増訂 萬葉集全註釋 十(卷の十三卷の十四)、角川書店、445頁、480圓、1957.3.10(58.4.20.2p)
 
(7)萬葉集卷第十三
 
 卷の十三は、雜歌、相聞、問答、譬喩歌、挽歌の五部に分かつて、作者および作歌事情を記さない歌百八首(ほかに或る本、或る書の歌十六首、人麻呂歌集所出の歌三首)を收めている。すべて題詞を記さないが、或る本の中には題詞を有するものが一つあつて、作者および作歌事情について記している。また左註において、作者および作歌事情について觸れているものもある。すべて長歌を集め、短歌および旋頭歌は、反歌として附隨しているものに限られている。その内譯は左の通りである。
      長歌                短歌  旋頭歌
  雜歌  一五(ほかに或る本一)  九(ほかに或る本一) 一
  相聞  二五(ほかに或る本三、人麻呂集所出一) 二二(ほかに或る本五、人麻呂集所出一)
  問答   六(ほかに人麻呂集所出一) 一〇(ほかに或る本一)
  譬喩歌  一
  挽歌  一二(ほかに或る本一) 七(ほかに或る本四)
  合計  五九(七)     四八(一二)        一
 作歌の時代については、古いものには、允恭天皇の皇太子木梨の輕の太子の御歌と傳えるものがあり、降つては明日香藤原の時代、および奈良時代と推定されるものに及んでいる。年代の推知されるものには、和銅元年五月に卒した三野の王に對する挽歌、養老六年正月に佐渡に流された穗積の老の作として傳えるものがあり、(8)大體において、卷の十一、十二あたりと同じ年代で、ここにはその長歌を集めたものらしい。長歌のうち、五七の格調の整わないものもあり、また反歌を伴なわないものもある點など、歌われて傳わつたものをも含んでいるようである。比較的短い形の長歌に、かえつて風格のすぐれたものが存する。
 用字法は、表意文字に表音文字を交えて用い、戯書も比較的多い。これは或る個人の集が、有力な資料となつているからであろう。傳本としては、古本系統に、元暦校本の大部分と、天治本の全卷とがあり、ほかには金砂子切の斷簡がある。また金澤文庫切の斷簡も存している。
 
雜歌
 
【釋】雜歌 ザフカ。作者未詳の長歌十五首、およびこれに附隨した反歌、或る本の歌等を收めている。季節の歌、旅行の歌等があり、男女關係の歌もあること、他卷の雜歌と同樣である。
 
3221 冬ごもり 春さり來れば、
 朝《あした》には 白露置き
 夕《ゆふべ》には 霞たなびく。」
 風の吹く 木末《こぬれ》が下《した》に
 鶯鳴くも。」
 
 冬木成《フユゴモリ》 春去來者《ハルサリクレバ》
 朝尓波《アシタニハ》 白露置《シラツユオキ》
 夕尓波《ユフベニハ》 霞多奈批久《カスミタナビク》
 汗湍能振《カゼノフク》 樹奴禮我之多尓《コヌレガシタニ》
 ?鳴母《ウグヒスナクモ》
 
【譯】冬の終りから春になつて來れば、朝には白露が置き、夕方には霞がたなびいている。風の吹く木の伸びた枝の下では、ウグイスが鳴いている。
【構成】第一段、霞タナビクまで。春の風光の總説。第二段、終りまで。細部について、或る一點を描爲する。
(9)【釋】冬木成 フユゴモリ。冬の終りごろの時をいう。その中に春がきざしてくるので、春サリ來ルに冠する。
 汗湍能振 カゼノフク。元暦校本・仙覺本等に、湍を瑞に作る。細井本には湍である。仙覺新點の歌で、アメノフルと訓し、代匠記にカゼノフクとしている。振は、集中フルともフクとも讀んでいる。この歌の上下の句の内容から見て、雨の降るでは矛盾があるから、風の吹くによるべきである。春風のそよそよ吹く意味に、コヌレを修飾している。
 樹奴禮我之多尓 コヌレガシタニ。コヌレは、樹のうれ。若く伸びた枝先。
【評語】春の自然を敍した美しい歌で、第二段の描寫があるので、概念に墮ちない。季節の動きを歌うようになつてからの作で、藤原時代以後の作品であろう。
 
右一首
 
(10)【釋】右一首 ミギノヒトツ。この卷は題詞がなく、次の歌への代わり目がはつきりしないので、歌の一團ごとに、右何首という左註を附けてある。
 
3222 三諸《みもろ》は 人の守《も》る山。
 本邊《もとべ》は 馬醉木《あしび》花|開《さ》き
 末邊《すゑべ》は 椿花|開《さ》く。」
 うらぐはし 山ぞ。
 泣く見守《も》る山。」
 
 三諸者《ミモロハ》 人之守山《ヒトノモルヤマ》
 本邊者《モトベハ》 馬醉木花開《アシビハナサキ》
 末邊方《スヱベハ》 椿花開《ツバキハナサク》
 浦妙《ウラグハシ》 山曾《ヤマゾ》
 泣兒守山《ナクコモルヤマ》
 
【譯】三諸山は、人が番をしている山だ。麓の方ではアシビの花が咲き、上の方ではツバキの花が咲く。美しい山だ。泣く兒の守をする山だ。
【構成】第一段、椿花咲クまで、主格の提示、および説明。第二段、終りまで。感想、および主格の繰り返し。
【釋】三諸者 ミモロハ。ミモロは、神座をいい、そのある山をいうが、ここは下の三二二七の歌にある甘南備の三諸の山、すなわち明日香の甘南備山をいうであろう。その山は、飛鳥川の左岸にあつて、川を隔てて雷の岡と對している山とされる。
 人之守山 ヒトノモルヤマ。みだりに人の入るを禁じて守つている山。ここは神聖な山として守つているのだろう。
 本邊者 モトベハ。モトベは、山麓の方をいう。
 馬醉木花開 アシビハナサキ。アシビは、一般には今のアセボのこととされているが、これは疑わしい。ア(11)セボは早春に花を開くが、アシビの花を早春のものとして詠んだ歌はなく、いずれも盛春に取り合わせている。
 末邊方 スヱベハ。スエベは、山末の方、山の上方をいう。
 椿花開 ツバキハナサク。句切。以上第一段。
 浦妙山曾 ウラグハシヤマゾ。ウラグハシは連體形。
 泣兒守山 ナクコモルヤマ。泣ク兒は、守ルに對して序になつている。守ル山は、上の人ノ守ル山の繰り返しだから、泣く兒を守るということがある、それと同じ言葉の、人の守る山だの意となる。
【評語】春の三諸山の美しさが、巧みに歌われている。アシビとツバキとが實に手際よく使われている。詩情のゆたかな作品だ。この山には思う女性の寓意があるとする説もあつて、そういうことであるかも知れない。三諸山に近い明日香の宮の時代の作であろう。短い句を重ねて、歌いものの風格を備えている。末尾の五三七の形も古い形である。「こもりくの泊瀬の山はあやにうらぐはし」(日本書紀七七)あたりから脱却して來ている歌だ。
 
右一首
 
3223 霹靂《かむとき》の ひかるみ空の
 九月《ながつき》の 時雨《しぐれ》の降れば、
 雁《かり》がねも いまだ來鳴かず。」
 神南備《かむなび》の 清き御田屋《みたや》の
 垣内田《かきつだ》の 池の堤の
(12) 百足《ももた》らず 三十槻《みそつき》が枝《え》に、
 瑞枝《みづえ》さす 秋の赤葉《もみちば》、
 まさき持つ 小鈴《こすず》もゆらに、
 手弱女《たわやめ》に われはあれども、
 引き攀《よ》ぢて 峯もとををに
 ふさ手折り 吾《わ》は持ちて行く。
 公が插頭《かざし》に。
 
 霹靂之《カムトキノ》 日香天之《ヒカルミソラノ》
 九月乃《ナガツキノ》 鍾禮乃落者《シグレノフレバ》
 雁音文《カリガネモ》 未2來鳴1《イマダキナカズ》
 甘南備乃《カムナビノ》 清三田屋乃《キヨキミタヤノ》
 垣津田乃《カキツダノ》 池之堤之《イケノツツミノ》
 百不v足《モモタラズ》 卅槻枝丹《ミソツキガエニ》
 水枝指《ミヅエサス》 秋赤葉《アキノモミチバ》
 眞割持《マサキモツ》 小鈴文由良尓《コスズモユラニ》
 手弱女尓《タワヤメニ》 吾者有友《ワレハアレドモ》
 引攀而《ヒキヨヂテ》 峯文十遠仁《ミネモトヲヲニ》
 ?手折《フサタヲリ》 吾者持而往《ワハモチテユク》
 公之頭刺荷《キミガカザシニ》
 
【譯】雷が鳴つて日の曇つている空が、九月の時雨が降るのに、雁もまだ來て鳴かない。神社の森の清らかな御田の建物の、圍内の田の池の堤の、清らかな槻の枝に、生き生きした枝を出している秋の紅葉を、口の割けている小鈴もゆらゆらと、わたしはか弱い女ですが、引き寄せて峯もたわわに手折つて、わたしは持つて行きます。あなたの插頭のために。
【構成】第一段、イマダ來鳴カズまで。秋の季節を敍す。第二段、終りまで。秋の赤葉までは、紅葉の提示、以下それを折つて持つて行くことを述べる。
【釋】霹靂之 カムトキノ。霹靂は、倭名類聚鈔に「霹靂|加美渡介《カミトケ》 霹(ハ)析也。靂(ハ)歴也。所v歴(ル)皆破析(スル)也」とある。日本書紀天智天皇の卷に「霹2靂於藤原内大臣家1」とあつて、カムトケセリと訓している。靈異記には可美止支《カミトキ》と訓している。カミトキは、四段活用の準體言であろう。今これにより、カムトキノとする。雷の落ちることである。ここでは雷の意に使つているのだろう。
 日香天之 ヒカルミソラノ。日香は訓假宇とし、ルを補讀してヒカルと讀む。七音にするために、天之をミ(13)ソラノとする。以上實景である。童蒙抄には日香をヒカヲルと讀む。カヲルは、水蒸氣が立つて曇るをいう。「鹽氣能味《シホケノミ》 香乎禮流國爾《カヲレルクニニ》」(卷二、一六二)。また「唯有2朝霧1而《タダアサギリノミアリテ》 薫滿之哉《カヲリミテルカモ》」(日本書紀神代上)ともある。ノは、主格の提示。これによれば、日のくもる空の意である。
 九月乃鍾禮乃落者 ナガツキノシグレノフレバ。シグレは、秋降る雨で、集中、九月にも、十月にも詠んでいる。ここはその時が九月だつたので、かようにいつているのだろう。フレバは、已然條件法で、次の句に對して、フレドのような意味に使つている。かような用法は、「佐禰斯欲能《サネシヨノ》 伊久陀母阿羅禰婆《イクダモアラネバ》 多都可豆慧《タツカヅヱ》 許志爾多何禰提《コシニタガネテ》」(卷五、八〇四)などのバの用法と通うものがあつて、このままでよいのであろう。
 雁音文 カリガネモ。カリガネは、カリのこと。ガネは、の聲の意で、接尾語になつている。
 甘南備乃 カムナビノ。カムナビは、神の森で、方々にあるが、多分明日香の神南備であろう。
 清三田屋乃 キヨキミタヤノ。ミタヤは、神田を經營するための建物。
 垣津田乃 カキツダノ。カキツは垣内。垣の内の田のである。「和我勢故我《ワガセコガ》 布流伎可吉都能《フルキカキツノ》 佐久良婆奈《サクラバナ》」(卷十八、四〇七七)。
 池之堤之 イケノツツミノ。垣内田の用水の料の池の堤である。
 百不足 モモタラズ。枕詞。百に足りない意に、八十、五十などに冠する。古い枕詞である。
 卅槻枝丹 ミソツキガエニ。卅は、寛永版に三十に作つているので、考に五十の誤りとし、イツキガエダニと讀む説があり、これに從う者が多い。イツキは、日本書紀仁コ天皇の卷に「伊菟岐」があり、神聖な槻の木と解されている。枕詞の百足ラズも、八十、五十に冠するが、三十に冠するのは異例とされている。三十では他語に冠して熟語を作つている例もない。しかし今、原文を尊重してもとのままとし、茂つた槻の枝としておく。
(14) 水枝指秋赤葉 ミヅエサスアキノモミチバ。ミヅエは、生々として榮えている枝。サスは、その枝を差し出している。モミチについては、集中多く黄葉と書き、ここに赤葉とあるのは特例である。赤の字を使つた例は、他に「秋芽子乃《アキハギノ》 下葉赤《シタバノモミチ》」(卷十、二二〇五)、「秋山之《アキヤマノ》 木葉文末v赤者《コノハモイマダモミチネバ》」(同、二二三二)があり、紅葉は「射駒山《イコマヤマ》 撃越來者《ウチコエクレバ》 紅葉散筒《モミチチリツツ》」(同、二二〇一)があるだけである。但しくれないに木の葉が染まるという言い方はある。ここに赤葉とある文字が、そのままに受け入れられるならば、槻の葉は黄に染まるが赤くはならないから、槻の枝に他樹の紅葉が枝をさしかわしていると解すべきである。但し反歌には黄葉とある。
 眞割持 マサキモツ。マサケモチ(西)、マサケモツ(代初)、マキモタル(考)、マサキモツ(新訓)。枕詞。マは接頭語。サキは裂け、モツはそれを有する義と解せられる。
 小鈴文由良尓 コスズモユラニ。コスズは小鈴。手につけているのであろう。「美夜比登能《ミヤヒトノ》 阿由比能古須受《アユヒノコスズ》」(古事記八三)。ユラニは、よい音のするをあらわす副詞。玉の音によく使う。「其御頸珠之玉緒母由良邇《ソノミクビタマノタマノヲモユラニ》、取由良迦志而《トリユラカシテ》」(古事記上卷)、「由良由良止布瑠部《ユラユラトフルヘ》」(先代舊事本紀)、「足玉母《アシダマモ》 手珠毛由良爾《タダマモユラニ》」(卷十、二〇六五)。
 引攀而 ヒキヨヂテ。枝を引き寄せて。
 峯文十遠仁 ミネモトヲヲニ。トヲヲニは、たわたわにで、撓むさまをあらわす副詞。峯モトヲヲニは仰山で、しかもトヲヲニ打ち折るとは不正確な言い方であるが、わざと仰々しく言つたものである。考に峯を延多の誤りとてエダモトヲヲニとしているが、採るべき限りでない。
 ?手折 フサタヲリ。?手折は、卷の九の一六八三、一七〇四の二首に見えている字面であるが、どちらも人麻呂集所出の歌である。ふさふさと手折つて。
 吾者持而往 ワハモチテユク。句切。
(15) 公之頭刺荷 キミガカザシニ。カザシは、頭髪に插す料。
【評語】公がために紅葉を折つて持つてゆくというだけの單純な内容を歌つている。もともと長歌とすべき材料ではないので、むりに大きくしたような所が出て來る。全體としては、格調は整つているが、部分的には歌いものの要素が殘つている。詞句にも無理があつて、佳作とはいいがたい。明日香時代の作品であろう。
 
反歌
 
3224 ひとりのみ 見れば戀しみ、
 神名火《かむなび》の 山の黄葉《もみちば》
 手折りけり、君。
 
 獨耳《ヒトリノミ》 見者戀染《ミレバコホシミ》
 神名火乃《カムナビノ》 山黄葉《ヤマノモミチバ》
 手折來君《タヲリケリキミ》
 
【譯】ひとりだけで見れば戀しいので、神名火の山の黄葉を手折りました、あなた。
【釋】見者戀染 ミレバコホシミ。染は、シミの一音に借りて使つている。
 山黄葉 ヤマノモミチバ。神名火山の黄葉の意で、山は、黄葉の全般的な性質を説明している。
 手折來君 タヲリケリキミ。手折リケリで切り、君と呼びかけている。
【評語】長歌の内容を補足している。説明的な表現であるが、紅葉をさし出して歌つたとすれば、これで十分であろう。
 
右二首
 
3225 天雲《あまぐも》の 影さへ見ゆる
(16) こもりくの 長谷《はつせ》の河は、
 浦|無《な》みか 船の寄り來《こ》ぬ。
 礒|無《な》みか 海人《あま》の釣《つり》せぬ。」
 よしゑやし 浦はなくとも、
 よしゑやし 礒はなくとも、
 おきつ浪 淨《きよ》く榜入《こぎ》り來《こ》。
 白水郎《あま》の釣船。」
 
 天雲之《アマグモノ》 影塞所v見《カゲサヘミユル》
 隱來笶《コモリクノ》 長谷之河者《ハツセノカハハ》
 浦無蚊《ウラナミカ》 船之依不v來《フネノヨリコヌ》
 礒無紋《イソナミカ》 海部之釣不v爲《アマノツリセヌ》
 吉咲八師《ヨシヱヤシ》 浦者無友《ウラハナクトモ》
 吉畫矢寺《ヨシヱヤシ》 礒者無友《イソハナクトモ》
 奧津浪《オキツナミ》 淨榜入來《キヨクコギリコ》
 白水部之釣船《アマノツリブネ》
 
【譯】空行く雲の影さえも見える、隱れ國の泊瀬の川は、浦がないためか船が寄つて來ない。礒がないためか海人が釣をしない。よしや浦はないにしても、よしや礒はないにしても、沖の浪のように清らかにはいつていらつしやい。海人の釣船は。
【構成】第一段、海人ノ釣セヌまで。泊瀬の川の説明。第二段、泊瀬川に關する作者の希望。
【釋】天雲之影塞所見 アマグモノカゲサヘミユル。泊瀬川に、水の滿々と湛えているさまを説明している。
 隱來笶 コモリクノ。枕詞。
 長谷之河者 ハツセノカハハ。長谷は、泊瀬と書いてあるに同じ。長い谷なので、かようにも書く。
 浦無紋 ウラナミカ。ウラは、水の灣入している處。
 船之依不來 フネノヨリコヌ。上のカを受けて結んでいる。句切。
 礒無紋 イソナミカ。イソは、石の多い水邊。
 海部之釣不爲 アマノツリセヌ。上のカを受けて結んでいる。句切。
(17) 吉咲八師 ヨシヱヤシ。縱《ゆる》す意のヨシに、助詞ヱヤシが接續したもの。
 奧津浪 オキツナミ。枕詞。譬喩により、かつ海人の釣船の縁で冠している。
 淨榜入來 キヨクコギリコ。淨は、西本願寺本等に諍に作つており、それもよく通ずるが、元暦校本等に淨とあり、この歌を歌經標式に載せたのに、「岐與倶己岐利己《キヨクコギリコ》」とあるによれば、古くから淨と解されていたようである。コギリコは、榜ぎ入り來の命令形。
【評語】泊瀬川を興じた歌だろうが、構想が突拍子もなくて、詩趣に乏しい。これは恐らくは、泊瀬川に臨んだ貴人の邸宅などで、酒宴に際して詠んだものであろう。泊瀬川は、當時飛鳥川の古流を受け入れて、相當廣い水面をなしていたであろうが、どの程度であるかは、今日になつては不明である。柿本の人麻呂が石見の國から妻に別れて京に上る時の歌に、「石見乃海《イハミノウミ》 角乃浦廻乎《ツノノウラミヲ》 浦無等《ウラナシト》 人社見良目《ヒトコソミラメ》 滷無等《カタナシト》 人社見良目《ヒトコソミラメ》 能咲八師《ヨシヱヤシ》 浦者無友《ウラハナクトモ》 縱畫屋師《ヨシヱヤシ》 滷者無鞆《カタハナクトモ》」(卷二、一三一)の諸句と關係あるべく、文字まで似る所があるのは、注意すべきである。また歌經標式にもこの歌を載せて、柿本の若子の歌としている。人麻呂の作であるかも知れない。藤原時代の作であろう。
【參考】別傳。
(18) 如d柿本若子詠2長谷1四韵歌u曰、
阿麻倶母能可氣佐倍美由留《アマグモノカゲサヘミユル》一句 己母利倶能婆都勢能可婆努《コモリクノハツセノカハノ》二句 宇羅那美可不禰能與利己努《ウラナミカフネノヨリコヌ》三句 伊蘇那美可阿麻母都利勢努《イソナミカアマモツリセヌ》四句 與旨惠夜旨宇羅婆那供等母《ヨシヱヤシウラハナクトモ》五句 與旨惠夜旨伊蘇婆那供等母《ヨシヱヤシイソハナクトモ》六句 於岐都那美岐與倶己岐利己《オキツナミキヨクコキリコ》七句 阿麻能都利不禰《アマノツリフネ》八句        (歌經標式)
 
反歌
 
3226 さざれ浪 浮きて流るる 泊瀬《はつせ》河
 寄るべき礒の 無きがさぶしさ。
 
 沙耶禮浪《サザレナミ》 浮而流《ウキテナガルル》 長谷河《ハツセガハ》
 可v依礒之《ヨルベキイソノ》 無蚊不怜也《ナキガサブシサ》
 
(19)【譯】ちいさい波の浮いて流れる泊瀬川は、船の寄るべき礒のないのが物足らない。
【釋】沙耶禮浪浮而流 サザレナミウキテナガルル。河水が流れ、小さい浪を立てている?を敍している。
 可依礒之 ヨルベキイソノ。長歌の對句を受けている。船の寄るべき礒である。
 無紋不怜也 ナキガサブシサ。サブシは、文字通り、おもしろくない、感興がないのをいう。也は斷定の辭で、直接に訓が當てられていない。ヨルガサブシサの中に、その意が含まれるのである。集中この用法には「時不v在《トキナラズ》 過去子等我《スギニシコラガ》 朝露乃如《アサツユノゴト》也 夕霧乃如《ユフギリノゴト》也」(卷二、二一七)の如きがある。
【評語】泊瀬川の清流に船のないのを惜しんだ歌で、長歌の眞意をあきらかにしている。これも歌いものふうの作であるが、二句の切より三句の切の方が強くなつている。
 
右二首
 
3227 葦原の 瑞穗の國に
 手向《たむけ》すと 天降《あも》りましけむ
 五百萬《いほよろづ》 千萬神《ちよろづがみ》の
 神代より 言ひ續《つ》ぎ來《きた》り、
 甘南備《かむなび》の 三諸《みもろ》の山は、
 春されば 春霞立ち、
 秋往けば 紅《くれなゐ》にほふ。」
 甘南備《かむなび》の 三諸《みもろ》の神の
(20) 帶にせる 明日香《あすか》の河の
 水脈《みを》速《はや》み 生ひためがたき
 石《いは》枕 蘿《こけ》むすまでに、
 新夜《あらたよ》の さきく通はむ
 事計《ことはかり》 夢にみせこそ。
 劔刀《つるぎたち》 齋ひ祭れる
 神にし坐《ま》せば。」
 
 葦原笶《アシハラノ》 水穗之國丹《ミヅホノクニニ》
 手向爲跡《タムケスト》 天降座兼《アモリマシケム》
 五百萬《イホヨロヅ》 千萬神之《チヨロヅガミノ》
 神代從《カミヨヨリ》 云續來在《イヒツギキタル》
 甘南備乃《カムナビノ》 三諸山者《ミモロノヤマハ》
 春去者《ハルサレバ》 春霞立《ハルガスミタチ》
 秋往者《アキユケバ》 紅丹穗經《クレナヰニホフ》
 甘甞備乃《カムナビノ》 三諸乃神之《ミモロノカミノ》
 帶爲《オビニセル》 明日香之河之《アスカノカハノ》
 水尾速《ミヲハヤミ》 生多米難《オヒタメガタキ》
 石枕《イハマクラ》 蘿生左右二《コケムスマデニ》
 新夜乃《アラタヨノ》 好去通牟《サキクカヨハム》
 事計《コトハカリ》 夢尓令v見社《イメニミセコソ》
 劔刀《ツルギタチ》 齋祭《イハヒマツレル》
 神二師座者《カミニシマセバ》
 
【譯】葦原の瑞穗の國に、手向をするとて天から降つたという多くの神々の御代から、言い繼いで來ている甘南備の三諸の山は、春になれば春霞が立ち、秋が來ればくれないの色に染まる。その甘南備の三諸の山が帶にしている明日香川の、水流が早いので、藻の生長しにくい石の枕にコケが生えるまでも、新しい夜が幸福に來るような計畫を、夢に見せてください。劔刀を清めて獻る神樣でいらつしやるのですから。
【構成】第一段、クレナヰニホフまで。甘南備の三諸の山について、歴史的に説明し、春秋の景を敍している。第二段、終りまで。その甘南備の三諸の山の神に對して、永く良い夜の續くことを祈願している。
【釋】葦原笶水穗之國丹 アシハラノミヅホノクニニ。古事記に、豐葦原の千秋の長五百秋の水穗の國といい、略して豐葦原の水穗の國ともいつている。本集には「葦原乃《アシハラノ》 水穗之國爾《ミヅホノクニニ》 家無哉《イヘナミヤ》 又還不v來《マタカヘリコヌ》」(卷九、一八〇四)とある。
 手向爲跡 タムケスト。タムケは、通行の無事を祈るために、旅中に旅人のする祭をいう。その語意は、神に對して幣を手向けるからだとされている。しかしタムケの本義は、天つ神を勸請して、荒ぶる神を鎭めるに(21)あり、タは手の義の接頭語、ムケは、向けることで、鎭定することをいうと思われる。言向が言語による鎭定を意味するのに對して、タムケは、手による鎭定、すなわち征討を意味する。その自動的な表現は、タムカヒ(抵抗)である。ゆえに手向をするとして天から神々が降つたというのは、武力による鎭定のために神々が降つたことになり、この明日香の甘南備に祭つてある神靈は、そのうちの一つということになる。
 天降座兼 アモリマシケム。アモリは、天から降る。「狛劔《コマツルギ》 和射見我原乃《ワザミガハラノ》 行宮爾《カリミヤニ》 安母理座而《アモリイマシテ》」(卷二、一九九)とあるのは、大和から美濃の國に行かれたことをいうので、事實的には、大兵が移動したことをかように表現していると見られる。ケムは連體形。
 五百萬千萬神之 イホヨロヅチヨロヅガミノ。非常に多數の神の意を、重ね言葉であらわしている。以上遠い昔の神々の義にいい、次の神代の語を修飾している。
 神代從 カミヨヨリ。悠久な古代の義に神代といつている。神の活躍した時代。
 云續來在 イヒツギキタル。人々のあいだに續いて云い繼いで來た。連體形で、以上、甘南備の三諸の山を説明している。
 甘南備乃三諸山者 カムナビノミモロノヤマハ。カムナビは神の森。ミモロは神座。ここは次に明日香の川が繞つていることを説いており、明日香の神南備山である。この山は、出雲の國造の神賀詞に「賀夜奈流美命御魂飛鳥神奈備《カヤナルミノミコトノミタマヲアスカノカムナビニイマセテ》」とある處で、明日香川に臨み、飛鳥神社の鎭座している山である。今の飛鳥に坐す神社は、天長六年に、高市郡加美郷の甘南備山から、同郷の鳥形山に移つたものであるから、その舊地がこれに當る。
 紅丹穗經 クレナヰニホフ。紅葉の色の美しいのをいう。以上第一段。
 甘甞備乃三諸乃神之 カムナビノミモロノカミノ。嘗はナミであるが、更に備の字を送つている。三諸の神(22)は、三諸の山の神、すなわち明日香の神社の神をいうが、ここはその山を神としている。
 帶爲明日香之河之 オビニセルアスカノカハノ。山に接して川の流れているのを、帶ニセルと敍している。「大王之《オホキミノ》 御笠山之《ミカサノヤマノ》 帶爾爲流《オビニセル》 細谷川之《ホソダニガハノ》 音乃清也《オトノサヤケサ》」(卷七、一一〇二)、「味酒乎《ウマサケヲ》 神名火山之《カムナビヤマノ》 帶丹爲留《オビニセル》 明日香之河乃《アスカノカハノ》」(卷十三、三二六六)。
 水尾速 ミヲハヤミ。ミヲは水流。水脈。
 生多米難 オヒタメガタキ。水流が速くして藻の生いたまりがたい。
 石枕 イハマクラ。石の、枕の連想のあるをいう。ごろた石。天漢原《アマノカハラニ》 石枕卷《イハマクラマク》」(卷十、二〇〇三)。
 蘿生左右二 コケムスマデニ。コケの生えない石にコケの生えるまでというので、永い時間の譬喩になつている。
 新夜乃好去通牟 アラタヨノサキクカヨハム。アラタヨは、次々に來る新しい夜。「新夜《アラタヨノ》 一夜不v落《ヒトヨモオチズ》 夢見與《イメニミエコソ》」(卷十二、二八四二)。好去は義をもつて、サキクに當てている。カヨハムは、夜の通い來るをいう。新しい夜が幸福に來る意の連體形。
 事計 コトハカリ。はかり事。計畫。
 夢尓令見社 イメニミセコソ。コソは願望の助詞。夢に神教のあるべきことを願う。句切。
 劔刀 ツルギタチ。明日香の神南備は、大國主の神の御子|賀夜奈流美《かやなるみ》の命をまつるとされていて、劔刀に縁はない。マツルの語は奉獻する意であるから、劔刀をいわつて獻る意であろう。
 齋祭 イハヒマツレル。潔濟して奉つてある。
 神二師座者 カミニシマセバ。三諸の山にまつつた神をいう。
【評語】神話時代から説き起した構想は、莊重であり、神を歌うにふさわしい。しかし春秋に分けて山の美を(23)説いたのは、概念的でもあり不必要でもあつた。その時の光景を描寫した方がよかつた。明日香の川から永い時間の譬喩に及んで來るあたりは巧みである。新夜の幸福に續くことを願つたのは、漠然としており、あまり切な願いでなかつたことは、反歌にもこれに言及していないのでも知れる。集中でも珍しい材料が使つてあるだけに目新しさがある。やはり明日香の地に來ての作であろうが、時代は不明である。
 
反歌
 
3228 神南備《かむなび》の 三諸《みもろ》の山に 齋《いは》ふ杉、
 思ひ過ぎめや。
 蘿《こけ》生《む》すまでに。
 
 神名備能《カムナビノ》 三諸之山丹《ミモロノヤマニ》 隱藏杉《イハフスギ》
 思將v過哉《オモヒスギメヤ》
 蘿生左右《コケムスマデニ》
 
【譯】神南備の三諸の山で、神聖にしてある杉のように、思い過ぎてしまうことはないだろう。コケの生えるまでに久しくなつても。
【釋】隱藏杉 イハフスギ。隱藏の字は、大切に守つている意で當てたのであろう。神木の杉である。「味酒呼《ウマザケヲ》 三輪之祝我《ミワノハフリガ》 忌杉《イハフスギ》 手觸之罪歟《テフレシツミカ》 君二遇難寸《キミニアヒガタキ》」(卷四、七一二)。以上、序として同音をもつて、次の句の過ギを引き起している。
 思將過哉 オモヒスギメヤ。心中から通過し去るを、思ヒ過グという。ヤは反語。女子に對する思いであろう。句切。
 蘿生左石 コケムスマデニ。杉の縁で、永い時を經過することを、譬喩であらわしている。
【評語】杉から過ギを引き出して來るなど、型にはまつた表現である。男女關係の歌としては堅くるしさがあ(24)り、反歌としても、長歌の主旨を強調するだけの強さに缺けている。同音を利用したことも、口先だけの感を深くしている。
 
3229 齋串《いぐし》立《た》て 神酒《みわ》坐《す》ゑ奉《まつ》る 神主部《かむぬし》の、
 髻華《うず》の玉|蔭《かげ》
 見ればともしも。
 
 五十串立《イグシタテ》 神酒座奉《ミワスヱマツル》 神主部之《カムヌシノ》
 雲聚玉蔭《ウズノタマカゲ》
 見者乏文《ミレバトモシモ》
 
【譯】玉串を立て神酒を置いてたてまつる神職の、髻華にしている玉蔭を見ればりつぱだ。
【釋】五十串立 イグシタテ。イグシは齋串。賢木の枝にアサなど取りつけたもの。神聖な串の義。五十は訓假字。神を祭るに當つてこれを立てる。これに神靈が宿るとする。
 神酒座奉 ミワスヱマツル。ミワは文字通り神酒。倭名類聚鈔に「日本紀私記(ニ)云(フ)、神酒、和語(ニ)云(フ)2美和《ミワト》1」とある。マツルは獻上する意の動詞。連體形で、以上二句、神主部の行動を敍している。
 神主部之 カムヌシノ。ハフリベガ(考)。部は、部族の義をもつて添えて書いている。神主は、神靈のおりつく人の義であるが、轉じて神職の意に使つている。
 雲聚玉蔭 ウズノタマカゲ。ウズは、倭建の命の御歌に「伊能知能《イノチノ》 麻多祁牟比登波《マタケムヒトハ》 多多美許母《タタミコモ》 幣具理能夜麻能《ヘグリノヤマノ》 久麻加志賀波袁《クマカシガハヲ》 宇受爾佐勢《ウズニサセ》 曾能古《ソノコ》」(古事記三二)とあり、木の葉を頭髪に插したものである。本集では「島山爾《シマヤマニ》 照在橘《テレルタチバナ》 宇受爾左之《ウズニサシ》 仕奉者《ツカヘマツルハ》 卿大夫等《マヘヅギミタチ》」(卷十九、四二七六)とあつて、タチバナの實を插している。日本書紀には、推古天皇の卷に「元日|著(ク)2髻華(ヲ)1 髻華、此(ヲバ)云(フ)2于孺《ウズト》1」とあるのは、冠に插しもので、その十九年五月五日の條に「各|髻華《うず》を著く。すなはち大コ小コ竝に金を用ゐ、大仁小仁は豹の尾を用ゐ、大禮より以下は鳥の尾を用ゐる」とあつて、作りものであつたことが知られる。後世は、ヒカゲノカヅラの作(25)りものを冠につけるのを、ウズといつている。タマカゲは、玉は美稱、カゲはヒカゲノカヅラで、やはり作りものであろう。ヒカゲノカヅラをカゲというは「安之比奇能《アシヒキノ》 夜麻可都良加氣《ヤマカツラカゲ》 麻之波爾母《マシバニモ》 衣可多伎可氣乎《エガタキカゲヲ》 於吉夜可良佐武《オキヤカラサム》」(卷十四、三五七三)の例がある。
 見者乏文 ミレバトモシモ。トモシは、賞美される意である。
【評語】神職の髻華をほめているのは、前二首の内容から遠ざかつている。或る書にこの一首がないというのが原形なのであろう。歌としては、珍しい材料を歌つているだけで、別に取り立てていうほどのこともない。
 
右三首、但或書、此短歌一首、無v有v載v之也。
 
右の三首。但し或る書に、この短歌一首は載することあるなし。
 
【釋】或書 アルフミ。どういう書ともわからない。しかしこの一首を載せていないというのは、前の二首は載せているということになる。詞句に何の別傳もなかつたものか、またそれにも作者や作歌事情などについて記事がなかつたものか。今この一首がなかつたという報告を受けるだけである。
 
3230 帛《ねりぎぬ》を 奈良よりいでて、
 水蓼《みづたで》 穗積に至り、
 鳥網《となみ》張《は》る 坂手《さかて》を過ぎ、
 石走《いはばし》る 甘南備《かむなび》山に
 朝宮に 仕へ奉りて、
 吉野へと 入りますみれば、
(26) 古《いにしへ》念ほゆ。
 
 帛叫《ネリギヌヲ》 楢從出而《ナラヨリイデテ》
 水蓼《ミヅタデ》 穗積至《ホヅミニイタリ》
 鳥網張《トナミハル》 坂手乎過《サカテヲスギ》
 石走《イハバシル》 甘南備山丹《カムナビヤマニ》
 朝宮《アサミヤニ》 仕奉而《ツカヘマツリテ》
 吉野部登《ヨシノヘト》 入座見者《イリマスミレバ》
 古所v念《イニシヘオモホユ》
 
【譯】奈良の京から出て、水蓼の咲く穗積に至り、鳥を捕る網を張る坂手を過ぎて、水の石走る甘南備山に、朝の社にお仕え申して、吉野へとおはいりになるのを見ると、昔が思われる。
【構成】全篇一文。
【釋】帛叫 ネリギヌヲ。枕詞だろう。帛は、織物の稱。もとこれをミテグラと讀んでいるのは、幣帛の義とするによるものであるが、帛だけでは、神に奉る物の意なるミテグラにはならない。倭名類聚鈔に「説文(ニ)云(フ)、帛蒲角(ノ)反、俗(ニ)云(フ)2波久乃岐奴《ハクノキヌト》1薄(キ)叙轣vとあり、狩谷?齋の箋註には、鋤蜩ッ義で、薄とあるは誤りだとある。しかしハクノキヌでは、この歌の訓には適しないし、本集および日本書紀に、キヌと訓してあるのも音が足りない。また日本書紀敏達天皇紀には、帛にネリキヌの訓がある。ネリキヌは、精錬した絹で、肌ざわりがよいから馴ルの義によつてナラの語に冠するのだろう。ヲは感動の助詞。枕詞に使用されるヲは、多くこの種のものである。
 楢從出而 ナラヨリイデテ。ナラは、平城京。楢は當字。
 水蓼 ミヅタデ。枕詞。タデ科の一年生草本、水邊に自生する。カワタデ。花穗が出る所から穗に冠する。
 穗積至 ホヅミニイタリ。穗積は、山邊郡朝和村大字新泉の附近であろうという。
 鳥網張 トナミハル。枕詞。トナミは鳥を捕る網。鳥の網は坂の傾斜に張るので、坂手に冠する。「坂鳥乃《サカドリノ》 朝越座而《アサコエマシテ》」(卷一、四五)。
 坂手乎過 サカテヲスギ。坂手は、磯城郡川東村大字坂手。
 石走 イハバシル。甘南備山の麓を流れる明日香川の水が石に激しているので、修飾句とする。甘南備山の風光の敍述句。
(27) 甘南備山丹 カムナビヤマニ。甘南備山は、明日香の神南備山をいう。
 朝宮仕奉而 アサミヤニツカヘマツリテ。明日香の神南備山には、神社があるので、それに朝祭をすることをいう。下に吉野へト入リマス見レバとあり、また反歌に三諸山の離宮を歌つているによれば、天皇の行幸を歌つているのであろう。
 吉野部登入座見者 ヨシノヘトイリマスミレバ。吉野は、吉野の離宮をいうのであろう。マスは敬語の助動詞。天皇の行幸とする説が多く、多分そうであろう。
 古所念 イニシヘオモホユ。イニシヘは、そう古い時代ではなく、持統天皇などが、しばしば吉野へ行幸されたことを想起しているであろう。
【評語】道行を敍することによつて、よく古風な味を出している。これは日本書紀の影媛の歌などに見るところで、歌いものの系統を追うものである。奈良に遷都してから久しくない時代の作品であろう。
 
反歌
 
3231 月日《つきひ》は 更《かは》れども久に 流らふる
 三諸《みもろ》の山の 離宮地《とつみやどころ》。
 
 月日《ツキヒハ》 攝友久《カハレドモヒサニ》 流經《ナガラフル》
 三諸之山《ミモロノヤマノ》 礪津宮地《トツミヤドコロ》
 
【譯】月日は變わつたが、永久に傳わつて行く三諸の山の離宮の處だ。
【釋】月日 ツキヒハ。ツキヒは、時間の上の月日である。
 攝友久流經 カハレドモヒサニナガラフル。
   ウツリユケドモヒサニフル(元)
(28)   カハリユケドモヒサニフル(天)
   ユケドモヒサニナガラフル(新訓)
   ――――――――――
   攝友久經流《カハリユケドモヒサニフル》(西)
   接友久經流《ヘダタリヌトモヒサニフル》(代精)
   攝往友久經流《カハリユケドモヒサニフル》(略)
   行攝久經流《ユキカハレドモヒサニフル》(古義)
 攝は、代攝の義によつて、カハルの語に當てているのであろう。カハレドモは、月日の改まり行つたことをいう。「荒玉之《アラタマノ》 月乃易者《ツキノカハレバ》」(卷十三、三三二九)。ナガラフルは、存在して行く意。
 三諸之山 ミモロノヤマノ。三諸の山は、明日香の神南備山に同じ。
 礪津宮地 トツミヤドコロ。三諸の山に、古くから離宮があつたのであろう。柿本の人麻呂の「大君は神にし坐せば天雲の雷《いかづち》の上に廬《いほり》するかも」(卷三、二三五)は、雷の岡に離宮のあつたことを歌つているのであろうか。
【評語】淡々たるうちに、悠久の趣を感じさせる。二句の途中で切れる形は、さすがに時代の降つて來たことを語つている。しかし初句の四音の句は、これを補つて、古風な味を保つている。
【參考】傳來。
 御供に大納言殿(藤原の伊周)參らせたまひて、ありつる花のもとに返りゐたまへり。宮の御前の御凡帳おしやりて、長押《なげし》のもとに出でさせたまへるなど、ただ何事もなくよろづにめでたきを、さぶらふ人も思ふことなき心地するに「月も日もかはりゆけどもひさにふる三室の山の」といふ古言をゆるやかにうち詠み出だして居たまへる、いとをかしと覺ゆる。げにぞ千歳もあらまほしげなる御有樣なりや。(枕の草子)
 
右二首。但或本歌曰、故王都《フルキミヤコノ》 跡津宮地《トツミヤドコロ》也。
 
右の二首。但し或る本の歌に曰はく、古き都のとつ宮ところといへり。
 
(29)【釋】或本歌 アルマキノウタ。この或る本も、何かわからないが、人麻呂集あたりではないだろうか。
 故王都 フルキミヤコノ。明日香の地は、前の時代の帝都であつた。この句の方が追憶の情が深い。
 
3232 斧《をの》取りて 丹生《にふ》の檜《ひ》山の
 木|折《こ》り來て 筏《いかだ》に作り、
 二楫《まかぢ》貫《ぬ》き 礒|榜《こ》ぎ廻《み》つつ、
 島づたひ 見れども飽かず。
 み吉野の 瀧もとどろに
 落つる白浪。
 
 斧取而《ヲノトリテ》 丹生檜山《ニフノヒヤマノ》
 木折來而《キコリキテ》 ※[木+伐]尓作《イカダニツクリ》
 二梶貫《マカヂヌキ》 礒榜廻乍《イソコギミツツ》
 島傳《シマヅタヒ》 雖v見不v飽《ミレドモアカズ》
 三吉野乃《ミヨシノノ》 瀧動々《タギモトドロニ》
 落白浪《オツルシラナミ》
 
【譯】斧を取つて丹生の檜の木山の木を切つて來て、筏に作つて、艪を取りつけて、礒を榜ぎ廻りながら、島傳いして見ても飽きない。吉野の激流もとどろと落ちる白浪は。
【構成】全篇一文。見レドモ飽カズで、文は切れ、以下は、上文に對する主題の提示である。
【釋】斧取而 ヲノトリテ。句を隔てて、木折リ來テを修飾する。
 丹生檜山 ニフノヒヤマノ。ニフは地名。吉野川の上流の地。ヒヤマは、檜の木の生えている山。
 木折來而 キコリキテ。折は普通ヲルと讀まれる字であるが、ここは義をもつてコルと讀む。「礒上爾《イソノウヘニ》 爪木折燒《ツマギヲリタキ》」(卷七、一二〇三)の折燒も、神田本にはコリタキと訓してある。
 ?尓作作 イカダニツクリ。?は筏に同じ。木を編んで水を渡るもので、その大なるを?といい、小なるを桴という。
(30) 二梶貫 マカヂヌキ。マは接頭語。カヂは、船を漕ぐ具。二梶と書いたのは、二艇の楫をつけたのであろう。ヌキは、それを取り附ける。
 礒榜廻乍 イソコギミツツ。イソは、吉野川の石の多い處。ミツツは、周廻しつつ。「榜廻舟者《コギミルフネハ》」(卷三、三五七)參照。
 島傳 シマヅタヒ。シマは、水に臨んだ美しい地をいう。
 雖見不飽 ミレドモアカズ。事物を讃稱するに使用する慣用句。句切。
 瀧動々 タギモトドロニ。トドロニは、鳴動する?を表示する副詞。
【評語】吉野川の激流を遊覽する有樣が、素朴な表現で描かれ、よくその風光が想像される。前の歌に續いて、同時の作とする説があり、そういうことでもあろう。
 
反歌
 
3233 み吉野の 瀧もとどろに
 落つる白浪。
 留《と》まりにし 妹に見せまく
 欲《ほ》しき白浪。
 
 三芳野《ミヨシノノ》 瀧動々《タギモトドロニ》
 落白浪《オツルシラナミ》
 留西《トマリニシ》 妹見西卷《イモニミセマク》
 欲白浪《ホシキシラナミ》
 
【譯】吉野川の激流もとどろとばかりに落ちる白浪。家に留まつた妻に見せたいと思う白浪だ。
【釋】三芳野瀧動々落白浪 ミヨシノノタギモトドロニオツルシラナミ。長歌の末三句を繰り返している。句切。
(31) 留西 トマリニシ。家に留まつた。
 妹見西卷欲白浪 イモニミセマクホシキシラナミ。ミセマクホシは、見せむことの望ましいの意。
【評語】反歌として唯一の旋頭歌である。長句の末句を繰り返し、また第六句に、白浪と結んでいるあたり、かなり歌いものふうになつているが、見セマク欲シキを二句に懸けているのは、さすがに時代が降つて來たためであろう。激流の白浪を讃稱する氣もちは、繰り返す形によつて、よく描かれている。
 
右二首
 
3234 やすみしし わご大皇《おほきみ》、
 高照らす 日の皇子《みこ》の
 聞《きこ》し食《め》す 御饌《け》つ國、
 神風《かむかぜ》の 伊勢の國は、
 國みればしも、
 山見れば 高く貴し。
 河見れば さやけく清し。
 水門《みなと》なす 海も廣し。
 見渡しの 島も名高し。」
 ここをしも まぐはしみかも
(32) かけまくも あやに恐《かしこ》き
 山邊《やまのべ》の 五十師《いし》の原に
 うち日さす 大宮仕へ、
 朝日なす まぐはしも。
 暮日《ゆふひ》なす うらぐはしも。」
 春山の しなひ榮えて
 秋山の 色なつかしき
 ももしきの 大宮人は、
 天地 日月と共に、
 萬世にもが。」
 
 八隅知之《ヤスミシシ》 和期大皇《ワゴオホキミ》
 高照《タカテラス》 日之皇子之《ヒノミコノ》
 聞食《キコシメス》 倒食都國《ミケツクニ》
 神風之《カムカゼノ》 伊勢乃國者《イセノクニハ》
 國見者之毛《クニミレバシモ》
 山見者《ヤマミレバ》 高貴之《タカクタフトシ》
 河見者《カハミレバ》 左夜氣久清之《サヤケクキヨシ》
 水門成《ミナトナス》 海毛廣之《ウミモヒロシ》
 見渡《ミワタシノ》 島名高之《シマモナダカシ》
 己許乎志毛《ココヲシモ》 間細美香母《マグハシミカモ》
 挂卷毛《カケマクモ》 文尓恐《アヤニカシコキ》
 山邊乃《ヤマノベノ》 五十師乃原尓《イシノハラニ》
 内日刺《ウツヒサス》 大宮都可倍《オホミヤヅジャヘ》
 朝日奈須《アサヒナス》 目細毛《マグハシモ》
 暮日奈須《ユフヒナス》 浦細毛《ウラグハシモ》
 春山之《ハルヤマノ》 四名比盛而《シナヒサカエテ》
 秋山之《アキヤマノ》 色名付思吉《イロナツカシキ》
 百礒城之《モモシキノ》 大宮人者《オホミヤビトハ》
 天地《アメツチ》 與2日月1共《ヒツキトトモニ》
 萬代尓母我《ヨロヅヨニモガ》
 
【譯】天下を知ろしめすわが大君、輝く日の御子樣の召しあがられる御食事の國である、神風の吹く伊勢の國は、國土を見れば、山を見れば高く貴く、河を見ればさつぱりして清らかである。水門をなしている海も廣く見渡される島も名高い。これを賞されてか、口に懸けるのもまことに恐れ多い山邊の五十師《いし》の原に、りつぱな宮殿にお仕え申して、朝日のように美しく、夕日のように美しい。春の山の茂り榮え、秋の山の色の慕わしい、大宮の人は、天地日月と共に萬世にもありたいものだ。
【構成】第一段、島モ名高シまで。伊勢の國の風光の概説。伊勢の國は、主格の提示。これを受けて、國見レバシモと總括し、更に四個の對句に細説する。第二段、ウラグハシモまで。五十師の原の宮殿奉仕を説く。第(33)三段、終りまで。そこに奉仕する大宮人の永久にあることを願う。
【釋】八隅知之和期大皇高照日之皇子之 ヤスミシシワゴオホキミタカテラスヒノミコノ。古い歌いものから來ている句。既出。
 聞食 キコシメス。ここは、召しあがる意に次の御食を修飾している。
 御食都國 ミケツクニ。ミケは天皇の御食事。御料の食事を出す國の義で、志摩、淡路にいうが、ここは伊勢の國を説明している。
 神風之 カムカゼノ。枕詞。
 伊勢乃國者 イセノクニハ。主格の提示。
 國見者之毛 クニミレバシモ。クニは國土。シモは強意の助詞。この句は、七音の一句だけになつているので、誤脱説もあり、また衍入説もある。國見者を短句とし、その下の之毛の上に字が落ちていると見る説もある。「國見者阿夜爾久波之毛《クニミレバアヤニクハシモ》」(考)、「國見者阿夜爾乏毛《クニミレバアヤニトモシモ》」(略)など、それである。古義に國見者之毛の五字を衍入とする。しかし、この句を總括的前提とし、その下に四個の細説を置いたものとして解すべきである。そうしてこの破調が、かえつて平板を避ける手段になつているともいえよう。
 山見者高貴之 ヤマミレバタカクタフトシ。山についていう。山の高大で尊貴な感じを描いている。「神左備手《カムサビテ》 高貴寸《タカタタフトキ》 駿河有《スルガナル》 布士能高嶺乎《フジノタカネヲ》」(卷三、三一七)。
 河見者左夜氣久清之 カハミレバサヤケクキヨシ。河の清淨な模樣を敍している。サヤケシもキヨシも、いずれも音にも見たさまにもいう。「山川乎《ヤマカハヲ》 清清《キヨミサヤケミ》」(卷六、九〇七)の清清は、通例キヨミサヤケミと讀まれている。
 水門成海毛廣之 ミナトナスウミモヒロシ。ミナトは灣口江口。ナスは、それを作つている。灣形をしてい(34)る海も廣い。伊勢灣をいうのであろう。
 見渡島名高之 ミワタシノシマモナダカシ。ミワタセルシマノナタカシ(西)。シマは、伊勢灣に臨んでいる山々をいう。必ずしも島嶼に限らないが、島嶼を含めていうだろう。以上第一段で、伊勢の國の良い國であることを述べている。
 己許乎志毛 ココヲシモ。ココは、これで、第一段の良い國である條件をさしている。
 間細美香母 マグハシミカモ。マは接頭語。クハシは、麗美の意の形容詞。カモは係助詞。
 挂卷毛文余恐 カケマクモアヤニカシコキ。離宮の所在地について、言うを憚る意に修飾している。
 山邊乃五十師乃原尓 ヤマノベノイシノハラニ。ヤマベノ(古義)。山邊の五十師の原は、本居宣長の玉勝間に、伊勢の國鈴鹿郡山邊村の石藥師の地としている。但しその地は海に遠く、山にも遠くして歌の趣に合わない。また往時の神宮への通路でもない。「萬葉集講義」、山邊の御井(卷一、八一)の條には、御鎭座本紀に、豐受の大神の伊勢に遷りました時の順路をいう中に「次山邊行宮御一宿【今、壹志の郡新家村と號ふ、是なり】」とあるを引いて、その地であろうという。その新家村は、今何處であるか不明である。「萬葉集全釋」は、壹志を古くイシといい、五十師はそれに當るとしている。
 内日刺 ウチヒサス。枕詞。
 大宮都可倍 オホミヤヅカヘ。離宮があつて、それに行幸され、奉仕することをいう。
 朝日奈須 アサヒナス。朝日のように。ナスは、その物を成しての意で、譬喩の意になる。
 目細毛 マグハシモ。上のマグハシミカモを同語で受けている。句切。
 暮日奈須浦細毛 ユフヒナスウラグハシモ。朝日ナスマグハシモと對句になつている。「朝日のたださす國、夕日の日照る國」(古事記上卷)、「朝日の日照る宮、夕日の日がける宮」(同下卷)など、朝日夕日によつて讃(35)稱する詞が多く、それを受けている。以上第二段。
 春山之 ハルヤマノ。次の句と共に譬喩をなしている。
 四名比盛而 シナヒサカエテ。シナヒは、類聚名義抄に、鬱にシナフの訓があり、樹木の茂る意の動詞。「眞木葉乃《マキノハノ》 之奈布勢能山《シナフセノヤマ》」(卷三、二九一)。意は撓うようにあるをいうのであろう。以上二句、大宮人のさまを譬喩でいうが、大原の今城の姿を敍した歌に「多知之奈布《タチシナフ》 伎美我須我多乎《キミガスガタヲ》」(卷二十、四四四一)の句があり、シナヒは、なよやかな美しさをあらわすに使われている。
 秋山之 アキヤマノ。譬喩の句で、色に冠している。
 色名付思吉 イロナツカシキ。秋山の木の葉の色のように、姿の親しまれる。この句のイロは、大宮人の見たさまをいう。
 百礒城之 モモシキノ。枕詞。
 大宮人者 オホミヤビトハ。大宮人は、男女に拘わらずいう。ここも同樣である。
 天地與日月共 アメツチヒツキトトモニ。天地日月は、悠久なものの代表とされている。「天地《アメツチ》 日月與共《ヒツキトトモニ》」(卷二、二二〇)。
 萬代尓母我 ヨロヅヨニモガ。願望の語法。
【評語】字足らずの句も多く使われているのを見ると、國見レバシモの破調も、初めからそうなつていたのだろう。これらは單調平凡になるのを避けて音調を力強くする。それに對句の用法も古格に適つて巧みである。全體の構成もよい。ただ春秋に分けていつたりして、敍述が概念的になつている點のあるのは、形式に墮するうらみがある。離宮の壯觀を稱讃しようとして、そこに奉仕する人について、榮えることを願うのは常套手段だが、この歌は、地形の細敍があるので助かつている。時代は、持統天皇の行幸の時の作とする説があるが、(36)そうかも知れない。
 
反歌
 
3235 山邊《やまのべ》の 五十師《いし》の御井《みゐ》は
 おのづから 成れる錦を
 張れる山かも。
 
 山邊乃《ヤマノベノ》 五十師乃御井者《イシノミヰハ》
 自然《オノヅカラ》 成錦乎《ナレルニシキヲ》
 張流山可母《ハレルヤマカモ》
 
【譯】山邊の五十師の御井は、自然にできた錦を張つた山だなあ。
【釋】五十師乃御井者 イシノミヰハ。御井は、五十師の原の離宮の御井で、卷の一、八一の山邊の御井とあるものであろう。掘井か、自然の井か、何とも知られない。この句、イシノミヰハと讀むこと、宣長以來の訓で、定説のようになつているが、天治本などでは、イソシノミヰはとしていて、仙覺もこれによつている。長歌もイソシノハラニと讀めば諧調である。イソシの地も所見がないが、「玉岐波流礒宮坐《タマキハルイソノミヤニマシキ》」(皇大神宮儀式帳)は參考となるかもしれない。
 自然成錦乎 オノヅカラナレルニシキヲ。ニシキは、倭名類聚妙に「釋名(ニ)云(フ)錦、錦居飲(ノ)反、邇之岐《ニシキ》」とある。自然に成つた錦とは、山野の草木の美をいう。春とも秋とも定めがたい。「錦成花咲乎呼里《ニシキナスハナサキヲヲリ》」(卷六、一〇五三)によれば、春の花にも言つている。
 張流山可母 ハレルヤマカモ。その錦を張りめぐらした山かと讃稱している。
【評語】御井のあたりの自然を敍している。山を敍して御井を稱え、これによつて宮殿を祝つた手段は、藤原の宮の御井の歌と同巧である。譬喩も巧みで、大きな姿の歌である。
 
(37)右二首
 
3236 そらみつ 大和の國、
 あをによし 寧山《ならやま》越《こ》えて、
 山代《やましろ》の 管木《つつき》の原、
 ちはやぶる 宇治の渡《わた》り、
 瀧《たぎ》の屋の 阿後尼《あごね》の原を、
 千歳に おつる事なく、
 萬歳《よろづよ》に あり通はむと、
 山科《やましな》の 石田《いはた》の社《もり》の
 皇神《すめがみ》に 幣帛《ぬさ》取り向けて、
 われは越え往く。
 相坂山を。
 
 空見津《ソラミツ》 倭國《ヤマトノクニ》
 青丹吉《アヲニヨシ》 寧山越而《ナラヤマコエテ》
 山代之《ヤマシロノ》 管木之原《ツツキノハラ》
 血速舊《チハヤブル》 于遲乃渡《ウヂノワタリ》
 瀧屋之《タギノヤノ》 阿後尼之原尾《アゴネノハラヲ》
 千歳尓《チトセニ》 闕事無《オツルコトナク》
 萬歳尓《ヨロヅヨニ》 有通將得《アリガヨハムト》
 山科之《ヤマシナノ》 石田之社之《イハタノモリノ》
 須馬神尓《スメガミニ》 奴左取向而《ヌサトリムケテ》
 吾者越往《ワレハコエユク》
 相坂山遠《アフサカヤマヲ》
 
【譯】空から見た大和の國、その美しい奈良山を越えて、山代の管木の原、流れの速い宇治川の渡場、瀧の屋の阿後尼の原を、千年もかかさずに、永久に通つて行こうと、山科の石田の神社の神樣に、幣帛を奉つて、わたしは越えて行く。この相坂山を。
【構成】全篇一文。
(38)【釋】空見津 ソラミツ。枕詞。
 倭國 ヤマトノクニ。下の寧山の所在を説明する。
 青丹吉 アヲニヨシ。枕詞。
 寧山越而 ナラヤマコエテ。寧は寧樂の略。
 山代之管木之原 ヤマシロノツツキノハラ。今綴喜郡の名に殘つている。管木の原は、次の宇治の渡、および阿後尼の原と竝立した格になつている。
 血速舊 チハヤブル。枕詞。猛威を振う意に、氏に冠する。「知波夜夫流《チハヤブル》 宇遲能和多理邇《ウヂノワタリニ》」(古事記五一)の句を、日本書紀には、「知破椰臂苔《チハヤビト》 于?能和多利珥《ウヂノワタリニ》」(四二)としている。
 于遲乃渡 ウヂノワタリ。宇治川の渡場。
 瀧屋之阿後尼之原尾 タギノヤノアゴネノハラヲ。瀧の屋の阿後尼の原は、宇治から山科までのあいだの地名だろうが、所在不明。
 千歳尓關事無 チトセニオツルコトナク。千年のような長いあいだも、間が缺けることなく。次のアリ通ハムを修飾している。
 萬歳尓有通將得 ヨロヅヨニアリガヨハムト。萬歳は長いあいだ。生存して通おうと。將を動詞の下に書いて、助動詞ムに當てている。この卷には往々にしてかような用法がある。
 山科之石田之社之 ヤマシナノイハタノモリノ。山科にある石田の社の。石田は、京都市伏見區醍醐に、石田の字が殘つていて、今はイシダと呼んでいる。石田の社は、その地の神社。石田の地を通る奈良街道の西に當る神社であろうという。「山科乃《ヤマシナノ》 石田社爾《イハタノモリニ》」(卷九、一七三一)。
 須馬神尓 スメガミニ。スメガミは、特に貴ぶべき神をいう。普通、皇神の字を當てている。
(39) 奴左取向而 ヌサトリムケテ。幣帛を奉つて。道路の平安を願う意である。
 吾者越往 ワレハコエユク。下の相坂山を越えるのである。句切。
 相坂山遠 アフサカヤマヲ。越エ行クの目的格。ヲは、感動の助詞としての用から轉用する。
【評語】奈良から出て、山城の國を通つて、近江に越えることを歌つている。この道中を、無事に往來しようの意で、始終往來することのある人の作である。奈良時代にはいつてからの作と考えられる。道行ぶりの敍述が、旅中の作らしい氣分を漂わせている。末句は、七七の形になつている。かような道行ぶりは、次の或る本の歌にもあるように、歌いものとして行われていた型である。
 
或本歌曰
 
3237 あをによし 奈良山過ぎて、
 もののふの 宇治川渡り、
 未通女《をとめ》らに 相坂山《あふさかやま》に
 手向草 絲取り置きて、
 我妹子に 淡海《あふみ》の海の
 沖つ浪 來寄《きよ》る濱邊を、
 くれくれと ひとりぞわが來る。
 妹が目を欲り。
 
 緑青吉《アヲニヨシ》 平山過而《ナラヤマスギテ》
 物部之《モノノフノ》 氏川渡《ウヂガハワタリ》
 未通女等尓《ヲトメラニ》 相坂山丹《アフサカヤマニ》
 手向草《タムケグサ》 絲取置而《イトトリオキテ》
 我妹子尓《ワギモコニ》 相海之海之《アフミノウミノ》
 奧浪《オキツナミ》 來因濱邊乎《キヨルハマベヲ》
 久禮々々登《クレクレト》 獨曾我來《ヒトリソワガクル》
 妹之目乎欲《イモガメヲホリ》
 
【譯】美しい奈良山を通り、流れの速い宇治川を渡つて、孃子に逢う相坂山に、手向の品として絲を置いて、(40)わが妻に逢う淡海の湖水の、沖の浪の來て寄る濱邊を、心もうつうつと、ひとりでわたしが來るのだ。妻に逢いたく思つて。
【構成】全篇一文。
【釋】緑青吉 アヲニヨシ。枕詞。アヲニには、多く青丹の字を當てており、緑青の字を當てたのは、この一例のみである。緑青は、緑青色の顔料で、アヲニヨシの解の參考となる字である。
 物部之 モノノフノ。枕詞。物部の氏と續く。
 未通女等尓 ヲトメラニ。枕詞。
 手向草 タムケグサ。手向の祭に使用する品物。次の句の絲を説明する。「白浪乃《シラナミノ》 濱松之枝乃《ハママツガエノ》 手向草《ケムケグサ》」(卷一、三四)。
 絲取置而 イトトリオキテ。イトは、文字通り絲で、幣として使用したのである。麻絲である。トリオキテは、置いてに同じ。トリは接頭語。手向の祭をするをいう。
 我妹子尓 ワギモコニ。枕詞。
 相海之海之 アフミノウミノ。相海は淡海に同じ。我妹子爾の句を受けて、逢うの語義によつて、相海と書いている。
 久禮々々登 クレクレト。クレは闇いことの義で、心も暗く行く意に形容している。「都禰斯良農《ツネシラヌ》 道乃長手袁《ミチノナガテヲ》 久禮々々等《クレクレト》 伊可爾可由迦牟《イカニカユカム》 可利弖波奈斯爾《カリテハナシニ》」(卷五、八八八)。
 獨曾我來 ヒトリゾワガクル。句切。
 妹之目乎欲 イモガメヲホリ。メは逢うこと。家に殘して來た妻を思つているのだろう。
【評語】妻を思いつつ淡海の國を旅行している人の歌である。前の歌の如きが記憶にあつて、それを歌い變え(41)たもの。未通女ラニ、我妹子ニのような、同じ性質の枕詞の重出があり、妻を思う情があらわれているが、前の歌に似て、しかも一層弛緩している。
 
反歌
 
3238 相坂《あふさか》を うち出でて見れば、
 淡海《あふみ》の海
 白木綿花《しらゆふばなに》に 浪立ち渡る。
 
 相坂乎《アフサカヲ》 打出而見者《ウチイデテミレバ》
 淡海之海《アフミノウミ》
 白木綿花尓《シラユフバナニ》 浪立渡《ナミタチワタル》
 
【譯】相坂山から湖邊に出て見れば、淡海の湖水は、白い木綿の花のように波が立ち渡つている。
【釋】相坂乎打出而見者 アフサカヲウチイデテミレバ。相坂山から湖邊に出て見れば。大津に打出の濱の名が傳えらられている。
 白木綿花尓 シラユフバナニ。白い木綿の花のように見えるもののように。ユフは、コウゾの繊維をさらしたもの。浪の白いのを白木綿花に譬えたのは、例が多い。
【評語】山中から水邊に出た氣もちがよく歌われている。或る本の歌の反歌と見られるが、長歌の内容を變えて光景を敍している。これも一手段である。
 
右三首
 
【釋】右三首 ミギノミツ。或る本の歌を合算している。この卷の計數は、皆同樣である。
 
3239 近江の海 泊《とまり》八十《やそ》あり。
(42) 八十島の 島の埼埼《さきざき》、
 あり立てる 花橘を、
 上《ほ》つ枝《え》に 黐《もち》引き懸け、
 仲つ枝《え》に いかるが懸け、
 下枝《しづえ》に ひめを懸け、
 わが母を 捕らくを知らに、
 わが父を 捕らくを知らに、
 いそばひ居るよ。
 いかるがとひめと。
 
 近江之海《アフミノウミ》 泊八十有《トマリヤソアリ》
 八十島之《ヤソシマノ》 嶋之埼耶伎《シマノサキザキ》
 安利立有《アリタテル》 花橘乎《ハナタチバナヲ》
 末技尓《ホツエニ》 毛知引懸《モチヒキカケ》
 仲伎尓《カツエニ》 伊加流我懸《イカルガカケ》
 下枝尓《シヅエニ》 比米乎懸《ヒメヲカケ》
 己之母乎《ワガハハヲ》 取久乎不v知《トラクヲシラニ》
 己之父乎《ワガチチヲ》 取久乎思良尓《トラクヲシラニ》
 伊蘇婆比座與《イソバヒヲルヨ》
 伊可流我等比米登《イカルガトヒメト》
 
【譯】近江の湖水には、船つきがたくさんある。たくさんの島の埼々に立つている花の咲くタチバナの樹に、上の枝に鳥もちをつけ、中の枝にイカルガを懸け、下の枝にヒメを懸けて、自分の母を捕るとも知らず、自分の父を捕るとも知らず、戯れていることだ。イカルガとヒメとが。
【構成】全篇一文。泊八十アリで、一往文が切れるが、それは八十島ノ島ノ埼埼というための準備で、段落というほどのものでない。
【釋】近江之海 アフミノウミ。淡海の海に同じ。近江の字は、奈良時代の初めに、諸國の地名に好字をつけた時に、遠江に對して近江とされたのであろう。
 泊八十有 トマリヤソアリ。トマリは、船の停泊する處。琵琶湖については、「近江海《アフミノウミ》 八十之湊爾《ヤソノミナトニ》」(卷三、二七三)、「近江之海《アフミノウミ》 湖者八十《ミナトハヤソチ》」(卷七、一一六九)など、ミナトの多いことを歌つている。以上は、次の八十島ノ島ノ埼埼というための準備で、まず大局から歌い起している。句切。
 八十島之島之埼耶伎 ヤソシマノシマノサキザキ。シマは、水に面した美地をいう。泊が多いので、島が多い。その島の埼々を提示している。「宇知微流《ウチミル》 斯麻能佐岐耶岐《シマノサキザキ》」(古事記六)。
 安利立有 アリタテル。アリは接頭語。存在を語る。アリ通フなどのアリに同じ。
 花橘乎 ハナタチバナヲ。ハナタチバナは、花を念頭に置いたタチバナの表現である。今花が咲いていないでも、ああ花の咲く樹だなという氣もちである。ヲは、であるものをくらいの意。
 末枝尓 ホツエニ。ホツエは、上方の枝。「青柳乃《アヲヤギノ》 保都枝與治等理《ホツエヨヂトリ》」(卷十九、四二八九)。
 毛知引懸 モチヒキカケ。モチは、鳥もち。倭名類聚鈔に「唐韵(ニ)云(フ)、黐丑知(ノ)反、毛知《モチ》所2以黏(クル)1v鳥(ニ)也」
 仲枝尓 ナカツエニ。ナカツエは、中の枝。
 伊加流我懸 イカルガカケ。イカルガは、鳥名。斑鳩。鳴禽類の一種。鳩よりもやや小。
 下枝尓 シヅエニ。シヅエは、下方の枝。
 比米乎懸 ヒメヲカケ。ヒメは、鳥名。倭名類聚鈔「陸詞(ニ)曰(ク)?、音黔又音琴、漢語抄(ニ)云(フ)比米《ヒメ》白(キ)喙(ノ)鳥也」。箋註にいう「今(ノ)俗(ニ)有(リ)d小鳥(ノ)呼(ブ)2之由米《シユメト》1者u、其(ノ)喙與2以加流賀《イカルガト》1略同(ジ)。是(レ)亦比米之譌(ル)2之由米(ニ)1。漢名未(ダ)v詳(ナラ)」。この歌の比米を、此米に作つている本のあるのは誤りである。卷の一、五の左註、竝に伊豫國風土記の逸文、皆、イカルガに配するに比米をもつてしている。今のシメの古名だろうという。タチバナの枝に、イカルガとヒメとを懸けたのは、媒鳥《おとり》として使つたのである。
 己之母乎 ワガハハヲ。サガハハヲ(西)、ナガハハヲ(考)、ワガハハヲ(古事記傳)、シガハハヲ(略)。ワは、自己の稱。ここはイカルガ、ヒメについていう。
(44) 取久乎不知 トラクヲシラニ。トラクは、捕えること。ニは打消の助動詞。
 伊蘇婆比座與 イソバヒヲルヨ。イソバヒは、イは接頭語。ソバヒは、枕の草子に「つねにたもとをみ、人にくらべなど、えもいはず思ひたるを、そばへたる小舍人達などに、ひき留められて」とある、ソバヘと同じで,ふざける意だという。媒鳥が、自分の父母を捕るとも知らないで戯れている意だとされる。ヨは間投の助詞。句切。
 伊可流我等比米登 イカルガトヒメト。上のイソバヒ居ルヨの主格。
【評語】樹木について、上つ枝、中つ枝、下枝とわけていうのは、古歌謠から來ている手段で、歌いものふうに作られている。古義に、近江時代の童謠として、諷喩を含んでいると(45)したのはもつともで、いかにも寓意のありそうな歌である。但し寓意は、どのようにも事實に當てられるので、實際にイカルガとヒメとを何人にたとえているかは、決定しがたい。材料として、花橘に媒鳥を懸けている風景を捕えて、巧みに寓意を盛りあげている。上品な諷喩の作である。
 
右一首
 
3210 大王《おほきみ》の 命《みこと》恐《かしこ》み、
 見れど飽かぬ 奈良山越え
 眞木|積《つ》む 泉の河の
 速《はや》き瀬を 竿《さを》さし渡り、
 ちはやぶる 宇治の渡《わた》りの
 瀧《たぎ》つ瀬を 見つつ渡りて、
 近江|道《ぢ》の 相坂《あふさか》山に
 手向《たむけ》して わが越えゆけば、
 樂浪《ささなみ》の 志賀の韓埼《からさき》、
 幸《さき》くあらば また還り見む。」
 道の隈《くま》 八十隈ごとに
 嗟《なげ》きつつ わが過ぎ往けば、
(46) いや遠に 里|離《さか》り來ぬ。
 いや高に 山も越え來ぬ。」
 劔刀《つるぎたち》 鞘《さや》ゆ拔《ぬ》き出《い》でて
 伊香胡《いかご》山 いかにかわがせむ。
 行く方《ヘ》知らずて。」
 
 王《オホキミノ》 命恐《ミコトカシコミ》
 離v見不v飽《ミレドアカヌ》 楢山越而《ナラヤマコエテ》
 眞木積《マキツム》 泉河乃《イヅミノカハノ》
 速瀬《ハヤキセヲ》 竿刺渡《サヲサシワタリ》
 千速振《チハヤブル》 氏渡乃《ウヂノワタリノ》
 多企都瀬乎《タギツセヲ》 見乍渡而《ミツツワタリテ》
 近江道乃《アフミヂノ》 相坂山丹《アフサカヤマニ》
 手向爲《タムケシテ》 吾越往者《ワガコエユケバ》
 樂浪乃《ササナミノ》 志我能韓埼《シガノカラサキ》
 幸有者《サキクアラバ》 又反見《マタカヘリミム》
 道前《ミチノクマ》 八十阿毎《ヤソクマゴトニ》
 嗟乍《ナゲキツツ》 吾過往者《ワガスギユケバ》
 弥遠丹《イヤトホニ》 里離來奴《サトサカリキヌ》
 弥高二《イヤタカニ》 山文越來奴《ヤマモコエキヌ》
 劔刀《ツルギタチ》 鞘從拔出而《サヤユヌキイデテ》
 伊香胡山《イカゴヤマ》 如何吾將v爲《イカニカワガセム》
 往邊不v知而《ユクヘシラズテ》
 
【譯】 天皇陛下の仰せを蒙つて、見ても飽きない奈良山を越えて、木材を積む泉川の速い瀬を、竿さして渡り、流れの早い宇治川の渡場の激流を見ながら渡つて、近江の國に行く道の相坂山で、手向の祭をして、わたしが越えて行けば、樂浪の志賀の韓埼であるが、無事だつたらまた還つて見よう。行く道の曲り角ごとに歎息しながらわたしが過ぎて行けば、いよいよ遠く里は離れて來た。いよいよ高く山も越えて來た。刀が鞘から拔け出していかめしい、その伊香胡山の名のように、いかようにしたものだろう。將來もわからないで。
【構成】第一段、マタ還り見ムまで。奈良山を越えて、志賀の韓埼に來たことを敍する。第二段、山モ越エ來ヌまで。家郷が遠くなつたことを敍する。第三段、伊香胡山に寄せて、致し方のない思いを敍する。
【釋】王命恐 オホキミノミコトカシコミ。慣用句。以下の欲しない旅行をする理由を敍している。反歌の左註に、或る書を引いて、その短歌が穩積の老の佐渡に流された時の作であるとしているのをもつて、この長歌にも當てられるとすれば、配流の命を受けたことをいう。この歌意を按ずるに、そのような事らしい。石上の乙麻呂が土佐の國に流された時の歌(卷六、一〇二〇)にも、この句が使われている。
 雖見不飽 ミレドアカヌ。これも慣用句。奈良山を賞している。
 眞木積 マキツム。奈良山を越えて泉川に出た處は、水運によつて運んで來た材木を陸揚げする處なので、(47)眞木積ムという。
 竿刺渡 サヲサシワタリ。渡船に竿さして渡つたのである。
 千逮振 チハヤブル。枕詞。
 氏渡乃 ウヂノワタリノ。ウヂノワタリは、宇治川の渡場。
 多企都瀬乎 タギツセヲ。タギツは、水の激する意の動詞。
 見乍渡而 ミツツワタリテ。ワタリテは、宇治川を渡るをいう。
 近江道乃 アフミヂノ。アフミヂは、近江に行く道。
 樂浪乃志我能韓埼 ササナミノシガノカラサキ。琵琶湖の南方にある岬。樂浪は琵琶湖南方の總稱。
 幸有者又反見 サキクアラバマタカヘリミム。韓埼から同音をもつてサキクを引き起している。この句は、柿本の人麻呂の「樂浪之《ササナミノ》 思賀乃辛碕《シガノカラサキ》 雖2幸有1《サキクアレド》」(卷一、三〇)から來ている。無事であつたらまたここに來て見ようの意。句切。
 道前八十阿毎 ミチノクマヤソクマゴトニ。クマは、道の曲りかどの處。前は、山の岬角であるが、道路が曲るので、當てているのだろう。地名の檜の隈を檜の前とも書いている。その多くの隈ごとに。以下の句は、柿本の人麻呂の「此道乃《コノミチノ》 八十隈毎《ヤソクマゴトニ》 萬段《ヨロヅタビ》 顧爲騰《カヘリミスレド》 彌遠爾《イヤトホニ》 里者放奴《サトハサカリヌ》 益高爾《イヤタカニ》 山毛越來奴《ヤマモコエキヌ》」(卷二、一三一)から來ているが、その或る本の「此道之《コノミチノ》 八十隈毎《ヤソクマゴトニ》 萬段《ヨロヅタビ》 顧雖v爲《カヘリミスレド》 彌遠爾《イヤトホニ》 里放來奴《サトサカリキヌ》 益高爾《イヤタカニ》 山毛越來奴《ヤマモコエキヌ》」(卷二、一三八)の方に一層近い。
 嗟乍 ナゲキツツ。歎息しながら。
 里離來奴 サトサカリキヌ。句切。
 山文越來奴 ヤマモコエキヌ。句切。
(48) 劔刀鞘從拔出而 ツルギタチサヤユヌキイデテ。劔刀を鞘の中から拔き出して。以上序詞で、イカシ(嚴威)の義から、次の伊香胡山のイカに懸かるのであろう。
 伊香胡山 イカゴヤマ。滋賀縣伊香郡の山。その地を通過して。同音を利用して、次のイカを引き起している。
 如何吾將爲 イカニカワガセム。どのようにしたものであろうか。「伊弊爾由伎弖《イヘニユキテ》 伊可爾可阿我世武《イカニカアガセム》」(卷五、七九五)。句切。
 往邊不知而 ユクヘシラズテ。ユクヘは、行く先、將來。「去方乎不v知《ユクヘヲシラニ》 舍人者迷惑《トネリハマドフ》」(卷二、二〇一)。
【評語】奈良山を越えることから、伊香胡山に至るまでの經過が敍せられ、道行の文の形をなしている。これは既出の道行の歌の類型であり、また後半は人麻呂の作品の影響を大きく受けている。劔刀を序に使つたのは、巧みを求めてかえつて真摯な氣分をそいでいる。時代は標積の老あたりの作としてふさわしいものがある。
 
反歌
 
3241 天地を 歎き乞ひ?《の》み、
 幸《さき》くあらば また還《かへ》り見む。
 志賀の韓埼《からさき》
 
 天地乎《アメツチヲ》 歎乞?《ナゲキコヒノミ》
 幸有者《サキクアラバ》 又反見《マタカヘリミム》
 思我能韓埼《シガノカラサキ》
 
【譯】天地の神に、歎いてお願いをして、無事であつたら、また歸つて見よう。志賀の韓埼を。
【釋】天地乎 アメツチヲ。アメツチは、天地を神靈あるものとして扱つている。古語でいえば、天つ神國つ神であるが、大陸思想がはいつて、天地というようになつた。ヲは、コヒノミに懸かる。
(49) 歎乞? ナゲキコヒノミ。
   ナゲキコヒノミ(考)
   ―――――――――― 
   難乞?《コヒイノリガタシ》(類)
   難乞?《コヒネギガタシ》(元)
 歎は、寫本に難とあり、考によつて改めている。歎キと神ヲ乞ヒ?ミとを併わせた句。コヒは願う、ノミは低頭禮拜する。
【評語】長歌の一部を繰り返し、初二句だけを取りつけている。悲痛の氣もちがよく出ている。穗積の老の作と傳える「わが命しま幸《さき》くあらばまたも見む。志賀の大津に寄する白浪」(卷三、二八八)と通う所のある歌である。
 
右二首。但此短歌者、或書云、穗積朝臣者、配2於佐渡1之時作歌者也
 
右の二首。但しこの短歌は、或る書に云ふ、穗積の朝臣|老《おゆ》の佐渡に配《なが》さえし時作れる歌なりといへり。
【釋】此短歌者 コノミジカウタは。短歌は、反歌の、天地ヲ歎キ乞ヒ?ミの歌をさしているが、この反歌は長歌と不可分の關係にあり、從つて長歌も同樣にいえるものと思われる。
 穗積朝臣老 ホヅミノアソミオユ。既出(卷三、二八八)。その佐渡に流されたことは、續日本紀、養老六年正月の條に「癸卯の朔壬戌、正四位の上多治比の眞人三宅麻呂は、謀反を誣《いつは》り告ぐるに坐し、正五位の上穗積の朝臣老は、乘輿を指斥し、竝に斬刑に處せらる。而して皇太子の奏に依りて死一等を降して三宅麻呂を伊豆の島に、老を佐渡の島に配流す」とある。天平十二年六月に赦されて上京することになつたから、十八年間佐渡にいたことになるが、結局ふたたび志賀の韓埼を見たことになる。天平勝寶元年八月二十六日の子の時に卒したことが、正倉院構内の聖語藏御物の維摩詰經の奧書によつて傳えられる。
 
(50)3242 ももきね 美濃《みの》の國の
 高北の くくりの宮に、
 日向《ひむかし》に 行きなむ宮を
 ありと聞きて
 わが通道《かよひぢ》の 於吉蘇《おきそ》山|美濃《みの》の山。」
 靡《なび》けと 人は踏めども、
 かく寄れと 人は衝《つ》けども、
 意《こころ》無き 山の
 於吉蘇山美野の山。」
 
 百岐年《モモキネ》 三野之國之《ミノノクニノ》
 高北之《タカキタノ》 八十一隣之宮尓《ククリノミヤニ》
 日向尓《ヒムカシニ》 行靡闕矣《ユキナムミヤヲ》
 有登聞而《アリトキキテ》
 吾通道之《ワガカヨヒヂノ》 奧十山三野之山《オキソヤマミノノヤマ》
 靡得《ナビケト》 人雖v跡《ヒトハフメドモ》
 如v此依等《カクヨレト》 人雖v衝《ヒトハツケドモ》
 無v意《ココロナキ》 山之《ヤマノ》
 奧礒山三野之山《オキソヤマミノノヤマ》
 
【譯】美濃の國の高北の泳《くくり》の宮で、東方に行くべき宮があると聞いて、わたしの通う路の、於吉蘇山や美濃の山。平たくなれと人は踏むけれども、横に寄れと人はつくけれども、情のない山である、於吉蘇山や美濃の山。
【構成】第一段、初めの美濃ノ山まで。東方に向かつて越えて行く吉蘇山を敍する。第二段、終りまで。吉蘇山の越えかねることを敍する。
【釋】百岐年 モモキネ。枕詞であろうが、訓法も語義も不明。諸説があるが、取るべきものを知らない。「百小竹之《モモシノノ》 三野王《ミノノオホキミ》」(卷十三、三三二七)によれば、モモキネと讀み、モモは、多數、キネは植物の根か。但し岐の字は、キの甲類、木は乙類である。
 三野之國之 ミノノクニノ。三野の國は、美濃の國に同じ。古事記、靈異記等に三野と記し、大寶二年の戸(51)籍に御野と記している。
 高北之八十一隣之宮尓 タカキタノククリノミヤニ。高北は、多分地名であろうが、不明。ククリノミヤは、日本書紀、景行天皇の四年二月の條に「ここに天皇、弟媛を至らしめむと權《はか》りて、泳《くくり》の宮に居ます。泳宮、こをば區玖利能彌揶《ククリノミヤ》といふ」とある。岐阜縣|可兒《かに》郡久々利村に、その宮址がある。宮ニは、その役所での意と解せられる。
 日向尓 ヒムカシニ。ヒムカヒニ(西)、ヒムカシニ(考)。日向は、古典にヒムカと讀んでいる。それは東方の義なるべく、「摩蘇餓豫《マソガヨ》 蘇餓能古羅破《ソガノコラハ》 宇摩奈羅麼《ウマナラバ》 譬武伽能古摩《ヒムカノコマ》」(日本書紀一〇三)の如き用例もあり、これらのヒムカを日向の國の義とするはけだし誤りである。今ヒムカシと讀み、東方の義とする。
 行靡闕矣 ユキナムミヤヲ。
   ユキナヒカクヲ(西)
   ユキナムミヤヲ(新訓)
   ――――――――――
   行紫闕矣《イデマシノミヤヲ》(考)
   行麻死里矣《ユカマシサトヲ》(古義)
 難解の句で、諸説がある。闕をミヤと讀むのは、宮闕の義によるものである。地方の役所をミヤという。その意であろう。闕は、元暦校本には、※[門/顛]に作つているが、字書にはそのような字は見當らない。?と同字とすれば、さかんなる義であるから、サトとも讀まれるであろうが、やはりミヤであろう。東方の國衙をいう。
 吾通道之 ワガカヨヒヂノ。カヨヒヂは、通い行く道。
 奧十山三野之山 オキソヤマミノノヤマ。オキソ山とミノノ山とを竝べ擧げている。オキソヤマは、大吉蘇山の義であろう。奧は、元暦校本には、興に作つている。下同じ。三代寶録元慶三年九月の條に「吉蘇《きそ》、小吉蘇《をきそ》の兩村、こは惠奈《ゑな》の郡繪上の郷の地なり。和銅六年七月、美濃信濃兩國の堺は、徑路險隘、往還甚難きをもちて、よりて吉蘇路を通ず」とある。その吉蘇の山を美稱して大吉蘇山といつたのであろう。ミノノヤマは、大吉蘇山の南方の山をさしているのであろう。以上第一段。
(52) 靡得人雖跡 ナビケトヒトハフメドモ。ナビケは、たいらになれの意。その山を越え行く人が、その高いのを恨む心を描いている。
 如此依等人雖衝 カクヨレトヒトハツケドモ。カクヨレは、かように寄れで、横に避けよの意。ヒトは、作者たちの上を、第三者の事のようにいつている。
 無意山之 ココロナキヤマノ。情を有せぬ山であるの意に、次の於吉蘇山美濃ノ山を修飾している。
【評語】難解の詞句はあるが、大體の意味は通ずる。形式や詞句に、古風があつて、民謠らしい氣分を作つている。時代は、吉蘇路を通じてから後で、人麻呂の、靡ケコノ山よりも後の作であろう。美濃から信濃へ、用務を帶びて越えて行く官人などの作か。歌末は、五三七の古調により、その七音の句が十音になつていると見られるので、意無キ、山ノ、オキソ山美濃ノ山と句を切る。上のオキソ山美濃ノ山の句もこれに倣うのである。
 
右一首
 
3243 處女《をとめ》らが 麻笥《をけ》に垂れたる
 績麻《うみを》なす 長門《ながと》の浦に、
 朝なぎに 滿ち來《く》る潮の、
 夕なぎに 寄り來る波の、
 その潮の いやますますに、
 その浪の いやしくしくに、
 吾妹子に 戀ひつつ來れば、
(53) 阿胡《あご》の海の 荒礒《ありそ》の上に
 濱菜つむ 海人處女《あまをとめ》らが、
 纓《うなが》せる 領巾《ひれ》も光《て》るがに、
 手に纏ける 玉もゆららに、
 白栲の 袖振る見えつ。
 相思ふらしも。 
 
 處女等之《ヲトメラガ》 麻笥垂有《ヲケニタレタル》
 緯麻成《ウミヲナス》 長門之浦丹《ナガトノウラニ》
 朝奈祇尓《アサナギニ》 滿來鹽之《ミチクルシホノ》
 夕奈祇尓《ユフナギニ》 依來波乃《ヨリクルナミノ》
 彼鹽乃《ソノシホノ》 伊夜益升二《イヤマスマスニ》
 彼浪乃《ソノナミノ》 伊夜敷布二《イタシクシクニ》
 吾妹子尓《ワギモコニ》 戀乍來者《コヒツツクレバ》
 阿胡乃海之《アゴノウミノ》 荒礒之於丹《アリソノウヘニ》
 濱菜採《ハマナツム》 海部處女等《アマヲトメラガ》
 纓有《ウナガセル》 領巾文光蟹《ヒレモテルガニ》
 手二卷流《テニマケル》 玉毛湯良羅尓《タマモユララニ》
 白栲乃《シロタヘノ》 袖振所v見津《ソデフルミエツ》
 相思羅霜《アヒオモフラシモ》
 
【譯】娘たちの麻笥に垂れている績麻のように長い、長門の浦に、朝凪ぎに潮が滿ちて來、夕凪ぎに波が寄つて來る。その潮のようにいよいよますます、その波のようにいよいよ重ね重ね、わが妻に戀いながら來れば、阿胡の海の荒礒の上に、濱の藻を採る海人の娘たちの、頸に懸けた領巾も照るまでに、手に卷いている玉もゆらゆらと、白い衣の袖を振るのが見えた。思つているらしい。
【構成】全篇一文。
【釋】處女等之麻笥垂有續麻成 ヲトメラガヲケニタレタルウミヲナス。以上譬喩による序詞。ヲケは、麻を入れる器。ウミヲは、裂いて細く絲にしたアサ。ナスは、それを成してで、のようなの意となつて、長を引き起す。「續麻成《ウミヲナス》 長柄之宮爾《ナガラノミヤニ》」(卷六、九二八)。
 長門之浦丹 ナガトノウラニ。長門の浦は、廣島縣安藝郡の倉橋島の浦であるという。天平八年の遣新羅使の歌に、「安藝(ノ)國長門(ノ)島(ニテ)、舶(ヲ)泊(テテ)2礒邊(ニ)1作(レル)歌」と題して「和我伊能知乎《ワガイノチヲ》 奈我刀能之麻能《ナガトノシマノ》」(卷十五、三六二一)とあり、また續いて「從(リ)2長門(ノ)浦1舶出(セシ)之夜、仰(キ)2觀(テ)月(ノ)光(ヲ)1作(レル)歌」ともある。
 滿來鹽之 ミチクルシホノ。シホは海水をいう。ノは、滿ち來る潮であり、また寄りくる波である意に、接(54)績する助詞。
 彼鹽乃 ソノシホノ。譬喩によつて次の句を起している。下の彼浪乃も同じ。
 伊夜益升二 イヤマスマスニ。下の戀ヒツツを修飾する。
 伊夜敷布二 イヤシクシクニ。同前。シクは、重ねて、しきりにの意。
 阿胡乃海之 アゴノウミノ。阿胡の海は、長門の浦附近の海であろうが、所在不明。この作者の旅行の方向もわからないので、そのいずれの方とも知られない。
 濱菜採 ハマナツム。ハマナは、海濱の菜であるが、海藻をいう。海人處女の修飾句で、その習性を描き、現に採んでいてもいないでも、どちらでもよい。
 海部處女等 アマヲトメラガ。海人の娘子たちが。直接に次のウナガセルの主語となり、また下の袖振ルの主語となる。
 纓有 ウナガセル。纓は嬰に通じて使用されている。「宇那賀世流 《ウナガセル》 多麻能美須麻流《タマノミスマル》」(古事記七)。ウナグが頭に懸ける意で、その敬語法ウナガスに助動詞リの接續した形。ウナゲルの例。「吾宇奈雅流《ワガウナゲル》 珠乃七條《タマノナナヲト》」(卷十六、三八七五)。
 領巾文光蟹 ヒレモテルガニ。ヒレは、頭に懸ける白い織物。ガニは、程度に。
 手二卷流 テニマケル。手に卷いている。
 玉毛湯良羅尓 タマモユララニ。ユララニは、ゆらゆらと、搖れて鳴る形容の副詞。ユララは、ユラを重ねた語。
 白栲乃 シロタヘノ。シロタへは、白い織布。
 袖振所見津 ソデフルミエツ。袖振るが見えた。ソデフルは終止形で、ミユに接續している。
(55) 相思羅霜 アヒオモフラシモ。海人の娘子も思つているらしいと推量している。
【評語】海濱にいる娘子が、海上を行く船に對して、袖を振つている。漁船以外に、官船などの行くのに、興を感じたのである。序詞の用法、波や潮の用法などには、類型的なものがあり、安易な表現で、痛切の感がすくない。吾妹子ニ戀ヒツツ來レバと、娘子ラガアヒ思フラシモとは、歌の中心が二つになつて、氣分の統制を缺く。深い思戀の情があらわれていない歌である。時代も新しく奈良時代中期の品である。
 
反歌
 
3244 阿胡《あご》の海の 荒礒《ありそ》の上の さざれ浪、
 わが戀ふらくは やむ時もなし。
 
 阿胡乃海之《アゴノウミノ》 荒礒之上之《アリソノウヘノ》
 吾戀者《ワガコフラクハ》 息時毛無《ヤムトキモナシ》
 
【譯】阿胡の海の荒磯の上のちいさい浪のように、わたしの戀の心はやむ時もない。
【釋】少浪 サザレナミ。ちいさく續いている浪。以上序詞。
 吾戀者 ワガコフラクは。長歌の、吾妹子ニ戀ヒツツ來レバを受けている。
【評語】類型的な表現である。四五句は「白たへの袖に觸れてよわが夫子にわが戀ふらくは止む時もなし」(卷十一、二六一二)など、しばしば使用されている。荒礒ノ上ノサザレ浪の序詞も、屬目した所によるのであろうが、正確な描寫とはいえない。
 
右二首
 
3245 天《あま》橋も、長くもがも。
(56) 高山も 高くもがも。」
 月《つく》よみの 持てる變若水《をちみづ》、
 い取り來《き》て 君に奉《まつ》りて
 をち得てしかも。」
 
 天橋文《アマハシモ》 長雲鴨《ナガクモガモ》
 高山文《タカヤマモ》 高雲鴨《タカグモガモ》
 月夜見乃《ツクヨミノ》 持有越水《モテルヲチミヅ》
 伊取來而《イトリキテ》 公奉而《キミニマツリテ》
 越得之旱物《ヲチエテシカモ》
 
【譯】天に昇る階段も長いとよい。高山も高いとよい。月の神の持つている若がえりの水を、取つて來て君にさしあげて若がえらせたいものを。
【構成】第一段、高クモガモまで。希望を敍する。第二段、終りまで。ヲチ水を得たく思う情を寫す。
【釋】天橋文 アマハシモ。アマハシは、天に交通する階段。播磨國風土記、印南の郡|益氣《やけ》の里の條に「此の里に山あり。名を斗形《ますがた》山といふ。石をもちて斗《ます》と乎氣《をけ》とを作れり。故《かれ》斗形山といふ。石の橋あり。傳へ云へらく、上古之時《いにしへ》、此の橋天に至り、八十人衆上り下り往來《ゆきかよ》ひき。故《かれ》八十橋《やそはし》といふ」とあり、そういう天と往來する橋を想像している。天の浮橋というも同じ。
 長雲鴨 ナガクモガモ。希望の語法。句切。
 月夜見乃 ツクヨミノ。ツクヨミは、月の神。古事記に月讀の命、日本書紀に月讀の尊、月夜見の尊、月弓の尊。夜見の字は、夜見えるというので當てた通俗語義であろう。
 持有越水 モテルヲチミヅ。越は、字音假字。ヲチミヅは、若がえりの水。「吾手本《ワガタモト》 將v卷跡念牟《マカムトオモハム》 大夫者《マスラヲハ》 變水定《ヲチミヅサダメ》 白髪生二有《シラカオヒニタリ》」(卷四、六二七)參照。月の神が仙藥を持つているということは、大陸の傳説に、?《げい》の妻|嫦娥《こうが》が不死の藥を盗んで月中にはいつたというによる。不死の藥を、飜して、ヲチ水としている。
 伊取來而 イトリキテ。イは接頭語。
(57) 公奉而 キミニマツリテ。公は、作者意中の男子をいう。
 越得之旱物 ヲチエテシカモ。
   コエエテシカモ(代精)
   ヲチエマシカモ(定本)
   ――――――――――
   越得之早物《コユルトシハヤモ》(西)
   越得之早物《コエントシハモ》(童)
   越得之牟物《ヲチエシムモノ》(略)
 訓法に諸説がある。ヲチエテシカモ、ヲチエマシカモなどの訓が適當である。エテシカモは希望の語法。シカが願望の助詞で、テは助動詞。テ無しでも使われる。得之をエマシと讀むのは、下の「得之玉可毛《エマシタマカモ》」(卷十三、三二四七)の例による。ヲチ得るだろうと希望し、しかも遂に不可能であることをあらわす語法。ヲチは、ここでは動詞として使用されている。
【評語】神仙思想を取り入れているが、短くしかもよく要を得、歎息の氣をもあらわし得ている。冒頭の對句による表現も、空想的でおもしろい。時代を反映している作品である。
 
反歌
 
3246 天《あめ》なるや 月日の如く わが思へる
 公《きみ》が日にけに 老ゆらく惜しも。
 
 天有哉《アメナルヤ》 月日如《ツキヒノゴトク》 吾思有《ワガオモヘル》
 公之日異《キミガヒニケニ》 老落惜文《オユラクヲシモ》
 
(58) 公之日異 キミガヒニケニ。ヒニケニは、集中、日異九例、日爾異爾一例、日二異二一例、日殊二例、比爾家爾一例の用例があり、なお月二異二が一例あるによつて、ケに、異の義を感じていたことが推量される。このケは、時の移ることを意味し、日毎に、時の移る毎にの意をなすものであろう。
 老落惜文 オユラクヲシモ。オユラクは、老いること。
【評語】長歌の本意をあきらかにしている。思う人に對して、多少揶揄しているのであろうか、あるいは、物語ふうに創作したものであるかも知れない。かような物語歌は、竹取の翁の歌など例があり、文人のあいだに行われていたと考えられる。歌は、長歌があつての短歌で、これだけでは概念的である。但しこの二首の公は、父をさすのだとする説がある。それでも意味は通ずる。
 
右二首
 
3247 渟名《ぬな》河の 底なる玉、
 求めて 得まし玉かも。
 拾《ひり》ひて 得まし玉かも。」
 惜《あたら》しき 君が
 老ゆらく惜しも。」
 
 沼名河之《ヌナガハノ》 底奈流玉《ソコナルタマ》
 求而《モトメテ》 得之玉可毛《エマシタマカモ》
 拾而《ヒリヒテ》 得之玉可毛《エマシタマカモ》
 安多良思吉《アタラシキ》 君之《キミガ》
 老落惜毛《オユラクヲシモ》
 
【譯】渟名河の底の玉は、求めて得られよう玉か、拾つて得られよう玉か。惜しむべき君の年を取るのが殘念だ。
【構成】第一段、拾ヒテ得マシ玉カモまで。希望を敍する。第二段、終りまで。意中の人の老い行くを惜しん(59)でいる。
【釋】沼名河之 ヌナガハノ。ヌナガハは、思想上の河で、實在の地名ではない。日本書紀に天の渟名井《ぬなゐ》があり、天武天皇の御名を天の渟中原瀛《ぬなはらおき》の眞人の天皇という。これらのヌは、文字通り渟の義を感じているであろうが、本來は瓊の義であろう。ナは接續の助詞。それでヌナガハという熟語ができている。玉川の意である。その川を、天にありとしていたと見える。
 底奈流玉 ソコナルタマ。渟名河に靈驗のある玉がありとしたのである。
 得之玉可毛 エマシタマカモ。エテシタマカモ(西)、エマシタマカモ(代精)、エシタマカモ(古義)。得ようと欲して遂に得られない玉であることをあらわしている。マシが體言に接續している例、「往益里乎《ユカマシサトヲ》」(卷六、九四八)。このほかモノに接續している例は多い。
 安多良思吉 アタラシキ。惜しむべき。
【評語】前の二章の歌と、同じ思想を歌つている。同一人の作で、同じ事情のもとに詠まれたのであろう。字足らずの句を多く交え、結句も五三七に結んで、古風にできている。奈良時代にはいつてからの作であろう。
 
右一首
 
相聞
 
【釋】相聞 サウモニ。長歌短歌併わせて五十七首を載せている。その中には、古事記に木梨の輕の太子の御歌と傳える歌があり、また明日香の宮の時代の歌と思われるもの、および柿本人麻呂歌集所出の歌などをも含んでいる。
 
(60)3248 敷島の 日本《やまと》の國に
 人|多《さは》に 滿ちてあれども、
 藤浪の 思ひ纏《まつ》はり、
 若草の 思ひつきにし
 君が目に 戀ひや明かさむ。
 長きこの夜を。
 
 式島之《シキシマノ》 山跡之土丹《ヤマトノクニニ》
 人多《ヒトサハニ》 滿而雖v有《ミチテアレドモ》
 藤浪乃《フヂナミノ》 思纏《オモヒマツハリ》
 若草乃《ワカクサノ》 思就西《オモヒツキニシ》
 君目二《キミガメニ》 戀八將v明《コヒヤアカサム》
 長此夜乎《ナガキコノヨヲ》
 
【譯】この日本の國に、人はたくさんに充滿しているけれども、藤の蔓のように、思いまつわり、若草のように、思い馴ついたあの方のお姿に、戀してか明かすことでしよう。長いこの夜なのを。
【構成】全篇一文。
【釋】式島之 シキシマノ。枕詞。欽明天皇が磯城島の金刺の宮にましましたことから、大和の枕詞となつたと解せられている。
 山跡之土丹 ヤマトノクニニ。ヤマトは、廣い意味に使われているが、日本の國というほどの明白な意識はないであろう。自分たちの住んでいるこの國というくらいの用法である。
 藤浪乃 フヂナミノ。枕詞。フヂナミは、語義は藤靡の義であろうが、野に這う?が浪のようであるので、藤浪の字が當てられるのであろう。次の纏ハリに冠している。
 思纏 オモヒマツハリ。相手に思いが離れがたくあるのにいう。オモヒは動詞として、思い纏つてあるをいう。
 若草乃 ワカクサノ。枕詞。若草を愛することから、次句に冠するのであろう。または句を隔てて君に冠す(61)るか。
 思就西 オモヒツキニシ。オモヒツキは、思い入つて離れがたくあるをいう。
 君目二 キミガメニ。メは逢うこと。相手の容體を目で代表させている。
 戀八將明 コヒヤアカサム。ヤは疑問の係助詞。句切。
 長此夜乎 ナガキコノヨヲ。ヲは、長いこの夜である。それなのにの意を含んでいる。深く思い入つた氣持がよく描かれている。
【評語】「神代より生《あ》れ繼ぎ來れば、人|多《さは》に國には滿ちて、あぢ群の往來《ゆきき》は行けど」(卷四、四八五)の歌と似ている歌であるが、その歌ほどの整備はない。敷島ノ日本ノ國ニ人多ニ滿チテアレドモと歌つて、それを受けるのに、その中のただ一人なる君の意が強く出ていない。
 
反歌
 
3249 敷島の 日本《やまと》の國に、
 人二人 ありとし念はば
 何か嗟《なげ》かむ。
 
 式島乃《シキシマノ》 山跡乃土丹《ヤマトノクニニ》
 人二《ヒトフタリ》 有年念者《アリトシオモハバ》
 難可將v嗟《ナニカナゲカム》
 
【譯】この日本の國に、あの方が二人とおいでになると思うなら、何を歎きましよう。
【釋】人二 ヒトフタリ。ヒトは、思う人、その人が二人の意。
 有年念者 アリトシオモハバ。シは助詞。
 難可將嗟 ナニカナゲカム。難は、字音假字として使用している。
(62)【評語】長歌の意を受けて、強く嗟嘆している。長歌と併わせて、表現が完成される歌である。長歌の初二句を、反歌で繰り返しているのも、有力な表現法である。自分と思う人との二人でいるならとも解されそうであるが、長歌に、多數の人の中に、ただ一人の君を指摘しているのであるから、やはり君が二人といないの意とすべきである。
 
右二首
 
3250 蜻蛉《あきづ》島 日本《やまと》の國は、
 神《かむ》からと 言擧《ことあげ》せぬ國。
 然れども われは言擧す。」
 天地の 神もはなはだ
 わが念ふ 心知らずや。
 往く影の 月も經往《へゆ》けば、
 玉かぎる 日も累《かさな》り、
 念へかも 胸安からぬ。
 戀ふれかも 心の痛き。」
 末つひに 君に逢はずは
 わが命の 生けらむ極み
(63) 戀ひつつも われはわたらむ。」
 まそ鏡 正目《ただめ》に君を
 相見てばこそ わが戀止まめ。」
 
 蜻島《アキヅシマ》 倭之國者《ヤマトノクニハ》
 神柄跡《カムカラト》 言擧不v爲國コトアゲセヌクニ《》
 雖v然《シカレドモ》 吾者事上爲《ワレハコトアゲス》
 天地之《アメツチノ》 神文甚《カミモハナハダ》
 吾念《ワガオモフ》 心不v知哉《ココロシラズヤ》
 往影乃《ユクカゲノ》 月文經往者《ツキモヘユケバ》
 玉限《タマカギル》 日文累《ヒモカサナリ》
 念戸鴨《オモヘカモ》 胸不v安《ムネヤスカラヌ》
 戀烈鴨《コフレカモ》 心痛《ココロノイタキ》
 末遂尓《スエツヒニ》 君丹不v會者《キミニアハズハ》
 吾命乃《ワガイノチノ》 生極《イケラムキハミ》
 戀乍文《コヒツツモ》 吾者將v度《ワレハワタラム》
 犬馬鏡《マソカガミ》 正目君乎《タダメニキミヲ》
 相見天者社《アヒミテバコソ》 吾戀八鬼目《ワガコヒヤマメ》
 
【譯】蜻蛉島であるこの日本の國は、神靈のあるゆえと言擧をしない國だ。しかしわたしは言擧をする。天地の神も極めてわたしの思う心を知らないことはないだろう。空行く月もたつて行けば、命をきざむ日もかさなつて、思うゆえか胸が安らかでなく、戀うればにか心が痛まれる。將來遂に君に逢わないで、わたしの命の生きているだろう限り、戀をしながらわたしは日を送ることだろう。澄んだ鏡を見るように、じかに君を見たならば、はじめてわたしの戀は止むことだろう。
【構成】第一段、ワレハ言擧スまで。この國は言擧をしない國なのだが、特に自分は言擧をすると、序説をなしている。第二段、心ノ痛キまで。戀に惱むことを敍する。第三段、ワレハワタラムまで。この先も戀をすることだろうと、將來を述べる。第四段、終りまで。逢うことによつてのみ戀が止むだろうと、希望を敍している。
【釋】蜻島 アキヅシマ 神武天皇の國見、および雄略天皇の物語の傳説があつて、大和に冠する。卷一、二參照。
 倭之國者 ヤマトノクニハ。ヤマトは、廣い意味に、この日本の國をさしている。
 神柄跡 カムカラト。カムカラは、神靈のゆえ。集中の用例、「玉藻吉《タマモヨシ》 讃岐國者《サヌキノクニハ》 國柄加《クニカラカ》 雖v見不v飽《ミレドモアカヌ》 神柄加《カムカラカ》 幾許貴寸《ココダタフトキ》」(卷二、二二〇)、「三芳野之《ミヨシノノ》 蜻蛉乃宮者《アキツノミヤハ》 神柄香《カムカラカ》 貴將v有《タフトカルラム》」(卷六、九〇七)など、その處に神靈が感じられ、それゆえにの意を示している。ここは日本の國に神靈の存在を感じ、それゆえにとの意を(64)なすのである。
 言擧不爲國 コトアゲセヌクニ。コトアゲは、言に出して言い立てること。神靈があるがゆえに、特に言い立てないで、すべて好適になるとするのである。神靈がすべてをよくあらしめるとする思想である。「大方者《オホカタハ》 何鴨將v戀《ナニカモコヒム》 言擧不v爲《コトアゲセズ》 妹爾依宿牟《イモニヨリネム》 年者近綬《トシハチカキヲ》」(卷十二、二九一八)の歌の思想に通じている。句切。
 雖然吾者事上爲 シカレドモワレハコトアゲス。上を受けて、それに從わないことを述べている。次句以下が、その言擧の内容になる。句切。
 天地之神文甚吾念心不知哉 アメツチノカミモハナハダワガオモフココロシラズヤ。天地の神は、あらゆる神をいう。ハナハダは、知ラズヤを修飾している。シラズヤは、知らないのか、そんな事はないはずだの意で、ヤは反語になる。「野守者不v見哉《ノモリハミズヤ》 君之袖布流《キミガソデフル》」(卷一、二〇)。句切。
 往影乃 ユクカゲノ。枕詞。空行く月の光が移るので、往ク影ノといい、轉じて、次の時間の意の月に冠している。
 月文經往者 ツキモヘユケバ。ツキは、年月の月だが、元來月の運行によつて立てたものであるから、空行く月の幾廻りする意を含んでいる。
 玉限 タマカギル。枕詞。珠玉が光を發する意味で、日の光に冠している。
 日文累 ヒモカサナリ。ヒは、時間の日である。
 念戸鴨 オモヘカモ。思えばにやの意の疑問條件法。
 胸不安 ムネヤスカラヌ。カモを受けて結んでいる。句切。
 戀烈鴨 コフレカモ。戀うればかの意の疑問條件法。
 心痛 ココロノイタキ。カモを受けて結んでいる。句切。
(65) 末遂尓君丹不會者 スヱツヒニキミニアハズハ。スヱは將來。スヱツヒニは、逢ハズハを修飾している。
 吾命乃生極 ワガイノチノイケラムキハミ。イケラムは、生けりの未然推量の連體形。
 戀乍文吾者將度 コヒツツモワレハワタラム。ワタラムは、時を經過しようの意。句切。
 犬馬鏡 マソカガミ。枕詞。見ルを修飾する。この字面は「喚犬追馬鏡《マソカガミ》」(卷十三、三三二四)の省略で、二八一〇、二九八一にも使用されている。
 正目君乎 タダメニキミヲ。タダメは、直接に見ること。「與伎比止乃《ヨキヒトノ》 麻佐米爾美祁牟《マサメニミケム》」(佛足跡歌碑)によつて、マサメとも讀まれているが、マサメは、本集に例なく、タダメは「眞十鏡《マソカガミ》 直目爾不v視者《タダメニミネバ》」(卷九、一七九二)、「直目爾見兼《タダメニミケム》 古丁子《イニシヘヲトコ》」(同、一八〇三)、「眞十鏡《マソカガミ》 直目爾君乎《タダメニキミヲ》 見者許増《ミテバコソ》」(卷十二、二九七九)等の例があるから、なおタダメとすべきである。正香、直香も、タダカと讀まれている。
 相見天者社吾戀八鬼目 アヒミテバコソワガコヒヤマメ。君に逢うことによつてのみ、戀の止むべきことをいい、これが言擧の願意になつている。ワガコヒヤマメは、ワガが主格、コヒヤムが動詞になつている。鬼は魔の義で、訓假字として使用されている。當時、マ(魔)の語の通用していたことが知られる。
【評語】大きな構成を持つて歌われている。しかし戀の歌に言擧を持ち出したのは、大きすぎて滑稽感を誘うものがある。多分次の人麻呂集の歌によつて、戀の歌に作りなしたものであろう。結末は五七七七になつている。
 
反歌
 
3251 大舟の 思ひたのめる 君ゆゑに、
(66) つくす心は 惜しけくもなし。
 
 大舟能《オホブネノ》 思憑《オモヒタノメル》 君故尓《キミユヱニ》
 盡心者《ツクスココロハ》 惜雲梨《ヲシケクモナシ》
 
【譯】大舟のように憑みに思う君ゆえに、千々に惱む心は、惜しくはない。
【釋】大舟能 オホブネノ。枕詞。憑みに思うので、次の句に冠している。人麻呂の歌に「大船之《オホブネノ》 思憑而《オモヒタノミテ》」(卷二、二〇七)。
 思憑君故尓 オモヒタノメルキミユヱニ。堅く信じてたのみに思つている君のゆえに。このユヱニは、それのためにつくす心の意に、順に接している。
 盡心者 ツクスココロハ。ツクスは、あらん限りの心をつくす意で、思い惱むをいう。
 惜雲梨 ヲシケクモナシ。ヲシケクは、惜しいこと。惱むのを惜しとしない意。梨は訓假字。
【評語】率直に言い切つて、ひたむきな戀を歌つている。特殊な敍述はないが、純粹な氣もちはわかる歌である。長歌に對しては、側面から補つている反歌である。
 
3252 ひさかたの 都を置きて
 草枕 旅ゆく君を、
 いつとか待たむ。
 
 久堅之《ヒサカタノ》 王都乎置而《ミヤコヲオキテ》
 草枕《クサマクラ》 羈往君乎《タビユクキミヲ》
 何時可將v待《イツトカマタム》
 
【譯】このりつぱな都を置いて、草の枕の旅に行くあの方を、いつとかお待ちしましよう。
【釋】久堅之 ヒサカタノ。枕詞。通例、天に冠する語であるが、ここに王都に冠しているのは異例である。都を天と同樣に貴んで、この枕詞を冠したのであろうが、文字通り、この語に久堅の義を感じて使用しているであろう。
(67) 王都乎置而 ミヤコヲオキテ。王都は、何處か不明だが、多分奈良の京であろう。
 草枕 クサマクラ。枕詞。
 羈往君乎 タビユクキミヲ。この句によれば、旅に出ようとしているらしい。
 何時可將待 イツトカマタム。再會の期を何時とかと疑つている。
【評語】類型的な歌である。わずかに、ヒサカタノ都ヲ置キテと、異例の枕詞の用法が、かえつて若干の效果を生じている。男が旅に出る時の歌のようであつて、その點、長歌の内容と一致しないものがある。あるいは、別の歌が結合したのでもあろう。
 
柿本朝臣人麻呂歌集歌曰、
 
【釋】柿本朝臣人麻呂歌集歌曰 カキノモトノアソミヒトマロノカシフノウタニイハク。前の歌と冒頭に同じ句が使用されているので、參考として掲げてある。或る本の歌を載せたものと同じ意味である。
 
3253 葦原の 水穗の國は、
 神《かむ》ながら 言擧《ことあげ》せぬ國。
 然れども 言擧ぞわがする。」
 言《こと》幸《さき》く 眞幸《まさき》く坐《ま》せと、
 恙《つつみ》なく 福《さき》く坐《いま》さば
 荒磯《ありそ》浪 ありても見むと、
 百重波 千重浪にしき
(68)言擧す。われは。 言擧すわれは。」
 
 葦原《アシハラノ》 水穗國者《ミヅホノクニハ》
 神在隨《カムナガラ》 事擧不v爲國《コトアゲセヌクニ》
 雖v然《シカレドモ》 辭擧敍吾爲《コトアゲゾワガスル》
 言幸《コトサキク》 眞福座跡《マサキクマセト》
 恙無《ツツミナク》 福座者《サキクイマサバ》
 荒礒浪《アリソナミ》 有毛見登《アリテモミムト》
 百重波《モモヘナミ》 千重浪尓敷《チヘナミニシキ》
 言上爲吾《コトアゲスワレハ》 言上爲吾《コトアゲスワレハ》
 
【譯】この日本の國は、神靈のあるゆえに、言擧をしない國だ。しかしわたしは言擧をする。御無事で幸福に行つていらつしやいと、御無事で幸福においでになるなら、荒礒浪のように、ありつつもお目に懸かろうと、幾重にも寄り來る浪のように、重ねてわたしは言擧をする。
【構成】第一段、言擧ゾワガスルまで。序説として言擧をする旨を述べる。第二段、終りまで、幸福にあるようにと言擧をしている。
【釋】葦原水穗國者 アシハラノミヅホノクニハ。葦原の水穗の國は、日本の國の美稱。既出(卷十三、三二二七)參照。
 神在隨 カムナガラ。神靈あるがゆえに。ナは助詞ノに同じ。この國に神靈あることを信じ、それゆえに言擧するを要せずとする思想で、前の本文の歌と同じ。
 辭擧敍吾爲 コトアゲゾワガスル。言擧をわがする。句切。
 言幸 コトサキク。言語の靈力によつて榮えてある意の副詞句。
 眞福座跡 マサキクマセト。マサキクは、幸福に榮えてある意の副詞。マは接頭語。ませと言擧すると下に續く。
 恙無 ツツミナク。ツツミは、凶事があつて物忌すること。それがないので、無事にの意になる。
 荒礒浪 アリソナミ。枕詞。同音によつて、アリテを起している。
 有毛見登 アリテモミムト。アリテは、存在して。生きておつて再會しょうと。この句も、見ようと言擧すると續く。
(69) 百重波千重浪尓敷 モモヘナミチヘナミニシキ。百重波千重浪は、重ねてあることをあらわす譬喩に使われている。シキは、重ねる意の動詞。重ねて。爾敷は、考に敷爾に作り、よつて、モモヘナミチヘナミシキニの訓がある。「一日爾波《ヒトヒニハ》 千重浪敷爾《チヘナミシキニ》 雖v念《オモヘドモ》」(卷三、四〇九)。
 言上爲吾 コトアゲスワレハ。
   コトアゲスルワレ(西)
   コトアゲスワレハ(新訓)
   コトアゲスワレ(總索引)
   ――――――――――
   言上敍吾爲《コトアゲゾアガスル》(古義)
 コトアゲスは、終止形、なおこの次に、この末句を繰り返している。これは古本系統の傳本のみに殘つている。この形は、この卷の三三三五、三三三六、卷の十六の三七九一、三八八五、三八八六等にも見られる。
【評語】人に與えてその幸福を祝つている。初めに葦原ノ水穗ノ國ハと、この國の説明から始め、荒礒浪、百重波千重浪など、波を重ねて使用しているのは、遣唐使に贈つた歌だからであるというのはもつともである。それだけに堂々たる歌であり、送別の歌として概念的ではあるが、その體をなしている作である。末句を繰り返しているのは、歌われた形を存しているものであろう。
 
反歌
 
3254 敷島の 日本《やまと》の國は、
 言靈《ことだま》の 佑《さき》はふ國ぞ。
 ま福《さき》くありこそ。
 
 志貴島《シキシマノ》 倭國者《ヤマトノクニハ》
 事靈之《コトダマノ》 所v佑國敍《サキハフクニゾ》
 眞福在与具《マサキクアリコソ》
 
(70)【譯】この日本の國は、言葉の魂が榮える國です。御幸福においでなさい。
【釋】事靈之所佑國敍 コトダマノサキハフクニゾ。コトダマは言靈で、言語に神靈ありとするによる。所佑は、諸本多く所佐に作つて、タスクルと讀んでいるが、元暦校本には所佑とある。佐は補助の義であるが、佑は助の義の字であるが、啓開の義があり、ここは言靈の活躍をいうのであるから佑に作るを可とする。佑はまた祐にも通じ、易の无妄《むぼう》に「天命不v佑」ともあり、この歌に影響されたと見られる山上の憶良の好去好來歌にも「言靈能《コトダマノ》 佐吉播布國等《サキハフクニト》」(卷五、八九四)とあるから、ここも所佑をサキハフと讀むべきである。サキハフは、榮える義で、言語の神靈が、その靈力を發揮する國の意になる。句切。
 眞福在与具 マサキクアリコソ。与具は、与其の誤字であろうという。「秋立待等《アキタツマツト》 妹告与具《イモニツゲコソ》」(卷十、二〇〇〇)も人麻呂集所出である。アリコソは願望の語法。
(71)【評語】長歌と同じ内容であるが、この國の説明を變えている。これも堂々たる風格の歌である。ただこの國の性質を稱えるのに、長歌と反歌とで、別種の説明を用いたのには、思想的に矛盾が感じられ、二重中心の憾みがある。山上の憶良の好去好來歌は、この作の影響を受けており、憶良は大寶二年に遣唐少録として渡海した人であるから、この人麻呂集の歌も多分その時に作られて贈られたもので、憶良もよく承知していたものであろう。
 
右五首
 
3255 古《いにしへ》ゆ 言ひ續ぎけらく、
 戀すれば 安からぬものと
 玉の緒の 繼ぎてはいへど、
 處女《をとめ》らが 心を知らに、
 そを知らむ よしのなければ、
 夏麻引《なつそび》く 命かたまけ
 刈薦《かりごも》の 心もしのに、
 人知れず もとなぞ戀ふる。
 氣《いき》の緒にして。
 
 從v古《イニシヘユ》 言續來口《イヒツギケラク》
 戀爲者《コヒスレバ》 不v安物登《ヤスカラヌモノト》
 玉緒之《タマノヲノ》 繼而者雖v云《ツギテハイヘド》
 處女等之《ヲトメラガ》 心乎胡粉《ココロヲシラニ》
 其將v知《ソヲシラム》 因之無者《ヨシノナケレバ》
 夏麻引《ナツソビク》 命方貯《イノチカタマケ》
 借薦之《カリゴモノ》 心文小竹荷《ココロモシノニ》
 人不v知《ヒトシレズ》 本名曾戀流《モトナゾコフル》
 氣之緒丹四天《イキノヲニシテ》
 
【譯】昔から言い繼いで來たことは、戀をすれば落ちつかないものだと、玉の緒のように、言い繼いでいるけ(72)れども、娘の心も知らずに、それを知るべき手だてがないから、夏のアサを引くように、命を傾けて、刈つたコモのように、心もなえなえと、人に知られずに、たいへんに戀をする。生きている限りは。
【構成】全篇一文。
【釋】從古言續來口 イニシヘユイヒツギケラク。ユは、古から引き續いて來ることをあらわす。「神代欲理《カミヨヨリ》 云傳介良久《イヒツテケラク》」(卷五、八九四)。
 不安物登 ヤスカラヌモノト。安定しない、心の定まらないものと。戀スレバ安カラヌモノまでが、言い繼ぎ來ることの内容である。
 玉緒之 タマノヲノ。枕詞。繼ギに冠している。
 繼而者雖云 ツギテハイヘド。上の言ヒ繼ギケラクを受けている。
 處女等之 ヲトメラガ。ヲトメラは、意中の人をいう。複數ではない。
 心乎胡粉 ココロヲシラニ。胡粉は白粉の義でシラニに當てて書いている。ニは、打消の助動詞。
 因之無者 ヨシノナケレバ。ヨシは、子細、手段、方法。
 夏麻引 ナツソビク。枕詞。夏季、アサを刈る意で、アサを傾けて刈ることから、傾ケを引き起している。
 命方貯 イノチカタマケ。カタマケは、傾けに同じ。命を懸けて。
 借薦之 カリゴモノ。枕詞。刈つたコモは、なえなえと萎えるので、心モシノニを引き起している。
 心文小竹荷 ココロモシノニ。心もなえなえとの意の慣用句。
 人不知 ヒトシレズ。人に知られずに。心の中で。
 本名曾戀流 モトナゾコフル。モトナは、非常にの意の副詞。句切。
 氣之緒丹四天 イキノヲニシテ。イキノヲは、氣息の續きをいい、絶えずの意になる。
(73)【評語】慣用句や枕詞を多く使つて、戀の情を述べている。昔から言い繼ぎ來つたことだといい、命を傾けてというあたりに、感情が窺われる。
 
反歌
 
3256 しくしくに 思はず人は
 あらめども、
 しましもわれは 忘らえぬかも。
 
 數々丹《シクシクニ》 不v思人?《オモハズヒトハ》
 離v有《アラメドモ》
 暫文吾者《シマシモワレハ》 忘枝沼鴨《ワスラエヌカモ》
 
【譯】あの人は、たびたびわたしを思わないだろうが、わたしは、ちよつとのまも忘れられないことだ。
【釋】數々丹 シクシクニ。重ね重ねに。度々。しきりには思わないだろうと、二三句の内容を限定している。
 不思人?雖有 オモハズヒトハアラメドモ。ヒトは、意中の人をいう。?は字音假字。不可の意の字。
 暫文吾者 シマシモワレハ。シマシは、瞬時の意。
 忘枝沼鴨 ワスラエヌカモ。忘れられないことだ。
【評語】初三句と、四五句とが、對句的に作られている。獨語ふうな言い方をしている。
 
3257 直《ただ》に來《こ》ず こゆ巨勢道《こせぢ》から、
 石橋《いはばし》踏《ふ》み なづみぞわが來《け》る。
 戀ひてすべなみ。
 
 直不v來《タダニコズ》 自v此巨勢道柄《コユコセヂカラ》
 石椅跡《イハバシフミ》 名積序吾來《ナヅミゾワガケル》
 戀天窮見《コヒテスベナミ》
 
【譯】じかに來ないで、こちらを通つて行く巨勢の道から、石橋を踏んで、骨を折つてわたしが來るのだ。戀(74)をして致し方なさに。
【釋】直不來 タダニコズ。直接に來ないで。廻り道をして來るというので、二句以下の内容を修飾する。
 自此巨勢道柄 コユコセヂカラ。コユは、此處を通つて。序詞で、來セの意に巨勢を引き起している。二音の序詞には、「石の上袖ふる川」(卷十二、三〇一三)の如き例がある。カラはヨリに同じ。巨勢に行く道から。
 石椅跡 イハバシフミ。イハバシは、河中に渡した踏石。能登湍川の石橋であろう。跡を動詞踏ムに當てている。上の三二四二にもあつた用法である。
 名積序吾來 ナヅミゾワガケル。ナヅミは骨を折つて、難澁して。ケルは、動詞來に助動詞リの接續したもの。句切。
 戀天窮見 コヒテスベナミ。スベナミに、窮見の字を當てているのは、「無v乏《スべナシ》」(卷十一、二三七三等)と書いているものと同じく、窮乏は術なきものゆえに、義をもつて書いているのであろう。
【評語】戀のゆえに、紀伊の國への往來(多分往路)に、道をまげて女のもとに行く由を歌つている。歌は曲折がありおもしろくできているが、長歌との關係は續かない。左註にいうような傳來もあるのである。
 
或本、以2此歌一首1、爲2之紀伊國之濱尓練云鰒珠拾尓登謂而往之君何時到來歌之反歌1也。具見v下也。但依2古本1亦累載v茲。
 
或る本、この歌一首を、紀《き》の國《くに》の濱に寄るといふ鰒珠《あはびだま》拾ひにといひて往きし君いつ來まさむ、といふ歌の反歌とせり。具《つぶさ》に下に見えたり。但し古き本によりてまた累《かさ》ねてここに載す。
 
【釋】或本 アルマキ。どういう書とも知れないが、資料の一つをさすものと思われる。下の記事は、三三一八以下の歌についてであり、それらの歌の出所を、ここには或る本としている。ここに古き本というのは、或(75)る本に對して成立の古い資料をいうのであろうか。もしくはこの卷の原形であるものをいうのかも知れない。
 
右三首
 
3258 あらたまの 年は來往《きゆ》きて、
 玉|梓《づさ》の 使の來《こ》ねば、
 霞立つ 長き春日《はるひ》を
 天地に 思ひ足らはし、
 たらちねの 母が養《か》ふ蠶《こ》の
 繭隱《まよごも》り 氣衝《いきつ》きわたり、
 わが戀ふる 心のうちを
 人に言ふ ものにしあらねば、
 松が根の 待つこと遠み、
 天傳《あまづた》ふ 日の闇《く》れぬれば、
 白木綿《しろたへ》の わが衣手も
 透《とほ》りてぬれぬ。
 
 荒玉之《アラタマノ》 年者來去而《トシハキユキテ》
 玉梓之《タマヅサノ》 使之不v來者《ツカヒノコネバ》
 霞立《カスミタツ》 長春日乎《ナガキハルヒヲ》
 天地丹《アメツチニ》 思足椅《オモヒタラハシ》
 帶乳根笶《タラチネノ》 母之養蠶之《ハハガカフコノ》
 眉隱《マヨゴモリ》 氣衝渡《イキヅキワタリ》
 吾戀《ワガコフル》 心中少《ココロノウチヲ》
 人丹言《ヒトニイフ》 物西不v有者《モノニシアラネバ》
 松根《マツガネノ》 松事遠《マツコトトホミ》
 天傳《アマヅタフ》 日之闇者《ヒノクレヌレバ》
 白木綿之《シロタヘノ》 吾衣袖裳《ワガコロモデモ》
 通手沾沼《トホリテヌレヌ》
 
【譯】年は過ぎ去つても、使が來ないので、霞の立つ長い春の日を、天地いつぱいに物思いをして、母が飼うカイコの繭にこもるように、うつとうしく歎息をして日を過し、わたしの戀う心のうちを、人に言うべきもの(76)ではないので、松の根のように、待つことが久しく、空渡る日が暮れたので、白い織物のわたしの袖も、涙で中まで通つて濡れた。
【構成】全篇一文。
【釋】荒玉之 アラタマノ。枕詞。
 年者來去而 トシハキユキテ。キユキテは、來りかつ行きてで、經過するをいう。
 玉梓之 タマヅサノ。枕詞。
 使之不來者 ツカヒノコネバ。思う人からの使が來ないので。遠く旅に出ているらしい。
 霞立 カスミタツ。枕詞。
 天地丹思足椅 アメツチニオモヒタラハシ。廣い天地いつぱいに思いが滿ちる意で、それからそれへと物思いのさかんなのをいう。オモヒは動詞で、思ヒ足ラハシと熟している。「物部乃《モノノフノ》 八十乃心叫《ヤソノココロヲ》 天地二《アメツチニ》 念足橋《オモヒタラハシ》」(卷十三、三二七六)。
 帶乳根笶 タラチネノ。枕詞。
 母之養蠶之眉隱 ハハガカフコノマヨゴモリ。母親が飼うカイコが繭を作つてこもるようにと、うつとうしく氣の晴れない譬喩に言つている。「足常《タラチネノ》 母養子《ハハガカフコノ》 眉隱《マヨゴモリ》 々在妹《コモレルイモヲ》 見依鴨《ミムヨシモガモ》」(卷十二 二四九五)、「垂乳根之《タラチネノ》 母我養蠶乃《ハハガカフコノ》 眉隱《マヨゴモリ》 馬聲蜂音石花蜘※[虫+厨]荒鹿《イブセクモアルカ》 異母二不v相而《イモニアハズテ》」(卷十二、二九九一)。
 氣衝渡 イキヅキワタリ。息ヅキをして時を過して。
 松根 マツガネノ。枕詞。同音によつて、待ツを引き起している。
 天傳 アマヅタフ。枕詞。日の性質を説明する。
 日之闇者 ヒノクレヌレバ。日が暮れたので、「天傳《アマヅタフ》 日能久禮由氣婆《ヒノクレユケバ》」(卷十七、三八九五)。
(77) 白木綿之 シロタヘノ。シロタヘは、白い織布。コウゾの繊維で作つたのが殊に白いので、木綿の字を使つている。「柚富《ゆふ》の郷、此の郷の中に、栲《たへ》の樹|多《さは》に生ひたり。常に栲の皮を取りて、もちて木綿《ゆふ》を造る。因《かれ》柚富の郷といふ」(豐後國風土記)。栲はコウゾの樹である。この句は、實際の衣袖の材料を説明している。
 通手沾沼 トホリテヌレヌ。涙のために、中まで通つて濡れた由である。
【評語】夫に遠く別れている女子の作である。柿本の人麻呂の石見の國から妻に別れて上つて來る時の歌の句、「天つたふ入日さしぬれ、ますらをと思へるわれも、敷栲の衣の袖は、通りて濡れぬ」(卷二、一三五)の句を取り用いている。また軍の王の山を見て作れる歌(卷一、五)の影響をも受けている。春日、遠人を思う情は、相當に描かれている。
 
反歌
 
3259 かくのみし 相《あひ》思はざらば、
 天雲《あまぐも》の よそにぞ君は
 あるべくありける。
 
 如v是耳師《カクノミシ》 相不v思有者《アヒオモハザラバ》
 天雲之《アマグモノ》 外衣君者《ヨソニゾキミハ》
 可v有々來《アルベクアリケル》
 
【譯】このように思つてくれないなら、天雲のように、よその人であの方はあるべきだつた。
【釋】如是耳師相不思有者 カクノミシアヒオモハザラバ。自分が思つている程度に、先方でも思わないものならば。カクノミシは、自分の思うだけにの意を強調している。
 天雲之 アマグモノ。枕詞。遠天にあるので、ヨソに冠している。
 外衣君者可有々來 ヨソニゾキミハアルベクアリケル。關係のない他人であるべきであつた。
(78)【評語】自分の思う心を、先方にも要求している。多少の理くつつぽさの殘る歌である。
 
右二首
 
3260 小治田《をはりだ》の 愛智《あゆち》の水を、
 間《ま》なくぞ 人は?《く》むといふ。
 時じくぞ 人は飲むといふ。」
 ?《く》む人の 間なきが如、
 飲む人の 時じきが如、
 吾妹子《わぎもこ》に わが戀ふらくは、
 已《や》む時もなし。」
 
 小治田之《ヲハリダノ》 年魚道之水乎《アユチノミヅヲ》
 間無曾《マナクゾ》 人者?云《ヒトハクムトイフ》
 時自久曾《トキジクゾ》 人者飲云《ヒトハノムトイフ》
 ?人之《クムヒトノ》 無v間之如《マナキガゴト》
 飲人之《ノムヒトノ》 不v時之如《トキジキガゴト》
 吾妹子尓《ワギモコニ》 吾戀良久波《ワガコフラクハ》
 已時毛無《ヤムトキモナシ》
 
【譯】小治田の愛智の水を、隙もなく人は汲むという。何時という時なく人は飲むという。汲む人の隙のないように、飲む人の何時ということのないように、わが妻にわたしの戀うことは、やむ時もない。
【構成】第一段、人ハ飲ムトイフまで。序説、譬喩を説いて、次の段の準備をしている。第二段、終りまで。第一段の譬喩のように、戀のやむ時のないむねを述べている。
【釋】小治田之年魚道之水乎 ヲハリダノアユチノミヅヲ。小治田は、大和の飛鳥にもあるが、アユチが尾張の愛知ならば、これも尾張の國の地名であろう。續日本紀、神護景雲二年十二月の條に、尾張の國山田の郡の人、從六位の下小治田の連|藥《くすり》等八人に、姓尾張の宿禰を賜わつている。山田郡は、ほぼ今の東春日井郡に當り、愛知郡に隣接しているので、そこに小治田の地名があつて、それがやがて尾張となつたのであろう。アユチは、(79)愛智。日本書紀に、吾湯市、年魚市など書いている。その地の水で、川の流れか、井泉か、不明だが、よい水があつたのだろう。新撰姓氏録、左京神別に、小治田の宿禰は、欽明天皇の御代に、小治田の鮎田を開墾したによつて小治田の大連を賜うという。
 間無曾人者?云 マナクゾヒトハクムトイフ。人々が入り交り立ち交り間斷なく水を汲むということだ。人づてに聞いたように歌つている。句切。
 時自久曾人者飲云 トキジクゾヒトハノムトイフ。トキジクは、その時節でない意の語で、形容詞類似の活用形を有している。飲むべき時でもないのに飲むそうだ。何時でも絶えずに飲むということだ。句切。
 ?人之無間之如飲人之不時之如 クムヒトノマナキガゴトノムヒトノトキジキガゴト。上の記述を受けて、譬喩としている。絶えず何時という事なしにの意である。
 已時毛無 ヤムトキモナシ。中絶することがない。
【評語】天武天皇の御製の歌(卷一、二五)、その或る本の歌(同、二六)、下の三吉野の歌(卷十三、三二九三)などと、同じ型で、若干の詞句の相違があるだけである。この型の歌が、歌いものとして流傳しており、人々は隨時に、地名をさしかえたり、内容をかえたりして歌つていたものと認められる。井泉の水を譬喩に使つたのは、この歌の特色で、目先が變わつている。小治田の愛智の水は、有名であつたので、うわさに聞く由に歌つたのだろう。類型的な歌いものの調子のよさを見るべき歌である。
 
反歌
 
3261 思ひ遣る 術《すべ》のたづきも 今はなし。
 君に逢はずて 年の歴《へ》ぬれば。
 
 思遣《オモヒヤル》 爲便乃田付毛《スベノタヅキモ》 今者無《イマハナシ》
 於v君不v相而《キミニアハズテ》 年之歴去者《トシノヘヌレバ》
 
(80)【譯】思いをなくす手段も今はないことだ。君に逢わないで、年が經過したので。
【釋】思遣 オモヒヤル。思いを彼方へ遣る。思わなくなる。オモヒは動詞で、ヤルに接して熟語を作つている。
 爲便乃田付毛 スベノタヅキモ。スベもタヅキも同じような内容の語で、それを重ねて意味を強調している。タヅキは、手のつけどころ。
 今者無 イマハナシ。句切。明瞭に三句で切れている。
【評語】類型のある歌で、内容にも特殊性がない。「思ひ遣るたどきもわれは今はなし妹に逢はずて年の經行けば」(巻十二、二九四一)など、よく似ている。
 
今案、此反歌、謂2之於v君不1v相者於v理不v合也。宜v言2於v妹不1v相也。
 
今案ふるに、この反歌に、君にあはずと謂へるは、理に合《かな》はず。宜《うべ》妹にあはずといふべきなり。
 
【釋】今案 イマカムガフルニ。何人の案とも知られない。或る本の歌などを記入した人であろう。
 謂之於君不相者於理不合也 キミニアハズトイヘルハコトワリニカナハズ。長歌に「吾妹子にわが戀ふらくは」とあるので、反歌に君というは、合わないというのである。しかし女子に對してキミという例もあり、元來型によつて傳わつた歌を、そのまま反歌としたので、統一するに至らなかつたのだろう。
 
或本反歌曰
 
3262 ?垣《みづがき》の 久しき時ゆ 戀すれば、
 わが帶|緩《ゆる》ぶ。
(81) 朝|夕《よひ》ごとに。
 
 ?垣《ミヅガキノ》 久時從《ヒサシキトキユ》 戀爲者《コヒスレバ》
 吾帶緩《ワガオビユルブ》
 朝夕毎《アサヨヒゴトニ》。
 
【譯】?垣のように、久しい時のあいだを戀をするので、わたしの帶はゆるんでいる。朝夕のたびに。
【釋】?垣 ミヅガキノ。枕詞。?は、若木の義をもつて、ミヅに當てて書いている。ミヅガキは、瑞々しい籬の義で、樹木の藩屏をいうが、生垣程度のものでなくして、大きな樹木の障壁をいい、結局、神社の樹叢をいうのであろう。日本書紀にいう天津神籬《あまつひもろき》、古事記にいう青柴垣など、籬、垣などの文字を使用するものと關係があるのであろう。それでその樹叢がもの古びているので、久シキに冠しているのだろう。「未通女等之《ヲトメラガ》 袖振山乃《ソデフルヤマノ》 水垣之《ミヅガキノ》 久時從《ヒサシキトキユ》 憶寸吾者《オモヒキワレハ》」(巻四、五〇一)。
 久時從 ヒサシキトキユ。久しい時のあいだ。
 吾帶緩 ワガオビユルブ。身體の痩せたのをいう。句切。
 朝夕毎 アサヨヒゴトニ。朝夕の時毎に帶のゆるくなつて行くのを感ずるのである。
【評語】遊仙窟の「日々衣寛(ニ)、朝々帶緩(ブ)」の句を受けているようだ。初句の枕詞は、いかにも古い時からの感じを出すに役立つている。
 
右三首
 
3263 こもりくの 泊瀬《はつせ》の河の
 上《かみ》つ瀬に い杭《くひ》を打ち、
 下つ瀬に 眞杭《まくひ》を打ち、
 い杭には 鏡を懸け、
(82) 眞杭には 眞玉を懸け、
 眞珠なす わが念ふ妹も、
 鏡なす わが念ふ妹も
 ありといはばこそ、
 國にも 家にも行かめ。
 誰ゆゑか行かむ。
 
 己母理久乃《コモリクノ》 泊瀬之河之《ハツセノカハノ》
 上瀬尓《カミツセニ》 伊杭乎打《イクヒヲウチ》
 下湍尓《シモツセニ》 眞杭乎挌《マクヒヲウチ》
 伊杭尓波《イクヒニハ》 鏡乎懸《カガミヲカケ》
 眞杭尓波《マクヒニハ》 眞玉乎懸《マタマヲカケ》
 眞珠奈須《マタマナス》 我念妹毛《ワガオモフイモ》
 鏡成《カガミナス》 我念妹毛《ワガオモフイモ》
 有跡謂者社《アリトイハバコソ》
 國尓毛《クニニモ》 家尓毛由可米《イヘニモユカメ》
 誰故可將v行《タレユヱカユカム》
 
【譯】隱れた國である泊瀬の川の上流に、清らかな杭を打ち、下流によい杭を打ち、その清らかな杭には鏡を懸け、よい杭にはよい玉を懸け、よい珠のようにわたしの思う妻、鏡のようにわたしの思う妻も、いるというならば、國にも家にも行こう。今は誰のためにか行こうぞ。
【構成】全篇一文。眞玉ヲ懸ケまでは、次に譬喩に使われる鏡と眞玉とについて説明して、序の形になつている。
【釋】己母理久乃 コモリクノ。枕詞。
 伊杭乎打 イクヒヲウチ。イクヒは齋杭で、神聖な杭。齋槻と同樣の語例である。ウチは、杭を打つて立てるのをいう。
 眞杭乎挌 マクヒヲウチ。マクヒは、杭に接頭語マの接續したもの。
 鏡乎懸 カガミヲカケ。杭に鏡を懸けるのは、神靈を招く意である。
 眞玉乎懸 マタマヲカケ。玉を懸けるのも、鏡を懸けるのと同様、神靈を招く意である。以上は、段落にはならないが、次の、眞珠ナス、鏡ナスの句を引き起す序に設けられている。この序は、人の死んだ時などに、(83)神靈を招いて穢を祓う行事を行うので、それを敍述して序に利用しているのであろう。
 眞珠奈須 マタマナス。譬喩によつて妹を説明している。
 鏡成 カガミナス。同前。
 有跡謂者社 アリトイハバコソ。家にも國にもあるというならば。
 家尓毛由可米 イヘニモユカメ。コソを受けて結んでいる。句切。
 誰故可將行 タレユヱカユカム。誰ゆえにか行こう。國にも家にも行くべき目標のないことを述べている。
【評語】左註にいうように、古事記下巻に木梨の輕の太子の御歌と傳えている。それは讀歌の名がついていて、歌曲として傳誦されたものと認められる。古事記では、衣通の王が追つておいでになつた時の輕の太子の御歌としているが、ここでは挽歌に取りなして詠んでいると見られる。古事記の傳説に引かれて、相聞の部に收めたのであろうが、古事記のも、記事がなけれは、むしろ挽歌と見るべきものである。歌がらは、さすがに古風で、歌曲らしい格調を持つている。泊瀬川の川原で、祭祀を行つたことが、序として使用されている。その譬喩も信仰的行事を使つているだけに、おもおもしく、普通人の場合には適しない。多分人の死に接して何人かが、多少詞句をその場に合うようにして吟誦したものが採録されたのであろう。
【參考】別傳。
許母理久能《コモリクノ》 波都勢能質波能《ハツセノカハノ》 賀美都勢爾《カミツセニ》 伊久比袁宇知《イグヒヲウチ》 斯毛都勢爾《シモツセニ》 麻久比袁宇知《マクヒヲウチ》 伊久比爾波《イクヒニハ》 加賀美袁加氣《カガミヲカケ》 麻久比爾波《マクヒニハ》 麻多麻袁加氣《マタマヲカケ》 麻多麻那須《マタマナス》 阿賀母布伊毛《アガモフイモ》 加賀美那須《カガミナス》 阿賀母布都麻《アガモフツマ》 阿理登伊波婆許曾余《アリトイハバコソヨ》 伊幣爾母由加米《イヘニモユカメ》 ヒサ爾袁母斯怒波米《クニヲモシノハメ》(古事記九一)
 
檢2古事記1曰、件歌者、木梨之輕太子自死之時所v作者也。
 
(84)古事記を?ふるに曰はく、件の歌は、木梨の輕の太子のみづから身まかりましし時に作れるなりといへり。
【釋】檢古事記曰 コジキヲカムガフルニイハク。集中、古事記を引用しているのは、卷の二とこことだけである。共に同一人の手に成つた記事であろう。
 
反歌
 
3264 年わたる までにも人は
 有りといふを、
 何時の間《ほど》ぞも、わが戀ひにける。
 
 年渡《トシワタル》 麻弖尓毛人者《マデニモヒトハ》
 有云乎《アリトイフヲ》
 何時之間曾母《イツノホドゾモ》 吾戀尓來《ワガコヒニケル》
 
【譯】年を經過するまでも、人はいられるというのに、何時のあいだにしたことだ、わたしの戀したのは。
【釋】年渡麻弖尓毛人者 トシワタルマデニモヒトハ。トシワタルは、年を經過する。一年を經るで、永いあいだの意。ヒトは、世人一般をいう。
 有云乎 アリトイフヲ。人の上を聞くように言つている。
 何時之間曾母 イツノホドゾモ。イツノマニゾモ(元)、イツノアヒダゾモ(古義)、イツノホドゾモ(新考)。逢つてからまもないのに、何時の間にの意。ゾモは係助詞だが、文意は、一往ここで切れ、五句は、その説明になる。
【評語】逢つてからまもないのに戀う由の歌である。長歌の反歌としてふさわしくなく、ただ無思慮に連吟したものであろう。藤原の麻呂の「好く渡る人は年にもありといふを何時の間《ほど》ぞもわが戀ひにける」(卷四、五二(85)三)の歌と、少々の詞句の相違があるだけである。年ワタルマデニモの句が、二句に跨がつているのが新しい感じである。
 
或書反歌曰
 
【釋】或書 アルフミ。多くは、或る本、一本と書いているが、ここに或る書とあるは、何かの成書であることを示すのだろう。コモリクノ云々の長歌に對して、次の歌を反歌としているというのだが、これも反歌としてふさわしくない。
 
3265 世間《よのなか》を 倦《う》しと思ひて 家出《いへで》せし、
 われや何にか かへりて成らむ。
 
 世間乎《ヨノナカヲ》 倦迹思而《ウシトオモヒテ》 家出爲《イヘデセシ》
 吾哉難二加《ワレヤナニニカ》 還而將v成《カヘリテナラム》
 
【譯】世の中を厭わしく思つて出家をしたわたしは、今更歸つて何物になろうか。
【釋】倦迹思而 ウシトオモヒテ。倦は飽く意の字であるが、ここは厭わしい意に借りて使用している。
 家出爲 イヘデセシ。イヘデは出家で、僧形になることをいう。
 吾哉難二加 ワレヤナニニカ。ヤは係助詞。難は、字音假字。ナニニカは、下の成ラムに接している。
 還而將成 カヘリテナラム。カヘリテは、家に還つて。ナラムは、何かになることをいう。
【評語】歌詞のとおり正直に解すれば、佛教思想を歌つたことになる。前の長歌の反歌としてふさわしくないが、何か物語があつて、これが反歌とされていたのであろう。
 
右三首
 
(86)3266 春されば 花咲きををり、
 秋づけば 丹《に》の穗《ほ》ににほふ、
 味酒《うまざけ》を 神名火《かむなび》山の
 帶にせる 明日香の河の
 速《はや》き瀬に 生ふる玉藻の、
 うち靡き 情《こころ》は寄りて、
 朝露の 消なば消ぬべく、
 戀ひしくも しるくも逢へる
 こもり妻《づま》かも。
 
 春去者《ハルサレバ》 花咲乎呼里《ハナサキヲヲリ》
 秋付者《アキヅケバ》 丹之穗尓黄色《ニノホニニホフ》
 味酒乎《ウマザケヲ》 神名火山之《カムナビヤマノ》
 帶丹爲留《オビニセル》 明日香之河乃《アスカノカハノ》
 速瀬尓《ハヤキセニ》 生玉藻之《オフルタマモノ》
 打靡《ウチナビキ》 情者因而《ココロハヨリテ》
 朝露之《アサヅユノ》 消者可v消《ケナバケヌベク》
 戀久毛《コヒシクモ》 知久毛相《シルクモアヘル》
 隱都麻鴨《コモリヅマカモ》
 
【譯】春になれは花が咲き撓い、秋になればまつ赤に色づく、よい酒を供える神名火山の帶にしている明日香の川の、速い瀬に生えている水草のように、うち靡いて心は君に寄つて、朝露のように、今にも消えそうに、戀うていることのかいがあつて、わたしの逢つた内緒の妻だ。
【構成】全篇一文。生フル玉藻ノまでは、ウチ靡キを引き起すための譬喩の序になつている。
【釋】花咲乎呼里 ハナサキヲヲリ。ヲヲリは、枝のたわむをいう。花の滿開の樣である。
 秋付者 アキヅケバ。アキヅクは、秋の性質になるをいう。家ヅク、面ヅクなど、同様の語例である。「伊麻欲理波《イマヨリハ》 安伎豆吉奴良之《アキヅキヌラシ》 安思比奇能《アシヒキノ》 夜麻末都可氣爾《ヤママツカゲニ》 日具良之奈伎奴《ヒグラシナキヌ》」(巻十五、三六五五)。
 丹之穗尓黄色 ニノホニニホフ。ニノホは、赤色のすぐれていること。「吾等戀《ワガコフル》 丹穗面《ニホヘルオモワ》」(巻十、二〇〇三)。(87)この卷の十の歌は、七夕の歌で織女星の紅顔を歌つている。黄色は義をもつてニホフと讀む。集中、黄、黄變、黄反等を、モミツ(活用形を含む)と讀んでいる。この動詞は、四段活にも上二段活にも活用し、その連體形は、モミツまたはモミツルである。文字では「秋葉能《アキノハノ》 黄色時爾《ニホヘルトキニ》」(巻十九、四一八七)にも使用している。黄の字の用例によれは、モミツの方が通例であるが、この歌は下に引く三二二七の歌と關係深く、その歌には「秋往者《アキユケバ》 紅丹穗經《クレナヰニホフ》」とあるので、ここもニホフと讀むを可とする。以上神名火山を修飾している。
 味酒乎 ウマザケヲ。枕詞。ウマザケは、美酒。ヲは、感動の助詞。三輪山、三諸山の枕詞として使用されるので、轉じて神名火山に冠したのであろう。
 神名火山之 カムナビヤマノ。帶にせる明日香の川というので、その川に臨んでいる明日香の神名火山であること明白である。
 帶丹爲留明日香之河乃 オビニセルアスカノカハノ。「春去者《ハルサレバ》 春霞立《ハルガスミタチ》 秋往者《アキユケバ》 紅丹穗經《クレナヰニホフ》 甘嘗備乃《カムナビノ》 三諸乃神之《ミモロノカミノ》 帶爲《オビニセル》 明日香之河之《アスカノカハノ》」(卷十三、三二二七)參照。
 生玉藻之 オフルタマモノ。タマモは水草。以上譬喩で、次の句を引き起している。
 打靡情者因而 ウチナビキココロハヨリテ。わが心は靡いて君に寄つて。
 朝露之 アサヅユノ。枕詞。譬喩によつて次の句に冠する。
 消者可消 ケナバケヌベク。今にも消えそうにの意の熟語句。「露霜之《ツユジモノ》 消者消倍久《ケナバケヌベク》」(卷二、一九九)、朝霜《アサジモノ》 消々《ケナバケヌベク》 念乍《オモヒツツ》」(卷十一、二四五八)。卷の二の例は人麻呂作歌、卷の十一の例は人麻呂歌集所出の歌である。
 戀久毛知久毛相 コヒシクモシルクモアヘル。コヒシクモとシルクモとは竝立格ではなく、戀したこともしるくで、戀したことの效驗の意である。戀をしていたかいがあつて。「來之久毛知久《コシクモシルク》 相流君可聞《アヘルキミカモ》」(卷八、一(88)五七七)のシルクと同樣の用法である。戀久はコフラクとも讀まれるが、消ナバ消ヌベクを受けては、コヒシクであろう。
 隱都麻鴨 コモリヅマカモ。コモリヅマは、人に知らせずに隱している妻をいう。
【評語】美しい序が役立つて.氣もちのよい歌になつている。元來戀の滿足を内容としているので、それにふさわしい表現である。明日香時代の歌の如く、また玉藻を譬喩に使い、人麻呂作歌との詞句の類似などがあつて、人麻呂の作ではないかとも思われる。上掲の三二二七との關係深く、同じ作者の手になつたもののようである。
 
反歌
 
3267 明日香河
 瀬瀬《せぜ》の殊藻の うち靡き
 情《こころ》は妹に 寄《よ》りにけるかも。
 
 明日香河《アスカガハ》
 瀬湍之珠藻之《セゼノタマモノ》 打靡《ウチナビキ》
 情者妹尓《ココロハイモニ》 因來鴨《ヨリニケルカモ》
 
【譯】明日香河の瀬々の玉藻のように、うち靡いて、心は妻に寄つたことだ。
【釋】明日香河瀬湍之珠藻之 アスカガハセゼノタマモノ。以上、譬喩による序詞。
【評語】長歌の表現と内容とを、一首の短歌にまとめている。四五句の表現は、身心を傾けつくすといつたような、大きな言い方である。
 
右二首
 
(89)3268 三諸《みもろ》の 神奈備《かむなび》山ゆ
 との曇り 雨は降り來ぬ。
 雨霧《あまぎら》ひ 風さへ吹きぬ。」
 大口の 眞神《まがみ》が原ゆ
 思《しの》ひつつ 還りにし人、
 家に到りきや。」
 
 三諸之《ミモロノカムナビヤマユ》 神奈備山從《カムナビヤマユ》
 登能陰《トノグモリ》 雨者落來奴《アメハフリキヌ》
 雨霧相《アマギラヒ》 風左倍吹奴《カゼサヘフキヌ》
 大口乃《オホクチノ》 眞神之原從《マガミガハラユ》
 思管《シノヒツツ》 還尓之人《カヘリニシヒト》
 家尓到伎也《イヘニイタリキヤ》
 
【譯】三諸の神奈備山の方から、一面に曇つて雨は降つて來た。雨が霧になつて、風さえ吹いて來た。口の大きな狼のいた眞神が原を通つて、物思いをしながら歸つて行つた人は、家についたであろうか。
【構成】第一段、風サヘ吹キヌまで。風雨の急に襲ひ來たことを敍する。第二段、終りまで。その中を歸つた人の上を案じている。
【釋】三諸之神奈備山從 ミモロノカムナビヤマユ。三諸の神奈備山は、明日香の神奈備山である。ユは、その山から起つて、ずつとこちらへの意をあらわす。
 登能陰 トノグモリ。タナグモリに同じ。空の一面に曇るをいう。「登能雲入《トノグモリ》 雨零川之《アメフルカハノ》」(卷十二、三〇一二)。
 雨霧相 アマギラヒ。雨が霧になつて前が見えなくなるをいう。「天霧合《アマギラフ》 之具禮乎疾」《シグレヲイタミ》(卷六、一〇五三)。
 大口乃 オホクチノ。枕詞。オオカミは口が大きいから、眞神に冠する。「大口能《オホクチノ》 眞神之原爾《マガミガハラニ》 零雪者《フルユキハ》」(卷八、一六三六)。
 眞神之原從 マガミガハラユ。眞神が原は、明日香の眞神が原ともいう。マガミはオオカミをいう。雷の岡(90)から西南方面の平原をいう。ユは、それを通つて。
 思管 シノヒツツ。自分を思いながら。
 還尓之人 カヘリニシヒト。ヒトは、相手の男子をいう。
 家尓到伎也 イヘニイタリキヤ。ヤは疑問の助詞。「有間山《アリマヤマ》 雲居輕引《クモヰタナビキ》 雨爾零寸八《アメニフリキヤ》」(巻三、四六〇)。
【評語】男の歸つて行つたあとを見送つて、俄かに風雨が來たので、その行く先を案じている情景がよく描かれている。「樂浪の連庫《なみくら》山に雲ゐれは雨ぞ降るちふ。歸り來《こ》、わが夫」(巻七、一一七〇)と似よつた情景で、ただそれは男のわが家に歸るようにと願つているだけの相違である。
 
反歌
 
3269 還《かへ》りにし 人を念《おも》ふと、
 ぬばたまの その夜はわれも
 宿《い》も寐《ね》かねてき。
 
 還尓之《カヘリニシ》 人乎念等《ヒトヲオモフト》
 野干玉之《ヌバタマノ》 彼夜者吾毛《ソノヨハワレモ》
 宿毛寐金手寸《イモネカネテキ》
 
【譯】歸つて行つた人を思うので、まつくらなその晩は、わたしも眠りをしかねました。
【釋】野干玉之 ヌバタマノ。枕詞。
 彼夜者吾毛 ソノヨハワレモ。ソノヨは、歸つて行つた夜をいう。
 宿毛寐金手寸 イモネカネテキ。イは睡眠。イモネで眠る意になる。カネは、不可能の意の助動詞。
【評語】長歌では、あとを見送つて歸つたかどうかとその場で詠んだようになつており、この歌では、その夜は眠りかねたと過去の事としているのは、時間に矛盾があつて、ぴつたり合致しない。長歌から短歌まで時間(91)の進行があると見るのだが、この場合、長歌が短いので、その内容を裏切るようになり、反歌としては、よろしくない。歌も平語で、格別のことはない。
 
右二首
 
3269  さし燒《や》かむ 小屋《をや》の醜屋《しきや》に
 かき棄《う》てむ 破薦《やれごも》を敷きて、
 うち折らむ 醜《しこ》の醜手《しきで》を
 さし交《か》へて 宿《ね》なむ君ゆゑ、
 あかねさす 晝はしみらに、
 ぬばたまの 夜はすがらに、
 この床《とこ》の ひしと鳴るまで
 嘆きつるかも。
 
 刺將v燒《サシヤカム》 小屋之四忌屋尓《ヲヤノシキヤニ》
 掻將v棄《カキウテム》 破薦乎敷而《ヤレゴモヲシキテ》
 所2挌將1v折《ウチヲラム》 鬼之四忌手乎《シコノシキデヲ》
 指易而《サシカヘテ》 將v宿君故《ネナムキミユヱ》
 赤根刺《アカネサス》 畫者終尓《ヒルハシミラニ》
 野干玉之《ヌバタマノ》 夜者須柄尓《ヨルハスガラニ》
 此床乃《コノトコノ》 比師跡鳴左右《ヒシトナルマデ》
 嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》
 
【譯】燒いてしまいたいちいさなぼろ家に、棄ててしまいたい破れゴモを敷いて、折つてしまいたい見ぐるしい手を、さしかわして寐るだろう君ゆえに、あかるい晝は一日中、まつくらな夜は夜通し、この床のみしみし音がするまで、嘆いたことだつた。
【構成】全篇一文。
【釋】刺將燒 サシヤカム。サシは接頭語。
(92) 小屋之四忌屋尓 ヲヤノシキヤニ。小家であり醜い家である家に。シキヤは、見ぐるしい家。ほかの女の家を惡口している。
 掻將棄 カキウテム。カキは接頭語。棄ててしまうような。
 破薦乎敷而 ヤレゴモヲシキテ。他の女の家の敷物を罵つている。
 所挌將折 ウチヲラム。ウチは接頭語。所の字は、動詞の連體形を指示する働きをしている。宣長が所の字を衍入としてから、これに從うものが多いが、あつてもさしつかえない。
 鬼之四忌手乎 シコノシキデヲ。シコは、見ることのいやなものの意。シキデは、そのような手で、シコが重語になつている、これもわが思う男と寐る他の女の手を罵つている。
 將宿君故 ネナムキミユヱ。古義にヌラムキミユヱとしている。寐るべき運命を歎くとして、ネナムでよいのだろう。
 赤根刺 アカネサス。枕詞。普通に日を修飾する。ここは轉じて晝に冠している。
 畫者終尓 ヒルハシミラニ。シミラニは、シミ(繁)に接尾語ラの接續したものの副詞形と考えられる。轉じてシメラニともいう。畫いつぱいに。終日。「赤根刺《アカネサス》 日者之彌良爾《ヒルハシミラニ》」(巻十三、三二九七)、「今日毛之賣良爾《ケフモシメラニ》」(巻十七、三九六九)、「畫波之賣良爾《ヒルハシメラニ》」(巻十九、四一六六)。
 夜者須柄尓 ヨルハスガラニ。スガラニは、夜に専屬して、終夜の意を成す副詞であるが、語義は不明である。「野干玉乃《ヌバタマノ》 夜者須我良爾《ヨルハスガラニ》」(巻四、六一九)。
 此床乃 コノトコノ。トコは、作者の寐ている床をいう。
 比師跡鳴左右 ヒシトナルマデ。ヒシは、床の鳴る音聲。反側して嘆くので鳴るのである。
【評語】思い男の相手にしている他の女の上を、思い切つて罵倒しているのがおもしろい。嫉ましくて眠られ(93)ない有樣がよくあらわれている。
 
反歌
 
3271 わが情《こころ》 燒くも吾なり。
 愛《は》しきやし 君に戀ふるも、
 わが心から。
 
 我情《ワガココロ》 燒毛吾有《ヤクモワレナリ》
 愛八師《ハシキヤシ》 君尓戀毛《キミニコフルモ》
 我之心柄《ワガココロカラ》
 
【譯】わたしの心を燒くのも、自分からだ。愛すべき君に戀うのも、わたしの心のゆえだ。
【釋】我情燒毛吾有 ワガココロヤクモワレナリ。煩悶して苦しむを、心を燒くという。「冬隱《フユゴモリ》 春乃大野乎《ハルノオホノヲ》 燒人者《ヤクヒトハ》 燒不足香文《ヤキタラネカモ》 吾情熾《ワガココロヤク》」(巻七、一三三六)。
 愛八師 ハシキヤシ。語義は、愛すべきで、連體句であるが、轉用して、獨行的な性質を生じている。
 我之心柄 ワガココロカラ。カラは、ゆえの意。
【評語】長歌の嫉妬煩悶から、轉じて自分を省みて歌つている。長歌に對して、よい取り合わせになつている。上二句と下三句とが竝立的になつている表現も、效果を擧げている。
 
右二首
 
3272 うち延《は》へて 思ひし小野は、
 遠からぬ その里人の、
 標《しめ》結《ゆ》ふと 聞きてし日より、
(94) 立てらくの たづきも知らに、
 居《を》らくの 奧處《おくか》も知らに、
 親《むつま》しき わが家すらを、
 草枕 旅|宿《ね》のごとく、
 思ふそら 安からぬものを、
 嗟《なげ》くそら 過し得ぬものを、
 天雲《あまぐも》の 行きのまくまく
 蘆垣の 思ひ亂れて、
 亂れ麻《を》の 司《つかさ》を無みと、
 わが戀ふる 千重の一重も
 人知れず もとなや戀ひむ。
 氣《いき》の緒にして。
 
 打延而《ウチハヘテ》 思之小野者《オモヒシヲノハ》
 不v遠《トホカラヌ》 其里人之《ソノサトビトノ》
 標結等《シメユフト》 聞手師日從《キキテシヒヨリ》
 立良久乃《タテラクノ》 田付毛不v知《タヅキモシラニ》
 居久乃《ヲラクノ》 於久鴨不v知《オクカモシラニ》
 親々《ムツマシキ》 己之家尚乎《ワガイヘスラヲ》
 草枕《クサマクラ》 客宿之如久《タビネノゴトク》
 思空《オモフソラ》 不v安物乎《ヤスカラヌモノヲ》
 嗟空《ナゲクソラ》 過之不v得物乎《スグシエヌモノヲ》
 天雲之《アマグモノ》 行莫々《ユキノマクマク》
 蘆垣乃《アシガキノ》 思亂而《オモヒミダレテ》
 亂麻乃《ミダレヲノ》 司乎無登《ツカサヲナミト》
 吾戀流《ワガコフル》 千重乃一重母《チヘノヒトヘモ》
 人不v令v知《ヒトシレズ》 本名也戀牟《モトナヤコヒム》
 氣之緒尓爲而《イキノヲニシテ》
 
【譯】あれこれと思つていた野原は、遠くもないその里(ノ)人が、標繩を張つて占有すると聞いた日から、立つている法も知らず、すわつている成行も知らず、なつかしい自分の家までも、草の枕の旅寐のように、思う心が安らかでないものを、嘆く心が過し得ないものを、天の雲の行くがままに、蘆垣のように思い亂れて、亂れたアサのまとまりがないようにと、わたしの戀う千が一も、人に知られずにたいへんにか戀をしよう。息の續く限りは。
(95)【構成】全篇一文。
【釋】打延而 ウチハヘテ。ウチは接頭語。ハヘテは、伸びてで、思いを修飾し、思いめぐらす、それからそれと思う意になる。「物負之《モノノフノ》 八十伴緒乃《ヤソトモノヲノ》 打經而《ウチハヘテ》 思煎敷者《オモヘリシクハ》」(卷六、一〇四七)。
 思之小野者 オモヒシヲノハ。意中の人を小野にたとえている。
 不遠其里人之 トホカラヌソノサトビトノ。その思う人の家に遠からぬ里人ので、ほかの男をいう。
 標結等 シメユフト。標繩を張つて、占有を表示する。わが物とすると。
 立良久乃 タテラクノ。タテラクは、立てること。立つていること。以下、立つてもいてもいようのないことをいう。
 田付毛不知 タヅキモシラニ。手段も知らず。
 居久乃 ヲラクノ。居ることの。
 於久鴨不知 オクカモシラニ。オクカは、行く先、將來、行く先が知れない。どうしてよいかわからない。「霞立《カスミタツ》 春長日乎《ハルノナガビヲ》 奧香無《オクカナク》 不v知山道乎《シラヌヤマヂヲ》 戀乍可將v來《コヒツツカコム》」(卷十二、三一五〇)。
 親々 ムツマシキ。
   オヤオヤノ(西)
   ムツマシキ(代精)
   ――――――――――
   親之(類)
   親之《ムツバヒシ》(略)
   親之《ニキビニシ》(略)
 親々は、次の句の家を説明修飾するもので、文字の意は、親しむべくある意に相違ない。そこで形容詞としては、ムツマシキ、ナツカシキなどの訓が考えられる。ナツカシは、用例は多く、家に冠したものを見ないが、「石金之《イハガネノ》 凝敷山爾《コゴシキヤマニ》 入始而《イリソメテ》 山名付染《ヤマナツカシミ》 出不v勝鴨《イデガテヌカモ》」(卷七、一三三二)の如く、現にいる處について言つた(96)用例もある。しかしこの語は、あらたに親愛を感じる意である點に、この歌の場合では難點がある。ムツマシキは、集には用例はないが、琴歌譜には「无都万之美《ムツマシミ》 和禮許曾《ワレコソ》 許々爾《ココニ》 伊天々乎禮《イデテヲレ》 須美都《スミヅ》」とあり、祝詞には親の字をムツに當ててもいるので、今これによることとする。
 己之家尚乎 ワガイヘスラヲ。ほかの物ではない。自分の家であるのに。
 思空不安物乎 オモフソラヤスカラヌモノヲ。慣用句。思フソラ安ケナクニともいう。思う心が落ちつかず憂悶する。
 嗟空過之不得物乎 ナゾクソラスグシエヌモノヲ。嘆く心を過し去り得ないのに。
 行莫々 ユキノマクマク。
   ユカマクマクニ(西)
   ユキノシナヒニ(代初)
   ユキノマクマク(代精)
   ――――――――――
   行々莫々《ユクラユクラニ》(考)
   行莫行莫《ユクラユクラニ》(略)
 大伴の家持の歌に「大王乃《オホキミノ》 麻氣能麻久々々《マケノマクマク》」(卷十八、四〇九八)とあるによつて、莫々をマクマクと讀んでいる。但し澤瀉博士は、家持がマクマクとしたのは、莫々を讀み誤つたものだとしている。下には「天雲乃《アマグモノ》 行之隨爾《ユキノマニマニ》」(卷十三、三三四四)とある。莫々は、漠々に通ずるものと見て、雲などのつらなる形容であろうから、マニマニと讀まれぬものでもない。行莫莫で、ユクラユクラニと讀むべきかも知れない。マクマクと讀むによれば、動詞マクを重ねたものと見るべく、そのマクは、任《マ》ク、また、片|設《マ》クのマクであろう。また日本書紀允恭天皇の十四年の條に、麋鹿猿猪の雜然として衆多なのを敍して「莫莫紛紛」とあり、これにアリノマガヒと訓しているによれは、ユキノマガヒニとも讀まれる。
 蘆垣乃 アシガキノ。枕詞。アシの垣は亂れやすいので、亂ルに冠する。
(97) 亂麻乃司乎無登 ミダレヲノツカサヲナミト。ツカサは、支配者で、ここは亂れたアサを束ねること。譬喩によつて、亂れて收まりのないことをあらわしている。
 吾戀流千重乃一重母 ワガコフルチヘノヒトヘモ。慣用句で、非常な物思いの一小部分だけでもの意をあらわしている。
 本名也戀牟 モトナヤコヒム。ヤは、係助詞。たいへんに戀うことだろうか。句切。
 氣之緒尓爲而 イキノヲニシテ。「人不v知《ヒトシレズ》 本名曾戀流《モトナゾコフル》 氣之緒丹四天《イキノヲニシテ》」(卷十三、三二五五)參照。
【評語】意中の人を他人に奪われる煩悶がよく描かれている。後半に多くの慣用句を使用しているのは、特色を失う所以で、好ましくない。よし同一人の作であるとしても、なるべく前に使用したものを避けて、重ねては使用しないように心懸くべきであろう。
 
反歌
 
3273 二つなき 戀をしすれば、
 常の帶を 三重結ぶべく
 わが身はなりぬ。
 
 二無《フタツナキ》 戀乎思爲者《コヒヲシスレバ》
 常帶乎《ツネノオビヲ》 三重可v結《ミヘムスブベク》
 我身者成《ワガミハナリヌ》
 
【譯】二つとない戀をするので、いつもしている帶を三重に結ぶように、わたしは痩せてしまつた。
【釋】二無戀乎思爲者 フタツナキコヒヲシスレバ。ひたすらな戀を二ツナキと言つている。またとない、かけがえのない戀である。
 常帶乎 ツネノオビヲ。平常にしている帶を。
(98)【評語】大伴の家持の「一重のみ妹が結ばむ帶をすら三重結ぶべくわが身は成りぬ」(巻四、七四二)の歌は、これを學んでいる。痩せて帶がゆるくなるということは、遊仙窟の句から來ているといわれており、かような形で、痩せたことを表現するのは、技巧を求めていやみである。率直に痩せたという方が、よほどよい。
 
右二首
 
3274 爲《せ》む術《すべ》の たづきを知らに、
 石《いは》がねの 凝《こご》しき道を、
 岩|床《どこ》の 根延《ねは》へる門を、
 朝庭に いで居て歎き、
 夕《ゆふべ》には  入り居て思《しの》ひ、
 白栲の わが衣手を
 祈り反《かへ》し 獨し寐《ぬ》れば、
 ぬばたまの 黒髪敷きて
 人の寐《ぬ》る 味眠《うまい》は睡《ね》ずて、
 大舟の ゆくらゆくらに、
 思《しの》ひつつ わが睡《ぬ》る夜らを
 數《よ》みもあへむかも。
 
 爲須部乃《セムスベノ》 田付叫不v知《タヅキヲシラニ》
 石根乃《イハガネノ》 興凝敷道乎《コゴシキミチヲ》
 石床笶《イハドコノ》 根延門叫《ネハヘルカドヲ》
 朝庭丹《アサニハニ》 出居而嘆《イデヰテナゲキ》
 夕庭《ユフベニハ》 入居而思《イリヰテシノヒ》
 白栲乃《シロタヘノ》 吾衣袖叫《ワガコロモデヲ》
 折反《ヲリカヘシ》 獨之寐者《ヒトリシヌレバ》
 野干玉《ヌバタマノ》 黒髪布而《クロカミシキテ》
 人寐《ヒトノヌル》 味眠不v睡而《ウマイハネズテ》
 大舟乃《オホブネノ》 往良行羅二《ユクラユクラニ》
 思乍《シノヒツツ》 吾睡夜等呼《ワガヌルヨラヲ》
 讀文將v敢鴨《ヨミモアヘムカモ》
 
(99)【譯】どうしようという手段も知らず、岩石のけわしい道を、磐石の張つている門口を、朝の庭に出ていて歎き、夕方には入りいて思い、白い織物のわたしの著物を、折り返してひとりで寐るので、まつ黒な髪を敷いてほかの人が寐るような熟睡はしないで、大船の搖れるように物思いをしてわたしの寐る夜を、數えることができるだろうか。
【構成】全篇一文。
【釋】爲須部乃田付叫不知 セムスベノタヅキヲシラニ。「爲須部乃《セムスベノ》 田付乎白粉《タヅキヲシラニ》」(巻十三、三二七六)と同句で、文字まで大部分が共通している。けだし關係があるのだろう。
 石根乃興凝敷道乎 イハガネノコゴシキミチヲ。イハガネは、岩石。石の根の義であるが、ガネを接尾語ふうに使つている。コゴシキは、凝り固まつている形容。興は、字音假字、凝は、訓假字であり、かつその意味をも使用している。
 石床笶 イハドコノ。イハドコは、岩石の床のように横たわつているもの。
 朝庭丹 アサニハニ。朝の廣場として。アサニハ、ユフニハということ、「安佐爾波爾《アサニハニ》 伊泥多知奈良之《イデタチナラシ》 暮庭爾《ユフニハニ》 敷美多比良氣受《フミタヒラゲズ》」(巻十七、三九五七)とあるから、ない語でもないのだろう。但し用例はその一つのみである。この歌の類歌には、朝庭、夕庭とあつて、アシタニハ、ユフベニハと讀むべきもののようである。ここに丹の字を添えてあるによれば、アサニハニと讀むべきようであるが、それは原作者の意圖かどうかはあきらかでない。疑えばこの巻の編纂者が、丹の字を書き添えたものかともいえる。
 夕庭入居而思 ユフベニハイリヰテシノヒ。上をアサニハニと讀んだので、つきあいにこれもユフニハニと讀む説があるが、夕庭に入り居ては、けだし意をなさない。ここは文字通りユフベニハである。前條參照。
 白栲乃吾衣袖叫 シロタヘノワガコロモデヲ。實際に白布の衣服を著ていたのである。
(100) 野干玉 ヌバタマノ。枕詞。
 黒髪布而 クロカミシキテ。女子の寐る?を、黒髪を敷いて寐るという敍述がある。「置而行者《オキテユカバ》 妹將v戀可聞《イモコヒムカモ》 敷細乃《シキタヘノ》 黒髪布而《クロカミシキテ》 長比夜乎《ナガキコノヨヲ》」(巻四、四九三)の類である。ここは次句の、人の寐る?を修飾している。
 人寐 ヒトノヌル。ヒトは、他の女子をいう。
 味眠不睡而 ウマイハネズテ。人が眠るような熟睡は、自分は寐ないで。
 大舟乃 オホブネノ。枕詞。
 往良行羅二 ユクラユクラニ。「大船《オホブネノ》 猶預不定見者《タユタフミレバ》」(卷二、一九六)など、ゆらゆらと搖れて落ちつかない意に使われるのであろう。「射去爲《イザリスル》 海部之?音《アマノカヂノト》 湯鞍干《ユクラカニ》 妹心《イモハココロニ》 乘來鴨《ノリニケルカモ》」(巻十二、三一七四)とも使われている。
 吾睡夜等呼 ワガヌルヨラヲ。ラは接尾語。
 讀文將敢鴨 ヨミモアヘムカモ。ヨミは數えること。アヘムカモは、なし得るだろうか。夜の數が多いので、數え切れるだろうかの意。
【評語】爲ムスベノタヅキヲ知ラニという冒頭が、突然で、何がゆえに然るかの説明がない。恐らくはこの前に數句あつたのだろうという從來の説は當つているだろう。但しこの歌は、下の「白雲之《シラクモノ》 棚曳國之《タナビククニノ》」(巻十三、三三二九)の歌の後半と、ほとんど一致し、ただ、白タヘノワガ衣手ヲ折リ返シヒトリシ寐レバの句が、それにないだけである。それでその歌の後半が切れて別になつたものとも取れるのだが、これは多分作者の未定稿が、そのままに殘つたのだろう。種々に作り試みたそれぞれの案が殘つたので、どちらも未完成の作なのであろう。部分的にはよい處もあるが、まとまつていないのは惜しいことだ。
 
(101)反歌
 
3275 ひとり眠《ぬ》る
 夜《よ》を算《かぞ》へむと 思へども、
 戀の繁きに 情利《こころど》もなし。
 
 一眠《ヒトリヌル》
 夜?跡《ヨヲカゾヘムト》 雖v思《オモヘドモ》
 戀茂二《コヒノシゲキニ》 情利文梨《ココロドモナシ》
 
【譯】ひとりで寐る夜を數えようと思うけれども、戀が繁くして、しつかりした心もない。
【釋】夜?跡 ヨヲカゾヘムト。?は算に同じ。數える。
 情利文梨 ココロドモナシ。ココロドは、心の利《と》きこと。しつかりした心。
【評語】長歌の末を受けて、一首にまとめている。共に夜を數えるということに、興味の中心を置いている。そこに作爲のあとが感じられるのは是非に及ばないことである。
 
右二首
 
3276 百足らず 山田の道を、
 浪雲《なみぐも》の 愛《うつく》し夫《づま》と
 語らはず 別れし來《く》れば、
 速《はや》川の 行くも知らに、
 衣手の 反《かへ》るも知らに、
 (102) 馬じもの 立ちて躓《つまづ》く。」
 爲む術《すべ》の たづきを知らに、
 物部《もののふ》の 八十《やそ》の心を
 天地に 念ひ足《た》らはし、
 魂《たま》相《あ》はば 君|來《き》ますやと、
 わが嗟《なげ》く 八尺《やさか》の嗟《なげ》き、
 玉|桙《ほこ》の 道|來《く》る人の
 立ち留《とま》り いかにと問へば、
 答へ遣《や》る たづきを知らに、
 さ丹《に》つらふ 君が名いはば
 色にいでて 人知りぬべみ、
 あしひきの 山よりいづる
 月待つと 人にはいひて、
 君待つ吾を。」
 
 百不v足《モモタラズ》 山田道乎ヤマダノミチヲ《》
 浪雲乃《ナミグモノ》 愛妻跡《ウツクシヅマト》
 不v語《カタラハズ》 別之來者《ワカレシクレバ》
 速川之《ハヤカハノ》 往文不v知《ユクモシラニ》
 衣袂笶《コロモデノ》 反裳不v知《カヘルモシラニ》
 馬自物《ウマジモノ》 立而爪衝《タチテツマヅク》
 爲須部乃《セムスベノ》 田付乎白粉《タヅキヲシラニ》
 物部乃《モノノフノ》 八十乃心叫《ヤソノココロヲ》
 天地二《アメツチニ》 念足橋《オモヒタラハシ》
 玉相者《タマアハバ》 君來益八跡《キミキマスヤト》
 吾嗟《ワガナゲク》 八尺之嗟《ヤサカノナゲキ》
 玉桙乃《タマホコノ》 遺來人乃《ミチクルヒトノ》
 立留《タチトマリ》 何常間者《イカニトトヘバ》
 答遣《コタヘヤル》 田付乎不v知《タヅキヲシラニ》
 散釣相《サニツラフ》 君名曰者《キミガナイハバ》
 色出《イロニイデテ》 人可v知《ヒトシリヌベミ》
 足日木能《アシヒキノ》 山從出《ヤマヨリイヅル》
 月待跡《ツキマツト》 人者云而《ヒトニハイヒテ》
 君待吾乎《キミマツワレヲ》
 
【譯】山田の道を、浪の形をした雲のような、愛すべき妻と、話をしないで別れて來れば、早川の流れるのも知らず、著物の袖のひるがえるのも知らず、馬のように立つてつまずく。どうしようという手段も知らず、武士の大勢いるように、千々に思う心を、天地のあいだにいつぱいにし、心が合うなら君がおいでになるかと、(103)わたしの嗟く大きな吐息を、道を來る人が立ち留つて、どうしたのですかと尋ねるので、何と答えよう手段も知らず、美しい君の名を言つたら、表面に出て人が知るだろうから、あの山から出る月を待つと、人には言つて、君を待つわたくしです。
【構成】第一段、立チテ躓クまで。別れて來たことを敍する。第二段、終りまで。夫の來るのを待つ心を述べる。
【釋】百不足 モモタラズ。枕詞。百に足りない八十の意に、次の句のヤの音に冠する。
 山田道乎 ヤマダノミチヲ。山田は、諸國に同名の地があるが、靈異記に「阿部の山田の前《さき》の道と豐浦寺《とよらでら》の前の路とより走り往きて、輕の諸越《もろこし》の衢《ちまた》に至る」(上卷第一條)とある、明日香の山田であろう。この地は、香具山の東南に當つている。
 浪雲乃 ナミグモノ。枕詞。ナミグモは、浪のような形の雲。譬喩によつて、次のウツクシに冠している。
 愛妻跡 ウツクシヅマト。妻の字を使用しているが、後半の内容によれば、女子の作と見られるから、それは借字で、愛し夫の意であろう。夫を意味する場合に、妻の字を使用した例としては、下の「汝戀《ナガコフル》 愛妻者」《ウツクシヅマハ》(卷十三、三三〇三)などが指摘される。
 不語別之來者 カタラハズワカレシクレバ。シは助詞。この歌の内容によれは、女が夫に別れて山田の道を來たことになるが、その事情は、共に宮仕えなどしていて、女が里におりる場合にも、物語をして別れて來ることができないのだろう。
 往文不知 ユクモシラニ。ユクヘモシラズ(矢)、ユクヲモシラズ(神)、ユクモシラズ(拾)、ユカクモシラニ(略)、ユカクモシラズ(新考)、ユクモシラニ(新訓)。物思いのために、流れの早い川の物音も耳にはいらないさまである。「玉だすき畝火の山に鳴く鳥の聲も聞えず」(卷二、二〇七)の類である。しかし實際は、そ(104)れらの存在が視聽にはいつたのを、今まで知らなかつたがという意味にいうのである。
 衣袂笶反裳不知 コロモデノカヘルモシラニ。風に吹かれて著物のひるがえるのも知らずに。女らしい敍述である。
 馬自物 ウマジモノ。枕詞。譬喩として使われている。
 立而爪衝 タチテツマヅク。タチテは、道路に立つての意。ツマヅクは、心がそこになくて物につまずくのである。句切。
 爲須部乃田付乎白粉 セムスベノダヅキヲシラニ。三三二九の歌と、同じ句を使用している。
 物部乃 モノノフノ。枕詞。モノノフは、數が多いので、八十に冠する。
 八十乃心叫 ヤソノココロヲ。それからそれへと千々に思い廻らす心をいう。
 天地二念足橋 アメツチニオモヒタラハシ。「天地丹《アメツチニ》 思足椅《オモヒタラハシ》」(卷十三、三二五八)參照。
 玉相者 タマアハバ。雙方の魂が合うならば。先方でも思つているなら。「靈合者《タマアヘバ》 相宿物乎《アヒネムモノヲ》」(卷十二、三〇〇〇)。
 八尺之嗟 ヤサカノナゲキ。大きい歎息。ヤサカは八尺の勾?(古事記)などのヤサカに同じ。サカは、尺の字音であろう。
 玉桙乃 タマホコノ。枕詞。
 何常間者 イカニトトヘバ。大きな歎息をしたのを、道來る人が不審に思つて、何のゆえかと問うのである。志貴の親王の薨りましし時の歌(卷二、二三〇)では、逆に道來る人が答える形になつている。
 散釣相 サニツラフ。枕詞。美しい色に出る意で、美しい意味に、君に冠する。散は、字音假字。
 色出人可知 イロニイデテヒトシリヌベミ。表面に出て人が知るだろうから。慣用句。「色二山上復有山者《イロニイデバ》 (105)一可v知美《ヒトシリヌベミ》」(卷九、一七八七)。
 足日木能山從出月待跡人者云而君待吾乎 アシヒキノヤマヨリイヅルツキマツトヒトニハイヒテキミマツワレヲ。最後のヲは、感動の助詞で、われよの意。この句、卷の十二には「足日木乃《アシヒキノ》 從v山出流《ヤマヨリイヅル》 月待登《ツキマツト》 人爾波言而《ヒトニハイヒテ》 妹待吾乎《イモマツワレヲ》」(卷十二、三〇〇二)として、獨立した一首の短歌になつている。しかし歌意は、獨立した一首としては、表現が不完全であり、原形としてはかような長歌の一部として、歌い傳えられていたものであろう。また妹を待つというのも不自然である。
【評語】男に別れて來た女の心が、かなりよく描かれている。物語ふうな構成を有している歌である。前半を男の歌、後半を女の歌として二部に分かつ説があるが、なお傳來のままに解釋すべく、それでも意味はよく通るので、別に難關とすべきところはない。
 
反歌
 
3277 眠《い》をも睡《ね》ず わが思ふ君、
 何處邊《いづくべ》に この身《み》誰《たれ》とか
 待てど來《き》まさぬ。
 
 眠不v睡《イヲモネズ》 吾思君者《ワガオモフキミハ》
 何處邊《イヅクベニ》 今身誰與可《コノミタレトカ》
 雖v待不v來《マテドキマサヌ》
 
【譯】眠りもしないでわたしの思う君は、何處らで、今の身を誰と寐てか、待つてもおいでにならないのだ。
【釋】何處邊 イヅクベニ。次の句の場處を、何處かと疑つている。
 今身誰與可 コノミタレトカ。
   コノミタレトカ(元)
   ――――――――――
   今夜訪與可《コヨヒトフトカ》(考)
(106)   今宵座世可《コヨヒイマセカ》(古義)
   今宵誰與可《コヨヒタレトカ》(新考)
   今夜誰與可《コヨヒタレトカ》(新訓)
今身は、佛教語で、現世の人身をいうが、ここはその文字を現在の身の意に使用している。今代をコノヨ、今夜をコノヨと讀むに準じて、コノミと讀んでよいであろう。考に、身を夜の誤りとしているが、誤りとするに及ばない。タレトカの下には、寐ラムのような語が省略されている。句切。
 雖待不來 マテドキマサヌ。來まさぬことよの意に、連體形で留める格。
【評語】待つ人の來ないのを歎いた歌は多いが、この歌は、疑問の語を重ねて使用して、疑惑の意を強くしているのが、特色である。焦慮の趣がよく出ている。
 
右二首
 
3278 赤駒の 厩《うまや》を立て、
 黒駒の 厩を立てて、
 そを飼ひ わが往くが如、
 思ひ妻 心に乘りて、
 高山の 峯のたをりに
 射目《いめ》立てて 猪鹿《しし》待つが如、
 床《トコ》敷きて わが待つ公を
(107) 犬な吠《ほ》えそね。
 
 赤駒《アカゴマノ》 厩立《ウマヤヲタテ》
 黒駒《クロゴマノ》 厩立而《ウマヤヲタテテ》
 彼乎飼《ソヲカヒ》 吾往如《ワガユクガゴト》
 思妻《オモヒヅマ》 心乘而《ココロニノリテ》
 高山《タカヤマノ》 峯之手折丹《ミネノタヲリニ》
 射目立《イメタテテ》 十六待如《シシマツガゴト》
 床敷而《トコシキテ》 吾待公《ワガマツキミヲ》
 犬莫吠行年《イヌナホエソネ》
 
【譯】赤い馬の厩を立て、黒い馬の厩を立てて、その馬を飼い、それに乘つてわたしの行くように、思う夫が心に乘つて、高い山の峰のくぼみに弓射るところを置いて鹿や猪を待つように、敷物を敷いてわたしの待つ君を、犬が吠えないでください。
【構成】全篇一文。
【釋】 赤駒厩立黒駒厩立而彼乎飼吾往如 アカゴマノウマヤヲタテクロゴマノウマヤヲタテテソヲカヒワガユクガゴト。以上譬喩で、心ニ乘リテを修飾している。ソは、赤駒と黒駒とをいう。ユクは、馬に乘つて往く意。
 思妻 オモヒヅマ。妻は、前の歌の、ウツクシ妻と同様に、男子をいう。思う男、意中の人。
 心乘而 ココロニノリテ。自分の心に思われて。熟語句。
 高山峯之手折丹射目立十六待如 タカヤマノミネノタヲリニイメタテテシシマツガゴト。以上譬喩で、ワガ待ツを修飾している。タヲリは、峰の撓んでいる處。峰のくぼみは、鹿や猪の山を越える通路になる。「安之比奇能《アシヒキノ》 夜麻能多乎理爾《ヤマノタヲリニ》 許能見油流《コノミユル》 安麻能之良久母《アマノシラクモ》」(巻十八、四一二二)。イメは、弓を射る人の隱れるところ。
 床敷而 トコシキテ。トコは、座席で、ここはむしろなどの敷物をいう。
 犬莫吠行年 イヌナホエソネ。行年をソネと讀む理由はわからない。「雨莫零行年《アメナフリソネ》」(巻三、二九九)參照。
【評語】長い譬喩を二つまで使つている。どちらも男のする事であるのは、作者が男の上を思つていることが、知らず識らずの中にあらわれたのだろう。終りの方は具體的に待つさまをあらわしているのがよい。
 
(108)反歌
 
3279 葦垣の 末かき別けて 君越ゆと、
 人にな告げそ。
 事はたな知り。
 
 葦垣之《アシガキノ》 末掻別而《スヱカキワケテ》 君越跡《キミコユト》
 人丹勿告《ヒトニナツゲソ》
 事者棚知《コトハタナシリ》
 
【譯】葦垣の末をかき分けて、君が越えると、人に知らせてくれるな。わけをよく知つて。
【釋】葦垣之 アシガキノ。アシで編んだ垣。作者の家の垣。
 人丹勿告 ヒトニナツゲソ。長歌の末の、犬ナ吠エソネを受けて、吠えて人に告げるなと言つている。句切。
 事者棚知 コトハタナシリ。タナシリは、すべてを承知する意の動詞の連用形。タナは、タナ引クなどのタナと同じで、接頭語であろう。人ニナ告ゲソを修飾する句。「家忘《イヘワスレ》 身毛多奈不v知《ミモタナシラニ》」(巻一、五〇)、「何爲跡歟《ナニストカ》 身乎田名知而《ミヲタナシリテ》」(巻九、一八〇七)。
【評語】長歌を受けて、犬に向かつて詠んだようになつている。初三句の敍述が、具體的であり、田舍のおもむきが出ていてよい。
 
右二首
 
3280 わが夫子《せこ》は 待てど來まさず。
 天の原 ふりさけ見れば、
 ぬばたまの 夜もふけにけり。
(109) さ夜ふけて 嵐の吹けば、
 立ちとまり 待つわが袖に
 ふる雪は 凍《こほ》りわたりぬ。」
 今更に 公來まさめや。
 さな葛《かづら》 後も逢はむと、
 慰むる 心を持ちて
 み袖持ち 床《とこ》うち拂ひ、
 現《うつつ》には 君には逢はず、
 夢にだに 逢ふと見えこそ。
 天《あめ》の足夜《たりよ》を。」
 
 妾背兒者《ワガセコハ》 雖v待來不v益《マテドキマサズ》
 天原《アマノハラ》 振左氣見者《フリサケミレバ》
 黒玉之《ヌバタマノ》 夜毛深去來《ヨモフケニケリ》
 左夜深而《サヨフケテ》 荒風乃吹者《アラシノフケバ》
 立留《タチトマリ》 待吾袖尓《マツワガソデニ》
 零雪者《フルユキハ》 凍渡奴《コホリワタリヌ》
 今更《イマサラニ》 公來座哉《キミキマサメヤ》
 左奈葛《サナカヅラ》 後毛相得《ノチモアハムト》
 名草武類《ナグサムル》 心乎持而《ココロヲモチテ》
 三袖持《ミソデモチ》 床打拂《トコウチハラヒ》
 卯管庭《ウツツニハ》 君尓波不v相《キミニハハズ》
 夢谷《イメニダニ》 相跡所v見社《アフトミエコソ》
 天之足夜乎《アメノタリヨヲ》
 
【譯】わたしの夫は、待つてもおいでにならない。天空をふり仰いで見れば、まつくらな夜も更けてしまつた。夜が更けて嵐が吹くので立ち留まつて待つわたしの袖に、降る雪は氷りついた。今はもう君はおいでにならないだろう。サナカズラのように、後にも逢おうと、慰める心を持つて、袖で床を拂つて、現實では君には逢わず、せめて夢になりと逢うと見えてほしいことだ。このよい夜であるのに。
【構成】第一段、凍リワタリヌまで、待つ人の來ないことを敍する。第二段、終りまで。夢に君を見ようとひとり寐ることを敍する。
【釋】妾背兒者 ワガセコハ。ワガセコに、妾背兒の字を當てたただ一つの例である。
(110) 雖待來不益 マテドキマサズ。句切。以上總記で、次にこれを受けて、夜が更け、嵐が吹いて袖も凍ることを述べる。
 天原振左氣見者 アマノハラフリサケミレバ。天空を遠望する意の慣用句。
 黒玉之 ヌバタマノ。枕詞。
 夜毛深去來 ヨモフケニケリ。句切。
 左夜深而 サヨフケテ。夜モ更ケニケリを受けている。
 荒風乃吹者 アラシノフケバ。アラシは、文字通り荒い風をいう。「孫?(ノ)切韻(ニ)云(フ)、嵐盧含(ノ)反、和名|阿良之《アラシ》山下(ニ)出(ツル)風也」(倭名類聚鈔)。集中、下風などの字をも當てているが、語義は、荒しであろう。
 立留 タチトマリ。作者は、門口に出て徘徊しているように歌つているので、この句がある。
 凍渡奴 コホリワタリヌ。ワタリヌは、凍ることが行きわたつた意である。句切。
 左奈葛 サナカヅラ。枕詞。サネカヅラに同じ。蔓先が別れてまた合うので、後モ逢フに冠する。
 後毛相得 ノチモアハムト。トは、上の今更ニからを受けている。
 名草武類心乎持而 ナグサムルココロヲモチテ。ナグサムル、他動詞。みずからを慰めて。
 三袖持 ミソデモチ。ミは美稱の接頭語であるが、ここでは慣用して自分の袖に言つている。このように自分のことに使うミの用例、「我御世之事《ワガミヨノコト》、能許曾神習《ヨクコソカミナラハメ》」(古事記中卷)。元來ミは、その接續する事物をたたえる性能のものなので、この用法にもなるのだろう。
 卯管庭 ウツツニハ。ウツツは、現實をいう。
 夢谷相跡所見社 イメニダニアフトミエコソ。せめて夢にだけでも逢うと見えてほしい。ミエコソは、夢に見えよと願望している。句切。
(111) 天之足夜乎 アメノタリヨヲ。アメノタリヨは、夜を美《ほ》めている。神聖な充實した夜の意で、祭の夜などを讃えた語であろう。そうして歌謠として歌い傳えていた語であろう。ヲは、感動の助詞。
【評語】人を待つて人が來ず、ひとり寐る意の作であるが、みずから思い慰めて、夢にでも見ようという所に、あかるさがあり、失望していないのが特色である。天ノ足夜ヲの句は、この作者の創意ではないだろうが、よい句である。短い文を重ねて疊みかけている氣もちの歌である。
 
或本歌曰
 
3281 わが夫子は 待てど來まさず。
 雁《かり》が音《ね》も とよみて寒し。
 ぬばたまの 夜もふけにけり。
 さ夜|深《ふ》くと 嵐の吹けば、
 立ち待つに わが衣手に
 置く霜も 氷《ひ》に冴《さ》え渡り、
 降る雪も 凍《こほ》り渡りぬ。」
 今更に 君來まさめや、
 さな葛《かづら》 後も逢はむと、
 大舟の 思ひたのめど、
(112) 現《うつつ》には 君は逢はさず。
 夢にだに 逢ふと見えこそ。
 天の足夜《たりよ》に。」
 
 吾背子者《ワガセコハ》 待跡不v來《マテドキマサズ》
 雁音文《カリガネモ》 動而寒《トヨミテサムシ》
 烏玉乃《ヌバタマノ》 宵文深去來《ヨモフケニケリ》
 左夜深跡《サヨフクト》 阿下乃吹者《アラシノフケバ》
 立待尓《タチマツニ》 吾衣袖尓《ワガコロモデニ》
 置霜文《オクシモモ》 氷丹左叡渡《ヒニサエワタリ》
 落雪母《フルユキモ》 凍渡奴《コホリワタリヌ》
 今更《イマサラニ》 君來目八《キミキマサメヤ》
 左奈葛《サナカヅラ》 後文將v會常《ノチモアハムト》
 大舟乃《オホブネノ》 思憑迹《オモヒタノメド》
 現庭《ウツツニハ》 君者不v相《キミハアハサズ》
 夢谷《イメニダニ》 相所v見欲《アフトミエコソ》
 天之足夜尓《アメノタリヨニ》
 
【譯】わたしの夫は、待つてもおいでにならない。カリの聲も響いて寒い。まつくらな夜も更けてしまつた。夜が更けると嵐が吹くので、立つて待つに、わたしの著物の袖に置く霜も、氷に冴えわたり、降る雪も凍りついた。今更に君が來ることはないだろう。サナカズラのように、後にも逢おうと、大船のように思い頼んでいるけれども、現實には君には逢わない。せめて夢にだけなりとも逢うと見えてほしい。このよい夜に。
【構成】第一段、凍リ渡リヌまで。待つ人は來ず、夜が更け、嵐が吹いて袖も凍つたことを敍する。第二段、終りまで。現實には逢わず、夢にでも逢いたいと思うことを敍する。
【釋】動而寒 トヨミテサムシ。聲を立てて寒さを覺える。句切。
 左夜深跡阿下乃吹者 サヨフクトアラシノフケバ。嵐の吹くのが、夜の更けるのを告げている。阿下は、變わつた文字づかいである。
 氷丹左叡渡 ヒニサエワタリ。氷に冴えまさる意。
 大舟乃 オホブネノ。枕詞。
【評語】前の歌と同一の歌を歌い傳えたものであろう。詞句に若干の相違があるだけである。大體、前の歌の方が、引き締つて、よく纏まつている。この方には、反歌二首を伴なつているが、反歌も平凡で蛇足である。反歌のない形で、もと歌われていたものであろう。但し或る本の歌として、長歌だけを載せ、反歌は、本文の歌の反歌であることもあるのだろう。
 
(113)反歌
 
3282 衣手に 山あらし吹きて 寒き夜を、
 君|來《き》まさずは、 ひとりかも寐《ね》む。
 
 衣袖丹《コロモデニ》 山下吹而《ヤマアラシフキテ》 寒夜乎《サムキヨヲ》
 君不v來者《キミキマサズハ》 獨鴨寢《ヒトリカモネム》
 
【譯】著物に嵐が吹いて寒い晩を、君がおいでにならないなら、ひとりで寐ましようか。
【釋】山下吹而 ヤマアラシフキテ。山下は、アラシノとも讀まれるが、他の例「山下之《ヤマアラシノ》 風莫吹登《カゼナフキソト》」(卷九、一七五一)も、アラシノと讀んでは字足らずの句になるのと、また山下風之と書いた例(卷一、七四)が、ヤマノアラシノと讀まれるので、ここはヤマアラシと讀むを可とするようである。
 君不來者 キミキマサズハ。キミキマサネバとも讀めるが、五句に對しては、なおキマサズハであろう。
【評語】長歌の内容を要約した反歌だが、四五句あたり常套平凡で、反歌としての價値はすくない。
 
3283 今更に 戀ふとも君に 逢はめやも。
 眠《ぬ》る夜を闕《お》ちず、夢《いめ》に見えこそ。
 
 今更《イマサラニ》 戀友君二《コフトモキミニ》 相目八毛《アハメヤモ》
 眠夜乎不v落《ヌルヨヲオチズ》 夢所v見欲《イメニミエコソ》
 
【譯】今更に戀をしても君に逢うことはないだろう。寐る晩にはきつと夢に見えてください。
【釋】眠夜乎不落 ヌルヨヲオチズ。寐る夜は、かならず。
【評語】これも長歌の意を取つているが、第四句は、長歌の内容と相違がある。取つて附けたような反歌だ。「今よりは戀ふとも妹に逢はめやも。床の邊《へ》さらず夢に見えこそ」(卷十二、二九五七)など、類歌も多い。こういう歌が歌われて、人口に上つていたのだろう。
 
(114)右四首
 
3284 菅《すが》の根の ねもころごろに
 わが念へる 妹に縁《よ》りては、
 言《こと》の禁《いみ》も なくありこそと、
 齋戸《いはひべ》を 齋《いは》ひ掘り居《す》ゑ、
 竹珠《たかだま》を 間《ま》なく貫《ぬ》き垂《た》り、
 天地の 神祇《かみ》をぞわが祈《こ》ふ。
 いたもすべなみ。
 
 菅根之《スガノネノ》 根毛一伏三向凝呂尓《ネモコロコロニ》
 吾念有《ワガオモヘル》 妹尓縁而者《イモニヨリテハ》
 言之禁毛《コトノイミモ》 無在乞常《ナクアリコソト》
 齋戸乎《イハヒベヲ》 石相穿居《イハヒホリスヱ》
 竹珠乎《タカダマヲ》 無v間貰垂《マナクヌキタリ》
 天地之《アメツチノ》 神祇乎曾吾祈《カミヲゾワガコフ》
 甚毛爲便無見《イタモスベナミ》
 
【譯】菅の根のように、ねんごろにわたしの思つている妻の事では、言葉の災難もなくてほしいものと、齋戸を淨らかに地を掘つてすえ、竹の珠をひまなく貫いてさげ、天地の神々を、わたしが祈ります。何とも手だてがなさに。
【構成】全篇一文。
【釋】菅根之 スガノネノ。枕詞。
 根毛一伏三向凝呂尓 ネモコロゴロニ。コロを重ねたのは、懇切の意を強調するためである。元來この語が、ネ、モ、コロの三部から成つているからであり、また「氣乃己呂其侶波《ケノコロゴロハ》」(巻四、四八七)などの歌詞に引かれるのであろう。一伏三向をコロと讀むのは、?戯の一木が伏し三木が仰向くをコロというによる。「梓弓末中一伏三起《アヅサユミスヱノナカゴロ》」(巻十二、二九八八)の一伏三起に同じ。
(115) 妹尓縁而者 イモニヨリテハ。左註にも、君ニ依リテハというべきだと論じている。この歌の歌詞に、齋戸ヲイハヒホリスヱ云々とあるは、他の例すべて女子の祭を行う敍述であつて、この歌も女子の作と見るべきであるから、妹とあるは、誤傳と見なければならない。ヨリテは、その事によつて。
 言之禁毛 コトノイミモ。言語によつて、忌むべきことの生ずること。誤つてわるい言を發して、それがために災難の起るのをいう。
 無在乞常 ナクアリコソト。コソは、願望の助詞。
 齋戸乎石相穿居竹珠乎無間貫垂 イハヒベヲイハヒホリスヱタカダマヲマナクヌキタリ。祭を行う敍述。
齋戸乎《イハヒベヲ》 忌穿居《イハヒホリスヱ》 竹珠乎《タカダマヲ》 繁爾貫垂《シジニヌキタリ》」(卷三、三七九)參照。
 天地之神社乎曾吾祈 アメツチノカミヲゾワガコフ。天地の神祇は、あらゆる神々。コフは、祈ルに同じ。神力のあらわれることを願うのである。句切。
【評語】言の禁を持ち出したのは、言靈の活躍を信ずる婦人の作らしい。祭の時などに歌われた歌であろう。
 
今案、不v可v言2之因v妹者1、應v謂2之緑1v君也。何則反歌云2公之隨意1焉。
 
今案ふるに、妹に因りてはといふべからず。まさに君に因りてはといふべし。何ぞとならば、すなはち、反歌に公《きみ》がまにまにといへり。
 
【釋】今案 イマカムガフルニ。この卷の編者の註であろう。以下の説は、長歌と反歌との一致すべきことを説いている。もつともな案である。
 
反歌
 
(116)3285 たらちねの 母にも謂はず
 包めりし 心はよしゑ、
 公《きみ》がまにまに。
 
 足千根乃《タラチネノ》 母尓毛不v謂《ハハニモイハズ》
 裹有之《ツツメリシ》 心者縱《ココロハヨシヱ》
 公之隨意《キミガマニマニ》
 
【譯】母親にも言わないで包んでいた心は、どうとも、あなたのお心まかせです。
【釋】足千根乃 タラチネノ。枕詞。
 裹有之心者縱 ツツメリシココロハヨシヱ。母にも言わずに秘めていた心は。ヨシヱは、許容し感動する語。心は公ガマニマニと續く。
【評語】母にも言わない心を、相手の男に許している。「足千根乃《タラチネノ》 母爾不v所v知《ハハニシラエズ》 吾持留《ワガモテル》 心者吉惠《ココロハヨシヱ》 君之隨意《キミガマニマニ》」(卷十一、二五三七)の別傳のような歌である。
 
或本歌曰
 
3286 玉だすき 懸けぬ時なく
 わが念へる 君に依りては、
 倭文幣《しづぬさ》を 手に取り持ちて
 竹珠《たかだま》を 繁《しじ》に貫《ぬ》き垂り、
 天地の 神をぞわが乞《こ》ふ。
 いたもすべなみ。
 
 玉手次《タマダスキ》 不v時無《カケヌトキナク》
 吾念有《ワガオモヘル》 君尓依者《キミニヨリテハ》
 倭文幣乎《シヅヌサヲ》 手取持而《テニトリモチテ》
 竹珠叫《タカダマヲ》 之自二貫垂《シジニヌキタリ》
 天地之《アメツチノ》 神叫曾吾乞《カミヲゾワガコフ》
 痛毛須部奈見《イタモスベナミ》
 
(117)【譯】美しい襷を懸けるように、心に懸けない時がなくわたしの思つている君の事では、倭文布の幣を手に取り持つて、竹の珠を一ぱいに貫いて垂れ、天地の神を願うのです。何とも致し方がなさに。
【構成】全篇一文。
【釋】玉手次 タマダスキ。枕詞。
 不懸時無 カケヌトキナク。心に懸けない時がなく。
 倭文幣乎 シヅヌサヲ。倭文の幣を。倭文は、日本固有の文樣のある織物。
 手取持而 テニトリモチテ。祭を行う時には、手に物を持つて行う風習である。
 神叫曾吾乞 カミヲゾワガコフ。コフは、神力の發現を乞う意。句切。
【評語】前の長歌の別傳で、歌い傳えられて種々の傳來を生じたもの。歌としては、前の歌の方が、特色があり、敍述も丁寧である。
 
反歌
 
3287 天地の 神を?《いの》りて わが戀ふる
 公《きみ》い、かならず 逢はざらめやも。
 
 乾地乃《アメツチノ》 神乎?而《カミヲイノリテ》 吾戀《ワガコフル》
 公以必《キミイカナラズ》 不v相在目八方《アハザラメヤモ》
 
【譯】天地の神を祈つてわたしの戀う君は、きつと逢わないことはないでしょう。
【釋】乾坤乃神乎禮而 アメツチノカミヲイノリテ。乾坤は、天地に同じ。?りて逢わないことはないと續く文脈である。
 公以必 キミイカナラズ。イは、語勢の助詞。ここは主語につく。「志斐伊波奏《シヒイハマヲセ》」(卷三、二三七)參照。
(118)【評語】かならず逢おうと思う意志をよく歌つている。これも祭神歌として、神力を期する心があらわれている。
 
或本歌曰
 
3288 大船の 思ひたのみて、
 さなかづら いや遠長く
 わが念へる 君に依りては、
 言の故も 無くありこそと、
 木綿《ゆふ》だすき 肩に取り懸け、
 齋戸《いはひべ》を 齋ひ据り居《す》ゑ、
 天地の 神祇《かみ》にぞわが祈《こ》ふ。
 いたもすべなみ。
 
 大船之《オホブネノ》 思憑而《オモヒタノミテ》
 木始已《サナカヅラ》 彌遠長《イヤトホナガク》
 我念有《ワガオモヘル》 君尓依而者《キミニヨリテハ》
 言之故毛《コトノユヱモ》 無有欲得《ナクアリコソト》
 木綿手次《ユフダスキ》 肩荷取懸《カタニトリカケ》
 忌戸乎《イハヒベヲ》 齋穿居《イハヒホリスヱ》
 玄黄之《アメツチノ》 神祇二衣吾祈《カミニゾワガコフ》
 甚毛爲便無見《イタモスベナミ》
 
【譯】大船のように、思い頼んで、サナカズラのように、いよいよいつまでもとわたしの思つている君の事では、言葉の災難もなくありたいものと、木綿の襷を肩に懸けて、齋戸を清らかにして地を掘つて据えて、天地の神祇にわたしが祈ります。何とも致し方なさに。
【構成】全篇一文。
【釋】大船之 オホブネノ。枕詞。
 木妨已 サナカヅラ。枕詞。新撰字鏡に「木防已佐奈葛」とある。ここはその蔓のどこまでも伸びるものなの(119)で、次の句を引き起している。
 弥遠長 イヤトホナガク。いつまでも永久に。
 言之故毛 コトノユヱモ。言語による事故も。前の本文の歌にいう言の禁に同じ。
 木綿手次 ユフダスキ。木綿で作つた襷。神を祭る時には、襷をかける習俗である。
 玄黄之 アメツチノ。千字文の「天地玄黄」によつて、玄黄の字を、天地にあてて書いている。
【評語】これも前の歌の別傳である。神に祈る詞として、一つの型があり、それが種々に變化するさまを見るべきである。
 
右五首
 
3289 御佩《みはかし》を 劔の池の
 蓮葉《はちすば》に 渟《たま》れる水の、
 行《ゆ》く方《へ》無み わがする時に、
 逢ふべしと あひたる君を、
 な寐《ね》そと  母|聞《きこ》せども、
 わが情《こころ》 清隅《きよすみ》の池の、
 池の底 われは忍びず。
 ただに逢ふまでに。
 
 御佩乎《ミハカシヲ》 劔池之《ツルギノイケノ》
 蓮葉爾《ハチスバニ》 渟有水之《タマレルミヅノ》
 往方無《ユクヘナミ》 我爲時尓《ワガスルトキニ》
 應v登《アフベシト》 相有君乎《アヒタルキミヲ》
 莫寐等《ナネソト》 母寸巨勢友《ハハキコセドモ》
 吾情《ワガココロ》 清隅之池之《キヨスミノイケノ》
 池底《イケノソコ》 吾者不v忍《ワレハシノビズ》
 正相左右二《タダニアフマデニ》
 
【譯】お佩きになる劔の池の、蓮の葉にたまつている水のように、行く方がなくわたしのしている時に、逢い(120)ましようと言つて逢つた君なのに、寐るなと母はいうけれども、わたしの心は、清隅の池の池の底のように、わたしは耐えられません。直接に逢うまでに。
【構成】全篇一文。
【釋】御佩乎 ミハカシヲ。枕詞。ヲは感動の助詞。御佩しである劔の意に、次句に冠する。
 劔池之 ツルギノイケノ。劔の池は、奈良縣高市郡畝傍町石川にある。日本書紀、應神天皇十一年十月の條に、「劔の池、輕の池、鹿垣《かがき》の池、厩坂《うまやざか》の池を作る」とある。また同じく舒明天皇の七年七月の條に「この月、瑞蓮、劔の池に生ひたり。一莖にして二花あり」とあり、皇極天皇の三年六月の條にも同樣のことが見えている。この池のハスは、古くから有名であつたらしい。
 渟有水之 タマレルミヅノ。以上序詞で、譬喩によつて次の行ク方無ミを起している。
 往方無我爲時尓 ユクヘナミワガスルトキニ。わが行く方なみする時に。ユクヘナミは、行く方がないこと。(121)どうしてよいか途方に暮れること。
 應相登相有君乎 アフベシトアヒタルキミヲ。逢おうといつて逢つた君であるのに。
 母寸巨勢友 ハハキコセドモ。キコセは、聞クを語幹とする語で、言フの敬語になる。「將v相跡令v聞《アハムトキコセ》 戀之名種爾《コヒノナグサニ》」(卷十二、三〇六三)の例に令聞と書いているによれば、使役法で、聞かしめるの意から、宣フの義になるのであろう。「不知二五寸許瀬《イサトヲキコセ》 余名告奈《ワガナノラスナ》」(卷十二 二七一〇)。
 吾情 ワガココロ。主格の提示。
 清隅之池之 キヨスミノイケノ。清隅の池は、奈良縣添上郡|五箇谷《ごかたに》村大字|高樋《たかひ》にある。わが心は清く澄めりの意に、この池を出し、さてその池の池の底までを譬喩として使つている。
 池底 イケノソコ 清隅の池の池の底は、譬喩として使われている。そのように深くある意。
 吾者不忍 ワレハシノビズ。シノビズは、耐えられない意。元暦校本等に、忍を志に作つているが、志では致し方がない。句切。
 正相左右二 タダニアフマデニ。じかに逢うまでに。
【評語】劔の池と清隅の池とを譬喩に使つて、戀しい心を描いたのは巧みである。この二つの池は、離れた地にあるが、共に有名なので取り上げられたのであろう。劔の池は、人麻呂の妻の里である輕に近く、清澄の池は、人麻呂の本貫の地に近いのは、偶然のことだろうか。
 
反歌
 
3290 古《いにしへ》の 神の時より 逢ひけらし。
(122) 今の心も 常《つね》念ほえず。
 
 古之《イニシヘノ》 神乃時從《カミノトキヨリ》 會計良思《アヒケラシ》
 今心文《イマノココロモ》 常不v所v念《ツネオモホエズ》
 
【譯】昔の神の時代から逢つたのだろう。今の心も、逢わないでは、始終思われない。
【釋】古之神乃時從 イニシヘノカミノトキヨリ。古の神々の時代から。
 會計良思 アヒケラシ。ケラシは、過去推量の語法。男女逢つていたのだろう。句切。
 今心文 イマノココロモ。今の自分の心も。
 常不所念 ツネオモホエズ。ツネは、永久不變にの意の副詞。オモホエズは、思われない。逢わないで動かない心を持つてはいられない。久しきに耐えられない。
【評語】男女相逢う人生の行動を、神代からのこととして、正義的な説明を求めている。初三句の前提と、四五句の主想との連絡が、飛躍しているのは、内容の性質によるもので、作者は飛躍を感じていないのだろう。
 
右二首
 
3291 み芳野の 眞木立つ山に
 青く生ふる 山|菅《すが》の根の、
 慇懃《ねもころ》に わが念ふ君は、
 天皇《おほきみ》の 遣《まけ》のまにまに、【或る本に云ふ、大君のみことかしこみ、】
 夷《ひな》ざかる 國治めにと、【或る本に云ふ、天ざかる夷治めにと、】
 群《むら》鳥の 朝立ちゆけば、
 後《おく》れたる われか戀ひむな。
(123) 旅なれば 君か思《しの》はむ。」
 言はむすべ せむ術知らに、【或る書に、あしひきの、山の木ぬれにの句あり。】
 延《は》ふ蔦《つた》の 歸《ゆ》きの【或る本に、歸きのの句なし。】
 別れのあまた 惜しきものかも。」
 
 三芳野之《ミヨシノノ》 眞木立山尓《マキタツヤマニ》
 青生《アヲクオフル》 山菅之根乃《ヤマスガノネノ》
 慇懃《ネモコロニ》 吾念君者《ワガオモフキミハ》
 天皇之《オホキミノ》 遣之萬々《マケノマニマニ》【或本云、王命恐】
 夷離《ヒナザカル》 國治尓登《クニヲサメニト》【或本云、天疎夷治尓登】
 群鳥之《ムラドリノ》 朝立行者《アサタチユケバ》
 後有《オクレタル》 我可將v奈《ワレカコヒムナ》
 客有者《タビナレバ》 君可將v思《キミカシノハム》
 言牟爲便《イハムスベ》 將v爲須便不v知《セムスベシラニ》【或書有2足日木山之木末尓句1也】
 延津田乃《ハフツタノ》 歸之《ユキノ》【或本無2歸之句1也】
 別之數《ワカレノアマタ》 惜物可聞《ヲシキモノカモ》
 
【譯】吉野の樹の茂つている山に、青く生えているヤマスゲの根のように、ねんごろにわたしの思う方は、天皇のお遣わしのままに、地方である遠い國を治めにと、群鳥のように、朝立つて行けば、あとに殘つたわたしが戀をするだろうか。旅だから君が思うだろうか。言うべき手段、すべき手段も知らず、這うツタのように行つた別れの、大變惜しいことだ。
【構成】第一段、君カ思ハムまで。夫の旅に出ることを敍する。第二段、終りまで。別れを惜しむ。
【釋】三芳野之眞木立山尓青生山菅之根乃 ミヨシノノマキタツヤマニアヲクオフルヤマスガノネノ。以上、同音をもつて次のネの音を引き起す序になつている。マキタツヤマは、松杉などの堂々たる樹木の立つている山。ヤマスゲは、リユウノヒゲ。
 慇懃 ネモコロニ。心をつくして。懇切に。
 遣之萬々 マケノマニマニ。マケは、一方に向ける義で、任ずる、遣わすの意になる。
 王命恐 オホキミノミコトカシコミ。天皇の遣のまにまにの替句で、或る本にはかようにある由である。共に慣用句。
 夷離 ヒナザカル。枕詞。夷として離れている意に、國を修飾する。「夷放《ヒナザカル》 國乎治等《クニヲヲサムト》」(巻十九、四二一(124)四)。
 群鳥之 ムラドリノ。枕詞。鳥は朝立つものだから、次の句に冠する。
 後有 オクレタル。あとに殘つている。
 我可將戀奈 ワレカコヒムナ。カは、疑問の係助詞。われか君かの意に、下の句と對して、いずれが戀をするだろうというのである。ナは、感動の助詞。「家爾之弖《イヘニシテ》 吾者將v戀名《ワレハコヒムナ》」(巻七、一一七九)。句切。
 君可將思 キミカシノハム。カは係助詞。句切。
 言草爲便將爲須便不知 イハムスベセムスベシラニ。どうしてよいか途方に暮れての意の慣用句。
 或書 アルフミ。上および下の或る本と同物か否か不明。その書には、このあいだに、アシヒキノ山ノ木ヌレニの句があるというのである。
 延津田乃 ハフツタノ。枕詞。歸キノ、または、別レに冠する。
 歸之 ユキノ。ユキシとも讀まれるが、ユキノワカレノとつづくのだろう。この歌には之の字をノにあてたと見られるものが多い。或る本にこの句がないという方がよいかも知れない。
【評語】別離の情をよくつくしている。序詞や枕詞の用法は、巧みではなく、類型的である憾みがある。詞句に別傳を有するもののあるのは、歌い傳えられたからであろう。
 
反歌
 
3292 うつせみの 命を長く ありこそと、
 留《と》まれるわれは 齋《いは》ひて待たむ。
 
 打蝉之《ウツセミノ》 命乎長《イノチヲナガク》 有社等《アリコソト》
 留吾者《トマレルワレハ》 五十羽旱將v待《イハヒテマタム》
 
(125)【譯】此の世の人としての命を長くあるようにと、留まつているわたしは、物齋みしてお待ちしましよう。
【釋】打蝉之 ウツセミノ。枕詞。
 命乎長 イノチヲナガク。命は、君の生命である。
 有社等 アリコソト。コソは願望の助詞。
 五十羽旱將待 イハヒテマタム。イハヒは、齋戒して不淨を生じないようにする行事。
【評語】別離の歌として、類型的な歌である。女子が、イハヒ(齋)をして待つ風習が歌われている。
 
右二首
 
3293 み吉野の 御金《みかね》の嶽《たけ》に、
 間《ま》なくぞ 雨は降るといふ。
 時じくぞ 雪は降るといふ。」
 その雨の 問なきが如、
 その雪の 時じきが如、
 間《ま》もおちず われはぞ戀ふる。
 妹が正香《ただか》に。」
 
 三吉野之《ミヨシノノ》 御金高尓《ミカネノタケニ》
 間無序《マナクゾ》 雨者落云《アメハフルトフ》
 不時曾《トキジクゾ》 雪者落云《ユキハフルトイフ》
 其雨《ソノアメノ》 無v如《マナキガゴト》
 彼雪《ソノユキノ》 不v如《トキジキガゴト》
 間不v落《マモオチズ》 吾者曾戀《ワレハゾコフル》
 妹之正香尓《イモガタダカニ》
 
【譯】吉野の御金の嶽に、絶え間なく雨は降るということだ。その時節となく雪は降るということだ。その雨の絶え間のないように、その雪の時節のないように、絶え間もなく、わたしは戀をする。わが妻の本體に。
【構成】第一段、雪ハ降ルトイフまで。序説で、吉野山に絶えず雨雪の降ることをいう。第二段、終りまで。(126)その雨雪のように絶えず妹に戀うことを敍する。
【釋】三吉野之御金高尓 ミヨシノノミカネノタケニ。ミカネノタケは、金の御嶽。大峰のこと。語義は、ミカは、大きい意の古語。ネは峰の義であろう。それがミとカネとに、語原意識が分解して、金の御嶽といい、金のある山とする傳説をも生じたのだろう。
 雨者落云 アメハフルトイフ。トイフは、人のいう言によつている。句切。
 不時曾 トキジクゾ。その時節にあらずして。
 雪者落云 ユキハフルトイフ。句切。以上、序詞で、次の譬喩を起すに使用される。
 間不落 マモオチズ。いずれの間もで、不斷の意になる。
 妹之正香尓 イモガタダカニ。タダカは、その人の實體。「亂而念《ミダレテオモフ》 君之直香曾《キミガタダカゾ》」(卷四、六九七)、「吾齒曾戀流《ワレハゾコフル》 妹之直香仁《イモガタダカニ》」(巻九、一七八七)。
【評語】巻の一の二六とほとんど同じで、そのほか、二五および本巻の三二六〇など同型である。歌いものとして廣く流布していたらしく、いずれが原形に近いかはわからないが、二五あたりが、古い形ではないのだろうか。
 
反歌
 
3294 み雪ふる 吉野の嶽《たけ》に ゐる雲の、
 よそに見し子に 戀ひ渡るかも。
 
 三雪落《ミユキフル》 吉野之高二《ヨシノノタケニ》 居雲之《ヰルクモノ》
 外丹見子尓《ヨソニミシコニ》 戀度可聞《コヒワタルカモ》
 
【譯】雪の降る吉野の嶽にいる雲のように、よそに見ていた子に戀して日を過ごすことだ。
(127)【釋】三雪落吉野之高二居雲之 ミユキフルヨシノノタケニヰルクモノ。以上序詞。ヨソニ見シを引き起している。
 外丹見子尓 ヨソニミシコニ。從來よそに見ていた女に。
【評語】ただ吉野の嶽を序に使つているだけで、長歌とは關係のない内容である。高山の雲から、よそに見ることを引き出して來るのは、類型的な表現である。
 
右二首
 
3295 うち日さつ 三宅《みやけ》の原ゆ、
 直土《ひたつち》に 足踏み貫《ぬ》き、
 夏草を 腰になづみ、
 如何なるや 人の子ゆゑぞ、
 通はすも吾子《あご》。」
 うべなうべな 母は知らじ。
 うべなうべな 父は知らじ。
 蜷《みな》の腸《わた》 か黒き髪に
 眞木綿《まゆふ》もち あざさ結《ゆ》ひ垂《た》り、
 大和《やまと》の 黄楊《つげ》の小櫛《をぐし》を
(128) 抑《おさ》へ插《さ》す 刺細《さすたへ》の子は
 それぞわが妻。」
 
 打久津《ウチヒサツ》 三宅乃原從《ミヤケノハラユ》
 常土《ヒタツチニ》 足迹貫《アシフミヌキ》
 夏草乎《ナツクサヲ》 腰尓魚積《コシニナヅミ》
 如何有哉《イカナルヤ》 人子故曾《ヒトノコユヱゾ》
 通簀文吾子《カヨハスモアゴ》
 諾々名《ウベナウベナ》 母者不v知《ハハハシラジ》
 諾々名《ウベナウベナ》 父者不v知《チチハシラジ》
 蜷腸《ミナノワタ》 香黒髪丹《カグロキカミニ》
 眞木綿持《マユフモチ》 阿邪左結垂《アサザユヒタリ》
 日本之《ヤマトノ》 黄楊乃小櫛乎《ツゲノヲグシヲ》
 抑刺《オサヘサス》 々細子《サスタヘノコハ》
 彼曾吾?《ソレゾワガツマ》
 
【譯】日のさしている三宅の原を通つて、じかの土に足を踏み込み、夏草を腰でおし分けて、どういう人ゆえに通うのか、わが子よ。ほんとうだ、お母さんは知らないだろう。ほんとうだ、お父さんは知らないだろう。ミナの腸のようなまつ黒な髪に、木綿であざさを結んで垂れて、大和の黄楊の小櫛を、しかと插した美しい女は、それがわたしの妻です。
【構成】第一段、通ハスモ吾子まで。父母の言の形を借りて、どういう人に通うのかと問を設けている。第二段、終りまで。答える形で、愛する女のことを敍している。自問自答であるが、假に父母の問の形にしている。
【釋】打久津 ウチヒサツ。ウチヒサスに同じ。日のさす義であろう。宮に冠する。ウチヒサツの例は、「宇知比佐都《ウチヒサヅ》 美夜能瀬河伯能《ミヤノセガハノ》」(卷十四、三五〇五)がある。
 三宅乃原從 ミヤケノハラユ。ミヤケノハラは、磯城郡、今の三宅村の原という。ユは、そこを通つて。
 常土 ヒタツチニ。直接の土に。じかの土に。ヒタツチは、土つづきの義。常土の字については、常陸の國の國名の由來に「然|號《なづ》くる所以《ゆゑ》は、往來の道路、江海の津濟《わたり》を隔てず、郡郷の境堺、山河の峰谷に相續ければ、近く通ふ義を取りて名稱とせり」(常陸國風土記)とある。江海を隔てず、常に陸である義の常の用法に同じ。「直土爾《ヒタツチニ》 藁解敷而《ワラトキシキテ》」(卷五、八九二)。
 足迹貫 アシフミヌキ。足を踏み込んで。
 腰尓魚積 コシニナヅミ。ナヅミは、難澁する意で、腰で夏草をおし分けるをいう。
 如何有哉 イカナルヤ。ヤは、感動の助詞。
(129) 人子故曾 ヒトノコユヱソ。ヒトノコは、人の愛稱。
 通簀文吾子 カヨハスモアゴ。カヨハスは、通フの敬語法。アゴは、わが子の愛稱。句切。以上は、父母がその子に問いかける形になつている。
 諾々名 ウベナウベナ。ナは感動の助詞。アヤナのナに同じ。もつともだとうべなう意に、同語を重ねて強調している。父母の問うのも、もつともだの意。「宇倍那宇倍那《ウベナウベナ》 岐美麻知賀多爾《キミマチガタニ》 和賀祁勢流《ワガケセル》 意須比能須蘇爾《オスヒノスソニ》 都紀多々奈牟余《ツキタタナムヨ》」(古事記二九)
 母者不知 ハハハシラジ。自分の通う相手を、母は知るまい。
 蜷腸 ミナノワタ。枕詞。黒いものゆえに、黒に冠する。
 香黒髪丹 カグロキカミニ。カは接頭語。クロキは「奴婆多麻能《ヌバタマノ》 久路岐美祁斯遠《クロキミケシヲ》」(古事記五)の用例があるが、また「三名之綿《ミナノワタ》 蚊黒爲髪尾《カグロシカミヲ》」(卷十六、三七九一)ともあり、カグロシカミニであるかも知れない。
 眞木綿持 マユフモチ。マユフは、純粹の木綿。マは接頭語。ユフはコウゾの繊維。
 阿耶左結垂 アザサユヒタリ。アザサは、頭髪の結いぶりか装飾品だろうが、不明。木綿で結い垂れることだけが知られる。アザナフ(糾ふ)のアザと關係があるとすれば、ねじつた形に髪を編むか。
 日本之 ヤマトノ。黄楊の小櫛の産地として冠している。大和の國の意である。
 抑刺 オサヘサス。しかと插している。
 々細子 サスタヘノコハ。サスタヘは、他に用例を見ない。「朱羅引《アカラヒク》 色妙子《シキタヘノコヲ》」(卷十、一九九九)の例は、美しい子を、シキタヘノコと言つているから、その類であろう。
 彼曾吾? ソレゾワガツマ。上の敍述をそれとさしている。
【評語】問答の形を採ることは、山上の憶良の貧窮問答歌にあり、問答の歌から展開した一種の表現である。(130)この歌は、父母の問を仮設し、それに子が答える形を採つている。構成も物語ふうであり、描寫もあつて、興趣のゆたかな作を成している。歌曲の骨法を傳えた名品である。
 
反歌
 
3296 父母に 知らせぬ子ゆゑ、
 三宅道《みやけぢ》の 夏野の草を
 なづみ來《け》るかも。
 
 父母尓《チチハハニ》 不v令v知子故《シラセヌコユヱ》
 三宅道乃《ミヤケヂノ》 夏野草乎《ナツノノクサヲ》
 菜積來鴨《ナヅミケルカモ》
 
【譯】父母に知らせない女のゆえに、三宅へ行く道の夏野の草をおし分けて來たことだ。
【釋】不令知子故 シラセヌコユヱ。父母に内密にして通う子のゆえに。
 三宅道乃 ミヤケヂノ。三宅へ行く道の。
【評語】長歌の問答體を離れて、獨語ふうに歌つている。顧みてひとり言う形で、これも反歌の一樣式である。
 
右二首
 
3297 玉だすき かけぬ時なく
 わが念ふ 妹にし逢はねば、
 茜《あかね》さす 晝はしみらに、
 ぬばたまの  夜《よる》はすがらに、
(131) 眠《い》も睡《ね》ずに 妹に戀ふるに
 生けるすべなし。
 
 玉田次《タマダスキ》 不v時無《カケヌトキナク》
 吾念《ワガオモフ》 妹西不v波《イモニシアハネバ》
 赤根刺《アカネサス》 日者之弥良尓《ヒルハシミラニ》
 烏玉之《ヌバタマノ》 夜者酢辛二《ヨルハスガラニ》
 眠不v睡尓《イモネズニ》 妹戀丹《イモニコフルニ》
 生流爲便無《イケルスベナシ》
 
【譯】美しい襷を懸けるように、心に懸けない時なく、わたしの思う妻に逢わないので、あかるい晝間は終日、まつくらな夜は終夜、睡眠もしないで、妻に戀うので生きている法がない。
【構成】全篇一文。
【釋】玉田次 タマダスキ。枕詞。
 不懸時無 カケヌトキナク。心に懸けない時なく。「玉手次《タマダスキ》 不v懸時無《カケヌトキナク》」(巻十三、三二八六)。
 赤根刺日者之弥良尓烏玉之夜者酢辛二 アカネサスヒルハシミラニヌバタマノヨルハスガラニ。「赤根刺《アカネサス》 晝者終爾《ヒルハシミラニ》 野干玉之《ヌバタマノ》 夜者須柄爾《ヨルハスガラニ》」(巻十三、三二七〇)參照。
 生流爲便無 イケルスベナシ。スベは、手段、方法。生きている道がない。
【評語】慣用句を寄せ集めて作つたような歌で、何等の特色がない。平凡な作だが、しかし、歌いものふうの味が殘つているので、わずかに若干の興趣がつなげる。
 
反歌
 
3298 よしゑやし 死なむよ、吾妹《わぎも》。
 生《い》けりとも、
 かくのみこそわが 戀ひ渡りなめ。
 
 縱惠八師《ヨシヱヤシ》 二々火四吾妹《シナムヨワギモ》
 生友《イケリトモ》
 各鑿社吾《カクノミコソワガ》 戀度七目《コヒワタリナメ》
 
(132)【譯】よしや死のうよ、わが妻よ。生きていてもこんなふうにばかり、わたしが戀をして日を過ごすのだろう。
【釋】縱惠八師 ヨシヱヤシ。よしやもうの意の感動の語。ヨシヱにヤシの接續した形。「能咲八師《ヨシヱヤシ》 浦者無友《ウラハナクトモ》 縱畫屋師《ヨシヱヤシ》 滷者無鞆《カタハナクトモ》」(巻二、一三一)參照。
 二々火四吾味 シナムヨワギモ。二々は四で、シに借りている。火は、五行に配當すれば南に當るので、ナムに借りている。「事毛告火《コトモヅゲナム》」(巻十、一九九八)。死のうよ、吾妹の意。「今者吾者《イマハワレハ》 將v死與吾妹《シナムヨワギモ》」(巻十二、二八六九)。
 各鑿社吾 カクノミコソワガ。各は字音假字、鑿は訓假字。
【評語】類型のある歌だが、感動的にはできている。四句の字あまりは、作者の豫想外に、効果を大きくしている。
 
右二首
 
3299 見渡しに 妹らは立たし
 この方に 吾《われ》は立ちて、
 思ふそら 安からなくに、
 嘆くそら 安からなくに。」
 さ丹漆《にぬり》の 小《を》舟もがも。
 玉纏の 小?《をかぢ》もがも。
 榜《こ》ぎ渡りつつも 語《かた》らはむ妻《め》を。」
 
 見渡尓《ミワタシニ》 妹等者立志《イモラハタタシ》
 是方尓《コノカタニ》 吾者立而《ワレハタチテ》
 思虚《オモフソラ》 不v安國《ヤスカラナクニ》
 嘆虚《ナゲクソラ》 不v安國《ヤスカラナクニ》
 左丹漆之《サニヌリノ》 小舟毛鴨《ヲブネモガモ》
 玉纏之《タママキノ》 小?毛鴨《ヲカヂモガモ》
 榜渡乍毛《コギワタリツツモ》 相語妻遠《カタラハムメヲ》
 
(133)【譯】見渡される處にわが妻は立ち、こちらにわたしは立つて、思う心が安らかでなく、嘆く心が安らかでない。赤く塗つた小舟もほしいなあ。玉で飾つた楫もほしいなあ。こぎ渡つても物語をしよう妻なのを。
【構成】第一段、嘆クソラ安カラナクニまで。河を隔てて思慕する心を敍する。第二段、終りまで。河を渡りたい希望を述べる。
【釋】見渡尓 ミワタシニ。ミワタシは、河を隔てて見渡される處。あちら岸。
 妹等者立志 イモラハタタシ。イモラは、愛する女子。ラは接尾語。この場合、七夕の歌とすれば、織女星。タタシは、立ツの敬語法。
 思虚不安國嘆虚不安國 オモフソラヤスカラナクニナゲクソラヤスカラナクニ。思う心の安らかでない意の慣用句。句切。しかしやがて副詞のような錯覺を生じて、次の句に接續する気分を生ずる。
 左丹漆之 サニヌリノ。サは接頭語。ニヌリは、赤く塗つた。
 玉纏之 タママキノ。玉を纏いて飾りとした。
 小?毛鴨 ヲカヂモガモ。ヲは愛稱の接頭語。句切。「佐丹塗之《サニヌリノ》 小船毛賀茂《ヲブネモガモ》 玉纏之《タママキノ》 眞可伊毛我母《マカイモガモ》」(巻八、一五二〇)。
 相語妻速 カタラハムメヲ。仙覺の新點以來アヒカタラメヲと讀まれているが、妻の意によつて表示するメは甲類、助動詞ムの已然形メは乙類で、音韻が一致しない。またコソの係りなくして已然形で結ぶことになる。よつてやはり妻の意に解すべきであつて、カタラハムメヲの訓が考えられる。相語をカタラフに當てたと見られる例に、「人之古家爾《ヒトノフルヘニ》 相語而遣都《カタラヒテヤリツ》」(巻十一、二七九九)がある。この句の意は、こぎ渡りつつも語らうべき妻なのにの意である。
【評語】この歌は、七夕の歌で、牽牛星の立場で歌つたもののようである。この美しい傳説を喜んで歌にした(134)古人の風懷の窺われる作品である。舟や楫を、美辭で稱えているのも物語ふうの性格を有している。
 
或本歌頭句云
 
己母理久乃《コモリクノ》 波都世乃加波乃《ハツセノカハノ》 乎知可多尓《ヲチカタニ》 伊母良波多々志《イモラハタタシ》 己乃加多尓《コノカタニ》 和禮波多知弖《ワレハタチテ》
 
或る本の歌の頭句に云ふ、
 
隱國《こもりく》の 泊瀬《はつせ》の川の 彼方《をちかた》に 妹らは立たし この方に われは立ちて。
 
【釋】頭句 ハジメノク。前の歌の冒頭の數句の別傳である。これによれば、泊瀬川を隔てた戀ということになつている。本文の七夕の歌を、かようにも歌い傳えたものだろうが、原形として、これに似た歌曲があつたのだろう。コモリクノ泊瀬ノ川は、歌曲になじみの深い地名である。なおこの別傳は、一字一音の字音假字で書かれているが、ここに引いた或る本に、そういう形になつていたのであろう。
 
右一首
 
3300 おし照る 難波の埼に
 引き上《のぼ》る 赤《あけ》のそほ舟、
 そほ舟に 綱取り繋《か》け、
 ひこづらひ ありなみすれど、
 言ひづらひ ありなみすれど
(135) ありなみ得ずぞ 言はれにしわが身。
 
 忍照《オシテル》 難波乃埼尓《ナニハノサキニ》
 引登《ヒキノボル》 赤曾朋舟《アケノソホブネ》
 曾朋舟尓《ソホブネニ》 綱取繋《ツナトリカケ》
 引豆良比《ヒコヅラヒ》 有雙雖v爲《アリナミスレド》
 曰豆良賓《イヒヅラヒ》 有雙雖v爲《アリナミスレド》
 有雙不v得敍《アリナミエズゾ》 所v言西我身《イハレニシワガミ》
 
【譯】日の照り輝く難波の埼に、引いて上る赤く塗つた船。その赤い船に綱をかけて、引き寄せて竝ぼうとするが、言い寄つて竝ぼうとするが、竝ぶことはできないと言われてしまつたわたしの身だ。
【構成】全篇一文。綱取リ繋ケまで、序で、譬喩になつている。
【釋】忍照 オシテル。枕詞。
 難波乃埼尓 ナニハノサキニ。難波の埼は、淀川の河口の岬角。「方《まさ》に難波の碕に到るとき奔《はや》き潮はなはだ急《はや》きに會ひぬ。因《かれ》以ちて名づけて浪速《なみはや》の國となす。また浪華といふ。今難波と謂ふは訛れるなり」(日本書紀卷三)、「淤志弖流夜《オシテルヤ》 那邇波能佐岐用《ナニハノサキヨ》 伊傳多知弖《イデタチテ》 和賀久邇美禮婆《ワガクニミレバ》」(古事記五四)。
 引登 ヒキノボル。綱をつけて河を引いて登る。
 赤曾朋舟 アケノソホブネ。赤色の丹で塗つた船。ソホは丹朱。「客爲而《タビニシテ》 物戀敷爾《モノコホシキニ》 山下《ヤマシタノ》 赤乃曾保船《アケノソホブネ》 奧榜所v見《オキニコグミユ》」(卷三、二七〇)。
 引豆良比 ヒコヅラヒ。ヅラヒは、カカヅラヒ、次のイヒヅラヒなどのヅラヒと同じで、複合詞としてアフを含んでいる點からしても、その事の繼續して行われることを意味するようである。いろいろに引き試みる意であろう。「遠登賣能《ヲトメノ》 那須夜伊多斗遠《ナスヤイタドヲ》 淤曾夫良比《オソブラヒ》 和何多多勢禮婆《ワガタタセレバ》 比許豆良比《ヒコヅラヒ》 和何多多勢禮婆《ワガタタセレバ》」(古事記二)。
 有雙雖爲 アリナミスレド。有雙の字は、よくはわからないが、普通アリナミと讀んでいる。その意は諸説があるが、他に文獻の徴すべきものがないので、この字面によるほかはない。すなわち、存在しつつ雙ぶ意で、男女あい竝ぶをいうのであろう。
(136) 曰豆良賓 イヒヅラヒ。上のヒコヅラヒと同様の語構成であろう。わが方に引こうと言い寄るのであろう。
 有雙不得敍 アリナミエズゾ。次の言ハレニシを修飾している。ゾは係助詞。句切ではない。
 所言西我身 イハレニシワガミ。相手もしくは他人に、ありなみ得ないと言われたというのである。
【評語】アリナミの語を反覆してこれを中心内容としている歌だが、その肝心のアリナミの語が、よくわからないのは遺憾である。序詞の用法は古風で、歌いものから來ているであろう。歌いものを歌いかえたような歌である。反歌をも伴なつておらず、案外に古いのかも知れない。
 
右一首
 
3301 神《かむ》風の 伊勢の海の
 朝なぎに 來寄《きよ》る深海松《ふかみる》、
 夕なぎに 來寄るまた海松。
 深海松の 深めしわれを、
 また海松の また往き反《かへ》り
 妻と言はじとかも、
 思ほせる君。
 
 神風之《カムカゼノ》 伊勢乃海之《イセノウミノ》
 朝奈伎尓《アサナギニ》 來依深海松《キヨルフカミル》
 暮奈藝尓《ユフナギニ》 來因俟海松《キヨルマタミル》
 深海松乃《フカミルノ》 深目師吾乎《フカメシワレヲ》
 俟海松乃《マタミルノ》 復去反《マタユキカヘリ》
 都麻等不v登可聞《ツマトイハジトカモ》
 思保世流君《オモホセルキミ》
 
【譯】神風の吹く伊勢の海の、朝凪ぎに寄つて來る深い海のミル、夕凪ぎに寄つて來るまたのあるミル。その深い海のミルのように深く思つているわたしを、またのあるミルのように、また歸つて來て、妻とは言わない(137)とか、思つていらつしやる君よ。
【構成】全篇一文。來寄ルマタミルまで。序詞として伊勢の海のミルを説き、これを提示する。以下、主文で自分を見すてるだろうかと疑いをかけている。
【釋】神風之 カムカゼノ。枕詞。
 來依深海松 キヨルフカミル。ミルは、深海に生ずるものなので、深海松という。
 來因俣海松 キヨルマタミル。ミルの、またのある形?から、俣海松という。以上序詞で、次の深海松、および俣海松の句を引き起す準備として、述べている。
 深海松乃 フカミルノ。枕詞。同音によつて、深メシを引き起している。
 深目師吾乎 フカメシワレヲ。フカメシは、深く心にした。深く思わしめた意。ワレヲは、わたしだのに。
 俣海松乃 マタミルノ。枕詞。同音によつて、マタを引き起している。
 復去反 マタユキカヘリ。また往來して。またおとずれて來て。
 都麻等不言登可聞 ツマトイハジトカモ。カモは係助詞。
 思保世流君 オモホセルキミ。妻と言わないとか思つておいでになる君。相手の心中を疑つている。
【評語】人麻呂が、石見の國から妻に別れて上つて來る時の歌、「角《つの》さはふ石見《いはみ》の海の、言《こと》さへく辛《から》の埼なる、海石《いくり》にぞ深海松《フカミル》生ふる、荒礒にぞ玉藻は生ふる、玉藻なす靡き寐し兒を、深海松の深めて思へど」(卷二、一五)と、同じ手法が使用されている。これは相互に關係があるもののようで、人麻呂の歌の方が先にあつたものであろう。前の歌などと、型においては同じになつている。歌人たちが、それぞれに變化させて行つたものだろうが、もと歌いものとしてかような型の歌の行われていたことが推察される。次の歌の如きも、この型を成長させて行つたものと見られるのである。
 
(138)右一首
 
3302 紀《き》の國の 室《むろ》の江の邊に、
 千年《ちとせ》に 障《さは》る事なく
 萬世に かくしあらむと、
 大舟の 思ひたのみて
 出で立ちし 清き渚《なぎさ》に
 朝なぎに 來寄る深|海松《みる》、
 夕なぎに 來寄る繩海苔《なはのり》、
 深海松の 深めし子らを、
 繩海苔の 引けば絶ゆとや。
 里人の 行きの集《つど》ひに
 泣く兒なす 靱《ゆき》取りさぐり、
 梓弓 弓腹《ゆはら》振り起《おこ》し、
 しのき羽《は》を 二つ手挾《たばさ》み、
 離ちけむ 人し悔《くや》しも。
 戀ふらく思へば。」
 
 紀伊國之《キノクニノ》 室之江邊尓《ムロノエノベニ》
 千年尓《チトセニ》 障事無《サハルコトナク》
 萬世尓《ヨロヅヨニ》 如v是將v在登《カクシアラムト》
 大舟乃《オホブネノ》 思恃而《オモヒタノミテ》
 出立之《イデタチシ》 清瀲尓《キヨキナギサニ》
 朝名寸二《アサナギニ》 來依深海松《キヨルフカミル》
 夕難伎尓《ユフナギニ》 來依繩法《キヨルナハノリ》
 深海松之《フカミルノ》 深目思子等遠《フカメシコラヲ》
 繩法之《ハナノリノ》 引者絶登夜《ヒケバタユトヤ》
 散度人之《サトビトノ》 行之屯尓《ユキノツドヒニ》
 鳴兒成《ナクコナス》 行取左具利《ユキトリサグリ》
 梓弓《アヅサユミ》 々腹振起《ユハラフリオコシ》
 志之岐羽矣《シノキハヲ》 二手挾《フタツタバサミ》
 離兼《ハナチケム》 人斯悔《ヒトシクヤシモ》
 戀思者《コフラクオモヘバ》
 
(139)【譯】紀伊の國の室の江のほとりに、千年にも妨げられることなく、永久にかようにあろうと、大舟のように、頼みに思つて出で立つた清い渚に、朝凪ぎに寄つて來る深い海のミル、夕凪ぎに寄つて來る繩の形のノリ。その深い海のミルのように、深く思つていたあの子を、繩の形のノリのように、引いたら切れるというのか。里人が行き集まつて、泣く兒のように、靱を探り取り、梓弓の腹を振り立てて、シノキ羽の矢を二本持つて射放すように、放した人が餞念だ。戀をすることを思えば。
【構成】第一段、引ケバ絶ユトヤまで。紀伊の國の海邊に海藻の寄ることを敍して序とし、これによつて戀人とのあいだの切れたことを敍する。第二段、終りまで。別れたことを悲しんでいる。
【釋】室之江邊尓 ムロノエノベニ。ムロは牟婁で、和歌山縣の南方の地方。
 千年尓障事無 チトセニサハルコトナク。何時までも障害なく。千年は、永い時間をあらわす。次のカクシアラムを修飾する。
 萬世尓如是將在登 ヨロヅヨニカクシアラムト。ヨロヅヨは、永久。カクシは、今現に二人連れ立つていることをいう。
 出立之 イデタチシ。二人で出で立つた。
 來依繩法 キヨルナハノリ。ナハノリは、繩のような形のノリ。以上序詞で、譬喩となつて、次の深海松ノ、繩海苔ノの句を引き起している。
 深目思子等遠 フカメシコラヲ。心の底から思つていたあの子を。
 繩法之 ナハノリノ。枕詞。
 引者絶登夜 ヒケバタユトヤ。わが方に引けば、切れるというのか。タユトヤの下にイフを略している。句切。
(140) 散度人之行之屯尓 サトビトノユキノツドヒニ。ユキノツドヒは、行つて集まつていること。里人が行き集まつていることで、この句以下、二ツ手挾ミまで、離チの序になつている。
 鳴兒成 ナクコナス。枕詞。泣く子が物を手さぐるようにで、次の句に冠している。
 行取左具利 ユキトリサグリ。行は借字で、靱のこと。靱は、字音假字としては、由伎と書かれており、キは清音であつたらしい。靱を探つてで、下の矢を手にすることの説明になつている。
 々腹振起 ユハラフリオコシ。ユハラは、弓の胴體。弓を立てて。
 志乃岐羽矣 シノキハヲ。シノキハは、矢の羽のことだろうが、どのようなものともわからない。その羽のついている矢のことだろう。凌ぐの義を含んでいるならば、ノに怒の類の字を使うはずである。
 二手挾 フタツタバサミ。その矢を二本手挾んで。以上、矢を放つことから、次の句を起す序になつている。
 離兼 ハナチケム。自分を離したで、相手の心を推量している。連體形。
 人斯悔 ヒトシクヤシモ。その人がくやしいことだ。句切。
【評語】愛人と共に紀伊の國の牟婁の海濱に行つたことがあり、それを譬喩の材料として、後別れるに至つたことを悔んでいる。前の歌と同じく、人麻呂の手法に似た所がある。後半の序は、範圍が明白でなく、材料も、續き方も適切でなく、かえつて混雜を招來している。一體に習作の程度であり、なお推敲を要する作のようである。
 
右一首
 
3303 里人の われに告ぐらく、
(141) 汝《な》が戀ふる 愛《うつく》し夫《づま》は、
 黄葉《もみちば》の 散り亂れたる
 神名火《かむなび》の この山邊から、【或る本に云ふ、その山邊、】
 ぬば玉の 黒馬《くろうま》に乘りて、
 河の瀬を 七瀬渡りて、
 うらぶれて 夫《つま》は逢ひきと、
 人ぞ告げつる。
 
 里人之《サトビトノ》 吾丹告樂《ワレニツグラク》
 汝戀《ナガコフル》 愛妻者《ウツクシヅマハ》
 黄葉之《モミチバノ》 散亂有《チリミダレタル》
 神名火之《カムナビノ》 此山邊柄《コノヤマベカラ》【或本云彼山邊】
 烏玉之《ヌバタマノ》 黒馬尓乘而《クロマニノリテ》
 河瀬乎《カハノセヲ》 七湍渡而《ナナセワタリテ》
 裏觸而《ウラブレテ》 妻者會登《ツマハアヒキト》
 人曾告鶴《ヒトゾツゲツル》
 
【譯】里人がわたしに告げることは、お前の慕つている最愛の夫は、黄葉の散り亂れている神名火のこの山邊を通つて、まつ黒な黒馬に乘つて、河の瀬をいくつも渡つて、心さびしそうに、夫に逢つたと、人が告げた。
【構成】全篇一文。
【釋】里人之吾丹告樂 サトビトノワレニツグラク。この下、汝ガ戀フルから、夫は逢ヒキまで、この告げたことの内容である。
 愛妻者 ウツクシヅマハ。妻の字を書いているが、反歌によれば夫である。この歌だけを挽歌として見れば、妻を失つた人の歌としても解せられる。
 神名火之此山邊柄 カムナビノコノヤマベカラ。神名火の山は、明日香の神名火であろう。
 河瀬乎七湍渡而 カハノセヲナナセワタリテ。ナナセは、多くの瀬。明日香川の川瀬であろう。
 裏觸而 ウラブレテ。心さびしく、鬱々として。
 妻者會登 ツマハアヒキト。アヒキまで、里人の言。ツマは夫。
(142) 人曾告鶴 ヒトゾツゲツル。ヒトは、初句の里人をいう。
【評語】里人の言を借りて歌を構成している。その夫は、作者のもとからさびしげにして行つてしまつた。旅などに出たのであろう。それを途中で逢つた里人が語つたというのである。黄葉の散り亂れている中を、黒馬に乘つて、河の瀬を渡り行くその人の姿は、さびしく美しい描寫である。「萬葉考」に挽歌としたのももつともな所である。
 
反歌
 
3304 聞かずして 黙然《もだ》あらましを、
 何しかも
 公《きみ》が正香《ただか》を 人の告げつる。
 
 不v聞而《キカズシテ》 黙然《モダ・モダモ》有益乎《アラマシヲ》 何如文《ナニシカモ》
 公之正香乎《キミガタダカヲ》 人之告鶴《ヒトノツゲツル》
 
【譯】聞かないでそのままにもいたろうものを。何だつて、あの方の實際を人が告げたのか。
【釋】黙然有益乎 モダアラマシヲ。知らん顔をしていたろうものを。
 何如文 ナニシカモ。シは感動の助詞。カモは係助詞。何だつてまあの氣分が強い。
 公之正香乎 キミガタダカヲ。君のまさしき姿を。本體を。
【評語】反歌としてよく長歌の意を補つている。歌そのものは、格別の特色はない。
 
右二首
 
(143)問答
 
【釋】問答 トヒコタヘ。問答の標目は、巻の十、十一、十二等にある。歌いものの懸けあいを受けているが、その場で問答するものをいい、この點に、相聞の歌の贈答との相違があるようである。
 
3305 物念はず 道行き行くも、
 青山を ふりさけ見れば、
 躑躅《つつじ》花 香未通女《にほえをとめ》、
 櫻花 盛未通女《さかえをとめ》、
 汝《なれ》をぞも 吾《われ》に寄すといふ。
 吾をもぞ 汝に寄すといふ。」
 荒山も 人し寄すれば、
 寄そるとぞいふ。
 汝《な》が心ゆめ。」
 
 物不v念《モノオモハズ》 道行去毛《ミチユキユクモ》
 青山乎《アヲヤマヲ》 振放見者《フリサケミレバ》
 茵花《ツツジバナ》 香未通女《ニホエヲトメ》
 櫻花《サクラバナ》 盛未通女《サカエヲトメ》
 汝乎曾母《ナレヲゾモ》 吾丹依云《ワレニヨストイフ》
 吾叫毛曾《アヲモゾ》 汝丹依云《ナレニヨストイフ》
 荒山毛《アラヤマモ》 人師依者《ヒトシヨスレバ》
 余所留跡序云《ヨソルトゾイフ》
 汝心勤《ナガココロユメ》
 
【譯】何心なく道を行きながらも、青山を仰ぎ見れば、ツツジの花のような美しい娘子、サクラの花のような花やかな娘子。あなたをわたしに寄せるということだ。わたしをあなたに寄せるということだ。荒い山も人が寄せれば、寄せられるということだ。あなたもその氣でいてください。
【構成】第一段、汝ニ寄ストイフまで。花のような娘子と自分とを、媒介する人のあることをいう。第二段、(144)終りまで。相手に對して注意を促している。
【釋】物不念道行去毛 モノオモハズミチユキユクモ。仙覺新點の歌で、道行去毛は、ミチユキナムモと讀まれていたが、去は、ナムと讀まるべき字ではない。ナに當てている例は、他にもあるが、ナムに當てたとするは、これと次の長歌だけである。文字通り、ミチユキユクモと讀むべきである。何心なしに道を行きつつもの意。
 青山乎振放見者 アヲヤマヲフリサケミレバ。次のツツジ花とサクラ花とを提示する準備の句。
 茵花 ツツジバナ。枕詞。次に出る人麻呂集の歌に都追慈花とある。茵は、厚い敷物の義の字であるが、これをツツジに當てているのは、その形?が茵を連想させるからであろう。延喜式に、茵芋をニハツツジと訓している。「茵花《ツツジバナ》 香君之《ニホヘルキミガ》」(巻三、四四三)。譬喩による枕詞。
 香未通女 ニホエヲトメ。次に出る人麻呂集の歌に「爾太遙越賣《ニホエヲトメ》」とある。これは、同じ歌中の「左可遙越賣《サカエヲトメ》」と對句になつている。ニホは、動詞ニホフの語幹をなす部分と考えられるが、ニホフは、ハ行四段であり、ここには特にヤ行下二段の活用によつている。大伴の家持の「春花乃《ハルバナノ》 爾太要盛而《ニホエサカエテ》」(巻十九、四二一一)は、これによつて句を成している。今のこの歌は、人麻呂集の歌によつて作られていると見られるので、やはりニホエヲトメと讀むべきであろう。意は、ニホヘルヲトメに同じで、美しい娘子をいう。ヤ行下二段の活用は、自發的にその動作の起るをいうから、ここは自發的に美を發揮するをいうのだろう。
 櫻花 サクラバナ。枕詞。
 盛未通女 サカエヲトメ。次に出る人麻呂集の歌には「左可遙越賣《サカエヲトメ》」とある。以上、意中の娘子に呼びかけている。
 汝乎曾母 ナレヲゾモ。ゾモは係助詞。
(145) 吾丹依云 ワレニヨストイフ。汝ヲゾモを受けるのは、寄スであるから、寄スルと言わなければならないのだが、トイフが接續する場合には、結びがそれへ轉移される。「相而後社《アヒテノチコソ》 悔二破有跡五十戸《クイニハアリトイヘ》」(巻四、六七四)參照。ヨスは、人が寄せるので、媒介する意である。「葛飾《かづしか》の眞間《まま》の手兒奈をまことかも吾《われ》に寄すとふ眞間の手兒奈を」(巻十四、三三八四)。句切。
 吾叫毛曾汝丹依云 ワレヲモゾナレニヨストイフ。上の、汝ヲゾモ吾ニ寄ストイフを、立場を變えて説いている。この句は、吾ヲモゾといつて、變化を與え、かつ自分をもの意をあきらかにしている。句切。
 荒山毛 アラヤマモ。以下譬喩として提出している。寄せがたいものの例に擧げている。
 人師依者 ヒトシヨスレバ。シは助詞。人が寄せるなら。
 余所留跡序云 ヨソルトゾイフ。ヨソルは、寄せられる。「伊佐欲布久母能《イサヨフクモノ》 余曾里都麻波母《ヨソリヅマハモ》」(巻十四、三五一二)。但し「之良奈美乃《シラナミノ》 與曾流波麻倍爾《ヨソルハマベニ》」(巻二十、四三七九)のヨソルの如きは、ヨスルの轉音であろう。荒い山の如き寄せがたいものでも、人が寄せれば寄せられるそうだの意。句切。
 汝心勤 ナガココロユメ。ユメは文字通り勤めで、しつかりしろの意に當る。男が女をはげますのである。
【評語】娘子に呼び懸けて來る序の用法が、巧みにできていて、しかも風趣を失わない。終りの荒山の譬喩も、奇抜で致果的である。歌いものふうな歌で、躍動的な調子でできている。
 
反歌
 
3306 いかにして 戀ひ止《や》むものぞ。
 天地の 神を?《いの》れど
(146) われは思ひ益す。
 
 何爲而《イカニシテ》 戀止物序《コヒヤムモノゾ》
 天地乃《アメツチノ》 神乎?迹《カミヲイノレド》
 吾八思益《ワレハオモヒマス》
 
【譯】どうしたら戀がやまるものだろう。天地の神を祈るけれども、わたしは思い増すばかりだ。
【釋】戀止物序 コヒヤムモノゾ。コヒヤムで、動詞になつている。戀が止むといういい方でなく、戀はなくなる意である。句切。
 神乎?迹 カミヲイノレド。イノレドは、神力の發揚を乞うけれども。
 吾八思益 ワレハオモヒマス。オモヒマスは、思い増さるので、オモヒも動詞。
【評語】長歌に對して、抽象的に言つているのは、似あわない。内容も即應しない。反歌を添えて形式を整えたまでの作である。
 
3307 然《しか》れこそ 年の八歳《やとせ》を、
 切る髪の 吾同子《よちこ》を過ぎ、
 橘の 末枝《ほつえ》を過ぎて、
 この河の 下《した》にも長く
 汝《な》が情《こころ》待《ま》て。
 
 然有社《シカレコソ》 年乃八歳叫《トシノヤトセヲ》
 鑽髪乃《キルカミノ》 吾同子叫過《ヨチコヲスギ》
 橘《タチバナノ》 末枝乎過而《ホヅエヲスギテ》
 此河能《コノカハノ》 下文長《シタニモナガク》
 汝情待《ナガココロマテ》
 
【譯】それだから、長いあいだ、下げ髪の若い時を過ごし、タチバナの上の枝のような時を過ごして、この河の下のように、長くあなたの心を待つているのです。
【構成】全篇一文。
【釋】然有社 シカレコソ。然あればこそ。前の長歌の意を受けて、歌い起している。
(147) 年乃八歳叫 トシノヤトセヲ。長い年數を。
 鑽髪乃 キルカミノ。キルカミは、髪を切つて振り分けにしているのをいう。童女の風俗である。
 吾同子叫過 ヨチコヲスギ。次の人麻呂集の歌に「與知子乎過」とある。ヨチコは、ここに吾同子と書いてあるので、同じ位の年の子をいうと解せられるが、同時に年少の意を含んでいる。その時代を過ぎて。
 橘末枝乎過而 タチバナノホツエヲスギテ。橘の末枝は、譬喩であるが、背の高くなつたのをいうか、または若盛りをいうかであろう。妙齡を過ぎての意と解せられる。
 此河能 コノカハノ。枕詞。譬喩として提出される。
 下文長 シタニモナガク。シタは心の底をいう。
 汝情待 ナガココロマテ。初句のコソを受けて結んでいる。男の心が應じて來るのを待つているのである。
【評語】長歌に對して、隙間がなく返事を起している。問答を併わせて、歌曲ふうに歌い傳えられた歌であろう。
 
反歌
 
3308 天地の 神をもわれは 祈《いの》りてき。
 戀といふものは かつて止まずけり
 
 天地之《アメツチノ》 髪尾母吾者《カミヲモワレハ》 ?而寸《イノリテキ》
 戀云物者《コヒトイフモノハ》 都不v止來《カツテヤマズケリ》
 
【譯】天地の神をも、わたしは?りました。しかし戀というものは、決して止まないことでした。
【釋】?而寸 イノリテキ。テは時の助動詞で、語氣を強めるに役立つている。句切。
 戀云物者 コヒトイフモノハ。戀を、抽象的にいういい方である。
(148) 都不止來 カツテヤマズケリ。カツテは、すべて、全然。過去の事に使う。ズケリは、古語の接續法で、「孤悲夜麻受家里《コヒヤマズケリ》」(巻十七、三九八〇)など、例がある。
【評語】前の反歌を受けて答えている。長歌の民謠ふうなのに對して、反歌の方は、いずれも理くつつぽく、時代感も違つている。この歌も、三句切でもあり、長歌の持つ風趣を有していない。この一團は、文雅人が、古歌謠を整理したような形である。反歌なしに長歌だけをやりとりしたとする方がおもしろい。次の人麻呂集所出の歌のようなのが原形だろう。
 
柿本朝臣人麻呂之集歌
 
【釋】柿本朝臣人麻呂之集歌 カキノモトノアソミヒトマロノシフノウタ。前の問答の長歌の參考として人麻呂歌集の歌を載せている。多分歌曲のような形における傳來があつて、それを歌い傳えて反歌を添えて、前掲のような形ともなり、人麻呂集の歌としても傳えたのであろう。
 
3309 物念はず 路《みち》行きゆくも、
 青山を ふり放け見れば、
 躑躅《つつじ》花 香娘子《にほえをとめ》、
 櫻花 盛娘子《さかえをとめ》、
 汝《なれ》をぞも 吾《われ》に寄すといふ。
 吾をぞも 汝に寄すといふ。
(149) 汝はいかに念ふ」
 念へこそ 歳の八年《やとせ》を
 切る髪の よちこを過《す》ぐり、
 橘の 末枝《ほつえ》を過ぐり、
 この川の 下にも長く
 汝《な》が心待て。」
 
 物不v念《モノオモハズ》 路行去裳《ミチユキユクモ》
 青山乎《アヲヤマヲ》 振酒見者《フリサケミレバ》
 都追慈花《ツツジバナ》 尓太遙越賣《ニホエヲトメ》
 作樂花《サクラバナ》 左可遙越賣《サカエヲトメ》
 汝乎敍母《ナレヲゾモ》 吾尓依云《ワレニヨストイフ》
 吾乎敍物《ワレヲゾモ》 汝尓依云《ナレニヨストイフ》
 汝者如何念也《ナハイカニオモフ》
 念社《オモヘコソ》 歳八年乎《トシノヤトセヲ》
 斬髪《キルカミノ》 與知子乎過《ヨチコヲスグリ》
 橘之《タチバナノ》 末枝乎須具里《ホツエヲスグリ》
 此川之《コノカハノ》 下母長久《シタニモナガク》
 汝心待《ナガココロマテ》
 
【譯】何の心もなしに道を行きながらも、青山を仰ぎ見れば、ツツジの花のような、美しい孃子、櫻の花のような、花やかな孃子。あなたをわたしに寄せるということだ。わたしをもあなたに寄せるということだ。あなたはどう思うか。思つていればこそ、長いあいだを、下げ髪の若い時を過ぎ、タチバナの上の枝のような時を過ぎて、この川の下のように、心の下であなたの心を待つているのです。
【構成】第一段、汝ハイカニ念フまで。男子の問の部分で、媒介する人のあることを述べて、女の心を問うている。第二段、終りまで。女子の答の部分で、男の心を期待して長いあいだ待つていることを述べている。
【釋】尓太遙越賣 ニホエヲトメ。ニホエというのは違例である。「香未通女《ニホエヲトメ》」(巻十三、三三〇五)參照。太は、訓假字としてホの音を表示している。オホの上略である。繼體天皇の御名、古事記に「袁本杼命」とあるを、日本書紀に「男大迹天皇」と書いてある。
 吾乎敍物 ワレヲゾモ。前の歌には、吾ヲモゾとあつた。
 汝者如何念也 ナハイカニオモフ。也は、決定の辭で、集中しばしば讀まない場合に添えて書いている。假に讀むとすれば、感動を表示するために添えたことになるが、集中文末におけるさようなヤの用法はない。上(150)に疑問の語があるので、疑問の助詞のない方が順當である。以上、女子に對して問を發している。句切。
 念社 オモヘコソ。思えばこそ。上の問を受けて起している。
 與知子乎過 ヨチコヲスグリ。過は、次に、末枝乎須具利とあるのに應じてスグリと讀む。過グが、ラ行に再活用したものと見られる。「小筑波《をつくは》をこゆすぐりきぬ」(風俗、をつくは)。多分四段活だろう。スグル(勝る)は下二段活だが、他よりも過ぎている義とすれば、この語と縁があろう。
【評語】前の問答の長歌二首を連結したような歌だが、自問自答でもない。前の歌に比べれば、荒山に關する譬喩がなく、問の末尾が違い、從つて答としては、この方が順接している。人麻呂は、歌曲として歌つた歌をも、その集に載録しておいたので、かような歌もはいつているのであろう。
 
右五首
 
3310 こもりくの 泊瀬《はつせ》の國に
 さ結婚《よばひ》に 吾が來れば、
 たな曇り 雪はふり來《き》、
 さ曇り 雨は降り來《く》。」
 野つ鳥 雉《きぎし》はとよみ、
 家つ鳥 鷄《かけ》も鳴く、
 さ夜は明け この夜は明けぬ。」
 入りてかつ眠《ね》む。
(151) この戸開かせ。」
 
 隱口乃《コモリクノ》 泊瀬乃國尓《ハツセノクニニ》
 左結婚丹《サヨバヒニ》 吾來者《ワガクレバ》
 棚雲利《タナグモリ》 雪者零來《ユキハフリキ》
 左雲理《サグモリ》 雨者落來《アメハフリク》
 野鳥《ノツトリ》 雉動《キギシトヨミ》
 家鳥《イヘツトリ》 可鷄毛鳴《カケモナク》
 左夜者明《サヨハアケ》 此夜者昶奴《コノヨハアケヌ》 入而且將v眠《イリテカツネム》
 此戸開爲《コノトヒラカセ》
 
【譯】隱れ國の泊瀬の國に、婚姻を求めてわたしが來れば、空かき曇つて雪は降つて來、曇つて雨は降つて來る。野の鳥のキジは鳴き立て、家の鳥のニワトリも鳴く。夜は明けこの夜は明けた。はいつてちよつと寐よう。この戸をおあけなさい。
【構成】比較的短い文を積み重ねている。それらの大部分は、サ結婚ニワガ來レバを受けているので、段落とも言いがたいが、しばらく便宜上段を分けて見ることとする。第一段、雨は降り來まで。泊瀬の國に結婚に行つて雨雪に逢つたことを述べる。第二段、コノ夜ハ明ケヌまで。鳥が鳴いて夜の明けたことを敍する。第三段、終りまで。戸をあけることを要望している。
【釋】隱口乃 コモリクノ。枕詞。
 泊瀬乃國尓 ハツセノクニニ。泊瀬の國は、泊瀬の一帶の地をいう。クニは、或る一帶の地に對していう語で、古くは、境涯のある區劃の稱ではなかつた。何處でも眺め渡される土地についてクニといつたのである。
 左結婚丹 サヨバヒニ。サは接頭語。ヨバヒは、呼バヒの義で、男が、女の家の門口に立つて呼ぶことから起つて、婚姻を求める意になつている。「佐用婆比爾《サヨバヒニ》 阿理多々斯《アリタタシ》 用婆比邇《ヨバヒニ》 阿理加用波勢《アリカヨハセ》」(古事記二)。
 棚雲利 タナグモリ。空一面にかき曇つて。
 左雲理 サゲモリ。サは、接頭語。
 野鳥 ノツトリ。枕詞。雉の性質を説明している。
 雉動 キギシハトヨミ。トヨミは、響を立てる。鳴くのをいう。
 家鳥 イヘツトリ。枕詞。?の性質を説明している。
(152) 可?毛鳴 カケモナク。カケは?のこと。?の字は、その意の字を字音假字として使用している。以上、雉や?の鳴くのは、夜明けになつた意である。
 左夜者明 サヨハアケ。サは、接頭語。
 此夜者昶奴 コノヨハアケヌ。昶は、日永の義であるが、ここは旭の異體字として使用したのであろう。句切。
 入而且將眠 イリテカツネム。カツは、一方の意。輕く添えて、しばらく眠りをもしようとである。「安蘇々二破《アソソニハ》 且者雖v知《カツハシレドモ》」(巻四、五四三)。句切。
 此戸開爲 コノトヒラカセ。ヒラカセは、ヒラクの敬語法の命令形。屋内の女子に對して言つている。
【評語】歌曲ふうの歌で、古事記の上卷に類歌があり、日本書紀繼體天皇の卷にも部分的に似た歌がある。問の歌であるが、前半は獨語ふうになつており、自身の上を敍している。かような歌曲は、多分舞の手を有していて、舞曲として傳來していたのだろう。古代風俗の窺われる作だ。
【參考】類歌。
  八千矛《やちほこ》の神の命《みこと》は、八島國事|?《ま》ぎかねて、遠々し高志《こし》の國に、さかし女《め》をありと聞《き》かして、くはし女《め》をありと聞《き》こして、さよばひにあり立たし、よばひにあり通はせ、大刀が(153)緒もいまだ解かずて、襲衣をもいまだ解かね、娘子の寐すや板戸を、おそぶらひわが立たせれば、引こづらひわが立たせれば、青山に?《ぬえ》は鳴き、さ野つ鳥|雉子《きぎし》はとよむ。庭つ鳥|?《かけ》は鳴く。うれたくも鳴くなる鳥か、この鳥もうち止めこせね、いしたふやあまはせづかひ、事の語りごとも、こをば(古事記二)
  八島國妻|?《ま》けかねて、春日《はるひ》の春日《かすが》の國に、くはし女をありと聞きて、よろし女をありと聞きて、眞木さく檜《ひ》の板戸を、おし開き我《われ》入りまし、あつとりつまとりして、まくら取りつまとりして、妹が手を我に纏かしめ、わが手をば妹に纏かしめ、まさきづらたたきあざはり、ししくしろ熟睡《うまい》寐しとに、庭つ鳥|?《かけ》は鳴くなり。野つ鳥|雉子《きぎし》はとよむ。はしけくもいまだ言はずて、明けにけり、吾妹。(日本書紀九六)
 
反歌
 
3311 隱口《こもりく》の 泊瀬小國《はつせをぐに》に 妻しあれば、
 石は履《ふ》めども なほぞ來にける。
 
 隱來乃《コモリクノ》 泊瀬小國尓《ハツセヲグニニ》 妻有者《ツマシアレバ》
 石者履友《イシハフメドモ》 猶來々《ナホゾキニケル》
 
【譯】隱れ國の泊瀬の國に妻があるので、石は踏んでも、やはり來たことだ。
【釋】泊瀬小國丹 ハツセヲグニニ。ヲは愛稱。泊瀬の國にに同じ。
 石者履友 イシハフメドモ。泊瀬川の川原の石を踏んでも。
 猶來々 ナホゾキニケル。ゾを讀み添えている。字數がすくなく不完全な表示法である。
【評語】勞苦を凌いで來たことを歌つている。しかし長歌の古風なのに對して、やはり蛇足で、後の傳者が附け添えて吟誦したものらしい。
 
(154)3312 こもりくの 長谷小國《はつせをぐに》に、
 よばひせす 吾がすめろきよ。
 奧床《おくどこ》に 母は睡《ね》たり。
 外床《とどこ》に 父は寐《ね》たり。
 起き立たば 母知りぬべし。
 出で行かば 父知りぬべし。」
 ぬばたまの 夜は明け行きぬ。
 幾許《ここだく》も 念ふ如ならぬ
 こもり夫《づま》かも。」
 
 隱口乃《コモリクノ》 長谷小國《ハツセヲグニニ》
 夜延爲《ヨバヒセス》 吾大皇寸與《ワガスメロキヨ》
 奧床仁《オクトコニ》 母者睡有《ハハハネタリ》
 外床丹《トドコニ》 父者寐有《チチハネタリ》
 起立者《オキタタバ》 母可v知《ハハシリヌベシ》
 出行者《イデユカバ》 父可v知《チチシリヌベシ》
 野干玉之《ヌバタマノ》 夜者昶去奴《ヨハアケユキヌ》
 幾許雲《ココダクモ》 不2念如1《オモフゴトナラヌ》
 隱?香聞《コモリヅマカモ》
 
【譯】隱れ國の初瀬の國に、婚姻を求められるわが大君よ。奧の床に母が寐ています。外の床に父が寐ています。起き立つと、父が知るでしよう。出て行つたら、母が知るでしよう。まつくらな夜は明けて行きました。隨分と思うようにならない、わたしの隱し夫ですね。
【構成】第一段、父知リヌベシまで。訪い來た男に呼びかけて、應じられない由を述べている。第二段、終りまで。むしろ獨語ふうに、思うようにならないことを説く。
【釋】夜延爲 ヨバヒセス。ヨバヒは、求婚。呼バヒの義で、夜延は借字。セスは、スルの敬語法。
 吾天皇寸與 ワガスメロキヨ。寸は、スメロキと讀ませるために添えて書いている。スメロキは、前代現代を問わず、天皇の概念をいう語。古代からの傳説として歌い傳えた歌曲の詞章なので、かように言つている。(155)ヨは呼格につける助詞。句切。
 奧床仁 オクドコニ。オクドコは、内部の方の床。トコは座席であり、寢所でもあつて、一定の位置に固定している。
 外床丹 トドコニ。トドコは、外部に近い床。
 幾許雲 ココダクモ。ココダクは、許多、非常に。
 不不念如 オモフゴトナラヌ。思うが如くにあらざる。
 隱?香聞 コモリヅマカモ。コモリヅマは、他に隱してある配偶者。ここは?の字を書いているが夫である。「灼然《イチシロク》 啼爾之毛將v哭《ネニシモナカム》 己母利豆麻可母《コモリヅマカモ》」(巻十九、四一四八)。
【評語】女子の答の歌として、戯曲ふうに構想されている。古代天皇の物語として、かような歌曲が歌い傳えられたのである。その天皇は、泊瀬の天皇というので、やがて雄略天皇に歌物語の多くなる理由になるのである。
 
反歌
 
3313 川の瀬の 石ふみ渡り、
 ぬばたまの 黒馬《くろうま》の來《く》る夜《よ》は
 常にあらぬかも。
 
 川瀬之《カハノセノ》 石迹渡《イシフミワタリ》
 野干玉之《ヌバタマノ》 黒馬之來夜者《クロマノクルヨハ》
 常二有沼鴨《ツネニアラヌカモ》
 
【譯】川の瀬の石を踏んで渡つて、まつ黒な黒馬の來る夜は、常にあつてほしいなあ。
【釋】川瀬之石迹渡 カハノセノイシフミワタリ。泊瀬川を渡ることを描いている。下の來ルを修飾している。
(156) 黒馬之來夜者 クロウマノクルヨハ。黒馬は、男の乘つて來る馬である。
 常二有沼鴨 ツネニアラヌカモ。絶えずあれかしの意。ヌカモは願望の意になる。
【評語】男の來るのを待つ意はよく出ているが、長歌の内容とは一致しない。やはり反歌として、何人かが作り設けたものと考えられる。第四句は、同音を重ねている。初二句四句など、具體的に言つているのがよい。大伴の坂上の郎女の「佐保川の小石踏み渡りぬば玉の黒馬の來る夜は年にもあらぬか」(卷四、五二五)の手本となつた歌である。
 
右四首
 
3314 つぎねふ 山城道《やましろぢ》を
 他夫《ひとづま》の 馬より行くに、
 己夫《おのづま》し 歩《かち》より行けば、
 見るごとに 哭《ね》のみし泣かゆ。
 其《そこ》思《も》ふに 心し痛し。」
 たらちねの 母が形見《かたみ》と、
 わが持てる まそみ鏡に
 蜻蛉領巾《あきづひれ》 負《お》ひ竝《な》め持ちて、
 馬|替《か》へ、わが夫《せ》。」
 
 吹嶺經《ツギネフ》 山背道乎《ヤマシロヂヲ》
 人都末乃《ヒトヅマノ》 馬從行尓《ウマヨリユクニ》
 己夫之《オノヅマシ》 歩從行者《カチヨリユケバ》
 毎v見《ミルゴトニ》 哭耳之所v泣《ネノミシナカユ》
 曾許思尓《ソコオモフニ》 心之痛之《ココロシイタシ》
 垂乳根乃《タラチネノ》 母之形見跡《ハハガカタミト》
 吾持有《ワガモテル》 眞十見鏡尓《マソミカガミニ》
 蜻領巾《アキヅヒレ》 負竝持而《オヒナメモチテ》
 馬替吾背《ウマカヘワガセ》
 
(157)【譯】嶺の續いてあらわれる山城の國への道を、よその人の夫が、
馬に乘つて行くのに、自分の夫が、徒歩で行くので、見るたびに泣かれるばかりです。それを思うと、心が痛みます。なつかしい母の形見として、わたしの持つている澄んだ鏡に、薄物の領巾を一緒に持つて行つて、馬と替えていらつしやい。あなた。
【構成】第一段、心シ痛シまで。夫の徒歩で旅行するのを歎く。第二段、終りまで。夫に馬と替えるように勸める。
【釋】次嶺經 ツギネフ。枕詞。古事記日本書紀に見える古い語であるが、本集ではこれ一つである。語義未詳。「都藝泥布夜《ツギネフヤ》」(古事記五八五九)など、助詞ヤを添えた用例があり、他の同じ形の句に準じて、ツギネフは、用言の連對形のようである。この字面によつて案を立てれば、次々に嶺の生うる意で、奈良山を越える人が山城の國を望見することによつて、生じた語であろうか。または體言に語尾フが接續して用言を作ることは、「瀰儺曾虚赴《ミナソコフ》」(日本書紀四四)など例がある。
 山背道乎 ヤマシロヂヲ。山城の國に行く道を。山城の國府に行く道で、この歌では、奈良山越えになつている。
 人都末乃 ヒトヅマノ。他人の夫の。ヒトヅマは、多くは、他人の妻をいうが、ここでは夫について言つているのは珍しい。特に誰をさすということなく、一般的に言つている。
 馬從行尓 ウマヨリユクニ。ウマヨリは、馬によつて、馬に乘つて。下のカチヨリというに同じ言い方である。
 己夫之 オノヅマシ。おのれの夫の。オノヅマノとも讀まれるが、上がヒトヅマノでもあるから、ここはシによつて強く提示する方がよいだろう。
 歩從行者 カチヨリユケバ。徒歩によつて行けば。
(158) 哭耳之所泣 ネノミシナカユ。泣かれるばかりである意の熟語句。句切。
 曾許思尓 ソコオモフニ。ソコは、上に述べた、夫の徒歩で行くことをさしている。
 心之痛之 ココロシイタシ。心が痛まれる。句切。
 垂乳根乃 タラチネノ。枕詞。
 母之形見跡 ハハガカタミト。カタミは、遺物、記念物。
 眞十見鏡尓 マソミカガミニ。マソミカガミは、眞澄鏡。よく磨いた鏡。マソカガミは、この語の略語。「眞墨乃鏡《マスミノカガミ》」(巻十六、三八八五)、「麻蘇比大御鏡《マソヒノオホミカガミノオモヲ》」(出雲國造神賀詞)。
 蜻蛉巾 アキヅヒレ。蜻蛉の羽のような薄い織物の領巾。ヒレは、女の頸に懸ける長い布。「秋津羽之《アキヅバノ》 袖振殊乎《ソデフルイモヲ》」(巻三、三七六)。
 負竝持而 オヒナメモチテ。竝べ負い持ちて。
 馬替吾背 ウマカヘワガセ。ウマカヘは、馬と替えよ。馬の價は、新考に「馬の價は、孝コ天皇紀に、凡官馬ハ中馬ハ一百戸ニ一疋ヲ輸セ。ソノ馬ヲ買ハム直ハ一戸ニ布一丈二尺とあり。されば此天皇の御世には、中馬は布三十端、上馬は布六十端にて買はれしなり」とある。また天平十年の駿河國正税帳に、傳馬を購入した直、十八疋で稻六千四百束。そのうち、四百五十束の馬二疋、四百束の馬六疋、三百五十束の馬三疋、三百束の馬六疋、二百五十束の馬一疋である。稻一束は約五升の米が取れるから、馬一疋の價は、米にして二十二石五斗から十二石五斗ぐらいである。ところで鏡や領巾の價は、とてもそうは行かないだろうから、このカヘというのは、借りることと解せられる。
【標語】自分の夫を徒歩で行かせるに忍びない女の心がよく描かれている。但し前半において、その事情を明細に敍して説明しているのは、實際の贈答ではなくして、その演出であることを思わしめる。やはり歌曲とし(159)ての傳來を持つていたものであろう。
 
反歌
 
3315 泉河 渡瀬《わたりせ》ふかみ、
 わが夫子が 旅ゆき衣《ごろも》、
 ひづちなむかも。
 
 泉河《イヅミガハ》 渡瀬深見《ワタリセフカミ》
 吾世古我《ワガセコガ》 旅行衣《タビユキゴロモ》
 蒙沾鴨《ヒヅチナムカモ》
 
【譯】泉川の渡り瀬が深くして、あなたの旅行服が濡れることでしよう。
【釋】泉川 イヅミガハ。今の木津川。奈良山を越えた處を流れている。
 渡瀬深見 ワタリセフカミ。ワタリセは、渡河する場處。
 蒙沾鴨 ヒヅチナムカモ。蒙沾は、義をもつて書いている。
【評語】泉川を、徒歩渡りをしようとする夫を思つて詠んでいる。長歌の意を補つているが、長歌の内容にくらべて、平凡の感がある。長歌に對して、後人の作爲した反歌であろう。
 
或本反歌曰
 
【釋】或本反歌曰 アルマキノヘニカニイハク。ここに或る本の反歌として載せたのは、次の一首だけである。その次の歌は、男の答歌で、或る本の反歌ではない。
 
3316 まそ鏡 持《も》てれどわれは
(160) しるしなし。
 君が歩行《かち》より なづみ行く見れば。
 
 清鏡《マソカガミ》 雖v持吾者《モテレドワレハ》
 記無《シルシナシ》
 君之歩行《キミガカチヨリ》 名積去見者《ナヅミユクミレバ》
 
【譯】澄んだ鏡を持つていてもわたしはかいがありません。あなたが徒歩で難儀して行くのを見ますと。
【釋】清鏡 マソカガミ。長歌のマソミカガミに同じ。意をもつて清鏡と書いている。
 雖持吾者 モテレドワレハ。モテレドは、長歌の持有に應じて訓している。
 記無 シルシナシ。シルシは、效。集中、假字書きのもののほかには、驗、效、印等の字が當てられている。
 君之歩行 キミガカチヨリ。ヨリに當る字はないが、意をもつて讀み添えている。
 名積去見者 ナヅミユクミレバ。ナヅミは、難儀する、骨を折る。
【評語】或る本の歌よりも、この方が長歌によく合つている。歌としては、意を通したというだけである。
 
3317 馬|買《か》はば 妹|歩行《かち》ならむ。
 よしゑやし 石は履《ふ》むとも
 われは二人行かむ。
 
 馬替者《ウマカハバ》 妹歩行將v有《イモカチナラム》
 縱惠八子《ヨシヱヤシ》 石者雖v履《イシハフモトモ》
 吾二行《ワレハフタリユカム》
 
【譯】馬と取り替えたら、あなたは徒歩だろう。よしや石は踏んでも、わたしは二人で行こう。
【釋】馬替者 ウマカハバ。長歌に、馬替ヘワガ夫と言つたのを受けている。カフは、取り替える意と見ても、古くは四段活であつたのだろう。それが買うの意に分化を遂げたものと見られる。
 妹歩行將有 イモカチナラム。これによれば妻も同行したようである。句切。
 縱惠八子 ヨシヱヤシ。ヨシの意を強調する感動の副詞。
(161)【評語】女の歌に對する男の答歌だが、長歌がないのは物足りない。脱落したのだといふ説もある。しかしこの一首で意をつくしているところを見ると、初めからなかつたものかも知れない。要するにこの問答の短歌の部分は、第二次の制作か。歌自體にも、ただ意を致したというだけの物足りなさがある。
 
右四首
 
3318 紀の國の 濱に寄るといふ
 鰒珠《あはびだま》 拾《ひり》はむと云ひて、
 妹の山 勢の山越えて
 行きし君 何時《いつ》來まさむと、
 玉|桙《ほこ》の 道に出で立ち
 夕|卜《うら》を わが問ひしかば、
 夕卜の 吾《われ》に告《の》らく、
 吾妹子や 汝《な》が待つ君は、
 沖つ浪 來寄《きよ》る白珠、
 邊《へ》つ浪の 寄する白珠、
 求むとぞ 君が來まさぬ。
 拾《ひり》ふとぞ 公は來まさぬ。
(162) 久にあらば 今七日ばかり、
 早くあらば 今二日ばかり、
 あらむとぞ 君は聞《き》こしし。
 な戀ひそ吾妹《わぎも》。
 
 木國之《キノクニノ》 濱因云《ハマニヨルトイフ》
 鰒珠《アハビダマ》 將v拾跡云而《ヒリハムトイヒテ》
 妹乃山《イモノヤマ》 勢能山越而《セノヤマコエテ》
 行之君《ユキシキミ》 何時來座跡《イツキマサムト》
 玉桙之《タマホコノ》 道尓出立《ミチニイデタチ》
 夕卜乎《ユフウラヲ》 吾問之可婆《ワガトヒシカバ》
 夕卜之《ユフウラノ》 吾尓告良久《ワレニノラク》
 吾味兒哉《ワギモコヤ》 汝待君者《ナガマツキミハ》
 奧浪《オキツナミ》 來因白珠《キヨルシラタマ》
 邊浪之《ヘツナミノ》 縁流白珠《ヨスルシラタマ》
 求跡曾《モトムトゾ》 君之不2來益1《キミガキマサヌ》
 拾登曾《ヒリフトゾ》 公者不2來益1《キミハキマサヌ》
 久有《ヒサニアラバ》 今七日許《イマナヌカバカリ》
 早有者《ハヤクアラバ》 今二日許《イマフツカバカリ》
 將v有等曾《アラムトゾ》 君者聞之二々《キミハキコシシ》
 勿戀吾妹《ナコヒソワギモ》
 
【譯】紀伊の國の濱に寄るという眞珠を、拾おうと言つて、妹の山や背の山を越えて行つた君は、何時おいでになるだろうかと、長い道に出で立つて、夕方の占をわたしが問うたところ、夕方の占がわたしに告げるには、奧さん、あなたの待つている君は、沖の浪と共に寄つて來る白珠、岸邊の波の寄せる白珠を、求めるとて君がおいでにならないのです。拾うとて君はおいでにならないのです。遲かつたらもう七日ばかり、早かつたらもう二日ばかり、かかるでしようと、君は申されました。お慕いなさいますな、あなた。
【構成】全篇一文。夕卜ノ吾ニ告ラクまで、夕占を問うことを敍し、その以下全部、夕占の告げた内容になつている。
【釋】鰒珠 アハビダマ。鰒の腹中に眞珠ありとする考えから、眞珠をいう。
 妹乃山勢能山越而 イモノヤマセノヤマコエテ。これによると、兩山を越えて行くことになるが、越えて行くのは紀の川の右岸にある勢の山だけで、左岸にある妹の山は越えるわけではない。
 玉桙之 タマホコノ。枕詞。
 遺尓出立 ミチニイデタチ。夕占は、道路を行く人の言辭を聞いて占とするので、これを問うために道路に出るのである。
 夕卜乎吾間之可婆 ユフウラヲワガトヒシカバ。夕占を道行く人の言によつて占なうのである。
(163) 吾尓告良久 ワレニノラク。ノラクは、占にあらわれたこと。
 吾妹兒哉 ワギモコヤ。ヤは、呼格につく助詞。以下終りまで、夕占の内容。
 汝待君者 ナガマツキミハ。キミは、作者の夫。
 來因白珠 キヨルシラタマ。沖つ浪の來寄する白珠であるが、沖つ波によつて來寄る白珠のような言い方をしている。
 久有 ヒサニアラバ。久しくあるならば。以下の言い方は、大伴の家持が放逸せる鷹を詠める歌に使つている。「知加久安良婆《チカクアラバ》 伊麻布都可太未《イマフツカダミ》 等保久安良婆《トホクアラバ》 奈奴可乃乎知波《ナヌカノヲチハ》 須疑米也母《スギメヤモ》」(巻十七、四〇一一)。
 君者聞之二々 キミハキコシシ。キコシは、言つた意。「母寸互勢友《ハハキコセドモ》」(巻十三、三二八九)參照。二々をシに借りているのは戯書である。ゾを受けて結んでいる。句切。
 勿戀吾妹 ナコヒソワギモ。これも夕占の告げた言として言つている。
【評語】夕占の内容が長々と述べられているのが特色である。そうしてそれきりで終つていて、と言つたの意の句がない。この形は、志貴の親王の薨ぜられた時の長歌(巻二、二三〇)にも使用されていて、一つの型になつている。紀伊の國へ多分公用で旅行した男を思つて詠んだ女の歌で、珠を拾いに行つたというのは、勿論修辭に過ぎないが、貝石などを拾つて來ることを期待してはいるだろう。問答の部にあり、問の歌に相當するのだが、内容は物語ふうで、問の形にはなつていない。
 
反歌
 
3319 杖つきも つかずもわれは
(164) 行かめども、
 公《きみ》が來まさむ 道の知らなく。
 
 枚衝毛《ツヱツキモ》 不v衝毛吾者《ツカズモワレハ》
 行目友《ユカメドモ》
 公之將v來《キミガキマサム》 道之不v知苦《ミチノシラナク》
 
【譯】杖をついてもつかないでもわたしは行きましようが、君のおいでになるでしよう道を知りません。
【釋】枚衝毛不衝毛吾者 ツヱツキモツカズモワレハ。杖をついても行き、つかないでも行く意で、どのようにしてもの意である。「天地乃《アメツチノ》 至流右左二《イタレルマデニ》 杖策毛《ツヱツキモ》 不v衝毛去而《ツカズモユキテ》」(巻三、四二〇)。
 行目友 ユカメドモ。行カムに、ドモが接續した形。
 公之將來 キミガキマサム。敬語の助動詞に當る字はないが、意をもつて敬語に讀んでいる。連體形。
 道之不知苦 ミチノシラナク。道を知らないの意であるが、道そのものが、知らないことであるという言い方である。「酌爾雖v行《クミニユカメド》 道之白鳴《ミチノシラナク》」(巻二、一五八)行きちがいになるとこまるの意。
【評語】紀伊の國から歸つて來る夫を迎えに行きたい意を歌つている。笠の金村が娘子に代わつて詠んだ歌の「わが夫子が行きのまにまに、追はむとは千遍《ちたび》思へど、手弱女《たわやめ》のわが身にしあれば、道守《みちもり》の問はむ答を、言ひやらむ術を知らにと、立ちてつまづく」(巻四、五四三)の内容と、通う所がある。
 
3320 直《ただ》に往《ゆ》かず 此《こ》ゆ巨勢路《こせぢ》から
 石瀬《いはせ》踏《ふ》み 求めぞわが來《こ》し。
 戀ひてすべなみ。
 
 直不v往《タダニユカズ》 此從巨勢道柄《コユコセヂカラ》
 石瀬踏《イハセフミ》 求曾吾來《モトメゾワガコシ》
 戀而爲便奈見《コヒテスベナミ》
 
【譯】じかに行かないで、こちらから巨勢の道から、石のある川瀬を踏んで求めてわたしは來ました。戀しさで致し方なさに。
(165)【釋】直不往 タダニユカズ。直接に行かないで。廻り道をして來たの意である。
 此從巨勢道柄 コユコセヂカラ。コユは、ここを通つて、こちらの方からで、同時にコセ(來せ−おいでなさい)の序になつている。
 石瀬踏 イハセフミ。イハセは、石のある川瀬。石のある、川わたりの場處。
 求曾吾來 モトメゾワガコシ。モトメは、ここでは訪う意に使つている。句切。
【評語】歌意を按ずるに、紀伊の國への往還、多分その往路に、路をまげて妻のもとをおとずれた趣であつて、男子の歌と解せられる。それで直接に行かないで、わざわざやつて來たというのである。前の長歌の反歌ではなく、その相手の男の歌になるのである。また前の歌の答にもなつていない。むしろこの歌から問答が始まると見るべきである。
【參考】重出。
  直不v來《タダニコズ》 自v此巨勢道柄《コユコセチカラ》 石橋跡《イハバシフミ》 名積序吾來《ナヅミゾワガケル》 戀天窮見《コヒテスベナミ》(巻十三、三二五七)
 
3321 さ夜ふけて
 今は明けぬと 戸を開《あ》けて、
 紀べ行く君を いつとか待たむ。
 
 左夜深而《サヨフケテ》
 今者明奴登《イマハアケヌト》 開v戸手《トヲアケテ》
 木部行君乎《キベユクキミヲ》 何時可將v待《イツトカマタム》
 
【譯】夜がふけて、もう今は夜が明けたと言つて、戸をあけて紀伊の國の方へ行く君を、何時お歸りになることとお待ちしましよう。
【釋】左夜深而 サヨフケテ。夜が更けて。まだ夜の暗いうちに出發するから、かように言つている。
 開戸手 トヲアケテ。出口の戸を開いて。
(166) 木部行君乎 キベユクキミヲ。キは紀伊の國。ベは方向を指示する名詞。紀伊の國の方面。
【評語】これは女の歌である。わざわざたずねて來た男の出發に際して詠んでいる。その未明に立ち出るさまを、くわしく説明したのがよい。サ夜フケテの初句には、まだ夜なのにという不服の氣分が感じられる。「さ夜更けて曉露に」(巻二、一〇五)などと、同様の言い方である。
 
3322 門《かど》に居る 娘子《をとめ》は内に 至るとも、
 いたくし戀ひば 今還り來《こ》む。
 
 門座《カドニヰル》 郎子内尓《ヲトメハウチニ》 雖v至《イタルトモ》
 痛之戀者《イタクシコヒバ》 今還金《イマカヘリコム》
 
【譯】門口にいる娘子は、やがて内にはいつても、非常に戀うならば、すぐに歸つて來ようよ。
【釋】門座 カドニヰル。出發を見送つているので、カドニヰルと現在形に讀むがよい。
 郎子内尓 ヲトメハウチニ。郎子は、通常男子の尊稱に使う文字であるが、ここでは女子に對して使つている。娘子、または郎女の誤りとする説もある。郎女、郎姫などの使いかたもあるから、誤りとするにも及ばないのだろう。ウチニは屋内に。
 痛之戀者 イタクシコヒバ。その娘子が、いたく戀うならば。
 今還金 イマカヘリコム。金は字音假字として使用されている。イマは、まもなく。
【評語】男の歌である。見送つている女に對して、慰めの言葉を懸けている。諸説があるが、このままで何の不審もない。ただ郎子の文字だけが問題といえば問題になるだけである。四五句あたり、慰める氣もちがよく出ている。
 
右五首
 
(167)【釋】右五首 ミギノイツツ。五首とあるが、初めの二首は問答ではなく、後の三首が問答である。
 
譬喩歌
 
【釋】譬喩歌 ヒユカ。歌の全體、もしくは大部分に譬喩の使用されている歌をいう。修辭法の上からの分類である。ここにはただ一首だけを載せている。
 
3323 階立《しなた》つ 筑摩左野方《つくまさのかた》、
 息長《おきなが》の をちの小菅《こすげ》、
 編《あ》まなくに い苅り持ち來《き》、
 敷かなくに い苅り持ち來て、
 置きて 吾を偲《しの》はす。
 息長の をちの小菅。
 
 師名立《シナタツ》 都久麻左野方《ツクマサノカタ》
 息長之《オキナガノ》 遠智能小菅《ヲチノコスゲ》
 不v連爾《アマナクニ》 伊苅持來《イカリモチキ》
 不v敷爾《シカナクニ》 伊苅持來而《イカリモチキテ》
 置而《オキテ》 吾乎令v偲《ワレヲシノハス》
 息長之《オキナガノ》 遠智能子菅《ヲチノコスゲ》
 
【譯】段になつている筑摩の左野方、息長の川むこうのスゲは、編まないのだが刈つて持つて來て、敷かないのだが刈つて持つて來て、置いてわたしを思わせる。息長の川むこうのスゲは。
【構成】全篇一文。
【釋】師名立 シナタツ。枕詞であろう。語義不明。シナテル、シナダユフなどに準じて、シナは段級の義か。筑摩の左野方の地形が、段級になつているというのか。
 都久麻左野方 ツクマサノカタ。下に息長とあり、併わせて、近江の國の地名と考えられる。ツクマは筑摩。(168)滋賀縣坂田郡。米原の西方。サノカタは不明。カタは縣か。「狹野方波《サノカタハ》 實雖v不v成《ミニナラズトモ》」(巻十、一九二八)、「狹野方波《サノカタハ》 實爾成西乎《ミニナリニシヲ》」(同、一九二九)などある。
 息長之 オキナガノ。息長は、同じく坂田郡の郷名。
 遠智能小菅 ヲチノコスゲ。ヲチは、川の向こう岸をいう。筑摩左野方は大きくいい、息長ノヲチは、その一部をいう。コスゲは、スゲの愛稱で、相手の女をさしていう。
 不連尓 アマナクニ。敷物に編まないことだのに。
 吾乎令偲 ワレヲシノハス。シノハスは、思慕せしめる。句切。
 息長之遠智能子菅 オキナガノヲチノコスゲ。上の句を繰り返している。
【評語】 コスゲをもつて、ある女子を描いている。それを妻としたのではないが、その美しいのを見て物思いをすることを述べる。歌いものふうの輕快な調子の歌で、同句の繰り返しや、對句などが、調子をよくするのに役立つている。
 
右一首
 
挽歌
 
【釋】挽歌 メニカ。傷亡の歌で、部類の標目としては、この卷のほか、巻の二、三、七、九、十四の諸卷にある。ここには二十四首(内長歌十三首)で、反歌を伴なわない長歌の多いこと、連作と見られる長歌の存在することなどが注意される。
 
(169)3324 かけまくも あやにかしこし。
 藤原の 都しみみに
 人はしも 滿ちてあれども、
 君はしも 多く坐《いま》せど、
 行き向ふ 年の緒長く
 仕へ來《こ》し 君の御門《みかど》を、
 天の如 仰ぎて見つつ、
 畏《かしこ》けど 思ひたのみて、
 何時《いつ》しかも 日足《ひた》らしまして、
 十五月《もちづき》の 滿《たた》はしけむと、
 わが思ふ 皇子《みこ》の命《みこと》は、
 春されば 殖槻《うゑつき》が上《うへ》の
 遠つ人 松の下道《したぢ》ゆ
 登らして 國見あそばし、
 九月《ながつき》の 時雨《しぐれ》の秋は、
 大殿の 砌《みぎり》しみみに
 露負ひて 靡けるはぎを
(170) 玉だすき かけて偲《しの》はし、
 み雪ふる 冬の朝《あした》は、
 さしやなぎ 根張《ねはり》あづさを
 御手《みて》に 取らしたまひて
 遊ばしし 吾が王《おほきみ》を、
 煙《かすみ》立《た》つ 春の日暮《ひぐ》らし
 まそ鏡 見れど飽かねば、
 萬歳《よろづよ》に かくしもがもと、
 大船の たのめる時に、
 妖言《およづれ》か 目かも迷《まど》へる、
 大殿を ふりさけ見れば、
 白栲に 飾《かざ》りまつりて
 うち日さす 宮の舍人《とねり》も、 【一は云ふ、は】
 栲《たへ》の穗《ほ》に 麻衣《あさぎぬ》著《け》るは、
 夢かも 現《うつつ》かもと、
 曇り夜の 迷《まど》へるほどに、
 朝裳《あさも》よし 城上《きのへ》の道ゆ
(171) 角《つの》さはふ 石村《いはれ》を見つつ、
 神葬《かむはふ》り 葬りまつれば、
 往く道の たづきを知らに、
 思へども しるしを無み、
 嘆けども 奧處《おくか》を無み、
 御袖の 行き觸れし松を、
 言問《ことと》はぬ 木にはあれども、
 あらたまの 立つ月ごとに
 天の原 ふりさけ見つつ、
 玉だすき かけて思《しの》はな。
 かしこかれども。
 
 挂纏毛《カケマクモ》 文恐《アヤニカシコシ》
 藤原《フヂハラノ》 王都志弥美尓《ミヤコシミミニ》
 人下《ヒトハシモ》 滿雖v有《ミチテアレドモ》
 君下《キミハシモ》 大座常《オホクイマセド》
 往向《ユキムカフ》 年緒長《トシノヲナガク》
 仕來《ツカヘコシ》 君之御門乎《ミキノミカドヲ》
 如v天《アメノゴト》 仰而見乍《アフギテミツツ》
 雖v畏《カシコケド》 思憑而《オモヒタノミテ》
 何時可聞《イツシカモ》 日足座而《ヒタラシマシテ》
 十五月之《モチヅキノ》 多田波思家武登《タタハシケムト》
 吾思《ワガオモフ》 皇子命者《ミコノミコトハ》
 春避者《ハルサレバ》 殖槻於之《ウヱツキガウヘノ》
 遠人《トホツヒト》 待之下道湯《マツノシタヂユ》
 登之而《ノボラシテ》 國見所v遊《クニミアソバシ》
 九月之《ナガツキノ》 四具禮之秋者《シグレノアキハ》
 大殿之《オホトノノ》 砌志美弥尓《ミギリシミミニ》
 露負而《ツユオヒテ》 靡〓乎《ナビケルハギヲ》
 珠手次《タマダスキ》 懸而所v偲《カケテシノハシ》
 三雪零《ミユキフル》 冬朝者《フユノアシタハ》
 刺楊《サシヤナギ》 根張梓矣《ネハリアヅサヲ》
 御手二《ミテニ》 所v取賜而《トラシタマヒテ》
 所v遊《アソバシシ》 我王矣《ワガオホキミヲ》
 煙立《カスミタツ》 春日暮《ハルノヒグラシ》
 喚犬追馬鏡《マソカガミ》 雖v見不v飽者《ミレドアカネバ》
 萬歳《ヨロヅヨニ》 如v是霜欲得常《カクシモガモト》
 大船之《オホブネノ》 憑有時尓《タノメルトキニ》
 涙言《オヨヅレカ》 目鴨迷《メカモマドヘル》
 大殿矣《オホトノヲ》 振放見者《フリサケミレバ》
 白細布《シロタヘニ》 餝奉而《カザリマツリテ》
 内日刺《ウチヒサス》 宮舍人方《ミヤノトネリモ》【一云者】
 雪穗《タヘノホニ》 麻衣服者《アサギヌケルハ》
 夢鴨《イメカモ》 現前鴨跡《ウツツカモト》
 雲入夜之《クモリヨノ》 迷間《マドヘルホドニ》
 朝裳吉《アサモヨシ》 城於道從《キノヘノミチユ》
 角障經《ツノサハフ》 石村乎見乍《イハレヲミツツ》
 神葬《カムハフリ》 葬奉者《ハフリマツレバ》
 往道之《ユクミチノ》 田付叫不v知《タヅキヲシラニ》
 雖v思《オモヘドモ》 印乎無見《シルシヲナミ》
 雖v嘆《ナゲケドモ》 奧香乎無見《オクカヲナミ》
 御袖《ミソデノ》 往觸之松矣《ユキフレシマツヲ》
 言不v問《コトトハヌ》 木雖v在《キニハアレドモ》
 荒玉之《アラタマノ》 立月毎《タツツキゴトニ》
 天原《アマノハラ》 振放見管《フリサケミツツ》
 珠手次《タマダスキ》 懸而思名《カケテシノハナ》
 雖2恐有1《カシコカレドモ》
 
【譯】申すも恐れ多い。藤原の都いつぱいに、人は滿ちてあるけれども、君は多くおいでになるけれども、めぐり來る年月長く、仕えて來た君の御門を、天のように仰いで見ながら、恐れ多いが頼みに思つて、何時かは御成長になつて、滿月のように滿ち足りてあるだろうと、わたくしの思う皇子樣は、春になれば、殖槻の上の、遠方の人を待つ、その松の下道を通つて、お登りになつて國土を御覽になり、九月の時雨の降る秋は、宮殿の前の敷石いつぱいに靡いているハギを、美しい襷のように心にかけて御賞美になり、雪の降る冬の朝は、插木のヤナギが根を張るように、張る梓弓を御手にお取り遊ばされて、獵をなされたわが大君を、霞の立つ春の日(172)じゆう、澄んだ鏡のように見ても飽きないので、永久にかようにありたいものだと、大船のように頼みにしている時に、まどわかし言に目が迷つたのか、宮殿を仰いで見れば、白い布で装飾し奉つて、日の輝く御殿の舍人も、まつ白にアサの衣服を著ているのは、夢であるか、現實であるかと、曇つている夜のように迷つている時に、朝の裳を著るという、その城上《きのえ》の道を通つて、角がじやまになる、その石村《いわれ》を見ながら、御葬儀をなし奉れば、行く道の方向も知らず、思つてもかいがなく、歎いてもどうしてよいかわからないので、御袖の行つて觸れた松を、物を言わない樹ではあるけれども、立ち替わる月ごとに、大空をふり仰いで見ながら、美しいたすきのように、心に懸けてお慕い申し上げたい。恐れ多いことではあるが。
【構成】全篇一文。文としては、途中に切れている處もある。皇子ノ命はまで皇子を提示する。憑メル時ニまで生前の事を敍する。葬リマツレバまで、その薨去と御葬儀とを述べる。以下作者の感想。
【釋】挂纏毛文恐 カケマクモアヤニカシコシ。以下亡き皇子の上を言おうとして、まず恐懼の念に堪えないことを述べている。この形は、柿本の人麻呂の、高市の皇子の薨去の時の挽歌に、「挂文《カケマクモ》 忌之伎鴨《ユユシキカモ》 言久母《イハマクモ》 綾爾畏伎《アヤニカシコキ》」(巻二、一九九)と歌い起したものと似ているが、彼は連體形を採つて、まず言おうとする天武天皇の上についてこの句をなしている。これは終止形を採つていて、主として皇子の上をいうところの以下全體に關するものと見られる。但しこれも連體形に讀むとすれば、次句の藤原ノ都を修飾することになる。後に大伴の家持が、安積《あさか》の皇子の薨去をいたんだ歌にも、これが使用されており、それには「挂卷母《カケマクモ》 綾爾恐之《アヤニカシコシ》 言卷毛《イハマクモ》 齋忌志伎可物《ユユシキカモ》」(巻三、四七五)と終止形になつている。
 藤原王都志弥美尓 フヂハラノミヤコシミミニ。藤原は、持統天皇の八年十二月にその地に遷居されてから、文武天皇を經て、元明天皇の和銅三年に平城の京に遷られるまで、帝都であつた。この歌の作られたのは、その間であつたことが知られる。王都の文字は、この卷だけにある文字で、三二三一の或る本、および三二五二(173)の歌に見えている。シミミニは、密生してある意をあらわす副詞。シミミは、繁茂の意のシミを重ねた語。この歌にも、なお「砌志美彌爾」と使用されている。
 人下滿雖有 ヒトハシモミチテアレドモ。以下は、多數ある中に特に一つを取り上げていう一つの型で、集中しばしば使用されている。「人多《ヒトサハニ》 國爾波滿而《クニニハミチテ》 味村乃《アヂムラノ》 去來者行趾《ユキキハユケド》」(巻四、四八五)。
 君下大座常 キミハシモオホクイマセド。キミは、主君。ここでは皇子などをいう。
 往向 ユキムカフ。年の來るのを、こちらからそれに向かう意に、次の年ノ緒を修飾している。
 年緒長 トシノヲナガク。トシノヲは、年の連續の表現。
 仕來 ツカヘコシ。作者の奉仕した意。作者は、多分舍人などで奉仕したのであろう。
 君之御門乎 キミノミカドヲ。ミカドは、御門を通じて、宮殿をいう。
 如天仰而見乍 アメノゴトアフギテミツツ。宮殿を仰ぐこと。「天之如《アメノゴト》 振放見乍《フリサケミツツ》」(巻二、一九九)とも使用されている。
 何時可聞 イツシカモ。何時シカモで、早くの意をあらわす。カモは係助詞。この係りは、タタハシケムまでに懸かつている。
 日足座而 ヒタラシマシテ。ヒタラシは、日を充足する義で、成長する意になる。「また命詔したまはく、いかにして日足《ひた》しまつらむ、とのりたまへば、答へて白さく、御母《みおも》を取り、大湯坐《おほゆゑ》、若湯坐《わかゆゑ》を定めて、日足しまつるべしとまをしたまひき」(古事記中卷)。
 十五月之 モチヅキノ。枕詞。
 多田波思家武登 タタハシケムト。タタハシケまで形容詞の活用形、ムは助動詞。滿ち足りてある?をいう形容詞。「望月乃《モチヅキノ》 滿波之計武跡《タタハシケムト》」(巻二、一六七)。
(174) 皇子命者 ミコノミコトハ。ミコトは尊稱。
 春避者 ハルサレバ。以下で、皇子の生前の行實を、春秋冬に分けて敍している。格別の行實を述べないところを見ると、成年期に入らなかつた方であろう。
 殖槻於之 ウエツキガウヘノ。殖槻は地名。今、大和郡山市に殖槻八幡宮がある。神樂歌小前張に「殖槻や田中の森や」とある處。殖槻ガウヘは、殖槻から上つた高臺。
 遠人 トホツヒト。枕詞。遠方の人が待つと懸けている。
 待之下道湯 マツノシタヂユ。マツは、松であるが、遠ツ人を受けて、待の字を使つている。ユは、を通つて。
 國見所遊 クニミアソバシ。アソバシは、遊ブの敬語だが、ここでは、なされた意味の敬語として使用されている。アソバシは、集中この歌に二囘使用されているだけである。「夜須美斯志《ヤスミシシ》 和賀意富岐美能《ワガオホキミノ》 阿蘇婆志斯《アソバシシ》 志斯能《シシノ》 夜美斯志能《ヤミシシノ》」(古事記九九)のアソバシシは、獵をされた意に使用されている。
 砌志美弥尓 ミギリシミミニ。ミギリは、軒下の敷石。殿前。
 珠手次 タマダスキ。枕詞。
 懸而所偲 カケテシノハシ。シノハシは、賞美される。前の歌にもシノハスがあるが、それは使役法。これは敬語法である。
 三雪零 ミユキフル。枕詞。冬を修飾する。
 刺楊根張梓矣 サシヤナギネハリアヅサヲ。插木のヤナギが根を張る意味に、サシヤナギネまで序詞。ハリアヅサは、弓弦を張つたアヅサで、梓弓のこと。
 御手二所取賜而 ミテニトラシタマヒテ。トラシは、取ルの敬語。
(175) 所遊 アソバシシ。狩獵をされた。上の「國見所遊」參照。
 煙立 カスミタツ。枕詞。煙は、煙霞の義で、霞に同じ。
 喚犬追馬鏡 マソカガミ。枕詞。犬を喚ぶのがマ、馬を追うのがソで、戲書である。犬馬鏡とあるのは、これの省略である。喚犬追馬鏡と書いたのは、これ一つであるが、「宮材引《ミヤギヒク》 泉之追馬喚犬二《イヅミノソマニ》 立民乃《タツタミノ》」(卷十一、二六四五)と書いた例がある。
 萬歳如是霜欲得常 ヨロヅヨニカクシモガモト。永久にかくありたいものと。
 涙言 オヨヅレカ。
   ナクワレカ(西)
   ――――――――――   
   妖言可《マガコトカ》(考)
   妖言可《オヨヅレカ》(略)
   言涙《ワガナミダ》(略、宣長)
   妖言《オヨヅレニ》(新訓)
涙は、妖の異體字から誤つたものと考えられる。カは、疑問の助詞。
 目鴨迷 メカモマドヘル。見た所が誤つたか。句切。
 白細布餝奉而 シロタヘニカザリマツリテ。皇子の殯宮として、白布をもつて飾るのである。
 内日刺 ウチヒサス。枕詞。
 宮舍人方 ミヤノトネリモ。皇子の宮殿に奉仕していた舍人も。方をモと讀むのは、四方、八方などの場合に、方をモと讀むによる。下に「一云者」とあるによれば、方をモに當てたものと思われる。
 雪穗 タヘノホニ。雪は白いものであるから義をもつて書いている。タヘは、コウゾの繊維。ホはそのすぐれたもの。まつ白に。「栲乃穩爾《タヘノホニ》 夜之霜落《ヨルノシモフリ》」(卷一、七九)。次の句を修飾している。
(176) 麻衣服者 アサギヌケルハ。ケルは、動詞の著ルの連體形。ケルは證明がある。この邊の敍事は、「吾大王《ワガオホキミ》 皇子之御門乎《ミコノミカドヲ》 神宮爾《カムミヤニ》 装束奉而《ヨソヒマツリテ》 遣使《ツカハシシ》 御門之人毛《ミカドノヒトモ》 白妙乃《シロタヘノ》 麻衣著《アサゴロモキ》」(巻二、一九九)と通ずるものがある。
 夢鴨現前鴨跡 イメカモウツツカモト。夢か現實かと。
 雲入夜之 クモリヨノ。枕詞。曇つている夜で、暗いから迷フに冠している。
 朝裳吉 アサモヨシ。枕詞。集中、朝毛吉二、朝裳吉二、麻毛吉一、麻裳吉一である。アサモは、通常、麻裳と解せられているが、麻の裳は、女子の平常の服装で、特にそれを著る意味にキの枕詞としたというは、不審がある。むしろ朝の裳で、婦人の寐起きの姿を想像していると見るべきではなかろうか。
 城於道從 キノヘノミチユ。キノヘは、城上とも書く。今の北葛城郡馬見町という。城上へ行く道を通つて。
 角障經 ツノサハフ。枕詞。
 石村乎見乍 イハレヲミツツ。石村は、泊瀬の山口。藤原の京からは、城上は東方、石村は西方に當るので、この歌のままとすれば、皇子の御殿が城上方面にあつたことになる。
 神葬々奉者 カムハフリハフリマツレバ。ハフリの語義からいえば、カムハフリは、神が死の穢れを拂う義であろうが、轉じて、死者を神として葬儀を行う意に使用されているらしい。「言佐倣久《コトサヘク》 百濟之原從《クダラノハラユ》 神葬《カムハフリ》 々伊座而《ハフリイマシテ》」(巻二、一九九)。
 往道之田付叫不知 ユクミチノタヅキヲシラニ。どちらへ行つたらよいかも知らず。
 奧香乎無見 オクカヲナミ。オクカは、道などの先の方。行くべき先がないので。
 御袖往觸之松矣 ミソデノユキフレシマツヲ。行きずりに御袖の觸れた松を。上の松ノ下道ユ登ラシテを想起している。
(177) 言不問木雖在 コトトハヌキニハアレドモ。物を言わない木ではあるが。
 荒玉之 アラタマノ。枕詞。年に冠するを通例とするが、ここは轉じて月に冠している。
 立月毎 タツツキゴトニ。タツツキは、あらたに始まる月。
 天原振放見管 アマノハラフリサケミツツ。皇子の神靈を天上に仰ぐ意。
 懸而思名 カケテシノハナ。カケテは心に懸けて。シノハナは、思慕したい。句切。
 雖恐有 カシコカレドモ。上の懸ケテシノハナを修飾している。
【評語】皇子の薨去を悼んだ堂々たる作品である。柿本の人麻呂の、高市の皇子の薨去を悼んだ長歌と、共通する詞句が多く、同一人の作ではないかと思われる。まず將來を期待するところのあつた皇子を提示し、その生前の行實に及び、春秋および冬に分けて、これを敍しているが、これは歌中のもつとも注意すべき部分であつて、作者の創作的手腕をよく發揮している。それから皇子の葬儀を敍し、最後に思慕の情を述べて終つている。この皇子は、まだ年少でおいでになつたと見えて、格別の御事蹟はないようであり、從つて歴史的敍述をするに至らないが、それをこれだけに歌つたのは、大手腕といえよう。反歌によれば、火葬したようであり、火葬は、文武天皇の四年、僧道昭の死去の時に始まるとされているから、その年以後、奈良遷都までのあいだの作と考えられる。その間、續日本紀に皇子の薨去を傳えるのは、慶雲二年五月における刑部の親王の薨去だけである。親王は、天武天皇の第九の皇子で、天武天皇の元年の紀に、既にその名が見え、歌中の、何時シカモ日足ラシマシテ云々とあるに合わない。
 
反歌
 
3325 角さはふ 石村《いはれ》の山に、
(178) 白栲に 懸かれる雲は、
 わが王《おほきみ》かも。
 
 角障經《ツノサハフ》 石村山丹《イハレノヤマニ》
 白栲《シロタヘニ》 縣有雲者《カカレルクモハ》
 皇可聞《ワガオホキミカモ・オホキミロカモ》
 
【譯】角の邪魔になる石村の山に、まつ白に懸かつている雲は、わが皇子樣だろうか。
【釋】角障經 ツノサハフ。枕詞。
 石村山丹 イハレノヤマニ。石村の地の山であろうが、今いずれともさしがたい。
 白栲 シロタヘニ。シロタヘは、白い織布であるが、ここでは白色の意に使用している。
 懸有雲者 カカレルクモハ。火葬の煙を雲に見立てている。
 皇可聞 ワガオホキミカモ。
   オホキミニカモ(西)
   ――――――――――
   星可聞《ハレニケルカモ》(類)
   吾王可聞《ワガオホキミカモ》(考)
   皇呂可聞《オホキミロカモ》(古義)
 ワガに當る字はないが、讀み添えるほかはあるまい。接尾語ロを讀み添えれば、オホキミロカモとなる。これには「淤富岐美呂迦母《オホキミロカモ》」(古事記五八)の例がある。
【評語】山にかかれる雲を見て、火葬の煙の立ち昇るのかと疑つている。柿本の人麻呂の作に「こもりくの泊瀬の山の山の際《ま》にいさよふ雲は妹にかもあらむ」(巻三、四二八)というのがあつて、よく似ている。その後、立つ雲を、火葬の煙に擬して詠むことは、一つの型になつた。
 
右二首
 
(179)3326 磯城島の 大和の國に
 いかさまに 念ほしめせか、
 つれもなき 城上《きのへ》の宮に
 大殿を 仕へまつりて、
 殿|隱《ごも》り 隱《こも》りいませば、
 朝《あした》には 召して使ひ、
 夕《ゆふべ》は 召して使ひ、
 使はしし 舍人《とねり》の子らは、
 行く鳥の 群《むら》がりて待ち
 あり待てど 召したまはねば、
 劔刀《つるぎたち》 磨ぎし心を
 天雲《あまぐも》に 念ひ散《はふ》らし、
 展轉《こいまろ》び ひづち哭《な》けども、
 飽き足らぬかも。
 
 磯城島之《シキシマノ》 日本國尓《ヤマトノクニニ》
 何方《イカサマニ》 御念食可《オモホシメセカ》
 津禮毛無《ツレモナキ》 城上宮尓《キノヘノミヤニ》
 大殿乎《オホトノヲ》 都可倍奉而《ツカヘマツリテ》
 殿隱《トノゴモリ》 々在者《コモリイマセバ》
 朝者《アシタニハ》 召而使《メシテツカヒ》
 夕者《ユフベハ》 召而使《メシテツカヒ》
 遣之《ツカハシシ》 舍人之子等者《トネリノコラハ》
 行鳥之《ユクトリノ》 羣而待《ムラガリテマチ》
 有雖v待《アリマテド》 不2召賜2者《メシタマハネバ》
 劔刀《ツルギタチ》 磨之心乎《トギシココロヲ》
 天雲尓《アマグモニ》 念散之《オモヒハフラシ》
 展轉《コイマロビ》 土打哭杼母《ヒヅチナケドモ》
 飽不v足可聞《アキタラヌカモ》
 
【譯】礒城島の大和の國に、どのようにお考えになつてか、縁故もない城上の宮に、御殿をお作り申しあげて、その宮におこもりになるので、朝は召して使い、夕方は召して使い、お使いになつた舍人の人々は、行く鳥のように群がつて待ち、そのままにお待ちしているが、お召しにならないので、劔刀をとぐように、みがいた心(180)を、天の雲のように、思い散らして、ころび廻つて泣き濡れるけれども、飽き足らないことである。
【構成】全篇一文。
【釋】礒城島之 シキシマノ。枕詞。
 日本國尓 ヤマトノクニニ。大和の國に。
 何方御念食可 イカサマニオモホシメセカ。オモホシメセカは、疑問の已然條件法。殿隱リ隱リ坐セバで、これを受けているが、插入文として獨立の性質が濃厚である。この句は、人麻呂の作品中、二九と一六七とに見えている。意外の情を表現する句。
 津禮毛無城上宮尓 ツレモナキキノヘノミヤニ。從來関係のなかつた城上の宮に。城上に御墓を造營するをいう。「由縁母無《ツレモナキ》 眞弓乃岡爾《マユミノヲカニ》」(巻二、一六七)。
 大殿乎都可倍奉而 オホトノヲツカヘマツリテ。殯宮を造營したことをいう。
 殿隱々座者 トノゴモリコモリイマセバ。その殯宮におこもりになつたので。事實は、そこに送葬したことをいう。
 遣之 ツカハシシ。お使いになつた。ツカハシは、使フの敬語法。
 舍人之子等者 トネリノコラハ。コラは愛稱。ここは人々をいう。
 行鳥之 ユクトリノ。枕詞。
 有雖待 アリマテド。ありつつ待てど。
 劔刀 ツルギタチ。枕詞。
 磨之心乎 トギシココロヲ。磨ギシ心は、緊張した心。
 天雲尓 アマグモニ。次の句の譬喩として使われている。天雲のような遠い彼方へ。
(181) 念散之 オモヒハグラシ。思い散じてしまつて。
 土打哭杼母 ヒヅチナケドモ。ヒヅチは濡れる。泣き濡れて。
 飽不足可聞 アキタラヌカモ。ころび廻つて泣くが、それでは心が滿足しない意。
【評語】起句が唐突で、前半を失つているようである。恐らくは草案のままに傳わつたものであろう。城上に殯宮を造營すること、草壁の皇太子の薨去の時の歌のようである。これも人麻呂の作であるかも知れない。
 
右一首
 
3327 百小竹《ももしの》の 三野《みの》の王《おほきみ》、
 西の厩《うまや》 立てて飼《か》ふ駒、
 東《ひむかし》の厩 立てて飼ふ駒、
 草こそは 取りて飼ふがに
 水こそは ?《く》みて飼ふがに、
 何しかも
 大分青《まさを》の馬の 嘶《いば》え立ちつる。
 
 百小竹之《モモシノノ》 三野王《ミノノオホキミ》
 金厩《ニシノウマヤ》 立而飼駒《タテテカフコマ》
 角厩《ヒムカシノウマヤ》 立而飼駒《タテテカフコマ》
 草社者《クサコソハ》 取而飼旱《トリテカフガニ》
 水社者《ミヅコソハ》 ?而飼旱《クミテカフガニ》
 何然《ナニシカモ》
 大分青馬之《マサヲノウマノ》 鳴立鶴《イバエタチツル》
 
【譯】小竹の多い三野、その三野の王は、西の厩を立てて飼う馬、東の厩を立てて飼う馬、その馬に草は取つて來て與えるだろうが、水は汲んで來て與えるだろうが、どうしてその青毛の馬が鳴き立てているのだろう。
【構成】全篇一文。
【釋】百小竹之 モモシノノ。枕詞。小竹の多い義で、三野に冠している。
(182) 三野王 ミノノオホキミ。和銅元年五月に從四位の下をもつて卒した美努の王であろう。大宰の帥、左京の大夫、攝津の大夫、治部の卿などに歴任した人で、敏達天皇の系統。栗隈《くりくま》の王の子、橘の諸兄の父である。厩を立てて駒を飼うことの主格として提示している。
 金厩 ニシノウマヤ。木火土金水の五行を方角に配すれば、金は西に當るので、西に當てて書いている。邸宅の東西に厩があつたのであろう。
 角厩 ヒムカシノウマヤ。宮商角徴羽の五音を方角に配當すれば、角は東に當る。
 取而飼旱 トリテカフガニ。旱は、字音假字。ガニは、ほどに、までにの意をあらわす助詞。ここは、それほどにして飼う意。
 何然 ナニシカモ。シは強意の助詞。カモは疑問の係助詞。
 大分青馬之 マサヲノウマノ。アシゲノウマノ(西)、マシロノコマノ(考)、ヒタヲノコマノ(略)。マサヲノウマは、黒毛の馬だが、青く見えるので、大分青馬と書いている。大分は、大きなきまりで、荀子榮辱篇に「榮(ハ)者常(ニ)通(ジ)、辱(ハ)者常(ニ)窮(ス)、是(レ)榮之大分也」の如き用例がある。他の訓法もあるが、反歌の「衣袖」の枕詞を受けては、この訓でなくては都合がわるい。マは接頭語。サヲの語は「人魂乃《ヒトダマノ》 佐青有公之《サヲナルキミガ》」(巻十六、三八八九)の例があり、馬については、催馬樂の青馬に「さをの馬放れば取り繋げ」とある。
 鳴立鶴 イバエタチツル。イバエは、馬の鳴くをいう。倭名類聚鈔に「玉篇(ニ)云(フ)、嘶、【音西、訓伊波由俗云伊奈々久。】馬鳴(ク)也」とある。
【評語】三野の王の飼つている馬には、草や水を與えて飼つてあるのに、どうして鳴くのかという形で、王の卒去を描いている。短い歌だが、對句を用い、王家の異變を巧みに描寫している。挽歌として出色の作である。青黒毛の馬は、死を象徴するものの如く、その鳴き立てるのが、異變を暗示している。この點からしても、他(183)の毛色では具合がわるい。
 
反歌
 
3328 衣手《ころもでを》を 大分青《まさを》の馬の 嘶《いば》ゆ聲、
 情《こころ》あれかも 常ゆ異《け》に鳴く。
 
 衣袖《コロモデヲ》 大分青馬之《マサヲノウマノ》 嘶音《イバユコヱ》
 情有鳧《ココロアレカモ》 常從異鳴《ツネユケニナク》
 
【譯】著物はアサで作る。そのような青毛の馬の鳴く聲は、心があるのか、常と變わつて鳴いている。
【釋】衣袖 コロモデヲ。枕詞。衣服は、通例アサで作るので、次の句のサヲを引き起している。「直佐麻乎《ヒタサヲヲ》 裳者織服而《モニハオリキテ》」(巻九、一八〇七)。ヲは、感動の助詞。
 嘶音 イバユコヱ。ナクコヱモ(元)、ナクコヱノ(天)、イバユコヱ(新訓)、イバエゴヱ(古義)、イバユは、下二段活と解せられるが、古くは終止形をもつて連體とした。射ユ鹿の如きは、その例である。以上二句、長歌の末を受けて提示している。
 情有鳧 ココロアレカモ。疑問條件法。カモは係助詞。
 常從異鳴 ツネユケニナク。ユは、比較していう用法。「妹手呼《イモガテヲ》 取石池之《トロシノイケノ》 浪間從《ナミマヨリ》 鳥音異鳴《トリガネケニナク》 秋過良之《アキスギヌラシ》」(巻十、二一六六)。
【評語】長歌を受けて、一層その意を明白ならしめている。よく長歌の内容を補足している作である。
 
右二首
 
3329 白雲の たなびく國の、
(184) 青雲の 向伏《むかぶ》す國の、
 天雲《あまぐも》の 下なる人は、
 妾《わ》のみかも 君に戀ふらむ。」
 吾《わ》のみかも 夫君《きみ》に戀ふれば、
 天地に 滿ち足《た》らはして、
 戀ふれかも 胸の病《や》める。
 念へかも 心の痛き。
 わが戀ぞ 日にけに益さる。」
 何時はしも 戀ひぬ時とは あらねども、
 この九月《ながつき》を
 わが夫子が 偲《しの》ひにせよと、
 千世にも 偲ひわたれと、
 萬代に 語り續《つ》がへと、
 始めてし 此の九月の
 過ぎまくを いたもすべなみ、
 あらたまの 月の易《か》はれば、
 爲《せ》むすべの たどきを知らに、
(185) 石が根の 凝《こご》しき道の
 石床《いはどこ》の 根延《ねは》へる門《かど》に、
 朝《あした》には 出で居《ゐ》て嘆き
 夕《ゆふべ》には 入り坐《ゐ》戀ひつつ、
 ぬばたまの 黒髪敷きて
 人の寐《ぬ》る 味寐《うまい》は宿《ね》ずに、
 大船の ゆくらゆくらに
 思《しの》ひつつ わが寐《ぬ》る夜らは、
 數《よ》みもあへぬかも。」
 
 白雲之《シラクモノ》 棚曳國之《タナビククニノ》
 青雲之《アヲグモノ》 向伏國乃《ムカブスクニノ》
 天雲《アマグモノ》 下有人者《シタナルヒトハ》
 妄耳鴨《ワノミカモ》 君尓戀濫《キミニコフラム》
 吾耳鴨《ワノミカモ》 夫君尓戀禮薄《キミニコフレバ》
 天地《アメツチニ》 滿言《ミチタラハシテ》
 戀鴨《コフレカモ》 ※[匈/月]之病有《ムネノヤメル》
 念鴨《オモヘカモ》 意之痛《ココロノイタキ》
 妾戀敍《ワガコヒゾ》 日尓異尓益《ヒニケニマサル》
 何時橋物《イツハシモ》 不v戀時等者《コヒヌトキトハ》 不v有友《アラネドモ》
 是九月乎《コノナガツキヲ》
 吾背子之《ワガセコガ》 偲丹爲與得《シノヒニセヨト》
 千世尓物《チヨニモ》 偲渡登《シノヒワタレト》
 萬代尓《ヨロヅヨニ》 語都我部等《カタリツガヘト》
 始而之《ハジメテシ》 此九月之《コノナガツキノ》
 過莫乎《スギマクヲ》 伊多母爲使無見《イタモスベナミ》
 荒玉之《アラタマノ》 月乃易者《ツキノカハレバ》
 將v爲須部乃《セムスベノ》 田度伎乎不v知《タドキヲシラニ》
 石根之《イハガネノ》 許凝敷道之《コゴシキミチノ》
 石床之《イハドコノ》 根延門尓《ネハヘルカドニ》
 朝庭《アシタニハ》 出居而嘆《イデヰテナゲキ》
 夕庭《ユフベニハ》 入座戀乍《イリヰコヒツツ》
 烏玉之《ヌバタマノ》 黒髪敷而《クロカミシキテ》
 人寐《ヒトノヌル》 味寐者不v宿尓《ウマイハネズニ》
 大船之《オホブネノ》 行良行良尓《ユクラユクラニ》
 思乍《オモヒツツ》 吾寐夜等者《ワガヌルヨラハ》
 數物不v鴨《ヨミモアヘヌカモ》
 
【譯】白い雲のたなびく國で、青い雲の彼方に垂れている國で、天の雲の下にある人は、わたしばかりが君に戀しているのだろうか。わたしばかりが君に戀しているのでか、天地にいつぱいに戀するゆえか、胸が惱ましい。思つているゆえか、心が痛む。わたしの戀は、一日一日に増して行く。何時といつて戀いない時はないけれども、この九月を、わが夫が思い出にせよと、永久に思つていよと、何時までも語り續いて行けとして、始まつたこの九月の、過ぎることが何とも致し方なく、新しい月が變わるので、どうする法も知らず、岩石の固い道で、石床の根を張つている門口に、朝には出ていて嘆息をし、夕方にははいつていて戀しつつ、まつ黒な髪を敷いて、よその人の寐るような熟睡はしないで、大船のように落ちつかずに、物思いをしながら、わたしの寐る夜は、數えきれないことだ。
【構成】第一段、君ニ戀フラムまで。自分ばかりが戀をしているのかと歎く。第二段、心ノ痛キまで。記念と(186)する九月が過ぎるので、戀のために心の惱むことを述べる。第三段、終りまで。夫に死別してひとり寐ることを敍する。
【釋】白雲之棚曳國之青雲之向伏國乃天雲下有人者 シラクモノタナビククニノアヲグモノムカブスクニノアマグモノシタナルヒトハ。白雲のたなびく國であり、青雲の向伏す國でもあるこの國の、天雲の下にある人の意。雲を重ねている。青雲は、黒みを帶びた雲。天雲の下なる人は、すべての人。「青雲のたなびく極み、白雲のおりゐ向伏す限り」(祈年祭の祝詞)の句によつて歌つている。
 妾耳鴨君尓戀濫 ワノミカモキミニコフラム。君に戀しているのは自分ばかりだろうか。句切。歌意によれば、この戀は、既に死んだ夫に對している。
 吾耳鴨夫君尓戀禮薄 ワノミカモキミニコフレバ。上の二句と對になつている。カモは、疑問の係助詞であり、戀フレバがそれを受けている。
 滿言 ミチタラハシテ。
   コトハヲミテテ(西)
   イヒタラハシテ(考)
   コトヲミテテ(新訓)
   ――――――――――
   滿足《ミチタラハシテ》(略、宣長)
 言は、諸本に同じであるが、そのままでは解きがたい。このままならばコトヲミテテとでも讀むのだが、天地に言を滿たして戀うという言い方は、類例がない。よつて、略解に見える本居宣長の説に、言を足の誤りとして、ミチタラハシテと讀むによる。これは既出「天地丹《アメツチニ》 思足椅《オモヒタラハシ》」(巻十三、三二五八)などあるによるもので、天地いつぱいに思い戀う意に、次の戀フ、および念フを修飾するとするのである。
 戀鴨※[匈/月]之病有 コフレカモムネノヤメル。コフレカモは、疑問條件法。カモを受けてヤメルと結んでいる。
(187)句切。
 念鴨意之痛 オモヘカモココロノイタキ。上の二句と對句になつている。句切。
 日尓異尓益 ヒニケニマサル。ケに異の字を使用しているのは、その字の持つ意味が感じられていたものと考えられる。日ごとに時の變わるごとに増してゆく。句切。
 何時橋物 イツハシモ。橋は、訓假字、何時を強調している。
 是九月乎 コノナガツキヲ。作者の戀うている夫と、九月に結婚したのであろう。
 偲丹爲與得 シノヒニセヨト。シノヒは、思慕、思い出。
 千世尓物偲渡登 チヨニモシノヒワタレト。チヨは、永久の時間。シノヒワタレは、思慕して日を過ごせ。
 萬代尓語都我部等 ヨロヅヨニカタリツガヘト。ヨロヅヨは、千代に同じく、永久の時間。カタリツガヘは、語リ繼グの繼續をあらわす語法。その命令形。
 始而之此九月之 ハジメテシコノナガツキノ。九月に結婚したので、その月を思い出の初めとした意に言つている。また夫の死んだ月のことを言つているのかも知れない。
 荒玉之 アラタマノ。枕詞。
 月乃易者 ツキノカハレバ。九月が過ぎて十月になつたことをいう。
 將爲須部乃田度伎乎不知 セムスベノタドキヲシラニ。以下三二七四とほとんど同じである。その條參照。
 數物不敢鴨 ヨミモアヘヌカモ。數えることに堪えないかなあ。數え得ないことだ。三二七四の歌では「讀文將v敢鴨」になつていた。
【評語】亡き夫を思う情が、こまごまと描かれている。雲の對、シノヒニセヨト云々の對など、三句の對を三種までも使つているのは、修辭上の特色だ。この歌の後半が前にも出ているのは、作者の別案ともいえるし、(188)既存の句を更にここに使用したともいえよう。その部分は、類型的な句が多い。
 
右一首
 
3330 こもりくの 長谷《はつせ》の川の
 上《かみ》つ瀬に 鵜を八頭《やつ》潜《かづ》け、
 下《しも》つ瀬に 鵜を八頭《やつ》潜《かづ》け、
 上つ瀬の 年魚《あゆ》を咋《く》はしめ、
 下《しも》つ瀬の 鮎を咋《く》はしめ、
 麗《くは》し妹に 鮎をあたら、
 麗し妹に 鮎をあたら、
 投《な》ぐる箭《さ》の 遠離《とほざか》り居て、
 思ふそら 安からなくに、
 嘆《なげ》くそら 安からなくに、
 衣《きぬ》こそは それ破《や》れぬれば、
 繼ぎつつも またも逢ふといへ、
 玉こそは 緒の絶えぬれば、
 括《くく》りつつ またも逢ふといへ。
(189) またも逢はぬものは、
 嬬《つま》にしあもりけり。
 
 隱來之《コモリク》 長谷之川之《ハツセノカハノ》
 上瀬尓《カミツセニ》 鵜矣八頭漬《ウヲヤツカヅケ》
 下瀬尓《シモツセニ》 鵜矣八頭漬《ウヲヤツカヅケ》
 上瀬之《カミツセノ》 年魚矣令v咋《アユヲクハシメ》
 下瀬之《シモツセノ》 鮎矣令v《アユヲクハシメ》
 麗妹尓《クハシイモニ》 鮎遠惜《アユヲアタラ》
 麗妹尓《クハシイモニ》 鮎矣惜《アユヲアタラ》
 投左乃《ナグルサノ》 遠離居而《トホザカリヰテ》
 思空《オモフソラ》 不v安國《ヤスカラナクニ》
 嘆空《ナゲクソラ》 不v安國《ヤスカラナクニ》
 衣社薄《キヌコソハ》 其破者《ソレヤレヌレバ》
 繼乍物《ツギツツモ》 又母相登言《マタモアフトイヘ》
 玉社者《タマコソハ》 緒之絶薄《ヲノタエヌレバ》
 八十一里喚鷄《ククリツツ》 又物逢登曰《マタモアフトイヘ》
 又毛不v相物者《マタモアハヌモノハ》
 ?尓志有來《ツマニシアリケリ》
 
【譯】隱れた國の長谷の川の、上流の瀬に鵜を多く潜らせ、下流の瀬に鵜を多く潜らせ、上流の瀬の鮎を食わせ、下流の瀬の鮎を食わせ、美しい妻に鮎をやろうものを、殘念にも、投げる箭のように遠ざかつていて、思う心は落ちつかず、嘆く心は落ちつかず、衣服こそは破れれば繼いでもまた合うという。玉こそは緒が切れればくくつてもまた合うという。またと逢わないものは、妻であつた。
【構成】全篇一文。はじめに泊瀬川の鵜飼のことを敍して序とし、これによつて妻に死別したことを敍する。次にふたたび逢うことのできないのを歎く。
【釋】隱來之 コモリクノ。枕詞。
 長谷之川之 ハツセノカハノ。長谷は泊瀬に同じ。この川を出したのは、藤原の宮時代で、近い處を流れる川だからであろう。
 鵜矣八頭漬 ウヲヤツカヅケ。八頭は八羽に同じ。多數の意。カヅケは、水中に入つて魚を捕らしめるをいう。鵜飼をするをいう。
 下瀬之鮎矣令咋 シモツセノアユヲクハシメ。鮎は年魚に同じ。倭名類聚鈔、鮎の條に「本草(ニ)云(フ)、銕魚、蘇敬(ノ)注(ニ)云(フ)、一名鮎魚上(ハ)奴兼(ノ)反、阿由《アユ》崔禹食經(ニ)云(フ)、貌似(テ)v鱒(ニ)而小、有(リ)2白(キ)皮1、無(ス)v鱗。春生(レ)夏長(ジ)秋衰(ヘ)冬死(ヌ)、故(ニ)名(クル)2年魚(ト)1也」とある。以上は、序で、同音によつて次のクハシを引き起している。
 麗妹尓 クハシイモこ。美しい妻に。死んだ妻をいう。
 鮎遠惜 アユヲアタラ。アユヲアタラシ(西)、アユヲヲシミ(新訓)。クハシ妹ニ鮎ヲ惜シミでは、内容上(190)おもしろくないので、諸説のある所である。文字に誤りがありとすればともかく、このままでは、アユヲヲシミ、アユヲアタラなどとするほかはあるまい。同じ作者の連作と見られる次の歌に、惜の字をアタラシにもヲシにも當てて書いているので、ここもアタラとも讀まれることが確かめられる。アタラは、殘念である意の副詞で、アタラ遠ザカリヰテと續く文脈と解する。但しアユヲの受けがないが、麗し妹に鮎をやろうと思うのだがの意とする。無理なようだが、今のところ致し方がない。アタラの用例は「樹爾伐歸都《キニキリユキツ》 安多良船材乎《アタラフナギヲ》」(卷三、三九一)の如きがある。
 麗妹尓鮎矣惜 クハシイモニアユヲアタラ。元暦校本、天治本等の古本系統にこの二句がある。上の二句と全く同じ訓と見られるので、かような繰り返しのあるのはおかしいが、上の遠に當る所には、矣の字が書いてあり、同じ句の衍入とも見られない。今これを存することとする。
 投左乃 ナグルサノ。枕詞。矢をサというは、日本書紀の古訓にあり、本集にも「阿良之乎乃《アラシヲノ》 伊乎佐太波佐美《イヲサダバサミ》」(卷二十、四四三〇)などある。ナグルサは、「公之佩具之《キミガオバシシ》 投箭之所v思《ナグヤシオモホユ》」(卷十三、三三四五)、「投矢毛知《ナグヤモチ》 千尋射和多之《チヒロイワタシ》」(卷十九、四一六四)などのナグヤと同じであろう。物を投げた時代の語が殘つて弓にもいうのであろう。次の遠ザカリに冠している。矢のように遠ざかるとつづく。
 遠離居而 トホザカリヰテ。妻に遠く離れていて。妻に死なれたことをいう。
 思空不安國嘆空不安國 オモフソラヤスカラナクニナゲクソラヤスカラナクニ。心の安らかでないことをいう慣用句。ナクニは、ヌコトの意で、ニは感動の助詞であり、もとこれで文の終止をなしたものだが、後に副詞句としての用法を生じた。ここは、譬喩の句を隔てて、下のマタモ逢ハヌモノハの句に續くようである。
 衣社薄 キヌコソハ。以下譬喩で、衣や玉はまた合うものであることを述べる。
 其破者 ソレヤレヌレバ。ソレは、語を起す時に發する語。ヤレヌレバだけで意味は通ずるが、これを強調(191)するために、ソレを發する。
 繼乍物又母相登言 ツギツツモマタモアフトイヘ。上の衣コソハの句を受けて結んでいるが、理くつは、衣は破れても繼いでまた合うものと人が言うの意であるから、衣コソはを受けて、マタモアヘトイフと言わねばならない所である。それをかようにイフが已然になつているのは、語勢で、集中に例がすくなくない。「相而後社《アヒテノチコソ》 悔二破有跡五十戸《クイニハアリトイヘ》」(卷四、六七四)參照。下の又物逢登曰《マタモアフトイヘ》も同じ。句切。
 緒之絶薄 ヲノタエヌレバ。玉をつらぬいた緒が切れた時には。
 八十一里喚鷄 ククリツツ。八十一および喚鷄は、共に戯書である。
 又物逢登曰 マタモアフトイヘ。上の又母相登言《マタモアフトイヘ》參照。以上譬喩。句切。
 又毛不相物者?尓志有來 マタモアハヌモノハツマニシアリケリ。一度死別した妻に再會する由のなきことを歎いている。
【評語】初めの序詞から主文にはいつて來る點に無理があつて、折角の構想を破壞している。どうも妻に鮎を惜しむのでは落ちつかない。後半、衣と玉との譬愉を使つて、マタモ逢ハヌモノハ嬬ニシアリケリと結んだあたりは、よくできており、悲歎の情も表現されている。前半に何か傳來上の混雜があるのかも知れないが、惜しいことである。これも未定稿であるかも知れない。
 
3331 こもりくの 長谷《はつせ》の山、
 青幡《あをはた》の 忍坂《おさか》の山は、
 走出《はしりで》の 宜しき山の、
 出立《いでたち》の くはしき山ぞ。」
(192) 惜《あたら》しき山の、
 荒れまく惜《を》しも。」
 
 隱來之《コモリクノ》 長谷之山《ハツセノヤマ》
 青幡之《アヲハタノ》 忍坂山者《オサカノヤマハ》
 走出之《ハシリデノ》 宜山之《ヨロシキヤマノ》
 出立之《イデタチノ》 妙山敍《クハシキヤマゾ》
 惜《アタラシキ》 山之《ヤマノ》
 荒卷惜毛《アレマクヲシモ》
 
【譯】隱れ國の長谷の山、青幡のような忍坂の山は、走り出た姿のよい山で、出で立つた姿の美しい山だ。あつたらその山の荒れるのが殘念だ。
【構成】第一段、クハシキ山ゾまで。長谷の山、忍坂の山をほめている。第二段、終りまで。その山の荒れるのを惜しむ。
【釋】長谷之山 ハツセノヤマ。初瀬溪谷から仰がれる山を總稱しているであろう。
 青幡之 アヲハタノ。枕詞。「青旗乃《アヲハタノ》 葛木山《カヅラキヤマ》」(巻四、五〇九)の例もあり、山の姿を、青旗のたなびくのに見立てたのであろう。アヲハタは、青みを帶びた色の旗。
 忍坂山者 オサカノヤマハ。忍坂は、櫻井市の東方で、忍坂の山は、泊瀬の山口をなす山である。この歌では、泊瀬山の一部として忍坂の山を望み見ているであろう。
 走出之 ハシリデノ。ハシリデは、山の走り出た姿をいう。家から走り出た處にある山の意とする説があるが、それならば走り出のよろしき山とはいえない。「趨出之《ハシリデノ》 堤爾立有《ツツミニタテル》」(卷二、二一〇)、「甲斐が嶺のさよも見しよ、けけれなく横ばしりせるさやの中山」(承コ本古謠集、甲斐の風俗)。
 宜山之 ヨロシキヤマノ。よろしい山であり、また妙《くは》しき山である意に續く。
 出立之 イデタチノ。イデタチも、山のあらわれた姿についていう。
 妙山敍 クハシキヤマゾ。以上山をほめている。句切。
 惜山之 アタラシキヤマノ。アタラシキは、惜しむべき。大切にすべき山の。(193)荒卷惜毛 アレマクヲシモ。アレマクは、荒廢せむことで、愛妻を葬つた山の荒れるのを惜しんでいる。墓所になつたからとて、別にその山の荒れるわけはないのだが、その山を愛惜する情に任せて、かように言つている。
【評語】日本書紀雄略天皇の卷にある天皇御製の歌をもとにしてこの歌をなしている。それは歌曲として歌い傳えられていたものであろう。この歌としては、山を愛惜する情がよくあらわれていて、古風な味を出している。
【參考】類歌。
  擧暮利矩能《コモリクノ》 播都制能野磨播《ハツセノヤマハ》 伊底?智能《イデタチノ》 與慮斯金野磨《ヨロシキヤマ》 和斯里底能《ワシリデノ》 與慮斯企夜磨能《ヨロシキヤマノ》 據暮利短能《コモリクノ》 播都制能夜磨播《ハツセノヤマハ》 阿野?于羅虞波斯《アヤニウラグハシ》 阿野?于羅虞波斯《アヤニウラグハシ》(日本書紀七七、雄略天皇御製)。
 
3332 高山と 海こそは、
 山ながら かくもうつしく、
 海ながら 然《しか》眞《まこと》ならめ。」
 人は花物《はなもの》ぞ。
 うつせみよ、人は。」
 
 高山與《タカヤマト》 海社者《ウミコソハ》
 山隨《ヤマナガラ》 如v此毛現《カクモウツシク》
 海隨《ウミナガラ》 然直有目《シカマコトナラメ》
 人者花物曾《ヒトハハナモノゾ》
 空蝉與人《ウツセミヨヒトハ》
 
【譯】高山と海こそは、山であるがゆえにかようにも現實にあり、海であるがゆえにそのように眞實なのだろう。人はあだなものだ。空しいものだ、人は。
【構成】第一段、然眞ナラメまで。山と海の現實にあることを述べる。第二段、終りまで。人間の無常を説く。
(194)【釋】山隨 ヤマナガラ。山であるから。山であるがゆえに。ナガラは、それの故に。「皇子隨《ミコナガラ》 任賜者《マケタマヘバ》」(卷二、一九九)。元來、そのままにの意の語なので、隨の字を使うのであろう。「波利夫久路《ハリブクロ》 應婢都々氣奈我良《オビツヅケナガラ》 佐刀其等邇《サトゴトニ》 天良佐比安流氣騰《テヲサヒアルケド》 比等毛登賀米授《ヒトモトガメズ》」(卷十八、四一三〇)の如きは、帶びつづけたままでの意になつている。
 如此毛現 カクモウツシク。現に存在するによつてカクと言つている。ウツシクは、現實にある意の形容詞。「宇都志伎《ウツシキ》 青人草《アヲヒトクサ》」(古事記上卷)。
 海隨 ウミナガラ。山隨參照。
 然眞有目 シカマコトナラメ。シカは、海の現實にあることをさす。マコトは、眞實。上の海コソハを受けて、已然形で結んでいる。句切。
 人者花物曾 ヒトハハナモノゾ。ハナモノは、花物で、花のようにもろいもの。「白香付《シラカツク》 木綿者花物《ユフハハナモノ》 事社者《コトコソハ》 何時之眞枝毛《イツノマエダモ》 常不v所v忘《ツネワスラエネ》」(卷十二、二九九六)。句切。
 空蝉與人 ウツセミヨヒトハ。ウツセミは、現にある物の意から轉じて、はかない物の意になつている。ヨは、呼格につく助詞。
【評語】人生無常の思想を、短い形で歌つている。詠歎の語氣が強くなつているので、理くつつぽさを感じさせない。「いさな取り海や死《しに》する山や死する」(卷十六、三八五二)の歌にくらべて、この方が理くつがないだけにまさつている。
 
右三首
 
【釋】右三首 ミギノミツ。この三首は、長歌ばかり三首で、これで一團をなしているものと見える。そこで(195)全體として三首を併わせて、その構想を見ることが必要だ。第一首では、亡き妻にまたと逢うことのできないのを歎き、第二首では、その墓のある山の荒れることを歎き、第三首では、人生の無常を歌つている。いずれも歌いものふうな性質の作で、先行の歌謠に負う所が多いのだろうが、詠歎の氣分に富んで、吟誦すべき作をなしている。往々にして字足らずの句をまじえ、長歌の定型によつていないことも、かえつて效果が大きい。
 
3333 王《おほきみ》の 御命《みこと》恐《かしこ》み、
 秋津島 大和を過ぎて、
 大伴の 御津《みつ》の濱邊ゆ、
 大舟に 眞楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き、
 朝なぎに 水手《かこ》の音《こゑ》しつつ、
 夕なぎに 楫《かぢ》の音《おと》しつつ、
 行きし君 何時|來《き》まさむと、
 大卜《うら》置《お》きて 齋《いは》ひ渡るに、
 狂言《たはごと》や 人の言ひつる、
 わが心 筑紫《つくし》の山の、
 黄葉《もみちば》の 散り過ぎにきと、
 君が正香《ただか》を。
 
 王之《オホキミノ》 御命恐《ミコトカシコミ》
 秋津島《アキヅシマ》 倭雄過而《ヤマトヲスギテ》
 大伴之《オホトモノ》 御津之濱邊從《ミツノハマベユ》
 大舟爾《オホブネニ》 眞梶繁貫《マカヂシジヌキ》
 旦名伎尓《アサナギニ》 水手之音爲乍《カコノコヱシツツ》
 夕名寸尓《ユフナギニ》 梶音爲乍《カヂノオトシツツ》
 行師君《ユキシキミ》 何時來座登《イツキマサムト》
 大夕卜置而《ウラオキテ》 齋度尓《イハヒワタルニ》
 狂言哉《タハゴトヤ》 人之言釣《ヒトノイヒツル》
 我心《ワガココロ》 盡之山之《ツクシノヤマノ》
 黄葉之《モミチバノ》 散過去常《チリスギニキト》
 公之正香乎《キミガタダカヲ》
 
(196)【譯】天皇陛下の仰せを承つて、秋津島の大和を過ぎて、大伴の御津の濱邊を通つて、大船に櫂をいつぱいにつけて、朝凪ぎに船こぐ人の音がしつつ、夕凪ぎに櫂の音がしつつ、行つた君は、何時おいでになるだろうと、占いをして物忌みをして過ごしているところに、たわけた言を人が言つたのか、わたしの心をつくしている筑紫の山の黄葉のように、散り過ぎて行つたと、君の本體を傳えた。
【構成】全篇一文。
【釋】王之御命恐 オホキミノミコトカシコミ。勅命を恐れうけたまわつての意の慣用句。作者の夫は、公務を帶びて九州に赴いて死んだので、かようにいう。
 秋津島 アキヅシマ。枕詞。神武天皇および雄略天皇に關する起原説話がある。「蜻島《アキヅシマ》」(卷一、二)參照。
 倭雄過而 ヤマトヲスギテ。大和の國を過ぎ去つて。出て行つて。
 大伴之御津之濱邊從 オホトモノミツノハマベユ。大伴の御津は、難波の御津。ユは、それを經過して。
 大舟尓眞梶繁貫 オホブネニマカヂシジヌキ。大船に十分に漕具を取りつけての意の慣用句。
 水手之音爲乍 カコノコヱシツツ。カコは、船漕ぐ人。
 梶音爲乍 カヂノオトシツツ。船漕ぐ音がしつつ。朝凪ぎ夕凪ぎに分けてあるが、もとより、朝夕の凪ぎに、水手の聲もし楫の音もしての意である。以上、行キシ君の句を修飾する。
 大卜置而 ウラオキテ。大卜は、卜占をたたえて書いている。オキテは、卜占のために幣を置くのである。この大卜は夕占と解せられる。「不v相爾《アハナクニ》 夕卜乎問常《ユフケヲトフト》 幣爾置爾《ヌサニオクニ》 吾衣手者《ワガコロモデハ》 又曾可v續《マタゾツグベキ》」(卷十一、二六二五)の歌によつて、夕占を問うために、幣を置いたことが知られる。それをただちに、占置くといつたのである。夕占を問うて、齋戒の方法などをきめるのである。たとえば何の神を祭るなど。大卜は、義をもつてすぐにヌサとも讀めようが、何時來マサムトを受けては、ウラの方がよく續く。
(197) 齋度尓 イハヒワタルニ。物忌みをして日を過ごして、夫の無事を期していたのに。
 狂言哉人之言釣 タハゴトヤヒトノイヒツル。插入文で、人の言によつて夫の死を知つたので、それは、狂言を人が言つたのかと疑つたのである。
 我心 ワガココロ。枕詞。わが心をつくすの意に、筑紫に冠している。同時にこれで自分が心をつくして筑紫の方を思つていたことを語つている。
 盡之山之黄葉之 ツクシノヤマノモミチバノ。ワガ心からこの句まで、譬喩による序。同時にそれは、作者の夫が筑紫に赴き、その山の黄葉の散る頃に死んだことを描いている。筑紫は、九州北方。
 散過去常 チリスギニキト。散リ過ギニキで、死んだことを譬喩で語つている。トは、人のかく語つたことをいう。
 公之正香乎 キミガタダカヲ。タダカは、本體、實體。君が正香をかく語つたというのである。元暦校本、天治本には、香を音に作つている。人のいう言であるから、正音と書いたのだろうか。訓は、それでもタダカであろう。
【評語】慣用句を多く使つているが、手際よく夫の死を悲しむ心を歌つている。終りの序の使い方は巧みだ。狂言カ人ノ言ヒツルは、他の歌にもあり、類型的な言い方だが、この歌では旅先での夫の死を歌うので、よく適合している。時代は、奈良の都になつてからの作であろう。
 
反歌
 
3334 狂言《たはごと》や 人の言ひつる。
(198) 玉の緒の 長くと君は
 言ひてしものを。
 
 狂言哉《タハゴトヤ》 人之云鶴《ヒトノイヒツル》
 玉緒乃《タマノヲノ》 長登君者《ナガクトキミハ》
 言手師物乎《イヒテシモノヲ》
 
【譯】たわけ言を人が言つたのか。玉の緒のように、長く生きようと、君は言つたものだのに。
【釋】狂言哉人之云鶴 タハゴトヤヒトノイヒツル。長歌の句を繰り返している。これがこの長歌および反歌を貫く中心思想である。句切。
 玉緒乃 タマノヲノ。枕詞。玉を緒に貫いたものであるが、ここは壽命を暗示している。この枕詞は、絶ユに多く接している。長クに續く例には「玉緒《タマノヲノ》 長春日乎《ナガキハルヒヲ》 念晩久《オモヒクラサク》」(卷十、一九三六)、「玉緒之《タマノヲノ》 長命之《ナガキイノチノ》 惜雲無《ヲシケクモナシ》」(卷十二、三〇八二)がある。いずれも新しい用法のようである。
 長登君者 ナガクトキミハ。ナガクトは、長くあろうとの意。
【評語】生前の語を追憶している。妻としての哀情がよく歌われている。長歌に對して、密接な關係を保ち、よくその内容を補足している。
 
右二首
 
3335 玉|桙《ほこ》の 道行き人は、
 あしひきの 山行き野往き、
 直海《ただうみ》の 川往き渡り、
 鯨魚《いさな》取り 海道《うみぢ》に出でて、
 惶《かしこ》きや 神の渡《わた》りは、
(199) 吹く風も のどには吹かず、
 立つ浪も おほには立たず、
 とゐ浪《なみ》の 塞《さ》はれる道を
 誰《た》が心 いたはしとかも、
 直《ただ》渡りけむ。 直《ただ》渡りけむ。
 
 玉桙之《タマホコノ》 道去人者《ミチユクヒトハ》
 足檜木之《アシヒキノ》 山行野往《ヤマユキノユキ》
 直海《タダウミノ》 川往渡《カハユキワタリ》
 不知魚取《イサナトリ》 海道荷出而《イミヂニイデテ》
 惶八《カシコキヤ》 神之渡者《カミノワタリハ》
 吹風母《フクカゼモ》 和音不v吹《ノドニハフカズ》
 立浪母《タツナミモ》 踈不v立《オホニハタタズ》
 跡座浪之《トヰナミノ》 塞道麻《サハレルミチヲ》
 誰心《タガココロ》 勞跡鴨《イタホシトカモ》
 直渡異六《タダワタリケム》 直渡異六《タダワタリケム》
 
【譯】長い道を行く人は、山を行き野を行き、海のような川を行つて渡つて、クジラを取る海の道に出て、おそろしい神のまします海路は、吹く風ものどかには立たず、立つ浪もおろそかには立たず、騷ぐ浪の塞いでいる道を、誰の心をいとおしいと思つてか、ひた渡りに渡つたのだろう。
【構成】全篇一文。
【釋】玉桙之 タマホコノ。枕詞。
 道去人者 ミチユクヒトハ。ミチユクヒトは、旅人。この歌で歌われている主人公。
 足檜木之 アシヒキノ。枕詞。
 直海川往渡 タダウミノカハユキワタリ。
   ヒタスカハユキワタリテハ(西)
   タダウミニカハユキワタリ(新訓)
   ――――――――――
   水激川往復《ミナギラヒカハユキワタリ》(考)
   直渉川往渡《タダワタリカハユキワタリ》(略)
   直渡川往渡《タダワタリカハユキワタリ》(古義)
略解に、海を渉の誤りとしてタダワタリと讀んだのは、一往明解のようである。しかし上の、山行キ野往キの句にも枕詞をつけてあり、次の或る本の歌の、この句に相當する句には、潦とあつて河を修飾しているよう(200)であるから、このままとすれば、修飾句と見られないこともない。よつてしばらくタダウミノと讀んでおく。タダウミの語は、他に所見はないが、ただちにまさしく海である意とすべきである。
 不知魚取 イサナトリ。枕詞。
 海道荷出而 ウミヂニイデテ。ウミヂは、海洋に向かう道で、海上をいう。見渡される大海に對して進行する道の謂である。
 惶八 カシコキヤ。ヤは、感動の助詞。
 神之渡者 カミノワタリは。カミノワタリは、神靈のいる渡海の個處。特定の場所をさしてはいない。
 和者不吹 ノドニハフカズ。ノドは、のどか、おだやか。或る本の歌にも「吹風裳《フクカゼモ》 箆跡丹者不v吹《ノドニハフカズ》」(卷十三、三三三九)とある。
 踈不立 オホニハタタズ。オホは、おろそか、普通。非常に立つ意。
 跡座浪之 トヰナミノ。
(201)トヰナミは、動搖する浪と解せられる。
 塞道麻 サハレルミチヲ。サハレルは、障えてある。ふさいでいる。「安之比奇能《アシヒキノ》 夜麻野佐波良受《ヤマノサハラズ》」(卷十七、三九七三)。
 誰心勞跡鴨 タガココロイタハシトカモ。イタハシは、いとおしくあわれに思う。誰の心をあわれに思つてか。待つている妻を思つてであろうの意。
 直渡異六 タダワタリケム。タダワタルは、ひたむきに渡るをいう。この下に、同じ句を繰り返しているのは、末句を歌い返した形を傳えたものである。
【評語】海上で難に遭つた人をいたむ一連の第一首として、まずこの海を渡つたことを敍している。同じ海路を行く旅人としての同情心から詠まれている作品で、作中の心は、結局作者自身の心であるだけに、海を恐れる心、待つている人を思う心など、よく氣がくばられている。
 
3336 鳥が音の きこゆる海に、
 高山を 障《へだて》にして、
 沖つ藻を 枕にして、
 蛾羽《ひむしば》の 衣《きぬ》だに著ずに、
 鯨魚《いさな》取り 海の濱邊に
 うらもなく 宿《い》ねたる人は、
(202) 母父《おもちち》に 愛子《まなご》にかあらむ。
 若草の 妻かありけむ。」
 念ほしき 言《こと》傳《つ》てむやと、
 家問へば 家をも告《の》らず、
 名を問へど 名だにも告らず、
 哭《な》く兒なす 言《こと》だに語《い》はず。」
 思へども 悲しきものは、
 世間《よのなか》なりけり。 世間なりけり。」
 
 鳥音之《トリガネノ》 所聞海尓《キコユルウミニ》
 高山麻《タカヤマヲ》 障所爲v而《ヘダテニナシテ》
 奧藻麻《オキツモヲ》 枕所v爲《マクラニシテ》
 蛾葉之《ヒムシバノ》 衣谷不v服尓《キヌダニキズニ》
 不知魚取《イサナトリ》 海之濱邊尓《ウミノハマベニ》
 浦裳無《ウラモナク》 所v宿有人者《イネタルヒトハ》
 母父尓《オモチチニ》 眞名子尓可有六《マナゴニカアラム》
 若芻之《ワカクサノ》 妻香有異六《ツマカアリケム》
 思布《オモホシキ》 言傳八跡《コトツテムヤト》
 家問者《イヘトヘバ》 家乎母不v告《イヘヲモノラズ》
 名問跡《ナヲトヘド》 名谷母不v告《ナダニモノラズ》
 哭兒如《ナクコナス》 言谷不v語《コトダニイハズ》
 思鞆《オモヘドモ》 悲物者《カナシキモノハ》
 世間有《ヨノナカナリケリ》  世間有《ヨノナカナリケリ》
 
【譯】鳥の聲の聞える海に、高山を隔てにして、沖の海藻を枕にして、うすい著物だけも著ないで、クジラを取る海の濱邊に、心もなくて寐ている人は、父母に取つては愛子であるだろうか。若草のような妻があつたろうか。思つている言葉を傳えようかと、家を問えば家をも告げず、名を問えど名だけも告げず、泣く兒のように、言葉だけも言わない。思つても悲しいものは、この世の中であつた。
【構成】第一段、妻カアリケムまで。海濱に横たわつている死人の身の上を想像している。第二段、言ダニ語ハズまで。死人の黙して語らないことを述べる。第三段、終りまで。この世の無常を悲しむ。
【釋】鳥音之所聞海尓 トリガネノキコユルウミニ。瀬戸内海のような多島海を思わせる。殊にその死人のあるのは、どこかの荒礒であろうから、實際鳴く鳥の聲が聞えるので、この句を起している。
 高山麻障所爲而 タカヤマヲヘダテニシテ。高い山が屏風のように圍んでいて。
 奧藻麻枕所爲 オキツモヲマクラニシテ。海濱に打ち寄せられた海藻を枕にして。
(203) 蛾葉之衣谷不服尓 ヒムシバノキヌダニキズニ。ヒムシバは、蛾の羽。蛾の羽は、うすくもろいものなので粗末な衣服の意に使い、それをも著ないでで、裸體であることを描いている。
 浦裳無 ウラモナク。無心に、何の心もなく。
 所宿有人者 イネタルヒトハ。死んで横たわつているのを、寐ていると歌つている。
 母父尓 オモチチニ。母父とある場合に、オモチチと讀むのは、「伊波負伊能知波《イハフイノチハ》 意毛知々我多米《オモチチガタメ》」(卷二十、四四〇二)とあるによる。これは防人の歌だが、オモの語は、「乳飲哉君之《チノミヤキミガ》 於毛求覽《オモモトムラム》」(卷十二、二九二五)にも見えている。
 眞名子尓可有六 マナゴニカアラム。愛兒でかあろう。句切。
 若芻之 ワカクサノ。枕詞。
 妻香有異六 ツマカアリケム。ケムを使つているのは、妻は、父母のようにきまつてあるものでもないから、過去を推量する形で言つている。句切。
 思布 オモホシキ。思つている事に冠する形容詞。「於母保之吉《オモホシキ》 許等毛可欲波受《コトモカヨハズ》」(卷十七、三九六九)。
 言傳八跡 コトツテムヤト。言いたいと思つていることを傳えようかと。
 哭兒如 ナクコナス。泣く子のように。次の言ダニイハズを修飾する。
 思鞆 オモヘドモ。種々に思うけれども。
 世間有 ヨノナカナリケリ。ヨノナカナレヤ(西)、ヨノナカニゾアル(考)、ヨノナカニアリ(略)、ヨノナカナラシ(新訓)。世間を詠嘆している。この下にも、古本系統の傳來には同句の繰り返しがある。
【評語】死人に對する同情の念がよくあらわれている。初めの海濱の描寫は、この歌の背景をなすもので、大きく役立つている。末句は、無常觀が出ているが、詠歎しているだけで、理くつに陷つていないのがよい。
 
(204)反歌
 
3337 母父《おもちち》も 妻も子どもも、
 高高《たかだか》に 來《こ》むと待ちけむ
 人の悲しさ。
 
 母父毛《オモチチモ》 妻毛子等毛《ツマモコドモモ》
 高高二《タカダカニ》 來跡待異六《コムトマチケム》
 人之悲紗《ヒトノカナシサ》
 
【譯】父母も妻も子どもも、伸びあがつて來るだろうと待つていたろう人が悲しいことだ。
【釋】高々二 タカダカニ。伸びあがつて人を待つ意の副詞。
 來跡待異六 コムトマチケム。連體形。
 人之悲紗 ヒトノカナシサ。ヒトは、死人。その人に對する悲哀の感をいう。
【評語】前の長歌の意を要約している。同情は窺われるが、すこしく説明に過ぎている。
 
3338 あしひきの 山|道《ぢ》は行かむ。
 風吹けば 浪の塞《さ》はれる
 海道《うみぢ》は行かじ。
 
 蘆檜木乃《アシビキノ》 山道者將v行《ヤマヂハユカム》
 風吹者《カゼフケバ》 浪之塞《ナミノサハレル》
 海道者不v行《ウミヂハユカジ》
 
【譯】高い山道の方から行こう。風が吹くので、浪が立ちふさがる海の道からは行くまい。
【釋】山道者將行 ヤマヂハユカム。山を越えて行く陸路もあつたのだろう。句切。
 浪之塞 ナミノサハレル。浪が立ち塞いでいる。
【評語】前の三三三五の歌の内容を要約して、海路を取つたことを遺憾とし、これを作者自身の立場で歌つて(205)いる。それで、その長歌の反歌として不適切であるとして、順序が亂れたとする説もある。しかし前の二首は長歌の連作で、二首で一の内容を表現するものであつて、その二首の一團に對して、更に二首の反歌がつけられたものと見るべきである。二首の長歌を、全然切り離して、その後の一首のみに反歌があるというような見方は、誤りである。かように見る時に、長歌二首と短歌二首とをもつて組繊されているこの一團の作品の全構成は、完全に理解され鑑賞されるであろう。この意味において、この最後の一首は、全體を歌い收めるものとして、第一首の内容を囘顧再現するような性質に立つものであることが知られる。
 
或本歌
 
【釋】或本歌 アルマキノウタ。この或る本も、いかなるものとも知られないが、作歌事情、作者などに關して記事のあるものであることが注意される。
 
備後國神島濱、調使首、見v屍作歌一首 并2短歌1
 
備後の國神島の濱にて、調使首《つきのおびと》の、屍を見て作れる歌一首【短歌并はせたり。】
 
【釋】備後國 キビノミチノシリノクニ。
 神島濱 カミシマノハマニテ。神島は、天平八年の遣新羅使の一行の歌に「月余美能《ツクヨミノ》 比可里乎伎欲美《ヒカリヲキヨミ》 神島乃《カミシマノ》 伊素未乃宇良由《イソミノウラユ》 船出須和禮波《フナデスワレハ》」(巻十五、三五九九)とあり、内海の航路に當つている。今、岡山縣小田郡に屬し、笠岡市の海上にある。ここは備中の國の西邊で、延喜式神名にも、備中の國小田の郡に神島神社を載せ、績拾遺和歌集賀の部に「建久九年大嘗會|主基《すき》方御屏風に、備中の國神島、神祠ある所を、前中納言資實」として歌がある。古くは備後の國に屬していたか、この題詞が誤つているかであろう。その島は、神靈の(206)ある處として、神島の名があり、神社もあつたのだろう。
 調使首 ツキノオビト。傳未詳。調使二字が氏であろう。續日本紀に、調使王の名が見えるが、王の稱號は、乳母の氏によつて呼ぶのを通例とするので、調使氏のあつたことが推測される。
 
3339 玉桙《ほこ》の 道に出で立ち、
 あしひきの 野行き山行き、
 みなぎらふ 川往き渉《わた》り、
 鯨魚《いさな》取り 海路にいでて、
 吹く風も のどには吹かず、
 立つ浪も のどには立たず、
 恐《かしこ》きや 神の渡《わた》りの
 重浪《しきなみ》の 寄する濱邊に、
 高山を 隔《へだて》に置きて
 ?潭《うらぶち》を 枕に纏《ま》きて、
 うらもなく 偃《こや》せる公は、
 母《おも》父の 愛子《まなご》にもあらむ。
 稚草《わかくさ》の 妻もあるらむ。
 家《いへ》問《と》へど 家道もいはず、
(207) 名を問へど 名だにも告らず、
 誰が言を いたはしみかも、
 腫《たか》浪の 恐《かしこ》き海を
 直《ただ》渉《わたり》けむ。
 
 玉桙之《タマホコノ》 道尓出立《ミチニイデタチ》
 葦引乃《アシヒキノ》 野行山行《ノユキヤマユキ》
 潦《ミナギラフ》 川往渉《カハユキワタリ》
 鯨名取《イサナトリ》 海路丹出而《ウミヂニイデテ》
 吹風裳《フクカゼモ》 箟跡丹者不吹《ノドニハフカズ》
 立浪裳《タツナミモ》 箟跡丹者不起《ノドニハタタズ》
 恐耶《カシコキヤ》 神之渡乃《カミノワタリノ》
 敷浪乃《シキナミノ》 寄濱邊丹《ヨスルハマベニ》
 高山矣《タカヤマヲ》 部立丹置而《ヘダテニオキテ》
 ?潭矣《ウラブチヲ》 枕丹卷而《マクラニマキテ》
 占裳無《ウラモナク》 偃爲公者《コヤセルキミハ》
 母父之《オモチチノ》 愛子丹裳在將《マナゴニモアラム》
 稚草之《ワカクサノ》 妻裳有等將《ツマモアルラム》
 家問跡《イヘトヘド》 家道裳不v云《イヘヂモイハズ》
 名矣問跡《ナヲトヘド》 名谷裳不v告《ナダニモノラズ》
 誰之言矣《タガコトヲ》 勞鴨《イタハシミカモ》
 腫浪能《タカナミノ》 恐海矣《カシコキウミヲ》
 直渉異將《タダワタリケム》
 
【譯】長い道に出で立ち、野行き山行き、水けむりの立つ川を行き渡り、鯨を取る海路に出て、吹く風ものどかには吹かず、立つ浪ものどかには立たず、おそろしい神靈のまします渡海の處の、うちしきる浪の寄せる濱邊に、高山を障壁に置いて、入海を枕にして心もなく臥している君は、父母の愛兒でもあろう。若草のような妻もあるだろう。家を問うが家へ行く道をも言わず、名を問えど名だけも告げず、誰の言葉をいとおしく思つてか、高い浪のおそろしい海を、ひた渡りに渡つたのだろう。
【構成】全篇一文。妻モアルラムで、一往切れてはいるが、以下も續いて、コヤセル君ハを、主格として説明している。
【釋】潦 ミナギラフ。潦は、雨水の義であるが、ここでは急流の義にミナギラフに當てているのであろう。「唐韻(ニ)云(フ)、潦音老、和名|爾波大豆美《ニハタヅミ》雨水也」(倭名類聚鈔)。考には水激の誤りとしてミナギラフと讀んでいる。水が霧ラフで、水けむりの立つ意。次の川を修飾して、急流であることを語る。
 敷浪乃 シキナミノ。シキナミは、重なり寄る浪。
 ?潭夫 ウラブチヲ。?は、曲つている水面をいう字。集中「輕池之《カルノイケノ》 ?廻往轉留《ウラミユキミル》 鴨尚爾《カモスラニ》」(卷三、三九〇)、「?渚爾波《ウラスニハ》 千鳥妻呼《チドリツマヨビ》」(卷六、一〇六二)など使用され、それぞれウラミ、ウラスと讀まれている。ウラブチは、浦である淵で、灣形をしている淵である。
(208) 枕丹卷而 マクラニマキテ。マキテは、身に卷くことで枕をするをいう。
 偃爲公者 コヤセルキミハ。コヤスは、コユ(臥)の敬語。コヤセルは、臥せるに同じ。以上で、倒れている主人公を提示している。
 愛子丹裳在將 マナゴニモアラム。下の有等將と共に、將を助動詞ムに當てて、下に書いている。句切。
 誰之言矣 タガコトヲ。誰のいう言をで、妻の言。
 腫浪能 タカナミノ。腫は、はれものの義の字なので、浪の腫れあがる意をもつて、タカと訓している。
【評語】前出の三三三五の歌と三三三六の歌とを併わせたような歌である。いずれが先行であるかあきらかでないが、この歌の起しは唐突であり、吹ク風、立ツ浪の對句の位置も不自然であるので、すくなくもこれが原形であるとは考えられない。多分、旅中などで、古歌を吟誦したものが傳えられたのであろう。
 
反歌
 
3340 母父《おもちち》も 妻も子どもも、
 高高《たかだか》に 來《こ》むと待つらむ
 人の悲しさ。
 
 母父裳《オモチチモ》 妻裳子等裳《ツマモコドモモ》
 高高丹《タカダカニ》 來將跡待《コムトマツラム》
 人乃悲《ヒトノカナシサ》
 
【評語】三三三七の歌と同じである。
 
3341 家人の 待つらむものを、
 つれもなく 荒礒《ありそ》を纏《ま》きて
 偃《ふ》せる公《きみ》かも。
 
 家人乃《イヘビトノ》 將v待物矣《マツラムモノヲ》
 津煎裳無《ツレモナク》 荒礒矣卷而《アリソヲマキテ》
 偃有公鴨《フセルキミカモ》
 
(209)【譯】家にいる人が待つているだろものを、心なく荒磯を枕として臥《ね》ている君だなあ。
【釋】家人乃 イヘビトノ。イヘビトは、家にいる人であるが、主として妻をいう。
 津煎裳無 ツレモナク。關係縁故もない。煎はイレの下部を取つている訓假字で、「名積敍吾來煎《ナヅミゾワガケル》」(卷三、三八二)參照。ツレモナクと讀むのは、三三四三の歌による。ツレモナクフセルと續く。
【評語】長歌の内容をよく要約し得ている。歌う意は、結局作者自身の望郷の情で、それがこの歌の初二句になつている。
 
3342 ?潭《うらぶち》に 偃《こや》せる公《きみ》を
 今日今日と 來《こ》むと待つらむ
 妻し悲しも。
 
 ?潭《ウラブチニ》 偃爲公矣《コヤセルキミヲ》
 今日々々跡《ケフケフト》 將v來跡將v待《コムトマツラム》
 妻之可奈思母《ツマシカナシモ》
 
【譯】浦淵に横たわつている君を、今日か今日かと、來るだろうと待つている妻はあわれである。
【釋】今日々々跡 ケフケフト。今日か今日かと毎日待つている樣である。
 妻之可奈思母 ツマシカナシモ。妻がかなしいことだ。カナシは、感情の動く意の形容詞で、その妻を氣の毒に思う?である。
【評語】前の歌と反對に、家の方を主として歌つている。「出でて行きし日を數へつつ今日今日と吾《あ》を待たすらむ父母らはも。一は云ふ、母がかなしき」(卷五、八九〇)に似ている。
 
3343 ?浪《うらなみ》の 來寄する濱に、
 つれもなく 偃《こや》せる公《きみ》が
(210) 家|道《ぢ》知らずも。
 
 ?浪《ウラナミノ》 來依濱丹《キヨスルハマニ》
 津煎裳無《ツレモナク》 偃有公賀《フシタルキミガ》
 家道不v知裳《イヘヂシラズモ》
 
【譯】浦の浪の來て寄せる濱に、心なく倒れている君の、家に行く道を知らないことだ。
【釋】津煎裳無 ツレモナク。關係もなくで、家人に對する心などもなく、無情にの意になる。「都禮毛奈久《ツレモナク》 可禮爾之妹乎《カレニシイモヲ》 之努比都流可毛《シノヒツルカモ》」(卷十九、四一八四)などの用法である。
 家道不知裳 イヘヂシラズモ。イヘヂは、家に行く道。家郷への道。長歌の家問ヘド云々を受けている。
【評語】同じく家郷に思いを寄せている。反歌四首、いずれもその家を中心として詠まれているのは、作者の同情の自然に寄せられる所だからである。
 
右九首
 
3344 この月は 君來まさむと、
 大舟の 思ひたのみて、
 いつしかと わが待ち居《を》れば、
 黄葉《もみちば》の 過ぎて行きぬと、
 玉|梓《づさ》の 使のいへば、
 螢なす ほのかに聞きて、
 大|地《つち》を 炎《ほのほ》と蹈みて、
 立ちて居て 行《ゆ》く方《へ》も知らに、
(211) 朝霧の 思ひ惑ひて、
 杖足らず 八尺《やさか》の嘆《なげ》き、
 嘆けども しるしをなみと、
 何處《いづく》にか 君が坐《ま》さむと、
 天雲《あまぐも》の 行きのまにまに
 射《い》ゆ猪鹿《しし》の 行きも死なむと、
 思へども 道し知らねば、
 ひとり居て 君に戀ふるに
 哭《ね》のみし泣かゆ。
 
 此月者《コノツキハ》 君將v來跡《キミキマサムト》
 大舟之《オホブネノ》 思憑而《オモヒタノミテ》
 何時可登《イツシカト》 吾待居者《ワガマチヲレバ》
 黄葉之《モミチバノ》 過行跡《スギテユキヌト》
 玉梓之《タマヅサノ》 使之云者《ツカヒノイヘバ》
 螢成《ホタルナス》 髣髴聞而《ホノカニキキテ》
 大士乎《オホツチヲ》 火穗跡而《ホノホトフミテ》
 立而居而《タチテヰテ》 去方毛不v知《ユクヘモシラニ》
 朝霧乃《アサギリノ》 思惑而《オモヒマドヒテ》
 杖不v足《ツヱタラズ》 八尺乃嘆《ヤサカノナゲキ》
 々友《ナゲケドモ》 記乎無見跡《シルシヲナミト》
 何所鹿《イヅクニカ》 君之將v座跡《キミガマサムト》
 天雲乃《アマグモノ》 行之隨尓《ユキノマニマニ》
 所v射宍乃《イユシシノ》 行文將v死跡《ユキモシナムト》
 思友《オモヘドモ》 道之不知v者《ミチシシラネバ》
 獨居而《ヒトリヰテ》 君尓戀尓《キミニコフルニ》
 哭耳思所v泣《ネノミシナカユ》
 
【譯】今月は君がおいでになるだろうと、大船のように頼みに思つて、何時か何時かとわたしが待つていたが、黄葉のように死んでしまつたと、使が來ていうので、ホタルのようにほのかに聞いて、大地を火炎のように踏み、立つたりいたりして途方に暮れ、朝霧のように思い迷つて、一丈には足りないが、八尺もある嘆息をして嘆くけれども、かいがないので、何處にか君がおいでになるだろうと、空行く雲の行くがまにまに、射られた鹿のように、行つても死のうと思うけれども、道がわからないので、ひとりいて君に戀をするので、泣かれるばかりだ。
【構成】全篇一文。
【釋】此月者 コノツキハ。この歌に、枕詞として、黄葉の語があり、反歌に、葦邊行く雁が歌われているの(212)によれば、十月ごろであろうか。
 何時可登 イツシカト。何時か何時か早くの意。
 黄葉之 モミチバノ。枕詞。
 螢成 ホタルナス。枕詞。ホノカを修飾している。
 髣髴聞而 ホノカニキキテ。人づてに聞く心を描いている。
 大土乎火穗跡而 オホツチヲホノホトフミテ。大地を火?の如く感じて、立つてもいてもいられない感情を寫している。集中他に例のない強い句。跡をフミに當てているのは、三二五七にも例がある。特殊の用字法で、資料が共通しているのであろう。
 去方毛不知 ユクヘモシラニ。行くべき方を知らず、どうしてよいか途方に暮れる意の慣用句。
 朝霧乃 アサギリノ。枕詞。
 杖不足 ツヱタラズ。枕詞。ツヱは一丈で、それに足りない意に、八尺に冠する。
 八尺乃嘆 ヤサカノナ(213)ゲキ。大きな嘆息。「吾嘆 八尺乃嗟」(卷十三、三二七六)。
 何所鹿君之將座跡 イヅクニカキミガマサムト。何處かに君がいるだろうと。死んだことが信じられない氣もちで、以下それを求めに行こうとするように歌つている。
 天雲乃行之隋尓 アマグモノユキノマニマニ。天ゆく雲の行くに從つて。
 所射宍乃 イユシシノ。枕詞。射られた鹿猪のようにと、行つて死のうというに冠する。イユシシの語は、「伊喩之々乎《イユシシヲ》 都那遇何播杯能《ツナグカハベノ》」(日本書紀一一七)とあり、その句を本集に、「所v射鹿乎《イユシシヲ》 認河邊之《ツナグカハベノ》」(卷十六、三八七四)と書いている。イユは、終止形をもつて連體に當てているのだろう。
【評語】亡き夫を思い、その跡を求めて迷い行こうかと思う情が描かれている。大土ヲ炎ト踏ミテのような、強い句をまじえて情熱的であり、敍述もよく委曲をつくしている。
 
反歌
 
3345 葦邊ゆく 鴈の翅《つばさ》を 見るごとに、
 公《きみ》が佩《お》ばしし 投箭《なぐや》し思ほゆ。
 
 葦邊往《アシベユク》 雁之翅乎《カリノツバサヲ》 見別《ミルゴトニ》
 公之佩具之《キミガオバシシ》 投箭之所v思《ナグヤシオモホユ》
 
【譯】葦邊を行くカリの翅を見るたびに、君が携えられた投箭が思われる。
【釋》葦邊往 アシベユク。カリの生態が描かれている。
 雁之翅乎 カリノツバサヲ。ツバサといつているが、ただカリを描くだけで、ツバサは、これを具體化しているだけである。
 公之佩具之 キミガオバシシ。具の字は、集中しばしばソの音に當る所に書かれているのは、其の誤りであ(214)ろうといわれているが、ここではシの音に當てて使用されている。佩具の二字で、佩びた具の意をあらわしているのかも知れない。
 投箭之所思 ナグヤシオモホユ。ナグヤは、矢に同じ。「投左乃《ナグルサノ》」(卷十三、三三三〇)參照。ここはナグで連體形になるのだろう。
【評語】左註には防人の妻の歌かといつているが、かならずそうとも決定されない。カリを見て弓矢を思うのは、野人の妻らしい考え方である。カリの風趣を感ずるのでなくして、あれを射たらという、自然兒の氣もちが出ているところが目に立つのである。
 
右二首、但或云、此短歌者、防人之妻所v作也。然則應v知2長歌亦此同作1焉
 
右の二首。但し或るは云はく、この短歌は、防人《さきもり》の妻の作れるといへり。然らばすなはち、應《まさ》に長歌もまたこれと同じく作れるを知るべし。
 
【釋】或云 アルハイハク。何人の言とも知られない。この短歌を、防人の作というのは、歌中の詞によつていうのであろうが、かような歌が、歌い傳えられていたことは、ありそうな事である。
 
3346 見がほれば 雲居に見ゆる、
 愛《うつく》しき 十羽《とば》の松原、
 少子《わくご》ども いざわいで見む。」
 こと避《さ》けば 國に放《さ》けなむ。
(215) こと避けば 家に放けなむ。
 乾坤《あめつち》の 神し恨めし。
 草枕 この旅のけに
 妻|避《さ》くべしや。」
 
 欲v見者《ミガホレバ》 雲居所v見《クモヰニミユル》
 愛《ウツクシキ》 十羽能松原《トバノマツバラ》
 少子等《ワクゴドモ》 率和出將v見《イザワイデミム》
 琴酒者《コトサケバ》 國丹放甞《クニニサケナム》
 別避者《コトサケバ》 宅仁離南《イヘニサケナム》
 乾坤之《アメツチノ》 神志恨之《カミシウラメシ》
 草枕《クサマクラ》 此羈之氣尓《コノタビノケニ》
 妻應v離哉《ツマサクベシヤ》
 
【譯】見ようと思えば、遠くの空に見える愛すべき十羽の松原を、子どもたちよ、さあ出て見よう。特に別れるなら、國で別れるがよい。特に別れるなら、家で別れるがよい。天地の神がうらめしい。草の枕のこの旅の日に、妻を別れさせるべきではないだろう。
【構成】第一段、イザワ出デ見ムまで。子どもたちを誘つて、十羽の松原を見ようとする。第二段、終りまで。時もあろうに、旅中で妻に死なれたことを恨む。
【釋】欲見者 ミガホレバ。見むことを願えば。
 雲居所見 クモヰニミユル。クモヰは、遠くの空。
 愛 ウツクシキ。愛すべく美しくある。
 十羽能松原 トバノマツバラ。トバは、地名だろうが、所在不明。
 小子等 ワクゴドモ。小子は、ワクゴともワラハとも讀まれる。ここは自分の子どもたちをいうらしく、ワクゴの語が當るのであろう。
 率和出將見 イザワイデミム。イザワは、人を誘う語。日本書紀、神武天皇の卷に「烏到(リ)2其(ノ)營(ニ)1而鳴(キテ)之曰(ハク)、天(ツ)神(ノ)子召(ス)v汝(ヲ)、怡弉過怡弉過《イザワイザワ》」とあり、これに註して「過、音|倭《ワ》」とある。子どもたちを誘つて十羽の松原を遠望しようとするのは、亡き妻との思出の地なのであろう。句切。
(216) 琴酒者 コトサケバ。特別に中を裂くならば。別れさせるならば。妻に死なれたことをいう。コトは特にの意で、動詞に接して熟語を作る。「殊放者《コトサケバ》 奧從酒嘗《オキユサケナム》」(卷七、一四〇二)、「殊落者《コトフラバ》 袖副沾而《ソデサヘヌレテ》」(卷十、二三一七)などあり、この歌の下に出る「別避者」と共に、コトに殊別などの字を當てていることに注意される。ここの琴酒は訓假字だが、筆者の老莊思想が反映しているのだろう。
 國丹放嘗 クニニサケナム。クニは、本國。ナムは希望の助詞。句切。
 此羈之氣尓 コノタビノケニ。ケは、時の經過すること。
 妻應離哉 ツマサクベシヤ。ベシヤは反語。神に對して恨みを述べている。
【評語】前半と後半との連絡がないが、作者としてはこれでよいのであろう。妻とかつて遊んだ松原を遠望して後半が詠まれたようになつている。萬斛の遺憾がよく描かれている。松原は見ようとすれば見られるが、亡き妻はふたたび見られない情である。短文を重ねたのも、感情表出に有效である。臆測すれば、大伴の旅人の作だろう。
 
反歌
 
3347 草枕 この旅のけに 妻|放《さか》り、
 家道《いへぢ》思ふに 生《い》けるすべなし。
 
 草枕《クサマクラ》 此羈之氣爾《コノタビノケニ》 妻放《ツマサカリ》
 家道思《イヘヂオモフニ》 生爲便無《イケルスベナシ》
 
【譯】草の枕のこの旅の日に、妻と別れて、家の方への道を思うに生きている氣もしない。
【釋】妻放 ツマサカリ。妻が離れて。妻に死別したことをいう。
 家道思 イヘヂオモフニ。郷土の家に行く道を思うに。
(217)【評語】旅中に妻と死別して、歸るべき家の方を思うと、生きている氣もしないというのである。一人となつてその家に歸るに堪えない心である。よく長歌と接觸して、その内容を補足している。悲痛の作である。
 
或本歌曰、羈乃氣二爲而《タビノケニシテ》
 
或る本の歌に曰はく、羇《たび》のけにして。
 
【釋】或本歌曰 アルマキノウタニイハク。どういう資料によつたかわからないが、長歌に別傳のないところを見ると、この短歌のみの別傳であるのだろう。
 羈乃氣二爲而 タビノケニシテ。第二句の別傳と見えるが、調子はわるい。ケは、時。
 
右二首
 
萬葉集卷第十三
          〔2010年1月7日(木)午後7時50分、巻十三入力終了〕
 
(219)萬葉集卷第十四
(221)萬葉集卷第十四
 
 卷の十四は、東歌と題して短歌二百三十首(ほかに或る本の歌、一本の歌で一首の全形を備えているもの八首)を載せている。東歌は、東方諸國の歌の義に解せられるが、その含むところは單純ではなく、東方諸國に行われていた口誦歌謠、東方諸國人のその國および他國における作品、東方諸國に旅行した人の作品等を含み、なお單に東方諸國に關係ある歌、また誤つて上記の歌の類と認められたと考えられる歌にも及んでいる。しかし東方の民謠の多くを含んでいることも事實で、民謠としても、方言資料としても特殊の位置を占めている。このような特殊の歌を集めたことは、卷の十六に有由縁并雜歌の標題のもとに歌を集めているのと共に、特殊の部類法である。これを更に國名の傳えられるものと未詳のものとに分かち、その前者を、雜歌、相聞、譬喩歌に、後者を、雜歌、相聞、防人歌、譬喩歌、挽歌に分けている。國名の傳えられている諸國は、東海道は遠江の國以東、東山道は信濃の國以東であつて、これは防人の召される諸國と一致し、その間に關係があるもののようである。但し甲斐の國、安房の國の歌はない。作者の名を傳えず、「柿本朝臣人麻呂歌集に出づ」とするもの數首を見るだけである。
 編纂の時代については、山田孝雄博士は、相聞の部の諸國の順序によつて、寶龜二年十月以後とされている。それは諸國の順序は、東海道東山道の順になつているが、武藏の國を東海道の相模の國の次に列してある。武藏の國は、もと東山道に屬していたのだが、寶龜二年十月に、これを東海道の相模の國の次に移した。それでこの卷における序列は、その寶龜二年十月以後の規定によつているから、その以後の編纂に係かるとされるの(222)である。これについては異議がある。くわしくは本書第一册、總論のうち萬葉集の成立の條を參照されたい。それにしても東の集團がいつ成立したものかの問題も殘る。作品個々の年代も大部分は不明で、大體これより前の諸卷の作品の年代より下ることはあるまいと考えられる。
 用字法は、大部分は、一字一音に書かれており、大抵は字音假字であるが、少數の訓假字も交つている。漢字の意味を生かして使つているものも、少數ではあるが、存在している。その一部は、他と歩調を合わせるために特に一字一音に書き改められたようである。この事實と、および國名の傳えられているものの中には、國名を誤認したかと思われるもののある事と合わせて、初めの資料に對して改編されたものが現在の形となつているのであろう。もとどのような資料によつたかは明瞭にされないが、何人かが東方諸國關係の歌を集めたものがあつたのであろう。複雜な性質を有しているが、そのうちの民謠と認められるものが、特殊の存在として注意される。それらも短歌の形體に限られているのは、特にその形のものが選擇されたためであろう。なお用字法については、別著「萬葉集校定の研究」(明治書院刊)を參照されたい。
 傳本としては、古本系統には元暦校本があつて大部分を存している。天治本も傳來したことが知られているが、今は斷簡のみが存している。類聚古集は、特に東歌を一卷としている。この卷には、その性質上、方言と思われる詞句なども多く、從つて難解の部分もすくなくない。かような場合に、從來は、誤字説が多く立てられていたが、それらは根據のない思いつきが大部分で、極めて少數の例外を除いては、採用しがたい。よつて本書はかような誤字説を必要のない限り紹介しないこととした。
 
東歌
 
【釋】東歌 アヅマウタ。東歌の名稱は、古今和歌集にもあり、高野切には東歌と書いてあるが、傳定頼筆切(223)には「あつまうた」とあり、この訓法には異説はない。アヅマは東國の稱で、古事記日本書紀に日本武の尊の御事蹟による地名起原の説話があり、それによれば足柄の坂もしくは碓氷《うすい》の坂より東方の諸國ということになる。しかしこの卷には、遠江の國より以東の諸國の歌を收めており、古今和歌集の東歌には、伊勢歌をも收めている。これによつてかならずしも坂東の諸國に限らなかつたことが知られる。アヅマの語原は、地名起原の説話によつて、吾妻の義とするのは眞の語原とは考えられない。地形を示す語には、島、山、濱、沼、杣、隈、峽間など、マの音に終る語が多くあつて、アヅマ、ツマも、地形を示す語ではないかと思われる。アヅマの地名は、西國にも存している。アヅマウタと熱しては、前項に述べたように東方諸國關係の歌というほどの義に使われている。この標目は、この一卷全部に係かるものであるが、この次に雜歌の標目があるべ(224)きが落ちたのだとする説がある。ある方が合理的であるが、雜歌の標目は、古くはしばしばこれを置かない例があるようであるから、ここももとからなかつたものであろう。事實雜歌と見るべきを初めに出したのだが、その五首のうちには、男女關係の歌をも含んでいる。元暦校本の和學講談所影寫本の轉寫には、目録の次に東歌とあつて、すぐ本文が續き、雜歌の標目はない。
 
3348 夏麻《なつそ》引《ひ》く
 海上潟《うなかみがた》の 沖つ洲《す》に、
 船はとどめむ。
 さ夜ふけにけり。
 
 奈都素妣久《ナツソビク》
 宇奈加美我多能《ウナカミガタノ》 於伎都渚尓《オキツスニ》
 布祢波等杼米牟《フネハトドメム》
 佐欲布氣尓家里《サヨフケニケリ》
 
【譯】夏のアサを引いて苧にする。その海上潟の沖の洲に船は停めよう。夜が更けてしまつた。
【釋】奈都素妣久 ナツソビク。枕詞。既出(卷七、一一七六)。夏麻引く苧の義に、ウに懸かる。ナツソヒクであるべきだが、歌いものとして歌われているあいだに、ヒを濁るようになり、そのままに音が寫されるに至つたものであろう。山高ミを「夜麻陀加美《ヤマダカミ》」(古事記七九)と書いている例である。
 宇奈加美我多能 ウナカミガタノ。ウナカミは、千葉縣市原郡に海上村があり、もと上總の國の部内である。しかるに別に利根川の河口に近い處に海上郡があり、これは下總の國に屬している。高橋の連蟲麻呂の歌集所出の、鹿島の郡の苅野《かるの》の橋で大伴の卿に別れる時の歌に、「海上《うなかみ》のその津をさして、君が榜ぎ行かば」(卷九、一七八〇)の句があつて、その海上の津は、歌の内容から考えて、下總の國の地名と見られるので、この歌の海上潟も下總の方であろうとする説がある。それを上總の國の歌と左註に記しているのは、編者が誤認したものであつて、かような國分けは後になつてなされたとするのである。蟲麻呂の歌に「夕汐の滿ちのとどみに」(225)とあるのを受けているとすれば、この歌は、それから船出した大伴の卿(旅人)の作になる。國分けが後になつてなされたということは、國名の知られている歌には、大抵地名が含まれており、その地名も國名郡名またはその他の有名な地名であることなどによつて考うべく、個々の場合では、なお他の歌において國名を誤つたと見られるものが指示される。
【評語】内容からいつても用語からいつても、京人の旅行の作らしい。水上を航行する旅客が、日暮れて闇の迫つて來る時の心細さを歌つている。類想の多い歌であるが、船ハトドメムと自主的に歌つたのが、特色である。初三句の同じの歌に「夏麻びく海上潟の沖つ洲に鳥はすだけど君は音もせず」(卷七、一一七六)がある。
 
右一首、上總國歌
 
【釋】上總國歌 カミツフサノクニノウタ。上總は、もと下總と併わせて、總《ふさ》の國といい、孝コ天皇の大化の際、分かつて二國としたと傳える。この卷における國名を記した左註は、歌詞の中の地名によつて註記したものと考えられ、實際に合わないものもある。前の歌にウナカミとあるによつて、上總の國の歌と推定したのである。何の國の歌ということ、かならずしも信ずるに足らぬことは、上に記した通りである。
 
3349 葛飾《かづしか》の 眞間《まま》の浦みを
 榜《こ》ぐ船の
 船人騷く。
 浪立つらしも
 
 可豆思加乃《カヅツカノ》 麻萬能宇良未乎《ママノウラミヲ》
 許具布祢能《コグフネノ》
 布奈妣等佐和久《フナビトサワク》
 奈美多都良思母《ナミタツラシモ》
 
(226)【譯】葛飾の眞間の浦を榜ぐ船の船人が騷いでいる。浪が立つらしい。
【釋】可豆思加乃麻萬能宇良未乎 カヅシカノママノウラミヲ。カヅシカノママは、葛飾の眞間で、千葉縣市川市眞間。江戸川の河口であり、當時東京灣に面していた。ママは、がけ(崖)の意の方言に殘つている。ウラミのミは接尾語。
 布奈妣等佐和久 フナビトサワク。サワクは、聲を揚げて動いている?である。クは清音の字を使つている。句切。
【評語】 「風早《かざはや》の三穗の浦みを榜ぐ船の船人さわく。浪立つらしも」(卷七、一二二八)の歌の地名を入れかえただけの歌である。歌われて傳わり、處によつて地名を入れかえたのであろう。これも旅行者の歌らしい。
 
右一首、下總國歌
 
3350 筑波嶺《つくはね》の 新桑繭《にひぐはまよ》の
 衣はあれど
 君が御衣《みけし》し あやに著欲《きほ》しも。
 
 筑波祢乃《ツクハネノ》 余比具波麻欲能《ニヒグハマヨノ》
 伎奴波安禮杼《キヌハアレド》
 俊美我美家思志《キミガミケシシ》 安夜尓伎保思母《アヤニキホシモ》
 
【譯】筑波山の新しい繭で織つた著物はあるけれども、あなたのおめし物が、たいへん著たいことです。
【釋】筑波祢乃 ツクハネノ。筑波山で、この句は、繭のできた土地の景觀を描いている。
 尓比具波麻欲能 ニヒグハマヨノ。ニヒは、新で、繭を修飾し、そのあらたに收穫されたものであることを示す。クハマヨは、桑によつて飼育した蠶の繭。蠶を桑子という。全釋は、倭名類聚鈔に「桑繭、唐韻(ニ)云(フ)、?|久波萬由《クハマユ》桑上繭即桑繭也」とあるによつて、野蠶としている。そうとすれば、初句は、その採取した場處をいうこ(227)とになる。しかし別傳に、タラチネノ新桑繭ノともあるのを見れば、やはり母が養う蠶の繭として解釋されていたのであろう。またニヒは、あらたに收穫された意であつて、これも春桑によつて飼育したと見るのは當らない。
 伎奴波安禮杼 キヌハアレド。キヌは衣服をいう。
 伎美我美家思志 キミガミケシシ。ミケシは、著ルの敬語ケスの名詞形に、接頭語ミが接續して御衣服の意をなしている。著ルは、普通上一段活用として知られているが、敬語としてサ行に再活用すればケスとなる。下のシは強意の助詞。
 安夜尓伎保思母 アヤニキホシモ。キホシは、著欲シである。通例、欲シが動詞に接續する場合には、著マ欲シ、有リガ欲シの如く、助詞マまたはガをあいだに入れる。但しさような助詞なしに、動詞と形容詞とが接績することは、有リ吉シ、行キ惡シなど、例も多いことであつて、これもその語法である。
【評語】新しい繭から採つた絹絲で衣服を織つた女子の歌であろう。筑波山に馴れて住んでいる世界が、初句で描かれている。君の衣服を著たいというのは、譬喩的な言い方であるが、婚姻に際して、男女衣服を交換する習慣があり、實事ともいえる。民謠ふうの内容だが、調子はよく、編纂者によつて多少整理されているような觀がある。感じのよい歌である。上二句の衣服の説明が實際に即していてよい。
 
或本歌曰、多良知祢能《タラチネノ》 又云、安麻多伎保思母《アマタキホシモ》
 
或る本の歌に云ふ、たらちねの。 また云ふ、あまた著欲しも。
 
【釋】多良知祢能 タラチネノ。初句の別傳である。本文の筑波ネノの方が、地方の味が出ていてよく、これは上品に流れる。タラチネノは、常に母の枕詞に使用され、すぐに母の義に使用したのは、他にはない。
 
(228)3351 筑波嶺に 雪かも降《ふ》らる。
 否《いな》をかも。
 愛《かな》しき兒ろが 布《にの》乾《ほ》さるかも。
 
 筑波祢尓《ツクハネニ》 由伎可母布良留《ユキカモフラル》
 伊奈乎可母《イナヲカモ》
 加奈思吉兒呂我《カナシキコロガ》 余努保佐流可母《ニノホサルカモ》
 
【譯】筑波山に雪が降つたのか。いやそうではないのか。いとしいあの子が布を乾しているのかな。
【釋】由伎可母布良留 ユキカモフラル。雪カモ降レルで、カモは係助詞。フレルというべきをフラルといつたのは、下にホセルというべきを、ホサルという例である。なお他にも、「許余比登乃良路《コヨヒトノラロ》」(卷十四、三四六九)、「波良路可波刀爾《ハラロカハトニ》」(同、三五四六)の例があるが、またラになつていない例もあつて混在している。この語法は、もと一つの動詞に、動詞アリが結合したものと見る時は、フラル、ホサルの方が原形的である。この句は、實際に筑波山に雪の白く降つたのを見て、わざと疑つたものである。句切。
 伊奈乎可母 イナヲカモ。ヲは、感動の助詞。否カモで、上の二句の内容を疑つている。「相見者《アヒミテハ》 千歳八去流《チトセヤイヌル》 否乎鴨《イナヲカモ》 我哉然念《ワレヤシカオモフ》 待v公難爾《キミマチガテニ》」(卷十一、二五三九)も同型の歌である。副詞句。
 加奈思吉兒呂我 カナシキコロガ。ロは接尾語。愛すべきあの子がで、兒は女子をいう。
 尓努保佐流可母 ニノホサルカモ。布乾セルカモで、雪が降つたかと言つたのを否定したかわりに提出している。尓は、類聚古集には企に作つている。これによらば衣乾サルカモである。
【評語】山の雪の白くかかつたのを見て詠んだ歌。雪の降つたことを一往否定して、かの子が布を乾したかといつているが、それは構想で、實際は雪を見てかの子に思いを寄せたまでである。民謠ふうの味のよく出ている作である。多分歌い傳えられたものであろう。風俗の甲斐がねに、「甲斐がねに白きは雪かや。いなをさの、甲斐のけごろもや。さらす手づくりや。さらす手づくり」とあるのは、これの變化で、諸國に流布した歌であ(229)ることが知られる。
 
右二首、常陸國歌
 
【釋】常陸國歌 ヒタチノクニノウタ。二首いずれも筑波山のような有名な山の名を含んでいる。
 
3352 信濃《しなの》なる 須賀《すが》の荒|野《の》に、
 ほととぎす 鳴く聲きけば、
 時すぎにけり。
 
 信濃奈流《シナノナル》 須我能安良能尓《スガノアラノニ》
 保登等藝須《ホトトギス》 奈久許惠伎氣波《ナクコヱキケバ》
 登伎須疑尓家里《トキスギニケリ》
 
【譯】信濃の國の須賀の荒野に、ホトトギスの鳴く聲を聞けば、時が過ぎてしまつたなあ。
【釋】信濃奈流 シナノナル。須賀の荒野の所在を示している。かような國名を冠しているのは、他國の人がいうのであつて、その地の人ならば、かような國名などを冠しない。
 須我能安良能尓 スガノアラノニ。スガは、地名であるが、略解には、倭名類聚鈔の郷名によつて、筑摩郡|苧賀《そが》郷曾加の地としている。しかし他にも推定説があつて、たしかなことは知られない。苧賀の郷は、梓《あずさ》川と楢井《ならい》川とのあいだの地で、今の松本市にあつた信濃の國の國府に近いから、この歌を京からこの國に下つた人の歌とすれば、その地として都合がよい。安良能は、荒野の意であるから、能の字を使つたのは、假字違いである。しかし集中往々にしてこの用例があり、後に整理した際にこれが使用されたのであろう。
 登伎須疑尓家里 トキスギニケリ。時節の過ぎたことを詠嘆している。この時は、京に歸るべき時期と解せられるが、なお季節の移つたことを嗟嘆したものとも見るべきである。
【評語】内容および格調から見て、京人がこの國に下つて詠んだ歌と推定されている。詠嘆の調子のよく出て(230)いる歌だが、これを有しているのは、東歌としては純粹でない。
 
右一首、信濃國歌
 
相聞
 
【釋】相聞 サウモニ。遠江の國以下諸國に分けて、相聞の歌七十六首を載せている。目録には、何國相聞往來歌とある。
 
3353 あらたまの 伎倍《きべ》のはやしに
 汝《な》を立てて
 行きかつましじ。
 寐《い》を先立《さきだ》たね。
 
 阿良多麻能《アラタマノ》 伎倍乃波也之尓《キベノハヤシニ》
 奈乎多弖天《ナヲタテテ》
 由伎可都麻思自《ユキカツマシジ》
 移乎佐伎太多尼《イヲサキダタネ》
 
【譯】まだ磨いてない珠を切る。その伎倍の林にあなたを立たせて、旅に行くことはできない。まず寐てからにしましよう。
【釋】阿良多麻能 アラタマノ。枕詞。まだみがかない珠玉の義で、これを切ることからキに懸かる。「阿良多麻能《アラタマノ》 吉倍由久等志乃《キヘユクトシノ》」(卷五、八八一)などの用例がある。ここにこれを收めて遠江の國の歌としたのは、遠江の國に麁玉《あらたま》の郡があるによつて、これをその郡名と解したによるであろうが、それは編纂者の誤解と見るべきである。「璞之《アラタマノ》 寸戸我竹垣《キヘガタケガキ》(卷十一、二五三〇)とあるものと同じく枕詞である。
 伎倍乃波也之尓 キベノハヤシニ。キベは、柵戸で、東方の蝦夷に對して城塞を守る民戸であるとする説が(231)行われているが、ここに伎倍、卷の十一に寸戸と書かれており、この伎寸の字は、キの甲類の音であるに對して、城塞のキは乙類の音であるから、この解は成立しない。仙覺以來地名とする説もあるが、これは卷の十一に寸戸ガ竹垣とあるに合わない。ベを民戸の義とすれば、キに意味を求めねばならないが、酒戸《きべ》か刻戸《きべ》か、不明である。河内の國のクレノサトに伎人の郷の字を當てるのは、呉人才伎をよくするからであるが、キベのキは才伎の義でもあろうか。この二首を遠江の國の歌とすることが、誤解から出ていると考えられるのは、編纂の當時既にキベの語義が忘れられていたことを語るもので、今日からその意を求めるのは困難である。ハヤシも、樹林の義とするのは普通であるが、賑やかな催し物、行樂の行事とする解もある。これは次句の解と關連するものであるが、次句のナにも、汝と名との兩解があつて、二個の未知數を含むことになり、その解釋は一層困難を加える。但し催しものをハヤシと言つた例がないので、樹林の義とするのが自然である。
 奈乎多弖天 ナヲタテテ。ハヤシを樹林の義とすれば、ナは汝とするにひかれる。相手の女子が立つて別れを惜しむのを顧みているのであろう。
 由伎可都麻思自 ユキカツマシジ。カツマシジを一字一音で書いた例として知られている。行き得られまい。作者自身が行くに行かれない意を語つている。句切。
 移乎佐伎太多尼 イヲサキダタネ。イは睡眠。サキダタネは、相手に對して希望する語法。
【評語】意義不明の語が多いが、全體としては野人の率直な氣もちが窺われる。相手を誘導しようとして挑發的に歌いかけている。動きの感じられる歌である。
 
3354 伎倍人《きべひと》の 斑衾《まだらぶすま》に
 綿さはだ 入りなましもの。
(232) 妹が小床《をどこ》に。
 
 伎倍比等乃《キベヒトノ》 萬太良夫須麻尓《マダラブスマニ》
 和多佐波太《ワタサハダ》 伊利奈麻之母乃《イリナマシモノ》
 伊毛我乎杼許尓《イモガヲドコニ》
 
【譯】伎倍人のまだらに染めた衾に綿がたくさんに入つている。そのようにはいりたいものだ。あなたの床に。
【釋】伎倍比等乃 キベヒトノ。キベは、前の歌に見える。編者は、これを遠江の國の地名と解して、ここに收めたのだろう。
 萬太良夫須麻尓 マダラブスマニ。マダラは、梵語のマンダラ(Mandala 雜色の義)から出たとされているが、佛教語がこのように溶け込んでいるのは、この時代として不審である。たぶんハダラ(薄色)と同種の語だろう。濃淡のある染色。まだらに染めた衾。倭名類聚鈔に「本朝式、斑幔、讀(ム)2万太良万久《マダラマクト》1」。マダラブスマは、特殊の被具として注意されたのであろう。
 和多佐波太 ワタサハダ。サハダは多量で、「安比太欲波《アヒダヨハ》 佐波太奈利努乎《サハダナリノヲ》(卷十四、三三九五)の用例がある。ダは、ココダ、ハナハダ、イクダ、イマダなどと同じく、抽象的な内容について體言を構成するに使用される。斑衾に綿の多量に入れてある風俗に著目している。この綿は絹綿か木綿か不明であるが、裕福な生活をえがいているらしく、伎倍人の考證に參考となる。以上は序詞で、次句の入りを引き出している。
 伊利奈麻之母乃 イリナマシモノ。ナは完了の助動詞。ナマシは、そうしたらよかつたのにの意。殘念の情を描いている。句切。
 伊毛我乎杼許尓 イモガヲドコニ。ヲは接頭語。愛稱。四句の方向を指示している句。
【評語】肉感的な内容が盛られていて、いかにも民謠として口誦された歌らしい。上三句の序詞も、主文との連想があつて、挑發的である。眞實の東歌ではないのだろうが、民謠という點に共通するものがある。
 
(233)右二首、遠江國歌
 
【釋】遠江國歌 トホタフミノクニノウタ。遠江は、下に「等保都安布美《トホツアフミ》」(卷十四、三四二九)、防人の歌に「等倍多保美《トヘタホミ》」(卷二十、四三二四)とある。この國は、本卷所載の國名のうち東海道の最西に當り、卷の二十の防人の出身の諸國のうちでも最西に當る。防人は海道にあつてはこの國より以東を採るが、多分そのことと連絡があるのであろう。
 
3355 天《あま》の原 富士の柴山
 木《こ》の暗《くれ》の 時|移《ゆつ》りなば
 逢はずかもあらむ。
 
 安麻乃波良《アマノハラ》 不自能之婆夜麻《フジノシバヤマ》
 己能久禮能《コノクレノ》 等伎由都利奈波《トキユツリナバ》
 阿波受可母安良牟《アハズカモアラム》
 
【譯】大空に聳えている富士の柴山よ、その樹の茂りの時節が過ぎて行つたら、逢わないでいることだろう。
【釋】安麻乃波良 アマノハラ。天を廣く仰いだ言い方。富士山の立つ空を呼びかけている。
 不自能之婆夜麻 フジノシバヤマ。シバは、樹枝をいうが、シバヤマは、樹の茂つた山の謂である。山麓の人の近く見る富士山が描かれている。
 己能久禮能 コノクレノ。木ノ暗ノで、樹枝が茂つて暗いのをいう。
 等伎由都利奈波 トキユツリナバ。ユツリは移り。「松之葉爾《マツノハニ》 月者由移去《ツキハユツリヌ》」(卷四、六二三)、「眞素鏡《マソカガミ》 清月夜之《キヨキツキヨノ》 湯徙去者《ユツリナバ》」(卷十一、二六七〇)。木ノ暗ノ時移リナバというのは、樹蔭に立つて時の經過するのを氣にかけているのであろう。
 阿波受可母安良牟 アハズカモアラム。逢う機會を失することを案じている。
(234)【評語】初二句の體言を重ねた言い方が、奔放で印象的である。いかにも天空に聳える富士を仰いだ氣持が出ている。その富士の山麓に住む女子が、男の來るのを待つ歌であろう。下二句は、男の來るのを待ちかねている焦慮の情が歌われている。民謠性に富んだ良い歌である。
 
3356 富士《ふじ》の嶺《ね》の
 いや遠長き 山路をも
 妹がりとへば けに及《よ》ばず來《き》ぬ。
 
 不盡能祢乃《フジノネノ》
 伊夜等保奈我伎《イヤトホナガキ》 夜麻治乎毛《ヤマヂヲモ》
 伊母我理登倍婆《イモガリトヘバ》 氣尓餘婆受吉奴《ケニヨバズキヌ》
 
【譯】富士山のいよいよ遠く長い山路をも、あの人のもとにと思うので、幾日もかからないで來た。
【釋】伊夜等保奈我伎 イヤトホナガキ。イヤは、いよいよだが、行けども行けども一層遠い氣分を描くのに使われている。
 伊母我理登倍婆 イモガリトヘバ。妹の許へというので。トヘバは、トイヘバ。
 氣尓餘婆愛吉奴 ケニヨバズキヌ。諸説があるが、本居宣長の、日ニ及バズ來ヌとする解がよい。ケは時日。日を重ねるに及ばないで來た。
【評語】愛人のもとにいそぐ男の心が歌われている。愛人に與えた歌なのだろう。これも内容から民謠性が感じられる。表現も率直でよく出ている。
 
3357 霞ゐる 富士の山傍《やまび》に
 わが來《き》なば
 何方《いづち》向きてか 妹が嘆かむ。
 
 可須美爲流《カスミヰル》 布時能夜麻備尓《フジノヤマビニ》
 和我伎奈婆《ワガキナバ》
 伊豆知武吉弖加《イヅチムキテカ》 伊毛我奈氣可牟《イモガナゲカム》
 
(235)【譯】霞のかかつている富士山のほとりにわたしが行つたら、途方にくれて、あなたは嘆くことだろう。
【釋】可須美爲流 カスミヰル。霞の居るで、霞は體言てある。下に「筑波禰乃《ツクハネノ》 禰呂爾可須美爲《ネロニカスミヰ》」(卷十四、三三八八)とある。富士の山傍を修飾している。
 布時能夜麻備尓 フジノヤマビニ。ヤマビは山邊。「夜麻備爾波《ヤマビニハ》 佐久良婆奈知利《サクラバナチリ》」(卷十七、三九七三)。べは、元來方角方向を意味し、他方からその山の方を指示する。
 和我伎奈婆 ワガキナバ。我ガ來ナバで、キナバは行きなばの意である。富士の山傍を主とした言い方である。
 伊豆知武吉弖加 イヅチムキテカ。どちらを向いてかとは、たよる所を失つての意に言つている。「宇惠多氣能《ウヱタケノ》 毛登左倍登與美《モトサヘトヨミ》 伊※[人偏+弖]弖伊奈婆《イデテイナバ》 伊豆思牟伎弖可《イヅシムキテカ》 伊毛我奈氣可牟《イモガナゲカム》」(卷十四、三四七四)の例もあり、途方にくれるさまを描く。
【評語】妻に別れる時の歌である。遠く眺められる富士を描いて、旅行に出る情を歌つたのは、巧みである。これによつて別離の情がしみじみと感じられる。この歌、駿河の國の歌としてあるが、霞んでいる富士の山を歌い、その山の近くに住む人の作とは見られない。殊に東方から都に上る人の作とすれば、富士山より東方の國、相模武藏あたりの歌ということになる。これも富士の名によつて駿河の國としたものであつて、諸國の國名の註記が、機械的になされたことを語つている。
 
3358 さ寐《ぬ》らくは 玉の緒ばかり、
 戀ふらくは、
 富士の高嶺の 鳴澤《なるさは》の如《ごと》。
 
 佐奴良久波《サヌラクハ》 多麻乃緒婆可里《タマノヲバカリ》
 古布良久波《コフラクハ》
 布自能多可祢乃《フジノタカネノ》 奈流佐波能其登《ナルサハノゴト》
 
(236)【譯】寐ることは魂ばかりであつて、戀をすることは、富士の高嶺の鳴澤のように知れ渡つている。
【釋】佐奴良久波 サヌラクは。サは接頭語。ヌラクは寐ルに體言を作るクの接續したもの。
 多麻乃緒婆可里 タマノヲバカリ。タマノヲは、玉の緒で、略解以來、短いことをいう譬喩としている。しかしこの句は、「中々に人とあらずは桑子にもならましものを玉の緒ばかり」(卷十二、三〇八六)の用例があつて、短いの譬喩にはなつていない。また枕詞としては「玉緒《タマノヲノ》 長春日乎《ナガキハルビヲ》」(卷十、一九三六)のように長シに冠せられていて、短い意に使つたものを見ない。やはり卷の十二の用法と同樣、靈魂ばかりの意に取るべきであろう。寐ることは、靈魂ばかりで、まだ實地に行われないことなるにの意と見るべきである。バカリは、それのみの意。
 古布良久波 コフラクは。コフラクは、戀うこと。
 奈流佐波能其登 ナルサハノゴト。ナルサハは、鳴澤で、鳴動する溪谷である。當時富士山はまだ活氣を有していて、噴火もあり、鳴動もしていた。世に高く聞える意の譬喩に使つている。
【評語】サ寐ラクと戀フラクとを對比して言つている。實際に逢うことなくして、人の口のみうるさいのを歌つたのは類歌があるが、玉の緒を出したのは、女子の立場から歌つているようである。富士の高嶺の鳴澤は、音に聞えた意に使つているが、作者自身にその地を知つているのでもあるまい。別傳も多くあり、民謠ふうの歌ということができる。譬喩の使い方が民謠の感じを抱かせる。
 
或本歌曰
 
可麻奈思美《マカナシミ》 奴良久波思家良久《ヌラクハシケラク》 佐奈良久波《サナラクハ》 伊豆能多可祢能《イヅノタカネノ》 奈流佐波奈須與《ナルサハナスヨ》
 
(237)或る本の歌に曰はく、
 
ま愛《かな》しみ 寐《ぬ》らくはしけらく、さ鳴《な》らくは、伊豆の高嶺の 鳴澤なすよ。
 
【譯】愛するがゆえに寐もしたのだが、人のうわさは、伊豆の高嶺の鳴澤のようだよ。
【釋】麻可奈思美 マカナシミ。マは接頭語。愛すべくあるがゆえに。
 奴良久波思家良久 ヌラクハシケラク。シケラクは、しけること。
 佐奈良久波 サナラクは。サは接頭語。ナラクは鳴ること。前の歌のサヌラクとは別語であるが、もと一元から出て、音聲が別れて、意義もどちらかが別に移つたのであろう。
 伊豆能多可祢能 イヅノタカネノ。伊豆の高嶺は、天城山をいうか、また、箱根をいうか。鳴澤は箱根に縁がある。
 奈流佐波奈須與 ナルサハナスヨ。ナスは、成スで、の如くにある意。ヨは、感動の助詞。伊豆の高嶺の鳴澤は、今の何處であるかわからないが、大地獄といつたような處があつたのだろう。
【評語】寐ラク、シケラク、サ鳴ラクと、同型の語を重ねて調子をつけている。前の歌は、玉の緒を譬喩に使つた所にいくらか上品な氣分があつたが、この方は一層實感が歌われている。民謠ふうの歌ということができよう。
 
一本歌曰、
 
阿敝良久波《アヘラクハ》 多麻能乎思家也《タマノヲシケヤ》 古布良久波《コフラクハ》 布自乃多可祢尓《フジノタカネニ》 布流由伎奈須毛《フルユキナスモ》
 
一本の歌に曰はく、
 
(238)逢へらくは 玉の緒しけや、戀ふらくは、富士の高嶺に 降る雪なすも。
 
【譯】逢つたことは魂が逢つた程度だからか、戀をすることは、富士の高嶺に降る雪のようにたくさんだ。
【釋】一本歌曰 アルマキノウタニイハク。一本というのは、前に或る本の歌として擧げたのに對して、また別の本というだけで、特別の意があるのではない。
 阿敝良久波 アヘラクハ。アヘラクは、逢えること。
 多麻能乎思家也 タマノヲシケヤ。シケは、形容詞の語尾とも見られるが、玉ノ緒シクという形容詞構成も珍しいし、シケをシクの轉と見るのも無理だ。また形容詞の已然形としても、それに助詞ヤの接續する例もない。やはり動詞シクの已然形として、係助詞ヤの接續したものと見るのが穩當であろう。但しカ行四段動詞の已然形のケは、氣の類を使用すべきであるのに、家を使用したのは違法であるが、この卷には「努賀奈徹由家婆《ノガナヘユケバ》(卷十四、三四七六)、「奴我奈敝由家杼《ニガナヘユケド》」(同或本)のように家を使つた例があり、かなり用法が亂れている。この動詞シクは、「麻佐禮留多可良《マサレルタカヲ》 古爾斯迦米夜母《コニシカメヤモ》」(卷五、八〇三)、「奈禮爾之伎奴爾《ナレニシキヌニ》 奈保之可米夜母《ナホシカメヤモ》」(卷十八、四一〇九)などのシクであつて、「情乎遣爾《ココロヲヤルニ》 豈若目八方《アニシカメヤモ》」(卷三、三四六)、「醉泣爲爾《ヱヒナキスルニ》 尚不v如來《ナホシカズケリ》」(同、三五〇)のように、若如の字を當てている語も同じであろう。これは「夜麻斯呂爾《ヤマシロニ》 伊斯祁登理夜麻《イシケトリヤマ》 伊斯郁伊斯祁《イシケイシケ》 阿賀波斯豆麻邇《アガハシヅマニ》 伊斯岐阿波牟加母《イシキアハムカモ》」(古事記六〇)のシクと同語で、ある物に及ぶ、同じになる意の語である。そこで玉ノ緒シケヤは、玉の緒と同じであるからか、魂が逢つたほどのわずかなことだからかの意で、富士の高嶺に降る雪の多量と對比をするのであろう。ヤは係助詞で、反語と見るに及ばない。若けばにやの意と見られる。
 布流由佐奈須毛 フルユキナスモ。ナスは、何々になつているで、降る雪のように多量だの意。
【評語】解釋上、二句が問題である。しかし卷の十二の用法と異なつた解は成立しないだろう。これも逢ヘラ(239)クと戀フラクとの對比と、富士ノ高嶺とが特色となつている。一つの歌が種々に歌い變えられている例である。
 
3359 駿河の海
 礒邊《おしべ》に生《お》ふる 濱つづら
 汝《いまし》を憑《たの》み 母に違《たが》ひぬ
 
 駿河能宇美《スルガノウミ》
 於思敝尓於布流《オシベニオフル》 波麻都豆良《ハマツヅラ》
 伊麻思乎多能美《イマシヲタノミ》 波播尓多我此奴《ハハニタガヒヌ》
 
【譯】駿河の海の礒邊に生えている濱つづらのように、あなたをたのみにして母の心にそむきました。
【釋】於思敝尓於布流 オシベニオフル。オシベはオスヒベで、礒邊であろう。オスヒは、ある上に重ねる意である。「麻末乃於須比爾《ママノオスヒニ》 奈美毛登杼呂爾《ナミモトドロニ》」(卷十四、三三八五)。
 波麻都豆良 ハマツヅラ。濱邊の蔓草で、身邊の物を取りあげている。以上譬喩で、濱ツヅラが伸び纏わつているようにの意に、自分の樣を敍している。
 伊麻思乎多能美 イマシヲタノミ。イマシは二人稱。マシともミマシともいうを見れば、イとマシとに分離ができそうである。マシの語原は座か。
 波播尓多我比奴 ハハニタガヒヌ。男に親しんで母にそむいた由である。
【評語】駿河の海と大地名を冠したのは、相手が他國の人であつたからか。女子の歌として、かならずしも東歌の純なるものともしがたいが、五句に別傳のあるを見れば、歌い傳えたようである。三句までの譬喩を言い放したのは、普通の序詞と違つた行き方で、奔放な氣分が味わえる。
 
一云、於夜尓多我比奴《オヤニタガヒヌ》
 
【釋】一云於夜尓多我比奴 アルハイフ、オヤニタガヒヌ。前の歌の五句の別傳で、母が、親になつているだ(240)けである。オヤは、主として母親をいう。
 
右五首、駿河國歌
 
【釋】駿河國歌 スルガノクニノウタ。或る本の歌には伊豆の高嶺も詠まれているが、本文としては、五首とも富士山または駿河の海が詠まれている。
 
3360 伊豆の海に 立つ白波の、
 ありつつも 繼《つ》ぎなむものを。
 亂れ始《し》めめや。
 
 伊豆乃宇美尓《イヅノウミニ》 多都思良奈美能《タツシラナミノ》
 安里都追毛《アリツツモ》 都藝奈牟毛能乎《ツギナムモノヲ》
 美太禮志米梅楊《ミダレシメメヤ》
 
【譯】伊豆の海に立つ白波のように、かようにありながらも續けて行きましようものを、亂れ始めはしません。
【釋】伊豆乃宇美尓多都思良奈美能 イヅノウミニタツシラナミノ。以上序詞で、句を隔てて繼ギナムを起している。波の絶えず續く意である。
 安里都追毛 アリツツモ。この世にかくて在りながらも。
 都藝奈牟毛能乎 ツギナムモノヲ。ツギナムは、二人の中を繼續しようの意。モノヲは、それだのにの意を含んでいる。
 美太禮志米梅楊 ミダレシメメヤ。亂レ始メムヤで、思い亂れることはないだろう。あだし心を持つことはしない意である。
【評語】よく纏まつて、器用にできている。女の、男に對する誓言と見られる。
 
(241)或本歌曰
 
之良久毛能《シラクモノ》 多延都追母《タエツツモ》 都我牟等母倍也《ツガムトモヘヤ》 美太禮曾米家武《ミダレソメケム》
 
或る本の歌にいはく、
 
白雲の 絶えつつも 繼がむともへや、亂れそめけむ。
 
【譯】伊豆の海に立つ白雲のように、絶えながらもまた續けようと思うゆえか、思い亂れ始めたのだろう。
【釋】之良久毛能 シラクモノ。前の歌の第二句の白浪ノ以下の別傳である。以上二句、序詞。
 多延都追母 タエツツモ。白雲は絶える。しかしまた繼いで立つ意である。
 都我牟等母倍也 ツガムトモヘヤ。繼ガムト思ヘヤで、ヤは係助詞。絶えつつも繼ごうと思つているからかで、反語ではない。
 美太禮曾米家武 ミダレソメケム。この歌では心の思い亂れたことを囘顧している。
【評語】前の歌と詞句や形體に類似はあるが、内容は全く別で、獨立性のある歌である。しかも歌としては、この方が複雜な内容を有していてすぐれている。しかし東方人の歌らしくはなく、巧みな修辭がなされ、迷う心がよく描かれている。
 
右一首、伊豆國歌
 
【釋】伊豆國歌 イヅノクニノウタ。前に伊豆の高嶺の歌はあるが、伊豆の國の歌として擧げたのは、この一首だけだ。この國は、甲斐、安房などと共に、交通の本道になつていないので、採録されることが少なかつたのであろう。
 
(242)3361 足柄の彼面此面《をてもこのも》に
 刺す羂《わな》の、
 かなる間しづみ 兒《こ》ろ我《あれ》紐解く。
 
 安思我良能《アシガラノ》 乎弖毛許乃母尓《ヲテモコノモニ》
 佐須和奈乃《サスワナノ》
 可奈流麻之豆美《カナルマシヅミ》 許呂安禮比毛等久《コロアレヒモトク》
 
【譯】足柄山のあちらこちらにかける羂のように、ちよつとのあいだ、物音がひそまつて、あの子とわたしが寐たことだ。
【釋】安思我良能 アシガラノ。アシガラは、神奈川縣と靜岡縣との縣境をなす山をいうが、地名としては神奈川縣に存している。
 乎弖毛許乃母尓 ヲテモコノモニ。ヲテモはヲチオモ(彼面)で、山のむこうの面。コノモはコノオモ(此の面)で、あちらこちらの面である。「筑波禰乃《ツクハネノ》 乎弖毛許能母爾《ヲテモコノモニ》」(卷十四、三三九三)、「安之比奇能《アシヒキノ》 乎底母許乃毛爾《ヲテモコノモニ》」(卷十七、四〇一一)、「二上能《フタガミノ》 乎底母許能母爾《ヲテモコノモニ》」(同、四〇一三)など、いずれも山について使つている。
 佐須和奈乃 サスワナノ。サスは網を張るをいう。「保登等藝須《ホトトギス》 鳴等比登都具《ナクトヒトツグ》 安美佐散麻之乎《アミササマシヲ》」(卷十七、三九一八)、「安美佐之弖《アミサシテ》 安我麻都多可乎《アガマツタカヲ》」(同、四〇一三)。ワナは鳥獣を捕えるための機具をいう。「蹄、周易(ニ)云(フ)、蹄(ハ)者所2以得(ル)1v兎(ヲ)也。故得(テ)v兎(ヲ)亡(フ)v蹄(ヲ)、師説、和奈《ワナ》」(倭名類聚鈔)。古事記中卷の歌に「志藝和那波留《シギワナハル》」(一〇)とあるシギワナは、シギの羂で、網をいう。ここは鳥の網か、ウサギなどの罠か、いずれにも解せられる。以上序詞で、次の句を引き起している。
 可奈流麻之豆美 カナルマシヅミ。カナルマは、諸説があり、物音の騷がしい間の意に取るものが多いが、どうしてそういう意味になるのか明解はない。これは斯ニアル間で、カナルの否定の語が、カナラズ(必)で(243)ある。意は、かくある間で、ちよつとのあいだである。「阿良之乎乃《アラシヲノ》 伊乎佐太波佐美《イヲサタバサミ》 牟可比多知《ムカヒタチ》 可奈流麻之都美《カナルマシヅミ》 伊?弖登阿我久流《イデテトアガクル》」(卷二十、四四三〇)の用例がある。シヅミは靜まつて、物音を立てず。「安利伎奴乃《アリギヌノ》 佐惠々々之豆美《サヱサヱシヅミ》(卷十四、三四八一)。
 許呂安禮比毛等久 コロアレヒモトク。兒ロと吾と紐解くで、共寐をしたことをいう。
【評語】地方色の濃い歌である。序の材料も地方の生活を思わせるし、四五句の表現も、露骨である。末句を八音で留めたのが、調子の上によく落ちつきをもたらしている。
 
3362 相摸峯《さがむね》の 小峯《をみね》見そくし
 忘れ來る 妹が名呼びて
 吾《あ》を哭《ね》し泣くな。
 
 相摸祢乃《サガムネノ》 乎美祢見所久思《ヲミネミソクシ》
 和須禮久流《ワスレクル》 伊毛我名欲妣弖《イモガナヨピテ》
 吾乎祢之奈久奈《アヲネシナクナ》
 
【譯】相摸の山の峯を見過ぎて、忘れて行く妻の名を呼んで、わたしは泣かれることだ。
【釋】相摸祢乃 サガムネノ。サガムは、古事記に相武また佐賀牟とある。サガムネは、相摸の國の嶺で、大山であろう。
 乎美祢見所久思 ヲミネミソクシ。ヲミネは小嶺、ヲは愛稱。相摸嶺の峰をいう。ミソクシは見過クシ。見て遠ざかる。
 和須禮久流伊毛我名欲妣弖 ワスレクルイモガナヨピテ。家を遠ざかるにつれて、ようやく忘れて行く愛人の名を、自分が呼んで。別傳の歌の句によるに自分が呼んだのである。こらえられずに呼んだのである。
 吾乎祢之奈久奈 アヲネシナクナ。次の或る本の歌に、「安乎禰思奈久流《アヲネシナクル》」とあり、また「奈勢能古夜《ナセノコヤ》 等里乃乎加耻志《トリノヲカチシ》 奈可太乎禮《ナカダヲレ》 安乎禰思奈久與《アヲネシナクヨ》 伊久豆君麻弖爾《イクヅクマデニ》」(卷十四、三四五八)、「思麻良久波《シマラクハ》 禰都追母安(244)良牟乎《ネツツモアラムヲ》 伊米能未爾《イメノミニ》 母登奈見要都追《モトナミエツツ》 安乎禰思奈久流《アヲネシナクル》」(同、三四七一)、「富等登藝須《ホトトギス》 奈保毛奈賀那牟《ナホモナカナム》 母等都比等《モトツヒト》 可氣都々母等奈《カケツツモトナ》 安乎禰之奈久母《アヲネシナクモ》」(卷二十、四四三七)などの用例がある。これらはいずれも、他に吾ヲ哭シ泣クの動作を起させる原因があつて、吾ヲ哭シ泣クが、これを受けている。下二段の泣クは、自分が泣かれるの意で、ある原因を受けての所能になる。それでヲは、感動の助詞、シは強意の助詞と見るべきである。ナクナの下のナは、感動の助詞とも、禁止の助詞とも取れる。動詞の下に附く感動の助詞ナは、「阿斯用由久那《アシヨユクナ》」(古事記三六)のナが、それである。本集には確例がないが、ここは感動の意であろう。
【評語】人と共に旅に出た男の歌である。家郷を遠ざかり行くにつれて、見馴れた山も見えなくなり、愛人の名も忘れるともなく紛れていたのだが、ついにたまらなくなつてその女の名を言い出した。しいて忘れようとしている愛人の名の呼び起される苦しさが歌われている。或る本の傳えもあり、歌い傳えられていた歌であろう。
 
或本歌曰、
 
武蔵祢能《ムザシネノ》 乎美称見可久思《ヲミネミカクシ》 和須禮遊久《ワスレユク》 伎美我名可氣弖《キミガナカケテ》 安乎祢思奈久流《アヲネシナクル》
 
(245)或る本の歌に曰はく、
 
武藏峯《むざしね》の 小峯《をみね》見かくし、 忘れ行く 君が名かけて 吾《あ》を哭《ね》し泣くる。
 
【譯】武藏の山の峰が見えなくなり、忘れて行く君の名を口に出して、わたしは泣かれる。
【釋】武藏祢能 ムザシネノ。ムザシは、古事記上卷に无耶志《ムザシ》、本集に牟射志と書いている。ムザシネは、いずれの山か不明。
 乎美祢見可久思 ヲミネミカクシ。ミカクシは見隱シで、隱れて見えなくなるのを、他動的に言つている。
 伎美我名可氣弖 キミガナカケテ。君が名を口にかけて。キミは、普通男子に對していうが、ここも歌品からいえば、そうらしくもあり、また旅行には普通男子が出ることを思えば、女子をいうとも解せられる。
 安乎祢思奈久流 アヲネシナクル。泣くることよの意である。ナクルは下二段活の連體形。
【評語】武藏人が歌い變えたものらしい。情趣は前の歌に同じである。
 
3363 わが夫子《せこ》を 大和へ遣《や》りて
 まつしたす
 足柄山の 杉の木《こ》の間か。
 
 和我世古乎《ワガセコヲ》 夜麻登敝夜利弖 ヤマトヘヤリテ
 麻都之太須《マツシタス》
 安思我良夜麻乃《アシガラヤマノ》 須疑乃木能末可《スギノコノマカ》
 
【譯】あの方を大和へ旅立たせて、待つて立つている足柄山の杉の木の間です。
【釋】夜麻登敝夜利弖 ヤマトヘヤリテ。何の旅とも説明はないが、兵士などに差されて旅立たせたのであろう。
 麻都之太須 マツシタス。諸説があつていまだ明解を得ない。翳立《まぶした》す(代匠記)、待し立《た》す(同)、松し如す(考)、令2待慕《マツシダス》1(古義)、松し立す(新訓)、待つ時《しだ》す(全釋)等の諸解がある。マツを待ツと松とにかけてい(246)うと見るか、別に「マツシ」という語を求めるかであるが、マツシの語は求めがたいから、前者によるほかはあるまい。太を清音に用いた例は、「伊乎佐太波佐美《イヲサタバサミ》」(巻二十、四四三〇)などがある。作者自身の待つて立つていることを、松の立つであらわしているのであろう。
 須疑乃木能末可 スギノコノマカ。カは感動の助詞。
【評語】足柄山をながめて歌つた女子の作であろうが、何分にも三句が不明で十分に味わえない。四五句の調子のよい歌である。
 
3364 足柄の 箱根の山に
 粟《あは》蒔《ま》きて 實《み》とはなれるを、
 逢はなくもあやし。
 
 安思我良能《アシガラノ》 波?祢乃夜麻尓《ハコネノヤマニ》
 安波麻吉弖《アハマキテ》 實登波奈禮留乎《ミトハナレルヲ》
 阿波奈久毛安夜思《アハナクモアヤシ》
 
【譯】足柄の箱根の山にアワを蒔いて、實がみのつたのに逢わないのは變なことだ。
【釋】安思我良能波?祢乃夜麻尓 アシガラノハコネノヤマニ。足柄を大地名として冠している。「足柄乃《アシガラノ》 筥根飛超《ハコネトビコエ》 行鶴乃《ユクタヅノ》」(卷七、一一七五)とも歌われていて、ハコネは、その嶺の名である。
 阿波奈久毛安夜思 アハナクモアヤシ。アワはみのつたのに、逢わない(アワ無い)ことはおかしいというのである。
【評語】粟と逢フとの同音を利用して軽くしやれている歌である。民謠として輕く歌われていたのだろう。粟をまくことに逢おうとする意をかけているのは.「ちはやぶる神の社しなかりせば春日の野邊に粟蒔かましを」(卷三、四〇四)などあり、古人の好んだしやれの一つである。
 
(247)或本歌未句曰、波布久受能《ハフクズノ》 比可波與利己祢《ヒカバヨリコネ》 思多奈保那保尓《シタナホナホニ》
 
或る本の歌の末句に曰はく、蔓《は》ふ葛の 引かば依り來《こ》ね。下なほなほに。
 
【釋】波布久受能 ハフクズノ。前の歌の三句以下の別傳であるが、全然別の歌であるから、或る本の歌云々とするは當らない。この句までは序で、次の句を引き起している。
 比可波與利己祢 ヒカバヨリコネ。ヒカバは這フ葛ノから受けている。男子が女子を誘うことを、引くということは、既にしばしば見えている。ヨリコネは、寄つて來よ。句切。
 思多奈保那保尓 シタナホナホニ。シタは、心中。ナホナホニは、すなおに。拘泥しないで。
【評語】やわらかい調子の出ている良い歌である。十分に獨立性を持つた歌である。足柄ノ箱根ノ山ニの句に起る民謠があり、それが様々に替歌ふうな歌をなして流傳しているのであろう。
 
3365 鎌倉の 見越《みごし》の埼の
 石崩《いはくえ》の
 君が悔《く》ゆべき 心は持たじ。
 
 可麻久良乃《カマクラノ》 美胡之能佐吉能《ミゴシノサキノ》
 伊波久叡乃《イハクエノ》
 伎美我久由倍伎《キミガクユベキ》 己許呂波母多自《ココロハモタジ》
【譯】鎌倉の見越の埼の岩くずれのように、あなたが後悔なさるような心は持つておりません。
【釋】可麻久良乃美胡之能佐吉能 カマクラノミゴシノサキノ。鎌倉ノ見越ノ埼は、今の稻村が崎だろうという。仙覺の萬葉集註釋には、今の腰越をいうとある。萬葉代匠記に相模國風土記を引いているが、何によつたか不明。それは「相摸國風土記(ニ)云(ハク)、鎌倉郡見越崎、毎《ツネニ》有(リ)2速(キ)浪1崩(ス)v石(ヲ)。國人名(ヅケテ)號《イフ》2伊曾布利《イソフリト》1。謂(フココロハ)振(ル)v石(ヲ)也」とある。
(248) 伊波久叡乃 イハクエノ。イハクエは、岩石のくずれ。以上序詞で、次句のクエを引き起している。
 伎美我久由倍伎己許呂波母多目 キミガクユベキココロハモタジ。あなたが後悔するような心を、わたしは持つていない。
【評語】序詞から主文を引き出すところは巧みであつて、類型がある。「妹も我も清みの河の河岸の妹が悔ゆべき心は持たじ」(卷三、四三七)の例がある。地名をかえただけで、かような歌が傳えられていたのである。
 
3366 ま愛《かな》しみ さ寐《ね》に吾《わ》は行く。
 鎌倉の 美奈《みな》の瀬川《せがは》に
 潮《しほ》滿《み》つなむか
 
 麻可奈思美《マカナシミ》 佐祢尓和波由久《サネニワハユク》
 可麻久良能《カマクラノ》 美奈能瀬河泊尓《ミナノセガハニ》
 思保美都奈武賀《シホミツナムカ》
 
【譯】 いとしさゆえにわたしは寐に行くのだ。鎌倉の美奈の瀬川に潮が滿ちているだろうか。
【釋】佐祢尓和波由久 サネニワハユク。サは接頭語。寐に行くである。句切。
 美奈能瀬河伯尓 ミナノセガハニ。ミナノセ川は、今の稻瀬川だという。長谷《はせ》を通つて海に入る。河伯は、河の神の意の字をもつて、河をあらわすに使つている。本卷にはかような同じ意味を有する字を表音文字として使つた例がある。「久艸《クサ》」(草、三五三〇)、「水都《ミヅ》」(水、三五二八)など。但し水都の水は訓假字。
 思保美都奈武賀 シホミツナムカ。ナムは、ラムの東語。「古婆乃波条里我《コバノハナリガ》 於毛布奈牟《オモフナム》 己許呂宇都久志《ココロウツクシ》」(卷十四、三四九六)、阿加古比須奈牟《アガコヒスナム》 伊母賀加奈志作《イモガカナシサ》」(卷二十、四三九一)の用例がある。その河口を過ぎて行こうとするのに、潮がさしているかと危んでいる。
【評語】民謠の氣分のゆたかな歌である。どういう女のもとにとも知られないが、川を渡渉して行くところに、上代の地方の生活が描かれている。
 
(249)3367 百《もも》づ島《しま》、
 足柄|小船《をぶね》 歩行《あるき》多み、
 目こそ離《か》るらめ。
 心は思《も》へど。
 
 母毛豆思麻《モモヅシマ》
 安之我良乎夫祢《アシガラヲブネ》 安流吉於保美《アルキオホミ》
 目許曾可流良米《メコソカルラメ》
 己許呂波毛倍杼《ココロハモヘド》
 
【譯】たくさんの島を、足柄の小船は、行くところが多いので、逢うことはとぎれるのだろう。心には思つているのだが。
【釋】母毛豆思麻 モモヅシマ。百ツ島で、たくさんの島。足柄小船の行く處をまず提示した。呼びかける格。
 安之我良乎夫祢 アシガラヲブネ。足柄山の材で作つた船。「鳥總立《トブサタテ》 足柄山爾《アシガラヤマニ》 船木伐《フナギキリ》」(卷三、三九一)參照。以上二句は序詞で、次の句を引き起している。
 安流吉於保美 アルキオホミ。歩行することが多いので、行く先が多いので。
 目許曾可流良米 メコソカルラメ。メは面接。逢うことは切れているのだろう。男は行く處が多いので逢わないのだろうと推量している。句切。
 己許呂波毛倍杼 ココロハモヘド。あの人は心には思つているのだがと、四句の條件をなしている。
【評語】男のおとずれて來ないわけを、辯護してみずから慰めている。強く言い切れないところに、女らしさがある。足柄小船を歌つているので、東歌に入れたらしいが、京人の作とも解せられる。
 
3368 足柄《あしがり》の 刀比《とひ》の河内《かふち》に
 出づる湯の、
(250) 世にもたよらに 兒《こ》ろがいはなくに。
 
 阿之我利能《アシガリノ》 刀比能可布知尓《トヒノカフチニ》
 伊豆流湯能《イヅルユノ》
 余尓母多欲良尓《ヨニモタヨラニ》 故呂何伊波奈久尓《コロガイハナクニ》
 
【譯】足柄の刀比の溪谷に涌き出る温泉のように、誠にもたゆたうようには、あの子がいわないことだ。
【釋】阿之我利能 アシガリノ。アシガリは、アシガラに同じ。
 刀比能可布知尓 トヒノカフチニ。トヒは、吉濱《よしはま》町|眞鶴《まなづる》町の地方で、湯河原溪谷の温泉を歌つたものの如くである。カフチは河川を中心とした一帶の地形。
 伊豆流湯能 イヅルユノ。イヅルユは温泉をいう。以上序詞で、次句のタヨラニを引き起している。
 余尓母多欲良尓 ヨニモタヨラニ。ヨニモは、世にもで、眞實にも、強調する時に使う副詞。タヨラニは、タユラニともいう。漂つて定まらない意の副詞。「筑波禰乃《ツクハネノ》 伊波毛等杼呂爾《イハモトドロニ》 於都流美豆《オツルミヅ》 代爾毛多由良爾《ヨニモタユラニ》 和家於毛波奈久爾《ワガオモハナクニ》」(卷十四、三三九二)。
 故呂河伊波奈久尓 コロガイハナクニ。兒ロガイハナクニ。たよらには言わない。しつかりしたことをいうの意である。
【評語】これも調子のよい歌で、歌い馴れていた歌であろう。あかるい意味の内容なので、調子も浮き立つている。しかし地名はどこでもさしつかえないわけで、從つて地名のさしかえが行われやすい。
 
3369 足柄《あしがり》の ままの小菅《こすげ》の
 菅枕《すがまくら》 何《あぜ》か纒《ま》かさむ。
 兒《こ》ろせ手《た》枕。
 
 阿之我利乃《アシガリノ》 麻萬能古須氣乃《ママノコスゲノ》
 須我麻久良《スガマクラ》
 安是加麻可左武《アゼカマカサム》
 許呂勢多麻久良《コロセタマクラ》
 
(251)【譯】足柄のがけのコスゲで作つた菅枕を、何だつて枕にするのですか。お前さんはわたしの手を枕におしなさいよ。
【釋】麻萬能古須氣乃 ママノコスゲノ。ママはがけになつている地形をいう語で、ここはがけである土地をさしている。脇屋眞一君の報告に、群馬縣|吾妻《あがつま》郡では、ママというのは、畑の畦畔等の斜面をいい、雜草繁茂して家畜の飼料となるそうである。コスゲは、水邊に生えるスゲ、コは愛稱の接頭語。
 須我麻久良 スガマクラ。スゲで編んで作つた枕。
 安是加麻可左武 アゼカマカサム。アゼは何故。マカサムは、纏クの敬語マカスの未然形に、助動詞ムの接續したもの。何故お纏きになろうとするのか。それには及ばないの意。句切。
 許呂勢多麻久良 コロセタマクラ。コロセは、兒ろ爲《せ》よ。セは、動詞|爲《す》の命令形。兒ロにすぐ動詞が接續している。タマクラは手枕。わが手枕の意と解される。
【評語】ままのコスゲの菅枕と同音を重ね、兒ロセ手枕と結ぶまで、非常に調子づいている。歌われた歌であることは明白である。菅枕の説明が具體的なのも、かえつて地方色を描くに役立つて、序詞のような働きをもしている。
 
3370 足柄《あしがり》の 箱根の嶺《ね》ろの
 和草《にこぐさ》の
 花つづまなれや 紐解かずねむ。
 
 安思我里乃《アシガリノ》 波故祢能祢呂乃《ハコネノネロノ》
 尓古具佐能《ニコグサノ》
 波奈都豆麻奈禮也《ハナツヅマナレヤ》 比母登可受祢牟《ヒモトカズネム》
 
(252)【譯】足柄の箱根の峰のやわらかい草の花のような妻であつたなら、紐も解かないで寐もしようよ。
【釋】波故祢能祢呂乃 ハコネノネロノ。ネロのロは接尾語、嶺に同じ。ハコネに既に嶺の語は含まれているが、固有名詞となつているので、更に嶺と言つている。
 尓古具佐能 ニコグサノ。ニコグサは、やわらかい若草をいうので、そういう名の草があるわけではないであろう。「蘆垣之中之似兒草《アシガキノナカノニコグサ》」(卷十一、二七六二)。以上序詞で、花ツ妻を引き起している。
 波奈都豆麻奈禮也 ハナツヅマナレヤ。ハナツヅマは花ツ妻。花のような妻。美しく眺めている妻。ツ一字衍とする説があるが、このままでよかろう。ナレヤは、であるとしたら。次句に至つて反語になる。
 比母登可受祢牟 ヒモトカズネム。上のヤを受けて反語になる。手もつけがたい美しい飾りの妻であつたなら、紐とかずに寐もしようが、そうではないの意。「水烏二四毛有我 《ウニシモアレヤ》 家不v念有六《イヘオモハザラム》」(卷六、九四三)の語法に同じ。
【評語】女子に對してある要求が歌われている。閨間の事情を歌つた、民謠らしい歌である。
 
3371 足柄《あしがら》の み坂かしこみ、
 陰夜《くもりよ》の 吾《あ》が下延《したば》へを
 言出《こちで》つるかも
 
 安思我良乃《アシガラノ》 美佐可加思古美《ミサカカシコミ》
 久毛利欲能《クモリヨノ》 阿我志多婆倍乎《アガシタバヘヲ》
 許呂弖都流可毛《コチデツルカモ》
 
【譯】足柄の坂がおそろしさに、くもつた夜のように隱しておいたわたしの心底を、口に出してしまつたことだ。
【釋】安思我良乃美佐可加思古美 アシガラノミサカカシコミ。足柄のみ坂は、相摸の國から駿河の國へ越える坂。その坂の神靈を感じてミ坂という。足柄上郡矢倉澤から西に越える峠である。「阿志加良能《アシガラノ》 美佐可多(253)麻波理《ミサカタマハリ》 可閉理美須《カヘリミズ》 阿例波久江由久《アレハクエユク》」(卷二十、四三七二)。
 久毛利欲能 クモリヨノ。枕詞。クモリ夜ノで、暗くて表に見えないので、次句の下延へを引き起す。
 阿我志多婆倍乎 アガシタバヘヲ。シタバヘは、心の中。表面に出さないで心の中に思い廻らすのでいう。「隱沼乃《コモリヌノ》 下延置而《シタバヘオキテ》 打嘆《ウチナゲキ》 妹之去者《イモガイヌレバ》」(卷九、一八〇九)。
 許知弖都流可毛 コチデツルカモ。言出ツルカモ。コチデは、コトイデ(言出)の約言。言に出したことだ。山坂のものおそろしさに、心に秘していたことを口に出した。それは愛人との關係、または愛人の名などである。
【評語】山坂の神靈を恐れる地方の人の心が寫されている。クモリ夜ノは枕詞だが、作者には追憶があるのであろう。
 
3372 相摸路《さがむぢ》の 淘綾《よろぎ》の濱の
 眞砂《まなご》なす、
 兒《こ》らは愛《かな》しく 思はるるかも。
 
 相摸治乃《サガムヂノ》 余呂伎能波麻乃《ヨロギノハマノ》
 麻奈胡奈須《マナゴナス》
 兒良波可奈之久《コラハカナシク》 於毛波流留可毛《オモハルルカモ》
 
【譯】相摸へ行く路の淘綾《よろぎ》の濱の眞砂のように、あの子はかわゆく思われることだ。
【釋】相摸治乃 サガムヂノ。相摸の國府は、神奈川縣中郡國府町にあり、そこへ行くための路である。
 余呂伎能波麻乃 ヨロギノハマノ。ヨロギは、倭名類聚鈔の郷名に「餘綾郡餘綾|与呂木《ヨロギ》」とあり、よろぎの濱は、國府津あたりから東方の海岸をいう。古今集では、こゆるぎの礒という。
 麻奈胡奈須 マナゴナス。眞砂ナスで、以上序詞。眞砂と最愛兒と同音であるのを利用して、次句の兒ラを引き起している。
(254) 兒良波可奈之久於毛波流留可毛 コラハカナシクオモハルルカモ。コラはコロに同じ。カナシクは、感に堪えて。オモハルルは、集中他はオモハユ、オモホユという。オモハルと言つた唯一の例である。
【評語】京人が相摸の國の礒邊を旅行しての作らしい。よく整つた美しい歌であるが、それだけに上品な上すべりのした感がある。序の使い方にも智慧が働いている。
 
右十二首、相摸國歌
 
3373 多麻河に 曝《さら》すてづくり、
 さらさらに
 何《なに》ぞこの兒の ここだ愛《かな》しき。
 
 多麻河泊尓《タマガハニ》 左良須弖豆久利《サラステヅクリ》
 佐良左良尓《サラサラニ》
 奈仁曾許能兒乃《ナニゾコノコノ》 己許太可奈之伎《ココダカナ
シキ》
 
【譯】多麻川で曝す手作りの布のように、さらさらにどうしてこの子が非常にかわいいのだろう。
【釋】多麻河伯尓 タマガハニ。多麻川は、東京都の多摩河。
 左良須弖豆久利 サラステヅクリ。テヅクリは、調布。手織の布の義である。倭名類聚鈔に「白絲布、今案(フルニ)、俗(ニ)用(ヰ)2手作布(ノ)三字(ヲ)1、云(フ)2天豆久利乃沼乃《テヅクリノヌノト》1、是(レ)乎《カ》」、日本靈異記に「〓弖都九里」、本集に「日暴之《ヒザラシノ》 朝手作尾《アサテツクリヲ》」(卷十六、三七九一)、新撰字鏡に「紵|弖豆久利《テヅクリ》」とあり、アサを材料とし水に洗い日にさらして白くしたてた布である。ここにサラスというのも、水と太陽と兩方にいう。以上序詞。同音を利用して、次句を引き起している。
 佐良左良尓 サラサラニ。更々に。かくべつに。「美作《みまさか》や久米のさら山さらさらに」(催馬樂)。
 奈仁曾許能兒乃 ナニゾコノコノ。ナニゾは、どうしてか。何のゆえに。
 己許太可奈之伎 ココダカナシキ。ココダは許多、多量に。
(255)【評語】非常に調子のよい歌である。上二句は序詞で、しかも同音韻を利用したものであるが、手作りの布をさらしている娘子を、下に持つている。布をさらすのは女の手わざである。下句も調子がよいが、それでいて眞實性も缺けていない。何ゾコノ子ノと強く指摘し、ココダ愛シキと詠嘆したのが利いているのである。
 
3374 武藏野に 占《うら》へ象《かた》灼《や》き、
 眞實《まさで》にも 告《の》らぬ君が名、
 卜《うら》に出《で》にけり。
 
 武藏野尓《ムザシノニ》 宇良敝可多也伎《ウラヘカタヤキ》
 麻左弖尓毛《マサデニモ》 乃良奴伎美我名《ノラヌキミガナ》
 宇良尓※[人偏+弖]尓家里《ウラニデニケリ》
 
【譯】武藏野で占ないをし、占ないのあらわれる形を燒いて、まさしくもわたしのいわなかつたあなたの名が、占ないにあらわれたことだ。
【釋】武藏野尓 ムザシノニ。武藏野は、武藏の國の野で、大原野をもつて知られている。
 宇良敝可多也伎 ウラヘカタヤキ。ウラヘは、占ないをする意の動詞。カタヤキは、占ないのあらわれる形を燒く意。古くは鹿の肩骨を拔いて燒き、これに水をそそいで、ひびの入る?によつて判斷したという。その方法が殘つていて歌われたらしい。「天の兒屋《こやね》の命、太玉《ふとだま》の命をよびて、天の香具山の眞男鹿《さをしか》の肩をうつ拔きに拔きて、天の香具山の天のははかを取りて、占《うら》へまかなはしめて」(古事記上卷)。
 麻左弖尓毛 マサデニモ。眞實にも、まさしくも。正手にもの義で、デは接尾語であろう。「可良須等布《カラストフ》 於保乎曾杼里能《オホヲソドリノ》 麻左※[人偏+弖]爾毛《マサデニモ》 伎麻左奴伎美乎《キマサヌキミヲ》 許呂久等曾奈久《コロクトゾナク》」(卷十四、三五二一)。
 乃良奴伎美我名 ノラヌキミガナ。ノラヌは、自分のいわない義。ノルを使つたのは、特に言い立てる意である。
 宇良尓※[人偏+弖]尓家里 ウラニデニケリ。占ないにあらわれたことだ。
(256)【評語】或る女子が、たとえば姙娠でもしているような場合に、占ないによつて相手の男を定める風習などがあつたのだろう。またそれほど重く見ないでも、思つている相手の男が誰であるかを人々が興じて占なつて見るようなことがあつたのかも知れない。古風な習俗を題材として郷土色に富んでいる作である。民謠としての流通性は少ないだろうが、それだけに特色のある歌といえよう。
 
3375 武藏野の 小岫《をぐき》がきぎし、
 立ち別れ 往《い》にし宵より、
 夫《せ》ろに逢はなふよ。
 
 武藏野乃《ムザシノノ》 乎具奇我吉藝志《ヲグキガキギシ》
 多知和可禮《タチワカレ》 伊尓之與比欲利《イニシヨヒヨリ》
 世呂尓安波奈布與《セロニアハナフヨ》
 
【譯】武藏野の谷間にいる雉子のように、立ち別れて行つた晩から、夫に逢わないことですよ。
【釋】乎具奇我吉藝志 ヲグキガキギシ。ヲは接頭語。クキは、倭名類聚鈔に「岫、陸詞(ニ)曰(フ)、岫似祐(ノ)反、和名、久岐《クキ》、山穴似(タル)v袖(ニ)也」とあり、岫は山の石門であるが、國語のクキは、兩岸が迫つて狹くなつた地形をいう。日本書紀に、筑前の洞海をクキノウミと讀ませている。これは遠賀郡の洞の海で、深く陸地に入り込んだ地形である。武藏野は平野だが、丘陵もあり、ヲグキというべき地形は諸處に見出される。キギシは雉子。以上序詞で、キジが立つより次の句を引き起している。
 多知和可禮伊尓之與比欲利 タチワカレイニシヨヒヨリ。夫が立ち別れて行つたその夜からこの方。
 世呂尓安波奈布與 セロニアハナフヨ。セは男子の愛稱。ロは接尾語。ナフは、打消の助動詞。この語は、從來この卷および卷の二十の防人歌にあるものだけが認められ、東國特有の語とされていた。打消の助動詞ヌが、ハ行に再活用したものの如く、ナハ、ナフ、ナヘの形を有しており、四段活と見られる。意義は、動詞のハ行四段再活用と同じく、打消の連續?態にあることをあらわす。「安波奈波婆《アハナハバ》」(卷十四、三四二六)、「佐禰(257)奈敝波《サネナヘバ》」(同、三四六六)。なお「不v合相者《アハナハバ》」(卷十一、二六五〇)參照。ヨは、感動の助詞。
【評語】武藏野の小岫のキギシを譬喩として使つた序の行き方は、野色が感じられ、新鮮味があつてよい。三句以下の内容は、平凡な事實を敍したにとどまるが、この序によつて生氣あらしめている。しかし單純ではあるが、女らしい感情的ないい方であり、いかにも夫に逢わないで經過していることを感じさせている。
 
3376 戀しけば 袖も振らむを、
 武藏野の うけらが花の
 色に出《づ》なゆめ。
 
 古非思家波《コヒシケバ》 素弖毛布良武乎《ソデモフラムヲ》
 牟射志野乃《ムザシノノ》 宇家良我波奈乃《ウケラガハナノ》
 伊呂尓豆奈由米《イロニヅナユメ》
 
【譯】戀しいなら袖も振りましようものを、武藏野のウケラの花のように、氣をつけて表面にお出しなさるな。
【釋】古非思家波 コヒシケバ。コヒシケまでが形容詞の活用形。それに助詞バが接續して未然條件法を作つている。形容詞戀シは、日本書紀に「姑〓之《コホシ》」とあり、本集卷の五には、「古保志《コホシ》」「故保斯《コホシ》」とあつて、コホシの方が古いらしく、コヒシは、本卷のほかに、十五、十七、十八、二十の諸卷に見えて、やや新しいようである。ここはコヒシの形における初出である。
 素弖毛布良武乎 ソデモフラムヲ。これは作者目身の上を言つている。袖を振るのは、自分のいることをあきらかにするための行動である。ヲは、ここでは、それゆえにの意を下に含んでいる。
 宇家良我波奈乃 ウケラガハナノ。ウケラは、キク科オケラ屬の宿根草本で、山野に野生しているアザミに似た植物である。白花または紅花をつけるが、武藏野の野生は主として紅花であり、ここでもその意味に歌つている。倭名類聚紗には朮に乎介良《ヲケラ》の訓があり、新撰字鏡も白朮を乎介良《ヲケラ》と訓している。以上二句は序詞で、次句の色に出るを引き起している。
(258) 伊呂尓豆奈由米 イロニヅナユメ。色に出るな決して。ナは禁止の助詞。ウケラガ花の序は、色に出るもので、ナまでには懸かつていない。
【評語】京人の歌には、「紅の末つむ色の色に出《づ》な」と歌つているが、さすがに東方の野人の歌だけあつて、武藏野のウケラが花を取り扱つている。但しこの花は、歌いものとして流通しているものに詠まれているのがあつて、それからかような歌に引かれるに至つたのだろう。野趣に滿ちたこの花によつて、武藏野に住む娘子を描いているようである。形のよく整つた歌で、二人の間の事情が相當に窺われる。
 
或本歌曰、
 
伊可尓思弖《イカニシテ》 古非波可伊毛尓《コヒバカイモニ》 武藏野乃《ムザシノノ》 宇家良我波奈乃《ウケラガハナノ》 伊呂尓※[人偏+弖]受安良牟《イロニデズアラム》
 
或る本の歌に曰はく、
 
いかにして 戀ひばか妹に、武藏野の うけらが花の、色に出ずあらむ
 
【譯】どのように戀をしたなら、あの子に、武藏野のウケラの花のように表面にあらわさないでいられよう。
(259)【釋】伊可尓思弖古非波可伊毛尓 イカニシテコヒバカイモニ。イカニシテは、どのような戀のしかたをしたならばの意をあらわしている。妹ニは、五句につづく。
 武藏野乃宇家良我波奈乃 ムザシノノウケラガハナノ。以上二句、序詞。
 伊呂尓※[人偏+弖]受安良牟 イロニデズアラム。これは作者自身の苦心を描いている。
【評語】前の歌と、詞句の相似はあるが、立場は全く變わつて、作者自身の上を説いている。二句の表現は、整然としないゆえに生ずる效果があつて、情熱を感じさせる。
 
3377 武藏野の 草は諸向《もろむき》、
 かもかくも
 君がまにまに 吾《わ》は寄《よ》りにしを。
 
 武藏野乃《ムザシノノ》 久佐波母呂武吉《クサハモロムキ》
 可毛可久母《カモカクモ》
 伎美我麻尓未尓《キミガマニマニ》 吾者余利尓思乎《ワハヨリニシヲ》
 
【譯】武藏野の草は、みなそれぞれに向いている。そのようにいかようとも、あなたの思う通りに、わたしは寄つたものです。
【釋】久佐波母呂武吉 クサハモロムキ。モロムキは諸向で、すべてが、それぞれの方向に向くこと。片向き(傾き)の反對である。以上序詞で、譬喩になつて次句のカモカクモを引き起している。
 可毛可久母 カモカクモ。かようにもかようにもで、どのようにも。
 伎美我麻尓末尓 キミガマニマニ。あなたの通りに。あなたの思う通りに。
 吾者余利尓思乎 ワハヨリニシヲ。相手に從うことをヨルという。ヲは、下にそれだのにの意を含んでいる。
【評語】何かいうことがあつて、それを省略した形になつている。女子の歌であろう。相手の申し込みに應じたけれども、やはり不安が感じられる?態を歌つている。初二句の譬喩は、野趣を感じさせるにはあずかつて(260)力がある。自分を武藏野の草にたとえていうような氣もちがあるのである。
 
3378 入間道《いりまぢ》の 大家《おほや》が原の
 いはゐつら、
 引かばぬるぬる 吾《わ》にな絶えそね。
 
 伊利麻治能《イリマヂノ》 於保屋我波良能《オホヤガハラノ》
 伊波爲都良《イハヰツラ》
 比可婆奴流々々《ヒカバヌルヌル》 和尓奈多要曾祢《ワニナタエソネ》
 
【譯】入間郡に行く道の大家が原のイハヰツラのように、引いたらぬらぬらとわたしの方に切れないで引かれてください。
【釋】伊利麻治能 イリマヂノ。イリマは、埼玉縣入間郡。イリマヂは、その郡役所の所在地に向かつて行く道である。
 於保屋我波良能 オホヤガハラノ。オホヤは、倭名類聚鈔郷名に、「武藏國入間郡大家於保也介」とある處で、大日本地名辭書に、川越市の東南二里の大井村だろうという。そうとすれば武藏の國府から入間の郡に行く道に當るのであろう。
 伊波爲都良 イハヰツラ。蔓性植物であろうが不明。下に「上つ毛野|可保夜《かほや》が沼の伊波爲都良《いはゐつら》引かばぬれつつ吾《あ》をな絶えそね」(卷十四、三四一六)の歌があるによれば、沼地に生えるようで、濕地を好むのであろう。スベリヒユだともいう。以上は序詞で、譬喩になつて以下の句を引き起している。
 比可婆奴流々々 ヒカバヌルヌル。蔓を引くに女子を引く(261)を懸ける。ヌルヌルは、ぬらぬらと、滑らかに靡く意の形容。「たけばぬれたかねば長き妹が髪」(卷二、一二三)。 和尓奈多要曾祢 ワニナタエソネ。わたしの引くのに應じて切れるなかれの意。
【評語】歌いものとして類型的な表現である。地名や草の名に特色があるが、それはさしかえて歌われたものであろう。上記の上野の國の歌など、その替歌である。調子に乘つている歌で、深い感情は味わえない。
 
3379 わが夫子を 何《あ》どかもいはむ。
 武藏野の うけらが花の、
 時無きものを。
 
 和我世故乎《ワガセコヲ》 安杼可母伊波武《アドカモイハム》
 牟射志野乃《ムザシノノ》 宇家良我波奈乃《ウケラガハナノ》
 登吉奈伎母能乎《トキナキモノヲ》
 
【譯】あなたのことを、どのように言いましよう。思つていますことは、ちようど武藏野のウケラの花のように、その時というものがありませんものを。
【釋】安杼可母伊波武 アドカモイハム。何ドカモ言ハム。何をアということは、アニ、アゼなど例が多い。何《あ》とのトを濁るのは、熟語ふうになつているからであろうが、本卷の特色で、みな杼の字を使つている。京人の歌と認められるものには、「阿跡念登《アトモフト》 夜渡吾乎《ヨワタルワレヲ》」(卷十、二一四〇)と書かれている。何と言つたらよかろうか、言い方を知らない意。句切。
 牟射志野乃宇家良我波奈乃 ムザシノノウケラガハナノ。以上二句、序詞。ウケラの花は、夏期にかけて長いあいだ咲くので、時無シを引き起している。
 登吉奈伎母能乎 トキナキモノヲ。特に思う時節なく、絶えず思つている意。モノヲは、それだからの意を含んでいる。
【評語】武藏野ノウケラガ花ノの序詞は、前の歌と同じく、歌いものから來ているのであろう。しかしその花(262)をよく知つており、盛りの久しい花の色が目に浮かんで、この歌が作られている。時無シの句を引き出すための序としては、礒邊に寄せる波など、不斷の性質を有するものが多く使用されており、譬喩としてはその方が適切であるが、しかしこの歌に使用されたウケラガ花の譬喩は、そういうものに比して、むしろ生色を感じさせる。それが多少の無理を越えて歌を生かしている。内容は單純だが、表現においてよく野趣を感じさせる。
 
3380 埼玉《さきたま》の 津に居《を》る船の、
 風をいたみ 綱は絶ゆとも、
 言《こと》な絶えそね
 
 佐吉多萬能《サキタマノ》 津尓乎流布祢乃《ツニヲルフネノ》
 可是乎伊多美《カゼヲイタミ》 都奈波多由登毛《ツナハタユトモ》
 許登奈多延曾祢《コトナタエソネ》
 
【譯】埼玉の船つき場に居る船の、風がひどくつて綱が切れることがあつても、あなたの言葉は切れないでください。
【釋】佐吉多萬能津尓乎流布祢乃 サキタマノツニヲルフネノ。サキタマは、倭名類聚鈔に「武藏(ノ)國埼玉(ノ)郡佐伊太末」とある。今の熊谷市東方の地で、その津は、利根川の船つき場。
 可是乎伊多美 カゼヲイタミ。風が強くして。
 都奈波多由登毛 ツナハタユトモ。船をつないである綱は切斷されることがあつても。以上譬喩で、船の綱は切れても二人のあいだの言葉は切れないようにというのである。
 許登奈多延曾祢 コトナタエソネ。あなたからの言葉は絶えないように。「人皆の言は絶ゆとも埴科《はにしな》の石井の手兒が言な絶えそね」(卷十四、三三九八)。
【評語】譬喩で持つている歌である。その譬喩は巧妙だが、それだけに作り歌の氣もちがあるのはやむを得ない。埼玉の津から船に乘つて旅に出ようとしているので、この作があるのだろう。
 
(263)3381 夏麻《なつそ》引《び》く 宇奈比《うなひ》を指して
 飛ぶ鳥の 到らむとぞよ、
 吾《あ》が下延《したば》へし。
 
 奈都蘇妣久《ナツソビク》 宇奈比乎左之弖《ウナビヲサシテ》
 等夫登利乃《トブトリノ》 伊多良武等曾與《イタラムトゾヨ》
 阿我之多波倍思《アガシタバヘシ》
 
【譯】夏のアサを引いて績む。その宇奈比《うなひ》の地をさして、空飛ぶ鳥のように、あなたの處に行きつこうと、わたしは心で思つていた。
【釋】奈都蘇妣久 ナツソビク。枕詞。既出(卷十四、三三四八)。
 宇奈比乎左之弖 ウナヒヲサシテ。ウナヒは地名であろうが、所在未詳。武藏の國にはこれに擬すべき處が見出されない。同名の地では攝津の國の菟原《うなひ》が本集にも見えて著名である。また海邊の義とも取れるが、それならばビの字を使うのが至當である。そのウナヒがわが思う人の住處で、作者はそこから離れて旅に出ているのであろう。この句は、到ラムトゾヨの句に接續する。
 等夫登利乃 トブトリノ。譬喩の句。宇奈比をさして飛ぶ鳥と續ける見方もあろうが、宇奈比を思う人の住處とすれば、この句だけが譬喩になる。
 伊多良武等曾與 イタラムトゾヨ。ゾは係助詞。ヨは感動の助詞。到ラムトゾ下延ヘシと續く語法である。
 阿我之多波倍思 アガシタバヘシ。シタバヘは上に名詞形で出た。ここは動詞として、時の助動詞シを伴なつている。心に思つた。
【評語】空飛ぶ鳥のように、思う人のもとに行きたいという歌は、類歌が多いが、この歌は、表現に特色があつて、よく力強さがあらわれている。初句の枕詞も、宇奈比の地に對するなつかしさが含まれていて無駄ではない。
 
(264)右九首、武藏國歌
 
【釋】武藏國歌 ムザシノクニノウタ。ここに相摸の國の歌の次に武藏の國の歌が載せられているのは、この卷首の解説の條に述べたように、寶龜二年十月の以後のことだとされるのである。しかしこれは、武藏の國が、もと東山道と東海道との兩方に屬していたのを、この時に山道の方をやめたので、決定的な證明にならない。總説篇成立の條參照。
 
3382 馬來田《うまぐた》の 嶺《ね》ろの笹葉《ささば》の
 露霜の 濡《ぬ》れて別《わ》きなば、
 汝《な》は戀ふばそも。
 
 宇麻具多能《ウマクタノ》 祢呂乃佐左葉能《ネロノササバノ》
 都由思母能《ツユシモノ》 奴禮弖和伎奈婆《ヌレテワキナバ》
 汝者故布婆曾母《ナハコフバソモ》
 
【譯】馬來田の峯の笹葉が露霜に濡れるように濡れて別れたなら、あなたは戀をすることだろう。一體。
【釋】宇麻具多能祢呂乃佐左葉能 ウマグタノネロノササバノ。ウマグタは、倭名類聚鈔に「上總國望陀|末宇太《マウタ》」とある處で、これを古くはウマグタといつた。日本書紀に、大伴の連望多とも大伴の連馬來田とも書いている。望陀の郡は、今千葉縣君津郡の一部で小櫃川の流域である。ロは接尾語。馬來田の嶺は、今のどの山をいうか不明。
 都由思母能 ツユシモノ。以上、笹の葉の露霜に濡れているようにと、次の句を引き起す序になつている。
 奴禮弖和伎奈婆 ヌレテワキナバ。ワキナバは、別れなば。別れるの意の動詞を、古くワクといい、四段に活用したと見られる。
 汝者故布婆曾母 ナハコフバソモ。コフバは戀フバであろう。これと同じ形の用例はないが、元來ハには感(265)動の意に輕く添える用例があり、それがバに轉じても發音されていたのであろう。アラズハ、戀シクハの如き、これである。この戀フバも、もとは戀フハであり、やがてバに轉じたものと考えられる。ソモは、其モで、そもそもの意。あなたは戀をする、そもそもの意。
【評語】別れに臨んで、先方の氣もちを憐れんでいる。古事記上卷の、八千矛の神の歌の「泣かじとは汝《な》はいふとも、山處《やまと》の一本すすき、うなかぶし汝が泣かさまく、朝雨の霧に立たむぞ」(五)のおもかげがある。馬來田の嶺の笹葉の露霜に濡れていることから、濡レテ別キナバを引き起した手段は巧みで、情趣がゆたかである。
 
3383 馬來田《うまぐた》の 嶺《ね》ろに隱《かく》り居、
 かくだにも 國の遠かば、
 汝《な》が目ほりせむ。
 
 宇麻具多能《ウマグタノ》 祢呂尓可久里爲《ネロニカクリヰ》
 可久太尓毛《カクダニモ》 久尓乃登保可婆《クニノトホカバ》
 奈我目保里勢牟《ナガメホリセム》
 
【譯】馬來田の嶺に隱れて、これほどにも國が遠くなつたら、あなたに逢いたくなるだろう。
【釋】祢呂尓可久里爲 ネロニカクリヰ。愛人の家が、その山に隱れていて。下の國ノ遠カバを修飾している。
 可久太尓毛 カクダニモ。カクは、嶺の上に隱れていてを受けている。それだけでも。
 久尓乃登保可婆 クニノトホカバ。トホカバは、遠を、動詞として活用させている。四段動詞に準じて活用させたものであろう。なお他に「麻左可思余加婆《マサカシヨカバ》」(卷十四、三四一〇)の一例がある。「等抱可騰母《トホカドモ》」(卷十四、三四七三)の如き形のものは、ケの轉音とも見られるものである。
 奈我目保里勢牟 ナガメホリセム。メで、面貌を代表させている。逢いたくなるだろう。
【評語】わずかに山に家が隱れたなら逢いたくなるだろうの意を歌つて、内容は類型的であるが、表現のたど(266)たどしさが、かえつて生氣あるものとしている。いかにも東人の作らしい歌である。
 
右二首、上總國歌
 
3384 葛飾《かづしか》の 眞間《まま》の手兒奈《てこな》を、
 まことかも われに寄《よ》すとふ。
 眞間の手兒名を。
 
 可都思加能《カヅシカノ》 麻末能手兒奈乎《ママノテコナヲ》
 麻許登可聞《マコトカモ》 和禮尓余須等布《ワレニヨストフ》
 麻末乃弖胡奈乎《ママノテコナヲ》
 
【譯】葛飾の眞間の手兒奈を、ほんとうかしらん、わたしに寄せるということだ。あの眞間の手兒奈を。
【釋】可都思加能麻末能手兒奈乎 カヅシカノママノテコナヲ。カヅシカノママノテコナは既に卷の三および九に出た。葛飾の眞間の地にいた娘子で、傳説の人となつている。テコは娘子、ナは親愛の意を表示する接尾語。
 麻許登可聞 マコトカモ。カモは係助詞。句切ではない。我に寄せるということを、眞實かと驚いている。
 和禮尓余須等布 ワレニヨストフ。ヨスは、女子を配偶者として許す意。その保護者なり媒人なりが寄せるのである。トフは、トイフに同じ。句切。
 麻末乃弖胡奈乎 ママノテコナヲ。第二句を繰り返している。
【評語】二句と五句とに同句を置いているのは、歌いものとして正しい格調の一つである。四句で一往切つて、第五句に上の一句を操り返した形は、驚喜の情を表現するに效力が多い。しかし實際にその女を手に入れたのでなくして、むしろ入手の喜びを想像して歌つたとすべきだろう。民謠性の濃厚な、よい歌である。
 
(267)3385 葛飾の 眞間の手兒奈が
 ありしはか、
 眞間の礒邊《おすひ》に 波もとどろに。
 
 可豆思賀能《カヅシカノ》 麻萬能手兒奈家《ママノテコナガ》
 安里之波可《アリシハカ》
 麻末乃於須比尓《ママノオスヒニ》 奈美毛登杼呂尓《ナミモトドロニ》
 
【譯】葛飾の眞間の手兒奈がいた時には、眞間の海邊に浪もとどろにうち寄せたのだろう。
【釋】安里之波可 アリシハカ。ありし日にはの意に疑問の係助詞カが接續している。手兒奈の生前を想像している。細井本には、安里之可婆に作つていて、それでもわかるが、これは、安里之波可が目馴れない形であつたので、變じたものだろう。
 麻末乃於須比尓 ママノオスヒニ。オスヒは、最外部に著る衣服をオスヒというと同じく、陸地の最外側をいうと見られる。上におそう義である。それでも邊の意になる。眞間の地は、古く海に面していた。
 奈美毛登杼呂尓 ナミモトドロニ。トドロニは、音響の大きいことを形容する副詞。この下になお句の略されている氣分である。たとえば、ウチ寄セケムなど。
【評語】眞間の手兒奈は、水死をした人と傳えられ、その海邊に立つて追憶の情を述べているのであろう。世を隔てて麗人のあとを慕う情が、浪もその人を戀したであろうという形で描かれている。情趣の深い歌である。
 
3386 鳰鳥《にほどり》の 葛飾|早稻《わせ》を
 饗《にへ》すとも、
 その愛《かな》しきを 外《と》に立てめやも。
 
 尓保杼里能《ニホドリノ》 可豆思加和世乎《カヅシカワセヲ》
 尓倍須登毛《ニヘストモ》
 曾能可奈之伎乎《ソノカナシキヲ》 刀尓多弖米也母《トニタテメヤモ》
 
【譯】鳰鳥が水にくぐつている。その葛飾の早稻で神祭りをしても、あのいとしい方を家の外には立たせませ(268)ん。
【釋】尓保杼里能 ニホドリノ。枕詞。ニホドリは、水禽。カイツブリ、モグツチヨ。よく水に浮かびまた潜つて魚を捕るので、潜《カヅ》クの意に、カヅを引き起している。
 可豆思加和世乎 カヅシカワセヲ。葛飾の地から産した早稻を。葛飾は、今日でも早稻の産地として知られている。早稻とことわつたのは、今年の初成の意をあらわすためである。
 尓倍須登毛 ニヘストモ。ニヘは新嘗の義。「爾比那閉《ニヒナヘ》」(古事記一〇一)、「爾布奈未《ニフナミ》」(卷十四、三四六〇)、「新嘗《ニハナヒ》」「新嘗」《ニハノアヒ》(日本書紀)、「新嘗《ニヒナメ》」(類聚名義抄)などの語と連絡があるのであろう。また「島の速贄《ハヤニヘ》」(古事記上卷)などとも熟し、かならずしも新穀の饌には限らない。しかしここは、新穀をもつて神に供して祭る意であろう。
 曾能可奈之伎乎 ソノカナシキヲ。カナシキは、愛すべき人。ソノは指定する語で、かの人と指定される人をさしている。
 刀尓多弖米也母 トニタテメヤモ。トは、戸で、屋内からいえば、戸外になる。タテメは、立たせよう。ヤモは反語。
【評語】新嘗の祭は、古くは民間でも行われた。この祭の夜は、女子が家を守つて嚴肅に祭事を行い、齋戒して外來の人を入れない。常陸國風土記に、御祖の神が、富士山の神のもとをおとずれたところ、今夜は新粟の嘗の夜であるからと言つて入れなかつたという説話は、この間の風習を語つている。この歌は、そういう信仰と、情愛との葛藤を敍したもので、信仰を越えて情熱の燃えることが述べられている。戸を隔てて唱和したような形があり、興趣の深い歌である。なお本卷三四六〇にも同じ趣の歌があるから參照されたい。
 
(269)3387 足《あ》の音《おと》せず 行かむ駒もが。
 葛飾の 眞間の繼橋《つぎはし》、
 やまず通はむ。
 
 安能於登世受《アノオトセズ》 由可牟古馬母我《ユカムコマモガ》
 可都思加乃《カヅシカノ》 麻末乃都藝波思《ママノツギハシ》
 夜麻受可欲波牟《ヤマズカヨハム》
 
【譯】足音を立てずに行く馬がほしいなあ。葛飾の眞間の繼橋を絶えず渡つて通おうに。
【釋】安能於登世受由可牟古馬母我 アノオトセズユカムコマモガ。アは足で、ここは馬蹄。モガは願望の助詞。句切。
 麻末乃都藝波思 ママノツギハシ。ツギハシは、河幅が廣いので、板を繼いで渡した橋。眞間の入江などにかけられてあつたのであろう。
 夜麻受可欲波牟 ヤマズカヨハム。ヤマズは絶える事なしに。
【評語】誰にともないが、眞間の手兒奈に關する歌とされるのは、そういうこともあろう。愛人のもとに通うのに人目を憚る由に歌う歌は多いが、これは風趣のゆたかな歌である。人目を憚る由を露出していないで、馬蹄に託しているのもよい。
 
右四首、下總國歌
 
3388 筑波|嶺《ね》の 嶺《ね》ろに霞|居《ゐ》、
 過ぎがてに 息《いき》づく君を、
 率寐《ゐね》てやらさね。
 
 筑波祢乃《ツクハネノ》 祢呂尓可須美爲《ネロニカスミヰ》
 須宜可提尓《スギガテニ》 伊伎豆久伎美乎《イキヅクキミヲ》
 爲祢弖夜良佐祢《ヰネテヤラサネ》
 
(270)【譯】筑波山の嶺に霞がかかつていて、そのように通り過ぎ得ないで、太息をついているあの方を、一緒に寐て通らせなさい。
【釋】筑波祢乃祢呂尓可須美爲 ツクハネノネロニカスミヰ。カスミヰは、霞がいて。カスミは體言としての用法。以上序詞。次句の過ギガテニを引き起している。
 須宜可提尓 スギガテニ。宜は、集中ギにもゲにも使用している。ギに使用したのは、卷の五、六、十四、十五の諸卷にあり、ゲの用法に比して新しいもののようである。スギは、女子のもとを通過する。ガテニは、困難である意の語で、もと助動詞であつたが、助詞として副詞を構成するに使われている。
 伊伎豆久伎美乎 イキヅクキミヲ。イキヅクは、太息をつく。
 爲祢弖夜良佐祢 ヰネテヤラサネ。率寐テ遣ラサネ。ヰネテは、共に寐て。ヤラサネは、先方へお遣りなさいで、通過させなさい。ある女子に言いかけている。
【評語】第三者の立場になつて、男子に同情して女子に歌いかけている。それはもとより手段に過ぎないので、民謠として、男女のあいだに、かような歌が歌い交わされていたのである。地方色もあり、民謠としての性質も十分にある歌である。
 
3389 妹が門《かど》 いや遠ぞきぬ。
 筑波山 かくれぬほどに
 袖は振りてな。
 
 伊毛我可度《イモガカド》 伊夜等保曾吉奴《イヤトホゾキヌ》
 都久波夜麻《ツクハヤマ》 可久禮奴保刀尓《カクレヌホドニ》
 蘇提婆布利弖奈《ソデハフリテナ》
 
【譯】あの子の門はいよいよ遠ざかつた。筑波山に隱れないうちに、袖を振ろうよ。
【釋】伊毛我可度 イモガカド。愛人の門。
(271) 伊夜等保曾吉奴 イヤトホゾキヌ。イヤは、いよいよ、一層。トホゾキは、遠く退く意。遠ざかつた。句切。
 都久波夜麻 ツクハヤマ。妹が門が筑波山に隱れるのを氣にして歌つているので、意は、筑波山にであるが、筑波山を眺めて呼び懸けているので、歌意を味わうには、ニを補つてはいけない。
 可久禮奴保刀尓 カクレヌホドニ。妹が門の隱れないほどに、その見えているあいだに。
 蘇提婆布利弖奈 ソデハフリテナ。フリテナは、自分の行動について希望する語法。振りたいものだ。
【評語】遠く旅に出るのであろう。愛人の門に別れを惜しんでいる。筑波山麓を行く情趣がよく描かれている。
 
3390 筑波|嶺《ね》に かか鳴く鷲《わし》の、
 音《ね》のみをか 鳴き渡りなむ。
 逢ふとはなしに。
 
 筑波禰爾《ツクハネニ》 可加奈久和之能《カカナクワシノ》
 祢乃未乎可《ネノミヲカ》 奈岐和多里南牟《ナキワタリナム》
 安布登波奈思尓《アフトハナシニ》
 
【譯】筑波山で、かかと鳴くワシのように、泣きに泣いて日を過ごすことだろうか。逢うとはなくて。
【釋】可加奈久和之能 カカナクワシノ。カカは、ワシの鳴く聲で、カカナクは、カカと鳴く意。おどろかすような聲で鳴くワシのである。「文選(ノ)蕪城賦(ニ)云(フ)、寒鴟嚇(ク)v雛(ヲ)。嚇讀(フ)2加加奈久《カカナクト》1」(倭名類聚鈔)。大祓の詞に「速開都比刀sはやあきつひめ》という神、持ち可可《カカ》呑みてむ」とある、カカノムも、カカと呑む意で、カカは呑む聲をいうのであろう。以上二句、序詞で、次の音ノミヲ泣クを引き起している。「此(ノ)浦(ニ)聞(ユ)2異(シキ)鳥(ノ)之音1、其|鳴駕我久久《ネカガクク》」(高橋氏文)。
 祢乃未乎可奈伎和多里南卒 ネノミヲカナキワタリナム。ネノミナクは熟語句で、泣きに泣く、泣くよりほかの事はない意。泣いて日を過していることだろう。句切。
 安布登波奈思尓 アフトハナシニ。逢うということはなしに。
【評語】男子が旅に出るので、別れに臨んで女の詠んだ歌であろう。序が奇拔で、地方色が強く出ている。實(272)は強すぎるくらいで、女の泣く譬喩としては不適當だが、しかしその特異性で持つている歌である。
 
3391 筑波|嶺《ね》に 背向《そがひ》に見ゆる
 葦穗《あしほ》山、
 あしかる咎《とが》も さね見えなくに。
 
 筑波祢尓《ツクハネニ》 曾我比尓美由流《ソガヒニミユル》
 安之保夜麻《アシホヤマ》
 安志可流登我毛《アシカルトガモ》 左祢見延奈久尓《サネミエナクニ》
 
【譯】筑波山のうしろに見える葦穗山。そのようなわるい缺點も、實に見えないことだ。
【釋】筑波祢尓曾我比尓美由流安之保夜麻 ツクハネニソガヒニミユルアシホヤマ。ソガヒニミユルは、背方に見えるで、筑波山に對してその後方に見える葦穗山である。葦穗山は、筑波山の北方に連つている一帶の山をいう。常陸國風土記、新治の郡の條に「郡より東十五里に笠間の村あり、越え通ふ道路を葦穗山といふ」とある。以上三句は序詞で、同音によつて、次句を引き起している。
 安志可流登我毛 アシカルトガモ。わるい缺點も。トガは短所、缺點。
 左祢見延奈久尓 サネミエナクニ。サネは、眞實の意の體言で、副詞として使われている。
【評語】ある女子の缺點の指摘すべきものがないことを歌つている。まことに類のない内容で、特色のある歌というべきである。上三句の序は長いが、その女子のいる地方を描くには役立つており、背景としての任を果している。
 
3392 筑波|嶺《ね》の 石《いは》もとどろに
 落つる水、
 世にもたゆらに わが念《も》はなくに。
 
 筑波祢乃《ツクハネノ》 伊波毛等杼呂尓《イハモトドロニ》
 於都流美豆《オツルミヅ》
 代尓毛多由良尓《ヨニモタユラニ》 和我毛波奈久尓《ワガモハナクニ》
 
(273)【譯】筑波山の岩も鳴り響くまでに落ちる水のように、實際にためらつては、わたしは思つていないことだ。
【釋】伊波毛等杼呂尓於都流美豆 イハモトドロニオツルミヅ。勢強く落ちる水を歌つている。以上序詞で、次句のタユラニを引き起している。
 代尓毛多由良尓 ヨニモタユラニ。ヨニモは、代にもの意で、強調する意に使用される副詞。タユラニは、ためらつている意をあらわす副詞。たゆらに思わないというので、切に思うことをいう。
 和我毛波奈久尓 ワガモハナクニ。類聚古集および仙覺本系統には我の下に於がある。今、元暦校本に於のないのによる。
【評語】筑波山には、實際そうはげしく落ちる水がないのに、かように歌われているのは、地名のさしかえが行われたためである。既出の「足柄の刀比の河内に出づる湯の世にもたよらに兒ろが言はなくに」(卷十四、三三六八)の歌と類似しており、歌もその方がよい。それがきまつて原歌とはいえないかも知れないが、かような形の歌が、廣く行われていたことが知られるのである。
 
3393 筑波|嶺《ね》の 彼面此面《をてもこのも》に
 守部《もりべ》居《す》ゑ、
 母い守《も》れども、
 魂《たま》ぞ逢ひにける。
 
 筑波祢乃《ツクハネノ》 乎弖毛許能母尓《ヲテモコノモニ》
 毛利敝須惠《モリベスヱ》
 波播已毛禮杼母《ハハイモレドモ》
 多麻曾阿比尓家留《タマゾアヒニケル》
 
【譯】筑波山のあちらこちらの面に番人を置いて、そのように母が番をしているけれども、魂が逢つてしまつた。
【釋】筑波祢乃乎弖毛許能母尓 ツクハネノヲテモコノモニ。「安思我良能《アシガラノ》、乎弖毛許乃母爾《ヲテモコノモニ》」(卷十四、三三(274)六一)參照。
 毛利敝須惠 モリベスヱ。モリベは、番をする役の者。スヱは置く。以上序詞で、次の句の守ルを引き起している。
 波播已毛禮杼母 ハハイモレドモ。イは、語勢の助詞で、ある語を提示する場合などに使用する。ここは母を提示している。このイは、主として主語につくが、その他にもつき、その語の内容を提示する任務を有している。モレドモは、守つているけれども。
 多麻曾阿比尓家留 タマゾアヒニケル。タマがアフは、靈魂が合うで、たがいに愛することをいう。それをアフというので、母が番をしているが逢つてしまつたというあらわし方をしている。「靈あへばあひ寐むものを小山田の鹿猪田《ししだ》守《も》る如母し守らすも」(卷十二、三〇〇〇)。
【評語】上三句は、譬喩による序詞だが、すこし附き過ぎて、實際の敍述であるかのような錯覺を起させやすい。下の二句は男として、得意なところを歌つたのだろうが、やはり歌いものとして、母親が知らずにいるのを興ずる意味に歌われているのであろう。
 
3394 さ衣《ごろも》の 小筑波嶺《をづくはね》ろの
 山の岬《さき》、
 忘ら來《こ》ばこそ 汝《な》を懸《か》けなはめ。
 
 左其呂毛能《サゴロモノ》 乎豆久波祢呂能《ヲヅクハネロノ》
 夜麻乃佐吉《ヤマノサキ》
 和須良許波古曾《ワスラコバコソ》 那乎可家奈波賣《ナヲカケナハメ》
 
【譯】著物の緒、その小筑波の山の埼を、わたしでも來たなら、あなたを口にかけないだろう。
【釋】左其呂毛能 サゴロモノ。枕詞。サは接頭語。衣の緒の意に、次の句のヲを引き起すのであろう。
 乎豆久波祢呂能 ヲヅクハネロノ。ヲは愛稱の接頭語。筑波の山の。
(275) 夜麻乃佐吉 ヤマノサキ。山の突出している岬角。山の先端。
 和須良許婆古曾 ワスラコバコソ。我スラ來バコソ。ワスラは、自分だけでもなお。自分のような者でも、あの山崎を廻つて歸つて來たなら。仙覺本系統に和須良延に作つているによれば、忘ラエで、それならば遠く旅に出て、忘られるようにもならばの意になる。
 那乎可家奈波賣 ナヲカケナハメ。カケは、口に懸ける。ナハは、打消の助動詞ナフの未然形。上を受けて、また此處に廻り來たなら口にかけないだろう。そうでないから懸ける意。
【評語】言い廻しが素朴で、東方人の歌にふさわしい表現である。旅行に出ようとして歌つたものと解せられる。
 
3395 小筑波《をづくは》の 嶺《ね》ろに月《つく》立《た》し、
 間夜《あひだよ》は 多《さはだ》なりのを、
 また寐てむかも。
 
 乎豆久波乃《ヲヅクハノ》 祢呂尓都久多思《ネロニツクタシ》
 安比太欲波《アヒダヨハ》 佐波太奈利努乎《サハダナリノヲ》
 萬多祢天武可聞《マタネテムカモ》
 
【譯】筑波山に月が出て、そのあいだの夜を重ねたのだが、また寐るだろうかなあ。
【釋】祢呂尓都久多思 ネロニツクタシ。嶺ロニ月立シ。月立つは、月が新しく發する意で、月の更新するにいう。月のかわつたのを、實景で表現している。
 安比太欲波 アヒダヨハ。中間の夜は。月が變わつて前に逢つてからのあいだの夜は。ヨを助詞として、前逢いたるよりはの意とする解もあるが、欲の字は夜の音の字である。またダはタルの略であるというが、他にかような用例はない。
 佐波太奈利努乎 サハダナリノヲ。サハダは多數。「和多佐波太《ワタサハダ》 伊利奈麻之母乃《イリナマシモノ》」(卷十四、三三五四)。(276)ナリノヲはナリヌヲに同じ。多數の夜を經た。それだのにの意。努は、元暦校本等には怒に作つている。ヌの音聲であるべき所に努もしくは怒を使用した例になる。
 萬多祢天武可聞 マタネテムカモ。ネテムは、相手に逢うだろうの意をあらわしている。
【評語】初二句の現實的な言い方がよく利いている。地方色の横溢している歌というべきである。三句以下の内容も、表現も、素朴の感じが保たれている。
 
3396 小筑波《をつくは》の 繁き木《こ》の間《ま》よ
 立つ鳥の、
 目ゆか汝《な》を見む。
 さ寐ざらなくに。
 
 乎都久波乃《ヲツクハノ》 之氣吉許能麻欲《シゲキコノマヨ》
 多都登利能《タツトリノ》
 目由可汝乎見牟《メユカナヲミム》
 左祢射良奈久尓《サネザラナクニ》
 
【譯】筑波山の茂つた木の間を通つて立つ鳥のように、あなたを見ていることだろうか。寐ないのではないのだが。
【釋】之氣吉許能麻欲 シゲキコノマヨ。茂つている樹間から、それを通して。
 多都登利能 タツトリノ。以上序詞。譬喩になつて、次の句を引き起している。
 目由可汝乎見牟 メユカナヲミム。目によつてかあなたを見よう。見るばかりだろうか。句切。
 左祢射良奈久尓 サネザラナクニ。サ寐ズアラナクニで、寐ないではないのだが。寐たことはあるのだが。
【評語】上三句の序詞は、巧みであつて、四句をいう準備としてふさわしい。五句はさすがに露骨で、東歌らしい表現である。
 
(277)3397 常陸《ひたち》なる 浪逆《なさか》の海の
 玉藻こそ、
 引けば絶えすれ。
 あどか絶えせむ
 
 比多知奈流《ヒタチナル》 奈左可能宇美乃《ナサカノウミノ》
 多麻毛許曾《タマモコソ》
 比氣波多延須禮《ヒケバタエスレ》
 阿杼可多延世武《アドカタエセム》
 
【譯】常陸の國の浪逆の海の玉藻こそは、引いたら切れもしよう。わたしたちはどうして切れることがあろう。
【釋】奈佐可能宇美乃 ナサカノウミノ。ナサカノウミは、仙覺の萬葉集註釋に長文の説明がある。常陸の鹿島の崎と下總の海上《うなかみ》とのあいだから遠くはいつた海があつて、潮の滿ちる時は浪がさかのぼるので、ナサカの海というとある。今の北浦の南方、河口に近い處である。
 比氣波多延須禮 ヒケバタエスレ。引けば絶えもする。タエを名詞形とし、それに動詞スが接續している。下も同じ。句切。
 阿杼可多延世武 アドカタエセム。アドカはナドカに同じ。
【評】初句に常陸ナルと置いたのは、外來の人らしい口ぶりである。そういう人を相手にする世界の歌なのであろう。巧みにできているだけに、よそよそしい所があつて、切實なひびきに缺けている。
 
右十首、常陸國歌
 
3398 人皆の 言《こと》は絶ゆとも、
 埴科《はにしな》の 石井の手兒《てこ》が、
 言《こと》な絶えそね。
 
 比等未奈乃《ヒトミナノ》 許等波多由登毛《コトハタユトモ》
 波尓思奈能《ハニシナノ》 伊思井乃手兒我《イシヰノテコガ》
 許登奈多延曾祢《コトナタエソネ》
 
(278)【譯】すべての人の言葉はとだえても、埴科の石井の娘子の言葉はとだえないでくれ。
【釋】比等未奈乃許等波多由登毛 ヒトミナノコトハタユトモ。すべての人の音信が絶えてもと、假設法で言つている。
 波尓思奈能 ハニシナノ。ハニシナは、長野縣の埴科郡。
 伊思井乃手兒我 イシヰノテコガ。イシヰは、地名であろうが、所在不明。多分驛路にあるだろう。テコは手兒。娘子の意。
 許登奈多延曾祢 コトナタエソネ。言葉は絶えることなかれ。「綱は絶ゆとも言な絶えそね」(卷十四、三三八〇)參照。
【評語】石井の手兒は、作者の愛する實在の人物だが、民謠に乘るような有名な存在であつたのだろう。愛すぺき小曲である。
 
3399 信濃|道《ぢ》は 今の墾道《はりみち》、
 刈株《かりばね》に 足|踏《ふ》ましなむ。
 履《くつ》著《は》け吾が夫《せ》。
 
 信濃道者《シナノヂハ》 伊麻能波里美知《イマノハリミチ》
 可里婆祢尓《カリバネニ》 安思布麻之奈牟《アシフマシナム》
 久都波氣和我世《クツハケワガセ》
 
【譯】信濃へ行く道は、新しく開いた道です。切株に足をお踏みつけなさるでしよう。履物をはいていらつしやい、あなた。
【釋】信濃道者 シナノヂハ。シナノヂは、信濃の國府に通ずる路。ここでは木曾路をいう。この道路は、大寶二年十二月に開き始め、十二年を經過して、和銅六年に開通した。績日本紀、和銅六年七月の條に「戊辰、美濃信濃二國の堺は、徑道險阻にして、往還艱難なり。よりて吉蘇路《きそぢ》を通ず」とあり、翌年閏二月に、この道(279)を通ずるをもつて、美濃守笠の麻呂に賞賜があつた。
 伊麻能波里美知 イマノハリミチ。今新たに開通した道路。ハリは、土地を開墾するをいう。句切。
 可里婆祢尓 カリバネニ。カリバネは、木竹などの切株。伐採したあとの殘り株。
 安思布麻之奈牟 アシフマシナム。フマシは、踏ムの敬語。足を踏んで痛いだろうの意である。句切。
 久都波氣和我世 クツハケワガセ。クツは履物。葛飾の眞間の手兒奈を詠んだ歌に、「履《くつ》をだにはかず行けども」(卷九、一八〇七)とある。履をはかないではだしであるくのが、むしろ普通だつた。ワガセは、男子に對して呼びかけている。
【評語】信濃路を詠んでいるのは、それよりも西の人の歌と考えられる。また信濃路の附近の人の歌ならば、初二句の説明はないはずだ。當時の樣子なども知られて興味の多い歌だが、やはり初二句の説明は、他國者らしいよそよそしさがある。大和から信濃の國に行く人に、その妻などの詠んで贈つた歌ででもあろう。この歌、この卷中で、時代のほぼ知られる歌として唯一の作である。
 
3400 信濃なる 筑摩《ちぐま》の河の
 細石《さざれし》も、
 君し踏《ふ》みてば 玉と拾《ひろ》はむ。
 
 信濃奈流《シナノナル》 知具麻能河泊能《チグマノカハノ》
 左射禮思母《サザレシモ》
 伎弥之布美弖婆《キミシフミテバ》 多麻等比呂波牟《タマトヒロハム》
 
【譯】信濃の國にある筑摩の川のちいさい石も、あなたが踏んだなら、玉として拾いましよう。
【釋】知具麻能河伯能 チグマノカハノ。チグマの川は、筑摩の郡は、倭名類聚鈔にツカマと讀み、日本書紀に束間の温湯があつて、もとツカマであつた。筑摩の郡を流れる川とすれば、今の犀《さい》川に當り、それは國府のほとりを流れているので、この歌の詠まれた事情の推定にも役立つのである。
(280) 左射禮思母 サザレシモ。サザレシは、サザレイシで、小石。「佐射禮伊思《サザレイシ》」(卷十四、三五四二)とも書いている。
 伎弥之布美弖婆 キミシフミテバ。シは強意の助詞。君が踏んだなら。
 多麻等比呂波牟 タマトヒロハム。自分はその小石をも大切にして玉として拾おう。動詞拾フは、古くはヒリフであつた。ヒロフは、このほかに用例を見ない。類聚古集には、この呂を里としているから、それによれば、ここもヒリフである。
【評語】初句の信濃ナルは、前の常陸ナル浪逆ノ海の歌で言つたと同樣、その川の所在を説明している言い方で、その地の歌ではないことを語つている。やはり信濃の國におもむく人に贈つた歌であろう。作者は、かならずしもちぐま川のほとりにいることを要しない。整つた美しさのある歌である。
 
(281)3401 中麻奈に 浮き居《を》る船の
 漕ぎ出《で》なば、
 逢ふこと難し。
 今日にしあらずは
 
 中麻奈尓《ナカマナニ》 宇伎乎流布祢能《ウキタルフネノ》
 許藝弖奈婆《コギデナバ》
 安布許等可多思《アフコトカタシ》
 家布尓思安良受波《ケフニシアラズハ》
 
【譯】中麻奈に浮いている船が漕ぎ出たら、逢うことはむずかしい。今日でなかつたら。
【釋】中麻奈尓 ナカマナニ。中麻奈は、地名か地文上の語か不明で、讀み方もわからない。信濃の國の歌だという左註は、しばらく信用しておかねばならないだろうが、地文上の語とすれば、中は中流の意で、マナは眞砂のマナか。マナゴ(眞砂)のマナは、眞名井などのマナと同じで、マナだけ遊離することはあるまいとも思われる。要するに未詳というほかはない。
 安布許等可多思 アフコトカタシ。再會の困難なことを敍している。句切。
 家布尓思安良受波 ケフニシアラズハ。第四句の内容を限定している。今日でなくては逢うこと難しの意。
【評語】相手は船に乘つて漕ぎ出そうとしているようだ。信濃の國の歌とすれば、川を船で渡つて行くのだろう。國府あたりに住む女子が、旅に立つ人を見送ろうとして詠んだ歌かも知れない。内容は平凡だが、初句がよくわかれば、もつとその空氣が出るだろう。
 
右四首、信濃國歌
 
3402 日の暮《ぐれ》に 碓氷《うすひ》の山を
 越ゆる日は、
(282) 夫《せ》なのが袖も さやに振らしつ。
 
 比能具禮尓《ヒノグレニ》 宇須比乃夜麻乎《ウスヒノヤマヲ》
 古由流日波《コユルヒハ》
 勢奈能我素※[人偏+弖]母《セナノガソデモ》 佐夜公布良思都《サヤニフラシツ》
 
【譯】日の暮になると碓水の山を越えるその日は、あの方の袖も、はつきりお振りになつた。
【釋】比能具禮尓 ヒノグレニ。冠辭考には枕詞としている。實際には碓氷の山を越えた時をいつているのだろう。
 宇須比乃夜麻乎 ウスヒノヤマヲ。ウスヒは、碓氷で、上野の國から信濃の國へと越える山。
 古由流日波 コユルヒハ。越えることになつている日は。
 勢奈能我素※[人偏+弖]母 セナノガソデモ。ナおよびノは、愛稱の接尾語。夫ナともいう。ノは、「否《いな》といへど強《し》ふる志斐能《しひの》が強語《しひがたり》」(卷三、二三六)。モは、夫ナノガ袖を強調して使つている。
 佐夜企布良思都 サヤニフラシツ。サヤニは、明瞭に。フラシは、振ルの敬語。ツは完了の助動詞。
【評語】この歌、碓氷の山で袖を振つたように解くと無理ができる。日の暮に碓氷の山を越える日で、そういう長途の旅に出る日を描いている。山で振つたのでなくて、別れに臨んで、見えるほどの近い距離で振つたのである。別れてから女の詠んだ歌で、追憶が強く歌われている。朝旅に出た時のことを詠んだので、日の暮の歌ではない。
 
3403 あが戀は 現前《まさか》もかなし。
 草枕 多胡《たご》の入野《いりの》の、
 おくもかなしも。
 
 安我古非波《アガコヒハ》 麻左香毛可奈思《マサカモカナシ》
 久佐麻久良《クサマクラ》 多胡能伊利野乃《タゴノイリノノ》
 於久母可奈思母《オクモカナシモ》
 
【譯】わたしの戀の心は現在もいとしく思うし、草枕の多胡の入野のように、將來もいとしく思うことです。
(283)【釋】安我古非波 アガコヒハ。ワガ戀ハ。コヒは戀しく思うことを、體言であらわしている。この句は、自分の戀しく思うことをまず提示し、第二句以下、その内容について説明している。
 麻左香毛可奈思 マサカモカナシ。マサカは現在。まさしくある時の義であろう。カナシは愛すべく思われる意の形容詞。句切。
 久佐麻久良 クサマクラ。枕詞。普通に旅の枕詞として知られているが、ここはタの一音に懸かつている。枕というので、手の連想があるのだろう。特にこの句を使用したのは、作者が旅にあるからだろう。
 多胡能伊利野乃 タゴノイリノノ。タゴは、地名。今群馬縣|多野《たの》郡に多胡の村名が殘つている。上野の國の西南隅で、その地は、街道筋から深く入る地形なので入野という。入野の語は、方言として長野縣に殘つている。イリともいう。以上二句は序詞で、次句の奧を引き起している。
 於久母可奈思母 オクモカナシモ。オクは、將來をいう。行く末である。カナシは第二句に同じ。
【評語】二句と五句とが對になつて、心中を歌つている。旅人の作のようであり、遠く家を離れて妻を思う情が巧みに歌われている。初句にアガ戀ハと提示して、二句以下でそれを説明する表現は、後世は多いが、この集にはこのほかに三首あるだけである(卷四、七四三參照)。
 
3404 上《かみ》つ毛野《けの》 安蘇《あそ》の眞麻群《まそむら》、
 かき抱《むだ》き 寐《ぬ》れど飽かぬを、
 あどか吾《あ》がせむ。
 
 可美都氣努《カミツケノ》 安蘇能麻素武良《アソノマソムラ》
 可伎武太伎《カキムダキ》 奴禮杼安加奴乎《ヌレドアカヌヲ》
 安杼加安我世牟《アドカアガセム》
 
【譯】上野の國の安蘇のアサの束を抱えるように、かき抱いて寐ても飽きないのを、わたしはどうしたらよいだろう。
(284)【釋】可美都氣努 カミツケノ。古く毛野の國といい、その後、上つ毛野、下つ毛野に分かれた。
 安蘇能麻素武良 アソノマソムラ。アソは地名。下野の國のうち、上野の國との國境に接して安蘇の郡があり、もと兩國に跨がつて安蘇と呼んでいたのであろう。下に「志母都家努《シモツケノ》 安素乃河伯良欲《アソノカハラヨ》」(卷十四、三四二五)とも詠まれている。マソムラは、マは接頭語。純粹を意味する。アサの群で、刈り取つたアサの束をいう。以上二句は序詞。譬喩で次のカキ抱キを引き起している。
 可伎武大伎 カキムダキ。カキは接頭語。抱クを古くムダクという。類聚名義抄に、拱にタムダクの訓がある。馬をムマともいうように、ウム通じたのである。
 奴禮杼安加奴乎 ヌレドアカヌヲ。寐レド飽カヌヲ。寐ても飽きないのを。
 安杼加安我世牟 アドカアガセム。何ドカ吾ガセム。何としたものだろう。どうしたらよいだろう。
【評語】非常に肉感的な歌であるが、初二句の譬喩が多少それをやわらげている。女に對して身も世もない切迫した心が歌われている。珍しい作である。上野の安蘇がアサの産地として知られており、それを他郷で歌つて、民謠として流傳していたのであろう。
 
3405 上《かみ》つ毛野《けの》 乎度《をど》の多杼里《たどり》が
 川路にも 兒《こ》らは逢はなも。
 一人のみして。
 
 可美都氣努《カミツケノ》 乎度能多杼里我《ヲドノタドリガ》
 可波治尓毛《カハヂニモ》 兒良波安波奈毛《コラハアハナモ》
 比等理能未思弖《ヒトリノミシテ》
 
【譯】上野の國の乎度の多杼里の川の路でも、あの子は逢つてほしいものだ。一人だけで。
【釋】乎度能多杼里我 ヲドノタドリガ。ヲドは地名だろうが不明。この句、或る本の歌には「乎野乃多杼里我《ヲノノタドリガ》」とある。その乎野と乎度とのどちらかが、音が轉じたのであろう。乎度とあるによれば、小門で、川のせ(285)まつた處とも解せられる。タドリモ不明。川の名か。普通名詞とすれば、たどり行くべき路か。
 可波治尓毛 カハヂニモ。カハヂは、川路で、川に行く道。
 兒良波安波奈毛 コラハアハナモ。ナモは、希望をあらわす助詞。分解すれば、ナが願望の助詞。後、轉じてナムとなる。句切。
 比等理能未思弖 ヒトリノミシテ。あの子の逢う?態を制限している。
【評語】さびしい川のほとりで、一人ぼつちのあの子に逢いたいという歌であるが、二句が不明のために地方色がよく感じられない。しかし地方の歌いものであつたことはたしかだろう。
 
或本歌曰、
 
可美都氣乃《カミツケノ》 乎野乃多杼里我《ヲノノタドリガ》 安波治尓母《アハヂニモ》 世奈波安波奈母《セナハアハナモ》 美流比登奈思尓《ミルヒトナシニ》
 
或る本の歌に曰はく、
 
上つ毛野 小野《をの》の多杼里《たどり》が 安波路《あはぢ》にも 夫《せ》なは逢はなも。見る人なしに。
 
【譯】上野の國の小野の多杼里の安波路でも、あの方は逢つてほしいものです。見る人なしに。
【釋】乎野乃多杼里我 ヲノノタドリガ。乎野は地名で小野だろうという。上野の國には、小野の地名は、甘樂《かんら》、緑野、群馬の三郡にあつて、どれであるかわからない。
 安波治尓母 アハヂニモ。アハヂは、逢フ路の轉か。
【評語】本文の歌を訛傳しているようだが、これは女の歌になつている。歌いかえたものであろう。女子に對(286)しては、一人ノミシテといい、男子に對しては、見ル人ナシニという。それぞれ自然に適した句が選ばれている。
 
3406 上つ毛野 佐野の莖立《くくたち》
 折りはやし、
 吾《あれ》は待たむゑ。
 今年|來《こ》ずとも。
 
 可美都氣野《カミツケノ》 左野乃九久多知《サヌノククタチ》
 乎里波夜志《ヲリハヤシ》
 安禮波麻多牟惠《アレハマタムヱ》
 許登之許受登母《コトシコズトモ》
 
【譯】上野の國の佐野の莖立を折つてお料理をして、わたしは待つていましよう。よし今年は歸つて來ないでも。
【釋】左野乃九久多知 サノノククタチ。サノは、高崎市の佐野。市の南方にある。ククタチは莖立。北陸地方には、今も、クキタチ、ククタチの語が殘つているそうである。一種の野菜で、早春まだ雪のあるうちから莖を立てて花をつけるから莖立という。「〓|久久太知《ククタチ》、俗(ニ)用(ヰル)2莖立(ノ)二字(ヲ)1蔓菁(ノ)苗也」(倭名類聚鈔)。
 乎里波夜志 ヲリハヤシ。ハヤシは、それをもてはやす意で、折つて下にも置かずにもち扱う意。その物の性能をあらわさせるのである。待つている人の食事のために。「藤生野《ふぢふの》のかたちが原を標《し》めはやし」(催馬樂)。
 安禮波麻多牟惠 アレハマタムヱ。ヱは感動の助詞。「あ苦しゑ」(日本書紀一二六)。句切。
 許登之許受登母 コトシコズトモ。今年來ズトモで、兵士などで出て行つた人を待つているのだろう。
【評語】いかにも純粹な情が感じられる。今年來ないとはよく知つていながらも、莖立を折つて心がまえをしている。その情趣が美しい。地方色もあり、待つ心がよく描かれている。
 
(287)3407 上つ毛野 まぐはしまどに
 朝日さし、
 まぎらはしもな。
 ありつつ見れば。
 
 可美都氣努《カミツケノ》 麻具波思麻度尓《マグハシマドニ》
 安佐日左指《アサヒサシ》
 麻伎良波之母奈《マギラハシモナ》
 安利都退見禮婆《アサリツツミレバ》
 
【譯】上野の國の美しい戸口に朝日がさして、まぶしいことだ。そこにいて見れば。
【釋】麻具波思麻度尓 マグハシマドニ。不明の句。ニは助詞であろう。マグハシマドは、仙覺、契沖は、美しい窓と解し、それで一往解けるが、初句に上毛野と置いたところから見ると、地名のようでもある。眞淵は、眞桑島門とし、眞桑島を地名とした。眞桑島という地名は、今求められない。上野歌解は、目妙島門とした。下に「麻具波思兒呂波《マグハシコロハ》」(卷十四、三四二四)とあるによれば、やはり、マ妙シ間戸だろう。マドは窓ではなく、間戸で、門戸である。門戸の神を、櫛磐間戸《くしいはまど》の命、豐磐間戸の命という。
 安佐日左指 アサヒサシ。朝日サシで、以上三句は序詞。譬喩によつて、次句を引き起している。
 麻伎良波之母奈 マギラハシモナ。マギラハシ、動詞マギル(目霧る)から轉成した形容詞。タタフからタタハシができ、イムからイマハシができる類である。もとの動詞の?態にある意になる。それで、目がくもつて見定められないまぶしい意。モナは感動の助詞。ガモナなどのモナに同じ。句切。
 安利都追見禮婆 アリツツミレバ。その場にあつて見れば。愛人と對して見ているのである。
【評語】序詞の譬喩は、巧みなようであるが、十分に理解されない。女の歌らしく、その人に對してまぶしく感ずる情が描かれている。第四句の感動的な言い方は、よく感情の躍動をとらえて、生氣あらしめている。
 
(288)3408 新田《にひた》山 嶺《ね》には著《つ》かなな。
 吾によそり 間《はし》なる兒らし
 あやに愛《かな》しも。
 
 尓比多夜麻《ニヒタヤマ》 祢尓波都可奈那《ネニハツカナナ》
 和尓余曾利《ワニヨソリ》 波之奈流兒良師《ハシナルコラシ》
 安夜尓可奈思母《アヤニカナシモ》
 
【譯】新田山のように、ほかの嶺につかないでいよう。わたしに寄せられて中途にあるあの子が、大變いとしいことだ。
【釋】尓比多夜麻 ニヒタヤマ。群馬縣太田市の北方にある新田山で、今、金山という。孤立性の山で、他の山に續いていない。
 祢令波都可奈那 ネニハツカナナ。嶺ニハツカナナで、上のナは、打消の助動詞の未然形。この助動詞は、もとナニヌネと四段に活用したと考えられるが、その未然形は、東歌のみに、その形で存在している。下のナは、動詞、助動詞の未然形に接續する願望の助詞で、自分の希望をあらわす。それでナナは、自分のそうしないことを希望する語である。「宇良賀禮勢那奈《ウラガレセナナ》 登許波爾毛我母《トコハニモガモ》」(卷十四、三四三六)、「和我弖布禮奈々《ワガテフレナナ》 都知爾於知母可毛《ツチニオチモカモ》」(卷二十、四四一八)など、その用例である。但し「君爾因奈名《キミニヨリナナ》 事痛有登母《コチタカリトモ》」(卷二、一一四)、「伎美爾都吉奈那《キミニツキナナ》 多可禰等毛比弖《タカネトモヒテ》」(卷十四、三五一四)の如きは、同じくナナの形を採つているが、連用形に接續するもので、全く別である。その條參照。さて嶺ニハツカナナとは、嶺につかないでいたいものだで、新田山のようにひとり立つていたい、他の嶺に續かないでいたいの意。他の配偶者を得ないでいたいの意に解せられる。以上譬喩。句切。
 和尓余曾利 ワニヨソリ。吾ニ寄ソリ。ヨソリは、「荒山毛《アラヤマモ》 人師依者《ヒトシヨスレバ》 余所留跡序云《ヨソルトゾイフ》」(卷十三、三三〇五)、「伊佐欲布久母能《イサヨフクモノ》 余曾里都麻波母《ヨソリツマハモ》」(卷十四、三五一二)などの用例があり、寄せる意に使用されている。自(289)分に人が寄せての意。
 波之奈流兒良師 ハシナルコラシ。ハシナルは、中間にあつて不確定の?態にあるをいう。「麻左可許曾《マサカコソ》 比等目乎於保美《ヒトメヲオホミ》 奈乎波思爾於家禮《ナヲハシニオケレ》」(卷十四、三四九〇)の例におけるハシと同樣である。下のシは、強意の助詞。まだ十分に自分の妻とも定まらない兒が。
【評語】相當に複雜な内容を歌つている。譬喩と主文との關係が、やや離れているようだが、それだけに複雜な氣もちなのだろう。それでいて東方の民謠らしさを失わない。
 
3409 伊香保ろに 天雲《あまくも》い繼《つ》ぎ、
 かのまづく 人とおたはふ。
 いざ寐《ね》しめとら。
 
 伊香保呂尓《イカホロニ》 安麻久母伊都藝《アマクモイツギ》
 可努麻豆久《カノマヅク》 比等登於多波布《ヒトトオタハフ》
 伊射祢志米刀羅《イザネシメトラ》
 
【譯】伊香保の山に天の雲が續いて、雷のような人がしかけてくる。さあ寐させてください。
【釋】伊香保呂尓 イカホロニ。伊香保は、今温泉の名に殘つているが、この卷では、榛名山全體をさして歌つている。ロは接尾語。
 安麻久母伊都藝 アマクモイツギ。イは接頭語。雲が續いてかかつて。「左牡鹿之《サヲシカノ》 聲伊續伊繼《コヱイツギイツギ》 戀許増益焉《コヒコソマサレレ》」(卷十、二一四五)。
 可努麻豆久 カノマヅク。努は元暦校本による。他本は奴である。不明の句。契沖は、彼眞附とし、略解に鹿沼ヅクとし、鹿沼を地名としている。下に「伊波能倍爾《イハノヘニ》 伊可賀流久毛能《イカカルクモノ》 可努麻豆久《カノマヅク》 比等曾於多波布《ヒトゾオタハフ》 伊射禰之賣刀良《イザネシメトラ》」(卷十四、三五一八)という類歌があつて、それと併わせて考うべきである。いずれも山や岩に雲の懸かるに續いているところを見ると、雷がつくことで恐しい意になるのだろうか。ヅクは附クだろう。
(290) 比等登於多波布 ヒトトオタハフ。下の類歌には、比等曾於多波布《ヒトソオタハフ》とあり、ヒトトは、人ゾだろうという。オタハフは不明の語。略解にオラブと同じく、言い騷がれることだとしている。新撰字鏡に「?・太波不《タハフ》」とあると關係があるか。句切であるらしい。
 伊射祢志米刀羅 イザネシメトラ。イザネシメまでは、さあ寐しめよの意であろう。トラは相手をいうか。トは助詞かとも見られるが、刀は甲類のトで、助詞のトは乙類である。
【評語】難解の歌で、批評も下しにくいが、歌い傳えたままに寫音してあるのであろう。前掲の類歌も、要するに同一歌を歌い傳えたものである。内容は變わつているらしいが、はつきりしないのは遺憾である。
 
3410 伊香保ろの 傍《そひ》の榛原《はりはら》、
 ねもころに 奧をな兼ねそ。
 現前《まさか》しよかば。
 
 伊香保呂能《イカホロノ》 蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》
 祢毛己呂尓《ネモコロニ》 於久乎奈加祢曾《オクヲナカネソ》
 麻左可思余加婆《マサカシヨカバ》
 
【譯】伊香保の山のそばの榛原のように、心にかけて將來を心配なさいますな。現在さえよければそれでよいのです。
【釋】蘇比乃波里波良 ソヒノハリハラ。ソヒは沿ヒで、接續した場處。下に「伊可保呂乃《イカホロノ》 蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》 和我吉奴爾《ワガキヌニ》 都伎與良之母與《ツキヨラシモヨ》 比多敝登於毛敝婆《ヒタヘトオモヘバ》」(卷十四、三四三五)とあり、「伊波保呂乃《イハホロノ》 蘇比能和可麻都《ソヒノワカマツ》」(同、三四九五)ともある。ハリハラはハギの原。以上序詞で、次句を隔ててオクに懸かるのであろう。
 祢毛己呂尓 ネモコロニ。奧をかねるの内容を限定している。心をめぐらして將來を思つている。
 於久乎奈加祢曾 オクヲナカネソ。行く末の事を心に懸けるな。將來を心配するな。カネは、あらかじめ心にかける。句切。
(291)麻左可思余加婆 マサカシヨカバ。マサカは現前。ヨカバは、形容詞良シを動詞ふうに働かした語の未然條件法。「久爾乃登保可婆《クニノトホカバ》」、(卷十四、三三八三)參照。
【評語】女が將來のことを氣にしているのを慰めて、現在さえよかつたらいいではないかといつている。序詞によつて東歌らしい氣分が出ている。上二句は、歌いものとして共通性のある詞句である。
 
3411 多胡《たご》の嶺《ね》に 寄《よ》せ綱《つな》延《は》へて
 寄すれども、
 あに來《く》やしづし。
 そのかほよきに
 
 多胡能祢尓《タコノネニ》 與西都奈波倍弖《ヨセツナハヘテ》
 與須禮騰毛《ヨスレドモ》
 阿尓久夜斯豆志《アニクヤシヅシ》
 曾能可把與吉尓《ソノカホヨキニ》
 
【譯】多胡の山に寄せる繩を伸ばして引き寄せても、どうして來ることであろう。あの美しいのに。
【釋】多胡能祢尓 タゴノネニ。前に多胡の入野とあつた。その地方の山に。
 與西都奈波倍弖 ヨセツナハヘテ。ヨセツナは、引き寄せるための綱。祈年祭の祝詞に、「遠き國は八十綱うちかけて引き寄する事の如く」の句があり、また出雲國風土記に、八束水臣津野《やつかみずおみづの》の命が、三搓《みつより》の綱を懸けて國を引く話がある。山に綱を懸けて引く神話が、この國にも傳わつたのであろう。ハヘテは、伸ばして。
 與須禮騰毛 ヨスレドモ。山は寄せてもの意に、次の句を起している。
 阿尓久夜斯豆之 アニクヤシヅシ。アニクヤは、豈來ヤで、どうして來ようやの意とされているが、シヅシはわからない。元暦校本には、之を久に作つているが、シヅクでもわからない。珠が海底につくことを、シヅクというが、その語とすれば、相手の女がおちついて動こうとしないのをいうか。そうとすれば連體形であろう。「玉?鎭石《タマモシヅシ》」(日本書紀崇神天皇紀)は、神託の語であるが、そのシヅシと關係があるかどうか。
(292) 曾能可抱與吉尓 ソノカホヨキニ。カホヨキは、人の美しいのにいう。
【評語】この歌も不明の詞句があつて、十分に鑑賞し得ない。上三句の、山に綱をかけて引き寄せるという譬喩はおもしろい。地方色がゆたかで、やはり民間に流れていた歌の一つであろう。
 
3412 上つ毛野 久路保《くろほ》の嶺《ね》ろの
 くずはがた
 愛《かな》しけ兒らに いや離《さか》り來《く》も。
 
 賀美都氣野《カミツケヌ》 久路保乃祢呂乃《クロホノネロノ》
 久受葉我多《クズハガタ》
 可奈師家兒良尓《カナシケコラニ》 伊夜射可里久母《イヤザカリクモ》
 
【釋】上野の國の久路保の山のクズの葉形のような、いとしいあの子に、いよいよ遠ざかつて來る。
【釋】久路保乃祢呂乃 クロホノネロノ。赤城山の最高峰を黒檜山といい、山の東南の麓に黒保根《くろほね》村がある。赤城山を久路保の嶺ろと言つたのであろう。伊香保、久路保のホは、秀起の義で、山の意に使つているであろう。
 久受葉我多 クズハガタ。クズハは葛の葉だろうが、ガタは不明。形で、クズの葉の形を愛したか。または潟で、沼をいうか。以上三句序詞で、譬喩によつて、次の句を引き起している。
 可奈師家兒良尓 カナシケコラニ。カナシケは、カナシキに同じ。ハシキヤシを、ハシケヤシという類で、中央語にもある。コラは、愛する女子。ラは接尾語。
 伊夜射可里久母 イヤザカリクモ。いよいよ離れて來た。旅に出たのである。
【評語】作者は故郷の赤城山を顧みてこの歌を詠んでいる。事によると、その山の姿がクズの葉の形を連想させたかも知れない。しかしその山もいよいよ遠ざかつて行く。それはわが愛する人に遠ざかることになる。感慨の深い調子が味わえる。
 
(293)3413 利根河の 河瀬も知らず
 ただ渡り
 浪に遇《あ》ふのす 逢へる君かも。
 
 刀祢河泊乃《トネガハノ》 可波世毛思良受《カハセモシラズ》
 多多和多里《タダワタリ》
 奈美尓安布能須《ナミニアフノス》 安敝流伎美可母《アヘルキミカモ》
 
【譯】利根川の河瀬も知らずに、ひたすらに渡つて、浪に逢うように出逢つたあなたです。
【釋】刀祢河伯乃 トネガハノ。トネガハは、今普通に利根川と書く。上野の國の利根の郡から出るので、川の名とする。
 可波世毛思良受 カハセモシラズ。カハセは、川の渡るべき場處。その場處を知らずに。
 多太和多里 タダワタリ。他の事なしに渡つて。ひたすらに渡つて。川瀬なども知らずに渡つて。
 奈美尓安布能須 ナミニアフノス。ノスは、ナスに同じ。但し、ノスは東歌防人歌に限られている。「多可伎禰爾《タカキネニ》 久毛能都久能須《クモノツクノス》」(卷十四、三五一四)。以上三句、譬喩で、ノスをもつて次に接續している。
 安敝流伎美可母 アヘルキミカモ。出逢つた君に對して感歎している。
【評語】譬喩が大部分を占めており、重要な内容となつている。それで男に出逢つたのが、川渡りの途中で浪に逢つたような驚きを與えたことを表現している。胸の動悸がまだ止まないで、とりあえず詠んだとでもいうような感じを與える。これも地方色のゆたかな歌である。利根川も上流の地方で、深いが渡られる程度のところで詠まれている。
 
3414 伊香保ろの 八尺《やさか》の堰塞《ゐで》に
 立つ虹《ぬじ》の
(294) あらはろまでも さ寐《ね》をさ寐てば。
 
 伊香保呂能《イカホロノ》 夜左可能爲提尓《ヤサカノヰデニ》
 多都努自能《タツヌジノ》
 安良波路萬代母《アラハロマデモ》 佐祢乎佐祢弖婆《サネヲサネテバ》
 
【譯】伊香保の山の大きな堤に立つ虹のように、あらわれるまでも、寐たならばよいのだ。
【釋】夜左可能爲提尓 ヤサカノヰデニ。ヤサカは、寸法の大きいこと。八尺瓊《やさかに》などいう。サカは尺の字音であろう。ヰデは、水をたたえるために築いた堰堤。伊香保の山の水を塞くヰデがあつたのであろう。
 多都努自能 タツノジノ。ノジは虹に同じ。「物類稱呼」に東國の小兒の言として見えている。以上譬喩による序。
 安良波路萬代母 アラハロマデモ。現ハロマデモ。マデは動詞の終止形にも連體形にも接續している。
 佐祢乎佐祢弖婆 サネヲサネテバ。上のサネは體言。下のサネは動詞。同意の語を重ね用いて意を強化している。この句の下に省略のある氣もちである。
【評語】虹の歌としては集中唯一である。やはり序によつて地方色が出ており、それを受けて主文の言い方も感情的である。情熱の歌というべく、虹の譬喩が、美しく色どりをなしている。
 
3415 上つ毛野 伊香保の沼に
 殖《うゑ》こなぎ、
 かく戀ひむとや 種求めけむ。
 
 可美都氣努《カミツケノ》 伊可保乃奴麻尓《イカホノヌマニ》
 宇惠古奈宜《ウヱコナギ》
 可久古非牟等夜《カクコヒムトヤ》 多祢物得米家武《タネモトメケム》
 
【譯】上野の國の伊香保の沼に植えたコナギは、かように戀をしようとて種を求めたのだろうか。
【釋】伊可保乃奴麻尓 イカホノヌマニ。イカホノヌマは、伊香保の沼で、榛名湖《はるなこ》。
 宇惠古奈宜 ウヱコナギ。植えてあるコナギ。コナギは、ミズアオイといい、水中に生ずる草。紫色の美し(295)い花を開き、その花を染料にもする。その草に、思う女をたとえている。「春霞《ハルガスミ》 春日里之《カスガノサトノ》 殖子水葱《ウヱコナギ》」(卷三、四〇七)。
 可久古非牟等夜 カクコヒムトヤ。今自分の戀しく思うをカクであらわしている。ヤは疑問の係助詞。
 多祢物得米家武 タネモトメケム。種を求めて植えたのだろう。戀の種をまいたことだろうの意。
【評語】譬喩歌ともいうべき歌で、第四句だけが、今の心を述べている。心の惱ましさを、コナギに寄せて歌つている。すこし譬喩に過ぎて巧みに墮したのが難である。
 
3416 上つ毛野 可保夜《かほや》が沼の
 いはゐつら
 引かばぬれつつ 吾《あ》をな絶えそね。
 
 可美都氣努《カミツケノ》 可保夜我奴麻能《カホヤガヌマノ》
 伊波爲都良《イハヰツラ》
 比可波奴禮都追《ヒカバヌレツツ》 安乎奈多要曾祢《アヲナタエソネ》
 
【譯】上野の國の可保夜が沼のイハヰツラのように、引いたならぬらぬらとして、わたしには切れないでください。
【釋】可保夜我奴麻能 カホヤガヌマノ。カホヤガ沼は所在未詳。
 伊波爲都艮 イハヰツラ。既出、「入間路の大屋が原の伊波爲都良《イハヰツラ》」(卷十四、三三七八)參照。
 比可波奴禮都追 ヒカバヌレツツ。ヌレツツは、ぬるぬると引き寄せられて。同じく三三七八參照。
 安乎奈多要曾祢 アヲナタエソネ。前掲三三七八の歌の末句、「引かばぬるぬる吾《わ》にな絶えそね」とあつた。吾ヲは吾を目標としている。
【評語】廣く歌われた歌の一つの形である。それだけに流暢な調子に惠まれている。
 
(296)3417 上つ毛野 伊奈良《いなら》の沼の
 おほゐぐさ
 よそに見しよは 今こそ勝《まさ》れ。
 
 加美都氣努《カミツケノ》 伊奈良能奴麻乃《イナラノヌマノ》
 於保爲具左《オホヰグサ》
 與會尓見之欲波《ヨソニミシヨハ》 伊麻許曾麻左禮《イマコソマサレ》
 
【譯】上野の國の伊奈良の沼のオホヰグサのように、よそに見ていたよりは、わがものとした今の方が思いがまさることだ。
【釋】伊奈良能奴麻乃 イナラノヌマノ。伊奈良の沼は所在未詳。上野歌解は、邑樂《おおら》郡の板倉の沼だというが、イタクラの音がイナラにすこし似ているというだけである。
 於保爲具佐 オホヰグサ。倭名類聚鈔に「莞、唐韻(ニ)云(フ)、莞。漢語抄(ニ)云(フ)、於保井《オホヰ》。可(キ)2以(テ)爲(ス)1v席(ト)者也」とあり、蓆を織るに使われる草である。フトイに同じ。以上序詞で、譬喩によつて次の句を引き起している。
 與曾尓見之欲波 ヨソニミシヨハ。ヨは助詞。ここは比較をあらわす。よそに見ていたに比べれば。
 伊麻許曾麻左禮 イマコソマサレ。物思いがまさるのである。女をよそに見たよりは、今わがものとした方がよく見えるとも解かれているが、そうではないだろう。「淡海々《アフミノウミ》 沈白玉《シヅクシラタマ》 不v知《シラズシテ》 從v戀者《コヒセシヨリハ》 今益《イマコソマサレ》」(卷十一、二四四五)と同想で、それも(297)やはり人麻呂歌集所出の歌である。
【評語】上野の國の伊奈良の沼のオホヰグサの譬喩が、當時としては目新しかつたであろう。作者は多分その地に旅して、風土の品物を使つて詠んだと思われる。口馴れた歌口で、しみじみとした感じを與えない。
 
柿本朝臣人麻呂歌集出也
 
【釋】柿本朝臣人麻呂歌集出也 カキノモトノアソミヒトマロノウタノシフニイヅ。この卷は、東歌と題しておりながら、柿本の人麻呂の歌集から出たという歌が五首ある。東歌の集録の中の歌に、人麻呂歌集の歌と同じものがあるのを見て、この註をつけたとも解せられる。元來東歌の集録が、雜然としたものである以上は、人麻呂歌集の歌が入りまじつていても、不思議はないのである。人麻呂歌集としては、この歌のあることは、人麻呂と東國との關係を語る唯一の資料として注意される。
 
3418 上つ毛野 佐野田の苗の
 むらなへに、
 事は定めつ。
 今は如何《いか》にせも。
 
 可美都氣努《カミツケノ》 佐野田能奈倍能《サノダノナヘノ》
 武良奈倍尓《ムラナヘニ》
 許登波佐太米都《コトハサダメツ》
 伊麻波伊可尓世母《イマハイカニセモ》
 
【譯】上野の國の佐野田の苗のお祭りに、大勢の中で事はきめました。もう今はどうしようもない。
【釋】佐野田能奈倍能 サノダノナヘノ。佐野田は、「左野乃九九多知《サノノククタチ》」(卷十四、三四〇六)、「佐野乃布奈波之《サノノフナハシ》」(同、三四二〇)などと同じ佐野で、その地の田であろう。但し倭名類聚鈔に「那波郡鞘田佐也多《サヤタ》」とあるので、サヤダと讀んで、今の佐波郡の鞘田の郷とする説もある。鞘田は、齋田の義であるとされ、今、佐波郡(298)玉村町と群馬郡瀧川村とに、齋田、下齋田の地名が殘つている。ナヘは稻の苗。以上二句、同音によつて次の句を起す序詞。
 武良奈倍尓 ムラナヘニ。ムラナヘは群苗で、多數の苗をいい、佐野田の苗の群苗と、同語を重ねて、その苗が群苗であることを描いていると解せられている。それで多數の人の中の譬喩としているのだが、これは無理だろう。日本書紀に、新嘗を、ニハノアヒ、ニハナヒ、ニハナヘなどと訓しているのは、庭の饗《あへ》の義なるべく、これによれば村の饗の義で、村落の饗宴で、佐野田の苗から持ち越したのを見れば、田植祭か。その人中で事を定めたというのだろう。
 許登波佐太米都 コトハサダメツ。コトは事で、婚姻のこと。相手を決意したことをいう。
 伊麻波伊可尓世母 イマハイカニセモ。セモは、セムに同じ。助動詞ムをモと書くのは「禰毛等可兒呂賀《ネモトカコロガ》」(卷十四、三四七三)など、東歌および防人の歌にあり、それ以外では「哭耳四泣裳《ネノミシナクモ》」(卷四、六一四)、「消跡可v曰毛《ケヌトイフベシモ》」(卷八、一六五五)の二例がそれに擬せられているが、この二例は、ナクモ、イフベシモとも讀まれるので、助動詞のムとすることは、決定的でない。今はイカニセムの句は、既に決定して今は如何ともしがたい意である。
【評語】田園の行事の際に、配偶者の選定される風習のあつたことを語るものであろう。やはり民謠として歌い傳えられたもののようである。女の歌で、配偶者をたやすくきめたことを後悔している。しかしそれはわざと不滿の意をあらわしているのだろう。「酉の市にただひとり出て眼竝《めなら》べず買ひにし絹の商《あき》じこりかも」(卷七、一二六四)の歌と、ちよつと似た内容である。
 
3419 伊可保世欲奈可中次下
 思ひとろ 隈《くま》こそしつと
(299) 忘れせなふも。
 
 伊可保世欲奈可中次下
 於毛比度路《オモヒトロ》 久麻許曾之都等《クマコソシツト》
 和須禮西奈布母《ワスレセナフモ》
 
【譯】
【釋》伊可保世欲奈可中次下 以上いかにも難解で訓を下しがたく、從つてその以下も訓釋を決定しかねる。次の字は、元暦校本等に吹に作つており、從うべきであろうが、それによれば、初句は伊香保風《イカホカゼ》、二句は夜中《ヨナカ》云々であるかも知れない。しかしそれにしても、初句にカを補わねばならず、二句の中吹下が難解である。初句をこのままとすれば、欲を助詞と見ることも考えられるが、その場合、ヨリの意の助詞とすることは、音韻はさしつかえなく、感動の助詞とすれば、音韻が相違することになる。
 於毛比度路 オモヒトロ。上の二句が不明なので、以下も決定しかねるが、思ヒ取ルなどの訓が考えられる。
(300) 久麻許曾之都等 クマコソシツト。これも不明で、クマは、隈などであろう。コソは、越スか、助詞か不明。シツも、爲ツか、鹿猪《シシ》か不明。トは助詞だろう。
 和須禮西奈布母 ワスレセナフモ。多分、忘レ爲ナフモで、ナフは打消の助動詞だろう。
【評語】不明の句が多く、歌意も推量しがたいので、評語も下しかねる。この歌、伴信友が、天治本のこの卷を見て書いた?天治萬葉集に出ているが、注意すべき校異はない。ただ孝本によつて訓を書いている。孝本とは、惟宗《これむね》の孝言《よしとき》の本と推定されるが、孝言が萬葉集を研究したことが知られる資料である。天治本のこの卷は、今は亡んで、わずかに斷片だけが殘つている。
 
3420 上つ毛野 佐野の舟《ふな》橋
 取り放《はな》し、
 親は放《さ》くれど、
 吾《わ》は放《さか》るがへ。
 
 可美都氣努《カミツケノ》 佐野乃布奈波之《サノノフナハシ》
 登利波奈之《トリハナシ》
 於也波左久禮騰《オヤハサクレド》
 和波左可禮賀倍《ワハサカルガヘ》
 
【譯】上野の國の佐野の舟橋を取りはずすように、親はあいだを裂くけれども、わたしは裂かれることではない。
【釋】佐野乃布奈波之 サノノフナハシ。フナハシは舟橋で、船をならべて、その上に板を渡して橋としたものである。佐野の舟橋は、群馬縣の佐野で、古く烏川に架けたものだという。烏川は急流で、川幅も廣く、舟橋によることを要した。
 登里波奈之 トリハナシ。以上三句、序詞である。舟橋は、洪水の時などに取りはずすので、この句があり、よつて次句の放クレドを引き起している。
 於也波左久體騰 オヤハサクレド。サクレドは、二人のあいだを放れさせるけれど。
(301) 和波左可禮賀倍 ワハサカルガヘ。吾ハ放ルガヘで、サカルは、放れる。ガヘは、反語の助詞。後のカハと同語であろうが、この集にはカハはなく、東歌および防人の歌に限つてガヘがある。「等思佐倍己其登《トシサヘコゴト》 和波佐可流我倍《ワハサカルガヘ》」(卷十四、三五〇二)、「宇麻夜奈流《ウマヤナル》 奈波多都古麻乃《ナハタツコマノ》 於久流我辨《オクルガヘ》 伊毛我伊比之乎《イモガイヒシヲ》 於岐弖可奈之毛《オキテカナシモ》」(卷二十、四四二九)。
【評語】佐野の舟橋は、特殊の事物として人々のあいだに注意されており、歌いものにも歌われていたのであろう。それを取り入れて親ハ放クレドを引き起して來たのは巧みである。民謠ふうの調子のよさをもつた歌である。平安時代以後、歌枕となつた佐野の舟橋は、この歌から出ているが、その背景には、やはり歌いものが殘つていたのであろう。
 
3421 伊香保|嶺《ね》に 雷《かみ》な鳴りそね。
 わが上《へ》には 故は無《な》けども、
 兒《こ》らに因りてぞ。
 
 伊香保祢尓《イカホネニ》 可未奈那里曾祢《カミナナリソネ》
 和我倍尓波《ワガヘニハ》 由惠波奈家杼母《ユヱハナケドモ》
 兒良尓與里弖曾《コラニヨリテゾ》
 
【譯】伊香保の山に雷が鳴らないでくれ。わたしの上には子細はないが、あの子のためにだ。
【釋】伊香保祢尓 イカホネニ。伊香保の嶺にで、榛名山をいう。
 可未奈那里曾祢 カミナナリソネ。カミは雷。神の義で、おそろしいので尊んでいう。句切。
 和我倍尓波 ワガヘニハ。ヘは上。自分に關しては。
 由惠波奈家杼母 ユヱハナケドモ。ユヱは、多く他語の下に接續して使用され、かように獨立して使われる例はすくない。「君者不v來《キミハコズ》 吾者故無《ワレハユヱナミ》 立浪之《タツナミノ》 敷和備思《シクシクワビシ》 如此而不v來跡也《カクテコジトヤ》」(卷十二、三〇二六)の如き、そのすくない例である。この故無ミは、よしなさに、術なさになどの意に使われている。「造置有《ツクリオケル》 故縁聞而《ユヱヨシキキテ》」(302)(卷九、一八〇九)も同樣の用法で、ユヱヨシと熟している。ナケドモのナケは、形容詞の活用形で、ここでは已然の用法になつている。
 兒良尓與里弖曾 コラニヨリテゾ。以上二句、雷ナ鳴リソネの句を限定している。
【評語】愛人が雷をおそろしがるので、鳴らないようにと願つている。伊香保邊は、雷の多い處であるが、男がたまたま外出でもしていて、雷に逢つて、家なる妻を思つて詠んだ歌であろう。情味のある歌で、地方色もよく出ている。
 
3422 伊香保風、
 吹く日吹かぬ日 ありといへど、
 吾《あ》が戀のみし、
 時無かりけり。
 
 伊可保可是《イカホカゼ》
 布久日布加奴日《フクヒフカヌヒ》 安里登伊倍杼《アリトイヘド》
 安我古非能未思《アガコヒノミシ》
 等伎奈可里家利《トキナカリケリ》
 
【譯】伊香保の風は、吹く日も吹かない日もあるというが、わたしの戀ばかりは、何時という時のないことだ。
【釋】伊可保可是 イカホカゼ。伊香保から吹いて來る風をいうのがもとで、轉じては廣く伊香保の地を吹く風をいう。明日香風、初瀬風の類である。ここは伊香保の山から吹きおろす風と見てよい。
 布久日布加奴日安里登伊倍杼 フクヒフカヌヒアリトイヘド。伊香保風はけだしよく吹くものであるが、それでも吹かない日もあるのを取りあげている。
 安我古非能未思 アガコヒノミシ。自分の戀だけを特に言い立てている。シは助詞。
 等伎奈可里家利 トキナカリケリ。特にその時ということなくで、不斷の意。
【評語】器用にできているだけに、迫つていない。五句の詠嘆の調子も、流|暢《ちよう》を感じさせるだけで、上すべり(303)がしている。戀のその時なしという言い方が、類型的なゆえもあるからだろう。
 
3423 上つ毛野 伊香保の嶺《ね》ろに
 降《ふ》ろ雪《よき》の、
 行き過ぎかてぬ。
 妹が家のあたり。
 
 可美都氣努《カミツケノ》 伊可抱乃祢呂尓《イカホノネロニ》
 布路與伎能《フロヨキノ》
 遊吉須宜可提奴《ユキスギカテヌ》
 伊毛賀伊敝乃安多里《イモガイヘノアタリ》
 
【譯】上野の國の伊香保の山に降る雪のように、行き過ぎることができない。あの子の家のあたりは。
【釋】布路與伎能 フロヨキノ。降ル雪ノ。ヨキはユキに同じ。以上三句、序詞。雪と同音を利用して、四句を引き起している。
 遊吉須宜可提奴 ユキスギカテヌ。カテヌは、できない、困難である意の助動詞で、「千重爾積許曾《チヘニツメコソ》 吾等立可?禰《ワレタチカテネ》」(卷十九、四二三四)の如き例があつて、四段に活用したと推定されるから、ヌの形で終止形を採るものと考えられる。そうしてそのカテヌで文を終つた唯一の例になる。このヌに打消の意があるものと考えられる。句切。
 伊毛賀伊敝乃安多里 イモガイヘノアタリ。イモは愛人。その生家にいるのを歌つている。
【評語】簡單な内容であり、序詞の用法も素朴で、地方人の歌らしい作である。伊香保の山に雪のかかつているのを見て、序詞に應用し、さて雪のない時にも、口ずさむ歌となつていたであろう。
 
右二十二首、上野國歌
 
【釋】上野國歌 カミツケノノクニノウタ。國名の知られている中では、この國の歌が一番多い。雜歌、相聞、(304)譬喩歌を通じて、九十首のうち二十五首を有しており、そのうち伊香保に關する歌が九首ある。この國に次いでは相模と常陸の國が多く、それも足柄山、筑波山に關する歌が多い。その多數が收められているのは、採録者がその國の遊行女婦などを經て採集する機會が多かつたからであろう。旅行者に對する歌として、自然國名を冠する歌が多くなつているものと考えられる。
 
3424 下つ毛野
 美可母《みかも》の山の
 こならのす、
 まぐはし兒ろは
 誰《た》が笥《け》か持たむ
 
 之母都家野《シモツケノ》
 美可母乃夜麻能《ミカモノヤマノ》
 許奈良能須《コナラノス》
 麻具波思兒呂波《マグハシコロハ》
 多賀家可母多牟《タガケカモタム》
 
【譯】下野の國の美可母の山のコナラのような、美しいあの子は、誰の器を持つことだろう。
【釋】之母都家野 シモツケノ。上つ毛野の國に對して下つ毛野の國という。後に略してシモツケという。
 美可母乃夜麻能 ミカモノヤマノ。ミカモの山は、栃木縣下都賀郡、岩舟山の西南の山である。
 許奈良能須 コナラノス。コナラは、ナラのことであろう。從來コを接頭語として小楢の字を當てていたが、小のコは、甲類であり、許は乙類の字であるから、そうではあるまい。木の意だろう。ノスは、ナスに同じ。以上序詞で、譬喩によつて次の句のマグハシ兒ロを引き起してい(305)る。
 麻具波思兒呂波 マグハシコロハ。マグハシは、麗妙である意の形容詞。日本書紀卷の二に、妙美をマグハシと讀んでいる。
 多賀家可母多牟 タガケカモタム。古義に誰ガ笥カ持タムの義としている。ケは食物を盛る器で、家事を見ることを、笥を持つで言いあらわしているとする。「家有者《イヘニアレバ》 笥爾盛飯乎《ケニモルイヒヲ》」(卷二、一四二)。しかし農村において女子が一生を共にするのは、アサを入れる器、すなわち麻笥《をけ》だから、ここも麻笥と解すべきだろう。
【評語】ナラの若葉のかがやきを見て、それを思う子に寄せたのだろう。感じは清らかだ。四五句は、誰の妻となるだろうかという心を、實生活に即して歌つている。あの子をそういう世話女房にするのが惜しい氣もちである。
 
3425 下つ毛野 安蘇《あそ》の河原よ
 石|踏《ふ》まず 空ゆと來《き》ぬよ。
 汝《な》が心|告《の》れ。
 
 志母都家努《シモツケノ》 安素乃河伯良欲《アソノカハラヨ》
 伊之布麻受《イシフマズ》 蘇良由登伎奴與《ソラユトキヌヨ》
 奈我己許呂能禮《ナガココロノレ》
 
【譯】下野の國の安蘇の河原を通つて、石を踏まないで、宙を飛んで來ました。あなたの本心をおつしやい。
【釋】安素乃河伯良欲 アソノカハラヨ。アソノ河原ヨ。アソは、上に「上つ毛野|安蘇《あそ》の眞麻群《まそむら》」(卷十四、三四〇四)とあつた。上野下野兩國に跨がつており、今栃木縣に安蘇郡の名を殘している。その安蘇の河原の名で呼ばれるのだから、その地の代表的な河川であるべく、渡良瀬《わたらせ》川をいうのであろう。ヨは、を通つて。
 伊之布麻受蘇良由登伎奴與 イシフマズソラユトキヌヨ。河原は石が多いのだが、その石を踏まないで、空を通つて來た。ヨは感動の助詞。河原の有をも感じないで夢中で來た意。句切。
(306) 奈我己許呂能禮 ナガココロノレ。ノレは、説示せよ。しつかり言え。
【評語】熱意を表明する手段がよく效果をあらわしている。強くせまつた調子も感じられる。
 
右二首、下野國歌
 
3426 會津嶺《あひづね》の 國をさ遠《どほ》み
 逢《あ》はなはば、
 偲《しの》ひにせもと、
 紐結ばさね。
 
 安比豆祢能《アヒヅネノ》 久尓乎佐杼抱美《クニヲサドホミ》
 安波奈波婆《アハナハバ》
 斯努比爾勢毛等《シノヒニセモト》
 比毛牟須婆佐祢《ヒモムスバサネ》
 
【譯】會津の山のある國が遠いので、逢わないならば、思い出にしようと、衣の紐を結んでください。
【釋】安比豆祢能 アヒヅネノ。アヒヅネは、會津嶺で、福島縣會津地方の山。今の盤梯《ばんだい》山の古名とされる。
この句は、次の句を修飾して、會津嶺のある國の意に續く。
 久尓乎佐杼抱美 クニヲサドホミ。サは接頭語。國が遠くして。次の句を修飾する。
 安波奈波婆 アハナハバ。ナハは、打消の助動詞ナフの未然形。その條件法で、次の句に續く。
 斯努比尓勢毛等 シノヒニセモト。シノヒは思慕。思い出す種。セモは爲ムに同じ。初句からセモまで續けて解すべきである。逢わないなら思い出にしよう。それを助詞トが受けている。
 比毛牟須婆佐祢 ヒモムスバサネ。相手の女に對して衣の紐を結ぶように希望する語法。
【評語】男が遠く旅に出る時に、女に對して歌つている。これから遠く行つて逢うことができないならば、その思慕の種にしようとの意味で、衣の紐を結べというのである。くだくだしい表現が、かえつて地方人らしい(307)味を出している。
 
3427 筑紫《つくし》なる にほふ兒ゆゑに、
 陸奧《みちのく》の 可刀利娘子《かとりをとめ》の
 結《ゆ》ひし紐解く。
 
 筑紫奈留《ツクシナル》 尓抱布兒由惠尓《ニホフコユヱニ》
 美知能久乃《ミチノクノ》 可刀利乎登女乃《カトリヲトメノ》
 由比思比毛等久《ユヒシヒモトク》
 
【釋】九州にいる美しい子のゆえに、奧州の可刀利娘子の結んだ衣の紐を解くことだ。
【釋】筑紫奈留 ツクシナル。筑紫は、北九州をいう。作者は、防人としてその地に行つているのだろう。
 尓抱布兒由惠尓 ニホフコユヱニ。ニホフは色の美しく出るをいい、ここは人の美しいのを描いている。
 美知能久乃 ミチノクノ。ミチノクは、道の奧の義で、陸奧の國をいい、この卷の編者もさように解してここに收めたと思われる。また次の句の可刀利が、あるいは下總の國の香取ではないかとの疑いから、東海道の奧の方として、實際には下總の國をさすのではないかとの解もある。しかしそれはまだ文獻が不足で、證明し得ないことである。
 可刀利乎登女乃 カトリヲトメノ。カトリは地名だろうが、所在不明。
 由比思比毛等久 ユヒシヒモトク。別れに臨んで結んだ衣の紐を解くという意で、筑紫の兒と寢たことになる。
【評語】故郷の愛人に對する反逆が歌われている。歌としては珍しい内容で、元來相聞の歌にはなかつたところである。故郷の可刀利娘子を思い出しているのは、まだ良心の殘つているところがある。
 
3428 安太多良《あだたら》の 嶺《ね》に伏す鹿猪《しし》の
(308) ありつつも 吾《あれ》は到らむ。
 寢處《ねど》な去《さ》りそね。
 
 安太多良乃《アダタラノ》 祢尓布須思之能《ネニフスシシノ》
 安里都々毛《アリツツモ》 安禮波伊多良牟《アレハイタラム》
 祢度奈佐利曾祢《ネドナサリソネ》
 
【譯】安太多良の山に寢ている鹿猪のように、この世におつてわたしは參りましよう。寢處を離れないでください。
【釋】安太多良乃 アダタラノ。アダタラは、福島縣安達郡で、その山は、今の安達太良《あだたら》山。
 祢尓布須思之能 ネニフスシシノ。その山にいる鹿猪ので、フスはただ住んでいることを示している。以上序詞で、鹿猪がいるようにわたしも住んでいての意に次の句を起す。句を隔てて寢處に懸かるとするのはおかしい。
 安里都々毛 アリツツモ。この世におつて。住んでいて。
 安禮波伊多良牟 アレハイタラム。吾は到ラムで、來ることを約束している。句切。
 祢度奈佐利曾祢 ネドナサリソネ。その寢處を變えることなかれの意である。
【評語】序詞が地方人らしい。鹿猪に興味をひかれる生活から來ている。五句は露骨だが、これも序詞には相應している。男の歌である。
 
右三首、陸奧國歌
 
【釋】陸奧國歌 ミチノクノクニノウタ。陸奧の國は、廣く今の福島宮城岩手青森の諸縣の地方を含んでいる。まだ開發が行き屆いていなかつたのであつて、奈良時代にも、しばしば蝦夷の反逆を傳えていた。その歌に入る範圍も自然入口の地方で、しかもそれは遙遠の地の感じを持つていたのである。
 
(309)譬喩歌
 
【釋】譬喩歌 ヒユノウタ。この標目は、卷の三、七、十、十一、十三、およびこの十四の諸卷にある。この分類が、特殊の性質のものであるだけに、これら諸卷のあいだの關係が注意される。元來東歌には譬喩を使用している歌が、非常に多いのであるが、ここには特に一首の全體もしくはその大部分が、譬喩でできているものを集めたと見られる。
 
3429 遠江《とほつあふみ》 引佐《いなさ》細江の
 澪標《みをつくし》
 吾《あれ》を憑《たの》めて あさましものを。
 
 等保都安布美《トホツアフミ》 伊奈佐保曾江乃《イナサホソエノ》
 水乎都久思《ミヲツクシ》
 安禮乎多能米弖《アレヲタノメテ》 安佐麻之物能乎《アサマシモノヲ》
 
【譯】遠江の國の引佐の細江の澪標のように、わたしに頼みをさせて、淺くなつて待つていたかつたのに。
【釋】等保郡安布美 トホツアフミ。淡海の國を近ツ淡海(古事記)というに對して、遠ツ淡海といい、國名とする。濱名湖のあるによる。卷の二十の防人の歌に「等倍多保美《トヘタホミ》」(四三二四)、倭名類聚鈔に「止保太阿不三《トホタアフミ》」とある。この歌が東歌であるとすれば、トホツアフミと發音したとするのは疑問であつて、歴史的かなづかいによつて書いたものとすべきである。編纂者が字音假字に書き改めたものかとも考えられる。それで江水などの字が殘つているのだろう。
 伊奈佐保曾江乃 イナサホソエノ。イナサは、濱名湖の奧一帶の地名で、普通引佐の字を當てる。細江は、湖水が氣賀《けが》町附近で入り込んでいる處をいう。
 水乎都久思 ミヲツクシシ。ミヲは水の高いところ。ツは助詞。クシは棒。水路表示の標木で、水中に立てて(310)水の淺いことを示す。引佐細江は、驛路に接しているので、船の航行があつたのである。以上譬喩の序詞で四五句を引き起している。
 安禮乎多能米弖 アレヲタノメテ。自分をして頼ましめて。頼みに思わしめて。
 安佐麻之物能乎 アサマシモノヲ。アサマシは、動詞アス(淺くなる)に助動詞マシの接續したもので、淺くなつて物思いをしないようになりたいが、それができないの意。連體法としてモノを修飾している。「安佐受袁勢《アサズヲセ》」(古事記四〇)。
【評語】巧みな譬喩で、都合よくならないことを歎いている。引佐細江の附近の驛にいる女の歌だろう。往還の役人などに接して、このような調子のよい歌が歌われたものであり、そうしてやがてこの東歌の採録者が、そういう旅人であつたことを思わせる。
 
右一首、遠江國歌
 
3430 志太《しだ》の浦を 朝漕ぐ船は、
 よし無しに 漕ぐらめかもよ。
 よしこさるらめ。
 
 斯太能于良乎《シダノウラヲ》 阿佐許求布祢波《アサコグフネハ》
 與志奈之尓《ヨシナシニ》 許求良米可母與《コグラメカモヨ》
 余志許佐流良米《ヨシコサルラメ》
 
【譯】斯太の浦を朝漕いで行く船は、漕ぐわけもなしに漕いでいるだろうか。そんな事はない。漕ぐわけがあるのだろう。
【釋】斯太能宇良乎 シダノウラヲ。シダは、靜岡縣志太郡。駿河の國の南端で遠江の國に接している。
 與志奈之尓 ヨシナシニ。ヨシは、由縁、理由。何の意味もなしに。
(311) 許求良米可母與 コグラメカモヨ。ラメは、助動詞ラムの已然形。カモは、疑問から反語になつている。漕いではいないだろうの意。「西良思馬伎那婆《セラシメキナバ》 都良波可馬可毛《ツラハカメカモ》」(卷十四、三四三七)。句切。
 余志許佐流良米 ヨシコサルラメ。由コソアルラメ。漕ぐわけがあつて漕ぐのだろうと推量している。コソアルをコサルと書いた例は、本集には他にない。「我が門をとさんかうさん練《ね》る男、よしこさるらしや」(催馬樂)。
【評語】男が、目的もなしに來ようやの意を、譬喩によつて歌つている。斯太の浦は、どこの浦に置きかえてもよく、それだけにこの歌が、その地方で歌われたことを語るものである。
 
右一首、駿河國歌
 
3431 足柄《あしがり》の 安伎奈《あきな》の山に
 引《ひ》こ船の、
 後《しり》引《ひ》かしもよ。
 ここば兒がたに。
 
 阿之我里乃《アシガリノ》 安伎奈乃夜麻尓《アキナノヤマニ》
 比古布祢乃《ヒコフネノ》
 斯利比可志母與《シリヒカシモヨ》
 許己波故賀多尓《ココバコガタニ》
 
【譯】足柄の安伎奈の山で、引く船のように、うしろに引かれるようだ。大變にあの子のために。
【釋】阿之我里乃 アシガリノ。アシガリは、足柄に同じ。既出。
 安伎奈乃夜麻尓 アキナノヤマニ。アキナの山は、所在不明。仙覺の萬葉集註釋にも、尋ぬべしとしてある。
 比古布祢乃 ヒコフネノ。引ク船ノ。山中で木を切つて船を作り、それを引きおろすのである。日本靈異記下卷第一條に、熊野の村の人が、山に入つて船を作りそれを引きおろす話が出ている。以上譬喩で、次の句を(312)引き起している。
 斯利比可志母與 シリヒカシモヨ。シリは、後部。ヒカシは、動詞引クから轉成した形容詞。引く?態にあるをいう。モヨは、感動の助詞。後部を引く?態にある意で、船を引くのに、容易に引かれないことをいう。後方に引くは、物につかえるか、または急に滑らないように後方を引綱で引いているのだろう。それで進行の容易でない意を表示している。うしろに引かれるようだ。氣がかりにたえない。句切。
 許己波故賀多尓 ココバコガタニ。ココバは許多で、副詞として使われている。「許己婆可那之家《ココバカナシケ》」(卷十四、三五一七)。コガタニは、兒が爲に。爲をタというは、「奈良乃美夜古邇《ナラノミヤコニ》 許牟比等乃多仁《コムヒトノタニ》」(卷五、八〇八)、「乃利乃多能《ノリノタノ》 與須加止奈禮利《ヨスカトナレリ》」(佛足跡歌碑)などある。なおコガタニは、來難の義とも解せられそうであるが、來の音は乙類であり、故は甲類であるから不適當である。
【評語】愛人のもとを出て來た男の歌で、うしろ髪引かれる思いを歌つている。引く船の實際を知つている東人の歌と見られる。
 
3432 足柄《あしがり》の 和乎可鷄《わをかけ》山の
 かづの木の、
 我《わ》をかづさねも。
 かづさかずとも。
 
 阿之賀利乃《アシガリノ》 和乎可鷄夜麻能《ワヲカケヤマノ》
 可頭乃木能《カヅノキノ》
 和乎可豆佐祢母《ワヲカヅサネモ》
 可豆佐可受等母《カヅサカズトモ》
 
【譯】足柄の和乎可鷄山のヌルデの木のように、わたしを誘つてください。お誘いになつてもよいのです。
【釋】和乎可鷄夜麻能 ワヲカケヤマノ。ワヲカケ山は、仙覺の萬葉集註釋に、次の記事がある。「建長三年霜月ノコロ、スルガノ國ヘコエ侍シニ、セキモトノ宿《スク》ニテ、ヤドノアルジノ、鬚ノカミ、ミナシラケテ、クロ(313)キスヂナキガ侍リシニ、若ヤトテ、アシガリノワヲカケヤマトイフハ、イヅコゾト、トヒ侍リシカバ、イマダシリタマハヌカト、トヒカヘシ侍シカバ、シラネバコソトヘト申シカバ、當時ハ、カクラノタケト申スヲコソ、ムカシハ、ワヲカケヤマトハ申ケルト、ウケタマハレト申シ侍シナリ」とある。しかし今はそのカクラノタケというのがわからない。但しワヲの二字を、我ヲの義として序とすれば、カケ山という名になつて仙覺の記事が無用になる。類似の山名には、カクラノタケに對して矢倉嶽があり、カケ山に對して鞍掛山がある。
 可頭乃木能 カヅノキノ。カヅの木は、伴信友の比古婆衣《ひこばえ》などに、相模の國では、ヌルデの木をいうとしている。ヌルデは、ウルシノキ科の落葉喬木。以上譬喩の序詞で、次の句のカヅサネモを、同音によつて引き起している。「なをかけ山のかづの木や」(東遊)。
 和乎可豆佐祢母 ワヲカヅサネモ。我ヲカヅサネモで、カヅスという語が使われている。しかしカヅスは、他に所見なく、新撰字鏡に、?に加止布、また類聚名義抄に、誘にカドフの訓のあるのと關係あるものと見られる。カドフは、後撰集に「山風の花の香かどふ麓には春の霞ぞほだしなりける」(藤原興風)の歌に使われ、「可多於毛比遠《カタオモヒヲ》 宇萬爾布都麻爾《ウマニフツマニ》 於保世母天《オホセモテ》 故事部爾夜良波《コシベニヤラバ》 比登加多波牟可母《ヒトカタハムカモ》」(卷十八、四〇八一)のカタハムも同語として、賀茂の眞淵は指摘している。その語のサ行活用と見られている。カヅサネモは、カヅ(314)シなさいと希望する語法で、モは感動の助詞。句切。
 可豆佐可受等母 カヅサカズトモ。受は普通に濁音の字とされているが、本集には清音の場處に使用した例もある。「宇知比佐受《ウチヒサス》 宮弊能保留等《ミヤヘノボルト》」(卷五、八八六)、「乎久佐乎等《ヲクサヲト》 乎具佐受家乎等《ヲグサズケヲト》」(卷十四、三四五〇)、「可是布可受可母《カゼフカズカモ》」(卷十四、三五七二)の如きはこれである。但しこれらの例が當卷に多いのは、通例スである音を、東語にズと發音したものであろう。カヅサカズは、カヅスからできた語で、誘拐する意の敬語になつているのだろう。カヅサカストモヨシの意の句。
【評語】大膽に熱情を示している。内容が烈しいだけに、同音を利用した序の效果は、かえつて大きく、それである種のゆとりを作つている。
 
3433 薪《たきぎ》樵《こ》る 鎌倉山の
 木足《こだ》る木を、
 まつと汝《な》が言はば、
 戀ひつつや在らむ。
 
 多伎木許流《タキギコル》 可麻久良夜麻能《カマクラヤマノ》
 許太流木乎《コダルキヲ》
 麻都等奈我伊波婆《マツトナガイハバ》
 古非都都夜安良牟《コヒツツヤアラム》
 
【譯】鎌で薪を切る鎌倉山の茂つている木を、松ですとあなたがいつたら、戀をかしていることでしようよ。
【釋】多伎木許流 タキギコル。枕詞。薪を切る鎌とつづく。コルは、木を採取する意。
 可麻久良夜麻能 カマクラヤマノ。カマクラ山は、鎌倉の地の山。
 許太流木乎 コダルキヲ。コダルは、木足ルで、木の茂つているのをいう。「東《ヒムカシノ》 市之殖木乃《イチノウエキノ》 木足左右《コタルマデ》」(卷三、三一〇)。以上序詞で、次のマツを引き起している。
 麻都等奈我伊波婆 マツトナガイハバ。マツは、木の松に、待ツをかけていつている。待つとあなたがいう(315)ならば。
 古非都追夜安良牟 コヒツツヤアラム。ヤは、疑問の係助詞。自分の上のことをいつている。
【評語】別れに臨んでの男の歌である。序の中に枕詞を使つたのは、技巧を感じさせる。木足ル木ヲ松ト汝ガ言ハバの言い方も、巧みすぎて、素朴感がうすい。
 
右三首、相摸國歌
 
3434 上つ毛野 安蘇《あそ》山つづら
 野を廣み 延《は》ひにしものを
 あぜか絶えせむ。
 
 可美都家野《カミツケノ》 安蘇夜麻都豆良《アソヤマツヅラ》
 野乎比呂美《ヌヲヒロミ》 波比尓思物能乎《アヒニシモノヲ》
 安是加多延世武《アゼカタエセム》
 
【譯】上野の國の安蘇山の蔓草は、野が廣いので伸びましたのですのに、どうして切れましよう。
【釋】安蘇夜麻都豆良 アソヤマツヅラ。アソは既出(三四〇四)。上野下野の兩國にわたつているが、この句によれば、むしろ上野の國の地として知られていたのだろう。局地的に特にどの山とさすまでもなく、安蘇の地の北方一帶の山をいうであろう。ツヅラは蔓性植物。
 野乎比呂美波比尓思物能乎 ノヲヒロミハヒニシモノヲ。野が廣いので、自由に蔓を伸ばした、それだから。延ヒニシに、心を寄せたことを寫している。
 安是加多延世武 アゼカタエセム。何故か絶えよう。ここに至つて、蔓に託して二人の中の切れないことを述べている。
【評語】全體が譬喩になつている。その手法は巧みである。三句に、譬喩の物體を提示するのは、むしろ常型(316)で、それに託して、この歌では、どこまでも譬喩によつているのである。これも女の歌であろう。
 
3435 伊香保ろの 傍《そひ》の榛原《はりはら》、
 わが衣《きぬ》に 著《つ》きよらしもよ。
 純栲《ひたへ》と思《おも》へば。
 
 伊可保呂乃《イカホロノ》 蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》
 和我吉奴尓《ワガキヌニ》 都伎與良之母與《ツキヨラシモヨ》
 比多敝登於毛敝婆《ヒタヘトオモヘバ》
 
【譯】伊香保の山添のハギ原の花は、わたしの著物に染まるようだよ。純粹の栲と思うので。
【釋】蘇比乃波里波良 ソヒノハリハラ。既出(卷十四、三四一〇參照)。山に添つているハギの原。この句でただちにハギの花のことをいつている。
 都伎與良之母與 ツキヨラシモヨ。ツキヨラシは、動詞著キ寄ルから轉成した形容詞。著き寄る?態にあるをいう。色に染まつているようだ。モヨは感動の助詞。句切。
 比多敝登於毛敝婆 ヒタヘトオモヘバ。ヒタヘは、純栲。ヒタを冠する語に、直土、ひた照り、ひつら(純裏)などがある。他物をまじえない純粹の栲で、作者の心の純粹なことをあらわしている。わたしを純粹な心と思うので、ハギの花が色に染まることだ。あの人が思われることだ。
【評語】 ハギの花は、女をたとえているだろう。東歌らしい物の言い方である。
 
3436 しらとほふ 小新田《をにひた》山の
 もる山の、
 末枯《うらが》れ爲《せ》なな。
 常葉《とこは》にもがも。
 
 志良登保布《シラトホフ》 乎尓比多夜麻乃《ヲニヒタヤマノ》
 毛流夜麻乃《モルヤマノ》
 宇良賀禮勢奈那《ウラガレセナナ》
 登許波尓毛我母《トコハニモガモ》
 
(317)【譯】遠くから目につく小新田山のしげつた山のように、わたしはうら枯れしないでいたい。常緑でありたいものだ。
【釋】志良登保布 シラトホフ。枕詞であろうが、語義未詳である。古義に布は留の誤りで、白砥堀ルだとしている。常陸國風土記には「風俗(ノ)諺(ニ)曰(フ)、白遠、新治之國《ニヒバリノクニ》」とある。シラは、白か著《しる》クかであろうが、大きく目に立つことをトホシロシという、その語が逆に接續した語でもあろうか。もしそうとすれば、トホフは、通る、融るの語と通ずるのであろう。新しいものは目立つので、ニヒ(新)に冠するか。
 乎尓比多夜麻乃 ヲニヒタヤマノ。ヲニヒタヤマは、小新田山で、ヲは接頭語。新田山(三四〇八)に同じ。
 毛流夜麻乃 モルヤマノ。モルは、茂るの意に解せられるが、その意の動詞の明確な例がない。この句は、「人祖《ヒトノオヤノ》 未通女兒居《ヲトメゴスヱテ》 守山邊柄《モルヤマベカラ》」(卷十一、二三六〇)、「三諸者《ミモロハ》 人之守山《ヒトノモルヤマ》」(卷十三、三二二二)など、番人のある山を言つている。主格を提示している。
 宇良賀禮勢奈那 ウラガレセナナ。ウラガレは、秋になつて、草木の枝先の枯れるのをいう。セナナは、既出(三四〇八)。上のナは打消の助動詞ヌの未然形。下のナは願望の助詞。末枯しないでありたいものだ。自分に對する希望である。
 登許波尓毛我母 トコハニモガモ。トコハは、常葉で、常緑をいう。「枝爾霜雖v降《エダニシモフレド》 益常葉之樹《イヤトコハノキ》」(卷六、一〇〇九)。
【評語】相手とのあいだの續いて行くことを希望した歌と見られる。譬喩はすこし遠いようだが、それだけに眞實の感じは出ている。その山を望み見て詠んだのであろう。
 
右三首、上野國歌
 
(318)3437 陸奧《みちのく》の 安太多良眞弓《あだたらまゆみ》、
 彈《はじ》き置きて、
 撥《せ》らしめきなば 弦《つら》著《は》かめかも。
 
 美知乃久能《ミチノクノ》 安太多良末由美《アダタラマユミ》
 波自伎於伎弖《ハジキオキテ》
 西良思馬伎那婆《セラシメキナバ》 都良波可馬可毛《ツラハカメカモ》
 
【譯】陸奧の國の安太多良山から出た眞弓は、弦をはずして置いて、そらせておいたら、弦をかけられないだろう。
【釋】安太多良末由美 アダタラマユミ。アダタラは既出(三四二八)。「陸奧の安太多良眞弓|弦《つら》はけて引かばか人の吾《わ》を言《こと》成《な》さむ」(卷七、一三二九)にも出ている。マユミは、その山のマユミの木で作つた弓。その地方の産物とされていたのであろう。
 波自伎於伎弖 ハジキオキテ。彈き置きて。弦をはずして、弓材の矯めをゆるくしておいて。
 西良思馬伎那婆 セラシメキナバ。反らしめ置きなば。
 都良波可馬可毛 ツラハカメカモ。弦ハカメカモ。弦をつけることをハクという。カモは反語。弦をつけようや、つけられない。
【評語】一度二人のあいだが切れたら、ふたたび結ぶことはできまいの意を、譬喩によつて歌つている。巧みな歌だが、地方の歌とは限らない。その地から出た弓を取り入れて歌つたともいえる。
 
右一首、陸奧國歌
 
雜歌
 
(319)【釋】雜歌 ザフカ。以下國名の不明の歌を集め、これを雜歌。相聞、防人歌、譬喩歌、挽歌に分類している。雜歌というものの、男女關係の歌が多く、またむしろ相聞に部屬するを適當とすべき歌が多い。
 
3438 都武賀《つむが》野に 鈴が音《おと》聞ゆ。
 上志太《かむしだ》の 殿の仲子《なかち》し、
 鳥狩《とがり》すらしも。
 
 都武賀野尓《ツムガヌニ》 須受我於等伎許由《スズガオトキコユ》
 可牟思太能《カムシダノ》 等能乃奈可知師《トノノナカチシ》
 登我里須良思母《トガリスラシモ》
 
【譯】都武賀野に鈴の音が聞える。可牟思太のお邸の若樣が鷹狩をしているようだ。
【釋】都武賀野尓 ツムガノニ。ツムガ野は所在未詳。本卷編纂の當時、國名未勘としているだけあつて、以下の地名、多くは未詳である。別傳に美都我野とあつて、ミを接頭語とすれば、ツムガ野は、ツガ野の音聲描寫か。
 須受我於等伎許由 スズガオトキコユ。鷹の尾につけた鈴の音が鳴るのである。「鷹はしもあまたあれども、矢形尾《やかたを》の我《あ》が大黒《おほくろ》に、白塗《しらぬり》の鈴とり著《つ》けて」(卷十七、四〇一一)。句切。
 可牟思太能 カムシダノ。カムシダは、所在未詳。シダの郡名は、駿河、常陸、陸前にあり、それらのうちかも知れない。カムは上でもあろうか。
 等能乃奈可知師 トノノナカチシ。トノは、御殿、お邸という意味。もと建築物をいい、それによつてそこに住んでいる人を言いあらわす敬稱になる。「許余比毛可《コヨヒモカ》 等能乃和久胡我《トノノワクゴガ》 等里弖奈氣可武《トリテナゲカム》」(卷十四、三四五九)。ナカチは子の敬稱。天智天皇は、舒明天皇の第一皇子であるのに中大兄《なかつおひね》というによれば、ナカチは殿内の義で、長子をいうのだろう。しかし多くは中の子と釋している。シは助詞。
 登我里須良思母 トガリスラシモ。トガリは鳥獵で、鷹狩をいう。「等我理須等《トガリスト》 名乃未乎能里弖《ナノミヲノリテ》」(卷十八、(320)四〇一一)。
【評語】地方の豪族の若殿などが、鷹狩をしている有樣を歌つている。作者としては、近づきがたい世界を歌つているものと解してよいであろう。歌はよく情景を描いている。
 
或本歌曰、美都我野尓《ミツガノニ》 又曰、和久胡思《ワクゴシ》
 
或る本の歌に曰はく、みつが野に。 又曰はく、わくごし。
 
【釋】美都我野尓 ミツガノニ。第一句の別傳だが、同じく所在不明。
 和久胡思 ワクゴシ。第四句のナカチシの別傳である。ワクゴは稚子で、少年をいう。これらの別傳のあるのは、この歌が歌い傳えられたことを語つている。
 
3439 鈴が音《ね》の 早馬驛家《はゆまうまや》の
 つつみ井の
 水を賜《たま》へな。
 妹が直手《ただて》よ。
 
 須受我祢乃《スズガネノ》 波由馬宇馬夜能《ハユマウマヤノ》
 都追美井乃《ツツミヰノ》
 美都乎多麻倍奈《ミヅヲタマヘナ》
 伊毛我多太手欲《イモガタダテヨ》
 
【譯】鈴の音の聞える早馬のいる驛舍の圍つてある井戸の水をいただきたいものだ。あなたのじかの御手で。
【釋】須受我祢乃 スズガネノ。枕詞。鈴ガ音ノで、實景を寫してハユマ(早馬)に冠している。鈴は、驛鈴をいい、驛馬につける。驛鈴をつけるのは、公用のしるしである。「左夫流兒《さぶるこ》がいつきし殿に鈴かけぬ早馬《はゆま》下《くだ》れり里もとどろに」(卷十八、四一一〇)。この例は公用でないから鈴をかけない。
 波由馬宇馬夜能 ハユマウマヤノ。ハユマはハヤウマの約言。早馬。街道筋に驛を置き、馬を飼わしめて公(321)用の往來に供した。その馬が早馬である。ウマヤは、その驛舍で、普通五里の間隔を置いてこれを設けるが、地勢によつてはこれに拘泥しない。この驛舍は、旅行者を宿泊せしめ、食事を供する必要があつて、旅館としての性質を備え女子を置くようになつた。その性質は、この歌の内容に關係がある。
 都追美井乃 ツツミヰノ。ツツミヰは、堤井で、かこつてある井。石など積んで包んてあるのだろう。旅館としてよい水の出る井を設けてある。
 美都乎多麻倍奈 ミヅヲタマヘナ。タマヘは、賜えの義であろうが、四段活の動詞賜フの命令形ならば、甲類のヘを使用するはずであるのに、倍は乙類のヘであるから、下二段活の未然形、または命令形と見るべきである。そうして命令形に助詞ナの接續した例はないから、このタマヘは、下二段活の未然形と見るを妥當とする。賜フの下二段活のあつたことは、「多麻之比波《タマシヒハ》 安之多由布敝爾《アシタユフベニ》 多麻布禮杼《タマフレド》」(卷十五、三七六七)がそれであるとされており、また下二段活動詞の未然形に助詞ナの接績することは、「夜麻加波乃《ヤマカハノ》 佐夜氣吉見都都《サヤケキミツツ》 美知乎多豆禰奈《ミチヲタヅネナ》」(卷二十、四四六八)など若干の例がある。それでこの句は、水を賜わりたいの意になる。句切。
 伊毛我多太手欲 イモガタダテヨ。イモは、その驛舍にいる女を呼んでいる。タダテは、直接の手。ヨは、助詞。それによつて。
【評語】驛鈴の音の聞える荷道筋の歌として、民謠的な内容とあかるさとを持つている。初句の枕詞も、非常によく使用されている。すぐれた味のある歌である。
 
3440 この河に 朝菜洗ふ兒、
 汝《なれ》も吾《あれ》も よちをぞ持《も》てる。
(322) いで兒|賜《たば》りに。
 
 許乃河泊尓《コノカハニ》 安佐奈安良布兒《アサナアラフコ》
 奈禮毛安禮毛《ナレモアレモ》 余知乎曾母弖流《ヨチヲゾモテル》
 伊※[人偏+弖]兒多婆里尓《イデコタバリニ》
 
【譯】この川で朝菜を洗つている御方、あなたもわたしも、子どもを持つています。さあその子をいただきに行こう。
【釋】安佐奈安良布兒 アサナアラフコ。アサナは、朝菜で、朝のたべもの。ナは菜に限らないが、川で洗つているといえば、菜に違いない。コは愛稱。年若の人に對して呼びかけていると解せられる。
 奈禮毛安禮毛 ナレモアレモ。汝も吾も。
 余知乎曾母弖流 ヨチヲゾモテル。ヨチは、同じ年頃の子。「然有社《シカレコソ》 歳乃八歳叫《トシノヤトセヲ》 鑽髪乃《キルカミノ》 吾同子叫過《ヨチコヲスギ》」(卷十三、三三〇七)の吾同子は、ヨチコと讀むべきものと解せられ、自分と同じ頃の子の意味に書いたもののようである。その他「余知古良等《ヨチコラト》 手多豆佐波利提《テタヅサハリテ》」(卷五、八〇四)などの用例がある。ところで朝菜洗フ兒と呼びかけたのが、いかにも若い人に對しているようであり、それに對して、たがいにヨチを持つているということが變である。全釋に、このヨチは、隱語だろうというが、考え過ぎかもしれない。句切。
 伊※[人偏+弖]兒多婆里尓 イデコタバリニ。このコは、上のヨチを、語をかえて言つたようである。タバリニは、賜わりにで、下に詞句を略した形である。
【評語】非常に調子に乘つた躍動的な歌である。惜しいことには、内容が十分に理解し切れない。どうも自分の息子に、あなたの娘をくれというのでもなさそうだ。しかし雜歌の中に入れてあるから、そう正直に取るのがよいのかも知れない。
 
一云、麻之毛安禮毛《マシモアレモ》
 
(323)一は云ふ、汝《まし》もあれも。
 
【釋】一云麻之毛安禮毛 アルハイフ、マシモアレモ。本文の歌の第三句の別傳である。マシは、イマシに同じ。汝の義。この語は、動詞イマスと同語から出ているのだろう。それでもと敬意を感じて使用し始めたのだろう。
 
3441 ま遠《とほ》くの 雲居に見ゆる
 妹が家《へ》に
 いつか到らむ。
 歩めあが駒。
 
 麻等保久能《マトホクノ》 久毛爲尓見由流《クモヰニミユル》
 伊毛我敝尓《イモガヘニ》
 伊都可伊多良武《イツカイタラム》
 安由賣安我古麻《アユメアガコマ》
 
【譯】遠くの雲居の空に見えるあの子の家に、早く行きたいものだ。あるけ、わが駒よ。
【釋】麻等保久能 マトホクノ。マは接頭語。トホクは、遠の體言。
 久毛爲尓見由流 クモヰニミユル。クモヰは、雲居で、遠天をいう。ここは妻のいる家のあたりの山などが、雲際に見えるのをいう。
 伊毛我敝尓 イモガヘニ。ヘは家をいう。
 伊都可伊多良武 イツカイタラム。何時カ到ラムで、早くの意をあらわしている。句切。
【評語】馬に乘つて旅行する人の、家郷に向かつている時の歌である。東歌らしくもなく、京からの旅行者などが家郷を思う情に堪えかねて吟詠したもので、左註にあるように、もと人麻呂歌集から出たのであろう。
 
柿本朝臣人麻呂歌集曰、等保久之弖《トホクシテ》 又曰、安由賣久路古麻《アユメクロコマ》
 
(324)柿本朝臣人麻呂歌集に曰はく、遠くして。また曰はく、歩め、黒駒。
 
【釋】等保久之弖 トホクシテ。前の歌の初句の別傳である。卷の七に人麻呂歌集所出として「遠有而《トホクアリテ》 雲居爾所v見《クモヰニミユル》 妹家爾《イモガイヘニ》 早將v至《ハヤクイタラム》 歩黒駒《アユメクロコマ》」(卷七、一二七一)とある。それによつて初句をトホクシテと讀み誤つたのだろう、遠クアリテの方が、二句に對して明確である。
 
3442 東路《あづまぢ》の 手兒《てご》の呼坂《よびさか》
 越えかねて、
 山にか宿《ね》むも。
 宿《やどり》は無しに。
 
 安豆麻治乃《アヅマヂノ》 手兒乃欲妣左賀《テゴノヨビサカ》
 古要我祢弖《コエガネテ》
 夜麻尓可祢牟毛《ヤマニカネムモ》
 夜杼里波奈之尓《ヤドリハナシニ》
 
【譯】東國へ行く路の手兒の呼坂を越えかねて、山にか宿ることだろう。宿る處はなしに。
【釋】安豆麻治乃 アヅマヂノ。アヅマヂは、アヅマに行く路。東國への路。
 手兒乃欲妣左賀 テゴノヨビサカ。手兒の呼坂は、「大日本地名辭書」に、蒲原驛の東の七難坂などの古名とすべしとしている。由比町の西方の薩?峠《さつたとうげ》とする説もある。東海道のうち、この邊は山嶽が直に海濱に接して、道路が難儀であつた。手兒の呼坂の名は、娘が泣く坂の義であろうが、何故かような名がついているかはわからない。越えるのに難儀だから、娘が助けを求める坂の義か、または他に何か傳説でもあるか。
 古要我祢弖 コエガネテ。越え得ないで。我は濁音の字であるが、はたして濁音に發聲したか不明。
 夜麻尓可祢牟毛 ヤマニカネムモ。越え切れないで、山中にて宿ることだろうか。句切。
 夜杼里波奈之尓 ヤドリハナシニ。ヤドリは宿所。第四句を限定説明している。
【評語】東方に旅行しようとしている人の作である。その坂での歌とするのは當らない。これも旅行者の歌で、(325)前途の苦難を想像して詠んでいる。別れに臨んでの歌で,下の三四七七の歌に答えたものであろう。なお下河邊長流の「續歌林良材集」に、この二首の歌を材料とした傳説を傳えている(卷十二、三一九五參照)。
 
3443 うらもなく わが行く道に
 青柳《あをやぎ》の 萌《は》りて立てれば
 もの思《も》ひづつも。
 
 宇良毛奈久《ウラモナク》 和我由久美知尓《ワガユクミチニ》
 安乎夜宜乃《アヲヤギノ》 波里弖多弖禮婆《ハリテタテレバ》
 物能毛比豆都母《モノモヒヅツモ》
 
【譯】何心もなくわたしの行く路に、青柳が芽ぶいて立つているので、思い出したことだ。
【釋】宇良毛奈久 ウラモナク。心もなく。何心もなく。「浦毛無《ウラモナク》 去之君故《イニシキミユヱ》 朝旦《アサナサナ》 本名烏戀《モトナヲコヒム》 相跡者無杼《アフトハナケド》」(卷十二、三一八〇)。
 和我由久美知尓 ワガユクミチニ。我が行く路に。
 波里弖多弖禮婆 ハリテタテレパ。萌りて立てれば。ハリテは、芽が張つて。芽のふくらんでいるのをいう。「山代《ヤマシロノ》 久世乃鷺坂《クセノサギサカ》 自2神代1《カミヨヨリ》 春者張乍《ハルハハリツツ》 秋者散來《アキハチリケリ》」(卷九、一七〇七)。
 物能毛比豆都母 モノモヒヅツモ。物思ひ出つも。ヅツは、出ツの方言であろう。
【評語】青柳の芽に出たのを見て、愛人を想い出したのである。折角何心もなく行つたのだが、しかしそれは物に觸れればすぐに動く心であつたのである。情趣のある歌である。
 
3444 伎波都久《きはつく》の 岡の莖《くく》みら
 われ摘《つ》めど 籠《こ》にものたなふ。
 夫《せ》なと採《つ》まさね。
 
 伎波都久乃《キハツクノ》 乎加能久君美良《ヲカノククミラ》
 和禮都賣杼《ワレツメド》 故尓毛乃多奈布《コニモノタナフ》
 西奈等都麻佐祢《セナトツマサネ》
 
(326)【譯】伎波都久の岡の莖ミラは、わたしがつんでも、籠に乘らない。あなたも一緒におつみなさい。
【釋】伎波都久乃乎加能久君美良 キハツクノヲカノククミラ。キハツクノ岡は、仙覺の萬葉集註釋に「枳波都久岡、常陸國眞壁郡ニアリ。見2風土記1」とあるが、現行の常陸國風土記は略本で、眞壁の郡の部分を省略してあるので、その所在等について知る由もない。もし仙覺のいうようなら、常陸の國の歌である。ククミラは、莖韮で、薹《とう》の立つニラをいう。古事記中卷歌謠に、賀美良《カミラ》(一二)。類聚名義抄に、韮ククミラ。もと山野に自生していた。
 故尓毛乃多奈布 コニモノタナフ。コは、籠であろう。乃は、考に美の誤り、古義に民の誤りとし、多奈布と併わせて、滿タナフの義としている。それならば安易であるが、諸本いずれも乃としているので、字を改めねばならない難點がある。乃多奈布のままならば、乘タナフで、ラがタに轉じたものか。なお考うべきである。ナフは打消の助動詞であつて、句切になるのだろう。
 西奈等都麻佐祢 セナトツマサネ。トは、と共にの意であろう。ツマサネは、採みたまえと希望する語法。
【評語】東歌らしい歌だが、詞句に不明のところが多いのは遺憾である。第五句も、夫君と共に摘みたまえの意となつて、三句にうち合わない。古義に、主人の女と共に莖ミラを摘むはした女の歌としているのは、詞句を合理化しようとした解である。
 
3445 水門《みなと》のや あしがなかなる
 玉|小菅《こすげ》
 苅り來《こ》、わが夫子《せこ》
 床《とこ》のへだしに。
 
 美奈刀能也《ミナトノヤ》 安之我奈可那流《アシガナカナル》
 多麻古須氣《タマコスゲ》
 可利己和我西古《カリコワガセコ》
 等許乃敝太思尓《トコノヘダシニ》
 
(327)【譯】水門のアシの中に生えている、きれいなコスゲを刈つていらつしやい、あなた。床のかこいにするために。
【釋】美奈刀能 ミナトノ。ミナトは、水戸。河口、江口など。四音の一句。
 安之我奈可那流 アシガナカナル。アシガ中ナル。アシが中は、アシの中に同じ。ノにくらべれば、ガは、兩者の關係の一層密接であることをあらわし、幾分主觀的な感情を含んでいる。
 多麻古須氣 タマコスゲ。タマは美稱。コスゲはスゲに同じ。コは愛稱。清潔な感じのスゲをさしている。
 可利己和我西古 カリコワガセコ。刈り來わが夫子で、上のコは、動詞來の命令形。句切。
 等許乃敝太思尓 トコノヘダシニ。ヘダシは、ヘダテに同じく、隔で、語原は重立であろうから、床の圍にする防壁をいうのだろう。敷物のむしろとする解は疑わしい。「高山矣《タカヤマヲ》 部立丹置而《ヘダテニオキテ》」(卷十三、三三三九)。
【評語】民謠ふうな内容を持つた歌である。夫婦關係にあつての歌というよりも、むしろこの四五句をもつて相手に許諾した意味になるのだろう。
 
3446 妹なろが つかふ河津《かはづ》の
 ささらをぎ、
 あしと他言《ひとごと》 語りよらしも。
 
 伊毛奈呂我《イモナロガ》 都可布河伯豆乃《ツカフカハヅノ》
 佐左良乎疑《ササラヲギ》
 安志等比登其等《アシトヒトゴト》 加多理與良斯毛《カタリヨラシモ》
 
【譯】あの子が行きついている河津のさらさら鳴るオギ、それをあしと他の人が語つているようだ。
【釋】伊毛奈呂我 イモナロガ。ナもロも接尾語。夫ナノガなどと同樣の言い方。
 都可布河伯豆乃 ツカフカハヅノ。ツカフは、使フ、著カフなどの意が考えられる。使フは、人を使用するにいう語であるから、著カフによることとした。著クが、ハ行に再活用したもので、「色付相《イロヅカフ》 秋之露霜《アキノツユジモ》」(卷(328)十、二二五三)、「湊自《ミナトヨリ》 邊著經時爾《ヘツカフトキニ》」(卷七、一四〇二)などの用例がある。カハヅは、河津であろう。川の船つきになつている處で、水を汲み衣を洗うために行くのだろう。但し船つきといつても、船がつかないでもよい。そういうふうの地形をいう。
 佐左良乎疑 ササラヲギ。ヲギは、植物の名であろう。ササラは、「佐佐羅能小野《ササラノヲノ》」(卷三、四二〇)、「左佐良榎壯子《ササラエヲトコ》」(卷六、九八三)、「神樂良能小野《ササラノヲノ》」(卷十六、三八八七)など使われている語と同語とすれば、天上の地名であるが、それでは通じない。神樂聲浪をササナミと讀むによれば、ササは音聲で、アシの葉ずれの音であろうか。ラは、赤ら孃子などのラに同じであろう。以上三句、序詞で、オギとアシとの關係から、次の句を引き起していると解せられる。
 安志等比登其等 アシトヒトゴト。アシは、葦に惡シを懸けているのであろう。オギとアシとは、同物とする説があり、攷證にはこれを非として別とした(卷四、五〇〇參照)。但し似ているので、これからアシの語が引き起されているのであろう。ヒトゴトは、他人の言か一言かであろうが、集中他の言の意の例は多く、一言の意の例は、確實なものがない。ここも他言でよく通るところであるから、他人の言の意とすべきである。
 加多理與良斯毛 カタリヨラシモ。語リ寄ラシモで、動詞語リ寄ルから轉成した形容詞カタリヨラシに、助詞モの接續したもの。語り寄る?態であるをいう。他人が惡しと語り寄つているもようであるの意。
【評語】他人の中言を氣にしている。上三句の序詞も、地方の生活が描かれており、それでよく趣をなしている。序から主文に績くぐあいは、すこしむずかしいが、よくわかればかえつて趣があるのだろう。
 
3447 草蔭の 安努《あの》な行かむと
 墾《は》りし道、
(329) 阿努《あの》は行かずて、
 荒草《あらくさ》立《だ》ちぬ。
 
 久佐可氣乃《クサカゲノ》 安努奈由可武等《アノナユカムト》
 波里之美知《ハリシミチ》
 阿努波由加受弖《アノハユカズテ》
 阿良久佐太知奴《アラクサダチヌ》
 
【譯】草蔭の安努へ行こうと切り開いた道は、安努へは行かないで、雜草が目立つてきた。
【釋】久佐可氣乃 クサカゲノ。枕詞であろう。皇大神宮儀式帳に、倭姫の内親王の廻國される條に「安濃《あの》の縣《あがた》の造《みやつこ》眞桑枝《まくはえ》を、汝が國の名は何ぞと問ひたまひき。白《まを》さく、草蔭《くさかげ》の安濃の國と白しき」とある。その條の他の例は、いずれも枕詞を冠していると見られるから、この草蔭も枕詞であろう。その懸かり方は不明であるが、草蔭の野の義にノの音に懸かつているのであろうか。但し「草陰之《クサカゲノ》 荒藺之埼乃《アラヰノサキノ》 笠島乎《カサシマヲ》」(卷十二、三一九二)の例もあつて、アの一音に懸かるとするか、または地名とすることも考えられる。
 安努奈由可武等 アノナユカムト。アノは、前項に擧げた、安濃なるべく、三重縣安濃郡の名が殘つている。この卷中、國名を記してある分には、伊勢の國ははいつていないが、ここに伊勢の國の歌のあるのは、この卷の編纂の不備によるのであろう。ナは、助詞ニに同じとされているが「濱毛勢爾《ハマモセニ》 後奈居而《オクレナヲリテ》」(卷九、一七八〇)、「手寸十名相《タキソナヒ》 殖之名知久《ウヱシナシルク》」(卷十、二一一三)などのナと同じとすれば、その上にある詞句を提示する意味の語と解される。これは他の助詞の多くと同樣に、もと感動の助詞から分化を遂げたものだろうから、安努だ、それへ行こうとの意と見るべきである。下の安努は行カズテの言い方に通うところがある。
 波里之美知 ハリシミチ。開發した道。
 阿努波由加受弖 アノハユカズテ。アノは、上の安努に同じ。安努、それへは行かないで。
 阿良久佐太知奴 アラクサダチヌ。アラクサは、荒草で、雜草。タツは、草の茂るをいう。「野分だつ」などのダツに同じ。荒草に接して熟語となつている。草が目立つてきた。
(330)【評語】安努へ行くべき道は開かれたが、通う人もなくて草の繁つたことを歌つている。道路を開くのは、大事業だが、折角の事業が、實情に合わなかつたことを歌うのであろう。男女關係の歌かとも考えられるが、それならば、折角新道ができたのに、それを利用して安努へ行くこともなしに、荒れたというのであろう。いずれにしても、その地に即した歌として、地方色が感じられる。
 
3448 花散らふ この向《むか》つ峰《を》の
 乎那《をな》の峰《を》の
 洲《ひじ》につくまで 君が齡《よ》もがも。
 
 波奈知良布《ハナチラフ》 己能牟可都乎乃《コノムカツヲノ》
 乎那能乎能《ヲナノヲノ》
 比自爾都久麻提《ヒジニツクマデ》 伎美我與母賀母《キミガヨモガモ》
 
【譯】花の散つているこの向こうの峰の乎那の峰が、たいらになつて海中の洲として水につかるまで、あなたのお命が欲しいものだ。
【釋】波奈治良布 ハナチラフ。花散ラフで、續いて花の散るをいう。コノ向ツ峰の修飾句で、實景である。
 己能牟可都乎乃 コノムカツヲノ。コノ向ツ峰ノ。ヲは山の稜線をいう。
 乎那能乎能 ヲナノヲノ。ヲナは地名であろうが、所在未詳。向つ峰である乎那の峰ので、同一の峰を重語で言いあらわしている。ヒジニ漬クの主格句。安形靜男氏の説に猪鼻《いのはな》湖(遠江)の奧に尾奈の地名があり、そこの山だろうという。
 比自尓都久麻提 ヒジニツクマデ。ヒジは、代匠記に、大隅國風土記に「必志《ひし》の里、昔者《むかし》、この村の中に、海の洲ありき。因《かれ》、必志の里といへり。海中の洲は、隼人の俗語に必志といふ」とあるによつて、海中の洲としている。ツクは漬クで、水にひたるをいう。以上、高山が磨滅して海中の洲になつて水漬きになるまでの意で、非常に長い時間をいう。
(331) 伎美我與母賀母 キミガヨモガモ。ヨは代で、ここでは齡をいう。
【評語】君が代の永久であるべきことを祝つている。ここに君というは、宴席の客だろう。主要部分が譬喩でできており、その取りあげて來た材料も、地方色のよく出ているものである。座敷うたの民謠として歌われたのであろう。
 
3449 しろたへの 衣《ころも》の袖を
 麻久良我《まくらが》よ、
 海人《あま》榜《こ》ぎ來《く》見ゆ。
 浪立つな、ゆめ。
 
 思路多倍乃《シロタヘノ》 許呂母能素低乎《コロモノソデヲ》
 麻久良我欲《マクラガヨ》
 安麻許伎久見由《アマコギクミユ》
 奈美多都奈由米《ナミタツナユメ》
 
【譯】白布の衣の袖を枕にする。その麻久良我から海人が漕いで來るのが見える。波よ立たないでくれ。
【釋】思路多倍乃許呂母能素※[人偏+弖]乎 シロタヘノコロモノソデヲ。白栲の衣の袖をで、以上序詞。袖を枕くの義から、次句のマクを引き起している。
 麻久良我欲 マクラガヨ。マクラガは、地名であろう。下に「麻久良我乃《マクラガノ》 許我能和多利乃《コガノワタリノ》」(卷十四、三五五五)とあり、その許我を、下總の國の古河《こが》とすれば、マクラガは、その附近の總名である。ヨは、そこからずうつとこちらへの意をあらわす助詞。
 安麻許伎久見由 アマコギクミユ。海人榜ギ來見ユで、來は終止形。句切。
【評語】四五句の内容が、海上の歌らしいのに、上三句が利根川について歌つているようなのは、本歌があつて、地名をさしかえて歌つているからであろう。五句は、しばしば使用されている句で、民謠としての流れを持つているであろう。
 
(332)3450 乎久佐壯子《をくさを》と 乎具佐助丁《をぐさすけを》と、
 潮舟《しほふね》の 竝べて見れば、
 乎具佐《をぐさ》勝《か》ちめり。
 
 乎久佐乎等《ヲクサヲト》 乎具佐受家乎等《ヲクサズケヲト》
 斯抱布祢乃《シホフネノ》 那良敝弖美禮婆《ナラベテミレバ》
 乎具佐可知馬利《ヲグサカチメリ》
 
【譯】乎久佐男と乎具佐の少年とを、海の船のように竝べて見ると、乎具佐の方が勝つて見える。
【釋】乎久佐乎等 ヲクサヲト。ヲクサは地名だろうが、所在不明。下のヲは男。乎久佐の地の壯丁をいう。
 乎具佐受家乎等 ヲグサズケヲト。ヲグサも地名だろうが、同じく所在不明。初句の乎久佐と似ているが、五句によれば、別地とすべきである。スケヲは、助丁。助丁は、卷の二十に防人の身分として、しばしば見えている。それは上丁に對しているものの如く、父母のことを詠んでいるものの多いのに見ても、若年の者であることが知られる。二十一歳以上を正丁とするから、二十歳以下の者であろう。受はスであるべきであるが、ズと發音したのだろう。
 斯抱布祢乃 シホフネノ。枕詞。潮舟ので、海上の船の義に、竝ブを引き起している。
 乎具佐可知馬利 ヲグサカチメリ。ヲグサは、乎具佐の助丁をいう。カチメリは、勝チメリで、勝つているのをいう。助動詞メリは、本集には他に所見がなく、これがそうだとすれば、唯一の用例である。但しここでは勝ツの連用形に接續しており、はたして同一語であるかどうか不明。
【評語】露骨な言い方で、田舍らしさはあるが、含蓄はない。海邊の遊女などの歌であろう。
 
3451 左奈都良《さなつら》の 岡に粟|蒔《ま》き、
 かなしきが 駒はたぐとも、
(333) 吾《わ》はそと思《も》はじ。
 
 左奈都良能《サナツラノ》 乎可尓安波麻伎《ヲカニアハマキ》
 可奈之伎我《カナシキガ》 古麻波多具等毛《コマハタグトモ》
 和波素登毛波自《ワハソトモハジ》
 
【譯】左奈都良の岡にアワをまいて、かわいいあの方の馬がたぺても、わたしはそうとは思わないでしよう。
【釋】左奈都良能 サナツラノ。サナツラは、地名だろうが、所在不明。もとつる草の名でサナカヅラと縁があるのだろう。
 乎可尓安波麻伎 ヲカニアハマキ。岡ニ粟蒔キ。これは譬喩ではなく事實である。
 可奈之伎我 カナシキガ。かなしき吾がの意で、カナシキは愛すべくあるをいう。形容詞の連體形に助詞ガの接續する例には「安布倍伎與之能《アフベキヨシノ》 奈伎我佐夫之佐《ナキガサブシサ》」(卷十五、三七三四)の如きがあるが、例はすくない。
 古麻波多具等毛 コマハタグトモ。駒ハタグトモで、タグは、食する意。「渠梅多?母《コメダニモ》 多礙底騰??栖《タゲテトホラセ》」(日本書紀一〇七)、「妻毛有者《ツマモアラバ》 採而多宜麻之《ツミテタゲマシ》」(卷二、二二一)など、用例のある語。馬がたべても。
 和波素登毛波自 ワハソトモハジ。我ハ其ト思ハジ。ソは、馬のたべること。
【評語】岡ニ粟蒔キは、譬喩ではないが、實際にまいたのでもなく、假設したいい方で、アワには、やはり逢う意が下に感じられているであろう。好意を寄せている情をよく描いている。
 
3452 おもしろき 野をばな燒きそ。
 古草《ふるくさ》に 新草《にひくさ》まじり、
 生《お》ひば生《お》ふるがに。
 
 於毛思路伎《オモシロキ》 野乎婆奈夜吉曾《ノヲバナヤキソ》
 布流久左尓《フルクサニ》 仁比久佐麻自利《ニヒクサマジリ》
 於非波於布流我尓《オヒバオフルガニ》
 
【譯】趣の深い野を燒かないでください。古い草に新しい草がまじつて、生えたら生えるだろうに。
【釋】於毛思路伎 オモシロキ。興趣に感じた?態である。集中、※[立心偏+可]怜の字を、オモシロシとも讀んでいる。(334)「面白四手《オモシロクシテ》 古昔所v念《イニシヘオモホユ》」(卷七、一二四〇)。
 野乎婆奈夜吉曾 ノヲバナヤキソ。春になると、新しい草のよく出るように山野を燒く。野を燒いた跡は、黒くなつて興趣を缺くので、それを禁止しょうとしている。句切。
 布流久左尓 フルクサニ。フルクサは、年を越した古い草。
 仁比久佐麻自利 ニヒクサマジリ。新しい草がまじつて。
 於非波於布流我尓 オヒバオフルガニ。ガニは、ほどに、樣子になどの意。生えるならば生えるほどにそれもよしの意。下に詞句を省略した言い方。「鴈鳴寒《カリガネサムシ》 霜毛置奴我二《シモモオキヌガニ》」(卷八、一五五六)、「武路我夜乃《ムロガヤノ》 都留能都追美乃《ツルノツツミノ》 那利奴賀爾《ナリヌガニ》 古呂波伊敝杼母《コロハイヘドモ》」(卷十四、三五四三)などは、終止形に接續しているが、ここは連體形に接續している。連體形に接續したたしかな例は、ほかにはない。
【評語】内容といい調子といい、東歌らしくない。京人の作であろう。風流がつたところはあるが、野を愛する氣もちを描いてはいる。「春日野は今日はな燒きそ。若草の妻もこもれり。われもこもれり」(古今和歌集)に似て、それだけの深みはない。
 
3453 風の音《と》の 遠き吾妹《わぎも》が
 著せし衣《きぬ》、
 手本《たもと》のくだり ※[糸+比]《まよ》ひ來にけり
 
 可是乃等能《カゼノトノ》 登抱吉和伎母賀《トホキワキモガ》
 吉西斯伎奴《キセシキヌ》
 多母登乃久太利《タモトノクダリ》 麻欲比伎尓家利《マヨヒキニケリ》
 
【譯】風の吾のような遠くにいるわが妻の著せた書物の、腕の筋がほつれて來た。
【釋】可是乃等能 カゼノトノ。枕詞。風ノ音ノで、内容から遠キを引き起している。
 登抱吉和伎母賀 トホキワギモガ。遠い郷土にいる妻をさしている。
(335) 吉西斯伎奴 キセシキヌ。著セシ衣で、旅中にあつて、妻のしたてて著せた衣服を顧みている。
 多母登乃久太利 タモトノクダリ。手本ノクダリ。タモトは腕。クダリは、さがつているところ。
 麻欲比伎尓家利 マヨヒキニケリ。マヨヒは、倭名類聚鈔に「紕万与布《マヨフ》、一(ニ)云(フ)、与流《ヨル》 潤iノ)欲(スル)v壞(レント)也」とあり、織物の横糸が片寄るために隙間ができるのをいう。「麻衣《アサゴロモ》 肩乃間亂者《カタノマヨヒハ》 誰取見《タレカトリミム》」(卷七、一二六五)、「白細之《シロタヘノ》 袖者聞結奴《ソデハマユヒヌ》」(卷十二、二六〇九)。
【評語】遠く旅に出た人の作である。郷里を出てから久しくなつた情が歌われている。初句の枕詞も、創作的であり、内容にふさわしく置かれて、感慨を助けている。調子もよく整つている作で、京人の作だろう。
 
3454 庭に殖《た》つ 麻手小衾《あさてこぶすま》。
 今夜《こよひ》だに 夫《つま》よしこせね。
 麻手小衾《あさてこぶすま》。
 
 尓波尓多都《ニハニタツ》 安佐提古夫須麻《アサテコブスマ》
 許余比太尓《コヨヒダニ》 都麻余之許西祢《ツマヨシコセネ》
 安佐提古夫須麻《アサテコブスマ》
 
【譯】庭前に立つているアサで作つた小衾よ。せめて今夜だけでも、あの方を寄せてくださいよ。アサで作つた小衾よ。
【釋】尓波尓多都 ニハニタツ。枕詞。次句のアサを修飾説明する。ニハは屋前。そこに植えられてある意味だが、この歌のアサは、衾になつているので、現在の?態ではない。しかし自分で庭前のアサを刈つて織つたので、この枕詞が起されたのだろう。
 安佐提古夫須麻 アサテコブスマ。アサテは麻の織物。テはニギテ(和布)などのテか。コブスマは小衾。麻布で作つた衾。
 許余比太尓 コヨヒダニ。今夜だけでもせめて。
(336) 都麻余之許西祢 ツマヨシコセネ。ツマは配偶者。男女ともにいうが、この歌の作者を家にいる人と見て、女性とし、このツマを夫とする。ヨシコセネは、寄せよと願望する語法。ヨシは四段活と見られる。「妹盧豫嗣爾《メロヨシニ》 豫嗣豫利據禰《ヨシヨリコネ》」(日本書紀三)、「妻社《ツマノモリ》 妻依來西尼《ツマヨシコセネ》」(卷九、一六七九)。句切。
 安佐提古夫須麻 アサテコブスマ。第二句を操り返している。
【評語】衾に向かつて夫を寄せよというのは、夜の連想があり、また事實、夜の歌で、衾に接しているからでもある。二句と五句とに同句を重ねたのは、歌いものふうな調子である。庭ニ立ツの一句は、無駄なようであつて、しかもそれで地方色を出している效力のある句である。
 
相聞
 
【釋】相聞 サウモニ。國名未詳の相聞の歌百十二首を收めている。その次に、防人歌と題して五首を載せており、それはいずれも相聞の歌と見られるから、同じくこの相聞の題下に屬せしむべきものかも知れない。初めの百十二首は、別に小題は設けていないが、内容においては、正述心緒と寄物陳思とに分かれている。すなわち初めの二十六首は正述心緒の歌と見なされる。後の八十六首は寄物陳思の歌であつて、器材十首、植物十八首、氣象十二首、動物二十二首、地象(船を含む)二十三首、神祇一首の順になつている。この配列法は、卷の十一、十二の配列法を思わしめるものであり、相互のあいだに關係のあるべきことが推測される。
 
3455 戀しけば 來ませ、わが夫子《せこ》。
 垣内楊《かきつやぎ》 末《うれ》摘《つ》みからし、
 われ立ち待たむ。
 
 古非思家婆《コヒシケバ》 伎麻世和我勢古《キマセワガセコ》
 可伎都楊疑《カキツヤギ》 宇禮都美可良思《ウレツミカラシ》
 和禮多知麻多牟《ワレタチマタム》
 
(337)【譯】戀しかつたらいらつしやい、あなた。垣の内のヤナギの枝先をつみ枯らして、わたしは待つておりましよう。
【釋】古非思家婆 コヒシケバ。戀しけば。コヒシケまで形容詞の活用形。未然條件法。
 伎麻世和我勢古 キマセワガセコ。來ませ、我が夫子。句切。
 可伎都楊疑 カキツヤギ。垣内楊。垣の内のヤナギ。カキツは垣内の約言。「和我勢故我《ワガセコガ》 垣都能谿爾《カキツノタニニ》」(卷十九、四二〇七)とあるので、ツが助詞でないことが知られる。ヤギは、楊の字をヤの音に使つており、カワヤナギで、通例ヤナギというが、ヤギは楊木の義で、略言ではないのだろう。
 宇禮都美可良思 ウレツミカラシ。ウレは、伸びた枝先。ツミは、摘み。カラシは、枯らしと、刈らしとの兩解がある。どちらも使役の意になるが、使役の助動詞スは、もと四段活用で、後に下二段活用になつたもののようである。そこで枯ラスは、熟語になつているが、刈ラスは、使用の機會がすくなく、熟語になつていなかつたと思われる。これは集中の例に見てあきらかである。そこでここは、枯ラスと見るのが順當である。
「迦具波斯《カグハシ》 波那多知婆那波《ハナタチバナハ》 本都延波《ホツエハ》 登理韋賀良斯《トリヰカラシ》 志豆延波《シヅエハ》 比登々理賀良斯《ヒトトリカラシ》」(古事記四四)のカラシも枯ラシである。
 和禮多知麻多年 ワレタチマタム。席にもいずに待つている心である。
【評語】よく整つている。それだけに口馴れた歌のようであり、人を待つ機會の多い女子の歌のようである。しかし三四句に、人を待つ情趣は描かれている。「わが庵は三輪の山もと戀しくばとぶらひ來ませ杉立てる門」(古今和歌集)の歌など、類型の歌があつて、客を待つ宿の歌いものとして傳えられていたのであろう。
 
3456 うつせみの 八十言《やそこと》のへは、
(338) 繁くとも、
 爭ひかねて 吾《あ》をことなすな。
 
 宇都世美能《ウツセミノ》 夜蘇許登乃敝波《ヤソコトノヘハ》
 思氣久等母《シゲクトモ》
 安良蘇比可祢弖《アラソヒカネテ》 安乎許登奈須那《アヲコトナスナ》
 
【譯】この世の中の多くの言葉は、事繁くても、それに爭いかねて、わたしの事を言葉にお出しにならないようにしてください。
【釋】宇都世美能 ウツセミノ。世間の義に、次の句を修飾している。
 夜蘇許登乃敝波 ヤソコトノヘハ。八十言ノ重ハ。コトノヘは、言葉のかさなりで、言葉の多く語られること。
 安良蘇比可祢弖 アラソヒカネテ。それらの言葉に抵抗し得ないで。
 安乎許登奈須那 アヲコトナスナ。コトナスは、言成スで、言葉にあらわすをいう。わたくしの事を言葉にお出しになるな。
【評語】人の口に上ることを嫌う氣もちが歌われている。上三句の仰山な言い方が效を奏している。
 
3457 うち日《ひ》さす 宮のわが夫《せ》は、
 大和女《やまとめ》の 膝《ひざ》枕《ま》くごとに、
 吾《あ》を忘らすな。
 
 宇知日佐須《ウチヒサス》 美夜能和我世波《ミヤノワガセハ》
 夜麻登女乃《ヤマトメノ》 比射麻久其登尓《ヒザマクゴトニ》
 安乎和須良須奈《アヲワスラスナ》
 
【譯】日の輝く御殿にお勤めになるあなたは、大和女の膝を枕にするたびに、わたくしをお忘れなさいますな。
【釋】宇知日佐須 ウチヒサス。枕詞。日のさす義と考えられる。
 美夜能和我世波 ミヤノワガセハ。ミヤは、役所、宮殿。ここはその宮廷に奉仕するわが夫君はの意。
(339) 夜麻登女乃 ヤマトメノ。大和の女の。誰ということなく、漠然と言つている。
 比射麻久其登尓 ヒザマクゴトニ。膝枕ク毎ニ。親しむことを、特殊の語で説明している。
 安乎和須良須奈 アヲワスラスナ。ワスラスは、忘ルの敬語法。
【評語】地方の女子の作であることは明白である。宮ノワガ夫といういい方は、新たに兵士などになつて行く男をいうのではなく、京から下つて來た役人をいうのだろう。「庭に立つ麻手《あさで》刈り干し布さらす東女《あづまをみな》を忘れたまふな」(卷四、五二一)の歌は、常陸の娘子が、藤原の宇合の京に上るのに贈つた歌だが、それと同樣の歌である。
 
3458 汝夫《なせ》の子や、
 等里《とり》の岡道《をかぢ》し なかだ折《を》れ、
 吾《あ》を哭《ね》し泣くよ。
 息《いく》づくまでに。
 
 奈勢能古夜《ナセノコヤ》
 等里乃乎加耻志《トリノヲカヂシ》 奈可太乎禮《ナカダヲレ》
 安乎祢思奈久與《アヲネシナクヨ》
 伊久豆君麻弖尓《イクヅクマデニ》
 
【譯】あなたはなあ、等里の岡への道で途中からまがつて、わたしは泣かれることだ。ため息をつくまでに。
【釋】奈勢能古夜 ナセノコヤ。汝夫ノ子ヤ。ナセは、男子に對して親愛の意をもつて呼ぶ語。コは愛稱。ヤは、感動の助詞。「愛《ウツクシキ》 我那勢命《ワガナセノミコト》」(古事記)、「吾夫君、此(ヲ)云(フ)2阿我儺勢《アガナセト》1」(日本書紀)。
 等里乃乎加耻志 トリノヲカヂシ。トリは、地名だろうが所在不明。古義に「等里は未だ慥に考へ得ざれども、嘗《こころみ》に云はば、和名抄に、常陸國鹿島郡下つ鳥中つ鳥上つ島(上つ島の島は鳥の字か)と見えて、其は鳥といふ郷に上中下あるなるべし。されば其地の岡を鳥之岡といふならむ」とある。もしそうとすれば、鹿島郡の中部で、鹿島町より北方に當る。ヲカヂは、岡に向かう路。シは助詞。この句は、等里の岡路を強く指定して(340)いる。
 奈可太乎禮 ナカダヲレ。タヲレが曲ることで、ナカがそれを限定しているのだろう。途中で折れ曲つて見えなくなるのである。またはナカダで副詞か。
 安乎祢思奈久與 アヲネシナクヨ。前に、「吾乎禰之奈久奈《アヲネシナクナ》」(三三六二)、「安乎禰思奈久流《アヲネシナクル》」(同或る本の歌)の形が出ていた。わたしは泣かれるよ。句切。
 伊久豆君麻弖尓 イクヅクマデニ。イクヅクは、イキヅクに同じ。息づく。
【評語】その男に歌いかけた形になつているが、實際は獨語しているのだろう。その男の行く方を見つめて息もつかずに見守つている心がよく描かれている。地方色のゆたかな歌である。
 
3459 稻|舂《つ》けば 皸《かか》る吾が手を、
 今夜《こよひ》もか、
 殿の若子《わくご》が 取りて嘆かむ。
 
 伊祢都氣波《イネツケバ》 可加流安我手乎《カカルアガテヲ》
 許余比毛可《コヨヒモカ》
 等能乃和久胡我《トノノワクゴガ》 等里弖奈氣可武《トリテナゲカム》
 
【譯】稻をつくので、われているわたしの手を、今夜か、お邸の若樣が、にぎつて嘆くことだろう。
【釋】伊祢都氣波 イネツケバ。稻を舂けば。米を、ある程度精白したものと見られる。
 可加流安我手乎 カカルアガテヲ。皸ル我ガ手ヲ。倭名類聚鈔に「漢書(ノ)註(ニ)云(フ)、皸、手足(ノ)?裂(スル)也。和名、阿加々利《アカカリ》」。手足が荒れて裂けるのをいう。
 許余比毛可 コヨヒモカ。このモは、今夜を強調していうので、今夜もまたの意ではない。
 等能乃和久胡我 トノノワクゴガ。殿の若子が。ワクゴは、若い子。若君。
 等里弖奈氣可武 トリテナゲカム。トリテは、手にして。
(341)【評語】稻舂きの勞作歌であろう。大家に使われる身分の女の歌として、手の荒れたのを悲しんでいる。當時の地方の社會?態も窺われて、意義の多い歌である。
 
3460 誰《たれ》ぞこの 屋《や》の戸《と》押《お》そぶる。
 新嘗《にふなみ》に わが夫を遣《や》りて、
 齋《いは》ふこの戸を。
 
 多禮曾許能《タレゾコノ》 屋能戸於曾夫流《ヤノトオソブル》
 尓布奈未尓《ニフナミニ》 和家世乎夜里弖《ワガセヲヤリテ》
 伊波布許能戸乎《イハフコノトヲ》
 
【譯】誰ですか、この家の戸をゆすぶつているのは。新嘗の祭に夫を出してやつて、潔齋しているこの戸ですよ。
【釋】多禮曾許能屋關戸於曾夫流 タレゾコノヤノトオソブル。誰ゾと疑問の係りを置いて、オソブルと受けている。ヤノトは、屋の戸。オソブルは、押し試みる。「遠登賣能《ヲトメノ》 那須夜伊多斗遠《ナスヤイタドヲ》 淤曾夫良比《オソブラヒ》 和何多々勢禮婆《ワガタタセレバ》」(古事記二)。句切。
 尓布奈未尓 ニフナミニ。ニフナミは、新嘗。「爾比那閇夜爾《ニヒナヘヤニ》」(古事記一〇一)とあるニヒナヘに同じであろう。して見るとニヒノアヘの約言と見られる。收穫の祭で、新穀をもつて神を祭ること。神聖な祭として夜間に行われる。千葉縣で、ニウナイスズメというのは、收穫の頃に集まるスズメをいう。
 和我世乎夜里弖 ワガセヲヤリテ。わが夫を出してやつて。ところで夫を出してやるのは、男子は一處に集まつて新嘗の祭をするので、現に東北地方にその風習が殘つているとする解と、男子を出すのは、女子が家にあつて新嘗の祭をするためだとする解とがある。英譯萬葉集の委員會でも、これが論議の的となり、結局後説によつて譯された。しかしこれは兩方とも事實として認められるところであり、男子は男子で集まり、女子はひとり家を守つて、それぞれに祭事を行うと思われる。この歌にイハフとあり、また常陸國風土記の富士筑波(342)の説話も、女子の齋戒することを認めている。
 伊波布許能戸乎 イハフコノトヲ。イハフは、神を祭つて齋戒するをいう。コノトヲは、二句のヤノトを語を變えて繰り返している。ヲは感動の助詞だが、それだのにの意を含んで、上に返る氣分を有している。
【評語】新嘗の嚴肅な夜をやつて來た男と、戸を隔てて、歌を言いかけている。その男は大かた心當りがあるのだろう。ほんとうに嚴格に齋戒を守るなら、その言葉は、歌の形になることはあるまいに、歌の形を取つているのは興味がある。前に出た「鳰鳥《にほどり》の葛飾|早稻《わせ》を饗《にへ》すとも」(三三八六)の歌と共に、眞に民間に生きていた歌の記録である。
 
3461 あぜと云へか、 さ宿《ね》に逢はなくに、
 ま日《ひ》暮れて 夜《よひ》なは來《こ》なに、
 明けぬ時《しだ》來る。
 
 安是登伊敝可《アゼトイヘカ》 佐宿爾安波奈久尓《サネニアハナクニ》
 眞日久禮弖《マヒクレテ》 與比奈波許奈尓《ヨヒナハコナニ》
 安家奴思太久流《アケヌシダクル》
 
【譯】どういう事か、寐るためには逢わないことで、日が暮れて初夜には來ないで、夜の明けた時分に來ることだ。
【釋】安是登伊敝可 アゼトイヘカ。アゼは、何故。イヘカは、いえばかで、カは疑問の係助詞。この係りは、二句で受けている。
 佐宿尓安波奈久尓 サネニアハナクニ。サネは、眞實の義とする解が有力だが、サネニの例もないし、殊にこの卷の訓讀の文字は、表意文字として使用されているものが大部分であり、宿の字も十一使用されているが、この以外すべて表意文字として使用されているから、ここも文字通り宿《ね》ることと解すべきである。サは接頭語。寐ることには逢わないことだ。副詞句として下に強く氣もちをもつている。
(343) 眞日久禮弖 マヒクレテ。マヒは、日に接頭語マがついている。すつかり日が暮れての意である。
 與比奈波許奈尓 ヨヒナハコナニ。上のナは接尾語で、ヨヒに對する感情が表示される。「宇倍兒奈波《ウベコナハ》」(卷十四、三四七六)などのナに同じであろう。ヨヒは初夜をいう。コナニは、來ヌニ。ナは、打消の助動詞ヌの轉音。
 安家奴思太久流 アケヌシダクル。明ケヌ時來ル。ヌは時の助動詞で、普通ヌルというべき處である。シダは時。
【評語】いかにも東歌らしい表現であり、内容もこれに應じて夜明けに來る男を恨んでいる。
 
3462 あしひきの 山澤人《やまさはびと》の
 人|多《さは》に まなといふ兒が
 あやに愛《かな》しさ。
 
 安志比奇乃《アシヒキノ》 夜末佐波妣登乃《ヤマサハビトノ》
 比登佐波尓《ヒトサハニ》 麻奈登伊布兒我《マナトイフコガ》
 安夜尓可奈思佐《アヤニカナシサ》
 
【譯】あの山澤にいる人がたくさんに、いけないという子が、ほんとにかわいいことだ。
【釋】安志比奇乃夜末佐波妣登乃 アシヒキノヤマサハビトノ。以上序詞。山澤にいる人の義で、正述心緒の部に入れてあるので、單に山澤の人と解すべきであるが、一方には、同音によつて、次の人サハニを起してもいる。
 比登佐波尓 ヒトサハニ。人多ニ。多くの人が。
 麻奈登伊布兒我 マナトイフコガ。マナは、禁止、制止の語。日本書紀には、「無藏2金銀銅鐵1」(孝コ天皇紀)、「無爭2爵位1」(天智天皇紀)などの無の字にマナと訓し、枕の草子には、「まなと仰せらるれど聞き入れず」「まなと仰せらるれば笑ひてかへりぬ」などある。言い寄つてはいけないの意。從來マナゴ(愛子)のマナ(344)とされていたが、そのマナだけで使用された例はない。しかし愛子のマナも、もとは制止のマナと同語だろう。
 安夜尓可奈思佐 アヤニカナシサ。アヤニは非常にの意の副詞。カナシサは、感愛すべくあること。
【評語】枕詞を含み同音を利用しているだけに、調子がよくなつている。衆人が制止する子の愛すべきを歌つたもので、やまれない心が歌われている。
 
3463 ま遠《とほ》くの 野にも逢はなむ。
 心なく
 里のみ中に 逢へる夫《せ》なかも。
 
 麻等保久能《マトホクノ》 野尓毛安波奈牟《ヌニモアハナム》
 己許呂奈久《ココロナク》
 佐刀乃美奈可尓《サトノミナカニ》 安敝流世奈可母《アヘルセナカモ》
 
【譯】遠くの野でも逢つてほしい。心なくも里のまん中で逢つたあなたですね。
【釋】麻等保久能 マトホクノ。マは接頭語。眞に遠方であることをあらわしている。三四四一參照。
 野尓毛安波奈牟 ノニモアハナム。相手に對して希望する語法。句切。
 己許呂奈久 ココロナク。思慮なしに。
 佐刀乃美奈可尓 サトノミナカニ。ミは接頭語。「己知其智乃《コチゴチノ》 國之三中從《クニノミナカユ》」(卷三、三一九)。
 安敝流世奈可母 アヘルセナカモ。セナは、男子の愛稱。ナは接尾語。
【評語】三四〇五など、似寄つた歌がある。五句の言い方は、感動的で、殘念に思う情があらわれている。
 
3464 他言《ひとごと》の 繁きによりて、
 まを薦《ごも》の 同《おや》じ枕は、
 吾《わ》は纏《ま》かじやも。
 
 比登其等乃《ヒトゴトノ》 之氣吉尓余里弖《シゲキニヨリテ》
 麻乎其母能《マヲゴモノ》 於夜自麻久良波《オヤジマクラハ》
 和波麻可自夜毛《ワハマカジヤモ》
 
【譯】人のいう言の繁くあることによつて、カラムシで作つた同じ枕を、わたしは枕にしないだろうか。
【釋】比登其登乃之氣吉尓余里弖 ヒトゴトノシゲキニヨリテ。人言ノ繁キニヨリテ。人の口のうるさいことによつて。
 麻乎其母能 マヲゴモノ。マヲ、イラクサ科の多年生草本、カラムシ。その莖の繊維を衣料にする。コモは薦。カラムシを編んで枕を作る。「薦枕《コモマクラ》 相卷之兒毛《アヒマキシコモ》 在者社《アラバコソ》」(卷七、一四一四)、「薦枕高多珂國《コモマクラタカノクニ》」(常陸國風土記)、「薦枕高御産栖日《コモマクラタカミムスビノ》神」(三代實録)というのは、コモの枕は高いからである。
 於夜自麻久良波 オヤジマクラハ。オヤジは同じ。「於野兒弘?農具《オヤジヲニヌク》」(日本書紀一二五)、「妹毛吾毛《イモモワレモ》 許己呂波於夜自《ココロハオヤジ》」(卷十七、三九七八)。オナジともいう。「於奈自許等《オナジコト》」(卷十五、三七七三)、「於奈自伎佐刀乎《オナジキサトヲ》」(卷十八、四〇七六)。枕を長く作つて同じ枕をするのである。
 和波麻可自夜毛 ワハマカジヤモ。吾は纏カジヤモ。ヤは反語。纏かないということはない。枕にしないではおかない。
【評語】人言を氣にしてはいるが、そのためにさまたげられることはないという、強い心を歌つている。多分男の歌であろう。
 
3465 高麗錦《こまにしき》 紐解き放《さ》けて
 寐《ぬ》るが上《へ》に、
 あどせろとかも あやに愛《かな》しき。
 
 巨麻尓思吉《コマニシキ》 比毛登伎佐氣弖《ヒモトキサケテ》
 奴流我倍尓《ヌルガヘニ》
 安杼世呂登可母《アドセロトカモ》 安夜尓可奈之伎《アヤニカナシキ》
 
【譯】高麗錦の紐を解き放して寐るその上に、どうしろというのか、非常にかわいいのだ。
【釋】巨麻尓思吉 コマニシキ。高麗錦。高麗ふうの錦の織物。卷の十一、十二、十六等に、いずれも紐に冠(346)している。高麗から歸化した人たちが、その國ふうの錦を織つて紐に作つたのだろう。
 比毛登伎佐氣弖 ヒモトキサケテ。紐解キ放ケテ。衣服の紐を解き放して。
 奴流我倍尓 ヌルガヘニ。寐る、その上に。
 安杼世呂登可母 アドセロトカモ。何ド爲ロトカモ。何とせよとか。どうしようとてか。動詞の命令形に助詞ロをつける例は「安我弖等都氣呂《アガテトツケロ》」(卷二十、四四二〇)がある。東語特有の語法であろう。
【評語】何とも堪えられない氣もちがよく歌われている。多分男の歌であろうが、東人らしいひたすらな表情である。初句の高麗錦は、全體の露骨なのをやわらげる效果がある。
 
3466 ま愛《かな》しみ 寐《ぬ》れば言《こと》に出《づ》。
 さ寐《ね》なへば
 心の緒《を》ろに 乘りてかなしも。
 
 麻可奈思美《マカナシミ》 奴禮婆許登尓豆《ヌレバコトニヅ》
 佐祢奈敝波《サネナヘバ》
 己許呂乃緒呂尓《ココロノヲロニ》 能里弖可奈思母《ノリテカナシモ》
 
【譯】いとしさゆえに寐れば人に言われる。寐なければ心の糸に乘つて悲しいことだ。
【釋》麻可奈思美 マカナシミ。マは接頭語。愛すべくあるがゆえに。
 奴禮婆許登尓豆 ヌレバコトニヅ。寐レバ言ニ出。人の言に出るので、とやかくと言われるをいう。句切。
 佐祢奈敝波 サネナヘバ。サ寐ナヘバ。サは接頭語。ナヘは、打消の助動詞ナフの已然形。寐ないでいるので。
 己許呂乃緒呂尓 ココロノヲロニ。心は續いて物を思うので、緒にたとえていう。ロは接尾語。
 能里弖可奈思母 ノリテカナシモ。心に思うを、心に乘るという。カナシは、感動に堪えない。悲しい。
【評語】寐ると寐ないとを對比して歌つている。内省的なあわれが歌われている。心ノ緒ロは、ロの同音を利(347)用した句である。
 
3467 奧山の 眞木の板戸を、
 とどとして わが開かむに、
 入り來て寐《な》さね。
 
 於久夜麻能《オクヤマノ》 眞木乃伊多度乎《マキノイタドヲ》
 等杼登之弖《トドトシテ》 和我比良可武尓《ワガヒラカムニ》
 伊利伎弖奈左祢《イリキテナサネ》
 
【譯】奧山から切つて來た木の板戸を、音をさせてわたしがあけましように、はいつて來ておやすみなさい。
【釋】於久夜麻能 オクヤマノ。次の眞木を修飾している。ただ眞木の産地をいうだけで、この歌の場處ではない。「奧山之《オクヤマノ》 眞木乃板戸乎《マキノイタドヲ》」(卷十一、二五一九)。
 眞木乃伊多度乎 マキノイタドヲ。マキは木をほめていう。イタドは板戸。
 等杼登之弖 トドトシテ。トドは物音の描寫。「馬音之《ウマノオトノ》 跡杼登毛爲者《トドトモスレバ》」(卷十一、二六五三)。戸を開く音を説明している。ここは別に大きな物音ではないだろう。
 和我比良可武尓 ワガヒラカムニ。ワガは女自身をいう。トドトシテ開カムニと續く語氣である。
 伊利伎弖奈左祢 イリキテナサネ。入り來テ寐サネ。ナサネは、寐ルの敬語ナスの希望の語法。
【評語】男を迎え入れようとする女の歌である。内容は露骨だが、奧山の眞木の板戸の敍述で大分助かつている。「奧山の眞木の板戸を音はやみ妹があたりの霜の上に宿《ね》ぬ」(卷十一、二六一六)の歌もあり、民謠としての傳來があつたのだろう。なお戸については、「あしひきの山櫻戸を明けおきて」(卷十一、二六一七)という句もある。
 
3468 山鳥の 苧《を》ろのはつ苧《を》に、
(348) 鏡かけ、
 唱《とな》ふべみこそ
 汝《な》に寄《よ》そりけめ。
 
 夜麻杼里乃《ヤマドリノ》 乎呂能波都乎尓《ヲロノハツヲニ》
 可賀美可家《カガミカケ》
 刀奈布倍美許曾《トナフベミコソ》
 奈爾與曾利鷄米《ナニヨソリケメ》
 
【譯】山鳥の尾というが、その麻苧《あさお》の始めての收穫に鏡をかけて、唱えごとするだろうがために、あなたに一緒になつたのだろう。
【釋】夜麻杼里乃 ヤマドリノ。枕詞。ヤマドリは、山鷄。キジに似た美しい鳥。
 乎呂能波都乎尓 ヲロノハツヲニ。從來、尾ロノハツ尾で、ロは接尾語、尾は山鳥の尾であり、ハツヲは、その端の尾と釋せられていた。しかし山鳥の尾に鏡をかけるということは無理で、懸けられるはずのものでもない。思うに上のヲは、山鳥の尾だろうが、下のヲは麻苧の義であろう。ハツは、初花、初秋風など、最初の物の義に使用される語であるから、ハツヲは、今年の收穫のアサの最初に得られた麻苧であろう。そのアサに鏡を懸けて、唱えごとをして、神靈を申しおろして祝うのだろう。ヲロノハツヲは同音を重ねている。山鳥の尾のような初苧の義である。
 可賀美可家 カガミカケ。鏡懸ケの意と解せられる。鏡を懸けるは、神事に行われることであるから、ここもその義であろう。「懸(ケ)v鏡(ヲ)吐(キ)v玉(ヲ) 百(ノ)王相續(グ)」(古事記序)、「中つ枝に八尺《やた》の鏡を取りかけ」(古事記上卷)等、いずれも神事で、神靈を招く意である。ここも次の句に、トナフベミコソとあり、神事を執行して、となえ言をする意であろう。その行事は、アサの收穫を祝う家の祭であろう。アサに鏡をかけることは、神事に常になされることである。代匠記には「魏の時、南方より山鷄を獻ず。帝、その歌舞せむことを欲すれども由なし。公子蒼舒令、大鏡をその前に著く。山?形をみて舞ふ。止まることを知らずして遂に死に至る。葦中將これが(349)ために賦す」という文を引いているが、これは鏡を見せるので、その尾に鏡を懸けることとは縁がない。
 刀奈布倍美許曾 トナフベミコソ。トナフは唱フで、呪文の類を稱すること。唱うべきがゆえにこそ。家の祭をすべきためにこそ。
 奈尓興曾利鷄米 ナニヨソリケメ。汝ニ寄ソリケメ。ヨソリは、既出。配偶者となること。ケメは過去推量の助動詞の已然形。コソを受けて結ぶ。
【評語】内容の注意すべき作である。アサから苧を作るのは女子の勞作で、生涯をこれにかけるので、その祭が重く見られる。特殊の事を取り扱つた歌として、言い切つた調子も、よく出ている。
 
3469 夕占《ゆふけ》にも 今夜《こよひ》と告《の》らろ。
 わが夫《せ》なは
 あぜぞも今夜《こよひ》 よしろ來まさぬ。
 
 由布氣尓毛《ユフケニモ》 許余比登乃良路《コヨヒトノラロ》
 和賀西奈波《ワガセナハ》
 阿是曾母許與比《アゼゾモコヨヒ》 與斯呂伎麻左奴《ヨシロキマサヌ》
 
【譯】夕占にも今夜と出ている。あの方はどうして今夜寄つて來ないのか。
【釋】由布氣尓毛 ユフケニモ。ユフケは、夕方の道に出て路行く人の言を聞くうらない。「夕巷占問《ユフケトヒ》 石卜以而《イシウラモチテ》」(卷三、四二〇)。
 許余比登乃良路 コヨヒトノラロ。今夜ト告ラロ。夕占に今夜と告げた。ノラロは、ノレルの轉音。あらわれた。句切。
 阿是曾母許與比 アゼゾモコヨヒ。アゼは何故。ゾモ、係助詞。
 與斯呂伎麻左奴 ヨシロキマサヌ。寄シロ來マサヌ。ヨシロは、寄シで、ロは接尾語。「妹慮豫嗣爾《メロヨシニ》 豫嗣豫利據禰《ヨシヨリコネ》」(日本書紀三)。キマサヌは、アゼゾモを受けて結んでいる。
(350)【評語】夕占をたのみとする女心が歌われている。「夕占《ゆふけ》にも占にも告れる今夜だに來まさぬ君を何時とか待たむ」(卷十一、二六一三)と同樣の歌で、それに比して、待ちあぐんでいる心が一層よく出ている。
 
3470 あひ見ては 千年や去《い》ぬる。
 否《いな》をかも 我《あれ》や然《しか》思《も》ふ。
 君待ちがてに。
 
 安比見弖波《アヒミテハ》 千等世夜伊奴流《チトセヤイヌル》
 伊奈乎加母《イナヲカモ》 安禮也思加毛布《アレヤシカモフ》
 伎美末知我弖尓《キミマチガテニ》
 
【譯】お目にかかつてからは、千年も經つたのか。いやそうではなく、わたしがそう思うのか。君を待ちかねて。
【釋】安比見弖波千等世夜伊奴流 アヒミテハチトセヤイヌル。逢つてからは千年も經過したのか。逢つてから後の時間を、非常に長く感じている。句切。
 伊奈乎加母 イナヲカモ。否カモで、ヲは感動の助詞。カモは係助詞で、句切ではない。
 安禮也思加毛布 アレヤシカモフ。吾ヤ然思フ。ヤは係助詞で、モフはこれを受けて結んでいるが、句全體としては、上の否ヲカモを受けている。句切。
 伎美末知我弖尓 キミマチガテニ。ガテニは、難くある意の語。
【評語】無理に作爲したような所があり、情熱に缺けている。
 
柿本朝臣人麻呂歌集出也
 
【釋】柿本朝臣人麻呂歌集出也 前の歌の説明である。「相見者《アヒミテハ》 千歳八去流《チトセヤイヌル》 否乎鴨《イナヲカモ》 我哉然念《ワレヤシカオモフ》 待v公難爾《キミマチガテニ》」(卷十−、二五三九)と全く同一であつて、それは人麻呂歌集所出の歌ではない。ここに人麻呂歌集に所出(351)とあるのは、多分誤解したもののようである。
 
3471 しまらくは 寐つつもあらむを、
 夢《いめ》のみに もとな見えつつ、
 我《あ》を哭《ね》し泣《な》くる。
 
 思麻良久波《シマラクハ》 祢都追母安良牟乎《ネツツモアラムヲ》
 伊米能未尓《イメノミニ》 母登奈見要都追《モトナミエツツ》
 安乎祢思奈久流《アヲネシナクル》
 
【譯】ちよつとのまは、眠つてもいようものを、夢ばかりによしなく見えて、わたしは泣かれることだ。
【釋】祢都追母安良牟乎 ネツツモアラムヲ。眠つてもいようものを、それだのに。
 母登奈見要都追 モトナミエツツ。モトナは、感動性の副詞。ここは、よしなくの意。
 安乎祢思奈久流 アヲネシナクル。三三六二の或る本の歌に出た。わたしは音に泣かれる。自分を泣かれる。
【評語】平凡な内容である。五句の言い方は、口語ふうなのであろう。四五句で若干の感情が描かれている。
 
3472 他妻《ひとづま》と あぜかそをいはむ。
 然《しか》らばか、
 隣《となり》の衣《きぬ》を 借《か》りて著《き》なはも。
 
 比登豆麻等《ヒトヅマト》 安是可曾乎伊波牟《アゼカソヲイハム》
 志可良婆加《シカラバカ》
 刀奈里乃伎奴乎《トナリノキヌヲ》 可里弖伎奈波毛《カリテキナハモ》
 
【譯】人の妻とどうしてそれをいうのだろうか。それならば、隣の著物を借りて著ないだろうか。
【釋】比登豆麻等安是可會乎伊波牟 ヒトヅマトアゼカソヲイハム。人妻ト何故カ其ヲ言ハム。何だつてあの子を人妻というのだろう。愛人を人妻と呼ぶことに對して、不服のある語氣である。句切。
 志可良婆加 シカラバカ。上の人妻と呼ぶことを受けて、シカラバと言つている。カは係助詞で、五句に至つて結ばれる。
(352) 刀奈里乃伎奴乎 トナリノキヌヲ。隣人の衣服を。トナリの語原は、外ニアリだろう。
 可里弖伎奈波毛 カリテキナハモ。借リテ著ナハモ。ナハは、打消の助動詞ナフの未然形。モは助動詞ムに同じ。借りて著ないだろうの意であるが、上に疑問のカがあるので、それを受けて疑問の語意になる。
【評語】人妻に對して、絶對に手をも觸れないものとする思想を根柢として、隣人の衣服に寄せて、反撥の意を歌つている。人妻に對して絶望を感じている氣特もよくわかる。譬喩も奇拔で、しかも痛切に利いている。「神樹《かむき》にも手は觸るとふをうつたへに人妻といへば觸れぬものかも」(卷四、五一七)の思想と同じで、しかも反問の形を取つている歌である。正述心緒の中に入れてあるが、衣服を譬喩に使つている。
 
3473 佐野《さの》山に 打つや斧音《をのと》の
 遠かども、
 寐《ね》もとか子ろが おゆに見えつる。
 
 佐努夜麻尓《サノヤマニ》 宇都也乎能登乃《ウツヤヲノトノ》
 等抱可騰母《トホカドモ》
 祢毛等可兒呂賀《ネモトカコロガ》 於由尓美要都留《オユニミエツル》
 
【譯】佐野山に打つ斧の音のように遠いのだけれども、寐ようとあの子が現實に見えたことだ。
【釋】左努夜麻尓 サノヤマニ。佐野の山にであろう。佐野は、上野の國の歌にあり、その他諸國に同名の地がある。
 宇都也乎能登乃 ウツヤヲノトノ。打ツヤ斧音ノ。ヤは感動の助詞。ウツは、木を伐る。ヲノトは、斧音。以上序詞。遠を引き起している。
 等抱可騰母 トホカドモ。遠ケドモに同じ。五句の見エツルを限定している。
 祢毛等可兒呂賀 ネモトカコロガ。ネモは、ネムに同じ。
 於由尓美要都留 オユニミエツル。オユは不明の語。考に、由を面の誤りとして、オモニミエツルで、面影(353)に見えたことだといつている。於由のままならば老ユで、作者自身のことか。現在の自分に見えたという意味と推定されるのだから、そういう意味をあらわすところの、於由《オユ》という語があつたものと見るべきであろうか。そうとすれば、現實の如き意を有するのであろう。
【評語】五句に不明の點があるが、歌意は明白である。佐野山に打つ斧の音を持ち出したのは、土俗の歌らしくてよい。その佐野山は、故郷の山か、現在の地の山か。遠く山中に木を伐採する音を聞いて詠んだとすれば、序がよく響いている。これも斧の音に寄せた歌である。
 
3474 殖竹《うゑだけ》の 本《もと》さへ響《とよ》み
 出でて去《い》なば、
 何方《いづし》向きてか 妹が嘆かむ。
 
 字惠太氣能《ウヱダケノ》 毛登左倍登與美《モトサヘトヨミ》
 伊※[人偏+弖]弖伊奈婆《イデテイナバ》
 伊豆思牟伎弖可《イヅシムキテカ》 伊毛我奈氣可牟《イモガナゲカム》
 
【譯】植えた竹の幹までも音をさせて出て行つたなら、途方に暮れてわが妻が歎くことだろう。
【釋】宇惠太氣能 ウヱダケノ。植木、植子水葱など、ウヱを冠するのは、植えた植物についていうのだが、ここはわざわざ植えなくても、生えている竹をいうのだろう。
 毛登左倍登與美 モトサヘトヨミ。モトは、幹の根に近い方。竹を押し分けて出る意味で、もとまでも鳴り響いてといつている。
 伊※[人偏+弖]弖伊奈婆 イデテイナバ。出て行つたら。旅に出て行くのである。
 伊豆思牟伎弖可伊毛我奈氣可牟 イヅシムキテカイモガナゲカム。何方向キテカ妹ガ歎カムだが、それは言葉のあやで、どちらにも向くべき方のないのをいう。三三五七參照。この歌のイヅシは、イヅチに同じ。
【評語】男の旅に出る時の歌で、四句は、慣用句として口馴れているであろう。初二句に、門出の樣を具體的(354)に描いたのが利いている。歌がらは、前の「霞ゐる富士の山|傍《び》に」(卷十四、三三五七)の方がまさつている。
 
3475 戀ひつつも 居《を》らむとすれど、
 木綿間《ゆふま》山 隱れし君を
 思ひかねつも。
 
 古非都追母《コヒツツモ》乎良牟等須禮杼《ヲラムトスレド》
 遊布麻夜萬《ユフマヤマ》 可久禮之伎美乎《カクレシキミヲ》
 於母比可祢都母《オモヒカネツモ》
 
【譯】戀をしながらもいようとはするのだが、木綿間山に隱れた君を思うに堪えられないことだ。
【釋】古非都追母乎良牟等須禮杼 コヒツツモヲラムトスレド。君に戀をしつつも、なおそれに堪えていようとはするけれども。
 遊布麻夜萬 ユフマヤマ。所在未詳。卷の十二、三一九一にも見えている。
 可久禮之伎美乎 カクレシキミヲ。木綿間山に隱れ去つた君を。その山を過ぎて、旅に行つた君を。
 於母比可祢都母 オモヒカネツモ。カネは、得ざる意であるが、思いに接して、思いに堪えかねる意となる。
【評語】堪えようとするけれども、堪え切れない情が寫されている。三句の木綿間山は、作者が今見ている山であり、その山を見ると、それに隱れて行つた人が思い出されるのである。「不欲惠八跡《イナヱヤト》 不v戀登爲杼《コヒジトスレド》 木綿間山《ユフマヤマ》 越去之公之《コエニシキミガ》 所v念良國《オモホユラクニ》」(巻十二、三一九一)の歌の別傳であつて、東歌とも見えない歌である。
 
3476 うべ兒《こ》なは 吾《わぬ》に戀《こ》ふなも。
 立《た》と月《つく》の のがなへ行けば、
 戀《こふ》しかるなも。
 
 宇倍兒奈波《ウベコナハ》 和奴尓故布奈毛《ワヌニコフナモ》
 多刀都久能《タトツクノ》 奴賀奈敝由家婆《ヌガナヘユケバ》
 故布思可流奈母《コフシカルナモ》
 
【譯】ほんとにあの子は、わたしを戀うているだろう。來る月が長くなつて行くので、戀しいことだろう。
(355)【釋】宇倍兒奈渡 ウベコナハ。ウベは、首肯する意の副詞。コナは、コラに同じ。このナは接尾語で、「世奈《セナ》」(卷十四、三四〇五或本)などのナに同じ。また手兒奈《テゴナ》のナに同じ。但しこの歌は、ラ行音をナ行音にいうことが多いので、コナはコラの轉音で、東語の特有語と考えられる。この種のナは、東歌および防人歌以外には見出されない。「妹名根《イモナネ》」(卷九、一八〇〇)のナは汝であろう。「恨登《ウラメシト》 思狹名盤《オモホサクナハ》」(卷十一、二五二二)の狹名を、セナと讀んで、夫ナの義とする説があるが、狹の字は通例サの音に當てて使用されており、セに當てたものはないので、狹名の訓は、別に求められねばならない。
 和奴尓故布奈毛 ワヌニコフナモ。ワヌは我。ワレのレがナ行に轉じたものらしい。次の或る本にあるほかに例はない。ナモは、ラムの轉音。結句にもある。「安我己許呂《アガココロ》 布多由久奈母等《フタユクナモト》 奈與母波里曾禰《ナヨモハリソネ》」(卷十四、三五二六)などの例がある。我ニ戀フラムの意。句切。
 多刀都久能 タトツクノ。立つ月の。タツは月の始まる意で、新しく起る月のである。
 努賀奈敝由家婆 ノガナヘユケバ。永ラヘ行ケバで、ラがナに轉じている。月が重なつて行くので。
 故布思可流奈母 コフシカルナモ。ナモは、第二句のナモに同じ。戀シカルラム。ルは、この歌でただ一つ殘つているラ行音だが、字に寫す時に、無意識に流の字を當てたのかも知れない。
【評語】東語が多くはいつていて、いかにも東歌たるにふさわしい歌である。時の經過するのを、立つ月の永くなつて行くと敍したのには、風情がある。また二句と五句とにナモをもつて結んでいるのも調子のよさが感じられる。
 
或本歌末句曰、奴我奈敝由家杼《ヌガナヘユケド》 和奴賀由乃敝波《ワヌガユノヘハ》
 
或る本の歌の末句に曰はく、ぬがなへ行けど わぬがゆのへは。
 
(356)【釋】奴我奈敝由家杼 ヌガナヘユケド。本文の歌の四句以下の別傳で、ヌガナヘは、ノガナヘに同じく、永ラヘである。永くなつて行くけれども。
 和奴賀由乃敝波 ワヌガユノヘハ。難解の句で、誤字説もある。ワヌは、本文の歌によつて我であると見てよいであろう。我ガ夜ノ上ハで、自分の夜においてはひとりでさびしいの意か。またノヘは、「安波乃敝思太毛《アハノヘシダモ》」(卷十四、三四七八)の例があり、打消の助動詞ナフとも見られる。然らばガユは動詞であろう。宣長は、或る人の説として、賀由を由賀の誤りとした。
【評語】本文の歌と、大體のことばは同じだが、表現は違つている。三句以下は、自分の事を敍しているらしい。これも素朴なあらわし方である。
 
3477 東道《あづまぢ》の 手兒《てご》の呼坂《よびさか》
 越えて去《い》なば、
 あれは戀ひむな。
 後は逢ひぬとも。
 
 安都麻道乃《アヅマヂノ》 手兒乃欲婢佐可《タゴノヨビサカ》
 古要弖伊奈婆《コエテイナバ》
 安禮婆古非牟奈《アレハコヒムナ》
 能知波安此奴登母《ノチハアヒヌトモ》
 
【譯】東國へ行く道の手兒の呼坂を越えて行つたら、わたしは戀をすることでしようよ。後には逢つたとしても。
【釋】安都麻道乃手兒乃欲婢佐可 アヅマヂノテゴノヨビサカ。既出(卷十四、三四四二)。
 安禮波古非牟奈 アレハコヒムナ。ナは感動の助詞。
 能知波安比奴登母 ノチハアヒヌトモ。後日ふたたび逢つたとしても。「三沙呉居《ミサゴヰル》 渚爾居舟之《スニヰルフネノ》 榜出去者《コギイデナバ》 裏戀監《ウラコホシケム》 後者會宿友《ノチハアヒヌトモ》」(卷十二、三二〇三)。
(357)【評語】既出の手兒の呼坂の歌(卷十四、三四四二)と贈答で、これは女の歌と見える。東國へ行く人に贈つた京人の作である。表現は類型的で、ただ手兒の呼坂を入れただけの效果がある。「雲ゐなる海山こえてい往きなばわれは戀ひむな。後は逢ひぬとも」(卷十二、三一九〇)という別傳とも見るべき歌もあり、流布していた歌だということになる。
 
3478 遠しとふ 故奈《こな》の白嶺《しらね》に、
 逢《あ》ほ時《しだ》も 逢《あ》はのへ時《しだ》も、
 汝《な》にこそよされ。
 
 等保斯等布《トホシトフ》 故奈乃思良祢尓《コナノシラネニ》
 阿抱思太毛《アホシダモ》 安波乃敝思太毛《アハノヘシダモ》
 奈尓己曾與佐禮《ナニコソヨサレ》
 
【譯】遠いという故奈の白嶺に、逢う時も、逢わないでいる時も、あなたをたよりにしています。
【釋】等保斯等布 トホシトフ。遠しという。次の故奈ノシラネを説明している。作者は、そこに行つたことはないので、人に聞いた趣にトフといつている。
 故奈乃思良祢尓 コナノシラネニ。コナノシラネは、地名で、ノは接續の助詞だろうが、所在不明。古義に故奈は故志の誤りで、越だとするが、從いがたい。シラネは、白根で山の名か。初句によれば、作者がそれを遠望する地にあつたともいえる。以上の二句は、三句以下に對して、どういう關係にあるか不明である。遠い山なので、見る時もあり、見ない時もあつて、次句以下を起すか。なお考うべきである。冨田大同君に、コナノシラネを女子の譬喩とする説がある(國學院雜誌五四ノ二)。
 阿抱思大毛 アホシダモ。逢フ時モ。君に逢う時も。
 安波乃敝思太毛 アハノヘシダモ。ノヘは、助動詞ナフの轉音。ナがノに轉じた例は、三四七六の歌の或る本の句にある。ここは連體形だからナフというべきに、ノヘというのは、「等家奈敝比毛乃《トケナヘヒモノ》」(卷十四、三四八(358)三)、「禰奈敝古由惠爾《ネナヘコユヱニ》」(同、三五二九)などある。逢わないでいる時も。
 奈尓己曾與佐禮 ナニコソヨサレ。汝ニコソ寄サレ。ヨサレは、寄サルの已然形で、上のコソを受けて結んでいる。心が寄せられる意。ヨサルの假字書きの例は、他にない。
【評語】切に頼み切つている心が歌われている。上二句、譬喩とすれば、寄物陳思の歌であるべきである。
 
3479 安可見《あかみ》山 草根刈り除《そ》け、
 逢はすがへ 爭ふ妹し
 あやに愛《かな》しも。
 
 安可見夜麻《アカミヤマ》 久左祢可利曾氣《クサネカリソケ》
 安波須賀倍《アハスガヘ》 安良蘇布伊毛之《アラソフイモシ》
 安夜尓可奈之毛《アヤニカナシモ》
 
【譯】安可見山の草を刈り除いて、逢われないと爭うあの子がほんとにかわいいことだ。
【釋】安可見夜麻 アカミヤマ。山名であるが、所在未詳。下野の國の佐野市の西北方にも同名の山がある。
 久左祢可利曾氣 クサネカリソケ。クサネは草根で、地に生えている草をいう。ネは接尾語。草の根をいうのではない。カリソケは、刈り除いて。以上、逢うの準備で、序詞と見られる。
 安波須賀倍 アハスガヘ。アハスは、逢フの敬語法。ガヘは、「於久流我弁《オクルガヘ》 伊毛我伊比之乎《イモガイヒシヲ》」(卷二十、四四二九)の例と同形である。これは「和波左可流賀倍《ワハサカルガヘ》」(卷十四、三四二〇)、「和波佐可流我倍《ワハサカルガヘ》」(同、三五〇二)等の例によつて、反語の意をなすものと見られる。これによつて、お逢いにならないの意に解すべきである。そうして切らないで、爭フに接續するものと見られる。
 安良蘇布伊毛之 アラソフイモシ。自分に對して争うのである。シは助詞。
【評語】自分の意に從わない女に對して、愛情を訴えている。初二句、具體的に敍しているのは、東歌たる所以で、氣がはいつている。
 
(359)3480 大君の 命《みこと》かしこみ、
 愛《かな》し妹が 手枕《たまくら》離《はな》れ、
 よだち來《き》のかも。
 
 於保伎美乃《オホキミノ》 美己等可思古美《ミコトカシコミ》
 可奈之伊毛我《カナシイモガ》 多麻久良波奈禮《タマクラハナレ》
 欲太知伎努可母《ヨダチキノカモ》
 
【譯】大君の仰せを承つて、最愛の妻の手枕を離れて、夜出發して來たことだ。
【釋】於保伎美乃美己等可思古美 オホキミノミコトカシコミ。大君ノ命畏ミ。慣用句で、用例が多い。都ふうな言い方だが、防人の歌にもあるから、これあるがゆえに東國の歌でないとはいわれない。
 可奈之伊毛我 カナシイモガ。愛すべきわが妻の。カナシ、連體形。
 多麻久艮波奈禮 タマクラハナレ。妻の手枕から離れて。
 欲太知伎努可母 ヨダチキノカモ。夜發チ來ヌカモ。ヨダチは、夜の中から出發すること。キノカモはキヌカモに同じ。
【評語】初二句は慣用句だが、三句以下には特色があつて、東歌にふさわしい。手枕離レ夜立チ來ヌと具體的にいつたところに、盡きぬ名殘が寫され、餘儀ない旅をする心がよく出ている。兵士として上京するのであろう。
 
3481 あり衣の さゑさゑしづみ、
 家の妹に 物言はず來にて
 思ひぐるしも。
 
 安利伎奴乃《アリギヌノ》 佐惠々々之豆美《サヱサヱシヅミ》
 伊敝能伊母尓《イヘノイモニ》 毛乃伊波受伎尓弖《モノイハズキニテ》
 於毛比具流之母《オモヒグルシモ》
 
【譯】美しい書物の衣摺れの音も靜まつて、家にいる妻に物を言わないで來て、苦しい思いをすることだ。
(360)【釋】安利伎奴乃 アリギヌノ。アリギヌは、玉かつま卷六に「ありきぬは、鮮なる衣也。阿理とは、あざやかなるをいふ。あざやかといふ言も、すなはちありざやか也。又俗言に、物のあざやかに見ゆるを、ありありと見ゆといふも是也。又月に有明といふも、空の月の在て、夜の明る意にはあらず。夜の明がたには、月の影の、殊にあざやかに見ゆる物なればあざやかにて明るよしにて、ありあけの月とはいふ也。書紀欽明御卷に、?※[登+毛]をありかもと訓るも、鮮なるよし也」とある。「阿理岐奴能《アリキヌノ》 美弊能古賀《ミヘノコガ》」(古事記一〇一)、「安里伎奴能《アリキヌノ》 安里弖能知爾毛《アリテノチニモ》」(卷十五、三七四一)、「蟻衣之《アリギヌノ》 寶之子等蚊《タカラノコラガ》」(卷十六、三七九一)など、いずれも枕詞として使われているが、ここは實事である。
 佐惠々々之豆美 サヱサヱシヅミ。サヱサヱは衣の鳴る音で、シヅミは、それが靜まつて。人麻呂の作には「狹藍左謂沈《サヰサヰシヅミ》」(卷四、五〇三)とある。妻の著物の音が靜まるのである。
 毛乃伊波受伎尓弖 モノイハズキニテ。物をいわないで來て。ニは完了の助動詞。別れの言葉をつくさないで來て。三五二八にもある句。
 於毛比具流之母 オモヒグルシモ。思うこと苦しくある意。
【評語】左註の條に説明するように、人麻呂の作としても見えている。初二句は、忘れがたい別れの一ふしを敍述しており、有效に響いている。この歌から寄物陳思で、以下四首は衣類に寄せた歌になるのであるが、この歌のあり衣は、實事であるから、衣に寄せた歌とは言いがたい。
 
柿本朝臣人麻呂歌集中出、見v上已訖也。
 
柿本朝臣人麻呂歌集の中に出づ。上に見ゆることすでに訖りぬ。
 
【釋】柿本朝臣人麻呂歌集中出見上已訖也 右の木文の歌が、既に上に載せてある由をいうのであるが、それ(361)は「珠衣乃《タマギヌノ》 狹藍左謂沈《サヰサヰシヅミ》 家妹爾《イヘノイモニ》 物不v語來而《モノイハズキテ》 思金津裳《オモヒカネツモ》」(卷四・五〇三)の歌のことで、柿本朝臣人麻呂作歌と題されているものをいう。これは題詞に人麻呂作歌と題されているものでも、人麻呂歌集から採つたもののあることを語る。人麻呂は、作家であると共に歌手でもあつたと考えられるので、東歌と同樣のものが、その集の中にあつたところで、さして不思議はない。
 
3482 韓衣《からころも》 襴《すそ》のうち交《か》へ
 あはねども、
 異《け》しき心を あが思《も》はなくに。
 
 可良許呂毛《カラコロモ》 須蘇乃宇知可倍《スソノウチカヘ》
 安波祢杼毛《アハネドモ》
 家思吉己許呂乎《ケシキココロヲ》 安我毛波奈久尓《アガモハナクニ》
 
【譯】大陸ふうの著物の裾の合わせ目のように、逢わないけれども、變わつた心をわたしは思つていないことです。
【釋】可良許呂毛 カラコロモ。カラは、朝鮮支那をいう。ここは大陸ふうの衣服で、當時は、新風俗とされていた。防人の歌に「から衣|裾《すそ》に取り著き泣く兒らを」(卷二十、四四〇一)とあり、兵士の服装も、それであつたらしい。
 須蘇乃宇知可倍 スソノウチカヘ。左石の褄の合うこと。大陸ふうの衣服は、褄がひろがつていて合わないので、アハヌの序とする。「朝影爾《アサカゲニ》 吾身者成《ワガミハナリヌ》 辛衣《カラコロモ》 襴之不v相而《スソノアハズテ》 久成者《ヒサシクナレバ》」(卷十二 二六一九)。
 安波祢杼毛 アハネドモ。褄の合わないことに、逢わないことを懸けていつている。
 家思吉己許呂乎 ケシキココロヲ。變わつた心を。
 安我毛波奈久尓 アガモハナクニ。モハナクは、思ハナク。
【評語】平凡な内容を、から衣に寄せているだけの歌である。兵士に出で立つ人の妻などの作であろう。四五(362)句にケシキココロヲアガモハナクニと置いた歌は、この歌のほかに二例あるが、ケシキココロヲの句は、集中この三例だけであり、アガモハナクニの句もこの三例だけである。そうして一方に上の二音を和我と書いたもの二例、吾と書いたもの十三例、我と書いたもの二例あるが、これらはいずれもケシキココロニ以外の句を受けている。ケシキココロの句を受けては、かならずアガモハナクニと書かれている。これによつて見ても、この二句が歌いものとして接續して傳わつていたことが確かめられる。
【參考】類句、異しき心をあがもはなくに。
 波呂波呂爾《ハロバロニ》 於毛保由流可母《オモホユルカモ》 之可禮杼毛《シカレドモ》 異情乎《ケシキココロヲ》 安我毛波奈久爾《アガモハナクニ》(卷十五、三五八八)
 
 安良多麻能《アラタマノ》 等之能乎奈我久《トシノヲナガク》 安波射禮杼《アハザレド》 家之伎己許呂乎《ケシキココロヲ》 安我毛波奈久爾《アガモハナクニ》(同、三七七五)
 
或本歌曰、
 
可良己呂母《カラコロモ》 須素能宇知可比《スソノウチカヒ》 阿波奈敝婆《アハナヘバ》 祢奈敝乃可良尓《ネナヘノカラニ》 許等多可利都母《コトタカリツモ》
 
或る本の歌に曰はく、
 
韓衣《からころも》 襴《すそ》のうち交《か》ひ あはなへば、寐《ね》なへのからに 言痛《ことた》かりつも。
 
【譯】大陸ふうの著物の褄の合わせ目のように、逢わないでいると、寐もしないことだのに、人の口がうるさいことだ。
【釋】須素能宇知可比 スソノウチカヒ。ウチカヒは、ウチカヘに同じ。中央語では、羽ガヒなどいい、ウチカヒの方が標準語に同じである。以上序詞。
 阿波奈敝婆 アハナヘバ。ナヘは、打消の助動詞ナフの已然形。
(363) 祢奈敝乃可良尓 ネナヘノカラニ。ナへは、二句のナヘと同じく助動詞ナフの活用形であろうが、ここは體言と見られる。この助動詞においては、ナヒというべきを、ナヘというのは轉音であろう。他にもナヒの形は見當らない。ノは接續の助詞。カラは故。
 許等多可利都母 コトタカリツモ。言痛カリツモで、人のいう言がひどかつた。
【評語】或る本の歌として擧げてあるが、全く別の歌である。獨語ふうな歌で、やはり人のうわさを氣にしている。逢わないでいる頃の物思いが歌われている。
 
3483 晝|解《と》けば 解けなへ紐の
 わが夫《せ》なに あひ寄《よ》るとかも、
 夜《よる》解けやすけ。
 
 此流等家波《ヒルトケバ》 等家奈敝比毛乃《トケナヘヒモノ》
 和賀西奈尓《ワガセナニ》 阿比與流等可毛《アヒヨルトカモ》
 欲流等家也須家《ヨルトケヤスケ》
 
【譯】晝間解けば解けない著物の紐が、あの方に寄るとでもいうのか、夜は解けやすいことだ。
【釋】比流等家波 ヒルトケバ。晝間の衣の紐を解けばで、已然形を使つて、概説している。
 等家奈敝比毛乃 トケナヘヒモノ。ナヘは、打消の助動詞ナフの連體形。ナフとあるべきをナヘというのは、轉音である。
 和賀西奈尓 ワガセナニ。セナは男子の愛稱。ナは接尾語。
 阿比與流等可毛 アヒヨルトカモ。夜は二人が寄るとてか。逢わないでも、心の寄る氣もちである。
 欲流等家也須家 ヨルトケヤスケ。ヤスケは易キに同じ。東語の轉音だが、標準語にも、ハシケヤシがあり、形容詞の活用形のキは、ケに轉じやすい。
【評語】衣の紐に寄せて思いを陳べている。ひとり空閨を守つて詠んでいるが、交接を思つているものがあり、(364)具體的であるだけに、野趣に富んでいるといえる。
 
3484 麻苧《あさを》らを
 麻笥《をけ》にふすさに 績《う》まずとも、
 明日《あす》著《き》せさめや。
 いざせ、小床《をどこ》に。
 
 安左乎良乎《アサヲラヲ》
 遠家尓布須左尓《ヲケニフスサニ》 宇麻受登毛《ウマズトモ》
 安須伎西佐米也《アスキセサメヤ》
 伊射西乎騰許尓《イザセヲドコニ》
 
【譯】 アサの苧を、麻笥にいつぱいにお績《う》みになつても、明日著られはしますまい。さあ床にいらつしやい。
【釋】安左乎良乎 アサヲラヲ。アサヲは、アサの皮の繊維の長いもの。ラは接尾語。
 遠家尓布須左尓 ヲケニフスサニ。ヲケは、アサを入れる器。麻笥。フスサニは、フサニに同じであろう。フサともいうところを見ると、フスサは、促音に近いものがあるのだろう。澤山に、いつぱいに。
 字麻受登毛 ウマズトモ。績マストモ。お績みになつても。アサを細く裂いてよつて糸にしても。ズは、本來清音のところだが、受を使つたのは、濁音ズに發音したものだろう。
 安須伎西佐米也 アスキセサメヤ。明日著セサメヤ。セサは、動詞スの敬語法の未然形。明日お著になれはしないだろう。これは橋本進吉博士の説である。句切。
 伊射西乎騰許尓 イザセヲドコニ。イザセは、さあせよと誘う辭。「此事、伊佐西伊射奈布依而《イサセトイザナフニヨリテ》」(續日本紀宣命)。ヲは接頭語。
【評語】アサを績《う》んでいる女に歌いかけた歌で、隨分露骨な歌である。しかし實際にはアサ績《う》みの勞作歌なのであろう。四句にはその業に對する倦怠の氣もちが潜んでいる。アサに寄せるというよりも、實事を詠んでいると見るべき歌である。
 
(365)3485 劍太刀《つるぎたち》 身に副ふ妹を
 とりみがね、
 哭《ね》をぞ泣きつる。
 手兒《てこ》にあらなくに。
 
 都流伎多知《ツルギタチ》 身尓素布伊母乎《ミニソフイモヲ》
 等里見我祢《トリミカネ》 哭乎曾奈伎都流《ネヲゾナキツル》
 手兒尓安良奈久尓《テコニアラナクニ》
 
【譯】釼大刀のように、身に副つた妻を守り得ないで、泣いてしまつた。娘つ子ではないのだが。
【釋】都流伎多知 ツルギタチ。枕詞。身に副うものであるから冠している。
 身尓素布伊母乎 ミニソフイモヲ。自分に連れ添つている妻を。身ニ副フは、肉體的な説明になつている。
 等里見我祢 トリミガネ。トリミルは、心を入れて見るをいい、看護する、保護するなどの意に使う。わが物として保護することができないで。「國爾阿良婆《クニニアラバ》 父刀利美麻之《チチトリミマシ》」(卷五、八八六)、「肩乃間亂者《カタノマヨヒハ》 誰取見《タレカトリミム》」(卷七、一二六五)。我は濁音の字で、濁音に發聲したものだろう。「比呂波之乎《ヒロハシヲ》 宇馬古思我禰弖《ウマコシガネテ》」(卷十四、三五三八)。
 哭乎曾奈伎都流 ネヲゾナキツル。泣くことを泣くの意で、泣くことを強調している。句切。
 手兒尓安良奈久尓 テコニアラナクニ。テコは娘子。娘ではないことだのにの意。
【評語】旅に出る人の歌であろう。折角妻として頼みにした女を、放して行かなければならない悲哀が歌われている。釼大刀は、兵士に出る縁で置かれている。わが身を顧みて、まず釼大刀と歌い起したのである。以下武器に寄せている。
 
3486 愛《かな》し妹を 弓束《ゆづか》竝《な》べ纏《ま》き、
(366) 如己男《もころを》の 事としいはば、
 いや勝たましに。
 
 可奈思伊毛乎《カナシイモヲ》 由豆加奈倍麻伎《ユヅカナベマキ》
 母許呂乎乃《モコロヲノ》 許登等思伊波婆《コトトシイハバ》
 伊夜可多麻斯尓《イヤカタマシニ》
 
【譯】最愛のわが妻を、弓の束を卷くように、すつかりわが物として、わたしのような男の事というなら、一層勝ちたかつたのに。
【釋】可奈思伊毛乎 カナシイモヲ。愛すべきわが妻を。この句は、次の竝ベ卷キに接續する。
 由豆加奈倍麻伎 ユヅカナベマキ。ユヅカは弓の束。手ににぎる處。そこは手がすべらないように緒など卷いてあるので、竝ベ卷キといい、それに妹をわが手に卷くことを、懸けている。ナベマキは、いつぱいに竝べて卷く。弓の束をいつぱいに卷いてあるように、かなし妹をすべてわが手に卷き。
 母許呂乎乃 モコロヲノ。モコロは如しの意の體言。同じほどの男がモコロヲ。あんな男というほどの感情。「如己男」(卷九、一八〇九)をモコロヲと讀んでいる。
 許登等思伊波婆 コトトシイハバ。シは助詞。事というならば。
 伊夜可多麻斯尓 イヤカタマシニ。諸解がある。(イ)マシを助動詞と見る。(ロ)カタマシを動詞堅ムから轉成した形容詞と見る。(ハ)マシを動詞増スの名詞形と見る。(イ)は、從來行われている解であるが、助動詞マシに助詞ニの接績する例はない。マシの意味からすれば、一層勝ちたかつたものをの意になる。(ロ)は下に詞句の省略を認めるのであるが、もころ男の事というなら、一層堅めてある?態にあろうというのであるが、やはりニが接續する點に不安がある。(ハ)は、イヤ堅増シニアラムというので、これも下に省略部があるいい方である。イヤマシニの形は例が多いので、それに形容詞カタが接續したものとなる。今助動詞とするによることとした。
(367)【評語】勇氣に滿ちた歌のようだが、少しごたごたして感じられるのは、表現が完全でないからであろう。兵士らしい歌である。
 
3487 梓弓 末に玉|纏《ま》き、
 かくすすぞ 宿《ね》なな成りにし。
 おくをかぬかぬ。
 
 安豆左由美《アヅサユミ》 須惠尓多麻末吉《スヱニタママキ》
 可久須酒曾《カクススゾ》 宿莫奈那里尓思《ネナナナリニシ》
 於久乎可奴加奴《オクヲカヌカヌ》
 
【譯】梓弓の末に玉を卷いて、かようにしながらも、寐ずにしまつた。先のことを考えるので。
【釋】安豆左由美須惠尓多麻末吉 アヅサユミスヱニタママキ。梓弓の末に玉を纏きつけて飾りとして、これで女子をわが物とした意を表現している。
 可久須酒曾 カクススゾ。上の句を受けて、カクといつている。ススは、動詞爲の終止形を重ねて、それの引き續いて行われることをあらわす。下に「宇良布久可是能《ウラフクカゼノ》 安騰須酒香《アドススカ》 可奈之家兒呂乎《カナシケコロヲ》 於毛比須吾左牟《オモヒスゴサム》」(卷十四、三五六四)がある。この歌の五句の「於久乎可奴加奴《オクヲカヌカヌ》」も同樣に、同じ動詞を重ねたいい方である。
 宿莫奈那里尓思 ネナナナリニシ。ネナは、文字通り宿莫で、ナは打消の助動詞ヌの轉音であろう。その次のナは、助詞。「安努奈由可武登《アノナユカムト》」(卷十四、三四四七)のように、或る事を提示するに使われている。その條參照。ナリニシは、ゾを受けて結んでいる。句切。
 於久乎可奴加奴 オクヲカヌカヌ。オクは、將來。カヌは、豫期する意で、同語を重ねていること、三句のススに同じ。將來を期待しつつ。「禰毛己呂爾《ネモコロニ》 於久乎奈加禰曾《オクヲナカネソ》 麻佐可思余加婆《マサカシヨカバ》」(卷十四、三四一〇)。
【評語】同語を二度までも重ねて使つており、躍動的な調子が感じられる。初二句の譬喩は美しく、弓を大切(368)にした氣もちも窺われる。相當に複雜な内容を持つているが、譬喩をまじえて、かなり巧みに歌われている。獨語性の歌である。
 
3488 おふしもと この本山《もとやま》の
 ましばにも 告《の》らぬ妹が名、
 象《かた》に出《い》でむかも。
 
 於布之毛等《オフシモト》 許乃母登夜麻乃《コノモトヤマノ》
 麻之波尓毛《マシバニモ》 能良奴伊毛我名《ノラヌイモガナ》
 可多尓伊弖牟可母《カタニイデムカモ》
 
【譯】若木の生えている樹のもとの山の眞柴のように、しばしばも言わないあの子の名が、占に出るだろうかなあ。
【釋】於布之毛等 オフシモト。枕詞。オフは生フで、通例上二段活として知られているが、ここにオフの形で連體形になつているのは、古い語法によるものであろう。シモトは、若い枝。若樹。次句の樹のもとを修飾する。全《まつた》い、多いの意の形容詞を古くオフシというのによれば、多シ幹か。「全匏《オフシヒサゴ》」(日本書紀)。オフシ河内のオフシも同じである。
 許乃母登夜麻乃 コノモトヤマノ。コノモト山は、固有名詞か否か不明。此ノモト山であるかも知れない。以上二句、序詞で、次の眞柴を引き起している。
 麻之波尓毛 マシバニモ。マシバは、しばしばの意に、眞柴の意を懸けている。マは接頭語。シバはしばしば。マシバニモ告ラヌで、いう度數のすくなかつたことをいう。「麻之波爾母《マシバニモ》 衣可多伎可氣乎《エガタキカケヲ》 於吉夜可良佐武《オキヤカラサム》」(卷十四、三五七三)。
 能良奴伊毛我名 ノラヌイモガナ。言外しない愛人の名。ノラヌは、人に言い教えない。
 可多尓伊弖牟可母 カタニイデムカモ。カタは、卜占の象。卜占の面にあらわれるだろうか。「武藏野に占《うら》(369)へ象《かた》燒きまさでにも告《の》らぬ君が名|占《うら》に出でむかも」(卷十四、三三七四)參照。
【評語】山林に親しんでいる生活から來ている。思う人の名が、卜占の象に出ることを案じているが、歌の調子は、むしろ出るのを望んでいるようでもある。前後弓の歌なのに、この歌がまじつているのは、部類が正確でないことを語つている。シモトが刑具なので、器財に寄せる類に載せたのだろう。
 
3489 梓弓 欲良《よら》の山邊の
 繁かくに、
 妹ろを立てて、
 さ寐處《ねど》拂《はら》ふも。
 
 安豆左由美《アヅサユミ》 欲良能夜麻邊能《ヨラノヤマベノ》
 之牙可久尓《シゲカクニ》
 伊毛呂乎多弖天《イモロヲタテテ》
 左祢度波良布母《サネドハラフモ》
 
【譯】梓弓が寄る。その欲良の山邊の樹の繁つたところに、わが妻を立たせておいて、寐床を清らかにすることだ。
【釋】安豆左由美 アヅサユミ。枕詞。弓の弦を引いて寄ると續く。
 欲良能夜麻邊能 ヨラノヤマベノ。欲良の山は所在不明。全釋には、信濃の小諸市の東部の丘陵地だといつている。
 之牙可久尓 シゲカクニ。シゲカクは、樹木の繁茂していること。シゲケクというべきを、かようにいうのは、東歌には、形容詞の活用形ケをカという類である。
 伊毛呂乎多弖天 イモロヲタテテ。妹ロヲ立テテ。ロは接尾語。タテテは、立たせて。
 左祢度波良布母 サネドハラフモ。サは接頭語。ハラフは掃除をする。草の中のことだろう。
【評語】山林で逢つたことを歌つている。歌垣などの歌で、歌いものとなつているのであろう。上三句の敍述(370)がくわしいので、露骨な感じがうすくなつている。
 
3490 梓弓 末は寄《よ》り寐む。
 まさかこそ
 人目を多み
 汝《な》を間《はし》におけれ。
 
 安都佐由美《アヅサユミ》 須惠波余里祢牟《スヱハヨリネム》
 麻左可許曾《マサカコソ》
 比等目乎於保美《ヒトメヲオホミ》 奈乎波思尓於家禮《ナヲハシニオケレ》
 
【譯】梓弓のように、末は寄つて寐よう。現在こそ人目が多いので、あなたを中途においている。
【釋】安都佐由美 アヅサユミ。枕詞。弓の末が寄ると續く。
 須惠波余里祢牟 スヱハヨリネム。スヱは行く末。將來。句切。
 麻左可許曾 マサカコソ。マサカは現在、現前。
 比等目乎於保美 ヒトメヲオホミ。人目が多いので。人目を憚つている。
 奈乎波思尓於家禮 ナヲハシニオケレ。ハシは間、中間。不安定な位置。「波之奈流兒良師《ハシナルコラシ》 安夜爾可奈思母《アヤニカナシモ》」(卷十四、三四〇八)。オケレは、置ケリの已然形で、コソを受けて結んでいる。あなたを中間に置いている。
【評語】男女いずれの歌とも取れるが、末は寄リ寐ムというあたり、なお女の歌とすべきだろうか。いいわけじみた内容の歌であるが、然るべき事情があつたのだろう。
 
柿本朝臣人麻呂歌集出也
 
【釋】柿本朝臣人麻呂歌集出也。前の歌の説明である。しかし本集の人麻呂歌集所出の歌の中には見えない。
 
(371)3491 やなぎこそ 伐《き》れば生《は》えすれ。
 世の人の 戀に死なむを、
 いかにせよとぞ。
 
 楊奈疑許曾《ヤナギコソ》 伎禮波伴要須禮《キレバハエスレ》
 余能比等乃《ヨノヒトノ》 古非尓思奈武乎《コヒニシナムヲ》
 伊可尓世余等曾《イカニセヨトゾ》
 
【譯】ヤナギこそは切れば生えるのだ。世の中の人が戀に死のうとするのをどうしようとするのだ。
【釋】楊奈凝許曾 ヤナギコソ。楊の字はヤの音に借りているが、もと表意文字として使われていたのを、奈疑の二字を添えて書きのばしたように思われる。カワラヤナギ。
 伎禮波伴要須禮 キレバハエスレ。ハエスレは、生ユの名詞形に動詞爲の已然形が接續して、コソを受けて結んでいる。「海哉死爲流《ウミヤシニスル》 山哉死爲流《ヤマヤシニスル》」(卷十六、三八五二)のシニスルと同じ言い方。何こそ何だの形で、前提法を作り、しかるにの意をもつて、次の文を起している。ヤナギは切れば根もとから生えて來る事實を指摘している。句切。
 余能比等乃 ヨノヒトノ。世の人の。この世の人にして。一般的な言い方だが、趣旨は、作者自身の上をいう。
 古非尓思奈武乎 コヒニシナムヲ。戀のために死のうのを。
 伊可尓世余等曾 イカニセヨトゾ。どのようにせよとかで、何とも致し方ない意。
【評語】ヤナギは切ればまた生えるが、人は死んだらまた生きないの意を述べて、理くつでできているので、情熱の表現に缺けている。相手を問いつめる意氣の歌である。以下、植物に寄する歌で、まず木本に始まつている。
 
(372)3492 を山田の 池の堤に
 刺《さ》すやなぎ、
 成りも成らずも、 汝《な》と二人《ふたり》はも。
 
 乎夜麻田乃《ヲヤマダノ》 伊氣能都追美尓《イケノツツミニ》
 左須楊奈疑《サスヤナギ》
 奈里毛奈良受毛《ナリモナラズモ》 奈等布多里波母《ナトフタリハモ》
 
【譯】山田の池の堤にさすヤナギのように、成つても成らないでも、どのような場合でも、あなたと二人はね。
【釋】乎夜麻田乃 ヲヤマダノ。ヲは接頭藷。山田の耕作には、池を要するので、次の句の池を修飾する。
 伊氣能都追美尓 イケノツツミニ。池の堤に。ツツミは、水を包んでいる土地。
 左須楊奈凝 サスヤナギ。さし木にしたヤナギ。ヤナギは枝を切つて編んだりして用途が廣いので、池の堤のような水邊にさして栽培する。以上序詞で、そのさしヤナギが活著するかどうかの意に、次句を引き起す。但し次の、成リモ成ラズモは、歌いものから來た慣用句で、もとは實のなるものを序としていたのを、この歌の作者がヤナギに歌いかえたものだろう。
 奈里毛奈良受毛 ナリモナラズモ。成就するも成就しないも。いかようであつてもの意。
 奈等布多里波母 ナトフタリハモ。汝ト二人ハモ。ハモは下に省略の氣もちのある語。汝と二人は變わることがないだろうなどの意。
【評語】調子に乘つている歌で、歌いものである性質をもつている。二人のあいだの誓約を歌つたものとしては、表現が輕すぎる。「おふの浦に片枝さしおほひなる梨のなりもならずも宿《ね》て語らはむ」(古今和歌集)の如き歌もあり、かたがた歌いものとしての流布が考えられる。
 
3493 遲速《おそはや》も 汝《な》をこそ待ため。
(373) 向《むか》つ嶺《を》の 椎の小枝《こやで》の、
 逢ひは違《たが》はじ。
 
 於曾波夜母《オソハヤモ》
 奈乎許曾麻多賣《ナヲコソマタメ》
 牟可都乎能《ムカツヲノ》 四比乃故夜提能《シヒノコヤデノ》
 安比波多家波自《アヒハタケハジ》
 
【譯】遲かれ早かれ、あなたをこそお待ちしましよう。向こうの山のシイの小枝のように、逢うことは違いません。
【釋】於曾波夜母 オソハヤモ。遲いにしても速いにしても。
 奈乎許曾麻多賣 ナヲコソマタメ。汝をこそ待とう。句切。
 牟可都乎能 ムカツヲノ。向かつている高みの。
 四比乃故夜提能 シヒノコヤデノ。椎ノ小枝ノ。正倉院文書に、同一人を、眞枝足賣《まえたりめ》とも、眞屋足賣《まやたりめ》とも書いている。以上二句は序詞で、シイの小枝のかさなり合う義をもつて、次の句を引き起している。
 安比波多我波自 アヒハタガハジ。アヒは逢うこと。逢うことは相違ないであろうと、約束している。
【評語】 シイの小枝に寄せて將來を約しているところに、東歌らしい野趣がある。ひたすらに待とうとする女の心が歌われ、やはり旅に出る人に送つたもののようである。或る本の歌として別傳があり、廣く歌われている型があつたことを語つている。
 
或本歌曰、
 
於曾波也母《オソハヤモ》 伎美乎思麻多武《キミヲシマタム》 牟可都乎能《ムカツヲノ》 思比乃佐要太能《シヒノサエダノ》 登吉波須具登母《トキハスグトモ》
 
或る本の歌に曰はく、
 
(374)遲速《おそはや》も 君をし待たむ。向つ嶺《を》の しひの小枝の、時は過ぐとも。
 
【譯】遲かれ早かれ、あなたをお待ちしましよう。向こうの高みのシイの小枝の、時が過ぎ去つても。
【釋】伎美乎思麻多武 キミヲシマタム。シは助詞。句切。
 思比乃佐要太能 シヒノサエダノ。サは接頭語。以上二句、序詞。シイの小枝の若やぐ時節が過ぎても。
 登吉波須具登母 トキハスグトモ。トキは、時節。
【評語】前の歌の別傳であることはあきらかである。この方がむしろ原形に近いのだろう。序詞から主文に續くところが、この方がすなおだ。
 
3494 兒持山《こもちやま》
 若かへるでの もみつまで、
 宿《ね》もと吾《わ》は思《も》ふ。
 汝《な》はあどか思《も》ふ。
 
 兒毛知夜麻《コモチヤマ》
 和可加敝流弖能《ワカカヘルデノ》 毛美都麻弖《モミツマデ》
 宿毛等和波毛布《ネモトワハモフ》
 汝波実杼可毛布《ナハアドカモフ》
 
【譯】兒毛知山の若いカエデの木が、黄葉するまでの永いあいだも、寐ようとわたしは思う。あなたはどう思うか。
【釋】兒毛知夜麻 コモチヤマ。群馬縣澁川市の北方にある子持山(標高一二九六メートル)だろうという。
 和可加敝流弖能 ワカカヘルデノ。若いカヘルデの樹の。若は、若いのをいう。カヘルデは、カエデ。葉がカエルの手に似ているからカヘルデという。「吾屋戸爾《ワガヤドニ》 黄葉蝦手《モミツカヘルデ》」(卷八、一六二三)。
 毛美都麻弖 モミツマデ。モミツは、モミチ(黄葉)を動詞として使つている。もとから動詞があり、その名詞形がモミチとして多く使われるに至つたのだろう。モミチ葉の如き用例があるので、そう考えられる。動(375)詞の假字書きとしては、「毛美多比《モミタヒ》」(卷十五、三六九七)、「毛美知《モミチ》」(卷十九、四二六八)、「毛美照《モミテル》」(卷八、一六二八)がある。いずれもタチツテの清音に活用したことを語つており、名詞としても毛美知と書かれて、これもチが清音であつたようである。以上この句まで、時の久しいことを描いている。兒モチ山、若カヘルデの語が、年少を感じさせるによれば、表現は不十分だが、この句で、老年に至るまでの意をあらわしているのだろう。
 宿毛等和波毛布 ネモトワハモフ。ネモは寐ム。寐むと吾は思う。句切。
 汝波安杼可毛布 ナハアドカモフ。汝ハ何トカ思フ。問いかけた語法。
【評語】久しい時間をあらわすのに、兒もち山の若カヘルデの黄葉するまでをもつてしたのは、情趣が深い。しかし老年に至るまでの意とすれば、表現が不足で誤解を招くおそれがある。歌垣の會などで歌いかけた歌らしい形を持つている。
 
3495 伊波保《いはほ》ろの 傍《そひ》の若松、
 かぎりとや 君が來まさぬ。
 うらもとなくも。
 
 伊波保呂乃《イハホロノ》 蘇比能和可麻都《ソヒノワカマツ》
 可藝里登也《カギリトヤ》 伎美我伎麻左奴《キミガキマサヌ》
 宇良毛等奈久毛《ウラモトナクモ》
 
【譯】岩のそばの若松のように、これがはてだとてか。あなたはおいでにならない。心ぼそいことに。
【釋】伊波保呂乃 イハホロノ。イハホ(岩石)に、接尾語ロが接續している。前に「伊香保呂能《イカホロノ》 蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》」(卷十四、三四一〇)とあり、また「伊波能倍爾《イハノヘニ》 伊可賀流久毛能《イカカルクモノ》」(同、三五一八)は「伊香保呂爾《イカホロニ》 安麻久母伊都藝《アマクモイツギ》」(同、三四〇九)の別傳だから、伊波保呂は、伊香保呂の轉音だとする見方もあるが、伊香保以外の地で歌う場合に、特に伊波保呂爾と變えることもあり得るから、なお文字通りに解するを可とする。
(376) 蘇比能和可麻都 ソヒノワカマツ。ソヒは、山ぞい。以上序詞で、岩石の傍の若松は、空地がないから、カギリに懸かつている。
 可藝里登也伎美我伎麻左奴 カギリトヤキミガキマサヌ。終結としてか君がおいでにならない。君の來ないのは、もうおしまいとてだろうか。句切。
 宇良毛等奈久文 ウラモトナクモ。心もとなくも。上の三四句の内容を限定している。ウラモトナシの唯一の例。
【評語】職業的に人の來るのを待つ女子の歌らしい。初二句は風情があるが、かような序は、時により處によつて置きかえられるものであろう。句のうつりぐあいの調子の良い歌で、三絃にでも上せられそうな趣が感じられる。
 
3496 橘の 古婆《こば》のはなりが
 思ふなむ 心うつくし。
 いで吾《あれ》は行かな。
 
 多知婆奈乃《タチバナノ》 古婆乃波奈里我《コバノハナリガ》
 於毛布奈牟《オモフナム》 己許呂宇都久志《ココロウツクシ》
 伊弖安禮波伊可奈《イデアレハイカナ》
 
【譯】橘の古婆の若い子が思つているだろう心がかわいいのだ。さあわたしは行こう。
【釋】多知婆奈乃 タチバナノ。タチバナは、地名らしい。地名とすれば、武藏の國の橘樹《たちばな》の郡の橘樹の郷か。しかし編者が、この歌をここに載せたのは、木に寄せて思いを陳べる歌としてであろうから、枕詞として古婆に冠するものと解したのであろう。古婆も不明なので、一層決定が困難である。
 古婆乃波奈里我 コバノハナリガ、。古婆は地名だろうが、所在不明。ハナリは、結い上げずに下げてある髪のことで、童女の風俗であり、年の若い女をいう。「未通女等之《ヲトメラガ》 放髪乎《ハナリノカミヲ》 木綿山《ユフノヤマ》」(卷七、一二四四)、「童女(377)波奈理波《ウナヰハナリハ》 髪上都良武可《カミアゲツラムカ》」(卷十六、三八二二)。
 於毛布奈牟 オモフナム。ナムはラムに同じ。その連體形。
 己許呂宇都久思 ココロウツクシ。心が愛すべくある。句切。
 伊弖安禮波伊可奈 イデアレハイカナ。自分の行きたいと思う心をあらわしている。
【評語】純粹な氣もちはわかるが、表現も正直すぎる。殊に四句五句あたり、曲がなさすぎる。田舍人らしい素朴な歌である。
 
3497 河上《かはかみ》の 根白高草《ねじろたかがや》、
 あやにあやに
 さ宿《ね》さ寐《ね》てこそ 言《こと》に出《で》にしか。
 
 可波加美能《カハカミノ》 禰自路多可我夜《ネジロタカガヤ》
 安也尓阿夜尓《アヤニアヤニ》
 左宿左寐弖許曾《サネサネテコソ》 己登尓弖尓思可《コトニデニシカ》
 
【譯】河上の高い草の白い根のように、ほんとにほんとに、ねてばかりいたものだから、人の口に上つてしまつた。
【釋】可波加美能 カハカミノ。カハカミは、川の上方で、上流をいう。
 祢自路多可我夜 ネジロタカガヤ。根白高草。根の白い背の高い草。何の草とも限らない。以上二句、序詞で、一句を隔ててネの音を引き起す。それで特に根白と説明している。
 安也尓阿夜尓 アヤニアヤニ。驚嘆の意の副詞アヤニを重ねて、その意を強調している。四五句の内容を修飾している。あきれたことに、おどろいたことにの感情。
 左宿佐寐弖許曾 サネサネテコソ。サは共に接頭語。同語を重ねて、そのしばしば行われたことをあらわす。
 己登尓弖尓思可 コトニデニシカ。言ニ出ニシカ。人の言にあらわれた。人にとやかく言われるようになつ(378)た。シカは時の助動詞。
【評語】美しい序を持つている。三句以下は、感歎の氣もちが強くあらわれている。人に言われるようになつたのに迷惑しているが、かならずしも後悔していない。四句はかなり露骨に言つているが、これは民謠の特色である。以下、植物のうち草本に寄せている。
 
3498 海原《うなはら》の ねやはら小菅《こすげ》、
 あまたあれば 君は忘らす。
 われ忘るれや。
 
 宇奈波良乃《ウナハラノ》 根夜波良古須氣《ネヤハラコスゲ》
 安麻多安禮婆《アマタアレバ》 伎美波和須良酒《キミハワスラス》
 和禮和須流禮夜《ワレワスルレヤ》
 
【譯】水上の根のやわらかいコスゲのように、澤山あるので、あなたはお忘れになる。わたしは忘れませんよ。
【釋】宇奈波良乃 ウナハラノ。ウナハラは、通常海面をいうが、ここは海に限らず、廣く水面をいう。大和の埴安の池について、「海原は?立ち立つ」(卷一、二)というと同樣である。この語には、元來海の思想はなく、ただ大きい水面をいうだけだつたのだろう。ここでは川や池などの水面をいう。
 根夜波良古須氣 ネヤハラコスゲ。根柔小菅。根つきのやわらかいコスゲで、しなやかなスゲをいう。根そのものがやわらかいのではない。小菅は女にたとえている。ネヤハラに、寐やわらを感じているのだろう。
 安麻多安禮婆 アマタアレバ。物腰のやわらかい女子が澤山おありになるので。
 伎美波和須良酒 キミハワスラス。ワスラスは、忘ルの敬語法。句切。
 和禮和須流禮夜 ワレワスルレヤ。ヤは反語。動詞助動詞の已然形を受けて、それを否定する。「逢はむと念へや」などと同じ語法。
【評語】ウナ原ノ根ヤハラ小菅は、巧みな譬喩である。スゲの澤山生えている水面に近く住む人の作であろう。(379)四五句は對句として言つていて、調子がよい。水邊に流れていた民謠として受け入れられる。
 
3499 岡に寄せ わが刈る草《かや》の
 さね草《かや》の
 まことなごやは、寐《ね》ろとへなかも。
 
 乎可尓與西《ヲカニヨセ》 和我可流加夜能《ワガカルカヤノ》
 佐祢加夜能《サネカヤノ》
 麻許等奈其夜波《マコトナゴヤハ》 祢呂等敝奈香母《ネロトヘナカモ》
 
【譯】岡で引き寄せてわたしの刈る草の、根づいている草のように、ほんとにおだやかには、寐よといわないことだ。
【釋】乎可令興西 ヲカニヨセ。岡にて引き寄せてで、ヨセテは次の刈ルに懸かる。
 和我可流加夜能 ワガカルカヤノ。わが刈る草の。わが刈る草であるサネガヤと續く。
 佐祢加夜能 サネカヤノ。サネカヤは、上の我ガ刈ル草を説明している。サは接頭語。根草で、地上に生えている草。以上序詞で、ネから句を隔てて寐ロを引き起している。他にも説があるが、この種の歌はいずれも寐に中心があるので、それを重視していると見られる。
 麻許等奈其夜波 マコトナゴヤハ。マコトは眞實、ナゴヤは、なごやか。
 祢呂等敝奈香母 ネロトヘナカモ。寐ロト言ハヌカモ。ロは、命令形に接續する接尾語。ハをヘに、ヌをナに轉じている。トヘは、トイフであるとすれば、四段活のはずであるが、トヘというのは、活用の轉化というよりは、むしろ單純な轉音なのであろう。他に例はないが、ガテヌの原形がガタヌであるとすれば、同じ現象になる。打消のヌがナに轉じたのは、「與比奈波許奈爾《ヨヒナハコナニ》」(卷十四、三四六一)の如き例がある。
【評語】草は引き寄せても刈られるが、女はそう思うようにもならない嘆きが歌われている。草刈の勞作歌であろう。
 
(380)3500 紫草《むらさき》は 根をかも竟《を》ふる。
 人の兒の うらがなしけを
 寐《ね》を竟《を》へなくに。
 
 牟良佐伎波《ムラサキハ》 根乎可母乎布流《ネヲカモヲフル》
 比等乃兒能《ヒトノコノ》 宇良我奈之家乎《ウラガナシケヲ》
 祢乎遠敝奈久尓《ネヲヲヘナクニ》
 
【譯】紫草は、根を用立てるのだろう。人間の子の、心にかわゆく思うあの人を、寐ることが行えないことだ。
【釋】牟良佐伎波 ムラサキハ。ムラサキは、紫草科の多年生草本。その根から染料を採取する。
 根乎可母乎布流 ネヲカモヲフル。カモは、疑問の係助詞。ヲフルは竟フル。完了する、その用を完《まつた》くする。紫草は、根から染料を取るので、その根をか用途に供するの意にいつている。以上序で、五句の、寐ヲ竟フを引き起している。句切。
 比等乃兒能 ヒトノコノ。人ノに同じ。コは愛稱。人の子であるかなしい人と續く。
 宇良我奈之家乎 ウラガナシケヲ。ウラガナシケは、ウラガナシキに同じ。心に愛して思われる人を。
 祢乎遠敝奈久尓 ネヲヲヘナクニ。寐ヲ竟ヘナクニ。寐ることを完了しないことだ。寐ることができない。わが妻をなし得ない。
【評語】譬喩と主文との對比が巧みにできている。紫草を使つたのは歌がらを美しく飾るに有效であつた。
 
3501 安波《あは》をろの をろ田に生《お》はる
 たはみ蔓《づら》
 引かばぬるぬる 吾《あ》を言《こと》な絶え。
 
 安波乎呂能《アハヲロノ》 乎呂田尓於波流《ヲロタニオハル》
 多波美豆良《タハミヅラ》
 比可婆奴流奴留《ヒカバヌルヌル》 安乎許等奈多延《アヲコトナタエ》
 
【譯】安波の山の高い田に生えているタハミヅラのように、引いたらぬらぬらと寄つて來て、わたしと言葉を(381)切らないでください。
【釋】安波乎呂能 アハヲロノ。アハは、地名であろう。安房の國か。ヲは高み。ロは接尾語。
 乎呂田尓於波流 ヲロタニオハル。峰ロ田ニ生ヘル。ヲロは、初句のヲロに同じ。山田である。オハルは、オヘルの轉。「安乎楊木能《アヲヤギノ》 波良路可波刀爾《ハラロカハトニ》」(卷十四、三五四六)など、ハレルがハラロに轉じている例である。
 多波美豆良 タハミヅラ。蔓草の名であろうが、どういう草とも知られない。以上序詞で、以下の句を引き起している。
 比可婆奴流奴留 ヒカバヌルヌル。自分の方に引き寄せたなら、ぬらぬらと。
 安乎許等奈多延 アヲコトナタエ。吾ヲ言ナ絶エ。言を絶つなかれ。引き續いて言を通じてほしい意である。
【評語】既出の三三七八、三四一六などの類歌で、歌い傳えられたものの替歌である。安波附近で歌われただけの地方色が出ている。
 
3502 わが目妻《めづま》 人は放《さ》くれど、
 朝貌《あさがほ》の 年さへこごと
 吾《わ》は放《さか》るがへ。
 
 和我目豆麻《ワガメヅマ》 比等波左久禮杼《ヒトハサクレド》
 安佐我保能《アサガホノ》 等思佐倍己其登《トシサヘコゴト》
 和波佐可流哉倍《ワハサカルガヘ》
 
【譯】わたしの愛する妻を、人は離すけれども、アサガオの花が今年の寒さに逢うようになるとも、わたしは離れはしない。
【釋】和我目豆麻 ワガメヅマ。メヅマは、目の字を書いているのによつて、その字の意を取つて解すぺく、目のように大切に思う妻と解すべきである。「目豆兒乃刀自《メヅゴノトジ》」(卷十六、三八八〇)のメヅゴも、この例になる。
(382) 比等波左久禮杼 ヒトハサクレド。人は裂くけれども。あいだを放すけれども。
 安佐我保能 アサガホノ。アサガホは諸説があるが、ヒルガオと解せられる。ここは譬喩に使つている。
 等思佐倍己其登 トシサヘコゴト。トシは年、サヘは助詞であろう。コゴトは難解である。まず訓法であるが、この卷では、訓讀すべき文字は、多くは表意文字として使われている。ここは表意文字とは解せられないので、音讀するを可とするであろう。さてコゴについては「許其志可毛《コゴシカモ》 伊波能可牟佐備《イハノカムサビ》」(卷十七、四〇〇三)の如く、形容詞コゴシがあり、その語幹を成す部分で、これは凍ユの意と考えられる。トを助詞とすれば、今までも寒くなつての意となる。アサガオは暮を待たない花であつて、しかも今年の寒さを迎えて枯れはててもの意に、譬喩に使つているのであろう。
 和波佐可流我倍 ワハサカルガヘ。ガヘは、反語の意をあらわす助詞。既出。
【評語】東歌らしいごつごつした表現である。もつとも語義不明の語をまじえているので、一層その感じがあるが、譬喩の使い方などにも、いきなりのところがあるのだろう。しかしアサガオを使つたのは、歌を美しくする效果がある。
 
3503 安齋可潟《あさかがた》
 潮干のゆたに 思へらば、
 うけらが花の 色に出《で》めやも。
 
 安齋可我多《アサカガタ》
 志保悲乃由多尓《シホヒノユタニ》 於毛敝良婆《オモヘラバ》
 宇家良我波奈乃《ウケラガハナノ》 伊呂尓弖米也母《イロニデメヤモ》
 
【譯】安齋可潟の潮干のように、ゆつたりと思つているならば、オケラの花のように色に出はしないのです。
【釋】安齋可我多 アサカガタ。齋は、元暦校本・類聚古集による。他本は多く齊齋ともに同じ形の字を使う。齋は、本集には、他に字音假字として使用した例はなく、佳韻の字であるから、サの音に使つたのだろう。卷(383)の十一の朝香潟と同地であるかも知れないが、所在不明。
 志保悲乃由多尓於毛敝良婆 シホヒノユタニオモヘラバ。潮干の潟がひろびろとして見渡されるので、ユタニを引き起している。ユタニは、ゆたかに、ゆつたりと。のびのびと思つているならば。
 宇家良我波奈乃 ウケラガハナノ。これも譬喩に使つている。三三七六參照。
 伊呂尓弖米也母 イロニデメヤモ。色に出ようや、表面にはあらわさない。
【評語】譬喩を二つまで使つている。その二つの譬喩のあいだには連絡がなく、取つてつけたような感じを免れない。いずれも歌いものとして行われているものを取つて來たと考えられる。
 
3504 春へ咲く 藤の末葉《うらば》の
(384) うら安に さ寐《ぬ》る夜ぞなき。
 子ろをし思《も》へば。
 
 波流敝左久《ハルヘサク》 布治能宇良葉乃《フヂノウラバノ》
 宇良夜須尓《ウラヤスニ》 左奴流夜曾奈伎《サヌルヨゾナキ》
 兒呂乎之毛倍婆《コロヲシモヘバ》
 
【譯】春の時分に咲く藤のうら葉のように、心安く寐る夜がないことだ。あの子を思うので。
【釋】波流敝左久 ハルヘサク。ハルヘは、春の頃。
 布治能宇良葉乃 フヂノウラバノ。ウラバは、伸びた若葉。伸びた先の葉の義。以上序詞で、同音によつて次の句を引き起している。
 宇良夜須尓 ウラヤスニ。心安らかに。
 左奴流夜曾奈伎 サヌルヨゾナキ。サは接頭語。句切。
 兒呂乎之毛倍婆 コロヲシモヘバ。ロは接尾語。
【評語】實に調子よくなめらかに歌われている。藤のうら葉の美しさと、この調子とで持つた歌である。歌いものとして適當な條件を備えている。
 
3505 うち日さつ 宮の瀬川の
 貌花《かほばな》の、
 戀ひてか寐《ぬ》らむ。
 昨夜《きぞ》も今夜《こよひ》も。
 
 宇知比佐都《ウチヒサツ》 美夜能瀬河伯能《ミヤノセガハノ》
 可保婆奈能《カホバナノ》
 孤悲天香眠良武《コヒテカヌラム》
 伎曾母許余比毛《キゾモコヨヒモ》
 
【譯】美しい宮殿。その宮の瀬川に咲くカホバナのように、あの子は、戀をしてか寐ているだろう。昨夜も今夜も。
(385)【釋】宇知比佐都 ウチヒサツ。枕詞。ウチヒサスに同じ。「打久津《ウチヒサツ》 三宅乃原從《ミヤケノハラユ》」(卷十三、三二九五)。
 美夜能瀬河伯能 ミヤノセガハノ。ミヤノセ河は所在不明。
 可保婆奈能 カホバナノ。カホバナは、ヒルガオ。丸く大きな花なのでカホバナという。「高圓之《タカマトノ》 野邊乃容花《ノベノカホバナ》」(卷八、一六三〇)。「可保我波奈《カホガハナ》」(卷十四、三五七五)ともいつている。以上序詞。貌花は晝咲いて夜萎むものなので、次の句を引き起している。
 孤悲天香眠良武 コヒテカヌラム。自分を戀うてか寐ていることだろうと推量している。句切。
 伎曾母許余比毛 キゾモコヨヒモ。キゾは昨夜。四句の推量によつて今夜に中心のあることが知られる。
【評語】三句までは、作者のいるほとりの風物について言つているのだろう。これも美しい序である。ウチ日サツの枕詞も美しい。遠く家郷を思うにふさわしい表現である。
 
3506 新室《にひむろ》の 言壽《ことき》に 到れば、
 はだすすき 穗に出《で》し君が
 見えぬこのごろ。
 
 尓比牟路能《ニヒムロノ》 許騰伎尓伊多禮婆《コトキニイタレバ》
 波太須酒伎《ハダススキ》 穩尓弖之伎美我《ホニデシキミガ》
 見延奴己能許呂《ミエヌコノゴロ》
 
【譯】新築の祝いに行つたのだが、ハダススキのように穗のあらわれたあの方が見えないこの頃は物足りない。
【釋】尓比牟路能 ニヒムロノ。ニヒムロは、新室で、新築した家屋(卷十一、二三五一參照)。
 許騰伎尓伊多禮婆 コトキニイタレバ。コトキは、コトホギで、新室の祝宴をいう。「たまたま縮見《しじみ》の屯倉《みやけ》の首《おびと》が縱賞新室《にひむろほぎ》して夜をもて日に繼げるに會ひぬ」(日本書紀顯宗天皇の卷)、「伊等尾《いとみ》が新室の宴によりて、二子等に燭《ひとも》さしめよりて詠辭《ながめごと》せしも」(播磨國風土記)。その言壽の祝宴に行つたが。佐藤謙三君いう、コトキは兒説きで、クトキ(口説)の類だろうと。
(386) 波太須酒伎 ハダススキ。枕詞。ハタススキと言いたい所だが、集中、タに濁音の字を使つている。次の句の穗ニ出ルを引き起している。
 穩尓弖之伎美我 ホニデシキミガ。ホニデシは、色に出しと同じく、思う心の表面にあらわれたのをいう。相手が色に出たのである。
 見延奴己能許呂 ミエヌコノゴロ。この幾日か、思う人が姿を見せない物足りなさである。
【評語】新室ほぎの歌であろう。率直に敍してかえつて趣がある。ハダススキは、風情を助けるに役立つている。
 
3507 谷|狹《せば》み 嶺《みね》に延《は》ひたる
 玉《たま》かづら
 絶えむの心 わが思《も》はなくに。
 
 多尓世婆美《タニセバミ》 弥年尓波比多流《ミネニハヒタル》
 多麻可豆良《タマカヅラ》
 多延武能己許呂《タエムノココロ》 和我母波奈久尓《ワガモハナクニ》
 
【譯】谷が狹いので峰の方に伸びている玉カズラのように、切れようとする心を、わたしは思つていないことだ。
【釋】多尓世婆美 タニセバミ。谷間が狹くて。「谷迫《タニセバミ》 峯邊延有《ミネベニハヘル》 玉葛《タマカヅラ》」(卷十二、三〇六七)。
 弥年尓波比多流 ミネニハヒタル。ミネは、谷の反對の高い處。ハヒタルは、延ヒタル。伸びている。
 多麻可豆良 タマカヅラ。丸い實のなる蔓草。同時にタマが美稱になつている。實物は、何でもよい。その蔓草の特質を擧げて美稱とした。以上三句、序詞。
 多延武能己許呂 タエムノココロ。絶えようとする心。切れる心。「絶牟乃心《タエムノココロ》 我不v思爾《ワガオモハナクニ》」(卷十二、三〇七一)。
(387) 和我母波奈久尓 ワガモハナクニ。わたしは思つていない。
【評語】 「谷せばみ峰べに延へる王葛|延《は》へてしあらば年に來ずとも」(卷十二、三〇六七)、「山高み谷べに延へる玉葛絶ゆる時なく見むよしもがも」(卷十一、二七七五)など、類型の歌の多いのは、歌いものとしての流布を證明する。序によつて平凡な内容を飾つているだけの歌で、遊行女婦などのあいだに歌われたものであろう。
 
3508 芝付《しばつき》の 美宇良埼《みうらさき》なる
 根つこ草、
 あひ見ずあらば、われ戀ひめやも。
 
 芝付乃《シバツキノ》 御宇良佐伎奈流《ミウラサキナル》
 根都古具佐《ネツコグサ》
 安比見受安良婆《アヒミズアラバ》 安禮古非米夜母《アレコヒメヤモ》
 
【譯】芝付の美宇良埼のネツコ草のような、あの子を見ないでいたなら、わたしは戀をしないだろう。
【釋】芝付乃御宇良佐伎奈流 シバツキノミウラサキナル。芝付のミウラサキは地名であろうが所在不明。ミウラサキは、神奈川縣の三浦半島の岬か。
 根都古具佐 ネツコゲサ。草の名だろうが、未詳。ネに根の字を當てているのは、その意味を感じていると見られる。コには子を感じているだろう。根の強い草か。以上は譬喩で、これで子(あの子)を提示している。
 安比見受安良婆 アヒミズアラバ。逢うことがなかつたら、知りあいにならなかつたら。
【評語】これも譬喩だけで持つている歌である。根ツコ草のように變わつた草を出して、新味を見せようとしたのである。
 
3509 栲衾《たくぶすま》 白山《しらやま》風の、
 宿《ね》なへども
(388) 子ろが襲著《おそき》の 有《あ》ろこそ善《え》しも。
 
 多久夫須麻《タクブスマ》 之良夜麻可是能《シラヤマカゼノ》
 宿奈敝杼母《ネナヘドモ》
 古呂賀於曾伎能《コロガオソキノ》 安路許曾要志母《アロコソエシモ》
 
【譯】タクで作つた衾のように白い、白山の風の吹くもとで、共に寐ないけれども、あの子の上著のあるのがうれしい。
【釋】多久夫須麻 タクブスマ。枕詞。タクで作つた衾で、白いから白に懸かる。
 之良夜麻可是能 シラヤマカゼノ。シラヤマは白山であろうが、有名なのは、加賀の白山である。多分その山であろう。その山のほとりにいるので、この句となつたものと見られる。その風の吹いてというのを、この句であらわすか。しかしそうすると寄物にならない。
 宿奈敝杼母 ネナヘドモ。ナヘは、打消の助動詞ナフの已然形。これは妻と共に寐ないであるをいう。共寐をしていないが、記念の衣服のあるのがよいというのである。
 古呂賀於曾伎能 コロガオソキノ。オソキは襲著で、上に著る衣服。別れに臨んで、妻の著物を著て來たのである。
 安路許曾要志母 アロコソエシモ。有ルコソ良シモ。形容詞良シをエシと書くのは、古事記日本書紀にはエシと書くが、この集では「由可久之要思毛《ユカクシエシモ》」(卷十四、三五三〇)とこれと二つだけである。このエは、ヤ行のエである。コソに對して、形容詞のシの活用形で受けるのは古格である。「駿河なるうど濱に、うち寄する浪は、七草の妹、ことこそ良し」(東遊駿河歌)。
【評語】北國の寒夜に、妻を思う旅情を歌つたものとして、妻の衣服のあるに滿足するというのが、かえつて效果的である。但し山の名などは土地に應じて歌いかえるので、續きがわるくなつているのだろうが、この歌では、白山の名はふさわしい。この歌以下、風、雲などの天象に寄せている。風は一首で、雲が十一首である。
 
(389)3510 み空行く 雲にもがもな。
 今日行きて 妹に言問《ことど》ひ、
 明日歸り來《こ》む。
 
 美蘇良由久《ミソラユク》 君母尓毛我母奈《クモニモガモナ》
 家布由伎弖《ケフユキテ》 伊母尓許等杼比《イモニコトドヒ》
 安須可敝里許武《アスカヘリコム》
 
【譯】空を行く雲だつたらなあ。今日行つて妻に物を言つて、明日歸つて來ようのに。
【釋】美蘇良由久君母尓毛我母奈 ミソラユククモニモガモナ。ミは接頭語。「み空ゆく雲にもがも」(卷四、五三四)。句切。
 伊母尓許等杼比 イモニコトドヒ。コトドヒは、物をいい。「高飛ぶ鳥にもがも、明日行きて妹に言問ひ」(卷四、五三四)。
 安須可敝里許武 アスカヘリコム。明日歸リ來ム。すぐに歸つて來ようの意を歌つている。
【評語】遠く旅に出た男の歌で、類型的な作だ。都人の作だろう。歌經標式に、大神《おおみわ》の高市萬呂《たけちまろ》の歌として、「白雲のたなびく山は見れど飽かぬかも、鶴ならば朝飛び越えて暮來ましを」というのがある。
 
3511 青|嶺《ね》ろに たなびく雲の
 いさよひに、
 物をぞ思ふ。
 年のこのごろ。
 
 安乎祢呂尓《アヲネロニ》 多奈婢久君母能《タナビククモノ》
 伊佐欲比尓《イサヨヒニ》
 物能乎曾於毛布《モノヲゾオモフ》
 等思乃許能己呂《トシノコノゴロ》
 
【譯】青嶺にたなびいている雲のように、落ちつかないで物を思つている。一年にもわたるこの頃は。
【釋】安乎祢呂尓 アヲネロニ。アヲネは青嶺。山名か、青々とした山の意か。吉野の青峯かも知れない。ロ(390)は接尾語。
 多奈婢久君母能 タナビククモノ。以上二句、序詞。雲が落ちつかないようにの意に、次の句を引き起している。
 伊佐欲比尓 イサヨヒニ。そわそわしておちつかないで。
 物能乎曾於毛布 モノヲゾオモフ。モノは、何によらず思われることをいう。句切。
 等思乃許能己呂 トシノコノゴロ。この年ほどの日頃。トシノは、一年にも及ぶ長さをいう。
【評語】これも旅に出ている男の歌であろう。雲を序に使つた歌は、類型があり、歌われていた歌がもとになつているだろう。青垣を持ち出したまでで、内容は一向に平凡であり、表現も類型的である。
 
3512 一嶺《ひとね》ろに い張るものから、
 青|嶺《ね》ろに いさよふ雲の、
 寄《よ》そり妻はも。
 
 比登祢呂尓《ヒトネロニ》 伊波流毛能可良《イハルモノカラ》
 安乎祢呂尓《アヲネロニ》 伊佐欲布久母能《イサヨフクモノ》
 余曾里都麻波母《ヨソリツマハモ》
 
【譯】人の山に張つていながら、わたしの山にたゆたつている雲のような、寄せられる妻はなあ。
【釋】比登祢呂尓 ヒトネロニ。ヒトネは、一峰に人の峰を懸けている。一つの峰に。他人にの意。
 伊波流毛能可良 イハルモノカラ。イは接頭語。モノカラは、ものだのに。張つているけれども。人の有となつているけれども。
 安乎祢呂尓 アヲネロニ。アヲネは、青嶺に吾ヲを懸けている。わたしにの意。
 伊佐欲布久母能 イサヨフクモノ。落ちつかないでためらつている雲の。以上譬喩。そのような。
 余曾里都麻波母 ヨソリヅマハモ。寄ソリ妻ハモ。ヨソリは寄せられる。媒人に寄せられる妻はなあ。
(391)【評語】巧みに譬喩を使つて、露骨に言いにくい所を歌つている。一嶺と青嶺との對照が中心となつている。巧みを弄し過ぎた傾向はあるが、内容が内容だけに、致し方のないところだろう。
 
3513 夕されば み山を去らぬ
 布雲《にのぐも》の、
 あぜか絶えむと 言ひし兒ろはも。
 
 由布佐禮婆《ユフサレバ》 美夜麻乎左良奴《ミヤマヲサラヌ》
 尓努具母能《ニノグモノ》
 安是可多要牟等《アゼカタエムト》 伊比之兒呂婆母《イヒシシコロハモ》
 
【譯】夕方になると、み山を去らない横雲のように、どうしてだか切れようと言つたあの子はなあ。
【釋】由布佐禮婆美夜麻乎左良奴 ユフサレバミヤマヲサラヌ。夕方になれば、いつも山邊を去らぬ意で、雲の習性を敍している。ミは接頭語。
 尓努具母能 ニノグモノ。ニノグモは布雲で、布のようにたなびいている雲。以上序詞。その雲は切れ目があるので、次の句を引き起している。
 安是可多要牟等 アゼカタエムト。アゼは、何故。
【評語】女の心を疑う歌は多く、これもその一つである。これは歌いものとして類型的な内容で、この卷にも特に、何故の形で歌つているものの多いのが目につく。序も類型的で、歌いものから來ているものである。
 
3514 高き嶺《ね》に 雲の著《つ》つくのす、
 我《われ》さへに 君に著《つ》きなな。
 高嶺《たかね》と思《も》ひて。
 
 多可伎祢尓《タカキネニ》 久毛能都久能須《クモノツクノス》
 和禮差倍尓《ワレサヘニ》 伎美尓都吉奈那《キミニツキナナ》
 多可祢等毛比弖《タカネトモヒテ》
 
【譯】高い山に雲がつくように、わたしまでもあの方についていたいなあ。高い山と思つて。
(392)【釋】多可伎祢尓 タカキネニ。高い嶺に。
 久毛能都久能須 クモノツクノス。雲ノ著クノス。ノスはナスに同じ。雲がつくように。
 和禮佐倍尓 ワレサヘニ。自分までも。
 伎美尓都吉奈那 キミニツキナナ。ツキナナは、動詞著クの連用形に、時の助動詞ヌの未然形が接續し、それに希望の助詞ナが接續したもの。著くことを強く希望する。ついていたいなあ。「爾比多夜麻《ニヒタヤマ》 禰爾波都可奈那《ネニハツカナナ》」(卷十四、三四〇八)のツカナナとは、上のナが違う。「君爾因奈名《キミニヨリナナ》」(卷二、一一四)のナナに同じ。句切。
 多可称等毛比弖 タカネトモヒテ。高嶺ト思ヒテ。君を高嶺と思つて。
【評語】調子よく、譬喩も巧みにできている。君を高嶺と仰ぐ氣もちが出ているが、すこし譬喩が巧みすぎる。それだけに素朴の感じはうすくなつている。
 
3515 我《あ》が面《おも》の 忘れむ時《しだ》は、
 國はふり 峰《ね》に立つ雲を
 見つつ偲《しの》はせ。
 
 阿我於毛乃《アガオモノ》 和須禮牟之太波《ワスレムシダハ》
 久尓波布利《クニハフリ》 祢尓多都久毛乎《ネニタツクモヲ》
 見都追之努波西《ミツツシノハセ》
 
【譯】わたしの顔が忘れられる時は、國土から涌き上つて嶺に立つ雲を見て思い出してください。
【釋】阿我於毛乃和須禮牟之大波 アガオモノワスレムシダハ。我ガ面ノ忘レム時ハ。シダは既出。その時という意味の語。東語特有である。
 久尓波布利 クニハフリ。クニは國土、地上。ハフリは溢れる。日本書紀に、溢をハフレタリと訓している。地上から涌きあがつて。
(393) 祢尓多都久毛乎 ネニタツクモヲ。峰に立ちのぼる雲を。
 見都追之努波西 ミツツシノハセ。シノハセは、シノフの敬語法の命令形。思慕せよの意。自分を思い起せよ。
【評語】この初二句は、下に「面形の忘れむしだは」(卷十四、三四二四)、また、「あが面《もて》の忘れもしだは」(卷二十、四三六七)などの類句があり、歌いものとして行われていた型の一つであることが知られる。この歌は、地上からむくむくと涌きあがつて峰に立つ雲の敍述が精細であり、遠く故郷を望む情を、それで想像している所に特色がある。
 
3516 對馬《つしま》の嶺《ね》は 下雲《したぐも》あらなふ。
 上《かむ》の嶺《ね》に たなびく雲を
 見つつ偲《しの》はも。
 
 對馬能祢波《ツシマノネハ》 之多具毛安良南敷《シタグモアラナフ》
 可牟能祢尓《カムノネニ》 多奈婢久君毛乎《タナビククモヲ》
 見都追思努波毛《ミツツシノハモ》
 
【譯】對馬の山は、下の雲がないことだ。上の峰にたなびいている雲を見ながら、妻を思つていよう。
【釋】對馬能祢波 ツシマノネは。對馬は、九州の對馬島。
 之多具毛安良南敷 シタグモアラナフ。シタグモは、下方の雲。ナフは、打消の助動詞。句切。
 可牟能祢尓 カムノネニ。上の嶺に。上方の山に。
 見都追思努波毛 ミツツシノハモ。雲を見ながら、家郷を思おう。シノハモは、シノハムに同じ。
【評語】防人として對馬に行つている男の歌である。歌の内容からいえば、對馬で詠んだことになつている。その妻が、雲を見て自分を想起せよと歌つたのに答えた意味になつていて、事によると、對馬に行つた立場で、別れに臨んで詠んだのかも知れない。郷士の山には、谷間にわく雲を近く見ているので、この歌があるのだろ(394)う。雲について、特殊の描寫をしているところがよい。
 
3517 白雲の 絶えにし妹を、
 あぜせろと、
 心に乘りて ここばかなしけ。
 
 思良久毛能《シラクモノ》 多要尓之伊毛乎《タエニシイモヲ》
 阿是西呂等《アゼセロト》
 許己呂尓能里弖《ココロニノリテ》 許己婆可那之家《ココバカナシケ》
 
【譯】白雲のように、とだえた妻だのに、どうせよというのか、心に思われて非常にいとしいことだ。
【釋】思良久毛關 シラクモノ。枕詞。雲が絶えると續く。
 多要尓之伊毛乎 タエニシイモヲ。切れてしまつた女を、それだのに。遠く別れて來た妻だろう。
 阿是西呂等 アゼセロト。何故にせよと。どうしろというのか。
 許己呂尓能里弖 ココロニノリテ。心に思われて。「思妻《オモヒヅマ》 心乘而《ココロニノリテ》」(卷十三、三二七八)。
 許己婆可部之家 ココバカナシケ。非常に愛すべく思われる。カナシケは、カナシキに同じ。三句の疑問の辭を受けて結んでいる。
【評語】別れた女の忘れかねる心を詠んでいる。雲はただ枕詞として使われているだけで、關係はうすい。しかしそれで白雲の如く去つた氣もちは感じられる。それが一首のうるおいになつていることは事實だ。
 
3518 石の上《へ》に い懸《か》かる雲の、
 かのまづく 人ぞおたはふ。
 いざ寐《ね》しめとら。
 
 伊波能倍尓伊《イハノヘニ》 可賀流久毛能《イカカルクモノ》
 可努麻豆久《カノマヅク》 比等曾於多波布《ヒトゾオタハフ》
 伊射祢之賣刀良《イザネシメトラ》
 
【譯】岩の上に懸かつている雲のように、おそろしい人が誘いにくる。さあ寐させてください。
(395)【釋】伊波能倍尓伊可賀流久毛能 イハノヘニイカカルクモノ。岩ノ上ニイ懸カル雲ノ。以上序詞。
 可努麻豆久比等曾於多波布 カノマヅクヒトゾオタハフ。未詳の句。三四〇九參照。
 伊射祢之賣刀良 イザネシメトラ。刀は、助詞のトとは音韻が違う。
【評語】 「伊香保呂爾《イカホロニ》 安麻久母伊都藝《アマクモイツギ》 可奴麻豆久《カヌマヅク》 比等登於多波布《ヒトトオタバフ》 伊射禰誌米刀羅《イザネシメトラ》」(卷十四、三四〇九)の別傳で、伊香保以外の地で初句を歌いかえて歌つたのだろう。流布した歌と見られるが、歌意不明である。
 
3519 汝《な》が母に 嘖《こ》られ吾《あ》は行く。
 青雲の いで來《こ》、吾妹子。
 あひ見て行かむ。
 
 奈我波伴尓《ナガハハニ》 己良例安波由久《コラレアハユク》
 安乎久毛能《アヲクモノ》 伊弖來和伎母兒《イデコワギモコ》
 安必見而由可武《アヒミテユカム》
 
【譯】あなたのお母さんに叱られてわたしは行くのだ。青雲のように出ていらつしやい、あなた。逢つて行こう。
【釋】奈我波伴尓 ナガハハニ。汝が母に。
 己良例安波由久 コラレアハユク。コラレは、叱責され。おこられ、叱られの意。コル(懲る)の被役相であろう。アハユクは、吾ハ行ク。句切。
 安乎久毛能 アヲクモノ。枕詞。アヲクモは、青雲で、うす黒い雲をいう。「青雲能靄極《アヲグモノタナビクキハミ》」(祈年祭の祝詞)。
 伊弖來和伎母兒 イデコワギモコ。イデコは出で來よ。句切。
 安必見而由可武 アヒミテユカム。逢つてから行こう。
【評語】女の親は、娘のところに來る男を警戒して追つばらつている。「横山へろの猪なす思へる」という歌(396)が下にあり、かような情景がしばしば起つたものである。この歌もその情景の一つを描いている會話性の歌で、むしろ歌いものとして傳えられていたのだろう。三句の青雲ノが、さすがにうるおいを持たせている。短い文を重ねたのが特色で、一層會話的ならしめている。
 
3520 面形《おもがた》の 忘れむ時《しだ》は、
 大野ろに たなびく雲を
 見つつ偲《しの》はむ。
 
 於毛可多能《オモガタノ》 和須禮牟之太波《ワスレムシダハ》
 於抱野呂尓《オホノロニ》 多奈婢久君母乎《タナビククモヲ》
 見都追思努波牟《ミツツシノハム》
 
【譯】顔の形の忘られる時は、大野にたなびいている雲を見て思い出してください。
【釋】於毛可多能 オモガタノ。オモガタは、面形。顔のかたち。「面形之《オモガタノ》 忘戸在者《ワスルトアラバ》」(卷十一、二五八〇)。
 和須禮牟之太波 ワスレムシダハ。既出、三五一五參照。
 於抱野呂尓 オホノロニ。ロは接尾語。
【評語】既出の三五一五に評したように、類型的な歌だ。大野にたなびく雲は、ぞんざいな言い方だ。兵士に出で立つ男に贈つた歌だろう。
 
3521 からすとふ 大《おほ》をそ鳥の、
 眞實《まさで》にも 來まさぬ君を、
 ころくとぞ鳴く。
 
 可良須等布《カラストフ》 於保乎曾杼里能《オホヲソドリノ》
 麻左※[人偏+弖]尓毛《マサデニモ》 伎麻左奴伎美乎《キマサヌキミヲ》
 許呂久等曾奈久《コロクトゾナク》
 
【譯】カラスという大あわて者の鳥が、ほんとうにもおいでにならない方を、ここへ來ると鳴いている。
【釋】可良須等布 カラストフ。鴉という。
(397) 於保乎曾杼里能 オホヲソドリノ。ヲソは、輕率、周章の意。接尾語ロを添えてヲソロともいう。「あひ見ては月も經なくに戀ふといへば乎曾呂《をそろ》と吾を念ほさむかも」(卷四、六五四)「咲く花も乎曾呂《をそろ》はうとし奧手なる長き心になほしかずけり」(卷八、一五四八)。ノは、主格を提示する助詞。
 麻左※[人偏+弖]尓毛 マサデニモ。まさしくも。「麻左弖《まさで》にも告らぬ君が名」(卷十四、三三七四)。
 伎麻左奴伎美乎 キマサヌキミヲ。キミは、思う男をいう。
 許呂久等曾奈久 コロクトゾナク。コロクは、カラスの鳴き聲の擬聲で、それに此の意味を懸けている。その意味は、コに此の意を感じ、クに來の意を感じているのだろう。兒《こ》ロ來《く》の意とも解せられるが、兒は、コの甲類、許は乙類であつて、キミ(男子)を兒ロともいわないだろう。「許呂勢多麻久良《コロセタマクラ》」(卷十四、三三六九)の例もあるが、やはり此の意であろう。こちらへ來るの意を感じているのだろう。
【評語】日本靈異記に、生前死ぬ時は共にと言つていた弟子信嚴の先だつて死んだのを悼んだ行基の歌に、「からすといふ大をそ鳥の言をのみ共にといひて先だちいぬる」という歌を載せている。それからヲソを虚言の義とする解が出ているが、ヲソは輕々しい意味に解くべきであろう。カラスを大ヲソ鳥ということが、相當廣く行われていたことが知られる。この歌は、諧謔を含んで待ちあぐむ心を描いている。變わつた材料を使つている點に注意される。以下動物に寄せた歌で、カラス一首、タヅ二首、水鳥五首、ウサギ一首、シシ二首、馬十一首の順になつている。馬の歌の特に多いのは東歌にふさわしい。
 
3522 昨夜《きぞ》こそは 兒ろとさ宿《ね》しか。
 雲の上《うへ》ゆ 鳴き行く鶴《たづ》の、
 ま遠《とほ》く思ほゆ。
 
 伎曾許曾波《キゾコソハ》 兒呂等左宿之香《コロトサネシカ》
 久毛能宇倍由《クモノウヘユ》 奈伎由久多豆乃《ナキユクタヅノ》
 麻登保久於毛保由《マトホクオモホユ》
 
(398)【譯】昨夜こそは、あの子と寐たのだ。それだのに雲の上を鳴いて行く鶴のようにあいだが遠く思われる。
【釋】伎曾許曾波 キゾコソハ。キゾは昨夜。
 兒呂等左宿之香 コロトサネシカ。シカは時の助動詞。コソを受けて結んでいる。前提法で、下にしかるにの語氣を有している。句切。
 久毛能宇倍由 クモノウヘユ。雲の上を通つて。遠い空を。
 奈伎由久多豆乃 ナキユクタヅノ。以上二句、序詞。次の間遠クを引き起している。
 麻登保久於毛保由 マトホクオモホユ。マトホクは、マは接頭語とも取れるが、「藤服《フヂゴロモ》 間遠之有者《マドホクシアレバ》」(卷三、四一三)などがあるから、間遠クでもあろう。時の久しい意に使つている。
【評語】逢つてから後の時間の久しく感じられることを詠んだ歌で、同じような歌はあるが、これは序が上品にできている。當時は實際空高く鶴の鳴き渡るに接したのであろう。
 
3523 坂越えて 安倍《あべ》の田の面《も》に
 居《ゐ》る鶴《たづ》の、
 ともしき君は 明日《あす》さへもがも。
 
 佐可故要弖《サカコエテ》 阿倍乃田能毛尓《アベノタノモニ》
 爲流多豆乃《ヰルタヅノ》
 等毛思吉伎美波《トモシキキミハ》 安須左倍母我毛《アスサヘモガモ》
 
【譯】坂を越えて安倍の田の面にいる鶴のように、逢うことのすくないあの方は、明日さえもなあ。
【釋】佐可故要弖 サカコエテ。坂越エテ。鶴の行動である。山坂を越えてから安倍の田の面におりたのである。
 阿倍乃田能毛尓 アベノタノモニ。阿倍は、靜岡縣の安倍か。
 爲流多豆乃 ヰルタヅノ。以上序詞。田の面にいる鶴を敍して、トモシ(すくない)を引き起している。
(399) 等毛思吉伎美波 トモシキキミハ。トモシキは、逢うことの稀なのをいう。「許等騰比能《コトドヒノ》 等毛之伎古良《トモシキコラ》」(卷十八、四一二五)などの用法である。
 安須左倍母我毛 アスサヘモガモ。明日さえも逢いたいなあ。
【評語】これも序が美しい。田の面に鶴のいる姿を、注意して見ていたことが知られる。初句の坂越エテは、關係がうすいようで、しかも鶴を描くに役立つており、これによつて風景が生きている。
 
3524 まを薦《ごも》の
 節《ふ》の間《ま》近《ちか》くて、
 逢はなへば、
 沖つ眞鴨《まかも》の、
 歎《なげ》きぞ吾《あ》がする
 
 麻乎其母能《マヲゴモノ》 布能末知可久弖《フノマチカクテ》
 安波奈敝波《アハナヘバ》
 於吉都麻可母能《オキツマカモノ》
 奈氣伎曾安我須流《ナゲキゾアガスル》
 
【譯】カラムシの編んだ蓆の編目の間が短いように、近くして逢わないでいると、沖に居る鴨のように、嘆息をわたしがすることだ。
【釋】麻乎其母能 マヲゴモノ。マヲは、アサの類。カラムシ。マヲであるコモの。ここはマヲで編んだむしろの意に使つている。「麻乎其母能《マヲゴモノ》 於夜自麻久良波《オヤジマクラハ》」(卷十四、三四六四)參照。
 布能末知可久弖 フノマチカクテ。編んだ節の間が近くして。マヲゴモノ節ノまでが序で、間近クテを引き起している。近くにいながらの意。
 安波奈敝波 アハナヘバ。ナヘは、打消の助動詞ナフの已然形。逢わないでいるので。
 於吉都麻可母能 オキツマカモノ。沖にいる鴨の。マは接頭語。この句は序で、鴨は、水に潜つては出て長い息をつくというので、次句の歎キを引き起している。
(400) 奈氣伎曾安我須流 ナゲキゾアガスル。歎きをわたしがすることだ。
【評語】序を二つまでも使つている。どちらも歌いものの傳來を受けている序であろう。巧みにできていて素朴性に乏しい。
 
3525 水《み》くく野に 鴨の匍《は》ほのす、
 兒《こ》ろが上《うへ》に 言《こと》おろ延《は》へて、
 いまだ寐《ね》なふも。
 
 水久君野尓《ミククノニ》 可母能波抱能須《カモノハホノス》
 兒呂我宇倍尓《コロガウヘニ》 許等於呂波敝而《コトオロハヘテ》
 伊麻太宿奈布母《イマダネナフモ》
 
【譯】水づきの野に鴨の這うように、あの子の上に言を通わして、まだ寐ないことだ。
【釋】水久君野尓 ミククノニ。水潜る野に。水がびたびたの野に。ククは、潜る意の動詞。「波流乃野能《ハルノノノ》 之氣美登妣久々《シゲミトビクク》 鶯《ウグヒスノ》」(卷十七、三九六九)。
 可母能波抱能須 カモノハホノス。ハホノスは、匍フナス。ハフというが、泳ぐことであり歩むことでもある。以上二句、譬喩。言ヲ延ヘの意をたとえている。
 兒呂我宇倍尓 コロガウヘニ。かの兒の身上に。
 許等乎呂波敝而 コトヲロハヘテ。ロは接尾語。言ヲ延へテ。言を通じて。
 伊麻太宿奈布母 イマダネナフモ。ナフは打消の助動詞。
【評語】譬喩が奇拔なのは、目に見る所を使つたためであろう。全體にわたつて東歌らしい表現だ。
 
3526 沼二つ 通《かよ》は鳥が巣《す》、
 あが心 二行《ふたゆ》くなもと、
(401) なよ思《も》はりそね。
 
 奴麻布多都《ヌマフタツ》 可欲波等里我栖《カヨハトリガス》
 安我己許呂《アガココロ》 布多由久奈母等《フタユクナモト》
 奈與母波里曾祢《ナヨモハリソネ》
 
【譯】沼を二つ通う鳥の巣のように、わたしの心が二方に行くだろうと、お思いなさいますな。
【釋】可欲波等里我栖 カヨハトリガス。二つの沼に通つて作る鳥の巣。以上序詞で、次の二行クを引き起している。ガスをナスに同じとする説があるが、栖の字を書いているから、やはり巣であろう。
 安我己許呂布多由久奈母等 アガココロフタユクナモト。ナモはラムに同じ。二行クラムト。わたしの心が兩方に行くだろうと。「空蝉乃《ウツセミノ》 代也毛二行《ヨヤモフタユク》」(卷四、七三三)。
 奈與母波里曾称、ナヨモハリソネ。ナは禁止の助詞。ヨは感動の助詞。モハリは、思いありに同じ。下にネラハリ(三五二九)があり、ラ行變格か。その連用形。三五二九參照。この種のナの下に助詞のつく例は他にない。思つていてはいけない。
【評語】これも譬喩が警拔である。沼の多い地方に發生した歌だろう。水鳥が沼から沼へ飛び移るのを見て詠んだようだ。勿論その兩方に巣があるわけではないだろうが、兩方に巣があるように言つたのは、二個處に行く處があるわけではないことをあらわすために、設けたことである。
 
3527 沖に住《す》も を鴨《かも》のもころ、
 八尺鳥《やさかどり》 息づく妹を、
 置きて來《き》のかも。
 
 於吉尓須毛《オキニスモ》 乎加母乃母己呂《ヲカモノモコロ》
 也左可杼利《ヤサカドリ》 伊伎豆久伊毛乎《イキヅクイモヲ》
 於伎弖伎努可母《オキテキノカモ》
 
【譯】沖に住んでいる鴨のように、長い息をつく鳥の、ため息をつく妻を置いて來たことだ。
【釋】於吉尓須毛 オキニスモ。スモは住ムに同じ。鴨の習性を説いている。
(402) 乎加母乃毛己呂 ヲカモノモコロ。ヲは接頭語。愛稱で、ちいさい鴨ではない。モコロは、如しの意の語。「立者《タテバ》 玉藻之母許呂《タマモノモコロ》」(卷二、一九六)、「和例乎美於久流等《ワレヲミオクルト》 多々理之母己呂《タタリシモコロ》」(卷二十、四三七五)。語の性質は、如くあることの意の禮言であろう。
 也左可杼利 ヤサカドリ。ヤサカは八尺で長いことをいう。「吾嗟《ワガナゲク》 八尺之嗟《ヤサカノナゲキ》」(卷十三、三二七六)。ヤサカドリは、長い嗟《なげ》きをする鳥の意。鴨が長く水にくぐる鳥なので、そのように長い息をつく鳥である妹の意に、次の句を引き起している。
 伊伎豆久伊毛乎 イキヅクイモヲ。イキヅクは、嘆息をする。別れに臨んで嗟歎する妻を。
 於伎弖伎努可母 オキテキノカモ。キノカモは、來ヌカモに同じ。完了の助動詞ヌを努と書くことは、「等能妣久夜麻乎《トノビクヤマヲ》 古与弖伎恕加牟《コヨテキノカム》」(卷二十、四四〇三)などの例がある。奴と努とは、母音の相違で、通じて發音されていたのだろう。
【評語】兵士などに出て詠んだのだろう。前の歌と同じく、歎息する妻を鴨にたとえているが、八尺鳥の語は無理だ。水鳥の長い息をつくにたとえる先行の歌が記憶にあつて、それにとらわれて詠んだ歌と見える。
 
3528 水鳥の 立たむよそひに、
 妹のらに 物いはず來《き》にて、
 思ひかねつも。
 
 水都等利乃《ミヅトリノ》 多々武與曾比尓《タタムヨソヒニ》
 伊母能良尓《イモノラニ》 毛乃伊波受伎尓弖《モノイハズキニテ》 於毛比可祢都毛《オモヒカネツモ》
 
【譯】水鳥のように、出發しようとする準備に、わが妻に物をいわないで來てしまつて、思いに堪えないことだ。
【釋】水都等利乃 ミヅトリノ。枕詞。水鳥が立つ意に、次の句の立タムを冠する。
(403) 多々武與曾比尓 タタムヨソヒニ。タタムは、出發しよう。ヨソヒは、装い、準備。旅の支度に。
 伊母能良尓 イモノラニ。ノラは接尾語。妹ナロに同じ。
 毛乃伊波受伎尓弖 モノイハズキニテ。話をしないで來てしまつて。
 於毛比可祢都毛 オモヒカネツモ。思い得ない、堪えないことだ。
【評語】人麻呂の歌に「珠衣《たまぎぬ》のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず來て思ひかねつも」(卷四、五〇三)と下半が同じで、また防人の歌の「水鳥の立ちのいそぎに父母に物|言《は》ず來《け》にて今ぞ悔しき」(卷二十、四三三七)とも似よつている。かような形の歌が流傳していたことが知られる。これも兵士に出で立つた男の歌と考えられる。
 
3529 等夜《とや》の野に をさぎ窺《ねら》はり、
 をさをさも 寐なへ兒ゆゑに、
 母に嘖《ころ》ばえ。
 
 等夜乃野尓《トヤノノニ》 乎佐藝祢良波里《ヲサギネラハリ》
 乎佐乎左毛《ヲサヲサモ》 祢奈敝古由惠尓《ネナヘコユヱニ》
 波伴尓許呂波要《ハハニコロバエ》
 
【譯】等夜の野でウサギを覘《ねら》つていて、はかばかしくも寐ない兒だのに、母親におこられた。
【釋】等夜乃野尓 トヤノノニ。等夜は地名だろうが、所在不明。
 乎佐藝祢良波里 ヲサギネラハリ。ヲサギはウサギだろうが、ヲサギといつた文獻はない。雄ウサギの意か。ネラハリは、ネラヒアリに同じだろう。「奈與母波里曾禰《ナヨモハリソネ》」(卷十四、三五二六)のモハリと形が似ており、思ヒアリ、覘ヒアリを、モハリ、ネラハリと言つたのであろう。以上序で、同音によつて次のヲサヲサを引き起している。
 乎佐乎左毛 ヲサヲサモ。はかばかしく、見事になどの意の副詞だが、多くは下に否定の辭で受けている。ここも次のナヘが否定になつている。
(404) 祢奈敝古由惠尓 ネナヘコユヱニ。ナヘは、助動詞ナフの連體形で、ナフというべきを、往々ナヘと言つている。ユヱニは、そのために。多くはそれだのにの意を含む。
 波伴尓許呂波要 ハハニコロバエ。ハハは、女の母。コロバエは、叱られる、おこられる。コロブの被役の語法。「嘖讓、此(ヲバ)云(フ)2擧廬?《コロビト》1」(日本書紀卷一)。連用形で文を結んでいる例である。コロバユの轉音とも解せられる。
【評語】ウサギを序に使つているのは、地方色が出て、内容にも適した表現である。同音を利用して輕快な感じを與え、末句の留め方も輕くできている。口ずさみの歌らしい調子だ。
 
3530 さを鹿の 伏《ふ》すや叢《くさむら》、
 見えずとも、
 兒《こ》ろが金門《かなと》よ 行かくしえしも。
 
 左乎思鹿能《サヲシカノ》 布須也久草無良《フスヤクサムラ》
 見要受等母《ミエズトモ》
 兒呂家可奈門欲《コロガカナドヨ》 由可久之要思毛《ユカクシエシモ》
 
【譯】牡鹿の臥ている草叢のように、よし見えないでも、あの子の門口を通つて行くのはうれしいことだ。
【釋】左乎思鹿能 サヲシカノ。サは接頭語。左小牡鹿、左小鹿、左牡鹿など書いており、ヲの音に、小および壯の義を感じて、いずれとも決していなかつたらしい。
 布須也久草無良 フスヤクサムラ。ヤは感動の助詞。以上二句、序で、譬喩となつている。鹿が草叢に臥していると、見えないから、次の句を起している。
 見要受等母 ミエズトモ。愛する人が見えないでも。
 兒呂我可奈門欲 コロガカナトヨ。カナトは門。ヨは、を通つて。門口を通つて。
 由可久之要思母 ユカクシエシモ。ユカクは行くこと。エシは善し。
(405)【評語】草に臥している鹿を序に使つたのは、やはり東歌らしい趣である。思う人の門口を通つて行きたい氣もちが、素朴な表現で描かれている。この卷は、表意文字として、一字一音の文字を使用することがあるが、この歌にも、鹿見兒門など使われており、また、その語の意味をあらわす文字を表音假字の一部として使うものが往々にあるが、この二句の草むらのサの音をあらわすに、草の字をもつてしたなど、特色のある用字法がなされている。これはもと表意文字を多く使つて書かれていたものの一部が、殘されたのではないかとも考えられるのである。
 
3531 妹をこそ あひ見に來《こ》しか。
 眉《まよ》びきの 横山|邊《へ》ろの
 鹿猪《しし》なす思《おも》へる。
 
 伊母乎許曾《イモヲコソ》 安比美尓許思可《アヒミニコシカ》
 麻欲婢吉能《マヨビキノ》 與許夜麻敝呂能《ヨコヤマヘロノ》
 思之奈須於母敝流《シシナスオモヘル》
 
【譯】妹にこそ逢いに來たのだ。それだのに裾を引いている横山あたりの鹿のように思つている。
【釋】伊母乎許曾安比美尓許思可 イモヲコソアヒミニコシカ。あの愛人をこそ見には來たのだ。句切で、前提法になつている。
 麻欲婢吉能 マヨビキノ。枕詞。眉を引いて畫く。横に引くので横山の枕詞になる。
 與許夜麻敝呂能 ヨコヤマヘロノ。ロは接尾語。横山は、横に長くなつている形の山。
 思之奈須於母敝流 シシナスオモヘル。シシは鹿や猪。ナスは如く。シシのように思つている。女の母が思つているのである。
【評語】女に逢いに行つたのに、鹿や猪が山田を荒しに來たように思つて、追つ拂われた。「靈《たま》合《あ》へばあひ寐むものを小山田《をやまだ》の鹿猪田《ししだ》守《も》る如母し守《も》らすも」(卷十二、三〇〇〇)の内容と共通している。母が守つているの(406)ももつともだが、横山ヘロノ鹿猪ナス思ヘルという表現は、いかにもよく男の憤慨の情を描いている。地方色ゆたかな歌である。
 
3532 春の野に 草|食《ハ》む駒の、
 口|息《や》まず 吾《あ》をしのふらむ
 家の兒ろはも。
 
 波流能野尓《ハルノノニ》 久佐波牟古麻能《クサハムコマノ》
 久知夜麻受《クチヤマズ》 安乎思努布良武《アヲシノフラム》
 伊敝乃兒呂波母《イヘノコロハモ》
 
【譯】春の野で草を食つている駒のように、口を休めずにわたしを慕つているだろう家のあの子はなあ。
【釋】波流能野尓久佐波牟古麻能 ハルノノニクサハムコマノ。以上序詞で、駒が口を休めずに草を食うことから、次の句を引き起している。
 久知夜麻受 クチヤマズ。口を休めずに。次の句を修飾する。
 安乎思努布良武 アヲシノフラム。自分の噂をして慕つているだろう。連體句。
 伊敝乃兒呂波母 イヘノコロハモ。家に殘して來た妻を歌つている。
【評語】譬喩がいかにも器用にできている。春の野飼の駒を敍しているあたり、目に見るような風情である。三句以下の情味も、素朴な考え方でよい。これも遠く旅に出た男の歌である。
 
3533 人の兒の かなしけ時《しだ》は、
 濱渚鳥《ハマスドリ》 足惱《アナユ》む駒の、
 愛《ヲ》しけくもなし。
 
 比登乃兒乃《ヒトノコノ》 可奈思家之太波《カナシケシダハ》
 々麻渚杼里《ハマスドリ》 安奈由牟古麻能《アナユムコマノ》
 乎之家口母奈思《ヲシケクモナシ》
 
【譯】あの人の戀しい時は、濱渚の鳥のように、歩むのに苦しんでいる駒が、かわいそうだとも思わない。
(407)【釋】比登乃兒乃 ヒトノコノ。コは愛稱。人の子は愛人をいう。 可奈思家之太波 カナシケシダハ。カナシケは、カナシキに同じ。かわゆく思われる時は。
 波麻渚杼里 ハマスドリ。枕詞。濱の渚にいる鳥は、よたよたと、あるきにくそうに見えるので、足惱ムの語に冠する。
 安奈由牟古麻能 アナユムコマノ。アナユムは、足惱ム。歩行に難儀する。自分の乘つている駒のさまである。
 乎之家口母奈思 ヲシケクモナシ。ヲシケクは、形容詞ヲシの活用ヲシケに、コトの意味の助詞クが接續している。いとおしいこともない。
【評語】馬を愛する生活がもとになつてこの歌ができている。馬上に搖られながら、愛人を思う情が寫されている。東方人らしい歌だ。
 
3534 赤駒が 門出《カドデ》をしつつ、
 出でがてに 爲《せ》しを見立てし
 家の兒らはも。
 
 安可胡麻我《アカゴマガ》 可度弖乎思都々《カドデヲシツツ》
 伊弖可天尓《イデガテニ》 世之乎見多弖思《セシヲミタテシ》
 伊敝能兒良波母《イヘノコラハモ》
 
【譯】わたしの乘る赤い駒が、門出をしながら、出發しにくくしていたのを見送つた、わが家のあの子はなあ。
【釋】安可胡麻我 アカゴマガ。赤い駒が。作者の乘馬である。
 可度弖乎思都々 カドデヲシツツ。カドデは門出、出發。
 伊弖可天尓 イデガテニ。出發しかねて。ニは本來打消の助動詞であるが、ここでは助詞としてセシに接している。
(408) 世之乎見多弖思 セシヲミタテシ。爲《せ》しを見て出發せしめた。ミタテシは、見ていて出發させた意。見送つたのである。
 伊敝能兒良波母 イヘノコラハモ。わが家の妻を詠んでいる。ラは、もとより複數ではない。
【評語】兵士に出で立つた男の歌であろう。自分が出發しがたくしたのを、馬に託して詠んでいる。家に殘して來た妻の心を思いやつて詠んでいるが、中心は作者自身が妻を思う心で、それが五句において兼ねてあらわされている。赤駒の説明が長いので、上半はすこしくたどたどしくなつている。
 
3535 おのが命《を》を おほにな思ひそ。
 庭に立ち 笑《ゑ》ますがからに、
 駒に逢ふものを。
 
 於能我乎遠《オノガヲヲ》 於保尓奈於毛比曾《オホニナオモヒソ》
 尓波尓多知《ニハニタチ》 惠麻須我可良尓《ヱマスガカラニ》
 古麻尓安布毛能乎《コマニアフモノヲ》
 
【譯】自分の命をなおざりにお思いなさるな。庭に立つてにつこりなされば、あの方の駒に逢うのですよ。
【釋】於能我乎遠 オノガヲヲ。上のヲを、代匠記に尾とし、考に夫としている。どちらかといえば夫の方が解しやすい。しかし思うに、このヲは生命か。古事記崇神天皇の條に「意能賀袁袁《オノガヲヲ》 奴須美斯勢牟登《ヌスミシセムト》」(二三)の歌詞があり、「おのが命《を》を竊《ぬす》み弑《し》せむと」の意と解せられる。それと同じ形の句である。緒は長さのあるものであるから、生命を玉の緒にたとえる。單にヲとのみもいうのであろう。
 於保尓奈於毛比曾 オホニナオモヒソ。オホは、なおざり、疎略。粗末に思うな。句切。
 尓波尓多知 ニハニタチ。屋前に立つて。
 惠麻須我可良尓 ヱマスガカラニ。ヱマスは笑ムの敬語法。カラは故。
 古麻尓安布毛能乎 コマニアフモノヲ。コマは駒で、思う人の乘馬をいう。
(409)【評語】第三者が女子を慰めた歌のようだが、或るいは相手の男が與えた歌であるかも知れない。その女がくよくよと悲しんでいるのを慰めたもの。三句以下、よく民謠らしい風趣を宿している。
 
3536 赤駒を 打ちてさを牽《び》き、
 心|引《び》き、
 いかなる夫《せ》なか、
 吾《わ》がり來むといふ。
 
 安加胡麻乎《アカゴマヲ》 宇知弖左乎妣吉《ウチテサヲビキ》
 己許呂妣吉《ココロビキ》
 伊可奈流勢奈可《イカナルセナカ》
 和我理許武等伊布《ワガリコムトイフ》
 
【譯】赤駒を打つて手綱を引いて、そのように心を引いて、どういうお方ですか、わたしの處に來ようというのは。
【釋】安加胡麻乎宇知弖左乎妣吉 アカゴマヲウチテサヲビキ。サヲビキは、サは接頭語。ヲは緒で、馬の手繩をいう。熟語としてビを濁音に書いている。赤い駒を打ち、また手綱を引いてで、男の來る樣を描き、かつこれをもつて次の心引キを引き起している。
 己許呂妣吉 ココロビキ。心を引き寄せる。心を向かわせる。好意を持たせる。「荒玉乃《アラタマノ》 年緒長久《トシノヲナグク》 相見?之《アヒミテシ》 彼心引《ソノココロヒキ》 將v忘也毛《ワスラエメヤモ》」(卷十九、四二四八)。これもココロヒキと清音に讀みたい所だが、妣の字を書いている。ハ行音の音質の考察に役立つだろう。以上、男の來る樣である。
 伊可奈流勢奈可 イカナルセナカ。こうして寄つてくる男に、一往疑問を與えている。下のカは、疑問の係助詞。
 和我理許武等伊布 ワガリコムトイフ。ワガリは、自分のもとに。四句を受けて結んでいるが、この句の内容は事實として、疑つていない。
(410)【評語】二句と三句とに同音の語を重ねて、調子を躍動させている。事實の描寫から次の句を引き出す手段など巧みなものである。内容もこれにふさわしく曲折をもつている歌である。
 
3537 垣越《くへご》しに麥|食《は》む小馬《こうま》の、
 はつはつに 相見し子らし、
 あやに愛《かな》しも。
 
 久敝胡之尓《クヘゴシニ》 武藝波武古宇馬能《ムギハムコウマノ》
 波都々々尓《ハツハツニ》 安比見之兒良之《アヒミシコラシ》
 安夜尓可奈思母《アヤニカナシモ》
 
【譯】柵越しに麥を食う小馬のように、わずかに逢つたあの子が、ほんとうにかわいいことだ。
【釋】久敝胡之尓 クヘゴシニ。クヘは、柵のことだろう。木隔の義か、不明。柵があるのに、その柵のあいだから首をつつこんで麥を食うのである。
 武藝波武古宇馬能 ムギハムコウマノ。ムギ食ム小馬ノで、コウマは駒の語義であると考えられる。ちいさい馬ではなく、馬の愛稱と見られる。以上序詞で、次の句を引き起している。
 波都々々尓 ハツハツニ。わずかに、かろうじて。集中、小端、端々をハツハツニと讀んでいる。「波都波都爾《ハツハツニ》 人乎相見而《ヒトヲアヒミテ》」(卷四、七〇一)。
 安比見之兒良之 アヒミシコラシ。コラは、あの子。その下のシは助詞。
【評語】序詞が田舍ふうでよい。或る本の歌の傳來もあつて、歌われていたことが知られる。四五句が、類型的なのもそのゆえだろう。
 
或本歌曰、
 
宇麻勢胡之《ウマセゴシ》 牟伎波武古麻能《ムギハムコマノ》 波都々々尓《ハツハツニ》 仁必波太布禮思《ニヒハダフレシ》 (411)古呂之可奈思母《コロシカナシモ》
 
或る本の歌に曰はく、
 
馬柵越《うませご》し 麥|食《は》む駒の はつはつに 新膚《にひはだ》觸《ふ》れし 兒《こ》ろし愛《かな》しも。
 
【譯】馬柵越しに麥を食う駒のように、わずかに始めて膚を觸れたあの子がかわいいことだ。
【釋】宇麻勢胡之 ウマセゴシ。ウマセは、馬柵。セは塞くものの義。「赤駒乃《アカゴマノ》 越馬柵之《コユルウマセノ》 緘結師《シメユヒシ》 妹情者《イモガココロハ》 疑毛奈思《ウタガヒモナシ》」(卷四、五三〇)。
 牟伎波武古麻能 ムギハムコマノ。以上二句、序詞。
 仁必波太布禮思 ニヒハダフレシ。女の始めて人に接する膚をニヒハダと言つている。
【評語】女の新膚に觸れた男の喜びが歌われている。前の歌よりも、露骨に歌つているだけに、特殊性があつて、よい歌になつている。
 
3538 ひろ橋を 馬越しがねて、
 心のみ 妹《いも》がり遣《や》りて、
 吾《わ》は此處《ここ》にして。
 
 比呂波之乎《ヒロハシヲ》 宇馬古思我祢弖《ウマコシガネテ》
 己許呂能未《ココロノミ》 伊母我理夜里弖《イモガリヤリテ》
 和波己許尓思天《ワハココニシテ》
 
【譯】廣い橋を、馬が越しかねて、心ばかりは妻のもとに遣つて、わたしはここで。
【釋】比呂波之乎 ヒロハシヲ。ヒロハシは廣橋。川幅の廣い川を廣川といい、それに渡した橋をいうか。廣瀬というも、幅の廣い瀬である。但し比較的に幅の廣い橋をいい、ヲはそれだのにの意味を含むとも解される。
 己許呂能末 ココロノミ。自分の心ばかりを。
(412) 伊母我理夜里弖 イモガリヤリテ。妹のもとに遣つて。
 和波己許尓思天 ワハココニシテ。自分は、ここに留まつていて。
【評語】表現が素朴である。二句と四句五句とをテで留めているのも、幼稚な言い方ともいえるほどに、たどたどしく、それがかえつて純粹な心の表現に役立つている。初二句の意味もはつきりしないのは、やはり表現が幼いからなのだろう。素人くさい歌で、それで效果を擧げている。馬が詠まれているが、寄物ではない。
 
或本歌發句曰、乎波夜之尓《ヲハヤシニ》 古麻乎波左佐氣《コマヲハササゲ》
 
或る本の歌の發句に曰はく、小林に 駒をはささげ。
 
【釋】發句 ハジメノク。初めの方の句をいう。ここは第一二句。
 乎波夜之尓 ヲハヤシニ。ヲは愛稱。「烏麼野始?《ヲバヤシニ》 倭例烏比岐例底《ワレヲヒキレテ》」(日本書紀一一一)。
 古麻乎波左佐氣 コマヲハササゲ。ハササゲは、馳サセ上ゲであろう。「佐射禮伊思爾《サザレイシニ》 古馬乎波佐世弖《コマヲハサセテ》」(卷十四、三五四二)の例があつて、ハサセテの語のあつたことが知られる。それは馳せさせての意であろう。林中に馬を馳せ入れてで、やはり進行が意の如くでないことをいう。
 
3539 崩岸《あず》の上《うへ》に 駒を繋《つな》ぎて、
 危《あや》ほかど、
 他妻《ひとづま》兒《こ》ろを 息《いき》にわがする。
 
 安受乃宇敝尓《アズノウヘニ》 古馬乎都奈伎弖《コマヲツナギテ》
 安夜抱可等《アヤホカド》
 比登都麻古呂乎《ヒトヅマコロヲ》 伊吉尓和我須流《イキニワガスル》
 
【譯】斷崖の上に駒をつないで、そのように危いけれども、人妻であるあの子を、しじゆうわたしは思つている。
(413)【釋】安受乃宇敝尓 アズノウヘニ。アズは、新撰字鏡に「※[土+冊]、音甘紺(ノ)二反、崩(レタル)岸也。久豆禮《クヅレ》、又|阿須《アス》」とある。崖くずれである。
 古馬乎都奈伎弖 コマヲツナギテ。以上二句、序詞。譬喩として使われている。
 安夜抱可等 アヤホカド。危カド。危ケドに同じ。アヤフケをアヤホカに轉じている。「等抱可騰母《トホカドモ》」(卷十四、三四七三)の例である。人妻を思うことを危いとしている。
 比登都麻古呂乎 ヒトヅマコロヲ。人妻兒ロヲ。人妻なる兒ろを。
 伊吉尓和我須流 イキニワガスル。息ニワガスル。呼息の如く常に思う。「君乎曾母等奈《キミヲゾモトナ》 伊吉能乎爾念《イキノヲニオモフ》」(卷十九、四二八一)に註して、「左(ノ)大臣換(ヘテ)v尾(ヲ)云(フ)、伊伎能乎爾須流《イキノヲニスル》」とあり、息ノ緒ニ思フ、息ノ緒ニスルと、同意と見られる。
【評語】譬喩が奇警で、田舍人の歌らしい。やむにやまれない人妻に對する心が歌われている。
 
3540 左和多里《さわたり》の 手兒《てこ》にい行き遇《あ》ひ、
 赤駒が 足掻《あがき》を速《はや》み、
 言《こと》問《と》はず來《き》ぬ。
 
 左和多里能《サワタリノ》 手兒尓伊由伎安比《テコニイユキアヒ》
 安可故麻我《アカゴマガ》 安我伎乎波夜美《アガキヲハヤミ》
 許等登波受伎奴《コトトハズキヌ》
 
【譯】左和多里の娘つ子に行き逢つて、わたしの赤い駒が足の運びが早くて、物をいわないで來た。
【釋】左和多里能 サワタリノ。左和多理は地名だろうが、所在不明。澤渡りの義であろう。またサは接頭語か。
 手兒尓伊由伎安比 テコニイユキアヒ。手兒は娘子。イは接頭語。
 安可故麻我安我伎乎波夜美 アカゴマガアガキヲハヤミ。赤駒ガ足掻ヲ速ミ。自分の乘つている馬の歩みが(414)速くして。アガキは、馬の足の運び。
 許等登波受伎奴 コトトハズキヌ。物を言う隙もなく來てしまつた。
【評語】心殘りの情が、平易な表現で歌われている。すなおなあらわし方のうちに、ひとふしの風情のあるを味うべきである
 
3541 崩岸上《あずへ》から 駒の行《ゆ》このす、
 危《あや》はども、
 人妻《ひとづま》兒《こ》ろを ま|行《ゆ》かせらふも。
 
 安受倍可良《アズヘカラ》 古麻乃由胡能須《コマノユコノス》
 安也波刀文《アヤハドモ》
 比等豆麻古呂乎《ヒトヅマコロヲ》 麻由可西良布母《マユカセラフモ》
 
【譯】斷崖の上から駒が行くように、危いけれども、人妻であるあの子を行かせることだ。
【釋】安受倍可良 アズヘカラ。アズは既出。三五三九參照。崖くずれの上から。倍は乙類のヘで、邊のヘとは違う。上の義であろう。
 古麻乃由胡能須 コマノユコノス。駒ノ行コノス。ノスはナスに同じ。
 安也波刀文 アヤハドモ。危フドモか。歌意および前の三五三九の歌の第三句に照らして、アヤハが、危ヲ含んでいることは推定される。但し危カドモの約であるかどうか不明。刀の字は、助詞のトと音が違う。
 麻由可西良布母 マユカセラフモ。マは接頭語。ユカセラフは、行カセラフで、行クの敬語行カスに助動詞リの接續したもののハ行再活用で、おいでになるの意か。ある處へ誘い出したの意であろう。
【評語】不明の句があつて、その意を得るに苦しむが、前の三五三九の歌と、ほぼ同じ内容の歌なのであろう。もと一つの歌から歌いかえられたものと考えられる。斷崖と馬との關係を譬喩として人妻を詠んだ點に興味があつて、歌い傳えられたものである。
 
(415)3542 細石《さざれいし》に 駒を馳《は》させて、
 心|痛《いた》み あが思《も》ふ妹が
 家のあたりかも。
 
 佐射禮伊思尓《サザレイシニ》 古馬乎波佐世弖《コマヲハサセテ》
 己許呂伊多美《ココロイタミ》 安我毛布伊毛我《アガモフイモガ》
 伊敝乃安多里可聞《イヘノアタリカモ》
 
【譯】小石の處に駒を走らせて、そのように心が惱ましくわたしの思つている妻の家の邊であるよ。
【釋】佐射禮伊思尓 サザレイシニ。サザレイシは小石で、ここは小石原。
 古馬乎波佐世弖 コマヲハサセテ。ハサセテは、馳サセテ。以上二句、譬喩で、次の句を引き起している。小石原で馬が難儀をするので、心痛ミを引き出している。
 己許呂伊多美安我毛布伊毛我 ココロイタミアガモフイモガ。わが心を惱まして思う妹の。
 伊敝乃安多里可聞 イヘノアタリカモ。家ノ邊カモ。カモは感動をあらわしている。家のあたりを思うのである。
【評語】この序も歌いものとして類型的なものであるらしい。總じて、馬が歩むに苦しむことを歌つている歌の多い點は、馬に親しんでいる地方の生活を思わしめる。
 
3543 むろがやの 都留《つる》の堤の、
 成りぬがに 兒ろは言へども、
 いまだ寐なくに。
 
 武路我夜乃《ムロガヤノ》 都留能都追美乃《ツルノツツミノ》
 那利奴賀尓《ナリヌガニ》 古呂波伊敝杼母《コロハイヘドモ》
 伊末太年那久尓《イマダネナクニ》
 
【譯】室の草の包む、その都留の堤のように、成り立つたとあの子はいうけれども、まだ寐ないことだ。
【釋】武路我夜乃 ムロガヤノ。枕詞であろう。語義は室草ノで、室を蔽つている草が、その室を包んでいる(416)というので、次の句の堤に懸かるのだろう。または草の蔓とツルに冠するか。
 都留能都追美乃 ツルノツツミノ。ツルは、甲斐の國の都留が有名だが、その地かどうか不明。その地とすれば、桂川の堤か、疑わしい。以上二句、序詞で、次の句を引き起している。
 那利奴賀尓 ナリヌガニ。ナリヌは、關係のできたことをいう。戀が成就したように。
 古呂波伊敝杼母 コロハイヘドモ。その子は承諾したけれども。
 伊末太年那久尓 イマダネナクニ。まだ寐ないことだ。
【評語】都留の堤のできた頃に、それに關係を持つて歌つた歌である。調子のよい歌で、やはり歌われていたのであろう。以下地文關係の歌で、堤一首、川三首、こもり沼一首、瀬一首、潟一首、波二首、浦一首、潮一首、水一首、船五首、マソホ一首、田一首、海藻二首の順になつている。大體水に縁あるものだが、マソホは縁なく、また船と海藻とは他と性質が違う。これも入り亂れていることを語るものである。
 
3544 明日香河《あすかがは》、
 下《した》濁れるを 知らずして、
 夫《せ》ななと二人 さ寐《ね》てくやしも。
 
 阿須可河伯《アスカガハ》
 之多尓其禮留乎《シタニゴレルヲ》 之良受思天《シラズシテ》
 勢奈那登布多理《セナナトフタリ》 左宿而久也思母《サネテクヤシモ》
 
【譯】明日香川は、底が濁つていると知らないで、あなたと二人で寐て殘念な事です。
【釋】阿須可河伯 アスカガハ。大和の明日香川であろう。その川を譬喩に使つている。
 之多尓其禮留乎 シタニゴレルヲ。下濁レルヲ。河水の底の方が濁つているのをの意で、男の心が、下に不純なものを藏しているのをたとえている。
 勢奈那登布多理 セナナトフタリ。セナナは、夫ナに、更に親愛の意の接尾語ナをつけたもの。夫ナが熟語(417)として、語原を忘れて使われていたために、更にナをつけたのだろう。他に例はない。
 左宿而久也思母 サネテクヤシモ。サは接頸語。寐たことを遺憾としている。
【評語】明日香川は、歌いものにもはいつていたであろうが、やはり大和の國で詠んだものであろう。夫ナナは東語であるが、東人である男に對して、わざとこの語を使つたものとも見られる。しかし實際の東人ではなく、東方から歸つて來た人を、東男に擬して詠んでいるのであろう。内容は、女の怨言で、明日香川の下濁れるを譬喩に使つたのは巧みだが、作りものめいて、いやみになつている。
 
3545 明日香川、
 塞《せ》くと知りせば、
 數多夜《あまたよ》も 率寐《ゐね》て來《こ》ましを。
 塞《せ》くと知りせば。
 
 安須可河伯《アスカガハ》
 世久登之里世波《セクトシリセバ》
 安麻多欲母《アマタヨモ》 爲祢弖己麻思乎《ヰネテコマシヲ》
 世久得四里世婆《セクトシリセバ》
 
【譯】明日香川を、塞くと知つたなら、幾晩も一緒に寐て來たものを。塞くと知つたなら。
【釋】世久登之里世波 セクトシリセバ。川の水を塞き留めると知つたら。女が逢うことを拒むと知つたらの意を寓している。
 安麻多欲母 アマタヨモ。多數の夜も。
 爲祢弖己麻思乎 ヰネテコマシヲ。共に寐て來たろうものを、そうでなくて殘念だ。女のもとから別れて詠んでいる。句切。
 世久得四里世婆 セクトシリセバ。第二句を繰り返している。
【評語】前の歌に對する男の答歌と考えられる。二句と五句とに同句を使つて、歌いものの格調を保つている。(418)これも歌いものとして傳えられた歌を變えて詠んだのだろう。
 
3546 青楊《あをやぎ》の 萌《は》らろ川門《かはと》に、
 汝《な》を待つと
 清水《せみど》は汲《く》まず、
 立處《たちど》ならすも。
 
 安乎楊木能《アヲヤギノ》 波良路可波刀尓《ハラロカハトニ》
 奈乎麻都等《ナヲマツト》
 西美虔度久末受《セミドハクマズ》
 多知皮奈良須母《タチドナラスモ》
 
【譯】青楊の芽ぶいている川の門口で、あなたを待つとして、清水を汲まないで、立つている處をならします、
【釋】安乎楊木能 アヲヤギノ。アヲヤギは、青いカワヤナギ。楊の字は、楊奈疑の場合は、ヤの音をあらわすために使われていると見られるが、ここは木の字と共に表意文字であるとも見られる。
 波良路可波刀尓 ハラロカハトニ。ハラロは萌レル。「由佳可母布良留《ユキカモフラル》」(卷十四、三三五一)のフラルと同じ言い方。カハトは、河門。河川の門のようになつている地形。渡り場である。
 奈乎麻都等 ナヲマツト。汝を待つとして。汝は、思う男をいう。
 西美度波久末受 セミドハクマズ。セミドは清水。水を汲みに來て水を汲まないで。
 多知度奈良須母 タチドナラスモ。タチドは、立ち處。ナラスは、踏んでたいらにする。一つ處に立ち留まつている形容。
【評語】春の川邊に水を汲みに來て、男が來るかと待つている情景が歌われている。美しい歌いものである。
 
3547 あぢの住む 須沙《すさ》の入江の
 こもり沼《ぬ》の、
(419) あな息衝《いきづ》かし。
 見ず久にして。
 
 阿遲乃須牟《アヂノスム》 須沙能伊利江乃《スサノイリエノ》
 許母理沼乃《コモリヌノ》
 安奈伊伎豆加思《アナイキヅカシ》
 美受比佐尓指天《ミズヒサニシテ》
 
【譯】アヂカモの住んでいる須沙の入江にあるこもつた沼のように、うつとうしくため息がつかれる。逢わないで久しくなつて。
【釋】阿遲乃須牟 アヂノスム。アヂは鴨の一種。群棲する。
 須沙能伊利江乃 スサノイリエノ。スサは地名だろうが所在不明。「味乃住《アヂノスム》 渚沙乃入江之《スサノイリエノ》 荒礒松《アリソマツ》」(卷十一、二七五一)とも詠まれている。
 許母理沼乃 コモリヌノ。コモリヌは、水の出口のない沼。以上序詞で、出口がなくこもつているので、はればれしない意に次の句に續く。
 安奈伊伎豆加思 アナイキヅカシ。アナは、感動の詞。イキヅカシは、息づくようにある意の形容詞。ああ嘆息がされることだ。句切。
 美受比佐尓指天 ミズヒサニシテ。君を見ないこと久しくして。
【評語】序詞がわざとらしく仰々しい。こもり沼を序に使うことは多く類型的であり、序で持たせている歌だけに、特殊感が乏しい。歌いものとして行われている句を使つて、下文を變えたものだろう。
 
3548 鳴瀬《なるせ》ろに 木屑《こつ》の寄《よ》すなす、
 いとのきて 愛《かな》しけ夫《せ》ろに、
 人さへ寄《よ》すも。
 
 奈流世呂尓《ナルセロニ》 木都能余須奈須《コツノヨスナス》
 伊等能伎提《イトノキテ》 可奈思家世呂尓《カナシケセロニ》
 比等佐敝余須母《ヒトサヘヨスモ》
 
(420)【譯】音の高い瀬に木屑が寄せるように、非常に戀しいあの方に、人までも寄せてくることだ。
【釋】奈流世呂尓 ナルセロニ。ナルセロは、鳴瀬ロで、流れの音の高い瀬。ロは接尾語。川にも海にもいえるだろうが、木屑からいえば、川だろう。
 木都能余須奈須 コツノヨスナス。コツは、コツミに同じ。「保理江欲利《ホリエヨリ》 安佐之保美知爾《アサシホミチニ》 與流許都美《ヨルコツミ》」(卷二十、四三九六)。樹葉、樹枝などのくず。以上二句、譬喩、下文の人サヘ寄スをたとえている。
 伊等能伎提 イトノキテ。非常に、甚。「伊等乃伎提《イトノキテ》 短物乎《ミジカキモノヲ》」(卷五、八九二)、「伊等能伎提《イトノキテ》 痛伎瘡爾波《イタキキズニハ》」(同、八九七)。「五十殿寸太《イトノキテ》 薄寸眉根乎《ウスキマヨネヲ》」(卷十二、二九〇三)ともあり、イトノキダとも言つたか。
 可奈思家世呂尓 カナシケセロニ。かなしき夫ろに。いとしい男に。
 比等佐敝余須母 ヒトサヘヨスモ。他の人までも寄せる。自分以外にも寄る人があるの意。
【評語】二句と五句とにヨスを使つて對比させている。巧みな表現であり、初句の鳴瀬も、人の驛ぐ意がこもつているようである。
 
3549 多由比潟《たゆひがた》 潮滿ちわたる。
 何處《いづ》ゆかも、
 愛《かな》しき夫《せ》ろが 吾《わ》がり通はむ。
 
 多由比我多《タユヒガタ》 志保弥知和多流《シホミチワタル》
 伊豆由可母《イヅユカモ》
 加奈之伎世呂我《カナシキセロガ》 和賀利可欲波牟《ワガリカヨハム》
 
【譯】多由比潟に潮が滿ちわたる。何處を通つてか、戀しいあの方が、わたしのところに通うだろう。
【釋】多由比我多 タユヒガタ。地名だろうが所在未詳。越前の國の手結《たゆい》が浦は有名である。歌意によれば、潮が干れば通れる地形であるだろう。
 志保弥知和多流 シホミチワタル。潮が滿ちて行き渡つた。潮がいつぱいになつた。句切。
(421) 伊豆由可母 イヅユカモ。何方を通つてか。カモは係助詞。
 和賀利可欲波牟 ワガリカヨハム。わがもとに通うだろう。
【評語】男の海岸を通つて通うのを待つている女の歌である。既出の「まかなしみさ寐に吾《わ》は行く鎌倉のみなのせ川に潮滿つなむか」(卷十四、三三六六)の歌の女の場合である。男が途中で障えられているだろうと心配している心がよく出ている。多由比潟を眺めて詠んでいるのだろう。
 
3550 おして否《いな》と 稻は舂《つ》かねど、
 波の穗の いたぶらしもよ。
 昨夜《きぞ》ひとり寐《ね》て。
 
 於志弖伊奈等《オシテイナト》 伊祢波都可祢杼《イネハツカネド》
 奈美乃保能《ナミノホノ》 伊多夫良思毛與《イタブラシモヨ》
 伎曾比登里宿而《キゾヒトリネテ》
 
【譯】しいていやだと稻を舂くわけではないが、波の穗のようにひどく落ちつかなかつた。昨夜ひとりで寐て。
【釋】於志弖伊奈等 オシテイナト。しいて否と。
 伊祢波都可祢杼 イネハツカネド。しいて否と拒絶することを、稻を舂くことによつて表現している。イナとイネとが同音で、否という意になる。否と言つて拒むのではないけれどもしかしの意。
 奈美乃保能 ナミノホノ。枕詞。ナミノホは、浪の高い處。集中では唯一の例である。古事記には「御毛沼《みけぬ》の命は浪の穗をふみて常世の國に渡りましき」など、しばしば見えている。譬喩によつて、次句のイタブラシを起している。
 伊多夫良思毛與 イタブラシモヨ。イタブラシは、動詞イタブルから轉成した形容詞。イタブルは「風緒痛《カゼヲイタミ》 甚振浪能《イタブルナミノ》 間無《アヒダナク》」(卷十、二七三六)の如く、ひどく浪のうち寄せるのをいう。そこで、ひどく動搖する?態にあるをイタブラシという。心が騷いでおちつかないのである。モヨは感動の助詞。
(422) 伎曾比登里宿而 キゾヒトリネテ。昨夜ひとりで寐て。四句を修飾している。
【評語】しいていやというわけでもないが、一往拒絶してひとりで寐て、しかも安らかに寐られなかつた女の歌である。かなり複雜な内容を盛つているだけに、表現も巧みにできている。否というを、稻をつくというのは、流行の語であろう。これも稻つき歌として、かような語が使われているのだろう。譬喩や枕詞でごたごたしているが、田舍らしい情趣はある歌だ。
 
3551 味鎌《あぢかま》の 潟《かた》にさく波、
 平瀬《ひらせ》にも 紐解くものか。
 かなしけをおきて。
 
 阿遲可麻能《アヂカマノ》 可多尓左久奈美《カタニサクナミ》
 比良湍尓母《ヒラセニモ》 比毛登久毛能可《ヒモトクモノカ》
 加奈思家乎於吉弖《カナシケヲオキテ》
 
【譯】味鎌の潟で裂ける波は、たいらな瀬でも裂けるように、通り一遍の男にも紐を解いて寐ることだなあ。いとしい人をさしおいて。
【釋】阿遲可麻能 アヂカマノ。アヂカマは地名だろうが所在不明。下に「安治可麻能《アヂカマノ》 可家能水奈刀爾《カケノミナトニ》 伊流思保乃《イルシホノ》」(卷十四、三五五三)とある。また「味鎌之《アヂカマノ》 鹽津乎射而《シホツヲサシテ》」(卷十一、二七四七)とあるによれば、近江かとも取れるが、二首の東歌の趣は、海濱を歌つているようだから、その地とも決し難い。但し本歌は海を歌つても、それに不似合な地名をさしかえることもある。
 可多尓左久奈美 カタニサクナミ。カタは、潟。サクは、波の割れて白く立つをいう。「宇奈波良乃宇倍爾《ウナハラノウヘニ》 奈頭那佐伎曾禰《ナミナサキソネ》」(卷二十、四三三五)。以上二句、主格の提示で、三四句がこれを受けている。
 比良湍尓母 ヒラセニモ。ヒラセは、たいらな湍。しずかな瀬で、平凡な男、一般の客をたとえている。セに男の意を感じているかもしれない。「叔羅河《スクラガハ》 奈津左比泝《ナヅサヒノボリ》 平瀬爾波《ヒラセニハ》 左泥刺渡《サデサシワタシ》」(卷十九、四一八九)。
(423) 比毛登久毛能可 ヒモトクモノカ。ヒモトクは、紐解クで、女が男に膚を許すをいう。モノカは、詠歎と反語とがある。「海若者《ワタツミハ》 靈寸物香《クスシキモノカ》」(卷三、三八八)、「可乃婆可里《カクバカリ》 須部奈伎物能可《スベナキモノカ》 世間乃道《ヨノナカノミチ》」(卷五、八九二)などは詠歎であり、「湊自《ミナトヨリ》 邊著經時爾《ヘツカフトキニ》 可v放鬼香《サクベキモノカ》」(卷七、一四〇二)、「人之遠名乎《ヒトノトホナヲ》 可v立物可《タツベキモノカ》」(卷十一、二七七二)の如きは、反語である。ここはどちらにも取れるが、女子が思わない人に身を許すことを歎いていると見るべきだろう。
 加奈思家乎於吉弖 カナシケヲオキテ。カナシケは、かなしき人。愛せられる人。
【評語】巧みに譬喩が使われている。歌いものから出て、また歌いものとされていたであろう。その巧みな譬喩をさしていやみにも感じさせないのは、四五句の表出にある。味鎌の澤のあたりにいる人の自嘲的な歌と見られ、海上に咲き立てる波を見て思いを寄せた風情が味わわるべきである。
 
3552 松が浦に さわゑうらだち、
 眞他言《まひとごと》 思ほすなもろ。
 わが思《も》ほのすも。
 
 麻都我宇良尓《マツガウラニ》 佐和惠宇良太知《サワヱウラダチ》
 麻比登其等《マヒトゴト》 於毛抱須奈母呂《オモホスナモロ》
 和賀母抱乃須毛《ワガモホノスモ》
 
【譯】松が浦に風が立つように、人の言葉をお思いになるだろう。わたしが思うようにも。
【釋】麻都我宇艮尓 マツガウラニ。マツガウラは、松ガ浦か。地名だろうが所在不明。
 佐和惠宇良太知 サワヱウラダチ。サワヱは、風の名か。「風位考資料」に、ハエという風の分布が廣いが、關係があるか。また波の音の擬聲に、接尾語ヱがついて、波の騷ぐ音をいうのであろうか。「口大之尾翼鱸《クチオホノヲハタスズキ》、佐和佐和邇控依騰而《サワサワニヒキヨセアゲテ》」(古事記上卷)。ウラダチは、浦立チで、その浦に立つてであろう。以上序詞で、風の騷ぐようにと、人言のうるさく立つのを敍している。
(424) 麻比登其等 マヒトゴト。マは接頭語。ヒトゴトは、他の言。人がとやかくという事。
 於毛抱須奈母呂 オモホスナモロ。ナモは、ラムに同じ。ロは接尾語。思ホスラムヨ。句切。
 和賀母抱乃須毛 ワガモホノスモ。モホノスは、思フナスに同じ。自分が思つている、そのように。この思うは君を思うのである。わが思うように。下のモは感動の助詞。
【評語】これも歌いものから來ている。感動の助詞が四五句に使われて、東歌にふさわしい格調を成している。
 
3553 味鎌の 可家《かけ》の水門《みなと》に
 入る潮の、
 言《こて》たずくもか。
 入りて寢まくも。
 
 安治可麻能《アヂカマノ》 可家能水奈刀尓《カケノミナトニ》
 伊流思保乃《イルシホノ》
 許弖多受久毛可《コテタズクモカ》
 伊里弖祢麻久母《イリテネマクモ》
 
【譯】味鎌の可家の水門に入る潮のように、言葉が助けるのか、はいつて寐ようことだ。
【釋】可家能水奈刀尓 カケノミナトニ。カケは地名だろうが、所在未詳。ミナトは、水の入口、江口、灣口。
 伊流思保乃 イルシホノ。その江口にはいる潮のように。序詞で、譬喩になつて、五句の入リテを引き起しているらしい。
 許弖多受久毛可 コテタズクモカ。未詳の句。言出スクモカとすれば、多が清音の字であり、クの説明がつかない弱點がある。今、言助クモカの義とする。言葉が助けることかの意とするのである。句切。その他、誤字説もあるが、採用しがたい。
 伊里弖祢麻久母 イリテネマクモ。入りて寐むことよの意。モは感動の助詞。次の歌にもある句。
【評語】四句が不明なので、評も下しがたい。上三句の序は、地名をさしかえて使われる型であろう。五句は、(425)露骨な表現である。
 
3554 妹が寐《ぬ》る 床のあたりに、
 石《いは》ぐくる 水にもがもよ。
 入りて寐《ね》まくも。
 
 伊毛我奴流《イモガヌル》 等許乃安多理尓《トコノアタリニ》
 伊波具久留《イハグクル》 水都尓母我毛與《ミヅニモガモヨ》
 伊里弖祢末久母《イリテネマクモ》
 
【譯】わが妻の寐る床のあたりに、岩をくぐる水であつたらなあ。はいつて寐ようのに。
【釋】伊毛我奴流等許乃安多理尓 イモガヌルトコノアタリニ。句を隔てて五句に接續していて、三四句は插入文の形になつている。
 伊波具久留水都尓母我毛與 イハグクルミヅニモガモヨ。岩をくぐる水であつたら、どのような處へも行かれる意。句切。
 伊里弖祢末久母 イリテネマクモ。はいつて寐よう。二句を受けている。
【評語】隨分露骨な内容だが、三四句の譬喩があつて、緩和されており、風情をさえ生じている。こういう場合には、譬喩も極めて有效である。
 
3555 麻久良我《まくらが》の 許我《こが》の渡《わた》りの、
 唐楫《からかぢ》の、
 音《おと》高しもな。
 寐《ね》なへ兒ゆゑに。
 
 麻久良我乃《マクラガノ》 許我能和多利乃《コガノワタリノ》
 可良加治乃《カラカヂノ》
 於登太可思母奈《オトダカシモナ》
 宿莫敝兒由惠尓《ネナヘコユヱニ》
 
【譯】麻久良我の許我の渡し場の、唐楫の音のように、うわさが高いことだ。寐ない子だのに。
(426)【釋】麻久艮我乃許我能和多利乃 マクラガノコガノワタリノ。マクラガノコガは所在不明。下の三五五八にもある。コガは、下總の古河《こが》とする説があり、そうとすれば、利根川の渡りになる。ワタリは、河海などの、渡るべき處。
 可良加治乃 カラカヂノ。カラカヂは、大陸ふうの楫。唐艪。以上序詞で、次の音高シを引き起している。船漕ぐ音が高いというのである。
 於登太可思母奈 オトダカシモナ。音高シモナ。人の口がうるさく、噂の高いことをいう。モナは、感動の助詞。句切。
 宿莫敝兒由惠尓 ネナヘコユヱニ。ナヘは、打消の助動詞ナフで、それがナヘに轉じている。ユヱニはそのゆえに、それだのにの意。三五二九にもある句。
【評語】類型的な内容であり、形式も、歌いものに型があつて、語をさしかえてできているのだろう。渡頭附近の里で歌われた歌であろう。
 
3556 潮船《しほぶね》の 置かればかなし。
 さ寐つれば 人言《ひとごと》しげし。
 汝《な》をどかも爲《し》む。
 
 思保夫祢能《シホブネノ》 於可禮婆可奈之《オカレバカナシ》
 左宿都禮婆《サネツレバ》 比登其等思氣志《ヒトゴトシゲシ》
 那乎杼可母思武《ナヲドカモシム》
 
【譯】海の船のように、うち置けば思われる。さりとて寐れば人の口がうるさい。お前をどうしようか。
【釋】思保夫祢能 シホブネノ。枕詞。シホブネは、海の船。その船を海濱に置く意に、次の句を引き起している。
 於可禮婆可奈之 オカレバカナシ。オカレバは、置ケレバに同じ。女をそのままにさし置けばの意。カナシ(427)は、いとしく情が迫つて來る意の形容詞。句切。
 左宿都禮婆 サネツレバ。サは接頭語。
 比登其等思氣志 ヒトゴトシゲシ。人言が繁くある。人の口がうるさくある。句切。
 那乎杼可母思武 ナヲドカモシム。汝ヲ何トカモ爲ム。何トを、アドといい、そのアを略している。シムはセムの轉音。汝をどうしたらよかろう。
【評語】初二句と三四句とが、對比してできている。そうして五句で、何とも致しようのない心を述べている構成は巧みといえる。初句の枕詞は、他の物でもよさそうだが、海濱の歌なので、これを選んだのであろう。以下四首、船に寄せているが、地文の歌の中だから、舟を漕ぐ場處の意味で入れているのだろうか。
 
3557 惱《なや》ましけ 他妻《ひとづま》かもよ。
 漕ぐ船の 忘れは爲《せ》なな。
 いや思《も》ひ増すに。
 
 奈夜麻思家《ナヤマシケ》 比登都麻可母與《ヒトツマカモヨ》
 許具布祢能《コグフネノ》 和須禮婆勢奈那《ワスレハセナナ》
 伊夜母比麻須尓《イヤモヒマスニ》
 
【譯】惱ましく思われる人妻だなあ。漕ぐ船のように、忘れたくないものだ。いよいよ思いが増すので。
【釋】奈夜麻思家 ナヤマシケ。ナヤマシキに同じ。ナヤマシは、惱む?態にある意の形容詞。人妻に對して、作者が惱ましい?態にあるのである。
 比登都麻可母與 ヒトヅマカモヨ。人妻であることだ。カモヨは、感動の助詞。句切。
 許具布祢能 コグフネノ。枕詞。船を漕ぐのは、間斷がないので、隙なくの意に、忘れないを引き起している。
 和須禮波勢奈那 ワスレハセナナ。セナナは、爲莫ナで、上のナは、打消の助動詞ヌの未然形。下のナは(428)自己の希望をあらわす助詞。忘れることなくありたい。忘れないでいたい。「毛流夜麻能《モルヤマノ》 宇良賀禮勢那奈《ウラガレセナナ》」(卷十四、三四三六)のセナナに同じ。句切。
 伊夜母比麻須尓 いよいよ思いまさるによりの意。
【評語】人妻に對して切なる情が歌われている。ひどく感動ふうに詠んでいる歌であるのは、その内容によるものであろう。以上東歌には、人妻の語が四囘出ている。これは他の諸卷に、合わせて十一囘出ているのに比して、多數である。東歌が、それを詠む機會の多かつたことが注意される。
 
3558 逢はずして 行かば惜しけむ。
 麻久良我《まくらが》の 許賀《こが》漕ぐ船に、
 君も逢はぬかも。
 
 安波受之弖《アハズシテ》 由加婆乎思家牟《ユカバヲシケム》
 麻久良我能《マクラガノ》 許賀己具布祢尓《コガコグフネニ》
 伎美毛安波奴可毛《キミモアハヌカモ》
 
【譯】逢わないで行つたら殘念だろう。麻久良我の許我を漕ぐ船で、あの方も逢わないだろうか。
【釋】安波受之弖由加婆乎思家牟 アハズシテユカバヲシケム。作者は旅にでも出かけようとしているようである。ヲシケムは、形容詞ヲシケに、助動詞ムが接續している。句切。
 麻久良我能許賀己具布祢尓 マクラガノコガコグフネニ。マクラガノコガは既出三五五五參照。
 伎美毛安波奴可毛 キミモアハヌカモ。ヌカモは、打消から轉じて、願望の意になる。
【評語】作者は今旅に出かけようとして、船中で、思う人に逢えかしと祈つている。初二句は、説明におちていて、のんびりし過ぎている。おそらくは、男女關係でなく、役人同士のつきあいで、この歌ができているからだろう。作者が旅に出る。相手の人も、ちようど旅に出ていて、それで渡頭、もしくは船中で逢いたいというのであろう。歌中の君は、やはり男と見るのが自然である。
 
(429)3559 大船を 舳《へ》ゆも艫《とも》ゆも
 堅《かた》めてし 許曾《こそ》の里人《さとびと》
 顯《あら》はさめかも。
 
 於保夫祢乎《オホブネヲ》 倍由毛登毛由毛《ヘユモトモユモ》
 可多米提之《カタメテシ》 許曾能左刀妣等《コソノサトビト》
 阿良波左米可母《アラハサメカモ》
 
【譯】大きい船を、舳からも艫からも結いつけた、そのように堅く約束したが、許曾の里の人は、人にいうことはないだろう。
【釋】倍由毛登毛由毛 ヘユモトモユモ。舳の方からも艫の方からも。ユは、その方によつて。を通して。以上二句、譬喩で、次の堅メテシを引き起している。
 可多米提之 カタメテシ。船を結い堅めたと、約束したとの意をかけている。中止形で、以上三句、條件になる。「波流楊那宜《ハルヤナギ》 可豆良爾乎利志《カヅラニヲリシ》」(卷五、八四〇)參照。
 許曾能左刀妣等 コソノサトビト。コソは、地名だろうが所在不明。その里に住む人。
 阿良波左米可母 アラハサメカモ。カモは、已然形のメを受けて反語になる。人にあらわすことはないだろう。見あらわさないだろう。「都良波可馬可毛《ツラハカメカモ》」(卷十四・三四三七)。
【評語】大船を結い堅めたのは、譬喩だが、その人とすつかり約束した意を含めているだろう。多分女の歌で、仲のあらわれることを氣にしている。大河か海か、とにかく船つき場の近くに住んで、この歌を作つていると見える。許曾の里人という言い方は、客觀的で、女の住んでいる里の人をいうのだろう。
 
3560 眞金《まかね》吹く 丹生《にふ》の眞朱《まそほ》の、
 色に出《で》て 言はなくのみぞ。
(430) 我《あ》が戀ふらくは。
 
 麻可祢布久《マカネフク》 尓布能麻曾保乃《ニフノマソホノ》
 伊呂尓※[人偏+弖]弖《イロニデテ》 伊波奈久能未曾《イハナクノミゾ》
 安賀布良久波《アガコフラクハ》
 安我古布良久波《アガコフラクハ》
 
【譯】鐵を吹き分ける丹生の赤土のように、色に出て言わないばかりだ。わたしの戀をすることは。
【釋】麻可祢布久 マカネフク。マカネは鐵。マは接頭語。眞金の義。フクは、鐵鑛から鐡を火力によつて吹き分けるをいう。この句は、丹生の地を説明している。
 尓布能麻曾保乃 ニフノマソホノ。ニフは地名。通例、丹生の字が當てられる。大和、上野、越前等に同名の地があり、ここは東歌だから上野だろうという。ニフは、丹士のある處の義で、鐵鑛は赤いから、そのある地をこの名で呼んでいる。マソホは、マは接頭語。ソホは、赤い土。以上二句、序詞。次の句を引き起している。
 伊呂尓※[人偏+弖]弖 イロニデテ。表面にあらわして。
 伊波奈久能未曾 イハナクノミゾ。いわないこと、それだけだ。句切。
 安我古布良久波 アガコフラクハ。コフラクは、戀うこと。
【評語】調子で持つている歌で、歌いものから來ていると思われる。内容も表現も、類型的である。マソホに寄せているが、地文に寄せた歌としては、鑛山に寄せたとしているのだろうか。
 
3561 金門田《かなとだ》を 荒垣|間《ま》ゆ見《み》、
 日が照《と》れば 雨を待《ま》とのす、
 君をと待《ま》とも。
 
 可奈刀田乎《カナトダヲ》 安良我伎麻由美《アラガキマユミ》
 比賀刀禮婆《ヒガトレバ》 阿米乎萬刀能須《アメヲマトノス》
 伎美乎等麻刀母《キミヲトマトモ》
 
【譯】門邊の田を、荒い垣のあいだから見て、日が照つているので雨を待つように、あなたを待つていますよ。
(431)【釋】可奈刀田乎 カナトダヲ。金門田をで、門口の邊の田を。
 安良我伎麻由美 アラガキマユミ。アラガキは荒垣。間隙の多い垣。そのあいだを通して見て。
 比賀刀禮婆 ヒガトレバ。日ガ照レバ。日が照つているので。
 阿米乎萬刀能須 アメヲマトノス。マトは待ツに同じ。五句にもある。雨を待つように。雨を待つているように。以上譬喩で、次の句の待ツを引き起している。
 伎美乎等麻刀母 キミヲトマトモ。君ヲト待トモ。マトは待ツに同じ。君ヲトのトは、添えていう助詞。「古乎等都麻乎等《コヲトツマヲト》 於枳弖等母枳奴《オキテトモキヌ》」(卷二十、四三八五)の子ヲト妻ヲトと同じ語法。意は、君ヲゾというと大差はない。
【評語】田園の生活が取り入れられている。三句以下トの音に轉じたものが多く、耳障りである。
 
3562 荒礒《ありそ》やに 生《お》ふる玉藻《たまも》の、
 うち靡き ひとりや寐《ぬ》らむ。
 吾《あ》を待ちかねて。
 
 安里蘇夜尓《アリソヤニ》 於布流多麻母乃《オフルタマモノ》
 宇知奈婢伎《ウチナビキ》 比登里夜宿良牟《ヒトリヤヌラム》
 安乎麻知可祢弖《アヲマチカネテ》
 
【譯】荒い礒に生えている玉藻のように、うち靡いてひとりでか寐ているだろう。わたしを待ちかねて。
【釋】安里蘇夜尓 アリソヤニ。アリソは荒礒。夜は、考に麻《マ》の誤り、略解の宣長の説に沼《ヌ》の誤り、古義に敝《ヘ》の誤りとしているが、原文のままでよい。これは接尾語で、古事記八千矛の神の相聞の歌に「伊刀古夜能《イトコヤノ》 伊毛能美許等《イモノミコト》」(五)とあり、そのイトコは、親愛なる人の稱、ヤは接尾語である。これはもと感動を表示する助詞ヤと同語で、中央では古語となつたものが、たまたま東方の口誦歌に殘つたものだろう。「都久比夜波《ツクヒヤハ》 須具波由氣等毛《スグハユケドモ》」(卷二十、四三七八)のヤもこれであろう。
(432) 於布流多麻母乃 オフルタマモノ。生フル玉藻のようにで、以上二句、序詞となつている。
 宇知奈婢伎 ウチナビキ。床に寐ている樣の形容。
 比登里夜宿良年 ヒトリヤヌラム。ヤは、係助詞。句切。
【評語】玉藻を借りて、女の寐る樣を説明するのは、人麻呂の作などにもあり、それらの歌を受けているだろう。女のひとり寐ている樣を推量しているだけで、平凡な内容であり、表現も類型的である。せつかく玉藻を使うならば、類型的な説明をしないで、もつと生かして使うべきである。
 
3563 比多潟《ひたがた》の 礒の若布《わかめ》の、
 立ち亂《みだ》え わをか待つなも。
 昨夜《きぞ》も今夜《こよひ》も。
 
 比多我多能《ヒタガタノ》 伊蘇乃和可米乃《イソノワカメノ》
 多知美多要《タチミダエ》 和乎可麻都那毛《ワヲカマツナモ》
 伎曾毛己余必母《キゾモコヨヒモ》
 
【譯】比多潟の礒の若布のように、うち亂れてわたしをか待つているだろう。昨夜も今夜も。
【釋】比多我多能 ヒタガタノ。ヒタは地名だろうが、所在不明。ガタは潟。
 伊蘇乃和可米乃 イソノワカメノ。礒ノ若布ノで、以上二句、序詞。ワカメの亂れているようにと、次の句を引き起している。
 多知美大要 タチミダエ。立チ亂レに同じ。このエは、自然にそうされるの意ではなくして、單純にレから轉じたものと見るべきであろう。心も身も亂れて。タチは接頭語。
 和乎可麻都那毛 ワヲカマツナモ。ナモは、ラムに同じ。句切。
 伎曾毛己余必母 キゾモコヨヒそ。昨夜も今夜もで、四句を限定している。
【評語】これもワカメを序に使つているが、前の歌よりは、特殊性に富み、想像力がよく働いている。しかし、(433)「うち日さつ宮の瀬川の貌花《かほばな》の戀ひてか寐《ぬ》らむ昨夜《きぞ》も今夜《こよひ》も」(卷十四、三五〇五)のような型があつて、この歌をなしているので、海岸線に沿つて、かような歌が流れていたことが知られるのである。
 
3564 小菅《こすげ》ろの 浦吹く風の、
 あとすすか、
 愛《かな》しけ兒ろを 思ひ過《すご》さむ。
 
 古須氣呂乃《コスゲロノ》 宇良布久可是能《ウラフクカゼノ》
 安騰須酒香《アトススカ》
 可奈之家兒呂乎《カナシケコロヲ》 於毛比須吾左牟《オモヒスゴサム》
 
【譯】小菅の浦を吹く風のように、どのようにしてか、かわいいあの子を思い去つてしまえるだろう。
【釋】古須氣呂乃 コスゲロノ。コスゲは地名だろうが、所在不明。次句の浦に續くところを見ると、海岸である。ロは接尾語。
 宇良布久可是能 ウラフクカゼノ。浦吹ク風ノで、以上二句、序となり、五句の過サムを引き起している。風が吹き過ぎるようにとである。
 安騰須酒香 アトススカ。何ト爲ツツカ。ススは、動詞|爲《す》を重ねて、進行する?を説いている。カは係助詞。「可久須酒曾《カクススゾ》 宿莫奈那里爾思《ネナナナリニシ》」(卷十四、三四八七)參照。
 可奈之家兒呂乎 カナシケコロヲ。カナシキ兒ロヲ。
 於毛比須吾左牟 オモヒスゴサム。思ヒ過スは、心に過ぎ去らせる意。思うことがなくされるだろう。上の三句を受けて結んでいる。
【評語】單純な内容だが、思い入つた樣は窺われる。三句は東歌特有の表現である。この歌は、浦に寄せているとも取れるが、むしろ風の方が重くなつている。次の、月に寄せた歌と共に、配列が亂れている。もとの部類法を知らずにこれを加えたためであろう。
 
(434)3565 かの兒ろと 寐《ね》ずやなりなむ。
 はだすすき 宇良《うら》野の山に、
 月《つく》かたよるも。
 
 可能古呂等《カノコロト》 宿受夜奈里奈牟《ネズヤナリナム》
 波太須酒伎《ハダススキ》 宇良野乃夜麻尓《ウラノノヤマニ》
 都久可多與留母《ツクカタヨルモ》
 
【譯】あの子と寐ないでかしまうことだろう。ハダススキの宇良野の山に、月が傾いている。
【釋】可能古呂等 カノコロト。あの子と。カノの語は、他に所見がない。まだ發達しなかつたものであろう。
 宿受夜奈里奈牢 ネズヤナリナム。ヤは係助詞。句切。
 波太須酒伎 ハダススキ。枕詞。ススキのうら(末梢)の義をもつてウラに懸かるのだろう。
 宇良野乃夜麻尓 ウラノノヤマニ。ウラノは地名だろうが所在不明。倭名類聚鈔の郷名に、信濃の國に浦野があり、その地だろうという。今、小縣郡浦里村。
 都久可多與留母 ツクカタヨルモ。月片寄ルモで、月が傾いて行くのである。
【評語】三句以下の表現が、印象的でよい。多分その子のもとに夜道を急いでいて、月の傾くのを見て詠んだのだろう。「子らが家道《いへぢ》やや間遠きをぬばたまの夜渡る月に競《きほ》ひあへむかも」(卷三、三〇二)と同樣の内容で、風格は一層すぐれている。描寫がよく利いているからである。初二句の詠歎もよい。
 
3566 吾妹子《わぎもこ》に わが戀ひ死なば、
 そわへかも 神に負《おほ》せむ。
 心知らずて。
 
 和伎毛古尓《ワギモコニ》 安我古非思奈婆《アガコヒシナバ》
 曾和敝可毛《ソワヘカモ》 加未尓於保世牟《カミニオホセム》
 己許呂思良受弖《ココロシラズテ》
 
【譯】わが妻に、わたしが戀うて死んだら、その報いをか神樣に負せよう。心なしなので。
(435)【釋】和伎毛古尓安我古非思奈婆 ワギモコニアガコヒシナバ。わが愛人を戀うことのために死んだならば。
 曾和敝可毛 ソワヘカモ。ソワヘは不明の語。諸説があるが、採るに足りない。カモは、係助詞のようである。
 加未尓於保世牟 カミニオホセム。カミは、多分神だろう。「千磐破《チハヤブル》 神爾毛莫負《カミニモナオホセ》」(卷十六、三三二)。句切。細井本に未を米に作つているによれば、龜ニ負セムで、龜卜に關することとなる。三句が不明なので、この句共に決定しかねる。
 己許呂思良受弖 ココロシラズテ。無情であつての意。神が無情であるから、戀のために死ぬのだとする。
【評語】神に願つて、その意を達しない場合には、往々にして神に恨み言をする。願望の切なあまりである。この歌もその一つと見えるが、三句の不明なのは、何としても殘念である。この歌は、神に寄せて思いを陳べたものとして取り扱つているらしい。
 
(436)防人歌
 
【釋】防人歌 サキモリノウタ。防人の歌と題してここに五首の歌を載せている。それらはいずれも相聞の歌であるから、相聞の部の中に、この小題を置いたのだろう。前の歌の中にも防人の歌と思われるのがあるのに、特にこれだけを別に置いたのは、資料としたものに、防人の歌とすべき根據があつたのだろう。部類の標目としての防人の歌は、他に見ない。
 
3567 置きて行《い》かば 妹はまかなし。
 持ちて行く あづさの弓の
 弓束《ゆづか》にもがも。
 
 於伎弖伊可婆《オキテイカバ》 伊毛婆麻可奈之《イモハマカナシ》
 母知弖由久《モチテユク》 安都佐能由美乃《アヅサノユミノ》
 由都可尓母我毛《ユヅカニモガモ》
 
【譯】置いて行つたら、お前は戀しくてたまらない。持つて行くアズサ弓のにぎる所だつたらなあ。
【釋】於伎弖伊可婆伊毛婆麻可奈之 オキテイカバイモハマカナシ。家に置いて行つたら、妻は愛情に堪えない。マは接頭語。句切。助詞ハに婆を使用している。
 安都佐能由美乃 アヅサノユミノ。アヅサノ弓ノ。通常梓弓というが、句の都合で、助詞ノを入れている。アヅサノ弓といふ唯一の例である。
 由都可尓母我毛 ユヅカニモガモ。ユヅカは弓束で、弓のにぎる所。
【評語】別れを惜しむあまりに、玉だつたらというのは、類型的であるが、防人として出で立つだけにアヅサ弓を出し、しかもその弓束だつたらという所に特色がある。全體としては、類型的な内容であることを免れない。
 
(437)3568 おくれ居て 戀ひば苦しも。
 朝狩《あさがり》の 君が弓にも
 ならましものを。
 
 於久禮爲弖《オクレヰテ》 古非波久流思母《コヒバクルシモ》
 安佐我里能《アサガリノ》 伎美我由美尓母《キミガユミニモ》
 奈良麻思物能乎《ナラマシモノヲ》
 
【譯】あとに殘つていて戀うるなら苦しいことです。朝の獵に使うあなたの弓にもなりましたろうものを。
【釋】於久禮爲弖 オクレヰテ。家に殘つていて。
 古非波久流思母 コヒバクルシモ。コヒバは、戀フの未然條件法。句切。
 安佐我里能 アサガリノ。朝の獵に使う意に、弓を修飾する。
【評語】何であつた方がよかつたという表現は、類型的で、特殊性がない。三句の朝獵は、弓を説明している句だが、この句だけで、わずかに生色を與えているのは、とにかく描寫があるからである。
 
右二首、問答
 
【釋】問答 トヒコタヘ。問の歌に對して、答の歌が、適切に應じていないという非難があるが、もともと流傳している歌を、その場に應用するだけなので、その人の才分によつては、ぴつたり當てはまらないことも起り得る。また防人として出で立つとしても、平常狩獵に使つていた弓を持つて行くこともあるだろうから、朝獵の説明があつても、後人が勝手に取り合わせて問答としたという根據にはならない。問も答も平凡な歌で、實際こんな問答が行われたとしてさしつかえはない。出發に際して、洒盃を擧げなどして、このような歌が吟誦されたのだろう。
 
(438)3569 防人《さきもり》に 立ちし朝明《あさけ》の
 金門出《かなとで》に、
 手放《たばな》れ惜しみ 泣きし兒らはも。
 
 佐伎母理尓《サキモリニ》 多知之安佐氣乃《タチシアサケノ》
 可奈刀※[人偏+弖]尓《カナトデニ》
 手婆奈禮乎思美《タバナレヲシミ》 奈吉思兒良婆母《ナキシコラハモ》
 
【譯】防人として出發した朝あけの門出に、別れるのを惜しんで、泣いたあの子はなあ。
【釋】佐伎母理尓 サキモリニ。サキモリは、埼守の義。令、日本書紀等、防人の字をあて、靈異記には前守と書いている。防人として。
 多知之安佐氣乃 タチシアサケノ。タチシは、それに應じて出た意。アサケは、朝あけ。
 可奈刀※[人偏+弖]尓 カナトデニ。カナトデは、門出に同じ。
 手婆奈禮乎思美 タバナレヲシミ。タバナレは、手放レで、タは接頭語。語義は手を放すことであろうが、ただ別れの意に使われる。
 奈吉思兒良婆母 ナキシコラハモ。コラは、妻をいう。ラは接尾語。ハモは、省略の語氣のある感動の助詞。ここにもハに婆の字を使つている。防人の歌と題する中に、特に波婆の混用が目立つのは、後人整理の時代を語るものであろう。
【評語】別離の際を追憶している。平凡な内容だが、表現が感動的であつて、よく情味が描かれている。
 
3570 あしの葉に 夕霧立ちて、
 鴨が音《ね》の 寒き夕べし、
 汝《な》をば偲《しの》はむ。
 
 安之能葉尓《アシノハニ》 由布宜利多知弖《ユフギリタチテ》
 可母我鳴乃《カモガネノ》 佐牟伎由布敝思《サムキユフベシ》
 奈乎波思奴波牟《ナヲバシノハム》
 
【譯】アシの葉に夕霧が立ちのぼつて、鴨の鳴く聲の寒い夕べには、お前を思うことだろう。
【釋】安之能葉尓由布宜里多知弖 アシノハニユフギリタチテ。防人となつて行く先の地、たとえば難波、筑紫などの海邊の景を想像して描いている。
 可母我鳴乃 カモガネノ。鴨の鳴く聲の。
 左牟伎由布敝思 サムキユフベシ。鴨の聲の寒く聞える夕べは。シは助詞。
 奈乎波思努波牟 ナヲバシノハム。シノハムは、思慕しよう。
【評語】古い防人の歌の詞などによつて作つている。上品にできていて、東歌らしい土のにおいはない。京人の文筆作品の影響があらわれている歌である。
 
3571 おの妻《づま》を 他《ひと》の里《ひとさと》に置き、
 おほほしく 見つつぞ來ぬる。
 この道のあひだ。
 
 於能豆麻乎《オノヅマヲ》 比登乃左刀尓於吉《ヒトノサトニオキ》
 於保々思久《オホホシク》 見都々曾伎奴流《ミツツゾキヌル》
 許能美知乃安比太《コノミチノアヒダ》
 
【譯】自分の妻を人の里に置いて、暗い氣もちで眺めて來た。この道中を。
【釋】於能豆麻乎 オノヅマヲ。おのれの妻を、自分の妻であるのに。
 比登乃左刀尓於吉 ヒトノサトニオキ。他人の里に置いて。その妻の家であろう。作者の里ではないので、人の里といつている。
 於保々思久 オホホシク。鬱悒、不明などの字が當てられている。ここは氣もちの晴れやかでないことを形容している。
 見都々曾伎奴流 ミツツゾキヌル。その里を見つつ來たことだ。句切。
(440) 許能美知乃安比太 コノミチノアヒダ。今通過している道を顧みていつている。
【評語】他の里に自分の妻を置いて來る不安の心がよく描かれている。その氣がかりの情が、オホホシクで説明され、その里を顧みながらの氣の進まない旅に行く樣が歌われている。よくその境地を描いた作である。
 
譬喩歌
 
【釋】譬喩歌 ヒユノウタ。相聞と題した中にも、譬喩を使つた歌があつたが、ここには特に、歌の全部もしくは大部分が、譬喩でできている歌を集めている。
 
3572 あど思《も》へか、
 阿自久麻山《あじくまやま》の
 ゆづる葉の、
 含《ふふ》まる時に、
 風吹かずかも。
 
 安杼毛敝可《アドモヘカ》
 阿自久麻夜末乃《アジクマヤマノ》
 由豆流波乃《ユヅルハノ》
 布敷麻留等伎尓《フフマルトキニ》
 可是布可受可母《カゼフカズカモ》
 
【譯】何と思つてか、阿目久麻山のユヅルハの、まだ開かない時に風が吹くのだろう。
【釋】安杼毛敝可 アドモヘカ。何ト思ヘカ。モヘカは思えばかの意の前提法で、カは係助詞。「奈美能宇倍爾《ナミノウヘニ》 (441)宇伎禰世之欲比《ウキネセシヨヒ》 安杼毛倍香《アドモヘカ》 許己呂我奈之久《ココロカナシク》 伊米爾美要都流《イメニミエツル》(卷十五、三六三九)。
 阿自久麻夜末乃 アジクマヤマノ。アジクマ山は、所在不明。
 由豆流波乃 ユヅルハノ。ユヅルハは、ユズリハ。闊葉常緑樹。「弓絃葉乃《ユヅルハノ》 三井能上從《ミヰノウヘヨリ》」(卷二、一一一)。
 布敷麻留等伎尓 フフマルトキニ。フフマルは、つぼんでいる。その葉が開かないでつぼんでいるのをいう。女子のまだ妙齡に達しないのをたとえている。
 可是布可受可母 カゼフカズカモ。フカズは、吹クの敬語法。その女子に言い寄る人のあるのにたとえている。清音のスであるべきに受を使つているのはズと發音したものだろう。初句を受けて結んでいる。
【評語】巧みに譬喩を使つている。「うら若み花咲きがたき梅を植ゑて人の言しげみ思ひぞわがする」(卷四、七八八)などと、作歌事情は變わるが、歌の内容には通う所がある。ひそかに目をつけている女に、ある勢力などが手をのばして來るのを心配している。巧みな歌である。
 
3573 あしひきの 山かづらかげ、
 ましばにも 得がたきかげを、
 置きや枯らさむ。
 
 安之比奇能《アシヒキノ》 夜麻可都良加氣《ヤマカヅラカゲ》
 麻之波尓母《マシバニモ》 衣可多伎可氣乎《エガタキカゲヲ》
 於吉夜可良佐武《オキヤカラサム》
 
【譯】あの山の日かげのカズラ、たびたびは得られないあのヒカゲを、うち置いて枯らしてしまうことか。
【釋】夜麻可都良加氣 ヤマカヅラカゲ。山カヅラである蘿。山カヅラは、蔓性植物を輪にして、頭髪の上に載せるもの。カゲはヒカゲノカズラ。そのカゲを呼びかけている句。サルオガセ。「あしひきの山下日影かづらける上にや更に梅をしのはむ」(卷十九、四二七八)、「卷目の穴師の山の山人と人も見るかに山かづらせよ」(古今和歌集)。
(442) 麻之波尓母 マシバニモ。マは接頭語。しばしばにも。三四八八參照。
 衣我多伎可氣乎 エガタキカゲヲ。得がたいヒカゲノカズラを。
 於吉夜可良佐武 オキヤカラサム。さし置いてか枯らすことだろう。手をつけないで置くことか。
【評語】容易に得られない女子を、そのままにして置くことかと歎いている。ヒカゲノカズラを材料にしているのは、祭の神女などに選ばれた女子を歌つているからだろうか。作者だけにわかつていて、今日ではちよつとわからないところのある歌である。
 
3574 小里《をさと》なる 花たちばなを
 引き攀《よ》ぢて 折らむとすれど、
 うら若みこそ。
 
 乎佐刀奈流《ヲサトナル》 波奈多知波奈乎《ハナタチバナヲ》
 比伎余知弖《ヒキヨヂテ》 乎良無登須禮杼《ヲラムトスレド》
 宇良和可美許曾《ウラワカミコソ》
 
【譯】里にある花タチバナを引き寄せて折ろうとするけれども、まだ枝が若いことだ。
【釋】乎佐刀奈流 ヲサトナル。郷に對してその中の部落を小里という。「天地爾《アメツチニ》 足之照而《タラシテラシテ》 吾大皇《ワガオホキミ》 之伎座婆可母《シキマセバカモ》 樂伎小里《タノシキヲサト》」(卷十九、四二七二)。
 波奈多知波奈乎 ハナタチバナヲ。ハナタチバナは、花をつけているタチバナ。タチバナの花。
 比伎余治弖 ヒキヨヂテ。手もとに引き寄せて。
 宇良和可美許曾 ウラワカミコソ。ウラ若シは、木の枝先のまだ成熟し切らないのをいう。ウラ若ミコソアレの意だが、この形で文を終止する。
【評語】目をつけた女子のまだ若すざるのを歎いている。花に女子をたとえるのは、類型的であるが、似あわしい譬喩である。
 
(413)3575 美夜自呂《みやじろ》の 岡|邊《べ》に立てる
 貌《かほ》が花、
 莫《な》咲き出でそね。
 隱《こ》めて偲《しの》はむ。
 
 美夜自呂乃《ミヤジロノ》 緒可敝尓多弖流《ヲカベニタテル》
 可保我波奈《カホガハナ》
 莫佐吉伊※[人偏+弖]曾祢《ナサキイデソネ》
 許米弖思努波武《コメテシノハム》
 
【譯】美夜自呂の岡のほとりに立つているカオバナは、咲き出ないでくれ。隱して思つていよう。
【釋】美夜自呂乃 ミヤジロノ。ミヤジロは地名だろうが、所在不明。御社か。
 緒可敝尓多弖流 ヲカベニタテル。岡邊ニ立テルだろう。緒は、この卷中極めてすくない訓假字で、その點に不安がある。類聚古集等に須に作つているによれば、スカヘニタテルで、坂上ニ立テルか。
 可保我波奈 カホガハナ。貌ガ花で、カホバナに同じ。ヒルガオであろう。
 莫佐吉伊※[人偏+弖]曾祢 ナサキイデソネ。咲き出ることなかれ。句切。
 許米弖思努波武 コメテシノハム。コメテは、隱めて、人に秘して。シノハムは、愛しよう。
【評語】花に對して、咲かないようにという註文は、譬喩として無理である。自分だけで獨占しようとする心はわかるが、深い注意もなしに、先行の歌の型を使つたので、このような事になつたのだろう。
 
3576 苗代《なはしろ》の こなぎが花を
 衣《きぬ》に摺《す》り、
 馴《な》るるまにまに あぜかかなしけ。
 
 奈波之呂乃《ナハシロノ》 古奈伎我波奈乎《コナギガハナヲ》
 伎奴尓須里《キヌニスリ》
 奈流留麻尓末仁《ナルルマニマニ》 安是可加奈思家《アゼカカナシケ》
 
【譯】苗代のコナギの花を著物に摺りつけて染めて、馴れるにつれて、どうしてこうかわいいのだろう。
(444)【釋】奈波之呂乃 ナハシロノ。稻の苗代田の。
 古奈宜我波奈乎 コナギガハナヲ。コナギは子水葱。水澤に自生し紫青色の花をつける。その花を集めて衣服に摺りつけて染めた。
 伎奴尓須里 キヌニスリ。衣服に摺りつけて染めて。
 奈流留麻尓末仁 ナルルマニマニ。著馴れるままに。
 安是可加奈思家 アゼカカナシケ。アゼは何故。カナシケは、カナシキに同じ。その子のいとしいのを、どうしてかと疑つている。
【評語】女子をコナギにたとえ、それを手に入れたことを、衣服に摺りつけたのにたとえている。馴れるままにいよいよ愛される情を巧みに歌つている。苗代のコナギの花の可憐な花にたとえたのは、田園の風趣が出てよい。但し衣に摺るにたとえることは、「住吉《すみのえ》の淺澤小野のかきつばた衣に摺りつけ著む日知らずも」(卷七、一三六一)など類型があり、さような歌があつてそれから來ているものである。
 
挽歌
 
【釋】挽歌 メニカ。ここに一首を録している。後人が歌詞によつてこの標目を立てたのだろう。
 
3577 愛《かな》し妹を 何處《いづち》行かめと、
 山すげの 背向《そがひ》に寐《ね》しく、
 今し悔《くや》しも。
 
 可奈思伊毛乎《カナシイモヲ》 伊都知由可米等《イヅチユカメト》
 夜麻須氣乃《ヤマスゲノ》 曾我比尓宿思久《ソガヒニネシク》
 伊麻之久夜思母《イマシクヤシモ》
 
【譯】かわいい妻を、何處へも行かないだろうと、山スゲのように、うしろ向きに寐たことが、今は殘念だ。
(445)【釋】可奈思伊毛乎 カナシイモヲ。カナシは連體形として使用されている。
 伊都知由可米等 イヅチユカメト。イヅチは、何方。ユカメは、上の疑問の語を受けて、已然形で結んでいる。「四惠也吾背子《シヱヤワガセコ》 奧裳何如荒海藻《オキモイカニアラメ》」(卷四、六五九)などの語法である。これで反語の意をあらわす。どこへも行かないだろうと。
 夜麻須氣乃 ヤマスゲノ。枕詞。ヤマスゲの葉がさまざまの方に亂れているので、ソガヒを引き起している。
 曾我比尓宿思久 ソガヒニネシク。ソガヒは背面。ネシクは寐たこと。シは時の助動詞。クは、コトの意。
 伊麻之久夜思母 イマシクヤシモ。上のシは助詞。別れて後、悔いている。
【評語】 「吾背子乎《ワガセコヲ》 何處行目跡《イヅクユカメト》 辟竹之《サキタケノ》 背向爾宿之久《ソガヒニネシク》 今思悔裳《イマシクヤシモ》」(卷七、一四一二)の歌の別傳である。そういう歌が流傳していて、それを歌いかえたものであろう。かならずしも挽歌ではなく、妻に別れて旅に出た場合などに歌つたものであろう。
 
以前歌詞、未v得v勘2知國土山川之名1也
 
以前《さき》の歌の詞は、いまだ國土山川の名を勘《かむか》へ知ることを得ず。
 
【釋】以前歌詞 サキノウタノコトバハ。三四三八以下の歌をさしている。この左註によつて、或る人が國名を考え定めようとしたことがわかり、この卷の編纂事情もほぼ推量される。
 
萬葉集卷第十四
 
(19)萬葉集卷第十五
 
 この卷は、別に部類を立てないで、二個の集録を、そのままに收めている。第一の集録は、天平八年の遣新羅使人の一行の歌の集録で、一行中の一人が、自作を中心として、妻、および一行の人々、遊行の女婦、乃至は所に當つて誦詠した古歌など百四十五首を收録したものである。その集録者は、多分、副使の大伴の三中であろうと推測される。第二の集録は、中臣の宅守《やかもり》が狹野《さの》の弟上《おとがみ》の娘子と贈答した歌、および花鳥に寄せて思いを陳べた歌六十三首を録している。何時ごろこの二部が集められて一卷となつたかは不明である。
 二部のそれぞれの初めにあつて總括した題詞は、目録の方が、本文のよりも詳しいのは、本卷の特色である。
 これはもとこの詳しい題詞が卷頭にあり、後にそれに各部の細目をつけて目録を作つたので、かような形を成すに至つたのだろう。目録によつて、本文題詞の不備を補うことのできる特殊の例である。
 歌體は、第一の集録の中に、長歌五首、旋頭歌三首があり、その他二百首は短歌である。用字法は、全卷を通じて字音假字が多く、稀に訓假字をまじえ、また表意文字も若干ある。
 傳本としては、古本系統の本を缺き、わずかに類聚古集、古葉略類聚鈔の記載があるだけである。天治本は、もとこの卷を存していた由であるが、それも亡んでしまつてわずかに斷片を見るのみに止まつている。
 
遣2新羅1使人等、悲v別贈答、及海路慟v情陳v思、并當所謂之古歌
 
新羅に遣はされし使人等の、別れを悲しみて贈答し、また海路に情を慟《いた》み思ひを陳《の》べ、并はせてその所に(20)して誦《よ》める古歌。
 
【釋】遣新羅使人等 シラギニツカハサレシツカヒビトタチノ。この題詞は、以下百四十五首に對する總題である。目録には、「天平八年丙子(ノ)夏六月、遣(ハシシ)2使(ヲ)新羅國(ニ)1之時、使人等、各悲(シミテ)v別(レヲ)贈(リ)答(ヘ)、及《マタ》海路之上(ニ)慟(ミ)v旅(ヲ)陳(ベテ)v思(ヲ)作(レル)歌、并(セテ)當所(ニシテ)誦詠(セル)古歌、一百四十五首」とあり、本文題詞よりも詳しい。續日本紀によれば、「天平八年二月、戊寅(二十八日)從五位の下阿倍の朝臣繼麻呂を、遣新羅の大使とす」とあり、その頃から準備していたものと考えられる。次いで「夏四月丙寅(十七日)、遣新羅使阿倍の朝臣繼麻呂等拜朝す」とあり、間もなく渡海の途につく豫定であつたのだろうが、事情のために延期して、六月になつて出發したのだろう。安藝の國の長門の浦から船出をした時の歌に、「月よみの光を清み夕なぎに」と夕方の月を歌つているから、出發したのは六月上旬のころだろう。悲別の歌の中に、秋になつたら歸つて來るように歌い、一旦難波に下つてからもふたたび家に歸り、また「潮まつとありける船を知らずして」と歌つているのもそのためである。かくて六月に出發したと見えるが、内海の航行からして風波の難に遭い、歸つて來たのは翌年であつた。績日本紀天平九年正月の條に「辛丑(二十七日)、遣新羅使の大判官從六位の上壬生の使主《おみ》宇太麻呂、少判官正七位の上大藏の忌寸麻呂等入京す。大使從五位の下阿倍の繼麻呂は津島に泊てて卒す。副使從六位の下大伴の宿禰三中は病に染み京に入ることを得ず」とある。阿倍の繼麻呂が津島に泊てて卒したというのは、往路か歸路か不明。その病は、副使の病と共に、流行病であつたのだろう。この年、流行病が盛んであつて、藤原の武智麻呂、房前、宇合、麻呂以下、顯官の死する者も多かつた。この歌の集録が、往路對馬の竹敷の浦で中斷されているのは、その直後、大使死去の大事件が起つたためであるかも知れない。また二月乙未の條に「遣新羅使、新羅國の常禮を失ひて使の旨を受けざることを奏す。ここに五位已上并はせて六位已下の官人すべて四十五人を内裏に召して意見を陳べしむ」、三月の條に「壬寅(二十八日)、遣新羅使の副使正六位の上大伴の宿禰三中等四十人拜朝す」とあ(21)つて、多難の遣使であつた。これらの一行の歌は、一首ずつ個々に味わうべきであるが、同時に全體として鑑賞すべきことを忘れてはならない。
 
3578 武庫《むこ》の浦の 入江の渚鳥《すどり》、
 羽《は》ぐくもる 君を離《はな》れて、
 戀に死ぬべし。
 
 武庫能浦乃《ムコノウラノ》 伊里江能渚鳥《イリエノスドリ》
 羽具久毛流《ハグクモル》 伎美乎波奈禮弖《キミヲハナレテ》
 古非尓之奴倍之《コヒニシヌベシ》
 
【譯】わたしは、武庫の浦の入江の渚にいる鳥のようなものです。保育してくれる君を離れて、戀のために死ぬでしよう。
【釋】武庫能浦乃伊里江能渚鳥 ムコノウラノイリエノスドリ。武庫の浦は、武庫川の河口をいう。但しその河口は、今よりも西に寄り、更に深く灣入していたであろう。スドリは、渚にいる鳥で、(22)水禽。以上は、夫の航路の風物を描いて、自分の譬喩として提示した。「和何許々呂《ワガココロ》 宇良須能登理敍《ウラスノトリゾ》」(古事記三)は、自分の心を水鳥にたとえている。
 羽具久毛流 ハグクモル。羽で包んである。親鳥が雛鳥を羽翼で掩うようにある。自分がそのようにある意。四段活の自動詞で、ナグサモルと同じ形。
【評語】この集録の筆者と見られる人の妻の歌である。出發の豫定などできた頃に贈答されたものであろう。譬喩が適切で、頼みにしていた夫に別れる心ぼそさがよく描かれている。
 
3579 大船に 妹乘るものに
 あらませば、
 羽《は》ぐくみもちて 行かましものを。
 
 大船尓《オホブネニ》 伊母能流母能尓《イモノルモノニ》
 安良麻勢波《アラマセバ》
 羽具久美母知弖《ハグクミモチテ》 由可麻之母能乎《ユカマシモノヲ》
 
【譯】大船にあなたが乘るものであつたなら、羽でつつんで行つたろうものを。
【釋】。マセは、助動詞マシの未然形。不可能希望の未然前提法。これを受けてマシモノヲで結んでいる。
【評語】前の歌に答えた男の歌。羽グクミモチテで、前の歌と關連させている。それが暖かい感情をあらわしているが、すこし甘つたるくも感じられる。
 
3580 君が行く 海邊《うみべ》の宿に
 霧立たば、
 吾《あ》が立ち嘆く 息と知りませ。
 
 君之由久《キミガユク》 海邊乃夜杼尓《ウミベノヤドニ》
 奇里多々婆《キリタタバ》
 安我多知奈氣久《アガタチナゲク》 伊伎等之理麻勢《イキトシリマセ》
 
(23)【譯】あなたのおいでになる海邊の宿りに霧が立ちましたら、わたくしの嘆息する息と御承知ください。
【釋】海邊乃夜杼尓 ウミベノヤドニ。ヤドは、宿る處。
 安我多知奈氣久 アガタチナゲク。タチは、接頭語。立ち働くなど、動的なふるまいをする時につける。
 伊伎等之理麻勢 イキトシリマセ。マセは、敬語の助動詞の命令形。
【評語】息を吹くと霧になる。その嘆きの強さが、旅ゆく君のもとに通つて霧となると歌つている。海邊の宿と、霧との配合が適切である。女の歌。
 
3581 秋さらば 相見むものを。
 何しかも
 霧に立つべく 嘆《なげ》きしまさむ。
 
 秋佐良婆《アキサラバ》 安比見牟毛能乎《アヒミムモノヲ》
 奈尓之可母《ナニシカモ》
 奇里尓多都倍久《キリニタツベク》 奈氣伎之麻佐牟《ナゲキシマサム》
 
【譯】秋になつたら逢おうものを。何だつて霧に立つまでに歎いていることがあろう。
【釋】奈尓之可母 ナニシカモ。シは強意の助詞。カモは、疑問の係助詞。
 奈氣伎之麻佐牟 ナゲキシマサム。シは、助詞。マサムはイマサムに同じ。
【評語】秋の再會を期して、妻の心を慰めている。霧は、秋に多く立つものであるから、霧に立つような歎きをするには及ばないと歌つている。しかし事實は豫期に反して、秋になつても歸れなかつたのである。歌は、よく情愛をつくしている。男の歌。
 
3582 大船を 荒海《あるみ》に出だし
 います君、
(24) 恙《つつ》むことなく はや歸りませ。
 
 大船乎《オホブネヲ》 安流美尓伊太之《アルミニイダシ》
 伊麻須君《イマスキミ》
 都追牟許等奈久《ツツムコトナク》 波也可敝里麻勢《ハヤカヘリマセ》
 
【譯】大船を荒海に出しておいでになるあなたは、災難もなく早く歸つていらつしやい。
【釋】安流美尓伊太之伊麻須君 アルミニイダシイマスキミ。アルミは、荒海の約言。イマスは、有り居るの意の動詞。
 都追牟許等奈久 ツツムコトナク。ツツムは、災難があつて物忌みをする意の動詞。ツツミは、その名詞形である。ツツムは、物忌みをして閉じ籠つている意で、包ムと同語であろう。ツツムコトナクは、災禍なく。「都都麻波受《ツツマハズ》」(卷二十、四三三一)の形もある。
【評語】大船を荒海に出して、非常な冒險をする意を示している。男の旅行を案じている氣持がよくあらわれている。女の歌。
 
3583 眞幸《まさき》くて 妹が齋《いは》はば、
 沖つ浪 千重に立つとも、
 障《さはり》あらめやも。
 
 眞幸而《マサキクテ》 伊毛我伊波伴伐《イモガイハハバ》
 於伎都波美《オキツナミ》 知敝尓多都等母《チヘニタツトモ》
 佐波里安良米也母《サハリアラメヤモ》
 
【譯】無事であなたが物忌をしてくれたら、沖の浪が幾重に立つても、故障はないだろう。
【釋】眞幸而 マサキクテ。妹が眞幸くてで、齋ハバを修飾する。
 伊毛我伊波伴伐 イモガイハハバ。イハフは、前にもたびたび出たが、この卷の歌では、この思想が重要な位置を占めているから、ここで更に説明する。イハフは、信仰行事の一で、神を祭つて、神力によつて不淨を拂い災禍の生じないように守ることをいう。家にある者がこれを怠ると、旅に出ている者に災禍が生ずるとし(25)た。また旅行く者自身もこれを行う。
 知敝尓多都等母 チヘニタツトモ。チヘは、多數重なりあうこと。
 佐波里安良米也母 サハリアラメヤモ。サハリは、障害、故障。
【評語】前の荒海ニ出ダシを受けているが、表現は平凡である。ただ妻の自分を思うことを期し、また留守の無事を願う氣もちのあらわれているところが純粹なよい所である。男の歌。
 
3584 別れなば うら悲《がな》しけむ。
 吾《あ》が衣《ころも》 下《した》にを著《き》ませ。
 直《ただ》に逢ふまでに。
 
 和可禮奈波《ワカレナバ》 宇良我奈之家武《ウラガナシケム》
 安我許呂母《アガコロモ》 之多尓乎伎麻勢《シタニヲキマセ》
 多太尓安布麻弖尓《タダニアフマデニ》
 
【譯】別れましたら、心悲しいことでございましよう。わたくしの著物を、下にお召しなさいませ。じかにお目にかかりますまで。
【釋】宇良我奈之家武 ウラガナシケム。ウラガナシケは、形容詞ウラガナシの活用形。ウラガナシは、心が感傷してある形容。心が傷ましくある意。ここは男の心が傷ましからむの意である。句切。
 之多尓乎伎麻勢 シタニヲキマセ。ヲは、感動の助詞。下ニを感動づけている。下にですよの意。キマセは、著マセ。マセは敬語の助動詞。句切。
 多太尓安布麻弖尓 タダニアフマデニ。タダニアフは、夢幻ならずして現實に逢うのをいう。
【評語】形見として著物を贈るにつけて歌つている。平凡な歌だが、眞實な感情は含まれている。形見の著物を著ることによつて、心を安らかにせよと願つている心が、あわれである。女の歌。
 
(26)3585 我妹子が
 下にも著よと 贈りたる
 衣の紐を 吾《あれ》解かめやも。
 
 和伎母故我《ワギモコガ》
 之多尓毛伎余等《シタニモキヨト》 於久理多流《オクリタル》
 許呂母能比毛乎《コロモノヒモヲ》 安禮等可米也母《アレトカメヤモ》
 
【譯】あなたが下にも著なさいと言つて贈つた著物の紐を、わたしは解いて脱ぎはしないだろう。
【釋】之多尓毛伎余等 シタニモキヨト。前の歌の、下ニヲ著マセを受けている。
 許呂母能比毛乎 コロモノヒモヲ。下に著た衣の紐を。
【評語】前の歌に答えて、肌身離さず身につけている旨を約束している。すなおに意を通しているだけの歌である。その衣の紐は、妻が結んだのであろう。男の歌。以上八首は、二首ずつで一對を成し、いずれも女の方から先に贈つて、男がそれに答えている。
 
3586 わが故に 思ひな痩《や》せそ。
 秋風の 吹かむその月、
 逢はむものゆゑ。
 
 和我由惠尓《ワガユヱニ》 於毛比奈夜勢曾《オモヒナヤセソ》
 秋風能《アキカゼノ》 布可武曾能都奇《フカムソノツキ》
 安波牟母能由惠《アハムモノユヱ》
 
【譯】わたしゆえに、心配して痩せないでください。秋風の吹くその月には逢うだろうから。
【釋】和我由惠尓 ワガユヱニ。ユヱは、原因、理由。わたしの事で、わたしのために。
 於毛比奈夜勢曾 オモヒナヤセソ。思ヒ痩スの中間に禁止のナがはいつている。こういう言い方は多い。ナの上に來る語は、名詞、副詞が通例であるが、「知里勿亂曾《チリナミダレソ》」(卷二、一三七、一云)、「須臾者《シマシクハ》 落莫亂《チリナミダレソ》」(卷九、一七四七)、「國遠見《クニトホミ》 念勿和備曾《オモヒナワビソ》」(卷十二、三一七八)の如きは、動詞と見るべきものだろう。句切。
(27)【評語】ここにも秋風の吹くであろう月に逢うべき旨を告げて慰めている。再會を期する月を、秋風の吹くであろう月にとしているのが風情である。ユヱの語を再度使用して、對比の體勢をなしている。これは男の歌である。
 
3587 栲衾《たくぶすま》 新羅《しらぎ》へいます
 君が目を
 今日か明日かと 齋《いは》ひて待たむ。
 
 多久夫須麻《タクブスマ》 新羅邊伊麻須《シラギヘイマス》
 伎美我目乎《キミガメヲ》
 家布可安須可登《ケフカアスカト》 伊波比弖麻多牟《イハヒテマタム》
 
【譯】白いタクの衾のような新羅へおいでになるあなたに逢うことを、今日か、明日かと、物忌みをしてお待ちしましよう。
【釋】多久夫須麻 タクブスマ。枕詞。タク(樹名、コウゾ)の繊維で作つた衾は白いから、新羅に冠する。出雲國風土記の國引の詞に「栲衾《タクブスマ》 志羅紀乃三埼矣《シラキノミサキヲ》」とあり、古い枕詞である。
 新羅邊伊麻須 シラギヘイマス。イマスは、行くの敬語。
 伎美我目乎 キミガメヲ。メは、見ること、逢うこと。
【評語】これも平易な歌で、それだけに熱情に乏しい感がある。一體この間答をしている男女は、既に相當の年輩に達しているので、分別くさくなつているのだろう。男が副使大伴の三中と推定されることも、これを證明するに足りる。それで、次の中臣の宅守とその娘子との問答のような若さが足りないのだと思う。これは女の歌である。
 
3588 はろばろに 思ほゆるかも。
(28) 然れども、
 異《け》しき情《こころ》を 我《あ》が思《も》はなくに。
 
 波呂波呂尓《ハロバロニ》 於毛保由流可母《オモホユルカモ》
 之可禮杼毛《シカレドモ》
 異情乎《ケシキココロヲ》 安我毛波奈久尓《アガモハナクニ》
 
【譯】はるか遠くの空に思われることです。しかしながら、變わつた心をわたくしは思つてはおりません。
【釋】波呂波呂尓於宅保由流可母 ハロバロニオモホユルカモ。極めて遠くの方が思われる意。遠方で心もとない、思うに堪えない心である。「波漏婆漏爾《ハロバロニ》 於忘方由流可母《オモハユルカモ》 志良久毛能《シラクモノ》 智弊仁邊多天留《チヘニヘダテル》 都久紫能君仁波《ツクシノクニハ》」(卷五、八六六)。
 異情乎安我毛波奈久尓 ケシキココロヲアガモハナクニ。ケシキココロは、異なる心、變わつた心。「可良許呂毛《カラコロモ》 須蘇乃宇知可倍《スソノウチカヘ》 安波禰杼毛《アハネドモ》 家思吉己許呂乎《ケシキココロヲ》 安我毛波奈久爾《アガモハナクニ》」(卷十四、三四八二)。
【評語】男の歌とも、女の歌とも解せられる。男の歌とすれば、「はろばろに思ほゆるかも」というのは、自分の行く旅の遼遠なのを思うことになり、女の歌とすれば、男の行く方の遙かなのを思うことになる。どちらでも通ずるが、かわつた心を思わないというについては、男の上を思うとする方が密接な關係にあるから、まず女の歌とする方が順當だろう。夫に對して二心のないことを誓つた歌だが、慣用句が多く使用されている。
 
右十一首、贈答
 
【釋】右十一首贈答 ミギノトヲマリヒトツハオクリコタヘ。旅行の事がきまつてから出發までのあいだに、一行の一人とその妻とのあいだに贈答された歌である。七月になれば歸京する豫定であつたと見えて、その意味で贈答している。
 
(29)3589 夕されば ひぐらし來鳴《きな》く
 生駒《いこま》山、
 越えてぞ吾《あ》が來《く》る。
 妹が目を欲《ほ》り。
 
 由布佐禮婆《ユフサレバ》 比具良之伎奈久《ヒグラシキナク》
 伊故麻山《イコマヤマ》 古延弖曾安我久流《コエテゾアガクル》
 伊毛我目乎保里《イモガメヲホリ》
 
【譯】夕方になればヒグラシの來て鳴く生駒山を、越えてわたしは來る。妻にあいたさに。
【釋】比具良之伎奈久 ヒグラシキナク。ヒグラシは蝉の一種。通例太陽暦の七月にはいつて鳴き始める。この歌は陰暦六月の作なのだろう。キナクのキは輕く添えたもの。
 伊故麻山 イコマヤマ。生駒山。大阪府と奈良縣との堺にある山。最高點六四〇メートル。その南側と北側とに通路があるが、當時の通路は、北側を越えたのだろう。難波への通路として、龍田道に比して、距離は短いが、路は瞼しかつたと思われる。草香の直越《ただご》えともいう。「直越《ただご》えのこの徑《みち》にてしおし照るや難波の海と名づけけらしも」(卷六、九七七)。
 伊毛我目乎保里 イモガメヲホリ。妻の眼を欲して。妻に逢いたさに。
【評語】生駒山の描寫が、よくその情景をとらえている。整つた(30)歌である。一旦難波に下つてから、暇を得て奈良の家に歸るのである。〔29頁に地図があり、難波 大伴の御津 といった記入がある、つまり両者同一と見ている、入力者注〕
 
右一首、秦間滿
 
【釋】秦間滿 ハダノママロ。傳未詳。下の三六八一の左註の秦の田麻呂と同人かとする説がある。滿は、字音假字としてマに當てている。日本書紀にもその例がある。間滿は、ハシマロとも讀んでいる。
 
3590 妹に逢はず あらば術《すべ》なみ
 石根《いはね》履《ふ》む 生駒の山を
 越えてぞ吾《あ》が來《く》る。
 
 伊毛尓安波受《イモニアハズ》 安良婆須敝奈美《アラバスベナミ》
 伊波祢布牟《イハネフム》 伊故麻乃山乎《イコマノヤマヲ》
 故延弖曾安我久流《コエテゾアガクル》
 
【譯】妻に逢わないでおつては、術がなさに、岩を踏む生駒山を越えて、わたしは來るのだ。
【釋】伊毛尓安波受安良婆須敝奈美 イモニアハズアラバスベナミ。妻に逢わずにあつてはせん方なさに。逢わずにいられないので。
 伊波祢布牟 イハネフム。ネは接尾語。イハネは、地中に根を張つている岩。
【評語】難路を敢えて越える心が歌われている。以下特に作者の名を記していないのは、誦詠した古歌を除いては、一行の中のある一人の作と見られる。その人は副使大伴の三中だろう。
 
右一首、暫還2私家1陳v思
 
右の一首は、暫く私の家に還《かへ》りて思ひを陳《の》ぶる。
 
【釋】私家 ワタクシノイヘ。奈良の京にあつたと推量される作者の家。公式に難波に下つたが、餘暇があつ(31)たので、家に歸つたのである。
 
3591 妹とありし 時はあれども、
 別れては、
 衣手寒き ものにぞありける。
 
 妹等安里之《イモトアリシ》 時者安禮杼毛《トキハアレドモ》
 和可禮弖波《ワカレテハ》
 許呂母弖佐牟伎《コロモデサムキ》 母能尓曾安里家流《モノニゾアリケル》
 
【譯】妻と一緒にいた時は何とも思わなかつたが、別れて見ると、著物が寒いことであつた。
【釋】妹等安里之時者安禮杼毛 イモトアリシトキハアレドモ。妹と共にありし時は、さてもあつたが。寒くもなく何ともなかつたがの意。
【評語】妻に別れた心さびしさを、衣手寒キモノという形であらわしている。暖かい思い出が感じられている。
 
3592 海原に 浮寝《うきね》せむ夜は、
 沖つ風 いたくな吹きそ。
 妹もあらなくに。
 
 海原尓《ウナハラニ》 宇伎祢世武夜者《ウキネセムヨハ》
 於伎都風《オキツカゼ》 伊多久奈布吉曾《イタクナフキソ》
 妹毛安良奈久尓《イモモアラナクニ》
 
【譯】海上で浮宿をする夜は、沖の風はひどく吹くな。妻もいないのだ。
【釋】宇伎祢世武夜者 ウキネセムヨハ。ウキネは、船中に寐ること。
【評語】いよいよ海上に船を漕ぎ出そうとする心ぼそさを歌つている。第五句が主眼である。
 
3593 大伴《おほとも》の 御津《みつ》に船乘《ふなの》り
 榜《こ》ぎ出でては、
(32) いづれの島に 廬《いほり》せむ、われ。
 
 大伴能《オホトモノ》 美津尓布奈能里《ミツニフナノリ》
 許藝出而者《コギイデテハ》
 伊都禮乃思麻尓《イヅレノシマニ》 伊保里世武和禮《イホリセムワレ》
 
【譯】大伴の御津で乘船をして榜ぎ出したなら、どこの島で小舍がけをするだろうか。わたしは。
【釋】大伴能美津尓布奈能里 オホトモノミツニフナノリ。大伴は地名。難波から泉北にわたつている。ミツは、難波の御津。
 伊保里世武和禮 イホリセムワレ。夜は、島邊に船を停めて、礒邊に上つて、廬りをするのである。セムで切れる。
【評語】これも前途の心ぼそさが歌われている。前途の渺茫たる感じが、よくあらわれている。
 
右三首、臨發之時作歌
 
右の三首は、臨發《ふなだち》の時作れる歌。
 
【釋】臨發之時 フナダチノトキ。出發に際しての意。臨終の時などと同じ句法であつて、フナダチニノゾミシトキとも讀まれているが、事に接する意の場合に、何ニノゾムという言い方の例を見ないから、熟語としてフナダチノトキと讀むこととする。ミチダチノトキであるかも知れないが、今海路の義を採ることとした。
 
3594 潮待つと ありける船を
 知らずして、
 悔《くや》しく妹を 別れ來にけり。
 
 之保麻都等《シホマツト》 安里家流布祢乎《アリケルフネヲ》
 思良受之弖《シラズシテ》
 久夜之久妹乎《クヤシクイモヲ》 和可禮伎尓家利《ワカレキニケリ》
 
【譯】潮を待つていた船を知らないで、殘念にも妻と別れて來たことだ。
(33) 之保麻都等 シホマツト。新月もしくは望月のころ、潮の大きくさすのを待つて船を出す。それを待つとして。
 久夜之久妹乎和可禮伎尓家利 クヤシクイモヲワカレキニケリ。クヤシクは、妹と別れたことを修飾している。別ルは、その目標をいう時には、ヲによる例である。「白妙之《シロタヘノ》 手本矣別《タモトヲワカレ》」(卷三、四八一)、「多良知禰乃《タラチネノ》 波々乎和加例弖《ハハヲワカレテ》」(卷二十、四三四八)。
【評語】すこしでも長く妻と共にいたいとする心が歌われている。殘念に思つている心は、よくあらわれている。
 
3595 朝びらき 榜《こ》ぎ出《で》て來《く》れば
 武庫《むこ》の浦の 潮干の潟に
 鶴《たづ》が聲すも。
 
 安佐妣良伎《アサビラキ》 許藝弖天久禮婆《コギデテクレバ》
 牟故能宇良能《ムコノウラノ》 之保非能可多尓《シホヒノカタニ》
 多豆我許惠須毛《タヅガコエスモ》
 
【譯】朝、船出をして榜ぎ出て來れば、武庫の浦の潮干の潟に、鶴の聲がする。
【釋】安佐妣良伎 アサビラキ。朝、船出をすること。
【評語】美しい歌である。しかし作者は、出發に際して妻の詠んだ「武庫の浦の入江の渚鳥」の歌を想起しているだろう。それを表面に出さないで「潮干の潟に鶴の聲する」と詠んでいる所に、含みがあり、この歌の良さがある。但し六月と思われるから、鶴はいないだろう。以下にもたびたび詠まれているのは、タヅの語が、今日のツルに限定されないのだろう。
 
3596 吾妹子が 形見に見むを、
(34) 印南《いなみ》つま
 白浪高み よそにかも見む。
 
 和伎母故我《ワギモコガ》 可多美尓見牟乎《カタミニミムヲ》
 印南都麻《イナミツマ》
 之良奈美多加弥《シラナミタカミ》 與曾尓可母美牟《ヨソニカモミム》
 
【譯】わが妻の形見に見ようものを、印南つまを、白波が高いので、よそにか見るのだろう。
【釋】和伎母故我 ワギモコガ。わが妻の。ガは、形見に接續する助詞。
 可多美尓見牟乎 カタミニミムヲ。記念として見よう、それだのに。印南ツマが、ツマという音を含んでいるので、形見ニという。
 印南都麻 イナミツマ。兵庫縣印南郡加古川の河口、今の高砂の地という。播磨國風土記に印南の別孃《わきいらつめ》に關する説話があり、本集卷の四、六にも詠まれている名勝の地。ツマは地形語。別に一区割を成す土地をいう。妻、朝妻、吾妻《あがつま》など。
 與曾尓可母美牟 ヨソニカモミム。印南都麻に船を寄せないで、よそながらにか見て行くだろうの意。
【評語】途上の名勝を見るにつけても、妻のことの忘れられないのがあわれである。しかしその心がこの一團の歌に貫流しているので、意義も深いのである。
 
3597 わたつみの 沖つ白浪
 立ち來《く》らし。
 海人娘子《あまをとめ》ども 島|隱《がく》る見ゆ。
 
 和多都美能《ワタツミノ》 於伎津之良奈美《オキツシラナミ》
 多知久良思《タチクラシ》
 安麻乎等女等母《アマヲトメドモ》 思麻我久流見由《シマガクルミユ》
 
【譯】海の沖の白浪が立つて來るらしい。海人の娘子たちが、島に榜いで隱れるのが見える。
【釋】和多都美能 ワタツミノ。ワタツミは、海神。ここは海洋をいう。
(35)多知久良思 タチクラシ。立つようになつたことを推量している。句切。
 安麻乎等女等母 アマヲトメドモ。藻刈りに出ていた娘子の舟。
 思麻我久流見由 シマガクルミユ。シマガクルは終止形。浪を避けて島邊に隱れるのである。
【評語】沖の方を望見して詠んだ歌である。舟の行動によつて海上のもようを歌う歌は多いが、これは躍動的な描寫があつてよい。
 
3598 ぬばたまの
 夜は明《あ》けぬらし。
 多麻《たま》の浦に
 求食《あさり》する鶴《たづ》、
 鳴き渡るなり。
 
 奴波多麻能《ヌバタマノ》
 欲波安氣奴良之《ヨハアケヌラシ》
 多麻能宇良尓《タマノウラニ》
 安佐里須流多豆《アサリスルタヅ》
 奈伎和多流奈里《ナキワタルナリ》
 
【譯】暗い夜は明けたらしい。多麻の浦に餌をあきる鶴が、鳴いて渡つている。
【釋】奴波多麻能 ヌバタマノ。枕詞。
 多麻能宇良尓 タマノウラニ。タマノウラは、不明だが、印南都麻と神島とのあいだで詠まれているから、岡山縣浅口郡の玉島の浦であろうという。下の三六二七の歌にも見えていて、これによると家島より西になつている。
【評語】廬の中にあつて、まだ暗い寐覺に、鳴きわたる鶴の聲を聞いて詠(36)んだ歌。清澄な作品である。
 
3599 月《つく》よみの 光を清み、
 神島の 礒みの浦ゆ
 船出《ふなで》す、吾は。
 
 月余美能《ツクヨミノ》 比可里乎伎欲美《ヒカリヲキヨミ》
 神島乃《カミシマノ》 伊素未乃宇良由《イソミノウラユ》
 船出須和禮波《フナデスワレハ》
 
【譯】月の光が清らかなので、神島の礒の浦を通つて船出をする。わたしは。
【釋】月余美能 ツクヨミノ。ツクヨミは、月のこと。月讀で、その月齡を數えるよりいう。
 比可里乎伎欲美 ヒカリヲキヨミ。六月の下旬の月光で、曉に及んで明るかつたのをいうのであろう。
 神島乃 カミシマノ。カミシマは、岡山縣笠岡市の海上に横たわつている島。
 伊素未乃宇良由 イソミノウラユ。ミは接尾語。彎曲している礒の水面である浦を通つて。ユは、その間を通つて。
 船出須和禮波 フナデスワレハ。フナデスは終止形。主語を最後に置いてある。
【評語】あかるい殘月の光のもとに船出する情景が歌われている。すなおな平明の作である。
 
3600 離礒《はなれそ》に 立てるむろの木、
 うたがたも、               
 久しき時を 過ぎにけるかも。
 
 波奈禮蘇尓《ハナレソニ》 多弖流牟漏能木《タテルムロノキ》
 宇多我多毛《ウタガタモ》
 比左之伎時乎《ヒサシキトキヲ》 須疑尓家流香母《スギニケルカモ》
 
【譯】離れた礒に立つているムロノキは、よくは知らないが、ずいぶん久しい時を過ぎて來たものだなあ。
【釋】波奈禮蘇尓多弖流牟漏能木 ハナレソニタテルムロノキ。ハナレソは、海中に離れてある礒。ムロノキ(37)は、スギノキのような葉で、やわらかい葉の樹の總稱。以下二首のムロノキは、鞆の浦のムロノキで、大伴の旅人の歌(卷三、四四六等)などに見える老樹と思われる。
 宇多我多毛 ウタガタモ。疑うらくは。「歌方毛《ウタガタモ》 曰管毛有鹿《イヒツツモアルカ》」(卷十二、二八九六)參照。
【評語】海中の老樹に對する感想で、内容は平凡だが、すなおに驚歎の聲を出している。
 
3601 しましくも ひとりあり得《う》る
 ものにあれや、
 島のむろの木、
 離れてあるらむ。
 
 之麻思久母《シマシクモ》 比等利安里宇流《ヒトリアリウル》
 毛能尓安禮也《モノニアレヤ》
 之麻能牟漏能木《シマノムロノキ》
 波奈禮弖安流良武《ハナレテアルラム》
 
【譯】ちよつとのまでも、ひとりであり得るものなのだろうか、島のムロノキが離れているのだろう。
 
【釋】比等利安里宇流毛能尓安禮也 ヒトリアリウルモノニアレヤ。アレヤは、疑問條件法。はたしてそうだろうかという、強い凝感の語法である。
 之麻能牟漏能木 シマノムロノキ。シマは、前の歌の、離礒に相當する語だが、水に臨んだ地をいう。
【評語】作者自身の妻に別れて遠く來たやるせない思いがこの詠をなしている。理くつふうないい方だが、感動の調子が大きく出ているのでよく救われている。海中の巨樹に對する旅愁ともいうべきものが歌われている。
 
右八首、乘v船入v海路上作歌
 
右の八首は、船に乘り海に入りて路の上に作れる歌。
 
【釋】入海 ウミニイリテ。海上に乘り出したことをいう。これで難波の御津から、廣島縣の鞆《とも》まで來たこと(38)になる。
 
當所誦詠古歌
 
その所にして誦詠《よ》める古歌。
 
【釋】當所誦詠古歌 ソノトコロニシテヨメルフルウタ。その所において、興に乘じて誦詠した古歌を録している。處々で諸人の誦したのを記し集めたのであろう。以下十首が、その古歌である。
 
3602 あをによし 奈良の都に
 たなびける 天《あま》の白雲、
 見れど飽かぬかも。
 
 安乎尓余志《アヲニヨシ》 奈良能美夜古尓《ナラノミヤコニ》
 多奈妣家流《タナビケル》 安麻能之良久毛《アマノシラクモ》
 見禮杼安可奴加毛《ミレドアカヌカモ》
 
【譯】美しい奈良の都にたなびいている大空の白雲は、見ても飽きないことだなあ。
【釋】安乎尓余志 アヲニヨシ。枕詞。
 安麻能之良久毛 アマノシラクモ。天の語が、助詞ノを件なつて他語に接續する場合には、アマとなるものと、アメとなるものと、兩樣の文獻がある。ここはアマになつている例である。アマノは、熟語的ないい方で、天空の感じを出すために添えている。
【評語】難波あたりか、または海上に出てまもなく詠んだ歌で、雲を讃美することによつて、よく故郷を思う心を描いている。作者未詳であるが、大きな風格の歌である。
 
右一首、詠v雲
 
(39)右の一首は、雲を詠める。
 
【釋】詠雲 クモヲヨメル。雲を詠んだとしてあるが、前記のように望郷の歌である。この註は筆録者の註か編者の註か、不明。
 
3603 青楊《あをやぎ》の 枝|伐《き》り下《おろ》し、
 齋種《ゆだね》蒔《ま》き、
 ゆゆしく君に 戀ひわたるかも。
 
 安乎楊疑能《アヲヤギノ》 延太伎里於呂之《エダキリオロシ》
 湯種蒔《ユダネマキ》
 忌忌伎美尓《ユユシクキミニ》 故非和多流香母《コヒワタルカモ》
 
【譯】青いヤナギの枝を切りおろして、淨らかな種を蒔く。そのようにつつしまれるまでに君に戀をして日を過ごすことだ。
【釋】安乎楊疑能廷太伎里於呂之 アヲヤギノエダキリオロシ。楊の字は、ヤの音をあらわすために使われてはいるが、楊樹の語を表示するために、縁をもつて使用したものである。ここのアヲヤギは、枝の長く垂れるシダレヤナギではなく、河原などに自生している、カワラヤナギ(楊)である。その枝を切りおろすのは、苗代田を作るために、日光をさえぎる枝を切るのだとされるが、ヤナギの枝が影になるような處に種を蒔くというのも、普通ではない。古義には「楊枝を伐りて苗代の水口にさして、神を齋ひ奉るをいふなり。今も田を植る初めに、木の枝を刺していはふことあり、是をさばひおろしと云ふ。又土佐國長岡郡のあたりにては、もはら苗代をつくりて、種を蒔とき、水口に松杉などの枝を刺して、水口をいはへり」とある。これによつて種を蒔く信仰的行事として、ヤナギの枝を切りおろしたと見るべきである。しかしそれならば、サスと言いそうなものである。
 湯種蒔 ユダネマキ。ユダネは、祝つて不淨を拂つた種。清めたイネの種である。「湯種蒔《ユダネマク》 荒木之小田矣(40)求跡《アラキノエダヲモトメムト》」(卷七、一一一〇)。以上三句は序詞で、同音によつて、次のユユシを引き出している、なおユダネのユは、ユユシのユと同語であろう。
 忌忌伎美尓 ユユシクキミニ。ユユシキキミニ(西)、ユユシクキミニ(代精)。ユユシは、恐れ憚るべき意。ゆゆしく戀い渡るということは、「忌々久毛吾者《ユユシクモワレハ》 歎鶴鴨《ナゲキツルカモ》」(卷十二、二八九三)の如き例があり、それは歎く樣のゆゆしくあるをいう。これによつてここも、ユユシクキミニの訓によるべきである。君に對してあさましいと思われるまでに戀して過ごす意である。ユユシキ君と、じかに相手を形容した例は見當らない。
【評語】田園の行事を取りあげて序に使つている。遊行女婦あたりの歌い傳えた歌のようだ。船中では、別に縁はないが、興に乘つてこのような歌を口ずさんだものと見える。
 
3604 妹が袖 別れて久に、
 なりぬれど、
 一日も妹を
 忘れておもへや。
 
 妹我素弖《イモガソデ》 和可禮弖比左尓《ワカレテヒサニ》
 奈里奴禮杼《ナリヌレド》
 比登比母伊毛乎《ヒトヒモイモヲ》
 和須禮弖於毛倍也《ワスレテオモヘヤ》
 
【譯】妻の袖を別れて久しくなつたけれども、一日でも妻を忘れはしない。
【釋】妹我素弖和可禮弖比左尓 イモガソデワカレテヒサニ。イモガソデワカレテは、愛人の袖から別れて。袖を別れるという言い方は、その袖に觸れて寐たことから離れたのをいう意味である。
 和須禮弖於毛倍也 ワスレテオモヘヤ。ワスレテオモフは、思ヒ忘ルに同じ。忘れること。オモヘヤは反語。
【評語】妹の語が重出しているのは、不手際だが、かえつて素朴な感じを與える。單純な内容を、率直に述べた形である。これも作者未詳。
 
(41)3605 わたつみの 海に出でたる
 飾磨河《しかまがは》、
 絶えむ日にこそ あが戀|止《や》まめ。
 
 和多都美乃《ワタツミノ》 宇美尓伊弖多流《ウミニイデタル》
 思可麻河伯《シカマガハ》
 多延無日尓許曾《タエムヒニコソ》 安我故非夜麻米《アガコヒヤマメ》
 
【譯】洋々たる海に流れ出ている飾磨《しかま》川の、絶える日には、わたしの戀が止むだろう。
【釋】和多都美乃 ワタツミノ。ワタツミは、神靈を感じる海の稱。便宜、海神とも解釋する。ここでは海に冠して、枕詞ふうになつている。
 宇美尓伊弖多流 ウミニイデタル。海に流れ出た。海に流入する川の謂だが、河の流れは、海上遠く流入するのがわかるので、航海者にとつて、特にこの表現がある。
 思可麻河伯 シカマガハ。今、姫路市を流れる船場《せんば》川の古名。河伯は、川の神の意の字で、ここはカハの表音文字として使つている。前卷にもあつた。
 多延無日尓許曾 タエムヒニコソ。飾磨川の水の絶える日にというので、以上は、あり得ないことの意を、譬喩であらわしている。
【評語】歌いものふうの歌で、川の名などは、入れかえが利いたものだろう。船中で吟誦するに適している歌だ。
 
右三首、戀歌
 
【釋】戀歌 コヒノウタ。「門部王戀歌一首」(卷四、五三六題詞)など見えている。
 
(42)3606 玉藻刈る 乎等女《をとめ》を過ぎて
 夏草の 野島《のじま》が埼に
 廬《いほり》す、我は。
 
 多麻藻可流《タマモカル》 乎等女乎須疑弖《ヲトメヲスギテ》
 奈都久佐能《ナツクサノ》 野島我左吉尓《ノジマガサキニ》
 伊保里須和禮波《イホリスワレハ》
 
【譯】玉藻を刈る乎等女の浦を通り過ぎて、夏草の生い茂る野島が埼に小舍《こや》がけをしている。わたしは。
【釋】乎等女乎須疑弖 ヲトメヲスギテ。ヲトメは葦屋《あしのや》の處女の墓のある地であろう。
 奈都久佐能 ナツクサノ。實景の敍述と見られる。
 伊保里須和禮波 イホリスワレハ。イホリは、假小屋を作つて宿ること。イホリスは、終止形。
【評語】人麻呂の歌を吟誦したものだが、次の左註にあるように、卷の三の歌とは詞句に若干の相違がある。それは傳誦のあいだに相違を生ずることもあるが、第五句の相違の如きは、船近ヅキヌでは、この歌の吟誦される場合の實情に合わないとして、故意に歌いかえるというようなこともあり得る。それで多分、廬スワレハになつているのだろう。古歌の別傳の中には、かような理由で生じたものも、あり得るのである。歌としては、原歌の方のよい場合が多く、これも原歌の方が格段に良い。廬スでは、玉藻刈ル乎等女ヲ過ギテが生きてこない。船近ヅキヌで、始めて初二句の敍述が生きるのである。
【參考】別傳。
   柿本朝臣人麻呂羈旅歌
  珠藻苅《タマモカル》 敏馬乎過《ミヌメヲスギテ》 夏草之《ナツクサノ》 野島之埼爾《ノジマガサキニ》 舟近著奴《フネチカヅキヌ》
  一本云 處女乎過而《ヲトメヲスギテ》 夏草乃《ナツクサノ》 野島我埼爾《ノジマガサキニ》 伊保里爲吾等者《イホリスワレハ》
(卷三、二五〇)
 
(43)柿本朝臣人麻呂歌曰、敏馬乎須疑弖《ミヌメヲスギテ》 又曰、布祢知可豆伎奴《フネチカヅキヌ》
 
柿本の朝臣人麻呂の歌に曰はく、敏馬《みぬめ》を過ぎて。 また曰はく、船近づきぬ。
 
【釋】柿本朝臣人麻呂歌曰 カキノモトノアソミヒトマロノウタニイハク。卷の三の「柿本朝臣人麻呂羈旅歌八首」(卷三、二四九−二五六)について異同を註している。以下、三六〇七、三六〇八、三六〇九も同樣である。これは筆録者の記載でなくして、この卷の編者などのわざであろう。
 
3607 白栲の 藤江の浦に
 漁《いざり》する 海人《あま》とや見らむ。
 旅行く吾《われ》を。
 
 之路多倍能《シロタヘノ》 藤江能宇良尓《フヂエノウラニ》
 伊射里須流《イザリスル》 安麻等也見良武《アマトヤミラム》
 多妣由久和禮乎《タビユクワレヲ》
 
【譯】白い布の藤江の浦で漁りをする海人とか見ているのだろうなあ。旅を行くわたしなのに。
【釋】之路多倍能 シロタヘノ。枕詞。シロタヘは、コウゾなどで織つた白い布で、藤に續かない。原歌のように、アラタヘ(荒栲)でなければならないのを、記憶のままに吟誦したので誤り傳えたのである。
 藤江能宇良尓 フヂエノウラニ。藤江の浦は、兵庫縣明石郡の海上。
 安麻等也見良武 アマトヤミラム。ヤは、疑問の係助詞。ミラムは、見ルラムの古い形。句切。
【評語】官命によつて旅行するということに、大きな自負心を感じている。それを海人と見誤るだろうというのが心外なので、當時の旅行者として、同感のできる歌だつたのだろう。三句も、原歌のスズキ釣ルの方が、具體的でよい。
【參考】別傳。
(44)   柿本朝臣人麻呂羈旅歌
  荒栲《アラタヘノ》 藤江之浦爾《フヂエノウラニ》 鈴寸釣《スズキツル》 白水郎跡香將v見《アマトカミラム》 旅去吾乎《タビユクワレヲ》
  一本云 白栲乃《シロタヘノ》 藤江能浦爾《フヂエノウラニ》 伊射利爲流《イザリスル》(卷三、二五二)
 
柿本朝臣人麻呂歌曰、
 
安良多倍乃《アラタヘノ》 又曰、須受吉都流《スズキツル》 安麻登香見良武《アマトカミラム》
 
柿本の朝臣人麻呂の歌に曰はく、
 
荒栲の。 また曰はく、すずき釣る 海人《あま》とか見らむ。
 
3608 天離《あまざか》る 鄙《ひな》の長道《ながぢ》を
 戀ひ來《く》れば、
 明石《あかし》の門《と》より 家のあたり見ゆ。
 
 安麻射可流《アマザカル》 比奈乃奈我道乎《ヒナノナガヂヲ》
 孤悲久禮婆《コヒクレバ》
 安可思能門欲里《アカシノトヨリ》 伊敝乃安多里見由《イヘノアタリミユ》
 
【譯】天のように遠い田舍の道を、戀いながら來れば、明石の海峽のあいだから、わが家のあたりが見える。
【釋】安麻射可流 アマザカル。枕詞。
 比奈乃奈我道乎 ヒナノナガヂヲ。原歌は、「夷之長追從《ヒナノナガヂユ》」(卷三、二五五)とある。ユならば、長い道のあいだを通しての意になつて、非常によい。しかるにこの卷の編纂者は、既にユとヲとの區別に氣を留めなくなつていたと見えて、ここにも卷の三にも、その相違を記していない。
 安可思能門欲里 アカシノトヨリ。アカシノトは、明石の門。本州と淡路島とのあいだの海峽。
 伊敝乃安多里見由 イヘノアタリミユ。イヘノアタリは、作者等の家のある大和の國の山をいう。これも原(45)歌の方がよい。
【評語】よい歌なのだが、やはり歌いくずしている。これは西の方から歸つて來る時の歌である。
【參考】別傳。
   柿本朝臣人麻呂羈旅歌
  天離《アマザカル》 夷之長道從《ヒナノナガヂユ》 戀來者《コヒクレバ》 自2明門1《アカシノトヨリ》 倭嶋所v見《ヤマトシマミユ》
   一本云 家門當見由《ヤドノアタリミユ》(卷三、二五五)
 
柿本朝臣人麻呂歌曰、夜麻等思麻見由《ヤマトシマミユ》
 
柿本の朝臣人麻呂の歌に曰はく、大和島見ゆ。
 
3609 武庫《むこ》の海の にはよくあらし。
 いざりする 海人《あま》の釣船、
 浪の上《うへ》ゆ見ゆ。
 
 武庫能宇美能《ムコノウミノ》 尓波余久安良之《ニハヨクアラシ》
 伊射里須流《イザリスル》 安麻能都里船《アマノツリブネ》
 奈美能宇倍由見由《ナミノウヘユミユ》
 
【譯】武庫の海の海上は、平穩であるらしい。すなどりをする海人の釣船が、浪の上を通して見える。
【釋】武庫能宇美能 ムコノウミノ。武庫の海は、武庫川の河口附近の海上。原歌は、ケヒノ海とある。わざと地名をかえたのだろう。
 尓波余久安良之 ニハヨクアラシ。ニハは、海面。わが前の廣い處。アラシは、アルラシ。句切。
 奈美能宇倍由見由 ナミノウヘユミユ。浪の上を通して見える。
【評語】これも原歌とはちよつと變わつている。五句浪ノ上ユ見ユでは、浪が若干あるらしくして、二句のニ(46)ハヨクアラシの根據になりにくい。
【參考】別傳。
  柿本朝臣人麻呂羈旅歌
  飼飯海乃《ケヒノウミノ》 庭好有之《ニハヨクアラシ》 苅薦乃《カリゴモノ》 亂出所v見《ミダレイヅミユ》 海人釣船《アマノツリブネ》
  一本云 武庫乃海能《ムコノウミノ》 爾波好有之《ニハヨクアラシ》 伊射里爲流《イザリスル》 海部乃釣船《アマノツリブネ》 浪上從所v見《ナミノウヘユミユ》(卷三・二五六)
               
柿本朝臣人麻呂歌曰
 
氣比乃宇美能《ケヒノウミノ》 又曰、 可里許毛能《カリコモノ》 美太禮弖出見由《ミダレテイヅミユ》 安麻能都里船《アマノツリブネ》
 
柿本の朝臣人麻呂の歌に曰はく、
 
氣比《けひ》の海の。 また曰はく、刈薦の 亂れて出づ見ゆ。海人の釣船。
 
【釋】美太禮弖出見由 ミダレテイヅミユ。原歌には「亂出所v見」とあるのを、かように註したのは粗漏である。テを入れないで讀むべきである。
 
3610 阿胡《あご》の浦に 船乘《ふなの》りすらむ
 娘子《をとめ》らが、
 赤裳の裾に 潮滿つらむか。
 
 安胡乃宇良尓《アゴノウラニ》 布奈能里須良牟《フナノリスラム》
 乎等女良我《ヲトメラガ》
 安可毛能須素尓《アカモノスソニ》 之保美都良武賀《シホミツラムカ》
 
【譯】安胡の浦で乘船をしているだろう娘子らの、赤い裳の裾に潮が滿ちているだろうか。
【釋】安胡乃宇良尓 アゴノウラニ。卷の一に人麻呂作歌として載せたのには「嗚呼見乃浦爾《アミノウラニ》」(卷一、四〇)(47)とある。その嗚呼見の浦は、この傳誦によつて、アゴの浦の誤りだろうといわれている。三重縣志摩郡(志摩の國)の英處《あご》である。
 安可毛能須素尓 アカモノスソニ。卷の一には、「珠裳乃須十二《タマモノスソニ》」とある。アカモは、赤い裳で、裳は赤いのを通例とする。
【評語】地名を別として、珠裳が赤裳にかわつているわけだが、それだけで、非常に肉感的になつている。女子の裳の裾に潮が滞ちているだろうという想像は、原歌でもかなりつつ込んでいる描寫なのだが、それでも、珠裳という美しい語で、幾分助かつている。それを赤裳ノ裾という、刺戟の強い語をもつてしたので、一層烈しくなるのである。そこに原歌との相違のあることを看取すべきである。
【參考】別傳。
   幸2于伊勢國1時、留v京、柿本朝臣人麻呂作歌
  鳴呼見乃浦爾《アミノウラニ》 船乘爲良武《フナノリスラム》 ※[女+感]嬬等之《ヲトメラガ》 珠裳乃須十二《タマモノスソニ》 四寶三都良武香《シホミツラムカ》(卷一、四〇)
 
柿本朝臣人麻呂歌曰、安美能宇良《アミノウラ》 又曰、 多麻母能須蘇尓《タマモノスソニ》
 
柿本の朝臣人麻呂の歌に曰はく、網の浦。 また曰はく、玉裳の裾に。
 
【釋】柿本朝臣人麻呂歌曰 カキノモトノアソミヒトマロノウタニイハク。この註は、卷の一の所傳によつて加えている。ここに安美能宇良とあるので、卷の一の傳來の文字が、ここの註を書いた當時既に嗚呼見之浦となつていたことが、推定されている。
 
七夕歌一首
 
(48)【釋】七夕歌 ナヌカノヨヒノウタ。七月七日の牽牛織女の二星を祭る夜の歌である。一行は六月に出航して、多分七月に近づいたので、この歌を誦詠したのだろう。後に九州に到著してから七夕に逢つて歌を詠んでいる。ただ月を仰いで詠んだ歌なので、七月七日の夜の誦詠ではない。
 
3611 大船に 眞楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き、
 海原を 榜《こ》ぎ出《で》て渡る。
 月人壯子《つくひとをとこ》。
 
 於保夫祢尓《オホブネニ》 麻可治之自奴伎《マカヂシジヌキ》
 宇奈波良乎《ウナハラヲ》 許藝弖天和多流《コギデテワタル》
 月人乎登?《ツクヒトヲトコ》
 
【譯】大船に櫓櫂をとり著けて、海上を榜ぎ出して渡る。月の男は。
【釋】於保夫祢尓麻可治之自奴伎 オホブネニマカヂシジヌキ。大船を艤装することをいう慣用句で、用例が多い。
 許藝弖天和多流 コギデテワタル。終止とも連體とも解せられるが、五句に月人壯士の句を有する他の四首は、いずれも四句で切れるものの如く、殊にこの歌の四句に近い句をもつている「秋風之《アキカゼノ》 清夕《キヨキユフベニ》 天漢《アマノガハ》 舟榜度《フネコギワタル》 月人壯子《ツクヒトヲトコ》」(卷十、二〇四三)も、四句で切れると見えるから、終止形の句とするがよかろう。
 月人乎等? ツクヒトヲトコ。月を擬人化している。
【評語】七夕の歌と題してはあるが、歌は月を中心にしている。大空を海に譬え、月を船に譬えるのは、よく見受けられるところで、この種の歌のうちでも、すぐれた歌とはいいがたい。この歌の原歌は傳わらないが、やはり誤傳があつて、歌品を損じているかも知れない。
 
右、柿本朝臣人麻呂歌
 
(49)【釋】右柿本朝臣人麻呂歌 ミギハカキモトノアソミヒトマロノウタ。集中他に所見のない歌である。この註は、七夕の歌一首をさすか、その以前をも含んでいるか不明。とにかく誦詠せる古歌というのは、以上で終る。
 
備後國水調郡長井浦舶泊之夜、作歌三首
 
備後の國|水調《みつき》の郡《こほり》長井《ながゐ》の浦《うら》に舶|泊《は》てし夜、作れる歌三首。
 
【釋】水調郡 ミツキノコホリ。今、廣島縣御調郡。
 長井浦 ナガヰノウラ。今の糸崎港。
 
3612 あをによし 奈良の都に
 行く人もがも。
 草枕 旅行く船の
 泊《とまり》告げむに。旋頭歌なり。
 
 安乎尓與之《アヲニヨシ》 奈良能美也故尓《ナラノミヤコニ》
 由久比等毛我母《ユクヒトモガモ》
 久佐麻久良《クサマクラ》 多妣由久布祢能《タビユクフネノ》
 登麻利都※[且/寸]武仁《トマリツゲムニ》旋頭歌也
 
【譯】美しい奈良の都に行く人もあるとよい。草の枕の旅行く船の泊る處を告げように。
【釋】久佐麻久艮 クサマクラ。枕詞。元來陸路の旅の枕詞であるが、ここは舟行であるのに使用している。
 登麻利都※[且/寸]武仁 トマリツゲムニ。トマリは、停泊する處。
 旋頭歌也 セドウカナリ。この卷には、旋頭歌の五首に對して、一々旋頭歌だとことわつている。資料とした集録にあつたものか、編者の加えたものかあきらかでないが、長歌や短歌に對してはことわらないで、旋頭歌に對してのみことわつているのは、當時既にこの歌體が普通でなかつたことを語るものである。
【評語】旅行先で、都の方へ行く人に逢うと、音信を頼むので、通信機關の備わらなかつた時代の旅情を描い(50)ている。舟行であるのに、草枕の枕詞は、似合わないが、遠く不自由がちな旅の空氣を描くには役立つている。
 
右一首、大判官
 
【釋】大判官 オホキマツリゴトビト。續日本紀によれば壬生《みふ》の使主《おみ》宇太麻呂である。宇太麻呂は、天平十八年四月に外の從五位の下を授けられ、諸官を經て天平勝寶六年七月に玄蕃の頭《かみ》となつている。なお正倉院文書(大日本古文書一ノ五九六)によつて、天平六年四月に、正七位の上少外記勲十二等であつたことが知られる。
 
3613 海原を、
 八十島|隱《がく》り 來《き》ぬれども
 奈良の都は 忘れかねつも。
 
 海原乎《ウナハラヲ》
 夜蘇之麻我久里《ヤソシマガクリ》 伎奴禮杼母《キヌレドモ》
 奈良能美也故波《ナラノミヤコハ》 和須禮可祢都母《ワスレカネツモ》
 
【譯】海上を、たくさんの島のあいだを縫つて來たけれども、奈良の都は、忘れかねたことだ。
【釋】夜蘇之麻我久里 ヤソシマガクリ。ヤソシマは、多數の島。その島に隱れて。
【評語】奈良の都を遠く離れて來ても、しかもなお忘れがたさにはかわりはない。平易な表現の中に、望郷の感情がもりあげられている。
 
3614 歸るさに 妹に見せむに、
 わたつみの 沖つ白玉、
 拾《ひり》ひて行かな。
 
 可敝流散尓《カヘルサニ》 伊母尓見勢武尓《イモニミセムニ》
 和多都美乃《ワタツミノ》 於伎都白玉《オキツシラタマ》
 比利比弖由賀奈《ヒリヒテユカナ》
 
【譯】歸りみちに妻に見せるのに、海上の沖の白玉を拾つて行きたいものだ。
(51)【釋】可敝流散尓 カヘルサニ。カヘルサは、歸りみちであるが、ここでは、家に歸つた時の意に使つている。
 於伎都白玉 オキツシラタマ。沖の方の白玉。海底の白玉。
 比利比弖由賀奈 ヒリヒテユカナ。ユカナは、願望の語法。
【評語】しばしば見られる内容だが、それだけに自然の情である。装身具として玉が愛用されていた事情をよく知つて味わうべきである。
 
風速浦舶泊之夜、作歌二首
 
風速《かざはや》の浦に舶|泊《は》てし夜、作れる歌二首。
 
【釋】風速浦 カザハヤノウラ。廣島縣賀茂郡安藝津町の西に、今、風早の地名が殘つている。その海面。
 
3615 わが故に 妹歎くらし。
 風早《かざはや》の 浦の沖邊に、
 霧たなびけり。
 
 和我由惠仁《ワガユヱニ》 妹奈氣久良之《イモナゲクラシ》
 風早能《カザハヤノ》 宇良能於伎敝尓《ウラノオキベニ》
 寄里多奈妣家利《キリタナビケリ》
 
【譯】わたしゆえに妻が歎息しているらしい。風早の浦の沖の方に霧がたなびいている。
【釋】宇良能於伎敝尓 ウラノオキベニ。浦の沖の方に。
【評語】作者は、礒にいて沖の方を眺めている。そうして霧のなびいているのを見て、出發に際して妻の歌つた、「君が行く海邊の宿に霧立たばあが立ち歎く息と知りませ」(卷十五、三五八〇)の歌を思い起している。感情のこもつた歌である。かような照應があるので、この一連の歌が、一行中のある一人の手録に成るとされるのである。
 
(52)3616 沖つ風 いたく吹きせば、
 吾妹子が 歎《なげ》きの霧に
 飽かましものを。
 
 於伎都加是《オキツカゼ》 伊多久布伎勢波《イタクフキセバ》
 和伎毛故我《ワギモコガ》 奈氣伎能奇里尓《ナゲキノキリニ》
 安可麻之母能乎《アカマシモノヲ》
 
【譯】沖の方の風が烈しく吹いたなら、わたしの妻の歎息の霧に十分に接し得たであろうものを。
【釋】於伎都加是 オキツカゼ。沖の方で吹く風。
 和伎毛故我奈氣伎能奇里尓 ワギモコガナゲキノキリニ。妻の歎きによつて生じた霧に。前の歌の評語に擧げた妻の歌にもとづいている。
 安可麻之母能乎 アカマシモノヲ。十分に飽くことができたろうものを。
【評語】前の歌と連作を成している。沖の風がもつと吹いたら、霧を礒邊に吹きつけて、十分に接し得たろうものを、殘念だというのである。
 
安藝國長門島、舶泊2礒邊1作歌五首
 
安藝の國|長門《ながと》の島《しま》にて、舶を礒邊に泊《は》てて作れる歌五首。
 
【釋】長門島 ナガトノシマ。廣島縣安藝郡の倉橋島のことだという。この下にもまた卷の十三にも長門の浦ともあり、長門の名からいえば、倉橋島の西北面の江の浦方面が、長門の浦で、碇泊にも適していたであろう。
 
3617 石走《いはばし》る 瀧《たぎ》もとどろに
 鳴く蝉《せび》の 聲をし聞けば、
(53) 都《みやこ》し思ほゆ。
 
 伊波婆之流《イハバシル》 多伎毛登杼呂尓《タギモトドロニ》
 鳴蝉乃《ナクセビノ》 許惠乎之伎氣婆《コヱヲシキケバ》
 京師之於毛保由《ミヤコシオモホユ》
 
【譯】石の上を尭る激流もとどろくばかりに鳴く蝉の聲を聞くと、都が思われる。
【釋】伊波婆之流多伎毛登杼呂尓 イハバシルタギモトドロニ。岩に走る激流の水も一層音が烈しくなるまでに。以上、蝉の鳴く聲の盛んなのを説明している。激流の聲もまさるばかりに蝉が鳴くのである。
 鳴蝉乃 ナクセビノ。蝉は、ここではセビと讀む。セビは、歌の中では唯一の用例である。今のセミである。新撰字鏡に、蝉に世比の訓がある。
【評語】奈良の都でも蝉のやかましく鳴いたのを思い起したのである。作者は、作歌に慣れないらしく、第二句の表現なども十分でないが、珍しい處をとらえており、よく情景を描き得ている。
 
右一首、大石※[草がんむり/衣]麻呂
 
【釋】大石※[草がんむり/衣]麻呂 オホイシノミノマロ。傳未詳。
 
3618 山|河《がは》の 清き川瀬に
 遊べども、
 奈良の都は 忘れかねつも。
 
 夜麻河伯能《ヤマガハノ》 伎欲吉可波世尓《キヨキカハセニ》
 安蘇倍杼母《アソベドモ》
 奈良能美夜故波《ナラノミヤコハ》 和須禮可祢都母《ワスレカネツモ》
 
【譯】山を流れる川の清らかな瀬に遊ぶけれども、奈良の都は忘れかねたことだ。
【釋】夜麻河伯能 ヤマガハノ。ヤマガハは、山中の川。河伯は、既出。
【評語】極めてなだらかなすなおな歌である。景勝の地に遊んで、なお奈良の都の忘れられない情が、よく歌(54)われている。
 
3619 礒の間《ま》ゆ 激《たぎ》つ山河、
 絶えずあらば、
 またも相見む。
 秋かたまけて。
 
 伊蘇乃麻由《イソノマユ》 多藝都山河《タギツヤマガハ》
 多延受安良婆《タエズアラバ》
 麻多母安比見牟《マタモアヒミム》
 秋加多麻氣弖《アキカタマケテ》
 
【譯】礒のあいだを通つて激しく流れる山河が、絶えないであるならば、またもあい見よう。秋を待ち受けて。
【釋】伊蘇乃麻由 イソノマユ。礒のあいだを通つて。水の流れ落ちる處を説明する。
 多藝都山河 タギツヤマガハ。タギツは、激流する意の動詞で、その連體形。
 多延受安艮婆 タエズアラバ。この山河の流れることが絶えないならば。
 麻多母安比見牟 マタモアヒミム。またもここに來て見よう。句切。
 秋加多麻氣弖 アキカタマケテ。秋を待ち設けて。秋になつて。
【評語】途中の山河に、再會を約して、無事に立ち歸ることを期している。秋になつたら、歸つて來ようとする心である。初二句の敍述が具體的で生きている。
 
3620 戀繁み 慰めかねて、
 ひぐらしの 鳴く島陰に
 廬《いほり》するかも。
 
 故悲思氣美《コヒシゲミ》 奈具左米可祢弖《ナグサメカネテ》
 比具良之能《ヒグラシノ》 奈久之麻可氣尓《ナクシマカゲニ》
 伊保利須流可母《イホリスルカモ》
 
【譯】戀が繁くして、慰めかねつつ、ヒグラシの鳴く島かげに小舍がけをすることだ。
(55)【釋】故悲思氣美奈具左米可祢弖 コヒシゲミナグサメカネテ。都を思う心が繁くして慰めかねて。かような氣もちで廬するというのである。慰めるために廬をするというのではない。
【評語】ヒグラシの鳴く島陰に廬しつつ、都戀しい情の慰めかねるのを歌つている。落ちついた形で、さびしい旅の心が出ている。
 
3621 わが命を 長門の島の
 小松原、
 幾代を經てか 神《かむ》さびわたる。
 
 和我伊能知乎《ワガイノチヲ》 奈我刀能之麻能《ナガトノシマノ》
 小松原《コマツバラ》
 伊久與乎倍弖加《イクヨヲヘテカ》 可武佐備和多流《カムサビワタル》
 
【譯】わたしの命を長くあれかしと思う。その長門の島の小松原は、幾代を經て神々しく時を經ているのだろうか。
【釋】和我伊能知乎 ワガイノチヲ。枕詞。本來かような形の枕詞のヲは、感動の助詞で、ヨに近いものであるが、この時代になれば、わが命を長くというように感じているのであろう。命を長く保つてまた歸つて來ようとする意から、この枕詞を置いている。「御心乎《ミココロヲ》 吉野乃國《ヨシノノクニ》」(卷一、三六)、「味酒呼《ウマザケヲ》 三輪之祝《ミワノハフリ》」(卷四、七一二)などと比較して見るべきである。
 小松原 コマツバラ。小松の原なのだが、四五句の意味からいえば、相當の老松のようである。そこで、コマツのコは、愛稱ということになる。
 伊久與乎倍弖加可武佐備和多流 イクヨヲヘテカカムサビワタル。いくばくの代を經て、神さびて過ごすのか。
【評語】小松原の神さびているのを讃稱している。よくまとまつているが、小松原と置いたのは、やはり不用意のようである。
 
(56)從2長門浦1舶出之夜、仰2觀月光1作歌三首
 
長門の浦より舶出せし夜、月の光を仰ぎ觀て作れる歌三首。
 
3622 月《つく》よみの 光を清み、
 夕なぎに
 水手《かこ》の聲呼び 浦み榜《こ》ぐかも。
 
 月余美乃《ツクヨミノ》 比可里乎伎欲美《ヒカリヲキヨミ》
 由布奈藝尓《ユフナギニ》
 加古能己惠欲妣《カコノコヱヨビ》 宇良未許具可聞《ウラミコグカモ》
 
【譯】月の光が清らかなので、夕方の凪ぎに、舟人が聲をあげて、灣内を榜ぐことだ。
【釋】由布奈藝尓 ユフナギニ。夕方、風が落ちてしずかなのに。
 加古能己惠欲妣 カコノコヱヨビ。カコは、船こぐ人。?子の義。舟人が聲を呼びかわして。
【評語】夕月の光のきよらかな無風に、聲をあげて船を榜ぐ樣が歌われている。まだ泊地に到らないで、月光の既に光を放つ情景である。
 
3623 山の端に 月かたぶけば、
 いざりする 海人《あま》のともしび、
 沖になづさふ。
 
 山乃波尓《ヤマノハニ》 月可多夫氣婆《ツキカタブケバ》
 伊射里須流《イザリスル》 安麻能等毛之備《アマノトモシビ》
 於伎尓奈都佐布《オキニナヅサフ》
 
【譯】山の端に月が落ちかかると、すなどりをする海人の漁火が、沖で水にうつつている。
【釋】於伎尓奈都佐布 オキニナヅサフ。ナヅサフは、水をおし分けることであるが、ここでは水にうつつて、浸つているように見えるのをいう。
(57)【評語】月が島山に落ちかかり、沖では海人の漁火が海面に映じている瀬戸内海の特色が、實によく描かれている。山と海との對照が、無理がなく歌われている。
 
3624 われのみや 夜船は榜《こ》ぐと
 思へれば、
 沖邊の方に 楫《かぢ》の音《おと》すなり。
 
 和禮乃未夜《ワレノミヤ》 欲布祢波許具登《ヨフネハコグト》
 於毛敝禮婆《オモヘレバ》
 於伎敝能可多尓《オキベノカタニ》 可治能於等須奈里《カヂノオトスナリ》
 
【譯】わたしばかりが、夜船を榜ぐのかと思つていると、沖の方でも櫂の音がする。
【釋】和禮乃未夜 ワレノミヤ。ワレノミというのは、勿論自分の船ばかりの意である。ヤは疑問の係助詞で、次の句のコグがこれを受ける。
 可治能於等須奈里 カヂノオトスナリ。カヂノオトは、舟を榜ぐ櫂の音。
【評語】夜中船を榜ぎ進めることのすくなかつた時代に、ひとり夜船を榜いでいると、沖の方でも夜船を榜ぐ音が聞える。海上の夜景を敍して、清寥の氣の、身に迫るものがある。
 
古挽歌一首 并2短歌1
 
古き挽歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】古挽歌 フルキメニカ。いつの代の作とも知れない。ただ丹比《たじひ》の大夫の作ということが左註によつて傳えられている。妻の死を悲しんで詠んだ歌である。
 
3625 夕されば 葦邊に騷き
(58) 明け來《く》れば 沖になづさふ
 鴨すらも 妻と副《たぐ》ひて、
 わが尾には 霜な降りそと
 白栲の 羽《はね》さし交《か》へて
 うち拂ひ さ宿《ぬ》とふものを、
 逝《ゆ》く水の 還らぬ如く、
 吹く風の 見えぬが如く、
 跡もなき 世の人にして、
 別れにし 妹が著せてし
 褻衣《なれごろも》 袖片敷きて
 ひとりかも寐む。
 
 由布左禮婆《ユフサレバ》 安之敝尓佐和伎《アシヘニサワキ》
 安氣久禮婆《アケクレバ》 於伎尓奈都佐布《オキニナヅサフ》
 可母須良母《カモスラモ》 都麻等多具比弖《ツマトタグヒテ》
 和我尾尓波《ワガヲニハ》 之毛奈布里曾等《シモナフリソト》
 之路多倍乃《シロタヘノ》 波祢左之可倍弖《ハネサシカヘテ》
 宇知波良比《ウチハラヒ》 左宿等布毛能乎《サヌトフモノヲ》
 由久美都能《ユクミヅノ》 可敝良奴其等久《カヘラヌゴトク》
 布久可是能《フクカゼノ》 美延奴我其登久《ミエヌガゴトク》
 安刀毛奈吉《アトモナキ》 與能比登尓之弖《ヨノヒトニシテ》
 和可禮尓之《ワカレニシ》 伊毛我伎世弖思《イモガキセテシ》
 奈禮其呂母《ナレゴロモ》 蘇弖加多思吉弖《ソデカタシキテ》
 比登里可母祢牟《ヒトリカモネム》
 
【譯】夕方になれば、葦邊で騷ぎ、夜が明けて來れば、沖で水に泳いでいる鴨でも、妻と連れ立つて、自分の尾には霜が降るなと、白い羽をさしかわして、うち拂つて寐るというものを、逝く水の歸らないように、吹く風の見えないように、跡もない世の人であつて、別れた妻の著せた著馴れた著物の袖をひとつ敷いて、ひとりでか寐るのだろう。
【構成】全篇一文。初めからサ宿トフモノヲまで、鴨をもつて譬喩としている。
【釋】於伎介奈都佐布 オキニナヅサフ。三六二三の歌にもあつた句だが、ここでは、鴨の沖で泳ぐをいう。(59)以上、鴨の習性を述べている。
 都麻等多具比弖 ツマトタグヒテ。タグヒテは、副つて。
 和我尾尓波 ワガヲニハ。ワガミニハ(西)、ワガヲニハ(古義)。尾の字は、ミとも讀まれるが、「己尾爾《オノガヲニ》 零置流霜乎《フリオケルシモヲ》 掃等爾有斯《ハラフトニアラシ》」(卷九、一七四四)の例もあるから、ヲでよいのだろう。
 之路多倍乃波祢左之可倍弖 シロタヘノハネサシカヘテ。雌雄仲よく寐る?の説明であるが、鴨に、白タヘノ羽サシ交ヘテはおかしい。古歌を傳誦したのだから、誤傳もあるのだろう。人ならば、白タヘノ袖サシ交ヘテというべきところだが、その句を鴨に應用したものだろうか。この二句のない方がよく續く。
 宇知波良比 ウチハラヒ。霜をうち拂つて。
 左宿等布毛能乎 サヌトフモノヲ。トフは、人の言を聞くさまにいつている。以上、鴨について述べている。次句以下が自分のことである。
 由久美都能可敝良奴其等久 ユクミヅノカヘラヌゴトク。人生の一度逝つては歸ることのない譬喩。
 布久可是能美延奴我其等久 フクカゼノミエヌガゴトク。人生の、跡に殘るもののない譬喩。大伴の家持の「吹風能《フクカゼノ》 見要奴我其登久《ミエヌガゴトグ》 逝水能《ユクミヅノ》 登麻良奴其等久《トマラヌゴトク》」(卷十九、四一六〇)はこの歌を受けているのだろう。
 安刀毛奈吉 アトモナキ。滿誓の、「榜ぎにし船の跡無きが如」(卷三、三五一)の思想と同じく、人生に何の殘るものなしというのである。また家持の「跡無《アトモナキ》 世間爾有者《ヨノナカニアレバ》 將v爲須辨毛奈思《セムスベモナシ》」(卷三、四六六)がある。刀は、トノ甲類の字であるが、集中、跡を助詞のトに多く使つているのは、アト(跡)のトによるものと思われるのに、どうして乙類のトである助詞のトを、この字であらわすか、不審である。
 和可禮尓之 ワカレニシ。死し去つたことをいう。
 伊毛我伎世弖思 イモガキセテシ。亡き妻が、縫つて著せた意。
(60) 奈禮其呂母 ナレゴロモ。著馴れて汚れた著物。
 蘇弖加多思吉弖 ソデカタシキテ。自分の衣服の袖だけを敷くから、片敷クという。獨寐の形容である。
【評語】前半、鴨の敍述が大きくなつているのは、難波などの海邊で詠まれた歌だからだろう。後半は、理くつつぽくなつていて情趣を失している。旅中、どうしてかような挽歌が吟誦されたかわからない。一行の中に妻を失つた人がいたか、または妻に別れているという點に引かれてか。ともあれ、さびしい氣もちで、吟誦していたものであろう。
 
反歌一首
 
3626 鶴《たづ》が鳴き、
 葦邊をさして 飛び渡る。
 あなたづたづし。
 ひとりさ寐《ぬ》れば。
 
 多都我奈伎《タヅガナキ》
 安之敝乎左之弖《アシベヲサシテ》 等妣和多類《トビワタル》
 安奈多頭多頭志《アナタヅタヅシ》
 比等里佐奴禮婆《ヒトリサヌレバ》
 
【譯】鶴の鳴き聲は、葦邊をさして飛び渡つている。そのように、ああたよりないことだ。ひとりで寐るので。
【釋】多都我奈伎 タヅガナキ。鶴ガ鳴キで、ナキは、鳴き聲の意。このタヅガは、主格とも解されるが、ガが主格を示す場合には、かような形で、動詞の連用形にすぐに接することがない。鶴が鳴いて飛び渡るとすれば、非常にくだけた言い方になる。原歌は、タヅガネハとでもあつたのではないかと思われる所である。
 等妣和多類 トビワタル。以上海濱の實景を敍して、序としている。句切。
 安奈多頭多頭志 アナタヅタヅシ。タヅタヅシは、おぼつかない、心もとないなどの意の形容詞。句切。
(61)【評語】海濱の景物を敍して序としているのは、手段としては巧みであるが、長歌に鴨を歌い、轉じて反歌に鶴を出したのは、まとまりがない。その鶴の敍述も、類型的で生氣に缺ける。鶴ガ鳴キで、作者の泣いていることを暗示しているかも知れないが、それは不成功に終つている。何にしても傳誦の間に原歌の詩趣を破壞しているだろう。
 
右、丹比大夫、悽2愴亡妻1歌
 
右は、丹比《たぢひ》の大夫の、亡《す》ぎにし妻を悽《いた》み愴《なげ》く歌。
 
【釋】丹比大夫 タヂヒノマヘツギミ。大夫は、四位五位の人にいう敬稱。誰とも知られない。しかしただ丹比の大夫とあるのは、當時現存の人で、大夫と稱せらるべき人か。丹比氏で當時四位五位であつた人は、丹比の廣成、廣足、屋主、國人などがあつて、いずれとも定めがたい。
 
屬v物發v思歌一首 并2短歌1
 
物に屬《つ》きて、思ひを發《おこ》せる歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】屬物發思歌 モノニツキテオモヒヲオコセルウタ。事物について思想を起した歌。主として玉について歌つている。卷の十八、四〇七四の前にも「一、屬《ツキテ》v物(ニ)發(ス)v思(ヲ)」とあり、そこでは櫻花について歌つている。
 
3627 朝されば 妹が手に纏《ま》く
 鏡なす 御津《みつ》の濱びに、
 大船に 眞楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き、
(62) から國に 渡り行かむと、
 直向《ただむか》ふ 敏馬《みぬめ》をさして
 潮待ちて 水脈《みを》びき行けば、
 沖邊には 白波高み、
 浦《うら》みより 榜《こ》ぎて渡れば、
 吾妹子に 淡路の島は、
 夕されば雲居がくりぬ。」
 さ夜ふけて 行く方《へ》を知らに、
 吾《あ》が心 明石《あかし》の浦に
 船|泊《と》めて 浮寐《うきね》をしつつ、
 わたつみの 沖邊を見れば、
 漁《いざり》する 海人《あま》の娘子《をとめ》は、
 小船《をぶね》乘《の》り つららに浮けり。」
 曉《あかとき》の 潮滿ち來《く》れば、
 葦邊には 鶴《たづ》鳴き渡る。
 朝|凪《な》ぎに 船出をせむと、
 船人も 水手《かこ》も聲よび
(63) 鳰《にほ》鳥の なづさひ行けば、
 家島は 雲居に見えぬ。」
 吾《あ》が思《も》へる 心|和《な》ぐやと
 早く來て 見むと思ひて、
 大船を 榜《こ》ぎわが行けば、
 沖つ浪 高く立ち來《き》ぬ。」
 よそのみに 見つつ過ぎゆき、
 多麻《たま》の浦に 船を停《とど》めて、
 濱びより 浦礒《うらいそ》を見つつ
 哭《な》く子なす 哭《ね》のみし泣かゆ。
 海神《わたつみ》の 手纏《たまき》の珠を
 家裹《いへづと》に 妹に遣《や》らむと、
 拾《ひり》ひ取り 袖には入れて、
 返《かへ》し遣《や》る 使無ければ、
 持てれども 驗《しるし》を無みと、
 また置きつるかも。」
 
 安佐散禮婆《アササレバ》 伊毛我手尓麻久《イモガテニマク》
 可我美奈須《カガミナス》 美津能波麻備尓《ミツノハマビニ》
 於保夫祢尓《オホブネニ》 眞可治之自奴伎《マカヂシジヌキ》
 可良久尓々《カラクニニ》 和多理由加武等《ワタリユカムト》
 多太牟可布《タダムカフ》 美奴面乎左指天《ミヌメヲサシテ》
 之保麻知弖《シホマチテ》 美乎妣伎由氣婆《ミヲビキユケバ》
 於伎敝尓波《オキベニハ》 之良奈美多可美《シラナミタカミ》
 宇良未欲理《ウラミヨリ》 許藝弖和多禮婆《コギテワタレバ》
 和伎毛故尓《ワギモコニ》 安波治乃之麻波《アハヂノシマハ》
 由布左禮婆《ユフサレバ》 久毛爲可久里奴《クモヰガクリヌ》
 左欲布氣弖《サヨフケテ》 由久敝乎之良尓《ユクヘヲシラニ》
 安我己許呂《アガココロ》 安可志能宇良尓《アカシノウラニ》
 布祢等米弖《フネトメテ》 宇伎祢乎詞都追《ウキネヲシツツ》
 和多都美能《ワタツミノ》 於枳敝乎見禮婆《オキベヲミレバ》
 伊射理須流《イザリスル》 安麻能乎等女波《アマノヲトメハ》
 小船乘《ヲブネノリ》 都良々尓宇家里《ツララニウケリ》
 安香等吉能《アカトキノ》 之保美知久禮婆《シホミチクレバ》
 安之辨尓波《アシベニハ》 多豆奈伎和多流《タヅナキワタル》
 安左奈藝尓《アサナギニ》 布奈弖乎世牟等《フナデヲセムト》
 船人毛《フナビトモ》 鹿子毛許惠欲妣《カコモコヱヨビ》
 柔保等里能《ニホドリノ》 奈豆左比由氣婆《ナヅサヒユケバ》
 伊敝之麻婆《イヘシマハ》 久毛爲尓美延奴《クモヰニミエヌ》
 安我毛敝流《アガモヘル》 許己呂奈具也等《ココロナグヤト》
 波夜久伎弖《ハヤクキテ》 美牟等於毛比弖《ミムトオモヒテ》
 於保夫祢乎《オホブネヲ》 許藝和我由氣婆《コギワガユケバ》
 於伎都奈美《オキツナミ》 多可久多知伎奴《タカクタチキヌ》
 與曾能未尓《ヨソノミニ》 見都追須疑由伎《ミツツスギユキ》
 多麻能宇良尓《タマノウラニ》 布祢乎等杼米弖《フネヲトドメテ》
 波麻備欲里《ハマビヨリ》 宇良伊蘇乎見都追《ウライソヲミツツ》
 奈久古奈須《ナクコナス》 祢能未之奈可由《ネノミシナカユ》
 和多都美能《ワタツミノ》 多麻伎能多麻乎《タマキノタマヲ》
 伊敝都刀尓《イエヅトニ》 伊毛尓也良牟等《イモニヤラムト》
 比里比登里《ヒリヒトリ》 素弖尓波伊禮弖《ソデニハイレテ》
 可敝之也流《カヘシヤル》 都可比奈家禮婆《ツカヒナケレバ》
 毛弖禮杼毛《モテレドモ》 之留思乎奈美等《シルシヲナミト》
 麻多於伎都流可毛《マタオキツルカモ》
 
【譯】朝になれば、妻が手に抱く鏡を見るというような、その御津の濱邊で、大船に艪櫂を取りつけて、朝凪(64)ぎに渡つて行こうと、まつすぐに向かう敏馬《みぬめ》をさして、潮の滿ちるのを待つて、水尾を引いて行けば、沖の方には白浪が高いので、浦の方から榜いで渡れば、わが妻に逢うという、淡路の島は、夕方になれば、雲に隱れた。夜が更けて行く方も知らず、わたしの心のあかるい、明石の浦に船をとめて、浮寐をしながら、海上の沖の方を見れば、すなどりをする海人の娘子は、小船に乘つて列なつて浮いている。曉の潮が滿ちて來れば、葦邊では鶴が鳴き渡つている。朝の凪ぎに船出をしようと、船人も水手《かこ》も聲をあげて、鳰《にほ》鳥のように水を分けて行けば、家島は遠い彼方に見えた。わたしの思つている心が慰まるかと、早く來て見ようと思つて、大船を榜いでわたしが行けば、沖の方の浪が高く立つて來た。よそにばかり見て過ぎて行つて、多麻の浦に船を停めて、濱邊から浦の礒を見ながら、泣く兒のように泣かれてばかりいる。海神の手に卷いている珠を、家への土産に、妻にやろうと拾い取つて袖に入れたが、歸して遣る使がないので、持つていてもかいがないと、また置いたことだ。
【構成】第一段、雲居ガクリヌまで。御津を發して淡路島のほとりに來たことを述べる。朝から夕方まで。第三段、ツララニ浮ケリまで。明石の浦の浮寐を述べる。夜の景。第三段、沖ツ浪高ク立チ來ヌまで。曉に船出をして家島まで來たことを述べる。曉から日中へ、このうち二部に分かれ、家島が見えて來たことと、波の高くなつたこととに分かれている。第四段、終りまで。多麻の浦に來て、珠を拾つたがまた置いたことを述べる。以上、道中を敍する部分と、珠を拾う部分との二大段になる。
【釋】安佐散禮婆 アササレバ。朝になれば、いつもする事として、次の妹ガ手ニ纏ク鏡のことを述べる。
 伊毛我手尓麻久 イモガテニマク。マクは腕で抱えるをいう。以上二句鏡の説明句。
 可我美奈須 カガミナス。以上三句序詞。鏡を見るようにと、ミツに冠する。
 多太牟可布 タダムカフ。御津から、ま向かいになつている意に、敏馬を修飾する。
(65) 美乎妣伎由氣婆 ミヲビキユケバ。ミヲは、水のうね、水脈。ミヲビキは、船があとに水の尾を引いて行くこと。
 宇良未欲理許藝弖和多禮婆 ウラミヨリコギテワタレバ。ウラミは、水面の灣入している地形。沖の方は浪が高いので、灣内の方から榜いで、海を渡つて行けば。
 和伎毛故尓 ワギモコニ。枕詞。吾妹子ニ逢フの意で、淡路に冠している。
 由布左禮婆久毛爲可久里奴 ユフサレバクモヰガクリヌ。夕方になつて雲中に隱れた。暗くなつて雲に包まれた。句切。
 由久敝乎之良尓 ユクヘヲシラニ。何處に向かつて行くとも、行く方がわからないで。
 安我己許呂 アガココロ。枕詞。吾ガ心アカシ(明かし)の意で、明石に冠する。
 都良々介宇家里 ツララニウケリ。ツララは、連なつている意の副詞。漁火を列ねているのを見て歌つている。句切。
 船人毛鹿子毛許惠欲妣 フナビトモカコモコヱヨビ。フナビトは、船長など船の乘組を一般的にいい、カコは、船榜ぐ人をいう。?子の義。鹿子は借字。
 柔保等里能 ニホドリノ。枕詞。ニホドリは鳰鳥、カイツブリ。譬喩によつてナヅサヒに冠している。
 奈豆左比由氣婆 ナヅサヒユケバ。水を分けて行けば。
 伊敝之麻婆 イヘシマハ。イヘシマは、兵庫縣|揖保《いぼ》郡の海上にある群島。飾磨《しかま》郡に屬している。家島という名によつて、旅人は、家を思い出して郷愁を誘われる。
 許己呂奈具也等 ココロナグヤト。ナグヤは、和グヤ。ヤは疑問の助詞。家島というので心が慰められるかと。
(66) 與曾能未尓見都追須疑由伎 ヨソノミニミツツスギユキ。白波が高く立つので、船を寄せないでよそに見て過ぎ行くのである。
 多麻能宇良尓 タマノウラニ。多麻の浦は、既出三五九八に歌われている。岡山縣玉島市の海上。
 奈久古奈須 ナクコナス。枕詞。泣く兒の如くに。
 和多都美能多麻伎能多麻乎 ワタツミノタマキノタマヲ。ワタツミは海神。タマキノタマは、手纏の珠で、海神が手に卷いている珠。貝石の如き珠の材料を、海神が大切にして持つているという言い方。
 伊敝都刀尓 イヘヅトニ。イヘヅトは、家へやる裹物。おみやげ。
【評語】道中の部分と、現在玉の浦で玉を拾う部分とから成つている。道中の部分は、敍述が比較的詳細であるが、それが後の玉を拾う部分に深い關係を有していないのは心ぼそい。はるばると來た感じを出すか、家島では慰まなかつたことを、後の部分に關係づけて置かねばならなかつた。しかし朝夕夜曉と、時刻を入れることを忘れなかつたのは、道中を鮮明にする效果があつてよい。玉を拾つてまた置いた部分は、この歌の主眼を成すところで、むしろこの部分を、十分に骨を折つて敍述すべきであつた。道中の部分が大きくなりすぎて、これがかえつて添物のようになつたのは遺憾である。
 
反歌二首
 
3628 多麻《たま》の浦の 沖つ白玉《しらたま》、
 拾《ひり》へれど またぞ置きつる。
 見る人を無み。
 
 多麻能宇良能《タマノウラノ》 於伎都之良多麻《オキツシラタマ》
 比利敝禮杼《ヒリヘレド》 麻多曾於伎都流《マタゾオキツル》
 見流比等乎奈美《ミルヒトヲナミ》
 
(67)【譯】 多麻の浦の沖の方の白珠を、拾つたけれどもまた置いた。見る人がないので。
【釋】於伎都之良多麻 オキツシラタマ。沖の方にある白珠。海上の小島、岩などにある貝石の類をいう。
【評語】長歌の末の方を操り返しているだけである。平語に近い作である。
 
3629 秋さらば わが船|泊《は》てむ。
 わすれ貝 寄せ來て置《お》けれ。 
 沖つ白浪。
 
 安伎左良婆《アキサラバ》 和我布祢波弖牟《ワガフネハテム》
 和須禮我比《ワスレガヒ》 與世伎弖於家禮《ヨセキテオケレ》
 於伎都之良奈美《オキツシラナミ》
 
【譯】秋になつたら、わたしの船が停泊するだろう。わすれ貝を寄せて來て置いておけ。沖の白波よ。
【釋】安伎左良婆和我布祢波弖牟 アキサラバワガフネハテム。秋になつたらまた歸つて來て停泊しよう。句切。
 和須禮我比 ワスレガヒ。貝の一種に、貝殻は淡紫色で裏面の白い貝があつて、それを忘れ貝という。美しいので憂いを忘れるということに引かれる。しかしここは家づとにするような美しい貝の意で、浪のよせて忘れた貝の意にいうのだろう。
 與世伎弖於家禮 ヨセキテオケレ。オケレは、置ケリの命令形。句切。
 於伎都之良奈美 オキツシラナミ。沖の白波に呼びかけて、命令している。
【評語】秋になつたら歸るものと信じて、忘れ貝を拾うことを樂しみにしている。長歌と前の反歌の、玉を拾つたがまた置いた心殘りに應じている作である。秋サラバ、ワスレ貝、沖ツ白浪など、趣のある材料を組み合わせている。
 
(68)周防國玖河郡麻里布浦行之時、作歌八首
 
周防の國|玖河《くが》の郡|麻里布《まりふ》の浦を行きし時、作れる歌八首。
 
【釋】玖河郡 クガノコホリ。養老五年四月に、周防の國の熊毛の郡を割いて、玖珂の郡を置いた。倭名類聚鈔に「玖珂、珂(ハ)音如(シ)v鵞(ノ)」とある。
 麻里布浦 マリフノウラ。山口縣玖珂郡、岩國市の東方、錦川の河口で、室木の浦という。
 
3630 眞楫《まかぢ》貫《ぬ》き 船し行かずは、
 見れど飽かぬ 麻里布《まりふ》の浦に
 やどり爲《せ》ましを。
 
 眞可治奴伎《マカヂヌキ》 布祢之由加受波《フネシユカズハ》
 見禮杼安可奴《ミレドアカヌ》 麻里布能宇良尓《マリフノウラニ》
 也杼里世麻之乎《ヤドリセマシヲ》
 
【譯】櫂を取りつけて船が行かないで、見ても飽きない麻里布の浦に宿りをしたろうものを。
【釋】眞可治奴伎 マカヂヌキ。船に?を取りつけて。マカヂシジヌキの、シジのない語。
 布祢之由可受渡 フネシユカズハ。シ、強意の助詞。ハ、語勢の助詞。舟が行かないで。「戀乍不v有者《コヒツツアラズハ》」(卷二、八六)參照。
【評語】すなおな歌である。麻里布の浦の景勝に、心の引かれる趣が、よく窺われる。
 
3631 いつしかも 見むと思ひし
 粟島を よそにや戀ひむ。
 行くよしを無み。
 
 伊都之可母《イツシカモ》 見牟等於毛比師《ミムトオモヒシ》
 安波之麻乎《アハシマヲ》 與曾尓也故非無《ヨソニヤコヒム》
 由久與思乎奈美《ユクヨシヲナミ》
 
(69)【譯】早く見たいと思った粟島を、よそにして戀うていようか。行く手だてがないので。
【釋】伊都之可母 イツシカモ。イツシカは、何時かで、早くの意。
 安波之麻乎 アハシマヲ。アハシマは、四國島の古名。粟の國の名によつて四國を呼ぶ。この邊で、航路は四國に接近する。卷三、三五八參照。
【評語】粟島の名にあこがれて來たが、行くべき由がないことを歌つている。平凡な作である。
 
3632 大船に ?※[爿+可]《かし》振り立てて
 濱清《はまぎよ》き 麻里布《まりふ》の浦に
 やどりか爲《せ》まし。
 
 大船尓《オホブネニ》 可之布里多弖天《カシフリタテテ》
 波麻藝欲伎《ハマギヨキ》 麻里布能宇良尓《マリフノウラニ》
 也杼里可世麻之《ヤドリカセマシ》
 
【譯】大船に、船を繋ぐ材を振り立てて、濱の清らかな麻里布の浦に、宿りをかしたであろう。
【釋】可之布里多弖天 カシフリタテテ。カシは、船をつなぐために立てる材である。「?※[爿+可]《シヨウカ》、唐韻(ニ)云(フ)、?※[爿+可] ?※[爿+可]二音、楊氏漢語抄(ニ)云(フ)、加之《カシ》。所2以繋(グ)1v舟(ヲ)也」(倭名類聚鈔)。フリタテテは、それを振りあげて。「舟盡《フネハテテ》 可志振立而《カシフリタテテ》 廬利爲《イホリスル》 名子江乃濱邊《ナゴエノハマベ》 過不v勝鳧《スギカテヌカモ》」(卷七、二九〇)。
 也杼里可世麻之 ヤドリカセマシ。セマシは、しようものをで、実際しなかつたのである。
【評語】これも麻里布の浦に、心の引かれることを歌つているが、特殊性に乏しい。麻里布の浦の説明も、概念的である。
 
3633 粟島の 逢はじと思ふ
 妹にあれや、
(70) 安宿《やすい》も寐《ね》ずて あが戀ひ渡る。
 
 安波思麻能《アハシマノ》 安波自等於毛布《アハジトオモフ》
 伊毛尓安禮也《イモニアレヤ》
 夜須伊毛祢受弖《ヤスイモネズテ》 安我故非和多流《アガコヒワタル》
 
【譯】粟島というように、逢わないと思う妻だろうか、そんなことはないのに、安眠もしないで、わたしは戀い暮らしている。
【釋】安波思麻能 アハシマノ。枕詞。粟島の附近を通るにつけて、枕詞として、同音によつて、次の語に冠している。
 安波自等於毛布 アハジトオモフ。將來逢わないだろうと思う。次の妹を修飾する。
 伊毛尓安禮也 イモニアレヤ。ヤは、疑問の係助詞。妹であろうか、そんな事はないのだがの意。
【評語】妻を戀しく思つては、安眠もしかねる。まさかもう逢わないだろうとは思つていないのだがと、不安を感じる心である。そうしてみずからその不安をうち消そうとしている。名所につけて旅の心のさびしさが歌われている。
 
3634 筑紫道《つくしぢ》の 可太《かだ》の大島、
 しましくも 見ねば戀しき
 妹を置きて來《き》ぬ。
 
 筑紫道能《ツクシヂノ》 可太能於保之麻《カダノオホシマ》
 思末志久母《シマシクモ》 見祢婆古非思吉《ミネバコヒシキ》
 伊毛乎於伎弖伎奴《イモヲオキテキヌ》
 
【譯】筑紫へ行く道の、可太の大島というように、しばしのまも見ないと戀しい妻を置いて來た。
【釋】筑紫道能 ツクシヂノ。ツクシヂは、筑紫へ行く遺。
 可太能於保之麻 カダノオホシマ。カダノ大島は、山口縣大島郡の屋代《やしろ》島。以上二句、通過する所の島の名を擧げて、同音によつて次のシマを引き起す序としている。
(71) 思末志久母 シマシクモ。シマシクは、ちよつとのま。
【評語】通過する地の名を擧げて序としている。それだけの歌で、内容上さしたることはない。
 
3635 妹が家|道《ぢ》 近くありせば、
 見れど飽かぬ 麻里布《まりふ》の浦を
 見せましものを。
 
 伊毛我伊敝治《イモガイヘヂ》 知可久安里世婆《チカクアリセバ》
 見禮杼安可奴《ミレドアカヌ》 麻里布能宇良乎《マリフノウラヲ》
 見世麻思毛能乎《ミセマシモノヲ》
 
【譯】妻の家に行く路が近かつたら、見ても飽きない麻里布の浦を見せたろうものを。
【釋】伊毛我伊敝治 イモガイヘヂ。妹の家に行く路。
【評語】妻のもとが近かつたら、つれて來て見せようというのである。ひとり勝地を見て妻を思う、類型的な歌である。
 
3636 家人は 歸り早來《はやこ》と、
 伊波比島《いはひしま》 齋《いは》ひ待つらむ。
 旅行くわれを。
 
 伊敝妣等波《イヘビトハ》 可敝里波也許等《カヘリハヤコト》
 伊波比之麻《イハヒシマ》 伊波比麻都良牟《イハヒマツラム》
 多妣由久和禮乎《タビユクワレヲ》
 
【譯】家の人は、早く歸つて來いと、この伊波比島のように、いわつて待つているだろう。旅行をするわたしを。
【釋】伊敝妣等波 イヘビトハ。イヘビトは、家にいる人。とくに妻。
 可敝里波也許等 カヘリハヤコト。歸つて早く來よと。
 伊波比之麻 イハヒシマ。枕詞。この島は、熊毛郡の海上にある祝島である。小島だが、最高處は、三五七(72)メートルあり、これから西方は茫々たる周防灘《すおうなだ》にさしかかるから、特にこの島の神を祭つて行つたので、伊波比島の名があるのだろう。その島の名を擧げて、同音によつて次のイハヒを起している。
【評語】イヘ、イハが頭韻になつている。家人の齋戒して待つているだろうと想像している歌だが、調子のよさが、かえつて上すべりを感じさせる。
 
3637 草枕
 旅行く人を、
 いはひ島、
 幾代|經《ふ》るまで
 齋《いは》ひ來《き》にけむ。
 
 久左麻久良《クサマクラ》
 多妣由久比等乎《タビユクヒトヲ》
 伊波比之麻《イハヒシマ》
 伊久與布流末弖《イクヨフルマデ》
 伊波比伎尓家牟《イハヒキニケム》
 
【譯】草の枕の旅行く人を、このイハヒ島は、幾代を經るまでいわつて來たのだろう。
【釋】伊久與布流末弖 イクヨフルマデ。久しい世代を經過したことをいう。
【評語】イハヒは、家にある者も行うが、旅人自身もこれを行う。この歌では、イハヒ島が、そのほとりを航行する者のために、イハヒをして來たというのである。元來イハヒ島の名は、旅人がその島の神靈を祈つてイ(73)ハヒをすることから出ている名だろう。それは島の神靈が旅人をいわうことにもなるのである。山や巨樹などの、久しい代を經たことを讃歎する歌は多いが、この歌では、作者たちが、そのイハヒ島の名のゆえに、その島に對する信仰が働いているところに特色がある。「白浪の濱松が枝の手向草」(卷一、三四)の歌に通う所のある歌である。
 
過2大島鳴門1而經2再宿1之後、追作歌二首
 
大島の鳴門《なると》を過ぎて再宿《ふたよ》を經たる後、追ひて作れる歌二首。
 
【釋】大島鳴門 オホシマノナルト。前に出た可太の大島と本州とのあいだの大畠の瀬戸。ナルトは、潮流の音を立てて流れる海峽。
 經再宿之後 フタヨヲヘタルノチ。大島の鳴門を通つて二夜を經たのだから祝島の邊を過ぎて、次の熊毛の浦とのあいだで詠んだのであろう。
 
3638 これやこの
 名に負《お》ふ鳴門《なると》の 渦潮《うづしほ》に、
 玉藻刈るとふ 海人娘子《あまをとめ》ども。
 
 巨禮也己能《コレヤコノ》
 名尓於布奈流門能《ナニオフナルトノ》 宇頭之保尓《ウヅシホニ》
 多麻毛可流登布《タマモカルトフ》 安麻乎等女杼毛《アマヲトメドモ》
 
【譯】これがあの名に負つている鳴門の渦まく潮に、玉藻を刈るという海人の娘たちか。
【釋】巨禮也己能 コレヤコノ。ヤは、疑問の係助詞。コノは最後の語まで懸かる。これがかの何々なるかの意。熟語句としてしばしば使用される。「此也是能《コレヤコノ》 倭爾四手者《ヤマトニシテハ》 我戀流《ワガコフル》 木路爾有云《キヂニアリトイフ》 名二負勢能山《ナニオフセノヤマ》」(卷一、三五)。
(74) 名尓於布奈流門能 ナニオフナルトノ。ナニオフは、名に負つている。名に背《そむ》かない。鳴門と呼ばれるだけのことはあるの意。有名なの意になる。「名二負勢能山《ナニオフセノヤマ》」(卷一、三五)、「名爾於布等毛能乎《ナニオフトモノヲ》」(卷二十、四四六六)。
 宇頭之保尓 ウヅシホニ。ウヅシホは、渦潮で、渦紋をなして激しく流れる潮。これは潮の滿干の際に、海峽が狹いので、落差が大きくなり、はげしく流れて生ずるのである。
 多麻毛可流登布 タマモカルトフ。鳴門を過ぎて再宿を經た後に、夢に見た娘子を詠んでいるので、刈ルトフといつている。トフはトイフの意。
【評語】夢に見た海人の娘子を讃歎して詠んでいる。娘子の説明は、具體的で、よく潮流に小舟を棹さしてワカメを刈る娘子を描いている。長い旅に出ているので、若い娘子の夢を見たのであろう。夢のことは、次の歌參照。
 
右一首、田邊秋庭
 
【釋】田邊秋庭 タナベノアキニハ。傳未詳。
 
3639 浪の上に 浮寐《うきね》せし夜《よひ》、
(75) 何《あ》ど思《も》へか、
 心がなしく 夢《いめ》に見えつる。
 
 奈美能宇倍尓《ナミノウヘニ》 宇伎祢世之欲比《ウキネセシヨヒ》
 安杼毛倍香《アドモヘカ》
 許己呂我奈之久《ココロガナシク》 伊米尓美要都流《イメニミエツル》
 
【譯】浪の上に浮いて寐た夜に、何と思つてか、心が動かされるように、夢に見えたのだろう。
【釋】宇伎祢世之欲比 ウキネセシヨヒ。船中にいたままで寐た夜。
 安杼毛倍香 アドモヘカ。何ト思ヘカ。どう思つてか。「阿跡念登《アトモフト》 夜渡吾乎《ヨワタルワレヲ》」(卷十、二一四〇)參照。トは木來清音なのだろうが、熟語となつて、濁音になつたのだろう。「安杼毛敝可《アドモヘカ》 阿自久麻夜末乃《アジクマヤマノ》」(卷十四、三五七二)も同じである。
 許己呂我奈之久 ココロガナシク。心が感動するまでに。
 伊米尓美要都流 イメニミエツル。三句のカを受けて結んでいる。
【評語】前の田邊の秋庭の歌に和したので、夢に見えたというのは、自分のことではなく、秋庭の夢に、鳴門の娘子の見えたのをいう。歌は格別のことはないが、初二句に旅情がにじみ出ている。
 
熊毛浦舶泊之夜、作歌四首
 
熊毛《くまげ》の浦に船|泊《は》てし夜、作れる歌四首。
 
《釋》熊毛浦 クマゲノウラ。今の山口縣熊毛郡|平生《ひらお》町|小郡《おぐん》の地が、當時の郡役所の所在地とすれば、その海灣であろう。
 
3640 都方《みやこべ》に 行かむ船もが。
(76) 刈薦《かりこも》の 亂れて思ふ
 言《こと》告《つ》げやらむ。
 
 美夜故邊尓《ミヤコベニ》 由可牟船毛我《ユカムフネモガ》
 可里許母能《カリコモノ》 美太禮弖於毛布《ミダレテオモフ》
 許登都〓夜良牟《コトツゲヤラム》
 
【譯】都の方へ行く船がほしい。刈つたコモのように亂れて思つている言葉を告げてやろう。
【釋】美夜故邊尓 ミヤコベニ。都の方に向かつて。
 可里許母能 カリコモノ。枕詞。刈つたコモのように。
 美太禮弖於毛布 ミダレテオモフ。心が整然としないで、種々に惑亂して思うをいう。
【評語】平凡な表現だが、種々に思い亂れて都戀しく思つている?は、ある程度描かれている。
 
右一首、羽栗
 
【釋】羽粟 ハクリ。傳未詳。羽栗という氏の人か。代匠記に、「寶字五年十一月癸未、授(ク)d迎(フル)2清河(ヲ)1使外(ノ)從五位(ノ)下高元度、從五位(ノ)上(ヲ)u。其(ノ)録事羽栗(ノ)翔者、留(リテ)2清河(ノ)許(ニ)1而不v歸(ラ)。この人にや。又略して氏のみをかけるか。名の脱たる歟」とある。また續日本紀天平神護二年七月の條などに、羽栗の臣翼の名がしばしば出ている。翔と翼と名に縁がある。兄弟か親子か。
 
3641 曉《あかとき》の 家戀しきに、
 浦《うら》みより 楫《かぢ》の音《おと》するは、
 海人《あま》娘子かも。
 
 安可等伎能《アカトキノ》 伊敝胡悲之伎尓《イヘゴヒシキニ》
 宇良未欲理《ウラミヨリ》 可治乃於等須流波《カヂノオトスルハ》
 安麻乎等女可母《アマヲトメカモ》
 
【譯】曉け方に、家が戀しいのに、浦の方から楫の吾がするのは、海人の娘だろうか。
(77)【釋】安可等伎能 アカトキノ。アカトキは、曉で、夜の明け方。
 伊敝胡悲之伎尓 イヘゴヒシキニ。家戀しき時に。
【評語】よく曉の情景を描いている。曉に當つて一層郷愁に襲われるおりしも、しずかに楫の吾がする。おちついた歌である。
 
3642 沖邊より 潮滿ち來《く》らし。
 可良《から》の浦に 求食《あさり》する鶴、
 鳴きて騷きぬ。
 
 於枳敝欲理《オキベヨリ》 之保美知久良之《シホミチクラシ》
 可良能宇良尓《カラノウラニ》 安佐里須流多豆《アサリスルタヅ》
 奈伎弖佐和伎奴《ナキテサワキヌ》
 
【譯】沖の方から潮が滿ちて來るらしい。可良の浦で餌を求めている鶴が、鳴いて騷いだ。
【釋】可良能宇良尓 カラノウラニ。可良の浦は所在不明。熊毛の浦の附近であろう。沖の方から潮が滿ちて來るというによれば、深い灣内である。
【評語】赤人の「若の浦に潮滿ち來れば」(卷六、九一九)の歌と同じ情景を歌つて、その明麗なのには及ばない。しかし初二句の描寫はよい。五句は、鶴の動態を描いているが、やはり歌自身騷々しい感じがする。五句の敍述が説明し過ぎているからだろう。
 
3643 沖邊より船人《ふなびと》のぼる。
 呼び寄せて いざ告げやらむ。
 旅の宿《やど》りを。
 
 於吉敝欲里《オキベヨリ》 布奈妣等能煩流《フナビトノボル》
 與妣與勢弖《ヨビヨセテ》 伊射都氣也良牟《イザツゲヤラム》
 多婢能也登里乎《タビノヤドリヲ》
 
【譯】沖の方を通つて、船人が京に上つて行く。呼び寄せて、さあ家へ告げてやろう。旅の宿りを。
(78)【釋】布奈妣等能煩流 フナビトノボル。フナピトは、船にいる人。ノボルは、都の方へ行くをいう。句切。
 伊射都氣也良牟 イザツゲヤラム。都のわが家へ、わが旅の宿りを告げやろうの意。
【評語】都へのよいたよりを得た喜びが歌われている。イザ告ゲヤラム、旅ノ宿リヲというような倒置法も、躍動した云い方で、内容にふさわしい。
 
一云、多妣能夜杼里乎《タビノヤドリヲ》 伊射都氣夜良奈《イザツゲヤラナ》
 
一は云ふ、旅のやどりを いざ告げやらな。
 
【釋】多妣能夜杼里乎伊射都氣夜良奈 タビノヤドリヲイザツゲヤラナ。前の歌の四五句の別傳だが、作者自身で一案をつけたものであろう。本文の歌の方が躍動的でよい。
 
佐婆海中、忽遭2逆風漲浪1、漂流經v宿而後、幸得2順風1到2著豐前國下毛郡分間浦1、於v是追怛2艱難1、悽惆作歌八首
 
佐婆《さば》の海中にして、忽に逆風漲浪に遭ひ、漂流し宿を經て後に、幸に順風を得、豐前の國下毛の郡|分間《わくま》の浦《うら》に到著し、ここに追ひて艱難を怛《いた》み悽惆して作れる歌八首。
 
【釋】佐婆海中 サバノワタナカニシテ。山口縣佐波郡の洋上。周防灘である。倭名類聚鈔に「佐波 波音馬」とあつて、佐婆とあるに合う。
 經宿而後 ヒトヨヲヘテノチニ。一夜を經てから。
 下毛郡 シモツケノコホリ。日本書紀景行天皇の十二年の條に、御木《みけ》の川上の地名がある。後、分かつて上毛郡、下毛郡とした。上毛郡は、倭名類聚鈔に「上毛郡 加牟豆美介《カミツミケ》とある。下毛郡は、今大分縣に屬している。
(79) 分間浦 ワクマノウラ。所在不明。中津市田尻の砂嘴を間々崎といい、附近に和間の字もある。その地だろうという。
 
3644 大君の命《みこと》恐《かしこ》み、
 大船の 行きのまにまに
 やどりするかも。
 
 於保伎美能《オホキミノ》 美許等可之故美《ミコトカシコミ》
 於保夫祢能《オホブネノ》 由伎能麻尓末尓《ユキノマニマニ》
 夜杼里須流可母《ヤドリスルカモ》
 
【譯】天皇陛下の仰せをうけたまわつて、大船の行くがままに宿りをすることだ。
【釋】由伎能麻尓末尓 ユキノマニマニ。行くままに隨つて。
【評語】慣用句を使用して、安易に作られている。すなおな中に、運命に任せているような不滿も感じられる。
 
右一首、雪宅麻呂
 
【釋】雪宅麻呂 ユキノヤカマロ。下の三六八八の題詞に「到(リテ)2壹岐(ノ)島(ニ)1、雪(ノ)連宅滿、忽(ニ)遇(ヒテ)2鬼病(ニ)1死去之時作歌」とある。雪は壹岐氏で、壹岐の國を本郷としたであろうが、壹岐の島に到つて死んだのも氣の毒である。卜占をつかさどるので同行した人だろう。三六八八參照。
 
3645 吾妹子は
 早も來《こ》ぬかと 待つらむを
 沖にや住まむ。
 家づかずして。
 
 和伎毛故波《ワギモコハ》
 伴也母許奴可登《ハヤモコヌカト》 麻都良牟乎《マツラムヲ》
 於伎尓也須麻牟《オキニヤスマム》
 伊敝都可受之弖《イヘヅカズシテ》
 
(80)【譯】わが妻は早く來ないかと待つているだろうに、沖でかとどまるのだろう。家に向かわないで。
【釋】伴也母許奴可登 ハヤモコヌカト。コヌカは、來ないか、來よと願望する語法。
 於伎尓也須麻牟 オキニヤスマム。スマムは、一處に定住しようの意であるが、ここでは、岸に近づかないで、沖中に留まつて漂流していることをいつている。句切。
 伊敝都可受之弖 イヘヅカズシテ。イヘヅクは、家に親しむをいう。ここは家に近づき向かうことをいう。豫定通り進行しないで、停滯していることを歎いている。「安波治之麻《アハヂシマ》 久毛爲爾見延奴《クモヰニミエヌ》 伊敝都久良之母《イヘヅクラシモ》」(卷十五、三七二〇)。
【評語】行程の進まないことを歎いている。題詞があつて始めて意味のわかる歌である。
 
3646 浦みより こぎ來《こ》し船を、
 風早み
 沖つ御浦《みうら》に やどりするかも。
 
 宇良未欲里《ウラミヨリ》 許藝許之布祢乎《コギコシフネヲ》
 風波夜美《カゼハヤミ》
 於伎都美宇良尓《オキツミウラニ》 夜杼里須流可毛《ヤドリスルカモ
 
【譯】浦の方から榜いで來た船なのだが、風が早くて沖の方の浦に宿りをすることだ。
【釋】宇良末欲里許藝許之布祢乎 ウラミヨリコギコシフネヲ。今までは、岸近く、灣内を廻つて榜いで來た船なのだが。ここまではあまり洋上に出ないで榜いで來たのだ。
 於伎都美宇良尓 オキツミウラニ。ミは、接頭語。もと浦に對して敬意を感じていう。ミ山、ミ谷、ミ坂の類。沖の方の浦に。熊毛の海上で難風に遭つて、姫島の灣あたりで假泊をしたのだろう。
【評語】岸邊を離れて遠く洋上に漂泊した心ぼそさが歌われている。事實を敍するに止めたのが、かえつて效果的である。
 
(81)3647 我妹子が いかに思へか、
 ぬばたまの 一夜もおちず、
 夢《いめ》にし見ゆる。
 
 和伎毛故我《ワギモコガ》 伊可尓於毛倍可《イカニオモヘカ》
 奴婆多末能《ヌバタマノ》 比登欲毛於知受《ヒトヨモオチズ》
 伊米尓之美由流《イメニシミユル》
 
【譯】わが妻が何と思つてか、くらい夜を一晩もかかさずに夢に見える。
【釋】伊可尓於宅倍可 イカニオモヘカ。オモヘカは、疑問の條件法。思えばか。
【評語】人を思うと、その人の夢にあらわれるという考えが、當時の人々に信じられていた。夢に見えれば見えたで、また妻のことを案じている。毎晩夢に見えるのに、かえつて不安を感じているのである。
 
3648 海原の 沖邊にともし、
 いざる火《ひ》は、
 明《あか》してともせ。
 大和島見む。
 
 宇奈波良能《ウナハラノ》 於伎敝尓等毛之《オキベニトモシ》
 伊射流火波《イザルヒハ》
 安可之弖登母世《アカシテトモセ》
 夜麻登思麻見無《ヤマトシマミム》
 
【譯】海上の沖の方でともして、すなどりをする火は、もつとあかるくともせよ。大和の山々を見よう。
【釋】伊射流火波 イザルヒハ。イザルは、漁業をする意の動詞。
 安可之弖登母世 アカシテトモセ。アカシテは、あかるくして。トモセは命令。句切。
 夜麻登思麻見無 ヤマトシマミム。ヤマトシマは、海上から見る大和の國の山々。「天離《アマザカル》 夷之長道從《ヒナノナガチユ》 戀來者《コヒクレバ》 自2明門1《アカシノトヨリ》 倭島所v見《ヤマトシマミユ》」(卷三、二五五)參照。
【評語】夜間、故郷の方を望見して、そことも分かぬのに慰めかねている。そこで洋上の漁火があかるかつた(82)ら、故郷の山も見えるかという無理な註文を歌つている。強い望郷の念が、夜の洋上の風物を材料として取り扱われている。この作者としては珍しい感情の熱している作である。
 
3649 鴨じもの 浮寐《うきね》をすれば、
 みなの腸《わた》 か黒《ぐろ》き髪に、
 露ぞ置きにける。
 
 可母自毛能《カモジモノ》 宇伎祢乎須禮婆《ウキネヲスレバ》
 美奈能和多《ミナノワタ》 可具呂伎可美尓《カグロキカミニ》
 都由曾於伎尓家類《ツユゾオキニケル》
 
【譯】鴨のように浮寐をするので、ミナの腸のようなまつ異な髪に露が置いたことだ。
【釋】可母自毛能 カモジモノ。枕詞。鴨のような物で、譬喩になつている。
 美奈能和多 ミナノワタ。枕詞。ミナ(ニナ)貝の腸は、黒いので、黒に冠する。「美奈乃和多《ミナノワタ》 迦具漏伎《カグロキカミニ》」(卷五、八〇四)、「蜷腸《ミナノワタ》 香黒髪丹《カグロキカミニ》」(卷十三、三二九五)。
 可具呂伎可美尓 カグロキカミニ。上のカは接頭語。
【評語】二個の枕詞を使つているが、すらすらと詠まれている。そのすなおな表現がよい。四五句あたりの敍述が、洋上の漂泊をよく描いている。
 
3650 ひさかたの 天照《あまて》る月は
 見つれども あが思《も》ふ妹に
 逢はぬ頃かも。
 
 比左可多能《ヒサカタノ》 安麻弖流月波《アマテルツキハ》
 見都禮杼母《ミツレドモ》 安我母布伊毛尓《アガモフイモニ》
 安波奴許呂可毛《アハヌコロカモ》
 
【譯】大空を照り渡る月は見たけれども、わたしの思う妻に逢はない頃だ。
【釋】比左可多能 ヒサカタノ。枕詞。
(83) 安波奴許呂可毛 アハヌコロカモ。コロは、日の續く意である。
【評語】風波も靜まつて、洋上に月を望見したが、それにつけても、妻に逢わない日の續くのが歎かれる。月には逢つたが、妻には違わない心である。
 
3651 ぬばたまの 夜渡《よわた》る月は、
 早も出でぬかも。
 海原の 八十《やそ》島の上ゆ、
 妹が邊《あたり》見む。旋頭歌なり。
 
 奴波多麻能《ヌバタマノ》 欲和多流月者《ヨワタルツキハ》
 波夜毛伊弖奴香文《ハヤモイデヌカモ》
 宇奈波良能《ウナハラノ》 夜蘇之麻能宇倍由《ヤソシマノウヘユ》
 伊毛我安多里見牟《イモガアタリミム》旋頭歌也
 
【譯】暗い夜を渡る月は、早く出ないかなあ。海上の澤山の島の上を通して、妻のいる邊を見よう。
【釋】奴波多麻能 ヌバタマノ。枕詞。
 欲和多流月者 ヨワタルツキハ。ヨワタルは、夜を移動する。
 波夜毛伊弖奴香文 ハヤモイデヌカモ。願望の語法。句切。
 夜蘇之麻能宇倍由 ヤソシマノウヘユ。ユは、を通して。
 伊毛我安多里見牟 イモガアタリミム。イモガアタリは、妻の家のあたりで、大和の山々をいう。先に誦詠した「安可思能門欲里《アカシノトヨリ》 伊敝乃安多里見由《イヘノアタリミユ》」(卷十五・三六〇八)の句が影響しているだろう。
【評語】月光があつたら、故郷の山が見えるだろうというので、前出の「いざる火は明かしてともせ」と同樣の思想である。ただ彼の漁火を月光にかえたまでの歌。
 
至2筑紫館1遙望2本郷1、悽愴作歌四首
 
(84)筑紫《つくし》の館《たち》に至り遙《はる》かに本郷《もとつくに》を望み、悽《いた》み愴《なげ》きて作れる歌四首。
 
【釋】筑紫舘 ツクシノタチ。舘は、「唐韻(ニ)云(フ)、舘、音官、字亦作(ル)v館(ニ)、太知《タチ》、日本紀私記云、无路都美《ムロツミ》。客舍也」(倭名類聚鈔)とある。筑紫の館は、筑紫にあつて、外客や官人の旅舍とした公設の建物。「萬葉集新考」に志賀島にありとし、「九州萬葉地理考」に、中山博士の説として舊福岡城内にあつたとしている。舊福岡城内からは、古瓦が發見されて、天智天皇時代に建築された建物があつたろうと推測されている。
 本郷 モトツクニ。ここでは大和をさしている。
 
3652 志賀《しか》の海人《あま》の、
 一日も闕《お》ちず 燒《や》く鹽の、
 からき戀をも 吾《あれ》はするかも。
 
 之賀能安麻能《シカノアマノ》
 一日毛於知受《ヒトヒモオチズ》 也久之保能《ヤクシホノ》
 可良伎孤悲乎母《カラキコヒヲモ》 安禮波須流香母《アレハスルカモ》
 
【譯】之賀の海人が、一日もかかさずに燒く鹽のように、からい戀をもわたしはすることだ。
【釋】之賀能安麻能 シカノアマノ。シカは、福岡灣頭の志賀島。
 也久之保能 ヤクシホノ。以上三句は序詞で、次のカラキを引き起している。
 可良伎孤悲乎母 カラキコヒヲモ。カラキは、辛キで、つらい苦しい意。鹽のからいのをかけていう。
【評語】類歌が多く、それを志賀の地について改作したものである。「壯鹿海部乃《シカノアマノ》 火氣燒立而《ケブリヤキタテテ》 燎鹽乃《ヤクシホノ》 辛戀毛《カラキコヒヲモ》 吾爲鴨《ワレハスルカモ》」(卷十一、二七四二)、「須麻比等乃《スマヒトノ》 海邊都禰佐良受《ウミベツネサラズ》 夜久之保能《ヤクシホノ》 可良吉戀乎母《カラキコヒヲモ》 安禮波須流香物《アレハスルカモ》」(卷十七、三九三二)。但し卷の十七のは、この歌よりも後であろう。
 
3653 志賀《しか》の浦に 漁《いざり》する海人《あま》、
(85) 家人の 待ち戀ふらむに、
 明《あ》かし釣《つ》る魚《うを》。
 
 思可能宇良尓《シカノウラニ》 伊射里須流安麻《イザリスルアマ》
 伊敝妣等能《イヘビトノ》 麻知古布良牟尓《マチコフラムニ》
 安可思都流宇乎《アカシツルウヲ》
 
【譯】志賀の浦ですなどりをしている海人は、家の人が待ち戀うているだろうのに、夜通し魚を釣つている。
【釋】伊敝妣等能 イヘビトノ。イヘビトは家人。海人の家の人である。
 安可思都流宇乎 アカツツルウヲ。アカシは、夜明かしで、徹夜して。
【評語】志賀の浦に、漁火が夜どおし見えるのによつて作つている。作者自身の上に思いくらべて、同情を寄せている。作者の望郷の情を背景にして、海上の情趣が描かれている。五句の留め方は珍しい。
 
3654 可之布江《かしふえ》に 鶴《たづ》鳴き渡る。
 志賀《しか》の浦に
 沖つ白浪 立ちし來らしも。
 
 可之布江尓《カシフエニ》 多豆奈吉和多流《タヅナキワタル》
 之可能宇良尓《シカノウラニ》
 於枳都之良奈美《オキツシラナミ》 多知之久良思母《タチシクラシモ》
 
【譯】可之布江に鶴が鳴いて行く。志賀の浦で沖の白波が立つて來るらしい。
【釋】可之布江尓 カシフエニ。可之布江は、香椎《かしい》江だろうという。福岡灣内の一部。
 多知之久良思母 タチシクラシモ。シは、強意の助詞で、立チ來ラシモの立チを強調している。
【評語】波の立つにつれて鶴の移動を敍する歌で、類想の多い作である。志賀の浦にいた鶴が、波が立つて來たので、可之布江に鳴き渡るのだろうというのである。材料そのものが美しいので、持つている歌である。
 
一云、美知之伎奴良思《ミチシキヌラシ》
 
(86)一は云ふ、滿ちし來ぬらし。
 
【釋】美知之伎奴良思 ミチシキヌラシ。前の歌の第五句の別傳で、作者の一案であろう。シは、助詞。四句が沖ツ白波である上は、立チシ來ラシモの方がよい。
 
3655 今よりは 秋づきぬらし。
 あしひきの 山松かげに 
 ひぐらし鳴きぬ。
 
 伊麻欲理波《イマヨリハ》 安伎豆吉奴良之《アキヅキヌラシ》
 安思比奇能《アシヒキノ》 夜麻末都可氣尓《ヤママツカゲニ》
 日具良之奈伎奴《ヒグラシナキヌ》
 
【譯】今からは、秋がしみわたるらしい。この山の松のかげでヒグラシが鳴いた。
【釋】安伎豆吉奴良之 アキヅキヌラシ。ヅキは、名詞に接續して、その性質のあらわれることを示す語ツクの活用形。家ヅク、老ヅク、近ヅクなどの語例である。「庭草爾《ニハクサニ》 村雨落而《ムラサメフリテ》 蟋蟀之《コホロギノ》 鳴音聞者《ナクコヱキケバ》 秋付爾家里《アキヅキニケリ》」(卷十、二一六〇)。句切。
 夜麻末都可氣尓 ヤママツカゲニ。山の松のかげに。
【評語】秋の氣のしみ行くことを、ヒグラシの聲によつて描いている。秋の概念が既に發達している時代の作だが、歌がらは上品で、詠歎もよくあらわれている。七月にはいつての作である。
 
七夕、仰2觀天漢1各陳2所思1作歌三首
 
七夕に、天漢《あまのがは》を仰ぎ觀て、おのもおのも所思《おもひ》を陳べて作れる歌三首。
 
【釋】七夕 ナヌカノヨヒ。筑紫の館で、七月七日を迎えたのであろう。
 
(87)3656 秋はぎに にほへるわが裳
 ぬれぬとも、
 君が御船の 綱し取りてば。 
 
 安伎波疑尓《アキハギニ》 々保敝流和我母《ニホヘルワガモ》
 奴禮奴等母《ヌレヌトモ》
 伎美我莫布祢能《キミガミフネノ》 都奈之等理弖婆《ツナシトリテバ》
 
【譯】秋ハギに染めたわたくしの裳が濡れましても、君の御船の綱を取つて引き寄せるならば、それでよろしうございます。
【釋】安伎波疑尓々保敝流和我母 アキハギニニホヘルワガモ。織女の著ている裳で、季節の縁によつて、秋萩で色を染めたと説明している。ニホヘルは、染めて色の美しく映發している。モは、裳で、婦人の腰部に纏う衣裳。
 伎美我美布祢能 キミガミフネノ。キミは、牽牛。ミフネは、牽牛の乘つている船。
 都奈之等理弖婆 ツナシトリテバ。ツナは、船につけた綱で、これを取つて、船を引き寄せるのである。シは、強意の助詞。この句の下に、それにてよしの意が略されている。
【評語】織女星が、牽牛星の來るのを待ちわびている意に歌つている。初二句の敍述も美しい。
 
右一首、大使
 
【釋】大使 オホツカヒ。遣新羅大使で阿倍の繼麻呂である。この人は、次男を伴なつて旅しており、大使を勤めるくらいであるから、相當の年齡に連していたであろうが、對馬に泊して死んだ。
 
3657 年にありて 一夜妹に逢ふ
 牽牛《ひこぼし》も、
(88) われにまさりて 思ふらめやも。
 
 等之尓安里弖《トシニアリテ》 比等欲伊母尓安布《ヒトヨイモニアフ》
 比故保思母《ヒコボシモ》
 和禮尓麻佐里弖《ワレニマサリテ》 於毛布良米也母《オモフラメヤモ》
 
【譯】一年にあつて一夜妻に逢う牽牛星も、わたし以上には、思つていないだろう。
【釋】等之尓安里弖 トシニアリテ。一年の中にあつて。年ニアルは、一年内に一度だけあるというような、稀である意に使われている。「夜干玉之《ヌバタマノ》 黒馬之來夜者《クロマノクルヨハ》 年爾母有粳《トシニモアラヌカ》」(卷四、五二五)、「年有而《トシニアリテ》 今香將v卷《イマカマクラム》」(卷十、二〇三五)。
 於毛布良米也母 オモフラメヤモ。思つているだろうか、思つてはいないだろう。反語の語法。
【評語】自分の戀の方が勝つているという歌である。七夕に寄せて自分の思いを述べたのである。
 
3658 夕|月《づく》夜 影立ち寄り合ひ、
 天《あま》の河《がは》 榜《こ》ぐ舟人を 
 見るがともしさ。
 
 由布豆久欲《ユフヅクヨ》 可氣多知與里安比《カゲタチヨリアヒ》
 安麻能我波《アマノガハ》 許具布奈妣等乎《コグフナビトヲ》
 見流我等母之佐《ミルガトモシサ》
 
【譯】夕月夜に影が寄り合つて、天の河を榜ぐ舟人を見るのがうらやましい。
【釋】由布豆久欲 ユフヅクヨ。七日の月なので、夕月夜といつている。
 可氣多知與里安比 カゲタチヨリアヒ。夕月の光が牽牛に寄り合つて。夕月の光のもとに。カゲタチは月影が立つて。
 許具布奈妣等乎 コグフナビトヲ。フナビトは、牽牛をいう。
【評語】天の川を仰いで、牽牛の妻に逢うのをうらやんでいる。これも初二句の敍述が美しい。
 
(89)海邊v望月作歌九首
 
海邊に月を望みて作れる歌九首。
 
【釋】海邊望月作歌 ウミベニツキヲノゾミテツクレルウタ。筑紫の館附近の海邊で、月を見て詠んだ歌。但し月の歌はない。月下に諸人が集まつて詠んだのであろう。
 
3659 秋風は 日《ひ》にけに吹きぬ。
 吾妹子は、
 何時《いつ》とかわれを 齋《いは》ひ待つらむ。
 
 安伎可是波《アキカゼハ》 比尓家尓布伎奴《ヒニケニフキヌ》
 和伎毛故波《ワギモコハ》
 伊都登加和禮乎《イツトカワレヲ》 伊波比麻都良牟《イハヒマツラム》
 
【譯】秋風は、日毎に吹きまさつて來た。わたしの妻は、何時と思つてか、わたしを物忌みをして待つているだろう。
【釋】比尓家尓布伎奴 ヒニケニフキヌ。ヒニケニは、集中多く使用されているが、ここはその假字書きの例になる。この語は、十四出しているが、この用字法は、比爾家爾一 日爾異爾一、日二異二一、日異九、日殊二で、ほかに、伊夜比家爾一、彌日異五である。このうち彌日異は、イヤヒケニと、イヤヒニケニとを合わせていると考えられるが、ケに關する限り同じ例と見てよい。すなわちケに當てている字には、家二、異十六、殊二であつて、家は字音假字であるだろうが、異殊は、その意をあらわしているものであろう。さてこの語の用例を見ると、この歌のように、秋風は日ニケニ吹クというのが多く、その他では日ニケニ勝ルというのがあり、日毎に立ちまさつてゆく場合に使われている。同じ?態で日を重ねる意のは、「如是耳《カクノミニ》 戀也度《コヒヤワタラム》 月日殊《ツキニヒニケニ》」(卷十一、二五九六)の一例があるばかりである。よつてこの語は、日毎にかわつて行く意の副詞と見るべき(90)である。日毎に同じことを繰り返してゆく語には、ヒニヒニ(日に日に)があり、また、アサニケニ(朝にけに)のケも日ニケニのケとは別であると考えられる。句切。
 伊都登加和禮乎 イツトカワレヲ。イツトカは、歸る日を何時としてか。
【評語】秋風が日に日に吹き募つて行くにつけて、家郷の妻を思う情もまさつて行く。慣用句を多く使つているのは、作者が若いからであろう。
 
大使之第二男
 
【釋】大使之第二男 オホキツカヒノオトゴ。阿倍の繼麻呂の次男だが、名は傳わらない。既に妻(または愛人)があつたと見える。
 
3660 神《かむ》さぶる 荒津《あらつ》の埼に
 寄する浪、
 間《ま》無くや妹に 戀ひ渡りなむ。
 
 可牟佐夫流《カムサブル》 安良都能左伎尓《アラツノサキニ》
 與須流奈美《ヨスルナミ》 麻奈久也伊尓《マナクヤイモニ》
 故非和多里奈牟《コヒワタリナム》
 
【譯】神々しい荒津の埼に寄せる浪のように、間斷なく、妻に戀い暮らすのだろうか。
【釋】可牟佐夫流 カムサブル。神性を發揮している。岩石、樹木、山嶽などに使用して、その神力をあらわして感じられることをいう。
 安良都能左伎尓 アラツノサキニ。アラツノサキは、福岡灣に出ている岬で、今福岡市の西公園になつている。
 與須流奈美 ヨスルナミ。以上三句、序詞で、目前の景を敍して、次の間無クを引き起している。
(91) 麻奈久也伊毛尓 マナクヤイモニ。ヤは、疑問の係助詞で、妹に戀うことが、間無くあることかと疑つている。
【評語】浪を序に使つて 間無クを引き出すのは、類型的である。特色のない歌というべきである。
 
右一首、土師稻足
 
【釋】土師稻足 ハジノイナタリ。傳未詳。
 
3661 風のむた
 寄せ來《く》る浪に
 漁《いざり》する
 海人娘子《あまをとめ》らが
 裳《も》の裾ぬれぬ。
 
 可是能牟多《カゼノムタ》
 與世久流奈美尓《ヨセクルナミニ》
 伊射里須流《イザリスル》
 安麻乎等女良我《アマヲトメラガ》
 毛能須素奴禮奴《モノスソヌレヌ》
 
【譯】風と共に寄せて來る浪に、すなどりをする海人の娘子の裳の裾が濡れた。
【釋】可是能牟多 カゼノムタ。ムタは、共にという意の古語で、助詞ノ、またはガを受け、單語としては名詞であつて、他語と熟して、副詞句となる。
【評語】海岸の一小景を描いただけである。女子の裳の裾が濡れるという意の歌が、相當に存在するのは、こ(92)れに特殊の興味を感じているからであろう。
 
一云、安麻乃乎等賣我《アマノヲトメガ》 毛能須蘇奴禮濃《モノスソヌレヌ》
 
一は云ふ、海人の娘子が 裳の裾ぬれぬ。
 
【釋】安麻乃乎等賣我毛能須蘇奴禮潰 アマノヲトメガモノスソヌレヌ。前の歌の四五句の別傳であるが、四句に小異があるだけで、五句は同じである。海人ヲトメラガでも、ラは接尾語で複數ではないが、今の感じからいえば、この別傳の方が、はつきり一人をさしているものと見られる。
 
3662 天《あま》の原 ふり放《さ》け見れば、
 夜ぞふけにける。
 よしゑやし ひとり寐る夜は、
 明けば明けぬとも。
 
 安麻能波良《アマノハラ》 布里佐氣見禮婆《フリサケミレバ》
 欲曾布氣尓家流《ヨゾフケニケル》
 與之惠也之《ヨシヱヤシ》 比等里奴流欲波《ヒトリヌルヨハ》
 安氣婆安氣奴等母《アケバアケヌトモ》
 
【譯】天空を仰いで見れば、夜が更けてしまつた。よしやひとりで寐る夜は、明けるなら明けてもよい。
【釋】與之惠也之 ヨシヱヤシ。よしやの意を、感慨をこめていう句。
 安氣婆安氣奴等母 アケバアケヌトモ。この下に、ヨシのような語が略されている。
【評語】初三句の、天空を仰いで、夜の更けたのを歎じた云い方は、大がかりでよい。下三句には、自棄的な感情が溢れている。
 
右一首、旋頭歌也
 
(93)3663 わたつみの 沖つ繩《なは》のり
 來《く》る時と、
 妹が待つらむ 月は經につつ
 
 和多都美能《ワタツミノ》 於伎都奈波能里《オキツナハノリ》
 久流等伎登《クルトキト》
 伊毛我麻都良牟《イモガマツラム》 月者倍尓都追《ツキハヘニツツ》
 
【譯】海上の沖の繩のようなノリを繰るように、わたしの來る時だと、妻の待つているだろう月は過ぎ去りつつある。
【釋】和多都美能 ワタツミノ。ワタツミは、海洋の意に使つている。
 於伎都奈波能里 オキツナハノリ。ナハノリは、繩のような形?のノリ。但し繩というのは、もと乾したノリの形?から起つた語だろう。ノリは、海藻のうち、岩石に附著しているやわらかいもの。これにオキツを冠しているのは、海上の岩礁に生ずる意であろう。以上序詞で、繩というので、繰ルということから、次のクルを引き起している。
 月者倍尓都追 ツキハヘニツツ。ツキは、暦月。ヘニツツは、經ニツツで、經過しつつある意。
【評語】秋になつて歸るべき時として、妻の待つている月が、いたずらに經過し去るのを歎いている。筑紫の館で、かように日を經ているのは、難航に逢つた船の修理などの事があるのだろう。歌は、海上の景物を使つただけであるが、ただ焦躁の情が下三句によつて感じられる。
 
3664 志賀《しか》の浦に いざりする海人《あま》、
 明け來《く》れば 浦み榜ぐらし。
 楫《かぢ》の音《おと》聞ゆ。
 
 之可能宇良尓《シカノウラニ》 伊射里須流安麻《イザリスルアマ》
 安氣久禮婆《アケクレバ》 宇良未許具良之《ウラミコグラシ》
 可治能於等伎許由《カヂノオトキコユ》
 
(94)【譯】志賀の浦で、すなどりをしている海人は、夜が明けて來るので、浦を榜いでいるらしい。楫の音が聞える。
【釋】安氣久禮婆 アケクレバ。夜が明けて來れば。
【評語】曉方の海上に、船榜ぐ音の聞えるのを歌つている。説明的で、情趣に乏しい。
 
3665 妹を思ひ 寐《い》の宿《ね》らえぬに、
 曉《あかとき》の 朝霧|隱《ごも》り
 雁がねぞ鳴く。
 
 伊母乎於毛比《イモヲオモヒ》 伊能祢良延奴尓《イノネラエヌニ》
 安可等吉能《アカトキノ》 安左宜理其問理《アサギリゴモリ》
 可里我祢曾奈久《カリガネゾナク》
 
【譯】妻を思つて眠りかねていると、曉の朝霧に隱れて、雁が鳴いている。
【釋】伊能祢良延奴尓 イノネラエヌニ。イは睡眠。ネラエヌは、寐られない。
 可里我祢曾奈久 カリガネゾナク。カリガネは、雁が鳴の義であるが、熟語として、雁の意に使われている。「安思必寄能《アシヒキノ》 山等妣古由留《ヤマトビコユル》 可里我禰波《カリガネハ》」(卷十五、三六八七)など同じ用法である。
【評語】雁を點出して、曉の郷愁を歌つている。既に秋に入つて、雁の聲を聞くようになつたところに、無量の感慨がある。
 
3666 夕されば 秋風寒し。
 吾妹子が 解《と》き濯《あら》ひ衣《ごろも》、
 行きてはや著《き》む。
 
 由布佐禮婆《ユフサレバ》 安伎可是左牟思《アキカゼサムシ》
 和伎母故我《ワギモコガ》 等伎安良比其呂母《トキアラヒゴロモ》
 由伎弖波也伎牟《ユキテハヤキム》
 
【譯】夕方になると、秋風が寒い。わたしの妻の解いて洗つた著物を、行つて早く著よう。
(95)【釋】等伎安良比其呂母 トキアラヒゴロモ。著古した衣服を解いて、洗つてまた縫い直したもので、寒さに備えて用意をする。これらは家庭の婦人の手業となつていた。「橡《ツルバミノ》 解濯衣之《トキアラヒギヌノ》 恠《アヤシクモ》 殊欲v服《コトニキホシキ》 此暮可聞《コノユフベカモ》」(卷七、一三一四)。
【評語】秋風が身にしみわたるにつけても、家郷を思う情が切である。秋になつたら歸るつもりで出て來たので、衣服の用意もあまりないのだろう。それにしても、妻が手わざの解き洗い衣を思う心はつのつて來る。實物に即して歌つているだけに、切實の感の深い歌である。
 
3667 わが旅は 久しくあらし。
 この吾《あ》が著《け》る 妹が衣の
 垢《あか》つく見れば。
 
 和我多妣波《ワガタビハ》 比左思久安良思《ヒサシクアラシ》
 許能安我家流《コノアガケル》 伊毛我許呂母能《イモガコロモノ》
 阿可都久見禮婆《アカツクミレバ》
 
【譯】わたしの旅は、久しくなつたらしい。このわたしの著ている妻の著物の、垢に染まつたのを見れば。
【釋】比左思久安良思 ヒサシクアラシ。旅が長くあるらしい。アラシは、アルラシの約言。句切。
 許能安我家流 コノアガケル。ケルは、動詞著ルに助動詞リが接續した形と思われる。假字でケルと書いた唯一の例である。連體形。
 伊毛我許呂母能 イモガコロモノ。下に著ている妻の衣服をいう。肌著として著ているであろう。
【評語】出發に際して、妻が形見として著せた衣服を顧みている。「別れなばうら悲しけむ。吾が衣下にを著ませただに逢ふまでに」(三五八四)の歌に歌われている衣服である。家郷を思う旅愁が切々として響いている。
 
到2筑前國志麻郡之韓亭1、舶泊經2三日1。 於v時夜月之光皎々流照。(96)奄對2此華1旅情悽噎、各陳2心緒1聊以裁歌六首
 
筑前の國志麻の郡の韓亭《からとまり》に到りて、船《ふね》泊《は》てて三日を經たり。時に夜月の光|皎皎《けうけう》として流照す。たちまちこの華《けはひ》に對して旅情悽噎し、おのもおのも心緒を陳べていささかもちて裁《つく》れる歌六首。
 
【釋】志麻郡 シマノコホリ。志麻の郡は、今、恰土《いと》の郡と合して、糸島郡となつている。
 韓亭 カラトマリ。歌詞の中に「可良等麻里《カラトマリ》」(卷十五・三六七〇)とある。カラは、倭名類聚紗に「志麻郡、韓良郷」とあり、福岡縣糸島郡、福岡灣の西部、能古の島に對している地である。トマリは、停泊する處の義で、宿舍の設備のあること、陸路の驛に同じであろう。以下の用例は、灣上のことをいつている。下に引津亭、狛島亭などもある。海外との交通の船舶の停泊する處なので、カラトマリの名を得ているだろう。
 對此華 コノケハヒニムカヒテ。華は、下に「瞻2望物華1」(卷十五、三六九七題詞)などある。風物の現象である。
 
3668 大君の 遠《とほ》の朝廷《みかど》と、
(97) 思へれど
 け長くしあれば 戀ひにけるかも。
 
 於保伎美能《オホキミノ》 等保能美可度登《トホノミカドト》
 於毛敝禮杼《オモヘレド》
 氣奈我久之安禮婆《ケナガクシアレバ》 古非尓家流可母《コヒニケルカモ》
 
【譯】天皇陛下の遠方の政廳と思うけれども、時間が久しくあるので、都を戀い思つたことだ。
【釋】於保伎美能等保能美可度登 オホキミノトホノミカドト。オホキミノトホノミカドの語は、集中數出している。この歌は、韓亭で詠んでいるので、その本義から轉じて、韓亭の館舍をいうのであろう。下の挽歌(三六八八)と同じ用法と思われる。
 氣奈我久之安禮婆 ケナガクシアレバ。ケは時の間。
 古非尓家流可母 コヒニケルカモ。上の遠ノ御門に對して、都を戀うことを敍している。
【評語】古い成句を使つて、大きく歌つている所に特色がある。理においては、國土のうちと思つても、情はそれを越えて戀しい心を止めることができない。理くつつぽさはあるが、大きく戀ヒニケルカモと留めた形などで助かつている。
 
右一首、大使
 
3669 旅にあれど、
 夜《よる》は火《ひ》ともし 居《を》るわれを、
 闇《やみ》にや妹が 戀ひつつあるらむ。
 
 多妣尓安禮杼《タビニアレド》
 欲流波火等毛之《ヨルハヒトモシ》 乎流和禮乎《ヲルワレヲ》
 也未尓也伊毛我《ヤミニヤイモガ》 古非都追安流良牟《コヒツツアルラム》
 
【譯】旅中ではあるが、夜は火をともしているわたしを、くらい中でわが妻は戀うているだろう。
(98)【釋】欲流波火等毛之乎流和禮乎 ヨルハヒトモシヲルワレヲ。實際に夜間點燈していることを敍したのである。
 也未尓也伊毛我 ヤミニヤイモガ。ヤミは、實際の闇中をいう。戀のために心の闇になつているのをいうとする説のあるのは誤りである。
【評語】燈油の貴重であつた時代に、一般下級官吏の私宅で、夜どおし火をともしているわけではない。そこで闇中に轉々として眠りをなしかねている妻を想像したので、そこに情味があり、かつ官能的なところもあつてよいのである。技巧のないすなおな表現である。
 
右一首、大判官
 
3670 韓亭《からとまり》 能許《のこ》の浦浪、
 立たぬ日は あれども家に
 戀ひぬ日はなし。
 
 可良等麻里《カラトマリ》 能許乃宇良奈美《ノコノウラナミ》
 多々奴日者《タタヌヒハ》 安禮杼母伊敝尓《アレドモイヘニ》
 古非奴日者奈之《コヒヌヒハナシ》
 
【譯】韓亭の能許の浦の浪が立たない日はあるけれども、わが家に戀しない日はない。
【釋】可良等麻里能許乃宇良奈美 カラトマリノコノウラナミ。ノコは、福岡灣内にある島の名。今、殘《のこ》の島という。ノコの浦は、福岡灣の、その島に接している方面をいい、韓亭の方面からその浦浪を見て、韓亭の所屬のように言つている。
【評語】波の立たない日はあつても、戀をしない日はないというだけの歌で、類型的な表現である。
 
(99)3671 ぬばたまの 夜《よ》渡る月に
 あらませば、
 家なる妹に 逢ひて來《こ》ましを。
 
 奴婆多麻乃《ヌバタマノ》 欲和多流月尓《ヨワタルツキニ》
 安良麻世婆《アラマセバ》
 伊敝奈流伊毛尓《イヘナルイモニ》 安比弖許麻之乎《アヒテコマシヲ》
 
【譯】くらい夜を移動する月であつたとしたら、家にいる妻に逢つて來ようものを。
【釋】安良麻世婆 アラマセバ。マセは、不可能希望の助動詞マシの未然形。
【評語】これも、何になりたい、何だつたらという類の歌で、格別の描寫もなく、平凡に詠まれている。
 
3672 ひさかたの 月は照りたり。
 いとまなく、
 海人《あま》の漁火《いざり》は ともしあへり見ゆ。
 
 比左可多能《ヒサカタノ》 月者弖利多里《ツキハテリタリ》
 伊刀麻奈久《イトマナク》
 安麻能伊射里波《アマノイザリハ》 等毛之安敝里見由《トモシアヘリミユ》
 
【譯】大空の月は照つている。ちよつとのまもなく、海人の漁火はともしあつているのが見える。
【釋】比左可多能 ヒサカタノ。枕詞。本來、天に冠する語であるが、ここは轉じて月に冠している。
 伊刀麻奈久 イトマナク。止む時なく、絶えず。
 安麻能伊射里波 アマノイザリハ。イザリは、ここでは漁火をいう。
 等毛之安敝里見由 トモシアヘリミユ。トモシアヘリは、多くの漁火が、たがいに照らし合つているをいう。ミユは、用言の終止形を受ける語法である。「奧浪《オキツナミ》 恐海爾《カシコキウミニ》 船出爲利所v見《フナデセリミユ》」(卷六、一〇〇三)。
【評語】月光と漁火とを敍して、海上の夜景を描いている。感情の露出がないのが、かえつて寂寥感をしみじみと感じさせる。
 
(100)3673 風吹けば、
 沖つ白浪 恐《かしこ》みと、
 能許《のこ》の亭《とまり》に 數多夜《あまたよ》ぞ宿《ぬ》る。
 
 可是布氣婆《カゼフケバ》
 於吉都思良奈美《オキツシラナミ》 可之故美等《カシコミト》
 能許能等麻里尓《ノコノトマリニ》 安麻多欲曾奴流《アマタヨゾヌル》
 
【譯】風が吹くので、沖の方の白波が恐しさにと、能許の船つきに、幾夜も寐るのだ。
【釋】能許能等麻里尓 ノコノトマリニ。韓亭は、前面に能許の島をひかえているので、ここでは能許ノトマリと言つている。同處である。
【評語】いよいよ外洋に出ようとして、風波のもようを伺つている?が描かれている。平易に敍して、格別の事もないが、一往うなずかれる作である。
 
引津亭舶泊之作歌七首
 
引津《ひきつ》の亭《とまり》に船《ふね》泊《は》てて作れる歌七首。
 
【釋】引津亭 ヒキツノトマリ。引津は、糸島半島の西部にある。韓亭から、半島を廻航して此處に來たのである。
 
3674 草枕 旅を苦しみ、
 戀ひ居《を》れば、
 可也《かや》の山邊に さを鹿鳴くも。
 
 久左麻久良《クサマクラ》 多婢乎久流之美《タビヲクルシミ》
 故非乎禮婆《コヒヲレバ》
 可也能山邊尓《カヤノヤマベニ》 草乎思香奈久毛《サヲシカナクモ》
 
【譯】草の枕の、旅の苦しさに家を戀うていると、可也の山邊で、壯鹿が鳴いている。
(101)【釋】可也能山邊尓 カヤノヤマベニ。可也の山は、引津の亭の東方にある山。
 草乎思香奈久毛 サヲシカナクモ。サヲシカは、サ壯鹿で、サは接頭語であるが、草乎思香の字を使つたのは特異で、この卷の三六七八にもある。
【評語】ものさびしい秋の旅情である。鹿も妻を慕つて鳴いているという心である。もはや九月になつているだろう。
 
3675 沖つ浪 高く立つ日に
 遇《あ》へりきと、
 都の人は 聞きてけむかも。
 
 於吉都奈美《オキツナミ》 多可久多都日尓《タカクタツヒニ》
 安敝利伎等《アヘリキト》
 美夜古能比等波《ミヤコノヒトハ》 伎吉弖家牟可母《キキテケムカモ》
 
【譯】沖の方の浪が、高く立つ日に逢つたことだつたと、都の人は聞いたであろうか。
【釋】安敝利伎等 アヘリキト。逢ヘリに、時の助動詞キが接續して、過去に逢つていたことを示している。佐婆の海上のことを言つているのだろう。
 美夜古能比等波 ミヤコノヒトハ。都の人は、一般的に言つているが、その中心をなすのは、わが家の人である。
 伎吉弖家牟可母 キキテケムカモ。テは、完了の助動詞。これを入れて、意を強調している。
【評語】筑紫についてからの音信が、もう都に行つて、噂をしているだろうという心に歌つている。難儀をしたことに對して、家人の同情を得たい心が動いている。
 
右二首、大判官
 
(102)3676 天飛《あまと》ぶや 雁を使に
 得てしかも、
 奈良の都に 言《こと》告《つ》げやらむ。
 
 安麻等夫也《アマトブヤ》 可里乎都可比尓《カリヲツカヒニ》
 衣弖之可母《エテシカモ》
 奈良能弥夜故尓《ナラノミヤコニ》 許登都〓夜良武《コトツゲヤラム》
 
【譯】天を飛ぶ雁を使に得たいものだが、そうしたら奈良の都に言葉を告げてやろう。
【釋】安麻等夫也 アマトブヤ。ヤは感動の助詞。
 衣弖之可母 エテシカモ。シカは、希望をあらわす助詞だが、その形のままが、係助詞となつて、條件法を作つている。これはシカが、時の助動詞シと、疑問の助詞カとの結合から成つているによるものだろう。したいものだ、そうしたらの意をあらわす。「酒壺二《サカツボニ》 成而師鴨《ナリテシカモ》 酒二染甞《サケニシミナム》」(卷三、三四三)。但し條件法にならないで終止形をなすものも勿論多い。
【評語】蘇武の故事などに思い寄せているだろう。風雅人の奈良の京を慕う情があらわれている。音信を通ずることの困難であつた時代の作として考えなければならない。
 
3677 秋の野を にほはすはぎは
 咲《さ》けれども、
 見るしるしなし。
 旅にしあれば。
 
 秋野乎《アキノノヲ》 尓保波須波疑波《ニホハスハギハ》
 佐家禮杼母《サケレドモ》
 見流之留思奈之《ミルシルシナシ》
 多婢尓師安禮婆《タビニシアレバ》
 
【譯】秋の野をいろどるハギは咲いているけれども、見るかいがない。旅のことだから。
【釋】尓保波須波凝波 ニホハスハギハ。ニホハスは、色を美しくすることで、ここは咲きにおうの意。これ(103)を使役の形であらわしている。
 佐家禮杼母 サケレドモ。咲ケリに、ドモの接續した形。
【評語】ひとり秋ハギに對する旅愁が歌われている。類想の多い歌である。
 
3678 妹を思ひ 寐《い》の宿《ぬ》らえぬに
 秋の野に さを鹿鳴きつ。
 妻おもひかねて。
 
 伊毛乎於毛比《イモヲオモヒ》 伊能祢良延奴尓《イノネラエヌニ》
 安伎乃野尓《アキノノニ》 草乎思香奈伎都《サヲシカナキツ》
 追麻於毛比可祢弖《ツマオモヒカネテ》
 
【譯】妻を思つて眠りをなしかねていると、秋の野に壯鹿が鳴いた。妻を思うに堪えないで。
【釋】追麻於毛比可祢弖 ツマオモヒカネテ。オモヒカネテは、思いに堪えかねて。こらえ得ないで。
【評語】自分の戀と鹿の戀とを竝べて擧げている。鹿もという心だが、そうとは言わないところが良い。
 
3679 大船に 眞楫《まかぢ》繁貫《しじぬ》き
 時待つと われは思へど
 月ぞ經にける。
 
 於保夫祢尓《オホブネニ》 眞可治之自奴伎《マカヂシジヌキ》
 等吉麻都等《トキマツト》 和禮波於毛倍杼《ワレハオモヘド》
 月曾倍尓家流《ツキゾヘニケル》
 
【譯】大船に艪櫂を取りつけて、船出の時を待つのだと、わたしは思つたが、月が變わつてしまつた。
【釋】等吉麻都等 トキマツト。トキは、船出の時。風波の靜まるのを待つので、そう長くない時間を意味している。
 月曾倍尓家流 ツキゾヘニケル。ヘニケルは、經過した意で、翌月になつたことをいう。雁や鹿を詠んでいるによれば、九月になつたのだろう。
(104)【評語】行程の進まないのを、もどかしく思つている。慣用句を使い、歌としては、平語に近い。
 
3680 夜を長み 寐《い》の寝《ね》らえぬに
 あしひきの 山彦《やまびこ》響《とよ》め
 さを鹿鳴くも。
 
 欲乎奈我美《ヨヲナガミ》 伊能年良延奴尓《イノネラエヌニ》
 安之比奇能《アシヒキノ》 山妣故等余米《ヤマビコトヨメ》
 佐乎思賀奈君母《サヲシカナクモ》
 
【譯】夜が長くして眠りをしかねていると、山に反響して、壯鹿が鳴くことだ。
【釋】山妣故等余米 ヤマビコトヨメ。ヤマビコは、山男で、山の反響を、人がいて聲を出すようにいうのがもとである。トヨメは、響かせて。
【評語】鹿の聲が、深夜の山に反響して聞えるのを歌つている。旅の夜の荒涼たる景趣である。
 
肥前國松浦郡狛島亭、舶泊之夜、遙望2海浪1、各慟2旅心1作歌七首
 
肥前の國松浦の郡|狛島《こましま》の亭《とまり》に船《ふね》泊《は》てし夜、遙かに海の浪を望みて、おのもおのも旅の心を慟みて作れる歌七首。
 
【釋】松浦郡 マツラノコホリ。日本書紀神功皇后の卷に、地名起原説話があつて、もと梅豆羅《めづら》の國といつたが、今、松浦というのは訛つたのだとしている。今は東西南北の四松浦郡に分かれているが、ここは地勢上、今の東松浦郡の地内であろう。
 
狛島亭 コマシマノトマリ。諸本に「狛イヌシマ或説コマ又本栢可尋之」の書き入れがある。狛島は所在不明。そこで柏島《かしわじま》で、東松浦郡の唐津《からつ》から北方の洋上にある神集《かしわ》島のことだろうといわれている。ここは引津の亭から西方約六里にあつて、ここまで來たが、外洋は風波が烈しいので、ここに停泊していたのだろう。
 
(105)3681 歸り來て 見むと思ひし
 わが宿の 秋はぎすすき
 散りにけむかも。
 
 可敝里伎弖《カヘリキテ》 見牟等於毛比之《ミムトオモヒシ》
 和我夜度能《ワガヤドノ》 安伎波疑須々伎《アキハギススキ》
 知里尓家武可聞《チリニケムカモ》
 
【譯】歸つて來て見ようと思つた、わたしの家の秋ハギやススキは、散つてしまつたろうなあ。
【釋】和我夜度能 ワガヤドノ。ヤドは、屋戸で、ここは屋外をいう。
 安伎波疑須々伎 アキハギススキ。秋ハギとススキとである。
【評語】豫期に反して歸京の後れたことを歌つている。わが家のハギやススキによつて思いを述べている點に風趣が感じられる。
 
右一首、秦田麻呂
 
【釋】秦田麻呂 ハダノタマロ。傳未詳。既出の、秦間滿(卷十五、三五八九左註)と同人かという説があるが、秦氏も何人もいたことだろうし、同人とするのは臆測に過ぎない。
 
3682 天地の 神を祈《こ》ひつつ
 あれ待たむ。
 早來ませ、君。
 待たば苦しも。
 
 安米都知能《アメツチノ》 可未乎許比都々《カミヲコヒツツ》
 安禮麻多武《アレマタム》
 波夜伎萬世伎美《ハヤキマセキミ》
 麻多婆久流思母《マタバクルシモ》
 
【譯】天地の神をお招きしてわたくしは待ちましよう。早く歸つていらつしやい、あなた。待つていたら苦し(106)いことです。
【釋】可未乎許比都々 カミヲコヒツツ。コヒツツは、乞ヒツツで、その神力を乞い求めつつ。神にお願いして。
【評語】宴席に侍した娘子の歌で、類型的に、歌われていたものであろう。内容も今の場合に應ずる特殊のところがない。
 
右一首、娘子
 
【釋】娘子 ヲトメ。狛島の亭にいて、旅客を送迎する娘子。
 
3683 君を思ひ 吾《あ》が戀ひまくは、
 あらたまの 立つ月|毎《ごと》に
 避《よ》くる日もあらじ。
 
 伎美乎於毛比《キミヲオモヒ》 安我古非萬久波《アガコヒマクハ》
 安良多麻乃《アラタマノ》 多都追奇其等尓《タツツキゴトニ》
 與久流日毛安良自《ヨクルヒモアラジ》
 
【譯】あなたを思つて、わたしの戀をするでしようことは、改まつて立つ月ごとに、かける日もないでしよう。
【釋】伎美乎於毛比 キミヲオモヒ。キミは誰かわからない。狛島の亭というのも、旅館のような性能を有しているだろうが、その亭長あたりをいうか。
 安我古非萬久波 アガコヒマクハ。コヒマクは、戀しようこと。
 安良多麻乃 アラタマノ。枕詞。年に冠するのを通例とするが、ここは轉じて月に冠している。
 多都追奇其等尓 タツツキゴトニ。タツツキは、新たに來る月をいう。新しい月毎に。
 與久流日毛安良自 ヨクルヒモアラジ。ヨクルは、避ける。暦の上に、今日は何をしてはいけないというふ(107)うに、嫌う日がある。それを轉用して、ここは思いをしない日はないというのである。
【評語】君を忘れないというだけの歌であるが、暦による日の吉凶の信仰に持ち込んだところが、特色である。
 
3684 秋の夜を 長みにかあらむ。
 何《な》ぞ幾許《ここば》 寐《い》の宿《ね》らえぬも。
 ひとり宿《ぬ》ればか。
 
 秋夜乎《アキノヨヲ》 奈我美尓可安良武《ナガミニカアラム》
 奈曾許々波《ナゾココバ》 伊能祢良要奴毛《イノネラエヌモ》
 比等里奴禮婆可《ヒトリヌレバカ》
 
【譯】秋の夜が長いからでかあろう。どうしてたいへんに眠りをなしかねるのか。ひとりで寐るからか。
【釋】秋夜乎奈我美尓可安良武 アキノヨヲナガミニカアラム。アキノヨヲナガミは、何ヲ何ミの形で、秋の夜が長くして。この二句は、寐られないことの理由を推量している。句切。
 奈曾許己波伊能祢良要奴毛 ナゾココバイノネラエヌモ。ナゾは何ゾで、この疑問の辭を受けてイノネラエヌと結んでいる。モは、感動の助詞。句切。
 比等里奴禮婆可 ヒトリヌレバカ。秋ノ夜ヲ長ミニカアラムに對して、或るいはヒトリ寐レバカと、別の理由を擧げている。作者の眞意は、もとよりこの五句の方にある。
【評語】長夜に眠りをなしかねて反側するさまが窺われる。句法も、この煩悶の?を描くに適している。
 
3685 たらし姫《ひめ》 御船《みふね》泊《は》てけむ。
 松浦《まつら》の海、
 妹が待つべき 月は經につつ。
 
 多良思比賣《タラシヒメ》 御舶波弖家牟《ミフネハテケム》
 松浦乃宇美《マツラノウミ》
 伊母我麻都敝伎《イモガマツベキ》 月者倍尓都々《ツキハヘニツツ》
 
【譯】神功皇后の御船が停泊したであろうこの松浦の海だ。妻が待つべき月は過ぎてしまつて。
(108)【釋】多良思比賣 タラシヒメ。神功皇后。日本書紀に、氣長足姫《おきながたらしひめ》の尊《みこと》。
 御舶波弖家牟 ミフネハテケム。ハテケムは、泊テケムで、連體句、朝鮮からの歸途を思つているであろう。
 松浦乃宇美 マツラノウミ。東松浦方面の海を總稱している。今作者の碇泊している處の名を呼びあげて、序詞として次のマツを引き起している。
 伊母我麻都敝伎 イモガマツベキ。歸京すべき月として、妻の待つている。
【評語】現在いる處をあげて、序に應用している。過去の歴史を想起したのは、一つの手段であるが、ここでは下の句に對してその歴史事實は何の意味をももたない。かえつて眞實性を失う結果になつている。
 
3686 旅なれば
 思ひ絶えても ありつれど、
 家にある妹し、
 思ひがなしも。
 
 多婢奈禮婆《タビナレバ》
 於毛比多要弖毛《オモヒタエテモ》 安里都禮杼《アリツレド》
 伊敝尓安流伊毛之《イヘニアルイモシ》
 於母比我奈思母《オモヒガナシモ》
 
【譯】旅であるから思い切つてもいたけれども、家にある妻を思うと、心が傷むことだ。
【釋】於毛比多要弖毛 オモヒタエテモ。旅のことだから到底逢えないものとして、思いが絶えていた。思わないでいた。
 於毛比我奈思母 オモヒガナシモ。オモヒガナシは、思つて心が感傷してある意。オモヒとカナシとが接續して熟語になつている。
【評語】思いあきらめていたが、やはり思い出されて悲しいのである。よく心情をうがつている。
 
(109)3687  あしひきの 山飛び越ゆる
 雁がねは、
 都に行かば
 妹に逢ひて來《こ》ね。
 
 安思必寄能《アシヒキノ》 山等妣古由留《ヤマトビコユル》
 可里我称波《カリガネハ》
 美也故尓由加波《ミヤコニユカバ》
 伊毛尓安比弖許称《イモニアヒテコネ》
 
【譯】山を飛び越える雁は、都に行つたら妻に逢つて來てくれ。
【釋】可里我祢波 カリガネハ。カリガネは、雁をいう。
 伊毛尓安比弖許称 イモニアヒテコネ。コネは、來ねで、來よと望む語。
【評語】雁を使にしたいと思う心で、類型の多い歌である。雁に依頼する形になつているが、その雁をうらやむ心が歌われている。
 
到2壹岐島1、雪連宅滿、忽遇2鬼病1死去之時作歌一首 并2短歌1
 
壹岐の島に到りて、雪《ゆき》の連《むらじ》宅滿《やかまろ》がたちまちに鬼病《えやみ》に遇ひて死去《みまか》りし時作れる歌一首 【短歌を并はせたり。】
 
【釋】雪連宅滿 ユキノムラジヤカマロ。三六四四の作者。雪は壹岐氏で、壹岐の國を本據とする人であろう。壹岐氏は龜卜をつかさどつた家で、この人も卜占によつて行を共にしているのだろう。下に出る六鯖《むさば》の挽歌に、卜占のことを歌つているのもこれによるであろう。葛井の子老の挽歌によれば、妻のあつた人のようである。
 鬼病 エヤミ。鬼は、死神の使の意に使つているのだろう。死ぬ病氣。「疫鬼」(延喜式卷十六)。日本靈異記に、鬼が閻魔の使としてくる話がある。
 
(110)3688 天皇《すめろき》の 遠の朝廷《みかど》と
 から國に 渡るわが夫《せ》は、
 家人の 齋《いは》ひ待たねか、
 正身《ただみ》かも 過《あやまち》しけむ、
 秋さらば 歸りまさむと
 たらちねの 母に申《まを》して、
 時も過ぎ 月も經ぬれば、
 今日か來《こ》む 明日かも來《こ》むと、
 家人は 待ち戀ふらむに、
 遠の國 いまだも著《つ》かず、
 大和をも 遠く離《さか》りて、
 石《いは》が根の 荒き島根に
 宿《やど》りする君。
 
 須賣呂伎能《スメロキノ》 等保能朝庭等《トホノミカドト》
 可良國尓《カラクニニ》 和多流和我世波《ワタルワガセハ》
 伊敝妣等能《イヘビトノ》 伊波比麻多祢可《イハヒマタネカ》
 多太未可母《タダミカモ》 安夜麻知之家牟《アヤマチシケム》
 安吉佐良婆《アキサラバ》 可敝里麻左牟等《カヘリマサムト》
 多良知祢能《タラチネノ》 波々尓麻乎之弖《ハハニマヲシテ》
 等伎毛須疑《トキモスギ》 都奇母倍奴禮婆《ツキモヘヌレバ》
 今日可許牟《ケフカコム》 明日可蒙許武登《アスカモコムト》
 伊敝妣等波《イヘヒトハ》 麻知故布良牟尓《マチコフラムニ》
 等保能久尓《トホノクニ》 伊麻太毛都可受《イマダモツカズ》
 也麻等乎毛《ヤマトヲモ》 登保久左可里弖《トオクサカリテ》
 伊波我祢乃《イハガネノ》 安良伎之麻祢尓《アラキシマネニ》
 夜杼理須流君《ヤドリスルキミ》
 
【譯】天皇陛下の遠方の政廳として、新羅の國に渡るわが友は、家の人がイハヒをして待つていないからか、本人が過失をしたからか、秋になつたら、歸つておいでになろうと、育てた母親に申して、時も過ぎ月を經過したので、今日は來るだろうか、明日は來るだろうかと、家の人は待ち慕つているだろうに、遠い國にまだつかず、大和をも遠く離れて、岩石の荒い島邊に宿りをする君だ。
(111)【構成】全篇一文。
【釋】須賣呂伎能等保能朝庭等 スメロキノトホノミカドト。スメロキノトホトホノミカドは、多くは、オホキミノトホノミカドと言つている。スメロキは、天皇の性質をあらわす語。このトホノミカドは、新羅の國における日本政府の使廳をいう。
 可良國尓 カラクニニ。カラクニは、外國をいう。ここは新羅の國。
 和多流和我世波 ワタルワガセハ。ワガセは、死んだ人をいう。以上主格の提示である。
 伊敝妣等能伊波比麻多祢可 イヘビトノイハヒマタネカ。イヘビトは、家人。母、妻などをいう。イハヒマタネカは、疑問條件法。家人が齋つて待つていないと、旅人の身に災禍があるとする思想である。
 多太未可母安夜麻知之家牟 タダミカモアヤマチシケム。タダミは、正身で、本人自身をいう。正身は、古事記、正倉院文書等に用例がある。またこれをタダミということは、職員令の集解に「男(ノ)直身(ハ)、免(ス)2課役(ヲ)1」などあつて、タダミの語のあつたことが證明される。これを略解に疊の義としてから、多くその説の行われているのは、誤りである。疊のミは甲類であり、多太未のミは乙類であつて、音韻が違う。カモは疑問の係助詞。アヤマチシケムは、それを受けて結んでいる。獨立した插入文で、家人ノイハヒ待タネカと内容上對句になつている。
(112) 可敝里麻左牟等 カヘリマサムト。マサムは、死者に對して敬語を使つているが、下に母ニ申シテともあり、敬語を使つたのはまずかつた。
 等保能久尓 トホノクニ。遠の國で、新羅をさす。
 伊波我祢乃 イハガネノ。イハガネは、岩をいう。岩ガ根の義だが、ガネは接尾語になつている。
 安良伎之麻祢尓 アラキシマネニ。シマネのネは接尾語。島に同じ。
 夜杼理須流君 ヤドリスルキミ。死者に對して、みずから好んでしているように敍している。
【評語】苦しい旅を共にした人の死を悼む情は感じられるが、敍述にたどたどしさがあり、既にこの時代に及んで、長歌の作に慣れなかつたことが知られる。
 
反歌二首
 
3689 石田野《いはたの》に 宿《やど》りする君、
 家人の、
 いづらと我《われ》を 問はばいかに言はむ。
 
 伊波多野尓《イハタノニ》 夜杼里須流伎美《ヤドリスルキミ》
 伊敝妣等乃《イヘビトノ》
 伊豆良等和禮乎《イヅラトワレヲ》 等婆波伊可尓伊波牟《トハバイカニイハム》
 
【譯】石田野に宿りをする君よ。都に歸つてから、家の人が、何處にとわたしに尋ねたら、どのように言おう。
【釋】伊波多野尓 イハタノニ。イハタノは、壹岐郡|石田《いしだ》村の野。島の東南部にある。船をその邊につけたのだろう。
 夜杼里須流伎美 ヤドリスルキミ。死んで葬つたのを、みずから宿つたようにいう。その人に呼びかけている。
(113) 伊敝妣等乃 イヘビトノ。イヘビトは、雪の宅滿の家の人。
 伊豆良等和禮乎 イヅラトワレヲ。イヅラは、何處と捜し求める語。「むつ言もまだ盡《つ》きなくに明けにけり。いづらは秋の長してふ夜は」(古今和歌集卷十九)。ワレヲは、我を相手として問う意。
 等婆波伊可尓伊波牟 トハバイカニイハム。婆波は、波婆の誤りかとも見られるが、下にも「於毛比之於毛婆波《オモヒシオモハバ》」(卷十五、三七六六)の例があるので、もとのままにしておく。婆の字は、普通に濁音の場合に使用されているが、蒲訛の切で、清音にも使用される字である。なお類聚古集には、等婆波の波を婆に作つている。傳來の間の訛誤がないともされないが、今明白にするを得ない。
【評語】音信の便のなかつた時代に、家人は、途中で死んだことを知らないで出迎える。さてそれに對して何といおうと、困惑する心を歌つている。艱難を共にして來て、ひとりここに殘して行くに忍びない情が、よく描かれている。
 
3690 世の中は 常かくのみと、
 別れぬる 君にやもとな
 あが戀ひ行かむ。
 
 與能奈可波《ヨノナカハ》 都祢可久能未等《ツネカクノミト》
 和可禮奴流《ワカレヌル》 君尓也毛登奈《キミニヤモトナ》
 安我孤悲由加牟《アガコヒユカム》
 
【譯】世の中は、いつもこんなものだと、別れ去つたあなたに、心からわたしが慕つて行くのだろうか。
【釋】與能奈可波都祢可久能未等 ヨノナカハツネカクノミト。ツネは、いつも、きまつての意。ここは無常の常ではない。「藤花《フヂノハナ》 伊麻許牟春母《イマコムハルモ》 都禰加久之見牟《ツネカクシミム》」(卷十七、三九五二)の用法に同じ。カクノミは、病に遇つて死んだことをいう。この句、佛教の無常思想によつている。
 君尓也毛登奈 キミニヤモトナ。モトナは、心の堪えない意の副詞。心から。
(114) 安我孤悲由加牟 アガコヒユカム。コヒユカムは、戀いつつ旅行しようの意。
【評語】世の中の常無さを知つて死んだのだが、自分は心からその君を思つている悟り切れない境地を歌つている。理性の上では、やむを得ないとしても、感情はどうともできない意である。歌は理くつがはいつていて純粹でない。
 
右三首、挽歌
 
【釋】挽歌 メニカ。この一團の歌の手録者の作と見られる。
 
3691 天地と 共にもがもと
 思ひつつ ありけむものを、
 愛《は》しけやし 家を離れて、
 浪の上《うへ》ゆ なづさひ來《き》にて、
 あらたまの 月日も來經ぬ。
 雁がねも つぎて來鳴けば、
 たらちねの 母も妻らも
 朝露に 裳の裾ひづち
 夕霧に 衣手ぬれて、
 幸《さき》くしも あるらむ如く
(115) いで見つつ 待つらむものを、
 世の中の 人の歎きは、
 あひ思はぬ 君にあれやも、
 秋はぎの 散らへる野邊の
 初尾花 假廬《かりほ》に葺《ふ》きて、
 雲|離《ばな》れ 遠き國邊の
 露霜の 寒き山邊に
 やどりせるらむ。
 
 天地等《アメツチト》 登毛尓母我毛等《トモニモガモト》
 於毛比都々《オモヒツツ》 安里家牟毛能乎《アリケムモノヲ》
 波之家也思《ハシケヤシ》 伊敝乎波奈禮弖《イヘヲハナレテ》
 奈美能宇倍由《ナミノウヘユ》 奈豆佐比伎尓弖《ナヅサヒキニテ》
 安良多麻能《アラタマノ》 月日毛伎倍奴《ツキヒモキヘヌ》
 可里我祢母《カリガネモ》 都藝弖伎奈氣婆《ツギテキナケバ》
 多良知祢能《タラチネノ》 波々母都末良母《ハハモツマラモ》
 安佐都由尓《アサツユニ》 毛能須蘇比都知《モノスソヒヅチ》
 由布疑里尓《ユフギリニ》 己呂毛弖奴禮弖《コロモデヌレテ》
 左伎久之毛《サキクシモ》 安流良牟其登久《アルラムゴトク》
 伊※[人偏+弖]見都追《イデミツツ》 麻都良牟母能乎《マツラムモノヲ》
 世間能《ヨノナカノ》 比登乃奈氣伎波《ヒトノナゲキハ》
 安比於毛波奴《アヒオモハヌ》 君尓安禮也母《キミニアレヤモ》
 安伎波疑能《アキハギノ》 知良敝流野邊乃《チラヘルノベノ》
 波都乎花《ハツヲバナ》 可里保尓布伎弖《カリホニフキテ》
 久毛婆奈禮《クモバナレ》 等保伎久尓敝能《トホキクニベノ》
 都由之毛能《ツユジモノ》 佐武伎山邊尓《サムキヤマベニ》
 夜杼里世流良牟《ヤドリセルラム》
 
【譯】天地と共に永くいたいものだと思つていたであろうのに、愛すべき家を離れて、浪の上を渡つて榜いで來て、改まる月日も來て過ぎた。雁も續いて來て鳴くので、育てた母も妻も、朝露に裳の裾が濡れ、夕霧に著物が濡れて、無事にでもいるように、出て見ながら待つているだろうものを、世の中の人の歎きは、思わない君なのだろうか、秋ハギの散つている野邊の、初尾花を假小舍の屋根として、雲と離れた遠い國邊の、露霜のおく寒い山邊に、宿りをしているのだろう。
【構成】全篇一文。アラタマノ月日モ來經ヌで、一往切れるが、これはすぐ次の、雁ガネモ續ギテ來鳴ケバと對句になつている。
【釋】天地等登毛尓母我毛等 アメツチトトモニモガモト。天地と共に永久にありたいものだという願望だが、これはこのまま母や妻などと共にこの家にいたいという意である。
 波之家也思 ハシケヤシ。家を讃歎している。
(116) 奈美能宇倍由奈豆佐比伎尓弖 ナミノウヘユナヅサヒキニテ。波の上を通して船を榜ぎ進めて。
 安良多麻能 アラタマノ。枕詞。ここは月に冠している。
 都藝弖伎奈氣婆 ツギテキナケバ。ツギテは、月日が經過するに續いての意。實はすこし無理で、慣用句を無雜作に置いたのだろう。
 左伎久之毛安流良牟其登久 サキクシモアルラムゴトク。雪の宅滿が幸くあるだろうというように。
 伊※[人偏+弖]見都追 イデミツツ。門口に出て見つつ。
 世間能比登乃奈氣伎波 ヨノナカノヒトノナゲキハ。ヨノナカノヒトは、母、妻などの家人、また同行の人などを、一般的に言つている。
 君尓安禮也母 キミニアレヤモ。アレヤモは、疑問の條件法だが、疑問が強くなつて、そうではあるまいの意になつている。世間の人の歎きを思わない君だからか、そうではあるまいに。
 知良敝流野邊乃 チラヘルノベノ。チラヘルは、散ルの連續を示す散ラフに、助動詞リの連體形の接續した形。はらはらと散り亂れている野邊。
 波都乎花 ハツヲバナ。穗に出はじめた頃のススキ。
 可里保尓布伎弖 カリホニフキテ。宅滿を埋めた上に、尾花を屋根に葺いたのだろう。
 久毛婆奈禮 クモバナレ。雲のように遠く離れている。
 都由之毛能 ツユジモノ。ツユジモは、とけやすい霜。
 夜杼里世流良牟 ヤドリセルラム。宅滿の死んで横たわつていることを述べている。上の、君ニアレヤモを受けて、セルラムと、推量で結んでいる。君でもあるまいに、宿りをしているのだろうとなる。
【評語】情熱的ではないが、意をつくしている。宅滿の墓の秋色を敍したのが、よく風趣を作りなしている。
 
(117)反歌二首
 
3692 愛《は》しけやし 妻も兒どもも、
 高高《たかだか》に 待つらむ君や
 島|隱《がく》れぬる。
 
 波之家也思《ハシケヤシ》 都麻毛古杼毛母《ツマモコドモモ》
 多可多加尓《タカダカニ》 麻都良牟伎美也《マツラムキミヤ》
 之麻我久禮奴流《シマガクレヌル》
 
【譯】愛すべき妻も子どもも、のびあがつて待つているだろう君にしてか、島に隱れ去つた。
【釋】波之家也思 ハシケヤシ。妻や子どもを修飾している。
 多可多加尓 タカダカニ。伸びあがつて待つ意に、副詞として待ツを修飾している。
 麻都良牟伎美也 マツラムキミヤ。ヤは、疑問の係助詞。君にしてやの意。
 之麻我久禮奴流 シマガクレヌル。死んだのを、航海の途中なので、島隱ルといつている。ヤを受けて結んでいる。
【評語】長歌と同じ意味を歌つている。四五句の疑問の語法が、感動を表現するのに效果を與えている。
 
3693 黄葉《もみちば》の 散りなむ山に
 宿りぬる、
 君を待つらむ 人し悲しも。
 
 毛美知葉能《モミチバノ》 知里奈牟山尓《チリナムヤマニ》
 夜杼里奴流《ヤドリヌル》
 君乎麻都良牟《キミヲマツラム》 比等之可奈之母《ヒトシカナシモ》
 
【譯】葉のやがて散る山に宿つている君を、待つているだろう人が氣の毒だなあ。
【釋】知里奈牟山尓 チリナムヤマニ。まだ散らないが、やがて散るだろう山に。
(118) 比等之可奈思母 ヒトシカナシモ。ヒトは、妻や子どもをいう。
【評語】轉じて、これは待つている人を主として歌つている。ここにも黄葉ノ散リナム山と敍したのが、具體的でよい。
 
右三首、葛井連子老作挽歌
 
右の三首は、葛井の連《むらじ》子老《こおゆ》の作れる挽歌。
 
【釋】葛井連子老 フヂヰノムラジコオユ。傳未詳。
 
3694 わたつみの 恐《かしこ》き路《みち》を
 安けくも なく煩《なや》み來《き》て
 今だにも 喪無《もな》く行かむと、
 壹岐《ゆき》の海人《あま》の 上手《ほつて》の卜占《うらへ》を
 象《かた》灼《や》きて 行かむとするに、
 夢《いめ》の如《ごと》 道の空路《そらぢ》に
 別れする君。
 
 和多都美能《ワタツミノ》 可之故伎美知乎《カシコキミチヲ》
 也須家口母《ヤスケクモ》 奈久奈夜美伎弖《ナクナヤミキテ》
 伊麻太尓母《イマダニモ》 毛奈久由可牟登《モナクユカムト》
 由吉能安末能《ユキノアマノ》 保都手乃宇良敝乎《ホツテノウラヘヲ》
 可多夜伎弖《カタヤキテ》 由加武等須流尓《ユカムトスルニ》
 伊米能其等《イメノゴト》 美知能蘇良治尓《ミチノソラヂニ》
 和可禮須流伎美《ワカレスルキミ》
 
【譯】海上のおそろしい道を、安らかなこともなく惱んで來て、今だけでも禍なく行こうと、壹岐の島の海人の上手な占ないをして、卜形《うらかた》を燒いて行こうとするのに、夢のように、道の空で、別れをする君だなあ。
【構成】全篇一文。
(119)【釋】和多都美能可之故伎美知乎 ワタツミノカシコキミチヲ。ワタツミは海洋。その恐しい道を。
 也須家口母奈久奈夜美伎弖 ヤスケクモナクナヤミキテ。ヤスケクは、安らかなこと。ナヤミは、難儀をする。道中風波の難に遭つたことをいう。安ケクモナク、煩ミ來テというふうに、七音の長句の途中で切れているのは、全く文筆作品になつていることを證する。やがて七五調に轉ずる前駈である。
 伊麻大尓母 イマダニモ。せめて今だけでも。
 毛奈久由可牟等 モナクユカムト。モは、凶事。災禍を生じて忌みこもる語義であろう。「事母無《コトモナク》 母裳無阿良牟遠《モモナクアラムヲ》」(卷五、八九七)。
 由吉能安末能 ユキノアマノ。ユキは、壹岐の島で、卜占の術を傳えた地として知られていた。アマは、海人だが、卜占を傳えたのは、男か女かわからない。
 保都手乃宇良敝乎 ホツテノウラヘヲ。ホツテは上手。ウラヘは、占ない。上手な占ないを。
 可多夜伎弖 カタヤキテ。龜卜で、龜の甲をやいて占なう。カタは、卜占のあらわれる形象の物。
 美知能蘇良治尓 ミチノソラヂニ。ソラヂは空路で、道の途中をいう。どちらにもつかないので、空というのだろう。道のそらで。
【評語】短いが要を得ている。難儀を凌いで來て一息つくまもなく死別した哀情が歌われている。卜占をするのは、それによつて吉日を選んだりして凶事の起るのを避けようとするので、當時の一般的な信仰である。
 
反歌二首
 
3695 昔より 言ひける言《こと》の、
 から國《くに》の からくも此處《ここ》に
(120) 別れするかも。
 
 牟可之欲里《ムカシヨリ》 伊比祁流許等乃《イヒケルコトノ》
 可良久尓能《カラクニノ》 可良久毛己許尓《カラクモココニ》
 和可禮須留可聞《ワカレスルカモ》
 
【譯】昔から言つて來た事だが、から國というように、からくもここで別れをすることだ。
【釋】牟可之欲里伊比祁流許等乃 ムカシヨリイヒケルコトノ。カラ國ノカラシという事は、古くから言つて來たことと見える。
 可艮久尓能 カラクニノ。枕詞。同音によつて、カラクに冠している。
 可良久毛己許尓 カラクモココニ。カラクは、つらくも、悲しくも。
【評語】音聲を利用して、調子づいていて、悲哀の感情が飛ばされている。才人、才に溺れた形だ。
 
3696 新羅《しらぎ》へか 家にか歸る。
 壹岐《ゆき》の島 行かむたどきも、
 思ひかねつも。
 
 新羅寄敝可《シラギヘカ》 伊敝尓可加反流《イヘニカカヘル》
 由吉能之麻《ユキノシマ》 由加牟多登伎毛《ユカムタドキモ》
 於毛比可祢都母《オモヒカネツモ》
 
【譯】新羅へ行こうか、家に歸ろうか。壹岐の島で、行くべき法も、思い定められなかつた。
【釋】新羅寄敝可 シラギヘカ。新羅へか行こうの意。
 伊敝尓可加反流 イヘニカカヘル。はたまた家に歸るのか。句切。
 由吉能之麻 ユキノシマ。壹岐の島で、行キを懸けて、次の行カムを引き出している。
 由加牟多登伎毛於毛比可祢都母 ユカムタドキモオモヒカネツモ。タドキは、手段、方法。行くべき由も思い定めかねた。
【評語】これも調子に乘つている。行こか歸ろか思案橋の類で、言語のあやを巧みすぎている。同僚に死なれ(121)て、行くべき氣力もなくなつた意であろうが、しんみりしていない。
 
右三首、六鯖作挽歌
 
右の三首は、六鯖《むさば》の作れる挽歌。
 
【釋】六鯖 ムサバ。代匠記に、「廢帝記(ニ)云(フ)、寶字八年六月、授(ク)2正六位(ノ)上|六人部《ムトベノ》連|鮪麻呂《サバマロニ》外(ノ)從五位(ノ)下(ヲ)1。コノ人ノ氏ト名トヲ略シテカケルナルベシ」とあるは、或るいはそうであろう。正倉院文書によれば、六人部の鯖麻呂は、天平寶字二年には正六位の上で伊賀の守であつた。その氏名を略書したのは、大陸の人の氏名に擬して、みずから略書したのだろう。そうとすれば、字音で讀んでいたのかも知れない。卷の五の大伴の旅人の邸の梅花の宴の作者の署名の類である。
 
到2對馬島淺茅浦1舶泊之時、不v得2順風1、經停五箇日。於v是瞻2望物華1、各陳2慟心1作歌三首
 
對馬島《つしま》の淺茅の浦に到りて舶《ふね》泊《は》てし時、順風を得ず、經停《とど》まること五箇日《いつか》。ここに物華を瞻望し、おのもおのも慟《いた》む心を陳《の》べて作れる歌三首。
 
【釋】淺茅浦 アサヂノウラ。所在不明。淺海《せんがい》灣もしくはその一部とする説があるが、ここに順風を得ずして、經停まること五日とあつて、次に淺海灣内の竹敷の浦に到つているところを見れば、外洋に面した浦とせねばならない。安佐治山に接していることは、歌詞によつて知られるが、その安佐治山も不明である。對馬の南海岸西海岸には、相當の船つきがないから、東海岸の嚴原《いずはら》港あたりであろう。さてそれからなお外洋を航して、大船越、小船越のいずれかについて、陸上を船を引いて越して竹敷の浦方面に出たのだろう。大船越は、今は(122)淺海灣の東口をなして長さ二十四町幅八間の狹い水道があるが、この水道は、寛文十二年に開鑿したもので、往時は地續きであつた。それを船を越したから船越というので、陸上を船を引いて越したことは、諸地方に例が多い。古典では、播磨國風土記|揖保《いいぼ》の郡の條に、神功皇后の船を引いて越した話を傳えている。なお小船越は、地形のちいさいのによつて得た名であろう。對馬の東海岸は、波が荒いから、船を引いて淺海灣に出て、比較的に波のしずかな西海岸に沿つて北上したということである。
 物華 モノノアヤ。諸物の美しい現象。
 
3697 百船の 泊《は》つる對馬の
 淺茅《あさぢ》山、
 時雨の雨に もみたひにけり。
 
 毛母布祢乃《モモフネノ》 波都流對馬能《ハツルツシマノ》
 安佐治山《アサヂヤマ》
 志具禮能安米尓《シグレノアメニ》 毛美多比尓家里《モミタヒニケリ》
 
【譯】たくさんの船の碇泊する對馬の淺茅山は、時雨の雨で黄葉したことだ。
【釋】毛母布祢乃波都流對馬能 モモフネノハツルツシマノ。モモフネノハツルは、ツ(津)と言うための序詞。ツシマは、語義は津島で、日韓交通の要津に當つているので、その名を得ているだろう。
 安佐治山 アサヂヤマ。淺茅の浦に接している山だろうが、所在不明。小船越の南方にある今の大山嶽だという説があるが、前項の記事によつて、その違うことが知られる。
(123) 志具禮能安米尓 シグレノアメニ。シグレノアメは、秋の頃空がくらくなつて降る雨。
 毛美多比尓家里 モミタヒニケリ。モミタヒは、黄葉する意の動詞モミツの連續をあらわすモミタフの連用形。モミチ(黄葉)のチ、および動詞モミツの各變化ツ、テの、假字書きのものを見ると、皆清音の字を使つている。よつてここも文字通りモミタヒと清音に讀むがよい。そこで動詞モミツの用例を擧げると、「和可加敝流弖能《ワカカカヘルデノ》 毛美都麻弖《モミツマデ》」(卷十四、三四九四)、「秋風毛《アキカゼモ》 未v吹者《イマダフカネバ》 如v此曾毛美照《カクゾモミテル》」(卷八、一六二八)があつて、四段に活用するものと考えられる。しかるに上二段にも活用するというのは「秋風爾《アキカゼニ》 黄葉山乎《モミチムヤマヲ》」(卷十九、四一四五)、「秋葉能《アキノハノ》 黄色時爾《ニホヘルトキニ》」(同、四一八七)の例があつて、その黄葉をモミチム、黄色をモミツルと讀むによるのである。しかしこの四一四五の黄葉は、ニホハムとも讀まれるし、四一八七の黄色も、ニホヘルの訓が考えられるはずであつて、上二段活の存在は、確實とはしがたい。
【評語】百船ノ泊ツルの序詞が、作者の居る處の實景ででもあるように見られて、混雜を生じやすいのは、よくない。三句以下は、無事であるが、モミタフは他に用例を見ない語である。
 
3698 天離《あまざか》る 鄙《ひな》にも月は
 照れれども、
 妹ぞ遠くは 別れ來にける。
 
 安麻射可流《アマザカル》 比奈尓毛月波《ヒナニモツキハ》
 弖禮々杼母《テレレドモ》
 伊毛曾等保久波《イモゾトホクハ》 和可禮伎尓家流《ワカレキニケル》
 
【譯】天のように遠い田舍にも、月は照つているけれども、妻に遠く別れて來たことだ。
【釋】安麻射可流 アマザカル。枕詞。
 弖禮々杼母 テレレドモ。照レリの逆態條件法。
 伊毛曾等保久波 イモゾトホクハ。イモゾは、妹ヲゾ別レ來ニケルの語氣であるが、ここにヲを入れないの(124)は、妹を主として提示する言い方である。
【評語】月は都で見た月と同じだが、人は遠く別れて逢うことができない趣を歌つている。作者自身の感ずるだけの感慨は、普通の讀者には受け入れられまい。
 
3699 秋されば 置く露霜に
 堪《あ》へずして、
 京師《みやこ》の山は 色づきぬらむ。
 
 安伎左禮婆《アキサレバ》 於久都由之毛尓《オクツユジモニ》
 安倍受之弖《アヘズシテ》
 京師乃山波《ミヤコノヤマハ》 伊呂豆伎奴良牟《イロヅキヌラム》
 
【譯】秋になつて置く露霜に堪え得ないで、都の山の草木は色づいたであろう。
【釋】安倍受之弖 アヘズシテ。アヘズは、堪えず。抵抗し得ないで。
【評語】都の山の黄葉を想つている。都の秋を思うこと切なものが感じられる。初三句の説明が具體的なのが成功している。
 
竹敷浦舶泊之時、各陳2心緒1作歌十八首
 
竹敷《たかしき》の浦に舶泊てし時、おのもおのも心緒を陳べて作れる歌十八首。
 
【釋】竹敷浦 タカシキノウラ。淺海灣の一部。その奧まつた處にある。船越から船を越して奧の方から此處に來たのだろう。
 各陳心緒作歌 オノモオノモオモヒヲノベテツクレルウタ。一處に會して各人が心を述べて作つた歌である。
 
3700 あしひきの 山下《やました》光る
(125) 黄葉《もみちば》の 散《ち》りのまがひは
 今日にもあるかも。
 
 安之比奇能《アシヒキノ》 山下比可流《ヤマシタヒカル》
 毛美知葉能《モミチバノ》 知里能麻河比波《チリノマガヒハ》
 計布仁聞安留香母《ケフニモアルカモ》
 
【譯】山の下葉の照り輝く黄葉が、散り亂れるのは、今日なのだなあ。
【釋】山下比可流 ヤマシタヒカル。ヤマシタは、語義は、文字通り山下であつて、山の草木の下葉をいうと解せられる。「鶯乃《ウグヒスノ》 來鳴春部者《キナクハルベハ》 巖者《イハホニハ》 山下耀《ヤマシタヒカリ》 錦成《ニシキナス》 花咲乎呼里《ハナサキヲヲリ》」(卷六、一〇五三)の例は、春に言つている。これから轉成した動詞の名詞形にシタビがあり、「秋山之下冰壯夫《アキヤマノシタビヲトコ》」(古事記中卷)、「金山《アキヤマノ》 舌日下《シタビガシタニ》 鳴鳥《ナクトリノ》(卷十、二二三九)の如く使用され、また動詞のままでは「秋山《アキヤマノ》 下部留妹《シタブルイモ》」(卷二、二一七)がある。これらはいずれも山について使用されているので、ヤマシタの延長と見るべきである。以上の例によつても、この語が、山の美しさを言つていることは、あきらかであり、それは美しいものとして、草木の下葉が取りあげられているものであろう。
 知里能麻河比波 チリノマガヒハ。マガヒは、紛ヒで、紛亂の意に使用される。散り亂れることは。「烏梅能波奈《ウメノハナ》 知里麻我比多流《チリマガヒタル》 乎加肥爾波《ヲカビニハ》」(卷五、八三八)。
 計布仁聞安留香母 ケワニモアルカモ。上のモは、感動の助詞で、今日であることについて感激している。
【評語】たまたま滿山の黄葉の散り亂れる日に際會したことに感激している。大きな姿の歌で、四五句など殊に仰山な言い方をしている。單に散り亂れるという言い方をするよりも、散リノマガヒハ、今日ニモアルカモという言い方が、いかに大がかりであるかを見るべきである。
 
右一首、大使
 
(126)【釋】大使 オホツカヒ。阿倍の繼麻呂。
 
3701 竹敷《たかしき》の 黄葉《もみち》を見れば、
 吾妹子が 待たむといひし
 時ぞ來にける。
 
 多可之伎能《タカシキノ》 母美知乎見禮婆《モミチヲミレバ》
 和藝毛故我《ワギモコガ》 麻多牟等伊比之《マタムトイヒシ》
 等伎曾伎尓家流《トキゾキニケル》
 
【譯】竹敷の黄葉を見ると、わたしの妻の待とうと言つた時は、來たのだ。
【釋】麻多牟等伊比之 マタムトイヒシ。秋になつたら歸つて來ることとして、その時を待とうと言つた。
【評語】山の黄葉を見るにつけても、妻との約束がまず思い出される。前にもあつたと同じく、秋には歸る豫定であつたのが、歸れなくなつたことを、ここでも歎いている。作者の心に強く根を張つている歎きである。
 
右一首、副使
 
【釋】副使 ソヘヅカヒ。遣新羅使の副使で、大伴の三中である。この人は、この一團の歌の手録者と考えられ、作者の名のないのは、この人の作と考えられるのであるが、何故にこの竹敷の浦での作に限つて、副使と著したかというに、これは各陳心緒作歌であつて、人々が集まつて歌を詠んだので、地位の順に從つて歌を掲記し、それに伴なつて、作者をあきらかにしたものであろう。
 
3702 竹敷の 浦みの黄葉、
 われ行きて 歸り來《く》るまで
 散りこすな、ゆめ。
 
 多可思吉能《タカシキノ》 宇良未能毛美知《ウラミノモミチ》
 和禮由伎弖《ワレユキテ》 可敝里久流末※[人偏+弖]《カヘリクルマデ》
 知里許須奈由米《チリコスナユメ》
 
(127)【譯】竹敷の浦の黄葉は、わたしが行つて歸つて來るまで、散つてくれるな、決して。
【釋】宇良未能毛美知 ウラミノモミチ。ウラミは浦。ミは接尾語。
 和禮由伎弖 ワレユキテ。新羅へ行つて。
 知里許須奈由米 チリコスナユメ。コスは、コス、コセの形を傳えているが、字音假字で書いてあるもののほかには、「絶跡云事乎《タユトイフコトヲ》 有超名湯目《アリコスナユメ》」(卷十一、二七一二)、「戀爲道《コヒスルミチニ》 相與勿湯目《アヒコスナユメ》」(同、二三七五)、「妻依來西尼《ツマヨシコセネ》 妻常言長柄《ツマトイヒナガラ》」(卷九、一六七九)等の例の如く、超、與、來西の文字が使われている。このうち超は、直接の語義とは解せられないから訓假字と見るべく、與は、語意を語るものではあつても語義ではないだろう。そうすれば、來西の來が、語義を語るものと見られる唯一の字面ということになる。そこでこの語は、動詞來に使役の助動詞が接續して、希望をあらわす助動詞となつたものと考えられる。
【評語】新羅へ行つて來るまで、あまり時日がかからないような言い方である。歌は、すなおに詠まれているが平凡である。
 
右一首、大判官
 
【釋】大判官 オホキマツリゴトビト。既出。遣新羅使の第三の役で、壬生《みぶ》の宇太麻呂である。
 
3703 竹敷の うへかた山は、
 紅《くれなゐ》の 八入《やしほ》の色に
 なりにけるかも。
 
 多可思吉能《タカシキノ》 宇敝可多山者《ウヘカタヤマハ》
 久禮奈爲能《クレナヰノ》 也之保能伊呂尓《ヤシホノイロニ》
 奈里尓家流香聞《ナリニケルカモ》
 
【譯】竹敷のウヘカタ山は、くれないの幾度も染めた色になつたことだなあ。
(128)【釋】宇敝可多山者 ウヘカタヤマハ。ウヘカタ山は、山名のようになつているが、竹敷の浦の上方の山の意であろう。
 久禮奈爲能 クレナヰノ。クレナヰは、呉の藍の義で、ベニをしぼつて作つた染料。
 也之保能伊呂尓 ヤシホノイロニ。ヤシホは、何度も染料に浸して染めること。ヤは多數、シホは溶液、染料の汁。
【評語】すらすらと詠まれている。くれないに深く染めた山の美しさを讃歎する氣もちは窺われる。
 
右一首、小判官
 
【釋】小判官 スナキマツリゴトビト。大藏の麻呂。
 
3704 もみち葉の 散らふ山邊ゆ
 榜《こ》ぐ船の にほひに愛《め》でて
 出でて來にけり。
 
 毛美知婆能《モミチバノ》 知良布山邊由《チラフヤマベユ》
 許具布祢能《コグフネノ》 尓保比尓米※[人偏+弖]弖《ニホヒニメデテ》
 伊※[人偏+弖]弖伎尓家里《イデテキニケリ》
 
【譯】黄葉の散りしきる山邊を通つて榜ぐ船の美しさに感じて出てまいりました。
【釋】毛美知婆能 モミチバノ。毛美知婆は、字音假字でこの語を書いている。モミチバの語は、他に「毛美知葉《モミチバ》」(卷十五、三六九三)とも書いており、バが葉を意味することは明白であつて、モミチは、黄になることを意味する動詞で、これが結合して熟語を作ること、たとえばオチバ(落葉)の如き言い方なのだろう。これを省略してモミチとのみいうようになつたものと考えられる。またモミチ、モミチバとも、假字書きの場合は、常にチに知を使つているから、これは清音に讀むべきものである。「毛美多比爾家里《モミタヒニケリ》」(卷十五、三六九七)參(129)照。
 知良布山邊由 チラフヤマベユ。チラフは、散ルの連續を現す語法。ユは、を通つて。ここは山邊を船が榜いで來るのである。この邊の地勢、山が直に海に接しているので、かように歌つている。
 許具布祢能 コグフネノ。フネは、遣新羅使の一行の乘船。
 尓保比尓米※[人偏+弖]弖 ニホヒニメデテ。ニホヒは、色の美しさ。船をほめている、メデテは、感服して。
 伊※[人偏+弖]弖伎尓家里 イデテキニケリ。作者が、その住む處から出て來た意。舟を迎えにきたのである。
【評語】この作者は、遊行女婦であるが、かように往來の人を迎えて、歌をも詠み、これを送迎したのである。その歌は、いつも大體同じような歌を歌つたのだろうが、季節その他について、多少事情に即應して改作していたのだろう。この歌だけ切り離して見れば、黄葉している山沿いを漕いで來た船の美しさを感心した氣もちは、よくわかる。その船の説明が利いている歌である。
 
3705 竹敷《たかしき》の 玉藻靡かし
 こぎ出《で》なむ 君が御船を
 いつとか待たむ。
 
 多可思吉能《タカシキノ》 多麻毛奈婢可之《タマモナビカシ》
 己藝※[人偏+弖]奈牟《コギデナム》 君我美布祢乎《キミガミフネヲ》
 伊都等可麻多牟《イツトカマタム》
 
【譯】竹敷の浦の美しい藻を靡かせて漕ぎ出るでしよう、あなたの御船を、何時になつたらと、お待ちいたしましようか。
【釋】多麻毛奈婢可之 タマモナビカシ。海上の海藻をおし分けて。タマモは、藻をほめていう。藻は靡くものであるから靡カシという。波のしずかな灣内の事ゆえに、海藻が多く茂生しているので、船を漕ぎ出すにつれて、波が搖れて、その藻が靡くのである。
(130) 己藝※[人偏+弖]奈牟 コギデナム。連體形。
 伊都等可麻多牟 イツトカマタム。また此處に碇泊する日を、何時の事として待とうかの意。
【評語】これも常に口馴れて歌つていた歌であろう。二句の敍述が、特殊でよい。
 
右二首、對馬娘子名玉槻
 
【釋】對馬娘子名玉槻 ツシマノヲトメナハタマツキ。往來の行客を送迎して、宴席の興を助ける女子である。玉槻は、美しい名を選んでつけたものであろう。
 
3706 玉敷ける 清き渚を
 潮滿てば 飽かずわれ行く、
 還《かへ》るさに見む。
 
 多麻之家流《タマシケル》 伎欲吉奈藝佐乎《キヨキナギサヲ》
 之保美弖婆《シホミテバ》 安可受和禮由久《アカズワレユク》
 可反流左尓見牟《カヘルサニミム》
 
【譯】玉を敷いてある清らかな渚だのに、潮が滿ちたので、飽かずにわたしは行く。歸り途に見よう。
【釋】多麻之家流 タマシケル。美しい小石などのある處の形容である。
 安可受和禮由久 アカズワレユク。ここには飽きないが、やむを得ず行く。句切。
【評語】この歌の作者は、對馬に泊して死んだ。ここで歸ルサニ見ムと歌つているのが、一層氣の毒である。歌そのものは、愛惜の意をあらわしているだけで、格別の事はない。
 
右一首、大使
 
3707 秋山の 黄葉《もみち》を插頭《かざ》し
(131) わが居《を》れば
 浦潮|滿《み》ち來《く》。
 いまだ飽《あ》かなくに。
 
 安伎也麻能《アキヤマノ》 毛美知乎可射之《モミチヲカザシ》
 和我乎禮婆《ワガヲレバ》
 宇良之保美知久《ウラシホミチク》
 伊麻太安可奈久尓《イマダアカナクニ》
 
【譯】秋山の黄葉を髪に插してわたしがいると、浦の潮が滿ちて來る。まだ飽きないことだのに。
【釋】宇良之保美知久 ウラシホミチク。浦の潮が滿ちて來るのは、船出をすべき時になつたことをいう。句切。
【評語】礒邊に下り立つて、黄葉を插頭して宴を張つていたのである。秋山ノ黄葉ヲカザシと、浦潮滿チ來との對照が、この地の特殊の景を思わしめる。山が灣内に迫つているので、黄葉をかざして遊ぶことができたのである。
 
右一首、副使
 
3708 物|思《も》ふと 人には見えじ。
 下《した》紐の 下ゆ戀ふるに、
 月ぞ經にける。
 
 毛能毛布等《モノモフト》 比等尓波美要緇《ヒトニハミエジ》
 之多婢毛能《シタヒモノ》 思多由故布流尓《シタユコフルニ》
 都寄曾倍尓家流《ツキゾヘニケル》
 
【譯】物を思うと人には見られないだろう。下紐のように、心の下で戀うていて月が過ぎてしまつた。
【釋】毛能毛布等比等尓波美要緇 モノモフトヒトニハミエジ。ミエジは、人に見られないだろう。見られまいとする意志を含んでいる。句切。
(132) 之多婢毛能 シタヒモノ。枕詞。シタヒモは、下衣、袴などの紐。シタの音によつて下に冠する。
 思多由故布流尓 シタユコフルニ。シタユは、心の中で。心の底を通つている意である。コフルは、家を思い、妻を思うをいう。
 都奇曾倍尓家流 ツキゾヘニケル。月を經過したことをいう。
【評語】作者は、大使であり、わが子も同行している年配者なので、體面上、妻に戀う心を、顔にもあらわさないで來た。しかしこのうち解けた酒席では、ついにこれを歌にしたのである。下紐の枕詞は、下ユを引き出すに使つているが、男女關係の連想のある語であつて、その方面の歌に、慣用されていたであろう。この作者は、この歌を遺して、歸らない人となつたのである。
 
右一首、大使
 
3709 家づとに 貝を拾《ひり》ふと、
 沖邊より 寄せ來《く》る浪に、
 衣手ぬれぬ。
 
 伊敝豆刀尓《イヘヅトニ》 可比乎比里布等《カヒヲヒリフト》
 於伎敝欲里《オキベヨリ》 與世久流奈美尓《ヨセクルナミニ》
 許呂毛弖奴禮奴《コロモデヌレヌ》
 
【譯】家へのみやげに、貝を拾おうとして、沖の方から寄つて來る潮に、著物が濡れた。
【釋】可比乎比里布等 カヒヲヒリフト。ヒリフは、拾フ。貝を拾うのは、玉の材料として拾うのである。
【評語】 「妹がため貝を拾ふと茅淳《ちぬ》の海に濡れにし袖はほせど乾《かわ》かず」(卷七、一一四五)など、類想の多い歌だ。灣口の方を望み見て、沖邊より寄り來る潮を歌つたあたりが、この歌の特殊性である。
 
(133)3710 潮干なば またもわれ來《こ》む。
 いざ行かむ。
 沖つ潮騷《しほさゐ》 高く立ち來《き》ぬ。
 
 之保非奈波《シホヒナバ》 麻多母和禮許牟《マタモワレコム》
 伊射遊賀武《イザユカム》
 於伎都志保佐爲《オキツシホサヰ》 多可久多知伎奴《タカクタチキヌ》
 
【譯】潮が干たら、またわたしは來よう。さあ行こう。沖の潮の音が、高く立つて來た。
【釋】麻多母和禮許牟 マタモワレコム。海の干潟に下り立つていたので、またここに來ようというのである。句切。
 伊射遊賀武 イザユカム。今は此處を去つて行こう。出發しようではないか。句切。
 於伎都志保佐爲 オキツシホサヰ。シホサヰは、潮の鳴る音。寄せ來て岩礁に當つて鳴る響。
【評語】灣内の干潟に、沖の方から潮のさして來る情景がよく描かれている。そこのおもしろさゆえに去りがたい心が、二句と三句とで切れる形で歌われている。三句の獨立文は、特殊な形として指摘される。
 
3711 わが袖は
 手本《たもと》とほりて ぬれぬとも
 戀忘れ貝
 とらずは行かじ。
 
 和我袖波《ワガソデハ》
 多毛登等保里弖《タモトトホリテ》 奴禮奴等母《ヌレヌトモ》
 故非和須禮我比《コヒワスレガヒ》
 等良受波由可自《トラズハユカジ》
 
【譯】わたしの袖は、腕まで徹つて濡れたにしても、戀を忘れる忘れ貝は、取らないでは行かない。
【釋】多毛登等保里弖 タモトトホリテ。タモトは、腕。トホリテは、裏へとおつて。袖の裏へ、腕の方までもとおつて。
(134) 故非和須禮我比 コヒワスレガヒ。忘れ貝に戀を忘れるを懸けている。この語は、集中數出しており、ここは字音假字で書いた唯一の例である。
【評語】濡れても貝を拾おうという歌は多いが、この歌は、その濡れる説明が詳細であり、その貝もまた戀忘れ貝というので、對照して特殊の歌になり、どうしても戀を忘れたいという心を懸けて、複雜になつている。すべて力強い言い方になつている點に、個性が認められる。
 
3712 ぬばたまの 妹が乾《ほ》すべく
 あらなくに
 わが衣手を 濡れていかにせむ。
 
 奴波多麻能《ヌバタマノ》 伊毛我保須倍久《イモガホスベク》
 安良奈久尓《アラナクニ》
 和我許呂母弖乎《ワガコロモデヲ》 奴禮弖伊可尓勢牟《ヌレテイカニセム》
 
【譯】黒髪の美しいわが妻が乾すべくもないのに、わたしの著物を濡らしてどうしよう。
【釋】奴波多麻能 ヌバタマノ。枕詞。黒、夜、闇などに冠するのが通例であるが、ここに妹に冠しているのは無理である。しかしどうしてこのような無理をしたかというと、作者としては、黒髪によつて妻を想像し、これを敍述しようとしたのだが、歌詞を案じているうちに、黒髪を逸してしまつたのだろう。當時黒髪によつて女子を稱えるのは、通例であり、それはその美を描くと共に、夜の連想もあつて美しい想像が催されるのである。但しイ(眠り)にかけたとすれば、解せられないこともないが、それも例はない。
 伊毛我保須倍久安良奈久尓 イモガホスベクアラナクニ。家庭にあつて、衣服を管理するのは、女子の業となつていた。
 奴禮弖伊可尓勢牟 ヌレテイカニセム。潮に濡れたのだろう。
【評語】修辭的に不完全な歌といえるが、言おうとするところは、かえつてよく感じられる。未完成の美しさ(135)のある歌だ。草案のままに殘つたと見える。
 
3713 もみち葉は 今はうつろふ。
 吾妹子が 待たむといひし
 時の經ゆけば。
 
 毛美知婆波《モミチバハ》 伊麻波宇都呂布《イマハウツロフ》
 和伎毛故我《ワギモコガ》 麻多牟等伊比之《マタムトイヒシ》
 等伎能倍由氣婆《トキノヘユケバ》
 
【譯】黄葉は、今は衰えて行く。わたしの妻の待とうと言つた時が過ぎて行くので。
【釋】伊麻波宇都呂布 イマハウツロフ。ウツロフは、散り行くことに使つている。句切。
【評語】竹敷の浦での作歌十八首と題せられている中にも、前の方の歌では、黄葉の盛りになつた頃の作の如く見られるが、ここでは既にその衰えを歌い、下にも同樣に歌われている。これは先の事を豫想して詠んでいるとも取れるが、恐らくは、竹敷の浦の各陳心緒の席よりも後の歌を、同じ題下に附收したもののようである。この歌は、前に「我妹子が待たむと言ひし時ぞ來にける」(三七〇一)に對して、更に時の過ぎたことを語り、一層前述のことを證するようである。歌は前の歌を、表現を變えて歌つたに過ぎない。
 
3714 秋されば 戀しみ妹を、
 夢《いめ》にだに 久しく見むを、
 明けにけるかも。
 
 安伎佐禮婆《アキサレバ》 故非之美伊母乎《コヒシミイモヲ》
 伊米尓太尓《イメニダニ》 比左之久見牟乎《ヒサシクミムヲ》
 安氣尓家流香聞《アケニケルカモ》
 
【譯】秋になつて戀しさに、妻を夢にだけでも長く見たいものを、夜があけてしまつた。
【釋】故非之美伊母乎 コヒシミイモヲ。コヒシミは、形容詞コヒシからできた動詞の連用形とも説かれているが、ここはやはり、妹ヲ戀シミの意に取る方がよいのだろう。句の途中で、息をつく形になつている。
(136) 比左之久見牟乎 ヒサシクミムヲ。長い時間夢で見たいのに。
【評語】せめて夢にでも長く逢いたいという心が痛切である。夜の明けて、旅中の現實に歸るのを恨む心が、しみじみと歌われている。
 
3715 ひとりのみ 著《き》ぬる衣の
 紐解かば 誰《たれ》かも結《ゆ》はむ。
 家《いへ》遠《とほ》くして。
 
 比等里能未《ヒトリノミ》 伎奴流許呂毛能《キヌルコロモノ》
 比毛等加婆《ヒモトカバ》 多禮可毛由波牟《タレカモユハム》
 伊敝杼保久之弖《イヘトホクシテ》
 
【譯】ひとりだけで著ている著物の紐を解いたら、誰が結ぶだろうか。家が遠くつて。
【釋】比等里能未 ヒトリノミ。ヒトリノミ紐解カバと續く文脈である。
 伎奴流許呂毛能 キヌルコロモノ。キヌルは、著ヌル。著用している。
 多禮可毛由波牟 タレカモユハム。誰カモ結ハムで、結う人のない旨を述べている。妻が、夫の衣の紐を結ぶ習慣なので、この句がある。句切。
【評語】家から著て出た衣服を、脱ぐ時もなくして久しくなつたことを歌つている。衣に寄せて家の遠くあることを述べている。表現が間接的で、今日の讀者には、ぴつたり來ないもののあるのは、習俗の變わつたためで、やむを得ない。
 
3716 天雲《あまくも》の たゆたひ來《く》れば、
 九月《ながつき》の 黄葉《もみち》の山も
 うつろひにけり。
 
 安麻久毛能《アマクモノ》 多由多比久禮婆《タユタヒクレバ》
 九月能《ナガツキノ》 毛美知能山毛《モミチノヤマモ》
 宇都呂比尓家里《ウツロヒニケリ》
 
(137)【譯】大空の雲のように、ためらいながら來ると、九月の黄葉の山も、衰えてしまつた。
【釋】安麻久毛能 アマクモノ。枕詞。天雲ノは、その性質から、次のタユタヒに冠している。
 多由多比久禮婆 タユタヒクレバ。タユタヒは、猶豫逡巡する意で、諸處に停滯して、行程のはかどらなかつたことをいう。
 宇都呂比尓家里 ウツロヒニケリ。前にあつたウツロフと同じで、黄葉の散つたことをいう。
【評語】既に九月に入つて、黄葉した山の衰え行つたことを歌つている。初句の枕詞も、はるばると漂い來た旅程を象徴するに適切であり、三句以下の敍述も、よく感慨を描いている。圓熟の域に到達した作品といえよう。
 
3717 旅にても 喪《も》無くはや來《こ》と、
 吾妹子が 結びし紐は、
 褻《な》れにけるかも。
 
 多婢尓弖毛《タビニテモ》 母奈久波也許登《モナクハヤコト》
 和伎毛故我《ワギモコガ》 牟須妣思比毛波《ムスビシヒモハ》
 奈禮尓家流香聞《ナレニケルカモ》
 
【譯】旅にあつても、凶事無く早くいらつしやいと、わたしの妻の結んだ衣の紐は、くたくたになつてしまつたなあ。
【釋】母奈久波也許登 モナクハヤコト。モナクは、凶事無く。「毛奈久由可牟登《モナクユカムト》」(卷十五、三六九四)參照。その歌の句を使つたらしい。旅ニテモ喪無ク早來までが、妻の言。
 牟須妣思比毛波 ムスビシヒモハ。ヒモは、著衣の紐で、別れに臨んで結んだものである。衣の紐を結ぶことに、凶事をふせぐまじないの意が寄せられている。
 奈禮尓家流香聞 ナレニケルカモ。ナレは、著馴れてなえなえになることをいう。
(138)【評語】旅衣のなえなえとしたのを見ても、別れて久しくなつたことが、しみじみと感じられる。それを紐の一點に集中して歌つている。この歌を最後として往路の歌は終る。新羅での作の傳わらないのは遺憾である。
 
廻2來筑紫1、海路入v京、到2播磨國家島1之時、作歌五首
 
筑紫《つくし》に廻り來て海路より京に入るに、播磨の國の家島に到りし時、作れる歌五首。
 
【釋】到播磨國家島之時 ハリマノクニノイヘシマニイタリシトキ。家島は既出。大使は對馬に泊して歿し、副使は病み、その他あまたの難儀を輕て、ようやく家島まで歸著した。天平九年正月二十七日に、大判官壬生の宇太麻呂以下は京にはいつたのだから、家島まで來た時には、既に年を越していたのだろう。
 
3718 家島は 名にこそありけれ。
 海原を わが戀ひ來つる
 妹もあらなくに。
 
 伊敝之麻波《イヘシマハ》 奈尓許曾安里家禮《ナニコソアリケレ》
 宇奈波良乎《ウナハラヲ》 安我古非伎都流《アガコヒキツル》
 伊毛母安良奈久尓《イモモアラナクニ》
 
【譯】家島は、名だけであつた。海上をわたしが戀をして來た妻もないことだ。
【釋】奈尓許曾安里家禮 ナニコソアリケレ。家島というからは、妻もいるはずであるのに、それは名であつて、實物ではなかつた。
 安我古非伎都流 アガコヒキツル。連體形。
【評語】家島という名につけて歌つている。妻に戀いつつ來た心が切であつて、この歌を成している。單に言語上の遊戯とのみいえないものがある。
 
(139)3719 草枕 旅に久しく
 あらめやと、
 妹に言ひしを、
 年の經《へ》ぬらく。
 
 久左麻久良《クサマクラ》 多婢尓比左之久《タビニヒサシク》
 安良米也等《アラメヤト》
 伊毛尓伊比之乎《イモニイヒシヲ》
 等之能倍奴良久《トシノヘヌラク》
 
【譯】草の枕の旅には久しくはいないだろうと、妻に言つたのに、年が過ぎたことだ。
【釋】多婢尓比左之久安良米也等 タビニヒサシクアラメヤト。旅程の長くないことを豫期して出たことを述べている。
 等之能倍奴良久 トシノヘヌラク。年の經ぬること。既に翌年になつたことをいう。
【評語】豫期に反して久しくなつたことを歎いている。前には、月の經たことをしばしば歌つていたが、ここに至つて、遂に年ノ經ヌラクと歌わざるを得なくなつたのである。
 
3720 我妹子を 行きて早見む。
 淡路島 雲居に見えぬ。
 家づくらしも。
 
 和伎毛故乎《ワギモコヲ》 由伎弖波也美武《ユキテハヤミム》
 安波治之麻《アハヂシマ》 久毛爲尓見延奴《クモヰニミエヌ》
 伊敝都久良之母《イヘヅクラシモ》
 
【譯】わたしの妻を行つて早く見よう。淡路島がはるかの空に見えた。家が近づくらしい。
【釋】由伎弖波也美武 ユキテハヤミム。句切。
 久毛爲尓見延奴 クモヰニミエヌ。クモヰは、雲のいる遠方の空。句切。
 伊敝都久良之母 イヘヅクラシモ。イヘヅクは、家に浸るをいう。家が近づいて來たのである。
(140)【評語】淡路島も見えて來た。家郷の空がいよいよ近づいて來た、先をいそぐ氣もちが、躍動的に表現されている。
 
3721 ぬばたまの 夜明《よあか》しも船は
 こぎ行かな。
 御津《みつ》の濱松、
 待ち戀ひぬらむ。
 
 奴婆多麻能《ヌバタマノ》 欲安可之母布祢波《ヨアカシモフネハ》
 許藝由可奈《コギユカナ》
 美都能波麻末都《ミツノハママツ》
 麻知故非奴良武《マチコヒヌラム》
 
【譯】夜明しにも船は漕いで行こうよ。御津の濱邊の松が、待ち戀うているだろう。
【釋】奴婆多麻能 ヌバタマノ。枕詞。
 欲安可之母布祢波 ヨアカシモフネハ。ヨアカシは、夜明し、夜通し。ヨアカシモは、夜どおしにも。
 許藝由可奈 コギユカナ。願望の語法。句切。
 美都能波麻末都 ミツノハママツ。ミツは、難波の御津で、遣新羅使の一行の船出をした處。そこにふたたび船をつけようとしてこの句を成している。この句は、同時に、マツの音によつて、次の句の待チ戀ヒヌラムを引き起す序となつている。
 麻知故非奴良武 マチコヒヌラム。ヌは、完了の助動詞で、強意のために使用されている。濱松をなつかしく思う情が、濱松が待つているだろうという形で歌われている。
【評語】山上の憶良の「大伴の御津の濱松待ち戀ひぬらむ」(卷一、六三)の歌の四五句を使つている。憶良の歌は、遣唐使となつて行つた時の作で、多分有名な歌として知られていたであろう。この歌は、初三句に、先を急ぐ氣もちがよく窺われる。しかし初句の枕詞は、あまり働いていない。御津の濱松を、まぼろしに描いて(141)できている歌である。
 
3722 大伴の 御津《みつ》の泊《とまり》に
 船|泊《は》てて、
 龍田の山を 何時《いつ》か越え往《い》かむ。
 
 大伴乃《オホトモノ》 美津能等麻里尓《ミツノトマリニ》
 布祢波弖々《フネハテテ》
 多都多能山乎《タツタノヤマヲ》 伊都可故延伊加武《イツカコエイカム》
 
【譯】大伴の御津の船つきに船を碇泊して、龍田の山を、何時の日にか越えて行くのだろう。
【釋】大伴乃 オホトモノ。オホトモは地名だが、御津に冠しては、枕詞に類するはたらきをしている。樂浪の志賀などと同じ言い方で、慣用句として、地名の意識が段々うすくなつて行つているだろう。
 伊都可故延伊加武 イツカコエイカム。何時か越え行くことぞと、その時を待ちあぐむ心である。
【評語】故郷に近づいて、いよいよ先のいそがれる心である。遣新羅使の一行の歌は、ここに全く終るが、全體を通じて、妻を思う心が一貫しており、これをいろどるものに、風波の難や、一行の人の死などがある。一團の紀行歌集として、まとまつた作品というべきである。
 
中臣朝臣宅守、與2狹野弟上娘子1贈答歌
 
中臣の朝臣|宅守《やかもり》の、狹野《さの》の弟上《おとがみ》の娘子《をとめ》と贈り答ふる歌。
 
【釋】中臣朝臣宅守與狹野弟上娘子贈答歌 ナカトミノアソミヤカモリノサノノオトガミノヲトメトオクリコタフルウタ。目録には「中臣(ノ)朝臣宅守、娶(リシ)2藏部(ノ)女嬬狹野(ノ)弟上(ノ)娘子(ヲ)1之時、勅(シテ)斷(ジ)2流罪(ニ)1配(サエキ)2越前(ノ)國(ニ)1也。於v是《ココニ》夫婦相2嘆(キ)易(ク)v別(レ)難(キヲ)1v會(ヒ)、各陳(ベテ)2慟(ム)情(ヲ)1贈(リ)答(フル)歌六十三首」とあり、詳しくなつている。中臣の宅守は、續日本紀天平十二年六月庚午(十五日)の詔に「宜《ベシ》v大2赦(ス)天下(ニ)1」云々とあつて「其の流人穗積の朝臣老、多治比の眞人祖人、(142)名負、東人、久米の連若女等五人を召して入京せしむ。大原の采女、勝部の島女は、本郷に還す。小野の王、日奉の弟日女、石上の乙麻呂、牟禮の大野、中臣の宅守、飽海の古良比は、赦す限りにあらず」とある。この赦されない者のうち石上の乙麻呂は、十一年三月に土佐の國に流されているのでまだ間がないので赦されなかつたものとすれば、中臣の宅守も、十二年六月より一二年前のあいだに流されたのであろう。娘子の歌の中に、「歸りける人來れりと聞きしかば」(卷十五、三七七二)というのがあつて、これをもし天平十二年六月の大赦の命が下つてからあまり間もない頃の作とすれば、その前に、春のころ娘子から贈つた歌と、それに續いて夏の初めに宅守から贈つた歌とがあつて、これを同じく天平十二年の春夏の作とすれば、流されたのは天平十二年の春の頃だつたのだろう。初夏の贈歌の中に「月わたるまで」(三七五六)とあるもこれを證している。そうして宅守に「年の緒長く」の歌があつて、翌年に及ぶまで配所にいて、その後赦されて入京し、天平寶字七年正月には、從六位の上をもつて從五位の下を授けられている。狹野の弟上の娘子は、本集のほかには傳える所がない。弟上は、茅上とある本もあつて、いずれが是であるかをあきらかにしない。狹野も弟上も氏か、弟上は名か、それもあきらか(143)でない。狹野と書く地名は、播磨の國の揖保《いいぼ》の郡にあつて、それは風土記にも出ている地名である。藏部の女嬬は、中務省の藏部司の女官で、女嬬は、掃除などをつかさどる下級の女官である。六十三首のうち、宅守の作四十首、娘子の作二十三首である。
 
3723 あしひきの 山路越えむと
 する君を 心に持ちて、
 安けくもなし。
 
 安之比奇能《アシヒキノ》 夜麻治古延牟等《ヤマヂコエムト》
 須流君乎《スルキミヲ》 許々呂尓毛知弖《ココロニモチテ》
 夜須家久母奈之《ヤスケクモナシ》
 
【譯】横たわつている山の路を越えようとするあなたを、心に思つては、安らかなこともございません。
【釋】夜麻治古延牟等 ヤマヂコエムト。宅守が、越前の國に流されるので、山路を越えようとすると歌つている。ヤマヂは、山に向かう路。ここは山を越す路である。
 許々呂尓毛知弖 ココロニモチテ。心にいだいて。心に思つて。
 夜須家久母奈之 ヤスケクモナシ。ヤスケクは、安らかであることの意の名詞。
【評語】男の山を越えて行こうとするのに對して、娘心の不安が歌われている。すなおにできている歌で、よくその不安が描かれている。
 
3724 君が行く 道の長路《ながて》を
 繰《く》りたたね、
 燒きほろばさむ 天《あめ》の火もがも。
 
 君我由久《キミガユク》 道乃奈我弖乎《ミチノナガテヲ》
 久里多々祢《クリタタネ》
 也伎保呂煩散牟《ヤキホロボサム》 安米能火毛我母《アメノヒモガモ》
 
【譯】あなたの行く道の長い路を短く疊んで、燒き亡してしまう天の火が欲しいなあ。
(144)【釋】道乃奈我弖乎 ミチノナガテヲ。ナガテは、長く伸びた道。テは、ナハテ(繩手、畷)、ウミテ(海手)、ユクテ(行く手)、ヨコテ(横手)などのテと同じとすれば、ここから向こうへ伸びている存在の義であろう。これによれば、ナガテは、ここから先方へ長く伸びている存在の意となり、次の繰リタタネにいかにもよく接續する。
 久里多々祢 クリタタネ。繰り疊んで。疊ムは、普通、マ行四段の動詞として知られているが、「多々那豆久《タタナヅク》」(古事記三一)、「委、タタナハル」(類聚名義抄)等の語の存在によつて、古くはナ行にも活用していたと考えられる。
 也伎保呂煩散牟 ヤキホロボサム。連體形。
 安米能火毛我母 アメノヒモガモ。アメノヒは、天の火。神秘不思議の火。史記孝景本紀に「三年正月乙巳、天火|燔《ヤク》2※[各+隹]《ラク》陽(ノ)東宮(ノ)大殿(ノ)城室(ヲ)1」などある。
【評語】男の遠く行く長い道中を疊んで燒いてしまうような天の火が欲しいという思想が警拔で、(145)娘子の思いつめた氣もち、奇蹟を求める心がよく寫されている。
 
3725 わが夫子し けだし罷《まか》らば、
 白妙の 袖を振らさね。
 見つつ偲《しの》はむ。
 
 和我世故之《ワガセコシ》 氣太之麻可良婆《ケダシマカラバ》
 思漏多倍乃《シロタヘノ》 蘇※[人偏+弖]乎布良左祢《ソデヲフラサネ》
 見都追志努波牟《ミツツシノハム》
 
【譯】あなたが、もしお出でになるなら、白い織物の袖をお振りなさいませ。それを見て思つておりましよう。
【釋】氣太之麻可良婆 ケゲシマカラバ。ケダシは、もしや、恐らくはなどの意の副詞。ここは、もしの意に使つている。かような用例としては「所虚故《ソコユヱニ》 名具鮫兼天《《ナグサメカネテ》 氣田敷藻《ケダシクモ》 相屋常念而《アフヤトオモヒテ》(卷二、一九四)などある。マカラバは、京から退去するならば。
 思漏多倍乃 シロタヘノ。シロタヘは、白い織布で普通の著衣の材料である。
 蘇※[人偏+弖]乎布良左祢 ソデヲフラサネ。フラサネは、振ることを希望する語法。句切。
 見都追志努波牟 ミツツシノハム。シノハムは、思慕しよう。
【評語】遠ざかり行く人の振る袖を見て、せめて思慕しようとする心で、類想の多い歌である。「かへるみの道行かむ日はいつはたの坂に袖ふれ。あれをし思はば」(卷十八、四〇五五)など。ケダシ罷ラバは、まだほんとうに男の流されて行くのが信じられない氣もちをあらわしている。
 
3726 この頃は 戀ひつつもあらむ。
 玉匣《たまくしげ》 明けてをちより
 術《すべ》なかるべし。
 
 己能許呂波《コノゴロハ》 古非都追母安良牟《コヒツツモアラム》
 多麻久之氣《タマクシゲ》 安氣弖乎知欲利《アケテヲチヨリ》
 須辨奈可流倍思《スベナカルベシ》
 
(146)【譯】このごろは戀をしながらもおりましよう。しかし夜があけてから先は、何とも術《すべ》のないことでございましよう。
【釋】己能許呂波 コノゴロハ。コノゴロは、今日このごろの意で、現在をいう。
 多麻久之氣 タマクシゲ。枕詞。美しい櫛笥の義で、ふたをあけることから、明ケテに冠している。
 安氣弖乎知欲利 アケテヲチヨリ。アケテは、夜が明けて。ヲチは、彼方。夜が明けての彼方からで、明日以後。
 須辨奈可流倍思 スベナカルベシ。スベは、方途、手段。
【評語】別れて後のくらい心を豫想している。つらい別れを悲しんでいる姿が窺われる。
 
右四首、娘子臨v別作歌
 
右の四首は、娘子の別れなむとして作れる歌。
 
【釋】娘子臨別作歌 ヲトメノワカレナムトシテツクレルウタ。別れに臨んで贈つた歌である。逢うことはできなかつたのだろう。
 
3727 塵泥《ちりひぢ》の
 數にもあらぬ われゆゑに、
 思ひ侘《わ》ぶらむ 妹が悲しさ。
 
 知里比治能《チリヒヂノ》
 可受尓母安良奴《カズニモアラヌ》 和禮由惠尓《ワレユヱニ》
 於毛比和夫良牟《オモヒワブラム》 伊母我可奈思佐《イモガカナシサ》
 
【譯】塵や泥のような、物の數でもないわたしゆえに、思いわびているだろうあの子は、かわいそうだ。
【釋】知里比治能 チリヒヂノ。チリは塵埃、ヒヂは泥土。譬喩として擧げられている。
(147) 可受尓母安良奴 カズニモアラヌ。物の數でもない。
 於毛比和夫良牟 オモヒワブラム。思つて鬱々としているだろう。連體形。
 伊母我可奈思佐 イモガカナシサ。カナシサは、心が傷まれるとの意。妹に對して、感傷を感じるのである。
【評語】塵泥に譬えて、自身を卑下しているのは、漢文學の影響であろうが、それだけに實感を伴なわない。これほどに卑下していうのもいやみで、好ましくない。
 
3728 あをによし 奈良の大路は
 行きよけど、
 この山道《やまみち》は
 行き惡《あ》しかりけり。
 
 安乎尓與之《アヲニヨシ》 奈良能於保知波《ナラノオホヂハ》
 由吉余家杼《ユキヨケド》
 許能山道波《コノヤマミチハ》
 由伎安之可里家利《ユキアシカリケリ》
 
【譯】美しい奈良の京の大路は行きよいけれども、この山道は、行きにくかつた。
【釋】安乎尓與之 アヲニヨシ。枕詞。
 由吉余家杼 ユキヨケド。ヨケドは、形容詞ヨシの活用形ヨケに、助詞ドが接續して、よけれどもの意をなしている。
 許能山道波 コノヤマミチハ。今通行している山道をさしているが、何處の山道とも知られない。以下二首の歌と連作とすれば、越前へ越える山で、奈良から下る道の中では、一番の難所だろう。
 由伎安之可里家利 ユキアシカリケリ。ユキアシは、通行の困難であるをいう。
【評語】 コノ山道ハ行キアシカリケリという句の意は、實際に困難であるばかりでなく、妹を思う心で、一層足が進まないのである。奈良の大路と、越に下る山道との對比によつて構成されている。初句の枕詞も、この(148)場合、奈良の京を讃歎するために役立つている。
 
3729 愛《うるは》しと あが思《も》ふ妹を
 思ひつつ 行けばかもとな、
 行きあしかるらむ。
 
 宇流波之等《ウルハシト》 安我毛布伊毛乎《アガモフイモヲ》
 於毛比都追《オモヒツツ》 由氣婆可母等奈《ユケバカモトナ》
 由伎安思可流良武《ユキアシカルラム》
 
【譯】かわいいとわたしの思う妻を思いながら行くからか、たいへんに行きにくいのだろう。
【釋】宇流波之等 ウルハシト。ウルハシは、人もしくは物を稱美する意の形容詞で、假字書きのもののほかには、愛の字にこの訓を當てている。人においては、多くは女子についてこの語を使用しているが、男子にも使つている。「宇流波之吉《ウルハシキ》 伎美我手奈禮能《キミガタナレノ》 許等爾之安流倍志《コトニシアルベシ》」(卷五、八一一)の如きはこれである。類聚名義抄古訓大成によれば、類聚名義抄では、實に九十四種の多數の字に、ウルハシの訓がつけられている。今その中から普通に使用される文字の一部を拾つて見ると、衝、遲、旦、妍、奸、委、娥、?、好、妖、婉、偉、便、債、儼、端、微、徴、冶、熈、璋、淑、濡、艶、閑、才、藻、肅、蓮華、薫、廉、庸、飾、雄、雅、純、委蛇、文、斐、惑、鮮などである。これによつてこの語の指示する範圍がほぼ察知され、對象の美點を稱讃する意の語であることが知られる。
 由氣婆可母等奈 ユケバカモトナ。モトナは、ここでは、たいへんにの意の副詞。
【評語】前の歌を受けて、山道の行きにくい理由を推測して歌つている。この歌だけでは、獨立し得ない作である。
 
3730 畏《かしこ》みと 告《の》らずありしを、
(149) み越路の 手向《たむけ》に立ちて
 妹が名|告《の》りつ。
 
 加思故美等《カシコミト》 能良受安里思乎《ノラズアリシヲ》
 美故之治能《ミコシヂノ》 多武氣尓多知弖《タムケニタチテ》
 伊毛我名能里都《イモガナノリツ》
 
【譯】おそろしい事として告らずに來たものを、越の國に行く道の手向に立つて、妻の名を言つてしまつた。
【釋】加思故美等能良受安里思乎 カシコミトノラズアリシヲ。遠く離れている人の名を呼ぶと、その人の魂が遊離して呼び寄せられるとする信仰があつて、遠人の名を呼ぶことを恐れていた。ノラズは、妹が名を告らないで。
 美故之治能 ミコシヂノ。ミは美稱の接頭語。越の國に行く道の。
 多武氣尓多知弖 タムケニタチテ。タムケは、手向の祭をする場處。山を越える時には、山中然るべき一定の處に、手向を行う風習であつた。その場處は、山上でもあり、山腹でもある。大樹などがあつて、山靈を感じやすい處である。峠《とうげ》とは別語。「佐保過而《サホスギテ》 寧樂乃手祭爾《ナラノタムケニ》 置幣者《オクヌサハ》」(卷三、三〇〇)。ミ越路ノ手向は、近江の國から越前の國へ越える愛發山《あらちやま》である。
【評語】妹戀しさに堪えかねて、遂に忌むべきことをも敢えてするに至つた。信仰を背景とした心の動搖が歌われている。
 
右四首、中臣朝臣宅守上道作歌
 
右の四首は、中臣の朝臣|宅守《やかもり》の、上道《みちだち》して作れる歌。
 
【釋】上道作歌 ミチダチシテツクレルウタ。道程に上つて途中で詠んだ歌で、愛發山附近での作である。
 
(150)3731 思ふ故《ゑ》に 逢ふものならば、
 しましくも
 妹が目|離《か》れて あれ居《を》らめやも。
 
 於毛布惠尓《オモフヱニ》 安布毛能奈良婆《アフモノナラバ》
 之末思久毛《シマシクモ》
 伊母我目可禮弖《イモガメカレテ》 安禮乎良米也母《アレヲラメヤモ》
 
【譯】思うがゆえに逢うものであるならば、ちよつとのまも、妻の目から離れてわたしがいることはないだろう。
【釋】於毛布惠尓 オモフヱニ。オモフヱは、思フ故の約言とされている。フの中にユが吸收されているのであつて、ユヱをヱとのみも言つたのではないだろう。
 伊母我目可禮弖 イモガメカレテ。メは、面貌の代表的表現。カレテは離れて。
【評語】思つても逢うことのできない哀情を述べている。理くつの影のさしているのは、この作者の特性である。
 
3732 あかねさす 晝は物|思《も》ひ、
 ぬばたまの 夜はすがらに
 哭《ね》のみし泣かゆ。
 
 安可祢佐須《アカネサス》 比流波毛能母比《ヒルハモノモヒ》
 奴婆多麻乃《ヌバタマノ》 欲流波須我良尓《ヨルハスガラニ》
 祢能未之奈加由《ネノミシナカユ》
 
【譯】あかるい晝は、物を思い、くらい夜は、夜どおし泣かれることだ。
【釋】安可祢佐須 アカネサス。枕詞。日に冠するが、ここは轉じて、晝に冠している。
 奴婆多麻乃 ヌバタマノ。枕詞。
 欲流波須我良尓 ヨルハスガラニ。スガラは、夜に專屬して、終夜の意をなすが、その語義は不明である。
(151)【評語】晝と夜とを對比した形で、日夜妹を戀う由を述べている。晝は戀々として物を思い、夜は啼泣する配所の生活が、晝と夜とによつて説き分けている形であらわされている。二つの枕詞も、この場合、よい對比をなしている。
 
3733 吾妹子が 形見の衣《ころも》
 なかりせば、
 何物もてか、命繼がまし。
 
 和伎毛故我《ワギモコガ》 可多美能許呂母《カタミノコロモ》
 奈可里世婆《ナカリセバ》
 奈尓毛能母弖加《ナニモノモテカ》 伊能知都我麻之《イノチツガマシ》
 
【譯】わたしの妻の形見の著物がなかつたら、何物をもつて命を繼ぐことだろうか。
【釋】可多美能許呂母 カタミノコロモ。妻から贈つた記念の衣服。
 奈尓毛能母弖加 ナニモノモテカ。モテカは、以てか。モテは、モチテの約言と見られる。この語は、古くはモチとのみ言つたようで、その假字書きの例は多い。モテとあるのは、他に「可多於毛比遠《カタオモヒヲ》 宇萬爾布都麻爾《ウマニフツマニ》 於保世母天《オホセモテ》」(卷十八、四〇八一)の例がある。これは動詞モツの活用が變化したものでなく、モチテのチが、明瞭に發音されないで、促音の形に近づいたので、モテと表現したものであろう。但しモテアソブ、モテハヤスなどの熟語の成立も相當に古いようだから、モテと活用することも早くからあつたものか。
 伊能知都我麻之 イノチツガマシ。マシは、不可能希望の助動詞で、ここは、何物モテカ命繼グの全部を受けている。何物をもつてしても命が繼がれないの意である。
【評語】わずかに形見の衣によつて慰められている生活が描かれている。めめしい内容であるのは致し方がない。
 
(152)3734 遠き山 關も越え來《き》ぬ。
 今更に 逢ふべきよしの
 無きがさぶしさ。【一は云ふ、さびしさ。】
 
 等保伎山《トホキヤマ》 世伎毛故要伎奴《セキモコエキヌ》
 伊麻左良尓《イマサラニ》 安布倍伎與之能《アフベキヨシノ》
 奈伎我佐夫之佐《ナキガサブシサ》 一云、左必之佐
 
【譯】遠い山も關も越えて來た。今はもう逢うべき由のないのが悲しいことだ。
【釋】等保伎山 トホキヤマ。都からの遠い山。近江から越前に越える愛發《あらち》山などをさすのであろう。
 世伎毛故要伎奴 セキモコユキヌ。遠キ山と關とは、竝立の格になつている。セキは、一般人の通行を禁止するために、道路に置かれた關門。特に官の證明を持つたもののみが通行を許される。セキは、塞く義である。當時、東海道の鈴鹿、東山道の不破、北陸道の愛發を三關と稱した。ここは愛發の關で、これを越えたことを別の世界に來た感じで歌つている。句切。
 伊麻左良尓 イマサラニ。今また殊に。今になつて特に。
 奈伎我佐夫之佐 ナキガサブシサ。サブシは、樂しからざる意の形容。
 一云左必之佐 アルハイフ、サビシサ。本文のサブシサの別傳と見られるが、本集中サビシは他に用例がなく、本集の傳來の間に生じた書き入れであるかも知れない。
【評語】遠境に來たことがしみじみと感じられる。その絶對のさびしさが、この歌をなしている。五句は、概念的な言い方で、そこまで明白にしては、言い過ぎになつて、歌がうすくなる。
 
3735 思はずも 實《まこと》あり得《え》むや。
 さ寐《ぬ》る夜の 夢《いめ》にも妹が
(153) 見えざらなくに。
 
 於毛波受母《オモハズモ》 麻許等安里衣牟也《マコトアリエムヤ》
 左奴流欲能《サヌルヨノ》 伊米尓毛伊母我《イメニモイモガ》
 美延射良奈久尓《ミエザラナクニ》
 
【譯】思わないでは、實際あり得られようや。寐た夜の夢にも、妻が見えなくはないのだ。
【釋】麻許等安里衣牟也 マコトアリエムヤ。マコトは、誠に、事實、實際の意の副詞。思ハズアリ得ムヤと續く語脈で、それをマコトで強調している。ヤは、疑問の助詞で、反語になるが、助動詞ムに接續する場合には、通例メを受けている。しかるにかようにムを受けている明瞭な例は、他になく、わずかに「年緒長《トシヲナガク》 憑過武也《タノミスギムヤ》」(卷九、一七七四)の如きがあるが、この例は、訓義になお問題があつて、確實な例證とはしがたい。よつてこれがムヤの唯一の例ということになる。
 美延射良奈久尓 ミエザラナクニ。打消が二つあつて、見えたことを強調する意になる。
【評語】妹を思わずにはいられないことを歌つているが、夢に見たことを根據としているので、理くつくさくなつて、感情的でない。
 
3736 遠くあれば
 一日一夜も
 思はずて あるらむものと、
 思ほしめすな。
 
 等保久安禮婆《トホクアレバ》
 一日一夜毛《ヒトヒヒトヨモ》
 於母波受弖《オモハズテ》 安流良牟母能等《アルラムモノト》
 於毛保之賣須奈《オモホシメスナ》
 
【譯】遠いのだから、一日一夜も思わないであるだろうものと、お思いなさいますな。
【釋】等保久安禮婆 トホクアレバ。以下、アルラムモノまでを、トが受けている。自分がかように遠方にいるので。
(154) 一日一夜毛 ヒトヒヒトヨモ。一日もしくは一夜も。
 於母波受弖安流良牟母能等 オモハズテアルラムモノト。思わないであるだろうものをと。アルラムモノまで、次の思ホシメスナの内容である。
 於毛保之賣須奈 オモホシメスナ。娘子に對して、お思いなさるなと言つている。
【評語】五句に敬語を使用しているのは、かえつてよそよそしい。内容もぐちつぽく、めそめそしている。
 
3737 他人《ひと》よりは 妹ぞも惡《あ》しき。
 戀もなく あらましものを、
 思はしめつつ。
 
 比等余里波《ヒトヨリハ》 伊毛曾母安之伎《イモゾモアシキ》
 故非毛奈久《コヒモナク》 安良末思毛能乎《アラマシモノヲ》
 於毛波之米都追《オモハシメツツ》
 
【譯】外の人よりは、あなたが惡いんだ。戀もなくいたろうものを、物を思わせている。
【釋】比等余里波伊毛曾母安之伎 ヒトヨリハイモゾモアシキ。ヒトは他の人。ゾは係助詞。モは感動。句切。
【評語】戀に苦しむのを、相手のせいとしている。内容も表現も、男らしくなく、この人の性格が窺われる。藏部の女嬬に通じて流されるくらいの人だから、この邊が身上なのだろう。
 
3738 思ひつつ 寐《ぬ》ればかもとな、
 ぬばたまの 一夜も闕《お》ちず
 夢《いめ》にし見ゆる。
 
 於毛比都追《オモヒツツ》 奴禮婆可毛等奈《ヌレバカモトナ》
 奴婆多麻能《ヌバタマノ》 比等欲毛意知受《ヒトヨモオチズ》
 伊米尓之見由流《イメニシミユル》
 
【譯】思いながら寐るゆえか、由なくも、一夜も缺かさずに夢に見える。
【釋】奴禮婆可毛等奈 ヌレバカモトナ。ヌレバカは、疑問條件法で、五句でこれを受けて見ユルと結んでい(155)る。このモトナは、せつに、ほんとにの意の用法。ここは、よしなくの感情ではない。
【評語】既出の「吾妹子がいかに思へかぬばたまの一夜もおちず夢にし見ゆる」(卷十五、三六四七)と似ており、その歌に吾妹子ガとあるのを、自分の上に移しただけの相違である。平凡な歌といえよう。
 
3739 かくばかり 戀ひむとかねて
 知らませば、
 妹をば見ずぞ あるべくありける。
 
 可久婆可里《カクバカリ》 古非牟等可祢弖《コヒムトカネテ》
 之良末世婆《シラマセバ》
 伊毛乎婆美受曾《イモヲバミズゾ》 安流倍久安里家留《アルベクアリケル》
 
【譯】これほどに戀をしようと前から知つていたなら、あなたを見ないでいるべきだつた。
【釋】之良末世婆 シラマセバ。マセは、助動詞マシの未然形。
【評語】單なるぐちに過ぎない。それをただ短歌の形につらねたまでである。
 
3740 天地の 神なきものに
 あらばこそ
 あが思《も》ふ妹に 逢はず死《しに》せめ。
 
 安米都知能《アメツチノ》 可未奈伎毛能尓《カミナキモノニ》
 安良婆許曾《アラバコソ》
 安我毛布伊毛尓《アガモフイモニ》 安波受思仁世米《アハズシニセメ》
 
【譯】天地の神がないものなら、わたしの思うあなたに逢わないで死ぬだろう。
【釋】安波受思仁世米 アハズシニセメ。セメは、サ行變格の動詞|爲《す》に、助動詞ムの接續した形。上のコソを受けて已然形で結んでいる。
【評語】これは、天地の神の存在を信じている。前の歌にくらべて、この方は、希望を失つていないところに特色があり、全然消極的でない點を採るべきだろう。しかし笠の女郎の「天地之《アメツチノ》 神理《カミノコトワリ》 無者社《ナクバコソ》 吾念君爾《ワガオモフキミニ》 (156)不v相死爲目《アハズシニセメ》」(卷四、六〇五)という類歌があり、それとの先後は知りがたいが、多分かような歌が、流傳していて、兩者ともこれによつているのだろう。
 
3741 命をし 全《また》くしあらば、
 あり衣《ぎぬ》の ありて後にも
 逢はざらめやも。【一は云ふ、ありての後も。】
 
 伊能知乎之《イノチヲシ》 麻多久之安良婆《マタクシアラバ》
 安里伎奴能《アリギヌノ》 安里弖能知尓毛《アリテノチニモ》
 安波射良米也母《アハザラメヤモ》  一云、安里弖能乃知毛
 
【譯】命が無事であつたら、あり衣のように、世にありて後にも逢わないことはないだろう。
【釋】伊能知乎之 イノチヲシ。ヲは、感動の助詞、シは、強意の助詞。かようなヲシの用例には「命乎之《イノチヲシ》 麻勢久可願《マサキクモガモ》」(卷九、一七七九)があるが、これは訓法が確定されていない。その他では「阿遲可遠志《アチカヲシ》 智可能岫欲利《チカノサキヨリ》」(卷五、八九四)のヲシがそれであろう。命よと呼びかけた語法である。
 麻多久之安良婆 マタクシアラバ。マタクは全く、正倉院文書に、全麻呂という人名を麻多麻呂とも書いている。シは、強意の助詞。
 安里伎奴能 アリギヌノ。アリギヌは、そこにある衣服で、同音をもつて、次のアリに冠している。
 一云安里弖能乃知毛 アルハイフ、アリテノノチモ。本文の歌の第四句の別傳であるが、作者の一案かどうかわからない。この一連の歌は、多分中臣の宅守の手によつて書き殘されたものだろうから、かような別案をも存したものか。
【評語】これも將來かけて希望を繋いでいる。多少修辭に用意のほどが見えるが、多分慣用句を使用しているのだろう。四五句は「玉緒乎《タマノヲヲ》 沫緒二搓而《アワヲニヨリテ》 結有者《ムスベレバ》 在手後二毛《アリテノチニモ》 不v相在目八方《アハザラメヤモ》」(卷四、七六三)に同じである。
 
(157)3742 逢はむ日を その日と知らず、
 常闇《とこやみ》に
 いづれの日まで 吾《あれ》戀ひ居《を》らむ。
 
 安波牟日乎《アハムヒヲ》 其日等之良受《ソノヒトシラズ》
 等許也未尓《トコヤミニ》
 伊豆禮能日麻弖《イヅレノヒマデ》 安禮古非乎良牟《アレコヒヲラム》
 
【譯】逢う日を、どの日とも知らずに、永い闇に、いつの日までわたしは戀をしていよう。
【釋】其日等之良受 ソノヒトシラズ。何月何日というその日とも知らずに。
 等許也未尓 トコヤミニ。永久の闇に。前途の希望を失つて。
【評語】常闇のような特殊の語が使用されたのは、とりえである。修辭に苦勞したらもつと緊張した歌ができたろうに、弛緩しているのは惜しいことだ。ソノ日ト知ラズ、イヅレノ日マデの句などに、むだな語の用法が感じられるのである。
 
3743 旅といへば 言《こと》にぞ易《やす》き。
 すくなくも
 妹に戀ひつつ 術《すべ》なけなくに。
 
 多婢等伊倍婆《タビトイヘバ》 許等尓曾夜須伎《コトニゾヤスキ》
 須久奈久毛《スクナクモ》
 伊母尓戀都々《イモニコヒツツ》 須敝奈家奈久尓《スベナケナクニ》
 
【譯】旅といえば、言葉ではたやすいことだ。あなたに戀をして、何ともしかたのないことだ。
【釋】多婢等伊倍婆許等尓曾夜須伎 タビトイヘバコトニゾヤスキ。旅という言葉を使うのは容易だが、旅は、そんなたやすいものではない。句切。
 須久奈久毛 スクナクモ。少クモの意だが、これで決してない意の、強い否定になる。この句で、下の句の内容を否定する。「少雲《スクナクモ》 吾松原《ワガノマヅバラ》 清在莫國《キヨカラナクニ》」(卷十、二一九八)參照。
(158) 須敝奈家奈久尓 スベナケナクニ。ナケナクニは、形容詞無シのケ消用にナクニの接績した形。術無きにあらず、方法手段があるの意だが、上の、スクナクモの句によつてそれが否定されて、術が無いの意になる。
【評語】何とも致し方のない情が歌われている。特殊の副詞スクナクモを使う形式の句は、慣用されているであろうが、これは打消を多く重ねて變わつた形になつている。
 
3744 我妹子に 戀ふるに吾《あれ》は、
 たまきはる 短き命も
 愛《を》しけくもなし。
 
 和伎毛故尓《ワギモコニ》 古布流尓安禮波《コフルニアレハ》
 多麻吉波流《タマキハル》 美自可伎伊能知毛《ミジカキイノチモ》
 乎之家久母奈思《ヲシケクモナシ》
 
【譯】あなたに戀うので、わたしは、この短い命も大切なことはありません。
【釋】多麻吉波流 タマキハル。枕詞。魂の極まるの義かという。命に冠する。
 美自可伎伊能知毛 ミジカキイノチモ。人の一生を短命とする佛教思想があらわれているのだろう。
【評語】枕詞タマキハルの使い方が、短キを隔てていて無理な氣もするが、同時にこれによつて類型的な感じを免れている。この短い一生を、戀のために費すのは、惜しくもないという、ちよつと變わつた趣向であるが、やはり修辭が伴なわない。
 
右十四首、中臣朝臣宅守
 
3745 命あらば 逢ふこともあらむ。
 わがゆゑに はだな思ひそ。
 命だに經《へ》ば。
 
 伊能知安良婆《イノチアラバ》 安布許登母安良牟《アフコトモアラム》
 和我由惠尓《ワガユヱニ》 波太奈於毛比曾《ハダナオモヒソ》
 伊能知多尓敝波《イノチダニヘバ》
 
(159)【譯】命があつたら逢うこともありましよう。わたくしゆえに、たいへんに思つてくださいますな。命だけでもありましたら。
【釋】波太奈於毛比會 ハダナオモヒソ。假字としては、清濁は通じて使われているが、濁音の場合に、清音の字を使用することは多く、清音の場合に、濁音の字を使用することは稀である。これは、略體假字でも、濁音をあらわす假字が發達しなかつたと同じく、濁音の場合でも、清音の字が慣用されていたからである。そこで太のような濁音の字が使用されている場合には、これを清音に當てたと見るより、やはり濁音のままに考えるのが順當である。しかもこの一例のみならず、他にも使用例があるのである。「保登等藝須《ホトトギス》 伎奈伎等余米婆《キナキトヨメバ》 波太古非米夜母《ハダコヒメヤモ》」(卷十八、四〇五一)の波太もこれに同じで、これはハナハダのハダであろう。ダは副詞を構成すること多く、イマダ、ココダ、タダなどとなつている。ハダは、はなはだ、非常にの意であろう。
 伊能知多尓敝波 イノチダニヘバ。ヘバは、經バ、あり經なば。
【評語】命があつたらまた逢う機會もあるだろうと慰めている。命を繰り返して意を強くしているのが手段だ。直接に前の歌に對して答えているらしい。
 
3746 人の植《う》うる 田は植ゑまさず。
 今更に
 國別れして 吾《あれ》はいかにせむ。
 
 比等能宇々流《ヒトノウウル》 田者宇惠麻佐受《タハウヱマサズ》
 伊麻佐良尓《イマサラニ》
 久尓和可禮之弖《クニワカレシテ》 安禮波伊可尓勢武《アレハイカニセム》
 
【譯】人の植える田は、お植えにならないで、今更に國が別になつて、わたくしはどうしましよう。
【釋】比等能宇々流田者宇惠麻佐受 ヒトノウウルタウヱハマサズ。人は皆それぞれに田を植えて耕作をする。しかるにあなたはそういう人皆の事をなさらないでの意。宅守と娘子とのあいだは、正常の夫婦關係ではない(160)のだから生活に持ち込んで解釋しては違う。どこまでも譬喩的な言い方である。
 久尓和可禮之弖 クニワカレシテ。クニワカレは、住む國が別れて、別の國にいるようになつて。
【評語】人竝のことをしないでの意の譬喩が奇警である。四五句も、途方に暮れて困つている有樣がよく描かれている。
 
3747 わが宿の 松の葉見つつ
 吾《あれ》待たむ。
 早帰りませ。
 戀ひ死なぬとに。
 
 和我屋度能《ワガヤドノ》 麻都能葉見都々《マツノハミツツ》
 安禮麻多無《アレマタム》
 波夜可反里麻世《ハヤカヘリマセ》
 古非之奈奴刀尓《コヒシナヌトニ》
 
【譯】わたくしの家の松の葉を見ながら、わたくしは待つておりましよう。早く歸つていらつしやい。戀い死をしないうちに。
【釋】和我屋度能 ワガヤドノ。ヤドは、屋戸。ここは家のうちから屋前をさしていう。
 麻都能葉見都々 マツノハミツツ。マツノハは、松の葉に、同音の上から待つ意を感じている。
 古非之奈奴刀尓 コヒシナヌトニ。トは時、内の意。「夜之不v深刀爾《ヨノフケヌトニ》」(卷十、一八二二)。自分が戀い死をしないうちに。
【評語】松に待ツを懸けた歌は多いが、特に、松ノ葉といつたのが特色である。四五句は、平凡な言い方だが、思う所を率直に述べている。
 
3748 他國《ひとくに》は 住みあしとぞいふ。
(161) すむやけく はや歸りませ。
 戀ひ死なぬとに。
 
 比等久尓波《ヒトクニハ》 須美安之等曾伊布《スミアシトゾイフ》
 須牟也氣久《スムヤケク》 波也可反里萬世《ハヤカヘリマセ》
 古非之奈奴刀尓《コヒシナヌトニ》
 
【譯】人の國は住みにくいそうです。すみやかに早く歸つていらつしやい。戀い死をしないうちに。
【釋】比等久尓波 ヒトクニハ。ヒトクニは、他國。他人の住んでいる國。
 須美安之等曾伊布 スミアシトゾイフ。スミアシは、住みにくい意。トゾイフは、人に聞いた趣。句切。
 須牟也氣久 スムヤケク。スミヤカを形容詞にした形。速ニに同じ、スムヤケシの語は、新撰字鏡に見える。
【評語】四五句は、前の歌と同じで、連作ふうになつている。この歌の二句は、女らしい氣分が出ている。住ミアシとスムヤケクとに、同音を重ねた技巧が見られる。
 
3749 他國《ひとくに》に 君をいませて、
 何時《いつ》までか、
 吾《あ》が戀ひ居《を》らむ 時の知らなく。
 
 比等久尓々《ヒトクニニ》 伎美乎伊麻勢弖《キミヲイマセテ》
 伊都麻弖可《イツマデカ》
 安我故非乎良牟《アガコヒヲラム》 等伎乃之良奈久《トキノシラナク》
 
【譯】人の國にあなたをいさせて、何時までとてか、わたくしの戀をしておりませう時を存じません。
【釋】伎美乎伊麻勢弖 キミヲイマセテ。イマセテは、あらしめて。助詞テを受けているのであるから、行かしめてではない。
 伊都麻弖可 イツマデカ。わが戀いおるべき時は、いつまでかの意に、修飾する。
 安我故非乎良牟 アガコヒヲラム。三句のカを受けている連體形。切つては、五句が意をなさない。
(162) 等伎乃之良奈久 トキノシラナク。トキは、上の何時マデカを受けている。
【評語】これも他國に想を寄せている。三句以下、混雜を感じさせる表現である。
 
3750 天地の 至極《そこひ》のうらに、
 あが如く 君に戀ふらむ
 人はさねあらじ。
 
 安米都知乃《アメツチノ》 曾許比能宇良尓《ソコヒノウラニ》
 安我其等久《アガゴトク》 伎美尓故布良牟《キミニコフラム》
 比等波左祢安良自《ヒトハサネアラジ》
 
【譯】天地のはてのうちに、わたくしのように、あなたに戀うているでしよう人は、眞實、ございますまい。
【釋】曾許比能宇良尓 ソコヒノウラニ。ソコヒは、底ヒ。動詞底フの名詞形。最奧部の意で、はて、極限をいう。ウラは、内、中。天地の果までも。
 伎美尓故布良牟 キミニコフラム。キミは、宅守をさすが、下の人については、一般の人をさしている。連體形。
 比等波左祢安良自 ヒトハサネアラジ。サネは、眞實、誠にの意の副詞。
【評語】自分のように思つている人はあるまいの意を、語を強くして言つている。初二句、五句など、強さを感じさせる表現だ。
 
3751 白栲の 吾《あ》が下衣《したごろも》、
 失はず 持てれ、わが夫子《せこ》、
 ただに逢ふまでに。
 
 之呂多倍能《シロタヘノ》 安我之多其呂母《アガシタゴロモ》
 宇思奈波受《ウシナハズ》 毛弖禮和我世故《モテレワガセコ》
 多太尓安布麻弖尓《タダニアフマデニ》
 
【譯】白い織物のわたくしの下著を、なくさないで持つていらつしやい、あなた。じかに逢うまでは。
(163)【釋】之呂多倍能 シロタヘノ。實際に、染色しない織物であることを説明している。
 毛弖禮和我世故 モテレワガセコ。モテレは、持テリの命令形。
【評語】下著を贈るにつけての歌である。肌につけた衣服に心をこめて、再會を期している。失わないで持つていよというあたり、指導的な物言いが見えておもしろい。
 
3752 春の日の うらがなしきに、
 おくれゐて 君に戀ひつつ
 うつしけめやも。
 
 波流乃日能《ハルノヒノ》 宇良我奈之伎尓《ウラガナシキニ》
 於久禮爲弖《オクレヰテ》 君尓古非都々《キミニコヒツツ》
 宇都之家米也母《ウツシケメヤモ》
 
【譯】春の日の心悲しいのに、あとに殘つていて、あなたに戀うので、たしかな氣もちではいられません。
【釋】波流乃日能宇良我奈之伎尓 ハルノヒノウラガナシキニ。春の日の、感傷的であるのに。哀愁を感じさせるのに。
 於久禮爲弖 オクレヰテ。あとに殘つていて。
 宇都之家米也母 ウツシケメヤモ。ウツシケまで形容詞。メは助動詞。ヤモは反語の助詞。ウツシは、現實にある意の形容。まさしくもある。心がしつかり目ざめている意。ここはそうでないので、眞の心もなくなつているのである。「君爾後而《キミニオクレテ》 打四鷄目八方《ウツシケメヤモ》」(卷十二、三二一〇)。
【評語】春の憂愁を誘う季節を背景にして、よく戀の情を述べている。慣用句を使つてはいるが、纏まつていて、趣の深い歌を成している。
 
3753 逢はむ日の 形見にせよと、
(164) 手弱女《たわやめ》の、
 思ひ亂れて 縫へる衣《ころも》ぞ。
 
 安波牟日能《アハムヒノ》 可多美尓世與等《カタミニセヨト》
 多和也女能《タワヤメノ》
 於毛比美太禮弖《オモヒミダレテ》 奴敝流許呂母曾《ヌヘルコロモゾ》
 
【譯】逢うべき日の記念になさいと、女ながら、思い亂れて縫つた著物ですよ。
【釋】安波牟日能可多美尓世與等 アハムヒノカタミニセヨト。逢う日には、これをかの流寓の日の記念として見よと。將來の日のよい記念にとである。
 多和也女能 タワヤメノ。タワヤメは、かよわい女の意。作者自身の説明である。
【評語】宅守のもとに、特に心をこめて縫つた衣服を贈るにつけて詠んだ歌である。三四句の衣服の説明が具體的で、切實である。前の歌に見えた下著とは別で、下著は、別れに臨んで贈つたのであろう。
 
右九首、娘子
 
3754 過所《わそ》無しに 關飛び越ゆる
 ほととぎす
 まねくわが子にも 止《や》まず通はむ。
 
 過所奈之尓《ワソナシニ》 世伎等婢古由流《セキトビコユル》
 保等登藝須《ホトトギス》
 多我子尓毛《マネクワガコニモ》 夜麻受可欲波牟《ヤマズカヨハム》
 
【譯】關所手形なしに關を飛び越えるホトトギスは、たびたびわたしの思う人のもとに、絶えず通うだろう。
【釋】過所奈之尓 ワソナシニ。火ソナシニ(類)、ヒマナシニ(西)、フミナシニ(童)、フダナシニ(古義)。過所は、關所通行の證明。法律語である。萬葉代匠記に「今按、サレド此卷ハヤスラカニ書タル例ナレバ、ヒマナラバカクハ書ベカラズ。三代實録第十二云、譴2責(シテ)豐前長門(ノ)國司等(ヲ)1曰(ハク)、關司(ノ)出入、理用(ヰル)2過所(ヲ)1。而今唐人(ノ)(165)入(ル)v京(ニ)、任(ニ)v意(フ)經過(ス)。是(ノ)國宰不v愼(マ)2督察(ヲ)1、關司不(ル)v責(メ)2過所(ヲ)1之所v致(ス)也。自(リ)v今以後、若(シ)有(ラバ)2驚忽1、必(ラズ)處(セン)2嚴科(ニ)1。又云(ハク)、唐人(ノ)任中元、非(ズ)v有(ルニ)2過所1、輙(チ)入(ル)2京城(ニ)1、令(ム)d加(ヘテ)2譴詰(ヲ)1還(ラ)c太宰府(ニ)u。重(ネテ)下2知(シ)長門太宰府(ニ)1、嚴(ニス)2關門之禁(ヲ)1焉。又第十七(ニ)云(ハク)、比年之間、公私雜人、或(イハ)陸或(イハ)海、來集深(ク)入(リ)、遠(ク)尋(ネテ)營2求(ム)善馬(ヲ)1、及(ビテ)2其(ノ)歸向(ニ)1、多(キ)者二三十、少(キ)者八九疋、惣(ベテ)計(ル)2過所年出關之類(ヲ)1、凡(ソ)千餘疋云々、適所ハ關ヲ通ル證文ナルベシ。此ニ依ラバクワソナシニト音ニヨム歌歟」とある。なお關市令にも「凡欲v度v關者、皆經(テ)2本部本司(ヲ)1請(ヘ)2過所(ヲ)1」と見えている。訓は類聚古集には「火そ」とあるは、クワソである。但し日本書紀神武天皇の卷に八咫烏の鳴聲の「怡奘過《イザワ》」に註して「過、吾|倭《ワ》」とあり、これは過の古音を註したものであつて、古くはワソであつたろう。
 世伎等婢古由流 セキトビコユル。セキは、ここでは愛發《あらち》の關をいう。
 多我子尓毛 マネクワガコニモ。
  アマタガコニモ(西)
  タガコナニカモ(童)
(166)  マネクワガコニモ(新訓)
  ――――――――――
  和我子爾毛可母《ワガミニモカモ》(考)
  和我未爾毛可毛《ワガミニモカモ》(略、眞淵)
 このままでは、マネクワガコニモ、アマタワガコニモ、アマタガコニモなどの訓が考えられる。内容からいえば、わが愛人のもとにだろうが。愛人をワガコという例はない。アマタガコニモとすれば、ホトトギスの愛人があちらこちらにいる義とされる。
【評語】過所なしに關を飛び越えるホトトギスを羨んだのは、關所が絶對のものとされていた時代を語つている。鳥であつたらという類の歌の中で特色のある歌である。四句が難解なのは遺憾であるが、致し方がない。
 
3755 うるはしと あが思《も》ふ妹を、
 山川を 中《なか》に隔《へな》りて、
 安けくもなし。 
 
 宇流波之等《ウルハシト》 安我毛布伊毛乎《アガモフイモヲ》
 山川乎《ヤマカハヲ》 奈可尓敝奈里弖《ナカニヘナリテ》
 夜須家久毛奈之《ヤスケクモナシ》
 
【譯】かわいいとわたしの思うあなたを、山川を中に隔てて、安らかなここちもありません。
【釋】宇流波之等安我毛布伊毛乎 ウルハシトアガモフイモヲ。三七二九に同じ句が使われている。イモヲは、妹なのにの意。
 奈可尓敝奈里弖 ナカニヘナリテ。ヘナリテは、隔成りての意で、隔てて。
【評語】愛人と遠く隔たつている不安を詠んでいるが、平敍的で、感情が表出されていない。慣用句を綴り合わせたような歌だ。
 
3756 向ひゐて
 一日も闕《お》ちず 見しかども
(167) 厭はぬ妹を
 月わたるまで。
 
 牟可比爲弖《ムカヒヰテ》
 一日毛於知受《ヒトヒモオチズ》 見之可杼母《ミシカドモ》
 伊等波奴伊毛乎《イトハヌイモヲ》
 都奇和多流麻弖《ツキワタルマデ》
 
【譯】向きあつていて一日もかかずに見たけれども厭きないあなたを、月が經過するまでも。
【釋】牟可比爲弖 ムカヒヰテ。對していて。以下イトハヌまで、妹の修飾句で、妹を説明している。
 都吉和多流麻弖 ツキワタルマデ。ツキは、暦月。ワタルマデは、その經過するまで。この句の下に、逢ハズの意の語を省略している。
【評語】妹と別れて、幾月か經過した頃の作である。この一連の中に、ホトトギスの歌があるによつてこれを四五月の頃とすれば、三月の頃に別れたのだろう。毎日逢つていたというのは、同棲していたのかも知れない。歌は、句末に省略があつて、この場合、言い足らない感じである。
 
3757 あが身こそ、
 關山越えて 此處《ここ》に在らめ。
 心は妹に 寄りにしものを。
 
 安我未許曾《アガミコソ》
 世伎夜麻故要弖《セキヤマコエテ》 許己尓安良米《ココニアラメ》
 許己呂波伊毛尓《ココロハイモニ》 與里尓之母能乎《ヨリニシモノヲ》
 
【譯】わたしの身こそ、關や山を越えてここにあるだろうが、心はあなたに寄つてしまつたのだ。
【釋】安我未許曾 アガミコソ。ミは、身體、心に對して肉體をいう。
 世伎夜麻故要弖 セキヤマコエテ。セキヤマは、關のある山とも、關と山とも取れる。他の作に、關や山と竝べているものがあるから、關と山との意に取るがよかろう。
 許己尓安良米 ココニアラメ。コソを受けて結んで、前提をなしている。
(168) 與里尓之母能乎 ヨリニシモノヲ。妹のもとに寄りついてしまつたものだよの意。ヲは感動。「紫之《ムラサキノ》 名高乃浦之《ナダカノウラノ》 靡藻之《ナビキモノ》 情者妹爾《ココロハイモニ》 因西鬼乎《ヨリニシモノヲ》」(卷十二、二七八〇)の四五句と同じであるが、十二のは、心が妹に靡いた、慕い寄つたの意で、この歌の用法とは違う。ここでは、心が身を離れて妹のもとに赴いた意である。
【評語】身と心とを對照している。もつと感情中心に歌える材料なのだが、説明に流れて熱が足りない。
 
3758 さす竹《だけ》の 大宮人は
 今もかも
 人なぶりのみ 好みたるらむ。
 【一は云ふ、今さへや。】
 
 佐須太氣能《サスダケノ》 大宮人者《オホミヤビトハ》
 伊麻毛可母《イマモカモ》
 比等奈夫理能未《ヒトナブリノミ》 許能美多流良武《コノミタルラム》 一云、伊麻左倍也
 
【譯】竹をさす大宮の人は、今ごろは、人をなぶることばかり好んでいるのだろう。
【釋】佐須太氣能 サスダケノ。枕詞。多分、刺ス竹ノで、大宮に懸かるが、懸かるわけは不明。
 伊麻毛可母 イマモカモ。作者の大宮づとめをしていた頃に對して、現在を強調している。カモは、疑問の係助詞。
 比等奈夫理能未 ヒトナブリノミ。ヒトナブリは、人を困らせもてあそぶこと。靈異記に嬲にナブルの訓がある。ノミは、それをのみ事とする意。
 許能美多流良武 コノミタルラム。三句のカモを受けて結んでいる。推量の語法。
【評語】自分のいる時もなぶられたが、今もやはり娘子はなぶられているだろうと氣の毒に思つている。大宮人の生活をよく描いている作。男らしさはないが、眞劔な自分たちの戀を、人に弄ばれているに堪えない氣もちはある。どうしようもない悲痛な境遇である。歌は、さほどに沈痛ではなく、同情の程度に止まつている。
 
(169)3759 たちかへり 泣けどもあれは、
 しるし無《な》み
 思ひ侘《わ》ぶれて 寐《ぬ》る夜しぞ多き。
 
 多知可敝里《タチカヘリ》 奈氣杼毛安禮波《ナケドモアレハ》
 之流思奈美《シルシナミ》
 於毛比和夫禮弖《オモヒワブレテ》 奴流欲之曾於保伎《ヌルヨシゾオホキ》
 
【譯】繰り返し泣いても、わたしはかいがないので、思いわびられて寐る夜が多い。
【釋】多知可敝里 タチカヘリ。立ち歸り、あとに戻つてで、繰り返しての意になる。
 於毛比和夫禮弖 オモヒワブレテ。思い惱んで。ワブは普通上二段であるが、これはワブレが連用形になつているから、ワブレ、ワブル、ワブルル、ワブルレというように下二段に活用したものと見える。その意は被役になるのだろう。思い惱まれて。
 奴流欲之曾於保伎 ヌルヨシゾオホキ。ヌルは、横たわるので、眠るではない。思いわびて横たわる意。
【評語】佗ブレテの如き語は珍しいが、口語かも知れない。立チ返リ泣クという云い方も特色がある。全體としては、つまらぬ歌で、かような特殊の表現でもつているだけである。
 
3760 さ寐《ぬ》る夜は 多くあれども、
 物|思《も》はず 安く寐《ぬ》る夜は、
 實《さね》なきものを。
 
 左奴流欲波《サヌルヨハ》 於保久安禮杼母《オホクアレドモ》
 毛能毛波受《モノモハズ》 夜須久奴流欲波《ヤスクヌルヨハ》
 佐祢奈伎母能乎《サネナキモノヲ》
 
【譯】寐る夜はたくさんあるけれども、物を思わないで、安らかに寐る夜は、實際ないものだ。
【釋】左奴流欲波 サヌルヨハ。サは接頭語。
 佐祢奈伎母能乎 サネナキモノヲ。サネは、眞實、實際の意の副詞。モノヲは、ものよ。
(170)【評語】サ寐ルと、實《さね》とに、同音の技巧を用いているのだろう。初二句の表現など、だれている。全面的に感激がない。同音の技巧を弄しただけの歌である。
 
3761 世の中の 常の道理《ことわり》、
 かくさまに なり來《き》にけらし。
 すゑし種子《たね》から。
 
 與能奈可能《ヨノナカノ》 都年能己等和利《ツネノコトワリ》
 可久左麻尓《カクサマニ》 奈里伎尓家良之《ナリキニケラシ》
 須惠之多祢可良《スヱシタネカラ》
 
【譯】世間の一般の道理で、こんなふうになつて來たのだろう。まいた種子から。
【釋】與能奈可能都年能己等和利 ヨノナカノツネノコトワリ。世間における一般通例の道理で、以下のことの行われる理法をいう。
 可久左麻尓 カクサマニ。かくの如きさまに。別れて自分の流されたこと。
 奈里伎尓家良之 ナリキニケラシ。成リ來ニケラシで、ケラシは、ケルラシ。句切。
 須惠之多祢可良 スヱシタネカラ。スヱシは、据ヱシ。置いた、まいたの意。タネカラは、種子のゆえに。原因となることをしたのだから、こんなになつたのだとする。
【評語】自分たちのしたわざゆえにかようになつたのだ、これが世間の道理だとしている。自己の所業を自認して、世間の理法を認めている。
 
3762 吾妹子に 逢坂山を
 越えて來て 泣きつつ居《を》れど
 逢ふよしもなし。
 
 和伎毛故尓《ワギモコニ》 安布左可山乎《アフサカヤマヲ》
 故要弖伎弖《コエテキテ》 奈伎都々乎禮杼《ナキツツヲレド》
 安布余思毛奈之《アフヨシモナシ》
 
(171)【譯】あなたに逢うという名の、逢坂山を越えて來て、泣いているけれども、逢うすべがない。
【釋】和伎毛故尓 ワギモコニ。枕詞。逢うことから、逢坂に冠している。
 安布左可山乎 アフサカヤマヲ。山城と近江との國境の山。
【評語】吾妹子ニ逢坂山の言ひ方は、妹に逢いたさに取材しているだけに、一往もつともな修辭だが、下にまた逢フヨシモナシといつているので、技巧に過ぎて、上すべりがしている。逢フを二句と五句とに置いたのも、輕くなりはするが、眞實味を失う。泣キツツヲレド逢フヨシモナシの句は、めめしい言い方だ。
 
3763 旅といへば 言《こと》にぞ易《やす》き。
 すべもなく 苦しき旅も
 言に益《ま》さめやも。
 
 多婢等伊倍婆《タビトイヘバ》 許登尓曾夜須伎《コトニゾヤスキ》
 須敝毛奈久《スベモナク》 々流思伎多婢毛《クルシキタビモ》
 許等尓麻左米也母《コトニマサメヤモ》
 
【譯】旅といえば、言葉では容易なことだ。致し方もなく苦しい旅も、言葉ではまさつた言い方がない。
【釋】許登尓曾夜須伎 コトニゾヤスキ。言葉においては、たやすいことだ。言葉で、旅というのは、容易なことだ。以上二句、既出三七四三にも使用している。句切。
 須倣毛奈久々流思伎多婢毛 スベモナククルシキタビモ。どうしようもなく苦しい旅も。
 許等尓麻左米也母 コトニマサメヤモ。言葉では、苦しい旅の言いあらわし方がない。言葉では、やはり旅というだけで、別に増しようがない。
【評語】旅の語によつて、苦しい旅の表現の困難なことを訴えている。やはり理くつのつきまとつているのは、この作者の性格である。
 
(172)3764 山川を 中に隔《へな》りて
 遠くとも、
 心を近く 思ほせ、吾妹《わぎも》。
 
 山川乎《ヤマカハヲ》 奈可尓敝奈里弖《ナカニヘナリテ》
 等保久登母《トホクトモ》
 許己呂乎知可久《ココロヲチカク》 於毛保世和伎母《オモホセワギモ》
 
【譯】山や川を中に隔てて遠くても、心を近くに思つてください、あなた。
【釋】山川乎 ヤマカハヲ。山や川を。
 奈可尓倣奈里弖 ナカニヘナリテ。中に隔てて。以上二句、既出三七五五にも使つている。
【評語】遠クと近クとを對照している。對照して物をいう形も、この作者には多い。ここは、遠クと近クとの對照が、わざと作つた形であつて、いやみである
 
3765 まそ鏡 かけて偲《しぬ》へと、
 まつり出《だ》す 形見の物を
 人に示すな。
 
 麻蘇可我美《マソカガミ》 可氣弖之奴敝等《カケテシヌヘト》
 麻都里太須《マツリダス》 可多美乃母能乎《カタミノモノヲ》
 比等尓之賣須奈《ヒトニシメスナ》
 
【譯】この清らかな鏡をかけるように、心にかけて思つてくださいと、さしあげる形見の品を、人にお見せなさるな。
【釋】麻蘇可我美 マソカガミ。枕詞。澄んだ清らかな鏡。鏡は懸けるものだから、懸ケテに冠している。
 可氣弖之奴敝等 カケテシヌヘト。カケテは、心に懸けて。シヌヘのヌは、怒の類の字を使うべきだが、奴を使つているのは、假字違いである。
 麻都里太須 マツリダス。奉リ出スで、進上する意。連體形。
(173) 可多美乃母能乎 カタミノモノヲ。カタミノモノは、自分の記念の物。何かを贈つたのだろうが、初句に、マソ鏡の句を置いたのによれば、鏡を贈つたのだろう。
【評語】贈物につけて贈つた歌で、多少の情味がある。二句あたりは、やはりいやみで、しんみりしていない。
 
3766 愛《うるは》しと 思ひし思はば、
 下紐に 結《ゆ》ひ著《つ》け持ちて、
 止《や》まず偲《しの》はせ。
 
 宇流波之等《ウルハシト》 於毛比之於毛婆波《オモヒシオモハバ》
 之多婢毛尓《シタヒモニ》 由比都氣毛知弖《ユヒツケモチテ》
 夜麻受之努波世《ヤマズシノハセ》
 
【譯】愛すべきだと思う上にも思うなら、下著の紐に結いつけて、絶えずわたしを思つてください。
【釋】宇流波之等 ウルハシト。ウルハシは、自分を愛すべく思うをいう。
 於毛比之於毛婆波 オモヒシオモハバ。シは、強意の助詞で、思いに思うならばで、強く言つている。オモヒは、名詞。婆波は、転倒しているようだが、諸傳本みなこうなつている。
 之多婢毛尓由比都氣毛知弖 シタヒモニユヒツケモチテ。シタヒモは、衣の下紐で、表面からは見えない紐。何を結びつけるのかこの歌ではわからないが、前の歌の意を受けて、贈つた物をである。
【評語】前の歌に續いて、連作を成している。何を贈つたともないが、多分鏡で、下紐に結いつけて肌身離さずに持つていよというのである。さげ物のような小形の鏡なのだろう。歌は、これだけでは不完全な表現だが、連作としては、かようなのも、例があつてとがめるに及ばない。
 
右十三首、中臣朝臣宅守
 
3767 魂《たましひ》は、
(174) あしたゆふべに たまふれど、
 あが胸痛し。
 戀の繁きに。
 
 多麻之比波《タマシヒハ》
 安之多由布敝尓《アシタユフベニ》 多麻布禮杼《タマフレド》
 安我牟称伊多之《アガムネイタシ》
 古非能之氣吉尓《コヒノシゲキニ》
 
【譯】あなたの魂は、朝な夕なに頂いておりますけれども、わたくしの胸は傷みます。戀がいつぱいなので。
【釋】多麻之比波 タマシヒは。多麻之比は、この語を古く假字書きにしたものの唯一の例である。日本書紀には、識性、神色にタマシヒと訓しており、類聚名義抄には、性にタマシヒの訓がある。古語に、靈魂をタマということは知られており、この語もそのタマを根幹とする語であることは間違はなかろう。シヒは、不明だが、形からいえば、タマの活躍を意味する動詞を構成する語尾のように見え、この語が識性、神色のような、靂魂のはたらきの方面に使われる理由も、當然のように思われる。ここは三句の解によつて相違して來るが、相手すなわち宅守の靈魂、もしくはそのはたらきと解せられる。
 多麻布禮杼 タマフレド。古く、魂が觸れ合うと解したが、近年は鎭魂の思想を持ち込んで、魂振レドと解していた。最近更に、動詞給フの下二段活の已然形に助詞ドの接續するものと見るに至つた。古く鎭魂の信仰があり、これをタマフリということは認められるが、動詞として使つた證明もないし、また個人が朝夕に鎭魂を行つたという證明もない。給フの方は「阿我農斯能《アガヌシノ》 美多麻多麻比弖《ミタマタマヒテ》」(卷五、八八二)の證文があり、當時下二段活の給フの存在は、「美都乎多麻倍奈《ミヅヲタマヘナ》」(卷十四、三四三九)によつて證明される。よつて、あなたの御魂は、朝夕に給わりますけれどもの意に解すべきである。相手が自分に心を寄せ好意を有していることをいう。
【評語】タマシヒを給わるということは、類のすくない表現だが、當時としては、普通に言われることだつたのだろう。その以外、この歌の主想を成す部分は、平凡である。
 
(175)3768 この頃は、
 君を思ふと
 術《すべ》も無き 戀のみしつつ
 哭《ね》のみしぞ泣く。
 
 己能許呂波《コノゴロハ》
 君乎於毛布等《キミヲオモフト》
 須敝毛奈伎《スベモナキ》 古非能未之都々《コヒノミシツツ》
 祢能未之曾奈久《ネノミシゾナク》
 
【譯】この頃は、あなた思うので、致し方のない戀ばかりしながら、泣いてばかりいます。
【釋】君乎於毛布等 キミヲオモフト。オモフトは、思うとて。戀をすることの内容を説明している。
【評語】君を思うとて戀をするという言い方が、洗煉されない感じだし、四五句にノミを兩出したのも、吟味が足りない。無雜作にいう口語そのままのような歌だ。
 
3769 ぬばたまの 夜《よる》見し君を、
 明《あ》くる朝《あした》 逢はずまにして
 今ぞ悔しき。
 
 奴婆多麻乃《ヌバタマノ》 欲流見之君乎《ヨルミシキミヲ》
 安久流安之多《アクルアシタ》 安波受麻尓之弖《アハズマニシテ》
 伊麻曾久夜思吉《イマゾクヤシキ》
 
【譯】くらい夜に見たあなたなのに、明けた朝に、逢わないままにして、今になつて殘念です。
【釋】欲流見之君乎 ヨルミシキミヲ。夜の夢に見た君なるをの意だろう。
 安波受麻尓之弖 アハズマニシテ。マは、接尾語と見られ、コリズマ(懲りずま)と同じ構成をなしているのだろう。このマは、サマ(樣)、サカシマ(逆)などのマと同じく、そういうふうを意味するものと思われる。ママ(儘)マニマ(隨)もこのマを重ねたのかも知れない。
【評語】夢で見るのは、逢う前兆とされていたのだろう。それを逢わないでしまつて殘念だというらしい。表(176)現が不十分で、その意を得るに苦しむ歌である。
 
3770 安治麻《あぢま》野に
 宿れる君が
 歸り來《こ》む
 時の迎へを、
 何時《いつ》とか待たむ。
 
 安治麻野尓《アヂマノニ》
 屋杼禮流君我《ヤドレルキミガ》
 可反里許武《カヘリコム》
 等伎能牟可倍乎《トキノムカヘヲ》
 伊都等可麻多武《イツトカマタム》
 
【譯】安治麻野に宿つているあなたが、歸つて來るでしよう時を迎えるのを、何時の事として待つておりましよう。
【釋】安治麻野尓 アヂマノニ。アヂマ野は、越前の國|味眞《あじま》の郷の野。今福井縣今立郡に味眞野村がある。武生市の東南に當る。この地に宅守は流されていたのだろう。
 等伎能牟可倍乎 トキノムカヘヲ。歸つて來る時を待ち受けるのを、その時節を迎えるのを。宅守を迎える意ではない。時は來向かう、それに對してこちらが向き合うのである。
【評語】安治麻野ニ宿レル君は、せつかく地名まで出したのだから、もつと具體的に敍述したかつた。これでは地名だけ置きかえれば、他の人にも通用する。三句以下も常識的で、(177)特色がない。
 
3771 宮人の 安眠《やすい》も寐《ね》ずて、
 今日今日と 待つらむものを、
 見えぬ君かも。
 
 宮人能《ミヤビトノ》 夜須伊毛祢受弖《ヤスイモネズテ》
 家布々々等《ケフケフト》 麻都良武毛能乎《マツラムモノヲ》
 美要奴君可聞《ミエヌキミカモ》
 
【譯】宮仕えをしている人が、安眠もしないで今日か今日かと待つているだろうのに、お見えにならないあなたですね。
【釋】宮人能 ミヤビトノ。ミヤビトは、大宮人に同じ。宮廷に奉仕する人々。ここは、宅守の友人たちをいうのだろう。宮廷の婦人たちを勘定に入れているだろう。
 夜須伊毛祢受弖 ヤスイモネズテ。ヤスイは、安眠、熟睡。
【評語】宮廷でも、あなたがいないではさびしいというのだろう。藏部の女嬬のような下級の女官にとつては、宮人の語によつて示される世界は、美しい立派な世界として眺められていたのだろう。そういう世界が、君を待ち受けているのに、見えないというので、熱望の氣もちを描いていると見られる。宅守の「さす竹の大宮人は今もかも人なぶりのみ好みたるらむ」(三七五八)に答えているのかも知れない。
 
3772 歸りける 人|來《きた》れりと
 いひしかば、
 ほとほと死にき。
 君かと思ひて。
 
 可敝里家流《カヘリケル》 比等伎多禮里等《ヒトキタレリト》
 伊比之可婆《イヒシカバ》
 保等保登之尓吉《ホトホトシニキ》
 君香登於毛比弖《キミカトオモヒテ》
 
(178)【譯】歸つて來た人が來たと言つたから、あぶなく死ぬところでした。あなたかと思つて。
【釋】可敝里家流比等伎多禮里等 カヘリケルヒトキタレリト。カヘリケルは、地方から歸つた人。これは天平十二年六月の大赦によつてゆるされた流人たちをいうのだろう。
 伊比之可婆 イヒシカバ。誰か他の人が言つたので。
 保等保登之尓吉 ホトホトシニキ。ホトホトは、ほとんどの古語。あやうくそうなるところだつたの意をあらわす副詞。「殆《《ホトホトニ》 寧樂京乎《ナラノミヤコヲ》 不見歟將v成《ミズカナリナム》」(卷三、三三一)。シニキは、死ニキ。あやうく死にそうだつた。句切。
【評語】流罪を赦免されて歸つて來たという人の中に、宅守がいるかと思つて、豫期しなかつただけに、驚喜のあまりほとんど死にそうになつたことを述べている。よく特殊の事情を描いて、その意を傳えている。表現もこれにふさわしくされている。赦免の人名の中に君がいなかつたので、失望して死にそうになつたという方が自然であるが、喜びのあまり死にそうだつたというのも、變わつている。その後に來る失望が歌われていないのは惜しい。
 
3773 君がむた 行かましものを、
 同《おな》じこと、
 後《おく》れて居《を》れど 良《よ》きことも無し。
 
 君我牟多《キミガムタ》 由可麻之毛能乎《ユカマシモノヲ》
 於奈自許等《オナジコト》
 於久禮弖乎禮杼《オクレテヲレド》 與伎許等毛奈之《ヨキコトモナシ》
 
【譯】あなたと一緒に、行きましたろうものを、同じ事です、あとに殘つていても、よいこともございません。
【釋】君我牟多 キミガムタ。ムタは、多く助詞ノを受けるが、ガを受けているのはすくない。「加曳我牟多禰牟《カエガムタネム》」(卷二十、四三二一)。
(179) 由可麻之毛能乎 ユカマシモノヲ。行つたろうものを、行かないで殘念であつた。句切。
 於奈自許等 オナジコト。越前へ行つても京に留まつても、苦しいことは同樣である意。同じ事なりの意。オナジは、オヤジともいうが、オナジの方が新しく、この歌以外には卷の十八に二例があり、その一つは、オナジキの形を取つている。「都奇見禮婆《ツキミレバ》 於奈自久爾奈里《オナジクニナリ》」(卷十八、四〇七三)、「都奇見禮婆《ツキミレバ》 於奈自伎佐刀乎《オナジキサトヲ》」(同、四〇七六)。
 於久禮弖乎禮杼 オクレテヲレド。オクレテは、あとに殘つて。留まつて。
【評語】遠く流されると、家に留まるのと、いずれも苦しいのは同樣だと言つている。宅守の旅を苦しいと言つた歌に答えているのだろう。どうしても一緒に行きたかつたというほどの熱意に缺けている。
 
3774 わが夫子が 歸り來《き》まさむ
 時のため、
 命殘さむ。
 忘れたまふな。
 
 和我世故我《ワガセコガ》 可反里吉麻佐武《カヘリキマサム》
 等伎能多米《トキノタメ》
 伊能知能己佐牟《イノチノコサム》
 和須禮多麻布奈《ワスレタマフナ》
 
【譯】あなたの歸つておいでになる時のために、命を殘しましよう。お忘れなさいますな。
【釋】伊能知能己佐牟 イノチノコサム。命を失わないで保つていましよう。句切。
【評語】死ぬべき命をながらえて君が歸りを待つている心を歌つている。表現がすなおで、飾りけのないのがとりえである。
 
右八首、娘子
 
(180)3775 あらたまの 年の緒長く
 逢はざれど、
 異《け》しき心を あが思《も》はなくに。
 
 安良多麻能《アラタマノ》 等之能乎奈我久《トシノヲナガク》
 安波射禮杼《アハザレド》
 家之伎己許呂乎《ケシキココロヲ》
 安我毛波奈久尓《アガモハナクニ》
 
【譯】改まる年の久しいあいだ逢わないけれども、變わつた心をわたしは思つていないのだ。
【釋】等之能乎奈我久 トシノヲナガク。トシノヲは、年が進行して長く續くものなので、緒に譬えた言い方。
 家之伎己許呂乎 ケシキココロヲ。ケシキは、變わつた、かわつてある意の形容詞。
【評語】年が變わつて詠んでいるのだろう。久しくなつても變心しないというだけで、特色のない歌である。
 
3776 今日もかも、
 京《みやこ》なりせば、
 見まく欲《ほ》り、
 西の御厩《みまや》の 外《と》に立てらまし。
 
 家布毛可母《ケフモカモ》
 美也故奈里世婆《ミヤコナリセバ》
 見麻久保里《ミマクホリ》
 尓之能御馬屋乃《ニシノミマヤノ》 刀尓多弖良麻之《トニタテラマシ》
 
【譯】今日ごろは、都だつたら、逢いたく思つて、西の御厩の外に立つていただろうものを。
【釋】家布毛可母 ケフモカモ。上のモは、輕く添えている。今日もまたではなく、今日あたりはの意。カモは、疑問の係助詞。
 見麻久保里 ミマクホリ。見むことを欲して、逢いたいと思つて。
 尓之能御馬屋乃 ニシノミマヤノ。ニシノミマヤは、宮廷の西の御厩で、右馬寮のこと。
 刀尓多弖良麻之 トニタテラマシ。トは、外で、外邊。タテラは、立テリの未然形。マシは、不可能希望の(181)助動詞。外方に立つていたであろう。しかしそれは京にいたらの事で、今はそれもできない。
【評語】待つている處を具體的に敍述したのが、效果をあらわしている。作者たちの戀は、正常の性質のものでないので、かような事も行つたのだろう。そこに流罪に處せられるだけの理由があつたものと考えられる。
 
右二首、中臣朝臣宅守
 
3777 昨日今日、
 君に逢はずて、
 する術《すべ》の たどきを知らに、
 哭《ね》のみしぞ泣く。
 
 伎能布家布《キノフケフ》
 伎美尓安波受弖《キミニアハズテ》
 須流須敝能《スルスベノ》 多度伎乎之良尓《タドキヲシラニ》
 祢能未之曾奈久《ネノミシゾナク》
 
【譯】昨日今日は、あなたに逢わないで、なすべき手だてが手につかずに、泣いてばかりおります。
【釋】伎能布家布 キノフケフ。第五句に接續する。
 須流須敝熊多度伎乎之良尓 スルスベノタドキヲシラニ。なすべき手段方法も知らず。
【評語】昨今の?態を報告した歌であるが、中間の説明が、何等變わつたこともないのは物足りない。
 
3778 白栲の あが衣手を
 取り持ちて、
 齋《いは》へ、わが夫子
 ただに逢ふまでに。
 
 之路多倍乃《シロタヘノ》 阿我許呂毛弖乎《アガコロモデヲ》
 登里母知弖《トリモチテ》
 伊波敝和我勢古《イハヘワガセコ》
 多太尓安布末※[人偏+弖]尓《タダニアフマデニ》
 
(182)【譯】白い織物のわたくしの著物を手に持つて、物忌みをなさい、あなた。じかに逢うまで。
【釋】之路多倍乃阿我許呂毛弖乎 シロタヘノアガコロモデヲ。娘子から宅守に贈つた衣服で、前に「白たへの我が下ごろも」(三七五一)と歌つたもの。
 伊波敝和我勢古 イハヘワガセコ。イハヘは、物忌みせよの意の命令形。衣眼について、まじないをして再會を期するのである。「復毛將v相《マタモアハム》 因毛有奴可《ヨシモアラヌカ》 白細之《シロタヘノ》 我衣手二《ワガコロモデニ》 齋留目六《イハヒトドメム》」(卷四、七〇八)、「四舶《ヨツノフネ》 早還來等《ハヤカヘリコト》 白香著《シラカツケ》 朕裳裙爾《ワガモノスソニ》 鎭而將v待《イハヒテマタム》」(卷十九、四二六五)。
【評語】再會を妨げる不祥事の生じないように、イハヒをせよと歌つている。當時の信仰を基礎とした歌である。自分の贈つた著衣について歌つているのが、特色である。
 
右二首、娘子
 
3779 わが宿の 花橘は、
 いたづらに 散りか過ぐらむ。
 見る人なしに。
 
 和我夜度乃《ワガヤドノ》 波奈多知婆奈波《ハナタチバナハ》
 伊多都良尓《イタヅラニ》 知利可須具良牟《チリカスグラム》
 見流比等奈思尓《ミルヒトナシニ》
 
【譯】わたしの家の橘の花は、むだに散つてしまうだろうか、見る人なしで。
【釋】和我夜度乃 ワガヤドノ。ヤドは、屋戸、庭前。ここは、都なる宅守の自邸。
 知利可須具良牟 チリカスグラム。散り過ぎ行くらむかと推量している。句切。
 見流比等奈思尓 ミルヒトナシニ。主人である自分が遠く流されて、見る人なしにである。
【評語】以下花鳥に寄せて思いを陳べている。これは故郷の家の花橘を思つている。内容は極めて平凡であり、(183)感激もない。
 
3780 戀ひ死なば 戀ひも死ねとや、
 ほととぎす
 物|思《も》ふ時に 來鳴き響《とよ》むる。
 
 古非之奈婆《コヒシナバ》 古非毛之称等也《コヒモシネトヤ》
 保等登藝須《ホトトギス》
 毛能毛布等伎尓《モノモフトキニ》 伎奈吉等余牟流《キナキトヨムル》
 
【譯】戀い死ぬなら戀い死にもせよとてか、ホトトギスは、物思いをしている時に、來て鳴き響かせている。
【釋】古非之奈婆古非毛之称等也 コヒシナバコヒモシネトヤ。戀のために死ぬのなら、戀をしても死ねとやで、ヤは、疑問の係助詞。「戀死《コヒシナバ》 戀死耶《コヒモシネトヤ》 玉鉾《タマホコノ》 路行人《ミチユキヒトノ》 事告無《コトモツゲナク》」(卷十一、二三七〇)、「戀死《コヒシナバ》 々々哉《コヒモシネトヤ》 我妹《ワギモコガ》 吾家門《ワギヘノカドヲ》 過行《スギテユクラム》」(同、二四〇一)など、古歌に多くある句で、慣用句である。
 伎奈吉等余牟流 キナキトヨムル。來鳴キ響ムル。トヨムルは、ヤを受けて結んでいる。音響を立てる。鳴き立てる。
【評語】慣用句によつて歌を成しているまでで、これも特色がない。以下ホトトギスの聲が、聞く人の感傷を誘うものとして詠まれている。これはホトトギスの聲に對する文學者たちの感情で、漢文學の影響であるが、それを無批判に、決定的のものと考えているところに、この作者たちの自覺のない強い模倣性がある。
 
3781 旅にして 物|思《も》ふ時に、
 ほととぎす もとなな鳴きそ。
 あが戀まさる。
 
 多婢尓之弖《タビニシテ》 毛能毛布等吉尓《モノモフトキニ》
 保等登藝須《ホトトギス》 毛等奈那難吉曾《モトナナナキソ》
 安我古非麻左流《アガコヒマサル》
 
【譯】旅にあつて物を思う時に、ホトトギスよ、ひどく鳴くな。わたしの戀がつのつてくる。
(184)【釋】安我古非麻左流 アガコヒマサル。コヒは名詞。マサルは、一層増大する。
【評語】旅愁を誘うものとして、ホトトギスの聲を取り扱つている。「神奈備乃《カムナビノ》 伊波瀬乃社之《イハセノモリノ》 喚子鳥《ヨブコドリ》 痛莫鳴《イタクナナキソ》 吾戀益《ワガコヒマサル》」(卷八、一四一九)あたりの古歌をもととして詠んでいるであろう。一往形は整つている。
 
3782 雨《あま》ごもり 物|思《も》ふ時に、
 ほととぎす
 わが住む里に 來鳴き響《とよ》もす。
 
 安麻其毛理《アマゴモリ》 毛能母布等伎尓《モノモフトキニ》
 保等登藝須《ホトトギス》
 和我須武佐刀尓《ワガスムサトニ》 伎奈伎等余母須《キナキトヨモス》
 
【譯】雨に閉じこもつて物を思つている時に、ホトトギスは、わたしの住む里に、來て鳴き立てる。
【釋】安麻其毛理 アマゴモリ。雨のために家にこもつていること。
 和我須武佐刀尓 ワガスムサトニ。わが住む里は、越前の味眞野であろう。
【評語】雨にこもつて物思いをしている時に、ホトトギスが鳴き立てるのは、一層旅愁を益すものであるが、ただ來鳴キ響モスまでで止めたのが、歌の姿をよくしている。雨中の憂愁が、ある程度描かれている。
 
3783 旅にして 妹に戀ふれば、
 ほととぎす
 わが住む里に 此《こ》よ鳴き渡る。
 
 多婢尓之弖《タビニシテ》 伊毛尓古布禮婆《イモニコフレバ》
 保登等伎須《ホトトギス》
 和我須武佐刀尓《ワガスムサトニ》 許欲奈伎和多流《コヨナキワタル》
 
【譯】旅にあつて、妻に戀うれば、ホトトギスは、わたしの住む里に、此處を通つて鳴き過ぎて行く。
【釋】許欲奈伎和多流 コヨナキワタル。コヨは、此處を通つて。自分のいる前を通つて。
【評語】前二首を組み合わせたような歌だ。末句には多少の描寫があるが、いずれも慣用句で形づけているよ(185)うなのは、あきたらないところである。
 
3784 心なき 鳥にぞありける。
 ほととぎす、
 物|思《も》ふ時に 鳴くべきものか。
 
 許己呂奈伎《ココロナキ》 登里尓曾安利家流《トリニゾアリケル》
 保登等藝須《ホトトギス》
 毛能毛布等伎尓《モノモフトキニ》 奈久倍吉毛能可《ナクベキモノカ》
 
【譯】心のない鳥だつた。ホトトギスよ、物を思う時に鳴くべきものではないのだ。
【釋】許己呂奈伎 ココロナキ。同情のない、理解のない。
 奈久倍吉毛能可 ナクベキモノカ。このモノカは、モノカハの意で、反語になつている。
【評語】ホトトギスに對して恨みの心を述べている。初二句は、説明的で無意味である。
 
3785 ほととぎす 間《あひだ》しまし置け。
 汝《な》が鳴けば、
 あが思《も》ふこころ いたも術《すべ》なし。
 
 保登等藝須《ホトトギス》 安比太之麻思於家《アヒダシマシオケ》
 奈我奈氣婆《ナガナケバ》
 安我毛布許己呂《アガモフココロ》 伊多母須敝奈之《イタモスベナシ》
 
【譯】ホトトギスよ、ちよつとあいだを置け。お前が鳴くと、わたしの心が非常に術ないのだ。
【釋】安比太之麻思於家 アヒダシマシオケ。絶えず鳴かずに、ちよつと間隔を置け。シマシは、極めて短いあいだ。句切。
 奈我奈氣婆 ナガナケパ。氣は西本願寺本等による。校本萬葉集は、この校異を誤脱している。大野晋氏の説に、ナケは、四段活動詞の已然形であるから、ケの乙類の字を使用すべきに、甲類の家を使つたのは誤りであるという。
(186) 伊多母須敝奈之 イタモスベナシ。イタモは、はなはだしくも、非常にもの意の副詞。
【評語】ホトトギスに對して、しばし間隔を置けと言つたのが特色である。風趣はないが、變わつた所のある作である。
 
右七首、中臣朝臣宅守、寄2花鳥1陳v思作歌
 
右の七首は、中臣の朝臣宅守の、花鳥に寄せ思ひを陳べて作れる歌。
 
【釋】寄花鳥陳思作歌 ハナトリニヨセオモヒヲノベテツクレルウタ。橘花に寄せた歌一首と、ホトトギスに寄せた歌六首とである。流された年の夏か、翌年の夏かあきらかでないが、娘子との贈答に、ホトトギスを詠んだのは、流された年の夏のようであるから、これも同時の作だろうか。
 
萬葉集卷第十五
 
(187)萬葉集卷第十六
 
(189)萬葉集卷第十六
 
この卷は、有由縁并雜歌と題してある。そのうちの多數は、題詞、序詞、左註等で作歌事情を説明しているが、作歌事情を傳えない歌も少しくあり、作者については、明白にその氏名を傳えない方が、むしろ多い。この部類の標目は、由縁ある歌に、雜歌を并わせた意と考えられるが、由縁あるという標目は、本集中、他に見えないもので、この卷の内容の、特殊のものであることを示す。歌数は、百四首で、卷の一に次いで歌数のすくない一卷である。この歌數のうちには、或云とあるものなどをも加えてある。歌體は、長歌七首、短歌九十二首、旋頭歌四首、佛足跡歌體一首であるが、短歌のうちには佛足跡歌體のものが潜んでいるともいわれる。長歌中一首は、長さにおいて本集中第二に位する長篇であるが、また一首は、七句から成つている最短の長歌である。
 書式は、多樣であつて、一定の形態がなく、すなわち次の如くである。
 一、題詞をもたないもの。
  (イ)歌の前に昔者有何々に始まる序詞を有するもの。
  (ロ)歌の後に右傳云に始まる左註を有するもの。
  (ハ)歌の後に右何首に始まる左註を有するもの。
 二、題詞のあるもの。
  (イ)歌の後に説明をもたないもの。
(190)  (ロ)歌の後に右傳云に始まる左註を有するもの。
  (ハ)歌の後に右歌何首に始まる左註を有するもの。
  (ニ)歌の後に右歌または右に始まる左註を有するもの。
 大體以上のような種類があり、これは資料の形式、および編者の特色が殘されているものと考えられ、數種の資料をもつて編纂されたことが推測される。時代は、明日香藤原の附近の地名を有して、その地に帝都のあつた時代の歌と考えられるものから、大伴の家持およびその時代の歌に及んでいる。序詞や説明を併わせて物語ふうの内容を有しているものの多いのが特色であり、特殊の條件の歌、戯咲歌の多いことも特色である。文筆作品と見られる歌のある一方、民謠と見られる歌もはいつている。
 文字使用法は、表意文字と表音文字とを併用しているが、竹取の翁の歌の如きは、特殊の文字使用法であつて、これはその資料から來ていると考えられる。傳本としては、古本系統には、尼崎本があり、類聚古集、古葉略類聚鈔の記載のあることは、他卷と同じである。
 
有2由縁1并雜歌
 
由縁ある、并はせて雜歌。
 
【釋】有由縁并雜歌 ユヱアルアハセテザフカ。由縁アルは、作歌事情の特に語るべきもののあるをいう。物語を構成する歌、特殊の條件のもとに詠まれた歌などをさすであろうが、その限界は、性質上あきらかにしがたい。それに雜歌を併わせ載せたという意の標目で、歌の字の意は、有由縁にも懸かるであろう。
 
昔者有2娘子1、字曰2櫻兒1也。于v時有2二壯士1、共誂2此娘1、而捐v生挌競、(191)貪v死相敵。於v是娘子歔欷曰、從v古來v今、未v聞未v見、一女之身、往2適二門1矣。方今壯士之意、有v難2和平1、不v如2妾死相害永息1、尓乃尋2入林中1、懸v樹經死。其兩壯士、不v敢2哀慟1、血泣漣v襟、各陳2心緒1作歌二首
 
昔者《むかし》娘子《をとめ》あり、字《な》を櫻兒《さくらこ》と曰《い》ひき。時に二《ふたり》の壯士《をとこ》あり、共にこの娘を誂《あと》へて、生《いのち》を捐《す》てて挌競《あらそ》ひ、死を貪《むさぼ》りて相敵《あた》みき。ここに娘子《をとめ》歔欷《なげ》きて曰はく、古より今までに、いまだ聞かず、いまだ見ず、一《ひとり》の女の身にして、二つの門に往き適《あ》ふといふことを。方今《いま》壯士《をとこ》の意《こころ》和平《やはら》ぎ難きものあり。妾《われ》死《みまか》りて、相害《あらそ》ふこと永く息《や》めむには如《し》かじといひて、すなはち林の中に尋ね入りて、樹に懸りて經《わな》き死《し》にき。その兩《ふたり》の壯士《をとこ》、哀慟《なげ》きに敢《あ》へず、血の泣《なみだ》襟に漣る。各々心緒を陳《の》べて作れる歌二首。
 
【釋】昔者有娘子 ムカシヲトメアリ。以下、「昔、何々あり」の形で始まる文が數篇あるが、これは伊勢物語の「昔、男ありけり」に始まる形と通ずるもので、昔ばなしの定型である。昔というのは、いつの時というはつきりした時でなく、ある時の意にいう。なおこの卷では、題をかかげないものが多いから、以下、注意を要する。
 誂 アトヘテ。日本書紀にアトフの訓がある。申し入れて。
 往適二門矣 フタツノカドニユキアフトイフコトヲ。適は、嫁するをいう。二門は、二家。二家に嫁することを。
 血泣漣襟 チノナミダエリニシタタル。血泣は、血涙に同じ。この句は、周易に「泣血漣如(タリ)」とあるによる。
 
(192)3786 春さらば 插頭《かざし》にせむと
 わが念ひし 櫻の花は
 散りにけるかも。その一。
 
 春去者《ハルサラバ》 插頭尓將v爲跡《カザシニセムト》
 我念之《ワガオモヒシ》 櫻花者《サクラノハナハ》
 散去香聞《チリニケルカモ》 其一
 
【譯】春になつたらかざしにしようと、わたしの思つた櫻の花は、散つてしまつたなあ。
【釋】插頭尓將爲跡 カザシニセムト。カザシは、頸髪に插すもの。時の花を使う。ここは妻にすることを譬えている。
 散去香聞 チリニケルカモ。
  チリニケルカモ(類)
  チリイニシカモ(新訓)
  ――――――――――
  散去流香聞《チリニケルカモ》(西)
  散去家流香聞《チリニケルカモ》(古義)
 古本系統に、散去香聞に作るにより、ケルを補讀してチリニケルカモと讀む。チリイニシカモとも讀めるが、それもシを讀み添えることになる。仙覺本には去の下に流がある。
【評語】譬喩で歌つている。淡々たる歌で、當事者の作としての熱情がない。もとよりこれは文學者の創作で、よしモデルがあるにしても作り物語には違いないのだが、あまりに傍觀的である。櫻の花も、かならずしも櫻に限らない。ほかの花にかえてもよさそうだ。
 
3787 妹が名に 懸《か》けたる櫻、
 花咲かば 常にや戀ひむ。
 いや年のはに。その二。
 
 妹之名尓《イモガナニ》 繋有櫻《カケタルサクラ》
 花開者《ハナサカバ》 常哉將v戀《ツネニヤコヒム》
 弥年之羽尓《イヤトシノハニ》 其二
 
(193)【譯】あの子の名につけてある櫻の花が咲いたら、いつも戀しく思うだろう。來る年ごとに。
【釋】妹之名尓繋有櫻 イモガナニカケタルサクラ。イモガナニカカセルサクラ(略)。娘子の名が櫻兒というので、妹の名に懸けている櫻と言つている。
 常哉將戀 ツネニヤコヒム。ツネは、永久。
【評語】櫻の花が咲いたら、毎年戀をするだろうというので、これも冷淡である。男たちも、女のあとを追つて死なないまでも、もつとしつかりした歌を詠むようにしたかつた。これではせつかくの櫻兒も死に切れないだろう。なお櫻兒の傳説は、畝傍山の東北方に、櫻兒塚と稱する傳説地があつて、その地の事とされている。
 弥年之羽尓 イヤトシノハニ。トシノハは、「毎年、謂(フ)2之(ヲ)等之乃波《トシノハト》1」(卷十九、四一六八小註)とあつて、毎年をいう。イヤは、いよいよ來る意。
 
或曰、昔有2三男1、同娉2一女1也。娘子嘆息曰、一女之身、易v滅如v露、三雄之志、難v平如v石。遂乃彷2徨池上1、沈2没水底1、於v時其壯士等、不v勝2哀頽之至1、各陳2所心1作歌三首 娘子字曰2縵兒1也
 
或《あるひと》の曰はく、昔|三《みたり》の男あり、同《とも》に一《ひとり》の女を娉《つまど》ひき。娘子《をとめ》嘆息《なげ》きて曰はく、一《ひとり》の女の身は減《け》易きこと露の如く、三《みたり》の雄の志は平《な》ぎ難きこと石《いは》の如しといひて、遂に池の上に彷徨《もとほ》り水底《みなそこ》に沈没《しづ》みき。時にその壯士等、哀頽の至に勝《あ》へず、おのもおのも所心を陳べて作れる歌三首 【娘子字を縵兒と曰ふ。】
 
【釋】或曰 アルヒトノイハク。前の櫻兒の篇に對して、類似の別傳を掲げる意味で、或曰としている。ここから前の物語とは別になる。
 難平如石 ナギガタキコトイハノゴトシ。石は堅くて動かないので、志の動かしがたい譬喩に使つている。
(194) 彷徨池上 イケノウヘニモトホリ。次の歌詞によれば、池は耳梨の池である。今、耳梨山の南麓に木原の池があるが、昔のままかどうか不明。
 
3788 耳梨《みみなし》の
 池し恨めし。
 吾妹子が
 來つつ潜《かづ》かば、
 水は涸《か》れなむ。一。
 
 無v耳之《ミミナシノ》
 池羊蹄恨之《イケシウラメシ》
 吾妹兒之《ワギモコガ》
 來乍潜者《キツツカヅカバ》
 水波將v涸《ミヅハカレナム》 一
 
【譯】耳梨の池がうらめしい。あの子が來て水にはいつたら、水が涸《か》れてくれ。
【釋】無耳之 ミミナシノ。耳梨山の意。無耳と書いてはあるが、耳をなしている意で、平野に立つさまをいう名であろう。日本書紀には耳成、また耳梨と書いている。
 池羊蹄恨之 イケシウラメシ。羊蹄は植物の名。今のギシギシ。タデ科の多年生草本。古くシという。「羊蹄菜、唐韻(ニ)云(フ)、 ※[草がんむり/里]丑六(ノ)反字亦作(ル)v※[草がんむり/逐](ニ)、之布久佐《シフクサ》、一(ニ)云(フ)之《し》 羊蹄菜也」(倭名類聚鈔)。ここにはシの假字に使つている。句切。
 水波將涸 ミヅハカレナム。ナムは、希望の助動詞。
【評語】作り歌ながら、耳梨の池のほとりを彷徨して、池を恨む情は描かれている。耳梨の池を詠んでいるに(195)よれば、藤原の宮時代の作であろう。當時既にかような歌物語が書かれたものとして考えられる。
 
3789 あしひきの 山|縵《かづら》の兒、
 今日ゆくと われに告げせば、
 還り來《こ》ましを。 二。
 
 足曳之《アシヒキノ》 山縵之兒《ヤマカヅラノコ》
 今日往跡《ケフユクト》 吾尓告世婆《ワレニツゲセバ》
 還來麻之乎《カヘリコマシヲ》 二
 
【譯】あの山縵の兒は、今日行くと、わたしに告げたならば、歸つて來たろうものを。
【釋】足曳之 アシヒキノ。枕詞。
 山縵之兒 ヤマカヅラノコ。娘子の名が縵兒というので、山カヅラノ兒と言つている。ヤマカヅラは、山のつる草。また山の植物で作つた鬘をいう。「まきもくの穴師の山の山人と人も見るがに山かづらせよ」(古今集卷二十)。
 吾尓告世婆 ワレニツゲセバ。セは、時の助動詞シの未然形。
 還來麻之乎 カヘリコマシヲ。この作者は娘子の死んだ時に、何處かへ行つていたように作られている。
【評語】悔恨の情はよく出ている。アシヒキノ山カヅラノ兒など、餘裕のある言い方で、趣はあるが、情が迫つていない。
 
3790 あしひきの 玉|縵《かづら》の兒、
 今日の如《ごと》、
 いづれの隈《くま》を 見つつ來にけむ。三。
 
 足曳之《アシヒキノ》 玉縵之兒《タマカヅラノコ》
 如2今日1《ケフノゴト》
 何隈乎《イヅレノクマヲ》 見管來尓監《ミツツキニケム》 三
 
【譯】あの玉縵の兒は、今日のように、どの曲りかどを見つつ來たのだろう。
(196)【釋】足曳之 アシヒキノ。枕詞。ここの用法は、轉じて、この語で、山の感じをあらわしている。
 玉縵之兒 タマカヅラノコ。
  タマカヅラノコ(類)
  ヤマカヅラノコ(西)
  ――――――――――
  山縵之兒《ヤマカヅラノコ》(童)
 縵兒をほめていう。前の歌に、山カヅラノ兒と云つたのが、何か粗野の感じを與えたので、この歌では、語を變えたのだろう。山カヅラノ兒とするのはかえつて誤りである。タマカヅラは、縵の美稱。玉のような實のついている縵をもいう。
 如今日 ケフノゴト。この歌の作者は、耳梨の池に來ているように作られている。
 何隈乎 イヅレノクマヲ。クマは、物の隅のところ。
【評語】娘子の死のうとして來た時のことを想像して詠んでいる。その死のうとして來た時の心もちを思いやつている。そうして自分が斷腸の思いに堪えかねて來たのにくらべている。三首のうちでは、これが一番ましである。
 
昔有2老翁1、號曰2竹取翁1也。此翁、季春之月、登v丘遠望、忽値2※[者/火]v羮之九箇女子1也。古嬌無v儔、花容無v止。于v時娘子等、呼2老翁1嗤曰、叔父來乎、吹2此燭火1也。於v是翁曰2唯々1、漸※[走+多]徐行、著2接座上1。良久娘子等、皆共含v咲、相推讓之曰、阿誰呼2此翁1哉。尓乃竹取翁謝之曰、非慮之外、偶逢2神仙1、迷惑之心、無2敢所1v禁。近狎之罪、希贖以v歌、即作歌一首 并2短歌1
 
(197)昔|老翁《おきな》あり、號《な》を竹取《たけとり》の翁と曰《い》ひき。この翁、季春の月に、丘に登り遠く望むに、忽に羮《あつもの》を煮る九箇《ここのたり》の女子《をとめ》に値《あ》ひき。百の嬌《こび》儔《たぐひ》無く、花の容|止《やむこと》無し。時に娘子等《をとめら》老翁を呼び嗤《わら》ひて曰はく、叔父《をぢ》來てこの燭の火を吹けといふ。ここに翁|唯唯《をを》と曰ひて、漸《やや》に※[走+多]《おもむ》き徐《おもむろ》に行きて座の上に著接《まじは》る。やや久にして娘子等《をとめら》皆共に咲《わら》ひを含み相|推讓《おしゆづ》りて曰はく、阿誰《たれ》かこの翁を呼びしといふ。ここに竹取の翁|謝《ことわ》りて曰はく、處《おも》はざる外《ほか》にたまたま神仙《ひじり》に逢へり。迷惑《まど》へる心敢へて禁《さ》ふる所なし。近く狎《な》れし罪は、希《ねが》はくは、贖《あが》ふに歌をもちてせむといひて、すなはち作れる歌一首 【短歌并はせたり。】
 
【釋】號曰竹取翁也 ナヲタケトリノオキナトイヒキ。竹は、一夜で目立つて伸びるので、古人はこれを神秘な植物とし、靈感を感じていた。竹で作つた物には、咒力があるとした。その竹を取る老人というのは、咒力ある人間を代表する。タケはまたキノコ(菌)をもいうが、ここはやはり竹を採る翁とすべきである。
 季春之月 ヤヨヒノツキニ。季春は三月をいう。
 忽値煮羮之九箇女子也 タチマチニアツモノヲニルココノタリノヲトメニアヒキ。アツモノは、煮た熱い物で、ここは若菜の羮である。春の野に娘子が野に出て若菜の羮を煮るのは、實際の行事として行われ、その羮は、若がえりの靈力あるものと考えられていた。ここはその羮を、仙女が煮ているとしている。九箇は、神仙思想において貴ぶ數で、陽數である。人間の老人が、仙藥を煮る仙女に逢うとする構想である。
 花容無止 ハナノゴトキカタチヤムコトナシ。止は、上の誤りとする説があるが、止でも通ずる。もし誤りとするなら、匹の誤りとすべきである。
 阿誰呼此翁哉 タレカコノヲヂヲヨビシ。初めに仙女に接し、後に別れるのが、この神仙譚の型になる。
 非慮之外 オモハザルホカニ。思いのほかに同じ。古くは、意外を、思ハザルホカと言つた。
【評語】この序詞は、これだけで一篇の神仙譚を成している。全體の構成としては、この序詞、長歌および反(198)歌、娘子等の和うる歌の三部を合わせて眺めなければならないが、思想的には、この序に、神仙思想が強く流れており、他の二部は、それほどでもないのだ。元來は、次の長歌の内容の如き説話が傳わつており、それを或る文學者が整理して、次に見るような長歌としたのにつけて、この序詞をも創作したので、自然に兩者のあいだに、説話には通ずるものがあるが、思想的に相違するものを生じた。この序詞は、人間の老爺が、仙女に逢うことを語る古傳説を神仙譚化したもので、平安時代の竹取物語の骨子と通ずるものである。
 
3791 緑子の 若子《わくご》が身には、
 たらちし 母に懷《うだ》かえ、
 ※[衣+差]襁《ひむつき》の 這《は》ふ兒《こ》が身には、
 木綿肩衣《ゆふかたぎぬ》 純裏《ひつら》に縫《ぬ》ひ著《き》、
 頸著《うなつき》の 童子《わらは》が身には、
 夾纈《ゆひはた》の 袖つけ衣《ごろも》 著《き》し我《われ》を。」
 にほひよる 子等が同年《よち》輩には、
 蜷《みな》の腸《わた》 か黒《ぐろ》し髪を
 眞櫛《まぐし》もち ここにかき垂り、
 取り束《つか》ね 擧《あ》げても纏《ま》きみ、
 解き亂り 童兒《わらは》に成《な》しみ、
 さ丹《に》つかふ 色に懷《なつ》かしき
(199) 紫の 大綾《おほあや》の衣《ころも》、
 住吉《すみのえ》の 遠里小野《とほさとをの》の
 眞榛《まはり》もち にほしし衣《きぬ》に、
 高麗《こま》錦 紐に縫《ぬ》ひつけ、
 指《さ》さへ重《かさ》なへ 竝《な》み重ね著《き》、
 うち麻《そ》やし 麻績《をみ》の兒《こ》ら
 あり衣《ぎぬ》の 寶の子らが、
 うち栲たへは へて織る布
 日曝《ひざらし》の 麻紵《あさてづくりを》、
 信巾裳《ひらも》なす 愛《は》しきに取れば、
 醜屋《しきや》經《ふ》る 稻置丁女《いなきをみな》が
 つまどふと われにぞ來《こ》し。」
 彼《をち》方の 二綾襪《ふたあやしたぐつ》、
 飛ぶ鳥の 飛鳥壯士《あすかおをとこ》が
 霖《ながめ》禁《い》み 縫ひし黒|沓《ぐつ》
 指《さ》し穿《は》きて 庭に立たずめば、
 退《まか》りな立ちと 障《さ》ふる少女《をとめ》が
(200) ほの聞きて われにぞ來し。」
 水縹《みはなだ》の 絹の帶を
 引帶《ひきおび》なす 韓帶《からおび》に取らし、
 海神《わたつみ》の 殿の蓋《いらか》に
 飛び翔《かけ》る ?羸《すがる》の如き
 腰細に 取り餝《かざ》らひ、
 まそ鏡 取り雙《な》め懸けて
 おのが貌《かほ》 還らひ見つつ
 春さりて 野邊を廻《み》れば、
 おもしろみ 我を思へか、
 さ野つ鳥 來鳴き翔《かけ》らふ。
 秋さりて 山邊を往けば
 懷《なつか》しと 我を思へか、
 天雲《あまぐも》も 行き棚引く。」
 還り立ち 路を來れば
 うち日さす 宮女《みやをみな》、
 さす竹の 舍人壯士《とねりをとこ》も、
(201) しのぶらひ かへらひ見つつ
 誰《た》が子ぞとや 思はえてある。」
 かくぞ爲《し》來《こ》し。
 古《いにしへ》 ささきし我や
 愛《は》しきやし 今日やも子らに
 いさにとや 思はえてある。」
 かくぞ爲《し》來《こ》し。
 古《いにしへ》の 賢《さか》しき人も、
 後の世の かたみにせむと、
 老人を 送りし車
 持ち還《かへ》り來し。持ち還り來し。」
 
 緑子之《ミドリゴノ》 若子蚊見庭《ワクゴガミニハ》
 垂乳爲《タラチシ》 母所壞v《ハハニウダカエ》
 ※[衣+差]襁《ヒムツキノ》 平生蚊見庭《ハフコガミニハ》
 結經方衣《ユフカタギヌ》 氷津裏丹縫服《ヒツラニヌヒキ》
 頸著之《ウナツキノ》 童子蚊見庭《ワラハガミニハ》
 結幡《ユヒハタノ》 袂著衣《ソデツケゴロモ》 服我矣《キシワレヲ》
 丹因《ニホヒオヨル》 子等何四千庭《コラガヨチニハ》
 三名之綿《ミナノワタ》 蚊黒爲髪尾《カグロシカミヲ》
 信櫛持《マグシモチ》 於v是蚊寸垂《ココニカキタリ》
 取束《トリツカネ》 擧而裳纏見《アゲテモマキミ》
 解亂《トキミダリ》 童兒丹成見《ウナヰニナシミ》
 羅丹津蚊經《サニツカフ》 色丹名著來《イロニナツカシキ》
 紫之《ムラサキノ》 大綾之衣《オホアヤノゴロモ》
 墨江之《スミノエノ》 遠里小野之《トホザトヲノノ》
 眞榛持《マハリモチ》 丹穩之爲衣丹《ニホシシキヌニ》
 狛錦《コマニシキ》 紐丹縫著《ヒモニヌヒツケ》
 刺部重部《ササヘカサナヘ》 波累服《ナミカサネキ》
 打十八爲《ウチソヤシ》 麻續兒等《ヲミノコラ》
 蟻衣之《アリギヌノ》 寶之子等蚊《タカラノコラガ》
 打栲者《ウチタヘハ》 經而織布《ヘテオルヌノ》
 日暴之《ヒザラシノ》 朝手作尾《アサテヅクリヲ》
 信巾裳成《ヒラモナス》 者之寸丹取《ハシキニトレバ》
 爲支屋所v經《シキヤフル》 稻寸丁女蚊《イナキヲミナガ》
 妻問迹《ツマドフト》 我丹所來爲《ワレニゾコシ》
 彼方之《ヲチカタノ》 二綾裏沓《フタアヤシタグツ》
 飛鳥《トブトリノ》 飛鳥壯蚊《アスカヲトコガ》
 霖禁《ナガメイミ》 縫爲黒沓《ヌヒシクログツ》
 刺佩而《サシハキテ》 庭立住《ニハニタタズメバ》
 退莫立《マカリナタチト》 禁尾迹女蚊《サフルヲトメガ》
 髣髴聞而《ホノキキテ》 我丹所來爲《ワレニゾコシ》
 水縹《ミハナダノ》 絹帶尾《キヌノオビヲ》
 引帶成《ヒキオビナス》 韓帶丹取爲《カラオビニトラシ》
 海神之《ワタツミノ》 殿蓋丹《トノノイラカニ》
 飛翔《トビカケル》 爲輕如來《スガルノゴトキ》
 腰細丹《コシボソニ》 取餝氷《トリカザラヒ》
 眞十鏡《マソカガミ》 取雙懸而《トリナメカケテ》
 己蚊杲《オノガカホ》 還氷見乍《カヘラヒミツツ》
 春避而《ハルサリテ》 野邊尾廻者《ノベヲミレバ》
 面白見《オモシロミ》 我矣思經蚊《ワレヲオモヘカ》
 狹野津鳥《サノツドリ》 來鳴翔經《キナキカケラフ》
 秋僻而《アキサリテ》 山邊尾往者《ヤマベヲユケバ》
 名津蚊爲迹《ナツカシト》 我矣思經蚊《ワレヲオモヘカ》
 天雲裳《アマグモモ》 行田菜引《ユキタナビク》
 還立《カヘリタチ》 路尾所來者《ミチヲクレバ》
 打氷刺《ウチヒサス》 宮尾見名《ミヤヲミナ》
 刺竹之《サスタケノ》 舍人壯裳《トネリヲトコモ》
 忍經等氷《シノブラヒ》 還等氷見乍《カヘラヒミツツ》
 誰子其迹哉《タガコゾトヤ》 所v思而在《オモハエテアル》
 如是所爲故爲《カクゾシコシ》
 古部《イニシヘ》 狹々寸爲我哉《ササキシワレヤ》
 端寸八爲《ハシキヤシ》 今日八方子等丹《ケフヤモコラニ》
 五十狹迩迹哉《イサニトヤ》 所v思而在《オモハエテアル》
 如是所爲故爲《カクゾシコシ》
 古部之《イニシヘノ》 賢人藻《サカシキヒトモ》
 後之世之《ノチノヨノ》 堅監將v爲迹《カタミニセムト》
 老人矣《オイビトヲ》 送爲車《オクリシクルマ》
 持還來《モチカヘリコシ》 持還來《モチカヘリコシ》
 
【譯】幼兒であつたわたしの身は、育てた母に抱かれ、紐のついた著物を著た這う子の身には、布の袖無しを、總裏に縫つて著、かぶきりにした子どもの身には、しぼり染めの袖のある著物を著たわたしです。美しいあなた方とおなじ年頃には、ニナ貝の腸のようなまつ黒な髪を、櫛でここに掻いて垂れ、取りつかねて擧げて卷いたり、解き亂して下げ髪にしたり、赤みのある色に、うつりのよい紫の大綾の著物と、住吉の遠里小野《とおざとおの》のハギの花で染めた著物に、高麗ふうの錦を紐に縫つてつけ、それを重ねて竝べて重ね著て、打つた麻を苧《お》に績《う》む、その麻績《おみ》の子、美しい著物のような財部《たからべ》の子ちが、打つた栲《たえ》を糸にして織る布、日にさらした麻の手織物を、(202)褶裳《ひらも》のように、形よくつけると、賤の屋に世を經る稻つき女が、結婚をしようと、わたしの處に來た。あちらから來た交綾《まぜあや》の靴下をはき、飛ぶ鳥の明日香の男が、長雨を避けて縫つた黒|沓《ぐつ》をはいて、屋前にたたずめば、立ち去つてはいけないと留める娘子が、聞き傳えて、わたしの處に來た。はなだ色の絹の背を、引帶のように大陸ふうに作つて、海神の御殿の屋根に飛びまわるハチのような腰細に取りよそい、澄んだ鏡を竝べて懸けて、自分の顔を顧みながら、春になつて野邊を廻れば、わたしを感心して思つてか、野の鳥は來て鳴いて飛ぶ。秋になつて山邊を行くと、慕わしくわたしを思つてか、天の雲も行きたなびいている。還り立つて路を來れば、日の輝く宮殿の婦人、大宮の舍人《とねり》の男も、感心して顧みながら、何處の人だろうと思われてある。このようにして來た。昔時めいたわたしが、今日になつてか、愛すべきあなた方に嫌われてあることか。このようにして來た。昔の賢い人も、後の世の手本にしようとて、老人を送つて行つた車を持ち歸つて來たのだ。持ち歸つて來たのだ。
【構成】全篇を、追憶の部分と、述懷の部分との二大段に分ける。第一大段、誰ガ子ゾトヤ思ハエテアルまで。幼時からの追憶の部分で、特に青年時代の記事が詳しい。以下第二大段、終りまで。故事を引いて、子等に侮られることを怨む。以下更に小分して説明しよう。
 第一大段、第一段、袖ツケ衣著シ我ヲまで。嬰兒時代に始まつて幼年時代までのことを述べる。第二段、ホノ聞キテ我ニゾ來シまで。青年時代にはいつて、前半に衣装を敍し、稻置娘子までが慕い寄つたことを述べる。後半は、りつぱな沓をはいて庭にたたずむと、家々の娘子が慕い寄つたことを述べる。前半の後部と後半とは對になつている。第三段、誰ガ子ゾトヤ思ハエテアルまで。更にりつぱな帶をつけて、徘徊し、春秋に分かつて野山を行けば、鳥や雲までも慕うことを述べ、歸つて家路を行けば、宮の男女も顧みることを述べている。このうち、春と秋とが對句になり、また野山と宮路を行くこととが對句になつている。以上追憶。
(203) 第二大段、第一段、イサニトヤ思ハエテアルまで。第一大段に述べたように、青年時代の花やかであつたのに、今九人の娘子たちに嫌われることを述べる。この段の末句の、思ハエテアルの句は、第一大段の末句と、同句を重ねて、對比を成している。第二段、終りまで。古人が老人を貴んだことを述べて、暗に敬老を勸める。第一段第二段共に、カクゾ爲來シという同形の獨立文をもつて起して、第一大段との連絡をつけている。この歌は難解の稱があるが、以上のように段落は整然としており、これによつて讀めば、詞句の末はともかくとして、大意を諒解することは困難でない。
【釋】緑子之 ミドリゴノ。ミドリゴは、嬰兒をいう。語義不明。漢語の緑子の譯かという。
 若子蚊見庭 ワクゴガミニハ。ワクゴは、若人の意。「等能乃和久胡我《トノノワクゴガ》」(卷十四、三四五九)。ワクゴの意は、嬰兒から成年期に至るまでをいうと見られ、範圍が廣いので、特にミドリゴである意の説明を冠している。蚊見庭の三字は訓假字。見は、身の意と見られる。但し見は、ミの甲類の字、身のミは、乙類の音であつて、音韻が相違する。もしくはウツセミのミと、同語であろうか。以下、何々ガ身ニハの句が、これと共に三個繰り返され、次の段の、子ラガヨチニハの句と共に、竝立的な句を構成している。
 垂乳爲 タラチシ。枕詞。タラチネノの原形とおぼしく、同じく母の語に冠している。本集に「多羅知斯夜《タラチシヤ》 波々何手波奈例《ハハガテハナレ》」(卷五、八八六)の例があつて、タラチシの用言であることが推定される。語義は多分、足ラシシで、タラシは、足ルの敬語、下のシは時の助動詞で、養育成長させた意であろう。幼兒を育成する意の、日足スと關係があるだろう。なお母に冠するもの以外の用例に「多良知志《タラチシ》 吉備鐵《キビノマガネ》」(播磨國風土記)がある。
 母所懷 ハハニウダカエ。所は、ここでは被役の意に使つてある。以上嬰兒の時代を敍している。
 襁※[ネ+差] ヒムツキノ。
  タマタスキ(西)
  ――――――――――
  搓襁《ヨリムツキ》(代初)
(204)  搓襁《ヨリタスキ》(代初)
  搓手襁《ヨリタスキ》(代精)
  搓襁《タスキカケ》(考)
  搓襁《タスキカク》(略)
  搓襁スキカクル《》(古義)
  挂襁《スキカクル》(古義)
 ※[ネ+差]は、衣服の長く被うさま、襁は、幼兒につける紐で、それを取つて匍匐歩行を助けるもの。二字で幼兒の衣服のことをいうと思われるが、適當の訓が見當らない。類聚名義抄に、襁にヒムツキ、チコノキヌの二訓があり、今その一つを採るまでである。
 平生蚊見庭 ハフコガミニは。平生は、論語に「久要不v忘(レ)2平生之言(ヲ)1」とあり、孔安國の註に「平生、猶《ゴトシ》2少時(ノ)1」とあつて、少年の時をいう。この歌は、相當に漢文の知識のある者が書いたと見られるので、そういう文字も、使用されたのだろう。
 結經方衣 ユフカタギヌ。木綿《ゆう》の肩衣。コウゾの繊維で織つた布で作つた、袖の無い衣服。「布可多衣《ヌノカタギヌ》」(卷五、八九二)。
 氷津裏丹縫服 ヒツラニヌヒキ。ヒツラは、純裏。總裏で、その衣服を著るのは、大切にされた意である。「赤帛之《アカギヌノ》 純裏衣《ヒタウラノコロモ》」(卷十二、二九七二)。以上幼時を説いている。
 頸著之 ウナツキノ。クビツキノ(西)、ウナツキノ(考)。意義不明の句。頸著の文字によれば、小兒の髪が垂れて、頸につくはどなのをいうのだろうという。
 童子蚊見庭 ワラハガミニハ。ウナヒコガミニハ(西)、ワラハガミニハ(古義)。童子は、ワラハの訓が當(205)てられるが、ワラハの語は、垂髪の義であろう。
 結幡之 ユヒハタノ。ユヒハタは、絲で布を結んで染める、しぼり染め。纐纈《こうけち》。
 袂著衣 ソデツケゴロモ。普通の袖の先に更に半幅の袖をつけた衣服。優雅な服装である。「宮人乃《ミヤヒトノ》 蘇泥都氣其呂母《ソデツケゴロモ》(卷二十、四三一五)。
 服我矣 キシワレヲ。ヲは感動の助詞。ここで文が切れる。
 丹因 ニホヒヨル。丹一字でニホフと讀むことは、「平山乎《ナラヤマヲ》 令v丹黄葉《ニホハスモモミチ》」(卷八、一五八八)の例がある。丹は、表意文字で、赤く色づく意に使用されている。ニホヒヨルは、美しく寄り集まる意で、娘子の和うる歌にも「我藻依《ワレモヨリ》 丹穗氷因將《ニホヒヨリナム》」(卷十六、三八〇二)とある。今ここに花やかに寄つている意である。
 子等何四千庭 コラガヨチニハ。コラは、娘子等、ヨチは、同じ年輩の若人。「鑽髪乃《キルカミノ》 吾同子叫過《ヨチコヲスギ》」(卷十三、三三〇七)參照。
 三名之綿 ミナノワタ。枕詞。ニナ貝の腸で、黒いから、黒に冠する。
 蚊黒爲髪尾 カグロシカミヲ。カは、接頭語。クロシは、形容詞の古い連體法。
 信櫛持 マグシモチ。信は、マコトのマを訓假字として使用している。マは接頭語。
 於是岐寸垂 ココニカキタリ。ココニは、髪の垂れている處を指示している。古義に、是を眉の誤りとしてカタニとしているが、そうとも決しかねる。
 取束擧而裳纏見 トリツカネアゲテモマキミ。髪をつかね擧げて纏いても試みで、ミは、そのようにもして見る意。下の、童兒ニ成シミと對して種々になし試みる意をあらわしている。「梓弓《アヅサユミ》 引見縱見《ヒキミユルシミ》」(卷十二、二九八六)。
 童兒丹成見 ワラハニナシミ。ワラハニナシミ(代精)、ウナヰニナシミ(略)。同じく髪を解き亂して、垂(206)髪にもしてみて。童兒は、ワラハの訓に當てて、ここは髪のさまにいう。以上、ミナノ腸以下、髪について敍している。
 羅丹津岐經 サニツカフ。羅をサと讀むのは、羅はうす絹で、紗に同じであるとする澤瀉博士の説による。「音之清羅《オトノサヤケサ》」(卷七、一一五九)參照。以下衣裳のこと。サニツカフは、サ丹著カフで、サは接頭語。赤く色の出ているをいう。「山跡之《ヤマトノ》 宇陀乃眞赤土《ウダノマハニノ》 左丹著者《サニツカバ》」(卷七、一三七六)。赤く染めた意で、次の色を修飾する。
 色丹名著來 イロニナツカシキ。次の紫の色を修飾している。親しまれる意の形容詞。丹ツカフ色に對してよく馴染んでいる紫の意であろう。
 紫之大綾之衣 ムラサキノオホアヤノコロモ。紫に染めた大綾の衣。オホアヤは、綾織の紋樣の大きいもので、涯手な織物。
 墨江之遠里小野之 スミノエノトホザトヲノノ。住吉の遠里小野は、ハギの名所として、ここに擧げられている。「住吉之《スミノエノ》 遠里小野之《トホザトヲノノ》 眞榛以《マハリモチ》 須禮流衣乃《スレルコロモノ》 盛過去《サカリスギユク》」(卷七、一一五六)。
 眞榛持丹精之爲衣丹 マハリモチニホシシキヌニ。マハリは、ハギ。ニホシシは、ニホハシシに同じ。ニホフの使役はニホハスであるが、ここはハに當る字がなく、ニホシシと讀まれている。色に染めた。ハギの花で染めた衣で、これで一種。
 狛錦紐丹縫著 コマニシキヒモニヌヒツケ。コマニシキは、高麗ふうの錦で、それを紐としてハギで染めた衣服に縫いつけて。
 刺部重部波累服 ササヘカサナヘナミカサネキ。ササヘも、カサナヘも、それぞれ、サス、カサヌの蓮續?態をあらわす語法として、かように讀まれているが、へをもつて中止形としているのは、變わつた形である。(207)ササヘは刺スの意で、調子に乘つてこの語を使つている。ナミは竝ミで、竝べ重ねて著である。紫の大綾の衣の上にハギの花摺の衣を著るのだろう。
 打十八爲 ウチソヤシ。枕詞。ウチソは、打麻、ヤシは感動の助詞。打麻を苧《お》にうむ意に、麻績を修飾する。
「打麻乎《ウチソヲ》 麻績王《ヲミノオホキミ》」(卷一、二三)のウチソヲに同じ。
 麻續兒等 ヲミノコラ。續は、績に通じて使用されている。ヲミは、麻績部で、麻を績むを職とする兒ら。
 蟻衣之 アリギヌノ。枕詞。アリギヌは、そこにある衣。これを尊んで、寶に冠している。
 寶之子等蚊 タカラノコラガ。タカラノコラは、財部の子等で、タカラは、布を財貨としたので、これを織る職の部族をタカラベという。
 打栲者 ウチタヘハ。ウチタヘは、打つたタヘ。打麻に對している。
 經而織布 ヘテオルヌノ。ヘテは、綜テで、織絲に作つて。へは、他の形は見えない。下二段活か。
 日暴之朝手作尾 ヒザラシノアサテヅクリヲ。日にさらした麻の手作りの布を。この布は、この綜テ織ル布をいう。
 信巾裳成 ヒラモナス。ヒラモは、禮服の上に著る裳。シビラに同じ。信巾裳の字を使つたのは、禮装の裳だからであろう。ヒラモに成して。
 者之寸丹取 ハシキニトレバ。バに當る字はないが、意をもつて讀み添える。ハシキは、りつぱな?をいうのだろう。この句まで衣服について述べている。
 爲支屋所經 シキヤフル。シキヤは、醜屋で、粗惡な家産。支はキの字音假字。支は、音シであるが、法王帝説等の古書に、キの音に使つている。本集では、卷の十八などにも見えている。これは伎岐などの扁を省路したものとするのであるが、支の字のままでキの音聲を表示する理由があるかも知れない。所經は、經る所の(208)義をもつて、連體形をあらわすために所の字を使用している。この用法から轉じて、動詞の連體形でない場合に、添えて書く用法を生じたと見られる。この句は、次の稻置丁女を説明している。
 稻寸丁女蚊 イナキヲミナガ。イナキは、稻置であるが、ここは普通名詞で、稻を扱う人をいう。丁女は、丁年に逢した女で、一人前の女をいう。娘子ではない。
 妻問迹我丹所來爲 ツマドフトワレニゾコシ。結婚を申し込んで來た。以上一段落。
 彼方之二綾裏沓 ヲチカタノフタアヤシタグツ。ヲチカタは、川のあちらの方。とくに地名としてあげているだろう。フタアヤは、二色の綾。上等の綾である。シタグツは、沓の中にはく料。靴下。「説文(ニ)云(フ)、※[糸+蔑]、音末、字亦作(ル)v韈(ニ)。之太久豆《シタクヅ》。足衣也」(倭名類聚鈔)。この句以下、はき物について述べる。
 飛鳥 トブトリノ。枕詞。
 飛鳥壯蚊 アスカヲトコガ。アスカヲトコは、明日香の地に住む男子。沓を作るに名を得ていたのであろう。
 霖禁縫爲黒沓 ナガメイミヌヒシクログツ。ナガメイミは、長雨を忌み嫌つて。クログツは、黒沓で、皮の沓に黒いウルシを塗るのであろう。その色をよくするために長雨を嫌うものと見える。
 刺佩而 サシハキテ。サシは、接頭語。
 庭立往 ニハニタタズメバ。バに當る字はないが、意をもつて讀み添える。これがないと、歌意を失う。
 退莫立 マカリナタチト。これもトを讀み添える。ナは禁止の助詞。そこから立ち去るなとの意。
 禁尾迹女蚊 サフルヲトメガ。引き留める娘子が。
 髣髴聞而我丹所來爲 ホノキキテワレニゾコシ。上の、退リナ立チト障フルというに對して、ホノ聞キテは、矛盾の感があるが、無雜作に置いたのだろう。一段落で、上の我ニゾ來シまでと對をなしている。
 水縹絹帶尾 ミハナダノキヌノオビヲ。ミハナダは、アイのうすい色。以下帶のことを述べる。
(209) 引帶成韓帶丹取爲 ヒキオピナスカラオビニトラシ。ヒキオビは、引帶、衿。「陸詞(ニ)曰(フ)、衿 音與v襟(ト)同(ジ)、比岐於比《ヒキオビ》。小(キ)帶也。釋名(ニ)云(フ)、衿(ハ)禁也。禁(ジテ)不(ラシム)v得2閑散(スルヲ)1也」(倭名類聚鈔)。衣服につけた小帶である。カラオビは、韓帶。大陸ふうの帶だろうが、その製は不明。「刻2鏤(セル)金銀(ヲ)1帶、取唐帶、五位已上、竝(ニ)聽《ユルセ》2著用(スルヲ)1」(延喜式彈正臺)。トラシは、取ルの敬語法。この歌は竹取の翁の自敍になつており、ここも翁目身のことをいうのだが、その翁のことを、第三者ふうに敬語を使つたのである。
 海神之殿蓋丹 ワタツミノトノノイラカニ。海神の宮殿の屋根に。イラカは、甍。屋根瓦。この句は、次の蜂の飛び翔る場處を指示したものだが、どうしてここに海神の宮殿が出たかというと、この歌は、元來竹取の翁の少壯時代の追憶を敍するものであり、それは翁が若い時代に、海神の宮に聟入りしたという筋が原形で、そこに浦島、海幸山幸の話との接觸點があつたのだろう。その聟入りの件が遺却されて、しかも痕跡として海神の宮の詞が殘つていると見られる。この海神の宮は、やがて、神仙の世界の思想に導かれるものである。
 飛翔爲輕如來 トビカケルスガルノゴトキ。スガルは、ジガバチ、腰細の蜂。次の句の腰細の譬喩説明。
 腰細丹取餝氷 コシボソニトリカザラヒ。コシボソは、腰の細いことで、要體の美しさを描く。ここは翁の青年時代をいうので、男子についていう。トリカザラヒは、取リ飾ルの連續法。帶をもつて細腰を飾る意。
 眞十鏡取雙懸而 マソカガミトリナメカケテ。澄んだ鏡を竝べ懸けて。
 己蚊杲還永見乍 オノガカホカヘラヒミツツ。杲は、歌襖の切、皓韻の字で、音カウであるが、集中、見杲石(卷三、三八二)、杲鳥(卷十、」一八二三)などの如く、カホに使用している。カヘラヒは、カヘルの連續を示す語法。
 面白見我矣思經紋 オモシロミワレヲオモヘカ。オモシロミは、感興に堪えない意を示す形容詞。オモヘカは、疑問條件法。我をおもしろみ思えばか。
(210) 狹野津鳥 サノツトリ。サ野ツ鳥で、キジのこと。
 來鳴翔經 キナキカケラフ。カケラフは、翔ルの連續を示す語。句切。
 路尾所來者 ミチヲクレバ。所來者で、クレバとも讀まれる。この長歌中には、しばしば所をゾの字音假字として使用しているによれば、ミチヲゾクレバか。
 宮尾見名 ミヤヲミナ。宮廷に奉仕する女子。
 刺竹之 サスタケノ。枕詞。大宮に冠するを常とするが、こゝは轉用して、舍人に冠している。サスタケの語に、大宮の意を感じているからであろう。
 忍經等氷 シノブラヒ。耐えしのぶ意の動詞シノブに、補助語ラフが接續して、その連續することを示す語法。心にひそかに思うので、忍の字を使う。サニツラフなどと同じ語形であろう。
 誰子其迹哉所思而在 タガコゾトヤオモハエテアル。タガコは、何人、誰の意。誰の子ではない。以上宮廷の男女の注視の的となつていたことを述べる。句切。
 如是所爲故爲 カクゾシコシ。獨立文。以上の敍述を受けて、かようにして來たことを語る。
 狹々寸爲我哉 ササキシワレヤ。ササキは、花やぐことをいう動詞だろう。「毛の末には金の光しささきたり」(竹取物語)。
 端寸八爲 ハシキヤシ。次の句の、子ラを修飾するが、なかば燭立句となつて、讃嘆の意をあらわしている。
 今日八方子等丹 ケフヤモコラニ。ヤモ、係助詞。コラは、九人の娘子をさす。
 五十狹迩迹哉 イサニトヤ。イサニは、ためらう意の語。ニは、感動の助詞。
 如是所爲故爲 カクゾシコシ。獨立文で、上に出た同じ文を繰り返して、一は上を受け、一は次の敬老の故事を引き起している。
(211) 古部之賢人藻 イニシヘノサカシキヒトモ。以下、孝子傳に見える原|穀《こく》の故事を用いている。「原穀はいづくの人なるかを知らず。祖年老い、父母、厭患《うれ》へて、意にこれを棄てむとおもふ。穀年十五、涕泣苦諫すれども、父母從はず。すなはち輿を作り舁きてこれを棄つ。穀すなはち隨ひて輿を收めて歸る。父謂ひて曰はく、汝何ぞこの凶具を用ゐむ。穀曰はく、すなはち後に父老いば、更に作り得ること能はじ。このゆゑに收むるのみといふ。父感悟愧懼して祖を載せて歸り、侍養して純孝をなしき」(もと漢文)これによつて老人の敬すべきことを教えている。
 堅監將爲迹 カタミニセムト。カタミは、遣物であるが、ここでは鑑の意に使つている。堅監をカガミと讀むべしとする説がある。
 持還來 モチカヘリコシ。同句が更に小字で記されているのは、歌の末句を繰り返したもので、卷の十三等に例がある。
(212)【評語】この歌は、舞曲として傳えられたと考えられる一の説話を取り扱つて、これに外來の思想を加えている。一人の老翁が、その花やかであつた若い時代のことを追憶し、今老境に入つたことを悔む内容の舞曲が、古くから傳えられ、それは多分歌詞を有していたと考えられる。この歌もそれを傳えて、花やかな追憶の部分と、老を悔む部分とから成つている。序文は、神仙思想によつて、この歌の場合を説明しているが、それはかならずしも歌と不可分の關係にあるものではなく、關連はあるが、切り離して見る方が、原形に近いものが見られるのだろう。そこでこの歌は、かような性質から持ち越した物語ふうの表現に富み、追憶の敍事が詳密で、特殊の描寫が見られる。また同句の繰り返しなど、歌いものから來た技術が巧みに使用されて、平板に流れる難を免れている。作者は、相當の有識者で、古傳説などに興味を有する人であろう。時代は作中の地名等、奈良時代以前の地理によつているが、しかしそれらは前から傳えたのであるかも知れない。用字法に特殊のものが多いのは、資料としたものの形を受け傳えたものであろう。
 
反歌二首
 
3792 死なばこそ 相見ずあらめ。
 生きてあらば
 白髪《しろかみ》子等《こら》に 生《お》ひざらめやも。
 
 死者木苑《シナバコソ》 相不v見在目《アヒミズアラメ》
 生而在者《イキテアラバ》
 白髪子等丹《シロカミコラニ》 不v生在目八方《オヒザラメヤモ》
 
【譯】死んだなら見ないでもあろうが、生きていたら、白髪が皆さんに生えないではいないのだ。
【釋】死者木苑 シナバコソ。苑は、ソノの上部を使つて音聲としている。
 相不見在目 アヒミズアラメ。白髪を見ずにあるだろう。死んでもその靈魂の存する言い方。句切。
(213) 白髪子等丹 シロカミコラニ。コラは、九人の娘子。
【評語】老のかならず至ることを歌つている。この九人の娘子は、仙女とするなら、永久に若いはずなのだが、歌ではそれを忘れて、老の避けがたいことを言つている。白髪は、老の代表。
 
3793 白髪《しろかみ》し 子等《こら》も生《お》ひなば、
 かくの如《ごと》、
 若けむ子等《こら》に 罵《の》らえかねめや。
 
 白髪爲《シロカミシ》 子等母生名者《コラモオヒナバ》
 如v是《カクノゴト》
 將2若異1子等丹《ワカケムコラニ》 所v詈金目八《ノラエカネメヤ》
 
【譯】白髪が、皆さんにも生えたなら、このように、若いだろう人に罵られないではいられまい。
【釋】白髪爲 シロカミシ。下のシは、張意の助詞。白髪を強く提示している。
 子等母生名者 コラモオヒナバ。コラモイキナバ(類)、コラモオヒナバ(古義)。イキナバと讀めば、初句の下のシは、助詞になる。しかしここは、前の歌の「白髪子らに生ひざらめやも」を受けているからオヒナバと讀むべきである。
 將若異子等丹 ワカケムコラニ。形容詞ワカケに助動詞ムが接續している。異は、若ケのケをあらわすために、書き添えられている。
 所詈金目八 ノラエカネメヤ。ののしられないことができないだろう。ののしられるだろう。
【評語】老人の嫌われることを説いている。第一の反歌を受けて歌い、長歌の末尾と呼應して、敬老の思想を語つている。
 
娘子等和歌九首
 
(214)【釋】娘子等和歌 ヲトメラノコタフルウタ。九人の娘子がそれぞれ一首ずつ詠んで、翁の歌に和したように作つている。
 
3794 愛《は》しきやし 老夫《おきな》の歌に、
 おほほしき 九《ここの》の兒等《こら》や、
 感《かま》けて居《を》らむ。一。
 
 端寸八爲《ハシキヤシ》 老夫之歌丹《オキナノウタニ》
 大欲寸《オホホシキ》 九兒等哉《ココノノコラヤ》
 蚊間毛而將v居《カマケテヲラム》一
 
【譯】愛すべき老人の歌に、ぼんやりした九人の娘たちがか、感心しておりましよう。
【釋】端寸八爲 ハシキヤシ。次句の、老夫の歌を修飾している。
 大欲寸 オホホシキ。氣もちのはれないこと、景色のぼうつとしたことなどに使う形容詞だが、ここは娘子たちの心のぼうとしていることを説明している。なおここに大欲寸と書いてあるのは、すべて清音であることを證明するものである。
 九兒等哉 ココノノコラヤ。九人の娘たちがかで、ヤは疑問の係助詞。
 蚊間毛而將居 カマケテヲラム。日本書紀に、感にカマクと訓している。感心していよう。この句の内容を疑つているのではない。
【評語】九人の歌の初めとして、總括的に、老翁の歌を稱えている。筋を通すだけの歌だが、感動的なところがすこしはあつて息をついた形である。
 
3795 辱《はぢ》を忍《しの》び 辱《はぢ》を黙《もだ》して
 事も無く もの言はぬ先に
(215) われは寄《よ》りなむ。二。
 
 辱尾忍《ハヂヲシノビ》 辱尾黙《ハヂヲモダシテ》
 無v事《コトモナク》 物不v言先丹《モノイハヌサキニ》
 我者將v依《ワレハヨリナム》二
 
【譯】辱をこらえ、辱をだまつて、何事もなく、物をいわない先に、わたしはこの老翁に寄りましよう。
【釋】辱尾忍 ハヂヲシノビ。ハヂは、翁に教訓され言いこめられたことをいう。シノビは、こらえ忍んで。
 辱尾黙 ハヂヲモダシテ。その恥辱に反抗せず、黙受して。
 我者將依 ワレハヨリナム。ヨルは、翁の言に從うをいう。
【評語】翁の言にだまつて從おうとする意を歌つている。初二句に、對句的に言つているのが目につく。契沖は、班昭の七誡七篇の第一に「謙讓恭敬、先入(リテ)後(ニス)v己(ヲ)、有(レバ)v善莫(シ)v名、有(レバ)v惡莫(シ)v辭、忍(ビ)v辱(ヲ)含(ミ)v垢(ヲ)、常(ニ)苦(シム)2畏懼(ニ)1、是(ヲ)謂(フ)2卑弱下(ルト)1v人(ニ)也」とあるによつたものとしている。
 
3796 否《いな》も諸《う》も、
 欲《ほり》するまにま 赦《ゆる》すべき、
 貌《かたち》は見ゆや
 われも寄りなむ。三。
 
 否藻諸藻《イナモウモ》
 隨v欲《ホリスルマニマ》 可v赦《ユルスベキ》
 ※[貌の旁]所v見哉《カタチハミユヤ》
 我藻將v依《ワレモヨリナム》三
 
【譯】否も承知も、思つている通りに許すような樣子が見えますよ。わたしも寄りましよう。
【釋】否藻諾藻 イナモウモ。翁の言に對する否も諾もである。三七九八の歌にも、この句があつて、翁の言を入れるか否かの意に使つている。
 隨欲 ホリスルマニマ。九人のおのおのが欲するままに。
 可赦※[貌の旁]所見哉 ユルスベキカタチハミユヤ。仲間の者が承知すべき有樣が見える。ヤは、感動の助詞。「意伎弖曾伎怒也《オキテゾキノヤ》」(卷二十、四四〇一)。
(216) 我藻將依 ワレモヨリナム。以下四首、前の歌の、ワレハ寄リナムを受けて、和している。
【評語】轉じて、周圍の者の心に氣がねしながら、翁の言に從おうとする心を描いている。事情を説き得た歌といえよう。
 
3797 死《しに》も生《いき》も、
 同じ心と 結びてし
 友や違《たが》はむ。
 われも寄りなむ。四。
 
 死藻生藻《シニモイキモ》
 同心迹《オヤジココロト》 結而爲《ムスビテシ》
 友八違《トモヤタガハム》
 我藻將v依《ワレモヨリナム》四
 
【譯】死ぬも生きるも、同じ心だと約束した友に違いましようや。わたしも寄りましよう。
【釋】同心迹結而爲 オヤジココロトムスビテシ。死ぬのも生きるのも同じ心を持つていようと契約した。
 友八違 トモヤタガハム。ヤは、疑問の係助詞だが、ここは強く、友に違いはしないの意になつている。句切。
【評語】生死も同心と誓つた心が歌われている。九首のうちでの強い内容の歌である。
 
3798 何《なに》爲《せ》むと 違《たが》ひは居《を》らむ。
 否《いな》も諾《う》も 友の竝竝《なみなみ》、
 われも寄りなむ。五
 
 何爲迹《ナニセムト》 違將v居《タガヒハヲラム》
 否藻諾藻《イナモウモ》 友之波々《トモノナミナミ》
 我裳將v依《ワレモヨリナム》五
 
【譯】何しようとて違つておりましよう。否も承知も、友の通りです。わたしも寄りましよう。
【釋】何爲迹違將居 ナニセムトタガヒハヲラム。何をしようとてか違つておろうぞ。句切。
 友之波々 トモノナミナミ。ナミナミは、竝々で、友と同じようにとの意。句切。
(217)【評語】同意を表した歌で、多少の強い語氣が窺われるだけである。
 
3799 豈《あに》もあらぬ おのが身《み》のから、
 人の子の 言《こと》も盡《つく》さじ。
 われも寄りなむ。六。
 
 豈藻不v在《アニモアラヌ》 自身之柄《オノガミノカラ》
 人子之《ヒトノコノ》 事藻不v盡《コトモツクサジ》
 我藻將v依《ワレモヨリナム》六
 
【譯】何でもないわたしの身のゆえに、ほかの方の言葉をつくさせません。わたしも寄りましよう。
【釋】豈藻不在 アニモアラヌ。アニは、何に同じ。何等のこともない。オノガ身を修飾する。
 自身之柄 オノガミノカラ。自分の身のゆえに。
 人子之 ヒトノコノ。他の人をいう。コは愛稱。ほかの八人の娘子の總稱。
 事藻不盡 コトモツクサジ。コトは言語。言をつくさせない。自分ゆえに言葉を出させない。句切。
【評語】謙遜して言つている。物の數でもないわが身という思想が歌われている。
 
3800 はだすすき 穗にはな出でと、
 思ひてある 情《こころ》は知らゆ。
 われも寄りなむ。七。
 
 者田爲々寸《ハダススキ》 穗庭莫出《ホニハナイデト》
 思而有《オモヒテアル》 情者所v知《ココロハシラユ》
 我藻將v依《ワレモヨリナム》七
 
【譯】はだススキのように、表面に出すなと思つている心は知られます。わたしも寄りましよう。
【釋】者田爲々寸 ハダススキ。枕詞。穗ニ出ルを引き起している。「波大須酒伎《ハダススキ》」(卷十四、三五〇六)。集中「皮爲酢寸《ハダススキ》」の字を使用しているものが三例あり、また「波太須珠寸《ハダススキ》 尾花逆葺《ヲバナサカフキ》」(卷八、一六三七)の如く、尾花と竝べているところを見ると、穗がまだあらわれないで、皮をかぶつているススキをいうか。
(218) 穗庭莫出 ホニハナイデト。ホニハイヅナト(類)、ホニハナイデト(新訓)。言いたいことがあつても色にあらわすなと。
 思而有情者所知 オモヒテアルココロハシラユ。而有は、テアルであるが、つまつてタルとなる。助動詞タリの原形。他の人々が思つている心は推量される。句切。
【評語】これでは、老人の言に從うのは、表面だけのようである。九首も詠むとなると、無理も出てくるのだろう。
 
3801 住吉《すみのえ》の 岸|野《の》の榛《はり》に
 にほふれど、
 にほはぬ我や、
 にほひて居《を》らむ。八。
 
 墨之江之《スミノエノ》 岸野之榛丹《キシノノハリニ》
 々穗所v經迹《ニホフレド》
 丹穗葉寐我八《ニホハヌワレヤ》
 丹穗氷而將v居《ニホヒテヲラム》 八
 
【譯】住吉の岸野のハギに染めるけれども、色のよく染まないわたしは、ほかの方と同じになつておりましよう。
【釋】墨之江之岸野之榛丹 スミノエノキシノノハリニ。住吉のハギを取りあげている。翁の長歌に、住吉の遠里小野の眞榛で染めた衣の句があり、それを受けている。
 丹穗所經迹 ニホフレド。染めるけれども。この歌中にニホフが三出している中に、これは下二段活用で、他動詞である。
 丹穗葉寐我八 ニホハヌワレヤ。染まらない我やだが、ニホハヌは、美しくないことを意味する。
 丹穗氷而將居 ニホヒテヲラム。これは友と同樣に色に染まつていようで、友に違わない意である。
(219)【評語】ニホフを三出させて、歌を組織している。しかしその用法には、混雜が感じられて、歌いもののような調子のよさが感じられないのは、元來作り歌だからである。
 
3802 春の野の 下草靡き、
 われも寄り にほひ寄《よ》りなむ。
 友のまにまに。九。
 
 春之野乃《ハルノノノ》 下草靡《シタクサナビキ》
 我藻依《ワレモヨリ》 丹穗氷因將《ニホヒヨリナム》
 友之隨意《トモノマニマニ》 九
 
【譯】春の野の下草が靡くように、わたしも寄つて、同じ色に染まつておりましよう。友の心通りに。
【釋】春之野乃下草靡 ハルノノノシタクサナビキ。序詞で、三句の我モ寄ルの樣を形容している。
 丹穗氷因將 ニホヒヨリナム。同じ心に寄つていよう。長歌の、ニホヒ寄ル子ラガヨチニハの句を受けている。句切。
【評語】ここに至つて、春の野を出して、序詞の季春の月云々に照應している。序を使つて友と同じく翁の言に從おうとする心を歌つているが、あまり序の效果は感じられない。以上の九首は、初めの一首がやや總括的に歌い、第二首にワレハ寄リナムといい、第三首以下、それを受けて、ワレモ寄リナムと言つているが、内容上には、組織的な配列は見出せない。しかし翁の長歌に對して、九首の短歌をもつて應じた手段は、一往首肯される。それは長歌には、先行の歌曲があり、反歌や和歌は、新作の添加であつたためでもあろう。要するに長歌の興趣のゆたかなのには遠く及ばない。
 
昔者有3壯士與2美女1也。【姓名未v詳】不v告2二親1、竊爲2交接1。於v時娘子之意、欲2親令1v知、因作2歌詠1、送2與其夫1。歌曰、
 
(220)昔《むかし》壯士《をとこ》と美女《をとめ》ありき。【姓名いまだ詳ならず。】二親《ちちはは》に告げずして竊に交接《まじはり》をなしき。時に娘子《をとめ》の意《こころ》、親に知らせまく欲りして、因りて歌詠を作りてその夫《せ》に送り與へき。歌に曰はく、
 
3803 隱《こも》りのみ 戀ふれば苦し。
 山の端《は》ゆ 出で來《く》る月の、
 顯《あら》はさばいかに。
 
 隱耳《コモリノミ》 戀者辛苦《コフレバクルシ》
 山葉從《ヤマノハユ》 出來月之《イデクルツキノ》
 顯者如何《アラハサバイカニ》
 
【譯】隱れてばかり戀うのは、苦しいものです。山の端を通つて出てくる月のように、表に出したらどうでしようか。
【釋】隱耳戀者辛苦 コモリノミコフレバクルシ。表に出さず心の中でばかり戀うのは苦しい。「隱耳《コモリノミ》 戀者苦《コフレバクルシ》 瞿麥之《ナデシコノ》 花爾咲出與《ハナニサキイデヨ》 朝且將v見《アサナアサナミム》」(卷十、一九九二)。句切。
 山葉從出來月之 ヤマノハユイデクルツキノ。以上、譬喩による序詞。山の端を通つて出てくる月のように。
 顯者如何 アラハサバイカニ。人に告げて公然の事としたらどうか。
【評語】類型的な内容を、譬喩で持たせてある歌である。このような歌が、實際には多かつたのである。
 
右或云、 男有2答歌1者、 未v得2探求1也
 
右は或るは云はく、男に答歌ありといへれば、いまだ探り求むることを得ず。
 
昔者有2壯士1、新成2婚禮1也。未v經2幾時1、忽爲2驛使1、被v遣2遠境1、公事有v限、會期無v日。於v是娘子、感慟悽愴、沈2臥疾※[やまいだれ/尓]1。累v年之後、壯士還來、覆(221)命既了、乃詣相視。而娘子之姿容、疲羸甚異、言語哽咽。于v時壯士、哀嘆流v涙、裁v歌口號。其歌一首
 
昔者《むかし》壯士《をとこ》あり、新たに婚禮を成しき。いまだ幾時《いくだ》も經ず、忽に驛使《はゆまづかひ》となりて遠き境に遣はされき。公事限りありて、會ふ期、日無し。ここに娘子《をとめ》、感慟悽愴して疾※[やまいだれ/尓]《やまひ》に沈み臥しき。年を累ねて後、壯士還り來て覆命既に了《をは》りぬ。すなはち詣《いた》りて相視るに、娘子の姿容疲羸はなはだ異にして、言語|哽咽《かうえつ》せり。時に壯士、哀しみ嘆き涙を流して歌を裁《つく》りて口號《くちずき》みき。その歌一首。
 
【譯】爲驛使 ハユマヅカヒトナリテ。驛路の馬に乘つて行く使となつて。役人の公務による旅行である。
 公事有限會期無日 クジカギリアリテアフトキヒナシ。公務の使であるから出發すべき日限が定められていて、娘子に逢うべき時日がなかつた。
 沈臥疾※[やまいだれ/尓] ヤマヒニシヅミフシキ。※[やまいだれ/尓]は、音チン。※[やまいだれ/下心]と同字、熱のある病。
 覆命既了 カヘリゴトスデニヲハリヌ。政府に對して、使の返事を終つた。
 
3804 かくのみに ありけるものを。
 猪名川《ゐながは》の 奧《おき》を深めて、
 わが念《おも》へりける。
 
 如v是耳尓《カクノミニ》 有家流物乎《アリケルモノヲ》
 猪名川之《ヰナガハノ》 奧乎深目而《オキヲフカメテ》
 吾念有來《ワガオモヘリケル》
 
【譯】こんな事よりほかはなかつたのに、猪名川のように、遠い行先をかけて、わたしは思つていたのだつた。
【釋】如是耳尓有家流物乎 カクノミニアリケルモノヲ。このような事、それだけだつたのに。そのほかの事はなかつたのに。「如v是耳《カクノミニ》 有家類物乎《アリケルモノヲ》 芽子花《ハギガハナ》 咲而有哉跡《サキテアリヤト》 問之君波母《トヒシキミハモ》」(卷三、四五五)、「如v是耳《カクノミニ》 有(222)家留物乎《アリケルモノヲ》 妹毛吾毛《イモモワレモ》 如2千歳1《チトセノゴトク》 憑有來《タノミタリケル》」(同、四七〇)。
 猪名川之奧乎深目而 ヰナガハノオキヲフカメテ。猪名川は、攝津の國。この作者の行つた地名を出しているであろう。その川の沖が深くてで、オキは將來をいう。將來遠く。譬喩の表現である。
【評語】單純な内容だが、深く思つていた心の悲痛の情は寫されている。成句を使つて、表現が類型的であることは免れない。
 
娘子臥聞2夫君之歌1、從v枕擧v頭、應v聲和歌一首
 
娘子《をとめ》臥して夫《せ》の君の歌を聞きて、枕より頭を擧げ聲に應《こた》へて和《こた》ふる歌一首。
 
【釋】應聲 コヱニコタヘテ。すぐさま。聲の下から。
 
3805 ぬばたまの 黒髪ぬれて、
 沫雪の 零《ふ》るにや來《き》ます。
 幾許《ここだ》戀ふれば。
 
 烏玉之《ヌバタマノ》 黒髪所v沾而《クロカミヌレテ》
 沫雪之《アワユキノ》 零也來座《フルニヤキマス》
 幾許戀者《ココダコフレバ》
 
【譯】まつ黒な髪が濡れて、沫雪の降るのにお出でになつたのですか。たいへんに戀うていましたので。
【釋】烏玉之 ヌバタマノ。枕詞。
 黒髪所沾而 クロカミヌレテ。黒髪は、男の髪である。雪中を來るさま。
 沫雪之 アワユキノ。アワユキは、沫のような大形の雪。
 零也來座 フルニヤキマス。作者は、寐ているので、男が雪の降るに濡れて來たかと問うている。句切。
【評語】男の來るさまを想像し描寫しているのがよい。黒髪が沫雪に濡れるというのが、よい印象を與えてい(223)る。感謝の情が歌われている。
 
今案、此歌、其夫被v使、既經2累載1、而當2還時1、雪落之冬也。因v斯娘子、作2此沫雪之句1歟。
 
今|案《かむが》ふるに、この歌は、その夫、使を被《かがふ》りて既に累載を經、還る時に當りて雪|落《ふ》れる冬なり。これに因りて娘子この沫雪の句を作れるか。
 
【釋】今案 イマカムガフルニ。編者の考えを記したもの。
 
3806 事しあらば、
 小泊瀬山《をはつせ》の 岩城《いはき》にも
 隱《こも》らば共に。
 な思ひ、わが夫。
 
 事之有者《コトシアラバ》
 小泊瀬山乃《ヲハツセヤマノ》 石城尓母《イハキニモ》
 隱者共尓《コモラバトモニ》
 莫思吾背《ナオモヒワガセ》
 
【譯】事があつたら、小泊瀬山の石城にも隱れるなら一緒に隱れましよう。御心配なさいますな、あなた。
【釋】事之有者 コトシアラバ。コトは、事件。シ、強意の助詞。
 小泊瀬山乃 ヲハツセヤマノ。ヲは、愛稱。泊瀬は、大和の泊瀬。
 石城尓母 イハキニモ。イハキは、石の建造物。磐境、墳墓の類をいうが、ここは古墳であろう。
 隱者共尓 コモラバトモニ。トモニの下にセム、アラム、コモラムなどの意の語が省略されている。句切。
 莫思吾背 ナオモヒワガセ。ナオモヒは、初句を受けて、事の起るのを案ずるなの意。
【評語】常陸國風土記に別傳があり、相當廣く歌われた歌であろう。戀のために冒險することを辭せない意が(224)本意で、轉じては、夫の小心に患えているのを慰める場合にも、引かれるであろう。「わが夫子は物な思ほし。事しあらば火にも水にも吾無けなくに」(卷四、五〇六)など、これから脱化した歌である。
【參考】別傳。
 郡より東五十里に、笠間村あり。越え通ふ道路を葦穗山といふ。古老曰はく、古山賊あり、名を油置賣《あぶらおきめ》の命《みこと》といふ。今社中に石屋あり。俗の歌に曰はく、
  許智多?波《コチタクバ》 乎婆頭勢夜麻能《ヲハツセヤマノ》 伊波歸爾母《イハキニモ》 爲弖許母良奈牟《ヰテコモラナム》 奈古非敍和支母《ナコヒソワギモ》(常陸國風土記、新治郡、もと漢文)
 
右傳云、時有2女子1、不v知2父母1、竊接2壯士1也。壯士※[立心偏+束]2※[立心偏+易]其親呵嘖1、稍有2猶預之意1。因v此娘子、裁2作斯歌1、贈2與其夫1也。
 
右は傳へ云ふ。ある時|女子《をみな》あり、父母に知らせずして竊に壯士《をとこ》に接《あ》ひき。壯士その親の呵嘖《ころび》を※[立心偏+束]※[立心偏+易]《おそ》りてやや猶預の意あり。これに因りて娘子この歌を裁作《つく》りてその夫《せ》に贈り與へきといへり。
 
【譯】※[立心偏+束]※[立心偏+易]其親呵嘖 ソノオヤノコロビヲオソリテ。※[立心偏+束]※[立心偏+易]は恐れ愼む。呵嘖は叱責。日本書紀に、嘖讓をコロビと自註している。
 
3807 安積香《あさか》山
 影さへ見ゆる 山の井の、
 淺き心を わが念はなくに。
 
 安積香山《アサカヤマ》
 影副所v見《カゲサヘミユル》 山井之《ヤマノヰノ》
 淺心乎《アサキココロヲ》 吾念莫國《ワガオモハナクニ》
 
【譯】安積香山、物の影までも見える山の井のような、淺い心を、わたくしは思つておりません。
(225)【釋】安積香山 アサカヤマ。福島縣安積郡。山野井村(いま日和田町)にある小丘という。
 影副所見 カゲサヘミユル。カゲは、水に映るすべての物の影。この句で水の清らかなことを描いている。「天雲之《アマグモノ》 影塞所v見《カゲサヘミユル》 隱來笶《コモリクノ》 長谷之河者《ハツセノカハハ》」(卷十三、三二二五)。
 山井之 ヤマノヰノ。ヤマノヰは、山間の水を湛えた處。以上、譬喩および同音によつて淺キの序としている。アサカ山、アサキと續く心である。
 淺心乎吾念莫國 アサキココロヲワガオモハナクニ。君に對して淺い心を思わないことである。
【評語】初句と四句とにアサの音を重ね、すべて小器用にできている。歌いものから多少詞句のさしかえを行つてできた歌であろう。古今和歌集の序に、「難波津にさくやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の歌とこの安積山の歌とについて「このふた歌は、歌の父母のやうにてぞ、手習ふ人のはじめにもしける」とあつて、書道の手本に使われた。
 
右歌、傳云、葛城王、遣2于陸奧國1之時、國司、祗承緩怠異甚。於v時王意不v悦、怒色顯v面、雖v設2飲饌1、不v肯2宴樂1。於v是有2前采女1、風流娘子。左手捧v觴、右手持v水、撃2之王膝1、而詠2此歌1。尓乃王意解悦、樂飲終日。
 
右の歌は、傳へ云ふ。葛城《かづらき》の王《おほきみ》、陸奧《みちのく》の國に遣はさえし時、國司|祗承《つか》ふること緩怠にして異にはなはだし。時に、王の意《こころ》悦《よろこ》びず、怒の色面に顯はる。飲饌《みあへ》を設《ま》けしかども、宴樂し肯《あ》へず。ここに前《きき》の釆女《うねめ》あり、風流の娘子なり。左の手に觴《さかづき》を捧《きさ》げ右の手に水を持ち、王の膝を撃ちて、この歌を詠みき。ここにすなはち王の意解け悦びて、樂飲すること終日なりき。
 
(226)【釋】葛城王 カヅラキノオホキミ。葛城の王と呼ばれる方は數人ある。一は、伊豫國風土記に、聖コ太子時代の人として傳えているが、これはこの歌の格調に比して古きに過ぎる。次に、天武天皇の八年七月に卒した四位の葛城の王があり、また橘の諸兄の前名としての葛城の王がある。この兩者のうち、いずれとも決定しかねるが、時代といい、萬葉集との關係、この卷に橘の諸兄の弟橘の佐爲《さい》をやはり佐爲の王といつていること(三八五七左註)の諸點から見て、諸兄のこととする説に傾かれる。
 陸奧國 ミチノクノクニ。陸奧の國は、大化の年に置かれた。養老二年に、その石城《いはき》、標葉《しめは》、行方《なめかた》、宇太《うだ》、曰理《わたり》、および常陸《ひたち》の菊多《きくた》の各郡を割いて石城の國とし、白河、石背《いはしろ》、會津《あひづ》、安積《あさか》、信夫《しのぶ》の各郡を割いて石背の國としたが、神龜年中にそれを廢してもとの如く陸奧の國に編入された。この歌物語は國司の祗承が緩怠であつたことを言つているから、國府での出來事と見るべく、しかも歌中には安積香山が歌われているのだから、その近くに國府があつた時代の事と見るべきである。しかるに陸奧の國の國府は、天平勝寶の頃まで、後の陸前の國名取の郡の武隈《たけくま》にあつたのだから、それでは地理的に都合がわるい。よつて思うに、この物語は、石背の國の置かれてあつた時代の事で、石背の國の國府と考えられる今の郡山市での出來事であつたのだろう。それを石背の國が陸奧の國に合併されてからこの文が書かれて、陸奧の國とされているのであろう。
 祗承緩怠 ツカフルコトオロソカニシテ。愼みて仕えることがなおざりであつて。
 有前采女 サキノウネメアリ。采女は、日本書紀大化二年正月の條に「およそ采女は、郡の少領以上の姉妹および子女の形容端正なるものを貢せよ。【從丁一人從女二人】一百戸をもて采女一人の粮に充てよ。庸布庸米は皆仕丁に准ぜよ」とあり、その采女の任を終えたのが前の采女である。陸奧の國の采女については、續日本紀大寶二年四月の條には「筑紫七國および越後國をして、采女兵衛を簡び點じて貢せしめよ。但し陸奧の國は貢することなかれ」とある。これに依れば陸奧の國は、初めから采女を出さなかつたようである。ここに前の采女という(227)のは、他國から出た采女が來ていたのかも知れない。采女は宮廷に仕えるので、歌なども歌つてもてなしがよいのである。
 右手持水 ミギノテニミヅヲモチ。水は、酒のこととする説もあるが、全釋にいう如く、實際の水で、歌の山の井の水を意味したものとするがよいであろう。
 
3808 住吉《すみのえ》の 小集樂《あそび》に出でて、
 寤にも 己妻《おのづま》すらを
 鏡と見つも。
 
 墨江之《スミノエノ》 小集樂尓出而《アソビニイデテ》
 寤尓毛《ウツツニモ》 己妻尚乎《オノヅマスラヲ》 鏡登見津藻《カガミトミツモ》
 
【譯】住吉の遊びに出て、まのあたり自分の妻ではあるが、鏡のように見たことだ。
【釋】小集樂尓出而 アソビニイデテ。小集樂は、日本書紀、天智天皇の卷の童話に「于知波志能《ウチハシノ》 都梅能阿素弭爾《ツメノアソビニ》 伊提麻栖古《イデマセコ》」(一二四)とあり、ツメは集まる義と解せられるとして、ヲヅメと讀んでいる。ヲは愛稱の接頭語。しかしツメノアソビは、橋詰の遊びと解せられるので、むしろアソビの訓を取つた方がよい。その内容は、左註に「郷里の男女|衆集《つど》ひて野遊しき」とあるように、人々が多く集まつて遊ぶ行事であつたろう。
 寤尓毛 ウツツニモ。ウツツは、現前。夢幻に對する現實。
 己妻尚乎 オノヅマスラヲ。自分の妻であるのに。
 鏡登見津藻 カガミトミツモ。鏡は、貴いよい物とされている。鏡のようにりつぱなものと見た。
【評語】大勢の中に出て、自分の妻をりつぱなものと見たという、あかるい歌である。初二句に、住吉ノ小集樂ニ出デテと説明しているのは、他の場所での歌だからであろう。物語中の一首であるかも知れない。
 
(228)右傳云、昔者鄙人、姓名未v詳也。于v時郷里男女、衆集野遊。是會集之中、有2鄙人夫婦1、其婦容姿端正、秀2於衆諸1。乃彼鄙人之意、弥増2愛v妻之情1、而作2斯歌1、賛2嘆美※[白/ハ]1也。
 
右は傳へ云ふ。昔者《むかし》鄙人あり、姓名いまだ詳ならず。時に郷里の男女、衆集《つど》ひて野遊しき。この會集の中に鄙人の夫婦あり。その婦《め》、容姿|端正《きらきら》しきこと衆諸に秀れたり。すなはちその鄙人の意、いよよ妻を愛《うつく》しむ情《こころ》増さりて、この歌を作り、美貌を賛嘆したりき。
 
【釋】容姿端正 カタチノキラキラシキコト。日本書紀に端正をキラキラシと訓している。
 
3809 商變《あきがは》り 領《し》らすとの御法《みのり》
 あらばこそ
 わが下衣《したごろも》 返し賜《たば》らめ。
 
 商變《アキガハリ》 領爲跡之御法《シラストノミノリ》
 有者許曾《アラバコソ》
 吾下衣《ワガシタゴロモ》 反賜米《カヘシタバラメ》
 
【譯】買つた品を返すことを認めるという法令があるならば、わたくしの下著も、お返しくださるでしよう。
【釋】商變 アキガハリ。物の價をきめて買い取つてから變更すること。他に用例はない。認めがたいこととしてあげている。
 領爲跡之御法 シラストノミノリ。シラスは、許す、認める。ミノリは、法令。
 吾下衣 ワガシタゴロモ。下著で、結婚して男に贈つた下著である。
 反賜米 カヘシタバラメ。カヘシタマハメ(類)、カヘシタバラメ(古義)。集中、タマフ、タバル、兩用している。タバルは、賜わる意で、動詞である。
(229)【評語】婚姻の絶對であることを説いている。商變リの譬喩が、痛切にひびく。これを受けた男も苦笑を禁じ得なかつたであろう。
 
右傳云、時有2所v幸娘子1也。【姓名未v詳】寵薄之後、還2賜寄物1。【俗云2可多美1。】於v是娘子、怨恨、聊作2斯歌1獻上。
 
右は傳へ云ふ。ある時幸《うるはしみ》せらえし娘子ありき【姓名いまだ詳ならず。】寵《めぐみ》うすれたる後、寄物【俗にかたみと云ふ。】を還し賜《たば》りき。ここに娘子|怨恨《うら》みて、いささかこの歌を作りて獻上《たてまつ》りきといへり。
 
【釋】有所幸娘子也 ウルハシミセラエシヲトメアリキ。幸は、皇帝の愛する所をいう。これによれば、相手は天皇ということになる。そこで歌中の御法云々がよく利くのである。
 
3810 味飯《うまいひ》を 水に釀《か》み成し
 わが待ちし 代《かひ》はかつて無し。
 ただにしあらねば。
 
 味飯乎《ウマイヒヲ》 水尓釀成《ミヅニカミナシ》
 吾待之《ワガマチシ》 代者曾無《カヒハカツテナシ》
 直尓之不v有者《タダニシアラネバ》
 
【譯】うまい飯を、水になるまで釀み成して、わたしの待つたかいは、すべてないことです。じかに逢えないので。
 
【釋】味飯乎水尓釀成 ウマイヒヲミヅニカミナシ。飯を酒にかもして、待酒を釀造して。
 代者曾無 カヒハカツテナシ。酒をかもして待つていただけの、效果は、すべてなかつた。カヒは、物の代りで、代價。句切。
 直尓之不有者 タダニシアラネバ。タダは直接。本人自身が來なかつたのをいう。
(230)【評語】待つていた?態を、具體的に説明したのがよい。恨みの情がよく動いている。
 
右傳云、昔有2娘子1也。相2別其夫1、望戀經v年。尓時夫君、更取2他妻1、正身不v來、徒贈2裹物1。因v此娘子、作2此恨歌1、還酬之也。
 
右は傳へ云ふ。昔娘子ありき。その夫《せ》に相別れて、望み戀ふること年を經たりき。その時|夫《せ》の君更に他《あた》し妻を娶《と》りて、正身《ただみ》は來《こ》ず、ただ裹物《つと》を贈りき。これに因りて、娘子この恨みの歌を作りて、還し酬いきといへり。
 
【釋】正身不來 タダミハコズ。タダミは、本人自身。「多太未可母《タダミカモ》 安夜麻知之家牟《アヤマチシケム》」(卷十五、三六八八)參照。
 
戀2夫君1歌一首 并2短歌1
 
夫《せ》の君《きみ》に戀ふる歌一首 【短歌并はせたり。】
 
3811 さ丹《に》つらふ 君が御言《みこと》と
 玉|梓《づさ》の 使も來《こ》ねば、
 憶《おも》ひ病む わが身一つぞ。」
 ちはやぶる 神にもな負《おほ》せ。
 卜部《うらべ》坐《ま》せ 龜もな燒きそ。
(231) 戀ひしくに 痛むわが身ぞ。」
 いちしろく 身に染《し》みとほり
 村肝《むらぎも》の 心碎けて、
 死なむ命 にはかになりぬ。」
 今更に 君か吾《わ》を喚《よ》ぶ。
 たらちねの 母の命《みこと》じゃ、
 百足《ももた》らず 八十《やそ》の衢《ちまた》に
 夕占《ゆふけ》にも 卜《うら》にもぞ問ふ。
 死ぬべきわがゆゑ。」
 
 左耳通良布《サニツラフ》 君之三言等《キミガミコトト》
 玉梓乃《タマヅサノ》 使毛不v來者《ツカヒモコネバ》
 憶病《オモヒヤム》 吾身一曾《ワガミヒトツゾ》
 千磐破《チハヤブル》 神尓毛莫負《カミニモナオホセ》
 卜部座《ウラベマセ》 龜毛莫燒曾《カメモナヤキソ》
 戀之久尓《コヒシクニ》 痛吾身曾《イタムワガミゾ》
 伊知白苦《イチシロク》 身尓染保里《ミニシミトホリ》
 村肝乃《ムラギモノ》 心碎而《ココロクダケテ》
 將v死命《シナムイノチ》 尓波可尓成奴《ニハカニナリヌ》
 今更《イマサラニ》 君可吾乎喚《キミカワヲヨブ》
 足千根乃《タラチネノ》 母之御事歟《ハハノミコトカ》
 百不v足《モモタラズ》 八十乃衢尓《ヤソノチマタニ》
 夕占尓毛《ユフケニモ》 卜尓毛曾問《ウラニモゾトフ》
 應v死吾之故《シヌベキワガユヱ》
 
【譯】美しい君のお言葉として、使も來ないので、思い惱むわたしの身一つです。恐れ多い神にも負わせないでください。卜者を招いて、龜も燒かないでください。戀して來たことのゆえに痛むわたしの身です。はつきりと身にしみ通つて、心が碎けて、命が死にそうに急になりました。今更にわたしを呼ぶのは君ですか、育ててくだすつた母上ですか、方々への別れ途で夕占にも尋ねているのは。死ぬべきわたしゆえに。
【構成】第一段、ワガ身一ツゾまで。使が來ないので思い病むことを敍べる。第二段、痛ムワガ身ゾまで。戀したために惱む身であることを述べる。第三段、ニハカニナリヌまで。死にそうになつたことを述べる。第四段、終りまで。夫と母のことを敍している。假に以上のように別けて見たが、短文を重ねて構成されており、各段のあいだに、明瞭な展開は見られない。
(232)【釋】左耳通良布 サニツラフ。枕詞。既出の語であるが、ここには、一字一音に書いているので注意される。集中の用字例、狹丹頼相、狹丹頼歴、左丹頬合、左丹頬經、散追良布、散頼相、散釣相など書かれており、併わせてサニツラフと讀むことに疑いはないが、ツに當る字に濁音の字を使用しているものがないので、清音に讀むべきことが注意される。別にサを伴なわない丹頬合、丹頬歴の語があつて、サが接頭語であることが推定される。ニは丹の意、ツラフは、そのようにある意の動詞を作る語であろう。
 君之三言等 キミガミコトト。ミコトは、御言。下のトは、としての意の助詞。
 吾身一曾 ワガミヒトツゾ。ヒトツは、わが身ばかりで、他に憂いを分かつもののないことをあらわす。句切。
 千磐破 チハヤブル。枕詞。
 神尓毛莫負 カミニモナオホセ。かように思い惱むことをもつて、神の責任として責めるな、助けを求めるなの意。句切。
 卜部座龜毛莫燒 ウラベマセカメモナヤキソ。ウラベは、卜占を職とする部族。卜者。カメは、龜卜のために燒く龜甲。龜を燒くなとは、龜甲を燒いて卜占をするなの意である。卜占によつて、崇り神を求めて、病む所以を祭によつて除こうとするのを止めたのである。卜者は、神を祭つて卜占をするので、上の句と關連がある。またこれがこの歌の末の數句の伏線ともなつている。句切。
 戀之久尓 コヒシクニ。コヒシクは、戀したことの意の名詞。形容詞ではない。
 伊知白苦身尓染保里 イチシロクミニシミトホリ。戀しさが著明に身に染み通つて病を得た由である。
 村肝乃 ムラギモノ。枕詞。腹中の諸臓腑に心がありとして、心に冠している。
 將死命尓波可尓成奴 シナムイノチニハカニナリヌ。死なむとする命が急になつた。ニハカニは、急迫した(233)意の副詞。句切。
 今更君可吾乎喚 イマサラニキミカワヲヨブ。使も來ないので病を得たので、今更ニの句を使つている。句切。
 母之御言歟 ハハノミコトカ。カは係助詞で、下の、卜ニモゾ問フでこれを受けて結んでいる。句切ではない。
 百不足 モモタラズ。枕詞。
 八十乃衢尓 ヤソノチマタニ。四通八達の街路に。
 夕占尓毛卜尓毛曾問 ユフケニモウラニモゾトフ。ユフケは、夕方道路に出て、人の言を聞いて占なう法。ウラは、卜占の總稱で、ここではユフケを重ねて別語でいつている。夕占を問うのも、祟り神を求める心である。句切。
 應死吾之故 シヌベキワガユヱ。遂に死ぬべき身であるのにの意を述べている。
【評語】短い文を重ねて、よく急追した事情を述べている。怨恨の心が、婉曲に述べられており、戀のために病を得て死のうとする絶望の境地が描かれている。
 
反歌
 
3812 卜部《うらべ》をも
 八十《やそ》の衢《ちまた》も 占問《うらど》へど、
 君をあひ見む たどき知らずも。
 
 卜部乎毛《ウラベヲモ》
 八十乃衢毛《ヤソノチマタモ》 占雖問《ウラドヘド》
 君乎相見《キミヲアヒミム》 多時不v知毛《タドキシラズモ》
 
(234)【譯】卜者をも、方々の別れ路でも占ないをするけれども、君に逢うべき法を知りません。
【釋】卜部乎毛八十乃衢毛 ウラベヲモヤソノチマタモ。長歌の詞句によつて歌い起している。
 占雖問 ウラドヘド。ウラドフは、卜占に問うをいう。
 多時不知毛 タドキシラズモ。法を知らない。手段がない。
【評語】長歌では今にも死にそうに歌い、この反歌では、逢いたさが中心になつていて、多少のくいちがいが感じられる。これでは卜占をするのは、君に逢う法を問うているようだ。
 
或本反歌曰
 
3813 わが命は 惜しくもあらず。
 さ丹《に》つらふ 君に依《よ》りてぞ、
 長く欲《ほ》りする。
 
 吾命者《ワガイノチハ》 惜雲不v有《ヲシクモアラズ》
 散追良布《サニツラフ》 君尓依而曾《キミニヨリテゾ》
 長欲爲《ナガクホリスル》
 
【譯】わたしの命は、大切でもありませんが、りつぱな君のゆえに、長くほしいと思います。
【釋】散追良布 サニツラフ。散は、字音假字として使用されている。君を修飾する句。
【評語】反歌としては、この方が長歌の内容によく合つている。しかし長歌の痛切なのには及ばない。それはこの歌が具體的に敍していないからである。
 
右傳云、時有2娘子1、姓車持氏也。其夫久逕2年序1、不v作2往來1。于v時娘子、係戀傷v心、沈2臥痾※[病垂/尓]1痩羸日異、忽臨2泉路1。於v是遣v使、喚2其夫(235)君1來。而乃歔欷流※[さんずい+帝]、口2號斯歌1、登時逝歿也。
 
右は傳へ云ふ。ある時娘子あり。姓は車持《くらもち》氏なり。その夫《せ》、久しく年序《とし》を逕《へ》て往來することをなさず。時に娘子、係戀心を傷ましめ、痾※[病垂/尓]《やまひ》に沈み臥し、痩羸日に異にして忽に泉路に臨みき。ここに使を遣はしてその夫の君《きみ》を喚び來る。ここに歔欷流※[さんずい+帝]してこの歌を口號《くちずさ》み、その時|逝歿《みまか》りきといへり。
 
【釋】姓車持氏也 カバネハクラモチノウヂナリ。車持は、日本書紀にクラモチと訓している。この氏は、新撰姓氏録に「車持の公、上毛野の朝臣と同じき祖なり。豐城入彦《とよきいりひこ》の命の八世の孫、射狹《いさ》の君の後なり。雄略天皇の御世、乘輿に供へ進る。仍りて姓車持の公を賜はる」とある。乘輿に仕え奉れるによる氏の名としてあるが、もと倉持の義で、車は庫に通じて使用されたのだろう。
 忽臨泉路 タチマチニヨミヂニノゾム。泉路は、黄泉への路。死のうとしたの意。
 
贈歌一首
 
3814 眞珠《しらたま》は 緒絶《をだえ》しにきと
 聞きしゆゑに
 その緒また貫《ぬ》き わが玉にせむ。
 
 眞珠者《シラタマハ》 緒絶爲尓伎登《ヲダエシニキト》
 聞之故尓《キキシユヱニ》
 其緒復貫《ソノヲマタヌキ》 吾玉尓將v爲《ワガタマニセム》
 
【譯】白珠は緒が切れたと聞いたから、その緒をつらぬいて、わたしの珠にしよう。
【釋】眞珠者 シラタマハ。シラタマは、目標とする女子を譬えている。
 緒絶爲尓伎登 ヲダエシニキト。ヲダエは、玉をつらぬいた緒が切れること。シニキは、したの意。相手の女子が、その夫と離別したことを譬えている。
(236)【評語】全體が譬喩になつている。譬えるところは明白で、よく意をつくしている。しかし歌としては情熱は見られない。左註によれば、相手の女子に直接贈つたものでなくして、その父母などの保護者に贈つたものだというが、いかにもそういう所のある歌である。
 
答歌一首
 
3815 白玉の 緒絶《をだえ》は信《まこと》。
 しかれども
 その緒また貫《ぬ》き 人持ち去《い》にけり。
 
 白玉之《シラタマノ》 緒絶者信《ヲダエハマコト》
 雖v然《シカレドモ》
 其緒又貫《ソノヲマタヌキ》 人持去家有《ヒトモチイニケリ》
 
【譯】自玉の緒の切れたのは事實です。しかしその緒をまたつらぬいて人が持つて行きました。
【釋】白玉之緒絶者信 シラタマノヲダエハマコト。前の歌を受けている。下にナリを省路している。句切。
 人持去家有 ヒトモチイニケリ。ヒトは、新しい夫をさす。有をリの假字に使用している。用言の後部を音聲とするものだが、文字の意義も働いている。
【評語】贈られた歌に即して詠んでいる。これも意を通ずるだけで、感情は現われていない。
 
右傳云、時有2娘子1、夫君見v棄、改2適他氏1也。于v時或有2壯士1、不v知2改適1、此歌贈遣、請2誂於女之父母1者、於v是父母之意、壯士未v聞2委曲之旨1、乃作2彼歌1、報送以顯2改適之緑1。
 
右は傳へ云ふ。ある時娘子ありき。夫《せ》の君に棄《す》てらえて、他《あた》し氏に改め適《ゆ》きき。時に或《あ》る壯士あり。(237)改め適きしことを知らずして、この歌を贈り遣はして、女の父母に請ひ誂《あと》へしかば、ここに父母の意に、壯士いまだ委曲《つばら》なる旨を聞かずとして、すなはちその歌を作りて報へ送り、もちて改め適きし縁《よし》を顯《あら》はしきといへり。
 
【釋】改適他氏也 アタシウヂニアラタメユキキ。他氏は、別人の意で、他の氏というわけではない。適は嫁するをいう。
 
穗積親王御歌一首
 
【釋】穗積親王 ホヅミノミコ。天武天皇の第五皇子。靈龜元年七月薨じた。本集では、多く何の皇子と記す例であるが、この卷では、何の親王と記している。これは他卷では、卷の六、天平十五年の項に、安積の親王の文字が見え、卷の二十、天平勝寶五年の項に、舍人の親王の文字が見える。これはこの卷のこの項以後の部分の筆録が、新しいことを語るものであろう。但し親王の文字は、日本書紀持統天皇の卷にも見えている。
 
3816 家にありし 櫃《ひつ》に※[金+巣]さし
 藏《をさ》めてし 戀の奴《やつこ》の
 つかみかかりて。
 
 家尓有之《イヘニアリシ》 櫃尓※[金+巣]刺《ヒツニカギサシ》
 藏而師《ヲサメテシ》 戀乃奴之《コヒノヤツコノ》
 束見懸而《ツカミカカリテ》
 
【譯】家にあつた櫃にかざをさしてしまつておいた戀の奴がつかみ懸かつて來た。
【釋】櫃尓※[金+巣]刺 ヒツニカギサシ。ヒツニサウサシ(類)、ヒツニクロサシ(童)、ヒツニカギサシ(童)、ヒツニクギサシ(考)。櫃は、ヒツと讀む。蓋のある大きな箱。「蒋魴切韵(ニ)云(フ)、櫃【音貴、比豆、俗有2長櫃韓櫃明櫃折櫃小櫃等名1。】似(テ)v厨(ニ)向(キ)v上(ニ)開(ク)v闔(ヲ)器也」(倭名類聚鈔)。※[金+巣]は、「※[金+巣]子、唐韵(ニ)云(フ)、鎖【蘇果反、俗作2※[金+巣]子1】鐡(ノ)鎖也。楊氏漢語抄(ニ)云(フ)、※[金+巣]子【藏乃賀岐、辨色立成云藏鑰】」(倭名類(238)聚鈔)によつて、カギと讀むべきである。考にクギと讀むのは、「牟浪他麻乃《ムラタマノ》 久留爾久枳作之《クルニクギサシ》 加多米等之《カタメトシ》」(卷二十、四三九〇)とあるによるものであるが、ここは櫃に收めたのだからカギの方がよい。正倉院文書(大日本古文書二十四ノ三三〇)に天平十八年に田邊の史生が櫃に封した記録があり、その中に「又此(ノ)橿(ノ)※[金+巣]子(ハ)傳(ヘ)2付(ク)秦(ノ)小廣(ニ)1」とある。
 藏而師 ヲサメテシ。櫃に藏めて※[金+巣]をさしておいた意で、次の戀ノ奴を修飾する。
 戀乃奴之 コヒノヤツコノ。戀を奴に譬えている。ヤツコは、奴婢をいう。理非の分別などのないものとして、戀をこれに譬えている。「大夫之《マスラヲノ》 聰神毛《サトキココロモ》 今者無《イマハナシ》 戀之奴爾《コヒノヤツコニ》 吾者可v死《ワレハシヌベシ》」(卷十二、二九〇七)の戀の奴は、戀に使役される奴の意で、こことは用法が違う。
 束見懸而 ツカミカカリテ。戀の奴に襲われる形である。この下に、來ヌ、由ナシなどの意の語が省略されている。
【評語】戀を出て來ないように納めておいたが、襲いかかつて何とも致し方のない心を詠んでいる。その取り扱い方は、滑稽的だが、戀に惱される由は、かえつてよくあらわされている。末句を省略した形に止めたのも效果的である。「戀は今はあらじと吾は念へるをいづくの戀ぞつかみかかれる」(卷四、六九五)の歌は、穗積の親王の孫女なる廣河の女王の歌であるが、この歌を受けているであろう。
 
右歌一首、穗積親王、宴飲之日、酒酣之時、好誦2斯歌1、以爲2恒賞1也。
 
右の歌一首は、穗積の親王、宴飲《うたげ》の日、酒|酣《たけなは》なる時、好みてこの歌を誦《よ》みて、もちて恒《つね》の賞《めで》としたまひき。
 
(239)【釋】恒賞 ツネノメデ。いつもきまつてめでられること。賞はハヤシとも讀むか。
 
3817 唐臼《かるうす》は 田廬《たぶせ》のもとに、
 わが夫子《せこ》は
 にふぶに咲《ゑ》みて 立ちませり見ゆ。【田廬は、たぶせの反なる。】
 
 可流羽須波《カルウスハ》 田廬乃毛等尓《タブセノモトニ》
 吾兄子者《ワガセコハ》
 二布夫尓咲而《ニフブニヱミテ》 立麻爲所v見《タチマセリミユ》【田廬者多夫世反】
 
【譯】唐臼は、田舍家のもとにあり、親愛なるあなたは、にこにこ笑つて立つておいでになるのが見える。
【釋】可流羽須波 カルウスハ。カルウスは、足で踏んで舂く臼。唐臼とも、杵の柄が長いから柄臼だともいう。「祝尚丘曰(ハク)、碓 音對、字亦作(ル)v※[金+追](ニ)、賀良宇須《カラウス》 踏(ミ)舂(ク)具也」(倭名類聚鈔)とあり、「いかめしきからうすに、男女立ちて踏めり」(うつぼ物東吹上の下)ともある。本卷にも「佐比豆留夜《サヒヅルヤ》 辛碓爾舂《カラウスニツキ》 庭立《ニハニタツ》 碓子爾舂《オホウスニツキ》」(卷十六、三八八六)とある。場所を取るもので、特に田舍家にふさわしい存在として擧げられている。
 田廬乃毛等尓 タブセノモトニ。タブセは、田園の伏屋。田舍の粗末な家。「田廬爾居者《タブセニヲレバ》 京師所v念《ミヤコシオモホユ》」(卷八、一五九二)。モトニの下に、アリ、立チなどの語が省路されている。
 吾兄子者 ワガセコハ。ワガセコは、いうまでもなく、男子に對して敬愛を表する稱呼であるが、ここは男子どうしの場合と見るべきである。
 二布夫尓咲而 ニフブニヱミテ。ニフブニは、笑う?の形容だが、どの程度の笑いかたか不明である。「夏野能《ナツノノノ》 佐由利能波奈能《サユリノハナノ》 花咲爾《ハナヱミニ》 々布夫爾惠美天《ニフブニヱミテ》」(卷十八、四一一六)も男子に對して言つている。多分につこりぐらいの感じだろう。
 田廬者多夫世反 タブセハタブセノカヘシナリ。田廬の訓法を註している。反は、漢字の音を註するに使用する字であるが、それを轉じて訓を註するに使つている。「勅旨【反云2大命1】」(卷五、八九四)、「船舳爾【反云2布奈能閉爾1】」(同)(240)などの用例がある。
【評語】初二句と三句以下との關係がはつきりしないが、友人が田廬におとずれて來たのを喜ぶ意の歌なのだろう。酒宴の時、琴を彈いて歌うと傳えられ、賓客の入り來るを迎える心であろう。
 
3818 朝霞 香火屋《かひや》が下《した》の
 鳴く河蝦《かはづ》
 しのひつつありと 告げむ兒もがも。
 
 朝霞《アサガスミ》 香火屋之下乃《カヒヤガシタノ》
 鳴川津《ナクカハヅ》
 之努比管有常《シノヒツツアリト》 將v告兒毛欲得《ツゲムコモガモ》
 
【譯】朝霞んでいる香火屋の下で鳴いている河蝦のように、思い慕つていると告げるべき子もほしいものだ。
【釋】朝霞香火屋之下乃鳴川津 アサガスミカヒヤガシタノナクカハヅ。この句は、「朝霞《アサガスミ》 鹿火屋之下爾《カヒヤダシタニ》 鳴蝦《ナクカハヅ》 聲谷聞者《コヱダニキカバ》 吾將v戀八方《ワレコヒメヤモ》」(卷十、二二六五)の上三句と、ほぼ同一である。カヒヤについては諸説があるが、卷の十のを正字と見て、鹿を追うために火をたく小舍と見るべく、ここに香火屋と書いたのは、カを臭氣と解したのによるであろう。アサガスミは實景にもとづく枕詞。さて以上三句は譬喩で、その河蝦のひそかに鳴くように、シノヒツツアリと續くものとすべきである。
 之努比管有常 シノヒツツアリト。思い慕つていると。作者自身の上をいう。
 將告兒毛欲得 ツゲムコモガモ。戀の相手を欲する心である。
【評語】同じく宴席にいます時に、まず歌われた歌である。上三句は、多分歌いものとして通用している歌から來ているのであろう。巧みに思い得たというべき譬喩である。
 
右歌二首、河村王、宴居之時、彈v琴而即先誦2此歌1、以爲2常行1也。
 
(241)右の歌二首は、河村の王、宴《うたげ》にいます時、琴を彈きて、すなはちまづこの歌を誦して、もちて常の行《わざ》となしき。
 
【釋】河村王 カハムラノオホキミ。續日本紀に、寶龜八年十一月、无位川村の王に從五位の下、十年十一月、少納言、延暦元年閏正月、阿波の守、七年二月、右の大舍人の頭、八年四月、駿河の守、九年九月、從五位の上になつたことが傳えられている。この人とすれば、天平年間には、まだ若かつたようである。次の小鯛の王の時代から見れば、上記の經歴の人とは別人か。
 宴居之時 ウタゲニイマストキ。宴居は、閑暇無事に安樂にいることをいう。但し二首の歌の意を考えると、ここでは、酒宴にいる時の意に使用しているだろう。
 
3819 夕立の 雨うち零《ふ》れば
 春日野の 草花《をばな》がうれの
 白露おもほゆ。
 
 暮立之《ユフダチノ》 雨打零者《アメウチフレバ》
 春日野之《カスガノノ》 草花之末乃《ヲバナガウレノ》
 白露於母保遊《シラツユオモホユ》
 
【譯】夕方の雨が降るので、春日野の尾花の上の白露が思われる。
【釋】暮立之 ユフダチノ。ユフダチは、夕方になつてにわかに降る雨をいう。
 雨打零者 アメウチフレバ。ウチは、接頭語。これで雨の降る強さが描かれる。
 草花之末乃 ヲバナガウレノ。ヲバナガスヱノ(西)、ヲバナガウレノ(京赭)。草花をヲバナに當てて書いているのは、「吾屋戸乃《ワガヤドノ》 草花上之《ヲバナガウヘノ》 白露乎《シラツユヲ》」(卷八、一五七二)、「秋野之《アキノノノ》 草花我末乎《ヲバナガウレヲ》」(同、一五七七)などの例がある。ウレは伸びた葉先。
【評語】想像の歌だが、美しい自然を描いている。この歌は、「暮立之《ユフダチノ》雨落毎《アメフルゴトニ》【一云、打零者】 春日野之《カスガノノ》 尾花之上乃《ヲバナガウヘノ》 (242)白露所v念《シラツユオモホユ》」(卷十、二一六九)としても掲げられている。琴の歌としては、かならずしも創作に限らなかつたであろうし、今いずれが原作であるかをあきらかにしがたい。しかし歌としては、ウチ降レバの方がよい。
 
3820 夕づく日 さすや河邊に
 構《つく》る屋の
 形《かた》を宜《よろ》しみ 諾《うべ》よそりけり。
 
 夕附日《ユフヅクヒ》 指哉河邊尓《サスヤカハベニ》
 構屋之《ツクルヤノ》
 形乎宜美《カタヲヨロシミ》 諸所v因來《ウベヨソリケリ》
 
【譯】夕方の日のさしている河のほとりに作る家の、形がよいのでほんとに人々が寄つて來た。
【釋】夕附日 ユフヅクヒ。夕方の日光。ツクは、秋ヅク、家ヅク、近ヅクなど、他の名詞に接續して、その物の性質のあらわれるをいう語。
 指哉河邊尓 サスヤカハベニ。ヤは、感動の助詞。サスは日光のさす。
 形乎宜美 カタヲヨロシミ。家屋の形のよさに。
 諸所因來 ウベヨソリケリ。ウベは、誠にも。所因は、その家屋に引き寄せられる意。これをヨソリと讀むのは、「荒山毛《アラヤマモ》 人師依者《ヒトシヨスレバ》 余所留跡序云《ヨソルトゾイフ》」(卷十三、三三〇五)などの例による。
【評語】家屋の形を詠んだ珍しい歌である。これも賓客の寄り來るのを喜んだ歌である。前の河村の王の歌といい、この歌といい、左註に宴居之時とあるが、その宴居は、酒宴の時の意に使つているのであろう。
 
右歌二首、小鯛王、宴居之日、取v琴登時、必先吟2詠此歌1也。其小鯛王者、更名置始多久美斯人也。
 
右の歌二首は、小鯛の王、宴にいます日、琴を取るその時かならずまづこの歌を吟詠せり。その小鯛(243)の王は、またの名|置始《おきそめ》の多久美《たくみ》といふ、この人なり。
 
【釋】小鯛王 ヲダヒノオホキミ。系統未詳。下に、またの名、置始の多久美とあるので、姓名を賜わつて王族を脱した人であることが知られる。藤原武智麻呂傳に、神龜年間の人物を敍して、「風流(ノ)侍從(ニ)、有(リ)2六人部《ムトベノ》王、長田王、門部(ノ)王、狹井《サヰノ》王、櫻井(ノ)王、石川(ノ)朝臣君子、阿部(ノ)朝臣安麻呂、置始(ノ)工等十餘人1」とある、置始の工は、この人であろう。
 
兒部女王嗤歌一首
 
兒部《こべ》の女王《おほきみ》の嗤《わら》ふ歌一首。
 
【釋】兒部女王 コベノオホキミ。傳未詳。卷の八に「但馬皇女御歌一首」(一五一五)に註して、「一書云、子部王作」とある子部の王は同人であろう。
 嗤歌 ワラフウタ。嗤は、笑う意の字。本集ではしばしば嗤咲《ししよう》と熟して、嘲笑の意に使用されている。ここも嘲笑の意である。
 
3821 うまし物《もの》 何所《いづく》飽《あ》かじを
 尺度《さかと》らが 角《つの》のふくれに
 しぐひあひにけむ。
 
 美麗物《ウマシモノ》 何所不v飽矣《イヅクアカジヲ》
 坂門等之《サカトラガ》 角乃布久禮尓《ツノノフクレニ》
 四具比相尓計六《シグヒアヒニケム》
 
【譯】美しい物は、何處にも飽きないだろうのに、何だつてあの尺度は、角のふくれたのに、食い合つたのだろう。
【釋】美麗物 ウマシモノ。美しいもの、りつぱなもの。
(244) 何所不飽矣 イヅクアカジヲ。何處にても、飽くことなく求められるものだろうのに。
 坂門等之 サカトラガ。サカトは、中に歌われている當の娘子の氏である。左註參照。
 角乃布久禮尓 ツノノフクレニ。フクレは、「聲韻(ニ)云(フ)、※[暴+皮]《ハク》 北角(ノ)反、又薄※[馬+交](ノ)反、布久禮《フクレ》 肉(ノ)墳起也」(倭名類聚鈔)とあり、瘤《こぶ》である。ツノノフクレは角のように瘤になつているのだろう。
 四具比相尓計六 シグヒアヒニケム。シグヒは、語義不明。しかし動詞クフ(食ふ)を含んでいるのだろう。爲食フか。よく食い合うをいうだろう。ニケムは、過去推量の語。
【評語】四五句が奇拔で目立つ。當時としても思い切つた語を使つたものだろう。滑稽を通り越して罵詈に近い。
 
右、時有2娘子1、姓尺度氏也。此娘子、不v聽2高姓美人之所1v誂、應2許下姓※[女+鬼]士之所1v誂也。於v是兒部女王、裁2作此歌1、嗤2咲彼愚1也。
 
右は、ある時娘子あり。姓は尺度《さかと》の氏なりき。この娘子、高き姓の美人《うまびと》の誂《あと》ふるに聽《ゆる》さずして、下《ひく》き姓の※[女+鬼]士《しこを》の誂ふるに應《こた》へ許しき。ここに兒部の女王、この歌を裁《よ》み作りてその愚《おろか》なるを嗤《あざけ》り咲《わら》ひき。
 
【釋】尺度氏 サカトノウデ。未詳。新撰姓氏録に「坂戸の物部は、神饒速日《かむにぎはやび》の命|天降《あも》りましし時、從へる坂戸の天の物部の後といへれば、見えず」とある坂戸と同氏か。
 高姓美人 タカキカバネノウマビト。姓には高下の階段があつて、當時としては、非常な關心を有していた。美人は、良い人の意。この語は、下の下姓※[女+鬼]士と對照をしている。日本靈異記に、「高姓之人(ノ)伉儷(モ)、猶辭(シテ)而經(タリ)2年祀(ヲ)1」(中卷三十三條)とあるのも、同樣に高姓を尊ぶ思想である。
 下姓※[女+鬼]士 ヒクキカバネノシコヲ。※[女+鬼]は醜に同じ。「※[女+鬼]字も誤にあらず。其は歩梁祠堂畫橡に、無鹽※[女+鬼]女と(245)有て、隷釋(ニ)云(ハク)、以(テ)2※[女+鬼]女(ヲ)1爲(ス)2醜女(ト)1。隷釋(ニ)云(ハク)、集韻(ニ)醜(ハ)古作(ル)v※[女+鬼](ニ)。漢書文帝紀(ニ)、朕甚自(ラ)※[女+鬼](ズ)、師古曰(ク)、※[女+鬼](ハ)古(ノ)愧(ノ)字、蓋(シ)一字而有(リ)2二義1。今知(ル)2※[女+鬼]之爲(ルヲ)1v愧、不v知(ラ)2又(タルヲ)1v醜也とあり。※[女+鬼]に醜の義あるを知るべし」(萬葉集訓義辨證)。
 
古歌曰
 
3822 橘の 寺の長屋に
 わが率宿《ゐね》し、童女放髪《うなゐはなり》は、
 髪あげつらむか。
 
 橘《タチバナノ》 寺之長屋尓《テラノナガヤニ》
 吾率宿之《ワガヰネシ》 童女波奈理波《ウナヰハナリハ》
 髪上都良武可《カミアゲツラムカ》
 
【譯】橘の寺の長屋にわたしの連れて行つて寐た髪を垂れていたあの子は、髪を擧げたであろうか。
【釋】橘寺之長屋尓 タチバナノテラノナガヤニ。橘寺は、明日香川の上流の地にある。推古天皇の宮であつたが、聖コ太子が寺を建立した。ナガヤは、寺や大邸宅の門などに添つて建てられている家屋。長い家屋なのでナガヤという。
 吾率宿之 ワガヰネシ。ヰネシは、文字通り伴ない寐たの意。
 童女波奈理波 ウナヰハナリハ。童女は、その髪の形によつてウナヰと讀む。ウナヰは、「後漢書(ノ)註(ニ)云(フ)、髫髪 上音迢、字亦作(ル)v髻(ニ)、和名|宇奈井《ウナヰ》、俗(ニ)用(ヰル)2垂髪(ノ)二字(ヲ)1。 謂(フ)2童子(ノ)垂(ルルヲ)1v髪(ヲ)也」(倭名類聚鈔)。髪を切つて頸のところに垂れてある風俗をいう。ハナリは、束ねることなく放してある髪。ウナヰハナリで、垂髪にしている童女をいう。「未通女等之《ヲトメラガ》 放髪乎《ハナリノカミヲ》 木綿山《ユフノヤマ》」(卷七、一二四四)。また「小放爾《ヲハナリニ》 髪多久麻弖爾《カミタクマデニ》」(卷九、一八〇九)とあるによれば、ハナリの髪は、束ねるものであつたろう。
 髪上都良武可 カミアゲツラムカ。年頃になると、垂れていた髪を伸ばして結いあげる。それを想像してい(246)る。「人者皆《ヒトハミナ》 今波長跡《イマハナガシト》 多計登雖v言《タケトイヘド》 君之見師髪《キミガミシカミ》 亂有等母《ミダレタリトモ》」(卷二、一二四)は、その年頃に達した頃の風情である。
【評語】民謠として行われていた歌であろう。かつて共に寐た童女を想起しており、一面の風俗資料としても意義のある歌である。何處の寺でもよさそうだが、やはり橘寺あたりの古寺が語感もよくして動かない所なのだろう。
 
右歌、椎野連長年脉曰、夫寺家之屋者、不v有2俗人寢處1。亦?2若冠女1、曰2放髪丱1矣。然則腹句已云2放髪丱1者、尾句不v可3重云2著v冠之辭1哉。
 
右の歌は、椎野の連長年が脈《とりみ》て曰はく、それ寺家の屋は、俗人の寢處にあらず、また若冠の女を?《い》ひて放髪丱といへり。然らば腹句すでに放髪丱といへれば、尾句に重ねて冠をつくる辭を云ふべからざるをや。
 
【釋】稚野連長年 シヒノノムラジナガトシ。傳未詳。椎野の連は、續日本紀、神龜元年五月の條に「正七位(ノ)上四比忠勇(ニ)、賜(フ)2姓椎野(ノ)連(ヲ)1」とある。
 脉曰 トリミテイハク。脉は脈に同じ。拾穗抄は説の誤りとしている。前項に記した神龜元年五月に姓を賜わつた人々は、いずれも歸化人もしくはその子孫と見られ、四比の忠勇もその一人で、多分學術をもつて仕えていた人であろう。そこで椎野の連長年も、その子弟で、醫師であつたので、脉曰としやれて書いたのだろう。但しこの歌に對する考えは、全く事情に疎いもので、採るに足りない。
 寺家之屋者 シケノイヘハ。寺家の屋は、寺の長屋をいうが、寺には奴婢家人などもおり、寺そのものは別(247)としても、長屋が俗人の寢處でないとはきまつていない。
 放髪丱 ウナヰハナリ。丱《カン》は、束髪兩角の髪の字で、童女の髪の形をいう。國語のアゲマキに相當するが、ここではウナヰに當てているだろう。
 腹句 ハラノク。集中、歌の各句を、その位置により、身體の各部に比して、頭句、胸句、腰句、尾句などいう。腹句は、他に所見なく、ここでは第四句をさしている。
 著冠之辭 カガフリヲツクルコト。著冠は、成年に達すること。髪をあげることをさしている。長年のいうには、腹句に放髪丱と言つているから、五句に重ねて髪あげ云々というはずがないというのだが、ウナヰハナリは、垂髪の子、カミアゲは束髪で、全く別なのだから、長年は誤解してかように言つているのである。
 
決曰、
 
決《さだ》めて曰はく、
 
【釋】決曰 サダメテイハク。長年が、前の歌の詞に誤りありとして決定していうのである。
 
3823 橘の 光《て》れる長屋に、
 わが率寐《ゐね》し 童女放髪《うなゐはなり》に
 髪上げつらむか。
 
 橘之《タチバナノ》 光有長屋尓《テレルナガヤニ》
 吾率宿之《ワガヰネシ》 宇奈爲放尓《ウナヰハナリニ》
 髪擧都良武香《カミアゲツラムカ》
 
【譯】橘の實の輝いている長屋に、わたしの伴なつて寐た童女は、放髪に髪をあげたろうか。
【釋】橘之光有長屋尓 タチバナノテレルナガヤニ。寺ノ長屋ニ率寐シはおかしいというので、この歌では、橘の實の照つている長屋としている。これでは長屋が生きて來ない。
(248) 宇奈爲放尓 ウナヰハナリニ。長年の意では、ウナヰ(童女)が、ハナリの髪に、髪をあげたろうかというのだろうが、ハナリは、放髪だから、ハナリに髪をあげるというのは、意をなさない。
【評語】全く意をなさない歌にしてしまつた。しいて助けていえば、橘ノ光レル長屋というあたりに、若干の風趣があるだけだ。
 
長忌寸意吉麻呂歌八首
 
【釋】長忌寸意吉麻呂 ナガノイミキオキマロ。卷の一以下しばしば出ている。歌の曲藝師ともいうべき人で、即興の歌をよくした。この八首も、すべて即興の作なるべく、數種の物を詠み、變わつた題材を詠み、もしくは變わつた表現をしている歌を詠んでいる。
 
3824 さしなべに 湯|沸《わ》かせ、子ども。
 櫟津《いちひづ》の 檜橋《ひばし》より來《こ》む
 狐《きつ》に浴《あ》むさむ。
 
 刺名倍尓《サシナベニ》 湯和可世子等《ユワカセコドモ》
 櫟津乃《イチヒヅノ》 檜橋從來許武《ヒバシヨリコム》
 狐尓安牟佐武《キツニアムサム》
 
【譯】柄のついた鍋で、湯をわかしなさい。皆の衆。櫟津の檜橋を通つて來る狐に浴びせよう。
【釋】刺名倍尓 サシナベニ。サシナベは、柄のついている鍋。「辨色立成(ニ)云(フ)、銚子 左之奈閉《サシナベ》、俗(ニ)云(フ)2佐須奈閉《サスナベト》1」(倭名類聚鈔)。正倉院文書にも佐志奈閉《サシナベ》とある。左註の中の饌具の雜器に相當する。
 湯和可世子等 ユワカセコドモ。コドモは、下人たちをいう。
 櫟津乃 イチヒヅノ。イチヒヅは、日本書紀允恭天皇の卷に、「到(リ)2倭(ノ)春日(ニ)1、食(ス)2于櫟井(ノ)上(ニ)1」とある櫟井《いちひゐ》かという。今添上郡治道村に櫟井がある。「伊知比韋能《イチヒヰノ》 和邇佐能邇袁《ワニサノニヲ》」(古事記四三)。ツは水邊をいい、イチヒ(249)ノキのある水邊は、そこにも限るまい。左註の中の河に相當する。
 檜橋從來許武 ヒバシヨリコム。ヒバシは、檜材で作つた橋であろう。來許武は、來許のうち一字で足るが、誤つて重書したのであろう。古葉略類聚鈔に許武の二字がないが、古葉略類聚鈔は、主文を訓まじりに書き改めているので、證文にならない。連體句。
 狐尓安牟佐武 キツニアムサム。キツネは「考聲切韻(ニ)云(フ)、狐 音胡、岐豆禰《キツネ》」(倭名類聚鈔)とあり、ネは愛稱の接尾語で、キツとのみも云つたのだろう。「夜も明けばきつにはめなむ。くだかけのまだきに鳴きてせなをやりつる」(伊勢物語)のキツは、水槽との説もあるが、やはりキツネだろう。アムサムは、アムスの未然形に助動詞ムの接續したもの。浴びせよう。アムスは、動詞浴ムの使役の語法で、オフス(生す)、オフス(負す)の形に同じである。
【評語】左註にあるように、即興の作で、數個の題材を取り入れて巧みに作つている。その場の喝采を呼ぶには十分であつたろうが、眞摯を缺く歌で、それ以上の作品ではない。
 
右一首、傳云、一時衆集宴飲也。於v時夜漏三更、所v聞2狐聲1。尓乃衆諸、誘2興麻呂1曰、關2此饌具雜器狐聲河橋等物1、但作v歌者、即應v聲作2此歌1也。
 
右の一首は、傳へ云ふ。一時《あるとき》衆集ひて宴飲《うたげ》しき。時に夜漏三更《さよなか》にして、狐の聲聞ゆ。ここに衆諸《もろびと》興麻呂《おきまろ》を誘ひて曰はく、この饌具の雜器、狐の聲、河、橋等の物に關《か》けて、但《ただ》に歌を作れといひき。すなはち聲に應へてこの歌を作りき。
 
【釋】夜漏三更 サヨナカニシテ。夜漏は、漏刻で、盛つた水の漏ることによつて時間を計る器。その水が三(250)たびかわるのが夜中である。
 興麻呂 オキマロ。意吉麻呂に同じ。古人は、名の文字については、一定した文字に拘泥しなかつた。
 應聲 コヱニコタヘテ。即座に。
 
詠2行騰蔓菁食薦屋?1歌
 
行騰、蔓菁、食薦、屋?《やのうつばり》を詠める歌。
 
【釋】行騰 ムカバキ。「釋名(ニ)云(フ)、行〓 音与v騰(ト)同(ジ)、无加波岐《ムカハキ》。騰也。言裹(ミ)v脚(ヲ)、可(シ)2以(テ)跳騰輕便(ニス)1也」(倭名類聚鈔)。これによれば、騰をもつて〓の誤りとするにも及ばない。本朝の製、獣皮で作つて、山野を行くにはいて、草木の露を防ぐに使用する。
 蔓菁 アヲナ。倭名類聚鈔に「蘇敬本草(ニ)云(フ)、蕪菁 無青二音。 北人名(ク)2之蔓菁(ト)1。 上音蠻、阿乎奈《アヲナ》。楊雄(ガ)方言(ニ)云(フ)、陳宋之間、蔓菁(ヲ)曰(フ)v?(ト) 音封。毛詩(ニ)云(フ)、采(リ)v?采(ル)v菲(ヲ) 音斐。無(シ)v以(テスルコト)2下體(ヲ)1 加布良《カフラ》。下體、根莖也。此(ノ)二菜者、蔓菁(ト)與v?(ト)之類也」とある。アヲナは、青い菜の總稱で、その根莖の塊?をなしているものをカブラというのである。古事記下卷、仁コ天皇の條に「ここに大御羮《おほみあつもの》を煮むがために、其地《そこ》の菘菜《あをな》を採む時に、天皇その孃子の菘《な》採む處に到り坐して、歌ひたまひしく、夜麻賀多邇《ヤマガタニ》 麻祁流阿袁那母《マケルアヲナモ》 岐備比登々《キビビトト》 等母邇斯都米婆《トモニシツメバ》 多恕斯久母阿流迦《タノシクモアルカ》」(五五)とある。
 食薦 スゴモ。「唐式(ニ)云(フ)、鐵鍋食單各一。漢語抄(ニ)云(フ)、食單 須古毛《スコモ》」(倭名類聚鈔)。食事の時に敷くムシロ。
 屋? ヤノウツバリ。?は梁に同じ。「唐韻(ニ)云(フ)、梁 音良、宇都波利《ウツハリ》。棟梁也」(倭名類聚鈔)。柱間にわたして屋根をささえる材である。
 
(251)3825 食薦《すごも》敷き 蔓菁《あをな》煮《に》持《も》ち來《こ》。
 梁《うつばり》に 行騰《むかばき》懸けて
 息《やす》むこの公《きみ》。
 
 食薦敷《スゴモシキ》 蔓菁煮將來《アヲナニモチコ》
 ?尓《ウツバリニ》 行騰懸而《ムカバキカケテ》
 息此公《ヤスムコノキミ》
 
【譯】食薦を敷いて蔓菁を煮て持つておいで。梁材に行騰を懸けて休んでいるこの公のもとに。
【釋】?尓行騰懸而 ウツバリニムカバキカケテ。この梁は、まだ家屋に使用していない材木で、地上に置いてある。それに行騰を敷いて席としたのである。
【評語】建築の見分などに來た人をもてなす意味に詠まれている。一首に詠みがたい多種の物を取り合わせて詠んだ作り歌で、よく纏まつているだけである。
 
詠2荷葉1歌
 
荷葉を詠める歌。
 
【釋】荷葉 ハチスバ。荷はハス(蓮)のこと。この植物は、熱帶アジアの原産で、輸入されて栽培された。その葉は食物を盛るに用い、この卷にも「於v是《ココニ》、饌食(ハ)盛(ルニ)之、皆用(ヰテ)2荷葉(ヲ)1」(卷十六、三八三七左註)とあり、延喜内膳式にも、食物を盛る料の荷葉を河内の國から進む《たてまつ》ることが見えている。この歌も宴會の席上の作で、食物を盛つた荷葉を詠んだのだろう。
 
 
3826 蓮葉《はちすば》は かくこそあるもの。
 意吉麻呂《おきまろ》が 家なるものは、
(252) 芋《うも》の葉にあらし。
 
 蓮葉者《ハチスバハ》 如v是許曾有物《カクコソアルモノ》
 意吉麻呂之《オキマロガ》 家在物者《イヘナルモノハ》
 宇毛乃葉尓有之《ウモノハニアラシ》
 
【譯】ハスの葉は、かようにあるものだ。意吉麻呂の家にあるものは、芋の葉なのだろう。
【釋】如是許曾有物 カクコソアルモノ。この下にナレの如き語が省略されている。
 宇毛乃葉尓有之 ウモノハニアラシ。ウモは、イモに同じ。魚をイヲ、抱クをウダクともいうように、古くイとウと通ずるものがある。イモは、やはり東印度が原産地で、輸入して栽培した。「四聲字苑(ニ)云(フ)、芋 以倍乃伊毛《イヘノイモ》。葉(ハ)似(タリ)v荷(ニ)、其(ノ)根(ハ)可(シ)v食(フ)之」(倭名類聚鈔)とあり、今のサトイモである。
【評語】題材に對する仰山な取り扱い方が中心になつている。今までは芋の葉と荷葉との區別を知らなかつたように歌つている。特殊な表現が、よく驚嘆の意をあらわしている。
 
詠2雙六頭1歌
 
雙六の頭《さえ》を詠める歌。
 
【釋】雙六頭 スグロクノサエ。スグロクは、雙陸とも書く。「兼名苑(ニ)云(フ)、讐六、一名(ハ)六 今案(ズルニ)簿奕是也。簿音博。俗(ニ)云(フ)2須久呂久《スクロクト》1」(倭名類聚鈔)とある。大陸渡來の遊戯具である。盤上十二道があり、兩人相對して、青白の駒十二個を置き、二個の采《さい》を竹筒の中に入れてこれを振り出し、その數によつて、交互に駒を進めて、早く敵の格中に入れ終つた者が勝である。弊害が多かつたので、持統天皇の三年十二月に禁斷したが、なおその道を絶たなかつたらしい。正倉院御物の中にも雙六盤が傳わつている。頭は、歌中に佐叡とある。雙六に使用する采で、ちいさい正方形をし、一から六までの目が盛つてある。「雙六(ノ)采、楊氏漢語抄(ニ)云(フ)、頭子 雙六乃佐以《スクロクノサイ》、今案(ズルニ)見(ユ)2雜題(ノ)雙六(ノ)詩(ニ)1」(倭名類聚鈔)。
 
(253)3827 一二《いちに》の 目のみにはあらず、
 五六三《ごろくさむ》 四《し》さへありなり。
 雙六《すぐろく》の采《さえ》。
 
 一二之目《イチニノ》 耳不v有《メノミニアラズ》
 五六三《ゴロクサム》 四佐倍有《シサヘアリナリ》
 雙六乃佐叡《スグロクノサエ》
 
【譯】一や二の目ばかりでなく、五も六も三も、四までもあつたことだ。雙六の采は。
【釋】一二之目耳不有 イチニノメノミニアラズ。イチニノメノミハアラズ(類)、ヒトフタノメノミニハアラズ(考)。歌中の數字を、字音で讀むか訓で讀むかの問題であるが、既に雙六、采の如きも、字音のままで使用されているから、采の數も、外國語のままに呼ばれていたであろう。今日のトランプ、麻雀などの外來の遊戯に、やはり外國語がそのままに使われているような?態であつたろう。メは、采の目をいう。
 五六三四佐倍有 ゴロクサムシサヘアリナリ。ゴロクサムシサヘアリケリ(類)、イツツムツミツヨツサヘアリ(考)。五六三四は、いずれも采の目の數。三は、思甘の切單韻の字で、m韻である。當時まだ撥音が發達していなかつたから、サミ、サムと二音に讀む。有は、アリナリと讃む。ナリ、指定の助動詞。アリケリとも讀まれるが、雙六の采の説明だからアリナリだろう。句切。
 雙六乃佐叡 スグロクノサエ。サエは、采の音讀である。
【評語】普通に歌になりがたいものを取り扱つて歌にしている。多分他人から雙六の采を詠めといわれて詠んだのだろう。采をよく説明し、外來語を取り入れているなど、文化史の資料として注意されるが、歌としては、采を説明したに過ぎない。
 
詠2香塔厠屎鮒奴1歌
 
(254)香、塔、厠、屎、鮒、奴を詠める歌。
 
【釋】香 コリ。香は、香木。日本書紀の古訓に、香にコリと訓してあり、沙石集に「僧をば髪長、堂をばこりたきなんどと言ひて」とあるは、神宮の忌詞に「堂(ヲ)稱(フ)2香燃(ト)1」(延喜式)とあるによつたものである。コリは、香の古音であろう。
 塔 タフ。塔は、卒塔婆《そとば》の略。塔の字音をそのままに使つている。卒塔婆は梵語、高顯の義。
 厠 カハヤ。「釋名(ニ)云(フ)、廁《シ》 音四、賀波夜《カハヤ》」(倭名類聚鈔)。カハヤは、川屋の義で、もと川流の上に建てたから、この名を得ている。
 屎鮒 クソフナ。歌詞では屎鮒として熟語になつているが、題としては、屎と鮒との二種で、歌詞は、都合上一つにまとめてしまつたものだろう。
 
3828 香《こり》塗《ぬ》れる 塔《たふ》にな寄りそ。
 川隅《かはくま》の 屎鮒《くそぶな》喫《は》める
 痛《いた》き女奴《めやつこ》。
 
 香塗流《コリヌレル》 塔尓莫依《タフニナヨリソ》
 川隅乃《カハクマノ》 屎鮒喫有《クソブナハメル》
 痛女奴《イタキメヤツコ》
 
【譯】香を塗つてある塔に寄つてはいけない。川の隅の屎鮒を食つたひどい女の奴は。
【釋】香塗流塔尓莫依 コリヌレルタフニナヨリソ。カウヌレルタフニナヨリソ(類)、コリヌレルタフニナヨリソ(略)。香木は、芳香を有するので尊重され、これで佛像を彫むだけの材料がなければ、粉にして表面に塗ることもある。塔に塗るというのは、塔の一部などに塗ることはあり得るのである。句切。
 川隅乃 カハクマノ。カハクマは、川の曲りかどなどの隅で、これと次の屎鮒とで、厠を暗示している。
 屎鮒喫有 クソブナハメル。クソブナは、鮒を惡く言つた語。川クマノというので自然屎を食つた鮒のこと(255)になる。
 痛女奴 イタキメヤツコ。イタキは、はなはだしいの意で、ここは不淨を強調する。メヤツコは、奴婢の婢に當る。
【評語】香塔のような貴重な物と、厠屎のような不淨の物とを取り入れ、それに鮒奴を配して、歌になりがたいものを集めて一首に詠みなしている。これも出題を得て詠んだのだろうが、歌としては一首にまとまつているというだけであり、別に風俗史料としての意義がある。佛教思想からいえば、現在即淨士の運動が考えられていると共に、奴婢に對する階級思想の存在が窺われる。
 
詠2酢醤蒜鯛水葱1歌
 
酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠める歌。
 
【釋】酢 ス。今も使用している調味料の酢である。「本草(ニ)云(フ)、酢酒、昧酸温(ニシテ)無(シ)v毒。酢 音倉故(ノ)反、字亦作(ル)v醋(ニ)。須。酸音素官(ノ)反。」(倭名類聚鈔)。
 醤 ヒシホ。調味料の名。「四聲字苑(ニ)云(フ)、醤 即亮(ノ)反、比之保《ヒシホ》、別(ニ)有(リ)2唐醤1。豆醢也」(倭名類聚鈔)とあるもので、ムギとマメとを煎つてコウジを作り、これに鹽を加えて作る。今の醤油のしぼらないもの。
 蒜 ヒル。ユリ科の多年生草本。ノビル。山(256)野に自生する。
 
3829 醤酢《ひしほす》に ひる搗く《つ》き合へて
 鯛《たひ》願《ねが》ふ われにな見えそ。
 なぎの羮《あつもの》。
 
 醤酢尓《ヒシホスニ》 蒜都伎合而《ヒルツキアヘテ》
 鯛願《タヒネガフ》 吾尓勿所v見《ワレニナミエソ》
 水葱乃※[者/火]物《ナギノアツモノ》
 
【譯】醤と酢に、ヒルをついてあえて、タイを望んでいるわたしに、見えるようにしないでください。ナギの熱いお料理を。
【釋】醤酢尓 ヒシホスニ。醤と酢と合わせた物に。
 蒜都伎合而 ヒルツキアヘテ。ヒルをつき碎いて、醤酢にまぜて。合而は、舊訓カテテで、まじえ加えることをカツというが、調味料に合わせて食料を作るのは、アフというのが普通であり、字もアヘテと讀む方が順當(257)である。新撰宇鏡、〓に阿戸毛乃《アヘモノ》の訓があるが、カツの方は、古い文獻がない。ヒルを碎いて醤酢にまじえ、それにタイを漬けようとして願うのである。
 吾尓勿所見 ワレニナミエソ。ワレニナミセソ(類)。古くからワレニナミセソと讀んでいて、所見の字に關しては、別に異訓もないようだ。しかし所見は、受身であるから、ミエソと讀むべきである。ミセソと使役に讀むべき理由は存在しない。自分に見えないでくださいの意で、ナギの煮物に對して言つている。句切。
 水葱乃※[者/火]物 ナギノアツモノ。ナギを煮た熱い料理。
【評語】宴會の席上での即吟であろう。おりしも盛夏で、さつぱりした食物を欲しているので、持ち出されたナギの煮物を欲しない意味に歌つたものだろうと思われる。當時の料理の一端を傳える文献として注意される。
 
詠2玉掃鎌天木香棗1歌
 
玉掃、鎌、天木香《むろ》、棗を詠める歌。
 
【釋】玉掃 タマハハキ。掃は、帚に通じて使用されている。タマは美稱。新年の行事に、ホウキに玉を附けて縁起を祝うことがあるので、タマハハキというと思われる。「始春乃《ハツハルノ》 波都禰乃家布能《ハツネノケフノ》 多麻婆波伎《タマバハキ》」、(卷二十、四四九三)參照、ハハキは、キク科の落葉灌木。各地の山野に自生する。今コウヤボウキという。それを採つて箒に作るので、正倉院に殘つている玉ハハキはこれである。また袖中抄にメ(258)ドのこととしている。メドは、マメ科の多年生草本、メドハギという。卜筮の耆木《めどぎ》はこの幹で作り、またホウキにも作る。今日の草ボウキは、外來種で、栽培したものである。
 天木香 ムロノキ。諸説があるが、スギのような細い針葉のやわらかい葉を持つた木をいう。「天木香樹《ムロノキ》」(卷三、四四六)參照。續群書類從所收の香藥抄に天木香の名が見え、それと竝んで囘香が擧げられている。(新村博士)。
 
3830 玉掃《たまははき》 刈り來《こ》、鎌麻呂《かままろ》。
 室《むろ》の樹と 棗《なつめ》が本《もと》と、
 かき掃《は》かむため。
 
 玉掃《タマハハキ》 苅來鎌麻呂《カリコカママロ》
 室乃樹與《ムロノキト》 棗本《ナツメガモトト》
 可吉將v掃爲《カキハカムタメ》
 
【譯】玉ハハキを刈つておいで、鎌さんよ。ムロの樹とナツメの樹の下を掃除するために。
【釋】苅來鎌麻呂 カリコカママロ。カママロは、鎌を人名に擬して呼んでいる。當時、何麻呂と稱する人名が多かつたので、この稱がある。中世の文獻に、猿マロ、イナゴマロなどいう類がある。マロは、古事記に麻呂古《まろこ》の王の名多く見える。後、これをもつて人名とすることが多くなつた。語原は、身《ム》に接尾語ロがついたのだろう。
 室乃樹與 ムロノキト。ムロノキ、すなわち天(259)木香である。
 棗本 ナツメガモトト。ナツメガモトト(西)、ナツメガモトヲ(細)。ナツメは、クロウメモドキ科の落葉喬木。その實を食用に供する。これも外來植物で、早くから輸入栽培されたのであろう。ここはナツメの樹。
 可吉將掃爲 カキハカムタメ。カキは、接頭語。
【評語】同じく數種の物を詠んでいるが、いずれも庭園關係の品なので、無理がすくない。鎌を擬人化した呼び方も、氣が利いていて、民謠ふうの味がある。第二句の音聲が調子よくできている。
 
詠2白鷺啄v木飛1歌
 
白鷺の木を啄《く》ひて飛ぶを詠める歌。
 
【釋】詠白鷺啄木飛歌 シラサギノキヲクヒテトブヲヨメルウタ。サギは、巣をいとなむ時期には、よく木ヲをくわえて飛ぶ。それを見て詠んだのだろう。
 
3831 池神《いけがみ》の 力士?《りきしまひ》かも、
 白鷺《しらさぎ》の
 桙《ほこ》啄《く》ひ持ちて 飛びわたるらむ。
 
 池神《イケガミノ》 力士?可母《リキシマヒカモ》
 白鷺乃《シラサギノ》
 桙啄持而《ホコクヒモチテ》 飛渡良武《トビワタルラム》
 
【譯】池神の力士?をか、白鷺が桙をくわえ持つて飛び渡つているのだろう。
【釋】池神 イケガミノ。イケガミは、地名だろうが、所在不明。略解に、和名抄にいう十市郡の池上郷だろうというが、神と上とは、ミの音韻が違う。また生駒郡|富郷《とみさと》村の法起寺のこととする説があるが、そこに岡本の池と稱する池があり、法隆寺|伽藍流記資財帳《がらんるきしざいちよう》に池後の尼寺と呼ぶことが見えるが、これもそれ以上の根據は(260)ない。
 力士?可母 リキシマヒカモ。力士は、字音で讀むのだろう。力士?は、聖コ太子の時に渡つた伎樂の一つで、金剛力士に扮して桙を持つて舞う。それが白衣を著しているので、白鷺が木をくわえて飛ぶのを、これに擬したのである。カモは、疑問の係助詞で、句切ではない。
 桙啄持而 ホコクヒモチテ。白鷺が木をくわえて飛ぶのを力士?の桙に見立てている。
 飛渡良武 トビワタルラム。ラムは、力士?カモを受けて、それかと推量している。
【評語】白鷺は、羽翼を仰々しく動かして飛ぶので、白衣の力士?を連想したのは、奇警でかつ適切である。この譬喩の警拔なので持つている歌である。
 
忌部首詠2數種物1歌一首 名忘失也
 
忌部《いみべ》の首《おびと》の、數種の物を詠める歌一首 【名忘失せり。】
 
【釋】忌部首 イミベノオビト。下に名忘失セリとあるように、何人か不明。
 
3832 枳《からたち》の 辣原《うばら》刈り除《そ》け、
 倉立てむ。
 屎《くそ》遠くまれ。
 櫛造る刀自《とじ》。
 
 枳《カラタチノ》 棘原苅除曾氣《ウバラカリソケ》
 倉將v立《クラタテム》
 屎遠麻禮《クソトホクマレ》
 櫛造刀自《クシツクルトジ》
 
【譯】カラタチの棘の生えてある處を刈り拂つて、倉を建てよう。屎を遠くにしなさい。櫛を造るおかみさん。
【釋】枳 カラタチノ。カラタチは、ヘンルウダ科の常緑灌木。とげが多いのか特色である。「枳? 只具二音。加(261)良太知《カラタチ》。玉篇(ニ)云(フ)、枳(ハ)似(テ)v橘(ニ)而屈曲(セル)者也」(倭名類聚鈔)。
 棘原苅除曾氣 ウバラカリソケ。ウバラは、イバラ(荊棘)。「美知乃倍乃《ミチノヘノ》 宇萬良能宇禮爾《ウマラノウレニ》 波保麻米乃《ハホマメノ》」(卷二十、四三五二)は、ウマラとしているが、ここは棘原とあるからウバラであろう。苅除曾氣の氣は乙類のケであるから、下二段活用とすれば、連用形であり、よつてカリソケと讀まれる。この場合、除曾のうち一字で足るのに、二字を具書しているのは、既出の「來許武」の類である。
 倉將立 クラタテム。句切。
 屎遠麻禮 クソトホクマレ。マレは、脱糞する意の動詞の命令形。「屎麻理散《クソマリチラシキ》」(古事記上卷)、「送屎、此(ヲ)云(フ)2倶蘇麻?《クソマルト》1」(日本書紀卷一)。
 櫛造刀自 クシツクルトジ。トジは、一家の主婦。年齡にはよらない。
【評語】多數の物を詠み入れているが、題にはそれと記していないから、どれが出題されたかはわからない。クの音を重ねて使つて頭韻として調子を取つている。内容は、もとより無理で、ただ歌の形になつているだけである。かような興味中心の歌が要求される場合に、屎のような物がしばしば登場するのは、一つの傾向である。
 
境部王、詠2數種物1歌一首 穗積親王之子也
 
(262)境部《さかひべ》の王の、數種の物を詠める歌一首 【穗積の親王の子なり。】
 
【釋】境部王 サカヒベノオホキミ。下註に、穗積の親王の子なりとある。但し皇胤紹運録には長の皇子の子としている。續日本紀、養老元年正月、无位坂合部の王に從四位の下を授くとあり、十月、封を益し、五年六月、治部の卿となつた。懷風藻には、「從四位(ノ)上治部(ノ)卿境部(ノ)王二首 年二十五」とあつて、間もなく卒せられたことが知られる。
 
3833 虎に乘り 古屋《ふるや》を越えて、
 青淵に 鮫龍《みづち》とり來《こ》む
 劔刀《つるぎたち》もが。
 
 虎尓乘《トラニノリ》 古屋乎越而《フルヤヲコヱテ》
 青淵尓《アヲブチニ》 鮫龍取將v來《ミヅチトリコム》
 劔刀毛我《ツルギタチモガ》
 
【譯】虎に乘つて古屋を越えて、水の青く湛えた淵で、龍を退治して來るような劔がほしいものだ。
【釋】虎尓乘 トラニノリ。トラは大陸の動物で、猛獣として知られているので、威勢のよい所を歌つている。
 古屋乎越而 フルヤヲコエテ。フルヤは、地名だろうが、所在不明。ここに古屋を持ち出したのは、題のうちに、家などがあつて、それに合致させるためであるだろう。
 鮫龍取將來 ミヅチトリコム。鮫は蛟に通じて使用されている。倭名類聚鈔に「説文(ニ)云(フ)、蛟 音交、美都知《ミヅチ》。日本紀私記(ニ)用(ヰル)2大蚪(ノ)二字(ヲ)1 龍之屬也。山海經(ニ)云(フ)、蛟(ハ)似(テ)v?(ニ)而四脚(アリ)、池(ノ)魚滿(テバ)2二千六百(ニ)1、則(チ)蛟爲(ル)2之(ガ)長(ト)1」とある。ミヅチは、ミは水、ツチは、迦具士、雷などのツチと同じく神靈の稱であろう。水中に住む龍の屬で、思想上の動物である。日本書紀、仁コ天皇の六十七年の條に、吉備《きび》の中の國で水中で大蛇を斬つた話が載つていて、かような物の類の存在が信じられていたと見える。この句は連體句。
 劔刀毛我 ツルギタチモガ。蛟龍に對して靈感のある刀劔を欲している。
(263)【評語】龍虎などを取り合わせた作り物の歌であるが、一往まとまつている。當時の人の想像の世界を窺うべきである。佐藤謙三君いわく、この歌は、古屋の虎の昔話と關係があるのだろうという。參考欄に掲げた古屋の漏りの話の狼を虎としている地方が、宮城縣、大阪府等にあり、「朝鮮の國民童話」「朝鮮民譚集」には、虎より怖い串柿の話があり、「支那民俗學」によれば、中國にも類話がある由である(日本昔話名彙)。なお大陸の古い物の本に、參考となるべき話があるかも知れない。
【參考】古屋の漏り。
 昔ある所に爺と婆があつた。或日婆が爺に向つて、爺さん/\何が一番恐しいかと聞くと、わしや狼が一番恐しいと答へた。おばあさんは一番ブル(雨の漏ること)が恐しいと云つた。するとその時門口で狼がこの事を聞いて居たが、やがて雨がふり出したので、「ソラブルが來た/\」お婆さんが叫んだので、狼は一目散に逃げ出した。ところが一方、此家の納屋に半盗人が來て居たが、逃げて行く狼を牛の子と間違へて追かけて行くと、道で大きな穴に落ち込んでしまつた。すると狼は今穴の中へ落ちたのが「ブル」だと思つて、兎の所へやつて來て此事を告げた。兎は「ブル」の正體を探るためその穴の中へ入りかけると、下から體に取りつくものがあるので、「これがブルだ、こりやいかん」と急いで穴から出て逃げて行つてしまつた。――高松市――(日本昔話名彙)
 
作主未v詳歌一首
 
作主のいまだ詳ならざる歌一首。
 
3834 なしなつめ きみにあは嗣《つ》ぎ、
(264) 延《は》ふくずの 後も逢はむと
 あふひ花咲く。
 
 成棗《ナシナツメ》 寸三二粟嗣《キミニアハツギ》
 延田葛乃《ハフクズノ》 後毛將v相跡《ノチモアハムト》
 葵花咲《アフヒハナサク》
 
【譯】ナシにナツメにキビに、續いてアワがみのり、這うクズのように、後にも逢おうと、アオイの花が咲いている。
【釋】成棗 ナシナツメ。ナシは梨。梨やナツメがまずみのりの意に、句を起している。
 寸三二粟嗣 キミニアハツギ。キミは、キビ(黍)。アハツギは、アワが續いてみのるの意。この句には、吾に逢うことが續きの意を懸けて隱している。
 延田葛乃 ハフクズノ。枕詞。クズの蔓が分かれてまた合うので、次の句を起している。
 葵花咲 アフヒハナサク。アフヒは、フユアオイで、その葉を食料に供するものである。ゼニアオイ科の植物で、冬の頃、紫のぼかしを有する白花を開く。倭名類聚鈔菜蔬部に「本草(ニ)云(フ)、葵 音逵、阿布比《アフヒ》。味甘寒(ニシテ)無(キ)v毒物也」とあるものはこれである。正倉院文書、延喜式等にも食料としたことが見えている。夏日美花をつけるアオイとは別である。アフヒに逢フ日の意を懸けている。
【評語】食用植物の多數を詠み込んで、懸け詞によつて後も逢うことを期する意を寓している。巧みに詠まれ(265)ている作り歌で、やはり宴會の席上などの作であろう。作者未詳というのは、かような歌が興味がられて、作者の名を逸して歌い傳えられたことを語つている。
 
獻2新田部親王1歌一首 未v詳
 
【釋】獻新田部親王歌 ニヒタベノミコニタテマツレルウタ。新田部の親王は、天武天皇の第七の皇子、天平七年九月薨じた。
 
3835 勝間田《かつまた》の 池はわれ知る、
 はちす無し。
 然《しか》言《い》ふ君が 鬢《ひげ》無き如し。
 
 勝間田之《カツマタノ》 池者我知《イケハワレシル》
 蓮無《ハチスナシ》 
 然言君之《シカイフキミガ》 鬢無如之《ヒゲナキゴトシ》
 
【譯】勝間田の池は、わたしは知つていますが、ハスはありません。そうおつしやる君の、鬢のないようなものです。
【釋】勝間田之池者我知蓮無 カツマタノイケハワレシルハチスナシ。カツマタノ池は、奈良市の西方六條町に殘つている。ワレシルは、插入文。勝間田ノ池ハ蓮無シの文脈である。實際はハスが多いのを、戯れてハスがないと言つている。
 然言君之 シカイフキミガ。シカイフは、左註にあるように、新田部の親王が、勝間田の池の蓮花を稱美されて言われるのをさしている。
 鬢無如之 ヒゲナキゴトシ。鬢は、耳の際の毛をいうので、かならずしも誤りともしがたい。親王の、實際は鬚鬢の多いのを、戯れて言つている。
(266)【評語】好諧謔の歌といえよう。三句切になつているが、調子もよく、三句と五句とが、對脚をなしていて、吟誦に適している。鬚鬢の多い親王も、あかるい氣もちで、受け入れられたであろう。
 
右、或有v人、聞之曰、新田部親王、出2遊于堵裏1。御2見勝田之池1、感2緒御心之中1。還v自2彼池1、不v忍2怜愛1、於v時語2婦人1曰、今日遊行、見2勝田池1、水影濤々、蓮花灼々、※[立心偏+可]怜斷腸、不v可v得v言。尓乃婦人、作2此戯歌1、專輙吟詠也。
 
右或るは人あり。聞くに曰はく、新田部《にひたべ》の親王《みこ》、堵裏に出で遊び、勝間田の池を御見《みま》して御心の中に感《め》でませり。その池より還りて怜愛に忍びず、時に婦人《をみなめ》に語りたまはく、今日遊行して勝間田の池を見る。水彩濤濤として蓮花|灼灼《しやくしやく》たり。可怜斷腸、言ふことを得べからずといふ。ここに婦人、この戯歌《たはれうた》を作りて、もはら吟詠せるなり。
 
【釋】堵裏 ミヤコノウチ。堵は、都に通じて使用されている。ここは奈良の京の内である。
 勝田之池 カツマタノイケ。勝間田の池を、略書している。
 感緒 メデマセリ。緒は、永く續く性質の語につける字。心緒などの用法から轉じてこの熟語をなすに至つたのだろう。「心中感緒作歌」(卷三、四五八左註)。
 婦人 ヲミナメ。御寵愛の婦人をいう。
 
謗2佞人1歌一首
 
佞人を謗る歌一首。
 
(267)【釋】謗佞人歌 ネヂケビトヲアザケルウタ。佞人は、口の上手な人をいう。適當な訓が見當らない。それを誹謗する歌だから、良い意味には使われていない。
 
3836 奈良山の このてがしはの
 兩面《ふたおも》に、
 かにもかくにも 佞人《ねぢけびと》のとも。
 
 奈良山乃《ナラヤマノ》 兒手柏之《コノテガシハノ》
 兩面尓《フタオモニ》
 左毛右毛《カニモカクニモ》 佞人之友《ネヂケビトノトモ》
 
【譯】奈良山のコノテガシワに兩面があるように、どのようにも、口のうまい人たちだ。
【釋】奈良山乃 ナラヤマノ。ナラ山は、奈良の京の北方の山。
 兒手柏之 コノテガシハノ。コノテガシハは、マツ科のコノテガシワ(側柏)だというが、これは中國の原産で、本集にいうところと違うだろう。國語にカシワというのは、闊葉をいうのだから、これも、小兒の手のような形をした闊葉の樹をいうだろう。「知波乃奴乃《チバノヌノ》 古乃弖加之波能《コノテカシハノ》 保々麻例等《ホホマレド》」(卷二十、四三八七)。
 兩面尓 フタオモニ。フタオモは、兩面。兩面であるようにの意で、以上譬喩の序詞。
 左毛右毛 カニモカクニモ。いかようにも。どの面から見ても。
 佞人之友 ネヂケビトノトモ。トモは、人々。多數の人。「處女《をとめ》がとも」、「丈夫のとも」の類である。
【評語】奸佞の人の多いのは、いつの世にもありがちの事で、儒者かたぎの作者には堪えられなかつたのだろう。この歌は、譬喩も巧みだし、よく佞人の性質を衝《つ》くものがある。
 
右歌一首、博士消奈行文大夫作之
 
右の歌一首は、博士|消奈《せな》の行文《ぎやうもに》の大夫《まへつぎみ》の作れる。
 
(268)【釋】博士 ハカセ。大學寮所屬の官名。子弟に教授し、學生を考試することをつかさどる。この人は明經《みようきよう》の博士で、五經に通達していた。
 消奈行文大夫 セナノギヤウモニノマヘツギミ。消奈の行文は、續日本紀に、養老五年正月、學術の士を優遇された時に、明經の第二の博士正七位の上背奈の行文に?《あしぎぬ》十五疋、絲十五?、布三十端、鍬《くわ》二十口を賜い、神龜四年十二月には、從五位の下を授けられている。懷風藻には「從五位下大學助背奈王行文二頸 年六十二」と見え、藤原武智麻呂傳に、神龜年間の人物を擧げた中に、宿儒として肖奈の行文の名が見える。また古葉略類聚鈔には「明經儒林傳(ニ)云(フ)、助教消奈(ノ)行文、右《(古)》記(ニ)云(フ)、行文於2學《(奈)》良京(ニ)1作(リ)v助(ト)講(ズ)2周易(ヲ)1、角福代(ノ)弟子、新羅(ノ)人也。拜(シ)2博士(ヲ)1、敍(ス)2從五下(ニ)1、傅大學(ノ)助、後(ニ)改(ム)2高麗(ノ)朝臣(ト)1、入哥一□《(首)》」とある。大夫は、五位の人に對する敬稱。
 
3837 ひさかたの 雨も降らぬか。
 はちす葉《は》に 渟《たま》れる水の、
 玉に似たる見む。
 
 久堅之《ヒサカタノ》 雨毛落奴可《アメモフラヌカ》
 蓮荷尓《ハチスバニ》 渟在水乃《タマレルミヅノ》
 玉似將v有見《タマニニタルミム》
 
【譯】天からの雨も降らないかなあ。ハスの葉にたまつている水の、玉のようなのを見よう。
【釋】久堅之 ヒサカタノ。枕詞。轉用して雨に冠している。
 雨毛落奴可 アメモフラヌカ。希望の語法。句切。
 蓮荷尓 ハチスバニ。蓮も荷も、同じ意の字を重ね使つている。
 玉似將有見 タマニニタルミム。
  タマニニムミム(類)
  タマニニタルミム(神)
(269)  タマニアラムミム(新訓)
  ――――――――――
  玉爾似將有見《タマニニラムミム》(代初)
  玉爾似有將見《タマニニタルミム》(代初書入)
 このままでは、タマニアラムミムと讀むほかはないが、誤字説があり、將と有とを倒置すれば、タマニニタルミムとなる。さもあるべきところだが、決定はしかねる。
【評語】食膳の荷葉を見て、その生態に思い及んでいる。歌は平凡で、かの「夕立の雨うちふれば春日野の尾花が末の白露おもほゆ」(三八一九)の生氣もない。
 
右歌一首、傳云、有2右兵衛1、【姓名未v詳】多能2歌作之藝1也。于v時府家、備2設酒食1、饗2宴府官人等1。於v是饌食盛之、皆用2荷葉1。諸人酒酣、歌?駱驛。乃誘2兵衛1云、關2其荷葉1、而作v歌者、登時應v聲作2斯歌1也。
 
右の歌一首は、傳へ云ふ。右兵衛【姓名いまだ詳ならず。】あり。歌作の藝に多能なりき。時に府家、酒食を備へ設け、府の官人等を饗宴す。ここに、饌食は盛るに皆荷葉を用ゐき。諸人酒|酣《たけなは》にして歌舞|絡繹《らくえき》す。すなはち兵衛を誘ひて云ひしく、その荷葉に關《か》けて歌を作れといひしかば、その時聲に應へてこの歌を作りき。
 
【釋】右兵衛 ミギノツハモノトネリ。官名。六位以上の者の子弟、および一般の才能ある者を採る。
 府家 ツカサ。兵衛の役所。
 歌?駱驛 ウタマヒラクエキス。歌や舞が入りまじつて行われる。
 
無2心所1v著歌二首
 
心のつく所無き歌二首。
 
(270)【釋】無心所著歌 ココロノツクトコロナキウタ。内容の通つていない歌。一句一句別の事を言つている歌。歌經標式には、離會として、資人久米の廣足の「何須我夜麻《カスガヤマ》 美禰己具不禰能《ミネコグフネノ》 夜倶旨弖羅《ヤクシデラ》 阿婆遲能旨麻能《アハヂノシマノ》 何羅須岐能幣羅《カラスキノヘラ》」という歌を載せている。
 
3838 吾妹子が 額《ぬか》に生《お》ひたる
 雙六の《すぐろく》 牡牛《ことひのうし》の
 鞍の上の瘡《かさ》。
 
 吾妹兒之《ワギモコガ》 額尓生流《ヌカニオヒタル》
 雙六乃《スグロクノ》 事負乃牛之《コトヒノウシノ》
 倉上之瘡《クラノウヘノカサ》
 
【譯】わが妻の額に生えている雙六の、大きな牛の鞍の上の腫《はれ》物だ。
【釋】額尓生流 ヌカニオヒタル。ヒタヒニオフル(類)、ヌカニオヒタル(古義)。額は、集中ヌカとのみ讀んでいる。
 事負乃牛之 コトヒノウシノ。コトヒノウシは、牡牛。大きな牛。
 倉上之瘡 クラノウヘノカサ。クラは、倉の字を使つているが、鞍か。但し文字通り倉の意であるかも知れない。瘡は、倭名類聚鈔に「唐韻(ニ)云(フ)、瘡 音倉、加佐《カサ》 痍也。痍 音夷、岐須《キズ》 瘡也」と、相互に釋している。腫物である。
【評語】意をなさない歌なので、何とも評のくだしようがない。奇拔な物を集めて、全然連想のつかないものを竝べるのが手腕であろう。
 
3839 わが夫子が 犢鼻《たふさき》にする
 つぶれ石の 吉野の山に
(271) 氷魚《ひを》ぞさがれる。【懸有、反してさがれると云ふ。】
 
 吾兄子之《ワガセコガ》 犢鼻尓爲流《タフサキニスル》
 都夫禮石之《ツブレイシノ》 吉野乃山尓《ヨシノノヤマニ》
 氷魚曾懸有《ヒヲゾサガレル》【懸有反云2佐我禮流1】
 
【譯】親愛なるあなたの犢鼻にするまるい石の、吉野の山に氷魚がさがつている。
【釋】犢鼻尓爲流 タフサキニスル。犢鼻は犢鼻褌の略。牛の鼻のような形だからいう。「褌、方言(ノ)注(ニ)云(フ)、袴(ニ)而《シテ》無(キヲ)v?謂(フ)2之褌(ト)1。 音昆、須万之毛乃《スマノモノ》、一(ニ)云(フ)、知比佐岐毛能《チヒサキモノ》。史記(ニ)云(フ)、司馬相如、著(ク)2犢鼻褌(ヲ)1、韋昭曰(ク)、今三尺(ノ)布(ニテ)作(ル)v之(ヲ)、形如(キ)2牛(ノ)鼻(ノ)1者也。唐韻(ニ)云(フ)、? 職容(ノ)反。与v鍾(ト)同(ジ)。楊氏漢語抄(ニ)云(フ)、?子、毛乃之太乃太不佐岐《モノシタノタフサキ》、一(ニ)云(フ)、水子。 小褌也」(倭名類聚鈔)。日本書紀卷の二に、著犢鼻にタフサキシテと訓している。
 都夫禮石之 ツブレイシノ。ツブレイシは、圓石。日本書紀の訓註に「圓、此(ヲ)云(フ)2豆夫羅《ツフラト》1」とある。
 氷魚曾懸有 ヒヲゾサガレル。ヒヲは、今イサザという。白い小魚。宇治川の特産で、秋の末から網代《あじろ》を懸けて捕える。しかし集中氷魚の名の見えているのは、ここだけである。「考聲切韻(ニ)云(フ)、※[魚+小] 音小、今案(フルニ)俗(ニ)云(フ)2氷魚(ト)1是也。」(倭名類聚鈔)。
 懸有反云佐我禮流 サガレルハカヘシテサガレルトイフ。懸有二字の讀み方を註したのである。「懸、佐加禮留ソ」(日本靈異記下卷訓釋)。
【評語】これも同樣である。前の歌は吾妹子ガに始まり、これはワガ夫子ガに始まつているのは、意識して對にしたのである。瘡だの、犢鼻だの、内容の下品な物を持ち出すのは、この種の遊戯性の歌の通弊で、前に屎を持ち出したのと同樣である。
 
右歌者、舍人親王、令2侍座1曰、或有d作2無v所v由之歌1人u者、賜以2錢帛1。于v時大舍人安倍朝臣子祖父、乃作2斯歌1獻上。登時以2所v寡物餞二(272)千文1給之也。
 
右の歌は、舍人《とねり》の親王《みこ》侍座に令して曰はく、もし由《よ》る所無き歌を作る人あらば、賜ふに錢帛をもちてせむといへり。時に大舍人|安倍《あべ》の朝臣子祖父《あそみこおほぢ》すなはちこの歌を作りて獻上《たてまつ》りしかば、その時|募《つの》れりし物錢二千文を給ひき。
 
【釋】舍人親王 トネリノミコ。天武天皇の第三の皇子、天平七年十一月薨じた。
 大舍人 オホトネリ。中務省所屬の官名。宮中に宿直して雜役に奉仕し、行幸の時は、供奉する。
 安倍朝臣子祖父 アベノアソミコオホヂ。傳未詳。
 所募物 ツノレリシモノ。「募、豆乃留《ツノル》」(新撰字鏡)。賭《か》けて募集してあつた賞品。ここでは、次の錢二千文がこれに當る。
 錢二千文 セニニセニモニ。この歌の作られた年代は不明だが、舍人の親王は天平七年に薨じたから、その以前である。奈良時代の錢は、和銅元年に始めて「和同開珎」(銀錢、銅錢)が作られ、その後續いて鑄錢が行われた。ここにいうのは銅錢で、二千文は二千箇である。錢の價値については、時代が下つて錢の通例も多量になつてからであるが、造寺料錢用帳(大日本古文書四ノ五三二)に、天平寶字五年に、米二斗六升を、一升六文、計百五十六文で買つている。ついでに同帳によつて、集中に見えている物の錢價をすこし書き出せば、次の如くである。麻笥四個が百二文(一個十三文から六十文)、堝四個が十文、片※[土+完]二個が三文、鎌二挺が十文、綿三兩が二十五文。
 
池田朝臣、嗤2大神朝臣奧守1歌一首 池田朝臣名忘失也。
 
(273)池田の朝臣の、大神《おほみわ》の朝臣奧守《あそみおきもり》を嗤《わら》ふ歌一首【池田の朝臣の名は忘失せり。】
 
【釋】池田朝臣 イケダノアソミ。古義には、相手の大神の朝臣奧守と、同年に從五位の下になつた池田の朝臣|眞枚《まひら》だろうと言つている。眞枚は、續日本紀に、天平寶字八年十月、從八位の上から從五位の下、その後諸官を歴任して、延暦六年二月に鎭守の副將軍になつている。
 大神朝臣奧守 オホミワノアソミオキモリ。續日本紀に、天平寶字八年正月に、正六位の下から從五位の下を授けられたことが傳えられ、そのほか、所見がない。
 
3840 寺寺《てらでら》の 女餓鬼《めがき》申《まを》さく、
 大神《おほみわ》の 男餓鬼《をがき》賜《たば》りて、
 その子うまはむ。
 
 寺々之《テラデラノ》 女餓鬼申久《メガキマヲサク》
 大神乃《オホミワノ》 男餓鬼被v給而《ヲガキタバリテ》
 其子將v播《ソノコウマハム》
 
【譯】寺々の女の餓鬼が申すには、大神の男の餓鬼をいただいて、その子を生みましようと申します。
【釋】寺々之女餓鬼申久 テラデラノメガキマヲサク。メガキは、女の餓鬼。餓鬼は、佛數にいう餓鬼道に落ちた亡者。當時、諸寺には、餓鬼の像を造つて置いたという。但しその遺物の現存しているものはない。「大寺之《オホデラノ》 餓鬼之後爾《ガキノシリヘニ》 額衝如《ヌカヅクガゴト》」(卷四、六〇八)參照。マヲサクは、下位の者のいうこと。
 大神乃男餓鬼被給而 オホミワノヲガキタバリテ。大神の奧守がたいへん痩せていたので、これを男餓鬼に見立てている。タバリテは、賜わつて。
 其子將播 ソノコウマハム。ソノコハラマム(類)、ソノコウマハム(代初)、ソノコウミナム(考)。日本書紀に「蕃息」「殖」「産」「蔓生」などにウマハリと訓しているが、ウマフの文獻はない。ただクハフ、クハハルなどの例によつて、ウマフの語の存在を推量するだけである。そこで多分、生ムが、ハ行に再活用して、ウマ(274)フとなつたのだろうという。
【評語】痛烈に痩せた人を笑つている。毒舌というべきものだ。笑われた當人には氣のどくだが、第三者から見れば、よく言い得たものだとの感があつて、微笑を禁じ得ない。かような惡口をやりとりするのは、古歌の生育?態から持ち傳えた攻撃精神の流れである。おたがいに歌を懸け合わせた時代からの名殘であつて、多く二句切になつているのは、實際に歌われた歌だからであろう。
 
大神朝臣奧守報嗤歌一首
 
大神の朝臣|奧守《おきもり》の、報《こた》へ嗤《わら》ふ歌一首。
 
【釋】報嗤歌 コタヘワラフウタ。池田の某の嗤つた歌に報答した嗤咲歌《ししようか》である。
 
3841 佛|造《つく》る 眞朱《まそほ》足《た》らずは、
 水|渟《たま》る 池田の朝臣《あそ》が
 鼻の上を掘《ほ》れ。
 
 佛造《ホトケツクル》 眞朱不v足者《マソホタラズハ》
 水渟《ミヅタマル》 池田乃阿曾我《イケダノアソガ》
 鼻上乎穿禮《ハナノウヘヲホレ》
 
【譯】佛を造る朱が足りないなら、水のたまつている池田の朝臣の鼻の上を掘るがよい。
【釋】佛造眞朱不足者 ホトケツクルマソホタラズハ。ホトケは、ホトは浮圖(焚語 Buddha)の義とされているが、ケは諸説がある。家の字音とも、木の義とも、朝鮮語ともいう。眞朱は、朱砂。硫化水銀。朱色の塗料として使用される。當時佛像を造ること多く、眞朱を要することも多かつたのだろう。
 水渟 ミヅタマル。枕詞。池の性質を説明している。「美豆多麻流《ミヅタマル》 余佐美能伊氣能《ヨサミノイケノ》」(古事記四五)。
 池田乃阿曾我 イケダノアソガ。アソは、アソミ(朝臣)の下略。「多摩岐波?《タマキハル》 于池能阿層餓《ウチノアソガ》 波邏濃知(275)波《ハラヌチハ》 異佐誤阿例椰《イサゴアレヤ》」(日本書紀二八)の如く、姓《かばね》でなく、單に敬稱としても使われている。アソミは、朝臣の字を當てているところを見ると、アサオミの約言であるだろうが、アサは語義不明、オミは敬稱と考えられる。
 鼻上乎穿禮 ハナノウヘヲホレ。池田の朝臣が赤鼻だつたので、この句をなしている。
【評語】よくやり返した形だが、前の歌の辛辣なのには及ばない。赤鼻と眞朱を掘ることとの連想が、たやすく成立するからである。
 
或云
 
平群朝臣嗤歌一首
 
【釋】平群朝臣 ヘグリノアソミ。誰ともわからない。古義は、平群の朝臣廣成だろうと云つている。廣成は、天平九年九月に、正六位の上から從五位の下になり、諸官を歴任して、天平勝寶五年正月に、從四位の上であつた。
 
3842 小兒《わらは》ども 草はな刈りそ。
 八穗蓼《やほたで》を 穗積の朝臣《あそ》が
 腋《わき》くさを刈れ。
 
 小兒等《ワラハドモ》 草者勿苅《クサハナカリソ》
 八穗蓼乎《ヤホタデヲ》 穗積乃阿曾我《ホヅミノアソガ》
 腋草乎可禮《ワキクサヲカレ》
 
【譯】子供たちよ、草を刈るな。穗に出たタデの、穗積の朝臣の腋草を刈るがよい。
【譯】小兒等 ワラハドモ。草を刈る小兒に呼びかけている。「此岡《コノヲカニ》 草苅小子《クサカルワラハ》 勿v然苅《シカナカリソネ》」(卷七、一二九一)。
(276) 八穗蓼乎 ヤホタデヲ。枕詞。穗の多いタデ、ヲは感動の助詞。穗に冠する。
 穗積乃阿曾我 ホヅミノアソガ。ホヅミノアソは、次の歌の作者、穗積の朝臣だが、誰であるかはわからない。次の題詞參照。
 腋草乎可禮 ワキクサヲカレ。ワキクサは、腋毛と腋臭との兩説がある。腋毛なら露出していまいと思われるが、夏の旅行、宴會などで目立たないとも限らない。腋臭とするは、臭《くさ》と草と音が同じなので、懸けていうとしている。「病源論(ニ)云(フ)、胡具 和岐久曾《ワキクソ》」(倭名類聚鈔)のワキクソは、ワキクサの轉だという。文字からいえば、腋毛とするのが穩當である。
【評語】腋毛とすれば、戯咲ともいえるが、腋臭とすれば辛辣な惡口である。拍子をつけて歌われて見れば、これに應酬せずにはいられなかつたであろう。
 
穗積朝臣和歌一首
 
【釋】穗積朝臣 ホヅミノアソミ。誰ともわからない。古義は、穗積の朝臣|老人《おきな》かと言つている。老人は、天平九年九月、正六位の上から外の從五位の下を授けられ、天平十八年四月、從五位の下、同九月内藏の頭になつている。穗積の老人は、穗積の老とは別人。
 
3843 何所《いづく》にぞ 眞朱《まそほ》穿《ほ》る岳《をか》。
 薦疊《こもだたみ》 平群《へぐり》の朝臣《あそ》が、
 鼻の上を掘《ほ》れ。
 
 何所曾《イヅクニゾ》 眞朱穿岳《マソホホルヲカ》
 薦疊《コモダタミ》 平群乃阿曾我《ヘグリノアソガ》
 鼻上乎穿禮《ハナノウヘヲホレ》
 
【譯】何處ぞに朱を掘る岡があるか。コモで編んだむしろの、平群の朝臣の鼻の上を掘るがよい。
(277)【釋】何所曾眞朱穿岳 イヅクニゾマソホホルヲカ。何處にぞ眞朱ほる岡あるの意で、その岡を求める心である。
 薦疊 コモダタミ。枕詞。コモで編んだむしろで、へ(隔、敷物)に冠する。思邦歌の、タタミゴモに同じ。
【評語】これも穗積の某の赤鼻を笑つている。前の大神の奧守の歌と關係があるはずだが、どちらが先發かはわからない。この歌は、設問の形を採つている點に特色がある。
 
嗤2咲黒色1歌一首
 
黒色を嗤咲《わら》ふ歌一首。
 
【釋】嗤咲黒色歌 クロイロヲワラフウタ。歌詞ならびに左註に見えるように、容貌の黒いのを嗤咲《ししよう》する歌である。土師の水通の歌である。
 
3844 ぬばたまの 斐太《ひだ》の大黒《おほぐろ》
 見るごとに
 巨勢《こせ》の小黒《をぐろ》し 念《おも》ほゆるかも。
 
 鳥玉之《ヌバタマノ》 斐太乃大黒《ヒダノオホグロ》
 毎v見《ミルゴトニ》
 巨勢乃小黒之《コセノヲグロシ》 所v念可聞《オモホユルカモ》
 
【譯】まつ黒な斐太の大黒を見るたびに、巨勢の小黒が思われることだ。
【釋】烏玉之 ヌバタマノ。枕詞。
 斐太乃大黒 ヒダノオホグロ。ヒダは、次の歌の左註に見える巨勢の斐太の朝臣某。その人が黒かつたので、オホグロという。オホは、身體の大きいのをいつたのであろう。代匠記に、オホグロは、馬に譬えて言つているとしている。
 巨勢乃小黒之 コセノヲグロシ。これも同じ左註に見える巨勢の朝臣豐人である。これは身體がちいさかつ(278)たのでヲグロというのだろう。これも馬に譬えていると見られる。
【評語】斐太の大黒と巨勢の小黒とを竝べたところに特色がある。馬に譬えていうとすれば、皮肉な嗤咲で、かなり手痛いものがある。
 
答歌一首
 
【釋】答歌 コタフルウタ。土師水通の嗤咲歌に對する巨勢の豐人の答歌である。
 
3845 駒造る 土師《はじ》の志婢麻呂《しびまろ》、
 白くあれば うべ欲《ほ》しからむ。
 その黒色を。
 
 造v駒《コマツクル》 土師乃志婢麻呂《ハジノシビマロ》
 白久有者《シロクアレバ》 諸欲將v有《ウベホシカラム》
 其黒色乎《ソノクロイロヲ》
 
【譯】駒を造る土師の志婢麻呂は、白いので、ほんとにほしいだろう。その黒い色を。
【釋】造駒土師乃志婢麻呂 コマツクルハジノシビマロ。土師の志婢麻呂は、左註に見える土師の水通で、志婢麻呂はその字《あざな》である。字は通稱。土師氏は、垂仁天皇の御代に、土偶を作つて殉死を止めた野見《のみ》の宿禰(279)の後で、代々土偶を作るのを職とするので、駒造ルといつたのである。土偶の駒の意である。ハジは、ハニシの約言。
 白久有者 シロクアレバ。土師の水通は、色白だつたのだろう。大|祓《はらえ》の詞に、國つ罪として擧げた中に白人があり、病的に白いのを忌んでいる。そういう意味で白いのを嘲つたのだろう。
【評語】染料の乏しい時代であつても、白いから黒色がほしいだろうというのでは、手ぬるく、この問答は、答歌の負である。
 
右歌者、傳云、有2大舍人土師宿祢水通1、字曰2志婢麻呂1也。於v時大舍人巨勢朝臣豐人、字曰2正月麻呂1、與2巨勢斐太朝臣1、【名字忘之也。島村大夫之男也。】兩人竝此彼※[白/ハ]黒色焉。於v是土師宿祢水通、作2斯歌1嗤咲者、而巨勢朝臣豐人聞之、即作2和歌1酬咲也。
 
右の歌は、傳へ云ふ。大舍人|土師《はじ》の宿禰水通《すくねみみち》あり。字《あざな》を志婢麻呂《しひまろ》と曰《い》ひき。時に大舍人巨勢の朝臣豐人、字を正月麻呂《むつきまろ》といへる、巨勢の斐太の朝臣【名字之を忘る、島村の大夫の男なり也。】と兩人、竝に此彼貌黒色なり。ここに土師の宿禰水通、この歌を作りて嗤り咲ふといへれば、而して巨勢の朝臣豐人、聞きて、すなはち和ふる歌を作りて酬い咲《わら》へるなり。
 
【釋】土師宿祢水通 ハジノスクネミミチ。卷の四、五に歌を傳えている。天平二年の大伴の旅人の邸の梅花の宴にも列している。
 巨勢朝臣豐人 コセノアソミトヨヒト。傳未詳。
 巨勢斐太朝臣 コセノヒダノアソミ。傳未詳。巨勢の斐太の氏は、巨勢氏と同祖、建内《たけしうち》の宿禰の子孫である。
(280) 島村大夫 シマムラノマヘツギミ。巨勢の斐太の朝臣島村は、天平九年六月に、正六位の下から外の從五位の下、諸官に歴任して、天平十八年五月從五位の下、同九月刑部の少輔になつた。巨勢の小黒が、この人の子とすると、天平の末には、まだ若かつたであろう。
 
戯嗤v僧歌一首
 
戯に僧《ほふし》を嗤ふ歌一首。
 
【釋】戯嗤僧歌 タハブレニホフシヲワラフウタ。僧は、日本書紀にホフシと訓しているのは、法師の字音で、外來語である。本集にも、この字を、シの假字に使つている。「秋〓子之《アキハギノ》 錘禮零丹《シグレノフルニ》 落僧惜毛《チラクシヲシモ》」(卷十、二〇九四)。よつてここもホフシと讀むべきである。
 
3846 法師らが 鬢《ひげ》の剃杭《そりぐひ》、
 馬|繋《つな》ぎ いたくな引きそ。
 僧《ほふし》はにかむ。
 
 法師等之《ホフシラガ》 鬚乃剃杭《ヒゲノソリグヒ》
 馬繋《ウマツナギ》 痛勿引曾《イタクナヒキソ》
 僧半甘《ホフシハニカム》
 
【譯】坊さんたちの鬚の剃つた跡に馬をつないで、ひどくひつぱるな、坊さんがおこるだろう。
【釋】銀乃剃杭 ヒゲノソリグヒ。鬢は、三八三五左註參照。ソリグヒは、鬚を剃つた跡にすこし伸びた毛がこわいのを、杭に譬えていう。
 痛勿引曾 イタクナヒキソ。馬を強く引くことなかれ。句切。
 僧半甘 ホフシハニカム。
  ホフシナカラカモ(神)
(281)  ホウシナカラカム(略)
  ホフシハナカム(新訓)
  ――――――――――
  僧嘆甘《ホフシナゲカム》(新考)
 諸訓があり、定訓を得がたい。廿は、音カムで、甘南備などの用例がある。訓としては、アマシのほかに、馬飼の場合に、馬甘の如く書き、カヒの訓も考えられ、また甞に通じてナムとも讀まれる。ナカラカムと讀むのは、枕カム、鬘カムの語例で、ナカラクという動詞を想定し、その未然形に助動詞ムが接續して、半分になるだろうと見るのである。鬚の剃杭に馬を繋いで引くと、僧が半分になるだろうとの意とするのである。しかし脇屋眞一君は、次のようにこの訓を否定している。
 (一)一音の動詞は、必ず靡伏(ル・レ)を伴へば、四段活のクといふは認められず。(二)ナカラクといふ語ありとせば、そは動詞的活用をせじとおもはる。(三)ナカ、イク、ソコ、ココ等はその下に、ダ、ラ、バを接すること、共通せり。ココダク、ソコラクより推してナカラクもなしとは言ひがたし。ナカダの例三四五八にあり。(四)右のクは、シバラク、サキク、コトゴトク等と共に、形容詞活用語尾の母胎となれるもの。よりて、動詞活用をせじとおもはるるなり(書簡)。
 よつて半甘を字音假字としてハニカムと讀むこととする。日本靈異記上卷の訓釋に、※[此/目]にハニカムの訓がある。齒がみをしておこる意である。前著「萬葉集全講」には、ハニカマムとしたが、歌意はよく通じるが、甘をカマムとすることは例がなく無理のようである。
【評語】痛快に法師を笑つて、しかもあかるい内容であるのがよい。法師のぶしよう鬚を、杭に見立てて、剃杭と言つたのも、するどい造語である。
 
法師報歌一首
 
(282)3847 壇越《たにをち》や 然《しか》もな言ひそ。
 里長《さとをさ》らが 課役《えつき》徴《はた》らば
 汝《なれ》もはにかむ。
 
 檀越也《タニヲチヤ》 然勿言《シカモナイヒソ》
 弖戸等我《サトヲサラガ》 課役徴者《エツキハタラバ》
 汝毛半甘《ナレモハニカム》
 
【譯】旦那さん、そんなにおつしやるな。村長さんが課税を徴收したら、あんたもおこるだろう。
【釋】檀越也 タニヲチヤ。タニヲチは、梵語Dana-patiの漢字表現。施主の義。財物を施與する人を、僧より呼ぶ語。檀那に同じ。ヤは、感動の助詞。呼びかける。
 然勿言 シカモナイヒソ。前の歌をさしてシカと言つている。句切。
 弖戸等我 サトヲサラガ。原文のままでは、何とも讀みようがない。古義には、弖を五十の誤りとし、戸の下に長を補つてサトヲサラガと讀んでいる。貧窮問答歌に「楚取《シモトトル》 五十良我許惠波《サトヲサガコヱハ》」(卷五、八九二)とあるも、やはり課役を徴するのである。五十戸の里に一人の才幹ある者を里長とし、これが課役關係のことをつかさどつていた。
 課役徴者 エツキハタラバ。日本書紀に「悉(ク)除《ユルシテ》2課役《エツキヲ》1、息《ヤム》2百姓之苦(ヲ)1」(仁コ天皇の卷)とある。賦役令に、「課役竝(ニ)徴(ス)」、「免(シ)v課(ヲ)徴(ス)v收(ヲ)」などあリ、課はツキ、物を貢納せしめるをいい、役はエ、人夫に出るをいう。
 汝毛半甘 ナレモハニカム。イマシモナカム(新訓)。半甘の訓義、前の歌參照。
【評語】檀越の痛いところを衝《つ》いている。ただ鬚の剃杭のような滑稽味を缺いているのが弱點だ。むきになり過ぎて潤いのない點が、前の歌に及ばないところである。
 
夢裏作歌一首
 
(283)夢のうちに作れる歌一首。
 
3848 新墾田《あらきだ》の
 鹿猪田《ししだ》の稻を 倉に藏《つ》みて、
 あなひねひねし。
 わが戀ふらくは。
 
 荒城田乃《アラキダノ》
 子師田乃稻乎《シシダノイネヲ》 倉尓擧藏而《クラニツミテ》
 阿奈干稻干稻志《アナヒネヒネシ》
 吾戀良久者《ワガコフラクハ》
 
【譯】新たに開墾した田の、鹿猪の荒す田の稻を藏に積んで、ああひからびたことだ。わたしの戀は
【釋】荒城田乃 アラキダノ。アラキダは、新たに開墾した田。「湯種蒔《ユダネマク》 荒木之小田矣《アラキノヲダヲ》」(卷七、一一一〇)。
 子師田乃稻乎 シシダノイネヲ。シシダは、鹿猪田で、シカやイノシシが出て作物を食い荒す田をいう。山間の田である。「小山田之《ヲヤマダノ》 鹿猪田禁如《シシダモルゴト》」(卷十二、三〇〇〇)。新墾田の鹿猪田の稻は、痩せて實のすくない稻である。それで四句のアナヒネヒネシが利いて來る。
 倉尓擧藏而 クラニツミテ。以上三句、序詞。
 阿奈干稻干稻志 アナヒネヒネシ。倭名類聚鈔に、晩稻に比禰《ヒネ》の訓があるが、ここはそれとは違つて、後世いう舊穀をヒネという方の意である。ヒネの語義は、文字通り干稻であろう。ヒネヒネシは、乾《ひ》からびてあるさまの意と推量される。句切。
【評語】夢中の作と傳えるが、よく纏まつており、戀に對する自嘲の意も出ている。但し眞實の事情を歌つたものでなく、言葉のあやでできた歌だろう。古人の歌に慣れ、歌を思うことの切なのが、夢裡に歌を作るに至つたのである。本集には「夢(ノ)裏(ニ)習(ヒ)賜(ヘル)御歌」(卷二、一六二)がある。
 
(284)右歌一首、忌部首黒麻呂、夢裏作2此戀歌1贈v友、覺而令2誦習1如v前。
 
右の歌一首は、忌部《いみべ》の首《おびと》黒麻呂《くろまろ》、夢のうちにこの戀の歌を作りて友に贈り、覺《おどろ》きて誦み習はしむること前《きき》の如し。
 
【釋】忌部首黒麻呂 イミベノオビトクロマロ。卷の六、一〇〇八の作者。天平寶字二年八月に、正六位の上から外の從五位の下になり、同六年正月、内史局の助となつている。
 令誦習 ヨミナラハシムルコト。令は、人をしてなさしめる意の字であるが、誰にさせたかわからない。
 
※[厭のがんだれなし]2世間無1v常歌二首
 
世間の常無きことを厭ふ歌二首。
 
【釋】※[厭のがんだれなし]世間無常歌 ヨノナカノツネナキコトヲイトフウタ。以下二首は、河原寺の倭琴の画に書かれてあつたというが、この題も、もとからあつたか、編者が假につけたか不明。
 
3849 生死《いきしに》の 二つの海を
 厭はしみ、
 潮干《しほひ》の山を しのひつるかも。
 
 生死之《イキシニノ》 二海乎《フタツノウミヲ》
 ※[厭のがんだれなし]見《イトハシミ》
 潮干乃山乎《シホヒノヤマヲ》 之努比鶴鴨《シノヒツルカモ》
 
【譯】生と死との二つの海が厭わしさに、潮の干ている山を慕つたことだ。
【釋】生死之二海乎 イキシニノフタツノウミヲ。シヤウジノフタツノウミヲ(新訓)。生の海と死の海。人間の生死の事實を、海に譬えていう佛教語。生と死とはよく人を溺れ苦しましめるによつて、海に譬える。「生(285)死ノ海ハ、華嚴經(ニ)云(フ)、何(ゾ)能(ク)度(リテ)2生死(ノ)海(ヲ)1、入(ラム)2佛智(ノ)海(ニ)1。海ハ深クシテ底ナク限リナキ物ノ、能《ヨク》人ヲ溺ラスコト、無邊ノ生死ノ、衆生ヲ沈没セシムルニ相似タレバ喩フルナリ」(代匠記精撰本)。
 潮干乃山乎 シホヒノヤマヲ。海に對して、潮干の山と言つているが、陸地の謂である。生死を解脱した處。佛法究竟の境地。潮の滿ち干るというわけではないが、生死の海というので、假に潮干の山というのである。
 之努比鶴鴨 シノヒツルカモ。シノヒは、思慕する。
【評語】よく佛教思想を歌つて、譬喩を使つて言つているだけが、純粹の理くつから免れたことになる。概念的に取り扱つていて、作者自身の個性描寫が出ていないのは、物足りない。これはこの種の歌の通弊である。
 
3850 世間《よのなか》の 繁《しげ》き借廬《かりいほ》に
 住み住みて、
 至らむ國の たづき知らずも。
 
 世間之《ヨノナカノ》 繁借廬尓《シゲキカリイホニ》
 住々而《スミスミテ》
 將v至國之《イタラムクニノ》 多附不v知聞《タヅキシラズモ》
 
【譯】世の中の事繁き假小舍に住みついていて、行くべき國の目あてを知らないことだ。
【釋】世間之繁借廬尓 ヨノナカノシゲキカリイホニ。世間は、人生をいい、その生をいとなむことを繁キ借廬ニ住ムと言つている。シゲキカリイホは、事繁く煩累の多い生活で、人生を假なるものとする思想から、カリイホと言つている。
 住々而 スミスミテ。同語を重ねて、繼續して住む意をあらわしている。
 將至國之 イタラムクニノ。イタラムクニは、行くべき國で、佛教にいう淨士。極樂の世界。
 多附不知聞 タヅキシラズモ。手段を知らない。
【評語】この方がいくらか作者の生に即している。繁キ借廬などという譬喩は、類型的で生氣が感じられない。
 
(286)右歌二首、河原寺之佛堂裏、在2倭琴面1之。
 
右の歌二首は、河原寺の佛堂の裏に、倭琴の面にあり。
 
【釋】河原寺 カハラデラ。奈良縣高市郡高市村大字川原にある弘福寺《ぐふくじ》。飛鳥川の河原にある寺の意である。敏達天皇の御代の草創と傳えている。
 倭琴 ヤマトゴト。日本ふうの琴。六絃、小形で、膝の上にのせて彈ずる。
 
3851 心をし 無何有《むかう》の郷《さと》に
 置きてあらば、
 藐姑射《はこや》の山を 見まく近けむ。
 
 心乎之《ココロヲシ》 無何有乃郷尓《ムカウノサトニ》
 置而有者《オキテアラバ》
 藐孤射能山乎《ハコヤノヤマヲ》 見末久知香谿務《ミマクチカケム》
 
【譯】心を無何有の郷に置いたならば、藐姑射の山を近くに見るだろう。
【釋】心乎之 ココロヲシ。シは、強意の助詞。
 無何有乃郷尓 ムカウノサトニ。ムカウノサトは、莊子に出ている思想上の世界。何の有ることなしの義で、虚無自然の世界をいう。實際に無い國。「彼(ノ)至人|者《ハ》、歸《ヨセ》2精神(ヲ)乎無始(ニ)1而《テ》、甘2瞑(ス)乎無何有之郷(ニ)1」等、莊子には數出している。
 藐孤射能山乎 ハコヤノヤマヲ。ハコヤノヤマは、同じ莊子に出ている。仙人が住んでいるという傳説上の靈地。「藐姑射之山(ハ)、有(リテ)2神人1居(ル)焉。肌膚|若《ゴトク》2氷雪(ノ)1、※[さんずい+卓]約(トシテ)若(シ)2處子(ノ)1」(莊子逍遥遊篇)。
 見末久知香谿務 ミマクチカケム。ミマクは、見むこと。チカケムは、形容詞近ケに助動詞ムの接續した形。見むこと近きにあらむの意。
(287)【評語】老莊思想に憧憬している。無何有の郷と藐姑射の山とを竝べあげて構成しているだけで、思想上とり立てていうほどのものはない。佛教と竝んで、老莊虚無の思想も、漢籍を通じて入り來つたことが窺われる。
 
右歌一首
 
【釋】右歌一首 ミギノウタヒトツ。以下この類の記事は、作者、作歌事情等に關して、何か傳えようとして、その資料を得なかつたままに、そのままになつているのであろう。
 
3852 鯨魚《いさな》取《と》り 海や死《しに》する。
 山や死《しに》する。
 死ぬれこそ、
 海は潮干《しほひ》て 山は枯《かれ》すれ。
 
 鯨魚取《イサナトリ》 海哉死爲流《ウミヤシニスル》
 山哉死爲流《ヤマヤシニスル》
 死許曾《シヌレコソ》
 海者潮干而《ウミハシホヒテ》 山者枯爲禮《ヤマハカレスレ》
 
【譯】海が死ぬことがあろうか。山が死ぬことがあろうか。死ねばこそ、海は潮が干て、山は草木が枯れるのだ。
【釋】鯨魚取 イサナトリ。枕詞。
 海哉死爲流 ウミヤシニスル。ヤは、疑問の係助詞。疑問の意が強いので反語になる。海がはたして死ぬか、いや死なないだろうの意。句切。
 山哉死爲流 ヤマヤシニスル。上の句と同樣の形。對句になつている。句切。
 死許曾 シヌレコソ。動詞死ヌは「生者《ウマルレバ》 遂毛死《ツヒニモシヌル》 物爾有者《モノニアレバ》」(卷三、三四九)の如く、連體形としてシヌルの形があつたようなので、その已然形は、シヌレであつたように考えられる。この句は、已然條件法。
 山者枯爲禮 ヤマハカレスレ。カレスレは、山の草木が、冬に至つて落葉するをいう。
(288)【評語】海山のような、恒久性を有するように見えるものも、また無常を脱し得ないことを歌つている。調子のよい旋頭歌で、佛前などの歌いものであつたのだろう。
 
右歌一首
 
嗤2咲痩人1歌二首
 
痩《や》せたる人《ひと》を嗤咲《わら》ふ歌二首。
 
3853 石麻呂《いはまろ》に われ物《もの》申《まを》す。
 夏|痩《やせ》に よしといふ物ぞ。
 鰻《むなぎ》漁《と》り食《め》せ。【めせの反なり。】
 
 石麻呂尓《イハマロニ》 吾物申《ワレモノマヲス》
 夏痩尓《ナツヤセニ》 吉跡云物曾《ヨシトイフモノゾ》
 武奈伎取食《ムナギトリメセ》【賣世反也。】
 
【譯】石麻呂さんにわたしは申しあげる。夏痩によいということです。ウナギを取つてめしあがれ。
【釋】石麻呂尓 イハマロニ。イシマロニ(類)、イハマロニ(古義)。イハマロは、次の歌の左註にあるように、吉田の老の字《あざな》。吉田の宜の子かという。
 吾物申 ワレモノマヲス。モノマヲスは、何事かを申すで、特に申し入れる意である。句切。
 夏痩尓吉跡云物曾 ナツヤセニヨシトイフモノゾ。ウナギを精力増強に效ありとしたのである。句切。
 武奈伎取食 ムナギトリメセ。「※[魚+旦]、和名|牟奈岐《ムナギ》」(本草和名)、「文字集略(ニ)云(フ)、?音天、无奈岐《ムナギ》」(倭名類聚鈔)。
 賣世反也 メセノカヘシナリ。五句の食の字の讀法を註している。
【評語】仰山な言い方に歌を起して、ウナギを食うことを勸めている。次の歌の準備である性質の歌だが、揶(289)揄の氣もちは、既によくあらわれている。
 
3854 痩《や》す痩《や》すも 生《い》けらばあらむを、
 はたやはた
 鰻《むなぎ》を漁《と》ると 河に流るな。
 
 痩々母《ヤスヤスモ》 生有者將v在乎《イケラバアラムヲ》
 波多也波多《ハタヤハタ》
 武奈伎乎漁取跡《ムナギヲトルト》 河尓流勿《カハニナガルナ》
 
【譯】痩せながらも生きていればそれでよいのに、はたまた、ウナギを取ろうとして、河に流れなさるな。
【釋】痩々母 ヤスヤスモ。同語を重ねて、その進行の?を描いている。
 生有者將在乎 イケラバアラムヲ。生きていたらそれでよいのだが。アラムヲは、さてあらむをで、それで濟まされるのをの意。ヲは、それだの(290)にの意。
 波多也波多 ハタヤハタ。ハタを重ねて、強調している。ハタは、マタの感動性の強いもの。ヤは、感動の助詞。
【評語】前の歌と共に連作をなしている。揶揄の中心は、この歌のムナギヲ漁ルト河ニ流ルナにあるが、勿論二首を併わせて眺むべきである。
 
右有2吉田連老1、字曰2右麻呂1、所謂仁敬之子也。其老、爲v人身體甚痩、雖2多喫飲1、形似2飢饉1。因v此大伴宿祢家持、聊作2斯歌1、以爲2戯咲1也。
 
右は、吉田の連《むらじ》老《おゆ》といふものあり。字を石麻呂と曰《い》へり。いはゆる仁敬の子なり。その老、人となり身體いたく痩せたり。多く喫飲すれども形|飢饉《うゑびと》に似たり。これに因りて大伴の宿禰家持、いささかこの歌を作りて戯れ咲《わら》ふことをなせり。
 
【釋】吉田連老 ヨシダノムラジオユ。傳未詳。下に仁敬の子とある。仁敬は吉田の宜だろうとされている。吉田の宜は、もと百濟の人。吉の宜といつたので、吉田は、キチダと讀むべしとの説があるが、日本ふうの姓を賜わつたとすれば、かならずしも重箱よみにキチダと言つたとも考えられない。文コ實録、嘉祥三年十一月の條に「己卯、從四位の下治部の大輔|興世《おきよ》の朝臣書主卒す。書主は右京の人なり。本の姓は吉田の連、その先は百濟より出づ。祖は正五位の上圖書の頭兼内藥の正相摸の介吉田の連宜、父は内藥の正正五位の下古麻呂、竝に侍醫となり累代供奉す。宜等兼ねて儒道に長じ、門徒に録あり」とある古麻呂は、石麻呂とは別人だろう。代匠記には、この古麻呂を石麻呂の誤りかとしている。
(291) 仁敬 ニニキヤウ。字《あざな》だろうが、その人は不明。吉田の宜か。
 形似飢饉 カタチウヱビトニニタリ。飢饉は飢えて食の乏しいのをいうが、ここは飢えた人をいう。
 
高宮王、詠2數種物1歌二首
 
高宮《たかみや》の王の、數種の物を詠める歌二首。
 
【釋】高宮王 タカミヤノオホキミ。傳未詳。
 
3855 かはらふぢに 延《は》ひおほとれる
 くそかづら 絶ゆることなく
 宮仕《みやづかへ》せむ。
 
 ※[草がんむり/皀]莢尓《カハラフヂニ》 延於保登禮流《ハヒオホトレル》
 屎葛《クソカヅラ》 絶事無《タユルコトナク》
 宦將v爲《ミヤヅカヘセム》
 
【譯】カワラフジに這いかぶさつているクソカズラのように、絶えることなく、お仕えをしよう。
【釋】※[草がんむり/皀]莢尓 カハラフヂニ。フヂノキニ(類)、サウケフニ(新考)。※[草がんむり/皀]莢は、皀莢に同じ。倭名類聚鈔、葛類に「本草(ニ)云(フ)、皀莢造夾二音、加波良不知《カハラフチ》、俗(ニ)云(フ)蛇結《ジヤケツ》」というのがある。今のジヤケツイバラ(雲實)で、マメ科の落葉灌木である。これは河原などに自生し、黄色のフジに似た花をつけるので、カワラフジの稱がある。「皀莢、加波良布知乃岐《カハラフヂノキ》」(本草和名)とあるものは、その實を藥用に供する。今のサイカチで、マメ科の落葉喬(292)木である。サイカチの花葉はカワラフジに類するので、サイカチにカハラフヂノキの稱がある。倭名類聚紗は、この二者を混同して、皀莢をもつて蛇結《じやけつ》として葛類に收めたのである。ジヤケツは、幹が蛇を結んだようにくねつているので、この稱を得ている。和名が似ているが、ここの皀莢はカワラフジである。クソカズラが這いまわつているのは、灌木の方が適當である。
 延於保登禮流 ハヒオホトレル。オホトレルは、枕の草子に「かしら白くおほとれたるも知らず」(五七段)、今昔物語に「髪オホトレタル大キナル童盗人」(卷三十八、四十二條)とあり、ひろがつているさまの意と推定される。オドロ(荊棘)と關係のある語だともいう。
 屎葛 クソカゾラ。「辨色立成(ニ)云(フ)、細子草久曾可都良《タソカヅラ》」(倭名類聚鈔)とあり、アカネ科の多年性蔓性草本、莖葉も花も惡臭をもつているので、ヘクソカズラという。以上は序詞で、葛の絶えることないようにの意に、次の句を引き起している。
 宦將爲 ミヤヅカヘセム。宦は、宮仕。政府に奉仕すること。寫本に、宦に穴冠の異體字を使用しているが、この字は、干禄字書に宦の俗字として載せてある。官は下の志賀の白水郎の歌にもその左註にも使用されているが、ここの字體とは違う字を使用している。
【評語】葛の類から、絶ユルコトナクを引き出して來る手段は、類型的であるから、ただ序詞の特殊性が、こ(293)の歌の持つ個性の中心ということになる。それは與えられた數種の物を、自然に近い形に處理したところに、作者の手腕が認められる。クソカズラのような名のものに興味を有するのは、この種の歌の通性である。そういう類のものが、歌に入りがたく難題になるとなす考え方があつたのだろう。
 
3856 波羅門《はらもに》の 作れる小田を 喫《は》む烏
 瞼《まなぶた》腫《は》れて 幡幢《はたほこ》に居《を》り。
 
 波羅門乃《ハラモニノ》 作有流小田乎《ツクレルヲダヲ》 喫烏《ハムカラス》
 瞼腫而《マナブタハレテ》 幡幢尓居《ハタホコニヲリ》
 
【譯】波羅門僧正の作つている田を食べるカラスが、まぶたが腫れて、幡幢にとまつている。
【釋】波羅門乃 ハラモニノ。波羅門は、梵語Brahmanaの漢字音譯。淨行の意で、印度四姓の最上の階級をいう。ここでは、天平八年、遣唐使の歸朝に伴なつて來朝して大安寺に住していた菩提仙那である。この人は、僧正に任ぜられ、波羅門僧正と呼ばれ、莊田を賜わつていた。
 作者流小田乎喫烏 ツクレルヲダヲハムカラス。波羅門僧正の作つている田を食うカラス。
 瞼腫而 マナブタハレテ。マナブタは、「唐韻(ニ)云(フ)、瞼 巨險(ノ)反、又居儼(ノ)反、末奈布太《マナブタ》」(倭名類聚鈔)。目の蓋、まぶち。波羅門僧正の作つた田の穀物を食つたので、罰が當つて、まぶたが腫れたというのだろう。
 幡幢尓居 ハタホコニヲリ。ハタホコは、「寶幢、華嚴經(ノ)偈(ニ)云(フ)、寶幡諸幡蓋訓、波多保古《ハタホコ》」(倭名類聚鈔)。幡をつけた桙。説教法事の際に、寺院の庭に幡幢を建てる。
【評語】波羅門僧正の生活や、寺院の有樣などに、興味が引かれ、それらが出題となつて、この歌を作つたものと見られる。佛教關係の一情景を描いた作として、注意すべき歌である。一往よく纏まつており、數種の物を詠んだ歌の中では、よくできた方である。
 
(294)戀2夫君1歌一首
 
【釋】戀夫君歌 セノキミニコフルウタ。佐爲の王の近習の婢が、その夫を思つて詠んだ歌である。
 
3857 飯《いひ》喫《は》めど 甘《うま》くもあらず、
 行き往けど 安くもあらず、
 茜《あかね》さす 君が情《こころ》し、
 忘れかねつも。
 
 飯喫騰《イヒハメド》 味母不v在《ウマクモアラズ》
 雖2行往1《ユキユケド》 安久毛不v有《ヤスクモアラズ》
 赤根佐須《アカネサス》 君之情志《キミガココロシ》
 忘可祢津藻《ワスレカネツモ》
 
【譯】御飯をたべてもおいしくありません。あるいても、おちつきません。美しい君の心が忘れかねます。
【釋】飯喫騰 イヒハメド。イヒは、米をむして作る。
 雖行往 ユキユケド。アリケドモ(西)、ユキユケド(新訓)、アルケドモ(總索引)。道を行けどもで、同語を重ねて連續して行われる意をあらわしている。但しここでは、道を行けどもぐらいの意で、飯ハメドの屋内の生活であるのに對している。
 安久毛不有 ヤスクモアラズ。安らかでない。安心しておちついていられない。句切。
 赤根佐須 アカネサス。枕詞。アカネ、草名。根から赤色の染料をとる。赤みを帶びている意で、日、紫などに冠しているが、ここでは、美しい君の意に、君に冠している。
【評語】七句から成つていて、長歌として最短の作である。詞句は平易で、よくその意をつくしている。自然にして成つたような作である。ただアカネサスの一句だけが、修飾の句として色を添え、それを君の語に冠することによつて、一首の中心がそこにあることを感じさせる。
 
(295)右歌一首、傳云、佐爲王、有2近習婢1也。于v時宿直不v遑、夫君難v遇。感情馳結、係戀實深。於v是當宿之夜、夢裏相見、覺宿探抱、曾無v觸v手。尓乃哽咽歔欷、高聲吟2詠此歌1。因王聞之哀慟、永免2侍宿1也。
 
右の歌一首は、傳へ云ふ。佐爲《さゐ》の王《おほきみ》、近習《まかたち》の婢《をみなめ》ありき。時に宿直《とのゐ》遑《いとま》あらずして夫《せ》の君《きみ》に遇《あ》ひ難く、感情馳せ結《むす》ぼほれ、係戀|實《まこと》に深し。ここに當宿《とのゐ》の夜、夢のうちに相見、覺寤《おどろ》きて探り抱くに、かつて手に觸るることなし。ここに哽咽歔欷して、高聲にこの歌を吟詠しき。よりて王《おほきみ》聞きて哀慟して、永く侍宿《とのゐ》を免しき。
 
【釋】佐爲王 サヰノオホキミ。天平八年十一月、橘の宿禰の姓を賜わつて橘の佐爲と稱した。橘の諸兄の弟。
 近習婢 マカタチノヲミナメ。日本書紀に、從女、侍者にマカタチと訓している。婢は、女子の賤稱であるが、奴婢であるか否かは不明。
 
3858 この頃の わが戀力《こひぢから》 記《しる》し集《あつ》め、
(296) 功《くう》に申さば 五位の冠《かがふり》。
 
 比來之《コノゴロノ》 吾戀力《ワガコヒヂカラ》 記集《シルシアツメ》
 功尓申者《クウニマヲサバ》 五位乃冠《ゴヰノカガフリ》
 
【譯】このごろのわたしの戀のはたらきを記し集めて、功勞として申し出たら、五位の位階をくださるだろう。
【釋】吾戀力 ワガコヒデカラ。チカラは、努力、功勞。代匠記に「王(ノ)功(ヲ)曰(ヒ)v勲(ト)、國(ノ)功(ヲ)曰(ヒ)v功(ト)、民(ノ)功(ヲ)曰(ヒ)v庸(ト)、事(ノ)功(ヲ)曰(ヒ)v勞(ト)、治(ノ)功(ヲ)曰(ヒ)v力(ト)、戰(ノ)功(ヲ)曰(フ)v多(ト)」(周禮)を引いている。戀の勞力。戀の苦勞。
 記集 シルシアツメ。文書に記し集めて。
 功尓申者 クウニマヲサバ。クワは、功績。考課令に「凡(ソ)官人(ノ)景迹功過、應《ベキ》v附(ス)v考(ニ)者(ハ)、皆|須《ベシ》2實録(ス)1」とある。功は、法令語として、字音で言つていたのだろう。ここは、功績を上申したらの意。
 五位乃冠 ゴヰノカガフリ。奈良時代の位階は、令制により、一位から八位まで、みな正從に分かち、八位の下に大初位、少初位があり、四位以下および初位は、各階上下に分かつていた。都合三十階である。古くは位階は、冠によつて授けたのであるが、令制になつて冠によることは廢せられたが、なお冠の語を殘していた。五位以上は勅授であるから、五位の冠というのは、勅授の位階に相當するというのである。
【評語】戀の苦勞のはなはだしいのを表現する手段として、實に警拔な行き方である。思いあまつては、自身の行動にも滑稽を感じて、かような表現に出たのだろう。同時に、この作者が、官人であつて、功過や位階をひどく氣にする種の人だつたということも、見のがせない。ここにもやはり作者の生活が描かれているのだつた。作者は、六位以下の官人で、五位に昇敍されることを、夢に見ている人だつたのだ。
 
3859 この頃の わが戀力 給《たば》らずは、
 京兆《みさとづかさ》に 出でて訴《うた》へむ。
 
 頃者之《コノゴロノ》 吾戀力《ワガコヒヂカラ》 不v給者《タバラズハ》
 京兆尓《ミサトヅカサニ》 出而將v訴《イデテウタヘム》
 
【譯】この頃のわたしの戀のはたらきに對して、御褒美をくださらないなら、都の長官のもとへ出て訴えよう。
(297)【釋】不給者 タバラズハ。賜わらずばで、賞賜を下さらないなら。前の歌と連作であるが、功ニ申サバ以下とは關係なく、別の方面から言つている。里長などの賞賜についていう。
 京兆尓出而將訴 ミサトヅカサニイデテウタヘム。ミヤコニイデテウレヘマウサム(類)、ミサトニイデテウタヘマウサム(代精)、ミサトヅカサニイデテウタヘム(考)。京兆は、京師をいう。ここは京兆尹の略で、京職の長官をいう。日本書紀に、京職にミサトヅカサの訓がある。奈良の京は、左石の京職があつて、支配していた。ウタヘムは、賞賜を給わらないことを訴願しようの意。
【評語】前の歌と連作をなし、戀の苦勞を歌つている。五句が強く二分され、音調上にやや難點がある。
 
右歌二首。
 
筑前國志賀白水郎歌十首
 
筑前の國の志賀の白水郎《あま》の歌十首。
 
【釋】筑前國志賀白水郎歌 ツクシノミチノクチノクニノシカノアマノウタ。志賀は、宿岡縣糟屋郡志賀島。福岡灣の灣頭に當る。その白水郎についての歌の意である。作歌事情は、十首の終りの左註に詳細に記されている。作者は、その末尾に、或云として記されている山上の憶良の作と考えられる。
 
3860 王《おほきみ》の 遣《つか》はさなくに、
 さかしらに 行きし荒雄《あらを》ら、
 沖に袖振る。
 
 王之《オホキミノ》 不v遣尓《ツカハサナクニ》
 情進尓《サカシラニ》 行之荒雄良《ユキシアラヲラ》
 奧尓袖振《オキニソデフル》
 
(298)【譯】天皇陛下の遣わされたのでもなく、自分の心から進んで行つた荒雄が、沖で袖を振つている。
【釋】王之不遣尓 オホキミノツカハサナクニ。官命でない意。左註の記事によれば、同僚に頼まれて行つたのである。
 情進尓 サカシラニ。下の「情出爾」(三八六四)と典に、古くからサカシラニと讀まれている。サカシラは「痛醜《アナミニク》 賢良乎爲跡《サカシラヲスト》」(卷三、三四四)、「黙然居而《モダヲリテ》 賢良爲者《サカシラスルハ》」(同、三五〇)の賢良の字を讀んでおり、賢しらだてをする意と解せられ、情進、もしくは情出の文字の意には適わないようである。情進、情出の字は、自發的に心から進んでする意と思われる。「難波人《ナニハビト》 葦火燎屋之《アシヒタクヤノ》 酢四手雖v有《スシテアレド》」(卷十一、二六五一)のスシは、進んでする意の動詞と思われるから、これによつてココロスシニの訓も考えられる。
 行之荒雄良 ユキシアラヲラ。ユキシは、對馬へ粮食を送る船に乘つて行つたことをいう。荒雄は、志賀の白水郎の名。いずれも左註に見える。下のヲは接尾語。
 奧尓袖振 オキニソデフル。ソデフルは、袖を振つて知らせること。風波の難にあつて袖を振つているのである。ユキシと過去に言つているから、別れを惜しむ姿と見るわけにゆかない。
(299)【評語】この十首の歌は、連作ではあるが、その組織は、かならずしも順序立つて述べているわけではない。しかしこの歌は、第一首として、總敍ふうな性質を持つている。五句の沖ニ袖振ルは、難船している?を、目に見るように敍している。三八六四の波ニ袖フルと對して、この方が、景が大きい。妻子に代つて詠んだ歌で、作者は、妻子とくにその妻の立場で詠んでいるので、暗冥な沖合に、夫の難義している幻影が描かれているのである。なお歌の順序については三八六二參照。さすがに巧みな詠み口である。
 
3861 荒雄らを 來《こ》むか來《こ》じかと、
 飯《いひ》盛《も》りて 門に出で立ち、
 待てど來《き》まさず。
 
 荒雄良乎《アラヲラヲ》 將v來可不v來可等《コムカコジカト》
 飯盛而《イヒモリテ》 門尓出立《カドニイデタチ》
 雖v待來不v座《マテドキマサズ》
 
【譯】荒雄を、來るだろうか來ないだろうかと、飯を盛つて、門に出で立つて待つていてもおいでにならない。
【釋》將來可不來可等 コムカコジカト。來るか、もしくは來ないだろうかとで、よく疑惑の氣もちを描いている。「吾味乎《ワギモコヲ》 將v來香不v來香跡《コムカコジカト》 吾待乃木曾《ワガマヅノキゾ》」(卷十、一九二二)。
 飯盛而 イヒモリテ。飯の用意をして。
 雖待來不座 マテドキマサズ。マテドキマサヌ(新考)。マテドキマサヌとも讀まれるが、順當の訓法としては、やはり終止形を採るべきであろう。
【評語】夫の難船の由を傳え聞いても、なお信じきれない有樣がよく描かれている。三句の飯盛リテも、人を待つ心が具體的に描かれていて有效である。これは歸る人を待つ心であり、また旅に出た人の留守を守つて、影膳すえて待つている心でもある。
 
(300)3862 志賀の山 いたくな伐《き》りそ。
 荒雄らが 所縁《よすが》の山と、
 見つつ偲《しの》はむ。
 
 志賀乃山《シカノヤマ》 痛勿伐《イタクナキリソ》
 荒雄良我《アラヲラガ》 余須可乃山跡《ヨスガノヤマト》
 見管將v偲《ミツツシノハム》
 
【譯】志賀の山は、ひどく木を伐つてくださるな。荒雄の縁故の山と見ながら、思つておりましよう。
【釋】志賀乃山 シカノヤマ。福岡灣口にある志賀島の山。出入する船の目じるしになる山である。
 余須可乃山跡 ヨスガノヤマト。ヨスガは、所縁、縁故。荒雄の生前に親しんだ山として。
【評語】遺物に對して、ありし日のままに眺めて忘れがたみとしようとする歌で、同樣の内容を歌つた歌は多い。志賀の山を仰ぎながら、ありし日を慕う心があらわれている。その山の樹を伐るのが、いかにも無情に感じられるのである。尼崎本、この歌の上に朱で「本云、或本已下三首在v上云々」とある。この或る本にいう形は、明白でないが、澤瀉博士の説のように、三八六六の前に照應の記號があるによれば、次の三八六三、三八六四、三八六五の三首が、この三八六二の歌の前にあるというのだろう。これについて澤瀉博士に説があつて、或本の記事による配列を可としている。
 
3863 荒雄らが 行きにし日より、
 志賀の海人《あま》の 大浦田沼《おほうらたぬ》は、
 さぶしくもあるか。
 
 荒雄良我《アラヲラガ》 去尓之日從《ユキニシヒヨリ》
 志賀乃安麻乃《シカノアマノ》 大浦田沼者《オホウラタヌハ》
 不樂有哉《サブシクモアルカ》
 
【譯】荒雄の行つた日から、志賀の海人の大浦の田や沼は、さびしいことです。
【釋】志賀乃安麻乃 シカノアマノ。アマは、漁人。志賀の海人の行動する意に、次の句を修飾している。
(301) 大浦田沼者 オホウラタヌハ。オホウラタヌは不明の語。「九州萬葉手記」に、大浦は、志賀の島にある地名だという。タヌは、田である沼か、田と沼か、不明。荒雄なくしてその田園の荒廢をいうらしい點から見て、生前立ち働いた地であろう。
 不樂有哉 サブシクモアルカ。サブシは、文字通り樂しまない形容。カは感動の助詞。
【評語】荒雄なくして、その遺跡のさびしいことを歌つている。挽歌にしばしば見る型である。
 
3864 官《つかさ》こそ さしてもやらめ。
 さかしらに 行きし荒雄ら、
 波に袖振る。
 
 官許曾《ツカサコソ》 指弖毛遣米《サシテモヤラメ》
 情出尓《サカシラニ》 行之荒雄良《ユキシアラヲラ》
 波尓袖振《ナミニソデフル》
 
【譯】役所で指名しても遣りましようのに、自分から進んで行つた荒雄は、波の中で袖を振つています。
【釋】官許曾指弖毛遣米 ツカサコソサシテモヤラメ。ツカサは役所。ここでは大宰府。サシテは、點定して、それと指名して。句切。
 情出尓 サカシラニ。「情進爾《サカシラニ》」(三八六〇)參照。
【評語】第一首と同じ内容を、多少詞句を變えて歌つている。沖ニ袖振ルに比して、波ニ袖振ルの方が、ちいさい範圍に集中している。波濤の中で、荒雄が難儀している樣を、目に見るように描いている。
 
3865 荒雄らは、
 妻子《めこ》の産業《なり》をば 思はずろ、
 年の八歳《やとせ》を 待てど來《き》まさず。
 
 荒雄良者《アラヲラハ》
 妻子之産業乎波《メコノナリヲバ》 不v念呂《オモハズロ》
 年之八歳乎《トシノヤトセヲ》 待騰來不v座《マテドキマサズ》
 
(302)【譯】荒雄は、妻子の生業を思わないで、多くの年を經ても歸つておいでにならない。
【釋】妻子之産業乎波 メコノナリヲバ。妻子の字は、卷の五にもあり、そこにも古くからメコと讀んでいる。これは日本書紀卷の二に「故天稚彦親屬妻子皆謂《カレアメワカヒコノウカラヤカラメコミナオモヘラク》」とある妻子にメコと訓してあるものなどが根據になるであろう。卷の五のは、「令v反2或情1歌」と「貧窮問答歌」とにあつて、どちらも、妻と子とを意味するものと考えてよいのだが、國語のメコは、元來妻をさすもので、コは愛稱であつたのだろう。それは、メガミ(女神)、メヤツコ(女奴)など、メが他語に接して熟語を作る場合、それは竝立にはならず、また平安時代の用例では、「天女下りたまふらんよにや、わがめこ出でこん。天の下にはわがめこにすべき人なし」(うつぼ物語)、「さべき人のめこ、皆宮仕へに出ではてぬ」(榮華物語)など、皆、妻、もしくは娘を言い、妻と子とをいう例はない。これは妻子の文字に接して、メコの語義が擴張されたものと見てよいだろう。この歌の如き、しかしながら中心は妻にあつて、妻と子とにないことを思うべきである。ナリは、生業。
 不念呂 オモハズロ。ロは、接尾語と見られる。接尾語ロは、卷の十四の東歌、および卷の二十の防人の歌に多く、その他では、わずかに「乏吉呂賀聞《トモシキロカモ》」(卷一、五三)の類があるに過ぎず、かような用例は見られない。このロは、福岡縣地方の方言に今も殘つているラムから來たロで、推量の意とする説もあるが、ここはどう讀んでもラムとしては具合がわるいから、そうではないだろう。しいていえば、やはり防人の歌の「安我弖等都氣呂《アガテトツケロ》」(卷二十、四四二〇)のロのように、ヨというに近いのではないかと思われる。
 年之八歳乎 トシノヤトセヲ。トシノヤトセは、長い時日をいうので、實數でないことはいうまでもない。
 待騰來不座 マテドキマサズ。上の念ハズロを、句切と見れば、マテドキマサヌと讀んで、來ないことの意とすることもできるが、前に同じ句があつたので、それと同一に讀むこととする。
【評語】荒雄の歸宅を待つ心の中に、妻子を顧みないというぐちも強くなつて來た。そういう内容が、巧みに(303)歌われている。四五句の兩句は、歌いものなどから來ているのだろう。
 
3866 沖つ鳥 鴨といふ船の 還り來《こ》ば、
 也良《やら》の埼守《さきもり》、
 早く告げこそ。
 
 奧鳥《オキツトリ》 鴨云船之《カモトイフフネノ》 還來者《カヘリコバ》
 也良乃埼守《ヤラノサキモリ》
 早告許曾《ハヤクツゲコソ》
 
【譯】沖の水鳥の、鴨という名の船が歸つて來たら、也良《やら》の岬の番人は、早く知らせてください。
【釋】奧鳥 オキツトリ。枕詞。沖にいる鳥の意に、鴨に冠する。「意岐都登理《オキツトリ》 加毛度久斯麻邇《カモドクシマニ》」(古事記九)。
 鴨云船之 カモトイフフネノ。カモは、船の名。鴨のように水に浮いて行く意でつけたのだろう。播磨國風土記に、船のはやいこと飛ぶが如くであつたので、速鳥《はやとり》と名づけたことが傳えられている。
 也良乃埼守 ヤラノサキモリ。也良ノ埼は、福岡灣内の殘《のこ》の島の北端の岬角で、灣口に面しているので、灣内さして入り來る船が、望見される。サキモリは、埼の番人、防人。也良の埼に配置されて、外洋の防備に當つている兵士。
 早告許曾 ハヤクツゲコソ。願望の語法。
【評語】荒雄の乘つて行つた船の歸航を待ちあぐむ心が歌われている。鴨トイフ船といひ、也良ノ埼守というように、具體的に固有名詞を出して歌つているのは效果が多い。
 
3867 沖つ鳥 鴨といふ船は、
 也良《やら》の埼 廻《た》みて榜《こ》ぎ來《く》と、
 聞《きこ》え來《こ》ぬかも。
 
 奧鳥《オキツトリ》 鴨云舟者《カモトイフフネハ》
 也良乃埼《ヤラノサキ》 多未弖榜來跡《タミテコギクト》
 所v聞許奴可聞《キコエコヌカモ》
 
(304)【譯】沖の水鳥の、鴨という船は、也良の埼をまわつて榜いで來ると言つて來ないかなあ。
【釋】多未弖榜來跡 タミテコギクト。タミテは、まわつて。
 所聞許奴可聞 キコエコヌカモ。
  ――――――――――
  所聞衣《キコエ》コヌカモ(古葉)
  所聞禮許奴可聞《キカレコヌカモ》(西)
 古葉略類聚鈔によれば、キコエコヌカモであるが、衣は、ア行のエの音を表示する字であり、キコエのエは、ヤ行であるから、音を異にする。尼崎本にはその衣がなく、右に朱で書いている。今、このないのによる。なお仙覺本には禮の字があつて、キカレコヌカモと讀んでいる。これは聞クの受身で、聞かれることを希望する語意である。但し集中にこの語の用例はなく、やや新しい用法のようである。
【評語】前の歌と併わせて一つの内容をなしている。也良の埼あたりを望見して、船の入港して來るのを待つ心が、よく感じられる。絶望に至らない萬一の希望の繋がれている歌である。
 
3868 沖行くや 赤《あか》ら小船《をぶね》に
 裹《つと》遣《や》らば、
 けだし人見て 解《と》きあけ見むかも。
 
 奧去哉《オキユクヤ》 赤羅小船尓《アカラヲブネニ》
 裹遣者《ツトヤラバ》
 若人見而《ケダシヒトミテ》 解披見鴨《トキアケミムカモ》
 
【譯】沖を行く赤く塗つた船に、荷物を送つたら、もしあの人が見て、解きあけて見るだろうかなあ。
【釋】奧去哉 オキユクヤ。ヤは、感動の助詞。連體句。
 赤羅小船尓 アカラヲブネニ。アカラは、赤くある意の語で、他語に接續して熟語となつて使われる。「阿加良袁登賣《アカラヲトメ》」(古事記四四)、「安加良多知婆奈《アカラタチバナ》」(卷十八、四〇六〇)、「安可良我之波《アカラガシハ》」(卷二十、四三〇一)は、(305)名詞を作り、「赤羅引《アカラヒク》」(卷四、六一九)は、動詞を作つている。アカラヲブネは、赤く塗つた船。政府の船は、赤く塗つてあつた。ここは筑前の國の船であろう。
 裹遣者 ツトヤラバ。ツトは、包みもの。
 若人見而 ケダシヒトミテ。ケダシは、おしはかるに。ヒトは、この場合、他の人の意にも、また特定の人すなわち荒雄とも解せられる。ここは、けだしかの人がの意とすべきだろう。
【評語】この一連の作は、内容が悲痛の事實を取り扱つているだけに、陰惨に傾くのは、やむを得ないところである。ところで連作としては、ここに一首、あかるい性質の歌を入れて、緊張した氣持をやわらげる手段に出ている。妻の心をよくおしはかつて、その平常の情味を描いている。もしやひよつとあの人がという意味には、ほほえましい、しかしあわれな心もちがこもつている。
 
3869 大船に 小船《をぶね》引き副《そ》へ、
 潜《かづ》くとも
 志賀の荒雄に 潜《かづ》き遇《あ》はめやも。
 
 大舶尓《オホブネニ》 小船引副《ヲブネヒキソヘ》
 可豆久登毛《カヅクトモ》
 志賀乃荒雄尓《シカノアラヲニ》 潜將v相八方《カヅキアハメヤモ》
 
【譯】大きい船にちいさい船を添えて、海中に潜り入つても、志賀の荒雄に、海中で逢うことはないだろう。
【釋】大舶尓小船引副 オホブネニヲブネヒキソヘ。大小の船を繰り出して捜索する模樣を描いている。このヲブネは、オホブネに對する語で、ちいさい船をいう。
 可豆久登毛 カヅクトモ。カヅクは、水中に潜り入るをいう。捜索することを強調して言つている。
 潜將相八方 カヅキアハメヤモ。海底に沈んだ荒雄に、海中で潜き逢うことはないだろう。
【評語】最後の一首として、絶望の意を歌つて、全體を押えている。沈痛な作品である。以上の十首は、十首(306)の短歌をもつて、一つの事件に對する哀傷を歌つているのであつて、十首の配列が、計畫的になされていることは疑いを入れない。すなわち第一首は總敍であり、第十首は絶望を歌つて終つている。しかし全體の配列は、かならずしも整備されたものではなく、成るに從つて書かれたように見られる。尼崎本の朱書による順序によれば、よすがの山の歌が後になつて、順序はややよくなるが、それが原形であるか、あるいは原形において、このような入れかえが指示されていたかどうか、不明というほかはない。なおこの十首の組織については諸家の研究があるから、そのおもなものを次に記載する。
 筑前國志賀白水郎歌十首の眞意 笠井清(「國語と國文學」昭和二五・二)
 筑前國志賀白水郎歌十首異見 釜田喜三郎(「國語と國文學」昭和二五・五)
 筑前國志賀白水郎歌十首 高木市之助(「萬菓集新説」昭和二六・二)
 筑前國志賀白水郎歌 犬養孝(「國語と國文學」昭和二七・一−二)
 民族文藝學の立場と限界【犬養氏の筑前國志賀白水郎歌論を駁す】 釜田喜三郎(「國語と國文學」昭和二七・一二)
 筑前國志賀白水郎歌十首の作者の複數性について 福田良輔(「文學祈究」第四十六號)
 志賀白水郎歌十首 澤瀉久孝(「萬葉」第十八號 昭和三一・一)
 志賀白水都歌十首の原形原意の問題 笠井清(「萬葉」第二十號 昭和三一・七)
 
右、以2神龜年中1。大宰府、差2筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂1、充2對馬送v粮舶※[木+施の旁]師1也。于v時津麻呂、詣2於滓屋郡志賀村白水郎荒雄之許1、語曰、僕有2小事1、若疑不v許歟。荒雄答曰、走雖v異v郡、同v船日久。志篤2兄弟1、在2於殉1v死。豈復辭哉。津麻呂曰、府官差v僕、充2對馬送(307)v粮舶※[木+施の旁]師1。客齒袁老、不v堪2海路1。故來祗候。願垂2相替1矣。於v是荒雄許諾、遂從2彼事1、自2肥前國松浦縣美祢良久埼1發舶、直射2對馬1渡v海。登時忽天暗冥、暴風交v雨、竟無2順風1、沈2没海中1焉。因v斯妻子等、不v勝2犢慕1、裁2作此歌1。或云、筑前國守山上憶良臣、悲2感妻子之傷1、述v志而作2此歌1。
 
右は、神龜年中をもちて、大宰府、筑前の國宗像の郡の百姓宗形部《おほみたからむねかたべ》の津麻呂《つまろ》を差して、對馬に糧《かて》を送る舶《ふね》の※[木+施の旁]師《かぢとり》に充《あ》てき。時に津麻呂、滓屋《かすや》の郡志賀の村の白水郎《あま》荒雄《あらを》の許《もと》に詣《いた》りて語りて曰はく、僕《われ》小事《いささけごと》あり。もし疑はくは許さじかといふ。荒雄答へて曰はく、走《やつがれ》郡を異にすれども船を同《とも》にすること日久し。志|兄弟《はらから》よりも篤《あつ》し、死に殉《したが》ふにあり。豈また辭《いな》まめやといふ。津麻呂曰はく、府官《つかさ》僕を差して對馬に粮《かて》を送る船の※[木+施の旁]師《かぢとり》に充てしも、容齒衰へ老いて海路に堪《あ》へず。故《かれ》來て祗候す、願はくは相替ることを垂れよといふ。ここに荒雄許し諾ひて遂に彼《そ》の事に從ひ、肥前の國松浦《まつら》の縣《あがた》美禰良久《みねらく》の埼より發舶《ふなだち》して、直《ただ》に對馬を射《さ》して海を渡る。その時忽に天|暗冥《くら》くして暴風に雨を交へ、竟《つひ》に順風無くして海中に沈み没《い》りき。これに因りて妻子等|犢《うしのこ》の慕《しのひ》に勝《あ》へず、この歌を裁《つく》り作《な》しき。或るは云はく、筑前の國の守山上の憶良の臣、妻子の傷を悲感し、志を述べてこの歌を作れりといへり。
 
【釋】百姓 オホミタカラ。人民に同じ。
 充對馬送粮舶※[木+施の旁]師也 ツシマニカテヲオクルフネノカヂトリニアテキ。對馬島は、土地が狹く、糧食に乏しいので、役人や兵士の糧食は、九州から送附した。延喜主税式上に「凡そ筑前筑後肥前肥後豐前豐後等の國、毎年穀二千石を、對馬島に漕送し、もちて島の司及び防人等の粮に充《あ》てよ」。同雜式に、「凡そ對馬島に粮を運(308)漕する者は、國毎に番を作し以ちて運送せよ」とある。ここは筑前の國がその番に當つたと見える。※[木+施の旁]師は「舵、唐韻(ニ)云(フ)、舵徒可(ノ)反、上聲之重、字亦作(ル)v※[木+施の旁](ニ)。正(ス)v船(ヲ)木也。漢語抄(ニ)云(フ)、柁船尾也。或(ハ)作(ル)v※[木+施の旁](ニ)。和語(ニ)云(フ)太以之《タイシ》。今案(フルニ)舟人呼(ビテ)2挾※[木+施の旁](ヲ)1爲(ル)2舵師(ト)1是(ナリ)。」(倭名類聚鈔)。舵を執る人の義だが、船長である。
 走 ヤツガレ。自稱の語。僕に同じ。
 府官 ツカサ。大宰府の官人。
 美祢良久埼 ミネラクノサキ。長崎縣南松浦郡五島列島のうちの福江島の西北、今の三井樂村の岬。肥前國風土記に、美禰良久之濟とある。績日本後紀、承和四年七月の條に「大宰府傳を馳せて言さく、遣唐の三船、共に松浦の郡|旻樂《みみらく》の埼を指《さ》して發行す」とあつて、大陸に渡る船は、此處に到つて天候を見定めて發航した。對馬島に渡るのに、此處からというのは變だが、何か都合があつたのだろう。
 犢慕 ウシノコノシノヒ。牛の子が親牛を慕うような、盲目的な思慕。
 或云 アルハイハク。上文に、荒雄の妻子等の作とし、それに對する別傳であるが、事実は、この別傳のように山上の憶良の作と見るべきである。内容から言つても、妻子等の作としては、客觀性に富んでいることが指摘される。沖行クヤの歌の如き、これを證するに足りる。憶良は、大伴の君熊凝の死を悼む時でも、その人になつて歌つている。左註全體が憶良の文であろうが、憶良ならば、序の形をとるだろうから、それを書きかえているか。またこの或云に山上の憶良の臣と書いたのは、敬意を表したので、ほかの人の文であるかもしれない。
 
3870 紫の 粉滷《こがた》の海に 潜《かづ》く鳥、
 珠《たま》潜《かづ》き出でば、 わが玉にせむ。
 
 紫乃《ムラサキノ》 粉滷乃海尓《コガタノウミニ》 潜鳥《カヅクトリ》
 珠潜出者《タマカヅキイデバ》 吾玉尓將v爲《ワガタマニセム》
 
(309)【譯】紫の色の濃さ。その粉滷の海で海中に潜つている鳥が、珠を海中から取り出したら、わたしの玉にしよう。
【釋】紫乃 ムヲサキノ。枕詞。紫の色が濃いというので、コの音に冠している。
 粉滷乃海尓 コガタノウミニ。コガタノ海は所在不明。「越懈乃《コシノウミノ》 子難懈乃《コガタノウミノ》 島楢名君《シマナラナクニ》」(卷十二、三一六六}の子難の海と同處とすれば、北陸である。
 潜鳥 カヅクトリ。海中に潜つて食をあさる水鳥。
 珠潜出者 タマカヅキイデバ。海中に潜つて珠を潜き出したら。
【評語】海上に浮いて、しきりに潜り入つている鳥を見て詠んだ歌のようだ。海底の珠玉に對するあこがれが、この歌になつているのだろう。輕い旅中の作と見られる。寓意はないもののようである。
 
右歌一首
 
3871 角《つの》島の 迫門《せと》のわかめは
 人のむた 新《あら》かりしかど、
 わがむたは 和《にぎ》め。
 
 角島之《ツノシマノ》 迫門乃稚海藻者《セトノワカメハ》
 人之共《ヒトノムタ》 荒有之可杼《アラカリシカド》
 吾共者和海藻《ワガムタハニキメ》
 
【譯】角島の海峽のワカメは、ほかの人とでは荒かつたけれども、わたしとでは、おだやかであつてくれ。
【釋】角島之 ツノシマノ。ツノシマは、山口縣豐浦郡の西北端、日本海に面している島。
 迫門乃稚海藻者 セトノワカメハ。セトは、角島と本州との間の海峽。ワカメは、海藻で、娘子を寓意している。
(310) 人之共 ヒトノムタ。人と共には。他人に對しては。
 吾共者和海藻 ワガムタハニキメ。ワガムタは、自分と共には。ニキメは、柔軟な海藻。また和クの命令形。自分に對して柔順であれと寓意している。
【評語】海藻に寄せて、巧みに女子との關係を歌つている。角島あたりを航した旅人の作だろう。
 
右歌一首
 
3872 わが門の 榎《え》の實《み》もり喫《は》む 百千鳥《ももちどり》、
 千鳥は來《く》れど、 君ぞ來まさぬ。
 
 吾門之《ワガカドノ》 榎實毛利喫《エノミモリハム》 百千鳥《モモチドリ》
 々々者雖v來《チドリハクレド》 君曾不2來座1《キミゾキマサヌ》
 
【譯】わたしの門口のエノキの實を、ぼりぼり食べているたくさんの鳥、そのたくさんの鳥は來るけれども、あの方はおいでにならない。
【釋】榎實毛利喫 エノミモリハム。エは、ニレ科の落葉喬木。エノキ。その實は赤黒くして甘味がある。モリは、諸説があるが不明。ハムを修飾限定することはあきらかで、字音假字をもつて書いているところを見ると、表意文字が當てにくかつたらしい。食う音の擬聲か。もりもり食べているのだろう。連體句。
 百千鳥 モモチドリ。鳥の多數であることをあらわし、その種類の多いことも含んでいる。
 々々者雖來 チドリハクレド。チドリは、上の百千鳥に同じ。鳥名ではない。
【評語】民謠ふうな趣のある歌である。上三句の敍述も即事らしく、それから四句を起して來るあたりに、風情が感じられる。三句と四句との續き方も、歌いものらしい趣である。
 
(311)3873 わが門に 千鳥しば鳴く。
 起きよ起きよ。
 わが一夜づま、
 人に知らゆな。
 
 吾門尓《ワガカドニ》 千鳥數鳴《チドリシバナク》
 起余々々《オキヨオキヨ》
 我一夜妻《ワガヒトヨヅマ》
 人尓所v知名《ヒトニシラユナ》
 
【譯】わたしの門口で、色々の鳥がしきりに鳴いている。お起きなさい。わたしの一夜の妻よ、人に知られてはいけない。
【釋】千鳥數鳴 チドリシバナク。チドリは、前の歌の千鳥に同じ。多種の鳥。シバナクは、しきりに鳴いている。句切。
 我一夜妻 ワガヒトヨヅマ。ヒトヨヅマは、一夜妻の字が當ててあるが、ワガ門ニと歌つているので、これを女の歌と見て、ヒトヨヅマは、一夜の夫だとする解がある。しかしヒトヨヅマは、やはり女子で成立する語だろう。男が女子の家に宿つて、その家の門を、ワガ門というのだろう。
【評語】曉早く、いぎたない一夜妻を起している歌で、民謠ふうの歌である。短文を重ねて調子よく作つている。内容のげびているのは、やむを得ない。神樂歌に「には鳥はかけろと鳴きぬ。起きよ起きよ。わが一夜づま人もこそ見れ」があるのは、同系統の歌が流傳したものと考えられる。
 
右歌二首
 
3874 射《い》ゆ鹿《しし》を つなぐ河邊の 和《にこ》草の、
(312) 身の若《わか》かへに さ宿《ね》し兒らはも。
 
 所v射鹿乎《イユシシヲ》 認河邊之《ツナグカハベノ》 和草《ニコクサノ》
 身若可倍尓《ミノワカカヘニ》 佐宿之兒等波母《サネシコラハモ》
 
【譯】射られた鹿を、あとをつける河邊のやわらかい草のように、わたしの若い頃に、寐たあの子はなあ。
【釋】所射鹿乎認河邊之 イユシシヲツナグカハベノ。この歌、日本書紀、齊明天皇の卷の皇孫|建《たける》の王の薨去を悲しまれた御製の歌、「伊喩之之乎《イユシシヲ》 都都遇何播杯能《ツナグカハベノ》 倭柯矩娑能《ワカクサノ》 倭柯倶阿利岐騰《ワカクアリキト》 阿我謀婆儺倶爾《アガモハナクニ》」(一一七)という類歌があつて、それによつて訓もつけられている。イユは、所射とあるように、射られる意であるが、見ルから見ユができたように、射ルから射ユが生じたことと考えられ、その場合連體形はイユルといいそうなものを、イユというのは、古い時代の動詞の一般的な性質として、終止形と連體形と共通するものがあつたのだろう。ツナグは、獵師の言葉に、傷つけた獣のあとを追つてその在處に至るをいう。舊訓トムルであり、字としてはその方が近い。トムルならば、求むる意とすべきである。
 和草 ニコクサノ。やわらかい草ので、以上序詞となり、次の若を引き出している。
 身若可倍尓 ミノワカカヘニ。語義不明であるが、多分身の若き頃にの意であろうという。「比氣多能《ヒケタノ》 和加久流須婆良《ワカクルスバラ》 和加久閉爾《ワカクヘニ》 違泥弖麻斯母能《ヰネテマシモノ》 淤伊爾祁流加母《オイニケルカモ》」(古事記九四)のワカクヘニと關係があるか。ワカクヘニのヘは、方の意だというが、閇倍は、ユクヘ、イニシヘのヘとは音聲が違う。結局わからない句で、讀み方も決しかねる。
 佐宿之兒等波母 サネシコラハモ。共に寐た兒を思つている。ラは、接尾語。
【評語】齊明天皇の御製の歌と、ほぼ同じ序詞をもつている。かような序詞を有する歌が、流傳していたので、いずれが原歌ともいえまい。しかし古風な序詞で、若い時代を追憶する歌の表現として適切である。獵を事とした人々のあいだから流れ出ている序詞である。
 
(313)右歌一首
 
3875 琴酒《ことさけ》を 押垂小野《おしたりをの》ゆ
 いづる水 ぬるくは出でず、
 寒水《しみづ》の 心もけやに
 念ほゆる 音《おと》のすくなき、
 道に逢はぬかも。」
 すくなきよ 道に逢はさば、
 いろげせる 菅笠小笠《すががさをがさ》、
 わが頸《うな》げる 珠《たま》の七條《ななを》と
 取り替《か》へも 申《まを》さむものを。
 すくなき 道に逢はぬかも。」
 
 琴酒乎《コトサケヲ》 押垂小野從《オシタリヲノユ》
 出流水《イヅルミヅ》 奴流久波不v出《ヌルクハイデズ》
 寒水之《シミヅノ》 心毛計夜尓《ココロモケヤニ》
 所v念《オモホユル》 音之少寸《オトノスクナキ》
 道尓相奴鴨《ミチニアハヌカモ》
 少寸四《スクナキヨ》 道尓相佐婆《ミチニアハサバ》
 伊呂雅世流《イロゲセル》 菅笠小笠《スガガサヲガサ》
 吾宇奈雅流《ワガウナゲル》 珠乃七條《タマノナナヲト》
 取替毛《トリカヘモ》 將v申物乎《マヲサムモノヲ》
 少寸《スクナキ》 道尓相奴鴨《ミチニアハヌカモ》
 
【譯】琴を押し酒を垂れる。その押垂小野を通つて出る水は、なまぬるくは出ず、そのつめたい水のように、心もはつきりと思われる人の音がしないが、道で逢わないかなあ。人のすくない道でお違いになつたら、美しく染めた菅の小笠と、わたしの頸に感けた珠の七本とを、取りかえも申しましようものを。人のすくない道で逢わないかなあ。
【構成】第一段、音ノスクナキ道ニ逢ハヌカモまで。道中で娘子に逢いたい心を述べている。第二段、終りま(314)で。逢つたらその娘子の菅笠と珠の緒の七條とを取りかえもしようと述べる。
【釋】琴酒乎 コトサケヲ。枕詞と見られるが、語義やかかり方など不明。琴を押し酒を垂れる意に押垂小野に冠するかという。
 押垂小野從 オシタリヲノユ。押垂小野は、地名だろうが、所在不明。訓法も、オシタリヲノか、オシタルヲノか、決しかねる。次に清水のことを言つているから、タルミ(垂水)、タルヰ(垂井)と關係があるか。
 奴流久波不出 ヌルクハイデズ。ヌルクは、すこしく温い意の形容。「今曾水葱少熱《イマゾナギヌル》」(卷十一、二五七九)の例は、少熱をヌルの音に當てている。
 寒水之 シミヅノ。ヒヤミヅノ(西)、サムミヅノ(代初書入)、シミヅノ(考)、マシミヅノ(古義)、シミヅは、琴歌譜に須美豆《スミヅ》とあり、澄んだ水の義であろうから、寒水の適譯ともいわれないが、寒泉の熟字もあり、他に名訓もない。「社《モリノ》中(ノ)寒泉、謂(フ)2之|大井《オホヰト》1」(常陸國風土記、行方那)。以上は、序詞。譬喩になつて、次の句を引き起している。
 心毛計夜尓 ココロモケヤニ。ケヤニは、形容詞ケヤケシの語幹をなすケヤに助詞ニが添つたのだろう。はつきりしている形容である。
 音之少寸 オトノスクナキ。オトは、人音で、そのすくない道というのである。道に逢う人すくなく、殊にさやかに思われる人音のすくないのを歎いている。
 道尓相奴鴨 ミチニアハヌカモ。逢いたいと希望する語法。句切。
 少寸四 スクナキヨ。上を受けて、すくないことよと歎息して、次の道を修飾する。
 這尓相佐婆 ミチニアハサバ。アハサバは、逢ハバの意の敬語法。先方を主としていつている。
 伊呂雅世流 イロゲセル。語義不明の句。雅は、次の「苦宇奈雅流《ワガウナゲル》」にもゲに使用しており、「伊比都雅流《イヒツゲル》」(315)(卷十八、四〇九四)も同樣だから、イロゲセルの訓は動かないだろう。類聚名義抄、綺にイロフの訓があり、色の美しくある樣をいう動詞であつて、同じくイロを語幹とする動詞イロゲスがあり、それに、助動詞リが接續したのだろう。美しく色の榮えている意か。
 菅笠小笠 スガガサヲガサ。娘子の笠で、菅笠であり小笠であることをいう。二つの笠ではない。ヲは愛稱。
 吾宇奈雅流 ワガウナゲル。ウナゲルも、他に語例はない。頸ゲルで、ウナグに助動詞リが接續したのだろう。頸に懸けてある意であろう。「宇那賀世流《ウナガセル》 多麻能美須麻流《タマノミスマル》」(古事記七)。
 珠乃七條 タマノナナヲト。珠の緒の七條と。七は數の多いことをいう。
 少寸道尓相奴鴨 スクナキミチニアハヌカモ。第一段の末句を繰り返している。
【評語】民謠ふうな歌だが、旅行人としての知識者の手を經て、多少變化しているだろう。同一の句を繰り返して調子よく進行させている。娘子の菅笠と、自分の持つている寶物とを取りかえてもやるというのがおもしろい。珠の七條は、勿論實際に頭に懸けているのではなく、ただ大切な寶物の代表として擧げられている。
 
右歌一首
 
豐前國白水郎歌一首
 
豐前の國の白水都《あま》の歌一首。
 
【釋】豐前國白水郎歌 トヨノミチノクチノクニノアマノウタ。豐前の國の白水郎のあいだに歌われている歌というのか、題意不明である。志賀の白水郎の歌のように、その白水郎を詠んだ歌ではない。次の豐後の國の白水郎の歌の題も同樣だが、事によると、その國の官人などが、みずから白水郎と稱して歌つたものかも知れ(316)ない。
 
3876 豐國《とよくに》の 企玖《きく》の池なる
 ひしのうれを
 採《つ》むとや妹が み袖濡れけむ。
 
 豐國《トヨクニノ》 企玖乃池奈流《キクノイケナル》
 菱之宇禮乎《ヒシノウレヲ》
 採跡也妹之《ツムトヤイモガ》 御袖所v沾計武《ミソデヌレケム》
 
【譯】豐國の企玖の池に生えているヒシの伸びた先の實を摘むとて、あなたのお袖は濡れたのであろうか。
【釋】豐國企玖乃池奈流 トヨクニノキクノイケナル。豐國は、文武天皇の代に、始めて分かつて豐前、豐後の二國としたが、なおトヨクニの古名を存している。企玖は、その企救郡の地。この郡は、大宰府への往來の途に當つているので、しばしば歌詞にはいつて存している。その池は、所在不明。
 菱之宇禮乎 ヒシノウレヲ。ヒシは、アカバナ科の水生植物。莖葉は水に漂い、果實は、突起のある殻で蔽われ、その中の白い部分は食用となる。ウレは伸びた枝先だが、ここは實をいう。
 採跡也妹之御袖所沾計武 ツムトヤイモガミソデヌレケム。ヤは、疑問の係助詞。これを受けて、ケムで結んでいる。
【評語】愛人の袖の濡れているのを歌つて、企玖の池のヒシの實を採《つ》もうとしてかと疑つている。濡れたのは、何のゆえとも知らないが、その原因を具體的に推量して、この歌となつている。白水郎の作歌とは思われない。豐國(ノ)企玖(ノ)池ナルという地名の指示も、この地に士著している人の作とは見られず、むしろ旅行者の歌らしい。
 
豐後國白水郎歌一首
 
(317)3877 紅に 染《し》めてし衣《ころも》
 雨|零《ふ》りて にほひはすとも、
 うつろはめやも。
 
 紅尓《クレナヰニ》 染而之衣《シメテシコロモ》
 雨零而《アメフリテ》 尓保比波雖v爲《ニホヒハストモ》
 移波米也毛《ウツロハメヤモ》
 
【譯】くれないの色に染めた著物は、雨が降つて、色が美しくなつても、褪《さ》めはしないだろう。
【釋】紅尓染而之衣 クレナヰニシメテシコロモ。ベニバナで染めた衣服で、相手と婚姻關係を結んだことを寓している。
 尓保比波雖爲 ニホヒハストモ。ニホヒは、色の映えること。色美しくなつても。
【評語】これも白水郎の作歌らしくない。多分女子の作であつて、男に對して誓う詞となつている。譬喩歌である。地名もなくして豐後の國の白水郎の歌としているのは、その國の人の歌を採集したものだろう。
 
能登國歌三首
 
【釋】能登國歌 ノトノクニノウタ。養老二年五月に、越前の國の羽咋《はくい》、能登《のと》、鳳至《ふげし》、珠洲《すす》の四郡を割いて、始めて能登の國を置き、天平十三年十二月、越中の國に併わせ、更に天平勝寶九年五月に、分かつて一國とした。ここに能登の國の歌を立てたのは、その前後のいずれの時であるか不明。能登の國の歌と題する所以は、その國に行われている民謠の意であろう。下も同じ。
 
3878 梯立《はしだて》の 熊來《くまき》のやらに、
 新羅斧《しらぎをの》 墜《おと》し入れ、わし
(318) 懸けて懸けて な泣かしそね。
 浮き出づるやと見む、わし。
 
 ※[土+皆]楯《ハシダテノ》 熊來乃夜良尓《クマキノヤラニ》
 新羅斧《シラギヲノ》 墮入《オトシイレ》 和之《ワシ》
 河毛※[人偏+弖]河毛※[人偏+弖]《カケテカケテ》 勿鳴爲曾祢《ナナカシソネ》
 浮出流夜登將v見《ウキイヅルヤトミム》 和之《ワシ》
 
【譯】梯子を立てる。その熊來の海底に新羅斧を落し込んで、氣にかけて、お泣きになるな。浮き出るかも知れない。
【釋】※[土+皆]楯 ハシダテノ。枕詞。梯立の意で、倉に冠するのを通例とする。歌いものとして行われているうちに、語義を失つて、轉じてクマキに冠するに至つたのだろう。
 熊來乃夜良尓 クマキノヤラニ。クマキは地名。石川縣鹿島郡、七尾灣の西部の奧地である熊木村(いまの中島町)およびその一帶の地。ヤラは、全釋に、その海は、灣の奧なので潮流の勢いがなく、泥海になつている。その海底の泥をいうのだろうとしている。
 新羅斧墮入和之 シラギヲノオトシイレワシ。シラギヲノは、新羅ふうの斧。どのような斧か不明。日本書紀欽明天皇の十五年十二月に、百濟の國から、好錦《ヨキニシキ》二疋、〓〓《アリカモ》一領、斧三百口を獻じたことがある。ワシは、調子を添えるためのはやし詞。墮シ入レに續けないで、離してワシという。下同じ。琴歌譜の語中の歌詞には、シヤなどの、はやし詞が多い。本集には、はやし詞は、これだけである。
 河毛※[人偏+弖]河毛※[人偏+弖] カケテカケテ。カケテは、懸けてで、心に懸けてである。同語を重ねて、決しての意を出している。
 勿鳴爲曾祢 ナナカシソネ。ナカシは、泣クの敬語。
【評語】旋頭歌で、第三句と第六句とに、ワシのはやし詞を添えてある。民謠ふうになつているが、何人かが民謠に擬して作つたものだろう。民謠の替歌というような性質の歌である。内容は、ある人が、斧を海に墮し(319)たのを見て、諧謔的に取り扱つたもので、漢籍の知識などが底に流れているのだろう。
 
右歌一首、傳云、或有2愚人1、斧墮2海底1、而不v解2鐵沈無1v理v浮v水、聊作2此歌1、口吟爲v喩也。
 
右の歌一首は、傳へ云ふ。ある愚人、斧を海底に墮《おと》して、しかも鐡《かね》の沈《しづ》みて水に浮かぶ理《ことわり》なきことを解《さと》らざりしかば、いささかこの歌を作りて、口吟《くちずさ》みて喩《さと》すことをなしき。
 
【釋】或有愚人 アルオロカビト。以下の記事は、中國の刻船の故事によつて書いているのだろう。「楚人、江を渉りて舟をやるものあり、舟より劔をおとす。にはかにその舟に刻して曰はく、吾ここに劔を墜しつ。求めてかならず得むと。その迷へること、かくの如きものあり」(呂氏春秋、もと漢文)。
 
3879 梯立《はしだて》の 熊來《くまき》酒屋《さかや》に、
 眞罵《まぬ》らる奴《やつこ》、 わし。
 誘《さす》ひ立て 率《ゐ》て來《き》なましを。
 眞罵《まぬ》らる奴《やつこ》。 わし。
 
 ※[土+皆]楯《ハシダテノ》 熊來酒屋尓《クマキサカヤニ》
 眞奴良留奴《マヌラルヤツコ》 和之《ワシ》
 佐須比立《サスヒタテ》 率而來奈麻之乎《ヰテキナマシヲ》
 眞奴良留奴《マヌラルヤツコ》 和之《ワシ》
 
【譯】梯を立てる。熊來の酒屋に、叱られている奴。誘い立てて連れて來たらよかつた。叱られている奴。
【釋】熊來酒屋尓 クマキサカヤニ。熊來にある酒屋に。サカヤは、酒を造る家。
 眞奴良留奴和之 マヌラルヤツコワシ。マヌラルは、マは接頭語。ヌラルは罵らる。叱られている意である。連體形であるのに、マヌラルと言つているのは、古くは終止形と同じ形であつたのだろう。ヤツコは、男の奴婢。酒屋に使役されている奴が、主人から罵られているのである。ワシは、はやし詞。句切。
(320) 佐須比立率而來奈麻之乎 サスヒタテヰテキナマシヲ。誘い立てて連れて來たろうものを、そうしなかつた。キナマシヲのナは、完了の助動詞。
【評語】前の歌と同じ形を採つている。前の歌にくらべれば、一層民謠ふうのところが強いが、やはり官人などの作で、民謠ふうの形を採つたまでであろう。悲惨な奴の境涯に同情はしているが、まだ傍觀の態度を離れない。
 
右一首
 
3880 加島嶺《かしまね》の 机の島の
 小螺《しただみ》を い拾ひ持ち來て、
 石《いし》もち 啄《つつき》やぶり、
 早川に 洗ひ濯《そそ》き、
 辛鹽《からしほ》に こごと揉《も》み、
 高坏《たかつき》に盛《も》り 机に立てて、
 母に奉《まつ》りつや、 めづ兒《ご》の刀自《とじ》。
 父に奉《まつ》りつや、 むめ兒《ご》の刀自《とじ》。
 
 所聞多祢乃《カシマネノ》 机之島能《ツクヱノシマノ》
 小螺乎《シタダミヲ》 伊拾持來而《イヒリヒモチキテ》
 石以《イシモチ》 都追伎破夫利《ツツキヤブリ》
 早川尓《ハヤカハニ》 洗濯《アラヒソソキ》
 辛鹽尓《カラシホニ》 古胡登毛美《コゴトモミ》
 高坏尓盛《タカツキニモリ》 机尓立而《ツクヱニタテテ》
 母尓奉都也《ハハニマツリツヤ》 目豆兒乃刀自《メヅゴノトジ》
 父尓獻都也《チチニマツリツヤ》 身女兒乃刀自《ムメゴノトジ》
 
【譯】加島嶺の机の島のシタダミを拾つて持つて來て、石でたたき破り、早い川で洗つて、辛い鹽でごしごし揉み、高|坏《つき》に盛り机に乘せて、母上にさしあげましたか、かわいいおかみさん、父上にさしあげましたか、(321)愛らしいおかみさん。
【構成】全編一文。
【釋】所聞多祢乃 カシマネノ。古くソモタネノと讀んでいたが、考に、所聞多をカシマシの義としてカシマネノと讀み改めた。香島嶺ノの義とする。香島は、石川縣七尾市の附近をいう。香島嶺は、その東方の山稜をいうのだろう。この句と次の机の島との關係も明瞭でないが、香島嶺に接近しているので、この句を冠したものか。訓法についてもなお疑問の存する句である。
 机之島能 ツクヱノシマノ。机ノ島は、今、和倉温泉の海上にある小島をいうが、はたしてそれか疑わしい。能登名跡志附翼には、机島八箇庄の記載があるそうで、その八箇庄は、能登島をさすものとされているから、これによれば、机ノ島は能登島ということになり、その方が歌詞から見ても適切であり、香島との關係も深くなつている。能登島は、能登灣内に横たわる大島である。
 小螺乎 シタダミヲ。シタダミは、「崔禹食經(ニ)云(フ)、小〓子 漢語抄(ニ)云(フ)細螺、之太太美《シタタミ》。貌似(テ)2甲〓(ニ)1而細小(キ)、口(ニ)有(ル)2白玉(ノ)蓋1者也」(倭名類聚鈔)とある物。「萬葉集全釋」にいう。普通名をコシタカガンカラと稱する。能登地方の海岸では今なお一般にシタダミと呼んでいる。從來これをキシヤゴと混同していたが、その大きさはキシヤゴの二倍以上ある。形?も圓錐形に近く、底部も平坦といつてよく、貝殻はキシヤゴよりはるかに堅牢である。またキシヤゴは海中の砂泥(322)の中に棲むもので、シタダミは巖石の周圍に這い廻るのを常とする。古事記神武天皇御製に「神風《かむかぜ》の伊勢の海の大石《おひし》にはひもとほろふしただみのい這《は》ひもとほり打ちてしやまむ」(一四)とあるのは、この貝の棲息?態をよく言いあらわしている。味は榮螺《さざえ》などと同じく、十分食うに足る。キシヤゴは、食うに堪えないそうである。
 伊拾持來而 イヒリヒモチキテ。イは接頭語。
 石以都追伎破夫利 イシモチツツキヤブリ。夫利は、破の語尾を送つたもの。石で貝殻を叩き破つて。
 洗濯 アラヒソソギ。アラヒススギ(西)、アラヒソソギ(略)。シタダミの肉を早川で洗つて。ソソクは、ススクともいう。ミソキのソキは、洗濯の意だろうから、古くはソソキといつたのだろう。水を懸けて清淨にする意。
 辛鹽尓古胡登毛美 カラシホニコゴトモミ。カラシホはからい鹽。コゴは、シタダミの肉を揉む音聲。
 高抔尓盛 タカツキニモリ。足の高い土器に盛つて。
 机尓立而 ツクヱニタテテ。ツクエは、「机、唐韻(ニ)云(フ)、机 音|几《キ》案(ノ)屬也。史記(ニ)云(フ)、持(チ)v案(ヲ)進(ル)v食(ヲ) 案音按、都久惠《ヅクヱ》」(倭名類聚鈔)。物を載せる臺。タテテは、高杯を机に立ててで、机に載せての意。
 母尓奉都也 ハハニマツリツヤ。マツリは、進上する。ヤは疑問の助詞。句切。
 目豆兒乃刀自 メヅゴノトジ。メヅゴは、愛ヅ兒で、愛すべき子。原文、トジに※[刀/自]の字を使つている。※[刀/自]は刀自の合字。上宮聖コ法王帝説、日本靈異記等に見える。トジは、一家の主婦。年齡にはよらない。ある女子に呼びかけている句。
 身女兒乃刀自 ムメゴノトジ。身女兒は、ミメゴとも讀まれる。「和我目豆麻《ワガメヅマ》」(卷十四、三五〇二)のメヅマは、メ(目)とツマ(妻)から構成され、目をもつて愛重すべき意をあらわしているとすれば、そのメに接(323)頭語ミがつき、コ(兒)に接して熟語を作つたミメゴの語もあるとすべきか、但し女のメは甲類、目のメは乙類で、音韻が違う。むしろムスメ(娘)に近い語とすべきか。女兒の意だろう。
【評語】わらべ唄、手まり唄のような感じの歌である。愛すべき歌謠である。
 
越中國歌四首
 
3881 大野路《おほのぢ》は 繁道《しげぢ》森《もり》みち、
 繁くとも
 君し通はば 徑《みち》は廣けむ。
 
 大野路者《オホノヂハ》 繁道森徑《シゲヂモリミチ》
 之氣久登毛《シゲクトモ》
 君志通者《キミシカヨハバ》 徑者廣計武《ミチハヒロケム》
 
【譯】大野へ行く道は、繁つた道で森の徑だ。しかし繁くても、君が通つたら路は廣いだろう。
【釋】大野路者 オホノヂハ。オホノは、倭名類聚鈔に、「越中|礪波《トナミ》郡大野|於保乃《オホノ》」とある地であろう。今の西礪波郡福岡町三日市だという。大野路は、大野へ行く路。
 繁道森徑 シゲヂモリミチ。シゲヂハシゲヂ(西)、シゲヂノモリヂ(古義)、シゲヂモリミチ(總索引)。シゲヂもモリミチも、同意の語で、重ねて意を強調している。木立の繁つた道である。シゲヂノモリヂとも讀まれるが、今五句に徑の字をミチと讀んでいるのに一致させる。チが道路、ミは美稱の接頭語で、合して熟語となつている。
 之氣久登毛 シゲクトモ。第二句を受けて、よしそれが繁くあつてもというのである。
 徑者廣計武 ミチハヒロケム。ヒロケは形容詞、ムは助動詞。
【評語】大野路の木草が繁くとも、君が通うためには妨害とならないというのである。君は、地方官か、また(324)は地方の豪族か。男を待ち受ける女の歌で、男の威勢をはやした歌である。
 
3882 澁谿《しぶたに》の
 二上山《ふたがみ》に、 
 鷲《わし》ぞ子《こ》産《む》といふ。
 翳《さしは》にも
 君が御《み》ために
 鷲《わし》ぞ子《こ》産《む》といふ。
 
 澁谿乃《シブタニノ》
 二上山尓《フタガミヤマニ》
 鷲曾子産跡云《ワシゾコムトイフ》
 指羽尓毛《サシハニモ》
 君之御爲尓《キミガミタメニ》
 鷲曾子生跡云《ワシゾコムトイフ》
 
【譯】澁谿の二上山で、鷲が子を生むそうだ。さしはにでも、君の御ためになろうと、鷲が子を生むそうだ。
【釋】澁谿乃二上山尓 シブタニノフタガミヤマニ。澁谿は、射水郡の射水川の下流左岸一帶の稱。その地の二上山に。二上山は、射水川下流左岸の山彙中の高峰で、雙頂になつており、標高二五八メートル、二七三メートルの山である。山容によつて二上山と名づける。
 鷲曾子産跡云 ワシゾコムトイフ。コムは、子を産む。「蘇良美都《ソラミツ》 夜麻登能久邇爾《ヤマトノクニニ》 加理古牟登岐久夜《カリコムトキクヤ》」(古事記七二)。句切。
 指羽尓毛 サシハニモ。サシハは、翳。柄の長いうちわふうの器で、貴人にさしかける。鳥の羽、織物、菅(325)などで作つた。ここは、さしはの料にとての意。
 君之御爲尓 キミガミタメニ。キミは、やはり、國司や豪族などをさしているのだろう。
【評語】民謠にしばしばある、君をことほぐ性質の歌だ。旋頭歌で三句と六句とに同句を使つて、調子を整えている。
 
3883 伊夜彦《いやひこ》 おのれ神《かむ》さび、
 青雲の 棚引く日らに
 ?《こさめ》そぼ零《ふ》る。
 
 伊夜彦《イヤヒコ》 於能禮神佐備《オノレカムサビ》
 青雲乃《アヲグモノ》 田名引日良《タナビクヒラニ》
 ?曾保零《コサメソボフル》
 
【譯】伊夜彦は、自分から神樣ぶつて、青雲のたなびいている日に、小雨がしよぼしよぼ降つている。
【釋】伊夜彦 イヤヒコ。彦は、類聚古集、尼崎本などには産に作つている。これが原形であつたらしい。西本願寺本には、朱で頭書「産、諸本皆同。然而依(リ)2夢想(ニ)1直(ス)2産字(ヲ)1也」とある。この下の産の字は彦の誤りなるべく、何人かが夢想によつて彦に直したものらしい。その人は仙覺であるかどうかわからない。この句の訓は、類聚古集に、イヤヒメノであり、その他の諸本イヤヒコノである。しかしながらイヤヒコは、越後の國の彌彦山と見られ、この歌が越中の國の歌であるというに合わない。但し續日本紀大寶二年三月の條に、越中の國の四郡を分かつて越後の國に屬せしむとあり、古くは越中の部内であつたものか。延喜神名式には、能登の國に伊夜比刀sいやひめ》神社があり、能登の國は、一時越中の國の部内であつたので、イヤヒメの訓が成立すれば、その神社の神事歌謠と見てよいのである。しかし産をヒメと讀むことは、まだ明證を得ないので、決定するまでに至らない。イヤヒコよりは、イヤヒメの方が原形に近いのだろう。
 於能禮神佐備 オノレカムサビ。オノレは、自分、自身。カムサビは神としての性能をあらわして。
(326) 青雲乃 アヲグモノ。アヲグモは、白い雲の鼠色を帶びて見えるのをいう。ここは青空に白い雲の漂うをいう。
 田名引日良 タナビクヒラニ。ラは接尾語。たなびく日に。
 ?曾保零 コサメソボフル。?は、細雨。「今日之※[雨/脉]?爾《ケフノコサメニ》」(卷七、一〇九〇)。
【評語】山嶽の多濕な特性を歌つたもので、よくその神秘な感じを出している。山を稱えた歌として見るべきものがある。
 
一云、安奈尓可武佐備《アナニカムサビ》
 
一は云ふ、あなに神さび。
 
【釋】一云安奈尓可武佐備 アルハイフ、アナニカムサビ。前の歌の詞句の別傳で、第二句の異説と解せられる。しかし次の歌が、佛足跡歌の體であるによつて、この句も、前の歌の第六句であつたものを、後人が誤つて、一云を冠したものと見られる。そうすれば歌いものとしての形態が、一層はつきりして來る。アナニは、ほんとうに。アヤニに同じ。
 
3884 伊夜彦《いやひこ》 神の麓に、
 今日らもか 鹿《しか》の伏《ふ》すらむ。
 皮服《かはごろも》著《き》て。
 角《つの》附《つ》きながら。
 
 伊夜彦《イヤヒコ》 神乃布本《カミノフモトニ》
 今日良毛加《ケフラモカ》 鹿乃伏良武《シカノフスラム》
 皮服著而《カハゴロモキテ》
 角附奈我良《ツノツキナガラ》
 
【譯】伊夜彦の、神山の麓に、今日もか鹿がねているだろう。皮の著物を著て。角がついたままで。
(327)【釋】伊夜彦 イヤヒコ。前の歌と同じ問題がある。
 神乃布本 カミノフモトニ。カミは、その山の神性をさしていう。その神山の麓に。
 今日良毛加 ケフラモカ。ラは、接尾語。
 鹿乃伏良武 シカノフスラム。シカノフスラム(西)、カノコヤスラム(略)、カノフセルラム(古義)。鹿は、カともシカともいうが、壓倒的にシカの方が多い。コヤスは、横たわるの敬語だからフスとすべきだろう。ラムは推量の助動詞。句切。
 皮服著而 カハゴロモキテ。カハゴロモは、鹿の毛皮をいう。句切。
 角附奈我良 ツノツキナガラ。五句の皮服を説明している。
【評語】六句から成つており、集中で佛足跡歌の體の明白なる唯一の例である。そこで第五句までで一旦完成し、第六句は、内容を補足する形になつている。前の歌と同じく、神山の森嚴なことを歌つているが、やはり神事歌謠として傳わつたものなるべく、特に鹿のかしらをかぶつて舞うしし舞の歌であつたのだろう。しし舞は、後世|唐獅子《からしし》の頭をかぶるが、古くは鹿の頭をかぶつたものである。今でも鹿の頭をかぶつて舞うしし舞の殘つている地方もある。それで佛足跡歌の體のような歌いものの形式を採つているのだろう。
 
乞食者詠二首
 
【釋】乞食者詠 ホカヒビトノウタ。乞食者は、倭名類聚鈔に「乞兒、列子(ニ)云(フ)、齊(ニ)有(リ)2貧者1、常(ニ)乞(フ)2於城市(ニ)1、乞兒曰(ク)、天下之辱、莫(シ)v過(ギタルハ)2於乞(ニ)1。楊氏漢語抄(ニ)云(フ)、乞索兒、保加比々斗《ホカヒヒト》、今案(フルニ) 乞索兒(ハ)即(チ)乞兒也。和名、加多井《カタヰ》」とあり、日本靈異記訓釋に「乞〓二合|加多井《カタヰ》、又云|保甘比斗《ホカヒヒト》」とある。ホカヒビトは、壽詞を申す人で、延喜式に「大殿祭、此(ヲ)云(フ)2於保登能保加比《オホトノホカヒト》1」とあるホカヒに同じである。壽詞をとなえて食を乞う人の義であつて、ここに擧げた歌(328)が、その壽詞に當る。但しこれは何かの祭事に、この歌をとなえて壽福をなしたその詞を傳えたものだろう。乞食者の詠と題するのは、整理者のつけたもので、むしろ適切でないのだろう。
 
3885 愛子《いとこ》 汝夫《なせ》の君、
 居《を》り居《を》りて 物にい行くとは、
 韓《から》國の 虎といふ神を
 生取《いけど》りに 八頭《やつ》取《と》り持ち來《き》、
 その皮を 疊《たたみ》に刺《さ》し、
 八重疊《やへだたみ》 平群《へぐり》の山に
 四月《うづき》と 五月《さつき》との間《ほど》に
 藥獵《くすりがり》 仕《つか》ふる時に、
 あしひきの この片山に
 二つ立つ 櫟《いちひ》が本《もと》に、
 梓弓 八《や》つ手挾《たばさ》み、
 ひめ鏑《かぶら》 八つ手挾《たばさ》み、
 鹿《しし》待つと わが居《を》る時に、
 さを鹿の 來立《きた》ち嘆かく、
(329) 頓《たちまち》に われは死ぬべし
 王《おほきみ》に われは仕へむ
 わが角《つの》は 御笠《みかさ》のはやし、
 わが耳は 御《み》墨の坩《つぼ》、
 わが目《め》らは 眞澄《ますみ》の鏡、
 わが爪は 御弓《みゆみ》の弓弭《ゆはず》、
 わが毛らは 御筆《みふみて》はやし、
 わが皮は 御箱《みはこ》の皮に、
 わが肉《しし》は 御膾《みなます》はやし、
 わが肝《きも》も 御膾《みなます》はやし、
 わがみげは 御鹽《みしほ》のはやし、
 耆《お》いたる奴《やつこ》 わが身一つに、
 七重花咲く 八重花咲くと、
 白《まを》し賞《はや》さね。 白《まを》し賞《はや》さね。
 
 伊刀古《イトコ》 名兄乃君《ナセノキミ》
 居々而《ヲリヲリテ》 物尓伊行跡波《モノニイユクトハ》
 韓國乃《カラクニノ》 虎云神乎《トラトイフカミヲ》
 生取尓《イケドリニ》 八頭取持來《ヤツトリモチキ》
 其皮乎《ソノカハヲ》 多々弥尓刺《タタミニサシ》
 八重疊《ヤヘダタミ》 平羣乃山尓《ヘグリノヤマニ》
 四月與《ウヅキト》 五月間尓《サツキノホドニ》
 藥?《クスリガリ》 仕流時尓《ツカフルトキニ》
 足引乃《アシヒキノ》 此片山尓《コノカタヤマニ》
 二立《フタツタツ》 伊智比何本尓《イチヒガモトニ》
 梓弓《アヅサユミ》 八多婆佐弥《ヤツタバサミ》
 比米加夫良《ヒメカブラ》 八多婆左弥《ヤツタバサミ》
 宍待跡《シシマツト》 吾居時尓《ワガヲルトキニ》
 佐男鹿乃《サヲシカノ》 來立嘆久《キタチナゲカク》
 頓尓《タチマチニ》 吾可v死《ワレハシヌベシ》
 王尓《オホキミニ》 吾仕牟《ワレハツカヘム》
 吾角者《ワガツノハ》 御笠乃波夜詩《ミカサノハヤシ》
 吾耳者《ワガミミハ》 御墨坩《ミスミノツボ》
 吾目良波《ワガメラハ》 眞墨乃鏡《マスミノカガミ》
 吾爪者《ワガツメハ》 御弓之弓波受《ミユミノユハズ》
 吾毛等者《ワガケラハ》 御筆波夜斯《ミフミテハヤシ》
 吾皮者《ワガカハハ》 御箱皮尓《ミハコノカハニ》
 吾宍者《ワガシシハ》 御奈麻須波夜志《ミナマスハヤシ》
 吾伎毛母《ワガキモモ》 御奈麻須波夜之《ミナマスハヤシ》
 吾美義波《ワガミゲハ》 御鹽乃波夜之《ミシホノハヤシ》
 耆矣奴《オイハテヌ》 吾身一尓《ワガミヒトツニ》
 七重花佐久《ナナヘハナサク》 八重花生跡《ヤヘハナサクト》
 白賞尼《マヲシハヤサネ》 白賞尼《マヲシハヤサネ》
 
【譯】お慕わしいあなた様が、どこぞへおいで遊ばしますとしては、朝鮮の虎というおそろしい物を、生捕りにして八匹も捕つて持つて來て、その皮を疊に刺し、その疊を重ねたような平群《へぐり》の山に、四月と五月との頃に、藥獵《くすりがり》を致します時に、裾を引いているこの片側山に二本立つているイチヒの木のもとで、梓弓を八張も携え、(330)かぶら矢を八束携えて、鹿を待つて、わたしがおります時に、壯鹿が來て嘆きますことには、たちまちにわたくしは死ぬでしよう。王樣にわたくしはお仕えしましよう。わたくしの角は、御笠の飾りに、わたくしの耳は、御墨の壺に、わたくしの眼は、澄んだ鏡に、わたくしの爪は、御弓の弭《はず》に、わたくしの毛は、御筆の料に、わたくしの皮は、御箱の皮に、わたくしの肉は、おなますの料に、わたくしの肝も、おなますの料に、わたくしの胃袋は、御|鹽辛《しおから》の料になりましよう。年をとりましたわたくしの身一つに、七重にも八重にも花が咲くと、申しはやして下さい。
【構成】全篇一文。サヲ鹿ノ來立チ嘆カクまでは、藥獵をして鹿が出て來ていう由を述べ、以下は、その鹿のいう事になつている。
【釋】伊刀古 イトコ。親愛な人の義で、次の汝兄ノ君を修飾説明している。「伊刀古夜能《イトコヤノ》 伊毛能美許等《イモノミコト》」(古事記五)。
 名兄乃君 ナセノキミ。汝夫の君の義で、男子を親しみ敬して呼ぶ稱。ここではこの壽歌を稱える相手の主人をさす。この句が主格となつて、居リ居リテ物ニイ行クを引き起している。
 居々而 ヲリヲリテ。同語を重ねて、その續いて行われることを示す。この世に居たまいてというほどの意。
 物尓伊行跡波 モノニイユクトハ。モノは、何とも定めのないことをいうために使う。イは接頭語。この句は、下の藥獵をしに平群の山に行くことを總括するのだが、その照應は、かならずしも精密ではなく、この總括的な言い方の結びは、どことも明白になつていないのが實?である。
 韓國乃虎云神乎 カラクニノトラトイフカミヲ。カラクニは、外國をいうが、ここは朝鮮である。トラのような猛獣を畏敬して神という。日本書紀欽明天皇の卷、膳《かしわで》の巴提便《はでび》の事の條に、トラに對して「汝|威《カシコキ》神」と(331)言つている。
 多々弥尓刺 タタミニサシ。タタミは、敷物。サシは、針で縫つて作ること。以上、韓國ノからこの句までは、八重疊というための序詞。
 八重疊 ヤヘダタミ。枕詞。幾重にも敷物を重ねるので、へ(隔)の語に冠する。
 平群乃山尓 ヘグリノヤマニ。平群は、大和郡山市附近の地名。「多々美許母《タタミコモ》 幣具理能夜麻能《ヘグリノヤマノ》」(古事記三二)。
 四月與五月間尓 ウヅキトサツキノホドニ。藥獵は、五月五日にするのを原則とするが、時宜によつて四月にも行つたのだろう。
 藥獨仕流時尓 クスリガリツカフルトキニ。クスリガリは、五月五日に行う狩獵をいう。藥獵のことは、既にしばしば出たが、この語が歌詞にはいつているのは、この一例だけである。ツカフルは、この歌の相手に對する敬語。
 二立 フタツタツ。二本立の。
 伊智比何本尓 イチヒガモトニ。イチヒは、イヌブナ科の落葉喬木、イチヒガシ。「赤檮、此(ヲ)云(フ)2伊知?《イチヒト》1」(日本書紀用明天皇紀)。
 梓弓八多婆佐弥 アヅサユミヤツタバサミ。梓弓を多く携える意であるが、下の矢をいうのにつ(332)れて、八ツ手バサミというまでである。
 比米加夫良 ヒメカブラ。古事記上卷、大國主の神の條に「大樹を切り伏せ、茹矢《ひめや》をその木に打ち立て、その中に入らしめて、すなはちその氷目矢《ひめや》を打ち離ちて、拷《う》ち殺しつ」とある。この茹矢すなわち氷目矢で、茹は、根のつらなつている意の字だから、ヒメヤは、根つきの矢であろう。このヒメカブラも、そのヒメ矢のカブラ矢をいうと思われる。
 宍待跡 シシマツト。シシは、鹿猪の類をいうが、藥獵には鹿が目的であり、この歌でも鹿が主になつている。
 來立嘆久 キタチナゲカク。ナゲカクは、嘆くことの意で、次句以下、鹿のいう言になつている。
 王尓吾仕牟 オホキミニワレハツカヘム。この歌は元來天皇に對して歌われ、後流れて民間でも歌われたのであろう。そこで原形からいえば、オホキミは天皇をさし、くずれて他の場合にもそのままになつているのであろう。
 吾角者御笠乃波夜詩 ワガツノハミカサノハヤシ。以下、鹿の身體の實用方面を列擧している。但しそれは實際の效用と、想像下の事實とをまじえている。ハヤシは、この下にも使用されている。動詞ハユ(榮ゆ)の使役法の名詞形で、效果あらしめることの義。飾り、材料などの意になる。ここは笠の装飾で、實用である。鹿の角を笠の飾りとする意である。
 吾耳者御墨坩 ワガミミハミスミノツボ。ミスミノツボは、墨壺で、これは耳の形が墨壺に似ているからの想像で、實用ではない。
 吾目良波眞墨乃鏡 ワガメラハマスミノカガミ。ラは接尾語。マスミは、眞澄。これも想像である。
 吾爪者御弓之弓波受 ワガツメハミユミノユハズ。弓の弭に骨材をつけることはあつたのだろうが、鹿の爪(333)をつけるとは、それから出た連想だろう。
 吾毛等者御筆波夜斯 ワガケラハミフミテハヤシ。ラは接尾語。筆は、正倉院文書(大日本古文書十ノ三〇)に、同一人と認められる人名を、鴨筆、加茂筆、賀茂書手と書いているものがあるにより、筆すなわち書手で、フミテと讀むべく、これが後にフデに轉じたことと推測される。この文書は、天平勝寶元年の文書であるから、當時普通にフミテと言つたものなるべく、ここもフミテと讀むを可とする。フデを筆の字音とするは誤り。この句のハヤシはよい材料で、これによつて筆が榮えるよしの意であろう。これは實用である。
 吾皮者御箱皮尓 ワガカハハミハコノカハニ。鹿革を箱の皮に張るので、これも實用である。
 吾宍者御奈麻須波夜志 ワガシシハミナマスハヤシ。シシは肉。ナマスは鱠。これも實用である。「唐韵(ニ)云(フ)、鱠 音會、奈万須《ナマス》 細切(ノ)宍也」(倭名類聚鈔)。
 吾伎毛母御奈麻須波夜之 ワガキモモミナマスハヤシ。キモは臓腑。これも實用。
 吾美義波御鹽乃波夜之 ワガミゲハミシホノハヤシ。ワガミギハミシホノハヤシ(西)、ワガミゲハミシホノハヤシ(略)。ミゲは、新撰字鏡に「※[月+玄]、肚也。牛(ノ)百葉(ナリ)、三介《ミケ》、又|三乃《ミノ》」とある。※[月+玄]《ゲン》は、字書に、胡田の切、音賢、牛の百葉なり、一に曰はく、胃の厚内を※[月+玄]とすとある。ミシホノハヤシは、しおからの材料で、實用である。
 耆矣奴 オイタルヤツコ。六十歳以上の奴を耆奴という。矣は、普通に文末に置かれる字で、耆の内容の完了を表示して使用されている。
 七重花佐久八重花生跡 ナナヘハナサクヤヘハナサクト。七重にも八重にも榮える意。
 白賞尼 マヲシハヤサネ。相手に對して、言いはやしてくださいと希望している。なお、同句を繰り返して調子を整えている。
【評語】多分鹿の頭の作りものなどをかぶつて歌い、舞を伴なつていたのだろう。そういう性質の歌謠として、(334)かならずしも論理的に進行はしていないが、調子に乘つて、同じ形の句を重ねて行く快さはある。二句ずつの終りに、イの韻、ことに、ニの音韻を使つた句が多いのは、疊みかけて歌つて行くのに效果があるだろう。耳に聞いて快い歌というべきである。
 
右歌一首、爲v鹿述v痛作之也
 
右の歌一首は、鹿のために痛みを述べて作れる。
 
【釋】爲鹿述痛作之也 シカノタメニイタミヲノベテツクレル。鹿のために痛みを述べて作れるというのは、表面的な言い方で、本質的には、鹿の奉仕を説いたことほぎ歌である。次の歌には蟹が選ばれているが、鹿と蟹とは、山海の珍味の代表的なもので、上代の食饌には缺くことのできない存在であつた。平安時代にはいつて、清和天皇の元慶二年正月に、爾今攝津の國の蟹の胥《しよ》と陸奧の國の鹿の※[月+昔]《せき》とを御前に奉ることを停められたのも、かえつてこれを證するに足りる。蟹の胥というのは、蟹をついて鹽で漬けたもの、鹿の※[月+昔]というのは、同じく鹿のほした肉である。日本書紀の顯宗天皇の室壽《むろほぎ》の詞に、「あしひきのこの片山のさを鹿の角ささげてわが舞はれば」とあるのも、鹿の頭をかぶつての舞の詞であつて、これが宴會の祝賀の舞であつたことが明白にされる。
 
3886 おし照るや 難波の小江《をえ》に
 廬《いほ》作り 隱《なま》りて居《を》る
 葦蟹《あしがに》を 王《おほきみ》召《め》すと。
 何せむに 吾《わ》を召すらめや。
(335) 明《あきら》けく わが知ることを、
 歌人《うたびと》と 吾《わ》を召すらめや。
 笛吹《ふえふき》と 吾《わ》を召すらめや。
 琴彈《ことひき》と 吾《わ》を召すらめや。
 かもかくも 命《みこと》受《う》けむと、
 今日今日と 飛鳥《あすか》に到り、
 立てども 置勿《おきな》に到り、
 策《つ》かねども 桃花鳥野《つくの》に到り、
 東《ひむかし》の 中《なか》の門《みかど》ゆ
 參納《まゐ》り來て 命《みこと》受《う》くれば、
 馬にこそ 絆《ふもだし》掛《か》くもの、
 牛にこそ 鼻繩はくれ、
 あしひきの この片山の
 もむ楡《にれ》を 五百枝《いほえ》剥《は》ぎ垂《た》り、
 天光《あまて》るや 日の氣《け》に干《ほ》し、
 囀《さひづ》るや 柄碓《からうす》に舂《つ》き、
 庭に立つ 磑子《おほうす》に舂《つ》き、
(336) おし照るや 難波の小江《をえ》の
 初垂鹽《はつたり》を 辛《から》く垂《た》り來て、
 陶人《すゑびと》の 作れる瓶を
 今日|往《ゆ》きて 明日取り持《も》ち來《き》、
 わが目らに 鹽|漆《ぬ》りたび、
 もち賞《はや》すも。もち貰《はや》すも。
 
 忍照八《オシテルヤ》 難波乃小江尓《ナニハノヲエニ》
 廬作《イホツクリ》 難麻理弖居《ナマリテヲル》
 葦河尓乎《アシガニヲ》 王召跡《オホキミメスト》
 何爲牟尓《ナニセムニ》 吾乎召良米夜《ワヲメスラメヤ》
 明久《アキラケク》 吾知事乎《ワガシルコトヲ》
 歌人跡《ウタビトト》 和乎召良米夜《ワヲメスラメヤ》
 笛吹跡《フエフキト》 和乎召良米夜《ワヲメスラメヤ》
 琴引跡《コトヒキト》 和乎召良米夜《ワヲメスラメヤ》
 彼毛《カモカクモ》 命受牟等《ミコトウケムト》
 今日々々跡《ケフケフト》 飛鳥尓到《アスカニイタリ》
 雖v立《タテレドモ》 置勿尓到《オキナニイタリ》
 雖v不v策《ツカネドモ》 都久怒尓到《ツクノニイタリ》
 東《ヒムガシノ》 中門由《ナカノミカドユ》
 參納來弖《マヰリキテ》 命受例婆《ミコトウクレバ》
 馬尓己曾《ウマニコソ》 布毛太志可久物《フモダシカクモノ》
 牛尓己曾《ウシニコソ》 鼻繩波久例《ハナナハハクレ》
 足引乃《アシヒキノ》 此片山乃《カノカタヤマノ》
 毛武尓禮乎《モムニレヲ》 五百枝波伎垂《イホエハギタレ》
 天光夜《アマテルヤ》 日乃異尓干《ヒノケニホシ》
 佐比豆留夜《サヒヅルヤ》 辛碓尓舂《カラウスニツキ》
 庭立《ニハニタツ》 碓子尓舂《オホウスニツキ》
 忍光八《オシテルヤ》 難波乃小江乃《ナニハノヲエノ》
 始垂乎《ハツタリヲ》 辛久垂來弖《カラクタリキテ》
 陶人乃《スヱビトノ》 所v作瓶乎《ツクレルカメヲ》
 今日往《ケフユキテ》 明日取持來《アストリモチキ》
 吾目良尓《ワガメラニ》 鹽漆給《シホヌリタビ》
 時賞毛《モチハヤスモ》 時賞毛《モチハヤスモ》
 
【譯】照り輝いている難波の江に、小舍を作つて隱れている葦蟹を、王樣がお召しになるという。何のためにわたしをお召しになるのでもないだろう。わたしのよく知つている事だが、歌の人としてお召しになるのでもなかろう。笛吹としてお召しになるのでもなかろう。琴彈としてお召しになるのでもなかろう。ともかくも仰せを受けようと、今日今日と飛鳥《あすか》に到り、立つていても置勿《おきな》に到り、つかないが都久怒《つくの》に到つて、東の中の御門からはいつて來て、仰せを受けると、馬にはほだしを懸けるもの、牛には鼻繩をつけるものだが、そのようにして、裾を引いているこの片側山のニレの皮を、たくさんはいで來て、照つている日光に乾し、音のする柄臼でつき、庭に立つている碓子でついて、日の照り輝く難波の江の始垂れの鹽を、からく垂らして、陶工の作つた瓶を、今日行つて明日取つて來て、わたしの目に鹽をお塗りになつて、御賞味なさいます。
【構成】全篇一文。參入り來テ命受クレバまで、難波の蟹が召されてくることをのべる。以下、その蟹を鹽漬にして賞翫することを述べる。
【釋】忍照八 オシテルヤ。枕詞。ヤは、感動の助詞。
 津波乃小江尓 ナニハノヲエニ。ヲは、愛稱の接頭語。
(337) 廬作 イホツクリ。イホは假舍。蟹を擬人ふうに言つている。
 難麻理弖居 ナマリテヲル。ナマリは、ナバリに同じ。隱れる意の動詞。
 葦河尓乎 アシガニヲ。アシガニは、蟹の生態を描く語。アシの中にいる蟹。攝津の國の蟹として召されるのは、難波の蟹が、名物として知られていたからである。
 王召跡 オホキミメスト。オホキミは、前の歌のオホキミに同じ。トは、トイフの意。句切。
 何爲牟命吾乎召良米夜 ナニセムニワヲメスラメヤ。ナニセムニは、何をしようとてか。ラメヤは、現在推量の反語で、推量の内容を否定する。何のためにお召しになるのか、お召しになるわけもあるまい。「寐毛宿良目八方《イモヌラメヤモ》」(卷一、四六)、「比故保思母《ヒコホシモ》 和禮爾麻佐里弖《ワレニマサリテ》 於毛布良米也母《オモフラメヤモ》」(卷十五、三六五七)。
 明久吾知事乎 アキラケクワガシルコトヲ。明白にわが知ることだ。ヲは、である、それだのにの意。獨立文だが、内容的に次に續く氣分を含んでいる。
 歌人跡和乎召良米夜 ウタビトトワヲメスラメヤ。ウタビトは、歌手。日本書紀、天武天皇の四年二月の條に、大倭《やまと》、河内、攝津、山背《やましろ》、播磨、淡路、丹波、但馬、近江、若狹、伊勢、美濃、尾張等の國に詔して、所部の百姓のよく歌う男女を選んで貢上せしめたことを傳えており、それらの事實を反映しているかも知れない。また雅樂寮の配下にも、歌人歌女がある。ワヲメスラメヤは、前に同じ。お召しになることでもないだろう。句切。
 笛吹跡 フエフキト。フエフキは、笛を吹く人。雅樂寮の所屬に、笛生六人、笛工八人がある。
 琴引跡 コトヒキト。コトヒキは、琴を彈く人。琴は古くからの伴奏樂器として使用された。
 彼毛 カモカクモ。脱字があるだろうといわれている。彼毛のままでは、ソモと讀むのが順當であるが、この歌では、二音では調をなさない。
(338) 今日々々跡 ケフケフト。枕詞。今日今日と明日になる意で、明日に冠する。
 飛鳥尓到 アスカニイタリ。アスカは、この地名の順序どおり、難波、飛鳥、置勿を經て都久怒に行くとすれば、置勿は所在不明だが、都久怒は、高市郡畝傍町鳥屋の地とされているから、それより東の大和の明日香ではあり得ない。河内の飛鳥であろう。
 雖立 タテドモ。枕詞。立つているが、横に置く意に、置勿に冠する。
 置勿尓到 オキナニイタリ。オキナは、所在不明。
 雖不策 ツカネドモ。枕詞。枚をつかないけれどもで、都久怒に冠する。
 都久怒尓到 ツクノニイタリ。ツクノは、桃花鳥野で、畝傍町鳥屋の地とされている。この地は畝火山の東南で、神武天皇が、大伴氏の遠組道の臣の命に賜わつた築坂《つきさか》の地である。この歌では、その地にある邸宅で歌われたもののようになつており、大伴氏の領地が跡見《とみ》、竹田など多くその祖先の縁故地であるところを見ると、築坂にもその邸宅があつて、節日に、この歌が歌われたのではなかろうか。
 東中門由 ヒムカシノナカノミカドユ。東方の中の門を通つて。ナカノミカドは、總門に對して内廓の門をいう。
 馬尓己曾布毛太志可久物 ウマニコソフモダシカクモノ。フモダシは、フミホダシ(踏絆)の義か。馬體につけてこれを拘束する紐帶の類である。「釋名(ニ)云(フ)、絆保太之《ホダシ》半也。拘(シテ)使(ム)2半行(シ)不(ラ)1v得2自縱(ナルヲ)1也」(倭名類聚鈔)。
 牛尓己曾鼻繩波久例 ウシニコソハナナハハクレ。ハナナハは、鼻を通す繩。ハクレは、取りつける。以上牛馬に繩を懸けることを述べ、自分は蟹だのに繩を懸けられての意の句を略している。
 毛武尓禮乎 モムニレヲ。モムニレは、ニレノキのことで、モムは揉ムだろう。ニレの皮を食料に供することは、正倉院文書、延喜式等に記事がある。正倉院文書、寶龜二年三月三十日の奉寫一切經所解(大日本古文(339)書六ノ一三五)には「春楡七斗去年殘、用三斗羮料、殘四斗」とあり、同じく寶龜三年三月二十六日の奉寫一切經所解(大日本古文書六ノ二七五)には「三百七十一文楡皮一百三十八把直【九十五把別三文四十三把別二文】」とある。また延喜内膳式には、「愉皮一千枚【別長一尺五寸廣四寸】搗(キテ)得2粉二石(ヲ)1【枚別二合】右(ノ)楡皮(ハ)年中(ノ)雜(ノ)御菜并(セテ)羮等(ノ)料」とある。ニレの皮をはいで、日に乾し、臼でついて粉にして、菜などの料とする。ここでは蟹の鹽漬にそれを使うと見える。
 五百枝波伎垂 イホエハギダリ。イホエは、多くの枝。ハギタリは、はいで垂らして。
 天光夜 アマテルヤ。日の修飾句。ヤは、感動の助詞。
 日乃異尓干 ヒノケニホシ。ケは氣。ヒノケは、日光。
 佐比豆留夜 サヒヅルヤ。枕詞。囀ルヤで、唐に冠する。唐語は、囀るように聞えるからカラに冠する。
 辛碓尓舂 カラウスニツキ。カラウスは、柄碓。足で踏む臼。「可流羽須《カルウス》」(卷十六、三八一七)に同じ。
 庭立 ニハニタツ。碓子の説明修飾句。
 碓子尓舂 オホウスニツキ。
  カラウスニツキ(西)
  スリウスニツキ(總索引)
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  磑子爾舂《スリウスニツキ》(古事記傳)
碓子は、訓法不明。既に上に辛碓と言つているからカラウスではない。粉にするのだからスリウスかも知れ(340)ないが、それでは、庭ニ立ツとあるのとツキとあるのとにふさわない。日本書紀、景行天皇の即位前紀に「其の大碓の皇子と小碓の尊とは、一日に同胞にして雙に生れます。天皇異とし、すなはち碓に誥《たけ》びたまふ。故《かれ》因りて其の二の王に號《なづ》けて、大碓小碓といふ」とあるによつて、假にオホウスとする。以上、ニレの皮を粉にすることを説く。これに蟹をあえるのである。
 始垂乎辛久垂來弖 ハツタリヲカラクタリキテ。ハツタリは、海水を蒸發させた濃厚な鹽汁を、砂でこした最初の汁であろう。それをしおからく垂れて。
 陶人乃 スエビトノ。スヱビトは、陶器を作る人。スヱは、うわ藥を懸けた堅燒の器。外來の技術によつて作つた。
 今日往明日取持來 ケフユキテアストリモチキ。いそいで取つて來ての意。河内に陶《すえ》の邑《むら》があり、往來に二日かかるだろう。
 吾目良尓 ワガメラニ。ラは、接尾語。特に目に鹽を塗るのではないが、蟹の代表として目を出している。
 鹽漆給 シホヌリタビ。楡の皮の粉を、始垂で瓶に漬《つ》けておいて、それに蟹に鹽をぬつて漬けるのだろう。
 時賞毛 モチハヤスモ。時賞は、義をもつて讀んでいる。
【評語】これも蟹の作りものをかぶつて歌つたのだろう。同形の句を多く重ねて、よく歌いものの特質を發揮している。但し歌いものの常として處々に飛躍があり、また調子に乘つて實際から離れた敍述もされている。この蟹の舞に、滑稽味が強くはいつていたであろう。なお同種の歌に「この蟹やいづくの蟹、百づたふ角鹿の蟹」(古事記四三)があつてやはり酒宴の歌である。
 
右歌一首、爲v蟹述v痛作之也
 
(341)右の歌一首は、蟹のために痛を述べて作れる。
 
【釋】爲蟹 カニノタメニ。前の鹿の歌の左註參照。
 
怕v物歌三首
 
物に怕るる歌三首。
 
【釋】怕物歌 モノニオソルルウタ。オソロシキモノノウタ(童)、オドロシキモノノウタ(古義)。怕は、恐れる意の字で、寄物、屬物などの用字例によれば、怕物をモノニオソルルと讀むべきである。歌の内容も、ウヅラヲ立ツ、神ノ門渡ル、人魂ノサヲナル君など、おそろしい場合を詠んでいる。
 
3887 天《あめ》なるや 神樂良《ささら》の小野《をの》に、
 茅草《ちがや》刈り、
 草《かや》刈りばかに うづらを立つも。
 
 天尓有哉《アメナルヤ》 神樂良能小野尓《ササラノヲノニ》
 茅草刈《チガヤカリ》
 々々婆可尓《カヤカリバカニ》 鶉乎立毛《ウヅラヲタツモ》
 
【譯】天にあるササラの小野で、茅草を刈つて、草の刈り場處に、ウズラが飛び立つた。
【釋】天尓有哉 アメナルヤ。天ニアルヤに同じ。ヤは、感動の助詞。
 神樂良能小野尓 ササラノヲノニ。ササラノ小野は、天における想像上の地名。語義不明。天有《アメナル》 左佐羅能小野之《ササラノヲノノ》 七相菅《ナナフスゲ》」(卷三、四二〇)。
 々々婆可尓 カヤカリバカニ。カリバカは、刈り取る場處。「秋田之《アキノタノ》 穗田乃苅婆加《ホダノカリバカ》」(卷四、五一二)、「秋田《アキノタノ》 吾苅婆可能《ワガカリバカノ》」(卷十、二一三三)。
 鶉乎立毛 ウヅラヲタツモ。ウズラを飛び立たせる。
(342)【評語】草を刈つている手もとから、急にウズラの飛び立つた驚きを歌つている。おそろしいというよりは、驚いたという方が適切な場合である。
 
3888 奧《おき》つ國 領《うしは》く君が、
 染屋形《しめやかた》 黄染《きしめ》の屋形《やかた》、
 神の門《と》渡る。
 
 奧國《オキツクニ》 領君之《ウシハクキミガ》
 染屋形《シメヤカタ》 黄染乃屋形《キシメノヤカタ》
 神之門渡《カミノトワタル》
 
【譯】遠い國を領しておいでになる君の、染めた御殿、黄色に染めた御殿が、おそろしい海峽を渡つている。
【釋】奧國 オキツクニ。遠方の國で、死者の行く國、黄泉の國をいう。
 領君之 ウシハクキミガ。ウシハクは領有する。ウシハク君は、黄泉の國の主で、死神をいう。
 染屋形 シメヤカタ。染めた屋形。ヤカタは、家屋。ここは家屋の形をした乘物であろう。
 黄染乃屋形 キシメノヤカタ。黄に染めた屋形。黄泉の國の王の屋形なので、黄に染めたという。第三句を、更に繰り返して説明している。
 神之門渡 カミノトワタル。カミノトは、神靈のあるおそろしい門戸。トは、普通に海峽をいうが、もともと想像上の歌だから、幻影に見る間隔を、黄染の屋形が通過するというのであろう。
【評語】幻影に死神の渡御を見ている。これでもかこれでもかというように、おそろしがつているような歌だが、想像力のたくましさが窺われ、描寫もあつて、まとまつた歌になつている。
 
3889 人魂《ひとだま》の さ青《を》なる公が、
 ただひとり 逢へりし雨夜《あまよ》の
(343) はひやし念《おも》ほゆ。
 
 人魂乃《ヒトダマノ》 佐青有公之《サヲナルキミガ》
 但獨《タダヒトリ》 相有之雨夜乃《アヘリシアマヨノ》
 葉非左思所v念《ハヒヤシオモホユ》
 
【譯】人魂のまつ青《さお》な公が、ただ一人で逢つた雨夜の墓所が思われる。
【釋】人魂乃佐青有公之 ヒトダマノサヲナルキミガ。ヒトダマは、人の魂魄。人體には、魂魄が宿り、それが拔け出して歸らないのを死とした。サは接頭語。サヲは、まつ青。人魂ノサ育ナル公は、人の魂であるまつ青な君で、人魂を擬人化した言い方。角川書店の太田朝男君は、人魂を見たこともあり、食べたこともあるという。中學生であつた時、青い火のかたまりがふわふわ飛んで來たのを、博物の先生が取れというので、おつかなびつくり捕虫網をかぶせて取つて見たところ、やぶ蚊のかたまりに夜光蟲がいつぱいついていたという。また軍隊にいた時に、同じく青い火が飛んできたのを、敵の照明彈かと思つて、兵隊に打てと言つて、輕(344)機でうち落したところ、ガンで、羽毛にいつぱい夜光蟲がついていた。これは煮てたべてしまつたそうである。
 但獨 タダヒトリ。これは、人魂に逢つたこちらがただひとりなのである。
 葉非左思所念 ハヒヤシオモホユ。
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  葉|非戸曾所念《ヒサシトソオモフ》(類)
  葉|非左思所念《ヒサシトゾオモフ》(西)
  葉|非左思久所念《ヒサシクオモホユ》(代精)
  葉|左非思久所念《サビシクオモホユ》(新考)
 從來、上の乃を衍とし、葉を上につけ、思の下に久脱として、逢ヘリシ雨夜ハ久シク念ホユの訓が廣く行われていた。しかしそれは本文に大きな改訂を試みることであつて、危險である。また非は、乙類のヒで、久しのヒとは音韻が相違する。原文のままに讀むと、ハヒサシオモホユとなつて、語義は不明である。日本靈異記訓釋に、塚をハヒヤとしているのは灰屋の義なるべく、ハヒサの語もあつたのではなかろうか。または左が屋の誤りであるかも知れない。類聚古集の本文、「葉非戸曾所念」も參考となる。
【評語】これも物すごい所をねらつている。人魂の存在が、ある程度信じられていたと見てよいのだろう。
 
萬葉集卷第十六