(345)　萬葉集卷第十七

　

(347)萬葉集卷第十七

　

　卷の十七以下の四卷は、歌を分類しないで、ただ年代順に配列してあることが、卷の十六以前と相違している。文字使用法も、字音假字の使用が多く、大伴の家持の手録になるものと認められているが、子細に檢すれば、四卷ともに、それぞれに相違する所があつて、かならずしも手録そのままではないことが知られる。この卷は、天平二年十一月、大伴の旅人が大納言に任ぜられた時の�{從等の上京の歌に始まり、天平二十年の作と推定される歌に終つている。そのうち天平十八年七月、大伴の家持が越中の守となつて以後の歌が多く、それらはおおむね月日を記している。原形としては、歌稿や書?などの實物を、そのまま繼ぎ合わせたものと推定される。他から來た書信の類は、比較的に整備されてあり、これに對して家持の草稿とおぼしき類には、未整備の點があつて、その中には作者が兩案を存したと見られるものもある。

　歌數は百四十二首で、そのうち長歌十四首、旋頭歌一首あり、他は短歌である。これらの歌には、書?等の形で前行文を有しているものもあり、別に七言の漢詩二首をも收めている。大伴の家持の作は七十六首あり、家持の手録を基礎としていることは疑いないところである。家持の作に對しては、大伴の池主がしばしば唱和の作を成しているが、まず家持が歌を作り、池主がこれに唱和するのが常になつている。

　傳本としては、古本系統に元暦校本があり、大部分を存している。もと天治本が存していたということであるが、今は散佚して、わずかにその片影を?天治萬葉集によつて窺い得るに過ぎない。元暦校本の傳來は、この卷の成立の考察の上に、重要な資料となるものである。

　

(348)天平二年庚午冬十一月、大宰帥大伴卿、被v任2大納言1、【兼v帥如v舊】上v京之時、�{從等、別取2海路1入v京、於v是悲2傷羈旅1、各陳2所心1作歌十首

　

天平の二年｜庚午《かのえうま》の冬十一月、大宰の帥大伴の卿の、大納言に任《ま》けらえて【帥を兼ぬること舊の如し。】京に上りし時、�{從等の、別に海路を取りて京に入り、ここに路旅を悲しみ傷みて、おのもおのも所心を陳べて作れる歌十首。

　

【釋】大宰帥大伴卿被任大納言　オホキミコトモチノカミオホトモノマヘツギミノオホキモノマヲシノツカサニマケラエテ。大伴の旅人が大納言に任ぜられたことは續日本紀には見えない。ただ天平三年七月の條に「大納言從二位大伴宿禰旅人薨」とあるばかりである。公卿補任《くぎようぶにん》には、天平二年の條に大伴の旅人に續けて「十月一日任（ズ）2大納言（ニ）1」とあるが、なお續けて「改（ム）2名（ヲ）淡等（ト）1、元中納言（ナリ）」という信じがたい記事が續いている。しかし十月ということは、大體において當つているのだろう。そこで十一月とあるのは、�{從等が、別に海路を取つて上京した時をさしているものであろう。「冬十一月、大伴（ノ）坂上（ノ）郎女、發（チ）2帥（ノ）家（ヲ）1上道《ミチダチス》」（卷六、九六三）とあるによれば、坂上の郎女は、多分その一行中にあつたもののようである。旅人自身は十二月になつて上京したこと卷の三（四四六）、卷の六（九六五）に記されている。

　兼帥如舊　カミヲカヌルコトモトノゴトシ。大納言で、なお大宰の帥を兼務していたというのである。大納言は京官であり、その任にあるものが、地方の總督である大宰の帥を兼ねるのは無理であるが、旅人はその任にあつてその地にもいたのだから、それでもよかつたのだろう。天平十八年には、橘の諸兄は、左大臣で大宰の帥を兼ねた。これらは遙任の例で、その職の給與を得ることを目的としたものだろう。

　�{從等　ツカヒビトタチ。�{從は、使屬をいう。從者である。

　

(349)3890　わが夫子《せこ》を　我《あ》が松原よ

　見渡せば

　海人《あま》をとめども　玉藻刈る見ゆ。

　

　和我勢兒乎《ワガセコヲ》　安我松原欲《アガマツバラヨ》

　見度婆《ミワタセバ》

　安麻乎等女登母《アマヲトメドモ》　多麻藻可流美由《タマモカルミユ》

　

【譯】あなたをわたしが待つ。その松原越しに見渡すと、海人の娘たちが、美しい藻を刈つているのが見える。

【釋】和我勢兒乎安我松原欲　ワガセコヲアガマツバラヨ。ワガセコヲアガは序詞。ワガ待ツの意に、松原を引き起している。アガ松原という地名ではない。ヨは、助詞ユに同じ。松原を通しての意。

【評語】　ワガ夫子ヲアガの序は、前行の歌があつてそれから來ているのだろう。松に待ツを懸けていうことは慣用されていることである。あまり特色のない敍景だが、器用にまとまつている。天平十二年十月の、聖武天皇の御製の歌に「妹に戀ひ吾《あが》の松原見渡せば潮干の潟に鶴《たづ》鳴き渡る」（卷六、一〇三〇）というのがあり、序も内容も似ている。

　

右一首、三野連石守作

　

【釋】三野連石守　ミノノムラジイソモリ。傳未詳。他に梅の歌一首（卷八、一六四四）を傳えている。

　

3891　荒津《あらつ》の海　潮｜干《ひ》潮｜滿《み》ち

　時はあれど、

　いづれの時か　わが戀ひざらむ。

　

　荒津乃海《アラツノウミ》　之保悲思保美知《シホヒシホミチ》

　時波安禮登《トキハアレド》

　伊頭禮乃時可《イヅレノトキカ》　吾孤悲射良牟《ワガコヒザラム》

　

【譯】荒津の海は、潮が干たり滿ちたりするに時があるけれども、どういう時としてか、わたしが戀いないで(350)いよう。

【釋】荒津乃海　アラツノウミ。アラツは、福岡市西公園の海岸で、アラツノ海は、その海上、福岡灣である。

【評語】戀には時がないという内容の歌は、古くからあり、ただその時のないことを説明する譬喩に、手段が講じられるのである。この歌は眼前の風光に目をつけて譬喩に使つている。四五句の表現は、きまつた形で、平凡である。形の似た歌には「印南野《いなみの》のあからがしはは時はあれど君を我《あ》が思《も》ふ時はさね無し」（卷二十、四三〇一）がある。四五句は「人目多み常かくのみし侍《さもら》はばいづれの時かわが戀ひざらむ」（卷十一、二六〇六）と同じである。以下九首、作者未詳である。

　

3892　礒ごとに

　海人《あま》の釣船　泊《は》てにけり。

　わが船｜泊《は》てむ　礒の知らなく。

　

　伊蘇其登尓《イソゴトニ》

　海夫乃釣船《アマノツリブネ》　波?尓家里《ハテニケリ》

　我般波?牟《ワガフネハテム》　伊蘇乃之良奈久《イソノシラナク》

　

【譯】礒ごとに海人の釣船はついてしまつた。わたしの船のつくべき礒がわからないことだ。

【評語】夕方近くなるままに、海上に漂う船のよるべない心ぼそさが詠まれている。三句切で、海人ノ釣船泊テニケリと詠歎し、これを受けて、ワガ船泊テム礒ノ知ラナクと、歌い收めたのがよく效果をあらわしている。

　

3893　昨日こそ　船出《ふなで》はせしか。

　　鯨魚取《いさなと》り　比治奇《ひぢき》の灘《なだ》を、

　今日見つるかも。

　

　昨日許曾《キノフコソ》　敷奈※［人偏＋弖］婆勢之可《フナデハセシカ》

　伊佐魚取《イサナトリ》　比治奇乃奈太乎《ヒヂキノナダヲ》

　今日見都流香母《ケフミツルカモ》

　

【譯】昨日こそ船出はしたのだ。大きな比治奇の灘を今日見たことだなあ。

(351)【釋】敷奈※［人偏＋弖］婆勢之可　フナデハセシカ。シカは、助動詞キの已然形で、上の係助詞コソを受けて結んでいる。ここで句切になるが、この形で前提法を作るのが古い格である。

　伊佐魚取　イサナトリ。枕詞。鯨を捕る意に海に冠するが、ここは、比治奇ノ灘に冠して、その大海であることをあらわしている。

　比治奇乃奈太乎　ヒジキノナダヲ。ヒジキノナダは、ヒビキの灘の古名だろうという。ヒビキの灘は、一は山口縣豐浦郡の西方、小倉市・若松市北方の海面をいい、一は兵庫縣｜高砂《たかさご》の海上をいう。この歌にキノフというのは嚴密な意味での昨日ではなくして、昨日のように思われるがの意であるから、ここはどちらの地でも通ずるが、次に淡路島の歌があり、多分兵庫縣の方だろう。ナダは、浪の高い海をいう。集中唯一の例である。

【評語】海路の進行の案外に早かつたことを喜んだ歌と見るべきである。淡々たる中に感情のこもつている歌だ。昨日コソ何々セシカの形は、過去の時間の經過の早いのに驚く一つの型になつている。「昨日こそ年ははてしか。春霞｜春日《かすが》の山にはや立ちにけり」（卷十、一八四三）、「昨日こそ早苗《さなへ》とりしか。いつのまに稻葉そよぎて秋風の吹く」（古今和歌集）など同型の歌である。

　

3894　淡路島　門《と》渡る船の

　楫間《かぢま》にも、

　われは忘れず、

　家をしぞ念ふ。

　

　淡路島《アハヂシマ》　刀和多流船乃《トワタルフネノ》

　可治麻尓毛《カヂマニモ》

　吾波和須禮受《ワレハワスレズ》

　伊弊乎之曾於毛布《イヘヲシゾオモフ》

　

【譯】淡路島、その海峽を渡る船が、船を漕ぐまにも、わたしは忘れないで、家を思う。

【釋】刀和多流船乃　トワタルフネノ。トは、海峽。ここは明石海峽に當る。

(352)　可治麻尓毛　カヂマニモ。カヂマは、楫を取つて漕ぐそのあいだで、極めて短い時間の譬喩にしている。「多流比女能《タルヒメノ》　宇良乎許具不禰《ウラヲコグフネ》　可治末爾母《カヂマニモ》　奈良野和藝弊乎《ナラノワギヘヲ》　和須禮※［人偏＋弖］於毛倍也《ワスレテオモヘヤ》」（卷十八、四〇四八）。

【評語】楫を取るのにまが無いというのに目をつけた歌は、珍しくはないが、海上を航行している時の作であるだけに、この譬喩は、動かない所だろう。楫問というつまつた語を使つているのは特色である。

　

3898　大船の　上にし居《を》れば、

　天雲の　たどきも知らず。

　歌ひこそ、わが夫《せ》。

　

　大船乃《オホブネノ》　宇倍尓之居婆《ウヘニシヲレバ》

　安麻久毛乃《アマグモノ》　多度伎毛思良受《タドキモシラズ》

　歌乞和我世《ウタヒコソワガセ》

　

【譯】大船の上にいると、天ゆく雲のように、たより所も知りません。歌つてください、あなた。

【釋】安麻久毛乃　アマグモノ。枕詞。譬喩によつて、タドキモ知ラズに冠している。

　多度伎毛思良受　タドキモシラズ。タドキは、たよりとする處。心ぼそく寄る所のない心である。句切。

　歌乞和我世　ウタヒコソワガセ。

　　ウタコヒワガセ（元）

　　ウタコツワガセ（西）

　　ウタコフワガセ（代初）

　　ウタヘコソワガセ（代初）

　　ウタガタワガセ（考）

　　ウタヒコセワガセ（新訓一説）

　　――――――――――

　歌方和我世《ウタカタワガセ》（略）

歌乞は、表音文字とは見えないから、表意文字として、ウタヒコソと讀むほかはあるまい。よるべない心を(353)歌つて慰めようというのであろう。

【評語】作者は男子か女子か不明である。歌によつて、海上の寂寥を慰めようとする、情趣のある作である。天雲の枕詞もよく使われている。なお以下の歌の順は、元暦校本等と細井本系統とで、相違している。今元暦校本等による。

　

3899　海未通女《あまをとめ》　漁《いざ》り焚《た》く火の、

　おほほしく

　都努《つの》の松原　念ほゆるかも。

　

　海未通女《アマヲトメ》　伊射里多久火能《イザリタクヒノ》

　於煩保之久《オホホシク》

　都努乃松原《ツノノマツバラ》　於母保由流可聞《オモホユルカモ》

　

【譯】海人の娘子が漁りに焚く火のように、ぼんやりと、都努の松原がそれかと思われることだなあ。

【釋】海未通女伊射里多久火能　アマヲトメイザリタクヒノ。以上二句、序詞。すなどりに焚く火がぼんやりしているので、オホホシクを引き起している。

　於煩保之久　オホホシク。この語の假字書きは、於保保思、意保保斯、大欲とあり、於煩保之とあるは、この一例のみである。從來オボホシとしていたのは、この例などがあずかつているのだろうが、煩は「於煩呂加爾《オホロカニ》」（卷二十、四四六五）など、清音に使われている。この句は、念ホユルカモを修飾している。

　都努乃松原　ツノノマツバラ。大阪灣に画した地であろうが、所在不明。「名次山《ナスキヤマ》　角松原《ツノノマツバラ》　何時可將v示《イツカシメサム》」（卷三、二七九）。

　於母保由流可聞　オモホユルカモ。海上から都努の松原を思う由である。三句を受けて、それは明瞭でないというのである。

【評語】夕暮などのぼんやりした海上に、都努の松原をそれかと望み見て詠んでいる。その松原には記憶があ(354)つて、それを呼び起しているのだろう。幽玄ぶりにも見える歌だが、實は表現が不十分なのである。オホホシク思われるという語の内容が明瞭でない。

　

3895　玉はやす　武庫《むこ》の渡《わた》りに、

　天《あま》づたふ　日の暮れゆけば、

　家をしぞ念ふ。

　

　多麻波夜須《タマハヤス》　武庫能和多里尓《ムコノワタリニ》

　天傳《アマヅタフ》　日能久禮由氣婆《ヒノクレユケバ》

　家乎之曾於毛布《イヘヲシゾオモフ》

　

【譯】玉の光を反射させる、その武庫の渡りで、空を傳う日が暮れて行けば、家を思うのだ。

【釋】多麻波夜須　タマハヤス。枕詞。ハヤスは、映ユの使役法で、映えさせる。ムコに冠するのは、ムコは、相手の意で、玉の光を反映する物の義をもつてするのであろう。

　武庫能和多里尓　ムコノワタリニ。ムコノワタリは、武庫川の河口附近の海上をいう。

　天傳　アマヅタフ。枕詞。大空を通過する意に、日に冠している。

【評語】大和も近くなつて、日の暮れ方に、切に家の思われる心である。天ヅタフの枕詞は、終日船上にあつて、日出から見守つて來た日が描かれている。玉ハヤスも、夕方の波光から誘い出した枕詞であろう。情景のゆたかな作である。

　

3896　家にても　たゆたふ命、

　浪の上に　浮きてし居《を》れば、

　奧處《おくか》知らずも。

　

　家尓底母《イヘニテモ》　多由多敷命《タユタフイノチ》

　浪乃宇倍尓《ナミノウヘニ》　宇伎?之乎禮波《ウキテシヲレバ》

　於久香之良受母《オクカシラズモ》

　

【譯】家にあつても不安な命を、波の上に浮いているので、先がわからないなあ。

(355)【釋】多由多敷命　タユタフイノチ。タユタフは、動搖して安定しない意。生命無常の思想を歌つている。

　於久香之良受母　オクカシラズモ。オクカは、先の方、奧の處の意で、將來、行く先をいう。

【評語】波上に漂う心ぼそさが歌われている。思想的な内容の歌だが、現實に海上に浮いている心ぼそさを基調としているので、無限の感慨がある。悲牡な感じもある歌である。

　

3897　大海の　奧處《おくか》も知らず　

　行く我を、

　何時《いつ》來まさむと　問ひし兒らはも。

　

　大海乃《オホウミノ》　於久可母之良受《オクカモシラズ》

　由久和禮乎《ユクワレヲ》

　何時伎麻佐武等《イツキマサムト》　問之兒良波母《トヒシコラハモ》

　

【譯】大海の行く先も知らずに行くわたしなのを、何時おいでになるのでしようと尋ねたあの子はなあ。

【評語】はてしらぬ海に漕ぎ出した心ぼそさが、感慨の多い表現で歌われている。船出をした筑紫の方に、待つている人のあることを描いているが、この兒ラというのは、遊行女婦のような人であろう。

　

右九首、作者不v審2姓名1

　

十年七月七日之夜、獨仰2天漢1聊述v懷一首

　

十年七月七日の夜、ひとり天漢《あまのがは》を仰ぎていささか懷《おもひ》を述ぶる一首。

　

【釋】獨仰天漢聊述懷　ヒトリアマノガハヲアフギテイササカオモヒヲノブル。七月七日の夕べに、牽牛星と織女星とが、相會するという傳説を取り扱つている。文人詞客等、雅宴を催して詩歌を賦する習いがあるが、作者は、この時に、そういう催しに接しなかつたので、ひとり天漢を仰ぐと言つている。

　

(356)3900　織女《たなばた》し　船乘《ふなの》りすらし。

　まそ鏡　清き月夜《つくよ》に、

　雲立ち渡る。

　

　多奈波多之《タナバタシ》　船乘須良之《フナノリスラシ》

　麻蘇鏡《マソカガミ》　吉欲伎月夜尓《キヨキツクヨニ》

　雲起和多流《クモタチワタル》

　

【譯】織女が船に乘つて行くらしい。澄んだ鏡のように清らかな月夜に、雲が立ち渡つている。

【釋】多奈波多之　タナバタシ。タナバタは、織女星。シは助詞。

　船乘須良之　フナノリスラシ。フナノリは、船に乘ることだが、これで、舟行することをいう。句切。

　麻蘇鏡　マソカガミ。枕詞。清きに冠している。

【評語】天上に雲の立ち渡るのを見て、織女星の船の漕ぎ出たによつて起つた川霧かと疑つている。風趣のゆたかな佳品である。七夕の傳説では、牽牛星が川を渡ることになつているのを、轉じて織女の渡河を想像しているのは、例はあるが珍しい。天女の船に乘つている美しさを想像したものであろう。

　

右一首、大伴宿祢家持作

　

追和大宰之時梅花新歌六首

　

追ひて和ふる大宰の時の梅の花の新しき歌六首。

　

【釋】追和大宰之時梅花新歌　オヒテコタフルオホキミコトモチノトキノウメノハナノアラタシキウタ。天平二年正月十三日に、大伴の旅人は、大宰府の自邸に人々を集めて梅花の宴を催し、人々と共に梅花の歌を詠んだ。それは載せて卷の五にある。それから十年を經て、その時の歌に追和して新たに歌を詠んだのである。こ(357)の題詞は、漢文ふうに書かれてはいるが、意をもつて字を竝ぺてあるだけで、訓法などは考えていなかつたのだろう。漢文としても國語としても不完全な書き方である。作者自身で書いた題だろう。

　

3901　み冬つぎ　春はきたれど、

　梅の花　君にしあらねば、

　をく人もなし。

　

　民布由都藝《ミフユツギ》　芳流波吉多禮登《ハルハキタレド》

　烏梅能芳奈《ウメノハナ》　君尓之安良祢婆《キミニシアラネバ》

　遠久人毛奈之《ヲクヒトモナシ》

　

【譯】冬に續いて、春は來たけれども、梅の花を、あなたでないので、招く人もないことです。

【釋】民布由都藝　ミフユツギ。枕詞。ミは接頭語。冬に續き、春來るの意に、春は來レドに冠する。

　芳流波吉多禮登　ハルハキタレド。キタレは、四段活の動詞來ルの已然形。キタルは、來到ルの義である。

　君尓之安良祢婆　キミニシアラネバ。キミは、大宰府の時の梅花の宴に列した人をいう。その中にも、三十二首の最初の歌「武都紀多知《ムツキタチ》　波流能吉多良婆《ハルノキタラバ》　可久斯許曾《カクシコソ》　烏梅乎々岐都々《ウメヲヲキツツ》　多努之岐乎倍米《タノシキヲヘメ》」（卷五、八一五）を直接に受けているから、その歌の作者、大貳紀の卿を目標にしているようである。

　遠久人毛奈之　ヲクヒトモナシ。久は、元暦校本による。他本には久を流に作つている。前項記載のように、この歌は「武都紀多知《ムツキタチ》　波流能吉多良婆《ハルノキタラバ》」（卷五、八一六）の歌を受けているのであるから、この句も、その歌の「烏梅乎々岐都々《ウメヲヲキツツ》」の句を受けていると見るべきである。ところでその句も、仙覺本系統には「烏梅乎々利都々《ウメヲヲリツツ》」となつているのであるが、古本系統には「烏梅乎々岐都々《ウメヲヲキツツ》」となつている。古本系統では、まさしくも彼此照應して、ヲキ、ヲクになつているのだから、當然これによるべきである。仙覺本系統では、それを安易なヲリ、ヲルに改めたものと思われる。ヲキ、ヲクは、動詞招クの變化である。梅花を招請する意に解せられる。

(358)【評語】初二句の起りはよいが、四句を、君ニシアラネバと字あまりに置いたのは、窮屈さがあり、理くつつぽく感じられる。しかしいたずらに慣用句によることをしない素朴の感じは、取るべきところである。

　

3902　梅の花

　み山と繁《しみ》に　有りともや、

　かくのみ君は　見れど飽《あ》かにせむ。

　

　烏梅乃花《ウメノハナ》

　美夜萬等之美尓《ミヤマトシミニ》　安里登母也《アリトモヤ》

　如v此乃未君波《カクノミキミハ》　見禮登安可尓勢牟《ミレドアカニセム》

　

【譯】梅の花は、山のようにいつぱいにあつても、かようにのみあなたは見るけれどもやはり飽きないのでしよう。

【釋】　美夜萬等之美尓安里登母也　ミヤマトシミニアリトモヤ。ミヤマトは、み山のようにとの意。ミは接頭語。トは、と等しくの意。シミニは、繁ニで、いつぱいにある意の副詞。アリトモヤのヤは、疑問の係助詞。梅の花がよし山のように充滿してあると假定してもかの意である。

　如此乃未君波　カクノミキミハ。キミは、大宰の時の人をさす。かくのみ見れどの意に續く。

　見禮登安可尓勢牟　ミレドアカニセム。アカニは、飽かず。セムは、爲ム。ニは打消の助動詞。見れど飽かないだろうの意である。「皇子宮人《ミコノミヤビト》　歸邊不v知爾爲《ユクヘシラニス》」（卷二、一六七）の不知爾爲は、シラニスと讀まれ、打消の助動詞ニに動詞爲の接續した例になる。

【評語】梅花が山の如くあつたとしても、なおかつ君は、かくばかり見つつ飽きないだろうの意であるが、意が餘つて詞足らず、調子が潤滑を失つている。歌作に慣れない人の作のようである。しかしいたずらに慣用句を綴り合わせることをしないで、じかにぶつかつて行つたのはよい。全釋に、かの大宰の梅の花の歌の第二首、「梅の花今咲ける如散り過ぎずわが家の園にありこせぬかも」（卷五、八一六）の歌に和したといつているのは、(359)この歌だけでは關係はうすいようだが、他の歌がそれぞれ目標の歌をもつているのによれば、これもそのように見るべきであろう。

　

3903　春雨に　萌《も》えしやなぎか。

　梅の花、

　ともにおくれぬ　常の物かも。

　

　春雨尓《ハルサメニ》　毛延之楊奈疑可《モエシヤナギカ》

　烏梅乃花《ウメノハナ》

　登母尓於久禮奴《トモニオクレヌ》　常乃物能香聞《ツネノモノカモ》

　

【譯】春雨に誘われて芽を出したヤナギか、それとも梅の花は、共におくれない普通の物だろうか。

【釋】毛延之楊奈疑可　モエシヤナギカ。楊奈疑は字音假字であるが、楊の字を使つているのは、楊樹を意味しているのであろう。ヤナギは楊の樹の義であろうから、あながちにナギを補つて書いたとはいえない。カワラヤナギ。句切。

　登母尓於久禮奴　トモニオクレヌ。トモニは、共ニで、ヤナギが梅花と共に後れない常の物かの意である。

【評語】春雨にもえたか、または梅花と共に後れない物かと、兩頭に疑つている。ヤナギが主になつている。表現が不完全で、十分に意をあらわしにくい歌である。全釋に、かの大宰の時の梅花の歌の第三首、「梅の花咲きたる園の青柳は蘰《かづら》にすべくなりにけらずや」（卷五、八一七）に和したものだと言つている。

　

3904　梅の花

　何時《いつ》は折らじと　厭はねど、

　咲《さ》きの盛りは　惜しきものなり。

　

　宇梅能花《ウメノハナ》

　伊都波乎良自等《イツハヲラジト》　伊登波祢登《イトハネド》

　佐吉乃盛波《サキノサカリハ》　乎思吉物奈利《ヲシキモノナリ》

　

【譯】梅の花を、何時は折らないと厭いはしないが、咲いている盛りは惜しいものです。

(360)【釋】伊都波乎良自等伊登波祢登　イツハヲラジトイトハネド。梅花を折つて賞することは、何時は折らないと言つて厭いはしないが。何時でも折るのだが。

【評語】例によつて率直に歌つていて、梅花を愛する心はよくわかるが、平語に近く、言語に躍動がない。全體が、説明になつているからである。全釋に、かの大宰の時の第六首、「梅の花今盛りなり。思ふどち插頭にしてな。今盛りなり」（卷五、八二〇）の歌に和したものだと言つている。

　

3905　遊ぶ内の　樂《たの》しき庭に、

　梅柳　折りかざしてば、

　念ひなみかも。

　

　遊内乃《アソブウチノ》　多努之吉庭尓《タノシキニハニ》

　梅柳《ウメヤナギ》　乎理加謝思底婆《ヲリカザシテバ》

　意毛比奈美可毛《オモヒナミカモ》

　

【譯】遊ぶ現在の樂しい庭上で、梅や柳を折つて插頭《かざ》したなら、思いがないことだろうなあ。

【釋】遊内乃　アソブウチノ。ウチは、現在、現實、現世の意。ウツツの語を構成するウチである。「靈剋《タマキハル》　内限者《ウチノカギリハ》」（卷五、八九七）。

　意毛比奈美可毛　オモヒナミカモ。この下に、アラムの如き語を省略した意であるが、この形のままで文を終止するものである。思いが無くてかあるだろうの意。この思ヒ無ミは、思いが無いのでではなく、動詞無ミで、連用形と見られる。「梅花《ウメノハナ》　未v咲久《イマダサカナク》　伊等若美可聞《イトワカミカモ》」（卷四、七八六）。

【評語】梅花をかざす樂しさを想像しているのは、和する歌でみずからその會に臨んでいないからである。遊ブ内ノ樂シキ庭は、この人らしい説明的な言い方である。全釋に、かの大宰の時の梅花の歌の第七首、「青やなぎ梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし」（卷五、八二一）の歌に和したのだと言つている。

　

(361)3906　御苑生《みそのふ》の　百木《ももき》の梅の

　散る花の、

　天《あめ》に飛びあがり　雪と降りけむ。

　

　御苑布能《ミソノフノ》　百木乃宇梅乃《モモキノウメノ》

　落花之《チルハナノ》

　安米尓登妣安我里《アメニトビアガリ》　雪等敷里家牟《ユキトフリケム》

　

【譯】御苑生のたくさんの梅の木の散る花が、天に飛びあがつて雪となつて降つたのでしょう。

【釋】御苑布能　ミソノフノ。ミソノフは、大宰府の大伴の旅人の邸の庭園をいう。

【評語】梅花が天にとび上つて雪となつて降つたのだろうという構想がおもしろい。天ニ飛ビアガリの句が、率直で、奇妙な事である印象を與えている。全釋にいう如く、かの大宰の時の梅花の歌の第八首、大伴の旅人の作なる「わが園に梅の花(362)散るひさかたの天より雪の流れ來るかも」（卷五、八二二）に和していることはあきらかである。

　

右、十二年十二月九日、大伴宿祢書持作

　

【釋】十二月九日　シハスココノカ。十二月は、仙覺本系統には十一月に作つているが、梅花の歌に和したのだから、元暦校本に十二月に作つている方がよいだろう。

　大伴宿祢書持　オホトモノスクネフミモチ。家持の弟。天平十八年九月頃死去。仙覺本系統には、書持を家持に作つている。家持の作のように、慣用句にたよる安易性が少なく、率直であつてたどたどしく、素人らしく、また萬葉集目録にも書持としているから、書特とするによるべきである。

　

讃2三香原新都1歌一首　并2短歌1

　

三香《みか》の原の新しき都を讃《ほ》むる歌一首【短歌并はせたり。】

　

【釋】三香原新都　ミカノハラノアラタシキミヤコ。久邇の京をいう。相樂郡の三香の原の地に造營されたから三香の原の新しき都という。

　

3907　山背《やましろ》の　久邇《くに》の都は、

　春されば　花咲きををり、

　秋されば　黄葉《もみぢば》にほひ、

　帶《お》ばせる　泉の河の、

　上《かみ》つ瀬に　うち橋わたし、

(363)　淀瀬には　浮橋渡し、

　あり通《がよ》ひ　仕へまつらむ。

　萬代までに。

　

　山背乃《ヤマシロノ》　久迩能美夜古波《クニノミヤコハ》

　春佐禮播《ハルサレバ》　花咲乎々理《ハナサキヲヲリ》

　秋左禮婆《アキサレバ》　黄葉尓保比《モミチバニホヒ》

　於婆勢流《オバセル》　泉河乃《イヅミノカハノ》

　可美都瀬尓《カミツセニ》　宇知橋和多之《ウチハシワタシ》

　余登瀬尓波《ヨドセニハ》　宇枳橋和多之《ウキハシワタシ》

　安里我欲比《アリガヨヒ》　都加倍麻都良武《ツカヘマツラム》

　萬代麻弖尓《ヨロヅヨマデニ》

　

【譯】山城の國の久邇の都は、春になれば花が咲きたわみ、秋になれば黄葉が染まり、添つている泉の川の上流の瀬には板をかけた橋を渡し、淀んでいる處には浮橋を渡して、かように往來してお仕え申しあげよう。永久に。

【構成】全篇一文。

【釋】於婆勢流　オバセル。帶ブの敬語帶バスに助動詞リの連體形が接續している。しかし敬意はほとんどなく使われている。帶びている、接している。

　宇知橋和多之　ウチハシワタシ。ウチハシは、板を懸け渡した橋。

　宇枳橋和多之　ウキハシワタシ。ウキハシは、水面に浮べた橋。舟筏などの上に板を渡して橋としたもの。

【評語】花黄葉と、打橋浮橋との對句で、久邇の都を説明している。形式的な讃歌で、感興に乏しい。花黄葉の敍述は殊に類型的だ。橋による説明は、川に接しているこの都の特色を描いてはいる。

　

3908　楯竝《たたな》めて　泉の河の　

　水脈《みを》絶えず、

　仕へまつらむ　大宮處。

　

　楯竝而《タタナメテ》　伊豆美乃河波乃《イヅミノカハノ》

　水緒多要受《ミヲタエズ》

　都可倍麻都良牟《ツカヘマツラム》　大宮所《オホミヤドコロ》

　

【譯】楯を竝べて射るという、その泉の川の水の道が絶えないように、お仕え申しあげよう大宮處だ。

(364)【釋】楯竝而　タタナメテ。枕詞。楯を竝べて射るというので、イの一音に冠する「多々那米弖《タタナメテ》　伊那佐能夜麻能《イナサノヤマノ》」（古事記一五）。

　水緒多要受　ミヲタエズ。ミヲは、水脈。水の流れる道。以上譬喩として使つている。

【評語】河の水の絶えないように永久にという言い方は、類型的で、何等の新味もない。

　

右、十三年二月、右馬頭境部宿祢老麻呂作也

　

【釋】十三年二月　トヲマリミツノトシノキサラギ。天平十二年十二月に久邇に遷都され、年が變わつてまもない頃である。題に新シキ都とある所以である。

　境部宿称老麻呂　サカヒベノスクネオユマロ。傳未詳。

　

詠2霍公鳥1歌二首

　

3909　橘は　常花《とこはな》にもが。

　ほととぎす　住むと來鳴《きな》かば、

　聞かぬ日なけむ。

　

　多知婆奈波《タチバナハ》　常花尓毛歟《トコハナニモガ》

　保登等藝須《ホトトギス》　周無等來鳴者《スムトキナカバ》

　伎可奴日奈家牟《キカヌヒナケム》

　

【譯】橘は、永久の花であつたらなあ。ホトトギスが、住むと言つて來て鳴いたら、聞かない日がないだろう。

【釋】常花尓毛歟　トコハナニモガ。トコハナは、永久の花、いつも咲いている花、散らない花。願望の助詞ガに、歟の字を當てているのは注意される。句切。

　周無等來鳴者　スムトキナカバ。住むとして來り鳴かば。

(365)【評語】ホトトギスを常に聞こうとして、橘花の常にあることを願つている。橘とホトトギスとを、不可分のものとする思想が、強調されている。歌は、理くつで、風趣に乏しい。

　

3910　珠に貫《ぬ》く　あふちを宅《いへ》に

　植ゑたらば、

　山ほととぎす　離《か》れず來《こ》むかも。

　

　珠尓奴久《タマニヌク》　安布知乎宅尓《アフチヲイヘニ》

　宇惠多良婆《ウヱタラバ》

　夜麻霍公鳥《ヤマホトトギス》　可禮受許武可聞《カレズコムカモ》

　

【譯】五月の珠として緒につらぬくオウチを家に植えたなら、山ホトトギスは、止まずに來るだろうかなあ。

【釋】珠尓奴久　タマニヌク。五月の藥玉に珠として緒につらぬく。

　安布知乎宅尓　アフチヲイヘニ。アフチは、オウチ科の落葉喬木。オウチ、花は淡紫色で、その蕾を珠とする。

【評語】これはオウチの花に寄せて、ホトトギスを歌つている。ホトトギスを風雅な鳥として扱つたところは同じである。

　

右、四月二日、大伴宿祢書持、從2奈良宅1贈2兄家持1。

　

右は、四月二日、大伴の宿禰｜書持《ふみもち》の、奈良の宅より兄家持に贈れる。

　

【譯】四月二日　ウヅキフツカ。前に續いて天平十三年である。この年は閏三月があつたから、四月にはいつて既に、タチバナ、オウチの花などの歌があるのである。

　從奈良宅　ナラノイヘヨリ。奈良における大伴氏の邸宅からで、家持は、久邇の京に行つていたのである。

　

橙橘初咲、霍鳥翻嚶、對2此時候1、?不v暢v志。因作2三首短歌1、以散2鬱結(366)之緒1耳。

　

橙橘初めて咲き、霍鳥飜り嚶《な》く。この時候に對して、なにぞ志を暢《の》べざらむ。因りて三首の短歌を作りて、鬱結の緒を散らすのみ。

　

【釋】橙橘初咲　トウキツハジメテサキ。以下この文は、次の三首の歌の序で、家持が、弟書持に贈つた書である。橙橘は、橘をいう。橙と橘とを竝べたのではない。

　霍鳥飜嚶　クワクテウヒルガヘリナク。霍鳥は、霍公鳥を略している。上の橙橘初咲の句に對して、四字の對句とするためである。飜は、飛び飜る。嚶は、雌雄鳴きかわすこと。

　散鬱結之緒耳　ウチケチノヲヲチラスノミ。鬱結の緒は、心中に鬱々として晴れやらぬ思いを、緒に譬えていう。戀緒、悲緒などいう類である。

　

3911　あしひきの　山邊に居《を》れば、

　ほととぎす、

　木《こ》の間《ま》立ちくき　鳴かぬ日はなし。

　

　安之比奇能《アシヒキノ》　山邊尓乎禮婆《ヤマベニヲレバ》

　保登等藝須《ホトトギス》

　木際多知久吉《コノマタチクキ》　奈可奴日波奈之《ナカヌヒハナシ》

　

【譯】山の近邊にいると、ホトトギスが、木の間を潜つて鳴かない日はない。

【釋】木際多知久吉　コノマタチクキ。クキは、潜る、漏るの意。木の間をくぐつて。

【評語】すなおな整つた歌である。ホトトギスに對する愛情を露骨に言つていないが、親しい感情で接していることはよくわかる。

　

(367)3912　ほととぎす　何の心ぞ、

　橘の　珠｜貫《ぬ》く月し、

　來鳴きとよむる。

　

　保登等藝須《ホトトギス》　奈尓乃情曾《ナニノココロゾ》

　多知花乃《タチバナノ》　多麻奴久月之《タマヌクツキシ》

　來鳴登餘牟流《キナキトヨムル》

　

【譯】ホトトギスは、どういう心だろうか、橘の花を珠につらぬく月に來て鳴き立てるのは。

【釋】奈尓乃情曾　ナニノココロゾ。ホトトギスの來て鳴く心を、いかなる心かと疑つている。ゾは、終助詞や係助詞にもなる。一往ここで文を終止して、さて三句以下がこれを受けて敍述する。

　多麻奴久月之　タマヌクツキシ。橘の花を玉として緒につらぬく月。五月。シ、強意の助詞。副詞句。

　來鳴登餘牟流　キナキトヨムル。上のゾを受けて結んでいる。トヨムルは、鳴き立てる。

【評語】五月に來て鳴くのを、何か心があるかと疑つている。風流の鳥として扱つている歌である。

　

3913　ほととぎす

　あふちの枝に　行きて居《ゐ》ば、

　花は散らむな。

　珠と見るまで。

　

　保登等藝須《ホトトギス》

　安不知能枝尓《アフチノノエダニ》　由吉底居者《ユキテヰバ》

　花波知良牟奈《ハナハチラムナ》

　珠登見流麻泥《タマトミルマデ》

　

【譯】ホトトギスが、オウチの枝に行つてとまつたら、花は散るだろうな。珠と見るまでに。

【釋】珠登見流麻泥　タマトミルマデ。オウチの花の散るさまを、珠と見立てたのである。

【評語】ホトトギスが、オウチの枝にとまつて、その花の散ることを想像している。類型的の歌で、殊に假設的な表現であるだけに、力が弱い。

　

(368)右、四月三日、内舍人大伴宿祢家持、從2久迩京1、報2送弟書持1。

右は、四月三日、内の舍人《とねり》大伴の宿禰家持の、久迩の京より弟｜書持《ふみもち》に報へ送れる。

　

思2霍公鳥1歌一首　田口朝臣馬長作

　

霍公鳥を思《しの》ふ歌一首　田口の朝臣｜馬長《うまをさ》の作れる。

　

【譯】田口朝臣馬長　タグチノアソミウマヲサ。傳未詳。馬長はウマギミか。

　

3914　ほととぎす　今し來鳴かば、

　萬代に　語りつぐべく

　念《おも》ほゆるかも。

　

　保登等藝須《ホトトギス》　今之來鳴者《イマシキナカバ》

　餘呂豆代尓《ヨロヅヨニ》　可多理都具倍久《カタリツグベク》

　所v念可母《オモホユルカモ》

　

【譯】ホトトギスよ、今來て鳴いたら、萬代に語り繼ぐように思われるなあ。

【評語】左註によれば會合の席で、ホトトギスを待つて詠んだ歌である。萬代に語り繼ぐべく思われるというのは、極端に誇張した言い方である。一時の興を催すだけの歌に過ぎない。

　

右、傳云、一時交遊集宴。此日此處、霍公鳥不v喧、仍作2件歌1、以陳2思慕之意1。但其宴書并年月、未v得2詳審1也。

　

右は、傳へ云はく、ある時交遊集宴せり。この日この處にほととぎす鳴かず。仍《よ》りて件《くだり》の歌を作りて思慕の意を陳べきといふ。但しその宴所は年月日を并はせていまだ詳審《あきらか》なることを得ず。

　

(369)山部宿祢明人、詠2春?1歌一首

　

山部の宿禰明人の、春鶯《うぐひす》を詠める歌一首。

　

【釋】山部宿祢明人　ヤマベノスクネアカヒト。山部の宿禰の赤人に同じ。同じ音聲に讀まれれば、文字を一定しない。長の意吉麻呂とも長の奧麻呂とも書く例である。

　

3915　あしひきの　山谷越えて、

　野づかさに　今は鳴くらむ。

　うぐひすの聲。

　

　安之比奇能《アシヒキノ》　山谷古延?《ヤマタニコエテ》

　野豆加佐尓《ノヅカサニ》　今者鳴良武《イマハナクラム》

　宇具比須乃許惠《ウグヒスノコヱ》

　

【譯】山や谷を越えて、野の高みに、今は鳴いているだろう。ウグイスの聲は。

【釋】野豆加佐尓　ノヅカサニ。ノヅカサは、野の高い處。「佐保河乃《サホガハノ》　涯之官能《キシノツカサノ》」（卷四、五二九）、「高松《タカマツノ》　野山司之《ノヤマヅカサノ》」（卷十、二二〇三）などの類語がある。ノヅカサの例「多可麻刀能《タカマトノ》　宮乃須蘇未乃《ミヤノスソミノ》　努都可佐爾《ノヅカサニ》」（卷二十、四三一六）。

【評語】春になつて、ウグイスが、山から出て野に來て鳴いているだろうと想像している。この作者らしい美しい詩境である。推量の歌だが、山谷の野ヅカサとの對比があり、ウグイスの移動が歌われていてよい。詩經にいう、「幽谷を出でて喬木に遷る」と言つた趣である。

　

右、年月所處、未v得2詳審1。但隨2聞之時1、記2載於茲1。

　

右は、年月所處、いまだ詳審なることを得ず。但し聞きし時のまにまにここに記し載す。

　

(370)【釋】隨聞之時　キキシトキノマニマニ。作歌の年月も、その場處もあきらかでないが、聞いた時に任かせて、此處に記したというのである。誰が聞いたとも知られないが、多分大伴の家持の手記に出るものであろう。同樣の記事「年月不v審、但隨2聞時1記2載茲1焉」（卷十七、三九五二）、「但年月次者、隨2聞之時1、載2於此1焉」（卷十九、四二四七左註）とも見えている。

　

十六年四月五日、獨居2平城故宅1作歌六首

　

十六年四月五日、ひとり平城《なら》の故き宅に居て作れる歌六首。

　

【釋】獨居平城故宅　ヒトリナラノフルキイヘニヰテ。この年二月、久邇の京の高御座や大楯を難波に遷され、天皇は近江の紫香樂《しがらき》の宮に幸せられた。帝都の位置の安定しなかつた頃、ひとり平城の舊宅にいたのである。

　

3916　橘の　にほへる香かも、

　ほととぎす　鳴く夜の雨に

　うつろひぬらむ。

　

　橘乃《タチバナノ》　尓保敝流香可聞《ニホヘルカカモ》

　保登等藝須《ホトトギス》　奈久欲乃雨尓《ナクヨノアメニ》

　宇都路比奴良牟《ウツロヒヌラム》

　

【譯】橘の花の咲いている香が、ホトトギスの鳴く夜の雨に消え失せたであろうか。

【釋】尓保敝流香可聞　ニホヘルカカモ。ニホヘルは、咲いている。カモは、疑問の係助詞。五句に至つてこれを結ぶ。

【評語】ホトトギスの鳴く夜の雨に、橘の花の香が失せるだろうかと案じている。橘の花の香を、正面から扱つた作として注意される。

　

(371)3917　ほととぎす　夜音《よごゑ》なつかし。

　網《あみ》ささば、

　花は過ぐとも　離《か》れずか鳴かむ。

　

　保登等藝須《ホトトギス》　夜音奈都可思《ヨゴヱナツカシ》

　安美指者《アミササバ》

　花者須具登毛《ハナハスグトモ》　可禮受加奈可牟《カレズカナカム》

　

【譯】ホトトギスの夜の聲がなつかしい。網をかけたら、花は散つてもやまずに鳴くだろうか。

【釋】安美指者　アミササバ。網を張ることをアミサスという。「安美佐之弖《アミサシテ》　安我麻都多可乎《アガマツタカヲ》」（卷十七、四〇一三）。

【評語】網を張つて鳥の飛んで行かないようにしたらという、幼稚な考えが歌われている。二句に夜音を歌いながら、四五句に、橘の花について歌つているのは、矛盾感があつておちつかない。

　

3918　橘の　にほへる苑に、

　ほととぎす　鳴くと人告ぐ。

　網ささましを。

　

　橘乃《タチバナノ》　尓保敝流苑尓《ニホヘルソノニ》

　保登等藝須《ホトトギス》　鳴等比登都具《ナクトヒトツグ》

　安美佐散麻之乎《アミササマシヲ》

　

【譯】橘の花の咲いている園に、ホトトギスが鳴くと人が語つた。網をかけたろうものを。

【評語】前の歌と同樣の内容を歌つている。人告グというのは、聞きたいと思う心をあらわしてはいるが、間接的である。五句は、網を張り得ないことを惜しんでいる。

　

3919　あをによし　奈良の都は

　古《ふ》りぬれど、

(372)　もとほととぎす　鳴かずあらくに。

　

　青丹余之《アヲニヨシ》　奈良能美夜古波《ナラノミヤコハ》

　布里奴禮登《フリヌレド》

　毛等保登等藝須《モトホトトギナ》　不v鳴安良久尓《カズアラクニ》

　

【譯】美しい奈良の都は古くなつたけれども、昔からのホトトギスは、鳴かないことだ。

【釋】毛等保登等藝須　モトホトトギス。前からのホトトギス。

　不鳴安良久尓　ナカズアラクニ。鳴かずあることだ。ナカズアラナクニの誤りとする説（代初）などが行われているが、それは誤りである。

【評語】都が舊都となつたのだから、それにふさわしい古いホトトギスなども鳴くべきだが鳴かないという歌である。モトホトトギスなど、情趣のある語で、そういう所で持つている歌である。

　

3920　うづら鳴き　古《ふる》しと人は

　念へれど、

　花橘の　にほふこの屋戸。

　

　鶉鳴《ウヅラナキ》　布流之登比等波《フルシトヒトハ》

　於毛敝禮騰《オモヘレド》

　花橘乃《ハナタチバナノ》　尓保敷許乃屋度《ニホフコノヤド》

　

【譯】ウズラが鳴き古いと人は思つているが、橘の花の咲いているこの屋戸だ。

【釋】鶉鳴　ウヅラナキ。ウズラは、人氣のすくない處に鳴くものであるから、しばしば荒れた家の説明に使われている。ここもこの句で、荒れたことを説明している。「鶉鳴《ウヅラナク》　人之古家爾《ヒトノフルヘニ》」（卷十一、二七九九）。

【評語】ウズラと花橘とによつて、舊都の風趣を描いている。この屋戸は、作者の宅をいうのだろうが、四五句の描寫は、さすがに美しい。

　

3921　かきつばた　衣《きぬ》に摺りつけ

(373)　丈夫《ますらを》の　きそひ獵《がり》する

　月は來にけり。

　

　加吉都播多《カキツバタ》　衣尓須里都氣《キヌニスリツケ》

　麻須良雄乃《マスラヲノ》　服曾比?須流《キソヒガリスル》

　月者伎尓家里《ツキハキニケリ》

　

【譯】カキツバタの花を著物に摺りつけて、男兒の、著飾つて狩をする月は來たことだ。

【釋】加吉都播多衣尓須里都氣　カキツバタキヌニスリツケ。カキツバタの花を染料として、衣服に摺りつける。その摺り衣を著るので、下のキソヒ獵スルの準備になつている。

　服曾比?須流　キソヒガリスル。キソヒは、著襲ヒで、普通の衣服の上に、更に衣服を重ね著る。その用に美しい摺り衣を使用する。キソヒガリは、著飾つてする狩獵で、四月五月に行われる藥獵をいう。この獵は、藥用にするために、鹿を獵して、その鹿茸《ろくじよう》（まだ皮の上に突出しない角）を採る。

　月者伎尓家里　ツキハキニケリ。藥獵は、正式には、五月五日に行われるが、その前後にも行われる。「四月與《ウヅキト》　五月間《サツキノホドニ》　藥獵《クスリガリ》　仕流時爾《ツカフルトキニ》」（卷十六、三八八五）とあつて、四月五月に行われたことが知られる。

【評語】藥獵は狩獵ではあるが、一種の行樂でもあつて、著飾つてこれを行つたのである。藥獵の月の來たのを喜んだ歌で、狩獵の美化されている點が注意される。

　

右、大伴宿祢家持作

　

十八年正月、白雪多零、積v地數寸也。於v時左大臣橘卿、率2大納言藤原豐成朝臣及諸王臣等1、參2入太上天皇御在所1、【中宮西院】供2奉掃雪1。於v是降v詔、大臣參議并諸王者、令v侍2于大殿上1、諸卿大夫者、令v侍2于南細殿1、(374)而則賜v酒肆宴。勅曰、汝諸王卿等、聊賦2此雪1、各奏2其歌1。

　

十八年正月、白雪｜多《さは》に零《ふ》りて地《つち》に積むこと數寸なり。時に左の大臣橘の卿、大納言藤原の豐成の朝臣及び諸王臣等を率《ゐ》で、太上天皇の御在所【中宮の西院】に參入《まゐ》りて、掃雪に供《つか》へまつりき。ここに詔を降して、大臣參議并はせて諸王は、大殿の上に侍《さもら》はしめ、諸卿大夫は南の細殿に侍はしめて、酒を賜ひて肆宴《とよのあかり》きこしめしき。詔したまはく、汝諸王卿等、いささかこの雪を賦《よ》みておのもおのもその歌を奏《まを》せといふ。

　

【釋】橘卿　タチバナノマヘツギミ。橘の諸兄。これは主格で、諸兄が、豐成以下を引率しての意になる。

　大納言藤原豐成朝臣　オホキモノマヲシノツカサフヂハラノトヨナリノアソミ。豐成は、武智麻呂の第一子、天平十三年五月、從三位、十五年五月、中納言、二十年三月、從二位大納言、天平感寶元年に右大臣に至り、天平神護元年十一月薨じた。本集に歌は無い。この天平十八年正月は、中納言の時代である。また本集では大納言以上には名を書かない例であるのに、豐成朝臣とあるのは、例に違つている。よつてもと中納言とあつたのを、後に大納言であつた時代になつて大に改めたのだろうという。

　太上天皇　オホキスメラミコト。元正天皇。

　中宮西院　ナカノミヤノニシドノ。中宮は、ここでは宮殿の稱と見るべきである。その西部の建物。

　南細殿　ミナミノホソドノ。中宮西院の南の廊。倭名類聚鈔に「唐韵（ニ）云（フ）、廊保曾度能《ホソドノ》殿下（ノ）外屋也。」

　

左大臣橘宿称、應v詔歌一首

　

3922　降る雪の　白髪《しろかみ》までに

(375)　大皇《おほきみ》に　仕へまつれば、

　貴くもあるか。

　

　布流由吉乃《フルユキノ》　之路髪麻泥尓《シロカミマデニ》

　大皇尓《オホキミニ》　都可倍麻都禮婆《ツカヘマツレバ》

　貴久母安流香《タフトクモアルカ》

　

【譯】降る雪のように、白髪になるまでに、天皇に仕え申せば、貴くもあることですなあ。

【釋】布流由吉乃　フルユキノ。枕詞。譬喩によつて、白に冠している。實景によつてこの枕詞を成している。

　貴久母安流香　タフトクモアルカ。タフトクは、恩寵の大きくあるさまを形容している。忝くあることかなの意。

【評語】橘の諸兄は、天平寶字元年正月に年七十四で薨じているから、この時に年六十三歳である。既に老境というべく、それで臣下の首席でもあつたので、この詠をなした。全體としてはもつと老體であるような感じであるのは、表現に成功したことを證するとも見られようか。初句の枕詞は、適切であるが、雪を主とした歌にはなつていない。

　

紀朝臣清人、應v詔歌一首

　

【釋】紀朝臣清人　キノアソミキヨヒト。和銅七年二月、從六位の上で、三宅の臣藤麻呂と共に國史を撰せしめられ、養老五年正月、從五位の下、山上の憶良等と共に、退朝の後に、東宮に侍せしめられ、天平十三年七月、從五位の上で、治部の大輔兼文章の博士となり、天平勝寶五年七月、從四位の下をもつて卒している。學者で文章家であつて、當時既に老年に達していたであろう。

　

3923　天《あめ》の下　すでに覆《おほ》ひて

(376)　降る雪の　光を見れば、

　貴くもあるか。

　

　天下《アメノシタ》　須泥尓於保比?《スデニオホヒテ》

　布流雪乃《フルユキノ》　比加里乎見禮婆《ヒカリヲミレバ》

　多敷刀久母安流香《タフトクモアルカ》

　

【譯】天の下をすつかり覆つて降る雪の光を見ると、貴いことですなあ。

【釋】須泥尓於保比?　スデニオホヒテ。スデニは、全然、すべての意に使つている。日本書紀繼體天皇の二十三年三月の條に「因v茲《コレニヨリテ》、濕v所v賚《モタルトコロヲウルホシ》、全壞無v色《スデニソコナヒテミニクシ》」の全にスデニと訓しているのは、この用法である。

【評語】天下を蔽うて降る雪の光を讃美している。正面から雪の光を稱えた歌として、大きな風格を示している。

　

紀朝臣男梶、應v詔歌一首

　

【釋】紀朝臣男梶　キノアソミヲカヂ。天平十五年五月、正六位の下から外の從五位の下になり、以下諸官に歴任して、天平寶字四年正月に和泉の守となつたことまで傳わつている。この歌を詠んだ頃は從五位の下であつた。

　

3924　山の峽《かひ》　其處《そこ》とも見えず。

　一昨日も　昨日も今日も

　雪の降れれば。

　

　山乃可比《ヤマノカヒ》　曾許登母見延受《ソコトモミエズ》

　乎登都日毛《ヲトツヒモ》　昨日毛今日毛《キノフモケフモ》

　由吉能布禮々婆《ユキノフレレバ》

　

【譯】山の峽は、それとも見えない。一昨日も昨日も今日も雪が降つているので。

【釋】山乃可比　ヤマノカヒ。山と山とのあいだ。峽谷。

(377)【評語】連日雪が降つているので、谷も埋もれてそれと見えないというので、山を遠望している。一昨日モ昨日モ今日モと、重ねていうのは、型になつている。「前日毛《ヲトツヒモ》　昨日毛今日毛《キノフモケフモ》　雖v見《ミツレドモ》」（卷六、一〇一四）。

　

葛井連諸會、應v詔歌一首

　

【釋】葛井連諸會　フヂヰノムラジモロアヒ。天平七年九月に右の大史正六位の下であつた。その後、十九年四月に相摸の守となり、天平寶字元年五月に從五位の下になつた。經國集にこの人の對策文を載せている。

　

3925　新《あらた》しき　年のはじめに、

　豐《とよ》の年　しるすとならし。

　雪の降れるは。

　

　新《アラタシキ》　年乃婆自米尓《トシノハジメニ》

　豐乃登之《トヨノトシ》　思流須登奈良思《シルストナラシ》

　雪能敷禮流波《ユキノフレルハ》

　

【譯】新しい年の初めに、豐年を證明するとであるらしい。雪の降つているのは。

【釋】豐乃登之　トヨノトシ。トヨは、ゆたかであること。穀物の豐富にあることを示すのが、この語の本義であろう。トシは、穀物のみのり。

　思流須登奈良思　シルストナラシ。シルスは、あらわす意。瑞兆をあらわすのである。句切。

【評語】雪をもつて豐年の兆としたことは、文選謝靈運の雪賦に「盈（テハ）v尺（ニ）則｜呈《アラハス》2瑞（ヲ）於豐年（ニ）1」とあつて、大陸思想を受けている。この歌は、その思想を歌つているだけで、説明的な表現である。

　

大伴宿祢家持、應v詔歌一首

　

3926　大宮の　内にも外《と》にも、

(378)　光《ひか》るまで　零《ふ》らす白雪、

　　見れど飽かぬかも。

　

　大宮能《オホミヤノ》　宇知尓毛刀尓毛《ウチニモトニモ》

　比賀流麻泥《ヒカルマデ》　零須白雪《フラスシラユキ》

　見禮杼安可奴香聞《ミレドアカヌカモ》

　

【譯】大宮の内にも外にも、光るまでに降つた白雪は、見ても飽きないことですなあ。

【釋】零須白雪　フラスシラユキ。零須は、フラスと讀むほかはあるまいが、フラスは、語法からいえば、敬語であるが、敬意を感じないで慣用している言い方である。但し類聚古集には、須を流に作つている。それによればフレルで、或るいはそうであつたかも知れない。

【評語】雪の説明に特色がある。ただ光ルマデの句が、大宮ノ内ニモ外ニモを、もつと密接に説明していた方がよかつた。末句は類型的で、新味を缺いている。

　

藤原豐成朝臣　巨勢奈弖麻呂朝臣

大伴牛養宿祢　藤原仲麻呂朝臣

三原王　　　　智奴王

船王　　　　　邑知王

小田王　　　　林王

穗積朝臣老　　小田朝臣諸人

小野朝臣鋼手　高橋朝臣國足

太朝臣�ｺ太理　高丘連河内

秦忌寸朝元　　楢原造東人

　

(379)【釋】巨勢奈弖麻呂朝臣　コセノナテマロノアソミ。大海の孫、比登《ひと》の子、從二位大納言に至り、天平勝寶五年三月薨じた。

　大伴牛養宿祢　オホトモノウシカヒノスクネ。咋子《くいこ》の孫、吹負《ふけひ》の子。正三位中納言に至り、天平勝寶元年閏五月薨じた。

　藤原仲麻呂朝臣　フヂハラノナカマロノアソミ。不比等の孫、武智麻呂《むちまろ》の第二子。天平寶字二年八月、勅によつて、藤原の惠美朝臣押勝と稱し、正一位大師に至つたが、天平寶字八年九月、謀反のこと顯われて、近江に走つて斬られた。本集作者。

　三原王　ミハラノオホキミ。舍人の皇子の子。天平勝寶四年七月薨じた。本集作者。卷の八、一五四三參照。

　智奴王　チヌノオホキミ。長の皇子の子。天平勝寶四年八月、文室の眞人智努と稱した。從二位に至り、寶龜元年十月薨じた。木集作者。

　船王　フネノオホキミ。舍人の皇子の子。後、親王となり、二品兵部の卿に至つたが、天平寶字八年十月、惠美の押勝の變に座して隱岐の國に流された。本集作者。卷の六、九九八參照。

　邑知王　オホチノオホキミ。長の皇子の第七子。後、文室の眞人｜大市《おおち》と稱し、正二位中務の卿に至り、寶龜十一年十一月、七十七歳をもつて薨じた。

　小田王　ヲダノオホキミ。系統未詳。天平勝寶元年十一月、從五位の上から正五位の下になつた。

　林王　ハヤシノオホキミ。三島の王の子。天平寶字六年正月、從四位の下をもつて木工《もく》の頭となつている。寶龜二年九月、山邊の眞人の姓を賜わつた。

　穗積朝臣老　ホヅミノアソミオユ。本集作者。卷の三、二八八參照。

　小田朝臣諸人　ヲダノアソミモロヒト。代匠記初稿本に、小田を小治田の誤りとしている。小治田の諸人は、(380)天平勝寶六年正月、從五位の上になつている。

　小野朝臣綱手　ヲノノアソミツナデ。天平十八年四月上野の守從五位の下になつている。

　高橋朝臣國足　タカハシノアソミクニタリ。天平十八年四月、從五位の下、閏九月、越後の守となつている。

　太朝臣�ｺ太理　オホノアソミトコタリ。天平十八年四月、從五位の下になつている。

　高丘連河内　タカヲカノムラジカフチ。本集作者。卷の六、一〇三八參照。

　秦忌寸朝元　ハダノイミキテウグワニ。辨正法師の子、唐で生まれた。天平七年四月、外の從五位の上、九年十二月圖書の頭、十八年三月、主計の頭となつている。

　楢原造東人　ナラハラノミヤツコアヅマビト。天平十年四月のものと推定される上階官人歴名（大日本古文書二十四ノ七四）には、近江の大椽とあり、その後天平十九年三月、駿河の守となり、天平勝寶二年三月、駿河の國廬原の郡｜多胡《たご》の浦の濱で黄金を獲つて獻つたので、勤臣の姓を賜わつた。天平寶字元年五月、正五位の下になつている。

　

右件王卿等、應v詔作v歌、依v次奏之。登時不v記、其歌漏失。但秦忌寸朝元者、左大臣橘卿謔云、靡v堪v賦v歌、以v麝贖之。因v此黙已也。

　

右の件の王卿等、詔に應《こた》へて歌を作り次《つぎて》によりて奏《まを》しき。その時《とき》記さず、その歌漏失せり。但《ただ》し秦の忌寸朝元は、右の大臣橘の卿|謔《たはふ》れて云はく、歌を賦《よ》むに堪《あ》へずは麝《ざ》を以ちて贖《あが》へといふ。これに因りて黙已《もだ》をりき。

　

【譯】靡堪賦歌以麝贖之　ウタヲヨムニアヘズハ、ザヲモチテアガヘトイフ。歌をよむことができないなら、麝香を出して賠償とせよと云つた。秦の朝元は、唐の生まれなので、歌が詠めなかつたと見える。また天平年(381)中に、遣唐の判官として渡海したので麝香を入手して來たのであろう。

　

大伴宿祢家持、以2閏七月1、被v任2越中國守1、即取2七月1赴2任所1。於v時姑大伴氏坂上郎女、贈2家持1歌二首。

　

大伴の宿禰家持、閏七月をもちて越中の國の守に任《ま》けらえ、すなはち七月を取りて任所に赴く。時に姑《をば》大伴氏の坂上の郎女の、家持に贈れる歌二首。

　

【釋】以閏七月　ノチノフミヅキヲモチテ。閏七月に越中の守となり、七月に任所に赴いたとあるのは、理に合わない。閏月は、普通の月の後に來るのだからである。また天平十八年には、閏は七月になく、九月にあつた。續日本紀によれば、この年六月二十一日、大伴の家持を越中の守とすとある。よつて閏七月とあるのは、六月の誤りとすべきである。

　姑大伴氏坂上郎女　ヲバオホトモウヂノサカノウヘノイラツメ。姑は、父の姉妹をいう。家持の父旅人の妹であるから、姑という。

　

3927　草枕　旅ゆく君を、

　幸《さき》くあれと　齋戸《いはひべ》すゑつ。

　吾《あ》が床《とこ》の邊《べ》に。

　

　久佐麻久良《クサマクラ》　多妣由久吉美乎《タビユクキミヲ》

　佐伎久安禮等《サキクアレト》　伊波比倍須惠都《イハヒベスヱツ》

　安我登許能敝尓《アガトコノベニ》

　

【譯】草の枕の旅を行くあなたを、無事にあるようにと、齋戸をすえました。わたくしの床のほとりに。

【釋】伊波比倍須惠都　イハヒベスヱツ。イハヒベは、齋壇をいう。「齋戸乎《イハヒベヲ》　忌穿居《イハヒホリスヱ》」（卷三、三七九）參照。ここはその假字書きの例の初出である。句切。

(382)　安我登許能敝尓　アガトコノベニ。作者自身の床のほとりにで、齋戸を据えた場處を指示している。「伊波比倍乎《イハヒベヲ》　等許敝爾須惠弖《トコベニスヱテ》」（卷二十、四三三一）。

【評語】甥のために、齋戸を据えて、その旅行の無事を祈つている。當時の信仰の窺われる作である。歌は、説明的で、格別の敍述はない。

　

3928　今のごと　戀《こひ》しく君が

　思ほえば、

　いかにかもせむ。

　するすべのなさ。

　

　伊麻能其等《イマノゴト》　古非之久伎美我《コヒシクキミガ》

　於毛保要婆《オモホエバ》

　伊可尓加母世牟《イカニカモセム》

　須流須邊乃奈左《スルスベノナサ》

　

【譯】今のように戀しくあなたが思われるなら、どのようにしましよう。すべき法も無いことです。

【釋】於毛保要婆　オモホエバ。動詞思ホユの未然條件法、その假宇書きの初出である。思われるならば。

【評語】落ちついた調子で、何ともしかたのない心を歌つている。何物をも使わないで、あるがままに敍している。以上の二首は、出發に臨んで贈つたのである。

　

更贈2越中國1歌二首

　

更に越中の國に贈れる歌二首。

　

【釋】更贈越中國歌　サラニコシノミチノナカノクニニオクレルウタ。家持が越中の國に下つてから坂上の郎女の贈つた歌である。

　

(383)3929　旅にいにし　君しも繼ぎて

　夢《いめ》に見ゆ。

　あが片戀の　繁ければかも。

　

　多妣尓伊仁思《タビニイニシ》　吉美志毛都藝?《キミシモツギテ》

　伊米尓美由《イメニミユ》

　安我加多孤悲乃《アガカタコヒノ》　思氣家禮婆可聞《シゲケレバカモ》

　

【譯】旅に去つたあなたが續いて夢に見えます。わたくしの片戀が繁くあるからでしようか。

【釋】思氣家禮婆可聞　シゲケレバカモ。下に、アラムのような語が省略されている語法。

【評語】家持を戀しく思つている心が窺われる。片戀のような語が、平氣で使われているのが、今日から見れば異樣に感じられるが、當時としては、普通であつたのだろう。

　

3930　道の中《なか》　國つ御《み》神は、

　旅｜行《ゆ》きも　爲知《しし》らぬ君を

　惠みたまはな。

　

　美知乃奈加《ミチノナカ》　久尓都美可未波《クニツミカミハ》

　多妣由伎母《タビユキモ》　之思良奴伎美乎《シシラヌキミヲ》

　米具美多麻波奈《メグミタマハナ》

　

【譯】越中の國の神樣は、旅行をしたこともないあなたをお惠みください。

【釋】美知乃奈加　ミチノナカ。越中は、越の道の中なのでかくいう。

　久尓都美可未波　クニツミカミハ。クニツミカミは、國ツ御神で、國土の神靈をいう。「樂浪乃《ササナミノ》　國都美神乃《クニツミカミノ》」（卷一、三三）。

　之思良奴使美乎　シシラヌキミヲ。シシラヌは、爲《し》知ラヌで、なすことを知らない。旅行の經驗のない。キミは家持。

　米具美多麻波奈　メグミタマハナ。願望の助詞ナは、普通に自己の動作につけるが、動詞タマフに限つては、(384)他の動作であつてもつけることができる。「和多志多麻波奈《ワタシタマハナ》　須久比多麻波奈《スクヒタマハナ》」（佛足跡歌碑）。

【評語】國士の神靈に、家持の無事を祈つている。家持に贈つた形になつていて、言葉は、神に對して言つている。旅行キモ爲知ラヌ君というので、その人の上を案じている氣もちが窺われる。

　

平群氏女郎、贈2越中守大伴宿祢家持1歌十二首

　

平群《へぐり》氏の女郎の、越中の守大伴の宿禰家持に贈れる歌十二首。

　

【釋】平群氏女郎　ヘグリウヂノヲミナ。傳未詳。歌詞によるに、家持と關係のあつた人のようである。

　

3931　君により

　わが名はすでに　立田山、

　絶えたる戀の　しげき頃かも。

　

　吉美尓餘里《キミニヨリ》

　吾名波須泥尓《ワガナハスデニ》　多都多山《タツタヤマ》

　絶多流孤悲乃《タエタルコヒノ》　之氣吉許呂可母《シゲキコロカモ》

　

【譯】あなたゆえにわたくしの名は、もはや立田山です。絶えた戀の繁くあるこの頃は。

【釋】多都多山　タツタヤマ。山の名に、名の立ツを懸けている。通例は、この下に、山に縁のあることをいうのであるが、この歌では、それがない。立ツという語の勢いに任かせて、立田山と言つたまでである。このような表現は、たとえば「眞野の浦の淀《よど》の繼《つぎ》橋、心ゆも思へや君が、夢にし見ゆる」（卷四、四九〇）の歌において、繼橋をもつて、つぎての意をあらわしているようなもので、譬喩として、ある詞句をあらわす形になる。句切。

【評語】立田山は、ただ立つという縁で引き出されており、作者たちに何の縁故もない。そうしてそれが序にもならずに、言い放したままになつている。三句までの調子はよいが、それだけで、内容は全く浮いたものに(385)なつてしまつた。四五句は、一度絶えた戀の復活を歌つている。

　

3932　須磨人《すまひと》の

　海｜邊《べ》常去らず　燒く鹽の、

　からき戀をも　吾《あれ》はするかも。

　

　須麻比等乃《スマヒトノ》

　海邊都祢佐良受《ウミベツネサラズ》　夜久之保能《ヤクシホノ》

　可良吉戀乎母《カラキコヒヲモ》　安禮波須流香物《アレハスルカモ》

　

【譯】須磨の人が海邊を常に離れないで燒く鹽のように、からい戀をもわたくしはすることですよ。

【釋】須麻比等乃海邊都祢佐良受夜久之保能　スマヒトノウミベツネサラズヤクシホノ。以上三句、序詞。鹽のからいことから、カラキを引き起している。

　可良吉戀乎母　カラキコヒヲモ。カラキは、苦しい、つらい。

【評語】四五句は、慣用句で、いつも鹽から續いている（卷十一、二七四二。卷十五、三六五二）。その鹽の説明に特殊性があるはずだが、この歌のはそれも平凡である。須磨の地名もこの歌に關係のない地である。

　

3933　ありさりて　後も逢はむと

　念へこそ、

　露の命も　繼《つ》ぎつつ渡れ。

　

　阿里佐利底《アリサリテ》　能知毛相牟等《ノチモアハムト》

　於母倍許曾《オモヘコソ》

　都由能伊乃知母《ツユノイノチモ》　都藝都追和多禮《ツギツツワタレ》

　

【譯】かようにして行つて、將來も逢おうと思いますればこそ、露のような命も續いて過ごしています。

【釋】阿里佐利底　アリサリテ。かくの如くにありて過ごして行つて。「有去而《アリサリテ》　不v有v今友《イマナラズトモ》　君之隨意《キミガマニマニ》」（卷四、七九〇）。

　於母倍許曾　オモヘコソ。已然條件法。

(386)　都由能伊乃知母　ツユノイノチモ。露ノは、譬喩で、露のような消えやすい命も。漢語の露命を譯しているのだろう。

【評語】類想の多い歌である。露のように消えやすい命と言つていたのを、つめて、露ノ命と言つているのは、後世ふうな表現である。

　

3934　なかなかに　死なば安けむ。

　君が目を　見ず久ならば、

　術《すべ》なかるべし。

　

　奈加奈加尓《ナカナカニ》　之奈婆夜須家牟《シナバヤスケム》

　伎美我目乎《キミガメヲ》　美受比佐奈良婆《ミズヒサナラバ》

　須敝奈可流倍思《スベナカルベシ》

　

【譯】かえつて死んだ方が樂でしよう。あなたのお顔を見ないで久しくなつたら、いたし方がないでしよう。

【評語】死んだ方がましだという内容の歌は多く、強いはずの句でありながら、慣用されては、烈しさが感じがたくなつている。三句以下も平凡である。

　

3935　隱沼《こもりぬ》の　下ゆ戀ひあまり、

　白波の　いちしろく出でぬ。

　人の知るべく。

　

　許母利奴能《コモリヌノ》　之多由孤悲安麻里《シタユコヒアマリ》

　志良奈美能《シラナミノ》　伊知之路久伊泥奴《イチシロクイデヌ》

　比登乃師流倍久《ヒトノシルベク》

　

【譯】出口のない沼のように、下を通つて戀い餘つて、白波のようにはつきりとあらわれました。人の知るまでに。

【釋】許母利奴能　コモリヌノ。枕詞。水の出口のない沼で、水が下を通るというので、下ユに冠している。

　之多由孤悲安麻里　シタユコヒアマリ。戀の思いが、心中でされ、それが餘つて。水の縁で言つている。

(387)　志良奈美能　シラナミノ。枕詞。譬喩によつて、イチシロク出デヌに冠している。

【評語】卷の十二に全く同じ歌があり、それを使つたものと見られる。

【參考】重出。

　隱沼乃《コモリヌノ》　下從戀餘《シタユコヒアマリ》　白浪之《シラナミノ》　灼然出《イチシロクイデヌ》　入之可v知《ヒトノシルベク》（卷十二、三〇二三）

　

3936　草枕　旅にしばしば

　かくのみや　君を遣《や》りつつ、

　吾《あ》が戀ひをらむ。

　

　久佐麻久良《クサマクラ》　多妣尓之婆々々《タビニシバシバ》

　可久能未也《カクノミヤ》　伎美乎夜利都追《キミヲヤリツツ》

　安我孤悲乎良牟《アガコヒヲラム》

　

【譯】草の枕の旅に、たびたびあなたを遣つて、かようにばかりにか、わたくしが戀していることでしよう。

【釋】多妣尓之婆々々　タビニシバシバ。旅ニシバシバ君ヲヤリツツと續く語法である。

【評語】句の倒置は、音數にあてはめるために生じたもので、特にその效果を示さない。旅ニシバシバとは、家持が久邇の京や難波などの旅にたびたび出たことを思つている。

　

3937　草枕　旅｜去《い》にし君が、

　歸りこむ　月日を知らむ、

　すべの知らなく。

　

　草枕《クサマクラ》　多妣伊尓之伎美我《タビイニシキミガ》

　可敝里許牟《カヘリコム》　月日乎之良牟《ツキヒヲシラム》

　須邊能思良難久《スベノシラナク》

　

【譯】草の枕の旅に行つたあなたの、歸つて來るでしよう月日を知る方法を知らないことです。

【評語】四五句に、シラの音が重なつているのは、巧んだのではないだろう。すなおに詠まれているが、平凡を免れない。

　

(388)3938　かくのみや　吾《あ》が戀ひをらむ。

　ぬばたまの　夜《よる》の紐だに

　解き放《さ》けずして。

　

　可久能未也《カクノミヤ》　安我故非乎浪牟《アガコヒヲラム》

　奴婆多麻能《ヌバタマノ》　欲流乃比毛太尓《ヨルノヒモダニ》

　登吉佐氣受之?《トキサケズシテ》

　

【譯】このようにばかり、わたくしが戀していることでしようか。くらい夜の著物の紐だけも解き放たないで。

【釋】欲流乃比毛太尓　ヨルノヒモダニ。夜の衣服の紐だけでもで、それを解き放さないというのは、安らかにうち解けて寐ない意である。

【評語】初二句は慣用句である。夜ノ紐ダニ解キ放ケズの説明に、ひとり空閨を守る心があらわれている。

　

3939　里近く　君が成りなば

　戀ひめやと

　もとな念ひし　吾《あれ》ぞ悔しき。

　

　佐刀知加久《サトチカク》　伎美我奈里那婆《キミガナリナバ》

　古非米也等《コヒメヤト》

　母登奈於毛比此《モトナオモヒシ》　安連曾久夜思伎《アレゾクヤシキ》

　

【譯】わたくしの里近く、あなたがおいでになつたなら、戀いましようやと、せつに思つていましたわたくしはくやしいことです。

【釋】伎美我奈里那婆　キミガナリナバ。君がわが住む里近くなりなば。

【評語】久邇の京や難波の京あたりから、奈良に歸つて來たら戀することもなかろうと思つていたのに、また越中に赴くことになつたのを悲しんでいる。自分を見つめている所のあるのがよい。

　

3940　萬代《よろづよ》と　心は解けて、

(389)　わが夫子が　つみし手見つつ

　忍《しの》びかねつも。

　

　餘呂豆代等《ヨロヅヨト》　許己呂波刀氣?《ココロハトケテ》

　和我世古我《ワガセコガ》　都美之手見都追《ツミシテミツツ》

　志乃備加祢都母《シノビカネツモ》

　

【譯】何時までもと、心はうち解けて、あなたのつねつた手を見ながら、思いに堪えかねました。

【釋】餘呂豆代等許己呂波刀氣?　ヨロヅヨトココロハトケテ。トケテは、心がうち解けて。この二句は、三句以下の内容を修飾する。はじめに反抗を示してツミシ手の結果となり、結局それが解消したことを語るのだろう。

　都美之手見都追　ツミシテミツツ。ツミシテは、抓ミシ手とする説が有力である。本集には珍しいきわどい句なので、疑問もあるが、これに代わるべき案もない。但しツミシ手といつても、取つた手という程度にも解せられる。書のことをテというが、それではツミシは積ミシの義として多く送つた意とすべきか。但し仙覺本には、都美之乎見都追とし、ツミシヲミツツと訓している。

　志乃備加祢都母　シノビカネツモ。シノビは、上二段活用の動詞忍ブの連用形で、備は、ビの乙類の音の字であるから、四段活用のシノフ（思ふ）とは別で、堪えしのぶ、心の中にこらえる意とされる。

【評語】四句を、抓ミシ手見ツツと解すれば、この作者には珍しい特殊な歌になる。ひとりこの作者のみならず、本集でも珍しく、平安時代の歌にもない。かつて逢つた日の追憶の歌も多いが、全く特殊の追憶になつている。しかしそれは小唄ふうの情趣であるが、紐を解くことをしばしば歌う萬葉集の風格からいえば、かようなきわどい内容の歌の出ることも、その性質の中に存するものといえよう。

　

3941　鷺の　鳴くくら谷に

(390)　うちはめて

　燒《や》けはしぬとも、

　君をし待たむ。

　

　?能《ウグヒスノ》　奈久々良多尓々《ナククラタニニ》

　宇知波米?《ウチハメテ》

　夜氣波之奴等母《ヤケハシヌトモ》

　伎美乎之麻多武《キミヲシマタム》

　

【譯】ウグイスの鳴く峽谷に身を投げて、燒けて死んでも、あなたをお待ちしましよう。

【釋】奈久々良多尓々　ナククラタニニ。クラは、谷間。崖になつている深い地形をいう。鎌倉、底倉、赤倉、蘆倉など、地名に殘るクラはこれで、小倉の山のクラも同じである。クラタニは、そういう深い溪谷をいう。

　宇知波米?　ウチハメテ。ウチは、接頭語。ハメは、その中に入れてで、他動詞である。投入して、投身して。

　夜氣波之奴等母　ヤケハシヌトモ。シヌは、爲ヌ、死ヌの兩解がある。「展傳《コイマロビ》　戀者死友《コヒハシヌトモ》」（卷十、二二七四）の如き例があるにより、今死ヌとする。

【評語】くら谷に投身して燒け死んでもというのは、火山の地獄などを想像しているであろう。作者は、多分實際にそれを見て知つているのでなく、人言に聞いて想像しているのだろう。當時佛教の地獄の説話なども既に行われており、それと火山の實地とが結合してこの歌となつたと思われる。それを鶯ノ鳴ククラ谷と説明しているのも、火山の實際を知らないことから出ているのだろう。火山の地獄谷などの景とすれば、これでもよい。變わつた材料を使つて、これによつて君を待つ心を強調した特殊の歌となつている。

　

3942　松の花、

　花數《はなかず》にしも

(391)　わが夫子が　思へらなくに、

　もとな咲きつつ。

　

　麻都能波奈《マツノハナ》

　花可受尓之毛《ハナカズニシモ》

　和我勢故我《ワガセコガ》　於母敝良奈久尓《オモヘラナクニ》　

　母登奈佐吉都追《モトナサキツツ》

　

【譯】松の花は、花の數とも、あなたが思つていないのに、よしなく咲いています。

【釋】麻都能波奈　マツノハナ。松は、顯花植物中、裸子類に屬し、その花は美しくなく目立たないので、特にこれを譬喩に使つて、作者自身を表現している。雌花雄花があるが、主として雄花を思つているのだろう。松の語には、待ツの氣もちが感じられているであろう。

【評語】松の花を譬喩に使つて歌つている。松の歌も多いが、特に松の花に著目したのが特色であり、その美しくなく目立たない性質を取りあげているのもよい。譬喩歌として成功した作である。

　

右件歌者、時々寄2便使1來贈。非v在2一度所1v送也。

　

右の件の歌は、時々に便使に寄せて來贈れり。一度に送れるにあらず。

　

【釋】時々寄便使來贈　トキドキニベニシニヨセテキオクレリ。時々のたよりの使につけて贈つたので、一時に贈つたものでないことを註している。ここに配列してある順序によるものとすれば、初めの方は類型的な歌が多く、終り三首に至つて特色ある歌を成して、その上達が目ざましい。將來ある作家というべきであつた。

　

八月七日夜、集2于守大伴宿祢家持館1宴歌

　

八月七日の夜、守大伴の宿禰家持の舘に集《つど》ひて宴する歌。

　

【釋】守大伴宿祢家持舘　カミオホトモノスクネヤカモチノヤカタ。國守の舘は、今の冨山縣高岡市伏木町の(392)背後の丘陵の上にあつたといわれている。射水川に臨んだ景勝の地である。

　

3943　秋の田の　穗向《ほむき》見がてり、

　わが夫子《せこ》が　ふさ手折りける

　をみなへしかも。

　

　秋田乃《アキノタノ》　穗牟伎見我?里《ホムキミガテリ》

　和我勢古我《ワガセコガ》　布左多乎里家流《フサタヲリケル》

　乎美奈敝之香物《ヲミナヘシカモ》

　

【譯】秋の田の稻穗のもようを見るかたわら、あなたがたくさん折つて來たオミナエシですね。

【釋】穗牟伎見我?里　ホムキミガテリ。ホムキは、積の向き方で、稻のみのりの樣子。ミガテリは、見るかたわら、見る一方に。作がらを視察に行つたのだろう。

　和我勢古我　ワガセコガ。ワガセコは、次の歌によれば、椽《じよう》の大伴の池主である。

　布左多乎里家流　フサタヲリケル。フサは、ふさふさと、たくさん。「射目立而《イメタテテ》　跡見乃岳邊之《トミノヲカベノ》　瞿麥花《ナデシコノハナ》　總手折《フサタヲリ》　吾者將去《ワレハモチユク》　寧樂人之爲《ナラビトノタメ》」（卷八、一五四九）。

【評語】大伴の池主の贈つたオミナエシを讃えている。イネの檢見とオミナエシとの季節の一致が取り扱われているだけで、特にオミナエシの特色が歌われていない。

　

右一首、守大伴宿祢家持作

　

3944　をみなへし　咲きたる野邊を

　行きめぐり、

　君を念《おも》ひ出

(393)　徘徊《たもとほ》り來ぬ。

　

　乎美奈敝之《ヲミナヘシ》　左伎多流野邊乎《サキタルノベヲ》

　由伎米具利《ユキメグリ》

　吉美乎念出《キミヲオモヒデ》

　多母登保里伎奴《タモトホリキヌ》

　

【譯】オミナエシの咲いている野邊を行きめぐつて、あなたを思い出して、廻つて來ました。

【釋】多母登保里伎奴　タモトホリキヌ。タモトホリは、迂廻する。花を贈るために廻つて來たのである。

【評語】君のためにオミナエシを折つて來たというだけの説明的な歌である。上三句に、多少秋の野を行く風情が描かれている。

　

3945　秋の夜は　曉《あかとき》さむし。

　白栲の　妹が衣手、

　著むよしもがも。

　

　安吉能欲波《アキノヨハ》　阿加登吉左牟之《アカトキサムシ》

　思路多倍乃《シロタヘノ》　妹之衣袖《イモガコロモデ》

　伎牟餘之母我毛《キムヨシモガモ》

　

【譯】秋の夜は明け方が寒い。白い織物の、妻の書物を著るすべがあるといいなあ。

【評語】秋の夜は遠く妻と別れているさびしさが歌われている。型にはまつた内容の歌である。

　

3946　ほととぎす　鳴きて過ぎにし

　岡傍《をかび》から、

　秋風吹きぬ。

　よしもあらなくに。

　

　保登等藝須《ホトトギス》　奈伎?須疑尓之《ナキテスギニシ》

　乎加備可良《ヲカビカラ》

　秋風吹奴《アキカゼフキヌ》

　余之母安良奈久尓《ヨシモアラナクニ》

　

【譯】　ホトトギスの鳴いて過ぎて行つた岡邊を通つて、秋風が吹いて來た。しかたのないことだ。

【釋】乎加備可良　ヲカビカラ。岡邊から。カラは、出發點につけて使われるが、大體ヨリと同じである。

(394)　余之母安良奈久尓　ヨシモアラナクニ。ヨシは、由縁、縁故。關係がないで、しかたがないの意になる。「布佐倍之爾《フサヘシニ》　由可牟登於毛倍騰《ユカムトオモヘド》　與之母佐禰奈之《ヨシモサネナシ》」（卷十八、四一三一）。

【評語】ホトトギスの鳴いて過ぎた、その同じ岡邊から秋風の吹いて來た感慨が歌われている。秋風に無限の旅愁が感じられている。五句は、説明に過ぎるが、困惑をあらわすには、これでよいのかも知れない。前の歌の五句、「著むよしもがも」を受けて、そのよしの無いことを歎いている。連作である。

　

右三首、椽大伴宿祢池主作

　

【釋】椽大伴宿祢池主　マツリゴトビトオホトモノスクネイケヌシ。椽は、越中の國の椽で、國司の第三番目の官である。池主は、既出（卷八、一五九〇）。家持より先に、この國に來ていた。家持と一族だろうが、關係は不明である。以下家持の越中の守時代に、池主との唱和が多い。

　

3947　今朝の朝｜明《け》　秋風寒し。

　遠つ人　雁《かり》が來鳴かむ

　時近みかも。

　

　家佐能安佐氣《ケサノアサケ》　秋風左牟之《アキカゼサムシ》

　登保都比等《トホツヒト》　加里我來鳴牟《カリガキナカム》

　等伎知可美香物《トキチカミカモ》

　

【譯】今朝の明け方に、秋風が寒い。遠方の人である雁が、來て鳴くべき時が近いからだろうか。

【釋】登保都比等　トホツヒト。枕詞。雁が遠くにいるというので、修飾している。鳥を人ということは、「本人《モトツヒト》　霍公鳥乎八《ホトトギスヲヤ》」（卷十、一九六二）などある。

【評語】秋風の寒い朝明に、雁のやがて訪れることを豫想した、すなおな形の歌で、さびしい感じがよく出ている。カリを遠ツ人と言つたのが、いかにもよく利いて、遠い空からおとずれ來る感じがあらわれている。

　

(395)3948　天《あま》ざかる　鄙《ひな》に月｜歴《へ》ぬ。

　しかれども、

　結《ゆ》ひてし紐を　解きもあけなくに。

　

　安麻射加流《アマザカル》　比奈尓月歴奴《ヒナニツキヘヌ》

　之可禮登毛《シカレドモ》

　由比?之紐乎《ユヒテシヒモヲ》　

　登伎毛安氣奈久尓《トキモアケナクニ》

　

【譯】天のように遠い地方に月を經た。しかしながら結んだ著物の紐を解きあけないことだ。

【釋】安麻射加流　アマザカル。枕詞。

　比奈尓月歴奴　ヒナニツキヘヌ。七月に來て八月になつたことをいう。句切。

　由比?之紐乎　ユヒテシヒモヲ。都で、妻と共に結んだ衣服の紐を。下衣の紐である。

【評語】家持は、妻の坂上の大孃を都へ殘して來たので、この作がある。シカレドモの句が、仰山な感じで、さびしい旅情を歌うにふさわしくない。

　

右二首、守大伴宿祢家持作

　

3949　天ざかる　鄙にあるわれを、

　うたがたも

　紐解き放《さ》けて　念ほすらめや。

　

　安麻射加流《アマザカル》　比奈尓安流和禮乎《ヒナニアルワレヲ》

　宇多我多毛《ウタガタモ》

　比母登吉佐氣?《ヒモトキサケテ》　於毛保須良米也《オモホスラメヤ》

　

【譯】天のように遠い地方にあるわたくしを、あなたは、恐らくはうち解けてお思いになつていないでしよう。

【釋】安麻射加流　アマザカル。枕詞。

　宇多我多毛　ウタガタモ。疑わしいことにの意の副詞。「歌方毛《ウタガタモ》　曰管毛有鹿《イヒツツモアルカ》」（卷十二、二八九六）參照。

(396)　比母登吉佐氣?　ヒモトキサケテ。衣服の紐を解き放して。身なりも亂れてで、うち解けての意になる。「紐解佐氣弖《ヒモトキサケテ》　多知婆志利勢武《タチバシリセム》」（卷五、八九六）。

　於毛保須良米也　オモホスラメヤ。家持が思つていないだろう。ラメは、推量の助動詞。ヤ、反語。

【評語】家持の天ザカル鄙ニ月經ヌの歌を受けて歌つている。家持は、その事に對して、地方に下つても謹嚴を持しているというのだが、それに對して、池主は、自分のようなものでは、紐を解き放す氣にもなれますまいと、ちよつと皮肉にいつている。心がうち解けてという心を、紐トキサケテと歌つたのが山である。

　

右一首、椽大伴宿祢池主

　

3950　家にして　結《ゆ》ひてし紐を

　解き放《さ》けず、

　念《おも》ふ心を　誰か知らむも。

　

　伊敝尓之底《イヘニシテ》　由比弖師比毛乎《ユヒテシヒモヲ》

　登吉佐氣受《トキサケズ》

　念意緒《オモフココロヲ》　多禮賀思良牟母《タレカシラムモ》

　

【譯】家にいて結んだ紐を解き放たないで思つている心を、誰が知つているだろうなあ。

【釋】多禮賀思良牟母　タレカシラムモ。誰カ知ラム。誰も知る人はないだろうの意。

【評語】池主の和した歌が、ちよつと意外だつたので、重ねて前の歌の結ヒテシ紐について歌つている。ひたすらに妻を思う心をあらわした歌である。これに對して池主の和歌はない。

　

右一首、守大伴宿祢家持

　

3951　ひぐらしの　鳴きぬる時は、

(397)　をみなへし　咲きたる野邊を

　行きつつ見べし。

　

　日晩之乃《ヒグラシノ》　奈吉奴流登吉波《ナキヌルトキハ》

　乎美奈敝之《ヲミナヘシ》　佐伎多流野邊乎《サキタルノベヲ》

　遊吉追都見倍之《ユキツツミベシ》

　

【譯】ヒグラシの鳴いた時には、オミナエシの咲いている野邊を行つて見るのがよい。

【釋】遊吉追都見倍之　ユキツツミベシ。ミベシは、見るべしに同じ。上一段活の動詞は、古くは連用形において、ラム、ベシに接續している。ミベシの假字書きの例はこれ一つである。他には「早來可v見《ハヤキテミベシ》　平城里人《ナラノサトビト》」（卷十、二二八七）がある。

【評語】　ヒグラシの聲のさびしい時には、オミナエシの花やかなのを見て慰めよというのである。席上のオミナエシに寄せた歌だが、情趣を得ている。

　

右一首、大目秦忌寸八千島

　

【釋】大目秦忌寸八千島　オホキフミヒトハダノイミキヤチシマ。大目は越中の國の第四番目の官。越中の國は、もと中國で、目は一人であつたはずだが、これによれば大目があつたのである。續日本紀、寶龜六年三月の條に「乙未、始（メテ）置（ク）2越中但馬因幡伯耆大少（ノ）目（ノ）員（ヲ）1」とあるが、それ以前の文獻になる。秦の八千島は、越中の國の大目であつた以外の事は不明。

　

古歌一首【大原高安眞人作】年月不v審、但隨2聞時1記2載茲1焉。

　

古歌一首【大原の高安の眞人の作れる】年月審ならず。但し聞く時のまにまにここに記し載す。

　

【釋】大原高安眞人作　オホハラノタカヤスノマヒトノツクレル。大原の高安は、もと高安の王といつた。卷(398)の四、五七七參照。天平十四年十二月に卒している。

　

3952　妹が家に　伊久里《いくり》のもりの

　ふぢの花、

　今來む春も　常かくし見む。

　

　伊毛我伊敝尓《イモガイヘニ》　伊久里能母里乃《イクリノモリノ》

　藤花《フヂノハナ》

　伊麻許牟春母《イマコムハルモ》　都祢加久之見牟《ツネカクシミム》

　

【譯】妻の家に行くという、その伊久里のもりの藤の花は、今來る春も、いつもかように見よう。

【釋】伊毛我伊敝尓　イモガイヘニ。枕詞。妹が家に行くというので、イクの音に冠している。

　伊久里能母里乃　イクリノモリノ。モリは、神社。イクリノモリの所在については、大和、越後、越中の三説がある。大和説は、代匠記精撰本に「或者ノ語リシハ、南京ニ十町許隔テヽイグリト云神ノ社有ト申キ。若彼處ニヤ。クモジモ濁テ申ツレド、サル事ハ例アリ」としている。越後説は、考などの説く所であるが、地理上懸け離れており、その地であるとは考えられない。越中説は、富田景｜周《ちか》の「楢葉越枝折《ならのはこしのしおり》」に、礪波《となみ》郡｜般若《はんにや》郷に井栗谷村あり、その地の森であろうとし、森田柿園の「萬葉事實餘情」に、これを數衍して、東大寺所藏の天平神護三年五月七日の越中の國の解に「越中國礪波郡石栗庄地壹伯壹拾貳町」、東大寺要録卷の六所載の長�ｺ四年の注文定に「越中國礪波郡石栗庄田百廿町」とあるを擧げて、その地の井栗谷村であることを説いている。大原の高安が越中の國に下つたことは、文献の證すべきものがないが、越中の國で誦せられた歌であるだけに、越中説は有力である。

【評語】伊久里ノモリを通過して詠んだ歌で、妹ガ家ニの枕詞は、歌の内容には、關係はないのだろうが、藤の花に對しては、なつかしみのあるふさわしい句である。輕快な調子のよい歌である。

　

(399)右一首、傳誦僧玄勝是也

　

右の一首は、傳へ誦《よ》めるは僧玄勝なり。

　

【釋】玄勝　ゲニシヨウ。傳未詳。國分寺あたりにいた僧であろうか。

　

3953　雁がねは

　使に來《こ》むと　騒くらむ。

　秋風寒み、　その河の邊に。

　

　鴈我祢波《カリガネハ》

　都可比尓許牟等《ツカヒニコムト》　佐和久良武《サワクラム》

　秋風左無美《アキカゼサムミ》　曾乃可波能倍尓《ソノカハノベニ》

　

【譯】雁は、使に來ようと騷いでいるだろう。秋風が寒いので、その河のほとりで。

【釋】曾乃可波能倍尓　ソノカハノベニ。その河とは、雁の今いる川で、北方の地を想像している。

【評語】雁のいる北地の川を想像して詠んでいる。前の、ケサノ朝ケ秋風サムシの歌に、みずから唱和しているような作で、風趣のある歌である。

　

3954　馬｜竝《な》めて　いざうち行かな。

　澁谿《しぶたに》の　清き礒みに

　寄する波見に。

　

　馬竝?《ウマナメテ》　伊射宇知由可奈《イザウチユカナ》

　思夫多尓能《シブタニノ》　伎欲吉伊蘇未尓《キヨキイソミニ》

　與須流奈弥見尓《ヨスルナミミニ》

　

【譯】馬を竝べて、さあ行きましよう。澁谿の清らかな礒に寄せる波を見に。

【釋】伊射宇知由可奈　イザウチユカナ。ウチは接頭語。句切。

　思夫多尓能　シブタニノ。シブタニは、二上山の山脈の海に入る處の勝地。伏木町北方の海岸である。以下(400)數出している。

【評語】澁谿の景勝を聞いて、人々と共に馬を竝べて見に行こうと歌つたのである。四五句、イソミニ、ナミミニと、ミニの音を重ねているが、そのミの種類は違うにしても、これがために調子がくだけているようである。

　

右二首、守大伴宿祢家持

　

3955　ぬばたまの

　夜はふけぬらし。

　玉くしげ

　二上《ふたがみ》山に

　月かたぶきぬ。

　

　奴婆多麻乃《ヌバタマノ》

　欲波布氣奴良之《ヨハフケヌラシ》

　多末久之氣《タマクシゲ》

　敷多我美夜麻尓《フタガミヤマニ》

　月加多夫伎奴《ツキカタブキヌ》

　

【譯】くらい夜は更けたらしい。玉｜匣《くしげ》の蓋《ふた》という、その二上山に月が傾いた。

【釋】多末久之氣　タマクシゲ。蓋があるので、フタの音に冠している。

　敷多我美夜麻尓　フタガミヤマニ。フタガミ山は、伏木町の西方にある山で、二峰竝立の形を成している。

【評語】平凡な内容だが、感じのよい歌である。玉クシゲの枕詞は、内容に關係なく、しかもよい連想を持つ(401)ている。以上十三首、八月七日の夜の宴の歌である。

　

右一首、史生土師宿神道良

　

【釋】史生土師宿祢道良　フミカクヒトハニシノスクネミチヨシ。史生は、書記。越中の國の史生で、最下位の役。土師の道良は、傳未詳。

　

大目秦忌寸八千島之館宴歌一首

　

3956　奈呉《なご》の海人《あま》の　釣する船は、

　今こそは、　

　船�竅sふなだな》打ちて　あへて榜ぎ出《で》め。

　

　奈呉能安麻能《ナゴノアマノ》　都里須流布祢波《ツリスルフネハ》

　伊麻許曾婆《イマコソハ》

　數奈太那宇知?《フナダナウチテ》　安倍弖許藝泥米《アヘテコギデメ》

　

【譯】奈呉の海人の釣する舟は、今こそ、船の横板を打つて、おして漕ぎ出るべきだ。

【釋】奈呉能安麻能　ナゴノアマノ。ナゴは、今の新湊、放生津で、富山灣に面している。

　敷奈太那宇知?　フナダナウチテ。フナダナは、船の踏板、側板など。「�竅A野王案（ズルニ）、��音曳。字亦作（ル）v?（ニ）、　不奈太那《フナダナ》大船（ノ）旁板也」（倭名類聚鈔）。ウチテは、それを打つをいう。音を立てて惡魔を拂つて出航するのだろう。

　安倍弖許藝泥米　アヘテコギデメ。アヘテは、しいて、押して。

【評語】海上を見渡して、海人の釣船に、今こそ漕ぎ出るべきだと歌つたのである。力強い調子の歌である。船�竭ﾅチテと、特殊の説明をしたのがよい。

　

(402)右、館之客屋、居望2蒼海1。仍主人作2此歌1也。

　

右は、館の客屋は、居ながら蒼海を望む。よりて主人、この歌を作れり。

　

【釋】舘之客屋　ヤカタノカクヲク。客屋は、主屋に對する建物で、別屋、離れである。別棟になっているので、客屋という。主屋は南面していたであろうし、海は北方にあるので、主屋は海に面することは不便な事情にあり、それで客屋を海に面して作り、そこに賓客を招じたと見える。

　主人　アロジ。秦の八千島。

　

哀2傷長逝之弟1歌一首　并2短歌1

　

長逝《みまか》れる弟を哀傷める歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】長逝之弟　ミマカレルオトノミコト。大伴の家持の弟、書持である。家持は、越中の國で、この歌を九月二十五日に作つているから、通知に要する日數を計算に入れて考えると、九月にはいつてから死んだのだろう。

　

3957　天離《あまざか》る　鄙《ひな》治《をさ》めにと、

　大王《おほきみ》の　任《ま》けのまにまに

　出でて來《こ》し　吾《われ》を送ると、

　あをによし　奈良山過ぎて、

　泉河　清き河原に

(403)　馬とどめ　別れし時に、

　ま幸《さき》くて　吾《あれ》歸り來《こ》む。

　平《たひら》けく　齋《いは》ひて待てと

　語らひて　來《こ》し日の極《きは》み、

　玉｜桙《ほこ》の　道をた遠み、

　山河の　隔《へな》りてあれば、

　戀しけく　け長きものを、

　見まく欲《ほ》り　念ふ間《あひだ》に、

　玉｜梓《づさ》の　使の來《け》れば、

　うれしみと　吾《あ》が待ち問ふに、

　およづれの　たは言とかも、

　愛《は》しきよし　な弟《おと》の命《みこと》、

　何しかも　時しはあらむを、

　はだすすき　穗に出《づ》る秋の

　はぎが花　にほへる屋戸《やど》を、

　　　【言ふこころは、この人、人となり花草花樹をめでて多に寢院の庭に植う。故、花薫へる庭といへり。】

　朝庭に　出で立ち平《なら》し、

(404)　夕庭に　踏み平《たひら》げず、

　佐保のうちの　里を行き過ぎ、

　あしひきの　山の木末《こぬれ》に、

　白雲に　立ち棚引くと、

　あれに告げつる。【佐保山に火葬せり。故、佐保の内の里を行き過ぎといへり。】

　

　安麻射加流《アマザカル》　比奈乎佐米尓等《ヒナヲサメニト》

　大王能《オホキミノ》　麻氣乃麻尓末尓《マケノマニマニ》

　出而許之《イデテコシ》　和禮乎於久流登《ワレヲオクルト》

　青丹余之《アオニヨシ》　奈良夜麻須疑?《ナラヤマスギテ》

　泉河《イヅミガハ》　伎欲吉可波良尓《キヨキカハラニ》

　馬駐《ウマトドメ》　和可禮之時尓《ワカレシトキニ》

　好去而《マサキクテ》　安禮可敝里許牟《アレカヘリコム》

　平久《タヒラケク》　 伊波比?待登《イハヒテマテト》

　可多良比?《カタラヒテ》　許之比乃伎波美《コシヒノキハミ》

　多麻保許能《タマホコノ》　道乎多騰保美《ミチヲタドホミ》

　山河能《ヤマカハノ》　敝奈里?安禮婆《ヘナリテアレバ》

　孤悲之家口《コヒシケク》　氣奈我枳物能乎《ケナガキモノヲ》

　見麻久保里《ミマクホリ》　念間尓《オモフアヒダニ》

　多麻豆左能《タマヅサノ》　使乃家禮婆《ツカヒノケレバ》

　宇禮之美登《ウレシミト》　安我麻知刀敷尓《アガマチトフニ》

　於餘豆禮能《オヨヅレノ》　多波許登等可毛《タハコトトカモ》

　波之伎余思《ハシキヨシ》　奈弟乃美許等《ナオトノミコト》

　奈尓之加母《ナニシカモ》　時之波安良牟乎《トキシハアラムヲ》

　波太須酒吉《ハダススキ》　穗出秋乃《ホニヅルアキノ》

　〓子花《ハギガハナ》　尓保敝流屋戸乎《ニホヘルヤドヲ》

　　　　【言斯人爲性好2愛花草花樹1、而多植2於寝院之庭1故謂2之花薫庭1也。】

　安佐尓波尓《アサニハニ》　伊泥多知奈良之《イデタチナラシ》

　暮庭尓《ユフニハニ》　敷美多比良氣受《フミタヒラゲズ》

　佐保能宇知乃《サホノウチノ》　里乎往過《サトヲユキスギ》

　安之比紀乃《アシヒキノ》　山能許奴禮尓《ヤマノコヌレニ》

　白雲尓《シラクモニ》　多知多奈妣久等《タチタナビクト》

　安禮尓都氣都流《アレニツゲツル》

　　　　【佐保山火葬、故謂2之佐保乃宇知乃佐刀乎由吉須疑1】

　

【譯】天のように遠い地方を治めにと、天皇の任命のままに出て來たわたしを送るとて、美しい奈良山を過ぎて、泉河の清らかな河原に、馬を留めて別れた時に、無事に行つてわたしは歸つて來よう。平安に物忌みして待てと、話をして來た日を最後として、道が遠く、山河が隔たつているので、戀しいことは時久しくあるのを、見たいと思うあいだに、使が來るので、うれしいこととわたしが待つて問うと、間違つた言葉としてであるが、最愛の弟の君は、何としたことか、時もあろうに、ふくらんだススキの穗に出る秋で、ハギの花の咲いている屋戸を、朝の庭には出で立つて踏み、夕べの庭には踏んで平らかにしないで、佐保の内の里を通過し、山の木の枝先に、白雲として立ち棚引いていますと、わたしに告げた。

【構成】全篇一文。前半、弟に別れて旅に出たことをいい、後半、使の言として弟の死を敍している。「およづれのたは言とかも、われに告げつる」と續き、その中間に使の言が述べられる。

【釋】麻氣乃麻尓末尓　マケノマニマニ。マケは任命、任せる意であろう。

　泉河　イヅミガハ。奈良山を過ぎて山城の國にある。

　好去而　マサキクテ。好去は、文字を選んで書いている。無事に行つて。「奈何好去哉《イカニサキクヤ》」（卷四、六四八）、「眞好去有欲得《マサキクアリコソ》」（卷九、一七九〇）。この句以下、イハヒテ待テまで、家持の言である。

(405)　伊波比?待登　イハヒテマテト。神を祭つて齋戒してわが歸京を待てと。

　許之比乃伎波美　コシヒノキハミ。來シ日ノ極ミ。來た日の極限で、その日を最後として、それから後は別だの意。「磨師情乎《トギシココロヲ》　縱手師《ユルシテシ》　其日之極《ソノヒノキハミ》」（卷四、六一九）。

　道乎多騰保美　ミチヲタドホミ。タは、接頭語。

　敝奈里?安禮婆　ヘナリテアレバ。ヘナリテは、隔りて。ヘナリは、重成りか。

　孤悲之家口氣奈我枳物能乎　コヒシケクケナガキモノヲ。戀しいことの時久しきものを。戀しく日數が經たので。

　使乃家禮婆　ツカヒノケレバ。ケレバは、來レバ、ケレは、動詞來の已然形に助動詞リの接續したものと考えられる。この形の唯一の假字書きの例である。

　宇禮之美登　ウレシミト。ウレシミは動詞で、この下の語の省路されている形である。うれしいゆえにと。「歡三跡《ウレシミト》　咲牟眉曳《ヱマムマヨビキ》」（卷十二　二五四六）。

　於餘豆禮能多波許登等可毛　オヨヅレノタハコトトカモ。妖言ノ狂言トカモ。妖言の狂言と、重ねて信じ得られない言葉であることを強調する。これは使の言を批判している。カモは、疑問の係助詞で、最後に至つて、ワレニ告ゲツルと結んでいる。次句以下立チタナビクまで、使の言である。

　奈弟乃美許等　ナオトノミコト。ナオトは、弟を貴んでいう。略解にナセノミコトと讀んでいるが、「爾《ココニ》一（ノ）少子曰（ハク）、汝兄先?《ナセマヅマヒタマヘ》、其（ノ）兄亦曰（ハク）、汝弟先?《ナオトマヅマヒタマヘ》」（古事記下卷）の例において、汝兄はナセであり、それに對して汝弟は區別して使用されていると見られる。「弟乃命者《オトノミコトハ》」（卷九、一八〇四）參照。

　波太須酒吉　ハダススキ。穗をはらんだススキと解せられる。

　言　イフココロハ。以下小字は、作者家持の自註である。

(406)　寢院之庭　オホトノノニハ。寢院は正殿をいう。

　安佐尓波尓　アサニハニ。朝の庭に。朝は立ち出で、夕べには出なかつたと、變化を敍している。集中多く、朝庭、夕庭と書き、アシタニハ、ユフベニハと讀ませているのを、家持が誤讀してこの句を成したのだといわれている。

　伊泥多知奈良之　イデタチナラシ。ナラシは、平らかにする意で、數多く踏むをいう。この句は、次の踏ミ平ゲズの打消が懸かつていないと見るべきである。

　佐保能宇知乃　サホノウチノ。サホノウチは、佐保川の周邊の地区。

　白雲尓多知多奈妣久等　シラクモニタチタナビクト。下の自註にあるように、佐保山に火葬したことをいう。

【評語】相當の長篇だが、整備した組織を有している。使の言として、弟の死を述べたのは、一手段だが、笠金村歌集所出の、志貴の親王の薨じた時の挽歌（卷二、二三〇）に負うところがあろう。使の言のうち、前數句は、家持目身の氣もちが出て、全然使の言になつていない。

　

3958　ま幸《さき》きくと　言ひてしものを、

　白雲に　立ち棚引くと

　聞けば悲しも。

　

　麻佐吉久登《マサキクト》　伊比?之物能乎《イヒテシモノヲ》

　白雲尓《シラクモニ》　多知多奈妣久登《タチタナビクト》

　伎氣婆可奈思物《キケバカナシモ》

　

【譯】無事でいらつしやいと言つたものを、あなたが白雲に立ちなびくと聞けば、悲しいなあ。

【評語】四句までは、全く長歌の詞句によつて詠んでいる。マサキクト云ヒテシモノヲは、家持が、弟に對して言つている。長歌があつての作である。

　

(407)3959　かからむと　かねて知りせば、

　越《こし》の海の　荒礒《ありそ》の波も

　見せましものを。

　

　可加良牟等《カカラムト》　可祢弖思理世婆《カネテシリセバ》

　古之能宇美乃《コシノウミノ》　安里蘇乃奈美母《アリソノナミモ》

　見世麻之物能乎《ミセマシモノヲ》

　

【譯】このようであろうと前から知つていたら、越の海の荒礒の波も見せたろうものを。

【釋】古之能宇美乃安里蘇乃奈美母　コシノウミノアリソノナミモ。コシノ海は、越の海で、廣い名稱だが、ここでは澁谿の礒などをさしているのだろう。アリソは荒礒。地名ではない。

【評語】弟に對する友愛の情が溢れている。但し、山上の憶良の「悔しかもかく知らませばあをによし國中《くぬち》ことごと見せましものを」（卷五、七九七）によつているのだろう。

　

右九月廿五日、越中守大伴宿祢家持、遙聞2弟喪1、感傷作之也。

　

右は、九月二十五日、越中の守大伴の宿禰家持の、遙かに弟の喪を聞き、感傷《かな》しみて作れり。

　

相歡歌二首

　

【釋】相勸歌　アヒヨロコブルウタ。大伴の池主の歸任したのを歡んで詠んだ歌である。

　

3960　庭に降る　雪は千重しく。

　しかのみに　念ひて君を

　あが待たなくに。

　

　庭尓敷流《ニハニフル》　雪波知敝之久《ユキハチヘシク》

　思加乃未尓《シカノミニ》　於母比?伎美乎《オモヒテキミヲ》

　安我麻多奈久尓《アガマタナクニ》

　

(408)【譯】屋前に降る雪は千重に降り積つている。しかしそれつぱかりに思つて、あなたをわたしは待つてはいないのだ。

【釋】思加乃未尓　シカノミニ。そればかりに、この程度だけに。

【評語】雪が千重に降りしくその以上に思つて待つているという歌である。その表現に特色があつて、よく強調された心が出ている。

　

3961　白浪の　寄する礒みを

　こぐ船の、

　楫《かぢ》取る間なく　念ほえし君。

　

　白浪乃《シラナミノ》　余須流伊蘇未乎《ヨスルイソミヲ》

　榜船乃《コグフネノ》

　可治登流間奈久《カヂトルマナク》　於母保要之伎美《オモホエシキミ》

　

【譯】白浪の寄せる礒邊を漕ぐ船が、楫を取るのでひまがないように、間斷なく思われたあなたです。

【釋】可治登流間奈久　カヂトルマナク。以上四句は、譬喩で、間隙なくの意をあらわしている。

【評語】荒礒を漕ぐ船の楫取る間がないという譬喩は、常用のもので、珍しくない。ただ五句の君まで、一氣に敍述し來た調子が、さすがに修練を思わせるものがある。

　

右、以2八月1、椽大伴宿祢池主、附2大帳使1、赴2向京師1、而同年十一月、還2到本任1。仍設2詩酒之宴1、彈絲飲樂。是日也、白雪忽降、積v地尺餘。此時也、漁夫之船、入v海浮v瀾。爰守大伴宿祢家持、寄2情二眺1、聊裁2欣歌1。

　

右は、八月をもちて、椽大伴の宿禰池主、大帳使につきて京師に赴向《おもむ》き、同じ年十一月、本任に還り(409)到りき。よりて詩酒の宴を設け、彈絲飲樂せり。この日、白雪たちまちに降りて、地に積むこと尺餘なり。この時、漁夫の船、海に入り瀾《なみ》に浮べり。ここに守大伴の宿禰家持、情を二つの眺めに寄せて、欣《よろこ》ぶる歌を裁《つく》る。

　

【釋】附大帳使　ダイチヤウシニツキテ。大帳使は、國の役所から中央政府に出す四度の使の一。四度の使は、大帳使、正税帳使、貢調使、朝集使をいう。大帳使は、大帳を持參する使。大帳は、大計帳とも計帳ともいい、部内の戸口の移動を記した帳簿。人口を調査して、調庸の計數を擧げている。ツキテは、大帳使の任に附きてで大帳使になることをいう。

　詩酒之宴　シシユノウタゲ。詩を賦し酒盃を擧げる宴。

　彈絲　ダニシ。琴を彈ずること。

　漁夫之船人海浮瀾　アマノフネウミニイリナミニウカベリ。元暦校本、この右に赭で「復有泉郎船浮漂波浪」（また泉都《あま》の船ありて、波浪に浮き漂ふ）とある。これは多分作者みずから別案を記したものが殘つたのであろう。泉郎は、白水郎に同じ。漁夫。

　欣歌　ヨロコブルウタ。仙覺本系統の諸本には所心に作つている。

　

忽沈2枉疾1、殆臨2泉路1。仍作2歌詞1、以申2悲緒1一首　并2短歌1

　

たちまちに枉疾に沈み、ほとほとに泉路に臨みき。よりて歌詞を作りて悲しみの緒を申ぶる一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】忽沈枉疾　タチマチニヤマヒニシヅミ。枉は曲つた木、ここは疾を修飾して、禍災の病氣の意を現している。

　殆臨泉路　ホトホトニヨミヂニノゾミキ。泉路は、黄泉の路。あぶなく死ぬところだつた。

(410)　申悲緒　カナシミノヲヲノブル。悲緒は、悲哀を緒に譬えた言い方。戀緒の類。

　

3962　大王《おほきみ》の　任《ま》けのまにまに、

　丈夫《ますらを》の　心振り起し、

　あしひきの　山坂越えて、

　天《あま》ざかる　鄙《ひな》に下《くだ》り來《き》、

　息だにも　いまだ休めず、

　年月も　いくらもあらぬに、

　うつせみの　世の人なれば、

　うち靡き　床《とこ》に反倒《こいふ》し

　痛けくし　日にけにまさる。」

　たらちねの　母の命《みこと》の

　大船の　ゆくらゆくらに、

　下戀《したごひ》に　何時《いつ》かも來《こ》むと

　待たすらむ　情《こころ》さぶしく、

　愛《は》しきよし　妻の命も、

　明け來《く》れば　門に倚《よ》り立ち

(411)　衣手を　折り反《かへ》しつつ、

　夕されば　床うち拂ひ

　ぬばたまの　黒髪敷きて、

　いつしかと　嘆かすらむぞ。

　妹も兄《せ》も　若き兒どもは

　をちこちに　騷き泣くらむ。」

　玉｜桙《ほこ》の　道をた遠《どほ》み、

　間使《まづかひ》も　遣《や》るよしもなし。

　思ほしき　言《こと》傳《つ》てやらず、

　戀ふるにし　情《こころ》は燃えぬ。

　たまきはる　命惜しけど、

　爲《せ》むすべの　たどきをしらに、

　かくしてや　荒《あら》し男《を》すらに　

　嘆き臥《ふ》せらむ。」

　

　大王能《オホキミノ》　麻氣能麻尓々々《マケノマニマニ》

　大夫之《マスラヲノ》　情布里於許之《ココロフリオコシ》

　安思比奇能《アシヒキノ》　山坂古延弖《ヤマサカコエテ》

　安麻射加流《アマザカル》　比奈尓久太理伎《ヒナニクダリキ》

　伊伎太尓毛《イキダニモ》　伊麻太夜須米受《イマダヤスメズ》

　年月毛《トシツキモ》　伊久良母阿良奴尓《イクラモアラヌニ》

　宇都世美能《ウツセミノ》　代人奈禮婆《ヨノヒトナレバ》

　宇知奈妣吉《ウチナビキ》　等許尓許伊布之《トコニコイフシ》

　伊多家苦之《イタケクシ》　日異益《ヒニケニマサル》

　多良知祢乃《タラチネノ》　波々能美許等乃《ハハノミコトノ》

　大船乃《オホブネノ》　由久良々々々尓《ユクラユクラニ》

　思多呉非尓《シタゴヒニ》　伊都可聞許武等《イツカモコムト》

　麻多須良牟《マタスラム》　情左夫之苦《ココロサブシク》

　波之吉與志《ハシキヨシ》　都麻能美許登母《ツマノミコトモ》

　安氣久禮婆《アケクレバ》　門尓餘里多知《カドニヨリタチ》

　己呂母泥乎《コロモデヲ》　遠理加敝之都追《ヲリカヘシツツ》

　由布佐禮婆《ユフサレバ》　登許宇知波良比《トコウチハラヒ》

　奴婆多麻能《ヌバタマノ》　黒髪之吉?《クロカミシキテ》

　伊都之加登《イツシカト》　奈氣可須良牟曾《ナゲカスラムゾ》

　伊母毛勢母《イモモセモ》　和可伎兒等毛波《ワカキコドモハ》

　乎知許知尓《ヲチコチニ》　佐和吉奈久良牟《サワキナクラム》

　多麻保己能《タマホコノ》　美知乎多騰保弥《ミチヲタドホミ》

　間使毛《マヅカヒモ》　夜流余之母奈之《ヤルトシモナシ》

　於母保之伎《オモホシキ》　許登都?夜良受《コトツテヤラズ》

　孤布流尓思《コフルニシ》　情波母要奴《ココロハモエヌ》

　多麻伎波流《タマキハル》　伊乃知乎之家騰《イノチヲシケド》

　世牟須辨能《セムスベノ》　多騰伎乎之良尓《タドキヲシラニ》

　加苦思?也《カクシテヤ》　安良志乎須良尓《アラシヲスラニ》

　奈氣枳布勢良武《ナゲキフセラム》

　

【譯】天皇の任命のままに、男兒の心をふり起して、山坂をこえて、天のように遠い地方に下つて來て、息だけもまだ休めず、年月も何程もないのに、この世の人のことだから、なよなよと床に横たわり、惱むことが日毎にまさる。なつかしい母君は、大船の搖れるように心の中で戀しく、何時になつたら來るだろうかと待つて(412)おいでになるだろう心がお氣の毒であり、最愛の妻の君も、夜が明ければ門口により立ち、著物の袖を折り返しつつ、夕方になれば床を拂つて、まつ黒な黒髪を敷いて、何時か早くと歎いていられるだろう。兄も妹も若い子どもは、あちこちで聲をあげて泣いているだろう。道中が遠いので、あいだの使も遣る手段がない。心に思われることを傳えて遣らずに、戀うので心は燃えた。この生命が惜しいけれども、どうしてよいかわからないで、このようにしてか荒男であるのに、歎いて臥ていることだろう。

【構成】第一段、日ニケニマサルまで。越中の國に下つて病氣になつたことを敍する。第二段、騷キ泣クラムまで。家族の上を思う。第三段、終りまで。いたし方もなく病臥することかと歎いている。敍述、推量、感慨の順になつている。

【釋】大夫之情布里於許之　マスラヲノココロフリオコシ。家持の作における特有の歌詞。「大夫之《マスラヲノ》　心振起《ココロフリオコシ》」（卷三、四七八）、「大夫《マスラヲノ》　情布里於許之《ココロフリオコシ》」（卷二十、四三九八）。いずれも家持の作である。

　伊伎太尓毛伊麻太夜須米受年月毛伊久良母阿良奴尓　イキダニモイマダヤスメズトシツキモイクラモアラヌニ。イクラは、イクバクに同じ。集中唯一の用例である。この句は、山上の憶良の日本挽歌の「伊企陀爾母《イキダニモ》　伊摩陀夜周米受《イマダヤスメズ》　年月母《トシツキモ》　伊摩陀阿良禰婆《イマダアラネバ》」（卷五、七九四）の句を受けている。

　等許尓許伊布之　トコニコイフシ。コイは、倒れる意の動詞。

　伊多家苦之　イタケクシ。イタケクは、病むこと、ここは病気。下の更贈歌に「宇知奈妣伎《ウチナヒキ》　登許爾己伊布之《トコニコイフシ》　伊多家吉乃《イタケクノ》　日異麻世婆《ヒニケニマセバ》」（三九六九）とある。

　多良知祢乃　タラチネノ。枕詞。

　波々能美許等乃　ハハノミコトノ。母の命の。母は、家持の生母であろう。續日本紀天暦元年八月の條に「家持、左大辨兼春宮大夫となる。是より先母の憂にあひて解任、ここに至りて復す」とある。天應元年に母(413)は死んだのである。誰とも知られないが、當時なお生存していたので、神龜五年に死んだ旅人の妻大伴の郎女ではなかったのである。家持と歌の贈答をした人の中には、この人と思われる人がないのだから、歌をよくしなかつたのであろう。母ノ命ノ待タスラム情サブシクと續く文脈である。

　大船乃　オホブネノ。枕詞。大船は、動搖するものであるから、ユクラユクラに冠する。

　由久良々々々尓　ユクラユクラニ。心の動搖するさまを形容する副詞。

　麻多須良牟　マタスラム。マタスは、待ツの敬語。ラム、連體形。

　情左夫之苦　ココロサブシク。サブシは、樂しまない意の形容詞。

　己呂母泥乎遠理加敝之都追　コロモデヲヲリカヘシツツ。袖を折り返すのは、心を先方へ遣る意の風習であろう。袖を折り返すと夢にあらわれると歌つているが、ここは晝間門口に倚り立つている。

　伊母毛勢母　イモモセモ。妹モ兄モ。男女の意で、かならずしも兄と妹とではない。家持は、當時既に男女の子を持つていたのである。家持の子には、永主のあることが知られるが、既に生まれていたかどうかは不明である。

　間使毛　マヅカヒモ。マヅカヒは、両者のあいだを通ずる使者。

　多麻伎波流　タマキハル。枕詞。

　安良志乎須良尓　アラシヲスラニ。アラシヲは、荒シ男。荒い男。男子の稱である。「阿良志乎母《アラシヲモ》　多志夜波婆可流《タシヤハバカル》　不破乃世伎《フハノセキ》　久江弖和波由久《クエテワハユク》」（卷二十、四三七二）。

　奈氣枳布勢良武　ナゲキフセラム。フセラムは、動詞臥ス、助動詞リ、同ムの結合したもの。臥してあろうの意。上のカクシテヤを受けて結んでいる。

【評語】旅中に病を得て、家に留めて來た家族を思う情が披瀝されている。組織も整然としており、別に破綻(414)を見せない。家族の有樣を、列擧して推量しているのが特色だが、それだけに中心がなく、情熱的ではない。

　

3963　世間《よのなか》は　數なきものか。

　春花の　散りのまがひに

　死ぬべき念へば。

　

　世間波《ヨノナカハ》　加受奈枳物能可《カズナキモノカ》

　春花乃《ハルハナノ》　知里能麻我比尓《チリノマガヒニ》

　思奴倍吉於母倍婆《シヌベキオモヘバ》

　

【譯】世の中は、はかないものだな。春の花の散るまぎれに死ぬべきことを思うと。

【釋】加受奈枳物能可　カズナキモノカ。カズナキは、數無キで、短いことをいう。多數は無いの意である。「宇都世美波《ウツセミハ》　加受奈吉身奈利《カズナキミナリ》」（卷二十、四四六八）。モノカは、ものかなの意。句切。

　知里能麻我比尓　チリノマガヒニ。散リノ紛ヒニ。散るにまぎれて。散ると共に。

【評語】長歌には漏らした無常觀を詠んでいる。落花と共に死ぬという表現には、さすがに美しい思想が見られる。

　

3964　山河の　退方《そきへ》を遠み、

　愛《は》しきよし　妹を相見ず、

　かくや嘆かむ。

　

　山河乃《ヤマカハノ》　曾伎敝乎登保美《ソキヘヲトホミ》

　波之吉余思《ハシキヨシ》　伊母乎安比見受《イモヲアヒミズ》

　可久夜奈氣加牟《カクヤナゲカム》

　

【譯】山川のへだてが遠いので、最愛の妻を見ないで、かように歎息していることだろう。

【釋】曾伎敝乎登保美　ソキヘヲトホミ。ソキヘは、退キ方。山川の彼方へ退き行く方。山川の隔たりが遠いので。

【評語】ここに至つて、長歌のうちの一點、妹に集中している。全對の結尾として有力な效果を擧げている。(415)カクヤは、長歌と反歌の第一首とを受けて、含みが廣い。

　

右十九年春二月廿日、越中國守之館、臥v病悲傷、聊作2此歌1。

　

右は、十九年の春二月二十日、越中の國の守の館にて、病に臥し悲傷しみて、いささかこの歌を作れり。

　

【釋】二月廿日　キサラギノハツカ。廿日は、元暦校本には廿一日に作つているが、いずれが原形かわからない。

　

贈2椽大伴宿祢池主1悲歌二首

　

椽大伴の宿禰池主に贈れる悲しみの歌二首。

　

【釋】悲歌　カナシミノウタ。病を悲しんだ歌である。この一行は題詞で、次行以下が書?である。

　

忽沈2枉疾1、累v旬痛苦。?2恃百神1、且得2消損1、所由身體疼羸、筋力怯軟、未v堪2展謝1、係戀弥深。方今春朝春花、流2馥於春苑1、春暮春鶯、囀2聲於春林1、對2此節候1、琴�翠ﾂv翫矣。雖v有2乘v興之感1、不v耐2策v杖之勞1、獨臥2帷幄之裏1、聊作2寸分之歌1、輕奉2机下1、犯v解2玉※［阜＋頁］1。其詞曰、

　

たちまちに枉疾に沈み、旬を累ねて痛苦す。百神を?《の》み恃みて、しばらく消損《い》ゆることを得たり。しかもなほ身體疼み羸《つか》れ、筋力怯軟にして、いまだ展謝に堪《あ》へず。係《か》け戀《しの》ふこといよよ深し。方今春の朝の春の花、馥を春の苑に流《ながら》へ、春の暮の春の鶯、聲を春の林に囀る。この節候に對して琴と�吹sたる》と翫びつべし。興(416)に乘る感あれども、杖を策《つ》く勞に耐《あ》へず。ひとり帷幄の裏に臥して、いささか寸分の歌を作り、輕《かろがろ》しく机下に奉り、玉頤を解かむことを犯す。その詞に曰はく、

　

【譯】急に病氣になつて、數十日も苦しみました。神樣にお祈りして、ようやく癒えることができました。しかしやはり身體が痛み疲れ、筋力が弱くして、まだお禮にあがれません。深くお慕いするばかりです。今や春の朝の春の花は、春の苑に咲き滿ち、春の夕べの春の鶯は、春の林にさえずつております。この時節に際しては、琴と酒とに親しむべきです。興を催す思いがありますけれども、外出するに堪えません。ひとりで家の中に臥して、わずかに短い歌を作つて、ちよつとお手もとにさしあげ、お笑いぐさといたします。その歌は、次の通りであります。

　

【釋】?恃百神　カミガミヲノミタノミテ。百神は、多くの神。?恃は、祈?しその力を恃んで。

　且得消損　シバラクイユルコトヲエタリ。消損は、病氣の消え滅ずることで、癒えるのをいう。

　而由身體疼羸　シカモナホシニタイイタミツカレ。由は猶に同じ。

　未堪展謝　イマダテニシヤニアヘズ。展謝は、左傳に「牢禮不v度（ラ）3敢（ヘテ）展2謝（ニ）之1」とあつて、陳謝に同じ。まだ御禮のために參上するに堪えない。

　係戀弥深　カケシノフコトイヨヨフカシ。係戀は、心に懸けて思うこと。

　琴�翠ﾂ翫矣　コトトサケトモテアソビツベシ。�垂ﾍ酒の樽。瓦器なので缶扁を使う。琴を彈き酒を汲んで遊ぶべきである。

　獨臥帷幄之裏　ヒトリトバリノウチニフシテ。帷幄は、織物の幕。ここは室内の几帳の類。當時の家屋は、室は大きく、へだてを立てて使用した。室内に臥して。

　聊作寸分之歌　イササカスニフニノウタヲツクリ。寸分の歌は、短い歌。謙遜していう。

(417)　犯解玉※［阜＋頁］　オトガヒヲトカムコトヲヲカス。※［阜＋頁］は頤に同じ。アゴ。玉頤は、先方の頤を美稱していう。「頷、方言（ニ）云（フ）、頤（ハ）音怡謂（フ）2之（ヲ）頷（ト）1、【胡感反、上聲之重、字亦作v〓、於度加比】」（倭名類聚鈔）。玉頤を解かむことを犯すは、お笑ひぐさにさしあげます。

　

3965　春の花、

　今は盛りに　にほふらむ。

　折りて插頭《かざ》さむ　手力《たぢから》もがも。

　

　波流能波奈《ハルノハナ》

　伊麻波左加里尓《イマハサカリニ》　仁保布良牟《ニホフラム》

　乎里?加射佐武《ヲリテカザサム》　多治可良毛我母《タヂカラモガモ》

　

【譯】春の花は、今はさかりに咲いているでしよう。折つて插頭にするような力がほしいことです。

【評語】花の咲いていることを想像し、病んで力も拔けたことを歎いている。いたずらにこの佳節を過ごす歎きがよくあらわれている。

　

3966　鶯の　鳴き散らすらむ　　

　春の花、

　いつしか君と　手折《たを》りかざさむ。

　

　宇具比須乃《ウグヒスノ》　奈枳知良須良武《ナキチラスラム》

　春花《ハルノハナ》　伊都思香伎美登《イツシカキミト》

　多乎里加射左牟《タヲリカザサム》

　

【譯】ウグイスが鳴いて散らすでしよう春の花を、いつになつたら、あなたと手折つてかざすことでしよう。

【釋】伊都思香伎美登　イツシカキミト。イツシカは、何時か早くとうながす語。

【評語】花にあこがれる氣もちがよく出ている。春の花の説明は、型にはまつていて、特色が乏しい。

　

二月廿九日、大伴宿祢家持

　

(418)【釋】二月廿九日　キサラギノハツカアマリココノカ。この行まで、前の書?に屬する。天平十九年の二月二十九日である。目録にこれを次の歌二首に懸けて書いているのは、後人が誤解して目録を作つたのである。

　

忽辱2芳音1、翰苑凌v雲。兼垂2倭詩1、詞林舒v錦。以吟以詠、能?2戀緒1。春可v樂。暮春風景、最可v怜。紅桃灼々、戯蝶廻v花?、翠柳依々、矯鶯隱v葉歌。可v樂哉。淡交促v席、得v意忘v言。樂矣美矣。幽襟足v賞哉。豈慮乎、蘭�寢uv※［草がんむり／聚］、琴�趨ｳv用、空過2令節1、物色輕v人乎。所v怨有v比。不v能2黙已1。俗語云、以v藤枝v錦。聊擬2談咲1耳。

　

たちまちに芳《よ》き音《こゑ》を辱《かたじけな》くし、翰苑雲を凌ぐ。兼ねて倭詩を垂る、詞林錦を舒《の》べたり。もちて吟じもちて詠じ、熊く戀緒を?《のぞ》く。春、樂しむべし。暮春の風景もとも可怜《おもしろ》し。紅桃は灼灼として戯蝶花を廻りて?ひ、翠柳は依依として嬌鶯葉に隱りて歌ふ。樂しむべきかも、淡き交り席を促《ちかづ》け、意を得て言を忘る。樂しきかも美しきかも、幽《ふか》き襟｜裳《め》づるに足れり。あに慮《はか》りきや、蘭�宦ｦ［草がんむり／聚］を隔て、琴�雛p無く、空しく令《よ》き節《とき》を過して物の色人を輕みせむとは。怨むるところここに有り、黙已《もたを》ること能はず。俗の語に云ふ、藤を以ちて錦に續ぐといへり。いささか談咲に擬《なぞ》ふるのみ。

　

【譯】思いがけずお手紙を下され、見事な文章を拜受しました。その上に歌を頂き、錦を敷いたようなお詞でした。その文を讀み上げ、その歌を詠じ、よくお慕いする心を晴らしました。春は樂しむべきであります。暮春の風景は中にも感に堪えません。赤い桃の花は輝いて、これに戯れる蝶は、花を廻つて飛び、青い柳はなよよかで、なまめかしい鶯は、その葉に隱れて歌つています。樂しむべきです。清らかな交わりに席を共にし、心が通じて言うべき言葉を忘れます。美しいことです。文雅の心は、もてはやすことができます。思いもより(419)ませんでしたが、香の高い草は草叢を隔て、琴や酒が無用になり、むだに良い時節を過ごして、風物が人にとつて輕くあろうとは。うらめしいことはこれであります。黙つていることができません。世間でいう、藤を錦に繼ぐと言つております。わずかにお笑いぐさにしようとするだけです。

　

【釋】忽辱芳音　タチマチニヨキコヱヲカタジケナクシ。芳音は、家持からの書?をいう。以下、池主の返書である。この前に題詞が無いのは、池主の書?のままに貼り繼いだものと考えられる。

　翰苑凌雲　フミノソノクモヲシノグ。翰苑は文章。凌雲は、史記の司馬相如列傳に「相如既（ニ）奏（ス）2大人之頌（ヲ）1、子大（ニ）説《ヨロコビ》、飄々（トシテ）有（リ）2凌（グ）v雲（ヲ）之氣1、似（タリ）d遊（ブ）2天地之間（ニ）1意（ニ）u」。ここは家持の文章をほめていう。

　兼垂倭詩　カネテヤマトウタヲタル。倭詩は、日本の歌。并わせて倭歌を賜わりました。

　能?戀緒　ヨクコヒノヲヲノゾク。よく戀しい心を除きました。戀緒は、戀を緒に譬えていう。

　紅桃灼々　アカキモモはシヤクシヤクトシテ。灼々は、盛んな形容。

　翠柳依々　ミドリノヤナギハイイトシテ。依々は、柔弱な形容。

　淡交促席　アハキマジハリムシロヲチカヅケ。淡交は、君子の交わり。促席は、席を共にすること。莊子山木篇に「君子之交（リ）淡（キコト）若（シ）v水（ノ）、小人之交（フ）甘（キコト）若（シ）v醴（ノ）、君子（フ）淡（ニシテ）以親（シミ）、小人（フ）甘（クシテ）以絶（ツ）」とある。

　得意忘言　ココロヲエテコトヲワスル。心は通じて言を忘れて言うべきところを知らない。

　幽襟足賞哉　フカキココロメヅルニタレリ。幽深の心。文雅の情。

　蘭�寢u※［草がんむり／聚］　ラニケイクサムラヲヘダテ。蘭�宸ﾍ芳草。※［草がんむり／聚］は草むら。香の高い草は、叢を隔てて接することを得ない。家持が病のために、野外に出ないことをいう。

　令節　ヨキトキ。三月三日の佳節。

　物色輕人乎　モノノイロヒトヲカロミセムトハ。物色は、風物景色。風景あれども、賞せられず、人に輕き(420)存在となろうとは思わなかつた。

　俗語云　ヨノナカノコトニイハク。俗語は、世間の言語。ここは俚諺をいう。

　以藤續錦　フヂヲモチテニシキニツグトイヘリ。藤は、粗布。藤の皮の織物。その粗布をもつてりつばな錦に繼ぐの意。つたない歌で、りつばなお歌にお答えする。

　聊擬談咲耳　イササカワラヒグサニヨソフルノミ。お笑いぐさにするばかりです。

　

3967　山峽《やまがひ》に　咲ける櫻を

　ただひと目　君に見せてば

　何をか思はむ。

　

　夜麻我比尓《ヤマガヒニ》　佐家流佐久良乎《サケルサクラヲ》

　多太比等米《タダヒトメ》　伎美尓弥西?婆《キミニミセテバ》

　奈尓乎可於母波牟《ナニヲカオモハム》

　

【譯】山の峽に咲いている櫻を、ただ一目あなたに見せたなら、何をか思いましよう。

【釋】液麻我比尓　ヤマガヒニ。ヤマガヒは、山と山とのあいだで、峽谷をいう。

【評語】病める家持を思う情をつくしている。山峽ニ咲ケル櫻は、簡單だが、美しい。

　

3968　鶯の　來鳴くやまぶき、

　うたがたも、

　君が手觸れず　花散らめやも。

　

　宇具比須能《ウグヒスノ》　伎奈久夜麻夫伎《キナクヤマブキ》

　宇多賀多母《ウタガタモ》

　伎美我手敷禮受《キミガテフレズ》　波奈知良米夜母《ハナチラメヤモ》

　

【譯】ウグイスの來て鳴くヤマブキは、恐らくは、あなたの手が觸れないでは花が散らないでしよう。

【釋】宇多賀多母　ウタガタモ。「歌方毛《ウタガタモ》」（卷十二、二八九六）參照。この卷には、三九四九に見えている。

【評語】ヤマブキの説明に特色があり、美しい。巧みに家持の情を慰めている。

　

(421)沽洗二日、椽大伴宿祢池主

　

【釋】沽洗　ヤヨヒ。沽は姑に同じ。三月の異名。白虎通に「三月、謂（フハ）2之姑洗（ト）1何（ゾ）、姑（ハ）者故也。洗（ハ）者鮮也。萬物去（リ）v故（キヲ）就（ク）v新（ニ）、莫（シ）v不（トイフコト）2鮮明（ナラ）1」。この行まで池主の書?である。これも目録に、次の更に贈れる歌に懸けて出し、更に贈れる歌を目録に別に出さなかつたのは誤りである。「沽洗　三月」（新撰字鏡）。

　

更贈歌一首　并2短歌1

　

【釋】更贈歌　サラニオクレルウタ。更に家持から池主に贈つた歌。この行は題詞で、次行からが贈つた文章及び歌である。

　

含v弘之�ｺ、垂2恩蓬體1、不v貲之思、報2慰陋心1。載荷2末眷1、無v堪v所喩也。但以稚時、不v渉2遊藝之庭1、横v翰之藻、自乏2于彫1v蟲焉。幼年未v逕2山柿之門1、裁v歌之趣、詞失2乎聚林1矣。爰辱2以v藤續v錦之言1、更題2將v石間v瓊之詠1。固是俗愚、懷v癖不能2黙已1、仍捧2數行1、式酬2嗤咲1。其詞曰、

　

弘きを含む�ｺ、恩を蓬《よもぎ》のごとき體に垂れ、貲《はか》らざる思ひ、陋《いや》しき心に報へ慰む。すなはち末眷を荷《にな》ひて、喩《をし》ふる所に堪ふることなし、但し稚き時遊藝の庭に渉《わた》らざりしをもちて、翰《ふみて》を横たふる藻おのづから蟲を彫《ゑ》るに乏しく、幼年いまだ山と柿との門に逕《いた》らずして、歌を裁《つく》る趣、詞を聚林に失ふ。ここに藤をもちて錦に續ぐ言を辱くし、更に石をもちて瓊《たま》に間《まじ》ふる詠を題《しる》す。もとよりこれ俗愚癖を懷きて黙已《もだを》ること能はず。よりて數行を捧げてもちて嗤笑に酬ゆ。その詞に曰はく、

　

(422)【譯】廣大な御�ｺは、お惠みをいやしいわたくしに下し、思いがけないおぼしめしは、わたくしの心にお答えになつて慰めていただきました。かようにお心よせをいただきまして、お教えくださる言葉に堪えることができません。ただ若かつた時に、遊藝の場處に參りませんでしたので、文章を書きますのに、自然にこまかい技術がすくなく、幼年のおり、まだ山上の憶良や柿木の人麻呂の門に行きませんでしたので、歌を作ります樣は、言葉が混雜してしまいます。ここに藤をもつて錦に繼ぐというお言葉を頂きまして、更に石をもつて玉に交えるような歌を記しつけます。もとより世の中の愚人で、癖としてだまつておられません。よつて數行の歌をさしあげて、お笑いまでにお答えいたします。その言葉は次の通りであります。

　

【釋】含弘之�ｺ　ヒロキヲフフムウツクシビ。萬物を包含する大いなる�ｺ。易經に「坤（ハ）厚（クシテ）載（ス）v物（ヲ）、�ｺ（ハ）合（フ）2無疆（ニ）1、含（ム）v弘（キヲ）光（ハ）大（ニ）、品物（ハ）成（リ）亨（ル）。」

　垂恩蓬體　メグミヲヨモギノゴトキミニタレ。蓬體は、自分を謙遜していう。

　載荷末眷　スナハチカヘリミヲニナヒテ。載は西本願寺本等には戴に作つており、戴でも通ずる。末眷は、諸本に未春に作つている。今、新訓によつて末眷に作る。池主からの見舞を荷う意であろう。

　無堪所喩也　ヲシフルトコロニアフルコトナシ。あなたのおさとしくださる言葉に堪えません。

　横翰之藻　フミテヲヨコタフルミヤビ。筆を横たえる詞藻。文章を作ること。

　自乏于彫蟲　オノヅカラムシヲヱルニトモシク。彫蟲は、技巧の末に走ることをいうが、ここでは文を作る巧みをいう。

　未逕山柿之門　ヤマトカキトノカドニイタラズシテ。山は山上の憶良、柿は柿本の人麻呂。柿については異説はないが、山については、山部の赤人とする説が有力であつた。憶良は、藤原の宮時代に既に作品があり、多分天平五年に七十四歳で歿していること、家持がその作の影響を多く受けていること、次に聚林とあるのは(423)憶良の撰である類聚歌林なるべきこと等が指摘される。赤人には、藤原の宮時代と見るべき作がなく、憶良よりは一時代若い人と考えられる。また次の歌中にも、憶良の影響が見えている。

　詞失乎聚林矣　コトバヲスリニニウシナフ。聚林は不明の語。草叢と樹林で、文章混亂の譬喩の句か。または聚林は、山上の憶良の類聚歌林の略稱か。

　茲辱以藤續錦之言　ココニフヂヲモチテニシキニツグコトヲカタジケナクシ。池主からの文を得たことをいう。池主の文によつている。伴信友が、大治天治の奧書のある萬葉集を見て、その一部を寫しておいた?天治萬葉集には、この部分があるが、それには、茲辱を忽見とし、また信の字を文に作り、その下に「追慙膚淺之作然惟古人无言不酬今者之意執能非報乎哉目以述懷賦題煩重敬和其歌曰」の三十七字がある。これに類することは、京都大學本に、上の詞失の詞の字の下に、赭で「文追※［欣／心］庸淺之作然椎古人无言不酬今者之意孰能非報乎哉因以述懷賦※［阜＋頁］煩重敬和英哥曰」の三十八字を書き入れている。これは禁裏御本にこれらの字のあつたことを示すものである。以上の文字は、この以下に別傳のあつたことを語るものであるが、これは作者の別案と思われる。文章としては、更題將石間瓊之詠云々の方がよく、この方が後案であろう。

　更題將石間瓊之詠　サラニイシヲモチテタマニマジフルウタヲシルス。石は自詠、瓊は池主の歌をいう。石のようなものをもつて、瓊のような歌に答える意である。

　固是　モトヨリコレ。固は、諸本に因に作る。因でも意をなさないこともないが、元暦校本に固に作る方がよいようである。今これによる。

　俗愚懷癖　ヨノオロカビトクセヲウダキテ。自分は世間の愚人で、歌を詠む癖を持つている。

　式酬嗤咲　モチテワラヒニムクユ。お笑いぐさとしてお贈りする。酬は、應酬の意。

　

(424)3969　大王の　任《ま》けのまにまに、

　しなざかる　越を治めに

　出でて來《こ》し　丈夫《ますら》われすら、

　世の中の　常し無ければ、

　うち靡き　床に反倒《こいふ》し

　痛けくの　日にけに増せば、

　悲しけく　ここに思ひ出《で》、

　いらなけく　そこに念《おも》ひ出《で》、

　歎くそら　安けなくに、

　念ふそら　苦しきものを、

　あしひきの　山｜來《キ》隔《へな》りて

　玉戈《ほこ》の　道の遠けば、

　間使《まづかひ》も　遣《や》るよしも無み、

　思ほしき　言《こと》も通はず、

　たまきはる　命惜しけど、

　爲《せ》むすべの　たどきをしらに、

　籠《こも》り居て　念ひ嘆かひ、

(425)　慰むる　心は無しに、

　春花の　咲ける盛りに

　思ふどち　手折りかざさず、

　春の野の　茂み飛び潜《く》く

　鶯の　聲だに聞かず、

　娘子らが　春菜《わかな》摘ますと、

　くれなゐの　赤裳の裾の

　春雨に　にほひひづちて、

　通ふらむ　時の盛りを

　いたづらに　過《すぐ》しやりつれ、

　思《しの》はせる　君が心を

　うるはしみ　この夜すがらに、

　寐《い》も宿《ね》ずに　今日もしめらに

　戀ひつつぞ居《を》る。

　

　於保吉民能《オホキミノ》　麻氣乃麻尓々々《マケノマニマニ》

　之奈射加流《シナザカル》　故之乎袁佐米尓《コシヲヲサメニ》

　伊泥?許之《イデテコシ》　麻須良和禮須良《マスラワレスラ》

　余能奈可乃《ヨノナカノ》　都祢之奈家禮婆《ツネシナケレバ》

　宇知奈妣伎《ウチナビキ》　登許尓己伊布之《トコニコイフシ》

　伊多家苦乃《イタケクノ》　日異麻世婆《ヒニケニマセバ》

　可奈之家口《カナシケク》　許己尓思出《ココニオモヒデ》

　伊良奈家久《イラナケク》　曾許尓念出《ソコニオモヒデ》

　奈氣久蘇良《ナゲクソラ》　夜須家奈久尓《ヤスケナクニ》

　於母布蘇良《オモフソラ》　久流之伎母能乎《クルシキモノヲ》

　安之比紀能《アシヒキノ》　夜麻伎敝奈里?《ヤマキヘナリテ》

　多麻保許乃《タマホコノ》　美知能等保家婆《ミチノトホケバ》

　間使毛《マヅカヒモ》　遣縁毛奈美《ヤルヨシモナミ》

　於母保之吉《オモホシキ》　許等毛可欲波受《コトモカヨハズ》

　多麻伎波流《タマキハル》　伊能知乎之家登《イノチヲシケド》

　勢牟須辨能《セムスベノ》　多騰吉乎之良尓《タドキヲシラニ》

　隱居而《コモリヰテ》　念奈氣加比《オモヒナゲカヒ》

　奈具佐牟流《ナグサムル》　許己呂波奈之尓《ココロハナシニ》

　春花乃《ハルバナノ》　佐家流左加里尓《サケルサカリニ》

　於毛敷度知《オモフドチ》　多乎里可射佐受《タヲリカザサズ》

　波流乃野能《ハルノノノ》　之氣美登妣久々《シゲミトビクク》

　?《ウグヒスノ》　音太尓伎加受《コヱダニキカズ》

　乎登賣良我《ヲトメラガ》　春菜都麻須等《ワカナツマスト》

　久禮奈爲能《クレナヰノ》　赤裳乃須蘇能《アカモノスソノ》

　波流佐米尓《ハルサメニ》　々保比々豆知弖《ニホヒヒヅチテ》

　加欲敷良牟《カヨフラム》　時盛乎《トキノサカリヲ》

　伊多豆良尓《イタヅラニ》　須具之夜里都禮《スグシヤリツレ》

　思努波勢流《シノハセル》　君之心乎《キミガココロヲ》

　宇流波之美《ウルハシミ》　此夜須我浪尓《コノヨスガラニ》

　伊母禰受尓《イモネズニ》　今日毛之賣良尓《ケフモシメラニ》

　孤悲都追曾乎流《コヒツツゾヲル》

　

【譯】天皇の任命のままに、遠い遠い越の國を治めにと出て來た男兒であるわたしだが、世の中が無常であるから、なよなよと床に倒れ臥し、病氣が日毎に増すので、悲しいことをここに思い出し、いらだつことをそこに思い出し、歎く心も安からず、思う心も苦しいものを、山が隔たつて、道が遠いので、あいだの使を遣る手(426)段がなく、思われる事も通わず、命が惜しいけれども、何ともいたし方を知らずに、家にこもつていて、思い歎き、慰める心はなしに、春の花の咲いている盛りに、思う人たちと折つてかざさず、春の野の茂みを飛びくぐるウグイスの聲だけも聞かず、娘たちが若菜をお摘みになるとして、紅の赤裳の裾が、春雨に色づき濡れて通つているだろう時の盛りを、むだに過ごし去つたので、思つて下さるあなたの心をありがたく思つて、この夜どおし、眠りもしないで、今日も一日じゆう、戀いつついるのです。

【構成】全篇一文。

【釋】之奈射加流　シナザカル。枕詞。シナは、段。越の國は、都から數段になつて遠ざかつているので、それに冠するか、不明。

　麻須良和禮須良　マスラワレスラ。マスラの語がただちに我に冠している。

　可奈之家口許己尓思出伊良奈家久曾許尓思出　カナシケクココニオモヒデイラナケクソコニオモヒデ。カナシケクは、悲しいこと。イラナケクは、イラは、草木のトゲなどをいう。「玉篇（ニ）云（フ）、苛音可。以良《イラ》。小草生（ズル）v刺也」（倭名類聚鈔）、「〓此至（ノ）反。木乃伊良々《キノイララ》」（新撰字鏡）。これに、そのようにある意に形容詞化するナシが接續したものの名詞形。いらいらすること、烈しいこと。以上の句は、宇治の稚郎子《わきいらつこ》の歌と傳える古歌謠に出ている。「伊良那祁久《イラナケク》　曾許爾淤母比傳《ソコニオモヒデ》　加那志祁久《カナシケク》　許々爾淤母比傳《ココニオモヒデ》」（古事記五二）。

　奈氣久蘇良夜須家奈久尓於母布蘇良久流之伎母能乎　ナゲクソラヤスケナクニオモフソラクルシキモノヲ。ヤスケナクニは、形容詞安シのケ活用に、ヌコトの意のナクが接續している。「思空《オモフソラ》　安莫國《ヤスケナクニ》　嘆虚《ナゲクソラ》　不v安物乎《ヤスカラヌモノヲ》」（卷四、五三四）。

　春菜都麻須等　ワカナツマスト。ワカナツマスト（西）、ハルナツマスト（古義）。春菜は、「春菜採《ワカナツム》　妹之白紐《イモガシラヒモ》」（卷八、一四二一）以下數出している。ハルナかワカナカ。集中、若菜（卷十一、二八三八）はあり、ハル(427)ナはない。

　々保比々豆知弖　ニホヒヒヅチテ。ニホヒは、色に染まる意。色に染み濡れそぼちて。

　加欲敷良牟時盛乎伊多豆良尓須具之夜里都禮　カヨフラムトキノサカリヲイタヅラニスグシヤリツレ。トキノサカリは、ここでは、好季節をいう。ヤリツレは、已然條件法。段落ではない。以上の句、山上の憶良の「阿蘇比家武《アソビケム》　等伎能佐迦利乎《トキノサカリヲ》　等々尾迦禰《トドミカネ》　周具斯野利都禮《スグシヤリツレ》」（卷五、八〇四）の句を受けている。

　思努波勢流　シノハセル。思フの敬語に、助動詞リの接續したもの。お思いになつている。自分を思つている意。

　宇流波之美　ウルハシミ。快く思うゆえに。よしとするので。

　今日毛之賣良尓　ケフモシメラニ。シメラニは、すべてにの意で、今日終日。シミラニともいう。シミは、シミミのシミで繁森の意か。

【評語】前出の忽沈枉疾殆臨泉路云々の歌を基礎として改作し、古歌などから詞句を多く採り來つて補い入れて作つた。前作は段落があつたが、これはつづけている。長い歌だが、感興に乏しい。春の敍述のあたりに、もつと生鮮なところがあるべきであつたが、常套に墮した。古歌の句を援用しながら、一體に散文的である。

　

3970　あしひきの　山櫻花、

　ひと目だに　君とし見てば、

　吾《あれ》戀ひめやも。

　

　安之比奇能《アシヒキノ》　夜麻佐久良婆奈《ヤマサクラバナ》

　比等目太尓《ヒトメダニ》　伎美等之見?婆《キミトシミテバ》

　安禮古非米夜母《アレコヒメヤモ》

　

【譯】山のサクラの花を、一目だけでも、あなたと共に見たら、わたしは戀いないでしよう。

【釋】夜麻左久良婆奈　ヤマサクラバナ。山にあるサクラの花で、ヤマザクラの花ではない。池主の、山ガヒ(428)ニ咲ケル櫻ヲの歌に和えている。櫻花を戀しく思う心が、よくあらわれている。

　

3971　山吹の　茂み飛び潜《く》く

　鶯の　聲を聞くらむ

　君はともしも。

　

　夜麻扶枳能《ヤマブキノ》　之氣美登?久々《シゲミトビクク》

　?能《ウグヒスノ》　許惠乎聞良牟《コヱヲキクラム》

　伎美波登母之毛《キミハトモシモ》

　

【譯】山吹の茂みを飛びくぐるウグイスの聲を聞くでしようあなたはうらやましいことです。

【評語】池主の、鶯ノ來鳴クヤマブキの歌に和えている。先方の歌の語を返しているだけで、變化に乏しい。

　

3972　出で立たむ　力を無みと

　隱《こも》り居《ゐ》て　君に戀ふるに

　心神《こころど》もなし。

　

　伊泥多々武《イデタタム》　知加良乎奈美等《チカラヲナミト》

　許母里爲弖《コモリヰテ》　伎弥尓故布流尓《キミニコフルニ》

　許己呂度母奈思《ココロドモナシ》

　

【譯】出で立つべき力が無くて、こもつていてあなたに戀うので、しつかりした心もありません。

【釋】許己呂度母奈思　ココロドモナシ。ココロドは、心のはたらき、精神。

【評語】病後のありさまを寫している。心のぼうつとしたさまである。五句の表現は、類型的になつている。

　

三月三日、大伴宿祢家持

　

【釋】三月三日　ヤヨヒノミカ。含弘之�ｺ以下の歌文の日附と署名の一行である。ここまででその歌文が終る。目録に、これを次の詩に懸けたのは誤りである。

　

(429)七言晩春遊覽一首　并v序

　

七言、晩るる春の遊覽一首【序并はせたり。】

　

【釋】七言晩春遊覽一首　シチゴニ、クルルハルノイウラムヒトツ。七言は、七言の詩。晩春の遊覽は、詩の題。晩春は、三月であるのでいう。以下池主の詩及びその序で、この題詞は、作者みずからつけたものであろう。

　

上巳名辰、暮春麗景、桃花昭v瞼以分v紅、柳色合v苔而競v緑。于v時也、携v手曠望2江河之畔1、訪v酒※［向＋しんにょう］過2野客之家1。既而也、琴�嵩ｾv性、蘭契和v光。嗟乎今日所v恨、�ｺ星已少歟。若不2扣v寂合1v章、何以?2逍遙之趣1。忽課2短筆1、聊勒2四韻1云尓。

　

上《かみ》の巳《み》の名辰、暮春の麗貴、桃花｜瞼《まなぶた》を昭して紅を分かち、柳色苔を含みて緑を競ふ。時に手を携へて曠《ひろ》く江河の畔《ほとり》を望み、酒を訪《と》ひて※［向＋しんにょう］《はるか》に野客の家を過ぐ。既にして琴と�吹sさけ》と性《さが》を得、蘭のごとき契り、光を和《やはら》ぐ。ああ今日恨むる所は�ｺ星｜已《すで》に少きことを。もし寂《ひそ》めるを扣《たた》き章を含まずは、何をもちてか逍遥の趣を?《の》べむ。たちまちに短筆に課《おほ》せていささか四韻を勒すといふ。

　

【譯】三月三日の良い日に、暮春の美しい景は、桃の花がまぶしいまでに赤く咲き、柳の色が、苔の色のように緑を競つています。時に、友と共に廣く河のほとりを眺め、酒を尋ねて遠く野に住む人の家をたずねます。かくして琴と酒とは使用され、親しい交遊は、空氣をなごやかにします。殘念なことには、�ｺのある人のいないことです。もししずかにいるのを動かすに詩文をもつてしないならば、どうして悠々として遊ぶ心を述べら(430)れましようか。いそいで拙い筆を使つて八句の詩を記しました。

【釋】上巳名辰　カミノミノナアルトキ。上巳は、三月の最初の巳の日。この日、流れに臨んで禊《みそぎ》を修して邪氣を拂う。魏の文帝の時に、三日に定めたがなお上巳の名を存した。名辰は、佳き日。

　桃花昭瞼以分紅　モモノハナハマナブタヲチラシテクレナヰヲワカチ。桃花は、目ぶたに輝いて目のふちが桃花の色で赤くなる。

　柳色含苔而競緑　ヤナギノイロハコケヲフフミテミドリヲキホフ。含苔は、昭瞼に對するので、含黛の誤りだろうという。ヤナギの葉の色は、まゆずみの色を含んで、それと緑の色を競う。

　琴�嵩ｾ性　コトトサケトサガヲエ。琴と酒とが、その性能を發揮して。

　蘭契和光　ラニノゴトキチギリヒカリヲヤハラグ。蘭契は、易經の「同心之言（ハ）、其（ノ）臭（キ）如《ゴトシ》v蘭（ノ）」による。親しい友情をいう。和光は、老子の「和（ゲ）v光同（ニス）v塵（ヲ）」による。才能を隱して�ｺをあらわさないこと。

　�ｺ星已少歟　トクセイスデニスクナキコトヲ。�ｺ星は�ｺある人に屬している星。�ｺある人。ここでは家持をいう。家持のいないことを、已ニ少キコトと言つて、それを恨んでいる。

　不扣寂含章　ヒソメルヲタタキアヤヲフフマズハ。扣寂は、文選の陸士衡の文賦に「叩（キテ）2寂寞（ヲ）1求（ム）v音（ヲ）」とあるによる。内に思うことを文にあらわすをいう。含章は、文選の左太沖の蜀都賦に「楊雄含（ミテ）v章（ヲ）而挺生（ス）」とあるによる。文章を作ること。思い起して文を作るのでなくてはの意。

　勒四韻　シヰニヲシルシテ。四韻は、韻字四個ある詩。次の八句の詩。二句の終りごとに一つの韻字がある。

　

餘春媚日宜2怜賞1　　　　　　　　上巳風光足2覽遊1

柳陌臨v江縟2?服1　　　　　　　桃源通v海泛2仙舟1

(431)雲罍酌v桂三清湛　　　　　　　　羽爵催v人九曲流

縱醉陶心忘2彼我1　　　　　　　　酩酊無3處不2掩留1

　

餘《あまり》の春の媚《よ》き日は怜賞《あはれ》むべく、上の巳の風光は覽遊するに足れり。柳の陌《みち》は江に臨みて?服《いろぎぬ》を縟《まだらか》にし、桃の源は海に通ひて仙の舟を浮かぶ。雲の罍《みか》に桂を酌めば三清｜湛《たた》へ、羽の爵《さかづき》は人を催して九曲に流る。縱醉陶心して彼我を忘れ、酩酊して處として掩留《とど》まらずといふことなし

　

【譯】暮春の良い日は、賞美するがよい。三月三日の風光は、遊覽するに足りる。柳のある街は、河に臨んで美しい服を著た人をいろどり、仙人の住む里は海に通じて不思議な船を浮かべている。雲のもようの瓶で香の高い酒を酌めば、澄んだ酒が湛えられ、雀の形の盃は、人をうながして、幾度も曲つた水に流れる。十分に醉つて心をとろかして、すべてを忘れ、醉つては、どこにでも到る處に停滞する。

【釋】餘春媚日宜怜賞　ノコリノハルノヨキヒハアハレムベク。餘春は晩春に同じ。三月をいう。三月の美しい日は、賞美するによろしい。

　柳陌臨江縟?服　ヤナギノミチハエニノゾミテヨキコロモヲマダラカニセリ。柳陌は、柳のある路。?服は美しい衣服。縟は、いろどる。江に臨んで柳のある路があつて、路ゆく人の美しい衣服を一層美しく見せている。

　桃源通海浮仙舟　モモノミナモトハウミニカヨヒテヤマビトノフネヲウカベ。桃源は、仙人の住む國。桃源から出る川は、海まで流れて仙人の舟を浮かべている。

　雲罍酌桂三清湛　クモノミカニカツラヲクメバサムセイタタヘ。雲の模樣のある瓶について、桂酒、すなわちよい酒を酌めば、そこには澄んだ酒が湛えている。三清は清酒。

(432)　羽爵催人九曲流　ハネノサカヅキハヒトヲモヨホシテココノツノクマニナガル。羽爵は、スズメの形をした盃。頭尾羽翼などがついている。その盃が、人を催促するように、水の九曲する所を流れる。これは曲水の宴を歌つたもので、九曲ある流を作つて盃を流し、その流れて來るあいだに詩を作るので、かようにいう。

【評語】上巳の良き日に諸處を遊覧した趣である。江頭もあり、園中もある。もとより美しい句を求めて机上に製作しただけの作である。

　

三月四日、大伴宿祢池主

　

【釋】三月四日　ヤヨヒノヨカ。この行まで、七言晩春遊覽の題に含まれる。

　

昨日述2短懷1、今朝?2耳目1。更承2賜書1、且奉不次。死罪々々。

　

昨日は短き懷《おもひ》を述べ、今朝耳目を?《けが》す。更に賜はる書を承《うけたま》はり、また奉ること不次なり。死罪々々。

　

【釋】昨日述短懷　キゾノヒハミジカキオモヒヲノベ。以下前の三月四日の書?のあとがきである。昨日短懷を述べたというのは、三日の歌文をいう。

　今朝?耳目　ケサミミトメトヲケガス。この日づけの手紙を贈ることをいう。

　更承賜書　サラニタマハルフミヲウケタマハリ。家持から贈つた三日づけの手紙をいう。

　且奉不次　マタタテマツルコトフジナリ。不次は、順序もなく亂れている意。

　死罪々々　カシコシカシコシ。類聚名義抄に、死罪にカシコマルの訓がある。漢文で恐縮の意を誇張していう慣用字。

　

(433)不v遺2下賤1、頻惠2�ｺ音1、英雲星氣、逸調過v人。智水仁山、既?2琳瑯之光彩1、潘江陸海、自坐2詩書之廊廟1。騁2思非常1、託2情有理1、七歩成v章、數篇滿v紙。巧遣2愁人之重患1、能除2戀者之積思1。山柿歌泉、比v此如v蔑、彫龍筆海、粲然得v看矣。方知2僕之有1v幸也。敬和歌。其詞云、

　

下賤《いや》しきを遺《わす》れず、しきりに�ｺ音惠む。英雲星氣、逸《すぐ》れたる調べ、人に過ぎたり。智の水仁の山、既に琳瑯の光彩を?《つつ》み、潘の江、陸の海、おのづから詩書の廊廟に坐《を》り。思ひを非常に騁《は》せ、情を有理に託《つ》け、七歩章を成し數篇紙に滿つ。巧みに愁人の重き患へを遣り、能く戀ふる者の積る思ひを除く。山と柿との歌の泉、これに比ぶれば蔑《な》きが如し。龍を彫《ゑ》る筆の海は粲然として看ることを得たり。方《まさ》に僕の幸あるを知りぬ。敬《つつし》みて和ふる歌。その詞に云はく、

　

【譯】いやしいわたくしを忘れないで、重ねておたよりを下さいました。すぐれた意氣は、高い調子が人に越えています。智や仁の�ｺは、もとから玉のような光を包み、潘岳陸機のような方は、自然と詩文の宮殿におられます。思いを非凡の處に走らせ、情を理のあるところに寄せ、ちよつとのあいだに文章を作り、幾篇も紙に記されます。巧みに憂愁をいだく人の煩悶を除き、よく思慕する人の積る思いを去ります。山上の憶良や柿本の人麻呂の歌も、これにくらべれば、物の數でもありません。龍を彫るような筆の勢いは、はつきりと見ることができました。正しくわたくしの幸福であることを知りました。謹しんでお歌に唱和します。その言葉は、次の通りであります。

【釋】不遺下賤　イヤシキヲワスレズ。わたくしのようないやしい者を忘れないで、この句以下、また池主の書?で、題はない。

(434)　英雲星氣　エイウニセイキ。家持の歌品のすぐれていることを、天象によせてほめている。

　智水仁山　チノミヅニヌノヤマ。論語の「智者（ハ）樂（シミ）v水（ヲ）、仁者（ハ）樂（シム）v山（ヲ）」の句から來ている。家持の�ｺを、山と水とに喩えている。

　既?琳瑯之光彩　スデニタマノヒカリヲツツミ。琳瑯は美玉。玉の光を包藏している。

　潘江陸海　ハニノエロクノウミ。文選の作者、潘岳と陸機の文才を江海に喩え、これによつて家持の文才をほめている。

　自坐詩書之廊廟　オノヅカラシシヨノラウメウニヲリ。自然に詩の堂奧に坐す。

　騁思非常託情有理　オモヒヲツネナラヌニハセ、ココロヲコトワリアルニツク。思想を常ならぬ珍しいことに走らせ、心を道理あるに寄せる。

　七歩成章　シチブニアヤヲナシ。七歩は、魏の曹植《そうち》が、七歩にして詩を作つた故事。

　巧遣愁人之重患　タクミニウレヘビトノオモキオモヒヲヤル。巧みに物思う人の重い憂愁を拂う。

　山柿歌泉　ヤマトカキトノウタノイヅミ。山上の憶良と柿本の人麻呂との歌の流れ。家持の文の山柿之門の句による。

　彫龍筆海　タツヲヱルフミテノウミ。彫龍は、龍を彫るが如く巧みに文を作ること。筆海は文章をいう。

　

3973　大王の　命《みこと》かしこみ、

　あしひきの　山野《やまの》障《さは》らず

　天離《あまざか》る　鄙《ひな》も治《をさ》むる

　丈夫《ますらを》や　何かもの念《も》ふ。」

(435)　あをによし　奈良｜路《ぢ》來通《きかよ》ふ

　玉｜梓《づさ》の　使絶えめや。」

　籠り戀ひ　息づき渡り、

　下念《したもひ》よ　嘆かふわが夫《せ》、

　古《いにしへ》ゆ　言ひ繼ぎ來《く》らし。

　世の中は　數なきものぞ。

　慰むる　事もあらむと、

　里人の　吾《あれ》に告ぐらく、

　山｜傍《び》には　櫻花散り

　貌鳥《かほどり》の　間なくしば鳴く。

　春の野に　すみれを摘むと、

　白栲の　袖折り反《かへ》し

　紅の　赤裳《あかも》裾引《すそび》き、

　孃子らは　念ひ亂れて、

　君待つと　うら戀すなり。」

　心ぐし　いざ見に行かな。

　事はたなゆひ。」

　

　憶保枳美能《オホキミノ》　弥許等可之古美《ミコトカシコミ》

　安之比奇能《アシヒキノ》　夜麻野佐波良受《ヤマノサハラズ》

　安麻射可流《アマザカル》　比奈毛乎佐牟流《ヒナモヲサムル》

　麻須良袁夜《マスラヲヤ》　奈迩可母能毛布《ナニカモノモフ》

　安乎尓余之《アヲニヨシ》　奈良治伎可欲布《ナラヂキカヨフ》

　多麻豆佐能《タマヅサノ》　都可比多要米也《ツカヒタエメヤ》

　己母理古非《コモリコヒ》　伊枳豆伎和多利《イキヅキワタリ》

　之多毛比尓《シタモヒニ》　奈氣可布和賀勢《ナゲカフワガセ》

　伊尓之敝由《イニシヘユ》　伊比都藝久良之《イヒツギクラシ》

　餘乃奈加波《ヨノナカハ》　可受奈枳毛能曾《カズナキモノゾ》

　奈具佐牟流《ナグサムル》　己等母安良牟等《コトモアラムト》

　佐刀?等能《サトビトノ》　安禮迩都具良久《アレニツグラク》

　夜麻備迩波《ヤマビニハ》　佐久良婆奈知利《サクラバナチリ》

　可保等利能《カホドリノ》　麻奈久之婆奈久《マナクシバナク》

　春野尓《ハルノノニ》　須美禮乎都牟等《スミレヲツムト》

　之路多倍乃《シロタヘノ》　蘇泥乎利可敝之《ソデヲリカヘシ》

　久禮奈爲能《クレナヰノ》　安可毛須蘇妣伎《アカモスソビキ》

　乎登賣良波《ヲトメラハ》　於毛比美太禮弖《オモヒミダレテ》

　伎美麻都等《キミマツト》　宇良呉悲須奈理《ウラゴヒスナリ》

　己許呂具志《ココログシ》　伊謝美尓由加奈《イザミニユカナ》

　許等波多奈由比《コトハタナユヒ》

　

(436)【譯】天皇の命令を承わつて、山や野にも妨げられず、天のように遠い地方も治める男兒が、どうして物を思うのですか。美しい奈良への路を來り通う使は絶えましようや。それだのに家にこもつて戀い、溜息をして過ごし、心の中で思つて歎息するあなた。昔から言い繼いで來るらしい。世の中は長くないものですよ。慰める事もあろうと、里人がわたくしに告げますには、山邊にはサクラの花が散り、貌鳥の間斷なく鳴く春の野に、スミレを採むと、白い織物の袖を折り返して、紅の赤裳を裾引いて、娘たちは、思い亂れて、あなたを待つと、心で戀しているのです。かわいそうです。さあ見に行きましよう。事はきまりました。

【構成】第一段、丈夫ヤ何カモノ念フまで。家持の物を思つているのを問う。第二段、使絶エメヤまで。使の往來するを述べる。第三段、ウラ戀スナリまで。はじめに家持を呼びかける。この呼びかけは、終りまでにかかる。古人の言をひき、さて里人の言をあげて、娘子のことを述べる。第四段、終りまで。見に行こうと誘う。短い文章が重なつているが、あちこちにわたつて述べている傾きがある。

【釋】夜麻野佐波良受　ヤマノサハラズ。サハラズは、障ラズで、妨害されないで。

　比奈毛乎佐牟流　ヒナモヲサムル。モは、山野障ラズと、天ザカルを受けて、そのような夷もの意になる。

　奈迩可母能毛布　ナニカモノモフ。家持の鬱々として慰まないでいるのを、尋ね問う調子で、物思うわけはないのだがの意をなしている。句切。

　奈良治伎可欲布　ナラヂキカヨフ。ナラヂは、越中の國から奈良に行く道をいう。

　都可比多要米也　ツカヒタエメヤ。奈良とのあいだを往來する使は、絶えることがないだろうの意で、悲傷している心を慰めている。しかしこの一段は、他との連絡なく、插入的である。句切。

　己母理古非伊枳豆伎和多利　コモリコヒイキヅキワタリ。家にこもつて戀しく溜息をついて日を過ごして、次のワガ夫、すなわち家持の動作をいう。上の句を受けては、それだのにの意に起している。

(437)　之多毛比余奈氣可布和賀勢　シタモヒヨナゲカフワガセ。ヨは、ここでは理由を示すために使われている。この種のヨの用例には、普通、ユと讀んでいるが「眞氣長《マケナガク》　戀心自《コフルココロユ》　白風《アキカゼニ》　妹音所v聽《イモガコヱキコユ》」（卷十、二〇一六）などがある。下思いによつて歎く意である。考に余を尓の誤りとしているが、誤りとすべきでない。ワガセは、家持をいう。この句で呼びかけ、下の、イザ見ニ行カナの相手となつている。家持の更に贈る歌の句を採つている。句切。

　伊尓之敝由伊比都藝久良之　イニシヘユイヒツギクラシ。獨立文で、次の、世ノ中ハ數ナキモノゾだけの説明である。略解に、久良之を久良久の誤りとしているが、原文のままでよい。「神代欲里《カミヨヨリ》　伊比都藝家良之《イヒヅギケラシ》　父母乎《チチハハヲ》　見波多布刀久《ミレバタフトク》」（卷十八、四一〇六）。

　可受奈枳毛嚢曾　カズナキモノゾ。カズナキは、數無キで、短いことをいう。人生無常の佛教思想による。「世間波《ヨノナカハ》　加受奈枳物能可《カズナキモノカ》」（卷十七、三九六三）。句切。

　安禮迩都具良久　アレニツグラク。吾ニ告グラク。君待ツトウラ戀スナリまでに懸かつていると見られる。

　可保等利能　カホドリノ。カホドリ、未詳。美しい鳥か。「容鳥能《カホドリノ》　間無數鳴《マナクシバナク》」（卷三、三七二）參照。

　伎美麻都等　キミマツト。吾ニ告グラクとあるが、このキミは家持をさしているのだろう。

　宇良呉悲須奈理　ウラゴヒスナリ。ウラゴヒは、心中に戀うこと。ここまで、里人の告げたこと。句切。

　己許呂具志　ココログシ。心の鬱結している?をいう形容詞で、ここは家持が家にあつて憂鬱にいるのを敍している。獨立句。

　許等波多奈由比　コトハタナユヒ。コトは、事。タナは、多くタナシルと使つている。それはすべて知るの意である。「家忘《イヘワスレ》　身毛多奈不v知《ミモタナシラニ》」（卷一、五〇）、「人丹勿告《ヒトニナツゲソ》　事者棚知《コトハタナシリ》」（卷十三、三二七九）。ユヒは、結ヒで、約束。「宇伎由比《ウキユヒ》」（古事記上卷）などのユヒであろう。タナユヒは、用言の連用形で、事はタナユヒテ(438)のような意で、約束した時の慣用句になつているのだろう。

【評語】家持を慰めて、野外に誘おうとしている。親切な情の窺われる作である。各段の配置は、多少散漫で密接な關係を持たない句もある。娘子らの待つ樣を述べたあたりが山だが、その敍述には特殊性がない。

　

3974　やまぶきは　日に日に咲きぬ。

　うるはしと　あが念《も》ふ君は

　しくしく念ほゆ。

　

　夜麻夫枳波《ヤマブキハ》　比尓々々佐伎奴《ヒニヒニサキヌ》

　宇流波之等《ウルハシト》　安我毛布伎美波《アガモフキミハ》

　思久々々於毛保由《シクシクオモホユ》

　

【譯】ヤマブキは、日に日に咲きました。慕わしいとわたくしの思うあなたは、重ね重ね思われます。

【釋】宇流波之等　ウルハシト。ウルハシは、りつぱで愛すべくある意の形容詞。

【評語】ヤマブキは、目前の物につけて述べているが、これによつて相手の愛すべき所以を譬喩にしている。しかし歌の上では、上二句はヤマブキの説明、下三句は、思う心の説明で、直接に關係なく述べられている、ただヒニヒニと、シクシクとが對比を成して、ここに不即不離の妙を成している。

　

3975　わが夫子《せこ》に　戀ひすべなかり、

　葦垣《あしがき》の　外《ほか》になげかふ

　あれし悲しも。

　

　和賀勢故迩《ワガセコニ》　古非須倣奈賀利《コヒスベナカリ》

　安之可伎能《アシガキノ》　保可尓奈氣加布《ホカニナゲカフ》

　安禮之可奈思母《アレシカナシモ》

　

【譯】あなたに戀していたし方がなくて、葦垣の外のように、よそに歎いているわたくしは、悲しいことです。

【釋】安之可伎能　アシガキノ。枕詞。葦垣の外と續く。この句で、いやしい垣の外と卑下する心をあらわしている。

(439)　保可尓奈氣加布　ホカニナゲカフ。ホカニは、家持に逢うこともなく、別にいての意。よそながらと謙遜している。

【評語】格別の事はなく、平凡な内容の歌である。わずかに葦垣の枕詞が珍しく、特殊の味を出している。葦垣の外で、自分のいる處を謙遜していう意を示している。

　

三月五日、大伴宿祢池主

　

【釋】三月五日　ヤヨヒイツカ。下賤ヲ遺レズ以下の歌文の日づけである。

　

昨暮來使、幸也以垂2晩春遊覽之詩1、今朝累信、辱也以?2相招望v野之歌1。一看2玉藻1、稍寫2鬱結1、二吟2秀句1、已?2愁緒1。非2此眺翫1、孰能暢v心乎。但走、稟性難v彫闇神靡v瑩、握v翰腐v毫、對v研忘v渇。終日目流、綴之不v能、所v謂文章天骨、習之不v得也。豈堪3探v字勒v韻叶2和雅篇1哉。抑聞2鄙里少兒1、古人言無v不v酬。聊裁2拙詠1、敬擬2解咲1焉。【如3今賦v言勒v韻、同2斯雅作之篇1、豈殊3將v石間v瓊、唱v聲遊2走曲1歟。抑小兒譬2濫謠1敬寫2葉喘1式擬v亂曰】

　

昨《きぞ》の暮《ゆふべ》に來し使は、幸にも晩るる春の遊覽の詩を垂れ、今朝の累信は、辱くも相招きて野を望む歌を?《たま》ふ。一たび玉藻を看て、やや鬱結を寫《のぞ》き、二たび秀句を吟じて、すでに愁緒を?《のぞ》く。この眺翫にあらずは、孰《たれ》かよく心を暢《の》べむ。ただ走《やつがれ》、稟性彫り難く、闇き神瑩くことなし。翰《ふみて》を握《と》りて毫《け》を腐《くた》し、け《すずり》に對《む》かひて渇《かわ》くことを忘る。終日流れを目して、綴れども能《あた》はず。いはゆる、文章は天骨にして、習ひて得ず。あに字を(440)探り韻を勒《しる》して雅《みやび》なる篇に叶和するに堪《あ》へめや。そもそも鄙《いや》しき里の少兒に聞かくは、古の人は言の酬《むく》いずといふことなしといへり。いささか拙き詠を裁《つく》り、敬《つつし》みて解咲に擬《なぞ》ふ。【今言を賦み韻を勒し、この雅作の篇に同ふるが如きは、あに石をもちて瓊に間へ、聲に唱ひ走る曲に遊ぶに殊ならめや。そもそも小兒の濫に謠ふに譬ふ。敬しみて葉端に寫し、もちて亂に擬へて曰はく、】

　

【譯】昨夕のお使は、幸にも晩るる春の遊覽の詩を賜わり、今朝の重ねてのおたよりは、ありがたくも招待して野に望む歌を下さいました。一度御作を見て少しく憂鬱を除き、二度すぐれた句を吟じて、すつかり憂愁を拂いました。この風光は詩歌でありませんでしたら、誰がよく心をのびやかにいたしましよう。ただわたくしは、生まれつき才氣なく、おろかな心は磨くことがございません。筆を取つては筆先を腐らせ、硯に向かつては墨の水のかわくのを忘れます。一日中見やるばかりで文章が作れません。文章は生まれつきであつて學んでもできません。どうして字を探し韻を踏んで御作に唱和することができましよう。いやしい里の子どもに聞きましたことは、昔の人は、返事をしないということはないそうであります。そこで拙いものを作つて、謹んでお笑いぐさにいたします。（今詩を作り韻を踏んでこの良い御作に和するが如きは、石をもつて珠に交え、聲をあげて歌曲に從うに同じでしよう。小兒がみだりに唱うようなものです。謹んで紙の端に記してもつてお返しに供えます。）

【釋】昨暮來使　キゾノユフベニコシツカヒハ。以下三月五日の大伴の家持の歌文である。昨暮は三月四日の暮。來使は、池主から晩春遊覽の詩を贈つた使をいう。

　相招望野之歌　アヒマネキテノニノゾムウタ。池主から贈つた、大君ノ命カシコミ云々の歌をいう。招いて野に望む歌の意だが、まずい句である。

　稍寫鬱結　ヤヤニムスボホリヲノゾキ。寫は除也とある意で、除くこと。鬱結は、心の憂悶。

　但走　タダヤツガレ。仙覺本には、走を、惟下僕としている。これは元暦校本には赭書する所で、作者の兩(441)案が傳わつたものと思われる。走は、卑下の第一人稱。「走雖v異v郡」（卷十六、三八六九左註）。

　稟性難彫　ヒトトナリヱリガタク。難彫は、論語の「朽木（ハ）不v可（カラ）v彫（ル）也」によつて、生まれつき修練しがたいことを述べているのだろう。

　闇神靡瑩　クラキココロミガクコトナシ。おろかな心は、磨くことがない。

　握翰腐毫　フミテヲトリテケヲクタシ。筆を手にしても、文を書くことができないで、筆の毛を腐らせる。

　對研忘渇　スズリニムカヒテカワクヲワスル。硯に對しては、硯の水のかわくのを知らない。共に文章の書けないことをいう。

　終日目流　ヒネモスニナガレヲミテ。目流は不明。メナガレテか。目を因に作るも本もあるが、それでも不明。

　豈堪探字勒韻叶和雅篇哉　アニモジヲサグリヰニヲシルシテミヤビナルフミニコタフルニアヘメヤ。どうして文字を探索し韻字を定めてあなたの作つた風雅な作に答えることができましようか。池主の贈つた七言の詩に答えることができない旨をいう。

　抑聞鄙里少兒　ソモソモイヤシキサトノワラハニキカクハ。それはそうだがいやしい里の少兒の言に聞くことは。少兒というのは、借りていうだけで、實際の少兒ではない。

　古人言無不酬　イニシヘノヒトハコトノムクイズトイフコトナシトイヘリ。昔の人は、人から贈られた言に答えないということはないそうである。

　如今賦言勒韻同斯雅作之篇　イマコトヲヨミヰニヲシルシコノミヤビナルヘニニコタフルガゴトキハ。以下の文は、上文の、豈堪探字勒韻以下の別案であろう。文中、將石間瓊の句は、既に三月三日の文に使用しているから、ここに重ねて使用することはなかるべく、よつてこの文が初めの案であつて、實際には使用されなか(442)つたのだろう。但し本文の方も、やはり草稿が殘つたものと見られるから、池主に贈つたものは、なお相違するところがあつたかも知れない。

　唱聲遊走曲歟　コヱニウタヒハシルフリニアソブニ。唱聲遊走曲は、上の將石間瓊の句に對しているから、四字を可とするが如く、走の字は、或るいは衍字でもあろう。意味はよくわからないが、聲を出して、演奏される曲について歌うとでもいうことだろうか。

　敬寫葉端　ツツシミテカミノハシニウツシテ。菓端は、紙端に同じ。葉の字をもつて紙數をかぞえるのでいう。

　式擬亂曰　モチテラニニナゾヘテイハク。亂はあきらかで、文意を重ねおさめる意。長文の後に、短文をもつて文意を述べるもの。荀子の文に、亂曰とし、これをつけている。

　

(443)七言一首

　

【釋】七言一首　シチゴニヒトツ。七言の詩一首で、次の詩をいう。

　

杪春餘日媚景麗　　　　　　初巳和風拂自輕

來燕銜v泥賀v宇入　　　　歸鴻引v蘆?赴v瀛

聞君嘯侶新流v曲　　　　　禊飲催v爵泛2河清1

雖v欲v追2尋良此宴1　　　還知染v懊脚※［足＋令］※［足＋丁］

　

杪《すゑ》の春の餘れる日は媚き景《かげ》麗しく、初めの巳の和める風は拂ふことおのづから輕し。來れる燕は泥を銜《ふふ》みて宇を賀きて入り、歸る鴻《かり》は蘆《あし》を引きて?《はるか》に瀛《おき》に赴く。聞くならく、君が嘯の侶《とも》と新たに曲を流《つた》ふることを。禊《みそぎ》の飲《うたげ》に爵《さかづき》を催して河の清きに泛《う》かぶ。良《よ》きこの宴を追ひ尋《と》めむと欲《おも》へども、還りて知る、懊《やまひ》に染《し》みて脚の※［足＋令］※［足＋丁］たることを。

　

【譯】暮春のあまつた日は、なまめかしい景が美しく、三月三日のなごやかな風は、吹き來つて自然に輕い。おとずれ來た燕は、泥をくわえて家を祝つて入り、北に歸る雁は、蘆間に跡を殘して遠く海上に行く。聞くところでは、あなたは詩歌の友人と新たに曲水に盃を流し、身を淨め、酒を酌み、盃を取つて清らかな流れに浮かべたそうである。この良い宴を追つて尋ねようと思うけれども、かえつて病に沈んで、脚のよろよろすることがわかる。

【釋】杪春餘日媚景麗　スヱノハルノアマレルヒハヨキカゲウルハシク。杪春は季春に同じ。杪は樹の末。餘日は、殘りの日で、夕暮をいうのだろう。

(444)　來燕銜泥賀宇入　キタレルツバメハヒヂヲフフミテイヘヲコトホギテイリ。燕が泥を口にするのは、巣を作るためである。宇は家屋。

　歸鴻引蘆過赴瀛　カヘルカリハアシヲヒキテハルカニオキニオモムク。鴻雁が江邊を立つさまを、アシを引くという。

　聞君嘯侶新流曲　キクナラクキミガウタノトモトアラタニゴクヲツタフルコトヲ。嘯侶、唱う友で、歌人の仲間であろう。曲は曲水。上巳の節に行われる風雅の遊び。盃を曲水に流してその來るまでに詩を作る遊び。

　禊飲催爵泛河清　ミソギノウタゲニサカヅキヲモヨホシテカハノキヨキニウカブ。三月三日、流水に臨んで禊を修するので、その時の宴を禊飲と言つている。爵は酒盃。この二句は、池主の詩「羽爵催v人九曲流」の句を受けている。

　還知染懊脚※［足＋令］※［足＋丁］　カヘリテシルヤマヒニシミテアシノレイテイタルコトヲ。懊は、惱むこと。ここは病氣。※［足＋令］※［足＋丁］は、足のよろめく形容。

【評語】家持は、漢詩の方は、修練を積んでいなかつたと見え、前文にもあるように、隨分苦心したようだが全く詩になつていない。わずかにその意のあるところを模索し得るに過ぎない。

　

短歌二首

　

3976　咲けりとも　知らずしあらば、

　黙《もだ》もあらむ。

　このやまぶきを　見せつつもとな。

　

　佐家理等母《サケリトモ》　之良受之安良婆《シラズシアラバ》

　母太毛安良牟《モダモアラム》

　己能夜萬夫吉乎《コノヤマブキヲ》　美勢追都母等奈《ミセツツモトナ》

　

(445)【譯】咲いているとも知らないでいるなら、そのままにも過ごされましよう。それだのにこのヤマブキを見せてしかたのないことです。

【評語】池主から、歌に添えてヤマブキを贈つたと見えて、それに對する答の歌である。卷の十の歌の秋ハギをヤマブキにかえたに過ぎない。

【參考】類歌。

　　咲けりとも知らずしあらばもだもあらむ。この秋はぎを見せつつもとな（卷十、二二九三）

　

3977　葦垣の　外《ほか》にも君が

　倚《よ》り立たし、

　戀ひけれこそは、夢《いめ》に見えけれ。

　

　安之可伎能《アシガキノ》　保加尓母伎美我《ホカニモキミガ》

　余里多々志《ヨリタタシ》

　孤悲家禮許曾婆《コヒケレコソハ》　伊米尓見要家禮《イメニミエケレ》

　

【譯】葦垣のほかにもあなたがおより立ちになつて、戀したので夢に見えたのでした。

【釋】安之可伎能　アシガキノ。池主の歌では枕詞として使つていたが、ここでは實事の語としている。ここでは謙遜を感じていないが、わざと謙遜の意をとりあげなかつたのだろう。

　孤悲家禮許曾婆　コヒケレコソハ。戀ひければこそ。コソは、係助詞。

【評語】池主の歌の語を使つて返している。枕詞として使つたのを實事としたのは、變化である。女子などに對する歌のようで、友人に對する返歌らしくない。

　

三月五日、大伴宿祢家持、臥v病作之。

　

三月五日、大伴の宿禰家持、病に臥して作れる。

　

(446)【釋】三月五日　ヤヨヒイツカ。昨暮來使以下の詩歌文章の日づけである。

　

述2戀緒1歌一首　并2短歌1

　

戀の緒を述ぶる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】述戀緒歌　コヒノヲヲノブルウタ。戀緒は、戀を、その續く性質によつて緒に譬えている。戀の心である。都に残して來た妻の坂上の大孃を思つて詠んでいる。

　

3978　妹《いも》もわれも　心は同《おや》じ。

　副《たぐ》へれど　いや懷《なつか》しく、

　相見れば　常《とこ》初花に、

　情《こころ》ぐし　眼《め》ぐしもなしに、

　愛《は》しけやし　吾《あ》が奧妻《おくづま》。」

　大王《おほきみ》の　命《みこと》かしこみ

　あしひきの　山越え野《ぬ》行き、

　天《あま》ざかる　鄙《ひな》治《をさ》めにと

　別れ來《こ》し　その日の極《きは》み、

　あらたまの　年行き返《がへ》り、

　春花の　うつろふまでに、

(447)　相見ねば　いたもすべなみ、

　敷｜栲《たへ》の　袖｜返《かへ》しつつ

　宿《ぬ》る夜おちず　夢には見れど、

　現《うつつ》にし　ただにあらねば、

　戀しけく　千重に積《つも》りぬ。」

　近くあらば

　かへりにだにも　うち行きて、

　妹が手《た》枕　さし交《か》へて、

　宿《ね》ても來《こま》ましを。

　玉桙の　路はし遠く、

　關さへに　隔《へな》りてあれこそ、

　よしゑやし　よしはあらむぞ。

　ほととぎす　來鳴かむ月に

　いつしかも　早くなりなむ。

　卯の花の　にほへる山を

　外《よそ》のみも　ふり放《さ》け見つつ、

　淡海路《あふみぢ》に　い行きのり立ち、

(448)　あをによし　奈良の吾家《わぎへ》に

　ぬえ鳥の　うら嘆《な》けしつつ、

　下戀《したごひ》に　念ひうらぶれ、

　門に立ち　夕占《ゆふけ》問ひつつ、

　吾《あ》を待つと　宿《な》すらむ妹を

　逢ひてはや見む。」

　

　妹毛吾毛《イモモワレモ》　許己呂波於夜自《ココロハオヤジ》

　多具敝禮登《タグヘレド》　伊夜奈都可之久《イヤナツカシク》

　相見婆《アヒミレバ》　登許波都波奈尓《トコハツハナニ》

　情具之《ココログシ》　眼具之毛奈之尓《メグシモナシニ》

　波思家夜之《ハシケヤシ》　安我於久豆麻《アガオクヅマ》

　大王能《オホキミノ》　美許登加之古美《ミコトカシコミ》

　阿之比奇能《アシヒキノ》　夜麻古要奴由伎《ヤマコエヌユキ》

　安麻射加流《アマザカル》　比奈乎左米尓等《ヒナヲサメニト》

　別來之《ワカレコシ》　乃日乃伎波美《ソノヒノキハミ》

　荒璞能《アラタマノ》　登之由吉我敝利《トシユキガヘリ》

　春花乃《ハルバナノ》　宇都呂布麻泥尓《ウツロフマデニ》

　相見祢婆《アヒミネバ》　伊多母須敝奈美《イタモスベナミ》

　之伎多倍能《シキタヘノ》　蘇泥可敝之都追《ソデカヘシツツ》

　宿夜於知受《ヌルヨオチズ》　伊米尓波見禮登《イメニハミレド》

　宇都追尓之《ウツツニシ》　多太尓安良祢婆《タダニアラネバ》

　孤悲之家口《コヒシケク》　知敝尓都母里奴《チヘニツモリヌ》

　近在者《チカクアラバ》

　加敝利尓太仁母《カヘリニダニモ》　宇知由吉?《ウチユキテ》

　妹我多麻久良《イモガタマクラ》　佐之加倍?《サシカヘテ》

　祢天蒙許萬思乎《ネテモコマシヲ》

　多麻保己乃《タマホコノ》　路波之騰保久《ミチハシトホク》

　關左閇尓《セキサヘニ》　敝奈里?安禮許曾《ヘナリテアレコソ》

　與思惠夜之《ヨシヱヤシ》　餘志播安良武曾《ヨシハアラムゾ》

　霍公鳥《ホトトギス》　來鳴牟都奇尓《キナカムツキニ》

　伊都之加母《イツシカモ》　波夜久奈里那牟《ハヤクナリナム》

　宇乃花能《ウノハナノ》　尓保敝流山乎《ニホヘルヤマヲ》

　余曾能未母《ヨソノミモ》　布里佐氣見都追《フリサケミツツ》

　淡海路尓《アフミヂニ》　伊由伎能里多知《イユキノリタチ》

　青丹吉《アヲニヨシ》　奈良乃吾家尓《ナラノワギヘニ》

　奴要鳥能《ヌエドリノ》　宇良奈氣之都追《ウラナケシツツ》

　思多戀尓《シタゴヒニ》　於毛比宇良夫禮《オモヒウラブレ》

　可度尓多知《カドニタチ》　由布氣刀比都追《ユフケトヒツツ》

　吾乎麻都等《アヲマツト》　奈須良牟妹乎《ナスラムイモヲ》

　安比?早見牟《アヒテハヤミム》

　

【譯】妻もわたしも、心は同じだ。一緒にいてもいよいよなつかしく、見ればいつも始めて咲く花のように、心のくもり、眼のくもることもなしに、愛すべきわたしの大切な妻だ。天皇の命令を承わつて、山を越え野を行き、天のように遠い地方を治めにと別れて來た日を最後に、改まる年が行き變わつて、春の花の衰えるまでに、逢わないので、非常にいたし方なく、やわらかい袖を返して寐る夜毎に、夢には見るけれども、現實に直接でないので、戀しいことは幾重にも積つた。近かつたら往復にでも行つて、妻の手枕をさしかわして寐ても來ようものを、路は遠く、關までも隔てているので、しかたがない。よし方法はあるぞ。ホトトギスの來て鳴く月に、何時か早くなつてくれ。卯の花の咲いている山を、よそながらも眺め見つつ、近江の國へ行く道に行きかかつて、美しい奈良のわが家で、ぬえ鳥のように歎息しつつ、心で戀しく思いさびしがつて、門に立つて夕占を問いながら、わたしを待つと寐ているだろう妻を、逢つて早く見よう。

【構成】第一段、吾ガ奧妻まで。最愛の妻を敍する。第二段、戀シケク千重ニ積リヌまで。別れて來て戀しいことを述べる。第三段、終りまで。四月になつたら都に行つて逢つて來ようと希望を述べる。

【釋】妹毛吾毛許己呂波於夜自　イモモワレモココロハオヤジ。オヤジは、同じ。日本書紀に「於野兒弘?農(449)倶《オヤジヲニヌク》」（天智天皇、一二五）。本集では、オヤジ、オナジ兩用している。この句は獨立文で、妻も自分も愛する心は同じだといい、直接には、次の副ヘレド以下を説明し、間接には、全體に懸かつている。

　多具敝禮登　タグヘレド。タグフは、副フ。共にいるけれども。

　登許波都波奈尓　トコハツハナニ。トコハツハナは、常初花で、永久不變の始めて咲く花。いつも愛すべくある意をいう譬喩。常初花のようにの意。

　情具之眼具之毛奈之尓　ココログシメグシモナシニ。グシは、くもる、こもるの意の形容詞で、心、眼に接して熟語を作り、心がはれない、眼がくもるの意を成すのであろう。ここはその否定で、心のくもり眼のくもることもなしにの意。次の、ハシケヤシの句に續く。なくして愛しきの意である。

　安我於久豆麻　アガオクヅマ。オクヅマは、心の奧に大切に思う妻。他に所見のない語。心ヅマという語はある。この句は、その妻を呼び懸けている形。句切。

　曾乃日乃伎波英　ソノヒノキハミ。その日を最後として。

　登之由吉我敝利　トシユキガヘリ。年が行つて歸つて、翌年になつたことをいう。

　春花乃宇都呂布麻泥尓　ハルバナノウツロブマデニ。三月二十日の作で、春の花の終りになつたことをいう。

　孤悲之家口　コヒシケク。戀しいこと。名詞形。

　加敝利尓太仁母　カヘリニダニモ。カヘリニは、行つて歸ることをいう。往復の意である。家持の作に「關無者《セキナクバ》　還爾谷藻《カヘリニダニモ》　打行而《ウチユキテ》　妹之手枕《イモガタマクラ》　卷手宿益乎《マキテネマシヲ》」（卷六、一〇三六）。

　關左閇尓　セキサヘニ。セキは、越前と近江との國境にある愛發《あらち》の關をいう。

　敝奈里?安禮許曾　ヘナリテアレコソ。アレコソは已然條件法。このコソの結びがない。下に語を省略したと見るのである。關までも隔ててあることを、既定の事實として、コソでそれを強く提示する。このコソは係(450)助詞と見るほかはないが、この形で文を終止することのできるのが注意される。「乎良無登須禮杼《ヲラムトスレド》　宇良和可美許曾《ウラワカミコソ》」（卷十四、三五七四）などのコソと同樣の用法である。句切。

　與思惠夜之餘志播安良武曾　ヨシヱヤシヨシハアラムゾ。插入した獨立文。ヨシヱヤシは、ヨシと放す意の副詞。ヨシハアラムゾは、なすべき手だてはあろうの意。

　霍公鳥來鳴牟都奇尓　ホトトギスキナカムツキニ。本卷、三九八四の左註に「霍公鳥者、立夏之日來鳴必定」とある。ホトトギス來鳴カム月とは四月である。五月の初めに、税帳使として上京しているから、そのことを豫想しているのである。

　伊由伎能里多知　イユキノリタチ。路を行くことを、路に乘るという。ノリタチは、路を行くことで、馬や船に乘る意ではない。

　奴要鳥能　ヌエドリノ。枕詞。ヌエドリ、トラツグミ。以下、妻の?態を推量している。

　宇良奈氣之都追　ウラナケシツツ。字音假字で書いているので、ウラナケという語のあつたことが知られ、またこれによつて、「奴要子鳥《ヌエコドリ》　卜歎居者《ウラナケヲレバ》」（卷一、五）の卜歎、「奴延鳥之《ヌエドリノ》　裏歎座津《ウラナケマシツ》」（卷十、一九九七）の裏歎などの訓もウラナケであろうと推考されている。このウラナケは、下二段活であろうと考えられる。受身の意である。動詞ナゲク（歎、嘆、嗟）は、長い息をつく義とされているが、集中の用例（變化を含む）中、假字書きのものは奈の下の音に氣の字を使つたものが斷然多く、二十三あり、ほかに介二、毛一であるに對して、ゲを示すと思われるものは、藝一、宜三の例があるに過ぎない、これによれば長息の義とすることは疑問であり、むしろナケという古語があり、それが再活用してナケクとなつたものとすべきであろう。なお藝を使つたのは卷の十四、宜を使つたのは卷の五、卷の十八である。

　由布氣刀比都追　ユフケトヒツツ。ユフケは、夕方の占ない。

(451)　奈須良牟妹乎　ナスラムイモヲ。ナスは、寐ルの敬語。

【評語】信じて疑わない相思の情がよく寫されている。やがて夏にもならば都に行つて妹を見ようと想像を述べているあたりが、中心であつて、相當に熟して來ている。

　

3979　あらたまの　年かへるまで

　相見ねば、

　心もしのに　念ほゆるかも。

　

　安良多麻乃《アラタマノ》　登之可敝流麻泥《トシカヘルマデ》

　安比見祢婆《アヒミネバ》

　許己呂毛之努尓《ココロモシノニ》　於母保由流香聞《オモホユルカモ》

　

【譯】改まる年が來るまで逢わないので、心もしおれて思われるなあ。

【評語】内容も平凡だし、表現も類型的で、何の特色もない。心モシノニは、慣用句で、人麻呂の作を初めとし、集中しばしば使われている。

　

3980　ぬばたまの　夢《いめ》にはもとな

　相見れど、

　直《ただ》にあらねば　戀ひ止《や》まずけり。

　

　奴婆多麻乃《ヌバタマノ》　伊米尓波母等奈《イメニハモトナ》

　安比見禮騰《アヒミレド》

　多太尓安良祢婆《タダニアラネバ》　孤悲夜麻受家里《コヒヤマズケリ》

　

【譯】夜の夢には、ほんとに逢うけれども、直接でないので、戀いやまないことだ。

【釋】孤悲夜麻受家里　コヒヤマズケリ。コヒヤムという動詞にズが接續している。ズケリの假字書きの例は、なお「見禮度安可須介利《ミレドアカズケリ》」（卷十八、四〇四九）がある。

【評語】長歌の初句を採つて歌つている。一往まとまつているが、四五句は、説明的で、輕く扱つている。

　

(452)3981　あしひきの　山｜來隔《きへな》りて

　遠けども、

　心し行けば　夢《いめ》に見えけり。

　

　安之比奇能《アシヒキノ》　夜麻伎弊奈里?《ヤマキヘナリテ》

　等保家騰母《トホケドモ》

　許己呂之遊氣婆《ココロシユケバ》　伊米尓美要家里《イメニミエケリ》

　

【譯】山を越えて隔つていて遠いけれども、心が行くので、夢に見えたのだ。

【釋】夜麻伎弊奈里?　ヤマキヘナリテ。キは、來の意で、山を來て隔たる。越エヘナルともいう。「之良久毛能《シラクモノ》　多奈妣久夜麻乎《タナビクヤマヲ》　伊波禰布美《イハネフミ》　古要弊奈利奈婆《コエヘナリナバ》」（卷十七、四〇〇六）。

　許己呂之遊氣婆　ココロシユケバ。家持の心が都に行くので。「天雲乃《アマグモノ》　遠隔乃極《ソクヘノキハミ》　遠鷄跡裳《トホケドモ》　情志行者《ココロシユケバ》　戀流物可聞《コフルモノカモ》」（卷四、五五三）。

【評語】前の歌の一部を受けて歌つている。順序としては、この方が前にある方がよい。心が通えば夢に見えるという事は、一般に信じられていたのであろう。

　

3982　春花の　うつろふまでに

　相見ねば、

　月日｜數《よ》みつつ　妹待つらむぞ。

　

　春花能《ハルバナノ》　宇都路布麻泥尓《ウツロフマデニ》

　相見祢婆《アヒミネバ》

　月日餘美都追《ツキヒヨミツツ》　伊母麻都良牟曾《イモマツラムゾ》

　

【譯】春の花が衰えるまでに逢わないので、月日を數えて妻が待つているだろうよ。

【評語】長歌の句を採つて詠んでいる。長いあいだ逢わなかつたことを、春花ノウツロフマデニと言つたのには、情趣がある。

　

(453)右、三月廿日夜裏、忽兮起2戀情1作、大伴宿祢家持

　

右は、三月二十日の夜のうちに、たちまちに戀の情を起して作れる。大伴の宿禰家持。

　

【釋】夜裏　ヨノウチニ。裏は添えて書いている。夜中に同じ。「夜（ノ）裏（ニ）聞（ク）2千鳥（ノ）喧（クヲ）1歌」（卷十九、四一四六題詞）。

　

立夏四月、既經2累日1、而由未v聞2霍公鳥喧1、因作恨歌二首

　

立夏四月、既に累日《ひかず》を經れども、なほいまだほととぎすの喧くを聞かず。よりて作れる恨みの歌二首。

　

【釋】立夏四月既經累日而由未聞霍公鳥喧　ナツタチテウヅキスデニヒカズヲフレドモナホイマダホトトギスノナクヲキカズ。立夏は、暦面で夏季に入る時をいう。太陽の運行によつて算出するので、かならずしも月の初めと一致しないことは、立春などと同じである。ところで四月からを夏とするので、立夏四月といい、實際の四月にはまだなつていない。この歌は三月二十九日に作つているが、この年の立夏は、既に數日前にあつたのである。由は猶に同じ。

　

3983　あしひきの　山も近きを、

　ほととぎす、

　月立つまでに　何か來鳴かぬ。

　

　安思比奇能《アシヒキノ》　夜麻毛知可吉乎《ヤマモチカキヲ》

　保登等藝須《ホトトギス》

　都奇多都麻泥尓《ツキタツマデニ》　奈仁加吉奈可奴《ナニカキナカヌ》

　

【譯】山も近いのだが、ホトトギスは、月が始まるまで、どうして來て鳴かないのか。

【釋】都奇多都麻泥尓　ツキタツマデニ。ツキタツは、月の初めになるをいう。ここは立夏四月の節になるを(454)いうのだろうが、題詞がなければ、四月になることと解せられる。

【評語】　ホトトギスを待つ心がよくあらわれている。山に續いている國守の館の情景である。ホトトギスの聲を熱愛するまでに、大陸傳來の文雅の思想がしみこんでいたのである。

　

3984　玉に貫く　花橘を

　ともしみし、

　このわが里に

　來鳴かずあるらし。

　

　多麻尓奴久《タマニヌク》　波奈多知波奈乎《ハナタチバナヲ》

　等毛之美思《トモシミシ》

　己能和我佐刀尓《コノワガサトニ》

　伎奈可受安流良之《キナカズアルラシ》

　

【譯】玉として緒につらぬく橘の花が少ないとして、このわたしの住む里に來て鳴かないらしい。

【釋】波奈多知波奈乎等毛之美思　ハナタチバナヲトモシミシ。花橘が乏しいとして。下のシは、強意の助詞。

【評語】前の歌を受けて、連作になつている。ホトトギスの來ないゆえを、ここには推量している。橘の花とホトトギスとを密接な關係あるものとした、一の文雅思想をもととしている。ホトトギスの名をいわないのは、連作だからである。

　

霍公鳥者、立夏之日來鳴必定。又越中風土、希v有2橙橘1也。因v此大伴宿祢家持、感發2於懷1、聊裁2此歌1。　三月廿九日

　

ほととぎすは立夏の日來鳴くことかならず定まれり。また越中の風土、橙橘のあること希《まれ》なり。これに因りて、大伴の宿禰家持、感《おもひ》を懷《こころ》に發《おこ》していささかこの歌を裁《つく》る。【三月二十九日。】

　

【釋】立夏之曰來鳴必定　ナツタツヒキナクコトカナラズサダマレリ。ホトトギスは、立夏の日にきまつて鳴(455)くとされていたのである。以下の卷にもホトトギスについて「二日（ハ）應（ル）2立夏（ノ）節（ニ）1、故謂（ヘリ）2之明且將（ムト）1v喧（カ）也」（卷十八・四〇六八左註）、「二十四日應（レリ）2立夏四月（ノ）節（ニ）1也。因（リテ）v此（ニ）二十三日之暮（ニ）、忽（ニ）思（ヒテ）2霍公鳥曉（ニ）喧（カム）聲（ヲ）1作（レル）歌」（卷十九、四一七一）などある。

　

二上山賦一首　此山者有2射水郡1也

　

二上山の賦一首　【この山は射水の郡にあり。】

　

【釋】二上山賦　フタガミヤマノウタ。二上山は、伏木町の西方にある。標高二七〇メートル。山容が二峰竝立の形をしている。賦は詩の一體。詩經の註に、「賦（ハ）者、敷2陳（シ）其（ノ）事（ヲ）1、而直言（スル）之者也」。釋名に「敷2布（スル）其（ノ）義（ヲ）1、謂（フ）2之（ヲ）賦（ト）1」とある。動詞としては、「宜（シ）d賦（ミテ）2園（ノ）梅（ヲ）1聊成（ス）c短詠（ヲ）u」（卷五、八一五序）など、既に歌の上に使用されている。文選などの賦を見て、この歌を成したのであろう。

　有射水郡也　イミヅノコホリニアリ。射水の郡は、明治二十九年に分かつて射水、氷見《ひみ》の二郡とした。二上山は、その二郡に跨がつている。有は在に同じく使用されている。

　

3985　射水《いみづ》川　い行き廻《めぐ》れる

(456)　玉くしげ　二上《ふたがみ》山は、

　春花の　咲ける盛りに、

　秋の葉の　にほへる時に、

　いで立ちて　ふり放《さ》け見れば、

　神《かむ》からや　そこば貴《たふと》き。

　山からや　見が欲《ほ》しからむ。」

　皇神《すめがみ》の　裾《すそ》みの山の

　澁谿《しぶたに》の　埼の荒礒《ありそ》に、

　朝なぎに　寄する白波、

　夕なぎに　滿ち來る潮の

　いや増しに　絶ゆることなく、

　古《いにしへ》ゆ　今のをつづに、

　かくしこそ　見る人ごとに

　懸けて偲《しの》はめ。」

　

　伊美都河泊《イミヅガハ》　伊由伎米具禮流《イユキメグレル》

　多麻久之氣《タマクシゲ》　布多我美山者《フタガミヤマハ》

　波流波奈乃《ハルバナノ》　佐家流左加利尓《サケルサカリニ》

　安吉能葉乃《アキノハノ》　尓保敝流等伎尓《ニホヘルトキニ》

　出立?《イデタチテ》　布里佐氣見禮婆《フリサケミレバ》

　可牟加良夜《カムカラヤ》　曾許婆多敷刀伎《ソコバタフトキ》

　夜麻可良夜《ヤマカラヤ》　見我保之加良武《ミガホシカラム》

　須賣可未能《スメガミノ》　須蘇未乃夜麻能《スソミノヤマノ》

　之夫多尓能《シブタニノ》　佐吉乃安里蘇尓《サキノアリソニ》

　阿佐奈藝尓《アサナギニ》　餘須流之良奈美《ヨスルシラナミ》

　由敷奈藝尓《ユフナギニ》　美知久流之保能《ミチクルシホノ》

　伊夜麻之尓《イヤマシニ》　多由流許登奈久《タユルコトナク》

　伊尓之敝由《イニシヘユ》　伊麻乃乎都豆尓《イマノヲツツニ》

　可久之許曾《カクシコソ》　見流比登其等尓《ミルヒトゴトニ》

　加氣?之努波米《カケテシノハメ》

　

【譯】射水川の行き廻つている、玉くしげの蓋《ふた》という、その二上山は、春の花の咲いている盛りに、秋の木の葉の美しい時に、出で立つて眺め見れば、神靈のゆえにか、たいへん貴いのだろう。山のゆえにか見たくあるのだろう。その神の裾の山の、澁谿の埼の荒礒に、朝なぎに寄せる白浪、夕なぎに滿ちて來る汐のように、い(457)やましに絶えることなく、昔から現在まで、かように見る人ごとに、心に懸けて賞するであろう。

【構成】第一段、見ガホシカラムまで。二上山を提示して貴い愛すべき山であることを述べる。第二段、終りまで。昔から今に至るまで見る人ごとに賞美することを述べる。

【釋】伊美都河伯　イミヅガハ。今の射水川。飛騨の國から發して越中平原を流れて海に入る。現在の河口は明治時代の末に改修している。

　可牟加良夜曾許婆多敷刀伎　カムカラヤソコバタフトキ。カムカラは、神のゆえ。二上山の山靈を神とし、そのゆえにというのである。琴歌譜の正月元日の讀歌にあり、人麻呂の歌にも「國柄加《クニカラカ》　雖v見不v飽《ミレドモアカヌ》　神柄加《カムカラカ》　幾許貴寸《ココダタフトキ》」（卷二、二二〇）とある。その條參照。ヤは、疑問の係助詞。ソコバは、ソコバクに同じ。許多、たくさんの意。集中、他に見えない。「曾己良久爾《ソコラクニ》　堅目師事乎《カタメシコトヲ》」（卷九、一七四〇）のソコラクと關係(458)があるだろう。句切。

　夜麻可良夜見我保之加良武　ヤマカラヤミガホシカラム。二上山はを受けて、上の神カラヤソコバ貴キと對句になつて結んでいる。句切。

　須賣加未能　スメガミノ。スメガミは、二上山の神靈をいい、ここでは山のことをいう。續日本紀、寶龜十一年十二月の條に、越中の國射水の郡の二上の神に從五位の下を授くとあつて、神として仰がれていたものである。後、高岡市に遷して射水神社とした。

　須蘇未乃夜麻能　スソミノヤマノ。二上山の裾の山の。

　餘須流之良奈美　ヨスルシラナミ。寄せる白浪で、次の、滿チ來ル潮ノと共に、序となつて、イヤマシニを引き起している。

　美知久流之保能　ミチクルシホノ。皇神ノからこの句まで、序詞になつている。

　伊夜麻之尓多由流許登奈久　イヤマシニタユルコトナク。最後の、カケテ思ハムを修飾している。

　伊麻乃乎都豆尓　イマノヲツヅニ。ヲツヅは、ウツツと同語であるとするのは誤りで、別語であろう。文字および用法が違う。「久志美多麻《クシミタマ》　伊麻能遠都豆爾《イマノヲツヅニ》　多布刀伎呂可?《タフトキロカム》」（卷五、八一三）。言語篇いまのをつづ參照。

【評語】二上山の賞美される所以を説いている。賦とは題しているが、春花、秋葉の對句は、作りすぎて、集中を缺く。出デ立チテフリサケ見レバとあるのだから、具體的に春か秋かの一方にすべきであつた。神カラ、山カラに歸したのは、類型的な思想で、前のものを傳襲しただけである。後半、澁谿の埼の勝景を序に應用したのは巧みだが、二上山の裾というだけで、關係の説明が足りない。

　

(459)3986　澁谿《しぶたに》の　埼の荒礒《ありそ》に

　寄する波、いやしくしくに

　古《いにしへ》念ほゆ。

　

　之夫多尓能《シブタニノ》　佐伎能安里蘇尓《サキノアリソニ》

　與須流奈美《ヨスルナミ》　伊夜思久思久尓《イヤシクシクニ》

　伊尓之敝於母保由《イニシヘオモホユ》

　

【譯】澁谿の埼の荒礒に寄せる浪のように、いよいよ重ね重ね昔のことが思われる。

【釋】之夫多尓能佐伎能安里蘇尓與須流奈美　シブタニノサキノアリソニヨスルナミ。以上三句、序詞。

【評語】長歌の句を取り、同じくこれを序に使つている。古念ホユというのは、長歌の、古人も賞美したというのを受けている。長歌の一部を短歌の形にしたまでの作である。

　

3987　玉くしげ　二上山に

　鳴く鳥の　聲の戀しき

　時は來にけり。

　

　多麻久之氣《タマクシゲ》　敷多我美也麻尓《フタガミヤマニ》

　鳴鳥能《ナクトリノ》　許惠乃孤悲思吉《コヱノコヒシキ》

　登岐波伎尓家里《トキハキニケリ》

　

【譯】玉くしげの蓋という、その二上山に鳴く鳥の聲の戀しい時は來たことだ。

【釋】多麻久之氣　タマクシゲ。枕詞。

　鳴鳥能　ナクトリノ。この鳥は、ホトトギスをいう。

【評語】長歌では、春秋にわたつて季節を定めなかつたが、ここに至つて季節を歌つている。これは全體の構成の上に、生氣を與えるものである。歌としては、平易で、すなおにできている。

　

右、三月卅日、依v興作之。大伴宿祢家持

　

(460)四月十六日、夜裏、遙聞2霍公鳥喧1、述v懷歌一首

　

四月十六日、夜のうちに、遙かにほととぎすの喧《な》くを聞きて、懷《おもひ》を述ぶる歌一首。

　

3988　ぬばたまの　月に向かひて、

　ほととぎす、

　鳴く音《おと》はるけし。

　里遠みかも。

　

　奴婆多麻乃《ヌバタマノ》　都奇尓牟加比?《ツキニムカヒテ》

　保登等藝須《ホトトギス》

　奈久於登波流氣之《ナクオトハルケシ》

　佐刀騰保美可聞《サトドホミカモ》

　

【譯】夜の月に向かつて、ホトトギスは、鳴く聲がはるかに聞える。里が遠いからだろうか。

【釋】奴婆多麻乃　ヌバタマノ。夜の枕詞であるのを、轉用して月に冠している。

　佐刀騰保美可聞　サトドホミカモ。里が遠いゆえか。わが住む里が遠いので、ホトトギスの鳴く聲がはるかなのだろうというのである。

【評語】月に對して鳴くホトトギスの遠い聲を詠んでいる。風趣のある歌だ。五句の里遠ミカモは、ホトトギスの鳴くあたりが遠いのを言つているのだろう。

　

右、大伴宿祢家持作之

　

大目秦忌寸八千島之館、餞2守大伴宿祢家持1宴歌二首

　

大目秦の忌寸｜八千島《やちしま》の舘にて、守大伴の宿禰家持を餞する宴の歌二首。

　

(461)【釋】餞守大伴宿祢家持宴歌　カミオホトモノスクネヤカモチヲオクルウタゲノウタ。餞は、家持が税帳使として出發するのを送る意である。

　

3989　奈呉《なご》の海の　沖つ白波、

　しくしくに　念ほえむかも。

　立ち別れなば。

　

　奈呉能宇美能《ナゴノウミノ》　意吉都之良奈美《オキツシラナミ》

　志苦思苦尓《シクシクニ》　於毛保要武可母《オモホエムカモ》

　多知和可禮奈婆《タチワカレナバ》

　

【譯】奈呉の海の沖の白波のように、重ね重ね思われるでしようなあ。別れて行つたなら。

【釋】奈呉能宇美能意吉都之良奈美　ナゴノウミノオキツシラナミ。以上二句、序詞。

【評語】秦の八千島の館から見渡される奈呉の海の白波を序に使つただけで、極めて類型的な歌である。

　

3990　わが夫子は　玉にもがもな。

　手に纏《ま》きて　見つつ行かむを。

　置きて往かば惜し。

　

　和我勢故波《ワガセコハ》　多麻尓母我毛奈《タマニモガモナ》

　手尓麻伎?《テニマキテ》　見都追由可牟乎《ミツツユカムヲ》

　於吉?伊加婆乎思《オキテイカバヲシ》

　

【譯】あなたは玉であつたらなあ。手に卷いて見ながら行きましようのに。置いて行つたら惜しいことです。

【評語】思う人が玉だつたら、手に卷いて持つて行こうという、これもきまつた型の歌である。五句の表現が多少變わつていて力づよく言い切つている。

　

右、守大伴宿祢家持、以2正税帳1、須v入2京師1。仍作2此歌1、聊陳2相別之嘆1。　四月廿日

　

(462)右は、守大伴の宿禰家持、正税帳を以ちて、京師に入らむとす。よりてこの歌を作り、いささか相別るる歎きを陳ぶ。【四月二十日。】

　

【釋】正税帳　シヤウサイチヤウ。租税の出納を記した帳簿。毎年、前年の事を記して、諸國から中央政府に報告する。その使を税帳使という。奈良時代の正税帳は、その實物の一部が正倉院に存している。

　

遊2覽布勢水海1賦一首　并2短歌1　【此海者有2射水郡舊江村1也】

　

布勢《ふせ》の水海《みづうみ》に遊覽する賦一首【短歌并はせたり。】【この海は射水の郡舊江の村にあり。】

　

【釋】布勢水海　フセノミヅウミ。二上山の北方、今の窪村、神代村、布勢村、十二町村などに圍まれた低地が、その跡で、今は中央に一條の水路を殘しているだけである。寛正六年（一四六五）の、堯惠《ぎようえ》法師の「善光寺紀行」には「やがて布勢の海のあたりになり侍り。遙々と湖水見渡せば、鳴鴉飛盡て、夕陽西山に隱れたり」とあつて、當時まだかなりの湖水であつたことが知られる。

　舊江村　フルエノムラ。倭名類聚鈔に、射水郡に「古江　布留江」とある。二上山の北の麓で、今その村は無い。

　

(463)3991　もののふの　八十伴《やそとも》の緒の

　思ふどち　心｜遣《や》らむと、

　馬｜竝《な》めて　うつくちぶりの

　白波の　荒礒《ありそ》に寄する

　澁谿の　埼｜徘徊《たもとほ》り、

　松田江の　長濱過ぎて、

　宇奈比《うなひ》河　清き瀬ごとに

　鵜河《うかは》立ち　か往きかく往き、

　見つれども　そこも飽かにと、

　布勢《ふせ》の海に　船浮《う》け居《す》ゑて、

　沖邊｜榜《こ》ぎ　邊《へ》に榜ぎ見れば、

　渚《なぎさ》には　あぢむら騷き、

　島みには　木末《こぬれ》花咲き、

　ここばくも　見の清《さや》けきか。」

　玉くしげ　二上《ふたがみ》山に

　延《は》ふ蔦の　行きは別れず、

　あり通ひ　いや毎年《としのは》に

(464)　思ふどち　かくし遊ばむ。

　今も見る如。」

　

　物能乃敷能《モノノフノ》　夜蘇等母乃乎能《ヤソトモノヲノ》

　於毛布度知《オモフドチ》　許己呂也良武等《ココロヤラムト》

　宇麻奈米?《ウマナメテ》　宇知久知夫利乃《ウチクチブリノ》

　之良奈美能《シラナミノ》　安里蘇尓與須流《アリソニヨスル》

　之夫多尓能《シブタニノ》　佐吉多母登保理《サキタモトホリ》

　麻都太要能《マツダエノ》　奈我波麻須義?《ナガハマスギテ》

　宇奈比河波《ウナヒガハ》　伎欲吉勢其等尓《キヨキセゴトニ》

　宇加波多知《ウカハタチ》　可由吉加久遊岐《カユキカクユキ》

　見都禮騰母《ミツレドモ》　曾許母安加尓等《ソコモアカニト》

　布勢能宇弥尓《フセノウミニ》　布根宇氣須惠?《フネウケスヱテ》

　於伎敝許藝《オキベコギ》　邊尓己伎見禮婆《ヘニコギミレバ》

　奈藝左尓波《ナギサニハ》　安遲牟良佐和伎《アヂムラサワキ》

　之麻未尓波《シマミニハ》　許奴禮波奈左吉《コヌレハナサキ》

　許己婆久毛《ココバクモ》　見乃佐夜氣吉加《ミノサヤケキカ》

　多麻久之氣《タマクシゲ》　布多我弥夜麻尓《フタガミヤマニ》

　波布都多能《ハフツタノ》　由伎波和可禮受《ユキハワカレズ》

　安里我欲比《アリガヨヒ》　伊夜登之能波尓《イヤトシノハニ》

　於母布度知《オモフドチ》　可久思安蘇婆牟《カクシアソバム》

　異麻母見流其等《イマモミルゴト》

　

【譯】武士の多くの人々の、親しい人たちが、心を慰めようと、馬を竝べて、勢の烈しい白波が、荒礒に寄せる澁谿の埼を廻つて、松田江の長濱を過ぎて、宇奈比川の清らかな瀬ごとに、鵜飼を催して、あち行きこち行きして見たけれども、それも滿足しないで、布勢の海に船を浮かべて、沖の方を漕ぎ、岸の方を漕いで見れば、渚には味鴨が騷ぎ、島では木の先に花が咲いて、非常に見るに清らかだ。玉くしげの蓋という、その二上山に這うツタのように行き別れずに、かように通いつつ、いよいよ年ごとに、親しい人たちが、かように遊ぼう。今も見るように。

【構成】第一段、見ノサヤケキカまで。諸處を廻つて、布勢の海に來て船を浮かべたことを敍し、その勝地であることを述べる。第二段、終りまで。希望を述べる。

【釋】物能乃敷能夜蘇等母乃乎能　モノノフノヤソトモノヲノ。モノノフは、朝廷に奉仕する人々。とくに武士をいう。ヤソトモノヲは、多くの部族。トモノヲは、伴の緒で(465)あるが、家持時代には、伴の男と解していた。

　許己呂也良武等　ココロヤラムト。心を遣ろうとで、物思う心を慰めようとして。

　宇知久知夫利乃　ウチクチブリノ。ウチクチブリは不明の語。礒に寄せる浪を、イソブリというによれば、同じく寄せる浪のことか。そうすれば、ウチクチは、うち崩す義か。

　麻都太要能奈我波麻須義?　マツダエノナガハマスギテ。マツダエの長濱は、澁谿の埼から氷見市に至る間の海濱をいうのだろう。

　宇奈比河波　ウナヒガハ。倭名類聚鈔に、射水郡に「宇納　宇奈美」とあり、今、宇波村の川である。氷見市からも更に北になる。

　宇加波多知　ウカハタチ。ウカハは、鵜川で、川に鵜を放つて魚を捕ること、鵜飼。タチは、それを行うをいう。「和我勢故波《ワガセコハ》　宇可波多々佐禰《ウカハタタサネ》」（卷十九、四一九〇）。

　可由吉加久遊伎　カユキカクユキ。澁谿、松田江、宇奈比川と、あちこち行つたことをいう。

　曾許母安加尓等　ソコモアカニト。ソコは、それ。アカニは、飽カニで、飽きない。ニは、打消の助動詞。

　布祢宇氣須惠?　フネウケスヱテ。スヱテは、湖上に置く意に添えていう。「奈爾波都爾《ナニハヅニ》　美布禰於呂須惠《ミフネオロスヱ》」（卷二十、四三六三）のスヱに同じ。

　之麻未尓波　シマミニハ。シマミは、湖水に面している陸地をいう。布勢の海には、特に島嶼の注意すべきもののあつたことを傳えない。

　見乃佐夜氣吉加　ミノサヤケキカ。見るにさやかなことかな。カは、感動の助詞。句切。

　多麻久之氣布多我弥夜麻尓波布都多能　タマクシゲフタガミヤマニハフツタノ。以上三句、序詞。

　伊夜登之能波尓　イヤトシノハニ。いよいよ年毎に。「毎年、謂（フ）2之（ヲ）等之乃波《トシノハト》1」（卷十九、四一六八）。

(466)【評語】前の二上山の賦とは違つて、その地に遊覽したことを歌つているので生氣がある。前半の諸處を廻つて布勢の海に赴くあたりの敍述があつて、よくなつている。湖水の風景は、歌の中心をなすべき所だが、これでは物足りない。

　

3992　布勢の海の　沖つ白波、

　あり通《がよ》ひ　

　いや毎年《としのは》に　見つつ偲はむ。

　

　布勢能宇美能《フセノウミノ》　意枳都之良奈美《オキツシラナミ》

　安利我欲比《アリガヨヒ》

　伊夜登偲能波尓《イヤトシノハニ》　見都追思奴播牟《ミツツシヌハム》

　

【譯】布勢の海の沖の白波を、ありつつ通つていよいよ年々に見つつ賞美しよう。

【釋】見都追思奴播牟　ミツツシヌハム。奴は、假字違い。類聚古集、および細井本系統には努に作つているが、それが原形だろう。

【評語】長歌の要を摘んだような歌である。布勢の海の特色が出ていない。どこの海の沖つ白波でもよさそうである。

　

右、守大伴宿祢家持作之　四月廿四日

　

敬和遊2覽布勢水海1賦一首　并2一絶1

　

敬《つつし》みて和ふる布勢の水海に遊覽する賦一首　【一絶并はせたり。】

　

【釋】并一絶　イチゼチアハセタリ。長歌を賦というに并せて、短歌を漢詩の絶句に比して一絶と言つている、絶句は、四句から成る短い詩形をいう。

　

(467)3993　藤浪は　咲きて散りにき。

　卯の花は　今ぞ盛りと、

　あしひきの　山にも野にも

　ほととぎす　鳴きし響《とよ》めば、

　うち靡く　心もしのに、

　そこをしも　うら戀《ごひ》しみと、

　思ふどち　馬うち群れて、

　携《たづさ》はり　出で立ち見れば、

　射水《いみづ》河　湊《みなと》の洲鳥《すどり》、

　朝なぎに　潟《かた》に求食《あさり》し、

　潮滿てば　妻｜喚《よ》び交《かは》す。

　ともしきに　見つつ過ぎ行き

　澁谿《しぶたに》の　荒礒《ありそ》の埼に

　沖つ波　寄せ來る玉藻

　片よりに　蘰《かづら》に作り、

　妹がため　手に纏《ま》き持ちて、

　うらぐはし　布勢の水海に

(468)　海人船《あまぶね》に　眞楫《まかぢ》かい貫《ぬ》き

　白栲の　袖振り反《かへ》し

　率《あとも》ひて　わが榜ぎ行けば、

　乎布《をふ》の埼　花散りまがひ、

　渚には　葦鴨《あしかも》騷き、

　さざれ波　立ちても居ても

　榜ぎ廻《めぐ》り　見れども飽かず。」

　秋さらば　黄葉《もみち》の時に

　春さらば　花の盛りに、

　かもかくも　君がまにまと、

　かくしこそ　見も明《あき》らめめ。

　絶ゆる日あらめや。」

　

　布治奈美波《フヂナミハ》　佐岐弖知理尓伎《サキテチリニキ》

　宇能波奈波《ウノハナハ》　伊麻曾佐可理等《イマゾサカリト》

　安之比奇能《アシヒキノ》　夜麻尓毛野尓毛《ヤマニモノニモ》

　保登等藝須《ホトトギス》　奈伎之等與米婆《ナキシトヨメバ》

　宇知奈妣久《ウチナビク》　許己呂毛之努尓《ココロモシノニ》

　曾己乎之母《ソコヲシモ》　宇良胡非之美等《ウラゴヒシミト》

　於毛布度知《オモフドチ》　宇麻宇知牟禮弖《ウマウチムレテ》

　多豆佐波理《タヅサハリ》　伊泥多知美禮婆《イデタチミレバ》

　伊美豆河泊《イミヅガハ》　美奈刀能須登利《ミナトノスドリ》

　安佐奈藝尓《アサナギニ》　可多尓安佐里之《カタニアサリシ》

　思保美弖婆《シホミテバ》　都麻欲妣可波須《ツマヨビカハス》

　等母之伎尓《トモシキニ》　美都追須疑由伎《ミツツスギユキ》

　之夫多尓能《シブタニノ》　安利蘇乃佐伎尓《アリソノサキニ》

　於枳追奈美《オキツナミ》　余勢久流多麻母《ヨセクルタマモ》

　可多與理尓《カタヨリニ》　可都良尓都久理《カヅラニツクリ》

　伊毛我多米《イモガタメ》　?尓麻吉母知弖《テニマキモチテ》

　宇良具波之《ウラグハシ》　布勢能美豆宇弥尓《フセノミヅウミニ》

　阿麻夫祢尓《アマブネニ》　麻可治加伊奴吉《マカヂカイヌキ》

　之路多倍能《シロタヘノ》　蘇泥布理可邊之《ソデフリカヘシ》

　阿登毛比弖《アトモヒテ》　和賀己藝由氣婆《ワガコギユケバ》

　乎布能佐伎《ヲフノサキ》　波奈知利麻我比《ハナチリマガヒ》

　奈伎佐尓波《ナギサニハ》　阿之賀毛佐和伎《アシカモサワキ》

　佐射禮奈美《サザレナミ》　多知弖毛爲弖母《タチテモヰテモ》

　己藝米具利《コギメグリ》　美禮登母安可受《ミレドモアカズ》

　安伎佐良婆《アキサラバ》　毛美知能等伎尓《モミチノトキニ》

　波流佐良婆《ハルサラバ》　波奈能佐可利尓《ハナノサカリニ》

　可毛加久母《カモカクモ》　伎美我麻尓麻等《キミガマニマト》

　可久之許曾《カクシコソ》　美母安吉良米々《ミモアキラメメ》

　多由流比安良米也《タユルヒアラメヤ》

　

【譯】藤の花は咲いて散つてしまつた。卯の花は、今が盛りだと、山にも野にも、ホトトギスが鳴き騷ぐので、うち靡く心もしおれて、それが心に戀しく思われて、親しい人たち馬を連ねて、つれだつて出で立つて見れば、射水川の河口の渚にいる鳥は、朝なぎに干潟で餌をあさり、潮が滿ちれば、妻を呼びかわしている。うらやましく見つつ過ぎ行き、澁谿の荒礒の埼に、沖の波の寄せて來る海藻を、片よりにして蘰《かずら》に作つて、妻のために手に卷いて持つて、美しい布勢の湖水に、海人の船に?をとりつけて、白い著物の袖を振り返して、誘い合つ(469)てわたしが漕いで行けば、乎布の埼には花が散り亂れ、渚には鴨が騷いで、きざ波が立つても立たないでも、漕ぎ廻つて見れども飽きません。秋になつたら黄葉の時に、春になつたら花の盛りに、いかようにもあなたのお心のままに、かように見究めましよう。絶える日はありますまい。

【構成】第一段、榜ギ廻リ見レドモ飽カズまで。射水川、澁谿を過ぎて布勢の水海に舟を浮かべて遊覽することを述べる。第二段、終りまで。將來も絶えず遊覽すべきことを約束している。

【釋】布治奈美波佐岐弖知里尓伎　フヂナミハサキテチリニキ。獨立文であるが、次の、卯ノ花は今ゾ盛リの句と竝んで、ホトトギス鳴キシトヨメバが受けている。

　奈伎之等與米婆　ナキシトヨメバ。シは、強意の助詞。

　宇知奈妣久　ウチナビク。枕詞。心の物に感ずることを、譬喩的に表現して、説明している。

　曾己乎之母　ソコヲシモ。ソコは、それ。ホトトギスの來鳴くことをいう。

　宇良胡非之美等　ウラゴヒシミト。そこを戀しみと續く語法で、それがうら戀しきにとて。

　等母之伎尓　トモシキニ。水鳥が妻を呼びかわすのを受けて、うらやましいこととしている。

　可多與理尓可都良尓都久理　カタヨリニカヅラニツクリ。玉藻を一方に搓《よ》つて輪にして蘰に作つて。カタヨリは、一方だけに搓るのをいう。

　伊毛我多米?尓麻吉母知弖　イモガタメテニマキモチテ。玉藻の蘰を、妻のためにみやげにしようとして手に卷いて持つて。池主の妻が多分越中に下つていたのだろう。

　宇良具波之　ウラグハシ。麗妙であるさまの形容詞。布勢の水海を修飾する。

　阿麻夫祢尓　アマブネニ。アマブネは、海人の船。

　麻可治加伊奴吉　マカヂカイヌキ。マカヂは、眞?、カイは櫂で、共に船を進める道具。大なるをカヂとい(470)い、小なるをカイという。倭名類聚鈔に「?、釋名（ニ）云（フ）、?音〓、一音集、賀遲《カヂ》使（ムル）2舟（ヲ）捷疾（ナラ）1也。」また「棹、釋名（ニ）云（フ）、在（リテ）v旁（ニ）撥（ヌルヲ）v水（ヲ）、曰（フ）v櫂（ト）、　直教（ノ）反、字亦作（ル）v棹（ニ）、楊氏漢語抄（ニ）云（フ）、加伊《カイ》　櫂（ス）2於水中（ニ）1、且（スル）v進（メント）v櫂（ヲ）也。」但しマカヂとカイとを船につけることを、かように重ねていうことは、マカヂ、カイ、ヌキとなつて調子がわるい。もしカイヌキを動詞とすれば、カイは掻キの音便かということになる。しかし當時まだかような音便の例を見ない。

　蘇泥布理可邊之　ソデフリカヘシ。袖振り返シで、船を漕ぐ時のさまである。もとより船人が漕ぐのであるが、それを自分のことのように敍している。

　阿登毛比弖　アトモヒテ。誘つて、率《ひき》いて。「阿跡念跡《アトモフト》」（卷十、二一四〇）は別語。

　乎布能佐伎　ヲフノサキ。布勢の水海の一岬角。二上山の裾が、湖水に接した處。その附近を「乎不乃宇良《ヲフノウラ》」（卷十八、四〇四九）とも言つている。

　多知弖毛爲弖母　タチテモヰテモ。小波が立つにしても、またしずかであるにしても。

　伎美我麻尓麻等　キミガマニマト。キミは、家持をさす。君のお心どおり伴なつて來ようの意。マニマは、隨從の意の體言。このままでも、また助詞ニがついても副詞に使われるので、マニマニの略ではない。

　美母安吉良米々　ミモアキラメメ。見モ明ラメメ。コソを受けて結んでいる。アキラメメは、あきらめよう。見て賞美して心を晴らそう。「御心乎《ミココロヲ》　見爲明米之《メシアキラメシ》」（卷三、四七八）。

【評語】布勢の水海を遊覽する?が、精細でよくできている。その風光の特色も描かれている。これに加うるに、射水川の河口の水鳥や、澁谿の埼の玉藻の蘰のことがあつて、一層情趣を増している。歌い起しもわるくはない。この種の作中では、成功したものといえよう。

　

3994　白波の　寄せくる玉藻、

(471)　世のあひだも　繼《つ》ぎて見《み》に來《こ》む。

　清き濱｜傍《び》を。

　

　之良奈美能《シラナミノ》　與世久流多麻毛《ヨセクルタマモ》

　余能安比太母《ヨノアヒダモ》　都藝弖民仁許武《ツギテミニコム》

　吉欲伎波麻備乎《キヨキハマビヲ》

　

【譯】白浜の寄せて來る美しい藻を、一生のあいだも、續いて見よう。清らかな濱邊だ。

【釋】之良奈美能與世久流多麻毛　シラナミノヨセクルタマモ。以上二句、序詞。藻には節があるから、節の意にヨの音を引き起している。「八隔浪爾《ヤヘナミニ》　靡珠藻乃《ナビクタマモノ》　節間毛《フシノマモ》　惜命乎《ヲシキイノチヲ》」 （卷十九、四二一一）。

　余能安比太母　ヨノアヒダモ。ヨは、世。生命のあるあいだ。

【評語】澁谿の埼にうち寄せる玉藻を使つて序とし、長歌との連絡を保つている。しかし布勢の水海に中心があるこの歌では、この序は、鑑賞の集中を妨げる缺點がある。三句以下は、強い表現である。

　

右、椽大伴宿祢池主作　四月廿六日追和

　

四月廿六日、椽大伴宿祢池主之館、餞2税帳使守大伴宿祢家持1宴歌、

并古歌四首。

　

四月二十六日、椽大伴の宿禰池主の館にて、税帳使守大伴の宿禰家持を餞する宴の歌、古き歌を并わせて四首。

　

【釋】税帳使　サイチヤウシ。正税帳を持參する使。

　古歌　フルキウタ。四首のうち一首だけが古歌である。

　

(472)3995　玉桙の　道に出で立ち

　別れなば、

　見ぬ日さまねみ　戀《こひ》しけむかも。

　

　多麻保許乃《タマホコノ》　美知尓伊泥多知《ミチニイデタチ》

　和可禮奈婆《ワカレナバ》

　見奴日佐麻称美《ミヌヒサマネミ》　孤悲思家武可母《コヒシケムカモ》

　

【譯】道に出かけて別れたなら、逢わない日が多くて戀しいでしようなあ。

【釋】見奴日佐麻称美　ミヌヒサマネミ。サマネミは、アマネシに接頭語サのついたもの。「浦左夫流《ウラサブル》　情佐麻禰之《ココロサマネシ》」（卷一、八二）。多數であるさまの形容詞。

【評語】平凡至極のことを歌つている。表現も、至つて平凡である。

　

一云、不v見目久弥《ミヌヒヒサシミ》　戀之家牟加母《コヒシケムカモ》

　

一は云ふ、見ぬ日久しみ　戀しけむかも。

　

【釋】不見日久弥戀之家牟加母　ミヌヒヒサシミコヒシケムカモ。四五句の別傳だが、四句に相違があるだけである。作者の別案であろう。

　

右一首、大伴宿祢家持作之

　

3996　わが夫子《せこ》が　國へましなば、

　ほととぎす　鳴かむ五月《さつき》は、

　さぶしけむかも。

　

　和我勢古我《ワガセコガ》　久尓敝麻之奈婆《クニヘマシナバ》

　保等登藝須《ホトトギス》　奈可牟佐都寄波《ナカムサツキハ》

　佐夫之家牟可母《サブシケムカモ》

　

(473)【譯】あなたが國へおいでになつたなら、ホトトギスの鳴くでしよう五月は、さびしいことでしようなあ。

【釋】久尓敝麻之奈婆　クニヘマシナバ。マシナバは、いましなばで、行つたなら。

　佐夫之家牟可母　サブシケムカモ。形容詞サブシケに、助動詞ム、助詞カモが接續している。サブシは、樂しまないさまの形容。

【評語】ホトトギスの鳴くだろう五月を提出したのが特色で、多少の風趣がある。この好季節を樂しまずに過ごすことかと歎いている。

　

右一首、介内藏忌寸繩麻呂作之

　

【釋】介内藏忌寸繩麻呂　スケクラノイミキナハマロ。介は、越中の國の介。二番目の役人。内藏の繩麻呂は、正倉院文書によつて、天平十七年十月に、正六位の上大藏の少丞であつたことが知られる。その後、越中の國に赴任したのである。

　

3997　吾《あれ》なしと　な侘《わ》び、わが夫子《せこ》。

　ほととぎす　鳴かむ五月《さつき》は、

　玉を貫《ぬ》かさね。

　

　安禮奈之等《アレナシト》　奈和備和我勢故《ナワビワガセコ》

　保登等藝須《ホトトギス》　奈可牟佐都奇波《ナカムサツキハ》

　多麻乎奴香佐祢《タマヲヌカサネ》

　

【譯】わたしがいないとて悲歎さるな。ホトトギスの鳴くでしよう五月は、玉を緒におぬきなさい。

【釋】多麻乎奴香佐祢　タマヲヌカサネ。時の花などを緒につらぬいて慰みたまえ。五月の風流をいとなんで過ごしたまえである。

【評語】繩麻呂の歌に答えている。風流な行事に心をよせていたことが窺われる。當時の地方生活としては、(474)自然の行き方であつたのだろう。

　

右一首、守大伴宿祢家持和

　

石川朝臣水通橘歌一首

　

【釋】石川朝臣水通　イシカハノアソミミミチ。傳未詳。この歌が、前の題詞にいう古歌に相當するのだから、故人になつた人であろう。

　

3998　わが屋戸《やど》の　花橘を、

　花ごめに　玉にぞあが貫《ぬ》く。

　待たば苦しみ。

　

　和我夜度能《ワガヤドノ》　花橘乎《ハナタチバナヲ》

　波奈其米尓《ハナゴメニ》　多麻尓曾安我奴久《タマニゾアガヌク》

　麻多婆苦流之美《マタバクルシミ》

　

【譯】わたしの屋戸の橘の花を、花も一緒に、玉としてわたしが緒につらぬく。待つていたら苦しいので。

【釋】波奈其米尓多麻尓曾安我奴久　ハナゴメニタマニゾアガヌク。ハナゴメニは、花のある中に。橘の花が散つて、實になつてから玉につらぬく筈であるが、待ち遠なので、花のあるうちに、花と共に玉に貫くというのである。句切。「菟麻語昧爾《ツマゴメニ》　夜覇餓枳菟供盧《ヤヘガキツクル》」（日本書紀一）。

【評語】橘の實を玉につらぬくのが、待ち切れなくて花のうちから玉につらぬくというので、風流にあこがれる氣分は出ているが、しいて風流を求めるわざとらしさが感じられる。今日の考えかたからいえば、子どもの遊びにも似たことなのを、まじめに風流として翫んでいた生活は、他に求める所のなかつた時代の、自然のなりゆきなのだろう。

　

(475)右一首、傳誦主人大伴宿祢池主云尓

　

右の一首は、傳へ誦めるは、主人大伴の宿禰池主しか云へり。

　

守大伴宿祢家持館飲宴歌一首　四月廿六日

　

守大伴の宿禰家持の館に飲宴する歌一首　四月二十六日。

　

【釋】守大伴宿祢家持舘飲宴歌　カミオホトモノスクネヤカモチノヤカタニウタゲスルウタ。前の池主の館の宴と同日になつている。多分重ねて自分の館で小宴を開いたのだろう。

　

3999　京《みやこ》べに　立つ日近づく。

　飽くまでに　相見て行かな。　

　戀ふる日多けむ。

　

　美夜故敝尓《ミヤコベニ》　多都日知可豆久《タツヒチカヅク》

　安久麻弖尓《アクマデニ》　安比見而由可奈《アヒミテユカナ》

　故布流比於保家牟《コフルヒオホケム》

　

【譯】都の方へ立つ日が近づく。飽くまでに逢つて行きましよう。戀う日が多いことでしよう。

【評語】平凡な常語である。飽きるに足るまでに行こうというあたりに、率直なものがある。

　

立山賦一首　并2短歌1　【此立山者有2新川郡1也】

　

立山《たちやま》の賦一首　【短歌并はせたり。】　【この立山は新川の郡にあり。】

　

【釋】立山賦　タチヤマノウタ。タチヤマは、越中の國の平野から、南方に眺められる連峰で、今タテヤマという。その主峰雄山は標高二九一二メートルある。その山の大觀を歌つている。

(476)　有新川郡也　ニヒカハノコホリニアリ。新川の郡は、今、上新川、中新川、下新川の三郡になっている。この長歌には、爾比可波《ニヒカハ》とあるが、倭名類聚鈔には、爾布加波《ニフカハ》とある。

　

4000　天離《あまざか》る　鄙《ひな》に名｜懸《か》かす

　越《こし》の中《なか》　國内《くぬち》ことごと、

　山はしも　繁《しじ》にあれども、

　川はしも　多《さは》に行けども、

　皇神《すめがみ》の　領《うしは》きいます

　新川《にひかは》の　その立《たち》山に、

　常夏《とこなつ》に　雪降り敷きて、

　帶《お》ばせる　可多加比《かたかひ》河の、

　清き瀬に　朝｜夕《よひ》ごとに、

　立つ霧の　思ひ過ぎめや。」

　あり通ひ　いや毎年《としのは》に、

　外《よそ》のみも　ふり放《さ》け見つつ、

　萬代の　語《かた》らひぐさと、

　いまだ見ぬ　人にも告げむ。

(477)　音のみも　名のみも聞きて、

　羨《とも》しぶるがね。」

　

　安麻射可流《アマザカル》　比奈尓名可加須《ヒナニナカカス》

　古思能奈可《コシノナカ》　久奴知許登其等《クヌチコトゴト》

　夜麻波之母《ヤマハシモ》　之自尓安禮登毛《シジニアレドモ》

　加波々之母《カハハシモ》　佐波尓由氣等毛《サハニユケドモ》

　須賣加未能《スメガミノ》　宇之波伎伊麻須《ウシハキイマス》

　尓比可波能《ニヒカハノ》　曾能多知夜麻尓《ソノタチヤマニ》

　等許奈都尓《トコナツニ》　由伎布理之伎弖《ユキフリシキテ》

　於婆勢流《オバセル》　可多加比河波能《カタカヒガハノ》

　伎欲吉瀬尓《キヨキセニ》　安佐欲比其等尓《アサヨヒゴトニ》

　多都奇利能《タツキリノ》　於毛比須疑米夜《オモヒスギメヤ》

　安里我欲比《アリガヨヒ》　伊夜登之能播仁《イヤトシノハニ》

　余増能未母《ヨソノミモ》　布利佐氣見都々《フリサケミツツ》

　余呂豆餘能《ヨロヅヨノ》　可多良比具佐等《カタラヒグサト》

　伊末太見奴《イマダミヌ》　比等尓母都氣牟《ヒトニモツゲム》

　於登能未毛《オトノミモ》　名能未母伎吉?《ナノミモキキテ》

　登母之夫流我祢《トモシブルガネ》

　

【譯】天のように遠い地方に名を列している越中の國内に、山はいつぱいにあるけれども、川はたくさんに流れているけれども、神樣の領しておいでになる新川のその立山に、永い夏に雪が降り敷いて、帶びている可多加比川の清らかな瀬に、朝夕ごとに立つ霧のように、思い過ぎることはないだろう。かくして通いつついよいよ年毎に、よそながらふり仰ぎ見ながら、永久の話の種と、まだ見ない人にも告げましよう。聲ばかりにも名ばかりにも聞いてゆかしがるだろう。

【構成】第一段、立ツ霧ノ思ヒ過ギメヤまで。立山の忘れがたい山であることを敍する。第二段、終りまで。まだ見ない人にも告げようと、希望を述べる。

【釋】比奈尓名可加須　ヒナニナカカス。鄙ニ名懸カス。カカスは、懸クの敬語。鄙の中に名を列ねている越中の意である。

　久奴知許登其等　クヌチコトゴト。クヌチは、國内。(478)國の内悉く。

　須賣加未能　スメガミノ。スメガミは、貴い神の義。ここは山の神靈をいう。立山の神靈は、雄山神社として祭られている。

　宇之波伎伊麻須　ウシハキイマス。ウシハキは、領有する、占據している。

　等許奈都尓　トコナツニ。トコナツは、永久の夏。眞夏中のような意味に使つている。反歌參照。

　於婆勢流可多加比河波能伎欲吉瀬尓安佐欲比其等尓多都奇利能　オバセルカタカヒガハノキヨキセニアサヨヒゴトニタツキリノ。以上五句、序詞。立山の帶びている可多加比川の清流に立つ霧を敍して、譬喩によつて、思ヒ過ギメヤを引き起している。霧は過ぎ去るが、思いは過ぎないというのである。「立霧乃《タツキリノ》　念應v過《オモヒスグベキ》　孤悲尓不v有國《コヒニアラナクニ》」（卷三、三二五）。カタカヒ川は、今、片貝川という。立山の前方から發して、冨山灣に注いでいる。

　於毛比須疑米夜　オモヒスギメヤ。立山に對する愛賞の情は、過ぎ去ることはなかろうの意。句切。

　於登能未毛名能未母伎吉?　オトノミモナノミモキキテ。この話を、話にばかり人々は聞いて。

　登母之夫流我称　トモシブルガネ。うらやましく愛《め》で思うことだろう。トモシブルは、ともしく思う。ガネは希望豫想の助詞。

【評語】立山の敍述が、常夏ニ雪零リ敷キテというだけで、不足である。可多加比川を出しながら、その川に臨む立山の雄姿をも描かない。そのために全體の迫力が乏しい。折角の名山を歌いながら赤人などの富士の山の歌に遠く及ばないのは遺憾である。

　

4001　立《たち》山に　降り置ける雪を、

　常夏《とこなつ》に　見れども飽かず。

(479)　神《かむ》からならし。

　

　多知夜麻尓《タチヤマニ》　布里於家流由伎乎《フリオケルユキヲ》

　登己奈都尓《トコナツニ》　見禮等母安可受《ミレドモアカズ》

　加武賀良奈良之《カムカラナラシ》

　

【譯】立山に降つてある雪を、夏中見ても飽きたりない。神靈のあるゆえであろう。

【釋】登己奈都尓見禮等母安可受　トコナツニミレドモアカズ。眞夏中見ても滿足しない。句切。

　加武賀良奈良之　カムカラナラシ。見レドモ飽カズの理由を神靈のあるゆえだろうと推量している。

【評語】長歌の内容を要約しているだけである。國守の館から、夏中眺めていた氣もちが詠まれている。

　

4002　可多加比《かたかひ》の　川の瀬清く

　行く水の、絶ゆることなく

　あり通《がよ》ひ見む。

　

　可多加比能《カタカヒノ》　可波能瀬伎欲久《カハノセキヨク》

　由久美豆能《ユクミヅノ》　多由流許登奈久《タユルコトナク》

　安里我欲比見牟《アリガヨヒミム》

　

【譯】可多加比の川の瀬を、清らかに流れて行く水のように、絶えることなく、ありつつ行つて見よう。

【釋】可多加比能可波能瀬伎欲久由久美豆能　カタカヒノカハノセキヨクユクミヅノ。以上三句、序詞。

【評語】可多加比川を序に使つただけであり、しかも類型的な使い方で、新鮮味を缺いている。平凡な作である。

　

四月廿七日、大伴宿祢家持作之

　

敬和立山賦一首　并2二絶1

　

敬みて和ふる立山の賦一首　【二絶并はせたり。】

　

(480)【釋】二絶　ニゼチ。短歌二首を、絶句の詩二首に擬している。

　

4003　朝日さし　背向《そがひ》に見ゆる、

　神《かむ》ながら　御名《みな》に帶《お》ばせる、

　白雲の　千重《ちへ》を押し別け

　天《あま》そそり　高き立《たち》山、

　冬夏と 分《わ》くこともなく、

　白栲に　雪は降り置きて、

　古《いにしへ》ゆ　あり來《き》にければ、

　凝《こご》しかも　巖《いは》の神《かむ》さび、

　たまきはる　幾代經にけむ。」

　立ちて居て　見れども奇《あや》し。

　峰｜高《だか》み　谷を深みと、

　落ち激《たぎ》つ　清き河内《かふち》に、

　朝さらず　霧立ち渡り、

　夕されば　雲居棚引き、

　雲居なす　心もしのに、

(481)　立つ霧の　思ひ過《すぐ》さず、

　行く水の　音もさやけく

　萬代に　言ひ續《つ》ぎ行かむ。

　河し絶えずは。」

　

　阿佐比左之《アサヒサシ》　曾我比尓見由流《ソガヒニミユル》

　可無奈我良《カムナガラ》　弥奈尓於婆勢流《ミナニオバセル》

　之良久母能《シラクモノ》　知邊乎於之和氣《チヘヲオシワケ》

　安麻曾々理《アマソソリ》　多可吉多知夜麻《タカキタチヤマ》

　布由奈都登《フユナツト》　和久許等母奈久《ワクコトモナク》

　之路多倍尓《シロタヘニ》　遊吉波布里於吉弖《ユキハフリオキテ》

　伊尓之邊遊《イニシヘユ》　阿理吉仁家禮婆《アリキニケレバ》

　許其志可毛《コゴシカモ》　伊波能可牟佐備《イハノカムサビ》

　多末伎波流《タマキハル》　伊久代經尓家牟《イクヨヘニケム》

　多知?爲弖《タチテヰテ》　見禮登毛安夜之《ミレドモアヤシ》

　弥祢太可美《ミネダカミ》　多尓乎布可美等《タニヲフカミト》

　於知多藝都《オチタギツ》　吉欲伎可敷知尓《キヨキカフチニ》

　安佐左良受《アササラズ》　綺利多知和多利《キリタチワタリ》

　由布佐禮婆《ユフサレバ》　久毛爲多奈?吉《クモヰタナビキ》

　久毛爲奈須《クモヰナス》　己許呂毛之努尓《ココロモシノニ》

　多都奇理能《タツキリノ》　於毛比須具佐受《オモヒスグサズ》

　由久美豆乃《ユクミヅノ》　於等母佐夜氣久《オトモサヤケク》

　與呂豆余尓《ヨロヅヨニ》　伊比都藝由可牟《イヒツギユカム》

　加波之多要受波《カハシタエズハ》

　

【譯】朝日がさして横の方に見える、神靈があつて御名に帶びている、白雲の千重をおし分けて、天を突いて高い立山は、冬夏と區別することなく、まつ白に雪は降つてあつて、昔から存在して來たのだから、峨々として岩山が神々しく、この世の幾代を經たことだろう。立つたりすわつたりして見るけれども靈妙である。峰が高く谷が深いので、落ちて激する清らかな河中に、朝ごとに霧が立ち渡り、夕方になれば雲がたなびき、その雲のように心もうちしおれて、立つ霧のように思いが過ぎ去らず、行く水の音もさわやかなように、永久に言い繼いで行こう。川が絶えないなら。

【構成】第一段、タマキハル幾代經ニケムまで。立山が昔から貴い山であることを述べる。第二段、終りまで。川を譬喩に使つて、永久に語り繼ごうと、希望を述べている。

【釋】阿佐比左之　アサヒサシ。朝日サシで、實景である。立山は、越中の國府からは東南に當るが、その山の、朝日を受けている姿を描いている。

　曾我比尓見由流　ソガヒニミユル。ソガヒは、後方、もしくは横の方をいう。池主の舘あたりから、正面は南で、立山は横に見えたのであろう。

　可無奈我良　カムナガラ。神であるゆえに、神靈のゆえにの意の語であるが、神性というような概念が、既に成立していたらしい。ここは神性を有していることを敍しているのであろう。立山と名に帶びていることを(482)神秘とする意である、。

　弥奈尓於婆勢流　ミナニオバセル。句を隔てて立山に續く。

　安麻曾々理　アマソソリ。類聚名義抄に、催にソソクル、動にソソノカスの訓がある。天を刺戟し、搖り動かす義に、高いことの説明になるのだろう。この句は、他に見えない。「ゆすりあげよ、そそりあげよ」（神樂歌）。

　多可吉多知夜麻　タカキタチヤマ。立山の提示で、以下この山の説明になる。

　許其志可毛　コゴシカモ。コゴシは、凝々シで、岩石の凝り固まつているさまの形容。「石根乃《イハガネノ》　興凝敷道乎《コゴシキミチヲ》」（卷十三、三二七四）。カモは、感動の助詞。この句は、獨立文で、驚嘆するのだが、それは次の詞句の内容を驚嘆する意に、修飾的な立場を取る。「波之吉可聞《ハシキカモ》　皇子之命乃《ミコノミコトノ》」（卷三、四七九）など、この形であり、このハシキカモが、ハシキヤシと同樣の性質を有するので、その用法を推知すべきである。「極此疑《コゴシカモ》　伊豫能高嶺乃《イヨノタカネノ》」（卷三、三二二）の例も、コゴシカモと讀まれて、この例になるようである。

　多末伎波流　タマキハル。枕詞。靈の極まる義として、生命の限りの意に、世に冠する。

　見禮登毛安夜之　ミレドモアヤシ。アヤシは、立山に對する神秘感を表現している。イク代經ニケムまでの敍述を受けて總評し、下文の理由となる。

　弥祢太可美　ミネダカミ。太は、濁音に使つていると見られる。「夜麻陀加美《ヤマダカミ》　斯多備袁和志勢《シタビヲワシセ》」（古事記七九）によれば、發聲する場合に、かようなタの音を濁つたのが、殘つたものであろう。ミネダカミで一の熟語を成していると見るのである。

　安佐左良受　アササラズ。朝は去らずで、朝はきまつて、朝ごとにの意となる。次のタサレバのサレとは、同語から出たかも知れないが用法が違う。

(483)　久毛爲奈須　クモヰナス。枕詞。雲がなよなよとあるようにの意に、心モシノニに冠する。

　由久美豆乃於等母佐夜氣久　ユクミヅノオトモサヤケク。川の水音のさやかなようにと譬喩に使つている。

【評語】立山の敍述が、かなり詳しく、高山らしい姿が描き出されている。後半その山から流れ落ちる激流の雲霧を枕詞に使い、川によつて思いを述べた技巧は、巧みである。但し全體の思想としては、家持の歌と同じく、永久に語り繼ごうというにあり、赤人以來の思想であるが、型にはまつている感が深い。

　

4004　立《たち》山に

　降り置ける雪の

　常《とこ》夏に

　消《け》ずてわたるは

　神《かむ》ながらとぞ。

　

　多知夜麻尓《タチヤマニ》

　布理於家流由伎能《フリオケルユキノ》

　等許奈都尓《トコナツニ》

　氣受弖和多流波《ケズテワタルハ》

　可無奈我良等曾《カムナガラトゾ》

　

(484)【譯】立山に降つてある雪が、眞夏中にも消えないでいるのは、神靈のゆえだという。

【釋】氣受弖和多流波　ケズテワタルハ。ワタルは、經過する。

　可無奈我良等曾　カムナガラトゾ。この句の下に、イフの如き語が省路されている。

【評語】家持の立山ニ降リオケル雪ヲの歌に和している。詞句をすこし變えただけである。元暦校本には、この反歌二首の順序が入れ變わつて、於知多藝都、多知夜麻爾の順になつている。長歌の後半に、可多加比河のことを述べているのだから、反歌がまずその川のことを敍し、さて立山に及んで結びとすることは、順序であつてまとまりがよい。元暦校本の形が原形であつたのだろう。

　

4005　落ち激《たぎ》つ　可多加比《かたかひ》河の

　絶えぬ如、

　今見る人も　止《や》まず通はむ。

　

　於知多藝都《オチタギツ》　可多加比我波能《カタカカヒガハノ》

　多延奴期等《タエヌゴト》

　伊麻見流比等母《イマミルヒトモ》　夜麻受可欲波牟《ヤマズカヨハム》

　

【譯】流れ落ちて激する可多加比川の絶えないように、今見る人もやまずに通うでしよう。

【釋】伊麻見流比等母　イマミルヒトモ。この立山を今見る人もで、暗に家持をさしている。

【評語】家持の、可多加比ノ川ノ瀬清クの歌に和している。これも詞句に少異があるのみである。ただ今見ル人モと言つたところに特色があり、家持を主としていることが、答歌としての意味をなす所以である。

　

右、椽大伴宿祢池主和之　四月廿八日

　

入v京漸近、悲情難v撥、述v懷一首　并2一絶1

　

(485)京に入らむことややに近づきで、悲しみの情｜撥《はら》ひ難く、懷を述ぶる一首　【一絶并はせたり。】

　

【釋】入京漸近　ミヤコニイラムコトヤヤニチカヅキテ。五月の初旬に京に向かつて出發したと考えられるが、この歌は四月三十日に作つている。大伴の池主を相手として詠んでいる。

　

4006　かき數《かぞ》ふ　二上《ふたがみ》山に

　神《かむ》さびて　立てるつがの木、

　幹《もと》も枝《え》も　同《おや》じ常盤《ときは》に、

　愛《は》しきよし　わが夫《せ》の君を、

　朝さらず　會《あ》ひて言問《ことど》ひ、

　夕されば　手｜携《たづさは》りて、

　射水河 清き河内《かふち》に

　出で立ちて　わが立ち見れば、

　東《あゆ》の風　いたくし吹けば、

　水門《みなと》には　白波高み、

　妻｜喚《よ》ぶと　洲鳥《すどり》は騷く。

　葦刈ると　海人《あま》の小舟《をぶね》は

　入江｜?ぐ　楫《かぢ》の音《おと》高し。」

(486)　そこをしも　あやにともしみ

　偲《しの》ひつつ　遊ぶ盛りを、

　天皇《すめろき》の　食《を》す國《くに》なれば、

　命《みこと》持ち　立ち別れなば、

　後《おく》れたる　君はあれども、

　玉桙の　道行くわれは、

　白雲の　棚引く山を

　磐根《いはね》踏《ふ》み　越え隔《へな》りなば、

　戀しけく　けの長けむぞ。」

　そこ念《も》へば　心し痛し。

　ほととぎす　聲にあへ貫《ぬ》く

　玉にもが、

　手に纏《ま》き持ちて、

　朝｜夕《よひ》に　見つつ行かむを。

　置きて行《い》かば惜し。：

　

　可伎加蘇布《カキカゾフ》　敷多我美夜麻尓《フタガミヤマニ》

　可牟佐備弖《カムサビテ》　多?流都我能奇《タテルツガノキ》

　毛等母延毛《モトモエモ》　於夜自得伎波尓《オヤジトキハニ》

　波之伎與之《ハシキヨシ》　和我世乃伎美乎《ワガセノキミヲ》

　安佐左良受《アササラズ》　安比弖許登騰比《アヒテコトドヒ》

　由布佐禮婆《ユフサレバ》　手多豆佐波利弖《テタヅサハリテ》

　伊美豆河波《イミヅガハ》　吉欲伎可布知尓《キヨキカフチニ》

　伊泥多知弖《イデタチテ》　和我多知弥禮婆《ワガタチミレバ》

　安由能加是《アユノカゼ》　伊多久之布氣婆《イタクシフケバ》

　美奈刀尓波《ミナトニハ》　之良奈美多可弥《シラナミタカミ》

　都麻欲夫等《ツマヨブト》　須騰理波佐和久《スドリハサワク》

　安之可流等《アシカルト》　安麻乃乎夫祢波《アマノヲブネハ》

　伊里延許具《イリエコグ》　加遲能於等多可之《カヂノオトタカシ》

　曾己乎之毛《ソコヲシモ》　安夜尓登母志美《アヤニトモシミ》

　之努比都追《シノヒツツ》　安蘇夫佐香理乎《アソブサカリヲ》

　須賣呂伎能《スメロキノ》　乎須久尓奈禮婆《ヲスクニナレバ》

　美許登母知《ミコトモチ》　多知和可禮奈婆《タチワカレナバ》

　於久禮多流《オクレタル》　吉民婆安禮騰母《キミハアレドモ》

　多麻保許乃《タマホコノ》　美知由久和禮播《ミチユクワレハ》

　之良久毛能《シラクモノ》　多奈妣久夜麻乎《タナビクヤマヲ》

　伊波祢布美《イハネフミ》　古要敝奈利奈婆《コエヘナリナバ》

　孤悲之家久《コヒシケク》　氣乃奈我家牟曾《ケノナガケムゾ》

　則許母倍婆《ソコモヘバ》　許己呂志伊多思《ココロシイタシ》

　保等登藝須《ホトトギス》　許惠尓安倍奴久《コヱニアヘヌク》

　多麻尓母我《タマニモガ》

　手尓麻吉毛知弖《テニマキモチテ》

　安佐欲比尓《アサヨヒニ》　見都追由可牟乎《ミツツユカムヲ》

　於伎弖伊加婆乎思《オキテイカバヲシ》

　

【譯】數え立てる、その二上山に、神々しくなつて立つているツガの樹、幹も枝も同じく常緑にあるように、最愛のあなたを、朝ごとに逢つて話をし、夕方になれば、手を携えて射水川の清らかな川中に、立ち出でてわ(487)たしが立つて見れば、東風が非常に吹くので、河口には白波が高く、妻を呼ぶとて渚にいる鳥は騷いでいる。アシを刈るとて海人の小舟は、入江を漕ぐ櫂の音が高い。それが大變に良いので、賞しつつ遊ぶ盛りに、天皇の治めたまう國であるから、命令を承わつて、立ち別れたら、あとに殘るあなたはさておいて、道を行くわたしは、白雲のたなびく山を、岩を踏んで越えて隔たつたなら、戀しいことが、時久しくなりましよう。それを思えば心が痛まれます。ホトトギスの聲に交えて緒につらぬく玉であつてほしいことです。手に卷いて持つて、朝夕に見ながら、行きましようものを。置いて行つたら惜しいことです。

【構成】第一段、入江漕グ楫ノ音高シまで。池主と共に遊覧する射水川の風光を敍する。第二段、ケノ長ケムゾまで。旅に出たら戀しいだろうという。第三段、終りまで。玉だつたら持つて行きたいと希望を述べる。

【釋】可伎加蘇布　カキカゾフ。枕詞。カキは接頭語。數える意で、二に冠する。數フは、通例下二段活であるから、そうとすれば終止形で次の詞句を修飾する。

　多?流都我能奇　タテルツガノキ。ツガは、常緑木、今、トガという。譬喩として提示している。大伴氏を譬えている。

　毛等母延毛　モトモエモ。幹も枝も。大伴氏の本流も支流も。

　於夜自得伎波尓　オヤジトキハニ。同じき常緑に。同樣に榮えていることを、樹を譬喩として表現している。

　和我世乃伎美乎　ワガセノキミヲ。ワガセノキミは、池主をさす。

　安由能加是　アユノカゼ。下に「越（ノ）俗語、東風、謂（ヘリ）2之（ヲ）安由乃可是《アユノカゼト》1也」（卷十七、四〇一七）とある。ここには東風とあるが、その地では、東風はほとんど吹かず、東北の風が晴れた日によく吹き、これを今でもアイノカゼというそうである。冨山灣が東北に向いて開いているので、この風がくるのだろう。

　美奈刀尓波　ミナトニハ。ミナトは水門。河口である。

(488)　都麻欲夫等須騰理波佐和久　ツマヨブトスドリハサワク。池主の「敬（ミテ）和（フル）d遊2覽（スル）布勢（ノ）水海（ニ）1賦（ニ）u一首」（卷十七、三九九三）の歌中の句を使つている。句切。

　曾己乎之毛　ソコヲシモ。上述の射水川の風光の敍述を受けている。

　安夜尓登母志美　アヤニトモシミ。大變に珍重すべく思つて。トモシは、珍しく賞美すべくあるさまの形容。

　美許登母知　ミコトモチ。天皇の命を持つて。正税帳使として行くことをいう。

　於久禮多流吉民婆安禮騰母　オクレタルキミハアレドモ。あとに殘つた君は、さてあれども。ともかくもとして。

　許惠尓安倍奴久多麻尓母我　コヱニアヘヌクタマニモガ。ホトトギスの聲を玉として五月の玉の緒につらぬくが、それに交えてつらぬく玉であつて欲しいものだ。ホトトギスの聲を玉につらぬくことは、「霍公鳥《ホトトギス》　痛莫鳴《イタクナナキソ》　汝音乎《ナガコヱヲ》　五月玉爾《サツキノタマニ》　相貫左右二《アヒヌクマデニ》」（卷八、一四六五）、「霍公鳥《ホトトギス》　汝始音乎《ナガハツコヱハ》　於v吾欲得《ワレニモガ》　五月之珠爾《サツキノタマニ》　交而將v貫《マジヘテヌカム》」（卷十、一九三九）などある。以下の句は、前出の「和我勢故波《ワガセコハ》　多麻爾母我毛奈《タマニモガモナ》　手爾麻伎?《テニマキテ》　見都追由加牟乎《ミツツユカムヲ》　於吉?伊加婆乎思《オキテイカバヲシ》」（卷十七、三九九〇）の詞句を、そのままに使つている。

【評語】池主と別れを惜しむ情は、一往つくされている。共に遊覧した射水川の風光を敍しているのは、別離を寫すに有效である。しかし末尾の玉だつたらという表現は類型的であり、殊に自作にも一度使つているところである。別離の悲痛は出ていないで、儀禮的にも感じられるのはやむを得ない。

　

4007　わが夫子《せこ》は　玉にもがもな。

　ほととぎす　聲にあへ貫《ぬ》き、

　手に纏《ま》きて行かむ。

　

　和我勢故波《ワガセコハ》　多麻尓母我毛奈《タマニモガモナ》

　保登等伎須《ホトトギス》　許惠尓安倍奴吉《コヱニアヘヌキ》

　手尓麻伎弖由可牟《テニマキテユカム》

　

(489)【譯】あなたは玉だつたらなあ。ホトトギスの聲に交えて緒につらぬいて、手に卷いて行きましよう。

【評語】長歌の終りの方を、短歌にまとめたに過ぎない。型にはまつた内容というほかはない。

　

右、大伴宿祢家持、贈2椽大伴宿祢池主1　四月卅日

　

右は、大伴の宿禰家持の、椽大伴の宿禰池主に贈れる。四月三十日。

　

忽見2入v京述v懷之作1。生別悲兮、斷v腸萬廻、怨緒難v禁。聊奉2所心1一首　并2二絶1

　

忽に京に入らむとして懷を述ぶる作を見る。生別の悲しみ、腸を斷つこと萬廻、怨みの緒｜禁《とど》め難《がた》し。いささか所心を奉る一首　【二絶并はせたり。】

　

【釋】怨緒　ウラミノヲ。怨みの心。悲緒、戀緒などと同じ語例。

　奉所心　オモフトコロヲタテマツル。所心は、心に思う所。

　

4008　あをによし　奈良を來離れ、

　天《あま》ざかる　鄙にはあれど、

　わが夫子《せこ》を　見つつし居《を》れば、

　思ひ遣《や》る　事もありしを、

　大王の　命《みこと》かしこみ、

　食《を》す國の　事｜執《と》り持ちて、

(490)　若草の　脚帶《あゆひ》手装《たづく》り、

　群鳥《むらとり》の　朝｜立《だ》ち去《い》なば、

　後《おく》れたる　我《あれ》や悲しき。

　旅に行く　君かも戀ひむ。」

　念ふそら　安くあらねば、

　嘆かくを　止《とど》めもかねて、

　見渡せば　卯の花山の

　ほととぎす　哭《ね》のみし泣かゆ。」

　朝霧の　亂るる心

　言《こと》に出でて　言はばゆゆしみ、

　礪波《となみ》山　手向《たむけ》の神に

　幣《ぬさ》奉《まつ》り　あが乞ひ祈《の》まく、

　愛《は》しけやし　君が正香《ただか》を、

　ま幸《さき》くも　あり徘徊《たもとほ》り、

　月立たば　時もかはさず、

　なでしこが　花の盛りに

　相見しめとぞ。」

　

　安遠邇與之《アヲニヨシ》　奈良乎伎波奈禮《ナラヲキハナレ》

　阿麻射可流《アマザカル》　比奈尓波安禮登《ヒナニハアレド》

　和賀勢故乎《ワガセコヲ》　見都追志乎禮婆《ミツツシヲレバ》

　於毛比夜流《オモヒヤル》　許等母安利之乎《コトモアリシヲ》

　於保伎美乃《オホキミノ》　美許等可之古美《ミコトカシコミ》

　乎須久尓能《ヲスクニノ》　許等登理毛知弖《コトトリモチテ》

　和可久佐能《ワカクサノ》　安由比多豆久利《アユヒタヅクリ》

　無良等理能《ムラトリノ》　安佐太知伊奈婆《アサダチイナバ》

　於久禮多流《オクレタル》　阿禮也可奈之伎《アレヤカナシキ》

　多妣尓由久《タビニユク》　伎美可母孤悲無《キミカモコヒム》

　於毛布蘇良《オモフソラ》　夜須久安良祢婆《ヤスクアラネバ》

　奈氣可久乎《ナゲカクヲ》　等騰米毛可祢?《トドメモカネテ》

　見和多勢婆《ミワタセバ》　宇能婆奈夜麻乃《ウノハナヤマノ》

　保等登藝須《ホトトギス》　祢能未之奈可由《ネノミシナカユ》

　安佐疑理能《アサギリノ》　美太流々許己呂《ミダルルココロ》

　許登尓伊泥弖《コトニイデテ》　伊波婆由遊思美《イハバユユシミ》

　刀奈美夜麻《トナミヤマ》　多牟氣能可味尓《タムケノカミニ》

　奴佐麻都里《ヌサマツリ》　安我許比能麻久《アガコヒノマク》

　波之家夜之《ハシケヤシ》　吉美賀多太可乎《キミガタダカヲ》

　麻佐吉久毛《マサキクモ》　安里多母等保利《アリタモトホリ》

　都奇多々婆《ツキタタバ》　等伎毛可波佐受《トキモカハサズ》

　奈泥之故我《ナデシコガ》　波奈乃佐可里尓《ハナノサカリニ》

　阿比見之米等曾《アヒミシメトゾ》

　

(491)【譯】美しい奈良を離れて來て、天のように遠い地方ではあるけれども、あなたを見ていると、思いをなくすこともあつたのを、天皇の命令を承わつて、領國の事を取り扱つて、若草のような足結を整え、群鳥のように、朝立つて行つたら、あとに殘つたわたくしが悲しいことでしよう。旅に行くあなたが戀うることでしようか。思う心が安らかでないので、歎きを止めかねて、見渡すと卯の花の咲く山のホトトギスのように、聲にばかり泣かされます。朝霧のように亂れる心は、言い出して言うと憚りがあるので、礪波山の手向の神に幣を奉つて、わたくしが祈願をすることには、最愛のあなたの正體を、無事に行つて歸つて、來月になつたら時も變わらずに、ナデシコの花の盛りに逢わせてくださいと祈ります。

【構成】第一段、旅ニ行ク君カモ戀ヒムまで。家持が税帳使として行くことを述べる。第二段、吾ノミシ泣カユまで。別れを悲しんで泣かれることを述べる。第三段、終りまで。神に無事に歸ることを祈ることを述べる。

【釋】乎須久尓能許等登理毛知弖　ヲスクニノコトトリモチテ。ヲスクニは、天皇の領國をいい、ここはその中の越中の國をいう。その國の事を取り持つてで、支配して。

　和可久佐能　ワカクサノ。枕詞であろうが、足結に冠するわけはわからない。やわらかい足結の意に冠するか。

　安由比多豆久利　アユヒタヅクリ。アユヒは足結。袴の上から、膝のあたりを結んで、行動に便にする紐。タヅクリは、タは接頭語。装うをいう。旅行の装を述べている。「野麻騰能《ヤマトノ》　飲斯能?稜栖嗚《オシノヒロセヲ》　倭?羅務騰《ワタラムト》　阿庸比?豆矩梨《アヨヒタヅクリ》　擧始豆矩羅符母《コシヅクラフモ》」（日本書紀一〇六、皇極天皇の卷）。

　無良等理能　ムラトリノ。枕詞。群鳥の朝立ツと續く。

　阿禮也可奈之伎　アレヤカナシキ。吾ヤ悲シキ。自分がか、悲しい。自分が悲しくあるだろうかの意。句切。

　伎美可母孤悲無　キミカモコヒム。君カモ戀ヒム。君がか、戀うだろう。君が戀しく思うだろうかの意。吾(492)ヤ悲シキと對句になつている。君と我と、どちらが悲しがるだろうか。句切。

　奈氣可久乎　ナゲカクヲ。ナゲカクは、歎くこと。

　見和多勢婆宇能婆奈夜麻乃保等登藝須　ミワタセバウノハナヤマノホトトギス。以上三句、序詞。

　安佐疑理能　アサギリノ。枕詞。譬愉によつて、亂ルルに冠している。

　許登尓伊泥弖伊波婆由遊思美　コトニイデテイハバユユシミ。亂れる心を、言語に出していうと、憚りがあるので。取り亂した悲しみごとをいうのは、不吉のこととしている。

　刀奈美夜麻多牟氣能可味尓　トナミヤマタムケノカミニ。トナミ山は、礪波山。加賀の國との國境の山、今の倶利伽羅《くりから》峠。本道ではないが、多くこの山を越えていたので、その山の神を言い立てている。タムケノカミは、手向の神。その山の、手向の祭をする處にいる神。三代實録、元慶二年五月八日、越中の國の手向の神に從五位の下を授くとあるのは、この神である。

　奴佐麻都里　ヌサマツリ。幣を奉り。ここははるかにその神を祭るのである。

　安我許比能麻久　アガコヒノマク。自分が乞い祈ることは。次の句以下でその祈願の内容になる。

　吉美賀多太可乎　キミガタダカヲ。タダカは、まさしき姿。(493)その本體。見シメトゾに續く。

　安里多母等保利　アリタモトホリ。在りつつ行き巡つて歸つて來て。

　都奇多々婆　ツキタタバ。翌月になつたら。六月に歸る豫定であつたと見える。

　等伎毛可波佐受　トキモカハサズ。時モ交ハサズ。時を移さず。

　阿比見之米等曾　アヒミシメトゾ。アヒ見シメトゾ祈ル。シメ、使役の助動詞の命令形。この句の下に、こい祈《の》む意の語が省略されている。「妹乎目不v離《イモヲメカレズ》　相見染跡衣《アヒミシメトゾ》」（卷三、三〇〇）。

【評語】整つた形で別離の悲しみを述べているが、やはり情は迫つていない。礪波山の神に祈つて留めているのは、一つの手段である。

　

4009　玉桙の　道の神たち、

　幣《まひ》はせむ。

　あが念《おも》ふ君を

　なつかしみせよ。

　

　多麻保許乃《タマホコノ》　美知能可未多知《ミチノカミタチ》

　麻比波勢牟《マヒハセム》

　安賀於毛布伎美乎《アガオモフキミヲ》

　奈都可之美勢余《ナツカシミセヨ》

　

【譯】道にいる神樣たちよ、物を獻りましよう。わたくしの思うあなたを親しみ愛してください。

【釋】麻比波勢牟　マヒハセム。マヒは、贈物。ここは幣帛を奉ることをいう。句切。

　奈都可之美勢余　ナツカシミセヨ。ナツカシミは、親しみ愛すること。愛して保護を加えよの意。

【評語】神に幣帛を奉つて無事を祈る意の歌で、幣ハセムの句によつて表現する一つの型のある歌である。長歌の礪波山の神云々の句を受けて、更に、道の神たちと擴大している。

【參考】類句、幣はせむ。

(494)　　若ければ道行知らじ。幣はせむ。黄泉《したべ》の使負ひて通らせ（卷五、九〇五）

　　天に坐《ま》す月讀壯士《つくよみをとこ》幣はせむ。今夜の長さ五百夜《いほよ》繼ぎこそ（卷六、九八五）

　

4010　うら戀《ごひ》し　わが夫《せ》の君は

　なでしこが　花にもがもな。

　朝《あさ》な朝《さ》な見《み》む。

　

　宇良故非之《ウラゴヒシ》　和賀勢能伎美波《ワガセノキミハ》

　奈泥之故我《ナデシコガ》　波奈尓毛我母奈《ハナニモガモナ》

　安佐奈佐奈見牟《アサナサナミム》

　

【譯】心戀しく思われるあなたは、ナデシコの花でほしいものです。朝な朝な見ましよう。

【釋】宇良故非之　ウラゴヒシ。連體形としてワガ夫ノ君を修飾している。

　安佐奈佐奈見牟　アサナサナミム。アサナサナは、朝ナ朝ナで、アサナアサナであるべきだが、下のアは、上のナに吸收される。西本願寺本等には、下の佐奈を々々に作るが、二字だけ繰り返すのか不明である。「阿佐奈佐奈《アサナサナ》　安我流比婆理爾《アガルヒバリニ》」（卷二十、四四三三）。

【評語】家持が、池主に對して、玉だつたらというのに和して、ここでは花だつたらといつたのである。これも類型的な内容の歌である。ナデシコを使つたのは、やがて咲くべき花であり、長歌の終りにも出したからである。

　

右、大伴宿祢池主報贈和歌　五月二日

　

右は、大伴の宿禰池主の報へ贈り和ふる歌　五月二日。

　

【釋】五月二日　サツキフツカ。この後、間もなく、家持は、税帳使として出發し、やがてまた歸任したのだろうが、そのあいだの歌を缺いている。多分作歌があつたのだろうが、別卷にでもなつていたと見えて、散佚(495)してしまつたものと思われる。次の歌は九月になつている。

　

思2放逸鷹1、夢見感悦作歌一首　并2短歌1

　

放逸せる鷹を思《しの》ひ、夢《いめ》に見て感悦《よろこ》びて作れる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】思放逸鷹夢見感悦作歌　ハウイチセルタカヲシノヒ、イメニミテヨロコビテツクレルウタ。放逸鷹は、にげた鷹。その事情、夢に娘子を見て悦んだことなど、反歌の左註にくわしい。鷹を飼育して、これを放つて鳥を捕らしめることは、三韓時代の朝鮮から入つて來たと傳えられる。日本では漸次これが盛んになつて、令の制度では、兵部省に主鷹司が置かれてあつた。後、佛教が盛んになるにつれて、殺生を忌む思想から、元正天皇の養老五年には、勅して飼つている鷹を放たしめ、聖武天皇の神龜五年にも飼うことを禁じた。その後、稱�ｺ天皇、光仁天皇の時代にも、鷹狩を禁ずる勅令が出た。しかしながら地方などでは、實際にこの禁令は行われなかつたもののようで、家持などもこれをもつて大きな樂しみとしておつたのである。

【參考】鷹狩の起原。

　四十三年の秋九月｜庚子《かのえね》の朔、依網《よさみ》の屯倉《みやけ》の阿弭古《あびこ》、異《け》しき鳥を捕《と》りて天皇に獻りて曰《まを》さく、臣つねに網を張りて鳥を捕るに、いまだかつてこの鳥の類を見ず。故《かれ》奇《あや》しみて獻ると曰す。天皇、酒の君を召して鳥を示《み》せて宜りたまはく、こは何の鳥ぞといふ。酒の君對へて言《まを》さく、この鳥の類、多《さは》に百濟にあり、馴らし得てはよく人に從ひ、また捷《と》く飛びて諸の鳥を掠《かす》む。百濟の俗、この鳥に號《なづ》けて倶知《くち》と曰ふと曰す。こは今時の鷹なり。すなはち酒の君に授けて養《か》ひ馴らさしむるに、いまだ幾時ならずして馴らすことを得たり。酒の君、韋《をしかは》の緡《さしのを》をその足に著《つ》け、小鈴をその尾に著け、腕の上にすゑて天皇に獻る。この日、百舌鳥野《もずの》に幸して遊獵したまふ。時に雌雉｜多《さは》に起ちしかば、すなはち鷹を放ちて捕らしむるに、たちまちに數十の雉を得たり。この月、はじめて(496)鷹甘部《たかかひべ》を定めき。故、時の人、その鷹を養へる處に號けて、鷹廿の邑《むら》と曰へり。（日本書紀、仁�ｺ天皇の卷）

　

4011　大王《おほきみ》の　遠の朝廷《みかど》ぞ、

　み雪降る　越《こし》と名に負《お》へる

　天《あま》ざかる　鄙にしあれば、

　山高み　河とほしろし。

　野を廣み　草こそ茂き。」

　鮎走る　夏の盛りと、

　島つ鳥　鵜養《うかひ》が伴《とも》は、

　行く河の　清き瀬ごとに

　篝《かがり》さし　なづさひ上《のぼ》る。」

　露霜の　秋に至れば、

　野も多《さは》に　鳥すだけりと、

　ますらをの　伴《とも》いざなひて、

　鷹はしも　數多《あまた》あれども、

　矢形尾《やかたを》の　我《あ》が大黒《おほくろ》に、【大黒は、蒼鷹の名なり。]

　白塗《しらぬり》の　鈴取りつけて、

(497)　朝獵《あさがり》に　五百《いほ》つ鳥立て、

　夕獵《ゆふかり》に　千鳥踏み立て、

　追ふ毎《ごと》に　免《ゆる》すことなく、

　手放《たばな》れも　還來《をち》もか易き、

　これを除《お》きて　またはあり難し。

　さならへる　鷹は無けむと、

　情《こころ》には　思ひ誇りて、

　笑《ゑま》ひつつ　渡るあひだに、

　狂《たぶ》れたる　醜《しこ》つ翁の、

　言《こと》だにも　吾には告げず、

　との曇《ぐも》り　雨の降る日を、

　鷹獵《とがり》すと　名のみを告《の》りて、

　三島野を　背向《そがひ》に見つつ、

　二上の 山飛び越えて

　雲｜隱《がく》り　翔《かけ》り去にきと、

　歸り來て　咳《しはぶ》れ告《つ》ぐれ、

　招《を》くよしの　そこに無ければ、

(498)　言ふすべの　たどきを知らに、

　心には　火さへ燃えつつ、

　思ひ戀ひ　息づき餘り、

　けだしくも　逢ふことありやと、

　あしひきの　彼面此面《をてもこのも》に

　鳥網《となみ》張り　守部《もりべ》を居《す》ゑて、

　ちはやぶる　神の社に

　照る鏡　倭文《しつ》に取り添へ、

　乞《こ》ひ祈《の》みて　吾《あ》が待つ時に、

　孃子《をとめ》らが　夢《いめ》に告ぐらく、

　汝《な》が戀ふる　その秀《ほ》つ鷹は、

　松田江の　濱行き暮らし、

　つなし漁《と》る　氷《ひ》見の江過ぎて、

　多古《たこ》の島　飛び徘徊《たもとほ》り、

　葦鴨《あしがも》の　すだく舊江《ふるえ》に

　一昨日《をとつひ》も　昨日もありつ、

　近くあらば　今｜二日《ふつか》だめ、

(499)　遠くあらば　七日《なぬか》のをちは、

　過ぎめやも。

　來《き》なむわが夫子《せこ》、

　懇《ねもころ》に　な戀ひそよとぞ、

　いまに告げつる。」

　

　大王乃《オホキミノ》　等保能美可度曾《トホノミカドゾ》

　美雪落《ミユキフル》　越登名尓於敝流《コシトナニオヘル》

　安麻射可流《アマザカル》　比奈尓之安禮婆《ヒナニシアレバ》

　山高美《ヤマタカミ》　河登保之呂思《カハトホシロシ》

　野乎比呂美《ノヲヒロミ》 久佐許曾之既吉《クサコソシゲキ》

　安由波之流《アユハシル》　奈都能左加利等《ナツノサカリト》

　之麻都等里《シマツトリ》　鵜養我登母波《ウカヒガトモハ》

　由久加波乃《ユクカハノ》　伎欲吉瀬其等尓《キヨキセゴトニ》

　可賀里左之《カガリサシ》　奈豆左比能保流《ナヅサヒノボル》

　露霜乃《ツユジモノ》　安伎尓伊多禮婆《アキニイタレバ》

　野毛佐波尓《ノモサハニ》　等里須太家里等《トリスダケリト》

　麻須良乎能《マスラヲノ》　登母伊射奈比弖《トモイザナヒテ》

　多加波之母《タカハシモ》　安麻多安禮等母《アマタアレドモ》

　矢形尾乃《ヤカタヲノ》　安我大黒尓《アガオホクロニ》【大黒者蒼鷹之名也】

　之良奴里能《シラヌリノ》　鈴登里都氣弖《スズトリツケテ》

　朝?尓《アサガリニ》　伊保都登里多?《イホツトリタテ》

　暮?尓《ユフカリニ》　知登理布美多?《チドリフミタテ》

　於敷其等迩《オフゴトニ》　由流須許等奈久《ユルスコトナク》

　手放毛《タバナレモ》　乎知母可夜須伎《ヲチモカヤスキ》

　許禮乎於伎?《コレヲオキテ》　麻多波安里我多之《マタハアリガタシ》

　左奈良敝流《サナラヘル》　多可波奈家牟等《タカハナケムト》

　情尓波《ココロニハ》　於毛比保許里弖《オモヒホコリテ》

　惠麻比都追《ヱマヒツツ》　和多流安比太尓《ワタルアヒダニ》

　多夫禮多流《タブレタル》　之許都於吉奈乃《シコツオキナノ》

　許等太尓母《コトダニモ》　吾尓波都氣受《ワレニハツゲズ》

　等乃具母利《トノグモリ》　安米能布流日乎《アメノフルヒヲ》

　等我理須等《トガリスト》　名乃未乎能里弖《ナノミヲノリテ》

　三島野乎《ミシマノヲ》　曾我比尓見都追《ソガヒニミツツ》

　二上《フタガミノ》　山登妣古要?《ヤマトビコエテ》

　久母我久理《クモガクリ》　可氣理伊尓伎等《カケリイニキト》

　可敝理伎弖《カヘリキテ》　之波夫禮都具禮《シハブレツグレ》

　呼久餘思乃《ヲクヨシノ》　曾許尓奈家禮婆《ソコニナケレバ》

　伊敷須敝能《イフスベノ》　多騰伎乎之良尓《タドキヲシラニ》

　心尓波《ココロニハ》　火佐倍毛要都追《ヒサヘモエツツ》

　於母比孤悲《オモヒコヒ》　伊伎豆吉安麻利《イキヅキアマリ》

　氣太之久毛《ケダシクモ》　安布許等安里也等《アフコトアリヤト》

　安之比奇能《アシヒキノ》　乎?母許乃毛尓《ヲテモコノモニ》

　等奈美波里《トナミハリ》　母利敝乎須惠?《モリベヲスヱテ》

　知波夜夫流《チハヤブル》　神社尓《カミノヤシロニ》

　?流鏡《テルカガミ》　之都尓等里蘇倍《シツニトリソヘ》

　己比能美弖《コヒノミテ》　安我麻都等吉尓《アガマツトキニ》

　乎登賣良我《ヲトメラガ》　伊米尓都具良久《イメニツグラク》

　奈我古敷流《ナガコフル》　曾能保追多加波《ソノホツタカハ》

　麻追太要乃《マツダエノ》　波麻由伎具良之《ハマユキグラシ》

　都奈之等流《ツナシトル》　比美乃江過弖《ヒミノエスギテ》

　多古能之麻《タコノシマ》　等妣多毛登保里《トビタモトホリ》

　安之我母乃《アシガモノ》　須太久舊江尓《スダクフルエニ》

　乎等都日毛《ヲトツヒモ》　伎能敷母安里追《キノフモアリツ》

　知加久安良婆《チカクアラバ》　伊麻布都可太未《イマフツカダメ》

　等保久安良婆《トホクアレバ》　奈奴可乃乎知波《ナヌカノヲチハ》

　須疑米也母《スギメヤ》

　伎奈牟和我勢故《キナムワガセコ》

　祢毛許呂尓《ネモコロニ》　奈孤悲曾余等曾《ナコヒソヨトゾ》

　伊麻尓都氣都流《イマニツゲツル》

　

【譯】天皇の遠い政廳だ。雪の降る越の國と名に負つている、天のように遠い地方の事だから、山が高くして川が大きい。野が廣くして草が茂く生えている。鮎の走る夏の盛りには、島にいる鳥の鵜を飼う人々は、流れる川の清らかな瀬ごとに、かがり火をともして水を分けて登る。露霜のおく秋になると、野にたくさんに鳥が集つていると、勢兒が友を誘つて、鷹は多くあるけれども、矢形尾のわたしの大黒に、白く塗つた鈴を取りつけて、朝の獵に多教の鳥を追い立て、夕べの獵に無數の鳥を踏み立てて、追うごとにのがすことなく、手から放れることも歸つて來ることも容易である。これをおいてまたとない、これにくらぶべき鷹はないだろうと、心には思い誇つて、喜んで日を過ごしているうちに、氣違いの醜い老人が、言葉だけもわたしには言わないで、空かき曇つて雨の降る日なのに、鷹獵をすると、名ばかりとなえて、三島野を横に見ながら、二上山を飛び越えて、雲に陰れて飛んで行つたと、歸つて來て咳《せき》をして告げるので、招く由がないので、言うべき手段も知らず、心には火さえ燃えて、思い戀い、溜息をついたあまり、もしや逢うこともあるかと、山のあちらこちらに、鳥の網を張り番人を置いて、貴い神の社に、照る鏡を倭文に取り添えて、祈願をしてわたしが待つている時に、娘子が夢に告げることには、あなたの戀しているそのすぐれた鷹は、松田江の濱を行つて日を暮らし、ツナシを捕る氷見の江を過ぎて、多古の島を飛び廻つて、鴨の集つている舊江に、一昨日も昨日もいました。近いな(500)ら今二日ばかり待ち、遠いならば七日の上は過ぎますまい。來るでしようあなた、心から戀しがりなさいますなと、現に告げた。

【構成】第一段、草コソ茂キまで。越中の國の、川が大きく、野の廣いことを述べる。第二段、ナヅサヒ上ルまで。川について鵜飼をすることを述べる。第三段、終りまで。野について鷹飼をすることから始め、飼つている鷹のすぐれていることを述べ、その鷹が迯げたので祈願をして待つていると、夢に娘子があらわれてまもなく歸つて來るだろうと言つたことを述べて終る。第二段と第三段の初めとは、對になつているが、歌の主意は、第三段にある。

【釋】等保能美可度曾　トホノミカドゾ。この歌では、越の國をさしてトホノミカドと言つている。これは地方政廳の義から、推してその國の上をいうに至つたのであろう。以上二句、越の國の總評である。

　美雪落　ミユキフル。枕詞。越の國を説明している。

　越登名尓於敝流　コシトナニオヘル。コシは、北陸地方の總稱で、ここでは主として越中の國をさしている。

　山高美河登保之呂思　ヤマタカミカハトホシロシ。山が高くして川が雄大である。「山高三《ヤマタカミ》　河登保志呂之《カハトホシロシ》」（卷三、三二四）。句切。

　久佐許曾之既吉　クサコソシゲキ。コソに對して、形容詞のキの形をもつて結んでいる。句切。

　之麻都等里　シマツトリ。枕詞。島の鳥の義で、鵜に冠している。

　可賀里左之　カガリサシ。カガリは、かがり火。夜中火を燃してその火に集まるアユを、鵜を放つて捕る。サシは、さしつける意。

　奈豆左比能保流　ナヅサヒノボル。水をおし分けて川を上る。以上鵜飼に關する事は、上の川トホシロシを受けている。句切。

(501)　露霜乃　ツユジモノ。枕詞。秋を説明する。以下、上の野の敍述を受けて、本題の鷹に關することを述べている。

　等里須太家里等　トリスダケリト。スダケリは、多く集まつていること。

　矢形尾乃　ヤカタヲノ。ヤカタヲは、鷹の尾の説明であるが、どのようなものか、よくわからない。奧義抄には「やかた尾とは、尾のふの、矢の羽のやうにさがりふにきりたる鷹なり。集には矢形尾と書けり」といい、袖中抄には「顯昭云、やかたをとは、鷹の相經には、屋像尾《やかたを》、町形尾《まちがたを》との二の樣をあげたり。やかたとは屋の棟のやうにさがりふに切りたるをいひ、町かたとは、田の町のやうによこさまにうるはしうきりたるなるべし」と言つている。眞白の鷹にもいうによれば、矢羽根の形であつて、斑の入つているのではなかろう。「矢形尾乃《ヤカタヲノ》　麻之路能鷹乎《マシロノタカヲ》」（卷十九、四一五五）。

　安我大黒尓　アガオホクロニ。自註に「大黒者蒼鷹之名也」とあるように、オホクロは、鷹の名である。羽毛に大きく黒い部分があるのだろう。蒼鷹は大鷹で、雌の鷹である。倭名類聚鈔。「鷹、廣雅（ニ）云（フ）、一歳（ヲ）名（ヅケ）2之黄鷹（ト）1、二歳（ヲ）名（ヅケ）2之撫鷹（ト）1、三歳（ヲ）名（ヅク）2之青鷹白鷹（ト）1。　漢語抄（ニ）云（フ）、大鷹｜於保太加《オホタカ》。兄鷹｜勢宇《セウ》。今案（ズルニ）、俗説雄鷹（ヲ）謂（ヒ）2之兄鷹（ト）1、雌鷹（ヲ）謂（フ）2之大鷹（ト）1也。」

　之良奴里能鈴登里都氣弖　シラヌリノスズトリツケテ。シラヌリノスズは、銀で鍍金した鈴であろう。鷹の尾につける。延喜式、八十島の祭の料の註文に、「白塗（ノ）鈴八十口」とある。

　伊保都登里多?　イホツトリタテ。イホツトリは、五百ツ鳥で、多くの鳥をいう。タテは、追い立てる意。

　知登理布美多?　チドリフミタテ。チドリは千鳥で、五百つ鳥と同じく多くの鳥。フミタテは、野にいるのを踏んで追い立てる意。

　手放毛乎知母可夜須伎　タバナレモヲチモカヤスキ。タバナレは、鷹が鳥をめがけて手もとを離れること。ヲチは、もとに還る意の語で、鷹が手もとに歸ること。カは接頭語。カヤスキは、容易なこと。連體形で、容(502)易なるはの意。

　左奈良敝流　サナラヘル。サ竝ベルと解せられているが、ナラベのべは「斯抱布禰乃《シホブネノ》　那良敝弖美禮婆《ナラベテミレバ》」（卷十四、三四五〇）のように敝を使用した例と、「四舶《ヨツノフネ》　々能倍奈良倍《フナノヘナラベ》」（卷十九、四二六四）、「比奈良部弖《ヒナラベテ》　安米波布禮杼母《アメハフレドモ》」（卷二十、四四四二）の如く倍を使つた例とがある。これらは下二段活であるが、今ここのは甲類のヘを使用しており、四段活の命令形と見られる。

　多夫禮多流　タブレタル。日本書紀に、狂にタブレと訓じ、倭名類聚鈔に「癲、音天、狂、訓｜太布流《タフル》流、俗（ニ）云（フ）、毛乃久流比《モノクルヒ》」とある。續日本紀、天平寶字元年の宣命に「惡逆｜在《ナル》奴、久奈多夫禮《クナタブレ》、麻度比《マドヒ》」とある多夫禮も同じく、物に狂う意の語である。

　之許都於吉奈乃　シコツオキナノ。シコツは、醜ツで、罵倒する時につける語。この翁は、左註によれば、山田の君麻呂である。

　等我理須等　トガリスト。トガリは、鷹獵。

　名乃未乎能里弖　ナノミヲノリテ。自分の名ばかりをなのつて。

　三島野乎　ミシマノヲ。ミシマノは、倭名類聚妙に、射水郡に「三島美之萬」とあるところで、今、二口村の地であるという。國守の館からは、射水川を隔てて見渡される處である。「美之麻野爾《ミシマノニ》　可須美多奈妣伎《カスミタナビキ》」（卷十八、四〇七九）。

　二上山登妣古要?　フタガミノヤマトビコエテ。元暦校本、類聚古集に、二上山を二山上に作つている。しかし三島野ヲソガヒニ見ツツといい、下に、松田江ノ濱行キグラシ云々とある地理上の關係からいえば、やはり二上山の方がよいらしい。反歌にも二上山が詠まれている。今、舊説に復歸する。

　之波夫禮都具禮　シハブレツグレ。シハブレは、咳クに同じ。ここでは下二段と見られるが、源氏物語には(503)「しはぶる人」と四段に使つている。シハブレツグレは、已然條件法で、句切ではない。

　呼久餘思乃　ヲクヨシノ。ヲクは、招く。鷹を招く手段が。

　伊伎豆吉安麻利　イキヅキアマリ。イキヅキしてそれが餘つて外形にあらわれて。「水隱爾《ミゴモリニ》　氣衝餘《イキヅキアマリ》」（卷七、一三八四）。

　安之比奇能　アシヒキノ。山に冠する枕詞であるが、ここでは、ただちに山の意に使つている。

　乎?母許乃毛尓　ヲテモコノモニ。彼面此面ニで、ヲテモは、ヲチオモの約言であろう。山のあちらの面。「安思我良能《アシガラノ》　乎弖毛許乃母爾《ヲテモコノモニ》」（卷十四、三三六一）、「筑波禰乃《ツクハネノ》　乎弖毛許能母爾《ヲテモコノモニ》」（同、三三九三）など、東歌に見えている。

　等奈美波里　トナミハリ。トナミは、鳥の網。鳥を捕えるための網。

　母利敝乎須惠?　モリベヲスヱテ。モリベは、守部。番人。

　之都尓等里蘇倍　シツニトリソヘ。シツは、倭文布で、固有の織物。それに照り輝く鏡を添えて、幣帛として獻るのである。

　乎登賣良我　ヲトメラガ。夢にあらわれた娘子をいう。ラは接尾語。複數ではない。神社に祈る旨の記事を受けているので、娘子が夢にあらわれて告げたのを、神語と解していたらしい。

　曾能保追多加波　ソノホツタカハ。ホツタカは、すぐれた鷹。

　麻都太要乃波麻由伎具良之　マツダエノハマユキグラシ。マツダエノ濱は、澁谿と氷見とのあいだの海濱。

　都奈之等流　ツナシトル。ツナシは、魚名。今コノシロという。今でも富山縣では、ツナシと呼んでいる。

　比美乃江過弖　ヒミノエスギテ。ヒミノエは、氷見の江で、布勢の水海と氷見の海とを結ぶ水路をいう。それは幅も廣く、汐入りになつていたのだろう。

(504)　多古納之麻　タコノシマ。布勢の水海に面する地に、今、上田子、下田子の名を留めている。「多胡乃佐伎《タコノサキ》」（卷十八、四〇五一）など歌われている地で、そこの湖水に面した地をいう。タコは、樹名から出た名であろう。タコノキは、クス科の落葉喬木。イヌクス。

　須太久舊江尓　スダクフルエニ。フルエは地名。布勢の水海の南邊の地。

　伊麻布都可太米　イマフツカダメ。仙覺本には、太米を太未に作り、ダミと訓している。いずれにしても不明の語。「岡前《ヲカザキノ》　多未足道乎《タミタルミチヲ》」（卷十一、二三六三）など、廻ることをタムというから、周邊の義に、二日ばかりの意になるのだろうか。この上から下にかけて「久有《ヒサニアラバ》　今七日許《イマナヌカバカリ》　早有者《ハヤクアラバ》　今二日許《イマフツカバカリ》　將v有等曾《アラムトゾ》　君者聞之二《キミハキコシシ》々」（卷十三、三三一八）あたりに通つている。

　奈奴可乃乎知波　ナヌカノヲチハ。ヲチは、彼方。七日以上は。

　伊麻尓都氣都流　イマニツゲツル。伊麻は、考に伊米の誤りとして、夢の義としている。反歌第二には、夢ニツゲツモとある。イマならば、今で、現在の時の義であろう。こういう用例は「南岳之《ムカツヲノ》　若楓木《ワカカツラノキ》　下枝取《シヅエトリ》　花待伊間尓《ハナマツイマニ》　嘆鶴鴨《ナゲキツルカモ》」（卷七、一三五九）の如きがある。

【評語】家持作の長歌のうち、陸奧の國より黄金を出せるを賀ぐ詔書の歌に次いでの長篇で、彼の百七句であるに對してこれは百五句である。全體として整然たる構成を有し、まず總説として越中の地理を述べ、川の大きいことと野の廣いこととを擧げて伏線とし、その川を受けて鵜飼のことを述べ、野を受けて主題の鷹獵のことに及び、ここに逸物の鷹を失つてこれを戀い求める心を寫している。鷹飼の翁が鷹を失つたあたりの敍述もよいし、終りに、夢にあらわれた娘子の話をもつて結んでいるのも一手段である。鷹を失つた憤慨が、この作を成すに至らしめたもので、家持の長歌中での佳作である。夢に娘子のあらわれることは、旅人の、琴の娘子が夢にあらわれる構想（卷五、八一〇）また梅の花が夢にあらわれる歌（同、八五二）あたりの影響を受けて(505)いるかもしれない。

　

4012　矢形尾《やかたを》の　鷹を手に据ゑ、

　三島野に　獵《か》らぬ日まねく、

　月ぞ經にける。

　

　矢形尾能《ヤカタヲノ》　多加乎手尓須惠《タカヲテニスエ》

　美之麻野尓《ミシマノニ》　可良双日麻祢久《カラヌヒマネク》

　都寄曾倍尓家流《ツキゾヘニケル》

　

【譯】矢形尾の鷹を手に置いて、三島野で獵をしない日が多くなつて、月を經たことだ。

【評語】愛する鷹を失つて、猟をする氣もなくなつたさまが歌われている。獵をするさまが具體的に描かれているので、歌が生きている。

　

4013　二上《ふたがみ》の　彼面此面《をてもこのも》に

　網さして　あが待つ鷹を、

　夢《いめ》に告げつも。

　

　二上能《フタガミノ》　乎弖母許能母尓《ヲテモコノモニ》

　安美佐之弖《アミサシテ》　安我麻都多可乎《アガマツタカヲ》

　伊米尓都氣追母《イメニツゲツモ》

　

【譯】二上山のあちらこちらの面に網を張つてわたしの待つている鷹を、夢に告げたことだ。

【評語】長歌の内容を操り返している。五句は、長歌の末句の解釋の參考になろう。

　

4014　まつがへり　しひにてあれかも、

　さ山田の　翁《をぢ》がその日に

　求め逢はずけむ。

　

　麻追我敝里《マツガヘリ》　之比尓弖安禮可母《シヒニテアレカモ》

　佐夜麻太乃《サヤマダノ》　乎治我其日尓《ヲヂガソノヒニ》

　母等米安波受家牟《モトメアハズケム》

　

【譯】待つているのに歸ることが滯つていたからか、山田の老人が、その日に求め逢わなかつたのだろう。

(506)【釋】麻追我敝里之比尓弖安禮可毛　マツガヘリシヒニテアレカモ。語義不明の句。マツガヘリは、待つに歸ることをいうか。行つて歸ることをカヘリというから、待つている處に歸つてくる意だろう。シヒニテは、通じなくての意か。アレカモは、已然の疑問條件法と解せられる。この句は、人麻呂集所出の「松反《マツガヘリ》　四臂而有八羽《シヒテアレヤハ》　三栗《ミツグリノ》　中上不v來《ナカユノボリコヌ》　麻呂等言八子《マロトイフヤツコ》」（卷九、一七八三）の歌の初二句によつたものと考えられている。相互に參照して解すべきである。

　佐夜麻太乃乎治我其日尓　サヤマダノヲヂガソノヒニ。サは接頭語。ヤマダノヲヂは、鷹飼の山田の君麻呂で、ヲヂは老翁の義。

【評語】珍しい語を使つている。鷹飼の翁が、鷹を求め得なかつたことをくやしがつているが、多少それを興味を感じて歌つているところがあり、幾分氣が折れて來たのだろう。

　

4015　情《こころ》には　ゆるふことなく、

　須加《すか》の山　すかなくのみや

　戀ひ渡りなむ。

　

　情尓波《ココロニハ》　由流布許等奈久《ユルフコトナク》

　須加能夜麻《スカノヤマ》　須可奈久能未也《スカナクノミヤ》

　孤悲和多利奈牟《コヒワタリナム》

　

【譯】心では悲しみがゆるむことなく、須賀の山の名のように、すかなくばかりにか、戀して過ごすことだろう。

【釋】由流布許等奈久　ユルフコトナク。ユルフは、緩む。悲痛の感情が、弛緩することなく。

　須加能夜麻　スカノヤマ。枕詞。同音によつて、スカナクに冠している。スカノ山は、正倉院文書、天平寶字三年十一月十四日の東大寺越中國諸郡庄園總券（大日本古文書四ノ三七五）に射水の郡のうちに「須加村地參拾伍町壹段貳伯貳拾肆歩」とある下に註して「東（ハ）、大葦原（ノ）里五行（ト）與（ノ）2六行1堺（ノ）畔、南西（ハ）、伯姓（ノ）口分、北（ハ）、須加《スカ》(507)山」とあり、須加村の北にある山と知られるが、今、いずれの山ともわからない。

　須可奈久能未也　スカナクノミヤ。古義に「字鏡に、〓〓、心中（ニ）不（ル）2悦樂（セ）1貌、坐歎（スル）貌、須加奈加留《スカナカル》。催馬樂蘆垣に、菅の根のすかなきことをわれはきくかな。これらを考合せて其意をさとるべし」とある。心の樂しまない意の形容詞であろう。

【評語】須加の山の地名と、スカナクという珍しい語を使つたのが特色である。初二句は、緊張した氣もちが見えるが、須賀ノ山スカナクと同音を利用したのは、餘裕があつて、悲痛の感じを缺く。この邊の歌で、家持は、變わつた語を求めており、作歌の上に何かをさがし求めている氣もちの動いていることが知られる。

　

右、射水郡古江村、取2獲蒼鷹1。形容美麗、〓v雉秀v群也。於v時養吏山田史君麻呂、調試失v節、野獵乖v候。搏風之翅、高翔匿v雲、腐鼠之餌、呼留靡v驗。於v是張2設羅網1、窺2乎非常1、奉2幣神祇1、恃2乎不虞1也。粤以夢裏、有2娘子1、喩曰、使君勿d作2苦念1、空費c精神u。放逸彼鷹、獲得未v幾矣哉。須臾覺寤、有v悦2於懷1。因作2却v恨之歌1、式旌2感信1。守大伴宿祢家持。九月廿六日作也。

　

右は、射水の郡古江の村に蒼鷹を取り獲たり。形容美麗にして雉を〓《と》ること群に秀《ひ》でたり。時に養吏山田の史《ふひと》君麻呂、調試｜節《とき》を失ひ、野の獵候に乖《そむ》く。風を搏《う》つ翅《つばさ》高く翔《かけ》りて雲に匿れ、腐りたる鼠の餌呼び留むるに驗｜靡《な》し。ここに羅網を張り設《ま》けて非常を窺ひ、神祇に奉幣して虞《はか》らざるを恃《たの》む。ここに夢のうちに娘子あり。喩《をし》へて曰はく、使君苦念を作《な》して空しく精神を費すことなかれ、放逸せるその鷹、獲り得むこと近からむかといふ。須臾に覺《おどろ》き寤《さ》め、懷《こころ》に悦あり。因りて恨みを却《しりぞ》くる歌を作りて、(508)もちて感信を旌《あらは》す。守大伴の宿禰家持。【九月二十六日作れる。】雫

【釋】〓雉秀群也　キギシヲトルコトムレニヒデタリ。〓は、鳥を撃ち殺す意の字。

　野獵乖候　ノノカリトキニソムク。野に獵をするのに、時候はずれである。九月二十六日にこの歌を作り、反歌に、獵ラヌ日マネク月ゾ經ニケルと言つているのだから、鷹を失つたのは、八月頃なのだろう。大鷹を使用する獵は、冬季に行われるが、まだその季節でないのに行つたことを難じている。

　腐鼠之餌　クサリタルネズミノヱ。鷹を飼うに鼠の肉をもつてしていたのだろう。腐鼠は、文勢に乘じて書いたもの。

　恃乎不虞也　ハカラザルヲタノム。不虞は、思いがけないこと。萬一にも歸つて來るかと恃んだ。

　使君　キミ。國守の唐名。あなた。

　

高市連黒人歌一首　年月不v審

　

【釋】高市連黒人　タケチノムラジクロヒト。藤原の宮時代の人。卷の一、三二參照。

　

4016　婦負《めひ》の野の　すすき押し靡《な》べ

　降る雪に、宿借る今日し、

　悲しく思ほゆ。

　

　賣比能野能《メヒノノノ》　須々吉於之奈倍《ススキオシナベ》

　布流由伎尓《フルユキニ》　夜度加流家敷之《ヤドカルケフシ》

　可奈之久於毛倍遊《カナシクオモホユ》

　

【譯】婦負の野のススキをおし伏せて降る雪に、宿を借りる今日は、悲しく思われる。

【釋】賣比能野能　メヒノノノ。メヒは、倭名類聚紗に「越中國婦負郡、禰比《ネヒ》」とあり、延喜式にも、婦負にネヒと訓している。三代實録貞觀五年八月の條には、越中の國正六位の上｜鵜坂《うさか》の姉比�刀sあねひめ》の神、鵜坂の妻比�刀sめひめ》の(509)神に、從五位の下を授くとある。もとメヒと言つたのが、ネヒとなつたのか、または、メヒ、ネヒ兩存したかになるのだが、妻比�唐ﾍ、ツマヒメであるかも知れず、兩存したというのは、根據薄弱である。メヒノ野は、今の冨山市西方の地であろう。

　須々吉於之奈倍　ススキオシナベ。ススキをおし靡かせて。雪の降るさまの烈しいのを説明する。

　可奈之久於毛倍遊　カナシクオモホユ。カナシクオモヘユ（元）、カナシクオモハユ（新考）。代匠記精撰本には、倍を保の誤りとしている。倍は、集中常に、ベまたは、ヘの音に使つているが、「區珥能摩倍邏摩《クニノマホラマ》」（日本書紀二二）の倍は、北野本、熱田本、釋日本紀等に倍であるが、これはホと讀むべきもののようである。倍は、ホの音のある字であるが、第二句ではヘに使つているので、なお疑問が殘る。動詞思フの受身は、通例オモホユであるが、オモハユもあり、その方が原形的であるが、倍をハと讀むべき明證がない。「波漏婆漏爾《ハロバロニ》　於忘方由流可母《オモハユルカモ》」（卷五、八六六）。

【評語】見る見るうちに、枯野の薄をおし伏せて、大雪になつた。そういう日に行き合わせて、民屋に宿を借る旅の辛勞が、力強く、しかも印象的に描かれている。北國の雪の敍述があつて、よく哀痛の旅情を寫している。

　

右、傳2誦此歌1、三國眞人五百國是也

　

右は、此の歌を傳へ誦めるは、三國《みくに》の眞人五百國《まひといほくに》なり。

　

【釋】三國眞人五百國　ミクニノマヒトイホクニ。當時越中の國にいた人だろうが、どういう人とも知られない。

　

(510)4017　東風《あゆのかぜ》【越の俗語東風をあゆのかぜといへり。】　いたく吹くらし。

　奈呉《なご》の海人《あま》の　釣する小舟《をぶね》、

　榜ぎ隱る見ゆ。

　

　東風《アユノカゼ》【越俗語東風謂2之安由乃可是1也。】　伊多久布久良之《イタクフクラシ》

　奈呉乃安麻能《ナゴノアマノ》　都利須流乎夫祢《ツリスルヲブネ》

　許藝可久流見由《コギカクルミユ》

　

【譯】東風がひどく吹くらしい。奈呉の海人の釣する小船が、漕ぎ隱れるのが見える。

【釋】東風　アユノカゼ。自註にあるように、越の俗語にアユノカゼというよしである。但し冨山灣は東北に向かつて開いているので、實際に吹く風は東北風であるが、家屋は北方を閉塞してあるので、主として東方の風當りを感じたのだろう。

　許藝可久流見由　コギカクルミユ。海上から漕ぎ去るのを見て詠んでいる。

【評語】風の吹き荒れて來た海上の光景が歌われている。地方語を取り入れたのも、效果的で、北陸の海を描くにふさわしい。力強い表現の歌である。用言の終止形を受けた見ユの用例は、家持の作にはすくないのであるが、ここにこれを使つたのは、前掲の黒人の歌あたりに刺戟されて、古い語法を使用したのかも知れない。以下四首、海岸を巡行した時の作で、題詞は無いが原形のままであろう。

　

(511)4018　みなと風　寒く吹くらし。

　奈呉《なご》の江《え》に　妻｜喚《よ》びかはし、

　鶴《たづ》さはに鳴く。

　

　美奈刀可是《ミナトカゼ》　佐牟久布久良之《サムクフクラシ》

　奈呉乃江尓《ナゴノエニ》　都麻欲妣可波之《ツマヨビカハシ》

　多豆左波尓奈久《タヅサハニナク》

　

【譯】河口の風が、寒く吹くらしい。奈呉の江に、妻を呼びかわして鶴が多く鳴いている。

【釋】美奈刀可是　ミナトカゼ。ミナトは水戸。ここは射水川の河口。

　奈呉乃江尓　ナゴノエニ。ナゴノエは、射水川が、河口近くで作つていた江であろう。今、新湊市に殘つている放生津《ほうじようず》潟なども、そのなごりであろう。

【評語】奈呉の江に騷ぐ鶴を見て詠んでいる。水邊の風光を描いているが、内容は類型的で、北國の特色が描かれていない。

　

一云、多豆佐和久奈里《タヅサワクナリ》

　

一は云ふ、たづさわくなり。

　

【釋】多豆佐和久奈里　タヅサワクナリ。五句の別案である。妻呼ビカハシに對しては、鶴サハニ鳴クの方がよい。助動詞ナリを使用すべき所ではない。

　

4019　天《あま》ざかる　鄙《ひな》ともしるく、

　ここだくも　繁き戀かも。

　和《な》ぐる日も無く。

　

　安麻射可流《アマザカル》　比奈等毛之流久《ヒナトモシルク》

　許己太久母《ココダクモ》　之氣伎孤悲可毛《シゲキコヒカモ》

　奈具流日毛奈久《ナグルヒモナク》

　

(512)【譯】天のように遠い地方であることも知られて、非常にも繁くある戀だなあ。靜まる日もなくして。

【釋】比奈等毛之流久　ヒナトモシルク。シルクは、顯著であるさまの形容詞。鄙であることもあきらかに知られて。

【評語】遠い地方に旅に出て、一日も休まる日なく、烈しく都戀しい心に襲われている。さびしさの何ともしがたい心が、よくあらわれている。

　

4020　越《こし》の海の　信濃【濱の名なり。】の濱を

　行き暮らし、

　長き春日も　忘れて念へや。

　

　故之能宇美能《コシノウミノ》　信濃《シナノ》【濱名也。】乃波麻乎《ノハマヲ》

　由伎久良之《ユキクラシ》

　奈我伎波流比毛《ナガキハルヒモ》　和須禮弖於毛倍也《ワスレテオモヘヤ》

　

【譯】越の海の信濃の濱を行き暮らして、長い春の日だが、忘れられない。

【釋】信濃乃波麻乎　シナノノハマヲ。シナノは、自註に、濱の名だとある。今、所在不明だが、前數首の歌から推して、やはり新湊市附近だろうという。

　和須禮弖於毛倍也　ワスレテオモヘヤ。ワスレテオモフは、忘れる、思い忘れる。ヤは反語。忘れない。忘れることはないのだの意。都戀しさの忘れられないことをいう。

【評語】越の海に信濃の濱の名のあるのに興味を覺えて、そこを行つて日を暮らした長い春の日を描いている。それらはあかるいのどかな氣分であるが、それにしても忘れられない郷愁を如何ともする由がないのである。その間の對比によつて、痛切な感じを描いている作である。

　

右四首、廿年春正月廿九日、大伴宿祢家持

　

(513)礪波郡、雄神河邊作歌一首

　

礪波《となみ》の郡、雄神河《をかみがは》の邊にて作れる歌一首。

　

【譯】礪波部　トナミノコホリ。今、東礪波、西礪波の二郡になつている。

　雄神河　ヲカミガハ。今、庄《しよう》川という。飛騨の國の白川地方の水を集めて北流し、雄神村附近を流れて雄神川の名を得た。古くは、その村の雄神神社、今の辨財天前と稱するあたりから西流して、小矢部川に合流して射水川となつていたが、應永三年六月に決潰して東に向かい、更に北流して、射水川の河口附近で合流することになつた。その後、明治三十二年から起工して、別に海に注ぐ水路を作り、庄川と射水川とが、別に海に入ることとした。

　

4021　雄神《をかみ》河　紅にほふ。

　孃子らし、

　あしつき【水松の類】採ると　瀬に立たすらし。

　

　乎加未河伯《ヲカミガハ》　久禮奈爲尓保布《クレナヰニホフ》

　乎等賣良之《ヲトメラシ》

　葦附《アシツキ》【水松之類】等流登《トルト》　湍尓多々須良之《セニタタスラシ》

　

(514)【譯】雄神川は、赤い色が映つている。娘子が、アシツキを採るとて、瀬に立つているらしい。

【釋】久禮奈爲尓保布　クレナヰニホフ。ニホフは、色にあらわれるをいう。娘子の赤裳の色が水に映じているのである。句切。

　葦附等流登　アシツキトルト。アシツキは、目註に、水松の類とあるが、アシについて發生するノリのような水生植物である。水松は新撰字鏡に「海松美留《ミル》水松上同」とあつて、ミルである。ランソウ類の一。水前寺苔《すいぜんじのり》に似ている。東礪波郡北般若村石代の地域内に、現に産出する。食用に供するために採取するのである。アシツキの名稱は、アシについている義であるが、實際は、石に附著している。

　湍尓多々須良之　セニタタスラシ。タタスは、立ツの敬語だが、慣用して敬意を感じないで使用しているだろう。

【評語】アシツキを採るという特殊の事を扱つたのが注意される。それによつて地方色を出している。しかし全體としては、「黒牛の海紅にほふももしきの大宮人しあさりすらしも」（卷七、一二一八）あたりと同様にできている。

　

(515)婦負郡、?坂河邊作歌一首

　

婦負《めひ》の郡、?坂河《うさかがは》の邊にて作れる歌一首。

　

【釋】?坂河　ウサカガハ。今、?坂川という川はないが、富山市の南方に、鵜坂村があり、そこに鵜坂神社があつて、神通川が、その神社に沿つて流れているから、その川を稱したものと考えられる。

　

4022　?坂河《うさかがは》　渡る瀬多み、

　このあが馬《ま》の　足掻《あがき》の水に

　衣《きぬ》ぬれにけり。

　

　宇佐可河伯《ウサカガハ》　和多流瀬於保美《ワタルセオホミ》

　許乃安我馬乃《コノアガマノ》　安我枳乃美豆尓《アガキノミヅニ》

　伎奴々禮尓家里《キヌヌレニケリ》

　

【譯】?坂川は渡る瀬が多いので、このわたしの馬の足で掻く水に、著物が濡れてしまつた。

【釋】和多流瀬於保美　ワタルセオホミ。神通川は、川幅が廣くなつて、流れがいくつにも分かれているので、渡る瀬も多くなつている。

　許乃安我馬乃　コノアガマノ。コノ我ガ馬ノ。自分の乘つている馬を指示している。

　安我枳乃美豆尓　アガキノミヅニ。アガキは、馬が足を運ぶこと。水中で足を動かすので、流水の飛沫が立つのである。

【評語】馬上ゆたかに早瀬を渡る姿がよく描かれており、調子の高い歌である。但し「武庫川の水脈《みを》を早みか赤駒のあがくたぎちに濡れにけるかも」（卷七、一一四一）の歌に、類している。

　

見2潜v?人1作歌一首

　

(516)?を潜《かづ》くる人を見て作れる歌一首。

　

【釋】潜?人　ウヲカヅクルヒト。鵜を水中に放つて魚を捕らせる人。

　

4023　婦負河《めひがは》の　早き瀬ごとに

　篝《かがり》さし、

　八十伴《やそとも》の男《を》は　鵜河《うかは》立ちけり。　　　

　

　賣比河波能《メヒガハノ》　波夜伎瀬其等尓《ハヤキセゴトニ》

　可我里佐之《カガリサシ》

　夜蘇登毛乃乎波《ヤソトモノヲハ》　宇加波多知家里《ウカハタチケリ》

　

【譯】婦負川の清らかな瀬ごとに、かがり火をともして、多くの男たちは鵜飼を行つている。

【釋】賣比河波能　メヒガハノ。婦負郡内を流れる川としては、神通川およびその支流のほかは、目立つものがない。メヒ川というのは、それらのうちであろう。

　夜蘇登毛乃乎波　ヤソトモノヲハ。ヤソトモノヲは、多數の人々の意であるが、歴史的に、朝廷に奉仕する人々をいうので、ここは、國郡などに勤める人々をいうのだろう。鵜飼をしているのは、その中の特殊な人であろうが、人々が集まつてこれを行つている意にこの語を使つている。トモノヲに多數の男子を感じている。

　宇加波多知家里　ウカハタチケリ。タチは、鵜飼を行う意の語。

【評語】放逸せる鷹の歌の中の「島つ鳥｜鵜飼《うかひ》が伴《とも》は、行く河の清き瀬ごとに、篝《かがり》さしなづさひ上《のぼ》る」（卷十七、四〇一一）の句を、短歌に改めたような歌である。事實を敍しているだけで、よく一首にまとまつている。清キ瀬、篝サシ、八十伴ノ男など、内容のある語を使つて構成されているので、それらの語の組み立てによつて一種の興趣が、かもし出されて來る。

　

新川郡、渡2延槻河1時、作歌一首

　

(517)新川《にひかは》の郡、延槻河《はひつきがは》を渡る時作れる歌一首。

　

【釋】新川郡　ニヒカハノコホリ。越中の國の東部の郡で、今、上新川、中新川、下新川の三郡に分かれている。

　延槻河　ハヒツキガハ。今、早月川という。立山の北、大日嶽に發して、北流して富山灣にそそいでいる。

　

4024　立山《たちやま》の　雪し來《く》らしも。

　延槻《はひつき》の　河の渡瀬《わたりせ》、

　鐙《あぶみ》浸《つ》かすも。

　

　多知夜麻乃《タチヤマノ》　由吉之久良之毛《ユキシクラシモ》

　波比都奇能《ハヒツキノ》　可波能和多理瀬《カハノワタリセ》

　安夫美都加須毛《アブミツカスモ》

　

【譯】立山の雪が來るらしい。延槻川の、川の渡る瀬が、水を鐙につかせることだ。

【釋】由吉之久良之毛　ユキシクラシモ。上のシは、強意の助詞。クラシは、來ラシ。略解に「宣長云、雪しのしは助辭にて、くらしもは消らしも也。消るをくと言ふはめづらしけれども、書紀に居をうと訓註もあり、又乾をふと訓註もあれば、消も古言にはくと言へるなるべしと言へり」とある。動詞消の未然形、連用形のケは、文獻が多いが、いまだその終止形と見るべきものは、見出されない。句切。

　安夫美都加須毛　アブミツカスモ。アブミは、馬具、鐙。足踏の義という。倭名類聚鈔に「鐙、蒋魴（ノ）切韻（ニ）云（フ）鐙都〓（ノ）反、阿布美《アフミ》。鞍（ノ）兩邊承（クル）v脚（ヲ）具也」。ツカスは、使役として、令浸の意と見るのがおだやかである。敬語とすれば慣用と見るのである。

【評語】雪消の水で、河水の増しているその河を渡る姿が、よく浮かび出している。四五句の特殊な描寫があつて、全體が活氣を示している。助動詞ラシを使用した表現の多い中で、特色のある存在である。

　

(518）赴2參氣太神宮1行2海邊1之時、作歌一首

　

氣太《けだ》の神宮に赴き參り海邊を行きし時、作れる歌一首。

　

【釋】赴參氣太神宮　ケダノカムミヤニオモムキマヰリ。ケダノ神宮は、今、氣多神社という。能登の一の宮で、石川縣羽咋郡一ノ宮村の海岸近い處にある。當時、能登は、越中の國に屬していた。家持は、礪波、婦負、新川の諸郡を巡行し、一旦國府に歸つて、更に北に向かつて能登に赴いたのであろう。赴參は、參詣に同じ。卷の一、二二の題詞には「參2赴伊勢神宮1時」とある。

　行海邊之時　ウミベタヲユキシトキ。海邊は、歌中にある羽咋の海の海邊である。その羽咋の海は、志乎路カラタダ越エ來レバとあり、今の志雄《しお》から羽咋町附近に出た、その邊の海をいうと見られる。當時、羽咋町の東方に、邑知潟《おおちがた》が、今よりも廣大に存在したというが、題詞といい、歌詞といい、共に海洋をさすものと見るべきであるから、邑知潟とする説は、採りがたい。

　

4025　志乎路《しをぢ》から　直《ただ》越え來《く》れば、

　羽咋《はくひ》の海　朝なぎしたり。

　船｜楫《かぢ》もがも。

　

　之乎路可良《シヲヂカラ》　多太古要久禮婆《タダコエクレバ》

　波久比能海《ハクヒノウミ》　安佐奈藝思多理《アサナギシタリ》

　船梶母我毛《フネカヂモガモ》

　

【譯】之乎に行く道を通つて、直に越えて來れば、羽咋の海は、朝凪している。渡るべき船や櫂がほしいなあ。

【釋】之乎路可良　シヲヂカラ。シヲは地名。今、志雄の名を存している。そこに行く道に依つて、家持は、氷見《ひみ》から山を越えて、之乎に向かつたのである。

　波久比能海　ハクヒノウミ。羽咋郡、羽咋町附近の海。能登の西海岸の海である。

(519)【評語】海上の凪いでいるのを見て、渡るべき舟や楫を欲した、輕い氣分の歌である。四句までは敍述し、五句で希望を述べているが、この希望のために歌が安價になつた。朝凪ぎが、功利的に取り扱われたからである。

　

能登郡、從2香島津1發船、射2熊來村1往時、作歌二首

　

能登の郡、香島《かしま》の津《つ》より發船《ふなだち》して、熊來《くまき》の村《むら》を射《さ》して往きし時、作れる歌二首。

　

【釋】能登郡　ノトノコホリ。今の鹿島郡に當る。

　香島津　カシマノツ。七尾市の附近、七尾灣に画した津だろうとされている。能登の國が、一國となつていた時の國府は、今の�ｺ田村にあつたのだから、當時も、その地に出たものなるべく、それから北方に程近い七尾市附近とするのは、至當である。それから船を出して、七尾灣を西に向かつて行つたことになる。

　射熊來村　クマキノムラヲサシテ。クマキは、七尾灣の西灣の西部にある。「熊來乃夜良爾《クマキノヤラニ》」（卷十六、三八七八）。射は、その方向に向かつて。

　

4026　鳥總《とぶさ》立《た》て　船木《ふなぎ》伐《き》るといふ

　能登の島山。

　今日見れば　木｜立《だち》繁しも。

　幾代｜神《かむ》びぞ。

　

　登夫佐多?《トブサタテ》　船木伎流等伊布《フナギキルトイフ》

　能登乃島山《ノトノシマヤマ》

　今日見者《ケフミレバ》　許太知之氣思物《コダチシゲシモ》

　伊久代神備曾《イクヨカムビゾ》

　

【譯】木の枝を立てて船材を伐るという能登の島山、今日見れば木立が茂つている。幾代を經た神々しさだろう。

【釋】登夫佐多?　トブサタテ。船木を伐る時の行事を敍して、船木伐ルを修飾している。意味には數説があ(520)り、伐つた木の梢の枝を、伐つた跡に立てるのだとも、斧を立てることだともいう。いずれも山神を祭る行事とされている。「鳥總立《トブサタテ》　足柄山爾《アシガラヤマニ》　船木伐《フナギキリ》」（卷三、三九一）參照。

　能登乃島山　ノトノシマヤマ。七尾灣の前面に横たわつている能登島のこと。當時は、樹木が茂つて船材の産地として知られていたのであろう。この歌は旋頭歌であるから、この句で切れる。以上で、能登の島山を提示している。

　伊久代神備曾　イクヨカムビゾ。カムビは、ミヤビ、ミヤコビ、ヒナビなどと同じ語形で、ビは、その性質をあらわす意に使われる。神々しさの意である。いく代の神びぞの意で、幾代を經ての神々しさぞである。このカムビは、體言として使われているが、動詞としての例には、「神備西《カムビニシ》　吾八更々《ワレヤサラサラ》　戀爾相爾家留《コヒニアヒニケル》」（卷十、一九二七）がある。

【評語】能登の島山の鬱蒼たる木立を見て、幾代を經ての神々しさぞと歌つたので、内容は平凡である。ただ旋頭歌の形を採つたのが珍しい。家持の頃は、旋頭歌は、既に衰えており、家持の作にも、旋頭歌は、この一首のみである。

　

4027　香島《かしま》より　熊來《くまき》をさして

　榜ぐ船の

　楫《かぢ》取《と》る間《ま》なく、

　京師《みやこ》し念ほゆ。

　

　香島欲里《カシマヨリ》　久麻吉乎左之?《クマキヲサシテ》

　許具布祢能《コグフネノ》

　可治等流間奈久《カヂトルマナク》

　京師之於母保由《ミヤコシオモホユ》

　

【譯】香島から熊木をさして漕ぐ船の、楫を取るのにひまのないように、ひまもなく都が思われる。

【釋】香島欲里久麻吉乎左之?許具布祢能可治等流間奈久　カシマヨリクマキヲサシテコグフネノカヂトルマ(521)ナク。以上、譬喩で、間斷なくの意をあらわしている。

【評語】同じ作者の「白浪の寄する礒みを漕ぐ船の楫取る間無く念ほえし君」（卷十七、三九六一）を改作して、楫取ル間無クの説明を變え、思うことの目標を變えているに過ぎない。譬喩も類型的な譬喩である。

　

鳳至郡、渡2饒石河1之時、作歌一首

　

鳳至《ふげし》の那、饒石河《にぎしがは》を渡りし時、作れる歌一首。

　

【釋】鳳至郡　フゲシノコホリ。倭名類聚鈔には、不布志と訓しているが、今フゲシと言つている。鳳はngの韻の字であるから、フゲシと言つたのだろう。羽咋、鹿島二部の北方にある郡。

　饒石河　ニギシガハ。今、仁岸川といい、能登半島の西岸にそそぐ川。

　

4028　妹に逢はず　久しくなりぬ。

　饒石河《にぎしがは》、　清き瀬ごとに

　水占《みなうら》はへてな。

　

　伊母尓安波受《イモニアハズ》　比左思久奈里奴《ヒサシクナリヌ》

　尓藝之河波《ニギシガハ》　伎欲吉瀬其登尓《キヨキセゴトニ》

　美奈宇良波倍弖奈《ミナウラハヘテナ》

　

【譯】妻に逢わないで久しくなつた。饒石川の清らかな瀬ごとに、水占ないをしよう。

【釋】伊毛尓安波受　イモニアハズ。家持は、まだ妻の坂上の大孃を、都に殘していた。

　美奈宇良波倍弖奈　ミナウラハヘテナ。ミナウラは、水占と解せられるが、他に文獻なく、どういう占法とも知られない。ハヘテナは、延ヘテナで、水占を行いたいと思う心をあらわしているのだろう。この句は、八音の句であるが、音調上、四四に切れるものと見るべく、そこで、ミナウラ、ハヘテナと解するのである。そのハヘを延への義とすれば、水占は、繩のようなものを使用したのだろうとする伴信友の「正卜考」の説が、(522)有力に考えられる。清キ瀬ゴトニというのだから、繩を流して、その滯りなく流れるかどうかによつて、吉凶を判斷したのだろう。

【評語】家持は、熊來から半島を横斷して西岸に出たのだろう。その旅の日のものさびしさが、饒石川に臨んでこの歌となつた。ものさびしい中に、氣休めを求める心が窺われる。水占という特殊の材料を使つているのが注意される。

　

從2珠洲郡1發船、還2治布1之時、泊2長濱灣1、仰2見月光1作歌一首

　

珠洲《すす》の郡より船發《ふなだち》して、治布《ちふ》に還りし時、長濱《ながはま》の灣《うら》に泊《は》てて、月光を仰ぎ見て作れる歌一首。

　

【釋】珠洲郡　ススノコホリ。能登半島の突端の小郡で、東北に向かつて突出している。その郡役所は、冨山灣に面した方にあつたのだろう。

　還布之時　チフニカヘリシトキ。チフは、所在不明。海路によつて、國府の近くまで來たのだろうから、射水川の河口附近に求むべきであろうか。全釋には、治府の誤りとして國府のことだとしている。仙覺本には、太沼郡としているが、そういう郡名はない。

　泊長濱灣　ナガハマノウラニハテテ。ナガハマノ灣は、所在不明。倭名類聚鈔、能登郡に、長濱、奈加波萬の郷名を擧げているのによれば、能登郡、今の鹿島郡に求むべきであろう。灣といい、泊ツというのだから、灣入した地形で、碇泊に都合のよかつた地であつたはずである。鷹の歌に見える松田江の長濱のことだろう。

　

4029　珠洲《すす》の海に、

　朝びらきして　榜ぎ來《く》れば、

(523)　長濱の灣《うら》に、

　月照りにけり。

　

　珠洲能宇美尓《ススノウミニ》

　安佐妣良伎之弖《アサビラキシテ》　許藝久禮婆《コギクレバ》

　奈我波麻能宇良尓《ナガハマノウラニ》

　都奇?理尓家里《ツキテリニケリ》

　

【譯】珠洲の海に、朝出航をして漕いで來ると、長濱の灣に、月が照つている。

【評語】舟行の經過を敍しただけだが、終日航行して、夜に入つて月光を見る感慨も出ており、全體に調子よく歌われている。

　

右件歌詞者、依2春出擧1、巡2行諸郡1。當時當所、屬目作之。大伴宿祢家持。

　

右の件の歌詞は、春の出擧《すゐこ》に依りて諸郡を巡行す。その時その所に目を屬《つ》けて作れる。大伴の宿禰家持。

　

【釋】春出擧　ハルノスヰコ。出擧は、官稻を出して人民に貸してその窮乏を救うをいう。出は官稻を出す義、擧は貸し用いる義だという。春耕に際して出擧するから、春の出擧という。秋の收穫を待つて、利稻を添えて返還する。國守として、その?況を觀察するために諸郡を巡行したのである。

　

怨2?哢1歌一首

　

鶯の晩く哢《な》くを怨むる歌一首。

　

【釋】怨?哢歌　ウグヒスノオソクナクヲウラムルウタ。春になつてウグイスが鳴かないのを怨んだ歌。

　

(524)4030　うぐひすは　今は鳴かむと

　片待てば、

　霞たなびき　月は經につつ。

　

　宇具比須波《ウグヒスハ》　伊麻波奈可牟等《イマハナカムト》

　可多麻?婆《カタマテバ》

　可須美多奈妣吉《カスミタナビキ》　都奇波倍尓都追《ツキハヘニツツ》

　

【譯】ウグイスは、もう今は鳴くだろうと、ひたすらに待つていると、霞がたなびいて、月はたつて行く。

【評語】春になつてもウグイスがなかなか鳴かない。ただ霞がたち渡つて、月が過ぎてゆくことを歌つている。平明な作で、格別の特色はないが、春になつたというような、暦の上の語を使わないのが注意される。

　

造v酒歌一首

　

酒を造る歌一首。

　

【釋】造酒歌　サケヲツクルウタ。酒を神聖なものとし、神を祭つて不淨を拂つて酒を造る、その時の歌で、やはり春の頃に造つたものらしい。

　

4031　中臣《なかとみ》の　太祝詞《ふとのりとごと》

　言《い》ひ祓《はら》へ、

　贖《あが》ふ命も　誰《た》がために汝《なれ》。

　

　奈加等美乃《ナカトミノ》　敷刀能里等其等《フトノリトゴト》

　伊比波良倍《イヒハラヘ》

　安賀布伊能知毛《アガフイノチモ》　多我多米尓奈禮《タガタメニナレ》

　

【譯】中臣の貴い祝詞をとなえ、不淨を祓つて、無事を期する命も、誰のためであるか、あなたは。

【釋】奈加等美乃　ナカトミノ。ナカトミは、中臣氏。天の兒屋根《こやね》の命の子孫で、代々祭事を職とした。殊に祓は、その特有の祭事として傳えて來た。ここは中臣の稱える太祝詞言の意に冠しているが、實際中臣系統の(525)者がいて、祝詞をとなえたのであろう。

　敷刀能里等其等　フトノリトゴト。フトは、祝詞の壯大性をたたえる形容語。ノリトゴトは、祝詞言。神靈の威力のある言語。ここは、中臣氏の傳えた大祓の詞であろう。

　伊比波良倍　イヒハラヘ。ハラヘは、動詞祓フの連用形。この假字書きによつて、祓フの活用の下二段であることが確かめられる。ハラヘは、不淨を沸う意。

　安賀布伊能知毛　アガフイノチモ。アガフは、代償を出すことによつて罪穢を消滅させる意。そうして生命の安泰を期するのである。

　多我多米尓奈禮　タガタメニナレ。ナレは、汝の義と解せられる。誰がためにか、汝はの意と見るべきである。

【評語】愛人のために神事を修して、無事を期する意の歌は、前にもあつたが、この歌も、その系統を受けている。酒は、古人の愛好するものであるが、これを飲めば醉いもするので、特にこれをつつしんで、造る時には、神を祭つて不淨惡魔の近よるのを拂うのである。そういう思想上に注意すべき作であり、中臣の太祝詞のような他に例のない特殊語を使用していることも注意される。汝とは、何人をさすか不明だが、酒を造るに關している人をいうのだろう。

　

右、大伴宿祢家持作之

　

萬葉集卷第十七

　

(27)萬葉集卷第十八

　

　卷の十七から二十まで、大伴の家持の手記をおもな資料としたと考えられる四卷のうちの一卷で、部類を分けないで年代順に配列し、天平二十年三月二十三日から、天平勝寶二年二月十八日までの作及び傳聞を收めている。歌數は百七首で、そのうち長歌十首、短歌九十七首である。

　その編纂法は、かならずしも前卷と同一ではなく、本卷にあつては、家持以後の人手によつてなされた、筆寫による整理を主體とし、これに資料のまま繼ぎ合わせたものを交えていると考えられる。その理由は次の通りである。第一に、用字法は、字音假字を主とし、これに若干の訓假字および表意文字を混用しているが、字音假字の中には、支の如き特殊の假字、訓假字の中には、野、見のような假字遣いの違う用法が含まれており、これらは傳來のあいだに生じたものとも見えるが、特にこの卷にのみこれがあつて、他の家持の手記そのままと考えられる部分には見られないのを見ると、どうも原形に疑いがかけられる。第二に、全卷の年代は、わずかに二年間に足りないものであるのに、そのうち天平二十年四月二日の「ぬばたまの夜わたる月を」（四〇七二）の歌の次には、天平感寶元年（天平二十一年）三月十五日の大伴の池主の書?が續いており、そのあいだ一年に近い時間の空白がある。第三に、家持の意に反して整理されていると見られるものがある。それは「乎敷の埼こぎたもとほり」（四〇三七）の歌につけてある「一云｜伎美我等波須母《キミガトハスモ》」の句は、實は一云でなくして乎敷ノ埼の歌の一部だろうと考えられる。第四に、「明日の日の敷勢《ふせ》の浦みの」（四〇四三）の左註の十首、「多胡の埼このくれしげに」（四〇五一）の左註の十五首の如きは、いずれも實數に相違すること、第五に、とくに卷(28)首の題詞は本文と違うのではないかと思われることなどの理由が擧げられる。その編者はわからないが、かなり年代が下つているのかもしれない。しかし全體として、大伴の家持を中心としてその作品の多數と、家持に關係ある歌とに限られており、家持の手記および關係文書を資料としていることは疑いを容れない。

　傳本としては、古本系統では、元暦校本が大部分を存している。ほか、に藍紙本の斷簡を存し、また類聚古集、古葉略類聚鈔に若干の歌が傳えられている。

　

天平廿年春三月廿三日、左大臣橘家之使者、造酒司令史田邊福麻呂、饗2于守大伴宿祢家持館1。爰作2新歌1、并便誦2古詠1各述2心緒1。

　

天平の二十年の春三月二十三日、左の大臣橘の家の使者造酒司の令史田邊の福麻呂を、守大伴の宿禰家持の館に饗へき。ここに新しき歌を作り、并はせて便に古き詠《うた》を誦《よ》みておのもおのも心緒を述ぶる。

　

【釋】天平廿年春三月廿三日　テニヒヤウノハタトセノハルヤヨイハツカアマリミカ。前卷の終りが天平二十年の春と考えられ、それを受けて續いている。この題詞は、以下十二首にかかるものと思われるが、はじめの四首については疑問がある。この題詞の意味は、京から下つた田邊の福麻呂を、國守の大伴の家持の館で饗應した時の歌であるとする。しかるに、その國守の舘のあとは、今、伏木町の後方の丘陵の上とされるが、そこは射水川には近いが、日本海には遠く、海濱ではない。また海は東北方にあたるので、南面して建てられてあるだろうと思われる館では、海の方面は多分ふさいであるだろう。家持は、その舘にいて海を見るおもむきの歌は作つておらず、大目秦の八千島の館では、居ながらにして蒼海を望むとことわつて歌八千島の作を載せている（卷十七、三九五六）。しかるにここにかかげた歌四首のうち三首までは、福麻呂は、ただちに奈呉の海に面しているように詠んでいる。また歌の内容、および三月二十三日という日づけにも疑問がある。この卷は、(29)はじめに記したように、疑問の多い卷であつて、この題詞も、このような疑問があるが、あるいはこの卷の編者が、家持の手録を整理するにあたり、このような誤解をしたのではないかとも考えられる。本書總説篇、萬葉集の成立參照。

　左大臣橘家之使者　ヒダリノオホキマヘツギミタチバナノイヘノツカヒ。左大臣橘家は橘の諸兄で、天平十五年五月に左大臣となつている。使者の用むきは傳えないが、當時、大寺大族など、地方に墾田を所有しており、越中の國においても、東大寺を始め、大原の眞人、石川の朝臣、笠の朝臣等の土地のあつたことが知られるから、その方面の用件ではなかつたかと想像される。

　造酒司令史　ミキノツカサノマツリゴトビト。造酒司は宮内省に屬し、酒、醴《あまざけ》、酢《す》などを作る役所で、令史はその三等官、書記で、大初位の上の地位である。そのような官にありながら、橘の諸兄の家に仕えていたものと見える。

　田邊福麻呂　タナベノサキマロ。傳未詳。卷の六、および九に、田邊の福麻呂の歌集所出の歌が收められている。

　便誦古詠　タヨリニフルキウタヲヨミテ。次に出る歌のうち、どれが古詠であるか明瞭ではないが、四〇三五、四〇四一の如きは、集中に他に出ており、古詠というのに屬するのであろう。その他にもあるかも知れないが不明である。席上吟誦の場合でも、一々新歌古詠とことわらない事も多かつたろうし、古詠を若干改めて吟誦することもあつたであろう。

　

4032　奈呉《なご》の海に　船しまし借せ。

　沖に出でて

(30)　波立ち來《く》やと　見て歸り來む。

　

　奈呉乃宇美尓《ナゴノウミニ》　布祢之麻志可勢《フネシマシカセ》

　於伎尓伊泥弖《オキニイデテ》

　奈美多知久夜等《ナミタチクヤト》　見底可敝利許牟《ミテカヘリコム》

　

【譯】奈呉の海に、船をちよつと貸してください。海上に出て、浪が立つて來るかどうか見て歸つて來ましよう。

【釋】奈呉乃宇美尓　ナゴノウミニ。ナゴノ海は、新湊町前面の海で、富山灣の奧部である。

【評語】以下田邊の福麻呂の作、もしくは吟誦した歌とされているが、この歌は、海上のもようを見てこようというので、むしろ主人側でよんだような内容をもつている。浪立チ來ヤとは、海上に遊ぼうとするために詠んでいるようである。即興の作で格別のことはない。

　

4033　浪立てば

　奈呉の浦みに　寄る貝の、

　間無《まな》き戀にぞ　年は經にける。

　

　奈美多弖波《ナミタテバ》

　奈呉能宇良未尓《ナゴノウラミニ》　余流可比乃《ヨルカヒノ》

　末奈伎孤悲尓曾《マナキコヒニゾ》　等之波倍尓家流《トシハヘニケル》

　

【譯】浪が立つと奈呉の浦に寄せる貝のように、ひまのない戀に、年は經たことだ。

【釋】奈美多弖波奈呉能字良未尓余流可比乃　ナミタテバナゴノウラミニヨルカヒノ。以上三句、間無クというための譬喩になつている序である。

【評語】型にはまつた表現の歌である。間無キ戀を引き出すのには、多く浪を使つているが、ここに寄る貝を使つたのは、多少の變化が認められる。この間無キ戀というのは、從來の説では、主人大伴の家持に對する田邊の福麻呂の戀とされているが、これは變で、おそらくは、家持自身の、都に對する戀であろう。家持の作に「堀江より水脈《みを》さかのぼる楫《かぢ》の音のまなくぞ奈良は戀しかりける」（卷二十、四四六一）があつて、似よつた(31)表現をもつている。

　

4034　奈呉の海に　潮のはや干《ひ》ば、

　求食《あさり》しに　出でむと鶴《たづ》は

　今ぞ鳴くなる。

　

　奈呉能宇美尓《ナゴノウミニ》　之保能波夜非波《シホノハヤヒバ》

　安佐里之尓《アサリシニ》　伊泥牟等多豆波《イデムトタヅハ》

　伊麻曾奈久奈流《イマゾナクナル》

　

【譯】奈呉の海に潮がはやく干たなら、餌を求めに出ようと、鶴は今鳴いている。

【評語】奈呉の海には、潮がはやく干て干潟ができたら出ようと、鶴の鳴く心を歌つている。鶴は射水川などにもいて鳴いているだろう。潮が干れば鶴が沖に出るという、きまつた習性を歌つているので、類型的な内容になつている。潮ノハヤ干バと、今ゾ鳴クナルとのあいだの、密接な呼應が、さすがに緊張を保つている。以上三首、家持の作か。

　

4035　ほととぎす　厭ふ時なし。

　あやめ草《ぐさ》　蘰《かづら》にきむ日、

　此《こ》ゆ鳴き渡れ。

　

　保等登藝須《ホトトギス》　伊等布登伎奈之《イトフトキナシ》

　安夜賣具左《アヤメグサ》　加豆良尓藝武日《カヅラニキムヒ》

　許由奈伎和多禮《コユナキワタレ》

　

【譯】ホトトギスは嫌う時はない。その中にもアヤメ草を蘰に著よう日に、ここを通つて鳴いて行け。

【釋】安夜賣具左加豆良尓藝武日　アヤメグサカヅラニキムヒ。アヤメを蘰に編んで著よう日で、五月の節日をいう。

【評語】三月の終りで、ホトトギスの鳴くべき月も近いので、この歌を誦したのだろうか。やはり福麻呂が家持の館で吟誦したということには、似あわしくない歌として不審がある。カヅラに著ム日此ユ鳴キワタレとい(32)うこと、主人ならともかく、旅人としての心にあわない。卷の十にある歌で、古詠に屬する。

【參考】重出。

　霍公鳥《ホトトギス》　厭時無《イトフトキナシ》　昌蒲《アヤメグサ》　滿將v爲日《カヅラニセムヒ》　從v此鳴度禮《コユナキワタレ》（卷十、一九五五）

　

右四首、田邊史福麻呂。

　

【釋】右四首田邊史福麻呂　ミギノヨツハタナベノフヒトサキマロ。前記の四首が、田邊の福麻呂の作、もしくは吟誦歌であるとするのだが、題詞のもと、および各歌の條に述べたように、何かの誤りがあるのではないだろうか。

　

于v時期2之明日1、將v遊2覽布勢水海1、仍述v懷各作歌

　

時に明日を期《ちぎ》りて布勢《ふせ》の水海《みづうみ》に遊覽せむとし、よりて懷を述べて各作れる歌。

　

【釋】期之明日　アスノヒヲチギリテ　下文によるに、布勢の水海に遊覽したのは二十五日だから、ここに懷を述べて歌を作つたのは、二十四日のはずである。四〇四三の歌の左註にも、二十四日の宴に作れるとある。しかるにこの題詞の書き方からいえば、前の二十三日の記事の續きのようで、これも不審の條項の一つに(33)なる。

　

4036　いかにある　布勢の浦ぞも、

　ここだくに、

　君が見せむと　われを留《とど》むる。

　

　伊可尓安流《イカニアル》　布勢能宇良曾毛《フセノウラゾモ》

　許己太久尓《ココダクニ》

　吉民我弥世武等《キミガミセムト》　和禮乎等登牟流《ワレヲトドムル》

　

【譯】どのような布勢の浦ですか。たいへんにあなたが見せようとして、わたしを留めるのは。

【釋】布勢能宇良曾毛　フセノウラゾモ。ゾモは終助詞で、布勢の浦を提示するが、同時に係助詞として、下の留ムルがこれを受けて結んでいる。

【評語】家持が、布勢の水海に案内しようと言つて引き留めたのに對して歌つている。會話を歌の形にしただけの作である。

　

右一首、田邊史福麻呂

　

4037　乎敷《をふ》の埼　榜ぎ徘徊《たもとほ》り、

　終日《ひねもす》に　見とも飽くべき

　浦にあらなくに。

　

　乎敷乃佐吉《ヲフノサキ》　許藝多母等保里《コギタモトホリ》

　比祢毛須尓《ヒネモスニ》　美等母安久倍伎《ミトモアクベキ》

　宇良尓安良奈久尓《ウラニアラナクニ》

　

【譯】乎敷の埼を漕ぎ廻つて、一日中見ても飽きるような浦ではないのです。

【釋】乎敷乃佐吉　ヲフノサキ。ヲフノ埼は、布勢の水海の南邊の岬角である。水海の中でもつとも景勝の地であつたのだろう。「乎布能佐伎《ヲフノサキ》　波奈知利麻我比《ハナチリマガヒ》」（卷十七、三九九三）とあり、「乎不乃宇良能《ヲフノウラノ》」（卷十八、(34)四〇四九）とも歌われている。

　見等母安久倍伎　ミトモアクベキ。ミトモは、見ルトモの古い語法。動詞見ルは、ラム、ベシ、トモなどに接續する場合、古くはミの形をもつてしている。

【評語】乎敷の埼を中心として布勢の浦を説明している。格別の歌でもないが、この歌は、次の一句を添えて完成するので、そうすれば特殊の形體を有することになる。次項參照。

　

一云、伎美我等波須母《キミガトハスモ》

　

一は云ふ、君が問はすも。

　

【釋】一云伎美我等波須母　アルハイフ、キミガトハスモ。トハスは、問フの敬語。一云を冠しているが、それならば前の歌のどの句の別案かというに、四句五句のかわりに、この句を入れても歌意を成さないことはあきらかである。二句のかわりとすれば、一往歌意は通(35)るが、福麻呂は、イカニアル布勢ノ浦ゾモと問うているので、乎敷ノ埼君ガ問ハスモでは、その答にならない。これは前の歌の第六句で、小字で書いてあつたのを、後人が誤つて一云を冠したものと考えられる。そこで前の歌は、佛足跡歌體の歌になり、それは當時、實際に吟誦された形を存したものといえよう。ここは一云を冠したのは、この卷の編者か、または傳來のあいだになされたかはわからないが、この卷における他の條件を併わせ考えると、編者の業らしく思われる。

　

右一首、守大伴宿祢家持

　

4038　玉くしげ　いつしか明けむ。

　布勢の海の　浦を行きつつ

　玉も拾《ひり》はむ。

　

　多麻久之氣《タマクシゲ》　伊都之可安氣牟《イツシカアケム》

　布勢能宇美能《フセノウミノ》　宇良乎由伎都追《ウラヲユキツツ》

　多麻母比利波牟《タマモヒリハム》

　

【譯】玉くしげの蓋をあけるというように、はやく今夜は明けないかなあ。布勢の海の浦を行つて、玉も拾おう。

【釋】多麻久之氣　タマクシゲ。枕詞。明ケムに冠する。

【評語】早く夜の明けることを願つている。誘われて、どのように良い處かと期待する心が、玉モ拾ハムで描かれている。

　

4039　音のみに　聞きて目に見ぬ

　布勢の浦を

　見ずは上《のぼ》らじ。

(36)　年は經ぬとも。

　

　於等能未尓《オトノミニ》　伎吉底目尓見奴《キキテメニミヌ》

　布勢能宇良乎《フセノウラヲ》

　見受波能保良自《ミズハノボラジ》

　等之波倍奴等母《トシハヘヌトモ》

　

【譯】話にばかり聞いて、目には見えない布勢の浦を、見ないでは上京しないでしよう。年は經つても。

【評語】家持の勸誘に答えた歌である。仰山な言い方で、やはり情趣に乏しい作である。

　

4040　布勢の浦を　行きてし見てば、

　ももしきの　大宮人に

　語り繼ぎてむ。

　

　布勢能宇良乎《フセノウラヲ》　由吉底之見弖婆《ユキテシミテバ》

　毛母之綺能《モモシキノ》　於保美夜比等尓《オホミヤヒトニ》

　可多利都藝底牟《カタリツギテム》

　

【譯】布勢の浦を行つて見たら、大宮にいる人たちに語り傳えましよう。

【釋】由吉底之見弖婆　ユキテシミテバ。シは強意の助詞。下のテは、助動詞ツの未然形。

【評語】勝地を見て、都の人に傳えようというだけの歌で、まだその地を見ていないので、想像の上に立つている。語リ繼ギテムという内容も、類型的である。

　

4041　梅の花　咲き散る園に

　われ行かむ。

　君が使を　片待ちがてら。

　

　宇梅能波奈《ウメノハナ》　佐伎知流曾能尓《サキチルソノニ》

　和禮由可牟《ワレユカム》

　伎美我都可比乎《キミガツカヒヲ》　可多麻知我底良《カタマチガテラ》

　

【譯】梅の花の咲いて散る園にわたしは行きましよう。あなたの使を待ち設ける一方。

【釋】可多麻知我底良　カタマチガテラ。ガテラは、ガテリ（我?利、香光、香花光）と同語であろう。ガテラの例は、これと「吾妹子我《ワギモコガ》　可多見我?良等《カタミガテラト》」（卷十九、四一五六）だけで、比較的古い歌にはガテリが使わ(37)れている所を見ると、ガテリの方が原形なのであろう。そこで、カツ（且）とアリとの結合によるものかと考えられる。それが副詞句を作る性質から、ガテラに轉じて使われるようになつたのだろう。

【評語】卷の十に載せてある歌で、古詠に屬する。梅花の散り殘つている園があつてこれを吟誦したものか、不明である。

【參考】重出。

　梅花《ウメノハナ》　咲散苑爾《サキチルソノニ》　吾將v去《ワレユカム》　君之使乎《キミガツカヒヲ》　片待香花光《カタマチガテリ》（卷十、一九〇〇）

　

4042　藤浪の　咲き行く見れば、

　ほととぎす　鳴くべき時に

　近づきにけり。

　

　敷治奈美能《フヂナミノ》　佐伎由久見禮婆《サキユクミレバ》

　保等登藝須《ホトトギス》　奈久倍吉登伎尓《ナクベキトキニ》

　知可豆伎尓家里《チカヅキニケリ》

　

【譯】藤の花の咲いて行くのを見れば、ホトトギスの鳴くべき時に近づいたのだ。

【評語】藤の花の咲くのを見て、ホトトギスの訪れるのを待つ心が歌われている。季節の推移を歌つており、前の新作の平語であるのにくらべれば、若干の情趣は感じられる。古歌であるかも知れないが、集中には見えない。

　

右五首、田邊史福麻呂

　

4043　明日の日の　布勢の浦みの

　藤浪に、

(38)　けだし來鳴かず　散らしてむかも。

　

　安須能比能《アスノヒノ》　敷勢能宇良未能《フセノウラミノ》

　布治奈美尓《フヂナミニ》

　氣太之伎奈可受《ケダシキナカズ》　知良之底牟可母《チラシテムカモ》

　

【譯】明日の布勢の浦の藤の花に、ホトトギスは多分來て鳴かないで、散らすでしようなあ。

【評語】ホトトギスの主語を缺いている。前のホトトギスの歌を受けて、まだ時の早いことをいうので、かような形になつたのだろう。歌としては平語に近い。

　

一頭云、保等登藝須《ホトトギス》

　

一つの頭に云ふ、ほととぎす。

　

【釋】一頭云保等登藝須　ヒトツノハジメニイフ、ホトトギス。頭は頭句の意で、初句をいう。前の歌の初句の別案で、作者自身、ホトトギスの主語の無いのを氣にかけて、この別案を立てたのであろう。これならば意味は通るが、明日ノ日の語がなくなる。月日のことも言いたい所だつたであろう。

　

右一首、大伴宿祢家持和之

　

前件十首歌者、廿四日宴作之

　

前の件の十首の歌は、二十四日の宴に作れる。

　

【釋】前件十首歌者　サキノクダリノトヲノウタハ。二十四日の宴に作れると説明しているが、それは四〇三(39)六の歌からをさすものと見れば、八首で數に合わない。多分もと十首あつたのを八首だけ載せて、數字はもとのままになつたのだろう。四〇五一の左註にも同樣の事がある。

　

廿五日、往2布勢水海1、道中馬上口號二首

　

二十五日、布勢の水海に往き、道中に馬の上に口號《くちずさ》める二首。

　

【釋】馬上口號二首　ウマノウヘニクチズサメルフタツ。口號は、口で言うこと。この二首は、作者の名を傳えないが、多分初めが大伴の家持の作で、次のは福麻呂の歌であろう。目録には大伴の家持の作としている。

　

4044　濱邊より　わがうち行かば、

　海邊より　迎へも來《こ》ぬか。

　海人《あま》の釣舟。

　

　波萬部余里《ハマベヨリ》　和我宇知由可波《ワガウチユカバ》

　宇美邊欲里《ウミベヨリ》　牟可倍母許奴可《ムカヘモコヌカ》

　安麻能都里夫祢《アマノツリブネ》

　

【譯】濱の方を通つてわたしが行つたら、海の方から迎えに來ないかなあ、海人の釣舟は。

【釋】波萬部余里　ハマベヨリ。元暦校本には部をへの形に作つている。それがもし原形であるとすれば特殊の文字であるが、今それと決定しがたい。

　和我宇知由可波　ワガウチユカバ。ウチは接頭語で、行くを強調するだけである。

【評語】濱邊よりと海邊よりとが對句になつている。馬上の口號としては、一往興趣のある作といえよう。海上に釣舟の浮いている樣も想像される。

　

4045　沖邊より　滿ち來《く》る潮の

(40)　いや増しに、

　我《あ》が念《も》ふ君が　御船《みふね》かも彼《かれ》。

　

　於伎敝欲里《オキベヨリ》　美知久流之保能《ミチクルシホノ》

　伊也麻之尓《イヤマシニ》

　安我毛布支見我《アガモフキミガ》　弥不根可母加禮《ミフネカモカレ》

　

【譯】沖の方から滿ちて來る潮のように、いよいよ増さつてわたしの思うあなたのお船ですか、あれは。

【釋】於伎敝欲里美知久流之保能　オキベヨリミチクルシホノ。以上譬喩による序として、イヤ増シニを引き起している。

【評語】滿ち來る潮によつて、イヤ増シニを引き起して來る手段は、類型的で新味がない。沖の釣舟を、君がみ船かと疑つたのは、實景に即しているだけに、若干の趣がある。この歌は前の歌に和したものと見るべく、さすれば田邊の福麻呂の作とするを至當とする。

　

至2水海1遊覽之時、各述v懷作歌

　

水海に至りて遊覧せし時、おのもおのも懷を述べて作れる歌。

　

4046　神《かむ》さぶる　垂姫《たるひめ》の埼

　榜ぎめぐり　見れども飽かず。

　いかに我《われ》せむ。

　

　可牟佐夫流《カムサブル》　多流比女能佐吉《タルヒメノサキ》

　許支米具利《コギメグリ》　見禮登裳安可受《ミレドモアカズ》

　伊加尓和禮世牟《イカニワレセム》

　

【譯】神々しい垂姫の埼を漕ぎ廻つて、見ても飽きないなあ。どのようにわたしはしよう。

【釋】可牟佐夫流　カムサブル。山や埼などの地物について神サブルというのは、岩石がそびえ、木立が物古びているなどして、神異の感じられるのをいう。

(41)　多流比女能佐吉　タルヒメノサキ。布勢の水海の一地點で、「乎布能浦爾《ヲフノウラニ》　霞多奈妣伎《カスミタナビキ》　垂姫爾《タルヒメニ》　藤浪咲而《フヂナミサキテ》」（卷十九、四一八七）と歌われている。タルヒメは足姫で、女神が祭られてあるのだろう。越中國式内等舊社記に「垂比�刀sタルヒメノ》神社、國史記載（ノ）社、同保内耳浦村（ニ）鎭座（ス）、今稱（ス）2火（ノ）宮權規（ト）1。往古（ノ）布勢（ノ）湖（ノ）垂姫崎（ハ）此地（ノ）邊也」とある由である。これによれば、二上山の北の耳浦村の地で、布勢の水海の南部に當り、乎敷の埼と共に半島を成していたようである。

　伊加尓和禮世牟　イカニワレセム。この飽きない心を、どうしたらよかろうかというのである。

【評語】集中にしばしば用いられている、見レドモ飽カズを、表現の中心としている。しかしそれに五句を、獨立文として添えて、感動を表示しているのが、この歌の特色である。

　

右一首、田邊史福麻呂

　

4047　垂姫の　浦を榜ぎつつ、

　今日の日は　樂《たの》しく遊べ。

　言繼《いひつ》ぎにせむ。

　

　多流比賣野《タルヒメノ》　宇良乎許藝都追《ウラヲコギツツ》

　介敷乃日波《ケフノヒハ》　多努之久安曾敝《タノシクアソベ》

　移比都支尓勢牟《イヒツギニセム》

　

【譯】垂姫の浦を漕ぎながら、今日は樂しく遊びなさい。言繼ぎにしましよう。

【釋】多流比賣野　タルヒメノ。野の字は、助詞ノに當てていると見られる。この野は、訓假字として使用したものであつて、ノの怒の類の音であるから、助詞ノに當てて書くのは假字違いである。ノの二類の混同は、「四能乎押靡《シノヲオシナベ》」（卷一、四五）など、往々にして見えており、それが編纂當時のものか、または傳來のあいだに生じたものであるかは、考究すべき問題であるが、野を訓假字として、助詞ノに使用したのは、訓假字を使用(42)した點から見て、一層はなはだしいものといえる。これは本卷では次の四〇四八、四〇四九、四〇五五、四一〇六の歌に見え、他卷には無いところである。「左乎之加能《サヲシカノ》　牟奈和氣由可牟《ムナワケユカム》　安伎野波疑波良《アキノハギハラ》」（卷二十、四三二〇）の例は、表意文字とも解せられる。

　移比都支尓勢年　イヒツギニセム。支の字は、古音であるか伎岐などの省畫文字か不明。上宮聖�ｺ法王帝説などにも使用されているが、本集としては特殊の文字である。他卷では「爲支屋所v經《シキヤフル》　稻寸丁女蚊《イナキヲトメガ》」（卷十六、三七九一）など稀にある。やはり本卷の特殊の文字である。

【評語】語リ繼ギユカムというのと、同じ思想で、多少言葉が相違しているだけである。遊べという中には、吾、人ともに含んでいるであろう。

　

右一首、遊行女婦土師

　

【釋】遊行女婦土師　ウカレメハジ。遊行女婦は、卷の六、八、十九等に見えている。宴席に侍した女子である。ハジは、氏か名か。この人は、下に椽久米の廣繩の舘の宴にも見えているから、國府のあたりにいたものと見える。

　

4048　垂姫の　浦を榜ぐ船、

　楫間《かぢま》にも、

　奈良の我家《わぎへ》を　忘れて念へや。

　

　多流比女能《タルヒメノ》　宇良乎許具不祢《ウラヲコグフネ》

　可治末尓母《カヂマニモ》

　奈良野和藝弊乎《ナラノワギヘヲ》　和須禮?於毛倍也《ワスレテオモヘヤ》

　

【譯】垂姫の浦を漕ぐ船は、船漕ぐひまにも、奈良のわが家を忘れはしない。

【釋】可治末尓母　カヂマニモ。楫を執つて間斷なく船を漕ぐ、その一つの動作と次の動作とのあいだをいい、(43)極めて短い時間の譬喩。

【評語】これも類型的な表現である。ただ垂姫の埼にさしかえてあるだけのものである。當時家持は、奈良の家に妻を殘していたので、この作となつたのである。

　

右一首、大伴家持

　

4049　おろかにぞ　われは念ひし

　乎不《をふ》の浦の　荒礒《ありそ》のめぐり、

　見れど飽かずけり。

　

　於呂可尓曾《オロカニゾ》　和禮波於母比之《ワレハオモヒシ》

　乎不乃宇良能《ヲフノウラノ》　安利蘇野米具利《アリソノメグリ》

　見禮度安可須介利《ミレドアカズケリ》

　

【譯】おろそかにわたしは思つていた。乎不の浦の荒礒の周圍を見ても飽きなかつた。

【釋】於呂可尓曾　オロカニゾ。オロカは、オホロカの約言で、粗略の義。集中唯一の例である。

　安利蘇野米具利　アリソノメグリ。乎不の浦の周圍で、岩石が多かつたと見える。助詞ノに野の字を使つている。

【評語】これも見レド飽カズを中心内容としている。初二句は、前のイカニアル布勢ノ浦ゾモと尋ねたのに呼應して、この歌の詠まれた事情を説明している。その邊に特色があるといえばいう程度の作である。

　

右一首、田邊史福麻呂

　

4050　めづらしき　君が來まさば

(44)　鳴けと言ひし

　山ほととぎす、

　何か來鳴かぬ。

　

　米豆良之伎《メヅラシキ》　吉美我伎麻佐婆《キミガキマサバ》

　奈家等伊比之《ナケトイヒシ》

　夜麻保登等藝須《ヤマホトトギス》

　奈尓加伎奈可奴《ナニカキナカヌ》

　

【譯】珍しいあなたがおいでになつたら、鳴けと言つておいた山ホトトギスは、どうして來て鳴かないのか。

【釋】米豆良之伎　メヅラシキ。珍しい意が主になり、なお愛重すべき意を含んでいる。

【評語】ホトトギスに鳴けと命じておいたように歌つている。前日の宴に、話題がホトトギスに移り、古歌をも吟誦し鳴くかも知れぬぐらいの話があつたのだろう。興を作り設けた作である。

　

右一首、椽久米朝臣廣繩

　

【釋】椽久米朝臣廣繩　マツリゴトビトクメノアソミヒロナハ。椽は、越中の國の椽である。久米の朝臣廣繩は、前の椽大伴の池主が、越前の國の椽に轉じた後を受けて來任したものであるが、その年月は不明である。天平十九年五月二日に大伴の池主の詠んだ歌（卷十七、四〇〇八−一〇）は、なお越中の國の椽の時代の作と見えるから、その後であろう。正倉院文書によれば、久米の廣繩は、天平十七年四月二十一日の左馬寮移に、左馬の少允從七位の上であつた（大日本古文書二ノ四二二）。この文書には、多分廣繩の自署があるだろう。

　

4051　多胡《たこ》の埼　木《こ》の暗《くれ》茂《しげ》に、

　ほととぎす　來鳴き響《とよ》めば、

　はだ戀ひめやも。

　

　多胡乃佐伎《タコノサキ》　許能久禮之氣尓《コノクレシゲニ》

　保登等藝須《ホトトギス》　伎奈伎等余米婆《キナキトヨメバ》

　波太古非米夜母《ハダコヒメヤモ》

　

(45)【譯】多胡の埼の木の暗く茂つているのに、ホトトギスが來て鳴き立てたなら、ひどく戀いはしないだろう。

【釋】多胡乃佐伎　タコノサキ。布勢の水海の一地點。垂姫の埼の東であろうという。「多古能之麻《タコノシマ》」（卷十七、四〇一一）とも「多?乃浦《タコノウラ》」（卷十九、四二〇〇、四二〇一）とも詠まれている。タコは樹名で、タブノキだろう。

　許能久禮之氣尓　コノクレシゲニ。木のくれが茂くあるに。コノクレは、樹が茂つて暗いこと。

　伎奈伎等余米婆　キナキトヨメバ。トヨメは、動詞響ムの下二段活の未然形と見る。響かせる意である。

　波太古非米夜母　ハダコヒメヤモ。ハダは、ハタ（將）とする説が行われているが、「和我由惠爾《ワガユヱニ》　波太奈於毛比曾《ハダナオモヒソ》」（卷十五、三七四五）の例もあるから、文字通りハダと讀むべきである。このハダは、ハナハダ、サハダなどのハダと同じで、甚多であることをあらはわす副詞であろう。

【評語】ホトトギスの鳴く聲を求めて、その場處を指示しているのが特色である。ホトトギスに對する欲求が、かなり強く表現されている。

　

右一首、大伴宿祢家持

前件十五首歌者、廿五日作之

　

前の件の十五首の歌は、二十五日作れる。

　

【釋】前件十五首歌者　サキノクダリノトヲマリイツツノウタハ。これも四〇四四の歌から數えれば、實數八首で、一致しない。何がゆえの相違であるかを考究すべきである。

　

椽久米朝臣廣繩之館、饗2田邊史福麻呂1宴歌四首

　

(46)椽久米の朝臣廣繩の館に、田邊の史福麻呂を饗する宴の歌四首。

　

4052　ほととぎす　今鳴かずして、

　明日越えむ　山に鳴くとも

　しるしあらめやも。

　

　保登等藝須《ホトトギス》　伊麻奈可受之弖《イマナカズシテ》

　安須古要牟《アスコエム》　夜麻尓奈久等母《ヤマニナクトモ》

　之流思安良米夜母《シルシアラメヤモ》

　

【譯】　ホトトギスは今鳴かないで、明日越える山で鳴いても、かいはないだろう。

【釋】安須古要牟夜麻尓奈久等母　アスコエムヤマニナクトモ。明日は出發しようとしているので、この句を成している。何處へ行くかはわからないが、京に向かうとすれば、礪波山を想像しているだろう。下の四〇五五の歌によれば、多分歸京の途に上るのだろう。

【評語】今日の宴席に、ホトトギスの聲を聞かない物足りなさが歌われている。しいて興趣を求めようとして作りものになつた弊は免れない。

　

右一首、田邊史福麻呂

　

4053　木《こ》の暗《くれ》に　なりぬるものを、

　ほととぎす　何か來鳴かぬ。

　君に逢へる時。

　

　許能久禮尓《コノクレニ》　奈里奴流母能乎《ナリヌルモノヲ》

　保等登藝須《ホトトギス》　奈尓加伎奈可奴《ナニカキナカヌ》

　伎美尓安敝流等吉《キミニアヘルトキ》

　

【譯】木の茂つて暗い頃になつたものを、ホトトギスはどうして來て鳴かないのだろう。あなたに逢つている時に。

(47)【評語】福麻呂の歌に應じている。木ノクレニナリヌルモノで、ホトトギスの鳴くべき時になつたことを示している。ホトトギスが鳴かないのを氣の毒がつた氣もちがあらわれている。

　

右一首、久米朝臣廣繩

　

4054　ほととぎす　此《こ》よ鳴き渡れ。

　燈火《ともしび》を　月夜《つくよ》になそへ、

　その影も見む。

　

　保等登藝須《ホトトギス》　許欲奈枳和多禮《コヨナキワタレ》

　登毛之備乎《トモシビヲ》　都久欲尓奈蘇倍《ツクヨニナソヘ》

　曾能可氣母見牟《ソノカゲモミム》

　

【譯】ホトトギスは此處を通つて鳴いて行け。燈火を月に擬してその姿を見よう。

【釋】許欲奈枳和多禮　コヨナキワタレ。コヨはコユに同じ。此處を通つて。句切。

　登毛之備乎　トモシビヲ。下に秦の伊美吉石竹が館の宴に、「安夫良火乃《アブラビノ》　比可里爾見由流《ヒカリニミユル》」（卷十八、四〇八六）とも「等毛之火能《トモシビノ》　比可里爾見由流《ヒカリニミユル》」（同、四〇八七）とも、竝んで歌われているによつて、このトモシビもアブラビであつたことが推量される。アブラビは、菜種油の燈火で、當時まだ行き渡らず、ここでも特にそのあかるさを感じているようである。

　都久欲尓奈蘇倍　ツクヨニナソヘ。月に擬して。月のかわりとして。

　曾能可氣母見牟　ソノカゲモミム。ソノカゲは、ホトトギスの影で、姿である。

【評語】燈火をかかげてホトトギスの姿を見ようというところに、夜宴の歌らしい風情がある。それも作り設けた風情だが、燈油の火光を珍重する氣もちが一面にあることが注意される。月夜にホトトギスを見ようという古歌が、下にあつて詠まれた歌のようである。

　

(48)4055　可敝流《かへる》みの　道行かむ日は、

　五幡《いつはた》の　坂に袖振れ。

　われをし念《おも》はば。

　

　可敝流未能《カヘルミノ》　美知由可牟日波《ミチユカムヒハ》

　伊都波多野《イツハタノ》　佐可尓蘇泥布禮《サカニソデフレ》

　和禮乎事於毛波婆《ワレヲシオモハバ》

　

【譯】可敝流あたりの道を行く日には、五幡の坂で、袖をお振りなさい。わたくしを思うなら。

【釋】可敝流未能　カヘルミノ。カヘルは地名。福井縣南條郡｜鹿蒜《かひる》で、當時の北陸道の通路に當る。この地は敦賀《つるが》市と武生《たけふ》市との中間にあつて、山越えになつている。延喜式神名に、越前の國敦賀郡に加比留《かひる》神社とある處。後世の歌枕に歸山《かへるやま》というのは、この地の山である。ミは地形の語につける接尾語。可敝流の地が彎曲している地形で、山を廻つて行くので附けたのであろう。

　伊都波多野佐可尓蘇泥布禮　イツハタノサカニソデフレ。イツハタは、敦賀市の北敦賀灣の東岸にある。その地と鹿蒜とのあいだの坂を、イツハタノ坂と言つている。その地は越中から遠く、勿論袖を振つても見えるような地ではないが、いよいよ遠ざかるのを惜しむ心に袖を振れと歌つている。句切。

【評語】途中の地名を入れて、そのような遠い土地で袖を振れと言つたのが特色である。五幡の坂は、都から下るのに、これを越えると、いかにも越の地に深く入つたという感を與えるものがあり、また逆にこれを越えると、北國との別れだという感じがあつたのだろう。そういう作者の經驗がこの歌を成している。そうしてひとり北國に殘される心を間接に表現している。

　

右二首、大伴宿祢家持

前件歌者、廿六日作之

　

(49)前の件の歌は、二十六日作れる。

　

【釋】前件歌者　サキノクダリノウタハ。四〇五二以下の四首をさしている。

　

太上皇、御2在於難波宮1之時歌七首　清足姫天皇也

　

太上皇《おほきすめらみこと》の難波の宮に御在《おほましま》しし時の歌七首【清足姫の天皇なり。】

　

【釋】太上皇　オホキスメラミコト。下の小註に清足姫の天皇なりとある。續日本紀元正天皇の卷に、日本根子高瑞淨足姫の天皇とある。元正天皇である。

　御在於難波宮之時　ナニハノミヤニオホマシマシシトキ。「萬葉集新釋」（澤瀉博士）に、續日本紀天平十六年の條に「閏正月乙亥、天皇難波の宮に行幸す。二月戊午、三島路を取り紫香樂《しがらき》の宮に行幸す。太上天皇及び左大臣橘の宿禰諸兄、留りて難波の宮に在り。冬十月庚子、太上天皇｜珍努《ちぬ》及び竹原井の離宮に行幸す。壬寅、太上天皇難波の宮に歸る。十一月癸酉、太上天皇甲賀の宮に幸す。丙子、太上天皇難波より至る」とあるのを擧げて、天平十六年の夏に太上天皇の難波の宮にましましたことを證し、よつて同年夏の作であろうとしている。なおこの七首は、四〇六二の歌の左註にあるように、田邊の福麻呂が傳誦したのをここに採録したものである。

　

左大臣橘宿祢歌一首

　

【釋】左大臣橘宿祢　ヒダリノオホキマヘツギミタチバナノスクネ。橘の諸兄。諸兄は、天平八年十一月、上表して橘の宿禰の姓を賜わり、後天平勝寶二年正月に、朝臣に轉じた。ここは宿禰の時代で、そのままに殘されている。

　

(50)4056　堀江には　玉敷かましを。

　大皇《おほきみ》を

　御船榜がむと　かねて知りせば。

　

　保里江尓波《ホリエニハ》　多麻之可麻之乎《タマシカマシヲ》

　大皇乎《オホキミヲ》

　美敷祢許我牟登《ミフネコガムト》　可年弖之里勢婆《カネテシリセバ》

　

【譯】堀江には玉を敷きましたろうものを。大君に對して、御船を榜ごうと前から知つていましたら。

【釋】保里江尓波　ホリエニハ。ホリエは、難波の堀江。往古、淀川の下流は水量が多く落差がないので、霖雨にあえば海潮が逆上したのを、仁�ｺ天皇の時に、宮北の郊原を掘開して南水を通じて西海に入らしめた。これが堀江で、ほぼ今の天滿川に當る。

　大皇乎　オホキミヲ。大君ヲカネテ知リセバと續く文脈である。大君を主にした言い方。

【評語】堀江に玉を敷かなかつたことを遺憾とした内容で、もとより假設したことである。同じ作者の歌に、「葎《むぐら》はふいやしき宿も大君のまさむと知らば玉敷かましを」（卷十九、四二七〇）と同想である。

　

御製歌一首　和

　

御製歌一首　【和へたまへる。】

　

【釋】御製歌　オホミウタ。元正太上天皇の御歌である。

　

4057　玉敷かず　君が悔いていふ

　堀江には、

　玉敷き滿《み》てて

(51)　繼《つ》ぎて通はむ。

　

　多萬之賀受《タマシカズ》　伎美我久伊弖伊布《キミガクイテイフ》

　保理江尓波《ホリエニハ》

　多麻之伎美弖々《タマシキミテテ》

　都藝弖可欲波牟《ツギテカヨハム》

　

【譯】玉を敷かないであなたが殘念がつていう堀江には、玉を敷き滿たして、續いて通いましよう。

【評語】諸兄の作に和せられただけの歌である。初三句には堀江を説明しており、全體に説明的な歌である。

　

或云、多麻古伎之伎弖《タマコキシキテ》

　

或るは云ふ、玉こきしきて。

　

【釋】或云多麻古伎之伎弖　アルハイフ、タマコキシキテ。前の歌の四句の別傳である。コキは、玉の緒から玉をこき落しての意。特殊な敍述で、玉敷キ滿テテの説明的なのに勝つている。この別傳の如きは、傳誦者の記憶が確實でなく、或るいはこうだつたかなと言つたのを傳えたものであろう。

　

右一首。件歌者、御船泝v江遊宴之日、左大臣奏、并御製

　

右の一首。件の歌は、御船の江を泝《さかのぼ》りて遊宴せし日、左の大臣の奏せる、并はせて御製なり。

　

【釋】右一首　ミギノヒトツ。一首とあるのは、四〇五七の歌をさし、この下に何か説明を書くべきところを、それに及ばなかつたものと見るのである。諸本皆一首であるが、代匠記に二首の誤りであるというのももつともである。但し元暦校本等古本系統の本を傳えないで、現存せるものは仙覺本系統だけである。

　泝江　エヲサカノボリテ。これによつて、難波の宮の所在が、難波堀江の下流の方面にあつたことが知られる。なおこの二首は、かならずしも夏の作とはきめられないが、御船によつて出遊されたのだから、温暖の季節であつたことは推量される。

　

(52)御製歌一首

　

【釋】御製歌　オホミウタ。同じく元正天皇の御歌である。

　

4058　橘の　とをのたちばな、

　やつ代にも　われは忘れじ。

　この橘を。

　

　多知婆奈能《タチバナノ》　登乎能多知婆奈《トヲノタチバナ》

　夜都代尓母《ヤツヨニモ》　安禮波和須禮自《アレハワスレジ》

　許乃多知婆奈乎《コノタチバナヲ》

　

【譯】實がたわんで實つている橘、いつの代までもわたしは忘れない。この橘を。

【釋】登乎能多知婆奈　トヲノタチバナ。トヲは撓で、實のたわわに實つているさまをいう。

　夜郡代尓母　ヤツヨニモ。ヤツヨは、彌ツ代で、永久の時代。

【評語】橘の語を三度出して調子を作つている。歌いものふうな調子のよさがあり、橘氏を賀する内容にふさわしい。諸兄の家に幸せられた時の御歌で、主人を賀せられたのである。

　

河内女王歌一首

　

【釋】河内女王　カフチノオホキミ。高市の皇子の女。正三位に至り、寶龜十年十二月に薨じた。天平寶字二年八月に、正四位の上から從三位になり、寶龜四年正月に、無位から本位の正三位に復せられたのは、その間に何か位を奪われることがあつたのであろうが、事實不明である。

　

4059　橘の　下照《したで》る庭に

(53)　殿建てて、

　酒宴《さかみづき》います

　わが大君かも。

　

　多知婆奈能《タチバナノ》

　之多泥流尓波尓《シタデルニハニ》

　等能多弖天《トノタテテ》

　佐可弥豆伎伊麻須《サカミヅキイマス》

　和我於保伎美可母《ワガオホキミカモ》

　

【譯】橘の下に照り輝く場所に御殿を立てて、酒宴を遊ばされるわが大君樣。

【釋】之多泥流尓波尓　シタデルニハニ。シタデルは、下照ル。橘の實が輝いて樹下のあかるい意。「春苑《ハルノソノ》　紅爾保布《クレナヰニホフ》　桃花《モモノハナ》　下照道爾《シタデルミチニ》　出立※［女＋感］嬬《イデタツヲトメ》」（卷十九、四一三九）。

　佐可弥豆伎伊麻須　サカミヅキイマス。サカミヅキは、酒水漬で、酒に浸ること、酒宴。「左加美都伎《サカミヅキ》　安蘇比奈具禮止《アソビナグレド》」（卷十八、四一一六）、「酒見附《サカミヅキ》　榮流今日之《サカユルケフノ》」（卷十九、四二五四）。連體句。

　和我於保伎美可母　ワガオホキミカモ。橘の下照る庭の殿は、諸兄の邸であるから、このワガオホキミは、諸兄をいうかとも思われるが、それは大げさであり、天皇を迎えるために、とくに新室を設けたので、ワガオホキミは、やはり天皇とすべきだろう。家持の追和の歌（四〇六三）にも、天皇をワゴ大君と言つている。

【評語】橘氏の邸に幸して酒宴したまう?を敍しただけであるが、言外にその盛行を賀する氣が溢れている。初二句の敍述が、殊に有力であり、酒ミヅキイマスの句も、豐麗である。

　

粟田女王歌一首

　

【譯】粟田女王　アハタノオホキミ。系統未詳。天平寶字八年五月、正三位をもつて薨じている。

　

4060　月待ちて　家には行かむ。

(54)　わが插《さ》せる　あから橘、

　影に見えつつ。

　

　都寄麻知弖《ツキマチテ》　伊敝尓波由可牟《イヘニハユカム》

　和我佐世流《ワガサセル》　安加良多知婆奈《アカラタチバナ》

　可氣尓見要都追《カゲニミエツツ》

　

【譯】月を待つて家には行きましよう。わたくしのかざしている赤い橘が、月の光に影に見えながら。

【釋】安加良多知婆奈　アカラタチバナ。赤い橘の實。前の堀江の歌に引き續いて夏の御幸とすると、橘の實は、まだ青いはずで、赤ラ橘というにふさわないので、橘の實の熟した頃の御幸とすれば、堀江の遊覽とは關係のないことになるが、造花であるかも知れないから、やはり同時と見るべきだろう。

　可氣尓見要都迫　カゲニミエツツ。月光に影に見えつつ。

【評語】下三句の敍述は、巧みを求めているが、風情はあろう。女王の作であつて見れば、この程度の風流は至當なのであろう。

　

右件歌者、在2於左大臣橘卿之宅1、肆宴御歌、并奏歌也。

　

右の件の歌は、左の大臣橘の卿の宅にいまして、肆宴《とよのあかり》きこしめしし時の御歌、并はせて奏《まを》せる歌なり。

　

【釋】在於左大臣橘卿之宅　ヒダリノオホキマヘツギミタチバナノマヘツギミノイヘニイマシテ。前後の堀江の歌と同じ時の歌であろう。

　

4061　堀江より　水脈《みを》引《び》きしつつ

　御《み》船さす

　賤男《しづを》のともは、

(55)　河の瀬申せ。

　

　保里江欲里《ホリエヨリ》　水乎妣吉之都追《ミヲビキシツツ》

　美布祢左須《ミフネサス》

　之津乎能登母波《シヅヲノトモハ》

　加波能瀬麻宇勢《カハノセマウセ》

　

【譯】堀江を通つて水脈を引きながら、御船を棹さす船人たちは、河の瀬を御案内しろ。

【釋】保里江欲里　ホリエヨリ。堀江を通つて、堀江から他に行くのではない。

　水乎妣吉之都追　ミヲビキシツツ。ミヲビキは、船の進行に伴なつて、船尾に起る水の波を引くこと。ミヲは水の高みであり水の流れるところでもある。「多太牢可布《タダムカフ》　美奴面乎左指天《ミヌメヲサシテ》　之保麻知弖《シホマチテ》　美乎妣伎由氣婆《ミヲビキユケバ》」（卷十五、三六二七）、「多弖麻都流《タテマツル》　美都奇能船者《ミツキノフネハ》　保里江欲里《ホリエヨリ》　美乎妣伎之都々《ミヲビキシツツ》」（卷二十、四三六〇）。

　美布祢左須　ミフネサス。サスは、棹をさして船を進める。次の歌のサシに同じ。

　之津乎能登母波　シヅヲノトモハ。シヅヲノトモは、賤男ノ徒で、身分の低い下男の人たち。船を棹さす人々をいう。津の訓假字を交えている。

　加波能瀬麻宇勢　カハノセマウセ。マウセは、申せ。動詞申スは、古くはマヲスであつたのだが、集中この卷以後には、マウスをも使用しており、誤謬ともいわれない。「金有等《クガネアリト》　麻宇之多麻敝禮《マウシタマヘレ》」（卷十八、四〇九四）。

【評語】船人に言いかけた形を採つている。調子のよい歌で、船中で歌つたものだろう。以下二首、作者の名を傳えないで、何人の作か不明。

　

4062　夏の夜は　道たづたづし。

　船に乘り、

　河の瀬ごとに　棹さしのぼれ。

　

　奈都乃欲波《ナツノヨハ》　美知多豆多都之《ミチタヅタヅシ》

　布祢尓能里《フネニノリ》

　可波乃瀬其等尓《カハノセゴトニ》　佐乎左指能保禮《サヲサシノボレ》

　

(56)【譯】夏の夜は道がおぼつかない。船に乘つて河の瀬ごとに、棹さしてのぼれ。

【釋】美知多豆多都之　ミチタヅタヅシ。夜が暗くて、河に沿つて綱で御船を引いて行く道がはつきりしないというのである。それで綱で引くことをやめて、棹をさして上れというのである。句切。

【評語】これも船人に歌いかけている。夏の夜の江上遊覽の實?を描いている。

　

右件歌者、御船以2綱子1泝v江遊宴之日作也。傳誦之人、田邊史福麻呂是也。

　

右の件の歌は、御船、綱手もちて江を泝り遊宴したまひし日作れる。傳へ誦める人は田邊の史福麻呂なり。

　

【釋】以綱手　ツナデモチテ。御船に綱をかけて行くのである。

　

後追和橘歌二首

　

後に追ひて和ふる橘の歌二首。

　

【釋】後追和橘歌　ノチニオヒテコタフルタチバナノウタ。前出の福麻呂が傳誦した橘の歌を聞いて、大伴の家持が、これに追和して、橘に寄せて太上天皇を賀したのである。

　

4063　常世物《とこよもの》　この橘の

　いや照りに、

　わご大皇《おほきみ》は　今も見る如《ごと》。

　

　等許余物能《トコヨモノ》　己能多知婆奈能《コノタチバナノ》

　伊夜弖里尓《イヤテリニ》

　和期大皇波《ワゴオホキミハ》　伊麻毛見流其登《イマモミルゴト》

　

(57)【譯】常世の物であるこの橘のいよいよ照り増さるまでに、わが大君は、今見るようにおいであそばせ。

【釋】等許余物能　トコヨモノ。橘は、垂仁天皇の命によつて、田道間守が常世の國に渡つて持つて來たものと傳えている。同じ家持の橘の歌の歌詞に、「田道間守《タヂマモリ》　常世爾和多利《トコヨニワタリ》　夜保許毛知《ヤホコモチ》　麻爲泥許之《マヰデコシ》　登吉時支能《トキジキノ》　香久乃菓子乎《カクノコノミヲ》」（卷十八、四一一一）ともある。

　伊夜弖里尓　イヤテリニ。いよいよ照り輝くように。以上三句、譬喩としている。

　伊麻毛見流其登　イマモミルゴト。今見る如くにましませの意。モは感動の表示で、今を強調する。

【評語】橘に寄せて祝意を述べている。太上天皇を賀すると共に、橘氏の繁榮をも祝している。初句は、橘の説明だが、永久性を感じさせて效果的である。

　

4064　大皇《おほきみ》は　常磐《ときは》に在《ま》さむ。

　橘の　殿のたちばな、

　ひた照りにして。

　

　大皇波《オホキミハ》　等吉波尓麻佐牟《トキハニマサム》

　多知婆奈能《タチバナノ》　等能乃多知婆奈《トノノタチバナ》

　比多底里尓之弖《ヒタテリニシテ》

　

【譯】大君は永久においでになるでしよう。橘氏のお邸の橘が、ひたすらに照り輝くように。

【釋】等吉波尓麻佐牟　トキハニマサム。トキハは、常石で、岩石の永久である意から、永久不變の意をあらわしている。句切。

　多知婆奈能等能乃多知婆奈　タチバナノトノノタチバナ。上のタチバナは、橘氏の意。下のタチバナは、橘樹の實の意である。同語を、別の意に使つて重ねている。

　比多底里尓之弖　ヒタテリニシテ。ヒタテリは、他の事なくただ照りに照ること。

【評語】これも橘氏の繁榮を祝い、それを材料として太上天皇を賀している。橘の殿の橘と、橘を重ねたとこ(58)ろに、巧みな手段がある。思想は、前の歌と同じである。

　

右二首、大伴宿祢家持作之

　

射水郡驛舘之屋柱題著歌一首

　

射水の郡の驛館の屋の柱に題し著けたる歌一首。

　

【釋】射水郡驛舘之屋柱題著歌　イミヅノコホリノウマヤノヤノハシラニシルシツケタルウタ。越中の國の驛は、延喜式に、坂本、川合、亘理《わたり》、白城、磐瀬、水橋、布勢、佐味《さみ》とある。このうち、坂本、川合は礪波郡、白城は婦負郡、磐瀬以下は新川郡とされるから、射水郡の驛は亘理のみとなる。亘理はワタリで、渡海の津の義とすれば、今の新湊町だろうという全釋の説がもつともである。歌意によるに、入江に接していることがあきらかである。驛館は、驛馬を置く家であるが、その性質上、旅館同樣の發達をしたもので、そこに宿泊してその家の柱に一首の歌を記しつけたのである。

　

4065　朝びらき　入江榜ぐなる

　楫《かぢ》の音《おと》の、

　つばらつばらに　吾家《わぎへ》し思ほゆ。

　

　安佐妣良伎《アサビラキ》　伊里江許具奈流《イリエコグナル》

　可治能於登乃《カヂノオトノ》

　都波良都波良尓《ツバラツバラニ》　吾家之於母保由《ワギヘシオモホユ》

　

【譯】朝船を出して入江を漕ぐ?の音のように、こまごまとわが家が思われる。

【釋】安佐妣良伎伊里江許具奈流可治能於登乃　アサビラキイリエコグナルカヂノオトノ。以上三句、ツバラツバラニを引き起すための序。アサビラキは、碇泊していた船の、朝出船をすること。イリエは、射水川河口(59)の入江。「入京漸近、悲情難v撥、述v懷一首」（卷十七、四〇〇六）の歌に「安之可流等《アシカルト》　安麻乃乎夫禰波《アマノコブネハ》　伊里延許具《イリエコグ》　加遲能於等多可之《カヂノオトタカシ》」と歌われている入江である。さて?ノ音ノから、その擬聲のツバラツバラに續いている。

　都波良都波良尓　ツバラツバラニ。ツバラは、委曲、委細。こまごまと。

【評語】旅泊の朝の光景をとらえて序に應用している。?の音を序に使うのは、類型的だが、この歌では、その音聲を擧げて、ツバラツバラニを引き起しているのは手段であり、巧みである。遠く家郷を離れて來た旅人が、旅館の朝、しみじみとその家を憶つている姿が浮かんで來る。入江に臨んだ旅館の家屋の柱に記しつけた歌たるにふさわしい作である。

　

右一首、山上臣作。不v審v名。或云、憶良大夫之男、但其正名、未v詳也。

　

右の一首は、山上《やまのへ》の臣《おみ》の作れる。名を審《つまびらか》にせず。或るは云ふ、憶良の大夫の男といへり。但しその正名はいまだ詳ならず。

　

【釋】憶良大夫之男　オクラノマヘツギミノヲノコトイヘリ。山上の憶良は、天平五年に七十四歳で死んだと考えられるが、その男とすれば、相當の年輩に違していたであろう。憶良の男に、どういう人があつたか、他に所見がない。

　

四月一日、椽久米朝臣廣繩之館宴歌四首

　

四月一日、椽久米の朝臣廣繩の館にて宴せる歌四首。

　

(60)4066　卯の花の　咲く月立ちぬ。

　ほととぎす　來鳴き響《とよ》めよ。

　含《ふふ》みたりとも。

　

　宇能花能《ウノハナノ》　佐久都奇多知奴《サクツキタチヌ》

　保等登藝須《ホトトギス》　伎奈吉等與米余《キナキトヨメヨ》

　敷布美多里登母《フフミタリトモ》

　

【譯】卯の花の咲く月になつた。ホトトギスは來て鳴き立てよ。花はよしつぼんでいても。

【釋】佐久都奇多知奴　サクツキタチヌ。タチヌは、その月の始まつたことをいう。四月になつたの意。句切。

【評語】四月になれば、ホトトギスの鳴くものとして歌つている。よし卯の花はつぼんでいても、ホトトギスに鳴き立てよというまでの作である。

　

右一首、守大伴宿祢家持作之

　

4067　二上《ふたがみ》の　山にこもれる

　ほととぎす、

　今も鳴かぬか。

　君に聞かせむ。

　

　敷多我美能《フタガミノ》　夜麻尓許母禮流《ヤマニコモレル》

　保等登藝須《ホトトギス》

　伊麻母奈加奴香《イマモナカヌカ》

　伎美尓伎可勢牟《キミニキカセム》

　

【譯】二上山にこもつているホトトギスは、今鳴かないでしようか。あなたにお聞かせしましように。

【釋】伊麻母奈加奴香　イマモナカヌカ。イマモは、今を強調していう。句切。

【評語】二上山からホトトギスの尋ねて來ることを想像している。そのホトトギスの説明のあるのがよい。すなおな感じのある作である。

　

(61)右一首、遊行女婦土師作之

　

【釋】遊行女婦土師　ウカレメハジ。四〇四七の左註に見えている。

　

4068　居《を》り明《あ》かしも　今宵は飲まむ。

　ほととぎす

　明けむあしたは　鳴き渡らむぞ。

　

　乎里安加之母《ヲリアカシモ》　許余比波能麻牟《コヨヒハノマム》

　保等登藝須《ホトトギス》

　安氣牟安之多波《アケムアシタハ》　奈伎和多良牟曾《ナキワタラムゾ》

　

【譯】夜明かしして今夜は酒を飲もう。ホトトギスが夜の明けた朝に鳴いて行くだろうよ。

【釋】乎里安加之母　ヲリアカシモ。居リ明カシモ。このまま夜を明かしても。

【評語】左註にあるように、二日の立夏の節には、ホトトギスが鳴くものとされていたので、夜どおし飲もうと歌つたのである。曉のホトトギスを待つているのだが、まださびしがつていないで、景氣よく酒を飲んでいる。ホトトギスの寂寥感が固定していなかつたのである。

　

二日、應2立v夏節1。故謂2之明且將1v喧也

　

二日は夏立つ節に應る。かれ明旦喧かむといへり。

　

【釋】應立夏節　ナツタツトキニアタル。立夏は暦の上の名辭。夏の初めの日である。ホトトギスは立夏の日に鳴くということ、「多麻爾奴久《タマニヌク》　波奈多知波奈乎《ハナタチバナヲ》」（卷十七、三九八四）の歌の左註に「霍公鳥（ハ）者　立夏之日來鳴（クコト）必定（マレリ）」とある。それで二日の曉には鳴くだろうというのである。

　

(62)右一首、守大伴宿祢家持作之

　

4069　明日よりは　繼《つ》ぎて聞《きこ》えむ。

　ほととぎす

　一夜のからに　戀ひ渡るかも。

　

　安須欲里波《アスヨリハ》　都藝弖伎許要牟《ツギテキコエム》

　保登等藝須《ホトトギス》

　比登欲能可良尓《ヒトヨノカラニ》　古非和多流加母《コヒワタルカモ》

　

【譯】明日からは續いて聞えるだろう。ホトトギスを、一夜だのに戀して過ごすことだなあ。

【釋】比登欲能可良尓　力ラは故。一夜のゆえに。ただ一夜であるのに。「雖（ドモ）2復（タ）天（ツ）神（ト）1、何（ゾ）能（ク）一夜｜之《ノ》間《カラニ》、令（メム）2人（ヲシテ）有1v娠《ハラマ》乎」（日本書紀、神代）。この一夜之間をヒトヨノカラニと讀んでいる。

【評語】　ホトトギスを慕ふ心が歌われている。ただ一夜が待ち切れないというせつな思いである。作爲した歌であることは、勿論である。

　

右一首、羽咋郡擬主帳能登臣乙美作

　

右の一首は、羽咋《はくひ》の郡の擬《かり》の主帳《ふみひと》能登《のと》の臣《おみ》乙美《おとみ》の作れる。

　

【釋】羽咋郡擬主帳能登臣乙美　ハクヒノコホリノカリノフミヒト、ノトノオミオトミ。羽咋の郡は、能登の四郡の一で、能登半島の西部である。擬主帳は、假に主帳にしてある者。主帳は、帳簿文書をつかさどる役、書記。能登の臣乙美は傳未詳。能登を氏とするのによれば、能登の地方の人であろう。

　

詠2庭中牛麥花1歌一首

　

(63)庭中の牛麥《なでしこ》の花を詠める歌一首。

　

【釋】詠庭中牛麥花歌　ニハナカノナデシコノハナヲヨメルウタ。牛麥は瞿麥に同じ。代匠記初稿本に「一切經音義第十二日、瞿、此（ニ）謂（ヒテ）云（フ）v牛（ト）。これにつきて瞿麥を牛麥とかけるを思ふに、瞿麥の瞿は梵語なりとしられたり。牛を梵語に瞿といふ。あるひは遇の字を用ゆ。瞿も梵語には濁音に用たり。秘密藏の經軌におほく見えたり」とある。これは牛麥を正字とし、瞿麥も牛麥の義であるとする説である。ナデシコは、本邦固有種、カワラナデシコ。

　

4070　一株《ひともと》の　なでしこ植ゑし

　その心、

　誰に見せむと　思ひ始《そ》めけむ。

　

　比登母等能《ヒトモトノ》　奈泥之故字惠之《ナデシコウエシ》

　曾能許己呂《ソノココロ》

　多禮尓見世牟等《タレニミセムト》　於母比曾米家牟《オモヒソメケム》

　

【譯】一株のナデシコを植えたその心は、誰に見せようと思い始めたのだろう。

【釋】多禮尓見世牟等　タレニミセムト。誰ニ見セムトで、結局誰でもない、あなたのためにの意となる。

【評語】何時ごろの作という説明の記事はないが、多分ナデシコのまだ咲かない頃の作であろう。前にホトトギスに關する歌があつて、次にこの歌以下の三首があり、その次に三月十五日の大伴の池主の書?に續くのであつて、この三首の第二首には、ヤナギカヅラキの句があるのだから、この歌か、次の歌かから、翌年（天平二十一年）になるものと見るべきである。ナデシコを植えたのは、前年だろうか。「なでしこを屋戸にまきおほし」（卷十八、四一一三）とあるによれば、前年の秋まいたのだろうか。越中の風土、ナデシコ（苗か）を植えるのは、三月以前では適當でないだろう。次の歌は、同月の會のようでもあるから、なおこの歌から、天平二十一年になるのだろうか。この邊に年號をかかげておくべきであるのを落したのも、この卷の編集の不備で(64)ある一つである。この歌は、君に見せようとて、植えたナデシコの花の咲かないうちに去るのかと、別れを惜しんでいると見られる。別れを惜しむ歌としては、一往その情をつくしている。一株というのは、その數字に拘泥すべきではないだろうが、この場合は、これが情緒を作るのに役立つている。

　

右、先國師從僧清見、可v入2京師1。因設2飲饌1饗宴。于v時主人大伴宿祢家持、作2此歌詞1、送2酒清見1也。

　

右は、先の國師の從僧清見《ずそうせいけに》、京師《みやこ》に入らむとす。因りて飲饌を設けて饗宴しき。時に主人大伴の宿彌家持、この歌詞を作りて、酒を清見に送れるなり。

　

【釋】先國師從僧　サキノコクシノズソウ。國師は、國分寺の主僧。今はかわつていて、その前の國師である。從僧は、その國師の侍者である僧。

　清見　セイケニ。傳未詳。

　

4071　しなざかる　越《こし》の君らと、

　かくしこそ

　やなぎ蘰《かづら》き　樂《たの》しく遊ばめ。

　

　之奈射可流《シナザカル》　故之能吉美良等《コシノキミラト》

　可久之許曾《カクシコソ》

　楊奈疑可豆良枳《ヤナギカヅラキ》　多努之久安蘇婆米《タノシクアソバメ》

　

【譯】遠く離れている越の國の君たちと、かように、ヤナギを蘰にして樂しく遊びましよう。

【釋】之奈射可流　シナザカル。枕詞、「之奈射加流《シナザカル》」（卷十七、三九六九）に出ている。

　故之能吉美良等　コシノキミラト。コシノキミラは、越の君等。左註にある郡司已下をいう。郡司は地方の名家を任命しており、その子弟ももとより地方人で、そこで越の君等と言つている。このラは、複數を表示し(65)ている。

　楊奈疑可豆良枳　ヤナギカヅラキ。楊奈疑の字を使つているのは、楊樹を意味しているのだろう。カワヤナギである。カヅラキは、蘰の語を動詞に活用したもの。「梅柳《ウメヤナギ》　誰與共可《タレトトモニカ》　吾縵可牟《ワガカツラカム》」（卷十九、四二三八）

【評語】内容は平凡で、その會の樣を敍述しているだけである。シナザカル越ノ君ラと特に言つているのが目立つ。京人として地方人に對する意識が出ている。

　

右、郡司已下子弟已上諸人、多集2此會1。國守大伴宿祢家持、作2此歌1也。

　

右は、郡司已下の子弟已上の諸人、多にこの會に集《つど》ひき。因りて守大伴の宿禰家持、この歌を作れり。

　

【釋】郡司已下子弟已上　コホリノツカサヨリシモ、コハラカラヨリカミ。郡の役人から始めて、その子弟まで。

　多集此會　サハニコノウタゲニツドヒキ。この會は、前につづくとすれば、國師の從僧清見を送る宴をいうことになるが、次の歌も、題詞なくして、實は別の時の歌のようであるから、はたしてそうであるかどうかの疑いもある。春の歌と見られるから、別の會で、この會の歌から天平二十一年であろう。

　

4072　ぬばたまの　夜渡る月を

　幾夜｜經《ふ》と　數《よ》みつつ妹は

　われ待つらむぞ。

　

　奴婆多麻能《ヌバタマノ》　欲和多流都奇乎《ヨワタルツキヲ》

　伊久欲布等《イクヨフト》　余美都追伊毛波《ヨミツツイモハ》

　和禮麻都良牟曾《ワレマツラムゾ》

　

【譯】くらい夜空を行く月を、幾晩たつたと數えながら、妻はわたしを待つているだろうよ。

(66)【釋】余美都追伊毛波　ヨミツツイモハ。ヨミツツは數えつつ。月の滿ちまた缺けるのを數えて幾夜を經たと數えるのである。

【評語】月に對して、家に殘して來た妻を思う情が寫されている。月を巧みに使つたところに詩情がある。この歌は作者の名を傳えないが、左註を有しているところから見ると、家持の作らしい。この時、家持は、まだその妻を奈良に置いていたらしく、歌中の妹をその人とすれば、日のたつのを待つ心に詠まれているとすべきである。この會の後、まもなく家持も上京したようだから、その事をにおわせているかも知れない。また會とは關係のない物語性の歌であるかもしれない。

　

右、此夕、月光遲流、和風稍扇、即因v屬v目、聊作2此歌1也。

　

右は、この夕べ、月の光遲く流れて、和風やや扇《あふ》ぐ。すなはち目を屬《つ》くるに因りて、いささかこの歌を作れり。

　

【釋】此夕月光遲流　コノユフベツキノヒカリオソクナガレテ。月の光がゆるやかにさし來るもようで、おだやかな夜の景である。何時の頃とも記してないが、年を越えて春のころのことであろう。

　

越前國椽大伴宿祢池主、來贈歌三首

　

越前の國の椽大伴の宿禰池主の、來贈れる歌三首。

　

【釋】越前國椽大伴宿祢池主　コシノミチノクチノクニノマツリゴトビトオホトモノスクネイケヌシ。大伴の池主は、家持が越中の守として來任した當時、越中の國の椽であつた。天平十九年五月二日までは越中にあつたことが知られ、その後、天平二十年三月二十五日には久米の廣繩が越中の國の椽として來任していることが(67)知られるので、そのあいだに、越前の國の椽に轉じたのである。この歌は、文中に三月十五日の日づけがあり、これは天平二十一年（天平感寶元年）と認められるから、前の歌三首のどこかで、年がかわつたので、そのあいだ一年に近い時間の空白があるわけである。

　

以2今月十四日1、到2來深見村1、望2拜彼北方1、常念2芳�ｺ1、何日能休。兼以2隣近1、忽増2戀□1。加以先書云、暮春可v惜、促v膝未v期。生別悲兮、夫復何言。臨v紙悽斷、奉v?不備。

　

今月十四日を以ちて深見の村に到り來、かの北方を望拜し、常に芳�ｺを念ふこと、いづれの日かよく休《や》まむ。兼ねて隣近なるをもちて、たちまちに戀の緒を増す。加以《しかのみならず》先の書に云ふ。暮春惜しむべし。膝を促《ちかづ》くることいまだ期《ちぎ》らずといへり。生別の悲しみ、それまた何とか言はむ。紙に臨みて悽斷《いた》む。?を奉ること不備なり。

　

【譯】今月十四日をもつて、深見の村に來まして、かの北の方を遠く拜しました。いつも御�ｺを思うことは、いつの日にやむことがありましようか。その上に近い處なので、たちまちに戀しい心を増しました。そればかりではありません。先度の書面に、暮春は惜しむべきです、一室のうちに會うことはまだ何時ともいえませんと仰せられました。生きて別れる悲哀は、そもそも何と申しましようか。紙に對して心が傷んで、手紙をさしあげるのに形を備えません。

【釋】以今月十四日　コノツキノトヲカアマリヨカヲモチテ。以下四〇七五の歌まで大伴の池主の書?である。十四日は、天平二十一年三月十四日。

　到來深見村　フカミノムラニイタリキ。フカミノ村は、越前の國のうち越中に近いところであろう。更に來(68)り贈れる歌（卷十八、四一三二）の文中に「今月十五日、到2來（セリ）部下（ノ）加賀（ノ）郡（ノ）境（ニ）1、面蔭（ニ）見2射水之郷（ヲ）1、戀緒（ヲ）結（ブ）2深海之村（ニ）1」とある。延喜式に加賀の國（當時越前の國に屬していた）の驛名を擧げて、朝倉、湖津、安宅《あたか》、比樂、田上、深見、横山としており、その田上は今の金澤市、横山は能登の國との境に近い處にあるから、深見はその中間で、多分河北潟に接しており、ここから能登に出る本道と、礪波山道とが分岐していたのであろう。

　忽増戀□　タチマチニコヒノヲヲマス。□は諸本にその字がない。常念芳�ｺ以下、四字をもつて句を作つており、ここも四字の句であつたのが落ちたのだろうという古義の説はもつともである。古義は緒の字を補つている。

　先書云　サキノフミニイフ。先に家持から池主に贈つた書?を引用している。この書?は傳わらない。

　促膝未期　ヒザヲチカヅクルコトイマダチギラズトイヘリ。膝を接して面談することは、まだ何時とも計りがたいと書?に言つている。

　臨紙悽斷　カミニノゾミテイタム。手紙を書こうとして紙に臨んで心を傷めている。斷は添えていう字。

　

三月十五　日、大伴宿祢池主

　

【釋】三月十五日、ヤヨヒノモチノヒ。天平二十一年である。この年は、四月十四日に天平感寶元年と改元し七月二日にまた天平勝寶元年と改元した。

　

一、古人云

　

一つ、古人の云へる。

　

【釋】古人云　イニシヘビトノイヘル。古歌を擧げて、今の心を述べているので、古人と言つている。古人は、(69)何人のことかわからない。但し多少の改作はしているかも知れない。

　

4073　月見れば　同じ國なり。

　山こそは

　君が邊《あたり》を　隔てたりけれ。

　

　都奇見禮婆《ツキミレバ》　於奈自久尓奈里《オナジクニナリ》

　夜麻許曾婆《ヤマコソハ》

　伎美我安多里乎《キミガアタリヲ》　敝太弖多里家禮《ヘダテタリケレ》

　

【譯】月を見れば同じ國です。しかし山が、あなたの家のあたりを隔てております。

【釋】伎美我安多里乎　キミガアタリヲ。キミガアタリは、家持のいる邊をいう。

【評語】月を仰ぎ見れば、その光のさす國は同じであるが、しかも山が兩者のあいだを隔てていることを歎いている。このような古歌は傳わらないが、多分あつたのだろう。類想のあるべき歌である。集中では「月見れば國は同《おや》じを山｜隔《へな》りうつくし妹は隔りたるかも」（卷十一、二四二〇）は、似てはいるが、これを改作したのではないだろう。

　

一、屬v物發v思

　

一つ、物に屬《つ》きて思ひを發《おこ》せる。

　

【釋】屬物發思　モノニツキテオモヒヲオコセル。事物につけて思想を表現した歌である。集中類似の分類標目として、「就v所發v思」（卷七、一二六七）、「寄v物發v思」（同、一二七〇）、「寄v物陳v思」（卷十一、二四一五等）、「羈旅發v思」（卷十二、三一二七）などあるが、當時既にかような類の名辭の行われていたことが確かめられる。

　

(70)4074　櫻花　今ぞ盛りと　人は云へど、

　われはさぶしも。

　君としあらねば。

　

　櫻花《サクラバナ》　今曾盛等《イマゾサカリト》　雖2人云1《ヒトハイヘド》

　我佐不之毛《ワレハサブシモ》

　支美止之不v在者《キミトシアラネバ》

　

【譯】サクラの花は、今が盛りだと人は言いますが、わたくしは樂しくありません。あなたとおりませんので。

【釋】我佐不之毛　ワレハサブシモ。サブシのブは、集中假字書きの例に、多く夫を使つている。ここに不を使つたのは違例である。樂しくないさま。

　支美止之不在者　キミトシアラネバ。支止のような假字を使つているのが目立つ。これは池主から家持に贈つた書?であるから、原文はこのようなくだけた字を使つていなかつたであろう。

【評語】櫻花今盛リナリというように、目のあたり見たように敍する行き方もあるが、またここにいうように、人は云ヘドとそらす行き方もある。これによつてひとり櫻花を見るに堪えない心を描くのである。

　

一、所心歌

　

一つ、所心の歌。

　

【釋】所心歌　ソシムノウタ。所心は、思うところの意で、多分音讀して讀んだのだろう。

　

4075　相｜思《おも》はず　あるらむ君を、

　あやしくも　嘆き渡るか。

　人の問ふまで。

　

　安必意毛波受《アヒオモハズ》　安流良牟伎美乎《アルラムキミヲ》

　安夜思苦毛《アヤシクモ》　奈氣伎和多流香《ナゲキワタルカ》

　比登能等布麻泥《ヒトノトフマデ》

　

(71)【譯】思わないでいるでしようあなたを、變なくらいに歎息して過ごしております。人が尋ねるまでに。

【評語】内容は類型的で、變わつた事もなく、ただ三句以下の表現に、多少の曲折があつて、せつに思うさまを描くものがある。それも色に出て人に知られるということを、語をかえて歌つているのである。

　

越中國守大伴家持、報贈歌四首

　

越中の國の守大伴の家持の、報へ贈れる歌四首。

　

【釋】報贈歌　コタヘオクレルウタ。前出の池主の贈つた歌に答えたのである。書?であつたはずだが、歌の部分のみを存している。

　

一、答2古人云1

　

一つ、古人の云へるに答ふる。

　

【釋】答古人云　イニシヘビトノイヘルニコタフル。池主の、古人ノ云ヘルと題したのに答えている。

　

4076　あしひきの　山は無くもが。

　月見れば　同じき里を、

　心隔てつ。

　

　安之比奇能《アシヒキノ》　夜麻波奈久毛我《ヤマハナクモガ》

　都奇見禮婆《ツキミレバ》　於奈自伎佐刀乎《オナジキサトヲ》

　許己呂敝太底都《ココロヘダテツ》

　

【譯】山はないとよいなあ。月を見れば同じ里ですのに、心を隔てました。

【釋】都奇見禮婆於奈自伎佐刀乎　ツキミレバオナジキサトヲ。月を見れば、共に同じく月光の照る里であるのに。

(72)　許己呂敝太底都　ココロヘダテツ。山が兩者の心を隔てたの意。

【評語】池主の、月見レバの歌に答えている。池主のは古人の歌だというが、これは新作であろう。心隔テツは、兩者の心が通じないように解せられて、無理である。しいて和して作つたまでの歌である。

　

一、答2屬v目發v思1、兼詠2云遷任舊宅西北隅櫻樹1

　

一つ、目を屬《つ》けて思ひを發《おこ》せるに答へ、かねて遷任《うつ》れる舊き宅の西北《いぬゐ》の隅の櫻の樹を詠み云へる。

　

【釋】答屬目發思　メヲツケテオモヒヲオコセルニコタヘ。池主の歌の題は、屬物發思とあり、ここに屬目發思とあるは違つている。

　兼詠云遷任舊宅西北隅櫻樹　カネテウツレルフルキイヘノイヌヰノスミノサクラノキヲヨミイヘル。遷任舊宅は、大伴の池主が越中の國の椽であつた時の住宅である。椽の住宅として國で經營している公舍であろう。

　

4077　わが夫子《せこ》が　古き垣内《かきつ》の

　櫻花

　いまだ含《ふふ》めり。

　一目見に來《こ》ね。

　

　和我勢故我《ワガセコガ》　布流伎可吉都能《フルキカキツノ》

　佐久良婆奈《サクラバナ》

　伊麻太敷布賣利《イマダフフメリ》

　比等目見尓許祢《ヒトメミニコネ》

　

【譯】あなたの古い圍内の櫻花は、まだつぼんでいます。一目見にいらつしやい。

【評語】池主の心を誘うに足りるであろう。池主の櫻花今ゾ盛リトの歌に答えて、直接に應じてはいないが、巧みな取材といえる。

　

(73)一、答2所心1、即以2古人之跡1、代2今日之意1

　

一つ、所心に答ふる。すなはち古人の跡をもちて今日の意に代ふる。

　

【釋】以古人之跡代今日之意　イニシヘビトノアトヲモチテケフノヒノココロニカフル。古人の詠み殘した歌をもつて、今日の心にかえて答える旨である。

　

4078　戀《こ》ふといふは　えも名づけたり。

　言ふすべの　たづきも無きは、

　我《あ》が身なりけり。

　

　故敷等伊布波《コフトイフハ》　衣毛名豆氣多理《エモナヅケタリ》

　伊布須敝能《イフスベノ》　多豆伎母奈吉波《タヅキモナキハ》

　安賀未奈里家利《アガミナリケリ》

　

【譯》戀うということは、よくも名づけたものです。物をいうべき手だてのないのは、わたしの身の上でした。

【釋】衣毛名豆氣多理。エは得で、可能の意。言葉ではよくも名づけ得たものだ。しかし實際は、そんな言葉だけのなまやさしいものではないの意。句切。

【評語】古人の跡というが、集中には見當らない。しかし言葉ではたやすいがという内容は、たとえば、「言にいへば耳にたやすし」（卷十一、二五八一）など見えている。この歌では、エモ名ヅケタリの表現が、特色があつて、感動的である。三四句は、よくある表現である。

　

一、更矚v目

　

一つ、更に目を矚《つ》くる。

　

【釋】更矚目　サラニメヲツクル。池主の歌に答えた以外に歌うので、更にと言つている。矚は屬に同じ。

　

(74)4079　三島野に　霞たなびき、

　しかすがに

　昨日も今日も　雪は降りつつ。

　

　美之麻野尓《ミシマノニ》　可須美多奈妣伎《カスミタナビキ》

　之可須我尓《シカスガニ》

　伎乃敷毛家布毛《キノフモケフモ》　由伎波敷里都追《ユキハフリツツ》

　

【譯】三島野に霞がたなびいて、それだのに、昨日も今日も雪は降つている。

【釋】美之麻野尓　ミシマノニ。ミシマ野は、放逸せる鷹の歌（卷十七、四〇一一、四〇一二）に見えている。國府の南方の原野。

【評語】春深くなつても、まだ雪の降りやまない北國の風光を描いている。これだけ讀めば、情趣があるが、集中に多い表現樣式である。山部の赤人の「明日よりは春菜採まむと標《し》めし野に昨日も今日も雪は降りつつ」（卷八、一四二七）など記憶にあつたであろう。また、三句に、シカスガニと置く手段も、多く見られるところである。

　

三月十六日

　

【釋】三月十六日　ヤヨヒノトヲカアマリムカ。以上の家持の歌の日づけである。多分自家の記し留めにこの日づけを書いておいたのだろう。

　

姑大伴氏坂上郎女、來2贈越中守大伴宿祢家持1歌二首

　

姑《をば》大伴氏の坂上の郎女の、越中の守大伴の宿禰家持に來り贈れる歌二首。

　

【釋】姑大伴氏坂上郎女　ヲバオホトモウヂノサカノウヘノイラツメ。ヲバは、家持を基準とした言い方で、(75)その父の妹であるからという。大伴は氏、坂上は住處による通稱である。

　

4080　常人の　戀ふといふよりは

　餘りにて、

　われは死ぬべく　なりにたらずや。

　

　都祢比等能《ツネヒトノ》　故布登伊敷欲利波《コフトイフヨリハ》

　安麻里尓弖《アマリニテ》

　和禮波之奴倍久《ワレハシヌベク》　奈里尓多良受也《ナリニタラズヤ》

　

【譯】普通の人が戀うというよりは餘計であつて、わたしは死にそうになつたではありませんか。

【釋】都祢比等能　ツネヒトノ。ツネヒトは、常の人、一般普通の人。「都禰比登能《ツネヒトノ》　伊布奈宜吉思毛《イフナゲキシモ》」（卷十八、四一三五）。

　安麻里尓弖　アマリニテ。餘リニテ。餘つて、一層はなはだしく。アマリは動詞、ニは助動詞ヌの活用と見られる。「佐久良婆那《サクラバナ》　都伎弖佐久倍久《ツギテサクベク》　奈利爾弖阿良受也《ナリニテアラズヤ》」（卷五、八二九）などのニテに同じ。

【評語】子どもの頃から世話をして來た特殊の關係があり、また最愛の娘の婿でもあるので、この詠を成している。せつに思う情が、よく描かれている。

　

4081　片思《かたおも》ひを

　馬に太馬《ふつま》に　負《おほ》せもて

　越邊《こしべ》に遣《や》らば

　人｜衒《かた》はむかも。

　

　可多於毛比遠《カタオモヒヲ》

　宇萬尓布都麻尓《ウマニフツマニ》　於保世母天《オホセモテ》

　故事部尓夜良波《コシベニヤラバ》

　比登加多波牟可母《ヒトカタハムカモ》

　

【譯】片思いを、馬にそれもふとつた馬に負わせて、越の國の方へ遣つたら、人がかたり取るでしようか。

【釋】宇萬尓布都麻尓　ウマニフツマニ。フツマは、フトウマの約言。肥馬。阪倉篤義氏の説（「萬葉」第二(76)號）に、フツマニは、盡《ふつ》ニに同じで、すべての意だという。

　於保世母天　オホセモテ。負わせて。モテはもつての意。原形モチテであるが、既にモテの形を生じたものと見える。または下二段活用の連用形か。それならば使役の意になる。その方がよいのだろう。「奈爾毛能母弖加《ナニモノモテカ》　伊能知都我麻之《イノチヅガマシ》」（卷十五、三七三三）參照。

　比登加多波牟可母　ヒトカタハムカモ。カタハムは、他に所見のない語。衒ハムでカタハは動詞カタフの未然形か。欺き奪おうの意だろうという。欺き取ることをカタルといい、また類聚名義抄、誘にカトフの訓があるからである。

【評語】奇拔な構想で、この卷にはいつての出色の作である。滑稽的に歌つて、片思いのような陰鬱な氣もちをふつとばしている。

　

越中守大伴宿祢家持報歌、并2所心1三首

　

越中の守大伴宿禰家持の報ふる歌、所心を并はせて三首。

　

《釋】報歌并所心三首　コタフルウタソシムヲアハセテミツ。坂上の郎女の歌に答えた歌と所心の歌とで、合わせて三首である。

　

4082　天《あま》ざかる　鄙の都《みやこ》に

　天人《あめひと》し　かく戀ひすらは、

　生けるしるしあり。

　

　安萬射可流《アマザカル》　比奈能都夜故尓《ヒナノミヤコニ》

　安米比度之《アメヒトシ》　可久古非須良波《カクコヒスラハ》

　伊家流思留事安里《イケルシルシアリ》

　

【譯】天のように遠い地方の都に、天の人がかように戀するなら、生きているかいがあります。

【釋】安萬射可流　マザカル。枕詞。

　比奈能都夜故尓　ヒナノミヤコニ

　　ヒナミヤコニ（西）

　　ヒナノツヤコニ（仙、二條院流御本）

　　――――――――――

　　比奈能美夜故爾《ヒナノミヤコニ》（略）

　　比奈能夜都故爾《ヒナノヤツコニ》（略、大平）

　略解に本居大平の説として、都夜故を夜都故の誤りとして、ヒナノヤツコニと讀み、都ノ奴ニの意としている。それならばよく通ずる。原文のままならば、夜故は都に送つた字と見るべきであるが、用字も無理だし、國府を鄙の都ということも例がない。元暦校本に能の字のないのは注意すべきことであるかも知れない。ヒナツヤツコニか。

　安米比度之　アメヒトシ。アメヒトは天人。天上世界の人をいう。ここは坂上の郎女のこと。

　可久古非須良波　カクコヒスラハ。スラはは諸説があつて一定しない。カクコヒセラバなどあるべきところである。このままでは、動詞｜爲《す》の四段活の形と見るべきか。または、コヒシア(78)ラバの方言か。脇屋眞一君の解に、「バの未然條件法には、ア列音に接するもの多ければ、これに引かれたる類推の誤なるべく、音節數の關係上も誤用し易き故ならむ。「サア洒落らばしやれろ」（八笑人）、「今の樣な時、痰咳をすらば……」（同右）」（書簡）。

【評語】坂上の郎女の、常人ノの歌に答えている。二句を鄙ノ奴ニとすれば、それと天人との對照が中心になる歌である。詞句に疑問が多く、すらすらと解けないのは遺憾である。

　

4083　常の戀　いまだ止《や》まぬに、

　都より　馬に戀｜來《こ》ば、

　荷《にな》ひあへむかも。

　

　都祢乃孤悲《ツネノコヒ》　伊麻太夜麻奴尓《イマダヤマヌニ》

　美夜古欲里《ミヤコヨリ》　宇麻尓古非許婆《ウマニコヒコバ》

　尓奈比安倍牟可母《ニナヒアヘムカモ》

　

【譯】常の戀がまだやまないのに、都から馬で戀が來たなら、背負い切れるでしようか。

【釋】宇麻尓古非許婆　ウマニコヒコバ。馬によつて戀が來たなら。馬に片思いを負わせてやろうというに應じている。

【評語】坂上の郎女の、片思ヒヲの歌に答えている。贈られた歌のような奇警なおもむきはないが、一往の返歌にはなつている。

　

別所心一首

　

【釋】別所心一首　コトニソシムヒトツ。坂上の郎女の贈歌にかかわらないで、別に思いを述べた歌である。

　

4084　曉《あかとき》に　名告《なの》り鳴くなる

(79)　ほととぎす

　いやめづらしく　思ほゆるかも。

　

　安可登吉尓《アカトキニ》　名能里奈久奈流《ナノリナクナル》

　保登等藝須《ホトトギス》

　伊夜米豆良之久《イヤメヅラシク》　於毛保由流香母《オモホユルカモ》

　

【譯】曉に名告つて鳴くホトトギスの聲は、いよいよ珍重すべく思われることです。

【釋】名能里奈久奈流　ナノリナクナル。ホトトギスの鳴き聲が、その名のホトトギスというに近いので、かように言つている。元來ホトトギスの語は、その鳴き聲によつてつけたものだろう。

　保登等藝須　ホトトギス。以上三句は、坂上の郎女の歌の譬喩として、序になつている。四五の二句が、この歌の主想である。

【評語】季節の物に寄せて、思いを述べている。ホトトギスを説明したのが特色になつている。季節に寄せて巧みに坂上の郎女のたよりを珍重する意をのべている。

　

右四日、附v使贈2上京師1。

　

右は四日、使につけて京師に贈り上《のぼ》せる。

　

【釋】右四日　ミギハヨカ。月が記してないが、前の三月十六日の後を受けて、ホトトギスを詠んでいるから、多分四月であろう。

　

天平感寶元年五月五日、饗2東大寺之占墾地使僧平榮等1、于v時守大伴宿祢家持、送2酒僧1歌一首

　

天平感寶元年五月五日、東大寺の占墾地の使僧平榮等を饗《あ》へき。時に守大伴の宿禰家持の、酒を僧《ほふし》に送れ(80)る歌一首。

　

【釋】天平感寶元年　テニヒヤクカムホウノハジメノトシ。天平二十一年四月十四日に、天平感寶と改元した。それでここに年號を掲げている。

　饗東大寺之占墾地使僧平榮等　トウダイジノセムコニチシノホフシヘイエイラヲアヘシキ。東大寺は、奈良の東大寺。占墾地使は、墾地を占める使で、寺から派遣して開墾すべき田を占有せしめた使者である。天平感寶元年四月朔日の宣命に「又寺寺爾墾田地許奉利《マタテラデラニハリタノトコロユルシマツリ》、僧綱乎始?衆僧尼敬問比治賜比《ホフシノツカサヲハジメテモロモロノホフシアマヰヤマヒトヒヲサメタマヒ》」とあり、これによつて特に下したのである。墾田は、私に開墾した田をいう。正倉院に、東大寺の越中の國の墾田に關する文獻が存しており、その中には墾田の地圖もある。平榮は、正倉院文書にしばしば見え、その自署もある。越前國足羽郡司解（大日本古文書五ノ五四三）には「以（テ）2去（ル）天平勝寶元年八月十四日（ヲ）」郡司判2給（ス）大領外（ノ）正《（マヽ）》位（ノ）下生江（ノ）臣安麻呂、擬主帳无位槻本（ノ）公老等、鷹山親父豐足（ニ）1已（ニ）畢（リヌ）。（テ）2同年五月（ヲ）1、寺家（ノ）野占寺便法師平榮、造寺司史生大初位（ノ）上生江（ノ）臣東人、國使醫師外從八位（ノ）下六人部（ノ）東人、郡司擬主帳槻本（ノ）老等、寺家（ノ）野占（テ）畢（リヌ）」とあつて、同時に平榮等の一行が、越前の國でも土地を占めたことが知られる。その一行の中の、追寺司の史生生江の臣東人は、多分越中の國にも同道しているのだろう。

　

4085　燒刀《やきたち》を　礪波《となみ》の關に、

　明日よりは　守部《もりべ》遣《や》り副へ、

　君を留《とど》めむ。

　

　夜伎多知乎《ヤキタチヲ》　刀奈美能勢伎尓《トナミノセキニ》

　安須欲里波《アスヨリハ》　毛利敝夜里蘇倍《モリベヤリソヘ》

　伎美乎等登米牟《キミヲトドメム》

　

【譯】鍛えた大刀を磨ぐという、その礪波山の關所に、明日からは、番人を増遣して、あなたをお留めしよう。

【釋】夜使多知乎　ヤキタチヲ。枕詞。火力で鍛えた大刀を磨ぐというので、トの音に冠している。

(81)　刀奈美能勢伎尓　トナミノセキニ。トナミノセキは、礪波山の關。越前の國への通路である。礪波山の東麓にあつたという。

　毛利敝夜里蘇倍　モリベヤリソヘ。守部、すなわち番人を遣わし添えて。從來以上に増加して。

【評語】歸京を惜しむ氣もちが描かれている。實際都から來た人に對して別れかねる心か強かつたであろう。關所に番人を増派してというなど、國守らしい言い方である。

　

同月九日、諸僚、會2少目秦伊美吉石竹之舘1飲宴。於v時主人、造2白合花縵三枝1、疊2置豆器1、捧2贈賓客1。各賦2此縵1作三首

　

同じ月九日、諸僚、少目｜秦《はだ》の伊美吉《いみき》石竹の館に會《つど》ひて飲宴しき。時に主人、百合の花繰《はなかづら》三枝を造り、豆器《づき》に疊《かさ》ね置きて、賓客に捧げ贈る。おのもおのもこの縵を賦して作れる三首。

　

【釋】諸僚　ヒトビト。國府の役人たちである。

　少目　スナキサクワニ。國の役人のうち、大目の下の役。

　秦伊美吉石竹　ハダノイミキイハタケ。天平寶字八年十月、正六位の上から外の從五位の下に、寶龜五年三(82)月、飛騨の守、七年三月、播磨の介となつている。天平寶字八年十月の續日本紀に秦の忌寸伊波太氣とある。

　造白合花縵三枝　ユリノハナカヅラミツヲツクリ。白合は、百合に同じ。新撰字鏡に「白合　二八月（ニ）採（リ）v根（ヲ）曝干（ス）。由利《ユリ》」とある。このユリはヤマユリで、白花であろう。花縵は、花で作つた蘰である。枝は元暦校本による。三枝は、蘰の數。ユリの枝をわがねて蘰にするであろう。一本のユリを輪にして作つたとすれば、枝でよい。一つの蘰に數枝を合わせることもないだろう。仙覺本には、枝を枚に作つているが、蘰を數えるのに何枚とはいわないだろう。

　疊置豆器　ヅキニカサネオキテ。豆器は、禮器で、物を載せる器である。

　捧贈賓客　マレビトニササゲオクル。賓客は、この會の來客で、花縵三枝とあるから三人だろうが、歌の作者である大伴の家持、内藏の繩麻呂のほかの一人は、誰であるか不明。

　

4086　あぶら火の　光に見ゆる

　わが蘰《かづら》

　さゆりの花の　笑《ゑ》まはしきかも。

　

　安夫良火乃《アブラビノ》　比可里尓見由流《ヒカリニミユル》

　和我可豆良《ワガカヅラ》

　佐由利能波奈能《サユリノハナノ》　惠麻波之伎香母《ヱマハシキカモ》

　

【譯】燈火の光に見えるわたしの蘰のユリの花がほれぼれとすることです。

【釋】安夫良火乃　アブラビノ。アブラビは、燈油をともしたあかり。

　佐由利能波奈能　サユリノハナノ。ヱマハシキカモに對する主格である。序とも見られるが、それでは何のゆえにヱマハシかわからない。

　惠麻波之伎香母　ヱマハシキカモ。ヱマハシは、動詞笑ムから轉成した形容詞。笑むべきさまにある意である。ユリの花蘰を見ると、心が開けて、微笑されて來る意である。

(83)【評語】燈火のもとに輝いているユリの花の美が歌われている。美しい、夜宴の情景で、當時の人々が興趣の生活を求めていたことが知られる。

　

右一首、守大伴宿祢家持

　

4087　燈火《ともしび》の　光に見ゆる

　さゆり花、

　後《ゆり》も逢はむと　思ひ始《そ》めてき。

　

　等毛之火能《トモシビノ》　比可里尓見由流《ヒカリニミユル》

　左由理婆奈《サユリバナ》

　由利毛安波牟等《ユリモアハムト》　於母比曾米弖伎《オモヒソメテキ》

　

【譯】燈火の光に見えるユリの花の名のように、この後も逢おうと思い始めました。

【釋】等毛之火能比可里尓見由流左由理婆奈　トモシビノヒカリニミユルサユリバナ。以上三句、同音利用による序で、ユリの音を引き起している。

　由利毛安波牟等　ユリモアハムト。ユリは、この後の意の語。この會集の人に對して、またも逢おうとの意である。

【評語】目前にあるユリの花によつて、同音を利用したまでの作である。「吾妹子が家の垣内《かきつ》のさ百合花ゆりといへるは否とふに似る」（卷八、一五〇三）の歌があり、ユリの花から、ユリ（後）の音を引き出すのは、型になつていたのであろう。

　

右一首、介内藏伊美吉繩麻呂

　

(84)4088　さゆり花　後《ゆり》も逢はむと

　思へこそ、

　今のまさかも　愛《うるは》しみすれ。

　

　左由理婆奈《サユリバナ》　由里毛安波牟等《ユリモアハムト》

　於毛倍許曾《オモヘコソ》

　伊末能麻左可母《イマノマサカモ》　宇流波之美須禮《ウルハシミスレ》

　

【譯】ユリの花の名のように、後にも逢おうと思えばこそ、今の現在も親しくするのです。

【釋】左由理婆奈　サユリバナ。枕詞。同音によつてユリに冠している。

　伊末能麻左可母　イマノマサカモ。マサカは現在。

【評語】内藏の繩麻呂の歌に應酬しただけの作である。ユリの花の説明を略して、ただ枕詞として使つているので、この歌だけでは、ユリの位置が浮いている。

　

右一首、大伴宿祢家持和

　

獨居2幄裏1、遙聞2霍公鳥喧1作歌一首　并2短歌1

　

獨幄の裏に居て、遙かにほととぎすの喧くを聞きて作れる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】獨居幄裏　ヒトリアゲバリノウチニヰテ。幄は、帷幕で張り廻らして作つた家。しかし、疾に沈んで詠んだ歌（卷十七、三九六五）の前文にも「獨臥2帷幄之裏1」とあつて、ここもそれと同じく、室内の几帳《きちやう》の類をいうのだろう。室内にいての意。

　

4089　高｜御座《みくら》　天《あま》の日嗣と、

　天皇《すめろき》の　神の命《みこと》の

　聞《きこ》し食《を》す　國のまほらに、

　山をしも　さはに多みと、

　百鳥《ももとり》の　來居《きゐ》て鳴く聲、

　春されば　聞《き》きの愛《かな》しも。

　いづれをか　別《わ》きてしのはむ。」

　卯の花の　咲く月立てば、

　めづらしく　鳴くほととぎす、

　菖蒲《あやめ》草　珠｜貫《ぬ》くまでに

　晝暮らし　夜渡《よわた》し聞けど、

　聞くごとに　心つごきて、

　うち嘆き　あはれの鳥と、

　言はぬ時なし。」

　

　高御座《タカミクラ》　安麻乃日繼登《アマノヒツギト》

　須賣呂伎能《スメロキノ》　可未能美許登能《カミノミコトノ》

　伎己之乎須《キコシヲス》　久尓能麻保良尓《クニノマホラニ》

　山乎之毛《ヤマヲシモ》　佐波尓於保美等《サハニオホミト》

　百鳥能《モモトリノ》　來居弖奈久許惠《キヰテナクコヱ》

　春佐禮婆《ハルサレバ》　伎吉乃可奈之母《キキノカナシモ》

　伊豆禮乎可《イヅレヲカ》　和枳弖之努波无《ワキテシノハム》

　宇能花乃《ウノハナノ》　佐久月多弖婆《サクツキタテバ》

　米都良之久《メヅラシク》　鳴保等登藝須《ナクホトトギス》

　安夜女具佐《アヤメグサ》　珠奴久麻泥尓《タマヌクマデニ》

　比流久良之《ヒルクラシ》　欲和多之伎氣騰《ヨワタシキケド》

　伎久其等尓《キクゴトニ》　許己呂都呉枳弖《ココロツゴキテ》

　宇知奈氣伎《ウチナゲキ》　安波禮能登里等《アハレノトリト》

　伊波奴登枳奈思《イハヌトキナシ》

　

【譯】高い御座の帝位として、昔の天皇の神樣が、領有されている國のすぐれた處に、山がたくさんにあるので、種々の鳥の來て鳴く聲は、春になれば、聞いて感動する。どの鳥をとりわけ賞美しようか。卯の花の咲く月が來れば、愛すべく鳴くホトトギス、アヤメ草を玉にぬく日までに、晝も一日、夜も夜どおし聞くけれども、聞くたびに心が動いて、歎息して、感に堪えた鳥だと言わない時はない。

(86)【構成】第一段、イヅレヲカワキテシノハムまで。日本の國には山が多いので、春になれば種々の鳥が來るが、そのどれをとくに愛すべきかに迷う旨を敍する。第二段、終りまで。夏になればホトトギスが來るが、聞くたびに感じないことはない由を述べる。

【釋】高御座　タカミクラ。枕詞。天ノ日嗣を説明修飾する。高い御座の義で、天皇の座席をいう。

　安麻乃日繼登　アマノヒツギト。アマノヒツギは、天皇の位を繼承することの義で、轉じて帝位をいう。トは、としての意。天ノは、集中假字書きの例、アメノ、アマノを併用している。

　須賣呂伎能可未能美許登能　スメロキノカミノミコトノ。スメロキは、性質上から天皇をいう語で、從つて過去の天皇を總稱する。カミノミコトは、神ノ命で、ミコトは尊稱。過去からの天皇の總稱である。

　久尓能麻保良尓　クニノマホラニ。マホラは、すぐれた處。國土の最良處の意から、結局國士の美稱になる。

　山乎之毛佐波尓於保美等　ヤマヲシモサハニオホミト。山ヲ多ミに、助詞シモ、副詞サハニが添加した形である。サハニがオホミを修飾しているのは珍しい。

　伎吉乃可奈之母　キキノカナシモ。キキは、聞クの名詞形。カナシは、感動する意の形容詞。心が感動してここは快く思うのである。句切。

　伊豆禮乎可和枳弖之努波无　イヅレヲカワキテシノハム。百鳥ノ來ヰテ鳴ク聲を受けて、その百鳥のどれをとりわけ賞美しようと、分別しかねる旨を説き、次のホトトギスに入る準備としている。句切。

　安夜女具佐珠奴久麻泥尓　アヤメグサタマヌクマデニ。菖蒲草を珠としてつらぬくまでにで、五月の節日になるまでの意。本卷にはアヤメグサが四出しており、皆一字一音書きになつているが、字音假字の中に交えて、メだけが女の字を使つている。これは訓假字とも取れるが、他にこの字を訓假字に使用していないので、表意文字として使用してあるもののようであつて、それならばアヤメに漢女の義を感じているのであろう。この花(87)の美しさを漢女に比しての名であろう。そうすればこれはアヤメ科の美しいアヤメであると考えられる。

　欲和多之伎氣騰　ヨワタシキケド。ヨワタシは、夜を經ること。一夜中。

　許己呂都呉枳弖　ココロツゴキテ。考に都を宇の誤りとしてココロウゴキテとしている。日本靈異記興福寺本上卷序の訓釋に「悖、志々呂津古支之」とあり、高野本には「悖、去、ロウ古支也」とある。悖は、心の動き怖れるをいう字で、心の烈しく動くのを、ココロツゴクといつたようである。心臓の鼓動かはげしくして。

　安波禮能登里等　アハレノトリト。アハレは感銘の意をあらわす語。ここはホトトギスを愛賞していう。

【評語】前半に春の百鳥の聲を描いて、どれを別けて賞美すべきかを知らずとし、後半に夏のホトトギスに及んだのは手段である。しかしそのホトトギスを描くのに、特殊の描寫がなく、結局歌を平凡ならしめている。冒頭に高ミ座天、日繼云々と大きく持ち出したのは、この歌の内容にふさわしくなく、道具倒れの感が深い。

　

4090　行《ゆ》く方《へ》なく　あり渡るとも、

　ほととぎす　鳴きし渡らば

　かくやしのはむ。

　

　由久敝奈久《ユクヘナク》　安里和多流登毛《アリワタルトモ》

　保等登藝須《ホトトギス》　奈枳之和多良婆《ナキシワタラバ》

　可久夜思努波牟《カクヤシノハム》

　

【譯】途方に暮れて日を送つていても、ホトトギスが鳴いて行つたならば、このように愛することだろうか。

【釋】由久敝奈久安里和多流登毛　ユクヘナクアリワタルトモ。ユクヘナクは、すべき方もなく困惑してある意に使われ、集中その用例が多い。アリワタルは、ありて經過する。「延久受乃《ハフクズノ》　往方無哉《ユクヘヲナミヤ》　戀渡南《コヒワタリナム》」（卷十二、三〇七二）などこの用例である。この二句は、一般の人について言い、何事のためともないが、戀の物思いを作者は思つているのだろう。

　可久夜思努波牟　カクヤシノハム。今自分が賞美するようにか、人も賞美するだろうの意。

(88)【評語】人はどのような境涯にあつても、ホトトギスの聲を聞いたら、これを愛するだろうと歌つている。ちよつと變わつた表現をしているために誤解している註釋書もあるが、詞句のとおりに解してたいして無理はない。渡ルの語を重ねて使つているのは、無雜作に置いたのだろう。

　

4091　卯の花の　共《とも》にし鳴けば、

　ほととぎす　いやめづらしも。

　名告《の》り鳴くなへ。

　

　宇能花能《ウノハナノ》　登聞尓之奈氣婆《トモニシナケバ》

　保等登藝須《ホトトギス》　伊夜米豆良之毛《イヤメヅラシモ》

　名能里奈久奈倍《ナノリナクナヘ》

　

【譯】卯の花の咲くと共に來て鳴くので、ホトトギスは一層珍重される。名告つて鳴く時に。

【釋】宇能花能登聞尓之奈氣婆　ウノハナノトモニシナケバ。卯の花と共にの意を、卯ノ花ノ共ニという。トモが元來伴侶の意の語だからだろう。「霍公鳥《ホトトギス》　來鳴令v響《キナキトヨモス》　宇乃花能《ウノハナノ》　共也來之登《トモニヤコシト》　問麻思物乎《トハマシモノヲ》」（卷八、一四七二）。

【評語】第二句に、共ニシ鳴ケバと云い、五句に重ねて、名ノリ鳴クという必要はない。平凡な歌である。

　

4092　ほととぎす　いとねたけくは、

　橘の　花散る時に

　來鳴き響《とよ》むる。

　

　保登等藝須《ホトトギス》　伊登祢多家口波《イトネタケクハ》

　橘乃《タチバナノ》　播奈治流等吉尓《ハナチルトキニ》

　伎奈吉登余牟流《キナキトヨムル》

　

【譯】ホトトギスの、たいへん腹の立つことは、橘の花の散る時に來て鳴き立てることだ。

【釋】伊登祢多家口波　イトネタケクハ。ネタケクは、ねたくあること。ネタシは、嫉妬憤慨に堪えないさまの語。日本靈異記の訓釋に、惻にネタミ、慷慨にネタミテと訓している。

(89)　伎奈吉登余牟流　キナキトヨムル。トヨムルの下にコトナリの如き語が略されている語氣である。

【評語】ホトトギスの聲と橘の花とが一緒でないことを怨んでいる。ホトトギスと橘とに密接な關係を感ずる思想から歌われている。以上のホトトギスの歌は、習作程度の作が傳わつたものだろう。

　

右四首、十日、大伴宿祢家持作之

　

【釋】十日　トヲカ。五月十日。

　

行2英遠浦1之日、作歌一首

　

英遠の浦に行きし日、作れる歌一首。

　

【釋】英遠浦　アヲノウラ。冨山縣永見市北方の海。今、阿尾村の名を留めている。

　

4093　英遠《あを》の浦に　寄する白波

　いや増しに　立ち重《し》き寄《よ》せ來《く》。

　東風《あゆ》を疾《いた》みかも。

　

　安乎能宇良尓《アヲノウラニ》　餘須流之良奈美《ヨスルシラナミ》

　伊夜末之尓《イヤマシニ》　多知之伎與世久《タチシキヨセク》

　安由乎伊多美可聞《アユヲイタミカモ》

　

(90)【譯】英遠の浦に寄せる白浪は、いよいよ増して、立ち重ねて寄せて來る。東風が烈しいからか。

【釋】多知之伎與世久　タチシキヨセク。立ツ、重ク、寄ス、來と、動詞を重ねている。このうち、タチシキと、ヨセクとの二部になるのだろう。「於枳都之良奈美《オキツシラナミ》　多知之久良思毛《タチシクラシモ》」（卷十五、三六五四）によれば、シは助詞かとも見られるが、ここは下に寄せ來とあるから、立チシ來寄セ來ではないだろう。

　安由乎伊多美可聞　アユヲイタミカモ。「越（ノ）俗語、東風、謂（ヘリ）2之｜安由乃可是《アユノカゼト》1也」（卷十七、四〇一七）。

【評語】第四句に、動詞を重ねて白浪の寄せる動態の描寫がなされていてよい。これを中心としている一首だ。

　

右一首、大伴宿祢家持作之

　

【釋】右一首　ミギノヒトツ。前のホトトギスの歌が五月十日、次の詔書の歌が五月十二日で、共に國守の館で詠んだらしい。そうとすれば、この一首は十一日の作か。

　

賀2陸奧國出1v金詔書歌一首　并2短歌1

　

陸奧の國より金《くがね》を出《いだ》せるを賀《ことほ》く詔書の歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】賀陸奧國出金詔書歌　ミチノクノクニヨリクガネヲイダセルヲコトホクミコトノリブミノウタ。績日本紀に天平二十一年二月、陸奧の國、始めて黄金を貢す。四月、陸奧の守從三位百濟の王敬福、黄金九百兩を貢すとある。この二月と四月との記事は、同事を再録したものであろう。當時、東大寺の盧舍那《るさな》佛の像の造立に際して、黄金の缺乏に惱んでいたところに、この貢金があつたので、聖武天皇は大いに喜ばれてこれに關して詔書を下された。それは大佛に對するものと、一般に對するものとである。大伴の家持は、その詔書を讀んで感激してこの歌を作つた。その詔の中には特に大伴氏に言及している所があるので感激が強かつたのである。

　

(91)4094　葦原の　瑞穗の國を

　天降《あまくだ》り　しらしめしける

　天皇《すめろき》の　神の命の、

　御代重ね　天《あま》の日嗣と、

　しらし來《く》る　君の御代御代、

　敷きませる　四方の國には、

　山河を　廣み淳《あつ》みと、

　奉る　御調寶《みつきたから》は、

　數へ得ず　盡《つく》しも兼ねつ。」

　しかれども　わが大王《おほきみ》の、

　諸人を　誘《いざな》ひたまひ

　善き事を　始めたまひて、

　金《くがね》かも　たしけくあらむと、

　思ほして　下惱《したなや》ますに、

　鷄《とり》が鳴く　東《あづま》の國の

　陸奧《みちのく》の　小田《をだ》なる山に、

　金《くがね》ありと　奏《まう》し賜へれ、

(92)　御《み》心を　明《あき》らめたまひ

　天地の　神｜相納受《あひうづな》ひ、

　皇御祖《すめろき》の　御靈《みたま》助けて、

　遠き代に　かかりし事を、

　わが御世に　顯《あら》はしてあれば、

　食《を》す國《くに》は　榮えむものと、

　神《かむ》ながら　思ほしめして、

　もののふの　八十伴《やそとも》の雄を、

　まつろへの　むけのまにまに、

　老人も　女童兒《をみなわらは》も、

　其《し》が願ふ　心｜足《だ》らひに、

　撫でたまひ　治めたまへば、

　此《ここ》をしも　あやに貴み、

　うれしけく　いよよ思ひて、

　大伴の　遠つ神祖《かむおや》の、

　その名をば　大久目主《おほくめぬし》と

　負《お》ひ持ちて　仕へし官《つかさ》、

(93)　海行かば　水浸《みづ》く屍《かばね》、

　山行かば　草むす屍、

　大皇《おほきみ》の　邊《へ》にこそ死なめ、

　顧みは　爲《せ》じと言立《ことだ》て、

　丈夫《ますらを》の　清きその名を、

　古《いにしへ》よ　今のをつづに

　流さへる　祖《おや》の子等《こども》ぞ。

　大伴と　佐伯《さへき》の氏は、

　人の祖《おや》の　立つる言立《ことだて》、

　人の子は　祖の名絶たず、

　大君に　奉仕《まつろ》ふものと、

　言ひ繼げる　言《こと》の職《つかさ》ぞ。

　梓弓　手に取り持ちて、

　劔大刀　腰に取り佩《は》き、

　朝守り　夕《ゆふ》の守りよ、

　大王《おほきみ》の　御門《みかど》の守護《まもり》、

　我をおきて　また人はあらじと、

(94)　いや立《た》て　思ひし増《ま》さる。

　大皇《おほきみ》の　御言の幸《さき》の【一は云ふ、を】

　聞けば貴み。【一は云ふ、貴くしあれば。】

　

　葦原能《アシハラノ》　美豆保國乎《ミヅホノクニヲ》

　安麻久太利《アマクダリ》　之良志賣之家流《シラシメシケル》

　須賣呂伎能《スメロキノ》　神乃美許等能《カミノミコトノ》

　御代可佐祢《ミヨカサネ》　天乃日嗣等《アメノヒツギト》

　之良志久流《シラシクル》　伎美能御代々々《キミノミヨミヨ》

　之伎麻世流《シキマセル》　四方國尓波《ヨモノクニニハ》

　山河乎《ヤマカハヲ》　比呂美安都美等《ヒロミアツミト》

　多弖麻都流《タテマツル》　御調寶波《ミツキタカラハ》

　可蘇倍衣受《カゾヘエズ》　都久之毛可祢都《ツクシモカネツ》

　之加禮騰母《シカレドモ》　吾大王乃《ワガオホキミノ》

　毛呂比登乎《モロヒトヲ》　伊射奈比多麻比《イザナヒタマヒ》

　善事乎《ヨキコトヲ》　波自米多麻比弖《ハジメタマヒテ》

　久我祢可毛《クガネカモ》　多之氣久安良牟登《タシケクアラムト》

　於母保之弖《オモホシテ》　之多奈夜麻須尓《シタナヤマスニ》

　鷄鳴《トリガナク》　東國乃《アヅマノクニノ》

　美知能久乃《ミチノクノ》　小田在山尓《ヲダナルヤマニ》

　金有等《クガネアリト》　麻宇之多麻敝禮《マウシタマヘレ》

　御心乎《ミココロヲ》　安吉良米多麻比《アキラメタマヒ》

　天地乃《アメツチノ》　神安比宇豆奈比《カミアヒウヅナヒ》

　皇御祖乃《スメロキノ》　御霊多須氣弖《ミタマタスケテ》

　遠代尓《トホキヨニ》　可々里之許登乎《カカリシコトヲ》

　朕御世尓《ワガミヨニ》　安良波之弖安禮婆《アラハシテアレバ》

　御食國波《ヲスクニハ》　左可延牟物能等《サカエムモノト》

　可牟奈我良《カムナガラ》　於毛保之賣之弖《オモホシメシテ》

　毛能乃布能《モノノフノ》　八十伴雄乎《ヤソトモノヲヲ》

　麻都呂倍乃《マツロヘノ》　牟氣乃麻尓々々《ムケノマニマニ》

　老人毛《オイビトモ》　女童兒毛《ヲミナワラハモ》

　之我願《シガネガフ》　心太良比尓《ココロダラヒニ》

　撫賜《ナデタマヒ》　治賜婆《ヲサメタマヘバ》

　許己乎之母《ココヲシモ》　安夜尓多敷刀美《アヤニタフトミ》

　宇禮之家久《ウレシケク》　伊余與於母比弖《イヨヨオモヒテ》

　大伴乃《オホトモノ》　遠都神祖乃《トホツカムオヤノ》

　其名乎婆《ソノナヲバ》　大來目主等《オホクメヌシト》

　於比母知弖《オヒモチテ》　都加倍之官《ツカヘシツカサ》

　海行者《ウミユカバ》　美都久屍《ミヅクカバネ》

　山行者《ヤマユカバ》　草牟須屍《クサムスカバネ》

　大皇乃《オホキミノ》　敝尓許曾死米《ヘニコソシナメ》

　可敝里見波《カヘリミハ》　勢自等許等太弖《セジトコトダテ》

　大夫乃《マスラヲノ》　伎欲吉彼名乎《キヨキソノナヲ》

　伊尓之敝欲《イニシヘヨ》　伊麻乃乎追通尓《イマノヲツヅニ》

　奈我佐敝流《ナガサヘル》　於夜乃子等毛曾《オヤノコドモゾ》

　大伴等《オホトモト》　佐伯乃氏者《サヘキノウヂハ》

　人祖乃《ヒトノオヤノ》　立流辭立《タツルコトダテ》

　人子者《ヒトノコハ》　祖名不v絶《オヤノナタタズ》

　大君尓《オホキミニ》　麻都呂布物能等《マツロフモノト》

　伊比都雅流《イヒツゲル》　許等能都可左曾《コトノツカサゾ》

　梓弓《アヅサユミ》　手尓等里母知弖《テニトリモチテ》

　劔大刀《ツルギタチ》　許之尓等里波伎《コシニトリハキ》

　安佐麻毛利《アサマモリ》　由布能麻毛利尓《ユフノマモリヨ》

　大王乃《オホキミノ》　三門乃麻毛利《ミカドノマモリ》

　和禮乎於吉弖《ワレヲオキテ》　比等波安良自等《マタヒトハアラジト》

　伊夜多?《イヤタテ》　於毛比之麻左流《オモヒシマサル》

　大皇乃《オホキミノ》　御言能左吉乃《ミコトノサキノ》【一云、乎】

　聞者貴美《キケバタフトミ》【一云、貴久之安禮婆】

　

【譯】葦原の瑞穗の國を、天から降つて知ろしめした皇祖の神樣の御代を重ねて、帝位として知ろしめして來る君の御代御代に、領しておられる四方の國には、山や川が廣くゆたかなので、奉る御調物の寶は、數え得ず擧げつくすこともできない。しかしながら、わが大君が、諸人を誘いたまい、善い事をお始めになつて、黄金が足りないだろうかとお思いになつて、心に惱んでおいでになると、?が鳴くという東方の國である陸奧の小田郡にある山に、黄金があると奏上したので、御心を明るくされ、天地の神が良しとし、御先祖の神靈が助けて、遠い昔の代にはなかつたことを、わが御代にあらわしてあるので、御領國は榮えようものと、神のままにお思い遊ばされて、諸部の多くの人たちを支配する指導のままに、老人も女子どもも、その願う心を滿たすように愛撫されるので、この點がたいへん尊く、うれしいことにいよいよ思つて、大伴の速い祖先の神の、その名を大來目主と言つて仕えた方が、海を行くなら水につかる屍となろう、山を行くなら草の生える屍となろう。大君のあたりで死にましよう、顧みはしまいと言い立て、男子の清らかなその名を、昔から今の世に傳えている祖先の子孫だ。大伴と佐伯《さえき》の氏は、人の祖先の立てた言い立てに、人の子は、祖先の名を絶たないで、大君に奉仕するものと、言い繼いでいることの指導者だ。梓弓を手に持ち、劔大刀を腰に帶び、朝夕の護衛だ、大君の御門の守りは、自分をおいてまたと人はなかろうと、いよいよ心を立て、思い増さる。天皇のお言葉のりつぱなのを、聞けば貴いので。

【構成】第一段、數ヘ得ズツクシモカネツまで。諸國から奉る貢物の多いことを述べる。第二段終りまで。ま(95)ず金の貢せられたことを言い、天皇の諸人を愛撫することを述べて、大伴氏の事に移り、祖先以來の清き名を傳えて宮門の護衛に奉仕することを誓い、これは詔書を聞くと尊いのでと言つて結んでいる。第二段には處々文の終止があるが、段落をなすべき性質のものではない。

【釋】安麻久太利之良志賣之家流　アマクダリシラシメシケル。天から降つて領有されたの意で、邇々藝《ににぎ》の命のことをいう。

　山河乎比呂美安都美等　ヤマカハヲヒロミアツミト。山や川が廣く厚いので。アツミは充實している性質を稱えている。

　御調寶波　ミツキタカラは。調は、田租以外の産物の獻上物をいう。タカラは、良い物、貴ぶべき物。

　都久之毛可祢都　ツクシモカネツ。その數を擧げつくすことができない。數ヘ得ズと同じく、御調寶ハを受けている。以上、御調の多種であることを述べて、次に貢金のことを敍する伏線としている。

　毛呂比登乎伊射奈比多麻比　モロヒトヲイザナヒタマヒ。諸人ヲ誘ヒタマヒで、次の善キ事ヲ始メタマヒの説明になる。

　善事乎波自米多麻比弖　ヨキコトヲハジメタマヒテ。ヨキコトは、佛教にいう功�ｺの事業で、具體的には、盧舍那佛の像の建立をいう。これが奈良の大佛である。聖武天皇は、天平十三年に大佛造立の大願を發し、十七年から工事を始め、天平勝寶元年には既にその形體ができ上つていた。ただこれに金箔を押そうとして、その料の金の缺乏に惱んでいたのである。續日本紀、この年四月一日の記事にも、「甲午の朔、天皇東大寺に幸し盧舍那佛の像の前殿に御し北面して像に對す。皇后太子竝に侍す」（もと漢文）とあつて、盧舍那佛に對しても詔を宣べられた。

　久我祢可毛　クガネカモ。クガネは黄金。本草和名には「金屑（ハ）者、日之精也。和名｜古加禰《コガネ》、出（ヅ）2陸奧國（ヨリ）1」と(96)ある。クは、黄色のキであって、キとコと母音が動搖するのであろう。カモは係助詞。

　多之氣久安良牟登　タシケクアラムト。多之氣久は、仙覺本系統の諸本に多能之氣久とあり、樂シケクの意としていたのであるが、正宗敦夫氏の説により、元暦校本によって能を省くようになった（「萬葉學論纂」所收）。次に思ホシテ下惱マスニとあり、またこの數句は、詔書の「衆人をいざなひ率ゐて、仕へ奉る心は、禍止みて善く成り、危き變はりて全く平けむと、念ほして仕へ奉る間に、衆人は成らじかと疑ひ、朕は金少けむと念ひ憂へつつあるに」とあるによつたものであるから、タシケクは、乏少の意に近いものであるべきである。しかし他に用例のない語で、的確なことは知りがたいが、日本書紀神武天皇の卷に、厄をタシナムと訓じ、類聚名義抄に、困の字にタシナムの訓があるによれば、困つている意の形容詞に、タシケシがあったのだろう。

　之多奈夜麻須尓　シタナヤマスニ。シタは心中、ナヤマスは惱ムの敬語。

　美知能久乃小田在山尓　ミチノクノヲダナルヤマニ。詔書に「聞しめす食《を》す國の内の東の方（中略）陸奧の国の小田の郡に金出でたりと奏して進れり」とある。延喜式神名、小田郡に黄金山神社とある處で、續日本紀(97)にこの詔書の次に、閏五月の條に「甲辰出（ス）v金（ヲ）山（ノ）神主小田（ノ）郡（ノ）日下部（ノ）深淵（ニ）、授（ク）2外（ノ）少初位（ノ）下（ヲ）1」とある。今宮城縣遠田郡涌谷町に黄金山神社があり、黄金｜迫《はざま》の字が殘つている。砂金を産したあとと傳える。

　麻宇之多麻敝禮　マウシタマヘレ。申スをマウスと書くことは前に出た。タマヘレは、四段活の助動詞タマフの已然形に、助動詞リの接續した形で、已然條件法を作つている。このタマフは、四段活ではあるが謙讓で何々することを賜わる、そうさせていただくという意を表現する。これは祝詞宣命などにもある形で、奈良時代の語法である。「皇神等乃前爾申賜久《スメカミタチノマヘニマヲシタマハク》」（遣唐使時奉幣）、「神賀吉詞｜奏賜波久登奏《マヲシタマハクトマヲス》」（出雲の國造の神賀詞）。

　安吉良米多麻比　アキラメタマヒ。アキラメは、あきらかにする、鬱憂を散ずる。

　天地乃神安比宇豆奈比　アメツチノカミアヒウヅナヒ。アメツチノカミは、天神地祇。神の總稱。ウヅナヒは嘉賞する意。詔書の中に「天に坐す神地に坐す神の、あひうづなひまつり、さきはへまつり」とあるによる。

　皇御祖乃御靈多須氣弖　スメロキノミタマタスケテ。皇祖の神靈が護助する意。詔書の中に「また天皇の御靈たちの、惠みたまひ撫でたまふ事に依りて、顯はし示したまふ物にあらしと思ほしめせば」とある。

　遠代尓可々里之許登乎　トホキヨニカカリシコトヲ。盧舍那佛に申したまえる詔の文に「天地｜開闢《ひら》けしより以來《こなた》に、黄金は、人國より獻ることはあれども、この地には無き物と念へるに」とあつて、この歌の句に合わない。但し作者は、盧舍那佛に申したまえる詔の方は知らないで、この句を成したかも知れない。似寄りの事としては、續日本紀、文武天皇の二年十二月の條に「辛卯對馬島をして金鑛を治めしむ」大寶元年三月の條に「戊子、追大肆｜凡海《おふしあま》の宿禰の麁鎌《あらかま》を陸奧に遣はし金を治めしむ」、「甲午、對馬島金を貢す。元を建てて大寶元年となす」、同八月の條に「丁未、是より先、大倭の國忍海の郡の人三田の首五瀬を對馬島に遣はし、黄金を治成せしむ。ここに至りて、詔して五瀬に正六位の上を授け、封五十戸田十町并はせて?綿布鍬を賜ふ。よりて雜戸の名を免ず。對馬島の司及び郡司、主典已上に位一階を進め、その金を出せる郡司には二階、金を獲る(98)人家部の宮道に正八位の上を授け、并はせて?綿布鍬を賜ひ、その戸を復し身を終ふ。百姓は三年。また贈右大臣大伴の宿禰御行、首《はじめ》に五瀬を遣はし金を治せしむ。因りて大臣の子に封百戸田四十町を賜ふ。冲、年代暦に曰はく、後に五瀬の詐欺發露し、贈右大臣の五瀬の爲に誤られたるを知る」（いずれも、もと漢文）とある。この事をさしてカカリシ事と言つているのだろうか。略解は可々を奈可の誤りとしてナカリシコトヲとしている。口語譯はこれによつた。

　麻都呂倍乃牟氣乃麻尓々々　マツロヘノムケノマニニマニ。マツロヘは下二段に活用しているのであろう。まつろはしめる。服從奉仕させる意。ムケは向ケで、平定支配。

　之我願心太良比尓　シガネガフココロダラヒニ。シはそれの意の代名詞。「愛久《ウツクシク》　志我可多良倍婆《シガカタラヘバ》」（卷五、九〇四）、「?河立《ウカハタチ》　取左牟安由能《トラサムアユノ》　之我波多波《シガハタハ》」（卷十九、四一九一）、「秋花《アキノハナ》　之我色々爾《シガイロイロニ》」（同、四二五四）など、いずれも助詞ガを伴なつている。ココロダラヒは、滿足。その願う心の滿足するまでに。

　大伴乃遠都神祖乃　オホトモノトホツカムオヤノ。オホトモは大伴氏。トホツカムオヤは、遠い祖先。カムは、その神性を稱える。古事記上卷に「故其（ノ）天｜忍日《オシヒノ》命、此者大伴（ノ）連等之祖（ナリ）」とあつて、天の忍日の命から出ている。ここにいう神祖は、反歌に、「大伴の遠つ神祖の奧つ城《き》はしるく標《しめ》立て人の知るべく」（四〇九六）とある神祖と同じと見られるから、近畿地方に墳墓を有する人と見るべく、この點、天孫降臨に隨伴したという天の忍日の命に合わない。むしろ神武天皇の東征に隨つた道の臣の命をさすものと認められる。

　其名乎婆大來目主等於比母知弖都加倍之官　ソノナヲバオホクメヌシトオヒモチテツカヘシツカサ。大伴氏の祖先で、大來目主と呼ばれた人は、他に所見がない。日本書紀神代の下に「時に大伴の連の遠つ祖天の忍日《おしひ》命、來目《くめ》部の遠つ祖天の?津《くしつ》大來目を帥ゐる」、また神武天皇の卷に「大伴の遠つ祖道の臣の命、大來目部を帥ゐる」とあり、これらの事によつて大來目主と呼ばれたのであろう。そうしてそれは前項の記事によつて、多(99)分道の臣の命の事だろうと考えられる。ツカサは、文字どおり、官、役人で、支配する人の意である。

　海行者美都久屍　ウミユカバミヅクカバネ。ミヅクは水浸ク。カバネの下に、トシテの如き語が省略されている。次の、草ムス屍の下も同じ。この數句は、詔書に「大伴佐伯の宿禰は、常も云ふ如く、天皇《すめら》が朝守り仕へ奉ること、顧み無き人どもにあれば、汝たちの祖どもの云ひ來《く》らく、海行かばみづく屍、山行かば草むす屍、大君のへにこそ死なめ、のどには死なじと云ひ來る人どもとなも聞しめす」とあるによる。海行カバから顧ミハセジまでは古歌謠と考えられるが、末句は、詔書と異つている。この歌では、音節數の條件があるので、それに合わせるために變えたかも知れない。

　勢自等許等太弖　セジトコトダテ。セジまで歌謠の引用である。コトダテは、辭立で、特に言い立てること。續いて「人祖乃《ヒトノオヤノ》　立流辭立《タツルコトダテ》」とある。「于磨臂苔能《ウマヒトノ》　多菟?虚等太?《タツルコトダテ》」（日本書紀四六）。動詞としては「言立者《コトタテバ》　足母阿賀迦邇嫉妬《アシモアガカニネタミタマヒキ》」（古事記下卷）、「都迦倍久流《ツカヘクル》　於夜能都可佐等《オヤノツカサト》　許等太弖?《コトダテテ》　佐豆氣多麻敝流《サヅケタマヘル》」（卷二十、四四六五）など使われている。

　伊麻乃乎追通尓　イマノヲツヅニ。ヲツヅは、ウツツに同じとされているが、音韻や用法が違うから別語であろう。現在、現實。言語篇「いまのをつづ」參照。

　奈我佐敝流　ナガサヘル。動詞流サフに、助動詞リが接續している。廣めている。

　於夜乃子等毛曾　オヤノコドモゾ。オヤは祖先。コドモは子孫。次の大伴と佐伯の氏を説明している。句切。

　大伴等佐伯乃氏者　オホトモトサヘキノウヂハ。大伴と佐伯とは同祖である。雄略天皇の代に、大伴の室屋が奏上して、子の談《かたる》（人名）と共に宮門を護衛することになり、爾來、談の子孫である佐伯氏が、大伴氏の本流と竝んで奉仕することになつた。

　人祖乃立流辭立　ヒトノオヤノタツルコトダテ。これは一般の人の祖先の辭立である。

(100)　許等能都可左曾　コトノツカサゾ。事の支配者である。一般の人を引率して奉仕するのだの意。句切。

　由布能麻毛利余　ユフノマモリヨ。ヨは、指定の助詞。細井本に余を尓に作つているのは、孤立的な字面である。

　伊夜多弖　イヤタテ。タテは、志を立て、心を振うこと。いよいよ志して。

　御言能左吉乃　ミコトノサキノ。ミコトは、詔書。サキは幸、榮えで、詔意の盛んであることをいう。次の、聞ケバ貴ミの句に對しては、御言ノ幸ヲとなければならない所である。御言ノ幸ノならば、一ハ云フの貴クシアレバの方に續く。次の反歌は正しくなつている。

【評語】詔書が大伴氏のことに觸れこれを大きく嘉賞しているので、感激してこの作を成した。最初に諸國から獻る御調のことを擧げているが、金を貢することの準備となつているに過ぎず、この長篇の冒頭としては、重要性が足りない。それで全體の構成に力を入れていないので、長いだけに調子が保ち切れない。後半の大伴氏に關する部分が、内容として中心的であり、殊に海行カバの古歌謠を引用したあたりが山であるが、古歌謠そのものの良さがあるだけで、その引用による效果が大きくない。家持の作中、第一の長篇であり、集中でも第三の長篇であつて、とにかく意をつくしているが、作者の感激は、十分に表現されない。

　

反歌三首

　

4095　丈夫《ますらを》の　心思ほゆ。

　大君の　御言《みこと》の幸《さき》を【一は云ふ、の】

　聞けば貴み【一は云ふ、貴くしあれば。】

　

　大夫能《マスラヲノ》　許己呂於毛保由《ココロオモホユ》

　於保伎美能《オホキミノ》　美許登乃佐吉乎《ミコトノサキヲ》【一云、能】

　聞者多布刀美《キケバタフトミ》【一云、貴久之安禮婆】

　

(101)【譯】男兒の心が思われる。大君の詔の盛んなのを聞くと、貴いので。

【評語】長歌の末尾の句を繰り返し、その後半の大意を要約している。詔書に感激した氣もちは、かえつてよくまとまつてあらわれている。

　

4096　大伴の　遠つ神祖《かむおや》の

　奧《おく》つ城《き》は、

　しるく標《しめ》立て。

　人の知るべく。

　

　大伴乃《オホトモノ》　等保追可牟於夜能《トホツカムオヤノ》

　於久都奇波《オクツキハ》

　之流久之米多弖《シルクシメタテ》

　比等能之流倍久《ヒトノシルベク》

　

【譯】大伴氏の遠い祖先の墳墓は、はつきりと標を立てるがよい。人が知るように。

【釋】大伴乃等保追可牟於夜能　オホトモノトホツカムオヤノ。オホトモノトホツカムオヤは、長歌に云つたのを使つている。道の臣の命であろう。

　於久都奇波　オクツキハ。オクツキは、墳墓。その墳墓は、どこにあつたかというに、大伴氏は、東征以後大阪灣に面した地方を本居としていたらしく、大伴の地名は、この氏の名と關係するもののようであつて、道の臣の命の墳墓も、その地方に求むべきである。三代實録、貞觀十五年十二月二十日の條に「河内の國の正六位の上天の押日《おしひ》の命の神に從五位の下を授く」とあるのは、大阪府南河内郡の伴林《ばんばやし》神社であるというが、そのあたりであるかどうか、不明である。

　之流久之米多弖　シルクシメタテ。シルクは明白に。シメは標示。タテは立てよの意の命令形。句切。

【評語】祖先を崇敬してその跡を繼ごうとする思想が歌われている。大伴氏であることを誇りとする意から、祖先の墳墓を著明に標示せよとしている。特色のある作である。

　

(102)4097　天皇《すめろき》の　御代榮えむと、

　東《あづま》なる　みちのく山に、

　金《くがね》花咲く。

　

　須賣呂伎能《スメロキノ》　御代佐可延牟等《ミヨサカエムト》

　阿頭麻奈流《アヅマナル》　美知乃久夜麻尓《ミチノクヤマニ》

　金花佐久《クガネハナサク》

　

【譯】天皇の御代が榮えようと、東方の陸奧の山で、金の花が咲く。

【釋】阿頭麻奈流　アヅマナル。アヅマは東國。これによつて、陸奧も、アヅマのうちとしたことが知られる。アヅマは元來、遠くはなれた區域の地の意であろうから、京からは、陸奧をもアヅマというのだろう。

　美知乃久夜麻尓　ミチノクヤマニ。陸奧の國の小田の郡の山を、約してミチノク山と言つている。

　金花佐久　クガネハナサク。黄金の出たことを、譬喩によつて、花咲クと表現している。

【評語】黄金の出たことを巧みな譬喩で表現している。御代を祝う歌としてよくできている。

　

天平感寶元年五月十二日、於2越中國守館1大伴宿祢家持作之

　

天平感寶の元の年五月十二日、越中の國の守の舘にて大伴の宿禰家持の作れる。

　

【釋】天平感寶元年五月十二日　テニヒヤウカムホウノハジメノトシサツキトヲカアマリフツカ。四月一日に詔書が下り、大伴の家持も從五位の下から從五位の上に昇進した。それらが越中の國に報ぜられて、この作となつた日をここに記している。

　

爲d幸2行芳野離宮1之時u儲作歌一首　并2短歌1

　

芳野《よしの》の離宮《とつみや》に幸行《い》でまさむ時のために、儲《ま》けて作れる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

(103)【釋】儲作歌　マケテツクレルウタ。前から用意して作つた歌。吉野の離宮に行幸のあつた時には、歌が召されるので、その時の用意に作り試みたのである。これは前人の吉野の宮での作に刺戟されたでもあろうし、また家持も、近く上京して吉野の離宮の行幸に隨うことなども、豫期したのであろう。四一二〇の題詞にも儲作歌とある。四二五四、四二五六の題詞に、預作とあるのも同意である。

　

4098　高御座《たかみくら》　天《あま》の日嗣《ひつぎ》と、

　天の下　知らしめしける

　天皇《すめろき》の　神の命の、

　畏《かしこ》くも　始めたまひて、

　貴くも　定めたまへる

　み吉野の　この大宮に、

　あり通ひ　見《め》したまふらし。」

　もののふの　八十伴《やそとも》の雄も

　おのが負《お》へる　おのが名｜負《お》ひ、

　大王《おほきみ》の　任《ま》けのまくまく、

　この河の　絶ゆることなく、

　この山の　いやつぎつぎに、

　かくしこそ　仕へまつらめ。

(104)　いや遠永に。」

　

　多可美久良《タカミクラ》　安麻乃日嗣等《アマノヒツギト》

　天下《アメノシタ》　志良之賣師家類《シラシメシケル》

　須賣呂伎乃《スメロキノ》　可未能美許等能《カミノミコトノ》

　可之古久母《カシコクモ》　波自米多麻比弖《ハジメタマヒテ》

　多不刀久母《タフトクモ》　左太米多麻敝流《サダメタマヘル》

　美與之努能《ミヨシノノ》　許乃於保美夜尓《コノオホミヤニ》

　安里我欲比《アリガヨヒ》　賣之多麻布良之《メシタマフラシ》

　毛能乃敷能《モノノフノ》　夜蘇等母能乎毛《ヤソトモノヲモ》

　於能我於弊流《オノガオヘル》　於能我名負《オノガナオヒ》

　大王乃《オホキミノ》　麻氣能麻久々々《マケノマクマク》

　此河能《コノカハノ》　多由流許等奈久《タユルコトナク》

　此山能《コノヤマノ》　伊夜都藝都藝尓《イヤツギツギニ》

　可久之許曾《カクシコソ》　都可倍麻都良米《ツカヘマツラメ》

　伊夜等保奈我尓《イヤトホナガニ》

　

【譯】高い御座である天皇の御位として、天の下をお治めになつた昔の天皇の神樣が、恐れ多くもお始めになつて、貴くもお定めになつた、吉野のこの大宮に、通いつつ御覧になるらしい。部族の多くの人々も、自分の負うている自分の名を負うて、天皇の任命のままに、この川のように絶えることなく、この山のようにいよいよ次々に、かようにお仕え申しましよう。いつの世までも。

【構成】第一段、アリ通ヒメシタマフラシまで。吉野の宮に行幸されることを敍する。第二段、終りまで。人々もそれぞれの任において永久に奉仕することを述べる。

【釋】多可美久良安麻乃日嗣等天下志良之賣師家類須賣呂伎乃可未能美許等能　タカミクラアマノヒツギトアメノシタシラシメシケルスメロキノカミノミコトノ。以上、大體「獨居（テ）2幄（ノ）裏（ニ）1遙（ニ）聞（キキテ）2霍公鳥（ノ）喧（クヲ）1作（レル）歌」（卷十八、四〇八九）の冒頭に同じ。昔の天皇の意。日本書紀應神天皇の十九年十月の條に、吉野の宮に幸せられたことが見える。それ以來、多くの天皇の行幸が傳えられる。

　安里我欲比賣之多麻布良之　アリガヨヒメシタマフラシ。天皇はという主格を省略している。ラシは、メシを推量しているのだろう。メシは見ルの敬語。句切。

　於能我名負　オノガナオヒ。

　　オノガナトリテ（代初）

　　オノガナオヒ（新訓）

　　――――――――――

　　於能我名負々々《オノガナニナニ》（西）

　　於能我名負名負《オノガナオヒナオヒ》（代精）

　　於能我名負弖《オノガナオヒテ》（略、宣長）

　　於能我名名負《オノガナナオヒ》（古義）

　　於夜能名名負《オヤノナナオヒ》（新考）

(105)　負をニと讀むのは、負荷の義による訓假字とするのであるが、ナニナニでは意を成さない。元暦校本等、名負の下に々々があり、々々を弖の誤りとする略解の宣長説がよいのだろうが、證明はない。類聚古集には々々がない。今これによる。句の意は、何部というように、職掌その他由縁のある名を負うての意と解せられる。

　麻氣能麻久々々　マケノマクマク。

　　マケノマクマク（新訓）

　　――――――――――

　　麻氣能麻尓麻尓《マケノマニマニ》（考）

　マクマクは、澤瀉博士は、家持が「天雲之《アマクモノ》　行莫莫《ユキノマクマク》（卷十三、三二七二）を誤讀したによるとしている。マクマクは、動詞マクを重ねたもので、そのマクは、マケと同語であろう。それで任命したに任かせての意を成すものであろう。上にオノガオヘルオノガ名負ヒと、同語を重ねたのに對して、意識して同語を重ねて呼應したものと考えられる。動詞の終止形を重ねて進行を表示するものには「於久乎可奴加奴《オクヲカヌカヌ》」（卷十四、三四八七）などあり、この形で副詞句を作る。

　此河能多由流許等奈久　コノカハノタユルコトナク。コノ河は譬喩の提示。この句以下、柿本の人麻呂の吉野の宮の歌の句を受けている。

　此山能伊夜都藝都藝尓　コノヤマノイヤツギツギニ。コノ山は譬喩の提示。山のように續いてで、山の連亙しているのに寄せている。

【評語】何等吉野の宮の特色を描いていない。どこの宮でもよい作である。人麻呂の作などに刺戟されて作つており、その影響も受けているが、上すべりのした實のない作になつているのは、儲作歌であることも、その原因である。末尾も類型的で、新味は全くない。

　

4099　いにしへを　思ほすらしも。

(106)　わご大君、

　吉野《よしの》の宮を　あり通《がよ》ひ見《め》す。

　

　伊尓之敝乎《イニシヘヲ》　於母保須良之母《オモホスラシモ》

　和期於保伎美《ワゴオホキミ》

　余思努乃美夜乎《ヨシノノミヤヲ》　安里我欲比賣須《アリガヨヒメス》

　

【譯】昔をお思いになるらしい。わが大君は、吉野の宮を、お出でになつて御覽になる。

【釋】安里我欲比賣須　アリガヨヒメス。長歌の、アリ通ヒ見シタマフラシを約して一句としている。このメスは助動詞ではなく、見ルの敬語として使われている。

【評語】長歌の前半を約言したものである。ただ行幸の意を、古ヲ思ホスラシとし、アリ通ヒ見スの方は、推量にしないのが變わつている點である。

　

4100　もののふの　八十氏人も、

　吉野河　絶ゆることなく

　仕へつつ見む。

　

　物能乃布能《モノノフノ》　夜蘇氏人毛《ヤソウジビトモ》

　與之努河波《ヨシノガハ》　多由流許等奈久《タユルコトナク》

　都可倍追通見牟《ツカヘツツミム》

　

【譯】部族の多くの人も、吉野川の絶えないように、絶えずに仕えながら見よう。

【釋】與之努河波　ヨシノガハ。枕詞として使われているが、五句の見ムに對しては、その直接の目標になつている。

【評語】　これも長歌の後半を要約したものである。反歌の第一では、天皇について述べ、ここでは八十氏人について述べているのが、全體としては、意のある所である。八十氏人モというのは、第一首を受けているのである。

　

(107)爲v贈2京家1願2眞珠1歌一首　并2短歌1

　

京の家に贈らむがために、眞珠を願ふ歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】爲贈京家　ミヤコノイヘニオクラムガタメニ。京の家は、奈良の京にある大伴氏の家をいう。そこに妻の坂上の大孃がいたようである。

　願眞珠歌　シラタマヲネガフウタ。眞珠は、倭名類聚紗に「日本紀私記（ニ）云（フ）、眞珠、之良太麻《シラタマ》」とある。今の眞珠に同じ。

　

4101　珠洲《すす》の海人《あま》の、

　沖つ御神《みかみ》に　い渡りて

　潜《かづ》き採《と》るといふ、

　鰒珠《あはびたま》》　五百箇《いほち》もがも。」

　はしきよし　妻の命の、

　衣手の　別れし時よ、

　ぬばたまの　夜床《よどこ》片こり、

　朝寢髪　掻《か》きも梳《けづ》らず、

　いでて來《こ》し　月日｜數《よ》みつつ、

　歎くらむ　心｜慰《なぐさ》よ、

(108)　ほととぎす　來鳴く五月《さつき》の

　菖蒲草　花橘に

　貫《ぬ》き交《まじ》へ　蘰《かづら》にせよと、

　包みて遣《や》らむ。」

　

　珠洲乃安麻能《ススノアマノ》

　於伎都美可未尓《オキツミカミニ》　伊和多利弖《イワタリテ》

　可都伎等流登伊布《カヅキトルトイフ》

　安波妣多麻《アハビタマ》　伊保知毛我母《イホチモガモ》

　波之吉餘之《ハシキヨシ》　都麻乃美許登能《ツマノミコトノ》

　許呂毛泥乃《コロモデノ》　和可禮之等吉欲《ワカレシトキヨ》

　奴婆玉乃《ヌバタマノ》　夜床加多古里《ヨドコカタコリ》

　安佐祢我美《アサネガミ》　可伎母氣頭良受《カキモケヅラズ》

　伊泥?許之《イデテコシ》　月日余美都追《ツキヒヨミツツ》

　奈氣久良牟《ナゲクラム》　心奈具佐尓《ココロナグサニ》

　保登等藝須《ホトトギス》　伎奈久五月能《キナクサツキノ》

　安夜女具佐《アヤメグサ》　波奈多知婆奈尓《ハナタチバナニ》

　奴吉麻自倍《ヌキマジヘ》　可頭良尓世餘等《カヅラニセヨト》

　都追美?夜良牟《ツツミテヤラム》

　

【譯】珠洲の海人が、沖のおそろしい處に渡つて、水にくぐつて採るという眞珠をたくさん欲しいものだ。最愛の妻の君が、衣の袖をわかつた時から、くらい夜の床を一方に寄り、朝の寢起きの髪をくしけずらず、自分の出て來た月日を數えながら、歎息しているだろう心の慰めだ。ほととぎすの來て鳴く五月の、あやめ草や橘の花に、緒につらぬき交えて蘰になさいと、包んで遣りましように。

【構成】第一段、五百箇モガモまで。眞珠をたくさん欲しいことを述べる。第二段、終りまで。自分を待つている妻のもとに、それを贈ろうと思うことを述べる。

【釋】珠洲乃安麻能　ススノアマノ。ススは、能登半島の突端の地。郡名となつている。眞珠を採る海人は、多くは隣郡の鳳至《ふげし》郡の輪島市に住んでおり、能登半島の沖の七つ島、及び更に北方の舳倉島《へくらじま》に渡つて、潜水漁業をする由である。

　於伎都美可未尓　オキツミカミニ。オキツミカミは、沖つ御神で、神靈の感じられる沖の島をいう。延喜式神名の邊津比�刀sヘツヒメ》神社は七つ島にあり、奧津比�刀sオキツヒメ》神社は、舳倉島にある。

　安波妣多麻　アハビタマ。アワビの玉。眞珠のこと。

　伊保知毛我母　イホチモガモ。イホチは、五百筒、數の多いこと。「袁登賣能《ヲトメノ》　伊加久流袁加袁《イカクルヲカヲ》　加那須岐母《カナスキモ》　伊本知母賀母《イホチモガモ》　須岐婆奴流母能《スキバヌルモノ》」（古事記一〇〇）。句切。

(109)　夜床加多古里　ヨドコカタコリ。カタコリは不明の語。代匠記に古を左の誤りとしてカタサリとしている。タサリならば、夜の床を片方に寄る意である。床をはなれて。「敷細之《シキタヘノ》　枕片去《マクラカタサリ》　夢所v見來之《イメニミエコシ》」（卷四、六三三）。　伊泥?許之月日余美都追　イデテコシツキヒヨミツツ。家持が出て來た月日を、何月何日だと數えながら。

　心奈具佐余　ココロナグサヨ。代匠記初稿本に余を尓の誤りとしているが、根據はなく、歌意からしてもヨの方がよい。ヨは、指定の助詞。心なぐさめだ。句切。

【評語】眞珠を欲する情から出た歌であり、比較的短くもあるので、よくまとまつている。歌い起しも仰山でなくてよい。玉の緒につらぬいて蘰にせよというのは、類型的だが、眞珠の歌だけに、自然であり、やむを得ない所ででもあろう。

　

4102　白玉を　包みて遣《や》らば、

　あやめ草　花橘に

　合《あ》へも貫《ぬ》くがね。

　

　白玉乎《シラタマヲ》　都々美?夜良婆《ツツミテヤラバ》

　安夜女具佐《アヤメグサ》　波奈多知婆奈尓《ハナタチバナニ》

　安倍母奴久我祢《アヘモヌクガネ》

　

【譯】白玉を包んでやつたら、アヤメ草や橘の花にまぜて玉の緒につらぬくだろう。

【釋】白玉乎　シラタマヲ。シラタマは、眞珠をいう。

　安倍母奴久我祢　アヘモヌクガネ。アヘは、合へで交える意。「保等登藝須《ホトトギス》　許惠尓安倍奴久《コヱニアヘヌク》　多麻爾母我《タマニモガ》」（卷十七、四〇〇六）のアヘヌクの中間にモを入れた形である。

【評語】長歌の末を約言している。この歌だけ見れば、若干の情趣を見られる歌である。反歌と題していないが、草稿だろうからことわらないのであろう。

　

(110)4103　沖つ島　い行き渡りて

　潜《かづ》くちふ

　鰒珠《あはびたま》もが。

　包みて遣らむ。

　

　於伎都之麻《オキツシマ》　伊由伎和多里弖《イユキワタリテ》

　可豆久知布《カヅクチフ》

　安波妣多麻母我《アハビタマモガ》

　都々美弖夜良牟《ツツミテヤラム》

　

【譯】沖の島に行つて渡つて潜つて採るという眞珠が欲しい。包んでやろうに。

【釋】於伎都之麻　オキツシマ。長歌の、沖ツミ神を、語を變えて言つている。これで作者の意中の、眞珠の産地が、能登半島の沖の諸島であることが確かめられる。

　可豆久知布　カヅクチフ。チフは、トイフの約言。連體形。

【評語】長歌の内容を要約しただけである。長歌に對しては、音韻の反復の效果があるだけである。長歌に、沖ツミ神に渡ると言つているのは、神秘感を伴なうが、ここに沖ツ島と言つているのは、それに比して現實感が多い。

　

4104　吾妹子が　心なぐさに

　遣《や》らむため、

　沖つ島なる　白玉もがも。

　

　和伎母故我《ワギモコガ》　許己呂奈久佐尓《ココロナグサニ》

　夜良無多米《ヤラムタメ》

　於伎都之麻奈流《オキツシマナル》　之良多麻母我毛《シラタマモガモ》

　

【譯】わたしの妻の心なぐさめに遣るために、沖の島の白玉が欲しいなあ。

【評語】重ねてここにも長歌の内容を繰り返している。これでは全體として退屈をまぬかれ得ない。

　

(111)4105　白玉の　五百《いほ》つ集《つど》ひを

　手に結び、

　遣《おこ》せむ海人《あま》は　むかしくもあるか。

　

　思良多麻能《シラタマノ》　伊保都追度比乎《イホツツドヒヲ》

　手尓牟須妣《テニムスビ》

　於許世牟安麻波《オコセムアマハ》　牟賀思久母安流香《ムカシクモアルカ》

　

【譯】白玉のたくさんの集まりを手に握つて、よこす海人は、なつかしく思われることだなあ。

【釋】伊保都追度比乎　イホツツドヒヲ。イホツは、多數であることを示す。ツは助詞であろう。「朝獵爾《アサカリニ》　伊保都登里多?《イホツトリタテ》」（卷十七、四〇一一）などのイホツに同じ。

　手尓牟須妣　テニムスビ。ムスビは、手で掬い取るをいう。類聚名義抄、掬にムスブの訓がある。「石流《イハソソク》　垂水々乎《タルミノミヅヲ》　結飲都《ムスビテノミツ》」（卷七、一一四二）。

　於許世牟安麻波　オコセムアマハ。オコセムは、遣わそうで、こちらに渡す意である。

　牟賀思久母安流香　ムカシクモアルカ。ムカシクは、親しむべく、好感がもてる意の形容詞。動詞向クから轉成して、そちらに向かうことが望ましい意になるのであろう。日本靈異記訓釋、幸にムカシクモとある。オムカシ、ウムカシともいう。アルカは、あるかなの意。

【評語】ここに至つて、わずかに長歌の意を離れているが、それも長歌の、アハビ珠五百箇モガモの句を擴大したに過ぎない。しかし多少變わつた詞句を使用しており、ともかくも長歌の反歌としてふさわしい作になつている。

　

一云、我家牟伎波母《ワギヘムキハモ》

　

一は云ふ、我家むきはも。

　

(112)【釋】我家牟伎波母　ワギヘムキハモ。前の短歌の、五句の別傳とは見られるが、文字に誤謬があるものの如く、このままでは意を成さぬようである。古くは細井本にワカケムキハモの訓があるが意を成さない。元暦校本、類聚古集に伎の字の無いのによらば、――ケムハモで、ケまで形容詞、ムは助動詞、ハモは助詞で、ムカシケムハモなどであろうか。

　

右、五月十四日、大伴宿祢家持、依v興作

　

右は、五月十四日、大伴の宿禰家持の、興に依りて作れる。

　

【釋】依興作　メヅルココロニヨリテツクレル。興は感興である。たまたま眞珠の數顆を見て、更に多數を欲する心を起したのだろう。

　

教2喩史生尾張少咋1歌一首　并2短歌1

　

史生尾張の少咋に教へ喩せる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】教喩史生尾張少咋歌　フミカクヒトヲハリノヲクヒニヲシヘサトセルウタ。史生は、國の史生で、最下位の役。書記。尾張の少咋は傳未詳。歌中に奈良に妻のいたことが述べられているから、この人も奈良から下つた人であろう。教喩という事情は、次の序および歌詞によつてあきらかである。尾張の少咋が、遊行女婦の左夫流《さぶる》兒という者に溺れて本妻を忘れたのを教えさとすのである。

　

七出例云、

但犯2一條1、即合v出之。無2七出1、輙弃者、徒一年半。

　

(113)七出の例に云ふ、

但し一條を犯せらば、すはなち出すぺし。七出無くてたやすく棄《す》つる者は、徒《づ》一年半。

　

【釋】七出例云　シチスチノタメシニイフ。次の文意によるに、律の文を引いている。律逸文（新訂増補國史大系）戸婚律に法曹至要抄、戸令御抄によつて、次の文を掲げている。「妻七出及び義絶の?無くして出す者は、徒《づ》一年。七出を犯すと雖ども、三不去有りて出す者は、杖八十、追ひ還して復せしむ。若し惡疾及び姦を犯せる者、この律を用ゐざれ」（もと漢文）文章に相違があるのは、律の文によらないで、他書によつたためであろう。七出は、戸令義解に「凡そ妻を棄つるに七出の?あるべし。一は子無き、二は婬?、三は舅姑に事へざる、四は口舌、五は盗竊、六は妬忌、七は惡疾。皆夫手書して棄つ。尊屬近親と同署せよ。若し書を解《し》らざるは指を畫して記とせよ。妻棄つる?ありといへども三の去らざる有り。一は舅姑の喪を持するを經たる、二は娶る時賤しく後に貴き、三は受くる所あり歸す所なき。すなはち義絶婬?惡疾を犯せるは、この令に拘はらざれ」（もと漢文）とある。

　犯一條　ヒトツヲヲカセラバ。七出のうち、その一つを犯したならば。

　徒一年半　ヅイチネニハニ。徒は刑罰の一。その法は、獄令に「凡そ徒を犯し居役に配すべき者、畿内は京師に送れ。外に在りて當の處の官役に供へ、其の流を犯して居作に住すべき者もまた此に准ぜよ。婦人は縫作及び舂に配せよ」（もと漢文）とあるので、その大體が知られる。名例律の目録に「笞罪五、杖罪五、徒罪五、流罪三、死罪二」とあり、徒罪の五は一年、一年半、二年、二年半、三年の五種である。

　

　三　不去云、

　雖v犯2七出1、不v合v弃之。違者杖一百。唯犯v※［（女／女）＋干］惡疾、得v弃之。

　

(114)　三不去に云ふ、

　七出を犯すとも棄つべからず。違《たが》へる者は杖一百。ただ※［（女／女）＋干］を犯せると惡疾とは棄つることを得。

　

【釋】三不去云　サムフコニイフ。三不去は、前項に引用した令の文中にある。次の文は、同じく前項に引用した戸婚律の文に近い。

　杖一百　ツヱヒトモモ。杖は杖罪で、杖をもつて罪人を打つ罪である。杖一百は、枚罪五のうちもつとも重いものである。杖の製法は、獄令に「凡そ杖は皆節目を削り去る。長さ三尺五寸。訊囚及び常行の杖は、大頭徑四分、小頭三分」（もと漢文）とある。

　

兩妻例云、

有v妾更娶者、徒一年、女家杖一百離之。

　

兩の妻の例に云ふ、

妻あり更に娶る者は、徒一年、女家は杖一百して離て。

　

【釋】兩妻例云　フタリノメノタメシニイフ。これも律によつているのだろうが、他書にも見えない。

　女家　ニヨケ。婦人に同じ。

　

詔書云、

愍2賜義夫節婦1。

　

詔書に云ふ、

義夫節婦を愍《あはれ》み賜《た》ぶ。

　

(115)【釋】詔書云　ミコトノリブミニイフ。何時の詔書であるかあきらかでない。しかしこの意味のことは、代々の詔書に、しばしば見えている。その意を採つて文を書いたのだろう。

　

謹案先件數條、建v法之基、化v道之源也。然則義夫之道、情存v無v別、一家同v財、豈有2忘v舊愛v新之志1哉。所以綴2作數行之歌1、令v悔2弃v舊之惑1。其詞曰、

　

謹みて案《かむが》ふるに、先の件《くだり》の數條は、法を建つる基、道に化《おもむ》くる源なり。然らば、義夫の道は、情、別なきに存す。一つの家に財を同《とも》にし、あに舊きを忘れ、新しきを愛づる志あらめや。このゆゑに數行の歌を綴り作《な》し、舊きを棄つる惑ひを悔いしむ。その詞に曰はく、

　

【釋】一家同財　ヒトツノイヘニタカラヲトモニシ。一家はその所有物を共有にする意であろう。

　忘舊愛新之志　フルキヲワスレアラタシキヲメヅルココロザシ。古い妻を忘れて、新しい女を愛する心。ここは妻について云つている。

　

4106　大己貴《おほなむち》　少彦名《すくなびこな》の

　神代より　言ひ繼ぎけらし。

　父母を　見れば尊く、

　妻子《めこ》見れば　愛《かな》しく愍《めぐ》し。

　うつせみの　世の理《ことわり》と、

　かく樣《さま》に　言ひけるものを、

(116)　世の人の　立つる言立《ことだて》、

　ちさの花　咲ける盛りに、

　はしきよし　その妻の兒と、

　朝｜夕《よひ》に　笑《ゑ》みみ笑《ゑ》まずも、

　うち歎き　語りけまくは、

　永久《とこしへ》に　かくしもあらめや。

　天地の　神こと寄せて、

　春花の　盛りもあらむと、

　待たしけむ　時の盛りぞ、

　離《はな》り居て　嘆かす妹が、

　何時《いつ》しかも　使の來《こ》むと、

　待たすらむ　心さぶしく、

　南風《みなみ》吹き　雪｜消《げ》まさりて、

　射水《いみづ》河　流る水沫《みなわ》の

　よるべ無み　さぶるその兒に、

　紐の緒の　いつがり合ひて、

　鳰鳥《にほどり》の　二人雙《なら》び坐《ゐ》、

(117)　奈呉《なご》の海の　沖を深めて

　惑《さど》はせる　君が心の、

　術《すべ》もすべ無さ【さぶるといふは、遊行女婦の字なり。】

　

　於保奈牟知《オホナムチ》　須久奈比古奈野《スイクナビコナノ》

　神代欲里《カミヨヨリ》　伊比都藝家良久《イヒツギケラシ》

　父母乎《チチハハヲ》　見波多布刀久《ミレバタフトク》

　妻子見波《メコミレバ》　可奈之久米具之《カナシクメグシ》

　宇都世美能《ウツセミノ》　余乃許等和利止《ヨノコトワリト》

　可久佐末尓《カクサマニ》　伊比家流物能乎《イヒケルモノヲ》

　世人能《ヨノヒトノ》　多都流許等太弖《タツルコトダテ》

　知左能花《チサノハナノ》　佐家流沙加利尓《サケルサカリニ》

　波之吉余之《ハシキヨシ》　曾能都末能古等《ソノツマノコト》

　安沙余比尓《アサヨヒニ》　惠美々惠末須毛《ヱミミヱマズモ》

　宇知奈氣支《ウチナゲキ》　可多里家末久波《カタリケマクハ》

　等己之部尓《トコシヘニ》　可久之母安良米也《カクシモアラメヤ》

　天地能《アメツチノ》　可未許等余勢天《カミコトヨセテ》

　春花能《ハルバナノ》　佐可里裳安良牟等《サカリモアラムト》

　末多之家牟《マタシケム》　等吉能沙加利曾《トキノサカリゾ》

　波奈利居弖《ハナリヰテ》　奈介可須移母我《ナゲカスイモガ》

　何時可毛《イツシカモ》　都可比能許牟等《ツカヒノコムト》

　末多須良无《マタスラム》　心左夫之苦《ココロサブシク》

　南吹《ミナミフキ》　雪消益而《ユキゲマサリテ》

　射水河《イミヅガハ》　流水沫能《ナガルミナワノ》

　余留弊奈美《ヨルベナミ》　左夫流其兒尓《サブルソノコニ》

　比毛能緒能《ヒモノヲノ》　移都我利安比弖《イツガリアヒテ》

　尓保騰里能《ニホドリノ》　布多理雙坐《フタリナラビヰ》

　那呉能宇美能《ナゴノウミノ》　於支乎布可米天《オキヲフカメテ》

　左度波世流《サドハセル》　支美我許己呂能《キミガココロノ》

　須敝母須敝奈佐《スベモスベナサ》【言2佐夫流1者、遊行女婦之字也】

　

【譯】大己貴少彦名の神代から言い繼いで來たらしい。父母を見れば貴く、妻子を見ると憐まれ愛せられる。人生の道理と、かように言い來たものを、世の人の言い立てることに、チサの花の咲いている盛りに、愛すべきその妻と、朝夕に笑つたり笑わなかつたりして、歎息して語つたであろうことは、永久にかようではあるまい。天地の神が言葉を下して、春の花のような盛んなこともあるだろうと、待つておられたであろう時の最中だ。離れていて歎いておられる妻が、何時になつたら使が來るだろうかと待つているだろう心が氣の毒にも、南風が吹いて雪が消え増さつて射水川を流れる水の泡の寄る邊がないように漂つているあの子に、紐の緒のように結び合つて、鳰鳥のように二人竝んでいて、奈呉の海の沖のように、心の底から迷つている君の心の、何ともしかたのないことだ。

【構成】全篇一文。文の切目はあるが、意は切れないで續いている。

【釋】於保奈牟知須久奈比古奈野　オホナムチスクナビコナノ。大己貴の神と少彦名の神とで、古代を表示するために擧げている。神代の説明に、家持はまた、「天照らす神の御代より」（卷十八、四一二五）とも言つている。助詞ノに野の字を使つている。

　伊比都藝家良之　イヒツギケラシ。言い繼いで來たことが、神代からだろうというので、ラシを使用する。

　父母乎見波多布刀久妻子見波可奈之久米具之　チチハハヲミレバタフトクメコミレバカナシクメグシ。カナシクは、感動する?にあるをいい、メグシは、これを見て心の晴れ晴れとしない?にあるをいう。兩者で愛憐(118)される意をあらわしている。この數句は、山上の憶良の「惑へる情を反さしむる歌」（卷五、八〇〇）の「父母乎《チチハハヲ》　美禮婆多布斗斯《ミレバタフトシ》　妻子美禮婆《メコミレバ》　米具斯宇都久志《メグシウツクシ》　余能奈迦波《ヨノナカハ》　加久敍許等和理《カクゾコトワリ》」の句を受けている。句切であるが、言繼の内容としての次の、世ノコトワリまで續く。

　世人能多都流許等太弖　ヨノヒトノタツルコトダテ。世人の立てる辭立を、この尾張の少咋もする意。以下がその内容である。

　知左能花　チサノハナ。チサは、ヤマヂサ。エゴノキとされている。エゴノキは、夏の頃、小さい白い花がむらがり咲く。この歌の作られた季節の花である。しかし「山萵苣《ヤマチサノ》　白露重《シラツユシゲミ》」（卷十一、二四六九）につき、脇屋眞一君（群馬縣吾妻郡）の來書に、クスノキ科のダンコウバイに、ヤマジシヤの方言があり、これかという。その歌の條參照。

　曾能都末能古等　ソノツマノコト。コは愛稱。ツマノコは、妻をいう。尾張の少咋が、その妻とである。

　惠美々惠末須毛　ヱミミヱマズモ。笑みてもまた笑まずても。下文の内容は暗く、笑まずの方に重點のあることが知られる。

　可多里家末久波　カタリケマクハ。語りけむことは。

　等己之部尓可久之母安艮米也　トコシヘニカクシモアラメヤ。以下春花ノ盛リモアラムまでが語つたことの内容である。當時二人は窮?にあつて歎いていたので、永久にかようにはあるまいと言つている。獨立文。

　天地能可未許等余勢天　アメツチノカミコトヨセテ。天地ノ神辭寄セテで、神が言を寄せて都合よくする意。ここは神意によつて運命が開けて。「天地《アメツチノ》　神祇辭困而《カミコトヨセテ》」（卷四、五四六）。

　春花能　ハルバナノ。枕詞。

　佐可里裳安良牟等末多之家牟　サカリモアラムトマタシケム。諸本に牟等末の三字がなく、京都大學本にお(119)ける禁裏御本の校異によつて補つている。この三字がなくては解しにくい所である。マタシは待ツの敬語。ケムは連體形。

　等吉能沙加利曾　トキノサカリゾ。待つている時の盛んな時の意で、待つている盛りにである。句切。

　波奈利居弖　ハナリヰテ。諸本に奈利の二字が無い。新訓にハナリヰテとするによる。考は波を放の誤りとしている。それで別れて少咋は越中に下り、妻は奈良に留まつていたのである。

　都可比能許牟等　ツカヒノコムト。少咋から迎えの使の來るのを、早く早くと待つのである。

　心左夫之苦　ココロサブシク。妻の心が慰まないことにはの意の副詞句で、次の句以下の全部を修飾する。「思多呉非尓《シタゴヒニ》　伊都可聞許武等《イツカモコムト》　麻多須良牟《マタスタム》　情左夫之苦《ココロサブシク》」（卷十七、三九六二）。

　雪消益而　ユキゲマサリテ。

　　ユキキエマシテ（西）

　　ユキゲハフリテ（古義）

　　――――――――――

　　雪消溢而《ユキゲマサリテ》（代初書入）

　　雪消溢而《ユキゲハフリテ》（略）

　下の「久米の廣繩を迎ふる宴の歌」（卷十八、四一一六）に「射水河《イミヅガハ》　雪消溢而《ユキゲハフレテ》」とあるによれば、古義にいうように益は溢の省畫とも解せられるが、益の字義によつても解せられないでもない。南風が吹いて、雪が消えて水かさが増しての意である。

　流水沫能余留弊奈美　ナガルミナワノヨルベナミ。南吹キからこの句までサブルというための序。水の沫が寄る方がなくて浮かれ漂う意にサブルに續く。流ルの連體形が、三音節の處に使用されている例には「墮多藝知《オチタギチ》　流薛田乃《ナガルサキタノ》　河瀬爾《カハノセニ》」（卷十九、四一五六）がある。これらは共にナガルと讀むべきものだろう。この語は、流ラフの如き語を構成するを見れば、古くは四段にも活用していたのだろう。

　左夫流其兒尓　サブルソノコニ。サブルは、「眞十鏡《マソカガミ》　見不v飽君爾《ミアカヌキミニ》　所v贈哉《オクレテヤ》　旦夕爾《アシタユフベニ》　左備乍將v居《サビツツヲラム》」（卷(120)四、五七二）のサビと同語とすれば、上二段活である。日本靈異記興福寺本、上卷第二條の訓釋に「窈窕　上音要（ノ）反下音調（ノ）反、二合｜佐備《サビ》」とある。窈窕は詩經にある字で、註に「窈窕（ハ）幽間也」とある。また妖冶の貌とも深遠の貌ともある。サブルは、歌の終りの自註にあるように、遊行女婦の名なのだから、もと惡い意味の語ではなく、窈窕たる兒というほどの意だろうが、ここでは、流ル水沫ノ寄ル邊無ミを受けて、わびしくある意に使つているのだろう。「ももしきにさぶるをとめの袖の色も君し染めねばいかがとぞ見る」（うつぼ物語菊の宴）。

　比毛能緒能　ヒモノヲノ。枕詞。紐の緒のように繋がると續く。

　移都我利安比弖　イツガリアヒテ。イツガリは、連繋する。「紐兒爾《ヒモノコニ》　伊都我里座者《イヅガリヲレバ》　革流波吾家《カハルハワギヘ》」（卷九、一七六七）。

　尓保騰里能　ニホドリノ。枕詞。

　那呉能宇美能於支乎布可米天　ナゴノウミノオキヲフカメテ。心の底深くの譬喩。

　左度波世流　サドハセル。迷フの意の動詞サドフの敬語に、助動詞リの接續した形。サドフはマドフに同じく、迷う意であるという。マドフのマは目の意だろうが、サドフの語義は不明。

　須敝母須敝奈佐　スベモスベナサ。何とも術のないことをあらわしている。「伊毛我己許呂乃《イモガココロノ》　須別毛須別那左《スベモスベナサ》」（卷五、七九六）。

【評語】人生の一つの出來事をとらえたのは、珍しい著眼で、特殊の題材である。夫婦あい語らつて將來を期して別れたが、その意を忘れて男が遊行女婦に溺れているという敍述の經過もよい。諸國に遊行女婦が存在して旅の人の心を慰めていたからには、自然に起る問題であろう。家持がかような教訓ものに手を染めたのは、山上の憶良の「惑へる情を反さしむる歌」（卷五、八〇〇）の影響を受けていることはあきらかで、詞句にもその歌から得ているものがある。しかし歌そのものは、憶良の作ほどに道學的でなく、事件に興味を感じている。(121)詞句には、同語、同型の重出が、目立つて、精練を缺いている。

　

反歌三首

　

4107　あをによし　奈良にある妹が

　高高《たかだか》に　待つらむ心、

　然《しか》にはあらじか。

　

　安乎尓與之《アヲニヨシ》　奈良尓安流伊毛我《ナラニアルイモガ》

　多可々々尓《タカダカニ》　麻都良牟許己呂《マツラムココロ》

　之可尓波安良司可《シカニハアラジカ》

　

【譯】美しい奈良にある妻が、首を伸ばして待つているだろう心、そうではないのか。

【釋】安乎尓興之　アヲニヨシ。枕詞。

　多可々々尓　タカダカニ。心から待つているさまの形容。

　之可尓波安良司可　シカニハアラジカ。そうではないかと念をおす詞。この歌では上の記事を肯定している。「惑へる情を反さしむる歌」の「可爾迦久爾《カニカクニ》　保志伎麻爾麻爾《ホシキマニマニ》　斯可爾波阿羅慈迦《シカニハアラジカ》」（卷五、八〇〇）によつているが、この方は、上の記事を否定しており、用法が違つている。

【評語】妻の待つ心を擧げて念をおしている。「惑へる情を反さしむる歌」の句を受けており、ここにもこの歌を詠むに至つた動機が示されている。少咋の妻が奈良にいたというのは、話で聞いていたのだろう。

　

4108　里人の　見る目はづかし。

　左夫流兒《サブルコ》に　惑《さど》はす君が

　宮出後《みやでしり》ぶり。

　

　左刀妣等能《サトビトノ》　見流目波豆可之《ミルメハヅカシ》

　左夫流兒尓《サブルコニ》　佐度波須伎美我《サドハスキミガ》

　美夜泥之理夫利《ミヤデシリブリ》

　

(122)【譯】里人の見る目が恥ずかしい。左夫流兒に迷つておられる君の、出勤する後姿は。

【釋】左夫流兒尓　サブルコニ。サブルコは、遊行女婦の名。

　佐度波須伎美我　サドハスキミガ。サドハスは、長歌に「左度波世流」と使つてある語。

　美夜泥之理夫利　ミヤデシリブリ。ミヤデは宮出。宮殿に出ることだが、ここは國府に出勤することを言つている。シリブリは、うしろ姿。「宮出毛爲鹿《ミヤデモスルカ》　作日之隈廻乎《サヒノクマミヲ》」（卷二、一七五）。

【評語】實際に感じたことを歌つていておもしろい。特殊の語を使用して、特色のある歌を成している。里人が、遊行女婦に迷つている史生のうしろ姿を指さして笑つているだろうという、ありそうな事が描かれている。

　

4109　紅は　うつろふものぞ。

　つるばみの　なれにし衣《きぬ》に

　なほ若《し》かめやも。

　

　久禮奈爲波《クレナヰハ》　宇都呂布母能曾《ウツロフモノゾ》

　都流波美能《ツルバミノ》　奈禮尓之伎奴尓《ナレニシキヌニ》

　奈保之可米夜母《ナホシカメヤモ》

　

【譯】紅は變色するものですよ。ツルバミに染めた馴れた著物に、やはり及ばないだろう。

【釋】久禮奈爲波　クレナヰハ。クレナヰは、ベニバナを染料とした色をいい、美しいが色のさめやすいのが缺點である。正倉院御物の卷物の中に、クレナヰに染めた紙と思われるのがあるのだが、重ねてついだ下の紙の紙端にわずかにその痕が窺われるだけで、ほとんど白紙になつている。この歌では、左夫流兒を譬えている。

　都流波美能　ツルバミノ。ツルバミは、ドングリで染めた色。これは褪色しない。時を經ると、かえつて黒みを増すほどである。

　奈禮尓之伎奴尓　ナレニシキヌニ。ナレニシは、褻れにしで、著古した意。

【評語】クレナヰの美しい衣をもつて新人を譬え、ツルバミの著古した衣をもつて舊人を譬えるのは、從來も(123)ある思想だが、これに對比して一首にまとめたのが手段といえるだろう。譬喩をもつて、巧みに思う所を述べている。

　

右、五月十五日、守大伴宿祢家持作之

　

先妻不v待2夫君之喚使1、自來時作歌一首

　

先の妻《め》、夫《せ》の君《きみ》の喚使《めしづかひ》を待たず、みづから來りし時作れる歌一首。

　

【釋】先妻　サキノメ。尾張の少咋が奈良に置いて來た妻である。

　

4110　左夫流兒《さぶるこ》が　いつきし殿に、

　鈴掛けぬ　驛馬《はゆま》下《くだ》れり。

　里もとどろに。

　

　左夫流兒我《サブルコガ》　伊都伎之等乃尓《イツキシトノニ》

　須受可氣奴《スズカケヌ》　波由麻久太禮利《ハユマクダレリ》

　佐刀毛等騰呂尓《サトモトドロニ》

　

【譯】左夫流兒が大切に守つていた家に、鈴をかけない驛馬がくだつた。里もとどろくほどに。

【釋】伊都伎之等乃尓　イツキシトノニ。イツキシは、齋キシで、大切にして守つていた意。トノは殿。尾張の少咋の家をいう。防人の歌に「父母我《チチハハガ》　等能々志利弊乃《トノノシリヘノ》」（卷二十、四三二六）とあり、庶民の家にもいうが、なお美稱で、ここは少咋の家を誇張して言つているのであろう。少咋は史生であるから、その公舍だろう。

　須受可氣奴婆由麻久太禮利　スズカケヌハユマクダレリ。スズは驛鈴。ハユマは、ハヤウマの約言、驛馬。諸道に驛馬を置いて、官用の交通に備えており、そのために、公用の旅行者には驛鈴を與えて、その驛馬を使用する證とした。しかし少咋の妻の旅行は、公用ではないから、驛鈴がなく、賃借して驛馬に乘つて下つたの(124)である。句切。

　佐刀毛等騰呂尓　サトモトドロニ。里もひびくほとにで、妻の下つたさまを描いている。

【評語】左夫流兒が同棲して守つている處に、先妻が下つたのだから大さわぎで、そのさまをよく描いている。イツキシ殿という誇張的な言い方もよく效果を示している。里モトドロニは、先妻の來たことを形容して、騷動のさまを想像させている。興味本位の作だが、珍しい歌境をとらえている。

　

同月十七日、大伴宿祢家持作之

　

橘歌一首　并2短歌1

　

橘の歌一首　【短歌并はせたり。】

　

4111　かけまくも　あやにかしこし。

　皇神祖《すめろき》の　神の大御代に、

　田道間守《たぢまもり》　常世《とこよ》に渡り、

　八矛《やほこ》持ち　參出《まゐで》來《こ》し

　時じきの　香《かく》の木の實《み》を、

　かしこくも　遺《のこ》したまへれ、

　國もせに　生《お》ひ立ち榮え、

(125)　春されば　孫枝《ひこえ》萌《も》いつつ、

　ほととぎす　鳴く五月《さつき》には、

　初花を　枝に手《た》折りて

　孃子らに　?《つと》にも遣《や》りみ、

　白栲の　袖にも扱入《こき》れ、

　香細《かぐは》しみ　措《お》きて枯らしみ

　あゆる實《み》は　玉に貫きつつ、

　手に纏《ま》きて　見れども飽かず。

　秋づけば　時雨《しぐれ》の雨｜零《ふ》り、

　あしひきの　山の木末《こぬれ》は、

　紅《くれなゐ》に　にほひ散れども、

　橘の　成れるその實は、

　ひた照りに　いや見が欲《ほ》しく、

　み雪降る　冬に到れば、

　霜置けども　その葉も枯れず、

　常磐《ときは》なす　いや榮《さか》はえに、

　然れこそ　神の御代より、

(126)　よろしなへ　この橘を、

　時じくの　香《かく》の木の實と

　名づけけらしも。

　

4111　可氣麻久母《カケマクモ》　安夜尓加之古思《アヤニカシコシ》

　皇神祖乃《スメロキノ》　可見能大御世尓《カミノオホミヨニ》

　田道間守《タヂマモリ》　常世尓和多利《トコヨニワタリ》

　夜保許毛知《ヤホコモチ》　麻爲泥許之登吉《マヰデコシ》

　登吉時支能《トキジキノ》　香久乃菓子乎《カクノコノミヲ》

　可之古久母《カシコクモ》　能許之多麻敝禮《ノコシタマヘレ》

　國毛勢尓《クニモセニ》　於非多知左加延《オヒタチサカエ》

　波流左禮婆《ハルサレバ》　孫枝毛伊都追《ヒコエモイツツ》

　保登等藝須《ホトトギス》　奈久五月尓波《ナクサツキニハ》

　波都波奈乎《ハツハナヲ》　延太尓多乎理弖《エダニタヲリテ》

　乎登女良尓《ヲトメラニ》　都刀尓母夜里美《ツトニモヤリミ》

　之路多倍能《シロタヘノ》　蘇泥尓毛古伎禮《ソデニモコキレ》

　香具播之美《カグハシミ》　於枳弖可良之美《オキテカラシミ》

　安由流實波《アユルミハ》　多麻尓奴伎都追《タマニヌキツツ》

　手尓麻吉弖《テニマキテ》　見禮騰毛安加受《ミレドモアカズ》

　秋豆氣婆《アキヅケバ》　之具禮乃雨零《シグレノアメフリ》

　阿之比奇能《アシヒキノ》　夜麻能許奴禮波《ヤマノコヌレハ》

　久禮奈爲尓《クレナヰニ》　仁保比知禮止毛《ニホヒチレドモ》

　多知波奈乃《タチバナノ》　成流其實者《ナレルソノミハ》

　比太照尓《ヒタテリニ》　伊夜見我保之久《イヤミガホシク》

　美由伎布流《ミユキフル》　冬尓伊多禮婆《フユニイタレバ》

　霜於氣騰母《シモオケドモ》　其葉毛可禮受《ソノハモカレズ》

　常磐奈須《トキハナス》　伊夜佐加波延尓《イヤサカハエニ》

　之可禮許曾《シカレコソ》　神乃御代欲理《カミノミヨヨリ》

　與呂之奈倍《ヨロシナヘ》　此橘乎《コノタチバナヲ》

　等伎自久能《トキジクノ》　可久能木實等《カクノコノミト》

　名附家良之母《ナヅケケラシモ》

　

【譯】申すこともほんとうに恐れ多い。天皇の神の大御代に、田道間守が常世に渡つて、八本持つて來た、時ならぬに香の高い木の實を、ありがたいことにお殘しになつたので、國いつぱいに生長し榮えて、春になれば孫枝が芽を出し、ホトトギスの鳴く五月には、始めて咲く花を、枝で折つて、娘さんにおみやげをやつたり、白い著物の袖にもこいて入れ、香のよさに置いてからしたり、こぼれるその實は、玉として緒につらぬいて、手に卷いて見ても飽きず、秋になれば時雨の雨が降り、山の木の枝先は、紅に染まつて散るけれども、橘の實のつているその實は、照りに照つていよいよ見ることが願わしく、雪の降る冬になれば、霜が置いてもその葉も枯れずに、固い岩のように一層榮えるので、それだから神の御代からして、ちようどよく、この橘を、その時ならぬ香の高い木の實と名づけたのだろう。

【構成】全篇一文。橘を提示して、これについて四季に分かつて敍述し、初めを受けて結んでいる。

【釋】可氣麻久母安夜尓加之古思　カケマクモアヤニカシコシ。次に垂仁天皇のことを述べるので、それに冠している。句切。

　皇神祖乃可見能大御世尓　スメロキノカミノオホミヨニ。次の事實によるに、垂仁天皇の御代をさしている。

　田道間守　タヂマモリ。人名。日本書紀によれば、日本に歸化した新羅の王子天の日槍《ひほこ》の子｜但馬諸助《たじまのもろすけ》、その子但馬｜日楢杵《ひならき》、その子清彦、その子田道間守とし、古事記では、天の日槍の子孫とすることは同じだが、中間に相違がある。この人が垂仁天皇の命を受けて、常世《とこよ》の國に渡つて、橘を持ち來つたのだが、その時は、天皇(127)が既に崩御された後だつたので、これをその山陵に獻つて死んだと傳えている。

　常世尓和多利　トコヨニワタリ。田道間守の渡つた國としての常世は、橘の樹の生育に適した地であろうが今の何處かわからない。橘は、日本にも野生の自生地があるそうであるが、それを知らないで、海外に求めたのである。

　夜保許毛知　ヤホコモチ。ヤホコは八矛。ヤは多數の意、ホコは棒?のもの。橘の苗である。古事記には、矛八矛縵八縵《ほこやほこかげやかげ》とあり、日本書紀には、八竿八縵《やほこやかげ》とある。

　麻爲泥許之　マヰデコシ。參出來シで、歸國して來たことをいう。七音の句の場處であるが、五音をもつてしているのは破調である。山上の憶良の日本挽歌（卷五、七九四）參照。

　登吉時支能香久乃菓子乎　トキジキノカクノコノミヲ。トキジキノカクノコノミは、橘のこと。トキジキはその時節にあらざるの意。橘が冬季に熟することをいう。カクは、香のあること。この歌の終りに「等伎自久能可久能木實《トキジクノカクノコノミ》」とあり、古事記に「登岐士玖能迦玖能木實《トキジクノカグノコノミ》」とある。トキジは、形容詞類似の活用形を有するものであるが、形容詞は、そのキの形から助詞ノに續くことがない。またこの登吉時支能の文字にも、上の句が七音であるべきに五音であること、時支が字音假字に當てて讀まれること等の不審がある。よつてトキジキノはトキジクの誤りだとする説にも一往の理はあるが、それならば原形は如何ということになると、これは決定されがたいことである。しばらくもとのままとしておくほかはない。

　能許之多麻敝禮　ノコシタマヘレ。タマヘレは已然條件法。「金有等《クガネアリト》　麻宇之多麻敝禮《マウシタマヘレ》」（卷十八、四〇九四）に準じて考えれば、こちらがそうしていただいたのでの意になる。殘して賜わつたので。

　國毛勢尓　クニモセニ。國土も狹いほどに。國土いつぱいに。このクニは、全國の意である。

　波流左禮婆　ハルサレバ。春サレバ、春になれば。以下、四季に分けて敍述する。

(128)　孫枝毛伊都追　ヒコエモイツツ。ヒコエは、枝から出る新しい枝。モイは、萌ユの連用形。萌ユを上二段活としている。「等許爾許伊布之《トコニコイフシ》」（卷十七、三九六二）のコイと同行同活用の形である。

　延太尓多乎理弖　エダニタヲリテ。枝のまま手折つて。

　都刀尓母夜里美　ツトニモヤリミ。?にも遣りなどして。ヤリミは、下のカラシミと對になつている。

　蘇泥尓毛古伎禮　ソデニモコキレ。コキレは、扱キ入レの約言。こいて入れ。枝からこき取つて入れて。「引攀而《ヒキヨヂテ》　袖爾古伎禮都《ソデニコキレツ》」（卷十九、四一九二）。

　於枳弖可良之美　オキテカラシミ。カラシミは、乾ラシミで、ひからびさせたりの意。以上は、初花ヲ枝ニ手折リテを受けて、娘子ラニ?ニモ遣リミと、白栲ノ袖ニモコキレと、香グハシミ置キテカラシミと、三囘にこれを敍している。

　安由流實波　アユルミハ。アユルは、落ちる意。「安要奴我爾《アエヌガニ》　花咲爾家里《ハナサキニケサ》」（卷八、一五〇七）。熟しないで落ちる實をいう。

　秋豆氣婆　アキヅケバ。秋浸ケバは。秋の季節が十分になれば。以下秋の敍述である。

　比太照尓　ヒタテリニ。純粹に照り輝いて。ただ照りに照つて。

　美由伎布流　ミユキフル。枕詞。以下冬の敍述。

　常磐奈須　トキハナス。枕詞。

　伊夜佐加波延尓　イヤサカハエニ。サカハエは、榮映エ。いよいよ榮え輝いて。「府保語茂利《フホゴモリ》　阿伽例廬塢等�刀sアカレルヲトメ》　伊弉佐伽婆曳那《イザサカバエナ》」（日本書紀三五）の例は、別語であろう。

　神乃御代欲理　カミノミヨヨリ。初めの、スメロキノ神ノ大御代を受けている。遠い時代から。

　與呂之奈倍　ヨロシナヘ。よい都合に、ふさわしくも。

(129)【評語】歴史的に敍述を起し、四季によつて橘の美を擧げ、最後に追憶して終つている。この人の作としては珍しく整然たる組織を有している。四季に分けての敍述も、くわしいだけに特色のあることも歌われている。家持の長歌中での佳作である。

　

反歌一首

　

4112　橘は

　花にも實《み》にも　見つれども、

　いや時じくに　猶し見が欲《ほ》し。

　

　橘波《タチバナハ》

　花尓毛實尓母《ハナニモミニモ》　美都禮騰母《ミツレドモ》

　移夜時自久尓《イヤトキジクニ》　奈保之見我保之《ナホシミガホシ》

　

【譯】橘は、花でも實でも見たけれども、いよいよ時節によらずに、一層見たいものだ。

【釋】移夜時自久尓　イヤトキジクニ。花の時、實の時ということなく、いよいよ時ならざる時に。

【評語】時ジクノ香ノ木ノ實という名にたよつて、イヤ時ジクニと置いている。橘を、何時ということなしに見たい心を歌つていう。内容は平凡だが、反歌としては、長歌の四季による敍述を受けて、概括しているものである。

　

閏五月廿三日、大伴宿祢家持作之

　

庭中花作歌一首　并2短歌1

　

庭中の花を見て作れる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

(130)【釋】庭中花作歌　ニハナカノハナヲミテツクレルウタ。見の字はないが、原文のままでは讀みようがない。草稿として、形を整えずに書いているままなのだろう。

　

4113　大君の　遠の朝廷《みかど》と、

　任《ま》きたまふ　官《つかさ》のまにま、

　み雪降る　越《こし》に下《くだ》り來《き》、

　あらたまの　年の五年《いつとせ》、

　敷栲の　手枕《たまくら》纏《ま》かず、

　紐解かず　丸寐をすれば、

　いぶせみと　情《こころ》なぐさに、

　瞿麥《なでしこ》を　屋戸《やど》に蒔《ま》き生《おほ》し、

　夏の野の　さ百合《ゆり》引き植ゑて、

　咲く花を　出で見る毎《ごと》に、

　なでしこが　その花妻《はなづま》に

　さゆり花　後《ゆり》も逢はむと、

　慰むる　心し無くは、

　天《あま》ざかる　鄙に一日も

(131)　あるべくもあれや。

　

　於保支見能《オホキミノ》　等保能美可等々《トホオミカドト》

　末支太末不《マキタマフ》　官乃末尓末《ツカサノマニマ》

　美由支布流《ミユキフル》　古之尓久多利來《コシニクダリキ》

　安良多末能《アラタマノ》　等之乃五年《トシノイツトセ》

　之吉多倍乃《シキタヘノ》　手枕末可受《タマクラマカズ》

　比毛等可須《ヒモトカズ》　末呂宿乎須禮波《マロネヲスレバ》

　移夫勢美等《イブセミト》　情奈具左尓《ココロナグサニ》

　奈泥之故乎《ナデシコヲ》　屋戸尓末枳於保之《ヤドニマキオホシ》

　夏能々之《ナツノノノ》　佐由利比伎宇惠天《サユリヒキウヱテ》

　開花乎《サクハナヲ》　移弖見流其等尓《イデミルゴトニ》

　那泥之古我《ナデシコガ》　曾乃波奈豆末尓《ソノハナヅマニ》

　左由理花《サユリバナ》　由利母安波無等《ユリモアハムト》

　奈具佐無流《ナグサムル》　許己呂之奈久波《ココロシナクハ》

　安末射可流《アマザカル》　比奈尓一日毛《ヒナニヒトヒモ》

　安流部久母安禮也《アルベクモアレヤ》

　

【譯】天皇の命を承わつて、任命される役のままに、雪の降る越の國に下つて來て、立ち變わる年の五年間、柔らかい手枕を枕とせず、著物の紐を解かないで著たままで寢るので、氣が晴れないと、心慰めに、ナデシコを家のそとに蒔いて育て、夏の野のユリを植ゑて、咲く花を出て見るたびに、ナデシコのような、美しい妻に、ユリの花のように、後にも逢おうと、慰める心がないなら、天のように遠い地方に、一日もあるべくもないのだ。

【構成】全篇一文。ナデシコとユリとを植えることを述べ、これに寄せて思いを起している。

【釋】末支太末不　マキタマフ。マキは任ずる。任クは、多く下二段として使用されているが、ここには上二段、もしくは四段として使用されている。支は、キの甲類だから、四段活だろう。四段活の連用形は、甲類の音である。これは「於保支見能《オホキミノ》　末支能末爾々々《マキノマニマニ》」（卷十八、四一一六）と、二例だけである。

　等之乃五年　トシノイツトセ。五年は、國司の任期であるからいう。家持は、天平十八年に下つて來て、今四年目である。

　之吉多倍乃　シキタヘノ。枕詞。枕の枕詞から轉用して、手枕に冠している。

　比毛等可須末呂宿乎須禮波　ヒモトカズマロネヲスレバ。妻無くしてひとり著たままで寢ることをいう。「紐不v解《ヒモトカズ》　丸寐乎爲者《マロネヲスレバ》」（卷九、一七八七）。

　伊夫勢美等　イブセミト。心が晴れないゆえにと。

　夏能々之　ナツノノノ。野を能の字で書いているのは、假字違いである。

　佐由利比伎宇惠天　サユリヒキウヱテ。ヒキは、引き拔いての意。

　那泥之古我曾乃波奈豆末尓　ナデシコガソノハナヅマニ。ナデシコガソノ花と續き、花妻の語を引き出して(132)いる。形式的にいえば、ナデシコガソノまで序になる。ハナヅマは、花のような妻。奈良に殘して來た妻をいう。

　左由理花　サユリバナ。枕詞。

【評語】心を慰めるために花を植えることを敍し、その花を利用して、妻に逢おうと思う心を述べている。巧みな構成をもつており、詞句もよくできている。輕く器用にまとまつている作である。

　

反歌二首

　

4114　なでしこが　花見る毎《ごと》に、

　孃子《をとめ》らが　ゑまひのにほひ、

　思ほゆるかも。

　

　奈泥之故我《ナデシコガ》　花見流其等尓《ハナミルゴトニ》

　乎登女良我《ヲトメラガ》　惠末比能尓保比《ヱマヒノニホヒ》

　於母保由流可母《オモホユルカモ》

　

【譯】ナデシコの花を見るたびに、娘子の笑顔の美しさが思われることだ。

【釋】乎登女良我　ヲトメラガ。ヲトメは、妻をさしている。ラは接尾語。

【評語】長歌の中に歌われている花の、ナデシコとユリとを、それぞれ一首の短歌にしている。この歌は、ナデシコガソノ花妻ニの句を受けている。花を見て妻の笑顔を思うというだけの、類型的な内容の歌である。

　

4115　さゆり花　後《ゆり》も逢はむと

　下延《したは》ふる　心しなくは、

　今日も經めやも。

　

　佐由利花《サユリバナ》　由利母相等《ユリモアハムト》

　之多波布流《シタハフル》　許己呂之奈久波《ココロシナクハ》

　今日母倍米夜母《ケフモヘメヤモ》

　

(133)【譯】ユリの花の名のように、後にも逢おうと思う心がなくては、今日も過ごされないだろう。

【釋】佐由利花　サユリバナ。枕詞。

　之多波布流　シタハフル。心の中でそれからそれへと思う。

【評語】長歌の末尾を短歌にまとめただけの作である。サユリ花の枕詞も、これだけでは一向生きていない。

　

同閏五月廿六日、大伴宿祢家持作

　

國掾久米朝臣廣繩、以2天平廿年1、附2朝集使1入v京。其事畢而、天平感寶元年閏五月廿七日、還2到本任1。仍長官之館、設2詩酒宴1樂飲。於v時主人守大伴宿禰家持作歌一首　并2短歌1

　

國の掾久米の朝臣廣繩、天平の二十年をもちて朝集使につきて京に入り、その事｜畢《をは》りて、天平感寶の元の年｜閏《のち》の五月二十七日本任に還り到りき。よりて長官の館に詩酒の宴を設けて樂飲せり。時に主人守大伴の宿禰家持の作れる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】附朝集使　テウシフシニツキテ。朝集使は、諸國から朝集帳を中央政府に持參する使である。朝集帳は、國内の池溝、官舍、器杖、船舶、驛馬、神社、僧尼等について、一年間の變化を記し、畿内は十月、七道は十一月に太政官に報告することになつている。これによつて諸國の一年間の事情が、中央に通達される。附は、その使の役になつての意。

　長官之舘　カミノヤカタ。國守大伴の家持の舘舍。

　

(134)4116　大君の　任《ま》きのまにまに、

　執《と》り持ちて　仕ふる國の

　年の内の　事かたね持ち、

　玉桙の　道に出で立ち、

　岩根踏み　　山越え野行き、

　都べに　參《ま》ゐしわが夫《せ》を、

　あらたまの　年｜往《ゆ》き還《がへ》り、

　月累ね　見ぬ日さまねみ、

　戀ふるそら　安くしあらねば、

　ほととぎす　來鳴く五月《さつき》の

　あやめ草　蓬《よもぎ》蘰《かづら》き、

　酒宴《さかみづき》　遊び和《な》ぐれど、

　射水河《いみづがは》　雪消《ゆきげ》溢《はふ》れて

　逝《ゆ》く水の　いや増しにのみ、

　鶴《たづ》が鳴く　奈呉江《なごえ》の菅《すげ》の

　懃《ねもころ》に　思ひ結ぼれ、

　歎きつつつ　我《あ》が待つ君が

(135)　事｜畢《をは》り　歸り罷《まか》りて、

　夏の野の　さゆりの花の

　花咲｜《ゑみ》に　にふぶに笑《ゑ》みて、

　逢はしたる　今日を始めて、

　鏡なす　かくし常見む。

　面《おも》がはりせず。

　

　於保支見能《オホキミノ》　末支能末尓々々《マキノマニマニ》

　等里毛知?《トリモチテ》　都可布流久尓能《ツカフルクニノ》

　年内能《トシノウチノ》　許登可多祢母知《コトカタネモチ》

　多末保許能《タマホコノ》　美知尓伊天多知《ミチニイデタチ》

　伊波祢布美《イハネフミ》　也末古衣野由支《ヤマコエノユキ》

　彌夜故敝尓《ミヤコベニ》　末爲之和我世乎《マヰシワガセヲ》

　安良多末乃《アラタマノ》　等之由吉我弊理《トシユキガヘリ》

　月可佐祢《ツキカサネ》　美奴日佐末祢美《ミヌヒサマネミ》

　故敷流曾良《コフルソラ》　夜須久之安良祢波《ヤスクシアラネバ》

　保止々支須《ホトトギス》　支奈久五月能《キナクサツキノ》

　安夜女具佐《アヤメグサ》　余母疑可豆良伎《ヨモギカヅラキ》

　左加美都伎《サカミヅキ》　安蘇比奈具禮止《アソビナグレド》

　射水河《イミヅガハ》　雪消溢而《ユキゲハフレテ》

　逝水能《ユクミヅノ》　伊夜末思尓乃未《イヤマシニノミ》

　多豆我奈久《タヅガナク》　奈呉江能須氣能《ナゴエノスゲノ》

　根毛己呂尓《ネモコロニ》　於母比牟須保禮《オモヒムスボレ》

　奈介伎都々《ナゲキツツ》　安我末川君我《アガマツキミガ》

　許登乎波里《コトヲハリ》　可敝利末可利天《カヘリマカリテ》

　夏野能《ナツノノノ》　佐由里能波奈能《サユリノハナノ》

　花咲尓《ハナヱミニ》　々布夫尓惠美天《ニフブニヱミテ》

　阿波之多流《アハシタル》　今日乎波自米?《ケフヲハジメテ》

　鏡奈須《カガミナス》　可久之都祢見牟《カクシツネミム》

　於毛我波利世須《オモガハリセズ》

　

【譯】天皇の命を承わつて、擔任して勤仕する國の、一年の事を集めて、旅程に上つて、岩を踏み山を越え野を行き、都の方に行つたあなたを、年が改まつて、月を重ねて見ない日が多く、慕う心が安らかでないので、ホトトギスの來て鳴く五月の、アヤメ草やヨモギを蘰にし、酒宴をして遊び慰めるけれども、射水川が雪消で溢れて行く水のように、いや増しにばかり、鶴の鳴く奈呉の江のスゲの根というように、ねんごろに思いが解けず、歎息してわたしの待つあなたが、事が終つて歸つて來て、夏の野のユリの花の咲いたように、につこり笑つてお逢いになつた今日を初めとして、鏡のように、かようにいつも見ましよう。面變わりしないで。

【構成】全篇一文。

【釋】末支能末尓々々　マキノマニマニ。マケノマニマニに同じ。「末支太末不《マキタマフ》」（卷十八、四一一三）參照。

　等里毛知?　トリモチテ。執り持ちて。任命によつて事を執行する意であるが、この語は、祭詞にいう「大中臣《オホナカトミ》、茂桙中取持弖《シゲホコナカトリモチテ》、恐美恐美毛申給久止申《カシコミカシコミモマヲシタマハクトマヲス》」（伊勢大神宮齋の内親王奉り入るる時の詞）の如き古語から來ている語で、通用語となつていたものであろう。

　年内能許登可多祢母知　トシノウチノコトカタネモチ。一年内の事をつかね持つて。年内の事を取りまとめ(136)て朝集使となつて行くことを述べている。カタネは、結びつかねる意。

　也末古衣野由支　ヤマコエノユキ。衣はア行の音エを表示する字であるのに、ここにヤ行のエに當ててあるのは、假宇違いである。この二種のエの區別は、平安時代初期まで區別されていた。

　余母凝可豆良伎　ヨモギカヅラキ。ヨモギを蘰とし。カヅラキは、蘰を動詞としたカヅラクの連用形。五月五日に、アヤメやヨモギを蘰としたのである。「菖蒲《アヤメグサ》　可都良久麻泥爾《カヅラクマデニ》」（卷十九、四一七五）。

　佐加美都伎　サカミヅキ。酒宴して。動詞である。「佐可彌豆伎伊麻須《サカミヅキイマス》」（卷十八、四〇五九）。

　安蘇比奈具禮止　アソビナグレド。ナグレは、和ぐ、慰ぐ。「奈具流日毛奈久《ナグルヒモナク》」（卷十七、四〇一九）。

　射水河雪消溢而逝水能　イミヅガハユキゲハフレテユクミヅノ。以上序詞。イヤ増シニを起している。ハフルは、あふれる意。日本書紀崇神天皇の卷に、溢にハフレタリと訓している。

　多豆我奈久奈呉江能須氣能　タヅガナクナゴエノスゲノ。以上、ネの音を引き起すための序。ナゴエは、奈呉ノ江ともいう。既出（卷十七、四〇一八）。

　安我末川君我　アガマツキミガ。川をツの假字に使用したのは、宣命にはあるが、本集では唯一の例である。これは川の古音ツヌから出るとする説、津の意の訓假字とする説などの諸説がある。この歌には、このほかにも、支介止など、特殊の假字があり、假宇違いもあつて、これらがどういう理由によるものかが考えられる。

　可敝利末可利天　カヘリマカリテ。マカリは退出する意で、ここは京から下つたことをいう。

　夏野能佐由利能波奈能花咲尓　ナツノノノサユリノハナノハナヱミニ。以上にこやかにの意の譬喩として使われている。

　々布夫尓惠美天　ニフブニヱミテ。ニフブは笑う形容。「二布夫爾咲而《ニフブニヱミテ》　立麻爲所v見《タチマセリミユ》」（卷十六、三八一七）。

　阿波之多流　アハシタル。アハシは、逢フの敬語。

(137)　鏡奈須　カガミナス。枕詞。

【評語】久米の廣繩の歸任を迎えて、長々と喜悦の情を述べているが、冗長で、緊張を缺いている。何の結構もなく、多く使われている序詞も、敍述の筋を混亂させるだけで、效果があがらない。儀禮的な失敗作というほかはない。

　

反歌二首

　

4117　去年《こぞ》の秋　相見しまにま、

　今日見れば　面《おも》やめづらし。

　都方人《みやこかたびと》。

　

　許序能秋《コゾノアキ》　安比見之末尓末《アヒミシマニマ》

　今日見波《ケフミレバ》　於毛夜目都良之《オモヤメヅラシ》

　美夜古可多比等《ミヤコカタビト》

　

【譯】去年の秋逢つたままで、今日見ると、お顔がいよいよめずらしい。都の方のお方。

【釋】許序能秋安比見之末尓末　コゾノアキアヒミシマニマ。九月までが秋だから、廣繩は九月のうちに出發したものと見える。七道の諸國の朝集使は、十一月一日までに參集することになつている。マニマは、マニマニに同じ。逢つたなりで。

　於毛夜目都良之　オモヤメヅラシ。ヤは、イヤ（彌）であろう。ヤとのみいう例、「斯多賀多久《シタガタク》　夜賀多久斗良勢《ヤガタクトラセ》」（古事記一〇四）。「於毛也者將v見《オモヤハミエム》　秋風吹《アキノカゼフク》」（卷八、一五三五）によつて、接尾語とする説もあるが、卷の八の例は、助詞と見るべきである。句切。

　美夜古可多比等　ミヤコカタビト。都方人。都の方の人、廣繩が都から下つたのでいう。

【評語】去年の九月から、今年の閏五月まで逢わなかつたので、久しぶりであつた。その感じは出ているが、(138)散文的で調子の高くない作である。描寫しないで、説明しているからであろう。

　

4118　かくしても　相見るものを、

　すくなくも、

　年月經れば　戀しけれやも。

　

　可久之天母《カクシテモ》　安比見流毛乃乎《アヒミルモノヲ》

　須久奈久母《スクナクモ》

　年月經禮波《トシツキフレバ》　古非之家禮夜母《コヒシケレヤモ》

　

【譯】かようにしても逢うものですのを、それでも年月を經たので、非常に戀しかつたのです。

【釋】可久之天母　カクシテモ。今現に逢つていることを、かくの如くにしてと言つている。

　須久奈久母　スクナクモ。少クモ。下に打消の意の語を伴ない、それと併わせて、大いにある意をあらわす副詞。この歌では、打消の語のかわりに下に反語を置いている。「少雲《スクナクモ》　吾松原《ワガノマツバラ》　清在莫國《キヨカラナクニ》」（卷十、二一九八）參照。

(139)　年月經禮波　トシツキフレバ。昨年から今年に及んだことをいう。

　古非之家禮夜母　コヒシケレヤモ。コヒシケレは形容詞の已然形。ヤモは反語の助詞。戀しくない意であるが、上の、スクナクモを受けるので、それと合わせて、たいへんに戀しい意になる。

【評語】内容は平凡だが、表現に特殊の語法を使用して、たいへんに戀しかつたことを強調している。それにしても情趣の乏しい作たることを免かれない。

　

聞2霍公鳥喧1作歌一首

　

ほととぎすの喧くを聞きて作れる歌一首。

　

4119　いにしへよ　偲《しの》ひにければ、

　ほととぎす

　鳴く聲聞きて　戀しきものを。

　

　伊尓之敝欲《イニシヘヨ》　之怒比尓家禮婆《シノヒニケレバ》

　保等登伎須《ホトトギス》

　奈久許惠伎吉弖《ナクコヱキキテ》　古非之吉物乃乎《コヒシキモノヲ》

　

【譯】昔から愛して來たので、ホトトギスの鳴く聲を聞いて、戀しいのだ。

【釋】伊尓之敝欲　イニシヘヨ。イニシヘは、前代の意にも、自分の前の時代の意にも言つているが、家持の諸作の用例から見て、ここは、前代の意であろう。

　古非之吉物乃乎　コヒシキモノヲ。モノヲは、文末を結ぶ用法によつている。ものだの意。コヒシは、慕わしくある意。

【評語】昔から愛して來たから今も慕わしいというだけの、平凡な内容である。ホトトギスに對する愛を、抽象的に歌つている。作者については、四一二一の左註が、これに及んでいるのであろう。

　

(140)爲d向v京之時、見2貴人1、及相2美人1飲宴之日u、述v懷儲作歌二首

　

京に向はむ時、貴人《うまひと》を見、及《また》美《かほよ》き人に相《あ》ひて、飲宴せむ日のために、懷を述べて、儲《ま》けて作れる歌二首。

　

【釋】向京之時　ミヤコニムカハムトキ。やがて上京する時を豫想して、あらかじめ作つた歌である。

　見貴人及相美人　ウマヒトヲミマタカホヨキヒトニアヒテ。貴人は、身分のよい人。美人は、美しい女子。

　

4120　見まく欲《ほ》り　思ひしなへに

　蘰《かづら》掛《か》け　かぐはし君を

　相見つるかも。

　

　見麻久保里《ミマクホリ》　於毛比之奈倍尓《オモヒシナヘニ》

　賀都良賀氣《カヅラカケ》　香具波之君乎《カグハシキミヲ》

　安比見都流賀母《アヒミツルカモ》

　

【譯】逢いたいと思つた時しも、蘰をかけた美しいあなたにお逢いしたことでしたなあ。

【釋】於毛比之奈倍尓　オモヒシナヘニ。ナヘニは、と共に、その時に。

　賀都良賀氣　カヅラカケ。蘰掛ケの意。酒宴の日のためにかねて作つているので、その席で時の花を蘰にした人を想像している。その蘰カケから、同音によつて次のカグハシに續けている。

　香具波之君乎　カグハシキミヲ。カグハシは美しいさまの形容詞。連體法で君に接している。カは接頭語だが、やはり香の意で、馨のよい義で、美しい意になる。「咲爾保布《サキニホフ》　花橘乃《ハナタチバナノ》　香吉《カグハシキ》　於夜能御言《オヤノミコト》」（卷十九、四一六九）。キミは男子。

【評語】逢いたいと思つたので逢つたというだけだが、君の説明に、多少特色がある。蘰カケカグハシ君と續けたのには、音調上の技巧がなされている。

　

(141)4121　朝參《みかどまゐり》の　君が姿を

　見ず久に

　鄙にし住めば　あれ戀ひにけり。

　

　朝參乃《ミカドマヰリノ》　伎美我須我多乎《キミガスガタヲ》

　美受比左尓《ミズヒサニ》

　比奈尓之須米婆《ヒナニシスメバ》　安禮故非尓家里《アレコヒニケリ》

　

【譯】朝廷に出るあなたの姿を、見ないで久しく地方に住んでいたので、わたくしは戀しておりました。

【釋】朝參乃　ミカドマヰリノ。

　　マヰイリノ（矢）

　　マヰリノ（考）

　　テウサンノ（新考）

　　――――――――――

　　朝戸出乃《アサトデノ》（略、宣長）

　古事記下卷に「氏々之女等皆朝參（ス）」とある朝參を、古事記傳に、ミカドマヰリスと讀んでいる。字について讀めば、それが順當である。朝廷に參入すること。但し字音に讀んでいたかもしれない。

【評語】朝參という特殊の語が使われている。二句以下は平凡で、儀禮的な作というべきである。

　

一云、波之吉與思《ハシキヨシ》　伊毛我須我多乎《イモガスガタヲ》

　

一は云ふ、はしきよし　妹が光儀《すがた》を。

　

【釋】波之吉與思伊毛我須我多乎　ハシキヨシイモガスガタヲ。前の歌の初二句の別案である。これにかえれば、女子に對する歌となり、題詞の「美人にあひて」という方の歌になる。これも極めて平凡である。

　

同閏五月廿八日、大伴宿祢家持作之

　

(142)天平感寶元年閏五月六日以來、起2少旱1、百姓田畝、稍有2凋色1也。至2于六月朔日1、忽見2雨雲之氣1、仍作雲歌一首　短歌一絶

　

天平感寶の元の年｜閏《のち》の五月六日｜以來《このかた》、小旱起りて、百姓の田畝やや凋《しぼ》める色あり。六月｜朔日《ついたち》に至りて、たちまち雨雲の氣を見る。よりて作れる雲の歌一首　短歌一絶。

　

【釋】短歌一絶　ミジカウタヒトツ。反歌一首の意で、特殊な書き方である。一絶は、短歌を詩の絶句に擬したもので、前に出た。

　

4122　天皇《すめろき》の　敷《し》きます國の

　天の下　四方の道には、

　馬の蹄《つめ》　い盡《つく》す極《きは》み、

　船《ふな》の舳の　い泊《は》つるまでに、

　古《いにしへ》よ　今のをつづに、

　萬調《よろづつき》　奉る長上《つかさ》と

　作りたる　その農業《なりはひ》を、

　雨降らず　日の重《かさ》なれば、

　植ゑし田も　蒔きし畠《はたけ》も、

　朝ごとに　凋《しぼ》み枯れ行く。」

(143)　そを見れば　心をいたみ、

　緑兒の　乳《ち》乞《こ》ふがごとく、

　天《あま》つ水　仰ぎてぞ待つ。」

　あしひきの　山のたをりに、

　この見ゆる　天《あま》の白雲、

　海神《わたつみ》の　沖つ宮邊に

　立ちわたり　との曇《ぐも》り合ひて、

　雨も賜《たま》はね。」

　

　須賣呂伎能《スメロキノ》　之伎麻須久尓能《シキマスクニノ》

　安米能之多《アメノシタ》　四方能美知尓波《ヨモノミチニハ》

　宇麻乃都米《ウマノツメ》　伊都久須伎波美《イツクスキハミ》

　布奈乃倍能《フナノヘノ》　伊波都流麻泥尓《イハツルマデニ》

　伊尓之敝欲《イニシヘヨ》　伊麻乃乎都頭尓《イマノヲツヅニ》

　萬調《ヨロヅツキ》　麻都流都可佐等《マツルツカサト》

　都久里多流《ツクリタル》　曾能奈里波比乎《ソノナリハヒヲ》

　安米布良受《アメフラズ》　日能可左奈禮婆《ヒノカサナレバ》

　宇惠之田毛《ウヱシタモ》　麻吉之波多氣毛《マキシハタケモ》

　安佐其登尓《アサゴトニ》　之保美可禮由苦《シボミカレユク》

　曾乎見禮婆《ソヲミレバ》　許己呂乎伊多美《ココロヲイタミ》

　彌騰里兒能《ミドリゴノ》　知許布我其登久《チコフガゴトク》

　安麻都美豆《アマツミヅ》　安布藝弖曾麻都《アフギテゾマツ》

　安之比奇能《アシヒキノ》　夜麻能多乎理尓《ヤマノタヲリニ》

　許能見油流《コノミユル》　安麻能之良久母《アマノシラクモ》

　和多都美能《ワタツミノ》　於枳都美夜敝尓《オキツミヤベニ》

　多知和多里《タチワタリ》　等能具毛利安比弖《トノグモリアヒテ》

　安米母多麻波祢《アメモタマハネ》

　

【譯】天皇の領せられている國である、天の下の四方の道には、馬蹄の行きつくす極み、船の舳先のとまる處まで、昔から現代までに、多くの貢物を獻るその第一として、作つた農作物を、雨が降らないで日が重なるので、苗を植えた田も種をまいた畠も、朝毎にしぼんで枯れて行く。それを見ると、心が痛く、幼兒が乳を乞うように、天の水を仰いで待つている。あの山の窪んだ處に、この見える天の白雲は、海神の沖の宮殿の方に立ち渡つて、空が曇り合つて、雨をください。

【構成】第一段、凋ミ枯レ行クまで。旱天によつて田畠の枯れることを述べる。第二段、仰ギテゾ待ツまで。雨を欲することを述べる。第三段、終りまで。雲に向かつて雨を乞う。

【釋】四方能美知尓波　ヨモノミチニハ。ミチは道路。ヨモノミチは、諸國に通ずる道路。すなわち七道で、これによつて七道の諸國をいう。

　宇麻乃都米伊都久須伎波美　ウマノツメイツクスキハミ。馬蹄の到りつくす極みで、馬の行くはてまで。陸(144)路のはてをいう。次の句と共に祝詞から出ている。「馬爪至留限《ウマノツメノイタリトドマルカギリ》」（祈年祭祝詞）。

　布奈乃倍能伊波都流麻泥尓　フナノヘノイハツルマデニ。船の舳の泊つるまでで、水路のはてまでも。「舟艪能至留極《フネノヘノイタリトドマルキハミ》」（祈年祭祝詞）。

　伊尓之敝欲伊麻乃乎都頭尓　イニシヘヨイマノヲツヅニ。昔から今まで。「伊爾之敝欲《イニシヘヨ》　伊麻乃乎追通爾《イマノヲツヅニ》」（卷十八、四〇九四）。

　萬調　ヨロヅツキ。すべての調貢の物。

　麻都流都可佐等　マツルツカサト。ツカサは、ここでは、第一、筆頭の意に使つている。、イネなどの農産物をいう。

　曾能奈里波比乎　ソノナリハヒヲ。ナリハヒは、農業による作物。農作物。

　弥騰里兒能知許布我其登久　ミドリゴノチコフガゴトク。嬰兒が乳を欲するようにと、雨を欲する意を、譬喩に述べている。

　安麻都美豆　アマツミヅ。天つ水で、天から降る雨露の類をいう。

　夜麻能多乎理尓　ヤマノタヲリニ。ヤマノタヲリは、山のくぼみたわんでいる處。タは接頭語、ヲリは、たわむ意の動詞の名詞形。「高山《タカヤマノ　峯之手折丹《ミネノタヲリニ》」（卷十三、三二七八）。

　和多都美能於枳都美夜敝尓　ワタツミノオキツミヤベニ。ワタツミは海神。海神は水をつかさどるとされていた。海幸山幸の神話に、海神が水を支配するので、田の水の供給を自由にするように語られている。オキツミヤベは、海神の宮殿の方の意。

　等能具毛利安比弖　トノグモリアヒテ。山の雲が海神の宮の方へ行つて、共に合つて雲となつて、曇り合つて。

(145)【評語】全體に整然として進行している。前半はすこしだれ氣味で、緊張を缺くが、後半、山の雲を望み見てからはよい。雲の描寫があつて、後半の表現を生き生きとさせている。

　

反歌一首

　

4123　この見ゆる　雲ほびこりて、

　との曇《ぐも》り　雨も降らぬか。

　心｜足《だ》らひに。

　

　許能美由流《コノミユル》　久毛保妣許里弖《クモホビコリテ》

　等能具毛理《トノグモリ》　安米毛布良奴可《アメモフラヌカ》

　己許呂太良比尓《ココロダラヒニ》

　

【譯】この見える雲がひろがつて、空かき曇つて、雨も降らないかなあ。滿足するまでに。

【釋】久毛保妣許里弖　クモホビコリテ。ホビコリは、類聚名義抄に、蔓、延などにホビコルの訓があるによつて、ハビコルと同語であろうと推測される。

　己許呂太良比尓　ココロダラヒニ。心の滿足するように。「之我願《シガネガフ》　心太良比爾《ココロダラヒニ》」（卷十八、四〇九四）。

【評語】長歌の、山ノタヲリニ立ツ雲を受けて歌つている。長歌の末段の意を短歌にまとめただけで、五句の心ダラヒニだけが添加である。山ノタヲリに立つ白雲の敍述がないので、情趣を缺いている。

　

右二首、六　月一日晩頭、守大伴宿祢家持作之

　

右の二首は、六月一日の晩頭に、守大伴の宿禰家持の作れる。

　

【釋】晩頭　ユフベニ。頭は、添えて書くだけ。

　

(146)賀2雨落1歌一首

　

雨の落るを賀ぐ歌一首。

　

【釋】賀雨落歌　アメノフルヲコトホグウタ。六月一日に雨を願う歌を詠み、そのかいがあつてか四日に至つて雨を見たので、それを祝して詠んだ歌である。

　

4124　わが欲《ほ》りし　雨は降り來《き》ぬ。

　かくしあらば、

　言擧《ことあげ》せずとも　年は榮えむ。

　

　和我保里之《ワガホリシ》　安米波布里伎奴《アメハフリキヌ》

　可久之安良婆《カクシアラバ》

　許登安氣世受杼母《コトアゲセズトモ》　登思波佐可延牟《トシハサカエム》

　

【譯】わたしの願つていた雨は降つて來た。このようにあるなら、祈願の言葉を捧げないでも、穀物は豐作だろう。

【釋】許登安氣世受杼母　コトアゲセズトモ。コトアゲは、申し出でをすること。ここは神に對して祈願の意を申し立てることである。

　登思波佐可延牟　トシハサカエム。トシは、穀物のみのりをいう。その一收穫を一年という原義である。

【評語】雨の降つて來たのを喜んでいるさまが、よくあらわれている。殊に政事の當局者としての喜ばしい氣もちである。言擧セズトモは、「葦原の水穗の國は、神ながら言擧せぬ國」（卷十三、三二五三人麻呂集）の思想を受けているだろうが、豐年を祝するにふさわしい句だ。その句が八音になつているのもなかなか效果的である。

　

(147)右一首、同月四日、大伴宿祢家持作之

　

七夕歌一首　并2短歌1

　

七夕の歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】七夕歌　ナヌカノヨヒノウタ。七月七日の夕の歌で、七夕傳説を扱つている。

　

4125　天照《あまて》らす　神の御代より、

　安の河　中に隔てて、

　向かひ立ち　袖振り交《かは》し

　いきの緒に　歎かす子ら。」

　渡守《わたりもり》　船も設《まう》けず、

　橋だにも　渡してあらば、

　その上《へ》ゆも　い行き渡らし

　携《たづさ》はり　うながけり居て、

　思ほしき　ことも語らひ

　慰むる　心はあらむを、

　何しかも　秋にしあらねば、

(148)　言問《ことどひ》の　ともしき子ら。」

　うつせみの　世の人我も、

　此處《ここ》をしも　あやにくすしみ、

　往き更《かは》る　毎年《としのは》ごとに、

　天《あま》の原　ふり放《さ》け見つつ、

　言ひ繼ぎにすれ。」

　

　安麻泥良須《アマテラス》　可未能御代欲里《カミノミヨヨリ》

　夜洲能河波《ヤスノカハ》　奈加尓敝太弖々《ナカニヘダテヽ》

　牟可比太知《ムカヒタチ》　蘇泥布利可波之《ソデフリカハシ》

　伊吉能乎尓《イキノヲニ》　奈氣加須古良《ナゲカスコラ》

　和多里母理《ワタリモリ》　布祢毛麻宇氣受《フネモマウケズ》

　波之太尓母《ハシダニモ》　和多之弖安良波《ワタシテアラバ》

　曾乃倍由母《ソノヘユモ》　伊由伎和多良之《イユキワタラシ》

　多豆佐波利《タヅサハリ》　宇奈我既里爲弖《ウナガケリヰテ》

　於毛保之吉《オモホシキ》　許登母加多良比《コトモカタラヒ》

　奈具左牟流《ナグサムル》　許己呂波安良牟乎《ココロハアラムヲ》

　奈尓之可母《ナニシカモ》　安吉尓之安良祢波《アキニシアラネバ》

　許等騰比能《コトドヒノ》　等毛之伎古良《トモシキコラ》

　宇都世美能《ウツセミノ》　代人和禮毛《ヨノヒトワレモ》

　許己乎之母《ココヲシモ》　安夜尓久須之弥《アヤニクスシミ》

　往更《ユキカハル》　年波其登尓《トシノハゴトニ》

　安麻乃波良《アマノハラ》　布里左氣見都追《フリサケミツツ》

　伊比都藝尓須禮《イヒツギニスレ》

　

【譯】天照らす大神の御代から、安の河を中に隔てて、向かい立つて袖を振りかわし、絶えず歎いている人。渡守は船も用意しない。橋だけでも渡してあつたら、その上を通つて、行つてお渡りになつて、手を携え、手を懸けあつて、思われる事も話をし、慰める心はあるだろうに、何としてか秋ではないので、語らうことのまれな人。この世の人であるわたしも、この事を非常に神秘に思つて、改まる年の來るたびに、天上をふり仰いで見ながら、言い繼ぎにするのです。

【構成】第一段、歎カス子ラまで。神代以來、天の川を隔てて戀う二星のことを述べる。第二段、トモシキ子ラまで。秋でなくては十分に語ることのできないことを述べる。第三段、終りまで。作者の感想を述べる。第一段の、歎カス子ラに至る説明と、第二段の、トモシキ子ラに至る説明とが、對比をなしている。

【釋】夜洲能河波　ヤスノカハ。神話において、天上にあるとする川の名なので、天の川のことに言つている。

　奈氣加須古良　ナゲカスコラ。ナゲカスは、歎クの敬語。コラは、牽牛織女の兩星をいう。歎カス子ラゾの意に、句切となつている。

　宇奈我既里爲弖　ウナガケリヰテ。ウナガケリは、頸に手を懸けあうこと。古事記上卷、八千矛の神の相聞(149)の歌の次に「即（チ）爲《シ》2宇岐由比《ウキユヒ》1而、宇那賀氣理弖《ウナガケリテ》、至（ルマデ）v今（ニ）鎭（リ）座（ス）也」とある。

　許等騰比能等毛之伎古良　コトドヒノトモシキコラ。語らうことのすくない子ら。上の何シカモを受けて、トモシキ子ラゾの意に結んでいる。句切。

　安夜尓久須之弥　アヤニクスシミ。クスシは神秘にある意。非常に神秘不思慕なことに思つて。

　年乃波其登尓　トシノハゴトニ。毎年をトシノハというが、これは年の端の義であることが、この句によつて推測される。

　伊比都藝尓須禮　イヒツギニスレ。上にコソの係りがなくて、スレと結んでいるのは、特例である。しかし已然形のままでも、文を終止する性能があるのだろう。コソを受けて已然形で結ぶ文は、獨立文になり得るが、しばしば前提文ともなるのを考えると、已然形で句を作る已然條件法の形も、獨立文としても成立する性能をもつているのだろう。ここのは、條件法の語氣ではないが、言い繼ぎにすることを既定の事實とするので、このような表現になるのだろう。

【評語】前半に二星の戀の事情を述べたのは、普通だが、末段において、作者の感想を述べたのは、特色があつてよい。これがあつて始めて二星に關する敍述も、現實感を伴なつて來るのである。

　

反歌二首

　

4126　天の河　橋渡せらば、

　その上《へ》ゆも　い渡らさむを。

　秋にあらずとも。

　

　安麻能我波《アマノガハ》　々志和多世良波《ハシワタセラバ》

　曾能倍由母《ソノヘユモ》　伊和多良佐牟乎《イワタラサムヲ》

　安吉尓安良受得物《アキニアラズトモ》

　

(150)【譯】天の川に橋が渡してあるなら、その上を通つてもお渡りになるものを。秋でなくても。

【釋】　々志和多世良波　ハシワタセラバ。橋を渡しあらば。未然條件法。

【評語】長歌の橋ダニモ渡シテアラバを受けて詠んでいるだけで、平凡な想像の歌である。

　

4127　安の河　こ向かひ立ちて、

　年の戀　け長き子らが、

　妻問《つまどひ》の夜ぞ。

　

　夜須能河波《ヤスノカハ》　許牟可比太知弖《コムカヒダチテ》

　等之乃古非《トシノコヒ》　氣奈我伎古良河《ケナガキコラガ》

　都麻度比能欲曾《ツマドヒノヨゾ》

　

【譯】安の河に向かい立つて、一年の戀に、時の長い人たちの、妻をおとずれる夜だ。

【釋】許牟可比太知弖　コムカヒダチテ。コは、接頭語か、不明。これによつて、「天漢《アマノガハ》　已向立而《イムカヒタチテ》」（卷十、二〇一一）の已向をも、コムカヒと讀もうとする説もある。澤瀉博士は、家持が、已向立而を誤讀したのだとしている。それも家持の草稿のままかどうかもわからないから、あながちに家持の所爲ともされない。

　等之乃古非　トシノコヒ。年の戀。一年間の戀。

　氣奈我伎古良河　ケナガキコラガ。時長き子らが。久しい戀をしている人々がの意。

【評語】七夕の説明をしているだけである。七夕の歌の一番わるい處に落ち込んだようである。

　

右、七月七日、仰2見天漢1、大伴宿祢家持作

　

右は、七月七日、天漢《あまのがは》を仰ぎ見て大伴宿禰家持の作れる。

　

越前國橡大伴宿祢池主、來贈戯歌四首

　

(151)越前の國の橡大伴の宿禰池主の、來贈《きおく》れる戯れの歌四首。

　

【釋】來贈戯歌　キオクレルタハブレノウタ。次行以下池主の書簡及びそれに附隨した歌である、文字の用法などから見るに、これは原文そのままに題をつけて貼り繼いだものであろう。

　

忽辱2恩賜1、驚欣已探。心中含v咲、獨座稍開、表裏不v同、相違何異。推2量所由1、率尓作v策歟。明知、加v言豈有2他意1乎。凡貿2易本物1、其罪不v輕、正贓倍贓、宜急并滿。今勒2風雲1、發2追徴使1。早速返報、不v須2延廻1。

　

たちまちに恩賜を辱《かたじけな》くし、驚欣すでに深し。心の中に咲を含みて、ひとり座《オ》りてやや開けば、表と裏と同じからず、相違何ぞ異なる。所由《ゆゑ》を推し量るに率爾《いささめ》に策《ふむだ》を作《な》せるか。あきらかに知る、言を加ふること、あに他意あらめや。およそ本物を貿易《まうやく》すること、その罪輕からず。正贓倍贓、うべすみやかに并はせ滿たせ。今風と雲とに勒《しる》して徴使を發遣す。早速に返報して、延廻すべからず。

　

【譯】思いがけず頂きものをしまして、たいへんに驚喜いたしました。心の中に笑いを催して、獨座して開きますと表と中とが同じでございません。どうして相違したのでしよう。そのわけを推量しますに、そこつに札をつけたのでしょうか。心を用いることは、別にほかの意味があるのでないことは、よくわかります。しかしすべてもとの物を取り換えることは、その罪は輕くございません。もとの賠償と倍にする賠償とを、いそいで共に滿すべきです。今、たよりにつけて徴收の使をさし出します。早速返事を遲延してはいけません。

【釋】忽辱恩賜　タチマチニタマモノヲカタジケナクシ。恩賜は、家持から贈つた物をいう。文意を按ずるに、品物をまちがえて、他の物を包んで遣つたと見える。その誤つて贈つた物は、歌によるに、針袋であつたらしい。

(152)　表裏不同　オモテトウチトオヤジカラズ。表面に記してあると、包の中とが同じくない。

　率尓作策歟　イササメニフムダヲナセルカ。策は、竹の札だが、ここは荷物につけた札をいう。かりそめに札を作つたのか。

　明知加言豈有他意乎　アキラカニシル、コトヲクハフルコトアニホカゴコロアラメヤ。他意があつて、言を加えたのではないことは、よく分かつております。この句までは、まじめな文章で、事情を述べている。

　凡貿易本物其罪不輕　オヨソホニモチヲマウヤクスルコト、ソノツミカロカラズ。以下戯れに物を取り換えられたことを官に訴える形で書いている。本物は、もとの品物。貿易は、取り換えること。

　正贓倍贓宜急并滿　シヤウザウバイザウ、ウベスミヤカニアハセミタセ。正贓は、不法に取得したその物を返すこと。倍贓は、それを二倍にして償うこと。正贓倍贓は、法律語で、これに關する規定が律にあつたのだろうが今傳わらない。しかし詐僞律の逸文に「若（シ）監圭詐（リ）取（ラバ）者、自（ラ）依（レ）2盗法（ニ）1。有（ル）v官（ニ）者除名（シ）、倍贓如（クセヨ）v法（ノ）」（賦役令集解、政事要略）の如き文がある。また令義解に「謂（フコトハ）、非理（ニ）取（ルヲ）v財（ヲ）曰（フ）v贓（ト）。倍（モ）贓亦同（ジ）」とある。

　今勒風雲發追徴使　イマカゼトクモトニシルシテメシヅカヒヲイダシツカハス。風雲は、彼此のあいだを通うものとして書?をいう。徴使は、正贓倍贓を徴收する使。

　

勝寶元年十一月十二日、物所2貿易1下吏謹2訴2貿易人斷官司廳下1

　

勝寶元年十一月十二日、物を貿易せらえし下吏、謹みて貿易の人を斷る官司《つかさ》の廳下に訴ふ。

　

【釋】物所貿易下吏　モノヲマウヤクセラエシシモヅカサ。物を取り換えられた下役人。池主自身の戯稱。

　

(153)別白、可怜之意、不v能2二黙止1、聊述2四詠1、准2擬睡覺1。

　

別に白さく、可怜の意、黙止《もだ》をることあたはず、いささか四つの詠を述べて睡覺に准擬《なぞ》ふ。

　

【釋】別白　コトニマヲサク。以上で一往書?は終るが、別に申すことは。

　述四詠　ヨツノウタヲノベテ。四首の歌を記して。

　准擬睡覺　メザマシグサニナゾフ。眼からさめた時に見るものに擬する。

　

4128　草枕　旅の翁と

　思ほして、

　針ぞ賜へる。

　縫はむ物もが。

　

　久佐麻久良《クサマクラ》　多比乃於伎奈等《タビノオキナト》

　於母保之天《オモホシテ》

　波里曾多麻敝流《ハリゾタマヘル》

　奴波牟物能毛賀《ヌハムモノモガ》

　

【譯】草の枕の旅の老人とお思いになつて、針をくださいました。縫う物はないでしようか。

【評語】家持から來た包から、針が出たのを喜んでいる。池主の年齡はわからないが、旅ノ翁とは、仰山に言い、巧みな造語である。すべて仰山な言い方で、扱い方も滑稽的に言つている。

　

4129　針袋《はりぶくろ》　取りあげ前に置き、

　かへさへば、

　おのともおのや　裏も繼ぎたり。

　

　芳理夫久路《ハリブクロ》　等利安宜麻敝尓於吉《トリアゲマヘニオキ》

　可邊佐倍波《カヘサヘバ》

　於能等母於能夜《オノトモオノヤ》　宇良毛都藝多利《ウラモツギタリ》

　

【譯】針袋を取りあげて前に置いて、返して見ると、おやおや、裏も繼いであります。

(154)【釋】芳理夫久路　ハリブクロ。針を入れる携帶用の袋であろう。家持が贈つた包の中から針袋が出たのである。

　可邊佐倍波　カヘサヘバ。カヘサヘは、返スの連續を語るカヘサフの已然形。うらがえして見れば。

　於能等母於能夜　オノトモオノヤ。オノは、疑いあやしむことをあらわす語。新撰字鏡に「吁、疑恠之辭也、於乃《オノ》」とある。そのオノを繰り返して、ほんとうにあやしいぞの意をあらわす句（以上山田博士）。

【評語】意外な物が出て來たので、その表裏を調べているさまが、よく描かれている。四句のオノトモオノヤも特殊の句で、驚きあやしむ氣もちをよくあらわしている。

　

4130　針袋　帶《お》び續《つづ》けながら、

　里ごとに　てらさひ歩《ある》けど、

　人も咎《とが》めず。

　

　波利夫久路《ハリブクロ》　應婢都々氣奈我良《オビツヅケナガラ》

　佐刀其等迩《サトゴトニ》　天良佐比安流氣騰《テラサヒアルケド》

　比等毛登賀米授《ヒトモトガメズ》

　

【譯】針袋を腰に帶び續けて、里ごとに見せびらかして歩きますが、人も咎めません。

【釋】應婢都々氣奈我良　オビツヅケナガラ。針袋を腰に帶びてで、ツヅケは、それを繼續する意。

　天良佐比安流氣騰　テラサヒアルケド。テラサヒは、照ラスの連續を示す語。衒《てら》し見せびらかす意。

【評語】その針袋を腰につけて歩いても、人の目に立たないことを歌つている。連作中の一首として、針袋を説明するが、作者の姿を描いて、興趣のある作品となつている。

　

4131　?《とり》が鳴く　東《あづま》をさして、

　ふさへしに　行かむと思へど、

(155)　由《よし》もさねなし。

　

　等里我奈久《トリガナク》　安豆麻乎佐之天《アヅマヲサシテ》

　布佐倍之尓《フサヘシニ》　由可牟等於毛倍騰《ユカムトオモヘド》

　與之母佐称奈之《ヨシモサネナシ》

　

【譯】?の鳴く東方の國をさして、ふさわしい旅をしに行こうと思いますが、その縁故も、實際ございません。

【釋】等里我奈久　トリガナク。枕詞。

　布佐倍之尓　フサヘシニ。フサヘをしにであろう。フサヘは不明の語。好適するをフサフといい、好適の?にあるをフサハシというから、好適にする意の語か。フサフは普通四段だが、これは下二段で、他動の名詞形だろう。「波多々藝母《ハタタギモ》　許禮婆布佐波受《コレハフサハズ》」（古事記五）。針袋を腰に帶びたのに似合わせた行動。遠い地方へ、聟入りをしにの意か。

　與之母佐称奈之　ヨシモサネナシ。ヨシは、寄シで、よりどころ。由縁、所由。サネは、眞實の意の副詞。

【評語】特殊の語としているフサヘの意義が明白でないのは遺憾であるが、遠い地方へ旅行しようと思うが手づるがないというらしい。連作の一首としては、よくその興味を持續して變化を與え得ている。

　

右歌之返報歌者、脱漏不v得2探求1也

　

右の歌の返し報ふる歌は、脱《お》ち漏れて探り求むることを得ず。

　

【釋】右歌之返報歌者　ミギノウタノカヘシコタフルウタハ。池主から贈つた歌に對して、家持の返報の歌があつたのである。この文が、家持の手記かどうかという問題があるが、これだけでは不明というほかはない。

　

更來贈歌二首

　

更に來贈れる歌二首。

　

(156)【釋】更來贈歌　サラニキオクレルウタ。前の來贈歌につづいて、更に池主から贈つた歌である。

　

依d迎2驛使1事u、今月十五日、到2來部下加賀郡境1。面蔭見2射水之郷1、戀緒結2深海之村1、身異2胡馬1、心悲2北風1。乘v月俳?、曾無v所v爲。稍開2來封1、其辭云々者、先所v奉書、返畏度v疑歟。僕作2嘱羅1、且惱2使君1。夫乞v水得v酒、從來能口。論時合v理、何題2強吏1乎。尋誦2針袋詠1。詞泉酌不v渇、抱v膝獨咲、能?2旅愁1、陶然遣v日。何慮何思、短筆不宣。

　

驛傍を迎ふる事に依りて、今月十五日、部下の加賀の郡の境に到來せり。面蔭《おもかげ》に射水の郷を見、戀の緒を深海の村に結ぶ。身は胡《えびす》の馬に異なれど、心は北の風に悲しぶ。月に乘りて徘徊し、かつてなす所無し。やや來封を開く。その辭云々といへるは、先に奉る所の書、返りて畏《おそ》る、疑ひに度《わた》れるを。僕囑羅を作《な》しかつ使君を惱ます。それ水を乞ひて酒を得とは、從來よく口にす。論、時に理に合はば、何ぞ強ひたる吏と題《い》はめや。尋《つ》ぎて針袋の詠を誦《よ》むに、詞の泉酌めども渇《ひ》ず、膝を抱きてひとり咲《ゑ》まひ、よく旅の愁へを?《のぞ》く。陶然として日を遣る。何をか慮《はか》らむ、何をか思はむ。短筆不宣。

　

【譯】公用の使を迎えるために、管下の加賀の郡境に來まして、射水の郷を面影に見て、深見の村で戀しい心に沈みました。身はかの胡國の馬ではありませんが、心は北風に吹かれて悲しみます。月の光のもとに徘徊して、どうしようもございません。わずかにお手紙を開きますと、その言葉に、何くれと申されましたのは、わたくしが前にさしあげました書?が、かえつてお疑いを招きましたかを恐れます。わたくしは口あみを懸けまして、あなた樣を惱ませました。そもそも水を乞うて酒を得るとは、前々からよく口にする所です。論ずる所が時として理くつに合うならば、何も無理をいう役人とお書きになることはありますまい。續いて針袋のお歌(157)を誦しまするに、詞の泉は豐富で酌んでもつきません。膝を抱えてひとりで笑い、よく旅の愁えを除きまして、うつとりとして日を過ごしました。何を考え何を思いましよう。拙い筆で述べられません。

　

【釋】依迎驛使事　ハユマヅカヒヲムカフルコトニヨリテ。驛使は、驛馬に乘る使。公用の使で、それを迎えるために、國境近くまで來たのである。

　部下加賀郡境　クニウチノカガノコホリノサカヒ。當時加賀郡は、まだ越前の國に屬していた。今の石川縣の石川、河北の二部に當る地である。弘仁十四年二月、越前の國の、江沼、加賀の二郡を割いて加賀の國を置いた。

　面蔭見射水之郷　オモカゲニイミヅノサトヲミ。射水の郷は、越中の國の國府の地。自分の前任地でもあるが、ここは家持を慕う意に、面影に見ると言つている。射水は縁語。

　戀緒結深海之村　コヒノヲヲフカミノムラニムスブ。深海の村は、加賀郡の一地點。三月十五日の池主の書?（卷十八、四〇七三）に深見の村としている。結ブは、戀の緒の縁語、家持に對する戀である。深海は縁語。

　身異胡馬心悲北風　ミハエビスノウマニコトナレド、ココロはキタカゼニカナシブ。北方の胡地の馬ではないが、北から吹く風に悲哀の情を催す。胡地から出た馬は、故郷を慕つて北から吹く風に悲しむという、文選の「胡馬依（リ）2北風（ニ）1。越鳥巣（クフ）2南枝（ニ）」（古詩）、周の河上歌に「胡馬望（ミ）2北風（ヲ）1而立（ツ）」などある。北方を慕うことをいう。越中の國府は、北方になるからである。

　稍開來封　ヤヤライホウヲヒラク。家持からの書?を開く。

　其辭云々者　ソノコトシカジカトイヘルハ。云々者は、元暦校本による。仙覺本には「云著者」に作る。家持の書?の文言を略して云々と言つている。池主の文に、既にかようにあつたのである。あなたからあのように言つてきたのはの意で、家持に誤解されたことをあげている。

(158)　僕作嘱羅　ヤツガレソクラヲナシ。嘱羅は不明。囑の字義によるに、頼みごとの意らしい。今、口網をかけと譯しておく。羅はアミだからである。

　使君　キミ。國司のこと。家持をさす。

　夫乞水得酒從來能口　ソレミヅヲコヒテサケヲウルハ、ムカシヨリヨククチニス。遊仙窟に「乞（ヒテ）v漿（ヲ）得v酒（ヲ）、舊來神口、打（チテ）v兔（ヲ）得v麝（ヲ）、非（ズ）2意（ノ）所（ニ）1v望（ム）」とあるによつて書いている。水を乞うて酒を得たことは、昔から口にする所だ。つまらない物を望んで、よいものを得るのたとえ。

　何題強吏乎　ナニゾシヒタルツカサトイハメヤ。強吏は、しいて徴收する役人。家持からの書?に、戯れに池主を強吏と言つたのだろう。

　尋誦針袋詠　ツギテハリブクロノウタヲヨムニ。針袋の詠は、家持から贈つた返歌をいう。

　

勝寶元年十二月十五日、徴v物下司、謹上2不伏使君　記室1。

　

勝寶の元の年十二月十五日、物を徴《はた》りし下司、謹みて不伏の使君の記室に上《たてまつ》る。

　

【釋】不伏使君　フフクノツキミ。不伏は、人に伏せざる意か。

　

別奉云々。歌二首

　

別に奉る云々。歌二首

　

【釋】別奉云々　コトニタテマツル、シカジカ。池主の書?の別の文である。云々は、その内容を、編者が省(159)略したのである。これは原文のままでなく、抄寫したものであることを證明する。

　

4132　竪樣《たたさ》にも　かにも横樣《よこさ》も、

　奴《やつこ》とぞ　吾《あれ》はありける。

　主《ぬし》の殿門《とのど》に。

　

　多々佐尓毛《タタサニモ》　可尓母與己佐母《カニモヨコサモ》

　夜都故等曾《ヤツコトゾ》　安禮波安利家流《アレハアリケル》

　奴之能等乃度尓《ヌシノトノドニ》

　

【譯】立つても、このようにすわつても奴としてわたくしはありました。あなたの御門に。

【釋】多々佐尓毛　タタサニモ。タタサは、竪の方向で、縱からいても、立つていてもの意。

　可尓母與己佐母　カニモヨコサモ。カは、斯の意の代名詞。カニモは、かようにも。ヨコサは、横樣、横の方向。横になつても。縱からも横からも、立つても(160)すわつても、どのようにも。

　夜都故等曾　ヤツコトゾ。ヤツコは、奴婢の意。

　奴之能等乃度尓　ヌシノトノドニ。ヌシは、主で、奴の主人の意。家持をさしている。トノドは殿門。先方の門戸の意である。主の殿門で、相手の尊稱になる。正倉院文書中の書?に、宛名の下に殿門と書いたものがあり、また自分の名の上に主奴（ヌシノヤツコ）と書いたものがあつて、當時行われていた用字用語であつたことが知られる。

【評語】池主が絶對の崇敬を表示した歌だが、今日の思想からいえば、卑下に過ぎ、卑屈になつているように感じられる。當時の階級思想からいえば、自然なのだろう。

　

4133　針袋　これは賜《たば》りぬ。

　すり袋　今は得てしか。

　翁さびせむ。

　

　波里夫久路《ハリブクロ》　己禮波多婆利奴《コレハタバリヌ》

　須理夫久路《スリブクロ》　伊麻波衣天之可《イマハエテシカ》

　於吉奈佐騰勢牟《オキナサビセム》

　

【譯】針袋は、これはいただきました。すり袋を今は得たいものです。老人ぶりをいたしましよう。

【釋】波里夫久路　ハリブクロ。初度に誤つて送つた針袋のことだろう。それを家持から返せと云つたのに對して、返さないで、これは貰いましたよと言つているらしい。

　須理夫久路　スリブクロ。不明の語。代匠記初稿本に、敦忠集に「親盛からものの使にて行くに、かねの火うちほくそに沈をして、しのぶをすりたる布の袋に、うちつけに思ひいづとや、故郷のしのぶ草にてすれるなりけり」とあるにより、火打を入れる袋としている。古義には「?袋《すりぶくろ》なるべし。?は、和名抄行旅具に、説文（ニ）云（フ）、?、竹篋也。楊氏漢語抄（ニ）云（フ）、?子、須利《スリ》。主鈴式に、凡（ソ）行幸（ノ）從駕（ノ）内印、并（セテ）驛鈴傳符等、皆｜納《イレ》2漆?子（ニ）1、主(161)鈴｜與《ト》2少納言1、共（ニ）預（リテ）供奉（セヨ）云々とある是なり」とある。?は、竹で編んだもの。

　於吉奈佐備勢牟　オキナサビセム。オキナサビ、老人である性質をあらわす意。サビは、神サビ、娘子サビなとのサビに同じ。

【評語】ハリ袋とスリ袋とを對にして、歌つており、スリ袋を得て翁サビセムと歌つたのもおもしろい。特色のある歌だが、スリ袋の何物であるかが、明白でないので、今日としては感興がそがれる。

　

宴席詠2雪月梅花1歌一首

　

宴席に雪月梅花を詠める歌一首。

　

【釋】宴席詠雪月梅花歌　ウタゲニユキツキウメノハナヲヨメルウタ。宴席の興を添えるために、雪と月と梅花とを一首に詠んだので、數種の物を詠む歌の類である。

　

4134　雪の上に　照れる月夜《つくよ》に、

　梅の花　折りて贈らむ　

　愛《は》しき兒もがも。

　

　由吉乃宇倍尓《ユキノウヘニ》　天禮流都久欲尓《テレルツクヨニ》

　烏梅能播奈《ウメノハナ》　乎理天於久良牟《ヲリテオクラム》

　波之伎故毛我母《ハシキコモガモ》

　

【譯】雪の上に照つている月夜に、梅の花を折つて贈るべき、愛すべき子が欲しいな。

【評語】雪と月と梅花とを詠み入れたというだけの歌である。誰か若い女に見せたいという、類型的な形を採つている。

　

右一首、十二月、大伴宿祢家持作

　

(162)【釋】十二月　シハス。月を記しているだけで日を傳えない。

　

4135　わが夫子《せこ》が　琴取るなへに、

　常人の　いふ歎《なげ》きしも、

　いや重《し》き益すも。

　

　和我勢故我《ワガセコガ》　許登等流奈倍尓《コトトルナヘニ》

　都祢比登乃《ツネヒトノ》　伊布奈宜吉思毛《イフナゲキシモ》

　伊夜之伎麻須毛《イヤシキマスモ》

　

【譯】あなたが琴を取る時に、世の人のいう歎きが、いよいよ重なりまさることです。

【釋】許登等流奈倍尓　コトトルナヘニ。コトトルは、琴を取るで、琴を彈くことをいう。

　都祢比登乃　ツネヒトノ。ツネヒトは、世の一般の人。

　伊夜之伎麻須毛　イヤシキマスモ。シキは、重なる、マスは増すであろう。

【評語】主人秦の石竹が琴を彈ずるのを聞いて、詠んだ歌であろう。よい音樂のゆえに、憂愁を感ずるというのは、大陸の文學思想によつて開かれた情趣である。この歌、題詞無く、左註で説明しているのは、特例である。

　

右一首、少目秦伊美吉石竹舘宴、守大伴宿祢家持作

　

右の一首は、少目秦の伊美吉石竹の館の宴に、守大伴の宿祢家持の作れる。

　

天平勝寶二年正月二日、於2國廳1給2饗諸郡司等1宴歌一首

　

天平勝寶の二年正月二日、國の廳に饗を諸郡司等に給ふ宴の歌一首。

　

【釋】於國廳給饗諸郡司等宴歌　クニノマツリゴトノヤニ、アヘヲコホリノツカサタチニタマフウタゲノウタ。

　

(163)正月には、國都の役人たちに饗を賜うことになつていた。その宴の歌である。「三年正月一日、於2因幡（ノ）國（ノ）廳（ニテ）1、賜（ヘル）2饗（ヲ）國郡（ノ）司等（ニ）1之宴（ノ）歌」（卷二十、四五一六）。

　

4136　あしひきの　山の木末《こぬれ》の

　ほよ取りて、

　插頭《かざ》しつらくは　千年｜壽《ほ》くとぞ。

　

　安之比奇能《アシヒキノ》　夜麻能許奴禮能《ヤマノコヌレノ》

　保與等理天《ホヨトリテ》

　可射之都良久波《カザシツラクハ》　知等世保久等曾《チトセホクトゾ》

　

【譯】あの山の木の枝先のヤドリギを採つて、かざしにしたことは、千年もの命を祝うとてだ。

【釋】夜麻能許奴禮能　ヤマノコヌレノ。山の木の伸びた枝先の。

　保與等理天　ホヨトリテ。ホヨは、新撰字鏡に「樢、都皎（ノ）反、寄生（スル）者。又蔦（ノ）字、保與《ホヨ》」とあり、倭名類聚鈔に「寄生、本草（ニ）云（フ）、寄生。一名寓木。寓亦寄也。音遇、夜度利岐《ヤドリギ》、一（ニ）云（フ）保夜《ホヤ》」とある。ヤドリギである。ヤドリギ科の常緑植物で、他の樹木に寄生する。めでたいものとして賞していたのであろう。

　可射之都良久波　カザシツラクは。ツラクは、つることの意。助動詞ツに、助詞クの接續したものと推測されるが、助動詞ツは、ツラの如き形をもつていないのに、ツラクの形を示していることが注意される。「問2賜僕之哭伊佐知流之事1故《アガナキイサチルコトヲトヒタマヒケレバ》、白都良久《マヲシツラク》」（古事記上卷）、「寐宿難爾登《イモネガテニト》　阿可思通良久茂《アカシツラクモ》」（卷四、四八五）。

　知等世保久等曾　チトセホクトゾ。千年を祝すると(164)ぞいうの意。チトセは、千年の壽命。

【評語】新年の宴會に、ヤドリギをかざしとしたものであろう。ヤドリギをかざしにすることを説明しただけの歌であるが、これによつてヤドリギに對する信仰も窺われる。

　

右一首、守大伴宿祢家持作

　

判官久米朝臣廣繩之館宴歌一首

　

判官久米の朝臣廣繩の館にて宴せる歌一首。

　

【釋】判官　マツリゴトビト。椽に同じ。守を長官、介を次官、椽を判官とした。

　

4137　正月《むつき》立つ　春のはじめに、

　かくしつつ　あひし笑《ゑ》みてば、

　時じけめやも。

　

　牟都奇多都《ムツキタツ》　波流能波自米尓《ハルノハジメニ》

　可久之都追《カクシツツ》　安比之惠美天婆《アヒシヱミテバ》

　等枳自家米也母《トキジケメヤモ》

　

【譯】正月が來る春のはじめに、かようにしながらお互に笑みかわすならば、その時でないとはいえない。

【釋】牟都奇多都波流能波自米尓　ムツキタツハルノハジメニ。正月になるのと、春の初めとは、かならずしも一致するものではないが、大體に一致するものとして歌われている。

　安比之惠美天婆　アヒシヱミテバ。アヒヱミテバに、助詞シを插んで、アヒを強調している。おたがいに笑みかわしたならば。

　等枳自家米也母　トキジケメヤモ。形容詞類似の活用を有する時ジの變化トキジケに、助動詞ム、助詞ヤモ(165)が接續した形。その時でないことはないだろう。かように笑みかわすのは、その時節がなく、何時でもよい。「何時々々《イツモイツモ》　來益我背子《キマセワガセコ》　時自異目八方《トキジケメヤモ》」（卷四、四九一）。

【評語】新年は、事物の初めとされるので、その年頭に當つて、かようにあい笑むならば、これは何時でもこの通りだろうの意。新年の賀詞として、笑顔を持ち出したのが特色である。しかし意餘つて詞足らずで、表現は十分でなく、五句などちよつと解しにくい所がある。

　

同月五日、守大伴宿祢家持作之

　

縁d檢2察墾田地1事u、宿2礪波郡主帳多治比部北里之家1。于v時忽起2風雨1、不v得2辭去1作歌一首

　

墾田の地を?へ察《み》る事に縁《よ》りて、礪波《となみ》の郡の主帳《ふみひと》多治比部《たぢひべ》の北里の家に宿る。時に忽に風雨起りて、辭去することを得ずして作れる歌一首

　

【釋】縁檢察墾田地事　ハリタノトコロヲカムガヘミルコトニヨリテ。墾田の地のことは、前に東大寺の占墾地使の條（卷十八、四〇八五）に見えている。寺領その他庶人が、私に所有とする開墾の田地である。

　礪波郡主帳　トナミノコホリノフミヒト。主帳は、書記。

　多治比部北里　タヂヒベノキタサト。傳未詳。

　

4138　荊波《やぶなみ》の　里に宿｜借《か》り、

　春雨に　隱《こも》り障《つつ》むと

(166)　妹に告げつや。

　

　夜夫奈美能《ヤブナミノ》　佐刀尓夜度可里《サトニヤドカリ》

　波流佐米尓《ハルサメニ》　許母理都追牟等《コモリツツムト》

　伊母尓都宜都夜《イモニツゲツヤ》

　

【譯】荊波の里に宿を借りて、春雨に降りこめられて、こもつてなやんでいると、妻に告げたか。

【釋】夜夫奈美能　ヤブナミノ。ヤブナミは、延喜式神名に、越中の國礪波の郡に、荊波神社とある、その地だろうが、所在不明。

　許母理都追牟等　コモリツツムト。コモリは、雨に降りこめられてこもることをいい、雨ゴモリの語がある。ツツムは、こもつて物忌みすること。雨ツツミの語がある。その中で、コモリの方は、家に籠居する意で物質的、ツツムの方は、雨のためになやむことである。

　伊母尓都宜都夜　イモニツゲツヤ。家持の妻坂上の大孃は、はじめ奈良に留まつていたが、後、越中の國に下つた。その時期は明白でないが、卷の十九には、天平勝寶二年三月二十三日の歌の前に　「爲（ニ）3家婦贈（ラム）2在（ス）v京（ニ）尊母（ニ）1所《ラエテ》v誂（ヘ）作（レル）歌」（四一六九）があつて、それよりも前に下つていたのであるから、この礪波郡での歌の作られた同年二月十八日には、既に下つていたのだろうという。そうすれば、この歌の妹は、その妻をいうことになる。

【評語】旅中雨に降りこめられて、家なる妹のことを思つている。荊波の里、春雨、妹と直接に關係のない語で、しかも通じる所があるのが、自然でよい。春雨に降りこめられた憂悶の情を歌つておりながら、あかるい感じを與える。

　

二月十八日、守大伴宿祢家持作

　

萬葉集卷第十八

　

(167)萬葉集卷第十九

　

(169)萬菓集卷第十九

　

　萬葉集の末四卷のうち、家持の手録の樣相をもつとも多く殘しているのは、この一卷である。月に懸け日に懸けて自他の歌を記し、また傳聞した古歌をも記して行き、その自作だけの場合には、署名を省略してあるなど、個人の集としての性質を存している。時代は、前卷を受けて天平天平勝寶二年三月一日から、五年二月二十五日に至るまで、三個年にわたり、家持は、はじめ越中の國にいたが、勝寶三年七月に少納言に遷任してからは、上京して奈良に移つた。上京してからは、作歌の數は減じたが、越中在任時代の修業が效果をあらわして、獨得の歌境に到達した。なお歌の時代としては、傳聞を記した歌の中に、壬申の年の亂の平定せし後の歌というのがあつて、天武天皇の時代と認められ、これが卷中の最古である。歌數は、百五十四首あり、そのうち長歌二十三首、短歌百三十一首で、長歌は比較的多いが、長いものはすくなく、六十一句あるものが最長である。

　文字は、表意文字と表音文字とを混用し、表音文字も、かなり多數使用されている。中に「勅（シテ）2從四位（ノ）上高麗（ノ）朝臣福信（ニ）1、遣（ハシ）2於難波（ニ）1、賜（ヘル）2酒肴（ヲ）入唐使藤原（ノ）朝臣清河等（ニ）1御歌」（四二六四）の如きは、寫本では、宣命《せんみよう》書きになつている。寫本では、古本系統では、元暦校本が大部分を存しており、類聚古集、古葉略類聚鈔に若干を傳えていることは他卷に同じである。仙覺本系統の古寫本では、金澤文庫本が殘つている。

　

天平勝寶二年三月一日之暮、眺2矚春苑桃李花1作二首

　

天平勝寶の二年三月一日の暮《ゆふべ》に、春の苑《その》の桃李の花を眺矚《なが》めて作れる二首。

　

(170)【釋】眺矚春苑桃李花作二首　ハルノソノノモモスモモノハナヲナガメテツクレルフタツ。モモの歌とスモモの歌と一首ずつである。眺矚は、よく見ること。この卷中、作者の名を記さないのは、大伴の家持の作であることが、卷末の左註に記してある。この頃家持はなお越中の國にいた。

　

4139　春の苑《その》　紅《くれなゐ》にほふ　桃の花、

　下《した》照る道に　出で立つ娘子《をとめ》。

　

　春苑《ハルノソノ》　紅尓保布《クレナヰニホフ》　桃花《モモノハナ》

　下照道尓《シタテルミチニ》　出立※［女＋感］嬬《イデタツヲトメ》

　

【譯】春の苑の、紅色の美しいモモの花。その下を照らす道に立ち出る娘さん。

【釋】紅尓保布　クレナヰニホフ。紅色で咲きいでている。ニホフは、モモの花の色美しく咲いているをいう。

　下照道尓　シタテルミチニ。シタテルは、モモの花の色が、赤くその下を照らしているをいう。神話における女性の名に、下照ル媛の名があり、美しい連想を伴なつていた語と見える。「多知婆奈能《タチバナノ》　之多泥流爾波爾《シタテルニハニ》」（卷十八、四〇五九）。

　出立※［女＋感］嬬　イデタツヲトメ。※［女＋感］嬬の文字は、人麻呂の作以來使用されている。

【評語】桃花の照り咲く下に、娘子を配した、艶麗の作である。初句三句五句に體言どめを使用し、印象的に敍せられている。

　

4140　わが園の　すももの花か　庭に落《ち》る。

　はだれのいまだ　殘りたるかも。

　

　吾園之《ワガソノノ》　李花可《スモモノハナカ》　庭尓落《ニハニチル》

　波太禮能未《ハダレノイマダ》　遣在可母《ノコリタルカモ》

　

【譯】わたしの園のスモモの花が、庭に散るのか。またはうすい雪がまだ殘つているのか。

【釋】庭尓落　ニハニチル。この句は、上のスモモノ花カを受けて結んでいる。ニハは屋前をいう。次のハダ(171)レにかけるのは誤りであろう。

　波太禮能未　ハダレノイマダ。ハダレは、うすく降つた雪霜の類をいう。ここは雪である。

【評語】庭に散り敷く花を見て詠んでいる。花か雪かと、疑つた形で歌つている。落花を殘雪に譬えることは、常用手段で珍しくはないが、スモモの純白な花を描いたのは、特色である。「わが園に梅の花ちる。ひさかたの天より雪の流れ來るかも」（卷五、八二二、大伴の旅人）と似ている所のある作である。

　

見2飜翔鴫1作歌一首

　

飜《と》び翔《かけ》る鴫を見て作れる歌一首。

　

【釋】見飜翔鴫作歌　トビカケルシギヲミテツクレルウタ。シギは、渉禽顎の一種。渡り鳥で、秋季に日本に來るが、種類が多く、澤水の邊に住む。倭名類聚鈔に「※［龍／鳥］、玉篇云（フ）、※［龍／鳥］音籠、漢語抄（ニ）云（フ）、之岐《シギ》、一（ニ）云（フ）田鳥　野鳥也」とある。鴫は、田鳥の義によつて作つた國字である。

　

4141　春まけて　物がなしきに、

　さ夜｜更《ふ》けて　羽《は》ぶき鳴く鴫《しぎ》

　誰《た》が田にか住む。

　

　春儲而《ハルマケテ》　物悲尓《モノガナシキニ》

　三更而《サヨフケテ》　羽振鳴志藝《ハブキナクシギ》

　誰田尓加須牟《タガタニカスム》

　

【譯】春を待ち受けて、感傷されるのに、夜が更けて、羽を振つて鳴くシギは、誰の田に住むのか。

【釋】春儲而　ハルマケテ。マケテは、その時を待ち得ての意。「春設而《ハルマケテ》　如此歸等母《カクカヘルトモ》」（卷十九、四一四五）。

　物悲尓　モノガナシキニ。モノガナシは、何によらず心の感じやすくあるをいう。春の感傷である。

　三更而　サヨフケテ。三更は夜中。義をもつて讀んでいる。

(172)　羽振鳴志藝　ハブキナクシギ。ハブキは、羽を振うをいう。

【評語】夜おそく、シギの羽を振つて鳴くのを詠んでいる。初二句の感傷は、文學的に得て來た所であろう。その?態において、夜のシギの聲を聞いた情趣は、ねらい所を得ているだろうが、五句の、誰ガ田ニカ住ムは、安易に過ぎて、折角の感興を破壞してしまう。但し、住ムは、女のもとに宿ることを意味しているだろう。なおこの歌意に對して、題の、飜ビ翔ル鴫ヲ見テというのは、一致しない。

　

二日、攀2柳黛1思2京師1歌一首

　

二日、柳の黛を攀ぢて京師を思《しの》ふ歌一首。

　

【釋】攀柳黛思京師歌　ヤナギノマヨズミヲヨヂテミヤコヲシノフウタ。柳黛は、ヤナギの新葉をいう。黛は眉墨で、眉を描く彩具である。黛をもつて描いた眉が、新柳の葉に類しているので、これを柳眉といい、轉じて新柳の葉を柳黛と云つたのである。柳は、シダレヤナギをいう。攀は、引き寄せて折る意。京師は、奈良の京をいう。

　

4142　春の日に　萌《は》れるやなぎを

　取り持ちて　見れば京《みやこ》の

(173)　大路念ほゆ。

　

　春日尓《ハルノヒニ》　張流柳乎《ハレルヤナギヲ》

　取持而《トリモチテ》　見者京之《ミレバミヤコノ》

　大路所v念《オホヂオモホユ》

　

【譯】春の日に芽ぶいているヤナギを手に取つて見れば、都の大路が思われる。

【釋】張流柳乎　ハレルヤナギヲ。ハレルは、芽のふくらんでいる。しかしここは、やや葉の開いているのをいうのだろう。「山代《ヤマシロノ》　久世乃鷺坂《クセノサギサカ》　自2神代1《カミヨヨリ》　春者張乍《ハルハリツツ》　秋者散來《アキハチリケリ》」（卷九、一七〇七）。

【評語】ヤナギの芽ぶいているのを見て、奈良の京を思いやつている。その大路に、ヤナギが春風に枝を垂れている樣が思い浮かべられる。平易な表現で、よく望郷の詩趣を歌つている。

　

攀2折堅香子草花1歌一首

　

堅香子《かたかご》草の花を攀《よ》ぢ折る歌一首。

　

【釋】攀折堅香子草花歌　カタカゴクサノハナヲヨヂヲルウタ。カタカゴは、今カタクリという。ユリ科の多年生草本。春早く花莖を出して、紅紫色の可憐な花を開く。北國では、カタコユリという。カタクリは、カタコユリの約言である。ヨヂヲルは、手で引き寄せて折る意。

　

4143　もののふの　八十娘子等《やそをとめら》が

　汲《く》みまがふ

　寺井の上《うへ》の　かたかごの花。

　

　物部乃《モノノフノ》　八十※［女＋感］嬬等之《ヤソヲトメラガ》

　?亂《クミマガフ》

　寺井之於乃《テラヰノウヘノ》　堅香子之花《カタカゴノハナ》

　

【譯】部族は多勢であるが、そのように多勢の娘たちの水を汲み亂れている寺の井の上のカタカゴの花はこれだ。

(174)【釋】物部乃　モノノフノ。枕詞。モノノフは、朝廷に奉仕する部族で、數が多いから、八十に冠する。これは、「物乃部能《モノノフノ》　八十氏河乃《ヤソウヂガハノ》」（卷三、二六四）などの用法から、轉じた用法であろう。

　八十※［女＋感］嬬等之　ヤソヲトメラガ。ヤソヲトメラは、多數の娘子。

　?亂　クミマガフ。多數の人が入り亂れて汲むのをいう。?は、水を汲む意。用例は多い。

　寺井之於乃　テラヰノウヘノ。テラヰは、寺にある井。於は、上に同じく、上方の意に使用される字で、これも集中に用例が多い。

【評語】里の娘たちが、集まつて水を汲むことを敍し、その寺井の上に咲いたカタカゴの花の説明としている。カタカゴとは直接に關係のないことで、しかもこれでカタカゴの風情を描くに役立つている。情趣のゆたかな歌となつている。

　

見2歸雁1歌二首

　

4144　燕｜來《く》る　時になりぬと、

　雁がねは

(175)　本郷《くに》思《しの》ひつつ　雲｜隱《がく》り鳴《な》く。

　

　燕來《ツバメクル》　時尓成奴等《トキニナリヌト》

　雁之鳴者《カリガネハ》

　本郷思都追《クニシノヒツツ》　雲隱鳴喧《クモガクリナク》

　

【譯】燕の來る時になつたと、雁は、故郷を思つて、雲に隱れて鳴く。

【釋】燕來時尓成奴等　ツバメクルトキニナリヌト。ツバメは、倭名類聚鈔に「?、爾雅集注（ニ）云（フ）、?鳥見（ノ）反、豆波久良米《ツバクラメ》白※［目＋豆］（ノ）小鳥也」とある。春分の日に來て秋分の日に去るといわれている。卷の十八の漢詩に見えるが、歌にはこれ一つである。

　本郷思都追　クニシノヒツツ。クニは、雁の北方の棲息地をいう。

【評語】燕と雁との入れまじるという知識を詠んでいるだけで、情趣の乏しい作である。雁の聲が、概念的、知識的に取り扱われているからである。

　

4145　春《はる》設《ま》けて　かく歸るとも、

　秋風に

　黄葉《もみち》の山を　超え來ざらめや。

　

　春設而《ハルマケテ》　如此歸等母《カクカヘルトモ》

　秋風尓《アキカゼニ》

　黄葉山乎《モミチノヤマヲ》　不2超來1有米也《コエコザラメヤ》

　

【譯】春を待ち受けてかように歸るとも、秋風に黄葉する山を越えて來ないことはない。

【釋】黄葉山乎　モミチノヤマヲ。モミツルヤマヲ（考）モミチムヤマヲ（古義）。文字について讀めば、モミチノヤマヲである。

　不超來有米也　コエコザラメヤ。越えて來ないことはないだろう。越えて來るにきまつているの意。

【評語】秋風に黄葉の山を越えるの句が美しいだけで、平凡な作という外はない。雁の語を使つていないのは、前の歌と、連作としてであろうし、また雁にかわつて言つているとも解せられる。

　

(176)一云、春去者《ハルサレバ》　歸此鴈《カヘルコノカリ》

　

一は云ふ、春されば　歸るこの雁。

　

【釋】春去者歸此鴈　ハルサレバカヘルコノカリ。前の歌の初二句の別傳で、多分作者の別案であろう。これには雁の語が詠まれており、雁にかわつて詠んだのでないことになる。歸ルコノ雁というのは、説明的で、調子を損ずるものがある。

　

夜裏聞2千鳥喧1歌二首

　

夜のうちに千鳥の喧《な》くを聞く歌二首。

　

【釋】夜裏聞千鳥喧歌　ヨノウチニチドリノナクヲキクウタ。裏は、添えて書いているだけの字だが、中の如き意に使い、國語に飜す時には、ウチニと讀んでよい。夢裏、暗裏など使つている。チドリは、水禽の千鳥である。

　

4146　夜ぐたちに　寐覺めて居《を》れば、

　河瀬｜尋《と》め

　情《こころ》もしのに　鳴く千鳥かも。

　

　夜具多知尓《ヨグタチニ》　寐覺而居者《ネザメテヲレバ》

　河瀬尋《カハセトメ》

　情毛之努尓《ココロモシノニ》　鳴知等理賀毛《ナクチドリカモ》

　

【譯】夜ふけに眼がさめておると、河瀬を求めて、心がうたれるまでに鳴く千鳥だなあ。

【釋】夜具多知尓　ヨグタチニ。ヨグタチは、夜の更けた時。熟語として使われている。

　河瀬尋　カハセトメ。千鳥の鳴く?態を説明している。河瀬に下りようとして求めているのである。

(177)【評語】夜の千鳥の聲が、感傷を誘うことを歌つている。作者自身や、千鳥の上に、描寫がなされているだけに、しみじみした氣もちが浮かんで來る。

　

4147　夜ぐたちて　鳴く河千鳥、

　うべしこそ

　昔の人も　しのひ來にけれ。

　

　夜降而《ヨグタチテ》　鳴河波知登里《ナクカハチドリ》

　宇倍之許曾《ウベシコソ》

　昔人母《ムカシノヒトモ》　之努比來尓家禮《シノヒキニケレ》

　

【譯】夜が更けて鳴く川千鳥よ、昔の人の愛して來たのももつともだ。

【釋】宇倍之許曾　ウベシコソ。昔の人の愛し來たことを承認する意に置かれている。

【評語】人麻呂、赤人などにも千鳥の歌があり、それらを思つているのだろう。古人も賞美したというだけに、獨自性が乏しく、平凡に墮している。前の歌と連作として、その意を補う性質の歌である。

　

聞2曉鳴雉1歌二首

　

曉に鳴く雉《きぎし》を聞く歌二首。

　

【釋】聞曉鳴雉歌　アカトキニナクキギシヲキクウタ。國守の館にいて、裏山から聞えて來るキジの聲を詠んだのであろう。キジは、曉方によく鳴くものである。

　

4148　すぎの野に　さ躍《をど》るきぎし、

　いちしろく　啼《ね》にしも哭《な》かむ

　隱妻《こもりづま》かも。

　

　椙野尓《スギノノニ》　左乎騰流雉《サヲドルキギシ》

　灼然《イチシロク》　啼尓之毛將v哭《ネニシモナカム》

　己母利豆麻可母《コモリヅマカモ》

　

(178)【譯】スギの生えている野に躍るキジよ。そのように人に知られるまでに聲に出して泣くべき隱し妻か。

【釋】椙野尓　スギノノニ。椙は※［木＋褞の旁］の俗字であろう。※［木＋褞の旁］は、箋註倭名類聚砂に「按（ズルニ）集韻（ニ）云（フ）、※［木＋褞の旁］、烏混（ノ）切、杉木。是※［木＋褞の旁］訓（ズ）v杉（ト）、非（ザル）皇國（ノ）俗用（ニ）1也」とある。スギノノは、スギの木の生えている原野。

　左乎騰流雉　サヲドルキギシ。サは接頭語。サヲドルは、キジの跳び廻るをいう。

　灼然啼尓之毛將哭　イチシロクネニシモナカム。キジの鳴聲の高く聞えるのをいう。連體句。

　己母利豆麻可母　コモリヅマカモ。コモリヅマは、人に知られない妻。この歌では、キジの妻のことを言つている。

【評語】キジのけたたましく鳴くのを聞いて、そんなに鳴いてよいのかと危ぶんでいる氣もちである。イチシロク鳴クという言葉そのものに興味を持つて構成されているのだろう。初二句のキジの敍述は、氣もちのよい句だ。

　

4149　あしひきの　八峯《やつを》のきぎし、

　なき響《とよ》む　朝明《あさけ》の霞

　見ればかなしも。

　

　足引之《アシヒキノ》　八峯之雉《ヤツヲノキギシ》

　鳴響《ナキトヨム》　朝開之霞《アサケノカスミ》

　見者可奈之母《ミレバカナシモ》

　

【譯】方々の峯のキジの鳴き立てる明け方の霞を見ると、感に堪えない。

【釋】足引之八峯之雉　アシヒキノヤツヲノキギシ。アシヒキノは枕詞。山に冠することから轉じて峯に冠している。ヤツヲは、ヤツは、多數、ヲは、谷の反對の高み。あちこちの高み。キジが、あちらでもこちらでも鳴くのである。

　見者可奈之母　ミレバカナシモ。カナシは、感動する意の形容詞。ここは賞美の氣もちである。

(179)【評語】春の朝あけを描いた美しい歌である。霞の中からあちこち遠くも近くもキジの聲の聞える有樣である。表現としては、霞に對する視覺に重點を置いているが、逆の行き方もあろう。しかしこの歌の形の方が、類型的でないといえる。

　

遙聞2泝v江船人之唱1歌一首

　

遙かに江を泝る船人の唱《うた》を聞く歌一首。

　

【釋】遙聞泝江船人之唱歌　ハルカニエヲサカノボルフナビトノウタヲキクウタ。江は、歌によれば、射水川である。國守の館は、丘上にあつて、射水川にただちに接していないで、遙かにその聲を聞くことになるのだろう。

　

4150　朝｜床《どこ》に　聞けば遙《はる》けし。

　射水河

　朝漕ぎしつつ　唱《うた》ふ船人。

　

　朝床尓《アサドコニ》　聞者遙之《キケバハルケシ》

　射水河《イミヅガハ》

　朝己藝思都追《アサコギシツツ》　唱船人《ウタフフナビト》

　

(180)【譯】朝の床に聞けば遠くに聞える。射水川を朝船を漕ぎながら歌う船人の聲は。

【釋】朝床尓　アサドコニ。アサドコは、朝の寢床。「寢（タル）2朝床（ニ）1之｜高胸坂《タカムナサカ》」（古事記上卷）。

【評語】朝眼さめて、遠く射水川を漕ぐ船人の歌を聞く。おちついた歌境である。ハルケシというだけで、主觀を露出していないので、趣が深くなつている。作者の歌境も、ようやくこの靜寂の域に進んで來た。

　

三日、守大伴宿祢家持之館宴歌三首

　

三日、守大伴の宿禰家持の館に宴する歌三首。

　

【釋】三日　ミカ。三月三日で、上巳の宴を開いたのである。

　

4151　今日のためと　思ひて標《し》めし

　あしひきの　峯《を》の上《へ》の櫻、

　かく咲きにけり。

　

　今日之爲等《ケフノタメト》　思標之《オモヒテシメシ》

　足引乃《アシヒキノ》　峯上之櫻《ヲノヘノサクラ》

　如v此開尓家里《カクサキニケリ》

　

【譯】今日のためと思つて占めておいた、山の上のサクラは、このとおり咲いたことだ。

【釋】今日之爲等　ケフノタメト。今日の酒宴に備えて。

　如此開尓家里　カクサキニケリ。山のサクラを切つて來たのが、今宴席の上に咲いたのを、カクとさしている。

【評語】その席上のサクラの花を説明している。前から用意してあつたことを強調しているだけの歌である。瓶裏の花を、アシヒキノ峯ノ上ノ櫻と言つたのに、多少の手段がある。

　

(181)4152　奧山の　八峯《やつを》のつばき、

　つばらかに　今日は暮らさね。

　丈夫《ますらを》のとも。

　

　奧山之《オクヤマノ》　八峯乃海石榴《ヤツヲノツバキ》

　都婆良可尓《ツバラカニ》　今日者久良佐祢《ケフハクラサネ》

　大夫之徒《マスラヲノトモ》

　

【譯】奧山のあちこちの山のツバキ、その名のように、心をつくして今日はお過ごしなさい。男子の方々よ。

【釋】奧山之八峯乃海石榴　オクヤマノヤツヲノツバキ。同音によつて、ツバラカニという句の序としている。ヤツヲは、前出の如く、多くの高みだが、ここでは、ツバキのある山の有樣で、あちこちの峯から採り合わせた意ではない。

　都婆良可尓　ツバラカニ。委曲に、十分にで、心を十分にのばしての意。

【評語】ツバキもやはり席上にあつて、それを序に利用したのだろう。客に對して歡をつくすようにと勸める作としては、よくできている。

　

4153　漢人《からひと》も　※［木＋伐］《いかだ》浮かべて　遊ぶといふ

　今日ぞ、わが夫子《せこ》、

　花蘰《はなかづら》せよ。

　

　漢人毛《カラヒトモ》　※［木＋伐］浮而《イカダウカベテ》　遊云《アソブトイフ》

　今日曾和我勢故《ケフゾワガセコ》

　花縵世余《ハナカヅラセヨ》

　

【譯】唐國の人も、いかだを浮かべて遊ぶという今日ですよ、あなた、花の蘰をなさい。

【釋】※［木＋伐］浮而　イカダウカベテ。※［木＋伐］は、木を編んで作つて水に浮かべたもの。ここは眞のいかだでなく、漢文にいう舟筏の意で、船のことであろう。

　花縵世余　ハナカヅラセヨ。仙覺本には、余を奈に作り、ハナカヅラセナとしている。ハナカヅラは、花を(182)編んで作つた蘰。

【評語】漢人を援引して、樂しい行事をいとなむべきことを述べている。唐人の文化生活を追い求める風潮がうかがわれる。花蘰をして遊ぶ一日は、當時の愉快な風流事であつたであろう。歌としては、今日の上巳の日の説明に大部分を費しているのは物足りない。

　

八日、詠2白大鷹1歌一首　并2短歌1

　

八日、白き大鷹を詠める歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】白大鷹　シロキオホタカ。シロキは、羽毛の色、オホタカは、雌の鷹である。倭名類聚鈔に「漢語抄（ニ）云（フ）、大鷹、於保多加《オホタカ》　兄鷹、勢宇《セウ》。今案（ズルニ）俗説、雄鷹謂（ヒ）2之（ヲ）兄鷹（ト）1、雌鷹謂（フ）2之（ヲ）大鷹（ト）1也」。家持は、先に天平十九年九月に愛する鷹を失つて長歌を詠んでいるが、その後、この鷹を得たのだろう。

　

4154　あしひきの　山坂越えて、

　去《ゆ》き更《かは》る　年の緒長く

　しなざかる　越《こし》にし住めば、

　大王《おほきみ》の　敷きます國は、

　都をも　此間《ここ》も同《おや》じと、

　心には　思ふものから、

　語り放《さ》け　見｜放《さ》くる人眼《ひとめ》

(183)　乏《とも》しみと　思《おも》ひし繁し。」

　そこゆゑに　情《こころ》和《な》ぐやと、

　秋づけば　はぎ咲きにほふ

　石瀬野《いはせの》に　馬だき行きて、

　遠近《をちこち》に　鳥踏み立て、

　白塗《しらぬり》の　小《を》鈴もゆらに

　合はせ遣《や》り　ふり放《さ》け見つつ、

　いきどほる　心の中《うち》を

　思ひ伸《の》べ　うれしびながら、

　枕づく　妻屋のうちに

　鳥座《とくら》結《ゆ》ひ　据《す》えてぞわが飼ふ。

　ま白斑《しらふ》の鷹。」

　

　安志比奇乃《アシヒキノ》　山坂超而《ヤマサカコエテ》

　去更《ユキカハル》　年緒奈我久《トシノヲナガク》

　科坂在《シナザカル》　故志尓之須米婆《コシニシスメバ》

　大王之《オホキミノ》　敷座國者《シキマスクニハ》

　京師乎母《ミヤコヲモ》　此間毛於夜自等《ココモオヤジト》

　心尓波《ココロニハ》　念毛能可良《オモフモノカラ》

　語左氣《カタリサケ》　見左久流人眼《ミサクルヒトメ》

　乏等《トモシミト》　於毛比志繁《オモヒシシゲシ》

　曾己由惠尓《ソコユヱニ》　情奈具也等《ココロナグヤト》

　秋附婆《アキヅケバ》　芽子開尓保布《ハギサキニホフ》

　石瀬野尓《イハセノニ》　馬太伎由吉?《ウマダキユキテ》

　乎知許知尓《ヲチコチニ》　鳥布美立《トリフミタテ》

　白塗之《シラヌリノ》　小鈴毛由良尓《ヲスズモユラニ》

　安波勢也理《アハセヤリ》　布里左氣見都追《フリサケミツツ》

　伊伎騰保流《イキドホル》　許己呂能宇知乎《ココロノウチヲ》

　思延《オモヒノベ》　宇禮之備奈我良《ウレシビナガラ》

　枕附《マクラヅク》　都麻屋之内尓《ツマヤノウチニ》

　鳥座由比《トクラユヒ》　須惠弖曾我飼《スヱテゾワガカフ》

　眞白部乃多可《マシラフノタカ》

　

【譯】山坂を越えて、改まる年の續き長く、遠く離れている越の國に住めば、天皇の領せられる國は、都も此處も同じだとは、心には思いながら、話をし逢い見る人眼がすくないので、思うことが多い。それゆえに、心が慰まるかと、秋になるとハギの美しく咲く石瀬野に馬を走らせて行つて、あちこちに鳥を踏み立て、銀で塗つた小鈴も鳴るまでに鷹を合わせて、ふり仰いで見て、憂悶する心のうちを、のびやかにし喜びながら、枕につく妻という、その妻屋のうちに、鳥の居處を置いて、わたしの飼う、眞白の鷹だ。

(184)【構成】第一段、思ヒシ繁シまで。越中に住んで憂悶の多いことを述べる。第二段、終りまで。鷹を飼つて憂悶を慰めることを述べる。

【釋】京師乎母此間毛於夜自等　ミヤコヲモココモオヤジト。天皇の領する國は、都でも地方でも同樣だという思想を歌つている。これは父の旅人の「八隅知之《ヤスミシシ》　吾大王乃《ワガオホキミノ》　御食國者《ヲスクニハ》　日本毛此間毛《ヤマトモココモ》　同登曾念《オヤジトゾオモフ》」（卷六、九五六）によつたものであろう。

　語左氣見左久流人眼　カタリサケミサクルヒトメ。サケ、サクルは、離す意の語。これを添えて、語りやる、見やるの如き語になつている。

　於毛比志繁　オモヒシシゲシ。オモヒは體言。上のシは、強意の助詞。句切。

　石瀬野尓　イハセノニ。イハセは、射水郡大門町の北の石瀬であろうという。「伊波世野爾《イハセノニ》　秋芽子之努藝《アキハギシノギ》　馬竝《ウマナメテ》　始鷹獵太爾《ハツトガリダニ》　不v爲哉將v別《セズヤワカレム》」（卷十九、四二四九）とも詠まれている地で、國府にも近く鷹狩に適していたのであろう。

　馬太伎由吉?　ウマダキユキテ。ダキは、不明の語。馬を走らせることかという。馬術の語に馬のやや早く走ることをダクアシというが、この語と同語であるかどうかわからない。

　白塗之小鈴毛由良尓　シラヌリノヲスズモユラニ。シラヌリは、鍍銀。鈴は、鷹の尾につけた鈴。ユラニは、さやかな音のする形容。「矢形尾乃《ヤカタヲノ》　安我大黒爾《アガオホグロニ》　之良奴里能《シラヌリノ》　鈴登里都氣?《スズトリツケテ》」（卷十七、四〇一一）。

　安波勢也理　アハセヤリ。鳥を目ざして鷹を合わせて放してやるのである。

　伊伎騰保流　イキドホル。心の憂悶する意である。日本書紀に、悒にイキドホリの訓をつけている。

　枕附　マクラヅク。枕詞。枕に親しむ意から妻に冠している。

　都麻屋之内尓　ツマヤノウチニ。ツマヤは、本屋に對する對の屋。「摩久良豆久《マクラヅク》　都摩夜佐夫斯久《ツマヤサブシク》　於母保(185)由倍斯母《オモホユベシモ》」（卷五、七九五）。

　鳥座由比　トクラユヒ。トクラは、鷹をとまらせておく處。倭名類聚鈔に、塒に註して「音時、訓｜止久良《トクラ》」とある。ユヒは、塒をつくるという。古く繩で結つて作つたから言い、釘を使用したとしても、その語が殘つているのである。

　眞白部乃多可　マシラフノタカ。フは生の義。生は、生えているところ。

【評語】第一段の敍述は、この作者の類型におちている。第二段にはいつてから、鷹の敍述があつてよい。最後を名詞で止めたのは、長歌としてはすくないが、鷹の歌としては、よく利いている。

　

4155　矢形尾《やかたを》の　眞白《ましろ》の鷹を

　屋戸《やど》に据ゑ、

　かき撫で見つつ　飼《か》はくし好《よ》しも。

　

　矢形尾乃《ヤカタヲノ》　麻之路能鷹乎《マシロノタカヲ》

　屋戸尓須惠《ヤドニスヱ》

　可伎奈泥見都追《カキナデミツツ》　飼久之余志毛《カハクシヨシモ》

　

【譯】矢形尾のま白の鷹を、屋戸に置いて、愛撫して見ながら、飼うことは愉快だ。

【釋】矢形尾乃　ヤカタヲノ。ヤカタヲは、矢の形をしている尾。「矢形尾乃《ヤカタヲノ》　安我大黒爾《アガオホクロニ》」（卷十七、四〇一一）。

　飼久之余志毛　カハクシヨシモ。カハクは、飼育すること。ヨシは、快し、樂しい。

【評語】鷹の説明に特色がある。いかにもよく鷹を愛撫する氣もちが出ている。しかし説明的になつていて、かき撫で見るというだけで、愛撫するさまが描かれていないのが物足りない。

　

潜v?歌一首　并2短歌1

　

(186)?を潜《かづ》くる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】潜?歌　ウヲカヅクルウタ。鵜を潜水させて魚を捕る樂しみを歌つている。秋から始まる鷹狩に對して、春から夏にかけての行樂である。

　

4156　あらたまの　年往き更《かは》り、

　春されば　花のみにほふ、

　あしひきの　山下｜響《とよ》み、

　落ち激《たぎ》ち　流る辟《さき》田の

　河の瀬に　年魚兒《あゆこ》さ走る。」

　島つ鳥　?養《うかひ》伴《とも》なへ

　篝《かがり》さし　なづさひ行けば、

　吾妹子が　形見がてらと、

　紅《くれなゐ》の　八入《やしほ》に染めて

　おこせたる　衣《ころも》の裾も、

　徹《とほ》りて濡れぬ。」

　

　荒玉能《アラタマノ》　年往更《トシユキカハリ》

　春去者《ハルサレバ》　花耳尓保布《ハナノミニホフ》

　安之比奇能《アシヒキノ》　山下響《ヤマシタトヨミ》

　墮多藝知《オチタギチ》　流辟田乃《ナガルサキタノ》

　河瀬尓《カハノセニ》　年魚兒狹走《アユコサバシル》

　島津鳥《シマツトリ》　鵜養等母奈倍《ウカヒトモナヘ》

　可我理左之《カガリサシ》　奈頭佐比由氣婆《ナヅサヒユケバ》

　吾妹子我《ワギモコガ》　可多見我?良等《カタミガテラト》

　紅之《クレナヰノ》　八鹽尓染而《ヤシホニソメテ》

　於己勢多流《オコセタル》　服之襴毛《コロモノスソモ》

　等寳利?濃禮奴《トホリテヌレヌ》

　

【譯】新しい年が行き改まつて、春になれば花ばかり美しく咲く山の下に響いて、落ち激して流れる辟田《さきた》の川の瀬に、點が走る。島の鳥である鵜を飼う人を伴ない、かがりをさして水をわけて行けば、わたしの妻の形見をかねて紅の濃い色に染めて送つて來た著物の裾も、中まで通つて濡れた。

(187)【構成】第一段、年魚兒サ走ルまで。春になると辟田川に鮎の走ることを述べる。第二段、終りまで。鵜飼をして衣服を濡らしたことを述べる。

【釋】花耳尓保布　ハナノミニホフ。考に耳を開の誤りとし、ハナサキニホフとしている。花がいつぱいに咲く意とすれば、原文のままでもよい。句を隔てて山を修飾する。

　流辟田乃河瀬尓　ナガルサキタノカハノセニ。ナガルは「流水沫能《ナガルミナワノ》」（卷十八、四一〇六）參照。サキタ川は、所在不明。

　年魚兒狹走　アユコサバシル。コは愛稱。「波流佐禮婆《ハルサレバ》　和伎覇能佐刀能《ワギヘノサトノ》　加波度爾波《カハトニハ》　阿由故佐婆斯留《アユコサバシル》　吉美麻知我※［人偏＋弖］爾《キミマチガテニ》」（卷五、八五九）。句切。

　島津鳥　シマツトリ。枕詞。

　?養等母奈倍　ウカヒトモナヘ。トモナヘは、伴ナフの下二段活と見られる。ともなわしめる。ともをさせる。「麻須良乎々《マスラヲヲ》　等毛奈倍立而《トモナヘタチテ》」（卷十九、四一八九）。

　可我理左之奈頭佐比由氣婆　カガリサシナヅサヒユケバ。かがり火をさしつけて水を分けて行けば。「之麻都等里《シマツトリ》　鵜養我登母波《ウカヒガトモハ》　由久加波乃《ユクカハノ》　伎欲吉瀬其登爾《キヨキセゴトニ》　可賀里左之《カガリサシ》　奈豆左比能保流《ナヅサヒノボル》」（卷十七・四〇一一）。

　吾妹子我　ワギモコガ。妻の坂上の大孃をさすのであろう。

　可多見我?良等　カタミガテラト。ガテラは、多く用言に接するが、ここでは體言に接している。形見半分と、形見をかねてと。

　八鹽尓染而　ヤシホニソメテ。ヤシホは、濃い染料。

【評語】短いだけに、よく纏まつている。やはり後半がよい。放逸せる鷹の歌の詞句によつているが、鵜養の敍述は具體的である。妻が濃いくれないに染めてよこした著物を下に著ているので、水がそれまで通つてその(188)裾が濡れたと留めているのは、趣がないでもない。男が、くれないの衣服を下著にもせよ著ているのは、今日からいえば變だが、當時は別にあやしむに足りなかつたのだろう。なお古義に、妻が形見がてらに贈つた衣服を著ているというので、當時まだ妻が奈良にいたのだとしているが、そういう證明にはならない。前に送つた衣服を著ていることもあり得るからである。

　

4157　紅《くれなゐ》の　衣にほはし、

　辟田《さきた》河　絶ゆることなく

　われかへりみむ。

　

　紅乃《クレナヰノ》　衣尓保波之《コロモニホハシ》

　辟田河《サキタガハ》　絶己等奈久《タユルコトナク》

　吾等眷牟《ワレカヘリミム》

　

【譯】紅色の著物を映じさせて、辟田川の絶えないように、絶えることなく、わたしはまた來て見よう。

【釋】衣尓保波之　コロモニホハシ。くれないの衣服の色を映えさせて。水にうつらせて。

　辟田河　サキタガハ。枕詞として使つている。

【評語】初二句に特色があるだけで、三句以下は、極めて類型的である。くれないの衣服の色が水にうつつてとは、長歌の説明がなかつたら、女子のことと誤解されるだろう。

　

4158　毎年《としのは》に　鮎し走らば、

　辟田河《さきたがは》、

　鵜《う》八頭《やつ》潜《かづ》けて　河瀬たづねむ。

　

　毎年尓《トシノハニ》　鮎之走婆《アユシハシラバ》

　左伎多河《サキタガハ》

　?八頭可頭氣?《ウヤツカヅケテ》　河瀬多頭祢牟《カハセタヅネム》

　

【譯】毎年鮎が走るならば、辟田川に、鵜をたくさん潜水させて、川の瀬を尋ねよう。

【釋】?八頭可頭氣?　ウヤツカヅケテ。ヤツは多數。カヅケは、潜かしめる意。「隱來之《コモリクノ》　長谷之川之《ハツセノカハノ》　上(189)瀬爾《カミツセニ》　鵜矣八頭漬《ウヤツカヅケ》　下瀬爾《シモツセニ》　鵜矣八頭漬《ウヤツカヅケ》」（卷十三、三三三〇）。

【評語】平凡な内容の歌である。マタカヘリ見ムを、多少具體的に敍述したものというほかはない。

　

季春三月九日、擬2出擧之政1、行2於舊江村1。道上屬2目物花1之詠、并興中所v作之歌

　

季春三月九日、出擧《すゐこ》の政せむとして舊江《ふるえ》の村に行く。道の上に目を物の花やかなるに屬《つ》くる詠、并はせて興の中に作れる歌。

　

【釋】擬出擧之政　スヰコノマツリゴトセムトシテ。出擧は既出（卷十七、四〇二九）。稻を百姓に貸して利稻を取ること。擬は、何々しようとするの意に使われている。

　舊江村　フルエノムラ。冨山縣射水郡にあり、布勢の水海の南岸にある。

　屬目物花之詠　メヲモノノハナヤカナルニツクルウタ。物花は自然現象の目に立つ物。景色。「於v是《ココニ》瞻2望《ノゾミ》物華（ヲ）1、各陳（ブ）2慟（ム）心（ヲ）1」（卷十五、三六九七）。

　興中所作之歌　オモシロシトオモフナカニツクレルウタ。感興を起して作つた歌だが、下の「悲（シム）2世間（ノ）無（キヲ）v常1歌」「豫（テ）作（レル）七夕（ノ）歌」「慕（フ）v振（フヲ）2勇士之名（ヲ）1歌」をさすものとされている。但しこれらは、机上の作で、古い歌集を繙きながら詠んだようであつて、旅中に興を起して作つたというにふさわない。疑問の存する所である。

　

過2澁谿埼1見2巖上樹1歌一首　樹名都萬麻

　

澁谿《しぶたに》の埼《さき》を過ぎて巖の上の樹を見る歌一首　樹の名はつまま。

　

【釋】過澁谿埼　シブタニノサキヲスギテ。澁谿は、二上山が、北方海に盡きる處。

(190)　樹名都萬麻　キノナハツママ。ツママは、クスノキ科の常緑喬木、タブノキ、一名イヌクス、方言タモノキという。葉はクスノキに似て、しばしば老樹となる。もとイソムマベ、トママシ等の諸説があつたが、この地方の肝煎《きもいり》宗九郎というもの、これをタモノキと推定し、安政五年この歌を碑刻にして、澁谿の埼のほとり、一本のタブノキの前にこれを建てた。

　

4159　礒の上の　つままを見れば

(191)　根を延《は》へて　年深からし。

　神《かむ》さびにけり。

　

　礒上之《イソノウヘノ》　都萬麻乎見者《ツママヲミレバ》

　根乎延而《ネヲハヘテ》　年深有之《トシフカカラシ》

　神左備尓家里《カムサビニケリ》

　

【譯】礒の上のツママを見ると、根を延ばして、年を重ねたらしい。神々しくなつている。

【釋】年深有之　トシフカカラシ。多くの年數を經たことをトシフカシという。この一句は插入文で、主文は、根ヲ延ヘテ神サビニケリと續く。獨立文をもつて、神サビニケリの前提となる。「一松《ヒトツマツ》　幾代可歴流《イクヨカヘヌル》　吹風乃《フクカゼノ》　聲之清者《コヱノキヨキハ》　年深香聞《トシフカミカモ》」（卷六、一〇四二）。

【評語】巖上の老樹に驚嘆した氣もちがよくあらわれている。ツママという特殊の樹名を詠じて、礒ノ上ノ、根ヲ延ヘテあたりに、ツママらしい所があらわれている。

　

悲2世間無1v常歌一首　并2短歌1

　

世間《よのなか》の常無きを悲しむ歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】悲世間無常歌　ヨノナカノツネナキヲカナシムウタ。佛教の無常思想を題材として取りあげている。山上の憶良の「哀（シム）2世間（ノ）難（キヲ）1v住（ミ）歌」（卷五、八〇四）あたりに刺戟されているのであろう。

　

4160　天地の　遠き始めよ、

　世間《よのなか》は　常無きものと、

　語り續《つ》ぎ　ながらへ來《きた》れ。

　天《あま》の原　ふり放《さ》け見れば、

(192)　照る月も　盈昃《みちかけ》しけり。

　あしひきの　山の木末《こぬれ》も、

　春されば　花咲きにほひ、

　秋づけば　露霜｜負《お》ひて、

　風｜交《まじ》り　黄葉《もみち》散りけり。」

　うつせみも　かくのみならし。

　紅《くれなゐ》の　色もうつろひ、

　ぬばたまの　黒髪｜變《かは》り、

　朝の咲《ゑみ》　暮《ゆふべ》變《かは》らひ、

　吹く風の　見えぬが如く、

　逝《ゆ》く水の　留《とま》らぬ如く、

　常も無く　移ろふ見れば、

　行潦《にはたづみ》　流るる涙

　止《とど》みかねつも。」

　

　天地之《アメツチノ》　遠始欲《トホキハジメヨ》

　俗中波《ヨノナカハ》　常無毛能等《ツネナキモノト》

　語續《カタリツギ》　奈我良倍伎多禮《ナガラヘキタレ》

　天原《アマノハラ》　振左氣見婆《フリサケミレバ》

　照月毛《テルツキモ》　盈昃之家里《ミチカケシケリ》

　安之比奇能《アシヒキノ》　山之木末毛《ヤマノコヌレモ》

　春去婆《ハルサレバ》　花開尓保比《ハナサキニホヒ》

　秋都氣婆《アキヅケバ》　露霜負而《ツユジモオヒテ》

　風交《カゼマジリ》　毛美知落家利《モミチチリケリ》

　宇都勢美母《ウツセミモ》　如是能未奈良之《カクノミナラシ》

　紅能《クレナヰノ》　伊呂母宇都呂比《イロモウツロヒ》

　奴婆多麻能《ヌバタマノ》　黒髪變《クロカミカハリ》

　朝之咲《アサノヱミ》　暮加波良比《ユフベカハラヒ》

　吹風能《フクカゼノ》　見要奴我其登久《ミエヌガゴトク》

　逝水能《ユクミヅノ》　登麻良奴其等久《トマラヌゴトク》

　常毛奈久《ツネモナク》　宇都呂布見者《ウツロフミレバ》

　尓波多豆美《ニハタヅミ》　流�H《ナガルルナミダ》

　等騰米可祢都母《トドミカネツモ》

　

【譯】天地の始まつた遠い時代から、世の中は無常のものだと、語り繼いで傳えて來たので、天上をふり仰いで見ると、照る月も滿ちたりかけたりしている。かの山の木の枝先も、春になれば花が美しく咲き、秋になりまさると、露霜を負うて、風と共に木の葉が散つた。生きている人もこのようであるらしい。くれないの顔の(193)色もあせ、黒い髪も白くなつて、朝の笑顔が夕方に變わつて、吹く風の見えないように、行く水の歸らないように、永久の事もなく、變わつて行くのを見ると、にわかに溢れ出る水のように流れる涙を、止めかねた。

【構成】第一段、風マジリ黄葉散リケリまで。萬象の無常を説く。第二段、終りまで。轉じて人生の無常を説き、哀傷の思いを述べる。

【釋】天地之遠始欲　アメツチノトホキハジメヨ。太古に天地が始まつた、その時からこの方。天地の初めの時という言い方を變えて、悠久な古代の感じを出している。

　俗中波　ヨノナカハ。俗は、人間世界の意に使つている。

　奈我良倍伎多禮　ナガラヘキタレ。ナガラヘは、續いてある意。キタレは、已然條件法。「安麻乃波良《アマノハラ》　布里左氣見都追《フリサケミツツ》　伊比都藝爾須禮《イヒツギニスレ》」（卷十八、四一二五）の例によつて、コソの係りなくして結ぶ形と見る説もある。これは上に、俗中は常なきものと言い、下に自然も常なきことを述べているので、うち合わないように思うのであるが、俗中は常なきものと傳えているので、轉じて自然を見ればの意と解すべきであろう。そうすれば條件法としてもよく通ずるのである。

　照月毛盈昃之家里　テルツキモミチカケシケリ。月の滿ち闕けをもつて、無常の表示とすることは「世間者《ヨノナカハ》　空物跡《ムナシキモノト》　將v有登曾《アラムトゾ》　此照月者《コノテルツキハ》　滿闕爲家流《ミチカケシケル》」（卷三、四四二）、「隱口乃《コモリクノ》　泊瀬之山丹《ハツセノヤマニ》　照月者《テルツキハ》　盈昃爲烏《ミチカケスルヲ》　人之常無《ヒトノツネナキ》」（卷七、一二七〇）などある。句切。

　春去婆花開尓保比　ハルサレバハナサキニホヒ。この句は直接に無常を表示せず、春は美しいがと、次の秋ヅケバ以下の前提となるものである。

　宇都勢美母如是能未奈良之　ウツセミモカクノミナラシ。上の自然の變化を受けて、人生またかくの如しと、次を起す發端としている、ウツセミは、しばしば出た語。現實にある人問。句切。

(194)　紅能伊呂母宇都呂比　クレナヰノイロモウツロヒ。クレナヰは、紅顔をいう。ウツロヒは、その老いて青黒くなるをいう。しかしただクレナヰだけでは、無理である。

　吹風能見要奴我其登久逝水能登麻良奴其等久　フクカゼノミエヌガゴトクユクミヅノトマラヌゴトク。「由久美都能《ユクミヅノ》　可敝良奴其等久《カヘラヌゴトク》　布久可是能《フクカゼノ》　美延奴我其登久《ミエヌガゴトク》　安刀毛奈吉《アトモナキ》　與能比登爾之弖《ヨノヒトニシテ》」（卷十五、三六二五）。

　尓波多豆美　ニハタヅミ。枕詞。雨の時など俄に出る泉。「庭多泉《ニハタヅミ》　流涙《ナガルルナミダ》　止曾金鶴《トメゾカネツル》」（卷二、一七八）。

　等謄未可祢都母　トドミカミツモ。仙覺本に未を米としてトドメカネツモとしている。動詞トドムの連用形は、トドミともトドメとも使つている。トドミの例は「余能許等奈禮婆《ヨノコトナレバ》　等登尾可禰都母《トドミカネツモ》」（卷五、八〇五）。未、尾は、ミの乙類の音の字であるから、このトドムは、上二段活と見られる。

【評語】佛教思想を歌つたものだが、すべて概念的に取り扱い、現實についていないので、切實感を與えない。山上の憶良の作を始め、古歌の影響を受けることの多いのも、一層形式的な作品たらしめている。構成は、一往順序よく處理されている。

　

4161　言《こと》問はぬ　木すら春咲き、

　秋づけば　黄葉《もみち》散《ち》らくは、

　常を無みこそ。

　

　言等波奴《コトトハヌ》　木尚春開《キスラハルサキ》

　秋都氣婆《アキヅケバ》　毛美知遲良久波《モミチチラクハ》

　常乎奈美許曾《ツネヲナミコソ》

　

【譯】物を言わない木でも、春は花が咲き、秋の季節になれば、黄葉が散ることは、無常だからだ。

【釋】言等波奴木尚春開　コトトハヌキスラハルサキ。言トハヌ木スラ何々というのは、諺になつていたのだろう。「事不v問《コトトハヌ》　木尚味狹藍《キスラアヂサヰ》」（卷四、七七三）、「言不v問《コトトハヌ》　木尚妹與兄《キスライモトセ》」（卷六、一〇〇七）などある。

(195)　秋都氣婆　アキヅケバ。秋の性質がしみ込めばで、十分に秋になるをいう。長歌にもあつたが、この歌の用法によつて、秋サレバと違う所が明白にされる。

　常乎奈美許曾　ツネヲナミコソ。何ら上に返る氣もちをもたないで文を終止している。この語形は、文を終止する性能をもつもので、コソは係助詞であるが、この場合、終助詞ともなつている。「乎良無登須禮杼《ヲラムトスレド》　宇良和可美許曾《ウラワカミコソ》」（卷十四、三五七四）。

【評語】長歌の前半を受けてその一部を細説したのだが、言トハヌ木スラと言つたのに特色がある。これも概念ふうな表現で、切實感を伴なわない。

　

一云、常無牟等曾《ツネナケムトゾ》

　

一は云ふ、常なけむとぞ。

　

【釋】一云、常無牟等曾　アルハイフ、ツネナケムトゾ。このままならば、前の歌の五句の別傳で、作者の別案と見るべきである。しかし次の歌にも、同樣の別傳があるので、事によると、佛足跡歌體の第六句であつたものを、誤つて一云を冠したのであるかも知れない。歌としては、そう見る方がおもしろいが、これはもとよりそういうこともあり得るだろうというまでのことである。

　

4162　うつせみの　常無き見れば、

　世のなかに　情《こころ》つけずて、

　念《おも》ふ日ぞ多き。

　

　宇都世美能《ウツセミノ》　常無見者《ツネナキミレバ》

　世間尓《ヨノナカニ》　情都氣受弖《ココロツケズテ》

　念日曾於保伎《オモフヒゾオホキ》

　

【譯】この世の人の無常であるのを見れば、世の中に心を留めないで、物を思う日が多い。

(196)【釋】情都氣受弖　ココロツケズテ。ツケズは著ケズ、執著しないで。

　念日曾於保伎　オモフヒゾオホキ。オモフは、道をおもう、無常をおもう意。

【評語】長歌の後半、人生無常の部分を受けている。ここに至つて、作者自身の敍述が出ているので、無常觀も生きて來る。しかし眞實に無常を感じているのでなくして、思想的に取り扱つていることには變わりはない。

　

一云、嘆日曾於保吉《ナゲクヒゾオホキ》

　

一は云ふ、嘆く日ぞ多き。

　

【釋】一云嘆日曾於保吉　アルハイフ、ナゲクヒゾオホキ。前の歌の五句の別傳で、佛足跡歌體の第六句とも見られることは、前述の通りである。

　

豫作七夕歌一首

　

【釋】豫作七夕歌　カネテツクレルナヌカノヨヒノウタ。この歌の作られた日はあきらかでないが、三月九日から二十日までのあいだであろう。そこでその時ではないが、七夕の歌を作つたので、豫作と題したのである。七夕の歌自體が、題詠のような性質を有するに加えて、その時でなくして詠んだのだから、題詠と見るべきである。古い七夕の歌を見て感興を催したのだろう。

　

4163　妹が袖　われまくらかむ。

　河の瀬に　霧立ち渡れ。

　さ夜ふけぬとに。

　

　妹之袖《イモガソデ》　我禮枕可牟《ワレマクラカム》

　河湍尓《カハノセニ》　霧多知和多禮《キリタチワタレ》

　左欲布氣奴刀尓《サヨフケヌトニ》

　

(197)【譯】妻の袖を、わたしは枕にしよう。河の瀬に霧よ立ち渡れ。夜の更けないうちに。

【釋】》和禮枕可牟　ワレマクラカム。マクラカは、枕を動詞に活用した語の未然形。「比等能比射乃倍《ヒトノヒザノヘ》　和我麻久良可武《ワガマクラカム》」（卷五、八一〇）。句切。

　河湍尓霧多知和多禮　カハノセニキリタチワタレ。カハノセは、天の川の瀬。川霧に紛れて織女のもとに渡つて行こうというのである。

　左欲布氣奴刀尓　サヨフケヌトニ。トは、處の義で、内の意をあらわしている。多く時間上の内容に使われているが、時のトと音聲を異にしているので、時ではない。「君喚變瀬《キミヨビカヘセ》　夜之不v深刀爾《ヨノフケヌトニ》」（卷十、一八二二）參照。

【評語】牽牛星にかわつて詠んでいる。七夕の歌として平凡な作で、枕カムのような語が使いたくなつてできた歌だろう。渡つて行こうというのに、霧立チ渡レというのは、變わつた希望で、實際的でない。天の川に霧が立つという歌は、船をこぐので霧が立つという歌があるのを、その霧の方だけ受けたから、このような歌になつたのである。

　

慕v振2勇士之名1歌一首　并2短歌1

　

勇士の名を振ふことを慕《ねが》ふ歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】慕振勇士之名歌　マスラヲノナヲフルフコトヲネガフウタ。勇士としての名を立てることを欲する意の歌である。左註に、山上の憶良の歌に追和するとあるが、憶良の作は、「男子《をのこ》やも空しかるべき萬代に語り繼ぐべき名は立てずして」（卷六、九七八）の歌をいうのだろう。但し憶良にもなお長歌の作があつたのかもしれない。

　

(198)4164　ちちの實の　父の命、

　柞葉《ははそは》の　母の命、

　おほろかに　情《こころ》つくして

　念ふらむ　その子なれやも。

　丈夫や　空しくあるべき。」

　梓弓　末振り起し、

　投矢《なぐや》もち　千尋《ちひろ》射渡し、

　劔刀《つるぎたち》　腰に取り佩《は》き、

　あしひきの　八峯《やつを》踏み越え、

　さし任《ま》くる　情《こころ》障《さは》らず、

　後の代の　語り繼ぐべく、

　名を立つべしも。」

　

　知智乃實乃《チチノミノ》　父能美許等《チチノミコト》

　波播蘇葉乃《ハハソバノ》　母能美己等《ハハノミコト》

　於保呂可尓《オホロカニ》　情盡而《ココロツクシテ》

　念良牟《モフラム》　其子奈禮夜母《ソノコナレヤモ》

　大夫夜《マスラヲヤ》　无奈之久可v在《ムナシクアルベキ》

　梓弓《アヅサユミ》　須惠布理於許之《スヱフリココシ》

　投矢毛知《ナグヤモチ》　千尋射和多之《チヒロイワタシ》

　劔刀《ツルギタチ》　許思尓等理波伎《コシニトリハキ》

　安之比奇能《アシヒキノ》　八峯布美越《ヤツヲフミコエ》

　左之麻久流《サシマクル》　情不v障《ココロサハラズ》

　後代乃《ノチノヨノ》　可多利都具倍久《カタリツグベク》

　名乎多都倍志母《ナヲタツベシモ》

　

【譯】チチの實という名のような、父上、ハハソ葉という名のような、母上が、おろそかに心をつくして思つているだろうその子ではないのだ。男兒はむだにあるべきでない。梓弓の末を振り立て、矢で遠い處を射渡し、劔を腰に帶びて、數々の山を踏み越えて、任命する使命を達成して、後の代に語り繼ぐように名を立てるべきである。

【構成】第一段、空シクアルベキまで。父母の心をつくして育てた子だから、男兒はいたずらにあるべきでな(199)いことを述べる。第二段、終りまで。勇士としての名を立てるべきことを述べる。

【釋】知智乃實乃　チチノミノ。枕詞。同音によつて父に冠する。チチは、植物の名だろうが、實物について諸説がある。考にイチヨウとするのは、乳?のかたまりが幹にできるからである。屋代弘賢、新村出博士は、天仙果のこととする。天仙果は、クワ科の落葉灌木、イヌビワという。その實から乳?の汁を出す。野生のイチジクの類である。「知知能未乃《チチノミノ》　知々能美許等波《チチノミコトハ》」（卷二十、四四〇八）。

　波播蘇葉乃　ハハソバノ。枕詞。同音によつて母に冠する。ハハソは、コナラ。「波々蘇婆能《ハハソバノ》　波々能美許等波《ハハノミコトハ》」（卷二十、四四〇八）。

　於保呂可尓　オホロカニ。おろそかに。粗略に。

　其子奈禮夜母　ソノコナレヤモ。ヤモは、反語、疎路に心盡して思つているであろうその子を否定する。大切に心を盡している子であるの意になる。句切。

　大夫夜無奈之久可在　マスラヲヤムナシクアルベキ。山上の憶良の「士也母《ヲノコヤモ》　空應v有《ムナシカルベキ》」（卷六、九七八）の句によつている。句切。

　投矢毛知千尋射和多之　ナグヤモチチヒロイワタシ。ナグヤは、矢に同じ。もと投げたことが、語に殘つている。チヒロは、遠い處。

　左之麻久流情不障　サシマクルココロサハラズ。サシマクルは、差シ任クルで、任命する。その精神を物に障《さ》えられずに。サハラズは、妨げられずに貫徹する意。「安之比奇能《アシヒキノ》　夜麻野佐波良受《ヤマノサハラズ》　安麻射可流《アマザカル》　比奈毛乎佐牟流《ヒナモヲサムル》　麻須良袁夜《マスラヲヤ》　奈邇可母能毛布《ナニカモノモフ》」（卷十七、三九七三）。

【評語】男兒としての希望を歌つたもので、父母の心をつくした子だから、いたずらにあるべきでないとする思想が注意される。全體によく纏まつており、詞句緊張している。

　

(200)4165　丈夫《ますらを》は　名をし立つべし。

　後の代に　聞き繼ぐ人も、

　語り續《つ》ぐがね。

　

　大夫者《マスラヲハ》　名乎之立倍之《ナヲシタツベシ》

　後代尓《ノチノヨニ》　聞繼人毛《キキツグヒトモ》

　可多里都具我祢《カタリツグガネ》

　

【譯】勇士は名を立てるべきだ。後の代に聞き繼ぐ人も語り繼ぐだろう。

【釋】可多里都具我祢　カタリツゲガネ。ガネは、希望豫想の助詞。

【評語】長歌の内容を要約して、その外に出ていない。聞キ繼グと語リ繼グとを、四句と五句とに置いて、對比的な言い方をしているのは、一つの手段として見るべきものである。

　

右二首、追2和山上憶良臣作歌1

　

右の二首は、山上の憶良の臣の作れる歌に追ひ和ふる。

　

詠2霍公鳥并時花1歌一首　并2短歌1

　

ほととぎす并はせて時の花を詠める歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】時花　トキノハナ。ホトトギスの鳴く時節に咲く花である。歌詞にはアヤメ草と花タチバナとがあげられている。

　

4166　時ごとに　いやめづらしく、

　八千種《やちくさ》に　草木花咲き、

(201)　鳴く鳥の　音《こゑ》もかはらふ。

　耳に聞き　眼に視《み》るごとに、

　うち嘆き　萎《しな》えうらぶれ、

　偲《しの》ひつつ　あらそふ間《はし》に、

　木《こ》の晩闇《くれやみ》　四月《うづき》し立てば、

　夜ごもりに　鳴くほととぎす、

　古昔《いにしへ》ゆ　語り繼ぎつる、

　鶯の　うつし眞子《まこ》かも。

　あやめ草　花橘を、

　孃子らが　珠貫くまでに、

　茜さす　晝はしめらに、

　あしひきの　八丘《やつを》飛び越え、

　ぬばたまの　夜《よる》はすがらに、

　曉《あかとき》の　月に向かひて、

　往き還り　喧《な》き響《とよ》むれど、

　いかに飽きたらむ。」

　

　毎v時尓《トキゴトニ》　伊夜目都良之久《イヤメヅラシク》

　八千種尓《ヤチクサニ》　草木花左伎《クサキハナサキ》

　喧鳥乃《ナクトリノ》　音毛更布《コヱモカハラフ》

　耳尓聞《ミミニキキ》　眼尓視其等尓《メニミルゴトニ》

　宇知嘆《ウチナゲキ》　之奈要宇良夫禮《シナエウラブレ》

　之努比都追《シノヒツツ》　有争波之尓《アラソフハシニ》

　許能久禮罷《コノクレヤミ》　四月之立者《ウヅキシタテバ》

　欲其母理尓《ヨゴモリニ》　鳴霍公鳥《ナクホトトギス》

　從2古昔1《イニシヘヨ》　可多里都藝都流《カタリツギツル》

　?之《ウグヒスノ》　宇都之眞子可母《ウツシマコカモ》

　菖蒲《アヤメグサ》　花橘乎《ハナタチバナヲ》

　※［女＋感］嬬良我《ヲトメラガ》　珠貫麻泥尓《タマヌクマデニ》

　赤根刺《アカネサス》　晝波之賣良尓《ヒルハシメラニ》

　安之比奇乃《アシヒキノ》　八丘飛超《ヤツヲトビコエ》

　夜干玉乃《ヌバタマノ》　夜者須我良尓《ヨルハスガラニ》

　曉《アカトキノ》　月尓向而《ツキニムカヒテ》

　往還《ユキカヘリ》　喧等余牟禮杼《ナキトヨムレド》

　何如將2飽足1《イカニアキタラム》

　

【譯】時節ごとに、いよいよめずらしく種々に草木は花咲き、鳴く鳥の聲も變わつている。それを耳に聞き眼(202)に見るたびに、歎息して心もなえなえて感傷し、賞美しつつその美を爭つているおりに、木末が茂つて暗い四月になれば、夜のうちから鳴くホトトギス、昔から語り繼いで來たウグイスの實際の子か。アヤメ草や橘の花を、娘たちが玉として緒につらぬくまでに、あかるい晝は一日、數々の山を飛び越え、くらい夜は夜どおし、曉の月に向かつて、鳴き立てるけれども、どうして滿足できよう。

【構成】第一段、聲モカハラフまで。總説、季節ごとに花咲き鳥の鳴くことを述べる。第二段、終りまで。ホトトギスの愛賞されることを述べる。

【釋】喧鳥乃音毛更布　ナクトリノコヱモカハラフ。カハラフは、變ルの連續することをあらわす。季節の鳥の順次變わることを述べる。句切。

　之奈要宇良夫禮　シナエウラブレ。シナエは、萎える。心が打たれて感傷する意。ウラブレは、心悲しく思う意。いずれも花鳥を愛賞するあまりにいう。「於v君戀《キミニコヒ》　之奈要浦觸《シナエウラブレ》　吾居者《ワガヲレバ》」（卷十、二二九八）。

　有爭波之尓　アラソフハシニ。略解の宣長の説に、爭は來の誤りで、アリクルハシニとする。この有はアラの音の表示、爭は表意文字として使われている。有爭と書くのは異風のようで、他に用例はないが、同樣の書式に、荒爭、荒競としたものがある。但しこの場合の荒は、純然たる表音文字でなく、アラソフの語義を示しているのでもあろう。ハシは、その時。心に美を爭うおりしも。「去鳥乃《ユクトリノ》　相競端爾《アラソフハシニ》」（卷二、一九九）。

　許能久禮罷　コノクレヤミ。罷は訓假字。闇の意。闇のミは、乙類のはずであるのに、罷のミは、甲類と見られる。またこのような訓假字を使うのは、本卷には例もないことで、おかしいことである。

　欲其母理尓　ヨゴモリニ。夜をこめて、夜の中から。

　?之宇都之眞子可母　ウグヒスノウツシマコカモ。ホトトギスはウグイスの巣の中に卵を生んで育てさせると傳えている。ウツシは、現實の。マコは、子の愛稱。「鶯之《ウグヒスノ》　生卵乃中爾《カヒコノナカニ》　霍公鳥《ホトトギス》　獨所v生而《ヒトリウマレテ》」（卷九、一(203)七五五）。句切。

　晝波之賣良尓　ヒルハシメラニ。シメラは、シミラに同じ。充足してあること。晝はいつぱいに、一日中。「今日毛之賣良爾《ケフモシメラニ》」（卷十七、三九六九）。

　夜者須我良尓　ヨルハスガラニ。一夜中、夜が明けゆくまでの意であろう。「赤根刺《アカネサス》　晝者終爾《ヒルハシミラニ》　野干玉之《ヌバタマノ》　夜者須柄爾《ヨルハスガラニ》」（卷十三、三二七〇）。

　曉月尓向而　アカトキノツキニムカヒテ。茜サス晝ハシメラニ云々と、ヌバタマノ夜ハスガラニ云々とは、對句になつているのであり、この曉ノ月ニ向カヒテ往キ還リ鳴キトヨムレドの句は、夜ハスガラニの副詞句を受けて、夜間の敍述と見るべきである。然るに、曉の月というのは、時間上の矛盾があるようだが、ここに曉の月というのは、ありあけの月と同じように、曉まで殘る月をいうものと解せられる。この下に、「左夜深而《サヨフケテ》　曉月爾《アカトキツキニ》　影所v見而《カゲミエテ》　鳴霍公鳥《ナクホトトギス》　聞者夏借《キケバナツカシ》」（卷十九、四一八一）という歌があるが、その歌でも、夜のホトトギスを詠んで、しかも曉月ニ影見エテと言つている。サ夜更ケテ、曉月ニ影見エテという續き方を按ずるに、曉月とは、同じく曉に及んでも、殘つている月を、夜の中からいうものと解せられる。「今夜之《コヨヒノ》　在開月夜《アリアケヅクヨ》　在乍文《アリツツモ》　公叫置者《キミヲオキテハ》　待人無《マツヒトモナシ》」（卷十一、二六七一）の在開月夜の用法に同じである。

【評語】四季おりおりに花鳥の色音の美しいことを總説して、さて夏のホトトギスに及んだ構成はよい。しかしそのホトトギスの敍述が平凡で、低調であるのは遺憾である。ただわずかに、昔ヨリ語リツギツルウグヒスノウツシ眞子カモの插入文に、特色があるといえばいえる程度である。ホトトギスについて歌つていて、時の花については、わずかに觸れる所があるだけである。

　

反歌二首

　

(204)4167　時ごとに　いやめづらしく　咲く花を、

　折りも折らずも　見らくし好《よ》しも。

　

　毎時《トキゴトニ》　弥米頭良之久《イヤメヅラシク》　咲花乎《サクハナヲ》

　折毛不v折毛《ヲリモヲラズモ》　見良久之余志母《ミラクシヨシモ》

　

【譯】時節ごとにいよいよめずらしく咲く花を、折つても折らなくても見るのが愉快だ。

【評語】長歌の初めを受けて歌つている。平凡な内容だが、すなおに表現された、調子の良い歌になつている。

　

4168　毎年《としのは》に　來喧《きな》くものゆゑ、

　ほととぎす　聞けばしのはく。

　逢はぬ日を多み。【毎年は、としのはと謂ふ。】

　

　毎年尓《トシノハニ》　來喧毛能由惠《キナクモノユヱ》

　霍公鳥《ホトトギス》　聞婆之努波久《キケバシノハク》

　不v相日乎於保美《アハヌヒヲオホミ》【毎年謂2之等之乃波1】

　

【譯】毎年來て鳴くのだのに、ホトトギスを聞けば愛されることだ。逢わない日が多くて。

【釋】毎年尓　トシノハニ。下に註があつて、毎年をトシノハというとしている。年の端の義であろう。

　不相日乎於保美　アハヌヒヲオホミ。ホトトギスに逢わない日が多いので。聲を聞いて愛される理由を示している。

【評語】長歌のホトトギスの方を受けている。毎年來鳴クと、逢ハヌ日ヲ多ミとが、重なつて、複雜な内容となつている。毎年來て鳴くのだが逢わない日が多くての意である。それで歌が理に落ちている。

　

右廿日、雖v未v及v時、依v興預作也

　

右は二十日、いまだ時に及《いた》らねども、興に依りかねて作れり。

　

【釋】右廿日雖未及時　ミギハハツカ、イマダトキニイタラネドモ。三月二十日で、まだホトトギスの鳴くべ(205)き時ではないけれども。

　

爲3家婦贈2在v京尊母1、所v誂作歌一首　并2短歌1

　

家婦が京にいます尊母《ははのみこと》に贈らむがために、誂《あとら》へらえて作れる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】爲家婦贈在京尊母所誂作歌　イヘノメガミヤコニイマスハハノミコトニオクラムガタメニ、アトラヘラエテツクレルウタ。家婦は、家の妻。大伴の坂上の大孃である。坂上の大孃は、はじめ奈良に留まつていたが、この時は、越中の國に下つていたのである。下つた時は何時かわからないが、家持も既に任についてから今年は五年目なので、京に歸任すべき時もやがて近いことと豫想して呼んだのだろう。歌中に聞カヌ日マネクとあり、また下つたばかりの意の詞句がないから、かなり前に下つたものと見える。尊母は、大孃の母、坂上の郎女。所誂は、頼まれて。妻のために代作をしたのである。「爲（メ）v贈（ラム）2從駕《ミトモノ》人（ニ）1、所v誂《アトラヘラエテ》2娘子（ニ）1作（レル）歌」（卷四、五四三）。

　

4169　ほととぎす　來鳴く五月《さつき》に

　咲きにほふ　花橘の

　香《か》ぐはしき　親の御言《みこと》

　朝夕《あさよひ》に　聞かぬ日まねく

　天《あま》ざかる　夷《ひな》にし居《を》れば、

　あしひきの　山のたをりに

(206)　立つ雲を　外《よそ》のみ見つつ、

　嘆くそら　安けなくに、

　念ふそら　苦しきものを、

　奈呉《なご》の海人《あま》の　潜《かづ》き取るといふ

　眞珠《しらたま》の　見が欲し御面《みおもわ》、

　直向《ただむ》かひ　見む時までは、

　松柏《まつかへ》の　 榮えいまさね。

　尊き吾《あ》が君 【御面は、みおもわといふ。】

　

　霍公鳥《ホトトギス》　來喧五月尓《キナクサツキニ》

　咲尓保布《サキニホフ》　花橘乃《ハナタチバナノ》

　香吉《カグハシキ》　於夜能御言《オヤノミコト》

　朝暮尓《アサヨヒニ》　不v聞日麻祢久《キカヌヒマネク》

　安麻射可流《アマザカル》　夷尓之居者《ヒナニシヲレバ》

　安之比奇乃《アシヒキノ》　山乃多乎里尓《ヤマノタヲリニ》

　立雲乎《タツクモヲ》　余曾能未見都追《ヨソノミミツツ》

　嘆蘇良《ナゲクソラ》　夜須家奈久尓《ヤスケナクニ》

　念蘇良《オモフソラ》　苦伎毛能乎《クルシキモノヲ》

　奈呉乃海部之《ナゴノアマノ》　潜取云《カヅキトルトイフ》

　眞珠乃《シラタマノ》　見我保之御面《ミガホシミオモワ》

　多太向《タダムカヒ》　將v見時麻泥波《ミムトキマデハ》

　松栢乃《マツカヘノ》　佐賀延伊麻佐祢《サカエイマサネ》

　尊安我吉美《タフトキアガキミ》【御面謂2之美於毛和1】

　

【譯】ホトトギスの來て鳴く五月に美しく咲く橘の花の香のような、慕わしい母君のお言葉を、朝夕に聞かない日が多く、天のように遠い地方にいますので、あの山のくぼみに立つ雲を、よそにばかり見ながら、歎く心が安らかでなく、思う心が苦しいものを、奈呉の海人が、水に潜つて採るという眞珠のような、見たいと思うお顔を、じかに向かつて見ます時までは、常磐木のように、榮えておいで遊ばせ。貴いあなた樣。

【構成】全篇一文。

【釋】霍公鳥來喧五月尓咲尓保布花橘乃香吉　ホトトギスキナクサツキニサキニホフハナタチバナノカグハシキ。以上譬喩で、親の御言を稱えている。

　安之比奇乃山乃多乎里尓立雲乎余曾能未見都追　アシヒキノヤマノタヲリニタツクモヲヨソノミミツツ。山に立つ雲にも何のかかわりもなくの意。餘分な插入句であつて、次の海に關する句の對照として置かれている。

　夜須家奈久尓　ヤスケナクニ。形容詞のヤスケに、打消の、ヌコトの意のナクが接續している。

(207)　奈呉乃海部之潜取云眞珠乃　ナゴノアマノカヅキトルトイフシラタマノ。以上、譬喩による序として、見ガホシを引き起している。

　見我保之御面　ミガホシミオモワ。ミガホシは連體法。御面は、下の註に、ミオモワというとある。ワは輪の義で、接尾語である。

　松柏乃　マツカヘノ。枕詞。柏は、倭名類聚鈔に「柏、兼名宛（ニ）云（フ）、柏　音百　一名　※［木＋菊］　百菊、加閉《カヘ》」とある。これはヒノキの類である。また同書に「榧子、本草（ニ）云（フ）、栢實　上音百　一名榧子　上音匪、加閉《カヘ》」とあり、これによればカヤである。元來松柏の文字は、漢文の熟字から來ているので、大陸と日本とでは、植物の種類も違うから、的確に當てはまらないこともある。國語のカヘが、ヒノキの類のカヘをも、カヤをもいうとすれば、柏の字によつて、それらが總括されていると見るべきである。

【評語】妻にかわつて詠んでいるので、美しい詞句を使つて、すなおに作られている。しかし感激に乏しく、慕う心が痛切に響かないのは、やむを得ない。

　

反歌

　

4170　白玉の　見が欲《ほ》し君を　見ず久に、

　夷《ひな》にし居れば　生けるともなし。

　

　白玉之《シラタマノ》　見我保之君乎《ミガホシキミヲ》　不v見久尓《ミズヒサニ》

　夷尓之乎禮婆《ヒナニシヲレバ》　伊家流等毛奈之《イケルトモナシ》

　

【譯】白玉のような見たいと思うあなたを、見ないで久しく地方におりますので、生きているともありません。

【釋】白玉之　シラタマノ。枕詞。

　見我保之君乎　ミガホシキミヲ。女子に對して君と言つている明白な例である。

(208)　伊家流等毛奈之　イケルトモナシ。等は、乙類のトの音韻であるから、ここは助詞と見られる。助詞とすれば、イケリトモナシというべきをイケルトモナシと云つたのは、「生刀毛無《イケルトモナシ》」（卷二、二一五）の類の句と混同して、イケリをイケルとしたものであろう。

【評語】上半は、長歌の内容を要約したものであり、下半は、類型によつている。長歌同樣、熱のない作になつている。

　

廿四日、應2立夏四月節1也。因v此廿三日之暮、忽思2霍公鳥曉喧聲1作歌二首

　

二十四日は、立夏四月の節に應《あた》れり。これに因りて二十三日の暮《ゆふべ》に、たちまちにほととぎすの曉に喧《な》かむ聲を思ひて作れる歌二首。

　

【釋】應立夏四月節　リフカウヅキノセチニアタレリ。しばしば記したように、季節の更まるのは、月の來るのと一致しない。この年は、三月二十四日に立夏が當つたのである。しかし四月、五月、六月を夏季とするので、三月の中ではあるが、四月の節に當つたというのである。立夏の日にホトトギスが鳴くということも前に出た。暦面と季節の現象との關係に關心を持つている。

　

4171　常人《つねひと》も　起きつつ聞くぞ。

　ほととぎす

　この曉《あかとき》に　來喧《きな》く初聲。

　

　常人毛《ツネヒトモ》　起都追聞曾《オキツツキクゾ》

　霍公鳥《ホトトギス》

　此曉尓《コノアカトキニ》　來喧始音《キナクハツコヱ》

　

【譯】一般の人も、起きていて聞くのだ。ホトトギスが、この曉に來て鳴く初聲を。

(209)【釋】常人毛　ツネヒトモ。ツネヒトは、文雅の人に對して、普通一般の人をいう。

　來喧始音　キナクハツコヱ。キナケハツコヱ（神）。ハツコヱは、その年の始めての聲。

【評語】曉のホトトギスを愛する心である。文雅を解する人だという自負が、底を流れて、この作となつている。ホトトギスの初聲を愛するまでに、文雅を求める心が展開したのである。

　

4172　ほととぎす　來鳴き響《とよ》まば

　草取らむ。

　花橘を　屋戸《やど》には植ゑずて。

　

　霍公鳥《ホトトギス》　來喧響者《キナキトヨマバ》

　草等良牟《クサトラム》

　花橘乎《ハナタチバナヲ》　屋戸尓波不v殖而《ヤドニハウヱズテ》

　

【譯】ホトトギスが來て鳴き立てたら、草を取ろう。花橘を屋戸には植えないで。

【釋】草等良牟　クサトラム。田の草を取ろうの意。ホトトギスが、農事を勸める鳥として取り扱われている。「月夜吉《ツクヨヨミ》　鳴霍公鳥《ナクホトトギス》　欲v見《ミマクホリ》　吾草取有《ワレクサトレリ》　見人毛欲得《ミムヒトモガモ》」（卷十、一九四三）。

　屋戸尓波不殖而　ヤドニハウヱズテ。屋戸に植えることをしないで。

【評語】ホトトギスの傳説によつていると見られるが、遣憾ながらその傳説は傳わらない。古今集誹諧歌に、「いくばくの田を作ればかほととぎすしでの田をさを朝な朝な呼ぶ」というのは、同じ傳説にもとづくものであろう。花橘を植えてホトトギスを待つような文雅なことはしないで、その聲に催されて、田の草を取ろうという所に、特殊の内容がある。さすがに文雅の方面に飽きて來たらしいのが興味である。

　

贈2京丹比家1歌一首

　

【釋】贈京丹比家歌　ミヤコナルタヂヒケニオクレルウタ。タヂヒケは、丹比氏の家であろう。下の「安由乎(210)疾《アユヲイタミ》」（四二一三）の左註にも、「右一首、贈2京丹比家1」とある。どういう關係ともしれないが、この歌中に妹とあり、アユヲ疾ミの歌中に、戀ヒワタルカモとある。夫婦關係ではなく、親族關係らしい。

　

4173　妹を見ず　越《こし》の國邊《くにべ》に　年｜經《ふ》れば、

　わが情神《こころ》どの　和《な》ぐる日もなし。

　

　妹乎不v見《イモヲミズ》　越國敝尓《コシノクニベニ》　經v年婆《トシフレバ》

　吾情度乃《ワガココロドノ》　奈具流日毛無《ナグルヒモナシ》

　

【譯】あなたを見ないで、越の國のほとりに年を經たので、わたしの精神の慰む日もないのです。

【釋】吾情度乃　ワガココロドノ。ココロドは、精神、心神。

【評語】平凡に敍せられているだけで、極めて情趣に乏しい作である。平語の歌ともいうべきである。

　

追2和筑紫大宰之時春苑梅歌1一首

　

筑紫の大宰の時の春の苑の梅の歌に追ひて和ふる一首。

　

【釋】追和筑紫大宰之時春苑梅歌　ツクシノオホキミコトモチノトキノハルノソノノウメノハナノウタニオヒテコタフル。天平二年正月十三日の大伴の旅人の邸における梅花の歌に、後に和する歌。

　

4174　春のうちの　樂《たの》しき終《をへ》は、

　梅の花　手折《たを》りをきつつ、

　遊ぶにあるべし。

　

　春裏之《ハルノウチノ》　樂終者《タノシキヲヘハ》

　梅花《ウメノハナ》　手折乎伎都追《タヲリヲキツツ》

　遊尓可v有《アソブニアルベシ》

　

【譯】春のうちでの樂しい頂上は、梅の花を招いて、これを賞して遊ぶのであろう。

【釋】春裏之　ハルノウチノ。春裏は、漢文の熟字を、そのまま使つたものであろう。夜裏と同樣の言い方で(211)ある。ウチは、その中。この追和の歌は、大伴の書持の「追（ヒテ）2和（フル）大宰之時梅花（ニ）1新歌」を讀んで興を催したものであろうから、その中の「遊内乃《アソブウチノ》　多努之吉庭爾《タノシキニハニ》」（卷十七、三九〇五）のウチが、ここに使われたのだろう。

　樂終者　タノシキヲヘハ。ヲヘは、終局、極地、頂上。大宰の梅の歌の第一首「武都紀多知《ムツキタチ》　波流能吉多良婆《ハルノキタラバ》　可久斯許曾《カクシコソ》　烏梅乎々岐都々《ウメヲヲキツツ》　多努之岐乎倍米《タノシキヲヘメ》」（卷五、八一五）の第五句によつている。

　手折乎伎都追　タヲリヲキツツ。前項記載のように、この歌は、大宰の梅の歌の第一首によつているのだから、この歌も、その歌の第四句、「烏梅乎々岐都々《ウメヲヲキツツ》」によつたものと見るべく、梅花を招きつつと解すべきである。ヲキは招くで、梅花を招聘する意である。なお新考には、手折リヲ來ツツの意としている。

【評語】大宰の時の梅の花の第一首により、これに追和したものだが、結局その内容を一歩も出ないのは、物足りない。大宰の時のは、古歌謠によりどころがあつて作られたが、この歌には、それはなく散文調になつている。全體に、漢文を訓讀したような感じである。

　

右一首、廿七日依v興作之

　

右の一首は、二十七日、興に依りて作れる。

　

【釋】二十七日　ハツカアマリナヌカ。三月二十七日だから、越中の國では、梅が咲いているだろう。「越中（ノ）風土、梅花柳絮、三月（ニ）初（メテ）咲（ク）耳」（卷十九、四二三八左註）。

　

詠2霍公鳥1二首

　

4175　ほととぎす　今｜來喧《きな》き始《そ》む。

(212)　あやめ草　蘰《かづら》くまでに、

　離《か》るる日　あらめや。【モノハ三箇の辭闕きたり。】

　

　霍公鳥《ホトトギス》　今來喧曾无《イマキナキソム》

　菖蒲《アヤメグサ》　可都良久麻泥尓《カヅラクマデニ》

　加流々日安良米也《カルルヒアラメヤ》【毛能波三箇辭闕v之】

　

【譯】ホトトギスは今來て鳴き始める。アヤメ草を蘰にするまでに、別れる日はないだろう。

【釋】菖蒲可都良久麻泥尓　アヤメグサカヅラクマデニ。五月の節日まで。カヅラクは、蘰にする。

　毛能波三箇辭闕之　モノハミツノコトカキタリ。助詞モノハの三語は、普通の言語に使用することが多いので、特にそれを使用しないで歌を詠んだというのである。

【評語】助詞モノハを使わないという、特殊の條件のもとに詠んだ歌である。本集でもかような類には、既に數種の物を詠んだり、無心所著の歌があつたが、更にかような條件にも及んだのである。文法史の上では、次の歌の註と共に、助詞の一部を取り出したという點で注意されているが、歌としては格別の歌ではない。

　

4176　わが門ゆ　鳴《な》き過ぎ渡る　ほととぎす

　いやなつかしく

　聞けど飽き足らず。

　

　我門從《ワガカドユ》　喧過度《ナキスギワタル》　霍公鳥《ホトトギス》

　伊夜奈都可之久《イヤナツカシク》

　雖v聞飽不v足《キケドアキタラズ》【毛能波?爾乎六箇辭闕v之】

　

【譯】わたしの門を通つて鳴いて過ぎて行くほととぎすは、いよいよなつかしく、聞いても飽き足ることがない。

【釋】毛能波?尓乎六箇辭闕之　モノハテニヲムツノコトカキタリ。前の歌におけると同樣の註で、これは更に助詞六種を使わないで詠んいでる。

【評語】モノハテニヲの六箇の助詞を使用しないだけに、言葉づかいが一層不自然になつている。こういう類(213)の条件を設けて歌を詠むことは、當時もつと廣く行われていたのだろう。

　

四月三日、贈2越前判官大伴宿祢池主1霍公鳥歌。不v勝2感v舊之意1述v懷一首　并2短歌1

　

四月三日、越前の判官大伴の宿禰池主に贈れるほととぎすの歌。舊《ふ》りにしを感《め》づる意に勝《あ》へずして懷《おもひ》を述ぶる一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】不勝感舊之意述懷　フリニシヲメヅルココロニアヘズシテオモヒヲノブル。池主が越中の國の椽であつた時代に、家持と共に山を眺めたことを追憶して云つている。

　

4177　わが夫子《せこ》と　手《て》携《たづさ》はりて、

　曉《あ》け來れば　いで立ち向かひ、

　暮《ゆふ》されば　ふり放《さ》け見つつ、

　念ひ暢《の》べ　見和《みな》ぎし山に、

　八峯《やつを》には　霞たなびき、

　谿邊《たにべ》には　椿花咲き、

　うらがなし　春し過ぐれば、

　ほととぎす　いやしき鳴きぬ。」

　ひとりのみ　聞けばさぶしも。

(214)　君と吾　隔てて戀ふる

　礪波山《となみやま》　飛び越え行きて、

　明《あ》け立たば　松のさ枝に、

　暮《ゆふ》さらば　月に向かひて、

　あやめぐさ　玉貫くまでに、

　鳴き響め　安寐《やすい》宿《ね》しめず、

　君を惱ませ。」

　

　和我勢故等《ワガセコト》　手携而《テタヅサハリテ》

　曉來者《アケサレバ》　出立向《イデタチムカヒ》

　暮去者《ユフサレバ》　振放見都追《フリサケミツツ》

　念暢《オモヒノベ》　見奈疑之山尓《ミナギシヤマニ》

　八峯尓波《ヤツヲニハ》　霞多奈婢伎《カスミタナビキ》

　谿敝尓波《タニベニハ》　海石榴花咲《ツバキハナサキ》

　宇良悲《ウラガナシ》　春之過者《ハルシスグレバ》

　霍公鳥《ホトトギス》　伊也之伎喧奴《イヤシキナキヌ》

　獨耳《ヒトリノミ》　聞婆不v怜毛《キケバサブシモ》

　君與吾《キミトワレ》　隔而戀流《ヘダテテコフル》

　利波山《トナミヤマ》　飛超去而《トビコエユキテ》

　明立者《アケタタバ》　松之狹枝尓《マツノサエダニ》

　暮去者《ユフサラバ》　向v月而《ツキニムカヒテ》

　菖蒲《アヤメグサ》　玉貫麻泥尓《タマヌクマデニ》

　鳴等余米《ナキトヨメ》　安寐不v令v宿《ヤスイネシメズ》

　君乎奈夜麻勢《キミヲナヤマセ》

　

【譯】あなたと手を携えて、夜が明けて來れば、立ち出でて向かい、夕方になればふり仰ぎ見ながら、思いをのびやかにし、見て慰めた山に、あちこちの峰に霞がたなびき、谷の方ではツバキが花咲き、感傷される春が過ぎますと、ホトトギスがいよいよしきりに鳴きます。ひとりだけで聞くと氣が晴れません。あなたとわたしとが、中に隔てて戀している礪波山を飛び越えて行つて、夜が明ければ松の枝に、夕方になつたら月に向かつて、アヤメ草を玉としてつらぬく日まで、鳴き立てて、安眠させずに、あなたを惱ましなさい。

【構成】第一段、イヤシキ鳴キヌまで。池主と共に朝夕見なれていた山に、ホトトギスがしきりに鳴くことを述べる。第二段、終りまで。そのホトトギスに、池主のもとに行つて鳴けと命ずる。ホトトギスに對していう形になつている。

【釋】和我勢故等　ワガセコト。以下、見ナギシ山まで、池主と共に眺めた山のことを述べる。

　念暢見奈疑之山尓　オモヒノベミナギシヤマニ。オモヒノベは、憂鬱な心を伸ばす。心をゆるやかにする。ミナギシは、見て心を慰めた。この山は、國府から見える山で、その西方の山をいう。二上山の連山である。

(215)　宇良悲　ウラガナシ。春の修蝕句。連體形。

　隔而戀流　ヘダテテコフル。ヘダテテは、あいだを隔てて。

　明立者　アケタタバ。タタバは、進行するさまをいう。明けて行けば。

【評語】前半の追憶の部は、よくできているが、春の敍述がくわしくて、ホトトギスが輕くなつている。後半、ホトトギスに、思う人の所に行けというのは、むしろ類型的だが、この歌では、戯咲《ぎしよう》の意を含んで、安眠させないで君を惱ませよと言つたのが特色である。それだけに、しんみりした情趣はないが、親友に贈る歌としてのあかるさは、十分に保つている。

　

4178　吾《ひとり》のみ　聞けばさぶしも。

　ほととぎす

　丹生《にふ》の山邊に　い行き鳴くにも。

　

　吾耳《ヒトリノミ》　聞婆不v怜毛《キケバサブシモ》

　霍公鳥《ホトトギス》

　丹生之山邊尓《ニフノヤマベニ》　伊去鳴尓毛《イユキナクニモ》

　

【譯】ひとりだけで聞けば、氣が晴れないことです。ホトトギスが、丹生の山の邊に、行つて鳴くにつけても。

【釋】吾耳　ヒトリノミ。ヒトリノミ（元）、ワレノミ（考）、ワレノミシ（古義）。この初二句は、長歌の「獨耳《ヒトリノミ》　聞婆不怜毛《キケバサブシモ》」を受けて、繰り返しているので、義をもつて、吾をヒトリに當てて書いている。

　丹生之山邊尓　ニフノヤマベニ。ニフノ山は、越前の國丹生の郡の丹生の郷（今の福井縣丹生郡）の山、越前の國府であつた今の武生《たけふ》市の西に當る。

　伊去鳴尓毛　イユキナクニモ。

　　イユキナクニモ（西）

　　――――――――――

　　伊去鳴南毛《イユキナカナモ》（略）

　　伊去鳴夜毛《イユキナケヤモ》（古義）

(216)　原文のまま、ホトトギスに越前の國府に行つて鳴けと命じたが、しかしそれにしても、今ひとりして聞くのはさぶしというのであろう。

【評語】長歌の後半の意を取つて歌つている。意を通じ得たというだけの歌で、長歌の内容以外に出ていない。

　

4179　ほととぎす　夜喧《よなき》をしつつ、

　わが夫子《せこ》を　安宿《やすい》な寐《ね》しめ。

　ゆめ情《こころ》あれ。

　

　霍公鳥《ホトトギス》　夜喧乎爲管《ヨナキヲシツツ》

　和我世兒乎《ワガセコヲ》　安宿勿令v寐《ヤスイナネシメ》

　由米情在《ユメココロアレ》

　

【譯】ホトトギスよ、夜鳴きをして、あの方を安眠させるな。心を使つてくれ。

【釋】由米情在　ユメココロアレ。ユメは打消を伴なうのを常とする。しかし「人曾耳言爲《ヒトゾササメキシ》　汝情勤《ナガココロユメ》」（卷七、一三五六）、「常滑乃《トコナメノ》　恐道曾《カシコキミチゾ》　戀由眼《コフラクハユメ》」（卷十一、二五一一）の如くユメで終る場合に、打消を伴なわないことはある。この歌では、上の、安宿ナ寐シメが打消の句であるので、それを受けてユメと言つている。ココロアレは、心を用いよ。

【評語】長歌の末尾を受けている。夜喧ヲシツツだけが、特に加わつた句である。諧謔性の歌であつて、それを繰り返すのは、くどい感がある。

　

不v飽d感2霍公鳥1之情u、述v懷作歌一首　并2短歌1

　

ほととぎすを感《め》づる情に飽かず、懷《おもひ》を述べて作れる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

4180　春過ぎて　夏來向かへば、

(217)　あしひきの　山よび響《とよ》め、

　さ夜中に　鳴くほととぎす、

　初聲を　聞けばなつかし。」

　あやめ草　花橘を

　貫《ぬ》き交へ　蘰《かづら》くまでに、

　里｜響《とよ》め　喧《な》き渡れども、

　なほししのはゆ。」

　

　春過而《ハルスギテ》　夏來向者《ナツキムカヘバ》

　足檜木乃《アシヒキノ》　山呼等余米《ヤマヨビトヨメ》

　左夜中尓《サヨナカニ》　鳴霍公鳥《ナクホトトギス》

　始音乎《ハツコヱヲ》　聞婆奈都可之《キケバナツカシ》

　菖蒲《アヤメグサ》　花橘乎《ハナタチバナヲ》

　貫交《ヌキマジヘ》　可頭良久麻泥尓《カヅラクマデニ》

　里響《サトトヨメ》　喧渡禮騰母《ナキワタレドモ》

　尚之努波由《ナホシシノハユ》

　

【譯】春が過ぎて夏が來向かうと、山を呼び響かせて、さ夜中に鳴くほととぎす、その初聲を聞けばなつかしい。アヤメ草に、橘の花を玉として、貫き交えて、蘰にする日まで、里を響かせて鳴き渡るけれども、やはり愛賞される。

【構成】第一段、聞ケバナツカシまで。夏になつてホトトギスの初聲を聞くことを述べる。第二段、終りまで。五月まで鳴くが飽きないことを述べる。

【釋】聞婆奈都可之　キケバナツカシ。ナツカシは、親しまれ、慕わしくあるさまの意。句切。

【評語】短いだけに、よく纏まつていて、その要を得ている。アヤメ草、花橘を蘰にする日までというのは、この作者の常用手段である。

　

反歌三首

　

(218)4181　さ夜ふけて　曉月《あかときづき》に

　影見えて　鳴《な》くほととぎす

　聞けばなつかし。

　

　左夜深而《サヨフケテ》　曉月尓《アカトキヅキニ》

　影所v見而《カゲミエテ》　鳴霍公鳥《ナクホトトギス》

　聞者夏借《キケバナツカシ》

　

【譯】夜が更けて、曉の月に姿が見えて鳴くホトトギスは、聞けばなつかしい。

【釋】曉月尓　アカトキヅキニ。長歌のサ夜中ニ鳴クホトトギスを受けて、夜のホトトギスを歌つているのであり、アカトキヅキは、曉までも殘る月をいうと見られる。「曉《アカトキノ》　月爾向而《ツキニムカヒテ》」（卷十九、四一六六）參照。

【評語】長歌の前半を受けて、多少のホトトギスの敍述が加えられている。それも前に詠んだ長歌の句を使つたものだが、一首としては情趣の出ている方である。

　

4182　ほととぎす　聞けども飽かず。

　網取《あみと》りに　獲《と》りて懷《なつ》けな。

　離《か》れず鳴くがね。

　

　霍公鳥《ホトトギス》　雖v聞不v足《キケドモアカズ》

　網取尓《アミトリニ》　獲而奈都氣奈《トリテナツケナ》

　可禮受鳴金《カレズナクガネ》

　

【譯】ホトトギスは聞けども飽きない。網をかけて捕らえてなつけよう。そうしたら絶えず鳴くだろう。

【釋】霍公鳥　ホトトギス。霍公鳥の字面は、集中に多數に使用されている。これは漢文から來たものだろうと考えられるが、漢籍にはまだその用例が發見されない。この字面は、多分、霍公の鳥の義で、霍は姓だろうと思われ、霍という男が死んで化した鳥というような傳説にもとづくのではないかと考えられる。ところで、この歌の霍公鳥を元暦校本には霍氏鳥に作つている。また下の「月立之《ツキタチシ》　日欲里乎伎都追《ヒヨリヲキツツ》　敲自努比《ウチシノヒ》　麻泥騰伎奈可奴《マテドキナカヌ》　霍公鳥可母《ホトトギスカモ》」（卷十九、四一九六）の歌においても、同樣に、元暦校本では、霍公鳥を霍氏鳥に作つ(219)ている。これによれば、霍公鳥の霍が姓だという推測が、確かめられることになる。元暦校本のこの卷は、宣命書きの形なども存しており、わりあいに原形を保存していると認められる。なお霍は、すみやかに散る樣をいう字で、この鳥のすみやかに飛ぶことから名づけたのかもしれない。

　網取尓　アミトリニ。アミトリは、網で取ること。

【評語】ホトトギスを愛するあまりに、捕らえて置いたらというので、情趣も何もない幼稚な思想である。しかし長歌の内容以外に出ている所に、反歌としての意義が、ようやく發見されて來たことを語るものがある。

　

4183　ほととぎす　飼ひ通《とほ》せらば、

　今年｜經《へ》て　來向かふ夏は、

　まづ喧《な》きなむを。

　

　霍公鳥《ホトトギス》　飼通良婆《カヒトホセラバ》

　今年經而《コトシヘテ》　來向夏波《キムカフナツハ》

　麻豆將v喧乎《マヅナキナムヲ》

　

【譯】ホトトギスを、ずうつと飼い通したならば、今年を經て、やがて來向かう來年の夏は、まず鳴くだろうよ。

【釋】飼通良婆　カヒトホセラバ。飼うことを繼續して行つたら。

　麻豆將喧乎　マヅナキナムヲ。ヲは、ヨの如き意に使い、それだけれどものような意を含んでいる。

【評語】前の歌を受けて、連作になつている。今年中飼い通したら、來年の夏は、まず鳴くだろうという、きわめて平凡な内容である。

　

從2京師1贈來歌一首

　

(220)京師より贈り來れる歌一首。

　

【釋】從京師贈來歌　ミヤコヨリオクリキタレルウタ。左註に、留女の女郎から送つて來たといい、また四一九八の左註によれば、その女郎は、大伴の家持の妹だという。その人から贈つて來た歌で、家持の妻の坂上の大孃に對して贈つている。

　

4184　やまぶきの　花とり持ちて、

　つれもなく　離《か》れにし妹を

　偲《しの》ひつるかも。

　

　山吹乃《ヤマブキノ》　花執持而《ハナトリモチテ》

　都禮毛奈久《ツレモナク》　可禮尓之妹乎《カレニシイモヲ》

　之努比都流可毛《シノヒツルカモ》

　

【譯】ヤマブキの花を手に取り持つて、ふり切つて別れてしまつたあなたを、思つたことでした。

【釋】都禮毛奈久　ツレモナク。關係もなく、關心もなく。自分を思わないで。

　可禮尓之妹乎　カレニシイモヲ。カレニシは、越中の國に來てしまつたことをいう。イモは、四一九八の歌の左註によれば、家持の妻の坂上の大孃である。

【評語】ヤマブキの花を手折つて、遠く去つた人を思うところに、情趣がある。ツレモナクの句には恨む氣もちもあり、純粹な情の出ている作である。

　

右、四月五日、從2留女之女郎1所v送也

　

右は、四月五日、留女の女郎より送れるなり。

　

【釋】右四月五日　ミギハウヅキイツカ。この日づけは、歌を記し留めた日と解せられる。

　從留女之女郎所送也　ルニヨノヲミナヨリオクレルナリ。四一九八の左註には「右、爲（ニ）v贈（ラム）2留女之女郎（ニ）1、所（エテ）(221)v誂（ヘ）2家婦（ニ）1作（レル）也。女郎（ハ）者、即大伴（ノ）家持之妹（ナリ）」とある。留女は、考に女は郷の誤りかとし、略解には女は郷または京の誤りとしている。しかし二個處まで留女になつているのを、みだりに誤字とはしがたい。留守の語は一般に使用されているが、元來は天子が他に幸する時に、高官を留めてかわつて守らしめるをいう。これによれば、一般の家に、女を留めて家を守らしめるのを、留女と書いたのだろう。奈良の大伴氏の家の留守番に殘した女の義と見るべきである。それは大伴の家持の妹を置いたのである。「留子句句獨言v歸」（玉臺新詠卷九）。この留子は、家に留まつている子で、妻のことである。「碁（ノ）檀越（ノ）、往（キシ）2伊勢（ノ）國（ニ）1時、留（マレル）妻（ノ）作（レル）歌一首」（卷四、五〇〇題詞）の留妻は、家に留まれる妻である。

　

詠2山振花1歌一首　并2短歌1

　

やまぶきの花を詠める歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】詠山振花歌　ヤマブキノハナヲヨメルウタ。庭前に移し植えたヤマブキの花を詠んでいる。

　

4185　うつせみは　戀を繁みと、

　春まけて　念《おも》ひ繁けば、

　引き攀《よ》ぢて　折りも折らずも、

　見る毎《ごと》に　情《こころ》和《な》ぎむと、

　繁山の　谿邊《たにべ》に生ふる

　やまぶきを　屋戸《やど》に引き植ゑて、

(222)　朝露に　にほへる花を

　見る毎に　念《おも》ひは止まず、

　戀し繁しも。

　

　宇都世美波《ウツセミハ》　戀乎繁美登《コヒヲシゲミト》

　春麻氣?《ハルマケテ》　念繁波《オモヒシゲケバ》

　引攀而《ヒキヨヂテ》　折毛不v折毛《ヲリモヲラズモ》

　毎v見《ミルゴトニ》　情奈疑牟等《ココロナギムト》

　繁山之《シゲヤマノ》　谿敝尓生流《タニベニオフル》

　山振乎《ヤマブキヲ》　屋戸尓引殖而《ヤドニヒキウヱテ》

　朝露尓《アサツユニ》　仁保敝流花乎《ニホヘルハナヲ》

　毎v見《ミルゴトニ》　念者不v止《オモヒハヤマズ》

　戀志繁母《コヒシシゲシモ》

　

【譯】この世の人は、戀が繁くあると、春を待ち受けて思いが繁くあるので、引き寄せて折つたり折らなかつたりして見るたびに心が慰むだろうと、繁つている山の谷のあたりに生えているヤマブキを、家の前に移し植えて、朝露に美しく咲いている花を、見るたびに思いはやまないで、戀が繁くあることだ。

【構成】全篇一文。

【釋】念繁波　オモヒシゲケバ。シゲケは、形容詞の已然形。思いが繁くあるので。

　引攀而　ヒキヨヂテ。手で引き寄せて。

【評語】ヤマブキを見たら思いがやわらぐかと、移し植えて見るけれども、かえつて思いが繁くあるよしに歌つている。前掲の京から送つて來た歌に感心して、これを長歌に引き伸ばしたような歌である。習作ともいうべく、歌詞が洗練されていない。戀ヲ繁ミト、念ヒ繁ケバ、情和ギムト、繁山ノ、念ヒハ止マズ、戀シ繁シモなど、同語を重ねているのは、計畫的に效果をねらつたものであろうが、それだけの效果はあがらず、かえつて蕪雜の感を與える。ヤマブキの美しさが、わずかに、朝露ニニホヘル花というような、類型的な句でだけしか敍せられていないのも、この歌を一層凡作たらしめる所である。

　

4186　やまぶきを　屋戸《やど》に植ゑては

　見るごとに　念《おも》ひは止《や》まず、

(223)　戀こそ益され。

　

　山吹乎《ヤマブキヲ》　屋戸尓殖弖波《ヤドニウヱテハ》

　見其等尓《ミルゴトニ》　念者不v止《オモヒハヤマズ》

　戀己曾益禮《コヒコソマサレ》

　

【譯】ヤマブキを屋戸に植えて、見るたびに、思いはやまないで、戀が増さるのだ。

【評語】長歌の内容を要約しただけであり、殊にヤマブキの敍述、繁山ノ谷邊ニ生フルとか、朝露ニニホヘル花とかいう、特殊の部分を省いたので、一層無味なものになつてしまつた。ここでも思いと戀とを對立させている。

　

六日、遊2覽布勢水海1作歌一首　并2短歌1

　

六日、布勢の水海に遊覽《あそ》びて作れる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】邊覽布勢水海作歌　フセノミヅウミニアソビテツクレルウタ。布勢の水海は「遊2覽（スル）布勢（ノ）水海（ニ）1賦」（卷十七、三九九一）參照。

　

4187　念ふどち　丈夫《ますらをのこ》の、

　木《こ》の暗《くれ》の　繁き思ひを

　見｜明《あき》らめ　情｜遣《や》らむと、

　布勢の海に　小船《をぶね》つら竝《な》め、

　眞櫂《まかい》懸《か》け　い漕《こ》ぎ廻《めぐ》れば、

　乎布《をふ》の浦に　霞たなびき、

　垂姫《たるひめ》に　藤浪咲きて、

(224)　濱｜淨《きよ》く　白浪騷き、

　しくしくに　戀は益されど、

　今日のみに　飽き足らめやも。」

　かくしこそ　いや毎年《としのは》に、

　春花の　繁き盛りに、

　秋の葉の　もみつる時に、

　あり通ひ　見つつ偲《しの》はめ。

　この布勢の海を。」

　

　念度知《オモフドチ》　大夫能《マスラヲノコノ》

　許乃久禮能《コノクレノ》　繁思乎《シゲキオモヒヲ》

　見明良米《ミアキラメ》　情也良牟等《ココロヤラムト》

　布勢乃海尓《フセノウミニ》　小船都良奈米《ヲブネツラナメ》

　眞可伊可氣《マカイカケ》　伊許藝米具禮婆《イコギメグレバ》

　乎布能浦尓《ヲフノウラニ》　霞多奈妣伎《カスミタナビキ》

　垂姫尓《タルヒメニ》　藤浪咲而《フヂナミサキテ》

　濱淨久《ハマキヨク》　白波左和伎《シラナミサワキ》

　及々尓《シクシクニ》　戀波末佐禮杼《コヒハマサレド》

　今日耳《ケフノミニ》　飽足米夜母《アキタラメヤモ》

　如是己曾《カクシコソ》　弥年乃波尓《イヤトシノハニ》

　春花之《ハルバナノ》　繁盛尓《シゲキサカリニ》

　秋葉能《アキノハノ》　黄色時尓《モミツルトキニ》

　安里我欲比《アリガヨヒ》　見都追思努波米《ミツツシノハメ》

　此布勢能海乎《コノフセノウミヲ》

　

【譯】親しい人たち、男兒が、木の繁みのような繁き思いを、見て晴れさせ、心を慰めようと、布勢の海に小船を連らねて、櫂を懸けて漕いで廻れば、乎布の浦に霞がたなびき、垂姫の埼に藤の花が咲いて、濱は清く白浪が騷ぎ、その浪のようにしきりに戀は増さるけれども、今日だけで滿足しようや。かようにいよいよ毎年、春の花の繁く咲く盛りに、秋の木の葉の黄葉する時に、かようにかよつて、見て賞美しよう。この布勢の海を。

【構成】第一段、飽キ足ラメヤモまで。布勢の海に遊覽することを述べる。第二段、終りまで。毎年春秋にここに遊覽しようとの意を述べる。

【釋】大夫能　マスラヲノコノ。大夫は、集中多くマスラヲと讀んでいるが、六音の處に當てた例としては「嘆管《ナゲキツツ》　大夫之《マスラヲノコノ》　戀禮許曾《コフレコソ》」（卷二、一一八）の例がある。これらは、マスラヲノコと讀むのだろう。コは愛稱で、マスラヲに同じ。

　許乃久禮　コノクレノ。枕詞。下のノに當る字はないが、讀み添える。

(225)見明良米　ミアキラメ。見て心を晴らして。

　小船都鳥奈米　ヲブネツラナメ。ツラナメは、連竝メで、竝べる意。ツラナメの例は他にはない。

　眞可伊可氣　マカイカケ。マは接頭語。カイは櫂。

　濱淨久白波左和伎　ハマキヨクシラナミサワキ。以上實際の敍述で、それを利用して、次のシクシクニを引き起して來る。

　戀波末佐禮杼　コヒハマサレド。コヒは、布勢の水海に對する思慕の情である。

　黄色時尓　モミツルトキニ。モミツルトキニ（西）、モミチノトキニ（略）、ニホヘルトキニ（古義）。黄色を四音に當てて書いている。この字は「秋付者《アキヅケバ》　丹之穗爾黄色《ニノホニモミヅ》」（卷十三、三二六六）と使用されており、ここでモミツルと讀むべしとせば、集中モミツルの語の唯一の例になる。

【評語】構成は、常型によつている。前半、水海に遊覽する敍述の部が良い。後半は、あまりに類型的である。

　

4188　藤浪の　花の盛りに、

　かくしこそ、

　浦漕ぎ廻《み》つつ　年に偲はめ。

　

　藤奈美能《フヂナミノ》　花盛尓《ハナノサカリニ》

　如此許曾《カクシコソ》

　浦己藝廻都追《ウラコギミツツ》　年尓之努波米《トシニシノハメ》

　

【譯】藤の花の盛りに、かように、浦を漕ぎ廻つて、年毎に愛賞しよう。

【釋】年尓之努波米　トシニシノハメ。トシニは、年々の意。

【評語】長歌の意を要約している。春に重點を置いていて、現に見る藤の花の盛りを受けているだけに、長歌の後半の、春秋ニというよりは、いくらかましである。

　

(226)贈2水烏越前判官大伴宿祢池主1歌一首　并2短歌1

　

水烏を越前の判官大伴の宿禰池主に贈れる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】水烏　ウ。鵜は、黒くして水に居るので、水の烏と戯れ書いている。

　

4189　天《あま》ざかる　夷《ひな》としあれば、

　彼所《そこ》此間《ここ》も　同《おや》じ心ぞ。

　家｜離《さか》り　年の經ぬれば、

　うつせみは　物念《ものも》ひ繁し。」

　そこゆゑに　情《こころ》なぐさに、

　ほととぎす　喧《な》く初聲を

　橘の　珠に合《あ》へ貫き、

　蘰《かづら》きて　遊ばむ間《はし》も、

　丈夫を　伴《とも》なへ立ちて、

　叔羅河《すくらがは》　なづさひ泝《のぼ》り、

　平瀬には　小網《さで》さし渡し、

　早き瀬に　鵜《う》を潜《かづ》けつつ、

(227)　月に日に　しかし遊ばね。

　愛《は》しきわが夫子。」

　

　天離《アマザカル》　夷等之在者《ヒナトシアレバ》

　彼所此間毛《ソコココモ》　同許己呂曾《オヤジココロゾ》

　離v家《イヘサカリ》　等之乃經去者《トシノヘヌレバ》

　宇都勢美波《ウツセミハ》　物念之氣思《モノモヒシゲシ》

　曾許由惠尓《ソコユヱニ》　情奈具左尓《ココロナグサニ》

　霍公鳥《ホトトギス》　喧始音乎《ナクハツコヱヲ》

　橘《タチバナノ》　珠尓安倍貫《タマニアヘヌキ》

　可頭良伎?《カヅラキテ》　遊波之母《アソバムハシモ》

　麻須良乎々《マスラヲヲ》　等毛奈倍立而《トモナヘタチテ》

　舛羅河《スクラガハ》　奈頭左比泝《ナヅサヒノボリ》

　平瀬尓波《ヒラセニハ》　左泥刺渡《サデサシワタシ》

　早湍尓《ハヤキセニ》　水烏乎潜都追《ウヲカヅケツツ》

　月尓日尓《ツキニヒニ》　之可志安蘇婆祢《シカシアソバネ》

　波之伎和我勢故《ハシキワガセコ》

　

【譯】天のように遠い地方のことですから、そちらもこちらも同じ心です。家を離れ年が經たので、生きている人として物思いが繁くあります。それゆえに心慰めに、ホトトギスの鳴く初聲を、橘の珠に交えてつらぬき、蘰にして遊ぶそのあいだには、男子を誘い立てて、叔羅《すくら》川を水を分けて上り、おだやかな瀬には、小網を入れて行き、早い瀬には、鵜を潜らせて、月ごと日ごとに、そのようにしてお遊びなさい。愛すべきあなた。

【構成】第一段、物思ヒ繁シまで。池主も家持も、共に地方にいて物思いの多いことを述べる。第二段、終りまで。五月には蘰をつけて遊ぶと共に、鵜飼をして遊びなさいという。

【釋】夷等之在者　ヒナトシアレバ。鄙とあれば。鄙とてあるので。

　彼所此間毛　ソコココモ。あちらこちらも。あなたもわたしも。

　同許己呂曾　オヤジココロゾ。同じく憂愁に浸つていることをいう。次の、家ザカリ云々が、その説明になる。句切。

　橘珠尓安倍貫　タチバナノタマニアヘヌキ。ホトトギスの鳴く頃の橘で、花か、もしくは花の落ちたばかりの小さい實。アヘは交え。

　遊波之母　アソバムハシモ。

　　タハルレハシモ（西）

　　アソバレハシモ（元赭）

　　アソベレハシモ（考）

(228)　　アソバムハシモ（新訓）

　　アソバフハシモ（新校）

　　――――――――――

　　遊波久與之母《アソバクヨシモ》（略、宣長）

　文字表示が不完全で、訓に諸説がある。波之母は、字音假字と見られるが、助詞であるか否かが、問題となる。しかし助詞としては、次の句以下との連絡が解し難い。そこで他に求めれば「露霜之《ツユジモノ》　消者消倍久《ケナバケヌベク》　去鳥乃《ユクトリノ》　相競端爾《アラソフハシニ》」（卷二、一九九）の句に對して、「一云、朝霜之《アサジモノ》　消者消言爾《ケナバケヌトイフニ》　打蝉等《ウツセミト》　安良蘇布波之爾《アラソフハシニ》」という別傳をつけた例がある。これによれば、ハシという語があり、表意文字をもつてしては、端の字の當てられることが知られる。このハシニは、そのおりにというような意で、一端にの義で、端の字を當てるのだろう。ここのハシモのハシに、この語を當てて解すべく、遊を四音に讀むべきであるが、蘰をして遊ぶことと、鵜飼をすることとは、同時には行われないのだから、アソバムハシモとするのがおだやかである。遊ぶであろうその一端としての意であろう。

　等毛奈倍立而　トモナヘタチテ。トモナヘは、下二段の他動詞として使われている。「?養等母奈倍《ウカヒトモナヘ》」（卷十九、四一五六）。

　舛羅河　スクラガハ。

　　シクラガハ（西）

　　シラギガハ（全釋）

　　――――――――――

　　新羅河《シラギガハ》（考）

　延喜式、卷の二十六兵部省越前の國の驛馬の條に「松原八疋、鹿蒜《かひる》、淑羅、丹生《にふ》、朝津、阿味、足羽《あすは》、三尾各五疋」とある。この淑羅は、九條家本などの古寫本によつたので、流布本には濟羅としている。但し新訂増補國史大系、および校訂延喜式によつたので、古寫本の原本には、※［さんずい＋舛］の字體を使つているだろう。古寫本では、叔を舛の形に書く例である。淑羅は、鹿蒜と丹生とのあいだにあるから、今の日野川に接していると見るべく、(229)日野川は當時の國府のあつた武生市をも流れている。舛羅は、まさしくこの淑羅である。淑羅は、ヨサミとも讀まれるが、ここに使用している舛の字は、叔の異體字であるから、淑に通じて訓を求めれば、スクラガハと讀むべく、今の日野川と解すべきである。叔は、「蘇我｜馬古叔尼《ウマコノスクネ》大臣」（法王帝説）のように使われており、スクと讀むべきである。全釋は、シラギガハと讀み、同じく日野川、一名｜白鬼女《しらきによ》川のこととしている。

　平瀬尓波　ヒラセニハ。ヒラセは、下に早瀬に對して、流れのしずかな瀬をいう。「比良湍爾母《ヒラセニモ》　比毛登久毛能可《ヒモトクモノカ》」（卷十四、三五五一）。

【評語】地方官の生活を慰めるために、鵜を贈る歌として、よくその意を得ている。ただ、敍述が例によつて精密にされていないので、全體に力の弱いものができている。

　

(230)4190　叔羅河　瀬《せ》を尋ねつつ、

　わが夫子《せこ》は　鵜河立たさね。

　情《こころ》なぐさに。

　

　舛羅河《スクラガハ》　瀬乎尋都追《セヲタヅネツツ》

　和我勢故波《ワガセコハ》　宇可波多々佐祢《ウカハタタサネ》

　情奈具左尓《ココロナグサニ》

　

【譯】叔羅河の瀬を求めて、あなたは、鵜飼をなさい。心慰めに。

【釋】宇可波多々佐祢　ウカハタタサネ。鵜飼を行うことを、タツといい、それが四段であることが證明される。鵜川ヲ立ツという言い方である。

【評語】これも長歌の意をまとめているだけである。鵜飼の敍述が、瀬ヲ尋ネツツだけでは、心ぼそい。

　

4191　鵜河立ち　取らさむ鮎の　其《し》が鰭《はた》は、

　吾に掻《か》き向け。

　念ひし念はば。

　

　?河立《ウカハタチ》　取左牟安由能《トラサムアユノ》　之我波多波《シガハタハ》

　吾等尓可伎无氣《ワレニカキムケ》

　念之念婆《オモヒシオモハバ》

　

【譯】鵜河を行つて、お取りになる鮎の、その鰭は、わたしの方に向けてください。念いに念うならば。

【釋】之我波多波吾等尓可伎無氣　シガハタハワレニカキムケ。シは代名詞。ハタは鰭。魚身をいう。自分に向けよとは、その鮎を、自分の方に向けて供えよの意である。遠くかげ膳にして自分に供えよ。

　念之念婆　オモヒシオモハバ。思ヒを重ねて、心から思うならの意をあらわしている。

【評語】捕つた鮎を遠く自分に供えよというのは、特色のある所で、平凡を破つている。多少の戯れの氣分はあるにしても、反歌としても變化があつてよい。シガ鰭は吾ニカキ向ケという具體的な表現もよい。

　

(231)右九日、附v使贈之

　

右は九日、使につけて贈れる。

　

【釋】附使贈之　ツカヒニツケテオクレル。鵜を持たせてやつた使に、この歌をつけて贈つたのである。

　

詠2霍公鳥并藤花1一首　并2短歌1

　

ほととぎす并わせて藤の花を詠める一首　【短歌并はせたり。】

　

4192　桃の花　紅色に

　にほひたる　面《おも》わのうちに、

　青柳《あをやぎ》の　細き眉根《まよね》を

　咲《ゑ》みまがり　朝影見つつ、

　孃子らが　手に取り持《も》てる

　まそ鏡　二上山《ふたがみやま》に、

　木《こ》の暗《くれ》の　繁き谿邊《たにべ》を、

　呼び響《とよ》め　朝飛び渡り、

　夕月夜《ゆふづくよ》　かそけき野邊に、

　はろばろに　鳴くほととぎす、

(232)　立ち潜《く》くと　羽觸《はぶり》に散らす

　藤浪の　花なつかしみ、

　引き攀《よ》ぢて　袖に扱入《こき》れつ。

　染《し》まば染《し》むとも。

　

　桃花《モモノハナ》　紅色尓《クレナヰイロニ》

　々保比多流《ニホヒタル》　面輪乃宇知尓《オモワノウチニ》

　青柳乃《アヲヤギノ》　細眉根乎《ホソキマヨネヲ》

　咲麻我理《ヱミマガリ》　朝影見都追《アサカゲミツツ》

　※［女＋感］嬬良我《ヲトメラガ》　手尓取持有《テニトリモテル》

　眞鏡《マソカガミ》　蓋上山尓《フタガミヤマニ》

　許能久禮乃《コノクレノ》　繁谿邊乎《シゲキタニベヲ》

　呼等余米《ヨビトヨメ》　旦飛渡《アサトビワタリ》

　暮月夜《ユフヅクヨ》　可蘇氣伎野邊《カソケキノベニ》

　遙々尓《ハロバロニ》　喧霍公鳥《ナクホトトギス》

　立久々等《タチククト》　羽觸尓知良須《ハブリニチラス》

　藤浪乃《フヂナミノ》　花奈都可之美《ハナナツカシミ》

　引攀而《ヒキヨヂテ》　袖尓古伎禮都《ソデニコキレツ》

　染婆染等母《シマバシムトモ》

　

【譯】桃の花が紅の色に咲いているような美しい顔のうちに、青柳のような細い眉を笑いゆがめて、朝の姿を見ながら、娘たちの手に持つている、澄んだ鏡の蓋という、その二上山に、木の茂りに暗い谷邊を、鳴き響かせて、朝飛び渡り、夕月の光のかすかな野邊に、遠くの方で鳴くホトトギス、潜り拔けるとして、羽が觸れて散らす藤の花が慕わしく、引き寄せて袖に花をこいて入れた。色がしみついても。

【構成】全篇一文。初めからマソ鏡まで、十一句の長い序が置いてある。

【釋】桃花紅色尓々保比多流面輪乃宇知尓青柳乃細眉根乎咲麻我埋朝影見都追※［女＋感］嬬良我手尓取持有眞鏡　モモノハナクレナヰイロニニホヒタルオモワノウチニ、アヲヤギノホソキマヨネヲヱミマガリアサカゲミツツ、ヲトメラガテニトリモテルマソカガミ。以上十一句は、二上山と言おうための序である。鏡の蓋《ふた》というので、フタに續く。桃ノ花クレナヰ色ニニホヒタルは、面輪の美しさをあらわす譬喩。アヲヤギノ、枕詞。マヨネは眉、ネは接尾語。ヱミマガリは、笑つて眉をまげる。アサカゲは、鏡にうつる朝の姿。娘子が、鏡を手にして美しい朝の笑顔をうつし見るということ。

　可蘇氣伎野邊　カソケキノベニ。カソケキは、かすかな、ほのかなの意の形容詞。「布久風能《フクカゼノ》　於等能可蘇氣伎《オトノカソケキ》　許能由布敝可母《コノユフベカモ》」（卷十九、四二九一）。

　立久々等　タチククト。ククは、潜る。

(233)　羽觸尓知良須　ハブリニチラス。ハブリは、羽が觸れること。

　袖尓古伎禮都　ソデニコキレツ。コキレツは、扱き入れつ。花をこいて入れた。「引攀而《ヒキヨヂテ》　折者可v落《ヲラバチルベミ》　梅花《ウメノハナ》　袖爾古寸入津《ソデニコキレツ》　染者雖v染《シマバシムトモ》」（卷八、一六四四）。句切。

　染婆染等母　シマバシムトモ。藤の花の色が袖にしみついてもよい。

【評語】初めに長い序を置いたのが、大きな特色である。その序の内容も美しく、女子の容顔の敍述として、類のないものである。かような長い序を置いた例は、たとえば卷の十三の三二六六、三三三〇などにある。そういう古體にならつたものだろうが、この歌では取つてつけたような感じで、主想部との連絡に味がない。主想部は、ホトトギスと藤の花とを詠み、後半に中心があるが、その部分は、前掲の卷の八の三野の石守の歌の、袖ニコキレツ染マバ染ムトモを、そのままに使つていて、わずかにホトトギスが羽觸に散らすあたりに、特色が見られるだけである。

　

4193　ほととぎす　鳴く羽觸《はぶり》にも

　散りにけり。

　盛過ぐらし。

　藤浪の花。

　

　霍公鳥《ホトトギス》　鳴羽觸尓毛《ナクハブリニモ》

　落尓家利《チリニケリ》

　盛過良志《サカリスグラシ》

　藤奈美能花《フヂナミノハナ》

　

【譯】ホトトギスの鳴く時の羽が觸れても散つたなあ。盛りが過ぎたらしい。藤の花は。

【釋】鳴羽觸尓毛　ナクハブリニモ。ナクハブリは、ホトトギスが鳴く時に羽を動かす、その羽の觸れること。

【評語】長歌の一部を受けているが、内容は全く獨立している。自然の情景を描いて、よくその趣をあらわしている。絶えまない修練が、ようやく一轉機に近づかしめたことを思わしめる。

　

(234)一云、落奴倍美《チリヌベミ》　袖尓古伎納都《ソデニコキレツ》　藤浪乃花《フヂナミノハナ》也

　

一は云ふ、ちりぬべみ　袖にこきれつ。藤波の花。

　

【釋】落奴倍美袖尓古伎納都藤浪乃花也　チリヌベミソデニコキレツフヂナミノハナ。前の歌の三句以下の別傳である。これによれば、長歌の内容以外に出ないことになる。多分これが原案で、後にこれにあきたらないで、前の歌のように改めたのだろう。作者は、たぶんこの原案は捨てたであろうから、これを別傳の形にしたのは、後人の手によるものということになる。終りの也の字は、漢文ふうに添えて書いたもの。

　

同九日作之

　

更怨2霍公鳥哢晩1歌三首

　

更に霍公鳥の喧《な》くこと晩《おそ》きを怨むる歌三首。

　

【釋】更怨霍公鳥哢晩歌　サラニホトトギスノナクコトオソキヲウラムルウタ。前にホトトギスの歌があるのを受けて、更にそのまだ鳴かないのを怨んで詠んだのである。これによれば、前出のホトトギスの歌は、まだその聲を聞かないうちに詠んだことになる。

　

4194　ほととぎす　鳴き渡りぬと

　告ぐれども、

　われ聞き繼《つ》がず。

(235)　花は過ぎつつ。

　

　霍公鳥《ホトトギス》　喧渡奴等《ナキワタリヌト》

　告禮騰毛《ツグレドモ》

　吾聞都我受《ワレキキツガズ》

　花波須凝都追《ハナハスギツツ》

　

【譯】ホトトギスが鳴いて行つたと告げるけれども、わたしは聞き繼がない。花は過ぎて行つて。

【釋】吾聞都我受　ワレキキツガズ。人が聞いたホトトギスの聲を、自分は受け繼いで聞かない。句切。

　花波須凝都追　ハナハスギツツ。ハナは、藤の花であろう。

【評語】すなおに事を敍している。五句は、その時節の過ぎ去るのを惜しむ氣もちが描かれているが、藤の花を、ただ花とのみ言つたのは、不十分である。

　

4195　わが幾許《ここだ》　慕《しの》はく知らに、

　ほととぎす

　何方《いづへ》の山を　鳴きか超ゆらむ。

　

　吾幾許《ワガココダ》　斯努波久不v知尓《シノハクシラニ》

　霍公鳥《ホトトギス》

　伊頭敝能山乎《イヅヘノヤマヲ》　鳴可將v超《ナキカコユラム》

　

【譯】わたしがたいへんに思つていることを知らずに、ホトトギスは、どちらの方の山を鳴いてか越えているだろう。

【釋】伊頭敝能山乎　イヅヘノヤマヲ。イヅヘは、何方。どちらの方。

【評語】ホトトギスが、今どこの山を鳴いて越えているだろうという歌で、ホトトギスをせつに思う心が溢れている。情趣には乏しいが、いかに思つているかがわかる。

　

4196　月立ちし　日より招《を》きつつ

　うち慕《しの》ひ　待てど來鳴かぬ

(236)　ほととぎすかも。

　

　月立之《ツキタチシ》　日欲里乎伎都追《ヒヨリヲキツツ》

　敲自努比《ウチシノヒ》　麻泥騰伎奈可奴《マテドキナカヌ》

　霍公鳥可母《ホトトギスカモ》

　

【譯】月の始まつた日から招いて、慕つて待つているが、來て鳴かないホトトギスだなあ。

【釋】月立之日欲里乎伎都追　ツキタチシヒヨリヲキツツ。ツキタチシヒは、四月にはいつた日である。この歌は四月九日から十二日までのあいだに作られているようである。ヲキは、招く、招請する。

　敲自努比　ウチシノヒ。敲は、訓假字として使われている。

【評語】ホトトギスを待つているが鳴かないというだけで、平凡な作である。

　

贈2京人1歌二首

　

【釋】贈京人歌　ミヤコノヒトニオクレルウタ。ミヤコノヒトは、左註に、留女の女郎とある。前出の「從（リ）2京師1贈（リ）來（レル）歌」（卷十九、四一八四）に答えた歌である。

　

4197　妹に似る　草と見しより

　わが標《し》めし　野邊のやまぶき

　誰か手折りし。

　

　妹尓似《イモニニル》　草等見之欲里《クサトミシヨリ》

　吾標之《ワガシメシ》　野邊之山吹《ノベノヤマブキ》

　誰可手乎里之《タレカタヲリシ》

　

【譯】あなたに似ている草と見てから、わたしの占めておきました野邊のヤマブキを、誰が手折つたのでしようか。

【釋】妹尓似草等見之欲里　イモニニルクサトミシヨリ。イモニニルクサは、ヤマブキをいう。その風情が、相手の女子の樣子に似ているというのである。イモは、この歌を贈つた相手の女子をいうが、先方からの歌に(237)も、こちらをさしてイモと言つており、女子が相互に、相手をイモと言つたことが知られる。

【評語】京から贈つて來た歌に、ヤマブキノ花トリ持チテとあるのを受けている。「君に似る草と見しよりわが標めし野山の淺茅《あさぢ》人な刈りそね」（卷七、一三四七）の歌をすこしく改めたような作である。大伴の家持が、妻にかわつて作つた歌である。

　

4198　つれもなく　離《か》れにしものと

　人はいへど、

　逢はぬ日まねみ　念《おも》ひぞわがする。

　

　都禮母奈久《ツレモナク》　可禮尓之毛能登《カレニシモノト》

　人者雖v云《ヒトハイヘド》

　不v相日麻祢美《アハヌヒマネミ》　念曾吾爲流《オモヒゾワガスル》

　

【譯】ふり切つて別れてしまつたと、あなたはいうけれども、逢わない日が多く、物思いをわたくしは致します。

【釋】人者雖云　ヒトハイヘド。ヒトは、相手の女郎をさしている。

【評語】先方の歌に、ツレモ無クカレニシ妹ヲシノヒツルカモとあるのを受けて歌つている。ツレモナクとあなたはいうが、こちらはそうではなく、物思いをする由である。返事をしただけの歌で、平語調である。

　

右、爲v贈2留女之女郎1、所v誂2家婦1作也　女郎者、即大伴家持之妹

　

右は、留女の女郎に贈らむがために、家婦に誂《あとら》へらえて作れる。【女郎はすなはち大伴家持の妹なり。】

　

【釋】爲贈留女之女郎　ルニヨノヲミナニオクラムガタメニ。留女の女郎は、四一八四の左註參照。

　所誂家婦作也　イヘノメニアトラヘラエテツクレル。家婦は、家持の妻、坂上の大孃。妻に頼まれて代作した由である。

(238)　女郎者即大伴家持之妹　ヲミナハスナハチオホトモノヤカモチノイモナリ。女郎は、上の留女の女郎をいう。それが大伴の家持の妹だというのだが、この人は、他に所見がない。この十字は、家持の手記ではないだろうが、大伴氏の事情に通じているものの筆に違いない。家持の手記ならば、留女の女郎として擧げておいて、それを説明するような註をつけることはあるまいと思われる。

　

十二日、遊2覽布勢水海1、船泊2於多※［示＋古］灣1、望2見藤花1、各述v懷作歌四首

　

十二日、布勢の水海に遊覽し、船を多※［示＋古］《たこ》の灣《うら》に泊《は》てて、藤の花を望み見て各｜懷《おもひ》を述べて作れる歌四首。

　

【釋】船泊於多※［示＋古］灣　フネヲタコノウラニハテテ。タコノウラは、布勢の水海の東南隅にあつた灣。「多古能之麻《タコノシマ》」（卷十七、四〇一一）、「多胡乃佐伎《タコノサキ》」（卷十八、四〇五一）とも詠まれていた處で、今の宮田村田子の附近である。

　

4199　藤浪の　影なす海の　底清み、

　しづく石をも　珠とぞわが見る。

　

　藤奈美乃《フヂナミノ》　影成海之《カゲナスウミノ》　底清美《ソコキヨミ》

　之都久石乎毛《シヅクイシヲモ》　珠等曾吾見流《タマトゾワガミル》

　

【譯】藤が影をなしている海の底が清らかで、沈んでいる石をも、玉とわたしが見る。

【釋】影成海之　カゲナスウミノ。カゲナルウミノ（元）。カゲナスは、影を成してうつつている。ナルは助動詞だが、成の字を助動詞ナルに當てた例はない。

　之都久石乎毛　シヅクイシヲモ。シヅクは、沈んでいる。礒著クの義か。「大海之《オホウミノ》　水底照之《ミナソコテラシ》　石著玉《シヅタタマ》」（卷一七、一三一九）の石著は、語義によつて書いているのだろう。

【評語】美しい風光である。底の石を玉と見るのは、あえて珍しいとしないが、この歌では、率直に言つてい(239)るので、いやみがない。

　

守大伴宿祢家持

　

【釋】守大伴宿祢家持　カミオホトモノスクネヤカモチ。右の歌の作者の指示であるが、右と冠していないのは、手記のままで整理されていないからである。下これに同じ。

　

4200　多※［示＋古］《たこ》の浦の　底さへにほふ

　藤奈美を、

　插頭《かざ》して行かむ。

　見ぬ人のため。

　

　多※［示＋古］乃浦能《タコノウラノ》　底左倍尓保布《ソコサヘニホフ》

　藤奈美乎《フヂナミヲ》

　加射之?將v去《カザシテユカム》

　不v見人之爲《ミヌヒトノタメ》

　

【譯】多※［示＋古］の浦の底までも美しく映えている藤の花を、かざして行こう。見ない人のために。

【釋】底左倍尓保布　ソコサヘニホフ。底までも、藤の花の色が映じて、美しくなつている。連體句。

【評語】家持の作を受けている。見ない人のために折つて行こうという、類型的な表現によつている。

　

次官内藏忌寸繩麻呂

　

【釋】次官　スケ。越中の國の介。

　

4201　いささかに　念《おも》ひて來《こ》しを、

　多※［示＋古］《たこ》の浦に　咲ける藤見て

(240)　一夜經ぬべし。

　

　伊佐左可尓《イササカニ》　念而來之乎《オモヒテコシヲ》

　多※［示＋古］乃浦尓《タコノウラニ》　開流藤見而《サケルフヂミテ》

　一夜可v經《ヒトヨヘヌベシ》

　

【譯】ちよつとのことに思つて來たのだが、多※［示＋古］の浦に咲いている藤を見て、一夜を過ごしそうだ。

【釋】伊佐左可尓　イササカニ。イササカは、小事、かりそめ事。

【評語】多※［示＋古］の浦の藤を愛する心がよく出ている。初二句あたり、正直な言い方である。但し藤の花の特色はなく、何でもよい歌である。

　

判官久米朝臣廣繩

　

【釋】判官　マツリゴトビト。越中の國の椽。

　

4202　藤浪を　假廬《かりほ》に造り、

　灣《うら》みする　人とは知らに、

　海人《あま》とか見らむ。

　

　藤奈美乎《フヂナミヲ》　假廬尓造《カリホニツクリ》

　灣廻爲流《ウラミスル》　人等波不v知尓《ヒトトハシラニ》

　海部等可見良牟《アマトカミラム》

　

【譯】藤を假廬に作つて浦めぐりをする人とは知らないで、海人とか見るだろう。

【釋】藤奈美乎假廬尓造　フヂナミヲカリホニツクリ。藤の花のかげに立ちやすらい、または、藤の花を船の屋根にさしなどしたことを、大げさに言つている。藤の花をもつて假廬に作りの意である。

　灣廻爲流　ウラミスル。このウラミは、浦めぐりの意である。

【評語】海人と見るだろうという歌は、人麻呂の作以來往々にしてある所で、これもそれを受けている。初三句の敍述に特色があり、風雅を愛する人だという思想が強くあらわれている。

　

(241)久米朝臣經麻呂

　

【釋】久米朝臣繼麻呂　クメノアソミツギマロ。傳未詳。

　

恨2霍公鳥不1v喧歌一首

　

ほととぎすの喧《な》かざるを恨むる歌一首。

　

【釋】恨霍公鳥不喧歌　ホトトギスノナカザルヲウラムルウタ。これも前に續いて、多※［示＋古］の浦での作である。

　

4203　家に行きて　何を語らむ。

　あしひきの　山ほととぎす、　　　　　　

　一音《ひとこゑ》も鳴け。

　

　家尓去而《イヘニユキテ》　奈仁乎將v語《ナニヲカタラム》

　安之比奇能《アシヒキノ》　山霍公鳥《ヤマホトトギス》

　一音毛奈家《ヒトコヱモナケ》

　

【譯】家に行つて何を話そう。山のホトトギスよ、一聲でも鳴け。

【評語】ホトトギスに、一聲でも鳴けと言つたまでの作である。枕詞を使つてはいるが、慣用性のもので、刺戟はない。平凡な歌だが、四五句あたりに、いささかの風味はある。

　

判官久米朝臣廣繩

　

見2攀折保寶葉1歌二首

　

攀ぢ折れるほほがしはを見る歌二首。

　

(242)【釋】見攀折保寶葉歌　ヨヂヲレルホホガシハヲミルウタ。ホホガシハは、今のホオノキ。モクレン科の落葉喬木。葉は倒卵形で大形である。名は、ホホであるカシハの意。カシハは、廣葉をいう。新撰字鏡に「厚朴、保保加志波《ホホカシハ》」、倭名類聚鈔に「厚朴、本草（ニ）云（フ）、厚朴、一名厚皮　漢語抄（ニ）云（フ）、厚木、保保加之波乃伎《ホホカシハノキ》」。その木の枝を折り取つたのを見て詠んだのである。前に續いて布勢の水海での歌と見られる。

　

4204　わが夫子《せこ》が　捧げて持《も》てる

　ほほがしは、

　あたかも似るか。

　青き蓋《きぬがさ》。

　

　吾勢故我《ワガセコガ》　捧而持流《ササゲテモテル》

　保寶我之婆《ホホガシハ》

　安多可毛似加《アタカモニルカ》

　青蓋《アヲキキヌガサ》

　

【譯】あなたが捧げて持つているホオノキの葉は、ちようど似ていますね、青い衣笠に。

【釋】安多可毛似加　アタカモニルカ。アタカモは、ちようど當る意の副詞。宛然。集中唯一の例である。ニルカは、似ることだの意。「恰、安太加太毛《アタカタモ》」（日本靈異記上卷）。句切。

　青蓋　アヲキキヌガサ。キヌガサは、織物のさしかけ傘。

(243)【評語】ホオノキが大きな葉をつけて枝を張つているのを、青いきぬがさに見たてたのが、見つけ所である。歌中のワガ夫子は、多分家持をさしているのだろう。その人がホオノキを持つているのを見て、きぬがさに比したのは、きぬがさは、貴人にさしかける具であるから、その連想があるだろう。人麻呂の作に、「ひさかたの天ゆく月を網にさしわが大君はきぬがさにせり」（卷三、二四〇）というのがあり、それと同じ趣向で、材料が變わつている。

　

講師僧惠行

　

【釋】講師僧惠行　コウジノホフシヱギヤウ。講師は、國分寺の主位の僧をいうのだろう。もと國師といい、桓武天皇の延暦十四年八月の太政官符に「自（リ）v今｜以後《ノチ》、宜（シク・《ベシ》）d改（メテ）2國師（ヲ）1、曰（ヒ）2講師（ト）1、毎（ニ）v國置（ク）c一人（ヲ）u」とあつて、それよりして講師というようになつた。ここでは尊稱してこの稱を使つているか。惠行は、傳未詳。

　

4205　皇神祖《すめろき》の　遠《とほ》御代御代は、

　い布《し》き折り　酒飲むといふぞ。

　このほほがしは。

　

　皇神祖之《スメロキノ》　遠御代三世波《トホミヨミヨハ》

　射布折《イシキオリ》　酒飲等伊布曾《サケノムトイフゾ》

　此保寶我之波《コノホホガシハ》

　

【譯】昔の天皇の遠い御代御代には、重ね折つて、酒を飲むということですよ。このホオノキの葉は。

【釋】射布折　イシキヲリ。

　　イシキオリ（代赭）

　　――――――――――

　　射折布《イヲリシキ》（略、宣長）

　イは接頭語。シキヲリは、重ねて曲げて。ヲリは撓めまげる。厚朴の葉を重ねて盃を作つて。

　酒飲等伊布曾　サケノムトイフゾ。ホオノキの葉で酒を飲んだということだ。古事記中卷、應神天皇の條に(244)「天皇聞（シ）2看（ス）豐（ノ）明1之日、髪長比賣（ニ）令（メテ）v握《トラ》2大御酒（ノ）柏（ヲ）1、賜（ヒキ）2其太子（ニ）1」。倭名類聚鈔に「葉椀、本朝式（ニ）云（フ）、十一月辰（ノ）日（ノ）宴會、其（ノ）飯器、參議以上（ハ）朱漆（ノ）椀、五位以上（ハ）葉椀　久保天《クボテ》」。日本書紀、神武天皇の卷に、「葉盤、此（ヲ）云（フ）2?羅耐《ヒラデト》1」。これらは、植物の葉をもつて、飲食を盛つたものである。

【評語】ホオノキの歴史を説いたまでである。この席でも、ホオノキの葉に酒を盛ることなどを試みたのだろう。

　

守大伴宿祢家持

　

還時、濱上仰2見月光1歌一首

　

還《かへ》る時、濱の上に月の光を仰ぎ見る歌一首。

　

【釋】還時　カヘルトキ。布勢の水海の遊覽からの歸途である。

　

4206　澁谿《しぶたに》を　さしてわが行く　この濱に、

　月夜《つくよ》飽きてむ。

　馬しまし停《と》め。

　

　之夫多尓乎《シブタニヲ》　指而吾行《サシテワガユク》　此濱尓《コノハマニ》

　月夜安伎?牟《ツクヨアキテム》

　馬之末時停息《ウマシマシトメ》

　

【譯】澁谿をさしてわたしの行くこの濱で、月夜を滿喫して行こう。馬をしばし止めよ。

【釋】月夜安伎?牟　ツクヨアキテム。月を十分飽き足るまで眺めよう。句切。

　馬之末時停息　ウマシマシトメ。トメは命令形。人々にいう形である。

【評語】月下の濱邊の風光の美を、間接に稱えている。平語だが、表現で持つている歌で、風情がある。

　

(245)守大伴宿祢家持

　

廿二日、贈2判官久米朝臣廣繩1霍公鳥怨恨歌一首　并2短歌1

　

二十二日、判官久米の朝臣廣繩に贈れるほととぎすの怨恨《うらみ》の歌一首　【短歌并はせたり。】

　

4207　此間《ここ》にして　背向《そがひ》に見ゆる

　わが夫子《せこ》が　垣内《かきつ》の谷に、

　明けされば　榛《はり》のさ枝に、

　夕されば　藤の繁みに、

　はろばろに　鳴くほととぎす、

　わが屋戸《やど》の　殖木橘、

　花に散る　時をまだしみ、

　來鳴かなく　そこは怨みず。」

　しかれども　谷片づきて

　家居せる　君が聞きつつ

　告げなくも憂《う》し。」

　

　此間尓之?《ココニシテ》　曾我比尓所v見《ソガヒニミユル》

　和我勢故我《ワガセコガ》　垣都能谿尓《カキツノタニニ》

　安氣左禮婆《アケサレバ》　榛之狹枝尓《ハリノサエダニ》

　暮左禮婆《ユフサレバ》　藤之繁美尓《フヂノシゲミニ》

　遥々尓《ハロバロニ》　鳴霍公鳥《ナクホトトギス》

　吾屋戸能《ワガヤドノ》　殖木橘《ウヱキタチバナ》

　花尓知流《ハナニチル》　時乎麻太之美《トキヲマダシミ》

　伎奈加奈久《キナカナク》　曾許波不v怨《ソコハウラミズ》

　之可禮杼毛《シカレドモ》　谷可多頭伎?《タニカタヅキテ》

　家居有《イヘヰセル》　君之聞都々《キミガキキツツ》

　追氣奈久毛宇之《ツゲナクモウシ》

　

【譯】この處で、うしろに見えるあなたの屋敷内の谷に、夜が明ければハリの枝に、夕方になれば藤の繁みに、(246)遠方で鳴くホトトギス、わたしの屋戸の植えた木の橘が、花に散る時がまだなので、來て鳴かないのは、それは恨みません。しかしながら、谷に一方がついて家居しているあなたが、聞きながら話さないのはつらいことです。

【構成】第一段、ソコは怨ミズまで。久米の廣繩の邸内で、ホトトギスの鳴くことを述べる。第二段、終りまで。廣繩が聞きながら語らないことを恨む。

【釋】此間尓之?　ココニシテ。ココは、家持の館をいう。

　曾我比尓所見　ソガヒニミユル。ソガヒは後方。家持の館に對して、廣繩の館は、多分北の方面にあつたのだろう。家持の館は、南面していると思われるから、後方に見えるというのであろう。

　垣都能谿尓　カキツノタニニ。カキツは、垣内で、圍内。谷を取り入れて館が構えられてあつたのである。下に、谷片ヅキテとあるによれば、谷に臨んでいたのだろう。

　安氣左禮婆　アケサレバ。夜が明けて來れば。「明去者《アケサレバ》　鹽乎令v干《シホヲヒシム》（卷三、三八八）。

　榛之狹枝尓　ハリノサエダニ。集中の榛は、多くハギであるが、ここはホトトギスに配してあるので、ハンノキであろう。

　殖木橘　ウヱキタチバナ。植えた木である橘。

　花尓知流　ハナニチル。花として散る。「秋〓子者《アキハギハ》　於v鴈不v相常《カリニアハジト》　言有者香《イヘレバカ》　音乎聞而者《コエヲキキテハ》　花爾散去流《ハナニチリヌル》」（卷十、二一二六）。

　時乎麻太之美　トキヲマダシミ。マダシミは、未シの意の形容詞、マダシの活用形。時がまだなので。

　伎奈加奈久曾許波不怨　キナカナクソコハウラミズ。家持の處に來て鳴かないこと、それは恨まない。句切。

　谷可多頭伎?　タニカタヅキテ。一方が谷について。

(247)【評語】　廣繩の屋敷の敍述があつて、效果を擧げている。しかし内容が、ホトトギスの聲を聞きながら告げないのはうらめしいというだけの平凡なものであつて、作品としての價値はすくない。

　

反歌一首

　

4208　わが幾許《ここだ》　待てど來鳴かぬ

　ほととぎす

　ひとり聞きつつ　告げぬ君かも。

　

　吾幾許《ワガココダ》　麻?騰來不v鳴《マテドキナカヌ》

　霍公鳥《ホトトギス》

　比等里聞都追《ヒトリキキツツ》　不v告君可母《ツゲヌキミカモ》

　

【譯】わたしがたいへん待つているのに來て鳴かないホトトギスを、ひとり聞きながら告げないあなたですね。

【評語】長歌の内容を要約しただけで、長歌ほどの部分的な風趣もない。

　

詠2霍公鳥1歌一首　并2短歌1

　

【釋】詠霍公鳥歌　ホトトギスヲヨメルウタ。前掲の家持の歌に對する答の歌である。

　

4209　谷近く　家は居《を》れども、

　木高《こだか》くて　里はあれども、

　ほととぎす　いまだ來鳴かず。」

　鳴く聲を　聞かまく欲《ほ》りと、

　朝《あした》には　門にいで立ち、

(248)　夕《ゆふ》べには　谷を見渡し、

　戀ふれども　一聲だにも

　いまだ聞えず。」

　

　多尓知可久《タニチカク》　伊敝波乎禮騰母《イヘハヲレドモ》

　許太加久?《コダカクテ》　佐刀波安禮騰母《サトハアレドモ》

　保登等藝須《ホトトギス》　伊麻太伎奈加受《イマダキナカズ》

　奈久許惠乎《ナクコヱヲ》　伎可麻久保理登《キカマクホリト》

　安志多尓波《アシタニハ》　可度尓伊?多知《カドニイデタチ》

　由布敝尓波《ユフベニハ》　多尓乎美和多之《タニヲミワタシ》

　古布禮騰毛《コフレドモ》　比等己惠太尓母《ヒトコヱダニモ》

　伊麻太伎己要受《イマダキコエズ》

　

【譯】谷近く家居しておりますけれども、木高くて里はありますけれども、ホトトギスはまだ來て鳴きません。その鳴く聲を聞きたいものだと、朝は門に立ち出で、夕べには谷を見渡して、慕いますけれども、一聲だけでもまだ聞えません。

【構成】第一段、イマダ來鳴カズまで。ホトトギスの鳴かないことを述べる。第二段、終りまで。その聲を聞こうと願うが、一聲もまだ聞えないことを述べる。

【評語】家持の幾分誘いをかけたような歌に對して、これはまじめに辯解している。それだけに曲がなく、平語のいいわけに過ぎない。ただ前半を、イマダ來鳴カズと留め、後半を、イマダ聞エズと留めて、照應してあるところに、若干の技巧がある。作者としては、もつと自分の屋敷内を描寫すべきだつた。

　

4210　藤浪の　繁りは過ぎぬ。

　あしひきの　山ほととぎす、

　などか來鳴かぬ。

　

　敷治奈美乃《フヂナミノ》　志氣里波須疑奴《シゲリハスギヌ》

　安志比紀乃《アシヒキノ》　夜麻保登等藝須《ヤマホトトギス》

　奈騰可伎奈賀奴《ナドカキナカヌ》

　

【譯】藤の花の盛りは過ぎました。山のホトトギスは、どうして來て鳴かないのでしよう。

【評語】これも平凡の作である。藤の花と山ホトトギスとを取り合わせただけの歌といつてよい。

　

(249)右二十三日、椽久米朝臣廣繩和

　

追2同處女墓歌1一首　并2短歌1

　

處女墓《をとめづか》の歌に追ひて同《こた》ふる一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】追同處女墓歌　ヲトメヅカノウタニオヒテコタフル。ヲトメヅカは、葦屋《あしのや》の菟原處女《うないおとめ》のこと。この歌は、高橋の蟲麻呂集所出の「見2菟原處女墓1歌」（卷九、一八〇九−一一）に追和しているので、作者ははるかに越中の國にいて、この歌を作つている。追同は、前の歌に答えたのでなくて、同じ立場で歌う意であろう。「後人追同歌」（巻四、五二〇）の例がある、この塚の所在については、吉井良秀氏の「萬葉集中三四の疑問に付いて」（「國學院雑誌」第四十卷第七號）に、今川了俊の紀行を引いて、これを生田川のほとりとする説がある。

　

4211　古《いにしへ》に　ありけるわざの

　くすばしき　事と言ひ繼ぐ、

　血沼壯士《ちぬをとこ》　菟原壯士《うなひをとこ》の、

　うつせみの　名を爭ふと、

　たまきはる　壽《いのち》も捨てて、

　爭《あらそひ》に　嬬問《つまどひ》しける、

　嬢子らし　聞けば悲しさ。」

(250)　春花の　にほえさかえて、

　秋の葉の　にほひに照れる、

　あたらしき　身の壯《さかり》すら、

　丈夫の　語《こと》いたはしみ、

　父母に　啓《まを》し別れて、

　家｜離《さか》り　海邊《うみべ》に出で立ち、

　朝暮《あさよひ》に　滿ち來《く》る潮の、

　八重浪に　靡く珠藻の、

　節《ふし》の間《ま》も　惜しき命を、

　露霜の　過ぎましにけれ、

　奧墓《おくつき》を　此處《ここ》と定めて、

　後の代の　聞き繼ぐ人も、

　いや遠に　しのひにせよと、

　つげ小櫛《をぐし》　しか刺《さ》しけらし。

　生ひて靡けり。」

　

　古尓《イニシヘニ》　有家流和射乃《アリケルワザノ》

　久須婆之伎《クスバシキ》　事跡言繼《コトトイヒツグ》

　知努乎登古《チヌヲトコ》　宇奈比壯子乃《ウナヒヲトコノ》

　宇都勢美能《ウツセミノ》　名乎競争登《ナヲアラソフト》

　玉剋《タマキハル》　壽毛須?弖《イノチモステテ》

　相争尓《アラソフニ》　嬬問爲家留《ツマドヒシケル》

　※［女＋感］嬬等之《ヲトメラシ》　聞者悲左《キケバカナシサ》

　春花乃《ハルバナノ》　尓太要盛而《ニホエサカエテ》

　秋葉之《アキノハノ》　尓保比尓照有《ニホヒニテレル》

　惜《アタラシキ》　身之壯尚《ミノサカリスラ》

　大夫之《マスラヲノ》　語勞美《コトイタハシミ》

　父母尓《チチハハニ》　啓別而《マヲシワカレテ》

　離v家《イヘサカリ》　海邊尓出立《ウミベニイデタチ》

　朝暮尓《アサヨヒニ》　滿來潮之《ミチクルシホノ》

　八隔浪尓《ヤヘナミニ》　靡珠藻乃《ナビクタマモノ》

　節間毛《フシノマモ》　惜命乎《ヲシキイノチヲ》

　露霜之《ツユジモノ》　過麻之尓家禮《スギマシニケレ》

　奧墓乎《オクツキヲ》　此間定而《ココトサダメテ》

　後代之《ノチノヨノ》　聞繼人毛《キキツグヒトモ》

　伊也遠尓《イヤトホニ》　思努比尓勢餘等《シノヒニセヨト》

　黄楊小櫛《ツゲヲグシ》　之賀左志家良之《シカサシケラシ》

　生而靡有《オヒテナビケリ》

　

【譯】昔にあつたこととして、珍しいことと言い繼ぐ所の、血沼壯士と菟原壯士とが、生ける人としての名を爭うと、生命をも捨てて、爭つて妻問をした、娘のことを聞けば悲しいことだ。春の花のように美しく咲き榮(251)え、秋の木の葉のように、美しい色に照つている、惜しむべき身の盛時をも、男の言葉を氣の毒に思い、父母に別れを告げて、家を離れ海邊に出て、朝夕に滿ちて來る潮の、幾重にもかさなる浪に靡く玉藻の節のように、ちよつとのまも惜しい命なのに、露霜のように過ぎ去つてしまつたので、墓を此處と定めて、後の代の聞き繼ぐ人も、いよいよ永遠に思い出にせよと、ツゲの小櫛を、かように刺したのだろう。生えて靡いている。

【構成】第一段、聞ケバ悲シサまで。二人の男が爭つた娘子のことを聞くのは悲しいことを述べる。第二段、終りまで。娘子が死んで墓が築かれ、ツゲの小櫛を刺したことを述べる。

【釋】久須婆之伎　クスバシキ。神秘不可思議である意の形容詞。クシビを根本とし、そのようにある意に構成されている。ここは、不思議な珍しい意に使つている。

　知努乎登古宇奈比壯子乃　チヌヲトコウナヒヲトコノ。和泉の國の血沼の男と、娘子と同郷の菟原の男とが。この二人の男が、娘子を爭い、それを見るに見かねて娘子が水死をするのである。

　名乎競爭登　ナヲアラソフト。男子の名を爭つて。

　玉剋　タマキハル。枕詞。

　※［女＋感］嬬等之　ヲトメラシ。オトメラガ（西）。娘子のことが。ヲトメラガでは、次の句に續かない。

　春花乃　ハルバナノ。枕詞。

　尓太要盛而　ニホエサカエテ。ニホエは、動詞ニホフのヤ行下二段活。「都追慈花《ツツジバナ》　爾太遙越賣《ニホエヲトメ》」（卷十三、三三〇九）。

　秋葉之　アキノハノ。枕詞。

　大夫之語勞美　マスラヲノコトイタハシミ。二人の男の爭つて言い寄る言をいたわしいとして。

　父母尓啓別而　チチハハニマヲシワカレテ。父母に別れを告げて。蟲麻呂の歌の「吾妹子之《ワギモコガ》　母爾語久《ハハニカタラク》　倭(252)文手纏《シヅタマキ》　賤吾之故《イヤシキワガユヱ》　大夫之《マスラヲノ》　荒爭見者《アラソフミレバ》　雖v生《イケリトモ》　應v合有哉《アフベクアレヤ》　宍串呂《シシクシロ》　黄泉爾將v待跡《ヨミニマタムト》　隱沼乃《コモリヌノ》　下延置而《シタバヘオキテ》　打歎《ウチナゲキ》　妹之去者《イモガイヌレバ》」（卷九・一八〇九）とあるのを受けている。

　朝暮尓滿來潮之八隔浪尓靡珠藻乃　アサヨヒニミチクルシホノヤヘナミニナビクタマモノ。以上、譬喩による序として、次のフシノマを引き起している。藻には節があるからである。家離リ海邊ニ出デ立チと、事を敍し、その縁で、この序に續いている技巧は巧みである。

　節間毛　フシノマモ。藻の節のあいだは短いから、短い時間のことにいう。

　露霜之　ツユジモノ。枕詞

　過麻之尓家禮　スギマシニケレ。スギは、死ぬ意。マシは敬語の助動詞。已然條件法。

　之賀左志家良之　シカサシケラシ。シカは、さように。句切。この歌の末尾は、蟲麻呂の歌の反歌「墓上之《ツカノウヘノ》　木枝靡有《コノエナビケリ》　如v聞《キクガゴト》　陳奴壯士爾之《チヌヲトコニシ》　依家良信母《ヨリニケラシモ》」（卷九、一八一一）を受けている。

【評語】娘子の水死の件を中心として取り扱つているのは、當を得ている。墓の上に娘子のツゲの小櫛をさしたのが、生えて靡いているという、墓の敍述もよく、これで留めているのは、全體を生かすもとでもある。この傳説としては、娘子墓を中に、二人の男の墓を、その左右に築いた所に、特色があり、そういう墓の?態が、人の注意をひく所であるのに、それに及んでいないのは、どうしたものか。作者は、あるいはその墓を見ていないのかも知れない。

　

4212　孃子《をとめ》らが　後のしるしと、

　つげ小櫛《をぐし》

　生《お》ひ更《かは》り生《お》ひて　靡きけらしも。

　

　乎等女等之《ヲトメラガ》　後乃表跡《ノチノシルシト》

　黄楊小櫛《ツゲヲグシ》

　生更生而《オヒカハリオヒテ》　靡家良思母《ナビキケラシモ》

　

(253)【譯】娘子の、後世の記念として、ツゲの小櫛をさしたのが、生え變わつて靡いているのだろう。

【釋】生更生而　オヒカハリオヒテ。もとの黄楊の木は枯れても、また新たに生え出て。これは物語を古い時代のこととすることから來ている。

　靡家良思母　ナビキケラシモ。ラシの推量を使つたのは、上の、後のしるしとしての句を受けている。後ノシルシト靡キケラシモの意である。

【評語】長歌の末を受けて、多少變化させて、靡いている所以を推量した形にしている。蟲麻呂の作は、靡いているわけを、娘子が血沼壯士に心を寄せていたからだと推量し、ここでは後のしるしとしてと推量している。作者のそれぞれの特色があらわれている所であつて、家持は、歴史的に傳えることを、常に考えていたことが知られる。同時に、二人の男を、同等に扱おうとする考えかたになつていることも、このようにいうもとになつているだろう。

　

右五月六日、依v興大伴宿祢家持作之

　

右は五月六日、興に依りて大伴の宿禰家持の作れる。

　

4213　東風《あゆ》をいたみ

　奈呉《なご》の浦みに　寄する浪、

　いや千重しきに　戀ひ渡るかも。

　

　安由乎疾《アユヲイタミ》

　奈呉乃浦廻尓《ナゴノウラミニ》　興須流浪《ヨスルナミ》

　伊夜千重之伎尓《イヤチヘシキニ》　戀度可母《コヒワタルカモ》

　

【譯】東風が烈しくて、奈呉の浦に寄せる浪のように、いよいよ幾重にも重ねて戀して過ごすことですよ。

【釋】安由乎疾奈呉乃浦廻尓與須流浪　アユヲイタミナゴノウラミニヨスルナミ。以上三句、イヤ千重シキに(254)を引き起す序になっている。

【評語】浪から重ねての意に續く序の用法は、きわめて類型的である。ただその浪の説明に、それぞれの特色があるのだが、この歌のは、東風、奈呉など越中の風物地名を使つただけで、曲がない。序から引き起される主想部もきわめて平凡である。

　

右一首、贈2京丹比家1

　

【釋】贈京丹比家　ミヤコナルタヂヒケニオクレル。京の丹比家は、「贈（レル）2京（ナル）丹比家（ニ）1歌」（卷十九、四一七三）參照。

　

挽歌一首　并2短歌1

　

挽歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】挽歌　メニカ。歌の左註にあるように、家持が、聟の母の死を傷んで詠んだものである。

　

4214　天地の　初めの時ゆ、

　うつそみの　八十件《やそとも》の男《を》は、

　大王《おほきみ》に　服從《まつろ》ふものと、

　定まれる　官《つかさ》にしあれば、

　天皇《おほきみ》の　命かしこみ、

(255)　夷《ひな》ざかる　國を治むと、

　あしひきの　山河へなり

　風雲《かぜくも》に　言は通へど、

　ただに遇《あ》はぬ　日の累《かさ》なれば、

　思ひ戀ひ　氣《いき》づき居《を》るに、

　玉｜桙《ほこ》の　道｜來《く》る人の、

　傳言《つてごと》に　吾に語らく、

　愛《は》しきよし　君はこのごろ

　うらさびて　嘆《なげ》かひいます。

　世の中の　憂《う》けく辛《つら》けく、

　開《さ》く花も　時にうつろふ。

　うつせみも　常無くありけり。

　たらちねの　御母《みおも》の命、

　何しかも　時しはあらむを、

　まそ鏡　見れども飽かず、

　珠の緒の　惜しき盛りに、

　立つ霧の　失《う》せぬる如く、

(256)　置く露の　消《け》ぬるが如、

　玉藻なす　靡き反倒《こいふ》し、

　逝《ゆ》く水の　留《とど》みかねつと、　

　狂言《たはごと》や　人の云ひつる。

　逆言《およづれ》を　人の告げつる。」

　梓弓　爪《つま》ひく夜音《よと》の

　遠音《とほと》にも　聞けば悲しみ、

　庭潦《にはたづみ》　流るる涕《なみだ》、

　留《とど》みかねつも。

　

　天地之《アメツチノ》　初時從《ハジメノトキユ》

　宇都曾美能《ウツソミノ》　八十伴男者《ヤソトモノヲハ》

　大王尓《オホキミニ》　麻都呂布物跡《マツロフモノト》

　定有《サダマレル》　官尓之在者《ツカサニシアレバ》

　天皇之《オホキミノ》　命恐《ミコトカシコミ》

　夷放《ヒナザカル》　國乎治等《クニヲヲサムト》

　足日木《アシヒキノ》　山河阻《ヤマカハヘナリ》

　風雲尓《カゼクモニ》　言者雖v通《コトハカヨヘド》

　正不v遇《タダニアハヌ》　日之累者《ヒノカサナレバ》

　思戀《オモヒコヒ》　氣衝居尓《イキヅキヲルニ》

　玉桙之《タマホコノ》　道來人之《ミチクルヒトノ》

　傳言尓《ツテゴトニ》　吾尓語良久《ワレニカタラク》

　波之伎餘之《ハシキヨシ》　君者比來《キミハコノゴロ》

　宇良佐備弖《ウラサビテ》　嘆息伊麻須《ナゲカヒイマス》

　世間之《ヨノナカノ》　厭家口都良家苦《ウケクツラケク》

　開花毛《サクハナモ》　時尓宇都呂布《トキニウツロフ》

　宇都勢美毛《ウツセミモ》　無v常阿里家利《ツネナクアリケリ》

　足千根之《タラチネノ》　御母之命《ミオモノミコト》

　何如可毛《ナニシカモ》　時之波將v有乎《トキシハアラムヲ》

　眞鏡《マソカガミ》　見禮杼母不v飽《ミレドモアカズ》

　珠緒之《タマノヲノ》　惜盛尓《ヲシキサカリニ》

　立霧之《タツキリノ》　失去如久《ウセヌルゴトク》

　置露之《オクツユノ》　消去之如《ケヌルガゴト》

　玉藻成《タマモナス》　靡許伊臥《ナビキコイフシ》

　逝水之《ユクミヅノ》　留不v得常《トドメカネツト》

　狂言哉《タハゴトヤ》　人之云都流《ヒトノイヒツル》

　逆言乎《オヨヅレヲ》　人之告都流《ヒトノツゲツル》

　梓弧《アヅサユミ》　弦爪夜音之《ツマヒクヨトノ》

　遠音尓毛《トホトニモ》　聞者悲弥《キケバカナシミ》

　庭多豆水《ニハタヅミ》　流涕《ナガルルナミダ》

　留可祢都母《トドミカネツモ》

　

【譯】天地の初めの時以來、生ける世の多くの人々は、天皇に奉仕するものと、定まつている役であるから、天皇の命を承わつて、遠い地方の國を治めると、山や河が隔り、風や雲に言は通うけれども、直接に逢わない日がかさなるので、思い慕つて溜息をついているところに、道を來る人が、傳言してわたしに語ることは、愛すべき君はこのごろ、心悲しく歎息しておられる。世の中の憂いことつらいことは、咲く花も時が來れば散る。この世の人も無常であつた。母君が、何とてか時もあろうに、澄んだ鏡のように、見ても飽かず、珠の緒というように、惜しい盛りに、立つ霧の失せゆくように、置く露の消えるように、玉藻のように靡いて倒れ伏し、行く水のように留めかねたと、狂つた言を人が言つたのか。惑わし言を人が告げたのか。梓弓を爪で引く夜の音のように、遠い話にも、聞くと悲しいので、庭潦のように流れる涙を留めかねました。

(257)【構成】第一段、逆言ヲ人ノ告ゲツルまで。道行く人が、聟の母の訃を告げたことを述べる。第二段、終りまで。作者の悲しみを述べる。

【釋】風雲尓言者雖通　カゼクモニコトハカヨヘド。風や雲は、遠い處にも音信を托する者として擧げている。「風雲者《カゼクモハ》　二岸爾《フタツノキシニ》　可欲倍杼母《カヨヘドモ》　吾遠嬬之《ワガトホヅマノ》　事曾不v通《コトゾカヨハヌ》」（卷八、一五二一）。

　玉桙之　タマホコノ。枕詞。

　道來人之　ミチクルヒトノ。道を來た人が。これはたまたま京から來た人をいう。傳言ニ吾ニ語ラクとあるによれば、特に使を出したのではない。事項も、特使をもつて通ずるほどのことでもない。

　波之伎餘之　ハシキヨシ。以下、逝ク水ノ留ミカネツまで、その人の言である。

　君者比來　キミハコノゴロ。キミは、左註にある聟の藤原の二郎をいう。

　世間之厭家口都良家苦　ヨノナカノウケクツラケク。世間の憂きこと、つらいことは。「世間能《ヨノナカノ》　宇計久都良計久《ウケクツラケク》」（卷五、八九七）。

　時尓宇都呂布　トキニウツロフ。トキニは、時にあつては、時が來れば。「佐久波奈波《サクハナハ》　宇都呂布等伎安里《ウツロフトキアリ》」（卷二十、四四八四）の思想に同じ。句切。

　足千根之　タラチネノ。枕詞。

　御母之命　ミオモノミコト。ミヲヤノミコト（元赭）、オモノミコトノ（西）、オモノミコト（神）、ミオモノミコト（代精）、ミハハノミコト（考、諸成）。母は、オモ、ハハの兩訓があるが、接頭語ミに接して、ミオモの例のあるによる。藤原の二郎の母である。

　何如可毛時之波將有乎　ナニシカモトキシハアラムヲ。「奈爾之加母《ナニシカモ》　時之波安良牟乎《トキシハアラムヲ》」（卷十七、三九五七）。

　眞鏡　マソカガミ。枕詞。

(258)　珠緒之　タマノヲノ。枕詞。同音によつてヲの音に冠する。

　玉藻成　タマモナス。枕詞。

　逝水之　ユクミヅノ。枕詞。

　狂言哉　タハゴトヤ。

　　タハゴトヤ（略）

　　――――――――――

　　枉言哉《マガゴトヤ》（西）

　タハゴトは、狂つた言。正しくない言。ヤは係助詞。以下道くる人の言を疑う意。

　逆言乎　オヨヅレヲ。

　　サカゴトヲ（元緒）

　　――――――――――

　　逆言可《オヨヅレカ》（略）

　オヨヅレは、妖言。人をたぶらかす言。次の句を連體形で留めているので、ここにヤカなどの係助詞が欲しい所である。しかしこれは次の句を、言いつることよの意に解しておくべきであろう。

　梓弧爪夜音之　アヅサユミツマヒクヨトノ。以上二句は序。宮廷警衛の武士が、夜、梓弓を引いて弦音を立てる。それが遠く聞えるので、遠音を引き起している。「梓弓《アヅサユミ》　爪引夜音之《ツマヒクヨトノ》　遠音爾毛《トホトニモ》　君之御幸乎《キミガミユキヲ》　聞之好毛《キカクシヨシモ》」（卷四、五三一）。

　遠音尓毛　トホトニモ。越中に居て京のことを聞くので、遠音と言つている。

　庭多豆水　ニハタヅミ。枕詞。俄に出る水の義だろうが、ニハに庭の意を感じていたと見える。「庭多泉《ニハタヅミ》　流涙《ナガルルナミダ》　止曾金鶴《トメゾカネツル》」（卷二、一七八）。

【評語】挽歌であるが、その死者が、近親というわけでもなく、しかも傳言に聞いて、弔辭として詠んだので、悲哀感が痛切に動いていない。後半、枕詞、譬喩、序詞などを多量に使つたのも、煩雜なだけで、效果を減じている。

　

(259)反歌二首

　

4215　遠音《とほと》にも　君がいたむと

　聞きつれば、

　哭《ね》のみし泣かゆ。

　相念ふ、われは。

　

　遠音毛《トホトニモ》　君之痛念跡《キミガイタムト》

　聞都禮婆《キキツレバ》

　哭耳所v泣《ネノミシナカユ》

　相念吾者《アヒオモフワレハ》

　

【譯】遠い話にもあなたが歎いていると聞きましたので、泣かれるばかりです。思つております。わたしは。

【釋】遠音毛　トホトニモ。長歌の句を使つている。道來る人の京の話だから遠音という。

　相念吾者　アヒオモフワレハ。集中の、五句の終りを、ワレハと止める歌の例によるに、アヒ念フで切つて、讀むべきである。

【評語】聟の歎きに同情している。哭ノミシ泣カユは、慣用句だが、第五句の表現は、強く有力である。

　

4216　世のなかの　常無きことは

　知るらむを、

　情《こころ》つくすな。

　丈夫《ますらを》にして。

　

　世間之《ヨノナカノ》　無v常事者《ツネナキコトハ》

　知良牟乎《シルラムヲ》

　情盡莫《ココロツクスナ》

　大夫尓之?《マスラヲニシテ》

　

【譯】世間の無常であることは知つているだろうが、心をつくすな。男兒であつて。

【釋】情盡莫　ココロツクスナ。心を傾けつくして悲しむなかれ。句切。

(260)【評語】聟を慰め、男子としてかような悲哀に心をつくすなと戒めている。思う心がよくあらわれている。

　

右、大伴宿祢家持、弔d聟南右大臣家藤原二郎之喪2慈母1患u也　五月廿七日

　

右は、大伴の宿禰家持の、聟南の右の大臣の家の藤原の二郎《なかちこ》が慈母《おも》を喪《うしな》へる患へを弔《ともら》へるなり。五月二十七日。

　

【釋】弔聟南右大臣家藤原二郎之喪慈母患也　ムコミナミノミギノオホマヘツギミノイヘノフヂハラノナカチコガミオモヲウシナヘルウレヘヲトモラヘルナリ。南は、藤原の四家の、南家、北家、式家、京家のうちの南家で、藤原の武智麻呂《むちまろ》の家。その右大臣は、天平勝寶元年四月に右大臣になつた、武智麻呂の第一子豐成である。藤原の二郎は、豐成の第二子とすれば、藤原の繼繩で、その人の母は、路の眞人蟲麻呂の女である。しかし繼繩の妻は、百濟の王明信で、そのあいだに子｜乙叡《おとえ》がある。また繼繩は、集中に名が見えない。よつて考えるに、これは、豐成の弟藤原の仲麻呂の第二子｜久須麻呂《くすまろ》であろう。南の右大臣家の藤原の二郎という言いかたは、戸籍として、豐成の家に屬していたからであろう。なお家持と久須麻呂との關係については、卷の四の終りの數首の歌の註釋にその記事がある。

　

霖雨※［日＋齊］日作歌一首

　

霧雨《ながあめ》の晴るる日に作れる歌一首。

　

【釋】霖雨※［日＋齊］日作歌　ナガアメノハルルヒニツクレルウタ。倭名類聚鈔に「霖、兼名宛（ノ）注（ニ）云（フ）、霖　音林、和名｜奈加阿女《ナガアメ》、今案（ニ）、一名連雨、一名苦雨。三日以上（ノ）雨也」。※［日＋齊］は、類聚名義抄に、ハレ、ハルの訓がある。

　

(261)4217　卯の花を　腐《くた》す霖雨《ながめ》の　始水《ハツミヅ》逝き

　縁《よ》る木糞《こづみ》如《な》す　縁《よ》らむ兒もがも。

　

　宇能花乎《ウノハナヲ》　令v腐霖雨之《クタスナガメノ》　始水逝《ハツミヅユキ》

　縁木積成《ヨルコヅミナス》　將v因兒毛我母《ヨラムコモガモ》

　

【譯】卯の花を腐らせる霖雨の水先が流れて、寄る木屑のように、寄つて來る子がほしいなあ。

【釋】。以上譬喩になり、同時に同音を重ねて、寄ラムの序となつている。始水逝は、霖雨によつて水かさの増したその水の先端の寄ることをいうのだろうが、訓は、ミヅハナニ（西）、ミヅハナユキ（代初）、また逝を邇の誤りとしてミヅハナニとする（代初書入）説などある。今、文字どおりハツミヅユキと讀むが、何か適當の語があるだろう。コヅミは、枝葉木屑などの塵芥をいう。

【評語】五月の霖雨の説明として、卯ノ花ヲ腐スと置いたのは、知識的であり、殊にここでは雨の晴れた日の歌だからふさわない。霖雨の始水に寄る木積に興を催したのは、木積ナスという慣用句があるにしても、確かに著眼であつたといえる。この歌は、その序の敍述に興味が置かれているのであつて、主想部は平凡であり、作者としてもどうでもよいものであつた。當時家持は、京から妻を呼び寄せているのであり、その貴族的な生活から、この主想部に示されるような考えが催されたとしても、それはきわめて輕い存在であつた。殊に次の歌の主想部、ホニカ出デナムワガ下念ヒヲの句に至つては、その事實なくして構想したものと考えられる。家持は、ホトトギスの聲を聞かないで、ホトトギスの歌を詠み、時にあらずして七夕の歌を詠み、また事實に先だつて儲作歌をしているかような立場が、ここに序詞を作歌目的として、主想部は假設による作を見るに至つた。これは前からもあつたのだろうが、ここにそれを證明し得る機會に接したのである。

　

(262)見2漁夫火光1歌一首

　

漁夫の火光を見る歌一首。

　

【釋】見漁夫火光歌　アマノヒノヒカリヲミルウタ。魚を集めるためにともす火で、イカ漁などに盛んに使用される。

　

4218　しび衝《つ》くと　海人《あま》の燭《とも》せる　漁火《いざりび》の

　ほにか出でなむ。

　わが下念《したおも》ひを。

　

　鮪衝等《シビツクト》　海人之燭有《アマノトモセル》　伊射里火之《イザリビノ》

　保尓可將v出《ホニカイデナム》

　吾之下念乎《ワガシタオモヒヲ》

　

【譯】　シビを突くと海人がともしている漁火のように、表面に出るでしよう。わたしの下思いが。

【釋】鮪衝等海人之燭有伊射里火之　シビツクトアマノトモセルイザリビノ。以上、火がほに出るというので、ホニカ出デナムを引き起す序になつている。火がホニ出ルというのは、火?の立つをいう。シビは、魚名。シビマグロ。倭名類聚鈔に「鮪。食療經（ニ）云（フ）、鮪音委一名黄頬魚之比《シヒ》」とある。ツクは、銛《もり》で突いて捕るをいう。シビツクは、古歌謠に「意布袁余志《オフヲヨシ》　斯批都久阿麻余《シビツクアマヨ》」（古事記一一一）とあるなどによつたのであろう。北海にシビはすくないのだから、成語を使つた想像の句であろう。

　保尓可將出　ホニカイデナム。ホは、表面にあらわれる所をいう。

【評語】海人の火光を見て詠んだ歌で、初句は想像の句だろうが、力強い。イザリ火ノホニ出ルという言い方は、類型的の表現である。前の歌に評したように、序に興味があつて作られた歌で、主想部は、借物である。

　

(263)右二首、五月

　

【釋】右二首五月　ミギノフタツハサツキ。月のみで日を逸しているのは、後に至つて記したものだろう。

　

4219　わが屋戸《やど》の　はぎ咲きにけり。

　秋風の　吹かむを待たば、

　いと遠みかも。

　

　吾屋戸之《ワガヤドノ》　〓子開尓家理《ハギサキニケリ》

　秋風之《アキカゼノ》　將v吹乎待者《フカムヲマタバ》

　伊等遠弥可母《イトトホミカモ》

　

【譯】わたしの屋戸のハギが咲いた。秋風の吹くのを待つていたら、たいへん遠いからだろうか。

【評語】左註にあるように、まだ秋にならないのにハギの咲いたのを詠んでいる。平易に敍せられているだけの歌である。

　

右一首、六月十五日、見2〓子早花1作之

　

右の一首は、六月十五日、はぎの早花《はつはな》を見て作れる。

　

【釋】見〓子早花作之　ハギノハツハナヲミテツクレル。早花は、早く咲く花。「屋前之早〓子《ニハノハツハギ》」（卷十、二一一三）とも書いている。

　

從2京師1來贈歌一首　井2短歌1

　

京師より來り贈れる歌一首　【短歌并はせたり。】

　

【釋】從京師來贈歌　ミヤコヨリキタリオクレルウタ。左註によれば、坂上の郎女からその女の坂上の大孃に(264)贈つて來た歌である。

　

4220　海神《わたつみ》の　神の命の、

　御櫛笥《みくしげ》に　貯《たくは》ひ置きて、

　齋《いつ》くとふ　珠に勝《まさ》りて、

　思へりし　吾《あ》が子にはあれど、

　うつせみの　世の理《ことわり》と、

　丈夫の　引《ひき》のまにまに、

　級《しな》ざかる　越道《こしぢ》をさして、

　延《は》ふ蔦の　別れにしより、

　沖つ波　撓《とを》む眉引《まよびき》、

　大船の　ゆくらゆくらに

　面影に　もとな見えつつ、

　かく戀ひば　老《おい》づく吾《あ》が身、

　けだし堪《あ》へむかも。

　

　和多都民能《ワタツミノ》　可味能美許等乃《カミノミコトノ》

　美久之宜尓《ミクシゲニ》　多久波比於伎?《タクハヒオキテ》

　伊都久等布《イツクトフ》　多麻尓末佐里?《タマニマサリテ》

　於毛敝里之《オモヘリシ》　安我故尓波安禮騰《アガコニハアレド》

　宇都世美乃《ウツセミノ》　與能許等和利等《ヨノコトワリト》

　麻須良乎能《マスラヲノ》　比伎能麻尓麻仁《ヒキノマニマニ》

　之奈謝可流《シナザカル》　古之地乎左之?《コシヂヲサシテ》

　波布都多能《ハフツタノ》　和可禮尓之欲理《ワカレニシヨリ》

　於吉都奈美《オキツナミ》　等乎牟麻欲妣伎《トヲムマヨビキ》

　於保夫祢能《オホブネノ》　由久良々々々耳《ユクラユクラニ》

　於毛可宜尓《オモカゲニ》　毛得奈民延都々《モトナミエツツ》

　可久古非婆《カクコヒバ》　意伊豆久安我未《オイヅクアガミ》

　氣太志安倍牟可母《ケダシアヘムカモ》

　

【譯】海の神樣が、御櫛笥にしまつて置いて、大切に守つているという玉にまさつて、思つていたわたしの子ではあるけれども、この世の道として、夫の呼ぶがままに、遠い越への路をさして、延うツタのように別れて(265)行つてから、沖の浪のようにたわむ眉が、大船のようにゆらゆらと、面影にどうしようもなく見えて、かように戀しているなら、年を取つたわたしは、恐らくは堪えられないでしようよ。

【構成】全篇一文。

【釋】美久之宜尓　ミクシゲニ。ミクシゲは、御櫛笥。