國語學原論、時枝誠記、岩波書店、550頁、550円、1941.12.10(1955.10.10.12p)
 
(1)     序
 
 私は本書に於いて、私の國語研究の基礎をなす處の言語の本質觀と、それに基く國語學の體系的組織について述べようと思ふ。こゝに言語過程説といふのは、言語の本質を心的過程と見る言語本質觀の理論的構成であつて、それは構成主義的言語本質觀或は言語實體觀に對立するものであり、言語を、專ら言語主體がその心的内容を外部に表現する過程と、その形式に於いて把握しようとするものである。言語の本質は古來の謎であつて、自然科學の勃興は、言語をそれ自身成長し死滅する有機體の如きものとして教へ、社會學的見地は、言語を人間によつて制作せられた一の文化財として説くのであつて、人々は右の如き比喩的説明を以て、言語をその樣に觀ることに慣らされて來た。しかしながら如上の言語觀は、必しも言語の諸現象を普く説明し盡すといふ譯にはゆかない。言語に對する具體的な考察は、絶えず右の如き言語本質觀に對する反省と批判とを求めて止まないのである。そこに言語研究の發展が見られるのである。言語過程説は、我が舊き國語研究史に現れた言語觀と、私の實證的研究に基く言語理論の反省の上に成立し、國語の(2)科學的研究の基礎觀念として假説せられたものであつて、いはゞ言語の本質が何であるかの謎に對する私の解答である。
 言語の本質が何であるかの問題は、國語研究の出發點であると同時に、又その到達點でもある。言語の本質の研究は、言語學乃至言語哲學の課題であつて、國語學は言語學の特殊研究部門として、國語の特殊相の實證的研究に從事すればよいといふ議論は、未だ國語學と言語學との眞の關係を明かにしたものではない。言語學が、個別的言語を外にした一般的言語(その樣なものは實は存在しないのであるが)を、研究するものであるとは考へられないと同時に、國語學はそれ自體言語の本質を明める處の言語の一般理論の學にまで高められねばならないのである。國語學は決して言語學の一分業部門ではない。何となれば、國語學の對象とする具體的な個々の言語は、言語の一分肢でもなく、又その一部分でもなくして、それだけで言語としての完全な一全體をなすからである。それは花瓣が植物の一部分であり、手足が人體の一部分であるのとは異るものである。國語の特殊相は、國語自身の持つ言語的本質の現れであつて、言語の本質に對する顧慮無くして、この特殊相を明かにすることは出來ないのである。この樣にして、言語の本質が何であるかの問題は、國語學にとつて、最初の重要な課題とならなければならない。しかも、國語學の(3)究極の課題は、國語の特殊相を通して、その背後に潜む言語の本質を把握しようとするのであるから、言語の本質の探求は、又國語學の結論ともなるべきものである。この樣に見て來るならば、何處までが國語學の領域であり、何處からが言語學の領域であるといふ風には考へ得られないのであつて、國語學は即ち日本語の言語學であるといはなければならないのである。
 さて以上述べた樣に、言語の本質の問題を國語學の出發點とすることには、方法論的に見て恐らく異論があり得ると思ふのである。言語の研究を行ふ前に、言語の本質を問ふことは、本末の顛倒であつて、本質は研究の結果明かにされるべきものである。從つて言語研究者は、言語に於いて先づ手懸りとされる處の音聲、意味、語法等の言語の構成要素についての知識を得ることが肝要であるとするのである。しかしながら、部分的な知識が綜合されて、やがて全體の統一した觀念に到達するとしても、既に全體をかゝる構成要素に分析して考へる處に、暗々裏に言語に對する一の本質觀即ち構成主義的言語觀が豫定されて居りはしないか。私の懼れる處の危險は、言語の研究に當つて、一の本質觀が豫定されてゐることにあるのではなくして、寧ろ白紙の態度として臨んでゐる右の如き分析の態度の中に、實は無意識に一の言語本質觀が潜在してゐるといふ處にあるのである。そして、かくして分析せられ、綜合せられた事實が、客觀的にして、絶對的(4)な眞理を示してゐるかの如く誤認される處にあるのである。この危険を除く處の方法は、言語研究に先立つて、先づ言語の本質が何であるかを豫見し、絶えずこの本質觀が妥當であるか否かを反省しつゝ、これに檢討を加へて行くことである。言語研究の道程は、いはゞ假定せられた言語本質觀を、眞の本質觀に磨上げて行く處にあると思ふのである。換言すれば、言語研究の使命は、個々の言語的事實を法則的に整理し、組織することにあるといふよりも、先づ對象としての言語の輪郭を明かにする處になければならないといひ得るのである。言語本質觀の完成こそは、言語研究の究極の目的であり、そしてそれは言語の具體的事實の省察を通してのみ可能とされることである。
 今日、我々の持つ何等かの言語本質觀は、凡て歴史的に規定されたものであつて、先づ我々は自己の歴史的に所有する處の言語本質觀に對して、飽くまでも批判約であることが必要である。他方、我々は具體的な言語事實に直面することによつて、この言語觀の理論的是正と展開とに努力する必要がある。今日國語學の基礎とされてゐる言語觀は、その成立に二の契機を持つてゐる。一は西洋言語學説の流れであり、他は舊い國語研究の傳統である。この兩者の國語學に對する關係は、學問的に嚴密に規定されなければならないのであるが、わけても國語を對象として、それ(5)によつて國語の特質を考へ、進んで言語の本質を把捉しようとした舊き國語研究の傳統は、國語によつて言語の本質を考へようとする國語學徒にとつては、最も重要な足場であり、手懸りでなければならない。嘗て私の行つた國語學史の研究は、幸にも私に單なる抽象的な言語理論についてでなく、國語の具體的事實に即してこれを如何に考へるべきかの態度と方法とを示して呉れた。次に私は國語學史に現れた言語研究の特殊な態度及び方法と、その言語本質觀を、西洋言語學の理論に比較しつゝ、これをその必然の方向に展開さすことを企圖した。そして私は、言語の本質を、主體的な表現過程の一の形式であるとする考に到達したのである。言語を表現過程の一形式であるとする言語本質觀の理論を、こゝに言語過程説と名付けるならば、言語過程説は、言語を以て音聲と意味との結合であるとする構成主義的言語觀或は言語を主體を離れた客體的存在とする言語實體觀に對立するものであつて、言語は、思想内容を音聲或は文字を媒介として表現しようとする主體的な活動それ自體であるとするのである。今この言語過程説を體系付ける爲に、全篇を總論と各論の二篇に分ち、總諭に於いては、先づ言語過程説を成立せしめる處の言語に對する根本的な觀察の態度方法を明かにし、更に進んで言語過程説の妥當である所以を、一方現今の國語學界に多大の影響を與へつゝあるソシュール及びその流派の言語學説に對比し、他方それを(6)國語學史上の學説によつて根據付けようとした。以上を以て第一篇總論とし、更に第二篇各論に於いては、從來の構成主義的言語學の諸部門が、言語過程觀に從つて、如何に根本的に改められねばならないかを明かにする爲に、具體的な國語現象に直面しつゝ、これを新しい體系に組織することを試みた。勿論、思索や組織に於いて未熟、不備な點もあり、特に國語の歴史的研究及び方言的研究は、總論第十及び第十二項にその原理について觸れたのみで、これを國語の外延的研究として除外したので、國語學の體系の全面的な建設にまでは到らなかつたのであるが、それらの點については、更に將來の研究に俟つこととして、こゝに私の到達し得た處を明かにする爲に、從來の斷片的な研究に一應の整理を加へてこれを世に問ふこととしたのである。本論に攝取した私の諸研究は、卷末の著述目録に於いてこれを年代順に排列し、その發展の經過を明かにした。先に刊行した國語學史(【昭和十五年十二月岩波書店發行】)は、本論の根據ともなり、基礎ともなるものであつて、兩者關聯して完成せられるものであることを附記して置く。
    昭和十六年三月
                    時枝誠記
 
(1)目次
 
第一篇 總論
 一 言語研究の態度………………………………………………………………三
 二 言語研究の對象………………………………………………………………一〇
 三 對象の把握と解釋作業………………………………………………………一七
 四 言語に對する主體的立場と觀察的立場……………………………………二一
 五 言語の存在條件としての主體、場面及び素材……………………………三八
 六 フェルディナン・ド・ソシュールの言語理論に對する批判……………五七
  一 ソシュールの言語理論と國語學…………………………………………五七
  二 言語對象の分析と langue の概念の成立について……………………六〇
  三 「言」parole と「言語」langue との關係について……………………六七
  四 社會的事實 fait social としての「言語」langue について……………七二
(2)  五 結…………………………………………………………………………八二
 七 言語構成觀より言語過程觀へ………………………………………………八四
 八 言語の構成的要素と言語の過程的段階……………………………………九二
  一 文字及び音聲………………………………………………………………九二
  二 概念…………………………………………………………………………九八
  三 言語の習得………………………………………………………………一〇一
  四 言語に對する價値意識と言語の技術…………………………………一〇三
 九 言語による理解と言語の鑑賞……………………………………………一二〇
 一〇 言語の社會性……………………………………………………………一三五
 一一 國語及び日本語の概念 附、外來語…………………………………一四二
 一二 言語の史的認識と變化の主體としての「言語」の概念……………一四七
第二篇 各論
 第一章 音聲論…………………………………………………………………一五五
  一 リズム……………………………………………………………………一五五
(3)   イ 言語に於ける源本的場面としてのリズム………………………一五五
   ロ 等時的拍音形式としての國語のリズム………………………………一六一
 二 音節……………………………………………………………………………一六三
 三 母音子音………………………………………………………………………一七〇
 四 音聲と音韻……………………………………………………………………一七四
 五 音聲の過程的構造と音聲の分類……………………………………………一八三
 第二章 文字論……………………………………………………………………一八八
  一 文字の本質とその分類……………………………………………………一八八
  二 國語の文字記載法(用字法)の體系……………………………………一九三
  三 文字の記載法と語の變遷…………………………………………………二〇四
  四 表音文字の表意性…………………………………………………………二〇七
 第三章 文法論……………………………………………………………………二一一
  一 言語に於ける單位的なるもの……………………………………………二一一
    ――単語と文――
  二 單語に於ける詞・辭の分類とその分類基礎……………………………二二九
(4)   イ 詞・辭の過程的構造形式……………………………………………二二九
   ロ 詞辭の意味的聯闕………………………………………………………二三六
   ハ 詞辭の下位分類…………………………………………………………二四二
   ニ 辭と認むべき「あり」及び「なし」の一用法………………………二五三
   ホ 辭より除外すべき受身可能使役敬讓の助動詞………………………二七八
   ヘ 詞辭の轉換及び辭と接尾語との本質的相違…………………………二八七
  三 單語の排列形式と入子《いれこ》型構造形式…………………………三一一
  四 文の成立條件………………………………………………………………三二〇
   イ 文に關する學説の檢討…………………………………………………三二〇
   ロ 文の統一性………………………………………………………………三四五
   ハ 文の完結性………………………………………………………………三五五
   ニ 文に於ける格……………………………………………………………三六六
   (一) 述語格と主語格 附、客語補語賓語等の格……………………三六六
   (二) 主語格と對象語格…………………………………………………三七三
   (三) 修飾格と客語及び補語格…………………………………………三七九
(5)   (四) 獨立格……………………………………………………………三八五
   (五) 聯想格………………………………………………………………三九二
   (六) 格の轉換……………………………………………………………三九五
 第四章 意味論……………………………………………………………………四〇一
  一 意味の本質…………………………………………………………………四〇一
  二 意味の理解と語源…………………………………………………………四〇六
  三 意味の表現としての語……………………………………………………四二一
 第五章 敬語論……………………………………………………………………四三〇
  一 敬語の本質と敬語研究の二の領域………………………………………四三〇
  二 言語の素材の表現(詞)に現れた敬語法………………………………四四二
   イ 話手と素材との關係の規定……………………………………………四四二
   ロ 素材と素材との關係の規定……………………………………………四七〇
  三 言語の主體的表現(辭)に現れた敬語法………………………………四八五
  四 詞辭の敬語的表現の結合…………………………………………………四九九
 第六章 國語美論…………………………………………………………………五〇二
(6)  一 音聲の美的表現…………………………………………………………五〇二
  二 語の美的表現………………………………………………………………五一六
  三 懸詞による美的表現………………………………………………………五二七
   イ 懸詞の言語的特質………………………………………………………五二七
   ロ 懸詞による表現美………………………………………………………五三九
    (一) 旋律美……………………………………………………………五四〇
    (二) 協和美……………………………………………………………五四三
    (三) 滑稽美……………………………………………………………五四六
著者著述目録………………………………………………………………………………一
索引…………………………………………………………………………………………一
 
(1)第一篇 總論
 
(3)     一 言語研究の態度
 
 言語の研究法は、言語研究の對象である言語そのものの辭に基いて規定されるものであつて、對象の考察以前に言語研究の具體的な方法論なるものは存在し得ない。しかしながら、右に述べた樣な、對象の考察以前に方法論を規定することが出來ないといふ主張そのものは、いはゞ言語研究の精神、心構へ、態度とも稱すべきものであつて、そのこと自體が既に言語研究の方法論と見ることが出來るものである。
 國語學即ち日本語の科學的研究の使命とするところは、國語に於いて發見せられる總ての言語的辭を摘出し、記述し、説明し、進んで國語の特性を明かにすることにあるが、同時に、國語の諸現象より言語一般に通ずる普遍的理論を抽象して以て言語學の體系樹立に參畫し、言語の本質觀の確立に寄與しなければならない。かういふ意味に於いて國語研究に携るものは、何を措いても先づ國語の持つ極微極細の現象に對して凝視することを怠つてはならない筈である。處が一方今日の言語學は、國語學に對して一般基礎理論を供給するものとして國語學に對立してゐるも(4)のと考へられてゐる。言語學は國語學にとつては豫定せられた理論體系であり、指導原理である。これが一般に認められてゐる國語學に對する言語學の關係である。私はこの關係について、對象と方法との問題に關聯して一應の吟味を加へて見ようと思ふ。
 凡そ眞の學問的方法の確立或は理論の歸納といふことは、對象に對する考察から生まれて來るべきものであつて、對象以前に方法や理論が定立されて居るべき筈のものではない。それが又學問にとつて幸福な行き方であらうと思ふ。たとへ對象の考察以前に方法や理論があつたとしても、それはやがて對象の考察に從つて、或は變更せらるべき暫定的な假説として、或は豫想としてのみ意義を有するのである。これを言語學の歴史について見ても、比較言語學の勃興は、サンスクリットの發見によつて、言語對象就中言語の類縁性が、この學問を導き出す樣に、學者の前に與へられたが爲であつて、比較言語學の理論なり問題が、豫め存在したが爲ではなかつた。比較言語學より史的言語學への展開も同樣であつて、研究對象の移動即ち言語の類縁性より歴史性への研究の焦點の移動による研究法の變更であつたと私は考へるのである。勿論その間に於いて、自然科學的研究法の如きものが、言語研究に大きな影響を與へたことは見逃すことが出來ないが、言語研究の大きな飛躍は、常に言語自體に對する深い省察が契機となつてゐるといふことは否定(5)することが出來ない。かくの如くして、對象に向けられる研究の焦點の移動に對應して、常に立場や方法の變更が規定されるのである。それは對象の輪郭が茫漠として、對象そのものを把握することを一の重要な使命とする精神科學の分野に於いては、學の必然性であらうと思ふ。かくして言語學は、その發見せられて行く對象に應じて常にその方法を反省し、その理論を檢討して、眞の言語的對象の把握を目指して不斷に精進すべきであると云はなければならない。以上の如き言語學の使命に照して、次に國語學の現状について少しく點檢を加へて見ようと思ふ。
 言語學が我が國に輸入せられた時、それは國語學と極めて特殊な關係に於いて結ばれたのである。この關係は、明治維新以後泰西の學術が我が國に輸入された時、諸々の學問界に共通に現れた現象として考へられるのであるが、常に對象への考察以前に、豫め學の方法理論といふものが與へられ、對象はこの方法理諭に從つて考察されて來た。國語學は、その獨自の研究によつて言語學に寄與することを目標とせずに、言語學をその據つて以て立つべき指導原理であると考へたのである。こゝに言語學の立場といふものが、國語學の展開にとつて重要な關係に置かれることとなつたのである。言語學と國語學とのこの樣な特殊な關係は、一方から見れば我が國語學界の水準を高める爲には、喜ぶべきことであつたに違ひないが、又同時に、言語學が過去に於いて經(6)て來た處の眞の自律的展開、換言すれば、對象を直視してこれと取組み、一切の理論と方法と問題とを對象に對する省察から生み出さうとする「學問する」態度を失はしめたことも否定出來ないことである。國語の研究といふことが、若し對象に對する考察をさし措いて、只與へられた方法や理論の國語についての實演に終り、適用に過ぎないならば、國語について學問するといふことは全く無意義なことになるであらうといふことは明かなことであり、國語學の言語學に對する寄與或は日本言語學としての完成といふことも望み得ないこととなるばかりでなく、國語學の據つて立つてゐる根本の科學的精神をも滅却することとなるのである。しかしながら、明治の國語學界は、この樣な變則的な情勢に於いて新しい出發をしたのである。それは混沌より革新への草創の時代として經過せねばならぬ一の段階であつたともいひ得るのである。明治の國語學界に、この變則的な情勢を馴致するに至つたについては、次の二の理由が擧げられると思ふのである。第一の理由は、明治以前の我が國語學界の水準が、西洋のそれに比して極めて低かつたと考へられたことである。間に合はせでも、他人のものを借りて來て目前の事態を整備せねばならぬ情勢にあつたのである。明治初期の國語學界を賑はした國語系統論の如きについて見ても、それは國語の事實が必然に要求し、國語の考察自體から生まれて來た問題であるといふよりも、當時我が(7)學界に紹介せられた比較言語學の命ずる處の問題であつたのである。學の命ずる處の問題に答へるといふことが、對象の考察に從つて問題を捉へ、方法を考へ、理論を構成するよりも、もつと緊要なことであり、國語學の水準を高める爲に必要なことであると考へられた處に、未だ眞の學問的精神に到らないものがあつたのである。勿論私はこゝに國語系統論の無用であることを云ふのではなくして、右の如き學問に對する態度によつて、國語に於いて幾多のより重要な問題が、學者の眼から逸れ去つたことを注意したいのである。一例を擧げるならば、支那語支那文字の國語への流入といふ事實である。これは國語にとつては最も常識的にして又最も重大な事實であるにも拘はらず、今日に於いてすら、その研究は寥々たる有樣である。次に第二の理由は、明治以前の國語研究が、未だ理論的體系にまで組織されてゐなかつたことである。幾多の國語現象の發見にも拘はらず、これが理論的に組織されるに至らなかつたといふことは、新國語學の出發に於ける指導原理としては物足らなく感じさせたのである。明治の國語學が、泰西言語學の理論を足場に求めたことも亦止むを得ぬことであつたのである。
 以上の樣な理由によつて、明治以後の國語學者は、外部より與へられた理論と方法とを絶對的なもの、普遍妥當的なものと考へ、自らの力によつて對象と取組む勇氣を次第に失つてしまつた。(8)外來の規範に對する餘りにも謙虚な態度によつて、却つて國語の現實を直視し、これに忠實であることを忘れてしまつたのである。かくして國語學と言語學との間に極めて變則的な關係が成立し、言語學は國語學を外部より推進する處の指導原理であるかの如き觀念を強く生み付けてしまつたのである。勿論今日の國語學界の全部が右の如き情勢の下にあるといふ樣に斷ずることは出來ないが、少くとも過去に於いて、右の如き傾向の存したことは否定することが出來ないと思ふ。今日國語學の立脚地を全面的に批判し、これを確乎たる地盤に据ゑる爲には、先づ次の如き段階を踏まぬばならないと思ふのである。
 一は、國語を對象として考察して來た我等の先行學者の研究を、理論的に再構成し、その矛盾を摘發し、その學説理論を發展せしめて、將來の研究の出發點とすることである。これは國語學史の明かにせねばならぬことであつて、このことは既に拙著國語學史の序論に於いて詳かに述べた處であるから今は省略する。
 二は、泰西言語學の理論及び方法と、國語學との關係について正しい認識を持つことである。一般に言語學の理論及び方法は普遍的であり、國語學のそれは特殊的であるといふ風に考へられてゐるが、それは極めて皮相的にのみいひ得ることであつて、必しも正しい判斷ではない。それ(9)は今日の言語學が、殆ど印欧語族のみを對象として組織せられたものであるからといふ理由のみでなく、更に深く普遍と特殊との關係から見て、右の樣に云ふことが出來るのである。普遍と特殊とは、兩々相對立した形に於いて存在してゐるのでなく、一切の特殊的現象は、その中に同時に普遍相を持つといふことは、國語に於いてばかりでなく、一切の事物について云ひ得ることである。國語についての特殊的現象の探求は、同時に言語に於ける普遍相の闡明ともなり得るのである。こゝに國語研究といふことが、單に言語學に於ける特殊な領域の研究に終始することではなくして、同時に言語の一般理論の研究ともなり得る根據があるのである。小林英夫氏が、國語は言語の一般性を分有してゐるに過ぎないと云はれたことは(【言語學方法論考四六頁】)、特殊と普遍との關係に對する正しい認識とはいふことが出來ない。國語に存しないものは、言語の一般性とはいひ得ないのである。國語に存しない樣な一般性が、假にあるとしたならば、それはやはりいづれかの言語の特殊性に過ぎないのである。かくして國語研究の正しい目標は、一般言語學への有力な寄與になければならないのであるが、それは國語學の外にある處の別個の學問に對する寄與を意味するのではなくして、それは國語學自體の完成を意味することに他ならないのである。從つて言語學と國語學との關係は、前者が後者の據つて以て立つべき指導原理ではなくして、特殊言語の一の(10)研究の結論として、國語學の細心な批評的對象ともなり、又他山の石ともなるのである。若しこの樣な心構へなくして、只徒にこれに追隨するならば、國語學は永久に高次的理論の確立への希望を放棄しなければならない。この樣に考へることは、徒に唯我獨尊にして他を排する底の偏狹な態度を執ることを意味することではなくして、眞に國語學の行くべき道を考へることであり、同時に泰西言語學の立脚地である科學的精神を生かさうとするが爲である。
 
     二 言語研究の對象
 
 前項に於いて、言語研究の究極の課題が、言語の對象としての本質を明かにすることにあるといつたことは、これを別の言葉を以ていふならば、言語研究に於いては、その對象を確實に把握することが極めて困難であるといふことに他ならない。自然科學に於いては、その對象は個物として觀察者の前に置かれて居つて、その存在について疑ふ餘地がない。處が言語研究に於いては、その事情は全く異つて來る。觀察者としての我々の耳に響いて來る音聲は、たゞそれだけ取出したのではこれを言語といふことは出來ない。音聲を聽いて或る意味を思ひ浮べた時、始めて我々(11)は言語の存在を經驗することが出來るのである。一般に言語は意味を持つた音聲〔八字傍点〕であるといはれてゐる。しかしながら、それは脊椎骨を持つた動物〔脊〜傍点〕と同じ樣な意味に於いては、我々は何處にも意味を持つた音聲といふものを觀察することが出來ない。言語の具體的な經驗は、只觀察者である我々が、或る音聲を聽いて或る意味を思ひ浮べた時、或は、或る思想を音聲によつて表現した時にのみ經驗し得るのである。同じ樣なことが文字についてもいひ得る。紙面に書かれた文字は一の視覺的印象である。それだけについて見れば、それは石面の龜裂と何等異る處がないものである。我々がそれを言語であると考へるのは、その文字によつて或る意味を理解するといふ働の存在があるからである。文字によつて或る意味を理解したことから、文字が意味を持つてゐると考へるのは、主體的な作用を客體的に投影することであつて、比喩的にはさういふ説明が許せるであらうが、それは言語の具體的な經驗をそのまゝに記述したことにはならない。我々が言語を研究するに當つては、何よりも先づこの具體的な經驗に立脚し、對象をその如實の姿に於いて把握することに努力しなければならないのである。最も具體的な言語經驗は、「語ること」「聞くこと」「書くこと」「讀むこと」に於いて經驗せられる事實であつて、この樣な主體的活動を考へずして、我々は言語を經驗することは出來ないのである。或はいふかも知れない、我々が「聞いた(12)り」「讀んだり」することに關せず、我々は言語の存在を考へることが出來るではないかと。勿論我々が耳を閉ぢ、目を閉づることによつて、日本語の存在が無くなるとは考へられない。しかしながら、その時考へられてゐる日本語は、やはり我々以外の第三者甲乙丙丁によつて語られたり、讀まれたりすることによつて存在してゐるのである。如何なる人によつても語られもせず、讀まれもせずして言語が存在してゐると考へることは單に抽象的にしかいふことが出來ない。即ち「我」の主體的活動をよそにして、言語の存在を考へることは出來ないのである。自然はこれを創造する主體を離れてもその存在を考へることが可能であるが、言語は何時如何なる場合に於いても、これを産出する主體を考へずしては、これを考へることが出來ない。更に嚴密にいへば、言語は「語つたり」「讀んだり」する活動それ自體であるといふことが出來るのである。具體的な言語經驗は、音聲によつて意味を思ひ浮べた時に成立し、文字によつて思想を理解した即座に成立するのであるから、言語は實にこの樣な主體的な活動自體であり、言語研究の如實にして具體的な對象は實にこの主體的活動自體であるといつてよいのである。言語が人間行爲の一形式であり、表現の一形式であるといはれる根據はこゝにあるのである。言語をこの樣に考へることは、正しく言語をその具體的にして如實なる姿に於いて把握したことになるのである。言語を心的過(13)程と見る言語本質觀はこの樣にして生まれるのである。若し右の「語つたり」「讀んだり」する主體的活動の中に、語られるものとしての言語を見たり、讀まれるものとしての言語を考へたりするならば、その時既に言語は具體的にして如實なる觀察から遠ざかつてしまふのである。「語る」については、「語られるもの」が存在しなければならないと考へ、この樣な「語る」活動の材料となるものとして言語を考へることは、具體的經勝を出發點としようとする私に於いては承認することが出來ない。それは素朴な實在論に過ぎないのである。以上によつて言語が常に主體的活動以外のものでないといふことについての大略を述べ終つたのであるが、猶一二の起こり得べき疑問について説明を加へて置かうと思ふ。辭書は語彙の登録であつて、こゝに我々は主體的活動を離れた言語の記載を認め得る樣である。しかしながら詳に考へて見るのに、辭書に登録された語彙は、具體的な語の抽象によつて成立したものであつて、宛も博物學の書に載せちれた櫻の花の插畫の樣なものであつて、具體的個物の見本に過ぎないのである。辭書は具體的言語に對する科學的操作の結果出來上つたものであつて、それ自身具體的な言語ではないのである。辭書の言語の如きものが主體の外に實在し、我々はこれらの語を運用するに過ぎないと考へるならば、具體的な經驗を無視して、科學的に抽象された結論をその學の對象と考へることとなつて、既に述べ(14)た言語研究の根本的な態度に反するのである。我々は何處までも具體的な經驗に即してこれを對象とし、そこに理論と法則を求めなければならないのである。辭書の言語について猶一言加へるならば、先に私が辭書を語の登録であるといつたのは、嚴密にいへば正しい云ひ方ではない。辭書は語を登録したものではなくして、言語的表現行爲、或は言語的理解行爲を成立せしめる媒介となるものに過ぎない。例へば辭書に「あなづらはし」と標出されてゐても、それ自身は、語とはいひ得ないのであつて、單なる文字であり、嚴密にいへば線の集合に過ぎないのである。しかしながら、この標識とそれに加へられてゐる説明、釋義等によつて、辭書の檢索者は一の言語的體驗を獲得することが出來るのである。この樣に見て來るならば、辭書に言語が存在するといふことは、尚更いひ得ないこととなるのである。
 次に又古代言語が現代人の理解の外にあるからとて、これ亦決して主體的活動を離れた客體的存在であると考へることは出來ないのであつて、古代言語が言語と云はれる所以は、それがやはり古代人の主體的活動と考へられるからである。古代言語の記述は、これを古代人の主體的行爲に還元することによつてのみ、我々はこれを具體的な言語經驗として把握することが出來るのである。古代人の主體的活動に還元するといふことは、後に詳説することであるが、要するに、言(15)語の觀察者が古代人の言語經驗を追體驗することに他ならないのである。一般に古代言語の研究といふことは文字を通して觀察者に於いて古代言語の音聲と意味とが理解せられるといふ經驗そのものを對象として把握することから始まるのであつて、この樣な主體的な經驗を除外して我々は古代言語を對象とすることは出來ないのである。古代言語を對象とすることも、決して觀察者の外に在る處の言語を對象として觀ることではなくして、觀察者自身の言語的行爲を把握することとなるのである。同樣に、意味の理解出來ない樣な外國語を聞いた時でも、これを言語といひ得るのは、それらの音聲が何等かの意味に對應すべきであるといふ豫想の下に言語といはれるのであつて、何等の意味をも喚起出來ないことが明かにされるならば、我々はこれを言語と認めることは不可能である。この樣に凡て言語といふことの出來るものは、常に主體的活動であり、觀察者がこれを對象として把握するといふことは、觀察者自らの主體的活動に於いて、これを再生することによつて始めて可能となつて來るのである。主體的なものを、客體的存在に置き換へるといふことは、研究上の便宜といふことによつて許されることではない。我々は主體的なものを何處までも主體的なものとして把握し、記述しなければならないのである。從つて言語を一の有機的な生命體として考へることや、文化財として考へることは、たとへ譬喩的にいふ場合に於い(16)ても極めて愼重な注意を以てなされねばならないのである。
 以上の如く、言語的對象を、「語つたり」「讀んだり」する場合の主體的經驗であるとするならば、言語のこの樣な具體的輕驗に參與する活動には、純粹心理的側面もあり、生理的側面もあり、物理的側面もあり得ることとなる。音聲の表出といふことは、心理的作用であると同時に、口腔の發音發聲器管の生理的運動を伴ふ。文字によつて表記する場合には、手の運動が伴ひ、讀む場合には、眼筋の運動が必要である。この樣に言語の具體的な對象は決して等質的なものでなく、種々なる異質的要素の組合はされたものである。若し言語を以て一の構成體の如く考へるならば、言語はこれら異質物の寄せ集めとなり、言語研究といふことは、これら要素を夫々研究する心理學、生理學、物理學等の寄合世帶と考へざるを得ないのである。しかしながら、言語の本質は、既に述べた樣に、これら要素の構成の上に在るのではなく、これら要素を結合する主體的な活動それ自體であるから、我々は決して言語を異質物の寄せ集めと見ることは出來ないのである。又一方からいへば、かくの如き統一的な活動を認める處に言語の概念が成立するともいはれるのである。それは丁度、音階が異り、樂器が異つて居つても、或る思想感情を音に、更に樂譜によつて表現するといふ統一的活動の故に、我々が音樂の成立を認識すると同じである。これは猶後に(17)ソシュールの學説を批判することによつて一層明かにされると思ふのであるが(【總論第六項】)、ソシュールは、具體的な言語活動は常に二面性をとつて現れるが故に科學の對象としてとるに堪へない樣に云つてゐる(【ソシュール言語學原論改版本一八頁】が、科學は具體的な經驗より逃避することによつてはその根本の立脚地を失ふものであることを先づ考へなければならない。個別的特殊的現象を整理して、そこに普遍と統一原理とを見出さうとするのが科學の眞の生命であるといはなければならないのである。私は言語の具體相を混質なる姿に於いて把へたのであるが、これを主體的な活動と認めることによつて、その活動の形式自體に於いて言語特有な一の統一性を見出さうとするのである。それは同じく表現活動といはれても、音樂とも、繪畫とも、舞踊とも異つた形式を持つたものである。言語研究は、實にかくの如き主體的な活動形式に於いて對象を把握し、又かくの如き形式を分析記述することから始まるのである。
 
     三 對象の把握と解釋作業
 
 言語研究の對象である言語は、これを研究しようとする觀察者の外に存在するものでなくして、(18)觀察者自身の心的經驗として存在するものであることは既に述べた。このことは、自國語の現代語を對象とする時ばかりでなく、古代語に於いても、外國語に於いても同樣にいへることである。この樣に見て來るならば、最も客體的存在と考へられ易い言語は、最も主體的なる又心的なる存在として考へなければならないこととなる。この主體的な言語を、主體的のまゝに對象として把握する處の方法が即ち解釋作業である。今、甲が「犬が走る」と云つたとする。甲の主體的活動であるこの言語は、只甲がかく云つたといふだけでは、甲の表現行爲であることに終つて、我々の觀察の對象とはなり得ない。觀察の對象となるためには、我々が甲の表現を文字を通して讀むか、耳を以て音聲を聞くことが必要である。しかしながら、我々がこの樣にして甲の言語を理解したとしても、それによつて甲の言語を具體的に經驗したかといふに、必しもさうではない。甲の音聲を聞いて或る思想を理解することによつて得る處の我々の言語的經驗は、我々觀察者自身の言語的經驗であつたにしても、甲の經驗のまゝではない。甲の意味する「犬」が小犬であるのに、理解する方では、土佐犬の樣なものを理解するかも知れない。故に他人の音聲を聞いて或る思想を理解しただけでは、その人の言語を經驗したことにはならない。そこで甲の言語を對象として把握するためには、如何にしたらばよいかといふに、我々が甲の言語と同じ經驗を我々自身(19)が繰返すことによつて始めて可能になるのである。言葉を換へていへば、甲の言語を再經驗し追體驗する必要があるのである。甲の意味する犬が如何なる犬を意味するかを穿鑿する必要がある。この樣にして理解せられたものは、我々の恣意を離れたものであつて、この樣な手續を踏むことは、とりもなほさす甲の言語の解釋作業に他ならないのである。かく體驗せられた言語は、甲の言語ではあるが、同時にそれは決して觀察者にとつて外在的な存在ではなくして、甲の言語でありながら、しかも、觀察者の心的經驗として成立したものに外ならない。即ち甲の言語を我々自身の心的經驗に於いて對象としてゐるのである。言語がこの樣な手續を俟つて始めて對象として把握することが出來るといふことを考へるならば、解釋作業が言語研究の最初の重要なる手段であるといふことが理解せられるであらう。しかも解釋作業は、必しも古代語或は外國語についてのみ必要な手續でなく、現代語について見ても必要であることは以上述べたことによつても明かなことであるが、現代語に於いては、觀察者によつて理解せられたものが、多くの場合に甲の言語的經驗と合致し、古代語の場合の樣に喰違ひを惹起こさない。從つて觀察者の理解を以て直に甲の言語として觀察することが許されるのであるが、嚴密な意味に於いては、その樣な場合に於いても絶えず解釋作業を踏むといふことは方法論的に見て重要なことである。この根本的態度を(20)忘れることによつて起こる結論の誤差については、次の項に改めて論ずることとする。
 言語が常に右の樣な解釋作業によつてのみ對象となり得るものであることは、方法論的指導を俟つまでもなく、屡々常識的に行はれてゐることである。即ち古典研究の先驅である解釋作業がこれを示してゐる。古典研究に於ける解釋は、必しも古典の内容を理解する手段として必要であるばかりでなく、古典言語の研究の前提作業ででもある。古典研究の實際を見るのに、屡々言語研究が解釋に先行してゐる樣に考へられるが、實はこれらの言語研究は解釋作業の結論であり、それによつて更に未知な言語の解釋が成立し、この樣にして螺旋状關係によつて進行するのである。その先後關係は何れにしても、或る一の與へられた言語を全面的に對象として把握する爲には、こゝに完全なる解釋作業を必要とするのである。それは古代語を古代人の主體的活動として再現することである。古來古典解釋に於いて行はれてゐる訓點の施行とは、單に文字面を讀むことを意味するのではなくして、古代人の文字的記載を古代人の音聲にまで還元することである。例へば、「波奈」を「ハナ」、「花」を「ハナ」と訓ずることは、古代人が「ハナ」といふ音聲を「波奈」或は「花」と記載した過程を逆推することであつて、この二の記載法から歸納せられる表音的用字法或は表意的用字法といふものは、即ち古代人の言語の記載的技術に他ならないので(21)ある。同樣にして釋義は、古代人の意味的把握を追體驗することであつて、その何れの場合に於いても、言語の表現主體に還元して行くことが必要とされるのである。この樣にして古代人の主體的活動である言語表現の如實なる把握が可能とされるのである。解釋は即ち古代語の觀察者に於ける實踐と再現を意味することとなり、言語研究は、この觀察者の實踐によつて再現せられた言語經驗に對する反省から出發しなければならないのである。明治以前の國語學が、古典の解釋と密接不離にあつたことは、その對象の把握と觀察に堅實な足場を與へたことになるのであつて、一部論者の云ふ樣に、國語學が古典解釋の方便として歪められたと見ることは當らないことである。寧ろそこには、主體的活動である言語を殊更に客體化して觀察する危險から免かれしめた點を注意しなければならないと思ふ。
 
     四 言語に對する主體的立場と觀察的立場
 
 前三項に於いて述べて來た言語研究の態度及び對象に關することは、言語研究の出發點として極めて重要な事項を含み、言語に對する種々なる所説の分岐點ともなるべきものである。私は以(22)上述べて來たことを、更に別の一見地に立つて敷衍して見ようと思ふ。
 具體的輕驗としての言語に對して、我々は二の立場の存在を識別することが出來ると思ふ。その一は、言語を思想表現の手段と考へて、實際に表現行爲としての思想の分節や、發音行爲や、文字記載をなし、聽手の側からいへば、言語を專ら話手の思想を理解する媒介としてこれを受入れ、文字を讀み、音聲を聽き、意味を理解する處の立場である。普通の談話文章に於いては、我々はこの樣な表現或は理解の立場で言語的行爲を遂行し又受容してゐるのである。我々が言語の發音を練習したり、文字の點劃を吟味したり、文法上の法則を誤らない樣に努力したりするのは、かゝる立場に於いてであり、又談話文章の相手に應じて語彙を選擇したり、敬語を使用したり、言語の美醜を判別したり、標準語と方言との價値を識別してこれを使別けたりするのもこの立場に於いてである。かゝる立場に於いては、我々は言語に對して行爲的主體として臨んでゐるのであつて、この樣な立場を言語に對する主體的立場といふことが出來ると思ふ。總ての言語はこの主體的立場の所産であり、この樣な立場に於いて、主體によつて意識せられてゐる言語の美醜或は價値の意識を主體約言語意識と名付けることが出來るのである。
 右の樣な主體的立場とは別に、言語を專ら研究對象として把握し、これを觀察し、分析し、記(23)述する處の立場がある。原始的な語源解釋から始めて、近代の體系的言語研究がこれに入る。この立場に於いては、言語を觀察する者は、言語的行爲の主體とならず、第三者として、客觀的に言語的行爲を眺めてゐる處の觀察者としての立場にゐるのである。文法組織がどの樣になつてゐるか、言語の歴史、方言の分布がどの樣になつてゐるか、等のことを考へるのは、この觀察者としての立場である。これを觀察的立場といふことが出來ると思ふ。以上二の立場を表によつて示せば、
           一、主體的立場――理解、表現、鑑賞、價値判斷
  言語に對する立場
           二、觀察的立場――觀察、分析、記述
言語に對する一切の事實即ち日常の言語の實踐より始めて、言語の教育、言語の政策及び言語の研究等は、几てこの二の立場を明かに識別することから始められねばならない。先づ最初に、言語の具體的實踐が、主體的な表現行爲であつて、それ以外のものでないといふことは、極めて重要なことである。言語的表現行爲に當つて、かゝる行爲によつて使用せられる材料としての言語(【ソシュール學派の所謂ラング〔三字傍線〕の如きもの、總論第六項第二參照】)が、主體を外にして存在する如く考へることは、比喩的にのみいふことが許されることである。言語は主體を離れては、絶對に存在することの出來ぬものである。自己の言(24)語を對象として研究する場合は、自己は言語の主體であると同時に、又觀察者である。他者の言語を觀察する場合も、この言語は他者を主體とする表現行爲であつて、それが主體を離れた存在であるとは認めることが出來ない。即ち言語は何處までも、主體の精神生理的過程現象としてのみ行爲せられ、又觀察の對象となるのである。
 次に主體的立場と觀察的立場との識別が、言語の實踐に於いても、又言語の研究に於いても、極めて重要である所以について述べようと思ふ。それは言語の見解に、屡々この立場の混同が認められるからである。近代言語學の勃興時代に於いて、過去に於ける文語の偏重が非難せられ、口語或は方言こそ眞の生きた言語であることが主張せられたが、それは文字によつてのみ知ることが出來る文語よりも、實際に言語現象のあらゆる部門、特に音聲及び意味について的確に觀察し得る口語及び方言の方が、觀察の對象として有利であり、價値ありとする觀察的立場に於いていはるべきことである。この觀察的立場に於ける價値の觀念を、直に主體的立場に移すならば、それは非常な誤である。主體的意識に於いては、それが觀察に有利であると否とに拘はらず、屡々文語は口語や方言よりもより高い價値に於いて認められてゐることは明かなことである。
 この樣にして、觀察者と主體との二の立場は嚴然と區別されねばならないにも拘はらず、觀察(25)に價値ある言語が、實踐に於いても亦價値があるといふ判斷が屡々見られることは注意されなければならない。標準語に對して方言よりも高い價値を認めようとするのは主體的立場であり、方言研究の必要が力説されるのは、方言の認識が言語の觀察に方法論的に見て重要であるとする觀察的立場であつて、この立場は本來別のものであるが故に、標準語普及といふことと、方言研究といふこととは、全然別個の問題として矛盾すべきものでないことが自ら明かになつて來る譯である。又、觀察的立場に於いては、文語と口語とは、これを言語の史的變遷の中に位置付けて考へるであらうが、主體的立場に於いては、寧ろ表現價値の上からこれを區別してゐる。例へば「花を折るべからず」と「花を折つてはいけません」との二の表現は、決して古代語的表現、現代語的表現といふ樣な識別によつて實踐されてゐるのでないことは明かである。所謂雅語俗語の區別の如きも、觀察的立場に於いては認めることが出來なくとも、主體的立場に於ける主體的意識として、右の樣な價値意識が存在してゐることは否定することは出來ないのである。
 又近來音聲學上の問題の中心となつてゐる音韻 phone※[このeにはアクセント記号があるが略した、以下同じ]me について見ても、同樣なことがいひ得る。言語學の領域に屬するものは、音聲でなくして音韻であり、音聲は生理的物理的現象であるが、音韻は純粋に心的なものであると一應は定義しても、元來音響は精神物理兩方面を俟つて始めて(26)觀察の對象となるのであるから、右の定義によつては、音聲と音韻との區別を明かにすることは出來ない。國語の〔ン〕は、サンバ(三羽)、コンド(今度)、リンゴ(林檎)に於いて夫々〔m〕〔n〕〔ng※[実際は音声記号だがngで代用する、以下同じ〕〕に區別せられ、これを音聲學的識別と稱してゐるが、右は觀察的立場に於いてのみいひ得ることであつて、觀察者自身は、國語の言語主體とはならず、專ら客觀的に音聲を眺め、これを觀察し、或は機械にかけて分析する立場に於いてのみいはれることである。若しこれを主體的立場に於いて、主體的な音聲意識に即していふならば、國語の〔ン〕に三者の區別があるといふことは、意識されないことであるに違ひない。國語の音聲體系として〔ン〕が一個であるといふことは、〔ン〕の觀察者に於ける心理的印象に即してさういはれるのでもなく、又〔ン〕の個別相を抽象し、歸納してさういはれるのでもなくして、實は言語の實踐的主體的意識に即してその樣にいはれることである。この樣に、觀察的立場と主體的立場とがその結論を異にし、言語に對するこの相容れぬ認識が成立する時、我々は國語に對して如何なる態度をとつたならばよいのであらうか。これは一つの重要なる問題である。音聲論と音韻論との對立もこの樣にして現れて來たに違ひないのである。言語の實踐に於いては〔ン〕は一個にして一樣であるが、言語の觀察に於いては、〔m〕〔n〕〔ng〕の三者を區別しなければならないとするならば、實踐と研究とは、永久に相容れぬ障壁に隔てられてしまはね(27)ばならねこととなる。その樣な場合、實際は實際、研究は研究としてそのまゝ放置すべきであるのか。こゝに言語研究全體に亙る處の重要な問題が存するのである。この問題を解決する爲に先づ觀察的立場が如何なるものであるかを吟味して見なければならない。若し言語の觀察的立場に於ける對象としての言語を、我と他者の主體的行爲を離れて外在する實體的なものと考へ、これを使用する時に於いてのみ主體との關聯が考へられるとするならば、言語の觀察に於いて主體的意識といふものを考へる餘地は全然存在しない。しかしながら、既に述べた樣に、觀察的立場に於いて對象とする具體的にして如實なる言語は、右の樣に、個人的な主體的行爲を離れては存在し得るものでなく、又、個人が行爲することによつてのみ生成される處の言語より外には考へ得られない。それは總論第二項に於いて述べた樣に、思想内容を音聲に表現し、文字に記載する主體的な行爲に外ならないのである。ソシュールは、右の如き概念と聽覺映像(音聲表象)との聯合過程及びそれに隨伴する生理的物理的過程を言語活動《ランガージュ》と考へた(【小林英夫氏譯言語學原論第三章第二節】)。言語に於ける凡てを、ソシュールは先づ循行過程として理解したのである。然るにかゝる循行過程に存する概念と聽覺映像との聯合作用から、直に概念と聽覺映像との聯合したも〔六字傍点〕のが成立し、存在する如く考へたのは甚しい誤解であるといはなければならない。我々の考へ得る處のものは、聯合によつて(28)成立したものではなくして、主體的な聯合作用のみである。若し言語に社會的な面を求めるならば、右の如き個人個人に存する循行過程或は聯合作用そのものの中に求めねばならない。循行過程は社會生活によつて制約せられ、同一社會に於いては共通性を帶びて來る。言語が理解の媒材となり得るのはその爲であつて、決して概念と聽覺映像との聯合したものが、各人の腦中に貯藏されてあるが爲ではない。右の樣に、個々の主體的行爲として成立する處の言語を對象として、そこから共通性を抽象し、一般的な原理を見出して言語の概念を規定するのが言語研究の眞義でなければならない。この樣に言語の本質と言語研究の眞義とを見て來る時、觀察的立場に於ける對象としての言語は、即ち主鰹的立場に於いて實踐され行爲された言語に他ならないのである。それは宛も文學研究に於いて、創作主體を考へ、作品を創作主體の創作活動として考へることと相通ずるのである。文學研究といふ觀察的立場は、創作主體の創作活動といふ主體的活動を考慮することによつて、始めて研究の完璧を期することが出來るのである。こゝに言語研究の主體といつたのは、必しも甲とか乙とかの特定個人を意味するばかりでなく、主體一般を意味するのである。故に日本語を考へる場合には、日本語の主體一般を考へることとなるのである。
 以上の樣に見て來るならば、觀察的立場と主體的立場とは、本來言語に對する別個の立場であ(29)るが、その間には次の樣な關係が見出されるのである。
 『觀察的立場は、常に主體的立場を前提とすることによつてのみ可能とされる』即ち言語を觀察しようと思ふ者は、先づこの言語の主體的立場に於いて、彼自らこの言語を體驗することによつてのみ、觀察することが可能となることを意味するのである。以上のことは方法論としてのみいはれることでなく、言語觀察の實際の歴史が又これを證明してゐる。それは言語研究に先行する處の解釋作業である。解釋作業の意味については既に前項に述べたことであるが、解釋作業といふのは、單に甲の言語を乙が受容したことを意味することでもなく、又文字に表されたものに訓を附し意味をあてることでもなく、嚴密にいへば、乙が甲の言語を追體驗することである。今、甲が「花」といつた時、乙がこれを「桃の花」の意味に理解しようと「櫻の花」の意味に理解しようと、それは一の言語の受容であり理解であるには違ひないが、これを解釋作業による理解といふことは出來ない。解釋作業とは、甲の意味した「花」が何であるかを逆推して、甲の體驗をそのまゝに乙が體驗しようとすることでなければならない。今乙が、甲の言語を觀察的立場に立つて對象とし、これを觀察する爲には、觀察者自らを主體甲の立場に置いてこれを解釋し、主體的に追體驗をなし、更にこの自らの經驗を觀察的立場に於いて觀察するといふ段階を(30)經なければならない。解釋が言語の對象的把握に必要であるといふことは、即ち、主體的實踐といふことが觀察に必要であることを意味するのである。この場合、乙は觀察者である前に、先づ主體的立場に立つことが必要なのである。多くの觀察者は、自らは客觀的に言語を觀察してゐる積りで居つても、實は解釋作業によつて無意識に主體的立場を前提としてゐることが多いのであるが、これが方法論として確認されてゐない爲に、解釋作業自身その眞義が失はれ、言語研究の前提を誤ることも從つて屡々生ずるのである。本居宣長が、源氏物語を解釋するには、物語中に用ゐられた語の意味を以てすべきであることを主張したのは(【玉小櫛卷五、宣長全集第五卷一二四九頁】)、前代の主體的立場を無視した觀察的立場に對して、主體的立場を力説したことに他ならない。我々は今言語研究に於いて、主體的立場を前提とすることの必要であることを、方法論的に確認しなければならないと思ふのである。
 次に言語學上の二三の問題について、右の立場の識別の重要であることを更に具體化して見ようと思ふ。
 言語研究の最初の出發點は、具體的な言語の分析であり、更に進んでかくして分析されたものの綜合によつて、言語とは如何なる事實であるがを明かにすることである。神保格氏は、この樣(31)にして對象的に把握されたものを言語觀念と名付け(【言語學概論第二章】)、言語觀念を分析して、音聲、文字、意義に分ち、言語觀念はこれら三者の聯合から成立してゐると説かれた(【同書、八一頁】)。この分析が如何にして成立したかを考へて見るのに、先づ「サクラノハナガサキマシタ」といふ一連の音聲を聞いた時、「櫻の花が云々」の意義を聯合して思ひ出す。この立場は、私に云はしめれば、聽手に於ける言語の主體的立場である。次に神保氏は、この樣な事實からして、意味のある音聲、或は意味を持つた音聲を把握しようとする(【同書、八三頁】)。氏は、主體的立場に於いて經驗された具體的言語を、觀察的立場に於いて把握しようとする時、主體的立場に於いてなされた、意義を音聲に表現しようとする立場或は音聲から意義を思出すといふ理解の立場を一切無視して、主體の存在を全く捨象した意義と音聲との結合といふことを以て言語と考へようとするのである。こゝに氏の言語觀念なる概念が現れて來るのである。主體的活動を捨象した言語觀念は、全く物的構成體と同樣に考へられてゐる。同時に主體的なる言語は、かゝる言語觀念を運用する働として、考へられる樣になつた。氏の所謂言語活動が即ちそれである(【言語學概論第三章】)。氏の言語觀念と言語活動との考は、ソシュール學に於ける「言語《ラング》」と「言語活動《ランガージュ》」との考に酷似するのであるが、そこには上に述べた樣に、主體的立場を除外した觀察的立場の存在してゐることに注意しなければならない。これらに(32)ついては、總論第六項に於いてソシュール學の理論を批判することによつて一層その立場が明かにされると思ふのである。
 次に既に述べた處の音韻 phoneme の論について見るに、觀察的立場は、當然主體的立場を前提としなければならないとするならば、言語の音聲研究の對象は、觀察者の感覺に直接訴へる處の音聲表象、或は物理的生理的特性ではなくして、この言語の主體的意識に於ける音聲を對象とすることでなければならない。主體的意識に於ける音聲を對象とする處の方法は、既に述べた樣に、觀察者が自らこの言語の主體としての經驗を經なければならないのである。言語の音聲を他の音響と區別し得る根據は、その音響的特質に存するのではなくして、實にそれが主體的であるか否かに存するのであつて、主體的立場を無視した音聲研究といふことは、そのこと自身が既に矛盾を含んでゐるのである。勿論主體的意識に於ける音聲を對象とするといつても、音聲の根據としてその生理的物理的條件を考察することは必要なことであつて、音聲の種々なる現象を研究する爲には、それらの研究を缺くことは出來ないが、その根柢に主體的意識がこれを制約してゐることを忘れてはならない。かくして特に音聲論と音韻論を研究對象の相違から對立させる必要はない。從來の音聲研究には、屡々この立場の混同があつた。音韻《フオネーム》を音の一族であるとする考方(33)や、抽象音聲であるとする見方は、主體的意識を除外した觀察的見解であり、音の理念とする考方や、言語音を區別する示差的性質のものとする見方は、寧ろ主體的立場であるといへるであらう。しかもこれらの所説には、未だ明かに立場の相違についての辨別が存在してゐなかつた。眞の觀察的立場は、主體的立場を前提としなければならないことを明かにすることによつて、右の音韻に關する見解の是非を決定することが出來ると思ふのである。
 主體的立場と觀察的立場との關係は、又言語に於ける價値の問題にも適用出來る。ソシュールは言語について價値の問題を論じてゐるが(【小林英夫氏譯ソシュール言語學原論第二篇第四章】)、それは專ら語の對立關係についていはれてゐる。例へば、英語の羊を意味する sheep は、佛語の mouton とは價値が相違するといはれ、「恐がる」は「びくつく」と價値が異るといはれるのは、語と語との對立關係をいつたものであるが、その立場は、全然主體的立場を含まぬ觀察的立場に於いて各語を比較計量したものである。しかしながら、價値といふことが、主體の目的意識を離れて、それとは無關係に存在し得るかといふことは甚だ疑問であつて、單に個體と個體との間に對立關係が存在するといふことによつては、價値は發生し得ない。觀察的立場の對象としての各語は、若し主體的立場を除外するならば、宛も水晶と金剛石とが自然物として對立してゐる樣なもので、個體としての認識はそれ(34)によつて成立しても、そこに價値關係は成立し得ない。價値關係が生ずるのは、これを利用しようとする主體的立場でなければならない。元來ソシュール學の對象とする處の言語《ラング》なるものは、心的なものであるとはいはれてゐるが、それは主體的作用の外に置かれてゐるものであつて、言語主體がこれを運用する時に於いてのみ主體との關係が生ずるのであるから、これについて價値をいふことが既に矛盾してゐるのである。ソシュール學に於ける價値の概念は、經済學にいふ處の交換價値の概念の言語への適用と考へられるのである。例へば、十圓が何弗と交換され、米一石が何圓に相當するかによつて價値が決定されると同樣に考へて語と語との對立關係を見ようとするのである。成程こゝには、圓と弗、米と圓との對立關係があると同時に、價値が客觀的に存在してゐる樣に考へられるかも知れない。事實それ故にこの考方が言語に適用されたのであらうが、右の經済的交換價値に於いては、客觀的な貨幣或は物質それ自體が價値を持つてゐると認めるべきでなく、必ずこれらの價値を決定すべき經済的主體を考へずしては説明することが出來ないものである。同樣に言語の場合に於いても、價値は專ら言語の主體的意識として存在すべきものであつて、觀察的立場に於いて存在すべきものではない。觀察的立場に於ける價値は、只對象が觀察主體にとつて方法上便宜であるか否か、有效であるか否かによつて生ずるのみである。例(35)へばは口語が文語よりも價値ありとするが如きはこれである。ソシュール學に於ける價値の概念が、右の主體的立場、觀察的立場の何れに屬するかは不明であるが、單に物の對立關係といふ點のみを見て、これを言語に適用して價値を論じたことは皮相の見であることを免れない。言語に於いて價値をいふ場合は、或る言語的行爲が、表現目的を滿足さすか否かの主體的立場に於いていはるべきことなのである。例へば、敬語の選擇、標準語の使用、言語の美的表現等に於いて主體的價値意識を認め得ると同時に、そこに言語の實踐上の規範があるのである。
 主體的立場と觀察的立場との關係は、又單語に於いて、單純語と複合語との別を規定する場合にも適用出來ることである。觀察的立場に於いて、若し主體的立場を除外したならば、凡そ客觀的に分析し得る語は皆複合語とならなければならない。單語(單純語)を以て語の分解の極度に達したものと考へるのは、右の觀察的立場である。しかもかゝる分解が、我々の單語に對する常識的語感を滿足さすことが出來ない處から、從來極めて煩瑣な説明が單語の上に試みられたのは、觀察的立場に於いて、主體的立場を無視したが爲であると思ふ。山田孝雄博士は、語について、談話文章を構成する第一次要素(【日本文法學概論三一頁】)、又分析的見地に對して總合的見地(【同上三九頁】)といふ樣な考を以て説明されようとしたが、これらの考へそれ自身何れも觀察的立場に屬するものであるが故(36)に、滿足な結論を導くことが出來なかつた。元來單語に於いて單純語と複合語とを決定するものは、主體的立場に屬するものであるにも拘はらず、一方に客觀的に語を分解しつゝ、他方主體的意識に於ける單語の概念を説明しようとするのであるから、矛盾が生ずるのは當然である。今日その成立起源が忘れられて單純語と考へられてゐるもの、例へば、「なべ」(魚《な》と瓮《へ》の結合)「をけ」(麻《を》と笥《け》の結合)「ひのき」(火の木)の如きが、複合語でなく單純語として認められる根據は、觀察的立場に於いていはれることではなくして、現在に於ける主體的意識に基いてゐるのである。「うさぎうま」が單純語でなく、複合語であるとされるのは、主體的意識に於いてこれを二語の合成した單語であると考へるからである。若し主體的意識に基かない觀察的立場に於いてならば、右の一方を單純語とし、他方を複合語とする根據は見出し得ない筈である。山田博士が單語を定義されて、文章の直接の材料となるもの、或は文章の第一次の分解によりて生じたる要素、或は總合的見地によるものなどといはれたことには、言語の主體的意識に基いて單語の單複を認定されようとした意圖は推測されるのであるが、しかも觀察的立場のみに終始して、單に第一次第二次といふ樣な分析の段階として考へられた處に混亂を脱することが出來なかつた理由があるのではないかと想像するのである。以上の樣に、單語に於ける單純語と複合語との認定の根據を、言語(37)の主體的意識に求めるといふことになれば、或る語を、主體を離れてその單複を決定することは不可能な譯であつて、古代語に於いては、古代人の主體的意識に還元することによつてのみこれを決定することが出來る。「なべ」「をけ」は、古代語としては複合語であつたものが、現代語としては單純語となつたといふことになるのである。同樣に、「ひのき」は古くは複合語であつたものが今日に於いては單純語となつたので、その點「まつのき」が今日に於いても複合語であるのと相違する。若し主體的意識を除外して、單に觀察的立場にのみ立つならば、右の樣な區別は不可能となるのである。か樣に見て來るならば、文に於ける單位を意味する單語は、主體的意識に基くものであると同時に、それは文の中の單位的要素として意識されたものであるが、複合語は、單位語としての單語の内部構成の單複の意識に基くものである。故に複合語に對立するものは單純語であつて、複合語と單純語とを一括して單位語としての單語の意識が成立するのである。從來の單語論は、專ら觀察的立場による分解によつて單位語を定義しようとした爲に、單位語と單純語との區別が困難になり、同時に複合語を認める立場をも失つてしまつたのである。因に單純語と複合語との主體的認識は、同じ時代、同じ社會に於いては、ほゞ共通的なものであることは、言語の社會性の上からいひ得ることである。
(38) 言語に對する主體的立場と觀察的立場との關係は、又言語の美學的考察についても適用出來ることである。言語美學は、主體による言語の美的表現形式と、その根柢をなす主體の美的感情とを對象とするものであるから、一語の表現の上にも、文の構成の上にも、音の排列の上にも現れる處のものである。言語の美的表現は、全く主體的立場に存するものであるから、觀察的立場は、よくこれらの主體的立場を追體驗することによつて、こゝに言語美學の體系を立てることが出來るのである。それらについては、第六章國語美論の項に詳説するつもりである。
 
       五 言語の存在條件としての主體、場面及び素材
 
 上の諸項に於いては、私は主として言語研究の方法及び立場について述べて來たのであるが、更に進んで我々の研究對象である處の具體的な言語經驗を中心にして、その周邊を探索しつゝ、確實な對象把握への道を明かにしようと思ふ。我々の研究に於いて、最初から言語が他の何ものからも限定されて、それ自身切離された獨自の對象を形造る樣に考へることは、具體的經驗を出(39)發點としようとする立場に於いては、最初に戒心しなければならないことである。言語を以て音聲と概念との結合であるとする考方には、既に對象それ自身に對する抽象が行はれてゐるのである。我々はかくの如き抽象された言語の分析をなす前に、具體的な言語經驗が如何なる條件の下に存在するかを觀察し、そこから言語の本質的領域を決定して行くといふ手續を忘れてはならないと思ふ。具體的な言語經驗について、その存在條件を觀察するといふことは如何なることを意味するか。私は先づ他の例を以て説明しようと思ふ。こゝに一つの家屋を對象として觀察しようとする時、これを玄關とか、客間とか、居間とかに分析してその構造を明かにしようとするのは、言語を音聲と概念とに分つて構造を明かにしようとする方法に類するものである。右の觀察の方法は、既に出來上つた家屋を、それだけに限定して觀察する處の方法であつて、自然科學的對象としての物質についてならば、右の如き觀察によつてその物の本質を明かにすることが出來るであらう。しかしながら、家屋を家屋としての意味に於いて觀察する爲には、上の如き方法のみでは不充分である。家屋は何よりもそれが製作されたものとして、それが存在する處の條件を考慮に入れなければならない。それが家屋の本質そのものを規定するからである。第一に、家屋が成立する爲には、それが建設される處の地盤が必要である。地盤は家屋の構成要素とはいひ得ない(40)が、如何なる家屋も、地盤無くしては存在することが出來ない。且つ地盤によつて家屋自體の構造も制約されて來るのである。地盤が家屋にとつて、一の存在條件であるといひ得る所以である。第二に、一家屋はこれを作るものが無くては存在し得ない。作る者には設計者もあり、資本主もあり、大工もあるが、それらによつても亦家屋の構造は規定されて來る。第三に、家屋を利用しようとする居住者も存在條件として考へることが出來る。居住者を考へない家屋は、恐らく家屋としての意味が無いであらうし、又居住者の目的に應じて、家屋は種々なる形態をとる。住宅向き、事務所向き、商店向きの建築の如きである。これらのものは、皆家屋にとつては、その構成要素とはいひ難いものであるにも拘はらず、家屋はこれらのものによつて始めて家屋として成立するといふことが出來る。これらのものを今家屋の存在條件と名付けるならば、或る事物を觀察するのに、その構成要素を明かにすると同時に、その存在條件を考慮するといふことは重要なことである。
 私は言語の存在條件として、一主體(話手)、二場面(聽手及びその他を含めて)、三素材の三者を擧げることが出來ると思ふ。この三者が存在條件であるといふことは、言語は、誰(主體)かが、誰(場面)かに、何物(素材)かについて語ることによつて成立するものであることを意(41)味する。以下その各々について解説を加へようと思ふが、言語に於けるこの三の存在條件は、上の如く三角形の頂點を似て象徴し得ると思ふ。三者は相互に堅き聯繋を保つて、この中に言語表
 
        場面
素材
        主體
〔正三角形があってその各頂点に上記の語がある、入力者〕
 
現を成立せしめてゐる。この樣な支柱なくしては言語は成立し得ないと同時に、この三者の相互關係が言語自體を種々に變形させる處の力を持つてゐるのである。
 第一、主體。主體は言語に於ける話手であつて、言語的表現行爲の行爲者である。私は既に前項の主體的立場の問題を論じた際に、如何なる言語も主體を無視しては考へることが出來ないことを明かにした。こゝでは、主體と言語との關係について述べようと思ふ。主體はそれ自らを如何なる方法によつて言語に表現するか。屡々文法上の主格が言語の主體の如く考へられるが、主格は、言語に表現せられる素材間の關係の論理的規定に基くものであつて、言語の行爲者である主體とは全く別物である。例へば、「猫が鼠を食ふ」といふ表現に於いて、「猫」「鼠」「食ふ」といふ素材的事實相互に於いて、「猫」が「鼠」「食ふ」に對して主體となる樣なものである。かういふ場合の主體は、素材間の關係に過ぎないのであつて、「猫が鼠を食ふ」といふ言語的表現そのものの主體は別でなければならない。言語の主體は、語(42)る處の主體であつて、「鼠を食ふ」といふ事實の主體であつてはならないのである。次に文法上の第一人稱が主體と考へられることがある。成る程、「私は讀んだ」といふ表現に於いて、この表現をしたものは、「私」であるから、この第一人稱は、この言語の主體を表してゐる樣に考へられる。しかしながら、猶よく考へて見るに、「私」といふのは、主體そのものでなくして、主體の客體化され、素材化されたものであつて、主體自らの表現ではない。客體化され、素材化されたものは、もはや主體の外に置かれたものであるから、實質的に見て、「私」は前例の「猫」と何等擇ぶ處がなく、異る處は、「私」が主體の客體化されたものであり、「猫」は全然第三者の素材化されたものであるといふことであつて、そこから第一人稱、第三人稱の區別が生ずる。從つて、「私」は主格とはいひ得ても、この言語の主體とはいひ得ないのである。この樣に第一人稱は、第二、第三人稱と共に全く素材に關するものである。後に述べることであるが、第二人稱も場面即ち聽手そのものでなく、聽手の素材化され、客體化されたものであるのと齊しい。この考方は極めて重要であつて、かやうにして、言語の主體は、絶對に表現の素材とは、同列同格には自己を言語に於いて表現しないものである。これを譬へていふならば、畫家が自畫像を描く場合、描かれた自己の像は、描く處の主體そのものではなくして、主體の客體化され、素材化されたもので、その時の(43)主體は、自畫像を画く畫家彼自身であるといふことになるのである。言語の場合に於いても同樣で、「私が讀んだ」といつた時の「私」は、主體そのものではなく、主體の客體化されたものであり、「私が讀んだ」といふ表現をなすものが主體となるのである。主體は「私」といふ語によつて自己を表現してゐるのでなく、若し主體の表現それ自體を知らうとするならば、「私が讀んだ」全體を主體的表現と考へなくてはならないのである。主體の本質は以上の樣なものであつて、言語の存在條件として主體の概念を導入することは、本論の展開の重要な基礎となるものである。その具體的な事實については各論に述べることとする。
 第二、場面。場面の意味は、例へば、「場面が變る」「不愉快な場面」「感激的場面」などと使用される樣に、一方それは場所の概念と相通ずるものがあるが、場所の概念が單に空間的位置的なものであるのに對して、場面は場所を充す處の内容をも含めるものである。この樣にして、場面は又場所を滿たす事物情景と相通ずるものであるが、場面は、同時に、これら事物情景に志向する主體の態度、氣分、感情をも含むものである。この關係は上の圖を以て示すことが出來る。CDは事物情景であつて、主體Aに對
            C
        B
A・主對――――――――――→
 
            D
〔DからCへ→の先を通って弧線あり、入力者〕
 
(44)しては、全く客體的世界に屬する。Bは主體Aがこの客體的世界に對する志向作用を表し、B及びCDの融合したものが即ち主體Aの場面である。故に場面は純客體的世界でもなく、又純主體的な志向作用でもなく、いはゞ主客の融合した世界である。かくして我々は、常に何等かの場面に於いて生きてゐるといふことが出來るのである。例へば、車馬の往來の劇しい道路を歩いてゐる時は、我々はこれらの客觀的世界と、それに對する或る緊張と興奮との融合した世界即ちこの樣な場面の中に我々は歩行して居るのである。從つて我々の言語的表現行爲は、常に何等かの場面に於いて行爲されるものと考へなくてはならない。言語に於ける最も具膿的な場面は聽手であつて、我々は聽手に對して、常に何等かの主體的感情、例へば氣安い感じ、煙たい感じ、輕蔑したい感じ等を以て相對し、それらの場面に於いて言語を行爲するのである。しかしながら、場面は只單に聽手にのみその内容が限定せらるべきものではなくして、聽手をも含めて、その周圍の一切の主體の志向的對象となるものを含むものである。例へば、我々が嚴肅な席上で一人の友人と相對する時と、他の打寛いだ席上で相對する時とは、聽手は同じでも、言語的場面としては著しく相違してゐると考へなければならない。以上の樣に、場面は必ず主體の存在を俟つて始めて成立するものであつて、主體を離れて言語の場面を考へることが出來ないと同時に、場面が言語(45)にとつて、不可缺のものであることは、言語が常に我々の何等かの意識状態の下に表現せられるものであることによつても明かである。場面の存在といふことは、いはゞ我々が生きてゐるといふことに外ならないのである。場面の概念が、言語の考察に必要であるといふことは、場面が常に我々の行爲と緊密な機能的關係或は函數的關係にあるが爲である。場面が言語的表現を制約すると同時に、言語的表現も亦場面を制約して、その間に切離すことの出來ない關係があるからである。興奮した場面に於いて、靜かに讀書するといふが如き行爲が妨げられる反面に、心頭を滅却することによつて、場面も亦平靜となる樣なものである。一般に場面が表現を制約することは、次の樣な事實によつてこれを知ることが出來る。畫家の描かうとする一枚の繪は、それが掲げらるべき場所、即ち寺院の壁間に置かれるか、私宅の食堂に置かれるかにょつて必然の制約を受けるに違ひない。この時、豫め豫想された處の寺院或は食堂と、畫家との間に一の場面が成立し、この場面の制約の下に一枚の繪が描かれるのである。又逆に、食堂に掲げられた一枚の繪によつて、陰氣な食堂が華やかになるやうに、表現は又場面をも變化させる處の機能的關係を持つてゐる。場面と表現との關係は、これを譬へていふならば、軌道と車輛との關係に等しい。軌道は車輛の運行を規定し拘束するものであるが、同時に又車輛の構造性能によつて軌道自身も制約され(46)るのであるが、兩々相俟つて車輛の運行が完成されるのである。又それは家屋とそれが置かるべき地盤との關係に類するもので、地盤は家屋の場面として、それと設計者との關係に基いて家屋の構造が規定されて來るのである。家屋が地盤を制約することも亦同じである。この樣に見て來るならば、言語は常にその場面との調和關係に於いて表現せられるものなのである。言語は單なる主體の内部的なものの發動ではなくして、これを制約する場面に於いて表現されることによつて完成するのである。換言すれば、言語は場面に向つて自己を押出すこと、宛も鑄型に熔鐵を流し込む樣なものである。その最も著しい例は敬語である。「暑いね」「暑うございますね」の二の表現は、表現の素材としては何等の増減なく、只主體の場面の相違に基く變容であると考へることが出來る。以上の樣に、場面は具體的な言語經驗に於いては、必ず存在すべきものであるが、次に場面が言語の上に如何に現れて來るかを明かにしようと思ふ。簡單に考へるならば、聽手としての第二人稱が場面を表してゐる如く考へられるかも知れない。しかし、これも主體の場合と同樣に、第二人稱は、場面の客體化されたものであり、素材化されたものであつて、場面それ自らではない。場面は如何なる場合に於いても素材とは同列に言語にそれ自らを表現しないのである。既に述べた樣に、場面はその中に客體的世界を含む。主體に對して聽手は確に一の客體であ(47)る。しかしながら、それは場面的客體であるに過ぎない。場面である聽手が素材化されて、「汝は……」「汝を……」といふ風に表現される時、場面的客體はその時素材的客體として把握されてゐるのである。第三者が觀察的立場に於いて見る時、場面としての「汝」も、素材としての「汝」も、その間に何等相違が認められないのであるが、言語行爲者としての主體的意識に於いて、客體としての意味に相違が存することを知ることは、主體と素材との相違に於けると同樣に場面の意味を理解する上に於いて極めて重要である。觀察的立場にとつて、主體的立場が前提とならねばならぬといふことは、こゝにも妥當することである。場面の概念の導入は、主體の場合と同樣に、本論の基礎をなすものであるが、各論に於いて隨處にこれを示すことが出來るであらうと思ふ。
 猶こゝに一言して置きたいことは、私の意味する場面(聽手その他を含めて)が、從來言語學に於いて注意された聽手と如何なる點に於いて相違して居るかといふことである。一般に聽手が話手に對して問題になるのは、言語の受容者として、言語變化の契機を考へる場合であるが、既に前項に於いて述べた樣に、受容者としての聽手は、話手と同樣に言語の主體に外ならない。言語を聽いて或る事物を理解する時、そこに言語の存在を經驗することが出來るのであるから、こ(48)の場合聽手が主體となるのである。私の意味する場面は、右の樣な受容者としての聽手でなく、言語的主體である話手に對立するものとしての聽手である。即ち主體の志向的對象となる處の聽手であつて、客觀的に見られた聽手ではないのである。故に若し聽手に於ける言語經驗を對象として考察する場合には、もはや聽手は聽手として存在してゐるのでなく、言語經驗の主體と變ずるのであり、話手は、聽手の受容の對象として、却つて場面的意味を持つた話手と變ずるのである。例へば、私が年長者の話を聽いてゐる時、或は目下の者の話を聽いてゐる時、話手である年長者と私、目下の者と私との間に場面的關係が成立し、かゝる場面に於いて、私が言語を聽くといふ主體的經驗が成立するのである。これらの場面的關係が言語經驗の成立過程に及ぼす影響も亦話手に於ける場合と同樣であることは、同じ言語も相手に從つて、我々の理解が異つて來ることによつて知ることが出來る。
 場面と類似したものに、現場〔二字右○〕の概念がある。小林英夫氏はその著言語學通論第一事實第四項に現場について説明されてゐるが、それによれば、現場はバイイの situation の意味である。それは物を言ふ人の場所を意味する。現状が明かにされるならば、語の意味は非常に明瞭になつて來る。「帽子を取つて下さい」といふ言語も、現場が明かでなければ、如何なる帽子であるか知る(49)ことが出來ない。國語の「取つて呉れ」「お取り下さいませ」の相違は、話手が男であるか女であるかをよく示してゐる。これに反してフランス語の Passez-le-moi,si'l vous plait ! は男女何れであるかを明かに示さない。前者は現場喚起性に豐んでゐるが、後者にはそれがない。現場は文章に於いて文脈となる。以上が現場の思想の概略であるが、それは主として素材の表現性に關するものであつて、私のいふ場面とは異るものである。口語に於いて現場がその表現を助けるといふことも素材に關することである。「犬」といへば、今眼前にゐる犬か、話題になつてゐる犬かは、現場に於いては、極めて明瞭である。私の場面は、さういふ素材に關するものでないことは、既に述べて來た處で明かであらうと思ふ。序に現場について注意せられることは、「言語《ラング》」が現場に於いて限定されるといふことである。「ホラ帽子」といへば、「帽子」は特定の個物に限定されるといふのである。小林氏はこれを現示と名付ける(【言語學通論四二頁】)。現示は、現場にあるか、言語記號によるかしなければこれを明かにすることは出來ない。從つて現場を離れた聽手に語る場合には、話手は「言語《ラング》」を限定する技巧を考へなければならないのである。こゝに於いて現場の説は甚だ複雜な問題に逢着しなければならないのである。話手に於いては、凡ての「言語《ラング》」は、現場によつて限定されるにも拘はらず、聽手に對して更にこれを限定する技巧を考へねばならぬといふこと(50)は如何なることを意味するのであるか。更に考へるならば、現場に於ける現示といふことは、主體的意識としていひ得ることであるのか、それとも觀察的立場に於いていひ得ることであるのか。通論の著者の立場は、或は純觀察的立場に於いて、語と物とを比較對照した結果、現場に於ける語が物に現定されてゐるといふ見解が生まれて來た樣に思はれるのである。例へば、「机」といふ語によつて表されてゐる物それ自體を、主體的意識を離れて、客觀的に觀察して、この語が、特定の机に限定されてゐると考へるのである。然るに主體的立場に於いては、同一概念に屬する甲乙丙等の個物は、齊しく同一物であるといふ意識の下に、同一の語を以て表現されてゐるのである。「汽車が通る」の「汽車」が何時何分發の列車に限定されてゐると見るのは、第三者の觀察的立場からいへることであるが、主體的意識に於いては、只齊しく「汽車」としか意識されてゐない。故に特にこれを限定する場合に於いてのみ、何日何時何分發の汽車といふことが必要になつて來るのである。以上現場に關聯した問題は、言語本質觀に關して、重要な結論を齎すものであつて、更に總論第六項第三に詳説するつもりである。
 第三、素材。素材は言語によつて理解せられる表象、概念、事物であり、構成主義的言語觀に於いては、一般に意義或は意味の名に於いて、音聲形式に對應するものとして、言語の構成要素(51)と考へられてゐるものである。しかしながら、言語を主體の表現行爲であると見る立場に於いては、事物にしろ、概念にしろ、表象にしろ、それらは凡て、主體によつて、就いて語られ〔七字右○〕る素材であつて、言語を構成する内部的な要素と見ることは出來ない。しかしながら、言語が成立する爲には、それに就いて語られる處の素材が絶封に必要であり、語られる素材のない言語の無意味であることは、搬ばれる貨物や旅客を前提としない鐵道の樣なものである。從つて素材も亦言語の存在條件であるといふことが出來る。右の樣な素材觀は、言語の意味の問題と關聯して、從來の言語學説とは著しく相違してゐる樣に考へられるであらうが、素材を言語の存在條件として考へることは、言語過程説の必然の結論ででもあるのである。素材の問題は意味の問題と關聯してゐるので、再び各論(【第四章意味論】)に於いて詳説する豫定であるが、こゝには專ら素材が言語の内部的な構成要素でなくして、存在條件である所以についてこれを明かにしようと思ふ。既にとつた所の譬へに因んで、再び列車を例にとつて考へて見る。列車の構成要素はこれを機關車、客車、手荷物車等に分析することが出來る。然るに、列車が乘客を搬ぶものであることを考へる時、列車と乘客とは如何なる關係に立つであらうか。乘客の運搬を前提として始めて列車の存在が實現する譯であるが、乘客が列車の構成要素であり得ないことは、乘客を捨象しても、我々は完全に列車(52)そのものを考へることが出來るからである。列車と乘客との關係は、列車の本質は、列車が乘客を搬ぶ機能の上にあるのであつて、乘客は即ち言語に於けるついて語られる處の事物、表象、概念即ち素材に相當するものであつて、列車が乘客を搬ぶことによつて列車たり得る樣に、言語は素材を表現する處の機能に於いて成立するものである。主體や場面が言語の外にあると同じ意味に於いて素材も亦言語の外にあると考へなければならない。表象や概念が心的内容であるからとて、言語の内部的要素と見ることは出來ないのであつて、言語主體から見ればやはりこれに對立した外のものと考へなくてはならない。只列車が、乘客に食事を供給し、座席や寢臺を提供して乘客を搬ぶと同樣に、言語は、素材を搬ぶ處の言語としての特殊の機能を持つてゐる。列車は、素材である乘客をそのまゝ次の驛に運ぶのであるが、言語は素材をそのまゝ搬ぶことが出來ない。これを一旦何等かの形に變形しなければならない。それは宛も、角力の取組みを、一旦フィルムに收め、化學的操作を經て現像し、再び映寫機にかけて、その實況を觀るといふ方法にも比することが出來るであらうか。素材が言語の外に在ると同樣なことは、又他の例についてもいひ得られる、繪畫に於小て、描かれる景色自體、靜物自體は繪畫の構成的要素ではなくして、繪畫の本質は、かゝる素材を描出すことになくてはならない。文學についても同樣に、文學の表現する思(53)想とか事件とかは、文學にとつては素材であつて要素とはいひ得ない。從つて文學作品を通して我々が單にその思想や事件を理解したに止まるならば、それは作品そのものを把握し鑑賞したことにはなり得ないのである。文學作品の把握或は鑑賞は、作者が素材を如何に取扱ひ、如何に表現したか、即ち作者の素材に對する態度を觀察することによつて、文學の對象的把握といふことが成立するのである。
 この樣に考へて來るならば、言語は宛も思想を導く水道管の樣なものであつて、形式のみあつて全く無内容のものと考へられるであらう。しかしそこにこそ言語過程説の成立の根據があるのであり、言語の本質もこの樣な形式自體にあると考へなくてはならない。構成的言語觀に於いても、言語によつて表現せられる事物自體、たとへは、「サクラ」によつて理解せられる「櫻」そのものは、言語の構成要素と考へられないのに對して、概念「櫻」は、構成要素であるといはれることは正しいであらうか。概念は成程心的内容として言語主體の外に在るものでなく、その意味で言語の構成要素と考へられる可能性があるが、しかしながら、それは一方は物的なものであり、他方は心的なものであるといふ相違だけであつて、素材として、言語主體に對立してゐる關係から見れば、何等の相違をも見出すことは出來ないのである。宛も畫家が實際の風景を見て描いた(54)場合と、想像によつて描いた場合と、描かれた素材に即していへは、齊しく繪畫の素材である。同樣にして言語に於いても、具體的な一個の犬を指して
  犬が來た。
といふ場合に指された一個の犬と、單に抽象的に、
  犬は哺乳動物である。
といつた場合に、指された概念「犬」について、前者は言語の構成要素でないが、後者は構成要素であるといふことは出來ないのである。具體的な個物であつても、心理的な概念であつても、言語主體によつて、表現の素材として把握された以上、主體に對立したものと考へなくてはならない。以上の樣に概念をも言語の構成要素にあらずとする時、言語の要素として一體如何なるものが殘るであらうか。再び先の列車の例に立返つて考へて見る。客車の本質は、乘客をその構成要素としてゐる爲ではなくて、乘客を收容し得る坐席の設備を持つ處にある。坐席は、客車が乘客を收容する處の機能であり、この樣な機能の故に、これを客車といひ得るのである。同樣にして、言語の本質的要素は、素材を傳達し得る樣に加工變形さす主體的な機能の上になければならない。そこで私は、言語に於ける本質的なものは、概念ではなくして、主體の概念作用〔四字傍点〕にあると(55)考へるのである。我々が言語によつて或る概念内容を理解する處から、直に概念内容を言語の構成要素と考へ易いのであるが、それは言語によつてその素材を理解したことにはなるが、言語そのものを對象的に把握したことにはならない。言語による素材の理解は、言語の主體的立場であつて、觀察的立場は、この樣な理解の立場を更に再び觀察する立場でなければならない。この觀察的立場は、言語によつて理解され、又は表現された素材を觀察する立場ではなくして、理解又は表現に參與する處の主體的機能を觀察する處の立場でなければならない。かくして言語の本質は實に概念作用の如き言語主體の機能に存するといふことができる。素材は機能の對象であつて、概念作用によつて素材が概念化され、この兩者は不可分離のものであるが、一方は主體的な作用であり、他は作用の對象であつて、これを分離して考察する必要がある。言語構成觀は、寧ろかくして分離された概念内容の方を、主體的機能を除外して、言語の構成要素と見るのであるが、私は、主體的な機能をこそ言語の本質的要素と考へ、これら機能によつて概念され、表象された概念及び表象を素材として、言語の外に置かうとするのである。この素材觀の結論は、意味の問題を考へる上に極めて重要なことであるが、それは各論に讓り、こゝには專ら言語の本質を、素材ではなくして、素材に對する主體的機能である概念作用或は意味作用に置かうとする立場を更(56)に具體的に説明しようと思ふ。
 例へば、敬語である。或る語を敬語とし、他を敬語でないとする根據は何處にあるのであらうか。言語を音聲と概念との結合であるとする言語構成觀に從ふならば、「行く」と「參る」とを敬語の概念によつて區別することは出來ない譯である。この二の語は、その構成に於いて全く同一だからである。これを敬語非敬語に區別し得るのは、これ等の語の主體の、素材である處の事實に對する把握の仕方に相違があるからである。即ち同一素材に對する主體的機能の上に區別が存するからである。敬語の敬〔右○〕は、從つて主體的意識と、その表現に關していはれるのであつて、素材に對する主體的立場と主體的機能を無視して敬語は成立し得ないのである。又例へば、前項に述べたことであるが、單純語と複合語との區別も、素材自體に即して考へるならば、これを明かにすることは出來ない。「三角形」と「三邊によつて圍まれた圖形」とは、素材としては同一物であつて、素材の單複を以て語の單複を決定しようとするならば、右の兩者は共に單純なる單語でなければならない筈である。單純語と複合語との相違は、右の樣な素材の性質にあるのでなく、素材に對する主體の把握の仕方にあるのである。
 
(57)     六 フェルディナン・ド・ソシュール Ferdinand de Saussure の言語理論に對する批判
 
       一 ソシュールの言語理論と國語學
 
 十九世紀の初頭に興隆した近代言語學の問題は、主として言語の比較的研究及び歴史的研究であつて、以來比較的研究と歴史的研究とは、言語學の本質的領域と考へられて來た。國語學界が、明治の後半期以後に於いて影響を蒙つたのも、右の樣な言語學の流れであつた。十九世紀の後半ソシュールが出て、言語學界に新らたな局面を開いた。それは言語の比較的觀察或は史的觀察の他に、言語といふ事實そのものの研究が重要であることを強調したことである。比較言語學、史的言語學のみが言語學であると考へて居つた歐羅巴言語學界にとつてほ、正に大きな革新であつたに違ひない。ソシュールは、彼のいふ言語状態の科學、或は靜態言語學を共時言語學 linguistique synchronique と稱し、史的言語學、或は通時言語學 l.diachronique に對立せしめた。
 ソシュールの言語學が我が國に紹介された時代については私はこれを詳かにし得ないが、神保格氏が歐米留學より歸朝せられた際に、東京帝大山上御殿に於ける講演にフランス言語學特にソ(58)シュールの言語學を紹介されたのは大正十三年であつたかと記憶してゐる。事實同氏の言語學概論(【大正十二年十一月刊】)に於ける言語觀念及び言語活動の概念は、ソシュール學説に於ける langue 及び langage の概念に甚しく似てゐる(同氏から直接伺つた處によれば、それは全く偶然の一致ださうである)。その後、昭和三年一月、小林英夫氏は、ソシュールの遺著 Cours de linguistique generale 1916 を翻譯して、これを言語學原論として出版されてから、ソシュールの名は遍く我が學界に知られる樣になり、國語學に與へた影響も甚大であつた。爾來小林氏は、ソシュールの學統に屬するフランコ・スイス學派の言語學説を次々に紹介されて、今日に於いては、同學派の根本觀念である處の共時態及び通時態の概念、言語及び言語活動の概念は、小林氏の譯語によつて我が言語學界並に國語學界の常識にまでなつたかの感がある。
 飜つて我が國語學界の現状と、その進むべき將來について靜かに考へる時、既に本論第一項に述べた樣に、方法論的立場に於いて、言語學の國語學に對する關係を再檢討する必要を感ずるのである。國語學が眞に學問的精神に生きるにはどうしたならばよいか。國語學者の態度は如何に。その方法は如何に。そして言語學はこれらに對して如何に處すべきか。私は既にそれらの一端を述べて來たのであつた。國語學界に限らず、今日我が國學術界に於いて最も必要なことは、泰西(59)の既製品的理論を多量に吸收してこれを嚥下することではなくして、學問的精神の根本である處の批評的精神に生き、飽くまで批判的態度を以てこれを取捨選擇し、自己の理性に訴へて以て我が國學術進展の基礎として受入れねばならぬといふことである。或る一の理論に對して充分批判的態度をとり得る爲には、その理論の背景をなしてゐる處の歴史的地盤に對する知識なくしては不可能であを。私は嘗て世の言語學者に次の樣なことを希望したことがあつた。言語學者が若し國語學の指導といふことを目標にするならば、泰西に於ける新しい言語學の理論や結論をこの國に紹介すると同時に、并せて言語學に於ける對象と理論上の相互關係、それらの方法の起こつて來た因由、學派の生じた根本的理由、その背後に存する一般的な思潮等について、國語學者が充分批判的態度をとり得る樣な資料をも教へられる處がありたいといふことであつた。若しそれなくして、一の學説をとつて、これが國語學の指導原理であるかの樣に強ひるならば、それは國語學にとつて、これより甚しい困惑は無いであらうと思ふのである。今、私は舊國語研究の發展より導かれた處の私の所謂言語過程説の輪郭を明かにする爲に、今日我が國語研究に少からざる影響を及ぼしつゝあるソシュールの言語理論をとつて、それの理論的構成を吟味することによつて、私の理論を明かにして行かうと思ふのである。
 
(60)  〔附記〕 ソシュールの言語理論の全貌は次の書による。
   一、原書
    Cours de linguistique generale 一九一六年 初版ロザーヌ、一九二二年 再版パリ、一九三一年三版パリ
   一、譯書
    言語學原論【ソッスュール述小林英夫譯】昭和三年一月刊(本論に於ける略號を原論とす)
    ソシュール言語學原論 小林英夫譯 昭和十五年二月(本論に於ける略號を改版本とす)
  猶その他に小林氏はソシュール並にその學統の學説紹介の爲に多くの著書論文を出してゐられる。昭和十五年版原論並に言語學方法論考の卷尾に著作目録が出てゐる。
 
       二 言語對象の分析と langue*の概念の成立について
             *小林氏の譯語に從ひ、本書に於いては「言語《ラング》」とし、特に一般の使用と區別する爲に括弧を附す。
 
 對象の觀察とその分析は、その對象の構造形式に規定されるといふことは、本論の最初に私が述べたことである。勿論右のことに關しては、哲學的には種々な異論もあり得ることであらうが、それらについては今觸れないこととする。私は、この、對象が方法を規定するといふ假説的理論に立つて、言語研究の方法は、先づ對象である言語自體を觀察することから始められねばならないと考へるのである。言語學の體系は、實に言語そのものの發見過程の理論的構成に他ならないのである。これを自然科學について考へて見るに、自然科學的對象の構造分析は、要するにその(61)對象の構造形式によつて規定されてゐる。例へば、生物體は、その組織に於いて細胞の並列的構造形式の故に、構造分析が可能とされる。それならば、この分析方法があらゆるものに適用出來るかといふに、その對象の構造の相違に從つてその分析も亦異らざるを得ないのである。ソシュールが、言語の分析に用ゐた方法を、その對象との相關々係に於いて見る時、はたして右の如き方法が守られてゐるであらうか。ソシュールの言語理論に對する疑は先づ最初にこの點に存するのである。ソシュールは言語活動(註一)の分析に於いて、先づその對象の中に、それ自身一體なるべき單位要素(註二)を求めようとする。
 
 註一 言語活動とは、ソシュールの langage の譯語である。言語活動は、心理的生理的現象を伴ふ處の我々の最も具體的な言語經驗である。
 註二 ソシュールは、言語活動の中にそれ自身一體なるべき單位要素を求め、これを「言語《ラング》」であるとし、次の樣にいつてゐる。
  「言語活動は、全體として見れば、多樣であり混質的である。數個の領域に跨り、同時に物理的、生理的、且つ心的であり、なほまた個人的領域にも社會的領域にも屬する。それは人間的現象のいかなる部類にも收めることが出來ない。その單位を引出すすべを知らぬからである。
  之に反して、言語はそれ自身一禮 un tout en soi であり、分類原理をなす」(改版本一九頁)
(62) 言語活動は最も具體的な對象であるにも拘はらず、これを捨ててその中に更に「言語《ラング》」を求めようとする根本的な理由は、言語活動が混質的であつて、それ自身一體なるべき單位をそこに見出すことが出來ないからであるといふのである。即ち音は聽覺と音聲との結合したものであるが故に、それは單一單位でなく、精神物理的複合單位であるといふのである。かくして單一單位を求めようとする彼の態度には、明かに、科學の出發點は單位の認識から始められねばならないといふ考が存することを知るのである。この意圖は、既に對象の考察以前に於いて、對象に對して自然科學的な原子的構成觀を以て臨んでゐることを示すものである。我々の具體的な對象は、精神吻理的過程現象であるにも拘はらず、それをそれとして把握せずして、混質的であることを理由として、他に等質的な單位要素を求めようとすることは、明かに對象よりの逃避であり、方法を以て對象を限定したことになるといはなければならないのである。具體的な對象を限定して、その中に自己の要求する處のそれ自身一體なるべき「言語《ラング》」を學の對象として定立し得ても、それは具體的な言語經驗自體の考察を意味しないことは明かである。我々の學問の目的は、具體的な言語經獻それ自體が如何なるものであるかを尋ねようとしてゐるのである。自然科學の見出した處の究極不可分の單位である原子は、自然科學的對象の構造形式に規定された必然的結論であ(63)るが、同樣なことが言語の場合にも適用出來るかどうかそれは疑問である。
 かくしてソシュールが對象として見出した處の「言語《ラング》」なるものは、はたして彼が考へた樣にそれ自身一體なるべき單位であつたらうか。先づ「言語《ラング》」とは何であるか。ソシュールは次の樣に述べてゐる(【改版本二五−二六頁。引用は横書を縱書に改めて抄出す。】)。
  言語の特質を要約すれば、
  一、それは言語活動の諸事實の雜然たる雜體のさなかにおいて、はつきり定義された對象である。その在所を循行の、一定個處に求めることができる。即ちそれは聽覺映像が概念と聯合する場所である。(中略)
  二、(省略)
  三、言語活動は異質的であるが、上の如く限定された言語は、もともと等質的である。(中略)
  四、言語が具體的性質の對象たることは、言とえらぶところがない。(中略)それの總體が言語を組立てるところの聯合は、その座を腦中に有する實在である。
右の「言語《ラング》」なる概念について、小林氏は次の如く敷衍し説明を加へられた(【左の引用中の言語は、「言語」と同じである】)。
  言語とは何であるか。言ふこと、それが即ち言語ではないか。言ふこと以外に言語なるものがあるであらうか。あると考へる。私がいま貴方に、今日町へ買物に行つて下さいませんかと言ふとすれば、この行爲は確かに私の言(註)である。けれどもこの行爲が可能なるがためには、私の腦裏に、今日なり町なり買物なり行くな(64)り下さいなりの語が豫め蓄積されてゐなければならない。それと同時に、それらの語を一定の順に從つて結合する習慣もまた附いてゐなければならない。語とそれの習慣的結合樣式とが言語の本體である(【文法の原理五頁】)。
この考方は、ソシュールが、
  言語は、言の運用によつて、同一社會に屬する話手たちの頭の中に貯藏された財寶であり(【改版本三四頁】)、
といつた言葉に對應するものである。以上の如き「言語《ラング》」と「言語活動《ランガージュ》」との區別に從つて、「言語《ラング》」を「體としての言語」、「言語活動《ランガージュ》」を「用としての言語」と呼ぶこともある(【金田一京助博士國語音韻論一四−一五頁】)。
  註 こゝに言といふのは、ソシュールの所謂 parole の譯語である。言は言語活動の個人的實現を云ふのである(【改版本二一、二四頁】)。
ソシュールに於ける「言語《ラング》」の概念は大體右によつて察知し得ると思ふのであるが、右の如き「言語《ラング》」がはたしてそれ自身一體なるべき等質的單位と考へられるであらうか。ソシュールに從へば、「言語《ラング》」は、聽覺映像と概念との聯合したものであるといふ。しかしながら、我々の具體的な言循行に於いて經驗し得るものは、聽覺映像と概念との聯合したものではなくして、聽覺映像が、概念と聯合すること以外にはない。聯合するといふ事實から、直に聯合し、結合した一體的なものが存在すると考へるのは、論理の大きな飛躍でなければならない。ソシュール理論の第二の疑點はこゝに存するのである。ソシュール自身「言語《ラング》」について別の個所に次の樣に述べてゐる。
(65)  それゆゑ言語記號は二面を有する心的實在體である(【改版本九〇頁】)。
  この二つの要素はかたく相連結し、相呼應する(【同頁】)。
彼自身が認めてゐる樣に、「言語《ラング》」は、心的なものには違ひないが、それは單一單位とはいふことが出來ない。且つ一方が他方に呼應し、或は一方が他方を喚起する(【原論初版一三五頁の譯語】)といふことであるならば、それは結合されたものではなくして、繼起的な心的現象と考へなくてはならない。聽覺映像と概念とが、腦髓の中樞に於いて聯合するといふ事實は、心理學的にも生理學的にも證明されることであるが、それが聯合といふ主體的な精神生理的現象である限り、これを構成的客體に置直して考へることは許されないのである。かやうにして、言循行に於いて求めた「言語《ラング》」は、單一單位でないのみならず、二面の結合とも考へ得られないものであつて、飽くまで精神生理的複合單位であり、嚴密にいへば、聽覺映像→概念、概念→聽覺映像として聯合する繼起的な精神生理的過程現象に他ならない言である。繼起的過程を、並列的構造の單位として認めるといふことは、常識的便宜的説明としては許されるとしても、それによつて若し學問の體系に矛盾を來たす樣な場合には、斷じて許すことが出來ないのである。
 以上述べた樣に、ソシュールの言語研究の出發點は、私が本論の第一、第二項に述べた樣な、(66)我々の具體的な言語經驗を對象として、その全貌を輪郭付けるといふ樣なことでなくして、先づ言語に於いて單位的要素を求めることに性急であつたのである。そしてソシュールは、「言語《ラング》」を心的なものとして考へてゐるにも拘はらず、その存在の形式は自然科學的對象と何等擇ぶ處がない。いはゞ「言語《ラング》」は人間の精神中に座を占めてゐる自然物であつて、主體を離れた存在である。
 言語は言とは趣を異にし、切り離して研究しうる對象である。我々はもはや死語を話さないが、その言語的組織を我物にすることが出來る(【改版本二六頁】)。
 「言語《ラング》」はこのやうに話手の機能を除外した處の存在であるが、一方ソシュールは又、「言語《ラング》」の要素について、
  この二つの要素はかたく相連結し、相呼應する(【改版本九〇頁】)。
といつてゐる處を見れば、相連結し、相呼應する作用は、人間精神の作用によるより外ないのであるから、「言語《ラング》」は主體的機能なくしては考へ得られない存在であるとも考へられてゐるのである。このやうな矛盾は、畢竟するに、言語研究の根本に右の如き立場の矛盾が存在し、主體的活動である言語を、自然科學的單位の概念を以て説明しようとしたが爲に他ならないと考へられる。
 ソシュールの「言語《ラング》」の概念は、以上述べた如く、自然科學的單位概念の適用であると考へら(67)れると同時に、この概念は、又別にデュルケム Durkheim の社會學説に胚胎する社會的事實なる思想によつて導かれたものであるといふことは、一部の學者によつていはれてゐることであり(註)、この系統關係がたとへ事實でなく、それがソシュールの獨創に出づるものだとしても、その思想的近似性は極めて濃厚であるが故に、その方面からも考察する必要があるであらう。それについては、本項第四に述べることとする。
  註 小林英夫氏譯、ドロシェフスキー社會學と言語學(言語學方法論考三一頁)
 
       三 「言」parole と「言語」langue との關係について
 
 今假に、ソシュールがいふ如き、聽覺映像と概念との結合した精神的實體が存在するとして、かくの如き「言語《ラング》」と「言《パロル》」とは如何なる關係に立つのであるか。小林氏は之を次の樣に説明する。
  言とは何であるか。それは言語を以ての體驗の自覺的表出である(【小林氏、文法の原理五頁】)
又、
  言語は潜在せる言であり、言は言語の實現である。兩者は連帶的ではあるが同じものではない(【同右】)。
この考方は、ソシュールが、
(68)  言語は言の運用によつて、同一社會に屬する話手たちの頭の中に貯藏された財寶であり(【改版本二四頁】)、
といつてゐることに對應するものであつて、言主は「言語《ラング》」といふ財寶の使用者である。「言語《ラング》」を使用する處に「言《バロル》」が成立するのである。これは言循行より「言語《ラング》」の概念を導き出したソシュール理論の當然の歸結である。しかしながら、我々はそこに古き言語道具觀の變形或は理論付けを見ないであらうか。道具は元來主體の外に置かれたものである。主體がこれを或る目的の下に使用することによつて、道具としての意味が生かされ、目的が達せられる。「言語《ラング》」も丁度それと同樣に考へられてゐるのである。嘗ては、音聲が思想を運ぶ器と考へられて居つたが、今は聽覺映像と概念との聯合したものが、それに置替へられてゐるに過ぎないとは見られないであらうか。我々は更に立入つて「言語《ラング》」と「言《パロル》」との關係を檢討して見ようと思ふ。
 さて右の如き「言語《ラング》」を介して、話手が思想を表現しようとする時、話手の思想と「言語《ラング》」との間に如何なる關係が成立するのであるか。「言語《ラング》」を以てする思想の表現とは、如何なる事實をいひ、そしてその時話手の如何なる活動が必要とされるのであるか。小林氏の説明を借りるならば、
  さて潜在的なもの(【筆者いふ、潜在的なものとは「言語」を意味する】)はその數に於いて有限であるが、その質に於いて無限である。例へば町を指すべき語としては私は町といふ語一つしか知らないが、如何なる町を指すかは豫め決定されてゐない。(69)私がいま貴方に向つて町へ行つて下さいと言つた瞬間に、町の意味は決定されて來る。無限者が限定されるのである(【文法の原理五−六頁】)。
  言は個別的である。個別的なるものが他者に理解されんがためには、一般的なものの存在が豫定されなければならない。言は言語の實現であつて始めて理解されるのである(【同書六頁】)。
  語はそれ自身の姿を以て適當の文脈に置かれることによつて、我々の内面的生活を表現するのである(【言語學方法論考五七八頁】)。
  活動に於ける語は、意識的であり個性的であり、從つて性格的である(【同書、五七九頁】)。
右のソシュール的理論に於いて、第一の、「言語《ラング》」が「言《パロル》」に於いてその意味が限定されるといふ考方は、次の樣な例に於いては、一見極めて妥當であるかの樣に考へられる。例へば、「本を讀みました」といはれる時の「本」は、今私が讀んでゐる特殊な「本」に限定されたと一應は見ることが出來るのである。そして私の持つてゐる特殊な「本」がこの「言語《ラング》」によつて表現されてゐると見ることが出來る。しかしながら、仔細に檢するならば、この説の當らないことを發見するのはさまで困難ではない。例へば、一家の働手である息子を失つた老人が、
  私は杖〔右○〕を失つた。
(70)  家の大黒柱〔三字右○〕が倒れた。
などといつた時、この「杖」「大黒柱」といふ樣な「言語《ラング》」が、特定の息子の意味に限定されたと見ることが出來るであらうか。若しそれがそのやうに限定されるものと考へられるならば、この老人は、只「息子」といふ語を使用するだけでもよいので、特に「杖」とか「大黒柱」とかの「言語《ラング》」を使用することは無意味でなければならない。且つ又「息子」といふ語が、若し特定の個人をいひ表すやうに限定されるとしたならば、この老人は、未知な人に對して、たゞ「息子が死にました」といつただけで、聽手は、この語に限定されたあらゆる意味を理解しなければならない筈である。處が事實は正にその逆であつて、聽手は只概念的な語しか理解し得ない。從つて若し如何なる息子であるかを知らせる爲には、そこに言語の修飾とか、描寫とかいふことが必要とされて來るのである。しかもそれすら、畢竟するに概念的であるに止まつて、個物を個物として表現することは出來ないのであるが、一方からいへば、それが言語の言語たる處である。
 小林氏の説明の第二は、第一に對して矛盾してゐる。他者の理解の爲には一般的なものが必要とされ、「言語《ラング》」はそのやうな一般的なものの役目を果すものと考へるならば、「言語《ラング》」が「言《パロル》」に於いて限定されるといふことは無意味である。個物を一般的に表現してこそ理解されることが可(71)能となるのである。第三、第四の説明も右に準じてその非を理解することが出來ると思ふのであるが、語が文脈に於いて話手の内面的生活を表現し、又文脈に於いて語が個性的となり、性格的となるといふことは、「言語《ラング》」の使用によつて實現することであると考へられてゐるが、それに先立つて、話手が一の「言語《ラング》」を他より優先的に選擇し、使用するについては、素材と「言語《ラング》」の間に、如何なる契機の存在があつて結合されるかを間ふことなしにこの間題は解決し得られないと思ふのである。例へば、」一匹の馬を表すに何故に、「馬」といふ「言語《ラング》」が使用されるか、又は、「動物」といふ「言語《ラング》」が使用されるかは、「言《パロル》」と「言語《ラング》」との關係を考へる上に重要な問題である。單に「言語《ラング》」、が「言《パロル》」に於いて限定されてゐるといふことのみでは解決し得られないのである。
 以上、ソシュ−ルの言語理論に於ける「言語《ラング》」と「言《パロル》」との關係については、一應彼の「言語《ラング》」の概念を肯定することによつて、その理路を辿つたのであるが、そこに見出される矛盾は、總論第八、第九項の説明によつて猶一層明かにされると思ふのであつて、今は只その矛盾を指摘するに止めて置かうと思ふ。この問題を終るに當つて一言加へて置きたいことは、我々の觀察の直接にして具體的な對象になるものは、若しソシュール的名稱を借りるならば、精神物理的「言《パロル》」循行であつて、それ以外のものではない。「言《パロル》」循行中に、「言語《ラング》」を定位することは、既に「「言《パロル》」循(72)行に對する科學的操作であつて、從つて「言語《ラング》」の概念は、一の學問的結論であつて、具體的な對象ではない。我々の具體的な經驗的對象と、學問的認識の結果とを同列に我々の觀察の對象と考へて、「言《パロル》」の言語學と「言語《ラング》」の言語學とを對立させるソシュール的見地は、承認し難いことである(【改版本三〇頁】)。それは宛も、個々の動物の外に、歸納的概念である哺乳動物がそれと同列同格に對象として存在すると考へることに等しい。右の如き結論は、畢竟するに具體的な「言《パロル》」循行が科學の對象たるには、混質的にして科學的考秦に堪へないとして、それ自身一體なるべき單位要素を求めようとしたことに起因する。混質的なものが、科學の對象として堪へ得ないとするならば、「言《パロル》」の言語學といふことも亦大きな矛盾でなければならないのである。我々の學問に於いて、對象が混質的であることを懼れる必要がないと同時に、單位を求めて、それによつて凡てを律しようとする自然科學的態度方法を蝉脱しなければならない。繪畫は種々なる要素の混淆から成立してゐるにも拘はらず、繪畫としての統一原理を持つてゐる。言語に於いても全く同樣であることを知る必要があるのである。
 
       四 社會的事實 fait social としての「言語」langue について
 
(73) ソシュールの「言語《ラング》」の概念の成立は、自然科學的方法論に禍された、具體的對象よりの逃避に基くものであり、觀點による對象の切取りに基くものであること、そしてこの概念より結論された「言語《ラング》」と「言《パロル》」との關係には、少からざる矛盾が藏せられてゐることは既に前二項に於いてこれを指摘した。しかしながら、ソシュールの「言語《ラング》」の概念の成立は、既に述べた樣に、具體的な「言《パロル》」循行の觀察に基く結論であると同時に、一方社會的事實として言語を見る立場から結論された概念であると考へられることも既に述べた。それはデュルケムの社會學派にいふ處の社會的事實 fait social の概念と、ソシュールの「言語《ラング》」の概念が、極めて類似してゐる處からいはれることである(註)。
  註 小林英夫氏譯、ドロシェフスキー社會學と言語學(言語學方法論考三一頁)
 私は今デュルケムとソシュールとの思想的交渉を問題にするのではない。又それについて何等の知識も持合せない。只ソシュールが、「言語《ラング》」をデュルケム的意味に解して居つたことだけを知るのである。このデュルケム的「言語《ラング》」の概念が、言語の社會的性格を説明する爲に設けられた假説であり、そして又結論であるのか、或は前に述べた如き對象の考察から導かれた理論的結論であるのか。私はその點についても詳にするだけの知識がない。それらの點は言語學史家に任(74)せて、私は直にソシュールの見解について檢討したいと思ふ。彼は言語學の對象論に於いて(【言語學原論第三章】)、「言語《ラング》」が言語活動の單位であると述べてゐると同時に、又「言語《ラング》」が社會的所産であるといふことをいつてゐる。「言語《ラング》」は、聽覺映像と概念との結合であると考へる限り、それはソシュール自ら述べてゐる如く、純心理的實在である。そして、それが一歩進んで、「言語《ラング》」が社會的所産であり、個人に外在するものであると定義される時、我々は愼重に、批判的にその論理の迹を辿らなければならない。その間の論理の經緯は、彼の遺著を通しては、確實に追求することは私には困難に考へられる故、今は論述の便宜上、社會的事實としての「言語《ラング》」の概念の成立を吟味し、飜つてそれが純心理的實在としての「言語《ラング》」と同一視して差支へないものであるかを考へて見ようと思ふ。この行方の方が、或はソシュール學説の成立過程それ自體に近いのではないかと私は想像するのである。
 ソシュールは、「言語《ラング》」を社會的事實として認識するに當つて、次の樣な過程をとつてゐる。
  言語活動に依つてかやうに結びついた個人間には、一種の媒體が出來るであらう。彼等は皆、同一概念と結合した同一の――と正確には言へまいが稍同一に近い――記號を再造するに違ひない(【言語學原論二八頁】)。
ソシュールに於いて「言語《ラング》」の認識は、各個人間に類似な言語單位と文法體系とが存在すること(75)が考へられた處に基いてゐる。かくの如き「言語《ラング》」、が社會的事實として認識されるのは、第一にそれか個人間の社會的交渉に原因すると同時に、社會的交渉を成就せしめる媒體と考へられるからである。そしてこの媒體は、個人的「言《パロル》」と如何なる關係に立つのであるか。
  言語は言語活動の社會的部分であり、個人を外にした部分である(【言語學原論三一頁】)。
こゝに「言語《ラング》」の外在性といふことが考へられてゐるのである。右の諸見解に於いて、第一に、個人間に同一或はそれに近い類似の記號が再生するといふことが如何なることを意味するかを考へて見よう。若し「言語《ラング》」をこの意味に解するなちば、それは個物を通し歸納せられた普遍的概念に相當するものであつて、宛も個々の「人」から歸納して得た概念「人」に等しいものである。それは認識的所産であつて、具體的な「人」と同列に實在すべきものではない。若し右の如きものに「言語《ラング》」の概念を限るならば、かくの如き同一記號の再生といふ現象は、條件的には個人間の社會的交渉といふことが考へられるが、本質的には個人銘々に共通に所有する、受容せられたものを整序する處の能力に基く。この能力こそ普遍的本質的のものであつて、それによつて各個人が殆ど同一に近い記號を再生し得るのであつて、社會的交渉といふことは、單にその色付けに過ぎない。從つて同一記號の再生といふことだけでは、未だ「言語《ラング》」を以て社會的事實であると斷(76)言する根據は薄弱である。ソシュールの述べる處を見れば、「言語《ラング》」が社會的事實と考へられる根據は、又別に存するものの樣である。ソシュールは、右の如く個人間に成立した共通的のものを、單に個物に對する概念と考へず、個人間に成立した一種の媒體であると考へることによつて、「言語《ラング》」に外在性と實在性とを與へようとする。但し、こゝには著しい論理の飛躍が存することに注意しなければならない。各個人間に同一記號が再生されるといふことは、受容者の能力に基くことであつて、これを共通的なもの統一的なものとして考へるのは觀察的立場に於ける認識の結果である。かくして成立した「言語《ラング》」なる概念が、直に個人間の思想の傳達をなす媒體であると考へたことは、認識的所産を實在と考へたことになるのである。個々の具體的のものと、その概念との關係に於いて見るべきものを、個々のものと、それに外在するものとの關係に於いて見たことは、「言語《ラング》」の外在性と實在性とを主張する根據とはなつたであらうが、私はその論理に疑を挾むものである。
 先づソシュールが「言語《ラング》」を一種の媒體であると考へたことから吟味して見たい。こゝに媒體といふ語は充分嚴密な意味で使用されなければならない。さもなくば、或は言語活動といふ個人間の交渉に於いて、甲の口から乙の耳に何か實體的なものが飛込む樣に考へられ易いからである。(77)處が言語活動に於いて思想の傳達をなす處のものは、かゝる實體的なものではなくて、實は甲と乙との間に働く物理的生理的心理的な繼起的過程である。乙が甲より受容するものは、如何なる場合に於いてもこれ以外のものではない。言語を以て、意味を持つた音聲であると定義する處から、乙は甲から、音聲と共にそれに隨伴する意味をも受容する樣に考へられるであらう。しかしながら、乙が甲より受容するものは音聲だけであつて、甲から受容したと考へられる意味は、實は乙自らがこの音聲の聯合によつて喚起した處のものである。ソシュールの見解を檢するに、右に述べた、意味を持つた音聲としての言語觀に類するものを見出すのである。
  かうした社會的結晶は何に起因するか。其處に原因として働くのは循行の如何なる部分か。(中略)物理的な部分は雜作なく取除けられる(【言語學原論二九頁】)。
即ち概念と聽覺映像との聯合したもの即ち「言語《ラング》」が媒體をなすと考へるのである。嘗ては意味を持つた音聲が甲より乙に傳達されると考へられた。今は、「言語《ラング》」がそれに置き換へられたに過ぎないのである。ソシュールの見解が、古き言語道具觀の變形であることはこれを見ても明かである。ソシュールによつて雜作なく取除けられた物理的部分こそ、却つて個人間を結ぶ思想の傳達の媒體でなければならない。我々は如何に既知な言語に於いても、音聲の不明瞭な場合には、(78)意義不通であり、思想の傳達過程は中斷される。乙が甲と同樣な記號を再生し得るのは、言語活動の循行中に座を占めると考へられる「言語《ラング》」の力でもなく、又、意味を持つた音聲の力でもなく、實に、受容された音聲が、甲と同樣な概念を喚起し得る聯合の習慣を、乙が持つてゐるからである。かくして萬人に殆ど同一と思はれる記號の成立するのは、「言語《ラング》」それ自身か媒體としての職能を有するからではなく、生理的物理的過程を媒體として同一概念を喚起し得る習慣性が萬人の間に成立してゐるからである。かゝる習慣性の成立には、勿論條件としては個人間の社會的交渉といふことが必要であるが、本質的には、個人の銘々に、受容的整序の能力が存在することが必要である。從つて、ソシュールが、
  若し凡ての個人の頭の中に貯威された言語映像の總和を把握する事が出來たならば、言語を構成する社會的繋鎖に觸れるであらう(【言語學原論二九頁】)。
といつた言葉は、餘りに性急なデュルケムの社會的事實への「言語《ラング》」の近寄せといはなければならない。私をしていはしめるならば、個人の頭の中に貯藏された言語映像の總和を把握することが出來、そしてその樣は、同じ辭書を各人が一本づゝ所有してゐるのに似通うてゐる(【言語學原論四〇頁】)といふことがいはれるならば、それは、各個人の整序的能力の普遍性を證明するものでなければなら(79)ない。若し各個人間に於ける言語映像の差別相に着目するならば、それは整序的能力の差異といふよりは、その條件である各個人の社會的生活、體驗の相違に基くものであつて、それは言語の性質を規定するものである。從つて社會的といふことは、「言語《ラング》」の本質をいつたことではなく、「言語《ラング》」の性質についていふべきことである。それは、「言語《ラング》」に冠せらるべき幾多の修飾語の一であると思ふ。「言語《ラング》」が社會的事實であるといふことは、個より歸納せられた普遍概念を實在の如く考へる所から來る誤であり、「言語《ラング》」が個人間を結ぶ媒體であると考へることは、個人の普遍的整序能力を外在的なものに置き換へたことである。ソシュールが、
  言主の頭の中で、萬人に殆ど同一と思はれる印象が出來上るのは受容的整序能力の働きである(【言語學原論二九頁】)。
といつたことは正しい。この能力による所産を、直に媒體と考へ、これを社會的事實と考へた處に論理の飛躍を認めざるを得ないのである。
 
 「言語《ラング》」の外在性といふことは、主として觀察的立場に於いて考へられることであるが、「言語《ラング》」が社會的事實として考へられた別の重要な理由は、それが拘束性を持つと考へられた處から來るのである。拘束性といふことが、社會的事實の必しも絶對的の性質でないことは、タルド(80)Tarde のデュルケムの學説に對する批判にも見えてゐることであるが(註)、デュルケムに於いては、社會的事實の決定の標準と考へられた。
  註 Pitirim Sorokin,Contemporary sociological theories,p.466.ソシュールはいふ、
  言語は凡ての社會制度の中で、最も個人の創意に拘はれぬものである(【言語學原論一四九頁】)。
  集團が認めた法則は各人が受容すべき物であつて、自由勝手に協約出來る規則とは自ら選を異にすると云ふ事を、言語ほど能く立證して餘す所なきものはないからである(【同書、一四五頁】)。
拘束性は、主として言語の主體的立場に於いて意識せられる事實であつて、我々は、我々の周圍のものと殆ど同樣な手順を以て言語行爲を遂行してゐる所から、かゝる事實が何等か外部的な拘束力によつて實現されてゐるかの如く考へられるのである。社會的事實の絶對的性質が拘束性にのみ存在するのでないといふことは、その反對に、拘束性の存在が、必しも社會的事實であることの證明にならぬことを示してゐるといへよう。生理的現象に於いて我々が拘束を感じてもそれは社會的事實ではない。我々が言語の表現に於いて或る拘束を感ずるからとて、その全部を直に外部的な拘束力に歸することは出來ない。言語に於いて、最も明瞭な外部的拘束力――例へば、(81)假名遣の嚴守、漢字の制限、方言の矯正――の如きすら、時に甚しく無力なことがある。又例へば、我々が母語を語る時と、外國語を語る時とは、何れに於いて規範を感ずることが濃厚であるか、そして更にその結果を考へて見る時、我々の言語は、規範或は外部的拘束力の故に遂行されるのでないことは明かである。拘束性を形成する重要な要素の一として習慣性と技術性を擧げることが出來る。言語に於ける習慣性は、受容的整序能力の結果であつて、習慣に逆行した言語的表現は、それ自ら表現とは認められない。又技術性は、表現意識の滿足を得る爲に言語に加へられる處の改進的力である。「言語《ラング》」の統一性は、「言語《ラング》」それ自體に拘束性があるのではなく、言語行爲の習慣の普遍性が、「言語《ラング》」の統一を保つのである。それは受容的整序の普遍性が、萬人に同一記號を再生させることと相表裏してゐる。
 ソシュールが、言語に於ける社會的性質を認めたことは正しい。しかしながら、この性質を對象化して、言語活動の循行の中に切取つて、これを「言語《ラング》」として認識しようとしたことは大きな誤である。若しソシュールの言語理論が、社會的事實としての「言語《ラング》」の概念を建設することに性急であつたが爲に、言語對象の考察に、本項第二に述べた如き聽覺映像と概念との聯合といふ主體的作用から、直にそれらの聯合したものが、個人の外に實在する樣に考へる樣な飛躍があ(82)つたとするならば、それは言語學の理論の體系的組織にとつて惜しむべきことであつたといはなければならない。
 
       五  結
 
 以上三項に亙つて、私はソシュールの言語理論の中樞と考へられる「言語《ラング》」の概念について、主として彼の言語本質觀が如何なるものであるかを檢討して來た。今それらを要約して見るのに、彼にとつて言語研究の方法は、我々の經驗する具體的な言語を對象として、その本質を明かにし、その全貌を輪郭付けることではなくして、多質的混質的な具體的言語の中に、單位的なものを求め、それによつて具體的な言語を説明しようとすると同時に、かゝる單位的要素こそ言語研究の眞の對象であるとし、これを「言語《ラング》」と名付けた。言語《ラング》」は聽覺映像と概念との結合といふ純心理的實體として認められたものではあるが、それは何等言語主體との交渉のない社會的事實としての存在であつて、その存在形式は全く物的對象と異る處のないものである。從つて「言語《ラング》」は他の物體と同樣に、構成的構造を持つものである。「言語《ラング》」は、主體の用に供せられる時、始めて主體と關聯を持つて來るのであるが、この樣にして用ゐられる物と、主體とが如何にして交渉す(83)るかの點については何等明かにされてゐない。且つ又言語學の對象が「言語《ラング》」であるとしながら、具體的な觀察は、必ず「言《パロル》」に基かなければならないと論ずる處に大きな矛盾が認められるのであるが、それらは畢竟言語研究の對象に對する根本的態度に謬が存するのであると考へられるのである。ソシュールの理論は、その根本に於いて、言語の自然科學的客體化の所産であり、主知主義的觀點に立つ觀察の結果である。かくの如き言語本質觀に對して、言語過程觀は如何なる立場に立つものであるか。總論第一項より、第六項に亙つて述べて來た處のことは、言語の觀察に對する正しき態度、方法と考へられるものであつて、それらによつて、讀者は概略言語過程觀の成立すべき基礎を了解せられたことと想像するのであるが、かくの如き言語觀察の態度は、又古く我が國語研究中に胚胎する處の注目すべき思想であつたのである。私や言語過程觀を具體的に示す前に、古き國語研究の暗示する處の言語觀について述べて置かねばならないと思ふのであるが、それらについては、拙著國語學史(【岩波書店、昭和十五年十二月刊行】)全體がこれを示すであらうから、本稿に於いては一切これを省略することとする。
 
(84)       七 言語構成觀より言語過程觀へ
 
 ソシュールは、言語對象の分析に當つて、先づこれを構成的のものと考へ、言語よりその構成單位を抽出することを試みた。然るに言語は、その如何なる部分をとつて見ても、多樣であり、混質であることを發見し、こゝに對象を限定し、概念と聽覺映像との聯合を以て精神的實體であるとし、これを、それ自身一體なる言語單位と考へて、「言語《ラング》」と命名した。この分析過程は、その對象に於いては、純粹に心的なものを把握したけれども、その方法に於いては、明かに自然科學的構成觀の反映であるといつてよいと思ふ。この誤つた分析方法の歸趨は、次の事實に於いて一層顯著となつた。ソシュールに於いて摘出され、それ自身一體なる單位と考へられた「言語《ラング》」は、果して彼の考へた如く、一體なる單位であつたらうか。ソシュールもいふ如く、この「言語《ラング》」なるものは、概念と聽覺映像とが密接に結合されて居つて、互に喚起し合ふ處のものである(【言語學原論一三五頁】)。原文に於いては、
  Ces deux elements sont intimement unis et s'appellent l'un l'autre.(Cours de linguistique generale p.99.)
(85)右の定義に於いて、密接に結合されてゐるといふいひ表し方は、甚だ不明瞭な敍述であるが、私は「互に喚起し合ふ處のものである」といふ譯書の説明に從つて考へて行かうと思ふ。若し互に喚起し合ふ處のものであるならば、それは密接に結合されたもの〔二字右○〕ではなくして、概念と聽覺映像とは、繼起的過程として結合されてゐると考へなければならない。宛も、ボタンを押すことによつて電鈴が鳴るといふ現象に比すべきものである。言語がかゝる構造を持つといふことは、腦神經の解剖學的生理學的研究の證明する處によつても明かである。即ち聽覺中枢 Sensorisches Sprachzentrum,od.Werrickesches Sprachzentrum と、知覺された音聲に對應する意味を理解する中枢 Sensorisches Sprachgedachtniszentrum とは、大腦皮質部の相異る個處に比定せられる。言語に於いて、概念と聽覺映像とが、互に喚起し合ふ心理的現象は、生理的にはこの中樞間の傳導作用に置き換へることが出來る。そして更にこの繼起的現象であることの明かな證明は、此の傳導作用の疾患に於いては、言語の音は受容されるが、その意味を理解することの出來ない認知不能症 Agnosie、或は他人よりいはれゝば直にその名を思ひ出す健忘性失語症 Amnestische Aphasie 等の存在によつて明かにすることが出來る。かく見て來るならば、ヅシュールが摘出した「言語《ラング》」は、決してそれ自身一體なるべき單位ではなく、又純心理的實體でもなく、やはり精神(86)生理的繼起的過程現象であるといはなければならない。言語表現に於いて、最も實體的に考へられる文字について見ても、それが言語と考へられる限り、それは單なる線の集合ではなく、音を喚起し、概念を喚起する繼起的過程の一斷面として考へられなければならない。若しこれを前後の過程より切離して考へる時、それは既に言語的性質を失ふことになる。かくの如く、言語に於いては、その如何なる部分をとつて見ても、繼起的過程でないものはない。繼起的過程現象が即ち言語である。かゝる對象の性質を無視した自然科學的構造分析は、從つて對象の本質とは距つたものを造り上げることになる。ソシュールの「言語《ラング》」の概念は、かくの如き方法上の誤の上に建てられたものてあつた。
 既に述べて來た如く、具體的な言語からは、構成的單位は見出すことが出來なかつた。それならば言語は多樣であり、混質的であり、我々は言語に於いて、純一な學的對象を把握することが出來ないのであらうか。構成的單位を追求する限り、言語の學は、心理學、生理學、音響學等に分散せられ、その固有の對象を把握することは困難である。しかしながら、若し既に述べた如く、言語の對象に即して、言語の本質を一の心的過程として理解するならば、その過程に參與するものとして、生理的物理的等のものがあるとしても、その過程それ自體としては、他の如何なる過(87)程にも混じない、そして言語を言語たらしめる一樣にして純一な對象を見出すことが出來ると思ふのである。言語表現は、他の思想表現、例へば、音樂繪畫等に比較して、單に外部に表現せられる部分即ち音或は色等に於いて相違してゐるといふよりも、そも/\の出發點からして異つた方向をとつて現れる表現過程を持つ。これを明かにするには、言語過程に參與する種々な要素の一を除外して見ればよい。概念なき言語、音聲なき言語を我々は考へることが出來ない。即ち概念、音聲は、言語に於ける並列的構成要素として重要であるのでなく、言語過程として不可缺の段階であり、かくの如き過程の存在に於いてのみ、我々は言語の存在を意識することが出來るのである。未知の言語の音聲を聞いた場合でも、それが何等かの觀念に還元し得ると考へることによつて言語の存在は意識されるのである。
 過程的構造を以て、言語の本質と考へる時、「言《パロル》」を以て、言主による「言語《ラング》」の實現であるとする考方は訂正されねばならない。「言語《ラング》」は、言語活動に於ける繼起的過程中に位置を占める處の一部分的過程であるといふべきである。そして言語活動に於いては、概念に聯合する聽覺映像は、直に運動性言語中枢 Motorisches Sprachzentrum,od.Brocasches Sprachzentrum に傳達され、發音行爲となる。私が、前節に於いて、言語表現は限定的なものの非限定的表現であると(88)いつたことは、右の過程にも該當することであつて、表現素材である具體的事物は、概念過程を經てこゝに一般化せられ、更に發音行爲に移された時、音聲は全く思想内容と離れて外部に表出される。特定の象徴音を除いては、音聲は何等思想内容と本質的合同を示さない。これを合同と考へるのは、音義學的考である。例へば、
  物あれば必ず象あり。象あれば必ず目に映る。目に映れば必ず情に思ふ。情に思へば必ず聲に出す。其聲や必ず其の見るものの形象《アリカタ》に因りて其の形象なる聲あり。此を音象《ネイロ》と云ふ(【古史本辭經】)。
右の平田篤胤の考方の如きはその一例であるが、音聲は聽者に於いて習慣的に意味に聯合するだけであつて、それ自身何等意味内容を持たぬ生理的物理的繼起過程である。音が意味を喚起するといふ事實から、音が意味を持つてゐると解するのは、常識的にのみ許せることである。かく考へる時、「言語《ラング》」を「言《パロル》」の單位と認めることも、又「言語《ラング》」と「言《パロル》」の二の言語學の成立する理由をも認めることが出來ないのである。
 言語が、特定個物を、一般化して表現する過程であるといふことは、言語の本質的な性格である。こゝに於いて、一般的表現を以て如何にして特定個物を表現することが出來るかの表現法の問題と、一般的表現より、如何にして特定の個物を認知し得るかの理解上の問題が起つて來る。我々(89)が言語の音聲の聯合によつて理解し得るものは、先づ最初に一般的な概念である。例へば、「花が咲いた」といふ言語を聽いても、音聲「ハナ」によつて理解し得るものは、「花」の概念以外のものではない。その「花」が、特定の庭の、櫻であるか、椿であるかを理解し得るのは、文脈によるか、かゝる言語が經驗せられる現場によるか、或は話手が、「花」といふ語に加へた處の限定修飾語によるかしなければならない。このやうにして、音聲「ハナ」より溯つて、この話手が表現しようとした具體的な素材である一本の花を理解することが出來るのである。この樣に言語の受容に於いて特定個物の理解に到達し得る處から、直に言語が限定的に特定個物そのものを表現してゐると考へるのは大きな誤である。言語は如何なる場合に於いても一般的、概念的表現しか爲すことが出來ない。たとへ特定の現場或は文脈に於いても、「今、子供が死にました」といふ樣な切實な表現すらが、概念的一般的表現に過ぎない。聽手が話手の氣持に同情の念を起こすことが出來るのは、これらの一々の語が、特定の意味に限定されてゐる爲でなく、かゝる一般的概念的表現を通して、話手の具體的な感情を理解するからである。理解は、現場や文脈によるのであつて、これらの語自身が限定されてゐる爲ではない。バイイの文體論は、解釋に於いて到達し得た處のものを、「言語《ラング》」それ自身の能力の如く考へ、一々の語は、現場や文脈に於いて、種々なる色合が與へ(90)られるものと考へてゐる(【小林氏譯、生活表現の言語學、第三篇言語表現性の機構】)。この考に從ふならば、例へば、或る立場に於いて話手が、「悲しい/\」といふ時、この「悲しい」といふ「言語《ラング》」は、「言《パロル》」に於いて規定せられて、話手のあらゆる具體的な感情は、凡てこの語に盛られてゐると見なければならない筈である。然るに事實はこの逆であつて、悲しみを眞に具體的に表す爲には、話手は「悲しい」といふ語を用ゐる代りに、何故に悲しいのであるか、その理由や事情を巨細に説明し描寫しなはればならないのである。こゝに言語に於ける修辭の問題があり、描寫の問題があるのである。バイイのこの考へは、その根本に於いて、ソシュールの「言《パロル》」と「言語《ラング》」の二元論に出發し、「言《パロル》」を、主體の「言語《ラング》」に對する潤色或は立場による規定といふことを以て説明しようとしたことに基くのである。
 次に、私の言語過程觀をその最も基本的な形式に於いて圖示するならば、左の圖に於いて、※[波線]は遂行者より受容者への傳達過程であつて、純物理的過程である。素材は、具體的事物である場合もあり、表象である場合もある。第一次過程が存せず、概念が素材になる場合もある。後に述べる處の辭とは、素材より、第一次過程を經ず直に第二次過程即ち聽覺映像に聯合するといふ過程的構造を持つた處の語である。嚴密にいふならば、辭は素材の表現といふべきでなく、主體それ自らの表現といふべきであるといふことについては、各論第三章第二項に詳述するつもり(91)である。文字的表現は、聽覺映像より直に文字に移る場合と、一旦音聲的表現に移されて、然る後文字に移される場合と、更に聽覺映像或は音聲を經過せずして、概念より直に文字に移る場合とがあり得る。この場合は、文字といふよりは符號の性質を持つて來る。ソシュールの「言語」の概念は、第二次より第三次への過程を、平面的に、構成的に見たのであるが、實際の言語活動は、素材より第三次或は第四次に至る繼起的過程の繰返しの連續である。〔図は複雑過ぎるので省略、入力者〕
 言語は實に右の如き過程それ自體であつて、それ以外のものではない。そしてかゝる過程が成(92)立する爲には、主體と場面と素材の三の條件が必要であることは、總論第五項に述べた處である。從來の構成主義的言語學の問題が、專ら言語の構成要素に置かれてゐるのに反して、言語過程説に於いては、言語の過程的構造を中心として問題が展開するのである。それは言語の本質を心的過程と見る必然の歸結といはなければならない。過程的構造にこそ言語研究の最も重要な問題が存するのである。
 
       八 言語の構成的要素と言語の過程的段階
 
         一 文字及び音聲
 
 前項に述べた樣に言語の本質を心的過程であると考へて來る時、從來考へられて居つた言語の構成要素は、如何に考へるのが妥當であるか。この間題は、言語研究の各領域を、體系的に組織するについての基本的な問題であるといふべきである。
 構成主義的言語觀に從へば、言語はこれを構成する要素に分析することによつて、言語學の研究部門が規定される。言語構成の要素として、音聲と意味とを分つならば、こゝに音聲學、意味(93)學が成立し、文字も同樣に言語の構成要素と考へるならば、こゝに文字學が成立する。この樣な構成主義的言語學の體系に對して、言語過程説は如何なる體系を求めるであらうか。言語過程説は、その言語本質觀に基いて、言語は凡てその具體的事實に於いては、主體の行爲に歸着せしめられるのである。從つて、言語構成説に現れる言語の要素的なものは、凡て主體の表現的行爲の段階に置替へられなければならない。第七項に述べた樣に、吾聲的段階、文字的段階が即ちそれである。それらは主體の音聲發表行爲、文字記載行爲として把握されるのである。言語の構成要素を、過程的段階に置代へることが妥當であるか否かの結論は、一方言語過程説の當否を決する前提ともなり得ると思ふのである。次に私は右の點に檢討を加へて見ようと思ふのである。
 文字――文字は一般に、音聲をその中に包含してゐると考へられることによつて文字と呼ばれてゐる。成程、「か」といふ文字は、〔カ〕といふ音聲をその中に保持してゐる樣に考へられるかも知れないが、それはこれらの視覺的印象によつて喚起されたものを、視覺的印象自身が持つてゐると考へるに過ぎないのである。又文字は如何にして成立するかといふならば、如何なる文字も、主體的行爲である「書く」といふ働きなくしては成立し得ないものである。このやうに見て來るならば、文字は要するに、理解或は表現といふ主體的行爲の一段階として把握されなければなら(94)ないことが分る。從つて、我々が如何なる音聲を表したか理解出來ない樣な線の集合に出會つても、これが何等かの音聲を表したもの、何等かの音聲を喚起するものと考へられる時、これを文字であると認めることが出來るのである。若し文字自身が音聲を持つてゐるといふ風に考へるならば、それは主體的立場を無視した構成主義的考方であつて、具體的な言語經驗を對象とする限り、かゝる文字の存在を考へることは出來ない。漢字の如き意味を表す文字に於いても同樣であつて、「山」はそれによつて概念「山」を表出し、又これを喚起する處に表意文字としての特質があるのである。主體を離れて、意味を持つた文字が存在すると考へるのは構成主義的考方である。文字が、音及び意味を表出し、又これを喚起する處に本質があるといふことは、音樂に於ける樂譜が、それ自體に旋律を持つてゐるのではなくして、旋律を表現し、受容する媒介となるに過ぎないことと相似てゐる。この樣に見て來るならば、文字は、音及び意味を表出する主體の働の一段階として、又これによつて、言語的經驗を獲得する主體の理解作用の一契機として考へなければならない。文字は、發音し、讀むことの一の延長に過ぎないのである。言語過程説は、この樣に文字を專ら主體の自己表現の段階に於て把握しようとするのであるが、現實に我々が見る文字は、一定の延長を有する物的存在として考へられる。その點構成主義的言語觀が、これを言語の一構(95)成要素として把へることに理由があるのである。しかしながら、物的な文字が主體的表現の媒介の用に供せられる時、それはもはや、純客觀的な物的存在物でなくして、主體的活動の延長と考へなくてはならない。即ちそれは物をいふこと、換言すれば、發音による表現行爲の延長と考へて始めて文字の本質を把握することが出來るのである。そこに我々は文字をも言語の一部と考へる根據を求めることが出來るのである。このことは次に述べようとする音聲にも通ずることであつて、知覺的印象として一定の延長性を有する音の印象に音聲の本質が存せず、音聲は、發音する全行爲を把握しなければならないのである。今この樣な主體的側面を捨象して、文字を專ら讀まれるもの、或は書かれるものとして考へる時、文字は表現・理解の媒材であるといふことが出來るであらう。即ち文字は、言語的行爲の道具として考へられるのである。しかしながら、この樣に文字を物的に考へることは、文字の極めて抽象的な見方に過ぎないことは上に述べた通りである。一般に存する文字の分類即ち表音文字、表意文字の區別の如きも、決して文字を物的存在として把握してゐるのでなく、言語主體の表現過程に於て見てゐることは、表音とか、表意とかいはれてゐることでも明かである。文字を若し物的存在として考へるならば、そこには何等の分類基準をも見出すことが出來ないであらう。それは單なる線の集合と見るより外ないのである。
(96) 音聲――音聲把握を單に觀察的立場に於いてするならば、音聲は一の物理的現象として、又は聽覺的印象として把握されるに過ぎない。音聲の本質を音波と考へたり、或は我々が〔ア〕の音を聞いた時、〔イ〕の音を聞いた時に知覺される〔ア〕或は〔イ〕の音聲表象を以て、音聲研究の對象と考へるかも知れない。この時音聲表象は一定の延長を有するものと考へられ、言語構成觀はこれを以て概念の對者と考へ、言語の構成要素とするのである。かゝる觀察的立場に於ける音聲の把握に於いては、音聲と、自然の風或は水の音響とを本質的に區別することが出來ない。何れの場合に於いても、それは物理的であると同時に心理的であることに相違はないからである。右の觀察的立場に對して、音聲を音聲として觀察する爲には、主體的立場を必要とする。それは音聲それ自身が主體的表現行爲の一の段階だからである。即ちそれは、精神生理的な過程であるが故に、これを觀察的立場に於いて把握する爲には、先づ主體的立場に於ける音聲行爲の全過程を體驗することが必要である。このやうな手續きを踏まずしては、音聲を研究對象として把握することは出來ない。觀察者自身は音聲を把握し得たつもりであつても、實は自然的音響を把握したことにしかならないのである。自然的音響の認識に於いては、發音體とその振動及び音波の傳播の絶體を考へることによつて科學的認識に到達する樣に、音聲に於いては、主體的な音聲表象、發音行爲、及(97)びその音波の物理的性質等を綜合的に把握して始めて音聲認識に到達する。そしてそれは、全言語過程の一段階をなしてゐるのである。從つて、たとへ機械の力によつて再生された音聲であつても――ラヂオ、レコードの如き――それが音聲であるといはれる場合には、機械は單に發音行爲を助けるものとして聲帶や唇、舌等の延長の意味に於いて使用されたに過ぎないのであつて、それによつて、音聲が音聲としての本質を失つたと考へることは出來ないのである。この樣に見て來るならば、音聲は、文字が讀むこと、書くことに本質があると同樣に、主體的な發音行爲、聽取行爲に本質があり、主體的知覺印象としての音聲表象は、音聲の重要な段階ではあるが、右の樣な主體的行爲の段階の一斷面に過ぎないこととなるのである。音聲の分類基準も亦從つて發音聽取の何れかに存するのである。即ち、
  音聲表象の相違によるもの
   國語に於いて ア、イ、ウ、エ、オを區別し、カ、サ、タ、ナ、……等を區別するのは、音聲表象に放ける區別に基いてゐる。右の音聲表象といふことは、いふまでもなく主體的立場に於けるものであつて、觀察者が主體的立場を除外して、〔ア〕に〔a〕と〔※[発音記号のa]〕とを區別する樣なのとは異るのである。言語に於いて、母音幾個、子音幾個といふ樣にいはれるのは、右の如き主體的立場に於ける音聲表象によるものである。
  發音行爲の相違によるもの
(98)   發音の場所――口腔、鼻腔、唇、齒、舌等の音
   口腔の間隙――密閉、破裂、摩擦等の音
   聲帶の關與――有聲、無聲等の音
  音聲の知覺印象上の特質によるもの
   清音、濁音、
   促音、撥音、長音
   直音、拗音
音聲を右の樣に主體的な表現段階と考へるならば、これを物理的音響と區別することが可能となり、音聲を言語過程中の一段階と考へ、音聲自身の中に更に種々なる過程的段階を認めるならば、音聲は一方心理的表象とも考へられ、又生理的物理的過程とも考へられて、一般に考へられる樣な音韻論、音聲論の對立をも解消することが出來るのである。このことは既に總論第四項にも觸れたことである。
 
         二 概念
 
 言語の概念は、音聲の對者と考へられ、音聲と結合して言語を構成するものであり、一般に言(99)語の意味といはれてゐるものであるが、言語過程説に從へば、それは、音聲によつて喚起される處の心的内容である。こゝに概念といふのは、概念されたものの意味である。概念を内容的に、そして音聲と結合したものとして、要素的に考へるのは、言語構成觀の立場であるが、この見方に從へば、言語音聲の對者は、概念ばかりでなく、表象も同樣であり、又言語によつて表される事物そのものも同樣に、音聲の對者と考へなくてはならない。然るに、ソシュールは、「言語《ラング》」の内容を專ら心的なものに限定して考へたのであるが、若しこの樣に、「言語《ラング》」の内容即ち概念と、我々が表現しようとする素材的な事物とを對立させて考へるならば、この兩者が如何なる契機によつて結合すべきかを明かにしなければならないのであるが、ソシュール言語學は、この點について明かな説明を下してはゐない。しかも我々の具體的な經驗的言語は、專らこの「言語《ラング》」と、個別的な表現素材との關係の上に成立してたると見なければならないのである。私は、言語によつて表現せられる事物、表象、概念は、これを言語の素材として、言語を成立させる條件にはなるであらうが、言語の内部的な構成要素となるべきものでないといふ見地から、これを言語の外に置いたのである(【總論第五項素材、各論第四章意味論】)。それならば、言語の内容的なものとして何が殘るのであるか。しかしながら、言語が何等か内容的なものを持たねばならないと考へるのは、構成的見地であつ(100)て、言語はその樣に或る物を背負つて運ぶ處の傳達者として意味を持つてゐるのではなくして、譬へていへば、爲替の樣なものである。金錢は爲替に伴はれて持ち運ばれるものではなく、只相手方に金錢が支拂はれるごとが要求されるに過ぎないものである。言語によつて表現される素材は、爲替に於ける金錢と同樣に、概念であり、表象であり、事物であるに違ひないが、言語はこれらの内容から成立してゐるのでなく、これらを素材として、それに對する主體的把握の表現から成立してゐる。故に事物を先づ表現の根源的な條件とするならば、表現が成立する爲には、主體はこれを表象として心的内容に持込む必要がある。この際、表象されたものは、心的であるとはいつても、依然として主體に對しては、素材としての關係にあるが、表象作用そのものは、言語の一の段階である。次に素材は概念として認識されるのであるが、概念的思考過程によつて概念されたものは、これ亦依然として素材であるが、この變形された素材を造る思考過程即ち概念作用は、實に言語の一の段階である。この樣にして成立した概念は、更に發音行爲に移行されて、こゝに始めて言語として表出されることとなるのである。言語によつて或る事物や概念が理解されるのは、宛も爲替によつて金錢が支拂はれるのと同じ趣であつて、爲替は金錢が支拂はれるまでの手續きを示すに外ならないのである。爲替が時に金錢の代用として賣買に使用せられると同(101)樣に、言語が概念の代用の如く考へられることがあるが、それは常識的觀念としてのみ許されるに過ぎないのである(【各論第四章意味論の項に、猶この問題について論ずるつもりである】)。
 
       三 言語の習得
 
 言語構成觀に於ける言語の習得といふことは、ソシュールに從へば、個人が、概念と聽覺映像との聯合した「言語《ラング》」を腦中に貯藏することを意味する(【言語學原論改版本二四頁】)。我々の思想表現は、かくして貯藏された「言語《ラング》」を臨機に運用することである。これに對して言語過程觀に於ける言語の習得は何を意味するのであるかといへば、それは、素材とそれに對應する音聲或は文字記載の聯合の習慣を獲得することを意味するのである。從つて言語の習得は、貯藏ではなくして習慣の獲得であり、かゝる聯合を緊密に保持する處の努力である。例へば、小兒が四本足の動物を「ワンワン」と教へられたとする。この時、この小兒は、この動物と、「ワンワン」といふ音聲の聯合を教へられたのであつて、この樣なことを繰返すことによつて、この小兒は、この動物を指す必要が生じた時は、これを直に「ワンワン」といふ音聲に聯合さす處の習慣を獲得するのである。これが言語習得の第一歩であつて、それは、物と音聲との聯合したものを腦裏に貯藏したのではなくして、(102)物と音聲との聯合の習慣を獲得したのである。更に嚴密にいふならば、言語過程に習熟させられたのである。宛も樂譜の記載に從つて、直に音の高低が表象され、自らピアノの鍵盤に指が動く樣なものである。過程的な習熟であるが故に、或る場合には、物を見てもそれに聯合すべき音聲を忘れたり、音聲を聞いても物を思ひ出せなかつたりすることがあるのは當然である。又或る場合には、「白」をいひ表さうとして「クロ」といつたりするのは、不用意に聯合を誤つたのであつて、若し概念と音聲表象との聯合したものが腦中に貯へられてゐるとしたならば、右の樣な現象は絶對に起こり得ないことである。言語に對する習熟は、右の如く過程的聯合の習慣の獲得であるが、後にも述べる樣に、言語の過程的構造は、常にAに對してBを喚起するといふ樣な一定した單純なものばかりでなく、種々なる過程的構造があつて、表現目的の相違に相應して、これら種々なる過程的構造にも習熟する必要がある。最も簡單な例でいへば、人と對談する場合には、音聲を明瞭に、速度も過不及なくするといふことが大切であつて、それは、その場合に於ける言語の習慣によつて出來ることである。或は敬語を適當に使用するといふことも同じである。或は同一事物を時と場合によつて異つた言語として表現することも必要である。これら言語のあらゆる場合の表現に應ずる爲には、如何に多量の「言語《ラング》」を腦中」に貯藏しても何等の用もなさない。(103)言語過魂のあらゆる段階に對する(【例へば、音聲的文字的段階等】)過程的な熟練といふことが必要とされなければならないのである。言語過程に對する習熟といふことは、要するに言語の主體的表現行爲に屬する問題であつて、それは言語表現の根本を支配する生命力の機能である。言語過程説は、言語の過程的段階を考へると同時に、それは必然的に右の如き主體の存在を考へることとなるのである。言語の習得は、即ち言語過程に對する習熟を意味するのであつて、それは主體的表現行爲の實踐によつてのみ可能である。それが單なる語彙の記憶的蓄積ではないといふことは、國語教育の基礎的理念でなければならない。
 言語の習得は、言語過程への習熟であるが、言語過程の諸構造は、言語主體の表現の目的、及び言語に對する價値意識と、それを實現するに必要な技術を俟つて始めて成立するのである。次にこの間題について述べようと思ふ。
 
       四 言語に對する價値意識と言語の技術
 
 言語に對する價値意識については、既に總論第四項に述べたやうに、屡々觀察的立場に於ける價値意識と、主體的立場に於けるそれとが混同して考へられてゐる。即ち最も的確な觀察の對象(104)である現代口語の如きが、價値ある言語として、文語に優越してゐる様に考へられるが、我々が主體的立場に於いて價値ありと考へる處の言語は、それが観察的立場に於いて價値ありとされる言語とは必しも同じではない。言語に對する價値とは、これを主體的立場に於いて見るものでなければならない。例へば、東京の言語を自己の郷土の言語よりも優れたもの、美くしいものと考へる様なのがそれである。この様にして、標準語は一般方言よりも優越な位置に置かれるのである。又例へば、年長者に對しては、「私が行く」といはないで、「私が參ります」といはなければならないと考へるならば、この場合後者のいひ方は前者のそれに比して價値があると考へられるのである。祝賀の際に、不吉な言葉を愼むといふことも、そこに價値があると考へられるからである。又例へば、定家が詠歌大概に、「染2心(ヲ)於古風1、習2詞(ヲ)於先達1者誰人不v詠v之哉」といふ處を見れば、和歌の表現に於ける言語は、古人の言語に從ふのを以て價値ありとしたことが明かである。江戸時代に於ける擬古文の制作、或は言語を雅語と俚語或は俗語とに區別したことを見ても、そこには價値的意識の存在してゐることが明かである。この様な價値的考へ或は價値論に從つて、自己の言語をそれに習熟させようとする努力、或はさういふ目的の實現を工夫する虞から技術が考へられ、技術論が産まれて來る。標準語に習熟する爲に、そのアクセントを練習したり、(105)如何なる場合に如何なる敬語を用ゐるかを會得するのは、言語に於いて技術を練ることである。和歌に於いて古語に習熟する爲には、古語の用例、語と語との連結の實際を知り、又それを記憶しなければならない。技術の必要なことは、必しも古語や未知の言語に於いてばかりでなく、小兒に對して母親や教師が、「そんな言葉を使ってはいけません」と教へることの中に既に價値に對する辨別が教へられ、技術が授けられるのである。小兒が友人を罵詈するに適當な言語を見出さうとする時ですら、價値と技術の意識なしでは不可能である。社會生活が複錐になればなる程、人は益々言語に對する價値の意識と、それの實現に必要な技術が要求されるのであつて、國語なるが故に無雜作に習得出來るもの、又努力なくして表現出來るものと考へるのは甚しい誤解である。この様に價値と技術といふことは、言語に於ける最も本質的な要素の一といはなければならないのである。人はやゝもすれば價値や技術といふことは、文語的な表現や、未知な言語にのみ必要なことであり、口語は生得の言語であり、且つ自然の言語であるが故に、價値や技術のことは問題にならないと考へ易い。これは餘りに類型的な文語的表現の桎梏から解放せられた反動的な考方であつて、口語には寧ろ文語よりも複雜な立場の相違による價値の差等といふものの存在することを忘れた考方である。只技術の熟練によつて我々にそれが強く意識されないまでである。(106)この樣にして、價値及び技術を離れて言語は成立せず、價値及び技術こそ言語の生命であると考へられるのである。
 價値及び技術といふことが、言語の成立にとつては言語主體の機能として不可缺の條件であることは上述の如くであるが、現代の國語學はその研究問題として久しくこれを閑却して居つた。近代の言語學及びそれを繼承した現代の國語學が、言語に於ける價値と技術の問題を、專ら政策論教育論に讓り、それ自らはこれを對象として研究せず、輕視して來たことには、相當の理由が認められるのである。近代の言語學は、古典語偏重の舊言語學に代つて、その對象を今まで全く價値なきものとして捨て去られて居つた口語或は方言に求め、新らしい研究領域を開拓した。ここに近代言語學の輝かしい業績が生まれたのであり、現代國語學が舊國語學と全く面目を異にしたのもその點である。しかしながら、この一大轉換に於いて、若し研究對象としての價値と、我々が言語生活に於いて言語それ自身に意識する主體的價値意識とを混同して考へたとするならば、それは甚しい誤であるといはなければならない。次にそれらの點を檢討して見ようと思ふ。
 研究對象としては、文語も口語も、標準語も方言も、齊しく平等的な價値を持つものであるといふ主張は、勿論是認出來ることである。過去の言語よりも現代の口語に於いて、言語の本質な(107)り、特質を、より的確に觀察し得るとしたならば、口語や方言に研究對象としての價値があり、文語偏重といふことは、確に方法論的錯誤であつたといひ得るであらう。しかしながら、それは飽くまでも研究對象としての價値であつて、言語それ自身の持つ價値とは別である。バイイは古典學的言語學の不當を述べ、これに對して次の樣に批判を下してゐる。
  この當を得ぬ考へが如何なる誤謬を犯し、如何なる破綻に陷つたか、それは陳述の勞を取るだけの値打があらう。先づ第一は文語の禮拜である。文語の禮拜にはむろん口語の無下の蔑視が附物だ。それは俗語と銘打たれて卑まれた。しかし口語こそ眞(veritable)の言語《ラング》である。なぜなら唯一の生得(originelle)の言語であるから(【小林英夫氏譯、生活表現の言語學六〜七頁】)。
バイイは、研究對象としての價値を以て、直に言語それ自身の價値に置き代へようとした。眞の言語といはれることの背後には、眞ならざる言語が考へられてゐるからである。我々の言語生活に於ける俗語と雅語との價値の差等は、それが研究對象として價値を持つか否かといふこととは全然別個の問題である。これを譬へていふならば、珍奇な植物といへども、それが植物學の研究對象としては非常な價値を持つ場合でも、我々の生活に於いては一顧の價値すらない場合があると同じである。方言は、國語研究上如何程重要な價値があろうとも、我々の言語生活上それが標(108)準語と同樣に價値があるとは考へられないのである。時には方言は極力撲滅しなければならない場合すらあり得るのである。文語に對する見方も同樣であつて、文語が研究對象として不當に價値を認められて居つたことには缺陷があつたにしても、文語が口語とは異つた主體的立場に於ける價値に於いて認められて居つたことは、事實としてそのまゝ認めなければならないのである。近代言語學に於ける言語の自然的なもの即ち生得の言語の尊重は、一切表現に關する技術的なものの背後に、價値や技術によつて歪められない眞の言語が存在するがの如き考へを導いた。このことは、言語が言語學の興隆期に自然科學として研究され、又自然科學的であることに誇を感じたことの殘滓とも見られる。一例を擧げるならば、文字は言語表現の一の技術であるにも拘はらず、それが如何に言語の眞の姿を覆ひ隱したかを明かにすることが必要なこととされた。ソシュールは次の樣にいつてゐる。
  言語は、書とは獨立に、口傳を行ふものである。而も正確な口傳である。それを書形が幻惑して見せまいとするのである(【小林英夫氏譯、言語學原論五二頁】)。
この樣にして、ソシュールの自然的言語 langue naturelle の概念が生まれて來るのである(【同上書二八三、四〇三頁】)。こゝまで來れば、言語研究は、もはや全面的な言語現象のあるがまゝの考案を意味する(109)のではなくして、局限された自然的言語についての考察が主體となつて來る。若し言語現象の中から眞正な自然的言語が把握出來るならば、他の一切の現象は、皆それの變態的なもの、崩壞したものと看做されるといふのがソシュールの根本的な考であるらしい。これは少しく誇張に過ぎる解釋かも知れないが、右の樣な考方を辿れば、勢そこに落付かざるを得ないのである。言語に於ける價値や技術の問題が、言語學の當面の問題から影を隱す樣になつたのも、以上の理由によつて明かになつたと思ふ。このことは國語學に於いても略同樣なことがいはれると思ふ。
 私は以上の樣な國語學の傾向に對して、價値及び技術といふことを言語の本質的要素と認め、國語學は又その體系の中に價値及び技術を問題として取上げなければならないと考へるのである。そこで文語や文學的言語はもはや自然的言語の崩れでもなければ、歪みでもなく、それらは夫々に異つた價値意識と表現技術とによつて成立するものと考へられる樣になる。それらは、口語を基準にして、それにプラス何々として説明せらるべきものでなく、口語に比較して如何に異つた價値意識と技術とによつて成立したかを明かにしなければならない。文字は言語を拘束したり、歪めたりするものでなく、表現技術の一の結果として考へられる。從つて、表音文字は表音に價値を認めた表現であり、表意文字は表意に價値を認めた表現であつて、そこに自ら表現技術の差(110)異が現れてゐる。文語に於ける樣々な表現の技術、例へば、主語を加へ、修飾語を補ひ、句讀點を施すが如きことも、それが自然的言語から遠ざかつた不自然な形として考へらるべきではなくして、文語的場面といふ特殊な條件に支配せられた表現技術上の相違と考へなくてはならない。この樣にして、文語には文語特有の價値及び技術が認められ、口語には口語特有のそれらを見出すことによつて、國語學は極めて多角的な研究領域を見出すことが出來るのであらうと思ふ。これを譬へるならば、悲しみの氣持ちを、微笑を以て表現する日本人の態度が、悲しみを顯に表現する西洋人の態度に比して、何れが自然であり、何れが技巧的であるとも斷言することが出來ず、兩者共に異つた方法に於いて悲しみを表現してゐると見ることが出來ると同樣である。的確鮮明な描寫を意圖する歐文に技巧を認め得るならば、同樣にして漠然模糊たる平安朝文學の表現にも技巧を認め得るのである。我々はそれらの何れが眞であり自然であるかを詮索すべきでなく、それらの技巧の夫々の特質を明かにすべきことである。
 一般には、國語學は國語の政策論及び教育論の基礎理論として認められてゐる樣である。この兩者の關係は、理論と應用との關係であつて、力學が土木工學の基礎理論として考へられてゐるのに等しい。若し國語學が、眞の言語、自然の言語なるものを捉へ得るとしたならば、それから導(111)かれた理論は、政策論教育論の基礎理論として、言語の崩壞や歪みを正しく指導することが出來るであらうかも知れない。事實明治初期の國語政策論や教育論には、右の樣な考へが存したので、國語の眞の姿を口語或は方言と斷定し、文字は表音文字であることが自然であるかの樣に考へ、この自然的言語の理法を應用する處に、國語政策或は教育が指導せられるものと考へた。合理主義的見地は、國語現象の多くのものを、自然的言語の偏倚したものと考へ、それを除外する處に醇乎たる言語の姿を見出し得るものと考へた。それは宛も物理學者が複雜な自然現象を分析して、究極に於いて單純な物理的法則を見出して來るのに等しい。しかしながら、かゝる國語研究の見出したものは、國語の眞の姿であつたであらうか。それは、國語現象に切り捨て四捨五入を試みる樣なもので、多角形の角を悉く削り去り、圓が多角形の眞の姿であると考へるのに等しい。國語學が若し右の樣な見地の下にそれ自らの學の體系を組織し、それを以て政策論教育論の基礎理論であり、指導原理であることを主張するならば、それは政策論教育論にとつて甚だ危險なことでもあるに違ひない。それならば、眞に政策論教育論の基礎となり得る國語學とは如何なるものであらうか。こゝでもう一度理論と應用との關係を考へて見よう。土木工學の基礎學である力學の對象とする物理現象は、人爲を超越した無目的的自然現象として存在するものであつて、工學(112)的作業は必然的にこの自然現象を支配する物理的法則に反することは許されない。工學的作業は物理學の理論の應用によつて可能となるのである。これに反して、政策論教育論に對する國語學の對象とする國語現象は、實は同時に政策論教育論の對象となる處のものであつて、決して自然現象でもなく、又從來の國語學が目標とした自然的言語でもないのである。全面的な國語現象から歸納せられる理論のみが、政策論教育論の基礎となり得るのである。全面的な國語現象とは、最初に述べた樣に、價値及び技術を不可缺な要素として成立したものであつて、從つて政策論教育論の對象と、國語學の對象とは、單に立場の相違のみが存して、二者同一物でなければならないのである。この點絶えず自然現象に理論を仰ぎつゝ、これを人爲の上に應用する自然科學と應用科學との關係と全く相違して、人爲の上に理法を求めつゝ、又それによつて人爲を規定しようとする處に、國語學と政策論教育論との關係は成立する。これは文化科學一般に通じていはれることであらう。以上の樣な譯で、國語學の成立を俟つて始めて政策論教育論が起こるのではなく、國語學は常に價値及び技術の對象となる國語現象をその對象としつゝその理論を組織しなければならないのである。換言すれば、國語研究は國語の主體的立場を前提とすることによつて始めて可能となるのである。これは極めて見易い道理であるにも拘はらず、從來、國語學は、やゝも(113)すれば單元的な國語を、又醇正自然の國語を求めてそれによつて一切の國語現象を規定しようとした。それが明らかに自然科學的餘弊であることは既に述べて來た處で明かになつたことと思ふ。
 國語學と政策論及び教育論との關係を以上の如く考へ、國語學の眞正なる對象を右の樣に見て來る時、この兩者の關係は、更に仔細に觀察するならば次の樣にいはれると思ふ。政策論及び教育論は、それ自體既に國語現象に對する反省を含むものであるから、そこに學問的要素を多分に持ち得る。國語學は、その對象とする處のものが價値及び技術を要素とするものであることによつて、國語學の對象把握は、實際的言語活動と極めて接近して來る。國語學的體系は、換言すれば國語の主體的經驗の科學的組織を意味する。兩者は不即不離の關係に於いて始めて完成するものであつて、從つてこゝでは學〔右○〕と術〔右○〕とを分つことは寧ろ不自然でなければならない。一般に語學といふ語が、術と學とを兼ね意味することも、この語の使用法が亂雜である爲よりも、この兩者の概念が截然と區別出來ない處から來るものと思ふ。辭書の如きも一方から見れば、語の抽象的整理であつて、その點これを國語學的研究の一の成果であるといへると同時に、一方又それは言語的表現を成立させるに役立つ技術の具體化であるともいひ得る。假名遣は一方では語とそれの記載との關係についての研究であると同時に、記載法の技術を示したものである。本居宣長の詞(114)の玉緒の研究も、てにをは〔四字傍点〕の呼應の現象を研究したものであると同時に、擬古文に於ける技術の書として生まれたものである。明治以後の國語學が、學と術とを峻別して、例へば、教課文典と學術的文典とを對立させて科學的獨立性を確立させようと努力した反面に、言語の本質が價値と技術とに存することを忘れたことも見逃し得ない。私が過去の國語研究が國學に依存して發達して來た歴史的事實にも拘はらず、多くの價値をそこに認めた一半の理由はそこに存するのである。
 國語學の眞正な對象が、全面的な國語現象であり、しかも、それは價値意識及びその實現の爲の技術によつて成立する處のものであること、國語學の對象をこの樣に觀ずることによつて、それは始めて國語の價値及び技術論の基礎理論となり得るものであるが、この兩者の關係は、理論と應用との關係といふよりも、兩者は元來同一物の二面であることが明かにされた。術は學をその中に含むと同時に、學は又術を前提とすることによつて進展するものである。それならば、縷々述べ來たつた言語成立の要素である價値及び技術は、言語と如何なる關係に於いて聯繋を保つてゐるのであるかといふ問題に直面することになるのである。即ち價値及び技術が、國語の音聲なり、意味なりと如何なる關係に立つてゐるかといふことが明かにされて始めて國語の全貌が把握されるのである。又一方主體的な言語生活に於いても、この關係に基いて言語表現が規定され(115)るのである。價値及び技術の概念を言語の中に導入することは、既に言語學に於いては、目的論の名目によつて試みられてゐる。しかしながら、私の考へる處と、目的論の所説とはかなり逕庭のあるものであつて、それは要するに根本にある言語本質觀の相違に歸着するのである。私は先づ言語學に於ける目的論を批判しつゝ、次に私の考を言語過程説に基いて述べて見たいと思ふ。
 ソシュールは、社會的所産としての「言語《ラング》」と、「言語《ラング》」を運用する「言語活動《ランガージュ》」とを區別した。小林英夫氏は、「言語活動《ランガージュ》」に於ける「言語《ラング》」の運用に、更に目的概念を導入し、「言語《ラング》」を目的意識の所産であると考へた(【京城帝大文學會論纂第六輯、言語學に於ける目的論】)。價値の意識は、目的意識によつて決定せられ、技術は目的實現の手段であるから、目的論と價値及び技術論とは極めて近い概念であるが、小林氏の目的概念の導入は、ソシュール的言語觀への導入であり、私の價値及び技術の概念は、言語過程觀への導入である處に根本的相違がある。
 小林氏に從へば、目的意識の對象となるものは、個人の外に在り、社會的所産である「言語《ラング》」である。氏は次の樣な譬喩を以てこれを説明された。目的意識の對象となるものは、宛も列車を脱線させる目的の爲に線路上に横へた丸太の樣なものであつて、丸太は一つの目的の爲に使用されたものである。「言語《ラング》」も常に或る目的の爲に使用せられる。この考方に從へば、目的意識の對(116)象は「言語《ラング》」であるが、それが活動する場所は、「言語活動《ランガージュ》」でなければならない。「言語《ラング》」が、或る目的の爲に使用せられた丸太に比せられるならば、それは目的意識に於ける一の道具である。從つて、使用せられた「言語《ラング》」によつて或る目的意識の存在を知ることが出來るが、目的意識は「言語《ラング》」の中の要素とは考へることが出來ない。丁度丸太自身が目的意識を持たぬのと同じである。元來言語學に於ける目的論の登場は、機械的言語觀に代つて言語の歴史的變遷の事實を説明するが爲であつたのであるが、「言語《ラング》」自身を目的意識の對象である道具として考へる時、「言語《ラング》」が目的意識の爲に變容されるといふことは一體如何なることを意味するのであるか。勿論譬喩的に考へるならば、我々は都合の惡い道具を自己の目的に都合のよいやうに如何樣にも變形して使ふことがあり得るから、それと同樣に考へればよいといはれるであらう。しかしながら、譬喩は屡々物の本質を曲解させるものであるから、我々は何處までも言語それ自體の經驗に即して考へて行かねばならない。その時、目的意識による「言語《ラング》」の變容といふことは、如何に考へたならばよいであらうか。例へば、私が「山へ登る」といふ思想を表す爲に、先づ特定の山を表す必要から、「言語《ラング》」としての「山」といふ語を使用したとする。この時、「山」といふ語は、私の特定の目的の爲に特定の意味に限定されるといふのである。これが即ち「言語《ラング》」としての「山」に對す(117)る目的意識の介入である。若しこの樣にして「言語《ラング》」が特定の意味に變容されたとするならば、聽手はこの語を聞いて、直にその限定された意味を理解しなければならない筈である。然るに聽手は只「言語《ラング》」としての「山」か、或は自己の經驗によつて作り上げた「山」の概念しか得ることが出來ない。これは甚だ矛盾したことである。目的論的概念の導入それ自身甚だ適切なことであるにも拘らず、この矛盾した結論を導いたのは、畢竟するにそれによつて説明せらるべき言語觀の素地に無理があり、妥當を缺くものがあると考へざるを得ないのである。
 小林氏によるソシュール學説の目的論的修正は、要するに物として〔五字右○〕の「言語《ラング》」への目的意識の導入であつた。これに對して私は價値意識と技術の對象を事としての言語〔七字右○〕に置かうとする。こゝに事〔右○〕としての言語とは、ソシュールに於ける、「言語《ラング》」の運用としての「言語活動《ランガージュ》」と同じものを意味するのではなく、言語を專ら概念或は表象の、音聲或は文字に置き換へられる過程として觀ずる立場である。物の運用としての事〔右○〕でなく、内部的なものの外部への發動に於ける事〔右○〕である。從つて價値とは、話手によつて行爲される言語的表現に對する話手自身の持つ價値意識であり、技術とは、この價値ある行爲を實現するに必要な技術である。言語過程觀に從へば、言語は行爲の一形式であるから、それは飢ゑた人に同情して金を惠んだり、惡事を犯した者を鞭うつ場合の(118)行爲と同樣であつて、異るのはそれら行爲の形式である。人は常に自己の行爲に對して價値判斷をなし、金を惠むことが、その場合適當な行爲であるか否かを者へる樣に、言語的表現に於いても同樣な價値判斷をなす。例へば、同じ事實を表現するにしても、これを「食ふ」と表現するか「いたゞく」と表現するかを決定するのは、言語的行爲に對する行爲者の價値判斷である。發音も言語的行爲の一部であるから、時と場合により、明晰に發音することを價値ありと考へることもあれば、曖昧をよしと考へる場合もある。文字の場合についても同樣であつて、一點一劃を嚴にするといふ行爲も、やはりかういふ行爲を價値ありとする處から出て來るのである。そしてこれらの價値意識及び技術は、大體に於いて時代により處により統一せられる傾向があるが、それら類型的な表現過程によつては充分に目的が達せられない場合には、新しい價値意識が現れ、技術が工夫せられる。言語の歴史的變遷といふことは、これら言語過程の漸次或は突發的な變革によつて齎されるのである。右の樣に、ソシュール的言語觀に於いては説明に困難であつた目的論も、言語の史的變遷も、極めて容易にこれを説明することが出來る。例へば、假名の發達について見るに、假名は單に漢字の字形が崩壞したものであるといふことを以ては説明出來ない。假名に併行して現に多くの漢字が正しい字形に於いて使用されてゐるからである。假名が發生する爲(119)には、先づ漢字の表音的用法の成立といふことが必要である。この樣にして用ゐられる漢字は、殊更に一點一劃を嚴にする必要が認められない。大體の輪郭のみ寫せば事足りるといふ風に考へられて來る。これは記載に對する一の價値判斷である。この中にも漢字の省略をよしとする場合と、草體をよしとする場合とに分れて、こゝに片假名平假名が成立すると考へられる。技術はこれらの價値判斷に伴ふ實現の手段であつて、言語の全過程はこれに規定されて種々な形をとつて表れる。音聲の抑揚、明暗等皆これら價値と技術とに基くものである。
 以上私は、價値意識及び技術を、言語成立の不可缺の要素と認め、更に此の價値意識及び技術は、物〔右○〕としての言語に影響を及ぼしてこれを變容するのでなく、事〔右○〕としての言語的表現行爲を規定するものであることを明かにし、從つて、價値及び技術の言語機構に於ける聯關を明かにすることが必要であることを述べて來た。價値意識及び技術は、言語主體に屬することであつて、これを譬へれば舵手が、操艇について適宜な判斷を下し、艇員各自の能力を發揮せしめて舟を目的地に赴かしめる樣なものである。舵手は操艇の主體である。言語の觀察的立場は、右の樣な言語過程に參與する主體の價値意識並に技術を包含することによつて始めて具體的な言語を把握したといふことが出來るのである。
(120) 言語構成觀に對立する處の言語過程觀より分析される處のものは、以上の如く、一方には言語素材の表現の段階として表象、概念、音聲、文字の如きものであり、更にかゝる主體の過程的發展を促す處の原動力である主體の價値意識及び技術である。言語は實にかゝるものの踪合せられた一の統一的行爲の全體であるといふことが出來る。
 
       九 言語による理解と言語の鑑賞
 
 言語構成觀に從へば、「言語《ラング》」は、聽覺映像と概念との結合であり、個人を外にした社會的存在である(註)が故に、「言語《ラング》」をかく觀ずる限り、言語による事物の理解といふことは、言語研究の本質的領域には屬さない。
  註 總論第六項ソシュールの言語理論に對する批判參照
 言語による理解といふことは、「言語《ラング》」が言語活動に於いて運用された時に問題になり得るのであつて、それは「言語活動《ランガージュ》」に屬することである。これに反して、言語過程説に於いては、理解(121)は表現と同時に言語の本質に屬することである。我々の具體的な言語は、表現し、理解する處の主體的行爲によつて成立するのである。
 私は前項に於いて、構成的言語觀に於ける要素的なものを、過程的言語觀の中に位置付けることを試みた。更に進んで言語による理解といふことが、言語過程觀に於いては、如何なる事實を意味するかを明かにしたいと思ふ。ソシュール言語學に於いて、「言語《ラング》」による思想の表現といふことが如何なる事實をいふかは、總論第六項第三の中に觸れて置いたことであるが、再びこの點を顧みようと思ふ。「言語《ラング》」が「言語活動《ランガージュ》」に於いて運用される時、「言語《ラング》」はその意味が限定されるといふのである。そして聽手は、かくの如き限定された「言語《ラング》」を受容することによつて、特定の個物を認識理解することが出來る。これがソシュール學に於ける理解に對する説明である。例へば、一物理學者が、
  地球は廻る。(A)
といつたとする。それは一般的命題であつて、概念以外に何ものをも表現しない。處が、ガリレオが裁判官の前に立つて、情熱と確信に燃えて、
  地球は廻る。(B)
(122)といつたとする。(B)の場合の「地球」「廻る」等の語は、(A)の場合の語よりも限定されてゐると考へるのである。しかしながら、この説明は事實に合致するであらうか。ガリレオに於いては、「地球」も「廻る」も特殊の表象であつたであらう。しかし、これを言語に表現するには、物理學者の一般的命題の表現と同樣、非限定的に、概念的に表現せざるを得ない。私が何等の知識もなくして、(B)の場合の表現を受取るならば、それは(A)と何等異るものでないことは明かである。(B)の場合の意味が、特殊の個物に限定されてゐると考へるのは、文脈に於いて、或は他の知識を以て、話手の立場を聽手が補足して考へるからである。「言語《ラング》」の運用によつて思想の表現が行はれるといふ立場に立つならば、「言語《ラング》」が運用された時、それは特定の意味に限定されてゐると考へても差支へないのであるが、聽手の受容し得るものは、單に音聲或は文字であつて、限定された「言語《ラング》」ではない。聽手は彼自らの主體的な聯合作用によつて、これを或る特定事物に結合して理解するに過ぎないのであるから、事實上「言語《ラング》」が特定個物に限定されてゐるといふことは、聽手の理解にとつては無意味なことなのである。若し特定の意味に限定された「言語《ラング》」が、話手甲から聽手乙に流入する樣に考へるならば、それは神話的比喩以上の何ものでもないのである。從つて、私をしていはしめるならば、ソシュール的考方とは正反封に『一切の言語(123)的表現は、具體的個別的なる素材を、非限定的に一般的に表現することである』と。若し「言語《ラング》」が運用された時に於いて限定されるのであるならば、言語に於ける限定的技巧、即ち修飾語による語の装定、その他一切の描寫は無用の長物でなければならない。「言語《ラング》」が「言《パロル》」に於いて限定されると考へるのは、「言語《ラング》」に於ける意味と音聲とを構成的に見る處から來る誤である。或は「言《パロル》」を「言語《ラング》」の實現と見る言語道具觀から來る誤である。このことを更に實例に即して述べて見ようと思ふ。私が今、机の上に一册の特定の本が存在してゐることを表さうとするのに、
  机の上に本〔二重傍線〕がある。
といふ。この場合、本〔二重傍線〕といふ語が、一册の特定の本に限定されて用ゐられたと考へるのはソシュール的考方である。しかしながら、事實はさうではない。話者は目前の一具體的素材を、先づ本〔二重傍線〕といふ概念に於いて把握する。次にこの概念に聯合する「ホン」なる音聲を以て表出する。この過程は、明かに、限定されたものを、非限定的に表出することであり、特定的なものを一般的に表現することである。從つて、聽者の受取るものは、音聲を通しての一般的な本の概念である。如何なる本であるかは、對話の場合ならば、話者と聽者の直接的な現場が決定することもあらう。若しこの語が、單に文字によつて傳達された場合は、聽者は只本〔二重傍線〕なる概念を想起するか、或は自(124)らの經驗から、種々なる本を想像するに止まるであらう。本の具體性を決するのは、この本〔二重傍線〕なる語それ自身には存しない。即ち本〔二重傍線〕は限定的に使用されたのではなくして、一般化の表現である。若しこの際、シシュールの考方に從つて、具體的な一册の本を表すに、一般的な本〔二重傍線〕なる語を使用したと解するならば、何故に個別的な事物を表すに一般的な本〔二重傍線〕なる語が選ばれたかを説明しなければならない。本〔二重傍線〕なる語が選ばれるには、具體的な事物が、本〔二重傍線〕概念として先づ把握されることが必要である。かく考へて來るならば、たとへソシュール的見地に立つとしても、表現素材である具體的本は、本〔二重傍線〕なる語の使用に先じて概念化されなければならない。若しさうでないならば、具體的事物は、如何なる場合に於いても「言語《ラング》」の使用を促す契機を持たないことになる。若し右の樣な場合、同じ事實を話者が、
  机の上にもの〔二字二重傍線〕がある。
といつたとする。もの〔二字二重傍線〕なる語が、特定の本に限定されたと見るべきであらうか。それは寧ろ、特定の本が、話者に於いては、本〔二重傍線〕として概念されず、更に廣い概念もの〔二字二重傍線〕として考へられ、それが言語として表出されたものと考へなければならない。便所を表すに「御不淨」なる語を以てした當初は、恐らくこれを直接に表現することを忌んで、更に別個の概念「不淨」に於いてこれを把握(125)し、これを音聲を以て表現したのであらう。「不淨」なる語が、「言《パロル》」に於いて便所の意味に限定されたと見ることは全く當らぬことである。かく見るならば、「不淨」なる語が選ばれた理由は全く無意味になつてしまふ。凡ての忌詞は、限定されたものを非限定的に表す言語表現を、更に誇張して意識的に行つたものである。そこに、直接に事物を指示することを避けようとする忌詞としての生命があり、又かく解することによつて話者の心理も捉へることが出來るのである。平安朝女流文學者の表現法に、屡々右に述べた樣な事實の著しい例を見るのであるが、これを特定的なものの一般化的表現と解することによつて、平安朝文學の精神とも合致したものを見出すことが出來るのである。
 以上の説明によつて、讀者は恐らく次のことを了解せられたであらうと思ふ。ソシュール的考方に從へば、「言語《ラング》」の運用といふことが問題になる。私に於いては、言語(【私はこれを心的過程と考へる】)を通して表現せられる過程即ち言語表現自體を問題にしようとするのである。これを理解の側からいふならば、ソシュール的見地に於いては、限定された意味を持つた「言語《ラング》」の受渡しといふことによつて理解が成立すると考へる。これに反して、言語過程説に於いては、先づ聽手は音聲を受取り、これを彼が習得した聯合の習慣によつて或る概念に結合し、更にこれを文脈や立場に從つて或る(126)特定個物に結付けてこゝに理解が成立するのである。語手と聽手との間には、從つて常に共通的な一般的なものが必要とされるのであるが、言語が常に概念過程を經過して表現されるといふことは、理解を成立せしめる上に必須の條件であるといはなければならない。
 以上の樣に、ソシュール的見地と言語過程説の見地とを對立させて見るならば、ソシュール説の發展であるバイイの文體論の趣旨も自ら明かになつて來ると思ふのである」バイイの文體論は、「一言語が使ひこなす表現手段を研究すること」(【小林英夫氏言語學方法論考五七頁】)であつて、それは「言語《ラング》」の使用に關することであり、「言語《ラング》」の研究を主體とする言語學の本質的領域には屬さないものである。私は寧ろ主體的な言語表現及び理解を言語の中心問題に据ゑようとするのである。何となれば、それが言語に於いて最も具體的にして且つ本質的な事實であると考へられるからである。「言語《ラング》」を使ひこなす表現手段の研究といふ文體論が、「言語《ラング》」を運用する處の主體の研究に向つて行くのは當然であつて、そこに「言語《ラング》」の運用を通しての話手の心の反映といふことが考へられてゐるのである。しかしながら、こゝでは、「言語《ラング》」は單に論究の資料にしかなり得ない。そして又一方、觀點的差別を取除いたならば、文體論は一般の文法研究と何等異る處はない。バイイに於ては、「言《パロル》」は「言語《ラング》」の具體的實現だからである。個別的表現の特質の研究を目標とする文體論的方法(127)と、普遍的表現形態の研究を目標とする文法論的方法とは、一般科學に於ける方法即ち個別的認識と普遍的認識との二つの方向でしかあり得ない。その何れか一方のみでは學は構成され得ない。
 ソシュールよりバイイへの展開は、こゝに更に新しい見地を齎した。それは、「言語活動《ランガージュ》」を以て、「言語《ラング》」 の運用と考へ、その運用を通して話手の生命力が表現されるといふ見地から、これを研究する處の文體論は即ち言語の美學的研究であるとされたのである。小林英夫氏はこれを次の樣に説明してゐる。
  我々の考へる言語美學的作業はむしろ好んで流露(時枝補、小林氏に從へば、流露とは作者の意圖を越え、意圖の背後にあつて無意識裡に作者を示して了ふ働きをいふ)に眼を向け、流露の具體的實證的調査に基いて、作者の性格を突きとめようとするにある(【國語教育講座言語美學】)。
  文體論または言語美學といふものは、かの骨相學、手蹟學と共に性格學の一つの方法乃至部門と考へることが出來よう(【同書】)。
右の小林氏の説明によつて明かな樣に、文體論は言語美學と同じものであり、それは「言語《ラング》」の運用を通して話手を知ることであるとされたのである。私は今このソシュール説の展開について全面的に檢討を加へて見ようと思ふのである。バイイの、「言語活動《ランガージュ》」を以て「言語《ラング》」の運用である(128)とする説に對しては、既に私見を述べたので、更に進んでかくの如き文體論的研究が、言語美學といはれる理由が何處にあるか、又それが妥當であるかを考察して見ようと思ふ。一般に文學並に藝術の如き美學の對象について、それらを通して作者を知るといふことは屡々行はれることであるが、それは文學並に藝術それ自體の理解を助ける一の方法として試みられるのであつて、或る作品の背後にある處の思潮なり理念なりの研究は、それだけでは、美學的研究を構成し得ないことは明かである。文學なり藝術なりの美學的考察は、文學藝術を通してでなく、文學藝術それ自體を一の全體として研究することによつて始めて可能となるのである。同樣にして言語の美學的研究は、言語全體を考察の對象としなければならない筈である。藝術は美であることによつて藝術たることが出來るのであるが、言語は、言語として存在する爲に、必しも美を必要としない。言語美は從つて言語の一の屬性に過ぎないのである。それならば、言語の美は如何なる種類のものであるか。言語の美が、單に文字の視覺的美や、音聲の聽覺的快感に存しないことは明かである。勿論それらも言語の美の一の要素とはなり得るが、言語の美の本質的なものはやはり言語的體驗に伴ふ處の美的快感でなければならない。從つてそれは、我々が言語を表現し理解する際に持つ所の言語に對する意識である。我々は、或る言語を價値ありと考へると同樣に、或る言語を(129)美とするのである。そこで言語美學の出發點は、我々が如何なる言語を美として表現し、美として理解するかといふことを考へることになければならないこととなるのである。
 我々は屡々ある語を美しい言葉と感じ、猥雜な言葉と感ずる。これらの事實は何に基いてゐるのであらうか。音相の美醜が美的評價の根據となるのであらうか。それとも言語の表出する素材の美醜に據るのであらうか。我々は醜と感ずる同一事實を表出してゐる二の異つた語に於いて、一を不快と感じ、一を不快と感じない場合のあることを屡々經驗する。例へば、兼好は、
  和歌こそ猶をかしき物なれ。あやしのしづ山がつのしわざも、いひ出づればおもしろく、おそろしき猪のしゝも、ふすゐの床といへばやさしくなりぬ(【徒然草第十四段】)。
といつてゐるが、おもしろくやさしく感ぜられるのは、語によつて表現せられる素材の故ではなかつた。「おひらき」といふ語が、宴席の終りを意味するならば、目出度い席上に於いても、この語が意味する事實そのものの故に、當然この語も禁忌されねばならぬ筈である。神域に於いては、「僧」といふ語が禁ぜられてゐたにも拘はらず、僧を意味する「髪長」といふ語は何等禁忌されることがなかつた。同一の事實を意味するにも拘はらず、一の言葉をよしとし、他を不吉とするのは何故であらうか。或る事實に對して、「おめでた」(【結婚姙娠出産】)といひ、「さはり」(【月經】)といひ、「いたづ(130)ら」(【不行跡】)といひ、人はこれらの語が、特に如何なる事實を意味するかを知悉してゐる場合でも、かくの如き語を通じては、何等の不快も羞恥も醜惡も感ずることなく、寧ろ安易な氣持ちを以て思想を交換することが出來るのは何故であらうか。これは、明かに美醜快不快の根據が、言語の表出する素材に存しないことを語るものである。それは、宛も文學の美的鑑賞の根據が、作品の素材の美醜善惡に存しないと同樣である。言語に對する美的鑑賞が、何を根據として行はれるかといふならば、上に述べた樣な言語の構成要素である音相或は素材に對してではなく、それは言語自體、換言すれば言語過程自體を對象として行はれるのである。宛も一の堂塔の美的鑑賞が、堂塔の成立を促した信仰生活によるのでもなく、音樂の鑑賞が、それが表出する感情々緒の高尚卑賤の別によるのでもなく、堂塔それ自體、音樂それ自體の上に生ずる美的形相にあるのと等しい。若し言語美學なるものが成立するならば、かくの如き言語過程全體を對象として發動する美的鑑賞の事實の考察であり、かゝる美的艦賞の根據となる言語の過程的構造の種々なる形式の探求であり、更に根本に溯つて、かくの如き過程的構造を規定する話者の美的規範の意識の探求でなければならない。從つて言語美學は、一方に美的鑑賞の理論の研究を主とする形而上學であると同時に、かゝる鑑賞の根據となる言語の過程的構造の實證的研究、換言すれば言語の科學的研(131)究それ自體の中に足場を見出さなければならない。私が目標とする處は、形而上學を出發點とする下へ向つての考案でなく、右の如き言語自體に足場を置き、それより上へ向つての言語美の理論的組織である。
 言語主體に於いて、美意識の成立する爲には、美の具現者が一の統一體であることが必要であることは、一の彫刻の美の鑑賞に於いて、その彫刻が他より切り離されて一の全體であることが必要であるのと同じである。言語の美の鑑賞も、語を一單位とするか、文を一單位とするか、或は文の集合である一の文章全體を單位とするかによつて異らなければならない。語がその本質に於いて過程的構造を持つ處の主體的表現行爲であると考へるならば、語の美は正にかゝる行爲に備る處の美であるといふことが出來る。一般に美は、その構成的形式に於いて最も容易に鑑賞し得ることは、繪畫や、建築の鑑賞に於いて屡々經驗する處である。しかしながら、美はかゝる構成的なもののみに備るものでなく、運動の經驗に於いても存することは、山の輪郭や、幾何學的模樣を迹付ける際に經驗し得ることである。これらは猶視覺に屬することであるが、身體的運動の適宜な變化や繰返しによつても我々はそこに快適な感情を伴ふ美を意識することが出來る。音樂のリズムや汽車の動搖の如きその適例である。これらは外界のリズムや動搖に美があるのでなく、(132)これらに刺戟される身體的運動に美意識の根據のあることは一般に知られてゐることである。語の美は、右の場合と同樣に、主體的行爲の中に成立するものであつて、言語過程の種々なる構造形式による心理的生理的物理的の段階によつて、そこに美的なものと然らざるものとが現れて來るのである。それらの具體的な事實については、これを各論第六章に讓り、こゝでは、言語美學の對象が言語の過程的構造、即ち主體的な表現行爲自體にあることをいふに止めて置かうと思ふ。
 言語による理解の問題に關聯して、思想と言語との關係について一言して置きたいと思ふ。構成的言語觀に從へば、言語の音聲に對應するものは、概念であり、廣くいつてこれを思想内容であるといふことが出來る。それは、私が總論第五項に述べた處の表現の素材に相當するものであり、一般には意味といはれてゐる。既に述べた樣に、構成的言語觀に於ける思想の理解といふことは、音聲形式の對應者である處の概念を理解することであり、ソシュール學に於いては、「言語《ラング》」を通して現場に於ける事物を理解することである。理解といふことは、一應右の樣に説明し得るのであるが、この説明は次の樣な場合には適用することが出來なくなる。例へば、皮肉ないひ方で、馬鹿な行爲をさして、「お利口な事です」といつたり、「人がいゝ」といつたりした場合、(133)我々が「お利口」や「人がいゝ」の概念内容をそのまゝに理解したのでは眞の理解に到達したとはいひ得ない。勿論そのまゝに受取ることも可能であるが、その場合には所謂「眞《ま》に受ける」といはれるのである、そこでこの理解の仕方の二の區別が、如何なる理由に基くのであるかといふことは言語構成觀では説明出來ない。或はこれらの場合には、夫々の語が文脈上から特別の意味に限定され、「利口」は「馬鹿」を意味し、「人がいゝ」は「愚か」を意味するといはれるかも知れないのであるが、若もその樣に文脈が語を臨時的意味に限定してしまふものであるならば、何故に殊更に「馬鹿」を「利口」と表現し、「愚か」を「人がいゝ」と表現したかその理由が明かでなくなつてしまふのである。これらの事實を明かにする爲には、先づ言語に於ける思想といふものが如何なるものであるかを明かにしなければならない。先づ考へなければならぬことは、言語によつて表現せられるものは、素材そのもの換言すれば素材の模寫ではなくして、素材に對する思考過程であるといふことである。故に言語は客觀的眞のみを表現するものとは限らない。事實寒くない場合でも、「今日は寒い」といふ表現が成立することが可能なのである。斷言することが出來ない樣な事實に對してさへも、「明後日は必ず出來上ります」といふことが出來るのである。これらの表現は客觀的に見て眞の事實の表現とはいひ得ないには違ひないが、言語としての本質に(134)缺ける處があるかといふにさうはいふことが出來ない。これらの表現は僞つた事實を表現してゐるにしても、それは確に一の思想を表現してゐることに間違ひはない。この樣にして、言語の表現するものが、客觀的事實そのまゝでなく、客觀的事實を一度主體を濾過して思考せられたものの表現であるといふこと、更に嚴密にいへば、素材に對する思考の仕方そのものの表現であるといふことは、言語の理解を考へる上に重要である。そこに「白」を「黒」として表現する場合と「白」を「黒」といつて猶「白」を表現しようとする樣な場合とを區別する必要があるのである。從つて、我々は言語に於いて單に表現せられた素材を理解するばかりでなく、素材が如何にして思考せられたかの過程を理解しなければならないのである。言語に於ける思想をいふ時、これらの過程全部を包括して考へなければならない。言語が概念の表現であるといふことは、主體の素材に對する概念作用の表現を意味するのであつて、言語が事物そのまゝの模寫でないことを示すのである。こゝに言語の表現力の融通性といふことが考へられると同時に、言語を通して事物そのものを理解するについての困難が横つてゐるのである。言語構成觀は、言語の思想内容を專ら素材、或は概念作用によつて概念されたもの〔二字傍点〕にとつた爲、言語の説明を甚しく困難にさせた。一例を擧げるならば、「三角形」(A)と「三邊によつて圍まれた圖形」(B)との相違についてであ(135)る。この二の表現は客觀的に事物そのものに即していへば、同一事物であつて區別することが出來ない。單語と連語を、その思想内容から區別しようとすれば、その區別の根據を見出すことが出來ないのである。然るにこの(A)と(B)とは、これを思考過程の上から見れば、著しく相違するのであつて、(A)は事物を統一體として求心的に把捉してゐるのに對して、(B)は統一體を分析して遠心的に表現してゐる。(B)の思想内容は、實は三角形そのものでなく、「三邊によつて云々」の素材に對して分析された思考過程であるといはなければならない。こゝに語としての性質上の相違が認められるのである。忌詞、隱語、皮肉といふ樣なものも、音聲によつて、直接に或る事物を理解させずに、他の別の概念を通し、或は何等かの手續を經て間接的に事物を理解させようとする處に、それらの語の本質を見出すことが出來るのである。即ちそれは表現過程であり、思考過程であり、語としての過程的構造形式の相違に歸着するのである。言語に對する美的鑑賞といふことも、これら思考過程の反省、體驗によつて可能となるのである。
 
       十 言語の社會性
 
(136) 私は言語の本質を専ら主體的な表現過程と考へ、その見地に立つて、言語を個人の外に存在し、個人に對し拘束力を持つ社會的事實であるとする考に異議を述べて來た(【總論第六項第四】)。しかしながら、この私の見地は、言語が個人の隨意に、如何樣にも創造され變形され得るものであるといふことを認容したのでなく、只言語の具體的な存在が、個人の主體的行爲以外に無いものであることを主張したのである。それならば、言語が各個人の任意によつて變更することが許されないといふ事實や、集團の言語習慣に違背する時には嘲笑されるといふ樣な事實は如何に説明されるべきであるか。
 この間題に答へるためには、最初に、言語表現の目的について考へる必要がある。言語は一般には我々の生活上の或る目的を實現する爲に使用されるものと考へられてゐる。「帽子をとつて下さい」といふ言語表現は、帽子を自分の處に持ち來たらす手段であると見るのである。「悲しうございます」、といふのは、相手に自分と同樣な感情を起こさせて共感を求める爲であるとするのである。これらは言語を一種の道具と見る考方で、我々の日常の行爲には、これに類したものの幾許かを數へることが出來るであらう。旅行をするのは、親戚の危篤に馳付ける爲であり、夜中人家に忍込むのは、財物を盗む爲である。これらの行爲は、日給意識に對しては、手續き、手(137)順、或は道具の關係になつてゐる。言語の目的は、しかしながら、以上の場合と同樣には考へられない。例へば、獨語で「あゝ寒い」といつたり、或は或る事件をひそかに記録する樣な場合であつて、表現せずにはゐられないといふことの爲に言語が成立する場合がある。「水が飲みたい」といふ表現は、「水を一杯呉れ」といふ要求を實現する手段であるよりも、先づ自己の希望を表現してゐるのである。この樣に考へて來れば、言語の目的は、第一次的には或る自己の欲求を滿足させたり、人に要求したりすることの爲に使用されるよりも前に、自己の内なる思想内容を外に表すことに本質がなければならないことが分るのである。即ち言語は、内なるものを外に表すことに第一次的な、目的があり、そしてその實現が言語であるといふことが出來るのである。前に擧げた旅行や家宅侵入の例では、旅行や侵入が、それ自身完結した目的の實現ではなくして只他の目的を實現する手段に過ぎないのである。處が繪畫や音樂や舞踊に於いては、自己の内なる感情や思想を外に表すことに於いて、それらが實現するのである。或る目的の爲に繪が描かれたり、音樂が作曲されたりすることは考へられるとしても、それが繪畫となり、音樂となる爲には、目的そのものは何の關係もないことである。繪畫や音樂はそれ自身固有の目的を持つてゐるのである。言語に於いても同樣であるが、この樣な目的觀は、構成的言語觀からは生まれて來ない。ソ(138)シュールの「言語《ラング》」は、主體的な目的意識とは離れた個人の外にある存在であるとされてゐる。「言語《ラング》」は、主體的な表現行爲の目的に使用せられる道具に過ぎないのであつて、それ自身は合目的な所産であるとはいふことが出來ない。そこに「言語《ラング》」を社會的媒體であるとする考が生まれて來る譯である。しかしながら、「言語《ラング》」を社會的媒體であるとする考へ方は、「言語《ラング》」に個人的創造を許さず、外部的拘束力を認めるといふ點から、假説的に豫想することは許されても、具體的な言語の觀察からは認めることが出來ないといふことは、既にソシュールの批評に於いて述べた處である。言語の目的は、内を外にし、主體を表現する處にあるといふことは以上述べた通りであるが、表現といふことは、同時にその反面に、聽手に理解されるといふことを含んでゐるのである。それは言語が他の藝術的表現と著しく相違する點であつて、或る場合には、表現意識を犧牲にしても了解の目的を達成しようとすることが強い。了解を考慮するといふことは、場面について考慮し、主體が場面に融和しようとする態度である。場面に對する考慮とか、場面への融和といふことは、既に總論第五項に於いて述べた樣に、造型的表現に於いて著しいことであつて、例へば、一の壁畫の製作に當つて、これをそれが置かれるべき寺院の構造に融和させる樣なものであるが、猶その外に、人の死を悼む場面に悲愴な曲を奏するといふことも同樣に場面への融和(139)である。右の樣な場面的制約は、言語に於いても同樣であり、或は猶それ以上著しいことである。一般に藝術的作品は、作品それ自身に於いて獨立的に理解され鑑賞されるものであるが、言語に於いては常に場面的な制約が著しい。言語に於いては、聽手の了解し得る表現をなすことが、先づこの場面への融和として考へられるのである。例へば、小兒に對して「イラッチャイ」「イクチュ」などと話しかけるのは、即ち聽手による了解を目的とした場面への融和であると考へられるのである。母が子に對して自分自らを、「お母さん」といふ樣な敬語的表現も、子供の世界に對する場面的融和を意味してゐる。言語を只管表現素材の餘す處なき表現に於いてのみ完成を見ようとすることは正しくない。言語に於いては、屡々素材の的確な表現を捨てても場面に合致した表現をとらうとすることがある。言語の不可缺な存在條件である場面に對する主體の顧慮を考へることは、言語の眞相を把握する所以であり、又言語の社會性を明かにする足場であるといはなければならない。この樣にして、聽手並に聽手を含めた場面一般に對する顧慮から、方言を捨てて標準語に準據するといふことも行はれるのである。文法に從ふといふことも同樣である。封建時代に方言の對立が劇しかつたことから、謠曲の言語が他郷の人との會話に使用されたといふ樣な事實が傳へられてゐるが、それも同樣な理由に基くのである。これは聽手の側について見ても同(140)樣であつて、言語の場合に於いては、聽手が勝手に自己流に話手の言語を理解することは許されないのであつて、努めて話手の意を汲み取ることを心懸ける。それは、言語に於いては、言語を通して話手の思想内容を理解するといふことが重要なこととされるからである。この樣にして言語の受授は、甲乙の間に必然的に言語の平均運動を齎し、同一事物に對しては甲乙間に同一音聲を以て表現し、同一音聲に對しては同一事物を了解するといふ習慣も成立せしめるのである。このことは、後に述べる處の國語及び日本語の概念を理解する上に極めて重要な事柄である。甲乙丙……に同一習慣が成立したことは、必しも甲乙丙……各個人の間に「言語《ラング》」なる實體が成立したことを意味しない。又言語に於いて認められる拘束力は、我々に外在する處の「言語《ランク》」並にその法則にあるのではなくして、言語表現を制約する處の主體的な表現目的及び了解目的にあるのである。我々が他人の了解を求めようとする意識なくして、或は他人を了解しようとする意識なくしては、我々の間に共通した言語習慣が成立することはあり得ない。「言語《ラング》」の外在性と拘束性は、要するに言語に必然的に備る右の樣な主體的意識を外界に投影したものに外ならないのである。以上の樣に万人に同一言語過程が成立するといふことは、本來言語主體に要因が存するのであるが、これを規定するものは、人間の社會生活である。地域的な割據、職業的な差別、階級的(141)な對立によつて、種々なる通語に分たれる。それらを言語の社會性といふことが出來る。
 言語が社會的に制約を受けるといふことは、言語の性格の一面であるが、これを社會的事實の典型である處の法律と同樣に考へて、言語主體と切離して、社會の言語といふものを實體的存在として考へることは出來ない。或る社會には、その社會の成員にこれを強制する言語が存在してゐるからとて、男子が女子に向つて語る場合に、女子の言語を使はなければならないといふことはない。學生が長上に對して學生同志の言語を用ゐることも許されない。言語の社會性といふことは、必しもその社會に存在する言語を考へることではなくして、もつと主體的な動的な言語事實を考へなくてはならないのである。それには社會といふものを、平面的な靜的なものとしてでなく、言語主體の身分として、對人的關係として考へなくてはならないのである。總論第五項に述べた言語の存在の諸條件は又それらの問題を考察する足場となり得ると思ふのである。前例の女子の言語の如きも、これを女子の社會に於いて使用せられる言語と考へるよりも、女子としての身分立場を表現するものと見るべきである。學生が長上に對して學生仲間の言語を使用することが許されないのは、その時學生は學生としてではなく、子弟として、後輩としての立場の規定を受けるからである。兵隊の言語といつても、兵隊の社會に固定した言語がある譯でなく、兵隊(142)としての身分の表現として使用せられるものがあるのである。又或る社會に存する忌詞、隱語の如きも、本質的にはその社會に存在する言語として意味があるのでなく、その社會の成員が、その特殊な主體的立場から、言語の場面に制約せられて、直接的な表現を避けたり、他人に聞かれまいとする表現目的の所産であつて、それらは忌む語、隱す語である處に本質があるのである。第三者の眼から見て同一事物と見られるものも、その社會の成員にとつては、特殊な意味に把握されねばならぬ處から、異つた言語として表現せられるのである。例へば、學生仲間の「閻魔帳」の如きもので、これも表現素材に對する教師とは異つた學生としての立場に基くのである。この樣に言語の社會性といふことは、特殊なる社會層や階級層に存在してゐる言語ではなくして、場面や素材に對する主體の身分的階級的意識の表現であると見るのが至當であり、從つて言語の社會性の觀察も、これを主體的立場にその根據を求めることが出來るのである。
 
       十一 國語及び日本語の概念 附、外來語
 
 國語及び日本語の名稱が如何なる内容を意味するかについては、拙著國語學史(【昭和十五年十二月、岩波書店刊】)序説(143)第一項に述べたのであるが、論述の順序として、その要點を述べるならば、國語學、國語學史等に於いて使用せられる國語〔二字右○〕の名稱は、日本語〔三字右○〕と同義語に使用せられてゐると見るべきである。この樣に一般的に使用せられる國語の名義の外に、國家の標準語或は公用語として考へられてゐるものを、國語と稱することがあるが、それは狹義の用法である。嚴密には、狹義の國語の名稱のみを保存して、日本語全般をいふ場合には國語の名稱を用ゐず、單に日本語と稱し、國語學、國語學史の代りに日本語學、日本語學史と呼ぶのが適當であるが、今便宜上從來の習慣に從つて、國語學、國語學史の名稱を用ゐることとする。そこで國語即ち日本語を如何に定義すべきであるか。私は從來屡々行はれた國語は日本國家の言語或は日本民族の言語であるとする定義を斥けて、國語即ち日本語は日本語的性格を持つた言語であるとしたのである。以上は拙著國語學史に述べた國語の定義の概略であるが、こゝに問題とすべきは、日本語的性格なるものが如何なるものであるかといふことである。この間題を明かにする前に、私はもう一皮、ソシュールの「言語《ラング》」の概念を顧みたいと思ふのである。「言語《ラング》」はソシュールの定義によれば、
  言語は、言の運用によつて、同一社會に屬する話手たちの頭の中に貯藏された財寶であり、各人の腦髓の裡に、一層精密にいへば、一團の個人の腦髓の裡に、陰在的に存する文法體系である(【言語學原論二四頁】)。(144)從つて、日本語は一の「言語《ラング》」であるといふことが出來るのである。「言語《ラング》」は一方からいへば、概念と聽覺映像との結合である處の心理的實體であるが、他方又かゝる結合體の總和をも意味するのである。然るに又「言語《ラング》」の個別的實現を「言《パロル》」としてこれに對立せしめてゐるので、「言語《ラング》」は個別的な「言《パロル》」に對しては一般的概念であるとも考へられるのである。しかるに、ソシュールは、これを特殊的個物に對する一般的概念とは見ず、社會に根據を有する獨立した實體であると考へるのであるが、それについては、既にイェスペルゼンが批判を加へてゐる(【イェスペルゼン、人類と言語日本譯一四頁以下】)。私は專ら前者の「言語《ラング》」を以て個人個人の腦裏に貯藏された概念と聽覺映像との結合體の總計であるとする考方に從つて、日本語の概念を見て行かうと思ふのである。我々個々人は、勿論國語の語彙或は文法法則の全部を知悉し實現してゐる譯ではない。從つて日本語といふ時、それは個々人の語彙と文法々則の總計でなければならないと一應は考へられるのである。「言語《ラング》」が個人に外在するといふ考方もかくして現れて來るのである。右の樣に、日本語を數量的に見て、これを個人の言語の總和であるとする考方は、「言語《ラング》」を、概念と聽覺映像との結合體であるとすることから必然的に導かれて來る考方であつて、この考方に從ふならば、我々は日本語の一部を分有してゐるに過ぎないのである。我々の日々見る處の新聞や小説その他の文章は日本語の一部に過ぎない(145)のである。しかしながら、以上の樣に見ることは果して正しいであらうか。若し一個の概念と聽覺映像との結合體が「言語《ラング》」であり、その總和も「言語《ラング》」であり、共にそれは實在體であるとするならば、それは當然部分と全體との關係にならなければならない筈である。そして我々の經驗し得るものは、國語の一部分に過ぎず、我々は國語の總計といふものを一の全體として對象的に把握することが出來ないのであるから、畢竟國語學は成立し得ないといふ結論に到達せざるを得ないのである。しかも我々が國語の一局部のみを取扱つて國語學が可能であると信ずるのは何故であらうか。植物學者が一個の櫻の花をとつて、しかも櫻の花を定義し得るのは何故であるかを考へて見るのに、それは個が普遍を表してゐると考へるからである。即ち一個の櫻の花は櫻の花全體の一部分ではなくして、櫻の花の代表者と考へられるからである。右の論理は、日本語を個人の語彙の總和と見る限り、適用することが出來ない。然るに事實として、我々は個人の一語をとつてこれを外國語の語に、對立させて、これを日本語の語として認識してゐるのは何故であらうか。この事實を説明する爲には、構成的言語觀を捨てて、過程的言語觀に立たなければならない。語を概念と聽覺映像との構成體と見るかぎり、そこに日本語としての語を他の「言語《ラング》」から區別する根據を見出すことは困難である。日本語の特性は、實にそれが表現せられる心理的生理的過(146)程の中にこそ求めなければならないのである。我々の研究對象とする具體的言語に具備する心理的生理的過程は、その過程的形式にこそ日本語的性格が具現されてゐるが故に、その限りに於いてこれを日本語の語として認識することが出來るのである。敬語は日本語的特性を持つてゐるといはれてゐるが、これを若し、構成的に見るならば、何等他の語と區別せられる根據を見出すことが出來ない。これを特殊なる概念把握とその表現と見て始めて日本語的特性を考へることが出來るのである(【各論第五章參照】)。“ink”といふ外國語も、これが“inki”として國語の文法組織或は音聲組織の中に實現されるならば、それが既に日本語的に性格付けられてゐるといふ意味で、これを國語化したといふことが出來るのである。古來この樣にして多くの外國語が國語の中に混入したことは我々の既に經驗した事實である。そして我々がその起源について特に知識を與へられなければ、主體的にはこれを本來の國語と見て怪しまないのである。インキやシャボンやビスケットを外國語と見て國語と認めないといふ樣な意見は、起源的に國語を純化させようとする國語政策上の問題に屬することであつて、日本語が如何なるものであるかを論じようとする今の問題とは別である。この樣にして日本語は、日本語的な過程的構造と、その結合である文法組織によつて決定せられるのであつて、それは決して日本語の語詞の總和から成立してゐるのではない。換言(147)すれば、國語或は日本語は、特殊な主膿的言語機能とそれによる言語的實現を指すのである。國語を右の如く專ら言語過程の形式によつて定義付けようとすることは、從來も文法に關しては屡々いはれたことである。多くの漢語を混用しながら、それが國語文であるといはれる重要な根柢は文法にあるとされたのである。しかしながら、國語を國語たらしめるものは、文法形式ばかりでなく、リズム、アクセント、音聲に於いても明かに國語的形式をいふことが出來るのである。私が日本語的性格といつたのは、右の如き形式に外ならないのである。この性格は、民族や國家と相伴ふものでなく、社會生活の伸縮によつて民族や國家をも超えて行くものであり、又この形式の同一といふことによつて、國語の歴史的認識といふことも可能なのである。國語學はかゝる日本語の性格を把握し、記述する處にその使命があるのである。
 
       十二 言語の史的認識と變化の主體としての「言語《ラング》」の概念
 
 言語の史的認識は、觀察的立場に於いてなされるものであつて、主體的立場に於いては、言語は常に體系以外のものではない。主體的言語事實を、排列した時、そこに變化が認められ、しか(148)もそれが時間の上に連續的に排列される時、そこに歴史的變遷を認識することが出來るのである。歴史的認識は方言的認識に對立するものであり、後者は時間に對して、方處的に認められる變化である。共通することは、それが觀察的立場に屬することであつて、主體的意識に屬しないことである。これに反して、主體的意識に於いて認められる處の言語の異同の現象は、これを通常變化と呼んでゐる。「咲く〔右○〕」が、「咲か〔右○〕ない」となり、「咲け〔右○〕ば」となるのは語尾の變化であつて、これを歴史的變遷とはいふことが出來ない。「買つ〔右○〕て」を「買う〔右○〕て」といふのは、方言的差異であるが、同一主體に共存する場合には、方言的差異とは異つた、文體的意義を持つて來る。同樣に、「咲きて」を「咲い〔右○〕て」といつた場合、主體的意識としては前者を文語的表現、後者を口語的表現と考へるのであるが、この樣に主體的意識に共存した場合には、これを文體的變化といふべきであつて、歴史的變遷とはいひ得ない。これに反して、一方を古代語の表現、他方を現代語の表現と認めるならば、こゝに歴史的變遷の認識が成立することとなるのである。この樣に、客觀的に見て同一と思はれる二の現象が、同一主體に於いて共存する場合は、文體的差異となり、然らざる場合には歴史的變遷或は方言的差異となるといふことは注意すべきことである。言語の歴史的認識は、言語の史的變遷といふ事實によつて生ずるのであるが、それならば史的變遷の主體は何(149)であり、又何によつて史的變遷は生ずるのであるか。史的認識は、具體的な言語の時間的な比較對照から生まれるものであるから、史的認識の根源は個々の具體的な言語事實の中になければならない譯である。こゝに於いて、具體的な言語の變遷といふことが、如何なる事實であるかを明かにしなければならない。言語構成觀は、「言語《ラング》」を主體を離れた心理的實體の樣に考へ、「言語《ラング》」を、變化を受ける處の主體の樣に見るのである。「言語《ラング》」の構成要素である聽覺映像の變化が音の變遷と呼ばれるべきものであつて、具體的な個々の音聲は、一囘毎に消滅するものであるから、これには變遷といふことが認められないとするのである(註)。
  註 金田一京助博士國語音韻論第二章第一節(三三頁)に次の如く述べられてゐる。
    「音聲は、飽くまで生理・心理的活動の所産であつて、人間が生まれてから死ぬまで、毎日繰返して發してゐるが、その度毎に止むもので、これには歴史がない。音韻はそれとちがつて歴史がある。」
    小林英夫氏言語學通論第四變遷(一九一頁)にも同樣に、
    「變化に襲はれるのは實にこの音韻觀念である。唇の上の生理的音聲ではない。それゆゑ變化の座は腦裡にあり、口先にはない。」
この樣にして、音聲に對する音韻といふ觀念が現れて、音韻觀念の變遷によつて言語の音韻史が成立すると考へられる樣になつた。變遷といふことを考へる場合に、變化の主體が必要であると(150)考へ、この主體を個人を離れて恆常的な存在を保つ「言語《ラング》」或は音韻に求めたといふことは、一見道理の樣に思はれるのであるが、少しく仔細に觀察する時、そこに不合理な點を見出さない譯には行かない。これを自然の風化作用による變化の如きについていふならば、一個の岩石が次第に分解し、他のものに變ずる時、變化の主體は岩石であり、岩石が變化に襲はれるのである。しかしながら、同樣のことが、言語にも適用出來るであらうか。これを他の例について考へて見るに、文學作品の變遷或は歴史といふことは何を意味するのであらうか。それは、作品甲が次第に形を變じて次の時代に作品乙に成つたことを意味するのではない。作品甲は一の主體的活動によつて完結し、出來上つたものであり、乙も亦同樣である。この甲乙兩者を時間の上に排列した時、そこに異同が認められ乙の成立が甲によつて制約されたことが知られるとする。これが即ち作品の變遷と呼ばれる處の事實である。美術史でも同樣に、一の繪畫が次第に變化し變形して他の繪畫となつたのではない。歴史的變遷は凡て右の樣に考へなければならないのである。歴史的變遷は、主體を媒介とする處の個物と個物との制約聯關から成立してゐる。言語音の變遷も亦同樣である。例へば、「こゝだ〔右○〕」「こゝら〔右○〕」の二語をとつて見る。甲時代に於ける主體一般は“da”と發音してゐた。乙時代になると、調音部位が次第に後退した結果“ra”と發音される樣になつた。(151)この二語は、同一事物を表す同一語であるものが、單に音聲行爲の移動によつて異つた語の樣になつたのであるから、これを同一語の音の變遷と認めることが出來る。dがrに變ずるといふことは、黒色が次第に褪せて鼠色になる樣なものではなく、甲乙兩時代に於ける言語主體の發音行爲の移動に基くものである。歴史的認識の根據は、全く個々の具體的な言語事實に存すると考へなければならない。從つて、歴史的變遷の原因は、これを主體的意識とその言語的實踐に歸着させることが出來る。即ち或る時代のd音の發音部位がr音の發音部位に移り易い傾向を持つてゐる時、聽手はこれをrの音聲表象に聯合し、自ら發音する時は、rの調音法をとる結果右の樣な甲より乙への變遷の現象が起こり、遂に全く他の發音部位に移つてしまふのである。しかもこれらの場合、主體的には何等の變遷をも意識されないのである。
 この樣に言語音の變遷を考へて來るならば、特に音聲に對して、音韻を變化の主體と考へる必要がないばかりか、音韻が變化に襲はれるといふことは、事實に合致しないことであつて、單に常識的に比喩的にのみいひ得ることである。ソシュール學派は、歴史的變遷を、自然科學的個物の變化の概念によつて考へようとした緒果、「言語《ラング》」の概念がこれを説明するに極めて適切の樣に考へられたのであるが、それが妥當でないことは以上の如くである。言語史の基礎觀念としても、(152)言語を過程的構造に於いて把握することは重要である。それによつて、言語を自然科學的偏見より救ひ、文化科學の中に位置せしめることが出來るのである。言語の方處的差異についても同樣なことがいひ得る。それらは、過程的構造を持つ言語の具體的事實の上に加へられた觀察的認識である。本論は、專ら主體的意識に於ける言語の體系について論ずるので、歴史的變遷及び方處的差異は、本論の第二段の展開として將來の考究に俟つこととしたのである。
 
(153)   第二篇 各論
 
(155)     第一章 音聲論
 
       一 リズム
 
         イ 言語に於ける源本的場面としてのリズム
 
 國語のリズムについては、今日未だ充分な研究が盡されてゐない樣である。詩歌のリズムについては若干の研究があるが、詩歌のリズムそのものは、リズムの美的群團化の所産であるからして、それを以て國語の基本的なリズム一般を推すことは困難である。もつと國語の基本的なリズム形式の本質が明かにされねばならない。一般には、言語のリズムは、音の連鎖の中に現れる屬性として考へられ、從つて音聲學に於いては、單音より進んで最後の章節がこれに充てられ、或は普通の音聲學に於いては、これを省略するのが常である。それはリズムが音聲美學の領域に屬するものと考へられてゐるからである。か〜る群團的リズム形式を問題の出發點として、そして詩歌を資料としてこれを歸納しようとする場合には、リズムは言語に備はる一の客觀的形式と考(156)へられるが故に、かゝる形式を規定する單音或は音節或は音節數が先づ明かにされねばならないと考へられるかも知れない。しかしながら、この考察の手順ははたして正當なものであらうか。勿論客觀的形式と考へられるリズムは、實はリズム經驗の縁であつて、リズムそのものは心理的な内面的な起源を持つものであることは佐久間鼎博士も説いて居られる處である(【日本音聲學六七八頁】)。コフカは、この心理的起源を、音、光の感覺並に筋肉運動の背後に存する「内的發動性」に求めた(【同書六八〇頁】)。内的發動性といふことが如何なるものであるかの探求は、純粹心理學上の問題であつて、今の私の當面の問題ではない。さりとてこの内的發動性のあらはれであるリズム形式の結構を調査することも、又リズムの本質を明らめる所以ではないと思ふ。私の今の問題は、言語に於けるリズムの本質如何の問題である。心理的對象としてでなく、又客觀的形式としてでもないリズムの本質とは何であるか。リズムを内的發動性に求めることは、リズムの心理的側面の研究であり、又リズムの形式を調査することは、リズムの客觀的側面を研究することであつて、未だリズムの具體的經驗そのもの、言語に於けるリズムの本質を明かにしたものではない。私はリズムの本質を言語に於ける場面〔二字右○〕であると者へた(【場面の意味については總論第五項參照】)。しかも私はリズムを言語に於ける最も源本的な場面であると考へたのである。源本的とは、言語はこのリズム的場面に於いての實現を外にし(157)て實現すべき場所を見出すことが出來ないといふことである。宛もそれは音樂に於ける音階、繪畫に於ける構圖の如きものである。かく考へて來る時、音聲の表出があつて、そこにリズムが成立するのでなく、リズム的場面があつて、音聲が表出されるといふことになる。音聲の連鎖は、必然的にリズムによつて制約されて成立するのである。更に進んでいふならば、單音の結合が音節を構成し、その上にリズム形式が現れるのではなく、逆にリズム形式が音節を構成し、音節に於ける單音の結合の機能的關係から、單音の類別が規定されるといはなければならない。かくして從來音響學的生理學的基準よりのみ見られた母音子音の類別に全然別個の解釋が與へられることとなる。この考方の變革は、從來單音より連音へ、更にアクセント、リズムへと、原子論的段階によつて組織せられた音聲學に全く逆の方向即ち、リズムより音節へ、更に音節より單音への組織を要請するものである。
 リズムを場面とする考方は、右の如く、音聲現象の説明に、從來と異つた方向を與へることとなるのであるが、一方、音聲のリズム的場面への表出は、そのリズム的場面の特質に從つて群團化が行はれる。この群團化の形式は、夫々の言語によつて異り、國語はその基本的リズム形式に從つて特殊な群團化を構成する。かゝる群團化のうち、我々の美的感情を滿足さす處のものが、(158)詩歌的リズムとして取上げられる。詩歌のリズムとは、換言すれば、我々の詩歌的表現に於ける特殊なるリズム的場面であるといふことが出來る。從來の詩歌のリズムを論ずるものは、かくの如く群團化されたものをリズムの單位と考へ、この單位にリズムの概念を適用して、説明を試みようとした。五音或は七音を單位として、それによつて國語のリズムを考へようとしたのは即ちそれである。音數律とは即ちそれであるが、この考から日本詩歌の最も普遍的形式である短歌形式或は俳句形式を説明することは困難の樣に思はれる。私は國語のリズムの基本的形式より見て、五音七音は、詩歌の進行的リズム形式の單位と見るよりも、詩歌の建築的構成的美の要素となるものであると考へたいのである。即ち音節數は、リズム的周期を以て美を構成するのでなく、3:4:5或は5:4:3或は5:7:5の如き、構成的美の要素として價値があるのではなからうかと考へる。このことは、やはり國語の基本的リズム形式より推論することが出來る樣に思はれるのである。以上の如く、國語のリズム研究は、一方音聲學の根本問題にまで下り、他方又文學的表現形式にまで展開するのであるが、それはリズムが言語の最も源本的な場面であることに因るのである。そこで先づ源本的な場面とは如何なるものを意味するかを明かにして置きたいと思ふ。
 場面の意味については、私は既に總論第五項に詳述したので再び繰返すことは避けたいが、一(159)二の例を擧げて場面の概念を具體的にして置きたいと思ふ。例へば、一の彫刻を創作しようとするものが、その創作に際して、それが置かれる場所即ち寺院の本堂にそれが置かれるか、應接間の壁の前に置かれるかを豫め考へたとするならば、この場所はこれに志向する作者の感情と結合して、一の場面を形造るといふことが出來る。そしてこの彫刻が、それらの場面に適合する樣に創作せられる時、それは作者に於いて場面的價値が考慮されたのであり、又場面が創作を制約したといひ得ると思ふ。場面とは實にかくの如く表現がそれ自らを擴充する處の素地であり、表現の實現する場所であるが、それは主觀を離れた單なる空間ではなくして、作者の何等かの志向によつて結ばれてゐるといふ意味でこれを場面といふのが適切である。從つて表現とは、これを換言するならば、主觀が自己を場面にまで擴充することであるといひ得るであらう。場面は表現に先立つて存在し、そして常に表現そのものを制約するものである。
 私は言語のリズムを場面の一種と考へた。しかもそれは言語に於ける最も源本的な場面であるといふ時、源本的場面とは如何なるものをいふのであるか。上に私はこれを音樂に於ける音階、繪畫に於ける構圖に比した。更に他に類例を求めるならば、それは所謂「型」に類するものである。舞の型〔右○〕、劍術の型〔右○〕である。舞は反射的な手足の運動ではなくして、舞ふ者は或る特定の型に(160)自己の運動的表現を擴充して行くのである。如何なる舞も――たとへそれが我流であつても、――型のない舞はない。舞は何等かの型に於いてのみそれ自らを實現することが出來るといふ意味に於いて、型は舞に於いて最も源本的な場面であるといふことが出來る。從つて、我々は舞そのものを離れて舞の型を認識することは出來ない。只我々は「型にはまる」「型を破る」といふ樣に、型そのものを抽象して考へることは出來るが、型の舞に對する本質的關係は、舞に於ける場面としての關係であるといはなければならない。かくの如く、型は舞に對しては舞の實現せられる場面であるから、舞そのものとは次元を異にした存在であると考へられるのである。型が表現を通してのみ觀取される樣に、言語のリズム形式も言語表現の上にのみ認識されるのであるが、その本質は、何處までも表現に於ける場面としての關係にあるといふことは、注意すべきことであつて、それは木の葉に於いて緑色を見、風に於いて寒氣を知覺するのとは異るものである。
 かくの如き言語の源本的場面であるリズムは、言語の音聲的表出によつて始めて實現され、我々の知覺の對象となる。宛も鑄型に鎔鐵を流し込む樣に、リズムの中に音聲を袁出して行くのであるが、リズムは、鑄型の樣に具象的な存在ではない。かくして、リズム形式に相應した音聲的表出が實現すると同時に、我々は表出された音聲の連鎖から、場面としての國語のリズム形式を(161)考へることが出來るのである。さてそれならば國語のリズム形式とは如何なるものであるか。
 
         ロ 等時的拍音形式としての國語のリズム
 
 リズムの體驗は、刺戟の週期的囘歸の知覺によつて生ずることは、一般に認められてゐる處であるが、かゝる知覺の因となる刺戟の種類については、種々なるものが考へられよう。普通に振子時計の音の布置の如きを、リズム形式の代表的なものと考へるのであるが、猶その外に、光、或は筋肉運動によつてもリズム的知覺が生ずると云はれてゐる。リズムは通常、上に述べた樣に、刺戟によつて周期的知覺が成立するのであるが、又一方刺戟の休止が却つてリズム的知覺の成因となることがあるといふことも注意すべきことである。これは國語のリズムを考へる上には重要なこととなる。これを圖に表すならば
  一〔傍点〕一一〔傍点〕一一〔傍点〕一一〔傍点〕一 強音がリズムの成因となつた場合
  ―― ―― ―― ―― ―― 休止がリズムの成因となつた場合
こゝ七音のリズム的體感について注意すべきことは、リズムが單に音の強弱、高低、長短等によつて成立するばかりでなく、音の三大要素の一である音色によつても成立するといふことである。
(162)  ガ〔右○〕ラガ〔右○〕ラ
  オドロキ〔右○〕モモノキ〔右○〕サンシヨノキ〔右○〕
右の例は、音の同質なるもの即ち「ガ」「キ」等の囘歸によつて、リズム體驗の成立する例であるが、更に根本的には、
  アーイーウーエーオー
の如き音の連呼によつても囘歸が知覺される。この場合には、音の刺戟から質的内容を捨象した純粋の運動的知覺が、等時的に繰返されることによつて、リズム體驗が成立すると見るべきである。かゝるリズム體驗は、宛も單振子運動をなすブランコに乘る時、圖のAA′點に於いて感ずる抵抗感によつてリズム體驗が成立する場合に等しい。かゝるリズム體驗は、上に述べた音の高低、強弱の囘歸或は質的内容の囘歸によつて生ずるリズム體驗よりも、更に基本的なリズム形式といひ得るであらう。若しこのリズム形式を、等時的拍音形式と稱するならば、國語に於いて觀取されるもの、そして國語の音聲的表現の源本的場面となるものは、正しくこの等時的拍音形式のリズムである。それは強弱型、高低型リズム形式に對立するものであつて、聽覺(163)的には音色の變化に伴ふ知覺の更新感により、生理的には調音の變化による運動感覺によつて、囘歸が知覺される處のリズム形式である。私は國語の基本的リズム形式を右の如き等時的拍音形式と考へ、そこから間題を二つの方向に發展させ、一方に於いては、かゝるリズム形式を如何にして音聲によつて充填して行くかの現象を見ることによつて、昔聲學上の問題である音節及び母音子音に對して一の解釋を試み、他方に於いては、リズム形式を美化する爲に取られる調音の變化と、リズム形式の群團化が、如何なる方向に發展して行くかの現象を見て、そこに日本詩歌のリズムの特質を考へて行きたいと思ふのである(【後者の問題については、第六章第一項に述べるつもりである】)。
     〔cからAへの波線、そこからA′へ弧線が延びる〕
c―――――→〔弧線の五分の一ほどのところに達する〕
     〔cからA′への波線、弧線の終点、この図は162頁にある〕
 
       二 音節
 
 言語の表現は、リズム的場面へ音聲を充填することによつて、こゝに音の連鎖が幾個かの節に分けられて知覺されることとなる。これを表出に於ける型と考へれば、そこにリズムの具體的なる形式を認めることが出來るのであるが、若しこれを充填された音に即していへば、音節として知覺される。音節は即ちリズムを充填する内容であり、リズムは音節によつて具象化された處の(164)形式であつて二者別物ではない。これが前項に述べた私のリズム觀に基く音節觀である。しかしながら、通常音節を論ずる者は、寧ろ音節を構成する單音の音響的或は生理的條件によつて音節の概念を規定しようとする。佐久間鼎博士は、その日本音聲學第九章に於いて、音節に關する諸説を列擧せられたが、音節成立の條件を要約すれば、
 一、音聲の發生的生理的條件即ち呼氣流出量の多少による
 二、聽覺的知覺の差異即ち響度(audibility)の大小による
右の二條件は、要するに音節を構成する單音の性質に基くものであるが、この條件が直に國語の音節の説明に該當するか否かは甚だ疑問であつて、佐久間博士の結論もその點必しも決定的ではない。氏は經驗的音節の外に、可能的音節なるものを認めて、辛うじて右の音節論を肯定されたものの樣である。こゝに於いて我々の深く考へなければならないことは、印歐語の音節論が國語の音節的事實の説明に不適當であるのか、或は右の音節論そのものが、根柢的に誤つてゐるのかといふことである。國語に於いて母音の連續した場合、例へば、ai,oi の如き、或は長音 a:,i:の如きは、常識的には二音節として取扱ひながら、音節理論としては、前述の條件に合致しない故に、一音節として認めなければならなくなる。又促音の場合について見ても、響度を問題にす(165)るならば、促音の中間に最弱部が存在する故に、「アツタ」は當然〔at-ta〕と二音節に分割されねばならない。これも一般には三音節として取放つてゐる。又撥音についても同樣で、ア〔傍線〕ン(餡)とホ〔傍線〕ン(本)、エン〔傍線〕(縁側の縁)とテン〔傍線〕(點)は夫々アクセントの相違により響度の谷を異にする故、ア〔傍線〕ン、ホ〔傍線〕ンは一音節、エン〔傍線〕、テン〔傍線〕は二音節としなければならないが、一般には兩者共二音節とするのが常識的判斷である。右の如く、常識と理論とが相反する處から、佐久間氏は、音聲の史的考察に於いては、經驗的立場に於いて音節を考へるよりも、可能的に音節を考へる立場を便宜とされ、可能的音節なる考方を立てて、國語の實際と音節の理論との妥協を試みられた(【日本音聲學二六九、二七七頁】)。佐久間氏は、經驗的音節に於いては、その時々の話振りの緩急氣分により、前後の關係により、アクセントによつて、一定の音節を認めることは困難であると考へて居られるのであるが、それは全く音節をその構成要素である單音の發生的知覺的條件の上に求めようとする學説に依據する處から來るのではないかと思ふのである。
 若し上の如き見解に對して、リズムを以て音節を決定する條件と考へるならばどうなるであらうか。國語に於いては、リズムは等時的に分割された拍音形式であつて、かゝる形式の客觀的實現は、生理的には調音の變化であり、心理的には音色の變化であることは前項に述べた。從つて(166)若し、「サクラノハーナガ」と、「ハ」音が長音に發音された時、この一連の發音に於いて、そのリズム形式は、「サク……」と發音が開始されると同時に決定され、それは、LLL|の如き形式を以て流動して行く勢力が與へられる。故にこの形式を充填し又實現して行く音の連鎖は、「ハ」音が長呼されたとしても、それはリズムの形式を變更する力とはならないのであつて、寧ろ逆にリズム形式それ自身が「ハ|−|ナ|ガ」といふ分節を意識させる。長音が二音節として認められるのは、右の如くリズムに規定されるが故に起こることであつて、これは、「ハ」音を生理的に音響的に分析しても説明し得ないことである。リズムと音聲とは以上の如き關係にあるが故に、國語に於いては、長音が純然たる長音に發音される時には、リズムの一拍音だけの長さを充填するのか普通である。
  高い山     タカイヤマ(五音節) タカーイヤマ(六音節)
この長音の延長を規定するものは、全く拍音形式の等時性に外ならない。更に一般には、長音はリズム的場面の制約を受けて、一拍の長音を可知的音節として成立せしめる樣な調音の變化を試み、事實上二音節に構成する傾向がある。
  扇(オーギ)は、オオ〔右○〕ギとなる
(167)  姉さん(ネーサン)は、ネエ〔右○〕サン或はネイ〔右○〕サンとなる
  ニューヨークは、ニュウヨオクとなる
これは、可能的音節を考へることではなくして、國語のリズム形式から必然的に成立する經驗的事實であるといへよう。促音の場合には、長音の場合に比して、明かにリズム形式を實現すべき調音の變化を伴ふ。故に「アッタ」は、「ア|ッ|タ」と分節される。促音の閉鎖過程が一拍音を占めるのである。所謂二重母音は、そのアクセントの如何に關せず、オ〔傍線〕イ(老)、オイ〔傍線〕(甥)共に調音の變化によつて、リズム形式を實現してゐるのであるから、これを二音節と考へなければならない。從つて國語に於いては、一音節を構成する二重母音は存在しない譯である。撥音も同樣に、そのアクセントに關せず、テ〔傍線〕ン(天)、テン〔傍線〕(點)共に二音節と考へなければならない。
 以上によつて、普通問題にされてゐる長音促音撥音について、これを音節として如何に考へるべきかを、リズム觀を基礎にして述べて來た。次に最も一般的な綴音、カサタ……等を一音節と認める理由を明かにして置きたい。何となれば、「カ」はその標音法〔ka〕によつて、二の調音の結合と考へられ、從つて前述の理論を以てすれば、二音節ではなからうかといふ疑問が豫想されるからである。今 ka,ak といふ單音の連鎖を比較して考へて見るに、國語に於ける ka 音は、(168)實は k 調音より a 調音への移動ではなくして、換言すれば、二音節ではなくして、k が發音されようとする時、既に a 調音は用意され、かくして k を發音することは、同時に a を發音することになる。いはゞ同時的發音であり、音の融合である。この事實は、純粹の k 音を發音する場合を見るならば明かになることであつて、その場合でも、何等か母音的なものが結合せずしては k を發音することが出來ないといふ事實によつて明かである。このことが「カ」を一音節と認める重要な根據となる。故に嚴密な標記法としては、「カ」は ka よりも寧ろ k(a)或は k※[aを小文字で右上] とするのが至當である。これに反して、ak は a が發音されると同時に、k が發音されるといふことは絶對に不可能であつて、必ず a より k への調音の移動が必要であり、從つて二音節となる所以である。かくの如く、國語の音節構成には、所謂母音が伴ふか否かといふことは全く問題外であつて、そのリズム形式を實現するに必要なる條件は調音の變化であるから、如何なる發音發聲によつても音節が成立することとなる。故に「アリマス」が、arimasu と發音された場合でも、或は arimasu※[下に○], arimas 發音された場合でも(【su※[下に○]は「ス」の母音が無聲化された場合、s は母音の脱落した場合である】)「ス」の音節的價値には變りがない。このことはアクセントの配置を考へる場合にも重要な事柄であつて、アクセントはリズムと同樣、一の形式であり、しかもリズムの上に成立する處の形式である。
(169) 拗音は極めて二音節に移り易い性質を持つてゐる。ヤ行ワ行の音は、例へば「ヤ」はi(a)といふ風に、i と a の兩調音の同時的實現の場合は一音節として知覺されるが、その間に少しでもわたりの音が介在し、i-a となる時は、もはやそれはリズムの一單位を充填することが出來なくなり、二音節となる。「ワ」(輪)と「ウワ」(上)に於いて、後者の「ウ」が如何に微弱でも、そこに調音の繼起がある以上、「ワ」(輪)とは別であつて二音節である。
 以上私は國語の音節をリズムによつて規定しようとしたのであるが、國語の音節の特殊性といふものは、全くそのリズムの特殊性によつて條件附けられてゐることを知るのである。故に外國語が國語の文脈に於いて發音される時、リズム形式の相違によつて制約されて、異つた音節のものとなるのは當然である。若し音聲の發生的知覺的條件によつて音節を規定するならば、右の如き現象は如何にとも説明出來ないこととなるのである。又古くから長音撥音促音が一音節として考へられたことは、決して便宜上さうなつたのでなく、事實が然らしめたのであつて、私はこれを國語の特異なるリズム形式によるものと考へたのである。
 
(170)       三 母音子音
 
 音節の分節を規定する處のものは、單音の發生的或は知覺的條件ではなくして、リズム形式であり、具體的には調音の變化によつて經驗的音節となることは前項に述べた處であるが、かくして成立した音節は、内容として或は要素としては單音及び單音の結合より構成されてゐる。これら音節を構成する單音は、その音節構成の機能より見て母音子音の二に類別せられる。母音子音の類別を音節構成の機能上より説明しようとすることは、私のリズム觀の第二の發展である。
 從來の母音子音の類別は、如何なる見地よりされてゐるか。その代表的のものとして次に佐久間博士の見解を紹介しようと思ふ。
 
   母音と子音とは古來區別されて來たもので、それ/”\の單音はこの二種にはつきり分類されている。ところがこれに十分な定義を與へようとすると、よほどむづかしい。その本質的區別は一體あるとすれば、何にあるか。この間題も、母音の構造や子音の特性に關する音響物理學的および音聲心理學的知見の完成によつて はじめて十分に解答されるわけだ。さしあたりの便宜として口のあきの度合でわけるのも一策だが、これは音聲そのものについての區別ではなくして、發生條件の區別だ。すなおち『母音は口のあきの大きな聲(171)音で、子音はその狹い、または口を閉ぢて出す音聲だ』といふことになる。まず現在の程度では、次のように考えればよかろう、『母音は音聲器官の機能によつて發生し得る樂音または噪音できわだつた色づけを備へたものだが、子音は音聲器官の機能によつて發生し得る噪音できわだつた色づけのないものだ(【一般音聲學一四一頁】)。
 
右の定義はシュトゥンプ Stumpf の學説に據られたものであるが、佐久間氏は、今日猶不明瞭な限界を持つ母音子音の區別も、音響物理學、音聲心理學の發達によつて明かにされるであらうといふ希望の下に、專ら母音子音をその方面から定義されようとしたのである。今日一般に行はれてゐる母音子音の定義は、殆ど右の如き音響學的或は音聲心理學的のそれの範圍を出でてゐない。しかしながら、今日の音聲學の到達した範圍では、子音にして母音に類するもの、母音にして子音に類するものがあり、結局は便宜的範疇であつて、確定的な線を劃することが出來ない事情にあるといふことは誰しも認める處であるが、それらの音について個別的に列擧することは今は省略する。只こゝに疑問を提出して見るならば、音響學的に母音子音の區別を立てながら、何故に或るものを他の範疇に殘して置かなければならないかといふことである。例へば、鼻音は母音的であるといふ。それならば何故にこれを母音として子音の中から取除かないのであるか。この樣な事實は、實は母音子音の概念が、音響學的説明を以てしては溝足されない他の概念であること(172)を想像させるものであるにも拘はらず、學者は、母音子音の概念を、音響學的に、或は音聲心理學的に説明するのが妥當であるといふ風に先入觀的に決めてかゝつてゐる爲であると考へるのである。かゝる説明の態度は、これを譬へていへば、こゝに「君」「臣」といふ概念があり、これを規定するに「君」「臣」の生理學的解剖學的分析によつてその本質を説明し得ると考へるに等しい謬見ではなからうか。「君」「臣」は、本來身分の相互の機能關係をいひ表した概念である如く、我々は母音子音の本質規定については、先づそれが如何なる種類の概念であるかを問はなければならない筈である。音聲に關する概念であるから、音響學的に規定出來ると考へるのは速斷に過ぎると思ふ。それならば母音子音の概念は如何なるものであるかといふに、それは音響學的概念ではなくして、音節構成に於ける單音の結合機能に基く概念であると私は思ふ。それは破裂音、鼻音等の如き元來音聲の發生條件によつて成立した概念とは異るものである。既に母音子吉(【或は父音】)の名稱それ自身かゝる機能關係を示してゐるといへるであらう。母音子音の區別に相當する悉曇學の名稱である能生音所年音も同樣に音節の構成機能の概念である。
 母音子音を右の如き概念であると考へる時、母音子音を決定するものは、各の言語の音節組織である。音節組織を異にするに從つて、これを構成する單音の結合機能が異り、從つて母音子音(173)の内容も相違して來る。國語に於いては殆ど總ての單音は單獨に音節を構成し得るのであるから、その點皆同一であるが、單音が結合して音節を構成する場合には、響によつては、或る單音に結合し得るものと、然らざるものとの機能上の區別を生ずる。既に述べた樣に、ka の結合は一音節を構成し得るが、ak は二音節であつて一音節を構成し得ない。既にこゝに a と k とに結合機能の相違を見出す。鼻音は音響的には母音と同樣であるといつても、ka に於けると同じ方法によつて、km,kn,k〓 の如き一音節を構成する機能はない。その點 aiu 等と mn〓 とは異る。然るに、ma,na,〓a 等と結合して一音節を構成する點からいつて、m n〓 は k と同機能であるといふことが出來る。流音も音響的には aiu 等と區別することが出來ないといつても、kl,sl 等といふ一音節を構成し得ないが、la,li 等と結合する點からいへば l は k と同じである。
 然るにヤ行子音である i、ワ行子音である u は、ia,ua と結合し得る處から、これを子音といひ得るが、同時に ki,mu 等と結合する故、母音的機能も持つてゐる。この樣な點から iu を半母音と名付けて差支へない。しかしながら、それは音響的に樂音ともなり、噪音ともなるといふ意味でなく、母音子音の兩機能を兼備してゐるといふ意味でいへるのである。若し音響學的に半母音を立てるならば、鼻音流音も半母音とならなければならない筈である。この樣にして母音子(174)音を音節構成機能の概念とするならば、言語により、音節組織により、母音子音の内容が異るのも當然である。國語に於いてヤ行音が母音の外に置かれて子音と考へられてゐるのに對して、朝鮮語に於いては、※[ハングルのヤ]※[ハングルのヨ]※[ハングルの広いヨ]※[ハングルのユ]の如きものが母音と同列に置かれてゐるのは、音節組織の相違に基くのである。サンスクリットに於いて、i 音が母音の取扱を受けるのも同樣な理由である。支那語の音節より分析された聲(【字母】)と韻との區別は、子音母音の別に相當するもので、音節組織が國語のそれに比して甚だ複雜であるから、韻そのものの中に多くの單音が含まれてゐるが、ong,ak,en 等の如きものが一體となつて聲に結合する機能に於いては國語の母音と全く同じである。
 二重母音二重子音の名稱も同樣に解せられるのであつて、國語に於いては調音の變化毎に一音節を構成するから、一音節内に二重の子音母音は存在しない。それは au,ei,ou 或は st,sp,sl の如きが、單獨の子音母音と同一機能を以て音節を構成する時にいはれることであつて、音節を離れ又結合機能を離れて二重母音二重子音をいふことは全く意味がないことである。
 
       四 音聲と音韻
 
(175) リズムによつて音節が規定され、更に音節を構成する機能に從つて母音と子音が區別されるのであるが、これらの音を更にその發生的條件によつて類別したものが單音である。單音の概念は、母音子音の概念が元來音節によつて規定されたものであるのと異り、純粹に生理的心理的條件を基礎にした處の概念である。言語の音聲は、既に總論第四項に述べた樣に、言語主體の心理的生理的所産であつて、主體を離れて客觀的に存在するものではない。このことは音聲を他の音響と區別する重要なる契機である。音聲も音響も、これを研究者の對象として取上げられた時には、そこに何等の區別をも見出し得ないのであつて、松風の音も、言語の音聲も共に物理的音波として變りはない。しかしながら、一方を自然の音と見るのに對して、他方を言語の音聲と見る時、既にそこに音聲を主體的所産として考へてゐるのであつて、實は對象として物理的音波以上のものを把握してゐることを息味するのでみる。對象として實際に把握してゐるものの中から、抽象的に物理的部分のみを考察したとしたならば、それは對象の全面的把握を意味したことにはならない。のみならず、言語の音聲が主體的所産であることを忘れたならば、それは音聲の最も本質的な點を無視したことになるのである。自然の音響でも、それが音樂の中に取入れられたやうな場合は、もはやそれは自然的ではなくして主體的所産と考へなくてはならない。即ちそれは人間(176)の感情の延長としての意味を持つこととなるのである。自然の音響と音聲との相違は、自然の風景と風景畫との相違の如きものである。觀る者の感覺に訴へるものとしては、その間に區別を見出すことが出來ないにしても、後者が主體的所産である點に於いて、自然の風景と本質を異にするのである。自然の風景でも、それが庭園の一部として取入れられた場合は、もはや自然ではなくして、造庭者の主體的活動の一部と考へなくてはならぬこと、音樂に於ける音と同樣である。それならば、觀察者の立場に於いては、如何にしたならば音聲を對象として把握することが出來るか。これについては、總論第三項、對象の把握と解釋作業の項に述べた樣に、觀察的立場は、主體的意識に於ける音聲に基礎を置き、それを出發點としなければならないことである。こゝに甲乙兩人によつて發音せられた〔ア〕の音を觀察するのに、甲の〔ア〕は〔〓〕であり、乙の〔ア〕は〔a〕であるといふ識別が得られたとしても、それは、甲乙の主體的立場を離れた純觀察的立場に於いて純粹物理的音波としてこれを取上げたのである。從つて國語の中に〔〓〕〔a〕の二が區別されたとしても、それによつて國語には二種類の〔ア〕が存在してゐるといふ結論は出て來ないのである。國語に二の〔ア〕が存在してゐることをいふ爲には、甲乙が夫々の主體的立場に於いてこれを意識してゐるといふことが必要な條件である。たとへ甲乙が異つた方言に屬して居つて、相互に〔ア〕が異つて(177)ゐることを意識した場合でも、それは夫々の言語主體が、二の〔ア〕を所有してゐることを意識したのではないから、やはり國語の〔ア〕は一であるといはなければならないのである。音聲觀察に於ける右の態度は、宛も心理學の實驗に於いて、現象の客觀的事實が如何にあらうとも、被實驗者の認識を基礎とし、その認識の根據としてのみ客觀的事實を考慮することと似てゐる。この樣にして音聲論の對象は、決して觀察者の前に置かれた音聲的事實――それが物理的音波としてでも、或は心理的表象としてでも――ではなくして、言語主體によつて意識せられるかぎりの音聲を出發點としなければならないのである。猶別の例を以て示すならば、國語に於いては、「デン〔右○〕キ」(竃氣)「デン〔右○〕パ」(電波)「リン〔右○〕ゴ」(林檎)等の〔ン〕は、夫々に n,m,〓 であるといはれるが、この識別は、主體的意識を離れた處の音聲の觀察的識別であつて、國語の主體的意識としては右のやうな區別を意識してゐる譯ではない。たとへ區別があると考へる場合でも、同一音の小變異位にしか考へてゐない。從つて國語に於いては、撥音は〔ン〕一個しか存在してゐないといひ得るのである。かういふことは、音の對立關係を考へる場合にも適用出來ることであつて、無聲音 p に對して有聲音 b を對立させるのは、音聲の純客觀的生理的現象の觀察からいへるのであるが、主體的意識に於いては、〔バ〕に對立するのは〔ハ〕であつて〔パ〕ではない。同樣な理由で、客觀的には、〔フ〕はハ(178)行の系列に屬するものでなく、〔チ〕はタ行とは別の、その口蓋化されたものであるにも拘はらず、ハ行タ行の系列に所屬すると認めるのは、音聲主體の持つ體系的意識に基くものである。かくの如く客觀的觀察と主體的意識との乖離から、客觀的に認識されたものを音聲と稱し、主體的意識によるものを音韻(phoneme)と稱して區別することがあるが、音聲論の對象が言語の音聲であり、言語の音聲を觀察するには主體的意識による音聲を基礎とすべきであるといふ方法論に從へば、音聲論の對象は、右に述べた音韻であるといふことは自明のことであるから、特にこれを音韻と稱して區別する理由はないのである。しかしながら音聲の生理的物理的方面の觀察も實際上必要なことであつて、これを度外視することは出來ない。そこで音聲の觀察(【生理的物理的方面の觀察】)が、音韻の觀察に對立するといふ風に考へることも一理ある樣に考へられるのである。そこで猶、客觀的生理的方面の觀察であるとされてゐる音聲の研究が、はたして同一對象に對する異つた立場の觀
  生理的物理的條件    主體的意識
     〔m〕        〔ン〕
※[波線]         ――――
     〔n〕        〔ン〕
※[ジグザグ線]      ――――
察であるか否かを檢討して見るのに、それは同一對象に對する異つた立場の觀察ではなくして、同一物の異つた段階に對する觀察であることを知るのである。これを〔ン〕について説明するならば、上の圖が示す樣に、生理的物理的條件(179)としては異つた〔m〕〔n〕が、主體的音聲意識としては同一〔ン〕として意識されるのである。音聲を單に表象的にのみ見るのは正しくなく、これを心理的生理的物理的繼起的現象として見なければならないといふことは、既に總論第九項の一に述べた處であるが、音聲をその樣に把握するならば、先に客觀的觀察として述べた所謂音聲の觀察は、實は主體的な發音行爲の一段階を觀察したことになるのである。故に所謂音聲觀察と音韻觀察とは、客觀と主觀との別でもなく、具體と抽象との別でもなく、生理的段階と意識的段階とに對する別であつてこの兩者の觀察を俟つて始めて音聲の全貌を把握することが出來るといふべきである。私は以上の樣に音聲と音韻との別を發音行爲全體の段階的區別と考へる處から、言語音聲の研究には、特にこの二を區別する必要はなく、又區別すべきでなく、音聲研究は、音聲の意識的方面も、生理的物理的方面も共にその中に包含しなければならないと考へるのである。宛も、音聲と文字とは言語の表現の段階として考案されるのと同じである。文字がその根柢に音聲の存在を豫想せしめ、音聲は文字によつて可視的にされると同樣に、音聲の生理的物理的方面と、意識的方面とを區別しなければならないと思ふのである。そして再び繰返すことであるが、その樣な觀察は飽くまで主體的立場を前提としなければならないといふことである。
(180) 以上は言語過程説の立場から、音聲と音韻の概念の對立を止揚しようとしたのであるが、一般には音聲と音韻との對立は右の樣には考へられてゐないのである。その一は、音聲と音韻とを具體と抽象との別を以て説明することである。言語の音聲は、その個々の場合を捉へて考へるならば、皆夫々に個性を持ち、同じ「サクラ」といふ音聲も、甲と乙とで異るばかりでなく、時と處によつて亦相違して來る。然るに音韻はそれらの個性を引去つた共通の觀念として殘されたものであるといふのである(【金田一京助氏國語音韻論三一頁以下】)。この説には見逃すことの出來ない立場の混同があるのである。個々の音聲が甲乙によつて異り、同一のものが一個もあり得ないとするのは、主體的立場を除外視した純客觀的な觀察的立場である。この場合、觀察者は個々の音聲を捉へて、その耳を鋭敏にし、或は機械を据ゑて、個々の音聲の極微極小の差異をも見逃すまいと努力してゐる。處が一方我々が言語の概念に對應してゐると考へてゐる音韻なるものは、觀念的存在であると金田一氏は考へてゐられるが、それは主體的立場に於けるものである(註)。
 
  註 金田一氏の國語音韻論第二章第一節以下の説明では、直に私が説明を加へた樣には結論出來ない樣な曖昧な點がある。個々の具體的音聲から抽象されて音韻が出來るといふ點から云へば、音韻は特殊に對する普遍的概念であつて、それは知的歸納作用の結果と見なければならない。個々の牛から、牛といふ概念が成立する樣なものである。處が音韻はその(181)樣な學問的概念ではなくして、言語觀念の構成體として腦裏に存在してゐるものであると考へるならば、それは個に對する一般といふ風には考へられないのである。ソシュール學の理論の發展として、音韻を「言語《ラング》」に於けるもの、音聲を「言《パロル》」に於けるものといふ風に考へるならば、それは具體とか抽象とかの問題でなく言循行に於ける心理的段階と、生理的段階との別に對應すべきものとなるのであるが、金田一氏の所説には未だその點が明瞭にされてゐるとはいへない。
 
 又別の見方から、具體的音聲、抽象的音聲、主觀的音聲、客觀的音聲といふ樣な區別によつて、音聲と音韻の對立が考へられてゐる(【神保格氏、國語音聲學一〇頁以下】)。この場合に具體とか抽象とかいふことを、觀察者の立場のみについていふならば、抽象的音聲、主觀的音聲といふことが、必しも主體的意識としての音韻を意味することにはなり得ない。何となれば、國語の〔ン〕に、m,n,〓 を區別するといふことは、〔ン〕一個のみを認めることと同樣に、具體的音聲よりの抽象であり、客觀的觀察であると同時に、觀察者の主觀的聽覺表象に基礎を置いたものだからである。以上の樣な理由から、音聲と音韻とを具體的と抽象的とによつて區別することも不合理であり、客觀的と主觀的との區別を設けることも意味をなさない。
 右の説に對して、有坂秀世氏はかなり明かに立場の相違によつて、音聲音韻の別を説かれた。音韻は音の一族ではなくして、音の理念であるとするのである(【國語と國文學第十三卷第五號、菊澤季生氏著、國語音韻論評の中】)。音の一族と(182)して音韻を認める立場は、觀察的立場である。m,n,〓 が〔ン〕の一族であるとする時、この樣な認識をなす者は觀察者以外にはない譯である。これに對して、m,n,〓 を、その理念である〔ン〕の具體的實現であると考へる時、この樣な音理念の所有者は必ず言語主體でなければならない。只有坂氏に於いては、理念的音韻とその具體的實現である音聲とを、言語主體に於いて對立してゐるもののやうに考へられてゐるが、一歩進んで考へるならば、言語の主體的意識としては、音韻理念と音聲的實現との間に差別が考へられる筈はなくして、音韻に對して音聲を區別するものは、主體的意識を離れた觀察者でなければならない。〔ン〕はたとへ實現された場合でも、主體的意識としては齊しく〔ン〕の實現としてのみ意識されてゐるのである。こゝに、m,n,〓 を區別するのは觀察的立場である。主體的立場のみから、理念的音韻と具體的音聲とを區別することは困難である。
 以上述べた處によつて明かなやうに、音聲研究に二の立場の相違があり、觀察的立場と主體的立場とであるが、觀察的立場は主體的立場を前提とすべきであるから、この方法論に基く時、音聲、音韻は對立したものでなく、音韻研究は音聲研究の中に包攝されることとなり、音韻と音聲とは、言語の音聲的表現に於ける段階と考へられるが故に、音聲音韻に分つて考察することは、(183)言語音の全面的理解に遠ざかることとなるのである。
 
       五 音聲の過程的構造と音聲の分類
 
 自然的音響の分類基礎が專らその物理的條件にあるといふことは、音響の本質がそこにあるからである。これに反して言語の音聲は、それが成立する爲には、主體的な發音行爲 phonation を必要とする。發音行爲が音聲の本質であることについては、既に總論第八項第一にこれを明かにした。主體的意識としての聽覺的音聲表象は、發音行爲の一段階として現れるものに過ぎないのであつて、音聲は猶その外に口腔の發音器管の參與と物理的過程とを含むものである。この樣にして、音聲の成立條件としては一般に物理的構成、生理學的機能及び心理學的性質の三者が存在することが認められてゐる(【佐久間氏、日本音聲學三頁】)。そしてこの三の條件が過程的構造に於いて聯繋してゐることも既に述べたことである。猶仔細に見るならば、音聲の分析的究極の單位と見られてゐる單音ですら、一定の固定した條件に於いて發音されるのではなくして、やはり一聯の過程的構造を持つてゐるのである。例へば、タ行子音の t は、一個の單音であるといはれてゐるが、t を構成(184)する發音過程はこれを三の部分に分けて考へることが出來る。即ち口蓋の閉鎖、閉鎖の持續状態、閉鎖の破裂の三の過程である。これは口腔音〔ア〕の如きについて見ても多かれ少かれ認め得られることである。この樣な複雜な過程を有する調音を一單音と認める處の根據は何にあるのであらうか。上に述べた樣に、音聲成立の條件に生理、物理、心理の三の側面が考へられるのであるが、右の三の條件が同等の資格に於いて音聲を決定してゐるのではなくして、音聲の主要な決定要素はその生理的機能即ち調音であることは一般に認められてゐることである。故に音聲の分類基礎として、一般には口腔の發音發聲器官が基準とされてゐる。それならば、單音の分析といふことが全然生理的條件に於いてなされてゐるかといふに必しもさうではない。これは既に述べた處の音聲の考察は、主體的な音聲意識に立脚しなければならないといふ主張とも關聯することであるが、單音の認識それ自體が既に純粹の生理的條件に基いてゐるといふよりは、主體的な音聲表象に基いてゐるのである。先に例示したタ行子音の t の三の過程を假に※[Y+逆Y]の図を以て表すならば(【神保格氏、國語音聲學六五頁參照】)、音聲意識としては、右の如き生理的な三段階を含むものを一個の音として意識してゐるのである。然るに、「アッタ」の如き場合には、t 音の閉鎖状態が※[Y+−+逆Y]圖の如く延長され、聽覺的印象としては、t 音が二に分割されて、a-t-ta の如く聞える。若し一聯の生理的過程を以(185)て單音の基礎條件とするならば、t 音が、※[Y+逆Y]の場合も、※[Y+−+逆Y]の場合も同樣に一個の單音と考へられなければならない譯であるが、國語の言語主體の音聲意識としては、t 音が閉鎖状態にある場合を特に分割して一單音と認め、これを促音と呼んでゐる。從つてこれを「アツタ」の如く表記する。同樣なことが、「トサ」と「トッサ」、「テキ」と「テッキ」の間にも認められる。又所謂撥音も同樣に、「アマ」に對する「アンマ」、「アナ」に對する「アンナ」の如く、それらは、m,n の持續過程を一個の單音として區別したのである。この樣に單音の認識に聽覺的音聲表象が基礎になつてゐることが認められるのである。それならば、この樣な音聲表象の分析を可能ならしめる根據が何處にあるかと考へて見るに、既に述べた樣に、それが生理的條件にのみ基かないことは明かであつて、これを決定するものは言語のリズムである。今「アタ」と「アッタ」の關係をリズムを基礎にして分析して見るならば(【横線は等時的拍音形式のリズムを表す】)、上の圖に於いて、「アッタ」は、t 音が持續されて、リズムの一拍音間隔を充填した結果、生理的には一單位であつたものが、二單位に分割されて意識されることとなつたのである。同樣なことが撥音〔ン〕についてもいひ得るのである。右の促音〔ツ〔右○〕〕撥音〔ン〕は共に t,s,k,p 或は m,n,〓 等の音の一部分であるものが、リズム的分割に制約され
 
 アタ  a  ※[Y+逆Y]  a
 アツタ a  ※[Y+−+逆Y]  a  〔各行の左横に、棒線横線があるが省略、入力者〕
 
(186)て二音に分割され、夫々一個の獨立した單音として意識される樣になつたものであるが、右の考方を以てするならば、長音もやはりそれ自身リズムの一拍音の間隔を充填するものとして一個の單音であるといふことが出來ると思ふのである(【上圖參照】)。
 
 ネープル  ne‥pu  ru
 オ−ギ(扇)o‥gi     〔各行の左横に、棒線横線があるが省略、入力者〕
 
 以上によつて、國語の音聲の認識並に抽出には、心理的根據の重要であることが明かにされたのであるが、凡て音聲は連綿相關の關係で結合してゐるものであつて、客觀的に何處までが何の音であるかを分析することは事實上不可能であつて、單音を單音として認識させるのは、リズムを根柢とする主體的な音聲意識である。言語の音聲が、その實現には生理的機能を必要とするにも拘はらず、それが常に主體的音聲意識によつて個體として統一されて意識されるといふことは、言語にとつて極めて便宜なことである。主體的意識としては常に同化作用によつて、異つた生理的條件のものを類化して意識するのである。例へば、「イタ」の〔イ〕と、「コイ」の〔イ〕とを比較するならば、觀察的立場に於いては、後者の〔イ〕は前者の〔イ〕に比して不完全な形態のものであると認められるにも拘はらず、主體的にはこれを同一音と認めてゐる。又「アッタ」「トッサ」「テッキ」等に於ける促音〔ツ〔右○〕〕は、夫々に調音が異るにも拘はらず、促《つま》るといふ主體的な印象によつて同化されて一の音の單位を構成してゐる。撥音長音(187)についても同樣にいひ得るのである。これら音の主體的識別は、言語に於ける音聲體系の基礎をなすものであつて、觀察的立場に於いて、これを無視することが出來ないばかりか、觀察的立場は、必ずかゝる主體的音聲意識を出發點としなければならないのである。
 單音の抽出については、以上の如く主體的音聲意識が基礎になるのであるが、かくの如き分割を意識せしめるものとして、リズムは極めて重要な役割を持つてゐる。かくして分析された單音の分類については、生理的機能即ち調音が重要な基礎とされる。音聲に於ける調音は、言語の同一性を保持するに絶對必要な條件だからである。「ヤマ」の〔ヤ〕を他の調音例へば〔カ〕に替へるならば、この語はもはや同一の語とはいへなくなる。音聲の生理的分類については、總論第八項第一に述べて置いたからこゝには繰返さない。
 
(188)     第二章 文字論
 
       一 文字の本質とその分類
 
 文字がその延長性の故に、言語の構成要素として考へられ易いのであるが、文字の本質が言語過程の一段階にあるといふことは既に總論第八項第一にこれを述べた。文字が過程的構造の一段階であり、又それ自體一の過程であるといふことは、二の側からいふことが出來る。その一は、文字は、「書く」「讀む」といふ心理的生理的過程によつて成立する。この點は音聲が發音行爲によつて成立すると同じで、文字は即ち書記行爲であるといふことが出來る。この樣にして成立した文字が、主體的所産であることは勿論であるが、それは活字の如き客體的存在としての文字についてもいへることである。活字が文字として考へられる以上、それは書記行爲の一變形と考へるべきであつて、宛も望遠鏡が眼の代用として用ゐられ、更にそれは眼と同樣に、視る機能を持つてゐると考へられるのに等しい。即ち活字を通して、或は活字といふ手段によつて、我々は言(189)語を記載してゐるのであり、手や筆を以て書く代りに活字を以て書いてゐるのである。それは音聲に於ける擴聲裝置に比することが出來る。文字を專ら右の如く書記行爲の過程として捉へるならば、そこに文字の一の分類が成立する。筆寫體と活字體、草書と楷書と行書、或は平假名と片假名等の分類がそれである。右の如き分類は、文字を專ら書記行爲として考へた結果であるが、文字を右の如く分類することは、未だ文字の本質による把握といふことにはならない。文字が言語過程の一段階であるといはれる第二の點は、それが音聲或は意味を表出し、言語としての機能を果すところにある。主體的な思想感情の外部に表出される處の一段階としてこれを見ることである。第一の書記行爲としての文字は、この第二の意味・音聲の表現としての文字の部分的過程と見ることが出來るのである。意味・音聲の表現といふことは、文字の本質であるから、文字の本質的分類は、それが言語の音聲を表すか意味を表すかに繋つてゐるといふことが出來る。以上の如く、文字を過程的構造に於いて把握することと、主體が何を表現しようとするかを文字の分類基礎とする主體的立場は、文字考察の重要な足場である。この立場に立つ時、文字は次の二に區別される。
  一、表音文字
(190)  二、表意文字
表音、表意といふことを、その文字が音聲を持つてゐるもの、意味を持つてゐるものといふ樣に解するならば、それは構成的考方に墮ちてしまふのである。表音表意といふことは、これを話手の側からいふならば、音聲をそれによつて表す文字、意味をそれによつて表す文字であり、聽手の側からいふならば、音聲をそれによつて喚起させられる文字であり、意味をそれによつて喚起させられる文字であるといふ樣に解釋しなければならないのである。文字の區分は、この樣に話手聽手を含めた主體的意識に立脚して始めて決定されることであつて、主體の表現意識を除外して、客觀的に或る文字についてそれが表音文字であるか、表意文字であるかを決定することは出來ないのである。一般に表意文字として使用される漢字が、表音文字として廣く使用されたことは、萬葉集等の記載法で周く知られてゐることで、事新しくこれを述べる必要はないが、一般には表音文字として使用される假名が、稀に表意文字として使用されることがある。例へば、電報の記載法として、「五ヒ〔右○〕カヘル」の如く使用されるヒ〔右○〕は純然たる表音でなく、「日」の代用として表意的意圖が濃厚である。又物語文等に屡々見られる「廿よ〔右○〕日」のよ〔右○〕は表音的でなく、餘字の代用として表意的に使用されたものの樣に推定されたのである。これらの例を似て見ても、文字が(191)主膿的意識を除外して客觀的にその分類を決定することが出來ないことを知るのである。文字の考察に主體的な記載意識の重要であることは、右の例によつてもその一斑を知ることが出來るのであるが、從來の文字の考察に見られる態度は、必しも右の樣ではなかつた。如何なる點に相違が見られるかといふに、第一に文字を客體的存在として考へ、言語主體がこれを使用するといふ樣に考へたことである。例へば、借訓といふ名目によつても明かな樣に、漢字の持つ訓を借りて國語を表すといふ風に考へた。その他、漢字の意義を用ゐるとか、漢字の音を借りるとかいはれてゐることには、同じ樣な考方が認められたのである。用字法傭字例といふ樣な名稱も右の樣な考方に基いて出て來たのである。
 第二には、漢字をその讀法と睨合せてその關係を考慮したことである。例へば、正訓(天《アメ》、地《ヅチ》の如き)に對して略訓約訓(荒磯《アリソ》、磐余《イハレ》の如き)を對立させた如きである。これは文字と言語との關係を、容器とその内容との關係の如き靜的構成の關係に於いて觀察したことを意味するのであつて、そこには言語主體との關係は考慮されず、文字とその讀まれたものとの關係のみが考慮されてゐるのである。勿論右の樣な觀察の外に、主體的な記載意識に對する關心の動いてゐたことも見逃すことが出來ないが、方法論的吟味の缺けてゐた過去の研究に於いて、觀察の立場に動搖があつたこ(192)とは、蓋し免かれないことであらうと思ふ。若し文字の考察が、簡單な用字法と、漢字とその訓法との關係のみに限定されてゐる間は、さまで問題がないのであるが、更に全面的に國語の文字について考慮しようとするならば、以上の如き方法では破綻は免れないのである。元來漢字は外來的のものであつて、常識的にはこれを客體的存在として考へ、これをその借用といふ觀念で律するといふことは止むを得ないことであるが、既に望遠鏡の例を以て説明した樣に、それが國語を表現するといふことになるならば、その關係は、借りる者と借りられる物との關係でなく、借りられる物は、表現の機能として考へられなければならない。文字を借りるとか言語を借りるとかいふことは、比喩的にのみいひ得ることであつて、我々はこの「借りる」といふ事實そのものを文字の具體的經驗に即してそれが如何なる事實であるかを記述して行く必要があるのである。從來の用字研究は、漢字とその訓法との關係のみを注意した爲に、「サクラ」を「櫻」と記載することの代りに、「さくら」と記載することが如何なる用字法に屬するものであるかも明かにすることが出來ず、「ユク」を「行」或は「行久」「行く」と記載することの相違の意味することをも明かにすることが出來ず、用字研究は殆ど漢字專用文獻の問題として限られた。文字の分類の基礎に主體的意圖として表音と表意とを認めるならば、文字の一切の現象は、當にこの主體的原則を以(193)て推して行かなければならないのである。その時、國語の文字は如何なる體系に組織せられるであらうか。次にこの點に觸れて行かうと思ふ。
 
       二 國語の文字記載法(用字法)の體系
 
 文字記載法の體系についての研究は、用字法の研究として觀察的立場に屬するものであるが、既に總論第四項に述べた樣に、それは主體的な用字意識を前提としなければならない。從つて用字法の體系とは主體的用字意識の體系に他ならないことになるのである。從つて用字法の研究によつて、我々は、言語主體が文字によつて何を表さうとしたか、又如何なる用意があつたか等の主體的な表現技術及び意圖を探るのであつて、そこに國語の文字に關する種々なる問題を解く鍵が横つてゐるのである。
 右の樣な見地に立つて國語の文字を分類する時、既に述べた樣に、これを次の二に別けることが出來る。
  一、言語に於ける音聲を表さうとする表音的記載法
(194)  二、言語に於ける意味を表さうとする表意的記載法
漢字の輸入せられた當初、國語が記載せられるには、總て漢字によつて右の目的が達せられてゐたことは、奈良朝及びそれ以前の文獻、金石文がこれを示してゐる。軈て假名が漢字より脱化して、表音的目的の大部分がそれによつて達せられる樣になつた。假名の成立は、いふまでもなく、漢字の省劃或は草體によるのであるが、假名は單なる漢字の書記行爲の技術の變化からは生まれて來るべきものではなく、漢字の用法にその萠芽があるのである。即ち表音的意圖の下に漢字が使用されるといふことが無ければ、漢字の大膽な省劃や變態も現れず、從つて假名も出來なかつた譯である。この樣にして、一方では漢字が假名として極端に省劃草體化されるにも拘はらず、他方に漢字が殆ど原形のまゝ使用せられてゐるのは、我が國に於いては、表音的意圖による記載法と共に、表意的意圖による記載法が兩立して行はれてゐるからである。右の二の方法を根本にして、國語の記載法は、この二の方法の組合せによつて成立するのであるが、この二の方法には自ら領域があつて、そこに我々は國語主體の表現意圖といふものを汲取ることが出來るのである。
 (イ) 語を全部表音的に記載する方法
  斯歸斯麻《シキシマ》(宮)
(195)  阿米久爾意斯波留支比里爾波《アメクニオシハルキヒロニハ》(天皇)(意、支、里は漢字の古音)
  左散難彌《サザナミ》(散、難は漢字の原音と國語音との關係からいへば韻尾の省略)
  福路《フクロ》(袋の記載、福は原音への母音添加によつて用う)
  (相見)鶴鴨《ツルカモ》(助動詞つる、助詞かもの記載、漢字の訓によつて表す)
右は古い用例であるが、今日に於いても、
  金米糖、天夫羅、加壽天羅、錻力、護謨
の如き外來語の記載にも、
  矢張、駄目、呉々
等の國語の記載にも用ゐられる。平假名片假名が表音的に用ゐられることはいふまでもないことである。以上の如き漢字假名による表音的記載法は、古くから成立して居つて、國語の音聲の表現には、嚴密正確を期することが出來る譯であるが、既に古事記の編者が述べてゐる樣に、それでは記載が非常に冗長になる懼れがある(【古事記序文】)。そこで漢字の本來の性格である表意的方法が相平行して行はれる。
 (ロ) 語を全部表意的に記載する方法
(196) 「ムスメ」を表すに、女、娘と記載し、「ハラカラ」を表すに、兄弟、同胞と記載する。右の方法は、國語の音聲の表現を犠牲にして、專ら意味のみを表さうとするのであるから、記載の約束の知られてゐる範圍或は時代には、誤りなく話手の表現しようとする國語の音聲を理解させることが出來るが、それは絶對的ではない。「上」が、「ウヘ」であるか、「カミ」であるか、「アガル」であるか、「ノボル」であるかが不明にならないとも限らない。現に萬葉集等の訓點の困難なのは、主として右の表意的方法による記載の爲に、國語の音聲が記載されなかつた爲である。語を中心として右の表音表意の方法を見る時、語によつてその方法が大體固定せられてゐることは注意すべきことである。今日、體言と用言の語幹は、表意的に記載されるのに對して、助詞助動詞は少數の例外(註)を除いて殆ど全部表音的に記載される樣になつた。そして更に表意的方法に對應するものとして漢字を、表音的方法に對應するものとして假名を用ゐる結果、語と文字との間に一定の秩序が成立することになる。今、表意的方法による漢字を□※[実際は長方形]を以て示し、表音的方法による漢字及び假名を■※[長方形に網をかぶせたもの]を以て示すならば、
  秋風《□》 吹《□》奴《■》
  鳥《□》が《■》 鳴き《□■》 ます《■■》
(197)となり、今日國語の記載法は、右の如き表音表意の限界性によつて、一定の秩序が保たれ、それによつて分別書法、句讀點の任務をも兼ね負はされる結果、屡々必要以上に漢字的記載が、その方面から要請されることがあるのである。例へば、「山《□》に《■》」「櫻《□》は《■》」「行く《□■》べし《■■》」等の記載秩序に慣らされると、「やま《■■》於《□》」「さくら《■■■》者《□》」「ゆく《■■》可《□》」の如き記載法や、「軍かん《□■■》」「べん強《■■□》」の如き記載法が安定を缺く樣に感ぜられ、且つ均整美を失ふ樣に思はれる結果、「出鱈目を」「壽司は」「洋銀に」等の如き一見不必要と思はれる樣な漢字表記まで現れて來ることになる。右の樣な今日の記載法が成立するについては、相當長年月の陶冶を經たのであつて、それは國語記載法の歴史的研究に屬することであるが、一例を以て示せば、古くは助詞助動詞の如きが表意的に、體言用言の如きが、表音的に記載された例も多いのである。今假に、表音的方法の漢字を假名と見なせば、
  白《■》不《□》母《■》 (萬葉二六四)    現今の方法ならば、 知ら《□■》ず《■》も《■》
  死《□》不《□》止《黒》 (宣命第十三)    同樣に、     死な《□■》じ《■》と《■》
  散《□》去《□》奚留《■■》鴨《■》 (萬葉二七七)  同樣に、     散り《□■》に《■》ける《■■》かも《■■》
これらが今日の如く統一される樣になつたについては、漢字の性質と國語の語性との兩方面より規定されたものであらう。
(198)  註 陳者〔右○〕(ノブレバ)、登る可〔右○〕からず等の者〔右○〕》、可〔右○〕は、助詞助動詞の表意的方法の今日猶通用のものである。
 (ハ) 部分的表音表意
 一語の中に表音表意を混用すること、例へば、「ヲトメ」を「をとめ」「乎等賣」とし、或は「郎女」「處女」「少女」とするのは、夫々に純粹の表音表意であるが、「乎等女」「乙女」等とするのは、表音表意の混用である。この方法には、勿論不用意な混用によつて、亂雜に近いものも見出せるが、中には表音表意相補つて、國語の意味と同時に音聲をも示さうとした意圖が覗はれるものがある。その最も著しいのは、用言に於ける語尾の添加であつて、支那文字としての漢字によつては表し得ない語尾を表音的に添加記載しようとしたものである。
  話禮《□■》(萬葉、二三七、話《カタ》れの記載)
  荒夫流《□■□》(古事記中卷、荒ぶるの記載)
この方法は、今日に於いてはその體裁上用言に多く用ゐられて、體言に用ゐられることは僅かであるが、古くは廣く自由に用ゐられた。
  鳥《■》梅(ウメ)、孤《■》戀(コヒ)、楊|奈疑《■■》(ヤナギ)、物|能《■》乎(モノヲ)、羽|根《■》(ハネ)、族ラ《■》(ヤカラ)、兵ノ《■》(ツハモノ)、氣ヒ《■》(ケハヒ)
(199)右の如くして、「花咲」と「花咲く」とは、その表された國語は全く同一なものであるが、その記載法は相違してゐる。それは、單に表音と表意の運用であることの外に、その根柢に、國語の精密なる表現が、「咲く」のく《■》によつて企圖されてゐることを觀取しなければならないのである。この方法は純粹の表意的表現の場合にも、その意味を精密にする場合に行はれたので、後世の振假名とも共通するものを持ち、これらは用字意識に立つて聯關して考察されねばならないものである。例へば、
  白〔右○〕雪(表現された國語は單に「ユキ」であつて、文字の上にのみ白を添加して、これを限定修飾したものである)
  秋時〔右○〕(アキを表すに過ぎない)
右の「白」「時」は「咲く」の「く」と同樣に、語の記載としては蛇足の樣であるが、意味を補ひ、理解を助ける上に效果があると考へなければならない。
 (ニ) 表音表意の兼用
 漢字による表意的記載法は、それによつて語の意味は表出することが出來ても、音聲を表出することが出來ず、表音的方法はそれによつて音聲は表出することが出來ても、意味を表出することが出來ない。そこで一語の中に部分的に兩者を混用することによつて表現を助ける方法が生ま(200)れたことは前項に述べた。漢字はその性質上、表音にも表意にもこれを用うることが出來る處から、同じことならば、表音的方法に表意的方法を含ませ、表意的方法に表音的方法を含ませるといふ方法も考へ得られる譯である。これが即ち表音表意の兼用といほれる方法である。
  倶樂部(クラブ)  混礙土(コンクリート)
  轉歩(テンポ)   多葉粉(タバコ)
  合羽(カッパ)   金米糖(コンペイトウ)
又古く
  河波(萬葉、「川」の記載、波〔右○〕は表音であると同時に表意である)  孤戀(同上、「戀」の記載、孤〔右○〕は表音であると同時に表意である)
  敷流(同上、「降る」の記載、敷〔右○〕も流〔右○〕も表音であると同時に表意である)
 (ホ) 解釋過程の文字表現
 文字とそれによつて表される音聲及び意味との關係を、平面的に容器とその内容との關係に於いて見ず、主體的表現過程の段階として見る右の立場は、猶文字記載の他の問題についても新しい説明をすることが出來る。例へば、契沖は假字反といふ名目で、次の樣な記載法を説明した。
(201)  吉野爾在〔二字右○〕(ヨシノナル〔二字右○〕)
右の例は、これを文字とその訓まれた訓との平面的關係に於いて見るならば、「ナル」は「ニアル」の約つたものであり、その記載が「爾在」となるのであるから、假名反ともいふことが出來るのであるが、これを主體的な文字記載の意識に立脚するならば、次の樣に説明されなければならない。言語主體によつて表現されようとする國語は「ナル」であつて、「ニアル」ではない。しかしながら、「ナル」が記載されようとする時、主體は一旦この語を「ニアル」と解釋し、この解釋されたものを「爾在」と記載することによつて、「ナル」の語の記載としようとしたのである。この樣に見れば、右の記載法は解釋を經た表出法であるといふことが出來るのである。從つて「爾在」といふ記載法それ自體は、表音「爾」と表意「在」との結合と見て差支ない譯である。右の樣な解釋を經た記載法は、「アサケ」を「朝明」、「ミナワ」を「水泡」、「アリソ」を「荒磯」、「ワギヘ」を「我家」等とする方法にも見ることが出來るのであつて、これを略言、約言等とするのは、主體的意識を除外した觀察的立場に於いてのみその樣にいはれることである。これらの記載方法は一見甚しく特殊な方法の樣に感ぜられるのであるが、事實は必しもさうでなく、凡そ語及び文字は、事物そのものを表現するのでなく、事物に對する主體の意味的把握を表現するのであつて(202)(【第四章意味論參照】)、「カタブク」を「西渡」と記載したり、「モミヂ」を「黄葉」と記載したりすることと根本的に相違するものではない。只その記載に働く表現意識の上から見れば、「ナリ」を「爾在」とするのと、「モミヂ」を「黄葉」とするのとは相違すると見なければならない。記載法の類別としては、その點を重要視しなければならないのである。
 又、現今國語の助詞助動詞は、假名を以て表音的に記載されてゐる。このことは、これらの語が觀念の直接的表現であり、他の語と異り、これを表意的に表すことが困難なためである。處が萬葉集に、
  君之行|疑《ラム》 宿可借|凝《ラム》(三二一三)
  言量|欲《モガ》(二八九八)
  朝寢|疑《カ》將寢(一九四九)
等の例を見るに「ラム」「カ」が「疑」字によつて、「モガ」が「欲」字によつて表意的に記載されてゐる。その記載された結果から見れば、既に述べた解釋過程を經た記載法と同樣である。前者と少しく異る處は、前者は、與へられた語の分析によつて解釋を試みてゐるに反し、後者では、與へられた語を概念的に把握し、「ラム」は疑である、「モガ」は欲であると規定して、然る後に記(203)載したものである。語としては概念過程を經ない語であるが、文字記載に於いて概念過程を經て表出されたのである(【概念的表現とか、直接的表現とかいふことについては、第三章第二項以下を參照】)。これらの方法が極端になれば、屡々謎の樣なものとなつて、理解が困難になつてしまふのであるが、一方又それが記載の技巧として、隱語と同樣に言語主體の興味の對象ともなつたのである。萬葉集に所謂戯書とはその甚しいものであるが、かゝる記載法は後世にも跡を斷つた譯ではない。
 次に右述べた用字法以外のものをも加へてこれを表に示して置く。
 國語の記載に使用せられる文字の分類と記載法の體系
 
   第一表 文字の分類
                   一 漢字
  一 表音の目的に使用されるもの  二 平假名
                   三 片假名
                   四 ローマ字
  二 表意の目的に使用されるもの――漢字 支那傳來の漢字
                      本邦製作の漢字
   第二表 語の記載に於ける第一表の運用
(204)  一 全部表音 字音によるもの
          字訓によるもの
  二 全部表意  漢語によるもの
          本邦に於ける熟字の創作によるもの
          漢語句によるもの
  三 部分的表音表意――送假名を加へる方法
  四 表音表意の兼用
  五 表音表意の結合――振假名を添へる方法
  六 特殊なる表音技巧――戯書、十六(シシ)、羲之(テシ)の類
  七 特殊なる表意技巧――戯書、山上復有山」(田)、米(八十八)壽、喜(七十七)壽の米、喜の類
  八 記載の省略――あめり、はべしの類に於ける撥音促音の省略、源義經の類に於ける「の」の省略
 
       三 文字の記載法と語の變遷
 
 言語に於ける意味及び音聲は、文字に包攝せられてゐるといふ構成觀に從へば、文字は宛も氷が物體をその中に凍結する樣に、意味音聲を凝固させてしまふ樣に考へられるのであるが、既に(205)述べた樣に、文字は言語表現の一段階であり、思想傳達の媒介に過ぎないものであるから、文字は意味音聲を定着せしめる效用があると同時に、それが如何なるものを媒介するかといふことは聽手に於いて決定的ではない。音聲の概念喚起性が、多分に聽手の環境や經驗に制約されると同樣に、文字の音聲喚起性或は概念喚起性も固定したものではあり得ない。音聲は、同一時代、同一社會に呼吸するものの間に思想交換の媒介をなすのであるから、甲乙の理解の距離はさ程甚しいことはあり得ないのであるが、文字はその性質の故に、異つた社會にも、距つた時代にも媒介の機能を持つが故に、それが言語の變遷に及ぼす力は寧ろ大きいといはなければならない。これらの事實は又一面言語の本質が過程的構造にあつて、決して文字はその中に音聲と概念との聯合したものを包攝して、これを甲より乙に受渡しするといふ樣なものでないことを證明するものである。漢字は既に述べた樣に、表音的にも表意的にも使用されると同時に、その音聲の側について見ても、字音と字訓が並存してゐるのであるから、古事記の編者が試みた處の、「訓2高下天1云2阿麻1下效v此」とか、「流字以上十字以v音」とかの註記が無い限り、記載の文字が絶對に聽手を拘束するといふことは考へられない。例へば、
  ミモノ→見物→ケンブツ
(206)  モノサワガシー→物騷→ブツサウ
  スミノエ→墨吉→スミヨシ
  ヤキヅ→益頭→マシヅ
の如く、右は漢字的記載を媒介として新しい語が成立したことを示すものである。又「シロタヘ」を「白妙」(【タヘは布の意であつて、妙字はその音を表したに過ぎない】)と記載した結果、聽手は「妙」を表意的に理解して、「白妙の富士」の如き用法が生まれて來る。「ウツセミ」は現身の意であるが、これを「空蝉」と表音的に記載した結果、理解に際してはそれが表意的のものと考へられ、從つて「空蝉の世」は、人の一生の義より轉じて、蝉の脱穀の如き無常空虚の世の義となり、更に「空蝉の殻」の如き語が生まれるやうになつた。このやうに文字が語義の變化に關與するのは、文字はその中に意味音聲を包藏するものではなくして、意味音聲の喚起の媒介をなすに過ぎないものであることを示すものである。それは音聲がその中に意味を包藏するものでなく、意味を喚起する機能を持つと全く同じである。
 
(207)       四 表音文字の表意性
 
 文字の本質的機能は、それが音聲を喚起し、意味を喚起する處にあるといふことは、具體的な言語の觀察からいひ得るといふことは、既に文字の本質を述べた際にこれを明かにして來た。處が一方、文字がその中に音聲や意味を包攝してゐると考へることは、主體的意識として存在してゐることであつて、これを否定することは出來ない。音聲は、その本質として、それが表現する事物自體とは必然的關係はなく、恣意的なものであるにも拘はらず、音聲と事物との間に聯合の習慣が成立すると、言語主體は、音聲が事物それ自體の映像であるかの如き錯覺を起こす。これが音義學説の成立する契機となるものであつて、「ハラ」といふ音聲には、擴りを持つた平地といふ樣な意味が宿つてゐる樣に考へるのである。音義學説は右の樣な主體的意識から直に音聲の本質を結論したのであつて、今日の音聲學は勿論右の樣な結論はこれを是認しないのであるが、我々は、主體的意識としては右の樣な考方の存するといふことを充分認めなければならない。何となれば、それによつて我々の言語機能が一層有效に發揮せられるからである。所謂「ぴつたり合ふ言葉」といふものは、妄にこれを他と替へることが出來ないこととなるのである。文字に於い(208)ても同樣であつて、文字は結局に於いて言語の意味を喚起するものであるから、表音文字と雖も語を表す以上、その文字が語の意味と必然的な關係を持つてゐる樣に考へられて來るのは當然である。表意文字でも我々に親しみのある「忠」とか「義」とか「正」といふ樣な文字は、それでなければ、それらの觀念がぴつたり表現出來ない樣に考へられてゐる。このことは表意文字に限らず、表音文字にもあることである。表音文字は表音に本質があるのであるが、それが意味を直接に内に藏してゐる樣に考へる主體的意識を無視することは出來ない。若しこれを無視するならば、それは言語の一半の眞を認めて他の眞を忘却したこととなるのである。今日助詞として使用される「は」「を」「へ」等は決して完全な表音の機能を持つてゐない。しかもこれらを、「わ」「お」「え」に置き換へ得ないといふ主體的な氣持ちは、今日我々は「は」「を」「へ」等を表音文字として使用し又理解してゐるのでなく、これらの文字が或る觀念を表すものとして、即ち表意文字として意識してゐるのである。これは全く習慣の久しきに基くのであつて、我々が日常目に觸れることの多いハ行の用言の語尾の如きも、同樣に表音的のものとしては考へられてゐない。このことは我々の稀にしか目に觸れることのない「ともゑ〔右○〕」(巴)「ゑ〔右○〕む」(笑)かぢ〔右○〕(梶)の如きものに於いては、必しも「ゑ」或は「ぢ」でなければならないとは感ぜられない。文字が未だ觀(209)念と直接的に融合してゐないからである。右の樣な事實は字形についてもいひ得ることであつて、「※[そばの変体仮名]」と「ソバ」、「※[たばこの変体仮名]」と「タバコ」の如きものについても、前者の意味喚起性が後者のそれに比して濃厚であるのは、それが我々の生活に染み込んでゐるからである。前項に述べた處の文字が語の意味に及ぼす影響も同樣な理由に基くのであつて、表音文字が表意性に移り行くといふことは、言語としての機能が發揮されゝば發揮される程著しくなつて來るのである。表音文字の表意性への移行といふことは、その原理としては言語現象のあらゆる部門に妥當することである。即ち言語過程は、最初意識的な主體的行爲として始まり、それが習熟するに及んでは、殆ど反射的行爲に接近し、又その樣になることによつて言語の機能が完成されるといふことである。その結果、元來過程的聯合作用である處の概念より音聲への移行が、殆ど概念と音聲との結合の如く主體的には意識される樣になる。「痛い!」といふ表現が、殆ど感歎詞と思はれるまでに習熟されるのはその一例である。こゝにまた言語變化の契機が潜んでゐるといふべきである。從つて、言語の觀察に於いては、主體的意識に存するものは、何處までも主體的意識としてその存在を確認し、これを對象として言語機構全體に於ける聯關を明かにする必要がある。民間語源説は、觀察的立場に於ける言語の解釋としては勿論妥當でないとしても、主體的な言語意識としては、屡(210)々それが嚴然として存在してゐることを否定することは出來ない。それが又語の意義の史的變遷に重要な役割をなしてゐるのである。音義的意識の存在も同樣であつて、それによつで或る語が如何にも表現性に富んでゐるのに對して、或る語はさうでないといふ樣に考へられて、主體的な語の選擇といふ樣なことも生じて來るのである。
 
(211)   第三章 文法論
 
       一 言語に於ける單位的なるもの
         ――單語と文――
 
 言語研究上單語を論ずる時、單語が言語に於ける單位であるといふことが、屡々いはれるのであるが、その際、單位といふことが一般には自明のことの樣に考へられ取扱はれて居つて少しも怪まれない。しかしながら、我々は先づ單位とは如何なる事實をいふのであるかを考へて見る必要があらうと思ふ。單位の概念を明かにすることなくして、漫然と言語に於ける單位としての單語を求め、單語の本質を明かにしようとするのは、目的を明かにすることなくして行動を爲すに等しいことであるが、それならば單位とは何であるかと問ふならば、これに答へることは必しも容易ではない。
 單位の概念が、嚴密には如何なるものであるかについては、私はこれを詳にする資格もなけれ(212)ば、又餘裕も持たないのであるが、少くも常識的に見て、一般に使用せられる單位の概念の中には、次の如き著しい區別の存することを認めることが出來ると思ふ。
 その一、量的單位
例へば、三尺〔右○〕、五升〔右○〕等と用ゐられる處の尺〔右○〕、升〔右○〕の類であつて、かゝる場合の單位の意味は、與へられた量を分割する爲の基本量の意味である。嚴密に使用せられる單位の意味は、右の量的單位に限定せられるものの樣である(【岩波刊、哲學小辭典、單位の項參照】)。
 その二、質的單位
例へば、三册〔右○〕、五人〔右○〕等と用ゐられる處の册〔右○〕、人〔右○〕の類であつて、かゝる場合の單位の意味は、與へられた個物を計量する處の基本的な質的統一體を指すのであつて、それは量に關係なく質にのみ關係する。三册〔右○〕の中には、大小種々な書籍を、一樣に一册〔右○〕として含むことが出來る。册〔右○〕は質的統一體としての全體概念である。
 その三、原子としての單位
以上二の單位の意味は、一は量的であり、他は質的であつて、根本的に相違するのであるが、計量の基準になる基本概念であるといふ點に於いて共通した性質を持つ處から、常識的には第二の(213)用法が、第一から類推されて齊しく單位といはれるのであらうと思はれる。單位の概念は、右の如く計量の基本である處に本質が存するのであるが、與へられた量或は個物群に基本單位が含まれる處の存在形式は、物質に於ける原子の排列形式に類似する處から、單位の概念が屡々原子の概念と同樣に考へられてゐることは注意すべきことである。抑々原子は、自然科學に於いて物質を分析し、その究竟に於いて到達する分析不可能な單元の概念であるが、この意味を單位の概念に含めて、單位は對象の分析の究竟に於いて到達する處のものであると考へるに至るのである。この原子的單位の概念は、單位それ自體の存在形式は前二者と同一であるが、前二者は豫め措定せられたものであるのに對して、この原子的單位は、分析の究竟に於いて發見せられるものであるといふ單位認定の手段の點に於いて著しい相違が認められるのである。
 言語研究に於いて、若し單位の名稱を使用するならば、それを如何なるものとして定義すべきであるかは暫く問題外として、單位の概念が、今日、自然科學的原子的單位の意味に於いて使用されてゐることは特に注目せられることであつて、かくの如き類推的用法が言語研究にはたして妥當であるか否かを次に檢討して見ようと思ふ。ソシュールが、
  言語活動(langage)は全健として見ると、多樣であり混質である。物理、生理、心理と、各方面に跨り、(214)個人の領分へも社會の領分へも足を突込んでゐる。從つて人類所産の如何なる部分へも分類することが出來ない。その單位を引出すべき術を我々は知らぬからである。言語(langue)は之に反して其れ自身一體である(【小林英夫氏譯言語學原論二一頁】)。
といふ時、言語研究に於いて、先づそれ自身一體にして、分析不可能な單位を求めようとしてゐることは明かであつて、ソシュールは、かゝる單位を、聽覺映像と概念の聯合した「言語《ラング》」に求め、「言語《ラング》」を以て言語現象の全般を説明しようとしたのである。これ全く自然科學に於ける原子論の考方を摸したものである。又山田孝雄博士が、
  單位とは分解を施すことを前提としたる觀念にしてその分解の極限の地位をさすものなり。即ち最早分解を施すを得ざる極度に達したるものにして、その上に分解を施す時はその物の本性又は作用を滅却すべき點に來れる終極の地位をさせり(【日本文法學概論二九頁】)。
といはれる時、その單位は、第三の原子的單位の意味に於いて使用されたものであることは明かである。又山田氏が、
  句論の研究はこの文の基礎たるべき單體〔二字右○〕の討究よりはじめらるべきなり(【日本文法學概論九〇二頁】)。
  余は文の基礎たる單體〔二字右○〕を句と稱せるなり(【同、九〇三頁】)。
(215)といはれる單體は、前に引用した單位の概念と共通するものであつて、それは化學に於ける元素の如く、異種のものに分析することが出來ないものである(【同、九〇二頁】)。かくの如く、單位或は單體の認定は、分析的操作を前提とするものであつて、かくしてソシュールに於いては單位の限定法が問題になり(【言語學原論二一二頁】)、國文法に於いても(註)、單語認定の條件として、意義を似て基準とするか、外形(【音聲文字】)を以て基準とするかの方法上の問題も起つて來る譯である。
 
  註 神保格氏は、單語とは何か(【國語と國文學、第十三卷第十號】)に右の二の基準についての單語認定の方法を述べてゐられる。橋本進吉博士も同樣の説を新文典別記口語篇單語の概念の項に述べてゐられる。兩氏とも單語を原子的單位として見てゐられることは明かである。
 
 單語認定の方法は、先づ右の如き原子的單位觀を批判することによつて解決の道を見出すことが出來ると思ふ。單語が言語の究竟的分析によつて認定せられる單位であることは、今日一般に認められてゐることであるが、それは單位の概念を、自然科學的な原子と同樣の意味に使用した結果であることは上に述べた處である。それならば言語に於いて單位をいふ時、それは全く自然科學的分析によつて認定されたものであるかといふに、事實は必しもさうではない。分析の究竟に於いて發見されるといはれる單位としての單語は、事實としては、決して諸説のいふが如く、(216)究竟的分析の結果認定されたものではなくして、單語は寧ろ分析以前に既に認定された處の概念として考へられてゐるといふことである。このことは、一般に行はれる單語の定義を少しく詳かに檢討することによつても知り得ることである。ソシュールが、それ自身一體のものであり、言語に於ける單位であると考へた「言語《ラング》」は、聽覺映像と概念との聯合したものであるが、それは事實猶分析可能の複合體であつて、音と概念とを分析し得るものである。これに對してソシュールは、音は分析の結果得られる處のものであつても、音そのものは言語的單位ではないと考へる。概念も同樣に心理的單位であつても言語的單位ではないと考へる。それは何故であるか。ソシュールに從へば、
  一つの音列は、其れが觀念の支物と成らぬ限り、言語的〔三字傍点〕とはならない。音列それだけでは生理的研究の資料以上には出ないのである(【言語學原論二一〇頁】)。
といはれてゐることによつて明かな樣に、言語的單位の摘出には、既にそれが言語的〔三字傍点〕であることを必要條件としてゐるのである。今日通行の文法書に見える單語の定義を見ても、單語が文の分析に基くものであるかの如く考へられ、又説明されてゐるが、事實は正にその逆であつて、例へば、山田博士は、
(217)  單語とは語として分解〔六字傍点〕の極に達したる單位にして、ある觀念を表明して談話文章の構造の直接の材料たるものなり(【日本文法講義改版本九頁】)。
と述べてゐられるが、こゝに「語として分解」といはれてゐることは、明かに分析以前に、語の概念が認定されてゐなくては不可能なことである。このことは、自然科學に於ける原子の概念が、物質の究竟的分析に於いて到達した假説であることと相違する處であつて、寧ろそれは本論の最初に述べた處の常識的に使用せられる質的單位の概念に相當するものである。單語は、分析を行ふと行はざるとに拘はらず、既に豫め指定された處の概念であつて、究竟的分析によつて認定され云々といふことは、無用な自然科學的説明の介入であると認めざるを得ないのである。單語は豫め指定された單位であり、且つそれを聽覺映像と概念の聯合したものであると考へるならば、それは質的統一體であり、質的單位であるといふことが出來るであらう(註)。
 
  註 單語は、私の所謂言語過程觀に立脚しても、又別の意味に於いてこれを質的統一體或は質的單位であるといふことが出來る。それは後に述べるつもりである。
 
以上述べた樣に、單位としての單語の認定は、その一般の定義にも拘はらず、事實としてはそれは自然科學的分析の究竟に於いて假定せられる原子の如きものとも異り、又與へられた量を計量(218)する爲の基本となる所謂量的單位とも異り、言語に於ける語の單位は、個物を計量する爲の基本となる質的統一體であり、それ自身一體である一全體でなければならないのである、從つて單語は、言語研究に於いて、先づ研究者の焦點に結像された全一體であつて、それは言語研究の出發點に與へられた對象であると同時に、その本質の究明は、又言語研究の終極の課題であるともいへるであらう。かくの如き全一體なる單語を單位といふ時、音聲或は概念は、かゝる全體を構成する部分的要素としてのみ考へられるのであつて、言語に於ける單位的要素とはいへない譯である。以上によつて、言語に於いて單位をいふ時、これを原子的單位の意に解することの誤であることの概略を述べて來たのであるが、それは畢竟自然科學的對象と言語學的對象との性質上の根本的相違に基くものといへると思ふのである。
 單語が言語に於いて把握せられる全一體なるものであり、一の統一體であり、その意味に於いてこれを言語の單位と稱することが出來るとするならば、言語に於いて單位と者へ得られるものは單に單語のみではない。「文」も亦言語に於ける單位と考へなければならない。文は決して單語の集合でもなく、單語の連結でもなく、文が文となる爲には、それ自身を一體とし、統一體とする條件が必要である。文の概念については後に述べることとして、こゝには詳説することを避(219)けるが、要するに、文は、主觀客觀の合一し、纏まつた思想の表現であり、これを言語に即していへば、詞と辭(【各論第三章第二項】)の結合であることを第一の條件とし、文は又完結した思想の表現であり、從つて言語的には終止する處の言語形式を必要とすることを第二の條件とする。かくして文が一の統一體であることは、單語が一の統一體であることと等しいのであるが、この二の統一體としての單位の間には、種々な關係が存在し、言語研究の重要な課題を含んでゐる。文と單語との關係は、これを一の體系的組織を持つ叢書と、その一部である一卷の書籍との關係に比することが出來るであらう。叢書はそれ自身一體たるべき統一原理を持つ全體であると同時に、その一部一卷の書籍も亦同樣にそれ自身の統一原理を持つ全體である。一の全體に對して、これはその下位全體の位置に立つものである。文を以て單に單語の集合と考へる限り、文の本質は理解されないであらうし、又文のみが言語に於ける具體的のものであつて、單語は文の究竟的分析によつてのみ認定されるものであると考へることによつても、單語の本質は明かにされない。文と單語とは、言語に於いて先づ與へられた處の二の全體であり、統一體であり、その意味に於いて兩者を言語に於ける單位といふことが出來るのであらうと思ふ。
 言語に於ける單語が單位といはれるのは、分析の極に到達した原子的單位の意味に於いてでは(220)なく、それは質的單位の意味に於いてでなければならない。質的單位とは、主體的意識に於いて認定せられた一の全體概念であり、統一體の概念である。かゝる概念が豫定されるが爲に、それを基準として、我々は與へられた音聲の連鎖を、二單語の結合であるとか、三單語の結合であるなどと分割することが出來るのである。文についても同樣であつて、豫め認定された統一體としての文の概念があつて始めて一個の文二個の文と判定することが出來るのであつて、問題はかく主體的に認定された單位としての單語或は文の本質が學問的に如何に説明されるかといふことである。抑々單語を單位として認定せしめる質的統一體としての原理は何處にあるのであらうか。ソシュールの見地に立つならば、それは聽覺映像と概念との聯合にあるといはれるであらう(【言語學原論一三五頁】)。ソシュールの見地は、既に述べた樣に、言語を音聲・概念の二面より成立するとする構成的言語觀であり、從つて言語を具體的經驗より離れて專ら客體的存在として考へようとする處の主知主義的立場である。右の樣な見解は、必しもソシュール學に固有のものでなく、寧ろ言語學に於いて傳統的なものであるともいふことが出來る。かゝる見地に立つ處の單位としての單語の本質は、一方には概念單位によつて決定せられ、他方音聲群によつて分割せられるとする。概念及び音聲は、相互に相手方としての役割を持つてゐる。こゝに一方には思想的單位を以て單語認(221)定の基準とする内容主義が成立し、他方には音聲群の終止や音調を以て基準とする形式主義が對立する。音聲・概念の結合を以てする構成的言語觀に立つ限り、右の二の對立は避けることが出來ない。山田孝雄博士は、語の單位といふものは、音の數又は思想の單位によつては決定することが出來ないことを述べられ、二者の外に言語そのものの單位が存在するといはれてゐる(【日本文法學概論二九頁】)。そして言語の單位なるものを專ら文の構成材料としての機能より規定しようとされるのであるが、そこには猶、一の語としての本質は究明されず殘されてゐる。單位としての單語は、必しも文より分析されるものとは限らないのである。單語の認定を更に混亂させるものは、言語を客體的存在としてのみ取扱ふ觀察的立場である。「うさぎうま」が一の語と考へられながら、猶「うさぎ」と「うま」とに分解せられて、夫々一の語として認めざるを得ないといふ結論は(【同上書三八頁】)、要するに言語を主體を離れた客體的存在として取扱はうとする處から來るのであつて、若し主體的立場に即して考へるならば、「うさぎうま」が「うさぎ」と「うま」とに分析されるといふことは考へ得られないことである。山田博士は、右の難點を切り拔ける爲に、談話文章の第一次的分析によつて得た處の要素として一の語を規定されようとするのであるが、猶、分析的見地と總合的見地との別によつてこれを處理されようとする處に言語客體化の立場は解消されてはゐない。(222)氏の第一次的分析の考は、一の語を主體的經驗に於いて把握しようとする立場に近いのであるが、氏の單語(【單純なる語の意】)及び合成語の概念は、全く語の客體的把握に基くものであつて、この二の立場の混淆による結論の混亂は決して少くないと思ふ。
 以上の如き單語認定上の困難は如何にして切り拔け得られるであらうか。先づ構成的言語觀を脱却して、過程的言語觀に立たねばならない。過程的言語觀に立つといふことは、同時に言語の客體的存在としての把握を脱却して、言語をあるがまゝの存在として、即ち主體的經驗として、これを把握することを意味する。即ち單位としての單語の本質を、主體的な言語的經驗に於いて規定しようとする立場である。我々の言語の經驗は、心的内容 a を、音聲 b 或は文字 c にまで表現する過程、或は文字 c 或は音聲 b より心的内容 a を喚起する過程の經驗によつて始めて成立するのであつて、我々の主體的經驗の外に言語が存在すると考へるのは、かくの如き過程的經驗を外界に投影したものであつて、それは我々の主體的經驗としての言語そのものでないことは明かである。そして一の語は右の如き經驗が一囘的過程として成立した場合に經驗される處のものである。私は單語の本質を右の如き一囘的過程として規定しようとするものである。過程の要素である概念内容の單純複合といふことは、いふまでもなく經驗されたものについていはるべきこと(223)であつて、主體的經驗を離れてその單複を決定することの許されないことは、言語過程觀の當然の歸結である。言語過程觀による單語の規定は、全く語の本質に基準を求めることであつて、從つて言語構成觀に見られる樣な内容主義形式主義の對立を生ずることはない。しかしながら、單語の認定を全く主體的經驗(自我と同時に他我を含めた)に委ねるといふことには、次の如き事實の伴ふことを豫め注意して置かなければならない。極端にいへば、甲によつて單語として經驗されたものが、乙には單語の結合即ち複合語として經驗されることがあり得るといふことである。しかしながら、このことは當然認めなければならないことであつて、時代を經、土地を隔てるならば右の樣なことは當然起り得ることであつて、過去に於いて二單語であつたものが現今一單語として經驗されることのあるのは寧ろ自然の事實であつて、客觀的に或る語が過去現在を通じて一單語であると斷定されることが寧ろ事實に反すると考へなければならない。同一時代に於ける同一社會の單語の經驗がほゞ統一されるのは、我々の言語的經驗が環境によつて統一される結果であつて、客體的に決定された單語が存在するが爲ではない。以上の如くであるから、今日單語として認定される語が歴史的に如何に變遷して來たかといふことが重要な問題になり得る譯であつて、今日「ひのき」が單一概念(檜)を喚起するとしても、古くは「松・の・木」「杉・の・木」「樫・(224)の・木」などと並んで「火・の・木」として考へられて居つたかも知れないのである。古く「ひのき」が一單語としては經驗されなかつたといふことは、即ち古代人の檜に對する意味的把握の相違を示すことになるのであつて、問題は單語か否かの形式上の事柄にのみ止まらないのである。「さかき」(榊)、「まさき」(柾)の如きも同樣に今日に於いては一單語であるが、古くは「さか・木」、「まさ・木」であつた。かく分析的に考へられるといふことも、これらの語を客體的に見ていはれることではなくして、古代人の言語經驗に即していはれることである。
 單語の本質が、一概念の音聲に表現せられる一囘的過程にあるといふことは、以上で明かになつたと思ふのであるが、この點について猶一言を加へて置かねば種々な誤解を生ずる懼れがあると考へられる點がある。例へば、「梅の花」「川の水」の如きは、思想上各一單位であるといふ考方である(【日本文法學概論三一頁】)。思想上一單位であるにも拘はらず、語としては、「梅・の・花」「川・の・水」等と分析されて、こゝに思想的單位と言語的單位との不一致を生ずるといふことは如何に解決されるべきであるか。若し右の考を妥當と考へるならば、私が既に述べた處の一概念單位の一囘的過程による表現を單語とする考方と抵觸することになる。「三角形」が一單語であるならば、同一物を表現する「三線によつて圍まれた圖形」も同樣に一單語といはれねばならない。この問題を(225)解決する爲には、先づ言語に於ける思想といふものが如何なるものであるがを吟味してかゝらねばならない。便宜上、
  イ 三角形
  ロ 三線によつて圍まれた圖形
の對立について考へて見たい。イロは共に同一圖形を云ひ表したものであるから、イロの思想内容は共に三角形といふ圖形そのものであると考へることは速斷である。ロの場合に於いては、少くも、「三線によつて圍まれた」と限定する處の限定作用と、限定の爲に分析された處の「三線」「圍まる」等の概念があることも認めなければならない。若しこの事實を認めるならば、ロに表現せられた思想内容は、決してイと同一であるといふことの出來ない複雜な内容を持つたものである。同樣にして、「梅の花」には「花」を限定する爲に分析された概念と限定作用の表現を伴ふので、思想内容として明かに「梅・の・花」の三單位より成立し、夫々が音聲に表現せられるが故に三囘の過程の結合であり、從つて三單語であるといはなければならない。又同樣にして、以上の例とは逆の場合であるが、「寒い」といふ表現が若し判斷の表現であるならば、この表現は「寒い」といふ概念と同時に判斷を累加してゐるが故に、これは單語ではなくして、單語の結合(226)した文であると考へなくてはならない。「寒い」が單語と考へられる場合は、それが單純に概念のみを表現した時である。辭書に見出される場合が即ちそれである。一語にして或る時は一單位思想を表し、或る時は二單位思想を表すといふ風に考へるべきではなく、若しその樣に考へるならば、單語と文との間に明確な限界すらも置き得ないことになるのである。言語に於ける思想を右の如く考へなければならないことは、例へば「圓は丸い」といふ表現に於ける思想を「丸い圓」そのものであるとはいひ得ないことで明かである。同じ樣に、「梅の花」「川の水」は各々一概念を表したものとはいふことが出來ないのである。以上の理は、構成的言語觀によつては理解し難いことであつて、過程的言語觀に立つて始めて容易に理解し得ることであらうと思ふ。イロの二の場合を假に圖式を以て表すならば次の如くなるであらう。大文字を似て概念單位を、小文字を以てそれに相當する音聲を示すとすれば、
  イ A→ a    A※[□で囲む]
右の上段は、「三角形」なる語の一囘的過程を表し、下段はそれが一單位の語であることを示す。
 
         B→b
  ロ A         B※[□で囲む]C※[BCを□で囲む]
         C→c
(227)右の上段は、「三線によつて圍まれた圖形」といふ表現(b・c)が、A そのものを表すのでなく、A の分析された B・C を表すものであること、從つてそこには二囘以上の過程が存在することを示し、下段はそれが二單語或はそれ以上のものであることを表したのである。
 複合語は、その表現される概念は A であるが、これを表現する手段として、概念 A の分析された B 及び C を、それに對應する音聲 b 及び c を以て表現しようとしたもので、これを圖示すれば、
         B→b
  ハ A       a(b・c)  A(b・c)※[3字を□で囲む]                C→c
の樣になる。即ち、分析されたB及びCは、結局に於いてAを表す手段に過ぎないのであつて、前例が、分析された思想そのものを表現するのと相違するのである。a が A を表すといふ點で、單位的な單語といひ得るが、その中に分析された單語 b 及び c を包攝してゐるといふ點で、複合せる單語即ち複合語或は合成語といひ得るのである。換言すれば、それは分析そのものを表現するのが目的でなく、分析することによつて、分析以前のものを表現しようとするのである。
 言語は屡々ロの分析的表現に出發し、ハの段階を經てイの單純な過程に返ることがある。即ち
(228)    B→b
  A    C→c      A   B※[□で囲む]C※[BCを□で囲む]→B※[破線で囲む]C※[BCを囲む]→A※[□で囲む]
 「理想」を象徴化してこれを分析的に「青い花」と表現し、やがて「青い花が理想の名稱となる時、「青い花」は完全に一單語である。しかも猶そこに二の概念が主體的に意識されるならば、それは複合語合成語の範圍に止まつてゐるのである。源氏物語中の人物「光る君」「句ふ宮」「薫る君」の名稱は、源氏本文の説く處によれば、
  譬へむ方なく美しげなるを、世の人光る君と聞ゆ(桐壺)
  例の世の人は、匂ふ兵部卿、薫る中將と聞きにくく云ひ續けて(匂宮)
等とあつて、命名の當初は、「光るあの君」「匂ふ處の兵部卿」の意に呼んだのであつて、この場合には限定修飾語を伴ふ處の連語であるが、それが呼び慣されるに從つて人物そのものの名稱となり、語としても全く一單語になり切つてしまふのである。「白墨」は現今の主體的意識に於いては、「白い」「墨」といふ二個の概念單位に還元されるのではなくして、「チョーク」といふ一概念單位を表すに過ぎない。從つて「赤い白墨」「青い白墨」といふことが可能なのであつて、若し主體的意識に於いて「白墨」が二の概念に分析されるとしたら、「赤い白墨」といふが如きは全く非(229)論理的表現といはなければならない。又、「心細い」「はがゆい」「芽生える」「腹立つ」等の語を見るに、これらは成立當初に於いては夫々主體とその作用、對象とそれに對する志向感情といふものに分析せられて二單語の結合として經驗されたのであらうが、次第にそれが融合して一概念をあらはす樣になり、一單位の語として經驗される樣になるのである。言語を、經驗する主體を離れて客體的に一單語か二單語かを決定することは出來ない。
 以上、單語の本質は、音聲の側にも又概念の側にもなく、實に概念が音聲に表現せられる一囘過程それ自體に存することを明かにして來た。かくの如き單語本質觀に立脚するならば、從來ややもすれば、音聲の對應物を、直に物自體であるとし、その物の單複から語の單複を決定しようとする困難からも脱却することが出來ると思ふのである。
 
       二 單語に於ける詞・辭の分類とその分類基礎
 
         イ 詞・辭の過程的構造形式
 
 單位としての單語を規定するものは、思想内容にあるのでもなく、又音聲形式にあるのでもな(230)く、體驗せられる言語過程に存するものであること、そして一單語はかゝる過程の一囘的遂行によつて成立するものであることを明かにして來た。かくして成立した單語は、更に如何なる基準によつて分類せらるべきかの問題は、文法學の出發點として極めて重要な事柄であつて、古來學者の論議の目標となつて來たことは周知の事實である。構成的言語觀に立つ限り、總ての單語は齊しく思想内容と音聲との結合から成つたものであり、その點に於いて分類の基準を見出すことは不可能である。「山」「川」等の如き語も、「ず」「む」「や」「か」等の如き語も、一樣であつて差異を見出すことが出來ない。そこで單語分類の基準を、それら單語の語形、意義、職能、獨立非獨立等に求めて來たことも、總ての文法書に共通する處の態度であつた。例へば、山田孝雄博士は、單語類別の基礎として次の三の條件を擧げられた。第一は、獨立觀念の有無によつて、第二は、助けるものと助けられるものとの關係によつて、第三は、上にあるか下にあるかの語の位置等によつて、觀念語と關係語の區別を示された(【日本文法學概論八四−八六頁】)。又例へば、橋本進吉博士は、語を文節構成上に於ける方法の相違の點から、一はそれ自らで獨立して文節を構成し得るもの、二は常に第一の語に伴つて文節を構成し得るものに二大別された。そしてこれを詞、辭と名付けられた(【國語法要説一一−一二頁】)。私は今その他の學説を列擧し吟味することを省略して、直に私の分類基礎を示さうと(231)思ふ。
 構成的言語觀に於いては、概念と音聲の結合として、その中に全く差異を認めることが出來ない單語も、言語過程觀に立つならば、その過程的形式の中に重要な差異を認めることが出來る。即ち、
 一 概念過程を含む形式
 二 概念過程を含まぬ形式
一は、表現の素材を、一旦客體化し、概念化してこれを音聲によつて表現するのであつて、「山」「川」「犬」「走る」等がこれであり、又主觀的な感情の如きものをも客體化し、概念化するならば、「嬉し」「悲し」「喜ぶ」「怒る」等と表すことが出來る。これらの語を私は假に概念語と名付けるが、古くは詞といはれたものであつて、鈴木朗はこれを、「物事をさしあらはしたもの」であると説明した。これらの概念語は、思想内容中の客體界を專ら表現するものである。二は、觀念内容の概念化されない、客體化されない直接的な表現である。「否定」「うち消し」等の語は、概念過程を經て表現されたものであるが、「ず」「じ」は直接的表現であつて、觀念内容をさし表したものではない。同樣にして、「推量」「推しはかる」に對して「む」、「疑問」「疑ひ」に對して「や」(232)「か」等は皆直接的表現の語である。私はこれを觀念語と名付けたが、古くは辭と呼ばれ、鈴木朗はこれを心の聲であると説明してゐる。それは客體界に對する主體的なものを表現するものである。助詞助動詞感動詞の如きがこれに入る。右の概念語觀念語の名稱は、私が右の分類法を試みた當初に用ゐたものであるが(【著述目録第一九番論文第二〇番論文第四項C】)、種々誤解を招き易いので、古くより日本に於いて行はれて來た詞(【シ或はコトバ】及び辭(【ジ或はテニヲハ】)の名稱を借用して今後これを用ゐることとしたいと思ふ。詞辭の分類名目は今日に於いても文法上の術語としてかなり廣く用ゐられてゐるのであるが、これを概念過程を含む形式、概念過程を含まぬ形式の語の名目と見ることによつて、古來の用語法の本意を掴むことが出來ると考へるので、實は古い術語の借用ではなくして活用なのである。私の意味する樣な過程的構造形式の相違として詞・辭を見るのが、その本質的意味に合致するといふことについては、拙著國語學史の中に論じたことであつて、例へば、上に述べた鈴屋門下の鈴木朗の詞とてにをは〔四字傍点〕との定義がそれである。朗は、體の詞、作用の詞、形状の詞の三者に對して、てにをは〔四字傍点〕即ち助詞助動詞を次の如き説明を以て對立せしめてゐる(【言語四種論てにをはの事】)。
   ○三種の詞          ○てにをは
  一 さす所あり          さす所なし
(233)  二 詞なり          聲なり
  三 物事をさし顯して詞となり   其の詞につける心の聲なり
  四 詞は玉の如く         緒の如し
  五 詞は器物の如く        それを使ひ動かす手の如し
  六 詞はてにをはならでは働かず  詞ならではつく所なし
右の中、四五六は、てにをは〔四字傍点〕の、語としての機能の上から述べたことであるが、一二三はその觀念内容によるものでなく、純然たる語の性質上からの説明である。さす所とは概念化客體化の意であり、心の聲とは、觀念内容の直接的表現を意味するものと解さなければならない。私は今、自己の論理的結論から見て、朗の説を正しとするのではなく、寧ろ、嘗て國語學史を調査して朗の學説を吟味した際、彼の到達した思想が、泰西の言語學説の未だ至り得なかつた上に出てゐることに驚歎し、そこに啓發されて、こゝに論理的に彼の學説の展開を試みたのである。山田孝雄博士が、朗の説を評して、其の本義は遂に捕捉すること能はざるなりといはれ、心の聲とは如何なるものか。思想をあらはす聲音の義か、しからばいづれの語か心の聲ならざるといはれたのは、語構成觀に立つての批評であるが、かくの如き言語觀に立つ限り、朗の眞意は遂に正當に解釋す(234)ることは出來ないのである(【日本文法論二四頁】)。
 語は表現過程それ自體であるが故に、表現過程の相違は即ち語の性質上の相違であると見てよいと思ふ。從つて語を詞と辭に二大別することは、語の意味内容によるものでもなく、又語が獨立するか否かによるものでもなく、實に語の最も根本的な性質に基く分類である。換言すれば、語それ自體に分類基準を求めた處の分類である。語に於ける一切の他の分類は、皆この二大別の下位分類と見るべきである。
 詞及び辭によつて表現せられる心的内容は、これを素材として見れば、齊しく素材であつて、その間に相違がない。しかしながら、概念過程を經る處の詞の表すものは、主體に對立する一切の客體界の事物は勿論のこと、主觀的な情意もこれを客體化することによつて凡て詞として表現することが出來る。「嬉し」「怒る」等の如きがそれである。これに反して、辭によつて表現される處のものは、主體的なものの直接的表現であるから、それは言語主體の主觀に屬する判斷、情緒、欲求等に限られてゐる。即ち話手の意識に關することだけしか表現し得ないのである。例へば、「嬉し」といふ詞は、主觀的な情緒に關するものであるが、それが概念過程を經た表現であるが故に「彼は嬉し」といふ風に第三者のことに關しても表現することが出來る。處が推量辭の「む」(235)は、「花咲かむ」といふ風に、言語主體の推量は表現出來ても、第三者の推量は表し得ない。「彼行かむ」といつても、推量してゐるものは「彼」ではなくして、言語主體である「我」なのである。この樣に見て來るならば、辭によつて表現されるものは、主體それ自體であつて、素材ではないといつた方が寧ろ嚴密に近い。素材として把握される時、既にそれは言語主體に對立してゐるものとなるのである。詞辭によつて表現される内容を、觀察的立場のみに於いて見たのでは全く無意味である。それは宛も運動してゐる車輪を觀察する爲に、これを停止させて觀察する樣なものである。同樣に詞辭の別は、これを主體的立場を前提する時に於いて、始めてその本質が明
 
第一圖 詞の過程的構造形式
具體的事物或は表象…→概念…→聽覺映像…→音聲
起點  第一次過程  第二次過程  第三次過程
 
かになるのであつて、それは主體的な過程的構造形式の相違として捉へることが出來るのである。次に總論第七項に掲げた言語過程圖に從つて、詞と辭とを圖示するならば上の樣になる。
 第二圖は第一圖の第一次過程である概念過程の段階を經ずに、直に音聲へと表現されることを示すものである。この最も明かな例は、感歎詞である。「ああ」「おや」「ねえ」「よう」等は凡て主體的なものの直接的表現である。感歎詞は本質的には辭に屬すべきものであ
 
(236)第二圖 辭の過程的構造形式
言語主體に屬する判断,情緒,欲求等…→聽覺映像…→音聲
起點         第二次過程       第三次過程
 
るが、多くの感歎詞は自然の叫聲に類するもので、未だこれを言語の體系中に加へることが出來ないが、その或るもの、例へば、「ね」と「暑いね〔右○〕」、「よ」と「遊ばうよ〔右○〕」等を比較して見れば、その密接な關係を知ることが出來る。
 詞と辭との分類は、以上の如く、全く過程的形式に基くものであり、それ故にそれは單語の本質に基く分類であるといふことが出來る。以上の如き單語分類の射程は、私の貧しい研究に於いても僅少ではなかった。獨立非獨立の分類基準によつて混亂する接尾語と助詞助動詞の限界、解釋への文法の合理的協力、敬語の本質、用字法の體系、更に進んで文の本質の説明等、皆右の單語分類に出發しないものはない。それらについては後に述べることとする。
 
         ロ 詞辭の意味的聯關
 
 私は前項に於いて、詞辭の分類基礎が、語の過程的構造形式即ち語としての本質に求め得られること、從つて詞辭によつて表現される處の内容の限界即ち前者は言語主體に對立する處の客體(237)界を表現するのに對して、後者は専ら主體それ自體を表現するものであることを明かにして來た。次に詞と辭の意味的聯關を考察することによって、別の見地から詞辭の特質を闡明したいと思ふ。
 前項に於いて述べた様に、詞は概念過程を經て成立したものであるから、それは主體に對立する客體界を表現し、辭は主體それ自身の直接的表現である。これを圖に表せば上の様になる。
 
              C
               B
  A主體※[二字○で囲む]………→
 
              D
         〔CからDにかけて弧線がある、入力者〕
 
Aを主體、Bを主體それ自身の直接的表現である辭とし、弧CDは主體に對立する處の客體界及びその概念的表現である詞とする時、この両者は如何なる關係に立ってゐるのであるか。例へば、「花よ」といふ様な詞辭の連結をとつて考へて見る。この時感動を表す「よ」は、客體界を表す「花」に對して、志向作用と志向對象との關係に於いて結ばれてゐると見ることが出來る。言語主體を圍繞する客體界CDと、それに對する主體的感情ABとの融合したものが、主體Aの直観的世界であって、これを分析し、一方を客體化し、他方をそれに對する感情として表現したものが即ち「花よ」といふ言語表現となるのである。從つてこの詞辭の意味的聯關は、客體界CDを、主體ABが包んでゐるといふことが出來るのである。詞が包まれるものであり、辭が包むものであるともいへるのである。同じ(238)樣に客體界に對する主體の感情でも、「愛らしい花」「花が愛らしい」といつた場合には、主體的感情が既に概念化され、客體化されて「愛らしい」といふ詞によつて表現されたのであるから、その關係はもはや包むものと包まれるもの、或は志向作用と志向對象との關係でなく、兩者共に包まれるCDの位置に置かれたこととなるのである。包むものと包まれるものとの關係は、別の言葉を以ていふならば、ABとCDは秩序を異にし、次元を異にしてゐるともいひ得られるのである。これを譬へていふならば、風呂敷とその内容との關係である。内容である甲乙丙は凡て皆同一次元のものであるが、これを包む風呂敷は、それらとは全く別の次元に屬するものである。詞辭の表すものが、異つた次元に屬するものであるといふことは、先に述べた鈴木朗が既にこれをいつてゐる。鈴木朗の説は本居宣長の考に出てゐるのであるが、それによれば、詞は玉であつて、辭はこれを貫く緒であり、又詞は器物であつて、辭はこれを使ふ處の手であるといふ風に述べられてゐる。この考方は更に溯れば、中世のてにをは〔四字傍点〕研究に胚胎するのであつて、定家の著と傳へられてゐる手爾波大概抄には次の樣に述べられてゐる。
  詞〔右○〕如2寺社1手爾波〔三字右○〕者如2莊嚴1以2莊嚴之手爾葉1定2寺社之尊卑1。
寺社とその莊嚴とは全く別の次元に屬するものであり、莊嚴は寺社を包む處のものである。詞は(239)「山」「川」「犬」「馬」「喜び」「悲しみ」等の樣に、客觀的なるもの、主觀的なるものの一切を客體化して表現するのであるが、それのみを以てしては思想内容の一面しか表現し得ない。これに對して、辭は、これ亦主體的なものしか表現出來ないのであつて、具體的な思想は常に主客の合一した世界であるから、詞辭の結合によつて始めて具體的な思想を表現することが出來るのである。そしてその意味的聯關は上に述べた樣に、次元を異にし、包むものと包まれるものとの關係にあるのである。こゝから更に一の重要な結論が出て來るのである。詞辭の關係を異次元のものと見、包むものと包まれるものとの關係に於いて見ることには、猶詞辭の關係に對する觀察的立場を脱することが出來ないものがある。これを更に言語主體の立場に於いて見るならば、辭は客體界に對する言語主體の總括機能の表現であり、統一の表現であるといふことが出來るのである。從つて包まれるものは、主體に對する客體的存在の表現に違ひないが、包むものは、主體の包むこと〔四字傍点〕の表現であるといふ方が適切である。宛も物を包む風呂敷は、觀察的立場に於いてはそれ自身一の物としての存在であるが、主體的立場に於いては、物を包むことに本質があると考へられる樣なものである。望遠鏡は、それ自體一個の物であるが、これを使用する立場に於いては、それは觀る機能として考へられるのに等しい。主體的な總括機能或は統一機能の表現の代表的なものを(240)印歐語に求めるならば、A is B に於ける‘is’であつて、所謂繋辭 copila である。copila は即ち繋ぐことの表現である。印歐語に於いては、その言語の構造上、總括機能の表現は、一般に概念表現の語の中間に位して、これを結合する。從つてこれを象徴的に、A−B の形によつて表すのであつて、copila が繋辭といはれる所以である。右の樣な總括方法による統一形式を私は假に天秤型統一形式と呼んでゐる。この樣な形式に對して、國語はその構造上、統一機能の表現は、統一され總括される語の最後に來るのが普通である。
  花咲くか。
といつた場合、主體の表現である疑問「か」は最後に來て、「花咲く」といふ客體的事實を包み且つ統一してゐるのである。この形式を假に圖を似て表すならば、
  花 咲く※[三字□で囲む]か※[凵で囲む]  或は、 花咲くか〔四字傍線〕。
の如き形式を似て示すことが出來る。この統一形式は、これを風呂敷型統一形式と呼ぶことが出來ると思ふ。同樣にして、
  彼 讀まむ……   彼 讀ま※[三字□で囲む]む※[凵で囲む]  彼讀まむ〔四字傍線〕。
(241)  我 讀まむ……… 我 讀ま※[三字□で囲む]む※[凵で囲む]  我讀まむ〔四字傍線〕。
右の「む」は、「我」に對應して、その推量を表したものでなく、右の文の主體の推量を表したものである。「我」と主體とは、觀察的立場より見れば同一物であつても、その表現の上よりいへば、「我」は主體の客體化されたものであるから、主體それ自身ではないのである。從つて、「我」が、「彼」と全く同等の地位を占める所の客體の表現に過ぎないものであるといふことは注意すべきことである。助詞の場合でも同樣であつて、「山に〔右○〕」「川へ〔右○〕」「花も〔右○〕」「雨さ〔右○〕」等は、凡て、
  山※[□で囲む]に※[凵で囲む]  山に〔二字傍線〕。
の形に準じて理解すべきであつて、これらは凡て客體を主體的なるもので包み、或る一の主體的統一を表してゐることを意味するのである。助詞「に」の如きは一般に物と物との關係を表す語であるといはれてゐるが、かゝる關係の認識は、畢竟主體の物に對する認識に歸着するのであつて、「山に」といふ表現によつて、主體の物と物との關係に對する認定を、理解することが出來るのであり、「山」はかくして主體に對して或る聯關があることが、「に」によつて表現されてゐると考へなくてはならない。「に」を單に關係を表すものとして、「山に遊ぶ」は「山」と「遊ぶ」を(242)繋ぐものの樣に考へるのは、主膿的立場を除外した觀察的立場に於いてのみいはれることなのである。因に右の風呂敷型統一形式の圖解に用ゐた※[□凵]の形の意味は、引出しの引手を象徴したものであつて、引手は形式的には、引出しの一部に附著してゐるに過ぎないものであるが、意味的には、引出し全體を引出すものとして、引出しを統一し總括する關係に立つてゐるもので、辭は即ち引手と同樣な關係にあるものであることを示すものである。
 
         ハ 詞辭の下位分類
 
 詞と辭との二大別の原理は、詞辭の下位分類についても常に嚴重に守られねばならない。即ち、詞の中には絶對に辭の概念を含めてはならぬことである。以下そのことについて一言加へて置かうと思ふ。詞と辭との意味的關係は、例へば、「雨が」といふ連語をとつて見るに、「雨」及び「が」といふ各々の單語は、
  雨※[□で囲む]が※[凵で囲む]
右の圖が示す樣に、辭(が)は、詞(雨)を包む關係に立つてゐる。換言すれば、主體が客體界を包んでゐるのである。國語に於いては、詞と辭は容易に分析し得る形に於いて結ばれてゐるの(243)が常であつて、例へば、「降れ・ば」「花・は」「咲け・ど」に於いて見る如くである。かくして分離された詞は、それだけについて見れば、全く主體的規定のない純粋の概念のみの表現である。この點、詞と辭が一語の中に融合して、例へば、格の如き主體的規定が屡々一語の中に分析不能の形に於いて結合してゐる印歐語の或るものと著しく相違する點である。そこでは純粹の概念と主體的規定を表す音聲形式を分離して考へることが不可能となつてゐるのであるが、國語に於いては右の如く線條的に連結してゐるのが常態である。從つて判斷的陳述を表す處の文としての「降る。」「寒い。」といふ表現も、陳述が「降る」「寒い」に累加してゐると考へるよりも、或は又これらの語が本來陳述作用をも同時的に表すものであると考へるよりも、次の圖の如く、
  降る※[二字□で囲む]■
  寒い※[二字□で囲む]■
零記號の陳述■が、「降る」「寒い」といふ語を包んでゐると考へるのが妥當であると思ふ。このことは、「雨が降る」といふ文に於ける陳述の位置を考へて見れば了解出來ることであつて、それは「降る」のみに添加するのでなく、次の圖の如く、
(244)  雨が降る※[四字□で囲む]■  或は  雨が降る■〔五字傍線〕。
全體を總括し統一する關係にあると見なければならないからである。かく考へるならば、詞としての「降る」「寒い」等の語それ自身は、主體の規定を離れた純粹の概念として見なければならない。かくして、「山」「降る」「高し」「あはれなり」は、その過程的形式としては齊しく概念過程を經た處の詞であつて、その點については差異を見出し得ないのであるが、只それらが他の語と接續する際の語形に相違を見出すことが出來る。體言、用言、更に用言中に動詞形容詞形容動詞等をかくして類別することが出來るのである。以上の意味に於いて、近世の國語學者が用言を專ら動く言、體言を動かぬ言として認めたことに深い理由を見出すことが出來ると思ふのである。用言を以て陳述を表す語と考へるのは、純粹に概念的なものに、辭としての要素を加へて考へることになるのであるから、その時は既に詞としての用言を見てゐるのでなく、詞辭の結合したもの即ち文或は文節を見てゐることになるのである。用言を單語として考へる限り、それは純粹に概念的な詞としての用言を考へなければならない。以上のことは、述語的陳述に於いてばかりでなく、裝定的陳述に於いても通ずることである。例へば、「春の雨」に於ける「春の」は「雨」を裝定するのであるが、それは、「の」が「春」を包む關係に立つてゐる爲であつて、詞(春)辭(の)(245)の結合によつて始めて裝定的陳述が成立するのである。これを分解して、「春」のみを詞として考へる時は、それは純粹に概念的表現であつて、用言と比較して接續の語形を異にする處から體言といふことが出來る。同樣にして、「淋しき雨」「降る雨」に於ける「淋しき」「降る」を裝定的陳述といふ時は、それは詞としての「淋しき」「降る」に裝定的陳述を表す零記號の辭が添加したものを考へてゐるのである。これを前例と對比して見るに、
  春の………春※[□で囲む]の※[凵で囲む]
  淋しき……淋しき※[三字□で囲む]■
  降る………降る※[二字□で囲む]■
故に詞としての「淋しき」「降る」は、全く純粹に概念的なものとして考へるべきであつて、述語的陳述より分析された「淋し」「降る」と異る處はその語形である。こゝに、連體形、連用形の如き活用形の系列が認められるのであるが、それが專ら形式的系列であつて、職能的系列でないといふことは、體言用言の類別と同樣に、以上説く處によつて明かになつたことと思ふ。國語に於いて、一個の詞としての用言、例へば、「降る」「寒い」のみを以て文と考へることが出來るのは、(246)用言が陳述を兼備してゐるが爲でなく、詞としての用言に、零記號の陳述が連結する爲である。故にこゝでも詞辭の結合を以て文とするといふ私の文の本質觀を固執することが可能である(【第三章第四ロの項】)。印歐語に於ける單語の分類が、著しく論理的職能的色彩を帶びてゐるのに反して、國語のそれが古くから、體言用言或は動詞形容詞の如き形式を主として整理されて來たといふことは、單語の性質が兩者全く異にしてゐるが爲であつて、國語の文法研究の背後に論理乃至思索が缺けてゐるが爲では全然ないのである。以上は、詞の下位分類の基準が何處にあり、そして古來の體用の如き形式を主とした處の分類が、國語の構造上からもその根據を見出し得ることを述べて來たのである。
 次に、單語の分類に於いて、屡々重要な基準とされてゐる單語の獨立、非獨立の問題について考へて見ようと思ふ。元來語の獨立、非獨立といふことは、語と語との關係に關することであつて、語それ自身の本質上の相違ではない。或る語はそれ自身獨立して用ゐられるが、或る語は常に或る語と結合してのみ用ゐられるといふことが、はたして語を合理的に分類する基準になるか。このことを明かにするには、先づ單語認定の手續きを吟味して見るのが近道である。單語が孤立してゐる時は問題はないが、連鎖をなしてゐる時は、單語は如何にして分析されるか。その第一(247)段は、次の圖に示すが如く、
  雨〔括弧〕 降らむ〔三字括弧〕
  雨が〔二字括弧〕 降つた〔三字括弧〕
思想の分節が音聲の句切を生ずることを目安として、分節を造ることである。橋本進吉博士は、かくして出來た語の集團を文節と命名され、これは最も自然的な文の分解であるといつて居られる(【國語法要説一〇頁】)。右の文節は、これを構成要素の點からいへば、詞(註)或は詞と辭の結合が一團をなしてゐることは明かである。
 
  註 文より分節された右の詞は、嚴密にいへば零記號の辭が結合されてゐると見るのが正しいといふことは既に述べて來た。
 
右の分節が明かに示す樣に、國語の連鎖の最も自然的な分析は、必しも單語の認定には到達せず、多くの場合に、單語の結合されたものを見出させるに過ぎない。そこで第二段に進んで、次の如き分節が成立する。
  雨・■〔二字括弧〕 降ら・む〔三字括弧〕
  雨・〔二字括弧〕  降つ・た〔三字括弧〕
(248)右の如き分節によつて始めて單語が抽出されるのであるが、この單語抽出の段階は、文節の分解が自然的であるのに反して、一般に意識的であり、抽象的であり、歸納的であることが要求される。即ちそれは主體的意識に基くといふよりは、觀察的立場に基くのである。右例の「降つた」は、fut・ta と介解され、そこに極めて非現實的な“fut”を一單語として認定しなければならないのである。同樣にして、「飛んだ」に於いては、“ton”を、「咲いた」に於いては、“sai”を、更に通常の場合を考へて見ても、「咲かば」に於いては、“saka”を、「咲けば」に於いては、“sake”を夫々に一單語と認定しなければならないし、又その樣に認めるのが常である。かくして認定された處の單語は、凡てそれ自身獨立的に使用されないことは事實であつて、下に接する語を伴つて始めて具體的になる處の「降つ」「飛ん」「咲い」「咲か」「咲け」等の語と、上に接する語を伴つて始めて具體的になる「た」「だ」「ば」等の語とを區別することが出來るが、共に獨立的でないといふ點で共通してゐる。かくの如く單語の認定が全く抽象と歸納の操作によつて成立するものであることを考へる時、從來單語分類の基準として認められた獨立非獨立といふことには猶批判の餘地があると思ふのである。辭が獨立しない語であると同時に、詞にも用言の活用形の如く獨立しないものがある。「山」「川」の如きは明かに狗立した體言と考へられてゐるが、「旅館」「寫眞(249)館」の館〔右○〕、「富士山」「深山」の山〔右○〕、「藥舗」「店舗」の舗〔右○〕の如きは、獨立しては用ゐられないが、猶體言以外のものと考へることは出來ない。「やりかた」「しかた」のかた〔二字右○〕、「つぎめ」「さけめ」のめ〔右○〕又「度《たび》」「條」「樣《やう》」「相《さう》」等の如きも獨立的用法は持たないが、猶これを歸納的に見て一單語と考へられる。かくの如く、國語に於ける單語は、具體的なものの分析によつて認定されるのであるから、單語の認定が抽象的となるのは止むを得ないことであつて、從つてそこに獨立非獨立といふことが基準となり得ない理由が存在すると思ふ。以上の如く、單語の認定といふことは、文節の認定と異り、具體を離れたものの認定であるが故に、この理論を進めて行くならば、例へば、「この本」「わが國」に於ける「この」「わが」は、分析することによつて具體性を失ひ、「こ」「わ」は獨立的には用ゐられないにも拘はらず、「私の」「君が」等より「私」「君」が分析されて單語といはれると同樣に、「こ」「わ」も同樣に單語といつて差支へないと思ふのである。それは、「咲か」「咲け」が夫々に一單語といはれる以上に不合理ではない。右の如き理由から、品詞としての連詞(【湯澤幸吉郎氏國文法】)、副體詞(【松下大三郎氏標準日本文法、橋本進吉氏國語法要説】)、連體詞(【木枝増一氏高等國文法新講】)等については猶考慮の餘地があるのではないかと思ふ。接尾語「げ」「さ」「み」等も、獨立的用法のないにも拘はらず、その本質に於いて他の體言と相違しないものであり、その點印歐語の suffix と著しい對照をなすものである「【本章第二ヘの項參(250)照】)。詞辭の分析といふことは、本來抽象された思想(註)に對應するものであつて、從つて、國語の單語が抽象的に認定されることが多いのは必然の傾向と考へられるのであるが、印歐語に於ける單語は寧ろ詞辭の融合されたものに於いて認められ、從つて單語には具體性が著しい。印歐語に於ける單語は、國語に於ける詞辭の結合した文節に近いものであるといふことが出來るのである。以上、國語に於いては、獨立非獨立といふことが、單語分類の基準になり得ないこと、そして、國語に於ける單語は、抽象的歸納的操作の上に認定されるものであることを必しも却けるべきでないといふことを明かにして來た。
 
  註 表現の素材は、具體的には常に主體の何等かの規定を受けてゐる。いはゞ我々の具體的な思想内容は、對象とそれへの志向作用との綜合である。「山」は具體的には主語としての規定か、客語としての規定か、或は感動の對象としてか、何等かの規定に於いて存在するので、無規定な「山」は寧ろ抽象的にのみいはれるのである。
 
 以上の論述は頗る多岐に亙つたのであるが、右の説明の中に、零記號の陳述を辭と同格に一單語として取扱つたことについて注意を喚起したいと思ふのである。辭書の中に列擧されてゐる「寒い」とか、「流る」とかいふ語は、それだけでは單なる概念を表す詞に過ぎないのであるが、國語に於いては、肯定判斷としての陳述を表す場合にも右の形をそのまゝ用ゐる。
(251)  風が寒い。
  水 流る。
の如きがそれである。右の樣な場合、「寒い」と「流る」とは辭書的意味に更に陳述の加つたものと考へられ、山田孝雄博士は、用言の特質を寧ろその點に置かうとされてゐる。
 抑も用言の用言たる所以はこの陳述の能力あることによることは既に繰返し説きたる所なるが(【日本文法學概論六八一頁】)
從つて、氏の所謂「陳述のし方に關する複合尾」(【同、三一三頁】が、用言の内部的要素即ち語尾と考へられるに至り、更に用言の用とは、陳述の作用を有するものであると説かれるに至つたのである(【同上書一四八−一四九頁】)。用言に陳述の能力があると考へることは、文字が意味を持つてゐると考へると同樣に、構成主義的考方であつて、主體的立場に於いては、言語主體が用言に於いて、陳述を表してゐると考へなければならない。右の樣に考へて、それならば、主體の陳述は用言の中に含まれて表現されてゐるのであるかと考へて來ると、この零記號なる陳述の在所といふものが、問題である。しかしながら、陳述の存在といふこと自體は疑ふことの出來ない事實であつて、若し陳述が表現されてゐないとしたならば、「水流る」は、「水」「流る」の單なる單語の羅列に過ぎないこととなる。そして陳述の本質を考へて見れば、それは客體的なものでなく、全く主體的な肯定判斷その(252)ものの表現であるから、明かにそれは辭と共通したものを持つてゐるのである。既に述べた樣に、印歐語に於いては、A is B に於ける如く、繋辭は語と語の中間にあつて、これを結合するといふ形になつてゐるのが原則的である。從つて、
  he runs……he−runs
といふ樣に、これを統一する處の陳述は、語の中間に零記號にて存在するものと考へられるのである。國語に於いては、「犬走る」の如き例のみを見て、右の英語の場合と對比するならば、或は次の如く、
  犬−走る。
と考へられ、陳述の位置が「犬」と「走る」との中間にある樣に考へられるかもしれないのであるが、國語に於ける他の主體に屬するものの直接表現の有樣を見るならば、
  山は雪か〔右○〕……山は雪※[三字□で囲む]か※[凵で囲む]………山は雪か〔四字傍線〕。
  外は雨らしい〔三字右○〕……外は雨※[三字□で囲む]らしい※[三字凵で囲む]……外は雨〔三字傍点〕らしい〔三字の横に□〕
右の樣に客體的なものの表現の最後に位して、客體的なものを包む樣な形に於いて統一を表して(253)ゐる。この樣に見て來るならば零記號の陳述も、
  犬走る………犬走る※[三字□で囲む]■………犬走る■〔四字傍線〕。
右の樣な位置にあるものと考へるのが適切であるとすべきである。
 
         ニ 辭と認むべき「あり」及び「なし」の一用法
 
 現行文法書の助詞及び助動詞は、私のいふ處の辭に合致するものであるが、辭を前諸項に述べた樣に規定する時は、現行文法書に記載された助詞助動詞の内容には、猶幾分の出入を認めなければならない。その一は、一般に動詞として詞に屬するものと考へられてゐる「あり」及びその一群の語である。
  こゝに梅の木が〔右○〕ある〔二字二重傍線〕。
  これは梅の木で〔右○〕ある〔二字二重傍線〕。
の二の例に於いて、が〔右○〕に接續する「ある」が存在の概念を表し、で〔右○〕に接續する「ある」が判斷的陳述を表すことは明かな事實である。然るに
  講演は講堂である〔二字二重傍線〕。
(254)の樣な例に於いては、講演は講堂で行はれるといふ風に、「ある」を存在概念として理解する場合と、講演は講堂だ、といふ樣に「ある」を判斷の表現として理解する場合とが考へられる。この二の理解は結局同一事實を理解することになるであらうが、表現としては著しく相違したものである。この相違を文法的に理解しようとするならば、一方の「ある」を概念表現の詞とし、他方を主體的立場の表現である辭としなければならないと思ふのである。山田孝雄氏は、氏の語類別の根本的基準即ち概念の具體性と抽象性といふことに基いて、「あり」を他の動詞から區別し、これを存在詞と命名された(【日本文法學概論第十三章】)。山田氏に從へば、この分類は、「あり」といふ語の意味内容が極めて抽象的であるといふことに基いでゐるのであつて、氏の立場からいへばこれも當然の結論であらうが、抑々意味内容の具體性といふことは單に比較上の問題であつて、「戰ふ」が具體的概念を表し、「思ふ」が抽象的概念を表すと考へる以上に根本的な相違を持つものではない。「あり」を意味内容の具體性といふ點で他の動詞より區別する以上に重要なことは、「あり」に右述べた樣な概念的表現と、陳述的表現との二の相違があることである。勿論山田氏も「あり」に右の二の用法があることは認めて居られる(【同書、二七〇頁】)。即ち、
  一、存在の義を表すもの――こゝに梅の木がある〔二字二重傍線〕。
(255)   二、陳述の義のみを表すもの――これは梅の木である〔二字二重傍線〕。
但し、山田氏に於いては、概念的表現と、陳述的表現との區別は、非常に重要な區別と考へられてゐるにも拘はらず、陳述は常に用言に寓せられてあるといふ見地から、右の區別に基いては語の類別が施されてゐないのであるが、第二の用法が、單に第一の用法の派生的なものであると見ることは出來ないのであつて、それが表現性に於いて全く相違したものであることは、右の例によつても知ることが出來るであらうと思ふ。辭即ち助詞助動詞を他の詞から區別する根據を、右の表現性に求めるとするならば、「あり」についても、詞としての用法と、辭としての用法とを截然と區別する必要があるのである。「あり」を右の如く二分することによつて始めて、
  講演は講堂で〔二字二重傍線〕。
に現れる二の理解を文法的に處理することが可能となつて來るのであつて、若し單に「あり」を存在詞と考へるに止まるならば、右の二の相違を説明することは出來ない。詞辭の區別によつて、右の文を理解するならば、それは次の樣に圖解することが出來る。
  講演〔二字傍線主語〕は 講堂〔二字傍線補語〕で ある〔二字二重傍線述語〕 (「ある」は「行はれる」の意味で、詞である)
(256)  講演〔二字傍線主語〕は 講堂〔二字傍線述語〕で ある〔二字二重傍線辭〕 (「ある」は判斷の表現で、辭である)
同樣なことは次の歌についてもいへる。
  我が命も つねにあらぬか 昔見し 象の小河を 行きて見る爲(【萬葉集三三二】)
「つねにあらぬか」の「あり」を存在詞として見れば、「常にあれかし」の意となるが、判斷辭として見れば、「常であれかし」「不變なれ」の意となる。
 次に辭として考へ得られる「あり」の用法を見るに、「で」と結合する場合は既に述べた。「に」と結合する場合は、
  學生なり〔二字二重傍線〕(に〔右○〕・あり)
  あはれなり〔二字二重傍線〕(に〔右○〕・あり)
  物に〔右○〕もあら〔二字二重傍線〕ず
「と」と結合する場合は、
  事と〔右○〕あり〔二字二重傍線〕
  わざと〔右○〕ある〔二字二重傍線〕上手ども
  なか/\に人と〔右○〕あら〔二字二重傍線〕ずは
(257)又副詞として用ゐられる語と結合する場合は、
  うたてあり〔二字二重傍線〕
  かくあれ〔二字二重傍線〕ば
「で」と結合して、「だ」「ぢや」となつた場合は、
  人だ〔二重傍線〕
  本當ぢや〔二字二重傍線〕
「あり」が場面の制約を受けて、主體の敬意を表現する場合は、
  私は男です〔二字二重傍線〕
  山は高いです〔二字二重傍線〕
  水は流れるです〔二字二重傍線〕
  これは私の本で〔右○〕ございます〔五字二重傍線〕
  結構で〔右○〕ござります〔五字二重傍線〕
以上の例は、凡て存在の概念を表すことなく、「何々だ」といふ陳述を表すものであることは明かである。因に以上の陳述を表す「あり」と結合する處の「で」「に」「と」等は、元來それだけで判斷的陳述を表し得るのであるが、中止的用法にのみ用ゐられ、他の場合には「あり」と結合して(258)判斷的陳述を完成するのである。中止的用法のものは、例へば、次の樣な例である。
  艦隊は威風堂々と〔右○〕入港した
  月明かに〔右○〕、星稀に〔右○〕、烏鵲南に飛ぶ
  結果は不首尾で〔右○〕、又やり直した
「と」「に」「で」を以上の如く陳述と見るならば、述語は夫々「堂々」「明か」「稀」「不首尾」であつて、「と」「に」「で」は、他の辭と同樣に、それら述語に對應する主語を總括して句を統一するのである。即ち、
  威風堂々と〔五字傍線〕。
  月明かに〔四字傍線〕。  星稀に〔三字傍線〕。
  結果は不首尾で〔七字傍線〕。
「あり」の一用法に、辭と認めねばならぬものがあることは以上によつて略々明かになつたと思ふのであるが、次に、同樣に考へられるのは、形容詞の連用形に結合した「あり」である。
  この冬は暖かり(く・あり〔二字二重傍線〕〕き
右の例に於いては、既に零記號の陳述の加つた「暖く」に「あり」の結合したもので、その形式(259)は、「學生で〔右○〕」に「あり」が結合したものと同じであるといふべきである。右の如き「あり」については、山田孝雄氏は日本文法學概論に於いては、單に形容存在詞と命名されただけで(【二七三頁】)、それについての詳細な説明を避けてゐられるが、日本文法論には次の如き説明を與へられた。
  第一種の場合(存在概念を表す場合をいふ)と同じく事物に對してある種の存在的意義をあらはすものなれど、第一種のものは事物そのものの存在をあらはし第二種のもの(「暖かり」の類)は屬性そのものが本體たる事物その者の上に存することをあらはすなり(【日本文法論三四〇頁】)。
右の「屬性そのものが本體たる事物その者の上に存する」といふことは、「この冬は暖かりき」といふ表現をそのまゝに理解した處からは出て來ないのであつて、右の文を、
  暖かさはこの冬にありき
とでもした場合にいひ得ることである。但しこれは言語を離れた説明であつて首肯出來ないことである。山田氏もそれを認めて概論に於いては説明を避けられたものと思ふのであるが、右の例をこのまゝ受取つた場合でも次の樣な二樣の理解が成立することが可能である。
 (一)「あり」を存在の概念の表現とし、「暖く」をその限定とし、「暖くあり」を「この冬」の述語と考へ、この冬はこれ/\の有樣で存在するといふ意味に解するのである。その時、「暖かり」は(260)一の詞と考へられるのである。
 (二)「あり」を陳述とし、「この冬は暖い」といふ判斷に更に判斷が重加したものと解するのである。口語に於ける「この冬は暖いです」の「です」、「暖うございます」の「ございます」と同樣に考へようとするのである。
 右の二樣の理解について、その何れが正しいかといふことは暫く措いて、事實この二の理解が可能なのであつて、問題は、夫々の理解に對して、「あり」を如何に處理するかといふことなのである。前者の理解即ち「あり」を存在と考へる立場からは、「暖かり」を一語とし、詞と考へて、これを形容動詞とする立場が生まれて來る。これに對して後者の理解即ち「あり」を陳述と考へる立場からは、「あり」を「暖く」から引離し、次の樣に理解する立場が生まれて來る。
  この冬〔三字傍線主語〕は 暖く〔二字傍線〕述語 あり〔二字二重傍線〕き〔二重傍線〕
右の理解に從へば、「ありき」は、
  この冬は 暖いよ〔二重傍線〕(か〔二重傍線〕、ね〔二重傍線〕、らしい〔三字二重傍線〕)
に於ける辭「よ」「か」「ね」「らしい」と全く同列に考へられることとなつて、更に進んでは、「ありき」は、
(261)  本を讀みき〔二重傍線〕
  水は流れき〔二重傍線〕
に於ける「き」と同樣に考へられることとなるのである。形容詞連用形に「き」が續く場合、その中間に介在する「あり」は、宛も「暖い」で陳述が完成してゐるにも拘はらず、更に「暖いです」といふ場合の「です」に相當するものと考へられるのである。右の如く中間に「あり」を必要とすることは、被接續語の性質によるものであつて、「き」が他の辭に續く場合にも起こる現象である。
  花咲きに〔右○〕き〔二重傍線〕。
  みぐしおろし給ひて〔右○〕き〔二重傍線〕。
の如く「に」「て」に直に續く場合と、
  花咲くべかり(べく〔二字右○〕−あり〔二字二重傍線〕)き〔二重傍線〕。
  みぐしおろし給はざり(ず−あり〔二字二重傍線〕)き〔二重傍線〕。
の樣にその中間に「あり」を必要とする場合とがある。右の「あり」は存在概念を表すものとは考へられないのである。形容詞連用形接線の「あり」に二樣の理解が成立すると同樣に、「ず−あ(262)り−き」の「あり」についてもその取扱方は從來問題であつたのである。「暖かり」を一語と見て、「あり」をその語尾の樣に見る立場からは、「ざり」を一語と見、「あり」をその活用と見るのである。橋本進吉氏は、右の樣な「あり」を補助用言といはれてゐる。
 
  (參考) 新文典別記上級用第一四〇項以下
     助動詞の分類について、國語と國文學第十三卷第十號
 
 氏の考に從へば、補助用言「あり」の附いたものは一語となり、その活用は補助活用といはれる。氏は、「ず」について次の樣に説明してゐられる。
  「ず」は、(a)補助活用はないかといふに、之と同じ意味の助動詞「ざり」があつて、ラ變と同樣に活用し、「ず」にない命令形をこれによつて補つてゐる(「思はざれ」「願はざれ」の類)。これはその起源に於いて「ず」の連用形「ず」に動詞「あり」が附いて合體したもので、形容詞の連用形に「あり」が合して出來た、形容詞の補助活用と趣を同じうする(【前掲論文一五九頁以下】)。
右の論旨に於いては、補助用言が詞に屬するものであるか、辭に屬するものであるか、明かにされてはゐないが、形容動詞の語尾を形容詞の補助活用とする處は、詞とも見られ、「ず」の補助活用として「ざり」を助動詞とする處は辭とも考へられてゐるのである。要するに、「ざりき」の樣(263)な場合は、「ざり−き」とし、「べからず」の樣な場合は、「べから−ず」として取扱ひ、凡て「あり」は上の語に接續せしめて考へられてゐるのである。「あり」の一用法を辭と認める私の立場に於いては、「ず−あり−き」「べく−あら−ず」といふ樣に凡て辭の結合と考へる。取扱方によつては、「ありき」「あらず」を一體と見て、夫々「き」「ず」の接續による變容ともすることが出來る。宛も敬語的陳述が、
  咲く〔二字傍線〕■〔二重傍線〕    零記號の陳述
  咲き〔二字傍線〕ます〔二字二重傍線〕 「ます」は零記號の變容
  美しう〔三字傍線〕ございます〔五字二重傍線〕 「ございます」は零記號の變容
右の如く零記號より、「ます」「ございます」と變容する場合と同樣にも考へられるのである。若し「あり」を詞の補助活用と考へるならば、右の「ございます」の如きも補助活用として考へなければならないのである。
 「あり」の一用法を辭と見る考方は、次の樣な事實にも適用出來ることである。
  あり〔二字二重傍線〕つる文
  あり〔二字二重傍線〕し面影
(264)  あら〔二字二重傍線〕ず
  と〔右○〕ある〔二字二重傍線〕家
右の如きは、具體的概念を表す詞を省略し、その陳述のみを「あり」を以て表現したのであつて、例へば
  (間) 汝は行くか。
  (答) あらず。
の如く、「行く」といふ詞を省略し、否定的陳述「ず」の代りに「あらず」といつたのである。右の諸例は、いはゞ辭の獨立的用法ともいふべきものである。辭は一般には獨立しては用ゐられないのであるが、詞辭の結合に於いて、屡々辭が零記號にて表される樣に、或る場合には詞が零記號にて表されることも認めてよいと思ふのである。
  火事か〔二重傍線辭〕………→火事?……火事※[二字□で囲む]■  辭が零記號の場合
  天氣〔二字傍線詞〕だが……→だが………→■だが※[二字凵で囲む]  詞が零記號の場合
詞の零記號になる場合は、それが省略きれても自明のこととして理解される樣な場合である。
  雪が降つてゐる。 だが〔二字二重傍線〕暖い。
(265)  風は吹かない。  けれども〔四字二重傍線〕花が散る。
猶、「が」「だから」「だのに」「だつて」「で」「でも」「では」「ですから」「でしたら」等は獨立的に詞が省略されて用ゐられる。こゝに注意すべきことは、「降つてゐる」といふ樣な零記號の陳述を受けてこれを繰返す時、「だが」といふ形で受けることであつて、これによつて見れば、「だ」と零記號の陳述は同一のものであることが知られるのである。否定的陳述が「あらず」となる場合も、「あら」は同樣に零記號の陳述と同價値と見ることが出來るのである。
 再び飜つて形容詞連用形接續の「あり」について考へて見るのに、既に述べた樣に、そこには詞としての「あり」と、辭としての「あり」との二の理解の契機を含み、「暖いです」「暖うございます」の「です」「ございます」となれば、明かに辭としての用法と認めらるべきものとなるのであるが、それならば、次の如き「あり」の發展はこれを如何に考へたらばよいであらうか。「あり」と同樣に存在の概念を表す處の「あらせらる」「いらつしやる」「おはす」等が、
  殿下は中將で〔右○〕あらせらる〔五字二重傍線〕。
  殿下は中將で〔右○〕いらつしやる〔六字二重傍線〕。
  殿下は中將にて〔二字右○〕おはす〔三字二重傍線〕。
(266)右の如く用ゐられた場合、
  彼は中將だ〔二重傍線〕。
と比較して、右諸例の「あらせらる」以下を同樣に判斷的陳述の表現と解すべきであるかといふに、「あらせらる」以下のものは、猶存在の概念を表すものと考へるべきである。同樣なことは、
  私は背が高うございます〔五字二重傍線〕。
  殿下はお背がお高くいらつしやる〔六字二重傍線〕。
の例でも、前者の「ございます」は、判斷辭の聽手に對する尊敬による變容と考へられるが、後者の「いらつしやる」は、表現素材のありかたの表現に關するものであつて、主語となる事物が、その樣に存在するといふことを表したものである。このことは猶敬語論に於いて述べるつもりであるが、素材のありかたの表現は詞に屬するものである。右の二例は、その表現の外形のみを見れば、同じ樣に考へられるのであるが、それに對する理解を反省して見るならば、右の樣な區別が認められるのであつて、これを文法的にいへば、一方が辭であり、他方が詞であるといふことになるのである。それならば、「あり」が詞より辭に轉換したと同樣に、「いらつしやる」以下も亦當然辭としての用法に轉ずることが可能でなければならない筈であるが、「いらつしやる」以下が(267)特殊の存在の概念を表すものとして用ゐられてゐる限り、それは辭には轉換しないのであり、辭に轉換した時は、もはや特殊の素材についての表現の效果を失ふものと考へられる。「ござる」は元來存在についての敬語的表現に用ゐられたものであるが、後に場面に對する敬語として用ゐられて來ると、
  私は背が高うございます〔五字二重傍線〕。
とはいひ得ても、
  殿下はお背がお高うございます〔五字二重傍線〕。
は、聽手に對する敬意の表現とはなつても殿下に對する敬意の表現とは必しもなり得なくなるのである。又、單なる判斷として表現するよりも、存在として表現する處に、素材に對する敬意の表現の技術があるといふことも考へられるのであつて、「行く」よりも「行きなさる」「高い」よりも「高くおありになる」が一層敬語として價値があることを見ても知られることである。
 「あり」に存在詞としての意味と、判斷辭としての意味とが存在することは、「て」「に」と結合する場合にも現れて來ることである。
 「て」と「あり」の結合。この結合が口語に「た」となつた時、
(268)  咋日見た〔二重傍線〕。
  あなたに送つた〔二重傍線〕本。
右の如き「た」は明かに辭としての用法であるが、
  少し待つた〔二重傍線〕方がいゝ。
  尖つた〔二重傍線〕山。
の如き「た」は、「……てゐる」の意であつて、詞としての用法である。現在では、「た」は確認的陳述を表す結果、詞としての用法には寧ろ「待つてゐる」「尖つてゐる」といふ樣に、明かに存在概念を表すことの出來る語を別に用意する樣になつて來たが、口語の「た」に右の樣な二樣の理解が可能なのは、その源流に於いて、存在詞として用ゐられた「あり」と、判斷辭として用ゐられた「あり」の存することを物語るものである。
  殘りたる〔二字二重傍線〕雪に交れる(【萬葉集八四九】)。
  いづこに這ひまぎれて、かたくなしと思ひ居たら〔二字二重傍線〕む(【源氏空蝉】)。
  向ひたる〔二字二重傍線〕廊の、上もなく荒ばれたれ〔二字二重傍線〕ば(【同、末摘花】)。
右は「あり」を存在概念の詞として理解すべき例であるが、
(269)  さし櫛みがく程に、物にさへて折れたる〔二字二重傍線〕、車のうちかへされたる〔二字二重傍線〕(【枕草子あさましきもの】)。
  物くはせたれ〔二字二重傍線〕ど食はねば(【同、うへにさぶらふ御猫は】)。
右は、確認を表す判斷辭とすべき例である。
 「に」と「あり」との結合。
  吉野|爾在《ナル》なつみの河の(【萬葉集、三七五】)。
  駿河|有《ナル》ふじの高嶺の(【同、二六九五】)。
  この西なる〔二字二重傍線〕家には(【源氏、夕顔】)。
右の「あり」は、存在詞として理解することが可能であるが、それはやがて單なる陳述の表現に轉換する。
  うつせみの人|有《ナル》我や(【萬葉集、一六二九】)。
  何有《イカナル》人か物思はざらむ(【同、二四三六】)。
  晝はながめ、夜は寢覺めがちなれ〔二字二重傍線〕ば(【源氏、空蝉】)。
  こゝの宿守なる〔二字二重傍線〕男(【同、夕顔】)。
右の如き用法から、更に、
  その事なら〔二字二重傍線〕ば、
(270)  餘りな〔二重傍線〕ことです。
の如き純然たる辭の用法が發展する。以上のことについては猶詞辭の轉換の原理を述べる際に附加へることとして(第三章第二ヘ)、こゝには、「あり」に辭としての用法があることを指摘するに止めて置く。
 「あり」の一用法を助動詞即ち活用ある辭と認めたと同樣な原理を以て、「なし」の一用法も辭と認めるべきである。「なし」は元來形容詞であつて、詞に屬すべきものであるが、それが次第に肯定判斷に對立する否定判斷を表す樣になつて來る。本來、肯定判斷に對立する否定判斷は、「ず」或は「あらず」を用ゐるのが普通である。
  水流る。  水流れず。
  山高し。  山高からず。
然るに、
  その事と〔右○〕なく〔二字二重傍線〕て
  その人と〔右○〕もなく〔二字二重傍線〕て。
  思しまぎるると〔右○〕はなけれ〔三字二重傍線〕ども。
(271)  よそにのみ聞かましものを音羽川渡ると〔右○〕なし〔二字二重傍線〕にみなれそめけむ(【古今集、第十五卷】)。
  夜と〔右○〕なく〔二字二重傍線〕、晝と〔右○〕なく〔二字二重傍線〕。
  それと〔右○〕なく〔二字二重傍線〕。
  見ると〔右○〕もなく〔二字二重傍線〕。
右の諸例は、「あり」の用法中、「事とある」「うたてあり」「かくあれば」等の用法に對應するものであつて、詞としての用法と考へることが出來ない(註)。
 
  註 「事となくて」は次の樣に用ゐられる。
    その事となく〔二字二重傍線〕て、對面もいと久しくなりにけり(源氏、若葉下)
    その事となく〔二字二重傍線〕て、しば/\も聞え承はらず(同、竹河)
   右の例の意味は、「その事無くて」とは別であつて、「たいした事でなければ」の意味である。右の用法は又、
    その人ともなく〔二字二重傍線〕、かすかなる脚弱車などは(同、行幸)
    母方もその筋となく〔二字二重傍線〕、物はかなき更衣腹にて(同、若菜上)
   等の例にて知らるゝ樣に、非存在を意味するのでなく、「身分のいゝ人でなく」「いゝ家柄でなく」の意味である。これらの例は、「あり」の用法の場合も同樣で、
     はか/”\しき御後見しなければ、事とある〔二字二重傍線〕時は、なほよりどころなく心細げなり(同、桐壺)
   右の「事とある」は、事があるの意味でなく、重大な事である〔三字二重傍線〕時、或は、重大な事の時と解するのが、右の文の構造に(272)即した解釋である。猶次の二例を比較對照するならば、一層明かになるであらう。
     その人ともなく〔七字傍線〕、かすかなる脚弱車などは(源氏、行幸)
     右の大臣の御勢は、物にもあらず〔六字傍線〕おされ給へり(同、桐壺)
   右の「ともなく」「にもあらず」は同價値の用法であつて、「あらず」を辭と考へるならば、「なく」も辭と考へざるを得ないのである。
 
右の樣に肯定判斷に對立する否定判斷を表す「ず」「あらず」は、口語に於いて「ない」を用ゐる樣になつて來る。「ず」は動詞未然形について否定を表すのであるが、上に述べた陳述の「なし」「ない」が、これに代つて次の樣に用ゐられる。
  水流れず〔二重傍線〕。    水は流れない〔二字二重傍線〕。
次に形容詞に接續して否定を表す「あらず」は、「あり」の關係上、形容詞の連用形に接續するのであるが、この「あらず」も同樣に「なし」「ない」によつて置き換へられるのであるが、その際「あらず」の接續面をそのまゝ襲つて、「なし」「ない」は形容詞の連用形から接續することとなる。
  山高からず〔三字二重傍線〕(く・あらず〔三字二重傍線〕)。    山は高くない〔二字二重傍線〕。
次に「にあらず」「にてあらず」に置換つたものは、
(273)  惜マセ給ヘキ御身ニ〔右○〕ハナケレ〔三字二重傍線〕ドモ(【延慶本平家物語。山田、平家物語の語法による】)。
  是ハサセル其者ニテ〔二字右○〕モ無シ〔二字二重傍線〕(【同上】)。
これがやがて次の樣になる。
  人に〔二字右○〕あら〔二字二重傍線〕ず(人ならず)。
  人で〔右○〕ない〔二字二重傍線〕。
山田孝雄氏は、動詞未然形に接續する「ない」を助動詞(山田氏の云ふ複語尾)と認め、形容詞連用形に接續する「ない」は形容詞であるとして、助動詞と認めないのは、氏の所謂複語尾が動詞存在詞にのみ存するといふ規定(【日本文法學概論二九六頁】)に相應せしめる爲には必要にして便宜なことであらうが、右諸例の「ない」については、山田氏自身、
  この場合の「ない」は本來の無の意義より一轉して漢字の「非」の字の義に似たる意義をあらはせるものなり。即ち「なし」はもと「あり」の存在の反對たる「無」の意義をあらはしたりしが、いつしかその意義擴張せられ、陳述をなす「あり」の反對なる意にまでも用ゐられたるものにしてこゝに「非」の字の義を有するに至れるものなり(【日本文法學概論三三一頁】)。
右の如く述べてゐられる處によつて明かな樣に、既に陳述を表す樣に變化したものである。陳述を表すものは、その語源は如何にあらうとも、辭と認めようとするのが私の立場である。否定辭(274)は、動詞にあつては未然形に接續して、連用形に接續することがないといふ理由を以て、形容詞連用形接續の「ない」を助動詞でないとする考の妥當でないことは、上に述べたことによつても略々明かになることであるが、元來「なし」は「あらず」に代るべきもので、「あらず」が詞の用法から辭の用法に移つたことを認めるならば、その代用たる「ない」が連用形に接續して陳述を表すことも亦認めなければならない。動詞未然形接續の「ない」は、形容詞接續のものに遲れて成立したと考へられるのであつて、「あらず」に相應する「ない」が充分否定的陳述として熟して然る後、動詞未然形接續の「ず」に代用される樣になつたと考へるならば、接續關係を異にすることを以て、右諸例の「ない」を形容詞であるといふ根據とすることは出來ない。右諸例の「ない」を辭とするならば、これを次の如く圖解することが出來る。
  山〔傍線主語〕は高く〔二字傍線述語〕ない〔二字二重傍線辭〕。………山は高く※[四字□で囲む]ない※[二字凵で囲む]………山は高く〔四字傍線〕ない〔二字横に長方形〕
「ない」は「山は高い」といふ事實を否定することを表すのである。若し右の「ない」を形容詞として詞と考へるならば、その圖解は、
  山〔傍線主語〕は高くない〔二字傍線述語〕。
右の如く、「ない」は「山」の非存在概念とならなければならない。非存在の概念が「高く」と限(275)定修飾されることは、考へ得られることであるかも知れぬが、この文によつて理解される事實とは甚しく遠くなる。この文は決して山が存在しないことをいはうとしてゐるのではないのである。良に次の樣な文に於いて、
  山はなくない。
第二の「ない」を詞として解釋することは不可能である。これは
  山〔傍線主語〕は なく〔二字傍線述語〕 ない〔二字二重傍線辭〕。………山はなく※[四字□で囲む]ない※[二字凵で囲む]………山はなく〔四字傍線〕ない〔二字横に長方形〕
と解すことによつて始めて、山の非存在を否定する文意と合致した文法的處哩となるのである。たゞこゝに右の「ない」を形容詞として考へ得られる場合がある。但しそれは、「ない」そのものだけを詞として認めるのでなく、辭としての「ない」が詞と結合して、それが全體として形容詞と同樣な取扱を受け得ることがあるといふことである。このことについては、次の項で述べるつもりであるが、例へば、
  家の遠くない〔二字二重傍線〕方は、
右の「ない」は、本來辭であつて、「家が遠い」を總括してこれを否定するのであるが、この場合は、「遠く」と結合して「遠くない」で一の單位を構成し、主語「家」と次の樣な關係になる。
(276)  家〔傍線主語〕の  遠くない〔四字傍線述語〕
しかしながら、右の如き用法は、詞としての「ない」から直接に出て來るのでなく、辭としての用法があつて始めて成立するものであることも次の項に述べるつもりである。
 又形容詞接續の「ない」を助動詞と認めない根據として、山田氏の指摘した接續の相違といふことの外に、形容詞接續の「ない」は、その間に他の語が介在することがあるが、動詞の場合にはそれが無いといふのである(【橋本進吉氏新文典別記上級用第二〇、第一四一項參照】)。例へば、次の如くである。
  寒くは〔右○〕(も〔右○〕、など〔二字右○〕) ない。
  流れ(他の語の介在を許さぬ)ない。
動詞接續の「ない」は、「ず」に置替つたものであつて、動詞と否定の「ず」の結合は、一般には未然形によるのであるが、その中間に他の語が介在する時は、次の如き形をとる。
  流れず〔二重傍線〕。
  流れは〔右○〕(も〔右○〕、など〔二字右○〕)せず〔二重傍線〕。
否定の「ない」は、右の「せず」の「ず」に置換へられたのであるから、次の樣になる。
  流れは〔右○〕(も〔右○〕、など〔二字右○〕しない〔二字二重傍線〕。
(277)右の助詞「は」「も」「など」の下に現れて來る動詞は、いはゞ上の動詞の抽象的反復であつて、助詞によつて遮斷された用言への接續を、「爲《す》」の反復によつて保持しようとする傾向を示したものである。この現象は、
  月明かにや〔二重傍線〕。  月明かには〔右○〕(も〔右○〕、など〔二字右○〕)ありや〔二重傍線〕。
  山高きか〔二重傍線〕。  山高くは〔右○〕(も〔右○〕、など〔二字右○〕)あるか〔二重傍線〕。
等の例でも知られるのである。右の如く、他の語の介在によつて、新しく現れて來る「す」「あり」は、殆ど用言の屬性概念を抽象して、陳述の表現に代用されたものと考へることが出來るのである。「あり」が陳述を表すことは上に述べたが、「す」も亦同樣な傾向がある。
  山高うし〔二重傍線〕て。
  辛うじ〔二重傍線〕‖て立出づ。
  子とし〔二字二重傍線〕てあるまじきこと。
さて以上の樣に考へて來るならば、動詞接續の「ない」は、その中間に他の語の介在が許されないといふことも必しも絶對的とはいひ得ない。そして形容詞接續の「ない」は元來「あらず」に置替へられたものであると考へるならば、動詞の場合と同樣に、陳述を反復して、
(278)  山は高くは〔右○〕(も〔右○〕、など〔二字右○〕)あらない〔二字二重傍線〕。
  山は高くは〔右○〕(も〔右○〕、など〔二字右○〕)しない〔二字二重傍線〕。
などといふことは、却つて蛇足であるといはなければならない。以上何れの點から見ても、「ない」に辭としての用法を認めることに不合理な點はなく、これを形容詞として取扱ふことは、寧ろ文の理解と文法的操作とを乖離させることとなるのである。
 
         ホ 辭より除外すべき受身可能使役敬讓の助動詞
 
 前項に於いては、辭に新しく編入すべき語について述べたのであるが、本項に於いては、辭より除外すべきものとして、所謂受身可能使役敬讓の助動詞について述べようと思ふ。
 辭即ち助動詞は、これを過程的構造についていへば、概念過程を持たぬ處の語であり、從つてその表現性からいへば、詞が客體的なものの表現であるのに對して、辭は主體的なものの直接的表現であるといふことが出來る。更に具體的にいへば、詞は第三者のことについて述べることが出來るが、辭は主體的なものしか述べることが出來ない。右の樣な表現性を持つ詞と辭は、これをその相互の意味的聯關についていへば、詞は包まれるものであり、辭はこれを包む處のもので(279)ある。以上が私の詞及び辭の本質に關する考の大要である。以上の樣な考に基いて、廣日本文典以來助動詞に編入されてゐる處の受身可能使役敬讓の助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」について見るに、それは辭として見るよりも寧ろ詞として考へなければならないことを知るのである。「る」「らる」以下の語を、單にその接續の形式の上からのみ見るならば、他の辭と同樣、獨立しない語であるが、これをその表現性の上から見るならば、その性質が他の辭とは著しく相違するのである。山田孝雄氏は、「る」「らる」以下を他の辭と同列に複語尾として一括されたが、猶そこに差別のあることを認めてゐられる。氏は複語尾を分つて、
  一、屬性の作用を助くる複語尾
  二、統覺の運用を助くる複語尾
の二とし、「る」「らる」以下のものを、第一の部類に編入し、状態性の間接作用に屬するものとして「る」「らる」を、發動性間接作用に屬するものとして「す」「さす」「しむ」を區別された(【日本文法學概論三一〇頁以下】)。又橋本進吉氏も、文節構成上の性質から、受身使役等の助動詞が他と異るものであることを認めてゐられる(【國語法要説七七頁】)。かくの如く受身以下のものが、他と別個のものであることが考へられながら、山田氏も橋本氏も猶これを複語尾或は辭として他と同列に扱はれたのは何故であるか(280)と想像するのに、それはこれらの語が形式上他の複語尾或は辭と酷似して獨立しては用ゐられないといふことを重視された爲であると考へられるのである。語の形式的接續關係から見るならば、受身以下の助動詞も、他の助動詞と同樣に、常に動詞に接續してゐるから、右の點ではこの兩者の間に區別を見出すことは出來ない。山田氏がこれらを他の複語尾と同例に扱はれたのも右の理由に基くものと考へられるのである。橋本氏が辭と接尾語との間に根本的差別を見出されなかつたことも、文節構成上の性質といふ形式的接屬關係を追求し、受身以下のものと他の辭とを同列に扱はれた當然の歸結であると考へられるのである。それならば、受身以下のものと他の辭とを區別するには如何にしたならばよいかといふに、既に述べた樣にこれを辭の本質から考へて行かなければならないのである。一般の辭は、意味的に見て、詞によつて表現される處の客體に對する主體的な立場を表現してゐる。
  花咲かむ〔二重傍線〕。
に於いて、「む」は「花咲く」ことに對する想像的陳述の表現である。これに反して受身の「る」は、
  彼は人に怪しまる〔二重傍線〕。
(281)に於いて、「彼は人に怪しむ」を總括してゐるとは考へることが出來ない。又「む」は主體的な想像の表現であるのに對して、「る」は客體的な彼についての或る事柄の表現であつて、主體的な何ものについての表現でもない。更に他の例についていふならば、可能の「らる」は、
  我はこの問題に答へらる〔二字二重傍線〕。
  彼もこの問題に答へらる〔二字二重傍線〕。
の例に見る樣に、第一の場合は、話手の可能の表現の樣に見えるが、それは主體的なものの直接的な表現でなく、主體的なものを客體化して表現してゐるのである。第二の場合は彼についての表現であつて、客體的表現に屬することは受身の場合と同樣である。一般の辭には絶對にこの樣なことはあり得ない。
  彼もこの間題に答へむ〔二重傍線〕。
の「む」は、彼の想像ではなくして、話手即ち言語主體の想像以外のものではないのである。主體的なものの表現と、客體的なものの表現との區別は、既に述べた樣に、山田氏もこれを、統覺の運用、屬性の作用といふことを以て區別されたが、氏に於いては、屬性概念の表現と、統覺の表現といふことは必しも語の類別の基準にならなかつた樣に(【これについては前項にも述べた】)、こゝでも重要視されて(282)はゐない。しかしながら、詞辭の區別を專ら概念的表現と、主體的表現との別に求める私の立場に於いては、語に於ける右の區別は極めて重要である。受身以下のものを辭より除外して詞に編入しなければならないといふ私の主張の根據はそこにあるのである。使役の場合が、
  母、子を眠らす〔二重傍線〕。
  甲、乙に物を取らしむ〔二字二重傍線〕。
右の例の樣に、「母」或は「甲」の動作の表現であつて、第三者に屬するものであることは疑ひない。問題とされるのは、敬讓の場合である。
  宮は琵琶を彈かせ〔二重傍線〕給ふ。
  師は喜ばれる〔二字二重傍線〕。
右の用法は話手の敬意の表現であつて、第三者の敬意の表現でないことは明かである。して見れば、右の「せ」「れる」はこれを詞と見ることが不穩當であつて、辭と見るべきではないかと考へられる。これについては猶後に詳かに述べるつもりであるが、右の樣な敬語は、話手の敬意に基いた語には違ひないが、語としては、客體的な事物の特殊な把握を表現してゐるのであつて、かかる把握を通して敬意を表現してゐることになるのであるから、語としてはやはり客體的なもの(283)の表現と考へてよいのである。主體的な敬意の表現は、
  花が咲きます〔二字二重傍線〕。
  花が美しうございます〔五字二重傍線〕。
右の「ます」「ございます」の樣なものであつて、これらは、場面即ち聽手に對する主體の敬意の直接的表現である。若し辭に於いて敬意を表現するものを求めるならば、右の樣なものであるが、一般に敬讓の助動詞と考へられてゐるものは、客體の表現に屬するものであるから、猶これを詞として考へるのが適切である。以上の樣に、受身以下のものを考へる時、文の文章法的分解も亦これに對應して來なければならない。
  花〔傍線主〕  咲か〔二字傍線述〕  む〔右○〕。 「む」は辭として主語述語の外に在る
  花〔傍線客〕を  咲か〔二字傍線述〕せ〔二重傍線〕  む〔右○〕。 使役の「せ」は述語の中に含まれ、主語の動作を表し、「む」は前例と同樣に話手の想像を表す。
  彼〔傍線主〕は  怪しみ〔三字傍線述〕  き〔右○〕。
  彼〔傍線主〕は  怪しま〔三字傍線述〕れ〔二重傍線〕  き〔右○〕。  受身の「れ」は「彼」についての表現であり、「き」は話手に關す
  彼〔傍線主〕は  答へ〔二字傍線述〕  ず〔右○〕。 「ず」は話手の否定
(284)  彼〔傍線主〕は 答へら〔三字傍線述〕れ〔二重傍線〕 ず〔右○〕。 「ず」は話手の否定であるが、「られ」は「彼」の可能をいつてゐるのである。
右の樣に辭に屬するものは、主語述語の外に在つて、これを總括する位置にあるものであるが、受身以下のものは、述語の内部のものと考へるべきで、それは他の詞と同樣、それが結合して一の詞を構成することは、「疲る」が「走る」と結合して「走り疲る」となり、「めく」が「春」と結合して「春めく」となるのと何等の相違がない。只異る處は、それらが獨立した語としては使用されないといふことであるが、獨立非獨立を語の分類の基準にすることが出來ないことは既にこれを詳かにした處である(【第三章第二ハの項參照】)。右の意味的聯關を圖示するならば、
  花咲かみ〔右○〕。……………花 咲か※[三字□で囲む]む※[凵で囲む]
  彼は怪しまれ〔二重傍線〕き〔右○〕。…………彼は怪しまれ※[六字□で囲む]き※[凵で囲む]
猶「れ」と「怪しま」との關係は、「めく」と「春」との關係と同樣に、次の如くになる。
  春めく……………春※[□で囲む]めく※[三字□で囲む]
  怪しまれ…………怪しま※[三字□で囲む]れ※[四字□で囲む]
(285)右の入子《いれこ》型の構造(【入子型の構造については、本章第三項に詳説す】)は、「怪しま」と「れ」が同一次元のものであり、齊しく詞と呼ばれて差支へないことを示したものである。獨立しない詞が、詞の一部となつて一語を構成する時、これを接尾語と呼んでゐるが、若し受身以下のものを、獨立しないといふ點に於いて他の詞と區別しようとするならば、これを接尾語といふのが適切である。即ち「る」「らる」「す」「さす」「しむ」は、一般に接尾語といはれる「けしきだつ」の「だつ」、「黄ばむ」の「ばむ」、「痛がる」の「がる」、「行きたがる」の「たがる」などと同等に扱ふべきものである。山田氏の複語尾論に於いては、接尾語と複語尾との限界が曖昧であつて、名詞より動詞を構成する「都ぶ」「神さぶ」の「ぶ」「さぶ」の如きは、接尾語であるが、動詞より更に新しい動詞を構成する「霧る」「きらふ」、「語る」「かたらふ」の「ふ」の如きは複語尾となつてゐるが、その本質上の相違が明かにされてゐない。既に述べた樣に、一般の辭はその意味的聯關の上からいつて、これを一語の中の部分とは如何にしても見ることが出來ない。從つてこれを山田氏の樣に複語尾として一語の中の語尾とすることは出來ないのである。しかしながら、接尾語は、それが結合して新しい語を作るのであるから、用言を構成する場合は、原語に對してその派生語の語尾の部分を複語尾といふことは許せると思ふ。さういふ意味で、若し複語尾といふ名稱を保存するならば、受身以下のものに(286)限つてこれを呼ばなければならない。しかし、その場合の複語尾は、もはや所謂助動詞即ち辭でなく、詞の一類として考へなくてはならないのである。山田氏の複語尾説の由來については、私はこれを臆測するに過ぎないのであるが、恐らくは本居春庭の詞の通路の中に説かれた自他六等の説等に暗示せられたものではないかと思ふ。春庭は、「る」「らる」以下のものについては、これを用言の語尾として取扱ひ、それら相互の轉換を述べてゐるのであるが、山田氏は、この考方を擴張して一般の辭に及ぼさうとされた樣であるが、春庭に於いては、右六等の語尾と、辭である處の用言所屬のてにをは〔四字傍点〕》とは明かに區別して考へられてゐるのである。勿論その辨別には明快な理論的根據を求めることは出來ないが、恐らくは古來傳統的な詞と辭との區別に對する意識が然らしめたものであらうと思ふ。富樫廣蔭の詞の玉橋は、大綱を詞と辭に分ち、詞の中に屬詞《タグヒコトバ》を設け、
  屬詞は本來《モト》一ツ詞ニハアラデ、詞ノ下ニ動辭又|他《ホカ》詞ノ加リテ一ツ詞ノ如クナル云々
として、その中に「る」「らる」「す」「さす」を擧げてゐる。この樣に、受身以下のものは、國語學史上大體に於いて辭として取扱はないのを原則とするのであるが、大槻博士の廣日本文典以來、これを助動詞として、古來の辭の範疇に入れてから、今日に於いては動かすことが出來ない樣に(287)考へられるに至つたのであるが、詞辭の本質から見てこれを辭から除外しなければならないし、又さうすることが國語の文法組織を確立する爲にも必要なことである。
 
         ヘ 詞辭の轉換及び辭と接尾語との本質的相違
 
 詞と辭とは語の性質上本質的に相違するものであるが、ニの項に述べた樣に、「あり」に詞としての用法と、辭としての用法とが存在するといふことは、如何なることを意味するのであらうか。これを、最初から「あり」に二の用法があつたと解すべきであるか。又は一方の用法が他の用法に轉換したと解するのが妥當であるのか。「あり」の場合に於いては、恐らく詞としての動詞的用法の中のあるものが、辭としての用法に轉換したと考へるのが、適切の樣に思はれる。それは、動詞的な「あり」の用法と同樣に存在伺候を表す「侍り」「候ふ」が、後に敬ひを表す判斷辭(【所謂敬讓の助動詞とは別である】)となつたことによつても右のことが想像せられると思ふ。このことは「なし」についてもいひ得るであらうといふことは既に述べた。若し右の樣に一方より他方への用法の轉換といふことが事實であるとするならば、かゝる轉換の事實は何によるのであるか、先づそのことを明かにしなければならない。辭が主體約事實の直接的表現であるとするならば、かゝる主體的事實に對(288)應する客體的事實が存在するのは當然である。例へば、「ず」によつて表される否定が成立する爲には、これに對應して事實の非存在といふことが無ければならない。「花咲かず」といふ表現が成立する爲には、客體的には、「花が咲く」といふ事實の非存在が考へられなければならない。この志向作用と志向對象との對應(註)といふことが、概念的表現の「なし」が否定的陳述の「なし」に轉換する重要な契機をなすと考へられるのである。前者は非存在を概念化し、客體化して表現す
        イ
     ハ     客
○主體………………→
 
           體
        ロ    〔イロに弧線がかかり、弧線の右に客體とある、入力者〕
ることであり、後者は非存在を認めることの表現である。右の關係は、これを上の樣に圖示することが出來る。(イロ)といふ客體的事實は、(ハ)といふ主體的認定によつて成立するのである。詞は即ち(イロ)の表現であり、辭は(ハ)の表現である。
 
  註 こゝに一言注意したいことは、客體と主體との對應といふことである。「花よ」といふ文に於いて、「花」に對する感情の表現「よ」に對應するものは「花」ではない。「花」は「よ」といふ表現の機縁であるに過ぎない。「よ」に對應する客體的事實は、「花が美しい」「花が可憐である」といふ樣な事實である。同樣に、「花咲かず」の否定「ず」に對應するものは「花咲く」といふ事實でなく、「花の咲くことが存在しない」といふ客體的事實である。この對應の理を明かにする爲には猶次の樣な事實を知る必要がある。
 
(289) 詞は凡て客體的事實の表現であつて、その點客觀的事實を表す「走る」「白い」などと、主觀的事實を表す「怒る」「悲し」などとは本質的に區別がある譯ではない。今この詞のみに限定して考へて見るに、次の樣な語については、そこに客觀的事實と主觀的事實との對應が認められるのである。
                 主觀的感情の概念的表現として(必しも言語の主體的感情に限らない)
  雨は淋しい〔三字二重傍線〕
                 雨の屬性の概念的表現として
雨を機縁とする處の主觀的な「淋しい」といふ感情は、同時に雨の屬性がこれに對應してゐるのであつて、一般には「淋しい」といふ語は、同時に主觀的感情とこれに對應する客觀的屬性とを綜合的に表現してゐるのであるが、このことは、この語の表現性が、主觀か客觀かの何れかに傾く契機を持つことを意味するのである。
  淋しい〔三字二重傍線〕模樣。  客觀的屬性的概念のみを表現してゐる
  私は淋しい〔三字二重傍線〕。  主觀的感情的概念のみを表現してゐる
これに對して前例の「雨は淋しい」は客觀主觀を綜合した表現であるといふことが出來る。以上の如き對應とその分化は、專ら客體的事實としての對應と分化であり、何れも詞としての用法の(290)範圍を出るものではない。次の例についても同樣なことがいひ得る。
                 私は聞える〔三字二重傍線〕  主觀的能力の概念的表現
  私は音が聞える〔三字二重傍線〕
                 音が聞える〔三字二重傍線〕  客觀的屬性の概念的表現
                    この子は出來〔二字二重傍線〕た  主觀的能力の概念的表現
  この子は算術が出來〔二字二重傍線〕た
                    算術が出來〔二字二重傍線〕た  客觀的屬性の概念的表現
右の如き詞の綜合的な表現性は、國語の一の特質とも考へられる事實であつて、語の意味變化の重要な根據ともなる。これらの意味の轉換は、單なる概念の擴大とか縮小とかの理論では處理し得ない事實であつて、深く國語の表現性にまで溯らなければならないことである。平安朝物語文學に屡々現れて來る「恥し」といふ譜が、時に主觀的な「恥しい」といふ意味に解釋され、時に客觀的な「立派だ」「端麗だ」といふ意味に解釋されることがあつて、一見その間に意味の懸絶がある樣に考へられるが、これを右の如き對應の理によつて説明するならば、「恥しい」といふ意味は主觀的側面であり、「立派だ」「端麗だ」といふのは、それに對應する客觀的屬性であるといふことになつて、この二の意味は必しも懸け離れたものでないことを知ることが出來るのである。以上は專ら詞としての限界内に於ける轉換であるが、詞と辭との韓換も同樣な原理によつて行は(291)れることを知るのである。一般には、詞が辭に轉換する時は、詞の概念内容が極度に稀薄になつて辭に轉ずる樣にいはれてゐるが、單に概念内容が稀薄になるだけであるならば、それはやはり詞に留まるものであつて、辭ではない。詞が辭に轉換するといふことは、表現性の轉換でなければならないのである。上に述べた樣に、非存在を概念的に表現した時は詞であり、非存在を認めることの表現が辭となるのである。詞より辭へは連續的に移るのでなく、客體の概念的表現が、主體の直接的表現に裏返へることによつて辭が成立すると考へなければならない。詞としての轉換は、何處までも包まれるものとしての領域を出ないが、詞が辭に轉換することによつて始めて包まれるものより包むものに轉ずるのである。對應の原理とは、以上の如き表に對する裏の關係をいふのである。私は前項に於いて、詞より辭に轉換した「あり」及び「なし」について述べたが、こゝには辭より詞に轉換する場合について述べようと思ふ。
 詞の綜合的表現に於いて明かな樣に、そこには屡々主觀と客觀との對應が綜合的に表現されてゐるが、詞辭の轉換に於いても同じ樣なことがいひ得るのである。即ちこゝでは、主體と客體との綜合的表現が認められるのである。「花が咲かない」の「ない」に對應するものは、「花が咲くことが存在しない」といふ客體的事實であつて、從つて「咲かない」が全體として「花」に對す(292)る述語としての役割を持ち、「咲かない」が一の形容詞とも考へられる。しかしながら右の例では、「ない」を一般の否定節として取扱つて一向差支へないのであるが、次の如き例に於いては餘程趣が變つて來る。
  切符の切らない〔二字二重傍線〕方はありませんか。
前例に於いては、「ない」は「花が咲く」全體を總括し、これを否認することを表現してゐるのであるが、今の例では、「ない」が「切符の切ら」を總括してゐるとは考へられない。この場合は「切らない」といふ表現は、それに對應する客觀的事實である「切つて貰つてゐない」「未購入」といふ事實の表現となる。從つて「切符の切らない」といふ表現は、構造上からは、「切符の赤い」「顔の白い」といふ樣な表現と同形式のものとなり、「切らない」は「赤い」「白い」と同樣にそれ自身「切符」の述語となるのである。右の區別を圖解すれば次の樣になる。
  切符を切らない。…………切符〔二字二重傍線〕を切ら〔三字傍線〕ない〔二字右長方形〕 「ない」は否定辭である
  切符の切らない。…………切符〔二字二重傍線〕の切らない〔五字傍線〕  「ない」は「切ら」と合して形容詞を構成する接尾語となる
但し以上の樣な場合は、「ない」が上の語と合體して一時的に詞としての資格を獲得したのであつて、「ない」を最初から詞と認めたのではない。詞としての「ない」は、動詞未然形に接續するこ(293)とは決してないからである。只「切らない」が全體としてそれに對應する客體的事實の表現である詞と同じ資格を持つに過ぎないのである。
 又次の樣な例に於いては、
  あれは狐らしい〔三字二重傍線〕。
  あの方は男らしい〔三字二重傍線〕。
右例の第一は、「らしい」が話手の想像的判斷であつて、他の辭と全く同じ用法である。第二は、「男性的だ」といふ意味で、「男らしい」が「女らしい」「子供らしい」「いやらしい」と同樣に一語として詞の役目を持つてゐる。この場合は辭としての「らしい」があつて然る後に詞としての「――らしい」が成立したと考へられる。「らしい」は想像的判斷であるが、かゝる判斷に對應する客體的屬性は即ち「その樣な樣子のもの」であり、更に「そのものの本質を發揮してゐるもの」の意に轉じたものてあらうと思ふ。「らしい」については、それが詞に轉じたものは、詞としての機能を持ち且つその意味も次第に變化してゐるのであるから、これは詞と辭とに兩樣に存するものと考へるのが適切である。
 「まし」についても同樣に、
(294)  花も咲かまし〔二字二重傍線〕。
  かやうにておはせましか〔三字二重傍線〕ば、うれしからまし〔二字二重傍線〕。
右は辭としての用法であるが、
  いはまし〔二字二重傍線〕ごと(【源氏、夕顔】)。
  あらまし〔二字二重傍線〕の熊野詣をもせず(【平家物語、成經等赦免事】)。
  僧都餘の悲さに船の舳へに走りまわり乘てはをり下ては乘りあらまし〔二字二重傍線〕をせられける有樣(【同、成經等赦免事】)。
  大やう人を見るにすこし心あるきはは皆このあらまし〔二字二重傍線〕にてぞ一期はすぐめる(【徒然草、第五十九】)。
右の「いはまし」「あらまし」は事實に存しないことを心に希望する意であるが、詞と結合して、全體として詞に轉ずる時、現に無きことに對する期待とか豫定とかの意を表すに至る。
  猶「たし」「まほし」を辭とする説があるが、この兩語は、詞として見るのがよい。詞辭の轉換によつて兩立する語は、前例の如く、客體と主體との意味の對應があるが、「たし」「まほし」は、全く同じ意味で、話手の場合にも客體の表現の場合にも使用されてゐるから、形容詞と見るべきである。
   家にありたき〔二字二重傍線〕木。  (話手の希望)
   見たけれ〔三字二重傍線〕ば、見てもよい。  (第三者の希望)
   我も睦び聞えてあらまほしき〔三字二重傍線〕を。 (話手の希望)
   その世のことも聞えまほしく〔三字二重傍線〕のみ思し渡るを。 (第三者の希望)
(295)  又次の樣な「あらまほし」は、主觀的表現から、客觀的表現のものに移つたので、本項の最初に述べた詞としての轉換であつて、辭に對立する詞とは考へることが出來ない。
   この一條の宮の御有樣を、なほあらまほし〔五字二重傍線〕と心にとゞめて。
   いと清げにあらまほしう〔六字二重傍線〕行ひさらぼひて。
  右の「あらまほし」は「あつてほしい」といふ主觀的感情に對應する客觀的屬性の概念であつて、「理想的」「結構だ」といふ樣な意を表す。又「たがる」といふ樣な語も、話手の表現に用ゐられる處を見れば、辭の樣に考へられるが、猶同意味に於いて、客觀的表現にも用ゐられるのであるから、これも動詞を構成する接尾語として、詞と考へなければならない。辭の本質は既に述べた樣に、主體的表現にのみ用ゐられる處にあるのであつて、主體的にも客體的にも同樣に用ゐられるものは辭でなく詞である。本項に述べた處の詞辭の轉換は、同一語形の語が、詞と辭とに於いて全くその表現性を異にする爲にいはれることである。
以上は辭の中、活用ある動辭即ち助動詞と、詞との轉換について述べたのであるが、同樣のことは、活用の無い靜辭即ち助詞についてもいはれることである。
 「はかり」は元來詞として體言的に用ゐられる語である。
  いづくをはかり〔三字二重傍線〕と我も尋ねむ。
  三月ばかり〔三字二重傍線〕の空うららかなる日。
  雨が降つたばかり〔三字二重傍線〕は道が惡い。
(296)右は限界、目標を意味するのであるが、やがて辭に轉じては、ある事物を限定し目標とする主體的立場を表す。
  雨ばかり〔三字二重傍線〕降る。
  本ばかり〔三字二重傍線〕讀む。
主體の限定し目標とする處が「雨」「本」等であることを表す。
 「くらゐ」も同樣に、
  本を讀むくらゐ〔三字二重傍線〕はいゝでせう。
  このくらゐ〔三字二重傍線〕出來ました。
右は程度を意味する詞であるが、辭として詞に附いた場合は、主體の詞に對する朧氣な限定を表す。
  昨日ぐらゐ〔三字二重傍線〕着いてゐる筈です。
  これぐらゐ〔三字二重傍線〕は何でもありません。
前者と比較してこれを圖解すれば、次の樣になる。
  このくらゐ〔三字二重傍線〕出來ました。………この※[二字□で囲む]くらゐ※[五字□で囲む]「出來る」の主語は「くらゐ」である
(297)  これぐらゐ〔三字二重傍線〕何でもありません。………これ※[二字□で囲む]ぐらゐ※[三字凵で囲む] 「何でもありません」の主語は「これ」である
「だけ」も同樣に
  ものおもふ心のたけ〔二字二重傍線〕ぞしられけるよな/\月をながめあかして。
  たけ〔二字二重傍線〕たかし。
  たけ〔二字二重傍線〕ぞ少し劣りもてゆく。
具體的には物の「高さ」「長さ」であり、抽象的には物の「程合ひ」の意であるが、辭としては主體が物を計ることを表す。
  これだけ〔二字二重傍線〕讀んだ。
  見るだけ〔二字二重傍線〕は見た。
「かぎり」「きり」も同樣である。
  かくかぎり〔三字二重傍線〕の樣になり侍りて。
  御身はいとあらはにて、うしろのかぎり〔三字二重傍線〕に着なし給へる樣。
右は限界を表す詞であるが、やがてそれは或る事物を「かぎる」ことを表す辭となる。
  今日かぎり〔三字二重傍線〕止める。
(298)  これきり〔二字二重傍線〕(これつきり)見せない。
「ゆり」は、
  路の邊の草深百合のゆり〔二字二重傍線〕にとふ妹がいのちを我知らめやも(【萬葉集、二四六七】)。
  ともし火の光に見ゆるさ百合花ゆり〔二字二重傍線〕も合はむと思ひそめてき(【同、四〇八七】)。
  さゆり花ゆり〔二字二重傍線〕も逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ(【同、四〇八八】)。
右の「ゆり」は後《ノチ》の意を表す詞であるが、これが辭として用ゐられる時、その語形も「ゆ」「より」となり、意味もある事物を「後にする」といふ主體的立場を表す。
  田子の浦ゆ〔二重傍線〕打出でて見れば
  神代より〔二字二重傍線〕いひつてけらく
 以上述べた處によつて知られる樣に、詞辭の語性の轉換といふことは、極めて微妙であつて、時にはその差異を見出すことが困難な場合があるが、
  イ このくらゐ〔三字二重傍線〕出來ます。
  ロ これくらゐ〔三字二重傍線〕出來ます。
の例でも知られる樣に、イの場合は、出來る程度についていつたのであり、ロの場合は、「これだ(299)け〔二字二重傍線〕」「こればかり〔三字二重傍線〕」「これさへ〔二字二重傍線〕」の如く、「これ」といふ事物に對する主體の限定の表現であつて、この樣な理解の差異を文法的に表現する方法は、一方を詞とし他方を辭として考へることである。
猶詳細に檢討するならば、ロの表現それ自身が、アクセントの相違を以て、一は程度の概念を表し、他は主體の限定を表現してゐると考へられるのであるから、右の例の「くらゐ」に詞辭の別を認めることは當然必要とされるのである。
  一日かゝれば、これくらゐ〔三字二重傍線〕は出來る。 (程度即ち詞、「くらゐ」にアクセントがある)
  あれに較べれば、これくらゐ〔三字二重傍線〕は恐ろしくない。 (限定即ち辭、「これ」にアクセントがある)
 私は以上の如く、專ら表現性の相違の點から詞辭の差別を立てたのであるが、從來の文法組織に從へば、辭は獨立しては用ゐられない語といふことになつてゐる關係上、所謂接尾語と辭との間に本質上の差別を見出すことが出來ないといふ結論になつてゐることは既に述べたことである。處が一方又接尾語は單語の中の構成分子であるといはれてゐて、接尾語と辭とは必しも一致した概念とはいひ得ない。この樣に接尾語と辭は別のものでありながら、又同じものであるといふ樣にも考へられて、その限界が甚だ漠然としてゐる。次にこの間題に觸れて見たいと思ふのである。
(300) 辭と接尾語との類似或は相違は、種々な方面から認められるのであつて、山田孝雄氏は、助動詞を特に複語尾として一般の辭の概念より切離し、動詞が語尾を更に分出したものと考へられた。又接尾語(【山田氏の接尾辭】)は、單語の内部の遊離した部分であつて、これが附屬して複雜な概念を有する單語を構成するものと考へられた。この見解に於いては、複語尾は動詞に附屬して新しい單語を構成するものであり、接尾語はその他の種々な語に附屬して新しい單語を構成するものであるといふ區別以外に、本質的相違といふものを認めることが出來ないのである。又橋本進吉氏は、その文節構成上の研究からして、助詞と接尾語との區別は認めることが出來るが、助動詞と接尾語は、共に獨立しない語であつて、他の語に附屬して新しい語を構成するといふ共通點があつて、その差異を認めることが困難であるといはれた。そして助動詞と接尾語との別は根本的でなく、程度の差に過ぎないものとされたのである(【國語法要説二二頁】)。そこでこの兩者の區別を、一は自由に規則的に他の語に附くが、他はある慣用に限られてゐるといふことを識別の根據とされた。「たがる」を口語の助動詞とされたのは右の根據に基かれたものである(【新文典初級用別記一三三頁】)。
 この兩氏の見解は、その根本に溯るならば、語が獨立的に用ゐられるか、常に他の語に附屬して用ゐられるかといふことが、一貫して語類別の基準として考へられてゐると見てよいであらう。(301)その結果、助動詞と接尾語との間に截然たる區別を見出すことが不可能になつたと私は考へるのである。國語に於いて、語の獨立非獨立が、語の一貫した分類基準になり得ないことは上に述べた如くである(【ハの項】)。これに反して助動詞と接尾語との本質を決定するものを、一般に詞辭の分別を決定する處の語の表現性の相違の上に求めたならばどうであらうか。接尾語は、詞の中で獨立せず、常に他の語に附屬するものであるが、それは詞としての本質を何處までも持つてゐるものである。形式的には辭と類似してゐるが、その表現性に於いて全く相違するといふことは接尾語と辭を分つ最も重要な點である。表現性の相違といふことは既に述べたことであるが、これを要約するに、(一)概念過程を持つて居つて客體的事物を表現し得るものと、主體的なもののみを表現し得るもの、(二)總括機能を持たぬものと、總括機能を待つもの、(三)同一次元に於いて入子《いれこ》型構造形式に統合せられるものと、異次元に於いてこれを包むもの等の相違を有する。例へば、「私は」の如き結合は、
  私は………私・は…………私※[□で囲む]は※[二字凵で囲む]………私+は
右の如く「私」に「は」の加つた形に分析圖解し得るものに對して、「走り去る」の如きは、
(302)  走り去る………走り・去る………走り※[二字□で囲む]去る※[四字□で囲む]………走り×去る
右の如く「走り」が「去る」一に掛合された形に分析圖解し得るのであつて、「走り」は結局に於いて「去る」といふ概念の中に統合せられてしまふのである。これは複合的な客體的概念以外のものではない。右の「走り去る」の場合は、「走り」も「去る」も獨立的な語であるが、獨立しない語の場合でも同樣である。「春めく」の「めく」は獨立しないが、右の結合は次の如く分析し得る。
  春めく…………春・めく………春※[□で囲む]めく※[三字□で囲む]…………春×めく
「春」は「めく」といふ概念の限定語であつて、これが全體で、一の大きな概念を構成するのである。右の樣な場合、「めく」は獨立しては用ゐられないが、一の獨立した概念の表現であることに相違はないのである。右の「めく」の樣な語を接尾語といふのであるが、その本質から見て他の詞と何等の差異をも見出すことが出來ない。これに對して、「行かず」といふ樣な結合は、
  行かず…………行か・ず……行か※[二字□で囲む]ず※[三字□で囲む]……行か+ず
「ず」は獨立しない點では、前例の「めく」と同じであるが、「行か」をその中に統合するのでは(303)なく、異次元の表現として、外からこれを總括してゐるのである。從つて、「春めく」「走り去る」は時に一語として取扱ふことが出來ても、「行かず」は、異次元の表現の結合として、如何にしてもこれを一の語として取扱ふことは出來ないのである。辭と認められるものは、凡て皆右の如き加へられた關係に於いて結合してゐるのである。私が助動詞より除外することを主張した「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の如きは、右の詞辭の結合とは別で、詞と詞との結合を以て律すべきものである。
  怪しまる…………怪しま・る…………怪しま※[三字□で囲む]る※[四字□で囲む]………怪しま×る
  受けさす…………受け・さす…………受け※[二字□で囲む]さす※[四字□で囲む]…………受け×さす
從つて文章法的分解に於いても、「彼は怪しまむ〔二重傍線〕」と辭の加つたものは、
  彼〔傍線主語〕は 怪しま〔三字傍線述語〕 む〔二重傍線辭〕。
主語「彼」の述語は「怪しま」であつて、「む」はこの言語主體の想像の表現であり、決して「彼」の想像とはいふことが出來ない。これに對して、「彼は怪しまる〔二重傍線〕」と接尾語「る」の添つたものは、
(304)  彼〔傍線主語〕は 怪しまる〔四字二重傍線述語〕、
の如く、主語「彼」に對する述語は、「る」であり、更に「怪しまる」全體である。「る」は「その樣にされる」といふことを表す語であるが、「る」の内容を規定する「怪しま」と結合して具體的な表現となり得る處から、「る」は接尾語であるといふことが出來るのである。右の樣な事實は、體言的な接尾語についてもいはれることであつて、
  寒さ〔二重傍線〕が はげしい。
述語「はげしい」に對する主語は、嚴密には程度の概念を表す「さ」であり、更にそれを規定する語の結合した「寒さ」である。右の例に於ける「が」は、「寒さ」とは異次元のものであるから、その中に「寒さ」を統合して全體概念を作ることが出來ないのである。一般に言語に於ける呼應の現象は、詞は詞と呼應し、辭は辭と呼應するのが原則である。
  寒さ〔二重傍線〕が はげしい〔四字二重傍線〕。  詞の呼應
  寒さこそ〔二字二重傍線〕 はげしけれ〔二字二重傍線〕。  辭の呼應
「さ」は「はげしい」と呼應するが、辭「こそ」は、概念「はげし」と呼應するのでなく、「はげし」の陳述的變化「はげしけれ」と呼應するのである。
(305)  石川〔二字二重傍線〕が 來〔二重傍線〕た。
  石川樣〔二重傍線〕が 見えられ〔四字二重傍線〕た。
  石川閣下〔二字二重傍線〕が お見えになられ〔七字二重傍線〕た。
右の例に於いて、「樣」「閣下」といふ接尾語の添加によつて、述語はそれに呼應して、「見えられ」「お見えになられ」といふ風に變化するのである。右の述語に加へられた「られ」「お――になられ」が詞であるが爲に接尾語と相呼應し得るのである。
 接尾語が本質的に詞と相違するものでなく、只形式上獨立しない語であるといふことは、次の樣な事實からも實證し得ることである。
  一、嘗て又現に獨立的に用ゐられる詞が、その概念内容を變化することなく附屬的に用ゐられる。
  ども(【子ども私ども】) とも〔二字傍線〕呼ぶ千鳥  ますらをのとも〔二字傍線〕
  け(【眠け寒け】) 心地ぞなほ靜かなるけ〔傍線〕を添へばやと(【源氏、空蝉】)  恐ろしきけ〔傍線〕も覺えず(【同、夕顔】)
  めかす(【今めかす時めかす】) 現にめかす〔三字傍線〕は獨立的に用う。
  ぶる(【才子ぶる勿體ぶる】) 現にぶる〔二字傍線〕は獨立的に用う。
  二、接尾語と他の語との意味聯關は、一般の詞と同樣である。山田孝雄氏は、接尾語は單語の(306)内部に於ける遊離した部分であると定義された(【日本文法學概論五七一頁】)が、若し右の樣に考へるならば、接尾語と他の詞とを同列に於いて認めることは出來ない譯である。しかしながら、國語の接尾語は、印歐語のそれと同樣には、語の構成要素として考へることが出來ない。「淋しさ」「赤み」「春めく」等の接尾語を見るならば、それらは語の構成要素としか考へられないのであるが、次の如き例について見るならば、接尾語は單に獨立的には使用されない語ではあるが、その機能は全く他の獨立的な詞と同樣に見なければならないことを知るのである。
  何か事ありげ
右の「げ」は、「ありげ」といふ一語の内部的要素ではなくして、次の如く分析されなければならない。
  何か事あり〔五字傍線〕・げ〔二重傍線〕
「げ」は「あり」に直に結合するのでなく、「事」「あり」が結合したもの全體に更に結合するのである。更にいへば、「事あり」は「何か」を包攝してゐるのであるから、「げ」は實際は、「何か事あり」全體をそこに包攝し統合してゐると考へなければならないのである。これは入子《いれこ》型構造形式(【次の項に述ぶ】)の持つ特質であつて、「げ」は、
(307)  何か事ある樣
の「樣」と同樣に、上接の語全體と關係するのである。若し「げ」が語の内部的要素であるならば、右の樣な意味的聯關は生じない譯である。
  樣變へ給はむこと惜し〔十字傍線〕げ〔二重傍線〕なり
  燒殘りたる方もうとまし〔十一字傍線〕げ〔二重傍線〕に
  大家の坊ちやん〔七字傍線〕めく〔二字二重傍線〕
  御髪の調度〔五字傍線〕めく〔二字二重傍線〕もの
  人の戀し〔四字傍線〕さ〔二重傍線〕
  右から數へて三番〔八字傍線〕め〔二重傍線〕
右、の如き接尾語の意味的聯關は、これを次に述べる處の入子型構造形式と相對照するならば、猶よく理解せられることと思ふのであるが、左に接尾語と認め得べき語の特殊なるものを列擧して見ようと思ふ。
 一、助數詞
  ふつか〔傍線〕(二日)  みつか〔傍線〕  ひとつ〔傍線〕  ふたつ〔傍線〕
(308) 二、吉澤義則氏の所謂不完全名詞
  忘るゝ折〔傍線〕もあらん  歌のやう〔二字傍線〕にもあらず
 三、形容詞構成の「し」は、それだけで極めて抽象的な概念を持つ詞と考へることが出來る。
  大人し〔傍線〕  誠し〔傍線〕
  氣色ばまし〔傍線〕  腹立たし〔傍線〕  はるけし〔傍線〕  色めかじ〔傍線〕
   右の「し」は、「氣色」と「ばまし」、「腹」と「たゝし」の結合でなく、「氣色ばむ」「腹立つ」「はるく」等の語が形容詞化されたものである。
  親とおぼしき〔二字傍線〕人
  天ざかる鄙ともしるく〔傍線〕、ここだくも繁き戀かもなぐる日もなく(【萬葉集四〇一九】)
  うち靡く春ともしるく〔傍線〕、鶯は植木の木間を鳴き渡るらむ(【同、四四九五】)
   右の接尾語「し」は、「おぼし」「しるし」等の語尾でなく、「親とおぼ」「鄙とも知る」「春とも知る」といふ句を受けて、それ全體を形容詞化する處の語尾で、珍らしい現象の樣ではあるが、國語の入子型構造形式から見れば當然である。
 四、所謂延言のふ〔傍線〕
  うつる→うつらふ〔傍線〕  ちる→ちらふ〔傍線〕  ながる→ながらふ〔傍線〕
 五、「る」「らる」「す」「さす」「しむ」については本項中に述べたが、これらが獨立の詞としての(309)資格を有することは左の例によつてこれを知ることが出來る。
  犬をはげしく打たす〔傍線〕
   右の「す」は「打た」と結合して、一語に成熟してゐる樣であるが、「はげしく」といふ語は、「打たす」を限定してゐるのでなく、「打た」のみを限定し、從つて、「す」は「はげしく打た」をその中に包攝してゐると見るべきである。
  正しく讀ます〔傍線〕
   右例も同樣に、「正しく」は「讀ま」の限定語である。
  突然に讀ます〔傍線〕
   右例の「突然に」は、「讀ま」に懸るのではなく、「讀ます」の限定語と考へるべきである。
 六、「……のごと」「ごとし」「のごとし」は屡々比况の助動詞といはれてゐるが、實は接尾語の特殊のもので、「ごと」は體言、「し」は前例の「し」と同樣である。
  水の流るる〔五字傍線〕ごと〔二字二重傍線〕  木の葉の散るが〔七字傍線〕ごと〔二字二重傍線〕
  水の流るるごと〔七字傍線〕し〔二重傍線〕   木の葉の散るがごと〔九字傍線〕し〔二重傍線〕
 七、「たがる」
  本を讀み〔四字傍線〕たがる〔三字二重傍線〕   都に出〔三字傍線〕たがる〔三字二重傍線〕
   右例は、「讀みたがる」「出たがる」が一語を構成するのではなくして、客語補語を含む「本を讀み」「都に出」に對して(310)結合して、全體として動詞的なものを構成するのである。從つて右の「たがる」は、獨立語としての「字を書き始む〔二字傍線〕」「ぐさつと衝き〔二字傍線〕殺す」の「始む」「殺す」と同形式で用ゐられてゐることを知るのである。
 以上述べたことによつて明かな樣に、接尾語は國語に於いては語の構成要素でなく、本質的には全く他の獨立的な詞と同樣に考へなくてはならないことを明かにして來た。しかしながら、右に列擧した接尾語の例によつても明かな樣に、これらを獨立した詞と同等に扱ふとするならば、國語に於ける單語の概念も亦西洋文典のそれと著しく異つたものでなければならないといふことが考へられるのである。この點については、既に單語の下位分類を論じた際に觸れたことであるが、西洋語の單語(特に古代語に於いて)は、多くの場合國語に於ける詞辭の結合したものに相當し、その點極めて具體性を持つてゐるのであるが、これに反して國語に於ける詞辭の分析から得られる單語は、當然抽象的にならざるを得ない譯である。又國語の單語排列形式から見ても、單語は屡々その中に包攝せられる入子《いれこ》を俟つて始めて具體性を持ち得る場合が多く、單語それ自身についていへば、從つて全く抽象的概念のみを持つ樣なものがあるのは當然と考へられるのである。以上の二點から、接尾語を詞と同等に取扱ふことは何等不合理を認めないと思ふのである。
 
(311)     三 單語の排列形式と入子《いれこ》型構造形式
 
 私は既に詞と辭の意味的聯關の上から、その結合形式を考案して、それによつて詞と辭の特質を明かにして來た。更に進んで國語に於ける語の排列形式を全面的に考察し、思想表現の構造を明かにしたいと思ふ。それは國語に於ける文の概念を明かにする爲に必要な階梯である。
 單語としての詞辭の認定は、抽象的歸納的になされるものであることは既に述べて來た。そして、文の分解によつて認定される具體的なものは、常に詞辭の結合であること、又この詞辭の結合は、音聲的にも一の集團をなしてゐるが爲に、その認定は自然的であり、何等學問的操作を要しないものであることは、既に橋本進吉博士が述べられた處である(【國語法要説文節の項】)。橋本氏はかゝる文の區劃を文節と命名せられ、文節は文を分解して最初に得られる單位であつて、直接に文を構成する成分(組成要素)であるといはれた。文節は、いはゞ單語と文との中間に位する處の單語の結合體であるが故に、それが單語及び文と如何なる關係に立つものであるかを明かにして置きたいと思ふのである。
 文節は橋本氏の示された圖解によつて明かな樣に、文に於ける節であり、それは竹の節を想像(312)する樣に、文に於ける區劃の一片を意味する。文節が集まつて文をなすといふこと、そして文節が文の構成要素であるといふことは一應認めることが出來ることである。例へば、
  花が|咲いた。………………文節による分解
  花〔傍線主語〕が 咲い〔二字傍線述語〕た。……………構成要素による分解
右の例によれば、文節的分解が思想の構成と相併行することが認められるのであるが、例へば、「匂の高い花が咲いた」の如きは、
  匂の|高い|花が|咲いた。……………文節による分解
  匂の高い花〔五字傍線主語〕が 咲い〔二字傍線述語〕た。……………構成要素による分解
の如く、文節的分解と構成要素による分解とが一致しない。兩者共に思想を基準にした分解(註)であるにも拘はらず、何故にかゝる矛盾が生ずるのであらうか。この矛盾は如何にして解決せられるであらうか。
 
  註 文節的分解は、一見音聲を目安とした分解の樣に考へられるが、音聲はそれ自身何等分割せられる必然性を持たない。音聲を分割するものは畢竟思想の分節である。
 既に詞辭の本質的相違とその結合に現れた意味的聯關について述べた樣に、詞と辭との結合に(313)於いては、辭は詞を總括する機能の表現である。例へば、「咲かむ」は、「咲く」ことに對する推量を表し、包むものと包まれるものとの關係が、「咲か」と「む」の間に成立する。右の如き意味的聯關を考慮に入れて分解を施さうとするならば、「匂の高い花が」の「が」は、單に「花」と結合してゐるだけではなく、「匂の高い花」全體を總括する關係に於いて結合してゐるといはなければならない。即ち「が」は、「花が」といふ音聲的集團を超越して、「匂の高い花」全體に對して意味的聯關を持つてゐることになる。その關係を圖示すれば、
  匂の高い花が…………匂の高い花※[五字□で囲む]が※[凵で囲む]…………匂の高い花〔五字傍線〕が〔右○〕
「た」も同樣にして、單に「咲い」或は「花が咲い」に結合してゐるのではなく、話手の斷定の表現として、「句の高い花が咲く」といふ事實全體を包んでこれを總括してゐると見なければならない。即ち、
  匂の高い花が咲いた………匂の高い花が咲い※[八字□で囲む]た※[凵で囲む]………匂の高い花が咲い〔八字傍線〕た〔右○〕
右の樣に、「が」と「た」の總括機能を認めるならば、右の文は結局に於いて如何なる構造になるかといふに、これを次の如く考へなければならない。
(314)  匂の……花※[三字□で囲む]が※[凵で囲む]咲い※[六字□で囲む]た※[凵で囲む]………匂の高い花が〔五字二重傍線〕が〔右○〕咲いた〔三字傍線〕た〔右○〕
この推論は猶他の部分にも及ぼし得るのであつて、「花」に對して修飾格の位置に立つてゐるものは、「高い」ではなくして、「匂の高い」全體である。「高い」が連體形を以て體言「花」に接續してゐると考へるのは、形式的接續關係についてのみいへるのであつて、意味的には、「匂の高い」全體が、「花」に接續してゐると考へなければならない。「風寒き夜」「雪降る朝」の如き例に於いても、「夜」「朝」に接續するものは、夫々「風寒き」「雪降る」といふ句全體である。そしてこれらの句が全體として體言に接續する爲には、豫め、「匂の高い」が全體として總括されてゐなければならない。この場合、この句は總括する辭を缺いてゐるが、そこには修飾格としての位格を表す零記號の辭が存在してゐると考へなければならない。即ち
  匂の高い※[四字□で囲む]■…………………句の高い〔四字傍線〕■〔右○〕
右の如き零記號の辭を想定することは、次の樣な例から類推することが可能である。例へば、「紫色の花」の「花」に接續するものは、「紫色の」であつて、この場合は、修飾格を表すものは、辭(315)「の」である。即ちこれを次の如く圖示することが出來る。
  紫色※[二字□で囲む]の※[凵で囲む]……………紫色〔二字傍線〕の〔右○〕
右の構造からして、前例の、「匂の高い」は、そこに零記號の辭が接續してゐると見て差支ないと思ふのである。一般には、「高い」といふ語自身が修飾格を同時に表してゐる樣に考へられてゐるが、他の例との比較の上から、零記號は述語に添加したものと考へる方が妥當であると思ふ。零記號の陳述については既に述べたことである。次に、「匂の高い」について考へて見るのに、辭「の」は、詞「匂」を總括して、「高い」といふ詞に主格として包攝されるのであつて、この場合、詞「匂」に主格といふ位格を附與するものは辭「の」であるから、これを次の如く圖示することが出來る。
  匂※[□で囲む]の※[凵で囲む]………………匂〔傍線〕の〔右○〕
從つて、「匂の高い」は、次の樣になる。
  匂※[□で囲む]の※[凵で囲む] 高い※[四字□で囲む]■……………匂〔二重傍線〕の〔右○〕高い〔三字傍線〕■〔右○〕
(316)以上の如く分解されたものを、分解の究極のものより順次に排列して見るならば、
  匂※[□で囲む]の※[凵で囲む]…………匂〔傍線〕の〔右○〕……a
  高い※[二字□で囲む]■……………高い〔二字傍線〕■〔右○〕……b
     花※[□で囲む]が※[凵で囲む]……花〔傍線〕が〔右○〕……c
      咲い※[二字□で囲む]た※[凵で囲む]………咲い〔二字傍線〕た〔右○〕…………‥d
の如くなり、國語に於ける思想の表現は、詞辭の意味的聯關を基礎にして分析するならば、右の如くなるべき筈のものであつて、これを單なる主語述語の對立關係として見るのは、未だ詞辭の本質的關係を詳かにしないものである。國語の構造は、決して主語述語の對立を、S−Pの形によつて統一する印欧語の如きものと同樣に考へることは出來ないのである。さて右の如く分析せられたものは、次の如き形式に於いて順次總括せられ、最後に統一した思想表現を構成するのである。
  a※[□で囲む]b※[二字□で囲む]c※[三字□で囲む]d※[四字□で囲む]……匂〔傍線〕の〔右○〕高い〔四字傍線〕■〔右○〕花〔六字傍線〕が〔右○〕咲い〔九字傍線〕た〔右○〕
(317)右の如き言語の統一形式は、これを辭が詞を總括するといふ處からいへば、前にもいつた樣に、風呂敷型構造形式とでもいふべきものであるが、かくの如き形式が相重なり合つて更に大きな統一へと進展する處から、これを入子《いれこ》型構造形式と呼ぶことが出來ると思ふのである。入子型とは、
abc〔aを○が囲み、その外の○にbがあり、その外の○にcがある、入力者〕
例へば、三重の盃のやうなものである。その構造は圖の如く、大盃cは、中盃bをその上に載せ、中盃bは更に小盃cをその上に載せて、そして全體として三段組の盃を構成してゐる。a b cは夫々その容積を異にするが、盃としての本質を齊くする處から、これを三段組の單位といふことが出來るが、それは質的單位の意味に於いてである。か樣にabcは各獨立した統一體であるが、同時に全體に對して部分の關係にある。この樣な構造が即ち入子型構造である。そして國語の單語排列の形式は、正しく右の如き入子型の構造形式に比することが出來るのである。從來物の統一形式は殆ど對立したものの結合によつて成立すると考へられて來た。S−Pの形式を以つて、思想表現の動かすべからざる原則の樣に考へた結果が、從來文章法上で説かれた主語述語の關係であつたのである。今この傳統的な結合の觀念を脱却し、統一といふことは、更に別の形式に於いても考へられるといふことを知る時、國語の表現形式は又別の意味に於いて理解されることとなるのである。譬へばこゝに一册(318)の本があるとする。それが單に私の前に置かれてある時は、一個の物として存在してゐるに過ぎない。今これを私が風呂敷に包んだとするならば、その時この一册の本は、私と特別な關係に置かれたことを意味するのであり、私によつて總括され統一されたと考へることが出來るのである。少くとも、それは他のものと區別されたこととなる。統一とか、總括とかいふことを、必しも統一され、總括されるものが二個以上存在しなければ成立し得ないと考へることは、極めて窮屈な考方である。統一とか、總括とかの原理は、寧ろ主體の機能にあるのであつて、機能の客體にあるのではない。從つて、S−Pの關係の場合に於いても、重要なのは、SやPではなくして、これを繋ぐ横線にあると見なければならない。國語に於いては、屡々主語が省略されて、「淋しい」とか、「走る」とかいつただけで、統一ある思想が表現されてゐると考へられてゐる。若しSとPとが存在しなければ統一を表すことが出來ないと考へるならば、國語の形式は極めて不完全なものであるといはざるを得ないのである。しかしながら、右の例を、
  淋しい※[三字□で囲む]■  走る※[二字□で囲む]■
の樣に、零記號の陳述によつて包まれたものであり、そこに包む處の統一形式が存在してゐると考へるならば、これだけで既に立派な統一的表現と考へられるのである。國語に於いて主語の省(319)略といふことを、特例の樣に考へることは全く當らないことであつて、實はそれは省略ではなくして、主語が表現されるに及ばない形式といふべきである。
 國語に於ける表現形式を、以上の樣に考へて來る時、こゝに始めで橋本博士の文節論と、文章法的分解との間の矛盾を克服する道が開けて來るのである。私は上に、從來の文章法的分解の方法を、詞辭の本質を基礎にして、別の形式に於いて理解する方法を明かにした。私は飜つて、文節論の側を更に檢討してみようと思ふ。文節の分解が、國語の分解に於いて極めて自然のものであることは、橋本博士の既にいはれる處であるが、氏の圖解によつても明かな樣に、氏はこれを、文の節即ち文の區劃の一片として、宛も竹の節の樣に理解された。例へば、次の樣である。
  私は|昨日|友人と|二人で|丸善へ|本を|買ひに|行きました(【國語法要説七頁】)。
こゝに於いては、文節は順次互に竹の節の如く結合されてゐると考へられたのであつて、いはゞ原子論的排列形式による結合として理解されたのである。右の文節は、私が既に述べた處の詞辭の結合單位、即ち入子型の單位※[□]※[凵]と合致するものであつて、若し右の文節を、原子論的排列形式から、入子型構造形式に改めるならば、右の文節論は、完全に文章法的分解と合致することが出來ることとなるのである。事實、文節の結合は、右の原子的形式に於いては、全體的統一(320)を説明することが出來ないのである。それは單なる順次的連鎖状を示すに過ぎないのである。しかしながら、右の文節論と文章法的分解との對立を克服してこれを一致させる爲には、單に原子論的構造を入子型構造に改めたといふだけでは、完全な理論的克服の意味をなさないのであつて、この發展は一に詞辭の本質に對する根本觀念に基礎を求めなければならないのである。私が詞辭の表現機能と、その意味的聯關とに出發點を置いたのは、右の理由に基くのである。
 
     四 文の成立條件
 
         イ 文に關する學説の檢討
 
 國語が、言語の形態分類上、膠着語 agglutimative language に屬するといふことは、如何なる事實をいふものであるかについては、未だ充分に明かにされてゐないにしても、言語學の形態分類説が我が學界に紹介せられてから、一般にいひ慣はされたことであつて、このことは、既に古くから、國語の實證的研究が、主として語の接續關係を問題にして來たことから考へても、右の如き膠着性或は粘着性が國語の形態上に存することが、容易に想像せられるのである。國語研究(321)史を顧みても明かな樣に、動詞形容詞の如き品詞的なものの抽出は、第二次的な仕事であり、寧ろ研究の結果であつて、第一次的には、語と語との接屬關係の考察、及びその接續の分解が主であつた。あゆひ抄、裝圖、活語斷續譜、詞の八衢等の組織について見ても明かであり、更に春庭より義門への研究の展開を辿る時、接續關係の整理組織に次いで、動詞形容詞の如き品詞的なものの概念が次第に明かにされるに至つたことを知るのである。從つて、國語に於ける接屬關係の考察といふことは、語の單位は如何にあらねばならないか、又語の單位は如何にして抽出すべきであるかを問ふ前に、先づ問題にせねばならぬことであつた。これは國語の性質に規定せられた研究過程であつて、恐らく今日の國語研究に於いても、その重要さを減じない問題であらうと思ふ。
 私は、近世に於いて國學者の試みた語の接續關係の研究が如何なるものであり、又そこから如何に問題を展開さすべきかを述べる前に、一般に接續なる事實について一言して置く必要があらうと思ふ。
 今、説明を具體的にする爲に、一の列車の編成に喩をとつて考へて見ることとする。
  機關車――三等車――同上――同上――食堂車――二等車――同上――同上
(322)右の如き列車の編成に於いて、機關車が、最前部の三等車に接續してゐると考へるのは、これは一の明かな事實であり、又食堂車が、一方は三等車に、一方は二等車に接續してゐると考へるのも、これ亦同樣に明かな事實である。凡て列車は、各車輛が順次に接續して編成されてゐると考へるのは、正に事實である。處がこゝに別の見方がある。機關車は、車輛總體の先頭に接續し、食堂車は、三等車と二等車との中間に接續されてゐると考へることである。第一の場合は、各車輛を單に車輛と見て、その接續状態を見たので列車全體といふものは全く考へられてゐない。第二の場合は、各車輛の持つ夫々別個の機能を考へ、それを全體との關係に於いて見たので、機關車は、車輛全部を牽引するといふ機能に於いて見る時、それは車輛全體に對して、これを一全體と見て、それに接續してゐると見なければならないのである。第一の場合を形式的接續關係とい
 
 イ※[大丸]※[小丸三つ]※[大丸]※[小丸三つ]※[大丸]〔それぞれの丸は少しずつ重なる、入力者〕
 ロ※[大丸]※[小丸三つ]※[大丸]※[小丸三つ]※[大丸]〔小丸の部分のみ少しずつ重なる、入力者〕
 ハ※[大丸]※[小丸三つ]※[大丸]※[小丸三つ]※[大丸]
 
ふならば、第二の場合を意味的接續關係といひ得ると思ふのである。
 又上の圖形(イ)に於いて、大環と小環とは、形式的には、各々順次に接續されてゐるのであるが、意味的には、大環は小環群が統括されて、その統括されたものに(323)接續してゐると考へられる。從つて、上の圖形(イ)は、これを意味的に分解するならば、先づ、圖形(ロ)に、次に圖形(ハ)の如く分解せられる。右の如き二の接續關係とその分解方法とは種々なる事實についていひ得ることであつて、書籍に於いては、表紙は、形式的には毎紙の一端と粘着してゐるのであるが、意味的には紙の集合全體にこれを覆ふものとして結合してゐる。室の扉は、形式的には室の柱と接續してゐるのであるが、意味的には室と廊下とを遮斷するものとして、室全體と關係してゐる。抽出の引手は、一の木片に接續してゐるのであるが、同時に箱全體を引出すものとして、箱自體に接續してゐるとも考へ得られるのである。文中に於ける語の接續も、右述べた如き二樣の見地からこれを見ることが出來る。例へば、
  風寒き夜
に於いて、形式的には、「寒き」は連體形を以て下の體言「夜」に接續してゐる。處が意味的には、「風寒き――夜」であつて、「寒き」が直に「夜」に接續するとは考へられないのである。事實「風寒き夜」は、風のみが寒く、氣温の高い夜であつたかも知れないのである。從つて、右の如き句の分解は、次の如き段階をとらなければならない。
  (風寒き)(夜)
(324)  〔(風)(寒き)〕(夜)
こゝに抽出された(寒き)といふ語は、意味的には、(風)に對してのみ關係を持ち得るのであつて、(夜)に對しては全く關係が斷たれてゐると見るべきであり、(夜)に對して關係を持ち得るのは、(風寒き)全體である。又、
  雨が降るから〔二字右○〕止めませう
  山に登るは〔右○〕愉快だ
に於いて、形式的には「から」は「降る」に、「は」は「登る」に接續してゐることは明かな事實であつて、從つて右の文は次の如く分解せられるであらう。
  雨が|降る・から〔二字右○〕|止めませう
  山に|登る・は〔右○〕|愉快だ
若し右の文を、意味的に分解するならば、「から」は、「雨が降る」全體に、「は」は、「山に登る」全體に接續してゐると考へなければならない。從つて、次の如く分解されるであらう。
  (雨が降る)(から)  〔「雨が)(降る)〕(から)
  (山に登る)(は)   〔(山に)(登る)〕(は)
(325)第一の形式的分解は、文章全體とは意味的に何等の關係もない、單なる語と語との接續關係に基く分解であり、宛も列車を個々の車輛の順次に連結されたものと見る見方に等しい。第二の意味的分解は、文章全體の意味の脈絡に基く分解であり、宛も機關車を車輛全體に連結されてゐると考へる見方に相應するものである。國語の文法を論ずる際には、右述べた如き二の見方は、混ずることなく、嚴然と區別して取扱はれねばならないことである。
 語と語との形式的接續關係の研究は、全く語と語との關係に局限せられる問題であつて、そこには全體との關聯といふことは全く問題にされてゐない。かくして抽出された國語に於ける語の範疇が、體言、用言等の如き形式的分類基礎を持つことも亦當然であつて、この樣な單語の認定が、國語の特性から生れて來たといふことも明かなことである。これは印歐語の單語が、それ自身に既に格變化の如き形に於いて全體との意味的聯關を含んでゐるのと著しい對照をなしてゐる。しかしながら、國語に於ける語も、これを意味的聯關に於いて見る時、そこには必然的に表現全體即ち文と、文中に位置付けられた處の語の格とが豫想されて來る譯である。この樣に國語に於いては、一方形式的に分析される處の語と、他方意味的聯關に於いて分析される所の語とが、全然別個の見地に於いて對立してゐるといふことは注意すべきことであつて、これは國語に於いて、(326)詞と辭とが明かに區別され、夫々獨立した語として認められてゐることに照應するものであつて、印歐語の單語が早くから、論理的基準によつて分類されたのに對して、國語の單語が形式的に分類されて來た理由もそこにあるのである。概括的にいふならば、印歐語の單語は、國語に於ける詞辭の結合即ち文節に相當するものと考へられるのである。詞辭の結合から分析された詞の系列及び辭の系列は、單語の下位分類を構成し、いはゞ言語の横斷的考察であるが、詞辭の結合から更にそれが統一的表現に進展する有樣を考察することは、いはゞ言語の縱斷的考察である 私は前項に於いて、詞辭の結合が統一的表現に發展する有樣を入子型構造形式に於いて理解したのであるが、次に意味的聯關の究極的統一體である文が、如何なるものであるかを、國語の構造に即してこれを明かにしようと思ふのである。
 先づ第一に考へるべきことは、文なるものが、言語學的に何等かの基準に基いて考へ得られる事實であるのか。そしてそれは形態的にも規定し得られる事實であるのか、それとも言語學的には何等根據を持ち得ない事實であるのかといふことである。ソシュール學派の理論に從へば、
  我々が口にすることのできる文の總體を想像してみるに、その最も顯著な特質は、それらの間に寸毫の似寄りもないことである(【ソシュール言語學原論改版本一四一頁】)。
(327)そして、文は言に屬するといふのである。若し言語に於ける單位を、概念と聽覺映像との結合したものと考へ、それを以て總てを律しようとするならば、あらゆる文は語の集合として皆個々別々であつて、そこに文なるものを歸納すべき原則を求めることは出來ない譯である。この樣に文をその構成内容である語を以て律することは正しいことであらうか。若し又、言語が常に語の不斷の連續であつて、我々の經驗し得るものは、只語と、連語と、統合(註)とのみに限られてゐるとしたならば、凡そ全體を意味する文なるものを考へるといふことは、學的には許されぬことである。況や文を定義し分類するなどといふことは不可能なことでなければならない。文はかくの如き實在性なき概念であるのか。しかしながら、我々は次の如き要請を意識するであらう。思想の外部的表現である言語は、特殊の精神病者即ち意想奔逸症或は言語錯亂症等に於ける場合を除いて、何等かの統一的表現を目指してゐると考へなければならない。思想に統一があるが故に、言語にも統一がなければならないと考へることは、勿論單に想像に屬することであつて、言語に於ける統一されたものの存在を論證する根據にはなり得ないが、我々が他人の言語を聽取して、そこに統一した思想を了解し得る爲には、言語表現それ自體に、かゝる統一を與へる處の契機を持たなければならないであらうといふことは考へられることである。古來文についての多くの學者の定(328)義は、考へ得べからざるものを無理に考へ、實在すべからざる蜃氣樓を好んで追求したのではなくして、やはりそれは實在せる言語的統一體に要請せられた學的關心に他ならぬと考へなくてはならない。勿論現在の言語學の理論は、文の實在を充分に説明し盡したとはいひ得ないであらう。だがそれは、文の實在性を否定する理由にはならないと思ふのである。
 
  註 小林英夫氏、言語學通論一六八頁
 
 次に私は、文に對する從來の二三の學説を擧げて、その理論的根據について檢討して見たいと思ふ。それより先きに、私の結論への道を明かにし、且つ私の批判的立場を明かにする爲に、文の本質を明かにするには、私は如何なる態度を以て言語對象に臨むかを述べて置かうと思ふ。私は、何よりも先づ、或る基準に基いて、文と文にあらざるものとの限界或は文の實在性を豫め決定しようとする態度を拒否しようと思ふ(註)。寧ろ私は、我々の持つ統一體としての文の意識が如何なるものであり、如何なる根據によつて我々は文なるものを考へてゐるがを最初に考へたいと思ふのである。
 
  註 例へば、リース氏(John Ries)は、言語の複合的形象を形態的觀點からその成分に解體してえられるものは、一、音韻(Laute)、二、語(Worter)、三、連語(Wortgefuge)の三つしかないとし、文なるものは形態的分解によつて(329)は析出することができないと觀察してゐる(小林氏、一般文法の原理二〇頁)。
    右は文の意識自體を問題とせずして形態的觀點から文の存在を拒否したことになるのである。
 
リース氏の如く、文の存在を否定しようとするものは別として、從來文の定義に於ける優勢な基準は、論理的觀點であつた。即ち主語述語の二辭項の存在を以て文を定義しようとしたことである。例へは、バイイ氏(Ch.Bally)の如きは次の樣にいつてゐる。
  論理的にいへば、文とは判斷の傳達である。判斷とは陰在的表象を確言によつて説示したものである。そこで話線は必然的に有限なる部分に分たれる。この部分は二項から成る(【文法の原理二三、三四頁】)。
二項とは題 theme と説 propos であり、所謂主語述語に相當するものである。文は思想の表現であつて、思想は主語と述語とを含む故、文にも當然右の二辭項があるといふ考方は、スヰートもいつてゐるところであつて、come! の如き表現も、これを I command you to come. の如き論理的形式に置き換へることによつて、これを文と認めようとするのである。文の論理主義的考方は、我が國に於いても、
  觀念語と觀念語とが主述的關係の樣式に於いて結合してゐるものを文と云ふ(【木枝増一氏、高等口語法講義七八二頁】)。
  文とは二つ以上の單語が結合して一つの命題を表はしてゐるものを云ふ。(中略)文といはれるためには、そ(330)の結合が必ず主述的關係でなければならない(【吉澤義則氏、高等國文法一五八−一五九頁】)。
の如きは即ちそれであつて、論理的主述關係のもののみを文と考へ、然らざるものは、これを論理的形式に置き換へることによつて文と認めるのである。こゝに注意すべきことは、come!の如き、火事!の如き、所謂一語文といはれてゐるものを、論理的形式に置き換へてまで、これを文と認めようとすることには、これら一語のものを、文と認めざるを得ない要求が既に存在してゐるといふ事實である。それは、これら一語のものが、論理的形式に飜譯せられるが故に文として認められるのではなく、實は、文として認めざるを得ない他の理由が存在すると考へるべきであつて、これを主述關係に飜譯するのは、その要求を滿足させんが爲の便宜的手段に過ぎないことを知らなければならない。こゝに於いて、文を單に主述の關係のみから定義することが窮屈に感ぜられる樣になり、文とは思想の完全なる或は完結せる表現であるといふことが文の條件に考へられる樣になつた。
  A sentence is a word or group of words capable of expressing a complete thougt or meaning.(H.Sweet;New Engkish Grammar.p.155)
こゝに現れた complete の意味を如何に解すべきであるか。我が國の學者は之を次の樣に解した。
(331)  言語ヲ書ニ筆シテ、其思想ノ完結シタル〔五字右○〕ヲ、「文」又ハ、「文章」トイヒ、未ダ完結セザル〔五字右○〕ヲ、「句」トイフ(【廣日本文典二五一頁、圏點は筆者之を打つ】)。
  單語の集まりて纏まりたる〔五字右○〕思想をいひあらはしたるものを文といふ(【芳賀矢一、明治文典卷三ノ三頁】)。
山田孝雄氏は、完結といふことについて、廣日本文典の右の定義を引用して次の如く述べてゐられる。
  「思想ノ完結シタル」ものとは如何なる意義なるか、吾人は或は修辭學上の文をもいふことを得べし。思想の完結といふことは未だ文法學上の文の定義として價値なきなり(【日本文法學概論九〇〇頁】)。
これを以て見れば、山田氏は完結といふことは修辭學上の問題であつて、文法學上には關係しないことであると考へられたものの樣である。完結についての私の考は、後に述べるつもりであるが、文の定義に於いて、完結の概念が無意味なものとして葬り去られたのは、完結と完全といふ二の概念が混同されたが爲であつて、從つて、山田氏に於いて、完結が文の條件にはなり得なかつたのも當然であるかも知れない。
 文に對する論理主義的説明が、猶その根柢に割切れないものを藏して居つたことは既に述べた處であるが、この見解は、人間の思想を只論理的判斷に限つたこと、そしてその歸結として、主(332)述の二辭項の存在を以て文を定義しようとしたところに由來するのであつて、この説に對して、山田氏は更に別の見解を述べられた。それは恐らくヴントの統覺説に基くものであつて、文に於ける内容的なもの即ち主語述語を以て文の本質とせず、寧ろ主語述語を結合する統覺作用に文の本質を見出さうとされたことである。
  實に語と文との區別の要點は上にもいへる如く、意識の注點の活動と否とに存するものなり。即ち考ふるに、一の語又は語の數多の集合點が、文とするを得る所以のものはその内面に存する思想の力たるなり(【日本文法學概論九〇一頁】)。
  一の思想には必ず一の統合作用存すべきなり。今これを名づけて統覺作用といふ。この統覺作用これ實に思想の生命なり。この統覺作用によりて統合せられたる思想の言語といふ形にてあらはされたるもの即ち文なりとす(【同上書同頁】)。
  統覺作用とは、意識の統合作用を汎くさせるものなれば、説明、想像、疑問、命令、禁制、欲求、感動等一切の思想を網羅するものなり(【同上書九一七−九一八頁】)。
山田氏が、文の本質を客體的素材的である表象或は概念の外に置き、これを統一する統覺作用に於いて文を認定されようとしたことは、極めて妥當な見解といはなければならない。既に述べた樣に、言語に於ける統一は、辭並に零記號の判斷的陳述によつて表現されるのであるから、右の(333)如き文の見解に從ふならば、「山が高い」を意味する「高い」といふ一語的な表現も、
  高い。……………高い※[二字□で囲む]■………………高い〔二字傍線〕■〔右○〕
の如く、零記號の辭によつて總括され、統一されてゐるといふ意味で、文といふことが出來るのである。又從來統一された文として要請されながら、主述的論理形式を持たぬ處から、文としての説明に困難であつた「妙なる笛の音よ」の如き喚體の文も、
  妙なる笛の音よ。………………妙なる笛の音※[六字□で囲む]よ※[凵で囲む]………妙なる笛の音〔六字傍線〕よ〔右○〕
の如く、辭「よ」によつて總括され、統一されてゐるといふ意味で文といふことが出來るのである。以上は、文の認定に於ける私の考であつて、それは詞辭の表現性の相違に基いたものであるが、文を主體約總括作用によつて説明しようとする點で、山田博士の統覺作用の説と根本に於いて相通ずるものである。然るに、山田博士は、文の統一を統覺作用に求めながら、私の考とは異つて、統覺作用は專ら用言にのみ寓せられてあるといふ氏の見解から、右の喚體の文(【山田氏は喚體の句といふ】)の説明に於いては、統一點は寧ろ體言の上に冠せられた「妙なる」の如き連體格にあると考へられたのであ各(【日本文法學概論九三七頁】)。
(334) こゝに於いて私は、山田博士と私との見解の分岐點を明かに指摘することが出來るのである。私が、陳述作用(或は統覺作用)の表現と、辭とを、その本質から見て同類のものと考へ、且つ陳述と用言とは別個のものであると考へたことは、第三章第二項詞辭の下位分類の中に述べた通りである。從つて、山田博士の所謂述體の句は、次の樣に図解される。
  花赤し。……………花赤し※[三字□で囲む]■  ■は零記號の陳述或は統覺作用の表現
又喚體の句は、既に示した樣に、
  妙なる笛の音よ。……………妙なる笛の音※[六字□で囲む]よ※[凵で囲む]
着の如き私の考に對して、山田博士は、陳述を專ら用言にのみ寓せられてあるものと考へ、私のいふ辭即ち山田博士の助詞及び複語尾はこれと關係なきものと考へられたのである。以下私は博士の學説の歸趨を辿ることとする。
 山田氏は、思想の統覺作用を、思想の内容である表象或は概念の外に置き、これらを統合する作用と見られたのであつて、氏の所謂陳述の作用とは又この統覺作用と同一の事柄と考へなくてはならない。
(335)  抑も陳述をなすといふことは之を思想の方面よりいへば主位の觀念と賓位の觀念との二者の關係を明かにすることにして、その主賓の二者が合一すべき關係にあるか、合一すべからぬ關係にあるかを決定する思想の作用を以て内面の要素として、そを言語の上に發表したるに外ならず(【日本文法學概論六七七頁】)。
とあるのが即ちそれである。氏はこれを圖解して、
 
  主位
   ↑
     ←→繋辭
   ↓
  賓位
 
と解されたことは正しいのである。然るに更に進んで、陳述を次の如く解するに至つてこゝに大きな破綻を來たした。
  命題の形をとれる句は二元性を有するものにして理性的の發表形式にして、主格と賓格との相對立するありて、述格がこれを統一する性質のものにして、その意識の統一點は述格に寓せられてあるものなり(【日本文法學概論九三五頁】)。
と述べられて、統覺作用或は陳述を述格に置かれたことは、氏の文法體系の種々なる點に無理を與へたと考へられるのである。その一は、用言の本質を以て陳述の能力あることとしたことである。
  抑も用言の用言たる所以はこの陳述の能力あることによることは既に繰返し説きたる所なるが(【日本文法學概論六八一頁】)。
(336)從つて、氏の所謂「陳述のし方に關する」複語尾が、用言の内部的要素と考へられるに至り、更に用言の用とは作用を表すものであると説かれるに至つたのである。元來用言は屬性概念を有するものであるが、氏が述格といふ時、かゝる屬性概念即ち賓位の概念と陳述作用の表現との結合したものと考へられたのであるが、かく考へることは正しいことであらうか。この二者は氏の圖解にも明示されてゐる樣に合一せられたものではなくして、本來別箇のものである。國語の形に於いても、明かにこのことは現れて、
  月 明か なり〔二字二重傍線〕。
  花 紅  なり〔二字二重傍線〕。
の如きに於いては、「なり」は陳述の力の言語的に表現されたものであること、そして、屬性概念とは別に表現されてゐること、氏も認められるところである。この場合、賓位の概念と陳述とは明かに遊離されてゐるのである。又例へば、
  山は雪か〔二重傍線〕。
  外は兩らしい〔三字二重傍線〕。
に於いて、「か」「らしい」は、主賓の關係に對する話者の疑問或は想像を表したもので、やはり(337)陳述の表現であること、前例の「なり」と同樣であり、賓位概念は陳述と遊離されてゐると見なければならない。從つて、用言を用ゐて賓位概念を表す場合には、たま/\陳述が言語的に表現されなかつたのであつて、用言に陳述の能力が寓せられてゐると見るのは、却つて氏の陳述の根本觀念と矛盾する樣に考へられるのである。國語に於いては、陳述の言語的表現が省略されることは、用言に於いてばかりでなく、體言に於いてもあることであつて、
  太夫櫻、太鼓熊谷、笛敦盛、
  彼は 智勇兼備の名將、よく事に處して云々、〔四つ目までの読点は白ごま、入力者〕
「名將」は陳述「にて」が省略されてゐるので、若しこの場合、體言に陳述が寓せられてゐると見るならば、それは山田氏の用言の定義にも反するであらう。陳述が用言に寓せられてあるといふ山田氏の見解は、直に移されて喚體の句の説明に及ぶのである。
  次にその主格述格の差別の立てられぬものは直觀的の發表形式にして一元性のものにして、呼格の語を中心とするものにして、その意識の統一點はその呼格に寓せられてあるものにして(【日本文法學概論九三五−九三六頁】)。
述體の句に於ける統覺作用即ち陳述が、主位賓位の概念の外にあつてこれを總括することによつて文を認めようとする山田氏の根本的立場を固執するならば、喚體の句に於いて、これを總括す(338)る統覺作用の言語的表現は、例へば、「妙なる笛の音よ」に於いては、助詞「よ」になければならない筈である。呼格の語は、單に感情的統覺作用の對象若しくは内容素材であるに過ぎない。然るに、統覺作用の表現を專ら述格に歸し、述格たり得るものは用言より外になしと考へられた山田氏は(【日本文法學概論六八一頁】)、右の喚體句の骨子を、
  連體格――中心骨子たる體言
といふ形式を以て構成せられたものとしたのである(【同上書、九四五頁】)。この結論は、文の成立條件を統覺作用に求め、統覺作用の所在を用言に歸した博士の學説の必然的な結論であるに違ひないが、體言と體言の裝定をなす連體格に喚體句の統一點があるとすることは、單なる形式的な演繹に過ぎないものであつて、右の文の理解に基礎を置いた説明とはいふことが出來ない。事實山田氏は、「花もがな」の如き希望の喚體句の説明に當つて、
  その希望の意をあらはすことは終助詞(筆者註もがな〔三字傍線〕をいふ)にて示されたれば、これにて十分に句たる價値をあらはせるなり(【同上書、九五四頁】)。
こゝに句といはれてゐるのは、一般にいふ文のことであつて、博士は、この文の成立條件は、希望の對象である體言と、希望の助詞とによつて充分であると考へられてゐるのであるが、若し右(339)の條件を以て文の成立に充分であるとするならば、博士が先に述べられた文には統覺作用の表現即ち述語たる用言が必要であるとする論旨と矛盾を來すこととなるのである。統覺作用の所在を用言に歸する考方を以て貫くならば、希望喚體句は文より除外せらるべきであり、希望喚體句を文として認める爲には、希望の終助詞に統覺作用の所在を認めなければならないのである。私の論旨は、上に述べた樣に、助詞助動詞に、用言の零記號の陳述と同樣に、主體的總括機能を認めようとするのである。總じて氏の文法體系に於いて、助詞が單に關係語としてのみ認識されてゐること、助詞と氏の所謂複語尾とが全く別の範疇に屬して考へられてゐるといふことは、氏の明快な陳述、及び文の概念の正しき展開を阻害したと私は推察するのである。以上は、主として思想の統一といふ點から從來の學説を檢討したのである。
 次に私は、私の卑見を述べるに先立つて、山田博士の文の研究即ち句論の根本的態度に觸れて見る必要を感ずるのである。それが私の立場を明かにするためにも必要であると思ふのである。山田博士は句について次の樣に述べて居られる。
  文の基礎たる單體を句と稱せるなり(【日本文法學概論九〇三頁】)。
  文法學上、文の素たるものを句といひ、句が運用せられて一の體をなせるものを文といふ。畢竟句は化學に(340)ていふ元素の如き意義をあらはし、文は化學にていふ單體化合體などいふに用ゐる體の如き意義をあらはすものと約束すべし(【同書、九〇四頁】)。
  こゝに於いて文の構成上一の句よりなる文をば單文といひ、二以上の句よりなるをば複文と稱すべし(【同書、九〇五頁】)。
氏に從へば、句及び文の名義は、前者は素材的觀點より、後者は構成體としての觀點より名付けたものであつて、本質的には何等異る處がないと見なければならない。統覺作用一囘の活動を以て句或は文を定義する見地に立つならば、この結論は正に當然である。そして、文の單體に句といふ名稱を用ゐた理由については、
  さてこの句といふ語の意義を檢するに從來句讀と對していへる如く「語の絶ゆる處」をいふ語にして文法學上思想の完結せる一體をさすを主とし又「語意不絶句」と點例にいへるが如く英語の clause をもさすものなれば、句論上の單位をさすには最も適せる語なりとす(【同書、九〇四頁】)。
といはれる所を見るならば、句なる名稱が古來言語の絶、不絶に拘はらず使用されてゐて、統覺作用の活動の一點に立つて句を定義されようとする山田氏にとつては、採つて以て用ゐるには誠に好都合であつたのである。しかしながら、若し氏に從ふならば、
(341)  イ 山に登る〔四字傍線〕。
  ロ 山に登る〔四字傍線〕は愉快なり。
(イ)(ロ)は、共に「山に登る」といふ句を以て構成された文であるといふことはいへるのであるが、何故に(イ)に於いては、「山に登る」といふ句が運用上文といはれるにも拘はらず、(ロ)に於いては、それが句であつて文とはいはれないかの根據を見出すことが困難である。(ロ)の「山に登る」の如きを、山田氏は一個の文の一部即ち獨立せざるものとして、(イ)の場合とは別に扱はれたのである。これは、暗黙の中に、(ロ)が語意不絶句であることを認めたのであつて、二個以上の文の集合體ではないのである。(ロ)の場合は獨立せず、(イ)の場合は獨立してこれを文といふといふことがいはれる爲には、統覺作用以外の別の考を加へなければいふことの出來ないことである。我々の要求することは、(イ)に於ける「山に登る」と、(ロ)に於けるそれが、元素的に見て同一であることを知ることではなくして、最も肝要な問題は、(イ)(ロ)の「山に登る」が、夫々本質的に如何なる點が相違してゐるかといふことでなければならない。山田氏の研究は、文に於ける單位を決定することは出來たであらう。しかしながら、氏は、句の運用によつて成立した一個體である文と、文中に存する句との根本的な相違點については、遂に何ものをも規定することが出來なかつたのである。(342)しかしながら、氏は複文を定義して、
  上なる文をば終結の語法をとらずして即ち陳述を終了せしめずして、陳述しつゝなほ之を下文に何等かの方法を以て形の上の連絡を生ぜしむる語法をとるときはこゝに於いて文法上の複文となるなり(【同書、一〇五四頁】)。
そして複文は文法上一個の文であるとされる所を見れば、氏の文の觀念には、語法の終結或は終了といふことが、重要なる要素として無意識的に認められて居つたことを知るに難くない。然るに山田氏が、文研究に於いて、何故に特に統覺作用の一面のみを強調され、又通説とは頗る趣の變つた句の概念を持出されたかを檢討して見るに、それは、恐らく氏の根本に持たれてゐる原子論的考方に基くものと考へるのである。私は少しくこの點を述べて、私の立場を明かにしたいと思ふのである。
 原子論的考方とは、研究對象に對して、先づその單位的要素を求めようとする所の態度である。このことは、ソシュールの言語學説にも見えて著しいことであるが、彼は、聽覺映像と概念の結合した「言語《ラング》」なる概念を以て言語活動の單位と考へた。しかしながら、この研究態度は、對象の構造に即さない自然科學的研究法の直譯的適用であることは、既に指摘した處である(【總論第六項】)。山田氏も文に對して先づその單位的要素を決定しようとされる。
(343)  句論の研究はこの文の基礎たるべき單體〔二字右○〕の討究よりはじめらるべきなり(【日本文法學概論九〇二頁】)。
  余は文の基礎たる單體〔二字右○〕を句と稱せるなり(【同書、九〇三頁】)。
右によつてほゞ山田氏の立場は了解されるのであるが、氏はかゝる單體の結合によつて種々なる文を説明されようとしたのである。凡て學問の研究は、對象の分析に於いて對象の認識に到達するといふことは、事新しくいふまでもないことであるが、その分析は、必ず對象の構造に即して行はれねばならないといふことは、方法上肝要なことである。對象が、若し單位要素の結合した自然科學的化合物の如きものであるならば、單體への分析といふことは必然の方法であらう。しかしながら、人間の精神活動或はその所産になれば、もはや單體の摘出によつては本質を把握することの出來ない複雜な複合體をなしてゐる。寧ろ單位要素の摘出が不可能であるといふことが、この對象の特質であるとも考へられる。鎌倉幕府の成立といふ歴史研究の對象には、如何なる單位要素をも見出すことは出來ない。一幅の畫圖にとつて、そこに描かれた一木一草が單位要素であるといふことも出來ない。我々は寧ろかゝる對象を、その自然の構造に從つて分析し、これを構成する雜多な要素に分つことによつて對象の本質を把握することが肝要である。言語研究に於いても同樣であつて、言語の認識は、そこに關與する一切の要素即ち素材、概念、發音器管、發(344)音行爲、聽覺、視覺、了解作用等に分析し、その相互關係を明かにすることによつて達成せられる。文に於いても同樣であつて、そこには文の單位の抽出といふことが問題でなく、寧ろ文を、言語に於ける一の統一體としてこれを記述することが肝要であり、文研究の目的もそこに存すると思ふのである。文が言語に於ける一の質的單位であることについては、第三章第一項に述べたのであるが、文は語の結合や、句の集合を以ては説明することの出來ないそれ自身一體なるものである。
 以上述べた處を要約するに、私は先づ我々の自然に持つてゐる處の文の意識を肯定し、それが、單語とは異つた意味に於いて言語に於ける一の質的單位であるといふ豫想の下に、從來の文に關する學説を檢討したのである。最初に論理主義的見解を批判し、次に文の成立條件としての完結の概念について一言し(【これは後に詳説する豫定である】)、最後に現代日本の代表的文法學説として山田孝雄博士の所説について、その妥當であると考へられる點と、矛盾してゐると考へられる點とを指摘し、旁々私の見解をもこれに加へたのであるが、次項に於いては、私の根本的な立場から、國語の文の特質が何處にあるかを明かにしたいと思ふのである。
 
(345)         ロ 文の統−性
 
 交の意識は、個々の語が、個々相接續して、不斷に絶えざる進展流動を續けてゐるといふ事實によつて起こるのではなくして、それはかゝる流動の中に切取られた或る統一せられた思想の、統一せる言語的表現に基いて意識せられるものであることは明かである。從つて、文中に於ける單位の規定、或は單位の結合の上に現れる法則の認識といふことは、必しも文自體の本質の闡明といふことにはなり得ない。文は、一の統一體を構成する條件を必要とする。以下文の意識を構成する諸條件について私見を述べようと思ふ。
 先づ私は、言語は話者の思想的内容を音聲或は文字に表現する心的過程の一形式であると考へる。この考を更に嚴密にいふならば、一の單語は、それ自身かゝる過程的構造を持つ故、我々の話語或は文章は、かゝる心的過程の繰返しによる連續である。文とはかゝる繰返しの連續中に切取ることが出來る或るものでなければならない。次に問題とすべきは、思想の表現とは何であるかといふことである。我々が若し意識に映ずる種々なる表象或は概念を、文字或は音聲に表現して、山、川、月、花、行く、見る、走る等といつた場合、それは意識の客體のみを表出したの(346)であつて、これを全き意味の思想の表現とはいひ得ないであらう。それは、思想の客體化された側面のみを表出してゐるのであつて、未だ自我それ自體の表現を伴つてはゐない。しかし、「山だ」「川だ」といつた場合は、そこに始めて言語主體の客體的側面である表象或は概念と同時に、主體のそれに對する判斷作用の表出をも見ることが出來るのであつて、こゝに始めて思想が表出されたといふことが出來るのである。右述べた「山」「行く」の如き表象或は概念のみの言語表現は、思想の一面的表現であつて、實は極めて抽象的にのみ考へ得られる事實であり、或は時として腦神經の病的状態に於いてのみ現れる現象であつて、現實的な我々の思想は、常に、意識に現れる客體的な表象或は概念と同時に、それらに對する判斷、感情、欲求、願望等の如き自我の活動を伴ふものであつて、兩者合體して始めて思想となるのである。かくの如き主客の綜合された言語表現に於いて始めて、それは客觀的事象の表現であることを脱して、自我そのものの體驗である思想の表現となり得るのである。かくして、辭書に記載された「火事」といふ語は、それが我々に「火事」の表象を與へるのみでは、一の單語であるに過ぎないが、今、目前に火事を見て「火事」と叫んだ時は、この表現には、表象と同時に、この表象に對する判斷、感情等が伴つてゐることは確かである。即ち火事といふ事物が、言語主體に於いて或る統一を受けてゐると見る(347)ことが出來る。かゝる主客合一した境地があつて始めて「火事」といふ言語的表現が成立するのであつて、「火事」といふ語が文として認められる根據も亦そこにあるのである。それは、この表現が、「火事が起こつた」「火事を見よ」等の論理判斷を表現してゐると認めて文といはうとするのではない。又この語が現實の場面に使用せられたが故に文といふのでもない。「火事」といふ語は、たとへ具體的事象を表現して居つても、概念過程を經て表現されたものであることに於いて一般の單語と同等である。只この場合、言語主體の感情的活動が、この表象を包み、主客の合一した統一的思想として表現されてゐると考へることによつて文と考へ得られるのである。但し、右の場合に於いては、表象に加へられた主體的活動が、言語形式に表現されず、音の抑揚、強弱等によつて、この語の上に累加されてゐることに於いて辭書的語とは本質的に異るのである。我々は、屡々かゝる累加的表現を、一般言語表現の傾向即ち線條化の例に倣つて、
  「火事!」「火事?」
の如く記載することがある。事實累加的表現は、若し表現にゆとりが許されるならば、「火事よ」「火事だ」「火事か」等の如く線條化されるのである。こゝに於いてこれらの表現は、内容的にも形式的にも思想の表現といひ得るので、我々の文の意識の成立の一の根據は實にこゝにあるので(348)あると思ふ。私は語としての表現と、文としての表現の相違を次の如く圖解しようと思ふ。
  辭書的語彙として  火事※[二字□で囲む]  或は、火事〔二字傍線〕
  思想の表現即ち文として  火事※[二字□で囲む]■  或は、火事〔二字傍線〕■〔右○〕
   ■は自我の活動の表現が言語形式ゼロの場合を示す(第三章第二項ロを參照)
かくして、例へば、「蛙飛び込む水の音」は、單に特定の音響表象ではなくして、かゝる表象の表現と同時に、それに志向する複雜な感情が、言語形式零の形を以てこの客體的表象を包んでゐると考へられる。圖によつて示せば、
  蛙飛び込む水の音※[八字□で囲む]■
これが文と認められる所以である。但しこれらの場合、言語形式が全く零であると見るのは、正しくないのであつて、何等かの形式即ち抑揚、強弱等によつて表されてゐると見るべきで、このことは既に述べた如くである。かゝる表現が更に分析されるならば、
  三笠の山に出でし月※[九字□で囲む]かも※[二字凵で囲む]
(349)となり、思想の客體と同時に、主體的感情「かも」がこれに添加し、線條的に表現せられる。ここに「かも」は、主體的感情それ自體の表現であつて、對象化せられ、客體化せられた事物の表現である「三笠の山に出でし月」とは根本的に區別されなければならない。私が「かも」の如き語を、辭と名付け、概念過程を經た詞と區別し、概念過程を經ない主體の直接的表現の語といつたのは、それが思想の主體に關るが爲である(【第三章第一項】)。
 文が思想の表現であり、思想は上に述べた如く、客體界と主體との結合した體驗にあるとするならば、文は即ち詞と辭との結合に於いて表現されるといひ得るであらう。主體の表現形式零なる場合と共に、
  花・か。  花・よ。 花・なり。 花・だ。 花・らしい。〔最初と最後を除く・は白の小丸、入力者〕
の如きは皆文と考へられるのである。
 次に、國語に於ける用言は、その辭書的語彙としては屬性概念を表すのであるが、具體的思想の表現に於いては、或る事物についての判斷を、言語形式零の形に於いて累加する。例へば
  暖い。  咲く。
といつた場合、「暖い」と判斷し、「咲く」と陳述する言語の主體的活動は、言語形式には現れて來(350)ない。しかし、かゝる主體の活動が存在してゐると見る限り、これも全き思想の表現であつて、文と考へなければならない。前例の圖式に倣へば、
  暖い※[二字□で囲む]■  咲※[二字□で囲む]く■
この零記號の表現も、若し判斷が單純な肯定より、否定、想像、疑問等に移るならば、前例の如く線條的表現となるのである。
  暖く※[二字□で囲む]ない※[二字凵で囲む] 咲か※[二字□で囲む]ない※[二字凵で囲む]  暖い※[二字□で囲む]か※[凵で囲む] 咲く※[二字□で囲む]か※[凵で囲む]  暖い※[二字□で囲む]らしい※[三字凵で囲む]  咲く※[二字□で囲む]らしい※[三字凵で囲む]
右の如き用言が文と認められるのは、これらの語が、「風が暖い」「花が咲く」といふ樣な、主語述語を含む論理的形式に置き換へられるが故ではなく、右の圖に示した如く、主客の合一した思想の表現と認められるからである。命令形が一の文と認められる根據も同樣に埋解せられるであらう。命令は要求であつて、主體の活動である。そしてそれは屡々零記號を以て表現される。
  立つ!  氣をつける!
言語形式に於ける表現としては、一は詞の音韻の轉換により、又辭の添加による。
  立て※[二字□で囲む]e※[凵で囲む]  咲け※[二字□で囲む]e※[凵で囲む]
(351)  氣をつけ※[四字□で囲む]よ※[凵で囲む]  起き※[二字□で囲む]ろ※[凵で囲む]
一般に文の認定の有力な條件として、主語述語が具るといふことが要求されてゐる。しかしながら、山田孝雄氏も述べてゐられる樣に、文に於いて必要なのは、主語述語の如き文の客體的なものでなく、これを統合する主體であり、陳述である。若しこれら主體の活動が文の不可缺の條件であるならば、私が既に述べた諸例は、既に文としての條件を充分に具備してゐると考へてよいと思ふ。
 以上述べた處によつて、文の成立の第一條件が、詞と辭との結合であるといふことは大體了解されたことと思ふ。以上によつて、思想と思想表現の本體が明かにされたのであるが、文の意識は、これを別の見地からいへば、統一された思想の表現であるといふことが出來る。思想の表現が、單に體驗の羅列であつては、統一の意識は起こり得ない。たとへ非論理的思想であつても、「丸は四角い」の如きに於いて、我々がそこに文を意識し得るのは、思想の統一があるからである。思想が如何にして統一的に表現されるかといふことは、國語に於いては、專ら辭の總括機能に基くものである。總括機能とは、その明かな例をいへば、引用文の下に來る「と」の如く、
(352)  『…………』と〔二重傍線〕云ふ。
括弧中の總ての語を總括するものをいふのである。次の例の、「よ」「や」「む」も同樣である。
  妙なる笛の音よ〔二重傍線〕。  妙なる笛の音※[六字□で囲む]よ※[凵で囲む]
  あつぱれの武者振や〔二重傍線〕。  あつばれの武者振※[八字□で囲む]や※[凵で囲む]
  我は書を讀まむ〔二重傍線〕。  我は書を讀ま※[六字□で囲む]む※[凵で囲む]
右の「む」は話者の意志の直接表現であつて、それは「我は」以下全部を總括し、その全臆に對する主體的志向を表してゐる。こゝの「我」は、主體の概念化されたもので、主體の活動に對しては、素材的であり、客體的であることは既に第三章第二(ロ)の項に述べた。總括機能は、辭の持つ特有の機能であつて、その點助詞助動詞は全く共通してゐる。用言に累加される陳述作用が、機能的に見て助詞助動詞と同樣であることは既に述べたが、しかもこの三者助詞助動詞陳述作用は、それによつて總括される語及び語群の直下に接續し、整然たる一體系を形造るのである。國語に於ける文の統一の意識より見ても、重要なのは、主語述語ではなく、辭及び陳述の表現であつて、これらを除いては、文の統一の成立しないことが明かになつたと思ふ。助詞、助動詞及び(353)陳述を、總括機能の表現として見る時、陳述の表現が單に用言にのみ寓せられてあるといふ見解の誤であることは、從つて明かになることであつて、助詞、助動詞は共に陳述の變容したものと考へなくてはならないのである。山田孝雄博士も、終助詞(【かな、かし、な、か等】)を、文句の陳述に關するものといひ(【日本文法學概論四〇一頁】)、複語尾のあるものを、陳述のしかたに關するものといふ樣に述べてゐられるが、この論理は氏の文法體系に於いては、未だ一貫してゐるとはいひ難いのであつて、陳述は、專ら用言にのみ寓せられてあるといふのが、氏の根本的立場である(【同上書、六八一頁】)。印歐語に於いては、主體的な統一機能の表現は S−Pの形によつて示される樣に、素材的客體的語の中間にあつてこれを連結する形に於いて表現されて居り、從つてこの連結する語を繋辭 copula といふことに理由があるのである。例へば、
  He is a boy.
の is がそれである。繋辭が形の上に現れず、賓辭に含まれてゐる場合に於いても、繋辭がやはり中間にあるものと認定するのである。例へば、
  The dog runs.
に於いては、runs はその中に繋辭を含んでゐるのであるが、これを次の樣な形に改め理解するの(354)が常である。
  The dog is rnning.
或は、
  The dog is in the state of running.(【速水滉博士論理學六八頁】)
右の形式を國語にも適用して、
  柳は〔二重傍線〕緑、花は〔二重傍線〕紅。
  犬が〔二重傍線〕走る。
等に於ける「は」「が」を、「柳」と「緑」、「花」と「紅」、「犬」と「走る」等を繋ぐ語である樣に考へることが屡々あるが(【同上書、六八頁】)、それは承認出來ない。國語に於ける總括辭は、總括される語の最後に置かれて、これらを包む樣な形に於いて全體を統一してゐる。このことについては第三章第三項に詳述した。以上文の意識が成立する爲には、統一といふことが重要な條件であること、そして國語に於いて統一が如何なる形に於いて表現されてゐるかを明かにして來た。以上によつて知られる樣に、文の第一條件は、統一にあるのであつて、統一されるものにあるのでないことは、國語に於いても、印歐語に於いても同樣である。從つて主語述語の存在といふことは、文に(355)於いて成立の不可缺の條件ではない。印歐語に於いて主語述語を必要とするのは全く言語の構造と習慣に基くものであり、國語に於いて主語が省略されることのあるのは、文として決して特例に屬するものと考へるべきではないといふことを知るのである。
 
         ハ 文の完結性
 
 私は、文の本質を以て、詞と辭の結合にありとした。そしてこゝに結合された辭の總括機能によつて、思想の統一的表現の可能である所以を述べた。しかしながら、私が今まで述べて來たことは、文成立の條件の一半であつて、更に一の重要な條件は、思想の表現が完結されてゐるといふことである。文は詞と辭の結合にありとしたが、次の如き例に於いては、
  花・は  雨降る・べく  美しけれ・ども
「花」「雨降る」「美しけれ」は、夫々詞或は詞の群であり、「は」「べく」「ども」は夫々辭であつて、これらは、詞辭二者の結合から成立してゐるのであるが、我々はこれを文とは考へない。何となれば、右の如き結合に於いては、思想が完結されず、下に何等か續くべき勢を示してゐるからである。即ち「は」「べく」「ども」は未完結な辭だからである。かく考へて來るならば、文の(356)認識に於いて他の重要な條件は、詞に辭が結合することであると同時に、その辭は完結する處の辭でなければならないといふことである。辭と同じ機能を持つ陳述作用について見ても、その完結は、用言の完結形式によつて代表されてゐる。
  流る。  美し。
は、完結してゐることによつて、それのみで文を構成してゐるのであるが、
  流るる、 流るれ、 美しき、 美しく、 美しけれ、
に於いては、意味内容は前の場合と同樣でありながら、文と考へられないのは、それが未完結な陳述を示すからである。かくして完結の意識を伴ふ用言の用例を歸納するならば、それは用言の終止形であつて、他の活用形は、特殊の條件の下即ち係を伴ふ時にのみ完結することが出來るのである。
  水流る。 花美し。
が、文と考へられるのは、それが主語述語を有するが爲でもなく、又陳述作用を伴ふ爲のみでもなく、實に完結せる陳述作用がある爲に、文と認識され、統一した思想の表現と考へ得られるのである。右の如き方法によつて、辭即ち助詞助動詞について、完結するものと未完結なものとを(357)區別して、文認識の基礎とすることが出來るであらう。語形變化によつて語の接續を形造る國語に於いては、文の完結が、話者の主體的活動の表現と同樣に、語の形式の上に明示されてゐるといふことは、接續によつて語形式を變化させることのない印歐語と比較して、國語の特質を物語る一の點であると思ふ。若し國語に於いて、斷續の關係を明示する語形式の發達がなかつたならば、國語は恐らく斷續を表すべき他の形態上の變化例へば音の抑揚の如きものを發達させたであらう。例へば、
  誰か來た?
に於いて、「た」を完了の表現と同時に、疑問を表すものとして使用するには、尻上りの抑揚をこれに累加させる必要がある。即ち「來た《↑》」といはねばならない。處が若しこの疑問を言語形式に於いて表現するならば、右の累加されたものは、線條的に改められ、且つ抑揚は常の平板な完結抑揚に歸ることが出來る。即ち「來たか」の如くいはれるのである。この點アクセントとも密接な關係があるが、印歐語に於いて、斷續が如何に表現されるかといふこととも比較考察する必要があらうと思ふ。
 文の成立の一條件として、完結といふことを考へたが、このことに關して、既に觸れたことで(358)あるが、完結と完全との區別について一言したいと思ふ。スヰートの文の定義にも見られる complete の概念は我が國の學者によつても曖昧に解せられてゐる樣であるが、原著者の考へにも明確を缺くものがあつたのではないかと推測されるのである。山田孝雄氏は、完結を寧ろ修辭學上の問題として追ひやらうとされたことは既に述べた處である。最近では、杉山榮一氏の所説(註)に見ても、完結完全の二語が同時に用ゐられ、概念そのものにも混濁がある樣である。
 
  註 品詞分類論(國語と國文擧昭和十一年十月號)
 
完結と完全との根本的相違は何處にあるかといへば、完全とは主觀的基準に於いてのみいひ得ることであつて、完結とは客觀的に規定された事實である。從つて文の完結とは客觀的に妥當する事實に基くのである。完全とは主觀的滿足感に基くのであるから、時と處により文の完全さは相違し、同じ文でも話手と聽手により相違することがあり得る。例へば、「アスツク」といふ電報を受取つた場合、受取人が到着の時刻を豫め承知してゐる場合には、この文は完全であり、これ以上の時間の記入は蛇足であるに違ひないが、若しこれを代理人が受取つて事を處埋する場合には、時間の記入がないのを不完全と考へるであらう。かくの如く完全感は、主觀の立場によつて相違するものである。しかしながら、この言語表現が、完結して文をなしてゐるといふことは、甲乙(359)何れの人にも認められる處である。又完結の意識は、文の不可缺の要素と考へられる主語述語補語等の有無とも關係がない。
  「鬼になる人ないか。」   「僕がならう。」
右の「僕がならう」といふ表現には、「鬼に」といふ補語を必要とするのであらうが、それはこの文の完全不完全に關することであつて、完結には關係がない。この場合補語が無くともこの文は完結し、且つ表現に充足性があるから、話手に於いても、聽手に於いても、完全であるといへるのである。かゝる表現は、補語が省略されたと見るよりも、補語の概念が、述語の概念の中に融合され未分化の状態にあると見る方が正しいと思ふ。これは後に省略を述べる際に解れようと思ふのであるが、國語の表現法は右の如く解するのが眞相に近い樣である。それは、國語に於いては、主語述語の結合したものが一の述語として取扱はれる可能性を持ち、又一の述語と考へられるものが實は主語と述語との結合であつたりする事實からもいへることである。
  象〔傍線主〕は 鼻〔・傍線主〕 長し〔・二字傍線述〕〔三字傍線述〕。
は前者の場合であり、
(360)  うら〔二字傍線主〕 淋し〔二字傍線述〕〔・四字傍線述〕。  心〔傍線主〕 ざす〔二字傍線述〕〔・三字傍線述〕。
は後者の場合である。かゝる點は、主語−逸語、主語−繋辭−述語の形式を以て、常に分析されたものを綜合するといふ表現をとる印歐語に對して著しい相違をなすもので、國語に於いては、綜合されたものを分析することを以て表現とするのであつて、このことは恐らく國語を使用する者の思考法の根本から出て來ることであらうが(註一)、その一斑は、これを國語の述語が分析せられる状態について見てもいひ得ると思ふ(註二)。「長い。」といふ表現は、現實に象を見た場合の状態の表現であつて、その際象も鼻も潜在意識としてそこに包含された綜合的表現である。かゝる表現が、時と處によつて完全性を得る爲に、主語述語修飾語に分析される有樣は次の如く、
  鼻が長い。
  象は鼻が長い。
  鼻が象は長い。
そして、第三の場合に於いては、主語「象」は述語の中間に分析されて現れてゐることは注目すべき現象である。以上によつで、主語補語が缺けてゐるといふことは、表現の省略ではなくして、(361)未分析の綜合的表現であり、しかも表現の完全感は充分に達し得られるのであつて、文の完結未完結といふこととは全く關係のないものであることが明かになつたと思ふ。
 
  註一 山田孝雄氏は、述體、喚體の句を峻別する必要上、次の如きことをいはれてゐる。「惟ふに上述の所謂四體の句(筆者註、敍述、疑問、感動、命令の四體)の根本の形式とするものは、主格と賓格との對立及び述格がそれらの結合をなせる形式の句にして、その主格と賓格との對立及びそれを述格にて結合することは前にもいひたる如く人間の思想の了解作用の必然の現象にして、吾人はその了解作用に於いては必ず先づその主格と賓格とを分離して考へ、さて後これが一致又は差別を識別し述格によりて二者を結合して一の命題となすなり」(【日本文法學概論九三三頁】)と。山田氏は、文の本質を述格の統合作用にありと斷ぜられながら、結局論理的觀點から述體の句を定義付けようとされたことは不可解である。國語に於いては、主格と賓格とが先づ分離して考へられ、然る後結合が判斷によつて行はれることもあるが、それと同時に、判斷の對象が只一語であることが多い。「虎だ」と叫んだ時、「虎」といふ概念とそれに志向する判斷があるばかりである。この判斷は、場合によつては、「被處に見えるものは、虎だ」といふ二辭項に表現されることがあるが、それは判斷の對象辭の分析された結果である。「行け」といふ樣な命令の場合も同樣で、命令の對象は、綜合的な「行く」といふ概念である。綜合が分析されて、始めて分析されたものの間に、主、賓の別が生ずるので、踪合された表現について、これを分析的に考へることは事實に反すると思ふ。かく考へて來るならば、「虎だ」といふ表現と、「虎よ」「虎や」或は「虎!」といふ表現との間に形式上の差別を設けることの出來ないのが寧ろ國語の實状であるといはなければならない。國語に於いて、用言に累加される陳述、助詞助動詞の表現する判斷、希求、感動等は、全く同形式のものであつて、文の形の上でもこれを峻別する根據を見出すことが困難であることは、既に述べた。總て、論理的構造を持たぬ文(362)を、論理的構造を持つた文の崩壞したものの如く考へるのは誤であつて、最初の、そして具體的なものは、論理的でない、結合的なものである。國語はかゝるものをそのまゝに表現することが多い。
  注二 嘗て私は次の樣なことを述べたことがある。「氣持ちを表はす意味と、状態を表はす意味とが合體して一語を以て表はされるといふことは、國語形容詞の或るものに就いて注目すべき現象であると思ふ」(【語の意味の體系的組織は可能であるか。京城帝大文學會論纂第二輯】)と。即ち「恐ろし」「をかし」「淋し」「心許なし」等の語は、主客未分の結合された素材を表現してゐるので、こゝに我々日本人の素材に對する把握の仕方を示す一例を見ることが出來る。形容詞の意味の變化は、これら綜合的表現が分析されて主客何れかに傾く時に起こるのである。又かゝる形容詞から主語が分析される時、氣持ちの主體となる主語、状態の主體となる主語の二つが現れて、文章法上困難な問題が起こる。例へば、「私〔二重傍線〕は虎〔二重傍線〕が恐ろしい。」の如きがそれである。この樣な場合、「虎」を「恐ろしい」の志向對象と見て對象語と名付けた。主語でなく、志向對象と見る方が適切であると考へたのは、「娘は母が戀しい。」といふ場合、「母」はいかなる見地からも、「戀しい」の主語と見ることは出來ないからである(【次の格についての論の中、第二項主語格と對象語格を參照】)。
 
完結と完全の相違は、又次の如き例に於いて見ることが出來る。
  あんなに云つてやつたのに、
右は、陳述の完結しないものであつて文とはいふことの出來ないものである。しかしながら、未完結にも拘はらず、話者に於いても聽手に於いても、表現の完全感は、それが完結した表現よりも充足されてゐる。いふべきことを、いはなかつたといふ點に於いて、前の主語や補語のない場(363)合と共通するであらうが、前の場合は、表現が述語の中に包含されてゐるので、「火事!」といつた場合に、一切の感情がこの語に累加されてゐるのに近い。處が後者の場合は、「あんなに云つてやつたのに」といふ表現に續いて起こるべき思想が表現されてゐないのであるから、省略といはなければならない。從つてそれは文ではなく文の斷片であるに過ぎない。表現の完全性からいへば、それは餘韻の效果によつて、完全性が發揮されてゐるといふことが出來るであらう。山田博士は、文に於ける完結未完結といふことを不問に附せられ、文の單位を完結未完結を通じて句と名付け、文を專ら統覺作用の存在によつてのみ定義付けようとされてゐることは、前項に述べたことであるが、かゝる内面的な統一と同時に、文の成立に語形式の完結未完結が重要であることは、歌學及び國語研究の歴史に於いて、古くからこれを問題にして來たことによつても知ることが出來るのである。古來、和歌の留り、切れの論は、歌學に於いてやかましく論ぜられた處であり(註)、連歌に於いて、發句が意義形式共に獨立したものでなければならないといふ主張から、切字の論が起こつて來た經緯を考へるならば、完結といふことが文の不可缺の條件と考へられたことは既に久しいことであり、且つそれは國語の形態に促されて起こつて來た必然の考方と見なければならない。山田氏は、句字の名義を漢文の「句讀」の用例に尋ね、又益軒の點例に從つて、文(364)の絶不絶に兼用することの妥當であることをいはれたが、若し援據を求めるならば、句字が國語に於いて如何なる事實をいふに用ゐられたかを明かにせねばならなかつたのである。和歌にいふ句は、必しも私がいふ文の完結せざるものといふ意味には使はれてゐないが、初句、二句、上句、下句等は、そこに共通する意味を求めるならば、完結した統一體の部分〔二字右○〕といふ意味に用ゐられたことは明かである。三句切に於いては、上句で意も形も完結してゐるのであるが、猶句といはれるのは、それが全體に對する部分の關係にあるからである。しかしながら、猶嚴密に考察するならば、
  見わたせば花ももみぢもなかりけり。浦のとまやの秋の夕ぐれ。
に於いて、「なかりけり」の完結した陳述は、上句のみの獨占するものではなくして、實は一首全體に關する陳述の完結であるから、從つて、「見わたせば……なかりけり」は、完結形式を持つにも拘はらず、句といひ得るのである。この樣に解することの適切なのは、
  なみなみの人ならばこそ〔二字二重傍線〕、あららかにもひきかなぐらめ〔二重傍線〕(【源氏帚木】)。
右の辭と辭との照應即ち係結の關係を見るに、「かなぐらめ」が獨立句のみの陳述であるならば、「かなぐらむ」でなければならない筈である。處が「む」が「め」となつてゐるのは、これが獨(365)立句のみの陳述でなく、附屬句を含めた文全體の完結を示す陳述であるが爲である。從つて、「あららかに……かなぐらめ」は、それだけ取り出すならば、完結してゐるにも拘はらず、句であるといふことになる。かく見て來るならば、句が文の一部であるといふことは、我が國に於ける用語例からいひ得ると斷言出來よう。連歌に於ける句々は、夫々獨立した想を持ちながらも、全體に對しては不即不離の關係にある故、嚴然として全體の一部分であることが要求せられる。發句に獨立の想と形式とが要求せられる時代になつても句といはれるのは、やはりそれが全體の一部であることに變りはないからである。漸時本質的に句の域を脱して、俳句に至れば、それは獨立した文と呼ばるべきものである。しかも猶それが句と呼ばれるのは、歴史的習慣以上のものでなく、句の本質的用語例をこゝに見ることは出來ないと思ふ。以上の如く、句は元來、全體の部分を意味するのであるが、それが、部分であると同時に獨立した一の全體でなければならないといふことから、連歌に於いて明がな樣に、發句には完結が要求せられて切字の説に展開する。發句は連歌全體に對しては句であるが、獨立の想と形式とを有するといふ點からいへば、本質的に文であるといひ得る。かくの如く、國語に於いては、獨立の思想の表現といふことと、完結の語形式の觀念は切離すことの出來ない關係にあるといふことが知られるのである。從つて、國語に於(366)いて、文と文の完結しないものとは、截然と區別する必要があるのであつて、通俗に用ゐられる、文の完結しないものを句と稱し、或は、附屬句を除いた完結句をも同樣に句と稱することは妥當であると考へるのである。
 
  話 手爾波大概抄に次の如くある。
    不2云切1以2手爾波1所留之歌、中云切也、於2云切之析1留焉、云切詞、有2定詞1計里、計留、如v此類所2普人知1、其數繁多也。
 
 宣長の詞の玉の緒は、留り切れの理法を述べて最も詳細であることに今更いふ必要がないと思ふ。
 
         ニ 文に於ける格
 
 (一) 述語格と主語格 附、客語補語賓語等の格
 私は前二項に於いて、文を專らその表現主體の總括機能の側から、如何にして文の統一形式が成立するがを述べて來た。以上はいはゞ文の成立に關する形式の方面のことであるが、文には一方かゝる形式によつて統一せられ、完結せられる處の内容の存在が必要である。判斷する爲には、判斷される事實とその表現が無ければならない。感情の表現には、感情の機縁となる處の事實とその表現が存在しなければならない。これら主體の活動に對應するものを文に於ける客體と名付(367)けるならば、客體の秩序が即ち文に於ける格である。私は第三章第三に於いて、國語に於ける詞辭の結合は、それが單位となつて、更に入子型構造形式によつて統一形式を完成することを述べた。その有樣は次の如くである。
  詞※[□で囲む]辭※[凵で囲む]詞※[三字□で囲む]辭※[凵で囲む]
 從つて文に於ける客體的なものの秩序とは、詞と詞との關係であつて、それは、言語主體の認定に基くものであつて、從つて、この樣な關係は辭によつて表現されてゐる。文に於ける客體である處の事物は、若しこれを文に於ける主體即ち話手との關係から切離して考へて見るならば、そこには主客の如き秩序は當然存在しないのであつて、それは單なる概念或は表象の羅列か、或は綜合された一の表象に過ぎないのである。次に私は國語の語の排列形式と格即ち語相互の秩序との關係を考へて見たいと思ふのである。
 入子型構造形式は、既に述べた樣に、
  a※[□で囲む]b※[二字□で囲む]c※[三字□で囲む]
(368)の如き包攝關係によつて統一が形造られるのであるが、この關係は、客觀的に見れば、abcは單に包まれるものと、包むものとの順次的發展に過ぎない。しかしながら、次の圖形に於いては、
 a※[□で囲む]b※[二字□で囲む]c※[三字□で囲む]  甲
 a※[□で囲む]  b※[二字□で囲む]  c※[三字□で囲む]  乙
abcの關係は、甲に於いては、cはabの結合したものを包攝してゐる樣に認められるのに對して、乙に於いては、aはbcの結合したものに包攝されてゐる樣に認定される。これは主觀的判斷に基くものである。この樣な秩序關係の差等が言語の場合にも認められるのであつて、そこに、所謂文の成分の類別が成立するのである。
 國語に於いては、判斷される處の客體は凡て述語格である。例へば、
  走る。   短い。   人だ。
の如き文に於いては、「走る。」「短い。」は共に陳述が零記號であり、「人だ。」に於いては、陳述(369)は「だ」によつて示されてゐる。そしてこれら陳述の客體をなす處の、詞としての「走る」「短い」「人」は凡て述語格(註)である。
 
  註 「走る」「短い」の如き用言の場合のものを述語といひ、「人だ」の如き體言に助動詞の結合したものについては、「人」を賓語とし、「人だ」を全體として述語といふことがある。この樣に、一般に用ゐられる述語の概念には、陳述をも含める結果、「人だ」が述語と稱せられ、用言はそれ自身陳述を表すといふ見地から、これを述語と稱するのであるが、格は凡て客體の秩序であるから、格づけられた語のみについてそれが何の格であるかをいはなければならない。從つて、「山へ」について格をいふならば、「山」が目的格であるといふ風にいはなければならない。「へ」は主體が「山」に附與した秩序の表現だからである。この樣にして、私の意味する述語格の概念の中には、陳述は含まれないのである。寧ろ、陳述の客體が述語格であるといふ風に考へるのである。これは、辭及び陳述を客體的なものから切離して、主體的なものの表現と考へる私の説の當然の結論である。山田孝雄博士は、述語格となることを、用言の本質的用法とされたが(【日本文法學概論一四九、六八一頁】)、述語格たり得るものは、必しも用言には限らない。要するに主語に對して説明概念を表すものは、凡て述語格といひ得るのである。次の例に於いて、
   主上笠置を御没落〔三字傍線〕の事(太平記)。
   何をおいひ〔三字傍線〕ぢや。
  「御没落」「おいひ」は共に主語「主上」、客語「何」に對して述語格であるといはざるを得ないのである。
 
 辭並に陳述が、國語に於いては總括機能を持つてゐるといふ見地から、述語は當然主語をその(370)中に包攝するのであるから、辭並に陳述の客體を述語格とする立場からは、次の如きものをも、當然述語格といはなければならない。
  犬が走る。……………犬が走る※[四字□で囲む]■
  人生は短い。………人生は短い※[五字□で囲む]■
  彼は學生だ。………彼は學生※[四字□で囲む]だ※[凵で囲む]
こゝに零記號の陳述並に「だ」によつて總括されてゐる「犬が走る」「人生は短い」「彼は學生」等は、凡て述語格である。従って、總括された客體的なものは、前例の「走る」「短い」「人」が夫々詞と考へられたと同様に、これらも亦詞としての性質を持ち得る様になる。以上の推論は、從來の説明と餘りに懸離れて首肯し難い様に考へられるかも知れないのであるが、國語の構造上極めて重要な結論であると考へるのである。以上の見解の妥當であることを明かにする爲には、先づ第一に述語格に對する主語格の關係を明かにしなければならない。一般に、主語格は述語格に對立したものと考へられ、この對立を結合する處に統一が成立するといふ形式論理學並に印歐語的統一形式の觀念から離れなければならない。國語に於いては、主語は述語の中に含まれる形に於(371)いて述語に對立してゐると見なければならないのである。從つて、判断的陳述の對象が、凡て述語格であるといっても、それは決して主語格の存在を無視したことにはならない。「走る。」といへば、その中に既に何ものかが走ることを意味してゐるのであって、國語に於いては主語が省略されてゐると見る見方は正しくない。文に於いて表出されてゐる主語は、述語に對立したものとして表出されてゐるのでなく、述語の中に隱されて居つたもの、包まれて居つたものが外に表出される様になつたものと解すべきである。この事は、例へば、
  心細い。 心苦しい。 齒がゆい。 鼻が高い。 手が長い。 氣が長い(短い)。 芽生える。 心ざす。 腹が立つ。 氣がくさる。 目が利く。 目立つ。
の如き文に於いて明かな様に、一方から見れば、これらは一語から成立してゐる文とも考へられるが、他方、夫々に主語を持つてゐるといふ事實によつて、私の右の推論を裏書きすることが出來ると思ふ。
 私の主張は又所謂總主の現象からもこれを支持することが出來る。例へば「象は鼻長し。」といふ文を、その最も簡單な表現から順次分析して見るならば、
  長し。……………長し※[二字□で囲む]■ 「長し」は述語格
(372)  鼻長し。…………鼻※[□で囲む]長し※[三字□で囲む]■   「鼻良し」は全體として述語格であるが、その中に主語格である「鼻」と、それを含んだ述語格である「長し」を區別することが出來る
  象は鼻長し。…………象※[□で囲む]は 鼻長しし※[五字□で囲む]■  「鼻表し」全體が一の詞として述語絡であると同時に、「象は鼻長し」が又全體として述語絡となる
右の如き構造は、述語が主語を分立し、更にその主語を含めて述語となり得るといふ性質を考へずしては不可能なことである。
 以上の樣な包攝關係をなす處の主語述語の分立は、これを客語補語の如きについてもいひ得ることである。例へば、
  目ざます。心がける。たびゆく。よみがへる。あまてらす。間にあはす。つらにくし。人なつかし。
の如き文は、それ自身述語であると同時に客語補語等を包攝してゐること主語の場合と同樣であつて、かくの如き包攝されたものの分立の傾向によつて、屡々二重の主語客語補語が分立することがある。
  電車が停電する。馬から落馬する。立死にに死ぬ。大笑ひに笑ふ。田を田がへす。名を名のる。
 以上の如く、述語格より主語客語補語等が分立され表現された場合には、これら客體的なものの相互の秩序は、格を表す辭によつて明かにされるのが普通であるが、主語の如きは必しも格を(373)示す辭を伴はず、零記號を以て表されることがある。それは述語格が用言のみを以て表されると同樣な事實であつて、辭の有無は表現の正確さに對する要求に基くのである。述語格の場合でも、用言のみでは判斷の表現が物足らなく感ぜられるならば、次の如き表現が成立するのも自然である。
  雨が降るです。 山が高いです。 水が美しうございます。
右の「です」「ございます」と、本項の最初に例示した「彼は學生だ。」の「だ」と比較するならば、用言を以てする陳述が、決して用言自體に陳述の機能がある譯でなく、陳述の形式が便宜省略されたものと見るべきであることが明かになると思ふ。標準的ないひ方ではないが、「雨が降るだ」「寒いだ」などいふいひ方にも語法的必然性を認めることが出來るのである。
 
 (二) 主語格と對象語格
 述語格から分立する處の主語、客語、補語等は、それらと述語との論理的關係の規定に基くものであつて、述語に對する主體、或はその客體、目的物等の主體的辨別に基いて現れて來るものである。然るに國語の形容詞及び動詞の或るものについては、次の樣な特殊な現象を認めること(374)が出來る。形容詞について見れば、例へば、
  甲 色が赤い〔二字傍線〕。川が深い〔二字傍線〕。
  乙 水がほしい〔三字傍線〕。母が戀しい〔三字傍線〕。
右の甲例に於いては、「色」「川」を共に「赤い」「深い」の主語とすることは當然であつて、「色」「川」は述語によつて説明される主體としてこれを主語といふことが可能である。乙例に於いては、「ほしい」「戀しい」の主語が、「水」或は「母」であると簡單に決定することは出來ない。これらの形容詞は、甲の場合のそれと異り、主觀的な情意の表現であるから、これらの形容詞の主語は、「ほしい」「戀しい」といふ感情の主體である處の「私」か、「彼」かでなければならない。それならば、「水」「母」は、右の主語に對して如何なる關係に立つてゐるのであらうか。私はこれを次の樣に解釋しようと思ふのである。「水」及び「母」は、夫々に主語「私」或は「彼」の感情を觸發する機縁となるものであるから、これを「ほしい」「戀しい」に對する對象語と名付け、かゝる秩序を對象語格と呼ばうと思ふのである。「娘は母が戀しい」といふ文に於いて、「娘」を「戀しい」の主語といふならば、「母」は、かゝる主語及び述語に對して對象語といふことが出來る。「飯が食ひたい〔四字傍線〕。」、「足が痛い〔二字傍線〕。」に於ける「飯」「足」も同樣に對象語である。對象語並に對(375)象語格の設定は、必しも右の如き形容詞的述語に限らず、動詞的述語についてもいひ得ることである。次の例に於いて、
  私は 金〔二重傍線〕が要る〔二字傍線〕。
  あの男のだまつてゐるの〔十一字二重傍線〕が 私は癪に觸る〔四字傍線〕。
「金」及び「あの男のだまつてゐるの」は共に對象語と考へることによつて、右の文の構造はより端的に理解されると思ふのである。次の例も同樣である。
  鐘〔二重傍線〕が聞える〔三字傍線〕。
  山〔二重傍線〕が見える〔三字傍線〕。
  算術〔二字二重傍線〕が出來る〔三字傍線〕。
 對象語及び對象語格は、屡々それが主語及び主語格に移動することによつて、文の成分の理解を困難ならしめることがあるが、そこに又國語の一の特異性を見出すことが出來るのである。既に述べた樣に、形容詞及び動詞のあるものは、客觀的な屬性のみを表現する、前例の甲に屬するものと、主觀的な情意のみを表現する、乙に屬するものとがあつて、前者にあつては屬性の所有者が主語となり、後者にあつては情意の主體が主語となることを明かにして來たが、これらの中(376)間に次の如き一群の語が存在する。
  面白い  にくらしい  をかしい  淋しい  恐ろしい  暑い  寒い等
右の形容詞の表現する處のものを圖解するならば、ABを客觀的なものとし、CDをそれを機縁として觸發された主觀的な情意とするならば、右の形容詞は、ABとCDとを綜合的に表現してゐるといふことが出來るので
      A
    C     D
   ○――――――→
 
      B  〔AからBへ弧線あり、入力者〕
ある。これは動詞が述語として使用された時、動詞の意味内容によつては、當然そこに主語、客語、補語等を包攝してゐると考へられるのに等しい。そこで右の如き形容詞についても當然この主語を識別することが必要である。今、情意の主體を主語と名付けるならば、屬性としてのこの語の所屬する主體も同時に主語でなければならない筈であるが、既に述べた樣に、それは情意の主體を刺戟する機縁になるものの表現としてこれを對象語といふのが適當してゐる。
  私〔二重傍線〕はこの本の筋〔五字傍線〕が面白い〔三字傍線〕。
右の例に於ける「面白い」は、私の情意を表したものであると同時に、私の感情を刺戟した處のこの本の筋の屬性を表現したものと考へられる。この樣な屬性と情意との綜合的な表現の結果、(377)前例乙にあつては、對象語としての資格のみを持つてゐたものが、同時に主語として考へることも可能となつて來るのである。「私はこの本の筋が面白い」といふ文に於いて、若し、「私」といふ語が表現されなかつたならば、「面白い」の主語は、當然「この本の筋」と考へられるに違ひないのである。そしてそれは又正しいのである。只その場合、客觀的なものを主語としたのであるから、その述語は當然客觀的なものに屬する屬性に限定されなければならないのである。形容詞のあるものを右の樣に限定して考へることが正しいか否かといふことは、一々の語について調査した上でなければ斷言出來ないことであるが、若し屬性と情意との二面の意味が存在するといふことになれば、それらの二の主語についても自然秩序が考へらるべきであつて、そこに純然たる主語と、主語にして、しかも主語とは別の對象語との識別が必要となつて來るのである。ある述語的形容詞について、主語をとるべきか、對象語をとるべきかの認定が曖昧であるといふことは、右の如き形容詞の綜合的表現に基くものであるが、又同時に、それは、形容詞の意味の變化したことを示すものであつて、語の意味の理解の上からは重要なことである。
  (一) 秋の雨は淋しい〔三字傍線〕。
  (二) 君が理解して呉れぬことは淋しい〔三字傍線〕。
(378)  (三)この模樣は淋しい〔三字傍線〕。
(一)の「淋しい」といふ語には、秋の雨の蕭條たる客觀的有樣と同時に、この文の表現主體の主觀的感情を含めてゐる。從つて、「秋の雨」は主語とも考へられるが、猶「私」或は「彼」を主語として、「秋の雨」を對象語とする方がこの文の理解に適切である。(二)の「淋しい」といふ語には、「君が理解して呉れぬこと」の屬性について何ものかを語つてゐるのでなく、只そのことによつて、「私」或は「彼」が淋しく感じてゐるといふ感情のみを表現してゐるのであるから、これを對象語として一義的に解釋するより外ない。「淋しい」は全く主觀的感情の概念的表現である。(三)の「淋しい」といふ語には、模樣の屬性についての表現のみあつて、それによつて「私」が淋しい感情を持つといふことが語られてゐるのではない。從つて「模樣」は主語としてのみ解釋すべき場合である。この樣に、主語とすべきか、對象語とすべきかによつて、それに對應する述語の意味も異つて來るし、述語の意味を決定することによつて、主語とすべきか、對象語とすべきか、或は主語であると同時に對象語とすべきであるといふ樣な判定も出來る譯である。右の事實は又形容詞の意味の變化にも對應することであつて、對象語にのみ關係を持つた屬性概念を表す述語が、次第に情意性概念を表す樣に變化し、情意の主體にのみ依存した述語が、次第に屬性概念を(379)表す樣に變化して行くのである。「ゆかし」といふ語は、元來主觀的情意性のものであるが、對象語との結合の結果、屬性概念に移つて、對象語を主語とする樣になり、「琴の音がゆかしい」と云へば、今日では、「琴の音が聞きたい」といふやうな主觀的概念の表現でなく、琴の音の屬性の表現と考へられてゐる。「みにくい」が元來見ることが難いと云ふ意味から、「醜い」意味に移り、「心苦し」が、可憐といふ樣な屬性的意味に移るのも同樣な理由に基く。反對に、平氣強顔を意味する屬性的な「つれなし」が、「情ない」「つらい」といふ樣な主觀的感情の意味に轉じて來るのは、屬性的主語が、次第に對象語に移つたが爲である。以上の樣に、對象語と主語との認定には、明確な限界を定めることが出來ないにしても、それが國語の綜合的な概念把握の反映と見る時、その暖味な處に國語の眞相を把握することが出來ると思ふのである。
 
 (三) 修飾格と客語及び補語格
 修飾格はこれを分つて、體言的なものを修飾する連體修飾格(或は形容詞的修飾格)と、用言的なものを修飾する連用修飾格(或は副詞的修飾格)との二にするのが普通である。修飾格の位置に立つものが修飾語である。修飾語は、文に包攝されたものが分立して表現されたものである點に於いて、(380)主語、客語、補語等と本質的に區別せらるべきものでない樣に考へられる。事實「神信心」の如きは、「神を信心すること」といふ意味として取れば、「神」は客語と考へられるが、又「神」は「信心」の修飾語として、「試驗の監督」「貧民の救済」に於ける「試驗」や「貧民」と同じ樣にも考へられるのである。そこで、客語や補語を修飾語と區別せずに、齊しく修飾語として一括しようとする見地も現れて來る譯である。
  兄は北海道〔三字傍線〕へ出張した。
  兄は昨日〔二字傍線〕出張した。
「北海道」は出張の目的地であり、「昨日」は出張の日時をいつたもので、共に述語に包攝されてゐる内容を詳細に表現する爲に、抽出分立させたものとしてそれが述語に對する關係は、全く同じである。從つて、「昨日」を修飾語とするならば、「北海道」も修飾語といはなければならない。橋本進吉博士は、客語、補語等をも修飾語として取扱はれ、その間に區別を認められない(【新文典別記上級用第四八項】)。これに對して山田孝雄博士は、補語と修飾語との區別を次の如く述べてゐられる。
  補格は用言の意義を完成する必要よりして補へるなり。修飾格はなくとも用言の意義は事缺かず。たゞこれを加ふるによりて一層精細となるものなり(【日本文法學概論七八三頁】)。
(381)  補格といふものは上述の如く用言の意義の不十分たる場合にそれが補充に立つ語の地位をいふものなり(【同上書、七二八頁】)。
以上の定義に從つても、猶補語と修飾語との限界を明かにすることが出來ない。山田博士のいふ處の意義の完成とか、これを精細にするものとかいふことは、文の完全にして餘す處なき表現を基準にしていつたものであるが、補語といへども、時によつては單に文の意味を精細にする以上のものでなく、修飾語といへども、それなくては文意が完全でない場合があり得る。しかも、完全不完全の認定は、客觀的にこれを規定することは恐らく困難である。以上は補語と修飾語との別を、專ら文意の完全不完全、或は充足非充足の立場に立つて見たのであるが、猶別の見地からして、表現に於ける主體的意識といふことが修飾語と補語との差異を明かならしめるものであるといふことを忘れることが出來ない。それは言語に表現された事實の客觀的な觀察と、言語主體自身の持つ意識とは、必しも同一でなく、言語事實の整理は、言語の主體的立場が基礎にならなければならないといふことである。例へば、
  雨降り、地固まる。
  雨降れば、地固まる。
(382)右の二の文に於いて表現された事實は、これを、主體的立場を除外した觀察的立場に於いて見るならば、共に「雨降る」といふ事實が原因となつて、然る後「地固まる」といふ事實が成立したことを表現したので、共に因果關係の表現であるが、主體的意識に於いては必しもさうでなく、前者に於いては、只事實の連續的繼起をそのまゝ叙述したのであり、後者に於いては、そこに條件關係を認めて、それを言語に表現したのである。從つて、「雨降り」といふ形と、「雨降れば」といふ形が、事實を離れて、表現意識として問題にされなければならないのである。同樣なことが、今の修飾語の問題にも適用出來るのではなからうか。修飾格を、客語格や補語格に對立したものと考へるならば、そこに明かな差別を見出すことが困難であるが、客語格や補語格を、修飾格と被修飾格との關係を更に對立的に、より嚴密にした處の表現であると考へるならば、そこに言語としての區別を認めるといふことも當然であるといはなければならない。前例の、同一事實を表現したものであるにも拘はらず、「雨降れば」を條件として、「雨降り」と區別したのは、即ち以上の樣な主體的立場の觀察からいへることである。又例へば、
  湯が冷える。
  湯が冷くなる。
(383)  湯が水になる。
右の三の文に表現された事實は、客觀的には同一事實をいつたものであるが、これを同一事實の同一表現と考へるのは、觀察的立場であつて、主體的立場としては、異つた思想に於いて表現してゐるのである。この異つた表現を文の分析の上から記述しようとするならば、「冷える」は單純な述語、「冷くなる」は、修飾語「冷く」と「なる」が結合して一の述語になつたもの、「水」は「なる」の補語であるといふ風に解することによつて、右の三の文の表現の變化に對應することが出來るのである。又時や數量を表すものが、單獨にて副詞的修飾格になり得るといふことも、それが述語の單純な修飾として用ゐられた場合であつて、
  兄は昨日〔二字傍線〕出張した。
  林檎を三つ〔二字傍線〕下さい。
右の如きは、副詞格といふことが出來るが、
  兄は昨日〔二字傍線〕から出張した。
  一册〔二字傍線〕を選んだ。
右の「昨日」「一册」は、辭「から」「を」等によつて述語に對して單なる限定や修飾でなく、對立(284)的な秩序に置かれたものであるから、これを修飾格とは別の意味のものとして取扱ふ必要があるのである。これは一方に格助詞を吟味すれば、當然考へられなければならない事柄である。修飾格と客語、補語等の格の分立する有樣を圖示すれば、次の樣になる。
  修 ※[点線の□で囲む] ※[更に□で囲む] 修飾語が、單に被修飾語に附屬してゐる状態
  客、補※[二字□で囲む]※[空白を凵で囲む] 修飾語に辭が附いて、明かに被修飾語との對立關係が示され、客語、補語となつた場合
主語は、本項第一に述べた樣に、述語に包攝されたものといふ考方からいへば、修飾語と同等に取扱はれるべきものであるが、それが、述語に對立した主體として分立された時、これを主語として認めると同一論法がこゝに適用せられる譯である。主語も客語も補語も、若しその對立關係を表面に表さず、「日〔傍線〕の入り」「地〔傍線〕ひゞき」「人〔傍線〕殺し」「腹〔傍線〕切り」「壁〔傍線〕かけ」「沖〔傍線〕づり」等の如く用ゐられるならば、それらは下の體言に對して單なる修飾格の位置に立つものと認めざるを得ないのである。格は客體的なものについての認定された秩序の表現であるから、述語格に綜合された客體的概念の分立の上からこれを規定して行くといぶことは當然な行き方としなければならない。格(385)を文に於ける必要な要素であるか否かによつて規定することは正しくない。必要か必要でないかといふことは、表現が充足されるか否かに關することで、それは修辭上の問題であつて、語法上の問題ではない。
 以上の如く、修飾語は一般に定義されてゐる樣に、被修飾語に依存するものとして抽出されたものであり、客語、補語(【主語も同樣に】)は、述語に對立するものとして分立されたものであり、これらの格が述語に包攝されてゐるといふ客觀的形式は、既に入子型構造形式によつて示した樣に、同一ではあるが、言語の主體的立場に於いては、右の如く、遠心的求心的なる秩序の識別が存する。これを譬へていふならば、机上の一册の本も、主體的立場に於いては、或る時は「置かれた本」として認められ、或る場合には「取り上げようとする本」として意識されることと同樣である。これを只「机上の本」としてのみ考へるのは、主體的立場を無視した觀察的立場に於いてのみいへることである。
 
 (四) 獨立格
 以上述べて來た主語、客語、補語、對象語、修飾語、述語等の諸格は、文に表現せられた客體(386)的なものの秩序の表現であつて、從つてその前提として客體的なもの相互間の關係、秩序といふものが、言語主體によつて認識されることが必要である。
  猫が鼠を食ふ。
といふ文には、「猫」「鼠」「食ふ」といふ三者の間の關係の認識が必要である。その認識のし方によつては、
  鼠を食ふ猫。
といふ樣な表現も成立する譯である。この樣な格は、たとへ一語を以て
  悲しい。
と表現された場合でも、それが陳述の客體であると認められる限り、述語格といふことが出來るのである。次に、右の樣な素材の相關的認識の上に成立する相對格に對して、全く單獨に成立する處の格を認めることが出來る。例へば、眼前の花に對して呼びかける場合、或は花に對して感情を吐露する樣な場合、
  花よ。
といつた時、この客體的な「花」は他の如何なるものに對しても關係を持つてゐない。全く主體(387)に對立した一個の獨立した物として存在してゐる。それは只主體の感情によつて結ばれてゐるに過ぎない。若し強ひて關係とか秩序とかをいふならば、それは主體に對して或る關係に置かれてゐるのである。しかしながら、既に總論第五項に述べた樣に、主體は素材とは同一次元のものではないから、これを主體との相對的關係のものとして、これが格を決定することは出來ない。從つてこれを獨立格として只主體の志向的對象としてこれを認める外ないのである。既に述べた處の對象語は、同樣に主觀的感情の對象となる語であるが、右の場合は、主觀的感情は概念的表現によつて表されたものであつて、從つて客體的なものであり、それと對象語との秩序といふものが考へられるのであるが、今の獨立格の場合は、客體的秩序に置き換へることが出來ない主體との關係にあるものである。主體の感動、欲求、願望等の辭によつて總括された客體は、凡てこの格に屬するものであるといふことが出來る。
  花よ〔二重傍線〕。
  美しき月かも〔二字二重傍線〕。
  鳥も歌ふよ〔二重傍線〕。
に於ける「花」「美しき月」「鳥も歌ふ」は、夫々辭「よ」「かも」「よ」等の感情の對象であつて、獨(388)立格となる。「鳥も歌ふ」は、陳述を含むが故に、元來述語格であるべきものであるが、それが更に感動の辭によつて總括されることによつて、述語格より獨立格に轉換したものと考へることが出來る。從つて、「よ」によつて總括された「鳥も歌ふ」といふ陳述的表現は、實は「花」「美しき月」と同形式の體言的なものに轉換したと考へられるのであつて、「鳥も歌ふよ」は、「鳥も歌ふことよ」の意味に理解すべきものである。獨立格は、若しそれに對する主體の立場が、言語の形で表現されてゐない場合には、外見上、單なる語の樣に考へられることがあるが、これも零記號の辭の加つた表現として、全體としでは獨立格と考へるべきである。
  九月一日〔四字傍線〕。 私は一生この日を忘れないでせう。
  電報〔二字傍線〕。 何處からですか。
  起立〔二字傍線〕。
  脱帽〔二字傍線〕。
右の傍線の語は、單なる語ではなくして、夫々に言語主體の或る感情と結付いてをつて、獨立した文としての機能を持つてゐる。故にこれを次の如く言語の形式に置換へることが出來るし、又下段の樣に圖解することが出來る。客體的なものと、主體的なものとが結合して、完結した形式(389)を持つものは文であるといふことは、既に第三章第四の項に述べた處である。
  九月一日。――九月一日!――九月一日よ。 九月一日※[四字を点線の□で囲む]■
  電報。――電報?――電報か。 電報※[二字を点線の□で囲む]■
  起立。――起立!――起立せよ。  起立※[二字を点線の□で囲む]■
  脱帽。――脱帽!――脱帽せよ。  脱帽※[二字を点線の□で囲む]■
右の下段の點線の圍みは、それが零記號の辭の添加によつて、獨立格となつたことを示したのである。右の零記號が「よ」「か」の如き辭によつて置き換へられた場合も同じである。
 以上述べた樣に、客體的素材が、述語、主語、客語等の相對格を構成する辭以外のものによつて總括された時、それが獨立格に轉換するといふ理論を推進めるならば、推量辭、否定辭、疑問辭等によつて總括されたものも亦獨立格とならなければならない道理である。例へば、「花咲かむ〔二重傍線〕。」「花咲かず〔二重傍線〕。」「花咲くか〔二重傍線〕。」等に於ける、「む」「ず」「か」によつて總括されたものは、「鳥も歌ふよ」に於ける「鳥も歌ふ」と同樣に獨立格として認めることが出來るであらうか。
(390) しかしながら、右の論理は、一方から見れば次の樣に考へられるのである。「む」「ず」「か」の如き辭は、實は陳述に推量や否定や疑問が加つたのではなくして、それは推量的陳述、否定的陳述、疑問的陳述であつて、單純な陳述の變態と考へるのが正しい(【山内得立氏、現象學序説三三一頁】)。これを次の例と比較して見るのに、
  悲しいかな〔二字傍線〕。  悲しい※[三字□で囲む]■ ※[三字と■を点線で囲む]かな※[二字を凵で囲む]
「かな」は「悲しい。」といふ陳述的表現に加へられた陳述の變態ではなくして、右の圖解が示す樣に、「悲しい」といふ陳述に、新しく加へられた感動と見るべきであつて、寧ろ「悲しいことかな」と理解すべきものであることは、「鳥も歌ふよ」の場合と同樣である。この樣に見て來れば、「花咲かむ」「花咲かず」「花咲くか」は、右の例とは異り、依然として陳述であつて、從つて述語格以外に轉換したものと見ることが出來ない。右の如き説明によれば、
  花咲くか〔二重傍線〕。
といふ表現の持つ二の意味即し花の咲くことについて疑問を發してゐる場合と、花の咲くことを感歎してゐる場合との二の區別を識別させることが出來る。
(391)  花咲くか? 花咲く※[三字□で囲む]か※[凵で囲む] 「か」を疑問的陳述と見れば、全髄は述語格である
  花咲くか! 花咲く※[三字□で囲む]■※[三字と■を点線で囲む]か※[凵で囲む] 「か」は感歎を表し、その對象は「花咲く」といふ事實であつて、從つて、「花咲く」は述語格より獨立格に轉換するのである。「か」によつて總括されたものは、「花咲くこと」の意味に理解すべきで、右の樣に解するならば、それは、「月かも」「花かな」と同樣な構造として認めることが出來る。
 命令禁止の對象となる事實も獨立格を構成する。前例の「起立」「脱帽」がそれであるが、命令禁止の場合には、辭或は活用形式を以て格の轉換を行ふことがある。
  前へ進〔傍線〕め。         活用形式による場合
  早く起きろ〔傍線〕(よ〔傍線〕)。 辭による場合
  酒に飲まれるな〔傍線〕。      辭による場合
願望希望の場合も同樣に
  花も咲かなん〔二字傍線〕。
  人もがな〔三字傍線〕。
  行かばや〔二字傍線〕。
獨立格の成立は、主體的立場を表す特殊な辭の總括機能によるものであつて、同じく希望や願望(392)の表現でも、これを概念的な詞によつて表現した場合は、これを獨立格とすることは出來ない。例へば、
  我は行くことを欲す〔二字傍線〕。
  家に歸りたい〔二字傍線〕。
右の「欲す」「たい」は、願望を概念的に表現してゐるので、述語格を構成するに過ぎない。
 獨立格と、主語述語客語等の相對格との區別は、文の表面に現れた處の主語述語の有無といふことを以ては判別することが出來ない。これを決定するものは、文を總括する處の辭であつて、それが陳述を表現したり、格を示したりするものは、獨立格を構成し得ないのである。從つて、述語格の有無を以て述體喚體の區別を立てられた山田博士の説には猶檢討の餘地が存する樣に思ふ。これに反して從來試みられて來た叙述體、命令體、感動體等の分類は、文の構造上から見て意義が認められると思ふのである。
 
 (五) 聯想格
  梓弓はるの山邊を越えくれば道もさりあへず花ぞちりける(【古今集春下】)。
(393)右の歌は、結句の「ちりける。」によつて完結され、完全な一の文を構成してゐる。右の文に含まれてゐる格が如何なるものであるかを吟味して見るのに、「梓弓はるの山邊」は、「越えくれば」の客語格と認めることに異論は無いが、更にこれを分析して見るのに、右の客語格は、
  梓弓はる
  はるの山邊
といふ二の部分の結合から成立し、「はる」が一方では「梓弓」に接續して「張る」の意味に用ゐられ、又他方「の山邊」に對しては「春」の意味に用ゐられてゐる。即ち「はる」を契機として、二の部分が結合してゐるといふ關係を構成してゐる。この場合、「はる」を契機として結合された二の部分は如何なる秩序に於いて結合されてゐるかを見るのに、前項に述べた樣な、主語對述語、或は修飾語對主語客語等の關係に於いて結合されたものでないことは、これを次の
  美しき〔三字傍線〕・春の山邊〔四字傍線〕
の如き結合に比較して見れば明かであつて、右の文に於いては、「美しき」は「春の山邊」の修飾語としての格に立つてゐる。一般に格は、獨立格は別として、凡て客體的なものの論理的秩序の表現であるのに對して、「梓弓はるの山邊」の如き結合は、これを論理的關係の外に置かなければ(394)ならない。同樣にして、
  花の色はうつりにけりな徒にわが身世にふる〔二字傍線〕ながめ〔三字傍線〕せしまに(【古今集春下】)
右の「ふる」「ながめ」は、夫々一語であるにも拘はらず、「降る」「經る」或は「長雨」「眺め」の二語の用を兼ねてゐる點から考へるならば、この二語も、「降る」と「經る」、「長雨」と「眺め」の間に論理的關係が存在してゐる譯ではないから、これを一般の論理的な相對格の概念を以て律することは出來ない。そこで私は以上二例の樣な概念の對立關係を、聯想の關係と考へ、「梓弓はる」と「はるの山邊」、「降る」と「經る」、「長雨」と「眺め」を相互に響合ふ處の聯想格と名付けることとしたのである。これらの場合、「はる」「ふる」「ながめ」等が夫々に多義を持つてゐるのではなく、語の連鎖の關係から、「梓弓」に對しては「張る」といふ意味のみで接續し、「の山邊」に續く場合は、「春」の意味のみで續くのであつて、同一音聲形式による二重言語過程であると考へられるのである。右は、同一音聲形式を契機とする繼起的な二重言語過程であるが、「ふる」「ながめ」の場合は、同時的な二重言語過程であつて、前者を旋律的しいふならば、後者を協和的といふことが出來る。この際、二重言語過程によつて、聯想格を成立せしめる語を懸詞と稱することは周知のことである。なほ聯想格を成立せしめる根據となるところの懸詞の性質及び懸(395)詞を含む文の構造については、第六章國語美論第三項懸詞による美的表現の中に詳説することとした。
 
 (六) 格の轉換
 國語の文の構造は、詞が辭によつて總括され、それが更に順次に詞辭の結合したものに包攝されるといふ入子型構造の形式によつて統一されるものであることは既に述べた(【第三章第三項】)。從つて、文の成分を分析し、或はこれを統一した文として理解する爲には、文に於ける格が、常に他の格に轉換するといふ事實を知らなければならない。入子型の構造とは、
  a※[□で囲む]b※[二字□で囲む]c※[三字□で囲む]
右の樣な形式であるから、bはaに對しては包むものの關係にあるが、同時にcに對しては包まれるものの關係に立ち、こゝにbとしては、二重の秩序に置かれてゐるといふことが出來る。宛も聯隊長が、聯隊の兵士に對しては上官であると同時に、師團長に對しては部下である樣なもの(396)である。この際、師團長の部下であるが爲には、聯隊長としての部下の兵士に對する關係が存在するといふことが絶對必要な條件であつて、それなくしては、師團長の部下であるといふ關係も成立しない。言語の格の場合も全く同樣である。
 一 述語格より修飾格への轉換
  美はしき〔四字傍線〕色  流るゝ〔三字傍線〕水
右の「美はしき」「流るゝ」は、「色」「水」に對して、直接にその語自身が修飾格の關係に立つてゐるので問題はないが、
  心のよき〔二字傍線〕人  水の流るゝ〔三字傍線〕川
右の「よき」「流るゝ」は、「人」「川」に對して、直に修飾格に立つてゐるのでなく、それよりも前に、「心」「水」の述語格であることを考へなくてはならない。既に述べた樣に述語格を成立させる處の陳述は、その總括機能によつて、次の樣な統一を構成する。
  心 よし。  心※[□で囲む]よし※[三字□で囲む]■  全體として述語路が附與されるが陳述は零記號である
かく一度統一せられた述語格は、更にそれを包攝するものとの關係から、修飾格としての資格が(397)與へられるならば、それによつて、述語格は、主語を包攝した全體として修飾格に轉換して、次の詞「人」と新しい秩序に置かれるのである。この場合修飾格の格付けは別の辭を以てすることもあるが右の場合には、述語「よし」の語尾變化「よき」を以てする。別の辭を以てする格の轉換は、次の樣な例に見ることが出來る。
  賊を討伐の〔二重傍線〕事
  西光斬られ〔二重傍線〕事
「討伐」は「賊」に對して述語格に立ち、この場合は零記號の陳述の總括機能によつて、「賊を討伐」が一の統一を形作る。更にこれを修飾格にする爲に「の」の辭を似て總括してゐる。「討伐」「斬られ」は夫々體言であつて、述語格が必しも用言を必要としないことは既に述べた。述語格が連體修飾格に轉換すると同樣に、それは又連用修飾格即ち副詞格に轉換する。
 述語として用ゐられた動詞形容詞は、それ自身の變化を以て副詞格を表し得ることは、連體修飾格の場合と同樣である。
  足ふみとゞろかし〔七字傍線〕、やつて來る。
  しづ心なく〔二字傍線〕、花の散るらむ。
(398)  有明の月、まだ夜深く〔二字傍線〕、さし出づる程、
  日高く〔二字傍線〕、起き給ひて、
右の動詞形容詞は、述語格として、「足」「しづ心」「夜」「日」等の主語客語を包攝しつゝ、全體として下の述語の副詞格の位置に立つのである。別の辭を以てする場合は、例へば、
  繪をかいて〔二重傍線〕、日を暮らす。
  煙が細々と〔二重傍線〕、立つてゐる。
  若き人々は、心ことに〔二重傍線〕、めであへり。
等に於ける「て」「と」「に」である。接續助詞が述語格を副詞格に轉換することは一般に知られてゐることである。
  風吹かば〔二重傍線〕、波立たむ。
  夏は涼しいが〔二重傍線〕、冬は寒い。
  水清ければ〔二重傍線〕、大魚住まず。
右の「吹か」「涼しい」「清けれ」は、「風」「夏」「水」の述語格であつて、零記號の陳述が、それらの主語述語を總括しつゝ、更に、「ば」「が」の辭によつて副詞格に轉換するのである。
 二 述語格より主語(客語、補語を含む)格への轉換
(399)  心のよき〔二字傍線〕が〔二重傍線〕、     水の流るる〔三字傍線〕が〔二重傍線〕、
右の例に於ける「よき」「流るゝ」は、主語格を表す辭「が」によつて主語としての格を附與されるのであるが、これも前項と同樣に、「よき」「流るゝ」が、それだけで主語となる前に、それは「心」「水」の述語として、それに加へられた零記號の陳述が、「心のよき」「水の流るゝ」全體を總括してこれを述語とし、然る後「が」によつて更にこれが主語に轉ずるといふ經過をとつたものと考へなくてはならない。「心よし。」「水流る。」といふ文に於いては、陳述の客體全體が、主語を包攝しつゝ、述語格と考へられると同時に、又それは詞としては用言に準すべきものと考へられるのであるが、今こゝの「心のよき」「水の流るゝ」は體言に準ずべきものと考へるのが至當である。
 次に、「に」によつて總括された場合を見るに、
  柴刈〔二字傍線〕に〔二重傍線〕行く。     本を買ひ〔二字傍線〕に〔二重傍線〕行く。
右の「柴刈」を補語とするならば、同樣にして、「買ひ」も補語でなければならないが、述語の場合と同樣に、後者の場合には、「本」は「買ひ」の客語であるから、「に」は「本を買ひ」全體を總括して、それが「柴刈」と同じ資格に於いて補語といはれなければならない。その場合、「買ひ」(400)は「本」を客語とする述語として「本」を包攝しつゝ、「に」によつて補語に轉換するのである。右の如き格の轉換と同時に、用言「買ひ」は、客語「本」を包攝して、それ全體が、體言に轉換して行くと考へられるのである。右の如き轉換は、「光る」から「ひかり」、「帶ぶ」から「帶」が成立する樣な所謂品詞の轉成と同樣に考へてはならない。轉成によつて出來た語は、一の文中に於いては、その語性は必ず一方に決定されてゐるが、轉換は、同一の語の二重職能をいふのである(【轉成については第三章ヘに述べた】)。右の如き格並に品詞の轉換といふことも、畢竟するに國語の入子型構造形式の齎す必然的な結論であるといふことが出來る。
 三 相對格より獨立格への轉換
 相對格とは、主語述語修飾語客語補語等の客體的なものの秩序を表す處の格である。詠歎、命令、希望等の辭が、これが受ける處のものを總括して獨立格に轉換させることについては、前項獨立格の項に述べたので、こゝには省略することとする。
〔(401)〜(406)は破られていたので、岩波文庫本で補う、その際出来るだけ旧字体旧仮名遣いに復原する、入力者〕
 
         第四章 意味論
 
     一 意味の本質
 
 意味は音聲と同樣に、一定の延長性を持つものとして、一般には言語の構成要素の一であると考へられてゐる。或る語によつて表される處の表象、概念は、その語の音聲形式に體應するものとして、一般にはこれを意味として理解してゐる。
  この音聲と、音聲によつて表わされる思想、即ち言語の意味(又は意義)との二つは、言語たる以上は必なくてはならないもので(【橋本進吉氏、國語學概論上一五頁】)。
   所記
   能記  〔卵形の円の中央に線があり、上段に書記、下段に能記とある、また右外側に下向きの矢印、左外側に上向きの矢印がある、小林訳「一般言語学講義」の164頁の図と同じ、入力者〕
 まず、意義といふと人がすぐ思ひ浮べるやうなものを、そして我々が九〇頁で圖示したやうなものを、とつてみよう。それは、圖の矢が示す如く、聽取映像の對部に外ならない(【ソシュール言語學原論改版本一五一五頁、ソシュールは、九一頁に、概念を書記、聽覺映像を能記と名付けてゐる】)
 意味とは言語表現を理解した場合の心的状態の内容のことであつて、我々が常識的に意味と呼んでゐるものは要するにこれを指してゐると思はれる(【中島文雄氏、意味論六頁】)。
  聽手の側からは喚起さるべき心的現象の内容の表象を以て意味とするのが適切であると思ふ(【同上書、七頁】)。
  言語には、外形と内容との二面がある。「はな」という音の結びつきは前者であり、「花」といふ概念は後者である(【安藤正次氏、國語學通考二〇四頁】)。
右に列擧した意味の定義によつて、ほぼ知られる樣に、意味を理解するといふことは、音聲形式によつて、それに體應する表象・概念を喚起することであるといふ風に考へられてゐる。從つて意味研究の課題は、表象概念の研究を意味することとなり、或る場合には、分類體辭書に示された樣な、語を夫々の範疇例へば天地人倫動物植物器財等に分類することもその一であり、又音聲が表象を喚起する仕方から、これを自義表現、共義表現に分つのもその一である(【中島文雄氏、意味論二四頁】)。從來意味研究の中心課題とされて來た意味の變遷といふことは、要するに言語の内容である處の表象或は概念の擴張、縮小の研究であつたのである。しかしながら、以上の如き研究は、畢竟するに、語によつて示された我々の客體的世界の研究とならざるを得ない。言語を音聲と意味との結合と考へる構成的言語觀に立つかぎり、右の如き研究も亦必然の傾向といはなければならないのであるが、それによつてはたして意味の本質乃至言語の本質が明かにされるかは疑はしい。(109)言語によつて或る抽象的概念を表現しようとする時、その概念が言語の意味といはれるならば、具體的な或る事物を表現しようとする時、これら具體的事物も亦當然言語の内容といはざるを得ないのである。表象や概念は言語の構成要素であるが、事物それ自身は構成要素でないという根據は明かに示されていない。意味を言語音聲の體應部とする考方は、言語を全く構成體と考える自然科學的見地であるが、意味を音聲によつて喚起せられる心的表象と考へる立場も猶構成主義的立場を脱却したとはいひ得ない。音聲によつて喚起されるものは、常に必しも表象或は概念に止まらず、時には具體的事物そのものでもあり得るのである。言語の構成要素である意味を心的表象や概念として見るのは猶言語を心的実體と見る立場である。
 言語の最も具體的な經驗に即していへば、音聲によつて喚起される處のものは、心的表象、概念或は具體的事物であつて、それは表現者の側からいつても、聽手の側からいつても、言語の素材であるといふ点からいへば同一である。具體的な一個の「椅子」を指して、「椅子におかけなさい」といつた場合の椅子と、「椅子は家具である」といつた場合の椅子とは、一方が具體的事物であり、他方が概念であるといふ相違があつても、言語表現の素材であるといふことに相違はない。若し具體的な椅子が言語の構成要素の外に置かれるならば、抽象的な概念である椅子も亦言語の外に置かれなければならない。私はこれらを言語表現の素材として、言語の存在條件の一とは認めるが、これを言語の構成要素とは認めなかつた(【總論第五項第八項】。これを譬へていふならば、言語の音聲によつて或る表象や概念を理解し、具體的事物を認知するといふことは、宛も橋によつて對岸に渡り得た樣なものである。川の對岸は、橋にとつては欠くことの出來ない存在條件ではあり得ても、橋それ自體の内部的な構成要素ではあり得ない。言語は橋ではあるが、對岸は言語ではない。繪畫についても同樣なことがいひ得る。畫家によつて描かれる處の景色や靜物が繪の構成要素でなく素材であるならば、畫家の想像的題材も亦同樣に素材でなければならない。この樣に考えて來るならば、言語の意味は、言語の外にある處のものであつて、言語の構成要素とは關係のないものと考へられるのである。若し意味といふものを、音聲によつて喚起せられる内容的なものと考へる限り、それは言語研究の埒外である。しかしながら、意味はその樣な内容的な素材的なものではなくして、素材に對する言語主體の把握の仕方であると私は考へる。言語は、寫眞が物をそのまま寫す樣に、素材をそのまま表現するのでなく、素材に體する言語主體の把握の仕方を表現し、それによつて聽手に素材を喚起させようとするのである。繪畫の表さうとする處のものも同樣に素材そのものでなく、素材に對する畫家の把握の仕方である。意味の本質は、實にこれら素材に對する把握の仕方即ち客體に對する主體の意味作用そのものでなければならないのである。本居宣長が
  凡てじ物も指すさまによりて名のかはる類多し(【古事記傳卷十七】)。
といつた場合、「同じ物」とは素材に體する觀察的立場についていつたことであり、「指すさま」とは、その素材に對する主體的立場に於ける把握の仕方をいつたと解すべきである。語は同一事物に対する把握の仕方の相違を表現することによつて異つた語となるといふ意味である。宣長のいつたことは、その逆にも適用出來ることであつて、指すさまが同じであるならば、異つた事物をも同じ語によつて表現される譯である。山に遊んで晝食を取らうとして、傍の石を指さして、「このテーブル〔四字傍線〕の上で食べませう」ともいひ得るのである。疲れた山道で一本の木の枝を折つて、「いい杖《つえ》が出來た」ともいひ得るのである。
  天の原ふりさけ見れば白眞弓〔三字傍線〕張りてかけたり夜路はよけむ(【萬葉集二八九】)
右の「白眞弓」の素材は月であるが、月に對する話手の把握の仕方によつて、「白眞弓」といふ語によつて表現されたので、そこに我々は作者の素材に對する意味作用が、單に「月」と表現した場合と異るものを、觀取することが出來るのである。又次の如き文に於いて、
  いなごは、せまい圍の中から外へはひ出さうとする。
  「この牛〔傍線〕は、しようがないぞ」
  と大きな聲で、弟がひとり言を言ふい。弟は牛を飼つて居るつもりなのである(【小學讀本卷六、二四頁】)。
右は、「牛」という語が、「いなご」を指しているのであるが、指すさまの同じである爲に、異つた事物が牛といふ語によつて表現されることとなるのである。
 以上の如く、言語に於いて意味を理解するといふことは、言語によつて喚起せられる事物や表象を受容することではなくして、主体の、事物や表象に對する把え方を理解することとなるのである。その樣な把え方を理解することが、我々に事物や表象を喚起させることとなるのである。言語が單に事物や表象の記號であつて、意味作用の表現でなかつたならば、言語は今日の如く自由な表現能力を持ち得なかつたかもしれない。事物の數に相当するだけの語が必要とされたかも分らないのである。
 
     二 意味の理解と語源
 
(407) 言語に於ける意味といふことが、前項に述べた樣に、言語主體の客體的素材に對する意味作用を意味するとすれば、從つてその中には、主體が事物を把握する仕方と、かくして把握された對象とを含んでゐることは明かである。言語の意味をこの樣に解することは、私の根本的な言語の本質觀に基くことである。
 「言《パロル》」は、我々の腦裏に蓄積された「言語《ラング》」の具體的な實現であり、非限定的な「言語《ラング》」が、具體的な事物によつてその意味が限定される處の働であるといふソシュール的見解に立つ時、文の解釋に於ける語の意味の把握に於いて、種々の不合理な結果を來すことがあり、それは畢竟繼起的過程現象である言語を、構成的に見て、意味をその内容的な、ものに於いて把握しようとする誤謬に起因するものであることを次に述べようと思ふ。
 ソシュール的見解に於ける意味の概念を、小林英夫氏は、二に分ち、「言《パロル》」に於けるものを意味と稱し、「言語《ラング》」に於けるものを意義と名付けられた(【文法の原理五二頁】)。この區別はソシュール的見解の當然の歸結であると考へるのであるが、こゝに問題になることは、「言《パロル》」に於ける意味と、「言語《ラング》」に於ける意義との關係如何である。即ち限定された意味と非限定的意義との關係である。ソシュール的見解に關して、私が先づ問はねばならぬことは、限定的個物の表現に、非限定的意義の「言(408)語《ラング》」が使用されるのは、如何なる契機によるものであるのか。次に「言《パロル》に於ける意味は、「言語《ラング》」に於ける意義に對して如何なる關係に立つか。例へば、櫻花を「花」といつた場合、天上の星を「花」といつた場合、それらの「花」の意義意味は如何なる關係に立つか。言語學は「言語《ラング》」に於ける意義を取扱ふことを主眼とするものであるといつても、實踐的解釋作業の求める所のものは、具體的な「言《パロル》」に於ける意味であるから、先づこの兩者の關係が明かにされることが先決問題である。
 山道を歩いて一本の木の枝を折つて、「いゝ杖〔傍線〕が出來た」といつた時、ソシュール的見解に從ふならば、「杖」といふ「言語《ラング》」が、「言《パロル》」に於いて限定されて一本の木の枝を表すと考へられるのである。この場合の「言《パロル》」に於ける意味は、具體的個物としての杖であるのか。しかしながら、この樣に考へたのでは、「枝」を表すに何故に「杖」といふ「言語《ラング》」が選ばれたのであるかを明かにすることが出來ない。「言語《ラング》」に於ける意義が非限定的であつて、「言《パロル》」に於ける意味が限定的であるといふことは、例へば
  町〔傍線〕へ行つて下さい。
といふ樣な場合は、「町」は特定の町に限定されるが故に右の樣なことがいひ得るのであるが、前(409)例の樣な場合に、「言語《ラング》」に於ける「杖」が非限定的であり、枝を意味する「言《バロル》」に於ける「杖」が限定的であるといふことは出來ない。「杖」と「杖」とは限定非限定の關係で結ばれてゐるものではない。若し「言語《ラング》」が「言《パロル》」に於いて限定されるのであるならば、「枝」を表出する爲に、必しも「杖」といふ語が必要でなく、「靴」でもよし、「机」でもよい譯であつて、「いゝ靴が出來た」といふことによつて、それは「枝」の意味に限定されて來ると考へなければならない。この不合理は畢竟意味を主體的意味作用の意にとらず、内容的素材的のものを意味と考へたからである。
 又例へば、一個の具體的な机を表現する爲に、「ツクヱ」(机)なる語を使用したとする。その時非限定的「ツクヱ」は、「言《パロル》」に於いて使用されることによつて、一個の特定の個物を意味する樣に限定されたと考へる。處が今、同樣に一個の具體的な机を表すために、「モノ」(物)といふ語を用ゐたとする。その時、「モノ」は「言《バロル》」に於ける意味として一個の特定の「ツクヱ」に限定されて來るのであるか。
 又次の樣に、「佛の功徳」といふべき場合に、「佛の光」といつたとする。「光」とはこの場合「功徳」を指す故、「光」の意味内容に「功徳」なる意味が含まれてゐると考へるべきであるか。かく考へて來ると、抽象的な廣義の概念は、その意味内容としてあらゆる事物を包含しなければなら(410)なくなる」處に不合理に感ぜられることは、アイロニカルないひ方で、馬鹿を利口といつた時、「利口」なる語は「馬鹿」を意味内容として持たなければならなくなる。この樣な場合、それは臨時的意味であるといふ説明を以て、その慣用的意味と區別する方法もあり得るであらうが、「言語《ラング》」が具體的事物によつてその意味が限定されるといふ立場をとる限り、「言語《ラング》」の使用は、その如何なる場合に於いても、臨時的でないことはない。甲が使用した場合の「ツクヱ」は、決して同じ意味内容では乙によつて使用されない。この矛盾は畢竟、我々の言語行爲を以て、「言語《ラング》」の具體的實現であると考へる處から來るのである。私は言語過程觀を以て如上の問題を次の如く説明したいと思ふ。
 言語の表現素材としての事物は、それが與へられた直觀の姿に於いては、言語主體にとつて、何等意味のないものである。換言すれば、主體とは何の關係も持つてゐないものである。これを「ツクヱ」と表現する爲には、先づ事物を「ツクヱ」として把握することが必要である。一本の枝を「杖」として表現する爲には、その枝が「杖」として把握されなければならないと同樣である。「ツクヱ」といふ語は、一個の事物に對する主體の把握の仕方即ち意味の表現であつて、事物そのものの表現とはいふことが出來ない。若し素材に即していふならば、「ツクヱ」として志向さ(411)れた對象の表現であるといふことが出來る。「モノ」といふ語は、事物に對する「ツクヱ」とは異つた把握の仕方の表現である。客觀的に見るならば、「ツクヱ」といふ語によつて表現された物も、「モノ」といふ語によつて表現された物も、同一物であるかも知れない。しかしながら、主體的立場に於いて見るならば、同一事物に對する異つた意味的志向が存すると見なければならないのである。その相違が即ち「ツクヱ」といふ語になり、「モノ」といふ語になるのである。更に嚴密にいふならば、「ツクヱ」と表現した場合と、「モノ」と表現した場合とでは、意味的志向對象としては、相違してゐるといはなければならないのである。山道で折られた一本の木の枝は、それが折られた瞬間に於いて、もはや「木の枝」でなく「杖」と把握されたのである。「杖が出來た」といふ表現は、右の樣な主體的意味作用の段階無くしては成立し得ない。「杖」といふ語が用ゐられた處に意味を見るべきである。意味といふことは、以上の樣に、音聲に對應する内容的なものをいふのでなく、主體の事物に對する態度をいふべきである。又例へば、巡査の出現は、暴漢に襲はれようとした者にとつては、「救」として表象されるが故に、「救が現れた」と表現されるであらう。これに反して、暴漢にとつては、「邪魔」として表象されるが故に、「邪魔が入つた」と表現されるであらう。「救」「邪魔」といふ二の語が、この場合限定されて「巡査」を意味すると考へ(412)るならば、それは表現過程に於ける主體的對象把握を無視した意味の理解である。若し又この二語が、單に概念的な「救」「邪魔」を意味するだけであると考へるならば、これ亦この二語の表現過程を完全に再建した理解であるとはいひ得ない。語の意味の理解の實踐に於いては、必ずその語の表現過程に沿うて、その素材である具體的事物或は表象に迄到達しなければならない。しかも、この過程に發展する表象即ち「巡査」→「救」、「巡査」→「邪魔」がこれらの語の意味であるかといふのに、意味は寧ろかゝる表象の發展を導く主體的な作用に求めなければならないと思ふのである。以上の樣なことから、語學教授に採用されてゐる所謂直觀法に對して批判を下すことが出來る。「ツクヱ」といふ音聲に對して一個の具體的な机を示すといふ方法は、語によつて表現される素材それ自身を教へることは出來ても、その語によつて表現されてゐる處の意味を示すことが出來ない。處が「ツクヱ」といふ語の表現する處のものは、事物それ自體ではなくして、事物に對する意味であるから、意味を教授することなくして、語の完き教授といふことは出來ないのである。「ツクヱ」といふ語を教へるのに、假に、「書物を讀む爲のものである」とするのは、語の意味を教授するに幾分近い。この樣にして教へられるならば、凡そ机としての意味あるものであるならば、有合せの板や箱を重ねたものも、時には、「ツクヱ」として表現されることが可能(413)となるのである。この樣にして、一本の枝も「杖」と表現されることが出來る。語の意味が音聲形式に對應する表象でなく、表象成立の基礎となる處の事物に對する主體的把握の仕方の表現であるといふことは、古語の解釋にとつても重要なことである。例へば、「こゝろもとなし」といふ語について見るのに、
  やをら几帳の綻びより見給へば、こゝろもとなき〔七字傍線〕程の光影に御髪いとをかしげに花やかにそぎて(【源氏、みをつくし】)
右の例の「こゝろもとなき」は、具體的事物に即して考へれば、「ぼんやりした」といふ程の意である。處がこの語の他の用例を見る時、
  この世の榮末の世に過ぎて、身にこゝろもとなき〔七字傍線〕事は無きを(【同、若菜上】)
右の如く、不滿足な事に對してかくあれかしと願ふ意である。それならば、この二の意味は、この語の持つ二義であつて、前の例は、その第一義によつて限定され、後の例は、その第二義によつて限定されてゐると考へるべきであるか。若し右の樣に考へるならば、この兩者の意味に關聯を求めることは困難である。この語については、私はこれを次の樣に説明しようと思ふ。具體的事物である燈は、客觀的には、「淡き光」として表象される。しかしながら、この段階に於いては、未だ「こゝろもとなし」といふ語は成立しない。この「淡き光」は語手に對して、「も少し明くあ(414)れば」といふ感情を誘發させ、こゝに「こゝろもとなし」といふ語が成立する。從つてこの語は、素材である「淡き光」に對する意味的志向から生まれたといふことが出來る。これを把握された對象に即して見るならば、「不明瞭」とか「ぼんやり」とかいふ意味に解せられるが、この場合、素材的事物そのものは問題でなく、重要なのはそれを把握する仕方である。故に客觀的に事物が異つても、意味的志向が同じならば、齊しく「こゝろもとなし」といふことがいひ得るのである。
  とばり帳も如何に。そはさる方のこゝろもとなく〔七字傍線〕ては、めざましき主人ならむ(【源氏、帚木】)
  扇をつと差隱したれば、顔は見えぬ程こゝろもとなく〔七字傍線〕て(【同、宿木】)
  御後見はこゝろもとなか〔七字傍線〕るまじ(【同、東屋】)
又次の樣な例に於いて、
  かく恥かしき〔四字傍線〕人參り給ふを、御心遣ひして見え奉らせ給へ(【同、繪合】)
  いと恥かしき〔四字傍線〕御有樣に、便なき卷聞し召しつけられじと(【同、澪標】)
これらを單に音聲形式に對應する内容として意味を把握するならば、「恥かしき」=「立派な」「端麗な」といふ程の意味となり、又その樣に解釋した註釋もあるが、右の方法に從へば、次の例に於いては、
(415)  いと恥かしき〔四字傍線〕有樣にて對面せむも、いとつゝましく思したり(【同、蓬生】)
「恥かしき」は「みすぼらしい」とでも解さなければならなくなる。右三例に於いても、意味を事物そのものとしてでなく、事物に對する主體的把握として理解するならば、端麗な人或は有樣、みすぼらしい有樣は、事物としては著しく異つたものであつても、話者のそれに對する意味的把握に於いて、共通した「恥かし」といふ感情に於いて把握されたものと考へることが出來るのである。かくの如くして、客觀的には同一である事物も、話者の志向關係に於いて、「死」を「かくれる」といひ、「なくなる」といひ、或は「くたばる」「のびる」などと表象されるのである。「死」は又主體的には常に必ずしも生理的機能の停止としてのみは把握されない。寧ろ、それは悲しいことであり、無常のことであり、極樂への誕生である。
 かくの如く客觀的事實の把握される過程は、その各段階に於ける意味的把握の對象をabとするならば、その形式は種々なる圖式によつて示すことが出來るであらう。
  a……→b……→B(音聲)
bがaのより廣義なる概念である場合、bがaを機縁とする情緒的表象である場合、bがaの聯想によつて生じた表象である場合、bがaの反對概念である場合等に分類することが出來る。音(416)聲Bの表す意味は、Bより逆推して得た處のb aの表象作用即ち、事物に對する主體的把握の段階である。
 忌詞は、「言語《ラング》」が「言《パロル》」に於いて限定されるといふ觀點からいへば、その意味内容は具體的事實aである。例へば、「アセ」(汗)の意味は「血」であり、「カミナガ」(髪長)の意味は「僧」である。これを過程觀に立つて解するならば、話者に於いては、b即ち「汗」といふ概念を通して、a「血」を表現することであり、聽者に於いては、b「汗」の段階を溯つて、a「血」を理解することであり、共に直接的に具體的事物そのものを表現し、理解することを避けようとするのである。意味は即ち、「血」や「僧」を、「汗」或は「髪長」と把握すること自體でなければならない。そこにこそ忌詞の本質を認めることが出來るのである。比喩の場合も同樣であつて、その本質に於いて相違はないのであるが、前者は表現意識に即して忌詞といひ、後者は表現手段に即して比喩といつたまでである。「血」を「アセ」といふのは忌詞であると同時に比喩である(註)。
 
  註 菊澤季生氏は忌詞を言語の位相と考へられたが、忌詞の持つ表現形態は、忌詞といはれてゐない語にも表れてゐる。死を「かくれる」「神去る」といひ、姙娠結婚を「おめでた」といふが如きは皆同一過程である。そして忌詞を忌詞として認識し得るのは、上に述べた樣な間接的理解が成立する場合であることは、この語が、他の單純な表現過程を持つ(417)語に比して表現形態上の差別を持つてゐることを示すものである。そして、表現に於いても理解に於いても、右述べた如き過程の意識が稀薄になり、消滅するに從つてそれはもはや忌詞としての價値を失つて來る。
 
 ソシュール的見解に從へば、詩人は語の巧みな使用者である。語を個性的にし、性格的にし、概括していへば、語の創造的限定者である(註)。
 
  註 活動に於ける語は、意識的であり、個性的であり、從つて性格的である(【小林氏言語學方法論五七九頁】)。
 
若し言語過程觀に立つならば、右の見解は根本的に修正されねばならない。詩人といへども、自己の思想を言語に於いて表出する限り、それは概念的に表現するより外に道はない。只詩人は、その與へられた具體的な對象の世界を、詩人のみに許された仕方に於いて把握する。
  閑さや岩にしみ入る〔六字傍線〕蝉の聲
蝉の聲のかまびすしい現象を、「岩にしみ入る」現象として把握した處に、芭蕉にのみ許された對象の特殊な把握を見出すのである。「しみ入る」といふ語を、芭蕉が特殊の意味即ち蝉の鳴くことに使用したと考へることは當らぬことである。もしさうであるならば、語彙の豐富な語學者は詩人とならなければならない筈である。芭蕉が言語の形に於いて表現した表象は、具體的事象の幾展開かした非現實的事實の上に把握したものであつたかも知れない。言語過程觀は、これら表象(418)把握の展開を逆推することを許すであらう。言語は實に、かくの如き具體的事物の把握のしかたの表現であり、意味はこれら把握のしかたに外ならないのである。
 意味の本質が、言語の音聲の對者である内容的な心的表象や概念或は事物それ自體でなく、言語主體の表現素材に對する概念作用或は意味作用であるといふことは、古い國語研究の歴史にもこれが示されてゐる。それは所謂語源研究に現れた意味の理解である。今日語源研究といへば、時間的に見てその最も起源的な語の内容を明かにするものの樣に考へられてゐるが、歴史的變遷の意識の無かつた時代に於ける語源學 etymologie は、語の正義本義 etumon の探求であつた。今日我々の眼から見て、語の歴史的起源的意味の研究と思はれるものが、實は當時に於いては、時間を起越した語の正義の研究であつたのである。そしてこれら語の根本義の探求に於いて理解しようと欲した事實は何かといふならば、語の表す素材的事物そのものでなく、かゝる事物を何故にかくいひ表したかといふことであつた。即ち立名の根據を明かにすることであり、換言すれば意味を明かにすることである。例へば、仙覺が、「たむけぐさ」を解釋するに、先づこれを女蘿であるとしてこの語の示す事物そのものを明かにし、次に
  タムケトイヘルハ、タハ手ノ義、ムハ高キ義、ケハ毛髪ノ義也。然レハカノ女蘿、テナカクシテ、タカキ木(419)ノ枝ニカヽルトキコヱタリ(【仙覺全集三八頁】)
とあるのは、素材である女蘿に對する言語主體の意味的把握の仕方を探求したのである。勿論仙覺の右の解釋が妥當であるか否かをこゝに問題にするのでなく、仙覺の意味の研究が如何なるものであるかの一例を示したに止まるのである。貝原益軒の日本釋名、新井白石の東雅、鈴木朗の雅語音聲者の如き皆事物に對する言語主體の意味作用を研究しようとしたものである。これら意味作用の探求は、所謂通俗語源説の中にも見られることであつて、「はな」(花)は何故に「はな」といふか、といふ樣なことが問題にされるのは、言語が單に事物や表象の記號ではなくして、主體の意味作用の表現として成立してゐることを物語るものである。語源研究は今日の歴史的見地から見れば、語の意味の歴史的一點を明かにする研究の樣に考へられるが、歴史的見地を除外しても、それが或る時代に於ける或る言語主體の意味的志向を表現したものと見ることによつて意義が認められるのである。「おやつ」を語源的に研究することによつて、「八つ時に食ふ間食」の意味が分つたとするならば、それによつてこの語が成立した當時に於ける意味的把握を知ることが出來る。この意味表現の仕方は、今日再び新しい形に於いて、「お三時」といふ樣な語をつくると同時に、「おやつ」はもはや成立當時に於ける意味を表さず、只「晝食と夜食との中間の間食」(420)の意味を表すに過ぎない。しかし、それも意味であることに違ひはないのである。語は成立當時の意味を次第に變じて新しい意味を表現する樣になるが、語はその成立當時に於いて最もよく意味をその語の形式の上に表してゐる爲に、歴史的見地に於ける語源研究は、又同時に體系的な意味研究と相通ずるのである。
 本項に述べたことをこゝに概括していふならば、意味を言語の外形である音聲に對應する内容として、表象的なものと考へるのは、言語構成觀による意味の考方であつて、「言語《ラング》」に於ける語の意味が、「言《パロル》」に於いて限定されるといふ考方もそこから出て來るのであるが、それでは、具體的な言語に於ける忌詞、比喩或は皮肉な語の使用法といふ樣なものを説明することが出來ない。意味は事物に對する主體的な把握の仕方と考へることによつてその本質を理解することが出來るのである。故に某々の語はこれこれのことを意味するといふことは、正しくは、某々の語によつて、これこれの事物に對する主體の意味的把握を表してゐると見るべきである。「ツクヱ」といふ語の意味は、これこれの物であるのでなく、これこれの物に對する意味を表してゐると見るべきである。この樣な意味の考方は、「意味」といふ語の一般の用語例にも覗へることであつて、例へば、お祭騷ぎは意味〔二字右○〕がない、長年の苦心も意味〔二字右○〕があつたといふ樣に使用されるのがそれであつて、(421)これらの場合の意味といふことは、或る事物が語手に對して特殊の關係に於いて結ばれてゐることを意味する。この關係の最も顯著なのは、價値意識に於いて對象を把握した場合である。貨幣は人間にとつては意味があるが、犬や猫には全く無意味である。貨幣に意味があるといふことは、貨幣に對する我々の把握の仕方から出て來ることである。語の意味を、その内容的なものに於いて把へたと考へられる場合でも、實は素材に對する話手の意味的志向關係に於いて把へてゐることが多いのである。書籍を「商品」と表現し、「知識の藏」と表現する時、そこに我々は客觀的に同一な事物に對する異つた意味的志向を觀取することが出來る。書籍を「書籍」と表現した時ですら、これを紙の集積として屑物屋の手で處理される時とは異つた意味に於いて把握されてゐるのである。語の意味といふことは、從つて語を主體から切離して論ずることは無意味であり、不可能であるといはなければならないのである。
 
     三 意味の表現としての語
 
 語は事物それ自體を模寫し、これを表現してゐるのでなく、事物に對する言語主體の意味作用(422)を表現してゐるものであることは、前項に詳述した處である。それならば、言語主體の事物に對する意味作用は如何にして成立し、又それは如何に言語に表現せられるのであるか。前項に於いては、主として成立した意味の言語に於ける關係を論じたのであるが、こゝには意味そのものの成立の條件について論じようと思ふ。意味は言語主體の素材に對する關係によつて規定されるといふことは既に述べた通りであつて、一本の木の枝が、「杖」と表現せられる爲には、主體の特殊な状況即ちこの場合では、山道を登りつゝ疲勞して杖を求めて居つたといふ状況によつて一本の木の枝が杖として意味されたのである。意味作用に對する制約は、この樣な、素材に對する主體の立場によるばかりでなく、屡々又主體の場面(聽手)に對する立場からも制約されて來る。主體の場面に對する立場とは、例へば、嚴肅な席上で或ることについて語るとか、或る特定の人にのみ理解して貰ひたいといふ意圖の下に語るとかいふ場合には、主體は場面に對して特殊な立場にあるといふことが出來る。この樣な場合には、必然的に素材に對する主體の意味作用も異らざるを得ない。嚴肅な場面或は人を憚る樣な場面に於いては、物を直接に指し表すといふことが憚られる結果、屡々これを他の概念に於いて把握するか、或は更に廣い概念に於いて把握するのが常である。
(423)  例の件〔三字傍線〕でお伺ひしました。
  面白くないこと〔七字傍線〕がありまして、
  あれ〔二字傍線〕はどうなさいましたか。
右の傍線の語は、夫々に特定の事件を表現する樣に意味が限定されてゐるのではなくして、借金とか、詐欺とか、痴情關係とかの事件を、直接に表現することを避けて、これを廣い曖昧な概念に於いて把握したのである。「わづらひ」といふ樣な語、「御加減が惡い」の「御加減」といふ樣な語も、やはり物に對する直敍を避ける氣持ちから産まれたのであつて、かゝる語の成立する根柢には、場面に基く素材に對する意味作用の制約が存するのである。平安朝の物語文學は、それが生まれた環境から考へて見ても、鎌倉時代の説話文學に比して、特殊な場面的制約の下に書かれたことは明かである。從つてその素材に對する意味的把握の態度も異り、姙娠を敍する場合にも、「珍しき樣」とか、「けしきばむ」とか、「腰のしるし」とかいふ風に表現し、色情關係についても、「亂れ」「世づく」等の語によつて表し、食事も「おもの」といふ樣に極めて一般化さうとする態度が見られるのである。平安朝文學が一種の氣品を湛へてゐるのも右の樣な表現方法に基くことが多いのであつて、それも作者の物に對する意味的志向の場面的制約から出て來てゐると思(424)ふのである。既に言語の存在條件の項に述べた樣に、言語が上の圖の如く、主體と場面と素材と
 
         場面
素材
         主體 〔三角形の各頂点に、三つの語、入力者〕
 
の相關々係に於いて成立することを考へるならば、當然のことといはなければならない。以上述べた樣に意味的把握の種々相は、そこに劃然たる線を引くことが出來るものではないが、又自らこれを類別して考へることも出來る。
 比喩――花を「花」、波を「波」と表現することは、普通一般に通ずる處の素材に對する意味の表現に基くものであるが、素材を素材以外のものとして把握する時、こゝに尋常一樣の概念的把握を離れた表現が成立する。
  木の葉が舞ふ〔二字傍線〕
  波が岸を噛む〔二字傍線〕
  錦〔傍線〕の山
  春が訪れる〔三字傍線〕
右の傍線の語は、夫々に固有の意味が特殊の意味に限定されて臨時意味を持つのでなく、言語主體が對象に對して特殊の意味的把握をしたことを表現してゐるのである。この方法は一般に語の(425)融通を助ける處のものであつて、「犬が走る〔二字傍線〕」といふ表現から、直に「電車が走る〔二字傍線〕」「飛行機が走る〔二字傍線〕」などと用ゐられる原理と相通ずるものであるが、そこには別に比喩といふ程の技巧の意識が現れてゐない。處が、「木の葉が舞ふ〔二字傍線〕」といふ表現は、一般には、「木の葉が散る〔二字傍線〕」と表現してもその大體はこれを表現し得るのであるが、これを「舞ふ」といふ概念に移行することには、「散る」を以ては表現し得ないものを素材に於いて主體は見てゐるのである。この樣に、「散る」より「舞ふ」へ、素材の概念把握が發展する時、こゝに比喩といふことがいひ得るのである。比喩が文學的表現に於いて優位を占めるといふことも、右の樣に主體の素材に對する觀察、味到を根柢とするからであつて、單なる語の選擇や修飾によるものであるならば、既に比喩としての價値のないものである。
 忌詞――忌詞は場面に對する主體の立場の制約に基いて表現せられる語であつて、「忌む」といふことは、場面に對して、主體が素材を直敍することを忌むことから成立する。我が國に於いて特に著しいのは、齋宮忌詞であつて、それは神事を奉齋するといふ特殊な場面が生み出したものであるが、同樣な原理は古今東西に於いて行はれてゐることは事實である。現今歐羅巴に於いて、婦人の前では妄に人體に關する語を口にしないとか、「便所」をいふ場合には「洗面所」といふ樣(426)な例もあることである。忌詞は場面的制約に於いて成立するものであるから、必しも或る特殊の社會に行はれる言語であるといふ樣に固定化して考へることは出來ない。固定化した場合には忌詞としての本質を失ふことのあることは、比喩が一般化することによつて、比喩としての效果を無くするのと同樣である。忌詞は比喩と同樣に概念の移行に基く表現であるが、その異ることは、根本に於いて、直敍を忌むといふ心理が働いてゐることである。既に述べた處の姙娠を表す「珍しきこと」「けしきばむ」「腰のしるし」などもやはり忌詞としての本質を持つてゐる。從つて比喩と忌詞とは互に排斥し合ふ處の類別ではなくして、前者は表現技法の名稱であり、後者は表現意識から名付けたことである。概念の移行といつても、二の概念の間に全く何の聯絡も無い場合には、理解が不可能であつて、「忌む」といふ目的は達せられても、語の本質である傳達理解の用を達することが出來ない。そこで忌詞の場合でも、素材と移行された概念の間には、それが聯想的に連なるか、反對概念として對立するか、何かの聯繋はある譯である。血を「あせ」、經を「染め紙」といふのは前者に屬し、法師を「髪長」、病を「やすみ(註)」といふのは後者に屬する。
 
  註、延喜式齋宮寮式に「病稱夜須彌〔三字右○〕」とある。こゝに「やすみ」といふのは病苦の鎭靜することを意味するので、休息、臥床の意味ではないと思ふ。「身のいと苦しきを、やすめ〔三字傍線〕給へ」(源氏葵)などと用ゐられる場合と同じである。同じく(427)忌詞に死を「なほる」といふのと同じ技法に屬するのである。
 
 隱語――特定の間柄の人のみに理解せられて、他人に埋解されない樣にする處の表現である。他人に理解されない樣にするといふ主體的意圖に基いて隱語と稱せられる。從つて隱語が一般に通ずる樣になれば、それは隱語としての生命を失ふ譯である。隱語の技法は必しも概念移行に限つた譯でなく、要するに一般の理解を妨げればよいのであるから、文字、音聲についても技巧が用ゐられる。音聲を轉倒させたり、間に音を挾んだりするのもそれで、この樣な習慣を理解してゐるもののみに通ずるのである。外國語が屡々隱語の役目をすることは、醫者の間ばかりでなく一般にもあることである。概念の移行としては、聯想、比喩、反對概念等の技法のあること前の場合と同じである。
 敬語――敬語は場面的制約に基く言語の表現として、著しいものであるが、これについては、猶第五章に詳説するつもりである。
 異名――同一の語としての意識は、同一事物の記號であるといふことによつて成立するのではなくして、同じ意味の表現であるといふ處に成立することは既に述べた。これは單語、複合語といふことが、それによつて表される事物が單一であるか、複合であるかといふことに關しないと(428)同樣である。語が意味の表現であるといふことは、所謂異名によつて知ることが出來る。異名は、同一事物に對する異つた意味的把握の表現であつて、從つてそれを異つた語といふことが出來る。
  あふぎ(扇)    すゑひろ(末廣)
  そくはつ(束髪)  ひさしがみ(庇髪)
  すりばち(摺鉢)  あたりばち(當鉢)
の如き例によつて知ることが出來る。文のみならず、語も亦表現であるから、指された事物の如何に關せず、その指方に價値があるので、從つてそこから價値ある表現といふことが問題にされて來る譯である。同義語は、本質上異つた意味を表す語であつて、しかも同一事物を指すことが出來る語であるが、これを同一事物を指すといふ處から、同義語といつたのであらう。その場合意味は音聲形式に對應する内容的なものを意味してゐることになる。漢字の如き表意文字は、言語の音聲形式を少しも變ずることなく、文字のみによつて意味の變化を表すことが出來る。その場合意味のみが相違して、語は同一であると見るのが普通である。
  てらこや→寺子〔右○〕屋→寺小〔右○〕屋
  ろうにん→糧〔右○〕人→浪〔右○〕人
(429)  うがひ→鵜飼〔二字右○〕→嗽〔右○〕
  あをうまのせちゑ→○→白〔右○〕馬節會
   青馬が白馬に變化せられても只文字の上にのみ白馬と書いて語としては「あをうまのせちゑ」と呼んだとすれば、これも只文字にのみ意味の變化を表現したことになる。
  とうぐう→東〔右○〕宮→春〔右○〕宮
   語としては春宮と書かれた後も「とうぐう」と呼ばれてゐる。
  かくこ→確乎〔右○〕→確固〔右○〕
猶萬葉集等に、「あらし」を「荒風」「荒」「下風」「冬風」などと記載したのも、表意文字による同一物に對する異つた意味的把握の表現であるといふことが出來る。
 
 以上の如く、意味作用は、主體的作用として、異つた事物を言語的に統一するものであり、又同時に同一事物に對して異つた新語を發生せしめる因となるものである。
 
(430)   第五章 敬語論
 
     一 敬語の本質と敬語研究の二の領域
 
 我が國語に於いて、敬語が著しく發逢してゐるといふことは、常識的にも認められてゐることである。このことは、國語の一つの特性として數へられることであると同時に、又國語の相貌を甚しく複雜ならしめてゐる所以でもあつて、外國人は勿論のこと、國語の常用者すらも屡々敬語の適切な使用に迷ふことがある。國語の表現は、敬語を積極的に使用した場合でも、或は消極的にこれを省略した場合でも、何れにせよ、敬語の關與を離れては存在し得ないものである。最も客觀的な記述、例へば、
  「裁判の目的は、決して人を爭はせ、又は人を罰することではない。」
の如きに於いて、この表現は、その素材的事實を少しも増減することなくして、單に聽手の上下長幼尊卑の如何によつて、
(431)  「……人を罰することではありません〔五字傍線〕。」
  「……人を罰することではございません〔六字傍線〕。」
の如き表現に對立する。この對立は、話手の敬意の表現が聽手の如何によつて制約されて生ずる現象であつて、かくの如く國語は如何なる場合に於いても、敬語的制約から免かれることは出來ないのである。かくして敬語は殆ど國語の全貌を色付けてゐるものであるからして、國語現象の科學的記述と組織とを企てようと思ふものは、先づ豫め國語を彩るこの多樣の色彩樣相に着目し、これを正當に處理することを考へて置かねばならない。敬語は確かに國語研究に於ける一の迷路である 敬語は、印歐語の研究に於いては、その研究對象の性質上、殆ど問題になり得ない事項であるが、國語研究にとつては重要な課題である。そして敬語の教授及び習得は、國語教育の重要な眼目であることはいふまでもない。
 國語が比較研究の對象とされず、それ自身孤立して研究されて居つた明治以前に於いては、敬語は圓語に於いて自明のことと考へられた爲か、宣長の古事記傳に見られる樣な周到な敬語的訓法の存在するにも拘はらず、敬語の學問的組織といふものは生れなかつた。敬語が國語の一の特性であるといふことは、古くは本邦來訪の耶蘇宣教師によつて認識され又故國に報告されもした(432)が(【土井忠生氏、吉利支丹の觀たる敬吾、國語・國文第八卷第七號】)、それらは江戸時代の國語研究には何等の影響をも及ぼさなかつた。近代の敬語研究は、チャムブレン氏の示唆によるものであることを山田孝雄博士は述べてゐられる(【敬語法の研究】)。爾來敬語は多くの學者によつて注目され、口語研究の勃興に平行して大小幾多の業蹟が發表された。中にも松下大三郎氏の標準日本文法中の待遇及び山田孝雄氏の敬語法の研究はその雄なるものである。昭和十二年三月文部省主催の日本語學振興會の國語國文學會の研究發表中にも、敬語に關するものが著しく目立つのは、單に時勢の然らしめたといふ簡單な理由のみからでなく、もつと深い國語に對する反省に基くものと考へたいのである。
 敬語研究の現在に於ける機運はそれとして、今日に於いて到達した敬語の研究が如何なる程度のものであり、又、そこに適切周到な考察が施されてゐるかを吟味して見るに、その多くは從來の文法學上の品詞論を背景として、敬語といはれるものをそれに分屬せしめ、敬語の名詞、敬語の動詞、敬語の助動詞といふ樣に組織立てて、そこに何等かの法則的なものを見出さうとしたものであり、或は特定の敬語についてその意味用法を吟味したものであるに過ぎない。中に、松下氏が敬意の對象の所在について詳細に論ぜられ、山田氏が敬語の稱格的呼應の現象を以て敬語の眼目とされた如きは特異なものである。更に進んで敬語の本質、敬語と敬語ならざるものとの限(433)界等については、敬語は敬意の表現であり、それは我が國民の敬謙の美徳に基くものであるといふ樣な説明以上には出てゐない。このことは敬語研究の甚しい缺陷であつて、敬語について論じようとするならば、先づ敬意の表現とは如何なることであるか、その本質その意味について深く考へて置かねばならない。例へば、
  暑いね。
  暑うございます〔五字傍線〕ね。
といふ二の對立に於いて、前者には敬語が省略されて居り、後者に於いては、「ございます」が敬語であるといはれることと、
  庭を見た。
  お庭を拜見し〔三字傍線〕た。
といふ二の對立に於いて、「拜見し」が敬語であるといはれることとは、敬意の表現の意味に於いて著しい相違があることに注意しなければならない。「ございます」は、話手の聽手に對する敬意の表現であり、敬意そのものの直接的表現であるが、「拜見し」には聽手に對する敬意は少しも含まれてゐない。若し聽手に對しての敬意を表さうとするならば、「拜見しまし〔二字傍線〕た」と云はなければ(434)ならない。それならば、「拜見し」は如何なる種類の敬語であるかといふならば、それは、表現素材である或る行爲が、單なる「見る」行爲とは異る行爲として、言語主體によつて把握され、それが表現されたものと考へなくてはならない。この概念把握に於いて、聽手でない、素材である處の見る者と見られる者との間に、上下尊卑の差別が意識せられ、それが、「拜見し」といふ語によつて表現せられる處に、敬語と稱せられる所以があるのである。右に述べた處の敬語の二の區別は、前者は、言語主體の直接的表現である判斷が、場面即ち聽手によつて制約されたものであつて、第三章文法論第二項に述べた處の辭に關するものである。これを言語の主體的表現に現れた敬語法といふことが出來る。これに對して後者は、同じく場面の制約によるものではあるが、それは言語の素材の表現即ち詞に關するものであつて、これを言語の素材の表現に現れた敬語法といふことが出來る。敬語に於いて先づ右の二の領域を區別し、夫々の特質を明かにすることは敬語研究上重要な點であつて、これを無差別に敬語として取扱つた處に、從來の敬語研究の缺陷と混亂があつたのである。以上の樣に敬語研究に二の領域を區別するについて、明かにして置かなければならないことは、既に述べた樣に、敬語は凡て場面の制約によるものであるといふことと、更に敬意の表現といふことは如何なる事實を意味するものであるかといふことである。そし(435)てその背後、根柢に、場面の制約を受けて、言語表現を操作し、それによつて敬語を表現する言語主體が、必然的に豫想せられるといふことはいふまでもないことである。言語に於ける主體と場面とについては、素材と合せて、これを言語の存在條件として總論第五項に述べたことであるが、場面の制約といふことについて猶一言加へるならば、場面は、その志向的對象に即していへば、表現の素材と同樣に、話手の外に置かれた客體的存在である。しかしながら、素材的對象と場面的對象との根本的相違は、素材が表現の主體によつて把握された客體であるに對して、場面は絶對に客體的には把握されてゐない志向的對象をいふのである。場面的對象が把握されて客體となる時、それはもはや場面的志向關係にはない。場面の意味は、例へば、私が早朝掃き淨められた神域に詣でたとする。私の抱く嚴肅清淨爽快の感は、その志向的對象である緑の木立、清徹した溪流、簡素な神殿等と融合して一の場面を形造る。私は實にかくの如き場面に於いてあるのである。この時、若し私が神代の有樣を想像するならば、私はかくの如き場面に於いて想像してゐるのであり、又場面がかくの如き想像に私を導いたのである。處が若しこの際、かゝる場面を記述して友人に送らうとして筆を執るならば、今の神域の場面はもはや場面ではなく、把握されて表現の素材的客體的對象となる。私の新しい場面は、私が書き送らうとする友人であり、その(436)家族である。私が書かうとする相手が友である場合、親である場合、妻である場合、子である場合皆夫々に從つて場面的對象を異にし、かゝる場面を軌道とする私の表現も夫々に異らざるを得ないのである。
 詞に於ける敬語、辭に於ける敬語はかくの如き場面の相違によつて成立するものである。そしてかくの如き場面の制約によるものが敬語であるとする時、次に問題になるのは、敬意の表現の意味である。凡そ敬意の表現といはれてゐる事實に、次の三者を區別することが出來ると思ふのである。
 (一)は、敬意をさし表す處の表現。換言すれば、敬意を客體化し、概念化する處の表現である。「甲は乙を敬ふ〔二字傍線〕」「甲は乙を尊敬する〔四字傍線〕」等に於ける「敬ふ」「尊敬する」といふ語は、敬意の概念の表現であつて、從つて、これらは主體の敬意のみならず、第三者の敬意をも表し得るのであるが、これらを敬語といふことは出來ない。若し右の諸語を敬語といふならば、「あがめる」「重んずる」「敬禮する」等の語も敬語といはれなければならない。
 (二)は、敬意に基く表現の制約。例へば、私が人の前を通らうとする時、私がこの人を敬ふ氣持ちから、靜肅に威儀を正して通つたとするならば、この私の歩き方は私の敬意に基いて制約され(437)たのであり、私の敬意はこの歩き方の中に現れてゐる。歩くといふ動作それ自體は敬意の表現ではないが、敬意はその歩き方の中に寓せられてゐると見ることが出來る。私が人の馳走になつた時、「食ひます」といはないで、「いたゞきます」といつたとしたならば、そこに、言語の表現の仕方が私の敬意に基いて制約されてゐるのを見ることが出來る。「甲はいたゞきます」といつた場合でも同樣で、それは甲の敬意の表現でなく、話手の敬意がそこに寓せられてゐるのである。それは概念内容として敬意がこの語にあるのでなく、かゝる語の選擇に於いて敬意が表現されてゐると見るべきである。
 (三)は敬意の直接的表現。私が長上の前に出た時、帽子をとつて恭しく頭を下げたとするならば、それは敬意そのものの直接的表現であつて、かゝる行爲が敬意を客體化し、さし表してゐるのでもなければ、敬意の制約によつてかゝる行爲が實現したのでもない。頭を下げること自體が敬意の表現となるのである。言語に於いて、主體的なものの直接的な表現は、辭によつてなされるのであるから、敬意の直接的な表現は亦辭に屬するものと考へなくてはならない。
 以上の如く、齊しく敬意の表現といふ中に、右の三者を區別し得るのであるが、この中第一のものは、敬意の概念的表現であつて、場面の制約に基く主體的な敬意の表現とはいふことが出來(438)ないから、敬語とはいふことが出來ない。敬語といはれるものは、第二第三の場合に限られるのである。この樣に見て來るならば、敬語は常に言語主體の敬意の表現に關るものであつて、その中に猶、敬意に基く表現と、敬意の直接的表現とを區別することが出來、前者は詞に屬するものであり、後者は辭に屬するものであつて、夫々第二第三の場合がこれに相當するのである。この中、明かに主體的敬意の對象を知ることが出來るのは、第三の場面の制約による主體的なものの直接表現の場合だけである。それは場面即ち聽手に對する敬意と同時に、主體の聽手に對する謙讓を表現したものである。
  雨が降ります〔二字傍線〕。  ――ますか〔三字傍線〕。  ――ません〔三字傍線〕。  ――ませんよ〔四字傍線〕。
  暑うございます〔五字傍線〕。  ――ございますか〔五字傍線〕。 ――ございません〔六字傍線〕。 ――ぎざいませんよ〔七字傍線〕。
これらに對して、第二の場合については、必しも敬意の對象を詮索することが出來ない。寧ろ第二の場合については、敬意の對象を詮索することが、これらの敬語的表現の本質を明かにする上に、大きな障礙となるであらうといふことに豫め注意しなければならない。何となれば、第二の場合の敬語は、必しも敬意の對象を重要な要素とするのでなく、寧ろ事物の概念的把握の上に、敬意が認められるからである。松下大三郎氏は、その著標準日本文法に、動詞の待遇について述(439)べられ(【第四篇第三章第四節】)、敬意の對象の所在を、動詞の主體、客體、所有、對者等に求めて詳細に分類されてゐる。例へば、
  先生に差上ぐ〔三字傍線〕。
といへば、客體たる「先生」を敬ふのであるから、客體待遇であり、
  御歸り〔三字傍線〕遊ばさる。
といへば、「歸り」といふ事柄の所有者を敬ふのであるから、所有待遇であるとする類である。右の如き敬語の分類は、一見極めて合理的に見えるが、しかし、敬語現象の凡てに妥當するものであるといふことが出來ない、たま/\、敬意の對象が明瞭に觀取出來る樣に考へられるのは、
  (私は)貴女に差上げ〔三字傍線〕ます。
  (私は)お宅に明日上り〔二字傍線〕ます。
右例の如く、「差上ぐ」「上る」が、話手の動作の表現となつた場合である。しかしながら、右の場合に、「差上ぐ」「上る」が、話手の聽手に對する敬意の表現の如く考へるのは、實は誤認であつて、話手の聽手に對する敬意は、「ます」といふ語によつて表現されてゐるのである。それならば、「差上ぐ」「上る」といふ語は何を表現してゐるかといふならば、これらの語は、客體化され、(440)素材化された主體と聽手との上下尊卑の關係の認識から、これらの動作を特別の概念に於いて把握したことを表現してゐるのである。或る者に對する敬意の表現といふよりも、或る者と或る者との貴賤上下の關係の表現といふ方が適切である。事實、右の「差上ぐ」「上る」といふ動詞が、第三者の行爲の表現に用ゐられて、
  甲は、乙に、差上げた〔三字傍線〕たでせうか。  (話手は私、聽手は丙である)
  甲は、乙の所に、上〔傍線〕つたでせうか。  (同右)
などと表現された時、話手の乙に對する敬意の表現と考へられるかといふに必しもさうではない。これらは寧ろ甲と乙との關係の認識に基く、動作の特殊なる把握の表現と考へるのが適切である。從つてそこには甲に對する輕視と同時に、乙に對する尊重とが表されてゐるのであつて、更に適切にいへば、甲と乙との上下の關係の認識に基いて動作が表現されてゐるといふことが出來るのである。更に次の如き例に於いて、
  (汝は)近う參れ〔二字傍線〕。
右の「參れ」について若し敬意の對象をいふならば、それは動作の客體に對する敬語であつて、この場合「參れ」の客體は「我」であつて言語主體自身である。主體が自分自らを敬ふといふこと(441)は如何なることを意味するのであるか。待遇の概念を以てするならば、主體が、動作の客體に對する敬意を表現したものといふことになつて、話手は自分自らに對して敬語を用ゐてゐるといふことにならなければならない。又次の樣な例に於いて、
  御飯をいたゞき〔四字傍線〕なさい。  (話手は母、聽手は子)
母が母自身に、或は食事に對して敬意を表現してゐると考へるのも不合理である。かくの如き不合理は、畢竟、敬意に基く事物の概念把握の表現を、敬意そのものの表現の如く考へて、敬意の對象を詮索する處から生ずるのであると思ふのである。
 以上要するに、敬語には二の領域があつて、一は言語主體の直接的表現に屬するものであつて、敬意の對象は明白に場面即ち聽手である。二は、場面の制約に基くものではあるが、素材の認識把握の仕方に關するものであつて、その根柢には素材に對する上下尊卑の關係に對する識別が存し、その故にこれ亦敬語と稱することが出來るが、ある對象に對して敬意を表現してゐるといふものではない。
 
(442)     二 言語の素材の表現(詞)に現れた敬語法
 
         イ 話手と素材との關係の規定
 
 客體界の表現である處の詞が、事物即ち素材の概念的把握によつて成立するものであることは、第三章第二にこれを述べた。今、この詞の中に敬語なるものを特に取出して區別するのは如何なる根據によるのであるか。次にこのことについて述べようと思ふ。それには先づ、詞の成立する種々なる過程即ち素材の概念的把握の種々なる形式について豫め知ることが必要である。詞は種々なる立場から、種々なる名目に分類されるのであつて、文法上の見地から、體言用言等に分類されるのもその一であるが、詞自體の成立に關して、表現目的の上から忌詞、隱語等の別があり、表現方法の上から比喩等の名目が成立する。又概念の廣狹といふことから、一般概念を表す語、特殊概念を表す語といふ樣に分類されることもある。それらの概略については、第四章第三項意味の表現としての語の項に述べた。以上列擧して來た事物の概念的把握は、凡て單純に事物の屬性によつて規定されたものであるが、こゝに、敬意に基く概念的把握とは、語の表す概念に於いて、やはり一の屬性の表現には違ひないが、その概念的把握の過程に於いて、事物の上下尊卑の(443)認識が介在することに重要な相違が存する。「花が吹く」ことを、「花が綻ぶ」「花が笑ふ」といつた場合は、そこには何等素材についての上下尊卑の認識といふものは存在せず、只「花が咲く」といふ事實を、他の概念に移行させたに過ぎない。處が今、「貰ふ」「やる」といふ語に對して、「いたゞく」「上げる」といふ語を對比して考へて見る。この二語は、夫々物が甲より乙に授受されるといふ點に於いて「貰ふ」「やる」と同じである。異る處は、これらの事實を成立せしめてゐる素材的事物について、誰〔右○〕と誰〔右○〕との授受であるか、又その誰〔右○〕の間に上下尊卑が存在するかが考慮され、そして、それによつてこれらの事實が特殊なるありかた〔四字傍点〕のものとして概念され表現されてゐることである。「いたゞく」といふ事實は、中心的な屬性としては、「貰ふ」といふ事實と異る處はないが、たゞ與へる人と貰ふ人との間に上下尊卑の區別が考へられ、それによつて同一事實の
 
  丁
     丙
 
 甲    乙 〔甲乙丙丁を線で結んだ台形のような形、入力者〕
 
ありかた〔四字傍点〕が特殊の規定を受けてゐると考へられる。かくの如き概念的把握はもはや「貰ふ」といふ語によつては完全に表現せられない。こゝに「いたゞく」といふ語が使用されることになるのである。これを上の如き圖形に表して見る。甲は話手、乙は聽手、丙は與へる人、丁は貰ふ人である。若し甲が乙に表現する處の素材的事實丙丁〔二字傍線〕が、丙と丁との平等關係に於いて行はれたとするならば、(444)この素材的事實丙丁〔二字傍線〕は水平線を以て表されるであらう。その表現は「丙は丁に貰ふ〔二字傍線〕」となる。若し丙が下位であり、丁が上位の場合には、「賞ふ」といふ事實のありかた〔四字傍点〕は圖の如くなり、「丙は丁からいたゞく〔四字傍線〕」とならなければならない。この表現の相違を規定するものは何であらうか。「貰ふ」「いたゞく」は共に物の授受されることを概念内容としてゐるので、假にこれを内部的條件とすれば、「貰ふ」と「いたゞく」とを區別するものは他になければならない。「いたゞく」は「貰ふ」事實の成立に關與する丙及び丁の上下尊卑の識別である。物の授受といふ概念内容に比すれば、丙丁の關係は全く外部的條件である。敬語は正にかくの如き外部的條件に依つて規定された處の概念の表現であるといへよう。敬語を一應右の如く規定するとして、猶これには考へる餘地がある樣である。「君」「臣」の如き語は、元來上下尊卑の區別に基いて成立した語であるからこれも敬語といへるかどうか。事實、白鳥庫吉博士は「神」「君」「姓《カバネ》」等を敬稱語と稱し(【國語に於ける敬稱語の原義に就いて、史學雜誌第十七篇】)、三矢重松博士は「君」「すめらぎ」を敬語と認め(【高等日本文法四五頁】)、宮田和一郎氏も亦「内親王」「后」「行幸」の如きを敬語とされてゐる(【諸學振興委員會昭和十二年度報告】)。しかしながら、この論法を以てするならば、「帝王」「先生」「父」の如きは、凡て敬語の範疇に入れざるを得なくなるし こゝに於いて再び仔細に上述の用例を點檢して見るのに、
(445)  君〔右○〕としてかくかつてはならぬ。
  君〔右○〕は如何遊ばされたであらうか。
右の二の用法は必しも同じではない。前者の君〔右○〕は勿論臣〔右○〕の概念に對立し、上下尊卑の觀念に基いて成立したことは事實であるが、前者の場合に於いては、これらの識別が内部的條件として語の屬性となつてゐる。「私は先生になりたい」の「先生」も同樣である。處が後者の君〔右○〕は、前者の如き上下尊卑の關係をその概念内容として表現しようとするのでなく、換言すれば身分としての君〔右○〕をいひ表さうとするのでなく、第三人稱者「彼」を表すに、その「彼」が話手より見て特殊のありかた〔四字傍点〕にあるものであることを君〔右○〕といふ概念を借りて表現したのであつて、音形式は同樣に「キミ」であるが、前者は身分の概念を表し、後者は第三人稱者「彼」を表し、その表現の過程的構造(註)を異にするのである。かゝる外部的條件は、概念の移動の過程に於いて表現することが出來るのであつて、後者の場合のみを敬語といふことが出來る。「先生は御健在でずか」の「先生」も同樣である。
 
  註 前者の君〔右○〕はこれを意味に還元すれば、身分上の「君」である。處が後者の君〔右○〕はこれを還元すれば第三人稱者「彼」を意味することとなる。後者の過程には、言語主體の、素材に對する上下尊卑の自覺に基く概念の移行が含まれてゐる。(446)かくの如くして、「仰ぐ」といふ語が、
  空を仰ぐ。   星を仰ぐ。
などと使用される時は、「見る」特殊相を表現したものであつて、敬語とはいはれないが、
  御臨席を仰ぐ。
に於ける場合は、「請ふ」「求める」といふ事實が、請ふ者求める者と、請はれる者求められる者との上下尊卑の關係の認識によつて特殊のありかた〔四字傍点〕のもとして規定され、かゝる概念を表すに適當なものとして比喩的に概念が「仰ぐ」に移行されたのである。故にこの場合「仰ぐ」は、決して「頭を擧げて上を見る」ことを意味しない。これは宛も「花が綻ぶ」の「綻ぶ」といふ語に文字通りの「綻ぶ」意味は表現されてゐないが、かくの如き概念移行によつて、「咲く」を以ては表し切れないものを表さうとするのに等しい。かくの如き敬語の現象を、これ以上的確に説明することは、私にとつて未だ困難なことではあるが、私が敬語を定義して、「事物のありかた〔四字傍点〕に對する特殊なる把握〔六字右○〕の表現である」といつたのはその意味であつたのである(【場面と敬辭法との機能的關係について、國語と國文學第十五卷第六號七十三頁】)。
 以上の如く、敬語は事物本來の屬性によつて規定されたものでなく、事物に關聯する外部的條件による規定の表現であつて、敬語の敬語たる處は、所詮語の過程的構造に表れて來るものと考(447)へなくてはならない。故に「いたゞく」といふ樣な語を、その過程的構造を無視して、最初から敬語であると斷定してしまふことは出來ない。「星をいたゞく」「帽子をいたゞく」の如きは敬語ではない。敬語は、若しその外部的條件を除外すれば、直に通常の語に復歸すべき性質の語である。即ち、
  いたゞく……………→貰ふ   あげる……………→やる
右の如き還元が可能なる場合に始めて敬語として考へられるのである。かく論じて來る時、次の如き重要なる結論が導き出されるであらう。即ち、敬語は敬語ならざる語との對立に於いて始めて敬語として意識されるといふことである。「上げる」といふ語が敬語と考へられるのは、「やる」といふ語に對立して始めていひ得られることである。「坂に車を上げる」の「上げる」には對立がない。故に上者尊者に關する語即ち「神」「宮城」「内裏」等が必しも敬語といはれないのはその爲である。又「神社を拜す〔二字右○〕」が敬語でなく、「尊顔を拜す〔二字右○〕」が敬語となるのも、後者は「見る」の敬語的表現であるに對して、前者は特殊な屬性を持つた事實そのものの表現であるからである。一般に接頭語「お」「ご」「み」等を附加したものは、これらを削除した語に對立して敬語と考へられる。「寫眞」に對して「お寫眞」、「綺麗」に對して「お綺麗」の如きである。又語源的には右の(448)如き對立が存したものでも、それが既に別個の屬性を持つた事實の表現と考へられるか、或は對立が考へられなくなつた時、それらはもはや敬語として意識されなくなる。
  はち(鉢)………………おはち
「おはち」は語源的には「はち」の敬語であつたらうが、今日では夫々別個の器物と考へられ、「おはち」は「はち」の敬語ではなくなる。「おはち」は今日「飯櫃」に對立して敬語と考へられてゐる樣である。その他「御神燈」「おまる」「おまへ」「おやつ」「おなか」「みこし」「みす」の如きは、即ちその類である。「おみこし」は、「みこし」が「こし」に對する敬語的對立を脱して、輿の特殊なものを表す樣になつた時、「みこし」の敬語として生まれたものであらう。
 以上の如く、私は、敬語は事物の特殊なる概念的把握に基くものであり、換言すれば、事物の特殊なるありかた〔四字傍点〕の表現が敬語となることを明かにして來た。そして敬語は敬語ならざる語との對立に於いて始めて敬語として意識されるものであるといふ結論に到達した。
 次に、それならば敬語は如何なる理由によつて、これを國語の特性として考へることが出來るかを明かにしようと思ふ。一般には敬語は日本民族の尊敬推讓の美風の顯現であると考へられてゐる。しかしながら、この事は一面的にのみは考へることが出來ない。敬語を若し尊敬推讓の顯(449)現であると考へるならば、敬語と並行して、「ぐづ/\して居やがる」「くたばつてしまへ」の如き表現の存在することが何を意味するがを忘れてはならない。我々は、敬語を根據として民族精神を云々する前に、敬語の語學的特質なるものをもつと究める必要がある。そしてそれが民族精神と交渉するか否か、交渉がありとすれば、如何なる點に於いて交渉があるかを明かにしなければならない。國語に於ける敬語を、單に尊敬推讓の美風に歸することは、國語の敬語を説明することには少しもならない。且つ又敬讓の表現は外國語に於いて決して皆無でなく、寧ろ完全なる外國語の習得にはかゝる表現の習得が不可缺である。從つて問題は、國語に於ける所謂敬語の特質が、奈邊にあるかといふことになつて來るのである。
 國語の敬語は、既に述べた樣に上下尊卑の識別に基く事物や特殊なるありかた〔四字傍点〕の表現であり、もつと嚴密にいへば、かゝる識別そのものの表現である。故に敬語に於いては、先づ事物を把握する特殊なる態度が必要とされるのである。一の「見る」といふ事實を表現するに當つて、それが「精しく見る」行爲であるか、「萬遍なく見る」行爲であるかの「見る」屬性の識別による素材に對する分析的把握よりも、誰が誰を、又何を、そして話手より見てその誰、何が如何なる上下尊卑の關係にあるかの識別が必要とされ、それによつて「見る」といふ事實の表現を制約しよう(450)といふのが國語の立前である。これを四四三頁の圖によつて述べるならば、素材的事實丙丁〔二字傍線〕は、この事實に關與した丙と丁との關係は勿論のこと、丙或は丁に對する話手甲、聽手乙等との相互の上下關係といふものが明瞭に識別されることによつて始めて完全なる丙丁〔二字傍線〕の表現が完成されるのである。國語に於いては、一の表現素材についても、それが右の樣な關係から遊離し孤立されたものとしては、決して完全な表現とはなり得ない。同時に、表現素材が外部的條件によつて如何に規定されてゐるかを判斷することは必しも容易なことではなく、常に上下尊卑自他の關係に對する敏感な識別が要求されることとなる。この樣にして、例へば、「見る」についていへば、「見ていたゞく」「見て上げる」「見なさる」「見ていたゞきなさる」等の敬語の系列を造る。かくの如き派生語を、試みにフランス語の faire(爲す)のそれに比餃すれば、
  contrefaire(眞似る)refaire(仕直す)paraire(仕上げる)malfaire(惡事を爲る)satisfaire(滿足さす)forfaire(背く)surfaire(誇張する)
右の系列は、「爲す」の屬性的相違に基く語彙の發展であつて、印歐語がこの種の分析的概念把握の表現に豐富であることは人の周く知る處である。これに對して國語に於いては、驚くべく敬語的系列に富んでゐるのであるが、それは事物を常に外部的な相互規定に於いて、又綜合的見地に(451)於いて把握しようとする結果であると考へられる。從つて、そこには、或るものを上とし、尊ぶと同時に、必ずその反面に或るものを下とし、卑めるといふことが紙の表裏の如く對立するといふことは必至の事實である。故に敬語に對して、別に謙語或は卑語が存在するといふことはいへないのである。上に述べた樣な事物に對する綜合的把握は、敬語ばかりでなく一般の語についても見られる著しい現象であつて、「怖ろしい」が感情概念であると同時に、その對象の屬性概念をも同時に表してゐるが如きその適例であるが、敬語はその最も著しい場合であらう。故に國語に於いては、「妻」といふ一語を以て同一概念の凡てに適用することは出來ない。如何なる身分の人の妻であり、又それが話手と如何なる關係にあるかの上下尊卑の識別によつて、「奥方」「夫人」「奥さん」「おかみさん」「女房」「家内」「嚊」等の語が必要とされる。敬語が國語の特質であるといふことは、敬讓の美風の顯現であるといふよりも、一事一物の概念的把握に於いて、右述べた樣な相互的綜合的關係の認識が働く處にあると見るべきであると思ふ。「趣く」「去る」といふ二語は、事實の屬性的差別によつて成立した分析的概念であるが、國語に於いては、これに滿足せず、趣く處の尊卑を考へ、去る處の上下を考へて、「趣く」に對して「參る」を、「去る」に對して「まかんづ」を對立させた。宜長が、「趣く處を尊み、去る處を尊ぶ意味である」(【古事記傳、全集卷一ノ三八四頁】)とい(452)つたのは即ちそれである。敬語は尊敬の表現であるよりも、尊卑の識別による素材の概念的把握の表現であり、かゝる表現を通して、話手の尊卑の識別を表現することであり、そこに話手の教養或は人格を覗ふことが出來るのである。國語の敬語の特質は以上の樣な點に存するといふことが出來るのである。
 既に述べた處によつて、敬語が事物の特殊なる概念的把握に基き、且つ敬語は敬語ならざる語との對立の上に意識されるものであり、敬語を右の如く考へることによつて、これが如何なる意味に於いて、國語特有の現象として數へることが出來るかを明かにした。事物の概念的把握による語の構成は、語彙論に屬するのであるから、從つて敬語的表現或は敬語的構成は又語彙論に所屬しなければならない。派生語の系列が文法上の問題でなく、語彙論上の問題である如く、敬語的系列も亦語彙的系列である。この見解は、恐らく文法體系の組織に關聯して、重要な結論を導くであらう。「咲かむ」或は「咲くだらう」といふ語の連鎖は、これを分析して、用言の未然形或は終止形に推量の助動詞の接續したものとして、これを文法的事實として取扱ふのが普通である。これに反して「赤煉瓦」の如きは、たとへ赤−煉瓦と分析し得ても、結局それは複合して一語を形成するものであるから、複合語論に所屬すべきものであつて、用言と助動詞との接續關係(453)とは同一には取扱ひ得ないものである。敬語「散歩なさる」も同樣である。その理由は、「咲かむ」「咲くだらう」は、如何にしてもこれを一の事實に對する概念的表現とはいふことが出來ない。「咲か」は一の事實の概念であるが、「む」はこの事實に對する話手の志向的態度の表現であつて、全く異つた心的内容の結合である。こゝに二語としての結合關係が問題になる根據がある。山田孝雄氏の如く、助動詞を複語尾として動詞の中に含ませるといふ考方は、「赤煉瓦」を二語として考へるか一語として考へるかといふ樣な簡單な問題でなく、融合することが出來ない二語を一語として取扱つた處に猶考慮の餘地を殘してゐると考へなければならない。用言と助動詞の結合は結局二語であるに反して、「散歩なさる」は複合的ではあるが、結局一の事實の概念である。第三章に述べた詞辭の類別に從ふならば、それは詞の結合であり、客體界の表現である。これに對して用言と助動詞の結合は、詞と辭の結合であつて、主體客體兩界の結合を表してゐる。
 右の如くして敬語が語彙論的事實であることの理由は一應つくのであるが、次に敬語を文法的事實であるとする説について吟味して置かうと思ふ。敬語が文法的事實であるとされる一の理由は、從來、敬語を構成する「る」「らる」「す」「さす」「しむ」を、他の助動詞「ず」「たり」「べし」「まじ」等と同列に、これを崇敬の助動詞と考へた結果、「咲かむ」が文法的事實ならば、「行か(454)る」も文法的事實でなければならないとしたのである。私は第三章文法論第二項に於いて、これら崇敬の助動詞といはれるものは、助動詞より除外して接尾語と考へるべきであることを述べた。敬語を構成する「る」「らる」以下の語を、他の助動詞と混同したことは、その及ぼす影響はかなり重大であつた。「行き給ふ」の「給ふ」、「咎め聞ゆ」の「聞ゆ」、「祈り奉る」の「奉る」の如きについて、これらを用言とすべきか、助動詞とすべきかについて、確乎たる基準を示し得なかつたことも、右の混同に基く結果である。敬語を構成するものは、詞に屬するものであり、それは全體として詞に屬するものであることについては、再び後に述べることとして、次に文中に於ける敬語は、對照呼應の關係にあるから、敬語は文法的事實に屬するといふ説がある(【山田孝雄氏、敬語法の研究一六、一七、一三五頁】)。
  御令息〔三字傍線〕は、御卒業なされ〔六字傍線〕た。
右の文中の傍線の語は、首尾呼應してゐるといふのである。しかしながら、右の如き對照呼應の關係は、これを所謂係結の呼應關係と同列には論ずることが出來ない。係辭に對する結辭の呼應は、その變化それ自身が、語の文法的系列を構成するに反し、敬語と呼ばれる「御卒業なさる」は「卒業す」の文法的變化でなく、この二語は異つた概念内容を持つた別の語である。それは(455)「食ふ」と「いたゞく」の相違に準ずべきものであり、「見る」「兄果つ」の相違に比すべきものであり、語彙的系列に屬するものである。從つて右の文中の首尾の對應關係は、文法的對應ではなくして素材的對應である。
  鷄が餌を啄む。
  赤は丸い。
右の二例に於いては、「鷄」「餌」「啄む」には素材的對應があるが、「赤」「丸い」には素材的對應がない。これを文法的呼應とはいひ得ない樣に、敬語の對應も亦素材的對應の現象であるに過ぎない。從つて、敬語の誤用は文法的錯誤を意味するのでなくして、個々の事物の概念的把握の粗漏不用意を意味する。敬語の首尾對應が文法的事實であるならば、「君にも僕の繪を拜見させてやらうか」の如き表現は、文法的錯誤であつて許されない筈であるのに、猶これが皮肉或は諧謔として許されるのは、それが文法的事實でなく素材的事實だからである。山田孝雄氏は、主格と述格との間に敬語の對應が法則的に存在することを左の如く述べられた。
  第三人稱の第一種即ち主格を尊敬していふものにては第二人稱の如く述語に敬稱を用ゐ(【敬語法の研究一三五頁】)
しかしながら、これ亦遽に首肯出來ないことであつて、
(456)  父上〔二字傍線〕は宮に御仕申され〔五字傍線〕た。
に於いて、「父上」といふ敬稱に對應するものは、「お仕申され」であつて、一應は山田氏の説に合致するものの樣であるが、「申す」といふ語は、氏に從へば謙稱であつて(【同書、三六九頁】)、從つて「御仕申す」といふ謙稱は、「父上」といふ敬稱とは對應することが出來ないものである。「申す」が「申され」となつてゐるから、「御仕申す」といふ謙稱が敬稱に變化し、それによつて對應が成立すると説明することは出來るであらうが、謙稱に敬稱が附加されて敬稱になるといふことは、その數學的圖式を離れて、事實に即してそれが何を意味するかが明かにされねば説明は全く無意義である。山田氏の敬稱と謙稱の對立は、敬語を文法的事實として説明する爲にとられた重要な類別であるが、それを以て敬語の現象をはたして完全に説明し得るであらうか。山田氏に從へば、
  從來謙語と敬語との區別をなせるものもその狹義の敬語中に區別すべきを唱へたるもの殆どなく況やそれが文法上の位置を説けるもの全くなし(【敬語法の研究一五頁】)
と斷じ、謙稱については、
  口語及び條文に於いてはその第一人稱の主格が使用する語に限るものなるを明にするを得たり
とし、敬稱については、
(457)  敬稱とは對者又は第三者に關するものをさして尊敬の意をあらはすものにして第二人稱又第三人稱をいふに用ゐるものなり
とされ、謙稱の動詞としては、「まうす」「いたす」「いたゞく」「さしあげる」等を、敬稱としては、「めす」「おぼしめす」「くださる」「おつしやる」等を擧げられた。これらの動詞が文の主語との對應關係を見るに、必しも山田氏のいはるゝ如くではない。謙稱の動詞は、「る」「らる」を添加して皆尊敬すべき第二人者或は第三人者の行爲を表すに用ゐることが出來る。既に疑を挾んだ樣に、謙稱と敬稱の結合といふことは事實上の問題としては説明の困難なことである。又氏は謙稱に絶對謙稱と關係謙稱の別を立てられ、「いたゞく」「あがる」等の語は謙稱を用ゐる者の尊敬すべきものに對しての行動についていふのであるから、これを關係謙稱といふとされた(【敬語法の研究三九頁】)。
こゝまで來れば、實はもはや謙稱敬稱の名を以て呼ぶには不適當な事實までをも敬謙の概念を以て説明されようとしてゐられることを知るのである。抑々尊敬とか謙讓とかいふことは、話手の意識に於いてこそいはれるであらうが、第二人稱者第三人稱者の他者に對する敬讓を話手が表すといふことは考へられないことである。話手は只素材間のかくの如き上下尊卑の關係を概念的に規定することのみが可能なのでかる。既に述べた樣に、元來尊敬と謙讓といふ二の概念は、夜と(458)晝、黒と白、小と大の如き相對立し、相互に排斥し合ふ處の概念ではない。それは寧ろ表裏の概念の如く、謙讓なくして尊敬なく、尊敬があれば必ず同時に謙讓がなければならない。故に謙敬の二の概念を以て敬語の二大別の範疇とすることは理論上からも決して妥當なことではない。事實も亦これを證明するのであつて、「奉る」は奉仕を爲す側からもいはれるし、奉仕を受ける側からもいはれ、「下さる」は與へる側からも受ける側からも兩樣に用ゐられ(【湯澤氏、狂言記の敬讓の動詞と助動詞、國語と國文學第八卷第十號四三一頁】)、「賜ふ」についても同樣である(【同書、四三八頁】)。
 以上私は、敬語について尊敬謙讓の類別を設けることの理論上からも實際上からも妥當でないこと、從つて敬謙の二語が文中に於いて首尾對應するといふことは決定的にはいはれないことであり、又對應が存するとしても、それは素材的に見て重要なことであらうが、文法的事實ではないことを明かにして來た。從つて敬語は專ら語彙論的事實として研究されねばならないといふ結論に到達するのである。
 次に、詞としての敬語は、全く素材の表現に關するものであることを、敬語の構成法の上から明かにして見ようと思ふ。
 敬語の語彙論的構成法を考察することは、要するに、敬語に於いて、何ものかに對する敬意の(459)表現即ち敬語の對象を追求することではなくして、或る事實が話手によつて如何に規定され表現されたかを明かにすることである。かくして考察された事實は、これを裏返せば、直に敬語の實踐的段階となるべき性質のものでなければならない。既に述べた如く、言語の表現機構は、(一)話手、(二)聽手、(三)素材の三となる。こゝに話手或は聽手といはれるものは、所謂第一人稱者或は第二人稱者といはれるものと同じでないといふことは注意すべきことである。第一人稱者或は第二人稱者とは話手或は聽手の素材化されたものであつて、その點第三人稱者と同じである。只異るのは素材としての論理的關係である。
  僕〔右○〕は君〔右○〕にお話しよう。
右の僕〔右○〕は話手の素材化されたものの表現であつて、眞の話手は、僕〔右○〕といふ語を表現する主體それ自身であるから、絶對に素材ではあり得ない。又君〔右○〕は聽手即ち對者の素材化されたもので、聽手は、「君〔右○〕に云々」の表現を受ける者であつて、これ亦絶對に素材ではあり得ぬ處の場面的對象である。本論では嚴に話手と第一人稱者、聽手と第二人稱者の相違を明かにして置かうと思ふ。
 今考察しようと思ふ事は、これら第一人稱者第二人稱者を包含する素材的事物を、話手が如何に規定し表現するかといふことである。例へば、「見る」といふ事實でも、それが第一人稱者第二(460)人稱者第三人稱者の何れに屬するか、の別に從つて、これに對する話手の規定は異り、これを表現する形式が異つて來る。これは話手と素材との關係の規定である。次に、「見る」事實は、それを成立せしめる素材間の關係の相違によつても異つた規定を受ける。この素材的要素としては、勿論第一第二第三の各人稱を當然そこに含むのである。具體例を以て示すならば、
  甲、乙を見る〔二字傍線〕 (無規定の場合)
  甲、乙を見給ふ〔三字傍線〕 (話手との關係による甲の動作の規定、甲の乙に對する關係は規定されてゐない)
  甲、乙を見奉る〔三字傍線〕 (甲乙の關係による甲の動作の規定、話手との關係を含まない)
  甲、乙を見奉り給ふ〔五字傍線〕 (甲乙の關係、話手と甲との關係による規定を含む)
 
  丁
        丙
 
 
甲          乙  〔甲乙丙丁はそれぞれ線で結ばれている、丁丙の途中にそれぞれの方を向いた矢印がある、その矢印の中間に甲から点線の矢印が延びる、入力者〕
 
今若しこゝに聽手との關係をも問題にするならば(素材である第二人稱者でなくして、場面的對象である聽手の意味である)、一層複雜な表現となるのであるが、それは第三項に讓り、今は先づ素材と話手との關係の規定が如何なる形をとつて表現されるかを具體的に示さうと思ふ。
 甲は話手、乙は聽手、丙−丁は素材的事實、丙及び丁はかゝる事實を成立せしめる者、點線は丙丁に對する話手の規定を表す。丙丁〔二字傍線〕なる素材的事實は、(461)甲より乙に向つて、甲の乙に對する場面的志向關係に於いて表現されるのであるが、甲乙丙丁が相互に密接な關係に結ばれてゐるといふことは、敬語表現の成立する第一の條件である。今これらの相互關係の中、甲の乙に對する場面的關係と、丙丁の素材間の關係を除き、專ら丙丁〔二字傍線〕と話手甲との關係のみを問題とする。丙丁〔二字傍線〕なる事實が甲の上者尊者に屬する場合、この事實は特殊なるありかた〔四字傍点〕のものとして把握され、それを表すに適當した表現が選ばれる。それを次に列擧することとする。
 その一、「る」「らる」の添加
第三章第二(ホ)の項に於いて述べた樣に、「る」「らる」は、話手の判斷情意を表す助詞助動詞と異り、或る種の概念内容を示すものであり、從つて詞といはるべきものである。只他の用言の樣に獨立して用ゐられることがないから、これを接尾語と稱しても差支へないが、國語の接尾語は印歐語の suffix と異り、機能的に見て獨立した體言用言と同樣であることもそこに述べた處である。從つて、「る」「らる」の添加したものは、複合語例へば、「吹き拂ふ」「流れ下る」等の如き概念の重加したものと同樣に考へなくてはならない。さてそれならば、「る」「らる」は如何なる概念(462)内容の語であるかといふに、これに答へることは甚だ困難であるが、「る」「らる」が概念の表現であることは、山田氏がこれを屬性の作用を助ける複語尾として、他の複語尾と區別されたことにも現れてゐるが(【日本文法論三六七頁】)、その概念の内容に至つては未だ詳かにはされてゐない。こゝに私案を述べるならば、「る」「らる」は古く「ゆ」「らゆ」と用ゐられてをつたことを考へ、更に「見ゆ」「聞こゆ」「思ほゆ」「消ゆ」「絶ゆ」等のゆ〔右○〕と思ひ合す時、この語は、事物の自然的實現〔五字右○〕の概念を表したものではなからうかと思ふ。「見る」「聞く」「消す」「斷つ」は能動的意志的作用の概念であるに對し、上に擧げた動詞はそれ自身特定の作用の表現には違ひないが、それは消極的能力で、その能力による或る事實の自然的實現を意味してゐる。可能的能力と自然的實現とは同一事實の表裏をなしてゐる。國語に於いて、
          私は聞える(可能的能力)
  私は音が聞える
          音が聞える(自然的實現)
又、「出來る」といふ語についても同樣に、
             この子は出來る(可能的能力)
  この子は算術が出來る
             算術が出來る(自然的實現)
(463)自然的實現とは、「答が出來る」「家が出來る」「溝が出來る」等に於ける「出來る」の意味である。「る」「らる」を若し自然的實現の概念を表すものとすれば、次の文は如何なる意味となるであらうか。
  彼は打たれ〔二重傍線〕た。
右の文はこれを二の場合に分つて考へることが出來る。一は「打つ」動作の主語が、彼以外の他者である時、二は彼が動作の主語である時である。第一の場合について、右の自然的實現の概念を適用するならば、他者の「打つ」動作が、彼に於いて、自然に、欲すると欲せざるとに關せず、實現することを意味するが故に、受身とも考へられる。但し、自然的實現といふことは、他者の動作が他者に及ぶといふ場合ばかりでなく、本來は他者の動作がそれを受けるものの關心に於いて實現することもいひ得る譯である。例へば、「彼は切られ〔二重傍線〕た」「私は倒され〔二重傍線〕た」の如きは動作が他に及ぶことであるが、「親、子に泣かる〔二重傍線〕」「子は朝に死なれる〔二字二重傍線〕」「私は毎日雨に降られ〔二重傍線〕た」の如きは、動作が自己の關心に於いて實現することを意味する。故に若し主格に對應する述語格を嚴密に求めるならば、「親〔二重傍線〕−る〔二重傍線〕」「子〔二重傍線〕−れる〔二字二重傍線〕」「私〔二重傍線〕−れ〔二重傍線〕」といふことになるのである。
 第二は、「打つ」の主語が「彼」である場合である。「彼」が「打つ」動作を自然的に實現する(464)といふ時、かゝる動作の實現を蒙る者は他者であつて、「彼」についていへは「彼」の可能的能力の表現となる。從つて、この表現は、その事實に於いて、「彼は打つ」と全く同じこととなるのである。即ち、「彼は打たれる」は、彼は打つことが出來るといふことを表すと同時に、彼は打つことを事實するといふ意を表し、前者は所謂可能の表現であり、後者は所謂敬語的表現である。それならば後者の場合が何故に敬語的表現となるのであるか。それは後者が、「彼が打つ」といふことを、「打つ」動作が自然に實現するといふ表現法に於いて表現したことであり、「打つ」といふ端的な表現に比して婉曲であり、婉曲であるといふことが敬語的表現になる所以である。それは宛も「見よ」といふ第二人稱者の行爲に對する命令としての表現よりも、「見ていたゞけませんでせうか」といふ話手の希望としての表現の方が婉曲であり、又敬語的であるのに等しい。「歩く」に對して「お歩きになる」といふ表現が、他者の動作を、事實の實現といふことに飜譯することによつて敬語的表現になり得るのと同じである。「仰す」よりも、「仰せあり」が敬語と考へられるのも同じ理由による。「る」「らる」はそれらに敬意が含まれてゐるのでなく、かゝる表現法が敬意の所産として結果したものと考へなくてはならない。そしてかゝる婉曲法は、その根柢に於いて、或る事實をそれが自然に實現するといふ事實のありかた〔四字傍点〕に於いて把握したことと考へられ(465)るのであつて、「る」「らる」はかゝるありかた〔四字傍点〕の表現といふべきである。「る」「らる」それ自體を敬意の表現と考へるならば、「仰ありて」「お出でになる」の如きが何故に敬語であるがか説明は出來ないこととなるのである。敬語は實にかくの如きありかた〔四字傍点〕の認識であり、それは概念の移行に於いて始めて成立するものである。この事は既に敬語の本質に於いて述べたことである。
 かくして「る」「らる」はあらゆる動詞に添加して敬意の表現の方法となるが、それは專ら話手と素材との關係の規定である。一般に敬語といはれる「いたゞく」「參る」「あがる」「差上げる」等も、それだけでは話手との關係は無規定のまゝに殘されてゐるのであつて、「いたゞかれる〔二字二重傍線〕」「參られる〔二字二重傍線〕」「あがられる〔二字二重傍線〕」「差上げられる〔二字二重傍線〕」とすることが必要である。「いたゞく」「參る」等は素材間の關係のみを表現した敬語だからである。
 その二、お−になる お−になられる
「お書きになる」「お書きになられる」等と使用される。これらの表現が敬語となるのは、「る」「らる」の場合と同樣、或る事實の直敍を避ける方法に基くのである。「なる」は「白くなる」「暖くなる」の「なる」であつて、他者が或る行爲に於いて實現するといふ表現を以て、「書く」(466)「讀む」等の直敍的表現に替へて敬語となり得るのである。これは次の(三)の場合にも適用出來ることである。
 
 その三、−ある  −ます
共に存在の概念を表す。或る事實が存在するといふ表現を以て事實の直敍に代へるのである。「おつしやる」「おいである」「おぢやる」「おりやる」「ござる」等は皆「あり」を含んで敬語となり、「あれます」(生)「いでます」「おでまし」「おはします」等は、「ます」を含んで一語の如くなつたものである。「いたゞく」「參る」等は、「る」「らる」の添加によつて話手との關係を表すが、右列擧した語はそれ自身話手との關係の規定を含んでゐることは「下さる」「いらつしやる」と同樣である。
 
 その四、−す(【四段】  −す(【下二】) −さす(【下二】)
「天の浮橋に立たし〔二重傍線〕て」「行かせら〔二重傍線〕る」「受けさせ〔二字二重傍線〕給ふ」等と使用される。四段と下二段の「す」の關係については山田孝雄氏の説がある(【平安朝文法史一五八頁】)。假にこれらの「す」を「爲《ス》」の變形と考へるな(467)らば、これが敬語的表現となるについても、「る」「らる」と同樣なことがいへると思ふ。即ち「行かす」に於いて、「行か」の主語によつて使役ともなり敬語ともなる。敬語となる場合には、それは「行く」が「お行きなさる」となつて敬語となる樣に、「行かす」が敬語となると考へられる。「爲《ス》」「なす」は國語に於いて行爲の概念であると同時に、屡々「在る」「自成」と同義に用ゐられる。「ゆかしうする〔二字右○〕琴の音」「らうたうし〔右○〕給へ」「胸がどき/\する〔二字右○〕」「聲がする〔二字右○〕」「明るい氣がする〔二字右○〕」「山なす〔二字右○〕怒濤」「川をなす〔二字右○〕」等はそれである。故に「爲《ス》」の變化である四段下二段の「す」も「る」「らる」と同樣婉曲法による敬語的表現と考へてよいと思ふ。「せらる」「させ給ふ」は敬語の重加である。
 
 その五、−給ふ
以上列擧して來た處の敬語法は、皆自然的實現或は存在の概念を以てする婉曲法によるものであつた。「給ふ」はこれと異り、上位より下位に或る事實が及ぶといふ概念を以て素材と話手との關係を表したものである。「給ふ」は元來素材間に於けるありかた〔四字傍点〕の表現であつて、上位より下位に物を與へ〔二字右○〕、下位が上位から物を受ける〔三字右○〕處の概念を持つ。有坂秀世氏はこれを次の如く述べてゐら(468)れる。「給ふ」は獨立動詞としては「與へる」(上の人が下の人に)意であり、補助動詞としては「…して下さる」「…してやる」となり、更に進んで單純な尊敬を表す語となつたといふのである(【祝詞宣命の訓義に關する考證、國語と國文學第十四卷第五號】)。思ふに、「給ふ」が「下さる」「やる」の敬語として用ゐられてゐる間は獨立動詞であれ、補助動詞であれ、それは素材間のありかた〔四字傍点〕即ち上位より下位に或る事實が及ぶことの表現であつて、未だ話手と素材との關係の規定にはならない。この「給ふ」が、只單に話手に對する素材のありかた〔四字傍点〕の規定を表現するに至つてこゝにいふ「給ふ」が成立する。それは單純な敬語となつたものであるが、概念的表現を離れたものでは決してない。この概念の抽象化の過程は、恐らく次の樣にして進んで行くのではなからうか(【このことは前記有坂氏の論文からまお知り得るのであるが、氏の論文をその樣に解釋することが許されるかどうか私は知らない】)。素材間に實現する「與へる」意味の「給ふ」は、それはそれとして存立するのであるが、同時に、素材の一方の要素が第一人稱者である場合、この二の事實は概念内容として次第に分裂する傾向を持つ。「導き給ふ」が第三者相互の關係である場合には「導いてやる」であるが、第三者と第一人稱者との間に實現した事實の場合には、「導いてやる」ではなく「導いて下さる」「導いていたゞく」の意となるべき筈である。この場合「與へる」「受く」の意味は稀薄になり、只事實が第一人稱者に及ぶといふ程の意味になつて來ることは、今日單純に「見る」「出席する」といふことを、(469)「見ていたゞく」「出席して下さる」等といふ語の用例からも推測出來ることである。かくして「導いて下さる」「導いていたゞく」の表現は、素材と話手との關係の規定に用ゐられて、「お導きになる」と同義語になり、こゝにいふ「給ふ」が成立すると考へられる。この間の事情を的確明瞭に説明することは、未だ私には非常に困難である。只「給ふ」が單純な敬語となつた場合でも、それは飽くまで詞に屬するものであつて辭ではないといふことは斷言出來る。辭即ち助動詞助詞は凡て事實に對する話手の判斷情緒欲求等の表現であるが、「給ふ」によつて表される敬意は、決して話手の事實に對する志向ではなくして、話手と素材との關係(註)の規定であつて、かゝる規定によつて間接に敬意の表現となり得るのであるが、規定それ自身は何處までも素材の話手に對するありかた〔四字傍点〕に關することであるから、助動詞ではなくして詞に屬するものといふべきである。故に「與へる」意味の「給ふ」と、話手との關係を表す「給ふ」とは、語としての範疇を異にすることがないから、獨立動詞としての「給ふ」と所謂補助動詞としての「給ふ」とには單に概念の濃淡、具體抽象の程度の差が存するに過ぎない。左の例はその何れにも解釋されるものである。
  たゞ謀られ給へ〔二字傍線〕かし(【源氏、夕顔】)
  姫宮をいざ給へ〔二字傍線〕かし(【源氏、夕霧】)
(470)  いざ給へ〔二字傍線〕かし。内へ、(【枕草子、五月の御精進の程の條】)
 
  註 こゝにいふ素材と話手との關係といふことと、素材と第一人稱者との關係とは明かに區別されねばならない。後者の場合の第一人稱者は素材の一要素であるから、この關係は素材間の關係である。前者の場合の話手は、決して素材となり得ないものである。この關係は單に話手に對する素材のありかた〔四字傍点〕の表現となる。この兩者の區別は、例へば、
    袋から一つ出してやり〔二字傍線〕ました(與へる)
  右のやる〔二字傍線〕は、與へるものと受けるものとの間に實現する事實であるが、
    許してやる〔二字傍線〕  歌つてやる〔二字傍線〕
  の如きは、受ける者との間の事實でなく、單に事實が他者に及ぶといふ素材のありかた〔四字傍点〕のみを表現してある。「給ふ」の變化も右の樣な用法の變化から類推することが出來る。
猶後にも述べることであるが、「給ふ」を尊敬とし、「給ふる」(【下二】)を謙讓として相對さしめることがあるが、それは妥當ではない。「給ふ」は敬語であるから、尊敬を表すと同時に、謙讓も表すべきである。且又「給ふる」は、素材間の關係を表す概念である「賜ふ」とは相對的に並ぶが、素材と話手との關係の規定には用ゐることが出來ないものである。
 
         ロ 素材と素材との關係の規定
 
 甲は話手、乙は聽手、丙−丁は素材的事實、丙及び丁は、素材的事實の成立に關與する人とする。(471)今丙丁間に物の受授といふ事實が成立し、これを丙−丁を以て表すとする。この場合かゝる事實を話手甲との關係に於いて規定するならば「丁、丙に與へ給ふ〔二字傍線〕」「丙は丁からお〔傍線〕受けになる〔三字傍線〕(或はになられる〔五字傍線〕)」といふ樣な表現が成立するといふことは前項で述べた。しかしながら、この「受授」といふ事實には、更にこの事實に關與する處の素材的要素即ち丙及び丁の上下尊卑の區別が
 
  丁
     丙
 
 甲    乙 〔甲乙丙丁を線で結んだ台形のような形、丁丙の中間にそれぞれに向かう矢印がある、入力者〕
 
存在する。暫く丙丁と話手甲との關係を問題外にして見よう。その時、丁と丙が同等であるならば、「丁が丙にやる」であるが、丁が丙より上位の場合は、「丁が丙に、下さる〔三字傍線〕」(【但し、この語は話手との規定をも含んでゐる】)となり、丁が丙より下位の場合は、「丁が丙に差上げる〔四字傍線〕」とならなければならない。この「下さる」「差上げる」は「やる」に對して敬語的對應をなしてゐるといふことが出來る。この場合、「下さる」が謙讓であり、「差上げる」が尊敬であるとすることは出來ない。この二語の相違は、丙丁の相互關係の相違以外の何ものでもないといふことは、右の圖形によつても明白であると思ふ。又この事實は、丙の側からいへば、丙が丁より下位の場合は、「丙は丁から、いたゞく〔四字傍線〕」であるが、上下關係が逆の場合或は關係が同等の場合は、「丙は丁から受ける〔三字傍線〕(或は貰ふ〔二字傍線〕)」となる。これらの場合、敬語の成立といふことは、話手甲が、丁或は丙を尊敬するとか、謙讓で(472)あるとかいふ問題ではなく、話手による丙丁の上下尊卑の關係の認識に基くのであつて、かゝる關係を顧慮し、通當に表現する處に國語の敬語法の目的が存在すると考へられる。從つて、敬語的表現を通して我々の了解し得ることは、話手の尊敬謙讓の美徳の有無といふことではなくして、話手がかゝる相互關係を辨別するわきまへ〔四字傍点〕の程度如何の問題である。この樣にいふことは、敬語を以て日本人の推讓の美徳の顯現であるかの如き説をなすものに對して、殊更に異を立てる樣であるが、先づこれらの考を打破しなくては、敬語の眞の面目は發揮することが出來ないのである。しかしながら、敬語に於いて、それが話手の尊敬謙讓の表現の如く誤られ易い事情の存在することも注意して置かなければならない。それは偶々丙或は丁が、第一人稱者として話手甲と同一人である場合である。「私はいたゞい〔四字傍線〕た」「私は差上げる〔四字傍線〕」等といふ場合であつて、それはかゝる敬語を使用する話手と、かゝる動作の主體「私」が合致した爲に起こる錯覺である。この場合にもこれらの語が表す處のものは、客體化された第一人稱者「私」と丙或は丁との關係であつて、話手と丙或は丁との關係ではない。從つて、話手の尊敬謙讓といふことはこゝでも問題ではない。それは次の如き表現を見れば一層明白になるであらうと思ふ。例へば、「近う參れ」「早く申せ」の如き表現に於いて、「參る」「申す」は普通敬語といはれてゐるのであるが、右の場合には、他(473)者の話手に對する動作を「參る」「申す」といふのであるから、これを尊敬とも謙讓とも説明することが出來ない。そこで尊大語と稱して敬語の特例と考へるのである(【湯澤幸吉郎氏、狂言記の敬讓の動詞と助動詞、國語と國文學第八卷第十號四三五頁四六八頁】)。これも、「參る」「申す」といふ事實が、偶々上位に在る第一人稱者を素材的要素として成立したものであると考へれば、他の敬語と何等異るものでないことを知ることが出來るのである。又屡々間題にされる處の古代敬語法の特例即ち至尊が御自らの事を述べられる時敬語を用ゐられるといふことも、話手であられる至尊が、第一人稱者御自身の位置を他との關係に於いて認識せられた結果御使用になる處のものであつて、いはゞ湯澤氏の所謂尊大語に入るべきものであるが、嚴密にいへば尊大語でもなく、正しく敬語法の正當な用法と認めて差支へないのである。又「話しくさる〔三字傍線〕」「見て居やがる〔三字傍線〕」等の表現も、尊大語に對しては卑言語とでもいふべき範疇を立てなければならないのであるが、既に述べたありかた〔四字傍点〕の表現を敬語とする見地に從へば、これも亦敬語法以外のものではないのである。敬語はかく素材間乃至話手と素材との關係の認識に基くものであるからして、その把握の仕方により或は嚴肅な表現ともなり、母が子に對して「お母樣〔三字傍線〕が讀んで上げませう」といふ樣な親愛の表現ともなり、又友人に向つて「御覽になら〔五字傍線〕うかね」といへば、滑稽或は皮肉の表現ともなり得るのである。母が自己に用ゐる敬語の如きは、子供の世界に於け(474)る把握の仕方を母がそのまゝ用ゐたのであつて、そこに母子一體の氣持ちが表現されてゐるので、決して敬語の特例とはいふことが出來ないものである。次に敬語の構成法を例示することとする。
 
 その一、「あげる」「くださる」「いたゞく」
詞に關する敬語が、素材的事實の特殊なる概念的把握の表現であつて、話手の敬意そのものの表現でないといふ事は、敬語の構成法即ち敬語としての表現過程の形式を考察することからも明かにされることである。
 その一は、概念の比喩的移行である。素材的事實に存する上下尊卑の觀念を、他の具象的な概念を借りて表すことである。前例の「やる」に對する「上げる」「差上げる」の關係を見るに、「やる」といふ語は、素材的事實を構成する丙丁の上下尊卑の關係を表すには不充分である。その場合、これを下より上への運動を表す「上げる」「さし上げる」に移行し、この語によつて「やる」の特殊なありかた〔四字傍点〕を表現しようとするのである。「下さる」(【この語は話手との關係の規定をも含んでゐる。理論的には「下す」といふ語が考へられる】)はその逆である。理解するものは、これらの語を通して、下より上へ或は上より下への運動の概念をではなく、「進上」或は「惠與」の意味を理解することによつて敬語として意識されるのである。「い(475)たゞく」が、「帽子を戴く」の「いたゞく」でなく、「賜はる」意味となる場合にも同樣な過程が見られるのである。かくの如く敬語は、事實の綜合關係の認識に基き、事實の特殊なる概念的把握の表現であることは、右の如き過程的構造によつて明かにされるであらう。
 「あげる」「くださる」「いたゞく」はその代表的なものであるが、これらの語は更に抽象化され、複合語として次の如き敬語的系列を作る。
 「あげる」  見て−、書いて−、讀んで−、遊んで−
 「くださる」 見て−、書いて−、讀んで−、遊んで−
 「いたゞく」 見て−、書いて−、讀んで−、遊んで−
一の事實を、その素材的要素の綜合に於いて把握し、その微細なニュアンスを表現しようとすることは、國語敬語法の驚くべき事實であるといはなければならない。但し右の表現には、(イ)に述べた話手との關係の規定は、「くださる」を除いては全然考慮されてゐないのであつて、若しこれを加へるならば、「見てあげられる〔二字傍線〕」「書いてお〔傍線〕あげなさる〔三字傍線〕」「讀んでいたゞかれる〔二字傍線〕」「遊んでお〔傍線〕いたゞきになる〔三字傍線〕」等の表現を必要とするのである。しかしながら、猶これらの表現には、聽手と話手との關係は全く省略されてゐるのであつて、それらを考慮する時、敬語は正に三段の構へに於(476)いて成立するものであるといへるであらう。聽手との關係は第三項に屬する故こゝには述べない。
 
 その二、「給ふる」「たてまつる」
次に古語中より「給ふる」「たてまつる」の二語をとつて論じようと思ふ。「給ふる」はそれに最も近似な形を持つ「給ふ」(【四段】)と比較するのが便宜である。既に述べた樣に、「給ふ」(【四段】)には二種あつて、一は(イ)に所屬して素材と話手との關係を規定し、「行き給ふ〔二字傍線〕」「問はせ給ふ〔二字傍線〕」等と用ゐられるものであり、二は(ロ)に所屬して「賜ふ」の意味を表し、素材間に於いて、「止より下へやる」意味を表し、
  局など近く賜は〔二字傍線〕せて侍はせ給ふ(【源氏、夕顔】)
  衣一つ賜は〔二字傍線〕せたるを(【枕草子、職の御曹司におはします頃の條】)
或は他の動詞に結合して、
  教導賜〔傍線〕【幣止】 迎賜〔傍線〕【波久登】宜(【延喜式玄蕃寮條】)
等と用ゐられ、「教へ導いてやれ」「迎へとらせる由を申し聞かせるぞ」の意味を表す(【有坂秀世氏、祝詞の訓義に關する考證】)。「給ふる」(【下二】)が右の何れの「給ふ」に對應するものであるかを考へるに、それは第二の素材間の(477)規定を表す「賜ふ」に對應するものであつて、素材と話手との關係を表すものではない。有坂氏は、「賜ふ」(【四段】)と「姶ふる」(【下二】)との關係は、知る(【四段】)と知らる(【下二】)、解く(【四段】)と解くる(【下二】)との關係と同樣で、「給ふる」は本來「賜はる」義であつたらうと推定された(【下二段活用の補助動詞たまふについて、國語と國文學第十卷第五號】)。猶「給ふる」の意味を「まつる」と比較し、「まつる」が本來「…して差上げる」の意であるに對し、「たまふる」は「…させていたゞく」の意を表し、消極的な輕い謙遜の氣持ちを表すものとなつたと述べられた(【同上論文】)。「給ふる」の變遷は以上の如くであるとして、この語は、しかしながら、決して「給ふ」(【四段】)が素材間の規定より、話手との關係の規定に轉じた樣な分裂はしてゐない。何處までも「給ふる」は素材間の關係の表現である。簡單に考へれば、「給ふ」(【四段】)は尊敬であり、「給ふる」(【下二】)は謙讓であるから、兩者相俟つて表現が完成する樣に考へられるが、事實はさうでない。既に述べた樣に、理論的に見ても尊敬と謙讓は相對立する概念ではないから、「行き給ふ」に對して謙讓の「給ふる」は必要でない。「給ふる」は、「…させていたゞく」の意味を以て、「…してやる」の「賜ふ」に對して表裏の關係をなし、素材間の上下關係の規定を表現する以上には出ない。故に有坂氏のいはれた輕い謙遜の氣特ちな表すといふ意味は猶嚴密に考慮されねばならない。「給ふる」が、與へる意味の「給ふ」と表裏するといふことは如何なる意味に於いてであるかと(478)いへば、これを上の圖について説明することが便宜である。
 
 丁
 
         丙  〔丁から丙に斜線、途中に丙への矢印あり、入力者〕
 
 「給ふ」「給ふる」の二語によつて表される事實は、丁→丙の如き下向關係の尊貴である。相違する處は只重點の相違であつて、丁よりすれば「賜ふ」であるが、丙よりすれば「給ふる」となる。「給ふる」は、即ち或る事實を、下の者が上の者より蒙る處の概念を表す。これは全く素材的關係であつて、話手の尊敬とか謙遜とかいはるべきものではない。このことは又最近伊奈恒一氏の研究によつても明かにされたことである。「給ふる」は一般に第一人稱者の動作を表す語にのみ附くと考へられ、從つて「給ふ」(【話手の規定を表す】)に對應すると考へられたが、氏は「給ふる」が第一人稱者のみならず、第三人稱者についても用ゐられることを、左の如き例によつて實證された(【平安朝時代の下二段動詞「たまふ」について、國語と國文學第十五卷第三號】)。
  これなむ仲忠が見給へぬ〔三字傍線〕琴に侍るなり(【宇都保、吹上、上】)
「見給へ」は第三人稱者仲忠の述語である。この文の話手は仲忠の父兼雅である。
  この人思給へ〔三字傍線〕むことをなむ思ひ給へはゞかり侍る(【源氏、東屋】)
「思給へ」は、この人即ち常陸守の妻の述語である。これらの事實は、既に「給ふる」が謙遜の表現でなく、「給ふ」とは異つた重點よりする素材的關係を表現してゐるものであることを示すも(479)のである。
 
 丁
 
         丙  〔丁から丙に斜線、途中に丁への矢印あり、入力者〕
 
 「給ふる」とは逆の方向を持つ概念に「たてまつる」がある。上圖の如く、丙→丁の上向關係を表す。獨立動詞としては「獻ずる」意であるが、更に他の動詞と結合して「下より上への奉仕」を意味する。
  御文を奉る〔二字傍線〕(獻上)
  賀し奉る〔二字傍線〕  待ち奉る〔二字傍線〕(以上奉仕)
「賜ふ」と「給ふる」が共に下向關係の概念を表しつゝ、重點の相違によつて二語に分かれる樣に、「奉る」についても同樣な相違が認められる。但しこれは學者によつて意見の相違する處がある。今、丙に重點を置けば、「獻ずる」「奉仕する」意であるが、丁の側よりいへば、「獻上を受納す」「奉仕を受く」といふ意となることは理論的にも肯定し得ることである。例へば、
  やつれたる狩の御衣を奉り〔二字傍線〕(【源氏、夕顔、御衣の奉仕を受けるものは源氏で、奉り〔二字傍線〕はその述語である】)
  御裝束奉り〔二字傍線〕かへて、西の對に渡り給へり(【同、葵、御裝束の奉りを受けるものは源氏】)
  女御殴、對の上は一つに奉り〔二字傍線〕たり(【同、若菜下、車の奉仕を受けるものは女御殿對の上】)
右の諸例は、必しも奉仕者の側から見て、「御衣をお着せ申す」「車に乘せ參らす」と解する必要(480)はなく、奉仕を受ける側に重點を置き、これを主語として、「召し給ふ」「乘らせ給ふ」の意と解するがよい。第三例の文には、右の敍述を承けて、
  次の御車には明石の御方、尼君忍びて乘り給へり〔五字傍線〕。女御の御乳母、心知りにて乘りたり〔四字傍線〕。
といふ風に、主語の身分に應じて述語を區別してゐる處を見れば、「奉り」はやはり奉仕を受ける側に重點を置いて解釋すべきであらうと思ふ。但し「奉る」を直に「着る」「乘る」の敬語と考へてしまふのは、この語が使用された眞意を没却することになるので、それは「御衣の奉仕を受けられ」「御車の奉仕を受けられ」と解すべきである(【「奉る」の解釋については、松尾捨次郎氏、國語法論攷八六六頁參照】)。
 「奉る」は一般に敬稱の動詞とされてゐるが、若し右の解釋を妥當なものとすれば、「奉る」を敬稱とすることが既に不當であり、この語は奉仕するものと奉仕を受けるものとを同時に包含した處の事實の表現であるといふのが適切である。これは恐らく國語の語構成の根柢を支配する、事實の綜合的把握に基くものであつて、形容詞の或るもの(【例へば「をかし」「恐し」「淋し」等】)が、志向作用の概念と同時に志向對象の概念をも表し、用言が常に主語をその中に包含してゐる事實などと相通ずるものである。
 「奉る」と同類のものに「參る」がある。
(481)  御菓物ばかりまゐれ〔三字傍線〕り(【源氏帚木、奉仕者は紀守】)
  客人にもまゐり〔三字傍線〕給ひて(【同末摘花、奉仕者は源氏】)
右の如く、奉仕者を主語として、奉仕する意に用ゐられるが、又奉仕を受ける者を主語として、その述語としても用ゐられる。
  御湯まゐり〔三字傍線〕、物などをも聞し召せ(【源氏柏木、奉仕を受けるものは女三宮】)
  おはとなぶら近くまゐり〔三字傍線〕て、夜ふくるまでなん讀ませ給ひける(【枕草子、清涼殿のうしとらの條、奉仕を受けるものは帝】)
右は奉仕されて御湯を召し、又奉仕によつて燈火を點される意であつて「奉る」の對應と全く同樣である。
 
 その三、所謂敬語の補助動詞について
 敬語の構成法を考へるに當つて、所謂敬語の補助動詞について一言する必要がある。この間題は、更に廣く動詞助動詞接尾語の性質上の相違にも觸れて來ることであり、又敬語の本質の理解にも關係することである。國語の品詞分類に、語が獨立して用ゐられるか否かといふことが、非常に重要な基準と考へられ、補助動詞の範疇も恐らくこの見地から立てられた一品詞であらうと(482)思はれる。しかしながら、この分類基準について私が疑問を持つてゐるといふことは、既に述べた處であるからこゝには繰返さない(【第三章第二項】)。
 獨立非獨立による分類の結果、助動詞と接尾語の境界、動詞と助動詞の相違等が明瞭でなくなり、こゝに補助動詞の名目がその中間に介在することとなつたと考へられるのである。敬語の補助動詞が如何なるものであるかについては、山田孝雄博士は次の樣に述べてゐられる。
  「ます」は極めて汎き用法ある謙稱の動詞にして、獨立しては用ゐらるゝことなく、必ず動詞又は存在詞の下につきてその陳述を助くる用をなす。この故にこの語はその意義よりいへば敬語といふべきものなれどもその性質及び用法よりいへば補助動詞といふべし(【敬語法の研究五三頁】)。
即ち本來動詞なるものが、獨立を失つて陳述を助くる用をなすが故に補助動詞であるとされるのである。又、
  候文に用ゐる敬語動詞のうちには賓格を伴ふにもあらず、又單獨に敬意と共に具體的の意をあらはすにてもなく、全く他の動詞に附屬して敬意をのみあらはす場合のものあり。今これらを補助動詞の性を有するものとなづけ、この項に一括して説かむとす(【同上書、二三七頁】)。
として、「申す」「奉る」「まゐらす」「上ぐ」「候」の五語を擧げられた。又普通文に於いては、「たま(483)ふ」「まします」「まつる」「たてまつる」「まゐらす」の五語を補助動詞とされた(【同上書、三六二頁】)。又木枝増一氏も同樣の觀點から、動詞本來の意義を失つて、他の語に附いて補助的に用ゐられるものを補助動詞と呼ばれ(【高等國文法新講品詞篇一三六頁】)、「御感あつ〔二字傍線〕て」「御誕生候ふ〔二字傍線〕ぞ」「還御なる〔二字傍線〕」「おいでなさる〔三字傍線〕」「おいでになる〔三字傍線〕」等の傍線の語を敬語の補助動詞とされた(【同上書、二四一頁】)。補助動詞とは助動詞的用法を持つ動詞のことであつて、國語調査委員會編口語法には、第七章助動詞第二類に敬讓の助動詞として、「る」「らる」「ます」「もうす」「いたす」「なさる」「くださる」「つかまつる」等を擧げてゐる。これらの諸説によつて、如何に動詞補助動詞助動詞の限界の曖昧であることが知られると思ふ。橋本進吉博士はこれらの分類に對して次の樣な説を述べてゐられる。
  「下さる」「なさる」「遊ばす」「になる」は、本來の意味を捨てて、たゞ敬意を添へる爲に用ひたものです。これらの語は、かやうな意味に於ては、單獨で述語となる事がありませんので、之を敬讓の助動詞とする人もあります。しかし、これ等は、一方においては、敬讓の動詞として儼存しますから(「になる」だけは別ですが)、本書では、右のやうなのを、動詞(「になる」は助詞と動詞)の一用法として見て、助動詞とは立てません(【新文典別記口語篇一三六−一三七頁】)。
橋本氏は、助動詞とせずして動詞とされたといふ所屬決定上の相違はあるが、その根據は前諸説(484)と同樣、獨立か非獨立かにかゝつてゐると見ることが出來る。私は以上の樣な見解に對して、次の樣な考を持つてゐる。第一に、國語はその文の構造上から、又語の組立の上から、語を獨立非獨立によつて分類することは妥當でない。たとへ動詞が獨立せず、「散りあへ〔二字傍線〕ぬ」「春めく〔二字傍線〕」の「あへ」「めく」の樣になつても、それは飽くまでも動詞であつて、助動詞でも又助動詞的でもない。それは宛も「方法」を意味する「かた」といふ語が獨立しなくなつて、「やりかた〔二字傍線〕」「しかた〔二字傍線〕」等と用ゐられても、名詞であつて助詞でないのと等しい。これらの獨立を失つた語を他と區別する必要があるならば、接尾語の名稱を用ゐればよろしい。助動詞はそれらの語とは性質も用法も異るのである。第二に、所謂補助動詞が、獨立的用法を失ふと同時に、具體的意味をも失ひ單に敬意のみを表す樣になると考へることは出來ない。勿論「書いていたゞく〔四字傍線〕」の「いたゞく」の意味は、この語が獨立して用ゐられる時とは異るが、若しこれを「書いてあげる〔三字傍線〕」の「あげる」と比較する時は、やはりこれらの語が敬意のみならず或る概念を表出してゐることを知るのである。「給ふ」と「奉る」の非獨立的用法について見ても、明かに異つた概念の表出である。助動詞は非獨立といふ點に於いては同樣でも、表出するものは客體的概念でなくして、主體的直接的觀念である。この樣にして、獨立しないといふ形式的な理由によつて助動詞的なものと考へられてゐる敬(485)語の補助動詞を、その本質的機能に從つて本來の動詞に還元し−【勿論所謂補助動詞の中にも、「ます」「侍り」の如く助動詞と認むべきものもある】−これを合成語の一要素と考へ、その意味を明かにすることによつて始めて敬語本來の面目である素材の特殊なる概念把握の表現の事實を理解することが出來るのである。敬語なるが故に敬意の表現を擔ふ語でなければならないと考へるのは敬語に對する誤つた先入觀であつて、敬語はその樣なものでなく、屡々繰返した如く、事實の綜合的把握とその表現であつて、敬語の構成法は、如實にかゝる概念的把握の過程を示してゐるのである。
 
     三 言語の主體的表現(辭)に現れた敬語法
 
 言語に於ける客體的な素材が場面の制約を受けた時は、それは素材に對する特殊なる把握の仕方に於いて詞としての敬語となることは、前項に述べた處である。次に言語に於ける主體的なものの表現も、場面の制約を受けて敬語となるが、これは專ら、主體の聽手に對する敬意の表現となるのである。
  お暑うございます〔五字傍線〕。  ――ございませ〔五字傍線〕う。
(486)  お庭を拜見します〔二字傍線〕。  ――まし〔二字傍線〕た。
右の例の「ございます」「ございませ」「ます」「まし」がそれである。これらの語は、敬意を素材化し客體化した表現でもなく、又敬意に基く素材の特殊なる概念的把握でもなく、主體の語手に對する敬意の直接的表現である。既に述べた樣に、辭は凡て主體的立場の直接的表現であるが、直接的表現といふことに於いて右の敬語は一般の辭と共通してゐる。從つて、右の「ございます」「ございませ」「ます」「まし」等を否定辭、推量辭などと共に、敬辭と呼ぶことが出來る譯である。しかしながら、右の敬辭を、否定辭推量辭などと並べて辭の一類に加へるべきかといふに、敬辭とその他の辭との間には、次の如き重要な相違點があることに注意しなければならない。辭は常に表現素材に對する言語主體の立場の表現である。否定辭「ず」は、「行かず」と用ゐられる時、それは素材的事實「行く」に對する否定判斷の表現である。その他の場合でも同樣であつて、辭は常に詞と聯關し、これを包む處の關係に立つてゐるのである。これに反して敬辭は、決して表現素材に對する言語主體の敬意を表現したものでないことは明かである。故に敬辭は詞を包んでゐるものではない。それは場面即ち聽手に對する敬意の表現である。同じく主體の直接的表現であるといふ理由から、これを敬辭と呼んだのであるが、敬辭は右の如き點に於いて一般の辭と(487)根本的に相違する。この關係を圖示するならば、次の如くなるであらう。辭は甲の丙に對するも
 
          聽手(乙)
素材(丙)
 
          話手(甲) 〔甲乙丙甲それぞれを結ぶ線がある、甲から乙への線の途中に矢印があり、その下に、敬辭、とある、甲から丙へ線の途中に矢印があり、その上に、辭、とある、入力者〕
 
のであり、敬辭は甲の乙に對するものである。右の樣な關係にありとするならば、我々は一般の辭と敬辭とを如何なる關係にあるものとして理解するのが適切であるか。屡々述べた樣に、私は詞辭の關係を次の如く表してゐる。
  花咲か※[三字□で囲む]む※[凵で囲む]  或は 花咲か〔三字傍線〕む〔右○〕
推量辭「む」が、單純な判斷辭になる場合は、その辭の記號は零である。
  花咲か※[三字□で囲む]■  或は  花咲く〔三字傍線〕■〔右○〕
詞と辭の關係を以上の如く考へて來る時、敬辭は如何なる關係に於いて右の圖形と交渉して來るかといふことを考へなければならない。敬辭は上に述べた樣に、主體の直接的表現である辭が、場面によつて制約されたものであるから、從つて敬辭は、辭の場面による變容と理解しなければならないことを知るのである。故に、
  人だ〔傍線〕。 人です〔二字傍線〕。 人でございます〔六字傍線〕。
(488)右の三者は、辭としては同樣に素材「人」に加へられた主體の判斷の表現であるが、その判斷辭が場面の變化に對應して三段に變容したと考へるべきである。鈴木朗は言語四種論の中に、詞を器物に比し、辭をこれを動かす手に譬へた。今敬辭的變容をこれに加へるならば、敬辭は手の動かし方に相應するものといふことが出來るであらう。手と手の動かし方とは、先の三角形によつても明かな樣に、同一次元のものではない。そして手は、手の何等かの動かし方に於いてのみ手の職能を表すのであつて、動かし方を持たぬ手は既に手ではなくして、單なる肉塊に過ぎない。かくの如く、辭は何等かの敬辭に於いて顯れるものであり、敬辭は場面に對して函數關係を持ち、場面の變化は敬辭法の變化であり、逆に敬辭法の變化は又場面を變化させるのである。例へば、目上の人と相對することによつて、
  お暑うございます〔五字傍線〕ね。
といふ時は、場面が敬辭的變容を齎したのであるが、堅くなつてゐる相手に對して、
  暑いね。
と呼びかけるならば、その時相手は親しき者として言語主體の前に置かれることとなるのである。自己の言語によつて自己の場面を變化させるといふ事實は、日常屡々經驗することである。
(489) 用言と陳述を同一次元のものとして取扱はれ、用言の本質をその陳述性に求めて複語尾説を主張された山田孝雄氏は、敬辭についても同樣にこれを用言と同一次元のものとして取扱はうとされた。「ます」について見るに、氏はこれを補助動詞と呼んで次の如く述べられた。
  「ます」の性質は前項に説ける如く全く補助にのみ用ゐられて獨立に用ゐらるゝことなし。その用法の如きは、動詞存在詞のすべてに附屬してそれにつきて敬意をあらはすと共に陳述の力を添ふるものなり。而してこれが本義は謙稱に存するものなれど、敬稱の用言をも助けてその陳述に一層の敬意を加ふる用をなす(【敬語法の研究五八頁】)。
  「ます」は又敬語を受けて一層の敬意をあらはすことあり(【同書、六四頁】)。
右の如く、山田氏は、「ます」を場面に對する敬意の表現とせず、敬語の用言と一體となつて、敬意を倍加するものの樣に考へられたのである。勿論敬語の或る用法については、その樣に誤認されることもあり得るといふことについては、既に述べたことであるが、例へば、
  みんないたゞき〔四字傍線〕ます〔二字二重傍線〕。  (「いたゞき」の主語は「私」)
  御注文をいたゞきにあがり〔三字傍線〕ます〔二字二重傍線〕。 (「あがり」の主語は私)
の如き例に於いては、「いたゞき」「あがり」は、夫々聽手に對する敬意を表現すると同時に、「ま(490)す」は更にその敬意を強調するが如く考へられる。しかしながら、前項に於いて詳細に論じた如く、「いたゞき」「あがり」は決して敬意の直接的な表現でなく、事實のありかた〔四字傍点〕の表現であるが故に、それは「ます」によつて表現せられる聽手に對する敬意とは全く無關係のものである。それは、
  甲は乙にいたゞき〔四字傍点〕ます〔二字二重傍線〕。
  三吉は某樣に注文をいたゞきにあがり〔三字傍線〕まし〔二字二重傍線〕た。(【主婦が主人に店員のことを語る場合「あがり」の主語は「三吉」、「まし」は主婦の主人に對する敬意の表現】
右の例によつて明かな樣に、「ます」「まし」は言語主體の聽手に對する敬意の表現であるが、「いたゞき」「あがり」はこの場合聽手には何等の關係もないものであつて、敬語としては、「いたゞき」と「ます」、「あがり」と「まし」との間には連絡或は統一關係といふものは認められないのである。
 以上述べて來た處を要約するに、詞、辭、敬辭は、夫々に表現形式を異にし、且つ夫々に次元を異にした處のものを表現してゐる。そして敬辭は、辭の場面的變容であるといふことを更に檢討するならば、次の樣な結論に到達するのである。
  花が咲く。 花が咲く※[四字□で囲む]■  花が咲き※[四字□で囲む]ます※[二字凵で囲む]
(491)  山が高い。  山が高い※[四字□で囲む]■ ……山が高い※[四字□で囲む]です※[二字凵で囲む]……山が高う※[四字□で囲む]ございます※[五字凵で囲む]
  犬だ。  犬※[□で囲む]だ※[凵で囲む]……犬※[□で囲む]です※[二字凵で囲む]……犬※[□で囲む]でございます※[六字凵で囲む]
右の零記號と「ます」、零記號と「です」「ございます」、「だ」と「です」「でございます」の對立は、夫々に陳述の場面的變容である。そして、陳述の内容それ自體は少しも増減はされてゐないのである。かくして、
  花が咲くか〔傍線〕。   ――きますか〔三字傍線〕。
  ――かない〔二字傍線〕。 ――きません〔三字傍線〕。
  ――かう〔傍線〕。    ――きませう〔三字傍線〕。
  ――いた〔傍線〕。    ――きました〔三字傍線〕。
又、
  山が高いか〔傍線〕。   ――いですか〔三字傍線〕。  ――うございますか〔六字傍線〕。
  ――くない〔二字傍線〕。 ――くないです〔四字傍線〕。 ――うございません〔六字傍線〕。
  ――いだらう〔三字傍線〕。――いでせう〔三字傍線〕。  ――うございませう〔六字傍線〕。
  ――かつた〔二字傍線〕。 ――いでした〔三字傍線〕。  ――うございました〔六字傍線〕。
(492)又、
  犬か〔傍線〕。      ――ですか〔三字傍線〕。   ――でございますか〔七字傍線〕。
  ――でない〔三字傍線〕。 ――でないです〔五字傍線〕。 ――でございません〔七字傍線〕。
  ――だらう〔三字傍線〕。 ―でせう〔三字傍線〕。    ――でございませう〔七字傍線〕。
  ――だつた〔三字傍線〕。 ――でした〔三字傍線〕。   ――でございました〔七字傍線〕。
等の系列が成立するとして、右を、「か」に對立するものを「ますか」、「ない」に對立するものを「ません」とすべきであるかといふに、これを次の樣に考へることが可能である。「咲くか」は、疑問の表現であるが、それ以前に、「咲く」といふ陳述が無ければならない。この樣に見るならば、「ますか」に對立するものは、零記號に「か」の加つたものであり、「ませう」に對立するものは、零記號に「う」の加つたものでなければならない。從つて右の文は、
  零記號……………ます  □■………… □ます※[二字凵で囲む]
  零記號+か………ます+か □■か※[凵で囲む] 
  零記號+う………ませ+う □■う※[凵で囲む]……□ませう※[三字凵で囲む]
(493)といふことになり、辭の場面的變容即ち敬辭は、要するに單純なる陳述の變容としてのみ存することとなり、種々なる辭は、皆到斷辭の變容に加へられたものと考へることが出來る。但し「ない」「らしい」が「です」と結合する場合は異る。以上の樣に見て來るならば、敬辭的變容は、ただ陳述の上にのみ認めることが出來るといふことになるのである。從つて敬辭の加つたものから逆推して行くならば、「咲くか」(【−ね、よ、さ、わ】)、「高いか」(【−同上】)、「犬か」(【−同上】)等は皆零記號の判斷辭のあるものと考へることに合理性を認めることが出來るのである。
  咲く■か。  ――■ね。  ――■よ。  ――■さ。  ――■わ。
  高い■か。  ――■ね。  ――■よ。  ――■さ。  ――■わ。
  犬■か。   ――■ね。  ――■よ。  ――■さ。  ×
         ――だね。  ――だよ。  ×      ――だわ。
        ×印は慣用の無い場合を示す
 
 かくて敬辭は、畢竟するに判斷辭の變容であるといふこととなつた。次にそれらの敬辭を列擧することとする。
 一、「ます」
(494)動詞連用形に附き、「花が咲きます〔二字傍線〕」「本があります〔二字傍線〕」「御座ります〔二字傍線〕」となる。
 
 二、「です」
形容詞終止形に接續して、「山が高いです〔二字傍線〕」となり、又動詞終止形に接續して、「花が咲くです〔二字傍線〕」「本があるです〔二字傍線〕」となり、體言に接續して、「花です〔二字傍線〕」「駄目です〔二字傍線〕」となる。右は單純な陳述「だ」の變容であるが、動詞形容詞は單純な陳述の場合は「だ」を用ゐず零記號になるが、體言の場合は原形は「だ」を用ゐ、「花さ〔傍線〕」「駄目だ〔傍線〕」といふ風に用ゐられる。「花が咲くだ〔傍線〕」「山が高いだ〔傍線〕」の如き陳述の重加は一般には行はれない。
 三、「であります」「でございます」
右は元來詞「あり」「ござる」に「ます」の接續したものであるが、それが合體して、「だ」に對立する敬辭として用ゐられる。動詞に接續する場合、「咲くで〔右○〕あります〔四字傍線〕」「咲くで〔右○〕ございます〔五字傍線〕」と用ゐらるべきであるが、一般には、「で〔右○〕ありませう〔五字傍線〕」「で〔右○〕ございませう〔六字傍線〕」といふ形の外は用ゐられない。それは推量辭「う」に接續する爲に、「咲くで〔右○〕あら〔二字傍線〕う」(咲くだらう)などと、辭「で〔右○〕あり〔二字傍線〕」を加へる處の方法に對立するものである。「ござる」は元來詞の敬語法として、前項(二)の諸例に屬すべきものであるが、後にそれが判斷辭として用ゐられる時は、「ます」と合體して、主體的な高(495)度の敬意を表現するに用ゐられる。右の如き轉換は、詞より辭への韓換に、更に場面的轉換が加つたものであつて、その原理については未だこれを説明し得るに至つてゐないのであるが、同樣な現象は後に述べる處の「はべり」にも現れてゐる。「はべり」は元來伺候の意を表す語であるから、詞に屬するものである。それは尊者に對する卑者の識別によるものであるが、この語が同時に、場面に對する敬辭の役目を持ちつゝ判斷辭を兼ねてゐることと相似てゐる。
  それは于定國がことにこそ侍る〔二字傍線〕なれ。古き進士などに侍ら〔二字傍線〕ずば、承り知るべくも侍ら〔二字傍線〕ざりけり(【枕草子、大進生昌の條】)。
右の例に於ける「侍り」は判斷辭であると同時に、生昌の清少納言に對する敬意を表現したものである。
 又「ます」の起源が「參らす」から出てゐるとするならば、これも元來詞に屬して居たものが、敬辭として用ゐられる樣になつたと考へるべきで、そこに、詞より辭に、更に或は同時に敬辭への轉換が認められるのである。「あり」が、存在詞より單純な判斷辭に轉換すると同時に、「あり」と同じ樣な意味を持つ詞としての敬語「侍り」「參らす」等が、判斷辭の變容としての敬辭として對立的に用ゐられてゐるといふことは注意すべきことである。
 四、「はべり」
(496)第三項に述べた樣に、右は「あり」と類似の意味の語であるが、伺候存在の意を表す詞から、辭に轉ずる時、同時にそれは話手の聽手に對する敬辭として用ゐられてゐる。
  今までとまりはべる〔三字傍線〕がいと憂きを、
  悲しう見奉りはべる〔三字傍線〕。
  今さりとも、七年餘の程に思し知りはべり〔三字傍線〕なむ(【源氏、帚木】)。
   右例の「思し知り」は素材に關するもので詞であり、「はべり」は聽手に對する敬辭と解し得るのであるが、猶これについては疑問が提出されてゐる(【僧義門眞宗聖教和語説卷四、松尾捨治郎氏、國語法論攷八六八頁】)。
右例の如く、判斷辭の敬辭的變容として、現今の「ます」と同樣に用ゐられてゐる。右の樣な用法が成立する前に、詞としての用法から、辭としての用法が、先づ派生することが必要である。
  ゆゝしき身にはべれ〔三字傍線〕ば、
  かへす/”\つれなき命にもはべる〔三字傍線〕かな。
右の「はべり」は、辭としての用法の「あり」に相當するものであるが、それは同時に聽手に對する敬辭としての役目をも兼ねてゐることは注意すべきことである。即ち「命にはべる〔三字傍線〕」は、現代語の「命であり〔二字傍線〕ます〔二字二重傍線〕」に相當し、理論上は、「命にあり〔二字傍線〕はべる〔三字二重傍線〕」といふべき處であるが、「はべる」に判斷辭と敬辭とを兼ね合せてゐるのである。かくの如き用法は、又「はべり」が純粹の詞(497)として用ゐられた時にも見られる現象であつて、
  若人どもなむはべる〔三字傍線〕める。
  となむ聞くこともはべり〔二字傍線〕。
右の例では、「はべり」は特殊なる存在概念の表現であると同時に、又聽手に對する敬意の表現ともなつてゐるのであつて、「とまりはべる〔三字傍線〕」「見奉りはべる〔三字傍線〕」と同樣には、「はべりはべる〔三字傍線〕」とはいはないのである。右の如き表現の經濟から、やがて「はべり」に於ける敬辭的側面が發展して、現今の「ます」と同樣に、專ら場面的敬辭法として用ゐられる「はべり」の用法が成立したと解し得るのである。「はべり」が詞と敬辭とを兼ねると同樣な現象は、「おはす」「おはします」「給ふ」についてもいひ得る。これらは共に詞に屬するものであるが、
  かたへのえさらぬ人々も多くおはし〔三字傍線〕はべれ〔三字二重傍線〕ば(【榮華、楚王夢】)、
右の如く聽手に對する敬辭「はべれ」を結合して用ゐることもあるが、多くは只、
  「……とうち過しつゝ、御しほたれ勝にのみおはします〔五字傍線〕」と語りて(【源氏、桐壺】)、
の如く「おはします」に聽手に對する敬意をも兼用させてゐる。「給ふ」(【四段】)は、
  そこにこそ多くつどへ給ふ〔二字傍線〕らめ(【同、帚木】)。
(498)  君たちの上なき御遊びには、ましていかばかりの人かはたぐひ給は〔二字傍線〕む(【源氏、帚木】)。
  少しもなずらひなる樣にも物し給は〔二字傍線〕ず(【同、若紫】)。
又下二段の「給ふ」も同樣に、
  つらしと思はむと思ひ給へ〔二字傍線〕て(【同、夕顔】)。
  谷にも落入りぬべくなむ見給へ〔二字傍線〕つる(【同】)。
右兩樣の「給ふ」は、若し聽手に封する敬意を加へるならば、「給ひ〔二字傍線〕はべる〔三字二重傍線〕」「給へ〔二字傍線〕はべる〔三字二重傍線〕」といふべき處を、この語のみにて敬辭を兼ねてゐるのである。
 
 私が敬辭法と名付けるものを、一般には丁寧語或は鄭重語といつてゐる。それは對者の尊敬とか自己の卑下とかを表すものでなく、只丁寧にいふ場合に用ゐるものとされてゐる。この考方は正に逆の樣に考へられる。敬辭法は明かに話手の聽手に對する敬讓の表現である。これに反して詞に關する敬語は、話手の敬讓の表現といはんよりは、素材の上下尊卑の關係の認識であり、話手のわきまへ〔四字傍点〕の表現であるから、實は敬意そのものの表現といふには遠いものである。常識的用語としては、何れをも敬語或は丁寧な物いひといつてゐるが、それは敬讓の對象について、その(499)上下尊卑を識別する主體的立場に於いて兩者共通だからである。私の識別したいことは、兩者の言語的相違についてである。一は事物のありかた〔四字傍点〕を表し、他は聽手に對する敬讓を表現するのであつて、この表現性の相違は又言語としての本質上の相違を示すのであつて、一は詞に屬し、他は辭に屬する所以である。
 
     四 詞辭の敬語的表現の結合
 
 以上論じた敬語及び敬辭法を總括する爲に、本章第二項イに掲げた圖について、これが結合法
 
  丁
        丙
 
 
甲(話手)     乙(聽手) 〔甲乙丙丁はそれぞれ線で結ばれている、丁丙の線の上に(一)とあり甲から(一)に向かって点線の矢印がありその中間に(二)とある、甲から乙への線の途中の下に於(三)とある、入力者〕
 
を明かにしようと思ふ。敬語表現は先づ次の段階に從つて生へる必要がある。最初に、表現機構の要素である話手、聽手、素材、及び素材に關與する人、及びそれら相互の關係を先づ明かにして置くことが必要である。以上のことを前提として、(一)先づ表現素材について、これを構成する要素を明かにする。即ち圖の丙丁の關係を考へる。今「見る」といふ事實に例をとるならば、誰が、誰を、又何を見るか、誰と誰との上下尊卑の關係は(500)どうであるか等を明かにする時、次の樣な表現が成立する(【本章第二項ロを參照】)。
  (1)丁が丙を見てやる〔四字傍線〕。
  (2)丁が丙を見て下さる〔五字傍線〕。
  (3)丙が丁を見てあげる〔五字傍線〕。(見て差し上げる〔七字傍線〕)
  (4)丙が丁に見ていたゞく〔六字傍線〕。
(二)次に素材と話手との關係を見る。その結果は(【本章第二項イを參照】)、
  (1)丁が丙を見てやり〔四字傍線〕なさる〔三字二重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕やり〔二字傍線〕なさる〔三字二重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕やりになる〔三字二重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕やり〔二字傍線〕になられる〔五字二重傍線〕、見てやら〔四字傍線〕れる〔二字二重傍線〕。
  (2)「下さる」はそれ自身に既に話手との關係の規定を含んでゐるが、猶次の如き表現が可能である。丁が丙を御覽〔二字傍線〕になつて〔四字二重傍線〕下さ〔二字傍線〕る〔二重傍線〕、御覽〔二字傍線〕なさつて〔四字二重傍線〕下さ〔二字傍線〕る〔二重傍線〕。
  (3)丙が丁を見てあげ〔四字傍線〕なさる〔三字二重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕あげ〔二字傍線〕なさる〔三字二重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕あげ〔二字傍線〕になる〔三字二重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕あげ〔二字傍線〕になられる〔五字二重傍線〕、見てあげら〔五字傍線〕れる〔二字二重傍線〕。
  (4)丙が丁に見ていたゞき〔六字傍線〕なさる〔三字二重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕いたゞき〔四字傍線〕なさる〔三字二重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕いたゞき〔四字傍線〕になる〔三字二重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕いたゞき〔四字傍線〕になられる〔五字二重傍線〕、見ていたゞか〔六字傍線〕れる〔二字二重傍線〕。
(三)右二段の表現には、未だ聽手との關係を含まない。これを考慮に入れるならばその結果は(【第三項參照】)、
(501)  (1)丁が丙を見てやり〔四字傍線〕なさい〔三字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕やり〔二字傍線〕なさい〔三字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕やり〔二字傍線〕になり〔三字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕やり〔二字傍線〕になられ〔四字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕、見てやら〔四字傍線〕れ〔二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕。
  (2)丁が丙を見て下さ〔四字傍線〕い〔二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕(「下さい」には第二段の敬語を含む)、御覽〔二字傍線〕になつて下さい〔七字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕、御覽〔二字傍線〕なさつて下さい〔七字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕。
  (3)丙が丁を見てあげ〔四字傍線〕なさい〔三字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕あげ〔二字傍線〕なさい〔三字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕あげ〔二字傍線〕になり〔三字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕あげ〔二字傍線〕になられ〔四字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕、見てあげら〔五字傍線〕れ〔二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕。
  (4)丙が丁に見ていたゞき〔六字傍線〕なさいます〔五字二重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕いたゞき〔四字傍線〕なさい〔三字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕いたゞき〔四字傍線〕になり〔三字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕、見て〔二字傍線〕お〔二重傍線〕いただき〔四字傍線〕になられ〔四字二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕、見ていたゞか〔六字傍線〕れ〔二重傍線〕ます〔二字三重傍線〕。
右の圖解によつて明かな樣に、敬語の結合法は、素材、素材と話手、話手と聽手といふ順序に從つて、順次に結合されて表現せられることが明かになつた。右は僅か一例を示したのみであるが、國語に於ける動詞の敬語的表現が、右の如き三段の構へに對應して始めて完成されるといふことはほゞ動かぬ事實であらうと思ふ。これは國語に於ける詞辭の結合樣式に對應する必然の結果である(【第三章第三參照】)。私は本稿に於いては、動詞についてのみ敬語の組織を論じたのであるが、敬語の研究が右に盡きるものでないことはいふまでもないことであるが、今は最も重要なる敬語觀察の態度を論ずるに止めて置く。
 
(502)   第六章 國語美論
 
     一 音聲の美的表現
 
 私は總論第九言語による理解と言語の鑑賞の項に於いて、言語の美は、繪畫に於ける美の樣に、視覺的要素の構成の上に成立するものでなく、言語過程といはれる主體的表現行爲の上に構成されるものであつて、それは身體的運動の變化と調和から知覺される美的快感に類するものであることを述べた。從つて言語美學の考察は、先づ第一に言語の體驗即ち言語の過程的構造の省察から始められねばならない。言語の過程的構造を形成する各段階即ち音聲、文字、意味或は思想の聯合によつて成立する各語は、夫々にそれ自身美的考察の對象となり得るものであるが、同時に又それらは更に大なる統一體の一部分であつて、從つて、それ自身の美と同時に、全體との聯關から生まれて來る美といふことも考慮に入れなければならない。例へば、語はそれ自身美的考察の對象となり得るが、又同時に文中に於ける語は、他の語との聯關に於いて美的價値が規定され(503)て來る譯である。それ自身如何に美しい語も、場面即ち聽手との聯關に於いて考察する時、必しもそれが調和的でなく美とされない場合がある。例へば、莊重な式辭も、亂痴氣騷ぎの席上では寧ろ滑稽に感ぜられる樣なものである。以下私は言語が如何にして美的に形成せられるかを、言語過程觀の立場に立つて、分析的に考察して見ようと思ふ。最初に音聲に關する美について述べることとする。
 
 國語の基本的リズム形式は、第一章音聲論第二項に述べた樣に、等時的拍音形式であるからして、音聲を以てこのリズム形式を充填するに際しても、リズム形式に制約された調音法を用ゐると同時に、このリズム形式を效果的にする處の調音法と、そして調音法の連鎖が要求されるのは當然である。その方法は、第一に、各調音法は相互に混濁しないこと、又相互に明晰であることが必要である。強弱リズムの形式を波状型とすれば、そこに必要なのは、音聲の強弱の對照であつて、それによつて波状は一層際立たされる。これに反して、國語はジクザク型の如く、各調音の限界が明瞭でなければならない。このことは國語の音節結合上の美的條件の一ともなり得ると思ふ。從つて、k〓:ru(歸る)よりも ka-e-ru,deiau(出會ふ)よりも de-a-u といふ風に、音の融合(504)を避けることが正しいとされる。又調音は母音を伴ふことによつて一層分節が明斷になるからして、slndes(するんです)は、su-lu-no-de-su が正しいとされる。母音の脱落無聲化は一時的便宜的現象であるに過ぎない。以上の樣な發音上の選擇は、國語のリズム形式から制約され又要請された發音發聲の理念(註)の結果である。
 
  註 言語は何時如何なる場合に於いても自然的であるここはあり得ない。言語は表現である以上、表現の理念及びそれを達成するに必要な技術或は技巧といふものは言語と不可分離である。口語を自然であるとし、文語を人爲的であると考へることは、既に言語の本質を忘れた考方である。皆夫々理念を異にした言語表現と考へなければならない。言語の美的表現、或は言語に於ける場面の制約といふことが重要な課題になるのはそれが爲である。音節に於いて可能的音節なるものが考へられる根據も、言語を表現技術の所産と考へることによつて許されることであり、又かく考へるならば、可能的音節は理想でなくして、やはり實際的經驗的事實であるといはなければならない(【可能的音節については、佐久間氏日本音聲學二七七頁參照)。
 
 次にリズム形式實現の更に重要なる技巧は、調音の諧調或は對比を求めることである。既に述べた處の調音の混濁を避け明晰を求めるといふことは、調音、そしてそれの實現である各音聲の限界の問題であるが、これは、各音聲相互の關係の問題である。強弱リズム形式の言語に於いては、強弱音の配置によつてこの對比が考慮される。例へば、
  professor   professorren
(505)  impossible   impossibility
強弱リズムを持たぬ拍音形式の國語に於いて、各調音間の音聲的諧調と對比によつて、そのリズム形式を生かさうとするのは正に當然の方法といはなければならない。先づ調音の諧調の例を求めるに、所謂母音調和を擧げることが出來る。母音調和は現今の國語には存在しないが、有坂秀世氏の精緻なる考證により、古代國語に於いては語根語幹の中にこの現象の存することが明かにされた(註)。
 
  註 有坂秀世氏、古代日本語に於ける音節結合の法則(【國語と國文學第十一卷第一號】)
   金田一京助氏、國語史系統篇第四章第二節
 
母音調和が言語のリズム的實現を生かすといふことは、必しも第一の原則である調音の限界が明晰でなければならないといふことと矛盾するものではない。古代國語の母音は、aou を陽性母音とし、o‥ を陰性母音とし、i を中性母音として判然と對立し、異つた範疇の母音が一語の中に混在しない。これを同一範疇内の母音の組合せといふ點から見れば、母音の調和であるが、一方それは aou が一の範疇として o‥ に對立してゐることは、明かに音節の對比を求める處の現象である。aou は調音上或は知覺上決して類似の音ではなくして全く對照的なる音である。對照的(506)であるが故にそれは調和音となり得るのである。母音調和は音聲の通相に即しての觀察であるが、母音交替(註)は音聲の分化に即しての觀察であり、基く處はリズム形式の有效なる實現といふことに歸することが出來はしないか。
 
  註 有坂秀世氏、古代に於ける母音交替についての研究(【音聲の研究第W輯】)。
 
現今の國語の音節結合の理想が如何なる傾向に向つて居り、又如何なる結合を喜ぶかといふことは猶將來研究すべき問題であらうと思ふ。實證の功を積まずして臆測を逞しくするといふことは愼まねばならないと思ふが、こゝに暫く私の想像説を述べることを許されたい。母音調和といふことが、音聲の同化作用を意味すると同時に、他方異化作用を含むものであることは既に述べた。我が國の詩歌の表現に於いては、寧ろこの異化作用即ち音聲の對照の中に表現の美的效果を狙つたものが存在することは認めてよいと思ふ。母音の對照といふことは、調音の圓滑なる流動を意味するのであつて、そこに筋肉運動と知覺上の諧調の快感を伴ふ。同一母音、例へば、ア列音或はウ列音の連續は決して諧調ではない。特に句頭句尾に同音が繰返されることは、知覺の單調を強調するために、古來さしあひ〔四字傍点〕として忌まれる理由になつた。又音の交錯にしても、ウオアエイの如き連續は、音相互の連接に明晰を缺くために美的ではない。これに反し、アイウエオの連鎖(507)は、音に變化があると同時に、各音の限界が極めて對立的で明晰である。この變化と明晰との原理の中に國語の音聲の美的構成の理念を見出すことが出來はしないか。私は二條良基の知連抄(【古典保存會本】)に述べられた五韻連聲、五韻相通の名目を、右の如き見地によつて説明することが可能ではないかと思ふ。先づ五韻連聲とは、
  先連聲の趣は詞のたよりを五七にをきて其の聲のする/\と下る樣につゝくるを五韻連聲とは申也
  五韻連聲の趣は雲霞なとに立つゝくなと云ゑんの詞をもちて連聲とは云也
  連聲は詞なれは上をかさり
などと述べて、
  薄雲の立井に老のかなしくて
外二句の實例を示してゐる。良基に從へば、連聲は全く語の意味上の連鎖に關することの樣であるから、今の私には關係がない。但し、「其の聲のする/\と下る樣につゝくる」といふことは、やはり語の内容の連鎖の外に、その音聲上の圓滑なる流動を意味したものではなからうか。「薄雲のた〔二字右○〕ちゐに老のか〔二字右○〕なしくて」の如く、の→た、の→かと轉ずる音の變化を技巧的に狙つたものではなからうか。連聲とは音の連呼の上に現れる諧調を意味するものである。知連抄では、音の諧(508)調と意味の諧調とが分析されて意識されなかつた爲に右の樣な説が生じたものと考へられる。
 次に五韻相通とは、
  詞さほとつゝかねども五七五の切めに五韻のひゝきの字ををくを相通とは云也
  連歌の切めにあらんするてにはの字のひゝきおなしくかよふ樣に字を置也
例として、
  奧山やまたれし月に深ぬらん
  散花や又面影にかへるらん
右の説は、所謂てにはのさしあひ〔四字傍点〕を更に積極的にしたもので、五七五の句尾の音を、アイウエオの五韻を以て相互に交錯對照さすべきことを教へたものである。こゝに於いてさしあひ〔四字傍点〕の禁忌は、積極的に美的表現の技法となつたのである。即ち「奥山や〔右○〕またれし月に〔右○〕深ぬらん〔右○〕」は、アイウの韻の交錯對照によつて表現に變化を與へることが出來たのである。
 右の事實が良基のいふ樣に、和歌連歌の技法として重要なものとされたといふことが事實ならば、こゝに日本詩歌の表現技巧について興味ある結論が導けさうである。強弱形式のリズムを背景に持つ詩歌表現に於いては、強音を更に強調する爲に音の同化を似て脚韻を作るに反し、拍音(509)形式のリズムを持つ日本詩歌に於いては、右の如き脚韻の同化を排し、寧ろ母音の異化作用によつて、諧調と變化とを求めようとしたことである。このことは、次に述べる國語の詩歌の形態にも相通ずる處の原則であらうと思ふ。
 リズムは一般にその基本單位が群化して、より大なるリズム單位を構成する。リズムの群團化とはそれである。群團化の樣式は、多く基本的リズム形式によつて左右されるものの樣である。強弱型リズムに於いては、強音の強調が群團化の標識となる。即ち、
  一 一 一 一 一 一 一  〔右に傍点4つ、左に括弧3つ、入力者〕  一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一  〔右に″′のくり返しが三回と″一回、左に括弧が三つ、入力者〕
國語のリズム形式は、その拍音に強弱を識別することも、又音聲に強弱を附してリズム形式を實現することも稀であつて、從つてリズムの美的構成は專らこれを充填する音聲の質的變化と諧調によるといふことは上に述べた如くであるが、リズム形式の群團化に於いても特殊なる樣式を見出すのである。その方法は、音聲の休止である。換言すれば、リズムを充填すべき調音を省略することである。横線を似て基本リズム形式の限界即ちリズムの間《ま》とし、圓を以てそれを充填する音聲とすれば、休止による群團化は次の如き形式となる。
(510)  |○|○|○|休|○|○|○|休|○|○|○  〔○三つの左にそれぞれ括弧がある、入力者〕
こゝに三音節によるリズムの群團が成立する。そして基本的リズム形式は、右の調音の休止の間も等時的間隔を以て流れてゐると見るべきである。休止が群團化の標識となるが故に、かゝる音聲の連鎖に於いては特に強調音を必要としない。これが國語に於けるリズム群團化の一の重要なる方法である。そして一般に語の連鎖と休止との間には密接な關係があつて、一語は休止を中間に挾むことが許されない。例へば、「櫻」「椿」は夫々獨立した語であるから、
  |サ|ク|ラ|休|ツ|バ|キ|  〔サクラ、ツバキの左に括弧あり、入力者〕
とは分節されるが、「鶯鳴く」は、
  |ウ|グ|ヒ|休|ス|ナ|ク|  〔ウグヒ、スナクの左に括弧あり、入力者〕
となることは出來ない。次に獨立した語が助詞助動詞に接續した場合には、接續したものが一群團の中に收められることが必要である。例へば、「雨は降れど」は、
  |ア|メ|ハ|休|フ|レ|ド|  〔アメハ、フレドの左に括弧あり、入力者〕
となるが、「櫻は咲けど」は、
(511)  |サ|ク|ラ|休|ハ|サ|ケ| |ド|○|○|  〔サクラ、ハサケ、ド○○の左に括弧あり、入力者〕
の如くなることは許されない。先づ右の如くしてリズムの群團化は成立し、それによつてそれを充填する語も制限される譯である。
 次に、かくして群團化されたリズムは、如何にして美の要素となるのであるか。一般には群團化されたものは、更に大なるリズム形式の單位となるのであるが、國語に於いてはそれが必しも一般の意味の單位とはなり得ない。例へば、
  |○|○|○| |○|○|○| |○|○|○| |○|○|○|  3、3、3、3、
右は三音節が單位となつて進行するリズム形式であるが、國語に於けるリズム群團は、右の如き形式に於ける單位とはなり得ない。このことは、基本的リズム形式の音聲充填に於いても觀取出來ることであるが、國語は音質の諧調變化によつて、リズム形式を運動的といふよりも寧ろ繪畫的に或は構成的に生かさうとする。休止によつて群團化されたものも、運動的進行的リズムの單位とはならず、繪畫的或は建築的美の一要素とならうとする。かくして、リズム的群團の對比といふことが、美的構成の重要な方法となつて來るのである。即ち、
  |○|○|○| |○|○|○|○| |○|○|○|○|○|  3、4、5、
(512)右の群團はその音節數に於いて、345の比を作つてゐる。このリズム的群團を、既に述べた處の語の音連鎖と休止との關係を考慮に入れて語を充填して見るならば、
  ウリヤ ナスビノ ハナザカリ
とすることが出來る。國語の詩歌は、かくの如き對比が層々相加つて構成されたもので、表面的には七音節の規則正しい進行の樣に見えて、實は右述べた對比によつて構成されたものが多い。
  イセヘナナタビ  クマノヘサンド
  シバノアタゴヘ  ツキマヰリ
右は七七七五となつてゐるが、實は三−四、四−三、三−四−五の比によつて排列されたもので、右の如き分析は、決して機械的な分析でなく、歌謠そのものの本質に即したものである。これは江戸時代に成立した歌謠の定型については普くいはれることである(【五十嵐力氏、國歌の胎生及び發達前篇第二】)。佐久間博士は又俳句の朗讀を曲線に記録し、そのリズムを論じて次の如く述べてゐられる。
  こゝに示した高聲系列の高さの進行を見るならば、その言葉調子がやはり大體に於いて三つの高まりを構成することを認めるであらう。(中略)しかも猶こゝに留意すべきは、その三つの部分における高さの水準がそれ/”\異なるやうに思はれる點である。こゝに示した高さの進行の圖について見れば、その初部が水準(513)において高く、その中部に至つてこれより稍々低く、終部は水準そのものがさらに低下してゐるのである。かゝる水準の移動、或はいはゞ移調は、それ/”\の部分に音律形式における特定の地位を與へる效果を有し、よつて以つてリズム意識に寄與するものと見るべきである(【詩のリズムに就いて、心理學研究第三卷第一輯】)。
佐久間氏は先づ、實驗せられた俳句の朗讀には等時的リズム形式は認められないと述べて、リズム的囘歸の根據を他に求められようとするのである。しかしながら、右の等時的リズム形式の否定の根據は正しいものであらうか。勿論氏の算出せられた音節の時間價に從へば、それは肯定せられる樣であるが、かゝる現象は普通の會話に於いても、又散文の朗讀の場合にも現れる現象であつて、リズムの等時性とは、その樣に何音節何秒と客觀的に規定せられるものではなくして、もつと主觀的にして且つ相對的な等時性である。音樂の拍子についても同樣なことがいひ得るのであつて、例へば、三拍子の進行が終始嚴密な意味での等時的であることもなく、又上昇音階と下降音階に於いても、上昇は早く、下降は緩かであることは一般に認められる處で、我々はそこに拍子の變化を認めようとはしない。か樣な意味で俳句の朗讀に於いて等時的拍音形式を見出すことが出來ないといふ説は猶考慮の餘地があるであらうと思ふ。次に氏は、フーゴー・リーマンの説を根據として、五七五の各句頭に於ける音の高さの變化に、リズム的囘歸を見出さうとされ(514)る樣である。しかしながら、若し俳句の形式美が、初中終部に於ける音の高低の問題であるならば、俳句の定型である五七五の音節數の重要さの價値は全く無視されねばならない。それは如何なる音節の排列でもよいといふことになる。私は思ふに、俳句の形式美は、やはりその五七五の形式自體に存するものであり、そして各リズム群團は、それがリズム的囘歸の標識となるのでなくして、五七五の對比の上に構成せられる美の要素となるのである。故に各リズム群團は、五五五でも七七七でも不可であつて、五七五といふ變化と統一を持つた音節數の組合せが大切なのである。かく論じて來れば、もはや俳句に於いては、リズムの一般的概念は見出し得ない樣である。しかしながら、我々は、進行する列車中に於いて感知する複雜なる進行的リズムと同樣に、莊嚴なゴシック寺院の構造の中に、リズム的群團の、進行的ではないが、立體的な又靜態的な構成を見出すであらう。若しかくの如きものにリズムの概念を許すならば、それと同樣な意味に於いて俳句をリズム的であるといつてもよいと思ふ。
 以上の樣な原理は、又和歌に於いても見出すことが出來る。相良守次氏はその著「日本詩歌のリズム(註)」の中に於いて、種々なる拍音形式より受ける快不快の感情を統計して、日本詩歌に於いて、玉拍七拍の音節數の優勢なる所以を立證されようとした。
 
(515)  註 相良氏の研究は極めて精緻なる實驗的研究の結束であるが、その方法には幾許の疑なきを得ない。國語のリズムの群團化に於いては、それを構成する要素として音の休止といふことが重要な要素となることは既に述べた。然るに氏は各拍音の調査に於いて、專ら拍音形式のみを孤立させて實驗の對象とし、或は事實上休止を含めながら、結論としては休止を無視して、快不快を拍音そのものの感情價値と誤斷されたものの樣である。例へば二拍の場合に於いて、拍音の後に一拍の休止を入れる場合とさうでない場合とは、印象は全く相違して來る。被驗者の囘答中に「跛の歩行を思はせる」とあるのは、恐らく一拍の休止を插入した場合と考へられるので、これを以て直ちに二拍形式の感情價値とすることは出來ないのである。三拍が明瞭なリズム意識を生ぜしめるのも、拍音形式そのものに基くこいふよりも、一拍休止を含めるが故にさういふ結果になるのであらうと思ふ。四拍形式も、四四四四と連續した場合と、三、四、五の連續の中間に休止を含めて位した場合とではその感情價値は同一ではない。
 
氏の結論は、拍音形式を遊離させた處の研究であつて、右の註にも述べた樣に、その點から五音節七音節の優勢を理論付けられることには猶吟味の餘地がある樣である。和歌形式の發達は、私はやはり上述した音節數の對比にその根據を見出したいと思ふ。和歌の定型が成立した時は、既に五七の音節數の對比が成立した時であるから、それを起源的に論ずることは今は差控へることとして、和歌形式の變化と安定性は、猶五七五七七の音節群の配合分散によるものと認められる。即ち安定を與へるものが、五七〔二字括弧〕五七〔二字括弧〕七〔右○〕の七〔右○〕である場合、五七五〔三字括弧〕七七〔二字右○〕の七七〔二字右○〕である場合とによつて異るが、何れにしても音節群の對比の上に美を求めようとしたことには變りがない樣である。
 
(516)     二 語の美的表現
 
具體的事物或は表象 …→概念 …→聽覺映像…→音聲…→文字
起點 第一次過程 第二次過程 第三次過程 第四次過程  〔縦線、横線、括弧は全て略、入力者〕
 
 語は言語に於ける一の單位であり、それ自身一の統一體であつて、その構造は既に述べた樣に上の樣な過程的構造形式を持つてゐる。從つて、語の美的表現といふことは、右の過程的構造の美的構成を意味するのである。私は語の美的表現に必要な構造形式を次の樣に分つて考案しようと思ふ。
 一、直線型
  具體的事物(表象) 概念的把握  音聲的表出  文字的記載
  a――――――――→b―――――――c―――――――d
例へば、具體的な一本の櫻を、「櫻」と概念し、「サクラ」と音聲的表出をなし、「さくら」或は「櫻」と文字記載する樣な過程である。この過程的形式は直線的であり、未だ美的形式とはいへないかも知れないが、若し直線が平明簡素な美の條件となり得るならば、この過程も亦美的形式と認め(517)てよいであらう。
 二、曲線型
  a  b〔弓なりの矢印〕――→c――→d
例へば、「死ぬ」といふべき場合を、「なくなる」「かくれる」と概念して表出する場合である。「なくなる」「かくれる」は物の見えなくなることであるが、かく表出しつゝ、しかも「死ぬ」事實を表出しようと意圖する處に直線型と相違する處がある。かゝる曲線型は、表出される素材を、それが直接に判斷される概念よりも、更に廣い概念に於いて把握し、しかも當初の事實を表出しようとするのである。かゝる表出は、素材的事物の直接的な露骨な表出を避けようとする處にある。かゝる例は、我々が極めて多く經驗する處であつて、機微に亙る事實、羞恥を感ずる樣な事實の表現は多くこの形式をとる。聽手は、「なくなる」「かくれる」が如何なる素材的事實を意味するかを明瞭に知悉してゐる場合でも、その理解過程に於いて、その事實とは直接に關係ない概念を通過するが故に、その語の把握に美を感ずることが出來るのである。それは宛もゆるやかな弧を畫く橋を渡り行く感じである。霧の中や、霞の奥に堂塔を眺める感じである。山の彼方に波の音を聽く感じである。平安朝でいふ「ゆかし」の感じである。例へば、左の二例に於いて、
(518)  イ 昔光君と聞えしは……御心樣も物深く、世の中を思しなだらめし程に、並びなき御光をば、眩からすもて鎭め給ひ、遂にさるいみじき世の亂れ〔二字右○〕も出で來ぬべかりしをも、事なく過し給ひて(【源氏、匂宮】)、
  ロ かく思はずなる事の亂れ〔二字右○〕に、必ず憂しと思しなる節ありけむ(【同】)。
イの「世の亂れ」は、世の紛糾をいつたものであるが、ロの「事の亂れ」は、單なる事の紛糾でなく、もつと限定された男女間の經緯、或は情事を暗示したものである。それをその事と直接に指さず、漠然と「事の亂れ」といつた處に概念的把握の特異な方法を見得るのである。又、
  ゆかしげなき亂れ〔二字右○〕なからむや、誰が爲も心にくく、目易かるべき事ならむとなむ思ふ(【同、横笛】)。
  何の亂れ〔二字右○〕かあらむ(【同】)。
右の「亂れ」は共に素材的事實としては、浮氣沙汰不行跡を指すのであらうが(【定本源氏新解、中ノ一三三一頭註】)、曲線型の表現過程によつて美化されてゐるのである。「參る」といふ語が、種々なる行爲(下より上に向つての)を示す語に代用されるのは、この語が時に應じて特殊の意味に限定されるのではなく、特殊な事實を一般化して表す處の曲線型の表現であるからである。
  御格子ども皆參りて〔二字右○〕侍るべし。女房のけはひなどし侍りつ(【同、宿木】)。
  暮れ行くまゝに……いとむくつけければ、御格子など參り〔二字右○〕侍るに(【同、野分】)、
(519)前者は格子を上げ、後者は下すことをいつたものである。猶實名敬避の手段としてこの方法が用ゐられることが屡々ある(【穗積陳重、實名敬避俗研究】)。
 この曲線型の特異な例として、素材的事實を概念的に把握する際に、これを素材に志向する感情に移行して、感情概念として把握する方法がある。對象の性質を直指せず、感情に於いて示すことは、印象を漠然と表すことであつて、これ亦一の曲線型といふべきである。
  かく恥かしき〔四字右○〕人〔二重傍線〕參り給ふを、御心遣ひして見え奉らせ給へ(【源氏、繪合】)。
  いと恥かしき〔四字右○〕御有樣〔三字二重傍線〕に、便なき事聞し召しつけられじと(【々、澪標】)、
「人」「御有樣」の屬性は、立派とか端麗とかいふべきものであらうが、これを「恥かしき」といふ感情概念によつて把握することによつて露骨になることを避けたのである。
  程なき御身にさるおそろしき〔五字右○〕ことをし給へば(【同、若菜上】)、
明石上の若年にして姙娠分娩したことを述べたのである。
  珍らしき〔四字右○〕事さへ添ひて、いかに心許なく思さるらむ(【同】)。
右と同樣な事實を「珍らしき」といつたのであるが、「おそろしき」や「珍らしき」といふ語に姙娠分娩の意味があるのではない。素材に對する感情によつて素材を暗示しようとしたのである。(520)かく見て來るならば、語の美的形式とは、要するに素材に對する意味志向作用の形式といふべく、對象を直接的に把握するか、間接的に把握するかに歸するといふべきである。
 以上の樣な言語過程は、次第に直線型に移行する傾向があり、美的意識は絶えず新らしい效果多き曲線型を創造することを餘儀なくされるのである。「貴樣」「拙者」が現今殆ど曲線型を失ひ、「雪隱」が今日直線的に素材を表すに至つて美的效果を減殺し、「臺所」と「勝手」とはその用語史上より見れば同價値であるにも拘はらず「勝手」がより美しく感ぜられるのは、この語が、「臺所」そのものを直指せず、家計一般を意味する廣義の概念であるが爲であらう。「いろ」(色)は元來「假なる」「空なる」「あだなる」ことを概括していつたのであらうが、それが男女の情事又は情人を直指するに至つては、曲線型より除外されねばならなくなる。かくして次々に新らしき曲線型が創作されて、「男」といひ「女」といつても、或る場合には曲線型の效果を失つて、屡々情夫情婦を直指して直線型に移行してしまふのである。
 三 屈折型
 a/\b――→c――→d 〔bに向かう斜線の右は矢印がある、入力者〕例へば、「猿!」と呼ばれてゐる人間を振り向いて見ると、成程猿によく似てゐる。滑稽だと思ふ。(521)この滑稽感は何を根據にしてゐるのであらうか。顔そのものが原因になつてゐる譯ではない。さりとて猿の概念や表象が滑稽なのでもない。人間と猿との聯想が餘りに意想外であり、しかもそれに對して否定する氣持ちでなく、尤もだといふ同感が伴つた場合に滑稽に感ずるのである。換言すれば、この滑稽感は言語過程即ち言語を媒介としての感情である。このやうに、聽手が概念を通して豫想外な對象を理解する過程(「猿」といふ語によつて人を理解する過程)、又話手に於いては、素材を奇拔な概念に於いて把握して表出する過程(人を「猿」といふ概念に於いて把握する過程)を屈折型と呼ぶこととする。曲線型が、霞の奥に堂塔を眺める朦朧とした感じであるならば、屈折型は、峠を登りつめて突然眼下に展開する海を見下した感じである。土沙降りの豪雨が一瞬にして止んで、燦然とした太陽が雲間からのぞいた感じである。そこに印象の鮮かな對比があり、體驗の突飛な廻轉がある。屈折型に屡々爆發的な滑稽感を伴ふのはそれが爲である。川柳に、
  源左衛門 鎧を着ると犬が吠え。
  義貞の勢はあさりをふみつぶし。
といつたのは、文學に於ける屈折型といふべく、源左衛門、義貞に關する我々の聯想の常軌を遮斷して、意想外な觀念と結合させた處に滑稽がある。滑稽を主とする川柳には、語そのものに右(522)に類する屈折型が多い。
  珍らしい神の名を賣る宮雀〔二字右○〕。
宮雀は大神宮の案内人である。
  見附からわさびおろし〔六字右○〕が出てしかり。
  ふり袖は言ひそこなひの蓋〔右○〕になり。
  立臼に天狗の家〔四字右○〕をきりたをし。
  飛鳥山毛蟲になつて〔六字右○〕見かぎられ。
  大名は一年置きに角をもぎ〔四字右○〕。
以上の句は、文學的に見て何等意味のないものであるが、言語それ自身に滑稽感の根據があるものである。又膝栗毛に、
  エヽ此すりこ木め(人→すりこぎ)。
  エヽ二百出しやア夜の馬に乘らア(女→馬)(【以上岩波日本文學講座麻生磯次氏膝栗毛研究三八頁所引】)。
麻生氏は、右の如きを思考の洒落の中譬喩の洒落の部類に入れられたが、これも語の屈折的過程と考へることが出來るであらう。又、同樣に、
  今の女の尻は去年までは、柳〔右○〕で居たつけが、もう臼〔右○〕になつたア、どふでも杵〔右○〕にこづかれると見える(【岩波文庫本膝栗毛一〇頁】)。
(523)  旅雀〔二字右○〕の餌鳥〔二字右○〕に出しておく留女の顔(【同、一四頁】)。
猥雜な事實の表現が美的滑稽感を與へることが出來るのは、屈折型表現過程の賜物である。
 屈折型の成立するのは、素材的事物を、聯想による概念に移行することによるのであるが、素材とそれが移行された概念との距離により、それが與へる感情は種々樣々である。そして又屈折による印象も、最初は效果的であるが、これ亦曲線型と同樣に直線型に移行す。
  み空の花〔右○〕 夜のとばり〔三字右○〕 小川のさゝやき〔四字右○〕 愛の結晶〔二字右○〕
等の語が類型的に感じられるのは、それらが直線型に移行しつゝあるからである。しかも猶これらの語が、理解過程に於いて經驗せられる概念の曲折の故に、美しく感ぜられるのである。さればこそ食物の名に、「卯の花」「甘露煮」「香の物」等の名稱が附せられる理由も明かになり、地名人名等に好字が選ばれる根據も納得されるのである。枕草子に清少納言が、
  かたさり山こそ、誰に所をきけるにかとをかしけれ。
  かしこ淵、いかなる底の心を見えてさる名をつきけむといとをかし。
  つまとりの里、人にとられたるにやあらむ、我取りたるにやあらむ、いづれもをかし。
等といつた「をかし」の心境は、名の理解過程に介在する聯想概念とその聯想過程とによる感情(524)である。
  かたさり山――→かたさり・山――→この名を負ふ實際の山
右の如き言語過程の屈折は、單に具體的事物(或は表象)と概念との間に成立するばかりでなく、概念と文字との間にも成立するものである。即ち、
      /\
  a――→b……→c………→d
の如き圖形を似て示される形式である。例へば、
  (涙)――→涙、涕、H
等と記載すれば、それは直線的であるが
  (涕)――→戀水
と記載すれば、理解過程に新らしい概念の分裂があつて、これが美化されるのである。萬菓集に於ける所謂戯書は、多くかゝる文字過程に於ける屈折型であつて、屈折の角度の強弱によつて、優美感滑稽感の相違を生ずる。
 四、倒錯型
  a――→b――→c――→d  〔ab間の横に半円がある、入力者〕
例へば、「君は馬鹿〔二字右○〕だ」といふ代りに、「君は利口〔二字右○〕だ」といふ類であつて、この場合は、「馬鹿」をそ(525)の反對概念「利口」に於いて把握し、しかも「馬鹿」の意味を表さうとするのである。若し聽手が、「利口」の概念のみしか理解し得なかつたとしたならば、聽手に於ける言語經驗は、倒錯型でなく普通の直線型であるに過ぎない。又、この表現法は所謂謙讓のいひ方「つまらないものです」「むさ苦しい處で」などいふ場合と異るものであるが、この場合でも、理解者が倒錯型として理解するならば、反對概念をいひ表したことになり、皮肉或は傲慢に聞える樣になるのである。過度の謙讓が却つて反對の結果を齎すのも右の樣な理由によるのである。一般にこの方法が使用されるのは、次の樣な形に於いてである。
  人がいゝ――→實は愚鈍を意味す
  拔目がない――→狡猾を意味す
  才人――→輕薄を意味す
  堅い――→頑冥を意味す
右の樣に、語の通常の概念を以てしては理解し得られない過程的形式を倒錯型と名付けるならば、源氏物語に於ける左の例の如きはこれに入れることが出來るであらう。
  (朱雀院は)をかしき筋なまめき故々しき方は人に勝り給へるを、などてかくおいらか〔四字右○〕に生ふし立て給ひけ(526)む(【源氏、若菜上】)。
右の「おいらか」は、善意の意味を表出したものでなく、批難の意を含めてゐる。「おいらか」といふ語は一般には次の如く、
  さてかの空蝉のあさましうつれなきを、この世の人には違ひておぼすに、おいらか〔四字右○〕ならましかば、たゞ心苦しきあやまちにてもやみぬべきを(【同、夕顔】)、
  乳母のいとさし過したる心ばせのあまり、おいらか〔四字右○〕に渡さむを便なしなどはいはで(【同、若紫】)、
宣長がいふ如く、尋常に、おほやうに、おとなしき意である(【玉の小櫛、宣長全集卷五ノ一三六一】)。第一例は、この語を通して、女三宮の教養に缺ける處があることを表出したものである。同樣にして、「若し」が若々しい意味に用ゐられると同時に、幼稚未完成を意味することがあり、「すく/”\し」「うるはし」にも右の樣な用法があり得るやうに思はれるが、これらの結論は嚴密な解釋作業と歸納法を前提としなければ容易に決定することが出來ない。しかし、この方法が、言語過程を美化する手段であり、又これを言語變遷の要因として數へることは許されるであらう。
 以上は、語の美的形式のうち、著しいものを摘出したのみて、更に考察するならば、猶他の型を發見することが出來るであらう。そして私が今迄列擧したものは、單に語の形式美を分析抽出(527)したのであつて、これを文全體に關聯させて考へるならば、問題は又別になつて來る。美は全體から切離して、それ自身獨立したものとして鑑賞されることが出來ると同時に、多くは我々の現實生活全體との關聯に於いて評價が規定される場合が多い。特に建築物器物言語等の美的評價は生活全體から切離すことが困難な場合が多い。言語に於いては、言語の交換される場面、表現の素材等の聯關に於いて、又語と語との連鎖に於いて新らしい美的評價の根據が生ずる。美はそれ自身一の統一體であると同時に、又常に全體の部分であるからである。
 
     三 懸詞による美的表現
 
         イ 懸詞の言語的特質
 
 懸詞による美的表現を論ずるに當つて、最初に懸詞といふものが、言語として如何なる特質を持つものであるかが明かにされる必要がある。懸詞とは、一語を以て二語に兼用し、或は前句後句を、一語によつて二の異つた語の意味に於いて連鎖する修辭學上の名稱であることは周く知られる處である。
(528)  花の色はうつりにけりな徒にわが身世にふる〔二字傍線〕ながめ〔三字傍線〕せしまに(【古今集春下】)
「ふる」は「經る」「降る」の二語に、「ながめ」は「詠め」「長雨」の二語に兼用したものである。
  梓弓はる〔二字傍線〕の山邊を越えくれば道もさりあへず花ぞちりける(【同、春下】)
「はる」は梓弓に對しては「張る」の意味に於いて、山邊に對しては「春」の意味に於いて用ゐられてゐることは明かであつて、同じく兼用とはいつても、前例とは趣を異にするものである。かゝる言語的技巧が成立する爲には、音聲「フル」或は「ハル」が二重の言語過程を構成して、夫々二の概念或は表象を喚起するといふことが存在しなければならない。即ち、
     →經る      →張る
  フル        ハル
     →降る      →春
我々の言語は、音聲と心的内容との結合した實體的なものでなくして、音聲が心的内容を喚起し、心的内容が音聲を喚起する處の過程それ自體でなければならないといふことは屡々述べた處の私の見解である。そして常態に於いては、特定音聲は、一の心的内容を喚起するか、多義なる場合に於いては、一か他かの選擇が許されるに止まるのである。例へば、
  マツ→松(或は待つ)  アキ→秋(或は厭き)
(529)の如くであつて、右の如き場合に於いては、言語を音聲と心的内容との結合した實體の樣に考へることも差支ない樣に見られるのであるが、前例の懸詞の例は、既に右の言語實體觀を以てしては説明することが出來ないものである。「フル」が「經る」「降る」の兼用であるといふことは、「フル」といふ音聲が同時に「經る」「降る」の二の概念を持つてゐることを意味するのではない。それは決して一語多義の機能に於いて用ゐられたものでないことは明かである。このことは、次の「ハル」の兼用を見れば一層明かになることであつて、「梓弓ハル」に於いては、單一に「張る」の概念のみを以て承接し、「ハルの山邊」に於いては「春」の概念のみを以て承接するのであつて、一音に二の概念が結合してゐると見ることはどうしても出來ないのである。懸詞に於ける我々の具體的な經驗は、「ハル」といふ音聲が、「梓弓」に接しては「張る」の意味を喚起し、「の山邊」に對しては「春」の意味を喚起するといふ經驗以外のものではない。かゝる經驗によつて、我々はそこに二の語の存在を把握することが出來るのであるが、概念喚起の媒材が共通音であるといふ處からこれを懸詞といふことが出來るのである。音聲は意味がそれに結合して言語といふ實體を構成してゐるのでなく、音聲は、それに聯合し得る概念を喚起する處の媒材たるの機能しか持ち得ないものである。同一音聲によつて種々なる概念が喚起し得られる場合、これを一の方向に規(530)定するものは、聽手の立場であり、特に文脈である。所謂穿違ひ或は見當違ひは、聽手の立場が話手のそれと相違することによる概念喚起の變則的規定であり、懸詞は文脈による概念喚起の二重規定であるといふことが出來る。かくの如き二重過程の成立を前提とせずして縣詞の存在を考へることは出來ない。
 懸詞は一語多義的用法ではないから、決して曖昧な語の用法とはいふことが出來ない。寧ろ共通音聲によつて喚起せられる二の概念の間には、明瞭な對比が意識せられてゐるといふことが出來る。我々の概念作用は、多くの場合異つた事物を異つた事物として意識せず、同化作用によつて異つた事物を同じ事物として同一音聲を以て表出する。例へば、甲乙丙の夫々異つた「花」を、同一音聲「ハナ」を以て表す樣なものである。懸詞はこれに反して、同一音聲によつて喚起せられる概念を、異つた事物として故意に對立せしめる處に主眼點があるのである。
  獨ぬる床は草葉にあらねども秋くるよひはつゆけかり〔五字傍線〕けり(【古今集、秋上】)
右の「露けし」といふ語は、一般には類推を似て自然の露けき意にも、又心の悲しき意にも通じて用ゐられる語であるが、右の歌に於いては、逆にこの二の觀念を截然と對立せしめてゐる處に興味があるのであり、從つてこの語は懸詞といはれなければならないのてある。同樣な例は、
(531)  秋風にあへずちりぬるもみぢばのゆくへさだめぬ〔七字傍線〕我ぞかなしき(【同、秋下】)
  春霞たなびく山の櫻花みれどもあかぬ〔三字傍線〕君にも有かな(【同、戀四】)
  吉野川いは浪たかく行水のはやく〔三字傍線〕ぞ人を思そめてし(【同、戀一】)
  みちのくのしのぶもちすり誰ゆゑにみだれ〔三字傍線〕むと思ふ我ならなくに(【同、戀四】)
右の「ゆくへさだめぬ」「あかぬ」「はやく」「みだれ」は、夫々に二の觀念の對比を導く處に興味が存するのであつて、作者の意圖も亦そこに存するものと考へなくてはならない。故に懸詞によつて導き出される一の觀念、例へは、「もみぢ葉のゆくへ」は、他の觀念「我が心のゆくへ」に對して同一のものとして結合するのではない。寧ろ異れる觀念として對照される處に懸詞の意味が存する。概念的判斷が、正反の止揚による合の成立を意味するとすれば、懸詞は合よりして、正反の矛盾的對立を還元することになるのである。從つて、「秋風にあへず散りぬるもみぢ葉の」は、「ゆくへ定めぬ我」の限定修飾語とは如何にしてもなり得ない。若し限定修飾語であるならば、この一首は明かに論理的に統一せられた思想の表現であるといふべきである。「ゆくへ」が懸詞であるといふことは、寧ろかゝる論理的統一以前の矛盾せる二の觀念を、その矛盾のまゝに投げ出す處に意味があるのである。
(532) 懸詞を右の如く統一より矛盾への還元を媒介するものであるとすることは、懸詞を含む文の統一性を考へる上からも、又懸詞による表現の美が如何なるものであるかを明かにする爲にも重要な點であらうと思ふ。
 文が思想の統一的表現であると考へる時、國語に於いてかゝる統一的表現が如何なる形式によつて表されるかは、國語の特質を考へる上に極めて重要な問題である。私は先づ一般の文に於ける統一性を考へ、次に懸詞を含む文の統一性が如何なるものであるかを明かにすることによつて、懸詞の表現に於ける機能を明かにしたいと思ふ。
 各言語は夫々その統一的思想の表現の形式を異にするものであり、例へば、印歐語に現れる形式は、語と語とを繋ぐ形式であり、これを形式論理學では、象徴的にS−Pの記號を以てすることは周知のことである。國語に於ける統一形式は、既に第三章第四項の中、文の統一性を述べた處に詳かにしたのであるが、その基本形式は、
  花咲く※[三字□で囲む]■  或は   花咲く〔三字傍線〕■〔右○〕
の如く、文の最後に於いて、全體を包み、括《くる》める形式に於いて統一を表現してゐる。そしてそこ(533)に辭或は零記號の陳述(■によつて表す)によつて統一せられる素材は、繋辭によつて統一せられる印歐語の如き場合と異り、入子《いれこ》型構造形式に於いて、順次小は大に統合せられ、最後に陳述或は辭によつて總括せられるものであることもこれを明かにした(【第三章第三項】)。
 飜つて懸詞を含む文について見るに、
  梓弓はる〔二字傍線〕の山邊を越えくれば道もさりあへず花ぞちりける
右は末尾の「ける」といふ辭に於いて、全體的に統一されてゐるといふことは明かである。然るに、「あづさ弓はる」は、「はるの山邊云々」に對しては、如何なる論理的意味に於いても聯關を持たない。しかもこの一首が、全體として統一された表現であるといふことが出來るのは、いふまでもなく、「ハル」といふ音聲が、二重過程によつて一方は「梓弓」に連り、他方「の山邊」に接續するが爲に保持せられる統一關係があるからである。「ハル」といふ音聲を契機として喚起せら1れる二の觀念「張る」と「春」との間には、論理的關係を求めることは困難であるから、從つて「あづさ弓はるの山邊」といふ一の連鎖は、論理を超越した一の聯想關係によつて結ばれた統一的思想の表現であるといふことが出來るのである。故に若し、
  秋風にあへずちりぬるもみぢばのゆくへさだめぬ〔七字傍線〕我ぞかなしき
(534)に於いて、「秋風にあへずちりぬるもみぢばの」を、「ゆくへさだめぬ」の副詞的修飾格として解釋するならば、元來論理的關係を以ては統一されてゐない文を、假に論理的統一に引き直して理解したのであつて、懸詞を含む文としての正しい解釋とはいひ得ないものである。正しくは、「秋風に云々」は、主文に對しては、「ゆくへさだめぬ」を契機とする聯想格の位格に於いて解釋されなければならないのである。右の如き懸詞を含む文の語學的操作は、又これらの文の正しい理解の足場とすることが出來るであらう。懸詞は音聲を契機とする聯想であるが、それは連歌俳諧に於いて發逢した觀念聯想とよき對照をなすものである。例へば、
  むざんやな、甲の下のきりぎりす。
に於いて、「むざんやな」は、作者の齋藤實盛に對する感慨の表現である。そして、「甲の下のきりぎりす」は、作者が眼前に見た處の事實の敍述である。從つて、上句は下句に對して少しも論理的關係を持たない。たゞこゝでは、作者の實盛に對する感慨と、甲の下のきりぎりすに對する情緒との間に感情的照應があり、そこに論理的統一ならざる觀念的統一が存するのである。
 懸詞は以上の如く聯想格を導く契機となるものであるが、一方から見れば、それは文の論理的脈絡を遮斷するところの働を持つものである。一般の文に於いては、その統一は既に述べた樣に、(535)辭の總括の機能によるものであるが、懸詞は、その音聲の兼用によつて文の統一の中に組込まれ、しかも一方その兼用の故に文の論理的脈絡と統一とを斷ち切らうとするのである。こゝに論理的脈絡よりも更に直接的な觀念の響合を表現することが出來る。それは言語の論理性を繪畫的表現に轉換せしめる一の技巧といひ得るであらう。
  結手の滴ににごる山の井のあかで〔三字傍線〕も人に別れぬるかな(【古今集、離別】)
  足引の山した水のこがくれてたぎつ〔三字傍線〕心をせきぞかねつる(【同、戀一】)
  あさな/\立つ河霧のそらにのみうきて〔三字傍線〕おもひのある世なりけり(【同、戀一】)
  山櫻霞のまよりほのかにもみてし〔三字傍線〕人こそこひしかりけれ(【同、戀一】)
  有明のつれなく見えし〔七字傍線〕別より曉ばかりうきものはなし(【同、戀三】)
  吹まよふ野風をさむみ秋萩のうつりも行か〔六字傍線〕む人の心の(【同、戀五】)
以上總て懸詞を契機として展開した上接の句は、主想に對して附合の關係に立つものと見ることが出來る。
 懸詞を含む文は、そこに展開された二の觀念の間に、論理的脈絡と統一とを見出すことは出來ないにしても、それが共通音聲を媒材とする二重言語過程によつて、聯想的に統一されたもので(536)あることは前に述べた如くである。それならば、かくの如き表現形式が成立する爲の具體的根據は何處にあるのであらうか。二重過程による言語の聯想的展開といふことは、恐らく何れの言語にも見出し得る普遍的性質と考へられるのであるが、國語に於いて特にかゝる表現技巧が盛に用ゐられる根據については、これを國語の性格の中に求めなければならないと思ふ。その一は、多くの學者が指摘した樣に、國語に於ける多くの同音異義語の存在である。しかしながら、同音異義語の存在も、懸詞を成立せしめるに都合のよい國語の構造形式なくしては、恐らく聯想的展開を構成することは不可能であつたであらう。それならば、懸詞を成立せしめるに都合のよい國語の構造形式とは如何なるものであつたか。私はこれを國語の入子《いれこ》型構造形式に歸したいと思ふ。入子型構造とは、第三章第三項に述べた樣に、一般に次の如き圖形によつて表される處のものである。
   a※[□で囲む]b※[二字□で囲む]c※[三字□で囲む]…………………n
入子型構造の特質は、先づ核子となるaと、外皮となるnとを兩極とし、その中間にbc乃至m(537)を包含するものである。そしてbc…mの排列は、原子的排列形式ではなくして、bはaを内容として包攝し、cは又aを包攝したbを内容として包攝し、順次包攝して遂にnによつて包攝される處の特殊なる構造である。そしてbのcに對する構造聯關は、包まれるものと、包むものとの關係であるが、しかも包まれるbは、同時にaを包む處の關係に立つてゐるが故に、入子型構造に於いては、部分は或るものに對して部分であると同時に、他のものに對しては全體であるといふ意味的聯關に立つてゐる。かくの如き入子型構造より抽出される単位abc…nは、原子的構造に於ける單位とは著しく趣を異にし、それ自身獨立した個體としてよりも、寧ろ内容を抽象した外殻と考へることが相應しい。更に進んで、懸詞を含む文が如何なる意味に於いて國語の變態的構造に屬するかを考察して見よう。先づ、
  我せこが衣はる〔七字傍線〕時〔二重傍線〕、
の如き表現に於いては、「時」は、「我せこが衣はる」全體を包攝して、論理的統一を形造るに對して、
  我せこが衣はる〔二字傍線〕さめ〔二字二重傍線〕ふるごとにのべのみどりぞ色まさりける(【古今集、春上】)
の如き場合に於いては、「さめ」は、「我せこが衣はる」全鰹を包攝し得ず、僅に「はる」のみをそ(538)こに包攝し得るに過ぎない。從つて、「衣張る」の意味に於いて包攝するのでなく、「ハル」が「春」の意味に轉換することによつて始めて下接の句に接することが出來るのである。かくして意味的には全く前後の句は遮斷せられ、「ハル」は全く新しい思想展開の核子として、「さめ」以下に包攝せられる。これを圖示すれば次の如くなる。
  我せこが衣〔五字二重傍線〕はる〔二字二重傍線〕さめ〔二字傍線〕  a※[□で囲む] b※[二字ab□で囲む] c※[二字bcを□で囲む]
右の圖は、常態ならば、abを包攝すべきcが、bの一部のみを包攝してゐることを示すのであつて、前例についていへば、「ハル」といふ音聲のみが、abcの連鎖を保つてゐることを示すのである。しかしながら、かくの如き變態的構造が成立するのは、いふまでもなく、「さめ」が「はる」を包攝して「はるさめ」といふ新らしい語を構成するからであつて、これ即ち入子型構造形式に由來するものである。
  さ月山こずゑを高み時鳥なくねそらなる〔四字傍線〕こひもするかな(【古今集、戀二】)
「こひもする」は上接の語全部を包攝し得ず、僅に「そらなる」を修飾語として包攝するのみで(539)ある。それは、「そらなる」が上接の語に對するとは異つた概念を喚起するが爲である。
  とぶ鳥のこゑもきこえぬおく山の深き〔二字傍線〕心を人はしらなん(【同、戀一】)
  秋ぎりのはるゝ〔三字傍線〕時なき心にはたちゐのそらもおもほえなくに(【同、戀二】)
右諸例は、語の接續形式としては、常態的な入子型構造を形造ることが出來るのであるが、懸詞が上に對する場合と下に對する場合とでは、語の意味が相違し、從つて、懸詞は文意の論理的脈絡を遮斷してゐると見るべきである。
  霞たちこのめもはる〔二字傍線〕の雪ふれば花なきさとも花ぞ散りける(【同、春上】)
右の「このめもはる」に接續する助詞「の」は、一般に體言を受けるによつて、上接の語全部を總括し得ず、僅に「はる」のみを總括して體言「春」の概念を喚起することになるのである。これは、「風寒き」が、「夜」に包攝せられることによつて修飾格的位格を獲得し、「風寒き」が、「は」に總括せられることによつて體言的語性に轉換せられるといふ國語に於ける一般的法則の變形であつて、右の場合に於いては、上接の語の一部「はる」のみが體言的に轉換されたのである。
 
         ロ 懸詞による表現美
 
(540) (一) 旋律美
 懸詞は既に述べた樣に、同音異義語が多く存在するといふ國語の歴史的條件と、入子型構造といふ國語の構造形式の特質に基いて現れて來た表現技巧であつて、それは、強弱リズム形式を有する英語に於いて幾多の韻律形式を生み出し、聲韻を特色とする支那語に於いて平仄と押韻の詩形を發達させたと同樣に、言語の特質や性格を離れては、言語の美的表現の成立する根據を見出し得ないことを物語るものである。言語藝術は、言語的特質や性格の運用上に成立するといふことが出來るであらう。從つて、かくして成立する言語美は、言語の性格が區々である如く、又千趣萬態である。
 懸詞による表現美は、これを二の點から考察することが出來る。その一は、懸詞を契機とする思想展開の形式の上から。その二は、かくして展開された美の質的相違の上から。今、特定音聲をSとし、Sを媒介とする二重過程によつて喚起せられる概念をABとする時、概念の對比を次の如き圖形によつて表すことが出來る。
    →B
  S
    →A
 二重過程による思想展開の形式の上からいへば、Aが喚起せられて、次にBが喚起せられるといふ形式を持つもの。これを懸詞による旋律美と呼ぶこととする。(541)宛も概念の繼起が、音樂に於ける旋律的展開に類するものを形造るからである。次にAB兩概念が殆ど同時的に喚起せられるといふ形式を持つもの。これを懸詞による協和美と呼ぶこととする。宛も二の概念が、音樂に於ける和聲の如き排列をなすからである。以上は形式上の差別であるが、質的相違としては、展開せられた二の概念の比率による美の感情價値である。これは二音の音程にも比することが出來るであらう。最初に旋律的美について實例を擧げることとする。
  霞たちこのめもはる〔二字傍線〕の雪ふれば花なきさとも花ぞちりける(【古今集、春上】)
「はる」は先づ「張る」の意味によつて「このめ」に接し、次に「春」の意味に於いて「の雪」に續く。この「張る」「春」の二重過程によつて展開された二の想は、旋律的に流動して一首の美をなしてゐる。
  ゆふづく夜をぐら〔三字傍線〕の山に鳴く鹿のこゑのうちにや秋はくるらん(【同、秋下】)
「小暗し」「小倉山」の展開である。
  よそにのみ戀ひやわたらむしら山のゆき〔二字傍線〕見るべくもあらぬ我身か(【同、離別】)
「白山の雪」より「行き見るべくもあらぬ」への旋律的展開である。
  春日野の雪まをわけておひいでくる草のはつかにみえし〔七字傍線〕君はも(【同、戀一】)
(542)右の歌は、「生ひ出來る草の如くはつかに見えし君」の意ではなく、その樣な比喩的限定修飾的表現を超越し、もつと端的に、物見に見た女と、雪間の若菜とを對照せしめたのである。平安朝人にとつては、雪間に若菜を見出した喜びが、物見車の女をほの見て直に聯想されたものであらう。「はつかに見えし」によつて、上下に展開された思想の對比は極小であるが、作者は明かに懸詞によつてこれを對立させてゐると見るべきである。一首の興趣も正にその點に存すると思ふ。
  川の瀬になびく玉ものみがくれ〔四字傍線〕て人にしられぬ戀もする哉(【古今集、戀二】)
  秋ぎりのはるゝ〔三字傍線〕時なき心にはたちゐのそらもおもほえなくに(【同、戀二】)
  風ふけば峯にわかるゝ白雲のたえ〔二字傍線〕てつねなき君が心か(【同、戀二】)
右三首の懸詞は、皆抽象的意味と具象的意味との兼用であつて、抽象的意味に於いては、上接の句を包攝し得ず、單に下接の句に對してのみ論理的脈絡を有す。從つて、懸詞を契機とする上句下句は、論理的脈絡を超越した聯想によつて相照應することが出來るのである。既に述べた如く、これらの懸詞を一語多義なる語の用法と考へることは當らない。寧ろ一語に於ける二義を、意識的に分裂せしめ、對立せしめて、これを二語の價値に於いて使用したと見ることによつて懸詞の眞意を理解することが出來るのである。錯綜の美は、先づ個の差別的對立を必要條件とするとい(543)はれるが、同じ原理は縣詞の場合にもいはれることであつて、一語を契機とする二の意味即ちABの對立が鮮明であることによつて、旋律美は一層その效果を發揮することが出來るのである。さういふ意味からいへば、前三例は、「霞たち」或は「ゆふ月夜」の歌に於ける程懸詞としての效果少く、技巧が顯著でないといひ得る。それは、後に述べる滑稽美の對蹠的な例と見ることが出來る。
 (二) 協和美
  獨ぬる床は草葉にあらねども秋くるよひはつゆけかり〔五字傍線〕けり(【同、秋上】)
「つゆけかり」といふ語は、一方に心の哀愁を意味すると同時に、上句の比喩を機縁として文字通り「露けかり」の想を伴ひ、兩々響合つて、一の複雜なる觀念を表出する。二の想が相對立し、しかも相糾錯するところにこの歌の美を見出すことが出來るのであらうと思ふ。懸詞による二想は、こゝでは施律的流動を示さず、對位的諧調を示してゐる。「つゆけし」といふ語は、例へば
  たゞ涙にびぢて、明し暮させ給へば、見奉る人さへつゆけき〔四字傍線〕秋なり(【源氏、桐壺】)
  若宮のいと覺束なく、つゆけき〔四字傍線〕中に過し給ふも、心苦しう思さるゝを(【同上】)
等に於いては、「つゆけし」は心の哀愁を比喩的に表現したので、前項に述べた處の事物の屈折的(544)概念把握としては、考へられるが、こゝには懸詞としての二重言語過程を認めることが出來ない。旋律的展開に於いては、懸詞は一方包攝する機能を持つと同時に、他方包攝せられる立場に立つのであるが、協和的排列に於いては、伴想は主想に對して平行的に思想の色付けをなすといふ特色を持つてゐる。それは宛も繩を糾ふが如き有樣である。
  君により我名は花に春霞野にも山にもたちみち〔四字傍線〕にけり(【古今集、戀三】)
右を分析するならば、
  君により我名は――
                  −たちみち〔四字傍線〕にけり
      花に春霞野にも山にも――
「たちみち」は、「我名」を包攝すると同時に、又「野にも山にも」を包攝するといふ意味に於いて、この懸詞は協和的美を構成する契機となつてゐるといふことが出來るのである。
  時すぎてかれゆく〔四字傍線〕をののあさぢには今はおもひ〔三字傍線〕ぞたえずもえ〔二字傍線〕ける(【同、戀五】)
  みなせ川ありて行水なくばこそつひに我がみをたえ〔四字傍線〕ぬとおもはめ(【同、戀五】)
  うきめ〔三字傍線〕のみおひてながるる〔四字傍線〕浦なればかり〔二字傍線〕にのみこそあまはよるらめ(【同、戀五】)
  もろともになき〔二字傍線〕てとゞめよ蛬秋の別はをしくやはあらぬ(【同、離別】)
(545)「なき」は「鳴き」であると同時に、「泣き」の意味をも喚起する。それは、「君が御代をばやちよとぞなく」の「なく」が「鳴く」意味に限定されてゐるのと異り、作者は意識してこれを懸詞として使用してゐることは明かである。
  あけたてば蝉のおりはへなきくらし〔五字傍線〕よるは螢のもえ〔二字傍線〕こそわたれ(【同、戀一】)
「蝉の〔右○〕なきくらし」「螢の〔右○〕もえこそ渡れ」は、既に文法的に一般の主述關係に於いては、許されない處の語法である(の〔右○〕が主語を受けるのは、修飾句の場合か、或は餘情を含めた場合である)。從つて、「なきくらし」は、その主語を轉換する必要に迫られるのであるが、それは一方論理的意味脈絡の遮斷であると同時に、「なきくらし」「もえ」が、懸詞として生きるべき道が與へられたことになるのである。それは、「梓弓はるの〔右○〕山邊」に於ける「の」が、下の語に續く爲には、上の語との關係が文法的に見て破格の承接であることによつて、「はる」が「張る」より「春」への二重過程の契機となり得たのと同然である。
  さと人のことはなつのゝしげく〔三字傍線〕とも、かれゆく〔四字傍線〕君にあはざらめやは(【同、戀四】)
  思ひいでゝこひしき時ははつかりなきてわたる〔六字傍線〕と人しるらめや(【同、戀四】)
  はつかりのなきこそ渡れ〔六字傍線〕世の中の人の心のあき〔二字傍線〕しうければ(【同、戀五】)
(546)右三例に於ける「の」は、文法的に見て正しい用法であるが、懸詞の上或は下にある語によつて、縣詞に二義が分裂し、協和美を構成する例である。
 (三) 滑稽美
 懸詞は、特定音聲を媒介とする二重言語過程の現象であつて、懸詞を契機とする思想展開の形式によつて、そこに施律美協和美の成立することは既に述べた。右の如き觀察は、專ら美の形式に關することであつて、未だ美の質に關することではなかつた。今、上の圖に示すが如く、音聲
   →B
 S
   →A
Sを媒介として喚起せられる概念をABとする時、AとBとの對比は、即ち懸詞の美の質的價値を決定する基準となる。AとBとの對比を、角(ASB)によつて表す時、角(ASB)は、極小より極大に亙つて種々樣々なものも見出し得るであらう。「花を見る」「月を見る」の「見る」は、僅にその動作の對象を異にしてゐるのみであるから、角(ASB)は極めて小である。「眺め」と「長雨」とは、事物そのものについていへば、その對比は大であるが、感情的内容についていへば、兩者の間に一脈相通ずるものがあつて、角(ASB)は必ずしも大とはいへない。「ハル」といふ音聲を媒介とする「春」「張る」の對比は、その事實のみについていへば、小とはいひ得ないが、これを、
(547)  霞たちこのめもはる〔二字傍線〕の雪ふれば(【古今集、春上】)
  我せこが衣はる〔二字傍線〕さめふるごとに(【同、春上】)
の如く展開するならば、ABの懸隔は解消せられて來ることになる。即ち、展開された二の想の間に感情的に見て共通なものを見出せるのである。一般に懸詞の秀れた技巧は、二の概念の極めて目立たぬ自然の展開對比にあると思ふ。例へば、
  山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれ〔二字傍線〕ぬと思へば(【同、冬】)
に於ける「かる」といふ語は、今日考へられてゐる「離る」「枯る」の對立以上に小であつて、「水かる」「聲かる」と使用せられる樣に、物の量の減少して行くことを意味する。若しさうであるならば、この懸詞は僅少の對比によつて使用されたものといふことが出來る。
  結手の滴ににごる山の井のあか〔二字傍線〕でも人に別れぬるかな(【同、離別】)
感覺的飽滿と感情的滿足の對比である。右の如き極小の對比より進んで、ABの比が大となる時、屡々そこに滑稽感が現れて來る。それは必ずしも歌そのものの内容として含まれてゐる素材によることではなくして、音聲Sを媒介とする二重過程ABが意想外の展開であると考へられる處に滑稽感が生ずる。本章第二項中の屈折型に於ける滑稽感と共通したものである。
(548)  山吹の花色衣ぬしやたれとへどこたへずくちなし〔四字傍線〕にして(【古今集、俳諧】)
右の歌に滑稽味が感ぜられるのは、「くちなし」を媒介とする「梔子」と「口無し」との對比が意表に出るが爲である。概念の對比が大であり、しかも、それが一首に綜合統一せられ、主想と伴想とが巧に織りなされてゐる處にこの歌の滑稽的技巧が存するといへるであらう。
  あきくればのべにたはるゝ女郎花いづれの人かつま〔二字傍線〕で見るべき(【同、俳諧】)
「摘む」「抓む」の對比による展開であり、花の鑑賞を述べた處の主想に對して、官能的な伴想を對位させた處に頤を解くものがある。これを、
  あひみずばこひしき事もなからましおと〔二字傍線〕にぞ人をきくべかりける(【同、戀四】)
の如きに比較するならば、これが隱約のうちに、「おと」の二重過程(【感覺的音と噂】)を成立せしめてゐるのに對して、滑稽的技法の如何なるものであるかを了解することが出來るであらう。
  あひみまくほし〔二字傍線〕はかずなく有りながら人につき〔二字傍線〕なみまどひこそすれ(【同、俳諧】)
主想伴想共に素材として、滑稽的なものを含んでゐる譯ではない。たゞ伴想を主憩の中に巧に懸詞として織込んだ機智が滑稽感の機縁となつてゐる。特に「ほし」と「つき」との對立は、この一首を俳諧歌に入れしめた根據になつたものであらう。
(549)  今こむといひて別れし朝よりおもひくらし〔四字傍線〕のねをのみぞなく(【同、戀五】)
素材としては哀愁を詠んだにも拘らず、迫る處のないのは、懸詞による概念の對比が餘りに大に過ぎた爲である。そこには懸詞の必然の分裂といふよりは、故意に對立せしめた跡が見える。從つて、寧ろそれは俳諧歌に近い。拾遺集がこれを物名に入れたのは、當に然るべきであらう。
  紅に染し心もたのまれず人をあく〔二字傍線〕にはうつるてふなり(【同、俳諧】)
「あく」は「秋」「飽き」の分裂によつて懸詞となるのが一般的技巧である。その場合二の概念は、「世を今更にあき〔二字傍線〕果てぬとか」(【同、秋下】)「君が心にあき〔二字傍線〕や來ぬらむ」(【同、戀五】)の如く、凋落の感情に共通性があり、懸詞としての展開に自然性がある。今こゝに「飽く」と「灰汁」とを對立せしめることによつて、その對比は増大し、滑稽的要素を多分に持つこととなるのである。
 以上懸詞による滑稽味を、二重過程による概念の懸詞にその根據を求めようとした。懸詞自體は必ずしも滑稽的表現の條件とのみはなり得ないことは、施律美協和美の條下に擧げた例歌を以て知ることが出來る。滑稽的技巧は寧ろ喚起せられる概念の對比の上に存するといふべきである。從つて、それら概念が如何なる内容のものであるかを明かにすることは、懸詞による表現美の質的價値判斷の前提となるべきものであると思ふ。
(550) 懸詞の成立は、國語の構造的特質に深く根ざしたものである。その論理的脈絡を遮斷して、觀念の直觀的照應を求めようとする懸詞の精神そのものは、懸詞が類型的となると同時に、、連歌俳諧の中に、所謂響合といはれる新しい形に於いて生かされて行つたと見るべきではなからうか。
 
(1)  著者著述目録
一 日本に於ける言語意識の發達及び言語研究の目的とその方法  東京帝國大學文學部卒業論文、大正十三年十二月脱稿
二 鈴木朗の國語學史上に於ける位置  昭和二年一月、國語と國文學第四卷第一號
三 口語文の本質  昭和二年四月、國語と國文學第四卷第四號
四 文法教授に對する卑見  昭和二年四月、國文教育第五卷第四號
五 【明治元年より大正十五年に至る】國語學關係刊行書目  昭和二年五月、國語と國文學第四卷第五號
六 本居宣長及び富士谷成章のてにをは研究に就いて  昭和三年二月、國語と國文學第五卷第二號
七 伊藤愼吾君著近世國語學史を評す  昭和四年三月、國語と國文學第六卷第三號
八 古典註釋に現れた語學的方法  
   ――特に萬葉集仙覺抄に於ける――昭和六年九月、京城帝大法文學會論纂日本文化叢考の中(東京刀江書院發行)
九 萬葉用字法の體系的組織に就いて 昭和七年五月、國語と國文學第九卷第五號
 
       (2)一〇 契沖の文獻學の發展と假名遣説の成長及びその交渉について  昭和七年六月、佐佐木信綱博士還暦記念論文集日本文學論纂の中(東京明治書院發行)
一一 國語學史  昭和七年八月、岩波講座日本文學の中
一二 源氏物語帚木卷冒頭の解釋
    ――「さるは」の語義用法に基いて――  昭和八年三月、國語・國文第三卷第三號
一三 古語解釋の方法
    ――「さるは」を中心として――  昭和八年九月、國語・國文第三卷第九號
一四 國語學の體系についての卑見  昭和八年十二月、コトバ第三卷第十二號
一五 語の意味の體系的組織は可能であるか  昭和十一年三月、京城帝大文學會論纂第二輯日本文學研究の中(京城大坂屋號書店發行)
一六 國語の品詞分類についての疑點 昭和十一年十月、國語と國文學第十三卷第十號
一七 形容詞形容動詞の連用形に於ける述語格と副詞格との識別について 昭和十一年十月、國語と國文學第十三卷第十號
一八 海道記新註續貂  昭和十二年一月・二月、國語教育第二十二卷第一號・第二號
一九 文の解釋上より見た助詞助動詞  昭和十二年三月、文學第五卷第三號
(3)二〇 心的過程としての言語本質觀  昭和十二年六月・七月、文學第五卷第六號・第七號
二一 語の形式的接續と意味的接續  昭和十二年八月、國語と國文學第十四卷第八號
二二 文の概念について  昭和十二年十一月・十二月、國語と國文學第十四卷第十一號・第十二號
二三 言語過程に於ける美的形式について  昭和十二年十一月・同十三年一月、文學第五卷第十一號・同第六卷第一號
二四 言語に於ける場面の制約について  昭和十三年五月、國語と國文學第十五卷第五號
二五 場面と敬辭法との機能的關係について  昭和十三年六月、國語と國文學第十五卷第六號
二六 國語に對する山本有三氏の意見について  昭和十三年七月、文學第六卷弟七號
二七 菊澤季生氏に答へて  昭和十三年九月、國語と國文學第十五卷第九號
二八 國語のリズム研究上の諸問題  昭和十三年十月、國語・國文第八卷第十號
二九 敬語法及び敬辭法の研究  昭和十四年二月、京城帝大文學會論纂募八輯語文論叢の中(東京岩波書店發行)
三〇 言語に於ける單位と單語について  昭和十四年三月、文學第七卷第三號
三一 昭和十三年度に於ける國語學一般の概觀  昭和十四年十一月、國語國文學年鑑第一輯の中(東京靖文社發行)
(4)三二 國語學と國語の價値及び技術論  昭和十五年二月、國語と國文學第十七卷第二號
三三 懸詞の語學的考察とその表現美  昭和十五年二月、安藤教授還暦祝賀記念論文集の中(東京三省堂書店發行)
三四 言語に對する二の立場
    ――主體的立場と観察的立場――  昭和十五年七月、コトバ第二卷第七號
三五 國語學と國語数育  昭和十五年七月、文教の朝鮮一七九號(朝鮮教育會)
三六 國語學史  昭和十五年十二月(東京岩波書店發行)
三七 言語の存在條件
    ――主體、場面、素材――  昭和十六年一月、文學第九卷第一號
三八 國語の特質  昭和十六年十月、國語文化講座第二還の中(東京朝日新聞社發行)
 
国語学原論 続編、岩波文庫、2008.3.14  〔入力者注、振り仮名は原則として削除した〕
 
(3)   目次
   序……………………………………………………………………一一
第一篇 総論
 一 『国語学原論正篇』の概要と『続篇』への発展………………一七
 二 言語過程説の基本的な考え方……………………………………二一
 三 言語過程説における言語研究の方法 …………………………二九
第二篇 各論
 第一章 言語による思想の伝達………………………………………三七
  一 伝達の事実………………………………………………………三七
   一 伝達はどのように研究されてきたか………………………三七
(4)   二 伝達の媒材としての音声と文字…………………………四三
   三 伝達における概念過程………………………………………四九
   四 表現における概念規定と描写の意義………………………五五
   五 理解における自由と制約……………………………………五七
   六 伝達における客体的なものと主体的なもの………………六四
  二 伝達の成否の条件………………………………………………七一
   一 伝達の種々相――正解、誤解、曲解………………………七一
   二 伝達の成否の条件……………………………………………七八
  三 伝達における標準語の機能と表現媒材の一様性と恒常性…八三
  四 鑑賞の対象とされる伝達事実…………………………………八九
 第二章 言語の機能……………………………………………………九三
  一 言語と生活との機能的関係 …………………………………九三
  二 言語の機能………………………………………………………九六
   一 実用的(手段的)機能………………………………………九六
(5)   二 社交的機能………………………………………………一〇一
   三 鑑賞的機能…………………………‥………………………一〇六
 第三章 言語と文学……………………………………………………一一九
  一 言語研究と文学研究との関係…………………………………一一九
  二 言語は文学表現の媒材であるとする考え方…………………一二二
  三 言語過程説における言語と文学との関係……………………一二八
   一 文学は言語である――文学と言語の連続性――…………一二八
   二 文学と言語とを分つもの……………………………………一四二
  四 文学の社会性……………………………‥……………………一四九
 第四章 言語と生活……………………………………………………一五九
  一 言語生活の実態…………………………………………………一五九
  二 音声言語と文字言語……………………………………………一七二
  三 口語と文語………………………………………………………一七五
  四 標準語と方言……………………………………………………一七六
(6)  五 文学と生活…………………………………………………一八二
  六 シャール・バイイにおける言語と生活との交渉の問題……一八六
 第五章 言語と社会及び言語の社会性………………………………一九五
  一 『正篇』で扱った言語の社会性の問題………………………一九五
  二 言語社会学派における言語の社会学的研究…………………一九七
  三 言語過程説における言語の社会的機能の問題………………二〇二
  四 言語の社会的機能と文法論との関係…………………………二一〇
  五 対人関係を構成する「辞」の機能……………………………二一八
   一 感動詞のあるもの……………………………………………二一八
   二 敬譲の助動詞…………………………………………………二一九
   三 推量の助動詞…………………………………………………二二一
   四 打消の助動詞…………………………………………………二二三
   五 助詞……………………………………………………………二二四
 第六章 言語史を形成するもの………………………………………二二七
(7)  一 要素史的言語史研究と言語生活史としての言語史研究…二二七
  二 言語史と政治・社会・文化史との関係………………………二三八
  三 言語的関心………………………………………………………二四一
  四 資料としての文献と研究対象としての文献…………………二四七
  五 国語史の特質……………………………………………………二五五
   一 樹幹図式と河川図式…………………………………………二五五
   二 外国語の摂取とその方法……………………………………二六四
   三 表現における型………………………………………………二六九
   四 言語に対する価値意識の転換………………………………二七四
  六 文学史と言語生活史……………………………………………二七六
 
 著者著述目録……………………………………………………………二八一
 
(9)  国語学原論 続編
――言語過程説の成立とその展開――
 
(11)   序
 
 本書『国語学原論続篇』は、前著『国語学原論』(【昭和十六年十二月刊、以下本書に対して『正篇』と呼ぶこととする】)の後を継いだもので、それの発展的な諸問題を扱うと同時に、言語過程説の理論に基づく、独自の国語学の体系的記述を企図したものである。
 『正篇』は、言語を、音声或は文字を媒材とする人間の表現行為或は理解行為であるとする言語過程説の理論が、どのようにして成立したかの経緯と、それが言語を、思想(意味)と音声(或は音韻)との結合体であるとする在来の言語理論と、どのように相違するかの点を、主として、昭和年代以後、日本の言語学、国語学に甚大な影響を及ぼしたフェルディナン・ド・ソシュール Ferdinand de Saussure の言語理論との対比において、これを明かにしようとした。従って、考察の範囲も、在来の言語学、国語学の問題の枠内に止まらざるを得なかったのである。換言すれば、『正篇』においては、言語を、それと関連する人間行為全体から切離して、専ら言語自体の構造を抽象的に観察したに(12)止まった。このことは、『正篇』の記述が、伝統的な国語学の部門別、即ち音韻、語彙、文法の三大部門に従って、音声論、文字論、文法論、意味論等を展開したところにもうかがうことが出来るのであって、そこには、未だ、言語過程説の理論に基づく独自の体系というものは、示されるに至らなかった。元来、音韻、語彙、文法の三大部門は、言語の系統的歴史的事実を実証するためにとられた基準であったのであるが、それがいつしか、言語の体系的記述の枠のように考えられるに至って、言語観察の視点は、著しく狭められ、かつ、固定してしまった。言語研究の鉄則の如くに考えられて来た、この三大部門を、破棄し、脱却するところに、新しい国語学の体系が樹立されるものであることを、私は確信するようになった。『正篇』は、新しい言語理論を盛るに、古い皮袋を以てしたようなものである。
 言語過程説に基づく国語学の体系は、『正篇』第一篇総論に、断片的に示唆されたに止まって、それの具体的、かつ体系的な記述は、将来に残された問題であった。昭和二十年十月(【終戦後の講義再開】)以後、東京大学で、「国語概説」の題目の下に、毎年、継続して行った講義は、主として、この残された問題の追求であったのである。そこでは、在来の伝統的な国語学の枠を離れて、言語を、人間生活全体の中において捉え、それとの交渉(13)連関において記述しようとした。言語を、街頭における、また、生活における機能において把捉するという研究方法は、戦中戦後の我々の研究環境が、おのずから私に仕向けたものであったが、また一方、言語過程説の理論の当然の帰結でもあったのである。
 『正篇』には、それが刊行されて以来、大方の寄せられた批判と示教に基づいて、訂正或は補筆せねばならない多くの個処のあることに気付きながら、今日まで、初版のままに重版を重ねて来たことは、或は無責任の謗を免かれないかも知れない。しかし、もともと『正篇』は、店舗を借受けて工場生産を営んで来たようなもので、一部の改造や増築で事が済むものでないことは明かであった。新しい設計図については、既に、今日まで、断片的ながら発表して来たので、或は、寓目せられた方も少くなかったかも知れないのである。本書は、それら既発表の論文に、整理と体系とを与えたものに過ぎないのである。
 『正篇』は、総論に続く各論の体系が、総論の発展としては、甚だしく相応しないものであるという意味で、当然、書替えられなければならないものであった。しかしまた、それは、『続篇』に至る、必要止むを得ない階梯であったとも云い得るのである。本書(14)が、前著同様に、読者の厳正な批判の対象となることを期待して止まないのである。
  昭和三十年一月七日
                 時枝誠記
 
(15)   第一篇 総論
 
(17)     一 『国語学原論正篇』の概要と『続篇』への発展
 
 『正篇』は、その副題に「言語過程説の成立とその展開」とあるように、言語を、心的過程であるとする言語観の成立経過と、それに基づく国語学の体系を述べようとしたものであるが、先ず、その総論第一、二項においては、言語が、人間即ち言語主体の精神、生理、物理的過程現象であるとする言語観の成立する根拠を述べ、第三、四項においては、右のような言語の研究は、言語観察者の主体的経験を、内省観察することによつて成立することを述べ、第五項においては、右のような言語が成立する条件(註一)としての、主体、場面及び素材(註二)の概念を明かにした。第六項においては、右の如き言語本質観と、その研究方法との合理性を明かにするために、これを、昭和以後の国語学に甚大な影響を及ぼしたソシュール言語学の理論に対比させ、これを批判した。第七項以下は、言語過程説の理論から導き出される種々の重要な概念を分析したのであるが、それらは、まだ充分に成熟せず、素描の域を脱しなかつたか、或は改訂を要する程度のものであった。
(18) 第二篇の各論は、当然、『正篇』の総論の展開したものであるべき筈であるが、実は、この各論の組織は、在来の言語学、国語学の諸部門をそのまま踏襲したに過ぎないものであって、そこには、まだ、言語過程説独自の体系というものは、打出されていなかった。従って、各論は、総論を承けるものとしでは、甚だちぐはぐ〔四字傍点〕なものとなってしまったのである。このことは、当時の私の研究段階としては、止むを得ないことであったのであるが、『続篇』が執筆されなければならない重要な動機はそこにあったのである。
 以上は、『正篇』の組織の概略であるが、以下に、そこに述べられた言語理論の概要を記すことにする。
 (一) 言語は、思想の表現であり、また、理解である。思想の表現過程及び理解過程そのものが、言語である。
 (二) 言語が、思想の表現、理解であると云っても、すべての思想の表現理解が、言語であるのではない。絵画や音楽も、思想の表現理解である。言語は、音声(発音行為)或は文字(記載行為)を媒介とする表現過程である。同時に、音声(聴取行為)或は文字(読字行為)を媒介とする理解過程である。
 (三) 言語は、従って、人間の行為、活動、生活の一に属する。言語を行為する主体を、(19)言語主体と名づけるならば、言語は、言語主体の実践的行為、活動としてのみ成立する。このことは、具体的には、言語は、個人においてのみ成立することを意味する。
 (四) 言語は、表現の場合には、理解主体(聞手、読手)を予想し、理解の場合には、表現主体(話手、書手)を前提とする行為である。独白は、話手が同時に聞手となる特別の場合である。
 (五) 言語行為が成立するためには、必ず、ついて語られる何もの(素材、話題の事柄)かが、必要である。言語において、話手、聞手、素材を、言語の成立条件という。
 (六) 言語行為は、その媒介が、音声であるか、文字であるかに従って、「話すこと」「聞くこと」「書くこと」「読むこと」の四の形態のいずれかにおいて成立する。第四項の事実を、考慮に加えるならば、「話すこと」は、「聞くこと」を予想し、「書くこと」は、「読むこと」を前提とし、また、それぞれに、その逆である。
 (七) 言語は、そのいずれの形態においても、言語主体の実践的行為であるから、表現には、表現の技術を、理解には、理解の技術を不可欠とする。
 (八) 言語を行為し、実践する立場を、主体的立場といい、言語を観察し研究する立場を、観察的立場というならば、言語を研究するということは、言語を行為し実践する主(20)体的立場を観察することに他ならない。
 以上を要約するに、言語過程説は、言語を、人間行為の一として観察し、すべてを、言語主体の機能に還元しようとする学説である。言語学は、久しい間、言語を、自然科学的類推において、それ自身、生活し活動する有機体の如く見て来た。ソシュールは、言語を、概念と聴覚映像との結合体とし、それは脳髄中に在所を求めることが出来る心的実在体であるとした(【小林英夫訳「言語學原論】改訳本二五、九〇頁】)。しかしながら、そのような心的実在体としての言語の人間に対するありかたも、結局において、自然の人間に対する関係と、異なるところが無かったのである。言語学を、自然科学に近づけることは、厳密な法則定立のためには、プラスする面もあったであろうが、そのために、言語の実際的な面に、目を覆わしめた事実のあることは、否定することは出来ないのである。
 言語過程説は、言語において、人間を取り戻そうとするのである。言語は、その本質において、人間の行為の一形式であり、人間活動の一であるとする時、何よりも肝要なことは、言語を、人間的事実の中において、人間的事実との関連において、これを観察するということである。
 『正篇』の意図したものは、右のような関連における言語を、一応、その関連的事実(21)より遮断し、それ自身の構造を記述したのであるが、『続篇』は、言語過程説の主題に従って、言語の最も具体的なありかたの中に、その主要な問題を求めようとするのである。
 
  註一 『正篇』では、存在条件〔四字右○〕という語を用いたが、言語が、精神、生理、物理的過程現象であるとする時、そのような過程の成立条件〔四字右○〕と考えた方が適切である。
  註二 「素材」という語は、例えば、彫刻における石材や木材、或は絵画における絵具等をも意味して紛らわしいのであるが、ここでは、言語という表現行為によって表現せられる題材、話題、事柄等、表現の対象となるものを意味する。
 
     二 言語過程説の基本的な考え方
 
 言語過程説は、言語を、音韻と概念(或は思想)との結合体と考える言語構成説に対し、言語を、精神、生理、物理的過程現象であるとする言語理論であって、その概要は、前項に述べた通りであるが、その基本的な考え方は、凡そ次のように要約し、かつ、布衍することが出来る。
(22) (一) 言語は、人間の表現行為そのものであり、また、理解行為そのものである。この考え方は、表現理解の行為とは別に、或はそれ以前に、表現理解において使用される資材としての言語(【ソシュールのいわゆる「ラング」】)が存在するという考え方を否定するものである。あるものは、ただ、素材を、音声或は文字を媒材として、可感覚的に外部に表現し、或は、音声、文字によって、ある思想を理解する作用だけであるとするのである。人は、屡々、辞書に登録された語のようなものを、資材的言語と考える。しかし、辞書が、語を記載していると考えるのは、ただ比喩的にだけ云えることであって、器が物を収容すると同じ意味で、辞書が語を内蔵しているのではないのである。
 (二) 言語が、表現理解の行為であるということは、言語は、常に表現主体或は理解主体、一般的に云つて、言語主体(【言語を成立させる人間】)を、不可欠の条件として成立するものであることを意味する(【『正篇』第一篇総論第五項】)。言語研究の対象を、表現理解以前の資材的言語に求める構成的言語観の立場においては、言語主体の概念は、言語学の埒外のものである。言語を分析しても、そこからは、言語主体を取出すことが出来ないのである。話手 speaker, sujet parlant は、言語を使用する者として、或は言語に働きかける者としてのみ、言語に関係を持つだけである。ソシュールは、資材的言語ラングの成立に関与する話手、聞(23)手の作用を重視した。しかし、このようにして成立した資材的言語は、もはや個々の話手聞手の作用とは、独立した存在であると考えた。
 言語過程説の最も著しい特色は、一切の言語的事実を、言語主体の意識、活動、技術に還元して説明しようとするところにある。
 (三) 言語を、言語主体の行為であるとすることは、言語は、常に必ず個人の行為としてのみ成立することを意味する。この考え方から、言語過程説を個人心理学的言語理論であるとするのは、当を得たことではない。言語過程説における言語の行為者としての言語主体は、決して、ロビンソン・クルーソー的人間として規定されているのではない。それは、常に話手に対立する聞手に制約され、聞手の理解、不理解を顧慮し、聞手に働きかける個人として規定されている(【『正篇』第一篇総論第五項「場面」】)。ここから、言語の社会的機能と、同一社会圏における言語習慣の平均化を説く鍵が見出せることになる。ソシュール言語学のように、同一社会における平均化されたラングの存在を前提として出発することは、言語研究の最も重要な問題を回避したことになるのである。どのようにして、平均化されたラングの如きものが、形成されるかというところにこそ、むしろ、言語研究の重要な課題があるとみなければならないのである。
(24) (四) 言語の行為主体が個人であるということは、言語学の対象は、特定個人の特定言語行為以外にはあり得ないことを意味する。ソシュールは、個々の言語行為とは別に、個人を超越して存在する資材的言語ラングを真正な言語学の対象と考えるのであるが、言語過程説は、明かにこの考えを否定する。
 人は屡々文法の教科書等に例示された、例えば、「花が咲いた」の如き文を以て、個人に所属しないものと考えがちであるが、これも、表現者の氏名が誰であると明示出来ないだけであって、必ずある人のある時における表現行為として成立したものとして例示されたものであることは間違いないことである。我々は、また、「日本語」について考える時、それが個々の表現とは別に存在するもののように考えるかも知れない。しかし、それは、個々の特定表現から帰納された概念的所産を、実在と誤認したものに過ぎないのである。あるものは、ただ、甲がある時、「日が出た」と云い、乙がある時、「頭が痛い」と云った表現行為と、丙丁のそれに対する理解行為とがあるだけである。「日本語」とは、個々の言語行為の型としてのみ存在するに過ぎないのである。
 言語の普遍性と特殊性とを、ラングの言語学、パロルの言語学と、両断して考えるソシュール的見解は、普遍と特殊との関係に対する誤った考えに基づくのである。普遍相(25)と特殊相とは、同一事物に対する観点の相違によって現れて来るものである。言語学の対象が、常に特定個人の特定表現であっても、そこに日本語の普遍相を見出すことは可能である。源氏物語の言語を対象として、そこに紫式部の言語の特殊性を追求することも出来るし、また、平安時代或は更に日本語の普遍性を記述することも出来るのである。私が今握っているペンは、他の如何なるペンとも紛れない特殊性を持つと同時に、他のペンと本質を斉しくしているという意味で、これをペンと呼ぶことが出来るのである。
 (五) 言語を、表現及び理解の行為であるとする時、それは、根本的に、音楽、絵画、舞踊などの表現活動と共通した性質を持っていることが分る。これらのものと、言語との相違する一つの著しい点は、表現の媒材を異にしていることである。音楽は、音の高低強弱を、絵画は、色彩と線とを、舞踊は、人間自身の身体的運動を、それぞれ媒材として成立するのに対して、言語は、人間自身の発声発音或は書記行為による音声、文字を媒材として成立する。構成主義的言語観においては、音声文字は、内容である思想概念に結び附く要素として、或は内容に対する形式と考えられたのに対して、ここでは、音声文字は、表現者の思想を、理解者に伝達する媒介者としての位置を持つことになるのである。
(26) (六) 言語は、その媒材の性質の相違によって、音声言語か、文字言語かのいずれかにおいて成立するものである。更に、これに、表現行為、理解行為の別を加味するならば、具体的な言語は、次の図に示すように、「書く」「話す」「聞く」「読む」のいずれかにおいて成立するものであって、そのいずれにも所属しない言語というものは考えられない。
         文字を媒材とするもの――書く〔二字右○〕………
    表現行為 音声を媒材とするもの――話す〔二字右○〕
言語行為
    理解行為  音声を媒材とするもの――聞く〔二字右○〕
                            音声言語   文字言語
          文字を媒材とするもの――読む〔二字右○〕……
 右の「話す」「聞く」「書く」「読む」行為を、言語の形態上の相違と名づけるならば、これらの言語形態は、それぞれに異なった性質と機能とを持っていることは明かである。我々は、手紙を書く行為に、話す行為を代用させることは出来ないのである。手紙の代りに、口頭で用をたすことが出来たということは、当事者の状況が変ったからであって、(27)遠隔の地に離れて、電話の便も無い場合は、ただ文字の機能に頼る以外に方法はないのである。これらの言語の形態上の性質と機能とを明かにすることは、言語研究上の重要な課題であるべきであったにも拘わらず、そのことが全く問題にならなかったのは、言語学の対象を、表現理解以前の資材的言語ラングに求めたからに他ならないのである。それも、言語学が、言語の系統関係や歴史的系譜を辿ることを、主要な課題としていた間は、さまで破綻を見せなかったが、人間生活における具体的な言語的事実の解明を課題とするに至って、ようやくその無力を暴露するに至ったのである。
 「話す」「聞く」「書く」「読む」の言語形態は、それぞれに異なった性質と機能を持った言語行為であることは、既に述べた如くであるが、更に重要なことは、これらの形態は、相互に孤立して成立するものではなく、その間に、密接な交渉と、相互依存の関係が存在することである。例えば、「話す」行為は、それ自身、単独に孤立して成立するものではなく、常に「聞く」行為に連続し、屡々、「聞く」行為の予想の下に行為されるということである。これは、「書くこと」と「読むこと」の間にも存在することである。このことは、絵画や舞踊等が、ただ表現の満足ということだけで成立することのあるのと著しい対照をなすのである。故に、言語の観察において、表現、理解をそれぞれ(28)に孤立させて観察することは、言語の具体的な問題把握には、程遠いこととなるのである。ここに言語における伝達ということが、重要な研究課題とされる根拠が生まれて来る。
 (七) 言語を、表現理解の行為であるとする時、言語は、人間の行為一般の中に位置づけられなければならない。ここに行為というのは、例えば、歩行すること、飲食すること、遊戯すること等の意志的な身体運動は、勿論のこと、見ること、聞くこと、味うこと等の感覚作用、また、判断、計画、想像等の思考作用をも含めて云うのである。歩くことが行為であるならば、考えることも、また、頭脳の行為に違いない。そして、言語即ち表現理解もそれら行為の一種であるということが出来る。人間の一切の行為は、その根本において、生の営みであることにおいて、これを生活と呼ぶことが出来る。飲食することは、云うまでもなく食生活に属することであるが、考えることも、また、人間の生活の一形式として、思索生活と云われている。同様にして、「読む」ことは、読書生活と呼ばれているのであるから、これを言語全体に拡張して、言語生活ということが云われても、少しも不当ではない。言語は、行為であり、活動であり、生活である。それは、次の等式によって示される。
(29)  言語=言語行為=言語活動=言語生活
右の等式の示すものは、言語があって、それとは別に言語生活があるという考えを否定することを意味するのである。それは、あたかも、神仏を信ずることが、即ち宗教であり、宗教生活であり、宗教生活とは別に宗教が存在しないのと同じである。ただしかし、結婚生活、隠遁生活、享楽生活、禁欲生活、経済生活の語のようには、言語生活という名称が熟さないのは、前者が、それ自身まとまった生活の類型として成立する可能性があるのに対して、言語行為は、それ自身まとまった生活の類型を形成しないことと(「読む」生活だけは比較的に独立性が強い)、言語行為が、常に他の生活の手段として、人間のあらゆる生活に交渉を持っているがためであろうと考えられる。そこで重要なことは、言語が、他の人間の諸生活とどのように交渉し、関連するかということである。言語は、何よりも、人間生活全体の中で切取られる必要があるのである。
 
     三 言語過程説における言語研究の方法
 
 言語過程説における言語研究の方法については、『正篇』中に、次のように述べて置(30)いた。
  観察的立場は、常に主体的立場を前提とすることによってのみ可能とされる(【二九頁】)。
この意味は、言語の研究は、第三者の主体的な表現理解の行為を観察し、記述し、説明することであるが、第三者の右のような行為を、そのまま観察の対象とすることは出来ない。観察し得るものは、音声と文字だけだからである。例えば、敬語と敬語でない語をとってみても、観察者は、ただ音声、文字の相違としてしかこれを把握することが出来ない。第三者の表現行為を、全的に把握するには、どうすればよいかというのに、話手の表現した音声文字を手がかりとして、話手の表現過程を、観察者の意識の中に、再構成する以外に方法はない。このように再構成されたものを、内省観察することによって、ある語を敬語であるとし、ある語を敬語でないとするのである。このような作業を、一般に解釈と云うのであるが、解釈によって再構成されたものは、どこまでも、観察者の主体的活動であって、話手の行為そのものであるとは云うことが出来ない。しかしながら、第三者の言語行為の観察は、このようにして、再構成されたものについて行うより他に方法がないのである。『正篇』に述べたことの意味は、大体以上のようなことである。この場合、問題になることは、観察者の再構成したものは、観察者の主体的活動(31)によるものであって、何等客観的妥当性を持ち得ないのではないかということである。例えば、甲が発する「イヌ」という音声から、動物「犬」を表現したものと、観察者が推定するのは、確かに観察者の理解の経験に基づくものであるが、しかし、これを、観察者の主観的恣意に基づくものとは云うことが出来ないのである。観察者のこの際における判断は、彼が嘗て「イヌ」という音声より「犬」を想起することによって、彼の思想交換の役目を果したという経験に基づくのである。従って、この観察者の経験は、彼を取巻く同一社会圏に、普遍に妥当する事実とみなすことが許されるのである。我々が、現代語について、ある判定を下すことが出来るのは、皆、自己の経験を以て、第三者の経験と同一であるという認定に基づくのであるが、その根底には、そのような経験が、その社会に流通力を持っているという、それまでの経験が、それを支持しているのである。もし、この観察者が、「イヌ」という音声から、「猫」を想起し、これを以て第三者の経験と判定したとしたならば、これは、第三者の経験を、誤って再構成したことになるのであるが、この場合には、この観察者は、彼の周囲のものと思想を交換することは、恐らく不可能であるに違いないのである。このことは、言語の観察者は、何よりも、その言語社会圏の完全な一員であることが要求されることを意味するのである。観察者が、(32)その言語社会圏を遠ざかるに従って、その結論の信頼度が減少するのは当然である。例えば、自己の言語圏とは異なった方言について、ある結論を下す場合、古語について、ある結論を下す場合が、それである。未知の外国語については、観察することが、殆ど不可能になって来るのである。
 言語の観察は、常に観察者自身の言語経験の内省観察の上に成立する。第三者の言語行為については、一旦これを、観察者の経験として、再構成されることが必要である。そして、その観察者の結論の妥当性は、彼の言語経験の普遍度に支えられているのである。しかしながら、観察者の言語経験が、その言語社会圏において普遍性を持っていたとしても、そのことが、直に、彼の結論の妥当性を証明することにはならない。そこには、自己の経験を、分析し記述する学問的方法が関与して来るのである。以上のことを、具体的な事実によって説明してみようと思う。例えば、
  明日は雨が降るだろう
の「だろう」を、推量の助動詞と判定することは、先ず、この表現を、観察者である私の経験として再構成した場合、私は、この「だろう」を、推量判断に用いることによって、推量の助動詞とする。しかし、この事実が、単に私一己の経験に過ぎないものであ(33)るならば、これを推量の助動詞とすることに、客観性を欠くのであるが、私は、この「だろう」を、同様の事実の表現に用いて、私の周囲のものとの思想交換に成功している事実に照して、私の用法は、また、私の周囲のものの用法に共通していると考えられるが故に、私の判定には、客観性があると見ることが出来る。もし、これが古語の場合になれば、
  明日は雨降らむ
を、私の経験として再構成することは、決して容易ではない。私自身を、古語の言語社会圏の一員たらしめるような、古語への習熟を必要とするのである。
 もとより、観察者の経験の普遍度と云つても限界があることであり、仮に、私の場合を考えてみても、私の経験が、あらゆる場合に妥当するなどとは、到底いうことが出来ないことである。従って、私の言語記述には、私の主観的判断が混入することは止むを得ないことと云わなければならない。そこで、必要なことは、数多くの観察者によって、観察と記述が試みられることである。もしそのようにするならば、観察者の個人的な歪みは、相互に矯正されて、次第に正しい記述が成立することとなるであろう。
 
(35)   第二篇 各論
 
(37)   第一章 言語による思想の伝達
 
     一 伝達の事実
 
       一 伝達はどのように研究されてきたか
 言語による思想の伝達は、我々の生活に重要な関係を持っている。日常卑近な衣食住の生活は勿論のこと、文化の継承、創造、人生に対する生活態度の確立等、すべて言語の手段によらないものは稀である。食料品一つ買うにも、私の言葉が、相手に正しく通じなければ、私の生活目的は達せられない。少し複雑な問題になれば、自分の思想を、相互に正確に伝達することは、極めて重要なことになって来る。伝達が不充分であったり、不正確であるために、思わぬ行違いが生じ、時に生命の危険まで生ずることは、決して稀なことではない。そして、我々は、相互に自己の思想を、正しく、また適宜に伝達することが、如何に困難であるかを、屡々経験するのである。国語問題ということが発生するのも、要するに、伝達における困難ということが、その原因になっていること(38)であり、国語教育の目的も、結局において、伝達の円滑と完成ということにあると云ってよいのである。このように見て来るならば、伝達ということが、言語学上の基本的中心的課題でなければならないことは、極めて見易い道理であると云わなければならないのである。それにも拘わらず、従来の言語学、国語学は、言語が伝達の手段或は道具であることは説いても、伝達の事実そのものを学問的に究明するという努力は、殆ど払って来なかった。それは何故であろうか。
 ソシュール言語学を例にとるならば、伝達は、資材的言語ラングの運用である(註一)。言語学の対象は、ラングの運用の事実即ち言語活動ランガージュではなくして、伝達以前の資材的言語ラングであり、ラングの性質法則を研究するのが言語学の任務であるとしたのである。このような言語学において、伝達ということは勿論、表現ということすら、問題にされないのは当然である。ソシュールの後継者であるシャール・バイイ Charles Bally は、ソシュールの残したパロルの言語学に着目して、新しい領域を開拓した。バイイは、ラングの運用によって個性的な思想――バイイはこれを、la vie「生」と呼んだ――がどのように表現されるかを研究して、これを Stylistique と名づけた。バイイの言語学は、これを一言にして云うならば、表現学である(註二)。バノイイに従えば、その(39)lavie(註三)「生」とは、感情 affectivite、意志 volonte 及び理知 intelligence の三者であって、それは、生の意識に他ならないとする。このような生の意識が、ラングのどのような運用によって表現せられるかを問題にしたことは、ソシュール言語学の一つの発展と云わなければならないのであるが、その限界は、表現論に止まって、遂に伝達論にまでは及ばなかったのである。
 勿論、ソシュール言語学も、伝達の事実を、全然不問に附したわけではない。彼の遺著『一般言語学講義』(【小林英夫訳『言語学原論』】)には、「言の循行」(le circuit de la parole)を図解して、伝達の事実を説明している(『講義』二七頁、『原論』二一頁)。しかし、この図は、資材的言語ラングがどのようにして形成され、そして、かくして形成されたラングが、言語学の真の対象である所以を明かにしようとしたものであって、伝達の事実そのものを説明することが、当面の目的ではない。ソシュール言語学の立場において、もし、伝達の事実を説明するとしたならば、どのようになるかというに、およそ、次のようなことが、推測されるのである。甲乙の間に、伝達が成立するのは、甲乙が、同じ資材的言語ラングを所有するからである。換言すれば、ラングは、思想伝達の道具として、各人の脳裏に貯蔵されているのである。ソシュールは、この事情を、各人が同じ辞書を一部ずつ所有しているに(40)似通っていると説明している(【『言語學原論』改訳本三一頁】)。
 以上のような説を承けて、橋本進吉博士は、伝達の事実を、次のように説明された。
  言語は一定の音声に一定の意味が結合したもので、思想(及び感情)を他人に伝える為に用いられるものである。今我々が言語を実際に用いる場合について考えて見るに、話手が、ある事を言語によって伝えようとする時には、その事物を表わす一定の音声を口に発する。対手は、その音声を聞いて、その音声の表わす事物を心の中に浮べて、話手が何を伝えようと欲するかを知るのである。即ち、話手と聞手とでは、互に違った二つのはたらきが行われるのである(【『国語法研究』橋本進吉博士著作集第一巻一七四頁】)。かように話手の発表作用と、聞手の理解作用とにまって、思想の伝達が出来、言語がその用を全うするのであるが、しかし、話手の伝えようとする所のものを、聞手が、正しく謬らず理会し得る為には、話手も聞手も同様に、同じ音に対して同じ意味を結合させなければならないのである(【同上書、一七五頁】)。それでは、どうして話手も聞手も同じ音に同じ意味を結合させる事が出来るかというに、話手も聞手も、周囲の人々から、これまで幾度もその音を聞き、且つそれにはいつも一定の意味が伴っている事を経験して、その音の記憶と、その意味、即ちその音のさし示している事物の記憶とが相伴って心の中に残っているからである(【同上書、一七五頁】)。
(41)  かように、話手及び聞手の心の中に一様に存する言語表象(一定の音声表象に一定の事物表象が結合したもの)は、言語の中心又は本体をなすものであって、これによって発表と理会の作用が行われ、言語が思想伝達の目的を達するのである。そうして、思想を通ずる為に行う発表理会の作用は、その時その時に完成せられ、その場かぎりのものであるに反して、言語表象は、その言語を用いる人の心の中に永く存して、何時なりとも必要に応じて同じ言語を使用する事を可能ならしめるものである。(【中略】)言語表象は同じ人では何時も同じであるばかりでなく、同じ言語を用いる社会のあらゆる個人に於て同じである(【同上書、一七六−七頁】)。言語表象は、つまり人々が記憶している語句である。「いぬ」という語の意味はと考えた時、心中に思い浮ぶのが「いぬ」という言語表象中の事物であり、「いぬ」という語の発音はと考えた時、心中に思い浮ぶのがその音声表象である。(【中略】)かようにして、「いぬ」という語によって、話手が聞手に伝えようと欲するその犬の事を聞手に知らしめる事が出来れば、それで目的は達したのであって、この場合に、「いぬ」という語は、或犬の事を他人に伝える為の道具として用いられたのである(【同上書、一七八−九頁】)。
右は、正に、ソシュール理論に基づく伝達論である。引用文中に云われている言語表象とは、ソシュール学説に云うところのラングに相当するものであり、それは、同一社会(42)の成員においては同じであるとする。それが、表現理解の道具として用いられて、伝達が成立するのである。右の解説によっても知られるように、言語の中心、または本体をなすものは、言語表象、或はラングであって、その運用は、言語学の問うところでなく、従って、伝達の事実が、言語学の正面の課題になり得なかったことを知るのである。それどころか、ソシュールにおいては、資材的言語の運用である言語活動ランガージュは、多様であり混質的であり、同時に物理的、生理的かつ心的であって、人間的事象のいかなる部類にも収めることが出来ないとして、言語学の対象とすることを拒否したのである(【『言語學原論』改訳本一九頁】)。
 以上によって、伝達の事実が、ヨーロッパ言語学において問題にされなかった理由と、伝達がどのような理論によって説明されて来たかの一斑を知ることが出来るのである。
 ソシュール学説に基づく伝達論から結論されることは、我々同一社会の成員は、各人が皆一様の資材的言語ラングを所有しているのであるから、伝達が成立することは、当然であり、自明のことであるとする楽観論である。ところが、我々の社会生活においては、事実問題として、伝達が不成立になることが屡々であり、成立しても、歪められた誤解に陥ることが極めて多い。我々は、同一のラングを所有しているが故に、伝達が完(43)全に行われるであろうという安心感に安住していることは出来ないのである。言語過程説は、伝達の問題をどのように処理するであろうか。
 
  註一 ソシュール言語学では、伝達を正面から取扱ってはいない。そこでは、伝達の前提となる表現についてだけ述べられている。表現は、資材的言語ラングの運用によって成立するというのである。
  註二 小林英夫博士が、バイイの著書“Le langage et la vie”の初訳本に『生活表現の言語学』(【昭和四年刊】)と題したのは、原著者の意図するものを表わしたのである。改訳本である岩波文庫本は、原著の逐次訳に従って『言語活動と生活』(【昭和十六年刊】)と題した。
  註三 第四章第六項一五四頁参照。
 
       二 伝達の媒材としての音声と文字
 言語過程説の基本的な考え方(【本篇総論二】)において述べたように、言語は、話手の表現行為として、また、聞手の理解行為として成立する。そして、この両者は、表現は表現として、理解は理解として、個々別々に成立するというものではなく、表現は、必ず理解を期待し、理解は、また、表現を前提として行われるので、具体的には、常に表現より(44)理解への流れが形成され、話手の思想が聞手に伝達されて、ここに始めて、言語の機能が発揮されるのである。理解を伴わない表現とか、表現を前提としない理解ということは、言語にとっては、凡そ無意味なことである。同じく表現に属する事実であっても、音楽や絵画の場合には、必ずしもこれを聴く者、これを見る者を予想しないで、ただ表現者の自己満足で表現される場合が、考えられる。しかしこれらの場合でも、表現者自身が、享受者の立場に立って、その享受者を相手にしての表現であると考えられるのであるから、表現は、常に理解(享受を含めて)への流れを形成する、少くともこれを予想するものであるという原則は動かないと見てよいであろう。
 言語過程説において、伝達の事実をどのように説明するかについては、『正篇』(【九一頁】)に、言語過程図を掲げて、その概略を説明した。今、右の図を簡易化して次に掲げることとする。『正篇』には、右の図の後に、「言語過程説に於いては、言語の過程的構造を中心として問題が展開するのである」(【九二頁】)と宣言しながら、『正篇』自体の体系が、在来の部門別に止まらざるを得なかったのであるが、その理由については、序に述べて置いた通りである。
 言語過程説の伝達論は、これを結論的に云えば、伝達の成立ということは、極めて悲(45)観的であるということである。換言すれば、伝達の成立には、それ相当の条件を要することであり、伝達の当事者の努力と技術が要求されるということである。一言にして云えば、言語は通じないものであるということである。それ故にこそ、言語政策が問題になり、国語の教育が問題になるのである。以上のことを、上に掲げた伝達図について説明することとする。話手甲から、聞手乙に受渡されるものは、空間を経由して来る音声、文字だけである。更に云えば、それは空間を伝って来るある種の物理的な波に過ぎない。我々は、決して、話手から、思想そのものを受渡されるのではないということである。例えば、話手甲が、眼前に経験した「海」を、音声「ウミ」或は文字「海」によって表現したとする。これが、聞手乙の聴覚或は視覚を刺戟する。聞手乙は、この刺戟に基づいて、特定の概念なり、表象なりを、頭に浮べて、ここに伝達が成立するのである。この際、乙が、甲から与えられた
 
○――概念――――――→※[波線]※[波線]→――概念――――○
具体的事物  音声・文字  空間伝達   音声・文字   具体的事物  〔最初の○から最後の○へ上の方に大きな点線があり、途中に、伝達、とある、二つ目の、音声・文字から最後の○へ点線があり、途中に、理解、とある、入力者〕
 
(46)思想は、実は、甲から受渡されたものではなく、乙の主体的な連合作用によって、乙自ら形成したものに他ならないのである。
 右の伝達論から結論される重要な事柄の一つは、音声及び文字が、表現と理解とを媒介する媒材として重要であるということである。音声及び文字、特に音声の研究は、従来の言語学でも重要な部門を占めて来た。しかし、それは、音声が、言語における概念或は意味の対応部面として、言語の重要な構成要素と考えられたからである。ここでは、音声は、理解者が、表現を受取って、伝達を成立させる唯一の手がかりとして、重要な意味を持って来るのである。文字も同様で、それによらなければ、伝達を成立させることが出来ないという意味で重要になって来るのである。近代言語学、特にソシュール言語学においては、文字について、右に述べて来たような、伝達の媒材としての機能は、殆ど顧みられてはいない。むしろ、文字が、言語の本然の姿を覆いかくすものとして、その功罪が問題にされた。
 音声や文字に対する在来の見解の一つは、概念や意味に対して、これを、外形或は形式とする考え方である。それは、言語の形骸に過ぎないものとするのである。例えば、文字教育を以て、言語の本質を忘れた教育であるとするのは、それである。それは、あ(47)たかも色や線の奥に、絵画の本質的なものがあると考えるのと同じで、音声教育や文字教育によってのみ、正しい伝達が成立することを忘れた考え方である。音声文字を、右のように定位する時、音声や文字を、聴覚や視覚の心的表象としてのみ見ることは、不充分であって、物理的現象(【空間伝達】)を成立させる発声発音の生理的作用及び文字記載の運動をも含めてこれを見なければならないことを知るのである。
 ソシュールは、話された言語と書かれた言語との関係を、実際の人物とその写真との関係に譬えた。そして、写真を、屡々、実際の人物と混同し、或は、それ以上の価値を与えようとすることに対して警告している(【ソシュール『言語學原論』改訳本三八頁】)。警これは、音声言語を、自然の言語、真の言語とし、文字は、それを表記することにだけ、存在理由があるとする考え方に基づくのである。自然の言語、真の言語を理解する手がかりとしてしか、文字の価値を認めていない。しかもそれは、写真が結局において写真であって、実際の人物とは別であるように、言語を認識するには、極めて不完全な手がかりであることを歎くのである。しかし、ここでは、ソシュールは、写真の重要な機能を見落しているのである。写真の機能とは、何であるかと云えば、実際の人物に直面することが出来ない時、写真が、その人をしのぶ唯一の手がかりになるということである。その時、写真即ち紙(48)そのものが、実際の人物と同じであるか否かというようなことは問題にはならない。
 この文字に対する考え方は、明治以来の国字政策の基礎理論としても、強く作用している。
  一体、語は人の思想を表わす為の道具で、字はその道具を写すだけのものである。知識思想は無論大事であるし、又語は各国民に固有のものであり且つ国民の思想感情と極めて親密な関係のあるものだから、それは勝手にかえられないものであるが、字となると、其語を写す為に人為的に作ったものに過ぎないから、どうでなければならないと云うものではない(【田丸卓郎『ローマ字国字論』三頁】』)。
という意見にも、ソシュールの意見と同様に、文字の伝達における媒材的機能というものが、全く無視されていることを知るのである。文字は、確かに言語より後に製作され、言語を表記する機能しか持たないのであるが、これを思想の伝達過程における位置と意義とから云うならば、文字は、音声言語の到達範囲外においては、表現者の思想を推測させる唯一の手がかりであって、聞手は、文字の媒介なくしては、絶対に表現者の思想を理解することは出来ないのである。ソシュールの譬は、写真を、人物そのものと速断することを戒めたという意味では正しい。しかし、その人物を目の前に見ない場合、そ(49)の人物を彷彿させる唯一の手がかりが写真であるということを忘れてはならないのである。
 
       三 伝達における概念過程
 伝達の成立を困難にする更に一つの理由は、言語は、表現の素材である個物を、個物として表現するものではなく、常に、個物を概念的認識を通して、これを一般化して表現するものであるということである(註一)。更に、言語は、個物を、それに対する把握の仕方において、表現するものであるということである(註二)。従って、理解者は、表現者から受取る音声文字の刺戟によって、先ず、それら音声文字によって喚起される概念を頭の中に描く。例えば、甲が乙に向って、「庭の桜が咲きました」と報告したとする。甲は、自分の家の庭と桜とを表現したつもりでも、甲の家の、庭も桜も知らない乙は、ただ概念としての庭と桜とを頭に浮べるに過ぎない。もし、この際、乙が、ある具体的な庭と桜との印象を頭に浮べたとしたならば、それは、乙が、嘗てどこかで経験した庭と桜とを、これに引き当てて、その光景を想像したに過ぎないのである。また、例えば、瀬戸内海に育った人が、穏和な白砂青松の海を、「ウミ」と表現する時、犬吠岬のような太平洋(50)の怒濤が打寄せる海岸に育った聞手は、「ウミ」という音声刺戟から、全く異った光景を頭に浮べるに違いないのである。また、例えば、「オーミソカ」(大晦日)という音によって喚起される概念或は表象は、事業家や商人の場合と、我々のような学究の場合とでは、相当の距離があることが想像されるであろうし、「学年末」「試験」というような語にしても、教師と学生生徒では、全く異ったものが、意識されるに違いないのである。この喰違いは、次のようなことによって実証されることがある。ある名勝地を記述した紀行文を読んで、頭に描いた印象が、実際に現地に行って見て、想像外なのに驚くことがあることである。漱石の『明暗』には、次のような会話が記されている。
 
  (お延)「継子さん、あたし今あなたにお話ししたでしょう、あたしは幸福だって」
  (継子) 「ええ」
  (お延)「何故あたしが幸福だかあなた知ってて」
      お延は其所で句切を置いた。そうして継子の何かいう前に、すぐ後を継ぎ足した。
  (お延)「あたしが幸福なのは、外に何にも意味はないのよ。ただ自分の眼で自分の夫を撰ぶ事が出来たからよ。岡目八目でお嫁に行かなかったからよ。解って」
(51)      継子は心細そうな顔をした。
  (継子)「じゃあたしのようなものは、とても幸福になる望はないのね」
      お延は何とか云わなければならなかった。然しすぐは何とも云えなかった。仕舞に突然興奮したらしい急な調子が思わず彼女の口から迸しり出した。
  (お延) 「あるのよ、あるのよ。ただ愛するのよ、そうして愛させるのよ。そうさえすれば幸福になる見込は幾何でもあるのよ」
   斯う云つたお延の頭の中には、自分の相手としての津田ばかりが鮮明に動いた。彼女は継子に話し掛けながら、殆んど三好の影さえ思い浮べなかった。幸いそれを自分のためとのみ解釈した継子は、真ともにお延の調子を受ける程感激しなかった〔ただ愛す〜傍点〕。
  (継子)「誰を」と云った彼女は少し呆れたようにお延の顔を見た。「昨夕お目にかかったあの方の事?」
  (お延)「誰でも構わないのよ。ただ自分で斯うと思い込んだ人を愛するのよ。そうして是非其人に自分を愛させるのよ」(【第七十二回、会話の当事者の名及び傍点は筆者が加えたものである】)
 
お延と継子との右の会話において、お延の「ただ愛するのよ、そうして愛させるのよ。(52)そうさえすれば幸福になる見込は幾何でもあるのよ」という言葉は、継子に対する言葉でありながら、作者の説明にもあるように、それは、お延自身の心境を云ったものである。しかし、お延の腹の中を知らない継子は、ただこれを自分の縁談に引き当てて考えないわけには行かなかったのである。話手甲の個性的な感情の表現が、聞手乙に、全く別の表象と感情を喚起したのは、言語表現が概念的表現であることに基づくのである。
 なお一例。漱石『こころ』の上「先生と私」(【第二十回】)の中の場合を借用する。「先生」は、友人と会食するために家を空けることになったので、「私」は留守番を頼まれて、「奥さん」と「先生」の態度の変化について語り合う。実はその頃近所に盗難事件が三、四日続いたので、「先生」の不在は、「奥さん」を気味わるくさせるので、その用心棒という意味で、「私」が留守番を頼まれたのである。やがて先生が帰って来た。
 
  先生は笑いながら「どうも御苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」と私に聞いた。それから「来ないんで張合が抜けやしませんか」と云った。
  帰る時、奥さんは「どうも御気の毒さま〔どう〜傍点〕」と会釈した。其調子は忙がしい処を暇を潰させて気の毒だというよりも、折角来たのに泥棒が這入らなくって気の毒だという冗談のように聞こえた〔其調〜傍点〕。(【傍点は筆者】)
(53)右の会話中の「奥さん」の「どうも御気の毒さま」という言葉は、暇を潰させたことにも、また、泥棒が来なくなって手持ぶさたでお気の毒であるということにも、両様の意味に解せられるところで、この表面に現れたところだけからは、「奥さん」の真意を把えることは困難である。しかし、「私」は既に留守番をしながら、「奥さん」と次のような冗談を云つている。
 
  (奥さん)「でも退屈でしょう」
  (私)  「いいえ。泥棒が来るかと思って緊張しているから退屈でもありません」
       奥さんは手に紅茶々碗を持った儘、笑いながら其所に立っていた。
      「此所は隅っこだから番をするには好くありませんね」と私が云った。
  (奥さん)「じゃ失礼ですがもっと真中へ出て来て頂戴。御退屈だろうと思って、御茶を入れて来たんですが、茶の間で宜しければ彼方で上げますから」(【第十六回】)
 
更に、先生が帰って来て、「どうも御苦労さま、泥棒は来ませんでしたか。来ないんで張合が抜けやしませんか」と冗談を云つている。従って、「奥さん」の真意が、仮にまともな挨拶を意図したとしても、受取る「私」には、これを冗談と解する充分な条件が揃っていたと見ることが出来るのである。
(54) 以上述べて来たことは、要するに、言語は、個物を個物としてそのまま表現するものではなく、一旦これを概念化し、その概念を音声或は文字に移行して聞手の感覚を刺戟するものであるということ、更にこれらの刺戟からある思想を再生するのは、全く聞手の連合作用に依存するものであって、話手の思想が、聞手に完全に伝達される保証というものは、言語それ自体には存しないことを明かにして来たのである。このように、言語が、個物を個物として表現することが出来ず、概念として一般化してしか表現出来ないということは、譬えて云えば、人にある物を贈るのに、これを商品切手として、贈るようなものである。贈主が、シャツを贈るつもりでいても、贈られた者は、これを靴下に、或は帽子に代えるかも知れないのである。何に代えるかは、贈られた者の立場や状況によって定まるのである。
 伝達の成立が、聞手の出生、環境、教養、経験の如何に支配されるとなれば、甲によって表現される思想と、乙によって理解される思想とが、全然、斉しくなることがあり得ないということは当然であって、伝達の喰違いを、最少限度に止めるためには、甲乙両者の環境、経験を出来るだけ同一に近づけるか、相互に、相手の立場を理解しようという寛容な態度を持つより他に方法はないのである。ここに国語教育の関与する道が生(55)まれで来るのである。
 
  註一 ソシュール言語学では、このようには、考えられていない。表現において、ラングが運用される時、一般的なラングの意味は、表現素材である個物に限定されて、その個物を表現するというように説明されにる(【『正篇』六八−九頁】)。
  註二 個物に対する把握の仕方とは、即ち意味作用で、言語は、個物を、それに対する把握の仕方を表現することによって、表わそうとするのであるから、極めて間接的であるということになる。『正篇』では、これを次のように説明した。
    「意味はその様な内容的な素材的なものではなくして、素材に対する言語主体の把握の仕方であると私は考える。言語は、写真が物をそのまま写す様に、素材をそのまま表現するのでなく、素材に対する言語主体の把握の仕方を表現し、それによって聴手に素材を喚起させようとするのである」(【四〇四頁】)。
 
       四 表現における概念規定と描写の意義
 伝達は、音声文字を媒材として、聞手に概念を喚起させることによって成立するのであるが、聞手が喚起する概念も、聞手の経歴や体験によって左右されるということになれば、正しい伝達が成立するということは、極めて困難なことになるのは当然である。(56)共通に誰でも経験することが出来る素材ならばまだしも、抽象的な観念について、伝達が喰い違うことは、我々が屡々経験することである。そこで試みられる手段は、表現者が、表現において概念規定を加えることである。概念規定を加えるということは、聞手が、自己の経験や教養から、自己の立場において、ある語を理解しようとすることに制約を与えて、表現者の思想に近づけさせようとする努力の現れに他ならないのである。例えば、私は今ここで、言語の問題について論じているのであるが、言語のような、容易に正体を捉えがたい事柄について、不用意に「言語」という語を使用するならば、理解者は、銘々自己の既得の概念によって理解してしまうであろう。そこで、私は、総論において、私においては、「言語」という語を、かくかくの意味に用いるということを明かにしたのである。これは、私の用いる「言語」という語が、私がこれを用いることによって、私の特定の思想に限定されないことから起こる当然必要の処置なのである。概念規定は、理解者の理解の逸脱を防ぐという消極的な作用を持っているのであるが、いわゆる描写は、表現者の意識内容に、理解者を誘い込もうとする積極的な作用である。私が経験した特定の「犬」を表現するのに、言語として表現するには、これを一般化し、概念化して「イヌ」としてしか、表現することが出来ない。聞手は、自己の体験から、(57)銘々異なった「犬」の表象を頭に浮べるに違いないのである。それで、用が足りる場合もある。しかし、ある場合には、表現者は、自己の経験をそのままに相手に理解して貰いたい欲求を持つ。
 そのためには、これに適当な修飾語を冠らせて、「毛の茶色の犬」とか、「尾の短い犬」とか、「小牛ぐらいの大きさの犬」とか云う必要がある。しかし、修飾するために用いられた種々な語も、また、それぞれに概念の音声的表現であるから、「毛が茶色」であると云っても、それの具体性というものは、この修飾語によっても、遂に表現することは出来ないのである。ここに、言語における描写ということと、絵画における描写とは、本質的に異なるものであることが分るのである。言語における描写ということが、全く、聞手読手の経験に依存しているということは、言語の宿命的な性格とも云うことが出来るのである。
 
       五 理解における自由と制約
 前諸項において、私は、理解というものが、理解者の出生、環境、教養、経験等に支配されるものであり、ある音声、ある文字によって、一定の概念内容を理解しなければ(58)ならないという強制は、音声文字そのものの中には存在しないことを述べて来た。しかしながら、我々が、「イヌ」という音声、「いぬ」「犬」という文字によって、相互に共通の概念内容を獲得するのは、何故であろうか。それは、我々の過去において、「イヌ」「犬」という音声、文字の連合習慣を、相互に修正して来た結果、同一の連合習慣が形成されている為である。例えば、最初、「イヌ」という音声によって、〔馬〕を理解していたものが、このような経験を繰返している中に、それは〔犬〕を理解すべきであることを知るようになって、ここに彼の連合習慣は、彼の隣人のそれと同様に修正されて来る。それは、連合習慣を修正することによってのみ、生活目的を達成することが出来るのであって、それを異にする場合には、生活目的を達成することが出来ないということから必然的に出て来ることである。私の長女(【当時小学四年生】)が、友人のことを批評して「あの子はオッチョコチョイだ」というのを聞いたので、「オッチョコチョイ」という語をどういう意味に使っているのかと思って、それとなく尋ねてみると、どうも「乱暴者」を意味しているように受取られた。私は、「オッチョコチョイ」の意味を説明しようかとも思ったが、到底、私の手には負えないと思ったし、いずれは、自分自身で修正して行くことであろうと思って、そのままにしてしまった。このような連合習慣の修正は、具体(59)的事物に関するものについては、比較的容易に行われるのであるが、抽象的な観念等に関しては、甲乙丙の間に、その連合習慣を異にしていることを、我々は屡々経験する。例えば、「勇気」というような語をとってみても、甲は、危険に際して挺身して人を助けるような行動を思い浮べるのに対して、乙は、衆議に対して敢然と自己を主張するような行為を思い浮べるというように、それぞれ理解するものを異にしている。このようなことは、同一の主題について意見を述べ合うというような場合には、混乱を来たすことであるから、表現者は、理解者の理解すべき方向を予め規定して置く必要がある。これが、前項に述べた用語の概念規定である。辞書は、我々の用語について、理解すべき方向を規定するものであって、その本質は、表現と理解とを媒介するところにある。例えば、「ヤマ」「山」を、「平地よりも著しく盛り上がった高い土地」(【明解国語辞典】)とするようなものである。このような概念規定は、一般的な語については、辞書をまつまでもなく、我々の言語経験によって、自然習得の形で形成されるものである。しかしながら、以上のような理解の制約は、概念的理解に関することであって、「ヤマ」「山」という語について、「盛り上がった高い土地」を理解すべきことは規定されているが、そこから、日本アルプスのような嶮しい山を思い浮べるか、三笠山のようななだらかな山を想像する(60)かは、全く理解者の自由にまかされていることである。以上のような理解における制約と自由とは、楽譜の解釈の場合と、極めて似ている。音譜は、音の長短、高低、強弱の一般的規定しか、これを示さない。これをどのような音色に具体化するか、強弱はどの程度にするかということは、解釈者の自由にまかされていることである。言語の理解も、これと全く同じである。例えば、次の歌
  み吉野の象山のまの木ぬれにはここだも騒ぐ鳥の声かも(【万葉集、九二四】)
において、作者赤人の経験した「象山」とは、標高何メートルかの特定の形状の山であり、「木ぬれ」とある「木」は何等かの種類の木であり、「鳥」も特定の鳥であったに違いなく、「声」もその鳥の特有の声を表わしたに違いないのであるが、それらのことは、この歌の表現面からは、一切汲み取ることが出来ない。赤人の具体的な経験は、「山」「木」「鳥」「声」というような語によって、概念的にしか表現されていない。これは、いわば理解に対する枠の設定である。我々は、勿論、これらの語から、「海」や「舟」や「魚」を思い浮べることは許されない。しかしながら、右の枠をどのように肉づけし、着色するかということは、理解者の自由にまかされていることである。この自由は、どこから出て来るかというならば、言語が、個物を個物として表現せず、個物を概念化し(61)一般化して表現するところから来ることである。もし、言語が、個物を個物として表現するものであるならば、理解者が、これに自由に肉づけし、着色するということは許されないであろう。
 我々が優れた文学作品を読んで、そこに鮮明な印象を得るのも、それが概念によって表現されているからである。しかしながら、そのような概念的表出に、肉をつけ、彩色を加えるのは、その一半は、読者の連想作用にあるのであるから、読者が豊かな体験を持たない場合には、概念的表現は、ただ概念的表現に終ってしまう。例えば、芥川龍之介の『地獄変』を読むものが、王朝時代の風俗について何等の知識をも持合せていなかったとしたならば、この物語について、華麗凄惨な印象を持つことは、恐らく困難なことであろう。文学作品の与える感銘は、読者の体験に正比例して増大すると云えるのである。しかしながら、作品の与える効果は、その一半は、また、作者の表現の技術にかかっていることも勿論である。作者は、概念的表現を通して、読者が充分にこれに肉づけすることが出来るような表現を選ばなければならない。北原白秋の『邪宗門秘曲』中の一聯、
  目見《まみ》青きドミニカびとは陀羅尼|誦《ず》し夢にも語る、(62)禁制の宗門神を、あるはまた、血に染む聖礫《くるす》、芥子粒を林檎のごとく見すといふ欺罔《けれん》の器、波羅※[草がんむり/韋]僧《はらいそ》の空をも覗く伸び縮む奇なる眼鏡を。(【第二聯】)
には、「青き」「血」「林檎」の如き、読者に色彩の交錯を感覚させるような語を用い、特に「芥子粒を林檎のごとく見すといふ欺罔の器」(【顕微鏡を指す】)は、『切支丹宗門来朝実記』によれば、「芥子を玉子の如く見する近眼鏡」とあるに拠ったものであるという(【吉田精一『日本近代詩鑑賞』明示篇二一二頁】)。「玉子」を「林檎」に置き換える技巧は、読者に、強烈な視覚印象を獲得させる手段に他ならないことを知るのである。比喩は、理解者に、観念の飛翔を許すところの有効な方法である。
  子供は只「お母あ様、お母あ様」と呼ぶばかりである。
  舟と舟とは次第に遠ざかる。後には餌を待つ雛のように〔九字傍点〕、二人の子供が開いた口が見えていて、もう声は聞えない。(【鴎外『山椒大夫』、圏点は筆者】)
我々は、雛が親を待つ光景の経験を、これに組合わせて、悲痛な感情を経験することが出来るのである。
 言語が、特定の素材を、概念としてしか、表現し得ないということは、文学的表現の(63)場合には、絵画や彫刻に比べた時、確かに、言語の表現性の弱味であると考えられるのである。しかしながら、文学的表現の場合のような、作者の個性的な思考感情の表現においても、言語が、概念としてしか表現出来ないということは、受取る読者の自由な肉附けの余地を残しているという点で、言語の表現性のマイナスの面が、却ってプラスとして作用して来ると考えられるのである。従って、言語における描写ということは、描写という語自身は、絵画の場合からの転用であろうけれど、その性質は、絵画の場合とは著しく異なったものと考えなくてはならないのである。
 和辻哲郎博士が、能面の表現機能について述べて居られることは、上に私が述べたところに通ずるものがあると考えられる。
  それ(【能面を指す】)は、男であるか女であるか、或は老年であるか若年であるか、とにかく人の顔面を現わしている。然し喜びとか怒りとかいう如き表情は、そこには全然現わされていない。人の顔面に於て通例見られる筋肉の生動がここでは注意深く洗い去られているのである。(【中略】)ところで、この能面が舞台に現われて動く肢体を得たとなると、そこに驚くべきことが起ってくる。というのは表情を抜き去ってある筈の能面が実に豊富極まりのない表情を示し始めるのである。(【中略】)例えば手が涙を拭うように動けば、面は既(64)に泣いているのである。更にその上に「謡」の旋律による表現が加わり、それが悉く面の表情になる。(【中略】)そうしてこの表情の自由さは、能面が何等の人らしい表情をも固定的に現わしていないということに基くのである。笑っている伎楽面は泣くことは出来ない(【『面とペルソナ』】)。
 
       六 伝達における客体的なものと主体的なもの
 言語過程説における文法論は、言語表現の具体的なものは、常に、詞と辞との結合したものであるとした。換言すれば、人間の具体的な思想表現は、客体的表現と、それに志向する主体的表現との結合から成立することを意味する(【『日本文法』口語篇第三章文論一総説】)。右は、文法論における語論並に文論に関係することであり、特に、国語においては、客体的表現に属する語と、主体的表現に属する語とが、一般的には、截然と詞と辞とに分れ、それが線条的に排列されて、具体的な思想の表現となる。そして、詞と辞とは、次元を異にし、包まれるものと、包むものとの関係にある。以上のことは、すべて、既に、文法論として述べたことである(【『国語学原論』第三章文法論、『日本文法』口語篇第二章二】)。例えば、
  山が見える。
(65)という表現によって伝達される事実は、「山が視界に入って来る」という現象に関する素材的事実と、そのように判断する話手の判断作用である。前者は、表現における客体的なもの(或は素材的なもの)であり、後者は、表現における主体的なものである。この主体的なものと、客体的なものとは、対人的な人間行為の種々な場合に認められることであって、例えば、私が、知人に対して、贈物をするとする。贈る品物は、云わば客体的なものであるが、私は、ただ品物を知人に与えることだけの意図を持っているのではなく、それによって、私は、知人に対する感謝の気持ちを表現しようとするのである。これが、即ち主体的なものである。また、例えば、困っている人を救ってやるという行為を考えてみる。その行為は、これを行為として見れば、机の上にある品物を片づけると同じ行為に過ぎないのであるが、その行為には、その人に対する同情の気持ちが表現されることになるのである。これらの行為を受けるものは、品物を受取ると同時に、その品物に託されているそれらの行為者の主体的な気持ちを受取って、これに対して感謝するのである。右の実例でも分るように、主体的なものは、常に客体的なものに即して表現されるのであって、それは、詞と辞との結合の場合と全く同じである。客体的表現には、必ず主体的表現を伴い、主体的なものは、客体的なものを離れて、それだけを表(66)現するということは出来ないのである。この原理は、当然、文を越えた文章にまで及ぼされなければならない。即ち、一切の表現は、客体的表現と、主体的表現との綯い交ぜによって成立するものである。伝達ということが、思想の表現より理解への流れであるとするならば、そこには、客体的なものの伝達と、同時に主体的なものの伝達とが、共存することが、考えられなければならないのである。
 我々は、毎日の新聞紙上で、その日の出来事を報道される。報道される事件そのものは、表現の素材であり、客体的なものであるが、それらの記事に即して、新聞記者が、その事件に対してどのような態度をとっているかという、記者の主体的なものが、同時に、それに即して、伝達されているのである。第一に、ある記事が報道されて、ある記事が報道されないという選択において、既に主体的なものが表現されるのであるが、更にその事件を、三段抜きで取扱うか、或は紙面の片隅で片づけるかにおいて、記者のその事件に対する態度なり、関心なりが表現されるのである。最も客観的であるとされている新聞の報道ですら、主体的なものの伝達ということを免かれることは出来ないのである。
 伝達においては、一般に、客体的なものに重点が置かれて、ややもすれば、主体的なものの伝達ということが軽く見られている。しかしながら、伝達は、表現者と理解者と(67)の交渉の事実であって、表現者と理解者とを結ぶものは、主として、その主体的表現にあることを忘れてはならないのである。例えば、
  川に近よるな〔二重傍線〕。
という表現において、「川に近よる」ということは、してはならないこととして伝達される素材的事実であるが、禁止の助詞「な」によって、話手と聞手との間に、命令者と被命令者の関係が成立する。伝達が会話の当事者の生活と交渉するのは、右のような主体的表現の語によるのである。
  あの人は、信用の置ける人です〔二字二重傍線〕。
右の表現における指定の助動詞「です」は、話手の判断を表現するのであるが、聞手は、それを、話手の確信として受取り、そこから、聞手の新しい行動(例えば、「あの人」を職場に採用するというような)が展開するのである。もし、この場合、
  あの人は、信用の置ける人でしょう〔四字二重傍線〕。
という推量的陳述の表現をとれば、聞手の行動は、前例とは、恐らく異なったものとなったであろう。聞手は、無条件で、この人を採用することを躊躇したかも知れないのである。
(68) 小説を読むということも、作者の表現を、読者が理解することであるから、伝達の一つの場合に他ならない。もし、その場合、読者が、専ら登場人物の行動や事件の経過に関心を持つとするならば、それは、作品における客体的なものへの興味と理解とに過ぎない。それは、あたかも、人の厚意による贈物の菓子の甘さに気を取られて、贈主の厚意を忘れると同じである。作品の真の味読ということは、素材的な人物や事件に即して表現されるところの作者の主体的なものの理解でなければならない。作者と読者とを結ぶものが、そのような主体的なものにあることは、一般言語表現と全く同じである。ただ、文学作品というような規模の大きい言語表現においては、作者が、彼自らの主体的なものを表現する仕方が、一般言語表現よりも複雑になって来るのである。次に、芥川龍之介の『蜘妹の糸』をとって、そこに表わされた客体的なものと主体的なものとについて考えてみようと思う。この物語に語られるところの素材は、お釈迦様の見聞と、その見聞の内容をなすカンダタの一部始終である。素材的に見れば、読者に強く印象づけられるのは、利己的に振舞った為に、再び地獄に逆落しになったカンダタの物語である。そこから、片岡良一氏は、この物語を次のように解釈した。
  「蜘妹の糸」でまず最初に注意されねばならぬことは、主人公カンダタが、無慈悲なば(69)かりの、醜悪一途な人間として描かれているのではない点であろう。(中略)そういう明るい人間肯定が其処に見出されるのである。
  けれども、彼はその慈悲心に徹することが出来なかった。醜い我慾にその慈悲心を曇らされた瞬間、救いの糸はきれて、彼は再び堕地獄の痛苦を与えられた。其処に作者の人間観の他の一面が見出されよう。人間は本来人間のものである慈悲心に徹することの出来ない中途半端さを持っているのだ――そう考えて、作者はお釈迦様と一緒に嘆息するのである(【『近代日本の作歌と作品』芥川龍之介の「蜘蛛の糸」】)。
氏は、また別のところで、この物語を、古めかしい勧善懲悪主義を主題にしたものであると説明した。片岡氏の右の解釈は、この物語の最も印象的な素材に焦点を合わせたところから出て来ることであるが、もし、仔細にこの物語の構成を辿って行くならば、恐らく、次のような解釈の成立することが許せるであろう。カンダタの堕地獄の一部始終は、お釈迦様の見聞の内容をなしているに過ぎないものであって、本筋は、極楽の朝から昼にかけてのお釈迦様の行動とその心境の推移になければならないものであることを知るのである。作者の主体的なものは、このお釈迦様という客体的な素材の取扱いに即して具現していると見なければならない。先ず、お釈迦様は、カンダタのこの世におけ(70)るたった一つの善行を思い出して、これを極楽に引上げてやろうと考える。そのような努力にも拘わらず、カンダタは、自らの利己の故に再び地獄に逆落しになってしまう。お釈迦様は、この一部始終を見て、悲しそうなお顔をなさったということで、この物語は終るのである。以上のようなお釈迦様の取扱いにおいて気が附くことは、ここでは、お釈迦様は、作者によって、全知全能の絶対者としては、扱われていないことである。前近代的通念に従うならば、お釈迦様は、その欲することのためには、どのような奇蹟をもってしても、これを実現さすことが可能な筈である。ところが、ここでは、お釈迦様といえども、絶対者ではなく、ただ「悲しそうなお顔をなさる」よりいたしかたがなかったのである。これは、明かに超人間的なものの否定と、人間絶対主義との主張である。人間の救済は、人間自らの力によるより他に、道がない、ということが、この物語の云おうとするところであると理解されるのである。従って、読者は、この作者の右のような主体的なものによって作者と交渉するのであって、物語の筋は、その媒介の役目をしているに過ぎないのである。
 以上のように見て来るならば、伝達における客体的なものは、話手より聞手に与えられるものであって、話手と聞手とを結び、そこに人間関係を成立させるものは、客体的(71)なものに即して表現される主体的なものであるということになるのである。この間題は、言語の社会性を論ずる場合の、最も基礎的な考え方となると同時に、文学の機能を考える場合にも重要なこととなるのである。
 
     二 伝達の成否の条件
 
       一 伝達の種々相――正解、誤解、曲解――
 伝達は、表現の媒材である音声、文字を通して、聞手にある思想を喚起させることにおいて、すべて一様に伝達ということが出来るのであるが、その中に、イ、正しい理解(正解)、ロ、誤った理解(誤解)、ハ、歪めた理解(曲解)が区別される。
 イ 正しい理解とは、聞手において、話手とほぼ同様な概念が喚起された場合である。概念の肉附けにおいて異なっていても、それは、正しい理解と云うべきであろう。概念的には理解出来ても、切実な共感を呼び起こさないのは、受取るものの体験が、そこまで到達していない場合で、理解の深さの問題ではあるが、誤った理解であるとはいうことは出来ない。
(72) ロ 誤解とは、音声、文字を媒介として聞手において、喚起された概念が、表現者の意図するものとは、全然別個のものである場合である。この場合、当事者である話手、聞手は、それが誤った伝達であるとは気が附かない場合が多い。その責任は、必ずしも聞手の側にだけあるとは云うことが出来ないので、屡々表現者の表現に対する粗漏や不注意から生ずることは、我々が日常経験するところである。従って、伝達全体の問題としては、誤解と同時に、誤った表現(誤表)も考察の対象にならなければならないのは当然である。
 ハ 曲解とは、話手の表現に対する当然の理解を、故意に歪めて、別の概念として受取る場合である。多くの場合に、悪意に基づくのであるが、必ずしも常に悪意とばかりは云えないので、話手に対する善意から、或は諧謔による場合もあり得るのである。誤解に対する誤表があるように、曲解に対する曲表ということも考えられなければならない。
 もともと、言語は、音声或は文字と思想との結合体として、話手、聞手の脳裏に貯蔵されているものではなく、音声或は文字が、思想や事物に連合し、思想や事物が、音声或は文字に連合する作用或は習慣として、成立するのであるから、それらの作用や習慣(73)が、反射作用に近いまでに、習熟している場合もあれば、連合に努力を必要とする場合もあり、不注意のために、誤った連合をする云いちがえ〔五字傍点〕の場合もあり、時には、連合すべき思想や音声、文字を、一時的に忘れて思い出せないどわすれ〔四字傍点〕の場合もあり得るわけである。また、そのような連合の習慣が、社会の全成員に共通している場合もあれば、極めて狭い家族や職業団体にだけしか共通しない場合がある。このような現象が起こるのは、理解ということが、全く個人個人の永年に亙る習慣の獲得に原因しているからである。我々の研究課題は、伝達が局部的な社会に限定されている場合、広い社会に及んでいる場合、また、それが円滑に行われる場合、或は、それが妨げられる場合等に亙って、その状況を記述し、その原因を探求することである。このことは、国語政策、国語教育の基礎としても、極めて重要なことである。
 伝達の種々相である正解、誤解、曲解については、それらの成否の条件を明かにすることが大切であって、そのことは、次の項に述べることとし、ここでは、曲解の機能について、少しく述べて置こうと思う。
 曲解が、常に必ずしも悪意に基づくものでないことは、前に述べたが、曲解が、一つのユーモアとして、なされることは、我々の日常経験するところである。
(74)  A 年の暮でお忙しいところを、お呼びたてしてすみませんでした。
  B いや、お察しの通り、足をすりこぎにしてもどうにもなりません。全く首の廻らぬ始末で……
  A 余りご精をお出しになるからで、少し按摩にでももませておやりになっては……
  B 今日は、ひとつあなたにもんでいただきましょう。
右の会話には、三個所に曲解を含んでいる。Aが、碁敵のBに対して、歳末多忙の挨拶をしたのに対して、Bは、それを借金返済に多忙であるととりなした。Aは、更にそれを受けて「首が廻らぬ」ことを、生理現象と曲解して、按摩にもませることを提案し、Bは、それを碁の手合わせに解して、主人への挨拶としたのである。右のような曲解が成立する根拠は、それぞれの語が、表現者の意図する思想内容を、そのままに表現せず、一旦、これを概念化して表現するからである。「お忙しいところ」は、表現者の云おうとしている「商売繁昌」の意味には限定されないから、これを、借金の始末に多忙であるというBの答えも可能になって来るのである。
 曲解の事実は、和歌における懸詞の技法にも見ることが出来る。例えば、
  梓弓《あずさゆみ》はる〔二字傍線〕の山辺を越えくれば、道去りあへず花ぞ散りける(【古今集、春下】)
(75)において、「梓弓はる」は、「梓弓張る」の思想を表現する。これを下に続ける時、作者自身理解者の立場において「はる」を「春」の意味に曲解することによって、「はるの山辺」以下の句が成立するのである。このような曲解が成立するということは、音声が、意味と結合して一単位を構成せず、それが喚起することが出来る種々な意味と連合する可能性を持っていることに基づくのである。
 同様にして、曲解の理論は、連歌俳諧における附句の成立にも、これを適用することが出来る。
 連歌の典型的なものとされている水無瀬三吟百韻を例にとってこの問題を考えてみよう。
  雪ながら山もとかすむ夕かな  宗祇(一)
  行く水遠く梅にほふ里     肖柏(二)
  河風に一むら柳春見えて    宗長(三)
  舟さす音もしるき明けかた   祇 (四)
  月やなほ霧わたる野に残るらむ 柏 (五)(【以下略】)
右の連歌の展開において、(一)の発句の作者宗祇は、ロの脇句の作者肖柏に対しては、表(76)現者の立場にあり、脇句の表現が成立つ前に、(二)は、(一)に対する理解者の立場に立つことが要求され、(一)に対する理解に基づいて、(二)の句が置かれるのである。(二)の句が置かれた時、それは(三)に対しては、同様に、表現者の立場に立ち、それに対して、(三)は、理解者の立場を経て、(三)の句を附け、かくして連歌が展開すると見ることが出来るのである。即ち、各句の展開には、常に前句との間に伝達の事実が介在すると見ることが出来るのである。さて、(一)の発句は、早春の夕暮の景色であって、(二)(三)は、それぞれに、前句の状景を拡充したものであるから、通常の伝達の場合ならば、季節と時刻は、発句に規定されたものによって、当然制約を受ける筈である。しかるに、(四)に至って、明け方の景を持ち出した。それは、(四)の作者が、(三)の句を、春の暁の景と理解したことに基づくのである。そのような理解が成立する根拠は、(三)の句における「春」という語が、無限定に表出されているためである。通常の文脈ならば、当然、夕碁の春であるべきものを、暁の春と解することが出来るのは、この「春」という語に対する曲解であると云わなければならない。同様にして、(四)の「明けかた」も、前句との文脈の関係から云うならば、(五)は、当然、「春の明けかた」と理解されなければならない筈であるが、この「明けかた」も無限定であるために、(五)は、これを、「秋の明けかた」と解して、秋の野(77)の残月の景を持ち出したのである。以上を通常の会話と比較して見るのに、
  甲「昨日、江戸川へ舟を出しました」
  乙「釣でもしたのですか」
  甲「僕は景色を写生して来ました」
においては、会話の進展は、「昨日」「江戸川」という場所と時とに制約されて、「釣」は、昨日、江戸川における釣を意味し、「景色」も、また、その時、その所の景色を理解するように制約されるのであるが、連歌においては、むしろ、そのような理解の制約を断ち切って、その語の許された範囲において、新しい境地を展開しようとするのである。ここに、連歌の境地の推移変化というものが成立するのである。このような事実の成立する所以は、曲解ということが、附句の技法として採られているためであり、更に根本的には、言語が、常に特定の素材を、概念として表現するためである(【第一章第一項三、五】)。もし、言語が、特定素材を特定素材として表現するものであるならば、「明けかた」が、春のものと規定されれば、附句が、これを、「秋のあけがた」と理解することは許されない筈である。連歌俳諧は、曲解の原理の上に成立した文学であるということが出来るのである。
 
(78)       二 伝達の成否の条件
 伝達が、どのような条件において成立し、どのような場合に成立しないかということは、伝達過程の詳細の分析によって明かにされることである。先に掲げた伝達図を振返ってみるに(【二八頁】)、伝達は、まず、表現者の表現過程、理解者の理解過程、そして、その中間にある空間伝達過程の三つの部分に分けられる。伝達の成否の条件は、この三つの過程にあると見ることが出来る。
 空間伝達過程 表現者と理解者との間には、どのような場合にも、空間が横っている。従って、この空間に障害があれば、表現過程と理解過程の条件が完備していでも、伝達は成立しない。例えば、空間に雑音があれば、表現者の発音発声は、理解者には到達しない。また、空間に光線が不足していれば、紙面に書かれた文字や活字は、読者の視覚を刺戟することはない。
 今日では、音声や文字は、電話機、拡声機、電信機を仲介として相手に伝達される。これら機械の故障は、やはり空間伝達過程における障害の一つに数えられる。これらのすべては、物理的条件に還元することが出来る。
(79) 表現過程 表現過程は、更に、種々な過程に細分することが出来るが、空間伝達過程に直接するものとして、音声を生産する口腔の生理的器官と、それに関与する運動神経とを挙げることが出来る。声帯、歯、唇、鼻腔等に故障があったり、不完全であったり、または、それらに関与する神経が、弛緩している場合には、音声が、曖昧になったり、伝達されなかったりする。聾唖者は、その極端な場合である。書記行為が不完全であれば、文字による伝達が成立しない(【文字の条件については、本章三「伝達における標準語の機能と表現媒材の一様性と恒常性を参照】)。
 次に、思想を、音声や文字に移行する連合習慣が、不完全であったり、粗漏であったり、誤ったりした場合、即ちいいそこない〔六字傍点〕の場合には、伝達が成立しないか、不完全になる。「猫」を「イヌ」と表現したり、「いぬ」と記載する場合である。聞手は、当然、「猫」を思い浮べないで、「犬」を理解するであろう。
 次に、表現素材である事物事柄を、概念的に把握する意味作用に問題がある。素材を、余り広い概念で把握したり、特殊な把握の仕方をすれば、理解者の理解を迷わせることになる。例えば、「舟」を「乗りもの」と表現して、「舟」を理解させようとしても、文脈の補助がないかぎり、相手は、これを的確に理解することが困難になる。掏摸や特殊の職業に従事する人たちが、自分の仲間だけで用いる隠語は、多くの場合に、事物事柄(80)に対する特殊な把握作用によって成立するものであるが、これは、第三者に不用意に伝達されることを、妨げるためのものである(【『正篇』四二七頁】)。
 理解過程 表現過程の場合に対応させて考えるならば、発音発声器官に対して、聴覚、視覚の生理的心理的作用が挙げられる。聾唖者、盲目者は、その極端な場合で、通常の音声、文字を媒材とする伝達には参加出来ない。
 受取った音声や文字に、通常の連合とは異なった事物事柄を連合させる勘違い〔三字傍点〕の場合にも正しい伝達は成立しないで、誤解が成立する。未知の外国語の音を聞いた場合には、それに何かが連合するであろうということは、分りながら、的確にそのものを連合させることが出来ないのであるから、前後の事情に支えられないかぎり、伝達は成立しない。
 音声、文字に、ある概念を連合させることが出来ても、概念が広すぎたりした場合、それがどのような具体的事物を指しているのかに迷うような場合には、伝達の正確が保証されなくなる。
 表現過程と理解過程との喰違い 表現過程それ自体、理解過程それ自体が正常に遂行されても、伝達が完全に成立するとはかぎらない。それは、表現者と理解者とが、連合習慣を異にしている場合で、その最も著しい例は、両者が異なった方言圏に属している場(81)合である。例えば、「落ちる」ことを、「オチル」という音声で表現した時、理解者が、「降りる」意味に理解するような時である(【南部・岩手等の地方の方言――東条操『全国方言辞典』】)。「カキ〔傍線〕」(柿)と「カ〔傍線〕キ」(牡蠣)とは方言的に、アクセントが反対になる。従って文脈の補助がない場合には、誤解が成立する。これらは、表現過程、理解過程それ自体は、正常に行われたのであるが、相互の連合習慣が異なっているために起こる伝達の不成立である。
 主体的態度と表現理解の技術 言語の伝達は、他の芸術的表現の場合と異なり、ただ表現の充足だけで、伝達が完成されるとはかぎらない。言語においては、何よりも聞手によって理解されるということが、大切なことになる。これは、言語が、常に、生活目的を達成するところに本質的機能があることから来ることである。従って、言語表現においては、相手によって理解されることが常に顧慮される。これを、裏から云えば、相手の立場を顧慮しない表現は、屡々、伝達を失敗に終らせる結果になるということである。相手の立場を顧慮するということは、自己に最も適当した表現を選ぶよりも、聞手が、最も理解し易い表現を選ぶことである。このことは、一般には、無意識に顧慮されているのであって、例えば、子供に向って、子供の言葉で話しかけるような場合はそれである。子供の父親は、私にとって、友人であったり、先生であったりする場合でも、子供(82)に対しては、「お父さんはおうちにおいでですか」と云わなければ通じない。子供にとっては、その人を、教師とも、私の友人とも把握することは困難だからである。子供は、すべてのものを、自己中心にしか把握することが出来ないのである。相手を顧慮することの必要は、聞手の立場からも云えることであって、表現者の立場を顧慮するか否かによって、その言葉を、罵詈とも、忠告とも受取ることになるのである。要するに、伝達は、表現者理解者相互の相手に対する寛容な態度においてのみ成立するので、それは、音声一つの表出においても、相手の受取方を顧慮するか否かということが、伝達の成否に関係して来る。そして、そのような相手に対する態度は、表現理解の技術によって具体化されるのである。言語における技術とは、如何に表現するかの技術ではなくして、如何に相手を理解させるかの技術でなければならないのである。
 このように見て来れば、伝達の成否は、人格の根本に、その条件があると考えられる。それは、性格的ですらあるのである。話の分る人とか、冗談の通じない人などと云われるのは、それである。
 
(83)     三 伝達における標準語の機能と表現媒材の一様性と恒常性
 
 伝達が、正しく成立するためには、これに関係する話手聞手(書手読手を含めて)が、すべて同様な表現過程と理解過程とに習熟している必要がある。明治以後、標準語制定とか、標準語教育とかいうことが云われるようになったのは、日本全体が、統一した社会生活、国家生活をすることが要求されるようになったからである。統一した活動が成立するためには、社会国家の成員が、相互に意志を通じ合うことが必要であって、そのためには、相互に、共通した言語習慣を習得していなければならない。ところが、封建制度下では、各藩は、相互に意志を通ずる必要もなく、また、それが封ぜられていたままに、方言的分裂が甚しく、共通した言語を持ち合わせなかった。これが、明治以後、標準語問題、方言問題の起こって来た大きな理由である。標準語及び方言は、伝達における媒介の機能の点から、先ず、問題にされるようになったのである。今日の方言研究の地盤は、必ずしも、右のような言語の伝達上の問題と関係があるわけではない。それは、一つは、古語の発掘のためのよき資料として、歴史的研究につながりを持ち、一つ(84)は、言語地理学などの意図する言語の分布に対する博物学的関心に基づくものである。従って、右のような方言研究と、今日の標準語とその教育の問題とは、何の関係もないものであって、これを安易に結びつけるところに、種々の混乱が生ずるのである。標準語を、伝達の問題として取上げた場合、方言も、また、伝達の問題として、これを取上げる必要が生じて来るのである。それは、方言と同時に標準語をも習得する二重言語生活の問題である。標準語教育の結果、二重言語生活が行われるようになって、標準語は、方言に対して、屡々その表現性の点から、批判されて来た。方言に存する感情情緒の豊かな表現力は、標準語には求めることが出来ないとされたのである。しかし、この考え方は、言語を、専ら表現の点だけから見ようとすることであって、言語の機能が、伝達にあることを忘れたことになるのである。標準語が、豊かな表現力を持つことは望ましいことであるにしても、既に述べたように、伝達においては、屡々、自己の表現欲を抑制して、相手の理解を顧慮することが要求される。即ち話手聞手が、共通の地盤の上に立たなければならないのである。従って、標準語に要求されることは、誰にでも理解されるという共通の伝達の手段としての性格である。
 伝達の媒介としての標準語の性格を考えるには、それが関係する生活の面を、方言の(85)それと対比して考える必要がある。従来、屡々、標準語と方言とは、二者択一的に考えられ、標準語が空疎であるとするものは、方言の優位を云い、方言の流通性を疑うものは、これを撲滅して標準語一本にすることを主張して、国語教育も、そのいずれをとるかについて迷うような状態であった。しかし、もともと国語教育において、標準語を主とするというねらいは、既に述べたように、全国共通の表現理解の地盤を作ることにあるのである。共通の表現理解を必要とするということは、我々の生活の全面に関することではない。我々の生活に、私的な面と公的な面とがあり、それに応じて、服装にも、不断着と礼服とがあるように、標準語は、我々の公的な、共通的な生活に応ずるためのものである。従って、地域的な、特殊な生活感情を表現する言語が、標準語と並行して存在することは、一向差支えないこととなるのである。
 我々の言語生活において、標準語が要求されるということは、伝達が成立するためには、相互に共通なものが媒介として存在しなければならないことを意味する。これは、人間の社会圏の拡大につれて、当然要求されて来ることであり、また、それによって、共通的なものが出来て来ることも自然である。それは、根本的に云えは、言語は、常に聞手によって理解されることを期待して表現されるものであり、聞手は、常に話手を理(86)解しようと努力するものであること、それが無ければ、言語の機能が発揮されないという根本的な性格に基づくのである。
 伝達の成立に、共通的な媒介が必要であるということは、言語の表現理解の媒材である音声、文字についても云われることである。ここでは、専ら文字について云うならば、文字が、表現者と理解者とに共通であるということは、文字が地域的に一様性を持ち、時間的に恒常性を持たなければならないことを意味する。明治以後の国字政策は、国字問題が、専ら文字の量と字劃の複雑であることに原因するものとして、数的な制限と字劃の簡単化をはかって来た。漢字制限と字体整理がそれである。また、仮名づかいについても、仮名が、語の音と乖離している点を矯正し、表音的にすることが国語を合理化することであると考えた。これらの文字政策は、伝達の困難さのある点を除くに、役立つことは確かであるが、伝達における基本的な問題を無視したものであることを見逃してはならない。もともと、明治以後の国語政策は、伝達の事実に即して、国語の問題を処理しようとしたのではなく、実体的な国語を改めることによって、伝達の問題を解決しようとしたのである。そのような政策論を支えたものが、ヨーロッパ言語学の言語理論であったのである。そこでは、言語とは、思想と音声との結合体である。文字は、そ(87)のような言語の外殻或は容器であると考えられた。従って、この外殻を簡単化し、或は、音声と文字との関連を緊密にすれば、言語の改革が成就するものと考えたのである。このようにして、表現そのものは簡易になるであろうが、言語の機能は、表現だけで果されるものではないのである。そこには、伝達の事実が、殆ど考慮されてはいなかったのである。伝達は、過去から現在、さらに将来に亙り、また地域の東西南北に亙って、表現者と理解者とを結ぶものでなければならない。その際、必要なことは、一つの社会には、一つの標準語が共通の媒介として必要なように、文字が、広い範囲に亙って一様であるということと、時の過去現在未来に亙って恒常であるということである。それは、言語が、相手に理解されなければならないという原則から来ることである。従って、ある思想を表記する文字が、簡単であるとか、語の音声を正確に表わしていることのために、伝達が容易になるのではなく、語とそれを表記する文字との関係が、常に一定しているということが大切なのである。例えば、「理解」という語が、時に「理会」と書かれ、それが同じ思想を表わすとすれば、それは伝達の手続きを二様にさせることになる。字体整理のために、「藏」を「蔵」とすることによって、運筆の労が節約されたとしても、整理以前の出版物との関係を考えれば、伝達の成立のためには、二通の文字を習得(88)して置く必要がある。文字を音声に密着させれば、発音通りに書くことが出来て、表現は容易になったように見えるが、方言差や、臨時的な発音の変化などを、その都度、発音通りに表記したとしたならば、一の思想の表記が幾通りにも別れて、伝達は却って煩わしいことになる。このような改革論者の頭の中には、言語は、ただ、思想と音声、或は文字との結合体とだけ考えられていたから、文字を簡易にし、文字を音声に接近させれば、言語改革は成るものと考えた。言語の具体的な姿が、過去現在未来に亙る伝達の事実であるとは考えなかったのである。その結果はどうなったかといえば、字形において、二通りのものを習得し、仮名づかいについても、二通りのものを学習しなければならないという負担が課せられることとなった。そのようなことが、全く考えられなかったのは、言語における伝達ということが、国語学でも、言語学でも問題にされなかったことに原因するのである。明治以前の仮名づかい論について見れば、定家行阿の仮名文字づかいにしても、契沖の古典仮名づかいにしても、仮名づかいの浮動の状態を、何等かの根拠に基づいて一定しようとしたことにあるのである。言語における文字の機能は、交通における「赤」「青」の信号と同じで、万国共通に一定され、昨日も今日も同じ信号を用いていることによって、交通の安全が保たれるのと同じである。以上のように、(89)伝達論の立場から、言語改革を考える時、言語の改革は、伝達に障害を来さない最少限度においてしか、これを許すことが出来ないことを知るのである。
 
     四 鑑賞の対象とされる伝達事実
 
 伝達ということは、言語の最も具体的な事実であるとともに、生活に密接し、最も実用的な意義を持った一つの人間的事実である。ところが、このような伝達の事実が、第三者的な立場から、興味と鑑賞の対象とされているということも、見逃してならない事実である。それは、人事の葛藤や人間的交渉が、劇や映画として眺められるのと共通したものである。
 伝達が、興味の対象となるのは、普通には、誤解曲解の伝達の場合で、屡々漫才、落語笑話の材料とされる。最も卑近な場合は、同音異義語、或は類音異義語による誤解である。『東海道中膝栗毛』(【沼津−原】)に、
  弥次郎「私どもは夜前の泊で、ごまのはい〔五字傍点〕に取りつかれて、大きに難儀をいたします」
  侍「ハアそれは近頃気の毒ぢや。なるほどごまのはい〔五字傍点〕のさしたのは痛からう」
(90)とある「ごまのはい」(【盗賊】)を、蠅の一種と誤解する類である。読者の興味の対象は、この会話における誤解の事実である。
 話手と聞手とが、ある語に対する概念規定を異にするところから起こる伝達の喰違いも、同様に滑稽感の対象とされる。『膝栗毛』の前掲文に引続いて、北八が、いんでんの巾著を、侍に売りつける話が出て来る。
  侍「お身たちの難儀とあれば求めてつかはさう。価はなんぼぢや」
  北「ハイ三百ぐらゐに差上げませう」
  侍「それは高直《かうちよく》ぢや」
ということで、値段がなかなか纏まらない。そこで、北八が、
  北「かういたしませう。ちやうど〔四字傍点〕にお買ひなさつて下さりませ」
  侍「ヤちやうど〔四字傍点〕とはなんぼぢや」
  北「ハイちゃうど〔四字傍点〕と申すは、百につばまりました事をちやうどと申しますから、百文なら差上げませう」
右において、北八は、この際、「ちやうど」とは、百文のことを意味するとしたのに対して、侍は、「ちゃうど」とは、あらゆる場合に百を意味するものと判断した為に、次(91)の誤解が成立することとなるのである。
  侍「時にお手前はいくつぢや……かうと二十七、八にもなりをるか」
  北「イエちやうど〔四字傍点〕でござります」
  侍「ナニちやうど〔四字傍点〕、アノ百か」
  北「イヤ是でござります」(と指を三本出す)
  侍「ハア、三百には若え男だ」
右は、誇張した作り話に過ぎないのであるが、これに類似した伝達の喰違いは、日常必ずしも珍しいことではない。ただその喰違いは、観察的にのみ発見し得ることで、主体的には、相互にその喰違いが発見出来ず、議論を正しい軌道に乗せて行くことが出来ない結果になるのである。
 上に掲げた連歌の附句の技法において(【二ノ(一)伝達の種々相五四頁】)、もしこの連歌が、鑑賞の対象とされるとするならば、それは、この連歌の当事者間に行われる伝達が、曲解の技法によって、予想外の世界に展開することに対する興味によってであるということが出来るのである。
 
(93)   第二章 言語の機能
 
     一 言語と生活との機能的関係
 
 第二篇第一章「言語による思想の伝達」において、伝達は、言語の最も具体的な事実であるということを述べたのであるが、実は、伝達を伝達として、ただそれだけを切離して観察したのでは、言語を、真に具体的な姿において捉えたということにはならないのである。言語は、何よりも、人間生活全体の中で、それとの交渉連関において捉えられなければならないのである。それは、言語そのものが、そのような事実であることによって規定されるのである。
 表現は、理解を予想し、理解は、また、表現を前提とし、ここに伝達が成立することは、第一章に述べたことであるが、伝達がそれだけで、完成したものとして終了することはあり得ない。例えば、私が、喉が渇いて、「水を一杯下さい」と表現したとする。この場合、聞手が、この表現を理解しただけに終ったとしたならば、この表現は全く意(94)味がなくなる。この際、聞手が、立って水を持って来て呉れるという行動を起こすことが期待されるのである。また、そのような行動の実現を期待して、私の表現が調整されているのである。もし、この相手が、忙しそうに立働いていて、私の要求を容れるのに困難な状態にあると想像されたならば、私は、私の要求が実現するような別の表現を考えなければならないのである。例えば、「水を一杯いただけませんでしょうか」というように。
 このように、言語表現は、ただ表現することによって、表現者が満足を感ずるというものでなく、また、理解者によって表現者の思想感情が理解されることによって完結するような行為でもないのである。表現行為は、常に聞手の理解を通して、聞手の何等かの行為を予想し、また、聞手の行為を制約するものとして、行為されるものである。この場合、相手が、立って私に水を持って来て、私がそれを飲んで、渇を癒すことが出来ることによって、始めて、私の表現の目的は達成されたことになるのである。この一連の行為の中に言語を捉えることによって、始めて、言語の具体相を捉えたことになるのである。このような言語行為と、それによって展開する行為との関係を、言語の機能的関係というのである(註一)。
(95) 言語を、その機能的関係において捉えるということは、言語過程説の重要な、また、中心的な思想である。『正篇』においては、機能的関係ということを、専ら、言語と場面との関係について考えた(【『正篇』第一篇総論五「言語の存在条件としての主体、場面及び素材」四五頁】)。場面の中心的なものは、表現者に対立する理解者、即ち聞手或は読者であって、言語は、常に、表現者と理解者との間に、ある関係を構成しつつ、それを媒介として、生活と交渉するのである。換言すれば、言語と生活との交渉は、伝達を媒介として成立するものであると云えるのである。
 次に、ここで生活と云うのは、人間が、生きるために営む、有目的的なあらゆる行為を意味すると規定し置く。その中には、衣食住の営みは勿論、種族保存のための結婚生活、社会生活を有効にするための政治生活、安心立命を得るための信仰生活、更に、隠遁生活も、これに数えることが出来る。それも、やはり、生きるための一つの生活形式である。言語も、また、人間の生きる営みとして、これを言語生活と呼ぶことが出来る。そして、それは、他の諸生活と緊密に結びついて、そこに機能的関係を構成する。例えば、知識を獲得するための研究生活に対して、読書生活が、それと重要な関係を持っているようなものである。言語行為は、これらの諸生活を促すと同時に、生活は、また、(96)言語行為を促すのであるが、言語生活は、それらの生活を成立させる最も基本的な生活であるということが出来るのである。本章では、専ら、言語行為が、他の生活との間に構成する機能の種類を考察しようと思うのである。
 
  註一 機能或は機能的関係とは、次のような事実について云われる。時計のゼンマイは、その力によって、歯車を廻転させ、更に針を動かして時刻を示す仕組になっている。この一連の活動には、相互に連関性があって、ゼンマイに故障が起これば、歯車が止まり、針も止まってしまう。また、針に故障が起こって廻転しなくなれば、歯車もゼンマイも活動しなくなる。このように各機関の間に相互連関性がある場合に、これらの関係を機能的関係といい、一機関の他の機関に及ぼす作用をその機関の機能という。従って、ある機関の機能という時は、その機関の活動だけを抽象して考えるのではなく、常に、その活動によって作用される他の機関の活動を予想するところの概念である。消化器の機能であるとか、図書館の機能であるとか、交通機関の機能であるとか云われることは、大体、以上のような意味で用いられていると見て差支えないと思うのである。
 
     二 言語の機能
 
       一 実用的(手段的)機能
(97) 言語が、他の生活の手段として行為されるということは、言語の最も基本的な横能であると見てよいであろう。既に挙げた例、
  水を一杯下さい。
という表現行為は、喉の渇を癒すという、私の欲望を満足さすところの生活の手段として行為されたものである。そのためには、この際、相手の行動を促すということが、当面の目的になって来る。そのためには、先ず、私と相手との間に、命令者と被命令者の関係を構成することが必要である。「水を一杯下さい」という表現は、このような関係を構成する手段として行為されるのである。このような実用的機能は、日常卑近な衣食住の生活と言語との間に見られることは、勿論であるが、新聞を読んで、政治や経済の事情を知るような場合、科学書や哲学書を読んで、自然や人間に関する認識を獲得する場合、説教や法話を聞いて煩悶に処する道を教えられる場合、更に、小説を読んで、人事の葛藤に関心を持ち、処世の道を知る場合等を含めて、すべて言語は、伝達を通して、相手の行為や生活に影響を及ぼすものとして、即ち実用的機能において行為されるものである。同じく表現と云つても、絵画や音楽の場合は、これを鑑賞するものにとっては、表現そのものが関心の対象となるのであって、表現が、鑑賞者の行為や生活に交渉を持(98)つことはない。勿論、宗教画や宗教音楽の場合は、それが、鑑賞されるためのものであるよりも、それによって、享受者の宗教的感情を昂揚させるという目的を持つことによって、実用的手段的機能において作用する。文学は、一般には、通常の言語表現とは、別のカテゴリーに属するものと考えられているが、それが、言語的表現であることにおいて、通常の言語表現と区別せられる理由はないのである。従って、文学といえども、読者との関係において見る時、それが、実用的機能において作用するものであることを無視してはならないのである。文学が実用的機能において作用するということは、極端な宣伝文学の場合だけではない。例えば、「荒海や佐渡に横たふ天の川」の句によって、芭蕉と同じように、「魂削るが如く、腸ちぎれて、そゞろに悲しび来る」(【銀河序】)境地に至ったとすれば、それは、自然科学書を読んで、宇宙の秘密に触れたと同様に、文学の実用的機能である。いずれの文学も、皆、読者を何等かの境地に誘い込むものとして、実用的機能を持っていると云うことが出来る。それは、決して、表現そのものが関心の対象となっているのではない。しかし、読者をある世界に誘い込むということは、表現の手続き、技法によるのであるから、それらの表現の手続き技法を噛みしめる時、ここに表現に対する鑑賞が成立する。私は、この関係を説明するために、次のような例を示す(99)のである。例は、「闇屋の歌ったデカンショ節」と題するもので、私が、終戦後、四年間、長野県軽井沢千ヶ滝から東京へ通勤していた混乱の車中で闇屋の立場に立って試作したものである。第一の草案は、
  闇屋、闇屋と馬鹿にするな
  闇屋
  闇屋なければ、食えはせぬ
となっていた。後に、最後の句を、
  闇屋なければ、夜が明けぬ
と改めた。先ず、この歌は、終戦時の食糧危機の際に、危機打開の使命を荷っていると自負する闇屋の軒昂たる意気を宣揚するものとして、表現の意図そのものが、既に実用的意味を持っていること明かである。第一の草案の結句を、「闇屋なければ、夜が明けぬ」としたのは、そうすることによって、表現効果を一層大きくし、全体に均整の美を与えることが出来ると考えたからである。草案は、散文的であるが、決定稿に至って、それは、文学に近づいたと考えるのである。例は、まことに幼稚な試作に過ぎないけれども、文学の本質は、この辺にもひそんでいると見ることは出来ないであろうか。
(100) 文学が、一般には、鑑賞せらるべきものとして、読者に対して、対象的に与えられるものと考えられるのであるが、それは、恐らく、絵画や音楽などの芸術的作品からの類推に基づく偏見というべきではなかろうか。文学は、何よりも、理解者である読者に対する、表現者である作者の呼びかけとして、そこに伝達が形成されるものと見なければならない。読者は、鑑賞者であるよりも、表現の理解者として、虚心、作者の言葉に耳を傾ける聞手の位置に立たなければならない。作者は、また、何等かの意味において、読者の生活を左右し、その魂に影響を与えようとしている。文学のありかたは、このような主体的立場、即ち言語的な伝達として成立するものと考えなければならない。そして、伝達によって結ばれる作者と読者との関係は、一般言語表現と同様に、実用的な機能関係である。このように、文学を考える場合に、言語における機能の問題を導入するという方法は、言語を、絵画や彫刻等の類推において考えることに対して、別個の新しい立場を提供することになるであろう。
 文学が、言語とは別のものであるという考えを導いた他の一つの理由は、文学を以て、専ら、作者の自然人事に対する観照を表現するものであるとする考え方である。文学においては、作者によって眺められた世界と、それに対する感動とが重要なのであって、(101)文学は、云わば、言語を以て描かれた絵画として捉えられている。ここては、読者は、文学の機能の外に追いやられてしまうのである。第三章三(一)「文学は言語である」の項で述べるように、文学は、鑑賞せらるべき対象として、絵画や彫刻と同列に考えられるべきものではなく、先ずそれは、理解を通して、主体的に把握されねばならない。もし、他の芸術作品に類を求めるとすれば、文学は、工芸品或は建築物のような、それ自身、実用的機能を第一とするものと比較されなければならない。
 
       二 社交的機能
 ここに社交的機能というのは、ある事柄が、その実用的機能以外に、それが媒介となって、人間相互の感情の融和親睦を成就するような機能を云うのである。例えば、食事は、本来、栄養を摂るためのものであるから、実用的な機能を持つものであるが、我々は、屡々、人との感情を温めるために会食をする。この場合の食事は、社交的機能を持つということが出来るのである。平安時代には、法華八講や、何々会というような仏教的行事が、信仰のためという実用的機能を離れて、社交の媒介としての機能を持って来た(【枕草子、説教の講師は顔よき】)。同一のものでも、それが置かれる場所によって機能を異にすること(102)がある。花屋の店頭に並べられた花は、店の主人にとっては、それを売って生活の資を獲得する手段としての機能を持ち、生花の展覧会場に置かれた花は、観客の鑑賞の対象として機能し、応接間のテーブルに置かれた花は、主客の気持ちをなごやかにする社交的機能を持っている。言語も同様で、伝達される内容が問題であるよりも、それが、相互の感情の融和をはかる媒介としての機能を持つことがある。
  お早うございます。どちらへお出かけですか。
  どうぞ御ゆっくりなさいまし。
等の表現は、必ずしも相手の行先きを尋ねたり、相手を引き止める実用的機能において行為されるものではなく、そのように、声をかけることによって、お互の気分がとけあうことが出来るのである。従って、聞手の側でも、必ずしも、行先きを知らせたり、相手の要求に応ずる責任を感ずるわけではないのである。同じく行先きを尋ねる言葉でも、警官に尋ねられたような場合には、これに答える義務を感ずるのは、それが実用的機能を持つからである。ある表現が、実用的機能を持つものであるか、或は社交的機能を持つものであるかは、それらの表現の行われる環境によって決定されるのであるが、屡々、また、受取る聞手の性格によって左右されることがある。冗談やお世辞は、それが伝達(103)する事実よりも、それによって、当事者相互の気分を和げる横能を持つものであるが、人によっては、冗談を冗談として受取ることが出来ず、お世辞に不快の感を懐くのは、いわゆる真に受ける〔五字傍点〕というものであって、そのために一座の空気を、白けさせてしまうようなことも起こるし、その反対に、真面目な話(【実用的機能の表現】)をいつも茶化してしまったり、冗談にしてしまうことも起こるのである。言語が、社交的機能において作用することは、祝辞とか弔辞においでも見られることで、それらの場合には、表現される内容が、事実であるか、誇張であるかを、一座の人々は、殆ど、問題にしない。ただそれによって、祝福したり、追憶したりする感情が高められることに満足を感ずる。我々の生活を顧みてみると、実用的な意味を持たず、専ら社交的機能において、会話が行われていることが、意外に多いことを感ずるのである。人と相対している時、何か話題を見附けて話しかけようと努力する。それは、無言で相対していることに、我々は無気味さを感ずるからである。雑談の効果は、言語の社交的機能にあると云つてよいのである。
 以上のような言語の社交的機能は、文学として伝えられて来たものにも見出すことが出来る。賀歌は勿論であるが、恋愛の贈答歌も、社交的機能以外のものでない場合があり得る。源氏物語には、次のような贈答歌が記載されている。源氏の君が、紫上の許(104)を辞してのかえさに、さる女の門を過ぎて、これに云い入れたのである。
  いと忍びて通ひ給ふ所の道なりけるを思し出でて、門うちたたかせ給へど、聞きつくる人もなし。かひなくて、御供に声ある人して、うたはせ給ふ。
   源 朝ぼらけ霧たつそらのまよひにも、行き過ぎがたき妹が門かな
  と二返りばかり歌ひたるに、よしばみたる下づかへをいだして、
    立ちとまり霧のまがきの過ぎうくば、草のとざしにさはりしもせじ
  といひかけて入りぬ。また人も出で来ねば、帰るもなさけなけれど、明けゆく空もはしたなくて、殿へおはしぬ(【若紫】)。
右の贈答歌は、日常の会話に相当するものであるが、「あなたの家の前をす通り出来ません」という贈歌に対して、「どうぞお入り下さい」という返歌があったにも拘わらず、事態は、決して、その言葉通りには展開していない。これは畢竟これらの歌が、その場の挨拶として交換されたものに過ぎないことを知るのである。また、源氏の君と、末摘花(【常陸宮の姫君】)との間に交わされた贈答歌は
   源 夕ぎりのはるゝけしきもまだ見ぬに、いぶせさ添ふるよひの雨かな
  雲間まち出でむほどいかに心許なうとあり。おはしますまじき御気色を、人々胸つぶ(105)れて思へど、なほ聞えさせ給へとそゝのかしあへれど、いとゞ思ひ乱れ給へるほどにて、えかたのやうにも続け給はねば、夜更けぬとて、侍従ぞ、例の教へ聞ゆる。
    晴れぬ夜の月待つ里を思ひやれ、おなじ心にながめせずとも(【末摘花】)
右の歌を、表面から解するならば、両者の感情は、相当に高潮しているかのように受取られるのであるが、その前後の記述からも察せられるように、これらの歌は、決して真情を、そのまま吐露したものであるとはすることが出来ないものである。それは、やはり、相手に対する礼儀として、相手の感情を無下に拒否することをしまいとする平安時代の生活態度(「なさけ」と呼ばれている)から生まれて来たものであると見るべきであろう。これらは、物語中に描かれた虚構の事実であるとしても、そこに、当時代の言語生活の一端の反映を見ることは許されるであろう。同じことは、今日の日常会話にも見出せるのであって、
  ごゆっくりなさいまし。
  大変ご立派におなりです。
等の言葉は、たとえ、それが虚偽であるにしても、そのような言葉をかけて呉れることに対して、お互に喜びを感ずるのである。
(106) 言語の社交的機能ということは、連歌俳諧の興行ということにも、見出せると思うのである。連歌俳諧の展開は、表現と理解、即ち伝達によって、句と句が連鎖することは、既に述べた通りであるが(【第一章二(一)伝達の種々相】)、その間には、相手の表現を、行きづまらせることなく、協調的態度を以て、一巻に変化と抑揚とをもたらす努力が試みられる。その目的は、個々の作者の真実を伝えるということではなく、協同的に新しい世界を創造しつつ、その間に、一座の気分を構成して行くことにあると考えられるのである。
 
       三 鑑賞的機能
 ここに鑑賞的機能というのは、表現が、生活目的の手段となるのでもなく、また、感情の融和の媒介となるのでもなく、表現それ自体が、好悪の感情の対象となる場合である。一般に、芸術的作品は、絵画にしても、音楽にしても、舞踊にしても、享受者の前に置かれたものとして、鑑賞の対象となる。ところが、言語においては、表現は、理解者の前に置かれるものとして、あるのではなく、理解者が、これを、聞手の立場において、主体的に理解すべきものとして与えられるものである。それは、第一に、実用的機能において作用する。このことは、文学的作品と云われるものについても同じである。(107)従って、言語において、鑑賞ということが云われるのは、それが理解せられる主体的活動に即して云われなければならない。それは、あたかも、工芸品や建築におけると同じである。工芸品や建築が美しいと云われるのは、それが絵画的に、或は彫刻的に美しいということではない。工芸品や建築は、先ず、それが実用的意義を持っているものである。もし、それが、鑑賞に値するとするならば、それらが、よりよく実用的機能を発揮する、そのことに即して存在すると云わなければならない。例えば、一個の茶碗の美しさは、それによって茶を飲む時の口触り、手触り、重量感等において感ずる喜びである。ゴシック建築の伽藍の美しさは、それが宗教的行事を行う場としての実用的機能において考えられなければならない。従って、今日では、そのような実用的機能を離れたものとして存在するものについては、ややもすれば、ただ絵画的彫刻的尺度を以て、その美しさを判定しがちであるが、それは、ものそれ自身に即しての鑑賞的態度とはいうことが出来ない。仏像は、それが置かれた信仰の場に置いて、信仰的事実に即して鑑賞されなければならない。
 以上のことは、言語の鑑賞的機能を考える上に極めて大切なことである。言語の鑑賞ということは、言語を対象的に眺めることにおいて成立するのではなく、理解の体験に(108)おいて成立するものである。言語における理解の体験とは、理解者が、媒材として感覚的に与えられた音声文字に、ある観念や印象を結びつけるところの体験である。そこには、音声的体験、文字的体験、更に視覚的表象、聴覚的表象、触覚的表象等が、相互にからみ合って、体験の流動を形作る。このような体験に即して経験せられる美的感情が、即ち言語の鑑賞的機能である。それならば、そのような美的感情は、どのようにして構成されるか。例えば、清少納言が、枕草子に、
  山は、小倉山、鹿背山、三笠山云々
  峯は、ゆづるはの峯、阿弥陀の峯、弥高の峯云々
とあげているのは、それらの地名が、何等かの意味で作者の興味の対象となったことを意味するのであるが、その理由は、明かにはされてない。ところが、「淵は」の条に、
  かしこ淵は、いかなる底の心を見て、さる名をつけゝむとをかし。
  ないりその淵、誰にいかなる人の教へけむ。
とあるによれば、「かしこ淵」「ないりその淵」等の地名が、ただ所の名称として理解されただけでなく、同時に、その名称が「賢淵」「勿入りその淵」という観念を喚び起こしたことに面白さを感じたのである。ここにおいては、語は、その理解の体験に即して(109)鑑賞されでlいるのである。また、
  狭山の池は、みくりといふ歌のをかしきがおぼゆるならむ
という時、この地名が、同時に、「恋すてふ狭山の池のみくりこそ引けば絶えすれわれや絶えする」(【古今六帖六】)の歌を連想さすことによって、この地名に興味を感じたのである。
 語は、このように、常にただ一つの観念を喚起するだけでなく、同時に、他の観念を連想さすことがある。それら観念相互の間に、諧調が生ずる場合に、その語が美しいとされるのである。例えば、特別急行列車に、「つばめ」「はと」の名称があり、酒に「四方の春」「欄漫」の名称があるのは、それである。急行列車が、「からす」や「かえる」であったり、酒が、「落葉」や「しぐれ」であってはならないのは、喚起される観念相互の間に諧調が見出されないからである。右の理論は、これを次のような場合にも、あてはめることが出来る。
  花の色はうつりにけりな徒にわが身世にふるながめせしまに(【古今集、春下】)
右の歌においては、「花の色」「ふる」(降る)「ながめ」(長雨)等の語が、同時に「容色」「経る」「眺め」等の観念を喚起し、それが、主奏と伴奏との関係において諧調をなしているのである。同様のことは、
(110)  ぬぎ散らし着物ふみわけ泣く孫の声きく時ぞ婆々はかなしき(【古今夷曲集、巻九】)
  忍ぶれば顔もやせけり我恋は物や食はぬと人の問ふまで(【後撰夷曲集、巻九】)
の如き狂歌の鑑賞性にもあてはめ得ることで、これらの歌が、ただ、ここに詠まれただけの観念を喚起するものであるならば、何の変哲もない、ただこと歌に過ぎないのであるが、この歌が同時に、
  奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき
  忍ぶれど色に出にけり我恋は物や思ふと人の問ふまで
という百人一首によって人口に膾炙した歌を連想させ、しかも、前者が日常的であり、後者が純粋に和歌的心境であって、それらの観念の対比が、意表に出でるところに滑稽感が生まれるのである。
 いわゆる擬人法とか、比喩の面白さも同様の原理に立っている。「波が岩を噛む〔二字傍線〕」「嵐が吠える〔三字傍線〕」「鳥が歌う〔二字傍線〕」等は、「波」や「嵐」や「鳥」の作用動作と同時に、人間或は動物の作用動作を喚起し、この二つの観念が、絡み合って、無生物に生命が与えられ、動物に人間的心理が通うことになる。土井晩翠「星と花」第三聯、
  されば曙雲白く
(111)  御空の花〔四字傍線〕のしぼむ〔三字傍線〕時
  見よ白露のひとしづく
  わが世の星〔五字傍線〕に涙〔傍線〕あり
における「御空の花」は、「星」を意味すると同時に、「花」を連想させ、「わが世の星」は、「花」を意味すると同時に、「星」を連想させ、しかも、これら二つの観念の間に諧調をつくるのである。
 以上は、語が喚起する同時的観念の照応から醸し出される美的体験であるが、言語は、元来、時間的に展開するものであるから、その美的体験も、時間的に継起する観念の照応によるものが多い。その特異なものは、懸詞を契機として展開する観念の照応である。
  秋風にあへず散りぬるもみぢばのゆくへさだめぬ我ぞかなしき(【古今集、秋下】)
において、「ゆくへさだめぬ」は、懸詞として、「秋風にあへず散りぬるもみぢばのゆくへさだめぬ」という想と、「ゆくへさだめぬ我ぞかなしき」という想の展開の契機となっている。この二つの想は、全然別個のことをいい、前者は自然について述べたものであり、後者は、自己の心境を云ったものであるが、そこに観念の照応があって、旋律的効果をもたらしている。想の展開に鑑賞的機能を託したものである。
(112)  義貞の勢はあさりをふみつぶし(【柳樽、初】)
右は、「義貞の勢は」という厳粛な想の展開の方向が、「あさりをふみつぶし」という極めて日常卑近な想へと急角度に屈折展開した場合で、そこにこの表現の滑稽感を誘う鑑賞的機能が存するのである。同様の技巧の例は、
  美しい顔で楊貴妃豚を食ひ(【同、四】)
また、日常的なものから、異常なものへの屈折は、
  生つばきはきはき巴切つて出る(【同、四】)
滑稽的鑑賞の成立するのは、対立する想の角度が、異常に大きい場合であって、厳粛真面目なものと日常卑近なものとの相対的関係で生ずるので、表現の素材や題材そのものによるものでないことは、既に挙げた例によって明かである。
 理解における美的体験は、喚起される観念の同時的継起的対比にあるばかりでなく、感覚的に受取る音声の排列、韻律にも存する(【『正篇』第六章国語美論、一音声の美的表現の項を参照】)。貫之が、土佐より帰京の途次、楫取の「御舟より仰せたぶなり、朝きたの出で来ぬさきに綱手早引け」と云つた言葉を、歌のように聞いたということ(【土佐日記二月五日】)も、音声の韻律的表現が、鑑賞の支えになっていることを物語る例として見ることが出来る。
(113) 理解における鑑賞的機能は、音声、文字、語、文等について云われるばかりてなく、更にそれ以上に文章の構成においても云われることである。
 ここで、先ず、文章とは、何であるかを規定しなければならないのであるが、そのことについては、既に述べたことがあるので(【『日本文法』口語篇第四章】)、ここでは、詳細に述べることは、省略するが、文章は、語、文とともに、言語における一つの質的統一体として、語、文とは、異なった統一原理を持つものである。語と文とが、一語文においては、外形上は一致するように、一文と一文章とは、左のような場合には、一致する。
  かさきざの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける(【新古今集、冬】)
右は、一文であると同時に、それだけで全体をなす一文章である。一般に、一文と云われるものは、それだけで完結した形式を持っているが、多くの場合に、思想表現の展開における一こま〔二字傍点〕であることが多い。例えば、
  行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(【方丈記】)。
は、文法上、一文と云わるべきものであるが、それが、それに後続する文から切離されたものである時、これを文章とは云うことが出来ない。それに反して、前掲の「かささぎ」の歌は、それに続く何等の文をも予想せず、それだけで、完全に完結しているので、(114)これを文章と云うことが出来るのである。
  春過ぎて夏来たるらし。白妙の衣ほしたり天の香具山(【万葉集、二八】)
において、「春過ぎて夏来たるらし」は、完結はしているが、後続の「白妙の衣ほしたり天の香具山」と相伴って、完全な表現となるので、これを文章とは云わず、文というのである。右は、二文から成る一文章である。連歌俳諧における発句は、独立の想と、完結した形式を持つ点から云えは、一文章であるが、これが、発句として置かれた場合は、一文である。これが、全く独立したものとして創作された俳句は、もちろん一文章である。
 文を組立てるものが、語ではなく、語の中で、詞(或は、その相当格)と云われるものと、辞と云われるものとの結合から成る「句」を成分とするように(註一)、文章も、これを組立てる成分は、必ずしも、常に、個々の「文」とは限らず、「文」の集合である「節」paragraph から成立っている。句と句との間に「句切れ」があるように、「節」と「節」との間には段落がある。句が、思想の分節に支えられた、「文」表現の内部の一まとまりであるように、「節」も、また、思想の分節に支えられた「文章」表現内部の一まとまりである。句と句とが、入子型構造によって、より大きな句にまとめられ、例えば、
(115)上句、下句を構成するように、節も、また、入子型構造によって、より大きな段落を構成する。文章における節を、大きくも小さくも句切ることが出来るのは、節と節との関係が、入子型構造によって排列されるためである。
 文章の構造を、以上のように見て来る時、文章の全体というものは、絵画や彫刻のように、同時的全体 simultaneous whole として把握されるものではなく、音楽や舞踊のように、継時的全体 successive whole として把握されるものである。絵画や彫刻の全体印象というものは、作品に対する同時的な直観によって構成されるのであるが、音楽の場合は、先ず最初に楽曲の主題が提示され、以下、その主題の展開において楽曲が構成される。この場合、最初に示される主題は、絵画や彫刻における全体印象に相当するものと見ることが出来る。音楽における右の如き構成は、そのまま、これを文章にあてはめることが出来る。文章の全体印象というものは、全体の通読によって同時的に把握されるものではなく、文章の冒頭に示されることが多い。例えば、
  昔々、おじいさんと、おばあさんとがありました。
という「桃太郎」の冒頭は、以下に展開する物語の「時」と「人物」とによって、全体の輪郭を示している。以下は、それの細叙、布衍、説明として展開する(註二)。
(116) 文章の展開における段落については、古来、種々の立場から観察されている。例えば、支那詩論において、絶句或は律詩について、「起」「承」「転」「結」(或は「合」「落」とも)を論じ、散文について、「起」「承」「舗」「叙」「結」を論じ、また、仏教学において、経文の構成について、「序分」「正宗分」「流通文」を区別し、楽曲において、「序」「破」「急」を論ずるのは、それである。また、川端康成氏が、小説のプロットを論じて、これを、「時間的構成」「因果的構成」「散漫構成」(【連鎖プロット】)などとするのも、同様に、文章構成に対する観察の一つの結論である(【『小説の構成』五九頁】)。
 以上は、文章の構成についての概略であるが、もし、文章について鑑賞ということが云われるとするならば、それは、冒頭より、その展開に従って、逐次、読み下して行く体験に即して経験せられるものでなければならない。このような経験は、あらゆる文章に通じて云うことが出来るものであって、いわゆる文学作品についてのみ云われることではないのである。例えば、実用的機能を主とする論文について見ても、それが、緊密な有機的関係において論理的に展開する場合、我々は、そこにある種の快感を感ずる。言語における鑑賞とは、譬えて云えば、これを旅行における経験に比することが出来る。はてしない草原の旅は、我々に退屈を感じさせるが、山去り、海迎え、渓流あり、人家(117)ありという車窓の眺めには、旅の楽しさを味うことが出来るようなものである。しかし、この譬えは、文章の鑑賞的機能を、ただ、作品の形式的な筋の組立として、受取られる惧れがある。既に、第一章一(六)「伝達における客体的なものと主体的なもの」の項で述べたように、言語は、その如何なる場合においても、客体的なものに即して、そこに主体的なものが表現される。一語の選択でも、それが、選択されることにおいて、主体的な立場、態度によって色づけられるのである。ただ、作品の筋の組立において、その作品の面白さを感ずるのは、作品を、ただ、その客体的なものにおいて理解したので、未だ全面的にこれを理解したものとはいうことが出来ない。客体的なものは、作者の主体的な立場、作者の人生観、社会観等によって規定されるものであるから、客体的なものを通して、主体的なものを理解することによって、この作品の全き鑑賞が、成立するということが云えるのである。しかしながら、作品における主体的なものの理解と云っても、それは、作品の構成という、云わは形式的なものを通してしか把握出来ないのである。このことは、既に、芥川の『蜘蛛の糸』を引合いに出して述べた通りである(【第一章一(六)伝達における客体的なものと主体的なもの】)。
 
  註一 文の成分については、『日本文法』口語篇第三章第六項総説においては、「成分及び(118)格は、句の中から、辞を除いたものについて云われなければならないのは当然である」というように述べて置いたのであるが、右は、辞によって規定された「格」について適用されることであるが、「成分」は、詞と辞との結合である「句」を称すると云った方が適切である。例えば、
  花が咲いた。
という文において、「花が」「咲いた」が、この文の成分であり、「花」が主語格であり、「咲い」が述語格である。「句」は、成分の構成要素の点から云われる名称であり、成分は、「文」全体から云われる名称である。
  文の成分としての句は、一語としての詞と辞との結合にかぎらず、次のような場合にも、これを句とみなす。
  春雨の降るは涙か、さくらばな散るを惜しまぬ人しなければ(【古今集、春下】)
右における「春雨の降る」「さくらばな散る」は、それぞれ、一体言に相当し、「春雨の降るは」「さくらばな散るを」は、ともに、詞辞の結合した「句」と見なすことが出来る(【『日本文法』文語篇第二章一詞(一)体言及び体言相当格】)。
  註二 冒頭文の展開については、『日本文法』文語篇、第四章第四項「文章における冒頭文の意義とその展開」を参照。
 
(119)   第三章 言語と文学
 
     一 言語研究と文学研究との関係
 
 文学において言語を考えることは、文学において美を考えたり、文学において思想を考えたりすることに比して、根本的な問題でないとは、決して云うことが出来ないのであるが、それが一般に軽く扱われ、或は閑却されるのは、言語学者が、自己の学問的立場から、文学を、自己の視野の中に持込むことに熱意を欠いているか、文学の研究者が、文学作品を、始めから、芸術的作品の範疇に入れて考えることを自明のこととし、文学と言語との関連交渉を問題にすることを拒むことから来ていることではないかと考える。更に根本的には、現代の言語観の中に、言語において文学を考えるにふさわしくない言語理論が存在するとともに、また、現代の文学観の中に、文学において言語を考えることを阻むような文学理論が存在するためではないかと考えられるのである。
 私は、ここで、文学理論の側からではなく、専ら、言語理論の側から、文学をどのよ(120)うに考えるかの問題を提出して見ようと思うのである。言語と文学との関係を考える前に、言語を研究対象とする言語学と、文学を研究対象とする文芸学(【文学学という名称が熟さないために、この名称を用いる】)との関係、我が国の場合で云えば、国語学と国文学(【学問の名称としての】)との関係を問題にしてみようと思う。言語と文学とは、先ず、学問を媒介として交渉が始められたと考えられるからである。
 国語学と国文学とは、云わば、近世国学の生んだ双生児とも云うべきものである。もちろん、今日の国語学国文学は、明治における再建途上において、西洋の文学研究や言語研究の方法、課題を多分に取入れて来たために、今日においては、国語学と国文学とは、云わば赤の他人のように、その交渉を持たなくなった――その理由については後に述べる――が、江戸時代の国学の世界においては、その関係、交渉は極めて密接であって、国語学は、殆ど全く国文学のために存在していたということが云えるのである。富士谷成章の国語学は、彼自ら『脚結抄』の総論に述べているように、和歌の解釈と制作との為であった。本居宣長の『詞(ノ)玉緒』についても同じことが云えるのである。近世国語学の研究主題が、専ら、上代中古の文法語釈に限られていたのは、全く右のような事情、即ち国語学が国文学の研究のために生まれて来たことに基づくのである。久松(121)潜一博士が、国語学を、国文学の研究体系における一環として位置づけられことは、以上のような理由において意味があるのである(【『国文学通論』第四章三】)。この事情は、明治以後に至って、全く一変した。国文学が、その研究領域を、中世から現代にまで拡張し、その研究課題を、訓詁註釈から文学評論へ、更にその歴史的社会的地盤との関係の究明にまで、手をのはすに至って、国文学は、もはや昔のように国語学の援助を必要とすることが少なくなった。というよりは、国語学が、国文学に必要な栄養を供給することが少なくなったと云った方がよい。この両者の関係は、明治以後の国語学の性格からも出て来たことである。国語学の主題も、江戸時代における文献解釈、或は和歌の製作の手段としての立場を離れて、口語の歴史的研究を主題とするようになって、国文学とは、研究対象を異にし、従って、国語学が国文学のために存在するという、国学における関係は、今日においては、稀薄になった。しかしながら、国文学に対する国語学の寄与ということは、江戸時代的な主題、即ち文法語釈等に限定しても、今日において無意味になったものではなく、今後も、国語学の一つの任務として助長されねばならないことである。私の『古典解釈のための日本文法』(【『日本文学教養講座』の中】)や『日本文法文語篇』(【岩波全書】)は、正に、そのような意味における国語学の寄与を実践したものである。
(122) 以上は、国語学と国文学との学問的交渉の面を取上げたのであって、そこでは、国語学の研究成果が、国文学の研究に利用されるという点で、交渉があるのである。そこでは、研究対象である文学と言語との交渉ということは、殆ど問題にされることなく過ぎて来たのである。もし、国語学と国文学との交渉があるとするならば、それは、その対象の点において交渉が認められなければならない筈である。言語と文学とは、無縁なものであるのか。或はその間に何等かの交渉があるものであるのか。もし、交渉があるとすれば、どのような意味で交渉があるのか。それらの点を明かにしなければならない。
 
     二 言語は文学表現の媒材であるとする考え方
 
 詩歌や韻文が、文学の王座を占めていた時代から、散文が文学の主流をなす近代に至って、文学における思想ということが、特に強調されるようになった結果、文学の本質は、その思想性にありと考えられ、少なくとも、文学を支えるものとして、その思想が重要なものと考えられるようになって来た。しかしこのことは、実は、近代文学の特質を規定するものではあり得ても、文学そのものの本質を規定するものではあり得ない筈(123)なのである。それは、文学の本質を、それが表現する感情情緒に求める文学観が、内容主義であると同様に、これもまた内容主義に過ぎないのである。しかしながら、この文学観において、文学における言語ということが、全く無視されているというわけではないのであって、そこでは、文学というものと、言語というものが、一応切離されて考えられているに過ぎないのである。言語は、思想の衣装であり、文学の本体を、衣装の奥にひそむ思想において捉えようとするのである(註一)。以上のような文学観は、云わば、文学における構成観である。文学研究は、文学における諸々の構成要素を摘出し、その要素の有機的連関において文学を把握しようとするのである。久松潜一博士が、文学において、文学性、民族性、歴史性、風土性などとともに、言語を、言語性として摘出された如きは、その一つである(註二)。岡崎義恵博士の文芸学の対象把握の態度の中にも、類似したものが見られる。
  此処に文芸というのは、今日一般に文学とも呼ばれている、芸術の一部門で、表現媒材として言語を用いるものである(【『日本文芸学』三八頁】)。
  さてかくの如き意味の文芸というものの中には、芸術的性質と言語的性質とが存するという事は直ちに心附く事であって(【同上】)。
(124)  文芸とは芸術的言語であるのか、言語的芸術であるのかという問題が起る。(【中略】)芸術的言語と見るならば、文芸学は結局言語学の一部門とも見られるものであり、言語〔二字傍点〕が学の対象となる場合の特徴が中心問題となって来る。又言語芸術という風に見るならば、芸術性〔三字傍点〕の言語的表現とは如何という点が問題の中心となる。この文芸が本質上言語〔二字傍点〕であるか芸術〔二字傍点〕であるかという問題においては、私は芸術を主位に立てる立場を採ろうと思う(【同上書、三九頁】)。
  無論文芸においては、言語文章が、文芸と他の芸術様式とを甄別せしめる重大なる特徴であるけれども、それは本来芸術的なるものが、存在の様式として言語的具体物の中に宿る状態を意味するのであって、芸術の実現の一手段と見るべきものである。文芸はまず芸術である。言語はそれの様式的特徴である(【同上書、二九一頁】)。
右の論述によっても知られるように、岡崎博士においては、芸術と言語とは、明かに区別せらるべき概念であって、文芸学の対象は、言語の中に宿る芸術そのものである。そして芸術とは何かと云うならば、
  芸術は美〔傍点〕の実現の道である(【同上書、四一頁】)。
  文芸は、芸術という「美的精神の実現」が言語という器によって遂行される姿である(125)が(【同上書、四三頁】)。
  文芸性の特徴となるものは何であるかというと、それは言語の意味表象が形成する想像の世界、思想的なる美であろう(【同上書、四五・六頁】)。
と云われるように、文芸の特徴である芸術性を、極めて潔癖に、言語の意味表象に託された思想の美に求められた。従って、詩歌の生命とする韻律の如きものは、「文芸性よりも音楽性に属するものとして、音楽理論による研究がなされなければならない」とされた(【同上書、四四頁】)。以上のように解説することは、或は、岡崎学説の一面のみを強調して、他の面を忘れたことになるのではないかを、私は惧れるのである。
  韻文散文の別の如きは、文芸学上の問題としては、音複合体としての聴覚的要素の問題ではなくして、言語表象の進行の形式、想像や思想の律動の姿として考えられなければならない(【同上書、四六】)。
と云われる時、文芸における芸術性ということは、もはや、「言語の意味表象が形成する想像の世界、思想的なる美であろう」というように云われないものがあることを想像させるのである。
 文学において、思想を重視する立場といえども、素朴に、思想そのものが文学である(126)などと云われることはないのであって、言語によって形象化された思想、或は、思想の形象化されるところに文学を見ようとするので、そこに、文学における言語が、直に問題となって来るのであるが、この問題を正当に処理出来ない大きな理由として、既に述べた文学を構成的に分析する立場があると同時に、伝統的な言語観が、この問題を、昏迷に導いていると考えられるのである。伝統的な言語観に従うならば、言語は、表現以前に存在する、表現とは別個の体系である。文学的表現は、その表現に際して、それとは別の世界である言語を借用して表現を成立させると考える。ここにおいて、言語は表現における媒材と考えられている。岡崎博士が「『文芸』の意味を、(【中略】)言語(【特にその意味表象】)を表現媒材とする芸術の一部門」「言語の意味を藉りて表現を果す芸術の総名」などと云われるのは、正に、右のような言語観に支えられた考え方である。この考え方に従うならば、芸術と言語とは、本来別のもので、それが結合するところに、文芸が成立するという考え方も、当然、出て来ることなのである。
 以上のような、文学と言語との関係に対する考え方は、絵具や木材石材が、絵画や彫刻に対する関係から類推された考え方に支えられている。絵具や木材石材は、本来、画家や彫刻家に対立した物質的存在であって、それが表現の媒材として、作者と享受者と(127)を媒介する役目を持つ。同じ考え方は、シャール・バイイが、ソシュール言語学を継承して、スティリスティーク Stylistique(【文体論】)を構想した時にもとられている。作者が自己の思想(【バイイは、これをla vie と云った】)を表現するには、資材である言語ラングを運用する。ここに、ラングは、作者に外在する、音韻と意味との結合体である。このラングの運用の手順を研究するのが、即ちスティリスティークであるとするのである。
 以上のような言語資材観が、文学論に作用する時、言語は、文学における媒材であるという考え方も、文学の本体は、言語に宿った思想の美であるという考え方も出て来る。そして、言語と、文学とは、全く別の世界のものであるとする考え方も成立するのである。
 
  註一 サピアは、言語と文学との関係を、次のように述べている。「言語はわれわれにとって思惟移行の方法であるに止まらない。それはわれわれの精神が纏う目に見えない着物であって、すべて精神の象徴的表現に既定の形態を賦与する。その表現が異常な意義を有する場合に、それを文学と呼ぶ」(【木坂千秋訳『サピア言語−ことばの研究序説』第十一章二八三頁】)。
  言語は、大理石、青銅、粘土などが彫刻家の材料であるように、文学の媒材 medium である(【同上書、二八四頁】)。
(128)  註二 久松博士は、言語と文学との関係を次のように述べて居られる。「文学は必ず言語によって表現される所に言語を理解することが作品を理解する所の出発点であり、本文を理解する出発点でもあるのである。而して文学が言語芸術であるということは単に文学を表現する材料という意味のみではなく、言語は文学そのものの重要な要素をなしているということになる」(【『国文学通論』第四章三言語形象】)。
 右においては、言語は、文学の表現の媒材と考えられていると同時に、また、文学の要素とも考えられているのである。そこから、文学における言語性という考え方も出て来るのである。
 
     三 言語過程説における言語と文学との関係
 
       一 文学は言語である――文学と言語の連続性――
 言語を、表現過程、理解過程そのものであるとする言語過程説の考え方に従うならば、文学は、本質的に言語そのものである。文学は、言語として表現し、言語として理解するところに成立する。この命題が成立するためには、何よりも、言語に対する考え方が改められなければならない。言語を、個人の機能とは別に、個人に外在するものとする(129)言語観に立って、言語は文学であるということは、不可能である。言語を表現理解の行為とする言語過程観に立って、始めて、文学は言語であるということが云えるのであって、ソシュール的言語観に立つならば、文学は、依然として言語とは別のものである。私は、ここで、先ず第一に、文学は言語以外の何ものでもないということを、換言すれば、文学は、ある修飾語を以て限定された言語であるということと、このように、文学を言語であると定義することが、文学研究にとってどれだけの意味があるかの点を明かにしたいと思う。
 言語は、表現過程であり、理解過程である。「草が緑だ」「春になった」と表現し、また、それを理解する時、言語が成立するのであって、これらの表現理解以前に、その資材となる言語が存在するとは考えない。従って、
  いは走る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも(【万葉集、一四一八】)
という、いわゆる文学的表現も、それが表現であることにおいて、「草が緑だ」「春になった」などという日常の言語表現と異なるものではないのである。「いは走る垂水」の歌には、作者の感動が籠められているが故に文学であると云うかも知れない。しかし、「草が緑だ」「春になった」という表現に、話手の一陽来復の喜びが寓せられていないな(130)どとは云えないのである。言語と文学とは、それが表現であることにおいて、これを連続的なものと見なければならないのである(【第二章二(一)「実用的(手段的)機能」の項において述べたことは、この問題に関連がある。】)。
 文学と言語との関係は、これを、芸術的な建築や調度品と、そうでない日常的な建築や調度品との関係に比べることが出来る。芸術的な住宅や寺院や机や茶碗といえども、その本質において、日常的な住居や器具と異なるものではない。ただ、我々は、前者において、快と喜びとを感じ、後者において、それが少いというだけの相違である。即ち、前者がより多く美的享受の対象となり、鑑賞に堪えるものを持っている点において異なる。しかも、重要なことは、美的享受の対象となる美そのものも、建築或は茶碗としての実用的な機能とは別個に、それに加えられたものではない。建築であり、茶碗である実用的機能に即して、更に云えば、そのような機能を高めるところに、美が成立すると考えなくてはならない(【第二章二(三)】)。そして、そのような享受に値するものは、程度の差こそあれ、我々の身辺にも、小さな存在としてあるのである。芸術的なものと、そうでないものとの間に、截然と境界線を引くことは困難であって、それは、連続の相をなし、しかも、鑑賞性ということは、実用性の否定において成立するものでなく、実用性と正比例しているものであることを知るのである。言語の場合も全く同じで、芸術的な言語(131)と、芸術的でない言語との間に、一線を劃することが困難であること、そして、言語が美的享受の対象となり、鑑賞に堪える鑑賞性を持つということは、言語が、言語としての機能を果すことに即して実現するものであること、これが、言語過程説から導かれる言語と文学との関係に対する第一の点である。
 文学が、言語と連続的なものであると云うことは、言語の持つ機能は、文学も、また、これを持ち、文学といえども、その観点から見られなければならないことを意味する。言語は、報告や説得や命令や禁止や求愛や挨拶等の表現によって、相手との種々な対人的関係を構成するのであるが(【第五章四・五】)、同じことが、いわゆる文学と云われるものにも存在するのである。例えば
  我が君は千代に八千代にさゞれ石の巌となりて苔のむすまで(【古今集、賀】)
という賀歌が、「いつまでもお達者でいて下さい」という日常の挨拶に対して、特にこれを文学であるとする根拠を示す文学観は、未だ理論的には構成されていない。少くとも、前項で述べた岡崎博士の文芸観からは出て来ない。挨拶の言葉が、文学であることを主張する文学理論が生まれなかった第一の原因は、文学を、ただ、自然人事に対する作者の観照と、それに志向する美的感動の表現とに局限して考えることが行われたから(132)である。即ち文学は、作者のある対象に対する感情情緒の表現であり、文学の文学たるところは、表現せられる感情情緒の質的差異にあると考えられたことである。これは、文学を限られた範囲に限定し、それのみを文学として演繹的に主張することにはなるであろうが、それでは、一般の文学意識を満足さすことは出来ない。文学の世界を、より広大な言語の世界との関連において眺める時、言語によって表現されるものが、常に必ずしも、話手によって対象的に眺められた自然人事と、それに対する感動であるとは限らないように、文学の表現する感動も、常に必ずしも、眺められた自然人事に対するものとは限らないことを知るのである。
  み吉野の象山のまの木ぬれにはここだも騒ぐ鳥の声かも(【万葉集、九二四】)
  淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしぬに古へ思ほゆ(【同、二六六】)
前者は、自然に対して、後者は、自己の意識に対する観照的態度に基づく表現であって、古代文学より、近代文学に及ぶまで、多くの文学作品は、自然人事に対する作者の観照的態度の所産である。そこでは、文学の素材は、常に作者に対立した世界であり、作者は、何等かの態度を以て、これを眺めているのである。恋愛に対する態度についても同じことが云えるのである。
(133)  ほとゝぎすなくや五月のあやめ草あやめも知らぬ戀もするかな(【古今集、恋一】)
  風吹けば峯にわかるゝ白雲のたえてつれなき君が心か(【同、恋二】)
右は、恋うる心のほとばしり出たものではなく、眺められた恋情である。これらの歌には、特に恋愛の対象として呼びかけられている相手というものは表現面には出て来ない。云わば、独白的な表現である。もし、これらを「眺める文学」と名づけるならば、文学作品は、多く眺める文学として制作されたものであるとは云い得るであろう。しかし、文学を、ただこれに限定し、それらの言語に宿る思想の美を以て、価値の基準とするならば、恐らく、多くの名歌は、その選に漏れてしまうであろう。
  君が行きけ長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ(【万葉集、八五】)
  夕やみは道たづたづし月待ちていませ我が背子その間に見む(【同、七〇九】)
  三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなむ隠さふべしや(【同、一八】)
右の諸歌は、すべて、作者によって、眺められている対象の世界を持っていない。これらの歌に含まれている「迎へか〔傍線〕行かむ」「月待ちていませ〔三字傍線〕」「心あらなむ〔二字傍線〕」「隠さふべしや〔傍線〕」等の傍線の語によっても明かなように、それらは、すべて、ただ、相手に対する「問い」「命令」「誂え」を表現したものである。それらは、眺められた自然人事の描写(134)の文学ではなくして、相手に、「呼びかける文学」である。それらは、眺める態度とは明かに区別せられねばならない表現態度である(註一)。文学が、本質的に言語であるとするならば、その中に、相手に向つて、意志し、命令し、要求し、懇願し、求愛し、憎悪し、禁止し、勧誘する表現があるのは、当然であり、かつ、古来、これらの歌が立派に文学と認められて来たのである。さて、それならば、これらの歌が、文学とされる根拠はどこにあるのか。私は、この問いに答える前に、文学が、一般言語表現とは別のものであると考えられるようになった経路を尋ねて見ようと思う。古今集序は、明かに、「呼びかける文学」に対して、「眺める文学」の優位を主張したものである。
  かくてぞ花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露をかなしぶ心ことばおほく、さまざまになれりける。
そこでは、自然はもとより、人間の心も、恋愛も、すべて観照の対象とされ、ここに、古今集以下の勅撰集的和歌の系列が生み出されることとなったのである。題詠は、その極致と見ることが出来る。この基準に照して見るならば、万葉集以来、その重要な部分を占める「呼びかける歌」は、「まめなるところには、花すゝきほに出すべきことにもあらず」(【古今集序】)として、勅撰集からは、締め出されることになったと考えられる。し(135)かし、それらの歌が、実際生活の上では、重要な機能を果していたであろうということは、源氏物語等の中における贈答歌から想像されるのである。ここで、重要な機能とは、一般言語の持つ、相手に呼びかけ、相手の行動、生活を左右する機能をいうのである。しかし、勅撰集的文学観は、文学の性格を、一方的に規定し、文学を、専ら、「眺める文学」としてのみ見る傾向を植付けたこと、そして、呼びかける文学に、文学を見る立場を失わしめたことは否定出来ないであろう。「眺める文学」が、必然的に、その文学的価値を、眺められた物と、それに志向する感動とに求めるのは当然である。
 「眺める文学」、そして、言語を文学の媒材とする言語観の合体するところに、前項に述べた岡崎博士の文芸観が成立すると見るのは僻目であろうか。文学の本体を衝くには、先ず、媒材である言語を取り除き、その素材となっている思想の美によってこれを規定する。その思想は、即ち何ものかに対する感動として成立するとするのである。これは、確かに、文学と言語とを分つ考え方である。それならば、古来文学と考えられ、かつ優れた文学と考えられて来た「呼びかける歌」は、これをどのように説明するのであるか。恐らく右の理論では、これを解くことが出来ないであろう。これは、文学を言語から切離して、そこに独自の世界を見出そうとしたことに原因するのである。
(136) 勅撰集的系列に属する和歌と、その文学論とに拘わらず、「眺める文学」に対する「呼びかける文学」に、文学的価値を見出そうとした歴史的事実に注目する必要がある。
 古今集の序が、一つの見識――それは支那詩論の影響に基づくものか――によって、万葉集の相聞歌、贈答歌に見られる「呼びかける文学」を斥けて、「眺める文学」の優位を主張したことは、既に述べた。それにも拘わらず、万葉集の「呼びかける文学」は、その言語としての機能を、遺憾なく発揮して、和歌を生活の中に位置づけた。後世、万葉集をよしとする基準には、種々あって、題材、格調の点から、そこに価値を見出す場合もあったであろうが、万葉の和歌が、一般言語に通ずる性格と機能を持っていたことに対する着目も無視してはならない点である。京極為兼が、
  万葉の比は、心のおこる所のまゝに同事ふたたびいはるゝをもはゞからず、褻晴もなく、歌詞たゞのこと葉ともいはず、心のおこるに随ひてほしきまゝに云ひ出せり(【「為兼卿和歌抄」歌学大系巻四】)。
と云つたのは、正にその点を取上げたものと解せられるのである。近世に至って、俳諧が連歌に対して、新しい道を開拓しようとした時、題材、語彙において、俳言なるものを主張したことは、一般に知られていることであるが、その中に、次のような主張のあ(137)すことは注意すべきことである。
  春雨の柳は全体連歌也。田にし取烏は全く俳諧也。五月雨に鳰の浮巣を見に行くといふ句は、詞にはいかいなし。浮巣を見にゆかんと云所俳也(【能勢朝次『三冊氏評釈』二三頁】)。
「春雨の柳」が連歌の世界であり、「田にし取烏」が俳諧の世界のものであることは明かである。「五月雨に鳰の浮巣を見に行く」には俳諧が無くて、これを「見にゆかん」とすることによって、これが俳諧となるということは、如何なる意味であるか。これを、既に述べて来たところによって解釈するならば、「眺める歌」を以て、文学の正道であるという立場からすれば、「見に行かん」という発想は、既に文学の世界のものでなく、日常的な言語の発想である。それは、観照的態度から意慾的態度、即ち「呼びかける歌」に転じたことを意味する。日常的な題材、生活的な題材に、新境地を見出し、そこに、文学を見出そうとした俳諧が、語彙の上ばかりでなく、発想においても、日常的、俗的なものに文学を求めたことは当然であると考えられる。以上のような俳諧の文学観が成立する根底には、文学と言語とが、連続として考えられていなければならないのである。
 言語に観察記録があると同様に、いわゆる文学の中にも、これに類するものがあるこ(138)とも、言語と文学との連続性を証する根拠となるであろう(註二)。
  み山には松の雪だに消えなくに都は野辺の若菜つみけり(【古今集、春上】)
  とき葉なる松の緑も春来れば今ひとしほの色まさりけり(【同上】)
  わがせこが衣はるさめ降るごとに野辺の緑ぞ色まさりける(【同上】)
  梅の花にほふ春べはくらぶ山やみに越ゆれどしるくぞありける(【同上】)
右の歌は、全く自然に対する科学的観察から生まれたもので、これを、自然科学的記述と呼ぶことは、余りに滑稽に、また牽強附会に聞えるであろうが、さればとて、これらを文学として説明するために、作者の自然に対する感動を持出すとしたら、それもまた、一の牽強附会と云わざるを得なくなる。我々は、ただ、素直に、これを自然観察の記述と認めるより他に、道はないのである。もし、感動を云うならば、多くの自然科学書は、すべて観察者の感動の記録であると云わなければならないのである。
 言語に、社交としての言語表現があるように、文学にも、また、社交的機能において製作されたものがあることも、言語と文学との連続性を認める根拠になるであろう。このことについては、第二章言語の機能二(二)社交的機能の項に詳説した。
 以上述べて来た言語文学連続観に関連して、国語教育における文学教育について、一(139)言して置こうと思う。
 国語教育において、文学教育を、特立させ、これを主張する根底には、言語は形式であり、文学は内容に関するものであるとする考え方がある。これをつきつめて行けば、言語は、思想(意味)と音声との結合体であるとする言語観にも連なるのである。音声教育や文字教育や文法教育は、国語の形式面の教育であって、それだけでは、国語教育の半面しか達成されない。それを補うものとして、文学教育が必要であるとされるのである。このような意味における文学教育の主張には、専ら文学作品の与える思想感情が考えられ、そこに、国語教育が、人間形成に関与する面があるとされているのである。従って、この意味における文学教育は、作品の持つ思想感情を、生徒に植付ける感化主義へと傾いて行くのである。そして、文学教育として、最も重要と考えられる表現についての教育の正しい位置づけを見出すことが困難になるのである。国語教材としての自然科学的教材において、自然科学の知識そのものが問題でないとするならば、いわゆる文学教材の与える思想感情も、国語教育の当面の問題とはならない筈なのである。
 次に、文学教育の名において行われる教育に、文学作品を知的操作の対象として、作品を種々の要素に分析し、それらに対する認識の総合において、文学を理解させようと(140)する立場がある。これは、云わば文学を一つの実体と見る立場であって、鑑賞は、対象に対する認識に基づいて成立すると考えられている。要するに、作品は、享受者の前に置かれたあるものとして考えられているのである。
 以上のような文学観と、その教育観に対して、言語文学連続観に基づく文学観と、その教育観は、どのようになるか。第一に、文学は、表現されることによって文学となり、理解されることによって文学となるのであるから、文学教育の第一歩は、与えられた表現(作品)を理解することでなければならない。作品に対する生徒の立場は、作者に対する読者の立場であり、一般の言語の場合ならば、話手に対する聞手の立場でなければならないのである。ところが、このことは屡々忘れられて、生徒は、読者の立場を離れて、作品に対して観察する立場に立たされるのである。ここに文学研究と文学教育との混同が生ずる源があるのである。文学教育の主眼とするところは、与えられた作品を、作者の意図を踏み外すことなく、正しく素直に読みとること、作者の与えようとしているものを、正しい方法によって我がものにすること以外にはない。従って、それは、文学作品以外のものを読むことと別のものではないのである。作品に対する鑑賞は、右のような読む主体的立場において、自ら成立するのである。それは、あたかも、料理を味うよ(141)うなもので、適当な方法で、正しく、これを口に入れるならば、料理の味は,自らそこに味いわけられるようなものである。食べることを教えずして、この料理の味は、これこれであるとか、料理を分析すれば、料理の味が鑑賞出来ると考えたところに、文学教育の盲点があったのである。文学の鑑賞ということは、作品を読む体験に即して成就すると考えるならば、何よりも、正しく読むことが教育されなければならない。訓詁註釈ということが、もし、読むことの正しい補助として行われるならば、それは、作品を、初めから鑑賞の対象として、観察的に操作することよりも、文学の理解にとっては、本質に迫ったものということが出来るのである。
 
  註一 津田左右吉博士の、次の言も、これに通ずるものがあるであろう。「以上は長歌に於いてのことであるが、短歌ではなおさらであるので、恋人のすがたを想見する詠は少なくないが、それを叙してあるものは極めて稀ある。(【中略】)こういうことを叙するよりは、わが心情を述べるところに歌の興味が置かれたのである。自然界の風光に対しても同様であって、花鳥の色をも音をも精細に写すことはせず、山水の姿も空ゆく雲のたたずまい波たつ海のながめも、そのもののそのさまを叙するよりは、それに対する作者の感懐を述べるのが主であった」(【改訂版『文学に現われたる国民思想の研究』第一巻一五五−六頁】)。
  註二 矢島祐利『科学文学』には、Titus Lucretius Carus(98-54B.C.)の De rerum(142)natura(【物の本性について】という詩を挙げて、「彼はエピクロスの流を汲む哲学者であって、愚昧な民衆を迷信から解放して光明の生活に導かんとする念願に駆られていた。そうしてこの教訓的な詩を書いたのである。然しこれは単なる教訓詩ではない。実にローマ時代を代表する科学である」(【九頁】)と解説された。千載和歌集の釈教歌も、また、これに類するものであろう。
 
       二 文学と言語とを分つもの
 前項において、文学を文学として正しく把握するためには、文学を言語として把握し、文学と言語とを、連続の相において観察することが必要であることを述べて来た。文学と言語とを、連続のものと考えた場合、文学は、どのようにして言語と区別されるか、文学における芸術性或は鑑賞性ということは、どのように考えるべきかということが問題になる。これについても、文学の芸術性或は鑑賞性ということは、文学が表現する思想に求めるべきでなく、文学としての言語の成立そのものの中に求められなければならないことを述べた。言語の成立は、表現が理解される過程にあるのであるから、文学の芸術性は、理解の体験の中に求められなければならない。このことについては、既に、(143)第二章二(三)言語の鑑賞的機能の項に述べたので、そこに譲って、ここでは、文学の鑑賞ということが、常に、聞手としての理解者の立場においてなされなければならないことについて述べようと思う。これは、一見、極めて自明のことのようである。しかし、我々は、文学作品を、屡々絵画や彫刻が我々の前に置かれたと同じような態度で、これに対する。もし、文学の鑑賞が、作品に対する読者の立場を離れて、第三者的立場においてなされるならば、文学の正しい鑑賞の道が断たれてしまうであろうということを、ここに明かにして置きたいと思う。『正篇』に述べた「観察的立場は、常に主体的立場を前提とすることによってのみ可能とされる」(【『正篇』二九頁】)ということは、ここにも適用出来ることである。例えば、万葉集巻一巻頭の雄略天皇の御製
  龍もよ み籠もち ふぐしもよ みふぐし持ち この岳に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ やまとの国は おしなべて 吾こそ居れ 敷きなべて 吾こそ坐せ 我こそは 告らめ 家をも名をも
について、岡崎義恵博士は、次のように述べられた。
  この御製の感情内容の中心となって居るものは、菜摘む少女に対する愛情、その少女の心を動かそうとする熱情という如きもので、感動というよりも、もっと積極的な愛慾(144)と意慾とであるとも考えられる(【『芸術論の探求』一五五頁】
右において、岡崎博士は、この御製が、私が云うところの「呼びかける歌」(【前項参照。一〇九頁】)に属するものであることを認められる。ところが、博士は、この意欲の表現に即して、文学を、或は芸術を把握する代りに、表現以前の作者の感動を求めて、これを、この歌の文学であり、芸術であるとされる。
  感動ということを、若し人の心を動かす事であると解すれば、この御製には大に人を動かさんとする力が溢れているのであるから、感動的であると云つても差支えない。併し感動の本質は寧ろ対象によって心が動かされる事である〔感動〜傍点〕(【同上書、一五六頁。傍点は筆者】)。
文学における感動を、右のように規定することは、前項に述べたように、古今集的文学観であり、私の云うところの「眺める歌」には適用出来ることであるが、この御製のような「呼びかける歌」には適用出来ないものである。ここでは、博士は、既に、この歌の相手、即ち「家聞かな、名告らさね」と命令されている聞手の立場を離れて、第三者的、傍観者的立場に立って、この作者の心境を観察するのである。もし、聞手の立場に立つならば、聞手が受取るものは、我が身に襲いかかる作者のはげしい息吹だけであって、――それは表現の律動において感じられる――作者が、何ものかに感動しているで(145)あろうことを観察する余裕などはない筈である。
  それで自身の心が他から動かされる事を感動の本質と考えるとすると、此御製の如きは寧ろ他を動かそうとする要素が多量を占めているとも言い得る。併し此中にも他から動かされている所もないとは言えない。それは始めの部分にあらわれている少女への愛情である(【同上書、一五六頁】)。
博士は、この「少女への愛情」を「あわれ」であるとし、それが、「一首に強い抒情的性格を賦与する力として働いている」(【同上書、一五七頁】)とするのである。そして、
  それでこの中から芸術的構成契機としての感動の要素を抽象的に摘出してみると、第一少女の存在が作者を動かし、作者の中に愛の感動として湧き出でた心の姿、第二にその愛の感動が愛に堪えられない人のひたむきな心と行との動きとなって、一首の求愛の詞となり、その詞が愛に身を打ちこむ人を形象的に浮び上らせ、それが読者を動かす所の感動、これである。読者は歌中の少女の面影を想像して多少の感動をも催すが、それよりも作者の純粋な愛の心というものに感動するのである〔読者〜傍点〕(【同上書、一五七頁。傍点は筆者】)。
鑑賞者は、この歌の相手である少女の立場に立つ代りに、この少女をも、この作品の中に登場させ、作者と少女との関係を、第三者的立場において観察することによって、こ(146)の作品の鑑賞を成立させたのであるが、それは、この和歌そのものの鑑賞というよりは、この和歌を契機として、博士の脳裏に再構成された天皇と少女とについての叙事詩に対する鑑賞となってしまったのである。このような結末は、何に原因するかと云うならば、鑑賞者が、聞手の立場を離れて、聞手の体験とは別に、この作品の中に鑑賞の根拠を見出そうとしたことに基づくのである。更に、根本的に云うならば、文学の文学たるところを、眺められたものと、それに対する感動とに限定したところにあるのである。もし、第二人称者の立場に立つならば、第二人称者の体験は、この表現の隅々にまで躍動する作者の呼びかける意欲的なものであるに違いないのである。従って、岡崎博士が、文芸性の本質に触れないものとして、文芸学の課題の外に追いやられた詩歌の韻律は、文学を文学たらしめる重要な要素となって来るのである(【『日本文芸学』四四頁】)。
 ここで、はっきり云えることは、文学を文学たらしめるものは、思想性そのものでもなく、また、眺められた感動そのものでもなく、思想や感動を、表現にまで持ち来たす一切の作用、読者或は聞手の立場で云うならば、表現を理解する一切の作用において文学が文学として成立するということである。このようにして、呼びかける言葉も文学となり、挨拶の言葉も文学となって行くのである。「あなにやしえをとこを」「あなにやし(147)えをとめを」という陰陽二神の唱和(【古事記上】)を、歌の起源とする考えの根拠も、ここに見出せるのである。文学を、思想そのものにおいででなく、思想の表現において見出そうとしたことは、日本の古い文学観の示すところである(この文学観の源流がどこにあるかの問題については、ここでは一切触れないことにする)。
 やまと歌は、ひとの心を種として、よろづの言葉とぞなれりける(【古今集仮名序】)。
右において、和歌は、種である心が、言語として開花したものであることが述べられている。心は思想であるが、それが草木として開花するところに文学を見たのである。心は、種が草木に対立したものでないように、表現である和歌も思想と対立したものとは考えられていない。一切の言語は、心の発芽であるが、それが、美しい花になって行くところに文学を見たので、言語と文学は、ここでも連続として考えられているのである。
  言葉にて心をよまむとすると、心のまゝに詞のにほひゆくとはかはれる所あるにこそ(【「為兼卿和歌抄」歌学大系巻四】)。
右は、万葉集と古今集以下とを比較し批判した言葉であるが、古今以下は、「言葉にて心をよまむ」としたものであり、万葉は、「心のまゝに詞のにほひゆく」ものであるとする。「言葉にて心をよむ」ということは、言語を思想に対立させた考え方で、言語を(148)表現の媒材と見る考え方にひとしい。「心のまゝに詞のにほひゆく」ということは、思想が、そのままに詞として成長してゆくという考え方で、為兼は、これを和歌の正しい姿と見て、万葉集に憧憬した。為兼は、また、万葉人を、「うちに動く心を外にあらはすにたくみ」なものとしている(【同上書】)。本居宣長が、
  詞のほどよくとゝのひてあやありとうたはるゝものはみな歌なり(【『石上私淑言』上巻】)
と云ったことも、文学と言語との連続性において、文学と言語とを分つものを指摘したことになる。
 要するに、文学は、言語の匂いゆく姿において把握されるものであり、折目正しい言語であり、綾ある言語であるということになる。このように考えて来ると、整然と構成された論文も文学と云うことが出来るのではないかという質問も出て来るわけであるが、正にその通りであって、議会の財政演説でも、教会の説教でも、自然科学の論文でも、それらの言語の持つ実用的機能以外に、その表現が、我々の鑑賞に堪えるものである場合には、これを文学と呼んで差支えないわけである。ただ、それらの場合には、それらの実用的機能が果されると同時に、表現の意義も失われるところから、我々は、これを文学と呼ばないだけの相違があるに過ぎないのである。
 
(149)     四 文学の社会性
 
 「文学は言語である」という命題に従うならば、文学の社会性ということも、また、言語の社会性ということと、同じ原理によって説明されなければならない。言語の社会性については、第五章に述べることであるが、言語社会学派では、言語が、社会的交渉の結果、出来上ったものであり、個人に外在し、個人に対して拘束力を持つことから、これを社会的といい、その研究の主題は、このようにして出来た言語が、どのように社会を反映するか、また、言語の史的変遷が、社会機構の変遷とどのように交渉するかというような点にあった。このような言語の社会学的研究に対して、私は、言語の社会性ということを、言語が、社会関係を構成する機能の上に求められなければならないとするのである。言語の社会性の研究が、社会が言語に如何に反映したかを探求することであったように、殆ど、それに歩調を合わすかのように、文学の社会性ということも、また、文学が社会機構をどのように反映するかの点に求められた。そこから、文学研究と歴史学、政治史、経済史などとの交渉も問題になって来ると同時に、文学作品を、当代(150)の社会、生活を知るための資料とするという考え方も出て来るのである(註一)。しかしながら、人間の文化現象が、何等かの意味で、その時代の社会や政治を反映しないということはあり得ぬことである。服飾のこと一つを取上げてみても、そこには、その時代の社会なり、政治なりが反映する。公卿の服飾は、公卿の社会生活を反映し、武士の服飾には、武士の社会生活が反映する。しかし、それを、服飾の社会性ということが出来ないように、文学が、社会を反映するということで、文学の社会性を云うのは当らない。私は、言語の社会性ということを、言語の社会的機能に求めたように、文学の社会性ということも、当然、文学の社会的機能に求めなければならないと考えるのである。
 文学を、その社会機構との関連において研究することは、言語の場合と同様に、文学研究の一つの立場として重要なことである。しかし、文学を、ただ、そのような観点において見ることは、文学の積極面を見失うことになるのである。人間の政治的行為、経済的行為、そして言語も、人間の一つの行為として、人間生活と社会関係とを創造して行く手段的機能として作用すると同様に、文学も、また、それが読者によって読まれることを通して、読者の生活態度や人生観に新しいものを加え、それによって、人生を、よりよいものにしようという積極的な意欲を持つ。武者小路実篤氏は『彼が三十の時』(151)の主人公に次のようなことを語らせている。
  彼は夢を見た。
  死んだ嫂が出て来て、彼に彼が人殺しをしたと云つた。
  (中略)
  彼は黙っていた。彼はこの時もしかしたら自分のかいたものが、ある女の心に刺戟を与えて、その女が自分の好きな男と姦通して、それが原因で自殺したのではないかと思った。
  (中略)
  彼はわるいものをかいたと思った。彼は姦通を是認したことはないが、是認したような調子のものをかいたことはあった。
  (中略)
  彼はとり返しのつかないような気がした。そうして目がさめた。(中略)
  彼は自分のかいたものが、他人の運命に今見た夢のように交渉してはたまらないと思った。
  (中略)
  彼は自分のかくものが人々の心にふれてくれることを喜び、且つ恐れた。そうして自(152)分の責任を今更に感じないではいられなかった(【新潮社版武者小路実篤全集第二巻四二−四三頁】)。
右は、作者武者小路氏の、文学の社会的機能に対する反省の表白と見ることが出来る。
 文学の社会性ということは、作者が、社会を、その作品の中に、どのように描き、また、どのように反映さすかという点にあるのではなく、作者と読者とが、如何に結びつくかという点に求められなければならない。従って、純粋に個人の心理を追求した作品にも、社会性があり得ると同時に、社会や政治を扱った作品にも、社会性が稀薄な場合があり得るのである。文学の社会性は、その作品の取扱う素材とは別のものである。それは、言語の社会性ということが、その語の表わす意味内容とは別で、その語が、万人に対して、伝達機能を発揮するか否かの点に求められなければならないのと同じである。そこには、言語を行為する言語主体の表現態度というものが、濃厚に関与して来る。文学の社会性ということを、以上のような点に置くことが出来るのは、文学が、本質的に言語であるからである。言語としての文学は、他の芸術作品、絵画や彫刻のように、生産されたものが、ただ、鑑賞の対象とされるだけでなく、否むしろ、作品が理解されることによって、それが人間の広い生活面と機能的関係を構成するところに特徴がある。ここに、文学の効用、無用の論も出て来るし、文学を、宣伝の道具にする立場の可能性(153)も出来るわけである。このように見て来れば、如何なる文学も、読者との何等かの結びつきを持ち、従って、社会性のない文学はないことになるのであるが、文学について、社会性が問題になるのは、文学における社会性の濃淡ということでなければならない。どのような文学が、多くの読者に理解され、どのような文学が理解されないかの問題である。
 この間題を考えるに当って、先ず明かにして置かなければならない問題は、文学が理解されるということの意味である。文学が理解されるということは、作品に描かれた人物なり、事件なり、自然なりが、読者の脳裏に、印象づけられるということではなくして、作者と読者との結びつきが成立することの意味に理解しなければならない。文学作品は、その中に登場する人物や事件によって、読者に人生に対する知識を与えるものであるとする考え方があるが、それは、作品と読者との一つの結びつきではあっても、作者と読者との結びつきとは云えないものである。そこでは、作品は、単なる経験の一つの材料に過ぎなくなってしまう。換言すれば、そのような読書態度においては、文学の社会性ということは、充分に発揮されたとは云えないのである。文学における作者と読者との結びつきということは、作品に盛られた素材の取扱いを通して、にじみ出て来る(154)作者の人生批判の態度に耳を傾けることである。これは、即ち作品における主体的なものである。第一章一(六)及び第五章四に述べるように、言語において、人と人とを結びつけるものは、そこに表現される主体的なものによってである。文学においても、また、主体的なものと客体的なものとが区別されるのは当然である。主体的なものは、常に客体的なものを通して表現されるということは、そのまま文学にも適用出来ることであって、文学において客体的なものは、作品に盛られた人物とその行動及び事件、或は自然である。主体的なものは、その人物、事件、自然の取扱いにおいて表現される。更に、そのような人物、事件、自然を取上げたことに、作者の主体的なものが、表現されるということが出来る。我々が、作品に描かれた人物、事件、自然等の客体的なものに興味を奪われている時でも、無意識のうちに、作者の主体的なものを感得しているのである。勿論、文学作品は、その構成の複雑なところから、或は、作者のひとりよがりから、或は、作者の未熟な為から、主体的なものが正当に表現されず、作者と読者との結びつきが成立しなかったり、或は歪められることがあるのは当然で、そこに社会性の問題が起こって来るのである。作者と読者とのこの結びつきを、私は、贈物とそれに託された贈主の感謝の気持ちとの関係に譬えた。贈物は、贈主及び受取人にとって客体的なもので(155)あるが、この両者を結びつけるものは、贈物によって表現される主体的な感謝の気持ちである。従って、もし、受取人が、贈物の菓子の味だけに気を奪われたとしたならば、また、その菓子が、何の感興も惹起こさなかったとしたならば、贈主と受取人との関係は成立しないことになる。文学の場合も全く同じである。我々は優れた文学作品において、素材としての新しい経験の獲得を喜ぶよりは、作品に描かれた素材に対する作者の態度を学ぶことによって、素材を操る作者の主体的立場を学ぶことによって、自らの人生を豊かにしようとするのである。従って、読者は、作者に対して、従順な生徒としてこれに対する立場も可能であろうし、また、これに対して批判者としての立場も可能であろうし、また、共感者として、同調者としての立場も可能であろう。作者が、読者をどのような立場に立たせるかというところに、文学の社会性の問題が存すると云えるのである。自然主義文学が、作者の身辺雑記の報告に堕して、社会性を失ったのは、贈物の菓子に、自分好みの菓子を選んで贈ったと同じようなものである。これを、甘いと受取るものは、極めて狭い範囲の人に限られてしまったのである。
 
  註一 津田左右吉博士の『【文学に現われたる』我が国民思想の研究』は、大体において、文学を材料として、そこから国民思想――博士に従えば、「国民思想」とは、国民の生活気分とか生(156)活意欲とかいうものを指す(【新版まえがき】)――の変遷及び発達の径路を帰納しようとするのである(【旧版例言】)。なお、新版の「まえがき」には、次のような注意すべきことが述べられている。
 「上記の意義での国民の思想は、一面に於いては、過去の歴史により、それによって次第に成りたって来た実生活の状態により、またその時に置かれた環境によって、おのずから形づくられて来るものではあるが、それと共に他の一面に於いては、実生活の上に新しい状態を作り出し未来の歴史を作り環境を作ってゆくはたらきをするものであり、そうするところに刻々にみずからを作りみずからを新しくしてゆく国民の生活がある」
とあるのは、文学と思想が、実生活や環境の反映と見られる消極的な面と同時に、新しい生活や環境を開拓する積極的な面があることを述べたものである。しかし、それが、実際の叙述においては充分に表面に現われなかったことを遺憾とされた。
 「文学に現われている思想と実生活との交渉にも、思想が歴史により実生活によって作られて来た一面と、歴史を作り実生活を作ってゆくものとしての他の一面とのあることを、念頭に置いて筆を執りはした。「序」にもそのことを一言してある。しかし、一つは、書きかたの未熟であったために、一つは、この書が歴史的研究ではあっても、歴史叙述をしようとしたものではなく、またその主なる資料が既に形を成している文学上(157)の作品であるがために、後の方の一面は、行文の上に強く現われていない憾みがあった」(【同、まえがき】)とあるのは、それである。右の叙述は、文学より抽出された思想そのものについて云われたことであるが、津田博士は、文学の機能の積極面を見失ってはいなかったことを知るのである。
 日本文学の全面に亙って、それが歴史的社会的制約の下に成立したものであることを明かにしたものに、近藤忠義氏著『日本文学原論』がある。
  西郷信綱氏『日本古代文学史』(【岩波全書】)の叙述も、同じ態度でなされているのを見る。
 「文学史が社会と密接に関聯するというだけの判断では、まだ文学史の内的必然性を把握するには充分でない。両者がいかに関聯したか、社会は文学をいかに規定し、文学は社会をいかに反映したか〔社会は〜傍点〕、この「いかに」の内容が照らし出される必要がある」(【『日本古代文学史』九頁、傍点は筆者】)。
 
(159)   第四章 言語と生活
 
     一 言語生活の実態
 
 第二章において、言語と生活との間には、密接な交渉即ち機能的関係があることを論じ、そこでは、専ら、その交渉の形式を、実用的(手段的)、社交的、鑑賞的機能に区別して、これを明かにして来た。今、ここでは、言語が、生活と交渉する面を、その形式においてでなく、生活の内容において考えてみようとするのである。第二章において、言語ということを云った場合、それは、言語を、表現及び理解行為として見ているのであって、そのように見るならば、言語も、また、人間生活の一形式として、これを言語生活と名づけることが許せるのである(註一)(【総論二言語過程説の基本的な考え方(六)】)。従って、言語と生活との交渉ということは、言語という生活と、他の諸生活とが、どのように交渉するかの問題に帰着させて考えることになるのである。
 この間題は、先ず、二つの側から考察する必要がある、一つは、言語生活とはどのよ(160)うなものであるかということ。二つは、言語生活と交渉する生活とはどのようなものであるかということである。既に述べたように(【総論二言語過程説の基本的な考え方(六)】)、言語は、具体的には、「話す」「聞く」「書く」「読む」のいずれかの形態において成立し、これらの総合によって、我々の言語生活が形成されている。従って、このいずれにも属さない、或はこのいずれをも包括する言語というものは、抽象的にしか考えることが出来ないのである。言語の具体的な形態は、次の通りである。
            文字を媒材とするもの――書く〔二字右○〕
         表現行為
            音声を媒材とするもの――話す〔二字右○〕
 言語行為       音声を媒材とするもの――聞く〔二字右○〕
         理解行為
            文字を媒材とするもの――読〔二字右○〕
  音声言語  〔話す聞くを括弧によって括ったところにある、入力者〕
        …
        …文字言語 〔書く読むから点線と括弧によって括ったところにある、入力者〕
更に具体的に云うならば、例えば、「書く」言語行為について云えば、それは、「手紙」を書くか、「報告」を書くか、「論文」を書くか、「履歴書」を書くか等のいずれかであ(161)って、これらを、「書く」ことの下位形態とするならば、言語は、常に、何等かの下位形態において実現するということが出来るのである。言語が、生活と交渉するとするならば、それは、右に述べたような、下位形態において交渉することが考えられる。
 次に、生活についてである。これも既に述べたように(【第二章一】)、生活とは、人間が生きるために営む、有目的的なあらゆる行為を意味するとすれば、そこには、一般には、生活とは名づけることの出来ないような断片的な行為も、これに含ませて考えるべきである。例えば、日々の食事は、最も直接的な生きるための行為であって、我々は、これを食生活と名づけている。市場に行って、食料品を買い求めること、これも、食事に関連する行為として食生活の一環と考えることが出来る。ところが、天気予報を見て、傘を持って出かけるという行為は、それだけを、我々は、特に生活とは名づけないが、やはり自己の生命を保持するための一つの営みと見るべきである。「顔を洗う」「散歩をする」「車中で席を譲る」「庭を掃く」等は、それだけでは、生活とは云われないが、同様に、生活に準ずる行為とみなすべきである。生活と行為との相違は、前者が比較的纏った持続的行為であり、後者が断片的であるというところにあるものと考えられる。例えば、病気のために医者の来診を乞うのは、療養には違いないが、これを療養生活とはい(162)わないようなものである。
 生活或は行為が、他人の意志や判断に関係なく、自己の意志や判断だけで行為される場合も、勿論、あり得ることで、例えば、庭を掃くとか、鼻をかむというような行為はそれであるが、我々の生活や行為の中には、他人の関与を必要とするものが多々ある。例えば、食事をするという食生活を考えても、ロビンソン・クルーソー的な生活ならいざ知らず、今日一般には、必ず他人の関与がなければ成立しないことは明かである。即ち、他人の行為を促すことによって、始めて食生活が成立つのである。料理を注文すること、食料品を買い求めることが、それである。このような対人的関係が成立つためには、意志の伝達を必要とし、その前提として、思想の表現行為が行われなければならない。我々の生活に、言語生活が、重大な交渉を持つことは、この一斑の事実からも窺い知ることが出来るのである。要するに、我々の言語行為は、伝達を媒介として、自他の生活、行為に密接に連なっているということが出来るのである。そして、この場合、言語行為が、常に全体として、或は、言語形態相互が等比率で、生活や行為に交渉を持つのではなく、ある言語行為は、ある生活と結びつき、他の言語行為は、他の行為と結びつくというように、その交渉は、必ずしも簡単ではない。例えば、討論という言語形態(163)は、食生活を成立させるものとしては機能しないが、政治の運営には、重要な役割を果すようなものである。このようにして、言語生活は、「話す」「聞く」「書く」「読む」及びその下位形態の総和から成立っていることは事実であるにしても、生活に対して、それら諸形態の比率は、等比率において組合わされているものでないことは明かである。仮に、この関係を図示するならば、次のようになる。
 右の比率は、個人個人の環境や職業によって変化すると同時に、我々の一日の言語生活を反省してみても、ある時は、「話す」「聞く」生活で終始する場合もあれば、ある時は、「読む」生活で一日を終わる場合もある。個体発生的に考えても、人間の幼年期は、専ら「話す」「聞く」生活だ
 
 書く 読む 聞く 話す  〔円の中に書くを頂点として並んでいる、書くの角度が狭く、その左は実線、右は点線である、読むは四分の一ほどを占め聞くとの間は実線である、聞くは三分の一ほどを占め、話すとの間は点線である、入力者〕
○実線は、音声言語と文字言語との境界である。
○点線は、表現行為と理解行為との境界である。
 
けである。これを種族発生的に考えれば、文字を持たない時代には、「読む」「書く」生活というものは存在しない。何によって、このように言語生活が区々になるかを考えて(164)みるのに、それは、全く、それら言語生活者の生活の相違に基づくものであることが分る。例えば、知能を主とする生活者と、筋肉労働を主とする生活者とでは、それの言語生活が、それに応じて変化することが知られる。もとより、人間は、それぞれ、ある生活者として、その所属が決定されているわけではなく、ある時は、筋肉労働もし、ある時は、読書もするというように、一日の生活にも変化があるから、従って、その言語生活も、多岐に亙るわけである。しかしながら、どのような生活を営むものには、とりわけどのような言語生活が、要求されるかということや、社会生活全般から見て、どのような言語生活が基本的なものであるかということは、大体において、考えられもするし、また、考えられなければならないことである。
 言語を生活と見た場合でも、それは、他の諸生活と対等の位置で並ぶものではなく、常に、他の諸生活の手段として機能するものであることは、第二章一に述べたところである。従って、我々の言語生活の状況は、我々の生活そのものによって制約され、我々の生活に応じて、言語生活の体系が成立すると考えられるのである。我々の生活における言語生活の体系を、言語生活の実態(註二)と名づけるならば、言語生活の実態の記述こそ、言語観察の重要な課題であるとともに、国語教育の目標も、国語政策の方針も、そこか(165)ら割出されることであり、国語の歴史的記述も、それを出発点としなければならないのである(【第六章第一項】)。
 言語生活の実態記述においては、先ず、我々の生活そのものが、分類されなければならない。生活或は生活のための行為が、どのようなカテゴリーに分類されるかを、常識的に考えて見ても、それは、衣食住の生活、経済生活、結婚生活、家庭生活、社交生活、職場生活(教員生活、司法官生活、外交官生活、診療生活等)、政治生活、宗教生活、享楽生活、研究生活、隠遁生活、文筆生活、等々が挙げられるのであるが、これらは、それぞれに対立した場合もあるが、多くの場合に、それらは、相交錯した事実であって、それらが、言語生活のいずれかに対応するというものでないことを知るのである。恐らく、これらの生活には、多少なりとも、言語生活のすべての形態が、これに関与するであろう。例えば、医者の診療生活を例にとってみても、それには、診療に必要な研究のための読書、患者に対する応対等が、これに関与する。そして、医者は、同時に家庭の一員としての言語生活を営む。しかしながら、同一人が、種々の生活の分野に足を踏み込んでいるにしても、それらの生活に必要な言語生活は、自ら限定されて来るわけである。隣近所のつきあいに要する言語生活と、研究や法律行為のための言語生活は、必ずしも(166)同じであるとは云えない。これらの生活の分類と、それを成立させる為に必要な言語を挙げることの試みは、従来でも決して閑却されたのではない。例えば、庭訓往来を見れば、そこには、
  一 商人・芸人・百工・文人と市町経営
  二 家具・食器・食料品
  三 司法制度と訴訟手続
  四 武具・馬・行軍の制度
  五 病気の種類と薬種の名
  六 地方制度とその行政
のような題材の下に、それに必要な語彙が、集められている(【石川謙『庭訓往来についての研究』三四−五頁】)。これは、中世における、寺住みをしない中流以下の武士の子弟の生活を反映したものと見られるのである。社会的階層が異なれば、その生活も、また、異なって来るのは当然で、異制庭訓往来や新撰遊覚往来には、茶、香、手習、学問などが、重く扱われている(【同上書、三五頁】)。
 また、実用的な会話書をとってみても、そこには、訪問、食事、旅行、病気等の日常(167)卑近な生活の幾つかが分類されているのを見るのである。限られた生活の分類てはあるが、歌集における四季、恋、賀、羈旅等の部立も、これに数えることが出来る。勿論、右に挙げた往来物や会話書は、そこに分類された生活に必要な語彙や慣用句を挙げるに過ぎない場合が多いのであるが、それらの生活は、語句の異同に対応するばかりでなく、言語の種々な形態に対応しているものであることを知るのである。例えば、社交生活に応ずるものとして、座談や手紙の往復が考えられるのに対して、政治生活の場になれば、演説、討論等が重要になって来る等の相違がある。
 以上、要するに、言語生活の実態記述は、先ず、何等かの方法によって、生活の分類がなされる必要がある。次に、それらの生活と言語生活の四形態、更に具体的には、それらの下位形態が、どのように、それに応ずるかが明かにされる必要がある。これらの調査と記述とには、方法的に見て、種々な困難な問題を持って居って、今後に課せられた宿題であるというべきであるが、仮に図表を以て示し得たとするならば、凡そ次のようなものに纏めることが出来るであろう。
 次に掲げた図表は、決して厳密な方法によって割出されたものでなく、極めて粗雑な見通しに過ぎないものであるが、その意味するところのものは、大体、次のようなもの
 
(168)生活  一般社会人 衣食住 社交 政治 教養
/言語
音声による言語 聞 談話 講演 討議 その他
        話 談話 講演 討議 その他
文字による言語 読 論文 小説 手紙 その他
        書 論文 小説 手紙 その他
衣食住の●は談話(聞話) 社交の●は談話(聞)小説(読)手紙
(書) 政治の●は講演(聞)論文(読) 教養の●は論文(読)小説(読)
 
(169)である。我々は、日々の衣食住の生活を営むために、市場で買物をしたり、時には電話をかけて用をたす。それらの場合には、音声による言語を手段とする。我々は、また、日々の世間の出来事や世界の情勢を知ろうとしたり、自分の仕事の上の新しい知識を吸収しようとして、新聞や雑誌や単行本を読む。それらの場合には、主として文字による言語を手段とする。このように、言語生活の形態は、我々の生活に対応して発達して来たものであることを知るのである。
 次に、表現と理解とは、常に等比率のものでなく、ある生活のためには、表現に重点が置かれるが、ある生活には、専ら理解が主になっているという相違が考えられる。
 右の図表は、言語と生活との関係を、極めて一般的に捉えたのであって、もし、特殊な専門職業人の言語生活ということになれば、この関係は、非常に相違して来ることが想像される。例えば、小説、評論家の言語生活、学者の言語生活、農夫や炭坑夫の言語生活というように区別して見れば、それぞれに、異なった言語生活を営んでいることは明かである。右のような言語生活の個別性を明かにすることと同時に、あらゆる生活に通ずる最大公約数的言語生活を科学的方法によって、見出すということは、極めて大切なことである。もし、そのようなものが見出せるならば、それは、義務教育における(170)国語教育の内容を決定する上に、重要な参考資料とすることが出来るのである。例えば、漢字の学習にしても、どれだけが、日常の基本的生活のために、身につけていなければならないか、また、どれだけの漢字が、読むことが出来ると同時に、書くことが出来なければならないかということが、生活との関連において、明かにされる必要がある。また、小説を読むという言語生活は、かなり一般的なものとして認められるが、小説を書くという生活は、一般人の生活とは、無関係であるということになれば、教育上読む学習と、書く学習とを等比率に課する必要は認められなくなる。一般的基本的な生活以上の国語の力は、それぞれの生活分野において、それに応じて、教育され学習するということも、右のような基礎的な国語の実態が明かにされることによって可能となって来るのである。
 
  註一 西尾実氏は、言語生活ということを、「言語を媒介としていとなまれる生活である」(【『国語科文学教育の方法』第一部一、文学教育の基本問題】)と規定された。ここでは、「言語」と「生活」とは、一応切離されて考えられている。従って、哲学や科学も、言語を媒介とするという意味から、これを、言語生活の完成段階、或は言語文化と呼んでいる。私が、本書で云う言語生活とは、「話す」「聞く」「書く」「読む」活動それ自身を指しているので、それらの言語活動(171)によって展開する生活とは別のものである。従って、言語を媒介とする哲学或は科学は、言語生活とは、別のものである。
  註二 私は、実態の記述ということを、対象そのものの分析的記述とは別の意味で用いようと思うのである。言語を、それを構成する要素に分析したり、或は過程的構造に分析して記述するのは、言語の実態記述ではない。言語の実態記述というのは、言語を取り巻く他のものと、言語との関係の状態を記述することである。このことは、我々が通常用いる実態という語の用法からもうかがえることである。例えば、ある駅における交通量の実態といえば、その駅から乗降する人について、ただ男が何人、女が何人、或は老若何人という数量を記述することではなく、それらの人々が、どのような生活との関連において乗降するかを明かにすることである。例えば、通学者が何人、市場に買出しに行く人が何人、野球場に見物に行く人が何人というように調査し記述することである。このことは、やがて、駅員の配置、車輌の増減を考える上の参考資料となって来るのである。
  西尾実氏が、言葉の実態という時は、私が述べて来た意味とは異なり、言語に伴う身振、表情を含めて、これを、言葉の実態と云うのである(【『言葉とその文化』六頁以下】)。
 
(172)     二 音声言語と文字言語
 
 既に、第一章一の(二)項に述べたように、ヨーロッパ言語学では、音声言語を、自然の言語或は真の言語とし、文字言語を、仮装の言語のように考え、言語学の真の対象は、話された言語であるとした(【ソシュール『言語學原論』改訳本三七、八頁】)。このような言語に対する思想は、すべて、自然なものを、真実なものとする十八、九世紀のローマン主義思想のもたらしたものであって、言語の機能を無視したところの考え方である。しかし、また、このような思想が、明治以後の国語学の思想を培ったことも無視出来ない事実である。明治以後の国語学が、殆ど専らと云つてよいほど、音声言語とその歴史を、研究の対象として選んだことも、全く右の理由によるのである。
 音声言語と文字言語に対する西尾実氏の次の見解も、これに関連して注意すべきものである。西尾氏は云う。
  われわれの日常生活において、言葉を話し、言葉を聞かぬという日は、まずない。文字を書き、文字を読まない一日はあっても、言葉を口にし、言葉を耳にしないという日(173)はないのが一般である。(中略)話し聞く言葉の生活は人間の生存するところ、自然そのもののように、本能そのもののように、深く、普く行われている。この意味において、話し聞く言葉の領域は、言葉の全領域のうち、地盤領域と名づけられてよいであろう(【『言葉とその文化』二、言葉の領域】)。
 この地盤領域から発展してくる第二の段階は、どんな領域であろうか、(中略)大局を概観すると、この地盤領域から区別せられるものは、読み書く言葉の領域である。さらにいえば、文字で表わす言葉の領域である。この領域は自然的に発達してくるそれではなく、教育という人為によって展開せられるそれである(【同上書】)。
西尾氏の右の考えには、音声言語を自然的言語であり、文字言語を人為による言語とする点において、ソシュールの考え方に通ずるものがあるが、更に西尾氏は、この音声、文字両言語の間に序列を認め、前者を地盤的段階、後者をその発展段階とし、更にその上に、完成段階として、哲学、文芸、科学を置いて居られる。この序列の認定から、発展段階も完成段階も、地盤的段階を基礎としなければならないという国語政策論が生まれて来るのであるが、音声言語と文字言語との関係を、発達段階的な序列において、これを見ることは、私の当面の問題ではない。何となれば、そのような序列は、音声言語(174)の使用者、文字言語の使用者の主体的意識としては、無関係な問題だからである。音声言語と文字言語との別は、言語生活という点から云えば、全く生活との関係において規定されるものなのである。もし、発達段階ということが、云われるならば、それは、音声言語にもあることであり、また、文字言語にもあることである。両者は、相互に代替せられないところに、それぞれ特殊な機能的関係において生活と結びついている。文字の発明は、人間生活に、新しい領域を開拓した。一切の高度の文化は、文字によって、遠く広く伝播し、また時代を越えて、後の時代に継承されることとなった。しかし、そのために、音声言語の領域が、狭められるというものではない。音声言語、文字言語の下位形態についても同じである。音声言語には、今日、会話、演説、講演、討論、報告等の種々な形態があり、文字言語にも、記録、論文、手紙、随想、小説等の種々な形態があるが、それらは、今日の生活の諸形態に対応して発達して来たもので、それぞれに、別個の機能を持ち、一が他によって代替せられるという性質のものではないのである。ここで、生活と云ったのは、もとより、個人個人の生活について云ったので、音声言語が、社会のある階層に対応し、文字言語が、社会の別の階層に対応するという性質のものではなく、個人の生活の種々相に対応して、それに必要な言語形態が、要求されるこ(175)とを云つたのである(註一)。従って、国語教育の問題として見れば、同一個人にあいて、音声言語の習得が必要であると同時に、文字言語の習得も必要とされるということになるのである。
 
  註一 歴史的に見れば、社会の階層によって、その生活が、異なっていた時代、例えば、封建時代のように、士、農、工、商の階級によって、その生活を異にしていたような時代には、武士の階級に必要な言語生活は、町人には、必ずしも必要がなかった。しかし、その場合でも、音声言語と文字言語との別は、生活の別に基づくという原則は、一貫して認められるのである。
 
     三 口語と文語
 
 今日の口語、文語の概念は、必ずしも、音声言語、文字言語の別に対応するものでなく、文法体系の別に対応するものであることは、既に、別のところで述べたことである(【『日本文法』文語篇第一章総論二、口語・文語及び口語法・文語法】)。即ち、口語とは、現代文法及びその系譜に属する言語を云い、文語とは、現代文法とは異なった文法及びその系譜に属する言語を云うのである。(176)それは、主として奈良、平安時代の文法体系に基づく文字言語として継承されて来たものであるから、観察的立場で云うならば、口語、文語は、国語史的序列の中に位置づけられるものである。しかしながら、今日の言語生活を記述する立場でいうならば、それらは、それぞれに、史的序列のものとしてではなく、異なった言語形態のものとして意識されているものである。即ち、文語は、古代の精神、文化を理解する精神生活と交渉を持ち、現代の一般生活と交渉する口語に対立する。文語は、今日では、専ら「読む」生活の一部を形成しているのであるが、江戸時代或は明治の前半期までは、それは、「書く」生活の大部分を形成していたのである。従って、その時代においでは、文語即ち文語文法の体系による言語は、文字言語と一致し、口語即ち口語文法の体系による音声言語に対立していたのである。文語を読むということは、我々と、古人との間に、思想の伝達を成立させることであって、従って、それが、今日の言語生活の一部を形成するといわれる所以である。
 
     四 標準語と方言
 
(177) 標準語と方言とが、従来、どのように国語学で扱われて来たかといえば、一般には、主体的立場を除外した観察的立場(註一)による調査と、記述とが、なされて来たといえるのである。方言の場合でいうならば、方言区劃の記述、或は方言の分布状況に関する調査等はそれで、その方言に対する研究態度は、多分に、十八、九世紀における博物誌家のそれに通ずるものがあるのである。標準語も、方言に対比して考えられるところから、標準語成立の歴史的過程、即ちどの地方の、或はどの階級の言語が、どのようにして、標準語になったかというようなことが、学的興味の中心になっていた。そして、それらの調査研究の方法も、一般国語学の記述の場合と同様に、音韻、語彙、文法の三部門に従って記述されて来たのである。この方法は、階級方言といわれる女房詞、遊女詞、隠語、忌詞等にも及んだのであるが、そこには、それら言語の当の主体の立場というものは、全然、顧みられては来なかったと云ってもよいのである。そこでは、方言は、植物や鉱物が、博物誌家の採集の対象になったと同じ意味しか持ち得なかったのである。
 今日、誰しも、多かれ少かれ、標準語と方言との二重言語生活を行っている。そして、それらは、何の意味もなく、併存しているものではなく、それには、それぞれ異なった主体的意識がまつわりついているのである。標準語も、これを観察的立場で見るならば、(178)方言地域を越えた、広い社会圏を媒介する言語として、これを共通語と云うことが出来るであろうが、これを、当の実践者の主体的立場に立っていうならば、単に共通の言語として見られているのではなく、標準とすべき言語と考えられているのである。同様にして、方言も、他の地域とは異なった言語としてではなく、屡々、それが標準から外れた訛った言語として意識されている。このような主体的意識の中には、もはや、方言が、古語の面影を残しているものであるとか、由緒正しい言語であるとかいうような意識は存在しない。仮にそのような意識があるとするならば、それは、主体的意識であるよりも、方言に対する知識から、これを合理化しようとする感情に過ぎないと認むべきものであろう。これらの主体的意識を、全面的に追求するところに、主体的立場に立つ、標準語、方言の研究が成立すると云えるのである。
 標準語や方言が、いずれを優れた言語と判定するかの言語的基準を、それ自身に持っているとは、到底考えられないのであって、もし、これらの言語が、価値批判の対象になるとするならば、それは、専ら、これらの言語が、生活に対して、どのような役割を果しているか、即ち、これらの言語の実態から来るものと考えられるのである。このことは、標準語や方言についてばかりでなく、言語のあらゆる場合について云えることで(179)ある。例えば、鄙猥な言語が、「よくない言語」であると云われるのは、それが、使われてならない場合に用いられ、そして、当事者を刺戟するからであって、それらの言語の用いられる生活の場と切離して、それが、「よくない言語」であると判定される根拠を、それらの語が、持ち合わせているというのではないのである。標準語が、正しい言語、よい言語であると考えられるに至る大きな原因は、それらの言語が、政治、経済その他あらゆる文化の獲得と創造とに、重要な役割を果すからに他ならないのである。方言に対して、標準語が要求されるのは、先ず、第一に公的生活の場においてである。例えば、交通機関に従事する鉄道従業員は、一般乗客を相手にするのであるから、その用いる言語が、普遍性を持ったものでなければ、交通生活を円滑に遂行することは出来ない。太古蒙昧の時代に、人間が限られた地域にのみ生活していた時代には、広い範囲に亙る交通生活というものも考えられなかったであろうから、他地域の人々に通ずる言語の必要も発生しなかったであろう。このようにして、標準語の必要ということは、人間が広い範囲に亙る生活を必要とするようになった結果であるといえるのである。また、人間が、自己の住んでいる狭い世界の経験だけに満足せず、更に広い、他人の経験に関心を持つようになり、これを吸収しようとするようになるのも、新しい生活の発展であ(180)る。その場合、もはや、自己の生得の言語だけでは用がたせなくなる。標準語に対する要求は、このようにして起こって来たと想像されるのである。このような、生活と標準語との交渉から、標準語に対する価値意識も生まれて来るのである。それは、広い世界を媒介する言語であり、また、知識その他の文化を齎す言語として、価値づけられるのである。このことは、また、逆に標準語を標準語として形成させて行く原因ともなるものである。方言は、親しいもの同志の間の媒介の言語として、すべてを場に譲って、表現の簡略さ、曖昧さというものも許される。ところが、疎遠なもの、未知なものに対する場合には、相手に対する心づかい、表現の的確さ、周到さということが顧慮される必要がある。これらのことは、我々の日常生活における内々の言葉と、来客や未知の人々に対する言葉との相違を見れば、明かなことである。言語が、生活を作って行く反面、生活も、また、言語を作って行くのであって、これは、各国の標準語が形成されて行く跡を見れば明かである。
 一方、方言についても、それによって話すことに、標準語には見られない親近感を感ずるとすれば、これは、方言生活における主体的意識である。このような方言意識も、また、生活とは別ものでないことが分る。方言が要求されるのは、標準語が要求される(181)生活とは異なった、狭義における内々の生活である。そこでは、日常的な感情や情緒に密着した表現が要求されるのである。このように見て来れば、標準語生活と、方言生活とは、それぞれ、その生活領域を異にし、異なった生活と交渉していることが分るのである。それは、音声言語と文字言語とが、それぞれに、異った生活と交渉し、全体で、一の体系を作っているのと似ている。それは、あたかも、我々の衣服生活に、不断着や外出着や礼服があって、それぞれ別の機能を持ちながら、我々の生活に交渉を持っているのと同じである。
 ある地域の言語生活に、もし、標準語対方言について問題があるとすれば、それは、その地域の生活の分野と、それに応ずる言語生活との間に、平衡関係が保たれず、生活が円滑に遂行されないことから来ると見ることが出来る。例えば、ある地域が、政治都市として発達して来たにも拘わらず、その都市の言語生活が、方言生活だけの状態に留まっていたとしたならば、政治都市としての機能が、果されないこととなるのである。明治以後、中央集権国家の体制を整えて来た日本が、言語生活としては、これに応ずる体系を持合せていなかった状態は、即ちそれである。ここに標準語制定や標準語教育の問題が起こって来るのである。
(182) 標準語教育の目的は、元来、一般的普遍的な社会生活の達成にあるのであるから、それを以て、言語生活全般のためとすることは、標準語の機能に対する誤った考え方である。また、方言が表現する生々とした生活感情の故に、標準語の価値を、少なく評価することも、言語の社会的機能の上から云えば正しいことではないと云えるのである。
 
  註一 『正篇』第一篇総論第五項「言語に対する主体的立場と観察的立場」を参照。言語の観察は、常に、表現者、理解者の意識、即ち主体的立場を観察するところに、観察そのものが成立すると考えるのであるが、方言研究には、方言使用者の実践における意識というものが、捨象されて扱われていることを意味する。方言使用者にとっては、標準語と方言とが、全く同じ意識においては実践されていないにも拘わらず、方言研究は、その点を顧みない。従って、方言は、ただ地域的言語としてしか位置づけられないことになるのである。方言研究の総和が、国語学を形作るというような考え方もそこから出て来るのである。
 
     五 文学と生活
 
 本項の主題「文学と生活」は、第三章「言語と文学」及び第六章六「文学史と言語生(183)活史」の諸項に関連する問題である。
 文学と生活との関連ということは、これを図式的に解説すれば、次のようになる。文学は、作者の立場から云うならば、「書く」生活の一部を構成する。同時に、読者の立場から云うならば、「読む」生活を構成する(今、口誦文学については、便宜上、省略するが、当然考慮されなければならない)。換言すれば、文学は、「書く」こと「読む」こと以外に存在するとは考えられないのであって、それは、言語生活の一部を構成するものである。次に、そのような文学は、言語が、生活に対して持つ関係と同様に、生活に対して機能的関係を持っている。文学は、その時代の反映として制作されると同時に、生活そのものを指導し、制約する関係にある。既に、第三章四「文学の社会性」の項において論じたように、文学を、ただ、社会や生活の反映として見ることは、文学を創作者の立場だけで見ることであり、それは結局、表現論の問題以上には出ない。それは、文学の半面だけしか見ないことになるのである。文学に、読者の面があるということは、極めて重要である。文学の機能は、読者の立場を通して、始めて実現されるのであるから、そこに、文学の社会性ということが問題になって来ることも、前章に述べた通りである。文学を、社会生活の反映としてのみ見る立場では、文学研究は、ややもすれば、社会や(184)生活を研究する手段或は資料としての意義しか与えられなくなる。文学が、どのようにして社会を作り、生活を指導して行ったかの面を考察することによって、始めて、文学の全き姿を把握したことになると云えるのである。以上のような推論は、言語と生活との関係から、当然導き出されることである。文学が生活に対して持つ積極面を明かにする為には、先ず第一に、文学がどのようにして読者に媒介されるかの点が明かにされる必要がある。文学が媒介されるためには、書物、文字等の物質的条件を必要とするので、その条件が整っているか否かということは、文学の機能とその広狭に関係する。文学が、転写本によって流布したか、印刷本によって流布したかということがそれである。
 次に、文学の機能に対する自覚である。『古今集』仮名序に現れている「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬおに神をもあはれと思はせ、をとこ女の中をもやはらげ、たけきもののふの心をも慰むるは歌なり」という文学の機能論は、毛詩序の「動2天地1感2鬼神1莫v近2於詩1」の思想を受けたものであるが、以後の日本における文学観の一面を規定した。古今集序は、右の機能論と同時に、和歌そのものの本質について、
  かくてぞ花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露をかなしぶ心ことばおほく、さまざまになれりける
(185)とあるように、歌は、自然に対する観照的態度の所産であると規定した。そこから、歌は、人間を観照の世界に誘うものであるという機能論へと連なるのである。観照の世界は、時代によって異なり、新しい世界の発見によって、これを、幽玄とか、わびとか、さびとか、風雅とか、通とか名づけるのであるが、文学の目的が、作者と読者とを、このような観照の世界に導くものであるとしたことは一貫している。文学が、人間形成に関与するという文学の効用観は、右のような立場から出て来る。道として、自己陶冶の手段としての文学機能観である。以上のような文学機能観に対して、明治以後においては、文学は、新しい人間像を造型することによって、人間と社会との革命を企図した。そこに、文学と生活との新しい関係が成立することとなるのである。文学と生活との関連の仕方は、種々様々であって、これを一概に云うことは出来ないけれども、私が、ここで取上げた問題は、文学の生活に対する積極面を等閑視してはならないということである。
 文学において、読者の面を考えに入れるということは、文学史の構成について考える場合に、一層重要なことになるのであるが、この間題は、第六章六で述べることにする。
 
(186)     六 シャール・バイイにおける言語と生活との交渉の問題
 
 本項の主題は、ある意味において、本章の主題である「言語と生活」ということとは、直接関係のない問題であるかも知れないのであるが、本章の主題を明かにする上に、間接の効果があるものと考えて、これを加えることとした。それは、小林英夫博士によって、シャール・バイイ Charles Bally の著書“Le langage et la vie”(註一)が、「言語活動と生活」(【昭和十六年行、同二十六年改訂。岩波文庫】)と題して、批評紹介されたことによって、同書が、私の問題にするところのことと、一脈相通ずるものがあるように理解されることを懸念したからである。もともと、バイイの学説は、ソシュール学説の発展として成立し、私の「言語と生活」の問題は、言語過程説の展開において成立したもので、その源流において異なり、従って、その結果において異なったものとなるのは当然である。従って、バイイの学説を明かにすることは、私の考え方を理解する上に資することとなると思うのである。
 先ず、初めに、バイイの学説の基礎となったソシュールの言語理論を見る必要がある。ソシュールは、言語において、聴覚映像と概念との連合した「ラング」langue と、「ラ(187)ング」を運用する作用である「言語活動」langage と、「言語活動」によって「ラング」の実現した「パロル」parole の三者を区別する。「ラング」は、個人を超越し、それに外在する社会的所産であって、表現以前の、そして、表現において使用される資材(或は材料)としての言語である。言語学の真の対象は、この「ラング」であるとするのである。ソシュールは、専らこの「ラング」の研究に従事した。ソシュール学が、「ラング」の研究に止まるかぎり、それは、具体的な言語事実即ち表現理解とは、何の交渉もないものであることは明かである。なぜなれば、「ラング」は、小林博士の云われるように、言語の可能態であり、潜在的なものであって、それが、社会的所産ではあっても、個人の表現活動以前のものだからである。「ラング」の実現である「パロル」の研究は、彼の後継者であるバイイを俟たなければならなかった。バイイによって、始めて、我々の具体的な思想感情の表現が、研究の対象になったということが出来るのである。ところが、バイイにおいて思想感情の表現ということが、どのようなことを意味するかといえば、それは、「言語活動」を通して、資材的言語である「ラング」を運用し、これを、「パロル」として実現することである。「ラング」は、運用せられることによって、個性化され、個人個人の特定思想を表現することが出来るとするのである。バイイは、この(188)ような、「ラング」の運用によって、特定思想を表現する活動を対象とする彼の独自の研究を、stylistique(【小林氏は、これを文体論と訳した】)と名づけて、「ラング」の言語学と区別した。
 以上述べて来たところによって知られるように、バイイの言語学即ちスティリスティークは二つの要素を含んでいる。一つは、特定思想を表現するために、「ラング」を運用する作用であり、一つは、「ラング」の運用によって表現せられる思想感情そのものである。バイイは、この表現せらるべき思想感情を、“la vie”(【小林氏は、これを「生活」と訳した】)と名づけた。結局において、バイイの研究の主題は、「ラング」の運用によって、la vie を表現する活動を、研究の対象とすることであるということが出来るのである。小林博士が、バイイの原著の初訳本に、「生活表現の言語学」と題したことは、原著の内容に即した命名であったといってよいのである。
 以上によって明かにされたことは、小林博士によって、「生活」と訳された la vie は、バイイにおいては、表現せらるべき思想感情を、意味しているのであるから、私が、本章において述べて来た「生活」という語の概念とは全く異なったものであるということである。バイイにおいては、私が、本章でいう言語と生活との交渉というような問題は、その視界には入っていないのである。このことを明かにするために、バイイが、la vie (189)ということで、何を意味したかを、少しく立入って検討してみようと思う。バイイは、その著の第一篇第一部第二項に、特に、“la vie”の項を設けて、これを説明している。今、訳語について、混雑が生ずる惧れがあるが、便宜上、小林氏の改訳本(【岩波文庫本】)に従って引用することにした。
  それ(註二)はそれ自体としてみた生活ではない。生きているという意識、生きようという意志〔生きて〜傍点〕なのである(【二六頁。傍点は筆者】)。
  我々が自己のうちに持つ生活官能である(【同上】)。
右の訳文にょっても、推測されるように、la vie とは、「生活」という訳語によって意味されるものよりも、「生」或は「生の意識」というに近いものである。バイイは、更に、これを具体的に説明して、
  余の(註三)思想にして生活の真唯中に萌せるものは(【筆者註――原著に即するならば、「余の思想にして、生き生きと萌せるものは」と訳すべきところである】)、本質的に知的なものではない。それは、或は余をして行動をとらせ、或はそれを回避せしめるところの、情緒を伴った衝動である。それは欲望、意欲、生活衝動の発露であり、抑制である(【同上書二八頁】)。
バイイは、la vie において、知的なものよりも、感情的なものや、意志的なものが優位(190)であることを述べているのである。「生」における右の分析は、人格の機能として伝統的に考えられている「知」「情」「意」に相当するものであることは、極めて明かである。バイイの言語学は、言語において、如何に「情」「意」の表現が「知」よりも優位であるかを説明しようとしたものである。バイイが、生の表現において、「知」よりも、「情」「意」を重視したことは、言語の観察それ自体から帰納された結論であるよりも、古典主義に対する反動として生まれたローマン主義の思潮のもたらしたものと解せられるのである。事実、バイイの主張にも拘わらず、言語は、情意の所産であるとともに、また、知性の所産である面のあることは忘れてならない事実なのである。ともあれこのようにして、バイイの言語学は、結局において、表現の学であることに尽きると云ってよいであろう。
 私は、今ここで、バイイの言語学を解明することを目的としているのではない。しかし、私が、ここで問題にしている「言語と生活」との問題を説明するには、バイイの言語学が、何を欠いているかを明かにすることは、両者の学問的性格を明かにする上に必要なことであると考える。言語と生活とが交渉するためには、その前提として、表現と、それが相手によって理解される事実、即ち伝達の事実が成立しなければならない。そし(191)て伝達が成立するためには、話手に対立する聞手の存在が不可欠の条件になる。例えば、食欲の満足のために、料理を注文するとする。私のこの食生活が実現するためには、私と料理人との間に、思想の交換が成立することが必要である。一般的に云えば、私と他との間に、注文者と被注文者という対人関係が成立することが、先決問題である。ところが、バイイの言語学説は、専ら、「生」の表現の問題に終始し、表現と生活との交渉の契機となる「聞手」の概念を持合せなかったのである。しかしながら、バイイは、言語の対人的機能を、全然、無視したのではなかった。第一篇第一部第四に、「言語活動と社会」なる項が設けられている。しかし、バイイは、そこでも、言語を、社会的機構を構成するものとしての正当な位置づけを、試みているわけではない。言語を、どこまでも、個人の欲望や意志を相手に押付けるための武器と見るのである。相手の行動を促し、制約するための種々な云い廻しも、対人関係を構成するための手段であるよりも、自己の欲望や意志を達成するための手段と見ている。換言すれば、言語は、「生の意識」の充足のための手段に他ならないのである。バイイの言語学の性格は、我が国における、この学説の継承の跡を見れば、一層明かである。小林英夫博士は、バイイの学説を承けて、文体論を展開した。それは、作者の個性的表現を主題とする表現論に他ならないの(192)である。
 バイイ言語学説の、このような個人心理学的傾向への発展は、そのもとはと云えば、その源流であるところのソシュール学説にあるのである。ソシュール言語学は、一般に、言語社会学派に属すると云われている。ソシュール学説が、社会学的であると云われる所以は、「ラング」を、社会的所産として、これを、個人に外在するものであるとしたことにあるのである。「ラング」は、社会的所産として、社会を反映する。「ラング」を、そのようなものとして研究するところに、社会学的と呼ばれる理由があったのである。しかしながら、ソシュール学説の体系のどこにも、個人と個人とを結びつける言語の社会的機能の概念を位置づける余地を持たないのである。その証拠には、ソシュールの学説のどこにも、「話手」「聞手」というものが、登場しなかったことでも明かである。バイイは、ソシュールの視界に入らなかった「話手」を正面に据えて、「話手」が、「ラング」を運用する手順を問題にした。しかしながら、ここでも、「聞手」は、終に、登場しなかった。バイイの学説が、話手の一方的な表現論に終始して、伝達論に及ぶことの出来なかった根本的な理由が、そこにある。伝達論に及ぶことが出来なければ、言語と生活との交渉の問題に及ぶことが出来ないのも、また、当然のことであると云ってよい(193)のである。
 
  註一 バイイは、“Le langage et la vie”と題する著書を、一九一三、二六、三五年の三回に亙って、増訂出版した。小林英夫博士は、一九二六年版を基にして、「生活表現の言語学」(【昭和四年、岡書院】)を訳出し、更に、一九三五年版を基にして、「言語活動と生活」(【昭和十六年、岩波文庫】)を訳出した。
  註二 〔フランス語の入力は手間かかりすぎなので略す、入力者〕
  註三 〔フランス語の入力は手間かかりすぎなので略す、入力者〕
 
(195)   第五章 言語と社会及び言語の社会性
 
     一 『正篇』で扱った言語の社会性の問題
 
 『正篇』では、第一篇総論第六ノ四に「社会的事実 fait social としでの『言語』langue について」、第十に「言語の社会性」等の項を設けて、主題の問題を扱った。そこでは、主として、ソシュールのいうところの社会的事実としての言語が、言語過程説の立場では、どのように改められなければならないかを論じて、言語の社会性ということを、言語過程の平均化であり、それは、場面の制約によるものであるとした(註一)。しかしながら、全体的に見て、多分に、ソシュール的見解に引きずられた感があると同時に、言語を、社会の反映と見る考え方に濃厚に支配されていた。これは、文学を、歴史と社会の反映と見る考え方と揆を一にするものであると同時に、言語過程説の基本的な考え方とは、相容れない筈のものであったのである。本篇においては、言語の社会性ということを、言語が、社会的関係を構成する機能にあるとして、『正篇』における、言語を社会的関(196)係の反映と見る立場を脱却しようとした。ソシュール言語学においては、社会性ということを、言語の消極的に受ける性格について云ったのに対して、言語過程説においては、言語の能動的な作用について云ったことになるのである。社会的ということ、或は社会性ということを、このように、別の意味に用いることは、先ず、社会そのものに対する考え方の相違に基づくのである(【本章三(註一)】)。ここでは、主題の問題を展開するために、先ず、ソシュール言語学において、言語の社会性が、どのように考えられていたかを明かにしようと思う。
 
  註一 『正篇』で、言語の社会性を論ずる時、小林博士の旧訳本にある次の記述を拠所とした。
    「言語活動に依ってかように結びついた個人間には、一種の媒体〔二字傍点〕が出来るであろう。彼等は皆、同一概念と結合した同一の――と正確には言えまいが稍同一に近い――記号を再造するに違いない」(【ソシュール『言語學原論』旧訳本二八頁】)
 右の引用文中の傍点の「媒体」という語は、改訳本では、「平均」と訂正されたのであるが(【二三頁】)、『正篇』では、「媒体」という訳語に引かれて、無用な批判を下したので、本篇で、これを訂正して置こうと思う。ソシュールは、ここでラングが媒体として成立することを云おうとしたのでなく、甲乙の頭に、平均化されたラングが成立することを(197)云おうとしたのである。このように、ラングは、個人間の結びつきによって成立するものであるところから、これを社会的と云ったのである。ラングが社会的結晶であると云われる根拠がそこにある。私は、このソシュールの考えを改めて、言語の過程的構造が平均化されることを、言語の社会性であるとしたのである。ソシュールは、実体的なラングについて社会的ということを云ったのに対して、私は、言語行為について社会的ということを云ったのである。本篇では、ソシュール的な考え方を、すべて脱却して、言語が、個人間を結ぶ機能において、これを社会的と云おうとするのである。言語行為が、甲乙の間に平均化されることは、言語が、社会性を発揮する為に、必要な条件とはなり得るが、平均化される、そのことを、言語の社会性ということは適当でないとするのである。
 
     二 言語社会学派における言語の社会学的研究
 
 十九世紀末葉以後のフランス言語学(ダルメストゥテル、ブレアル、ド・・ソシュール、メイエ等によって代表される)は、一般に、言語社会学派と呼ばれている(註一)。それは、言語を、デュルケーム Emile Durkheim の社会学における社会的事実の概念を以て、把握した(198)ことによるのである。デュルケームにおいては、社会学は社会的事実を研究の対象とするのであるが、いうところの社会的事実とは、個人の意識の外に外在し、個人を拘束するところの事実をいうのである。その代表的なものは、法律であって、法律は、個人の生まれる前に、既に存在すると同時に、個人が、もしそれに違背した場合には、好むと好まざるとに拘わらず、これによって罰せられるという拘束力を持っている。言語も、それと同様に、個人の出生以前に存在し、個人が、それを使用しなければ、或は、これを誤った場合は、非常に不便な立場に置かれるか、人に嘲笑されるのである。言語は、このように、外在性 exteriorite と拘束性 contrainte とを持つ社会的事実であり、従って、そのようなものとして、研究されなければならないとするのである。
 ソシュールが、言語活動の中に、聴覚映像と概念との結合した心的実在体である「ラング」を求めようとした意図の中には、デュルケームの社会学における社会的事実に相当するものを見出そうとする努力があったであろうということは、既に『正篇』中に述べたことである(【七三頁以下】)。以上のようにして成立する「ラング」は、言語活動の本質的部分であると同時に、言語集団に共通したものとして、デュルケーム的社会的事実の概念に相当し、これに「社会的」という修飾語が、冠らせられることとなったのであ(199)る。何故に、「ラング」が、ソシュールにおいて、「社会的」の名に値したかを考えてみるのに、「ラング」が、社会的交渉の結果、同一社会の成員間に、平均化されたものとして成立することから、これを「社会的」と名づけられるのである。甲乙間の会話のやりとりである「言循行」(【改訳本、二二頁】)は、全く個人的行為に過ぎないが、このような交渉が、社会集団の全員の間に行われ、そこに各人に平均化された「ラング」が成立するならば、それは、社会的交渉を因とするものである。ソシュールは、このようにして出来る「ラング」を、社会的結晶 cristallisation sociale(【改訳本、二四頁】)とも、社会的所産 pruduit social(【同上】)とも云つている。また、「言語は個人にあっては完璧たることなく、大衆にあって始めて完全に存在する」(【同上書、二四頁】)「言語は話手の機能ではない。個人が受動的に登録する所産である」(【同上】)「個人は独力でそれを作り出すことも変更することも出来ない」(【同上書、二五頁】)などと云つているのも、言語が、社会集団の共有財産であることを云っているので、そこにも、言語が「社会的」といわれる所以があるのである。
 以上述べて来たところの、言語が、「社会的」であることの意味を、更に的確につかむためには、いわゆる言語社会学派の諸々の業績について見る必要がある。言語学と社会学との結びつきは、専ら、史的言語学、特に意味の変遷を明かにする方法として現わ(200)れている。それは、言語が、最も社会的活動を表現し、反映するからである。従って、言語は、社会学の重要な資料ともされるわけである。既に紹介されたところによって、一、二の例を見るのに、例えば、
  フランス語の pere 及び mere は、「父」及び「母」を表わすインド・ヨーロッパ語の正しい継続であるが、しかし、これらのフランス語は、古いインド・ヨーロッパ諸語に於けるとは異なった意味を与えられている。今これに対応するラテン語の pater 及び mater を見るに、これらは社会的関係に於ける「父」及び「母」の身分を表わし、生理的意味の「父」及び「母」は別に genitor 及び genetrix という語で表わされている。しからば同一語に於けるこの意味の差異は、何処から来たのであるか。それは社会的構造の変化に基因する(【田辺寿利『言語社会学序説』一〇六頁】)。
右によって明かなように、言語の意味の変遷に、社会的機構の変遷ということが、大きな要因をなしていることが、述べられている。即ち、「言語には、社会が反映する。言語の諸々の事象を、社会との関係において観察する」、これが、この言語社会学派の研究の主題であったと云うことが出来るのである。
  インド・ヨーロッパ系の多くの通語では、「貨幣」と「家畜」を同時に表示するのであ(201)って、この二つの意味がそれぞれの語によって区別されるようになったのは、ずっと後のことである。だからラテン語に於いては、pecunia(【貨幣】)は pecus(【家畜】)の一つの派生語に過ぎない(【同上書、一一〇頁】)。
右の事実は、意味の変化が、社会組織、経済組織の変化を反映した事実であって、かくして、言語のこのような研究は、同時に、社会学に寄与することにもなるのである。ブレアル、ダルメストゥテルの意味の研究も、同様の傾向のものであって、特に後者の“la vie des mots”は、「ことばのいのち」という題名で、早く金沢庄三郎博士によって飜訳紹介された。同博士の「言語に映じたる原人の思想」(【大正六年刊】)も、同じ傾向を継承したものと見ることが出来る。
 以上概説したところによって、言語の社会学的研究の輪廓をうかがうことが出来るのである。それは、十九世紀言語学の主要課題である言語の史的変遷の研究の一翼として、言語の意味の変遷を明かにするためにとられた方法であることが分るのである。言語において、社会及び文化の反映を観察しようというこれらの学派の立場に対して、その反映を荷う「ラング」の概念の設定は、極めて有効であったことも理解されるのである。以上のような研究は、それはそれとして意義があることであるが、言語が、社会的であ(202)るということを、考えた場合に、ただ社会の共通所産としての「ラング」を考え、その社会的反映を観察することだけで、満足することが出来るであろうか。仮に、言語が、社会を反映する面を研究する学問のために、言語社会学の名称を保留するとしても、言語が、社会を形成するという、言語の能動的、積極的な面を忘れたとしたならば、それは、言語の重要な半面を見落したことになるのである。しかし、それは、言語を、社会的所産であるラングとしてのみ見るソシュール的理論からは当然のことであると云わなければならない。何となれば、ラングは個人の機能とは、別のものだからである。言語過程説は、言語において、何よりも、社会を構成する機能を見ようとするのである。
 
  註一 田辺寿利『言語社会学叙説』
   小林敦男『言語学史』国語科学講座
 
     三 言語過程説における言語の社会的機能の問題
 
 言語が、人間相互の関係を構成し、その体験や知識を後世に伝える重要な機能を持つものであることは、常識的には、普く認められていることであるが、その研究のために、(203)直に、言語を一つの社会的事実と見、そこに反映する社会的事象を指摘することが、右に述べた言語の重要な機能を明かにする所以になると考えることには、大きな研究法上の飛躍があると考えられるのである。言語が、右に述べたような重要な機能を発揮するということは、ただ言語が、社会的事実であると云っただけでは、これを説明することは出来ない。言語が、その機能を発揮するのは、甲乙間に伝達の事実が成立すること、甲と乙との間に、特定の関係が成立することが、前提条件とならなければならない。言語が、どのようにして、右のような関係を構成することが出来るか、私は、そこに言語における社会的機能を見ようとするのである。
 言語過程説において、言語ということを云う場合、それは、人間が、自己の思想感情を、音声文字を以て表現し、或は音声文字より、思想感情を理解するところの、精神、生理、物理的過程そのものを云うのである。従って、言語は、人間行為の一形式であるということが出来る。このような行為としての言語において、社会的(註一)ということは、どのような意味において云われるのであるか、この間題を明かにするには、先ず、人間行為全般について、それが社会的であるといわれる場合の根拠を明かにすることが必要である。例えば、くしゃみ、あくびの如き生理的現象は、これを社会的であるとはいうこ(204)とが出来ない。何となれば、それらの身体的運動は、一種の反射運動として、何等の目的意識も、何等の対人的な意味をも持っていないからである。次に、散歩、喫煙のような行為を考えてみる。これらは、それぞれ、何等かの欲望の満足を目的として行為されるのであるが、それらの行為が、単独に行われる時には、これを社会的であるとは云うことが出来ない。ところが、親しい友人と会って、散歩をしようと云う時、散歩は、既に個人的行為としてでなく、私と友人との感情を結びつける機能において作用して来る。即ち、散歩が、私と友人との関係を構成する働きを持つことになるのである。喫煙も同様で、一般には、個人的な欲望の満足のために行為されるのであろうが、客と用談に際しての喫煙は、屡々主客の間に、ゆとりを設ける作用をなす。即ち喫煙が社会的な意味を持って来るのである。車内での喫煙が、社会道徳に反するといわれることも、それが乗客相互の関係を破壊することから云われることである。我々の行為の中には、常に必ず、相手を予想し、相手とのある関係が無ければ成立しない行為がある。生活必需品を得るために物を買うとか、外部からの危害に対して、隣人と共同して監視の部署を定めるということになると、それらの行為には、必ず相手が予想され、ここに始めて、これらの行為が、社会的と云われる根拠が出て来る。これらの行為の根底には、もちろん、(205)飢渇とか、生命の保存とかいう本能的なものがあるが、その実現において、対人的関係を構成して行くところに、社会的であると云われる根拠があるのである。人間は他の動物と異なり、対人関係を構成しなければ、一瞬たりともその生命を維持することが出来ない。人間が社会的動物であるといわれる所以である。
 人間は、以上述べたような社会的行為をなすことによって、その生活を営み、その生命を維持して行くことが出来るのであるが、言語は、正にそのような対人関係を構成するに必要な手段であるという意味において、これを社会的ということが出来、また言語がそのような対人関係を構成することが出来る機能の上から、これを社会的ということが出来るのである。人間行為は、これを全般的に見れば、常にそれが社会的であるということが出来ないのであるが、言語行為は、いつ如何なる場合でも、対人関係が予想されないで行為されることはない。それは、常に誰かに向かって表現される行為であって、言語が、本質的に社会的であると云われる所以である。乳児が、飢渇を訴えて泣くのは、一種の生理的な反射運動であるが、母親は、これに対人的な意味を持たせて、母親に乳を求める言葉として受取るのである。言語が、社会的機能を持ち、対人関係を構成するために行為されるものであることは、言語の意味が理解されない場合にも、了解されて(206)いることである。例えば、道で外国人に会って、言葉をかけられた場合、たとえ、その言葉の意味が分らない場合でも、我々は、何か質問をかけられたものとして了解するのである。このような点が、同じく思想感情の表現と云っても、絵画や彫刻や音楽と、言語とは著しく異なる。絵画や彫刻や音楽は、作者と、これを見る者、聞く者との間に、作者と鑑賞者との関係を作る以外に、それが手段になって、別個の生活を展開する為に制作されるというものではない。勿論、宗教画や宗教音楽の場合は、それが媒介となって、相手の宗教的感情を昂揚するというような場合が考えられるが、一般には、ただそれが鑑賞の対象となるだけである。言語行為は、これに反して、それによって相手に何事かを欲求し、希望し、命令し、報告し、禁止し、憎悪し、恋愛することによって、相手と何等かの関係を作り、相手の行動を左右することによって、その生活目的を達成しようとするのである。このような言語の持つ社会的機能は、言語芸術と云われる文学作品にも妥当することであって、その点が、文学と他の芸術作品との著しく相違する点である。文学は、屡々、鑑賞の対象として見られ、また、歴史と社会との反映として見られている。しかし、それは文学を、専ら絵画や彫刻や音楽と同列に見る立場であって、作品に対する読者の立場は、それとは別である。作者がどのように読者に働きかけるか(207)ということは、即ち文学の社会的機能であって、その究明こそ、文学の社会的研究の名に値するということが出来るのである(【第三章四「文学の社会性」参照】)。
 以上のように、言語の社会性の意味を規定することは、言語を人間行為の一形式と見る言語過程説の理論の当然の帰結であるが、ここにおいて、言語社会学派の目指すものとの相違を、はっきり指摘することが出来るのである。フランス言語社会学においては、言語を、社会組織の反映として、個人が、ただ、受動的に登録する既製品として見るのに対して、ここでは、時々刻々に、我々の対人関係を構成する機能として、これを見るのである。従って後者において、直に、問題になることは、個人の特定の場合における言語行為について、文学作品をも含めて、それが社会性を持つか否かということである。言語は、本来、社会的機能において行為されるのであるから、この間の意味は、いずれが社会性を、より多く持つかという意味に解せられなければならない。例えば、国会において議員が演説を行うのに、郷土の方言で表現したとする。聴衆が、殆どその意味を理解することが出来ず、従って、これに対して、賛否の判断を下すことが出来なかったとしたならば、この演説者の目的は達せられなかったことになる。即ち、この演説は、聴衆を、賛成者の立場にも、反対者の立場にも置くことが出来なかった、換言すれば、(208)表現者に対する理解者の関係を構成し得なかったという意味で、社会的機能を持ち得なかったといい得るのである。文学の場合も同様で、それが、作者の個性的な身辺雑事の報告に終始して、読者に対する働きかけを持たない場合は、社会性が稀薄であるといわなければならない。文学の社会性は、決して、その作品の素材が、より社会的事象を多く取扱っているか否かということには拘わらないというべきである。
 言語の社会的機能を、対人関係を構成する機能にあると見た場合、この機能を発揮するには、言語において、どのような条件が必要とされるかということになって、ここに国語政策及び国語教育の問題が発生して来る。言語が、対人関係を構成するには、最少限度の条件として、言語が、相手に理解されなければならない。即ち伝達が成立しなければならない。伝達は、表現理解を媒介する音声文字によって成立するのであるから、国語政策においても、国語教育においても、音声文字が、その意味で、重要な問題となって来る。文字についていうならば、文字の複雑なことは、伝達成立の円滑を損うものとして、先ず、これを簡易化することが考えられる。明治以来の漢字節減論や字体整理案は、このようにして生まれて来たのである。しかしながら、一方、伝達の円滑ということは、ただ文字を簡易にすることだけで成就するものでなく、媒材となる文字が、地(209)理的にも、時間的にも、一様であり、恒常であることが必要である。文字が、一様であり、恒常であることによって、始めて、言語の社会的機能が増大するのであって、簡易化を行うことによって、時代的な連絡が遮断されたり、各人の言語行為が区々になるような結果になれば、それは、言語の社会性において、却ってマイナスの結果になることを注意しなければならないのである。国語教育のねらいは、甲乙丙各人間の言語習慣を、出来るだけ統一し、社会習慣から逸脱することを防止するところにあるのであって、それは、伝達の成立を容易にするためであり、延いては、言語の社会的機能を発揮する所以ともなるのである。標準語教育の目的も、以上のような言語の社会的機能の増大ということに他ならないのである(【第一章三「伝達における標準語の機能と表現媒材の一様性と恒常性」】)。
 
  註一 「社会的」ということを、明かにするためには、先ず、「社会」ということを、どのような意味に解するかが明かにされる必要がある。デュルケームは、社会有機体説の見地から、社会はそれ自体としての特有の生活を行い、内部の要素的諸個人に対し拘束作用を現わすと説いている(【松本潤一郎『社会学原論』一三〇頁】)のに対して、タルドは、社会事象を諸個人の心と心との関係現象であると解し(【同上書、一一八頁】)、ジムメルは、社会学を以て人間相互作用それ自体を対象化することであるとし(【同上書、一五八頁】)、和辻哲郎博士も、また、「社会は『人間』(210)である。社会の学は人間の学でなくではならない。従ってそこでの根本問題は人と人との間柄である」(【『人間の学としての倫理学』二二七頁】)と述べられる時、我々は、そ。にデュルケ――ム的社会概念とは、凡そ対蹠的な社会概念を見出すのである。私が、述べようとする「社会的」ということは、「人間関係を構成する」という意に近いのである。
 
     四 言語の社会的機能と文法論との関係
 
 言語行為は、人間の社会生活の重要な手段として、人間の社会生活と、その発生を斉しくしていたものであろう。従って、言語において、社会性ということを云う時、国家、市町村、家族、会社というような、社会学で好んで問題にするような社会集団と言語との交渉連関を問題にすることは、当を得たことではない。言語における社会性は、もっと基本的な人間関係において、これを見る必要がある。
 我々は、社会集団の一員として、市町村や国家や種々な利益集団などとつながりを持つ前に、それら集団の中において、もっと基本的な対人関係を構成し、それによって、集団全体に関係を持つのである。例えば、隣家から火事が起きたとする。これを発見し(211)た家族の一員は、これを直に消防署に通報するとか、家人に立退きを命ずるとか、近所の応援を依頼するとかの行為をする。それらは、すべて言語行為により、周囲の人々との間に、種々な対人関係を構成することによって遂行される。即ち、報告者と被報告者、命令者と被命令者、懇願者と被懇願者、質問者と被質問者というような関係が成立し、そこから、一連の協同的な行動が展開して、火災に対する処置がなされるのである。これらの行為を通して、家族の一員としての責任が、果されるのであって、このことは、人民の国家に対する関係、社員の会社に対する関係にも適用出来ることであって、言語は、それら個々の行動に関係するということが出来るのである。親と子との関係も同様で、ある場合には、親は子供の協力者であり、同情者であり、お菓子を与える人であり、教師であり、監督者であり、訓戒者である。
  これを教えて下さい。
  これをして遊びましょう。
  あぶないことをしてはいけません。
  僕、おなかが痛いの。
等の言語表現によって、母と子供との種々な関係が構成され、その全体を通して、親と(212)子との関係が成立すると見ることが出来る。異の面から見れば、刻々に異なった関係が成立するのであるが、同の方面から見れば、その如何なる場合にも、母は母としての関係を構成し、子は子としての関係を構成しているのである。女性が、女性としての立場を表現し、臣下が、君主に対して臣下の立場を表現するのである。これらは、社会学にいうところの社会的関係以前の対人関係であって、これらの対人関係なくしては、恐らく、家族とか、市町村とか、国家とか、会社とかの広い社会生活も、その成立の根拠を失うであろう。そして、言語は、実にそのような基本的な社会関係を成立させるところのものである。このような社会的機能が、言語の如何なる部分によって発揮されるかを明かにすることが、本項の主題である。
 この問題は、第一章一(六)項に述べた「伝達における客体的なものと主体的なもの」に関連して来るのである。そこでは、伝達における客体的なものと、主体的なものを区別し、伝達によって、話手と聞手とを結ぶもの、換言すれば、話手と聞手との間の関係を構成するものは、表現における主体的なものによることを述べたのである。既に、その場所で述べたように、国語においては、主体的なものは、辞によって表現されるのであるが、主体的なものは、常に必ずしも、辞という語の形によって、表現されるとは限ら(213)ない。例えば、
  彼は私を裏切った。
という表現において、話手が、語気を鋭くして云う場合と、静かに、ものやわらかに云う場合とでは、彼の「裏切り」という事実に対する話手の感情の相違が、その表現における語気に託されていると見ることが出来る。そのことは、聞手にとっては、話手が、ただ、彼の行為に対して、どのような気持ちを抱いているかを理解させるだけでなく、話手と聞手との間に、ある種の関係を構成するに役立つ。ある場合には、聞手は話手の語気に圧倒されて、それがどのような事件であったかを、問い質して、これを批判する機会を失わしたかも知れないのである。迫力のある表現とは、表現における主体的なものによって、相手を同調者としての関係に置くような場合をいうのである。主体的なものは、表現素材を、どのように把握するかということにも表現される。例えば、ある行為を、「罪悪」と表現するか、「失策」として表現するかは、そこに、事物に対するその人の態度を表現することになるのであって、聞手は、ある場合には、その人を峻厳な人とも見、ある場合には、寛容な人とも見ることになるのである。我々の日常の表現を見ると、表現における客体的なものが、真であるか、偽であるかによって、対人関係の成(214)否が決定されるよりも、表現の基底にある主体的なものが、これを左右することが多いことを経験する。人は、屡々、
  君は頭がおかしくはないか。
などと云つて、相手をからかう。この場合、この事実に反したことを云われて、相手が腹を立てないのは、相手が、このような表現に即して感じとられる話手に対する親近感の故である。嘘、偽りである場合の多い、日常の儀礼的な挨拶に、それが嘘であり、偽りであることが分っても、そのことに、ある好意を感ずるのも、そこに相手を遇する主体的なものを感ずるからである。我々が、対人関係において、相手と深い交渉に入るのは、相手の右のような主体的なものの表現を媒介とするものであるということが出来るのである。そして、「辞」のあるものは、そのような関係の構成に重要な役割を果すものなのである。
 辞のあるものが、対人関係の構成に重要な役割を果すことを明かにするには、ここで、少し立返って、詞辞の類別の発生を見る必要がある。このことについては、既に『国語学史』『日本文法口語篇』等に詳述したので、ここでは、省略することにするが、近世を通じて、辞は、詞に対する主体的立場の表現であると見られて来た。『手爾葉大概抄』(215)が、「詞〔右○〕如2寺社1、手爾葉〔三字右○〕(【後世、辞の文字を用い、これを、テニハ或はテニヲハと読ます】)如2荘厳1」と云ったのも、本居宣長が、詞〔右○〕を玉に、てには〔三字右○〕を、それを貫く緒に譬え、また、詞〔右○〕を布に、てには〔三字右○〕を、それを縫う技に譬えたのも、鈴木朖が、詞〔右○〕を、器物に、てには〔三字右○〕を、それを使う手に譬えたのも、皆、辞が、詞に加えられた主体的立場の表現であることを云つたものである。私が、詞〔右○〕を商品に、辞〔右○〕を、それに貼附した価格の表示に譬えたのも、同じ考えに基づくのである。例えば、
  甲か〔二重傍線〕、乙か〔二重傍線〕が参ります。
において、助詞「か」は、「参る」人が、甲であるか乙であるかが決定されていないことを表わすのである。助動詞の場合も同じで、例えば、
  午後は、雨が降るだろう〔三字二重傍線〕。
における「だろう」は、「午後は雨が降る」ということが、仮想された事実であるが故に、それに対応して用いられた陳述である。このように、辞は、常に、素材の客体的表現である詞に関するものなのである。ところが、次のような例において、
  甲は参りますか〔二重傍線〕。
「か」は、「甲が参る」という素材的事実が、話手において、決定されていない未知で(216)あることを表わすことにおいて、既に挙げた「甲か、乙かが参ります」の「か」と同様なのであるが、この場合は、素材的事実の未決定、未知であることを表現することは、即ち、聞手に対して、その事実を確める主体的意欲の表現となり、ここに、話手と聞手との間に、質問者と被質問者との関係が成立することとなるのである。換言すれば、素材的事実に対する話手の立場の表現と、聞手に対する対人関係の構成ということは、一見極めて異なった事実のように考えられるが、実は、この二つの作用は、相互に関連を持つ事実なのである。詞と辞との相違を示すために、私は、詞を商品に、辞を、その商品に対する価格の表示であるという比喩を用いた。価格は、確かに、商品に対する価値評価であるが、同時に、それは、商店の主人の、客に対する立場を表現することになるのである。高値に評価するか、安値に評価するかは、同時に、この商品の売主と、客との関係を構成することになるのである。ある客は、商品に附けられた評価によって、それが同時に、客に対するサービスと受取って、購買者としての立場に立つことが考えられるのである。ここに述べた助詞「か」が、素材に対する話手の立場の表現であると同時に、聞手を、被質問者の立場に立たせる社会的機能を持つことも、以上によって明かにされたと思うのである。
(217) 我々の生活において、右のような質問者対被質問者の関係が構成されることが無かったたとしたならば、恐らく知識の獲得も、用件の打合わせも、危険の防止も出来ないこととなって、我々の社会生活も、その成立の根拠を失うこととなるであろう。
  どうして地震が起こるのですか〔二重傍線〕。
  お願いしたことは、何日頃までに出来ますか〔二重傍線〕。
  山の天候状態はどんなですか〔二重傍線〕。
右のような「か」が、対人関係の構成に対して、重要な役割を持っているのに対して、いわゆる格助詞「が」「の」「に」「を」「へ」等は、専ら、素材相互の論理的関係の表示に用いられる。
  猫が〔二重傍線〕鼠を〔二重傍線〕食う。
  本が〔二重傍線〕机の〔二重傍線〕上に〔二重傍線〕ある。
同様にして、限定助詞(【山田博士の云う副助詞】)も、
  それだけ〔二字二重傍線〕が心配です。
  それも〔二重傍線〕心配です。
  水ばかり〔三字二重傍線〕飲んでいる。
(218)のように、素材にだけ関係して、対人関係の構成には関係しない。以下、辞の中で、対人関係の構成に関係あるものを摘出して、説明を加えて行こうと思う。
 
     五 対人関係を構成する「辞」の機能
 
       一 感動詞のあるもの
 感動詞は、辞に属して、その一般的性格は、言語主体の感動の直接的表現である。
  ちぎり置きしさせもが露をいのちにて、あはれ〔三字二重傍線〕、今年の秋もいぬめり(【千載集、雑上】)
  ああ〔二字二重傍線〕、くたびれた。
右のような場合は、聞手との関係の構成には何の関係もない。
  はい〔二字二重傍線〕参ります(「来て下さいますか」という問に対する返事として)。
  いいえ〔三字二重傍線〕、今日はだめです(「一緒に行って下さい」という勧誘に対して)。
  もしもし〔四字二重傍線〕、一寸お尋ねします。
右の「はい」「いいえ」「もしもし」は、相手の意志を受諾するか、拒否するか、相手に(219)呼びかけるかの場合に用いられる感動詞で、これらの場合は、前者の場合と異なり、話手と聞手との間にそれ相当の関係が構成される。
 
       二 敬譲の助動詞
 「ます」「です」「ございます」「でございます」「はべり」「そうろう」(候)等がこれに属する。これらの助動詞は、指定の助動詞として、思想の統一の表現に用いられるものである。『正篇』では、これらの敬譲の助動詞を、場面の制約による指定助動詞の変容であると説明した(【第二篇各論第五章三言語の主体的表現(辞)に現れた敬語法】)。この説明は、それ自身正しいのであるが、これを、表現機能の上から云うならば、敬譲の助動詞は、話手と聞手との間の関係を設定するものであるということが出来るのである。国語においては、表現は、常に、聞手を上下、尊卑、親疎の関係に置くことにおいて行為されるものであって、聞手を正常な関係に置くことは、表現の基礎である。故に、相手をどのような関係に置くかが判然としない場合には、表現者は、屡々困惑するのである。勿論、相手を、どのような関係に置くかということは、社会秩序に対する考え方の相違によって変化するのであるが、いつ如何なる場合でも、すべての人を同様に遇するということは、どの言語にもあり得な(220)いことであろうし、また、相手を適当に遇するということは、社会生活を円滑にする所以でもあって、そこに敬語的表現が発生するのである。親しいものには、手をさしのべるのに対して、畏敬する相手に対しては、威儀を正して、一定の間隔を置いて相対さなければならないように、敬語も、また、そのような関係の構成に役立つのである。
  今日は行きません〔三字二重傍線〕。
と云つた場合の「ません」(【敬譲の助動詞に打消の助動詞「ん」の加ったもの】)を、
  今日は行かない〔三字二重傍線〕。
と云つた場合の「ない」と比較してみる時、前者は、後者の場合とは異なった関係に、聞手を置いているということが云えるのである。従って、そのような関係に置くべきでない相手、即ち日頃、親しく交際している友人に対して、「行きません」と云えば、相手に水臭いという感じを与えるか、侮辱されたという感じを与えることとなるのである。肯定の場合も同じで、右の打消の場合と比較すれば、
   打消                       肯定
  今日は行きません〔三字二重傍線〕(【敬語】)。 今日は行きます〔二字二重傍線〕(【同上】)。
  今日は行かない〔二字二重傍線〕。        今日は行く■〔二重傍線〕。
(221)「ません」の肯定は、「ます」であるが、敬語を含まない「ない」に対応する肯定は、それを表現する特殊な語を用いないで、動詞の終止形だけで表わすので、「ない」に対応するものは、終止形に加えられた零記号の辞■が、これに対応すると見るのである(【日本文法】口語篇、用言における陳述の表現二五八頁】)。
 敬譲の助動詞という名目は、その一端について名づけたもので、これらの語が、常に敬譲に基づく対人関係だけを表わすと解すべきではない。既に述べたように、疎遠な人を、遇する場合にも、また、母親が子どもに対して、親愛の情を以て遇する場合にも、「ご本を読んであげましょう」などと用いられる。敬譲の助動詞によって構成される対人関係は、頗る複雑であるといわなければならない。
 
       三 推量の助動詞
 推量の助動詞も、他の助動詞と同様に、話題の事柄即ち素材に対応して用いられる陳述であって、素材が、仮想の事実、推量された事実である場合の判断に用いられる。
  花咲かむ〔二重傍線〕。
  雨降るべし〔二字二重傍線〕。
(222)の「む」「べし」は、「花咲く」「雨降る」という素材的事実が、現実の経験的事実でなく、将来に属する仮想的事実、或は、将来必至の事実の陳述に用いられるものであるが、これに類する助動詞が、
  今日は、御返事をうかがいましょう〔二重傍線〕。
  こんなことは、お嫌いでしょう〔二重傍線〕から、止めましょう〔二重傍線〕。
などと用いられると、それらは、「うかがいます」「お嫌いです」「止めます」に比して、婉曲な表現として受取られる。婉曲な表現ということは、相手に自己の判断を押しつけない、相手にも主張の余地を残して置くという意味で、それは、やはり一つの対人関係の構成と認められるのである。「べからず」は、本来、「そんなことはないであろう」という事実の推量的陳述に過ぎないものであったものが、第二人称に向って、第三人称の行為について表現される場合は、次第に、対人関係の構成の機能が発揮されるようになり、「花を折るぺからず」は、「花を折らないだろう」の意味から、「花を折るな」という禁止表現として受取られるようになったものと解せられる。これは、「行きましょう」が、命令表現に用いられるのと同じである。
 
(223)       四 打消の助動詞
 打消の助動詞も、他の助動詞と同様に、非存在の事実の陳述に用いられるのであるが、それが、対人的には、屡々聞手の意志、期待を拒否することになる。従って、打消の助動詞を用いることは、話手と聞手とを、背中合せの関係に置くことになる。特に、素材の事実が、話手の行為である場合に著しい。
  電車が来ません〔二重傍線〕。
  時計が動かない〔二字二重傍線〕。
における打消の助動詞は、第三者的事実の陳述として用いられたのであるが、
  僕は欲しくない〔二字二重傍線〕(「もっと食べないか」という問に対して)。
  せっかくですが、明日はあがりません〔三字二重傍線〕(「明日、おいで下さい」の勧誘に対して)。
等の表現が、
  僕はたくさんだ(或は、僕は満腹だ)。
  せっかくですが、明日は失礼します(或は、あがりかねます)。
などに比して、時に相手の感情を刺戟することがあるのは、打消される素材が、話手に(224)関する為であって、拒否の意味が強くなるものと考えられる。
 
       五 助詞
 文末に置かれる感動助詞が、屡々、対人関係を構成する機能を持つ。
  風が寒いね〔二重傍線〕。
  ずいぶん疲れたな〔二重傍線〕。
の如き「ね」「な」は、それぞれ、素材的事実である「風が寒い」「疲れた」ことに対する感動の表現であるが、元来、言語は、一般的には、対者に向っての表現であるから、これらの「ね」「な」は、純粋に素材に対する詠歎、感動とばかりは云えないのであって、それと同時に、聞手を同調者としての関係に置こうとする主体的立場の表現と見るのが至当である。このように見て来ると、古文に使用される「かも」「かな」というような助詞も、相手を強く意識した場合には、前例の「ね」「な」と同様に、相手を同調者としての立場に立たせる機能において表現された場合のあることを想像し得るのである。
 また、以上の理によって、助詞「か」「や」が、詠歎、反語、疑問の間を動揺するこ(225)とも理由のあることと知られるのである。詠歎は、素材に即しているが、疑問には対人的機能が強くなる。
 「ね」「な」は、聞手を同調者の立場に置こうとする表現であるから、それは、聞手との間に、ある間隔を置こうとする敬譲の助動詞とは、相矛盾した表現であるということが出来る。従って、特に改まった間柄では、「風が寒うございますね」「ずいぶん疲れましたな」というような表現は、余りになれなれしいという印象を与える。
 「ぞ」「よ」は、聞手に対して、話手の意志や判断を強く押しつける表現であるから、敬語的表現や婉曲的表現、或は同調を求める表現と対立する。
 命令を表わす「よ」「ろ」(四段活用では、命令形だけで命令を表わす)、禁止を表わす「な」は、それぞれ、聞手の意志を拘束する表現であるから、その対人関係は、聞手に選択の自由を与えないような逼迫したものである。従って、敬語的表現を必要とする場合と対立する。そのような場合は、聞手に判断や選択の自由を与えるような表現形式をとる。
  お書き下さいませんか(「書け」の婉曲的表現)。
  おいでになるのですか(「行くな」の婉曲的表現)。
(226) 右の表現は、結果においては、命令禁止の表現になっても、手続きとしては、推量、疑問の辞を以て、聞手が、判断や選択の自由を持つことが出来るような関係を構成するのである。
 以上、対人関係を構成する辞の機能を解説して来たのであるが、辞及び辞以外の方法による主体的表現によって構成される対人関係は、質問者と被質問者、命令者と被命令者との関係のような顕著なものを始めとして、これを何と名づくべきか、その命名に困難を感ずるような極めて微妙な関係が構成されるものであることを見て来た。これらが、更に微細に分析され、検討されるならば、我々は、社会機構の機微に触れることが期待出来るかも分らないのである。助詞助動詞を、このような見地で扱うことは、従来の文法研究において、必ずしも無視されていたものでないことは、既に文法上の術語として、命令、禁止、願望、希求等の名目があることによっても知られるのであるが、これらを、国語学全体の中に、体系的に位置づける基礎理論において、未だしいところがあったということは云えるのである。言語の社会的機能の問題は、一方、文法論に関係を持ち、他方、伝達論に連なり、そして、言語と生活との交渉を明かにするための最も基礎的な部門であるということが云えるのである。
 
(227)   第六章 言語史を形成するもの
 
     一 要素史的言語史研究と言語生活史としての言語史研究
 
 国語の歴史的研究は、明治以後の国語学が、ヨーロッパ言語学を継承して発展させた国語学の主要な課題であって、今日なお多くの問題を残して、将来において完成されねばならない宿題であることは、ここに事新しく述べるまでもないことである。
 国語の歴史的研究を進めるに当って、最初に問題になることは、言語史とは何であるか、そして、それはどのようにして研究さるべきものであるかということである。言語史が何であるかの問に答えるためには、先ず、言語とは何であるか、そして、その歴史をどのように把握すべきかが問題にならなければならない。明治以後の国語史研究は、ヨーロッパの言語史研究を継承したもので、その基礎は、ヨーロッパ言語学の言語観と言語史観とにあるのであるが、今、ここに、それとは別個の言語観を以て国語学を体系づけようとする私の立場においては、それら言語観の相違に基づく言語史の把握の仕方(228)の相違が、最初に問題にならなければならない。それには、先ず、明治以後の国語史研究の先蹤となったヨーロッパ言語学の基礎にある言語観と、それに基づく歴史把握の方法とを見ることが必要である。
 ヨーロッパの言語史学は、印度ヨーロッパ諸言語間の系譜を明かにしようとする印欧比較言語学から出たものである。そこでは、言語の類縁性を明かにし、その系譜を辿る手がかりとして、その基準を、諸言語における音声の対応と、文法構造の同一性と、基礎語彙の共通ということに求めた。これが、それ以後の言語史研究の方法を規定すると同時に、広く言語観察の方法をも規定した。その初は、言語とは何であるかの問題は、余り追求されなかったが、ソシュールに至って、言語は、聴覚映像(音韻)と概念との二つの要素の結合体であるとして、これを「ラング」langue と名づけた。ソシュールは、更に、言語学に、言語の歴史を研究する通時言語学 linguistique diachronique と、言語の体系を研究する共時言語学 l.synchronique とを区別し、通時態と共時態とは、ラングの二面であるとして、これを樹幹の縦断面と横断面との関係に譬えて説明した(【ソシュール『言語學原論』改訳本一一七頁】)。そして、言語史は、言語の構成要素である音韻と概念とのずれ〔二字傍点〕に基づくものと考えたのである。ソシュールの言語理論は、従来の言語史観を、最も理論的に(229)組織したものであり、我が国語史研究における言語史観も、大体、右の線に沿っていると見ることが出来るのである。右の比喩によって明かなように、共時態と通時態とは、言語の二面であり、この両者の研究の総合によって言語の認識は完全なものとなるとするのである。そして、このような二面を持った言語は、個人の機能とは別に、個人に外在するものである。ソシュールは、これを、心理的実体と見、各個人の脳裏に貯蔵された印象の総和の形式において、集団中に存在するものと説明するのであるが(『言語學原論』改訳本三一頁)、それの存在形式は、自然が人間に対立しているのと全く同じに考えられているのである。その点において、ソシュールの言語観は、十九世紀以来のヨーロッパのそれと大差を認めることが出来ない。異なるところは、ソシュール以前においては、言語の縦断面を重視したのに対して、ソシュールは、言語の別の面である横断面に対する考察を、これに加えたことである。このようにして、言語史は、言語という「もの」の変化と考えられているのである。しかし、言語が、「もの」として考えられたことは、ソシュールに始まったことではない。
  音声変化の現象は其外面に現われたるがため先ず人の注意を促し、徐々として休まざる言語の変遷は全くこれがためなるぺしとばかりに思われぬ。束の間も絶ゆることなき(230)語形及び意義の異動は恰かも岩石が風露に曝されていつしか磨滅し、さては長き歳月の内に新しき山をも積み、谷をも穿つ様に似たるが上(以下略)(【金沢庄三郎訳セイス『言語学』二四二頁】)。
また、
  言語の発生発達衰凋及び消滅等の諸現象と、有機物と種との間に存する現象とには、甚深の類似を有するを見る(【保科孝一訳ホイットニー『言語発達論』三二頁】)。
等とあることによって、知られるように、言語は、伝統的に、それ自体、体系と変化の二面を含みつつ、それ自体が変化するものであると考えられて来た。しかしながら、右の如き自然物或は有機体への言語の類推は、旧派言語学の考え方として、パウル以下の近代言語学者の排斥するところとはなったが、それは、言語の変化に、人間の力や社会機構の変化が、関与することが認められるようになったに過ぎないので、そのような作用を受ける言語そのものの、人間に対するあり方は、ソシュールのラングの概念に見るように、旧派言語学の考え方と、異なるところはないのである。以上のような、言語と、その変遷に対する考え方から、必然的に導かれて来る考え方は、変遷は、変遷を受け、それを荷うものがなければならないということである。ラングは、個人を超越し、これに外在する持続的なものであるから、歴史的変遷を荷うにふさわしいものと考えられた。(231)そのような変遷を荷う当体がなければ、歴史というものは考えられないとするのである。確かに、岩石の風化作用は、風化作用を受ける当の岩石がなければ、変化ということは考えられないのは事実である。これは、正しく自然史に対する類推から来た考え方である。右の歴史観に従うならば、ラングを運用して、これを実現するパロルは、個々の作用に属するが故に、そこには、歴史というものが成立しないということになるのである。
  音声は、飽くまで生理・心理的活動の所産であって、人間が生まれてから死ぬまで、毎日繰返して発しているが、その度毎に止むもので、これには歴史がない。音韻はそれとちがって歴史がある(【金田一京助『国語音韻論』第二章第一節三三頁】)。
  変化に襲われるのは実にこの音韻観念である。唇の上の生理的音声ではない。それゆえ変化の座は脳裡にあり、口先にはない(【小林英夫『言語學通論』第四変遷一九一頁】)。
などと云われるのは、それである。
 以上のように、言語と、その史的変遷を考える時、言語の変遷は、言語を組立てている部分即ちその構成要素において認められるとするのである。
  事実、絶対の不動なるものは存在しない。言語の凡ゆる部分は変化を免れない(【ソシュール『言語學原論』改訳本一八七頁】)。
(232)  これらの記号の中に合一された二要素は、他では知られぬ比をなして、それぞれ固有の生を営み、且つまた言語は、或は音に、或は意味に働くありとある作因の影響下に、変遷、いな進化する(【同上書、一〇二頁】)。
この考えは、明治以後の国語学において、決定的であった。国語史は、国語において分析せられる各部分即ちその要素に従って、観察記述せられることとなったのである。従って、これを要素史的国語史研究と呼ぶことが出来る。
 明治以後の国語史研究を支配した、更に一つの重要な思想がある。それは、音声言語を、自然の言語、真の言語と考え、文字言語を、それの仮装と考えることである(【第四章言語と生活二「音声言語と文字言語」を参照】)。言語の自然の進化の状況を見ることが出来るのは、音声言語であるとするのである。
  そのような間断なき進化は、我々が文語にばかり注意を向けておるために、眼に映らぬことが屡々ある。(中略)それゆえ文学の羈絆を悉皆脱した自然語が、どの程度まで変りうるものであるかを示すことのできるものは、文語ではないのである(ソシュール『言語學原論』改訳本一八七頁】)。
自然語だけが、言語学の真の対象であり、そこにだけ、自然の進化が見られるとする、(233)右の如き考え方も、明治以後の国語史研究の性格を決定した。そこでは、専ら口語と、その歴史の探求とが、中心課題となった。国語史研究者は、口語の系譜を明かにすることが出来るような資料の探索に努力を傾け、文献に見出せる、口語と覚しい片言隻句を捉えて、口語の実際を再現することに、精力を集中したのである。
 国語史研究に影響を与えた、更に一つの問題は、語の意味の変遷についての社会学的研究である。ブレアル Michel Breal に始まる意味学 la semantique は、言語における意味そのものの原理的研究というよりは、音声に対応する要素である意味が、どのようにして拡張し、或は縮小したかの歴史を明かにしようとしたものであって、ダルメストゥテル Arsene Darmesteter、メイエ Antoine Meilet 等に至って、社会学的見地に立って、これが研究されるようになった。このことは、既に、第五章二「言語社会学派における言語の社会学的研究」の項で触れたことであるが、この研究が、要素史的言語史研究の一環として発展して来たものであることは、容易にうなずけることである。
 以上、私は、極めて概略ではあるが、明治以後の国語史研究を支配したものが何であり、従ってその性格がどのようなものであり、また、学者の努力して来た点が、どのような点にあったかを述べて来た。これを要するに、国語の史的変遷を荷うものは、具体(234)的な表現行為以前の資料的言語であるラングであり、その史的記述は、ラングを構成する要素についてなされなければならないこと、史的記述の対象となるものは、音声言語に限らるべきものであること等に要約することが出来るのである。このような言語史研究を要素史的言語史研究と名づけて、以下述べるところの、言語過程観に基づく言語史研究と区別しようと思う。
 言語過程観に従うならば、言語は、個人個人の表現理解の行為としてのみ成立し、それらの行為以前に、それらの行為において使用される資料的言語の存在というものを考えない。個々の表現理解の行為というものは、その都度、完結し、消滅する。もし、言語において、歴史が成立するとするならば、それらの個々の行為において考えられなければならないとするのである。個々において、完結し、その都度、消滅する行為において、歴史が考えられるという考え方は、変遷を荷う当体がなければ、歴史が考えられないとするヨーロッパ言語学の歴史観に対して、対蹠的な立場に立つものであるが、常識的に考えられている歴史の把握は、むしろ、前者の考えに近いのではないかと考えられる。例えば、文学作品の変遷即ち文学史的記述の場合を考えてみるのに、万葉集より古今集への歴史的変遷とは、どのようなことを意味するのであるか。古今集の成立という(235)ことは、決して万葉集という文学作品が、次第に、その形式や内容を変じて、古今集というものに、成り変ったというものではない。万葉集の作品は、奈良時代以前に成立し、完結した作品であり、古今集は、それとは別に、平安時代のある時期に、成立し、完結された作品である。我々は、決して、文字通りには、万葉集の崩壊、古今集の成立ということは考えられないのである。それらは、個々別々の独立した作品である。それにも拘わらず、我々は、万葉集と古今集とを、歴史的発展として把握することが出来るのである。
 また、例えば、飛鳥時代の彫刻より、天平時代の彫刻への変遷ということも、飛鳥期の仏像が、次第に、その形を変えて、天平期の仏像に成り変って行ったというものではない。勿論、今日見る飛鳥仏は、その色彩が脱落したり、形が磨滅したりして、制作当時の形をそのまま保存しているとは云えないであろうが、我々は、それを仏像の歴史的変遷とは呼ばない。飛鳥仏も、天平仏も、それぞれに、完結し独立した作品であり、しかも我々はそこに仏像の歴史を把握することが出来るのである。歴史は、変遷を荷う当体がなければ、成立しないというものではない。それどころか、人間の作り出す歴史というものには、歴史的変遷を荷う当体というものが考えられないのが、普通である。時(236)代史における歴史の流れにしても、平安時代が、次第に変貌して鎌倉時代になったのではなく、それらは、それぞれに個々独立した時代機構を構成して、次の時代へと入替わると考えるべきである。言語史において、史的変遷を荷う当体としてのラングを考える考え方は、人間の歴史を、自然史よりの類推において考える誤りに立っているのである。
 以上、私は、言語の歴史的変遷の認識が、独立し完結した個々の言語行為を基礎として、その上に成立するものであることを述べて來た。言語の歴史的変遷の事実が、個々の言語行為の間に形成されるものであるとするならば、何よりも、個人個人の言語行為を全体的に把握することが、言語史記述の基礎となって来るのである。このことは、例えば、政治史の記述においでも採られているところの方法である。政治史の記述に先立つものは、各時代における政治機構の体系が把握されなければならないことである。これを、ただ、司法行政だけについて歴史的変遷を見たり、軍事行政だけについて歴史的変遷を見たのでは、政治史の把握は不可能になるであろう。要素史的国語史研究は、言語について、司法の面だけ、軍事の面だけを取り出し、それぞれの歴史的記述を総合すれば、政治史が成立つと考えたことに斉しいのである。
 我々の言語生活は、表現行為だけ、或は理解行為だけが、個々別々に成立するという(237)ものではない。「書く」行為、「聞く」行為が、個々別々に他と無関係に成立するものではなく「話す」「聞く」「書く」「読む」行為が、それぞれ、相互に緊密に関係し合い、全体として体系をなしていること、あたかも、財政、金融、産業、司法、軍事、教育等の行政が、一つの体系をなして、その時代の政治を形成しているようなものである。ここにおいて、国語史記述の基礎として、一時代における、或は一個人における言語生活の体系が、全体的に把握されることが、先決問題となって来るのである(【第四章一「言語生活の実態」】)。この考えに従うならば、文字を媒材とする文字言語は、音声言語とは、異った機能を持つ言語と考えるべきであって、口語、音声言語だけを、歴史的研究の対象とする理由の存在しないことを知るのである。言語過程説に基づく言語史研究とは、言語生活の体系が、どのようにして、成立し、変形して行ったかの変遷の跡と、その変遷の要因となったものを明かにすることである。言語史を、言語生活の歴史として把握する立場は、このようにして生まれるのである。
 
(238)     二 言語史と政治・社会・文化史との関係
 
 言語社会学派は、言語の意味変化の要因を、政治、社会、文化の変遷に求めて、これを説明しようとした。そこでは、言語史は、政治社会文化史の反映と見られ、そのかぎりにおいて、言語と、政治、社会、文化との交渉が考えられたのである。
 言語過程説は、言語を、人間の行為或は生活の一形式と見、更に、それが、人間の他の諸生活と機能的関係において結ばれているものであるとすることは、既に述べたところである(【第二、四章】)。言語生活は、人間の他の生活、即ち、政治生活、社会生活、文化生活に対して、手段として機能し、逆に、それら諸生活の変動は、言語生活の体系に影響を及ぼし、それを進化発展させるという関係にある。この顕著な実例を大陸文字(漢字)の摂取において見ることが出来る。我が国が、漢字を摂取して、国語を表わすようになった事実は、従来の国語史研究においては、必ずしも、国語の歴史的事実としては捉えられていない。従来は、ただ、国語を記述することが出来る資料の成立に関連して、漢字の摂取ということが説かれているに過ぎないのである。言語過程説の立場から云うなら(239)ば、漢字を以て、国語を表記するようになったということは、言語生活の体系の大きな革命である。即ち、太古において、日本人は、「話す」「聞く」言語生活の体系しか持っていなかった。文字を以て国語を表記するということは、それに、「書く」「読む」形態が加って、新しい言語生活の体系を創造したことになる。このような言語生活の体系の変動が、何をもたらしたかを考えて見るのに、音声言語の時代においては音声言語の機能の上から、その社会圏は、当然、小さな部落に限定され、部落割拠の状態であったであろう。それが、文字を持つことによって、社会圏は、急に拡大し、支配者は、その指令を、遠隔の地にいる出先き官吏に伝達することが可能になる。歴史に記録されている大和朝廷の日本統一事業の背後には、文字の力が大きな役割を演じたであろうことが想像されるのである。これを文化の点から見れば、文字を媒介として、大陸の文化を、容易に摂取することが出来るという状態になったのである。漢字伝来ということは、単に文字史の一頁をなすというようなものではなくして、国語生活そのものの大変動を意味することとなり、そのことが、また、政治、社会、文化の歴史と密接な交渉があると考えられるのである。
 近世末期から明治へかけて、日本の政治、社会、文化が全面的に変動した。しかし、(240)それらの変動は、決して、言語の分析的な構成要素である音韻、語彙、文法に影響をもたらしたとは考えられない。勿論、語彙の面では、新しい文明文化の流入とともに、多くの新造語が、生まれたという点が指摘されるけれども、その他の点で、言語が、この大変動期を反映したという事実を指摘することは、困難である。言語が、影響を受けたのは、やはり、言語生活の体系においてである。例えば、
 一、活版印刷術の普及によって、従来の木版印刷術の時代に比して、一般の人々の読む生活は、その量において、その質において、比較にならないほどに、拡大された。
 二、自由民権思想、議会制度の発達に伴って、次第に一般の人々が、言語を以て、政治に関与する道が開かれ、日常の音声言語に、新に、演説、弁論、討議というような新しい言語形態を分化発達させることになった。
 三、国家意識、社会意識の発達によって、各人が、国家或は社会の構成員としての活動の面が多くなるにつれて、対隣人、対郷土人のみの方言生活の外に、標準語による生活の必要が感ぜられるようになり、教育においても、それに即応して、標準語教育が、国語教育の中心とされるようになった。
 四、ラジオが普及し、街頭録音、放送討論会、「私たちの言葉」(一般民衆の声を反映さ(241)せる放送番組)等によって、多くの人々が、その喜びや悲しみや、感想、意見、不平、要求等を表明する機会が与えられるようになったことは、話す行為に対する新しい刺戟であって、それは、対個人的な、或は一方的な意見や感想の発表と異なった、大衆に呼びかけ、また、呼びかけられる言語形態を生み出す契機となった。
 五、政治が多数によって行われるようになると、世論の喚起、或は煽動ということが必要になる。また、資本主義下の商業戦は、簡明直截に大衆の心理に訴えることが必要になり、ここに、スローガンや、プラカードや、新聞広告のための新しい表現形式が生まれるようになる。
 以上のような点をとり出して見ても、明治以来の言語生活が、それ以前と、如何に変化し、また、多様性を帯びて来たかが想像出来る。それに関連して、新しい言語倫理、例えば、個人道徳的な言語に対する慎みというようなことに対して、社会的言語倫理が要求されるようになって来たことなども、前代と異なる点であろう。そして、これらの言語生活の変動は、政治、社会、文化の推移に促されたものであると同時に、これらの言語生活は、また、逆に、政治、社会、文化の進展を促すものとして、国語教育或は国語政策の論議の対象とされるようになって来たことも、前代と異なる点である。
(242) 言語史の時代区劃ということは、言語の史的事実を、要素史的に扱ったのでは不可能なことであって、言語生活の体系において考察することによって、始めて可能となると同時に、政治、社会、文化との交渉も、それによって考えることが出来ることとなるのである。
 
     三 言語的関心
 
 言語史を形成するものとして、言語主体の外部にある諸条件に、政治、社会、文化等の一般生活の変動ということが存在することは、前項に述べたことであるが、これに対応して、言語主体自身の言語的関心ということを考慮に入れることが必要である。ここで言語的関心というのは、人間が、その生活環境において、言語行為をしようという意欲を持つことである。このような言語的関心が生まれるのは、言語行為を必要とする条件が発生し、その条件を、言語行為によって克服し、生活目的を達成しようという意欲に基づく。人間は、例えば、外敵の侵略を受けたような場合、これに対して、進んで攻撃的行動に出るべきか、退いて待避的行動に出るべきかを考える。これは、云わば行動(243)的関心と云わるべきものであるが、言語的関心も、行動的関心とともに、人間の行為に対する関心の一に数えることが出来る。共に有目的的行為として、本能的衝動に対比されるものである。
 人間は、その発生の当初から、他人との交渉、対人関係の調整のために、自己の思想を表現し、また、他人の思想を理解することを必要としたのであろうから、言語的関心は、人間の発生と同時に存在し、人間本然のものとも云い得るのであるが、総てを言語に訴えて解決しようとする民主主義の精神のようなものが、太古蒙昧の時代から存在したとも考えられず、当時においては、多くの場合に、実行に訴えて解決しようとする行動的関心の方が、優勢であったと考えられる。して見れば、言語的関心の発達ということは、文明文化の発達の一の象徴とも見ることが出来るのである。
 文字が発明されなかった時代においても、人間は、事件やその文化を、言語によって後代に伝えたいという要求を持ったことは、印度における吠陀の聖典や、アイヌにおけるユーカラの伝承の事実によっても知ることが出来る。我が国における神話伝説の文字による定着以前の状況は、古語拾遺に云われている
  「貴賤老少口口(ニ)相伝(ヘ)、前言往行存不v忘(レ)」
(244)というような状態であったかも知れない。そして、これらの伝承の言語は、日常の言語とは、種々な点で、相違したものであろうということが想像されるので、それは、音声言語とは云っても、一の別の形態の言語であったと考えられるのである。このような特殊の言語の発生ということは、詩歌のような韻律的表現の発生とともに、言語史上の一事実と考えられることであって、その根底には、そういう伝承を発生せしめるに至った、その民族の言語的関心の昂揚ということを考えなければならないのである。文字の発明ということも、そこから出て来るのである。
 我々は、日常の衣食住に関する会話のやりとりを、敢えて伝承させたり、文字に書き留めて、これを後世に伝えようとはしない。特に伝承させたり、文字に書き留めようという言語的関心、特に文章的関心が発動するのは、表現しようとする事柄が重要である場合、興味がある場合、他人の共感を求めようとする場合等であって、そこに、言語主体がある程度の生活水準に到達したか、または、旺盛な生活意欲のあることが観取されるのである。そのような関心に基づいて、その実現に相応しい、種々な言語形態も創造されて来る。生活→言語的関心→言語形態の分化発達→言語生活の多様性という一連の事実の因果関係は、国語生活史としての国語史を考える場合の重要な要素である。(245)祝詞、宣命、和歌、物語、記録、文書等の表現形態は、それぞれに、異なった言語的関心の発現として考えられることである。鎌倉時代の武士階級も、ただ、兵馬のことにのみ専念している間は、恐らく、高度の言語的関心も、文章的関心も持たなかったであろうが、彼等が政権を握ることにより、その生活環境の必要から、文章的関心が高まって来た。貞永式目、東鑑の如きものが成立した所以である。室町時代の寺院を中心とする庶民教育、往来物の普及発達、節用集その他の通俗辞書の成立刊行等の事情に、当代における庶民階級の生活水準の向上とともに、文字言語に対する関心の、次第に高まって来るのを見ることが出来るのである。言語的関心は、ただ、文章的関心として現れるばかりではない。音声言語の形態としても分化発達して来る。例えば、明治以来の議会制度の発達から、従来の音声言語の形態には見ないような、討論とか、会談とか、弁論のような形態を発達させたのがそれである。明治以後のこれらの国語史的特徴は、ただ、一般民衆の生活水準や、政治的自覚の向上によるばかりでなく、自我の覚醒、個性の尊重というような近代思想によっても、特徴づけられている。明治以来の言文一致運動の一つのねらいは、ただ、文を言に近づけようとするだけでなく、従来の舞文の文には見られない、表現の的確さ精緻さを要求することであったと見ることが出来る(註一)。
(246) 言語的関心ということは、国語変遷の事実を考える上に、必要な事柄であるばかりでなく、今日の標準語対方言の教育の問題を考える上にも重要なことである。標準語教育の根本は、国民として、社会人としての表現を、どのようにすべきかの意識を培うことであって、単に、標準語法の習得というような技術上の問題ではないのである。
 以上は、言語的関心ということを、専ら、表現者の意識の問題として取上げたのであるが、同時に、聞くことに対する関心、読むことに対する関心としても取上げられなければならない。例えば、読書生活の向上ということは、その一つであって、それは、云うまでもなく、国民の国語生活の発展と創造とを意味し、国語史上の一つの事実として取上げるべき問題なのである。
 
  註一 田山花袋『近代の小説』に、「言文一致の文章を書こうとした運動は、しかし何と言っても、一番新しい進んだものであらねばならなかった。つまりそういう運動は英語から入って行って、向うの詩や小説などに接して、不知半解の譏は免れ得なかったとはいえ、とにかく、それを真似ようとしたものであることはたしかであった。何うも今までの文章の書き方では面白くない。直写が出来ない。細緻な描写が出来ない。こうその人達は思った」(【「言文一致の運動」】)。次の「ツルゲネフの最初の飜訳」にも同じことが述べられて(247)いる。
 
     四 資料としての文献と研究対象としての文献
 
 明治以後の国語史研究は、口語の歴史的研究を、その主要な課題としたことは既に述べた(【本章第一項】)。口語は、文字言語とは、その形態を異にするものであるから、たとえ、口語をそのまま文字に記載した口語文といえども、それは、既に、厳密には、口語そのものであるとは云うことの出来ないものなのである。特に、言文二途に別れていた明治以前においては、文献は、殆ど全部が、口語とは別の文法体系を持った言語で書かれていたために、口語史研究者は、まず、当代の口語を再現するに必要な文献の探索に力を注いだ。そして、口語の記述の方法は、次のようなものであった。
  古来ノ口語ノ変遷ヲ知ラムニハ、書籍ニ拠ラズハアルベカラズ。然ルニ、世ニ存スル書籍ハ、悉ク文語ニテ記シテアレバ其ノ変遷ノ経路ヲ知ルニ由無シ。併シ、両語(【筆者註。文語と口語の意】)相別レテヨリ、文語ハ学ビテ始メテ記シ得ルモノトナリシガ故ニ、数百年来ノ文語文ハ、人々、己ガ日常ノ口語ニアラズシテ、スベテ、学ビテ記ス擬古文ナレバ、コレヲ(248)記スニ当リテ、思ハズ取外シテ、往々口語ヲ雑フルコトアリシナリ。此ノ事アルニ考ヘツキテ、乃チ幾多群書中ニ就キテ、其ノ雑ヘタル口語ヲ探り(中略)斯ノ如クシテ、辛ウジテ変遷ノ痕ヲ認メタリ(【国語調査委員会編纂『口語法別記』例言】)。
右の例言にあるように「思はず取外して」文語中に雑えられた口語を掘出して、辛うじて口語を記述するというのであるから、その苦労は容易なことではない。このような口語史研究においでは、与えられた文献が、口語史編述のために、有効な資料であるか否かということが、常に問題にされた。与えられた文献を、資料として、これに対する態度は、口語史研究の場合に限ったことではない。国語史研究全般に亙って取られた著しい態度である。すべて、文献は、音韻、語彙、文法を記述するための資料的意味において利用されて来たのである。例えば、山田孝雄博士が、『平家物語の語法』において、延慶本平家物語を記述される場合にも、本書が、鎌倉時代の音韻、語法を記述するに、最も適当な資料であるとし、これを鎌倉時代の言語の一証であるというような見解の下に、研究、記述せられたのであって(【同上書序説】)、延慶本平家物語なるものが、言語として、如何なる形態、いかなる機能のものであるかを問題にされたのではなかった。凡そ文献に対する態度として、(一)それが、ある時代の音韻、語彙、語法を記述するに役立つ資料(249)として、これに対する態度と、(二)それを、書く行為の所産として、文献自身を一個の言語と考え、その言語的性格を明かにしようとする態度とがあり得る訳である。前者は、資料として文献に対する態度であり、後者は、研究対象として文献に対する態度である。従来の国語史研究が、文献を、専ら資料的にのみ取上げ、これを利用して来たのは、これも、従来の国語史研究が、要素史的の立場から、音韻、語彙、文法のそれぞれについて史的記述をしようとしたことに起因するのであって、文献や作品を正面の対象に据えて、それを一の言語形態と考え、当代国語生活の中に位置づけることが問題にならなかった理由もそこにあるのである。湯沢幸吉郎氏の『室町時代の言語研究』における抄物の一群、同じく同氏の『徳川時代言語の研究』における歌舞伎狂言本、浄瑠璃院本等は皆、資料的意味において取上げられたのである。これを、辞書について見ても同じことが云えるのである。橋本進吉博士は、『古本節用集の研究』の中で、次のように云つて居られる。
  節用集は、(中略)主として物書く人の為に文字を与える書であるから、其の所収の語語、大抵当時の言文に用いられたもので、古い文献にのみ現われて来る死語廃語の如きは、多くは、収録せられて居ないであろうから、之を当時実際に用いられて居た語の記(250)録と見ることが出来る。されば、古本節用集を足利時代の語の集録と見て研究すれば、国語音韻の歴史、語詞の変遷等に関して、得る所決して少くはあるまい(【三五六頁】)。
同じことは、岡田希雄氏の『類聚名義抄の研究』にもあてはまる。
  ここに述べようとする名義抄は他の三書(【新撰字鏡、和名抄、伊呂波字類抄】)の何れとも比較にならない程訓が豊富で詳しくあり、従うて古語を伝えて居ることも四書中の随一であると云う点に於いて、又字体から云つても正俗通の三体に加うるに異体のものまで挙げているのが多く、為めに万葉集其の他の古書の字体を調べる上に大層役に立つと云う点に於いて、国語学史上大いに注意を払わなければならないものだが、其の著者なり時代なりが明瞭でないのは頗る遺憾であると云わねばならぬ(【四頁】)。
古本節用集の場合と、類聚名義抄の場合とでは、利用価値という点で幾分異なっていて、前者は、足利時代の語の集録と見ての利用であり、後者は、古書の読解に便であるとするのであるが、ともに、これら辞書の本来の機能を離れて、これを利用するという資料的価値において見られていることは同じである。
 同じことは、また、点本と云われるものについても云うことが出来る。点本とは、漢籍仏典の原典の上に、訓法釈義に関する註即ち、訓読の加えられた一種の文献であるが、(251)その文献的性格が何であるかが問われる前に、その文献中に存在する種々な要素が、国語の音韻、文字、語彙、文法の記述に対して、基礎的、根本的資料を提供するものとして重要視された。先ず、大矢透博士は、点本中に散在する仮名の註記に着目して、これを仮名遣及び仮名字体の変遷を知るための資料として活用した(【『仮名遣及仮名字体沿革史料』明治四十三年一月】)。なお、山田孝雄、吉沢義則、春日政治、遠藤嘉基、中田祝夫の諸氏によって、字音、仮名字体、仮名遣、語彙、文法等の事実を明かにするための貴重な資料としての意義が、益々明かにされるようになると同時に、訓読に用いられた言語が、どのような性格の言語であるか、即ち男性語か女性語か、学者語か、一般語か、口語か文語かについての問題、更に、国語表現に及ぼした漢文直訳的文体の源流を探る資料として利用された(【築島裕「平安時代の漢文訓読について」国語と国文学昭和二十四年五月】)。
 以上の如き文献に対する態度は、古典を、古代の民俗、信仰、社会制度、経済組織等を知るために利用し、文学作品を風俗資料の研究に役立てることと共通した態度であって、そのこと自身、決して排斥さるべきものではなく、文献に対する一つの態度であるといわなければならない。以上のような態度に対して、言語過程説は、どのような態度を要求するであろうか。
(252) 言語過程観に基づく国語史研究においては、国語生活の実態を記述することが、第一の必要事項とされる。従って、国語生活を構成するものとしての四つの言語形態及びその下位形態は、それぞれに、独自の機能と、価値とがあるものとされるのであって、その中で、特に音声言語の史的研究だけが、価値あるものとされる何等の理由もないのである。のみならず、もし、言語的関心ということを問題にし、主体的価値意識の点を問題にするならば、文献的言語の方に価値があると云わなければならない。
 次に、各時代に存在する文献は、それが資料として利用される前に、それ自体が、一の言語生活の具体的なものとして、対象的に取上げられなければならない。
 既に挙げた例について、これを言語過程説の立場において見るならば、先ず、辞書は、その成立の意図について見れば、その今日における利用価値の如何に拘わらず、何よりも、伝達を媒介するものとしての意義を認めなければならない。例えば、(山)という思想は、辞書によって、「やま」或は「山」という文字記載が示されることによって、相手に理解されることが出来、「山」という文字は、「土の高く盛り上がった所」という辞書の説明によって、表現者の思想を理解することが出来るのである。このようにして、辞書は、先ず、それが表現行為、理解行為に連なるものであり、更に、それらの背後に(253)ある生活と関連する。日常卑近な生活のための「書く」行為に関連する辞書と、読者のための「読む」行為に関連する辞書とは、その組織内容は全然異ならざるを得ない。辞書を、このように、全生活との関連において、更に、言語生活の体系との関連において、一言にして云うならば、言語生活の実態に即して辞書を定位することが、辞書研究の第一義的な問題にならなければならない。
 点本についても同じことが云えるのである。点本は、その中に含まれている雑多な事実が、国語研究に資料を提供する前に、点本そのものは、漢籍仏典即ち外国語を読解する作業として成立したものであることを確認する必要がある。外国語を読むということは、古典を読むと同様に、国語生活の一の重要な形態である。点本を媒介として、国語と漢文とが交渉するということを考えるならば、その意味において、点本を取上げるということは、これまた、点本をその第一義的意義において把握することになるのである。
 従来の国語史研究は、その記述方法の鉄則に従って、音韻、文字、語彙、文法の部門別を立てて、これを歴史的に記述した。従って、それに有効な資料だけが、国語史研究の対象とされ、そのような資料の探索に、学者の努力が傾けられた。例えば、古事記は、その中に含まれている歌謡の部分は、音韻、語彙、文法の記述に役立つが故に、そのか(254)ぎりにおいて資料的価値は、認められるが、古事記の本文は、そのような記述に、何等の貢献をも認めることが出来ないので、国語学の問題の埒外に置かれたのである。それが、国語の表現の一形態として、後世の記録文書とどのような交渉があるかなどということは、不問にされて来た。また、近世の近松、西鶴、芭蕉の作品にしても、それが、口語の資料として利用し得ないという見地から、これまた、国語学の対象の外に追いやられて来たのであるが、それらの作品が、当代の言語生活の重要な一環をなして来たものであることは、誰しも認めるところであろう。このようにして、文献を資料としてみる態度は、国語学の分野を、極めて狭い埒内に閉じ籠めることになり、言語生活と、文化との交渉に対して、正当な認識を開く道を阻むことになってしまったのである。
 もともと、あらゆる文献は、すべてそのまま、国語学の対象となるべきものである。勿論、それは、言語生活の全貌を示すものでなく、その間には、瞬間に成立して、そのまま消滅してしまった音声言語の生活のあったことも考慮に入れなければならない。文献は、今日において、これを当代の言語に復原するということは、方法的に見て、殆ど不可能に近い場合もあるのであるが、それだからと云つて、文字言語の歴史を編むことが、無意味であるとは云えないのである。それどころか、音声言語の歴史が、国語史の(255)正統的なものと考えることそのことに、大きな問題があると云わなければならないのである。音声言語の歴史を、国語史の正統的なものと考える思想の根底には、既に述べたように(【本章第一項】)、音声言語を真の言語、自然の言語であるとし、そのような言語が、言語学の真正な対象であるとする十九世紀ロマンチシズムの思想が強く支配し、口語は大衆のものであり、文語は特権階級のものであるとする階級観念の演繹があるのである。そこには、言語の機能に対する考えが、全然、無視されているのである。もし、言語と生活との機能的関係を重視するならば、その時代の生活と文化に対して、どのような言語が、機能の点から見て、最も価値ありとされていたかという、その時代における主体的意識というものが、先ず、問題にされなければならないのである。
 
     五 国語史の特質
 
       一 樹幹図式と河川図式
 従来の国語史研究は、日本語の一貫した流れを追求し、日本語の根源を探求しようとすることであった。その方法として、音韻、語彙、文法の変遷における法則を樹立する(256)ことが重要であるとされたのである。このようにして、我々は、「河」Kawaは、溯れば、Kafaであり、更に、それは、Kapaであったであろうという推定の可能なことの根拠も知るようになった。また、「起きる」は、上二段活用から、上一段活用に転じたものであることも知るようになった。国語史は、このようなものとして捉えられ、それは、あたかも、種が芽を出し、幹や枝となり、葉を出し、花を咲かせ、そして、やがて凋落して行く有様に譬えられた。言語の史的研究ということは、そのような事実を探究することであり、それが言語史研究なのだと、頭から決めてかかれば、もはや問題はないのであるが、一度、振返って、それが、我々の素朴な歴史的認識を満足させて呉れるかを反問して見ると、そこに疑問が涌かないわけではないのである。例えば、「やま」とか、「はな」とかいうような純粋の大和言葉の系統の語の外に、「仁義」とか、「草木」とかいうような支那系統の語を使用するようになった事実、また、平安時代に、和歌や物語のような表現形態と並んで、記録文書体というような表現形態を持つようになった事実は、一体、国語史的事実と考えられるのであるか、それとも、それは、日本語の一貫した流れを追求することではないから、国語史的事実とは認められないとするのであるか。これを、他の事例について考えてみょう。今日、我々は、男女とも、一般の生活では、(257)洋装をすることが多くなった。日本の服装の歴史を記述するのに、純粋の日本的服装の変遷だけを追求し、記述したのでは、今日の我々の生活における服装の実際を把握したことにはならない筈である。住居についても、食事についても、思想についても、同じことが云えるのではなかろうか。こう考えて来ると、人間の文化の歴史には、絶えず異質的なものが、流れ込んで、そして一つの新しい文化を形成して行くのが普通であって、一つの文化が、それだけで、発展して行くことは稀であると考えてよい。交通が発達すれば、そのことは、一層、著しい。歴史的研究は、そのように渾然とした全体を、それを組成する要素に分析し、その全体が形成される経路を明かにするところに使命があると見るべきである。そして、一般に、文化史はそのように記述されているのである。言語史も例外ではない筈であるのに、不思議に、言語史はそれらとは、揆を異にしていた。言語は、文化の荷い手であると云われている。文化が混淆すれば、言語が混淆するのは当然で、文芸復興期のフランス語にその著しい例がある。遠く外国に例を求めるまでもなく、戦後の国語について、我々が身近かに体験している事実で、一般には、それが、国語の混乱として意識されているのである。このような事実は、古代から、絶えず繰返されて来たに違いないのであるが、それが、国語史研究者の眼に、まともに映じなかっ(258)たこと、たとえ映じたとしても、その事実が、正統的な学の対象と考えられなかったことには、深い理由がなければならない。その理由の一つは、自然史より類推された言語史観である。言語史を以て、資材的言語ラングの崩壊成長の過程と見る言語史観である。「河」が、KafaよりKawaに推移したという事実は、ラングを構成する要素である意味と音韻とのずれ〔二字傍点〕であって、このような事実のみが国語史的事実と認められたのである。このような言語史研究は、その淵源である印欧比較言語学の性格に規定されたものであって、そこでは、自然史が、無機物や有機体の発生の根源に興味を持ったように、言語についても、その根源へ根源へと溯行して、失われた祖語の再建に学者の興味と関心が向けられたのである。その際、国語の中に流れ込んだ異質物は、問題でなく、むしろ、それらを拭い去って、ただ源流を探求することが大切なことであったのである。ヨーロッパ史的言語学における一元的なものの追求という研究態度は、印欧言語族が、同一祖語より分化発展したという実際が、導いたものであるにしても、既に述べたように、当時の自然科学の研究方法が反映したと見ることは、誤っていないであろう。このようにして、自然発生史の樹幹図(註一)に倣って、言語発達史の樹幹図が作られるようになったのである。私が疑問として提出したような事実が、国語史の正統的な対象と考えられなかっ(259)た理由はそこにあるのである。
 理由の二は、国語史研究は、口語史研究であるとする考え方である。大陸から入って来た支那的要素である漢字漢語は、ある場合に、資料的価値の上から問題になっても、漢字漢語そのものは、口語史記述の点から見れば、当面の問題にはならないことになる。それを考慮に入れなくとも、口語史は記述出来るし、本来、系統的に無縁のものである漢字や漢語と、国語との交渉を考えるなどということは、考えること自身が矛盾であるということにもなるのである。
 以上は、明治以後の国語史研究の性格と、それを規定した思想について述べたのであるが、既に述べたように、それは、文化の歴史を記述する方法であるよりは、自然史の記述に近いものである。ヨーロッパ言語学においては、言語が、人間的事実であるよりも、自然的存在に近く考えられていたことを思えば、右のような史的記述が出て来ることも当然であると考えられるのであるが、その結果として出て来た国語史的記述が、一つの学問的結論として与えられる以外に、我々の素朴な学問的欲求にすら満足を与えて呉れない事実を見る時、言語史観の根本に、再検討を加える必要があるのではないかと考えられるのである。
(260) 言語過程説においては、言語は人間の行為であり、従って、それは、また、当然、文化の一つである。文化の歴史は、自然史のように、樹幹図式によって把握されるべきものでなく、河川図(註一)式によって把握されなければならない。一本の川には、水源を異にした大小幾多の支流が流れ込んで、下流の大をなしている。そこには、種々様々な土質が流れ込んでいるに違いない。それらの構成分子を分析し、それらがどのように組合わされて、下流を成しているかを明かにすることが必要である。我々が知りたいのは、源流の奥の水源ではなくして、我々が、今、立っている下流についてである。すべての文化的記述は、下流の形成を明かにすることであって、そのために、上流への溯行も意義があるのである。言語史研究も、これと同じでなければならない。
 今日、国語については、種々なことが実際問題に関連して注目されている。例えば、国語では、口語と文語との間の乖離が甚しい。古代においては、言文の差は、今日ほど甚しくなかったのではないかという事実も明かにされている。また、純粋に大和言葉の傍らに、支那起源の漢語が多く用いられて、しかも、それが、国語表現において支配的である。これも古代には見られない現象で、いつの世にか、何らかの理由によって、そのような事情を作り上げて来たのである。また、同じ漢語でも、漢音の語と、呉音の語(261)とが並列している。これらの事実、しかも今日の国語にとっては重要な事実が、歴史的考察の網の目を漏れて来ているということは、正しい国語史研究の態度とは云うことが出来ないであろう。伝統的な音韻、語彙、文法の記述が完備しても、はたして、右のような事実が、解明されるかは、甚だ疑わしい。国語史研究は、口語史研究であるから、そのような文字や文語に関することは、問題外として、不問に附して差支えないと云えるかどうか。学問は、研究法によって決定されるものではなく、先ず、事実の上に、出発しなければならないことを知る時、今日の国語史観とその研究法とが、厳密に反省されなければならないことを感ずるのである。以上のような疑問は、畢竟するに、ヨーロッパにおける言語の実際と、日本における言語の実際との相違から出て来ることであり、そこに、国語史研究の独自の立場の要求される理由があるのである。それならば、日本における国語の史的事実の実際とは、どのようなものであり、それがヨーロッパのそれとどのように相違するかということが、問題になって来るのである。
 国語史の特質を、一言で云い表わすならば、それは、国語が、各時代に、国語とは性質の異なった言語の影響を、絶えず受けて今日に至っているということである。その影響も、音韻、語彙、文法というような言語の要素に対する影響というよりも、先ず、言(262)語生活の体系に対する影響として、これを捉えなければならない。大陸の言語の影響は、日本に文字を伝えることによって、国語生活に、「読む」生活、「書く」生活を、新しく加えた。これは、国語史上の一つの大きな事実である。既に述べたように、文字による言語生活によって、日本は、大陸の新しい文化を吸収して、国家的統一の事業を、進めることが出来た。文字言語の生活は、漢文の訓読、即ち一般的に云って、外国語の読解と飜訳の手続きによって成立し、一方、国語を、漢文の型にはめて表現することによって成立する。「読む」生活、「書く」生活が、日常の音声言語の生活とは、別の体系に属するものとして、言文が、それぞれ別途に、その伝統を形成するようになった理由は、以上のような点にあると考えられる。その本を糺せば、このような国語の事情は、日本の文化史的事実に対応していることが分る。和辻哲郎博士のいわれるように、日本の文化は、それ自身の自律的展開によって発展したものというよりは、外来文化の絶えざる波状的な進入によって、古い文化の残存の上に、新しい文化が積み重ねられて、ここに文化の重層性ということが起こって来た(【『続日本精神史研究』中、日本文化の重層性】)。同様な事実を、辻善之助博士は、「日本文化の発達には断続が多い」「日本文化は躍進的(Jumping)である」と云って居られる(【『日本文化史』巻一、第一篇第一章日本文化の特質】)。国語も、それに歩調を合わせて、古い文化圏の言(263)語の上に、新しい文化圏の言語が重ねられるということが繰返されて来た。その著しい例は、仏教語彙と儒教語彙との併存である。それらは、それぞれに、異なった時代に、異なった文化を荷って成立した語彙であるが、それが、今日では、重層的に国語の中に併存するようになった。漢文直訳体の文章と、欧文翻訳体の文章との関係も同じである。それらは、それぞれに、時代を異にして国語の中に流れ込んだ川の支流である。私が、河川図式と呼んだのは、このような国語史の形成を云うのである。
 
  註一 生物学では、単細胞生物から、高等生物までの発達の経路を、樹幹図式に解説して、それぞれの生物を位置づけている。従来の国語史研究による国語の位置づけを、樹幹図式に表わせば次のようになる。
 
          日本語と別系の言語(二)〔上向きの矢印〕
 今日の日本語
  日本語と別系の言語(三)
               日本語と別系の言語(一)
 
本書で考えられている国語史を図に表わせば、右の図とは反対に、次のような図式に表(264)わすことになるであろう。もし、これを名づけるならば、河川図式とでも云ったらよいであろう。
 
     日本語と同系の言語(一)
  今日の日本語
   日本語と同系の言語(二)      共通祖語〔矢印あり〕
      日本語と同系の言語(三)
 
「日本語と別系の言語」(一)(二)(三)とは、例えば、支那古代言語、同近代言語、ヨーロッパ諸語等をあてはめることが出来る。「今日の日本語」は、それらの総合の上に成立している。国語史研究とは、ある時代の国語が、前時代には無かったものを新しく加え、或は創造した事実を、明かにし、その理由を説明することであると云ってよいであろう。
 
       二 外国語の摂取とその方法
 国語史は、国語を、その根源よりの分化発展として樹幹図式に捉えるべきものでなく、異分子の総合、輯合として河川図式に捉えるべきものであることは、前項に述べたこと(265)であるが、そのように見た場合、直に問題になることは、国語が、外国語をどのような方法によって摂取したか、また、それを必至にした政治的、経済的、文化的事情はどのようなものであったかということである。
 古来、国語の中に流れ入った外国語は、日本周辺の言語としては、アイヌ語、朝鮮語、南方語、そして最も徹底的には、漢語であり、また、漢語を媒介とする印度の古語梵語である。近世以後においては、ヨーロッパ諸国語がある。これら諸国語の国語への影響の多寡は、専らその文化的背景によるものであって、漢語は、それが荷っている支那文化及び印度文化特に仏教文化の故に、国語に徹底的な影響を及ぼした。明治以後は、日本が、その文化を、西欧の伝統に求めたために、ヨーロッパ諸国語が、国語に大きな影響を与えたこと、今後も与えるであろうということは、事新しく云うまでもないことである。
 これら外国語が、国語へ影響を及ぼすのは、舶来の事物とともに、直接に摂取される語彙の点も勿論であるが、語彙以外の文法、云い廻し、発想法等にまで影響を及ぼす事実は、更に重大である。これらの点を、国語史研究の正面に据えることが必要になって来るのである。以上のような外国語の影響は、主として外国語の訳読という事実を媒介(266)として行われるのであるから、国語史研究においては、この訳読ということを等閑視してはならないことになるのである。我が国における訳読の事実は、古くは漢文の訓読であり、明治以後においては、欧文の飜訳である。これらの訳読を通して、それが国語の表現に影響を及ぼすことになるのである。これらの訳読に対して、それが、純粋の国語に置換えられるならば、国語に変貌を来すことはないのであるが、屡々訳読は、原文である外国語の性格の制約を受けるところから、変態的な国語を創造することになる。国語は、その歴史を通じて、絶えずこのような外来の作用を受けて来たということが出来るのであるが、従来の国語史研究は、その分析的な要素史的研究法と、国語の性格の一元的追求という方法によって、以上述べたような国語の異質的構成ということを、ややもすれば、見失いがちになっていたのである。
 先ず、漢文の訓読について述べる。漢文は、その原典が、漢字で書かれているために、先ず、漢字の字音訓義の学習が必要とされる。更に、漢文の訓読の特異とすべき点は、そのような字音や訓義を、原文に仮名や符号を以て示すことによって成立することである。原文に仮名や符号を加えたものを点本と称するが、その訓読の形式が示すように、自由に、素直な国語に置替えることが困難とされ、ここに一種独得な訓読語という飜訳(267)国語が成立することになるのである。点本の本質的性格は、以上のように、外国語の訳読の事実であるというところにあるのである。従って、そこには、当然、無理な訳語や国語の自然な云い廻しに外れた表現法が現れることになるのであるが、それが、訳読を専門に扱っている僧侶や博士家の手から、次第に、一般国語表現の中に流れて行くという事態を招くことになる。或は、正則な国語的な文章表現が確立していない時代においては、訳読文に現れた変態的な飜訳形式が、却って、国語表現の規範的な型として考えられたとも云えるのである(【「型」については三に述べる】)。
 平安時代初頭に出現した点本を始めとして、近古時代の抄物、江戸時代の漢籍の訓読、国字解等は、国語の流れに、異質物を加えたものとして、これが、国語史上の一の重要な事実として扱われねばならないことは、以上述べた通りであるが、従来、これらの事実は、必ずしも右のような観点では扱われなかった。特に点本は、大矢透、吉沢義則博士等の研究においては、点本が内包する仮名字体、訓読語彙が問題であった。即ち、点本は、国語資料の空白時代を埋めるに絶好の資料として、学者の関心の対象となったことは、既に述べたところである。しかし、点本は、これを平面的に、現象的な事実においてのみ捉えるべきでなく、外国語を国語に移転する作業として、更に、それが、国語(268)表現を制約して、国語史的事実を形成したものとして見る必要があることは、上に述べた通りである。中田祝夫氏が、「点本資料は従来の国語資料に附随し、それを補助するがために価値あるものではないのである。点本の訓み下し文、つまり訓読文そのものが、独自の位相を保ちつつ、他の位相の資料と相倚って、大きく国語史料を形成して行くべきものである」(【古点本の国語学的研究】自序五頁)と述べられたことは至言であるが、点本が、外国語移転の作業であるという本質的性格を見失うと、「机は四本の脚を持つ」というような文が、国語史の一資料であると判断されると同じ危険に陥る惧があるのである(註一)。
 訳読の事実は、明治以後の欧文についてもあることで、それらが、明治以後の文体改革特に言文一致運動と、その成果に関連して重要な事実である。言文一致運動は、明治以前の言文の乖離を解消し、言文を一途にしようとする運動とその実践であるが、それは、ただ、文語法の表現を、口語法に改めようというだけでなく、粗笨な漢文訓読調の表現に対して、自然人事或は人間心理の精緻な描写をねらう近代リアリズムの精神に基づくものである(【本章三註(一)】)。
 
  註一 「机は四本の脚を持つ」という文は、外国語の翻訳のために生まれた変則的な日本語であって、このような文が、翻訳文献の中に見出されたとしても、これを直に国語史(269)的事実と判断することが危険であるように、漢文訓読文の中にも、同様なことがあるのではなかろうかということを念頭に置く必要があることを云おうとするのである。
 
       三 表現における型(註一)
 言語史は、河川図式に捉えるのが、正しい方法であるということは、言語を人間の行為と考える言語過程説の基本的理論から、当然、演繹される推論であると同時に、それは、また、言語の実際から帰納される結論でもあるのである。それならば、言語史を、河川図式に捉えるということを具体化するならば、どのような問題が提出されるであろうか。以下、それらの点について述べようと思う。
 今日の国語を形成する幾多の支流が、もし、フランス語の中に流れ込んだイタリヤ語のように、また、ドイツ語の中に流れ込んだラテン系の言語のように、本来、同一系統の言語である場合には、その混合は、容易であり、やがてその言語の中に融解してしまうであろうが、日本語と支那語、日本語とヨーロッパ諸語との場合は、問題は、極めて複雑である。音韻、語彙、文法に亙って、著しく性格の異なる両語が、完全に融合状態になるということは、容易なことではない筈である。しかも、過去における大陸文化の(270)圧倒的な勢力は、この容易でない仕事の実現を遂行することを余儀なくさせたのである。国語史は、いわば、支那的な枠の中に、どのようにして国語の性格を生かすかの悪戦苦闘の歴史であるとも見ることが出来るのである。この事情を明かにするには、文字による文章表現の成立過程を顧みる必要がある。国語の文章表現は、支那の文字を摂取することによって成立するのであるが、それは、国語の個々の語彙に対して、それに相応する文字が借用されたというものではない。文字は、一字一字が、ばらばらに、摂取されたのではなく、それは、漢文という文章表現の型を構成する内部要素として取入れられたのである。従って、国語の文章表現を規定し制約したものは、何よりも、漢文の文章表現の型であったのである。この事情は、今日、国語をローマ字表記する場合とは異なるのである。ローマ字表記の場合は、個々の語彙に、その音を表わすに適当したローマ字を選んで表記すればよいのである。このような表記が可能なのは、我々が、ローマ字を、音韻体系に対応するものとして所有しているからである。ところが、漢字の場合は、漢字は、一語一語に対応したものとして把握されているのではなく、文章における内部構成として把握された。従って、「月を観る」という思想は、「観月」という表現の型を別にして、これを漢字を以て表現することは出来ないと考えられた。このことは、言葉(271)を換えて云えば、古代日本人は、その思想の表現において、漢文的型を表現の規範として考えたことを意味するのである。それは、表現における一つの形態 Gestalt として意識されたことである。それは、あたかも、作曲家が、作曲において、先ず、音階と、その調子(ハ調ト調の如き)とを考えるのと同じである。楽想が、この型の中に流されると同様に、古代日本人の思想は、漢文的文章表現の型において、その表現の仕方を見出したのである。万葉集における例えば、
  隠沼従裏恋者無乏妹名告忌物矣(二四四一)
  (こもりぬの下ゆ恋ふればすべをなみ妹《いも》が名のりついむべきものを−新訓万葉集−)
  風吹海荒明日言応久君随(一三〇九)
  (風吹きて海は荒《あ》るとも明日《あす》と言はば久しかるぺし君がまにまに−新訓万葉集−)
のような表現形式は、以上のような理由によって成立したと説明することが出来るのである。しかしながら、漢文的表現の型は、もともと、支那語の表現形式であるから、日本語的語序を盛るには、甚だ無理であり、不適当なものであることが意識されるに従って、この型から脱出して、新しい型を創造しようと努力する。純漢文的表現(【例えば、『日本書紀』『常陸国風土記』等】)から、変態漢文的表現(【例えば、『東鑑』その他の記録類】)へ、また、一字一音式表現(【『万葉集』五、十七、十八、十九、二十の(272)諸巻、記紀歌謡等】)へ、更に、今日の漢字仮名交り文の表現形式への過程は、すべて、この漢文的表現の型からの脱化、そして、新しい型の創造と見ることが出来るのである。ここで問題になるのは、宣命書の形式である。宣命書はいうまでもなく、漢字のみを用い、助詞、助動詞、活用語尾の類を、万葉仮名で小書する表現形式で祝詞、宣命その他に用いられた。このような記載形式が、何から出て来たか、また、何を型としたかについて、直に、想像出来ることは、漢文を国語に飜訳するためにとられた訓読の形式である。漢籍の原文の上に、訓、助詞、助動詞、活用語尾等を小書した形式が、逆に、表現の際の型として作用したのではなかろうかと想像されるのであるが、現存の資料について云えば、奈良時代(【天平宝字二年】)の宣命草案が残っているのに対して(【正倉院文書】)、訓読された資料は、平安時代以前に溯れない状態にあるので、これは、単に推定に止まらざるを得ないのである。
 漢文が、型として国語を制約したことは、単に記載形式においてばかりではない。漢文並にその訓読形式が、国語表現の措辞、文体の型として作用したことも著しい事実である。もともと、漢文の原典の上に、仮名や乎古止点を加えて、これを国語に飜訳するということには、原漢文の措辞や文体による制約のために、国語本来の表現形式とは異(273)なった国語が成立することは、免れ難いことである。これが、型として作用する時、ここに漢文直訳体の文章が成立する。同じことは、欧文の解読からも起こることである。今日の我々の文章表現には、大なり小なり、国語には本来存在しない、異質の型が作用していると見なければならない。
 
  註一 表現における型を問題にすることは、言語史的記述にとって重要なことである。表現と型との関係は、造形における鋳型の関係に同じで、型は、表現素材を形象化する場合に予定されるものである。表現は、おのずからに、その内容が、ある形をとって来るものではなく、常に、それに先行する型の存在を必要とする。汽車が、始めて発明された時、その車体の構造は、それに先行する馬車の構造を型とした。乗客の通路を中央にとり、客車の天井を蒲鉾型にしたのは、後の創意によるものである。蒸汽船が発明された時も、推進機は、船の両側に、車の両輪のように取付けられて、プロペラは、後の発明である。感情を外部に表現する場合も同様で、それは極めて自然な、生理的反射運動として成立するように考えられるが、その場合でも、我々は、一定の型に従って、これを行っていることを知るのである。それは、その民族、社会の習慣として、伝習される。フランス人が、当惑した時に、肩を引き上げ、首を縮めるのは、それを、感情表現の型として習得したのである。もし、型が、先行しなかったならば、人間は、その感情を表(274)現する術を見出すことが出来ないと同時に、非常に不安な気持ちに駆られるに違いない。
 
       四 言語に対する価値意識の転換
 国語史の特質を明かにするために、なお、考えに入れて置くべきことは、言語に対する価値意識の推移変遷である。ここで、言語に対する価値意識とは、『正篇』第一篇総論第八ノ四「言語に対する価値意識と言語の技術」の項に述べて置いたように、主体的立場における価値意識である。観察的立場においでは、一切の語は、研究対象として、同じ価値を持っている。卑しい言葉とされるものが、貴重な研究対象とされる場合もあれば、辺鄙な田舎の片隅に残る言葉が、得難い研究資料とされる場合もある。しかし、主体的意識においては、標準語が、価値ある言語であり、古典に見える言語が価値ある言語とされるように、観察的立場におけるものとは相違する。それは、主として、その言語の機能の相違から来ることである。言語に対する主体的な価値意識の推移及び転換は、国語史の時代を劃する重要な指標となるものである。例えば、明治以前においては、口語は、俗語或は俚語として、低い価値においてしか認められていなかった。ところが、明治以後になると、俗語は、口語と呼びかえられ、更に、それは、文語よりも重要な言(275)語であると考えられるようになった。そのような価値意識の転換が、何によって生じたかということは、国語史研究の重要な課題とされなければならないことであるが、考え得られる理由の一つは、口語が、言語における最も自然な、また、真の言語であるとする、十九世紀以来の言語理論である。他の一つの理由は、近代の思想傾向の重要な要素をなす現代中心主義の考え方に基づく。現代を中心として考えた場合、現代生活を支えるものは、現代の口語であって、古典の言語ではない。国語政策論も、国語教育論も、ここから出発したのである。このような価値意識の分析を、時代的に行うことによって、国語史の一面が明かにされるのである。
 漢語は、もともと、文字言語に属する言語として摂取されたもので、特殊な文化圏に属する言語である。しかしながら、それは、和語以上に、常に実用的機能において使用されて、一般生活の中に根を下すようになって行った。それに反して、純粋の大和言葉が、和歌連歌の特殊な感情情緒の表現に固定されて来ると、これを雅語として意識するようになる。俳諧が、和歌連歌に対して、新しい旗幟を打立てた時、漢語を俳言と規定して、これを使用したのは(【例えば、談林の俳諧における】)、漢語が、雅語に比して、より実際生活に密着していた為であると考えられる(註一)。漢語が、今日、文化語、学術語、或る場合には、特(276)権階級、支配階級の語であるというように意識されているのは、明治以後、外国文化を早急に摂取するために、乱造された結果、生活から遊離した漢語が、氾濫した結果ではないかと考えられる。
 
  註一 「俳無言と云書に、声に云詞、都而俳言也。連歌に出る声のものもあれども、俳言の方也。屏風・几帳・拍子・律《りち》の調子・例ならぬ・胡蝶など云類也」(【能勢朝次『三冊子評釈』十八頁】)とある『俳諧無言抄』の説も同じである。
 
     六 文学史と言語生活史
 
 文学が、その本質において言語であり、特に、文字を媒材とする文章であるとするならば(【第三章三(一)文学は言語である】)、文学史は、当然、文章を創作する「書く」歴史と同時に、文章を理解する「読む」歴史を含むものでなければならない。従って、文学史は、言語生活史、即ち言語史の一部を形成するものとなるのである。
 以上のような推論は、文学史研究にどのような考え方をもたらすかと云えは、(一)文学史の内容は、価値ある文章の歴史であるということになる。ここで価値あるということ(277)は、それらの文章が、今日の基準において価値が認められるということではなく、多くの人々によって読まれたということ、換言すれば、言語生活の重要な部分を占めたということによって決せられねばならないことを意味する。文学史の内容が、文章の歴史であるということは、その内容の範囲に、大きな幅を認めることになるのである。文学史の内容は、詩歌、小説、戯曲の如き、いわゆる文学作品ばかりでなく、評論、歴史、説教に亙って、これを文学史の内容とすることが考えられることを意味するのである。(二)文学史は、創作の歴史としてばかりでなく読む歴史としても考えられなければならないことになる。文学は、読まれることによって、始めて文学となるからである。従来の文学史は、創作者の創作経験の分析と、その記述を、主たる内容にして来た。その結果、文学史は、他の政治史と同様に、一種の天才史、英雄史として記述せざるを得なかった。しかしながら、文学が、優れた天才の所産であると同時に、他の一面、多くの読者が、それによって、人生について喜び、悲しみ、或は魂の昂揚と救済とを得て来たことを考えるならば、文学史は、天才の創作史であると同時に、一般読者の鑑賞の歴史でもあるわけである。(三)文学史は、これを、「読む」歴史として記述することによって、始めて、その民族の精神史となることが出来るのである。文学史は、常に、現代的意義において(278)書き替えられねばならないという主張には、二つの危険がある。一は、その作品の読まれた事実、即ち作品の受容の実態を見失ってしまうこと、二は、文学史を天才史に終らしてしまうことである。このような文学史は、民族の精神史とはいうことが出来ないものである。ある時代の六十パーセントの大衆が、文学史的基準より見れば、比較的価値の低い作品を愛読し、それを精神生活の糧としていたという事実が明かにされるならば、そのことは、文学史上の重要な事実として記述されなければならない。これに反して、ある作者が、自己の制作した作品を、筐底に深く蔵して、全然、社会に発表することなく過ぎてしまったとする。それが、今日の尺度から見て、価値の高い作品であっても、これを文学史上の事実とはすることが出来ない。(四)文学史を、「読む」歴史として記述することは、文学の社会的機能の点より見て極めて重要である。文学は、読者を媒介として、始めて生活或は時代と交渉するのであるから、文学を「読む」歴史として記述することによって、始めて、文学が、その時代の生活に、どのような作用を及ぼしたかの点を明かにすることが出来るのである。(五)文学史の記述において、「読む」歴史を重視する立場をとるならば、外国古典が、何等かの形式、或は方法によって、我が国の人たちに読まれたという事実は、自国の作品についてと同様に、重視されなければならない。(279) それは、その時代の言語生活史の一部であると同時に、時代を形成する重要な契機の一つと考えられるからである。このことは、前項で述べた国語史の特質、特にその河川図式のことを、あわせて考えるべきである。
 
(281)  著者著述目録
一 日本に於ける言語意識の発達及び言語研究の目的とその方法  大正十三、十二脱稿  東京帝国大学文学部卒業論文
二 鈴木朖の国語学史上に於ける位置  昭和二、一  国語と国文学四ノ一
三 口語文の本質  同 二、四  国語と国文学四ノ四
四 文法教授に対する卑見  同 二、四  国文教育五ノ四
五 【明治元年より大正十五年に至る】国語学関係刊行書目  同 二、五  国語と国文学四ノ五
六 本居宣長及び富士谷成章のてにをは研究に就いて  同 三、二  国語と国文学五ノ二
七 伊藤慎吾君著近世国語学史を評す  同 四、三  国語と国文学六ノ三
八 古典註釈に現れた語学的方法
    ――特に万葉集仙覚抄に於ける――同 六、九  京城帝大法文学会論纂「日本文化叢考」の中(刀江書院)
(282)九 万葉用字法の体系的組織に就いて  昭和七、五  国語と国文学九ノ五
一〇 契沖の文献学の発展と仮名通説の成長及びその交渉について  同 七、六  佐佐木信綱博士還暦記念論文集「日本文学論纂」の中(明治書院)
一一 国語学史  同 七、八  岩波講座「日本文学」の中
一二 源氏物語帚木巻冒頭の解釈  
    ――「さるは」の語義用法に基いて――  同 八、三  国語・国文三ノ三
一三 古語解釈の方法
    ――「さるは」を中心として――  同 八、九  国語・国文三ノ九
一四 国語学の体系についての卑見  同 八、十二  コトバ三ノ十二
一五 語の意味の体系的組織は可能であるか  同 十一、三  京城帝大文学会論纂第二輯「日本文学研究」の中(京城大阪屋号書店)
一六 国語の品詞分類についての疑点  同 十一、十  国語と国文学十三ノ十
一七 形容詞形容動詞の連用形に於ける述語格と副詞格との識別について  同 十一、十  国語と国文学十三ノ十
(283)一八 海道記新註続解  同 十二、一・二  国語教育二十二ノ一・二
一九 文の解釈上より見た助詞助動詞  同 十二、三  文学五ノ三
二〇 心的過程としての言語本質観  同 十二、六・七  文学五ノ六・七
二一 語の形式的接続と意味的接続  同 十二、八  国語と国文学十四ノ八
二二 文の概念について  同 十二、十一・十二  国語と国文学十四ノ十一・十二
二三 言語過程に於ける美的形式について  同 十二、十一 同 十三、一  文学五ノ十一 同六ノ一
二四 言語に於ける場面の制約について  同 十三、五  国語と国文学十五ノ五
二五 場面と敬辞法との機能的関係について  同 十三、六  国語と国文学十五ノ六
二六 国語に対する山本有三氏の意見について  同 十三、七  文学六ノ七
二七 菊沢季生氏に答へて  同 十三、九  国語と国文学十五ノ九
二八 国語のリズム研究上の諸問題 同 十三、十  国語・国文八ノ十
(284)二九 敬語法及び敬辞法の研究  昭和十四、二  京城帝大文学会論纂第八輯「語文論叢」の中(岩波書店)
三〇 言語に於ける単位と単語について  同 十四、三  文学七ノ三
三一 昭和十三年度に於ける国語学一般の概観 同 十四、十一  「国語国文学年鑑」第一輯の中(靖文社)
三二 国語学と国語の価値及び技術論  同 十五、二  国語と国文学十七ノ二
三三 懸詞の語学的考察とその表現美  同 十五、二  「安藤教授還暦祝賀記念論文集」の中(三省堂)
三四 言語に対する二の立場
    ――主体的立場と観察的立場――  同 十五、七  コトバ二ノ七
三五 国語学と国語教育  同 十五、七  文教の朝鮮一七九(朝鮮教育会)
三六 国語学史  同 十五、十二  岩波書店
三七 言語の存在条件
    ――主体、場面、素材――  同 十六、一  文学九ノ一
(285)三八 国語の特質  同 十六、十  「国語文化講座」巻二の中(朝日新聞社)
三九 国語学原論  同 十六、十二  岩波書店
四〇 朝鮮における国語政策  同 十七、八  日本語二ノ八
四一 言語の意味(巻頭言)  同 十八、五  国語文化三ノ五
四二 本居宣長と鈴木朖
    ――初山踏と離屋学訓について――  同 十八、九  解釈と鑑賞八ノ九
四三 国学における国語研究と現代国語学の筋書  同 十八、十  国語と国文学二十ノ十
四四 最近における国語問題の動向と国語学  同 十九、二  日本語四ノ二
四五 言語学と言語史学との関係  同 十九、十  橋本博士還暦記念「国語学論集」の中(岩波書店)
四六 国語に対する伝統論と革新論(巻頭言)  同 十九、十一  国語と国文学二十一ノ十一
四七 橋本博士と国語学  同 二十、五  国語と国文学二十二ノ五
(286)四八 学問における「人」と「対象」と「研究法」(巻頭言)  昭和二十一、一  国語と国文学二十三ノ一
四九 学界総懺悔(巻頭言)  同 二十一、二  解釈と鑑賞十一ノ二
五〇 切替へか手入れか
    ――拙著国語学史のことども――  同 二十一、六  信濃教育七一四
五一 「なさけ」について
    ――平安朝生活の一の理想――  同 二十一、九  遠天一ノ六
五二 橋本進吉博士著作集「国語学概論」解説  同 二十一、十二  岩波書店
五三 仮名交り文に就いて  同 二十一、十二  信濃教育七二〇
五四 国語の交通整理  同 二十一、十二  会館文化四ノ十二
五五 国語問題に対する国語学の立場  同 二十二、一・二  国語と国文学二十四ノ一・二
五六 国語審議会答申の「現代かなづかい」について  同 二十二、二  国語と国文学二十四ノ二
五七 国語規範論の構想  同 二十二、四  文学十五ノ四
(287)五八 文学における言語の諸問題  同 二十二、八  国語と国文学二十四ノ八
五九 「中等文法」の解説と批判  同 二十二、九  新しい教室(中教出版社)
六〇 国語研究法  同 二十二、九  国語叢書の中(三省堂)
六一 国語に於いて敬語を用ゐる意義  同 二十二、十  季刊大学三・四
六二 西尾実氏の「ことばの実態」について  同 二十二、十二  国語と国文学二十四ノ十二
六三 国語仮名づかひ改訂私案  同 二十三、三  国語と国文学二十五ノ三
六四 国語科学習指導要領試案(講読編)  同 二十三、三  新しい教室三ノ三
六五 国語教育における古典教材の意義について  同 二十三、四  国語と国文学二十五ノ四
六六 子供の名前  同 二十三、五  日読ニュース十三
六七 車中漫想
    ――国文学のありかたについて――  同 二十三、九  碧落三ノ九
六八 活用表はどうして出来たか  同 二十三、十二  学窓創刊号(山海堂)
(288)六九 国語科学習指導要領試案(文法編)  昭和二十三、十二  新しい教室三ノ十二
七〇 国語科学習指導要領試案
    ――文法編――  同 二十四、二  非売品(中教出版社)
七一 国語教育に於ける誤られた総合主義と科学主義  同 二十四、五  「国語国文学教育の方向」の中(健文社)
七二 国語に於ける変の現象について  同 二十四、六  国語学第二輯
七三 国語史研究の一構想  同 二十四、十・十一  国語と国文学二六ノ十・十一
七四 国語問題と国語教育  同 二十四、十一  中教出版社
七五 源氏物語の文章と和歌  同 二十四、十二  「源氏物語講座」下巻の中(紫乃故郷舎)
七六 平井昌夫氏の「コトバの社会性」を読んで  同 二十五、五  ことばの教育十二ノ五
七七 藤原与一著「日本語方言文法の研究」(書評)  同 二十五、六  図書八号(岩波書店)
(289)七八 日本文法口語篇  同 二十五、九  岩波全書
七九 スターリン「言語学におけるマルクス主義」に関して  同 二十五、十  中央公論秋季特別号
八〇 古典解釈のための日本文法  同 二十五、十二  「日本文学教養講座」十四(至文堂)
八一 漢字政策上の諸問題  同 二十六、一  国語と国文学二十八ノ一
八二 文学研究における言語学派の立場とその方法  同 二十六、四  国語と国文学二十八ノ四
八三 国語に於ける誤解と曲解  同 二十六、五  信濃教育七七三
八四 国語教育のありかた  同 二十六、六  非売品(中教出版社)
八五 国語教育上の諸問題  同 二十六、七  国語と国文学二十八ノ七
八六 かきことば  同 二十六、九  「国語教育講座」巻一の中(刀江書院)
八七 国語生活の歴史  同 二十六、九  同上
八八 言語の社会性について  同 二十六、九  文学十九ノ九
(290)八九 文章論の一課題  昭和二十六、十一  国語研究第八号(愛媛国語研究会)
九〇 対人関係を構成する助詞助動詞  同 二十六、十二  国語・国文二十ノ九
九一 国語教育と文学教育  同 二十七、二  「国語科文学教育の方法」の中(教育書林)
九二 国語科より見た漢文復活の問題  同 二十七、五  新しい教室七ノ五
九三 国語学と国語教育との交渉  同 二十七、五  国語教育学会紀要第一集
九四 S・I・ハヤカワ氏著「思考と行動における言語」(書評)  同 二十七、八  国語と国文学二十九ノ八
九五 言語教育と文学教育  同 二十七、九  西尾実氏との対談、教育建設8(金子書房)
九六 国語政策の盲点  同 二十七、十一  東京大学学生新聞一三九号
九七 文法研究の一課題  同 二十八、一  国語学第十一輯
九八 新仮名遣は改善の余地なきか  同 二十八、一  明日香路
(291)九九 国語教育の問題点  同 二十八、五  「国語科学習指導の方法」の中(教育書林)
一〇〇 言語における主体的なもの  同 二十八、五  金田一博士古稀記念「言語民俗論叢」(三省堂)
一〇一 金田一春彦氏の不変化助動詞の本質を読んで  同 二十八、五  国語・国文二十二ノ五
一〇二 古典の解釈文法  同 二十八、五  増淵恒吉と共著(至文堂)
一〇三 言語と生活との交渉 
     ――特にシャール・バイイの言語学説との対比において――  同 二十八、八  国語と国文学三十ノ八
一〇四 「申したまふ」についての考  同 二十八、十二  国語と国文学三十ノ十二
一〇五 文章研究の要請と課題  同 二十八、十二  国語学第十五輯
一〇六 作文教育の方法について 同 二十九、一  実践国語
一〇七 日本文法文語篇  同 二十九、四  岩波全書
(292)一〇八 国語教育の方法  昭和二十九、四  「これからの国語教育のために」叢書第一(習文社)
一〇九 漢字制限の問題点(討論)  同 二十九、八  国語学第十七輯
一一〇 詞と辞の連続非連続の問題  同 二十九、十二  国語学第十九輯
〔2018年2月18日(日)午後2時5分、入力終了〕