三二七三)。戀のために痩せたことをいう表現として慣用されていたのであろう。
 苦伎尓 クルシキニ。苦しくあるのに、苦しいのに。但し苦シキニ仕ヘマツリテという表現は、不十分で、無理である。
 今谷裳國尓退而 イマダニモクニニマカリテ。この死人は、奈良の京などの西方で奉仕していたが、たまたま暇を得て、郷國に歸ろうとしている。足柄の坂よりも東の國から出た、兵士、役丁の類であつたのだろう。
 鳥鳴 トリガナク。枕詞。卷二、一九九參照。
 恐耶 カシコキヤ。ヤは、感動の助詞。神を修飾する。
 神之三坂尓 カミノミサカニ。カミノミサカは、坂を、恐るべき神靈のある處としていう。足柄の坂には限らず、他の坂にもいうことがある。
 和靈乃 ニキタマノ。
  ニキタマノ(西)
  ――――――――――
  和細布乃《ニギタヘノ》(考)
 和靈は、ニキタマと讀まれるが、それでは、次の句との接續が解しにくい。ニキタマは、荒魂に對する語で、靈魂の温和な方面をいうが、日本書紀神功皇后の卷の自註に「和魂《ワコン》、此云2珥伎瀰多摩《コヲニキミタマトイフ》1」とあつて、ニキミタマというべく、ニキタマということを聞かない。この句の解は、死者の温和な方面の魂の著用する衣服が寒そうにの意とでもいうべきである。誤字説によれば、ニキタヘは、やわらかい織物であるが、かような死者の肌につけた衣服を、ニキタヘと敍述するかどうか、疑わしい。字形からいえば、靈は膚の誤りで、ニキハダかと(425)も思うが、これも疑わしい。決定説を缺く所以である。
 服寒等丹 コロモサムラニ。ラは接尾語。サムラニは、寒そうに。このラは、キヨラ、サカシラ、シミラなどのラと同じである。
 烏玉乃 ヌバタマノ。枕詞。黒に冠することから轉用して、髪に冠している。
 去能進尓 ユキノススミニ。ススミは、進行。行旅の途中で。「大船乎《オホブネヲ》 榜乃進爾《コギノススミニ》」(卷四、五五七)。
 此間偃有 ココニコヤセル。偃有は、「荒礒矣卷而《アリソヲマキテ》 偃有公鴨《フセルキミカモ》」(卷十三、三三四一)とも使用され、フセルと讀まれている。しかし死人の臥してあるには、多くコヤスの語を使つているので、ここはコヤセルと讀む。上に特殊の係助詞は無いが、こやせる事ぞの意に、連體形で留めている。コヤスは、動詞コユ(臥)の敬語。
【評語】旅にあつて、死者を見て哀傷する歌は多く、これは旅行者に取つて同情の禁じ得ないものがあるに據る。妻が作つて著せたであろうと、衣服のことから説き起しているのは、死者と家族との關係を思うもので、效果が多い。相當に長い文章を續け、そのあいだに特に緊張を感じさせる變化が無いために、全般にわたつて平板の感があり、痛切の情に乏しい。前半、二個のケムによつて推量を表現しているのは、歌意を弱くする所以であり、後半の、服寒ラニ、髪ハ亂レテあたりの直接描寫にはいつて、ようやく弛緩を取り返している。この歌、田邊の福麻呂の歌集の所出であり、天平時代の作と見られるのに、反歌を伴なつていないのは珍しい。推敲を經ないで草案で止んだためであろうか。
 
過2葦屋處女墓1時作歌一首 并2短歌1
 
葦屋《あしのや》の處女《をとめ》の墓を過ぎし時、作れる歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】過葦屋處女墓時 アシノヤノヲトメノツカヲスギシトキ。アシノヤは、今神戸市の東方芦屋市と稱して(426)いる地方で、アシノヤノヲトメは、その地の娘子の意である。その地は、もと菟原郡であつたから、菟原娘子ともいう。傳説上の人物で、その事は、下の高橋の蟲麻呂の歌詞(卷九、一八〇九)にくわしい。娘子が美しかつたので、思いを寄せる人も多かつた中に、菟原壯士《うないをとこ》と血沼壯士《ちぬをとこ》とが、もつとも熱烈に言い寄り、はげしく娘子を得ようと爭つたので、いずれに身を許すこともできないで、水に投じて死に、二人の壯士もその後を追つて死んだので、人々があわれんで、娘子の墓を中央に、壯士の墓をその左右に築いたというのである。大日木地名辭書に「處女墓三所、各周廻は十餘歩、一は住吉村字|御田《ごでん》、一は東明《とうみやう》、一は味泥《みどろ》に在り。相距る各十餘町、今御田東明の二塚は現存し、近年味泥塚は削られて民宅と爲る。俗説御田塚を茅渟《ちぬ》の信太《しのだ》男(の)墓、東明塚を處女墓、味泥塚を菟原男墓と爲す。皆前方後圓の大馬|鬣封《れつぷう》なり」とある。茅渟の信太男というのは、血沼壯士に同じ。東明の處女塚は、大體舊形を存し、史蹟として保護されている。この地は、西國への往還の途に當つているので、京人の目に觸れ、耳に傳えることも多く、その物語は、大和物語にも入り、謠曲にも作られ、多少の變化も生じている。この物語は、もと三個の墳墓が竝列して存在している事實に、妻爭いの傳説が結びついて、成立したものと考えられる。大和物語に傳えられたこの説話は、本卷一八一一の歌の終りに載せてある。
 
1801 古《いにしへ》の ますら壯《をとこ》の
 相競《あひきほ》ひ 妻問《つまどひ》しけむ
 葦屋の 菟原處女《うなひをとめ》の
 奧津城《おくつき》を わが立ち見れば、
 永き世の 語《かたり》にしつつ、
 後人《のちびと》の 思《しの》ひにせむと、
(427) 玉|桙《ほこ》の 道の邊《べ》近く、
 磐《いは》構《かま》へ 作れる塚《つか》を、
 天雲《あまぐも》の 退部《そくへ》の限《かぎ》り
 この道を 行く人|毎《ごと》に
 行き寄りて いたち嘆かひ、
 或《わび》人は 啼《ね》にも哭《な》きつつ
 語り繼ぎ 思《しの》ひ繼ぎ來し
 處女《をとめ》らが 奧津城どころ、
 吾さへに 見れば悲しも。
 古《いにしへ》思へば。
 
 古之《イニシヘノ》 益荒丁子《マスラヲトコノ》
 各競《アヒキホヒ》 妻問爲祁牟《ツマトヒシケム》
 葦屋乃《アシノヤノ》 菟名日處女乃《ウナヒヲトメノ》
 奧城矣《オクツキヲ》 吾立見者《ワガタチミレバ》
 永世乃《ナガキヨノ》 語尓爲乍《カタリニシツツ》
 後人《ノチビトノ》 偲尓世武等《シヌビニセムト》
 玉桙乃《タマホコノ》 道邊近《ミチノベチカク》
 磐構《イハカマヘ》 作冢矣《ツクレルツカヲ》
 天雲乃《アマグモノ》 退部乃限《ソクヘノカギリ》
 此道矣《コノミチヲ》 去人毎《ユクヒトゴトニ》
 行因《ユキヨリテ》 射立嘆日《イタチナゲカヒ》
 或人者《ワビビトハ》 啼尓毛哭乍《ネニモナキツツ》
 語嗣《カタリツギ》 偲繼來《シノヒツギコシ》
 處女等賀《ヲトメラガ》 奧城所《オクツキドコロ》
 吾并《ワレサヘニ》 見者悲喪《ミレバカナシモ》
 古思者《イニシヘオモヘバ》
 
【譯】昔のりつぱな男が、競つて言い寄つたという葦屋の菟原娘子の墓を、わたしが來て見れば、永い世の物語にして、後の人の思い出にしようと、道のほとり近く、岩を構えて作つた塚を、天の雲の退いている遠い處までも、この道を行く人毎に、近づいて歎息し、感じやすい人は泣きもして、語り繼ぎ思い繼いできた娘子の墓所を、わたしまでも見れば悲しいことだ。昔を思うので。
【構成】全篇一文。
【釋】古之益荒丁子 イニシヘノマスラヲトコノ。丁子は、男子の成年者の意をもつて、ヲトコに當てて書いている。菟原壯士と、血沼壯士との二人をいう。
(428) 各競 アヒキホヒ。各競は、たがいに爭つての意に、義をもつて書いている。
 妻問爲祁牟 ツマドヒシケム。ツマドヒは、婚を求めるをいう、その名詞形。ケムは、過去推量の助動詞の連體形。
 葦屋乃菟名日處女乃 アシノヤノウナヒヲトメノ。アシノヤは、郷名であり、ウナヒは、大地名で、郡名にもなつている。葦屋の郷に住む菟原娘子の意である。題詞には、葦屋の娘子とあるが、物語としては、菟原娘子として傳えられていたのだろう。これらは、地名を冠していう傳説上の名で、生前の稱號ではない。
 奧城矣 オクツキヲ。オクツキは、墳墓。オクは、遠い處、ツは接續の助詞、キは、建造物の義であろう。假字書きの例には「大伴能《オホトモノ》 等保追可牟於夜能《トホツカムオヤノ》 於久都奇波《オクツキハ》 之流久之米多弖《シルクシメタテ》 比等能之流倍久《ヒトノシルベク》」(卷十八、四〇九六)があり、これによつて、訓法が推定される。
 語尓爲乍 カタリニシツツ。カタリは、物語、語りごと。モノガタリ、カタリゴトとはいふが、カタリとのみ言つたのは珍しい。しかし語部、語連などの氏姓があるのだから、カタリの語も通用していたのだろう。この菟原娘子の物語も、一つの語りものとして傳えられていたのかも知れない。
 後人 ノチビトノ。ノチヒトシ(元赭)、ノチヒトニ(類)、ノチノヒト(西)。後世の人のの意。古くノチビトの訓がある。
 偲尓世武等 シノヒニセムト。シノヒは思慕すること。菟原娘子たちの身の上を思うことをいう。
 玉桙乃 タマホコノ。枕詞。
 磐構 イハカマヘ。墳墓は、石を組んで造るので、岩石を構えと云つている。
 作冢矣 ツクレルツカヲ。ツクレルツカヲ(元赭)、ツクレルハカヲ(古義)。倭名類聚紗に、「墳墓、周禮注云、墓莫故反、與v暮同、豆賀。塚塋地也」とあつて、ツカと訓している。上のオクツキを、語を換えて、ふたたび(429)提示している。
 天雲乃退部乃限 アマグモノソクヘノカギリ。退部は、集中假字書きの例、「曾久敝《ソクヘ》」(卷三、四二〇)、「曾伎敝《ソキヘ》」(卷十七、三九六四、卷十九、四二四七)の兩樣がある。語義は退く方であろう。天の雲の彼方に退きいる果で、遠隔の限りをいう。この句は、この道を行く人の説明に置かれ、遠い果まで行く人でもの意に使用される。「天雲乃《アマグモノ》 遠隔乃極《ソクヘノキハミ》 遠鷄跡裳《トホケドモ》 情志行者《ココロシユケバ》 戀流物可聞《コフルモノカモ》」(卷四、五五三)の如く、遠隔の字をソクヘと讀んでいる。
 行因 ユキヨリテ。塚のほとりに立ち寄つて。
 射立嘆日 イタチナゲカヒ。イは接頭語。ナゲカヒは、歎クの連續して行われるをいう。「畫波母《ヒルハモ》 歎加比久良志《ナゲカヒクラシ》」(卷五、八九七)。
 或人者 ワビビトハ。
  アルヒトハ(元赭)
  ワヒヒトハ(西)
  ――――――――――
  惑人者《ワビビトハ》(矢)
  惑人者《サトビトハ》(代初書入)
  戚人者《ワビビトハ》(考)
 或は惑に通じて使用されている。「令v反2或情1歌《マドフココロヲカヘサシムルウタ》」(卷五、八〇〇題詞)の如き、その例である。この卷の五の例も、仙覺本には惑に作つている。これをワビと讀むのは、「都禮毛無《ヅレモナク》 將v有人乎《アルラムヒトヲ》 獨念爾《カタモヒニ》 吾念者《ワレシオモヘバ》 惑毛安流香《ワビシクモアルカ》」(卷四、七一七)の歌に、惑をワビシクと讀むに準ずるもので、それも神田本には或に作つている。同樣の用字例には、「或者之《ワビビトノ》 痛情無跡《アナココロナト》 將v念《オモフラム》 秋之長夜呼《アキノナガヨヲ》 寐臥耳《イネフシテノミ》」(卷十、二三〇二)がある。ワビは、「狹夜中尓《サヨナカニ》 友喚千鳥《トモヨブチドリ》 物念跡《モノオモフト》 和備居時二《ワビヲルトキニ》 鳴乍本名《ナキツツモトナ》」(卷四、六一八)、「今者吾羽《イマハワレハ》 和備曾四二結類《ワビゾシニケル》 氣乃緒尓《イキノヲニ》 念師君乎《オモヒシキミヲ》 縱左久思者《ユルサクオモヘバ》」(同、六四四)、「大夫之《マスラヲノ》 思和備乍《オモヒワビツツ》 遍多《タビマネク》 嘆久嘆乎《ナゲクナゲキヲ》 不v負物可聞《オハヌモノカモ》」(同、六四(430)六)などの例によつて、さびしがり感傷的にあるをいうと知られる。ワビビトは、そのような物に感じやすくなつている人をいう。もののあわれを知る者の意に使用している。
 偲繼來 シノヒツギコシ。シノヒツキクル(西)、シヌビツギコシ(考)。シノヒツギケルとも讀まれる。思慕し繼いで來た意。
 吾并 ワレサヘニ。ワレシマタ(西)、ワレサヘニ(代初)。并は、自分をも併わせての意に、サヘに當てている。「能登河之《ノトガハノ》 水底并爾《ミナソコサヘニ》 光及爾《テルマデニ》」(卷十、一八六一)。
 古思者 イニシヘオモヘバ。はるかに初めの、古ノマスラ壯士ノという歌い起しに呼應している。
【評語】娘子の墓に對する感慨が主になつていて、物語の内容にすこしも觸れていないことは、高橋の蟲麻呂の歌との相違で、山部の赤人の、葛飾の眞間の娘子の墓を過ぎし時の歌の跡を追つている。語り傳えゆくことを重視している點も、赤人の作に類している。奧津城ヲワガ立チ見レバといい、重ねて奧津城ドコロ吾サヘニ見レバと云つているのは、あまり效果はなく、しかも途中にその塚を説明しているなど、かえつて冗長《じようちよう》を感じさせる。
 
反歌
 
1802 古《いにしへ》の 小竹田壯士《しのだをとこ》の 妻問《つまど》ひし
 菟原處女《うなひをとめ》の 奧津城《おくつき》ぞ、これ。
 
 古乃《イニシヘノ》 小竹田丁子乃《シヌダヲトコノ》 妻問石《ツマドヒシ》
 菟會處女乃《ウナヒヲトメノ》 奧城敍此《オクツキゾコレ》
 
【譯】昔の小竹田壯士が言い寄つた菟原娘子の墓所はこれだ。
【釋】小竹田丁子乃 シノダヲトコノ。シノダは、和泉の國の地名、信田の郷。血沼壯士のことで、チヌはそ(431)の大地名である。
 奧城敍此 オクツキゾコレ。オクツキであるぞ、これがと、強く指示する表現である。「里爾下來流《サトニオリケル》 牟射佐?曾此《ムササビゾコレ》」(卷六、一〇二八)、「山人乃《ヤマビト》 和禮爾依志米之《ワレニエシメシ》 夜麻都刀曾許禮《ヤマツトゾコレ》」(卷二十、四二九三)の如き用例がある。
【評語】血沼壯士の名を特に擧げているのは、娘子が心を寄せたのは、この血沼壯士の方であつたからだろう。娘子の墓を指示するのに、ただ小竹田壯士が妻問ヒシというだけで、特殊の内容に觸れていないのは、物足りない。これでは、何處の娘子の墓所にでも通用する。
 
1803 語りつぐ からにも幾許《ここだ》 戀しきを、
 直目《ただめ》に見けむ 古壯士《いにしへをとこ》。
 
 語繼《カタリツグ》 可良仁文幾許《カラニモココダ》 戀布矣《コホシキヲ》
 直目尓見兼《タダメニミケム》 古丁子《イニシヘヲトコ》
 
【譯】語り繼ぐそれだけでも大變戀しいのを、目のあたりに見たであろう昔の男は、どのようであつたろう。
【釋】可良仁文幾許 カラニモココダ。カラは、多く助詞として使用されているが、ここなどは、なお體言としての性質を殘している。故の意である。句の初めに置かれた例には「手取之《テニトルガ》 柄二忘跡《カラニワスルト》 礒人之曰師《アマノイヒシ》」(卷七、一一九七)がある。
 直目尓見兼 タダメニミケム。終止とも連體とも解せられるが、ここは連體形として、次の古壯士を修飾していると見るべきである。
【評語】長歌の、語リ繼グを受けている。昔の男たちに同情した氣もちは、よくあらわれている。末句を體言で止めて、以下を省路した云い方は、感情を含んだ表現である。
 
(432)哀2弟死去1作歌一首 并2短歌1
 
弟の死去《みまか》れるを哀《かな》しみて作れる歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】哀弟死去作歌 オトノミマカレルヲカナシミテツクレルウタ。弟は、古事記中卷に「また弟國に到りし時に、遂に峻《ふか》き淵に墮ちて死にき。かれ其地《そこ》に名づけて墮國《おちくに》といひしを、今は弟國《おとくに》といふなり。」とある弟國は、後に乙訓の字をあてており、正倉院文書に、秦姓オトアニという同一人の名を、弟兄、弟安、乙安(大日本古文書九ノ五九、二〇〇、二二四、二四三等)と書いているので、オトと讀むことが確められる。本集に「弟日娘」(卷一、六五)とあるのも、オトヒヲトメと讀まれる。イロセ、イロトともいうが、それは古語であろう。これは田邊の福麻呂の弟だろうが、いかなる人とも知られず、死去の年代はわからない。
 
1804 父母が 成しのまにまに
 箸向《はしむか》ふ 弟《おと》の命《みこと》は、
 朝露の 消易《けやす》き壽《いのち》、
 神の共《むた》 爭ひかねて、
 葦原の 瑞穗の國に、
 家無みや また還《かへ》り來《こ》ぬ。」
 遠つ國 黄泉《よみ》の界に
 蔓《は》ふ蔦の おのが向《む》き向《む》き、
 天雲《あまぐも》の 別れし行けば、
(433) 闇夜《やみよ》なす 思ひ迷《まど》はひ、
 射《い》ゆ猪《しし》の 心をいたみ、
 葦垣の 思ひ亂れて、
 春鳥の 啼《ね》のみなきつつ、
 味さはふ 夜晝《よるひる》知らず、
 かぎろひの 心燃えつつ
 嘆き別れぬ。
 
 父母賀《チチハハガ》 成乃任尓《ナシノマニマニ》
 箸向《ハシムカフ》 弟乃命者《オトノミコトハ》
 朝露乃《アサツユノ》 銷易杵壽《ケヤスキイノチ》
 神之共《カミノムタ》 荒競不v勝而《アラソヒカネテ》
 葦原乃《アシハラノ》 水穗之國尓《ミヅホノクニニ》
 家無哉《イヘナミヤ》 又還不v來《マタカヘリコヌ》
 遠津國《トホツクニ》 黄泉乃界丹《ヨミノサカヒニ》
 蔓都多乃《ハフツタノ》 各々向々《オノガムキムキ》
 天雲乃《アマグモノ》 別石往者《ワカレシユケバ》
 闇夜成《ヤミヨナス》 思迷匍匐《オモヒマドハヒ》
 所v射十六乃《イユシシノ》 意矣痛《ココロヲイタミ》
 葦垣之《アシガキノ》 思亂而《オモヒミダレテ》
 春鳥能《ハルトリノ》 啼耳鳴乍《ネノミナキツツ》
 味澤相《アヂサハフ》 宵晝不v知《ヨルヒルシラズ》
 蜻?火之《カギロヒ》 心所v燎管《ココロモエツツ》
 悲悽別焉《ナゲキワカレヌ》
 
【譯】父母が生みなしたままに食事を共にする弟の君は、朝の露のように消えやすい命を、神樣と爭いかねて、この日本の國に、家が無いからかまたと歸つて來ない。遠い國である死の世界に、伸びている蔓草のように、それぞれ向かつて、天の雲のように別れて行くので、闇の夜のように思い惑い、射られた鹿のように心が痛み、アシの垣のように思い亂れて、春の鳥のように泣きながら、夜晝をも知らずに、陽炎のように心が燃えつつ、歎いて別れた。
【構成】第一段、マタ歸リ來ヌまで。弟の死んだことを敍する。第二段、終りまで。歎きつつ別れたことを敍する。
【釋】成乃任尓 ナシノマニマニ。生み成したままに。
 箸向 ハシムカフ。枕詞。文字に即して考えれば、箸の向かう意で、相對して食事する意であろう。ミケムカフ(御食向)に準じて考えられる。箸を假字として、愛シの義とする説があるが、無理のようである。
 弟乃命者 オトノミコトハ。弟をオトと讀むことは題詞の條に記した。「波之伎余思《ハシキヨシ》 奈弟乃美許等《ナオトノミコト》」(卷十(434)七、三九五七)の奈弟をナオトと讀むべきが如くあるので、この訓が確められる。弟を從來ナセと讀んでいたが、ナセでは、弟に限定されない。弟の字をセとも讀むが、それは特殊の場合である。ミコトは、敬稱。
 朝露乃 アサツユノ。枕詞。
 神之共荒競不勝而 カミノムタアラソヒカネテ。神は、人の死生を支配するという思想から、その神と爭うことができない意に歌つている。神と共に、死生を爭うのである。この思想は、男子名は古日ニ戀フル歌(卷五、九〇四)に、その子古日の病氣について、「かからずもかかりも神のまにまにと」などの句によつてあらわれている。「千早振《チハヤブル》 神持在《カミノモタセル》 命《イノチヲモ》」(卷十一、二四一六)も同じ思想である。
 葦原乃水穗之國尓 アシハラノミヅホノクニニ。アシハラノミヅホノクニは、日本國の古い稱號であるが、ここでは、黄泉の國に對して、人間の世界の意をあらわしている。日本靈異記中卷、「知者誹2妬《ニクミソシリ》變化聖人1而現至2閻羅闕《エンラノミカド》1受2地獄苦1縁第七」に、智光という僧が、地獄に行くと、閻魔王が尋ねていうには、「葦原の水穗の國にある、いはゆる智光法師か」というとある。そのような葦原の國の使い方である。
 家無哉又還不來 イへナミヤマタカヘリコヌ。死んでふたたび歸り來ないことをいう。イヘは、實際の邸宅でなく、死者の靈魂の歸るべき處の意に言つている。これも靈異記の説話に、死んで地獄へ行つた女が、地獄から歸ることを許されたけれども、既に死體が燒かれてしまつて、靈魂の歸るべき處がないので、これを閻魔王に訴える話がある。句切。
 遠津國 トホツクニ。枕詞。黄泉の國を、遠方の國として説明している。
 黄泉乃界丹 ヨミノサカヒニ。黄泉は、漢籍から來た文字で、地下にあつて死者の行く處をいう。左傳に、「不v及《イタラ》2黄泉(ニ)1、無(キ)2相(ヒ)見(ル)1也」、漢の古詩に「下有2陳死(ノ)人1、杳杳(トシテ)即《ツク》2長暮(ニ)1、潜(ニ)寐(テ)2黄泉(ノ)下(ニ)1、千歳永(ニ)不v寤《サメ》」、本集では「悲2歎《カナシミナゲグ》俗道假(ニ)合(フハ)即(チ)離(レ)易(クシテ)v去(リ)難(キヲ)1v留(リ)詩」(卷五)の序に「白馬走(リ)來(ルトモ)、黄泉何及(カン)」、また「宍串呂《シシクシロ》黄泉爾將v待跡《ヨミニマタムト》」(435)(卷九、一八〇九)など見えている。國語に、ヨミ、ヨミノクニ、ヨモツクニなどいうが、語義は不明で、闇黒であつても見えるから、夜見の義でいうとされているが、當つているかどうかわからない。神話では、暗い穢い世界として、そこをおとずれる話を傳えている。サカヒは、境界の義で、その地域の意に使つている。この死者の思想は、古くから傳えた所に、外來思想を受け入れて、整理されたであろう。
 蔓都多乃 ハフツタノ。枕詞。ツタは、石などにまつわる蔓草。蔓が伸びてそれぞれに向かうので、オノガ向キ向キに冠している。
 各々向々 オノガムキムキ。ヲノカムキムキ(元赭)、オノオノムキムキ(代精)、オノモオノモ(古義)。オノガは、おのれがの義で、義をもつて各々に訓している。自分の心のままに向いてで、死者が、みずから死に行くように敍している。死ぬことを、死者のみずから選んですることとする云い方である。
 天雲乃 アマグモノ。枕詞。天の雲が、それぞれに別れるというので、別レに冠している。
 別右往者 ワカレシユケバ。シは、強意の助詞。別れ行けばに同じ。
 闇夜成 ヤミヨナス。枕詞。闇夜のようにで、思ヒ迷ハヒに冠している。
 思迷匍匐 オモヒマドハヒ。匍匐は、ハヒの假字に使用している。迷匍匐で、マドハヒと讀まれる。惑うことの連續する意である。
 所射十六乃 イユシシノ。枕詞。イユは、射られるの意の語。「伊喩之々乎《イユシシヲ》 都那遇何播杯熊《ツナグカハベノ》」(日本書紀一一七)の例によつて、イユと讀まれている。イユで、連體形を採つていると見られる古語である。十六は、四四十六だから、シシのおとに借りて書いている。シシは、鹿猪をいい、射られた鹿猪で、次の痛ミに冠している。「所v射宍乃《イユシシノ》 行文將v死跡《ユキモシナムト》」(卷十三、三三四四)、「所v射鹿乎《イユシシヲ》 認河邊之《ツナグカハベノ》 和草《ニコグサノ》」(卷十六・三八七四)。
 葦垣之 アシガキノ。枕詞。葦を編んで作つた垣は亂れ易いから、亂レに冠する。
(436) 春鳥能 ハルトリノ。ウクヒスノ(元赭)、ハルトリノ(略)。枕詞。春鳥は、春花、春草などの例によつて、ハルトリと讀む。枕詞として、音ニ鳴クに冠しており、ウグイスに限らないのである。
 味澤相 アヂサハフ。枕詞。語義不明。多くはメに冠しているが、ここに夜晝知ラズに冠しているのは珍しい。これによれば、アヂサハフは、愛すべくある意の語であろうか。アヂは多數、サハフは、多く生える意か。
 蜻?火之 カギロヒノ。枕詞。蜻?火は、訓假字で、陽炎をいい、燃ユに冠する。蜻?は虫の名。ここにカギロヒに火の字を送り、タマカギルに「玉蜻?」(卷八、一五二六)と書いているによれば、カギル、もしくはカギロと言つたのだろう。「蜻火之《カギロヒノ》 燎流荒野尓《モユルアラノニ》」(卷二、二一〇)。但しこの用例は、枕詞ではなく、陽炎の實物である。
 心所燎管 ココロモエツツ。思う通りにならないで、嘆き悲しむをいう。
 悲悽別焉 ナゲキワカレヌ。
  アハレワカレヲ(元赭)
  イタムワカレヲ(西)
  ――――――――――
  悲悽別烏《ナゲクワカレヲ》(矢)
  悲悽我爲《ナゲキゾアガスル》(古義)
  悲悽我焉《カナシブワレゾ》(新考)
 悲悽は、悲しみ歎く意で、悽に重點があるとすれば、ナゲクと讀まれる。焉は措辭とすれば、別焉をワカレヌと讀むべきである。上に思ヒ迷ハヒ、意ヲ痛ミ、思ヒ亂レテ、音ノミ哭キツツ、および、夜晝シラズ、心燃エツツを受けているのだから、歎キ別レヌの方がよく收まるのである。
【評語】前半の、弟の説明から、その死に至るあたりの敍述はよくまとまつており、感傷の情も出ている。後半、連續して九個の枕詞を使用したのは、感情表出の妨げになるばかりで、惡效果を來している。死に對する思想が窺われ、佛教の無常思想と、神が死生を支配するとする思想とが入りまじつているのが注意される。
 
(437)反歌
 
1805 別れても
 またも遭《あ》ふべく 念《おも》ほえば、
 心亂れて われ戀ひめやも。
 
 別而裳《ワカレテモ》
 復毛可v遭《マタモアフベク》 所v念者《オモホエバ》
 心亂《ココロミダレテ》  吾戀目八方《ワレコヒメヤモ》
 
【譯】別れても、また逢うことと思われるならば、心が亂れてわたしが戀をしようや。
【釋】所念者 オモホエバ。思ホユの未然條件法。思われるならば。
【評語】平易に述べてあるだけに、哀痛の情は、掬み取られる。二度と逢うことのできない別れが、あわれに描かれている。
 
一云、意盡而《ココロツクシテ》
 
一はいふ、意《こころ》盡して。
 
【釋】一云意盡而 アルハイフ、ココロツクシテ。前の歌の第四句の別傳である。心亂レテの方が、惑亂の情を描いているといえよう。心盡シテは、心をあれこれと使つての意である。
 
1806 あしひきの 荒山中に 送り置きて
 還《かへ》らふ見れば 情《こころ》苦しも。
 
 蘆檜木笶《アシヒキノ》 荒山中尓《アラヤマナカニ》 送置而《オクリオキテ》
 還良布見者《カヘラフミレバ》 情苦喪《ココロクルシモ》
 
【譯】荒い山中に送つておいて、歸つてくるのを見ると、心が苦しいことだ。
(438)【釋】蘆檜木笶 アシヒキノ。枕詞。
 還良布見者 カヘラフミレバ。葬送の人々の歸るのを見れば。
【評語】死者を葬る歌は、多くは死者みずから山に入るように歌つているが、これは人々が送つたと敍しているのは變つている。それだけに客觀性が強く出ており、そこに哀傷の感がしみじみと味わわれる。死者を葬る歌としては、後世ふうの表現になつているのである。荒山中ニ送リオキテという表現が、いたましい感じをあらわし得ている。
 
右七首、田邊福麻呂之歌集出
 
詠2勝鹿眞間娘子1歌一首 并2短歌1
 
勝鹿《かつしか》の眞間《まま》の娘子《をとめ》を詠める歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】詠勝鹿眞間娘子歌 カツシカノママノヲトメヲヨメルウタ。カツシカノママノヲトメは、傳説上の一女子で、葛飾の眞間の地に住む娘子の意である。前に「過2勝鹿眞間娘子墓1時、山部宿禰赤人作歌」(卷三、四三一)がある。その條參照。これも高橋の蟲麻呂が、その地を過ぎての作である。娘子は、、東國語ではテコナというが、娘子と書いてあるのは、ヲトメと讀んだのであろう。以下、高橋の連蟲麻呂の歌集所出の歌で、蟲麻呂の作と考えられる。
 
1807 ?が鳴く 吾妻《あづま》の國に
 古昔《いにしへ》に ありけることと、
(439) 今までに 絶えず言ひ來《く》る
 葛飾の 眞間の手兒奈が、
 麻衣に 青衿《あをくび》つけ
 ひたさ麻《を》を 裳には織り著て、
 髪だにも かきは梳《けづ》らず、
 履《くつ》だにも はかず行けども、
 錦綾の 中につつめる
 齋兒《いはひご》も 妹にしかめや。
 望月の 滿《た》れる面わに
 花のごと 咲《ゑ》みて立てれば、
 夏蟲の 火に入るがごと、
 水門《みなと》入りに 船こぐ如く、
 行きかぐれ 人の言ふ時、
 いくばくも 生けらじものを、
 何すとか 身をたな知りて、
 浪の音の さわく湊《みなと》の
 奧津城《おくつき》に 妹が臥《こや》せる。」
(440) 遠き世に ありける事を、
 昨日しも 見けむが如も
 思ほゆるかも。」
 
 鷄鳴《トリガナク》 吾妻乃國尓《アヅマノクニニ》
 古昔爾《イニシヘニ》 有家留事登《アリケルコトト》
 至v今《イママデニ》 不v絶言來《タヘズイヒクル》
 勝壯鹿乃《カツシカノ》 眞間乃手兒奈我《ママノテコナガ》
 麻衣尓《アサギヌニ》 青衿著《アヲクビツケ》
 直佐麻乎《ヒタサヲヲ》 裳者織服而《モニハオリキテ》
 髪谷母《カミダニモ》 掻者不v梳《カキハケヅラズ》
 履乎谷《クツヲダニ》 不v著雖v行《ハカズユケドモ》
 錦綾之《ニシキアヤノ》 中丹裹有《ナカニツツメル》
 齊兒毛《イハヒゴモ》 妹尓將v及哉《イモニシカメヤ》
 望月之《モチヅキノ》 滿有面輪二《タレルオモワニ》
 如v花《ハナノゴト》 咲而立有者《ヱミテタテレバ》
 夏蟲乃《ナツムシノ》 入v火之如《ヒニイルガゴト》
 水門入尓《ミナトイリニ》 船己具如久《フネコグゴトク》
 歸香具禮《ユキカグレ》 人乃言時《ヒトノイフトキ》
 幾時毛《イクバクモ》 不v生物呼《イケラジモノヲ》
 何爲跡歟《ナニストカ》 身乎田名知而《ミヲタナシリテ》
 浪音乃《ナミノオトノ》 驟湊之《サワクミナトノ》
 奧津城尓《オクツキニ》 妹之臥勢流《イモガコヤセル》
 遠代尓《トホキヨニ》 有家類事乎《アリケルコトヲ》
 昨日霜《キノフシモ》 將v見我其登毛《ミケムガゴトモ》
 所v念可聞《オモホユルカモ》
 
【譯】鷄の鳴く、東の國に、昔あつた事と、今に至るまで絶えず言つている葛飾の眞間の娘子が、麻の著物に青い襟を附け、純粹の麻を裳に織つて著て、髪だけもかき梳《けず》らず、はき物だけもはかないで行くけれども、錦綾の中に包んである大切にしている兒も、この娘子には及ばない。滿月のように、滿ちている顔に、花のように笑つて立つていると、夏の蟲が火に入るように、水門に入るために船を漕ぐように、行き集まつて人がいう時に、何ほども生きてはいない身だのに、何としたことか、自分の身の上をすつかり知つて、浪の音の騷ぐ水門の墓所に娘子が臥している。遠い昔にあつた事を、昨日にでも見たように思われるなあ。
【構成】第一段、奧津城ニ妹ガ臥セルまで。眞間の手兒奈の事蹟を語る。そのうち妹ニ及カメヤまで第一節、眞間の手兒奈の美しさを描く。妹ガ臥セルまで第二節、時ならずして死んだことを敍する。第二段、終りまで。作者の感想を述べる。
【釋】鷄鳴 トリガナク。枕詞。
 吾妻乃國尓 アヅマノクニニ。アヅマは、古事記中卷に、倭建の命が、足柄の坂にお登りになつて、東方を望んで、妃の弟橘比賣を思つて「吾妻《あづま》はや」と歎息されたから、その國に名づけて、アヅマというとする説話を載せている。しかしこれは、一の地名起原説話であつて、アヅマの地名に對する興趣の深い解釋というべきである。地名にいうツマは、地形表示の語であつて、それは、別廓を成している地形をいうのだから、足柄山を堺として、その東方の地帶を、大和人がアヅマと呼んだのであろう。アの語義は不明だが、遠方の意だろう。(441)アヅマの國は、場合によつては、かなり廣範圍に、伊勢以東を總稱することもある。これは地名は、元來その地に對していうものであるから、大和の國から東方を總稱することにもなつたものである。この歌での用法は、狹義に關東の國という程度に使用されている。
 古昔尓有家留事登 イニシヘニアリケルコトト。眞間の手兒奈の時代は知られない。山部の赤人の歌にも「古昔《イニシヘニ》 有家武人之《アリケムヒトノ》 倭文幡乃《シヅハタノ》 帶解替而《オビトキカヘテ》 廬屋立《フセヤタテ》 妻問爲家武《ツマドヒシケム》 勝壯鹿乃《カツシカノ》 眞間之手兒名之《ママノテコナガ》」(卷三・四三一)と言い、その事の遠く久しいことを歌つている。イニシヘの語は、古代の意から、わずかに數年前にもいう廣範圍の語であるから、これによつても、時代を指定することはできない。また單に傳説として存在して、時間の上にこれを求めるのが無理であるのかも知れない。
 不絶言來 タエズイヒクル。タエスイヒクル(元)、タエスイヒケル(西)。來は、クルともケルとも讀まれ、句意も、どちらでも通ずるが、前出の「或人者《ワビビトハ》 啼尓毛哭乍《ネニモナキツツ》 語嗣《カタリツギ》 偲繼來《シノヒツギコシ》 處女等賀《ヲトメラガ》 奧城所《オクツキドコロ》」(卷九、一八〇一)の來も、共にケルとも讀まれる。しかしここでは、上に、「古昔尓《イニシヘニ》 有家留事登《アリケルコトト》」の句があり、それを受けているから、やはりクルの方が穩當なのであろう。これは人々が語り繼いで今に至つたことを述べている。連體形の句。
 眞間乃手古奈我 ママノテコナガ。ママは、地名。ガケ地の義。テコナは、東國の語で、娘子の義。テコが女子、コは兒の義であろう。ナは、愛稱の接尾語。山部の赤人の、勝鹿の眞間の娘子を過ぎし時の歌(卷三、四三一)に註して「東(ノ)俗語(ニ)云(フ)、可豆思賀能麻末乃弖胡《カヅシカノママノテゴ》」とあり、テゴとも云つたことが知られる。娘子の名ではない。
 麻衣尓 アサギヌニ。アサギヌは、麻で織つた衣服。當時の普通の品である。ここでは娘子が質素な衣服をつけていることを描くために、この語を出している。
(442) 青衿著 アヲクビツケ。アヲクビツケテ(元赭)、アヲエリツケテ(代初、書入)、アヲエリツケ(童)。青衿は、代匠記精撰木に「毛詩云、青々子衿。傳云、青衿青領也。爾雅云、衿、交領、與v襟同。」倭名類聚鈔に「衿、釋名云、袷音領、古呂毛乃久比。頸也。所2以擁(スル)1v頸(ヲ)也。襟音金禁也。交(シ)2於前(ニ)1、所3以禁(ス)2禦《スル》風寒(ヲ)1也」とある。青い襟である。日本書紀にも、襟にキヌノクビと訓してある。
 直佐麻乎裳者繊服而 ヒタサヲヲモニハオリキテ。ヒタサヲは、純粹の麻。ヒタは、ひたむき、ひたすらなどのヒタで、「等能乃多知婆奈《トノノタチバナ》 比多底里爾之弖《ヒタテリニシテ》」(卷十八、四〇六四)のヒタも同語である。サは接頭語、ヲは、麻を絲にしたもの。麻ばかりで裳に織つて著て。モは、女子の腰につける衣裳。麻は、庶民一般の衣料として用いられたので、これも、質素な衣裳をつけている意に述べている。
 掻者不梳 カキハケヅラズ。髪を掻いて梳らずの意で、ハを入れてカキを強調している。「波布都多能《ハフツタノ》 由伎波和可禮受《ユキハワカレズ》」(卷十七、三九九一)の、行き別れずというを、行キハ別レズという如き形である。
 履乎谷不著雖行 クツヲダニハカズユケドモ。クツは、はきもの。倭名類聚鈔に「履、唐韵云、草曰v〓、麻曰v〓、革曰v履音李、久豆」とあるけれども、一般庶民の使用したものは、皮革の製ではないだろう。麻または他の植物で作つたものと考えられる。「信濃道者《シナノヂハ》 伊麻能波里美知《イマノハリミチ》 可里婆禰爾《カリバネニ》 安思布麻之奈牟《アシフマシナム》 久都波氣和我世《クツハケワガセ》」(卷十四、三三九九)と歌われて、クツをはかないのが普通であつたようである。ここも眞間の手兒奈が、クツだけもはかないで歩行していることを敍して、身なりをつくろわないままでいることを述べている。
 錦綾之 ニシキアヤノ。ニシキは、倭名類聚鈔に「錦、釋名云、錦居飲反、邇之岐」とある。諸種の色に染めた絹をもつて織つた物。アヤは、同書に「綾、野王案、綾音陵 阿夜、似(テ)v綺(ニ)而細(キ)者也」とある。模樣を織り出した物。この二種は、高級の織物として擧げられている。
 齋兒毛 イハヒゴモ。イハヒゴは、大切に守つている兒。ここでは、大事にして育てた富家の女子をいう。(443)人倫を表示する語にイハヒを冠して、大切にして人に觸れさせない意を表示する例には、「鹿待君之《シシマツキミガ》 伊波比嬬可聞《イハヒヅマカモ》」(卷七、一二六二)の如きがある。
 妹尓將及哉 イモニシカメヤ。イモは、女子の愛稱であるが、本來二人稱として使用されたものが、三人稱にも使用されるようになつた。この作者は、物語の上に、しばしばこの語を、かの女の如き意味に使用している。しかしこの語の有する愛情は、保有されていると考えられる。浦島の子を詠める歌(卷九、一七四〇)における「如2明日1《アスノゴト》 吾者來南登《ワレハキナムト》 言家禮婆《イヒケレバ》 妹之答久《イモガイヘラク》」のイモの用法の如き、その例である。「筑波嶺乃《ツクハネノ》 須蘇廻乃田井爾《スソミノタヰニ》 秋田苅《アキタカル》 妹許將v遣《イモガリヤラム》 黄葉手折奈《モミチタヲラナ》」(卷九、一七五八)のイモも、同樣である。シカメヤは、及ぼうか及びはしないの意。句切。
 望月之 モチヅキノ。枕詞。譬喩に依つて、タレルを修飾する。
 滿有面輪二 タレルオモワニ。ミテルヲモ□ニ(元赭)、タレルオモワニ(考)。タレルは、充足してある意。手兒奈の容貌が、圓滿具足してあるをいう。オモワは、顔面。ワは接尾語。オモが圓形であることを示す。「天地《アメツチ》 日月與共《ヒツキトトモニ》 滿將v行《タリユカム》 神乃御面跡《カミノミオモト》」(卷二、二二〇)。
 水門入尓船己具如久 ミナトイリニフネコグゴトク。ミナトは、水の門戸、河口、港口などの處。そこに海上から船を漕ぎ入れるようにの意に、手兒奈のもとに、人々の寄りくる?を説く。この句、上の、夏蟲ノ火ニ入ルガ如の句と、對句を成すが、上は、火ニ入ルガ如の形を採り、これは、船コグ如クとして變化を示している。
 歸香具禮 ユキカグレ。
  コキカクレ(元賭)
  ユキカクレ(西)
(444)  ヨリカグレ(考)
  ――――――――――
  歸香賀比《ユキカガヒ》(古義)
 歸をユキと讀むのは、例が多い。カグレは、未詳の語。香の字を使つていることに意ありとすれば、カグ(香)と關係があるか。動詞カグは、嗅覺を働かすことをいうが、その下二段活として、香氣が求められる意にいうのででもあろう。香を慕うように集まつて。自然にカグようになる意。動詞ワブについて「於毛比和夫禮弖《オモヒワブレテ》」(卷十五、三七五九)ともいう類であろう。古事記傳卷の四十三、歌垣の條には、「加賀布?歌爾《カガフカガヒニ》」(卷九、一七五九)の歌を擧げて「さて加賀比と云は、右の長歌に、加賀布とある如く、本用言なるを、體言になしたる名なり。其名は、又|加具禮交《カグレナヒ》の切《ツヅ》まりたるなるべし」とて、この歌を擧げ、また「加具禮と云言、此外には見えざれども、妻をよばふ事を、然云る古言のありしなるべし」と言つている。
 幾時毛 イクバクモ。
  イクトキモ(元赭)
  イクハクモ(西)
  ――――――――――
  幾許毛《イクバクモ》(略)
 幾時と書いた例は、他には無いが「幾《イクバクモ》 不2生有1命乎《イケラジイノチヲ》」(卷十二、二九〇五)の如く、幾とのみ書いて、同じく不生に續いている例があるから、それと共に、イクバクモと讀んでよいのであろう。
 不生物呼 イケラジモノヲ。イケラヌモノヲ(元赭)、イケラジモノヲ(古義)。本集には、打消の助動詞ジに、體言が接續した假字書きの例は無いが、前條に掲げた、「不2生者1命乎《イケラジイノチヲ》」(卷十二、二九〇五)の例によつて、イケラジモノヲと讀んでいる。人生を、短いものとする思想で歌つている。
 何爲跡歟 ナニストカ。どうするとしてか。カは、疑問の係助詞。下の、妹ガ臥セルの句で、これを受けて結んでいる。手兒奈の行爲を、理解しがたいものとして、その意を疑う心である。
 身乎田名知而 ミヲタナシリテ。タナシリは、すべてを知る意。身の上を思い悟つて。「家忌《イヘワスレ》 身毛多奈不(445)v知《ミモタナシラニ》」(卷一、五〇)、「夜中母《ヨナカニモ》 身者田菜不v知《ミハタナシラニ》 出曾相來《イデゾアヒケル》」(卷九、一七三九)。
 浪音乃驟湊之 ナミノオトノサワクミナトノ。湊は、水の集まる所で、河口などをいう。浪が寄せて音を立てる水の門で、オクツキの所在を示している。
 奧津城尓妹之臥勢流 オクツキニイモガコヤセル。死んで墳墓に横たわつていることをいう。コヤセルは、上の何ストカを受けて、連體形で結んでいる。この浪の音の騷ぐ湊の奧つ城に臥したの句で、手兒奈の水死したことを暗示しているようである。イクバクモ生ケラジモノヲ以下の句意は、不自然に、みずから死んだことをいうものと解せられる。句切。
 遠代尓有家類事乎 トホキヨニアリケルコトヲ。初めの、古昔ニアリケル事の句を受けて、呼應している。
 昨日霜將見我其登毛 キノフシモミケムガゴトモ。極めて近い時に見たようにあることを述べて、深い感慨に沈んだことを示す。
【評語】赤人の作が、墓に對して感傷しているのに對して、これは手兒奈の事蹟に觸れているのが、特色である。殊にその衣服風俗を精しく敍して印象をあきらかにしている。初めに、古昔ニアリケル事で起し、終りに遠キ世ニアリケル事と受けているのも、首尾一貫して、よく一首を纏めている。しかし傳説の内容を語つていないのは、誰でも知つているものとして扱つたのであろうか。または物語の内容を傳える歌が、既に存在していたのでもあろう。結末の、昨日シモ見ケムガ如モ思ホユルカモという句は、娘子の塚を見て程經て作つたことを思わしめる。當時の文學者たちが、かような題材を取りあげて文筆化する風潮があつて、この作者も、その波に乘つたともいえよう。またこの句は、同じ作者の葦屋の菟原處女《うないをとめ》の墓を見る歌の結句の、知ラネドモ新喪ノ如モ哭泣キツルカモの句と通うもので、古い物語を、身近い事に感ずるこの作者の特色を語つている。他の作者の、多くは古昔を思うという態度と相違する所である。
 
(446)反歌
 
1808 勝鹿《かつしか》の 眞間《まま》の井を見れば、
 立ち平《なら》し 水汲ましけむ
 手兒奈し念《おも》ほゆ。
 
 勝壯鹿之《カツシカノ》 眞間之井乎見者《ママノヰヲミレバ》
 立平之《タチナラシ》 水?家武《ミヅクマシケム》
 手兒名之所v念《テコナシオモホユ》
 
【譯】葛飾の眞間の井を見ると、この地を踏んで水を汲んだであろう娘子が思われる。
【釋】眞間之井乎見者 ママノヰヲミレバ。ママノ井は、眞間の地にある井で、清らかな水を湛えてある處。掘井には限らない。
 水?家武 ミヅクマシケム。ミツヲクミケム(元)、ミヅクマシケム(古義)。?は、汲む意の字。クマシと讀むのは、敬語法による。しかし敬意は輕く、慣用をもつていうのであろう。連體形の句で、次の手兒奈を修飾している。
【評語】水を汲むことによつて、娘子の生活をあきらかにし、長歌の質素な風俗の措寫と照應させている。水を汲むのは、女子の業とされていたので、これに及んだのである。これによつてよく娘子の生活?態を描いている。
 
見2菟原處女墓1歌一首 并2短歌1
 
菟原處女《うなひをとめ》の墓を見る歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】見菟原處女墓歌 ウナヒヲトメノツカヲミルウタ。ウナヒヲトメは、一八〇一の歌における菟名日處女(447)に同じ。その歌の題詞參照。菟原は、後にウバラというが、この歌の詞にも菟名負とあり、古くはウナヒと言つたのであろう。蟲麻呂は、この地を過ぎて更に西下したのだろうが、その作品にあらわれたところとしては、これが西のはてである。
1809 葦屋《あしのや》の 菟原處女の
 八年兒《やとせご》の 片生《かたおひ》の時ゆ
 振分髪《をはなり》に 髪たくまでに、
 竝《なら》び居《を》る 家にも見えず、
 虚木綿《うつゆふ》の 隱《こも》りて坐《を》れば、
 見てしかと いぶせむ時の
 垣ほなす 人の誂《と》ふ時、
 血沼壯士《ちぬをとこ》 菟原壯士《うなひをとこ》の、
 廬屋《ふせや》燒《た》く 進《すす》し競《きほ》ひ
 相結婚《あひよば》ひ しける時は、
 燒太刀《やきだち》の 柄《たかみ》おし練《ね》り、
 白檀弓《しらまゆみ》 靫取り負ひて、
 水に入り 火にも入らむと、
 立ち向かひ 競《きほ》ひし時に、
(448) 吾妹子が 母に語らく、
 倭文手纏《しづたまき》 賤《いや》しきわがゆゑ、
 丈夫《ますらを》の 爭ふ見れば、
 生けりとも 逢ふべくあれや、
 ししくしろ 黄泉に待たむと、
 隱沼《こもりぬ》の 下延《したば》へ置きて、
 うち嘆き 妹が去《い》ぬれば、
 血沼壯士《ちぬをとこ》 その夜|夢《いめ》に見、
 取り續き 追ひ行きければ、
 後《おく》れたる 菟原壯士《うなひをとこ》い、
 天仰ぎ 叫びおらび
 地《つち》をふみ 牙喫《きか》み誥《たけ》びて、
 もころ男に 負けてはあらじと、
 懸佩《かきはき》の 小劔《をだち》取り佩《は》き
 ところ葛《づら》 尋《と》め行きければ、
 親族《やから》ども い行き集《つど》ひ
 永き代に 標《しるし》にせむと、
(449) 遠き代に 語り繼がむと、
 處女墓《をとめづか》 中に造り置き
 壯士墓《をとこづか》 此方彼方《こなたかなた》に
 造り置ける 故縁《ゆゑよし》聞きて、
 知らねども 新喪《にほも》の如も
 哭《ね》泣きつるかも。
 
 葦屋之《アシノヤノ》 菟名負處女之《ウナヒヲトメノ》
 八年兒之《ヤトセゴノ》 片生之時從《カタオヒノトキユ》
 小放尓《ヲハナリニ》 髪多久麻弖尓《カミタクマデニ》
 並居《ナラビヰル》 家尓毛不v所v見《イヘニモミエズ》
 虚木綿乃《ウツユフノ》 ?而座在者《コモリヲレバ》
 見而師香跡《ミテシガト》 悒憤時之《イブセムトキノ》
 垣廬成《カキホナス》 人之誂時《ヒトノトフトキ》
 智弩壯士《チヌヲトコ》 宇奈比壯士乃《ウナビヲトコノ》
 廬八燎《フセヤタク》 須酒師競《ススシキホヒ》
 相結婚《アヒヨバヒ》 爲家類時者《シケルトキハ》
 燒大刀乃《ヤキダチノ》 手穎押祢利《タガミオシネリ》
 白檀弓《シラマユミ》 靫取負而《ユキトリオヒテ》
 入v水《ミヅニイリ》 火尓毛將v入跡《ヒニモイラムト》
 立向《タチムカヒ》 競時尓《キホヒシトキニ》
 吾妹子之《ワギモコガ》 母尓語久《ハハニカタラク》
 倭文手纒《シヅタマキ》 賤吾之故《イヤシキワガユヱ》
 大夫之《マスラヲノ》 荒爭見者《アラソフミレバ》
 雖v生《イケリトモ》 應v合有哉《アフベクアレヤ》
 宍串呂《シシクシロ》 黄泉尓將v待跡《ヨミニマタムト》
 隱沼乃《コモリヌ》 下延置而《シタバヘオキテ》
 打歎《ウチナゲキ》 妹之去者《イモガイヌレバ》
 血沼壯士《チヌヲトコ》 其夜夢見《ソノヨイメニミ》
 取次寸《トリツヅキ》 追去祁禮婆《オヒユキケラバ》
 後有《オクレタル》 菟原壯士伊《ウナヒヲトコイ》
 仰v天《アメアフギ》 叫於良妣《サケビオラビ》
 ※[足+昆]v地《ツチヲフミ》 牙喫建怒而《キカミタケビテ》
 如己男尓《モコロヲニ》 負而者不v有跡《マケテハアラジト》
 懸佩之《カケハキノ》 小劔取佩《ヲダチトリハキ》
 冬※[草がんむり/叙]蕷都良《トコロヅラ》 尋去祁禮婆《トメユキケレバ》
 親族共《ヤカラドモ》 射歸集《イユキツドヒ》
 永代尓《ナガキヨニ》 標將v爲跡《シルシニセムト》
 遐代尓《トホキヨニ》 語將v繼常《カタリツガムト》
 處女墓《ヲトメヅカ》 中尓造置《ナカニツクリオキ》
 壯士墓《ヲトコヅカ》 此方彼方二《コナタカナタニ》
 造置有《ツクリオケル》 故縁聞而《ユヱヨシキキテ》
 雖v不v知《シラネドモ》 新喪之如毛《ニヒモノゴトモ》
 哭泣鶴鴨《ネナキツルカモ》
 
【譯】葦屋の菟原娘子が、八歳ほどの子どもの時からして、さげ髪に髪を結うまで、竝んでいる家にも見えないで、中のうつろなコウゾの皮のように家にこもつているので、見たいものだと思い惱む時の、垣を成すように人が言い寄る時に、血沼壯士と菟原壯士とが、賤が家に焚く煤の名のように、進み合い爭つて、婚姻を求めた時には、鋭い大刀の柄をおし握り、白檀弓や靫を背負つて、水に入り火にも入ろうと、立ち向かつて爭つた時に、この娘子が母に語ることに、倭文《しず》の手纏のような賤しいわたくしゆえに、りつぱな男の爭うのを見ると、生きていても、結婚すべくもありません。串にさした肉のように、黄泉の國で待ちましようと、水の出口の無い沼のように、暗に言つておいて、歎息して娘子が死んだので、血沼壯士がその夜夢に見て、續いて追つて行つたので、あとに殘つた菟原壯士は、天を仰いで叫び、地を踏んで齒がみをし怒つて、あのくらいの男に負けてはいないと、かけて帶びる大刀を佩《は》いて、イモの蔓を探るように、尋ねて行つたので、親族たちが集まつて來て、永い世にしるしを殘そうと、遠い將來に語りごとにしようと、娘子の墓を中に造り置き、壯士の基をあちらこちらに作つておいた事の由を聞いて、わたしの知らない時の事であるけれども、新しい喪のように泣いたことであるなあ。
(450)【構成】全篇一文。
【釋】八年兒之片生乃時從 ヤトセゴノカタオヒノトキユ。ヤトセゴは、八歳ぐらいの子で、小兒の意に使つている。元來ヤトセの語は、多年の義に使われていたと考えられるが、數の觀念の發達と共に、やや多年の意になり、またこの歌のように、八箇年の意味に使われるに至つた。「年之八歳乎《トシノヤトセヲ》 吾竊?師《ワガススマヒシ》」(卷十一、二八三二)、「年之八歳乎《トシノヤトセヲ》 待騰來不v座《マテドキマサズ》」(卷十六、三八六五)の如き用例は、相當に多年である意に使用しでいる。カタオヒは、十分に成熟しないことをいう。カタによつて不完全を表示している。片戀、片念などの例である。この語は唯一の用例である。八歳ぐらいの小兒の時からこの方。
 小放尓髪多久麻弖尓 ヲハナリニカミタクマデニ。ヲハナリは、髪を分けて、肩ぐらいの長さにして垂れている風俗。ヲは、愛稱の接頭語で、ハナリとも、ハナリノカミともいう。「橘《タチバナノ》 寺之長屋爾《テラノナガヤニ》 吾率宿之《ワガヰネシ》 童女波奈理波《ウナヰハナリハ》 髪上都良武可《カミアゲツラムカ》」(卷十六、三八二二)の例がある。しかるにこれには、次の如き左註がある。「右歌、椎野(ノ)連長年(ガ)脉(ニ)曰(ク)、夫(レ)寺家(ノ)之屋(ハ)者、不v有(ラ)2俗人(ノ)寢處(ニ)1、亦|?《イヒテ》2若冠(ノ)女(ヲ)1、曰(ヘリ)2放髪丱(ト)1矣。然(レバ)則腹句已(ニ)云(ヘレバ)2放髪丱(ト)1者、尾句(ニ)不(ル)v可(カラ)3重(ネテ)云(フ)2著冠之辭(ヲ)1哉(ヲヤ)。決(メテ)曰(ク)、橘之《タチバナノ》 光有長屋爾《テレルナガヤニ》 吾率宿之《ワガヰネシ》 宇奈爲放爾《ウナヰハナリニ》 髪擧都良武香《カミアゲツラムカ》」(卷十六、三八二三)とある。寺の長屋というのを否として、光レル長屋に改め、ウナヰハナリハというのを、ウナヰハナリニと改めている。寺の長屋の方は、ここには關係がないから觸れないこととするが、第四句を改めたのは、若冠女をウナヰハナリというのだから、重ねて著冠《ちやくかん》の辭をいうべきでないというのである。ウナヰハナリのハナリは、童女の風俗を描いて、その説明とする云い方であるが、ここには、ウナヰニカミアゲスルという云い方のあることが注意される。丱は、頭髪の形を示す象形文字で、束髪兩角の貌で、これをハナリに當てているのは、ハナリの髪が、ただはらりと垂れてあるだけでなく、重ねて束ねてあつたものと解せられる。よつてヲハナリニカミタクの句が存するのである。タクは、束ねる意。「多氣婆奴禮《タケバヌレ》 多香根者長寸《タカネバナガキ》 妹之髪《イモガカミ》 比來不(451)v見尓《コノゴロミヌニ》 掻入津良武香《カキレツラムカ》》」(卷二、一二三)。また「未通女等之《ヲトメラガ》 放髪乎《ハナリノカミヲ》 木綿山《ユフノヤマ》」(卷七、一二四四)とあるのは、ハナリの髪から、風俗を改めることではないのかも知れない。そこでヲハナリニは、ヲハナリノの誤りだろうという説(新考)は、當らず、もとのままでよいと考えられる。
 竝居 ナラビヰル。ナラヒヰテ(西)、ナラビヰル(拾)、ナラビヲル(管)、ナラビスム(代精)、ナミヰタル(代精)、ナラビヰシ(考)。家を修飾する句である。居は、ヰルとも、ヲルとも讀まれている。しかし「爾保鳥能《ニホドリノ》 布多利那良?爲《フタリナラビヰ》」(卷五、七九四)の例があり、その他、他の動詞に接續して使用される場合には、多くヰという例であるから、ナラビヰルと讀むがよいであろう。竝び居る家は、近所隣の家をいう。
 家尓毛不所見 イヘニモミエズ。近隣の人々にも見えないで、家にこもつている由で、深窓に育つたことをいう。
 虚木綿乃 ウツユフノ。枕詞。この句は、日本書紀、神武天皇の卷、「妍哉《アナニエヤ》、國之獲矣《クニシエツ》、雖2内木綿之眞?國《ウツユフノマサキクニナレドモ》1、猶如2蜻蛉之臀?2焉《アキツノトナメセルゴトモアルカ》」とあり、用例はこの二個のみで、コモリ、およびマサキ(狹)に冠していることが知られる。ユフは、コウゾの皮のさらしたものであり、ウツは、その説明語であろう。そこでウツの語義については、イ、ウツロ(空虚)、ロ、ウツシ、ウツツ(現)、ハ、ウツ(打)、ニ、ウツ(内)、ホ、ウツ(全)等の諸義が考えられ、これに關して田邊正男氏の精緻な研究もある。この歌においては、虚の字を使用し、またコモリに冠している事からして、中のうつろな木綿の意に解しているのであろう。
 ?而座在者 コモリテヲレバ。カクレテマセハ(西)、コモリテヲレバ(考)、コモリテマセバ(古義)。?は牢に同じ。「夜?]爾《ヨゴモリニ》 出來月之《イデグルツキノ》 片待難《カタマチガタキ》」(卷九、一七六三)の如く、用言の準體言としてコモリに當てて使つている。座在は、在の字義によつて、ヲレと讀むべきである。以上、葦屋の菟原娘子が、竝びいる家にも見えずこもりておればと續く文脈である。
(452) 見而師香跡 ミテシカト。シカは、願望の助詞。助動詞テを添えて、テシカの形を採つているが、テ無しにも使用される。以下娘子を思う人々の上を敍する。
 悒憤時之 イブセムトキノ。イフカルトキノ(元赭)、イフカシキトキシ(西)、イフセキトキシ(矢)、イブカルトキシ(童)、イブセムトキノ(略)。悒憤《ゆうふん》は、鬱々として憤りをおぼえる意であろう。「雨隱《アマゴモリ》 情悒憤《ココロイブセミ》 出見者《イデミレバ》」(卷八、一五六八)の如く、鬱悒をイブセミと讀む例のあるによる。この語は、假字書きの例としては、「比毛等可須《ヒモトカズ》 末呂宿乎須禮波《マロネヲスレバ》 移夫勢美等《イブセミト》 情奈具左爾《ココロナグサニ》」(卷十八、四一一三)の如く使用されているものがある。心のはればれとしないで、むしやくしやする意に使われる語のようである。形容詞としてはイブセシがあり、同語から出たものだろう。イブセム時ノ人ノ問フ時と續く文脈で、以下、アヒヨバヒシケル時、立チ向カヒ競ヒシ時と併わせて、何々する時の句を四出して、語りものとして調子を成している。藤原の宇合の卿を西海道の節度使に遣しし時の歌(卷六、九七一)參照。
 垣廬成 カキホナス。ホは接尾語。垣のようなの意で、多くの人の取り圍む樣を描いている。廬は、イホの上略で、表音假字として使われている。「垣穗成《カキホナス》 人辭聞而《ヒトゴトキキテ》」(卷四、七一三)。
 人之誂時 ヒトノトフトキ。ヒトノイトムトキ(元赭)、ヒトノイフトキ(童)、ヒトノトフトキ(略)。トフは、妻問うの意で、誂の字を使つている。誂は誘う意の字である。
 智弩壯士 チヌヲトコ。和泉の國の血沼の地の男。下に血沼壯士とある。チヌのヌに弩の字を當てたのは、音の動搖である。
 宇奈比壯士乃 ウナヒヲトコノ。娘子と同郷の菟原の地の男。下に菟原壯士とある。
 廬八燎 フセヤタク。
  イホハモエ(元赭)
(453)  イホヤモエ(神)
  フセヤモエ(西)
  フセヤタキ(考)
  フセヤタク(定本)
  ――――――――――
  蘆火燎《アシビタキ》(古義)
  蘆火燎《アシビタク》(新考)
 フセヤタキと讀めば、その家を燒いての意になるが、何のために燒くかわからない。フセヤタクと讀んで、廬屋に燒く意とし、次のスス(煤)に冠する枕詞と見るべきである。フセヤは、伏屋で、伏せたような粗末な小舍。それは焚く火のために煤けているのを常とするので、この枕詞を生じたのであろう。
 須酒師競 ススシキホヒ。ススシは、ススム(進)、ススグ(濯ぐ)などと關係のある語であろう。用言であろうが、終止形は、スススとなつてありそうにも思われない。ススが單語で、それを重ねたものだろうか。「葦火燎屋之《アシビタクヤノ》 酢四手雖v有《スシテアレド》」(卷十一、二六五一)のスシは、それであろう。この句は、二人の壯士が、せり合つて競つたことをいう。
 爲家類時者 シケルトキハ。
  シケルトキニハ(元赭)
  シケルトキハ(新訓)
  ――――――――――
  爲家類時煮《シケルトキニ》(略)
 以下の文は、アヒヨバヒシケル時の説明であるから、シケルトキハの訓でよい。
 燒大刀乃 ヤキダチノ。ヤキダチは、火力で鍛えた大刀で、鋭利な大刀の意である。
 手頴押称利 タカミオシネリ。
  タカヒオシネリ(矢)
  タカミオシネリ(略)
  ――――――――――
  手頭押禰利《タガミオシネリ》(考)
(454) 頴は、カホン科植物の穗をいう字。倭名類聚鈔に「穗、唐韵云、頴餘頃反、訓加尾穗也」とあるによつて、カミの訓に、使用したものと考えられる。これによつてこの句をタカミオシネリと讀むべきである。タカミは、「集(ル)2御刀之|手上《タガミ》1血(ニ)」(古事記上卷)、「撫劔、此云2都盧耆能多伽彌屠利辭魔?《ツルギノタカミトリシバル》1」(日本書紀神武天皇の卷)などのタカミと同じく、劔柄をいう。オシネリは、押し捻《ひね》りの約言とされているが、練《ね》りで、おしもむ意であるかも知れない。オシは、意味を強調する性能を有する接頭語。
 白檀弓 シラマユミ。マユミの材で作つた、塗つてない弓。
 靫取負而 ユキトリオヒテ。ユキは、矢を入れて負う皮革製の武装具。
 吾妹子之 ワギモコガ、ワギモコの語を、三人稱として使つている。
 倭文手纏 シヅタマキ。枕詞。倭文の手纏は、當時既に賤しい者の風俗とされていたのであろう。「倭文手纏《シヅタマキ》 數二毛不v有《カズニモアラヌ》 壽持《イノチモチ》」(卷四、六七二)。
 荒爭見者、アラソフミレバ。荒は、アラソフと讀ませるために、特に添えている。元來アラソフのアラに、荒の義があるので、縁によつて使つたのだろう。「白露爾《シラツユニ》 荒爭芽子之《アラソフハギノ》 明日將v咲見《アスサカムミム》」(卷十、二一〇二)。
 應合有哉 アフベクアレヤ。アフは、婚姻する意。アレヤは、反語法。婚姻すべくもない意。句切。
 宍串呂 シシクシロ。枕詞。語義は、文字通り、肉の串で、ロは接尾語であろう。肉の串ざしは、味がよいから、ヨミに冠するのであろう。黄泉の内容に對しては、ちよつと皮肉な枕詞である。「矢自矩矢慮《シジクシロ》 于魔伊禰矢度?《ウマイネシトニ》」(日本書紀九六)。外には、クシロを、釧に當てても考えられるが、そうではないだろう。
 黄泉尓將待跡 ヨミニマタムト。ヨミは、「黄泉乃界丹《ヨミノサカヒニ》」(卷九、一八〇四)參照。マタムは、先に行つて、父母の來るのを待とうとの意である。これによつて、死者が、黄泉に赴き、生前と同樣の?態にあると考えられていたことが知られる。
(455) 隱沼乃 コモリヌノ。枕詞。コモリヌは、水の出口が無いから、下を延《は》う意に、シタバヘに冠する。
 下延置而 シタバヘオキテ。シタバヘは、心の中に思う意に使われるが、ここは上に母ニ語ラクとあつて、言つたことになつているから、黄泉に待とうと、死ぬことをそれとなく言つたものと見るべきである。あとで思い當るという程度であろう。
 妹之去者 イモガイヌレバ。イモは、娘子をいう。この世から去つた意で、死んだことをいう。水死したと考えられる。家持の歌には「家ざかり海邊に出でたち、朝暮に滿ち來る潮の、八重浪に靡く玉藻の、ふしの間も惜しき命を、露霜の過ぎましにけれ」とあつて、海に入つたように暗示している。
 其夜夢見 ソノヨイメニミ。娘子の死んだのを夢に見たのである。娘子は、血沼壯士の方に傾いていたから、この男の夢にあらわれたとするのであろう。
 取次寸 トリツヅキ。次は、續くの意に、用言として使用されている。
 菟原壯士伊 ウナヒヲトコイ。イは助詞で、主語を示すものとされている。但し「玉緒乃《タマノヲノ》 不v絶射妹跡《タエジイイモト》 結而石《ムスビテシ》 事者不v果《コトハハタサズ》」(卷三、四八一)の射によつて表示されるイが、もしこのイと同語とすれば、語勢による用法を有するものとされなければならない。その條參照。
 仰天 アメアフギ。次の※[足+昆]地と共に、天地に俯仰しての意になり、慷慨悲憤《こうがいひふん》する?態を説明する。
 叫於良妣 サケビオラビ。オラビは泣き叫ぶ意。日本書紀に、啼、哭にオラブと訓し、西大寺本金光明最勝王經の古點には、號にオラブと訓している。
 ※[足+昆]地 ツチヲフミ。
  ツチニマロヒ(元緒)
  ツチニフシテ(西)
(456)  ツチニフシ(細)
  タチヲドリ(訓義辨證)
  アシズリシ(訓義辨證)
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  ※[足+昆]地《ツチニフシ》(細)
  頓地《ツチニフシ》(拾)
  ?地《アシフミシ》(考)
  ?地《ツチフミ》(私)
  蹉他《アシズリシ》(略)
  ?地《ツチニフシ》(古義)
 ※[足+昆]は、新撰字鏡に、「趾、士里反止、足後也、跟也、※[足+昆]也、足乃宇良、又久比々須」とあつて、「足のうら、踵《かかと》の義の字である。ここは地を強く踏む意に使用されていると解せられる。
 牙喫建怒而 キカミタケビテ。キカミは、齒をくいしばる、齒がみをする。タケビテは、勇氣をあらわす意。古事記上卷に「伊都之男建」に註して「訓(ミテ)v建(ヲ)云(フ)2多祁夫《タケブ》1」とある。
 如己男尓 モコロヲニ。モコロヲは、文字通り、自分の如き程度の男で、あんな男の意。モコロは、如くの意に使われる語。「母許呂乎乃《モコロヲノ》 許登等思伊波婆《コトトシイハバ》」(卷十四、三四八六)。
 懸佩之 カキハキノ。カキは腰にかけておびるからいうのだろう。佩く所の意。
 小劔取佩 ヲダチトリハキ。ヲは、美稱の接頭語で、かならずしもちいさい劔ではない。
 冬※[草がんむり/敍]蕷都良 トコロヅラ。
  フユイモツラ(元赭)
  サネカツラ(西)
  マサキヅラ(代精)
  トコロヅラ(略)
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  冬薯都良《フユモヅラ》(考)
 枕詞。冬※[草がんむり/敍]蕷は、トコロイモ。ツラは蔓。冬季その蔓を探つて根を尋ねるから、尋ね行くに冠する。「皇祖《スメロキノ》 神之宮人《カミノミヤビト》 冬薯蕷葛《トコロヅラ》 彌常數爾《イヤトコシクニ》 吾反將v見《ワレカヘリミム》」(卷七、一一三三)。この卷の七の例は、同音をもつて常シクに冠(457)しており、これによつてトコロヅラと讀むべきことが確められる。
 尋去祁禮婆 トメユキケレバ。タツネキケレバ(元赭)、ツキユキケレハ(西)、ツキテユケレハ(矢)、タヅネユケレバ(管)、トメユキケレバ(略)。トメは、尋ね求める意。娘子の屍を求めて海に入つたのである。
 親族共 ヤカラドモ。娘子および壯士の親族の者たち。
 射歸集 イユキツドヒ。イヨリアツマリ(西)、イユキアツマリ(矢)、イユキツドヒテ(代初)、イユキツドヒ(古義)。イは接頭語。來たり集まつて。
 標將爲跡 シルシニセムト。記念にしようとして。
 此方彼方二 コナタカナタニ。娘子の墓を中心にして、その左右に壯士の墓を作るよしである。實地では、その傳説地とする三個の古墳は、かなり隔たつている。
 雖不知 シラネドモ。時代もへだたり、またその人をも知らないのだが。
 新喪之如毛 ニヒモノゴトモ。ニヒモは、あらたに人を失つた悲しみ。
【評語】水の江の浦島の子を詠める歌と同樣に、傳説の内容を語つているのが、大きな特色である。この歌では、いきなり葦屋の菟原娘子の名を出し、これについて物語を進めている。何々する時の句を疊みかけて進行するのは、物語であるのにふさわしい表現である。兩壯士が相對して闘おうとし、娘子が身を置くに所無くして死ぬ。そうして血沼壯士まずその後を追い、ついで菟原壯士がおくれたことを殘念がつてまた追つて死ぬあたり、委曲をつくしている。血沼壯士がその夜夢に見てあとを追つたというのは、反歌に、娘子が血沼壯士に心を寄せていたことをあきらかにする伏線になつている。そうしてこの物語を聞いて、新喪の如くに泣いたという結びも、よく一首を生かしている。全體としては、墓を見て詠んだ敍情詩であるが、敍事の部分が發達しており、物語の語り手と見られているこの作者の特色をよく發揮している。
 
(458)反歌
 
1810 葦屋《あしのや》の 菟原處女《うなひをとめ》の 奧津城《おくつき》を、
 往《ゆ》き來《く》と見れば、 哭《ね》のみし泣かゆ。
 
 葦屋之《アシノヤノ》 宇奈比處女之《ウナヒヲトメノ》 奧槨乎《オクツキヲ》
 往來跡見者《ユキクトミレバ》 哭耳之所v泣《ネノミシナカユ》
 
【譯】葦屋の菟原娘子の墓所を、往來して見れば、泣かれることだ。
【釋】往來跡見者 ユキクトミレバ。往くとして見、來るとして見れば。往復の度に見れば。「行來跡見良武《ユキクトミラム》 樹人友師母《キビトトモシモ》」(卷一、五五)。
【評語】長歌の内容に對して、作者の位置をあきらかにする性質の反歌である。歌そのものはむしろ平凡だが、全體の構成に關しては、やはり一つの要素になつている。
 
1811 墓《つか》の上《うへ》の 木《こ》の枝《え》靡けり。
 聞くが如《ごと》、
 血沼壯士《ちぬをとこ》にし 寄りにけらしも。
 
 墓上之《ツカノウヘノ》 木枝靡有《コノエナビケリ》
 如v聞《キクガゴト》
 陳努壯士尓之《チヌヲトコニシ》 依家良信母《ヨリニケラシモ》
 
【譯】墓の上の木の枝が靡いている。聞いた通り、血沼壯士に心が寄つていたのだろう。
【釋】墓上之木枝靡有 ツカノウヘノコノエナビケリ。ツカは、娘子の墓をいう。コノエは、木の枝で、その木は、大伴の家持の處女の墓の歌に追つて和ふる長歌の末尾に、「後の代の聞き繼ぐ人も、いや遠にしのひにせよと、黄楊小櫛《つげをぐし》しか插しけらし。生ひて靡けり」(卷十九、四二一一)、同反歌に、「娘子らが後のしるしと黄楊小櫛生ひかはり生ひて靡きけらしも」(同、四二一二)とあるによれば、ツゲの樹で、娘子の櫛をさしたのが生(459)育したものと傳えていたのである。この樹の枝が血沼壯士の墓の方に靡いているのを見て、娘子の心が血沼壯士に寄つているものと推量している。句切。
 陳奴壯士尓之 チヌヲトコニシ。奴は、元暦校本等による。仙覺本系統には努に作つている。この血沼壯士は、以上に數出し、その音韻表示の文字の動搖しているのは、傳來が不正確であるためであろう。
 如聞 キクガゴト。キクカコト(類)、キキシゴト(童)。聞いているようにの意で、キクガゴトと、不定時に讀む。「霍公鳥《ホトトギス》 盖哉鳴之《ケダシヤナキシ》 吾念流碁騰《ワガオモヘルゴト》」(卷二、一一二)。また如聞の例は「如v聞《キクガゴト》 眞貴久《マコトタフトク》 奇母《クスシクモ》 神左備居賀《カムサビヲルカ》 許禮能水島《コレノミヅシマ》」(卷三、二四五)があり、これもキクガゴトと讀まれる。
 依家良信母 ヨリニケラシモ。ヨリは、心を寄せる意。血沼壯士の方に靡き寄つたのであろうと推量している。傳説では、娘子が、血沼壯士に心を寄せていたというのである。
【評語】娘子墓の實?を敍して、全篇の結びとしている。この墓の描寫によつて、物語が一層生きてくるのである。この一首無きを得ない所である。これによつて、長歌の、血沼壯士がその夜夢に見たことも、菟原壯士がおくれてくやしがるのも、意味のあることが明白にされる。これが大和物語になると、二人の壯士を平等に取り扱うのに力を入れている。そこに作り物語の性質が濃厚になるのである。
【參考】一、大伴の家持の歌。
  處女墓の歌に追ひて和ふる一首 【短歌并はせたり。】
 古にありけるわざの、くすばしき事と言ひ繼ぐ、知努壯士菟原壯士の、うつせみの名を爭ふと、たまきはる命も棄てて、あらそひに妻問しける、娘子らが聞けば悲しさ。春花のにほえ榮えて、秋の葉のにほひに照れる、あたらしき身の壯《さかり》すら、ますらをの語《こと》いたはしみ、父母に申し別れて、家ざかり海邊に出で立ち、朝暮《あさよひ》に滿ち來る潮の、八重浪に靡く玉藻の、ふしの間も惜しき命を、露霜の過ぎましにけれ、おくつきを此處《ここ》と定めて、(460)後の代の聞き繼ぐ人も、いや遠にしのひにせよと、黄楊小櫛《つげをぐし》しか插《さ》しけらし、生ひて靡けり(卷十九、四二一一)
 娘子らが後のしるしと黄楊小櫛生ひかはり生ひて靡きけらしも(同、四二一二)
   右は、五月六日、興に依りて大伴の宿禰家持の作れる。
    二、生田《いくた》川の物語。
 昔、津の國に住む女ありけり。それをよばふ男、二人なんありける。一人はその國に住む男、姓は菟原《うはら》になんありける。今一人は和泉の國の人になんありける。姓は血沼となんいひける。かくてその男ども、年齡《としよはひ》、顔|容貌《かたち》、人のほど、たゞ同じばかりなんありける。志のまさらんにこそはあはめと思ふに、志のほど、たゞ同じやうなり。くるればもろともに來逢ひぬ。物おこすれば、たゞ同じやうにおこす。いづれまされりといふべくもあらず。女思ひわづらひぬ。この人の志のおろかならば、いづれにも逢ふまじけれど、これもかれも月日を經て、家の門に立ちて、よろづに志を見えければ、しわびぬ。これよりもかれよりも、同じやうにおこする物ども、取りも入れねど、いろ/\に持ちて立てり。
 親ありて、「かく見苦しく年月を經て、人の歎きをいたづらに負ふもいとほし。ひとり/\にあひなば、今一人が思は絶えなん」といふに、女「こゝにもさ思ふに、人の志の同じやうなるになん思ひわづらひぬる。さらばいかゞすべき」といふに、そのかみ生田川のつらに、平帳《ひらばり》をうちてゐにけり。
 かかれば、そのよばひ人どもをよびにやりて、親のいふやう「誰も御志の同じやうなれば、このをさなき者なん思ひわづらひにてはべる。今日いかにまれ、この事を定めてん。あるは遠き所よりいまする人あり、あるはこゝながらそのいたつき限りなし。これもかれも、いとほしきわざなり」といふ時に、いとかしこく喜びあへり。「申さんと思うたまふるやうは、この川に浮きて候ふ水鳥を射給へ。それを射あてたまへらん人にたて(461)まつらん」といふ時に、「いとよき事なり」といひて射るほどに、一人は頭の方を射つ。今一人は尾の方を射つ。そのかみいづれといふべくもあらぬに、女思ひわづらひて、
  住みわびぬ。わが身なげてん。津の國の生田の川は名のみなりけり
とよみて、この平張は川にのぞきてしたりければ、つふりと落ち入りぬ。親あわて騷ぎのゝしるほどに、このよばふ男二人、やがて同じ所に落ちいりぬ。一人は足をとらへ、今一人は手をとらへて死にけり。そのかみ親いみじく騷ぎて、取り上げて泣きのゝしりてはふりす。
 男どもの親も來にけり。この女の塚のかたはらに、また塚ども作りて掘り埋む時に、津の國の男の親いふやう、「同じ國の男をこそ同じ所にはせめ、他國《ことくに》の人いかでこの國の土をば犯すべき」といひてさまたぐる時に、和泉の方の親、和泉の國の土を船に運びて、こゝにもて來てなん、遂に埋みてける。されば女の墓をば中にて、左右になん男の塚ども今もあなる。
 (中略、宇多天皇の皇后の宮でこの物語を繪にかいて人々が歌を詠むことを述べる。)
 さて、この男は呉竹のよながきを切りて、かぎりて、狩衣、袴、烏帽子、帶などを入れて、弓、胡?《やなぐひ》、太刀など入れてぞうづみける。今一人は、おろかなる親にやありけん、さもせずぞありける。かの塚の名をば、處女塚とぞいひける。
 ある旅人、この塚のもとに宿りたりけるに、人のいさかひする音のしければ、あやしとは思ひて見せけれど、さる事もなしといひければ、怪しと思ふ思ふ眠りたるに、血にまみれたる男、前に來てひざまづきて、「我|敵《かたき》に責められてわびにてはぺり。御太刀《みはかし》しばし貸したまはらん。ねたき者のむくいしはぺらん」といふに、おそろしと思へど貸してけり。さめて夢にやあらんと思へど、太刀は誠にとらせてやりてけり。とばかり聞けば、いみじうさきのごといさかふなり。しましありて初めの男來て、いみじう喜びて、「御コに年頃ねたき者うち殺し(462)はべりぬ。今よりは永き御まもりとなりはべるべき」とて、この事の初めよりかたる。いとむくつけしと思へど、めづらしきことなれば、問ひ聞くほどに、夜も明けにければ人もなし。あしたに見れば、塚のもとに血などなん流れたりける、太刀にも血つきてなんありける。いとうとましく覺ゆる事なれど、人の言ひけるまゝなり。(大和物語)
 
右五首、高橋連蟲麻呂之歌集中出
 
萬葉集卷第九
 
 
昭和三十一年九月五目 印刷
昭和三十一年九月十日 發行
増訂萬葉集全註釋七 巻の八・九
定價 四百八拾圓
 地方價 四百九拾圓
著作者  武 田 祐 吉《たけだゆうきち》
發行者 角 川 源 義
印刷者 中内あき子
 東京都千代田區飯田町一ノ二三
發行所 【株式會社】角 川 書 店《かどかわしよてん》
東京都千代田區富士見町二ノ七
損替東京一九五二〇八番
電話九段(33)〇一一一(代表)−五
 
 
増訂 萬葉集全註釋 八(卷の十卷の十一(上))、角川書店、477頁、480圓、1956.10.10
 
目次〔省略〕
 
(9)萬葉集卷第十
 
(11)萬葉集卷第十
 
 この卷は、作者ならびに作歌事情を傳えない歌を、四季に分かち、各季毎にまた雜歌と相聞とに分かつている。そうしてその各部類の中に、更に小題を立てて、歌を分類收載している。この小題は、春の雜歌、春の相聞、秋の相聞、冬の雜歌、冬の相聞の各部の初めに擧げた人麻呂歌集所出の歌には無いから、人麻呂集には、かような小題による分類はされていなかつたのだろう。また各部の終りの部分の小題には、問答、譬喩歌、旋頭歌など記されているものもあるが、これらは、それぞれの部においての問答、譬喩歌、および、旋頭歌であつて、獨立した分類の標目ではない。かように四季の雜歌と相聞とに分かつことは、卷の八の部類法と一致する所であり、ただ彼は、作者と作歌事情とを傳えるものを載せ、これはそれを傳えないものを載せているだけの相違であつて、相互に關係の深いもののあるべきは推量に難くない。但しこの卷でも、作者については、二三一五の左註に、「或本云、三方沙弥作」とあり、作歌事情については、一八三八の左註に「右一首、筑波山作」とあるが如き、例外的にこれを傳えているものは存在する。作品の時代は、明日香の宮時代から、奈良時代に及ぶものの如く、これも大體において卷の八と共通するものであろう。柿本人麻呂歌集からは、相當の分量を採録しており、また古歌集所出の歌も存する。
 歌の總數は、五百三十九首で、集中第一に歌數の多い卷であり、そのうち長歌は三首、旋頭歌は四首で、大部分は短歌である。今これを各部に分かち、また卷の八との比較を表示すれば、次の通りである。
 
(12)     長歌  短歌 旋頭歌   計  卷の八
 春の雜歌      七六   二  七八  三〇
 春の相聞      四七      四七  一七
 夏の雜歌   一  四一      四二  三三
 夏の相聞      一七      一七  一三
 秋の雜歌   二 二四一     二四三  九五
 秋の相聞      七一   二  七三  三〇
 冬の雜歌      二一      二一  一九
 冬の相聞      一八      一八   九
   計    三 五三二   四 五三九 二四六
 用字法は、表意文字に表音文字をまじえて使用し、人麻呂歌集所出の分を除いては、卷の八あたりと顯著な相違はない。資料としては、人麻呂歌集、古歌集以外は不明であるが、やはり大伴氏の人々、旅人や坂上の郎女などの手記が有力な資料になつているらしく、その人々の作も相當數含まれているのであろう。
 傳本としては、古本系統に元暦校本、神田本があるほかに、例によつて、類聚古集、古葉略類聚鈔の記載がある。なお三十六人集中の赤人集は、一部分、この卷の假字書きを收めており、校勘資料として參考となるものがある。藍紙本、天治本の斷簡もあるが、これは小部分に過ぎない。
 
春雜歌
 
【釋】春雜歌 ハルノザフカ。初めに人麻呂集所出の無題七首を載せ、次に詠鳥以下十四題(神田本による)(13)に分かつて歌を收載している。雜歌の分の小題は、多く詠何とあるを常型とするが、この部に、野遊、歎舊、懽逢の如き題のあるのは注目される。
 
1812 ひさかたの 天《あめ》の香具《かぐ》山
 このゆふべ 霞たなびく。
 春立つらしも。
 
 久方之《ヒサカタノ》 天芳山《アメノカグヤマ》
 此夕《コノユフベ》 霞霏※[雨/微]《カスミタナビク》
 春立下《ハルタツラシモ》
 
【譯】日のさす方の天の香具山、この夕つかた霞がたなびいている。春が立つたのだな。
【釋】久方之 ヒサカタノ。枕詞。語義不明で諸説があるが、風の名にヒカタがあり、西南風、東南風など、處によつて違うが、みな日のある方から吹く風をいう。これによれば、ヒサカタも、日のある方の義で、天に冠するのだろう。サは、行クサ來サなどの、方向を意味するか。
 天芳山 アメノカグヤマ。芳は、カグハシの義の字で、カグの訓假字として使用している。この句は、呼格で、その山を呼びあげるのである。
 霞霏※[雨/微] カスミタナビク。霏※[雨/微]は、人麻呂歌集のみにある用字。句切。
【評語】風物の上にあらわれる處によつて、暦面の推移を描いている。自然に接續していた生活の上に、暦の知識がはいつて來て、ここにその兩者の關係が歌われるに至つた。この歌では、具體的な描寫を主にしてそれを知識に照らし合わせている。藤原の宮あたりから、日頃見馴れている天の(14)香具山に、たまたまこの夕べは霞のたなびいているのが仰ぎ見られた。その氣特がよく歌われている。「春過ぎて夏來たるらし。しろたへの衣ほしたり。天の香具山」(卷一、二八)などと同樣の構想であるが、表現の順序は、逆になつている。思想からいえば、このヒサカタノの歌の表現の方が、正しい順序である。
 
1813 卷向《まきむく》の 檜原《ひばら》に立てる 春霞、
 おほにし思はば なづみ來《こ》めやも。
 
 卷向之《マキムクノ》 檜原丹立流《ヒバラニタテル》 春霞《ハルガスミ》
 鬱之思者《オホニシオモハバ》 名積米八方《ナヅミコメヤモ》
 
【譯】卷向の檜原山に立つている春霞のように、ぼんやり思うならば、骨を折つて來はしないだろう。
【釋】卷向之檜原丹立流春霞 マキムクノヒバラニタテルハルガスミ。 マキムクノヒバラは、卷向山中の檜原山。以上三句、序詞で、次のオホニを引き出す。
 鬱之思者 オホニシオモハバ。オホニは、霞がかかつてぼうつとしている意をかけて、なおざりに、よいかげんにの意に使つている。オホロカのオホである。
 各積米八方 ナヅミコメヤモ。古義に米を來の誤りとしているが「伊波能杯?《イハノヘニ》 古佐?渠梅野倶《コサルコメヤク》」(日本書紀一〇七)のように、既にコメの語があるのだから、誤りとするに及ばない。
【評語】人麻呂歌集の中心作家である人麻呂は、卷向山の麓に、妻を持つていた。それで春の頃、そこをおとずれてこの歌を成している。初三句は、實景を序に應用したもので、極めて有效に、情景を成している。
 
1814 古《いにしへ》の 人の植ゑけむ 杉が枝《え》に、
 霞棚引く。
 春は來《き》ぬらし。
 
 古人之殖兼《イニシヘノヒトノウヱケム》 杉枝《スギガエニ》
 霞霏※[雨/微]《カスミタナビク》
 春者來良芝《ハルハキヌラシ》
 
(15)【譯】昔の人の植えたと思われる杉の枝に、霞がたなびいている。春は來たらしい。
【釋】古人之殖兼 イニシヘノヒトノウヱケム。古の人は、誰とさす人はないのだろう。ウヱケムは、その杉の樹が植えられたものと見られるので、推量を使つている。連體句。
【評語】杉の樹の過去を追憶し、これを現在の背景としている。その杉の樹の説明は、春の來たそうなということと、何等の關係なくして、しかもこの歌の風情を成している。
 
1815 子らが手を 卷向《まきむく》山に、
 春されば、木《こ》の葉|凌《しの》ぎて霞たなびく
 
 子等我手乎《コラガテヲ》 卷向山丹《マキムクヤマニ》
 春去者《ハルサレバ》 木葉凌而《コノハシノギテ》 霏※[雨/微]《カスミタナビク》
 
【譯】あの子の手を卷く。その卷向山に、春になれば、木の葉をおおつて霞がたなびいている。
【釋】子等我手乎 コラガテヲ。枕詞。愛人の手を卷くの意に、卷向に冠する。卷の七に、一〇九三、一二六八の二例がある。これらはいずれも人麻呂集所出の歌であつて、この作者は、卷向山の麓に愛人を持つているので、特にこの枕詞を構成したものである。
 木葉凌而 コノハシノギテ。シノギテは、凌駕して。木の葉を蔽いつくして。
【評語】四句に強い語を使つておりながら、全體としては、春の歌にふさわしいやわらかさを持つている。初句の枕詞も、氣分を出す上に役立つている。
 
1826 玉かぎる 夕さり來《く》れば、
 獵人《さづびと》の 弓月《ゆつき》が嶽《たけ》に 霞たなびく。
 
 玉蜻《タマカギル》 夕去來者《ユフサリクレバ》
 佐豆人之《サヅビトノ》 弓月我高荷《ユツキガタケニ》
 霞※[雨/微]《カスミタナビク》
 
【譯】玉の光のような夕方になつてくれば、獵師の持つ弓の、弓月が嶽に霞がたなびいている。
(16)【釋】玉蜻 タマカギル。枕詞。「玉限《タマカギル》 夕去來者《ユフサリクレバ》」(卷一、四五)の例によつて、タマカギルと讀むものと推考される。夕に冠するほか、ほのか、石垣淵、ただ一目に冠している。語義は、玉の光を發する意だとされている。蜻は、蟲の名で、カギロというのを借りているだけである。
 佐豆人之 サヅビトノ。枕詞。サヅビトは、獵師。その持つ弓の意で、弓月に冠する。
 弓月我高荷 ユツキガタケニ。ユツキガタケは、卷向山中の高峰。卷向の弓月が嶽ともいう。高の字は、名詞としてタケに使つている。嶽の語義である。
【評語】枕詞を二つまで使つているが、煩わしくもなく、おちついた感じを出している。格別のこともないが、感じのよい歌である。
 
1817 今朝行きて 明日は來《こ》ねと
 云ひしがに、
 朝妻山《あさづまやま》に 霞たなびく。
 
 今朝去而《ケサユキテ》 明日者來年等《アシタハコネト》
 云子鹿丹《イヒシガニ》
 旦妻山丹《アサヅマヤマニ》 霏※[雨/微]《カスミタナビク》
 
【譯】わが妻が、今朝は歸つて明日はいらつしやいと云つたように、その朝妻山に霞がたなびいている。
【釋】明日者來年等云子鹿丹 アシタハコネトイヒシガニ。
  アスハコシトイフシカスガニ(類)
   ――――――――――
  明日者來年等云子鹿爾《アスハコムトイフシカスガニ》(神)
  明日者來牟等云子鹿丹《アスハキナムトシカスガニ》(童)
  明日者來牟等云愛也子《アスハコムチフハシキヤシ》(古義)
 年は、元暦校本、類聚古集による。諸本多く牟である。この歌の二三句は、從來諸説があつて、落ちつく所を知らなかつた。それは三句をシカスガニであるとする先人見があつて、それがために誤字説を立てざるを得(17)なかつたのである。今文字通りすなおに讀むこととした。アシタは朝の意の語であるが、「暮相而《ヨヒニアヒテ》 朝南無美《アシタオモナミ》」(卷一、六〇)のアシタは翌朝の意であり、「明者《アシタハ》 失等言《ウストイヘ》」(卷二、二一七)は明をアシタと讀んでいる。以上三句は空想で、相手の女が、今朝はもう歸つて行つて、明日は來よと云つたようにの意と解く。それで朝妻山のもようがそれに適うように霞がたなびいていると見たのである。ガニは、ほどに、ようにの意の助詞。「那利奴賀爾《ナリヌガニ》 古呂波伊敝杼母《コロハイヘドモ》」(卷十四、三五四三)。ガニが連體形を受ける例、「布流久左爾《フルクサニ》 仁比久佐麻自利《ニヒクサマジリ》 於非波於布流我爾《オヒバオフルガニ》」(卷十四、三四五二)。
 旦妻山丹 アサヅマヤマニ。アサヅマ山は、奈良縣南葛城郡、金剛山の一山である。
【評語】美しい地名を利用して美しい歌を成しているようである。初三句の空想と四五句の實景との配合が妙を得ている。次の歌と同時の作とすべきである。
 
(18)1818 子らが名に 懸けのよろしき
 朝妻の 片山ぎしに 霞たなびく。
 
 子等名丹《コラガナニ》 關之宜《カケノヨロシキ》
 朝妻之《アサヅマノ》 片山木之尓《カタヤマギシニ》 霞多奈引《カスミタナビク》
 
【譯】あの子の名としていうのにふさわしい朝妻山の、一方のがけで、霞がたなびいている。
【釋】子等名丹關之宜 コラガナニカケノヨロシキ。コラは、子ラガ手ヲのコラに同じく、愛人の稱である。その名にかけていうのがよろしいというので、朝妻の、ツマという語が好ましいのである。以上二句、朝妻の修飾句。
 片山木之尓 カタヤマギシニ。カタヤマギシは、山の一方が懸崖になつている地形。他方は、山つづきでも何でもよい。山についてキシという例は、「卷向之《マキムクノ》 木志乃子松二《キシノコマツニ》 三雪落來《ミユキフリケリ》」(卷十、二三一三)などあつて、川などの存在を條件としない。
【評語】言葉の美しい歌だ。初二句の、朝妻の地名からくる連想も美しい。作者は、あかるい氣もちで、朝妻の片山岸にたなびく霞を見ている。
 
右、柿本朝臣人麻呂歌集出
 
【釋】右柿本朝臣人麻呂歌集出 ミギハカキノモトノアソミヒトマロノウタノシフニイヅ。以上七首、いずれも霞の歌であるが、詠霞の題下に入れないで、ここに別置したのは、人麻呂集に小題を立てて分類してなかつたからであろう。春の相聞の部の初めにおける人麻呂集所出の歌の如きは、種々の題材がまじつている。
 
詠v鳥
 
【釋】詠鳥 トリヲヨメル。かような小題は、既に一部の資料に存在したものを受けているのであろう。それ(19)でかならずしも統一なく、野遊、歎舊の如き形のものをも存しているのであろう。詠鳥十三首のうち、鶯八首、喚子鳥四首、貌鳥一首である。
 
1819 うち靡く 春立ちぬらし。
 わが門の 柳のうれに 鶯鳴きつ。 
 
 打霏《ウチナビク》 春立奴良志《ハルタチヌラシ》
 吾門之《ワガカドノ》 柳乃宇禮尓《ヤナギノウレニ》 ?鳴都《ウグヒスナキツ》
 
【譯】草木の靡く春になつたらしい。わたしの門口の柳の枝先で鶯が鳴いている。
【釋】打霏 ウチナビク。枕詞。霏は、本集では、霏※[雨/微]と熟してタナビクに當てているので、ナビクに借用したのであろう。春は、草木の枝葉がなびくので、春に冠する。
 柳乃宇禮尓 ヤナギノウレニ。ヤナギは、わが門の柳といい、柳の字を使用しているのは、シダレヤナギをいうのだろう。ウレは、若い枝先だが、ここではむしろ柳の樹梢をさしているようである。
 ?鳴都 ウグヒスナキツ。?は鶯に同じ。古寫本みな?としている。
【評語】柳條に鶯を配して、それによつて春の來たことを推量している。美しい歌だ。事實にもとづいて暦面の春の來たことを推量している。
 
1820 梅の花 咲ける岡邊に 家|居《を》れば、
 乏しくもあらず。
 鶯の聲。
 
 梅花《ウメノハナ》 開有岳邊尓《サケルヲカベニ》 家居者《イヘヲレバ》
 乏毛不v有《トモシクモアラズ》
 ?之音《ウグヒスノコヱ》
 
【譯】梅の花の咲いている岡邊に家居しているので、すくなくもないことだ。鶯の聲は。
【釋】家居者 イヘヲレバ。家居しておれば。家に動詞が接續して熟語を作ることは、「伊敝社可利伊摩須《イヘザカリイマス》」(20)(卷五、七九四)の例がある。
 乏毛不有 トモシクモアラズ。トモシは、すくない意に使つている。かような用法には、「夜隱爾《ヨゴモリニ》 出來月乃《イデクルツキノ》 光乏寸《ヒカリトモシキ》」(卷三、二九〇)、「奈爾之可母《ナニシカモ》 安吉爾之安良禰波《アキニシアラネバ》 許等騰比能《コトドヒノ》 等毛之伎古良《トモシキコラ》」(卷十八、四一二五)の如きがある。句切。
【評語】春の風趣に樂しんでいる家居のさまがよく描かれている。そこに住む主人の心のゆたかな姿も思いやられる。梅とウグイスとの照應もよく歌われている。「戀乍裳《コヒツツモ》 稻葉掻別《イナバカキワケ》 家居者《イヘヲレバ》 乏不v有《トモシクモアラズ》 秋之暮風《アキノユフカゼ》」(卷十、二二三〇)と同型の歌で、それに比して無理なところがない。
 
1821 春霞 流るるなへに、
 青柳《あをやぎ》の 枝|喙《く》ひ持ちて、鶯鳴くも。
 
 春霞《ハルガスミ》 流共尓《ナガルルナヘニ》
 青柳之《アヲヤギノ》 枝喙持而《エダクヒモチテ》 ?鳴毛《ウグヒスナクモ》
 
【譯】春霞が流れるおりしも、青柳の枝をくわえて鶯が鳴いている。
【釋】流共尓 ナガルルナヘニ。ナガルは、普通水に言つているが、ここは霞の移動を描いている。「天之四具禮能《アメノシグレノ》 流相見者《ナガラフミレバ》」(卷一、八二)、「櫻花《サクラバナ》 散流歴《チリテナガラフ》」(卷十、一八六六)など、フに相當する文字のある場合は、ナガラフと讀み、流一字の場合はナガルルと讀んでいる。ナヘニは、と共にの意の助詞で、共爾の字は、よくその意をあらわしている。
 枝喙持而 エダクヒモチテ。枝をくわえてで、柳の枝に鶯のいて鳴くのを歌つているが、正倉院御物の圖案にある花喰い鳥の模樣などを思い起している敍述であろう。言語どおりに解しては、枝を口にしては鳴かれない。喙はクチバシで、口にする意に使つている。
【評語】美しい風景だが、作りものふうのところがあるのは、三四五句の敍述に、空想の要素があるからであ(21)る。しかしそれがこの歌の特色になつている。
 
1822 わが夫子を な巨勢《こせ》の山の 喚子鳥《よぶこどり》、
 君|喚《よ》びかへせ。
 夜の深《ふ》けぬとに。
 
 吾瀬子乎《ワガセコヲ》 莫越山能《ナコセノヤマノ》 喚子鳥《ヨブコドリ》
 君喚變瀬《キミヨビカヘセ》
 夜之不v深刀尓《ヨノフケヌトニ》
 
【譯】あの方が山を越さないようにと思う。その巨勢の山の喚子鳥よ、あの方を喚び返してください。夜の更けないうちに。
【釋】吾瀬子乎莫越山能 ワガセコヲナコセノヤマノ。ワガセコヲナまでは、わが夫子を巨勢の方へ來させるなの意をもつて序詞となつている。思う男が巨勢山を越えて行くので、そちらへ來させたくない心を敍して、序詞に利用している。コセノヤマは巨勢山で、奈良縣南葛城郡の地名。紀伊の國へ行く道。
 喚子鳥 ヨブコドリ。數出した。カツコウ鳥だという。
 君喚變瀬 キミヨビカヘセ。キミは作者の夫。その立ち去つたのを喚び返せという。句切。
 夜之不深刀尓 ヨノフケヌトニ。トニは、うちに、ほどになどの意をあらわしている。この語は、「于魔伊禰矢度?《ウマイネシトニ》」(日本書紀九六)、「古非之奈奴刀爾《コヒシナストニ》」(卷十五、三七四七、三七四八)、「左欲布氣奴刀爾《サヨフケトニ》」(卷十九、四一六三)、「和我可敝流刀爾《ワガカヘルトニ》」(卷二十、四三九五)の諸例がある。このトは、時の義とする解があるが、時のトは、乙類のトであるに對して、このトニのトは、甲類のトであつて、ト(戸、外)、ホド(程)などのトと同種である。ニは助詞と考えられる。
【評語】ヨブコドリの鳴き聲が人を呼ぶように聞えるので、それによつて一首を構成している。序詞の用法が巧みにできており、四句と呼應している。巧みな歌というべきである。
 
(22)1823 朝ゐでに 來《き》鳴く貌鳥《かほどり》、
 汝《なれ》だにも 君に戀ふれや、
 時|終《を》へず鳴く。
 
 朝井代尓《アサヰデニ》 來鳴杲鳥《キナクカホドリ》
 汝谷文《ナレダニモ》 君丹戀八《キミニコフレヤ》
 時不v終鳴《トキヲヘズナク》
 
【譯】朝の井堰に來て鳴く貌鳥よ、お前のような者でも、君に戀うているのか、やまずに鳴いている。
【釋】朝井代尓 アサヰデニ。ヰデは、井のつつみ。井には井堰があるのでヰデというのだろう。
 來鳴杲鳥 キナクカホドリ。杲は、カウの音の字であるが、集中、「朝杲《アサガホ》」(卷十、二一〇四)など、カホの音の表示に使用されている。これは、高をカグの音に使用しているものと同樣に、字音の誤解からきているのであろう。カホドリは問題の鳥で、何の鳥とも知られない。「容鳥能《カホドリノ》 間無數鳴《マナクシバナク》」(卷三、三七二)の如く、間ナクシバ鳴クと敍したものが多い。このカホは、貌花などのカホと同じく、美しく大きいことを意味するのだろう。特定の鳥の名とも思われない。この句は、その鳥を呼びかけている。
 汝谷文 ナレダニモ。ダニは、それだけででもの意をあらわすので、お前のような者でもの意になる。自分たちのことはしばらく別としての意である。
 君丹戀八 キミニコフレヤ。コフレヤは、已然條件法で、戀うからかの意。
 時不終鳴 トキヲヘズナク。トキヲヘズは、鳴く時の終りがなくで、いつまでも止まずに、絶えずにの意となる。
【評語】貌鳥に寄せて、自分の戀に泣いていることを歌つている。朝ヰデに來鳴ク貌鳥を呼んでいるのは美しく、歌の作られた時處を説明している。「湯原爾《ユノハラニ》 鳴蘆多頭者《ナクアシタヅハ》 如v吾《ワカゴトク》 妹爾戀哉《イモニコフレヤ》 時不v定鳴《トキワカズナク》」(卷六、九六一大伴の旅人)と同型で、湯の原にの歌は、亡き妻に對する戀なので悲痛に詠まれ、これは現在の戀であかるく(23)歌われている。
 
1824 冬ごもり 春さり來らし。
 あしひきの 山にも野にも 鶯鳴くも。
 
 冬隱《フユゴモリ》 春去來之《ハルサリクラシ》
 足比木乃《アシヒキノ》 山二文野二文《ヤマニモノニモ》 ?鳴裳《ウグヒスナクモ》
 
【譯】冬が終つて春になるらしい。山でも野原でもウグイスが鳴いている。
【釋】冬隱 フユゴモリ。冬が終つて。多の終りから。
 春去來之 ハルサリクラシ。春サリ來レバの句は、集中に多く、來ることを、サリクという。句切。
【評語】初句は、冬のあいだから春を待つている心を描いて、よく利いている。山野の到る處に鶯の鳴く春の情景が歌われている。春の概念が既に固定していることは、この歌のみのことではないが、注意される。
 
1825 紫草《むらさき》の 根延《ねは》ふ横野の 春野には、
 君を懸《か》けつつ 鶯鳴くも。
 
 紫之《ムラサキノ》 根延横野之《ネハフヨコノノ》 春野庭《ハルノニハ》
 君乎懸管《キミヲカケツツ》 ?名雲《ウグヒスナクモ》
 
【譯】紫草が根を伸ばしている横野の春の野では、君を思つてウグイスが鳴いている。
【釋】紫之 ムラサキノ。ムラサキは、紫草で、ここは草の名として用いている。美しい色の連想があつて使われている。
 根延横野之 ネハフヨコノノ。ネハフは、根の伸びている。根を張つている。横野は、地名。今大阪府中河内郡|巽《たつみ》町に横野神社があり、延喜式神名帳にも載つている。この邊、大伴氏の本居であつたと考えられる伴《ばん》林に近い。
 春野庭 ハルノニハ。横野、すなわちその春野では。
(24) 君乎懸管 キミヲカケツツ。カケツツは、心に懸けつつで、鶯までが君を思いつつである。
【評語】鶯に寄せて、作者の戀を歌つている。これも美しい句を使つて、よくその情緒を寫している歌である。
 
1826 春しあれば 妻を求むと、
 鶯の、木末《こぬれ》を傳ひ 鳴きつつ、もとな。
 
 春之在者《ハルシアレバ》 妻乎求等《ツマヲモトムト》
 ?之《ウグヒスノ》 木末乎傳《コヌレヲツタヒ》 鳴乍本名《ナキツツモトナ》
 
【譯】春なので、妻を求めると、鶯が、木の枝先を傳つて、せつに鳴いている。
【釋】春之在者 ハルシアレバ。ハルサレバと讀まれていたが、サレバは、去ればで、春の來ることをいい、サレは動詞と考えられる。ここに之在の字を使つているのは、やはり文字通り讀むのが順當で、春があればであろう。下にもなお二個處まで例がある。催馬樂《さいばら》の貫河《ぬきがは》に「しかされば」というのは、然シアレバの約と見られるから、春シアレバは、春サレバの歴史的記載であるかもしれない。
 鳴乍本名 ナキツツモトナ。モトナは、せつに、またはよしなしの意の副詞で、ツツモトナは、引き續いて、せつに、または、よしなくの意のことが行われることをあらわす。「舊都乎《フルキミヤコヲ》 令v見乍本名《ミセツツモトナ》」(卷三、三〇五)などによつてその用法を知るべきである。ここはせつにの意。
【評語】鶯の鳴く聲に、自分の戀の催されて致し方のない心である。春の風物に引かれる心が歌われている。
 
1827 春日《かすが》なる 羽買《はがひ》の山ゆ
 佐保の内へ 鳴き行くなるは、
 誰喚子鳥《たれよぶこどり》。
 
 春日有《カスガナル》 羽買之山從《ハガヒノヤマユ》
 狹帆之内敝《サホノウチヘ》 鳴往成者《ナキユクナルハ》
 孰喚子鳥《タレヨブコドリ》。
 
【譯】春日の羽買の山を通つて佐保の地内へ鳴いて行くのは、誰を呼ぶヨブコドリか。
(25)【釋】春日在羽買之山從 カスガナルハガヒノヤマユ。この歌によつて、ハガヒの山が春日にあることが知られる。このハガヒの山は、「大鳥《オホトリノ》 羽貝乃山爾《ハガヒノヤマニ》」(卷二、二一〇)と同じ山であろう。ユは、そこから通つて。
 狹帆之内敝 サホノウチヘ。サホは、佐保川を中心とした地で、ウチは、その一劃をいう。佐保川を中心として、見渡される兩岸一帶の地の謂である。「佐保乃内爾《サホノウチニ》」(卷六、九四九)など、用例が多い。
 孰喚子鳥 タレヨブコドリ。ヨブコドリは、人を呼ぶような聲の鳥なので、名とされている。よつて誰を呼んで鳴く喚子鳥ぞと言つたものである。この鳥が鳴きながら飛ぶことは、この下にも數首ある。
【評語】喚子鳥の聲に興じた歌である。「瀧の上の三船の山ゆ秋津邊に來鳴き渡るは誰喚子鳥」(卷九、一七一三)と類型の歌である。誰喚子鳥の句は、氣のきいた句として慣用されていたのであろう。
 
1828 答へぬに な喚《よ》び響《とよ》めそ。
 喚子鳥《よぶこどり》、
 佐保の山邊を 上《のぼ》り下《くだ》りに。
 
 不答尓《コタヘヌニ》 勿喚動曾《ナヨビトヨメソ》
 喚子鳥《ヨブコドリ》
 佐保乃山邊乎《サホノヤマベヲ》 上下二《ノボリクダリニ》
 
【譯】返事をしないのに喚び立てるな。喚子鳥よ、佐保の山邊を上り下りして。
【釋】不答尓勿喚動曾 コタヘヌニナヨビトヨメソ。喚子鳥が鳴いて人をよんでも、答が無いのだから、そのように鳴いて音を立てるな。句切。
 上下二 ノボリクダリニ。山に沿つて上りまた下る、その上下に。
【評語】喚子鳥が鳴いても應ずる者の無いのを歌つているが、これによつて作者の寂寥感が描かれている。これも鳥に歌いかけた歌の一つである。
 
(26)1829 梓弓 春山近く 家居して、
 續《つ》ぎて聞くらむ。
 鶯のこゑ。
 
 梓弓《アヅサユミ》 春山近《ハルヤマチカク》 家居之《イヘヰシテ》
 續而聞良牟《ツギテキクラム》
 ?之音《ウグヒスノコヱ》
 
【譯】梓弓を引いて張る。その春山の近くに家居して、續いて聞いているだろう。鶯の聲は。
【釋】梓弓 アヅサユミ。枕詞。弓に弦を懸けることをハルというので、春に冠する。
 家居之 イヘヰシテ。古義にイヘヲラシと讀んでいるが、それでは、四句の續ギテ聞クラムとの照應が成立しない。ラシに對しては事實の敍述であるべきである。之をシテと讀むのは、テに當る字を脱したか、またはこのままで讀むかであるが、いずれとも決しがたい。またイヘヰセシと、敬語の中止形に讀むことも考えられる。
 續而聞良牟 ツギテキクラム。ツギテは、繼績して。この句は、終止形と見られる。
【評語】春山の近くに家居している人に贈つた歌で、前の梅ノ花咲ケル岡邊ニの歌は、この歌の返しとしても解せられる歌である。春山近い人の家居をうらやむ氣もちがよく描かれている。
 
1830 うち靡く 春さり來《く》れば、
 小竹《しの》のうれに 尾羽《をは》うち觸《ふ》れて
 鶯鳴くも。
 
 打靡《ウチナビク》 春去來者《ハルサリクレバ》
 小竹之末丹《シノノウレニ》 尾羽打觸而《ヲハウチフレテ》
 ?鳴毛《ウグヒスナクモ》
 
【譯】草木の靡く春になつてくれば、小竹の葉先に尾を觸れてウグイスが鳴くことだ。
【釋】小竹之末丹 シノノウレニ。小竹の若い葉先に。
 尾羽打觸而 ヲハウチフレテ。ヲハは、鶯の尾の羽。フレは、從來四段活としてフリと讀まれていたが、使(27)役の語意であるから、下二段活としてフレと讀むがよいであろう。「仁必波太布禮思《ニヒハダフレシ》 古呂之可奈思母《コロシカナシモ》」(卷十四、三五三七)、「伎美我手敷禮受《キミガテフレズ》 波奈知良米夜母《ハナチラメヤモ》」(卷十七、三九六八)など、フレの形で連用形を作つている例がある。
【評語】小竹の葉末に尾羽を觸れてと、鶯の鳴く形を描寫したのが鮮明でよい。春になつた喜びの感じられる歌である。
 
1831 朝霧に しののに濡れて、
 喚子鳥《よぶこどり》 三船の山ゆ 鳴き渡る見ゆ。
 
 朝霧尓《アサギリニ》 之努々尓所沾而《シノノニヌレテ》
 喚子鳥《ヨブコドリ》 三船山從《ミフネノヤマユ》 喧渡所v見《ナキワタルミユ》
 
【譯】朝霧にしつとり濡れて、ヨブコドリが、三船の山を通つて、鳴いて行くのが見える。
【釋】之努々尓所沾而 シノノニヌレテ。シノノニは、しとどにで、びつしより濡れる形容である。下にも「聞津八跡《キキツヤト》 君之問世流《キミガトハセル》 霍公鳥《ホトトギス》 小竹野爾所v沾而《シノノニヌレテ》 從v此鳴綿流《コユナキワタル》」(卷十、一九七七)ともある。
 三船山從 ミフネノヤマユ。ミフネノ山は、吉野山中の一山で、卷の六にも見えている。ユは、を通つて。
【評語】朝霧の中を喚子鳥が鳴いて行くのを歌つている。その鳥を敍することによつて深山の朝の空氣が描かれている。氣分においてすぐれている作品だ。
 
詠v雪
 
【釋】 詠雪 ユキヲヨメル。諸本にこの題無く、ただ神田本のみにある。以下は春の雪の歌であるから、あるを可とすべきである。春の部に詠雪の題のあるを不審として、何時しか落したものであろう。
 
1832 うち靡く 春さり來《く》れば、
(28) しかすがに 天雲《あまぐも》霧《き》らひ
 雪は零《ふ》りつつ。
 
 打靡《ウチナビク》 春去來者《ハルサリクレバ》
 然爲蟹《シカスガニ》 天雲霧相《アマグモキラヒ》
 雪者零管《ユキハフリツツ》
 
【譯】草木の靡く春になつてくれば、そうあるほどに雲が曇つて雪は降つている。
【釋】然爲蟹 シカスガニ。それはそうだが、そうあるほどになどの意の副詞。然するに助詞ガニが接續してできた熟語であろう。「安蘇々二破《アソソニハ》 且者雖v知《カツハシレドモ》 之加須我仁《シカスガニ》 黙然得不v在者《モダエアラネバ》」(卷四、五四三)、「荒礒超《アリソコス》 浪者恐《ナミハカシコシ》 然爲蟹《シカスガニ》 海之玉藻之《ウミノタマモノ》 憎者不v有手《ニククハアラズテ》」(卷七、一三九七)などあり、以下にも數出している。
 天雲霧相 アマグモキラヒ。アマグモは、雲のこと。天にあるものだからいう。キラヒは、雲でかき曇つているをいう。
【評語】春が來たのに、自然現象のかならずしも應じないことを歌つている。季節の觀念に對して矛盾した情景が、不平不安を感じさせるのである。暦の知識の行きわたつた時代の作というべきである。以下シカスガニを表現の中心とする作が數首見えるのは、同一人の作なのだろう。
 
1833 梅の花 零《ふ》り蔽《おほ》ふ雪を つつみ持ち
 君に見せむと、取れば消につつ。
 
 梅花《ウメノハナ》 零覆雪乎《フリオホフユキヲ》 裹持《ツツミモチ》
 君令v見跡《キミニミセムト》 取者消管《トレバケニツツ》
 
【譯】梅の花を零り覆つている雪を包んで持つて、君に見せようと手に取れば、消えて行きます。
【釋】零覆雪乎 フリオホフユキヲ。降つて梅花をおおう雪を。
 裹持 ツツミモチ。紙か何かに包んで。モチは添えた語。
 君令見跡 キミニミセムト。他に「於v公令v視跡《キミニミセムト》 取者消管《トレバケニツツ》」(卷十一、二六八六)に、公にとあり、ここも君にとする方が穩當のようであるが、字面として、君爾とある本を採らないとすれば、キミガとも讀まれる。(29)しかしニを讀み添える例は多いから、今キミニとする。
 取者消管 トレバケニツツ。動詞消ユは、下二段活であるが、その連用形キエは、多くの場合約してケとなり、キエの原形で使用されたと見える例は「心佐閉《ココロサヘ》 消失多列夜《キエウセタレヤ》」(卷九、一七八二)の如きがあるだけである。よつてここも「將v落雪之《フリナムユキノ》 空爾消二管《ソラニケニツツ》」(卷十、二三一七)などの例によつて、トレバケニツツと讀む。
【評語】雪を愛する風雅な心が歌われている。實生活の煩累を感じない、のんびりした生活樣式である。これが當時の貴族たちのあいだに育てられていた世界であつた。これは漢文學の影響を受けて興つた所である。
 
1834 梅の花 咲き散り過ぎぬ。
 しかすがに
 白雪庭に 零り重《し》きにつつ。
 
 梅花《ウメノハナ》 咲落過奴《サキチリスギヌ》
 然爲蟹《シカスガニ》
 白雪庭尓《シラユキニハニ》 零重管《フリシキニツツ》
 
【譯】梅の花は咲いて散つてしまつた。そうするほどに白雪は庭前に零り積つている。
【釋】咲落過奴 サキチリスギヌ。咲いて散り過ぎ去つた。散り過ぐという表現がある。散り去る意である。「烏梅能波奈《ウメノハナ》 伊麻左家留期等《イマサケルゴト》 知利須義受《チリスギズ》」(卷五、八一六)、「佐久良波奈《サクラバナ》 知利加須疑奈牟《チリカスギナム》」(卷二十、四三九五)。句切。
 白雪庭尓 シラユキニハニ。ニハは、屋前の廣場をいう。
 零重管 フリシキニツツ。フリカサネツツ(元)、フリシキニツツ(考、千蔭)、フリシキリツツ(古義)。重をシキルと讀んだ例は無く、ここは降り積る意であるからフリシキニツツと讀む。雪にはフリシクとのみ言つて、フリシキルとはいわない。しかし、シキルは、「四寸流思良名美《シキルシラナミ》」(卷六、九三七)の例があるが、これも波には多くシクとのみいう。
(30)【評語】梅花の過ぎ去つたのに、なお雪の頻りに降ることを敍し、その間の矛盾に興を感じている。梅花や雪などの自然現象に季節の觀念が結合したのである。
 
1835 今更に 雪|零《ふ》らめやも。
 かぎろひの 燎《も》ゆる春べと
 なりにしものを。
 
 今更《イマサラニ》 雪零目八方《ユキフラメヤモ》
 蜻火之《カギロヒノ》 燎留春部常《モユルハルベト》
 成西物乎《ナリニシモノヲ》
 
【譯】もう今は雪は零らないだろう。かげろうの立つ春となつたものだ。
【釋】蜻火之 カギロヒノ。カギロヒは、陽炎。春の頃、地上から立ち動く氣である。
 燎留春部常 モユルハルベト。モユルは、陽炎の立つをいう。カギロヒの語に、火を連想しているのだろう。元來、地上から氣の立つのをモユとはいうが。
 成西物乎 ナリニシモノヲ。モノヲは、モノヨに同じだが、それだがの意を含んで使用される。
【評語】すつかり春になつて、もう雪の降ることはないだろうという、ほつとした氣もちを詠んでいる。この歌などは、風雅心ばかりでなく、實生活に即しているところが殘つている。
 
1836 風まじり 雪はふりつつ、
 しかすがに
 霞たなびき 春さりにけり。
 
 風交《カゼマジリ》 雪者零乍《ユキハフリツツ》
 然爲蟹《シカスガニ》
 霞田菜引《カスミタナビキ》 春去尓來《ハルサリニケリ》
 
【譯】風がまじつて雪はふりながら、それだのに霞がたなびいて春になつてしまつたことだ。
【釋】風交雪者零乍 カゼマジリユキハフリツツ。雪の零るのが主になり、風も加わつている意である。「風(31)雜《カゼマジリ》 雨布流欲乃《アメフルヨノ》 雨雜《アメマジリ》 雪布流欲波《ユキフルヨハ》」(卷五、八九二)「風交《カゼマジリ》 雪者雖v零《ユキハフレドモ》」(卷八、一四四五)などの例がある。
【評語】前出の「打靡《ウチナビク》 春去來者《ハルサリクレバ》 然爲蟹《シカスガニ》 天雲霧相《アマグモキラヒ》 雪者零管《ユキハフリツツ》」(卷十、一八三二)を逆にしたような歌である。同一人の作だろう。雪はふつているが、一方霞のたなびいている特殊な風光が描かれている。
 
1837 山の際《ま》に 鶯鳴きて、
 うち靡く春と念《おも》へど、雪降り重《し》きぬ。
 
 山際尓《ヤマノマニ》 ?喧而《ウグヒスナキテ》
 打靡《ウチナビク》 春跡雖v念《ハルトオモヘド》 雪落布沼《ユキフリシキヌ》
 
【譯】山の間では鶯が鳴いて、草木の靡く春と思うけれども、雪がふり積つている。
【釋】山際尓 ヤマノマニ。ヤマノマは、山と山との合う處。山の間。
 雪落布沼 ユキフリシキヌ。フリシクは、零り積るをいう。「比佐可多能《ヒサカタノ》 安米波布里之久《アメハフリシク》」(卷二十、四四四三)など、雨にいう例があるが、雪では積るをいう。
【評語】やはり春ということに拘泥している。こういうものが春だとする、その概念が固定したのである。これは時代の勢いだが、この作者は、特にそういう思想を持つているらしい。
 
1838 峯《を》の上《うへ》に 零《ふ》り置ける雪し、
 風の共《むた》 此處《ここ》に散るらし。
 春にはあれども。
 
 峯上尓《ヲノウヘニ》 零置雪師《フリオケルユキシ》
 風之共《カゼノムタ》 此間散良思《ココニチルラシ》
 春者雖v有《ハルニハアレドモ》
 
【譯】峯の上にふつて置いた雪が、風と共に、ここに散るのだろう。春ではあるけれども。
【釋】峯上尓 ヲノウヘニ。ヲは山の稜線の高みをいう。
 零置雪師 フリオケルユキシ。ふり積つてある雪が。シは助詞。
(32) 此間散良思 ココニチルラシ。ココは、作者の居る處で、峯を仰ぐ位置にいたのだろう。
【評語】雪のふるべしとも見えない空から、雪の數片がふつてくるのを、峯の雪が風に散るかと興じたのだろう。末句の春ニハアレドモは、やはり前の歌あたりと、同じ作者であるように思わせる。
 
右一首、筑波山作
 
右の一首は、筑波山にて作れる。
 
【釋】筑波山作 ツクハヤマニテツクレル。この卷中、註をもつて作歌の場處を語つている唯一の例である。作者は、例によつて誰とも知られない。
 
1839 君がため 山田の澤に ゑぐ採《つ》むと、
 雪消《ゆきげ》の水に 裳の裾ぬれぬ。
 
 爲v君《キミガタメ》 山田之澤《ヤマダノサハニ》 惠具採跡《ヱグツムト》
 雪消之水尓《ユキゲノミヅニ》 裳裾所v沾《モノスソヌレヌ》
 
【譯】あの方のために、山田の澤でエグを採むとして、雪消の水のために、裳の裾を濡らした。
【渾】爲君 キミガタメ。作者は女だから、キミは、その夫である。
 惠具採跡 ヱグツムト。ヱグは、カヤツリグサ科の多年生草本、クロクワイ。池沼等の水中に生じ、塊莖《かいけい》は、食うことができる。採むといい、雪消の頃であるので、その芽を採んだようにも取れるがやはり塊莖だろう。「足檜之《アシヒキノ》 山澤〓具乎《ヤマサハヱグヲ》 採將v去《ツミユカム》 日谷毛相爲《ヒダニモアハセ》 母者責十方《ハハハセムトモ》」(卷十一、二七六〇)。
(33) 裳裾所沾 モノスソヌレヌ。モは、婦人の下半身に纏う衣裳。これによつて、作者が女子であることが知られる。
【評語】春の山村の情趣が歌われている。ヱグに添えて贈つた歌かも知れない。裳の裾を濡らしたというのは、作者があまりそういう事に慣れていないことを語るのであろう。塊莖に添えて贈つたので、實際に、自分の採んだヱグではないのだろう。
 
1840 梅が枝《え》に 鳴きて移ろふ 鶯の、
 羽《はね》白細に 沫雪ぞ降る。
 
 梅枝尓《ウメガエニ》 鳴而移徙《ナキテウツロフ》 ?之《ウグヒスノ》
 翼白妙尓《ハネシロタヘニ》 沫雪曾落《アハユキゾフル》
 
【譯】梅の枝に鳴いて枝移りをするウグイスの、羽根がまつ白に沫のような雪がふつている。
【釋】鳴而移徙 ナキテウツロフ。ウツロフは、それからそれへと枝移りをするをいう。ウツロフは、假字書きのものも多いが、それはいずれも變化する、褪色するの意のもので、移動する意のものには、假字書きの例がない。
 翼白妙尓 ハネシロタヘニ。シロタヘは、ここでは白色の意に使つている。
 沫雪曾落 アワユキゾフル。アワユキは沫のような大形の雪。
【評語】鶯ノ羽根シロタヘニというのは、誇張で、事實ではない。綺麗にできているが、作り歌で、素朴感に乏しいのはやむを得ない。
 
1841 山高み 降り來《く》る雪を、
 梅の花 散りかも來《く》ると
 念《おも》ひつるかも。
 
 山高三《ヤマタカミ》 零來雪乎《フリクルユキヲ》
 梅花《ウメノハナ》 落鴨來跡《チリカモクルト》
 念鶴鴨《オモヒツルカモ》
 
(34)【譯】山が高いのでふつてくる雪を、梅の花が散つてくるのかと、思つたことだ。
【釋】落鴨來跡 チリカモクルト。散つてかくると。空からふる雪をいうので、山から散る意ではないだろう。カモ、係助詞。
【評語】梅花が雪にまがうというのは、後の歌に多いが、ここでは、ふる雪を、梅花かと疑つており、それをすなおに表現したところに、純な氣もちがある。風流がつてはいるが、作爲の跡の強くないのがよい。
 
一云、梅花《ウメノハナ》 開香裳落跡《サキカモチルト》
 
一は云ふ、梅の花 咲きかも散ると。
 
【釋】一云梅花関香裳落跡 アルハイフ、ウメノハナサキカモチルト。前の歌の三四句の別傳である。サキカモテルということ「烏梅能波奈《ウメノハナ》 和企弊能曾能爾《ワギヘノソノニ》 佐伎弖知流美由《サキテチルミユ》」(卷五、八四一)の如き例があつて、散ることの前提としての咲くを言つているのが特色である。
 
1842 雪を除《お》きて 梅にな戀ひそ。
 あしひきの 山|片附《かたつ》きて 家居せる君。
 
 除雪而《ユキヲオキテ》 梅莫戀《ウメニナコヒソ》
 足曳之《アシヒキノ》 山片就而《ヤマカタツキテ》 家居爲流君《イヘヰセルキミ》
 
【譯】雪をさしおいて梅に戀をなさるな。裾を引いている山に寄つて家居をしているあなた。
【釋】除雪而 ユキヲオキテ。雪の風趣の捨てがたいのをさしおいて。
 梅莫戀 ウメニナコヒソ。從來ウメヲナコヒソと讀まれていたが、戀フは助詞ニを受ける語であるから、ウメニナコヒソと讀むべきである。脇屋眞一君の注意による。句切。
 山片就而 ヤマカタツキテ。一方は山について。
(35)【評語】問答の歌であつて、新人をもつて舊人を捨てるなというような寓意がありそうである。雪の風趣を説いているが、具體的に雪の美を説かないので、迫力に乏しい。四五句の敍述は、全體に對してよく利いている。
 
右二首、問答
 
【釋】右二首問答 ミギノフタツハトヒコタヘ。かように左註で問答と註したものと、小題を掲げて問答としたものとあつて、統一はない。これらも資料によるものであろう。
 
詠v霞
 
1843 昨日こそ 年は極《は》てしか。
 春霞、春日《かすが》の山に はや立ちにけり。
 
 昨日社《キノフコソ》 年者極之賀《トシハハテシカ》
 春霞《ハルガスミ》 春日山尓《カスガノヤマニ》 速立尓來《ハヤタチニケリ》
 
【譯】昨日こそ年は暮れたのだ。それだのにもう春霞が春日の山に立つている。
【釋】昨日社年者極之賀 キノフコソトシハハテシカ。昨日一年の終つたことを敍して、今日の新年であることを含ませている。係助詞コソを含む文を前提とする一つの格になる。句切。
【評語】暦面の新年になつて、春の景象のあらわれたことを歌つている。理くつが先になつている作である。殊に昨日コソ年ハ極テシカと、まず暦の推移に重點を置いた言い方がわるいのである。「ひさかたの天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも」(卷十、一八一二)の方は、自然の景象の敍述が中心になつているので、兩者を比較すると、その優劣がよくわかる。「昨日こそ早苗とりしか。いつのまに稻葉そよぎて秋風の吹く」(古今和歌集)など、この格の歌である。
 
(36)1844 寒《ふゆ》過ぎて 暖《はる》來《きた》るらし。
 朝日さす 春日《かすが》の山に 霞たなびく。
 
 寒過《フユスギテ》 暖來良思《ハルキタルラシ》
 朝烏指《アサヒサス》 滓鹿能山尓《カスガノヤマニ》 霞輕引《カスミタナビク》
 
【譯】冬が過ぎて春がきたらしい。朝日のさしている春日の山に、霞がたなびいている。
《釋】寒過暖來良思 フユスギテハルキタルラシ。寒の字を冬に、暖の字を春に當てて書いている。冬が過ぎて春が來たことに對して、寒い季節から脱出した感じが、かような文字づかいをするもととなつている。季節の推移を敍しているのだが、かような實感の裏づけがあることを語る。下にも「寒過《フユスギテ》 暖來者《ハルシキタレバ》」(卷十、一八八四)とある。句切。
 朝烏指 アサヒサス。烏は、日の義に使用している。漢籍に、太陽を金烏といい、日の中に三本足の烏がいるとしている。この句は實景で、春日の山を修飾している。
 滓鹿能山尓 カスガノヤマニ。滓鹿は、訓假字。春日に同じ。
 霞輕引 カスミタナビク。輕引は、義をもつて當てている。
【評語】上記のように、寒い季節から脱却し得た氣持で字を使用し、それは作者の用字がそのままに殘つていると考えられる。冬過ギテ春來ルラシという。幾分くどい云い方が、かえつて效果を現わしている。それに對して三句以下の敍述は、極めて美しい。殊に第三句がよく利いている。「春過ぎて夏來るらし。しろたへの衣ほしたり。天のかぐ山」(卷一、二八)。
 
1845 鶯の 春になるらし。
 春日《かすが》山 霞たなびく。
 夜目《よめ》に見れども。
 
 ?之《ウグヒスノ》 春成良思《ハルニナルラシ》
 春日山《カスガヤマ》 霞棚引《カスミタナビク》
 夜目見侶《ヨメニミレドモ》
 
(37)【譯】鶯の鳴く春になるらしい。春日山に霞がたなびいている。夜目に見るのだが。
【釋】?之春成良思 ウグヒスノハルニナルラシ。鶯ノ春は、ウグイスが時を得がおにさえずる春をあらわしている。句切。
 夜目見侶 ヨメニミレドモ。ヨメは、夜間に見る目。
【評語】鶯ノ春の語は、大膽な表現で、よく春の世界を描くに足りる。夜間見ても霞がたなびいているのがわかることを歌つているのも珍しい。もつとも夜の霞を詠んだ歌には「大葉山《オホバヤマ》 霞蒙《カスミタナビキ》 狹夜深而《サヨフケテ》 吾船將v泊《ワガフネハテム》 停不v知文《トマリシラズモ》」(卷七、一二二四)などあるにはあるが、いずれも實景に即してでなければ、云えない所だ。
 
詠v柳
 
1846 霜枯れの 冬の柳は、
 見る人の 蘰《かづら》にすべく 萌えにけるかも。
 
 霜干《シモガレノ》 冬柳者《フユノヤナギハ》
 見人之《ミルヒトノ》 蘰可v爲《カヅラニスベク》 目生來鴨《モエニケルカモ》
 
【譯】霜枯れの冬の柳は、見る人の蘰にするように、芽ぷいたことだ。
【釋】冬柳者 フユノヤナギハ。このヤナギはシダレヤナギであろう。
 蘰可爲 カヅラニスベク。カヅラは、植物をわがねて、頭髪の上に頂くもの。もと魔よけの思想に起り、この集では、風流の遊びになつている。ここも風流の氣もちである。
 目生來鴨 モエニケルカモ。古くモエニケルカモと讀ん(38)でいる。下に「毛延爾家留可聞《モエニケルカモ》」(一八四八)と假字書きにしたものもあり、目生をもつて義書したものと見るべきである。文字に即してはメバエケルカモとも讀まれる。
【評語】霜ガレノ冬ノ柳というのは、云い過ぎている。やはり冬の季節感に囚われたのだろう。新柳に對して、風流の氣の誘われるのを、見る人の蘰にすべしと敍したのは巧みである。
 
1847 淺緑 染《し》み掛けたりと 見るまでに、
 春の楊《やなぎ》は 萌えにけるかも。
 
 淺緑《アサミドリ》 染懸有跡《シミカケタリト》 見左右二《ミルマデニ》
 春楊者《ハルノヤナギハ》 目生來鴨《モエニケルカモ》
 
【譯】うすい緑色に、色をかけたと見るまでに、春のヤナギは、芽ぶいたことだ。
【釋】染懸有跡 シミカケタリト。シミカケは、染めて色をかける意。薄い緑の色をかけたとである。
 春楊者 ハルノヤナギハ。このヤナギは、楊の字どおり、カワヤナギと見るべきである。
【評語】楊樹の芽ぶいたのを、淺緑の色をかけたようだと歌つている。平凡な敍述である。春のヤナギとことわつたのは、例によつて季節の感に囚われている。春ノという必要のないところだ。
 
1848 山の際《ま》に 雪はふりつつ、
 しかすがに
 この川楊《かはやなぎ》は 萌えにけるかも。
 
 山際尓《ヤマノマニ》 雪者零管《ユキハフリツツ》
 然爲我二《シカスガニ》
 此河楊波《コノカハヤナギハ》 毛延尓家留可聞《モエニケルカモ》
 
(39)【評】山の間に雪はふりながら、それだのにこの河のヤナギは芽ぷいたことだ。
【釋】此河楊波 コノカハヤナギハ。河楊は、童蒙抄にカハヤギと讀んでいる。この語は「河蝦鳴《カハヅナク》 六田乃河之《ムヅタノカハノ》 川楊乃《カハヤナギノ》」(卷九、一七二三)は、ここと同じく四音の處にあり、「丸雪降《アラレフリ》 遠江《トホヅアフミノ》 吾跡川楊《アトカハヤナギ》」(卷七、一二九三)は、五言の處にある。この五音の處のを四音に讀むべくもなく、四音の處は五音に讀んでもさしつかえなく、またカハヤギの語は他に文證も無いから、カハヤナギと讀むのが妥當である。河邊に生えているヤナギでカハヤナギである。
【評語】これも、シカスガニの語によつて構成されている。その語によつて比較される雙方が、いずれも實景であるのがよい。
 
1849 山の際《ま》の 雪は消《け》ざるを、
 みなぎらふ 川の副《そひ》には
 萌えにけるかも。
 
 山際之《ヤマノマノ》 雪者不v消有乎《ユキハケザルヲ》
 水〓合《ミナギラフ》 川之副者《カハノソヒニハ》
 目生來鴨《モエニケルカモ》
 
【譯】山の間の雪は消えないのだのに、水けぶりを立てて流れる川の添つているところは、芽ふいたことだ。
【釋】水〓合 ミナギラフ。
  ミヅイヒアヒ(元)
  ナガレアフ(仙)
  シカスガニ(代)
  ――――――――――
  水激合《ミナギラフ》(考)
  水激合《タギチアフ》(古義)
  水〓合《ミナギラフ》(澤瀉博士)
 〓は、諸本に飯に作り、別傳は無く、解釋し難いので、諸説のある所であるが、今、澤瀉博士の説に〓の誤りとしてミナギラフと讀むによる。水が霧になつている意で、川水が多量にはげしく流れるさまである。飯の(40)ままでは、ミナヒアフなどの訓が考えられる。類聚名義抄に、〓、〓、灣などにミナアヒの訓がある。これは水の寄り集まる處の義であろうが、ミナヒは、その約言と見る。ここは動詞で、更にアフが接して水の寄り集まる意を示すとするのである。また誤字説では、考に、飯を激の誤りとする説があり、これが普通に行われている。訓は、ミナギラフ(考)とタギチアフ(古義)とが對立している。水激の字面は「此山乃《コノヤマノ》 彌高思良珠《イヤタカシラス》 水激《ミヅタギツ》 瀧之宮子波《タギノミヤコハ》」(卷一、三六)があり、そこでは、、ミヅハシル、もしくはミヅタギツと讀まれている。しかしタギチアフは例が無く、ミナギラフは「水霧相《ミナギラフ》 奧津小島爾《オキツコジマニ》」(卷七、一四〇一)があり、水煙の立つ意に解せられる。水が霧に立つのである。
 川之副者 カハノソヒニハ。古義に、副を楊の誤りとして、カハノヤナギハと讀んでいる。連作の一首として見れば、かならずヤナギの語が無くてもよいのだろう。ソヒは、川ぞいの地。「伊香保呂能《イカホロノ》 蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》」(卷十四、三四一〇)など山についていい、川についても、「伊儺武斯廬《イナムシロ》 呵簸泝比野儺擬《カハソヒヤナギ》」(日本書紀八三)などがある。
【評語】上記の如く、連作の一として見たい。シカスガニ系統の表現で、ただその語が無いだけである。三四句の地形の敍述が、この歌の特色をなしているが、明瞭でない點のあるのは遺憾である。
 
1850 朝《あさ》な且《さ》な わが見る柳、
 鶯の 來居《きゐ》て鳴くべき
 森にはやなれ。
 
 朝且《アサナサナ》 吾見柳《ワガミルヤナギ》
 ?之《ウグヒスノ》 來居而應v鳴《キヰテナクベキ》
 森尓早奈禮《モリニハヤナレ》
 
【譯】毎朝わたしの見るヤナギは、ウグイスの來てとまつて鳴くような茂りに早くなつてくれ。
【釋】吾見柳 ワガミルヤナギ。柳を提示し、それを呼びかけている。
(41) 森尓早奈禮 モリニハヤナレ。モリは、木の茂りをいう。
【評語】このヤナギは、若木だろう。毎朝見て、その成長を樂しみにしている風情が、すなおに詠まれている。五句は、春になることを待つと共に、樹の大きくなるのをもかけている。自然を愛する心のしみじみと出ている歌である。
 
1851 青柳の 絲の細《くは》しさ。
 春風に 亂れぬい間《ま》に
 見せむ子もがも。
 
 青柳之《アヲヤギノ》 絲乃細紗《イトノクハシサ》
 春風尓《ハルカゼニ》 不v亂伊間尓《ミダレヌイマニ》
 令v視子裳欲得《ミセムコモガモ》
 
【譯】青柳のしだれている枝の精巧なことよ。春風に亂れないうちに見せるような人がほしいなあ。
【釋】絲乃細紗 イトノクハシサ。イトは、シダレヤナギの長く垂れている枝をいう。クハシサは、精妙、精巧なこと。美しさである。句切。
 不亂伊間尓 ミダレヌイマニ。イは接頭語と見られるが、上の用言の連體形の方につく接尾語かもしれない。亂れない間に。「花待伊間爾《ハナマツイマニ》 嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》」(卷七、一三五九)の例がある。
 令視子裳欲得 ミセムコモガモ。コは、愛すべき人をいう。女子を想像している。
【評語】シダレヤナギの枝の美しく精巧なのを愛している。シダレヤナギは、大陸から渡つた植物で、特に植えて愛翫した。見セム子モガモは、慣用句であるが、この美しさを誰かに見せたいという心は自然である。
 
1852 ももしきの 大宮人の 蘰《かづら》なる
 しだり柳《やなぎ》は 見れど飽かぬかも。
 
 百礒城《モモシキノ》 大宮人之《オホミヤビトノ》 蘰《カヅラ》有《ナル・ケル》
 垂柳者《シダリヤナギハ》 雖v見不v飽鴨《ミレドアカヌカモ》
 
(42)【譯】大宮仕えの人の蘰であるシダレヤナギは、見ても飽きないことだなあ。
【釋】百礒城 モモシキノ。枕詞。
 蘰有 カヅラナル。眞淵はカヅラケルと讀み、それが廣く行われている。カヅラ(蘰)をすることを動詞にして、カヅラクという。それに助動詞リの連體形が接續したものとする。「菖蒲《アヤメグサ》 可都良久麻泥爾《カヅラクマデニ》」(卷十九、四一七五)、「青柳乃《アヲヤギノ》 保都枝與治等理《ホツエヨヂトリ》 可豆良久波《カヅラクハ》」(同、四二八九)。しかしカヅラクの用例は、卷の十八以下のみにあるので今舊訓による。
 垂柳者 シダリヤナギハ。シダリヤナギは、集中「四垂柳《シダリヤナギ》」(卷十、一九〇四)、「爲垂柳《シダリヤナギ》」(同、一八九六)とも書いている。シダリは、「足日木乃《アシヒキノ》 山鳥之尾乃《ヤマドリノヲノ》 四垂尾乃《シダリヲノ》」(卷十一、二八〇二、或本)の如く、シダリヲとも使つている。倭名類聚鈔に「柳、兼名苑(ニ)云(フ)、柳、一名小楊之太利夜奈岐。崔豹(ノ)古今注(ニ)云(フ)、一名獨搖、微風(ニモ)大(キニ)搖(ル)、故以名(ヅク)v之。」
【評語】シダレヤナギの長い枝を輪にして蘰とした風流が歌われている。表現は類型的だが、ヤナギを愛する心は感じられる。
 
1853 梅の花 取り持ちて見れば、
 わが屋前《ニハ》の 柳の眉し 念ほゆるかも。
 
 梅花《ウメノハナ》 取持而見者《トリモチテミレバ》
 吾屋前之《ワガニハノ》 柳乃眉師《ヤナギノマヨシ》 所v念可聞《オモホユルカモ》
 
【譯】梅の花を手に手に持つて見れば、わたしの家の前の柳の若葉が思われることだ。
【釋】吾屋前之 ワガニハノ。ニハは、文字通り屋前、家屋の前庭である。
 柳乃眉師 ヤナギノマヨシ。ヤナギノマヨは、柳の眉で、柳の若芽、新葉をいう。これを眉といつたのは、譬喩だが、女子の眉を新柳にたとえる事から、逆に新柳を眉といつたのである。シは強意の助詞。
(43)【評語】作者は、他人の家に客となり、もしくは他郷にあつてこの歌を詠んでいる。梅花と新柳とを竝べて初春の愛すべき風物とする心から詠まれている歌である。
 
詠v花
 
【釋】詠花 ハナヲヨメル。春の花を詠んだ歌二十首を載せている。櫻花九首、梅花六首、山吹一首、久木一首、馬醉木一首、その他二首である。なお梅花の歌は、冬の部にも收めてあり、季節感が確定していなかつた。その他二首とあるは、花の名が無いもので、その一首は櫻花と見られ、他は何の花とも決定しがたい。
 
1854 鷺の 木傳《こづた》ふ梅の うつろへば、
 櫻の花の 時|片設《かたま》けぬ。
 
 ?之《ウグヒスノ》 木傳梅乃《コヅタフウメノ》 移者《ウツロヘバ》
 櫻花之《サクラノハナノ》 時片設奴《トキカタマケヌ》
 
【譯】ウグイスの枝を傳う梅の花が散つてしまうと、櫻の花の咲く時がひたすら待たれた。
【釋】移者 ウツロヘバ。花が散つて過ぎ去つたので。
 時片設奴 トキカタマケヌ。カタマケは、片より思い設ける意で、ひたすらに待つをいう。「春冬片設而《トキカタマケテ》」(卷二、一九一)、「波流加多麻氣弖《ハルカタマケテ》」(卷五、八三八)など用例が多い。ヌは完了の助動詞。
【評語】梅花に續いて櫻花を迎える、春の風物の樂しい推移が歌われている。花を愛して、それからそれへと季節を送り迎える生活を敍して、この歌は平凡な表現を取つている。鶯ノ木傳フ梅というのは、既に梅の概念が固定したような云い方になつている。
 
1855 櫻花 時は過ぎねど、
 見る人の 戀の盛りと 今し散るらむ。
 
 櫻花《サクラバナ》 時者雖v不v過《トキハスギネド》
 見人之《ミルヒトノ》 戀盛常《コヒノサカリト》 今之將v落《イマシチルラム》
 
(44)【譯】櫻の花は、その時節は過ぎないけれども、見る人の愛する盛りとして、今散るのだろう。
【釋】時者雖不過 トキハスギネド。その咲いている時節は、まだ過ぎないが。
 戀盛常 コヒノサカリト。コヒは、櫻花に對して愛を寄せる心をいう。今が愛する盛りであるとして。
 今之將落 イマシチルラム。シは、強意の助詞。ラムは、散る心を推量している。將の字をラムと讀むのは、以前の諸卷には多數あるが、この卷では始めてである。將は、事のまだ行われないことを意味する字で、國語のムに相當するから、それによつてラムにも流用したのであろう。
【評語】櫻花が、人の愛する盛りに散る、飽きられないうちに散るとする心である。無常觀などの含まれていないだけに、純粹に受け入れられる。
 
1856 わが插《さ》しし 柳の絲を 吹き亂る
 風にか、妹が 梅の散るらむ。
 
 我刺《ワガサシシ》 柳絲乎《ヤナギノイトヲ》 吹亂《フキミダル》
 風尓加妹之《カゼニカイモガ》 梅乃散覽《ウメノチルラム》
 
【譯】わたしがさし木にしたヤナギの長い枝を吹き亂している風のためにか、わが妻の梅の花が散るのだろう。
【釋】我刺 ワガサシシ。ワガカザス(元)、ワガサセル(類)、頭刺とあらば、カザスだが、刺の一字では、サスである。さし木にさした意。
 吹亂 フキミダル。ミダルは、四段活の連體形。
 風尓加妹之 カゼニカイモガ。イモは、愛する女子。妻であろう。イモガは、次句の梅を修飾している。妹が家の梅、もしくは妹の愛する梅、妹の植えた梅の意である。
【評語】自分のさしたヤナギの枝を吹く風のために、妹が家の梅が散るだろうと推量している。自分の柳、妹の梅と、似つかわしい物を持つて來ている。自分と愛人との上に、風のような自然物が通うことを詠んだ歌に(45)は「吾袖爾《ワガソデニ》 零鶴雪毛《フリツルユキモ》 流去而《ナガレユキテ》 妹之手本《イモガタモトニ》 伊行觸粳《イユキフレヌカ》」(卷十、二三二〇)などの例がある。
 
1857 毎年《としのは》に 梅は咲けども、
 うつせみの 世の人君し、
 春なかりけり。
 
 毎年《トシノハニ》 梅者開友《ウメハサケドモ》
 空蝉之《ウツセミノ》 世人君羊蹄《ヨノヒトキミシ》
 春無有來《ハルナカリケリ》
 
【譯】毎年梅は咲くけれども、この世の人である君は、春が無かつた。
【釋】毎年 トシノハニ。トシノハは、年の端で、來る年も來る年もの意である。「毎年(ハ)、謂(フ)2之|等之乃波《トシノハト》1」(卷十九、四一六八)。
 空蝉之 ウツセミノ。枕詞。ウツセミは、語義未詳。現身の義とする説があるが、そうと定めがたい。(卷一、二四)參照。空蝉の字を當てているのは、同音によつて蝉のぬけがらを連想して、無常の感をあらわしている。
 世人君羊蹄 ヨノヒトキミシ。この世の人である君が。代匠記に君を吾の誤りとしているが、文獻の支持は無い。君でよくわかる。羊蹄は、倭名類聚鈔に「羊蹄菜、唐韻(ニ)云(フ)菫丑六反、字亦作v〓、之布久佐、一云之羊蹄菜也」とあり、新撰字鏡、本草和名に、羊蹄に之乃禰の訓があるのは、シの根で、根を藥用にするによつていうのである。タデ科の多年生草本でギシギシという。ここは助詞シの音に使つている。
 春無有來 ハルナカリケリ。ハルは、榮える時の意に使つている。志貴の皇子の懽《よろこび》の御歌に「石灑《イハソソク》 垂見之上乃《タルミノウヘノ》 左和良妣乃《サワラビノ》 毛要出春爾《モエイヅルハルニ》 成來鴨《ナリニケルカモ》」(卷八、一四一八)の歌における用法である。
【評語】不運の人に同情して詠んでいる。集中珍しい内容の歌である。春の概念に、榮える時であるとする意が含まれている。これは既に漢籍にも春をもつて樂しい時とするので、その影響を受けているのであろう。
 
(46)1858 うつたへに 鳥は喫《は》まねど、
 繩《しめ》延《は》へて 守《も》らまく欲《ほ》しき
 梅の花かも。
 
 打細尓《ウツタヘニ》鳥者雖v不v喫《トリハハマネド》
 繩延《シメハヘテ》 守卷欲寸《モラマクホシキ》
 梅花鴨《ウメノハナカモ》
 
【譯】殊更に鳥はたべないのだが、標繩を張つて番をしておきたい梅の花だなあ。
【釋】打細尓 ウツタヘニ。打細は、訓假字。「打細丹《ウツタヘニ》 人妻跡云者《ヒトヅマトイヘバ》 不v觸物可聞《フレヌモノカモ》」(卷四、五一七)、「打妙爾《ウツタヘニ》 前垣乃酢堅《マガキノスガタ》 欲v見《ミマクホリ》」(同、七七八)など使用されており、殊更に特にの意をなすものと解せられる。鳥は喫マネドの句を修飾して、特に鳥が食うのではないけれどもの意を成している。
 繩延 シメハヘテ。シメは、標繩で、繩を張つて、入るを禁止する意である。
 守卷欲寸 モラマクホシキ。モラマクは、守らむこと。番をすること。
【評語】梅花を愛するあまりに、鳥をも近づけまいとする心である。愛する心はわかるが、わざとらしさのある歌である。
 
1859 馬竝めて 高き山邊を、
 白細に 艶《にほ》はしたるは 梅の花かも。
 
 馬竝而《ウマナメテ》 高山乎《タカキヤマベヲ》
 白妙丹《シロタヘニ》 令2艶色1有者《ニホハシタルハ》 梅花鴨《ウメノハナカモ》
 
【譯】馬を竝べて行く、その道にある高い山邊を、まつ白に花が咲いているのは、梅の花だな。
【釋】馬竝而 ウマナメテ。考に馬は推の誤りとし、略解に宣長の説とて馬は忍の誤りとして、共にオシナベテと訓している。しかし萬葉集の歌は、かならずしも整備したものばかりではないので、みだりに原文を改めるのは不可である。この句は、作者が、馬を竝べて行くことを敍したものと見るべきである。
 高山乎 タカキヤマベヲ。大矢本、京都大學本には、山の下に部の字があるが、元暦校本、類聚古集、神田(47)本、西本願寺本、細井本に、すべて部の字がないのだから、それによるるほかはない。しかしそのままでは補讀を要するので、タカキヤマベニと讀む。もし脱字があるとするなら、初句を考慮して?の字を補い、?高山乎《カリタカヤマヲ》とする。この場合、初句は枕詞になる。
 白妙丹 シロタヘニ。白色に。
 令艶色有者 ニホハシタルハ。ニホハセタルハ(考)。におわしめる意のニホハスは「岸之埴布尓《キシノハニフニ》 仁寶播散麻思乎《ニホハサマシヲ》」(卷一、六九)、「紅乃《クレナヰノ》 衣爾保波之《コロモニホハシ》」(卷十九、四一五七)、「秋野乎《アキノノヲ》 爾保波須波疑波《ニホハスハギハ》」(卷十五、三六七七)、「衣爾保波勢《コロモニホハセ》 多鼻能知師爾《タビノシルシニ》」(卷一、五七)など、四段に活用しているから、ニホハシタルハである。色に美しく染め出したのは。令艶色の字面は、特殊の書法で、これによつて語意を知るべきである。
【評語】初句が、二句以下に對して接續がわるく遊離しているので、誤字説も出るのである。馬を竝べて行く途上の見る所を敍したもので、表現が不完全なものと見たい。しかしこれによつて感じは出ている。白く咲いているのは、梅の花かと單純に疑つたのがよい。
 
1860 花咲きて 實《み》はならねども、
 長きけに 念《おも》ほゆるかも。
 山振《やまぶき》の花。
 
 花咲而《ハナサキテ》 實者不v成登裳《ミハナラネドモ》
 長氣《ナガキケニ》 所v念鴨《オモホユルカモ》
 山振之花《ヤマブキノハナ》
 
【譯】花が咲いては實はならないけれども、花のさくのが長いあいだ、待たれることだなあ。山振の花は。
【釋】花咲而實者不成登裳 ハナサキテミハナラネドモ。山振の性質を敍している。山振は、實はならないけれども花は長く待ち思われる由である。
 長氣 ナガキケニ。ケは、時のあいだをいう。長いあいだを。「長氣乎《ナガキケヲ》 如v此所v待者《カクマタルレバ》」(卷四、四八四)。
(48) 所念鴨 オモホユルカモ。花の咲くのが、待ち思われるなあ。句切。
【評語】ヤマブキの花の特色をよく描いている。初二句は説明に過ぎるようであるが、寓意する所があつて云つているのかも知れない。
 
1861 能登河の 水底さへに 光《て》るまでに、
 三笠の山は 咲きにけるかも。
 
 能登河之《ノトガハノ》 水底并尓《ミナソコサヘニ》 光及尓《テルマデニ》
 三笠乃山者《ミカサノヤマハ》 咲來鴨《サキニケルカモ》
 
【譯】能登川の水底までも照るほどに、三笠の山は、花が咲いたことだ。
【釋】能登河之 ノトガハノ。能登川は、三笠の山に接している川であることが、この歌で知られる。春日山中から流れ出る小川である。
【評語】三笠の山の櫻の花はといわないで、ただ三笠の山は咲いたと歌つているのは、それでわかるからであり、かえつて歌がらが大きくなつている。能登川の水に映じて咲いている櫻の花の美しさが、よく表現されている。
 
1862 雪見れば いまだ冬なり。
 しかすがに
 春霞立ち、梅は散りつつ。
 
 見v雪者《ユキミレバ》未冬有《イマダフユナリ》
 然爲蟹《シカスガニ》
 春霞立《ハルガスミタチ》 梅者散乍《ウメハチリツツ》
 
【譯】雪を見ればまだ冬だ。それだのに、春霞が立つて梅は散りつつある。
【釋】 見雪者 ユキミレバ。春になつても殘つている雪をさしたのであろう。
 未冬有 イマダフユナリ。まだ冬の季節の特色が殘つている。
(49)【評語】 雪について冬のものとする季節感の固定してゐることが注意される。既に春になつたのに、雪が冬を意味して殘つているというのである。事物に封する季節感の確立と、季節の推移に伴なつて、風物の動くことを既定の事實と考えるようになつたのである。「み雪のこれり。いまだ冬かも」(卷九、一六五九)參照。
 
1863 去年《こぞ》咲《さ》きし 久木《ひさぎ》今咲く。
 いたづらに 地《つち》にやおちむ。
 見る人なしに。
 
 去年咲之《コゾサキシ》 久木今開《ヒサギイマサク》
 徒《イタヅラニ》 土哉將v墮《ツチニヤオチム》
 見人名四二《ミルヒトナシニ》
 
【譯】去年咲いたヒサギが今咲いた。むだにちるだろうか。見る人が無く。
【釋】久木今開 ヒサギイマサク。
  ヒサギイマサク(類)
  ――――――――――
  冬木今開《フユキイマサク》(考)
  左久樂今開《サクライマサク》(考)
  文木今開《ウメハイマサク》(考)
  足氷今開《アシビイマサク》(古義)
 ヒサギは、植物の名、アカメガシワであるといい、キササゲであるという。「久木生留《ヒサギオフル》 清河原爾《キヨキカハラニ》 知鳥數鳴《チドリシバナク》」(卷六、九二五)參照。アカメガシワは、夏季黄緑色の花を開くので、春の花ではない。キササゲも、初夏に黄色で紫斑のある花を開き、これも春の花とはいいがたい。何かほかの樹であろう。誤字説もあるが、採用しがたい。句切。
【評語】ひとり花に對する寂寥感が歌われている。ヒサギも質素な花なのであろう。全釋に、今は死んでいない故人を思う歌としている。しかし下の阿保山(一八六七)の歌などによれば、やはり花を愛して友を求める(50)心とするが順當であろう。
 
1864 あしひきの 山の間照らす 櫻花、
 この春雨に 散《ち》りゆかむかも。
 
 足日木之《アシヒキノ》 山間照《ヤマノマテラス》 櫻花《サクラバナ》
 是春雨尓《コノハルサメニ》 散去鴨《チリユカムカモ》
 
【譯】山のまを照らして咲いている櫻の花は、この春雨に散つて行くだろうなあ。
【釋】山間照 ヤマノマテラス。テラスは、櫻の花が咲いて輝くばかりなのをいう。連體句。
 散去鴨 チリユカムカモ。
  チリヌラムカモ(類)
  チリユカムカモ(西)
  チリニケムカモ(考)
  ――――――――――
  將散去鴨《チリヌラムカモ》(略)
  散去來鴨《チリニケルカモ》(古義)
 二三句の敍述は、現在櫻花が滿開であるようであるから、この句は、未來のことをいうと解して訓すべきである。
【評語】春雨に山の櫻の散ることを惜しんでいる。平凡な内容の歌で、黄葉に關して類想の歌が多く、わずかに山ノマ照ラスの敍述に特色があるだけである。
 
1865 うち靡く 春さり來らし。
 山の際《ま》の 遠き木末《こぬれ》の
 咲き行く見れば。
 
 打靡《ウチナビク》 春避來之《ハルサリクラシ》
 山際《ヤマノマノ》 ※[うがんむり/取]木末乃《トホキコヌレノ》 咲往見者《サキユクミレバ》
 
【譯】草木の靡く春になつてくるらしい。山のまの遠い枝先の咲いて行くのを見れば。
(51)【釋】 ※[うがんむり/取]木末之 トホキコヌレノ。タカキコスヱノ(類)、ヒサキノスヱノ(西)、イトモコスヱノ(改)、ホツキノウレノ(代精)、トホキコズヱノ(考)。※[うがんむり/取]は、最の正字。これをトホキと讀むのは無理だが、同歌と見える「打靡《ウチナビク》 春來良之《ハルキタルラシ》 山際《ヤマノマノ》 遠木末乃《トホキコヌレノ》 開往見者《サキユクミレバ》」(卷八、一四二二尾張の連)の支持がある。木ヌレに即しては、類聚古集にタカキと讀んだのが捨てがたく、風趣も佳である。
【評語】山間の樹梢に咲きゆく花を望見して、春のくることを歌つている。風趣のある歌である。花は一般に、櫻花と解しているが、春の來ることをこれによつて推量しているとすれば、櫻花には限らない。
 
1866 春雉《きぎし》鳴く 高圓《たかまと》の邊《べ》に、
 櫻花 散りて流《なが》らふ。
 見む人もがも。
 
 春雉鳴《キギシナク》 高圓邊丹《タカマトノベニ》
 櫻花《サクラバナ》 散流歴《チリテナガラフ》
 見人毛我母《ミムヒトモガモ》
 
【譯】雉子の鳴く高圓のあたりで、櫻の花が散つて流れている。見る人があるといいなあ。
【釋】春雉鳴 キギシナク。雉子は、春に鳴くので、春雉と書いている。
 高圓邊丹 タカマトノベニ。高圓は、春日の地名。山にも野にもいう。高圓とのみ云つた例は、「高圓爾鶯鳴沼《タカマトニウグヒスナキヌ》」(卷六、九四八)、「多可麻刀能《タカマトノ》 乎婆奈布伎故酒《ヲバナフキコス》 秋風爾《アキカゼニ》」(卷二十、四二九五)などある。
 散流歴 チリテナガラフ。ナガラフは、流動する意と、存續する意とに兩用されている。ここは流れ移る意である。この用法で、花の散るのを歌つたものには、「流倍散波《ナガラヘチルハ》 何物之花其毛《ナニノハナゾモ》」(卷八、一四二〇)の例がある。これによれば下二段活であることが知られる。句切。
【評語】散る花の美しさを、人と共に見ようと思う、類型的だが、當時の人の純粹な心が歌われている。句も美しい。
 
(52)1867 阿保山の 櫻の花は、
 今日もかも 散り亂るらむ。
 見る人なしに。
 
 阿保山之《アホヤマノ》 佐宿木花者《サクラノハナハ》
 今日毛鴨《ケフモカモ》 散亂《チリミダルラム》
 見人無二《ミルヒトナシニ》
 
【譯】阿保山の櫻の花は、今日は、散り亂れているだろうか。見る人も無いのに。
【釋】阿保山之 アホヤマノ。阿保山は、所在不明。大日本地名辭書に、佐保村の不退寺の丘陵を、阿保山というとある。それかも知れない。伊勢物語に、在原の業平と解せられるその主人公について、奈良の京の春日に領地があつて狩に行つたと書いているが、業平の父の阿保親王の稱は、その地名によるのだろうか。
 佐宿木花者 サクラノハナハ。佐宿木は、サクラと讀むのだろうが、この字を書いたわけはわからない。宿を、ネグラなどのクラに當てて書いたか、それも臆測に過ぎない。
 今日毛鴨 ケフモカモ。上のモは、添えていうだけで、今日に集中するだけの效果を有している。今日もまたではない。カモは、疑問の係助詞。用例の多い句である。「今日毛鴨《ケフモカモ》 問給麻思《トヒタマハマシ》」(卷二、一五九)。
 散亂 チリミダルラム。ラムに當る字は無いが、上のカモの意を迎えて、讀み添える。句切。
【評語】これも、見ル人無シニの句で構成されている。かつて見た阿保山の櫻の花の美しさが忘れられないで詠まれている歌である。作者以外の人には、その追憶が無いから、味のうすいものになつて感じられる。
 
1868 河蝦《かはづ》鳴く 吉野の河の 瀧《たぎ》の上の、
 馬醉木《あしび》の花ぞ。
 地《つち》に置くな、ゆめ。
 
 川津鳴《カハヅナク》 吉野河之《ヨシノノカハノ》 瀧上乃《タギノウヘノ》
 馬醉之花曾《アシビノハナゾ》
 置v末勿勤《ツチニオクナユメ》
 
【譯】カジカの鳴く吉野の川の激流の上の馬醉木の花ですよ。下にお置きなさいますな。
(53)【釋】川津鳴 カハヅナク。カハヅは、川に住む蛙。アシビの花の咲く時季は、明白ではないが、いずれも春であろうから、その花の咲く頃に、カハヅが鳴くとは思われない。それでこの句は、吉野川の説明に、河蝦の鳴く川として知られている意をもつて冠しているのだろう。
 馬醉之花曾 アシビノハナゾ。アシビは、疑問の植物である。「礒之於爾《イソノウヘニ》 生流馬醉木乎《オフルアシビヲ》」(卷二、一六六)參照。ゾは、指定の助詞。句切。
 置末勿勤 ツチニオクナユメ。
  オクニマモナキ(西)
  スヱニオクナユメ(代精)
  オキハツナユメ(代精)
  ――――――――――
  置手勿勤《テナフレソユメ》(童)
  觸手勿勤《テフレソナユメ》(考)
  觸手勿勤《テフレソユメ》(略)
  置土勿勤《ツチニオクナユメ》(古義)
 末は、義をもつてツチに當てているのだろう。下に置くなの意である。ユメは、禁止の意をあらわす語。「和何世古我《ワガセコガ》 多那禮之美巨騰《タナレノミコト》 都地爾意加米移母《ツチニオカメヤモ》」(卷五、八一二)。
【評語】吉野から馬醉木の花を手折つて人に贈るに添えた歌である。前に數出した、時の花を人に見せたいと思う心の具體化したものと見て、同人の作らしくもある。吉野の激流のほとりに咲いたアシビの花には、作者としては特別の情趣が感じられているのであろう。
 
1869 春雨に 爭ひかねて、
 わが屋前《には》の 櫻の花は
 咲き始《そ》めにけり。
 
 春雨尓《ハルサメニ》 相爭不v勝而《アラソヒカネテ》
 吾屋前之《ワガニハノ》 櫻花者《サクラノハナハ》
 開始尓家里《サキソメニケリ》
 
(54)【譯】春雨に抵抗しきれないで、わたしの屋前の櫻の花は、咲き始めたことだ。
【釋】相爭不勝而 アラソヒカネテ。春雨は、花を誘つて咲かせようとし、花は咲くまいとしたが、遂に抵抗し得ないで。
【評語】季節のおとずれに催されて、花の咲いたのを、アラソヒカネテと解釋しているのが特色である。その考え方には、植物を擬人化した氣持があり、若干のいやみが無いでもない。
【參考】類句、あらそひかねて(植物の場合)。
  白露にあらそひかねて咲けるはぎ散らば惜しけむ。雨な零りそね(卷十、二一一六)
  しぐれの雨間無くし零れば眞木の葉もあらそひかねて色づきにけり
(同、二一九六)
 
1870 春雨は いたくな零《ふ》りそ。
 櫻花 いまだ見なくに、
 散らまく惜しも。
 
 春雨者《ハルサメハ》 甚勿零《イタクナフリソ》
 櫻花《サクラバナ》 未v見尓《イマダミナクニ》
 散卷惜裳《チラマクヲシモ》
 
【譯】春雨はひどく零るな。櫻の花を、まだ見ない事だのに、散るのが惜しい。
【釋】未見尓 イマダミナクニ。ナクニは、古くは終止形を成していたと考えられるが、この例の如きになると、切らずに、次に續くらしい。これは助詞ニの用法の展開によるもので、感動性が無くなり、副詞的に使用される道が大きくなつたのによるのだろう。
【評語】春雨に對して、その花を散らすことを惜しんでいる。花を愛する純粹な感情の窺われる歌だ。
 
1871 春されば 散らまく惜しき 梅の花、
(55) しましは咲かず 含《ふふ》みてもがも。
 
 春去者《ハルサレバ》 散卷惜《チラマクヲシキ》 梅花《ウメノハナ》
 片時者不v咲《シマシハサカズ》 含而毛欲得《フフミテモガモ》
 
【譯】春になると、散るだろうことの惜しい梅の花は、しばしは咲かないで、つぼんでいてほしいものだ。
【釋】春去者 ハルサレバ。春になればきまつての意に已然形を使用している。梅花のまだつぼんでいる時の歌と見るのである。
 片時者不咲 シマシハサカズ。シマシは、極めて短い時間。
 含而毛欲得 フフミテモガモ。フフミは、花のつぼんでいるのをいう。
【評語】梅花を愛惜する心が歌われている。赤人集に三句さくら花とあり、大矢本系統にも櫻花で、櫻の花でも通じるが、やはり梅の花とする方が佳趣である。
 
1872 見渡せば 春日《かすが》の野邊に 霞立ち、
 咲き艶《にほ》へるは 櫻花かも。
 
 見渡者《ミワタセバ》 春日之野邊尓《カスガノノベニ》 霞立《カスミタチ》
 開艶者《サキニホヘルハ》 櫻花鴨《サクラバナカモ》
 
【譯】見渡せば春日の野邊に霞が立つて、美しく咲いているのは櫻の花だな。
【釋】聞艶者 サキニホヘルハ。ニホヘルは、美しく色にあらわれているをいう。艶の字によつてその語意が窺われる。「白妙丹《シロタヘニ》 令v艶有者《ニホハシタルハ》」(卷七、一八五九)。
 櫻花鴨 サクラバナカモ。カモは、疑問の意から出發して、感動の意をあらわしている。作者は、櫻の花であることをよく知つて、詠嘆している。
【評語】美しい春の野の景が歌われている。すなおな表現がよく、四五句の感動的な云い方もよい。
 
1873 いつしかも この夜の明けむ。
(56) 鷺の 木傳《こづた》ひ散らす 梅の花見む。
 
 何時鴨《イツシカモ》 此夜乃將v明《コノヨノアケム》
 ?之《ウグヒスノ》 木傳落《コヅタヒチラス》 梅花將v見《ウメノハナミム》
 
【譯】早くこの夜が明ければよい。ウグイスが枝移りして散らす梅の花を見よう。
【釋】何時鴨 イツシカモ。何時であるか、早くの意をあらわす句。カモは疑問の係助詞。
 此夜乃將明 コノヨノアケム。句切。
【評語】早く夜が明けて、梅花に鶯のくる佳景を眺めたいと待つ心である。梅花の敍述は、やや型を作つているが、風雅にひたすらな心が、これらの句を作りなすに至つた。しかし鳴くといわないで、木傳ヒ散ラスといつたのには、描寫がある。
 
詠v月
 
1874 春霞 たなびく今日の 夕月夜《ゆふづくよ》、
 清く照るらむ。
 高松の野に。
 
 春霞《ハルガスミ》 田菜引今日之《タナビクケフノ》 暮三伏一向夜《ユフヅクヨ》
 不v穢照良武《キヨクテルラム》
 高松之野尓《タカマツノノニ》
 
【譯】春霞のたなびいている今日の夕月夜よ。清く照つているだろう。高松の野には。
【釋】暮三伏一向夜 ユフヅクヨ。三伏一向をツクと讀むのは、四本の木を投げる勝負(?戯)で、その三本が伏し一本が表を出したのをツクと云つたのにもとづくと解せられる。三伏一向の反對に「末中一伏三起《スヱノナカゴロ》」(卷十二、二九八八)というのがあつて、一伏三起をコロに當てて使つている。「折木四哭之《カリガネノ》」(卷六、九四八)參照。この句は、夕月夜を呼びかけることによつて、感動を表示している。結局、夕月が清く照つているだろうの意になるのだが、歌としては、ここで一往切つて味わうべきである。
(57) 不穢照良武 キヨクテルラム。不穢は、義をもつて書いている、キヨクは、霞がかかつているのであかるいのをいうのではなく、月の光の美しさを云つている。
 高松之野尓 タカマツノノニ。タカマツは、地名。この歌とも、五出している。「高松之《タカマツノ》 山木毎《ヤマノキゴトニ》 雪曾零有《ユキゾフリタル》」(卷十、二三一九)などの例があつて、山にもいう。春日の高圓を、タカマツとも發音したものとされているが、同地とする證明はなく、別地かもしれない。
【評語】春霞のたなびいている日の暮れゆくままに、夕月の光うつくしくさして來た。そこで風情のある高松の野を思いやつて詠んでいる。美しい歌である。
 
1875 春されば 樹《き》の木《こ》の暗《くれ》の 夕月夜《ゆふづくよ》、
 おほつかなしも。
 山|陰《かげ》にして。
 
 春去者《ハルサレバ》 紀之許能暮之《キノコノクレノ》 夕月夜《ユフヅクヨ》
 鬱束無裳《オホツカナシモ》
 山陰尓指天《ヤマカゲニシテ》
 
【譯】夕方になつて、樹の茂りで暗い夕月夜よ。はつきりしないことだ。山のかげであつて。
【釋】紀之許能暮之 キノコノクレノ。コノクレは、樹の暗で、枝葉が茂つて光のささないのをいう。それに更にキノを冠しているのが變である。下の一ハ云フに依れば、コノクレオホキであつたろうというのも、もつともではある。
 鬱束無裳 オホツカナシモ。オホツカナシは、明白でないのをいう。モは、感動の助詞。句切。
【評語】夕月の光ほのぐらくして、樹蔭に徹りかねる春の夕べの美しさが歌われている。歌の表面ではオホツカナシと云つているが、作者はむしろそのうす暗さを樂しんでいるように見える。
 
(58)一云、春去者《ハルサレバ》 木陰多《コノカゲオホキ》 暮月夜《ユフヅクヨ》
 
一は云ふ、春されば 木のかげ多き 暮月夜。
 
【釋】一云、春去者 アルハイフ、ハルサレバ。以下、前の歌の初三句の別傳である。しかし前の歌と相違すると見られるのは、第二句だけであるのに、同一である第三句をも書いているのは違例であること、前の歌の第二句は、疑問のある句で、傳來に誤謬があるかも知れないこと、この別傳の第二句の字面にも疑問のあることなどを綜合して考えると、傳來のあいだに發生した別傳であるかも知れない。
 木陰多 コノカゲオホキ。コガクレオホキ(西)、コカゲノオホキ(代精)。陰は、カゲで、木陰では、コガクレとは讀みがたい。あるいは、コノクレオホキか。代匠記精撰本に、陰は隱の誤りかとしたのももつともである。前項に記したように、後人が書いたためであるかも知れない。前の歌の別傳としては、木ガクレ多キで、よく通じるのである。
 
1876 朝霞 春日《はるひ》の晩《く》れば、
 木《こ》の間《ま》より うつろふ月を
 いつとか待たむ。
 
 朝霞《アサガスミ》 春日之晩者《ハルヒノクレバ》
 從2木間1《コノマヨリ》 移歴月乎《ウツロフツキヲ》
 何時可將v待《イツトカマタム》
 
【譯】朝の霞のかかつている春の日が暮れたなら、樹のあいだを通つて月が移つて行くだろうが、待ち遠なことだ。
【釋】朝霞春日之晩者 アサガスミハルヒノクレバ。アサガスミは名詞で、それを取りあげて感服している形である。朝霞のかかつているこの春の日が暮れたらで、木ノ間ヨリウツロフ月に對する條件になつている。
 從木間 コノマヨリ。樹間を通つて。
(59) 移歴月乎 ウツロフツキヲ。ウツロフは、移動する。
【評語】樹間を移動する春の夜の月を待ちかねる心に歌われている。朝霞に對して夕月を待つ歌である。木ノ間ヨリウツロフ月は美しいが、朝からそれを待つというのが、作り過ぎた感を與える。わざと朝霞とおいた技巧だろう。
 
詠v雨
 
1877 春の雨に ありけるものを、
 立ち隱り
 妹が家|道《ぢ》に この日暮らしつ。
 
 春之雨尓《ハルノアメニ》有來物乎《アリケルモノヲ》
 立隱《タチカクリ》
 妹之家道尓《イモガイヘヂニ》 此日晩都《コノヒクラシツ》
 
【譯】春の雨であつたものを、人家にはいつていて、わが妻の家に行く道で、この日を暮らした。
【釋】春之雨尓有來者乎 ハルノアメニアリケルモノヲ。春雨は、降り續いて容易にやまないものとして擧げられている。驟雨と思つて途中で宿つたのだが、春雨だつたというのである。ヲは、それだのにの意をあらわしている。
 立隱 タチカクリ。途中の人家にはいつて、雨から隱れて。タチは、接頭語として使われているだけである。
 妹之家道尓 イモガイヘヂニ。イヘヂは、家に向かつて行く道。
【評語】旅先などから歸る途中で詠んだものだろう。雨やどりをしていて、その雨がやまないので、遂に日暮に及んだもどかしさが歌われている。風趣のある歌で、春雨を恨む情がよく出ている。
 
(60)詠v河
 
1878 今|往《ゆ》きて 聞くものにもが。
 明日香川《あすかがわ》、春雨降りて 激つ瀬の音を。
 
 今往而《イマユキテ》 聞物尓毛我《キクモノニモガ》
 明日香川《アスカガハ》 春雨零而《ハルサメフリテ》 瀧津湍音乎《タギツセノオトヲ》
 
【譯】今行つて聞くものだつたらなあ。明日香川に春雨が降つてはげしく流れる瀬の音を。
【釋】聞物尓毛我 キクモノニモガ。聞くことのできるものであつたらよい。句切。
 明日香川 アスカガハ。その川を呼びかけている。
 瀧津湍音乎 タギツセノオトヲ。タギツは、動詞として使われている。音聲としては、オがノに吸收されてタギツセノトヲとなるだろう。
【評語】明日香川に對してなつかしさを感じている。川に寄せた、望郷の歌だが、春雨の降つてはげしく流れる瀬の音を想像しているのが、具體的でよい。今春雨がしとしとと降つているのである。
 
詠v煙
 
1879 春日野《かすがの》に 煙立つ、見ゆ。
 ※[女+感]嬬等《をとめら》し 春野のうはぎ
 採みて煮らしも。
 
 春日野尓《カスガノニ》 煙立所v見《ケブリタツミユ》
 ※[女+感]嬬等四《ヲトメラシ》 春野之菟※[草がんむり/互]子《ハルノノウハギ》
 採而煮良思文《ツミテニラシモ》
 
【譯】春日野に煙の立つのが見える。娘子たちが春野のヨメナを採んで煮るらしい。
(61) 【釋】煙立所見 ケブリタツミユ。ケブリは、下文によれば、ヨメナを煮る火の煙である。ミユは、動詞助動詞の終止形を受ける。句切。
 ※[女+感]嬬等四 ヲトメラシ。※[女+感]嬬は、人麻呂の用字法から出ていると思われる特殊の字面である。
 春野之菟※[草がんむり/互]子 ハルノノウハギ。ウハギは、薺蒿。ヨメナ。
 採而煮良思文 ツミテニラシモ。ニラシは、動詞煮ルに、助動詞ラシの接續した形。
【評語】春の野に出て、娘子が菜を煮るのは、一の行樂であるが、この歌としては、仙人の女子が、若菜のあつものを煮ていることを連想している。春の初めに、若い女子が若菜を煮るのは、若菜のあつもので、若さをたもつ食味として信じられていた。それは仙人の調ずる仙藥に擬して、これを喫して祝うのである。卷の十六にある竹取の翁の歌には、竹取の翁が、春の野であつものを煮る九人の女子に逢うことを述べているが、それと同じく、仙女があつものを煮ているのだろうとするのが、この歌の構想である。神仙思想のはいつて來た時代の作品として注意すべきである。日本靈異記上卷、「女人、風聲《みさを》の行《わざ》を好み、仙草を食ひて現身に天に飛ぶ縁《えに》」第十三參照。
 
野遊
 
【釋】野遊 ノニアソブ。以下、今までの題詞と變わつた形の題が附けられている。資料としたものに既にかようになつていたのだろう。
 
1880 春日野の 淺茅《あさぢ》が上に
 思ふどち 遊ぶ今日の日は
(62) 忘らえめやも。
 
 春日野之《カスガノノ》 淺茅之上尓《アサヂガウヘニ》
 念共《オモフドチ》 遊今日《アソブケフノヒハ》
 忘目八方《ワスラエメヤモ》
 
【譯】春日野の淺茅の上で、親しい人たちが遊んでいる今日は、忘れられないだろう。
【釋】淺茅之上尓 アサヂガウヘニ。アサヂは、茅草は、たけが低いのでいう。その生えている處。
 念共 オモフドチ。思つている人たち。ドチは、自立語としては存在しない。ドは人の義だろう。チは、タチ(等)、ヨチ(同年兒)のチと同語か。
 遊今日 アソブケフノヒハ。
  アソベルケフノ(類)
  アソベルケフハ(神)
  アソブケフヲバ(西)
  アソブコノヒノ(古義)
  アソビシケフノ(新考)
  アソブケフノヒハ(定本)
  ――――――――――
  遊今日者《アソベルケフハ》(考)
 今日の二字を四音の處に當てて書いてあるのは「今日爾《ケフノヒニ》 何如將v及《イカニカシカム》」(卷九、一七五四)以下數例がある。この歌のすぐ後の一八八二もその一つである。字餘りになるので、この訓で安定したとも云いがたいが、しばらくこれによる。今日という日はの意である。
【評語】春の野遊の樂しさが歌われている。淺茅が上にと、具體的に言つたのはよいが、五句の表現は類型的である。
 
1881 春霞 立つ春日野を、
(63) 往き還り われは相見む。
 いや毎年《としのは》に。
 
 春霞《ハルガスミ》 立春日野乎《タツカスガノヲ》
 往還《ユキカヘリ》 吾者相見《ワレハアヒミム》
 弥年之黄土《イヤトシノハニ》
 
【譯】春霞の立つ春日野に、わたしはたびたび行つて見よう。來る年ごとに。
【釋】立春日野乎 タツカスガノヲ。ヲは、下のアヒ見ムに對していう。
 往還 ユキカヘリ。往復してだが、絶えず、始終、たびたびの意になる。
 吾者相見 ワレハアヒミム。アヒは、接頭語。
 弥年之黄土 イヤトシノハニ。黄土は、ハニの音に借りて書いている。トシノハは、毎年。イヤを冠したのは、將來續いてくる意である。
【評語】毎年來てこの佳景を愛しようというのも、類型的である。春日野の敍述も平凡で、特色がない。
 
1882 春の野に 心のべむと、
 思ふどち 來《こ》し今日の日は
 晩《く》れずもあらぬか。
 
 春野尓《ハルノノニ》 意將v述跡《ココロノベムト》
 念共《オモフドチ》 來之今日者《コシケフノヒハ》
 不v晩毛荒粳《クレズモアラヌカ》
 
【譯】春の野で心をのばそうと、親しい人たちが來た今日は、日が暮れないでいないかなあ。
【釋】意將述跡 ココロノベムト。ノベムは、伸ばそうと。心をのびやかに、ゆつたりさせようとして。談り合うの意を含んでいるだろう。
 不晩毛荒粳 クレズモアラヌカ。ヌカは、ないか、あれかしと願望する語法。
【評語】樂しい今日の日の暮れないようにと願つている。これも類型的である。心ノベムトだけが、他に例の無い句になつている。「伊伎騰保流《イキドホル》 許己呂能宇知乎《ココロノウチヲ》 思延《オモヒノベ》」(卷十九、四一五四)、「念暢《オモヒノベ》 見奈疑之山爾《ミナギシヤマニ》」(同、(64)四一七七)のオモヒノベが、似よつた表現である。
 
1883 ももしきの 大宮人は、
 暇あれや、梅を插頭《かざ》してここに集《つど》へる。
 
 百磯城之《モモシキノ》 大宮人者《オホミヤビトハ》
 暇有也《イトマアレヤ》 梅乎插頭而《ウメヲカザシテ》 此間集有《ココニツドヘル》
 
【譯】宮廷に仕えている人々は、暇があるのだろうか、梅をかざして、ここに集まつている。
【釋】百礒城之 モモシキノ。枕詞。
 大宮人者 オホミヤビトハ。オホミヤビトは、男にも女にもいう。ここは主として男だろう。
 暇有也 イトマアレヤ。ヤは、疑問の係助詞。動詞、助動詞の已然形をヤで受けるこの形は、果してそうかと疑う意が強いのだが、ここは暇のあることを、むしろ肯定した云い方で、單なる疑問になつている。
 梅乎插頭而 ウメヲカザシテ。カザシは、頭にさすもの。ここはその動詞。
 此間集有 ココニツドヘル。三句のヤを受けて、ツドヘルと讀む。
【評語】大宮人ののどかな行動が描かれている。今日の心では、三句の暇アレヤに、皮肉を感じやすいのだが、ここでは別に皮肉ではなく、政務の餘暇があるのでかというほどの心であろう。この歌、新古今集に赤人の作として、「ももしきの大宮人は暇あれや。櫻かざしてこの日暮らしつ」として載せている。暇アレヤの句が條件法であることを忘れて、ここで切る形としている。それで五句も終止形で結んだのである。作者を赤人としたのは、この卷を假字がきにしたものを、當時赤人集の中に取り入れてあつたので、それによつたものであろう。
 
歎v舊
 
舊《ふ》りにしを歎く
 
【釋】歎舊 フリニシヲナゲク。これも特殊の小題である。フリニシは、歌意によるに、老境に至つたことを(65)いう。老年を歎息する意である。
 
1884 冬過ぎて 春し來《きた》れば、
 年月は 新《あらた》なれども、
 人は舊《ふ》りゆく。
 
 寒過《フユスギテ》 暖來者《ハルシキタレバ》
 年月者《トシツキハ》 雖2新有1《アラタナレドモ》
 人者舊去《ヒトハフリユク》
 
【譯】冬が過ぎて春がくると、年月は新しくなるが、人は古くなつて行く。
【釋】寒過暖來者 フユスギテハルシキタレバ。「寒過《フユスギテ》 暖來良思《ハルキタルラシ》」(卷十、一八四四)參照。同人の作だろう。
 雖新有 アラタナレドモ。冬が過ぎて春のくることは、太陽の運行によつて算出するのであり、年月が更新するのは、月が新月になるによるものであつて、かならず一致するものではないが、大體において接近しているので、その兩者が伴なつているように取り扱う。春になつたので、年と月が新しくなつたというのである。
【評語】年は年々にあらたになり、しかも人は年々に古くなつて行く。知識者として、漢文學の影響を受けているようである。寒暖の文字を冬春に當てて使つたのは、この歌ではあまり意義が感じられない。
 
1885 物皆は 新《あらた》しきよし。
 ただ人は、舊《ふ》りぬるのみし
 よろしかるべし。
 
 物皆者《モノミナハ》 新吉《アラタシキヨシ》
 唯人者《タダヒトハ》 舊之《フリヌルノミシ》
 應v宜《ヨロシカルベシ》
 
【譯】物は何でも新しいのがよい。ただ人間は古くなつたのがよいようだ。
【釋】物皆者 モノミナハ。物のすべては。
(66) 新吉 アラタシキヨシ。新しいのがよいのだ。形容詞新しは、アラタシというのが原形である。「阿良多之支止之乃波之女爾《アラタシキトシノハジメニ》」(琴歌譜)。句切。
 應宜 ヨロシカルベシ。ベシは、推量の助動詞として使われている。
【評語】前の歌と、二首で連作をなしている。前の歌で、老を歎き、この歌ではみずから慰めている。老境にはいつた人の心があわれである。
 
懽v逢
 
逢へるを懽《よろこ》ぶる
 
【釋】懽逢 アヘルヲヨロコブル。これも特殊の小題である。歌意によるに、偶然に逢つたので、知つた人ではないようだ。
 
1886 住吉《すみのえ》の 里行きしかば、
 春花の いやめづらしき
 君に逢へるかも。
 
 住吉之《スミノエノ》 里行之鹿齒 サトユキシカバ
 春花乃《ハルバナノ》 益希見《イヤメヅラシキ》
 君相有香聞《キミニアヘルカモ》
 
【譯】住吉の里を行つたので、春の花のようにますます愛すべきあなたに出逢つたのです。
【釋】里行之鹿齒 サトユキシカバ。行は、諸本に得に作つて、多くサトヲエシカバと訓している。しかしそれでは意を成さぬので、考に行の誤りとする説が廣く行われている。同樣の場合は、「得行而將v泊《エユキテハテム》」(卷十、二〇九一)にも見られるが、これは得のままでも通じないでもない。
 春花乃 ハルバナノ。枕詞。譬喩によつて君を修飾している。
(67) 益希見 イヤメヅラシキ。イヤは見れば見るほどめずらしさを増す意に使つている。希見は、他は多く希將見と書いていて、希見と書いたのはない。希は稀少の意であろう。
【評語】春花の枕詞を冠しているのは、女子に逢つたことを歌つているのだろう。すなおな感じのよい歌である。「山邊《やまのべ》の御井を見がてり神風の伊勢をとめどもあひ見つるかも」(卷一、八一)あたりにくらべて、單純に詠まれている。
 
旋頭歌
 
【釋】旋頭歌 セドウカ。旋頭歌は、歌體の名稱であるが、ここは、春の雜歌である旋頭歌を載せている。旋頭歌に對して、編者が特殊のものとして扱つていることが知られる。
 
1887 春日なる 三笠の山に
 月も出でぬかも。
 佐紀《さき》山に 咲ける櫻の 花の見ゆべく。
 
 春日在《カスガナル》 三笠乃山尓《ミカサノヤマニ》
 月母出奴可母《ツキモイデヌカモ》
 佐紀山尓《サキヤマニ》 開有櫻之《サケルサクラノ》 花乃可v見《ハナノミユベク》
 
【譯】春日の三笠の山に月も出ないかなあ。佐紀山に咲いている櫻の花が見えるように。
【釋】月母出奴可母 ツキモイデヌカモ。希望の語法。句切。
 佐紀山尓 サキヤマニ。佐紀は、平城宮北方の地名。
【評語】佐紀山近くにいて、東方の三笠山を眺めて歌つている。内容に比して、大がかりな表現を採つているのは、不似合である。酒宴などでの作らしい。
 
(68)1888 白雪の 常《つね》敷《し》く冬は過ぎにけらしも。
 春霞 たなびく野邊の 鶯鳴くも。
 
 白雪之《シラユキノ》 常敷冬者《ツネシクフユハ》 過去家良霜《スギニケラシモ》
 春霞《ハルガスミ》 田菜引野邊之《タナビクノベノ》 ?鳴焉《ウグヒスナクモ》
 
【譯】白雪の消えずにいる冬は過ぎ去つたらしい。春霞のたなびく野邊のウグイスが鳴いている。
【釋】常敷冬者 ツネシクフユハ。ツネシクは、永く地に敷いている。「勢能山爾《セノヤマニ》 黄葉常敷《モミチツネシク》」(卷九、一六七六)。
【評語】鶯の聲によつて、雪にとざされた冬の過ぎたことを推量している。春のよろこびが感じられる歌である。冬の季節感は固定しているが、ここではそれを具體的に、白雪ノ常敷クと敍述して説明したのがよい。
 
譬喩歌
 
【釋】譬喩歌 ヒユカ。譬喩歌は、卷の三あたりでは、雜歌、挽歌に對して、大きな標目として立てている。この卷では、春の雜歌、夏の雜歌、秋の相聞の、それぞれの終りの方に、譬喩歌と題した歌を載せている。これは、春の雜歌の中での譬喩歌の意であろう。
 
1889 わが屋前《には》の 毛桃《けもも》の下に 月夜《つくよ》さし
 下心《したごころ》よし。
 うたてこの頃。
 
 吾屋前之《ワガニハノ》 毛桃之下尓《ケモモノシタニ》 月夜指《ツクヨサシ》
 下心吉《シタゴコロヨシ》
 菟楯頃者《ウタテコノゴロ》
 
【譯】わたしの屋前の毛桃の下に月の光がさして、氣もちがよいことだ。さてこの頃は。
【釋】毛桃之下尓 ケモモノシタニ。ケモモは、果實の外皮に毛の多い桃。ここは春の歌だから、花の頃であ(69)る。「波之吉也思《ハシキヤシ》 吾家乃毛桃《ワギヘノケモモ》 本繁《モトシゲク》 花耳開而《ハナノミサキテ》 不v成在目八方《ナラザラメヤモ》」(巻七、一三五八)、「日本之《ヤマトノ》 室原乃毛桃《ムロフノケモモ》 本繁《モトシゲク》 言大王物乎《イヒテシモノヲ》 不v成不v止《ナラズハヤマジ》」(卷十一、二八三四)など、本繁クを起しており、樹幹の根に近いところが繁茂するものである。ケモモノシタは、多少そういう茂つた處を示している。
 月夜指 ツクヨサシ。ツクヨは、月をいう。サシは、月光のさす意。
 下心吉 シタゴコロヨシ。シタゴコロは、心中、心の底。句切。
 菟楯頃日 ウタテコノゴロ。ウタテは、轉じて、移つての意の副詞。平常とは變わつている意である。古事記下卷に「宇多弖《ウタテ》物云(フ)王子|故《ナレバ》、應v愼《ココロシタマヘ》」とあり、變わつて物をいう王子だから注意なさいの意である。また同上卷に「其惡態《ソノアシキワザ》不v止(マ)而轉」の轉をウタテアリと訓している。本集では、この歌ともに五出しており、ウタテコノゴロとあるもの三、ウタテケニとあるもの二である。ウタテコノゴロは「見欲《ミマクホシキ》 宇多手比日《ウタテコノゴロ》」(卷十一、二四六四)、「何時奈毛《イツハナモ》 不v戀有登者《コヒズアリトハ》 雖v不v有《アラネドモ》 得田直比來《ウタテコノゴロ》 戀之繁母《コヒノシゲシモ》」(卷十二、二八七七)の如くあり、平常と違つてこの頃はの意をあらわしている。ウタテケニは「得田價異《ウタテケニ》 心鬱悒《ココロオホホシ》」(卷十二、二九四九)、「秋等伊閉婆《アキトイヘバ》 許己呂曾伊多伎《ココロゾイタキ》 宇多弖家爾《ウタテケニ》 花仁奈蘇倍弖《ハナニナソヘテ》 見麻久保里香聞《ミマクホリカモ》」(卷二十、四三〇七)の如くあり、ケニは異なつてであつて、やはり前と變わつての意になつている。要するにウタテは、ウツリテの意あるもので、後に、異様にあり、またつれなくの意になるのも、ここに出發する。
【評語】春夜の佳景に接して、平常の鬱悒を散じた趣に歌つている。上三句が譬喩になつているというので、譬喩歌と題したものだろうが、かようなのを譬喩歌とするならば、まだ他にもいくつもあろう。
 
春相聞
 
【釋】春相聞 ハルノサウモニ。四十七首の歌を收めている。初めの七首は人麻呂歌集所出で、これには小題(70)がない。以下寄鳥等の題を掲げて、物に寄せた歌をかかげ、末に至つて、贈蘰、悲別、問答のような題になつている。
 
1890 春日野に 友鶯の 鳴き別れ、
 歸ります間《ま》も 思はせ、吾を。
 
 春日野《カスガノニ》 友?《トモウグヒスノ》 鳴別《ナキワカレ》
 眷益間《カヘリマスマモ》 思御吾《オモホセワレヲ》
 
【譯】春日野で、友だち鶯が鳴いて別れて、お歸りになるあいだも、わたしを思つてください。
【釋】春日野 カスガノニ。澤瀉博士の萬葉古徑二に、春山の誤りかとする説が出ている。これは類聚古集に春山野に作りハルヤマノと訓していること、人麻呂集として春日野が似つかわしくないことなどを根據としている。歌としては、いかにも春山ノの方がすぐれているが、春日野とあるものを改めるわけにも行かない。
 友?鳴別 トモウグヒスノナキワカレ。トモウグヒスは、友人を鶯にたとえている。これによつて別離することをナキワカレと云つている。
 眷益間 カヘリマスマモ。眷は、かえり見る意の字で、カヘリに使つている。「海人釣船《アマノツリブネ》 濱眷奴《ハマニカヘリヌ》」(巻三、二九五)とも使われている。マスは敬語の助動詞。
【評語】作者は、旅に出ようとして、僚友と春日野で別れを惜しんでいるので、これは男どうしの交遊であろう。この歌に春日野を詠んでいるのは、奈良時代にはいつてからの作品であることを示し、もしこれを人麻呂の作とすれば、人麻呂の死は、奈良時代にはいつてからのこととなる。歌は巧みにできているが、二三句は、輕快に過ぎてしんみりした味は出ない。
 
1891 冬ごもり 春咲く花を 手折《たを》り持ち、
 千遍《ちたび》の限り 戀ひにけるかも。
 
 冬隱《フユゴモリ》 春開花《ハルサクハナヲ》 手折以《タヲリモチ》
 千遍限《チタビノカギリ》 戀《コヒニケルカモ》
 
(71)【譯】冬の終りから、春になると咲く花を、折つて持つて、千遍ほども戀をしたなあ。
【釋】冬隱 フユゴモリ。枕詞。冬の終りの時節。
 春開花 ハルサクハナヲ。何の花とも指定していないが、梅櫻の類であろう。
 千遍限 チタビノカギリ。千遍までもで、戀のはげしく長いのをいう。
 戀 コヒニケルカモ。西本願寺本に、戀渡鴨とし、コヒワタルカモとしているのは、古訓によつて渡鴨の二字を補つたものだろうが、花を折つて千度の限りと度數を云つて戀ヒワタルカモでは變である。類聚古集、神田本等に、戀の一字だけとするによつて、コヒニケルカモと讀むべきである。花を折つた時のはげしい戀である。
【評語】春花を手折つて、人を思う。女子の作らしい風趣である。この花をひとり見るさびしさに堪えない心であろう。
 
1892 春山の 霧に惑《まど》へる 鶯も、
 我にまきりて 物念はめや。
 
 春山《ハルヤマノ》 霧惑在《キリニマドヘル》 ?《ウグヒスモ》
 我益《ワレニマサリテ》 物念哉《モノオモハメヤ》
 
【譯】春山の霧に迷つているウグイスも、わたしにまさつては物を思わないだろう。
【釋】霧惑在 キリニマドヘル。霧の中で方向を失つている。
【評語】春山ノ霧ニ惑ヘル鶯というのは、珍しい表現で、霧にまだ秋の季節感が固定していないことを語つている。この鶯の敍述には描寫があつてよい。それを譬喩にした點に、かえつて新鮮味がある。
 
1893 いでて見る 向かひの岡に、
(72) 本《もと》繁《しげ》く 咲きたる花の、
 成らずは止まじ。
 
 出見《イデテミル》 向岡《ムカヒノヲカニ》
 本繁《モトシゲク》 開在花《サキタルハナノ》
 不v成不v止《ナラズハヤマジ》
 
【譯】家を出て見る向こうの岡に、木のもとが繁つて咲いている花のように、實がならないではやまない。
【釋】出見 イデテミル。わが家を出て見る。戸外に出て見る。
 本繁 モトシゲク。樹幹が茂つて。本枝からいつぱいに。
 不成不止 ナラズハヤマジ。ナラズは、實の成らないこと、戀の成就しないことを、かけて言つている。
【評語】春の花に寄せて歌つている。成ラズハ止マジのような句は、歌いものとして慣用していたのだろう。
【參考】類句、成らずは止まじ。
  吾妹子が屋前《には》の橘いと近く植ゑてしからに成らずは止まじ(卷三、四一一)
  大和の室原《むろふ》の毛桃本繁く言ひてしものを成らずは止まじ(卷十一、二八三四)
 
1894 霞立つ 春の永日を 戀ひ暮《く》らし、
 夜の深《ふ》け行けば、 妹に逢へるかも。
 
 霞發《カスミタツ》 春永日《ハルノナガビヲ》 戀暮《コヒクラシ》
 夜深去《ヨノフケユケバ》 妹相鴨《イモニアヘルカモ・イモハアハムカモ》
 
【譯】霞の立つ春の永い日を戀い暮らして、夜が深けて行つたので、妻に逢つたことだ。
【釋】妹相鴨 イモニアヘルカモ。イモニアハムカモ(代初書入)。人麻呂歌集は、文字すくなく書かれており、打消の字なども省いてあるので讀み方が動搖しがちである。イモモアハヌカモあたりであるかも知れない。古歌集所出の歌には「眞十鏡《マソカガミ》 見之賀登念《ミシカトオモフ》 妹相可聞《イモモアハヌカモ》」(卷十一、二三六六)。しかし文字通りには、イモニアヘルカモと讀むのが順當である。
(73)【評語】戀の歡喜が歌われている。上三句の敍述がよく利いていて、その喜びを大きく強いものにしている。戀の喜びを歌つた歌はすくないが、その中にも特色のある作である。
 
1895 春されば まづ三枝《さきくさ》の 幸《さき》くあらば、
 後にも逢はむ。
 な戀ひそ、吾味《わぎも》。
 
 春去《ハルサレバ》 先三枝《マヅサキクサノ》 幸命在《サキクアラバ》
 後相《ノチニモアハム》
 莫戀吾味《ナコヒソワギモ》
 
【譯】春になればまず咲く、サキクサのように、幸くあつたなら、後にも逢おうよ。戀をするなよ、わが妻よ。
【釋】春去先三枝 ハルサレバマヅサキクサノ。春になればまず咲く、そのサキクサノの意である。サキクサは、諸説があつて一定しない。ヒノキ、ヤマユリ、チヨウジ、ミツマタ、オケラなどが擧げられているが、多分、草本だろう。この歌によれば、春になつて早く咲く植物のようである。三枝と書いたのは、枝が三枝に分かれる形について書くのだろう。新撰姓氏録、左京神別に「三枝部(ノ)連(ハ)、額田部(ノ)湯坐《ユヱト》同祖(ナリ)。顯宗天皇(ノ)御世(ニ)、喚2集《メシツドヘ》諸氏(ノ)人等(ヲ)1、賜(フ)2饗?(ヲ)1。于v時(ニ)三莖之草生(フ)2於宮庭(ニ)1、採(リテ)以奉獻(ル)。仍(リテ)負(フ)2姓三枝部(ノ)造(ヲ)1」とあり、日本書紀顯宗天皇の三年四月の條に「戊(74)辰置(ク)2福草部《サキクサベヲ》1」とあるもの、これに當る。倭名類聚鈔に「文字集略(ニ)云(フ)、〓音娘、佐岐久佐。日本紀私記云福草」、また同書に「薺〓、本草(ニ)云(フ)薺〓臍禰二音、佐岐久佐奈、一云美乃波」とある。箋註《せんちゆう》にこれをもつてサキクサに擬している。薺〓は、ソバナ、ツリガネソウである。以上二句は、序詞。同書によつて次のサキを引き出すが、サキクサに福草の意を含んでいる。
【評語】妻に別れる時の作で、めでたい物を使つて序としている。あかるい内容で、慰めている。情景に滿ちた歌である。
 
1896 春されば しだり柳の、とををにも、
 妹が心に 乘りにけるかも。
 
 春去《ハルサレバ》 爲垂柳《シダリヤナギノ》 十緒《トヲヲニモ》
 妹心《イモガココロニ》 乘在鴨《ノリニケルカモ》
 
【譯】春になると、シダレヤナギのたわむように、たわむまでに、わが妻の心に乘つたことだつた。
【釋】春去爲垂柳 ハルサレバシダリヤナギノ。以上、序詞。柳はなよなよとするものであるから、トヲヲを引き出すに使われる。
 十緒 トヲヲニモ。トヲヲニは、たわむ形容の副詞。心に乘つたその重さで、しなう意である。
 妹心乘在鴨 イモガココロニノリニケルカモ。慣用句で、心いつぱいに、妹に思われたのをいう。この句は、この歌を合わせて六出しているが、第四句に當る所が、妹情爾、妹心爾などとばかり書かれており、妹の下に補うべき助詞が示されていない。よつてイモハココロニとも讀まれていたが、妹心とあるものは、妹ガ心とよむのが順當であるから、今ガを補うこととした。例は卷の二、一〇〇の歌の條に出した。
【評語】類型によつて詠まれている歌で、相手の心に乘るという云い方に興味がつながれていたらしい。この歌は、序に季節の物を使用しているところに新鮮味がある。
 
(75)右、柿本朝臣人麻呂歌集出
 
【釋】右柿本朝臣人麻呂歌集出 ミギハカキノモトノアソミヒトマロノウタノシフニイヅ。以上の七首の出所を註している。これも人麻呂集に既に春の相聞の歌が、まとめてあり、しかもまだ小題を附してなかつたのを、そのまま取り入れたのだろう。
 
寄v鳥
 
1897 春しあれば、
 百舌鳥《もず》の草潜《くさぐき》 見えずとも、
 我れは見|遣《や》らむ。
 君が邊《あたり》をば。
 
 春之在者《ハルシアレバ》
 伯勞鳥之草具吉《モズノクサグキ》 雖v不v所v見《ミエズトモ》
 吾者見將v遣《ワレハミヤラム》
 君之當乎婆《キミガアタリヲバ》
 
【譯】春であるので、モズが草に隱れるように見えなくつても、わたしは見やりましよう。君の家のあたりをば。
【釋】春之在者 ハルシアレバ。ハルサレバとは別なのだろう。一八二六參照。
 伯勞鳥之草具吉 モズノクサグキ。モズは鳥名。倭名類聚鈔に「兼名苑(ニ)云(フ)、鵙一名鷭上音?、下音煩、漢語抄云、伯勞|毛受《モズ》、伯勞也。日本紀私記(ニ)云(フ)、百舌鳥。」伯勞と書くのは、その鳴き聲によるということである。クサグキは草にくぐる意で、春になつてこの鳥の見えなくなるをいう。以上二句、譬喩による序詞で、次の見エズトモに冠している。後世、この鳥が蛙などを捕らえて木の枝などに刺しておくのを、モズノハヤニエというを、ま(76)たモズノクサグキともいうのは、この歌のこの句の誤解にもとづく。集中クサグキはこの一例のみである。
【評語】珍しい材料を序に使つている。土に親しんでいる生活から生まれた歌のようである。
 
1898 容鳥《かほどり》の 間《ま》無《な》く數《しば》鳴《な》く 春の野の、
 草根の繁き 戀もするかも。
 
 容鳥之《カホドリノ》 間無數鳴《マナクシバナク》 春野之《ハルノノ》
 草根乃繁《クサネノシゲキ》 戀毛爲鴨《コヒモスルカモ》
 
【譯】容鳥が間鳴くしきりに鳴く春の野の草のように、暇のない戀もすることだ。
【釋】容鳥之 カホドリノ。カホドリは既出。美しい大きな鳥である。
 草根乃繁 クサネノシゲキ。クサネノまでは序で、繁く間斷なき戀を引き起している。クサネのネは接尾語で、草が地中に根を生じているをあらわす。草の根のではない。地に生えているから草根で、抜けば草根とはいわない。「岡之草根乎《ヲカノクサネヲ》 去來結手名《イザムスビテナ》」(卷一、一〇)參照。
【評語】序が巧みに美しい情景をとらえていて、相聞の歌にふさわしくなつている。主意は極めて簡單で、ただ序との續きぶりを味わわせる作である。
 
寄v花
 
1899 春されば 卯の花ぐたし わが越えし、
 妹が垣間は 荒れにけるかも。
 
 春去者《ハルサレバ》 宇乃花具多思《ウノハナグタシ》 吾越之《ワガコエシ》
 妹我垣間者《イモガカキマハ》 荒來鴨《アレニケルカモ》
 
【譯】春になると、卯の花を踏みしだいてわたしの越えた、わたしの妻の垣のあいだは荒れたことだなあ。
【釋】宇乃花具多思 ウノハナグタシ。グタシは、朽ちしめる意で、本來清音だろうが、ここは熟語としてグ(77)タシになつている。くたくたにつぶして、踏みくたす意である。梅の花くたしの誤りとする説があるが、卯の花で垣間に適合する。囘想の敍述だから、春になるときまつて卯の花をふみ分けてでよいのである。クタスの例。「久多志須都良牟《タタシスツラム》 ?綿良波母《キヌワタラハモ》」(卷五、九〇〇)、「宇能花乎《ウノハナヲ》 令v腐霖雨之《クタスナガメノ》」(巻十九、四二一七)。この句は、ワガ越エシを修飾するので、卯の花を踏んで越えた垣である。古義に三四一二五と次第して解くべしと云つたのは誤解である。
 妹我垣間者 イモガカキマハ。カキマは、垣のあいだ。垣の中間のところ。
 荒來鴨 アレニケルカモ。おとずれなくなつてしまつたことを表現している。
【評語】しばらく行かなかつた妹が家の垣間に對する感想である。旅から歸つて來たか何かの場合の作であろう。具體的な敍述で、囘想が生きている。
 
1900 梅の花 咲き散る苑に 吾《われ》行かむ。
 君が使を 片待ちがてり。
 
 梅花《ウメノハナ》 咲散苑尓《サキチルソノニ》 吾將v去《ワレユカム》
 君之使乎《キミガツカヒヲ》 片待香花光《カタマチガテリ》
 
【譯】梅の花の咲きまた散る園に、わたしは行こう。君の使をひたすら待ちながら。
【釋】吾將去 ワレユカム。明瞭に三句で切れている。
 片待香花光 カタマチガテリ。花光は、義をもつてテリに借りている。梅花の歌なので、縁のある美しい文字を使用したのだろう。他には香光をガテリに當てているものが三例あるから、特に花の字を加えた意が知られる。カタマチは、片寄り待つで、ひたすらに待つ意である。カタマチとガテリとのあいだに、矛盾があるようで、矛盾はない。心ではひたすら君の使を待つのだが、その氣もちであるかたわら、梅花の園に行こうというのである。
(78)【評語】これも美しい歌である。女子の作だろうが、三句で切つて、下二句がそれを説明しているあたり、強い語調である。
 
1901 藤波の 咲ける春野に 蔓《は》ふ葛《かづら》、
 下よし戀ひば 久しくもあらむ。
 
 藤浪《フヂナミノ》 咲春野尓《サケルハルノニ》 蔓葛《ハフカヅラ》
 下夜之戀者《シタヨシコヒバ》 久雲在《ヒサシクモアラム》
 
【譯】藤の花の咲く春の野にのびているつる草のように、心の下で戀うたなら、時間が長くかかることだろう。
【釋】藤浪 フヂナミノ。藤の枝葉の野に廣がつている樣が波のようなので、フヂナミというのだろう。但し語義は藤竝か。
 蔓葛 ハフカヅラ。カヅラは、蔓生植物の總稱。ここは初句の藤ではなく、他の蔓の植物をいう。以上、序詞。藤が上を蔽い、葛が下を這う意に、次の下を起す。
 下夜之戀者 シタヨシコヒバ。シタは、心の中、下心。ヨは、よりの意の助詞。シは、強意の助詞。心の中で戀うならば。
 久雲在 ヒサシクモアラム。ヒサシクは、時久しくで、時間のかかること。
【評語】序を使つて、巧みにもどかしく思う心を歌つている。序は、うつとうしい情を描くに役立つている。
 
1902 春の野に 霞たなびき 咲く花の、
 かくなるまでに 逢はぬ君かも。
 
 春野尓《ハルノノニ》 霞棚引《カスミタナビキ》 咲花乃《サクハナノ》
 如v是成二手尓《カクナルマデニ》 不v逢君可母《アハヌキミカモ》
 
【譯】春の野に霞がたなびいて、咲く花が、かように花ざかりになるまでの永いあいだを、逢わない君ですね。
【釋】春野尓霞棚引 ハルノノニカスミタナビキ。以上、花の咲く頃の景を敍述している。
(79) 如是成二手尓 カクナルマデニ。カクナルは、現に花の盛りになつているのをいう。ナルは實のなることをもいうが、春の歌だからそうではあるまい。二手は、左右の手で、マデの音に借りている。以上、永い時間の經過をいう。
【評語】時間の久しいのを、具體的な事實によつて歌うのは、例が多くあるが、これは花の盛りになるまでというので、戀の歌にふさわしい。しかし初二句の敍述は、類型的で、緊張しない。
 
1903 我が夫子に わが戀ふらくは、
 奧山の 馬醉木《あしび》の花の 今盛りなり。
 
 吾瀬子尓《ワガセコニ》 吾戀良久者《ワガコフラクハ》
 奧山之《オクヤマノ》 馬醉花之《アシビノハナノ》 今盛有《イマサカリナリ》
 
【譯】あなたにわたくしの戀をしていることは、奧山の馬醉木の花のように、今盛りでございます。
【釋】奧山之馬醉花之 オクヤマノアシビノハナノ。譬喩による序詞で、今盛リナリを引き起している。
【評語】調子のよさはあるが、幾分型にはめて作つたようだ。全體としても型があり、今盛リナリも慣用句だ。後世の歌に、初句に、わが戀はと置いて、二句以下にそれを説明する型があるが、この歌と同じ種類の表現である。
【參考】類句、わが夫子にわが戀ふらくは。
  白細《しろたへ》の袖を觸れてよわが夫子にわが戀ふらくは止む時も無し(巻十一、二六一二)
  わが夫子にわが戀ふらくは夏草の刈りそくれども生ひ及《し》くが如(同、二七六九)
   類句、今盛りなりわが戀ふらくは。(今盛りなりの類歌は、巻の三、三二八參照)
  茅花《ちばな》抜く淺茅が原のつぼ董今盛りなり。わが戀ふらくは(卷八、一四四九)
 
(80)1904 梅の花 しだり柳に 折り雜《まじ》へ、
 花に供養《まつ》らば 君に逢はむかも。
 
 梅花《ウメノハナ》 四垂柳尓《シダリヤナギニ》 折雜《ヲリマジヘ》
 花尓供養者《ハナニマツラバ》 君尓相可毛《キミニアハムカモ》
 
【譯】この梅の花をシダレヤナギに折りまぜて、花として佛に奉つたなら、君に逢うだろうか。
【釋】梅花 ウメノハナ。梅の花を提示している。意は、この梅の花をである。
 花尓供養者 ハナニマツラバ。
  ハナニソナヘバ(西)
  ハナニタムケバ(童)
  ――――――――――
  神爾供養者《カミニタムケバ》(略)
  仏爾供養者《ブツニタムケバ》(新考)
 供養は、佛語を使用している。供養者をタムケバと讀む説があるが、本集ではタムケは、祭祀の一種であつて、物を奉る意ではない。マツラバ、ソナヘバと讀むのがおだやかだろう。マツルは、獻る意である。字音で讀んだかも知れないが、讀み方が不明である。クヤセバか。
【評語】佛教のさかんな時代の作として、供養のような語を使つているのがおもしろい。供華《くげ》の功コの信仰が詠まれている。
 
1905 女郎花 咲く野に生ふる 白《しら》つつじ、
 知らぬこともち 言はれしわが夫。
 
 姫部思《ヲミナヘシ》 咲野尓生《サクノニオフル》 白管自《シラツツジ》
 不知事以《シラヌコトモチ》 所言之吾背《イハレシワガセ》
 
【譯】女郎花の咲く野に生えている白いツツジのように、知らないことで、人に言われたあなたです。
【釋】姫部思 ヲミナヘシ。次の咲クの主語。
 咲野尓生 サクノニオフル。咲野をサキノと讀み、佐紀野で、平城宮の北方の佐紀の野とする説があるが、(81)女郎花の冠しかたもおかしいし、キの音も違う。
 白管自 シラツツジ。白躑躅。以上三句は、序詞で、同音をもつて、次の知ラヌを引き起している。
 不知事以 シラヌコトモチ。シラヌコトは、知らない事、身に覺えのない事。別に相手を思つてもいないので、その事での意。モチは、以ちての意。「美許登母知《ミコトモチ》 多知和可禮奈婆《タチワカレナバ》」(卷十六、四〇〇六)などの例によつてモチと讀む。「奈爾毛能母弖加《ナニモノモテカ》 伊能知都我麻之《イノチツガマシ》」(卷十五、三七三三)の如く、モテとした例もあるが、モテは、この他に卷の十四に例があるだけである。
 所言之吾背 イハレシワガセ。イハレシは、人に何かとうわさされたのをいう。連體形で、無論ワガセを修飾している。
【評語】白ツツジを言おうとしてオミナエシを持ち出したのは手段で、序詞の性質を利用したものである。「娘子部四《ヲミナヘシ》 咲澤二生流《サクサハニオフル》 花勝見《ハナカツミ》 都毛不v知《カツテモシラヌ》 戀裳楷可聞《コヒモスルカモ》」(卷四、六七五)など、同種の表現がある。この歌、相手の男の上を慰めたように歌つているが、それは皮肉で、わざと言つているのだろう。技巧で終始している歌である。
 
1906 梅の花 われは散らさじ。
 あをによし 平城《なら》なる人の
 來つつ見るがね。
 
 梅花《ウメノハナ》 吾者不v令v落《ワレハチラサジ》
 青丹吉《アヲニヨシ》 平城之人《ナラナルヒトノ》
 來管見之根《キツツミルガネ》
 
【譯】梅の花をわたしは散らさない。美しい奈良の京の人が、來て見るだろう。
【釋】平城之人 ナラナルヒトノ。
  ミヤコノヒトモ(元)
(82)  ナラノサトビト(元赭)
  ナラナルヒトノ(西)
  ――――――――――
  平城之里人《ナラノサトビト》(代初)
  平城之在人《ナラナルヒトノ》(略)
  平城在人《ナラナルヒトノ》(略)
 平城は、奈良、寧樂と書くに同じ。奈良の京に住む人ので、その人とさす人があるはずである。之はノと讀むのが普通であるが、音が足りないからナルとする。
 來管見之根 キツツミルガネ。ガネは、豫想し希望する助詞。ここに之根と書いているのは、變わつた書き方である。ガに助詞ガを感じているのだろう。
【評語】奈良の京の人に贈つた歌であろう。二句の散ラサジは、大切に思う心があらわれている。梅花を擁して客を待つ心である。
 
1907 かくしあらば 何か植ゑけむ。
 山振《やまぶき》の やむ時もなく
 戀ふらく念へば。
 
 如是有者《カクシアラバ》 何如殖兼《ナニカウヱケム》
 山振乃《ヤマブキノ》 止時喪哭《ヤムトキモナク》
 戀良苦念者《コフラクオモヘバ》
 
【譯】かような事なら何だつて植えたのだろう。そのヤマブキの名のように、やむ時もなく戀うことを思うと。
【釋】如是有者 カクシアラバ。四五句の内容を前提としてカクと指定している。
 何如殖兼 ナニカウヱケム。何如は、他の例ナニと讀む場合に使われている。「何如之恠曾毛《ナニノシルシゾモ》」(巻四、六〇四)、「何如爲常香《ナニストカ》 彼夕相而《ソノヨヒアヒテ》」(同、七三〇)の類である。ヤマブキを植えたことを後悔している。句切。
 山振乃 ヤマブキノ。同音によつて次の句を起している。
【評語】山振が、實に巧みに使われている。山振ノヤム時無シニの句を得て、それによつて構成したような歌だ。技巧が勝つて、率直性に缺ける恨みがあるともいえるほどだ。
 
(83)寄v霜
 
1908 春されば 水草《みくさ》が上に 置く霜の、
 消《け》つつも我は 戀ひ渡るかも。
 
 春去者《ハルサレバ》 水草之上尓《ミクサガウヘニ》 置霜之《オクシモノ》
 消乍毛我者《ケツツモワレハ》 戀度鴨《コヒワタルカモ》
 
【譯】春になると、水草の上に置く霜のように、消えながらわたしは戀い暮らすことだ。
【釋】水草之上尓 ミクサガウヘニ。ミクサノウヘニ(元)。「秋付者《アキヅケバ》 尾花我上爾《ヲバナガウヘニ》 置露乃《オクツユノ》 應v消毛吾者《ケヌベクモワレハ》 所v念香聞《オモホユルカモ》」(卷八、一五六四)と同型の歌として、ミクサガウヘニと讀む。ミクサは、水中水邊の草。「池之瀲爾《イケノナギサニ》 水草生爾家里《ミクサオヒニケリ》」(卷三、三七八)。
 置霜之 オクシモノ。以上、消ツツモと云うための序。
 消乍毛我者 ケツツモワレハ。ケツツは、消えてなくなりつつ。死にかけて。
【評語】露や霜に寄せて、消えるを引き出している歌は多く、この歌もその一つである。しかも春の霜を出して消えやすいことを強調しているだけで、その霜の説明も、型にはまつている。感激の乏しい作だ。
 
寄v霞
 
1909 春霞 山にたなびき、
 おほほしく 妹を相見て
 後《のち》戀ひむかも。
 
 春霞《ハルガスミ》 山棚引《ヤマニタナビキ》
 鬱《オホホシク》 妹乎相見《イモヲアヒミテ》
 後戀毳《ノチコヒムカモ》
 
(84)【譯】春霞が山にたなびいて、そのようにぼんやりとあなたを見て、後に戀をすることだろうなあ。
【釋】春霞山棚引 ハルガスミヤマニタナビキ。オホホシクというための序。
 鬱 オホホシク。ぼんやりと、はつきりしない意。わずかに相手を見ただけなのをいう。
 妹乎相見 イモヲアヒミテ。イモは相手の女子だが、その人に歌を贈つているか獨語しているかわからない。
【評語】はつきり見ないで戀をするという歌は、この下(一九一二)にもあり、他にもある。初二句の序詞も、極めて平凡である。
【參考】類想。
  香具山に雲ゐたなびきおほほしくあひ見し子らを後戀ひむかも(卷十一、二四四九)
 
1910 春霞 立ちにし日より 今日までに、
 わが戀|止《や》まず。
 本《もと》の繁けば。
 
 春霞《ハルガスミ》 立尓之日從《タチニシヒヨリ》 至2今日1《ケフマデニ》
 吾戀不v止《ワガコヒヤマズ》 本之繁家波《モトノシゲケバ》
 
【譯】春霞の立つた日から今日までも、わたしの戀はやまない。心から繁くあるので。
【釋】春霞立尓之日従 ハルガスミタチニシヒヨリ。春になつて霞の立つた、その日からこの方。
 本之繁家波 モトノシゲケバ。モトは、樹幹をいうのだろう。シゲケは、形容詞の活用形だろうが、このケの形は未然にも已然にも使われる。ここは已然。自分の戀が、元來心の底から繁くあるのでというのだろう。
【評語】永いあいだということを、春霞の立つた日から今日までと敍している。春の日頃を戀に過したことが歌われている。五句がすこし唐突であるが、作者みずからもそれを氣にして、片念ヒニシテと直したのだろう。
 
一云、片念尓指天《カタモヒニシテ》
 
(85)一は云ふ、片念ひにして。
 
【釋】一云片念尓指天 アルハイフ、カタモヒニシテ。前の歌の第五句の別傳で、この方がよくわかる。作者の別案であろうか。
 
1911 さ丹《に》つらふ 妹を念ふと、
 霞立つ 春日《はるひ》もくれに
 戀ひわたるかも。
 
 左丹頬經《サニツラフ》 妹乎念登《イモヲオモフト》
 霞立《カスミタツ》 春日毛晩尓《ハルヒモクレニ》
 戀度可母《コヒワタルカモ》
 
【譯】美しいあの人を思うとして、霞の立つ春の日も、暗くおぼえて戀をして過すことだ。
【釋】左丹頬經 サニツラフ。枕詞。サは接頭語。ニツラフは、くれないにあらわれる意。紅顔の意に妹を修飾敍述する枕詞。
 霞立 カスミタツ。枕詞。春を修飾敍述する。
 春日毛晩尓 ハルヒモクレニ。クレニは、くらがりに。あかるいはずの春の日も、心がふさがつて暗く感じる意に、副詞になつている。「于之廬母倶例尼《ウシロモクレニ》 飫岐底舸?舸武《オキテカユカム》」(日本書紀三〇)のクレに同じ。春の日もくらく覺えるまでに。
【評語】サ丹ツラフ妹と、春日モクレニとが、期せずしてよい對比をなしている。思い入つた樣は窺われる。
 
1912 たまきはる わが山の上に 立つ霞、
 立つとも坐《ゐ》とも 君がまにまに。
 
 靈寸春《タマキハル》 吾山之於尓《ワガヤマノウヘニ》 立霞《タツカスミ》
 雖v立雖v座《タツトモヰトモ》 君之隨意《キミガマニマニ》
 
(86)【譯】命の限られているわたしの山の上に立つ霧のように、立つにしてもすわるにしても、あなたのお心まかせです。
【釋】靈寸春 タマキハル。枕詞。命に冠するのが通例であるが、ここは吾に冠している。玉をきる意から靈魂の限りある義に轉じ、命の短い意に吾に冠したのだろう。元暦校本、類聚古集には、霞寸春に作つているが、三句に霞があるのだから、それではおかしい。
 吾山之於尓 ワガヤマノウヘニ。
  ワカヤマノウヘニ(西)
  ――――――――――
  五口山之於爾《イクヤマノウヘニ》(改訓抄)
  春山之於爾《ハルヤマノウヘニ》(略、宣長)
  吾家之於爾《ワギヘノウヘニ》(新考)
 ワガヤマは、作者の家から近く見える山をいう。
 立霞 タツカスミ。以上、立ツというための序。
 雖立雖座 タツトモヰトモ。タツトモヰトモ(代精)、タツトモウトモ(略)。動詞居ルは、上一段活だから、助詞トモが接續する時は、古くはヰトモとなる。「美等母安久倍伎」(卷十八、四〇三七)の例である。(脇屋眞一君説)
【評語】序詞は平凡だが、タマキハルといい、ワガ山ノ上ニといつたのが、かえつて特殊性を發揮している。五句に、君ガマニマニと置く型も、類型的である。
 
1913 見渡せば 春日の野邊に 立つ霞、
 見まくの欲《ほ》しき 君が容儀《すがた》か。
 
 見渡者《ミワタセバ》 春日之野邊《カスガノノベニ》 立霞《タツカスミ》
 見卷之欲《ミマクノホシキ》 君之容儀香《キミガスガタカ》
 
(87)【譯】見渡せば春日の野邊に立つ霞。そのように見たいと思う。あなたのお姿ですね。
【釋】見渡者春日之野邊立霞 ミワタセバカスガノノベニタツカスミ。以上事實を敍している。その佳景のようにの意に、下に續く。
 君之容儀香 キミガスガタカ。スガタカは、容儀であることよと讃歎している。
【評語】春の美しい景を擧げて、君が容姿の譬喩としている。譬喩も實景であり、それと實事との関係が、ほどよくできていて、詠嘆の氣分を出している。
 
1914 戀ひつつも 今日は暮らしつ。
 霞立つ 明日の春日《はるひ》を
 いかにくらさむ。
 
 戀乍毛《コヒツツモ》 今日者暮都《ケフハクラシツ》
 霞立《カスミタツ》 明日之春日乎《アスノハルヒヲ》 如何將v晩《イカニクラサム》
 
【譯】戀いながらも、今日は暮らした。霞の立つ明日の春の日を、どのようにして暮らそうか。
【釋】戀乍毛今日者暮都 コヒツツモケフハクラシツ。戀に惱みながらも、さすがに永いといわれる春の日を暮らして夜になつたの意である。句切。
【評語】明日の永い一日をどのようにして過そうかという心が、適切に表現されている。思い惱む樣がよく描かれている。
 
寄v雨
 
1915 わが夫子に 戀ひて術《すべ》なみ、
(88) 春雨の 零《ふ》る別《わき》知らに
 出でて來しかも。
 
 吾背子尓《ワガセコニ》 戀而爲便莫《コヒテスベナミ》
 春雨之《ハルサメノ》 零別不v知《フルワキシラニ》
 出而來可聞《イデテコシカモ》
 
【譯】あなたに戀して致し方なさに、春雨の降つているわかちも知らずに出てきましたよ。
【釋】零別不知 フルワキシラニ。ワキは、区別、わかち。降つているかどうかもわからないで。
【評語】初句ワガ夫子ニとあるので、女子の作とされているが、男子どうしの場合でも、戀うということがあるから、決定はしがたい。春雨をおかして出てきたことを報告するだけの歌である。
 
1916 今更に 君はい往《ゆ》かじ。
 春雨の 情《こころ》を人の 知らざらなくに。
 
 今更《イマサラニ》 君者伊不v往《キミハイユカジ》
 春雨之《ハルサメノ》 情乎人之《ココロヲヒトノ》 不v知有名國《シラザラナクニ》
 
【譯】今更あなたはおいでにならないでしよう。春雨の降る心を、人として知らないことはないでしよう。
【釋】君者伊不往 キミハイユカジ。イは接頭語。句切。元暦校本に君何不往に作つているのは、君ガリ行カジのリに當る字が落ちたのだろう。それを後に今の形にしたものだろうか。
 情乎人之 ココロヲヒトノ。ココロは、春雨の降る心。人を歸さないようにと降るその心。ヒトは、一般的に云つているが、意は君のことである。
 不知有名國 シラザラナクニ。打消が二つ重なつて、肯定になつている。あなたは御承知です。
【評語】春雨に寄せて君を留めている。末句の打消を重ねた云い方に特色がある。人が知らないはずはないと、大がかりに云つたのも利いている。君ノというより、人ノという方が、一般的になつてよい。二句を君ガリ行カジとすると、また趣がかわつて、男子どうしの相聞の歌になつてそれもおもしろい。
 
(89)1917 春雨に 衣《ころも》はいたく 通《とほ》らめや。
七日し零《ふ》らば 七日來じとや。
 
 春雨尓《ハルサメニ》 衣甚《コロモハイタク》 將通哉《トホラメヤ》
 七日四零者《ナヌカシフラバ》 七日不v來哉《ナヌカコジトヤ》
 
【譯】春雨に著物はひどく通りはしますまい。もし七日降つたら七日來ないというのですか。
【釋】衣甚將通哉 コロモハイタクトホラメヤ。トホルは、衣服の裏まで濡れ通るをいう。句切。
 七日不來哉 ナヌカコジトヤ。コジトヤの下に、イフの如き語が省略されている。仙覺本系統には、七日を七夜に作つている。
【評語】四五句に七日の語を重ねたのが、ひどく利いている。これが歌の中心を成している。才氣に富んだ表現である。五句を七夜來ジトヤに作つているのもよい。しかしその方は一層技巧が勝つ。やはり七日の同語を重ねた方が古調である。
 
1918 梅の花 散らす春雨 多《さは》にふる
 旅にや、君が 廬《いほり》せるらむ。
 
 梅花《ウメノハナ》 令v散春雨《チラスハルサメ》 多零《サハニフル》
客尓也君之《タビニヤキミガ》 廬入西留良武《イホリセルラム》
 
【譯】梅の花を散らす春雨のひどく降つている旅先でか、君は小舍にはいつているのだろう。
【釋】多零 サハニフル。連體句で、以上三句、旅を修飾している。
 廬入西留良武 イホリセルラム。イホリは假舍を作つて入ること。
【評語】春の雨のおびただしく降るのに、旅のわびしさを思いやつて詠んでいる。上三句は、作者の現に見る景で、それをもつて旅先を想像して云つている。情趣の滿ちている作である。
 
寄v草
 
(90)1919 國栖《くにす》等が 春菜《わかな》採《つ》むらむ 司馬《しま》の野の、
 しましま君を 思ふこの頃。
 
 國栖等之《クニスラガ》 春菜將v採《ワカナツムラム》 司馬乃野之《シマノヌノ》
 數君麻《シマシマキミヲ》 思比日《オモフコノゴロ》
 
【譯】國栖たちの春の菜を採んでいるだろう司馬の野のように、しばしばあなたを思うこの頃です。
【釋】國栖等之 クニスラガ。クズラガ(考)、クズドモガ(代初)。クニスは、吉野山中の土民。古事記中卷、「吉野之國主等」、日本書紀卷の十に「國樔人」。古くクニスといい、後クズと云つたのだろう。語義は、クニヌシかクニスミか不明。國栖は、吉野の離宮のやや上流に當つて、今、國栖村の名が殘つている。
 春菜將採 ワカナツムラム。ワカナツムラム(元)、ハルナツマント(補、宣長)。春菜は、ハルナとも讀まれるが、今ワカナと讀むによる。「春菜採《ワカナツム》 妹之白紐《イモガシラヒモ》」(卷八、一四二一)など。
 司馬乃野之 シマノノノ。シメノノノ(類)、シハノノノ(西)、シマノノノ(童)。馬は、字音假字としてマにもメにも使用されている。ここは次にシマシマとあるを引き起すのだからマとして使つているのだろう。シマノノは所在不明だが、吉野山中だろう。シマは島の義か。以上序詞。同音によつてシマシマを引き起している。
【評語】國栖を引き出してきたのが特色であるが、内容は平凡である。吉野山中の司馬の野は、作者の知つている野で、春に當つてその野を想起したのだろう。
 
1920 春草の 繁きわが戀、
 大海の 方《へ》にゆく浪の、
 千重《ちへ》に積りぬ。
 
 春草之《ハルクサノ》 繁吾戀《シゲキワガコヒ》
 大海《オホウミノ》 方往浪之《ヘニユクナミノ》
 千重積《チヘニツモリヌ》
 
(91)【譯】春草のような繁きわたしの戀は、大海の岸邊に行く波のように、千重に積りました。
【釋】春草之 ハルクサノ。枕詞。譬喩によつて繁きに冠している。
 大海方往浪之 オホウミノヘニユクナミノ。へは邊、岸邊。この二句は序で、譬喩によつて千重を引き起している。
【評語】二つの譬喩を使つて構成しているが、その譬喩が、春草であり、大海であつて、全然連絡のない別種のものを使つているのは、思想の分裂が感じられて、よくない。またその譬喩も平凡だが、内容も平凡である。
 
1921 おほほしく 公《きみ》を相見て、
 菅の根の 長き春日《はるひ》を
 戀ひわたるかも。
 
 不明《オホホシク》 公乎相見而《キミヲアヒミテ》
 菅根乃《スガノネノ》 長春日乎《ナガキハルヒヲ》
 孤悲渡鴨《コヒワタルカモ》
 
【譯】ぼんやりとあなたを見て、菅の根のような永い春の日を戀して過すことです。
【釋】不明 オホホシク。はつきりしない意の副詞。「不明《オホホシク》 見之人故《ミシヒトユヱニ》 戀渡鴨《コヒワタルカモ》(卷十二、三〇〇三)。
 菅根乃 スガノネノ。枕詞。
【評語】公をよく見なかつたので、この永い春の日を戀い暮らすという、これも平凡な歌である。
 
寄v松
 
1922 梅の花 咲きて散りなば、
 吾妹子を  來《こ》むか來《こ》じかと
(92) わが松の木ぞ。
 
 梅花《ウメノハナ》 咲而落去者《サキテチリナバ》
 吾味乎《ワギモコヲ》 將v來香不v來香跡《コムカコジカト》
 吾待乃木曾《ワガマツノキゾ》
 
【譯】梅の花が咲いて散つたなら、あなたを、くるだろうか、こないだろうかと、わたしの待つている、その松の木ですよ。
【釋】將來香不來香跡 コムカコジカト。來るか來ないか、たしかでない意に、兩方にかけて云つている。「荒雄良乎《アラヲラヲ》 將v來可不v來可等《コムカコジカト》」(卷十六、三八六一)。トは、初句から來ムカ來ジカまでを受けている。
 吾待乃木曾 ワガマツノキゾ。マツは、來ムカ來ジカト待ツと、松の木とを懸けて云つている。「遠人《トホツヒト》 待之下道湯《マツノシタミチユ》」(卷十三、三三二四) の待の用法に同じ。
【評語】松に待ツを懸けたあたりに中心のある歌で、才氣は見るべきだが、表現が技巧に流れているのがわるい。もつと率直に歌うべきであつたろう。懸けことばが、結局禍をなしているのである。
 
寄v雲
 
1923 白檀弓《しらまゆみ》 いま春山に 行く雲の、
 行きや別れむ。
 戀《こほ》しきものを。
 
 白檀弓《シラマユミ》 今春山尓《イマハルヤマニ》 去雲之《ユククモノ》
 逝哉將v別《ユキヤワカレム》
 戀敷物乎《コホシキモノヲ》
 
【譯】白檀弓を今張る、その春山に行く雲のように、行き別れるのだろうか。戀しいものを。
【釋】白檀弓今春山尓 シラマユミイマハルヤマニ。白檀弓を今引き張るの意に、春を引き起している。今までが、序詞。
 去雲之 ユククモノ。この句まで、同音によつて行キを引き起す序になつている。
(93) 逝哉將別 ユキヤワカレム。作者が、旅に行くおりなので、この句があるのだろう。句切。
【評語】序が二重になつている。技巧に富んだ作だ。季節が春なので、春山を出したのだろう。春山ニ行ク雲の句は、飄々として旅立つ氣分を感じさせてよいが、何にしても全體が巧みに過ぎて、旅に出るおりの悲痛な感傷は、どこへか行つてしまつたようである。上品なのはとりえだが、才氣に溺れた作といえよう。
 
贈v蘰
 
【釋】贈蘰 カヅラヲオクル。蘰を贈るに附けた歌である。歌によるに、青柳の蘰で、青柳が當時としては珍しかつたのだろう。
 
1924 丈夫《ますらを》が 伏し居《ゐ》嘆きて 造りたる、
 しだり柳の 蘰《かづら》せ吾妹《わぎも》。
 
 大夫之《マスラヲガ》 伏居嘆而《フシヰナゲキテ》 造有《ツクリタル》
 四垂柳之《シダリヤナギノ》 蘰爲吾妹《カヅラセワギモ》
 
【譯】男兒が、ねたりすわつたりして嘆息して作つたシダレヤナギの蘰をなさい。あなた。
【釋】伏居嘆而 フシヰナゲキテ。君に戀して、伏しては嘆き、坐しては嘆いて。
 蘰爲吾妹 カヅラセワギモ。カヅラセは、蘰せよの意の命令形。
【評語】戀に惱んで苦しみながら作つたツダレヤナギの蘰だという云い方が仰山でおもしろい。贈物にいわれを附けている。蘰を贈るは、卷の八、一六二四參照。
 
悲v別
 
(94)1925 朝戸出の 君が容儀《すがた》を よく見ずて、
 長き春日《はるひ》を 戀ひや暮さむ。
 
 朝戸出之《アサトデノ》 君之儀乎《キミガスガタヲ》 曲不v見而《ヨクミズテ》
 長春日乎《ナガキハルヒヲ》 戀八九良三《コヒヤクラサム》
 
【譯】朝お出ましになるあなたのお姿をよく見ないで、長い春の日を戀をしてか過すことでしよう。
【釋】朝戸出之 アサトデノ。アサトデは、朝、家を出ること。ここは男の歸ろうとして出るをいう。
 曲不見而 ヨクミズテ。曲は、委曲の意で、十分に、丁寧に。
【評語】別れを悲しんで、男の家を出るのを、十分に見ることができない趣である。別れに臨んだ歌として情趣をつくしている。
 
問答
 
【釋】問答 トヒコタヘ。問答の歌は、この卷では、春の雜歌、春の相聞、夏の雜歌、秋の相聞の各部にあり、いずれもその部での問答の歌を載せている。二首ずつ一組になつているのが普通だが、この部には、三首で一組になつているものがあつて、十一首ある。但しその三首一組のうちの一首は、問の歌の類歌を參考として掲げたものだろう。
 
1926 春山の 馬醉木《あしび》の花の
 惡《あ》しからぬ 公には、しゑや
 よそるともよし。
 
 春山之《ハルヤマノ》 馬醉花之《アシビノハナノ》
 不v惡《アシカラヌ》 公尓波思惠也《キミニハシヱヤ》
 所v因友好《ヨソルトモヨシ》
 
【譯】春山のアシビの花のように、あしくないあなたには、ええ、結びつけられてもようございます。
(95)【釋】春山之馬醉花之 ハルヤマノアシビノハナノ。以上、序詞。同音によつて次の句を引き起こしているのだろう。但し次をニクカラヌと讀むなら、譬喩になる。
 不惡 アシカラヌ。ニクカラヌ(元)、アシカラヌ(改)。二句の馬醉をアシビと讀むべしとするなら、アシカラヌと讀むのが順當のようである。「山毛世爾《ヤマモセニ》 咲有馬醉木乃《サケルアシビノ》 不v惡《アシカラヌ》 君乎何時《キミヲイツシカ》 往而早將v見《ユキテハヤミム》」(卷八、一四二八)參照。
 公尓波思惠也 キミニハシヱヤ。シヱヤは、感動の語。アアなどと同じく、獨行詞として使用されている。「四惠也吾背子《シヱヤワガセコ》」(卷四、六五九)。
 所因友好 ヨソルトモヨシ。ヨリヌトモヨシ(西)、ヨスルトモヨシ(考)、ヨセヌトモヨシ(略)、ヨソルトモヨシ(新訓)。ヨソルは、寄せられる意。寄せつけられる、縁を結ばれる。「荒山毛《アラヤマモ》 人師依者《ヒトシヨスレバ》 余所留跡序云《ヨソルトゾイフ》」(卷十三、三三〇五)。ヨシは、許容、承服の意。
【評語】思い入つた樣が強く表示されている。上二句の序の使い方は、慣用されていたのであろう。答の歌によれば、男を揶揄する氣もちで贈つているようだ。
 
1927 石上《いそのかみ》 布留の神《かむ》杉、
 神びにし 吾や、さらさら
 戀に逢ひにける。
 
 石上《イソノカミ》 振乃神杉《フルノカムスギ》
 神備西《カミビニシ》 吾八更々《ワレヤサラサラ》
 戀尓相尓家留《コヒニアヒニケル》
 
【譯】石上の布留の社の神木の杉のように、神樣めいてしまつたわたしなのに、今更に戀に逢つたことか。
【釋】石上振乃神杉 イソノカミフルノカムスギ。石上神宮の杉の樹は、御神木として當時老樹があつたと見える。「石上《イソノカミ》、振之神※[木+褞の旁]《フルノカムスギ》、伐v本截v末《モトキリスヱオシハラヒ》、於2市邊宮1治2天下1《イチノベノミヤニアメノシタシロシメシシ》、天萬國萬押磐尊御裔僕是也《アメヨロヅクニヨロヅオシハノミコトノミアナスヱヤツコラコレナリ》」(日本書紀(96)顯宗天皇の卷)、「石上《イソノカミ》 振神杉《フルノカムスギ》 神成《カムビニシ》 戀我《コヒヲモワレハ》 更爲鴨《サラニスルカモ》」(卷十一、二四一七人麻呂集)。以上、序詞。神々しくあることから、次の神ビニシを引き起している。
 神備西 カムビニシ。カムビは、神樣ふうになる意の動詞。宮ビ、都ビ、鄙ビなどと同じ構成。上二段活だが、これ以外の活用例を見ない。「許太知之氣思物《コダチシゲシモ》 伊久代神備曾《イクヨカムビゾ》」(卷十七、四〇二六)。この句で、作者自身の年を取つて物古くなつた意をあらわしている。
 吾八更々 ワレヤサラサラ。ヤは、疑問の係助詞。わたしにしてかと疑つている。サラサラは、更にの意で、今改めて。「思咲八更々《シヱヤサラサラ》 思許理來目八面《シコリコメヤモ》」(卷十二、二八七〇)。
【評語】公ニハシヱヤの歌を受けて、この老境に及んでかと、驚いた調子を見せている。前掲の人麻呂の歌によつているのだろうが、巧みな應酬といえる。戯れにもせよ先方のむきになつて言い寄つたのを、上手にはずした形である。これを問答らしくないなどという評のあるのは、もつてのほかだ。
 
右一首、不v有2春歌1、而猶以v和、故載2於茲次1
 
右の一首は、春の歌にあらざれども、なほ和ふるをもちて、故《かれ》この次に載す。
 
(97)【釋】不有春歌 ハルノウタニアラザレドモ。右の石上云々の歌が、春の歌ではないが、問答の答歌だからここに載せるという編者のことわり書きである。有の字の使い方が變わつているが、國語アリに合わせて書いたのだろう。
 
1928 狹野方《さのかた》は 實に成らずとも、
 花のみに 咲きて見えこそ。
 戀の慰《なぐさ》に。
 
 狹野方波《サヌカタハ》 實雖v不v成《ミニナラズトモ》
 花耳《ハナノミニ》 開而所v見社《サキテミエコソ》
 戀之名草尓《コヒノナグサニ》
 
【譯】狹野方は、實に成らないでも、花ばかりでも咲いて見せてください。戀の慰めに。
【譯】狹野方波 サノカタハ。サノカタは、地名で、その地の花をいうのだろうという。「師名立《シナタツ》 都久麻左野方《ツクマサノカタ》 息長之《オキナガノ》 遠智能小菅《ヲチノコスゲ》」(卷十三、三三二三)の左野方と同じで、滋賀縣坂田郡だろうとされている。「沙額田乃《サヌカダノ》 野邊乃秋〓子《ノベノアキハギ》」(卷十、二一〇六)の沙額田は、別だろう。これはヌの音が違つている。
 實雖不成 ミニナラズトモ。
  ミニナラネドモ(元)
  ――――――――――
  實爾雖不成《ミニナラズトモ》(西)
 ミハナル、ミニナルの兩樣の云い方が考えられるが、「玉葛《タマカヅラ》 實不v成樹尓波《ミナラヌキニハ》」(卷二、一〇一)、「玉葛《タマカヅラ》 花耳開而《ハナノミサキテ》 不v成有者《ナラザルハ》」(同、一〇二)の如き古歌があり、ナルは何になるのナルでなく、ナルだけで果實になることを意味することが知られる。よつて實になるという必要はないことになる。しかし次の答歌にミニナルとあるから、ここはミニナルがおだやかであろう。この語に、戀の成就を寓意している。
 開而所見社 サキテミエコソ。コソは、願望の助詞。咲いて見えてほしい。句切。
 戀之名草尓 コヒノナグサニ。自分の戀のせめてもの慰めに。
(98)【評語】戀は成就しないでも、せめてよい返事だけでもしてくれという歌である。狹野方を出したのは、相手の縁故の地か。地名とすれば、狹野方は實ニ成ラズトモの云い万は、すこし無理である。
 
1929 狹野方《さのかた》は 實になりにしを、
 今更に 春雨ふりて 花咲かめやも。
 
 狹野方波《サノカタハ》 實尓成西乎《ミニナリニシヲ》
 今更《イマサラニ》 春雨零而《ハルサメフリテ》 花將v咲八方《ハナサカメヤモ》
 
【譯】狹野方は、もう實になつたものを、今更春雨が降つて、花が咲くことはありません。
【釋】實尓成西乎 ミニナリニシヲ。この句で、關係の成立したことを表示している。多分この問答の二人のあいだに、諒解の成立したことをいうのだろう。
【評語】今更らしく花が咲くまでもないというのは、既に他の人とのあいだに戀の成立したことをいうのであろう。問の歌に即した答歌で、譬喩によつていう所は、相手にはよくわかるであろうが、歌としては、情趣の無いものができている。
 
1930 梓弓 引津邊《ひきつべ》にある 莫告藻《なのりそ》の、
 花咲くまでに 逢はぬ君かも。
 
 梓弓《アヅサユミ》 引津邊有《ヒキツベニアル》 莫告藻之《ナノリソノ》
 花咲及二《ハナサクマデニ》 不v會君毳《アハヌキミカモ》
 
【譯】梓弓を引く。その引津のほとりの莫告藻の花が咲くまでも、逢わない君ですね。
【釋】梓弓 アヅサユミ。枕詞。
 引津邊有 ヒキツベニアル。ヒキツヘニアル(元赭)、ヒキツノベナル(西)。引津は地名。福岡縣糸島郡小富士村附近の海邊だという。
 莫告藻之花咲及二 ナノリソノハナサクマデニ。ナノリソは海藻、ホンダワラ。花の咲かないものであるか(99)ら、その花の咲くまでというので、非常に長い時間をあらわしている。以上の句は「梓弓《アヅサユミ》 引津邊在《ヒキツベニアル》 莫謂花《ナノリソノハナ》 及v採《ツムマデニ》 不v相有目八方《アハザラメヤモ》 勿謂花《ナノリソノハナ》」(卷七、一二七九、人麻呂集)あたりからきているのだろう。ナノリソは粒子ができるから、これを實に擬して、花のことをいうに至つたのだろう。
【評語】いつになつても逢おうとしない人に贈つた歌である。花の無いナノリソ藻を使つて、長い時間をあらわす譬喩は、奇拔で趣がある。しかしナノリソの花については、前に知られている歌があつて、それによつたのだろう。
 
1931 川上の いつ藻の花の いつもいつも、
 來ませ、わが夫子、 時じけめやも。
 
 川上之《カハカミノ》 伊都藻之花乃《イツモノハナノ》 何時々々《イツモイツモ》
 來座吾背子《キマセワガセコ》 時自異目八方《トキジケメヤモ》
 
【譯》川の上流の美しい藻の花のように、いつでもいらつしやい、あなた。時期でないということはありません。
【釋】川上之 カハカミノ。カハノウヘノ(類)、カハカミノ(神)、カハノヘノ(童)。
 伊都藻之花乃 イツモノハナノ。イツモは、藻であるが、どういう藻ともわからぬ。萬葉集註釋(仙覺)には嚴藻だという。イツは、「五柴原《イツシバハラ》」(卷十一、二七七〇)のイツと同語なら、繁茂する義だろうか。以上序詞。
 時自異目八方 トキジケメヤモ。トキジケまで、時ジの活用形。
【評語】卷の四に重出している。文字までもほぼ一致している。時に臨んでその歌を應用したものか、同人の歌か、事情不明である。歌は巧みにできている。
【參考】重出。
  吹※[草がんむり/欠]刀自歌二首(一首略)
(100)  河上乃《カハカミノ》 伊都藻之花乃《イツモノハナノ》 何時々々《イツモイツモ》 來益我背子《キマセワガセコ》 時自異目八方《トキジケメヤモ》(卷四、四九一)
 
1932 春雨の やまずふりふり、
 わが戀ふる 人の目すらを
 相見せなくに。
 
 春雨之《ハルサメノ》 不v止零々《ヤマズフリフリ》
 吾戀《ワガコフル》 人之目尚矣《ヒトノメスラヲ》
 不v令2相見1《アヒミセナクニ》
 
【譯】春雨が止まずに降り續いていて、わたくしの戀うている方のお顔だけも見せないことです。
【釋】不止零々 ヤマズフリフリ。ヤマズフリフル(元)、ヤマズフルフル(西)、ヤマズフリフリ(新訓)。同じ動詞を重ねていう場合に、その連續して行われる意をあらわす時には、上の動詞は連用形を採り、副詞となる時には、終止形を重ねる例である。ここは雨が續いて降る意であるからフリフルであり、ここで切らないで下に續くとすればフリフリである。これがアヒ見セナクニの理由になるので、切る所ではない。
 人之目尚矣 ヒトノメスラヲ。人の顔だけをも。
【評語】春雨が降り續いて、人のおとずれてこないさびしさを歎いている。雨を恨んでいる情が、相當に出ている。
 
1933 吾妹子に 戀ひつつ居《を》れば、
 春雨の そも知る如く
 やまずふりつつ。
 
 吾妹子尓《ワギモコニ》 戀乍居者《コヒツツヲレバ》
 春雨之《ハルサメノ》 彼毛知如《ソモシルゴトク》
 不v止零乍《ヤマズフリツツ》
 
【譯】あなたに戀していると、春雨が、自分もわけを知つているように、止まずに降つています。
【釋】彼毛知如 ソモシルゴトク。カレモシルゴト(類)、ヒトモシルゴト(童)、ソレモシルゴト(新考)、ソ(101)モシルゴトク(新訓)。彼は「黒駒《クロコマノ》 厩立而《ウマヤヲタテテ》 彼乎飼《ソヲカヒ》」(卷十三・三二七八)「抑刺《オサヘサス》 々細子《サスタヘノコハ》 彼曾吾?《ソレゾワガツマ》」(同・三二九五)の如く、ソ、ソレと讀まれている。指示の代名詞であるが、さす所には疑いがある。春雨をさすとされており、春雨みずからが事情を知る如くであろう。「比登豆麻等《ヒトヅマト》 安是可曾乎伊波牟《アゼカソヲイハム》」(卷十四、三四七二)などの例によれば、相手の人をさすとも見られる。これは後世、二人稱に、ソコ、ソナタなどという意のソである。
【評語】贈られた歌に答えたというだけの歌である。雨の降るを不便とした上代の生活樣式が思いやられる。
 
1934 相|念《おも》はぬ 妹をや、もとな
 菅の根の 長き春日を 念ひ暮らさむ。
 
 相不念《アヒオモハヌ》 妹哉本名《イモヲヤモトナ》
 菅根乃《スガノネノ》 長春日乎《ナガキハルヒヲ》 念晩牟《オモヒクラサム》
 
【譯】思つていないあなたなのに、心から菅の根のような長い春の日を思つて過すことだろうか。
【釋】妹哉本名 イモヲヤモトナ。妹ヲヤ念ヒ暮ラサムと續く。ヤは、疑問の係助詞。モトナ、副詞。切に、心から。五句の念ヒ暮ラサムを修飾する。
【評語】この長い春の日を、片思いに過すことかと歎いている。格別の歌ではない。問の歌である。
 
1935 春されば まづ鳴く鳥の 鶯の、
 言《こと》先立《さきだ》ちし 君をし待たむ。
 
 春去者《ハルサレバ》 先鳴鳥乃《マヅナクトリノ》 ?之《ウグヒスノ》
 事先立之《コトサキダチシ》 君乎之將v待《キミヲシマタム》
 
【譯】春になるとまず鳴く鳥である鶯のように、早く言葉をおかけになつたあなたをお待ちしましよう。
【釋】春去者先鳴鳥乃?之 ハルサレバマヅナクトリノウグヒスノ。以上譬喩で、次の言先立チシを引き起している。
(102) 事先立之 コトサキダチシ。コトは言。言葉がまず言い出された意で、他の人よりも先に言い寄つたことをいう。
【評語】譬喩が巧みである。言先立チシ君ヲシ待タムというのも、よく言い得ている。
 
1936 相|念《おも》はず あるらむ兒ゆゑ、
 玉の緒の 長き春日を
 念ひ暮らさく。
 
 相不v念《アヒオモハズ》 將v有兒故《アルラムコユヱ》
 玉緒《タマノヲノ》 長春日乎《ナガキハルヒヲ》
 念晩久《オモヒクラサク》
 
【譯】思つていないだろう人なのだのに、玉の緒のような長い春の日を思い暮らすことだ。
【釋】玉緒 タマノヲノ。枕詞。絶ユ、繼グなどにも冠するが、往々長シにも冠している。
 念晩久 オモヒクラサク。クラサクは、暮すこと。
【評語】前の「あひ念はぬ妹をやもとな」(一九三四)の歌の類歌として載せたもので、春サレバの歌に對する答ではないだろう。長い春の日を思うということが、類型になつている。思ヒ暮ラサクと、現にそうしている意に歌つたのがよい。
 
夏雜歌
 
【釋】夏雜歌 ナツノザフカ。四十二首を收めているが、内一首は珍しく長歌である。詠鳥が二十七首あり、そのうち二十六首まで、ホトトギスで、一首だけヨブコドリである。ヨブコドリは、多くは春に收められているが、一首だけこの部にはいつているのは、作られた時期によるものか、または誤つてはいつたものか不審である。
 
(103)詠v鳥
 
1937 丈夫《ますらを》の いで立ち向かふ
 故郷《ふるさと》の 神名備《かむなび》山に、
(104) 明け來《く》れば 柘《つみ》のさ枝《えだ》に、
 夕されば 小松の末《うれ》に、
 里人の 聞き戀ふるまでに、
 山彦の 答ふるまでに、
 ほととぎす 妻戀《つまごひ》すらし。
 さ夜中に鳴く。
 
 大夫之《マスラヲノ》 出立向《イデタチムカフ》
 故郷之《フルサトノ》 神名備山尓《カムナビヤマニ》
 明來者《アケクレバ》 柘之左枝尓《ツミノサエダニ》
 暮去者《ユフサレバ》 小松之若末尓《コマツノウレニ》
 里人之《サトビトノ》 聞戀麻田《キキコフルマデ》
 山彦乃《ヤマビコノ》 答響萬田《コタフルマデニ》
 霍公鳥《ホトトギス》 都麻戀爲良思《ツマゴヒスラシ》
 左夜中尓鳴《サヨナカニナク》
 
【譯】勇士が出で立つて向かう所の、古い里の神名備山に、夜が明けてくればツミの枝に、夕方になれば小松の枝先に、里人の聞いて慕うまでに、山の木だまの返事をするまでに、ホトトギスが妻戀をするらしい。夜中に鳴いている。
【構成】段落は無く、全篇一文である。
【釋】大夫之出立向 マスラヲノイデタチムカフ。作者自身が出かけてきたことを敍して、故郷の神名備山を修飾している。
 故郷之 フルサトノ。古くなつた里である意で、明日香の里をいう。
 神名備山尓 カムナビヤマニ。カムナビ山は明日香の神名備で、もと飛鳥神社のあつた山。今の飛鳥神社のある山は、後に移した地である。
 柘之左枝尓 ツミノサエダニ。ツミは樹名。野生のクワ。卷の三、三八六參照。
 小松之若末尓 コマツノウレニ。ウレは、文字通り若い枝葉の末である。
 聞戀麻田 キキコフルマデニ。古くキキコフルマデと讀んでいるが、下の答響萬田をコタフルマデニと讀む(105)に合わせては、ニを加えて讀むのが順當である。田をデニに當てて書いている。ホトトギスの聲を聞いてまた聞きたく戀い慕うまでにの意である。
 山彦乃 ヤマビコノ。ヤマビコは、山の木だま。反響を擬人化して、山男がいて返事をするようにいう。
 答響萬田 コタフルマデニ。答響は、熟字として書いている。山彦だから答に重點をおいてコタフルと讀むが、響を重視すれば二字でトヨムルである。
【評語】故郷の神名備山のホトトギスを敍して、感じのよい歌である。但し、明ケクレバ、暮《ユフ》サレバと、朝夕に分けて述べ、それを受けて、サ夜中ニ鳴クというのは、突然で、不調和である。
 
反歌
 
1938 旅にして 妻戀すらし。
 ほととぎす
 神名備《かむなび》山に さ夜ふけて鳴く。
 
 客尓爲而《タビニシテ》 妻戀爲良思《ツマコヒスラシ》
 霍公鳥《ホトトギス》
 神名備山尓《カムナビヤマニ》 左夜深而鳴《サヨフケテナク》
 
【譯】旅にあつて、妻に戀うているらしい。ホトトギスは、神名備山で、夜中に鳴いている。
【釋】客尓爲而 タビニシテ。ホトトギスが旅にあつての意だが、作者が旅先なので、鳥に託してこの句がある。
【評語】旅に出て妻戀をしているのを、ホトトギスが妻戀をして鳴くと歌つている。これは情景よく一致して情趣のゆたかな作である。新古今和歌集撰進の時、はじめこの歌がはいつていたが、既に後撰和歌集にはいつていることを發見して他の歌ととりかえたという插話を傳えている。
 
(106)右、古歌集中出
 
【釋】古歌集 フルキウタノシフ。卷の二以下しばしば出ている。奈良時代初期ごろの作品を集めているが、誰の集ともわからない。卷の七、および九に見える古集との同異も問題になる。
 
1939 ほととぎす 汝《な》が初聲は 吾にもが。
 五月《さつき》の珠に まじへて貫かむ。
 
 霍公鳥《ホトトギス》 汝始音者《ナガハツコヱハ》 於v吾欲得《ワレニモガ》
 五月之珠尓《サツキノタマニ》 交而將v貫《マジヘテヌカム》
 
【譯】ホトトギスよ、お前の鳴く初聲は、わたしに欲しいものだ。五月の珠にまぜて緒につらぬこう。
【釋】於我欲得 ワレニモガ、我に得させよの意。句切。
 五月之珠尓 サツキノタマニ。サツキノタマは、藥包にさげる玉。「霍公鳥《ホトトギス》 痛莫鳴《イタクナナキソ》 汝音乎《ナガコヱヲ》 五月玉爾《サツキノタマニ》 相貫左右二《アヒヌクマデニ》」(卷八、一四六五)參照。
【評語】その年になつて始めて鳴くホトトギスの聲を愛する心で歌つている、ずいぶん風流がつている内容である。ホトトギスは、ちようど五月の頃に鳴くので、その聲を五月の珠につらぬこうというのは、類想があつて前からある歌によつたのだろう。
 
1940 朝霞 たなびく野邊に、
 あしひきの 山ほととぎす
 いつか來鳴かむ。
 
 朝霞《アサガスミ》 棚引野邊《タナビクノベニ》
 足檜木乃《アシヒキノ》 山霍公鳥《ヤマホトトギス》
 何時來將v鳴《イツカキナカム》
 
【譯】朝霞のたなびいている野邊に、山のホトトギスは、いつになつたら來て鳴くだろう。
(107)【釋】何時來將鳴 イツカキナカム。イツカは何時か、早くと思う意である。
【評語】すなおな表現である。朝霞のたなびく野邊にホトトギスを待つ心が、純な敍述であらわされている。
 
1941 朝霞 八重山越えて、
 呼子鳥《よぶこどり》 吟《な》きや汝が來《く》る。
 屋戸《やど》もあらなくに。
 
 旦霞《アサガスミ》 八重山越而《ヤヘヤマコエテ》
 喚孤鳥《ヨブコドリ》 吟八汝來《ナキヤナガクル》
 屋戸母不v有九二《ヤドモアラナクニ》
 
【譯】朝霞の幾重にも懸かつている、その山々を越えて、喚子鳥よ、鳴きながらお前が來るのか。宿も無いことだのに。
【釋】旦霞 アサガスミ。枕詞。實景を採つて枕詞としている。八重に霞がかかる意である。
 八重山越而 ヤヘヤマコエテ。ヤヘヤマは、幾重にもかさなる山。
 吟八汝來 ナキヤナガクル。吟は、呻吟の義をもつてナキに當てている。ヤは、疑問の係助詞だが、ここは鳴いてくることかと感動している。句切。
【評語】旅人として宿の定まらぬ心ぼそさを、鳥に託して歌つている。情趣の溢れた佳作である。喚子鳥は、春の部に出してあり、ここに夏の部に入れたのは、まぎれたのだろう。
 
1942 ほととぎす 鳴く聲聞けや、
 卯の花の 咲き散る岡に
 田草《くさ》引く※[女+感]嬬《をとめ》。
 
 霍公鳥《ホトトギス》 鳴音聞哉《ナクコヱキケヤ》
 宇能花乃《ウノハナノ》 開落岳尓《サキチルヲカニ》
 田草引※[女+感]嬬《クサヒクヲトメ》
 
【譯】ホトトギスの鳴く聲を開いてか、卯の花の咲き散る岡で、草を引いている娘子よ。
(108)【釋】鳴音聞哉 ナクコヱキケヤ。キケヤは、已然條件法。ホトトギスの鳴く聲を聞いて、時節のきたのを知る意である。聞哉は、從來多くキクヤと讀んでいたが、この形の多くの用例は、已然條件法に讀むべきものである。助詞ヤの表意文字としての表示は、哉が多く、耶が少々あるだけである。哉は、感動および疑問の意の字で、ヤの意味もまたその邊にあるものと察せられる。
 田草引※[女+感]嬬 クサヒクヲトメ。田草をクズと讀み、または草を葛の誤りとする説が多いが、原文のままでよい。田の草だから田草と書いたのだ。
【評語】ホトトギスが、農事を催し立てるという諺をもとにしているらしい。田草を引くわざが詠まれているのが注意される。枕の草子にある「ほととぎす、おれ、かやつよ、おれ鳴きてこそ、われは田植うれ」という民謠は、ホトトギスが鳴いて田植の季節になつたことを歎いたもので、このような歌が古くから行われていたのだろう。
 
1943 月夜《つくよ》よみ 鳴くほととぎす
 見まく欲《ほ》り、
 吾《われ》草取れり。
 見む人もがも。
 
 月夜吉《ツクヨヨミ》 鳴霍公鳥《ナクホトトギス》
 欲v見《ミマクホリ》
 吾草取有《ワレクサトレリ》
 見人毛欲得《ミムヒトモガモ》
 
【譯】月がよいので、鳴くホトトギスを見たいと思つて、わたしは草を取つている。誰か見る人がほしいなあ。
【釋】月夜吉 ツクヨヨミ。月がよさにホトトギスを見たいと思つての意に、見マクホリを修飾している。
 吾草取有 ワレクサトレリ。
  ワガクサトレル(元)
(109)  ワカサヲトレル(西)
  ワレクサトレリ(代初)
  ワガクサカレリ(改)
  ワガクサトルヲ(童)
  ――――――――――
  今草取有《イマクサトレリ》(略、宣長)
 諸説があるが、ほとんど問題にするに足りない。
 見人毛欲得 ミムヒトモガモ。自分の草を取つている働きぶりを見る人もあれと願うのである。
【評語】ホトトギスを愛する文雅と、草を取る實生活との交錯しているおもしろさがある。但し草を取るというのが、事實どの程度に生活を寫しているかは、別の問題である。
 
1944 藤浪の 散らまく惜しみ、
 ほととぎす
 今城《いまき》の岡を 鳴きて越ゆなり。
 
 藤浪之《フヂナミノ》 散卷惜《チラマクヲシミ》
 霍公鳥《ホトトギス》
 今城岳叫《イマキノヲカヲ》 鳴而越奈利《ナキテコユナリ》
 
【譯】藤の花の散るのを惜しんで、ホトトギスは、今城の岡を鳴いて越えて行く。
【釋】藤浪之 フヂナミノ。フヂナミは、ここではその花をいう。
 今城岳叫 イマキノヲカヲ。今城の岡は、奈良縣吉野郡。吉野川のその郡内での西端の右岸にある。高市郡を古く今木郡と言つたのは、新しい宮の造營された地の意であつて、イマキは新宮をいう。そのある岡で、明日香にその名の岡があるかもしれない。叫は、訓假字としてヲに使用されている。
【評語】ホトトギスが藤の花の散るのを惜しんで鳴くように歌つているのは、梅花の散るのを惜しんで鶯が鳴くというのと同樣の手段だ。歌は平易で、今城の岡の初夏の情景が描かれている。
 
(110)1945 朝霧の 八重山越えて
 ほととぎす
 卯の花|邊《べ》から 鳴きて越えけり。
 
 旦霧《アサギリノ》 八重山越而《ヤヘヤマコエテ》
 霍公鳥《ホトトギス》
 宇能花邊柄《ウノハナベカラ》 鳴越《ナキテコエ》來《ケリ・キヌ》 
 
【譯】朝霧の幾重にもかかつている山々を越えて、ホトトギスは、卯の花の咲いている邊を通つて、鳴いて越えて行つた。
【釋】旦霧 アサギリノ。枕詞。實景を直に枕詞に利用している。前の「旦霞《アサガスミ》 八重山越而《ヤヘヤマコエテ》」(一九四一)と同手段。その條參照。
 宇能花邊柄 ウノハナベカラ。カラもユと同じく、それを經過しての意に使つている。卯の花邊は、今作者のいる處である。但しその用例は、いずれも邊もしくは道のような、地理上の名辭に接續している。これが初出であるが、集中九例あり、ユに比べて口語なので、多く使われなかつたのだろう。「人祖《ヒトノオヤノ》 未通女兒居而《ヲトメゴスヱテ》 守山邊柄《モルヤマベカラ》 朝々《アサナサナ》 通公《カヨヒシキミガ》 不v來哀《コネバカナシモ》」(卷十一、二三六〇)、「直道柄《タダヂカラ》 吾者雖v來《ワレハクレドモ》(同、二六一八)。
 鳴越來 ナキテコエケリ。ナキテコエケリ(代初)、ナキテコエキヌ(同)。四句をよく吟味すればコエケリの方がよいようだ。
【評語】朝霧のかかつている山々を、ホトトギスの鳴いて越えて來て、そうして今卯の花の咲いているあたりを越えたことを歌つている。これも情景のよく描かれている作である。
 
1946 木高《こだか》くは かつて木植ゑじ。
 ほととぎす 來鳴き響《とよ》めて
(111) 戀まさらしむ。
 
 木高者《コダカクハ》 曾木不v殖《カツテキウヱジ》
 霍公鳥《ホトトギス》 來鳴令v響而《キナキトヨメテ》
 戀令v益《コヒマサラシム》
 
【譯】木高くは決して木を植えまい。ホトトギスが來て鳴いて、戀をまさらせる。
【釋】曾木不殖 カツテキウヱジ。カツテは、決して、全く、すべてなどの意で、下はかならず打消で受ける。「常者曾《ツネハカツテ》 不v念物乎《オモハヌモノヲ》」(卷七、一〇六九)、「名者曾不v告《ナハカツテノラジ》 戀者雖v死《コヒハシヌトモ》」(卷十二、三〇八〇)。句切。
 來鳴令響而 キナキトヨメテ。トヨメテは、とよましめて。音を立たせて。
【評語】ホトトギスの聲が感傷を誘うものとして取り扱われている。ホトトギスが樹梢に來て鳴き立てるというのである。その鳥の概念が固定している作だ。
 
1947 逢ひ難き 君に逢へる夜《よ》、
 ほととぎす
 他時《こととき》よりは 今こそ鳴かめ。
 
 難v相《アヒガタキ》 君尓逢有夜《キミニアヘルヨ》
 霍公鳥《ホトトギス》
 他時從者《コトトキヨリハ》 今社鳴目《イマコソナカメ》
 
【譯】容易に逢い難い君に逢つた夜だから、ホトトギスは、ほかの時よりは、今こそ鳴くべきだ。
【釋】他時從者 コトトキヨリハ。コトトキは、他の時。ヨリは、比較をあらわしている。
【評語】人と共にホトトギスの聲を賞翫しようとする心である。酒宴の席などでの作であろう。一往の座興に詠まれている。
【參考】類想。
  わが屋前《には》の花橘にほととぎす今こそ鳴かめ。友に逢へる時(卷八、一四八一、大伴の家持)
 
1948 木の晩《くれ》の 暮闇《ゆふやみ》なるに、 【一は云ふなれば】
(112) ほととぎす
 何處《いづく》を家と 鳴き渡るらむ。
 
 木晩之《コノクレノ》 暮闇有尓《ユフヤミナルニ》 【一云有者】
 霍公鳥《ホトトギス》
 何處乎家登《イヅクヲイヘト》 鳴渡良武《ナキワタルラム》
 
【譯】木の茂つて暗い夕闇だのに、ホトトギスは、何處を家として鳴いて行くのだろう。
【釋】木晩之 コノクレノ。コノクレは、木の繁茂して暗いこと。
 暮闇有尓 ユフヤミナルニ。クラヤミナルニ(古義)。暮闇はクラヤミとも讀まれるが、暮の字は、集中多くユフ、ヨヒと讀まれている。またクラヤミの語は、「晩闇跡《ユフヤミト》 隱益去禮《カクリマシヌレ》」(卷三、四六〇)の晩闇をクラヤミと讀む説があるだけである。ユフヤミは「夕闇者《ユフヤミハ》 路多豆多頭四《ミチタヅタヅシ》」(卷四、七〇九)、「夕闇之《ユフヤミノ》 木葉隱有《コノハゴモレル》 月待如《ツキマツガゴト》」(卷十一、二六六六)がある。 
 一云有者 アルハイフ、ナレバ。第二句がユフヤミナレバとあるとすると、ナルニの方が通りがよい。
 何處乎家登 イヅクヲイヘト。何處を、わが行くべき家として。
【評語】暗い空にホトトギスの鳴いて行くのを詠んでいる。何處を家というあたり、巧みだが、ホトトギスの上を推量しているのは、作り歌たるを免れない。
 
1950 ほととぎす 花橘の 枝に居て、
 鳴き響《とよも》せば、花は散りつつ。
 
 霍公鳥《ホトトギス》 花橘之《ハナタチバナノ》 枝尓居而《エダニヰテ》
 鳴響者《ナキトヨモセバ》 花波散乍《ハナハチリツツ》
 
【譯】ホトトギスは、花の咲いている橘の枝にいて鳴き聲を立てれば、花は散つている。
【釋】鳴響者 ナキトヨモセパ。鳴いて聲を立てれば。
【評語】ホトトギスが橘の枝にとまつていて鳴くと、花がほろほろとこぼれる。美しいすなおな歌で、ホトトギスを描寫しているのがよい。なお以下二首の順序は、古本系統による。それで番號は通行本によつて附けら(113)れているから順になつていない。
 
1949 ほととぎす
 今朝の朝明に 鳴きつるは、
 君聞きけむか。
 朝|宿《い》か寐けむ。
 
 霍公鳥《ホトトギス》
 今朝之旦明尓《ケサノアサケニ》 鳴都流波《ナキツルハ》
 君將v聞可《キミキキケムカ》
 朝宿疑將v寐《アサイカネケム》
 
【譯】ホトトギスが、今朝の夜明けに鳴いたのは、あなたはお聞きになつたでしようか。それとも朝寐をなさつたでしようか。
【釋】朝宿疑將寐 アサイカネケム。アサイは、朝の睡眠。疑の字を、カに當てて書いている。
【評語】第五句が率直で、さすがに萬葉集らしい。相手を揶揄している氣もちもあるのだろう。
 
1951 慨《うれた》きや 醜《しこ》ほととぎす。
 今こそは 聲の嗄《か》るがに
 來|喧《な》き響《とよ》まめ。
 
 慨哉《ウレタキヤ》 四去霍公鳥《シコホトトギス》
 今社者《イマコソハ》 音之干蟹《コヱノカルガニ》
 來喧響目《キナキトヨマメ》
 
【譯】腹立たしいいやなホトトギスだ。今こそ聲の枯れるまで、來て鳴き立てるべきだのに。
【釋】慨哉 ウレタキヤ。ウレタキは、心痛しで、歎かわしい意。その連體形。ヤは、感動の助詞。「慨裁、此(ヲバ)云(フ)2于黎多棄伽夜《ウレタキカヤト》1」(日本書紀、卷の三、神武天皇)、「宇禮多伎也《ウレタキヤ》 志許霍公鳥《シコホトトギス》」(卷八、一五〇七)。
 四去霍公鳥 シコホトトギス。シコは、ホトトギスを惡く言つている。
 音之干蟹 コヱノカルガニ。カルガニは、嗄《か》れるほど、嗄れるくらい。
(114)【評語】宴會遊覽などの席で、ホトトギスの鳴かないのを恨んでいる。愛するあまり、その鳴かないのを罵倒したのが特色であるが、歌としては騷々しくなつている。時の興を助けるには足りよう。
 
1952 今夜《こよひ》の おほつかなきに、
 ほととぎす 喧《な》くなる聲の
 音の遙《はる》けさ。
 
 今夜乃《コヨヒノ》 於保束無荷《オホツカナキニ》
 霍公鳥《ホトトギス》 喧奈流聲之《ナクナルコヱノ》
 音乃遙左《オトノハルケサ》
 
【譯】今夜の暗くて何もわからないのに、ホトトギスの鳴く所の聲の遠いことだ。
【釋】今夜乃 コヨヒノ。コノヨラノ(西)、コノヨヒノ(新訓)、コヨヒノ(全釋)。初句に、今夜乃、もしくは今夜之と置いた例は、この歌ともに四個ある。「今夜之《コヨヒノ》 早開者《ハヤクアクレバ》 爲便乎無三《スベヲナミ》」(卷四、五四八)、「今夜乃《コヨヒノ》 曉降《アカトキクタチ》 鳴鶴之《ナクタヅノ》」(卷十、二二六九)、「今夜之《コヨヒノ》 在開月夜《アリアケヅクヨ》 在乍文《アリツツモ》」(卷十一、二六七一)。これらが皆、コヨヒノと四音に詠んだとも考えにくいが、さりとてラの如き音を補つて讀むものとも考えられない。コヨヒとは他に多く讀んでいるから、それによるほかはあるまい。
 於保束無荷 オホツカナキニ。暗くておぼつかないのである。
【評語】鳴クナル聲ノ音ノ遙ケサと、コヱとオトとを重ねたのは、丁寧すぎる。遠くホトトギスの聲を聞く情趣は窺われる。
 
1953 五月《さつき》山 卯の花|月夜《づくよ》、
 ほととぎす 聞けども飽かず。
 また鳴かぬかも。
 
 五月山《サツキヤマ》 宇能花月夜《ウノハナヅクヨ》
 霍公鳥《ホトトギス》 雖v聞不v飽《キケドモアカズ》
 又鳴鴨《マタナカヌカモ》
 
(115)【譯】五月の山の卯の花の月夜に、ホトトギスは、聞いても飽きない。またも鳴かないかなあ。
【釋】五月山 サツキヤマ。五月の山で、山名ではない。
 宇能花月夜 ウノハナヅクヨ。卯の花の咲いているのに月光の照つている夜。
 又鳴鴨 マタナカヌカモ。マタナカムカモ(元)、マタナカヌカモ(略)。ヌに當る字を省いている。
【評語】美しい情景である。初三句の名詞を重ねた手法は、「淡海の海夕浪千鳥」(卷三、二六六)の類で、印象的である。
 
1954 ほととぎす 來居《きゐ》も鳴かぬか。
 わが屋前《には》の 花橘の
 地《つち》に散らむ見む。
 
 霍公鳥《ホトトギス》 來居裳鳴香《キヰモナカヌカ》
 吾屋前乃《ワガニハノ》 花橘乃《ハナタチバナノ》
 地二落六見牟《ツチニチラムミム》
 
【譯】ホトトギスは、來てとまつて鳴かないかなあ。わたしの屋前の橘の花の、地上に散るのを見よう。
【釋】來居裳鳴香 キヰモナカヌカ。
  キヰテモナクカ(元)
  ――――――――――
  來居裳鳴奴香《キヰモナカヌカ》(童)
 ここにも打消に當る字が省路されている。句切。
【評語】前出の「花橘の枝に居て」(一九五〇)の歌のような、ホトトギスが橘の樹にとまつて鳴くのを願つている。作り設けた歌であるのは勿論である。
 
1955 ほととぎす 厭ふ時無し。
 菖蒲《あやめぐさ》 蘰《かづら》にせむ日
 此《こ》ゆ鳴き渡れ。
 
 霍公鳥《ホトトギス》 厭時無《イトフトキナシ》
 昌蒲《アヤメグサ》 蘰將v爲日《カヅラニセムヒ》
 從v此鳴度禮《コユナキワタレ》
 
(116)【譯】ホトトギスは、厭うべき時は無い。アヤメを蘰にする日に、ここを通つて鳴いて行け。
【釋】厭時無 イトフトキナシ。何時として厭う時とては無い。句切。この下に、しかし特にの如き意を含めている。
 昌蒲蘰將爲日 アヤメグサカヅラニセムヒ。五月五日に、アヤメを蘰に作る。その日をいう。昌蒲は、菖蒲に同じ。アヤメ。五月の節供に使うアヤメは、サトイモ科のシヨウブで、葉莖根に香氣がある。アヤメ科のアヤメの名を、葉の形の似ているシヨウブに移したのだろう。
 從此鳴度禮 コユナキワタレ。コユは、ここを通つて。
【評語】五月の節供に當つて、ホトトギスの聲を望んでいる。アヤメの蘰とホトトギスとの取り合わせが、五月らしい氣分を作つている。後に田邊の福麻呂の誦詠したという歌中に重出しているのは、古歌を誦詠したのだろうか。なおその傳來には問題があるから、その條參照。
【參考】重出。
  保等登藝須《ホトトギス》 伊等布登伎奈之《イトフトキナシ》 安夜賣具左《アヤメグサ》 加豆良爾藝武日《カヅラニキムヒ》 許由奈伎和多禮《コユナキワタレ》(卷十八、四〇三五)
 
1956 大和には 噂きてか來《く》らむ。
 ほととぎす 汝《な》が鳴く毎《ごと》に
 亡《な》き人念《おも》ほゆ。
 
 山跡庭《ヤマトニハ》 啼而香將v來《ナキテカクラム》
 霍公鳥《ホトトギス》 汝鳴毎《ナガナクゴトニ》
 無人所v念《ナキヒトオモホユ》
 
【譯】大和には鳴いてか來ることだろう。ホトトギスよ、お前が鳴く度に、死んだ人が思われる。
【釋】山跡庭啼而香將來 ヤマトニハナキテカクラム。大和では、ホトトギスが、鳴きながらか來ることだろう。作者は他の地にいて、大和の有樣を想像推量している。句切。「倭爾者《ヤマトニハ》 鳴而歟來良武《ナキテカクラム》 呼兒鳥《ヨブコドリ》 象乃中(117)山《キサノナカヤマ》 呼曾越奈流《ヨビゾコユナル》」(卷一、七〇)。
【評語】ホトトギスの鳴く聲に死んだ人を思つている。それと同時に故郷の戀しさも描かれている。哀情のこもつた歌だ。ホトトギスの鳴く頃に、旅にあつて妻を失つた大伴の旅人あたりの作だろう。
 
1957 卯の花の 散らまく惜しみ
 ほととぎす
 野に出で山に入り 來鳴き響《とよ》もす。
 
 宇能花乃《ウノハナノ》 散卷惜《チラマクヲシミ》
 霍公鳥《ホトトギス》
 野出山入《ノニイデヤマニイリ》 來鳴令v動《キナキトヨモス》
 
【譯】卯の花の散りそうなのを惜しんで、ホトトギスは、野に出たり山にはいつたりして、來て鳴き立てている。
【釋】來鳴令動 キナキトヨモス。令動は、響かせる、音を立てさせる意。動だけで、トヨムに當てたと思われる例は、案外多い。
【評語】ホトトギスが、卯の花の散りそうなのを惜しんで鳴くというのは、類型的だが、この歌では、野ニ出デ山ニ入リの句が、特殊の句で、これで一首が生きている。ホトトギスがいかにも散るのを惜しんで往來するような樣が描かれている。
 
1958 橘の 林を植ゑむ。
 ほととぎす
 常に冬まで 住みわたるがね。
 
 橘之《タチバナノ》 林乎殖《ハヤシヲウヱム》
 霍公鳥《ホトトギス》
 常尓冬及《ツネニフユマデ》 住度金《スミワタルガネ》
 
【譯】橘の林を植えよう。ホトトギスがいつも冬まで住みつくだろう。
(118)【釋】林乎殖 ハヤシヲウヱム。木を多く植えよう。句切。
【評語】ホトトギスが橘を愛して落ちつくだろうというのである。橘とホトトギスとの取り合わせが、既に成立している。
 
1959 雨|霽《は》れし 雲に副《たぐ》ひて、
 ほととぎす
 春日《かすが》をさして 此《こ》ゆ鳴き渡る。
 
 雨※[日+齊]之《アメハレシ》 雲尓副而《クモニタグヒテ》
 霍公鳥《ホトトギス》
 指2春日1而《カスガヲサシテ》 從v此鳴度《コユナキワタル》
 
【譯】雨あがりの雲に伴なつて、ホトトギスが、春日をさして、ここを通つて鳴いて行く。
【釋】雨※[日+齊]之雲尓副而 アメハレシクモニタグヒテ。雨の晴れあがると共に、その雲に伴なつて。
 指春日而 カスガヲサシテ。作者は、多分奈良の京にいるだろう。そこで西から空が晴れて行つて、東方の春日の方へ雲が移動する。それにつれてホトトギスも春日をさして行くというのである。
【評語】雨後のホトトギスを詠んで、よい描寫がなされている。梅雨ばれの情景がよく窺われる。
 
1960 物|念《おも》ふと 宿《い》ねぬ朝明に
 ほととぎす 鳴きてさ渡る。
 術《すべ》なきまでに。
 
 物念登《モノオモフト》 不v宿旦開尓《イネヌアサケニ》
 霍公鳥《ホトトギス》 鳴而左度《ナキテサワタル》
 爲便無左右二《スベナキマデニ》
 
【譯】物を思うと寐ない朝あけに、ホトトギスが鳴いて過ぎて行く。何とも致し方のないまでに。
【釋】不宿旦開尓 イネヌアサケニ。寐なかつた夜あけに。
 鳴而左度 ナキテサワタル。サは、接頭語。句切。
(119) 爲便無左右二 スベナキマデニ。自分の心が、ホトトギスの聲に催されて、何ともしかたのないまでに。
【評語】ホトトギスの聲が哀愁を誘うことを詠んでいる。感傷的な歌である。
 
1961 わが衣《ころも》 君に著せよと、
 ほととぎす
 吾《われ》を領《うしは》き 袖に來居《きゐ》つつ。
 
 吾衣《ワガコロモ》 於v君令v服與登《キミニキセヨト》
 霍公鳥《ホトトギス》
 吾乎領《ワレヲウシハキ》 袖尓來居管《ソデニキヰツツ》
 
【譯】わたしの著物を、あなたにお著せなさいと、ホトトギスが、わたしを占領して、袖に來ております。
【釋】吾衣 ワガコロモ。ワガキヌヲ(元)、ワガコロモ(代初)。衣は、キヌヲともコロモとも読まれるが、ヲに當る字が無いから、コロモと讀む。ここでは、作者の著ている衣服である。
 吾乎領 ワレヲウシハキ。
  ワレヲシラセテ(西)
  ワレヲウナガス(新考)
  ワレヲウシハキ (新訓)
  ――――――――――
  吾干領《ワガホスキヌノ》(考)
  吾乎頷《アレヲウナヅキ》(古義)
 ウシハキは、領有する意。「奧國《オキツクニ》 領君之《ウシハクキミガ》 染屋形《シメヤカタ》」(卷十六、三八八八)の領もウシハクと讀む。
【評語】衣服に添えて人に贈つた歌だろう。ホトトギスを持ち出したのは風雅である。ホトトギスの聲が、人を催すように感じられることが働いている。
 
1962 本《もと》つ人 ほととぎすをや 希《めづら》しみ、
 今や汝《な》が來《く》る。
(120)戀ひつつ居《を》れば。
 
 本人《モトツヒト》 霍公鳥乎八《ホトトギスヲヤ》 希將見《メヅラシミ》
 今哉汝來《イマヤナガクル》
 戀乍居者《コヒツツヲレバ》
 
【譯】昔なじみの人であるホトトギスをか珍しがつて、今にもかあなたがくるだろう。戀い慕つているので。
【釋】本人 モトツヒト。昔なじみの人の意で、ホトトギスは、前年から知り合いであるからいう。
 霍公鳥乎八希將見 ホトトギスヲヤメヅラシミ。ホトトギスをめずらしく思つてか。希將見は、義をもつてメヅラシに當てている。ヤは、疑問の係助詞で、メヅラシミがこれを受けている。
 今哉汝來 イマヤナガクル。ヤは疑問の係助詞。句切。
 戀乍居者 コヒツツヲレバ。作者が、歌中の汝に對して戀いつついるのである。
【評語】二個の疑問條件法を使つて構成して、ホトトギスの來鳴く頃に人を待つ心が描かれている。今にもくるだろうかと待つ心がよく出ている。
 
1963 かくばかり 雨の零《ふ》らくに、
 ほととぎす
 卯の花山に なほか鳴くらむ。
 
 如是許《カクバカリ》 雨之零尓《アメノフラクニ》
 霍公鳥《ホトトギス》
 宇之花山尓《ウノハナヤマニ》 猶香將v鳴《ナホカナクラム》
 
【譯】これほどに雨が降るのに、ホトトギスは、卯の花の咲いている山で、やはり鳴いているのだろうか。
【釋】雨之零尓 アメノフラクニ。フラクは、降ること。
 宇乃花山尓 ウノハナヤマニ。卯の花の咲いている山に。「宇能婆奈夜麻乃《ウノハナヤマノ》 保等登藝須《ホトトギス》」(卷十七、四〇〇八)。
【評語】雨中のホトトギスを想像して詠んでいる。卯の花山は、ちよつと氣のきいた造語だ。雨中ホトトギスを思う心が、この句で生きて描かれている。
 
(121)詠v蝉
 
【釋】詠蝉 セミヲヨメル。セミは總稱と見えるが、歌には「伊波婆之流《イハバシル》 多伎毛登杼呂爾《タキモトドロニ》 鳴蝉乃《ナクセミノ》」(卷十五、三六一七)の一首があるだけで、他はすべてヒグラシを詠んでいる。ヒグラシは、夏の末から秋にかけて鳴くので、本集では夏にも秋にも入れてある。この卷にも、秋の部の二一五七に同じ題がある。
 
1964 黙然《もだ》もあらむ 時も嶋かなむ。
 茅蝉《ひぐらし》の
 もの念ふ時に 鳴きつつもとな。
 
 黙然毛將v有《モダモアラム》 時母鳴奈武《トキモナカナム》
 日晩乃《ヒグラシノ》
 物念時尓《モノオモフトキニ》 鳴管本名《ナキツツモトナ》
 
【譯】何もしないでいる時に鳴くがいい。ヒグラシが、物思いをしている時に鳴いてしかたないなあ。
【釋】黙然毛將有 モダモアラム。モダは、語義としては、黙つていることだが、集中多く何もしないでいることにいう。連體句。
 時母鳴奈武 トキモナカナム。ナムは、希望をあらわす。句切。
 日晩乃 ヒグラシノ。ヒグラシは茅蝉。夏の終から秋にかけて鳴く。多く日暮に鳴くので、ヒグラシという。
【評語】茅蝉の聲に感傷する心が詠まれている。よくまとまつているが、鳥や蟲の鳴聲が感傷を誘うという類型的な内容である。鳴キツツモトナと、モトナを使つての表現も、類が多い。
 
詠v榛
 
【釋】詠榛 ハリヲヨメル。榛は、ハンノ木説もあるが、ここなども、どうしてもハギでなければならない處(122)である。
 
1965 思ふ子が 衣《ころも》摺《す》らむに にほひこそ。
 島の榛原《はりはら》 秋立たずとも。
 
 思子之《オモフコガ》 衣將v摺尓《コロモスラムニ》 々保比與《ニホヒコソ》
 島之榛原《シマノハリハラ》 秋不v立友《アキタタズトモ》
 
【譯】思うあの子の著物を摺ろうから咲いてくれ。島のハギ原は、秋にならないでも。
【釋】思子之 オモフコガ。オモフコは、わが思うその人をいう。
 々保比與 ニホヒコソ。ニホヒは、色に出ることで、花の咲くをいう。コソは願望の助詞。句切。
 島之榛原 シマノハリハラ。シマは、水に臨んだ地をいう。ハリハラは、ハギの原。
 秋不立友 アキタダズトモ。タツは、物の始まるにいうが、秋立つは、暦の上で云い始めたのであろう。
【評語】まだ秋にならないのに、ハギの花の咲くことを望んでいる。思フ子ガ衣摺ラムという所に手段がある。
 
詠v花
 
1966 風に散る 花橘を 袖に受けて、
 君が御跡《みあと》と 思《しの》ひつるかも。
 
 風散《カゼニチル》 花橘叫《ハナタチバナヲ》 袖受而《ソデニウケテ》
 爲2君御跡1《キミガミアトト》 思鶴鴨《シノヒツルカモ》
 
【譯】風に散る橘の花を袖に受けて、あなたの御跡として慕つたことでした。
【釋】爲君御跡 キミガミアトト。
  キミガミタメト(元)
  キミオハセリト(考)
(123)  タテマツラムト(新考)
  ――――――――――
  君御爲跡《キミガミタメト》(代精)
  御爲君跡《キミガミタメト》(代精)
 爲は、トシテの意に使つているのだろう。君の殘した跡としての意で、その人の舊宅などで詠んだものでもあろうか。
【評語】思う人の高風をなつかしむ心がよく出ている。橘の花を袖に受けた風情が、まことにその高風を傳えるにふさわしい。
 
1967 かぐはしき 花橘を 玉に貫《ぬ》き、
 送らむ妹は みつれてもあるか。
 
 香細寸《カグハシキ》 花橘乎《ハナタチバナヲ》 玉貫《タマニヌキ》
 將v送妹者《オクラムイモハ》 三禮而毛有香《ミツレテモアルカ》
 
【譯】香氣のよい橘の花を玉として緒に貫いて送つてあげよう。そのわが妻は病み疲れているのだ。
【釋】將送妹者 オクラムイモハ。贈つてやろうとする妹はで、妹の方へ五月になれば、花橘を送つたものと見える。
 三禮而毛有香 ミツレテモアルカ。ミツレは、身の病み疲れるをいう。「三禮二見津禮《ミツレニミツレ》 片思男責《カタオモヒヲセム》」(卷四、七一九)。アルカは、感動の語法。
【評語】五月になつて橘の花を送ろうとして、愛人の病んでいるのを悲しんで詠んでいるのだろう。橘の花を愛して、玉の緒にもした人々の生活が窺われる。
 
1968 ほととぎす 來《き》鳴きとよもす、
 橘の 花散る庭を 見む人や誰《たれ》。
 
 霍公鳥《ホトトギス》 來鳴響《キナキトヨモス》
 橘之《タチバナノ》 花散庭乎《ハナチルニハヲ》
 將v見人八孰《ミムヒトヤタレ》
 
【譯】ホトトギスの來て鳴き立てて橘の花の散る庭を、見ようとする人は誰でしよう。
(124)【釋】霍公鳥來鳴響 ホトトギスキナキトヨモス。橘の花散る庭を修飾している。連體句。
 花散庭乎 ハナチルニハヲ。ニハは屋前の廣場をいう。屋前をニハと讀むべき證の一つである。
 將見人八孰 ミムヒトヤタレ。見よう人は誰か、君こその意に誘つている。
【評語】庭前の敍述は、類型的だが美しい。五句の誘いも、見ム人モガモなどの表現よりは、誘いの氣もちがよく出ている。
 
1969 わが屋前《には》の 花橘は 散りにけり。
 悔《くや》しき時に 逢へる君かも。
 
 吾屋前之《ワガニハノ》 花橘者《ハナタチバナハ》 落尓家里《チリニケリ》
 悔時尓《クヤシキトキニ》 相在君鴨《アヘルキミカモ》
 
【譯】わたしの庭の橘の花は散つてしまつた。殘念な時にお目にかかつたあなたです。
【釋】悔時尓 クヤシキトキニ。花が散つてしまつて殘念な時節に。殘念な時に君に逢つた意である。
【評語】賓客に橘の花を見せられなかつたことを殘念がつている氣もちがよく出ている。それほどに自然を愛していたのだ。
 
1970 見渡せば 向ひの野|邊《べ》の 石竹《なでしこ》の、
 散らまく惜しも。
 雨なふりそね。
 
 見渡者《ミワタセバ》 向野邊乃《ムカヒノノベノ》 石竹之《ナデシコノ》
 落卷惜毛《チラマクヲシモ》
 雨莫零行年《アメナフリソネ》
 
【譯】見渡せば、向こうの野邊のナデシコが、散るのが惜しいことだ。雨よ降らないでくれ。
【釋】雨莫零行年 アメナフリソネ。行年は、ソネと讀むものの如くであるが、しか讀む理申はわからない。「雨莫零行年《アメナフリソネ》」(卷三、二九九)。
(125)【標語】見わたした野邊に咲いているナデシコの、雨に逢つて散ることを惜しんでいる。野趣の愛すべきものを感じている。ナデシコの散るというのは、似合わないようだ。
 
1971 雨間《あまま》關《か》けて 國見もせむを、
 故郷の 花橘は 散りにけむかも。
 
 雨間關而《アママカケテ》 國見毛將v爲乎《クニミモセムヲ》
 故郷之《フルサトノ》 花橘者《ハナタチバナハ》 散家武可聞《チリニケムカモ》
 
【譯】雨のやんだまをかけて、國見もしようのに、故郷の橘の花は、散つてしまつただろうか。
【釋】雨間關而 アママカケテ。雨と雨とのあいだを懸けて。雨のやんだまに。
 國見毛將爲乎 クニミモセムヲ。クニミは、高い處に登つて國土を望見するをいう。天皇の國?視察などに多く使われるが、ここは觀光に使われている。
 故郷之 フルサトノ。フルサトは、住み古した里。何處ともわからないが、明日香だろう。
【評語】降り續いた梅雨のこやみを見て、故郷をおとずれようとして詠んでいる。永い雨のために、橘の花ももう散つてしまつたろうと推量している。故郷をなつかしむ心がよく出ている。
 
1972 野邊《のべ》見れば
 なでしこの花 咲きにけり。
 わが待つ秋は 近づくらしも。
 
 野邊見者《ノベミレバ》
 瞿麥之花《ナデシコノハナ》 咲家里《サキニケリ》
 吾待秋者《ワガマツアキハ》 近就良思母《チカヅクラシモ》
 
【譯】野邊を見れば、ナデシコの花は咲いている。わたしの待つ秋は、近づくらしい。
【釋】瞿麥之花 ナデシコノハナ。ナデシコは、一九七〇の石竹に同じ。本集では、石竹、瞿麥兩用し、また牛麥花とも書いている。
(126)【評語】ナデシコの花の咲くにつけて、秋の近づくのを喜んでいる。夏の暑さに堪えかねる心であり、また秋の花を愛する心でもあろうが、そうとはいわないで、ナデシコの花に寄せて美しい歌を成している。
 
1973 吾妹子に あふちの花は 散り過ぎず、
 今咲ける如《ごと》 在りこせぬかも。
 
 吾妹子尓《ワギモコニ》 相市乃花波《アフチノハナハ》 落不v過《チリスギズ》
 今咲有如《イマサケルゴト》 有與奴香聞《アリコセヌカモ》
 
【譯】わたしの愛人にあう。そのオウチの花は、散つてしまわないで、今咲いているように、咲いていてくれないかなあ。
【釋】吾妹子尓 ワギモコニ。枕詞。吾妹子に逢うというので、アフチに冠している。
 相市乃花波 アフチノハナハ。アフチは、オウチ科の落葉喬木、オウチ。五月頃淡紫色のちいさい花をつける。
 有與奴香聞 アリコセヌカモ。コセは、自分にそうなつてあらわれる意の助動詞で、多くは動詞アリに接續して使われている。
【評語】オウチの花のような目立たない花をも愛している。初句の枕詞も、なつかしみを出す上に役立つている。
 
1974 春日野の 藤は散りにて、
 何をかも
(127) 御狩《みかり》の人の 折りて插頭《かざ》さむ。
 
 春日野之《カスガノノ》 藤者散去而《フヂハチリニテ》
 何物鴨《ナニヲカモ》
 御狩人之《ミカリノヒトノ》 折而將2插頭1《ヲリテカザサム》 
 
【譯】春日野の藤は散つてしまつて、何をか、御狩の人が折つてかざすだろう。
【釋】藤者散去而 フヂハチリニテ。ニは完了の助動詞で、意を強調するに使われるが、ここなどは、散つてしまつてでよい。
 御狩人之 ミカリノヒトノ。ミカリは、狩獵が宮廷の催しであるがゆえにいう。ミは、敬語の接頭語。
【評語】藤の花が咲いていたら、それを插頭にして狩に出で立つだろうが、今は花の無い季節であるので、そのさびしさが歌われている。この狩は、藥獵で、五月五日に行われるのを原則とする。藥獵に關する最古の文獻として知られている日本書紀の推古天皇の十九年五月五日の記事に、藥獵にいで立つ廷臣が、みな位階に應じて、金、豹尾、鳥尾などの髻華《うず》をつけたことが傳えられている。美的生活として知られる狩獵であつたのである。
 
1975 時ならず 玉をぞ貫《ぬ》ける。
 卯の花の
 五月《さつき》を待たば 久しかるべみ。
 
 不v時《トキナラズ》 玉乎曾連有《タマヲゾヌケル》
 宇能花乃《ウノハナノ》
 五月乎待者《サツキヲマタバ》 可2久有1《ヒサシカルベミ》
 
【譯】その時でもなく玉を緒につらぬいている。卯の花が、五月を待つたら、久しいだろうから。
【釋】不時玉乎曾連有 トキナラズタマヲゾヌケル。五月には、玉につらぬくものだが、その時でないのに、玉を緒につらぬいている。卯の花が、枝に白く續いているのを説明している。
【評語】卯の花が、枝につらなつて咲いているのを、玉につらぬいたと見立てている。四月のうちに詠んだ作である。
 
(128)問答
 
1976 卯の花の 咲き散る岡ゆ、
 ほととぎす 鳴きてさ渡る。
 公は聞きつや。
 
 宇能花乃《ウノハナノ》 咲落岳從《サキチルヲカユ》
 霍公鳥《ホトトギス》 鳴而沙渡《ナキテサワタル》
 公者聞津八《キミハキキツヤ》
 
【譯】卯の花の咲いて散る岡を通つて、ホトトギスが鳴いて渡つて行きます。あなたは聞きましたか。
【釋】咲落岳從 サキチルヲカユ。咲きまた散る岡を通つて。作者のいる岡である。そこから外へではない。
【評語】平易な内容の歌である。人にも聞かせたいと思う心は、咲く花を人に見せたいと思う心と同じで、ホトトギスを愛するあまりに出ている。
 
1977 聞きつやと 君が問はせる
 ほととぎす、
 しののに沾《ぬ》れて 此《こ》ゆ鳴き渡る。
 
 聞津八跡《キキツヤト》 君之問世流《キミガトハセル》
 霍公鳥《ホトトギス》
 小竹野尓所v沾而《シノノニヌレテ》 從v此鳴綿類《コユナキワタル》
 
【譯】聞いたかとあなたのお尋ねになつたホトトギスは、しつとりと濡れて、此處を通つて鳴いて行きます。
【釋】君之問世流 キミガトハセル。トハセルは、問フの敬語トハスに、助動詞リの連體形の添つたもの。
 小竹野尓所沾而 シノノニヌレテ。雨か霧のために濡れたのだろう。シノノニは、しつとりと濡れる形容。
 從此鳴綿類 コユナキワタル。コユは、ここを通つて。このユの使い方に依つて、前の歌のヲカユの意味を理解すべきである。
(129)【評語】四句のシノノニ濡レテの敍述があつて、景趣が生きている。雨霧をいわないでも、たいして支障はない。
 
譬喩歌
 
1978 橘の 花散る里に 通ひなば、
 山ほととぎす 響《とよも》さむかも。
 
 橘《タチバナノ》 花落里尓《ハナチルサトニ》 通名者《カヨヒナバ》
 山霍公鳥《ヤマホトトギス》 將v令v響鴨《トヨモサムカモ》
 
【譯】橘の花の散る里に通つたなら、山ホトトギスは鳴き聲を立てるだろうかなあ。
【釋】將令響鴨 トヨモサムカモ。音を立てさせるだろうか。
【評語】山ホトトギスというのは、まだ人馴れない女子を譬えているのだろう。通つたら應ずるだろうかの意に解せられる。その女のいる處を、橘の花散る里と云つたのは、風情がある。
 
夏相聞
 
【釋】夏相聞 ナツノサウモニ。十七首の歌を録している。ホトトギスの歌は、寄鳥に三首、他に一首あるだけである。
 
寄v鳥
 
1979 春しあれば ??《すがる》なす野の
 ほととぎす、
(130) ほとほと妹に 逢はず來《き》にけり。
 
 春之在者《ハシアレバ》 酢輕成野之《スガルナスノノ》
 霍公鳥《ホトトギス》
 保等穗跡妹尓《ホトホトイモニ》 不v相來尓家里《アハズキニケリ》
 
【譯】春であれば蜂が音を立てる野のホトトギス。そのようにほとんど妹に逢わないで來るところだつた。
【釋】春之在者 ハルシアレバ。シは強意の助詞。春になるの意の、春サレバだつたら、こうは書かないだろう。
 酢輕成野之 スガルナスノノ。スガルは、ジガバチ。ナスは、蜂が羽音を立てるをいう。物音を立てるをナスということは、「時守之《トキモリノ》 打鳴鼓《ウチナスツヅミ》」(卷十一、二六四一)および「垣廬鳴《カキホナス》 人雖v云《ヒトハイヘドモ》」(同、二四〇五)によつて、鳴の字をナスと讀まれることで證明される。
 霍公鳥 ホトトギス。以上三句序詞。同音をもつて、ホトを引き起している。春だつたら蜂が鳴く野のホトトギスの意である。
 保等穗跡妹尓 ホトホトイモニ。ホトホトは、ホトンドの原形で、あぶなくそうなる意をあらわす副詞。「保等保登之爾吉《ホトホトシニキ》 君香登於毛比弖《キミカトオモヒテ》」(卷十五、三七七二)。
【評語】同音を利用した調子の良さを持つている歌である。序詞は、幾分、「女郎花咲く野に生ふる白つつじ」(卷十、一九〇五)と云つたふうな、二重敍述の手段に出ている傾向にある。
 
1980 五月山《さつきやま》 花橘に、
 ほととぎす 隱《かく》らふ時に、
 逢へる君かも。
 
 五月山《サツキヤマ》 花橘尓《ハナタチバナニ》
 霍公鳥《ホトトギス》 隱合時尓《カクラフトキニ》
 逢有公鴨《アヘルキミカモ》
 
【譯】五月の山に、橘の花にホトトギスの隱れるように、かくれている時に、お逢いしたあなたですね。
【釋】五月山 サツキヤマ。五月の頃の山。
(131)隱合時尓 カクラフトキニ。ホトトギスが橘の花に隱れる時に。橘の樹にホトトギスの來る時をカクラフ時と云つている。そのように自分が隱れている時に。
【評語】四句までは、この好季節にの意を、具體的に描き、それを利用して、自分の家にこもつている時を描いている。君に逢つた喜びが巧みに表現されている。
 
1981 ほととぎす 來《き》鳴く五月の 短夜も、
 ひとりし宿《ぬ》れば 明かしかねつも。
 
 霍公鳥《ホトトギス》 來鳴五月之《キナクサツキノ》 短夜毛《ミジカヨモ》
 獨宿者《ヒトリシヌレバ》 明不v得毛《アカシカネツモ》
 
【譯】ホトトギスの來て鳴く五月の短い夜も、ひとりで寐るので、明かしにくいことだ。
【釋】明不得毛 アカシカネツモ。容易に夜が明けないの意である。不得は、エズともカヌとも讀まれるが、これなどは、意をもつてカネツと讀まれる例である。
【評語】ひとり寐て、短い夏の夜も明かしかねる心である。ホトトギス來鳴クという短夜の敍述があつて、はじめて歌に生氣がある。その説明は平凡だが、ホトトギスなどの鳴く夜だという氣もちは味わうべきだ。
 
寄v蝉
 
1982 茅蝉《ひぐらし》は 時と鳴けども、
 戀ふるにし
 手弱女《たわやめ》我《われ》は 時わかず泣く。
 
 日倉足者《ヒグラシハ》 時常雖v鳴《トキトナケドモ》
 於v戀《コフルニシ》
 手弱女我者《タワヤメワレハ》 不v定哭《トキワカズナク》
 
【譯】茅蝉は、今が時だとばかり鳴くけれども、戀のために、かよわい女であるわたしは、おちつかないで泣(132)いている。
【釋】時常雖鳴 トキトナケドモ。今が鳴く時節だと鳴いているけれども。
 於戀 コフルニシ。
  ワガコフル(元)
  コフルニシ(定本)
  ――――――――――
  我戀《ワガコフル》(西)
  我戀《ワレコヒニ》(童)
  君戀《キミコフル》(考)
  物戀《モノコフル》(略)
  於君戀《キミニコフル》(新考)
  物戀《モノゴヒニ》(新訓)
 於戀は、古本系統の字面だが、コフルニシと、シを讀み添える外はあるまい。「孤布流爾思《コフルニシ》 情波母要奴《ココロハモエヌ》」(卷十七、三九六二)。元暦校本、於の右に物イとあり、仙覺本は我戀である。モノコフルでは、戀の目標が不定になり、ワガコフルでは、下にワレがあるので、うち合わない。
 不定哭 トキワカズナク。
  サタメカネツモ(元)
  サタマラスナク(西)
  トキナラズナク(童)
  トキジクニナク(考)
  トキワカズナク(略)
  イサヨヒニナク(總索引)
  ――――――――――
  時不定哭《トキワカズナク》(代精)
(133) 不定は、「妹爾戀哉《イモニコフレヤ》 時不v定鳴《トキワカズナク》(卷六、九六一)の例があるので、トキワカズナクと讀まれている。二句の時ト鳴ケドモに對する句としては、それがよい。サダマラズでは、意を成さないのである。
【評語】ヒグラシは、夏の終りから鳴くので、その時を鳴くというのであろう。季節の風物を點じて、戀に泣くわが姿を描いている。タワヤメ我ハとことわつたのが、わざとらしいが、全體としては一往まとまつている。
 
寄v草
 
1983 人|言《ごと》は 夏野の草の 繁くとも、
 妹と吾とし 携《たづさ》はり宿《ね》ば。
 
 人言者《ヒトゴトハ》 夏野乃草之《ナツノノクサノ》 繁友《シゲクトモ》
 妹與v吾師《イモトワレトシ》 携宿者《タヅサハリネバ》
 
【譯】人の言葉は、夏の野の草のように繁くあつても、あなたとわたしとが共に寐たらそれでよいのだ。
【釋】人言者 ヒトゴトハ。ヒトゴトは、他人の言。うるさい人の口である。
 夏野乃草之 ナツノノクサノ。一句、譬喩の插入句。
 携宿者 タヅサハリネバ。この下に、よしの如き語が省略されている。
【評語】思い入つた心が歌われている。譬喩はよくあてはまつているが、それだけに概念的に落ちている。
 
1984 この頃の 戀の繁けく、
 夏草の 苅り掃《はら》へども
 生ひしくが如。
 
 廼者之《コノゴロノ》 戀乃繁久《コヒノシゲケク》
 夏草乃《ナツクサノ》 苅掃友《カリハラヘドモ》
 生布如《オヒシクガゴト》
 
【譯】この頃の戀の繁くあることは、夏草が苅り掃つても、あとからあとから生えるようだ。
(134)【釋】戀乃繁久 コヒノシゲケク。シゲケクは、繁くあること。
 生布如 オヒシクガゴト。オヒシクは、續いて生えるをいう。續々として生えるようだ。
【評語】譬喩が巧みだ。殊に夏草の續々として生えるという、活動態を敍しているのがよい。それで歌が生きている。戀の繁くあることに、夏草を配したこと自體は平凡だが、ちよつとしたところで違つてくる。
 
1985 眞田葛《まくず》延《は》ふ 夏野の繁く、
 かく戀ひば
 まことわが命 常ならめやも。
 
 眞田葛延《マクズハフ》 夏野之繁《ナツノノシゲク》
 如是戀者《カクコヒバ》
 信吾命《マコトワガイノチ》 常有目八面《ツネナラメヤモ》
 
【譯】クズの這つている夏の野の繁くあるように、かように戀をしたら、ほんとうにわたしの命は、變わらずにあり得ないだろう。
【釋】眞田葛延夏野之繁 マクズハフナツノノシゲク。夏野の繁くあることを敍して譬喩としている。夏野の繁くあるようにで、これを三句に受けてカクと云つている。これはこの歌の類歌に「荒玉之《アラタマノ》 年緒長《トシノヲナガク》 如此戀者《カクコヒバ》 信吾命《マコトワガイノチ》 全有目八面《マタカラメヤモ》」(卷十二、二八九一)に照らして、知られる所である。但し卷の十二のは譬喩ではない。
 常有目八面 ツネナラメヤモ。ツネは、不變。
【評語】これも夏野の繁くあることを譬喩にしている。前掲の卷の十二の歌をもとにして歌つたようである。
 
1986 吾のみや かく戀すらむ。
 かきつばた 丹《に》つらふ妹は
 いかにかあらむ。
 
 吾耳哉《ワレノミヤ》 如是戀爲良武《カクコヒスラム》
 垣津旗《カキツバタ》 丹頬合妹者《ニツラフイモハ》
 如何將v有《イカニカアラム》
 
(135)【譯】わたしばかりがこのように戀をしているのだろうか。カキツバタのように美しいあの子は、どうなのだろう。
【釋】吾耳哉 ワレノミヤ。ヤは、疑問の係助詞。われのみかと疑つている。
 如是戀爲良武 カクコヒスラム。ラムは、推量の助動詞。句切。
 垣津旗 カキツバタ。枕詞。譬喩によつて、丹ツラフに冠している。垣津旗は、垣の中の旗の義で、この花の形?から出た名であろう。正倉院文書にも垣津幡の字が使われている。
 丹頬合妹者 ニツラフイモハ。ニツラフは、丹色に出る意で、紅顔の義に解せられているが、ここにカキツバタを枕詞にしているによつても、ただ美しいのにいうことがわかる。これに接頭語サを添えて、サニツラフともいう。「垣幡《カキツバタ》 丹頬經君叫《ニツラフキミヲ》」(卷十一、二五二一)。
【評語】自分の戀の繁くあるのを擧げて、相手の女の心はどうだろうかと案じている。自分ばかりがこのような戀をしているのだろうかと顧みている。カキツバタの枕詞が、よく利いており、これによつて季節を語り、相手の美しさを描き、作者の生活している世界を寫している。
 
寄v花
 
1987 片搓《かたよ》りに 絲をぞわが搓《よ》る。
 わが夫子が 花橘を
 貫《ぬ》かむと思《も》ひて。
 
 片搓尓《カタヨリニ》 絲叫曾吾搓《イトヲゾワガヨル》
 吾背兒之《ワガセコガ》 花橘乎《ハナタチバナヲ》
 將v貫跡母日手《ヌカムトモヒテ》
 
【譯】一方よりに絲をわたくしはよつています。あなたの橘の花を、それにつらぬこうと思いまして。
(136)【釋】片搓尓 カタヨリニ。カタヨリは、一方の向きにだけ絲に搓りをかけること。絲のよりは一方にきまつているが、ひたすらによる意に、特にいうのだろう。片思いの心をこれに寄せている。
 花橘乎 ハナタチバナヲ。橘の花のつぼみを玉として絲につらぬこうというのであるが、それは譬喩で、相手の男の心をたとえている。
 將貫跡母日手 ヌカムトモヒテ。特にモヒテを假字がきにしている。
【評語】橘の花を玉として緒につらぬいて愛した生活から生まれている歌である。片よりに搓ると云つたところが、ねらいである。
 
1988 鶯の 通ふ垣根の 卯の花の、
 うき事あれや、君が來まさぬ。
 
 ?之《ウグヒスノ》 往來垣根乃《カヨフカキネノ》 宇能花之《ウノハナノ》
 厭事有哉《ウキコトアレヤ》 君之2不來座1《キミガキマサヌ》
 
【譯】鶯が往來をする垣根に咲いている卯の花のように、うい事があつてか、あなたがおいでなさらない。
【釋】宇能花之 ウノハナノ。以上三句、序詞。同音によつてウキを引き起している。
 厭事有哉 ウキコトアレヤ。ウキコトは、いやな事、不都合、不愉快なこと。アレヤは、疑問の條件法。あなたが嫌うような覺えはないのだがと深く疑う心である。
【評語】同音を利用した技巧が、禍を成して、歌が浮調子になつている。鶯は、春の鳥とされているが、ここに卯の花に配してあるのは、描寫である。
【參考】類歌。
  ほととぎす鳴く峰《を》の上の卯の花のうき事あれや君が來まさぬ(卷八、一五〇一)
 
(137) 1989 卯の花の 咲くとはなしに
 ある人に、
 戀ひや渡らむ。
 片念《かたも》ひにして。
 
 宇能花之《ウノハナノ》 開登波無二《サクトハナシニ》
 有人尓《アルヒトニ》
 戀也將v渡《コヒヤワタラム》
 獨念尓指天《カタモヒニシテ》
 
【譯】卯の花の咲くようにはない人に、戀して過すことか。片思いであつて。
【釋】宇能花之開登波無二 ウノハナノサクトハナシニ。卯の花の咲くとは、譬喩で、先方の人が、自分に好意を持つことをたとえている。そのようになく。
 戀也將度 コヒヤワタラム。ヤは、疑問の係助詞。ワタラムは、日を送るだろう。句切。
【評語】譬喩が巧みである。片思いに日を過そうとしている歎きが感じられる。但し五句は、説明し過ぎている。卯ノ花ノ咲クトハナシニアル人で、既に十分ではないか。
 
1990 吾こそは 憎《にく》くもあらめ。
 わが屋前《には》の 花橘を
 見には來《こ》じとや。
 
 吾社葉《ワレコソハ》 憎毛有目《ニククモアラメ》
 吾屋前之《ワガニハノ》 花橘乎《ハナタチバナヲ》
 見尓波不v來鳥屋《ミニハコジトヤ》
 
【譯】わたくしこそは憎くもあるでしよう。しかしわたくしの庭前の橘の花を見には來ないというのですか。
【釋】見尓波不來鳥屋 ミニハコジトヤ。見にこないというのか。トヤの下に、イフ、スルの如き語が省略されている。
【評語】かなり突つ込んで歌つている。初二句はすこしいや味に墮している。
 
(138)1991 ほととぎす 來鳴き響《とよも》す 岡邊なる
 藤浪見には、君は來《こ》じとや。
 
 霍公鳥《ホトトギス》 來鳴動《キナキトヨモス》 岡邊有《ヲカベナル》
 藤浪見者《フヂナミミニハ》 君者不v來登夜《キミハコジトヤ》
 
【譯】霍公鳥の來て鳴き立てる岡邊の藤の花を見には、あなたはこないというのですか。【釋】來鳴動 キナキトヨモス。連體句。岡を修飾している。
【評語】前の歌と同型で、前の歌のように露骨でなく、おだやかである。ホトトギスと藤の花との取り合わせもよい。
 
1992 隱《こも》りのみ 戀ふれば苦し。
 なでしこの 花に吹き出でよ。
 朝《あさ》な朝《さ》な見む。
 
 隱耳《コモリノミ》 戀者苦《コフレバクルシ》
 瞿麥之《ナデシコノ》 花尓開出與《ハナニサキイデヨ》
 朝旦將v見《アサナサナミム》
 
【譯】心の中でばかり思つているのは苦しい。ナデシコのように、花に咲き出てください。毎朝見ましよう。
【釋】隱耳 コモリノミ。心の中でのみ。
 瞿麥之 ナデシコノ。譬喩。ナデシコの如く。
 花尓開出與 ハナニサキイデヨ。花として咲き出よというので、表にあらわして返事せよの譬喩。句切。
【評語】譬喩がよく當つている。ナデシコを點出したのも、相手にふさわしい。
【參考】類句、こもりのみ戀ふれば苦し。
  こもりのみ戀ふれば苦し。山の端ゆ出で來る月の顯《あらは》さばいかに(卷十六、三八〇三)
 
1993 外のみに 見つつを戀ひむ。
(139) 紅《くれなゐ》の 末《すゑ》採《つ》む花の 色にいでずとも。
 
 外耳《ヨソノミニ》 見筒戀牟《ミツツヲコヒム・ミツツコヒナム》
 紅乃《クレナヰノ》 末採花之《スヱツムハナノ》 色不v出友《イロニイデズトモ》
【譯】よそにばかり見ながら思つておりましよう。末を採むベニバナのように、表面に出さないでも。
【釋】見筒戀牟 ミツツヲコヒム。ミツツヤコヒム(元)、ミツツコヒナム(代精)、ミツツヲコヒム(代精)。文字表項が不完全で、何かの音を補わねばならない。歌としては、ヲを補うのが、心が集中されてよい。讀法としては「眞毛妹之《マコトモイモガ》 手二所v纏牟《テニマカレナム》」(卷四、七三四)の如き例があつて、ナを補うのが穏當である。句切。
 紅乃末採花之 クレナヰノスエツムハナノ。クレナヰノウレツムハナノ(略、宣長)。クレナヰはベニバナ。キク科の二年生草本。その花から臙脂《えんじ》を採るので、末つむ花という。花についてはウレといわないからスヱがよい。この二句、譬喩によつて色ニイヅの序詞となつている。
【評語】譬喩が美しい。作者は男子で、相手の女をベニバナに思い寄せている。
 
寄v露
 
1994 夏草の 露分《つゆわ》け衣《ごろも》 著《つ》けなくに、
 わが衣手の 干《ふ》る時もなき。
 
 夏草乃《ナツクサノ》 露別衣《ツユワケゴロモ》 不v著尓《ツケナクニ》
 我衣手乃《ワガコロモデノ》 干時毛名寸《フルトキモナキ》
 
【譯】夏草の露を分けて行く著物を著たのではないが、わたしの著物のかわく時が無い。 (140)【釋】露別衣 ツユワケゴロモ。草葉の露を分けて行く衣服。
 干時毛名寸 フルトキモナキ。フルは、動詞乾ル。上二段活でフルの形となる。涙でかわく時がないのである。
【評語】上三句の敍述が美しい。涙でかわく時がないという平凡な内容が、これで生きて感じられる。
 
寄v日
 
1995 六月《みなつき》の 地《つち》さへ割《さ》けて 照る日にも、
 わが袖|乾《ひ》めや。
 君に逢はずして。
 
 六月之《ミナツキノ》 地副割而《ツチサヘサケテ》 照日尓毛《テルヒニモ》
 吾袖將v乾哉《ワガソデヒメヤ》
 於v君不v相四手《キミニアハズシテ》
 
【譯】六月の土までも裂けて照る日にも、わたしの袖はかわかないでしょう。君に逢わないでは。
【釋】地副割而 ツチサヘサケテ、かわき切つて土地の裂けることを敍して、照る日を説明している。
【評語】上三句の烈日の敍述が強いひびきを持つている。これも、この三句で生きている作である。夏の烈日を歌つた歌として、集中珍しい作品である。
 
秋雜歌
 
【釋】秋雜歌 アキノザフカ。二百四十三首の歌を録しているが、はじめに七夕の歌九十八首(内三十八首は人麻呂集所出)を收めてあるのが目立つ。人麻呂集所出の歌は、なお詠花、詠黄葉、詠雨の各項にも分載されている。題は七夕のほかは、詠何となつている。
(141)七夕
 
【釋】七夕 ナヌカノヨ。七月七日の夜である。この夕べ、平常は天の川を中にして隔たつている牽牛星と織女星が會うという。これにもとづいて雅會が催される。(卷の八、一五一八、題詞參照)。
 
1996 天の河 水さへに照る。
 舟|競《ぎほ》ひ 舟こぐ人に 妹と見えきや。
 
 天漢《アマノガハ》 水左閇而照《ミヅサヘニテル》
 舟競《フナギホヒ》 舟人《フネコグヒトニ》 妹等所見v寸哉《イモトミエキヤ》
 
【譯】天の川は水までも照り輝いている。船を競つて船こぐ人に、あれは妹と見えたか。【釋】天漢 アマノガハ、漢は、天河をいい、一字だけでも使用されている。ここは熟字として天の字を添えている。銀河である。
 水左閉而照 ミヅサヘニテル。
  ミヅサヘニテル(西)
  ミヅサヘテテル(新訓)
  ――――――――――
  水底左閉而照《ミナソコサヘニヒカル》(古義)
 諸説のある所である。而をニの假字に當てる例は、下に「然敍手而在《シカゾテニアル》」(卷十、二〇〇五)とある。水までも照つている由で、織女星が、川岸に出ているをいう。句切。
 舟競 フナギホヒ。勢いよく船を進めるをいう。「舟競《フナギホヒ》 夕河渡《ユフカハワタル》」(巻一、三六)。これも人麻呂の作品である。
(142) 舟人 フネコグヒトニ。人麻呂集の習として、極端に字を節約するので、何とでも讀まれるが、フネコグヒトニあたりが無難であろう。舟こぐ人は、牽牛星をさす。牽牛星が船をこいで天の川を渡るとする構想である。
 妹等所見寸哉 イモトミエキヤ。イモトミヘキヤ(西)、イモラミエキヤ(代精)。河岸に出て水さえ照つている人は、妹と見えたかの意。ヤは、疑問の助詞。反語ではない。
【評語】七夕の歌は、その性質上、多くは題詠作爲の歌になるのは、やむを得ない。この歌も、そういう誇張のところがあるが、想像力はよく働いていて、一往天上の情景を描きなしている。
 
1997 ひさかたの 天の河原に、
 ぬえ鳥の うら歎《な》けましつ。
 すべなきまでに。
 
 久方之《ヒサカタノ》 天漢原丹《アマノガハラニ》
 奴延鳥之《ヌエドリノ》 裏歎座津《ウラナケマシツ》
 乏諸手丹《スベナキマデニ》
 
【譯】大空の天の川原で、ぬえ鳥のように、心で泣いておいでになつた。しかたのないまでに。
【釋】奴延鳥之 ヌエドリノ。枕詞。譬喩によつて、ウラナケに冠する。
 裏歎座都 ウラナケマシツ。ウラナケは、心中に泣かれるの意。「奴要子鳥《ヌエコドリ》 裏歎居者《ウラナケヲレバ》」(卷一、五)、「奴延鳥《ヌエドリノ》 浦嘆居《ウラナケヲリト》」(卷十、二〇三一)、「奴要鳥能《ヌエドリノ》 宇良奈氣之都追《ウラナケシツツ》」(卷十七、三九七八)など。これは織女星のふるまいを敍している。句切。
 乏諸手丹 スベナキマデニ。乏は、澤瀉博士の説に、スベナキと讀むべしとする。「及v乏《スベナキマデニ》」(卷九、一七〇二)參照。諸手は、左右手、二手などと同じく、眞手の義をもつて、マデに當てて書いている。
【評語】織女星の上を詠んでいる。その牽牛星を慕つて歎いている樣の敍述である。牽牛星の心になつて詠んでいるのだろう。歎いているのを見て、たまらなくなつた情である。
 
(143)1998 わが戀を 嬬《つま》は知れるを、
 行く船の 過ぎて來《く》べしや。
 言も告《つ》げなむ。
 
 吾戀《ワガコヒヲ》 嬬者知遠《ツマハシレルヲ》
 往船乃《ユクフネノ》 過而應v來哉《スギテクベシヤ》
 事毛告火《コトモツゲナム》
 
【譯】わたしの戀を、妻は知つているのを、行く船が通り過ぎてくることはできない。事情も告げよう。
【釋】嬬者知遠 ツマハシレルヲ。ツマは、夫の意とする解もあるが、織女星のこととしても通ずるから、文字通りに解するのが順當である。
 往船乃 ユクフネノ。牽牛星自身の乘つている船が。
 過而應來哉 スギテクベシヤ。スギテは、通過して。ヤは反語。通過してくるべきではない。句切。
 事毛告火 コトモツゲナム。コトは事情。火は五行の南方に相當するので、ナムの音に借りて書いている。「二々火四吾妹《シナムヨワギモ》」(卷十三、三二九八)。
【評語】牽牛星の心になつて詠んでいる。船に乘つて天の川を往來している意である。説明的で情趣に乏しい憾《うら》みがある。
 
1999 赤《あか》らひく 敷妙の子を しば見れば、
 人妻ゆゑに 吾《われ》戀ひぬべし。
 
 朱羅引《アカラヒク》 色妙子《シキタヘノコヲ》 數見者《シバミレバ》
 人妻故《ヒトヅマユヱニ》 吾可2戀奴1《ワレコヒヌベシ》
 
【譯】赤らんでいる美しい子を度々見れば、人妻であるのに、わたしは戀をしそうだ。
【釋】朱羅引 アカラヒク。枕詞。ラは接尾語で、赤ラ孃子、赤ラ小船などいう。ヒクは、色の行き及んでいるをいう。朝、日、月、肌などに冠しているが、ここは容顔の紅潮している意に冠している。
(144) 色妙子 シキタヘノコヲ。シキタヘは、緻密な織物をいい、ここは譬喩として、和柔の子の意をあらわしている。「布細乃《シキタヘノ》 宅乎毛造《イヘヲモツクリ》」(卷三、四六〇)などの用法に通うものがある。イロタヘノコヲ(拾穗)の訓のあるのは、赤ラヒクの句に引かれたものであるが、イロタヘの語は、他に見えない。
 人妻故 ヒトヅマユヱニ。織女星は、牽牛星の妻であるから、第三者の立場としてヒトヅマと言つている。ユヱニは、その原因をいい、それだのにの意をあらわす。人妻であるのだのに。
 吾可戀奴 ワレコヒヌベシ。奴は、字音假字として書き添えてある。
【評語】第三者として、織女星の美を歌つている。赤ラヒクシキタヘノ子という特殊な敍述が、その美しさをよく描いている。
 
2000 天の河 安《やす》の渡《わた》りに 船|浮《う》けて、
 秋立つ待つと 妹に告げこそ。
 
 天漢《アマノガハ》 安渡丹《ヤスノワタリニ》 船浮而《フネウケテ》
 秋立待等《アキタツマツト》 妹告與具《イモニツゲコソ》
 
【譯】天の河の安の渡りに船を浮かべて、秋になるのを待つていると、妻に告げてください。
【釋】安渡丹 ヤスノワタリニ。高天の原にある川の名を、天の安の川という。それでここに安の渡りと云つている。ワタリは、渡るべき處。
 秋立待等 アキタツマツト。アキタツは秋になるをいう。七月になるのを待つのである。
 妹告與具 イモニツゲコソ。與具をコソに當てて書いている。略解に乞其の誤りとし、なお具を其の誤りとする説が多い。與は一字だけでもコソに當てて使用してあり、その意は、與えよの義によるものと思われる。よつて更に具を添えて、與えそなえよの義で使つているのだろう。「眞福在與具《マサキクアリコソ》」(卷十三、三二五四)。
【評語】牽牛の意に代つて詠んでいる。平明な内容の歌であつて、情熱に乏しい。
 
(145)2001 蒼天《おほぞら》ゆ 通ふ吾すら、
 汝《な》がゆゑに 天の河路を
 なづみてぞ來し。
 
 從2蒼天1《オホゾラユ》 往來吾等須良《カヨフワレスラ》
 汝故《ナガユヱニ》 天漢道《アマノガハヂヲ》
 名積而敍來《ナヅミテゾコシ》
 
【譯】大空を通つて往來するわたしなのだが、あなたゆえに、天の川の道を骨をおつてきた。
【釋】從蒼天往來吾等須良 オホゾラユカヨフワレスラ。星は天空を飛行することのできるものとしている。オホゾラユは、大空を通つて。
 名積而敍來 ナヅミテゾコシ。ナヅミテは、苦勞して、骨を折つて。
【評語】織女ゆえに苦勞して天の川の道を通う牽牛の心が詠まれている。勞苦を織女に訴える形になつている。初二句の敍述が特殊で、そういう者だがの意があらわれている。「淺|小竹《しの》原 腰なづむ。空は行かず 足よ行くな」(古事記三六)の趣である。「上つ毛野安蘇の川原よ石ふまず空ゆと來ぬよ。汝が心|告《の》れ」(卷十四、三四二五)はこの逆である。
 
2002 八千戈《やちほこ》の 神の御世より、
 ともし嬬《づま》 人知りにけり。
 繼ぎてし思へば。
 
 八千戈《ヤチホコノ》 神自2御世1《カミノミヨヨリ》
 乏?《トモシヅマ》 人知尓來《ヒトシリニケリ》
 告思者《ツギテシオモヘバ》
 
【譯】八千戈の神の御代から、愛している妻を、人が知つている。續いて思つているので。
【釋】八千戈神自御世 ヤチホコノカミノミヨヨリ。八千戈の神は、大國主の神の別名と傳える。遠い神代から。「八千桙之《ヤチホコノ》 神之御世自《カミノミヨヨリ》」(卷六、一〇六五)。
(146) 乏嬬 トモシヅマ。トモシは、類すくなく愛せられる意の形容詞。ここは逢うことのまれな妻の意に織女星のことをいう。(卷十、二〇〇四參照)。
 告思者 ツギテシオモヘバ。動詞告グは、下二段活として解されているが、ここにはツギの音に借りている。「語告《カタリツギ》 言繼將v往《イヒツギユカム》」(卷三、三一七)の例もある。これは告グはもと繼グと同語で、四段に使用されていたので、かような用法が殘つたのだろう。
【評語】七夕の事の起原は、神代にありとする思想から、この歌を詠んでいる。これも牽牛の心になつて詠んでいる。愛する妻を人に知られたくないと思う作者たちの心が、牽牛の語を借りてあらわされている。初二句のかかりは、大がかりで、いかにも天上の戀らしい表現である。
 
2003 わが戀ふる にほへる面《おも》わ、
 今夕《こよひ》もか 天の河原に 石枕《いはまくら》纏《ま》く。
 
 吾等戀《ワガコフル》 丹穗面《ニホヘルオモワ》
 今夕母可《コヨヒモカ》 天漢原《アマノガハラニ》 石枕卷《イハマクラマク》
 
【譯】わたしの思つている美しい顔の子は、今夜は、天の河の河原で、石を枕に寐るであろうか。
【釋】丹穗面 ニホヘルオモワ。ニノホノオモワとも讀まれる。これは「爾能保奈須《ニノホナス》 意母提乃宇倍爾《オモテノウヘニ》」(卷五、八〇四)とあるを根據としている。しかもまた一方には、同じく人麻呂集所出の歌に「著丹穗哉《シルクニホハバヤ》 人可v知《ヒトノシルベキ》」(卷七、一二九七)の如く、丹穗を動詞ニホフに當てて書いたと見られるものがあり、また丹穗日、丹穗比など、活用形を送つた例は更に多數である。よつてここもニホヘルオモワと讀むを妥當とすべきである。織女の美貌をいい、その主である織女星をいう。
 今夕母可 コヨヒモカ。モは強意に添える。今夜はかである。
 石枕卷 イハマクラマク。イハマクラ、石の枕。マクは、枕をする意。牽牛星と逢わないで、ひとり寐るさ(147)ま。
【評語】織女が、夫を待ちわびて、天の川原で寐るだろうという意の歌で、牽牛星になつて詠んでいる。別れていて戀う心が描かれている。
 
2004 おのが?《つま》 ともしき子らは、
 泊《は》てむ津の 荒礒《ありそ》枕《ま》きて寐む。
 君待ちがてに。
 
 己?《オノガツマ》 乏子等者《トモシムコラハ》
 竟津《ハテムツノ》 荒礒卷而寐《アリソマキテネム》
 君待難《キミマチガテニ》
 
【譯】わたしの妻である逢うことの稀なあの子は、この船の行く先の船つき場で、荒礒を枕にして寐るだろう。夫を待ちかねて。
【釋】己? オノガツマ。自分の妻。嬬の字を使用しているので、やはり織女星のことと解すべきである。
 乏子等者 トモシキコラハ。トモシムコラハ(略、宣長)。トモシキコラは、二〇〇二のトモシヅマに同じ。逢うことのまれな妻。
 竟津 ハテムツノ。
  アラソヒツ(西)
  アラソツノ(童)
  ハツルツノ(略、宣長)
  ハテムツノ(古義)
  ――――――――――
  舟竟津《フネハテツ》(代初)
  立見津《タチテミツ》(考)
 牽牛の船の泊てむ津のであろう。
 君待難 キミマチガテニ。キミは、自分すなわち牽牛を、織女の立場から云つている。
(148)【評語】牽牛に代つて、織女の有樣を想像して詠んでいるが、五句の、君待チガテニの句には混雜が感じられる。但し訓法にもなお問題があり、まだ正しく讀まれていないのだろう。
 
2005 天地と 別れし時ゆ、
 おのが?《つま》 然《しか》ぞ手にある。
 秋待つ、吾は。
 
 天地等《アメツチト》 別之時從《ワカレシトキユ》
 自?《オノガツマ》 然敍《シカゾ》手而在《テニアル・モチタル》
 金待吾者《アキマツワレハ》
 
【譯】天と地と別れた時からこの方、わたしの妻は、かようにきまつているのだ。わたしは秋を待つている。
【釋】天地等別之時從 アメツチトワカレシトキユ。太古に天と地と一體であつたものが、やがて天と地と分かれた。その時からこのかた。むかし天と地とが分かれたというのは、日本書紀の開闢説で、大陸の哲學説によるものとされている。この歌は、人麻呂歌集所出で、日本書紀結集以前の作と考えられるが、當時既に、天地の初めに關して、かような思想が存在していたことを語つている。このような思想が、古くから日本にもあつたのだろう。ユは、その時からしてこなたへ。
 然敍手而在 シカゾテニアル。
  シカソテニアル(西)
  ――――――――――
  然取手而在《シカチギリケル》(考)
  然敍恃而《シカゾタノミテ》(新考)
 諸説があり決定しかねる。而をニの音に借りたことは、前出一九九六の歌のほかに確たる例が無く、危まれる。手而在を、義をもつてモチタルと讀むべきか。かようにわが妻としてある意。句切。
 金待吾者 アキマツワレハ。金は、五行の一で、季節の秋に當るので、借り用いている。アキマツで切る。
【評語】八千戈ノ神ノ御世ヨリの歌と同じく、大がかりに天地の初めから説いているのが、七夕の歌らしい所(149)である。牽牛星に代つて読んでいるが、訓法に疑義が存するのは遺憾である。
 
2006 彦星は 嘆かす?《つま》に、
 言だにも 告《つ》げにぞ來つる。
 見れば苦しみ。
 
 孫星《ヒコボシハ》 嘆須?《ナゲカスツマニ》
 事谷毛《コトダニモ》 告尓敍來鶴《ツゲニゾキツル》
 見《ミレバ・ミネバ》者苦弥《クルシミ》
 
【譯】牽牛星は、歎いている妻に、言葉だけでも告げに來たのだ。見ると苦しいので。
【釋】嘆須? ナゲカスツマニ。ナゲカスは嘆クの敬語法。
 見者苦弥 ミレバクルシミ。見ると苦しいのでというのは、變であるから、打消の字はないが、ミネバであるかもしれない。
【評語】牽牛星は、今はただおとずれをするだけに來たのだという内容で、七日の夕以外の夜について歌つている。これは第三者として、取り扱つている。
 
2007 ひさかたの 天《あま》つ印と、
 水無《みな》し河《がは》、 隔てて置きし
 神代し恨めし。
 
 久方《ヒサカタノ》 天印等《アマツシルシト》
 水無川《ミナシガハ》 隔而置之《ヘダテテオキシ》
 神世之恨《カミヨシウラメシ》
 
【譯】これが天のしるしだと、水の無い川を隔てに置いた神代がうらめしい。
【釋】天印等 アマツシルシト。これが天である特徴として。天の川の横たわつていることをいう。
 水無川 ミナシガハ。水の無い川。天の川をいう。天上の川だから水無シ川という。船で渡るという思想とは矛盾している表現である。
(150) 隔而置之 ヘダテテオキシ。牽牛と織女とのあいだに隔てておいた。
【評語】遠い神代に、天上でも天の川を隔てに置いたのだとしている。山川などが神代に作られたとする傳説を、天上にも持ち出したものである。これも七夕の傳説であるだけに、神代を出したのである。當事者に代つて詠んだ歌とも取れる。
 
2008 ぬばたまの 夜霧隱《よぎりがく》りに 遠くとも
 妹が傳《つて》言 早く告げこそ。
 
 黒玉《ヌバタマノ》 宵霧隱《ヨギリガクリニ》 遠鞆《トホクトモ》
 妹傳《イモガツテゴト》 速告與《ハヤクツゲコソ》
 
【譯】くらい夜の霧にこもつて遠いにしても、妻の傳言は早く告げてください。
【釋】宵霧隱 ヨギリガクリニ。ヨギリゴモリテ(西)。夜の霧の中に隱れて。
 妹傳 イモガツテゴト。
  イモシツタヘハ(元)
  イモガツカヒハ(代初)
  イモガツタヘハ(考)
  ――――――――――
  妹傳言《イモガツテゴト》(古義)
 妹からの傳えごとは。イモは織女星をさす。傳の字だけで、ツテゴトと讀むのだろう。
【評語】牽牛星に代つて詠んでいる。織女星のもとから使の來る場合を想像している。初二句に若干の描寫がある。早く妻の傳言を聞きたいと思う心は、相當に感じられる。
 
2009 汝《な》が戀ふる 妹の命《みこと》は、
 飽くまでに 袖|振《ふ》る見えつ。
(151) 雲|隱《がく》るまで。
 
 汝戀《ナガコフル》 妹命者《イモノミコトハ》
 飽足尓《アクマデニ》 袖振所v見都《ソデフルミエツ》
 及2雲隱1《クモガクルマデ》
 
【譯】あなたの思つている妻の君は、滿足するまでに袖を振つているのが見えた。あなたが雲に隱れて見えなくなるまで。
【釋】妹命者 イモノミコトハ。ミコトは、尊稱。妹の君は。
 飽足尓 アクマデニ。アクマデニ(元)、アキタリニ(童)。足は、「毎v日聞跡《ヒゴトニキケド》 不v足聲可聞《アカヌコヱカモ》」(卷十、二一五七)など、アク(飽)にあてて書いているものと見られるものがある。ここも飽足でアクにあてているのだろう。飽き足るまでに、滿足するまでに。
 及雲隱 クモガクルマデ。牽牛が遠ざかつて見えなくなるまで。
【評語】牽牛が別れ去つて遠ざかつて行くのに、別れを惜しんで織女が袖を振つている樣を詠んでいる。想像をほしいままにしているが、別離の情景は描かれている。
 
2010 夕星《ゆふづつ》も 通ふ天道《あまぢ》を、
 何時《いつ》までか、 仰ぎて待たむ。
 月人壯子《つくひとをとこ》
 
 夕星毛《ユフヅツモ》 往來天道《カヨフアマヂヲ》
 及2何時1鹿《イツマデカ》 仰而將v待《アフギテマタム》
 月人壯《ツクヒトヲトコ》
 
【譯】夕方の星の通う天の道を、何時までも仰いで待つていることか。月の男を。
【釋】夕星毛 ユフヅツモ。ユフヅツは、夕の星で、金星をいう。ユフは夕方、ツツは神靈の義。
 往來天道 カヨフアマヂヲ。アマヂは、天の通路。
 月人壯 ツクヒトヲトコ。月を擬人化している。
(152)【評語】七夕の夜の歌だが、牽牛織女の傳説には關係なく、月を待つ心が詠まれている。七日の月だから早く出ているはずだが、題詠化されてかような歌になつたのだろう。卷の十五にも七夕の歌と題して、「大船に眞楫しじ貫き海原を榜ぎ出て渡る月人をとこ」(卷十五、三六一一)という歌がある。
 
2011 天の河 い向かひ立ちて 戀ふとにし
 言《こと》だに告げむ。
 ?《つま》といふまでは。
 
 天漢《アマノガハ》 已向立而《イムカヒタチテ》 戀等尓《コフトニシ》
 事谷將v告《コトダニツゲム》
 ?言及者《ツマトイフマデハ》
 
【譯】天の川に向かい立つて戀うという事に、言葉だけでも告げよう。妻というまでは。
【釋】已向立而 イムカヒタチテ。ワレムキタチテ(元赭)。イは、接頭語。天の川に向かい立つて。
 戀等尓 コフトニシ。
  コフラクニ(元赭)
  コフルトニ(代精)
  ――――――――――
  戀樂爾《コフラクニ》(考)
  コヒムヨハ(古義)
 コフルトニと讀む場合、戀フル人ニの意とすれば、歌意には合うが、このようなト(人)の用例が見當らない。トを時の意とするのは、そのトは「夜之不深刀爾《ヨノフケヌトニ》」(卷十、一八二二)の如く、甲類のトであつて、乙類のトである等では適わない。そこで助詞と見るほかはなく、シを讀み添える。天ノ川イ向カヒ立チテ戀フまでを、トで受けて、かく言だに告げようの意となる。脇屋眞一君に、サカシラニの例によつてコヒシラニと讀むべきかとする案がある。
 事谷將告 コトダニツゲム。コトは言。
 ?言及者 ツマトイフマデハ。妻と決定するまでは。
(153)【評語】牽牛に代つて詠んでいる。訓法に問題が殘つていて、十分に鑑賞することができない。
 
2012 白玉《しらたま》の 五百《いほ》つ集ひを 解きも見ず、
 吾はかれかだぬ。
 逢はむ日待つに。
 
 水良玉《シラタマノ》 五百都集乎《イホツツドヒヲ》 解毛不v見《トキモミズ》
 吾者干可太奴《ワレハカレカダヌ》
 相日待尓《アハムヒマツニ》
 
【譯】白玉の澤山集まつている玉の緒を解いても見ないで、わたくしは別れることができません。逢う日を待つので。
【釋】水良玉五百都集乎 シラタマノイホツツドヒヲ。水は、シの音に使つている。「水長鳥《シナガドリ》」(卷九、一七三八)などの例がある。シラタマは、白玉で、よい珠玉。イホツツドヒは、多數の集まりで、それを緒につらぬいたもの。手足の装飾。
 解毛不見 トキモミズ。装身の玉の緒をも解きはずさないでで、衣裳を解いて寐ないのをいう。
 吾者干可太奴 ワレハカレカダヌ。カレ、別れる意の動詞。カダヌは、カダは可能の意の助動詞。その未然形に打消の助動詞ヌの接續したものと考えられる。このカダは、多く下二段活として使われているが、古くは四段であつたのだろう。「宇倍那宇倍那《ウベナウベナ》 岐美麻知賀多爾《キミマチガタニ》」(古事記二九)、「玉垂之《タマダレノ》 小簀之垂簾乎《ヲスノタレスヲ》 往褐《ユキガチニ》」(卷十一、二五五六)などの例は、これを證する。ヌは、古くは終止形もヌであつたと見られ、ここはその終止形である。織女の言なので、古風な語法を使つたのだろう。このまま別れることができない意。「君待難」(二〇〇四)も、キミマチガタニと讀むべきか。句切。
【評語】織女に代つて詠んでいる。織女星の風俗を描き、古風な語法によつて歌いなしている。
 
(154)2013 天の河 水|陰《かげ》草の、
 秋風に 靡かふ見れば、
 時は來にけり。
 
 天漢《アマノガハ》 水陰草《ミヅカゲグサノ》
 金風《アキカゼニ》 靡見者《ナビカフミレバ》
 時來々《トキハキニケリ》
 
【譯】天の川の水の陰に生えている草が、秋風に吹かれて靡くのを見ると、時節は來たことだ。
【釋】水陰草 ミヅカゲグサノ。ミヅカゲグサは、水邊に生えている草。ミヅカゲは「山川《ヤマガハノ》 水陰生《ミヅカゲニオフル》 山草《ヤマクサノ》」(卷十二、二八六二)と使われており、水のほとりをいうと思われる。そこに生えている草。
 金風 アキカゼニ。金を秋に當てているのは、五行の説による。
 時來々 トキハキニケリ。トキは、逢うべき時節。七月七日をいうので、秋風ニ靡カフと云つている。
【評語】天の川の風光を見て、秋の來たことを知る意である。風趣のある歌いぶりである。
 
2014 わが待ちし 秋はぎ咲きぬ。
 今だにも にほひに行かな。
 遠方人《をちかたびと》に。
 
 吾等待之《ワガマチシ》 白〓子開奴《アキハギサキヌ》
 今谷毛《イマダニモ》 尓寶比尓往奈《ニホヒニユカナ》
 越方人迩《ヲチカタビトニ》
 
【譯】わたしの待つていた秋ハギは咲いた。今だけでも色にあらわれて妻どいに行きたいものだ。あの川むこうの人に。
【釋】白〓子開奴 アキハギサキヌ。白は、五行の説により、秋に相當する色として、秋に使用している。下にも「白風《アキカゼ》」(二〇一六)とある。この句によつて、逢うべき時節のきたことを語つている。句切。
 尓寶比尓往奈 ニホヒニユカナ。ニホヒニは、色に美しく出ることで、表に出して妻どいに行く意に使つて(155)いる。ユカナは、願望の語法。句切。
 越方人迩 ヲチカタビトニ。越は字音假字。ヲチカタは、川のむこう岸。「己母理久乃《コモリクノ》 渡都世乃加波乃《ハツセノカハノ》 乎知可多爾《ヲチカタニ》 伊母良波多多志《イモラハタタシ》」(卷十三、三二九九、或本)。織女のもとにである。
【評語】時節の來たのを、秋ハギ咲キヌで描いたのは、事物に即しており、風情がある。ニホヒニはその縁で使用したのだろう。五句の留めも感じがよい。
 
2015 わが夫子《せこ》 うら戀ひをれば、
 天の河 夜船《よふね》榜《こ》ぐなる 楫《かぢ》の音聞ゆ。
 
 吾世子尓《ワガセコニ》 裏戀居者《ウラコヒヲレバ》
 天漢《アマノガハ》 夜船滂動《ヨブネコグナル》 梶音所v聞《カヂノオトキコユ》
 
【譯】あなたを心で思つていますと、天の川に、夜船を榜いで行く楫の音が聞えます。
【釋】裏戀居者 ウラコヒヲレバ。心中に戀うておれば。
 夜船滂動 ヨブネコグナル。滂は、水のさかんなのをいう形容の字だが、集中しばしば船を進める意に使つている。榜と通用したものであろう。(卷の九、一六七〇參照)。動は、人麻呂集には、ナルに使つている(佐竹昭廣氏)。ここは助動詞。この句は、牽牛星が夜船を漕いで訪れきたのである。連體句。
【評語】織女に代つて詠んでいる。牽牛の船を漕ぐ音が聞えてきたというだけの内容である。
 
2016 まけ長く 戀ふる心ゆ、
 秋風に 妹が音《おと》聞《きこ》ゆ。
 紐解きゆかな。
 
 眞氣長《マケナガク》 戀心自《コフルココロユ》
 白風《アキカゼニ》 妹音所v聽《イモガオトキコユ》
 紐解往名《ヒモトキユカナ》
 
【譯】時久しく思つている心によつて、秋風に妻の聲が聞える。著物の紐を解いて行こうよ。
(156)【釋】眞氣長 マケナガク。マは、接頭語。ケは、時間。
 戀心自 コフルココロユ。コフルココロシ(西)、コフルココロユ(代精)、コフココロカラ(童)、コフルココロニ(考)、コフルココロヨ(古義)。自は、ユともヨとも讀まれる。本集では、ヨの假字がきの例は、卷の十四以後に見えるだけであるから、ユと讀むによる。ここのユは、理由を示す。それによつて。
 白風 アキカゼニ。白は、五行説によつて秋に使つている。
 妹音所聽 イモガオトキコユ。イモガオトは、織女星の音信である。句切。
 ?解往名 ヒモトキユカナ。ヒモトクは、衣裳をとり亂して、うち解けてである。「紐解佐氣弖《ヒモトキサケテ》 多知婆志利勢武《タチバシリセム》」(卷五、八九六)。
【評語】秋風が吹いて、織女星の音信も來たよろこびが歌われている。前半は落ちついて説明しているが、それだけに五句の活躍的なのが、強い效果をあらわしている。
 
2017 戀ひしくは け長きものを、
 今だにも ともしむべしや。
 逢ふべき夜《よ》だに
 
 戀敷者《コヒシクハ》 氣長物乎《ケナガキモノヲ》
 今谷《イマダニモ》 乏牟可哉《トモシムベシヤ》
 可v相夜谷《アフベキヨダニ》
 
【譯】戀していたことは、時久しいものであるのに、今だけでも逢わないでいるべきではない。逢うべき夜だけでも。
【釋】戀敷者 コヒシクハ。コヒシクは、名詞。これを提示して、ケ長キモノヲで説明している。集中コヒシクに二種がある。甲は、形容詞戀シの副詞形で「伊麻能其等《イマノゴト》 古非之久伎美我《コヒシクキミガ》 於毛保要婆《オモホエバ》」(卷十七、三九二八)、「可久婆可里《カクバカリ》 古非之久安良婆《コヒシクアラバ》」(卷十九、四二二一)、「安比美受波《アヒミズハ》 古非之久安流倍之《コヒシクアルベシ》」(卷二十、四四(157)〇八)などの例はこれである。これは副詞としての用法に終止するもので、「伊加婆加利《イカバカリ》 故保斯苦阿利家武《コホシクアリケム》」(卷五、八七五)の如きコホシクとあるものの轉であると考えられる。「日本戀久《ヤマトコホシク》 鶴左波爾鳴《タヅサハニナク》」(卷三、三八九)、「杏人《モモヒトノ》 濱過者《ハマヲスグレバ》 戀布在奈利《コホシクアリナリ》」(卷九、一六八九)の戀久、戀布の如きは、同じ語法でコホシクと讀むべしと考えられる。これらは、名詞としての用法の無いものである。乙は、名詞として使用されるもので、動詞戀フに時の助動詞キの連體形、および助詞クの接續したものである。これは見シク、宿シク、思ヘリシクなどと同樣の語法によるもので、戀していることの意である。その例としては、「阿和雪《アワユキハ》 千重零敷《チヘニフリシク》 戀爲來《コヒシクノ》 食永我《ケナガキワレハ》 見偲《ミツツシノハム》」(卷十、二三三四)、「故非之久能《コヒシクノ》 於保加流和禮波《オホカルワレハ》」(卷二十、四四七五)の如き、これである。今の歌も、この乙の用法である。この二種は、もとコホシク、コヒシクで區別されていたと思われ、後に形容詞コホシがコヒシに轉じたので、今日、混同を感ずるに至つたものであろう。コヒシクの副詞の用例は新しい。
 氣長物乎 ケナガキモノヲ。ケは時間の經過。時久しいものであるのに。戀して來たのは、久しいあいだだのに。
 今谷 イマダニモ。今だけでもせめて。
 乏之牟可哉 トモシムベシヤ。トモシムは、不滿足にさせる。滿足させない。ベシヤは反語。可をベシに使用して、動詞の下に置いたのは、前にもあつたが、用字法上注意される。句切。
 可相夜谷 フフベキヨダニ。三句の、今ダニモを、語を變えて綴り返している。
【評語】どちらに代つたともいえないが、やはり牽牛星に代つて詠んでいるのだろう。五句に、三句の語を變えて繰り返しているのが、有效に響いている。
 
2018 天の河 去歳《こぞ》の渡《わた》りで 遷《うつ》ろへば
(158) 河瀬を蹈《ふ》むに 夜ぞ深《ふ》けにける。
 
 天漢《アマノガハ》 去歳渡代《コゾノワタリデ》 遷閉者《ウツロヘバ》
 河瀬於v蹈《カハセヲフムニ》 夜深去來《ヨゾフケニケル》
 
【譯】天の川は、去年の渡り場處が變わつたので、川瀬を蹈むのに、夜が更けてしまつた。
【釋】去歳渡代 コゾノワタリデ。ワタリデは、渡る場所で、デは接尾語。ワタリ場所は、川中に出た形なのでいうのであろう。「智破椰臂等《チハヤビト》 于〓能和多利珥《ウヂノワタリニ》 和多利涅珥《ワタリデニ》 多弖?《タテル》 阿豆瑳由瀰《アヅサユミ》 摩由瀰《マユミ》」(日本書紀四三)。去年の渡り場所。
 遷閉者 ウツロヘバ。出水などのために渡河すべき處の變わつた意である。
 河瀬於蹈 カハセヲフムニ。この歌では、徒渉するようになつている。
【評語】人間の世界にあるような變易が、天の川にもあるとしている。牽牛に代つて詠んでいるが、實生活のにおいが濃くさしている。
 
2019 古《いにしへ》ゆ 擧げてし服《はた》も 顧みず、
 天《あま》の河津《かはつ》に 年ぞ經《へ》にける。
 
 自v古《イニシヘユ》 擧而之服《アゲテシハタモ》 不v顧《カヘリミズ》
 天河津尓《アマノガハツニ》 年序經去來《トシゾヘニケル》
 
【譯】前々から取りあげておいた機も棄てて、天の河津で年を經てしまつた。
【釋】自古 イニシヘユ。イニシヘは、以前をいう。過去の意であるが、自分一身の上のことで、古代の意ではない。
 擧而之服 アゲテシハタモ。アゲテシコロモ(元)。アゲテシは、織ろうとして機上に擧げておいた意。
 天河津尓 アマノガハツニ。カハツは、河の船つき。牽牛の船のつくのを待つ心である。
 年序經去來 トシゾヘニケル。兩年に跨がつた意である。
【評語】織女が、機織りをも忘れて牽牛の來るのを待つ心が詠まれている。織女に代つて歌つているのだが、(159)敍事的に詠んでいるのは、本來の立場が出たのである。
 
2020 天の河 夜船《よぶね》を榜《こ》ぎて 明《あ》けぬとも、
 逢はむと念ふ夜《よ》、 袖かへずあらむ。
 
 天漢《アマノガハ》 夜船滂而《ヨブネヲコギテ》 雖v明《アケヌトモ》
 將v相等念夜《アハムトモフヨ》 袖易受將v有《ソデカヘズアラム》
 
【譯】天の川に、夜船を漕いで夜が明けても、逢おうと思う夜は、袖を變えないで、そのままにいよう。
【釋】夜船滂而 ヨブネヲコギテ。滂は、既出。元暦校本等、傍に作つている本もあるが、傍は誤りであろう。牽牛星が、夜船を漕いでいるのである。
 袖易受將有 ソデカヘズアラム。袖を易えるは、男女共に寐る敍述であるが、ここはそれでは通じない。ただ衣服を改めるというほどの意に云つているのだろう。
【評語】牽牛星になつて詠んでいる。逢おうための勞苦が歌われている。
 
2021 遠妻《とほづま》と 手枕|交《か》へて 寐たる夜は、
 鷄《とり》が音《ね》な動《な》き。
 明《あ》けば明《あ》けぬとも。
 
 遙※[女+莫]等《トホヅマト》 手枕易《タマクラカヘテ》 寐夜《ネタルヨハ》
 ?音莫動《トリガネナナキ》
 明者雖v明《アケバアケヌトモ》
 
【詳】遠方にいる妻と、手枕をかわして寐た夜は、ニワトリは鳴くな、夜が明けるなら明けても。
【釋】遙※[女+莫]等 トホヅマト。※[女+莫]は、醜女の義の字で、どうして此處に使用されたか不明である。代匠記に?の誤り、考に媛の誤り、略解に嬬の誤りとしているが、いずれが是なるかを知らない。トホヅマは、遠方にいる妻、ここは織女。
 ?音莫動 トリガネナナキ。トリガネは、?が音で、ニワトリのこと。ガネ、接尾語的な用法。動は、ナキ(160)にあてている。(萬葉集大成)。
 明者雖明 アケバアケヌトモ。アケヌトモの下に、ヨシの如き語が省略されている。
【評語】牽牛に代わつて詠んでいる。?の聲を惡むのは、逢つた夜の歌の常套手段である。
 
2022 相見らく 飽《あ》き足らねども、
 いなのめの 明け行きにけり。
 船出《ふなで》せむ?《つま》。
 
 相見久《アヒミラク》 ※[厭のがんだれなし]雖v不v足《アキタラネドモ》
 稻目《イナノメノ》 明去來理《アケユキニケリ》
 舟出爲牟?《フナデセムツマ》
 
【譯】逢つていることは、飽き足らないけれども、東の空が明けてしまつた。船を出そうよ。わが妻よ。
【釋】相見久 アヒミラク。あい見ることは。
 稻目 イナノメノ。イナノメは、「秋柏《アキガシハ》 潤和川邊《ウルワカハベノ》 細竹目《シノノメノ》 人不2顔面1《ヒトニハアハジ》 公無勝《キミニアヘナク》」(卷十一、二四七八)、「朝柏《アサカシハ》 閏八河邊之《ウルヤカハベノ》 小竹之眼笶《シノノメノ》 思而宿者《シノビテヌレバ》 夢所v見來《イメニミエケリ》」(同、二七五四)のシノノメと同じく、明け行く東の空をいう。これらの語をあらわす字に、稻目、細竹目、小竹之眼の字を使つているのは、多少の意味を感じているのだろう。それは東方の明けゆく空が、まず細く白むのを、稻、または小竹の眼に比していうのだろう。但し眼は、興味によつていうので、本義は、芽であろう。
 舟出爲牟? フナデセムツマ。フナデセムで切れる。ツマは呼びかけている。
【評語】牽牛に代わつて詠み、情誼をつくしている。分かち難い袖を分かつ氣もちが窺われる。
 
2023 さ宿《ね》そめて 幾何《いくだ》もあらねば、
 白栲の 帶乞ふべしや。
 (161)戀もすぎねば。
 
 左尼始而《サネソメテ》 何太毛不v在者《イクダモアラネバ》
 白栲《シロタヘノ》 帶可v乞哉《オビコフベシヤ》
 戀毛不v過者《コヒモスギネバ》
 
【譯】寐はじめてまだ何ほどもないのに、白い帶を求めるべきではありません。戀も過ぎないのに。
【釋】何太毛不在者 イクダモアラネバ。アラネバは、あらぬに。
 白栲 シロタヘノ。白い織布の。
 帶可乞哉 オビコフベシヤ。牽牛の解き捨てた帶を乞うべきではない。句切。
 戀毛不過者 コヒモスギネバ。コヒは、今までの久しい戀。スギネバは、通り過ぎないのに。
【評語】織女の別れを惜しむ心が、露骨な表現でなされている。二句と五句に重ねてネバを使つたのも、この場合は、内容が違うだけに、かえつて耳ざわりになる。
 
2024 萬世《よろづよ》に 携《たづさ》はり居《ゐ》て 相見とも、
 念ひ過ぐべき 戀にあらなくに。
 
 萬世《ヨロヅヨニ》 携手居而《タヅサハリヰテ》
 相見鞆《アヒミトモ》
 念可v過《オモヒスグベキ》 戀尓有莫國《コヒニアラナクニ》
 
【譯】永久につれ立つて逢つていても、思い過ぎてしまうような戀ではないのだ。
【釋】携手居而 タヅサハリヰテ。手を携えて共にいて。
 相見鞆 アヒミトモ。動詞見ルが、助詞トモに接して、本集では、ミトモの形を作る。「美等母安久倍伎《ミトモアクベキ》 宇良爾安艮奈久爾《ウラニアラナクニ》」(卷十八、四〇三七)。
 念可過 オモヒスグベキ。思い過ぎ去るべき、思わなくなるような。
【評語】特に七夕の歌とするほどの特色が無い。人間相互の中でもいうべき所だ。すべて概念的に説明しているが、表現は強く出ている。
【參考】類句、念ひ過ぐべき戀にあらなくに。
(162)  明日香川川淀さらず立つ霧の念ひ過ぐべき戀にあらなくに(卷三、三二五)
 
2025 萬世に 照るべき月も、
 雲|隱《がく》り 苦しきものぞ。
 逢はむと念《おも》へど。
 
 萬世《ヨロヅヨニ》 可v照月毛《テルベキツキモ》
 雲隱《クモガクリ》 苦物敍《クルシキモノゾ》
 將v相登雖v念《アハムトオモヘド》
 
【譯】永久に照るべき月でも、雲に隱れて苦しいものです。逢おうと念うのだけれども。
【釋】苦物敍 クルシキモノゾ。月が雲に隱れて苦しいものであるよ。句切。
 將相登雖念 アハムトオモヘド。月が出ようと思うことと、自分たちの逢いたいと思うことをかけている。
【評語】これも月を譬喩に借りているだけで、七夕の歌としての特色が無い。しかし月の立場を引いて説明しているのは丁寧で、牽牛の立場がよくわかる。
 
2026 白雲の 五百重隱《いほへがく》りて 遠けども、
 夜《よひ》去《さ》らず見む。
 妹があたりは。
 
 白雲《シラクモノ》 五百遍隱《イホヘガクリテ》 雖v遠《トホケドモ》
 夜不v去將v見《ヨヒサラズミム》
 妹當者《イモガアタリハ》
 
【譯】白雲の幾重もに隱れて遠いけれども、夜ごとに見よう。わが妻の住むあたりは。
【釋】白雲五百遍隱 シラクモノイホヘガクリテ。白雲の五百重であるのに隱れて。遠くであることを説明する句。
 夜不去將見 ヨヒサラズミム。ヨヒサラズは、初夜ごとに。句切。
【評語】雲に隱れて遠いということは、人家の遠いことにもいうが、この歌の仰山な言い方は、さすがに天上(163)の戀らしい。夜ごとに、妹のいる方を眺めようというのである。
 
2027 わがためと、
 織女《たなばたつめ》の、その屋戸《やど》に 織る白布《たへ》は、
 織りてけむかも。
 
 爲v我登《ワガタメト》
 織女之《タナバタツメノ》 其屋戸尓《ソノヤドニ》 織白布《オルシロタヘハ》
 織弖兼鴨《オリテケムカモ》
 
【譯】織女がその宿で織る白布は、わたしのためにと織つたのだろうか。
【釋】爲我登 ワガタメト。わが料として織りてけむかと五句に續く。
 織女之 タナバタツメノ。倭名類聚鈔「織女、兼名苑(ノ)注(ニ)云(フ)、織女和名太奈波太豆女牽牛(ノ)疋也《ツマナリ》。」タナバタは、機織の具をいう。ツは助詞、メは女性。
【評語】初句がすぐに二句に續かないで、句を隔てて五句に續くのは、歌いものには見られない所で、既に文筆作品として音を埋めて行く方面の發達した證左である。人麻呂集所出の歌に、「わがため裁《た》たばやや大《おほ》に裁て」(卷七、一二七八)という歌があるが、同樣の構想である。
 
2028 君に逢はず 久しき時ゆ 織り服たる
 白たへ衣《ごろも》、 垢《あか》づくまでに。
 
 君不v相《キミニアハズ》 久時《ヒサシキトキユ》 織服《オリキタル》
 白栲衣《シロタヘゴロモ》 垢附麻弖尓《アカヅクマデニ》
 
【譯】あなたにお目にかからないで、久しい時のあいだを織つて著ている、白い織物の著物は、垢がつくまでになりました。
【釋】久時 ヒサシキトキユ。ユに當る字は無いが讀み添える。長い時間のあいだ。
 織服 オリキタル。オリキタル(元)、オルハタノ(童)、オリテキシ(考)。みずから織つて著ている。
(164) 垢附麻弖尓 アカヅクマデニ。この下に、なりぬの如き語が省略されている。
【評語】衣服の垢づくことによつて、久しい時を表現する歌は多い。これも作者の體驗から出發している作だ。三句オルハタノとすると織女が機織を怠つていることになり、また句の續きもおもしろくない。
 
2029 天の河 楫《かぢ》の音聞ゆ。
 彦星と 織女《たなばたつめ》と、今夕《こよひ》逢《あ》ふらしも。
 
天漢《アマノガハ》 梶音聞《カヂノオトキコユ》
 
孫星《ヒコボシト》 與2織女1《タナバタツメト》 今夕相霜《コヨヒアフラシモ》
 
【譯】天の川に楫の音が聞える。牽牛星と織女星とが、今夜逢うらしい。
【釋】孫星 ヒコボシト。孫星は、彦星をあらわすために借りて書いている。倭名類聚鈔「牽牛、爾雅(ノ)注(ニ)云(フ)、牽牛、一名河鼓和名比古保之、一云以收加比保之。」
【評語】第三者として詠んでいる。天の川に楫の音が聞えるというのは、天の川の附近にいるものとして詠んでいる。七夕の歌としては、すなおな所がよい。
 
2030 秋されば 河ぞ霧らへる。
 天の川 河に向かひ居《ゐ》て
 戀ふる夜多し。
 
 秋去者《アキサレバ》 川霧《カハゾキラヘル》
 天川《アマノガハ》 河向居而《カハニムカヒヰテ》
 戀夜多《コフルヨオホシ》
 
【譯】秋になると川に霧が立つている。天の川の川に向つていて戀うる夜が多い。
【釋】川霧 カハゾキラヘル。
  カハキリタチテ(元)
  ――――――――――
  河霧立《カハギリタチテ》(代精)
  河霧渡《カハギリワタル》(代精)
(165)  河霧立《カハギリタテル》(古義)
  河霧々《カハギリキラス》(新考)
 何分川霧の二字だけなので、訓讀に苦しみ、脱字説もある。句切。
 戀夜多 コフルヨオホシ。コフルヨゾオホキ(類)。コフルヨゾオホキの句は「一起居而《ヒトリオキヰテ》 戀夜曾大寸《コフルヨゾオホキ》」(卷十、二二六二)の例がある。ゾを讀み添えるか否かの問題になるが、讀み添えるのは、やむを得ぬに出るものであるから、讀み添えないで讀まれるものは、そのまま文字に即して讀むべきである。
【評語】川の語が三出しているが、それだけの效果があるとも見えない。霧のかかつた川に向かつて戀う夜の多くかさなることには、風趣がないわけでもない。織女に代つて詠んでいる。
 
2031 よしゑやし 直《ただ》ならずとも、
 ぬえ鳥の うら嘆《な》け居《を》りと
 告げむ子もがも。
 
 吉哉《ヨシヱヤシ》 雖v不v直《タダナラズトモ》
 奴延鳥《ヌエドリノ》 浦嘆居《ウラナケヲリト》
 告子鴨《ツゲムコモガモ》
 
【譯】よしや直接でないにしても、ぬえ鳥のように心に嘆いていると、告げる子も欲しいなあ。
【釋】吉哉 ヨシヱヤシ。ヨシを感動をつけていう語。
 雖不直 タダナラズトモ。タダは直接。直接に逢うのでなくとも。
 奴延鳥 ヌエドリノ。枕詞。
 浦嘆居 ウラナケヲリト。心に泣かれていると。奴延鳥之《ヌエドリノ》 裏歎座津《ウラナケマシツ》」(卷十、一九九七)參照。
 告子鴨 ツゲムコモガモ。コは、使に行くような人。
【評語】織女に代つて詠んでいる。せめて音信をだに通じたいという、こがれる心が歌われている。ヨシヱヤ(166)シを使つて、かなり感動が表示されている。
 
2032 一年に 七夕《なぬかのよ》のみ 逢ふ人の、
 戀も過ぎねば、夜《よ》はふけゆくも。
 
 一年迩《ヒトトセニ》 七夕耳《ナヌカノヨノミ》 相人之《アフヒトノ》
 戀毛不v過者《コヒモスギネバ》 夜深往久毛《ヨハフケユクモ》
 
【譯】一年に七日の夜だけ逢う人の、戀も過ぎ去らないのに、夜が更けて行くことだ。
【釋】戀毛不過者 コヒモスギネバ。スギネバは、通過し去らないのに。
【評語】第三者の立場で詠んでいる。七日の夜の更け行くのを悲しんでいる。七日の夜の作としてすなおな歌である。
 
一云、不v盡者《ツキネバ》 佐宵曾明尓來《サヨゾアケニケル》
 
一は云ふ、盡きねば さ夜ぞ明けにける。
 
【釋】不盡者佐宵曾明尓來 ツキネバサヨゾアケニケル。前の歌の第四句の後半からの別傳であるが、句の途中から別傳を記したのは珍しい。第三者の歌としては、本文の方がよい。第三句までは第三者の立場だから、四五句もこれに適應すべきである。
 
2033 天の河 安の川原に 定まりて、
 神し競《きほ》へば 年待たなくに。
 
 天漢《アマノガハ》 安川原《ヤスノカハラニ》 定而《サダマリテ》
 神競者《カミシキホヘバ》 磨待無《トシマタナクニ》
 
【譯】天の川の安の川原できまつて、神が氣負つてする戀は、年を待たないことだ。
【釋】天漢安川原 アマノガハヤスノカハラニ。ヤスノカハラは、天の川の地名とされる。「安渡丹《ヤスノワタリニ》」(卷十、(167)二〇〇〇)參照。そこは神々の集まつて事を議《はか》る處とされていた。
 定而 サダマリテ。牽牛織女の二星が、天の川を隔てていることと定まつたというのだろう。この歌は、四五句が難解なのだから、とにかく以上を決定しておかないと、一層四五句の訓法がむずかしくなる。
 神競者磨待無 カミシキホヘバトシマタナクニ。
  ココロクラベハトキマタナクニ(元)
  カガミクラベハトグモマタナク(代初)
  カミツツドヒハトキマタナクニ(考)
  カンツツドヒハトキマタナクニ(略)
  ――――――――――
  神競者禁時無《カミノツドヒハイムトキモナク》(古義)
  神競者度時無《カミノキホヘバワタルトキナシ》(新考)
 神は、カミ、ココロ、クスシなど讀まれる。ココロと讀むのは「大夫之《マスラヲノ》 聰神毛《サトキココロモ》 今者無《イマハナシ》」(卷十二、二九〇七)の一例があるのみだから、カミと讀むのが順當である。競は、クラブ、ツドフと讀むことは、集中に證明が無く、常にキホフと讀まれている。磨を時の借字とする説が多いが、磨ぐは、力行濁音に活用するので、トキに當てるのは無理である。むしろトシとして年に當つべきであろう。そこでカミシキホヘバトシマタナクニの訓を得たが、これは牽牛織女の二星の心がはやるので、一年に一度の會合の期を待たないの意とする。七夕の傳説に對しては無理だが、この作者の若年の頃の作として、しばらくかように釋することとする。
【評語】四五句が難訓なので、評も下し難い。上三句の訓から云えば、神代以來の事だという意味かも知れないが、今如何ともする由がない。
 
此歌一首、庚辰年作之
 
この歌一首は庚辰の年に作れる。
 
(168)【釋】庚辰年 カノエタツノトシ。天武天皇の九年と推考される。人麻呂歌集のうち、年代の記されている唯一の例であり、人麻呂關係の年代としては最古である。多分人麻呂の事蹟を語るものとして解してよいであろう。
 
右、柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
【釋】右 ミギハ。以上七夕の歌三十八首をさす。人麻呂の歌集に、かように七夕の歌が多數にあることは、この傳説と共に、その夜の行事が既に行われていたことを示すものとして意義が多い。
 
2034 棚機の 五百機《いほはた》立てて 織る布《ぬの》の、
 秋さり衣《ごろも》、 誰《たれ》か取り見む。
 
 棚機之《タナバタノ》 五百機立而《イホハタタテテ》 織布之《オルヌノノ》
 秋去衣《アキサリゴロモ》 孰取見《タレカトリミム》
 
【譯】織女星が澤山の機を立てて織る布で作る秋になつて著る書物は、誰が手にするのだろう。
【釋】棚機之 タナバタノ。タナバタは、タナバタツメ、織女をいう。
 五百機立而 イホハタタテテ。ハタは、布を織る道具をいい、また織つた布をもいう。栲幡千千姫《タクハタチチヒメ》、栲幡千幡姫《タクハタチハタヒメ》(日本書紀卷二)のチハタの如きは、多數の織布の幡旗の意である。ここにイホハタというのは、機上の經驗の多いことなどをいうのであろう。
 秋去衣 アキサリゴロモ。秋になつて著る衣服。秋の衣服。
 孰取見 タレカトリミム。トリミルは、ここでは、手に取り見る意。誰の料だろう、すなわち牽牛の料だの意。
【評語】五百機、秋サリ衣など、美しい語が用いられている。形もよく整つている。
 
(169)2035 年にありて 今か纏《ま》くらむ。
 ぬばたまの 夜霧隱《よぎりがく》りに
 遠妻《とほづま》の手を。
 
 年有而《トシニアリテ》 今香將v卷《イマカマクラム》
 烏玉之《ヌバタマノ》 夜霧隱《ヨギリガクリニ》
 遠妻手乎《トホヅマノテヲ》
 
【譯】一年のうちで、今こそ纏いているだろうか。くらい夜の霧にこもつて、遠方に住む妻の手を。
【釋】年有而 トシニアリテ。一年のうちにあつて。「等之爾安里弖《トシニアリテ》 比等欲伊母爾安布《ヒトヨイモニアフ》 比故保思母《ヒコボシモ》」(卷十五、三六五七)、「夜干玉之《ヌバタマノ》 黒馬之來夜者《クロマノクルヨハ》 年爾母有糠《トシニモアラヌカ》」(卷四、五二五)。
 遠妻手乎 トホヅマノテヲ。トホヅマは、遠方にいる妻、織女星。
【評語】牽牛星の喜びを思いやつて詠んでいる。夜霧ガクリニの句が、具體的によく説明している。
 
2036 わが待ちし 秋は來《きた》りぬ。
 妹と吾《われ》 何事あれぞ 紐解かざらむ。
 
 吾待之《ワガマチシ》 秋者來沼《アキハキタリヌ》
 妹與吾《イモトワレ》 何事在曾《ナニゴトアレゾ》 紐不v解在牟《ヒモトカザラム》
 
【譯】わたしの待つていた秋は來た。妻とわたしとは、何事があつて、著物の紐を解かないでいるのだろう。
【釋】何事在曾 ナニゴトアレゾ。ナニゴトアレバゾで、疑問の條件法になる。これは「奈爾須禮曾《ナニスレゾ》 波々登布波奈乃《ハハトフハナノ》 佐吉泥己受祁牟《サキデコズケム》」(卷二十、四三二三)のナニスレゾと同樣の語法で、何事があつてかの意になる。
 ?不解在牟 ヒモトカザラム。紐を解かないでいるのだろうと歎いている。
【評語】四五句の云いぶりの強い歌である。五句の官能的なのが、きわどい感じを與えている。
 
(170)2037 年の戀 今夜《こよひ》つくして、
 明日よりは 常の如くや、
 わが戀ひ居《を》らむ。
 
 年之戀《トシノコヒ》 今夜盡而《コヨヒツクシテ》
 明日從者《アスヨリハ》 如v常哉《ツネノゴトクヤ》
 吾戀居牟《ワガコヒヲラム》
 
【譯】一年の戀を、今夜盡して、明日からは、いつものようにか、わたしが思つていることだろう。
【釋】年之戀 トシノコヒ。一年間の戀。トシは、穀物の一收穫をいう語なので、これだけで一年の意になる。
【評語】牽牛織女いずれの歌とも取れる。さしもに長い戀を今夜つくして、またその長い戀に移る辛勞が同情されている。
 
2038 逢はなくは け長きものを、
 天の河 隔ててまたや、
 わが戀ひ居らむ。
 
 不v合者《アハナクハ》 氣長物乎《ケナガキモノヲ》
 天漢《アマノガハ》 隔又哉《ヘダテテマタヤ》
 吾戀將v居《ワガコヒヲラム》
 
【譯】逢わないことは、時久しく思われるものだのに、天の川を隔てて、またかわたしが思つていることだろう。
【釋】不合者 アハナクハ。アハナクは、逢わないこと。
 氣長物乎 ケナガキモノヲ。時久しいものだのに。ケナガクは、時の長くあるのをいう形容。しばしば出た。
【評語】前の歌と同じ内容が取り扱われている。逢つてから後のつらさが、しみじみと感じられている表現である。
 
(171)2039 戀しけく け長きものを、
 逢ふべくある 夕《よひ》だに、君が
 來《き》まさざるらむ。
 
 戀家口《コホシケク》 氣長物乎《ケナガキモノヲ》
 可v合有《アフベクアル》 夕谷君之《ヨヒダニキミガ》
 不2來益1有良武《キマサザルラム》
 
【譯】戀しいことは、時久しく思われるものだのに、逢うことのできる夜でも、君がおいでにならないのだろうか。
【釋】戀家口 コホシケク。戀しくあること。形容詞戀シに、助詞クが接續して、その體言を作つている。
 不來左有良武 キマサザルラム。推量の語法であるが、疑問の意を含んでいる。
【評語】その夜、織女の待ち遠しく思う心が詠まれている。焦慮の情がよく寫されている。前出の、「戀ひしくはけ長きものを今だにもともしむべしや。逢ふべき夜だに」(卷十、二〇一七)の内容に同じで、それほどに強くは云つていない。
 
2040 牽牛《ひこぼし》と 織女《たなばたつめ》と 今夜《こよひ》逢ふ
 天の河門に 波立つな、ゆめ。
 
 牽牛《ヒコボシト》 與2織女1《タナバタツメト》 今夜相《コヨヒアフ》
 天漢門尓《アマノガハトニ》 浪立勿謹《ナミタツナユメ》
 
【譯】牽牛星と、織女星と今夜逢う天の川の渡り場處に、波は立つてはいけない。
【釋】天漢門尓 アマノガハトニ。天の川の川門に。カハトは、川の、門戸のようになつて川渡りする場處をいう。「天漢《アマノガハ》 河門八十有《カハトヤソアリ》 何爾可《イヅクニカ》 君之三船乎《キミガミフネヲ》 吾待將v居《ワガマチヲラム》」(卷十、二〇八二)。
【評語】第三者として、二星の戀に同情して詠んでいる。波立ツナユメは、慣用句である。
 
2041 秋風の 吹きただよはす 白雲は、
(172) 織女《たなばたつめ》の 天つ領巾《ひれ》かも。
 
 秋風《アキカゼノ》 吹漂蕩《フキタダヨハス》 白雲者《シラクモハ》
 織女之《タナバタツメノ》 天津領巾毳《アマツヒレカモ》
 
【譯】秋風が吹きただよわしている白い雲は、織女星の領巾だろうか。
【釋】天津領巾毳 アマツヒレカモ。織女星の領巾を、天ツ領巾と云つている。人界の物でない感じの表現である。
【評語】七夕の夜に、天上を仰いで、秋風にひるがえる白雲を見て、織女星の領巾に思い寄せている。優雅な風懷、七夕の歌中、稀に見る佳作である。雲を領巾にたとえることは、「白栲の天領巾がくり、鳥じもの朝立ちいまして」(卷二、二一〇)など、先行の歌があるが、それらにもとづいたものとしても、この歌の境地は、それから轉じて清新なものを與えている。
 
2042 しばしばも 相見ぬ君を、
 天の河 舟出早せよ。
 夜《よ》の深《ふ》けぬまに。
 
 數裳《シバシバモ》 相不v見君矣《アヒミヌキミヲ》
 天漢《アマノガハ》 舟出速爲《フナデハヤセヨ》
 夜不v深間《ヨノフケヌマニ》
 
【譯】度々は見ない君だのに、天の川の船出を早くなさい。夜の更けないうちに。
【釋】數裳 シバシバモ。度々重ねても。
【評語】織女の待つている心を詠んでいる。牽牛星に船出を早くせよというのであるが、心に思うことを述べているので、直接に聲をかけているのではない。焦慮の氣もちが相當によく出ている。
 
2043 秋風の 清き夕べに
 天の河 舟|榜《こ》ぎ渡る。
(173) 月人壯子《つくひとをとこ》。
 
 秋風之《アキカゼノ》 清夕《キヨキユフベニ》
 天漢《アマノガハ》 舟滂度《フネコギワタル》
 月人壯子《ツクヒトヲトコ》
 
【譯】秋風の清らかな夕方に、天の川に、船を漕いで渡つて行く。月の男よ。
【釋】舟滂度 フネコギワタル。終止句とも、連體句とも解せられる。五句に月人ヲトコと置いた例歌にも兩樣のものがあつて決し難い。古格をいえば、終止とするに傾かれる。
【評語】七夕の夜、月を見て詠んでいる。二星に關しない、かような歌も例のあることで、その夜の風趣を歌つているのである。月を船にたとえることは、漢文學以來のことで、これも例が多い。
 
2044 天の河 霧立ち渡り、
 牽牛《ひこぼし》の 楫《かぢ》の音聞ゆ。
 夜の深けゆけば。
 
 天漢《アマノガハ》 霧立度《キリタチワタリ》
 牽牛之《ヒコボシノ》 楫音所v聞《カヂノオトキコユ》
 夜深往《ヨノフケユケバ》
 
【譯】天の川に霧が立ち渡り、牽牛星の船こぐ音が聞える。夜が更けて行つたので。
【釋】霧立度 キリタチワタリ。牽牛が船を漕ぐのに催されて、天の川の川霧が立つのである。
【評語】第三者として、天の川に楫の音の聞えることを詠んでいる。七夕の歌としては、一通りの推量の歌である。
 
2045 君が舟 今|榜《こ》ぎ來《く》らし。
 天の河 霧立ち渡る。
 この川の瀬に。
 
 君舟《キミガフネ》 今滂來良之《イマコギクラシ》
 天漢《アマノガハ》 霧立度《キリタチワタル》
 此川瀬《コノカハノセニ》
 
(174)【譯】君の船は今漕いでくるらしい。天の川に霧が立ち渡つている。この天の川の瀬に。
【釋】君舟 キミガフネ。牽牛星の船を、織女の立場で云つている。
【評語】天の川の夜霧の中を、牽牛の船の漕いでくる樣を推量している。牽牛の船を漕ぐにつれて、一むらの川霧の湧き起る風情は、作者の經驗が物を言つている。
 
2046 秋風に 河浪立ちぬ。
 しましくは 八十の舟津《ふなつ》に
 御舟《みふね》とどめよ。
 
 秋風尓《アキカゼニ》 河浪起《カハナミタチヌ》
 暫《シマシクハ》 八十舟津《ヤソノフナツニ》
 三舟停《ミフネトドメヨ》
 
【譯】秋風に河の浪が立つた。しばらくは、あちこちの船つきで、御船をおとめなさい。
【釋】八十舟津 ヤソノフナツニ。ヤソは多數、フナツは、舟どまりをする處。天の川に八十の舟津ありとし、そのいずれかにの意。
【評語】織女が、牽牛の船の浪に逢うのを危んでいる心である。天人の歌だから、先方に通じるのかも知れないが、そういう距離などを顧みないで、心を歌つていると見ればよい。
 
2047 天の河 川|音《おと》清《さや》けし。
 牽牛《ひこぼし》の 秋|榜《こ》ぐ船の 浪のさわきか。
 
 天漢《アマノガハ》 河聲清之《カハオトサヤケシ》
 牽牛之《ヒコボシノ》 秋滂船之《アキコグフネノ》 浪※[足+參]香《ナミノサワキカ》
 
(175)【譯】天の川の川音がさやかだ。牽牛星の秋になつて漕ぐ船の浪の物音だろうか。
【釋】秋滂船之 アキコグフネノ。七月七日の夜に漕ぐ船の。
 浪※[足+參]香 ナミノサワキカ。※[足+參]は、躁に同じ。騷がしい意。
【評語】川の音のするを、牽牛の船を漕ぐによつてできる浪の音かとしている。第三者の立場で詠んでいるが、想像がすこし行き過ぎている。
 
2048 天《あま》の河《がは》 河門《かはと》に立ちて わが戀ひし
 君|來《き》ますなり。
 紐解き待たむ。
 
 天漢《アマノガハ》 河門立《カハトニタチテ》 吾戀之《ワガコヒシ》
 君來奈里《キミキマスナリ》
 紐解待《ヒモトキマタム》
 
(176)【譯】天の川の河門に立つて、わたしの思つていた君がおいでになるのだ。著物の紐を解いて待とう。
【釋】河門立 カハトニタチテ。カハトは既出。渡りをする處。ワガ戀ヒシを修飾している。
 吾戀之 ワガコヒシ。過去の事として敍している。
【評語】五句が露骨である。一體に風趣を缺くのは説明に過ぎているからである。「天の川あひ向き立ちてわが戀ひし君來ますなり。紐解きまけな」(卷八、一五一八、山上の憶良)と同歌と云つてもよい。その一座した七夕の歌が、作者を失して收められているのだろう。
 
一云、天河《アマノガハ》 川向立《カハニムキタチ》
 
一は云ふ、天の河 川に向き立ち。
 
【釋】天河川向立 アマノガハカハニムキタチ。前の歌の初二句の別傳であるが、これは曲がない。本文の方が河門を出しただけに生き生きとしている。
 
2049 天の河 河門《かはと》に坐《を》りて
 年月を 戀ひ來《こ》し君に、
 今夜《こよひ》逢へるかも。
 
 天漢《アマノガハ》 河門座而《カハトニヲリテ》
 年月《トシツキヲ》 戀來君《コヒコシキミニ》
 今夜會可母《コヨヒアヘルカモ》
 
【譯】天の川の河門にいて、年月のあいだ戀して來たあなたに、今夜逢つたことですね。
【釋】年月 トシツキヲ。年月のあいだを。長いあいだ。
【評語】織女星に代つて詠んでいる。説明的で、逢つた喜びが端的に汲み取れない。ほんとの當事者の歌でないからである。
 
(177)2050 明日よりは わが玉|床《どこ》を うち拂ひ、
 公と宿《ね》ずして ひとりかも寐《ね》む。
 
 明日從者《アスヨリハ》 吾玉床乎《ワガタマドコヲ》 打拂《ウチハラヒ》
 公常不v宿《キミトネズシテ》 孤可母寐《ヒトリカモネム》
 
【譯】明日からは、わたしの床を掃除をして、あなたとは寐ないで、ひとりでか寐ることでしよう。
【釋】吾玉床乎 ワガタマドコヲ。タマドコは、床をほめていう。天人の床なので、自稱の語にも、その美稱が出たのである。「玉床之《タマドコノ》 外向來《ホカニムキケリ》 妹木枕《イモガコマクラ》」(卷二、二二ハ)。
 打拂 ウチハラヒ。塵を拂つて。
【評語】逢つてからの後のさびしさを思いやつて詠んでいる。織女に代つて詠み、天人のひとり寐の樣を想像している。四句は、蛇足である。
 
2051 天の原 往きてを射むと、
 白檀弓《しらまゆみ》 ひきて隱せり。
 月人壯子《つくひとをとこ》
 
 天原《アマノハラ》 往射跡《ユキテヲイムト》
 白檀《シラマユミ》 挽而隱在《ヒキテカクセリ》
 月人壯子《ツクヒトヲトコ》
 
【譯】天の原で、行つて射ようとして、白檀弓を引いて隱している。月の男は。
【釋】往射跡 ユキテヲイムト。
  ユキテヤイムト(類)
  ユキテヤトハン(西)
  ユキテイヌルト(童)
  ユクテニイント(考)
(178)  ユクユクイムト(略)
  ユキテヲイムト(新訓)
  ――――――――――
  往哉射跡《ユキテヤイルト》(代精)
  注射跡《サシテヤイルト》(古義、中山嚴水)
  何射跡《ナニヲイムトカ》(新考)
 字がすくなく書かれており、何かを補讀しなければならない。ヤの如きは、文字を省くことがすくないのだから、ヲを補うのが順序だろう。
 白檀 シラマユミ。月を弓にたとえている。
【評語】これも月の歌で、二星の傳説には、關係は無い。月を弓にたとえることも類型的だが、表現に特色がある。
 
2052 このゆふべ 零《ふ》り來《く》る雨は、
 彦星の 早《はや》榜《こ》ぐ船の 櫂《かい》の散沫《ちり》かも。
 
 此夕《コノユフベ》 零來雨者《フリクルアメハ》
 男星之《ヒコボシノ》 早滂船之《ハヤコグフネノ》
 賀伊乃散鴨《カイノチリカモ》
 
【譯】この夕方に降つてくる雨は、牽牛星がいそいで漕ぐ船の櫂の飛沫だろうか。
【釋】早滂船之 ハヤコグフネノ。ハヤは、急いで。
 賀伊乃散鴨 カイノチリカモ。櫂によつて生じた水の散つたのか。チリは、散つたもの。飛沫。
【評語】七夕の夜の雨を詠んでいる。想像力が働いている。「わが上に露ぞおくなる。天の川とわたる舟の櫂のしづくか」(古今和歌集、伊勢物語)。
 
2053 天の河 八十瀬《やそせ》霧《き》らへり。
 彦星の 時待つ船し 今し榜《こ》ぐらし。
 
 天漢《アマノガハ》 八十瀬霧合《ヤソセキラヘリ》
 男星之《ヒコボシノ》 時待船《トキマツフネシ》 今滂良之《イマカコグラシ》
 
【譯】天の川の、多くの瀬に霧がこめている。牽牛星の時節を待つ船は、今漕ぐらしい。
(179)【釋】八十瀬霧合 ヤソセキラヘリ。ヤソセは、多くの瀬。瀬では、水が激するので、霧が立ちやすい。句切。
 時待船 トキマツフネシ。七月七日を待つ船は。船は、助詞を補つて讀まなければならない。ハか、シか。シの方が強く指示する。
 今滂良之 イマカコグラシ。イマカコグラシ(西)。イマシコグラシ(略)。イマハでもよいが、疑問でない方を補うのが順當であるが、歌意からすれば、やはりカだろう。
【評語】これも川霧の立つことと、牽牛の船とをとり合わせている。八十瀬霧ラヘリというのは、その船によつて立つ霧とも見えない。瀬々に霧の立つ風景と見てよい。第三者の立場で詠んでいる。
 
2054 風吹きて 河浪立ちぬ。
 引船《ひきふね》に 渡りも來《き》ませ。
 夜《よ》の更《ふ》けぬ間に。
 
 風吹而《カゼフキテ》 河浪起《カハナミタチヌ》
 引船丹《ヒキフネニ》 度裳來《ワタリモキマセ》
 夜不v降間尓《ヨノフケヌマニ》
 
【譯】風が吹いて河浪が立つてきました。引船で渡つていらつしやい。夜の更けないうちに。
【釋】引船丹 ヒキフネニ。ヒキフネは、綱を附けて陸から引く船。河渡りをする場合には、對岸から引く。
 夜不降間尓 ヨノフケヌマニ。ヨクタタヌマニ(略)。夜の更けたのをあらわす意字としては、降、更降、更下、更深、深闌などの各種がある。これらは、フクともクタツとも讀まれている。降は、多くクタツと讀まれ、ここもヨクタタヌマニとも讀まれる。但しクタツは、クタチの外の活用形無く、一方ヨノフケヌマニは、例句がある。
【評語】織女に代つて詠んでいる。やはり歌意が先方に通ずるものとして詠まれている。夜の更けて河浪の立つのを案じている情は寫されている。
 
(180)2055 天の河 遠き渡《わた》りは 無けれども、
 公が舟出《ふなで》は 年にこそ待て。
 
 天河《アマノガハ》 遠渡者《トホキワタリハ》 無友《ナケレドモ》
 公之舟出者《キミガフナデハ》 年尓社候《トシニコソマテ》
 
【譯】天の川には遠い渡り場處は無いのですけれども、あなたの船出は、一年もの長いあいだ待つております。
【釋】遠渡者 トホキワタリハ。川幅が廣く、渡り場處の距離の長いのを、トホキワタリという。天の川の幅を狹いとしている。
 年尓社候 トシニコソマテ。一年のあいだにもと待つている。候は、守つている意に、義をもつてマテに借りている。
【評語】織女に代つて詠んでいる。事情を説明しただけの歌である。
 
2056 天の河 打橋《うちはし》渡せ。
 妹が家|道《ぢ》 止《や》まず通はむ。
 時待たずとも。
 
 天漢《アマノガハ》 打橋度《ウチハシワタセ》
 妹之家道《イモガイヘヂ》 不v止通《ヤマズカヨハム》
 時不v待友《トキマタズトモ》
 
【譯】天の川に打橋を渡してください。妻の家に行く道を絶えず通おう。時節を待たないでも。
【釋】打橋度 ウチハシワタセ。ウチハシは板をうち掛けた橋。「又於2天(ノ)安河(ニモ)1亦造(ラム)2打橋(ヲ)1」(日本書紀卷二)。二〇六二、二〇八一の歌によれば、ウチハシワタセ(代初)の訓がよいのだろう。繊女星にいう語である。
【評語】橋を渡して始終通おうという人間らしい望みが詠まれている。天の川に打橋を渡すという歌は、下にもある。
 
2057 月かさね わが思ふ妹に
(181) 逢へる夜は、
 今し七夜《ななよ》を 續《つ》ぎこせぬかも。
 
 月累《ツキカサネ》 吾思妹《ワガオモフイモニ》
 會夜者《アヘルヨハ》
 今之七夕《イマシナナヨヲ》 續巨勢奴鴨《ツギコセヌカモ》
 
【譯】月を重ねてわたしの思う妻に逢つた夜は、もう七夜を續けてくれないかなあ。
【釋】今之七夕 イマシナナヨヲ。イマシは、更にの意。かようなイマの用法は、「藤花《フヂノハナ》 伊麻許牟春母《イマコムハルモ》 都禰加久之見牟《ツネカクシミム》」(卷十七、三九五二)の如きがある。ナナヨは、數多の夜。七夕の歌なので、七夕と書いたのだろうが、七月七日の夜の意ではない。
【評語】たまたま逢つた夜の短いのを恨み、更に幾夜の長さを重ねたいというのは、「おの妻と憑《たの》める今夜、秋の夜の百夜の長さありこせぬかも」(卷四、五四六、笠の金村)などあり、特殊の思想ではない。その點では、この歌は、格別の作とも思われない。また七夕の歌としての特色も無く、ただ七夜というのに、若干の連想がある程度である。
 
2058 年《とし》に艤《よそ》ふ わが舟|榜《こ》がむ。
 天の河、風は吹くとも
 浪立つな、ゆめ。
 
 年丹装《トシニヨソフ》 吾舟滂《ワガフネコガム》
 天河《アマノガハ》 風者吹友《カゼハフクトモ》
 浪立勿忌《ナミタツナユメ》
 
【譯】一年目に船装いをするわたしの舟を漕ごう。天の川は、風は吹いても浪は立つてくれるな。
【釋】年丹装 トシニヨソフ。トシは一年。一年に一度舟よそおいをする。
【評語】年ニ装フというのは、特色のある句だが、わが舟を修飾するに止まつて、全體に對しては利いていない。主想である、波立ツナユメは、慣用句である。
 
(182)2059 天の河 浪は立つとも、
 わが舟は いざ榜《こ》ぎ出《い》でむ。
 夜の深《ふ》けぬ間に。
 
 天河《アマノガハ》 浪者立友《ナミハタツトモ》
 吾舟者《ワガフネハ》 率滂出《イザコギイデム》
 夜之不v深間尓《ヨノフケヌマニ》
 
【譯】天の川は浪は立つても、わたしの舟は、さあ漕ぎ出そう。夜の更けないうちに。
【釋】率滂出 イザコギイデム。イザは、事を起そうとするに當つて、發言する語。
【評語】平凡な内容だが、船を漕ぎ出そうとする意氣ぐみは出ている。
 
2060 ただ今夜《こよひ》 逢ひたる兒らに
 言《こと》どひも いまだ爲《せ》ずして、
 さ夜ぞ明《あ》けにける。
 
 直今夜《タダコヨヒ》 相有兒等尓《アヒタルコラニ》
 事問母《コトドヒモ》 未v爲而《イマダセズシテ》
 左夜曾明二來《サヨゾアケニケル》
 
【譯】ただ今夜、逢つたあの子に、物言いかけることもまだしないのに、夜が明けてしまった。
【釋】直今夜 タダコヨヒ。タダは、ほかではない、正に今夜だの意につけている。
 事問母 コトドヒモ。コトドヒは、物をいうこと。
【評語】逢つた夜の短さが、すなおな形で描かれている。但し特に七夕の歌とすべき特色はない。初句のタダ今夜に、無限の感情をこめてはいるが。
 
2061 天の河 白浪高し。
 わが戀ふる 公が舟出は
 今し爲らしも。
 
 天河《アマノガハ》 白浪高《シラナミタカシ》
 吾戀《ワガコフル》 公之舟出者《キミガフナデハ》
 今《イマシ・イマカ》爲下《スラシモ》
 
(183)【譯】天の川は白浪が高い。わたしの思つているあの方の船出は、今なさるらしい。
【釋】今爲下 イマシスラシモ。イマセスラシモ(新訓)。イマシは、今の時。イマカスラシモとも讀まれる。
【評語】天の川に白浪の立つのを見て、牽牛の舟の安否を氣づかう心であろう。白浪高シを、ラシノの推量の根據としては、内容に無理が生ずる。根據の敍述を伴なわないラシの用法が成立しているのだろう。
 
2062 機《はたもの》の ?木《ふみき》持ち行きて
 天の河 打橋《うちはし》わたす。
 公が來《こ》むため。
 
 機《ハタモノノ》 ?木持往而《フミキモチユキテ》
 天漢《アマノガハ》 打橋度《ウチハシワタス》
 公之來爲《キミガコムタメ》
 
【譯】機織の道具の?木を持つて行つて、天の川に打橋をかけます。あなたのおいでになるために。
【釋】機 ハタモノノ。ハタモノは、機織の道具。日本書紀卷の一に、機にハタモノと訓している。
 ?木持往而 フミキモチユキテ。フミキは、機を動かすために足をかけて踏む板。
【評語】天の川に打橋を渡すという歌は、ほかにもあるが、これは、機織りの道具の?木を持つて行つてという特殊の敍述のあるのが變わつている。その板は、ちいさくて、打橋などの用に立たないものだろうが、それを敢えて歌つているところに、物語ふうのおかしさがある。
 
2063 天の河 霧立ち上《のぼ》る。
 織女《たなばた》の 雲の衣の 飄《かへ》る袖かも。
 
 天漢《アマノガハ》 霧立上《キリタチノボル》
 棚幡乃《タナバタノ》 雲衣能《クモノコロモノ》
 飄袖鴨《カヘルソデカモ》
 
【譯】天の川に霧が立ちのぼる。あれは、織女星の雲の衣裳の飄る袖だろうか。
【釋】棚幡乃 タナバタノ。タナバタは、織女星。
(184) 雲衣能 クモノコロモノ。織女は天人であるから、雲を衣裳としているとする想像である。
【評語】天上の雲を見て詠んだ歌で、「たなばたつめの天つ領巾《ひれ》かも」(巻十、二〇四一)と同一の手段に出ている。飄々たる白雲を、織女の輕袖に見立てたのは、漢文學の影響を受けているであろう。仙女の敍述などにも見える。
 
2064 いにしへに 織りてし潤sはた》を、
 この暮《ゆふべ》 衣《ころも》に縫ひて 君待つ吾を。
 
 古《イニシヘニ》 織義之八多乎《オリテシハタヲ》
 此暮《コノユフベ》 衣縫而《コロモニヌヒテ》 君待吾乎《キミマツワレヲ》
 
【譯】以前織つておいた布を、この夕方、著物に縫つて、君をお待ちするわたくしです。
【釋】古 イニシヘニ。イニシヘは、以前、先に。織女自身の前の時である。
 織義之八多乎 オリテシハタヲ。義之は、王羲之《おうぎし》の羲之で、手師(書道の師)の義をもつて、テシの音に借り用いている。ハタは、織物。
 君待吾乎 キミマツワレヲ。ヲは、間投の助詞。君待つ吾よの意。「足日木乃《アシヒキノ》 從v山出流《ヤマヨリイヅル》 月待登《ツキマツト》 人爾波言而《ヒトニハイヒテ》 妹待吾乎《イモマツワレヲ》」(卷十二、三〇〇二)。
【評語】男のために、著物を縫つて待つているというのが特色である。古ニ織リテシ盾ニいうのに、織女らしい所が殘つている。
 
2065 足玉も 手珠《ただま》もゆらに 織る潤sはた》を、
 公が御衣《みけし》に 縫ひ堪《あ》へむかも。
 
 足玉母《アシダマモ》 手珠毛由良尓《タダマモユラニ》 織旗乎《オルハタヲ》
 公之御衣尓《キミガミケシニ》 縫將v堪可聞《ヌヒアヘムカモ》
 
【譯】足の玉も手の玉もゆらゆらと、織る織物を、あなたのおめし物に縫い終えるでしようか。
(185)【釋】足玉母手珠毛由良尓 アシダマモタダマモユラニ。アシダマは、足に卷いた玉の緒の玉。タダマは、手に卷いた玉の緒の玉。手足に玉を卷くことは、播磨國風土記讃容の郡|彌加都岐《ミカツキ》原の條に「中に女二人あり、手足に玉《たま》纏《ま》けり。」とあつて、身分のある女子の風俗である。ユラニは、玉のゆれる形容。「其|御頸珠之《ミクビタマノ》玉緒|母由良邇《モユラニ》、取|由良迦志而《ユラカシテ》」(古事記上巻)。また「手玉玲瓏織?之少女者《タダマモユラニハタオルヲトメハ》是(レ)誰之|子女耶《ムスメゾ》」(日本書紀卷二)。
 公之御衣尓 キミガミケシニ。ミケシは、ミは美稱の接頭語。ケシは著ルの敬語の名詞形。ミトラシと同樣の語構成。
 縫將堪可聞 ヌヒアヘムカモ。アヘムは、できるだろう。縫うことが可能だろうか。まにあうだろうかの意。「夜渡月爾《ヨワタルツキニ》 競敢六鴨《キホヒアヘムカモ》」(卷三、三〇二)などのアヘムカモの用法に同じ。
【評語】天人らしい風俗が描かれている。今いそいで機を織つている樣を想像し、その織女の心中を推量して、この作を成している。特色のある歌である。
 
2066 月日|擇《え》り 逢ひてしあれば
 別れむの 惜《を》しかる君は、
 明日さへもがも
 
 擇2月日1《ツキヒエリ》 逢義之有者《アヒテシアレバ》
 別乃《ワカレムノ》 惜有君者《ヲシカルキミハ》
 明日副裳欲得《アスサヘモガモ》
 
【譯】月日を選んで逢つたのだから、別れることの惜しいあなたは、明日までもいてほしいものです。
【釋】擇月日 ツキヒエリ。ほかの月日を選り捨てて、七月七日に定めて。
 逢義之有者 アヒテシアレバ。シは強意の助詞。
 別乃 ワカレムノ。
  ワカレヂノ(元)
(186)  ワカレノ(代精)
  ――――――――――
  別路乃《ワカレヂノ》(童)
  別久《ワカレマク》(略)
 文字に即しては、ワカレノと讀まれるが、三句を四音にしたのは、古歌に證明がすくない。よつてワカレムノと讀む。助動詞ムに助詞ノの接續する例は、「多延武能己許呂《タエムノココロ》 和我母波奈久爾《ワガモハナクニ》」(卷十四、三五〇七)がある。それは接續のノであり、これは主語を示すが、形式としては同樣である。
 明日副裳欲得 アスサヘモガモ。明日までも續いて居て欲しいの意。
【評語】織女が、おとずれきた牽牛に留連を請うている内容である。月日擇リ逢ヒテシアレバあたりが特殊の句になつている。
 
2067 天の河 渡瀬《わたりせ》ふかみ、
 船|浮《う》けて 榜《こ》ぎ來《く》る君が
 楫《かぢ》の音聞ゆ。
 
 天漢《アマノガハ》 渡瀬深弥《ワタリセフカミ》
 泛v船而《フネウケテ》 棹來君之《コギクルキミガ》
 ?音所聞《カヂノオトキコユ》
 
【譯】天の川は、渡る瀬が深いので、船を浮かべて漕いで來るあの方の楫の音が聞える。
【釋】渡瀬深弥 ワタリセフカミ。ワタリセは、川渡りをすべき瀬。フカミは、徒歩で渡るに適しないので。
【評語】初二句が説明に過ぎて、平凡な歌になつている。それによつて訪いくる牽牛の船に對して、冷淡な感じをもたせる。
 
2068 天の原 ふりさけ見れば、
 天の河 霧立ち渡る。
 公は來《き》ぬらし。
 
 天原《アマノハラ》 振放見者《フリサケミレバ》
 天漢《アマノガハ》 霧立渡《キリタチワタル》
 公者來良志《キミハキヌラシ》
 
(187)【譯】大空を仰いで見れば、天の川に霧が立ち渡つている。あの方が來たらしい。
【釋】天原振放見者 アマノハラフリサケミレバ。大空を遠く望めばの意だが、この歌では、織女皇が、遠く望めばの意に使つている。
【評語】天ノ原フリサケ見レバが、ちよつと見ると、下界の人の行動のように取れる。天の原の語が禍を成しているからである。川霧の立つことによつて、牽牛の船の來ることを推量した意味の歌は、前にあつた。これもその心である。
 
2069 天の河 瀬《せ》ごとに幣《ぬさ》を たてまつる。
 こころは君を 幸《さき》く來《き》ませと。
 
 天漢《アマノガハ》 瀬毎幣《セゴトニヌサヲ》 奉《タテマツル》
 情者君乎《ココロハキミヲ》 幸來座跡《サキクキマセト》
 
【譯】天の川の瀬ごとに幣を奉つてお祭をする。その心は、君を無事にいらつしやいとです。
【釋】瀬毎幣奉 セゴトニヌサヲタテマツル。セゴトは、川渡りをすべき瀬毎に、ヌサは、神を祭るために奉る布麻の類。ヌサヲタテマツルは、幣を奉つて祭をするのである。ここは川瀬の神を祭つて、神のたたり無く、君の無事に川を渡ることを祈つている。
 幸來座跡 サキクキマセト。無事に來たまえとなりで、トの下にナリの如き語が省略されている。
【評語】牽牛星が船に乘つてくることを豫想しているであろう。山川の神を祭つて、通行の安全を願つた古代の信仰があらわれている。「吾妹子を夢に見え來《こ》と大和路の渡り瀬毎に手向ぞわがする」(卷十二、三一二八)と思想において通う所がある。
 
2070 ひさかたの 天《あま》の河津《がはつ》に 舟浮けて
 君待つ夜らは、明けずもあらぬか。
 
 久堅之《ヒサカタノ》 天河津尓《アマノガハツニ》 舟泛而《フネウケテ》
 君待夜等者《キミマツヨラハ》 不v明毛有寐鹿《アケズモアラヌカ》
 
(188)【譯】天の川の舟つきに船を浮かべて、君のおいでを待つ夜は、明けないでほしいものだ。
【釋】天河津尓 アマノガハツニ。アマノガハツは、天の川の川津で、ツは船つき場。
 君待夜等者 キミマツヨラハ。ラは接尾語。「此夜等者《コノヨラハ》 沙夜深去良之《サヨフケヌラシ》」(卷十、二二二四)。
 不明毛有寐鹿 アケズモアラヌカ。アラヌカは、打消の疑問だが、願望になる語法。
【評語】これは織女が船を浮かべて牽牛を待つているように詠んでいる。その點が變わつている。「牽牛の嬬《つま》迎へ船漕ぎ出らし」(卷八、一五二七)と共に、迎え船を出すという想像である。
 
2071 天の河 なづさひ渡り、
 君が手も いまだ枕《ま》かねば、
 夜の深《ふ》けぬらく。
 
 天河《アマノガハ》 足沾渡《ナヅサヒワタリ》
 君之手毛《キミガテモ》 未v枕者《イマダマカネバ》
 夜之深去良久《ヨノフケヌラク》
 
【譯】天の川を、足を濡して渡つて、君の手もまだ枕にしないのに、夜の更けたことだ。
【釋】足沾渡 ナヅサヒワタリ。アシヌレワタル(元)、アシヌレワタリ(代初)、アヌラシワタリ(略)。「丹穗鳥《ニホドリノ》 足沾來《ナヅサヒコシヲ》 人見鴨《ヒトミケムカモ》」(卷十二、二四九二)、の句を、「念西《オモフニシ》 餘西鹿齒《アマリニシカバ》」(卷十二、二九四七)の歌の左註に「柿本朝臣人麻呂歌集云、爾保鳥之《ニホドリノ》 奈津柴比來乎《ナヅサヒコシヲ》 人見鴨《ヒトミケムカモ》」とも書いているのによれば、ここもナヅサヒワタリであろう。
 未枕者 イマダマカネバ。まだ枕としないのに。
 夜之深去良久 ヨノフケヌラク。フケヌラクは、更けたことよの意。
【評語】これは徒歩で川を渡つたとしている。いたずらに夜の更けたことを怨んでいる。三句以下の調子は、古歌謠からきているのだろう。「人國に婚姻《よばひ》に行きて太刀が緒もいまだ解かねばさ夜ぞ明けにける」(卷十二、(189)二九〇六)のような歌は、相當に流布しており、その調子なり内容なりが出たのだろう。
 
2072 渡守《わたりもり》 船わたせをと 呼ぶ聲の、
 至らねばかも 楫《かぢ》の聲《と》のせぬ。
 
 渡守《ワタリモリ》 船度世乎跡《フネワタセヲト》 呼音之《ヨブコヱノ》
 不v至者疑《イタラネバカモ》 梶聲之不v爲《カヂノトノセヌ》
 
【譯】渡守よ、船を渡せと呼ぶ聲が、聞えないのか、楫の音もしない。
【釋】渡守 ワタリモリ。渡河をする處の番人を呼びかけている。
 船度世乎跡 フネワタセヲト。フネワタセは、船で川を渡せ。ヲは助詞。ヨに同じ。
 不至者疑 イタラネバカモ。カモは、疑問の係助詞。疑の字を使つているのがよく當つている。
【評語】牽牛が織女のもとに行こうとして、渡船を待つている心を詠んでいる。その焦慮の心がよく出ている。「氏河乎《ウヂガハヲ》 船令v渡呼跡《フネワタセヲト》 雖v喚《ヨバヘドモ》 不v所v聞有之《キコエザルラシ》 ?音毛不v爲《カヂノオトモセズ》」(卷七、一一三八)と同じ内容で、ただ七夕に變えただけである。同一人の作か。
 
2073 まけ長く 河に向《む》き立ち
 ありし袖
 今夜《こよひ》纏《ま》かむと 念《おも》へるがよさ。
 
 眞氣長《マケナガク》 河向立《カハニムキタチ》
 有之袖《アリシソデ》
 今夜卷跡《コヨヒマカムト》 念之吉沙《オモヘルガヨサ》
 
【譯】長いあいだ天の河に向き立つて、あのかつての袖を、今夜わたしの手にまこうと思うことは、うれしいことだ。
【釋】河向立 カハニムキタチ。天の川に向き立つていて。自分(牽牛星)のこと。
 有之袖 アリシソデ。アリシは、かつてありし袖で、織女の袖をいう。思い出の袖である。この句を上につ(190)けて、ムキタチアリシとする解も考えられるが、そうとするとマケナガクも織女のことになり、かつ續けるべき句を二句に分けたことになる。
 念之吉沙 オモヘルガヨサ。念をオモヘルと讀むのは「奈伎我佐夫之佐《ナキガサブシサ》」(卷十五、三七三四)など、連體形を受けてガ……サと受ける例である。ヨサは、好くあること。
【評語】長いあいだ、河を隔てていたが、その愛人の袖を、今夜纏く喜びを歌つている。袖を纏くということに、集中しており、官能的なところのあるを免れない。
 
2074 天の河 渡瀬《わたりせ》ごとに 思ひつつ、
 來《こ》しくもしるし。
 逢へらく念《おも》へば。
 
 天河《アマノガハ》 渡湍毎《ワタリセゴトニ》 思乍《オモヒツツ》
 來之雲知師《コシクモシルシ》
 逢有久念者《アヘラクオモヘバ》
 
【譯】天の川を、渡り瀬毎に思いながら來たかいがあつた。逢つたことを思うと。
【釋】渡湍毎 ワタリセゴトニ。ワタリセは、川渡りをすべき瀬。
 來之雲知師 コシクモシルシ。コシクは、來しこと。「來之久毛知久《コシクモシルク》 相流君可毛《アヘルキミカモ》」(卷八、一五七七)、「欲v見《ミマクホリ》 來之久毛知久《コシクモシルク》」(卷九、一七二四)。シルシは、かいのある意の形容詞。句切。
 逢有久念者 アヘラクオモヘバ。アヘラクは、逢えること。「天地之《アメツチノ》 榮時爾《サカユルトキニ》 相樂念者《アヘラクオモヘバ》」(卷六、九九六)。
【評語】牽牛星が、天の川を幾渡りしてきたことを語つている。川瀬を渡るには、若干の難儀があるので、それを言い立て、あちらへ渡り、こちらへ渡りして來たが、そのかいがあつたというのである。川渡りをする生活を想像して味わうべき歌である。
 
(191)2075 人さへや 見繼がずあらむ。
 牽牛《ひこぼし》の 嬬《つま》よぶ舟の 近づき行くを。
 
 人左倍也《ヒトサヘヤ》 見不v繼將v有《ミツガズアラム》
 牽牛之《ヒコボシノ》 嬬喚舟之《ツマヨバフフネノ》 近附往乎《チカヅキユクヲ》
 
【譯】人さえも見つづけていないだろう。牽牛星の妻を呼ぶ船の近づいて行くのを。
【釋】人左倍也 ヒトサヘヤ。人までもか。サヘヤは、他の用例、反語にならない。しかしヤは、疑問の情が強く、果してそうだろうかのような語氣を含むものと見られる。「朝夕二《アサヨヒニ》 將v見時左倍也《ミムトキサヘヤ》 吾妹之《ワギモコガ》 雖v見如v不v見《ミレドミヌゴト》 由戀四家武《ナホコヒシケム》」(卷四、七四五)、「朝旦《アサナサナ》 將v見時禁屋《ミムトキサヘヤ》 戀之將v繁《コヒノシゲケム》(卷十一、二六三三)。
 見不v繼將v有 ミツガズアラム。ミツガズは、文字通り見繼ガズで、見續けるの打消であろう。ところで、人までも見續けないだろうかというのでは、當事者たる織女も見繼がないことになつて、意を成さない。初句と合わせて人までも見つがずにはいないだろうの意となるのだろう。ミツガザラメヤの意であろう。かように不審の點があるので、「一云見乍有良武」という別傳を生じたのだろう。その方ならばよくわかる。句切。
 嬬喚舟之 ツマヨブフネノ。ツマヨブは、妻を呼ぶ、すなわちその戸外に立つて呼ぶ意から出發して、婚姻を求めるをいう。「誰此乃《タレゾコノ》 吾屋戸來喚《ワガヤドニキヨブ》」(卷十一、二五二七)。
【評語】初二句に疑問があつて、眞意を得るに苦しむが、下界の人も見守つているだろうという歌だろう。牽牛星の船の近づいて行く情景を、第三者として描いている。
 
一云、見乍有良武《ミツツアルラム》
 
一は云ふ、見つつあるらむ。
 
【釋】見乍有良武 ミツツアルラム。前の歌の第二句の別傳である。その第二句の項に述べたように、本文のままでは疑義があり、この別傳ならばよく通ずる。
 
(192)2076 天の河 瀬を早みかも、
 ぬばたまの 夜は開けにつつ、
 逢はぬ牽牛《ひこぼし》。
 
 天漢《アマノガハ》 瀬乎早鴨《セヲハヤミカモ》
 烏珠之《ヌバタマノ》 夜者開尓乍《ヨハアケニツツ》
 不v合牽牛《アハヌヒコボシ》
 
【譯】天の川は、瀬が早いのでか、くらい夜は明け行きつつ、妻に逢わない牽牛星だ。
【釋】瀬乎早鴨 セヲハヤミカモ。カモは、疑問の係助詞。
 夜者開尓乍 ヨハアケニツツ。開は、古本系統による。仙覺本系統には闌に作つて、ヨハフケニツツとしている。歌としてはその方が無難だ。
 不合牽牛 アハヌヒコボシ。牽牛の下に、ナルの如き語が、省略されている。上のカモを受けて結ぶ所である。
【評語】第三者として牽牛星の上を隣んで詠んでいる。その情景を見通しているような口ぶりである。その點説明になつているのはやむを得ない。
 
2077 渡守《わたりもり》 舟はや渡せ。
 一年に 二たび通ふ
 君にあらなくに
 
 渡守《ワタリモリ》 舟早渡世《フネハヤワタセ》
 一年尓《ヒトトセニ》 二遍往來《フタタビカヨフ》
 君尓有勿久尓《キミニアラナクニ》
 
【譯】渡守よ、船を早く渡してください。一年に二度と通うあの方ではないのです。
【釋】舟早渡世 フネハヤワタセ。牽牛星の爲に船を早く渡せとである。
【評語】織女の語として、天の川の渡守に對して言つている形である。よく織女の情を描いている。
 
(193)2078 玉葛《たまかづら》 絶えぬものから、
 さ宿《ぬ》らくは 年の渡《わたり》に
 ただ一夜《ひとよ》のみ。
 
 玉葛《タマカヅラ》 不v絶物可良《タエヌモノカラ》
 佐宿者《サヌラクハ》 年之度尓《トシノワタリニ》
 直一夜耳《タダヒトヨノミ》
 
【譯】美しい蔓草のように、絶えないのではあるが、寐ることは、一年を經るあいだに、ただ一夜のみだ。
【釋】王葛 タマカヅラ。枕詞。玉は美稱。蔓草の長く續くので、絶エヌに冠する。
 不絶物可良 タエヌモノカラ。モノカラは、であるのにの意。二人のあいだは絶えないのだが。
 佐宿者 サヌラクハ。サは接頭語。寐ること。「佐奴良久波《サヌラクハ》 多麻乃緒婆可里《タマノヲバカリ》」(卷十四、三三五八)。
 年之度尓 トシノワタリニ。ワタリは、經過。一年の經過する間に。
【評語】當事者の歌とも、また第三者として七夕を詠んだとも取れる。調子のよくなめらかな形の歌である。
 
2079 戀ふる日は け長きものを、
 今夜《こよひ》だに ともしむべしや。
 逢ふべきものを。
 
 戀日者《コフルヒハ》 食長物乎《ケナガキモノヲ》
 今夜谷《コヨヒダニ》 令v乏應哉《トモシムベシヤ》
 可v相物乎《アフベキモノヲ》
 
【譯】戀をしている日は、時が長く思われるものなのに、今夜だけでも、時をすくなくさせるべきではないでしよう。逢うべきものですよ。
【釋】食長物乎 ケナガキモノヲ。時久しいものだのに。久しい氣もちがするものだのに。
 令乏應哉 トモシムベシヤ。トモシムは、少なくする。夜を短くする。時を少なくするものではない。句切。
【評語】二句と五句が同じ形を採つているが、それだけの效果はなく、かえつてくだけた感じを與える。既出(194)の人麻呂集の歌を、作りかえたような歌で、獨立しての價値はない。
【參考】類歌。
  戀ひしくはけ長きものを今夜だに乏しむべしや。逢ふべき夜だに(卷十、二〇一七)
 
2080 織女《たなばた》の 今夜《こよひ》逢ひなば、
 常のごと 明日《あす》を隔てて
 年は長けむ。
 
 織女之《タナバタノ》 今夜相奈婆《コヨヒアヒナバ》
 如v常《ツネノゴト》 明日乎阻而《アスヲヘダテテ》
 年者將v長《トシハナガケム》
 
【譯】織女屋が今夜逢つたなら、平常のように明日を堺として年は長いだろう。
【釋】織女之 タナバタノ。次句の今夜逢ヒナバの主格。常ノ如以下は、牽牛のことと解せられる。
 明日乎阻而 アスヲヘダテテ。明日を隔てとして。明日以後は。
 年者將長 トシハナガケム。戀をする年は長いだろう。ナガケは形容詞。
【評語】内容は比較的單純なのだが、表現の手際がよくなく、雜然とした感じを與える。全部が織女のことのようにも、三句以下は牽牛のことのようにも取れるのも、不備な點である。「年の戀今夜つくして」(卷十、二〇三七)など、この類想である。
 
2081 天の河 棚橋わたせ。
 織女《たなばた》の い渡らさむに 棚橋わたせ。
 
 天漢《アマノガハ》 棚橋渡《タナハシワタセ》
 織女之《タナバタノ》 伊渡左牟尓《イワタラサムニ》 棚橋渡《タナハシワタセ》
 
【譯】天の川に棚橋をお渡しなさい。織女がお渡りになるだろうから棚橋をお渡しなさい。
【釋】棚橋渡 タナハシワタセ。タナハシワタス(類)、タナハシワタセ(神)。タナハシは、板を渡した橋、(195)板が棚のようにあるのでいう。
 伊渡左牟尓 イワタラサムニ。イは、接頭語。ワタラサは、敬語法。
【評語】第三者として天の川のほとりにいる人のような心で詠んでいる。二句と五句とに、同句を使つたのは、歌いものからきた格で、調子をよくする。七夕の歌は、元來席上文筆の作だから、かような形の歌はすくないのだが、これは興に乘じて、古い形を使つたのである。棚橋よりは、參考欄に掲げた珠橋の語の方が美しい。
【參考】類想。
  ひさかたの天の河瀬に、上つ瀬に珠橋《たまはし》渡し、下つ瀬に船浮けすゑ、雨降りて風吹かずとも、風吹きて雨降らずとも、裳濡らさず息まず來ませと、玉橋渡す(卷九、一七六四)
 
2082 天の河 河門《かはと》八十《やそ》あり。
 何處《いづく》にか
 君がみ船を わが待ち居《を》らむ。
 
 天漢《アマノガハ》 河門八十有《カハトヤソアリ》
 何尓可《イヅクニカ》
 君之三船乎《キミガミフネヲ》 吾待將v居《ワガマチヲラム》
 
【譯】天の川には、河門が澤山ある。そのどの處で、あの方のお船を、わたくしが待つておりましよう。
【釋】河門八十有 カハトヤソアリ。カハトは、地形についていう語で、河渡りをする場處を言つている。ヤソは多數。
【評語】織女が、多くの河門のうちのいずれに待つていようかと案じる歌である。待つ心の氣迷いを描いている。「淡海の海水門は八十を。何處《いづく》にか君が船|泊《は》て草結びけむ」(卷七、一一六九)あたりと、同じ型で、何かよりどころとする歌があつたのだろう。
 
2083 秋風の 吹きにし日より、
(196) 天の河、瀬に出で立ちて
 待つと告《つ》げこそ。
 
 秋風乃《アキカゼノ》 吹西日從《フキニシヒヨリ》
 天漢《アマノガハ》 瀬尓出立《セニイデタチテ》
 待登告許曾《マツトツゲコソ》
 
【譯】秋風の吹いた日から、このかた、天の川の瀬にいで立つて待つていると知らせてください。
【釋】瀬尓出立 セニイデタチテ。セは、渡河をすべき川瀬。
 待登告許曾 マツトツゲコソ。コソは、願望の助詞。
【評語】織女になつて詠んでいる。秋風が吹くようになつてから、逢うべき日を待つ心が、歌われている。
 
2084 天の河 去年《こぞ》の渡瀬《わたりせ》 荒れにけり。
 君が來まきむ 道の知らなく。
 
 天漢《アマノガハ》 去年之渡湍《コゾノワタリセ》 有二家里《アレニケリ》
 君之將v來《キミガキマサム》 道乃不知久《ミチノシラナク》
 
【譯】天の川の去年の渡り場處は、荒れてしまつた。あの方のおいでになる道がわからないことです。
【釋】有二家里 アレニケリ。出水などのために荒廢したことをいう。以下二句の前提になつている。句切。
【評語】前出の河門八十アリの歌と同樣の内容を、語をかえて歌つている。毎年渡瀬の變わる下界の河に擬して想を寄せている。
 
2085 天の河 湍瀬《せせ》に白浪 高けども、
 ただ渡り來《き》ぬ。
 待たば苦しみ。
 
 天漢《アマノガハ》 湍瀬尓白浪《セセニシラナミ》 雖v高《タカケドモ》
 直渡來沼《タダワタリキヌ》
 待者苦三《マタバクルシミ》
 
【譯】天の川は、瀬々に白浪が高いけれども、ためらわないで渡つて來た。待つていたら苦しいので。
(197)【釋】直渡來沼 タダワタリキヌ。タダワタリは、他事無く、ひたすらに渡る意。「刀禰河伯乃《トネガハノ》 可波世毛思良受《カハセモシラズ》 多多和多里《タダワタリ》 奈美爾安布能須《ナミニアフノス》 安敝流伎美可母《アヘルキミカモ》」(卷十四、三四一三)。句切。
 待者苦三 マタバクルシミ マテバクルシミ(類)、マツハクルシミ(童)、マタバクルシミ(古義)。マテバ、マタバは、どちらも云えそうだが、「波奈其米爾《ハナゴメニ》 多麻爾曾安我奴久《タマニゾアガヌク》 麻多婆苦流之美《マタバクルシミ》」(卷十七、三九九八)の例によつてマタバを採る。待つは、浪の靜まるのを待つので牽牛自分の心である。
【評語】牽牛星が、待つのは苦しいから、進んで來たというのである。困難を敢えて冒して來たということを、具體的に描いている所に趣向がある。
 
2086 牽牛《ひこぼし》の 嬬《つま》喚《よ》ぶ舟の 引綱《ひきづな》の、
 絶えむと君を わが念はなくに。
 
 牽牛之《ヒコボシノ》 嬬喚舟之《ツマヨバフフネノ》 引綱乃《ヒキヅナノ》
 將v絶跡君乎《タエムトキミヲ》 吾之念勿國《ワガオモハナクニ》
 
【譯】牽牛の妻を呼ぶ船の引綱のように、切れようと、あなたのことを、わたしは思つていません。
【釋】嬬喚舟之 ツマヨブフネノ。ツマヨブは、妻を呼ばうで、婚姻を求める意。(卷十、二〇七五參照)。
 引綱乃 ヒキヅナノ。船を引くために附けてある綱の。以上三句は序詞で、次の絶エムを引き起している。
 將絶跡君乎 タエムトキミヲ。タエムは、切れよう。中が斷絶しよう。キミヲは、君に對して。
【評語】七夕そのものを詠んだのではなくして、七夕に寄せて、自分の思いを述べた歌になつている。やはり七夕の席上などで詠まれたのであろう。序から主想に移るところは、極めて類型的だ。
 
2087 渡守《わたりもり》 舟出《ふなで》し出でむ。
 今夜《こよひ》のみ 相見て後は、
(198) 逢はじものかも。
 
 渡守《ワタリモリ》 舟出爲將v出《フナデシイデム》
 今夜耳《コヨヒノミ》 相見而後者《アヒミテノチハ》
 不v相物可毛《アハジモノカモ》
 
【譯】津守よ、船出して來よう。今夜ばかり逢つて、後には逢わないものだろうか。
【釋】舟出爲將出 フナデシイデム。シは、助詞とも解せられるが、爲の字を使つているによれば、やはり動詞と見るのがよいだろう。句切。
 不相物可毛 アハジモノカモ。助動詞ジの連體形は、假字がきのものが無いが、「幾時毛《イクバクモ》 不v生物呼《イケラジモノヲ》」(卷九、一八〇七)、「幾《イクバクモ》 不2生有1命乎《イケラジイノチヲ》」(卷十二、二九〇五)の如きは、その語法と見られるものである。モノカモは、反語の氣もちになつている。カモの疑意から引き出されるのである。モノカモ(卷四、五一七)參照。
【評語】牽牛が別れて立ち歸ろうとする時の氣もちを詠んでいる。後會を期するという珍しい内容である。七夕の歌も、多く作られるに及んで、他人の言わないような所に著眼するに至つたと考えられる。
 
2088 わが隱せる 楫《かぢ》棹《さを》無くて、
 渡守 舟貸さめやも。
 しましはあり待て。
 
 吾隱有《ワガカクセル》 ?棹無而《カヂサヲナクテ》
 渡守《ワタリモリ》 舟將v借八方《フネカサメヤモ》
 須臾者有待《シマシハアリマテ》
 
【譯】わたくしの隱した楫や棹がなくては、渡守が船を貸さないでしよう。しばらくお待ちなさい。
【釋】?棹無而 カヂサヲナクテ。カヂもサヲも、船を進める道具だが、カヂは、艪櫂のような扁平の形のもの、サヲは棒?のものと解せられる。
 須臾者有待 シマシハアリマテ。アリマテは、その儘に待つていよ。「夜波隱良武《ヨハコモルラム》 須臾羽蟻待《シマシハアリマテ》」(卷四、六六七)。
(199)【評語】織女が、ひたすらに牽牛を歸すまいとして引き留めている情が歌われている。全體の構想が奇警で、初二句の敍述もよい。
 
2089 乾坤《あめつち》の 初めの時ゆ
 天の河 い向ひ居《を》りて、
 一年に 二遍《ふたたび》逢はぬ
 妻《つま》ごひに もの念ふ人、
 天の河 安の川原の
 あり通《がよ》ふ 出々の渡《わたり》に、
 そほ船の 艫《とも》にも舳《へ》にも
 船艤《ふなよそ》ひ 眞楫《まかぢ》繁拔《しじぬ》き、
 はた芒《すすき》 本葉もそよに
 秋風の 吹き來《く》る夕《よひ》に、
 天の河 白浪|凌《しの》ぎ
 落ち激《たぎ》つ 早瀬|渉《わた》りて、
 稚《わか》草の 妻《め》が手|枕《ま》かむと、
 大船の 思ひ憑《たの》みて
 榜《こ》ぎ來らむ その夫《つま》の子が、
(200) あらたまの 年の緒長く
 思ひ來《こ》し 戀をつくさむ
 七月《ふみつき》の 七日の夕《よひ》は、
 吾も悲しも。
 
 乾坤之《アメツチノ》 初時從《ハジメノトキユ》
 天漢《アマノガハ》 射向居而《イムカヒヲリテ》
 一年丹《ヒトトセニ》 兩遍不v遭《フタタビアハヌ》
 妻戀尓《ツマゴヒニ》 物念人《モノオモフヒト》
 天漢《アマノガハ》 安乃川原乃《ヤスノカハラノ》
 有通《アリガヨフ》 出々乃渡丹《デデノワタリニ》
 具穗船乃《ソホブネノ》 艫丹裳舳丹裳《トモニモヘニモ》
 船装《フナヨソヒ》 眞梶繁拔《マカヂシシヌキ》
 旗荒《ハタススキ》 本葉裳具世丹《モトハモソヨニ》
 秋風乃《アキカゼノ》 吹來夕丹《フキクルヨヒニ》
 天河《アマノガハ》 白浪凌《シラナミシノギ》
 落沸《オチタギツ》 速湍渉《ハヤセワタリテ》
 稚草乃《ワカクサノ》 妻手枕迹《メガテマカムト》
 大舟乃《オホブネノ》 思憑而《オモヒタノミテ》
 滂來等六《コギクラム》 其夫乃子我《ソノツマノコガ》
 荒珠乃《アラタマノ》 年緒長《トシノヲナガク》
 思來之《オモヒコシ》 戀將v盡《コヒヲツクサム》
 七月《フミツキノ》 七日之夕者《ナヌカノヨヒハ》
 吾毛悲焉《ワレモカナシモ》
 
【譯】天地の初めの時以來、天の川に向かつていて、一年に二度逢わない妻を戀うて物思いをしている人、その人は、天の川の安の川原の、ありつつ通う渡り場所に、赤く塗つた船の艫にも舳先にも、般装いをして艪櫂を一杯に取りつけて、穗に出たススキの本葉もゆれて秋風の吹いて來る夕べに、天の川の白波をおししのいで、水の流れ落ちて激する早瀬を渡つて、若草のような妻の手を枕にしようと、大船のように頼みに思つて、漕いでくるだろうその夫の人が、改まる年の長いあいだ、思つてきた戀をつくすだろう七月の七日の夕べは、わたしも感慨に堪えない。
【構成】全篇一文。初めに、妻戀ニ物念フ人を擧げ、次にその人の行動を敍して、ソノ夫ノ子ガと受けて、その長い戀をつくす七月七日の夕は、ワレモ悲シモと、自分の感想を敍して終つている。
【釋】乾坤之初時從 アメツチノハジメノトキユ。ユは、その時からこちらへ引き續いて。
 射向居而 イムカヒヲリテ。イは、接頭語。
 物念人 モノオモフヒト。牽牛星をいう。初めから物念フまで、人を修飾している。次句以下戀ヲツクサムまでは、この人の行動である。
 出々乃渡丹 デデノワタリニ。
  テテノワタリニ(元赭)
  ――――――――――
  世世乃渡丹《セセノワタリニ》(童)
(201)  歳乃渡丹《トシノワタリニ》(考)
 デデノワタリは、耳馴れないが、古事記中卷、宇遲《うぢ》の和紀郎子《わきいらつこ》の御歌の句、「和多理是邇《ワタリゼニ》 多弖流《タテル》 阿豆佐由美麻由美《アヅサユミマユミ》」(五二)に相當する句を、日本書紀には「和多利涅珥《ワタリデニ》 多弖?《タテル》 阿豆瑳由瀰《アヅサユミ》 摩由瀰《マユミ》」(四三)に作つている。また本集にも、「去歳渡代《コゾノワタリデ》」(卷十、二〇一八)とある。このワタリデのデは、接尾語で、出ている地形をいう。ヰデ(堰)などのデと同じであろう。かような語例のある所を見れば、出々ノワタリも、かならず誤りとも決し難いものがある。舊によつて存する所以である。
 具穗船乃 ソホブネノ。
  クホブネノ(元赭)
  ――――――――――
  曾穗船乃《ソホブネノ》(考)
  其穗船乃《ソホブネノ》(略、宣長)
  意穗船乃《オホブネノ》(古義)
 ソホブネノの訓は動かないようだが、何の誤字とも定め難い。字形は其が近いが、この歌の中に、其と書いてもいる。下の「本葉裳具世丹」も、同樣に具をソに當てて書いており、また「妹告與具《イモニヅゲコソ》」(卷十、二〇〇〇)などの具も同樣である。ソナフの下略で、ソに當てたのだろうか。不明とするほかはない。ソホブネは、赤土で塗つた船。牽牛の乘る船をいう。
 旗荒 ハタススキ。諸本、旗荒とあり、考に旗芒の誤りとする。ススキは、荒草の義であるから、誤りとするに及ばない。ハタススキは、旗のように穗に出たススキである。
 本葉装具世丹 モトハモソヨニ。モトハは、根もとに近い葉。具は、「具穗船乃」の條參照。ソヨニは、そよそよ動搖する形容。
 妻手枕迹 メガテマカムト。
(202)  ツマタマクラト(元赭)
  ツマノテマカムト(代初)
  ツマデマカムト(考)
  ツマガテマカムト(略)
  ――――――――――
  妻乎枕迹《ツマヲマカムト》(古義)
 妻の字は、下文に、夫の字をツマに當てて書いているようであるから、ここはメガと讀んだ方がよく、音數もそれがよい。マカムは、枕としようの意。
 大舟乃 オホブネノ。枕詞。
 思憑而 オモヒタノミテ。妻の手を枕にしようと頼みにして。
 滂來等六 コギクラム。今七月七日の夕に牽牛の漕いでくることを推量し(203)ている。連體句。
 其夫乃子我 ソノツマノコガ。ツマノコは、男子。コは愛稱。牽牛星をいう。
 年緒長 トシノヲナガク。トシノヲは、年の續く性質を緒にたとえていう。
 戀將盡 コヒヲツクサム。戀を盡くしてしまう。連體句。
 吾毛悲焉 ワレモカナシモ。カナシは、感傷される意の形容詞。
【評語】牽牛の敍述はくわしくされているが、詞句や内容、もしくは文字にまで混雜が感じられるのは、未定稿のままなのだろう。天の川の語が三出しているのは、それだけの效果は無いし、洗煉されているとはいえない。ソホ船ノ云々のあたりは、船に乘つて通うようであり、しかも落チタギツ速湍ワタリテは、徒歩で渡ることを云つているようだ。秋の風物を描き、天の川の敍述に及んで、さて末に自分の心を述べて終つているのは、この歌のよい所である。
 
反歌
 
2090 高麗錦《こまにしき》 紐《ひも》解《と》きかはし
 天人《あめひと》の 妻問《つまど》ふ夕《よひ》ぞ。
 吾も偲《しの》はむ。
 
 狛錦《コマニシキ》 紐解易之《ヒモトキカハシ》
 天人乃《アメヒトノ》 妻問夕敍《ツマドフヨヒゾ》
 吾裳將v偲《ワレモシノハム》
 
【譯】高麗ふうの錦の紐をお互に解いて、天人の婚姻する夜だ。わたしも思いやろう。
【釋】狛錦 コマニシキ。高麗ふうの錦で、上等の織物である。多く紐に冠しており、非常に貴重とされていたことが知られる。
(204) ?解易之 ヒモトキカハシ。ヒモは、衣服の紐。トキカハシは、たがいに解くので、婚姻するをいう。以上二句は、次の、天人ノツマドフの具體的敍述。
 天人乃 アメヒトノ。アメヒトは、牽牛織女をいう。ツマドフというによれば、特に牽牛を主としている。「安米比度之《アメヒトシ》 可久古非須良波《カクコヒスラバ》 伊家流思留事安里《イケルシルシアリ》」(卷十八、四〇八二)。この卷の十八の例は、都の人を譬喩的に言つている。
 吾裳將偲 ワレモシノハム。シノハムは、七夕のことを思いやろうの意。
【評語】長歌の組織を受けて、よく呼應している。初二句の敍述も、天人というので、特に大陸ふうの風俗を想像しているのだろう。七夕らしい敍述である。
 
2091 彦星の 川瀬を渡る さ小舟《をぶね》の
 え行きて泊《は》てむ 河津《かはつ》し念《おも》ほゆ。
 
 彦星之《ヒコボシノ》 川瀬渡《カハセヲワタル》 左小舟乃《サヲブネノ》
 得行而將v泊《エユキテハテム》 河津石所v念《カハツシオモホユ》
 
【譯】牽牛星の川瀬を渡る小舟が、行き得てとまる舟つきが思われる。
【釋】左小舟乃 サヲブネノ。サは、接頭語。
 得行而將泊 エユキテハテム。
  ユキテトマラム(元赭)
  トユキテハテム(西)
  トクユキテハテム(代精)
  エユキテハテム(代精)
  ――――――――――
  伊行而將泊《イユキテハテム》(新考)
  行行而將泊《ユキユキテハテム》(新訓)
 得が、副詞として他の動詞の上に置かれて、可能を表示することは、「之加須我仁《シカスガニ》 黙然得不v在者《モダエアラネバ》」(卷四、(205)五四三)、「面忘《オモワスレ》 太爾毛得爲也登《ダニモエスヤト》」(卷十一、二五七四)などの例があるにより、もとのままとする。行を得に誤つたとすることは「住吉之《スミノエノ》 里得之鹿齒《サトユキシカバ》」(卷十、一八八六)の例もあるので、あり得ることとも思われるが、とにかく原文のままでも通じないこともない。
【評語】これは牽牛が舟に乘つて行くことを想像している。反歌二首の順序からいえば、この歌の方が、前にあつてよいのだろう。ここにも未整頓が感じられる。歌も河津を思うというだけで、格別の事がない。
 
2092 天地と 別れし時ゆ、
 ひさかたの 天《あま》つ驗《しるし》と
 定めてし 天《あま》の河原に、
 あらたまの 月を累《かさ》ねて、
 妹に逢ふ 時|候《さもらふ》と、
 立ち待つに わが衣手に
 秋風の 吹き反《かへ》らへば、
 立ちて坐《ゐ》て たどきを知らに、
 村肝《むらぎも》の 心いさよひ
 解衣《ときぎぬ》の 思ひ亂れて、
 何時しかと わが待つ今夜《こよひ》、
 この川の 行く如長く
(206) ありこせぬかも。
 
 天地跡《アメツチト》 別之時從《ワカレシトキユ》
 久方乃《ヒサカタノ》 天驗常《アマツシルシト》
 定大王《サダメテシ》 天之河原尓《アマノガハラニ》
 璞《アラタマノ》 月累而《ツキヲカサネテ》
 妹尓相《イモニアフ》 時候跡《トキサモラフト》
 立待尓《タチマツニ》 吾衣手尓《ワガコロモデニ》
 秋風之《アキカゼノ》 吹反者《フキカヘラヘバ》
 立坐《タチテヰテ》 多土伎乎不v知《タドキヲシラニ》
 村肝《ムラギモノ》 心不v欲《ココロイサヨヒ》
 解衣《トキギヌノ》 思亂而《オモヒミダレテ》
 何時跡《イツシカト》 吾待今夜《ワガマツコヨヒ》
 此川《コノカハノ》 行長《ユクゴトナガク》
 有得鴨《アリコセヌカモ・アリエテシカモ》
 
【譯】天地と別れた時からこの方、天のしるしとして定めた天の川原に、改まる月を重ねて、妻に逢う時節を伺つて、立つて待つに、わたしの著物に、秋風が吹き返るので、立つたりすわつたりして手もつかず、心が動搖して、解いた著物のように思い亂れて、いつになつたらと、わたしの待つ今夜は、この川の行くように長くあつてほしいものだ。
【構成】全篇一文。
【釋】天地跡別之時從 アメツチトワカレシトキユ。渾沌《こんとん》としていたものが、天と地とに別れた、その時からこの方。「天地等《アメツチト》 別之時從《ワカレシトキユ》」(卷十、二〇〇五)。
 天驗常 アマツシルシト。アマツシルシは、これが天である表物として。「久方《ヒサカタノ》 天印等《アマツシルシト》 水無水《ミナシガハ》 隔而置之《ヘダテテオキシ》 神世之恨《カミヨシウラメシ》」(卷十、二〇〇七)の歌を受けているのだろう。
 定大王 サダメテシ。大王は、王羲之《おうぎし》をいい、手師の義によつて、テシの音に借りている。
 璞 アラタマノ。枕詞。通例、年に冠するのだが、ここは轉じて月に冠している。
 時候跡 トキサモラフト。サモラフは、伺う。
 吹反者 フキカヘラヘバ。カヘラヘは、飜る意。衣手ニを受けているから、吹キカヘラヘバがよい。
 立座 タチテヰテ。立つたり居たりして。
 多土伎乎不知 タドキヲシラニ。手のつけ所もなく。
 村肝 ムラギモノ。枕詞。
 心不欲 ココロイサヨヒ。
(207)  ココロオホエス(西)
  ココロタユタヒ(新訓)
  ――――――――――
  心不懽《ココロサブシク》(略、宣長)
  心不知欲比《ココロイサヨヒ》(古義)
 不欲は、心の活動しない義によつて書いているのだろう。よつて、そのままで、イサヨヒと讀む。心が躊躇して働かない意である。「雲居奈須《クモヰナス》 心射左欲比《ココロイサヨヒ》」(卷三、三七二)。
 解衣 トキギヌノ。枕詞。解いた衣服の義をもつて、亂れに冠する。
 行長有得鴨 ユクゴトナガクアリコセヌカモ。
  ユキテナガクモアリエタルカモ(元赭)
  ユキノナガケク(補)
  ナガレノナガクアリコセヌカモ(總索引)
  ――――――――――
  行如長有得鴨《ユクゴトナガクアリエテムカモ》(代精)
  行々良々有得鴨《ユクラユクラニアリガテムカモ》(考)
  行々有不得鴨《ユクラユクラニアリガテヌカモ》(略)
  行瀬長有欲得鴨《ユクセノナガクアリコセヌカモ》(古義)
 文字表現が不完全なので、何かの語を補つて讀まなければならない。今ここには行長にゴトを補讀してユクゴトナガクとすることとした。有得鴨は、總索引にアリコセヌカモとしたのは、例もあり、まずおだやかである。打消の語を補うのである。もつとも字に即した讀み方としてはアリエテシカモである。
【評語】牽牛星が、天の川原にいて、織女に逢う時の接近するのを待つ心が歌われている。早く時節の來ることを願う心と、今夜が長くあつてほしいということとが、かさなり合つていて中心點を失している。天地と別れし時から説き起した效果も無い。
 
反歌
 
2093 妹に逢ふ 時片待つと、
(208) ひさかたの 天の河原に
 月ぞ經にける。
 
 妹尓相《イモニアフ》 時片待跡《トキカタマツト》
 久方乃《ヒサカタノ》 天之漢原尓《アマノガハラニ》
 月敍經來《ツキゾヘニケル》
 
【譯】妻に逢う時をひたすらに待つと、天の河原で、月を經たことだ。
【釋】時片待跡 トキカタマツト。カタマツは、かたより待つ、ひたすらに待つ。
【評語】妹に逢う時節の近づいた頃の作である。長歌の一部を繰り返しただけで、格別の手がらもない。
 
詠v花
 
【釋】詠花 ハナヲヨメル。三十四首あるが、その三十一首まではハギの歌で、他は、アサガオとオミナエシとオバナとが一首ずつある。
 
2094 さを鹿の 心|相念《あひおも》ふ 秋はぎの、
 時雨《しぐれ》のふるに 散らくし惜しも。
 
 竿志鹿之《サヲシカノ》 心相念《ココロアヒオモフ》 秋〓子之《アキハギノ》
 鍾禮零丹《シグレノフルニ》 落僧惜毛《チラクシヲシモ》
 
【譯】男鹿の心に思つている秋ハギが、時雨の降るので、散るのが惜しい。
【釋】心相念 ココロアヒオモフ。心で思い合つている。鹿とハギとが思い合つているのである。
 鍾禮零丹 シグレノフルニ。鍾は、ngの韻の字であるから、シグの音に借りている。シグレは、秋の頃降る雨。
 落僧惜毛 チラクシヲシモ。僧は、法師の義をもつてシの音に借りている。訓假字である。「知僧裳無跡《シルシモナシト》」(卷四、六五八)。
【評語】鹿と思いあつているハギというのが、特殊の説明である。人麻呂集所出の歌だから、鹿とハギとの關(209)係については、古い方だろう。
 
2095 夕されば 野邊の秋はぎ うら若み、
 露に枯れつつ 秋待ち難し。
 
 夕去《ユフサレバ》 野邊秋〓子《ノベノアキハギ》 末若《ウラワカミ》
 露枯《ツユニカレツツ》 金待難《アキマチガタシ》
 
【譯】夕方になれば、野邊の秋ハギは、伸びた枝先が若いので、露にいためられて、秋を待ちかねる。
【釋】末若 ウラワカミ。伸びた枝葉の末が若いので。
 金待難 アキマチガタシ。金は、五行説によつて、秋に當てて書いている。
【評語】 ハギの若い枝先が、露にいたむように見える風情を詠んでいる。ハギを愛する心がよくあらわれている。秋の歌ではないが、ハギの歌なので、秋に收めたのだろう。
 
右二首、柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
【釋】右二首 ミギノフタツハ。秋の雜歌の部には、人麻呂集の歌を、小題の下に分屬させている。人麻呂集には、別に小題に分けてはなかつたのだろう。
 
2096 眞葛原 なびく秋風 吹くごとに、
 阿太《あだ》の大野の はぎが花散る。
 
 眞葛原《マクズハラ》 名引秋風《ナビクアキカゼ》 毎v吹《フクゴトニ》
 阿太乃大野之《アダノオホヌノ》 〓子花散《ハギガハナチル》
 
【譯】クズの原の靡く秋風の吹く度に、阿太の大野のハギの花が散る。
【釋】眞葛原 マクズハラ。マは接頭語。クズの這い廣がつている原で、阿太の大野の一部である。
 阿太乃大野之 アダノオホノノ。阿太は、奈良縣字智郡。奈良縣内における吉野川の下流の右岸の地。
(210)【評語】秋風がクズの繁りの上を渡つて吹いてきて、その度にハギの花のほろほろとこぼれる風趣が描かれている。秋の野のおもかげはよく傳えられている。ただ眞葛原というのが、地名のようにも聞えて、阿太の大野との關係が、對立するように感じられるのが、難點である。
 
2097 鴈がねの 來喧《きな》かむ日まで
 見つつあらむ、
 このはぎ原に 雨なふりそね。
 
 鴈鳴之《カリガネノ》 來喧牟日及《キナカムヒマデ》
 見乍將v有《ミツツアラム》
 此〓子原尓《コノハギハラニ》 雨勿零根《アメナフリソネ》
 
【譯】鴈の來て鳴く日まで見ていたいと思う、このハギ原に、雨よ降らないでくれ。
【釋】來喧牟日及 キナカムヒマデ。鴈の來て鳴くのは、秋深くなつてからで、ハギの花よりはおくれるので、かように言つている。
 見乍將有 ミツツアラム。連體句として解すべきである。
【評語】鴈ガネノ來鳴カム日マデの句で、秋深くなるまでの意をあらわしている。時久しくの意であるが、鴈の鳴く頃までもというあらわし方に、風情がある。
 
2098 奧山に 住むといふ鹿の、
 初夜《よひ》さらず 妻問《つまど》ふはぎの
 散らまく惜しも。
 
 奧山尓《オクヤマニ》 住云男鹿之《スムトイフシカノ》
 初夜不v去《ヨヒサラズ》 妻問〓子乃《ツマドフハギノ》
 散久惜裳《チラマクヲシモ》
 
【譯】奧山に任むという鹿の、宵ごとに妻として訪うハギの散るのが惜しい。
【釋】初夜不去 ヨヒサラズ。初夜ごとに。初夜と書いたのは、妻をおとずれる時間として、特に意を用いて(211)書いたのである。
 妻問〓子乃 ツマドフハギノ。ハギを鹿の妻とする心から、ハギのもとをおとずれるとしている。
【評語】奧山に住むという鹿が、宵毎におとずれるハギというので、ハギに對するなつかしみがよく描かれている。ハギを妻として、鹿がおとずれるという風雅な構想が中心となつている。
 
2099 白露の 置かまく惜しみ、
 秋はぎを 折りのみ折りて
 置きや枯らさむ。
 
 白露乃《シラツユノ》 置卷惜《オカマクヲシミ》
 秋〓子乎《アキハギヲ》 折耳折而《ヲリノミヲリテ》
 置哉枯《オキヤカラサム》
 
【譯】白露の置くのを惜しんで、秋ハギを、折るばかり折つて、置いて枯らすのだろうか。
【釋】折耳折而 ヲリノミヲリテ。折るには折つたが、折るばかりで。
 置哉枯 オキヤカラサム。うち置いてか枯らすだろう。枯れるのを惜しむ心である。
【評語】 ハギを愛するあまり、折るには折つたが、さてどうということもなく枯らすのかと歎いている。思い入つた風情で、どこまでもハギをあわれむ心が描かれている。
 
2100 秋田刈る 假廬《かりほ》の宿《やど》り にほふまで
 咲ける秋はぎ 見れど飽かぬかも。
 
 秋田苅《アキタカル》 借廬之宿《カリホノヤドリ》 爾穗經及《ニホフマデ》
 咲有秋〓子《サケルアキハギ》 雖v見不v飽香聞《ミレドアカヌカモ》
 
【譯】秋の田を刈るための假廬の宿に、花の色が映ずるまでに咲いている秋ハギは、見ても飽きないことだなあ。
【釋】秋田苅借廬之宿 アキタカルカリホノヤドリ。秋の田を刈るために、田のかたわらに假小舍を作つては(212)いつている、その宿り。
 丹穗經及 ニホフマデ。ハギの花の色が映つて見えるまで。
【評語】秋の田のほとりの假廬の生活に、咲き亂れるハギを愛する心が歌われている。實詠かどうかはわからないが、田園の風趣の味わわれる歌だ。但し五句の見レド飽カヌカモは、古風で大がかりで、こういう題材には適しない。ハギの花の美を直寫する手段に出るべきであつた。
 
2101 わが衣《ころも》 摺れるにはあらず。
 高松の 野邊行きしかば、
 はぎの摺《す》れるぞ。
 
 吾衣《ワガコロモ》 楷有者不v在《スレルニハアラズ》
 高松之《タカマツノ》 野邊行之者《ノベユキシカバ》
 〓子之楷類曾《ハギノスレルゾ》
 
【譯】わたしの著物は、わざわざ摺つたのではありません。高松の野邊を行つたので、ハギが摺つたのです。
【釋】楷有者不在 スレルニハアラズ。楷は、型を置いて摺つて染めるをいう。ここはハギの花の染料で染めたのではない由である。句切。
 高松之 タカマツノ。タカマツは、高圓に同じとされている。
 野邊行之者 ノベユキシカバ。カに當る文字無く、補つて讀む。
【評語】 ハギの花が一面に咲いている野邊を行くと、その花の色で、著物が染まるという構想で、これは類歌も多い。この歌は、それによつて、わざわざ摺つたのではなく、ハギが摺つたのだという點に、興味を置いている。染料のすくなかつた當時は、ハギの花なども、染料として使用されたのである。
 
2102 この暮《ゆふべ》 秋風吹きぬ。
(213) 白露に あらそふはぎの
 明日咲かむ見む。
 
 此暮《コノユフベ》 秋風吹奴《アキカゼフキヌ》
 白露尓《シラツユニ》 荒爭〓子之《アラソフハギノ》
 明日將レ咲見
 
【譯】この夕方、秋風が吹いた。白露に爭つているハギの、明日咲きそうなのを見よう。
【釋】荒爭〓子之 アラソフハギノ。アラソフは、露は、ハギの花を咲かせようとして誘うが、ハギは、それに對して、みだりに咲くまいとする意にいう。「春雨爾《ハルサメニ》 相爭不v勝而《アラソヒカネテ》 吾屋前之《ワガニハノ》 櫻花者《サクラノハナハ》 開始爾家里《サキソメニケリ》」(卷十、一八六九)、「白露爾《シラツユニ》 荒爭金手《アラソヒカネテ》 咲芽子《サケルハギ》 散惜兼《チラバヲシケム》 雨莫零根《アメナフリソネ》」(同、二一一六)。
【評語】雨露が花を咲かせようとし、木草の花が、一往それを拒むようにあらそうとする考えかたは、男が女を誘つた時の事情に、思い寄せているらしい。自然の關係を、人事に擬して解釋しようとするもので、親しみを感じさせる。
 
2103 秋風は 冷《すず》しくなりぬ。
 馬|竝《な》めて いざ野に行かな。
 はぎが花見に。
 
 秋風《アキカゼハ》 冷成奴《スズシクナリヌ》
 馬竝而《ウマナメテ》 去來於v野行奈《イザノニユカナ》
 〓子花見尓《ハギガハナミニ》
 
【譯】秋風は涼しくなつた。さあ馬をつらねて、野に行きたいものだ。はぎの花を見に。
【釋】去來於野行奈 イザノニユカナ。去來をイザに當てている例は多い。來は添辭で、去《ゆ》けと催す語なので、イザに借りているのだろう。ユカナは、願望の語法。句切。
【評語】馬竝メテという所に、作者の地位が窺われる。大伴氏あたりの調子である。ハギの花を見に馬を遠乘しようという、自然を愛する貴族生活が描かれている。
 
(214)2104 朝貌は 朝露|負《お》ひて 咲くと云へど、
 夕|陰《かげ》にこそ 咲きまさりけれ。
 
 朝杲《アサガホハ》 朝露負《アサツユオヒテ》 咲雖v云《サクトイヘド》
 暮陰社《ユフカゲニコソ》 咲益家禮《サキマサリケレ》
 
【譯】朝貌の花は、朝露を負うて咲くというけれども、夕方の光に一層咲きまさつて見える。
【釋】朝杲 アサガホハ。アサガホは、今の何に當るか、諸説がある。キキヨウ、ムクゲ、ヒルガオなどいう。「朝貌之花《アサガホノハナ》」(卷八、一五三八)參照。杲をカホに當てることは、「見杲石山跡《ミガホシヤマト》」(卷三、三八二)參照。
 暮陰社 ユフカゲニコソ。ユフカゲは、夕方の光線。「吾屋戸乃《ワガヤドノ》 秋之〓子開《アキノハギサク》 夕影爾《ユフカゲニ》 今毛見師香《イマモミテシカ》 妹之光儀乎《イモガスガタヲ》」(卷八、一六二二)、「春野爾《ハルノノニ》 霞多奈?伎《カスミタナビキ》 宇良悲《ウラガナシ》 許能暮影爾《コノユフカゲニ》 鶯奈久母《ウグヒスナクモ》」(卷十九、四二九〇)。
 咲益家禮 サキマサリケレ。一層花色を増したよしである。
【評語】朝貌の名に、かならずしも拘泥しないことを歌つている。よくその花を見ている。すなおな表現だ。
 
2105 春されば 霞隱《かすみがく》りて 見えざりし
 秋はぎ咲けり。
 折りてかざさむ。
 
 春去者《ハルサレバ》 霞隱《カスミガクリテ》 不v所v見有師《ミエザリシ》
 秋〓子咲《アキハギサケリ》
 折而將2插頭1《ヲリテカザサム》
 
【譯】春になると霞がかかつて見えなかつた、秋ハギが咲いている。折つてかざしにしよう。
【釋】春去者 ハルサレバ。春になればだが、春の頃はの意に使つている。
【評語】霞ガクリテ見エザリシというのは、霞がかかつており、ハギもその頃は特に目立たなかつたのを、大がかりに言つている。秋のハギを歌うために、わざわざ春から歌い起したのは、手段である。
 
2106 沙額田《さぬかだ》の 野邊の秋はぎ、
(215) 時しあれば 今盛りなり。
 折りてかざさむ。
 
 沙額田乃《サヌカダノ》 野邊乃秋〓子《ノベノアキハギ》
 時有者《トキシアレバ》 今盛有《イマサカリナリ》
 折而將2插頭1《ヲリテカザサム》
 
【譯】沙額田の野邊の秋ハギは、時節になつたので、今さかりだ。折つてかざしにしよう。
【釋】沙額田乃 サヌカダノ。サヌカダは、奈良縣生駒郡の額田に、接頭語サを添えたようだ。地名に接頭語サを添える例は、「左檜乃熊《サヒノクマ》 檜隈川之《ヒノクマガハノ》」(卷七、一一〇九)。既出の「狹野方《サノカタ》」(卷十、一九二八)とは、ノの音が違うから別だろう。
【評語】 ハギの盛りを歌つて、すなおな表現である。しかし地名は、入れ替えが利きそうで、何處でもよい。今盛リナリの句も、慣用句だ。
 
2107 殊更に 衣《ころも》は摺らじ。
 女郎花 咲く野《の》のはぎに
 にほひて居らむ。
 
 事更尓《コトサラニ》 衣者不v楷《コロモハスラジ》
 佳人部爲《ヲミナヘシ》 咲野之〓子尓《サクノノハギニ》
 丹穗日而將v居《ニホヒテヲラム》
 
【譯】特に著物は摺らない。オミナエシの咲く野のハギに染めていよう。
【釋】佳人部爲 ヲミナヘシ。枕詞。オミナエシが咲くと、野を修飾する。「娘子部四《ヲミナヘシ》 咲澤二生流《サクサハニオフル》 花勝見《ハナカツミ》」(卷四、六七五)參照。
 咲野之〓子尓 サクノノハギニ。咲く野のハギに。
 丹穗日而將居 ニホヒテヲラム ニホヒテは、ハギの花の色が映つて、色に染めたようにあるをいう。
【評語】美しい歌だが、幾分のわざとらしさは感じられる。ハギの花に埋もれている自分を想像している。染(216)色しない素色の衣服なので、こういう歌が詠まれるのである。
 
2108 秋風は とくとく吹き來《こ》。
 はぎが花 散らまく惜しみ
 競《きほ》ひ立つ見む。
 
 秋風者《アキカゼハ》 急々《トクトク・ハヤハヤ》吹來《フキコ》
 〓子花《ハギガハナ》 落卷惜三《チラマクヲシミ》
 競立見《キホヒタツミム》
 
【譯】秋風は、いそいで吹いてこい。ハギの花が散るのを惜しんで、爭い立つのを見よう。
【釋】急々吹來 トクトクワキコ。
  ハヤシフキケリ(元赭)
  トクトクフキコ(新訓)
  ――――――――――
  急之吹來《ハヤクシフキテ》(代初)
  急之吹來《ハヤクシフケリ》(代精)
  急之吹來《ハヤクシフキク》(代精)
  急久吹來《ハヤクフキキヌ》(童)
  急之吹來《イタクフキキヌ》(考)
 急々は、ハヤハヤとも讀まれる。急速の意である。句切。
 競立見 キホヒタツミム。
  キソヒタチミム(考)
  キホヒタチミム(古義)
  キホヒタツミム(新訓)
  ――――――――――
  競竟《キホヒキホヒニ》(元赭)
  競竟《アラソヒハテツ》(代初)
  競覽《キホヒテゾミム》(新考)
  競竟《キホヒワタラム》(總索引)
(217) 立見は、諸本に竟とあり、考に立見の誤りとするのを採つた。
【評語】ハギの花の動態の描かれている歌だ。秋風が吹いて、ハギの花が反抗するように、立ちあがる?が希望の語法をもつて巧みに寫されている。
 
2109 わが屋前《には》の はぎの若末《うれ》長し。
 秋風の 吹きなむ時に
 咲かむと思ひて。
 
 我屋前之《ワガニハノ》 〓子之若末長《ハギノウレナガシ》
 秋風之《アキカゼノ》 吹南時尓《フキナムトキニ》
 將v開跡思手《サカムトオモヒテ》
 
【譯】わたしの屋前のハギの伸びた枝先が長い。秋風の吹くだろう時に、咲こうと思つて。
【釋】〓子之若末長 ハギノウレナガシ。若末は、若く伸びた枝先。「葦若末乃《アシノウレノ》」(卷二、一二八)。句切。
【評語】 ハギをよく描いている。秋のくるのを待つ心が伺われる。秋の歌ではないが、ハギの歌なので秋に收めている。
 
2110 人皆は はぎを秋といふ。
 よし吾は 尾花が末《うれ》を 秋とは言はむ。
 
 人皆者《ヒトミナハ》 〓子乎秋云《ハギヲアキトイフ》
 縱吾等者《ヨシワレハ》 乎花之末乎《ヲバナガウレヲ》 秋跡者將v言《アキトハイハム》
 
【譯】人は皆、ハギの花が秋のしるしだというが、よしわたしは、尾花の穗末を、秋と云おうよ。
【釋】〓子乎秋云 ハギヲアキトイフ。アキトイフは、秋の特色のあるもの、秋の尤物、秋の代表として、もてはやす意。句切。
 縱吾等者 ヨシワレハ。ヨシは、上を受けて、それはそれとしての意に、下文を起している。「雪寒三《ユキサムミ》 咲者不v開《サキニハサカズ》 梅花《ウメノハナ》 縱比來者《ヨシコノゴロハ》 然而毛有金《シカモアルガネ》」(卷十、二三二九)。
(218)【評語】人々がハギを愛賞するのに對して、尾花の美を提唱している。尾花こそ秋のものだという心である。尾花を愛する歌は多く、上代人の趣味の落ちついたものであることを語つている。なお何ヲ秋トイフの表現は特殊のものだ。
 
2111 玉|梓《づさ》の公が使の 手折《たを》りける
 この秋はぎは 見れど飽かぬかも。
 
 玉梓《タマヅサノ》 公之使乃《キミガツカヒノ》 手折來有《タヲリケル》
 此秋〓子者《コノアキハギハ》 雖v見不v飽鹿裳《ミレドアカヌカモ》
 
【譯】あなたのお使の折つてきたこの秋ハギは、見ても飽きないことですよ。
【釋】玉梓 タマヅサノ。枕詞。公ガを隔てて、使に冠している。
 手折來有 タヲリケル。來有の字を書いているのは、助動詞でなくて、來てある意を表示している。
【評語】類型的な表現で、ただ君が使の持つて來た秋ハギの花を賞美しているまでである。使を待たせて、すぐ返事に書いた歌だろう。
 
2112 わが屋前《には》に 咲ける秋はぎ、
 常ならば
 わが待つ人に 見せましものを。
 
 吾屋前尓《ワガニハニ》 開有秋〓子《サケルアキハギ》
 常有者《ツネナラバ》
 我待人尓《ワガマツヒトニ》 令v見?物乎《ミセマシモノヲ》
 
【譯】わたしの屋前に咲いている秋ハギは、永く咲くものなら、わたしの待つ人に見せましたろうものを。
【釋】常有者 ツネナラバ。變らずに咲いているものならば。
 令見?物乎 ミセマシモノヲ。猿をマシに借りている。猿をマシラというのは、梵語のmarkata(飜譯名義集に摩斯?)の轉だという。しかし古くマシといい、マシラの文獻は新しいのだから、この説は疑わしい。
(219)【評語】ハギの花の盛りの久しくないのを歎いている。ハギでなくてもよさそうな歌である。
 
2113 たきそなひ 植ゑしなしるく、
 出で見れば、
 屋前《には》の早《はつ》はぎ 咲きにけるかも。
 
 手寸十名相《タキソナヒ》 殖之名知久《ウエシナシルク》
 出見者《イデミレバ》
 屋前之早〓子《ニハノハツハギ》 咲尓家類香聞《サキニケルカモ》
 
【譯】支度をして植えた效があつて、出て見れば、屋前の早咲のハギは、咲いたことだ。
【釋】手寸十名相 タキソナヒ。舊訓テモスマニとあり、仙覺に至つてタキソナヘと訓を改めたが、その萬葉集註釋に「テモスマニトイフ古語ハハヘルトモ、コノ發句、シカハエヨマレス。タキソナヘトハ、タキハ、アクル也。アケソナヘトイフコトハ也。クサキハウフルトキニ、フカクウエタルハ、アシキ也」とあるが、その解は首肯されない。これは古事記下卷、雄略天皇の御製の歌に「斯漏多閇能《シロタヘノ》 蘇弖岐蘇郵布《ソデキソナフ》 多古牟良爾《タコムラニ》 阿牟加岐都岐《アムカキツキ》」(九八)とあるを參照して解くべきである。その歌のソデキソナフは、袖著具フなるべく、白栲の袖を著て装つている意に解せられる。そのソデが手の字に代つているだけと見られる。動詞ソナフは、本集には用例が無いが、古事記にソナフで連體形を作り、また相の字は、多くアヒ、アフと讀まれているから、タキソナヒと讀むべきである。タは手の意だが、接頭語となり、熟語として、身支度をして、殊に手を使うのに便宜なようにするをいうのであろう。
 殖之名知久 ウエシナシルク。ナは助詞。「後奈居而《オクレナヲリテ》」(卷九、一七八〇)參照。
 屋前之早〓子 ニハノハツハギ。ヤドノワサハギ(和歌童蒙抄)、ヤドノハツハギ(西)、ニハノワサハギ(新訓)。ワサは、ワサダ、ワサホなど、稻にいう例である。「梅之早花《ウメノハツハナ》」(卷十、二三二八)と共に早をハツと讀むのが穩やかであろう。早咲きのハギである。
(220)【評語】みずから植えたハギが、丹精のかいがあつて咲いた喜びが歌われている。誤字説などの行われていた歌であるが、しいて誤字説を採るに及ばない。
 
2114 わが屋外《やど》に 植ゑ生《おほ》したる 秋はぎを、
 誰《たれ》か標《しめ》さす。
 吾に知らえず。
 
 吾屋外尓《ワガヤドニ》 殖生有《ウヱオホシタル》 秋〓子乎《アキハギヲ》
 誰標刺《タレカシメサス》
 吾尓不v所v知《ワレニシラエズ》
 
【譯】わたしの家の外に、植えて育てた秋ハギを、誰が繩を張つたのか、わたしに知れないように。
【釋】誰標刺 タレカシメサス。シメサスは、標をさす。シメは占有の表示。標について多くユフというのは、繩を使用するからである。サスと言つても、木をさすとは限らない。シメを行うことをいうと解せられる。「葛城乃《カヅラキノ》 高間草野《タカマノクサノ》 早知而《ハヤシリテ》 標指益乎《シメササマシヲ》 今悔拭《イマゾグヤシキ》」(卷七、一三三七)。
【評語】これは譬喩歌である。自分のもとにいる女子を秋ハギにたとえている。多分作者の女だろう。標を結うことを、譬喩に使うことは例があり、この歌の特色とは云われない。
 
2115 手に取れば 袖さへにほふ 女郎花《をみなへし》、
 この白露に 散らまく惜しも。
 
 手取者《テニトレバ》 袖并丹覆《ソデサヘニホフ》 美人部師《ヲミナヘシ》
 此白露尓《コノシラツユニ》 散卷惜《チラマクヲシモ》
 
【譯】手に取れば袖までも色づくオミナエシよ、この白露に散ろうとするのが惜しい。
【釋】袖并丹覆 ソデサヘニホフ。覆は、オホフの下部を音聲としている訓假字。袖まで色がうつつて美しく見える。連體句。
【評語】手ニ取レバ袖サヘニホフ女郎花の句は美しく、それに白露を配したのも美しいが、白露に散るのが惜(221)しいというのは、生えたままのオミナエシのようであり、中心が二重になつている。またオミナエシに散るというのも適切でない。四五句は、吟味なしに成句を使用したためであろう。
 
2116 白露に 爭ひかねて 咲けるはぎ、
 散らば惜しけむ。
 雨なふりそね。
 
 白露尓《シラツユニ》 荒爭金手《アラソヒカネテ》 咲〓子《サケルハギ》
 散惜兼《チラバヲシケム》
 雨莫零根《アメナフリソネ》
 
【譯】白露に爭い得ないで咲いているハギは、散つたら惜しいだろう。雨よ降らないでくれ。
【釋】荒爭金手 アラソヒカネテ。露は、花を催すのを、花は咲くまいとするが、それに抗しかねて。
【評語】既出の、「白露にあらそふはぎ」(二一〇二)の歌と同じ内容である。やはり、白露ニ爭ヒカネテに特色があるが、四五句の表現は類型的で、前の歌に及ばない。
 
2117 娘子らに 行相《ゆきあひ》の早稻《わせ》を
 刈る時に 成りにけらしも。
 はぎが花咲く。
 
 ※[女+感]嬬等尓《ヲトメラニ》 行相乃速稻乎《ユキアヒノワセヲ》
 苅時《カルトキニ》 成來下《ナリニケラシモ》
 〓子花咲《ハギガハナサク》
 
【譯】娘子たちに行き合う。その往還のほとりの早稻を刈る時になつたらしい。ハギの花が咲いた。
【釋】※[女+感]嬬等尓 ヲトメラニ。枕詞。娘子等に行き逢うというので、行相に冠している。
 行相乃速稻乎 ユキアヒノワセヲ。ユキアヒは、行つて出逢う處の義で、往還、道路をいう。その道路の近傍にある田の早稻をである。「射行相乃《イユキアヒノ》 坂之蹈本爾《サカノフモトニ》」(卷九、一七五二)のイユキアヒに同じく、それは接頭語イを有しているだけの相違である。
(222)【評語】 ハギの花の咲くによつて、早稻の刈時の來たことを歌つている。實際の耕作生活としては、早稻の刈時にハギの咲くことを取り扱つたものであるが、これらの事物の上に、生活に關係の深い季節の推移を見て行くところに、意義が多い。歌としても感じのよい作である。
 
2118 朝霧の たなびく小野の はぎが花、
 今か散るらむ。
 いまだ飽かなくに。
 
 朝霧之《アサギリノ》 棚引小野之《タナビクヲノノ》 〓子花《ハギガハナ》
 今《イマ》哉《カ・ヤ》散濫《チルラム》
 未v※[厭のがんだれなし]尓《イマダアカナクニ》
 
【譯】朝霧のたなびく野原のハギの花は、今ごろ散つているだろうか。
まだ厭きないのに。
【釋】朝霧之棚引小野之 アサギリノタナビクヲノノ。アサギリノタナビクは、秋の野の實景である。
 今哉散濫 イマカチルラム。哉は、普通にヤと讀まれる字であるが、カに當てたかと見られるところもある。ここもイマカチルラムの例句のあるのによるべきだろう。
【評語】朝霧のたなびく野を遠望して詠んでいる。日頃愛して來たハギの花の、もはや終りに近づいたことを歎いている。自然の推移に關心を持つ生活から生まれた歌である。
 
2119 戀しくは 形見にせよと
 わが夫子が 植ゑし秋はぎ、
 花咲きにけり。
 
 戀之久者《コヒシクハ》 形見爾爲與登《カタミニセヨト》
 吾背子我《ワガセコガ》 殖之秋〓子《ウエシアキハギ》
 花咲尓家里《ハナサキニケリ》
 
【譯】戀しかつたら形見にせよと言つて、あの方の植えた秋ハギの花が咲いている。
(223)【釋】戀之久者 コヒシクハ。コヒシクには、二種あり、ここは形容詞の副詞形で、戀しくあらばの意をなしている。「戀敷者《コヒシクハ》 氣長物乎《ケナガキモノヲ》」(卷十、二〇一七)參照。
【評語】君が形見として植えた花を見て、その人を思う情が描かれている。但し類歌があり、それとくらべて、花の名をさし替えたように見える。勿論前後は不明だが、花は何でもよいということになる。
【參考】類歌。
  戀しけば形見にせむとわが屋戸に植ゑし藤浪今咲きにけり(卷八、一四七一山部赤人)
 
2120 秋はぎに 戀|盡《つく》さじと 念《おも》へども
 しゑや惜《あたら》し また逢はめやも。
 
 秋〓子《アキハギニ》 戀不v盡跡《コヒツクサジト》 雖v念《オモヘドモ》
 思惠也安多良思《シヱヤアタラシ》 又將v相八方《マタアハメヤモ》
 
【譯】秋ハギゆえに戀の心をつくすまいと思うけれども、ええ惜しいことだ。また逢わないだろう。
【釋】戀不盡跡 コヒツクサジト。戀の心をつくすまいと。戀いて惱むまいと。前出の「年之戀《トシノコヒ》 今夜盡而《コヨヒツクシテ》」(卷十、二〇三七)などの戀をつくすとは別である。
 思惠也安多良思 シヱヤアタラシ。シヱヤは、感動の副詞。どうでもなれというような場合に使う。アタラシは、惜しむべくある意の形容詞。句切。
【評語】感動の語を使つて、活?な云い方をしている。ハギに對して、どうともならない氣もちがわかる。表現に特色のある歌である。
 
2121 秋風は 日《ひ》にけに吹きぬ。
 高|圓《まと》の 野邊の秋はぎ
 散らまく惜しも。
 
 秋風者《アキカゼハ》 日異吹奴《ヒニケニフキヌ》
 高圓之《タカマトノ》 野邊之秋〓子《ノベノアキハギ》
 散卷惜裳《チラマクヲシモ》
 
(224)【譯】秋風は、日ましに吹いてきた。高圓の野邊の秋ハギの、散ろうとするのが惜しい。
【釋】日異吹奴 ヒニケニフキヌ。ヒニケニは、日に殊にで、日ましに。句切。
【評語】すなおな歌だが、それだけに平凡の境を出ない。高圓のハギの花を思いやつている作だろう。
 
2122 丈夫《ますらを》の 心はなくて、
 秋はぎの 戀のみにやも
 なづみてありなむ。
 
 大夫之《マスラヲノ》 心者無而《ココロハナクテ》
 秋〓子之《アキハギノ》 戀耳八方《コヒノミニヤモ》
 奈積而有南《ナヅミテアリナム》
 
【譯】男子の心は無くして、秋ハギに對する戀にばかりに苦勞しているべきではない。
【釋】大夫之心者無而 マスラヲノココロハナクテ。立流な男の心を失つて。
 戀耳八方 コヒノミニヤモ。ヤモは、疑問の係助詞で、反語になる。
 奈積而有南 ナヅミテアリナム。ナヅミは、拘泥して、苦勞して。この句、上のヤモを受けて、反語になり、苦しんであるだろう、そんな事はあるべきでないの意になる。
【評語】秋ハギに對するめめしい戀に惱されていてはならないのだが、しかし實際そうは行かないのを、男子としての理性から説いている。女子に對する戀を、かような形で歌つているのはあるが、秋ハギに對して、歌つているのが特色である。しかしむりに作つたような感じを受ける。
 
2123 わが待ちし 秋は來たりぬ。
 然れども はぎの花ぞも
 いまだ咲かずける。
 
 吾待之《ワガマチシ》 秋者來奴《アキハキタリヌ》
 雖v然《シカレドモ》 〓子之花曾毛《ハギノハナゾモ》
 未v開家類《イマダサカズケル》
 
(225)【譯】わたしの待つた秋は來た。しかしながらハギの花は、まだ咲かないでいる。
【釋】〓子之花曾毛 ハギノハナゾモ。ゾモは、ゾに同じ。モは、感動の助詞。
【評語】おそろしくすなおな表現である。それでいてハギの咲くのを待つ心は相當に表現されている。然レドモなどを使つたのが、四角ばつて聞えるけれども、これは遊行女婦の歌(卷六、九六六)にもあり、當時としては平語であつたのだろう。
 
2124 見まく欲《ほ》り わが待ち戀ひし
 秋はぎは、
 枝もしみみに 花咲きにけり。
 
 欲v見《ミマクホリ》 吾待戀之《ワガマチコヒシ》
 秋〓子者《アキハギハ》
 枝毛思美三荷《エダモシミミニ》 花開二家里《ハナサキニケリ》
 
【譯】見たいと思つてわたしの待つて戀うていた秋ハギは、枝いつぱいに花が咲いた。
【釋】枝毛思美三荷 エダモシミミニ。シミミは「萱草《ワスレグサ》 垣毛繁森《カキモシミミニ》 雖2殖有1《ウヱタレド》」(卷十二、三〇六二)の繁森の字を、シミミニと讀むべきが如くであり、これによつて茂つている意の形容であることが知られる。この語は、「春山跡《ハルヤマト》 之美佐備立有《シミサビタテリ》」(卷一、五二)、「烏梅乃花《ウメノハナ》 美夜萬等之美爾《ミヤマトシミニ》 安里登母也《アリトモヤ》」(卷十七、三九〇二)のシミと關係あるべく、多分そのシミを重ね、それに助詞ニが接續して副詞を作つたのだろう。
【評語】前の歌の時を經て、いよいよハギの花がいつぱいに咲いた喜びに逢つた。十分に樂しんでいる心が言外に溢れている。枝モシミミニ花咲キニケリの敍述だけで、打ち切つたのがよい。
 
2125 春日野の はぎし散りなば、
 朝|東風《こち》の 風に副《たぐ》ひて
(226) 此處《ここ》に散《ち》り來《こ》ね。
 
 春日野之《カスガノノ》 〓子落者《ハギシチリナバ》
 朝東《アサコチノ》 風尓副而《カゼニタグヒテ》
 此間尓落來根《ココニチリコネ》
 
【譯】春日野のハギが散つたなら、朝の東風に伴なつて、此處に散つてきてくれ。
【釋】風尓副而 カゼニタグヒテ。風に伴なつて。風と共に。
 此間尓落來根 ココニチリコネ。ココは、春日野から東風に吹かれてこよというので、春日の西であることは確かである。大伴氏の佐保の宅あたりではないか。
【評語】春日野のハギを思いやつて詠んでいる。朝東風ノ風ニタグヒテという所に風情がある。
 
2126 秋はぎは
 雁に逢はじと 言へればか、【一は云ふ、言へれかも】
 聲を聞きては 花に散りぬる。
 
 秋〓子者《アキハギハ》
 於v鴈不v相常《カリニアハジト》 言有者香《イヘレバカ》【一云言有可聞】
 音乎聞而者《コエヲキキテハ》 花尓散去流《ハナニチリヌル》
 
【譯】秋ハギは雁に逢わないと言つているからか、雁の聲を聞いては、花になつて散つて行く。
【釋】於雁不相常 カリニアハジト。アハジは、逢うまいだが、アフとは、女が男に逢うをいい、婚姻を承諾することになる。
 花尓散去流 ハナニチリヌル。ハナニチルは、花として散るをいう。離れ離れになつて散る意があるのだろう。花に咲くともいう。「吾屋戸能《ワガヤドノ》 殖木橘《ウヱキタチバナ》 花爾知流《ハナニチル》 時乎麻太之美《トキヲマダシミ》」(卷十九、四二〇七)。
【評語】雁の鳴く頃にハギの散ることを歌つている。ハギに心があつて散るように歌つている。
 
2127 秋さらば 妹に見せむと 植ゑしはぎ、
 露霜|負《お》ひて 散りにけるかも。
 
 秋去者《アキサラバ》 妹令v視跡《イモニミセムト》 殖之〓子《ウヱシハギ》
 露霜負而《ツユジモオヒテ》 散來毳《チリニケルカモ》
 
(227)【譯】秋になつたら、妻に見せようと思つて植えたハギは、露霜を負つて散つてしまつたことだ。
【釋】露霜負而 ツユジモオヒテ。露霜を受けて。「秋〓子者《アキハギハ》 露霜負而《ツユジモオヒテ》 落去之物乎《チリニシモノヲ》」(巻八、一五八〇)。
【評語】妹に見せようとして植えたハギの散つたことを歌つている。その妹については、何とも説明していないが妹が見ていないことはあきらかであり、そこでさびしい氣もちになつている。妹は死んだのかも知れない。
 
詠v鴈
 
2128 秋風に 大和へ越ゆる 雁がねは、
 いや遠ざかる。
 雲がくりつつ。
 
 秋風尓《アキカゼニ》 山跡部越《ヤマトヘコユル》 鴈鳴者《カリガネハ》
 射矢遠放《イヤトホザカル》
 雲隱筒《クモガクリツツ》
 
【譯】秋風の吹く空に大和へ越える雁は、いよいよ遠ざかつて行く。雲に隱れながら。
【釋】秋風尓 アキカゼニ。秋風に吹かれて。秋風の吹くのになどの意味に、秋風を提示している。
【評語】難波あたりにいて、なつかしい大和の空へ飛んで行く雁の婆を見送つて詠んでいる。その見えなくなつてゆくのを描いた四五句は、よくその情を表現している。
【參考】類歌。
  秋風に山飛び越ゆる雁がねの聲遠ざかる。雲隱るらし(卷十、二一三六)
 
2129 明闇《あけぐれ》の 朝霧|隱《がく》り
 鳴きて行く 雁は、わが戀《こひ》
(228) 妹に告げこそ
 
 明闇之《アケグレノ》 朝霧隱《アサギリガクリ》
 鳴而去《ナキテユク》 鴈者吾戀《カリハワガコヒ》
 於v妹告社《イモニツゲコソ》
 
【譯】夜あけのくらい朝雲がくれに鳴いて行く雁は、わたしの戀を妻に告げてください。
【釋】明闇之 アケグレノ。アケグレは、夜があけてまだ闇いのをいう。巧みな語だ。ユフグレ(夕暮)に對する語。「明晩乃《アケグレノ》 旦霧隱《アサギリガクリ》 鳴多頭乃《ナクタヅノ》 哭耳之所v哭《ネノミシナカユ》」(卷四、五〇九)。
【評語】雁に托して、思いを妻に寄せようとしている。雁の敍述があつて、その意が生きてくる。
 
2130 わが屋戸《やど》に 鳴きし雁がね、
 雲の上に 今夜《こよひ》喧《な》くなり。
 國へかも行く。
 
 吾屋戸尓《ワガヤドニ》 鳴之鴈哭《ナキシカリガネ》
 雲上尓《クモノウヘニ》 今夜喧成《コヨヒナクナリ》
 國方可聞遊群《クニヘカモユク》
 
【譯】わたしの宿で鳴いた雁は、雲の上で今夜鳴いている。國へ行くのだろうか。
【釋】國方可聞遊群 クニヘカモユク。カモは、係助詞。
【評語】家のほとりで鳴いた雁を、今夜は遠く雲の上に聞いた。それが國へ行くのかと歌つたのは、作者の望郷の念の表情である。情趣は感じられる。春の歸雁を詠んだのではなく、國というのは、作者の郷里である。
 
2131 さを鹿の 妻とふ時に、
 月をよみ 雁が音《ね》聞ゆ。
 今し來《く》らしも。
 
 左小壯鹿之《サヲシカノ》 妻問時尓《ツマドフトキニ》
 月乎吉三《ツキヲヨミ》 切木四之泣所v聞《カリガネキコユ》
 今時來等霜《イマシクラシモ》
 
【譯】男鹿が妻を訪う時に、月がよいので、雁の聲が聞える。今くるらしい。
(229)【釋】切木四之泣所聞 カリガネキコユ。切木四は、?戯《シギ》の具を借りて、カリの音に當てている。「切木四哭之《カリガネノ》」(卷六、九四八)參照。
【評語】鹿の妻どいの聲の聞える月夜に、雁を取りあわせている。季節の聲に耳をすましている生活である。
 
2132 天雲《あまぐも》の 外《よそ》に雁がね 聞きしより
 はだれ霜|零《ふ》り 寒し、この夜は。
 
 天雲之《アマグモノ》 外鴈鳴《ヨソニカリガネ》 從2聞之1《キキシヨリ》
 薄垂霜零《ハダレジモフリ》 寒此夜者《サムシコノヨハ》
 
【譯】天の雲の遙な空に雁の聲を聞いてからは、はだれ霜が降つて寒い。今夜は。
【釋】外雁鳴 ヨソニカリガネ。ヨソニは、はるか遠くの空にの意をあらわしている。天雲のあるはるかな空にで、天雲以外の意ではない。
 薄垂霜零 ハダレジモフリ。ハダレジモは、ハダレに置く霜。うすい霜である。ハダレは「薄太禮爾零登《ハダレニフルト》」(卷八、一四二〇)參照。霜は置くものだが、天象のうちなので、フルという。
【評語】夜寒になりゆく秋が、巧みに描かれている。雁の聲が夜寒を告げる心である。別傳の、イヤ益々ニ云云よりは、はるかに本文の方がよい。別傳では、心が露出してしまつて含蓄がない。
 
一云、弥益々尓《イヤマスマスニ》  戀許曾増焉《コヒコソマサレ》
 
一は云ふ、いや益々に 戀こそ増され。
 
【釋】弥益々尓戀許曾増焉 イヤマスマスニコヒコソマサレ。前の歌の四五句の別傳である。本文の方は、季節感を中心とした歌であり、これは戀の情を訴えている。本文の方が眞實で、すぐれている。
 
(230)2133 秋の田の わが刈りばかの
 過ぎぬれば、
 雁が喧《ね》聞ゆ。
 冬|片設《かたま》けて。
 
 秋田《アキノタノ》 吾苅婆可能《ワガカリバカノ》
 退去者《スギヌレバ》
 鴈之喧所v聞《カリガネキコユ》
 冬方設而《フユカタマケテ》
 
【譯】秋の田のわたしの刈り處の時が過ぎて行くと、雁の聲が聞える。冬を待ち設けて。
【釋】吾苅婆可能 ワガカリバカノ。カリバカは、刈るべくある場處。ここはそのまさに刈るべき時である意が出ている。「秋田之《アキノタノ》 穗田乃苅婆加《ホダノカリバカ》 香縁相者《カヨリアハバ》」(卷四、五一二)。
 過去者 スギヌレバ。刈り終つたのをいう。刈るべくあつた時が過ぎた意である。
【評語】稻を刈り終つて、雁の聲が冬を待つように鳴いている。田園の風物詩である。
 
2134 葦邊なる をぎの葉さやぎ、
 秋風の 吹き來《く》るなへに、
 雁鳴き渡る。
 
 葦邊在《アシベナル》 荻之葉左夜藝《ヲギノハサヤギ》
 秋風之《アキカゼノ》 吹來苗丹《フキクルナヘニ》
 鴈鳴渡《カリナキワタル》
 
【譯】アシ邊のオギの葉がざわざわ鳴つて、秋風の吹いて來るそのおりに、雁が鳴いて行く。
【釋】荻之葉左夜藝 ヲギノハサヤギ。サヤギは、騒音を立てる。
【評語】水邊の秋を詠んで、よくその風趣を成している。難波あたりの作であろう。
 
一云、秋風尓《アキカゼニ》 鴈音所v聞《カリガネキコユ》  今四來霜《イマシクラシモ》
 
(231)一は云ふ、秋風に 雁がね聞ゆ。 今し來らしも。
 
【釋】秋風尓鴈音所聞今四來霜 アキカゼニカリガネキヨユイマシクラシモ。前の歌の三句以下の別傳であるが、これでは、二句との連絡がわるい。別の歌を切つて附けたようで、折角の初二句が生きてこない。
 
2135 おし照《て》る 難波堀江の 葦邊には、
 雁|宿《ね》たるらむ。
 霜のふらくに。
 
 押照《オシテル》 難波穿江之《ナニハホリエノ》 葦邊者《アシベニハ》
 鴈宿有疑《カリネタルラム》
 霜乃零尓《シモノフラクニ》
 
【譯】日光の照る難波堀江の葦邊では、雁が寐ているだろう。霜の降つているのに。
【釋】押照 オシテル。枕詞
 難波穿江之 ナニハホリエノ。ホリエは、河水を疎通するために掘つた水路。
 雁宿有疑 カリネタルラム。カリネタルカモ(元)、カリソネタラシ(代精)、カリネタルラシ(古義)。疑はカモ、またはラムに當てて使用していると見られる。ラシと讀んでいるものもあるが、これは確證はなく、他の語にも代えられるものである。ラムと讀まれる例には、「十月《カムナヅキ》 鍾禮乃雨丹《シグレノアメニ》 沾乍哉《ヌレツツヤ》 君之行疑《キミガユクラム》 宿可借疑《ヤドカカルラム》」(巻十二、三二一三)がある。そこでこの歌の場合、カモとラムと、どちらが適するかというに、文末のカモには疑意すくなく、また歌意よりして、鴨の寐ていることは、推量のほかはないものであるから、ラムと讀むを適當とする。句切。
【評語】寒い霜夜に寐る鴨を憐んでいる。特殊の敍述のない歌である。
 
2136 秋風に 山飛び越ゆる 雁がねの
(232) 聲遠ざかる。
 雲|隱《がく》るらし。
 
 秋風尓《アキカゼニ》 山飛越《ヤマトビコユル》 鴈鳴之《カリガネノ》
 聲遠離《コヱトホザカル》
 雲隱良思《クモガクルラシ》
 
【譯】秋風の吹く空に、山を飛び越える雁の聲が遠くなつて行く。雲に隱れるらしい。
【評語】既出の、「秋風に大和へ越ゆる」(卷十、二一二八)の類歌で、彼に見られる望郷の情を缺き、また聲だけを聞いて詠んでいる。山飛ビ越ユルは、視覺に訴え、聲遠ザカル、雲ガクルラシは、聲に依つている。矛盾のある作である。そこで初二句が雁の概念的な説明になつてしまう。
 
2137 朝に行く 雁の鳴く音《ね》は
 わが如く もの念《おも》へかも、
 聲の悲しき。
 
 朝尓往《アサニユク》 鴈之鳴音者《カリノナクネハ》
 如v吾《ワガゴトク》 物念可毛《モノオモヘカモ》
 聲之悲《コヱノカナシキ》
 
【譯】朝に往く雁の鳴く聲は、わたしのように物を思つてか、その聲の悲しいことだ。
【釋】朝尓往 アサニユク。ツトニユク(元赭)、アサニユク(新訓)。ツトニは、集中用例が無いので危まれる。アサニであろう。
 物念可宅 モノオモヘカモ。オモヘカモは、思えばかもの意の、疑問條件法。この物思いは、何の物思いか不明。
【評語】初句の朝が、格別利いていない。他物について、わが如くと敍して、結局自分の上を描く手段は、しばしば見られる。この歌は、それが自然に使われている。
 
2138 鶴がねの 今朝鳴くなへに、
(233) 雁がねは、
 何處《いづく》さしてか 雲|隱《がく》るらむ。
 
 多頭我鳴乃《タヅガネノ》 今朝鳴奈倍尓《ケサナクナヘニ》
 鴈鳴者《カリガネハ》
 何處指香《イヅクサシテカ》 雲隱良武《クモガクルラム》
 
【譯】鶴が今朝鳴くにつれて、鳴いて行く雁は、何處をさしてか、雲に隱れるのだろう。
【釋】多頭我鳴乃 タヅガネノ。タヅガネは、鶴が音の義だが、ただ鶴というに同じ。
【評語】鶴ガネと雁ガネとを、對句ふうに使つている。今朝鶴が鳴くにつけて、おりしも雁の聲が遠く聞えたのを歌つたのである。兩者の取り合わせが珍しい。水邊での作であろう。
 
2139 ぬばたまの 夜渡る雁は、
 おほほしく
 幾夜を經てか、おのが名を告《の》る。
 
 野干玉之《ヌバタマノ》 夜渡鴈者《ヨワタルカリハ》
 欝《オホホシク》
 幾夜乎歴而鹿《イクヨヲヘテカ》 己名乎告《オノガナヲノル》
 
【譯】くらい夜空を行く雁は、うつとうしく、幾晩を經てか、自分の名を名乘るのだろうか。
【釋】鬱 オホホシク。あきらかでない意の形容詞だが、ここは、オノガ名ヲ告ルさま、すなわち雁の聲がおほほしい感じなのであろう。
 己名乎告 オノガナヲノル。雁は、その鳴き聲によつてカリと呼ばれるので、その鳴くことを、自分の名を名のると云つている。
【評語】雁に寄せた寓意の歌で、訪い寄る男を雁に比している。雁を詠んだ歌としても成立する所に趣がある。
 
2140 あらたまの 年の經《へ》行けば、
 あともふと、
(234) 夜《よ》渡る吾を 問ふ人や誰《たれ》。
 
 璞《アラタマノ》 年之經往者《トシノヘユケバ》
 阿跡念登《アトモフト》
 夜渡吾乎《ヨワタルワレヲ》 問人哉誰《トフヒトヤタレ》
 
【譯】年が經て行けば、どう思うかと、夜空を渡るわたしを問う人は誰ですか。
【釋】璞 アラタマノ。枕詞、璞は、みがかない玉で、アラタマの語義を語るものと見られる。
 阿跡念登 アトモフト。何と思うと。引き連れる意のアトモフとは別。「安杼毛敝可《アドモヘカ》 阿自久麻夜末乃《アジクマヤマノ》 由豆流波乃《ユヅルハノ》 布敷麻留等伎爾《フフマルトキニ》 可是布可受可母《カゼフカズカモ》」(卷十四、三五七二)。
 問人哉誰 トフヒトヤタレ。ヤは、疑問の係助詞。
【評語】雁の語は無く、みずから雁になつて詠んでいる。前の歌と問答を成しているのであろう。雁が過ぎて行くので、今はどう思うかと今更らしく問うのは誰であるか、自分は變る心はないの意である。集中、鳥などになつた心で歌つているのは、「人こそは凡《おほ》にも言《い》はめ。わがここだしのふ河原を標《しめ》結ふなゆめ」(卷七、一二五二)などあり、かような物に親しんでいた生活が窺われる。
 
詠2鹿鳴1
 
2141 この頃の 秋の朝明に、
 霧|隱《がく》り 妻呼ぶ雄鹿《しか》の
 聲のさやけさ。
 
 比日之《コノゴロノ》 秋朝開尓《アキノアサケニ》
 霧隱《キリガクリ》 妻呼雄鹿之《ツマヨブシカノ》
 音之亮左《コヱノサヤケサ》
 
【譯】この頃の秋の明け方に、霧に隱れて妻を呼ぶ鹿の聲のよくとおることだ。
【釋】比日之 コノゴロノ。コノゴロは、幾日か續いているのにいう。
 聲之亮左 コヱノサヤケサ。サヤケサは、明徹である感じである。
(235)【評語】よく整つた歌で、鹿の聲を讃美している。霧ガクリで、秋らしい風景で、よく鹿の聲を生かしている。
 
2142 さを鹿の 妻ととのふと 鳴く聲の、
 至らむ極《きは》み なびけ、はぎ原。
 
 左男壯鹿之《サヲシカノ》 妻整登《ツマトトノフト》 鳴音之《ナクコヱノ》
 將v至極《イタラムキハミ》 靡〓子原《ナビケハギハラ》
 
【譯】男鹿が妻を引きつけるとて鳴く聲の、聞えるはてまで、靡けよ、ハギ原は。
【釋】妻整登 ツマトトノフト。トトノフトは、妻の鹿が、例えば他物などに心をひかれて氣が散つているなどを注意して、自分中心に行動させるをいう。「網子調流《アゴトトノフル》 海人之呼聲《アマノヨビゴヱ》」(卷三、二三八)などの用法である。
【評語】鹿の聲の聞える限りは、ハギよ靡けという。美しい情景を描いている。この歌の靡ケは、ただハギの美しくしなうことを要求しているので、人麻呂の作の靡ケコノ山などの靡ケとは違うが、句形はそれから出ているかも知れない。伊藤生更氏の文に、男鹿が鳴いて女鹿を呼ぶと、女鹿が來てならぶ習性があるという。この歌の解に、よくあてはまる。
 
2143 君に戀ひ うらぶれ居《を》れば、
 敷《しき》の野の 秋はぎ凌ぎ
 さを鹿鳴くも。
 
 於v君戀《キミニコヒ》 裏觸居者《ウラブレヲレバ》
 敷野之《シキノノノ》 秋〓子凌《アキハギシノギ》
 左壯鹿鳴裳《サヲシカナクモ》
 
【譯】あなたに戀して、さびしくしていると、敷の野の秋ハギをおし伏せて、男鹿が鳴いている。
【釋】裏觸居者 ウラブレヲレバ。ウラブレは、心が傷んでしよんぼりするをいう。
 敷野之 シキノノノ。シキノ野は、奈良縣磯城の野であろう。ほぼ今の磯城郡の地に當る。但し敷のキは甲類、磯城のキは乙類である。
(236)【評語】感傷的な氣もちでいる處に、鹿の聲が聞える。それは一層感傷的な氣もちを誘うのだが、歌としては、そこまでいわないで、ただその誘い立てる事實を敍述するまでに止めておく。そこに含みができて、心の深い歌になるので、これは集中しばしば見る手段である。
 
2144 雁は來《き》ぬ、はぎは散りぬと、
 さを鹿の 鳴くなる音《こゑ》も
 うらぶれにけり。
 
 雁來《カリハキヌ》 〓子者散跡《ハギハチリヌト》
 左小壯鹿之《サヲシカノ》 鳴成音毛《ナクナルコヱモ》
 裏觸丹來《ウラブレニケリ》
 
【譯】雁は來た、ハギは散つたと、男鹿の鳴く聲も、さびしそうになつてしまつた。
【釋】鴈來 カリハキヌ 雁は秋深くなつてくるので、それをあらわしている。
 鳴成音毛 ナクナルコヱモ。ナルは、指定の助動詞で、鳴くのであることを確かめる性能を有している。
【評語】秋深くなりゆくままに、鹿の聲も物さびて聞えるようになつた。鹿に托して、深けゆく秋を傷む心が描かれている。
 
2145 秋はぎの 戀も盡《つ》きねば、
 さを鹿の 聲い續《つ》ぎい續ぎ
 戀こそ益《まさ》れ。
 
 秋〓子之《アキハギノ》 戀裳不v盡者《コヒモツキネバ》
 左壯鹿之《サヲシカノ》 聲伊續伊繼《コヱイツギイツギ》
 戀許増益焉《コヒコソマサレ》
 
【譯】秋ハギに對する思いもまだ終らないのに、男鹿の聲が次々に聞えて、戀の思いを一層増さらせる。
【釋】秋〓子之戀裳不盡者 アキハギノコヒモツキネバ。秋ハギに對する思慕の情も、まだつくし終らないのに。
(237) 聲伊續伊繼 コヱイツギイツギ。二つのイは、接頭語。續ぎ續ぎで、あとからあとから鹿の聲のするのをいう。ヤマシロニイシケトリヤマイシケイシケアガハシヅマニイシキアハムカモ(古事記六〇)。このイシケは及《シ》クの命令形である。
【評語】戀の語が重ねて使われており、上の戀は、秋ハギに對する戀であるが、下の戀も、その種の風物に對する戀で、別種のものではない。しかしこのあらわし方は、不完全であつて、惑いを生じさせている。サヲ鹿ノ聲イ續ギイ續ギあたりの名調子が、このために十分に働かないでしまつた。上二句と下三句との連絡が惡かつたのである。
 
2146 山近く 家や居《を》るべき。
 さを鹿の 音《こゑ》を聞きつつ
 宿《い》ねがてぬかも。
 
 山近《ヤマチカク》 家哉可v居《イヘヤヲルベキ》
 左小壯鹿乃《サヲシカノ》 音乎聞乍《コヱヲキキツツ》
 宿不v勝鴨《イネガテヌカモ》
 
【譯】山近く家居して居るべきではない。男鹿の聲を聞きながら眠られないことだなあ。
【釋】宿不勝鴨 イネガテヌカモ。ガテヌは、不能を示す助動詞。
【評語】鹿の妻を呼ぶ聲が、感傷を誘つて眠りを成しかねるのである。鹿の聲を愛して、その心を傷ましめるものの多いゆえに、この歌を成しているので、嫌つているのでは勿論ない。「梓弓《アヅサユミ》 春山近《ハルヤマチカミ》 家居之《イヘヰシテ》 續而聞良牟《ツギテキクラム》 鶯之音《ウグヒスノコヱ》」(卷十、一八二九)あたりと、鳥の聲を愛する同じ心から出て、變わつた形になつている。
 
2147 山の邊《べ》に い行く獵夫《さつを》は 多かれど、
 山にも野にも さを鹿鳴くも。
 
 山邊尓《ヤマノベニ》 射去薩雄者《イユクサツヲハ》 雖2大有1《オホカレド》
 山尓文野乃文《ヤマニモノニモ》 沙小壯鹿鳴母《サヲシカナクモ》
 
(238)【譯】山の方に行く獵師は多いのだが、山にも野にも男鹿が鳴いている。
【釋】射去薩雄者 イユクサツヲハ。イは接頭語。サツヲは、獵師。「山能佐郡雄爾《ヤマノサツヲニ》」(卷三、二六七)。
【評語】獵人が多く行つているのも知らずに、鹿の鳴くのを、あわれんでいる。當時は、實際鹿が多くいたのだろう。
 
2148 あしひきの 山より來《き》せば、
 さを鹿の 妻呼ぶ聲を
 聞かましものを。
 
 足日木笶《アシヒキノ》 山從來世波《ヤマヨリキセバ》
 左小壯鹿之《サヲシカノ》 妻呼音《ツマヨブコヱヲ》
 聞益物乎《キカマシモノヲ》
 
【譯】山を通つてきたなら、男鹿の妻を呼ぶ聲を、聞いたであろうものを。
【釋】山從來世波 ヤマヨリキセバ。ヤマヨリは、山を通つて、セは、助動詞キの未然形。このセは、動詞助動詞の連用形に接續して、條件法を作る時だけに使われる。もと、セ、シと、ケ、キと、二種であつたものが、同一語と考えられるようになり、またシカの形をも生じたのであろう。
【評語】作者自身が、山を通つて來なかつたことを殘念に思つている。輕い形で、鹿の聲を聞かなかつた物足りなさが詠まれている。
 
2149 山邊には 獵夫《さつを》のねらひ 恐《かしこ》けど、
 を鹿《じか》鳴くなり。
 妻の眼を欲《ほ》り。
 
 山邊庭《ヤマベニハ》 薩雄乃祢良比《サツヲノネラヒ》 恐跡《カシコケド》
 小壯鹿鳴成《ヲジカナクナリ》
 妻之眼乎欲焉《ツマノメヲホリ》
 
【譯】山邊では獵師のねらうことがおそろしいが、男鹿は鳴くのだ。妻に逢いたくて。
(239)【釋】薩雄乃祢良比 サツヲノネラヒ。ネラヒは、鹿を獲ようとして目標をつけるのをいう。
 妻之眼乎欲焉 ツマノメヲホリ。メヲホルという云い方は、相手に見られることを願う意で、逢いたく思うことになるのであろう。焉は、添えて書いているだけで、直接に相當する訓はない。
【評語】これは鹿が、獵師のおそろしさを知つているが、妻に逢いたさに鳴くというふうに歌つている。鹿の思い入つた心は寫しているが、風趣は、山ニモ野ニモの歌の方がすぐれている。
 
2150 秋はぎの 散《ち》りゆく見れば、
 おほほしみ 妻戀すらし。
 さを鹿鳴くも。
 
 秋〓子之《アキハギノ》 散去見《チリユクミレバ》
 鬱三《オホホシミ》 妻戀爲良思《ツマゴヒスラシ》
 棹壯鹿鳴母《サヲシカナクモ》
 
【譯】秋ハギの散つてゆくのを見ると、心が鬱して妻戀をするらしい。男鹿が鳴いている。
【釋】散去見 チリユクミレバ。チリユクヲミテ(元)、チリユクミレバ(神)、チリヌルヲミテ(古義)、チリヌルミレバ(新考)。文字表現が不十分なので、諸訓がある。妻戀スラシの條件になつている。
 鬱三 オホホシミ。形容詞をもととするミ形は、上に體言が來るのが常型だが、この歌では、秋ハギノ散リユク見レバを受けているのは、變わつた形である。
【評語】ハギの散るのに誘われて、鹿が妻戀に鳴くと歌つている。作者の感傷を鹿の上に寄せている歌である。
 
2151 山遠き 京《みやこ》にしあれば、
 さを鹿の 妻呼ぶ聲は、
 乏《とも》しくもあるか。
 
 山遠《ヤマトホキ》 京尓之有者《ミヤコニシアレバ》
 狭小壯鹿之《サヲシカノ》 妻呼音者《ツマヨブコヱハ》
 乏毛有香《トモシクモアルカ》
 
(240)【譯】山の遠い都のことだから、男鹿の妻を呼ぶ聲は、すくないことだ。
【釋】山遠京尓之有者 ヤマトホキミヤコニシアレバ。山遠き京とは、奈良の京か、難波の京か。山の遠いという點では、難波の京の方が適當である。難波の京は、神龜三年以後、藤原の宇合をして、難波の宮を造らしめることがあり、その後行幸もあつて、京とも呼ばれるであろう。奈良の京は、春日山生駒山を東西にし、藤原の京に比して特に山遠き京といえるか問題である。
【評語】平野の京にいて、鹿の聲を思つて詠んでいる。秋のあわれを追求する心の表現といえよう。
 
2152 秋はぎの 散り過ぎゆかば、
 さを鹿《しか》は 侘鳴《わびなき》せむな。
 見ずはともしみ。
 
 秋〓子之《アキハギノ》 散過去者《チリスギユカバ》
 左小壯鹿者《サヲシカハ》 和備鳴將v爲名《ワビナキセムナ》
 不v見者乏焉《ミズバトモシミ》
 
【譯】秋ハギが散り過ぎて行つたら、男鹿は思い惱んで鳴くだろうなあ。見なかつたら、見たく思つて。
【釋】和備鳴將爲名 ワビナキセムナ。ワビナキは、惱ましい氣もちに鳴くこと。ワブの例は、「物念跡《モノオモフト》 和備居時二《ワビヲルトキニ》」(卷四、六一八)、「物念常《モノオモフト》 不v宿起有《イネズオキタル》 旦開者《アサケニハ》 和備弖鳴成《ワビテナクナリ》 鷄左倍《ニハツトリサヘ》」(卷十二、三〇九四)などある。セムナのナは、感動の助詞。本集では、多く助動詞ムの下に接續する。句切。
 不見者乏焉 ミズハトモシミ。トモシミは、乏しきがゆえに慕う意。
【評語】鹿がハギを愛して、これを思つて鳴くだろうという、作者の心を鹿に寄せて歌つている。鹿とハギとを結びつけて考えることはわかるが、作りすぎた嫌いはある。
 
2153 秋はぎの 咲きたる野邊は、
(241) さを鹿ぞ、
 露を別けつつ 妻問《つまどひ》しける。
 
 秋〓子之《アキハギノ》 咲有野邊者《サキタルノベハ》
 左小壯鹿曾《サヲシカゾ》
 露乎別乍《ツユヲワケツツ》 嬬問四家類《ツマドヒシケル》
 
【譯】秋ハギの咲いている野邊は、男鹿は、露をわけながら、妻を求めたことだ。
【釋】嬬問四家類 ツマドヒシケル。このツマドヒは、ハギの花を、鹿が妻として訪う意であろう。
【評語】 ハギを鹿の妻とする構想から出ている歌で、表現はすなおである。野末の露を分けて、鹿の訪いよる樣が美しい。
 
2154 なぞ鹿の 侘鳴《わびなき》すなる。
 けだしくも 秋野のはぎや
 繁く散るらむ。
 
 奈何壯鹿之《ナゾシカノ》 和備鳴爲成《ワビナキスナル》
 蓋毛《ケダシクモ》 秋野之〓子也《アキノノハギヤ》
 繁將v落《シゲクチルラム》
 
【譯】何だつて鹿がさびしそうに鳴くのだ。おそらく秋野のハギが、繁く散つているのだろうか。
【釋】和備鳴爲成 ワビナキスナル。上のナゾを受けて結んでいる。
【評語】前々歌と同じく、鹿のわび鳴きを歌つている。ハギの散るのを、鹿が傷んで鳴くとする類想の多い作だ。上二句に疑問を起し、下三句で答を成している。
 
2155 秋はぎの 咲きたる野邊に、
 さを鹿は
 散らまく惜しみ 鳴きゆくものを。
 
 秋〓子之《アキハギノ》開有野邊《サキタルノベニ》
 左壯鹿者《サヲシカハ》
 落卷惜見《チラマクヲシミ》 鳴去物乎《ナキユクモノヲ》
 
(242)【譯】秋ハギの咲いた野邊に、男鹿は、散るのを惜しんで、鳴いて行くのだ。
【釋】鳴去物乎 ナキユクモノヲ。モノヲは、感動をあらわしている。
【評語】鹿がハギの散るのを惜しんで鳴いて行くというだけの歌である。すなおな表現である。
 
2156 あしひきの 山の常陰《とかげ》に 鳴く鹿の
 聲聞かすやも。
 山田守らす兒。
 
 足日木乃《アシヒキノ》 山之跡陰尓《ヤマノトカゲニ》 鳴鹿之《ナクシカノ》
 聲聞爲八方《コヱキカスヤモ》
 山田守酢兒《ヤマダモラスコ》
 
【譯】山の影になつている處で鳴く鹿の、聲をお聞きになりますか。山田を守つている方。
【釋】山之跡陰尓 ヤマノトカゲニ。トカゲは、山の影になる處。常影とも書いている。「物部乃《モノノフノ》 石瀬之社乃《イハセノモリノ》 霍公鳥《ホトトギス》 今毛鳴奴《イマシモナキヌ》 山之常影尓《ヤマノトカゲニ》」(卷八、一四七〇)。
 聲聞爲八方 コヱキカスヤモ。キカスは、敬語法。ヤモは疑問の助詞。句切。
 山田守酢兒 ヤマダモラスコ。モラスは、敬語法。コは、若人をさしている。
【評語】山田を守る人に鹿の聲を聞いたかというだけの問の歌であるが、この問は、設問で、實際に問うたのではない。山の常影に鳴く鹿と山田守らす兒との配合でできているだけの歌である。
 
詠v蝉
 
【釋】詠蝉 セミヲヨメル。蝉は、夏の雜歌にも、相聞にも題として出ている。季節の觀念がまだ固定していなかつたのであろう。
 
(243)2157 夕影《ゆふかげ》に 來《き》鳴くひぐらし、
 ここだくも 日毎に聞けど、
 飽かぬ聲かも。
 
 暮影《ユフカゲニ》 來鳴日晩之《キナクヒグラシ》
幾許《ココダクモ》 毎v日聞跡《ヒゴトニキケド》
不v足音可聞《アカヌコヱカモ》
 
【譯】夕方の光に來て鳴くヒグラシよ、たくさんに毎日聞いても飽きない聲だな。
【釋】暮影 ユフカゲニ。ユフカゲは、夕方の光。
【評語】清楚な小品で、すなおに歌われている。自然に親しんで過している生活が思われる。
 
詠v蟋
 
【釋】詠蟋 コホロギヲヨメル。蟋は、普通に蟋蟀と熟して使われているが、古くは、蟋一字だけでも使用された。蟋とのみあるを誤りとはし難い。コホロギは、夜鳴く蟲にいい、今のコホロギである。
 
2158 秋風の 寒く吹くなへ、
 わが屋前《には》の 淺茅がもとに
 蟋蟀《こほろぎ》鳴くも。
 
 秋風之《アキカゼノ》 寒吹奈倍《サムクフクナヘ》
 吾屋前之《ワガヤドノ》 淺茅之本尓《アサヂガモトニ》
 蟋蟀鳴毛《コホロギナクモ》
 
【譯】秋風が寒く吹くと共に、わたしの屋前の淺茅のもとで、コオロギが鳴く。
【釋】寒吹奈倍 サムクフクナヘ。ナヘは、その上方の詞句の内容が起ると共に、それにつれて下方の詞句の内容の起ることをあらわす語。
【評語】平明の作で、よく秋の情趣を描いている。コオロギの聲を歌つているが、ワガ屋前ノ淺茅ガモトとい(244)う視覺による敍述が、位置を明確にするに役立つている。
 
2159 影草《かげくさ》の 生ひたる屋外《やど》の 暮影《ゆふかげ》に、
 鳴く蟋蟀は、 聞けど飽かぬかも。
 
 影草乃《カゲクサノ》 生有屋外之《オヒタルヤドノ》 暮影尓《ユフカゲニ》
 鳴蟋蟀者《ナクコホロギハ》 雖v聞不v足可聞《キケドアカヌカモ》
 
【譯】家の影の草の生えているわたしの家の外の、夕方の光に鳴くコオロギの聲は、聞いていても飽きないなあ。
【釋】影草乃 カゲクサノ。カゲクサは、ここは家屋の影になつている處の草。
 暮影尓 ユフカゲニ。ユフカゲは、夕方の光、ややくらい感じである。
【評語】影草と暮影とに、影を重出しているのは、計畫的で、光線を重視していることが知られると共に、音調をよくしている。しかし第五句は、慣用句で、これを敍述句としているのは類型的である。
 
2160 庭草に 村雨《むらさめ》ふりて、
 蟋蟀の 鳴く聲聞けば、
 秋づきにけり。
 
 庭草尓《ニハクサニ》 村雨落而《ムラサメフリテ》
 蟋蟀之《コホロギノ》 鳴音聞者《ナクコヱキケバ》
 秋付尓家里《アキヅキニケリ》
 
【譯】屋前の草に村雨が降つて、コオロギの鳴く聲を聞くと、秋のもようが濃くなつたことだ。
【釋】庭草尓 ニハクサニ。ニハクサは、屋前の草。
 村雨落而 ムラサメフリテ。ムラサメは、倭名類聚鈔に「暴雨、楊氏漢語抄(ニ)云(フ)、白雨和名无良佐女、辨色立成説同(ジ)。暴雨一種也」とあり、驟雨である。
 秋付尓家里 アキヅキニケリ。ヅキは、名詞と熟して、その性質になることをあらわす動詞。家ヅク、面ヅ(245)ク、色ヅク、近ヅクなどのヅクは、これであろう。
【評語】秋の氣のしみじみと感じられる歌である。繊細な、物に感じやすくなつている心である。
 
詠v蝦
 
2161 み吉野の 石本《いはもと》さらず 鳴く河蝦《かはづ》、
 うべも鳴きけり。
 河をさやけみ。
 
 三吉野乃《ミヨシノノ》 石本不v避《イハモトサラズ》 鳴川津《ナクカハヅ》
 諾文鳴來《ウベモナキケリ》
 河乎淨《カハヲサヤケミ》
 
【譯】吉野川の石のもとではどこでも鳴いているカワズよ。鳴くのももつともだ。川が清らかなので。
【釋】石本不避 イハモトサラズ。サラズは、朝サラズ、夕サラズなどのサラズに同じ。石のもとことごとく。石の下部ではどこでも。
 諾文鳴來 ウベモナキケリ。ウベモは、鳴いていることに同意する意。句切。
【評語】カワズの鳴くのは、川が清らかだからだとしている。カワズと共に川を賞美する心である。
 
2162 神《かむ》名火の 山下|響《とよ》み 行く水に、
 河蝦鳴くなり。
 秋といはむとや。
 
 神名火之《カムナビノ》 山下動《ヤマシタトヨミ》 去水丹《ユクミヅニ》
 川津鳴成《カハヅナクナリ》
 秋登將v云鳥屋《アキトイハムトヤ》
 
【譯】神名火の山の下を響かせて流れ行く水の中で、カワズが鳴いている。秋といおうとてだろうか。
【釋】神名火之 カムナビノ。カムナビは、何處か不明だが、川に臨んでいるので、明日香の神名火であるら(246)しい。カムナビ、神靈のある森林。
 秋登將云鳥屋 アキトイハムトヤ。秋であると告げようとてだろう。カワズの聲を秋の風物としている。
【評語】カワズの聲に秋を感じている。殊に末句は、秋の季節感が強く成立していることを語つている。
 
2163 草枕 旅に物|念《おも》ひ わが聞けば、
 夕片設《ゆふかたま》けて 鳴く河蝦かも。
 
 草枕《クサマクラ》 客尓物念《タビニモノオモヒ》 吾聞者《ワガキケバ》
 夕片設而《ユフカタマケテ》 鳴川津可聞《ナクカハヅカモ》
 
【譯】草の枕の旅に物思いしてわたしが聞けば、夕方を待ち受けて鳴くカワズだなあ。
【釋】客尓物念 タビニモノオモヒ。旅愁を感じている。
 夕片設而 ユフカタマケテ。夕方を待つて。夕方になるのを、カワズが待ちつつ鳴く意である。夕方近い頃である。
【評語】旅中に聞く力ワズの聲に、一層旅愁のやる方なさを歌つているが、詞としては、そこまで露出させていないのがよい。すなおな表現である。
 
2164 瀬を速《はや》み 落ち激《たぎ》ちたる 白浪に、
 河蝦鳴くなり。
 朝|夕《よひ》ごとに。
 
 瀬呼速見《セヲハヤミ》 落當知足《オチタギチタル》 白浪尓《シラナミニ》
 河津鳴奈里《カハヅナクナリ》
 朝夕毎《アサヨヒゴトニ》
 
【譯】瀬が速いので、落ちて激する白浪に、カワズが鳴いている。朝夕の度に。
【釋】落當知足 オチタギチタル。當は、字音假字として、タギの音に使つている。ngの韻の字だから、ゲの音が出るのである。タギチは、激流する意の動詞。「石走《イハバシリ》 多藝千流留《タギチナガルル》 泊瀬河《ハツセガハ》」(卷六、九九一)。
(247)【評語】激流に鳴くカワズがよく描寫されている。調子の強い歌である。五句の朝夕ゴトニは、説明的の句で、感興をそぐ。朝か夕かのどちらかにして、實景の描寫の形で歌うべきであつた。
 
2165 上つ瀬に 河蝦妻呼ぶ。
 夕されば 衣手寒み
 妻まかむとか。
 
 上瀬尓《カミツセニ》 河津妻呼《カハヅツマヨブ》
 暮去者《ユフサレバ》 衣手寒三《コロモデサムミ》
 妻將v枕跡香《ツママカムトカ》
 
【譯】上の方の瀬で、カワズが妻を呼んでいる。夕方になつて著物が寒いので、妻と寐ようとてなのだろうか。
【釋】衣手寒三 コロモデサムミ。河蝦に衣服は無いのを、人と同じように取り扱つて、衣が寒いのでといつている。
【評語】カワズに寄せて、ひえびえとする秋の夕方が歌われている。作者も旅に出て、妻を思つているのだろう。
 
詠v鳥
 
2166 妹が手を 取石《とろし》の池の 浪の間ゆ、
 鳥が音《ね》異《け》に鳴く。
 秋過ぎぬらし。
 
 妹手呼《イモガテヲ》 取石《トロシノ・トルシノ》池之《イケノ》 浪間從《ナミノマユ》
 鳥音異鳴《トリガネケニナク》
 秋過良之《アキスギヌラシ》
 
【譯】妻の手を取るという、その取石の池の浪の間を通して、鳥の聲が變わつて聞える。秋が過ぎたらしい。
【釋】妹手呼 イモガテヲ。枕詞。妹が手を取るの意に、取石に冠している。
(248) 取石池之 トロシノイケノ。取石の池は、大阪府泉北郡取石村(今の高石町)の池。續日本紀聖武天皇の卷に取石の頓宮が見える。「和泉國和泉郡にまかりける道に、池を堤を道にてすぎ侍る所ありき。其池の名を、人の登呂須《とろす》の池となん申侍りければ、此歌を思ひ出侍けるを、いまもおぼえ侍り」(萬葉代匠記初稿本)。取石は、トルシ、トリシであるかもしれない。
 浪間從 ナミノマユ。浪の間を通して。
 鳥音異鳴 トリガネケニナク。鳥は、水鳥である。ケニナクは、常に變つて鳴いている。句切。
 秋過良之 アキスギヌラシ。アキスギヌは、秋の通過して行くことを敍している。秋の深くなつて行くのを推量している。
【評語】水鳥の聲によつて、深みゆく秋を感じている。さびしいしんみりした歌である。初句に妹ガ手ヲとおいた枕詞は、色めかしいが、さしてさまたげにもなつていない。作者はその地に旅して妻を思つていたので、この枕詞が置かれたのだろう。
 
2167 秋の野の 尾花が末《うれ》に鳴くもずの
 聲聞くらむか。
 片《かた》聞く吾妹《わぎも》。
 
 秋野之《アキノノノ》 草花我末《ヲバナガウレニ》 鳴百舌鳥《ナクモヅノ》
 音聞濫香《コヱキクラムカ》
 片聞吾妹《カタキクワギモ》
 
【譯】秋の野の尾花が末に鳴くモズの聲を聞いているだろうか。物をよくも聞かないわが妻よ。
【釋】音聞濫香 コヱキクラムカ。聲を聞いているだろうか。句切。
 片聞吾妹 カタキクワギモ。カタは、動詞に接續して、その不完全な動作であることをあらわす。片思フ、片敷クの類である。カタキクは、十分に聞かない、不完全に聞く意。ワギモは、愛人であろう。
(249)【評語】モズのようなやかましい鳥の聲をも、はたして聞いているだろうかというのが主旨である。片聞ク吾妹は、惡口を言つたので、自分のいうことなどは、ろくに耳にもしないがの意である。諧謔性をもつている歌で、痛快な揶揄である。片聞クを片待ツの誤りとする説があるのは、採るに足りない。
 
詠v露
 
2168 秋はぎに おける白露、
 朝な朝《さ》な 珠としぞ見る。
 置ける白露。
 
 冷〓子丹《アキハギニ》 置白露《オケルシラツユ》
 朝々《アサナサナ》 珠年曾見流《タマトシゾミル》
 置白露《オケルシラツユ》
 
【譯】秋ハギに置いた白露、毎朝毎朝、珠と見ることだ。置いた白露。
【釋】冷〓子丹 アキハギニ。冷を、秋の意に使用したのは、寒をフユ、暖をハルに使用する例に同じく、氣候から來ている。
【評語】内容は平凡であり、露を玉として見るというのも類想的である。二句と五句とに、同句を置いて、調子よくできている。
 
2169 夕立の 雨降るごとに、【一は云ふ、うちふれば】
 春日野の 尾花が上の 白露念ほゆ。
 
 暮立之《ユフダチノ》 雨落毎《アメフルゴトニ》【一云|打零者】 春日野之《カスガノノ》 尾花之上乃《ヲバナガウヘノ》 白露所v念《シラツユオモホユ》
 
【譯】夕立の雨が降る度に、春日野のオバナの上の白露が思われる。
【釋】暮立之雨落毎 ユフダチノアメフルゴトニ。ユフダチノアメは、夕方に降る雨の義で驟雨をいう。
(250) 一云打零者 アルハイフ、ウチフレバ。卷の十六に傳える所に依つて、これを註しているのだろう。本文の、雨降ルゴトニより、雨ウチ降レバの方がよい。夕立ノ雨降ルゴトニは、夕立の雨が習性になつているようで變である。
【評語】オバナが上に白露のたまつた美しい風情が歌われている。自然を愛する人であつて、始めて歌い得る所である。小鯛の王が、琴を彈いてこの歌を吟誦するを常としたというのももつともである。
【參考】別傳。
  夕立の雨うち降れば春日野の尾花が末の白露おもほゆ
   右の歌二首(一首略)は、小鯛の王、宴居する日、琴を取りて、登時かならずまづこの歌を吟詠す。その小鯛の王は、更《また》の名|置始《おきそめ》の多久美《たくみ》といふ、この人なり。(卷十六、三八一九)
 
2170 秋はぎの 枝もとををに 露霜おき、
 寒くも時は なりにけるかも。
 
 秋〓子之《アキハギノ》 枝毛十尾丹《エダモトヲヲニ》 露霜置《ツユジモオキ》
 寒毛時者《サムクモトキハ》 成尓家類可聞《ナリニケルカモ》
 
【譯】秋ハギの枝もたわむまでに露霜が置いて、寒くも時節はなつたものだなあ。
【釋】枝毛十尾丹 エダモトヲヲニ。トヲヲニは、たわんである形容。ここは露霜の重さで、ハギの枝がたわむというのである。
【評語】 ハギの枝に露霜がしつとりと置いて、秋も寒くなつたことが、切に感じられる。四五句の調子が、いかにも詠歎の氣分をよく出している。
 
2171 白露と 秋のはぎとは、
(251) 戀ひ亂れ 別《わ》くこと難き
 わが情《こころ》かも。
 
 白露《シラツユト》 與2秋〓子1者《アキノハギトハ》
 戀亂《コヒミダレ》 別事難《ワクコトカタキ》
 吾情可聞《ワガココロカモ》
 
【譯】白露と秋のハギとは、そのどちらをも思い亂れて、別けることのできないわたしの心だ。
【釋】戀亂 コヒミダレ。戀のために亂れて。露とハギとの雙方を思い慕う心が混雜して。
 別事難 ワクコトカタキ。露とハギとを思う心を二つに別けることのできない。
【評語】露を思いハギを思う、その二つを思う心が亂れ合つていることを歌つている。やや複雜な内容を取り扱つているだけに、表現に無理ができて、上二句と、下三句との對應が、二重の中心になつて感じられる。
 
2172 わが屋戸《やど》の 尾花おし靡《な》べ 置く露に、
 手觸れ、吾妹子。
 散らまくも見む。
 
 吾屋戸之《ワガヤドノ》 麻花押靡《ヲバナオシナベ》 置露尓《オクツユニ》
 手觸吾妹兒《テフレワギモコ》
 落卷毛將v見《チラマクモミム》
 
【譯】わたしの屋戸のオバナをおし伏せて置く露に、手をつけて見なさい、わが妻よ。散る樣子を見よう、。
【釋】麻花押靡 ヲバナオシナベ。麻は、訓假字として使用されている。
【評語】妻の手の觸れたオバナの露の散るさまを見ようという、美しい歌である。オバナに置いた露の靜態を愛するばかりでなく、その散るさまをも愛している。吾妹子を點出したのも、一層の感興を添える。
 
2173 白露を 取らば消《け》ぬべし。
 いざ子等《こども》、露に競《きほ》ひて
(252) はぎの遊《あそび》せむ。
 
 白露乎《シラツユヲ》 取者可v消《トラバケヌベシ》
 去來子等《イザコドモ》 露尓爭而《ツユニキホヒテ》
 〓子之遊將v爲《ハギノアソビセム》
 
【譯】白露を手に取つたら消えるだろう。さあ皆さん、露と競爭して、ハギの花見をしましよう。
【釋】去來子等 イザコドモ。人々を呼びかけているが、どういう人々とも知られない。作者より地位の低い人であろう。
 露尓爭而 ツユニキホヒテ。キホヒテは、露がハギの枝にさかんに置くのに競爭してであろう。
 〓子之遊將爲 ハギノアソビセム。ハギノアソビは、ハギをもてあそぶ催しで、ハギの花見、ハギの宴である。
【評語】ハギの枝を折り取つたら、露が消えるから、こちらから露のようにハギのもとに行つて遊宴しようというのである。風雅に終始しようとする生活が窺われる。
 
2174 秋田刈る 假廬《かりほ》を作り わが居れば、
 衣手寒く 露ぞ置きにける。
 
 秋田苅《アキタカル》 借廬乎作《カリホヲツクリ》 吾居者《ワガヲレバ》
 衣手寒《コロモデサムク》 露置尓家留《ツユゾオキニケル》
 
【譯】秋の田を刈る借廬を作つて、わたしがいると、著物が寒く露が置いた。
【釋】借廬乎作 カリホヲツクリ。秋田を刈る便宜のために假家を作つて。家から遠い處に田があり、または收穫をぬすまれるので、假廬を作る必要があつたものと解される。
 吾居者 ワガヲレバ。假廬に入つていると。
【評語】農民の生活が歌われている。すなおに力のこもつた表現である。天智天皇の御製と傳える、「秋の田の假廬の庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ」(後撰和歌集)は、この歌に似ている。
 
(253)2175 この頃の 秋風寒し。
 はぎが花 散らす白露
 おきにけらしも。
 
 日來之《コノゴロノ》 秋風寒《アキカゼサムシ》
 〓子之花《ハギガハナ》 令v散白露《チラスシラツユ》
 置尓來下《オキニケラシモ》
 
【譯】この頃の秋風は寒い。ハギの花を散らす白露が置いたらしい。
【評語】ハギガ花、散ラス白露と、名詞どめの句を二つ續けた形は、すこし竝べた感じである。内容が平易で、變わつた形を採る必要のない處だからである、ハギの花を散らす白露が、秋のやや深まつて行く感じをあらわしている。
 
2176 秋田刈る 苫手《とまで》搖《うご》くなり。
 白露し、
 置く穗田なしと 告《つ》げに來《き》ぬらし。
 
 秋田苅《アキタカル》 ※[草がんむり/店]手搖奈利《トマデウゴクナリ》
 白露志《シラツユシ》
 置穗田無跡《オクホダナシト》 告尓來良思《ツゲニキヌラシ》
 
【譯】秋の田を刈る小舍の苫が動いている。白露が置く穗田がないと、告げに來たらしい。
【釋】※[草がんむり/店]手搖奈利 トマデウゴクナリ。※[草がんむり/店]は、代匠記に苫だろうと云つている。トマは、倭名類聚鈔に「苫、爾雅注(ニ)云(フ)、苫、土廉反、止萬《トマ》。編(ミ)2菅茅(ヲ)1以(テ)覆(フ)v屋(ヲ)也」とある。秋田を刈るための小舍がけの屋根の覆いである。デは、接尾語。コロモデのデに同じ。
【評語】秋田を刈りつくしたので、白露が、置くべき穗田が無いと、告げに來たらしいというのである。耕人の風懷を描いた愛すべき作品である。
 
一云、告尓來良思母
 
(254)一は云ふ、告げに來らしも。
 
【釋】告尓來良思母 ツゲニクラシモ。前の歌の第五句の別傳であるが、この方の現在に即した云い方が上二句とよく照應する。
 
詠v山
 
2177 春は萌《も》え 夏は緑に、
 紅の 綵色《しみいろ》に見ゆる 秋の山かも。
 
 春者毛要《ハルハモエ》 夏者緑丹《ナツハミドリニ》
 紅之《クレナヰノ》 綵色尓所v見《シミイロニミユル》 秋山可聞《アキノヤマカモ》
 
【譯】春は芽が萌え、夏は緑であり、さてくれないの染めた色に見える秋の山だなあ。
【釋】春者毛要 ハルハモエ。春は草木の芽がふくらんで。
 紅之綵色尓所見 クレナヰノシミイロニミユル。綵は、彩色で、日本書紀に綵絹にシミノキヌと訓しているのは、染の絹の義である。シミイロは、染めた色。「君之爲《キミガタメ》 綵色衣《シミイロゴロモ》 將v摺跡念而《スラムトオモヒテ》」(卷七・一二五五)。
【評語】季節ごとに趣を異にする山を描いている。概念的な歌であるが、季節の推移に伴なう自然の變化には、よく留意されている。
 
詠2黄葉1
 
【釋】詠黄葉 モミチバヲヨメル。人麻呂集所出の二首を併わせて四十一首を載せている。多く黄葉の字が使われているのは、おしなべて草木の葉の寒冷の氣に逢つて黄變するのを愛するからであるが、中に一首だけ紅(255)葉の字を使つている。特別の植物について歌つているのは、、ハギ六首、淺茅三首、ナシ二首、カツラ一首、クズ一首、草一首、木二首、眞木一首で、他は何の植物とも指定していない。
 
2178 妻ごもる 矢野の神山、
 露霜に にほひそめたり。
 散らまく惜しも。
 
 妻隱《ツマゴモル》 矢野神山《ヤノノカミヤマ》
 露霜尓《ツユジモニ》 々寶比始《ニホヒソメタリ》
 散卷惜《チラマクヲシモ》
 
【譯】妻のこもる家。その名のとおりの矢野の神山は、露霜に色づき始めた。散るのが惜しいことだ。
【釋】妻隱 ツマゴモル。枕詞。妻のこもる家の意に、矢野のヤに冠している。
 矢野神山 ヤノノカミヤマ。矢野は、諸國に同名の地が多く、何處とも定め難い。大日本地名辞書には、伊勢の國の度會《わたらい》郡の矢野だろうとしている。島根縣|簸川《ひのかわ》郡四纏村(現出雲市)にも矢野の字があり、そこには矢野神社がある。この神社は、出雲國風土記、延喜式神名にあり、八野の若日女の命と大年の神とを祭つている。矢野の神山とあるによれば、此處か。
【評語】地名の提示に特色があるだけで、内容は平凡である。人麻呂が石見の國から上つて來る時の歌に、「妻ごもる屋上の山」(卷二、一三五)の句があり、この歌の矢野を出雲の國とすれば、同じ時の旅の歌であるかも知れない。
 
2179 朝露に にほひそめたる 秋山に
 時雨な零《ふ》りそ。
 あり渡るがね。
 
 朝露尓《アサツユニ》 染始《ニホヒソメタル》 秋山尓《アキヤマニ》
 鍾禮莫零《シグレナフリソ》
 在渡金《アリワタルガネ》
 
(256)【譯】朝露に色づき始めた秋山に、時雨よ降つてくれるな。このままにあることだろう。
【釋】染始 ニホヒソメタル。ソメハジメタル(神)、ニホヒソメタル(考)。染をニホフと讀むのは「應v染毛《ニホヒヌベクモ》 黄變山可聞《モミヅヤマカモ》」(卷十、二一九二)の例がある。
 在渡金 アリワタルガネ。ガネは、希望と豫想の意をあらわす助詞。黄葉がそのままにあるだろうとする豫想である。
【評語】露に染まつた黄葉の、時雨に散ることを恐れている。このままにあるだろうという、はかない希望を描いている五句には、特色が見える。
 
右二首、柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
2180 九月《ながつき》の 時雨の雨に ぬれとほり、
 春日の山は 色づきにけり。
 
 九月乃《ナガツキノ》 鍾禮乃雨丹《シグレノアメニ》 沾通《ヌレトホリ》
 春日之山者《カスガノヤマハ》 色付丹來《イロヅキニケリ》
 
【譯】九月の時雨の雨に濡れ通つて、春日の山は、色づいたことだ。
【釋】沾通 ヌレトホリ。中まですつかり濡れて。山の木の葉がすつかり濡れてしまつて。
【評語】すなおに詠まれて形の整つた歌である。濡レ通リの句は、旅ごろもなどによく使われるが、ここでは山の木の葉が、下の方までも濡れての意に使われ、時雨の雨の徹底的なありさまが描かれる。この句で、歌全體が生きて感じられる。
 
2181 雁《かり》が鳴《ね》の 寒き朝明の 露ならし。
(257) 春日の山を にほはすものは。
 
 鴈鳴之《カリガネノ》 寒朝開之《サムキアサケノ》 露有之《ツユナラシ》
 春日山乎《カスガノヤマヲ》 令v黄物者《ニホハスモノハ》
 
【譯】雁の鳴聲の寒い朝あけの露だろう。春日の山を黄葉に染めるものは。
【釋】鴈鳴之 カリガネノ。雁の聲の。
 令黄物者 ニホハスモノハ。ニホハスモノハ(元)、モミタスモノハ(西)。令黄は、ニホハスともモミタスとも讀まれている。山の黄葉するを、ニホフというは例がある。モミタスは、動詞モミツの未然形モミタとして他に用例の無い形であり、調子が落ちつかないように感じられる。
【評語】黄葉を染める朝の露を、特に説明しているのが特色である。山の黄葉して行く頃の風趣が歌われている。
 
2182 この頃の 曉《あかとき》露に、
 わが屋前《には》の はぎの下葉は
 色づきにけり。
 
 比日之《コノゴロノ》 曉露丹《アカトキツユニ》
 吾屋前之《ワガニハノ》 〓子乃下葉者《ハギノシタバハ》
 色付尓家里《イロヅキニケリ》
 
【譯】この頃の曉の露で、わたしの屋前のハギの下葉は色づいたことだ。
【評語】矚目する所を歌つた、平易な作である。報告的な歌であつて、しかも風趣を失つていない。
【參考】類歌。
  この頃の曉露にわが屋戸の秋のはぎ原色づきにけり(卷十、二二一三)
 
2183 雁がねは 今は來《き》鳴きぬ。
 わが待ちし 黄葉《もみち》はや繼げ。
(258) 待たば苦しも。
 
 鴈音者《カリガネハ》 今者來鳴沼《イマハキナキヌ》
 吾待之《ワガマチシ》 黄葉早繼《モミチハヤツゲ》
 待者辛苦母《マタバクルシモ》
 
【譯】雁は、今は來て鳴いた。わたしの待つた黄葉よ、早く續いて來い。待つていたら苦しいことだ。
【釋】黄葉早繼 モミチハヤツゲ。ハヤツゲは、雁に早く繼げの意。黄葉に對して希望する句。句切。「秋〓子之《アキハギノ》 下葉乃黄葉《シタバノモミチ》 於v花繼《ハナニツグ》 時過去者《トキスギユカバ》 後將v戀鴨《ノチコヒムカモ》」(卷十、二二〇九)。
【評語】雁に續いて黄葉の早くくることを願つている。季物の順序のよい來訪が取り扱われている。この歌、二句と四句とに句切をもつている。
 
2184 秋山を ゆめ人懸くな。
 忘れにし そのもみち葉の
 思ほゆらくに。
 
 秋山乎《アキヤマヲ》 謹人懸勿《ユメヒトカクナ》
 忘西《ワスレニシ》 其黄葉乃《ソノモミチバノ》
 所v思君《オモホユラクニ》
 
【譯】秋山を、どうかいわないでください。忘れていたその黄葉が思われることです。
【釋】謹人懸勿 ユメヒトカクナ。カクナは、口に懸けるな。句切。
【評語】忘れていた黄葉の思い出されるのがつらいという、自然に對する熱愛が歌われている。愛人の場合ならばともかく、黄葉に對しては、作り過ぎてすこし不自然に近い。
 
2185 大坂を わが越え來《く》れば、
 二上《ふたがみ》に もみち葉流る。
(259) 時雨ふりつつ。
 
 大坂乎《オホサカヲ》 吾越來者《ワガコエクレバ》
 二上尓《フタガミニ》 黄葉流《モミチバナガル》
 志具禮零乍《シグレフリツツ》
 
【譯】大坂をわたしが越えてくると、二上山に黄葉が散つて流れる。
時雨が降りながら。
【釋】大坂乎 オホサカヲ。大坂は、大和河内間の通路で、二上山の北方を越える道である。奈良縣北葛城部下田村に逢坂《おおさか》の字が殘つている。插入の寫眞は、大和方面からのものであるが、二峰竝立している高い方の向かつて右の裾の高みを越えるのである。
 黄葉流 モミチバナガル。黄葉の風に流れるをいう。川に流れるのではない。句切。
【評語】大坂越えの風情が、よく描き出されている。時雨に流れる黄葉のさまが、二上山を背景として一層美しいものになつて寫されている。
 
2186 秋されば 置く白露に、
 わが門の 淺|茅《ぢ》が末葉《うらば》、
 色づきにけり。
 
 秋去者《アキサレバ》 置白露尓《オクシラツユニ》
 吾門乃《ワガカドノ》 淺茅何浦葉《アサヂガウラバ》
 色付尓家里《イロヅキニケリ》
 
【譯】秋になつたので置く白露に、わたしの門邊の淺い茅草の末葉が、色づいたことだ。
【釋】秋去者 アキサレバ。次句の置クにだけ懸かつている。一首全體に懸かるものと見ない方がよい。
(260) 淺茅何浦葉 アサヂガウラバ。たけの低い茅草の末葉。茅草はたけが低いので、アサヂというので、特に低い茅草の謂ではない。
【評語】秋になつてまず茅草の色づいたことを歌つている。黄葉は、どういうものからおとずれ始めるか、よく注意しているのである。
 
2187 妹が袖 卷來《まきき》の山の 朝露に、
 にほふ黄葉の 散らまく惜しも。
 
 妹之袖《イモガソデ》 卷來乃山之《マキキノヤマノ》 朝露尓《アサツユニ》
 仁寶布黄葉之《ニホフモミチノ》 散卷惜裳《チラマクヲシモ》
 
【譯】妻の袖を纏く。その卷來の山の朝露に、色づいた黄葉の、散るのが惜しい。
【釋】妹之袖 イモガソデ。枕詞。妹の袖を身に纏く意に、卷來のマキに冠する。この枕詞は、他に用例が無い。
 卷來乃山之 マキキノヤマノ。
  マキムクヤマノ(元)
  マキキノヤマノ(神)
  ――――――――――
  卷牟久山之《マキムクヤマノ》(略、宣長)
  卷六來山之《マキムクヤマノ》(古義)
 マキキノ山は、所在不明で、それゆえに、マキムク山の誤りだろうとする説もある。
【評語】初二句の、山名の提示だけが、特色になつている。「妻ごもる矢野の神山露霜ににほひそめたり散らまく惜しも」(卷十、二一七八)の歌と、構想も表現も同樣で、曲が無い。
 
2188 もみち葉の にほひは繁し。
 然れども
(261) 妻梨の木を 手《た》折り插頭《かざ》さむ。
 
 黄葉之《モミチバノ》 丹穩日者繁《ニホヒハシゲシ》
 然鞆《シカレドモ》
 妻梨木乎《ツマナシノキヲ》 手折可佐寒《タヲリカザサム》
 
【譯】黄葉の美しいのはたくさんある。しかしながら、わたしは、妻梨の木を折つて插頭にしよう。
【釋】丹穗日者繁 ニホヒハシゲシ。丹穗は、訓假字だが、丹色に穗にあらわれる義をもつて、語の内容に關係のある字を選んだのだろう。シゲシは、繁多にある意で、ここは、種類の多いのをいう。句切。
 妻梨木乎 ツマナシノキヲ。ツマナシは、そういう名の樹種があるわけではなく、妻は序詞で、妻無しのしやれに、梨の木を引き起すのだとされている。ナシの葉は、美しい黄色に變色する。
【評語】黄葉の多種あるが中にも、特に葉のこまかいナシの黄葉を愛している。それに妻ナシという言い懸けをした心は、作者が無き妻を思う人だつたからだろう。秋深き園に下り立つて、特に妻梨の一枝を折る作者の心を掬むべきである。常人では、妻梨の修辭はなさざる所だ。
 
2189 露霜の 寒き夕《ゆふ》べの 秋風に
 もみちにけりも。
 妻梨の木は。
 
 露霜乃《ツユジモノ》 寒夕之《サムキユフベノ》 秋風丹《アキカゼニ》
 黄葉尓來毛《モミチニケリモ》
 妻梨之木者《ツマナシノキハ》
 
(262)【譯】露霜の寒い夕方の秋風に、黄葉したことだ、妻梨の木は。
【釋】黄葉尓來毛 モミチニケリモ。モミチは、動詞として使われている。モは、感動の助詞。句切。
【評語】前の歌と連作をなすものだろう。妻梨の語に托して、自分の境涯を憐んでいると見るべきだ。秋風に色づいたというのが、よく響いている。
 
2190 わが門の 淺茅色づく。
 吉隱《よなばり》の 浪柴の野の 黄葉散るらし。
 
 吾門之《ワガカドノ》 淺茅色就《アサヂイロヅク》
 吉魚張能《ヨナバリノ》 浪柴乃野之《ナミシバノノノ》 黄葉散良新《モミチチルラシ》
 
【譯】わたしの門邊の淺茅が色づく。吉隱の浪柴の野の黄葉が散るらしい。
【釋】吉魚張能 ヨナバリノ。ヨナバリは、奈良縣磯城郡。初瀬町の東方である。
 浪柴乃野之 ナミシバノノノ。ナミシバノ野は、吉隱の中とだけで、所在はあきらかでない。大和志、吉隱の條に「其野(ヲ)曰(フ)2浪芝野(ト)1」とあるが、この歌あたりが出典になつているのだろう。ナミシバは竝柴で、繁つた木の一面に生えている野であるかも知れない。
【評語】門前の風物に依つて、氣候の寒い山の方のもようを推量している。かつて見たその地の風光の忘れかねるものがあつて、それが基礎となつている。
【參考】類型。
  わが屋戸の淺茅いろづく。吉隱の夏身《なつみ》の上に時雨降るらし(卷十、二二〇七)
  八田の野の淺茅いろづく。有乳《あらち》山峰の沫雪《あわゆき》寒く降るらし(同、二三三一)
 
2191 雁が音を 聞きつるなへに
(263) 高松の 野の上の草ぞ
 色づきにける。
 
 鴈之鳴乎《カリガネヲ》 聞鶴奈倍尓《キキツルナヘニ》
 高松之《タカマツノ》 野上乃草曾《ノノウヘノクサゾ》
 色付尓家留《イロヅキニケル》
 
【譯】雁の鳴き聲を聞いたと共に、高松の野の上の草が色づいた。
【釋】高松之 タカマツノ。タカマツは、既出。高圓に同じとされている。
【評語】二句に助詞ナヘを置く表現様式の歌は、前にも後にもあつて、一つの型を成している。これは季節のおとずれは、この型によつて表示するのが便宜だからであろう。この歌も、雁の聲によつて季節のおとずれを感ずる意がよく出ている。
 
2192 わが夫子が 白たへ衣、
 往き觸れば 染《にほ》ひぬべくも
 もみつ山かも。
 
 吾背兒我《ワガセコガ》 白細衣《シロタヘゴロモ》
 往觸者《ユキフレバ》 應v染毛《ニホヒヌベクモ》
 黄變山可聞《モミツヤマカモ》
 
【譯】あなたの白い著物は、行き觸れたなら、染まりそうにも黄葉した山ですね。
【釋】白細衣 シロタヘゴロモ。白い織布の衣服。染めてない生地のままの衣服である。
 往觸者 ユキフレバ。ユキフレバ(元)。ユキフラバ(考)。動詞觸ルは「波都々々爾《ハツハツニ》 仁必波太布禮思《ニヒハダフレシ》 古呂之可奈思母《コロシカナシモ》」(卷十四、三五三七)、「伎美我手敷禮受《キミガテフレズ》 波奈知良米夜母《ハナチラメヤモ》」(卷十七、三九六八)など、觸レシ、觸レズなどの形を有しているから、下二段活として取り扱うのがよいであろう。但し羽觸の如きは、ハブリだろうから、四段活がなかつたとはいえない。
 黄變山可聞 モミツヤマカモ。黄變は、義をもつて書いている。モミツの例は、「和可加敝流弖能《ワカカヘルデノ》 毛美都(264)麻弖《モミツマデ》」(卷十四、三四九四)の例がある。
【評語】黄變の字を使つているが、むしろくれないに燃える山の色が想像される。白い著物を著てはいつて行くと、黄葉の色で染まるだろうという想像は、類想があるにしても美しい。わが夫子の語を使つているが、男どうしの歌と考えられ、現にその黄葉した山に對して歌つていると見られる。
 
2193 秋風の 日にけに吹けば、
 水莖《みづぐき》の 岡の木の葉も
 色づきにけり。
 
 秋風之《アキカゼノ》 日異吹者《ヒニケニフケバ》
 水莖能《ミヅグキノ》 岡之木葉毛《ヲカノコノハモ》
 色付尓家里《イロヅキニケリ》
 
【譯】秋風が、日毎にまさつて吹くので、若々しい莖の生えている岡の木の葉も、色づいたことだ。
【釋】日異吹者 ヒニケニフケバ。ヒニケニは、日に殊にで、日々に増つて吹く意である。
 水莖能 ミヅグキノ。枕詞。ミヅグキは、生々たる莖の義であろう。その生えている岡と續くか。若《わか》に接續し、若から轉じて岡に冠するという説は、若に續く例が無く、岡のみに接續しているので疑わしい。地名とすることも考えられるが、その地の實在の證明が無いので、これも危ぶまれる。
【評語】すらすらと形の整つた歌だ。水莖ノの枕詞は、木の葉の色づくことと對立をしている。
【參考】類歌。
  雁がねの寒く鳴きしゆ水莖の岡の葛葉《くづは》は色づきにけり(卷十、二二〇八)
 
2194 雁がねの 來鳴きしなへに
 韓衣《からごろも》 立田《たつた》の山は もみち始《そ》めたり。
 
 雁鳴乃《カリガネノ》 來鳴之共《キナキシナヘニ》
 韓衣《カラゴロモ》 裁田之山者《タツタノヤマハ》 黄始有《モミチソメタリ》
 
(265)【譯】雁が來て鳴いたと共に、韓衣を裁《た》つ、その立田の山は、黄葉し始めた。
【釋】韓衣 カラゴロモ。枕詞。大陸ふうの衣服で、裁つて縫うというので、立田のタツに冠している。
【評語】雁が來て、黄葉が繼ぐという、季節のおとずれが歌われ、類想の多い歌である。地名も立田山でなくてもよいわけである。
 
2195 雁がねの 聲聞くなへに、
 明日よりは
 春日の山は もみち始《そ》めなむ。
 
 鴈之鳴《カリガネノ》 聲聞苗荷《コヱキクナヘニ》
 明日從者《アスヨリハ》
 借香能山者《カスガノヤマハ》 黄始南《モミチソメナム》
 
【譯】雁の鳴聲を聞くと共に、明日からは、春日の山は黄葉し始めるだろう。
【評語】これもナヘニに依つて表現している。内容も雁の聲によつて黄葉し始めることを歌つている。類想類型の多い歌であつて、しかもこの歌には、特色として見るべきものがない。
 
2196 時雨の雨 間無くしふれば、
 眞木の葉も
 あらそひかねて 色づきにけり。
 
 四具禮能雨《シグレノアメ》 無v間之零者《マナクシフレバ》
 眞木葉毛《マキノハモ》
 爭不v勝而《アラソヒカネテ》 色付尓家里《イロヅキニケリ》
 
【譯】時雨の雨が、間無く降るので、常磐木の葉も、爭いかねて色づいたことだ。
【釋】眞木葉毛 マキノハモ。マキは、スギ、ヒノキのような、堂々たる風格の木をいい、殊に常緑の樹をいう。
【評語】時雨の雨が間斷なく降つて、常緑木までも色づいたことを歌つている。實際、秋深くなると、スギ、(266)ヒノキのような常緑木の葉も、褐色を帶びてくるものである。爭ヒカネテの句は、技巧的で氣になるが、黄葉の歌として變わつた所を歌つたのが特色だ。
 
2197 いちしろく 時雨の雨は 零《ふ》らなくに
 大城《おほき》の山は 色づきにけり。
 
 灼然《イチシロク》 四具禮乃雨者《シグレノアメハ》 零勿國《フラナクニ》
 大城山者《オホキノヤマハ》 色付尓家里《イロヅキニケリ》
 
【譯】はつきりと、時雨の雨は降らないのだが、大城の山は色づいたことだ。
【釋】灼然 イチシロク。著明に、はつきりと。それというほどの時雨の雨は降らなかつたというので、いちしろく降らないと云つている。
 大城山者 オホキノヤマハ。オホキノ山は、大宰府背後の山。次の註參照。
【評語】まだ時雨というほどの雨も降らなかつたが、山の草木の既に色づいたことを歌つている。すつきりとした形のよい歌である。
 
謂2大城山1者、在2筑前國御笠郡1之大野山頂、號曰2大城1者也
 
大城の山と謂へるは、筑前の國の御笠《みかさ》の郡にある大野山の、頂の號を大城と曰へるものなり。
 
【釋】謂大城山者 オホキノヤマトイヘルハ。以下、前の歌の大城ノ山の説明である。これによれば、大野山の山頂を大城の山という由である。大野山は、卷の五、七九九參照。この註は、萬葉集の編纂當時からあつたものなるべく、大城というのが、あまり知られていない名なので、加えた説明であろう。原作者の自註であるかも知れない。特に山頂附近が色づいたという歌意を説明したのであろう。
 
(267)2198 風吹けば 黄葉《もみち》散りつつ、
 すくなくも
 吾《あが》の松原 清からなくに。
 
 風吹者《カゼフケバ》 黄葉散乍《モミチチリツツ》
 小雲《スクナクモ》 吾松原《アガノマツバラ》 清在莫國《キヨカラナクニ》
 
【譯】風が吹くと黄葉が散つて、わがの松原は、大變に美しい。
【釋】少雲 スクナクモ。少は、元暦校本による。諸本に小であるが、小は少に通じて使用されている。スクナクモは、乏少の意の副詞だが、この下にある句を修飾限定して、その内容が、乏少であることをいい、下の句の内容について決してそんな事はないの意をあらわす。下はかならず打消の語で受けている。すなわちこの歌では、清カラナクニを否定して、清らかだというのである。集中の用例を列擧すれば、次の通りである。「散頬相《サニツラフ》 色者不v出《イロニハイデズ》 小文《スクナクモ》 心中《ココロノウチニ》 吾念名君《ワガオモハナクニ》」(卷十一、二五二三)、これは心の中ではなはだしく思うのである。それを、心の中でわたしの思わないことは、すくないの形であらわすのである。「言云者《コトニイヘバ》 三々二田八酢四《ミヽニタヤスシ》 小九毛《スクナクモ》 心中二《ココロノウチニ》 我念羽奈九二《ワガオモハナクニ》」(同、二五八一)これも同前。「人目多見《ヒトメオホミ》 眼社忍禮《メコソシノブレ》 小毛《スクナクモ》 心中爾《ココロノウチニ》 吾念莫國《ワガオモハナクニ》」(卷十二、二九一一)、これも同前。「須久奈久毛《スクナクモ》 伊母爾戀都々《イモニコヒツツ》 須敝奈家奈久爾《スベナケナクニ》」(卷十五、三七四三)、これは妹に戀うて、何とも術が無いというのである。「須久奈久母《スクナクモ》 年月經禮婆《トシツキフレバ》 古非之家禮夜母《コヒシケレヤモ》」(卷十八、四一一八)、これは年月を經ても大いに戀しいというのである。それぞれの歌の條參照。
 吾松原 アガノマツバラ。三重縣の吾の松原(卷六、一〇三〇)だろうという。
【評語】松原に黄葉の散る風情が詠まれている。特殊な句法を使用して、清らかであることを強調している。今までこの句法に對する理解が無く、その意を解し得なかつた歌である。
 
2199 もの念ふと 隱《こも》らひ居《を》りて、
(268) 今日見れば
 春日の山は 色づきにけり。
 
 物念《モノモフト》 隱座而《コモラヒヲリテ》
 今日見者《ケフミレバ》
 春日山者《カスガノヤマハ》 色就尓家里《イロヅキニケリ》
 
【譯】物を思うとて家に籠つていて、今日見れば春日の山は色づいたことだ。
【釋】物念隱座而 モノオモフトコモラヒヲリテ。トは讀み添える。物を思うとての意。コモラヒヲリテは、家に閉じこもつていて。
【評語】日ごろ家ごもりをしていて、たまたま出て季節の動いているのに驚いている。初二句は、感傷的な内容だが、率直に敍してあり、三句以下も、すなおにそれを受けて、因果的になつていないのがよい。大伴の家持の、「雨ごもり心いぶせみ出で見れば春日の山は色づきにけり」(卷八、一五六八)は、この歌を受けているのだろう。
 
2200 九月《ながつき》の 白露|負《お》ひて、
 あしひきの 山のもみちむ、
 見まくしもよし。
 
 九月《ナガツキノ》 白露負而《シラツユオヒテ》
 足日木乃《アシヒキノ》 山之將2黄變1《ヤマノモミチム》
 見幕下吉《ミマクシモヨシ》
 
【譯】九月の白露を負うて、山の黄葉するだろうのを、見るのは良いものだ。
【釋】山之將黄變 ヤマノモミチム。山の黄葉しようのをで、句切ではなく、次の見るの目的になつている。
【評語】山ノモミチムといい、見マクシモといい、現在形を用いていないので、概説ふうになつてしまつた。黄葉を思う心だけの内容である。
 
2201 妹がりと 馬に鞍置きて、
(269) 射駒山 うち越えくれば、
 紅葉ちりつつ。
 
 妹許跡《イモガリト》馬※[木+安]置而《ウマニクラオキテ》
 射駒山《イコマヤマ》 撃越來者《ウチコエクレバ》
 紅葉散筒《モミヂチリツツ》
 
【譯】妻のもとへと、馬に鞍を置いて、射駒山を越えてくれば、紅葉が散りつつある。
【釋】妹許跡 イモガリト。妹のもとへと。この妹は、大和にいる作者の妻であろう。
 射駒山 イコマヤマ。生駒山に同じ。
【評語】難波あたりに出た官人が、馬に鞍を置いて、生駒山を越えるのだろう。初二句の敍述がよく利いて、情景を兼ねた美しい歌になつている。紅葉の文字は、集中この一例があるのみで、他には、赤葉、赤があるだけである。
 
2202 黄葉する 時になるらし。
 月人の かつらの枝の
 色づく見れば。
 
 黄葉爲《モミチスル》 時尓成良之《トキニナルラシ》
 月人《ツクヒトノ》 楓枝乃《カツラノエダノ》
 色付見者《イロヅクミレバ》
 
【譯】黄葉する時になるらしい。月の中にあるというカツラの枝の色づくのを見ると。
【釋】月人 ツクヒトノ。ツクヒトは、既出の「月人壯《ツクヒトヲトコ》」(卷十、二〇一〇)などのツクヒトヲトコに同じ。月を擬人化したもの。
 楓枝乃 カツラノエダノ。月中に楓樹ありとする傳説によつている。「月内之《ツキノウチノ》 楓如《カツラノゴトキ》」(卷四、六三二)參照。カツラは、カツラ科の落葉喬木で、カエデとは別。
【評語】秋になつて月の光のすみまさるのを、カツラの枝の色づくという譬喩で歌つている。初二句は、黄葉(270)する時節になつたらしいと、當然色づくべき時期になつたことを歌つている。月の歌だが、黄葉に縁があるので、ここに收めたのだろう。當時の知識者の作である。
 
2203 里もけに 霜は置くらし。
 高松の 野山づかさの 色づく見れば。
 
 里異《サトモケニ》 霜者置良之《シモハオクラシ》
 高松《タカマツノ》 野山司之《ノヤマヅカサノ》
 色付見者《イロヅクミレバ》
 
【譯】里も特に霜は置くらしい。高松の野山の高みの色づくのを見れば。
【釋】里異 サトモケニ。ケニは、特に、格別に。
 野山司之 ノヤマヅカサノ。ツカサは、附近を支配する處の義で、高い處をいう。「佐保河乃《サホガハノ》 涯之官能《キシノツカサノ》」(卷四、五二九)、「安之比奇能《アシヒキノ》 山谷古延?《ヤマタニコエテ》 野豆加佐爾《ノヅカサニ》 今者鳴良武《イマハナクラム》 宇具比須乃許惠《ウグヒスノコヱ》」(卷十七、三九一五)(271)など使われている。ノヤマヅカサは、野山の一帶を司るような高みをいうのだろう。
【評語】山野の高みの色づくのを見て、里にも霜は置くらしいという極めて自然な推量をしている。野山ヅカサのような特殊の語が、まず黄葉の色づく場處を指示し、全體の内容に實感を與えている。
 
2204 秋風の 日にけに吹けば、
 露しげみ
 はぎの下葉は 色づきにけり。
 
 秋風之《アキカゼノ》 日異吹者《ヒニケニフケバ》
 露重《ツユシゲミ》
 芽子之下葉者《ハギノシタバハ》 色付來《イロヅキニケリ》
 
【譯】秋風が、日ましに吹くので、露が繁く、ハギの下葉は色づいたことだ。
【釋】露重 ツユシゲミ。重をシゲミと讀むことは、「人之事重三《ヒトノコトシゲミ》 念曾吾爲類《オモヒゾワガスル》」(卷四、七八八)の例によつて證明される。露がいつぱいに置くので。
【評語】秋風ノ日ニケニ吹ケバは、日ましに寒くなることをいうが、露シゲミの伏線としては、不適當である。實地について深く考慮することなしに置いた句だからであろう。類型的に作られた歌だ。
 
2205 秋はぎの 下葉もみちぬ。
 あらたまの 月の經去《へゆ》けば
 風をいたみかも。
 
 秋〓子乃《アキハギノ》 下葉赤《シタバモミチヌ》
 荒玉乃《アラタマノ》 月之歴去者《ツキノヘユケバ》
 風疾鴨《カゼヲイタミカモ》
 
【譯】秋ハギの下葉が赤く染まつた。月が過ぎて行くので、風が強いからか。
【釋】下葉赤 シタバモミチヌ。赤の字を書いたのは、ハギの下葉の實際の色に即して書いたので、黄よりは(272)赤の方が適切だと考えたからであろう。句切。
 荒玉乃 アラタマノ。枕詞。ここは月に冠している。
 月之歴去者 ツキノヘユケバ。秋になつて月が經過したので。
 風疾鴨 カゼヲイタミカモ。この下に、たとえばアラムの如き語の省略された氣もちである。三句以下は、初二句の理由になるのだが、上に返るのではない。
【評語】實地に即しているだけに、前の歌よりはこの方がすぐれている。自然をよく見つめている歌である。
 
2206 まそ鏡 南淵《みなぶち》山は、
 今日もかも
 白露置きて 黄葉《もみち》散るらむ。
 
 眞十鏡《マソカガミ》 見名淵山者《ミナブチヤマハ》
 今日鴨《ケフモカモ》
 白露置而《シラツユオキテ》 黄葉將v散《モミヂチルラム》
 
【譯】澄んだ鏡を見る。その南淵山は、今日は、白露が置いて黄葉が散つているだろう。
【釋】眞十鏡 マソカガミ。枕詞。見るの意に、南淵山のミに冠している。
 見名淵山者 ミナブチヤマハ。ミナブチ山は、奈良縣高市郡高市村にあつて、飛鳥川の上流に臨んでいる。
 今日鴨 ケフモカモ。ケフモは今日を強く指示するもので、今日もまたの意ではない。カモは、疑問の係助詞。
【評語】南淵山の黄葉の散る様を推量している。飛鳥の故郷戀しく思う心から詠まれたものであろう。白露と黄葉と、文字の上で對を成して書かれているようだ。
 
2207 わが屋戸《やど》の 淺茅色づく。
(273) 吉隱《よなばり》の 夏身の上に 時雨ふるらし。
 
 吾屋戸之《ワガヤドノ》 淺茅色付《アサヂイロヅク》
 吉魚張之《ヨナバリノ》 夏身之上尓《ナツミノウヘニ》 四具禮零疑《シグレフルラシ》
 
【譯】わたしの屋戸の淺茅が色づいた。吉隱の夏身の上に時雨が降るらしい。
【釋】吉魚張之 ヨナバリノ。ヨナバリは地名。既出(卷十、二一九〇)。
 夏身之上尓 ナツミノウヘニ。ナツミは、吉隱の一地名だろうが、所在不明。山か野か里かも不明。
 四具禮零疑 シグレフルラシ。疑は、ラシともラムともカモとも讀まれるが、類型の歌「吾門之《ワガカドノ》 淺茅色就《アサヂイロヅク》 吉魚張能《ヨナバリノ》 浪柴乃野之《ナミシバノノノ》 黄葉散良新《モミチチルラシ》」(卷十、二一九〇)に照らして、ラシと讀むべきである。 
【評語】身邊の風物によつて、曾遊《そうゆう》の地の物色の變化を推量している。類型のある歌だが、詩趣は感じられる。
 
2208 雁がねの 寒く鳴きしゆ、
 水莖の 岡のくず葉は、
 色づきにけり。
 
 鴈鳴之《カリガネノ》 寒鳴從《サムクナキシユ》
 水莖之《ミヅグキノ》 岡乃葛葉者《ヲカノクズバハ》
 色付尓來《イロヅキニケリ》
 
【譯】雁が寒く鳴いてからこのかた、若々しい莖の生える岡の葛葉は色づいたことだ。
【釋】雁鳴之寒鳴從 カリガネノサムクナキシユ。雁の聲寒く鳴いた時よりこのかた。
 水莖之 ミヅグキノ。枕詞。
【評語】前に類歌(二一九三)があつたが、この歌はこれでまた纏まつている。雁がねに葛葉を取り合わせたのが趣向だ。水莖の枕詞は、季節の推移を感じて使つているのだろう。
 
2209 秋はぎの 下葉の黄葉、
(274) 花に繼ぐ 時過ぎ行かば、
 後《のち》戀ひむかも。
 
 秋〓子之《アキハギノ》下葉乃黄葉《シタバノモミチ》
 於v花繼《ハナニツグ》 時過去者《トキスギユカバ》
 後將v戀鴨《ノチコヒムカモ》
 
【譯】秋ハギの下葉の黄葉が、その花に續く時が過ぎて行つたら、後に思うことだろうか。
【釋】於花繼 ハナニツグ。ハギの花の後に績く。連體句。
【評語】ハギの花が既に過ぎて、その下葉の黄葉の繼いで美しい今、この時が過ぎて行つたら、後に戀しく思われるだろうという歌である。花から黄葉へと、季節の風物と共に住む生活が歌われている。
 
2210 明日香《あすか》河 もみち葉ながる。
 葛城《かづらき》の 山の木の葉は
 今し散るらし。
 
 明日香河《アスカガハ》 黄葉流《モミチバナガル》
 葛木《カヅラキノ》 山之木葉者《ヤマノコノハハ》
 今之落疑《イマシチルラシ》
 
【譯】明日香川は黄葉が流れる。葛城の山の木の葉は、今散るらしい。
【釋】明日香河 アスカガハ。これは大和の飛鳥川ではなく、二上山から流れ出て、河内の國の石川に注ぐ飛鳥川とする説がある。葛城山の木の葉が散つて、この川を流れたとするならば、その方が合理的である。大和の飛鳥川は、葛城山とは、関係無く流れている。しかし飛鳥川の黄葉を見て、葛城山を推量することもあり得る。今シの句から見ても、その方がよいかもしれない。
 葛木 カヅラキノ。大和河内の國境をなす山で、金剛山、葛城山、二上山などの連峯の總稱である。
【評語】川に流れる黄葉を見て、上流の山の木の葉の散るのを推量したものとして、「わが門の淺茅色づく」の歌あたりと、同型の構想で、それよりも實地と推量とに地理的に深い關係のあるのが特色である。それだけに(275)多少理くつぽくなつているのはやむを得ない。明日香河の釋の條の後半に説いたように地理的な關係なしとすれば、その方が趣が深い。
 
2211 妹が紐 解くと結びて 立田山、
 今こそ黄葉《もみち》 はじめてありけれ。
 
 妹之?《イモガヒモ》 解登結而《トクトムスビテ》 立田山《タツタヤマ》
 今許曾黄葉《イマコソモミチ》 始而有家禮《ハジメテアリケレ》
 
【譯】妹の著物の紐を解いて結んで立つ。その立田山は、今こそ黄葉し始めたことだつた。
【釋】妹之?解登結而 イモガヒモトクトムスビテ。以上、立田山というための序詞。略解に、而は等などの誤りかとしているが、歌經標式《かきようひようしき》に藤原の内の大臣の秋の歌として「伊母我比母《イモガヒモ》 等倶等牟須婢弖《トクトムスビテ》 他都他夜麻《タツタヤマ》 美和他須能幣能《ミワタスノベノ》 母美知斗《モミチト》(計カ)羅倶婆《ラクハ》」という歌を載せているのによれば、誤りがあるとは云いがたい。トクトは、解し難いが、解くためにとまず結びての意でもあろうか。なお後撰集に、「妹が紐解くと結ぶと立田山今ぞもみぢの錦織りける」として載せたのは、この歌をもととするのであろう。
 今許曾黄葉 イマコソモミチ。モミチは、モミチハジメテと續けて、動詞とも取れるが、やはり名詞とすべきであろう。
 始而有家禮 ハジメテアリケレ。テアリは、熟して助動詞ダリとなるもの。テアリはその歴史的の形である。
【評語】初三句の序詞は、歌いものふうに口馴れていたものから來ているのであろう。そのきわどい言いかけだけが興味で、黄葉に関する方は、平凡な説明に過ぎない。
 
2212 雁がねの 喧《さわ》きにしより、
 春日なる 三笠の山は 色づきにけり。
 
 鴈鳴之《カリガネノ》 喧《サワキ・キナキ》之從《ニシヨリ》
 春日有《カスガナル》 三笠山者《ミカサノヤマハ》 色付丹家里《イロヅキニケリ》
 
(276)【譯】雁の鳴いた日からこのかた、春日の三笠の山は色づいたことだ。
【釋】喧之從 サワキニシヨリ。
  キナキシヒヨリ(元)
  サワキニシヨリ(元赭)
  ナキキニシヨリ(類)
  キナキニシヨリ(神)
  ――――――――――
  喧之日從《ナキニシヒヨリ》(代精、早稻田本)
  來喧之從《キナキニシヨリ》(代精)
 文字表現が十分でなく、訓に苦しむ所である。喧は、大聲に語る意の字で、集中、鳥については、動詞ナク、名詞ネにあてて書いている。ここは動詞と見られるが、二音では音數不足ゆえ、義をもつてサワキとするによる。雁については「雁我禰波《カリガネハ》 都可比爾許牟等《ツカヒニコムト》 佐和久良武《サワクラム》」(卷十七、三九五三)があり、その他、カモ、タヅ、アヂムラ等についてサワクと言つている。また補讀するとせば、來の語キを補うか、日の語ヒを補うかであるが、それによつて安定するともいいがたい。
【評語】雁が鳴いてから黄葉したという、類想の多い歌である。春日ナル三笠ノ山は、この集にゆかりの深い地名だが、さりとてその山を置いただけの特色もない。
 
2213 この頃の 曉露《あかときつゆ》に、
 わが屋戸の 秋のはぎ原
 色づきにけり。
 
 比者之《コノゴロノ》 五更露尓《アカトキツユニ》
 吾屋戸乃《ワガヤドノ》 秋之〓子原《アキノハギハラ》
 色付尓家里《イロヅキニケリ》
 
【譯】この頃の明け方の露で、わたしの屋戸の秋のハギ原は、色づいたことだ。
【釋】五更露尓 アカトキツユニ。五更は、漏刻の時數で、五更に及んで夜が開けるので、アカトキに使つて(277)いる。
【評語】前に類歌(二一八二)があつた。秋のハギ原が色づいたというのは、秋ハギの集團的な美を歌つたものといえよう。
 
2214 夕されば 雁が越えゆく 龍田山、
 時雨に競《きほ》ひ 色づきにけり。
 
 夕去者《ユフサレバ》 鴈之越往《カリノコエユク》 龍田山《タツタヤマ》
 四具禮尓競《シグレニキホヒ》 色付尓家里《イロヅキニケリ》
 
【譯】夕方になると雁の越えて行く立田山は、時雨と爭つて色づいたことだ。
【釋】四具禮尓競 シグレニキホヒ。時雨の催し立てるのに爭つて、おくれまいとして色づいたのである。
【評語】雁が立田山を越えるということは、古歌などから來ているだろうが、ここでは、これによつて立田山の動態を描いて、次の時雨ニ競ヒに照應させている。
 
2215 さ夜ふけて 時雨なふりそ。
 秋はぎの 本葉《もとば》の黄葉《もみち》
 散らまく惜しも。
 
 左夜深而《サヨフケテ》 四具禮勿零《シグレナフリソ》
 秋〓子之《アキハギノ》 本葉之黄葉《モトバノモミチ》
 落卷惜裳《チラマクヲシモ》
 
【譯】夜が更けて時雨よ降るな。秋ハギのもと葉の黄葉の散るのが惜しい。
【釋】本葉之黄葉 モトバノモミチ。モトバは、枝のもとの方にある葉をいう。
【評語】夜が更けて時雨がはらはらとおとずれたので、ハギのもと葉の紅葉の散るのを惜しんだ歌である。具體的に、モト葉ノ黄葉といつたのがよく、美しい自然の亂れるのを傷んでいる。
 
(278)2216 古郷の 初もみち葉を 手《た》折り持ち、
 今日ぞわが來る。
 見ぬ人のため。
 
 古郷之《フルサトノ》 始黄葉乎《ハツモミチバヲ》 手折以《タヲリモチ》
 今日曾吾來《ケフゾワガクル》
 不v見人之爲《ミヌヒトノタメ》
 
【譯】古郷の初黄葉を折つて持つて、今日わたしが來ました。見ない人のために。
【釋】古郷之 フルサトノ。明日香あたりの、もと住んでいた里をいうのであろう。
【評語】美しい初黄葉を折つて來たのは、人と共に、古郷をなつかしむ心を分かとうとするからである。黄葉を折つて來たことを説明したに過ぎないが、情趣は存している。
 
2217 君が家の ともしき黄葉《もみち》、
 けさはふる 時雨の雨に
 沾れにけらしも。
 
 君之家乃《キミガイヘノ》 之黄葉《トモシキモミチ》
 早者《ケサハ・ハヤク》落《フル》 四具禮乃雨尓《シグレノアメニ》
 所v沾良之母《ヌレニケラシモ》
 
【譯】あなたのお家のわずかな黄葉は、早く降る時雨の雨に濡れたことでしようね。
【釋】之黄葉早者落 トモシキモミチケサハフル。
  モミチハハヤクチリニケリ(元)
  □ノモミヂハヤクフル(定本)
  ――――――――――
  黄葉早落之者《モミヂバハヤクチリユクハ》(童)
  黄葉早落之者《モミヂバハヤクチリニシハ》(考)
 文字に疑問があつて、正訓を得難い。今假に、之を乏の誤りと見て訓を下した。乏を之に誤つたと見られる例は、「之吉呂賀聞《トモシキロカモ》」(卷一、五三)がある。トモシキは、本義の、すくない意による。わずかに黄葉したのを見知つているのだろう。早者は、ハヤクと讀むのが無理なので、義をもってケサハとした。
(279)【評語】君が家の黄葉が、時雨に濡れているだろうと推量しているが、訓讀に問題があつて、その生命を十分に感じ得ない。時雨のふる頃、人に贈る歌として、まず趣のある方だろう。
 
2218 一|年《とせ》に ふたたび行かぬ 秋山を、
 情《こころ》に飽かず 過《すぐ》しつるかも。
 
 一年《ヒトトセニ》 二遍不v行《フタタビユカヌ》 秋山乎《アキヤマヲ》
 情尓不v飽《ココロニアカズ》 過之鶴鴨《スグシツルカモ》
 
【譯】一年に二度と來ない秋山だのに、心に飽き足らず思つて過したことだなあ。
【釋】二遍不行 フタタビユカヌ。二度と進行しない。二度來ない意である。「空蝉乃《ウツセミノ》 代也毛二行《ヨヤモフタユク》」(卷四、七三三)。
 情尓不飽 ココロニアカズ。アカズは、飽き足らず。飽くまで見なかつた意である。
【評語】秋山を惜しむ情があらわれている。一年に二度と來ないという云い方は、七夕の歌などにもあつて、獨創的ではない。
 
詠2水田1
 
【釋】詠水田 コナタヲヨメル。倭名類聚鈔に「田、釋名(ニ)云(フ)、土(ノ)已(ニ)耕(セル)者爲(ス)v田(ト)徒年反、和名太。漢語抄云、水田、古奈太。田、填《テン》也。五穀填2滿(ス)其(ノ)中(ニ)1也」とある。これによつて水田をコナタと讀む。箋註倭名類聚鈔に、コナタは熟田の義とある。
 
2219 あしひきの 山田作る子、
 秀《ひ》ででずとも 繩だに延《は》へよ。
(280) 守《も》ると知るがね。
 
 足曳之《アシビキノ》 山田佃子《ヤマダツクルコ》
 不v秀友《ヒデズトモ》 繩谷延與《ナハダニハヘヨ》
 守登知金《モルトシルガネ》
 
【譯】この山田を作つている若者よ、稻がみのらないでも、繩だけでもお張りなさい。番をしていると知るだろう。
【釋】山田佃子 ヤマダツクルコ。佃は田を作るをいう。コは、下の者に對する愛稱。
 不秀友 ヒデズトモ。ヒヅは、穗に出るをいう。山田で稻がみのらないでも。
【評語】譬喩の歌らしい詠みぶりである。山田の耕作の實?に即して詠んでいるのがよい。
【參考】類歌。
  石上《いそのかみ》布留《ふる》の早田《わさだ》を秀《ひ》でずとも繩だに延《は》へよ。守《も》りつつ居らむ(卷七、一三五三)
 
2220 さを鹿の 妻|喚《よ》ぶ山の 岡邊《をかべ》なる
 早田《わさだ》は刈らじ。
 霜は零《ふ》るとも。
 
 左小壯鹿之《サヲシカノ》 妻喚山之《ツマヨブヤマノ》 岳邊在《ヲカベナル》
 早田者不v苅《ワサダハカラジ》
 霜者雖v零《シモハフルトモ》
 
【譯】男鹿が妻を呼ぶ山の岡邊にある早稻の田は刈るまい。霜は降つても。
【釋】早田者不苅 ワサダハカラジ。ワサダは、早く熟する稻の田。山邊は、氣候が寒いので、早く熟する種類を耕作する。句切。
【評語】鹿の妻を呼ぶのに同情して、その立ち寄るあたりの田を刈らないというのだが、作り歌で、實情でない所が缺點である。あまりに思い設けている。實際の耕人の作でないことはあきらかである。
 
2221 わが門に 禁《も》る田を見れば、
(281) 佐保の内の 秋はぎすすき
 念《おも》ほゆるかも。
 
 我門尓《ワガカドニ》 禁田乎見者《モルタヲミレバ》
 紗穗内之《サホノウチノ》 秋〓子爲酢寸《アキハギススキ》
 所v念鴨《オモホユルカモ》
 
【譯】わたしの門で番をしている田を見ると、佐保の區内の秋ハギやススキが思われることだなあ。
【釋】禁田乎見者 モルタヲミレパ。モルタは、鹿猪などに犯されないように番をする田をいう。
 紗穗内之 サホノウチノ。サホノウチは、佐保川を中心とした一帶の地域をいう。佐保の區域内の意。「狹帆之内敝《サホノウチヘ》」(卷十、一八二七)。
【評語】田舍に出た人が、門邊の稻田の秋を見て、わが家のある佐保の秋の風情を思つた歌で、すなおに詠まれている。大伴氏は、佐保に邸宅があり、坂上の郎女などは、それから庄園に出ていて詠んだ歌をも殘しているから、そういう場合の歌であろう。
 
詠v河
 
2222 夕さらず 河蝦《かはづ》鳴くなる 三輪河の
 清き瀬の音を 聞かくし宜《よ》しも。
 
 暮不v去《ユフサラズ》 河蝦鳴成《カハヅナクナル》 三和河之《ミワガハノ》
 清瀬《キヨキセノ》音《ト・オト》乎《ヲ》 聞師吉毛《キカクシヨシモ》
 
【譯】夕方ごとに河蝦の聲を聞く三輪川の清い瀬の音を聞くのは氣もちのよいことだ。
【釋】三和河之 ミワガハノ。初瀬川の下流、三輪山の附近を流れるあたりを三輪川という。
【評語】カワズの聲を得て、川瀬の音は、一層その清さを増して感じられる。川瀬の音を愛する歌は多く、古人の、自然に對する感興の深さが感じられる。
 
(282)詠v月
 
2223 天《あめ》の海に 月の船浮け、
 桂楫《かつらかぢ》 かけて榜ぐ見ゆ。
 月人|壯子《をとこ》。
 
 天海《アメノウミニ》 月船浮《ツキノフネウケ》
 桂梶《カツラカヂ》 懸而滂所v見《カケテコグミユ》
 月人壯子《ツクヒトヲトコ》
 
【譯】天の海に月の船を浮かべて、桂の楫を懸けてこぐのが見える。月の男が。
【釋】桂梶 カツラカヂ。桂樹で作つた楫。月中に桂樹ありとすることから來ている。「月内之《ツキノウチノ》 楓如《カツラノゴトキ》」(卷四、六三二)參照。
 懸而滂所見 カケテコグミユ。カケテは、楫を船につけて。句切。
 月人壯子 ツクヒトヲトコ。月の擬人化。四句の、かけて榜ぐの主格。ミユは、作者に見える意。
【評語】漢文學の影響を受けている作だ。懷風藻所載の文武天皇の御製の月の詩「月(ノ)舟移(リ)2霧(ノ)渚(ニ)1、楓(ノ)?泛(ブ)2霞(ノ)濱(ニ)1」あたりからは、直接に受けているだろうし、人麻呂集の歌からも受けているだろう。大宮人である當時の文學者の、月に對する解釋と云えよう。
【參考】類歌。
  天《あめ》の海に雲の浪立ち月の船星の林に榜《こ》ぎ隱る見ゆ(卷七、一〇六八、人麻呂集)
 
2224 この夜らは さ夜ふけぬらし。
 雁が音の 聞ゆる空ゆ 月立ち渡る。
 
 此夜等者《コノヨラハ》 沙夜深去良之《サヨフケヌラシ》
 鴈鳴乃《カリガネノ》 所v聞空從《キコユルソラユ》 月立度《ツキタチワタル》
 
(283)【譯】この夜は、夜がふけたらしい。雁の鳴き聲の聞える空を通つて、月が通り過ぎて行く。
【釋】此夜等者 コノヨラハ。ラは、接尾語。
【評語】平凡な内容の歌だが、いや味の無い點がとりえだ。初二句の敍述は、もつと短くてよいのだろう。
【參考】類歌。
  さ夜中と夜は更《ふ》けぬらし。雁がねの聞ゆる空ゆ月渡る見ゆ(卷九、一七〇一)
 
2225 わが夫子《せこ》が 插頭《かざし》のはぎに
 おく露を
 さやかに見よと 月は照るらし。
 
 吾背子之《ワガセコガ》 插頭之〓子尓《カザシノハギニ》
 置露乎《オクツユヲ》
 清見世跡《サヤカニミヨト》 月者照良思《ツキハテルラシ》
 
【譯】あなたの插頭にしたハギの花に置く露を、はつきり見よと月は照つているのだろう。
【釋】清見世跡 サヤカニミヨト。サヤカニは、明白に、明瞭に。月の照る意を推量している。
【評語】男子どうし宴を開いている時の作だろう。插頭のハギに置く露は、實際に露が置くのでもあるまいが、風流ぶつた云い方である。作り過ぎた歌で、時の興には乘つている。四五句の類型「國將v榮常《クニサカエムト》 月者照良思《ツキハテルラシ》」(卷七、一〇八六)。
 
2226 心なき 秋の月夜《つくよ》の、
 もの念ふと 寐《い》の宿《ね》らえぬに、
 照りつつもとな。
 
 無v心《ココロナキ》 秋月夜之《アキノツクヨノ》
 物念跡《モノオモフト》 寐不v所v宿《イノネラエヌニ》
 照乍本名《テリツツモトナ》
 
【譯】心の無い秋の月が、ものを思うとして眠られないのに、照つていてしかたがない。
(284)【釋】秋月夜之 アキノツクヨノ。ツクヨは、月をいう。以上二句。照リツツモトナに接續する。
 照乍本名 テリツツモトナ。――ツツモトナは、一つの型で、ある事が進行して非常であることだの意をあらわす。「令v見乍本名《ミセツツモトナ》」(卷三、三〇五)參照。
【評語】物思いに沈んで眠りをなし難い時に、月は、それを知らず顔に皎々《きようきよう》として照つている。明月の哀愁を誘う心である。月に對して感傷を懷く心も、やはり大陸文學の影響を受けているのだろう。
 
2227 念はぬに 時雨の雨は ふりたれど、
 天雲《あまぐも》霽《は》れて 月夜《つくよ》さやけし。
 
 不念尓《オモハヌニ》 四具禮乃雨者《シグレノアメハ》 零有跡《フリタレド》
 天雲霽而《アマグモハレテ》 月夜清焉《ツクヨサヤケシ》
 
【譯】思いのほかに時雨の雨は降つたけれども、天の雲が晴れて月があきらかだ。
【釋】不念尓 オモハヌニ。思いのほかに、意外にも。この句は、時雨の雨の降つたのを修飾する。
【評語】思いがけず、時雨の雨が過ぎて、しかも間もなく止んで天が晴れて月のさやかに照るさまが詠まれている。秋の變化の多い天候が描かれている。雨後の明月が、さやかに描き出されている。
 
2228 はぎが花 咲きのををりを
 見よとかも、
 月夜《つくよ》の清き。
 戀益らくに。
 
 〓子之花《ハギガハナ》 開乃乎再入緒《サキノヲヲリヲ》
 見代跡可聞《ミヨトカモ》
 月夜之清《ツクヨノキヨキ》
 戀益良國《コヒマサラクニ》
 
【譯】ハギの花の咲き滿ちてたわんでいるのを見よとてか、月が清いのだ。戀がまさることだ。
【釋】開乃乎再入緒 サキノヲヲリヲ。再の字は、上の乎を再度する意で使用している。々と同じ意である。
(285)ヲヲリは、たわむこと。サキノヲヲリは、花が咲き滿ちて枝のたわむのをいう。
 見代跡可聞 ミヨトカモ。カモは、疑問の係助詞。次句のキヨキで、これを受けて結んでいる。
 戀益良國 コヒマサラクニ。マサラクは、増ること。戀は、ハギの花に對する戀と解せられる。
【評語】夜に入つて月の光さえまさり、またハギの花を見ようとする心の動くことを歌つている。月の光が、ハギに對する戀を誘うように照つているという、その表現には、多少わざとらしさが感じられる。見ヨトカモのような疑問條件法を使つたのも、その大きな原因となつている。
 
2229 白露を 玉になしたる、
 九月《ながつき》の ありあけの月夜《つくよ》、
 見れど飽かぬかも。
 
 白露乎《シラツユヲ》 玉作有《タマニナシタル》
 九月《ナガツキノ》 在明之月夜《アリアケノツクヨ》
 雖v見不v飽可聞《ミレドアカヌカモ》
 
【譯】白露を玉のように見せる九月の明け殘つた月は、見ても飽きないことだ。
【釋】玉作有 タマニナシタル。露に月光が宿つて玉のように見えるのをいう。
 在明之月夜 アリアケノツクヨ。アリアケノツキは、夜が明けてからなお殘る月をいうが、おそく出て明け殘るべき月は、明けない中からもいう。ツクヨは、月のこと。
【評語】月を稱えた歌として、形のよい歌であるが、初二句は、作りすぎ、月の説明は平凡であり、見レド飽カヌカモという表現は類型的である。四五句の字あまりが、調子を張る上に役立つている。
 
詠v風
 
2230 戀ひつつも 稻葉かき別け 家|居《を》れば
(286) 乏しくもあらず。
 秋の夕風。
 
 戀乍裳《コヒツツモ》 稻葉掻別《イナバカキワケ》 家居者《イヘヲレバ》
 乏不v有《トモシクモアラズ》
 秋之暮風《アキノユフカゼ》
 
【譯】風を願いながら稻葉を分けて家居をしていると、すくないこともない。秋の夕風は。
【釋】戀乍裳 コヒツツモ。まだ暑いので、風を戀いながらもの意である。
 稻葉掻別家居者 イナバカキワケイヘヲレバ。田の中に家居している由で、假廬の生活をいうのであろう。
 乏不有 トモシクモアラズ。トモシクは、乏少である意。五句を體言で止める歌の四句は、終止形を取るのが多い。ここも終止と見るべきである。
【評語】田園の生活が、よく描かれている。稻葉カキ別ケ家居レバあたりの、具體的な敍述がよく、四五句もすつきりしている。働いた後の涼味というような方面が、いやみを伴なわないで歌われている。型としては、「梅の花咲ける岡邊に家居れば乏しくもあらず。鶯の聲」(卷十、一八二〇)と同じである。
 
2231 はぎが花 咲きたる野邊に
 ひぐらしの 鳴くなるなへに
 秋の風吹く。
 
 〓子花《ハギガハナ》 咲有野邊《サキタルノベニ》
 日晩之乃《ヒグラシノ》 鳴奈流共《ナクナルナヘニ》
 秋風吹《アキノカゼフク》
 
【譯】ハギの花の咲いている野邊に、ヒグラシの鳴くのと共に、秋風が吹く。
【釋】日晩之乃鳴奈流共 ヒグラシノナクナルナヘニ。この句で、夕方になつたことを語つている。
【評語】ヒグラシは樹間で鳴くものであり、ハギガ花咲キタル野邊というのに合わないが、その野に樹木もあるだろう。二句の野邊ニと、四句のナヘニとが、同型であるのも、調子を妨げるものがある。内容としては、(287)秋のさびしい夕方がよく描かれている。
 
2232 秋山の 木の葉もいまだ もみちねば、
 今旦《けさ》吹く風は、 霜も置きぬべく。
 
 秋山之《アキヤマノ》 木葉文未v赤者《コノハモイマダモミチネバ》 今旦吹風者《ケサフクカゼハ》 霜毛置應久《シモモオキヌベク》
 
【譯】秋山の木の葉もまだ赤くならないのに、今朝吹く風は、霜も置きそうなほどだ。
【釋】木葉文未赤者 コノハモイマダモミチネバ。未は二囘讀む。ネバは、ヌニの意。赤の字を使つているのは、前にも例があつた。
 霜毛置應久 シモモオキヌベク。應は、漢文では、動詞の上に置かれる字であるが、ここではベシの意を表示する字として、書き下しに使つている。置キヌベクの下に、アリの如き語を省略している。
【評語】秋風の急に寒く感ずることを歌つている。自然な内容の歌で、風雅の思想を強いて盛らないのがよい。
 
詠v芳
 
【釋】詠芳 カヲリヲヨメル。芳は、大矢本等にカホリヲと訓している。次の歌によるに、茸である。
 
2233 高松の この峯もせに、
 笠立ちて 盈ち盛《さか》りたる
 秋の香のよさ。
 
 高松之《タカマツノ》 此峯迫尓《コノミネモセニ》
 笠立而《カサタチテ》 盈盛有《ミチサカリタル》
 秋香乃吉者《アキノカノヨサ》
 
【譯】高松のこの峯も狭いまでに、笠が立つていつぱいに榮えている秋の香の良いことだ。
【釋】此峯迫尓 コノミネモセニ。セニは、せまつてすきまのないばかりに。峰いつぱいに。
(288) 笠立而 カサタチテ。茸の形?によつて云つている。倭名類聚鈔に「菌茸、崔禹《サイウ》食經(ニ)云(フ)、菌茸、食(ヘバ)v之(ヲ)、温(ニシテ)有(リ)2小毒1、?如(キ)2人(ノ)著(ルガ)1v笠(ヲ)者也」とある。
 盈盛有 ミチサカリタル。ミチは、茸のいつぱいに生えているについていう。
 秋香乃吉者 アキノカノヨサ。茸類のうち、普通の品では松茸が香氣が高いから、松茸について歌つているのだろう。
【評語】珍しい題材を取り扱つている。實景に即して率直に歌つているのがよい。
 
詠v雨
 
2234 一日には
 千重しくしくに わが戀ふる
 妹があたりに 時雨ふれ、見む。
 
 一日《ヒトヒニハ》
 千重敷布《チヘシクシクニ》 我戀《ワガコフル》
 妹當《イモガアタリニ》 爲暮零禮見《シグレフレミム》
 
【譯】一日の中には、幾重にも重ね重ね、わたしの思う妻の家のあたりに、時雨よ、降れ。それを見よう。
【釋】千重敷布 チヘシクシクニ。チヘシクシクは、重ね重ねの意を強調している。「五百重浪《イホヘナミ》 千重敷々《チヘシクシクニ》 戀度鴨《コヒワタルカモ》」(卷十一、二四三七)、「情者《ココロニハ》 千遍敷及《チヘシクシクニ》 雖v念《オモヘドモ》」(同、二五五二)。
 妹當 イモガアタリニ。妹が家のあたりである。
【評語】妹が家のあたりに、時雨でも降らば、それを眺めようというのが、奇警である。なつかしく何かにつけてその方を見たいと思う心、そなたの空を眺めている心が寫されている。時雨の、むらむらと通り過ぎる雨である性質もよく利いている。藤原の京から、穴師《あなし》の里のあたりを眺めているのだろう。
 
(289)右一首、柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
2235 秋田刈る 旅の廬《いほり》に 時雨ふり
 わが袖ぬれぬ。
 ほす人無しに。
 
 秋田苅《アキタカル》 客乃廬入尓《タビノイホリニ》 四具禮零《シグレフリ》
 我袖沾《ワガソデヌレヌ》
 干人無二《ホスヒトナシニ》
 
【譯】秋の田を刈る旅の假屋入りに時雨が降つて、わたしの袖は濡れた。ほす人は無しに。
【釋】客乃廬入尓 タビノイホリニ。秋の田を刈るために、小舍に泊るのをタビと言つている。「鶴鳴之《タヅガネノ》 所v聞田井爾《キコユルタヰニ》 五百入爲而《イホリシテ》 吾客有跡《ワレタビナリト》 於v妹告社《イモニツゲコソ》」(卷十、二二四九)など詠まれている。イホリは、廬に入ること。小舍住み。
【評語】秋の田の假廬に時雨のふるものわびしさが歌われている。五句は、妻に別れてひとりある意である。
 
2236 玉|襷《だすき》 かけぬ時なし。
 わが戀は 時雨し零《ふ》らば
 濡れつつも行かむ。
 
 玉手次《タマダスキ》 不v懸時無《カケヌトキナシ》
 吾戀《ワガコヒハ》 此具禮志零者《シグレシフラバ》
 沾乍毛將v行《ヌレツツモユカム》
 
【譯】たすきを懸けるように、心に懸けない時はない。わたしの戀は、時雨が降つたら、濡れても行こう。
【釋】玉手次 タマダスキ。枕詞。
【評語】初二句は、常に思つているということをあらわしているが、いささか取つてつけたようだ。三句以下は、強い意志表示である。雨が降ると出動に不便であつた當時の衣服のことを、理解しておかないと、濡レツ(290)ツモ行カムの氣もちがわかりかねるだろう。
 
2237 もみち葉を 散らす時雨の
 零《ふ》るなへに、
 夜《よ》さへぞ寒き。
 獨し宿《ぬ》れば。
 
 黄葉乎《モミチバヲ》 令v落四具禮能《チラスシグレノ》
 零苗尓《フルナヘニ》
 夜副衣寒《ヨサヘゾサムキ》
 一之宿者《ヒトリシヌレバ》
 
【譯】黄葉を散らす時雨の降るにつれて、夜さえ寒いことだ。ひとりで宿れば。
【釋】夜副衣裳 ヨサヘゾサムキ。サヘは、夜を強調するために使われている。夜までも特に寒く感じられる意である。句切。
【評語】孤閨寒夜《こけいかんや》の情をつくしている。黄葉を散らす時雨の語に、さむざむとした秋の雨が描かれている。
 
詠v霜
 
2238 天《あま》飛ぶや 雁のつばさの 覆羽《おほひば》の、
 何處《いづく》漏《も》りてか、霜の零《ふ》りけむ。
 
 天飛也《アマトブヤ》 鴈之翅乃《カリノツバサノ》 覆羽之《オホヒバノ》
 何處漏香《イヅクモリテカ》 霜之零異牟《シモノフリケム》
 
【譯】空を飛ぶ雁の翅《つばさ》の覆つている羽根の、何處から漏れてか、霜が降つたのだろう。
【釋】天飛也 アマトブヤ。ヤは、感動の助詞。
 覆羽之 オホヒバノ。オホヒバは、蔽う羽翼で、上の雁の翅を説明している。
【評語】天飛ぶ雁の羽翼を漏れて霜が降つたのだろうという構想が奇警である。季節の物としての天飛ぶ雁が(291)活用されている。「旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子|羽《は》ぐくめ。天《あめ》の鶴群《たづむら》」(卷九、一七九一)と、内容の上に共通する所のある歌である。
 
秋相聞
 
【釋】秋相聞 アキノサウモニ。初めに無題の人麻呂集所出の歌五首を載せ、次に寄水田以下の寄物の歌六十一首、最後に問答、譬喩歌、旋頭歌の題下に七首を載せている。
 
2239 秋山の したびが下に 鳴く鳥の、
 聲だに聞かば、なにか嘆かむ。
 
 金山《アキヤマノ》 舌日下《シタビガシタニ》 鳴鳥《ナクトリノ》
 音谷聞《コヱダニキカバ》 何嘆《ナニカナゲカム》
 
【譯】秋の山の紅葉の下で鳴く鳥のように、聲だけでも聞くなら、何を嘆こう。
【釋】金山 アキヤマノ。金の字を秋に借りている。
 舌日下 シクビガシタニ。シタビは、草木のくれないに染まること。上二段動詞シタビの連用形で準體言。「秋山之下氷壯夫《アキヤマノシタビヲトコ》」(古事記中卷)、「秋山《アキヤマノ》 下部留妹《シタブルイモ》」(卷二、二一七)。
 鳴島 ナクトリノ。以上三句は、聲というための序詞。鳥が聲ばかりで姿が見えないというのではなく、ただ聲の語を引き出すのみに使われている。
【評語】思う人の聲だけでも聞くなら嘆く所はないのだというつきつめた心が歌われている。普通の相聞の歌としても解せられるが、また妻を亡《うしな》つた後の歌とも取れる。いずれにしても紅葉の下に鳴く鳥の聲に對して、この歌を詠んだのであろう。
 
(292)2240 誰《た》そ彼《かれ》と 我をな問ひそ。
 九月《ながつき》の 露にぬれつつ
 君待つ吾を。
 
 誰彼《タソカレト》 我莫問《ワレヲナトヒソ》
 九月《ナガツキノ》 露沾乍《ツユニヌレツツ》
 君待吾《キミマツワレヲ》
 
【譯】あれは誰かと、わたくしの事をお尋ねなさいますな。九月の露に濡れながら、あの方を待つわたくしです。
【釋】誰彼 タソカレト。タソカレは、彼は誰かと誰何《すいか》する語。黄昏《たそがれ》の意ではないが、歌としては夕方である。
 我莫問 ワレヲナトヒソ。他の人に對していう詞で、吾に對してではない。句切。
 君待吾 キミマツワレヲ。キミマツは、連體形であろう。ワレヲは、吾なるぞの意。
【評語】女の歌で、露に濡れて君を待つ自分を見咎めるなという意である。會話ふうの詞でできているので、歌いものの感じがある。
 
2241 秋の夜の 霧立ちわたる 夜な夜なに、
 夢《いめ》にぞ見つる。
 妹がすがたを。
 
 秋夜《アキノヨノ》 霧發渡《キリタチワタル》 ?々《ヨナヨナニ》
 夢見《イメニゾミツル》
 妹形矣《イモガスガタヲ》
 
【譯】秋の夜の霧の立ちわたる夕べ夕べに、夢に見たことだつた。妻の姿を。
【釋】秋夜霧發渡 アキノヨノキリタチワタル。次の?々を敍述説明する句。
 ?々 ヨナヨナニ。
(293)  ――――――――――
  夙々《アサナサナ》(西)
  夙々《シクシクニ》(代初)
  夙々《ホノホノニ》(代初)
  夙々《オホツカナ》(童)
  凡々《オホホシク》(考)
 ?は、諸本に夙《しゆく》に作つているが、類聚古集に〓に作つているによれば、?《せき》の誤りであろう。?は長夜の義の字で、秋の夜であるからこの字を使つたのであろう。見馴れない字なので夙に誤つたと見える。
【評語】すなおなよい歌である。初二句が、ただ秋の夜の平凡な敍述であつて、しかもよく情景を語るに成功している。前の歌と共に、寄物では無く、實景の歌である。
 
2242 秋の野の 尾花が末《うれ》の 生《お》ひ靡《なび》き、
 心は妹に 依りにけるかも。
 
 秋野《アキノノノ》 尾花末《ヲバナガウレノ》 生靡《オヒナビキ》
 心妹《ココロハイモニ》 依鴨《ヨリニケルカモ》
 
【譯】秋の野の尾花の末の生《は》え靡くように、靡いて、心はあなたの方に寄りましたよ。
【釋】生靡 オヒナビキ。生え靡いて。以上、譬喩で、心が、妹に寄つたことを形容する。
【評語】尾花の靡くように妹に心が靡き寄つたというだけの歌である。譬喩が巧みに使われて風情もある點を買うべきである。
 
2243 秋山に 霜ふり覆《おほ》ひ 木の葉散り、
 歳は行くとも、 我《われ》忘れめや。
 
 秋山《アキヤマニ》 霜零覆《シモフリオホヒ》 木葉落《コノハチリ》
 歳雖v行《トシハユクトモ》 我忘八《ワレワスレメヤ》
 
(294)【譯】秋山に霜が降り覆つて、木の葉が散り、歳は去つても、わたしは忘れはしない。
【釋】木葉落 コノハチリ。以上三句は、實事で、年の行くさまを敍している。
 歳雖行 トシハユクトモ。年が移り去つても。
【評語】年の行くさまを、季節の風物によって敍している所に特色がある。秋山の枯れ行くさまが、時の推移を感じさせる。
 
右、柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
寄2水田1
 
【釋】寄水田 コナタニヨスル。秋の雜歌の「水田ヲ詠メル」(二七九頁)の題の下に倭名類聚妙を引いて説明してある。その條參照。
 
2244 住吉の 岸を田に墾《は》り 蒔きし稻の、
 しか刈るまでに 逢はぬ公かも。
 
 住吉之《スミノエノ》 岸乎田尓墾《キシヲタニハリ》 蒔稻乃《マキシイネノ》
 而及v苅《シカカルマデニ》 不v相公鴨《アハヌキミカモ》
 
【譯】住吉の岸を田に開墾して蒔いた稻の、かように刈るまでになつても、逢わないあなたですね。
【釋】住吉之岸乎田尓墾 スミノエノキシヲタニハリ。河川の流し出す土砂のために、住吉方面は、次第に埋まつて、葦原などになつて行つたのだろう。そこでそれを開墾することが歌われていると見える。豪族などが、かような土地を開墾して私田としたのだろう。「住吉《スミノエノ》 小田苅爲子《ヲダヲカラスコ》 賤鴨無《ヤツコカモナキ》 奴雖v在《ヤツコアレド》 妹御爲《イモガミタメニ》 私田苅《ワタクシダカル》」(卷七、一二七五)の如き、この間の消息を語つているようである。
(295) 而及苅 シカカルマデニ。シカは、かように。以上、長い時間を、譬喩によつてあらわしている。
【評語】長い時間をあらわす譬喩に、特色がある。稻を蒔いてから刈るまでの長さは、實際に耕した人のよく知る所で、この歌は、そういう實感から來ていることを味わうべきである。
 
2245 劔《たち》の後《しり》 玉|纒《ま》く田井《たゐ》に、
 何時《いつ》までか、 妹を相見ず、
 家戀ひ居《を》らむ。
 
 劔後《タチノシリ》 玉纒田井尓《タママクタヰニ》
 及2何時1可《イツマデカ》 妹乎不2相見1《イモヲアヒミズ》
 家戀將v居《イヘコヒヲラム》
 
【譯】劔の尻鞘に玉を卷く。その玉を卷く手の、田園に、何時までか、妻に逢わないで家を思つていることだろう。
【釋】劔後 タチノシリ。枕詞。劔の鞘には玉をつけるので、玉纏クに冠する。
 玉纏田井尓 タママクタヰニ。タママクまでは序詞。手には玉を卷くので、タの音を引き起している。同時に玉卷クで、露のおいている田をえがいているのだろう。この序詞は、歌の中心である妹の服飾の連想から來ている。ヰは接尾語。
【評語】作者は、收穫のために、家を離れているのだろう。妻を思い家を思うだけの歌だが、枕詞および序詞の屈折で、興味をつないでいる。
 
2246 秋の田の 穗の上に置ける 白露の、
 消ぬべく吾は 念ほゆるかも。
 
 秋田之《アキノタノ》 穗上尓置《ホノウヘニオケル》 白露之《シラツユノ》
 可v消吾者《ケヌベクワレハ》 所v念鴨《オモホユルカモ》
 
【譯】秋の田の穗の上に置いている白露のように、消えそうにもわたしは思われることだ。
(296)【釋】秋田之穗上尓置白露之 アキノタノホノウヘニオケルシラツユノ。以上序詞。
【評語】露のように消えそうだという歌は多く、この歌は、その露の説明にもあまり特色が無い。
【參考】類歌。
  秋づけば尾花が上に置く露の消《け》ぬべくも吾《われ》は念ほゆるかも(卷八、一五六四)
 
2247 秋の田の 穗向《ほむき》の寄りの 片よりに、
 吾は物念ふ。
 つれなきものを。
 
 秋田之《アキノタノ》 穗向之所依《ホムキノヨリノ》 片縁《カタヨリニ》
 吾者物念《ワレハモノオモフ》
 都禮無物乎《ツレナキモノヲ》
 
【譯】秋の田の稻穗の向きの寄つているように、片寄りに寄つてわたしは物を思う。應じてはくれないのだが。
【釋】秋田之穗向之所依 アキノタノホムキノヨリノ。以上、序詞。譬喩としてカタヨリニを起している。この序は「秋田之《アキノタノ》 穗向乃所縁《ホムキノヨリノ》 異所緑《コトヨリニ》 君尓因奈名《キミニヨリナナ》 事痛有登母《コチタカリトモ》」(卷二、一一四)にも使われている。
 片縁 カタヨリニ。偏りにで、一方に傾き寄る意。
 都禮無物乎 ツレナキモノヲ。相手が自分に對して何の關心をも示さないことを述べている。
【評語】古歌に依つて歌つている。この歌自身も、歌いものふうのある歌である。
 
2248 秋山を 假廬《かりいほ》つくり
 廬入《いほり》して あるらむ君を
 見むよしもがも。
 
 秋山※[口+立刀]《アキヤマヲ》  借廬作《カリイホツクリ》
 五百入爲而《イホリシテ》 有藍君※[口+立刀]《アルラムキミヲ》
 將v見依毛欲得《ミムヨシモガモ》
 
【譯】秋の山田を刈る、假小舍を作つてそれにはいつているでしよう君を、見る手だてがほしいものです。
(297)【釋】秋山※[口+立刀] アキヤマヲ。ヲは、秋の山田に對しての意に使つている。
 五百入爲而 イホリシテ。五百は、訓を借りて、廬の義に書いている。イホリは、廬入り。
【評語】山田を刈りに行つた男を思つて詠んでいる。その人に逢いたいというだけで、上の敍述のわりに、曲の無い歌である。
 
2249 鶴《たづ》が音《ね》の 聞ゆる田井に 廬入《いほり》して、
 吾《われ》旅なりと 妹に告げこそ。
 
 鶴鳴之《タヅガネノ》 所v聞田井尓《キコユルタヰニ》 五百入爲而《イホリシテ》
 吾客有跡《ワレタビナリト》 於v妹告社《イモニツゲコソ》
 
【譯】鶴の鳴き聲の聞える田中に假屋住みをして、わたしが旅にいると、妻につげてください。
【釋】鶴鳴之所聞田井尓 タヅガネノキコユルタヰニ。鶴もやはり雁と同じく候鳥で、秋の終りに渡來する。タヅガネノキコユルは、人里離れた田園の意であり、また季節をも描いている。ヰは、接尾語。
 吾客有跡 ワレタビナリト。タビは、わが家を離れていることをあらわしている。「客乃廬入爾《タビノイホリニ》」(卷十、二二三五)。
 於妹告社 イモニツゲコソ。この妹は、同じ家にいなかつた愛人をさしている。
【評語】鶴ガネノ聞ユル田ヰと、假廬の場處を、具體的に描いているのがよい。假廬住みのものわびしさを妹に傳えたいと思う心が詠まれている。
 
2250 春霞 たなびく田居に 廬《いほ》づきて、
 秋田刈るまで 思はしむらく。
 
 春霞《ハルガスミ》 多奈引田居尓《タナビクタヰニ》 廬付而《イホヅキテ》
 秋田苅左右《アキタカルマデ》 令v思良久《オモハシムラク》
 
【譯】春霞のたなびく田に假屋住みをして、秋の田を刈るまでの長いあいだ、思わしめることだ。
(298)【釋】廬付而 イホヅキテ。廬につく意で、廬して住むをいうであろう。「於伎爾也須麻牟《オキニヤスマム》 伊敝都可受之弖《イヘツカズシテ》」(卷十五、三六四五)のイヘツクと、構成は同樣だが、用法は違うようである。
 秋田苅左右 アキタカルマデ。以上、譬喩によつて時間の長いことをあらわすに使つている。
【評語】春霞のたなびく時から廬ヅキテというのは、ただ長い時間をあらわすための構想で、事實ではないのだろう。但し人里離れた土地では、こういうこともあるかも知れない。とにかく長い時間のあらわし方に特色のある歌である。
 
2251 橘を 守部《もりべ》の里の 門田|早稻《わせ》、
 刈る時過ぎぬ。
 來《こ》じとすらしも。
 
 橘乎《タチバナヲ》 守部乃五十戸之《モリベノサトノ》 門田早稻《カドタワセ》
 苅時過去《カルトキスギヌ》
 不v來跡爲等霜《コジトスラシモ》
 
【譯】橘を番をする、その守部の里の門田の早稻は、刈る時が過ぎた。來ないつもりらしい。
【釋】橘乎 タチバナヲ。枕詞。橘を守るの意に、守郡に冠している。三代實録、仁和三年五月十四日の條に「この日始めて韓橘《からたちばな》を守る者二人を置き、山城の國の?丁《よぼろ》をこれに充《あ》つ。」とある。
 守部乃五十戸之 モリベノサトノ。五十戸は、戸令に「凡戸(ハ)以(テ)2五十戸(ヲ)1爲《ス》v里(ト)」とあり、里の義である。守部の里は、所在未詳。
【評語】守部の里に住む女の歌である。時の空しく過ぎて人の來ないのを恨んでいる。その來るべき時の敍述に、美しい詞を連ねて情景を作つているのが特色である。
 
寄v露
 
(299)2252 秋はぎの 咲き散る野邊の 夕露に
 ぬれつつ來ませ。
 夜はふけぬから。
 
 秋〓子之《アキハギノ》 開散野邊之《サキチルノベノ》 暮露尓《ユフヅユニ》
 沾乍來益《ヌレツツキマセ》
 夜者深去韓《ヨハフケヌカラ》
 
【譯】秋ハギの花の咲きまた散る野邊の夕方の露に、濡れながらいらつしやい。夜が更けましたから。
【釋】夜者深去韓 ヨハフケヌカラ。韓は、元暦校本等による。仙覺本には鞆に作つている。カラは、その故に、それだからの意をあらわす助詞。カラの用法に不熟で、鞆に作るに至つたのだろう。
【評語】美しい歌である。男の通つてくる野邊の光景を想像して詠んでいる。夕露に濡レツツ來マセと、夜ハ更ケヌカラのあいだには、多少時間に無關心(300)な云い方がある。夕露のような熟語を、無雜作に使つたためだろう。
 
2253 色づかふ 秋の露霜、な零《ふ》りそね。
 妹が手本を 纏《ま》かぬ今夜《こよひ》は。
 
 色付相《イロヅカフ》 秋之露霜《アキノツユジモ》 莫零根《ナフリソネ》
 妹之手本乎《イモガタモトヲ》 不v纏今夜者《マカヌコヨヒハ》
 
【譯】木の葉を色に染める秋の露霜は、降つてくれるな。妻の腕を枕にしない今夜は。
【釋】色付相 イロヅカフ。色づくの連續して行われることをあらわす語。草木の葉を染める意に、露霜に冠している。
【評語】妻に別れて旅に出た男が、夜寒を歎いて詠んでいる。色ヅカフ秋ノ露霜と、具體的に敍述して、その季節を描き出している。
 
2254 秋はぎの 上に置きたる 白露の
 消《け》かもしなまし。
 戀ふるにあらずは。
 
 秋〓子之《アキハギノ》 上尓置有《ウヘニオキタル》 白露之《シラツユノ》
 消鴨死猿《ケカモシナマシ》
 戀尓不v者《コフルニアラズハ》
 
【譯】秋ハギの上に置いた白露のように、消えてかしまつたろうものを。戀をしていないで。
【釋】秋〓子之上尓置有白露之 アキハギノウヘニオキタルシラツユノ。以上序詞。譬喩によつて、消を引き起している。
 消鴨死猿 ケカモシナマン。カモは、疑問の係助詞。シナマシは、爲なまし。死は訓假字。句切。
 戀尓不有者 コフルニアラズハ。
(301)  コヒツツアラズハ(元)
  コヒニアラズハ(西)
  ――――――――――
  戀乍不有者《コヒツツアラズハ》(考)
 コヒツツというのは通例であるが、コフルニでも通じないわけではない。
【評語】類型的な譬喩を使つている、消カモシナマシの句は、慣用句で、譬喩をさし替えて種々に詠み試みられている。
【參考】別傳。
  秋はぎの上に置きたる白露の消《け》かもしなまし。戀ひつつあらずは(卷八、一六〇八、弓削の皇子)
 
2255 わが屋前《には》の 秋はぎの上に
 置く露の、
 いちしろくしも 吾《われ》戀ひめやも。
 
 吾屋前《ワガニハノ》 秋〓子上《アキハギノウヘニ》
 置露《オクツユノ》
 市白霜《イチシロクシモ》 吾戀目八面《ワレコヒメヤモ》
 
【譯】わたしの屋前の秋ハギの上に置く露のように、はつきり人に知られるようには、わたしは戀をしないだろう。
【釋】吾屋前秋〓子上置露 ワガニハノアキハギノウヘニオクツユノ。以上、序詞。露が著明に置く意に、イチシロクを引き起している。
 市白霜 イチシロクシモ。人にそれと知られるように。
【評語】人に知られることを厭う氣もちが、強く出ている。譬喩の使い方も、趣のあるところを示している。
 
2256 秋の穗を しのにおし靡《な》べ 置く露の、
(302) 消《け》かもしなまし。
 戀ひつつあらずは。
 
 秋穗乎《アキノホヲ》 之努尓押靡《シノニオシナベ》 置露《オクツユノ》
 消鴨死益《ケカモシナマシ》
 戀乍不v有者《コヒツツアラズハ》
 
【譯】秋の稻穗を、しなうまでに押し伏せて置く露のように、消えてかしまつたろうものを。戀をしていないで。
【釋】秋穗乎 アキノホヲ。ホは、稻の穗をいう。
 之努尓押靡 シノニオシナベ。シノニは、たわんである意をあらわす副詞。多く、心モシノニと熟して使われ、單にシノニだけで使われているのは、この一例だけである。
 置露 オクツユノ。以上三句、序詞。
【評語】前々首と同じ類型の歌で、序詞をさし替えただけである。露の敍述には、多少特色があるが、それは、消カモシナマシに對して、特別の關係がある露だというのでもない。ただ露を描いたに過ぎない。
 
2257 露霜に 衣手ぬれて、
 今だにも 妹がり行かな。
 夜は深《ふ》けぬとも。
 
 露霜尓《ツユジモニ》 衣袖所v沾而《コロモデヌレテ》
 今谷毛《イマダニモ》 妹許行名《イモガリユカナ》
 夜者雖v深《ヨハフケヌトモ》
 
【譯】露霜に著物を濡らして、今だけでも、妻のもとに行こうよ。夜は更けても。
【釋】今谷毛 イマダニモ。今だけでも、今からでも。
 妹許行名 イモガリユカナ。ユカナは、願望の語法。
【評語】夜が更けてから妻のもとに行こうとする心を描いて、よくその情を寫している。やはり初二句の、季(303)節に關する敍述があつて生きている。
 
2258 秋はぎの 枝もとををに 置く露の、
 消《け》かもしなまし。
 戀ひつつあらずは。
 
 秋〓子之《アキハギノ》 枝毛十尾尓《エダモトヲヲニ》 置露之《オクツユノ》
 消毳死猿《ケカモシナマシ》
 戀乍不v有者《コヒツツアラズハ》
 
【譯】秋ハギの枝もたわむまでに置く露のように、消えてかしまつたろうものを。戀をしていないで。
【釋】枝毛十尾尓 エダモトヲヲニ。トヲヲニは、撓んであることをあらわす副詞。
 置露之 オクツユノ。以上序詞。
 消毳死猿 ケカモシナマシ。毳は、鳥獣の細毛。周禮に「共(ニ)2其|毳《セイ》毛(ト)1爲(ス)v氈《セント》」とあり、氈と同じく訓假字としてカモの音に使われている。
【評語】これもただ序をさし替えただけの歌である。その露の説明にも、特色が無い。
 
2259 秋はぎの 上に白露 置くごとに
 見つつぞしのふ。
 君が光儀《すがた》を。
 
 秋〓子之《アキハギノ》 上尓白露《ウヘニシラツユ》 毎v置《オクゴトニ》
 見管曾思怒布《ミツツゾシノフ》
 君之光儀乎《キミガスガタヲ》
 
【譯】秋ハギの上に白露が置く度に、見ながら思うことです。あなたのお姿を。
【釋】見管曾思怒布 ミツツゾシノフ。シノフは、思慕する意。ハギの上の露を見て、それによそえて思うのである。句切。
【評語】 ハギの上に置く白露の風情を見て、愛人の姿を思いよそえている。その露は、美しいもの、高雅なも(304)のとして考えられているので、はかないものという感じは、更にない。
 
寄v風
 
2260 吾妹子は 衣にあらなむ。
 秋風の 寒きこの頃 下《した》に著ましを。
 
 吾妹子者《ワギモコハ》 衣丹有南《コロモニアラナム》
 秋風之《アキカゼノ》 寒比來《サムキコノゴロ》 下著益乎《シタニキマシヲ》
 
【譯】わたしの妻は、著物であつたらなあ。秋風の寒いこの頃、下に著ようものを。
【評語】妻の衣服を下に著るという歌はあるが、これは妻が衣服そのものだつたらよいという所に、特色がある。秋風の寒い頃に、妻を思う歌として、率直に欲する所を描いている。
 
2261 泊瀬《はつせ》風 かく吹く三更《よる》は、
 何時《いつ》までか、 衣《ころも》片敷《かたし》き わが獨《ひとり》宿《ね》む。
 
 泊瀬風《ハツセカゼ》 如是吹三更者《カクフクヨルハ》
 及2何時1《イツマデカ》 衣片敷《コロモカタシキ》 吾一將v宿《ワガヒトリネム》
 
【譯】泊瀬風が、こんなに吹く夜は、何時までか、著物を一つだけ敷いて、わたしがひとりで寐ることだろう。
【釋】泊瀬風 ハツセカゼ。泊瀬の山から吹く風。泊瀬川に沿つて吹く風である。
 如是吹三更者 カクフクヨルハ。三更は、夜中をいう。カクは、風の吹いている現時をさしている。
 衣片敷 コロモカタシキ。相手の衣服を重ねないで、自分の衣服だけを敷くをいう。獨寐《ひとりね》の形容に使われている。
【評語】男の來るのを待つ女の歌である。その土地特有の寒い風の吹く敍述が、よく利いている。
 
(305)寄v雨
 
2262 秋はぎを 散らす長雨《ながめ》の 零《ふ》る頃は、
 ひとり起き居て 戀ふる夜ぞ多き。
 
 秋〓子乎《アキハギヲ》 令v落長雨之《チラスナガメノ》 零比者《フルコロハ》
 一起居而《ヒトリオキヰテ》 戀夜曾大寸《コフルヨゾオホキ》
 
【譯】秋ハギを散らす長雨の降る頃は、ひとり起きていて、思つている夜が多い。
【評語】秋の長雨の降りつづく頃のさびしさが、よく描かれている。長雨の降る頃はと、概括的《がいかつてき》に敍したのは、遠くにいる男のもとに贈つた歌のようである。
 
2263 九月《ながつき》の 時雨の雨の 山霧の、
 いぶせきわが胸、 誰《たれ》を見ば息《や》まむ。
 
 九月《ナガツキノ》 四具禮乃雨之《シグレノアメノ》 山霧《ヤマギリノ》
 煙寸吾吉胸《イブセキワガムネ》 誰乎見者將v息《タレヲミバヤマム》
 
【譯】九月の時雨の雨の山霧のように、うつとうしいわたしの胸は、誰を見たらやむだろう。
【釋】山霧 ヤマギリノ。時雨の雨が降つて、それが山霧になつて立ちこめているのをいい、以上序詞として、次のイブセキを引き起している。
 煙寸吾吉胸 イブセキワガムネ。煙は、義をもつて、イブセキに當てて書いている。晴れやかでない意である。吉は、衍字とする説が多いが、吉胸で、自分の胸の意に書いたのだろう。
 誰乎見者將息 タレヲミバヤマム。タレは、愛する人をいう。ヤマムは、いぶせさが止むだろうの意。
【評語】山霧ノまでは、序詞であるが、ちようど時雨の雨の降る頃で、それを敍して序に利用している。そのむしやくしや腹の氣もちが、五句の誰ヲ見バ息マムあたりに、巧みに表現されている。
 
(306)一云、十月《カムナヅキ》 四具禮乃雨降《シグレノアメフリ》
 
一は云ふ、十月 時雨の雨降り。
 
【釋】十月四具禮乃雨降 カムナヅキシグレノアメフリ。前の歌の初二句の別傳で、十月に吟誦したので、この句を使つたのだろう。これでは、第三句の山霧ノと、接續がわるい。
 
寄v蟋
 
【釋】寄蟋 コホロギニヨスル。蟋は、普通に蟋蟀と熟して使う字であるが、ここは一字だけで使つている。蟀を脱したものでもないようである。二二七一の歌にも蟋一字である。
 
2264 蟋蟀《こほろぎ》の 待ち歡《よろこ》ぶる 秋の夜を、
 寐《ぬ》るしるしなし。
 枕とわれは。
 
 蟋蟀之《コホロギノ》 待歡《マチヨロコブル》 秋夜乎《アキノヨヲ》
 寐驗無《ヌルシルシナシ》
 枕與吾者《マクラトワレハ》
 
【譯】蟋蟀の待ち得て歡んでいる秋の夜だのに、寐るかいがない。枕とわたしは。
【釋】待歡 マチヨロコブル。動詞ヨロコブは、上二段活であるから、連體形はヨロコブルである。宣命にヨロコホシの語があるが、上二段動詞戀フにもコホシがあるから、これによつて四段とするに至らない。コオロギが、待つていた時の來たのを喜んで鳴いているのをいう。
 枕與吾者 マクラトワレハ。枕と自分はで、獨寐のことを敍している。「玉主爾《タマヌシニ》 珠者授而《タマハサヅケテ》 勝且毛《カツガツモ》 枕與吾者《マクラトワレハ》 率二將v宿《イザフタリネム》」(卷四、六五二)。
(307)【評語】蟋蟀は、時を得顔に鳴いているのに、自分はひとり空閨《くうけい》を守つて寐ることを敍している。秋夜の閨情の、よく寫し出されている歌である。
 
寄v蝦
 
2265 朝霞 鹿火屋《かひや》が下《した》に 鳴く河蝦、
 聲だに聞かば、 われ戀ひめやも。
 
 朝霞《アサガスミ》 鹿火屋之下尓《カヒヤガシタニ》 鳴蝦《ナクカハヅ》
 聲谷聞者《コヱダニキカバ》 吾將v戀八方《ワレコヒメヤモ》
 
【譯】朝霞んでいる鹿火屋の下で鳴く河蝦のように、聲だけでも聞くなら、わたしは戀をしないだろう。
【釋】朝霞鹿火屋之下尓鳴蝦 アサガスミカヒヤガシタニナクカハヅ。以上序詞で、譬喩によつて聲ダニ聞カバの句を引き起している。カヒヤについては諸説がある。これを要約すると、一、特殊の家屋とする説と、二、家屋以外のものとする説とに分れる。一では、イ、魚を捕るためのしかけを守る河上の家(奧義抄)。ロ、養蠶のための別屋。飼屋の義で、棚の下に溝がある(袖中抄)。ハ、蚊遣火を焚くための家。ニ、猪鹿を追うために引板を鳴らし夜もすがら榾を焚いている假庵(冠辭考)。ホ、信濃の國では、片家根で藁葺になつている家にダイコン、カブなどを貯えて置くが、これをかべ屋というのは、鹿火屋の轉訛であろう(古風土記逸文考證に掲げた吉澤氏の説)。また二では、ヘ、淺く廣きを澤といい、深く狹きをカヒヤという(袖中抄、登蓮法師が常陸國風土記にあると言つたという)。ト、カヒは峽、ヤは谷、山間の溪流(生田耕一氏)。チ、カヒはカハの轉、ヤは添えたもので、河のことをいう(童蒙抄)。リ、岸のはたをいう(袖中抄に引いた和語抄)。以上のような諸説があるが、第一に考うべきことは、鹿火屋の文字が、假字であるか否かということである。この語は、類似の句形のものに「朝霞《アサガスミ》 香火屋之下乃《カヒヤガシタノ》 鳴川津《ナクカハヅ》 之努比管有常《シノヒツツアリト》 將v告兒毛欲得《ツゲムコモガモ》」(卷十六、三八一八)の歌(308)に出で、そこでは香火屋と書かれている。これによれば、鹿、香の字のうち、すくなくも一つは假字でなければならないが、火屋の二字は、共通しているのを見れば、それは表意文字として見るを順當とする。よつて冠辭考の説の如く、鹿を追うために、ぼろなどをいぶしている家の義とすべきであろう。鹿火屋、香火屋のいずれが語義にあたるものであるかわからないが、いずれもその語義を感じて使用していると見られる。朝霞の語を冠したのは、その鹿火のために、朝霞んでいる實況を敍述した枕詞としてであろう。溪流にさしかけて作つた小舍で、その下に鳴くカワズが取りあげられている。
【評語】譬喩が奇警なので、持つている歌である。山間にいて、たまたま屬目する所によつて成された歌だろうが、しかしその譬喩の部分は、多分、歌いものとして歌われていたものを採り來つたのだろう。卷の十六の歌は、河村の王が、琴を彈じて歌つたとあるのも、その句の性質を語るもののようである。
 
寄v鴈
 
2266 出でて去《い》なば
 天《あま》飛ぶ雁の 泣きぬべみ、
 今日今日といふに、年ぞ經にける。
 
 出去者《イデテイナバ》
 天飛鴈之《アマトブカリノ》 可v泣美《ナキヌベミ》
 且今日々々々云二《ケフケフトイフニ》 年曾經去家類《トシゾヘニケル》
 
【譯】出て行つたら、空を飛ぶ雁のように泣くだろうから、今日今日といううちに、年がたつてしまつた。
【釋】天飛鴈之 アマトブカリノ。譬喩の句で、泣キヌベミを引き起している。
 可泣美 ナキヌベミ。相手の女が泣くだろうから。
【評語】二人の中がしつくり行かなくなつたので、出て行こうとは思いながらも、さすがに相手の泣くだろう(309)ことを思うと、思い切つて立ち出ることもならずに、その日その日を送つて年を經たことを歌つている。複雜な心もちを歌い、天飛ブ雁の句が風情を添えている。男のおどし文句のような性質の歌である。古事記上卷、八千矛の神の歌に「群鳥《むらどり》のわが群れ去《い》なば、引鳥《ひけどり》のわが引け去なば、泣かじとは汝《な》はいふとも、やまとの一本《ひともと》すすき、うなかぶし汝が泣かさまく、朝雨の霧に立たむぞ」(五)とある。かような歌曲から拔け出して、民謠になつているものであるのだろう。
 
寄v鹿
 
2267 さを鹿の 朝伏す小野の 草若み、
 隱らひかねて 人に知らゆな。
 
 左小壯鹿之《サヲシカノ》 朝伏小野之《アサフスヲノノ》 草若美《クサワカミ》
 隱不得而《カクラヒカネテ》 於v人所v知名《ヒトニシラユナ》
 
【譯】男鹿の朝伏している野原の草が若くして、隱れかねて人に知られるな。
【釋】左小壯鹿之朝伏小野之草若美 サヲシカノアサフスヲノノクサワカミ。以上、序詞。隱ラヒカネテを引き起している。草が短くして隱れがたい意である。
 隱不得而 カクラヒカネテ。隱れ得ないで。ひそかにあり得ないで。
【評語】序詞が輕快である。鹿の語があるので、秋の相聞に收めてあるが、草若ミとあるによれば、春の歌である。深い考慮無しに秋のうちに入れたのだろう。
 
2268 さを鹿の 小野の草伏《くさぶし》、
 いちしろく わが問はなくに、
 人の知れらく。
 
 左小壯鹿之《サヲシカノ》 小野之草伏《ヲノノクサブシ》
 灼然《イチシロク》 吾不v問尓《ワガトハナクニ》
 人乃知良久《ヒトノシレラク》
 
(310)【譯】男鹿の野原の草にねたあとのように、はつきりともわたしは妻問いをしないことだのに、人が知つていることだ。
【釋】左小壯鹿之小野之草伏 サヲシカノヲノノクサブシ。以上、序詞。鹿が草にねて、そのねたあとがはつきりと目立つので、イチシロクを引き起している。
 吾不問尓 ワガトハナクニ。トハナクは、妻として問わないことで、それと人に知られるようにも妻をおとずれなかつたのをいう。
 人乃知良久 ヒトノシレラク。シレラクは、知れることの意。
【評語】人目を憚る氣もちを歌つているが、譬喩が巧妙で、よく情景を描いている。鹿の臥していたあとが目に立つことは、狩獵の實際から得ている知識で、机上の作句ではない。草伏の語には、妻のもとをおとずれたことを、幾分感じているのだろう。
 
寄v鶴
 
2269 今夜の 曉《あかとき》降《くた》ち 鳴く鶴《たづ》の、
 念《おもひ》は過ぎず、
 戀こそまされ。
 
 今夜乃《コヨヒノ》 曉降《アカトキクタチ》 鳴鶴之《ナクタヅノ》
 念不v過《オモヒハスギズ》
 戀許増益也《コヒコソマサレ》
 
【譯】今夜の曉方になつた時に鳴く鶴のように、物思いは過ぎ去らないで、戀が増さることだ。
【釋】曉降 アカトキクタチ。クタチは、盛りを過ぎてくだり坂になるをいう。ここは、夜の盛りを過ぎて曉になり行くをいう。
(311) 鳴鶴之 ナクタヅノ。以上序詞。譬喩として使われている。
 念不過 オモヒハスギズ。物思いが通過せず、思いが滞《とどこお》つている。句切。
【評語】鶴の聲を聞いて詠んだ歌で、その譬喩がよく情景を描いている。鶴は候鳥で、雁と同じく秋來り春去るので、秋に收めている。
 
寄v草
 
2270 道の邊の 尾花が下《した》の 思ひ草、
 今さらになぞ 物か念《おも》はむ。
 
 道邊之《ミチノベノ》 乎花我下之《ヲバナガシタノ》 思草《オモヒグサ》
 今更尓何《イマサラニナゾ》 物可將v念《モノカオモハム》
 
【譯】道のほとりのオバナの下のオモイグサよ、今更に何で物を思いましよう。
【釋】思草 オモヒグサ。前田曙山の説(園藝文庫第三卷)に、オバナの下にのみ生ずる草としてナンバンギセルだとしている。この草は、ハマウツボ科の草本で、カホン科植物の根もとに寄生する。秋の頃淡紫色の花を附けるが、その花が横に向いているので、人が首を垂れて物思いをするのによそえて、オモイグサというのだろうという。このほかに、リンドウ、ツユクサ等の諸説がある。この語は、集中唯一の用例である。以上三句、序詞。五句の念ハムを引き起している。
(312) 今更尓何物可將念 イマサラニナゾモノカオモハム。今更にどうして物を思おう、思うことも無いの意。「今更《イマサラニ》 何乎可將v念《ナニヲカオモハム》 打靡《ウチナビク》 情者君爾《ココロハキミニ》 縁爾之物乎《ヨリニシモノヲ》」(卷四、五〇五)の歌意である。
【評語】序詞に特色のある歌である。オバナの下の思い草を見つけ出したのは、見つけどころである。思い草は、物を思つているが、自分は思うこともないと、思うの語によつて、つづり合わせているあたり、調子のよい歌で、歌いもののような滑らかさが感じられる。
 
寄V花
 
2271 草深み こほろぎ多《さは》に 鳴く屋前《には》の、
 はぎ見に公は 何時か來まさむ。
 
 草深三《クサフカミ》 蟋多《コホロギサハニ》 鳴屋前《ナクニハノ》
 〓子見公者《ハギミニキミハ》 何時來益牟《イツカキマサム》
 
【譯】草が深いので、コオロギが澤山鳴いているわたしの屋前の、ハギを見にあなたはいつおいでになるのでしようか。
【評語】草深い處に人を待つ心が歌われている。秋のあわれの感じられる歌である。
 
2272 秋づけば み草の花の あえぬがに
 思ふと知らじ。
 直《ただ》に逢はざれば。
 
 秋就者《アキヅケバ》 水草花乃《ミクサノハナノ》 阿要奴蟹《アエヌガニ》
 思跡不v知《オモフトシラジ》
 直尓不v相在者《タダニアハザレバ》
 
【譯】秋の季節になるままに、咲く草の花のようにこぼれそうに物を思つているとは、知らないでしよう。じかに逢わないでいるので。
(313)【釋】秋就者 アキヅケバ。秋の季節がしみ渡ると。
 水草花乃 ミクサノハナノ。ミクサは、字に即しては水草だが、その花は水邊の草の穗などをいうのだろう。以上二句、序詞。譬喩によつて、アエヌガニを引き起している。
 阿要奴蟹 アエヌガニ。アユは、こぼれ落ちる意の動詞アユの連用形。ヌは、完了の助動詞。ガニは、ほどにの意の助詞。「百枝刺《モモエサシ》 於布流橘《オフルタチバナ》 玉爾貫《タマニヌク》 五月乎近美《サツキヲチカミ》 安要奴我尓《アエヌガニ》 花咲爾家里《ハナサキニケリ》」(卷八、一五〇七)。
 思跡不知 オモフトシラジ。オモヘドシラジ(西)。跡は、トにもドにも使用しているが、元來アトのトであるから、清音に使うのが順當であり、集中でもその用法の方が斷然多い。ここはどちらでも通ずるとせば、清音に讀む方が順當である。シラジは、相手の心を推量している。句切。
【評語】秋の季物を使つた譬喩の表現に特色がある。それで美しい歌になつている。アエヌガニ思フという云い方も、特殊の表現で、戀の物思いにふさわしい。
 
2273 何すとか 君を厭はむ。
 秋はぎの その初花の
 うれしきものを。
 
 何爲等加《ナニストカ》 君乎將v※[厭のがんだれなし]《キミヲイトハム》
 秋〓子乃《アキハギノ》 其始花之《ソノハツハナノ》
 歡寸物乎《ウレシキモノヲ》
 
【譯】どうしてあなたを厭いましよう。秋ハギの始めて咲く花のように、うれしいものですのに。
【釋】何爲等加 ナニストカ。何をするとてか。何のゆえにか。
 秋〓子乃其始花之 アキハギノソノハツハナノ。以上二句は、序詞、譬喩によつてウレシを引き起している。
【評語】女がちよつと自分の心もちを辯解したというような歌だ。譬喩が、いかにも清らかで、始めて男に逢つた女の身を寓意しているようでもあり、それを受けて、ウレシキモノヲと結んだのも純粹でよい。
 
(314)2274 こしいまろび 戀ひは死ぬとも、
 いちしろく 色には出でじ。
 朝貌《あさがほ》の花。
 
 展傳《コイマロビ》 戀者死友《コヒハシヌトモ》
 灼然《イチシロク》 色庭不v出《イロニハイデジ》
 朝容※[貌の旁]之花《アサガホノハナ》
 
【譯】ころげ廻つて、戀に死ぬにしても、はつきりと面には出しますまい。朝貌の花のように。
【釋】展傳 コイマロビ 展傳は、詩經周南|關雎《かんしよ》の章に「悠(ナルカナ)哉|悠(ナナルカナ)哉、輾轉反則(ス)」とあり、毛詩鄭箋《もうしていせん》に「輾、本亦作(ル)v屍(ニ)」とある。傳は轉に通じて使用したものと考えられる。これをコイマロビと讀むのは、舊訓による。コイは、「等計自母能《トケジモノ》 宇知許伊布志堤《ウチコイフシテ》」(卷五、八八六)、「宇知奈妣伎《ウチナビキ》 登許爾己伊布之《トコニコイフシ》」(卷十七、三九六九)など使用されている。これは上二段に活用する動詞コユの連用形と見られ、コヤス(臥ス)の組織體を成す語と考えられる。「展轉《コイマロビ》 ?打雖v泣《ヒヅチナケドモ》」(卷三、四七五)。
 朝容※[貌の旁]之花 アサガホノハナ。朝貌の花のように、いちじろく色には出でじの意を、譬喩の物體を獨立句として下に置いたのである。アサガホは、「朝貌之花《アサガホノハナ》」(卷八、一五三八)參照。
【評語】譬喩の句を最後に置いた表現の樣式が變わつている。思いつめて朝貌の花に見入つている作者の姿が、描き出され、その朝貌の花に託していう感じがよく出ている。花に寄せて色には出さないという形は、類型として繰り返されるのだが、これはこの特殊な表現で目新しくなつている。
 
2275 言に出でて いはばゆゆしみ。
 朝貌の 穗には咲き出《い》でぬ
 戀もするかも。
 
 言出而《コトニイデテ》 云者忌染《イハバユユシミ》
 朝※[貌の旁]乃《アサガホノ》 穗庭開不v出《ホニハサキイデヌ》 戀爲鴨《コヒモスルカモ》
 
(315)【譯】言葉に出していうと障りがあるので、朝貌の花のようには、面に咲き出さない戀もすることだなあ。
【釋】云者忌染 イハバユユシミ。口に出していえば憚りがあるので。相手に對して戀をうち明けることを憚つていると見られる。
 朝※[貌の旁]乃穗庭咲不出 アサガホノホニハサキイデヌ。譬喩によつて、表面に出さないことをあらわしている。穗に出るとは、多くカホン科の植物についていうのだが、ここに朝貌についていつているのは珍しい。しかし「吾妹子之《ワギモコガ》 奈何跡裳吾《ナニトモワレヲ》 不v思者《オモハネバ》 含花之《フフメルハナノ》 穗應v咲《ホニサキヌベシ》」(卷十一、二七八三)の如きがあり、穗に咲き出るとは、つぼんでいる花が開いて、色のあらわれるのをいうことが知られる。ホは、色について言つている。
 戀爲鴨 コヒモスルカモ。コヒヲスルカモ(元)、コヒモスルカモ(考)。コヒモスルカモと、助詞モに當る字のある例が、「戀哭爲鴨《コヒモスルカモ》」(卷三、三七三)、「戀裳楷香聞《コヒモスルカモ》」(卷四、六七五)、「戀毛爲鴨《コヒモスルカモ》」(巻十、一八九八、卷十一、二六七二)の四例あり、コヒヲスルカモと讀むべき例は無い。「戀爲鴨」と書いた例は、この外に二例あるが、すべてコヒモスルカモと讀むべきだろう。
【評語】朝貌は、色に出て咲くものであるが、それを使つて、しかしそのようには色に出さないとする表現法は、例はあるが、譬喩の法として巧みだとはいえない。參考の欄に出した類歌あたりの影響を受けて作られているのだろうが、本歌の激越な表情には遠く及ばない。
【參考】類句、言に出でて云はばゆゆしみ。
  言に出でて云はばゆゆしみ山川のたぎつ心を塞《せ》きあへてあり(卷十一、二四三二、人麻呂集)
 
2276 雁がねの 初聲聞きて 咲きいでたる
 屋前《には》の秋はぎ 見に來《こ》、わが夫子。
 
 鴈鳴之《カリガネノ》 始音聞而《ハツコヱキキテ》 開出有《サキイデタル》
 屋前之秋〓子《ニハノアキハギ》 見來吾世古《ミニコワガセコ》
 
(316)【譯】雁の始めて鳴く聲を聞いて咲き出た屋前の秋ハギを、見にいらつしやい、あなた。
【評語】雁は、秋深くなつて來るので、その初聲を聞いてハギが咲き出たというのは、季節が合わない。ハギの説明のために作り設けたので、かような歌になつたのだろう。率直なあらわし方だが、前の「草深み」(二二七一)の歌には及ばない。
 
2277 さを鹿の 入野《いりの》のすすき 初尾花、
 何時しか妹が 手を枕かむ。
 
 左小壯鹿之《サヲシカノ》 入野乃爲酢寸《イリノノススキ》 初尾花《ハツヲバナ》
 何時加妹之《イツシカイモガ》 將手v枕《テヲマクラカム》
 
【譯】男鹿の入る、その入野のススキの、その始めてのオバナのように、何時か早く、あの子の手を枕にすることだろう。
【釋】左小壯鹿之 サヲシカノ。鹿が入る野の意に、入野に冠しているのだろう。
 入野乃爲酢寸 イリノノススキ。イリノは、京都府|乙訓《おとくに》郡大原野村大字|上羽《うえは》の入野神社のある處だろうという。元來この語は、通路から奧に入る地勢にある野をいうので、信濃では今でも使つている語である。「多胡能伊利野乃《タゴノイリノノ》 於久母可奈思母《オクモカナシモ》」(卷十四、三四〇三)などは、その用例である。
 初尾花 ハツヲバナ。入野のススキ、その初オバナの意で、以上三句、譬喩に使われている。ススキの初オバナをもつて始めて女子と婚姻することを描いている。
 何時加妹之手將枕 イツシカイモガテヲマクラカム。
  イツシカイモノタマクラニセム(元)
  ――――――――――
  何時加妹之將手枕《イヅレノトキカイモガテマカム》(代精)
  何時加妹之將爲手枕《イツシカイモガタマクラヲセム》(考)
  何時加妹之衣手將枕《イツシカイモガソデマクラカム》(古義)
(317) 何時加を、イツシカと讀むか、イヅレノトキカと讀むかに依つて、下の將枕の訓も決定してくる。イヅレノトキカの句は「何時《イヅレノトキカ》 吾不戀將v有《ワガコヒザラム》」(卷十一・二六〇六)、「伊頭禮乃時加《イヅレノトキカ》 吾孤悲射良牟《ワガコヒザラム》」(卷十七、三八九一)の如く、何の時としてかの意に使われている。よつて、ここは早くの意を含むイツシカの訓によるべきである。マクラカムは、マクラ(枕)をカ行四段に活用した動詞マクラクの未然形に助動詞ムの接續したもの。「比等能比射乃倍《ヒトノヒザノヘ》 和我摩久良可武《ワガマクラカム》」(卷五、八一〇)。
【評語】譬喩は、わずかに初オバナというだけで、主文との關係が淺いが、かえつて風情は感じられる。初オバナを出したのは、相手が始めて妙齡に達したことを示しているのだろう。歌の性質上、作者自身だけがよくわかつているようなところがあり、それが四五句の露骨なものいいをやわらげているところもある。
 
2278 戀ふる日の け長くあれば、
 わが苑圃《その》の 韓藍《からあゐ》の花の
 色にいでにけり。
 
 戀日之《コフルヒノ》 氣長有者《ケナガクアレバ》
 吾苑圃能《ワガソノノ》 辛藍花之《カラアヰノハナノ》
 色出尓來《イロニイデニケリ》
 
【譯】思つている日が、久しかつたので、わたしの園の、カラアイの花のように、色にあらわれてしまつた。
【釋】氣長有者 ケナガクアレバ。時久しくなれば。
 吾苑園能 ワガソノノ。
  ワガソノノ(元)
  ――――――――――
  三苑圃能《ミソノフノ》(類)
 わが園でも、み園生でも、歌意は通ずるが、時久しく戀うというので、わが園の韓藍の花の、色に出たのに氣づいたとするのが自然である。
 辛藍花之 カラアヰノハナノ。カラアヰノハナは、鷄頭花。以上二句、序詞。譬喩によつて、色ニイデニケ(318)リを引き起している。
【評語】花によつて色に出たことを歌つている。表現は順序よくすなおにできている。「隱庭《コモリニハ》 戀而死鞆《コヒテシヌトモ》 三苑原之《ミソノフノ》 鷄冠草花乃《カラアヰノハナノ》 色二出目八方《イロニイデメヤモ》」(卷十一、二七八四)と同じ譬喩だが、卷の十一のは、色ニイデメヤモだから、ミ園生ノでよく、これは色ニイデニケリだから、ワガ園ノがよい。
 
2279 わが郷《さと》に 今咲く花の 女郎花、
 堪《あ》へぬ情《こころ》に なほ戀ひにけり。
 
 吾郷爾《ワガサトニ》 今咲花乃《イマサクハナノ》 女部四《ヲミナヘシ》
 不v堪情《アヘヌココロニ》 尚戀二家里《ナホコヒニケリ》
 
【譯】わたしの里に今咲く花のオミナエシよ。わたしは堪えられない氣もちで、やはり戀してしまつた。
【釋】今咲花乃 イマサクハナノ。今新たに咲く花の。相手の女の年頃になつたことをこの句であらわしている。
 娘部四 ヲミナヘシ。相手の女を譬えている。
 不堪情 アヘヌココロニ。タヘヌココロニ(元)、アヘヌココロニ(略)。本集には、動詞タフ(堪)の假字書きの例は無い。こらえ得ない思いに。物に動きやすい心で。
【評語】身近にあつて、年頃になつてゆく娘子を見て詠んだ作である。譬喩もよくできている。
 
2280 はぎが花 咲けるを見れば、
 君に逢はず、
 まことも久に なりにけるかも。
 
 〓子花《ハギガハナ》 咲有乎見者《サケルヲミレバ》
 君不v相《キミニアハズ》
 眞毛久二《マコトモヒサニ》 成來鴨《ナリニケルカモ》
 
【譯】 ハギの花の咲いたのを見ると、あなたに逢わないで、ほんとに久しくなつたものですね。
(319)【釋】眞毛久二 マコトモヒサニ。マコトモは、眞實にも。久しくなつたことを驚嘆している。
【評語】ハギの花の咲いたのを見て、逢わないで久しくなつたものだと驚いている氣もちが、すなおに表現されている。驚嘆の氣もちが、四五句によつて、大げさに出ている。
 
2281 朝露に 吹きすさびたる
 鴨頭草《つきぐさ》の、
 日くたつなへに 消ぬべく念《おも》ほゆ。
 
 朝露尓《アサツユニ》 咲酢左乾垂《サキスサビタル》
 鴨頭草之《ツキクサノ》
 日斜共《ヒクタツナヘニ》 可v消所v念《ケヌベクオモホユ》
 
【譯】朝の露に咲きほこつている露草のように、日が傾くと共に、消えそうに思われる。
【釋】咲酢左乾垂 サキスサビタル。スサビは、新撰字鏡に、「樂溢 須佐比」とある。日本紀竟宴和歌に、「とつゑあまりやつゑを越ゆる龍の駒君すさめねばおいはてぬべし」とあるも、賞翫する意で、この義に近い。サキスサビタルは、時を得顔に咲き榮えている意であろう。スサビは、本集中他に用例を見ない。
 鴨頭草之 ツキグサノ。ツユクサ。鴨頭は、花色が藍色なので、この字を當てるのであろう。
 日斜共 ヒクタツナヘニ。日の傾くと共に。
 可消所念 ケヌベクオモホユ。露草の萎れて見えるにより、この句を成している。
【評語】露草を譬喩に使つて、朝は元氣だが、夕方になると共に、生氣を失う旨を歌つている。ツユクサに思い寄せたのが、あわれである。
 
2282 長き夜を
 君に戀ひつつ 生《い》けらずは、
 咲きて散りにし 花ならましを。
 
 長夜乎《ナガキヨヲ》
 於v君戀乍《キミニコヒツツ》 不v生者《イケラズハ》
 開而落西《サキテチリニシ》 花有益乎《ハナナラマシヲ》
 
(320)【譯】長い夜を、君に戀しつつ生きていないで、咲いて散つてしまつた花だつたらよかつたものを。
【釋】不生者 イケラズハ。生きていないで、そうして。
【評語】表現は類型的であり、長い夜と咲いて散つた花とのあいだにも連絡が無い。長キ夜の語に依つて秋に收めてあるのだろうが、花は何の花か。秋の花としては適切なものが無い。無關心に道具を使つたような歌である。
【參考】類歌。
  吾妹子《わぎもこ》に戀ひつつあらずは秋はぎの咲きて散りぬる花にあらましを(卷二、一二〇)
 
2283 吾妹子 相坂《あふさか》山の はだすすき、
 穗には咲き出でず、戀ひわたるかも。
 
 吾妹兒尓《ワギモコニ》 相坂山之《アフサカヤマノ》 皮爲酢寸《ハダススキ》
 穗庭開不v出《ホニハサキイデズ》 戀度鴨《コヒワタルカモ》
 
【譯】わたしの妻に逢う。その相坂山のハダススキのように、表には咲き出ないで、戀をして過すことだなあ。
【釋】吾妹兒尓 ワギモコニ。相坂山の枕詞として使われており、同時に、戀ヒワタルカモの目的になつている。
 相坂山之 アフサカヤマノ。アフサカ山は、山城近江の國境の山。
 皮爲酢寸 ハダススキ。穗を含んでいるススキをいうと解される。以上序で、穗ニ咲キイデズを引き起している。
【評語】巧みにできているが、巧みなだけに上すべりして力がはいらない。お座なりの歌らしい所である。
 
2284 いささめに 今も見がほし。
(321) 秋はぎの しなひにあらむ
 妹がすがたを。
 
 率尓《イササメニ》 今毛欲見《イマモミガホシ》
 秋〓子之《アキハギノ》 四搓二將v有《シナヒニアラム》
 妹之光儀乎《イモガスガタヲ》
 
【譯】かりそめにも今も見たいものだ。秋ハギのようにたおやかにあるだろうあの子の姿を。
【釋】率尓 イササメニ。かりそめに、ちよつとでも。「眞木柱《マキバシラ》 作蘇麻人《ツクルソマビト》 伊左佐目丹《イササメニ》 借廬之爲跡《カリホノタメト》 造計米八方《ツクリケメヤモ》」(卷七、一三五五)。
 秋〓子之 アキハギノ。譬喩として提示している。
 四搓二將有 シナヒニアラム。搓は、繩をなう義で、ナヒに當てている。シナヒは、草木のたわむのをいう。「眞木葉乃《マキノハノ》 之奈布勢能山《シナフセノヤマ》」(卷三、二九一)參照。
【評語】平凡な内容だが、やはり秋ハギを持ち出したところに、風情が感じられる。その花と愛人との連想は、わるくもない所である。
 
2285 秋はぎの 花野のすすき、
 穗には出でず、
 わが戀ひわたる こもり嬬《づま》はも。
 
 秋〓子之《アキハギノ》 花野乃爲酢寸《ハナノノススキ》
 穗庭不v出《ホニハイデズ》
 吾戀度《ワガコヒワタル》 隱嬬波母《コモリヅマハモ》
 
【譯】秋ハギの花の咲いている野のススキのように、おもてに出さずにわたしの戀をして過す妻はなあ。
【釋】秋〓子之花野乃爲酢寸 アキハギノハナノノススキ。以上序詞。穗ニハ出デズを引き起している。
 隱嬬波母 コモリヅマハモ。コモリヅマは、心で思つている妻をいう。「色出而《イロニイデテ》 戀者人見而《コヒバヒトミテ》 應v知《シリヌベシ》 情中之《ココロノウチノ》 隱妻波母《コモリヅマハモ》」(卷十一、二五六六)の歌によつて、その性質が知られる。
(322)【評語】初二句の譬喩は美しく、コモリ妻の表現には適切であるが、全體としては、何等特色も無く、また感激にも乏しい。形式的な歌というべきである。
 
2286 わが屋戸《やど》に 咲きし秋はぎ、
 散り過ぎて 實《み》になるまでに
 君に逢はぬかも。
 
 吾屋戸尓《ワガヤドニ》 開秋〓子《サキシアキハギ》
 散過而《チリスギテ》 實成及丹《ミニナルマデニ》
 於v君不v相鴨《キミニアハヌカモ》
 
【譯】わたしの宿に咲いた秋ハギが、散り過ぎて實になるに至るまでも、君に逢わないことだ。
【評語】時間の長いことを、具體的に敍述するには種々あるが、これは庭前の花を使つて敍している。その花の經過を見つめてきた氣もちはわかるが、感激は強くあらわれない。
 
2287 わが屋前《には》の はぎ咲きにけり。
 散らぬ間《ま》に 早來て見べし。
 平城《なら》の里人。
 
 吾屋前之《ワガニハノ》 〓子開二家里《ハギサキニケリ》
 不v落間尓《チラヌマニ》 早來可v見《ハヤキテミベシ》
 平城里人《ナラノサトビト》
 
【譯】わたしの屋前のハギが咲いた。散らないうちに、早くきて御覽なさい。平城の里人よ。
【釋】早來可見 ハヤキテミベシ。動詞見ルに、助動詞ラム、ラシ、ベシなどが接續する場合には、ミラム、ミラシ(この例は無いが煮ラシに依つて類推される)、ミベシなどの形を取る。ミベシの例「佐伎多流野邊乎《サキタルノベヲ》 遊吉追都見倍之《ユキツツミベシ》」(卷十七、三九五一)。句切。
 平城里人 ナラノサトビト。奈良の京の人を呼びかけている。
【評語】極めて平易な敍述で、平城の里人を呼びかけているだけが特色である。それにしても散ラヌ間ニハヤ(323)來テ見ベシは、曲がない。
 
2288 石走《いはばし》の 間間《まま》に生《お》ひたる 貌花《かほばな》の、
 花にしありけり。
 ありつつ見れば。
 
 石走《イハバシノ》 間間生有《ママニオヒタル》 ※[貌の旁]花乃《カホバナノ》
 花西有來《ハナニシアリケリ》
 在筒見者《アリツツミレバ》
 
【譯】河中の踏石の、その間々に生えている貌花のように、花であつたことだ。ありつつ見れば。
【釋】石走 イハバシノ。イハヽシリ(元)、イハヽシル(類)、イハハシノ(温)。イハハシは、河中の踏石。「石走《イハバシノ》 間近君爾《マヂカキキミニ》 戀度可聞《コヒワタルカモ》」(卷四、五九七)、「明日香川《アスカガハ》 明日文將v渡《アスモワタラム》 石走《イハバシノ》 遠心者《トホキココロハ》 不v思鴨《オモホエヌカモ》」(卷十一、二七〇一)など、間が遠い近いといい、明日モ渡ラムと言つているので、踏石とする解は動かないであろう。
 ※[貌の旁]花乃 カホバナノ。カホバナは、晝顔。以上三句、序詞で、花ニシを引き起している。
 花西有來 ハナニシアリケリ。ハナニは、花のようにの意と解せられる。それは花やかであるが、實のない意をあらわしている。「梅花《ウメノハナ》 波奈尓將v問常《ハナニトハムト》 吾念奈久爾《ワガオモハナクニ》」(卷八、一四三八)。しかしここは、貌花のような美しいものと見るべきである。句切。
 在筒見者 アリツツミレバ。ここにありて見ればで、共に住んでいる相手に對していう。
【評語】ただ貌花の花のようだと讃歎したのであろう。貌花が、しばしば女子の譬喩に使われるのは、その名が人の連想を引くによるものと見られる。花ニシアリケリと、強く讃歎しておいて、アリツツ見レバと説明したのが、落ちついて感じられる。
 
2289 藤原の 古《ふ》りにし郷《さと》の 秋はぎは、
(324) 咲きて散りにき。
 君待ちかねて。
 
 藤原《フヂハラノ》 古郷之《フリニシサトノ》 秋〓子者《アキハギハ》
 開而落去寸《サキテチリニキ》
 君待不得而《キミマチカネテ》
 
【譯】藤原の古くなつた里の秋ハギは、咲いて散つてしまつた。あなたを待ち得ないで。
【釋】藤原古郷之 フヂハラノフリニシサトノ。今は舊都となつた藤原の古き京をいう。
【評語】平城に遷都した後に、藤原に住んでいた人の歌である。藤原ノ古リニシ郷と、特に地名を擧げたのは、先方の歌にあつた詞なのであろう。古郷の秋の過ぎゆくさまがすなおに歌われている。
 
2290 秋はぎを 散り過ぎぬべみ。
 手《た》折り持ち 見れどもさぶし。
 君にしあらねば。
 
 秋〓子乎《アキハギヲ》 落過沼蛇《チリスギヌベミ》
 手折持《タヲリモチ》 雖v見不怜《ミレドモサブシ》
 君西不v有者《キミニシアラネバ》
 
【譯】秋ハギが散り過ぎそうなので、手折り持つて見るけれども樂しくもない。あなたではないので。
【釋】落過沼蛇 チリスギヌベミ。蛇をベミの音聲に使用したのは珍しい。蛇は、集中唯一の用字である。
【評語】 ハギの花を折つても、それに慰められない情が歌われている。ひとり見るさびしさ、君に見せたいという表現の歌は多いが、その花を、ただちに君で無いからと云つたのが特色である。「かざはやの三穗《みほ》の浦みの白つつじ見れどもさぶし。亡《な》き人思へば」(卷三、四三四)あたりと、通う所のある歌である。
 
2291 朝《あした》咲き 夕《ゆふべ》は消《け》ぬる つき草《ぐさ》の、
 消《け》ぬべき戀も 吾はするかも。
 
 朝開《アシタサキ》 夕者消流《ユフベハケヌル》 鴨頭草乃《ツキグサノ》
 可v消戀毛《ケヌベキコヒモ》 吾者爲鴨《ワレハスルカモ》
 
(325)【譯】朝は咲いて夕方には衰えるツキグサのように、消えてしまいそうな戀もわたしはすることだ。
【釋】夕者消流 ユフベハケヌル。ケヌルは、ツキグサの花のしぼみ衰えるをいう。ツキグサの花は、しおれると縮まつてしまうので、消ヌルといい、四句の消ヌベキの伏線にしたのだろう。
 鴨頭草乃 ツキグサノ。以上序詞。譬喩によつて消ヌベキを起している。
 可消戀毛 ケヌベキコヒモ。ケヌベキは、戀の惱みのために死にそうなのをいう。
【評語】美しくもろいものを材料として歌つている。露霜から消えるを引き出す歌は多く、それから一轉してこの歌となつている。夕べは消えるはすこし無理だが、はかないという氣もちはよく出ている。
 
2292 秋津《あきづ》野の 尾花苅り副《そ》へ、
 秋はぎの 花を葺《ふ》かさね。
 君が假廬《かりいほ》。
 
 ?野之《アキヅヌノ》 尾花苅副《ヲバナカリソヘ》
 秋〓子之《アキハギノ》 花乎葺核《ハナヲフカサネ》
 君之借廬《キミガカリイホ》
 
【譯】秋津野のオバナを刈り添えて、秋ハギの花をお葺きなさい。あなたの假屋は。
【釋】?野之 アキヅノノ。?は蜻蛉に同じ。トンボである。古語アキヅといい、その音をあらわしている。アキヅ野は、吉野山中の秋津であろう。
【評語】吉野に旅する人に贈つた歌である。秋ハギの花にオバナを刈り添えて、假廬の屋根にせよという、極めて風流な旅を思つている。五句、君が假廬と言い放したのがよい。キミガカリホニとニを添えて讀む説があるが蛇足である。感じは、君が假廬はである。
 
2293 咲《さ》けりとも 知らずしあらば
(326) 黙然《もだ》もあらむ。
 この秋はぎを 見せつつもとな。
 
 咲友《サケリトモ》 不v知師有者《シラズシアラバ》
 黙然將v有《モダモアラム》
 此秋〓子乎《コノアキハギヲ》 令v視管本名《ミセツツモトナ》
 
【譯】咲いているとも知らないでいたら、そのままにもいよう。この秋ハギを見せてしようがないことだ。
【釋】黙然將有 モダモアラム。モダは、黙つていること。何もしないでいるのを、モダヲリという。そのままに過されようの意。句切。
 令視管本名 ミセツツモトナ。人が自分に見せて、こまつたことだ。
【評語】病氣か何かで家に籠《こも》つている時に、人が秋ハギを見せたので、遊意が動いてしかたがない由の歌である。相手の好意を難詰《なんきつ》したような形で、秋ハギに對する愛が歌われている。後に大伴の家持は、秋ハギをヤマブキに代えただけの歌を作つたが、それによれば花は何でもよいということになる。
【參考】類歌。
  咲けりとも知らずしあらばもだもあらむ。この山吹を見せつつもとな(卷十七、三九七六、大伴の家持)
 
寄v山
 
2294 秋されば 雁飛び越ゆる 龍田《たつた》山、
 立ちても居ても 君をしぞ念《おも》ふ。
 
 秋去者《アキサレバ》 鴈飛越《カリトビコユル》 龍田山《タツタヤマ》
 立而毛居而毛《タチテモヰテモ》 君乎思曾念《キミヲシゾオモフ》
 
【譯】秋になると雁の飛んで越える龍田山。そのように立つてもすわつても君を思うのだ。
【釋】龍田山 タツタヤマ。以上三句、序詞。同音によつて立チテモを引き起している。
【評語】同音を利用しているだけの歌である。龍田山に對して歌つているだろう。雁に寄する題の下には、雁(327)が山を越えることが歌われていたが、ここには山の名が擧げられ、その音の利用されているだけが特色で、描寫というほどのこともない。
【參考】類句、立ちてもゐても。
  み埼《さき》みの荒磯《ありそ》に寄する五百重浪《いほへなみ》立ちてもゐてもわが念《も》へる君(卷四、五六八)
  春楊《はるやなぎ》葛城山《かづらきやま》に立つ雲の立ちてもゐても妹をしぞ思ふ(卷十一、二四五三、人麻呂集)
  遠つ人獵道《かりぢ》の池に住む鳥の立ちてもゐても君をしぞ思ふ(卷十二、三〇八九)
 
寄2黄葉1
 
2295 わが屋戸《やど》の 田葛葉《くずば》日《ひ》にけに
 色づきぬ。
 來まさぬ君は 何情《なにごころ》ぞも。
 
 我屋戸之《ワガヤドノ》 田葛葉日殊《クズバヒニケニ》
 色付奴《イロヅキヌ》
 不2來座1君者《キマサヌキミハ》 何情曾毛《ナニゴコロゾモ》
 
【譯】わたくしの宿のクズの葉は、日ましに色づきました。おいでにならないあなたは、どういうお心でしよう。
【釋】田葛葉日殊 クズバヒニケニ。ヒニケニは、日に殊にで、日ましに。
【評語】 「吾こそは憎《にく》くもあらめ。わが屋前《には》の花橘《はなたちばな》を見には來じとや」(卷十、一九九〇)ほどの強い調子はなく、單に、來マサヌ君ハ何情ゾモと疑つたものいいに留めたのが、ちようどよい程度になつている。上三句の敍述は、平凡だがよくその趣をなしている。
 
(328)2296 あしひきの 山さな葛《かづら》 もみつまで、
 妹に逢はずや、わが戀ひ居《を》らむ。
 
 足引乃《アシヒキノ》 山佐奈葛《ヤマサナカヅラ》 黄變及《モミツマデ》
 妹尓不v相哉《イモニアハズヤ》 吾戀將v居《ワガコヒヲラム》
 
【譯】山のサナカヅラが黄葉になるまで、妻に逢わずにか、わたしが戀しているのだろう。
【釋】山佐奈葛 ヤマサナカヅラ。山のサナカヅラで、ビナンカズラ。
 黄變及 モミツマデ。以上、時の移り行くことを、具體的に敍している。
【評語】時の移り行くことを敍したところに、特色がある。山サナ葛の黄葉することを、特に言い立てたのは、自然の觀察がこまかく行き屆いていたことを語つている。
 
2297 もみち葉の 過ぎがてぬ兒を、
 人妻と 見つつやあらむ。
 戀しきものを。
 
 黄葉之《モミチバノ》 過不v勝兒乎《スギガテヌコヲ》
 人妻跡《ヒトヅマト》 見乍哉將v有《ミツツヤアラム》
 戀敷物乎《コヒシキモノヲ》
 
【譯】黄葉のように、そのままには過し得ないあの子なのに、人妻として見ているのだろう。戀しいものを。
【釋】黄葉之 モミチバノ。枕詞。黄葉が散つて過ぎ去るというので、過ギを引き起している。
 過不勝兒乎 スギガテヌコヲ。見過すに堪えない子を。子を見つつやあらむと續くが、このヲには、それだのにの氣もちが含まれている。
【評語】人妻に關する歌としては、むしろ平凡な表現である。黄葉を使つてのその説明に、多少の特殊性があるだけである。
 
寄v月
 
(329)2298 君に戀ひ
 しなえうらぶれ わが居れば、
 秋風吹きて 月|斜《かたぶ》きぬ。
 
 於v君戀《キミニコヒ》
 之奈要浦觸《シナエウラブレ》 吾居者《ワガヲレバ》
 秋風吹而《アキカゼフキテ》 月斜焉《ツキカタブキヌ》
 
【譯】君に戀して、うち萎れさびしくなつてわたしがいると、秋風が吹いて月が傾いた。
【釋】之奈要浦觸 シナエウラブレ。シナエは、なえる意。物思いにうちしおれて。
【評語】物思いに惱んでいる時の敍述を、自然の描寫によつて説いたのが、よく情趣を生じている。いかにもその時の情景のつくされている歌といえる。
 
2299 秋の夜の 月かも、君は。
 雲|隱《がく》り しましく見ねば
 ここだ戀しき。
 
 秋夜之《アキノヨノ》 月疑意君者《ツキカモキミハ》
 雲隱《クモガクリ》 須臾不v見者《シマシクミネバ》
 幾許戀敷《ココダコホシキ》
 
【譯】秋の夜の月でしようか、あなたは。雲に隱れてちよつとでも見ないと、大變戀しいのです。
【釋】月疑意君者 ツキカモキミハ。疑意の二字は、意をもつて助詞カモに當てて書いている。月カモで切り、その主格として、君はを置いたので、ここで、句切である。君は秋の夜の月かの意。
【評語】君を月にたとえているが、秋ノ夜ノ月カモ君ハといつた表現に特色がある。雲隱リ云々の譬喩は、この歌の主眼だが、初二句の説明となつており、巧みになりすぎている。
 
2300 九月《ながつき》の ありあけの月夜《つくよ》、
(330) ありつつも、
 君が來まさば われ戀ひめやも。
 
 九月之《ナガツキノ》 在明能月夜《アリアケノツクヨ》
 有乍毛《アリツツモ》
 君之來座者《キミガキマサバ》 吾將v戀八方《ワレコヒメヤモ》
 
【譯】九月の在明の月のように、ありつつも君がおいでになるなら、わたくしは戀をしないでしよう。
【釋】九月之在明能月夜 ナガツキノアリアケノツクヨ。以上序詞で、同音によつて、アリツツモを引き起している。アリアケノツクヨは、明けてから殘る月だが、夜の中からその月をいうことになつている。
 有乍毛 アリツツモ。自分が、かくの如くあり經つつの意。
【評語】在明の月に對して、君の來ないことを歎いている。しかしこの種のさびしかるべき歌がらとしては、アリアケノ月夜アリツツモというような、同音を重ねたすべりのよい調子は、なめらか過ぎてよくない。
 
寄v夜
 
2301 おしゑやし 戀ひじとすれど、
 秋風の 寒く吹く夜は
 君をしぞ念ふ。
 
 忍咲八師《オシヱヤシ》 不v戀登爲跡《コヒジトスレド》
 金風之《アキカゼノ》 寒吹夜者《サムクフクヨハ》
 君乎之曾念《キミヲシゾオモフ》
 
【譯】いつさい戀いまいとするのだが、秋風の寒く吹く夜は、君を思うことだ。
【釋】 忍咲八師 オシヱヤシ。
  オシヱヤシ(元)
  ヨシヱヤシ(西)
  ――――――――――
  吉咲八師《ヨシヱヤシ》(略)
 從來多くヨシヱヤシと讀んでいたが、忍咲八師とある文字をヨシヱヤシとは讀まれない。元暦校本によつて(331)オシエヤシと讀むべきである。オシは、副詞で、すべての意であろう。ヱヤシは、感動の助詞。ヨシヱヤシのヱヤシに同じ。オシの副詞の例。「さまざまに思ふ心はあるものをおしひたすらに濡るる袖かな」(後拾遺和歌集)。なお言語篇「よしゑやし等」參照。
【評語】戀をしまいと思う心が、秋風の寒く吹く夜は持ち切れないことを歌つている。初句の訓法になお不安があるが、それは感情を描いた句なのだろう。戀にまどう心がよく描かれている。
 
2302 或人《わびびと》の あな情《こころ》なと 念ふらむ。
 秋の長夜を 寐《い》ね臥してのみ。
 
 惑者之《ワビビトノ》 痛情無跡《アナココロナト》 將v念《オモフラム》
 秋之長夜乎《アキノナガヨヲ》 寐臥耳《イネフシテノミ》
 
【譯】風雅人が、ああ心無いことだと思うだろう。秋の長い夜を寐てばかりいる。
【釋】或者之 ワビビトノ。或は惑に通じて使用されている。或者は、「惑者者《ワビビトハ》 啼爾毛哭乍《ネニモナキツツ》」(卷九、一八〇一)と使われている或人に同じであろう。訓は「都禮毛無《ツレモナク》 將v有人乎《アルラムヒトヲ》 獨念爾《カタモヒニ》 吾念者《ワレハオモヘバ》 惑毛安流香《ワビシクモアルカ》」(卷四、七一七)に惑をワビシと讀んでいるによつて、ワビビトと讀むべきであろう。風流詩情を解し、自然を樂しむ如き性情の人をいう。
 秋之長夜乎寐臥耳 アキノナガヨヲイネフシテノミ。これは作者の行爲を敍している。
【評語】風流ぶることに對する反逆ともいえるが、作者は、みずからそう高く買つているのではない。たまたま作られた、ある時の口ずさみである。
 
2303 秋の夜を 長しといへど、
 積《つも》りにし 戀をつくせば 短かりけり。
 
 秋夜乎《アキノヨヲ》 長跡雖v言《ナガシトイヘド》
 積西《ツモリニシ》 戀盡者《コヒヲツクセバ》 短有家里《ミジカカリケリ》
 
(332)【譯】秋の夜を長いというけれども、積つていた戀をつくすので短かつた。
【評語】秋の夜を長いものとする觀念から作られている歌で、秋の長夜ということに拘泥している。その長いという以外、秋の夜の特色があらわれていない。
 
寄v衣
 
2304 秋つ葉に にほへる衣 われは著《き》じ。
 君に奉《まつ》らば 夜《よる》も著るがね。
 
 秋都葉尓《アキツバニ》 々寶敝流衣《ニホヘルコロモ》 吾者不v服《ワレハキジ》
 於v君奉者《キミニマツラバ》 夜毛著金《ヨルモキルガネ》
 
【譯】秋の木の葉のような美しい衣裳を、わたしは著ません。君にさしあげたら、夜も著るでしよう。
【釋】秋都葉尓 アキツバニ。湯原の王の歌に「秋津羽之《アキツバノ》 袖振妹乎《ソデフルイモヲ》」(卷三、三七六)とある。そのアキツバはトンボの羽のような薄絹のことであるが、ここは秋の黄葉のようなという義であつて、それとは別である。ここには、譬喩としてニホヘルを修飾している。
 々寶敝流衣 ニホヘルコロモ。色の美しい衣服。
【評語】衣服を贈ることによつて、眞情を示している。男女の衣服の共通して使用されている時代の作品である。
 
問答
 
2305 旅にすら 紐解くものを、
 事しげみ 丸《まろ》寐ぞわがする。
(333) 長きこの夜を。
 
 旅尚《タビニスラ》 襟解物乎《ヒモトクモノヲ》
 事繁三《コトシゲミ》 丸宿吾爲《マロネゾワガスル》
 長此夜《ナガキコノヨヲ》
 
【譯】旅にでも著物の紐を解いて寐るものを、事が多いので、わたしは著たままで寐ることだ。長いこの夜を。
【釋】襟解物乎 ヒモトクモノヲ。襟は、上衣の襟に紐をつけて結んだので、ヒモに使用している。
 事繁三 コトシゲミ。コトは、事件であろう。事のいそがしさに。役所などでの場合が想像される。
 丸宿吾爲 マロネゾワガスル。マロネは、著物を解かないで、そのままに寐ること。「紐不v解《ヒモトカズ》 丸寐乎爲者《マロネヲスレバ》」(卷九、一七八七)。
【評語】旅でもないのに、紐を解かないで寐ていることを、女に報じただけの歌である。報告的な歌で、秋の長夜に丸寐をする情趣に缺けている。
 
2306 時雨ふる 曉月夜《あかときづくよ》、
 紐解かず 戀ふらむ君と
 居《を》らましものを。
 
 四具禮零《シグレフル》 曉月夜《アカトキヅクヨ》
 ?不v解《ヒモトカズ》 戀君跡《コフラムキミト》
 居益物《ヲラマシモノヲ》
 
【譯】時雨の降る明け方の月夜に、紐を解かないで戀しているでしようあなたと、一緒におりましたろうものを。
【釋】四具禮零曉月夜 シグレフルアカトキヅクヨ。時雨のおりおりうち過ぎる曉の月夜である。
 ?不解戀君跡 ヒモトカズコフラムキミト。前の歌の、丸寐をしているという人をさす。
【評語】前の歌に答えた女の歌だが、初二句の景境の敍述に風情があり、漠然と長キコノ夜と言つたのにまさつている。
 
(334)2307 もみち葉に 置く白露の、
 色葉にも 出でじと念《おも》へば
 ことの繁けく。
 
 於2黄葉1《モミチバニ》 置白露之《オクシラツユノ》
 色葉二毛《イロハニモ》 不v出跡念者《イデジトオモヘバ》
 事之繁家口《コトノシゲケク》
 
【譯】黄葉に置く白露のように、色にも出すまいと思つていると、人の言がうるさいことだ。
【釋】於黄葉置白露之 モミチバニオクシラツユノ。以上譬喩として、次の色葉ニモ出デジを引き起している。
 色葉二毛 イロハニモ。
  イロハニモ(元)
  ニホヒニモ(考)
  ――――――――――
  色二葉毛《イロニハモ》(略、宣長)
 色葉は、文字通り色づいた葉であろう。イロハという語の存在は「吾衣《ワガコロモ》 色服染《イロギヌニシメム》」(卷七、一〇九四)のイロギヌの語の存在によつて類推される。黄葉に置いた白露が、色づいた葉の色にあらわれまいとする意に歌つている。
【評語】女に戀している男の、遠慮がちに過している心が歌われている。譬喩はやや複雜だが、表現はなめらかでなく、不十分である。
 
2308 雨|零《ふ》れば 激《たぎ》つ山川 石《いは》に觸《ふ》れ、
 君が摧《くだ》かむ 情《こころ》は持たじ。
 
 雨零者《アメフレバ》 瀧都山川《タギツヤマガハ》 於v石觸《イハニフレ》
 君之摧《キミガクダカム》 情者不v持《ココロハモタジ》
 
【譯】雨が降るとはげしく流れる山川の水が、石に觸れて碎けるような、あなたが千々に思いくだくべき心を、わたくしは持つておりません。
(335)【釋】瀧都山川 タギツヤマガハ。タギツは、動詞。
 於石觸 イハニフレ。以上三句、序詞。譬喩によつて、次の摧カムを引き起している。
 君之摧 キミガクダカム。クダカムは、心の千々に思い碎けるをいう。連體句。
 情者不持 ココロハモタジ。ココロは、作者の心で、君に憂悶《ゆうもん》し心痛させるような心は持たないである。
【評語】贈られた歌に對して、全く別事によつて答を成している。譬喩は巧みだが、この譬喩を使いたくて歌つたような感じの歌である。
 
右一首、不v類2秋歌1而以v和載v之也。
 
右の一首は、秋の歌に類《に》ざれども和なるをもちて載せたり。
 
【釋】不類秋歌 アキノウタニニザレドモ。前の歌が、秋の歌でないのに、秋の相聞のうちに載せていることについて、後人の不審を恐れて説明している。
 
譬喩歌
 
2309 祝部等《はふりら》が 齋《いは》ふ社の もみち葉も
 標繩《しめなは》越えて 散るといふものを。
 
 祝部等之《ハフリラガ》 齋經社之《イハフヤシロノ・イツカフモリノ》 黄葉毛《モミヂバモ》
 標繩越而《シメナハコエテ》 落云物乎《チルトイフモノヲ》
 
【譯】神職たちがお仕えする神社の黄葉も、標繩を越えて散るということです。
【釋】祝部等之 ハフリラガ。祝は、祭を行う人。日本書紀にハフリと訓している。「神主祝部等《カムヌシハフリラ》、共稱唯《トモニヲヲトマヲス》」(延喜式卷八)。ハフリは、不淨汚穢を拂いやる人の義であろう。
(336) 齋經社之 イハフヤシロノ。イハフは、齋戒して不淨を拂うをいう。經の字を添えたのによればイツカフモリノか。
 標繩越而 シメナハコエテ。シメナハは、侵入を禁止する意に張る繩をいう、これによつて神の占有を表示する。
【評語】黄葉が、祝部の張つた標繩を越えることを敍して、守つている女子に思いを寄せていることを表示し、番人を無視して進行すべきことを歌つている。巧みな譬喩で、思い入つた有様は窺われる。
 
旋頭歌
 
2310 蟋蟀《こほろぎ》の わが床《とこ》の隔《へ》に
 鳴きつつもとな。
 起《お》き居つつ 君に戀ふるに
 寐《い》ねがてなくに。
 
 蟋蟀之《コホロギノ》 吾床隔尓《ワガトコノヘニ》
 鳴乍本名《ナキツツモトナ》
 起居管《オキヰツツ》 君尓戀尓《キミニコフルニ》
 宿不v勝尓《イネガテナクニ》
 
【譯】コオロギが、わたくしの床の敷物に鳴いていてしようがありません。起きていてあなたに戀うので、眠ることができません。
【釋】吾床隔尓 ワガトコノヘニ。トコノヘは、床のへだてで、圍いである。「多麻古須氣《タマコスゲ》 可利己和我西古《カリコワガセコ》 等許乃敝太思爾《トコノヘダシニ》」(卷十四、三四四五)の床ノヘダテの意である。
 宿不勝尓 イネガテナクニ。ガテが、可能の意の助詞であることが、よく知られる例である。
【評語】秋夜孤閨の情がよく描かれている。殊に旋頭歌の形體の特色を發揮して、前三句でコオロギを敍し、(337)轉じて後三句で自分を説明している表現は、巧みといえる。
 
2311 はだすすき 穗には咲き出でぬ
 戀をわがする。
 玉かぎる ただ一目《ひとめ》のみ
 見し人ゆゑに。
 
 皮爲酢寸《ハダススキ》 穗庭開不v出《ホニハサキイデヌ》
 戀乎吾爲《コヒヲワガスル》
 玉蜻《タマカギル》 直一目耳《タダヒトメノミ》
 視之人故尓《ミシヒトユヱニ》
 
【譯】穗をはらんでいるススキのように、穗には咲き出ない戀をわたしがすることだ。玉の光のようにただ一目だけ見た人のゆえに。
【釋】皮爲酢寸穗庭開不出 ハダススキホニハサキイデヌ。以上二句、譬喩で、表面にあらわれないことを言つている。
 戀乎吾爲 コヒヲワガスル。ゾの係が無くて、スルと連體形に留める例は、「比登都麻古呂乎《ヒトツマコロヲ》 伊吉爾和我須流《イキニワガスル》」(卷十四、三五三九)の如きがある。
 玉蜻 タマカギル。枕詞。玉の光を放つ意であるが、「珠蜻《タマカギル》 髣髴谷裳《ホノカニダニモ》」(卷二、二一〇)、「玉蜻?《タマカギル》 髣髴所v見而《ホノカニミエテ》」(卷八、一五二六)、「玉垣入《タマカギル》 風所v見《ホノカニミエテ》」(卷十一、二三九四)、「玉蜻《タマカギル》 髣髴所v見而《ホノカニミエテ》」(卷十二、三〇八五)など、多くホノカに冠しているによれば、ただ一目見たことが、ほのかに見た意として、玉カギルに接しているのだろう。
【評語】譬喩と枕詞とによつて歌を成している。内容が平凡なだけに、その表現技巧が重視されるのだが、その技巧は、この歌では、何等の感激も無いものであり、もしくは慣用的なものであつて、それを使用しただけの效果に乏しい。
 
(338)冬雜歌
 
2312 わが袖に 霰たばしる。
 卷き隱し 消《け》たずもあらむ。
 妹が見むため。
 
 我袖尓《ワガソデニ》 雹手走《アラレタバシル》
 卷隱《マキガクシ》 不v消有《ケタズモアラム》
 妹爲v見《イモガミムタメ》
 
【釋】冬雜歌 フユノザフカ。初めに人麻呂集所出の無題の歌四首を載せ、次に詠雪以下詠物の歌十七首を載せている。
 
【譯】わたしの袖にあられが走つている。卷いて隠して消さずにも置こう。妻が見るために。
【釋】雹手走 アラレタバシル。雹は、空中で凍つて降るものをいい、國語ではやはりアラレである。句切。
 卷隱 マキガクシ。袖で卷いて隱して。
 不消有 ケタズモアラム。ケタズテアラム(代精)、ケタズモアラム(略)。消さずしてもありたい意を表示するには、ケタズモアラムの方が適している。句切。
【評語】袖に散る玉霰を、卷き隱して消えないようにして妻に見せたいという、子どもらしい心がかえつて情景をゆたかな氣分に導いている。純情の愛すべき歌である。
 
2313 あしひきの 山かも高き。
 卷向《まきむく》の 岸の子松に み雪降りけり。
 
 足曳之《アシヒキノ》 山鴨高《ヤマカモタカキ》
 卷向之《マキムクノ》 木志乃子松二《キシノコマツニ》 三雪落來《ミユキフリクル》
 
【譯】山が高いのだろうか。卷向のがけの子松に雪が降つたなあ。
(339)【釋】木志乃子松二 キシノコマツニ。キシは、山の斷崖をいう。コマツは、松の愛稱。
【評語】山中の子松に、雪の降りかかつている風景が、巧みに描かれている。山高くして雪が積つているのかと疑つているのである。山カモ高キと、まず疑意を示し、その疑意の根據を下に具體的に敍している。 
 
2314 卷向《まきむく》の 檜原《ひばら》もいまだ 雲|居《ゐ》ねば、
 子松が末《うれ》ゆ 沫雪《あわゆき》流る。
 
 卷向之《マキムクノ》 檜原毛未2雲居1者《ヒバラモイマダクモヰネバ》
 子松之末由《コマツガウレユ》 沫雪流《アワユキナガル》
 
【譯】卷向の檜原山にもまだ雲がかからないのに、子松の枝先を通つて、沫雪が流れる。
【釋】檜原毛未雲居者 ヒバラモイマダクモヰネバ。ヒバラは卷向の檜原の山をいう。クモヰネバは、雲がかかつていないのに。
 子松之末由 コマツガウレユ。ウレユは、伸びた枝先を通つて。
 沫雪流 アワユキナガル。アワユキは、沫のような大形の雪。
【評語】山にはまだ雲がかからずにいて、しかも子松が末のあたり沫雪が流れている。山中の風景、よくその佳趣をつくしている。
 
2315 あしひきの 山|道《ぢ》も知らず。
 白橿《しらかし》の 枝もとををに 雪の降れれば。
 
 足引《アシヒキノ》 山道不v知《ヤマヂモシラズ》
 白杜※[木+戈]《シラカシノ》 枝母等乎々尓《エダモトヲヲニ》 雪落者《ユキノフレレバ》
 
【譯】山に行く道もわからない。白樫の枝もたわむまでに雪が降つてあるので。
【釋】白杜※[木+戈] シラカシノ。杜※[木+戈]は、船を繋ぐくいの??《しようか》をカシというので、その意をもつて樹名のカシの音に借りたのであろう。シラカシは、樫の普通種。葉は鋸齒を有し、裏面が灰白色なのでシラカシというのであ(340)ろう。
 枝母等乎々尓 エダモトヲヲニ。トヲヲニは、たわんでいる樣を敍する副詞。
【評語】山路もわかぬまでに、雪の降り埋んでいる風情が歌われている。單純でしかもよく情趣をつくしている。二句と三句とはウラの音を重ねている。參考の欄に擧げた枕の草子にいう人まろがよみたる歌というのはこの歌のことかも知れないが、そのよりどころを知りがたい。
【參考】傳説。
  しらかしといふもの、ましてみ山木の中にもいとけ遠くて、三位二位のうへのきぬ染むるをりばかりぞ、葉をだに人の見るめる。めでたきこと、をかしきことにとりいづべくもあらねど、いつとなく雪のふりたるに見まがへられて、すさのをの命の出雲の國におはしける御事を思ひて、人まろがよみたる歌などを見る、いみじうあはれなり。(枕の草子、木は)
 
或云、枝毛多和々々《エダモタワタワ》
 
或るは云ふ、枝もたわたわ。
 
【釋】枝毛多和多和 エダモタワタワ。第四句の別傳だが、このままでは調子がわるく五句に續かない。枝モタワワニか、枝モタワタワニかであろう。元暦校本には、或云以下の八字が無いが、類聚古集にはあるので、(341)否定も出來ない。もし認めるとすれば、左註の或る本に三方の沙彌の作という、その方の傳來なのだろう。
 
右、柿本朝臣人麻呂之歌集出也。但件一首、或本云、三方沙弥作
 
右は柿本の朝臣人麻呂の歌集に出づ。但し件の一首は、或る本に云ふ、三方沙弥の作れる。
 
【釋】件一首 クダリノヒトツは。最後の、「あしひきの山道も知らず」の一首をさす。
 三方沙弥 ミカタノサミ。三方の沙弥は、卷の二、一二三參照。才物であり、古歌を吟誦したのを、その人の作とも傳えたのだろう。
 
詠v雪
 
2316 奈良山の 峯なほ霧らふ。
 うべしこそ
 間垣《まがき》が下《した》の 雪は消《け》ずけれ。
 
 奈良山乃《ナラヤマノ》 峯尚霧合《ミネナホキラフ》
 宇倍志社《ウベシコソ》
 前垣之下乃《マガキガシタノ》 雪者不v消家禮《ユキハケズケレ》
 
【譯】奈良山の峯はまだくもつている。前垣のもとの雪が消えないであるのは、もつともだ。
【釋】峯尚霧合 ミネナホキラフ。キラフは、霧が続いてかかつているをいう。曇つているのである。句切。
 宇倍志社 ウベシコソ。シは強意の助詞。うべない首肯する意の副詞。
 前垣之下乃 マガキガシタノ。前垣は、意をもつて書いているが、マガキの語義は、マは接頭語であろう。
【評語】山の霧のまだ殘つているのを見て、庭前の雪の消えないでいるのを首肯した、冬日の即事で、その情景をよく描き出している。奈良山を望み見る處に住んでいる人の作で、多分奈良の京の人であろう。
 
(342)2317 こと降らば
 袖さへぬれて とほるべく
 降りなむ雪の、空に消《け》につつ。
 
 殊落者《コトフラバ》
 袖副沾所《ソデサヘヌレテ》 可v通《トホルベク》
 將v落雪之《フリナムユキノ》 空尓消二管《ソラニケニツツ》
 
【譯】殊に降るなら、袖さえも濡れて通るように降るだろう雪が、空で消えてしまつて。
【釋】殊落者 コトフラバ。コトは、殊の字を書いているように、特に、殊更にの意に、他の動詞に冠する。この句、四句の降リナムまでに懸かつている。「殊放者《コトサケバ》 奧從酒嘗《オキユサケナム》」(卷七、一四〇二)。
【評語】何ほども降らない雪を歌つている。雪の大いに降ることを望んでいるところ、大宮人ふうの思想である。
 
2318 夜を寒み、
 朝戸を開き 出で見れば、
 庭もはだらに み雪降りたり。
 
 夜乎寒三《ヨヲサムミ》
 朝戸乎開《アサトヲヒラキ》 出見者《イデミレバ》
 庭毛薄太良尓《ニハモハダラニ》 三雪落有《ミユキフリタリ》
 
【譯】夜が寒くして、朝の戸をあけて出て見ると、庭もうつすらと雪が降つてある。
【釋】庭毛薄太良尓ニハモハダラニ。ニハは、屋前をいう。ハダラは、ハダレに同じ。うすく降つてある様をいう。「薄太禮爾零登《ハダレニフルト》」(卷八、一四二〇)參照。
【評語】寒かつた一夜の明けた早朝の情景が、よく描き出されている。平淡に事を敍しているだけで、しかも上品に詠み成されている。
 
(343)一云、庭裳保杼呂尓《ニハモホドロニ》 雪曾零而有《ユキゾフリタル》
 
一は云ふ、庭もほどろに 雪ぞ零りたる。
 
【釋】庭裳保杼呂尓雪曾零而有 ニハモホドロニユキゾフリタル。四五句の別傳である。しかしこれによつてホドロが、ハダラと同じ意味の語であるともいえない。ホドロニは、相當に、かなりにの意であろう。「沫雪《アワユキ》 保杼呂保杼呂尓《ホドロホドロニ》 零敷者《フリシケバ》」(卷八、一六三九)。
 
2319 夕されば 衣手寒し。
 高松の 山の木毎に 雪ぞ零りたる。
 
 暮去者《ユフサレバ》 衣袖寒之《コロモデサムシ》
 高松之《タカマツノ》 山木毎《ヤマノキゴトニ》 雪曾零有《ユキゾフリタル》
 
【譯】夕方になると、著物が寒い。高松の山の木には、どれも雪が降つている。
【釋】衣袖寒之 コロモデサムシ。衣袖は、衣服の意に使用している。句切。
【評語】平明な内容で、いやみのない歌である。山の木ごとにと言つたのが、平凡で、しかもよくその景を描いている。
 
2320 わが袖に 零りつる雪も 流れ去《ゆ》きて、
 妹が手本に い行き觸れぬか。
 
 吾袖尓《ワガソデニ》 零鶴雪毛《フリツルユキモ》 流去而《ナガレユキテ》
 妹之手本《イモガタモトニ》 伊行觸粳《イユキフレヌカ》
 
【譯】わたしの袖に降つた雪も、流れて行つて、妻の腕に行つて觸れないかなあ。
【釋】伊行觸粳 イユキフレヌカ。イは接頭語。ヌカは、願望の語法。
【評語】雪中を行く男が、せめて雪でも妻のもとに通えかしという氣もちを詠んでいる。袖に散る雪に、遙か(344)な思いを寄せたのが、冬の歌だけに、一層いたましい。妹が手本を戀しく思う心が、身に迫つてこの歌となつたのである。
 
2321 沫雪は 今日はな零《ふ》りそ。
 白細《しろたへ》の 袖まきほさむ
 人もあらなくに。
 
 沫雪者《アワユキハ》 今日者莫零《ケフハナフリソ》
 白妙之《シロタヘノ》 袖纏將v干《ソデマキホサム》
 人毛不v有君《ヒトモアラナクニ》
 
【譯】沫雪は、今日は降るな。白い著物の袖を身に卷いてほしてくれる人もいないのだ。
【釋】白妙之 シロタヘノ。白い織物の。
 袖纏將干 ソデマキホサム。袖を身に卷いてほすべき。共に寐て體熱で濡れた袖をかわかす意。連體句。
【評語】旅にあつて雪に逢つた男の歌。雪に濡れたとて、ほす人も無いわびしさが歌われている。白細ノは、事實染色しない衣服を著ているので、描寫になつている。
 
2322 はなはだも 零《ふ》らぬ雪ゆゑ、
 こちたくも
 天《あま》つみ空は 陰《くも》りあひつつ。
 
 甚多毛《ハナハダモ》 不v零雪故《フラヌユキユヱ》
 言多毛《コチタクモ》
 天三空者《アマツミソラハ》 陰相管《クモリアヒツツ》
 
【譯】澤山にも降らない雪だのに、非常にも大空は、くもり切つている。
【釋】不零雪故 フラヌユキユヱ。降らない雪ゆえに。ユヱは、それであるのにの意を成している。
 言多毛 コチタクモ。事痛くもで、はなはだしく、非常にも。
【評語】たいして降らない雪だのに、大げさに空がくもつている。ありがちな景をとらえてよく歌いこなして(345)いる。天ツミ空というような、大がかりな言いかたも、よく響いて效果的である。
 
2323 わが夫子を 今か今かと 出で見れば、
 沫雪ふれり。
 庭もほどろに。
 
 吾背子乎《ワガセコヲ》 且今々々《イマカイマカト》 出見者《イデミレバ》
 沫雪零有《アワユキフレリ》
 庭毛保杼呂尓《ニハモホドロニ》
 
【譯】あの方を、今來るか來るかと出て見ると、沫雪がふつている。庭もほどあいに。
【釋】且今々々 イマカイマカト。且は、一方ではの意に使い、これを重ねてうながす意味をあらわしている。
 庭毛保杼呂尓 ニハモホドロニ。ホドロは、二三一八の一云にある句。
【評語】人の來るのを待つて、屋前に出て見れば、いつしか薄雪の降つているのを見る。人は來ないでの意を表に出さずに、庭モホドロニと歌い切つたのが、含みがあつてよい。
 
2324 あしひきの 山に白きは、
 わが屋戸《やど》に 昨日の暮《ゆふべ》 ふりし雪かも。
 
 足引《アシヒキノ》 山尓白者《ヤマニシロキハ》
 我屋戸尓《ワガヤドニ》 昨日暮《キノフノユフベ》 零之雪疑意《フリシユキカモ》
 
【譯】山に白く見えるのは、わたしの宿に、昨日の夜降つた雪だろうか。
【評語】朝起きて山を眺めると、處々に白く輝いている雪が見える。さては昨晩降つた雪が、山にも降り積つたのだなという歌で、冬の朝、山を眺めた心が、自然な形で歌われている。アシヒキノの枕詞は、山脈のように引いている山の姿を描くのに役立つている。
 
詠v花
 
(346)【釋】詠花 ハナヲヨメル。梅花の歌五首を收めている。その中には、初花を詠み、また雪を配しているものもあるが、そうでないものもある。梅花は、春の部にも收めており、まだその季節感が動搖していたことを語つている。
 
2325 誰《た》が苑の 梅の花ぞも。
 ひさかたの 清き月夜《つくよ》に
 ここだ散りくる。
 
 誰苑之《タガソノノ》 梅花毛《ウメノハナゾモ》
 久堅之《ヒサカタノ》 清月夜尓《キヨキツクヨニ》
 幾許散來《ココダチリクル》
 
【譯】誰の家の園の梅の花だろう。空の清らかな月夜に澤山散つてくる。
【釋】梅花毛 ウメノハナゾモ。ムメノハナカモ(元)。助詞ゾを讀み添えている。「秋夜之《アキノヨノ》 月疑意君者《ツキカモキミハ》 雲隱《クモガクリ》 須臾不v見者《シマシクミネバ》 幾許戀敷《ココダコホシキ》」(卷十、二二九九)によれば、ウメノハナカモでもよい。
 久堅之 ヒサカタノ。枕詞。轉用して月に冠している。
【評語】清き月夜に、何處からとも知らず、梅花の散りくるを詠んでいる。氣昧をもつてまさつている歌である。
 
2326 梅の花 まづ咲く枝を 手折《たを》りては、
 裹《つと》と名づけて よそへてむかも。
 
 梅花《ウメノハナ》 先開枝乎《マヅサクエダヲ》 手折而者《タヲリテハ》
 裹常名付而《ツトトナヅケテ》 與副手六香聞《ヨソヘテムカモ》
 
【譯】梅の花のまず咲く枝を手折つては、みやげ物と名づけて思いを寄せるだろうかなあ。
【釋】裹常名付而 ツトトナヅケテ。ツトは包物。贈物と稱して。
 與副手六香聞 ヨソヘテムカモ。ヨソヘは、思いを寄せる、心を寄せる。相手がその梅に、思いを寄せるだ(347)ろうか。自分からの贈物として、その梅に愛情を寄せるだろうか。「沫雪爾《アワユキニ》 所v落開有《フラエテサケル》 梅花《ウメノハナ》 君之許遣者《キミガリヤラバ》 與曾倍弖牟可聞《ヨソヘテムカモ》」(卷八、一六四一)。
【評語】人に梅花を贈つた場合を豫想して詠んでいる。贈ろうとしているのである。そのまず咲く花を愛して風流とした氣もちが窺われる。
 
2327 誰《た》が苑の 梅にかありけむ。
 ここだくも 咲きてあるかも。
 見が欲《ほ》しまでに。
 
 誰苑之《タガソノノ》 梅尓可有家武《ウメニカアリケム》
 幾許毛《ココダクモ》 開有可毛《サキテアルカモ》
 見我欲左右手二《ミガホシマデニ》
 
【譯】誰の家の園の梅だつたのだろうか。非常によく咲いてあることだ。見たく思うまでに。
【釋】梅尓可有家武 ウメニカアリケム。折り取つて來た梅なので、アリケムと言つている。宣長は、家は良の誤りだろうとしているが、アルラムでは、下と適合しない。句切。
 見我欲左石手二 ミガホシマデニ。ミテワガオモフマデニ(西)、ミガホルマデニ(考)、ミガホシキマデニ(新考)。ミガホシは、「眞珠乃《シラタマノ》 見我保之御面《ミガホシミオモワ》」(卷十九、四一六九)、「白玉之《シラタマノ》 見我保之君乎《ミガホシキミヲ》」(同、四一七〇)など、ミガホシの形で連體形を取つているから、ここもミガホシマデニであろう。この語は、見むことの望ましい意であるが、現に見ていてなおも見たく思う意にも使つている。「山見者《ヤマミレバ》 山裳見貌石《ヤマモミガホシ》」(卷六、一〇四七)の如き、その用例である。
【評語】何處からともなく散りくる梅を詠んだか、もしくは折り取つてきた梅花を詠んでいるのであろう。誰ガ苑ノ梅ニカアリケムと疑つているだけで、特殊の描寫の無いのは、あきたらない點である。
 
(348)2328 來て見べき 人もあらなくに、
 吾家《わぎへ》なる 梅の早花《はつはな》、散りぬともよし。
 
 來可v視《キテミベキ》 人毛不v有尓《ヒトモアラナクニ》
 吾家有《ワギヘナル》 梅之早花《ウメノハツハナ》 落十方吉《チリヌトモヨシ》
 
【譯】來て見るような人も無いことだ。わたしの家の梅の初花は、散つてもよい。
【釋】梅之早花 ウメノハツハナ。ウメノワサハナ(全釋)。ハツハナは、始めて咲く花で、意をもつて早花と書いている。ワサハナとも讀んでいるが、花についてワサハナというかどうかおぼつかない。
 落十方吉 チリヌトモヨシ。梅の歌については、この句は歌いものからきているようである。「散去十方吉《チリヌトモヨシ》」(卷六、一〇一一)參照。
【評語】ひとりさびしく梅の初花に對している。散リヌトモヨシというのは、消極的な表現だが、梅の花の歌としては、十分にその任を果しての意になつている。梅花に對する愛情は、これでよく出ているのである。
 
2329 雪寒み 咲きには咲かず。
 梅の花、
 よしこの頃は しかもあるがね。
 
 雪寒三《ユキサムミ》 咲者不v開《サキニハサカズ》
 梅花《ウメノハナ》
 縱比來者《ヨシコノゴロハ》 然而毛有金《シカモアルガネ》
 
【譯】雪が寒いので咲くには咲かないで、梅の花は、よしこの頃は、こんな風にもあるがよい。
【釋】然而毛有金 シカモアルガネ。シカモアルカナ(元)、シカモアルカネ(神)、サテモアルカネ(西)、カクテモアルカネ(總索引)。サテモは、集中用例が無く、上を承ける語は、シカである。ここは然而の二字をシカに當てているのだろう。アルガネは、そうあることを豫想し希望する語法。
【評語】梅花をいとおしむ心が歌われている。風情は乏しいが、やさしい氣もちは窺われる。
 
(349)詠v露
 
2330 妹がため 上枝《ほつえ》の梅を 手折るとは、
 下枝《しつえ》の露に ぬれにけるかも。
 
 爲v妹《イモガタメ》 末枝梅乎《ホツエノウメヲ》 手折登波《タヲルトハ》
 下枝之露尓《シツエノツユニ》 沾家類可聞《ヌレニケルカモ》
 
【譯】わが妻のために、上の枝の梅を手折るとしては、下の枝の露に濡れたことだなあ。
【釋】手折登波 タヲルトハ。このハは、手折るとしてはの意で、ほかではない、手折ることのためにはの意である。
【評語】ホツ枝ノ梅と、下枝ノ露とを、對照して歌つている。描寫もあつて生き生きとしている。冬季に露を詠んだのも、實地から來ていることで、季節感がまだ固定していない。
 
詠2黄葉1
 
【釋】詠黄葉 モミチヲヨメル。黄葉は、既に秋の季節の観念が成立しているが、ここは雪に配しているので、冬に收めている。
 
2331 八田《やた》の野の 淺茅色づく。
 有乳《あらち》山、
 峯の沫雪 寒く零《ふ》るらし。
 
 八田乃野之《ヤタノノノ》 淺茅色付《アサヂイロヅク》
 有乳山《アラチヤマ》
 峯之沫雪《ミネノアワユキ》 寒零良之《サムクフルラシ》
 
(350)【譯】八田の野の淺茅が色づいた。有乳山の峰の沫雪は、寒く降るらしい。
【釋】八田乃野之 ヤタノノノ。ヤタは、奈良縣大和郡山市の西に矢田の名がある。
 有乳山 アラチヤマ。滋賀縣高島郡から福井縣へ越える山で、北國越えの要路であり、當時|愛發《あらち》の關が置かれた。
【評語】大和にいる人が、その野の淺茅の色づくのを見て、寒い北國の空を旅している人を思いやつて詠んでいる。「わが屋戸の淺茅色づく。吉隱《よなばり》の夏身の上に時雨降るらし」(卷十、二二〇七)などと、類型的であるが、内容は、一層の深みがある。冬の歌ともいわれないが、沫雪の語があるので、ここに收めたのだろう。
 
詠v月
 
2332 さ夜|深《ふ》けば、出で來《こ》む月を、
 高山の 峯の白雲、隱しなむかも。
 
 左夜深者《サヨフケバ》 出來牟月乎《イデコムツキヲ》
 高山之《タカヤマノ》 峯白雲《ミネノシラクモ》 將v隱鴨《カクシナムカモ》
 
【譯】夜が更けたら出るだろう月を、高山の峰の白雲が隱すだろうかなあ。
【釋】將隱鴨 カクシナムカモ。カクシテムカモ(元)、カクスラムカモ(童)、カクシナムカモ(考)。初句を未然條件法に讀むとすれば、隱スラムカモでは、主として現在にいう推量であるからうち合わない。
【評語】月の出でようとする山のはに白雲の懸かつているのを詠んでいる。冬の歌とは限らない。清雅な作品である。
 
冬相聞
 
(351)【釋】冬相聞 フユノサウモニ。初めに人麿集所出の無題の歌二首を載せ、次に、寄露以下寄物の歌十六首を載せている。
 
2333 零《ふ》るる雪の 空に消ぬべく 戀ふれども、
 逢ふよしを無み、月ぞ經にける。
 
 零雪《フルユキノ》 虚空可v消《ソラニケヌベク》 雖v戀《コフレドモ》
 相依無《アフヨシヲナミ》 月經在《ツキゾヘニケル》
 
【譯】降る雪が空で消えるように、今にも消えそうに戀うけれども、逢う手段が無くて月を經過した。
【釋】零雪虚空可消 フルユキノソラニケヌベク。以上、譬喩。今にも死にそうに思うのをたとえている。
 相依無 アフヨシヲナミ。アフヨシモナク(古義)。アフヨシヲナミは慣用句だから、その訓によるべきであろう。
【評語】調子のよい歌だが、それだけに特殊の點の無い歌だ。雪のふる頃、旅の空でひとり嘆いている。そういうふうの趣が、さすがに窺われる。
 
2334 沫雪は 千重に零《ふ》り敷け。
 戀ひしくの け長き我は、
 見つつ偲《しの》はむ。
 
 阿和雪《アワユキハ》 千重零敷《チヘニフリシケ》
 戀爲來《コヒシクノ》 食永我《ケナガキワレハ》
 見偲《ミツツシノハム》
 
【譯】沫雪は、千重にも降りつもれ。戀をしたことが時久しいわたしは、それを見ながら心を慰めよう。
【釋】阿和雪 アワユキハ。阿和雪は、この語の假字書きの例として注意される。
 千重零敷 チヘニフリシケ。千重に降りかさなれ。命令形。
 戀爲來 コヒシクノ。コヒシクは、戀いしたことで、シは時の助動詞。クはコトの意の助詞。形容詞コヒシ(352)の活用ではない。形容詞の活用形シクでは、名詞の用法が無い。「戀敷者《コヒシクハ》」(卷十、二〇一七)參照。
 食永我 ケナガキワレハ。ケナガキは、時の經過の長い。久しい。
 見偲 ミツツシノハム。その雪を見て、心を慰めよう。シノフは、心に愛賞する意に使つている。雪に依つて久しい戀に疲れた心を紛らそうの意。
【評語】雪を愛賞することによつて、積る思いを慰めようとした心はあわれである。初二句には、思い切つた云い方が感じられる。また三四句の表現は、集中でも古風なあらわし方なのだろう。それらをとりまとめて、さすがに古風な味の歌である。次の類歌は、大原の今城《いまき》がこれを歌いかえたものである。
【參考】類歌。
  初雪は千重に降り重《し》け。戀ひしくの多かる吾は見つつしのはむ(卷二十、四四七五)
 
右、柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
寄v露
 
2335 咲き出《で》照る 梅の下枝《しつえ》に 置く露の
 消《け》ぬべく妹に 戀ふるこのごろ。
 
 咲出照《サキデテル》 梅之下枝尓《ウメノシツエニ》  置露之《オクツユノ》
 可v消於v妹《ケヌベクイモニ》 戀頃者《コフルコノゴロ》
 
【譯】咲き出して美しい梅の下に置く露のように、消えそうにも妻に戀うこの頃だ。
【釋】咲出照 サキデテル。咲き出て美しく照り輝いている。
 置露之 オクツユノ。以上三句、序詞。消ヌベクを引き起している。
(353)【評語】露を序として消ヌベクを引き出したのは類型的だが、ただその露の説明に特色があり、その露の置く場處を明細に敍述したのがよい。
 
寄v霜
 
2336 はなはだも 夜|更《ふ》けてな行き。
 道の邊《べ》の ゆ小竹《ざさ》が上に
 霜の降る夜を。
 
 甚毛《ハナハダモ》 夜深勿行《ヨフケテナユキ》
 道邊之《ミチノベノ》 湯小竹之於尓《ユザサガウヘニ》 霜降夜焉《シモノフルヨヲ》
 
【譯】非常に夜が深けておいでなさいますな。道の邊の小竹の上に霜の降る夜ですのを。
【釋】甚毛 ハナハダモ。夜深ケテを修飾している。
 湯小竹之於尓 ユザサガウヘニ。ユは、ユニハ(齋庭)、ユダネ(齋種)などのユに同じく、神聖、清淨を意味する接頭語。ユザサは、神事に小竹を使うことから出て、清らかな小竹の意である。
 霜降夜焉 シモノフルヨヲ。ヲは、感動の意で、ヨに同じだが、それだのにの意を含むものと見られる。
【評語】男の歸ろうとするのを止めている歌で、内容は平凡だが、初二句が深切であり、三句以下の寒夜の敍述も、さつぱりしてよく利いている。
 
寄v雪
 
2337 小竹《ささ》の葉に はだれ零《ふ》り覆《おほ》ひ、
(354) 消《け》なばかも 忘れむといへば、
 益して念《おも》ほゆ。
 
 小竹葉尓《ササノハニ》薄太禮零覆《ハダレフリオホヒ》
 消名羽鴨《ケナバカモ》 將v忘云者《ワスレムトイヘバ》
 益所v念《マシテオモホユ》
 
【譯】小竹の葉に薄雪が降り覆つて、その消えるように死にもしたらば忘れようかと、あなたがいうので、一層思われる。
【釋】小竹葉尓薄太禮零覆 ササノハニハダレフリオホヒ。以上序詞。消ナバを引き起している。ハダレは既出。ここはうすい雪。
 消名羽鴨 ケナバカモ。カモは疑問の係助詞。忘レムが、これを受けて結んでいる。
 將忘云者 ワスレムトイヘバ。トは、初句から忘レムまでを受けているが、初二句は序詞だから、主旨は、消ナバカモ忘レムである。消えたなら忘れもしよう。死んだら始めて忘れるだろうの意。それを人が云うので。
 益所念 マシテオモホユ。これは作者自身の心である。
【評語】美しい序詞を使い、複雑な内容を巧みに云いこなしている。先方の言を歌い入れたところがねらいである。
 
2338 霰ふり さかへ風吹き 寒き夜や、
 旗野に今夜《こよひ》 わがひとり寐む。
 
 霰落《アラレフリ》 坂敢風吹《サカヘカゼフキ》 寒夜也《サムキヨヤ》
 旗野尓今夜《ハタノニコヨヒ》 吾獨寐牟《ワガヒトリネム》
 
【譯】霰が降り、向かい風が吹いて、寒い晩をか、旗野で今夜、ひとりわたしが寐るのだろう。
【釋】坂敢風吹 サカヘカゼフキ。
  イタマカゼフキ(神)
  ――――――――――
  板敢風吹《イタマカゼフキ》(類)
(355)  板敢風吹《イタクカゼフキ》(代初)
  板玖風吹《イタクカゼフキ》(考)
  板聞風吹《イタモカゼフキ》(古義)
 坂は、諸本多く板であり、細井本には枝であるが、板敢では訓をなしかねるので、今神田本によつた。敢は「瀧情乎《タギツココロヲ》 塞敢而有鴨《セキアヘテアルカモ》」(卷七、一三八三)のように使用され、ハ行下二段動詞の連用形を表示している。サカヘの語は、日本書紀卷の二十一用明天皇の卷に、三輪君《みわのきみ》逆の逆に、北野神社本にサカヘの訓があるのは、逆らう意のハ行下二段動詞のあつたことを證明する。サカヘカゼは、逆風で、向かい風である。
 寒夜也 サムキヨヤ。ヤは、疑問の係助詞であるが、寒い夜を疑つていうのではなく、この夜にしてやの意である。也の字を使つているのは、おおむねこの類の用法である。
 旗野尓今夜 ハタノニコヨヒ。ハタノは、奈良縣高市郡高市村畑の野であろう。ハタは、それにしても又の意の副詞とも解される。「爲當也今夜毛《ハタヤコヨヒモ》 我獵宿牟《ワガヒトリネム》」(卷一、七四)。
【評語】旗野に旅やどりしようとする旅人が、寒夜の寂寥を歎いた歌である。何處の野でもよく、特に旗野を出しただけの效果はなく、またその野の描寫もない。五句は慣用句で、結局寒夜の説明だけが特色だということになる。しかし事實は痛切な事情にあるのだから、その寒夜の敍述は、よく響いているものとすべきである。
 
2339 吉隱《よなばり》の 野木に零《ふ》りおほふ 白雪の、
 いちしろくしも 戀ひむわれかも。
 
 吉名張乃《ヨナバリノ》 野木尓零覆《ノギニフリオホフ》 白雪乃《シラユキノ》
 市白霜《イチシロクシモ》 將v戀吾鴨《コヒムワレカモ》
 
【譯】吉隱の野木に降りかぶさつている白雪のように、人にはつきり知れるように戀をするわたしだろうか。
【釋】吉名張乃 ヨナバリノ。ヨナバリは、初瀬町東方の地名。
(356) 白雪乃 シラユキノ。以上三句、序詞。イチシロクを引き起している。
 市白霜 イチシロクシモ。はつきりと、人に知られるように。「吾屋前《ワガニハノ》 秋〓子上《アキハギノウヘニ》 置露《オクツユノ》 市白霜《イチシロクシモ》 吾戀目八面《ワレコヒメヤモ》」(卷十、二二五五)。
 將戀吾鴨 コヒムワレカモ。カモは、疑問の助詞で、反語になる。人に知られるような戀はしないの意。
【評語】何の縁で、吉隱の雪を持ち出したかわからないが、かつてその地を蔽う白雪を見て知つているのでもあろう。どこの雪でもよく、かつそれが、イチシロクを引き出すだけで、あまり情趣を助けていない。役目だけの序である。
 
2340 一目見し 人に戀ふらく、
 天霧《あまぎ》らし 零《ふ》り來る雪の、
 消《け》ぬべく念ほゆ。
 
 一眼見之《ヒトメミシ》 人尓戀良久《ヒトニコフラク》
 天霧之《アマギラシ》 零來雪之《フリクルユキノ》
 可v消所v念《ケヌベクオモホユ》
 
【譯】一目見た人に戀うことは、空かきくもつて降ってくる雪のように、消え入りそうに思われる。
【釋】一眼見之人尓戀良久 ヒトメミシヒトニコフラク。この二句は、作者の事情を語り、三句以下のよりどころを示している。
 天霧之 アマギラシ。天がかき曇つて。キラシは、霧《き》らしめる意の動詞。「掻霧之《カキキラシ》 雨零夜乎《アメノフルヨヲ》」(卷九、一七五六)などの用法がある。
 零來雪之 フリクルユキノ。以上二句、插入句で、譬喩による序詞。
【評語】ひたすらに思い寄せて、命も消えそうに戀う情は、さすがに雪の譬喩を得て、あわれに述べられている。天霧ラシ降リクル雪は、大雪のようで、今にも消えそうなはかなさの譬喩には不適當の感がある。
 
(357)2341 思ひ出づる 時は術《すべ》なみ、
 豐国の 木綿《ゆふ》山雪の、
 消《け》ぬべく念ほゆ。
 
 思出《オモヒイヅル》 時者爲便無《トキハスベナミ》
 豐國之《トヨクニノ》 木綿山雪之《ユフヤマユキノ》
 可v消所v念《ケヌベクオモホユ》
 
【譯】思い出す時は、しかたがなくて、豐國の木綿山の雪のように、消え入りそうに思われる。
【釋】豐國之木綿山雪之 トヨクニノユフヤマユキノ。トヨクニノユフヤヤは、豐後の國の由布山。以上二句、插人句で、序詞。譬喩によつて消ヌベクを引き起している。
【評語】前の歌と同型で、事情や雪の説明がさし替えられているだけだ。これも何處の山の雪でもよさそうだ。
 
2342 夢《いめ》の如《ごと》 君を相見て
 天霧《あまぎ》らし 降りくる雪の、
 消《け》ぬべく念ほゆ。
 
 如夢《イメノゴト》 君乎相見而《キミヲアヒミテ》
 天霧之《アマギラシ》 落來雪之《フリクルユキノ》
 可v消所v念《ケヌベクオモホユ》
 
【譯】夢のようにあなたに逢つて、空かきくもつて降つてくる雪のように、消え入りそうに思われる。
【評語】これも同型の歌で、殊に前々首とは、三句以下全く同じだ。夢のように逢つたということが、雪の譬喩のはかないのと通ずるものがあつて、この方がよいのだろう。同一人が、種々詠み試みたものだろう。
 
2343 わが夫子が 言《こと》愛《うつく》しみ 出で行かば、
 裳引《もびき》しるけむ。
 雪な零《ふ》りそね。
 
 吾背子之《ワガセコガ》 言愛美《コトウツクシミ》 出去者《イデユカバ》
 裳引將v知《モビキシルケム》
 雪勿零《ユキナフリソネ》
 
(358)【譯】あなたの言葉が上手なので、出て行つたなら、裳を引いてあるいた跡がはつきりするでしよう。雪よ降らないでください。
【釋】言愛美 コトウツクシミ。いう言の立派なのにめでて。うまい言をいうので。
 裳引將知 モビキシルケム。モヒキモシラム(類)、モヒキシルケム(代初)。モビキは、女子が歩行に際して裳を引くこと。將知をシルケムと讀むのは、無理なようだが、次の歌に、「零雪之《フルユキノ》 市白兼名《イチシロケムナ》 間使遣者《マヅカヒヤラバ》」とあり、その一云に、「零雪爾《フルユキニ》 間使遣者《マヅカヒヤラバ》 其將v知奈《ソレシルケムナ》」とある。その「其將知奈」は、「市白兼名」に相當する句で(一首の中における句の位置は違うが)、恐らくはソレシルケムナと讀むべきもののようであるから、それに準じて、ここもシルケムと讀む。シルケは形容詞。著明である意。ムは助動詞。雪中に裳を引いて行けば、跡がよく分かるというのである。句切。
【評語】うまい口にのせられて出て行つたら、人目にかかるだろうというのである。四五句は、言語上の遊戯に走つているような歌である。宮廷に奉仕している女子の作で、一般の生活には遠くなつているようである。
 
2344 梅の花 それとも見えず 零《ふ》る雪の、
 いちしろけむな。
 間使《まづかひ》遣《や》らば。
 
 梅花《ウメノハナ》 其跡毛不v所v見《ソレトモミエズ》 零雪之《フルユキノ》
 市白兼名《イチシロケムナ》
 間使遣者《マヅカヒヤラバ》
 
【譯】梅の花が、それとも見えないまでに降る雪のように、はつきり人に知られるだろうな。使をやつたら。
【釋】其跡毛不所見 ソレトモミエズ。梅花が梅花とも見えないまでにで、降るを修飾している副詞句。
 零雪之 フルユキノ。以上三句、序詞。イチシロケムを引き起している。
 市白兼名 イチシロケムナ。形容詞イチシロケに、助動詞ム、感動の助詞ナの接續した形。いちじるくある(359)だろう。人に知られるだろうなの意。句切。
 間使遣者 マヅカヒヤラバ。マヅカヒは、兩者のあいだを通ずる使。
【評語】序詞の雪の説明に特色があるが、あたかもその季節だつたのだろう。獨語ふうの歌で、やはり序の興味で詠み出されたもののようだ。
 
一云、零雪尓《フルユキニ》 間使遣者《マヅカヒヤラバ》 其將v知奈《ソレシルケムナ》
 
一は云ふ、零る雪に 間使遣らば それしるけむな。
 
【釋】零雪尓 フルユキニ。以下前の歌の、三句以下の別傳で、本文の歌では、零ル雪ノまでが序になつて、イチシロケムを引き起しているが、これは序になつていない。從つてすなおになつているが、ソレの語が二度出るのは、耳ざわりである。
 其將知奈 ソレシルケムナ。ソレは、語勢を強くするために添える副詞。シルケムは、形容詞シルケに助動詞ムが接續している。前の歌參照。ナは、感動の助詞。
 
2345 天霧《あまぎ》らひ 零《ふ》りくる雪の、
 消《け》なめども、
 君に逢はむと ながらへ渡る。
 
 天霧相《アマギラヒ》 零來雪之《フリクルユキノ》
 消友《ケナメドモ・キエヌトモ》
 於v君合常《キミニアハムト》 流經度《ナガラヘワタル》
 
【譯】空がかき曇つて降つて來る雪のように、消え入りそうだが、あなたに逢おうとして、生きながらえています。
【釋】天霧相 アマギラヒ。天が霧にくもつて。キラヒは、霧の續いてある意の動詞。
(360) 零來雪之 フリクルユキノ。以上二句、序詞。次の消ナメドモを引き起している。
 消友 ケナメドモ。キエヌトモ(元)、キユレドモ(神)、キエメドモ(考)、ケナメドモ(略)。消え入りもしそうにあるがの意と解せられるが、文字表示が不十分である。
 流經度 ナガラヘワタル。ナガラヘは、命を永くたもつ意。存命する。
【評語】雪のようにはかない命を、君に逢おうとのみに生存する意の歌である。三句までで、一轉するのだが、その移りぶりが明快でない。譬喩の句が長く、それを受ける、消ナメドモの句の短いのも、はつきりしない原因になっているのだろう。
 
2346 窺覘《うかねら》ふ 鳥見《とみ》山雪の、
 いちしろく 戀ひば、妹が名
 人知らむかも
 
 窺良布《ウカネラフ》 跡見山雪之《トミヤマユキノ》
 灼然《イチシロク》 戀者妹名《コヒバイモガナ》
 人將v知可聞《ヒトシラムカモ》
 
【譯】野獣の足跡を窺いねらう。その鳥見山の雪のように、目立つばかり戀をしたら、あの子の名を、人が知るだろうかなあ。
【釋】窺良布 ウカネラフ。枕詞。鹿猪などの野獣の通つた跡を見る役の跡見《とみ》が、窺いねらうというので、鳥見山に冠している。「比岳爾《コノヲカニ》 小壯鹿履起《ヲジカフミオコシ》 宇加?良比《ウカネラヒ》 可聞可聞爲良久《カモカモスラク》 君故爾許曾《キミユヱニコソ》」(卷八、一五七六)。
 跡見山雪之 トミヤマユキノ。トミ山の雪ので、以上二句、序詞。譬喩によつて、イチシロクを引き起している。トミ山は、奈良縣磯城郡。香具山の東方に當る地というが、疑問がある。この地は「大伴(ノ)坂上(ノ)郎女、從(リ)2跡見(ノ)庄1、贈2賜(ヘル)留(レル)v宅(ニ)女子(ノ)大孃(ニ)1歌」(卷四、七二三)とある跡見の庄の地で、大伴氏の領地があつた。
【評語】序詞に興味の中心のある歌である。作者が跡見の庄あたりにいるか、または、その地にいる人に贈る(361)ので、この序詞が成されたのであろう。
 
2347 海小船《あまをぶね》 泊瀬《はつせ》の山に 零《ふ》る雪の
 け長く戀ひし 君が音《おと》ぞする。
 
 海小船《アマヲブネ》 泊瀬乃山尓《ハツセノヤマニ》 落雪之《フルユキノ》
 消長戀師《ケナガクコヒシ》 君之音曾爲流《キミガオトゾスル》
 
【譯】海人の小船が泊てる。その泊瀬の山に降る雪のように、時久しく思つていたあのかたの物音がする。
【釋】海小船 アマヲブネ。枕詞。海人の小船が泊《は》つの義により、泊瀬に冠する。
 落雪之 フルユキノ。以上三句、序詞。雪が消えるというので、ケの一音を引き起している。
 消長戀師 ケナガクコヒシ。消は訓假字。時久しく戀していた。
 君之音曾爲流 キミガオトゾスル。オトは、君のきた物音。馬車などの音、聲音など。
【評語】枕詞から序の主文へ、序から本文へと、次々に移つて、再轉して始めて本意に達する。前のウカネラフの歌もそうだつたが、それは、ウカネラフと、鳥見山雪とのあいだが、あまり懸け離れてもいなかつた。しかしこの歌では、海小船と、泊瀬ノ山ニ零ル雪とのあいだには、何の縁故も無い。そこで轉々として變化する趣向を立てたのである。これは遊戯性に富むものではあるが、この歌の内容は久しく戀していた君の來たことを歌い、心が浮き立つているので、この表現もふさわしく感じられるのである。
 
2348 和射美《わざみ》の 嶺行き過ぎて
 零《ふ》る雪の 厭《いと》ひもなしと
 白《まを》せ、その兒《こ》に。
 
 和射美能《ワザミノ》 嶺往過而《ミネユキスギテ》
 零雪乃《フルユキノ》 ※[厭のがんだれなし]毛無跡《イトヒモナシト》
 白其兒尓《マヲセソノコニ》
 
【譯】和射美の嶺を通つて行つて、降る雪に逢うたが、そのためのさわりはないとおいいなさい。その子に。
(362)【釋】和射美能嶺往過而 ワザミノミネユキスギテ ワザミは、岐阜縣不破郡。その嶺は、関が原南方の山。「眞木立《マキタツ》 不破山越而《フハヤマコエテ》 狛劍《コマツルギ》 和射見我原乃《ワザミガハラノ》」(卷二、一九九)と詠まれている地である。ユキスギテは、通過して。和射美の嶺を通過してから、雪に逢つた艱難を語つている。東山道を下つて、和射美の嶺を通過して雪に逢つたのである。
 零雪乃 フルユキノ。以上三句、實事を敍して譬喩としている。
 ※[厭のがんだれなし]毛無跡 イトヒモナシト。
  ウトミモナシト(元)
  イトヒモナシト(元赭)
  ウケクモナシト(代精)
  ――――――――――
  消長戀跡《ケナガクコフト》(略、宣長)
  敷手念跡《シキテオモフト》(古義)
  厭時無跡《アクトキナシト》(古義)
  恙毛無跡《ツツミモナシト》(新考)
 ※[厭のがんだれなし]は、厭に同じである。集中イトフと讀んでいるから、イトヒモナシトでよい。嫌厭の意の字で、厭わしいことの意になるのだろう。ふる雪のための身體のさわり。
 白其兒尓 マヲセソノコニ。使者に命じている云い方である。ソノコは、相手の女。
【譯】旅先から使を愛人のもとに出す形で詠まれている。その形式にも特色があり、また實事を敍して、無事を報じたのも、よく利いている。
 
【寄レ花】2349 わが屋戸《やど》に 咲きたる梅を、
(363) 月夜《つくよ》よみ
 夕《よ》な夕《よ》な見せむ 君をこそ待て。
 
 吾屋戸尓《ワガヤドニ》 開有梅乎《サキタルウメヲ》
 月夜好美《ツクヨヨミ》
 夕々令v見《ヨナヨナミセム》 君乎祚待也《キミヲコソマテ》
 
【譯】わたくしの屋前に咲いている梅を、月がよいので、毎晩お見せしようとあなたを待つています。
【釋】夕々令見 ヨナヨナミセム。夕々は君ヲコソ待テと續く。ミセムは、連體形。
 君乎祚待也 キミヲコソマテ。祚を、コソに當てて書いたと見えるが、その理由はわからない。社の誤りともいうが、未詳。也は添えて書いている。
【評語】梅に寄せて人を待つ、すなおな表現である。月夜に人を誘つた歌である。
 
寄v夜
 
2350 あしひきの 山の下風《あらし》は 吹かねども、
 君なき夕は かねて寒しも。
 
 足檜木乃《アシヒキノ》 山下風波《ヤマノアラシハ》 雖v不v吹《フカネドモ》
 君無夕者《キミナキヨヒハ》 豫寒毛《カネテサムシモ》
 
【譯】山の嵐は吹かないけれども、あなたのいない夜は、前から寒いことです。
【釋】山下風波 ヤマノアラシハ。下風は、山を吹きおろす風の義に書いている。
 豫寒毛 カネテサムシモ。カネテは、前から。まだ寐ないうちからの意と解せられる。
【評語】君の來ない夜の寒さが、身にしみて感じられる。しんみりした作である。
 
萬葉集卷第十
 
(2012、5、8(火)、午前10時40分、巻十一以下を切り離したファイルとして作成)
 
(365)萬葉集卷第十一(上)(【人麻呂集古歌集】)
 
(367)萬葉集卷第十一(上)
 
 この卷は、古今の相聞往來歌類の上として、作者ならびに作歌事情の傳わらない歌を集めている。卷中更に、旋頭歌、正述心緒、寄物陳思、問答、正述心持、寄物陳思、問答、譬喩の順に、部類を立てている。正述心緒以下の三標目が、二度ずつ出ているのは、この三種目には、人麻呂歌集所出の分をまとめて別に出しているからである。各種目の下には、小題は無いが、譬喩には、更に分類して左註でこれを説明し、寄物陳思は、説明は無いが、同一物を寄せた歌を、一處に集めてある。この寄物陳思の部における配列の順序は、人麻呂歌集所出の分において特に一定の法則のあることが知られるので、この配列法は、人麻呂歌集から來たものと考えられ、從つて正述心緒、寄物陳思、問答などの部類も、人麻呂歌集から來たものであろうと推考される。歌數は四百九十首で、うち旋頭歌十七首、他はすべて短歌であるが、ほかに或本、一書の歌で、完全なのが七首ある。その各部における歌數は、左の通りである。但し目録にかかげてある歌數は、或本類を入れていない。
      人麻呂歌集 古歌集  上記二集以外 或本類 計
旋頭歌   一二    五               一七
正述心緒  四七          一〇二    二  一五一
寄物陳思  九三          一八九    五  二八七
問答    九            二〇        二九
譬喩                 一三        一三
(368)計  一六一    五     三二四    七  四九七
 上記の如く、人麻呂歌集所出の歌の多いのが特色である。作品の時代は、前諸卷と大差の無いものの如く、大體明日香時代から奈良時代中期に及ぶようである。
 用字法も、表意文字と表音文字とを併わせ用いて、これも前諸卷と同樣である。作品の風格は、民謠ふうの歌も見出されるが、大體においては、都會人の作品らしく、傳統として民謠性を有しているものがあると見るべきである。
 傳本としては、古本系統に嘉暦傳承本があり、これに類聚古集、古葉略類聚鈔の記載が參考される。元暦校本は、わずかに數片を存しているに過ぎず、また神田本は、卷の十一以下は、仙覺本系統である。
 
旋頭歌
 
【釋】旋頭歌 セドウカ。目録には、初めに古今相聞往來歌類之上とあるが、本文にはそれが無く、ただちにこの標目となつている。旋頭歌は各卷に散在しているが、卷の七とこの卷とには、一個所にまとめて載せてあり、いずれも人麻呂歌集所出の歌が多数を占めている。集中の旋頭歌六十餘首中、人麻呂歌集所出の分三十五首であつて、この歌體に對して、人麻呂歌集の占める位置が窺われる。人麻呂歌集において、既にこの歌體の歌が、まとまつていたのだろう。
 
2351 新室《にひむろ》の 壁草《かべくさ》刈りに 坐したまはね。
 草の如《ごと》 寄り合ふ未通女《をとめ》は
 公がまにまに。
 
 新室《ニヒムロノ》 壁草苅迩《カベクサカリニ》 御座給根《イマシタマハネ》
 草如《クサノゴト》 依逢未通女者《ヨエイアフヲトメハ》
 公隨《キミガマニマニ》
 
(369)【譯】 新築の家の壁の草刈りをしますから、その娘たちを見においでなさいませ。草のように寄り合つている娘さんは、あなたのお心まかせです。
【釋】新室 ニヒムロノ。ニヒムロは、新しい家。ムロは、土を掘つてそれに家根を蔽う式の家屋をいうが、ここはそれにはよらない。一般の新築家屋に、ニヒムロの語が通用している。
 壁草苅迩 カベクサカリニ。カベクサは、延喜式卷の七、踐祚大嘗祭式に「所v作(ル)八神殴一宇、(中略)竝(ニ)以(テ)2黒木及草(ヲ)1構(ヘ)葺(ク)。壁蔀(ハ)以(テス)v草(ヲ)」とあり、家屋の周圍を草をもつて構えたものであろう。その料の草を刈り取るのを、カベクサカリニと言つたのだろうが、それは言葉だけで、實際に壁草を刈るために呼んでいるのではない。新築をはじめるお祝いにという意を、具體的に云いあらわしているものであろう。
 御座給根 イマシタマハネ。御座で、いる(居)の敬語の意になる。ネは、願望の助詞。先方の動作につけていう。句切。
 草如 クサノゴト。壁草を受けていう。數の多い譬喩。
【評語】新室をはじめる賀宴の時の歌であろう。歌舞しかつ勞作したもののようである。しかし實際は落成の賀宴に歌われたのだろう。歌いものとしての性格に立つ歌で、極めて輕い調子の歌である。壁草刈リニと言つて、それを受けて草ノゴトと言つたのも巧みである。
 
2352 新室を 踏《ふ》む靜《しづ》の子し 手玉《ただま》鳴らすも。
 玉の如《ごと》 照らせる君を 内にと白《まを》せ。
 
 新室《ニヒムロヲ》 踏靜子之《フムシヅノコシ》 手玉鳴裳《タダマナラスモ》
 玉如《タマノゴト》 所v照公乎《テラセルキミヲ》 内等白世《ウチニトマヲセ》
 
【譯】新築の家を踏む娘が手の玉を鳴らしている。その玉のように照り輝くお方を、内へと申しなさい。
【釋】踏靜子之 フムシヅノコシ。フムシツガコシ(西)、フムシツノコシ(仙覺)、フミシヅノコガ(略)、フ(370)ミシヅムコガ(古義)。踏靜子をフミシヅムコと讀む説によらば、新室を踏んで、家屋の神靈を鎭静する女子の義と解される。但し、シヅムは下二段活で、四段の例が無い。フムシヅノコとするのは、シヅノコは、賤の子、すなわち立ち働く女で、前の歌の、草ノ如寄り合フ未通女《をとめ》に相當する。之は、シともガとも讀まれる。
 手玉鳴裳 タダマナラスモ。タダマは、娘子の手に趣いている珠。「足玉母《アシダマモ》 手珠毛由良爾《タダマモユラニ》 織旗乎《オルハタヲ》」(卷十、二〇六五)。句切。
 玉如 タマノゴト。上の手玉の語を受けて、美しいことをあらわす譬喩に使つている。
 所照公乎 テラセルキミヲ。テラセルは、光り輝く美しさをあらわしている。敬語法。キミは男子、上の踏ムシヅノ子ではない。
 内等白世 ウチニトマヲセ。内にと御案内せよの意で、踏ムシヅノ子に言つている形である。
【評語】前の歌と同樣、新築の賀宴の歌と思われる。調子のよい歌いもので、よく旋頭歌の形體を利用して、上三句と下三句とを對應させている。これも手玉鳴ラスモを受けて玉ノゴトと歌つている。
 
2353 長谷《はつせ》の 弓槻《ゆづき》が下に わが隱せる妻、
 茜《あかね》さし 照れる月夜に 人見てむかも。
 
 長谷《ハツセノ》 弓槻下《ユヅキガシタニ》 吾隱在妻《ワガカクセルツマ》
赤根刺《アカネサシ》 所v光月夜迩《テレルツクヨニ》 人見點鴨《ヒトミテムカモ》
 
【譯】長谷の弓槻の下に、わたしの隱している妻、赤らかに照つている月夜に人が見るであろうかなあ。
【釋】長谷弓槻下 ハツセノユヅキガシタニ。ユヅキは山の名。卷向にあつて、卷向の弓槻が岳と呼ばれているが、長谷の方面からも見られるので、ここでは長谷の弓槻と呼んでいる。その山の麓に、人麻呂は妻を住ませていた。長谷は、初瀬に同じ。
  赤根刺 アカネサシ。照レルを修飾している。月光の皎々と照るあかるさを説明している。
(371) 人見點鴨 ヒトミテムカモ。テは完了の助動詞。
【評語】山の麓に隱してひそかに通う妻を、照る月のもとに人が見出すだろうかという、空想のゆたかな歌である。月夜に長谷の方から、その山の姿を仰ぎつつ詠んだ歌であろう。妻を隱していることについて、滿悦のの感が根柢となつている。
 
一云、人見豆良牟可《ヒトミツラムカ》
 
一は云ふ、人見つらむか。
 
【釋】人見豆良牟可 ヒトミツラムカ。前の歌の第六句の別傳であるが、傳誦によつて生じた別傳を記したのだろう。助動詞のツに、濁音の字の豆を使用したのは、くだけた用字法である。
 
2354 健男《ますらを》の 念《おも》ひ亂れて 隱せるその妻、
 天地に徹《とほ》り照るとも 顯《あらは》れめやも。
 
 健男之《マスラヲノ》 念亂而《オモヒミダレテ》 隱在其妻《カクセルソノツマ》
 天地《アメツチニ》 通雖v光《トホリテルトモ》 所v顯目八方《アラハレメヤモ》
 
【譯】男兒が思い亂れて隱したその妻だ。天地に徹り照つても、人に知られようや。
【釋】健男之念亂而 マスラヲノオモヒミダレテ。男子が、千々に心をくだいて。
 天地通雖光 アメツチニトホリテルトモ。その妻の美しさが、天地間に照り徹るともである。トホルは、障害されないで行き至るをいう。日本書紀(允恭天皇紀)に、藤原の郎姫《いらつめ》の容姿絶妙で、たぐいなく、その艶色が衣服から徹り照つたので、世の人が、名づけて衣通《そとほし》の郎姫《いらつめ》と言つたとある。この種の記事は、古事記にもあり、傳説上の美女の形容に使われる。この事に思い寄せているだろう。
【評語】隱せる妻の美しさを稱え、それを隱したことについての自信を歌つている。作者快心の作とすべきで(372)ある。前の歌と連作を成している。
 
一云、大夫乃《マスラヲノ》 思多鷄備弖《オモヒタケビテ》
 
一は云ふ、大夫の 思ひたけびて。
 
【釋】大夫乃思多鷄備弖 マスラヲノオモヒタケビテ。一二句の別傳で、思ヒタケビテは、變つているが、眞實性は思ヒ亂レテに及ばない。
 
2355 うつくしと わが念ふ妹は
 早も死なぬか。
 生《い》けりとも
 吾《われ》れに寄《よ》るべしと 人の言はなくに。
 
 惠得《ウツクシト・メグシト》 吾念妹者《ワガオモフイモハ》
 早裳死耶《ハヤモシナヌカ》
 雖v生《イケリトモ》
 吾迩應v依《ワレニヨルベシト》 人云名國《ヒトノイハナクニ》
 
【譯】かわいいとわたしの思うあの子は、早く死なないかなあ。生きていても、わたしに寄るだろうとは、人が言わないことだ。
【釋】惠得 ウツクシト。惠は、類聚名義抄にウツクシブの訓がある。ここは形容詞として、ウツクシと讀む。愛すべくある意である。普通にメグミと讀む字なので、メグシともよむが、五音によむ方が順富である。「妻子美禮婆《メコミレバ》 米具斯宇都久志《メグシウヅクシ》」(卷五、八〇〇)。
 早裳死耶 ハヤモシナヌカ。打消に當る字は無いが、これを補つて讀むべきことは、人麻呂歌集に特に例が多い。希望の語法。
 吾迩應依 ワレニヨルベシト。ヨルは、妻として接するをいう。
(373)【評語】思いあまつて、愛人に死んでしまえと言つている。思いつめた心があわれである。自分が死ぬとか、死にそうだとかいう歌は多いが、相手に死ねと云つた歌は、他には見えないだけに、その強い言葉が注意される。
 
2356 高麗《こま》錦 紐の片方《かたへ》ぞ 床に落ちにける。
 明日《あす》の夜《よ》し 來むとし言はば
 取り置きて待たむ。
 
 狛錦《コマニシキ》 ?片敍《ヒモノカタヘゾ》 床落迩祁留《トコニオチニケル》
 明夜志《アスノヨシ》 將v來得云者《コムトシイハバ》
 取置待《トリオキテマタム》
 
【譯】高麗錦の紐の片方が床に落ちています。明日の夜、來ようというなら取り置いて待ちましよう。
【釋】狛錦 コマニシキ。枕詞ふうに置かれているが、高麗錦で作つた紐の意に、紐を修飾する。
 ?片敍 ヒモノカタヘゾ。ヒモノカタヘは、衣の紐の片方。上衣の左右に附けたのを合わせて結ぶので、その一方の紐である。
 將來得云者 コムトシイハバ。シを讀み添える。古くキナムトイハバとも讀まれている。
【評語】後半の表現が露骨で、情趣を缺いている。立ち歸ろうとする男に歌いかけた形なので、このようなものになつたのだろう。
 
2357 朝戸出の 公が足結《あゆひ》を 潤《ぬ》らす露原。
 早く起き 出でつつ吾も
 裳の裾|潤《ぬ》れな。
 
 朝戸出《アサトデノ》 公足結乎《キミガアユヒヲ》 閏露原《ヌラスツユハラ》
 早起《ハヤクオキ》 出乍吾毛《イデツツワレモ》
 裳下閏奈《モノスソヌレナ・モスソヌラサナ》
 
【譯】朝、門出をするあなたの足結の紐を濡らす露の原。早く起きて出て、わたくしも裳の裾を濡らしましよ(374)う。
【釋】朝戸出 アサトデノ。朝家屋の戸を出る意で、朝になつて歸つて行くのをいう。
 公足結乎 キミガアユヒヲ。アユヒは、袴を擧げて膝の下で結ぶ紐。歩行などの動作を便にするために行うもの。「湯種蒔《ユダネマク》 荒木之小田矣《アラキノヲダヲ》 求跡《モトメムト》 足結出所v沾《アユヒイデヌレヌ》 此水之湍爾《コノカハノセニ》」(卷七、一一一〇)。
【評語】君が朝露を分けて歸るのを、自分も見送つて、共にその露に濡れようとする。美しい情趣の歌である。露原を愛する氣分に呼びかけ、我モ裳ノ裾濡レナと歌つたのは、才氣のある歌い方である。
 
2358 何せむに 命をもとな 永く欲《ほ》りせむ。
 生《い》けりとも わが念ふ妹に
 易く逢はざらむ。
 
 何爲《ナニセムニ》 命本名《イノチヲモトナ》 永欲爲《ナガクホリセム》
 雖v生《イケリトモ・イケレドモ》 吾念妹《ワガオモフイモニ》
 安不v相《ヤスクアハザラム・ヤスクアハナクニ》
 
【譯】何のためにか命をせつに永く願おう。生きていても、わたしの思う妻にたやすく逢わないことだろう。
【釋】何爲 ナニセムニ。何にしようとてかで、命を永く欲することの無意味であることを示す。
 命本名 イノチヲモトナ。モトナは、ここは、せつに、たいへんにの意をもつて、插入する副詞。
 雖生 イケリトモ。イケレドモ(代精)とするによらば、五句、ヤスクアハナクニであるが、イケリトモとして將來の見通しのない意とする方がよいだろう。
【評語】前の「うつくしとわが思ふ妹」の歌と、同樣の構想で、あれほどの強さはなく、みずから生きがいのないことを歎いているだけである。それだけに平凡になつている。特に旋頭歌としただけの效果は無い。
 
2359 息の緒に 吾は念《おも》へど 人目多みこそ。
(375) 吹く風に あらばしましま
 逢ふべきものを。
 
 息緒《イキノヲニ》 吾雖v念《ワレハオモヘド》 人目多社《ヒトメオホミコゾ》
 吹風《フクカゼニ》 有數々《アラバシマシマ》
 應v相物《アフベキモノヲ》
 
【譯】呼吸をする度に絶えずわたしは思うのだが、人目が多いことだ。吹く風であつたら、度々も逢うべきものだのに。
【釋】息緒 イキノヲニ。イキノヲは、呼吸の繼續をいい、呼吸していると共に、生きている限りは絶えずの意になつている。
 人目多社 ヒトメオホミコソ。この下にアレの如き語を含みにもつている。句切。
【評語】吹く風だつたら自由に逢えるだろうという構想は、類があるが、この歌では、すなおに歌つているのがとりえである。三句の下略した云い方は、含みがあつて、次の三句を迎える氣分がよくあらわれている。
 
2360 人の親の 未通女兒《をとめご》据ゑて
 守《も》る山邊から、
 朝《あさ》な朝《さ》な 通《かよ》ひし公が 來ねば哀《かな》しも。
 
 人祖《ヒトノオヤノ》 未通女兒居《ヲトメゴスヱテ》
 守山邊柄《モルヤマベカラ》
 朝々《アサナサナ》 通公《カヨヒシキミガ》 不v來哀《コネバカナシモ》
 
【譯】人の親が、娘を置いて守つている、その守山のあたりから、毎朝通つたあの方が來ないので悲しいことです。
【釋】人祖 ヒトノオヤノ。オヤは、御祖の神などの語例にょるに、主として女親をいう。
 未通女兒居 ヲトメゴスヱテ。以上二句、序詞。娘を置いて番をする意に、守ルを引き起している。
 守山邊柄 モルヤマベカラ。モルヤマは、木のしげつた山をいう。「乎爾比多夜麻乃《ヲニヒタヤマノ》 毛流夜麻能《モルヤマノ》 宇良賀(376)禮勢奈那《ウラガレセナナ》」(卷十四、三四三六)「三諸者《ミモロハ》 人之守山《ヒトノモルヤマ》 本邊者《モトベハ》 馬醉木花開《アシビハナサキ》 末邊方《スヱベハ》 椿花開《ツバキハナサク》 浦妙《ウラグハシ》 山曾《ヤマゾ》 泣兒守山《ナクコモルヤマ》」(卷十三、三二二二)。カラは、を通つて。ユにくらべて口語らしいが、この用例は、人麻呂歌集所出だから、相當に古い。
【評語】三句は息つぎになつているが、切れていないのは、旋頭歌としては特例である。初二句の序詞は、歌いものなどから來ているのだろうが、作者自身の事を暗に敍しているものとして興味がある。それを人ノ祖ノと、わざと第三者の事のように歌つている。朝ナ朝ナ通ヒシ公は、出仕のために道路を行く貴公子などを歌つているのだろう。心で思つていてひとり歌つているような歌である。
 
2361 天《あめ》なる 一つ棚橋《たなはし》 いかにか行かむ。
 若草の 妻《つま》がりといへば、
 足や壯嚴《かざ》らむ。
 
 天在《アメナル》 一棚橋《ヒトツタナハシ》 何將v行《イカニカユカム》
 穉草《ワカクサノ》 妻所云《ツマガリトイヘバ》
 足壯嚴《アシヤカザラム》
 
【譯】天上にある一枚板の橋を、どのようにして行こうか。若草のような妻のもとに行くのだから、十分に足を著飾ろうか。
【釋】天在 アメナル。天上にある意に、次の橋を修飾する。この句で、次の一ツ棚橋の所在を示し、高處にあつて行くのは困難である意をあらわす。實際は、宮廷内の戀なので、この句となつたのだろう。
 一棚橋 ヒトツタナハシ。一枚の棚橋。タナハシは、板を棚のように横たえる橋。一本橋というように、危い橋の意に言つているのだろう。
 妻所云 ツマガリトイヘバ。ツマガイヘラク(新訓)。下にも「妹所云《イモガリトイヘバ》 七日越來《ナヌカコエキヌ》」(卷十一、二四三五)の同型があり、それをイモガリトイヘバと讀むべしとせば、ここも同樣の訓が順當である。
(377) 足壯嚴 アシヤカザラム。壯嚴は、佛典にある字で、佛具を装備することなどにいう。訓は通例カザルであるから、ここは足を壯嚴にする意に依つて、カザラムと讀む。足結などして足ごしらえをしようとするをいうのだろう。「水縹《ミハナダノ》 絹帶尾《キヌノオビヲ》 引帶成《ヒキオビナス》 韓帶丹取爲《カラオビニトラシ》 海神之《ワタツミノ》 殿蓋丹《トノノイラカニ》 飛翔《トビカケル》 爲輕如來《スガルノゴトキ》 腰細丹《コシボソニ》 取餝氷《トリカザラヒ》」(卷十六、三七九一)の如き、帶を腰にまとうのを、カザラヒという證明がある。足は、アシヲとも讀まれるが、初三句の意によつてアシヤとする。
【評語】妻のもとをおとずれる時の事を、仰山に歌つているのだろう。一ツ棚橋イカニカ行カムというのも仰山であり、壯嚴の字を使つたのも仰山である。宮廷奉仕の身で、戀のために冒險をする氣もちが歌われている。
 
2362 山城の 久世《くせ》の若子《わくご》が 欲《ほ》しといふ余《われ》。
 あふさわに 吾《われ》を欲《ほ》しといふ。
 山城の久世《くせ》。
 
 開木代《ヤマシロノ》 來背若子《クセノワクゴガ》 欲云余《ホシトイフワレ》
 相狹丸《アフサワニ》 吾欲云《ワレヲホシトイフ》
 開木代來背《ヤマシロノクセ》
 
【譯】山城の久世の若樣が欲しいというわたしです。いきなりわたしを欲しいという。山城の久世の方が。
【釋】開木代 ヤマシロノ。開木代は、ヤマシロと讀むのだろうが、その理由はわからない。卷の七にもある。
 來背君子 クセノワクゴガ。クセは地名。京都府久世郡の郷名に久世がある。ワクゴは、若い人に對する敬稱。
 相狹丸 アフサワニ。いきなり、突然になどの意と解せられる。「相佐和仁《アフサワニ》 誰人可毛《タレノヒトカモ》 手爾將v卷知布《テニマカムチフ》」(卷八、一五四七)參照。
【評語】初三句を、五六句で形を變えて繰り返しているのが技巧的である。民謠の素材を旋頭歌に整形したものらしい。
 
(378)右十二首、柿本朝臣人麻呂之歌集出
 
2363 岡崎《をかざき》の たみたる道を 人な通ひそ。
 ありつつも
 公が來まさむ 避道《よきみち》にせむ。
 
 岡前《ヲカザキノ》 多未足道乎《タミタルミチヲ》 人莫通《ヒトナカヨヒソ》
 在乍毛《アリツツモ》
 公之來《キミガキマサム》 曲道爲《ヨキミチニセム》
 
【譯】岡の前方の廻つている道を、人は通らないでください。かようにあつて、あの方のおいでになる時の人目をさける道にしましよう。
【釋】岡前 ヲカザキノ。ヲカザキは、岡の突き出た處。
 多未足道乎 タミタルミチヲ。タミタルは、廻つている、曲つている。
 在乍毛 アリツツモ。かようにあり經つつ。
 曲道爲 ヨキミチニセム。ヨキミチは、避ける道。ここは人目を避け忍ぶ道。類聚名義抄、復道にヨキミチの訓がある。「從2何處1將v行《イヅクユユカム》 與寄道者無荷《ヨキヂハナシニ》」(卷七、一二二六)。
【評語】岡前の曲つた道に對して女の詠んだ歌。その道を通つて男がくればよいと思う心である。人を待つ心が、特殊の形を取つて表現されている。
 
2364 玉|垂《だれ》の 小簾《をす》の隙《すけき》に 入り通ひ來ね。
 たらちねの 母が問《と》はさば、
 風と申《まを》さむ。
 
 玉垂《タマダレノ》 小簾之寸鷄吉仁《ヲスノスケキニ》 入通來根《イリカヨヒコネ》
 足乳根之《タラチネノ》 母我問者《ハハガトハサバ》
 風跡將v申《カゼトマヲサム》
 
(379)【譯】玉を垂れた簾のすきまにはいつて通つていらつしやい。育ててくれた母が尋ねましたら、風ですと申しましよう。
【釋】玉垂 タマダレノ。枕詞。古代の簾は、玉を緒につらぬいたものを垂れてつけてあるものと解される。
 小簾之寸鷄告仁 ヲスノスケキニ。スケキは、隙の意だろう。寸は、訓假字としてキとのみ使用されているが、鷄吉は字音假字と見えるから、ここも字音假字として、スの音をあらわすものとする。しかし他に字音假字として、使用した例は無い。
【評語】自由に奔放に歌い切つている。作者は才氣の溢れた女子であつたことが考えられる。前三句で希望を歌い、後三句でこれを補つて説明している形は、旋頭歌としてよくある型である。
 
2365 うち日さす 宮|道《ぢ》に逢ひし
 人妻ゆゑに、
 玉の緒の 念《おも》ひ亂れて
 宿《ぬ》る夜《よ》しぞ多き。
 
 内日左須《ウチヒサス》 宮道尓相之《ミヤヂニアヒシ》
 人妻?《ヒトヅマユヱニ》
 玉緒之《タマノヲノ》 念亂而《オモヒミダレテ》
 宿夜四曾多寸《ヌルヨシゾオホキ》
 
【譯】立派な宮廷に行く道にあつた人妻のゆえに、玉の緒のように、思い亂れて寐る夜が多い。
【釋】内日左須 ウチヒサス。枕詞。
 宮道尓相之 ミヤヂニアヒシ。ミヤヂは、宮廷に行く道。
 人妻? ヒトヅマユヱニ。?は、易の卦の名であり、また好也とある。これをユヱに使用するのは、他にもあるが、その由る所が不明である。妬と同字かという。妬は故と通じて使われる字である。
 玉緒之 タマノヲノ。枕詞。
(380)【評語】三句で切れないで、下に續いている。事實を敍しただけだが、思い亂れる有樣は窺われる。玉の緒の枕詞は、亂レを引き出すためとされているが、その玉の緒に、生命の連想が寄せられて使用されているのだろう。それがいかにも身も世も無く思い亂れる樣を寫すにふさわしいものになつているようだ。
 
2366 まそ鏡 見しかと念《おも》ふ
 妹も逢はぬかも。
 玉の緒の 絶えたる戀の 繁きこの頃。
 
 眞十鏡《マソカガミ》 見之賀登念《ミシカトオモフ》
 妹相可聞《イモモアハヌカモ》
 玉緒之《タマノヲノ》 絶有戀之《タエタルコヒノ》 繁比者《シゲキコノゴロ》
 
【譯】澄んだ鏡のように、見たいと思う妻も逢わないかなあ。玉の緒のように絶えた戀の繁くあるこの頃だ。
【釋】眞十鏡 マソカガミ。枕詞。
 見之賀登念 ミシカトオモフ。シカは、願望の助詞。助動詞テを伴なつてテシカとなる場合が多いが、シカだけでもある。「波之寸八師《ハシキヤシ》 志賀在戀爾毛《シカアルコヒニモ》 有之鴨《アリシカモ》」(卷十二、三一四〇)の如きはこれである。この語は、願望の助詞ガとは別である。分解すれば、シは助動詞、カは助詞なのであろう。
 妹相可聞 イモモアハヌカモ。ヌに相當する字は無いが讀み添える。句切。
 玉緒之 タマノヲノ。枕詞。
【評語】一旦絶えた戀の復活を歌つている。上三句に熱が足りないように感じられるのは、内容によるのだろう。二つの枕詞も、内容と離れていて、役立つていない。
 
2367 海原の 路《みち》に乘りてや
 わが戀ひ居《を》らむ。
(381) 大船の ゆたにあるらむ
 人の兒ゆゑに。
 
 海原乃《ウナハラノ》 路尓乘哉《ミチニノリテヤ》 吾戀居《ワガコヒヲラム》
 大舟之《オホブネノ》 由多尓將v有《ユタニアルラム》
 人兒由惠尓《ヒトノコユヱニ》
 
【譯】海上の路に乘つてか、わたしが戀しておりましよう。大船のように、ゆつたりしているだろうあの子ゆえに。
【釋】路尓乘哉 ミチニノリテヤ。ミチニノレレヤ(略)。ヤは疑問の係助詞。路に乘るとは、路によつて進むをいう。「淡海路爾《アフミヂニ》 伊由伎能里多知《イユキノリタチ》」(卷十七、三九七八)。「やや暫《しまし》いでまさば、御路《みち》あらむ。すなはちその道に乘りて往《いで》ましなば」(古事記上卷)。
 大舟之 オホブネノ。枕詞。
 由多尓將有 ユタニアルラム。ユタニは、ゆたかに、ゆつたりと。相手の女が悠然として思い入つていないのを推量している。連體句。
 人兒由惠尓 ヒトノコユヱニ。ヒトノコは、人の愛稱。人の子女の意ではない。
【評語】譬喩によつて巧みに事情を述べている。巧みなだけに作り過ぎている感があり、客觀性が濃厚になつて、あせる氣もちが痛切に出ない憾みはある。
 
右五首、古歌集中出
 
正述2心緒1
 
正《ただ》に心緒《おもひ》を述ぶる。
 
(382)【釋】正述心緒 タダニオモヒヲノブル。寄物陳思と對立する標目で、事物に託さず、まつすぐに心を述べる表現様式の歌である。卷の十一、十二の兩卷における特殊の部類の標目であるが、寄物陳思が人麻呂歌集から來ている標目だろうと思われるので、それに對立するこの標目も、同樣に人麻呂歌集から來ているのだろう。
 
2368 たらちねの 母が手|放《はな》れ、
 かくくばかり 術《すべ》なき事は
 いまだ爲《せ》なくに。
 
 垂乳根乃《タラチネノ》 母之手放《ハハガテハナレ》
 如是許《カクバカリ》 無2爲便1事者《スベナキコトハ》
 未v爲國《イマダセナクニ》
 
【譯】育ててくださつた母上の手を放れてから、これほどに術の無いことは、まだいたしません。
【釋】垂乳根乃 タラチネノ。枕詞。
 母之手放 ハハガテハナレ。母の養育の手を放れて。一人前になつて以來。
【評語】率直に敍して、しかも痛切な憂悶《ゆうもん》の情をよく披瀝《ひれき》している。才女の作であることを思わしめる。以下人麻呂歌集の所出である。
 
2369 人の寐《ぬ》る 味宿《うまい》は寐《ね》ずて、
 愛《は》しきやし 公が目すらを
 欲りし嘆かふ。
 
 人所v寐《ヒトノヌル》 味宿不v寐《ウマイハネズテ》
 早敷八四《ハシキヤシ》 公目尚《ミミガメスラヲ》
 欲嘆《ホリシナゲカフ》
 
【譯】よその人の眠るような熟睡はしないで、なつかしいあなたにお目に懸かることだけを願つて、歎息しています。
【釋】人所寐 ヒトノヌル。人は、他人をいう。相手をも含んでいるだろう。所は、動詞の連體形を表示する(383)爲に使われる用法である。
 味宿不寐 ウマイハネズテ。ウマイは、熟睡。「人之宿《ヒトノヌル》 味宿者不v寐哉《ウマイハネズヤ》」(卷十二、二九六三)、「人寐《ヒトノヌル》 味眼不v睡而《ウマイハネズテ》」(卷十三、三二七四)。
 早敷八四 ハシキヤシ。愛シキに、助詞ヤシの添つた形。
【評語】單純な内容だが、沈痛な感を失わないのは、表現が率直だからである。初二句は、慣用句として通用していたものであろう。
 
或本歌云、公矣思尓《キミヲオモフニ》 曉來鴨《アケニケルカモ》
 
或る本の歌に云ふ、公を思ふに 明けにけるかも。
 
【釋】或本歌云 アルマキノウタニイフ。人麻呂集の歌に對して、或る本というのは、かならずしも人麻呂集の別本とはいえない。いかなる集録であるかとも知られない。編者が加えたものだろう。
 公矣思尓曉來鴨 キミヲオモフニアケニケルカモ。前の歌の四五句の別傳だが、これは同じ歌の別傳というわけにも行かない。「人の寐る味睡は寐ずてはしきやし」というような形が歌われ、その下はどのようにも變化させて歌つていたのだろう。本歌よりも、これは一層單純になつていて、むしろこの方が原形であつたかも知れないほどである。
 
2370 戀ひ死なば 戀ひも死ねとや、
 玉|桙《ほこ》の 路行人《みちゆきびと》の 言も告げなく。
 
 戀死《コヒシナバ》 戀死耶《コヒモシネトヤ》
 玉鉾《タマホコノ》 路行人《ミチユキビトノ》 事告無《コトモツゲナク》
 
【譯】戀い死ぬなら戀いても死ねというのか、路を行く人が、言葉も告げないことです。
(384)【釋】戀死戀死耶 コヒシナバコヒモシネトヤ。ヤは、疑問の係助詞。これを受けて、五句で結ぶことになる。
 事告無 コトモツゲナク。コトツゲモナシ(嘉)、コトモツゲナク(略、宣長)。ツゲナクは、告げないことの意。
【評語】初二句は、慣用句で、これを使用した例歌がある。三句以下、人の傳言を待つ意だが、初二句に比して、失望の調子が痛切でない。五句になお訓法上の疑義が存するのも、十分な鑑賞を妨げている。
【參考】類句、戀ひ死なば戀ひも死ねとや。
  戀ひ死なば戀ひも死ねとや吾妹子が我家《わぎへ》の門を過ぎて行くらむ(卷十一、二四〇一)
  戀ひ死なば戀ひも死ねとやほととぎす物|念《も》ふ時に來鳴き響《とよ》むる(卷十五、三七八〇)
 
2371 心には 千遍《ちたび》念《おも》へど、
 人に云はぬ わが戀?《こひづま》を
 見むよしもがも。
 
 心《ココロニハ》千遍雖v念《チタビオモヘド》
 人不v云《ヒトニイハヌ》 吾戀?《ワガコヒヅマヲ》
 見依鴨《ミムヨシモガモ》
 
【譯】心には千遍も思つているけれども、人に云わないわたしの戀妻を見る手段がほしいものだ。
【釋】千遍雖念 チタビオモヘド。チタビは、思うことの繁くあるをあらわす。
 見依鴨 ミムヨシモガモ。ヨシは、所由の義で、手だて、方法だが、輕く次第、順序というほどの意になつている。
【評語】内容は平凡である。若者の言らしい思い入つた單純な表現が、すなおでよい。
 
2372 かくばかり 戀ひむものとし
(385) 知らませば、
 遠く見つべく ありけるものを。
 
 是量《カクバカリ》 戀物《コヒムモノトシ・コホシキモノト》
 知者《シラマセバ》
 遠可v見《トホクミツベク》 有物《アリケルモノヲ》
 
【譯】これほどに、戀しようものと知つておつたなら、遠方で見るべきであつたものを。
【釋】戀物 コヒムモノトシ。コヒシキモノト(嘉)、コヒムモノトシ(略)、コヒムモノゾト(古義)。句意は推量できるが、文字表示が不完全で、訓法には動搖を免れない。
 遠可見 トホクミツベク。ヨソニミルベク(嘉)、トホクミルベク(略)、トホクミツベク(古義)。トホクは、遠方に、關係無く第三者としての意。可見は、見ルがベシにつづく場合ミルベクとは言わないからミツベクと讀むによる。
【評語】多分男子の歌であろう。内容は平凡で、愚痴らしい歌である。この歌のみではないが、人麻呂集所出の歌は、文字表示が不完全で、訓法の動搖するものが多く、自然それによつて内容にも相違をきたす。この歌の如きは、内容はほぼ一定して解されているが、歌によつては、非常な相違の出て來るものもあるのは、こまつたことである。
 
2373 何時《いつ》はしも 戀ひぬ時とは
 あらねども、
 夕片設《ゆふかたま》けて 戀は術《すべ》無し。
 
 何時《イツハシモ》 不v戀時《コヒヌトキトハ》
 雖v不v有《アラネドモ》
 夕方任《ユフカタマケテ》 戀無v乏《コヒハスベナシ》
 
【譯】何時として戀いない時はないのだけれども、夕方を待ち設けて戀うのは、術の無いことだ。
【釋】何時 イツハシモ。ハシモを讀み添える。シモは強意の助詞。何時とてはの意。「何時橋物《イツハシモ》 不v戀時等(386)者《コヒヌトキトハ》 不v有友《アラネドモ》」(卷十三、三三二九)。
 夕方任 ユフカタマケテ。カタマケテは、片より待ち設けてで、夕方を待つて。任をマケテに當てて書いているのは、任の訓として注意される。
【評語】夕方になつて特に戀の心のいたし方なさが歌われている。すべない戀の心が、正面から描かれている。
 
2374 かくのみし 戀ひや渡らむ。
 たまきはる 命も知らず、
 歳は經につつ。
 
 是耳《カクノミシ》 戀度《コヒヤワタラム》
 玉切《タマキハル》 不v知v命《イノチモシラズ》
 歳經管《トシハヘニツツ》
 
【譯】かようにばかり戀して過すことだろう。命のほどは知らずに、年は經過してゆく。
【釋】玉切 タマキハル。枕詞。語義未詳。
 不知命 イノチモシラズ。命の終りをも知らず。何時までということなしに。命は、何時まであるということがわからないので、何時までということなしにの意が出るのだろう。句切。
【評語】戀をしつつ何時までということを知らず年を經てゆくことを歌つている。五句を、ツツで結んでいるのは、感傷を表現するに役立つている。
 
2375 吾《われ》ゆ後 生れむ人は、
 わが如く 戀する道に
 あひこすな、ゆめ。
 
 吾以後《ワレユノチ》 所v生人《ウマレムヒトハ》
 如v我《ワガゴトク》 戀爲道《コヒスルミチニ》
 相與勿湯目《アヒコスナユメ》
 
【譯】わたしよりも後に生まれるだろう人は、わたしのように、戀をする道に、決して逢わないがよい。
(387)【釋】吾以後 ワレユノチ。我よりして以後。以後でノチを表示している。
 戀爲道 コヒスルミチニ。戀をする道に。このミチは、ある抽象的な内容をあらわす用法で、漢文から來たものである。この用法には「世間之《ヨノナカノ》 遊道爾《アソビノミチニ》」(卷三、三四七)、「可久婆可里《カクバカリ》 須部奈伎物能可《スベナキモノカ》 世間乃道《ヨノナカノミチ》」(卷五、八九二)など使われているが、この歌の用例は古いものである。
 相與勿湯目 アヒコスナユメ。コスは、助動詞で、ある事のあらわれるのを希望する意に使う。常に打消を件なつて、そうなることを欲しない意になる。但しコセヌカモの形になると、上にくる動詞の意を願うことになる。「梅花《ウメノハナ》 山下風爾《ヤマノアラシニ》 落許須莫湯目《チリコスナユメ》」(卷八、一四三七)。
【評語】ワガ如クの句による表現は、結局は自分の事を歌うに他物をもつてするもので、この歌などでも、自分の苦痛を訴えるために、この手段に出たまでである。わが後に生まれる人に對していう形などは、しかし口誦文藝の歌には無かつたであろうし、戀する道などいう云い方も新しい。すべて知識者としての歌として見るべきものである。
 
2376 健男《ますらを》の うつし心も 吾は無し。
 夜晝《よるひる》といはず 戀ひしわたれば。
 
 健男《マスラヲノ》 現心《ウツシゴコロモ》 吾無《ワレハナシ》
 夜晝不v云《ヨルヒルトイハズ》 戀度《コヒシワタレバ》
 
【譯】りつぱな男の持つている現實の心も、わたしは無い。夜晝といわずに、戀して日を過すので。
【釋】現心 ウツシゴコロモ。ウツシゴコロは、夢などでない現實の心。しつかりした物の到斷力推理力などに富んだ心。正氣。「虚蝉之《ウツセミノ》 宇都思情毛《ウツシゴコロモ》 吾者無《ワレハナシ》 妹乎不2相見1而《イモヲアヒミズテ》 年之經去者《トシノヘヌレバ》」(卷十二、二九六〇)。
【評語】男兒としての自信を失い、自制を失した境地が顧みられている。三句で切つて、四五句でそれを説明する云い方は、人麻呂集としては新しい形式である。
 
(388)2377 何せむに 命は繼《つ》がむ。
 吾妹子に 戀せぬ前《さき》に
 死なましものを。
 
 何爲《ナニセムニ》 命繼《イノチハツガム・イノチツギナム》
 吾妹《ワギモコニ》 不v戀前《コヒセヌサキニ》
 死物《シナマシモノヲ》
 
【譯】何しようとて命を繼いで行こう。あの人に戀しない前に死んでしまいたいものを。
【釋】命繼 イノチハツガム。イノチツギケム(嘉)。ツギケムと讀めば、今まで繼いで來たのだろうの意になる。イノチハツガムと、現在の心を表示する意に讀む方がよいであろう。句切。
【評語】死んだ方がましだという内容の歌は多い。戀の心の憂悶を、死ナマシモノヲの慣用句で表現するのは、ふさわしく感じられるからであろう。初二句は、命繼ギケムと過去を顧みているより強い云い方になつている。
 
2378 よしゑやし 來《き》まさぬ公を、
 何せむに 厭《いと》はず、われは
 戀ひつつ居《を》らむ。
 
 吉惠哉《ヨシヱヤシ》 不2來座1公《キマサヌキミヲ》
 何爲《ナニセムニ》 不v※[厭のがんだれなし]吾《イトハズワレハ》
 戀乍居《コヒツツヲラム》
 
【譯】よしそれもよい。おいでにならないあの方を、何しようとて、厭わないで、わたくしは戀いつついるのだろうか。
【釋】吉意哉 ヨシヱヤシ。ヨシと假に許容する副詞。ヱヤシを添えることによつて感動が強くなり、獨立句ふうに使用される傾向がある。ここは五句を修飾しているが、獨立句ふうな氣分が濃厚なので、かように數句を隔ててまず置かれているのである。
【評語】男の來ない恨みが歌われている。ヨシヱヤシのような、感動性の強い語によつて、自暴自棄的な氣分(389)が、よく表示される。
 
2379 見わたせば 近きわたりを、
 たもとほり 今や來《き》ますと、
 戀ひつつぞ居《を》る。
 
 見度《ミワタセバ》 近渡乎《チカキワタリヲ》
 廻《タモトホリ》 今哉來座《イマヤキマスト》
 戀居《コヒツツゾヲル》
 
【譯】見わたせば近い渡り場處なのを、廻つて今にもおいでになるかと、戀いつついるのです。
【釋】見度近渡乎 ミワタセバチカキワタリヲ。眺め渡せば、距離の近い渡り場處なのだが。ワタリは、川でも野でも、甲の地點から乙の地點に對して横ぎつて行き得る地形をいう。ここは野なのだろう。見渡せば、近いわたりなのだが、直線的に道は無いので、廻つて君が今やおいでになるかと待つ意である。「視渡者《ミワタセバ》 近里廻乎《チカキサトミヲ》 田本欲《タモトホリ》 今衣吾來《イマゾワガクル》 禮巾振之野爾《ヒレフリシノニ》」(卷七、一二四三)。
【評語】見渡しにいて、今や君が來るかと待つ心がよく歌われている。第五句は、すこし説明に過ぎているが、作者の心としては、こういわねばならなかつたのだろう。
 
2380 愛《は》しきやし 誰《た》が障《さ》ふれかも、
 玉|桙《ほこ》の 路《みち》見忘れて 公が來まさぬ。
 
 早敷哉《ハシキヤシ》 誰障鴨《タガサフレカモ》
 玉桙《タマホコノ》 路見遺《ミチミワスレテ》 公不2來座1《キミガキマサヌ》
 
【譯】慕わしいことです。誰が妨げてか、ここへ來る道を見忘れて、あなたがおいでにならない。
【釋】早敷哉 ハシキヤシ。句を隔てて五句の公を修飾する。この句は、ヤシによつて感動性が強くなり、獨立句ふうに使われる傾向にあることは、ヨシヱヤシに同じである。「波之寸八師《ハシキヤシ》 志賀在戀爾毛《シカアルコヒニモ》 有之鴨《アリシカモ》」(卷十二、三一四〇)の如き、この種の用法である。
(390) 誰障鴨 タガサフレカモ。カモは、疑問の係助詞。障えればか。五句で結んでいる。
【評語】來ない男に投げかける詞として、かなり感情的な云い方である。路を見忘れて來ないのかというのも才氣の勝つた作者を思わせる。
 
2381 公が目の 見まく欲《ほ》しけく、
 この二夜、千歳の如《ごと》も
 わが戀ふるかも。
 
 公目《キミガメノ》 見欲《ミマクホシケク》
 是二夜《コノフタヨ》 千歳如《チトセノゴトモ》
 吾戀哉《ワガコフルカモ》
 
【譯】あなたにお目にかかりたくて、この二夜を、千年のように思つてわたくしが戀していることです。
【釋】公目見欲 キミガメノミマクホシケク。例によつて文字を省路して書いているが「妹目之《イモガメノ》 見卷欲家口《ミマクホシケク》 夕闇之《ユフヤミノ》 木葉隱有《コノハゴモレル》 月待如《ツキマツガゴト》」(卷十一、二六六六)に準じて、キミガメノミマクホシケクと讀まれる。ホシケクは、欲しいこと。
【評語】單純な内容だが、待ちこがれている心はよく描かれている。すなおな歌である。
 
2382 うち日さす 宮|道《ぢ》を人は 滿《み》ち行けど、
 わが念《おも》ふ公《きみ》は ただ一人のみ。
 
 打日刺《ウチヒサス》 宮道人《ミヤヂヲヒトハ》 雖2滿行1《ミチユケド》
 吾念公《ワガオモフキミハ》 正一人《タダヒトリノミ》
 
【譯】りつぱな宮廷に行く道を、人はいつぱいに行くけれども、わたしの思う方は、ただ一人だけです。
【評語】ひたすらに思い入つた氣もちが歌われている。すなおな表現で、信じ切つた心が窺われる。
 
2383 世の中の 常かくのみと 念《おも》へども、
(391) かたて忘れず、なほ戀ひにけり。
 
 世中《ヨノナカノ》 常如《ツネカクノゴト》 雖v念《オモヘドモ》
 半手不v忘《カタテワスレズ》 猶戀在《ナホコヒニケリ》
 
【譯】世の中の通例は、こんなことだと思うけれども、ひたすら、忘れないで、やはり戀をしていたことだ。
【釋】世中常如 ヨノナカノツネカクノミト。常如は、意をもつてツネカクノミトと讀んでいる。「世間之《ヨノナカノ》 常如此耳跡《ツネカクノミト》 可都知跡《カツシレド》」(卷三、四七二)。ヨノナカノツネは、世間の通常。西大寺本金光明最勝王經に、如の字だけで、カクと讀んでいる。
 半手不忘 カタテワスレズ。半手は、カタテの語に當てて使つているだろう。カタテは、ひたすら、心をこめて一方的にの意の副詞で、日本書紀の訓にしばしば見える。「崇養焉《カタテヒタシタマヒキ》」(神代下)、「崇重神祇《カタテアガメタマフ》」(崇神天皇紀)。ウタテ、カツテ、ヤガテなど同樣の組織によるものだろう。
【評語】世間の通例とは思つても、その心の下から戀うる心を、やはり何とも致し方がない。人情の自然が歌われている。
 
2384 わが夫子は 幸《さき》く坐《いま》すと、
 遍《かへ》り來《き》て われに告げ來《こ》む
 人も來《こ》ぬかも。
 
 我勢古波《ワガセコハ》 幸座《サキクイマスト》
 遍來《カヘリキテ》 我告來《ワレニツゲコム》
 人來鴨《ヒトモコヌカモ》
 
【譯】あの方は無事においでになると、歸つて來てわたくしに告げに來る人もこないかなあ。
【釋】遍來 カヘリキテ。
  カヘリキテ(西)
  ――――――――――
  適喪《タマタマモ》(考)
  遍多《タビマネク》(古義)
(392) 遍はタビで、カヘリとは讀めないが、反に通じて使つているのだろう。なお疑問が殘る。
 人來鴨 ヒトモコヌカモ。ヌに當る字無く補讀している。願望の語法。
【評語】旅に出た男の消息を待つ心が歌われている。來の語の重ねられているのは、氣になるが、無意識に使われたのだろう。
 
2385 あらたまの 五年|經《ふ》れど、
 わが戀の あとなき戀の
 止《や》まずあやしも。
 
 麁玉《アラタマノ》 五年雖v經《イツトセフレド》
 吾戀《ワガコヒノ》 跡無戀《アトナキコヒノ》
 不v止恠《ヤマズアヤシモ》
 
【譯】年が改まつて五年經つたが、わたしの戀のとりとめのない戀が止まないのは、不思議なことだ。
【釋】麁玉 アラタマノ。枕詞。
 五年雖經 イツトセフレド。戀をしている實際の年數をいうのであろう。
 跡無戀 アトナキコヒノ。アトナキは、日本書紀天武天皇朱鳥元年正月朔の條に、「この日、詔したまひしく、朕《われ》、王卿に問ふに無端事《あとなしごと》を以ちてせむ。仍りて對言《こた》ふるに實《まこと》を得ば、かならず賜《たまもの》あらむ。」とある無端事にアトナシゴトと訓してある。これは筋の無い事の意である。ここは、しかとしない戀の意に使つている。
【評語】數えれば五年もたつが、一向に煮えきらない戀であつた。しかもそれが止まないでいる心境を歌つている。變わつた歌だ。
 
2386 石《いはほ》すら 行き通《とほ》るべき 健男《ますらを》も、
 戀といふ事は 後悔いにけり。
 
 石尚《イハホスラ》 行應v通《ユキトホルベキ》 建男《マスラヲモ》
 戀云事《コヒトイフコトハ》 後悔在《ノチクイニケリ》
 
(393)【譯】岩石ですら、通りぬける男兒でも、戀ということは、後悔をしたことだ。
【釋】石尚行應通 イハホスラユキトホルベキ。岩石でも通過すべきで、強い意力のあることを表示している。
【評語】男兒に後悔はないが、戀の道には、その苦痛に堪えかねて後悔するに至つたことを歌つている。男兒としての強い生活力を基調とした歌で、語調も強く、よく云い切つている。
 
2387 日ならべば 人知りぬべみ、
 今日《けふ》の日の
 千歳の如く 在りこせぬかも。
 
 日※[人偏+弖]《ヒナラベバ》 人可v知《ヒトシリヌベミ》
 今日《ケフノヒノ》
 如2千歳1《チトセノゴトク》 有與鴨《アリコセヌカモ》
 
【譯】日をかさねたら人が知るであろうから、今日の日が、千年のように長くあつてくれないかなあ。
【釋】日※[人偏+弖] ヒナラベバ。西本願寺本、神田本、京都大學本、日促に作る。西本願寺本に、頭書して「※[人偏+弖]イ」とある。※[人偏+弖]は低に同じで、日の低くなる意をもつて、日の暮れることをあらわしたとして、ヒクレナバと讀まれてい(394)るが、日が暮れたら人が知るだろうというのが變である。※[人偏+弖]は竝の誤りで、ヒナラベバ、日を竝べかさねたらであろう。
【評語】日中思う人に逢つていると思われる。日をかさねて留まつていると、人に恠《あや》しまれるのを恐れている。珍しい歌境に立つている。夜が長くあるようにというのは多いが、日中の長くあれかしと歌つたのが、特色である。
 
2388 立ちて坐《ゐ》て
 たどきも知らに 念へども、
 妹に告げねば、間使《まづかひ》も來ず。
 
 立座《タチテヰテ》
 態不v知《タドキモシラニ》 雖v念《オモヘドモ》
 妹不v告《イモニツゲネバ》 間使不v來《マヅカヒモコズ》
 
【譯】立つたりすわつたりして、手のつけ所もなく思うけれども、妻に告げないので、あいだの使も來ない。
【釋】態不知 タドキモシラニ。態の字は、他に用例が無いが「立座《タチテヰテ》 多士伎乎不v知《タドキヲシラニ》」(卷十、二〇九二)、「立居《タチテヰテ》 田時毛不v知《タドキモシラニ》」(卷十二、二八八七)などによつて、タドキと讀む。タヅキと同じく、手著キで、手のつけ所、手の下しようの意。
【評語】落ちつきを失つてひとり思う心が歌われている。打消を使用することの多いのが目立つ。
 
2389 ぬばたまの この夜な明けそ。
 朱《あか》らひく 朝行く公を 待たば苦しも。
 
 烏玉《ヌバタマノ》 是夜莫明《コノヨナアケソ》
 朱引《アカラヒク》 朝行公《アサユクキミヲ》 待苦《マタバクルシモ》
 
【譯】くらいこの夜は明けるな。赤みを帶びている朝を行くあの方を待つのは、苦しいことです。
【釋】朱引 アカラヒク。枕詞。赤色を引く意で、朝の旭光から朝に冠して使われる。「赤羅引《アカラヒク》 日母至v闇《ヒモクルルマデ》」(395)(卷四、六一九)、「朱羅引《アカラヒク》 色妙子《シキタヘノコヲ》 數見者《シバミレバ》」(卷十、一九九九)。公に冠するのではない。
 待苦 マタバクルシモ。マテバクルシモ(嘉)、マタバクルシモ(代初)。「於久禮爲弖《オクレヰテ》 古非波久流思母《コヒバクルシモ》」(卷十四、三五六八)、「麻多婆久流思母《マタバタルシモ》」(卷十五、三六八二)等によつて、マタバクルシモと讀む。
【評語】ヌバ玉と、赤ラヒクとの、二つの枕詞が對比をしている。現在の歡喜よりも、夜が明けてから公を待つ苦痛が、強く囘想されている。美しい詞で持つている歌である。
 
2390 戀するに 死《しに》するものに あらませば、
 わが身は千遍《ちたび》 死《し》に返らまし。
 
 戀爲《コヒスルニ》 死爲物《シニスルモノニ》 有者《アラマセバ》
 我身千遍《ワガミハチタビ》 死反《シニカヘラマシ》
 
【譯】戀をするので、死をするものであつたとしたら、わたしの身は千遍も死んでくることだろう。
【釋】死反 シニカヘラマシ。シニカヘルは、死んで歸ることをいう。舊事本紀の天神本紀に、饒速日《にぎはやび》の尊《みこと》の十種の寶のうちに、死反《しにかへり》の玉というのがあるのは、死んだ人を歸らせる力のある玉であろう。「字禮牟曾此之《ウレムゾコレガ》 將2死還生1《シニカヘリイカム》」(卷三、三二七)の死還も同じであろう。
【評語】いかに思つているかということを、理くつつぽい云い方であらわしている。思いには死なぬものだということになつて、自分の理くつに負けた形になつている。
 
2391 たまたまも 昨日のゆふべ 見しものを、
 今日の朝《あした》に 戀ふべきものか。
 
 玉響《タマタマモ・タマサカニ》 昨夕《キノフノユフベ》 見物《ミシモノヲ》
 今朝《ケフノアシタニ》 可v戀物《コフベキモノカ》
 
【譯】偶然にも昨日の夕方に逢つたものだのに、今日の朝になつて戀うべきものだろうか。
【釋】玉響 タマタマモ。
(396)  タマヒヾキ(嘉)
  タマユラニ(西)
  タマサカニ(久老)
  ――――――――――
  烏玉《ヌバタマノ》(古義)
 タマユラは、集中例が無く、「たまゆらの露も涙もとどまらず。亡き人戀ふる宿の秋風」(新古今集、藤原定家)などの用例によれば、瞬時の意に使用されており、この歌に適わない。タマサカニと讀めば、歌意は通ずるが、玉響をそう讀むべき理由は無い。タマタマも無理だが、玉の響くのは、玉と玉とが觸れることであるから、玉玉の義に取る。「情者《ココロニハ》 不v忘物乎《ワスレヌモノヲ》 儻《タマタマモ》 不v見日數多《ミヌヒサマネミ》 月曾經去來《ツキゾヘニケル》」(卷四、六五三)の儻をタマタマモと讀んでいる。
 可戀物 コフベキモノカ。戀うべきものかはの意で、反語になる。勿論實際は、戀しているのだが。
【評語】昨夕會つたばかりだのに、今朝は既に戀うていることを歌つている。戀フベキモノカと云い放つた所に、煩悶が見える。初句は、意あつて置いたようだが、十分に理解し得ないのは殘念だ。
 
2392 なかなかに 見ざりしよりは、
 相見ては 戀しき心、まして念《おも》ほゆ。
 
 中々《ナカナカニ》 不v見有從《ミザリシヨリハ》
 相見《アヒミテハ》 戀心《コホシキココロ》 益念《マシテオモホユ》
 
【譯】かえつて逢わなかつたよりも、逢つてからは、戀しい心が増さつて思われる。
【釋】不見有從 ミザリシヨリハ。ヨリは、比較を現す助詞。
【評語】初めは、名だけを聞いて思つていたのだろうが、望みがかなつて逢つて見れば、かえつて物思いが増さる。説明的な内容の歌だが、中々ニは、よく一首の氣もちを表現している。
 
(397)2393 玉|桙《ほこ》の 道行かずして あらませば、
 ねもころかかる 戀に逢はざらむ。
 
 玉桙《タマホコノ》 道不v行爲《ミチユカズシテ》 有者《アラマセバ》
 惻隱此有《ネモコロカカル》 戀不v相《コヒニアハザラム》
 
【譯】道を行かないでいたら、心いたくかような戀には逢わないだろう。
【釋】惻隱此有 ネモコロカカル。ネモコロは、普通に懇切、慇懃の義に使われるが、心の底からの語義によつて、惻隱の字をも當てるのだろう。惻隱は、見て忍びない心である。「石穗菅《イハホスゲ》 惻隱吾《ネモコロワレハ》 片念爲《カタモヒヲセム》」(卷十一、二四七二)、「菅根《スガノネノ》 惻隱君《ネモコロキミガ》 結爲《ムスビテシ》 我紐緒《ワガヒモノヲヲ》 解人不v有《トクヒトハアラジ》」(同、二四七三)。
【評語】これも逢つてから物思いに惱むことを歌つている。前の歌よりも、一層愚痴つぽいあわれさがある。
 
2394 朝影に わが身はなりぬ、
 玉かぎる ほのかに見えて
 去《い》にし子故に。
 
 朝影《アサカゲニ》 吾身成《ワガミハナリヌ》
 玉垣入《タマカギル》 風所v見《ホノカニミエテ》
 去子故《イニシコユヱニ》
 
【譯】朝の影のようにわたしはやせた。玉の放つ光のように、ほのかに見えて行つてしまつたあの子ゆえに。
【釋】朝影吾身成 アサカゲニワガミハナリヌ。アサカゲは、朝日の光に依つてできる影は、細く長く見えるので、痩せたことを、朝影になつたという譬喩の云い方である。巧みな表現だが、歌いものとして歌われていた句であろう。句切。
 玉垣入 タマカギル。枕詞。玉のわずかな光を發する意から、ホノカに冠している。垣入は訓假字で、この語の訓法を示す例である。
 風所見 ホノカニミエテ。風はホノカに當てて書いている。
(398)【評語】朝影になるというのも、氣の利いた表現だし、全體の調子もよい。重出や類歌のあるのも、歌いものとしてもてはやされたからであろう。ここには正述心緒に入れてあるが、卷の十二では、寄物陳思に入れてある。
【參考】重出。
  朝影爾《アサカゲニ》 吾身者成奴《ワガミハナリヌ》 玉蜻《タマカギル》 髣髴所v見而《ホノカニミエテ》 往之兒故爾《イニシコユヱニ》(卷十二、三〇八五)
  類歌。
 戀は皆わが上《へ》に落ちぬ。玉かぎるはろかに見えていにし兒ゆゑに(日本靈異記)
 
2395 行けど行けど 逢はぬ妹ゆゑ、
 ひさかたの 天の露霜に
 ぬれにけるかも。
 
 行々《ユケドユケド》 不v相妹故《アハヌイモユヱ》
 久方《ヒサカタノ》 天露霜《アメノツユジモニ》
 沾在哉《ヌレニケルカモ》
 
【譯】行きに行つても逢わない妻ゆえに、大空から降る露霜に濡れてしまつたなあ。
【釋】行々 ユケドユケド。ユケドユケド(西)、ユキユキテ(代初)。ユケドユケドは、何度行つてもの意になる。
 天露霜 アメノツユジモニ。露霜を仰山に云つている。
【評語】ヒサカタノ天ノ露霜ニと大げさに言つているのが效果的である。すつかり濡れてしまつた本意なさがよく歌われている。
 
2396 邂逅《たまさか》に わが見し人を、
(399)いかならむ 縁《よし》を以《も》ちてか
 また一目見む。
 
 玉坂《タマサカニ》 吾見人《ワガミシヒトヲ》
 何有《イカナラム》依以《ヨシヲモチテカ》
 亦一目見《マタヒトメミム》
 
【譯】偶然にわたしの見た人を、どういうわけをもつてか、また一目見よう。
【釋】玉坂 タマサカニ。類聚名義抄、偶、邂逅などにタマサカの訓がある。偶然。「海若《ワタツミノ》 神之女爾《カミノムスメニ》 邂爾《タマサカニ》 伊許藝?《イコギムカヒ》」(卷九、一七四〇)。
【評語】どういうわけをもつてしてかという所に、特色がある。どうにかしてまた逢いたいと思う心は窺われる。
 
2397 暫《しまし》くも 見ねば戀しき 吾妹子を、
 日に日に來《く》れば 言《こと》の繁けく。
 
 暫《シマシクモ》 不v見戀《ミネバコホシキ》 吾妹《ワギモコヲ》
 日々來《ヒニヒニクレバ》 事繁《コトノシゲケク》
 
【譯】ちよつとでも見ないと戀しいわが妻なのだが、毎日くるので、人の口がうるさいことだ。
【釋】吾妹 ワギモコヲ。吾妹子であるものをの意。
【評語】人の口を氣にかけながらも、日々に通つている事情が、歌われている。初二句の吾妹子の説明も、中中に役立つている。
 
2398 年きはる 世まで定めて 恃《たの》めたる、
 公によりてし、言《こと》の繁けく。
 
 年切《トシキハル》 及v世定《ヨマデサダメテ》 恃《タノメタル》 公依《キミニヨリテシ》 事繁《コトノシゲケク》
 
【譯】年の限られた世までも定めて、たよりにしているあなたの事によつて、人の口がうるさいことです。
(400)【釋】年切 トシキハル。キハルは、タマキハルのキハルと同じく、切るの意だろう。年の限りので、命の極限をいう。年キハル世までは、年の限りの生涯を通して。末の世までも。この語は、他に用例が無い。
 及世定恃 ヨマデサダメテタノメタル。世までも決定して恃みにしているので、作者自身が、公に對する心である。
【評語】思い入つている人のために、人の言のうるさいことを敍している。これらの歌は、作者たちの境涯に基礎のあるもので、二人とも宮仕えしていたのだろう。この歌は、わずかに十字で書いている。
 
2399 朱《あか》らひく 膚《はだ》にも觸れず 寐たれども、
 心を異《け》しく わが念はなくに。
 
 朱引《アカラヒク》 秦不v經《ハダニモフレズ》 雖v寐《ネタレドモ》
 心異《ココロヲケシク》 我不v念《ワガオモハナクニ》
 
【譯】ほんのり赤い膚にも觸れないで寐たけれども、心が變つてわたしは念わないことだ。
【釋】朱引 アカラヒク。赤みを帶びている。膚の修飾句で、肉感的な表現である。
 秦不經 ハダニモフレズ。秦經は共に假字。肌膚にも觸れずである。
【評語】共に寐ないけれども、變つた心を持つてはいない旨を歌つている。初二句の表現が官能的で、その人を思う心をよくあらわしている。
 
2400 いでいかに ここだはなはだ
 利心《とごころ》の 失《う》するまで念ふ。
 戀ふらくの故。
 
 伊田何《イデイカニ》 極太甚《ココダハナハダ》
 利心《トゴコロノ》 及v失念《ウスルマデオモフ》
 戀故《コフラクノユヱ》
 
【譯】さあどうして、大變非常に、しつかりした心の無くなるまでも思うのか。戀うることのために。
(401)【釋】伊田何 イデイカニ。イデは、言を起す時に言いかける語。「乞如何《イデイカニ》 吾幾許戀流《ワガココダコフル》」(卷十二、二八八九)。さあ何としてかの意で、この句は四句を修飾する。
 極太甚 ココダハナハダ。多量にはなはだしくある意の副詞を重ねて、極度である意を強調している。この句も、直接に四句を修飾する。
 及失念 ウスルマデオモフ。句切。
 戀故 コフラクノユヱ。失せるまで念う理由を説明している。
【評語】極度に思う意を、よく強調し得ている。イデ、イカニ、ココダ、ハナハダと、副詞を重ねた表現に特色があり、躍動的な感情を寫すに成功している。
 
2401 戀ひ死なば 戀ひも死ねとや、
 我妹子が 吾家《わぎへ》の門を
 過ぎて行くらむ。
 
 戀死《コヒシナバ》 々々哉《コヒモシネトヤ》
 我妹《ワギモコガ》 吾家門《ワギヘノカドヲ》
 過行《スギテユクラム》
 
【譯】戀に死ぬなら戀に死ねとてか、わが妻が、わたしの家の門を過ぎて行くのだろう。
【釋】戀死々々哉 コヒシナバコヒモシネトヤ。「戀死《コヒシナバ》 戀死耶《コヒモシネトヤ》」(卷十一、二三七〇)參照。
【評語】歌いものとして型のできた歌であろう。人目を憚れば、三句以下のような場合も起るのであろう。
 
2402 妹があたり 遠く見ゆれば、
 恠《あや》しくも 吾はぞ戀ふる。
 逢ふよしを無み。
 
 妹當《イモガアタリ》 遠見者《トホクミユレバ》
 恠《アヤシクモ》  吾戀《ワレハゾコフル》
 相依無《アフヨシヲナミ》
 
(402)【譯】妻のいる邊が、遠くに見えるので、云いようもなく、わたしは戀うている。逢うすべがないので。
【釋】恠 アヤシクモ。竝々ならず、不思議なくらいに。
【評語】妻の家を遠望して、躍る心が歌われている。遠方に見ながら逢うことのできない理由があるのだろう。「一日には千重しくしくにわが戀ふる妹があたりに時雨降れ、見む」(卷十、二二三四)參照。
 
2403 玉|久世《くせ》の 清き河原に 身祓《みそぎ》して、
 齋《いは》ふ命は 妹がためこそ。
 
 玉久世《タマクセノ》 清河原《キヨキカハラニ》 身祓爲《ミソギシテ》
 齋命《イハフイノチハ》 妹爲《イモガタメコソ》
 
【譯】玉のような久世川の清らかな河原で、身祓をして、淨め守る命は、わが妻のためだ。
【釋】玉久世 タマクセノ。タマは美稱。玉のように清らかな久世の意であろう。久世は、京都府久世郡|城陽《じようよう》町に久世の地名が殘つている。その清き川原というのは、木津川であろう。山田孝雄博士は、新撰字鏡に、瀧の字に註して「加波良久世《カハラクセ》、又|和太利世《ワタリセ》、又|加太《カタ》」とあるによつて、久世も河原と同義で、水石あい交る處をいうとしている。
 身祓爲 ミソギシテ。ミソギは、身を滌《すす》いで、不淨を拂い災禍を免れようとする行事。「久堅乃《ヒサカタノ》 天川原爾《アマノガハラニ》 出立而《イデタチテ》 潔身而麻之乎《ミソギテマシヲ》」(卷三、四二〇)、「古郷之《フルサトノ》 明日香乃河爾《アスカノカハニ》 潔身爲爾去《ミソギシニユタ》」(卷四、六二六)など、潔身の字も使用され、ミが身の義であることが推測される。
 齋命 イハフイノチハ。イハフは、齋戒して禍災の無いように願うをいう。ここはわが命の無事を期するのである。
 妹爲 イモガタメコソ。コソの下に、アレの如き語が省略されている氣分である。「時風《トキツカゼ》 吹飯乃濱爾《フケヒノハマニ》 出居乍《イデヰツツ》 贖命者《アガフイノチハ》 妹之爲社《イモガタメコソ》」(卷十二、三二〇一)によつて訓が下されている。
(403)【評語】旅先の清らかな河原で身そぎをして、無事を期する上代の風俗が歌われている。それも妻のためであると強く言い切つた歌い方には、思い入つた旅人の心がよく描かれている。河原の清らかなことを説いたのも、極めて有力に響いている。
 
2404 思ふより 見るよりものは あるものを、
 一日のほども 忘れて念へや。
 
 思依《オモフヨリ》 見依物《ミルヨリモノハ》 有《アルモノヲ》
 一日間《ヒトヒノホドモ》 忘念《ワスレテオモヘヤ》
 
【譯】思うことにより、見ることによつて、物はあるものですのを、それだから一日のあいだも忘れてはいません。
【釋】思依見依物有 オモフヨリミルヨリモノハアルモノヲ。思うにより見るにより、事物の存在は認められるという思想を云つているのだろう。ヨリは助詞。モノヲは、あるものだがの意。
 忘念 ワスレテオモヘヤ。ワスレテオモフは、忘れるに同じ。ヤは反語。忘れるのは、思うの一種だから、忘レテ思フという。そうして思うことによつて、君の存在を確かめようとする意である。
【評語】理くつばつた内容で、興趣に乏しい。普通の歌と變わつた歌なのだろうが、文字表示が不完全で、訓法が決定的ではない。
 
2405 垣穗なす 人は言へども、
 高麗《こま》錦 紐解き開《あ》けし 君なけなくに。
 
 垣穗鳴《カキホナス》 人雖v云《ヒトハイヘドモ》
 狛錦《コマニシキ》 ?解開《ヒモトキアケシ》 公無《キミナケナクニ》
 
【譯】垣のように取り圍んで、人は言いますけれども、高麗錦の紐を解きあけた、あなたという方がございます。
(404) 【釋】垣穗鳴 カキホナス。カキホは垣。ホは接尾語。垣の障壁をなしている形である。ナスは、を成して。
 人雖云 ヒトハイヘドモ。人々は言い寄るけれども。
 狛錦 コマニシキ。紐を修飾している。
 ?解開 ヒモトキアケシ。契りを結んだことを、具體的に言つている。
 公無 キミナケナクニ。無一字であるが、意をもつて、一つの打消を補つて讀む。公無きにあらず、公ありの強い表現。「吾莫勿久尓《ワレナケナクニ》」(卷一、七七)參照。
【評語】男子に對する妻の強い信頼が歌われている。珍しい内容の歌である。高麗錦の語は、かなり突き込んだ描寫を感じさせる。
 
2406 高麗錦 紐解き開《あ》けて、
 夕戸《ゆふど》をも 知らざる命、
 戀ひつつあらむ。
 
 狛錦《コマニシキ》 緋解開《ヒモトキアケテ》
 夕戸《ユフドヲモ》 不v知有命《シラザルイノチ》
 戀有《コヒツツアラム》
 
【譯】高麗錦の紐を解き放して、夕戸をも知らない命ですが、戀しておりましよう。
【釋】狛錦?解開 コマニシキヒモトキアケテ。前の歌に同じ表現だが、ここは人を待つ敍述である。
 夕戸 ユフドヲモ。ユフベトモと讀むことも考えられるが、戸は、トの訓假字としては甲類であり、助詞トは、乙類であるから、その訓は成立しない。またヘの訓假字としてユフベヲモとも讀まれるが、戸は、ヘの訓假字としては乙類であり、ユフベのヘは甲類である。よつてユフドヲモと讀む。夕戸は、夕方の戸で、人を待つ戸口である。夕戸をも知らざる命は、佛教の無常思想に出ている。
【評語】前の歌に應じた男子の歌と解せられる。妻に對する愛情に、無常思想を借り入れて複雑な感情が描か(405)れている。待つていることを感謝する歌である。
 
2407 百積《ももさか》の 船こぎ入るる
 や占指《うらさ》し 母は問ふとも
 その名は謂《の》らじ。
 
 百積《モモサカノ》 船潜納《フネコギイルル》
 八占刺《ヤウラサシ》 母雖v問《ハハハトフトモ》
 其名不v謂《ソノナハノラジ》
 
【譯】百石積みの船を浦に漕ぎ入れる。その占にかけて母は問うとも、その名は言いません。
【釋】百積 モモサカノ。サカは、容積の單位。石斛に同じ。日本書紀欽明天皇の卷に「麥種一千斛《むぎだねちさか》を百濟の王に賜ふ」とあり、斛にサカの訓がある。モモサカは百石で、容積の大きいことをいう。「百石《ももさか》に八十石《やそさか》添へて賜ひてし乳房のむくい今日ぞわがする」(百石讃嘆)。積は字音假字で、入聲の字を二音節の音にあてたもの。
 船潜納 フネコギイルル。潜は古義に漕の誤りとしているが、潜入の義をもつて、浦ニ漕ギ入ルルに使つたのだろう。八は、この句につけて讀む説と、次の句につけて讀む説とがある。この句につければ、感動の助詞ヤをあらわす。以上二句、序詞。漕ぎ入れる浦の義から、次のヤウラを引き出している。
 八占刺 ヤクラサシ。八占は、多くのうらない。さまざまにうらなうこと。占を行い、それと指示して。
 其名不謂 ソノナハノラジ。ソノナは、思う人の名。男の名である。
【評語】序詞は、巧みであるが、船のことを云つてそれと何等関係の無い占ないのことに及ぶのは、歌いものふうの表現である。占ないによつて娘の男を判斷した古代の風習が殘つている。この歌、寄物陳思に入れてもよさそうな歌だ。
 
2408 眉根《まよね》掻《か》き 嚔《はな》ひ紐|解《と》け 待つらむか。
(406) いつしか見むと 念《おも》へる吾を。
 
 眉根削《マヨネカキ》 鼻鳴?解《ハナヒヒモトケ》 待哉《マツラムカ》
 何時見《イツシカミムト》 念吾《オモヘルワレヲ》
 
【譯】眉を掻き、くしやみをし、紐が解けて、待つているだろうか。早く逢いたいと思つているわたしを。
【釋】眉根削 マヨネカキ。ネは接尾語。眉の痒いのは、人に逢う前兆とする。
 鼻鳴?解 ハナヒヒモトケ。ハナヒは、くしやみをする。「安支川波奈布久《アキヅハナフク》 波奈布止毛《ハナフトモ》」(琴歌譜、繼根扶理)に鼻フトモとあるによれば、くしやみをする意の動詞ヒは四段か上二段活であつて一段活ではないらしい。ヒモトケは、衣の紐の自然に解けるをいう。いずれも人に逢う前兆とする。
 待哉 マツラムカ。待つているだろうか。句切。マタメヤモと讀めば、待つていないだろうとなる。
 何時見 イツシカミムト。イツシカは、早く早くの意。
【評語】あい思う心は、互に通ずるとする思想を根柢として歌われている。前兆を信ずることの厚かつた時代の作として、俗信を列擧しているのも、意義が深い。
 
2409 君に戀ひ うらぶれ居《を》れば、
 悔しくも わが下紐の
 結《ゆ》ふ手むなしも。
 
 君戀《キミニコヒ》 浦經居《ウラブレヲレバ》
 悔《クヤシクモ》 我裏?《ワガシタヒモノ》
 結手徒《ユフテムナシモ》
 
【譯】あなたに戀してさびしい氣もちになつていますと、くやしいことにも、わたくしの下著の紐を結ぶ手が役立ちません。
【釋】結手徒 ユフテムナシモ。
  ムスビテタダニ(嘉)
(407)  ユフテモタヾニ(代初)
  ムスベバトケヌ(童)
  ユフテイタヅラニ(新訓)
  ――――――――――
  結手倦《ユヒテタユシモ》(考)
  結手倦《ユフテタユシモ》(略)
 徒は、むなしく役立たない意に書いたのだろう。今、義をもつてムナシモとする。結べない意である。古事記に徒手をムナデと讀んでいる。
【評語】君に戀して、下紐を結ぼうとしても結べないよしである。下紐は、下の衣服の紐であるから、かなり官能的な敍述というべきである。しかしこういう言葉は、歌いものなどで慣れていて、格別の刺戟も感じていないのだろう。
 
2410 あらたまの 年は果《は》つれど、
 敷栲の 袖|交《か》へし子を 忘れて念《おも》へや。
 
 璞之《アラタマノ》 年者竟杼《トシハハツレド》
 敷白之《シキタヘノ》 袖易子少《ソデカヘシコヲ》
 忘而念哉《ワスレテオモヘヤ》
 
【譯】改まつて行く年は暮れるけれども、やわらかい袖をかわしたあの子を、忘れはしない。
【釋】敷白之 シキタヘノ。枕詞。シキタヘは、目の密な織物。白の字を書いたのは、細布は白いので書く。袖を敍述し説明する。枕詞だが、その人の袖の實?である。
 袖易子少 ソデカヘシコヲ。少は、助詞ヲに使つている。袖をかわして共に寐た人を。
【評語】率直に敍し、二つの枕詞を使つて、趣をつけようとしている。内容は平凡である。
 
2411 白細布《しろたへ》の 袖はつはつに 見しからに、
 かかる戀をも われはするかも。
 
 白細布《シロタヘノ》 袖小端《ソデハツハツニ》 見柄《ミシカラニ》
 如是有戀《カカルコヒヲモ》 吾爲鴨《ワレハスルカモ》
 
(408)【譯】白い布の袖をわずかに見たことのゆえに、かような戀をもわたしはすることだなあ。
【釋】白細布 シロタヘノ。相手の袖の敍述。
 袖小端 ソデハツハツニ。ソデヲハツカニ(西)、ソデハツハツニ(代初)、ソデヲハツハツ(略)。小端は、端の方の義で、わずかにの意に使用している。端々とも書く。「小端見《ハツハツニミテ》 反戀《サラニコホシモ》」(卷七、一三〇六)、「端々《ハツハツニ》 妹見鶴《イモヲゾミツル》」(卷十一、二四六一)。ハツハツニは、ハツハツとのみも讀んでいるが、他の例すべてニを伴なつている。「波都波都爾《ハツハツニ》 人乎相見而《ヒトヲアヒミテ》」(卷四、七〇一)、「波都々々爾《ハツハツニ》 安比見之兒良之《アヒミシコラシ》」(卷十四、三五三七)。
【評語】白細布の袖をわずかに見たという、具體的な敍述がなされているのがよい。それは勿論誇張した云い方だが、これに依つて、わずかに逢つただけの感じは、與えられる。
 
2412 我妹子に 戀ひて術《すべ》なみ、
 夢《いめ》見むと われは念《おも》へど
 寐《い》ねらえなくに。
 
 我妹《ワギモコニ》 戀無v乏《コヒテスベナミ》
 夢見《イメミムト》 吾雖v念《ワレハオモヘド》
 不v所v寐《イネラエナクニ》
 
【譯】わが妻に戀うてしかたなさに、夢に見ようとわたしは思うけれども寐られないことだ。
【釋】戀無乏 コヒテスベナミ。コヒスベナカリ(略)。「吾妹兒爾《ワギモコニ》 戀爲便名雁《コヒスベナカリ》」(卷十二、三〇三四)、「和賀勢故邇《ワガセコニ》 古非須敝奈賀利《コヒスベナカリ》」(卷十七、三九七五)によつて、コヒスベナカリとも讀まれる。但しナカリは、語法としてやや新しいので、スベナミとする。
【評語】妻に戀うて、いたし方なさに、夢に見ようとするが、それも眠りをしかねるので見られないよしを詠んでいる。輾轉反側して眠りをしかねているあいだに生まれた歌である。
 
(409)2413 故も無く わが下紐を 解かしめつ。
 人にな知らせ。
 直《ただ》に逢ふまでに。
 
 故無《ユヱモナク》 吾裏?《ワガシタヒモヲ》 令v解《トカシメツ》
 人莫知《ヒトニナシラセ》
 及2正逢1《タダニアフマデニ》
 
【譯】何の理由も無く、わたくしの下紐は解けました。人に知らせないでください。じかに逢うまでは。
【釋】故無 ユヱモナク。理由も無く、自然に。
 令解 トカシメツ。見えない力が解かせた。
 人莫知 ヒトニナシラセ。ヒトは、他の人をいう。
【評語】人に思われると、下紐が解けるという俗信をもととしている。下紐の自然に解けたことによつて、逢うことを期する女ごころが歌われている。
 
2414 戀ふらくの 意《こころ》遣《や》りかね 出で行けば、
 山も川をも 知らず來にけり。
 
 戀事《コフラクノ》 意追不v得《ココロヤリカネ》 出行者《イデユケバ》
 山川《ヤマモカハヲモ》 不v知來《シラズキニケリ》
 
【譯】戀うことの心をやりかねて出てきたので、山をも川をも知らないできたことだ。
【釋】戀事 コフラクノ。戀事は、義をもつてコフラクと讀み、ノを添える。戀うことので心につづく。
 意遣不得 ココロヤリカネ。ナゲサメカネテ(西)。意を追うことは、心を放しやる意で、思わなくなるをいう。
 山川 ヤマモカハヲモ。山川の二字だけなので、補讀しなければならない。ヤマヲモカハヲモと讀むべきだが、字あまりになり調子がわるい。「父妣毛《チチハハモ》 妻矣乎將v見跡《ツマヲモミムト》」(卷九、一八〇〇)、「京師乎母《ミヤコヲモ》 此間乎於夜自(410)等《ココモオヤジト》」(卷十九、四一五四)などのように、一方のヲを略する語法があるので、今これによる。
【評語】戀のために思い亂れて、山をも川をも知らずに來た、その四五句の敍述がよい。沈痛な作がらである。
 
寄v物陳v思
 
物に寄せて思を陳ぶる。
 
【釋】寄物陳思 モノニヨセテオモヒヲノブル。物に寄せてとは、事物を題材として思いを敍し、または事物を譬喩としても使つている意である。人麻呂集所出の事物陳思の歌は、その寄せた事物により、一定の法則のもとに配列してある。すなわち、神祇、地理、玉、天象、植物、動物、器材、卜占の順になり、その各部では、更に同物に寄せた歌を一緒にしてある。玉を器材から分離したのは理解に苦しむが、その他にもある一二の例外と共に、この配列法を理解しない人の手によつてなされた變更であろう。
 
2415 處女等《をとめら》を 袖|布留山《ふるやま》の 瑞《みづ》垣の、
 久しき時ゆ 念《おも》ひけり、吾は。
 
 處女等乎《ヲトメラヲ》 袖振山《ソデフルヤマノ》 水垣乃《ミヅガキノ》
 久時由《ヒサシキトキユ》 念來吾等者《オモヒケリワレハ》
 
【譯】孃子が袖を振る。その布留の山の瑞垣のように、久しい時のあいだ、思つていました。わたしは。
【釋】處女等乎 ヲトメラヲ。ヲは、感動の助詞で、ヨというに同じ。孃子、それが袖をふる意である。このヲが古い用法なので、卷の四に出した同歌には、初句を「未通女等之《ヲトメラガ》」(五〇一)とした。
 袖振山 ソデフルヤマノ。ソデまで序。フル山は布留の社。石上神宮の山。
 水垣乃 ミヅガキノ。以上三句は、また久シキ時の序になつている。
 久時由 ヒサシキトキユ。久しい時のあいだを通して。
(411)【評語】卷の四に、人麻呂作歌と題して重出しているが、この卷の十一の方が原形で、卷の四のは、人麻呂歌集の別傳を改書して採録したものであろう。巧みな歌だが、相聞の歌としては、效果的なのだろう。布留の山は、柿本氏の本居に近く、兩者の間に何か縁故のある處と考えられるが、どういう事とも知られない。
【參考】重出。
  柿本朝臣人麻呂作歌三首(二首略)
 未通女等之《ヲトメラガ》 袖振山乃《ソデフルヤマノ》 水垣之《ミヅガキノ》 久時從《ヒサシキトキユ》 憶寸吾者《オモヒキワレハ》(卷四、五〇一)
 
2416 ちはやぶる 神の持《も》たせる 命をば、
 誰《た》がためにかも 長く欲りせむ。
 
 千早振《チハヤブル》 神持在《カミノモタセル》 命《イノチヲバ》
 誰爲《タガタメニカモ》 長欲爲《ナガクホリセム》
 
【譯】はげしい神樣の持つておいでになるこの命を、誰のためにか、長く願いましようぞ。
【釋】千早振 チハヤブル。枕詞。神の威力の烈しいことを敍述する。この歌では、この敍述の意味が強く響いている。
 神持在 カミノモタセル。人の命は、神が支配し所持しているとしている。持つている意の敬語法。
 誰爲 タガタメニカモ。カモは、係助詞。反語になる。
【評語】相手の人に對して、反撥的な云い方をしている。もう希望も何も無いという思想である。神が人の生命を支配しているという思想は、大陸思想の影響を受け入れているのだろう。思想的な歌として注意される。神に寄せて思を述べている。
 
2417 石上《いそのかみ》 布留《ふる》の神《かむ》杉
(412) 神《かむ》びにし 戀をもわれは
 更にするかも。
 
 石上《イソノカミ》 振神杉《フルノカムスギ》 
 神威《カムビニシ》 戀我《コヒヲモワレハ》
 更爲鴨《サラニスルカモ》
 
【譯】石上の布留の神杉のように、物古びて神々しくなつた戀をも、わたしは更にすることだなあ。
【釋】石上振神杉 イソノカミフルノカムスギ。序詞。石上の布留の社の神木の杉で、古く神々しいので、神ビニシを引き起している。
 神威 カムビニシ。カミサビテ(考)、カムサビテ(古義)、カムサビシ(新訓)。文字通り神と成る意であろう。カムサビシ、カムビニシなどの訓が考えられるが、「石上《イソノカミ》 振乃神杉《フルノカムスギ》 神備西《カムビニシ》 吾八更更《ワレヤサラサラ》 戀爾相爾家留《コヒニアヒニケル》」(卷十、一九二七)の例があるにより、カムビニシとする。神ビは、神のようになる意の動詞。ここは主として古くなつたことをいう。神ビニシ戀と續く。
【評語】二人が中は、年を經てまた旅行などのためあらためて戀をするようになつた。そのような場合の歌である。追憶もあり、反省もあつて、おちついて自分の戀を歌つている。前掲の「石上布留の神杉神びにし我やさらさら戀にあひにける」(卷十、一九二七)の歌は、詞句が似ているが、年を經て新しい戀に逢つたことを歌い、内容に相違がある。しかし歌は、石上布留の神杉を序とする歌いものがあつて、これらの歌となつているのだろう。
 
2418 いかならむ 名に負ふ神に 手向《たむけ》せば、
 わが念ふ妹を 夢《いめ》にだに見む。
 
 何《イカナラム》 名負神《ナニオフカミニ》 幣嚮奉者《タムケセバ》
 吾念妹《ワガオモフイモヲ》 夢谷見《イメニダニミム》
 
【譯】どのような音に聞えた神に、手向をしたなら、わたしの思う妻を、夢にだけでも見ることだろう。
(413)【釋】何名負神 イカナラムナニオフカミニ。ナニオフは、名に負い持てるで、何の神は靈驗あらたかだと、知られている意である。多くの神のうち、どういう知られた神に。「木路尓有云《キヂニアリトイフ》 名二負勢能山《ナニオフセノヤマ》」(卷一、三五)。
 幣嚮奉者 タムケセバ。幣を嚮奉せばの意を、義をもつてタムケセバと讀んでいる。タムケは、旅人が道路にあつて行う祭で、幣を奉るので、かように書いている。
【評語】旅にあつて、夢に妹を見ようとするので、いずれの神を祭つて、夢の通路に障害無きを得ようかとである。當時の信仰の窺われる歌。「吾妹子を夢に見え來《こ》と大倭路《やまとぢ》の渡瀬《わたりせ》毎に手向ぞわがする」(卷十三、三一二八)と同じ思想。以上四首、神に寄せている。
 
2419 天地と いふ名の絶えて あらばこそ、
 汝《いまし》とわれと 逢ふこと止まめ。
 
 天地《アメツチト》 言名絶《イフナノタエテ》 有《アラバコソ》
 汝吾《イマシトワレト》 相事止《アフコトヤマメ》
 
【譯】天地という名が無くなつたら、あなたとわたしと逢うことも止むだろう。
【釋】天地言名絶有 アメツチトイフナノタエテアラバコソ。天地という名が絶えたならば。タエテアラバは、絶えたらば。
【評語】天地が無くなつたら、逢うことも止むだろう。天地のある限りは、逢うことは止むことがないという、誓言の歌である。天地のある限りという大きな譬喩を、男女の關係に持ち込んだのが特色である。天地に寄せて思いを述べている。
 
2420 月見れば 國は同《おや》じを、
 山|隔《へな》り 愛《うつく》し妹は 隔《へな》りたるかも。
 
 月見《ツキミレバ》 國同《クニハオヤジヲ》
 山隔《ヤマヘナリ》 愛妹《ウツクシイモハ》 隔有鴨《ヘナリタルカモ》
 
(414)【譯】月を見れば國は同じなのだが、山が隔てて、最愛の妻は隔たつてあることだなあ。
【釋】國同 クニハオヤジヲ。オナジクニナリ(考)、クニハオナジゾ(略)、クニハオヤジゾ(古義)、クニオナジキヲ(新考)、クニハオヤジヲ(新訓)。下文に對して前提となり、それだのにの意を有するものであるから、クニハオヤジヲと讀むを妥當とする。クニは、國土、世界。
 山隔 ヤマヘナリ。山が隔たつて。
【評語】同じ月の照る下に、山を隔てて愛人を思つている。旅中の感情が、月に對してよく描かれている。大伴の池主の書中に、「一、古人の云へる」と題して、「月見れば同じ國なり。山こそは君があたりを隔てたりけれ」(卷十八、四〇七三)とあるのは、この歌をさしているのだろう。
 
2421 木幡路《こはたぢ》は 石踏む山の 無くもがも。
 わが待つ公が 馬|躓《つまづ》くを。
 
 ?路者《コハタヂハ》 石蹈山《イハフムヤマノ》 無鴨《ナクモガモ》
 吾待公《ワガマツキミガ》 馬爪盡《ウマツマヅクヲ》
 
【譯】木幡への道は、石を踏む山が無いとよいなあ。わたしの待つあの方の馬が躓くのに。
【釋】?路者 コハタヂハ。
  クルミチハ(嘉)
  コハタヂハ(定本)
  ――――――――――
  繰路者《クルミチハ》(代初)
  參路者《マヰリチハ》(古義)
 ?は繰の俗字として、クルの音に借りたものとされている。また?は、字書に旌旗之?也とあり、旗布の正幅をいう。「青旗乃《アヲハタノ》 木旗能上乎《コハタノウヘヲ》」(卷二、一四八)の句によれば、木につけた織物で旗の正幅をコハタというのであろう。今コハタの音に借りたものとし、地名とする定本の説による。宇治川を是川と書いているようなものがあり、これもその類であろう。木幡路は、木幡への道で、近江から木幡を通過して來る路である。作者(415)は大和にいて、近江から來る人を待つているので、木幡路は、大和からさしている。木幡は、京都府宇治の近く、近江の國との通路に當る。
 馬爪盡 ウマツマヅクヲ。ウマツマツクモ(西)、ウマツマヅクニ(略)。ヲの方が古格である。馬がつまずくことだ。それによつての意。
【評語】夫の旅先を思つて、情味の溢れた作である。作者もその地を通つて難儀をしたことがあるので、この詠を或している。下に出る山科の強田《こはた》の山の歌(卷十一、二四二五)は、この歌に和した歌とも解せられる。
 
2422 石根《いはね》踏《ふ》み 隔《へな》れる山は あらねども、
 逢はぬ日まねみ 戀ひわたるかも。
 
 石根蹈《イハネフミ》 重成山《ヘナレルヤマハ》 雖v不v有《アラネドモ》
 不v相日數《アハヌヒマネミ》 戀度鴨《コヒワタルカモ》
 
【譯】石を踏んで隔たつている山は無いのだが、逢わない日が多く、戀をして過すことだ。
【釋】石根蹈 イハネフミ。イハネは岩石。ネは接尾語。
 重成山 ヘナレルヤマハ。カサナルヤマハ(西)、ヘナレルヤマハ(古義)。山については、多くヘナレルという例である。「山川乎《ヤマカハヲ》 奈可爾敝奈里弖《ナカニヘナリテ》」(卷十五、三七五五)。
【評語】山が隔たつているわけでもないが、逢わないで日を過すことを歌つている。違えないもどかしさが初三句の敍述によつて描かれている。
 
2423 路《みち》の後《しり》 深津島山、 しましくも
 君が目見ねば
 苦しかりけり。
 
 路後《ミチノシリ》 深津島山《フカツシマヤマ》 暫《シマシクモ》
 君目不v見《キミガメミネバ》
 苦有《クルシカリケリ》
 
(416)【譯】備後の國の深津の島山のように、しましがほどもあなたに逢わないと、苦しいことであつた。
【釋】路後 ミチノシリ。道路の後方の義で、ここは吉備《きび》の路の後、すなわち備後の國をいう。
 深津島山 フカツシマヤマ。備後の國の深津の郷の山をいう。シマヤマは、水中の島峽に限らない。ここは海上から望み見た深津の郷の山である。以上序で、同音をもつて次の句に懸かつている。
【評語】調子をもつてまさつている歌である。上の地名は、何處の地でもよいようだが、ここは作者に縁のある地が選まれているのだろう。路の後の語は、遠く來た感じを與えている。
 
2424 紐鏡 能登香《のとか》の山の 誰《たれ》ゆゑか、
 君來ませるに 紐とかず寐《ね》む。
 
 ?鏡《ヒモカガミ》 能登香山《ノトカノヤマノ》 誰故《タレユヱカ》
 君來座在《キミキマセルニ》 ?《ヒモ》不v開《トカズ・アケズ》寐《ネム》
 
【譯】鏡の紐は解かない。その能登香の山のように、誰のゆえにか、君がおいでになつたのに紐を解かないで寐ましようか。
【釋】?鏡 ヒモカガミ。枕詞。紐のついている鏡で、その紐は解くことがないから。能登香の山のノトカを、莫解《ナト》カと見て、懸かつている。
 能登香山 ノトカノヤマノ。ノトカノ山は、大日本地名辭書に美作《みまさか》名所栞を引いて美作の國としている。以上二句、序で、山の名は紐を解かないというがの意に、トカズにかかつている。
 誰故 タレユヱカ。誰のゆえにかで、五句に懸かつている。タレユヱゾと讀んで句切とする見方もあるが、そうすると四五句が平敍の文となつて反語と見るべき理由が無いことになる。
 ?不開寐 ヒモトカズネム。不開はアケズとも讀まれるが、上にノトカとあつてトクを話題としているから、舊訓のトカズがよいのだろう。
(417)【評語】序の用法は、巧みである。その地が作者に關係のある地なのであろう。女子の作のようであるが、男子が旅中、かような歌を口吟して興としたものであろうか。
 
2425 山科《やましな》の 木幡《こはた》の山を 馬はあれど、
 歩《かち》ゆわが來《こ》し。
 汝を念《おも》ひかね。
 
 山科《ヤマシナノ》 強田山《コハタノヤマヲ》 馬雖v在《ウマハアレド》
 歩吾來《カチユワガコシ》
 汝念不v得《ナヲオモヒカネ》
 
【譯】山科の木幡の山に馬はあるが、徒歩でわたしは來た。あなたを思うに堪えかねて。
【釋】山科強田山 ヤマシナノコハタノヤマヲ。山科の強田の山は、二四二一の木幡の山。
 歩吾來 カチユワガコシ。徒歩によることをカチユという。ユは、徒歩をもつての意をあらわす。
【評語】馬の用意をするあいだも待ち切れずに、徒歩で來た意である。民謠ふうな味のある歌である。
 
2426 遠山に 霞たなびき、
 いや遠《とほ》に 妹が目見ずて
 わが戀ふるかも。
 
 遠山《トホヤマニ》 霞被《カスミタナビキ》
 益遐《イヤトホニ》 妹目不v見《イモガメミズテ》
 吾戀《ワガコフルカモ》
 
【譯】遠い山に霞がかかつているように、いよいよ久しいまで妻に逢わないで、わたしは戀をすることだ。
【釋】霞被 カスミタナビキ。カスミカガフリ(新訓)。以上二句、序詞。譬喩によつて、次のイヤ遠ニを引き起している。
 益遐 イヤトホニ。いよいよ遠く久しく。遠は時の久しいことをいう。
【評語】譬喩は巧みにできている。遠い山に霞のかかつて一層遠く見えるのを眺めて、妻の上を思つている。(418)旅の心があわれに出ている。以上、山に寄せて思いを述べている。
 
2427 宇治川《うぢがは》の 瀬瀬《せぜ》のしき浪、しくしくに
 妹が心に 乘りにけるかも。
 
 是川《ウヂガハノ》 瀬々敷浪《セゼノシキナミ》 布々《シクシクニ》
 妹心《イモガココロニ》 乘在鴨《ノリニケルカモ》
 
【譯】宇治川の瀬々の重なる波のように、重ね重ね、わたしはわが妻の心に乘つたことだなあ。
【釋】是川 ウヂガハノ。是は氏と通用していると、訓義辨證に詳説がある。儀禮覲禮《ぎらいきんらい》に、大史是右とある註に、古文是(ヲ)爲(ス)v氏(ト)也といい、漢書地理志《かんじよちりし》下の註に、古字氏是同(ジ)、後漢書李雲傳《ごかんじよりうんでん》の註に、是(ハ)與v氏(ト)古字通(ズ)などある由である。よつてウヂの音に借用している。宇治川ノである。
 瀬々敷浪 セゼノシキナミ。以上二句、序詞。譬喩によつて、シクシクニを引き起している。シキナミは、あとからあとからとかさなる浪。
【評語】妹ガ心ニ乘リニケルカモの慣用句によつて歌を成している。人麻呂集のものは、この種のうちの古いものである。この歌は、譬喩は平凡で、さして特色を見出しがたい。
 
2428 ちはや人 宇治の渡《わたり》の はやき瀬に、
 逢はずありとも 後はわが妻。
 
 千早人《チハヤビト》 宇治度《ウヂノワタリノ》 速瀬《ハヤキセニ》
 不v相有《アハズアリトモ》 後《ノチハ・ノチモ》我?《ワガツマ》
 
【譯】はげしい宇治のわたり場のように、はげしい時期は逢わないでいても、後はわたしの妻だ。
【釋】千早人 チハヤビト。枕詞。勇猛な人の義で、宇治のわたりの激流の烈しさを、譬喩によつて描くのだろう。「知波夜比登《チハヤヒト》 宇遲能和多理邇《ウヂノワタリニ》」(古事記五二)などあり、古歌謠に歌い傳えられた枕詞である。
 宇治度速瀬 ウヂノワタリノハヤキセニ。以上二句、譬喩を成している。ハヤキセは、宇治川の急瀬と、流(419)れが早くて障害の多い時期にとの意をかけて云つている。人の批判のけわしい時にである。
 後我? ノチハワガツマ。後はノチモとも讀まれているが、逢い得ない時期に詠まれているから、後はと強く指示する方がよいようだ。
【評語】譬喩が巧みに使われ、障害が多くて今すぐに逢いがたい意を、よく表示している。逢ハズアリトモ後ハワガ妻と云い切つた表現も、強い表現で、信念のほどを表示している。
 
2429 愛《は》しきやし 逢はぬ子ゆゑに 
 徒《いたづら》に この川《かは》の瀬に 裳の裾ぬれぬ。
 
 早敷哉《ハシキヤシ》 不v相子故《アハヌコユヱニ》
 徒《イタヅラニ》 是《コノ・ウヂ》川瀬《カハノセニ》 裳襴潤《モノスソヌレヌ》
 
【譯】愛すべき逢わない子だのに、むだにこの川の瀬に、裳の裾を濡らした。
【釋】早敷哉 ハシキヤシ。愛すべくある意に、子に冠しているが、ヤシを添えることによつて、獨立句ふうの性質を生じている。
 不相子故 アハヌコユヱニ。ユヱニは、その故に、しかしそれだのにの意に使つている。
 是川瀬 コノカハノセニ。是川は、前後の例によつてウヂガハと讀まれているが、ここは愛人に逢いに行くのに川をわたるのであるから、コノカハと讀むべきだろう。
 裳襴潤 モノスソヌレヌ。モは、婦人の服飾であつて、ここに使われているのは男子の袴の意であろうか。
【評語】前記のように、二句に子ユヱニと云いながら、五句に裳ノ裾ヌレヌと歌つたのは、不審である。歌つている中に、無反省に誤つたのだろうか。下に、「はしきやし逢はぬ君ゆゑ徒にこの川の瀬に玉裳ぬらしつ」(卷十一、二七〇五)とあるものは無事である。
 
(420)2430 宇治《うぢ》川の 水泡《みなあわ》逆卷《さかま》き行く水の、
 こと反《かへ》らずぞ、 思ひ始《そ》めてし。
 
 是川《ウヂガハノ》 水阿和逆纒《ミナアワサカマキ》 行水《ユクミヅノ》
 事不v反《コトカヘラズゾ》 思始爲《オモヒソメテシ》
 
【譯】宇治川の水の泡が逆卷いて流れて行く水のように、あとへ返らないで、思い始めたことだ。
【釋】是川水阿和逆纏行水 ウヂガハノミナアワサカマキユクミヅノ。以上三句、序詞。譬喩によつて事カヘラズを引き起してゐる。
 事不反 コトカヘラズゾ。事があとに返らないまでに。引くことのできないほど。
【評語】譬喩も適切で、力強く云い切つている。あとへ引かない戀の心が、率直に描かれている。
 
2431 鴨川の 後瀬靜けみ、
 後も逢はむ 妹には我は
 今ならずとも。
 
 鴨川《カモガハノ》 後瀬靜《ノチセシヅケミ》
 後相《ノチモアハム》 妹者我《イモニハワレハ》
 雖v不v今《イマナラズトモ》
 
【譯】鴨川の下流の瀬がしずかなように、後も逢おう。わが愛人には、わたしは今でなくても。
【釋】鴨川後瀬靜 カモガハノノチセシヅケミ。以上序詞。同音によつて、後モを引き起している。鴨川は、新村出博士の説(萬葉第二號)に、續日本紀天平十五年八月一日の條に「鴨川に幸す。名を改めて宮川とす。」とある川で、京都府相樂郡の木津川の一名であるという。ノチセは、下流の瀬。後の機會の意を含んでいるので、ノチセシヅケミは、後には障害の無くなることを豫想している。
【評語】同音を重ねて調子よくできている。後瀬シヅケミあたりは、寓意のある巧みな云い方である。五句を今ナラズトモと止めて、含蓄の意を存したのも、趣を深くしている。
 
(421)2432 言に出でて 云はばゆゆしみ、
 山川の 激《たぎ》つ心を 塞《せ》きあへてあり。
 
 言出《コトニイデテ》 云忌々《イハバユユシミ》
 山川之《ヤマガハノ》 當都心《タギツココロヲ》 塞耐在《セキアヘテアリ》
 
【譯】言葉に出して云つたら憚りがあるので、山川のような烈しい心をしいて押えている。
【釋】云忌々 イハバユユシミ。言つたなら、他人に知られて憚るべくあるので。
 山川之當都心 ヤマガハノタギツココロヲ。ヤマガハノタギツは、譬喩によつて、烈しい心を描いている。山中の川のように激流する心で、情に激した心である。
 塞耐在 セキアヘテアリ。アヘは、しいてする意をあらわす。耐在を文字通りアヘテアリとする。努めて塞き止めていることだ。塞キアヘは、タギツの縁でいう。「名毛伎世婆《ナゲキセバ》 人可v知見《ヒトシリヌベミ》 山川之《ヤマガハノ》 瀧情乎《タギヅココロヲ》 塞敢而有鴨《セキアヘテアルカモ》」(卷七、一三八三)。セキアヘニケリ、セキアヘニタリ、セキアヘタリケリとも讀んでいるが、現在の形でよむがよい。
【評語】三句以下、譬喩をよく使つて、激する心をあらわさずに押え止めている意を歌つている。力のこもつた、激情的な表現である。以上、河に寄せて思いを述べている。
 
2433 水の上に 數|書《か》く如き わが命を、
 妹に逢はむと 誓約《うけ》ひつるかも。
 
 水上《ミヅノウヘニ》 如2數書1《カズカクゴトキ》 吾命《ワガイノチヲ》
 妹相《イモニアハムト》 受日鶴鴨《ウケヒツルカモ》
 
【譯】水の上に數を書くようなわたしの命だのに、妻に逢おうと誓いを立てたことだなあ。
【釋】水上如數書 ミヅノウヘニカズカクゴトキ。カズカクは、一二のような數を畫くこと。この句は、代匠記に、涅槃經《ねはんぎよう》の「是(ノ)身無常(ニシテ)、念念(ニ)不(ルコト)v住(マラ)、猶如(シ)2二電光(ト)暴水(ト)幻炎(トノ)1、亦如(シ)2畫(クニ)v水(ニ)隨(テ)畫(ケバ)隨(テ)合(フガ)1」とあるのを引いている。(422)水の上に數を畫けば、すぐに合して寸時も留まらないので、無常の意に譬えている。
 受日鶴鴨 ウケヒツルカモ。ウケヒは、潔齋して神意を招請し、神力によつてかならず神意を受けようと期すること。「誓約之中、此(ヲ)云(フ)2宇氣譬能美難箇《ウケヒノミナカ》1。」(日本書紀神代上)。この集では、神を祭る意はすくなくなつて、心にかくあるべしと堅く期する意に使つている。
【評語】佛教の無常觀が歌われ、しかも同時に、ウケヒのような古風な行事の語も使われている。この時代として新しい内容の歌である。水に寄せて思いを述べている。
 
2434 荒礒《ありそ》越《こ》え 外《ほか》ゆく波の 外ごころ、
 吾は思はじ。
 戀ひて死ぬとも。
 
 荒礒越《アリソコエ》 外往波乃《ホカユクナミノ》 外心《ホカゴコロ》
 吾者不v思《ワレハオモハジ》
 戀而死鞆《コヒテシヌトモ》
 
【譯】荒礒を越えて外へゆく浪のようなほかの心は、わたしは思いません。よし戀して死んでも。
【釋】荒礒越外往波乃 アリソコエホカユクナミノ。以上序詞。同音によつてホカを引き起している。ホカは、ヨソとも讀まれるが、「安之可伎能《アシガキノ》 保可爾奈氣加布《ホカニナゲカフ》」(卷十七、三九七五)など、具體的に處を指示するのはホカである。
 外心 ホカゴコロ。他の心。二心。
【評語】同音を重ねて調子を成している。序を使い同音を使つて、調子よくなり、おちついた感じを缺いている。
 
2435 淡海《あふみ》の海 おきつ白浪、知らねども、
(423) 妹がりといへば 七日越え來ぬ。
 
 淡海々《アフミノウミ》 奧白浪《オキツシラナミ》 雖v不v知《シラネドモ》
 妹所云《イモガリトイヘバ》 七日越來《ナヌカコエキヌ》
 
【譯】淡海の湖の沖の白浪のように、知らないけれども、妻のもとにというので、七日越えて來た。
【釋】淡海々奧白浪 アフミノウミオキツシラナミ。以上二句、序詞。同音によつて知ラネドモを引き起している。奧ツ白浪の語に、將來の意を寓しているであろう。
 雖不知 シラネドモ。何を知らないのかというに、奧ツ白浪の語に依つて、將來の意を示し、それを受けているのだろう。
 妹所云七日越來 イモガリトイヘバナヌカコエキヌ。イモガイヘラクナヌカコエコヨ(新訓)。所云はイヘラクとも讀まれるが、「妻所云《ツマガリトイヘバ》」(卷十一、二三六一)の例によつて、イモガリトイヘバとする。ナヌカは、淡海の湖水を渡つて來た日數の多いことをいう。
【評語】妻のもとへ、日數を重ねて淡海の湖を渡つて來たことを歌つている。序は、その情景を描いている。いかにも困難を冒して越えて來たさまに述べられている。
 
2436 大船の 香取の海に 碇《いかり》おろし、
 いかなる人か 物《もの》念はざらむ。
 
 大船《オホブネノ》 香取海《カトリノウミニ》 慍下《イカリオロシ》
 何有人《イカナルヒトカ》 物不v念有《モノオモハザラム》
 
【譯】大船の楫取、その香取の海に碇をおろして、どういう人が物を思わないでいることだろう。
【釋】大船 オホブネノ。枕詞。大船の楫取《かぢとり》の意に、カトリの地名に冠している。
 香取海 カトリノウミニ。カトリノ海は、この邊前後近江の歌であるから、近江の香取の浦であろう。「何處可《イヅクニカ》 舟乘爲家牟《フナノリシケム》 高島之《タカシマノ》 香取乃浦從《カトリノウラユ》 己藝出來船《コギデコシフネ》」(卷七、一一七二)。
(424) 慍下 イカリオロシ。イカリは碇。慍は借字。以上三句、序詞。同音をもつて、イカナルを引き起している。
 何有人物不念有 イカナルヒトカモノオモハザラム。どのような人が、ものを思わずにいるだろうか。どのような人でも物思いをする。
【評語】同音を利用して調子よくできている。輕くなつて沈痛の味がない。物を思わないだろう人は無いというだけの歌である。たまたま香取の海に船がかりしてうたつた歌であろう。
 
2437 沖つ藻を 隱さふ浪の 五百重浪、
 千重しくしくに 戀ひわたるかも。
 
 奧藻《オキツモヲ》 隱障浪《カクサフナミノ》 五百重浪《イホヘナミ》
 千重敷々《チヘシクシクニ》 戀度鴨《コヒワタルカモ》
 
【譯】沖の藻を隱している浪の幾重にもかさなる浪のように、千重に重ね重ね戀して過すことだなあ。
【釋】奧藻隱障浪五百重浪 オキツモヲカクサフナミノイホヘナミ。以上序詞。五百重浪から、千重シクシクニを引き起している。カクサフは、隱すの連續して行われるのをいう。
 千重敷々 チヘシクシクニ。千重に重ね重ねに。戀うことの繁きをいう。
【評語】浪によつて重ね重ねを引き起すのは、類歌が多い。この歌も、その序を使つただけの歌に過ぎないのは曲が無い。
 
2438 人言は しましぞ、吾妹《わぎも》。
 繩手《つなで》引く 海ゆ益《まさ》りて 深くしぞ念《おも》ふ。
 
 人事《ヒトゴトハ》 暫吾妹《シマシゾワギモ》
 繩手引《ツナデヒク》 從v海益《ウミユマサリテ》 深念《フカクシゾオモフ》
 
【譯】人のいう言は、しばらくですよ、わが妻よ。船に綱をつけて引く海よりも、増さつて深く思つています。
【釋】人事暫吾妹 ヒトゴトハシマシゾワギモ。ヒトゴトハシマシゾは、人のいう言は、ちよつとのまだから、(425)氣にかけるなの意。ゾは終助詞。
 繩手引 ツナデヒク。枕詞。ツナデは、船の舳につけた綱。デは接尾語。引く綱だからツナデという。綱で引く船のある意に、海に冠する。しかし綱を引く海というのは不完全な言いかたである。網の綱を引く意であるかもしれない。
【評語】海よりも深く思うという云い方は、かなり思想的である。それに對して、人言はシマシゾと慰めているのは、情味がある。曲折のある歌というべきである。
 
2439 淡海《あふみ》の海 おきつ島山、
 奧まけて わが念ふ妹に 言《こと》の繁けく。
 
 淡海《アフミノウミ》 奧島山《オキツシマヤマ》
 奧儲《オクマケテ》 吾念妹《ワガオモフイモニ》 事繁《コトノシゲケク》
 
【譯】淡海の湖の沖の島山のように、深く心の奧からわたしの思う妻に、人のいう言がうるさいことだ。
【釋】奧島山 オキツシマヤマ。淡海の湖中にある沖の島山。延喜式神名帳、近江の國蒲生の郡に奧津島神社とある。今の沖の島である。以上二句、序詞。同音によつて奧マケテを引き起している。
 奧儲 オクマケテ。心の底から。
 事繁 コトノシゲケク。人の言の繁くあることよ。
【評語】心の底に秘めて思う戀を、いつしか人に知られて、人のうるさいのを歎いている。淡海ノ海奧ツ島山の序は、機械的で、特に效果に乏しい。
 
2440 近江の海 奧こぐ船に 碇《いかり》おろし、
 藏《かく》れて公が 言《こと》待つ吾ぞ。
 
 近江海《アフミノウミ》 奧滂船《オキコグフネニ》 重下《イカリオロシ》
 藏公之《カクレテキミガ》 事待吾序《コトマツワレゾ》
 
(426)【譯】近江の湖の、沖を漕ぐ船に碇をおろして、そのようにかくれて、あなたの言葉を待つわたくしですよ。
【釋】近江海 アフミノウミ。近江の二字は、奈良時代の初めに、諸國の地名に好字を選んで附けた時に附けたもののようであり、これによつて人麻呂集の時代檢討の一資料とされるものである。
 重下 イカリオロシ。イカリは碇。下文には重石(二七三八)とある。以上三句、序詞。譬喩によつて藏レテを引き起している。
 藏公之 カクレテキミガ。藏は、他の例、多くヲサムと讀んでいるが、ここは舊訓のカクレテがよいであろう。藏は内に收める意に使つている。しずかに隱れていて。
【評語】しずかに君が言葉を待つという、珍しい歌境が歌われている。譬喩も巧みである。以上七首、海に寄せて思いを述べている。
 
2441 隱沼《こもりぬ》の 下ゆ戀ふれば、
 すべを無《な》み 妹が名|告《の》りつ。
 ゆゆしきものを。
 
 隱沼《コモリヌノ》 從v裏戀者《シタユコフレバ》
 無v乏《スベヲナミ》 妹名告《イモガナノリツ》
 忌物矣《ユユシキモノヲ》
 
【譯】隱沼のように、表に現れないで戀うので、すべが無さに妻の名を言つてしまつた。憚るべきものだのに。
【釋】隱沼 コモリヌノ。枕詞。譬喩によつて、下ユに冠している。コモリヌは、水の出入口の知られない沼。
 從裏戀者 シタユコフレバ。シタユは、心の下で、心の中を通して、表面に出さないで。
 忌物矣 ユユシキモノヲ。人に知られることは憚りあるものなのにの意。
【評語】隱沼の枕詞は、下の思いに惱む心を描くにふさわしい。思いあまつて遂に愛人の名を云つてしまつた、そのいたし方なさと、あとの困惑との交錯した心が歌われている。沼に寄せて思いを述べている。
(427)【參考】類歌。
  隱沼の下に戀ふれば飽き足らず人に語りつ。忌《い》むべきものを(卷十一、二七一九)
 
2442 大地《おほつち》も 採《と》り盡《つく》さめど、
 世の中に 盡し得ぬものは
 戀にしありけり。
 
 大土《オホツチモ》 採雖v盡《トリツクサメド》
 世中《ヨノナカニ》 盡不v得物《ツクシエヌモノハ》
 戀在《コヒニシアリケリ》
 
【譯】大地も採りつくされようが、この世の中につくし得ないものは、戀であつたことだ。
【釋】大土 オホツチモ。オホツチは、大地。土壤を中心思想としている。
【評語】この大地の土も採ればつきることもあろうがと、まずでき得ないことを言い、それにも増して戀の繁きことを敍している。「八百日《やほか》行く濱の眞砂《まなご》もわが戀にあに増らじか沖つ島守」(卷四、五九六)と歌つた類で、譬喩が大きい。佛教思想の影響を受けているのであろう。
 
2443 隱處《こもりど》の 澤泉《さはいづみ》なる 石根《いはね》ゆも、
 通りて念ふ。
 わが戀ふらくは。
 
 隱處《コモリドノ》 澤泉在《サハイヅミナル》 石根《イハネユモ》
 通念《トホリテオモフ》
 吾戀者《ワガコフラクハ》
 
【譯】こもつた場處の澤の泉の岩をも通りぬけて思う。わたしの戀うことは。
【釋】隱處 コモリドノ。コモリドは、包み圍まれている場處。下に、「隱津之《コモリヅノ》 澤立見爾有《サハタツミナル》 石根從毛《イハネユモ》 達而念《トホリテオモフ》 君爾相卷者《キミニアハマクハ》」(卷十一、二七九四)とあるが、隱處は、コモリヅとは讀まれない。
 澤泉在 サハイヅミナル。サハイヅミは、澤をなしている泉。
(428) 石根通念 イハネユモトホリテオモフ。岩石を通りぬけても思うで、思う力の強いことをいう。障害をも障害としないで思う意である。句切。
【評語】戀の念力の強さを歌つている。石根の敍述に特色があるが、まだ印象的になつていない。隱處を出したのは、相手の女の、深窓にあることを寓意しているのだろう。
 
2444 白檀弓《しらまゆみ》 石邊《いそべ》の山《やま》の、
 常磐《ときは》なる 命なれやも、
 戀ひつつ居《を》らむ。
 
 白檀《シラマユミ》 石邊山《イソベノヤマノ》
 常石有《トキハナル》 命哉《イノチナレヤモ》
 戀乍居《コヒツツヲラム》
 
【譯】白檀弓を射る。その石邊の山の堅い岩のような、命だろうか、そうではないのだから、戀をしてはいられない。
【釋】白檀 シラマユミ。枕詞。白木の檀弓で射ることから、イの音に冠する。
 石邊山 イソベノヤマノ。イソベノ山は、代匠記精撰本に、近江の國の神崎郡にあるとしている。
 常石有 トキハナル。トキハは、永久の石。變ることなき意である。
 命哉 イノチナレヤモ。イノチナレヤモ(略)、イノチニモガモ(新考)。ヤモは、疑問の係助詞で、反語になる。命であろうか、そうではない。澤潟博士の「萬葉集の作品と時代」に、この歌の解がある。
 戀乍居 コヒツツヲラム。永久の命ではないのだから、戀をしてはいられない。はやく戀の滿足を得たいの意。
【評語】石邊の山は、常磐にふさわしい地名として擧げられている。常磐である命だろうかと云つたあたりには、無常觀が宿つている。それを戀に逆用したところに、この歌の意味がある。四五句は、詠歎的な表現で、(429)よく效を成している。以上二首、石に寄せている。
 
2445 淡海《あふみ》の海 沈著《しづ》く白玉、
 知らずして 戀せしよりは
 今こそまされ。
 
 淡海々《アフミノウミ》 沈白玉《シヅクシラタマ》
 不v知《シラズシテ》 從v戀者《コヒセシヨリハ》
 今益《イマコソマサレ》
 
【譯】淡海の湖の底に沈んでいる白玉のように、その人を知らないで戀していたよりは、今が増さつている。
【釋】沈白玉 シヅクシラタマ。シヅクは、水底に附いている。以上二句、序詞。同音によつて、知ラズシテを引き起している。
 不知 シラズシテ。その人を知らないで。
【評語】初二句は序詞だが、これによつて深窓の佳人をたとえている。逢つてから後のやるせない思いが歌われている。
 
2446 白玉を 纏《ま》きてぞ持《も》てる。
 今よりは わが玉にせむ。
 知れる時だに。
 
 白玉《シラタマヲ》 纒持《マキテゾモテル》
 從v今《イマヨリハ》 吾玉爲《ワガタマニセム》
 知時谷《シレルトキダニ》
 
【譯】白玉を手に卷いて持つている。今からはわたしの玉にしよう。その人を知つた時だけでも。
【釋】白玉纏持 シラタマヲマキテゾモテル。譬喩によつて、相手を身近にしていることを述べている。句切。
 知時谷 シレルトキダニ。知らなかつたあいだはしかたがないが、その人を知つた今の時だけでも。
【評語】譬喩がすこしくだくだしい。五句は、三句の今を説明したのだが、冗長の感がある。形のよくない歌(430)である。
 
2447 白玉を 手にまきしより、
 忘れじと 念《おも》ひしことは
 いつか畢《をは》らむ。
 
 白玉《シラタマヲ》 從2手纏1《テニマキシヨリ》
 不v忘《ワスレジト》 念《オモヒシコトハ》
 何畢《イツカヲハラム》
 
【譯】白玉を手に纏いてから、忘れないと思つたことは、いつの日にか終ることだろう。
【釋】白玉從手纏 シラタマヲテニマキシヨリ。女を手に入れてよりの意をたとえている。
 何畢 イツカヲハラム。いずれの日にか終らむで、終る日の無いことをいう。
【評語】女を得てからの決意を述べている。譬喩は思いつき易い所だが、ふさわしくないこともない。この歌、十字で書いている。
 
2448 ぬば玉の 間《あひだ》開《あ》けつつ 貫《ぬ》ける緒も、
 縛《くく》り寄すれば 後《のち》も逢ふものを。
 
 烏玉《ヌバタマノ》 間開乍《アヒダアケツツ》 貫緒《ヌケルヲモ》
 縛依《ククリヨスレバ》 後相物《ノチモアフモノヲ》
 
【譯】ヒオウギの玉の、あいだをあけてつらぬいた緒も、くくり寄せれば、あとで逢うものだのに。
【釋】烏玉 ヌバタマノ。ヌバタマは、ヒオウギの實。黒い珠で、これを珠として愛したものである。常に枕詞として使われるが、ここは枕詞ではない。
 後相物 ノチモアフモノヲ。玉があとで一緒に合うことと、人が後に逢うこととを、かけて云つている。
【評語】草の實の珠を愛した生活から生まれた譬喩が巧みに使われている。趣のある歌である。以上四首、玉に寄せている。
 
(431)2449 香具山に 雲居たなびき、
 おほほしく 相見し子《こ》らを
 後戀ひむかも。
 
 香山尓《カグヤマニ》 雲位桁曳《クモヰタナビキ》
 於保々思久《オホホシク》 相見子等乎《アヒミシコラヲ》
 後戀牟鴨《ノチコヒムカモ》
 
【譯】香具山に雲がたなびいて、そのよ