3577、
中宗4年(1509年)1月1日(甲午)
望闕礼を行う。大妃殿で祝賀会を上げて百官の祝賀を受ける。
○甲午朔/上率百官, 行望闕禮。又賀大妃殿, 受百官賀。命停會禮宴, 以謹天變也。
●甲午朔、上は百官を率いて望闕礼を行った。また大妃殿で祝賀会を上げて百官の祝賀を受けた。会礼宴を停止して天変を謹むよう命じた。
望闕礼:ここで言う望闕礼は正月朝に朝鮮国王が中国皇帝の大闕(宮殿)に向けて敬賀する意味で拝礼する礼。
会礼宴:正月または冬至の日に文武百官が集まって人君に拝礼した後に施す宴。
 
○太白晝見。
●〔省略〕。
 
3578、
中宗4年(1509年)1月2日(乙未)
台諌が完川正の『?源録』の削除と李承元、金引石、尹c、崔世陳について奏上する。
○乙未/臺諫啓曰: "完川正禧, 雖不供服, 懷二心明甚, 請削《?源?》。李承元事, 不可論以與人贓, 所當?案, 其事干亦當究竟推之。金引石倉庫之穀八百餘石, 擅自區處, 宜論以入己之罪。尹c出身未久, 又無名望。六曹判書, 亞於三公, 實朝廷重任也。上ヘ云, c已?承旨、觀察使, 臣等以爲, 承旨則於廢朝承乏驟陞, 觀察使除授時, 物論皆以爲不可。赴任果無聲績, 請遞。崔世陳, 無行人也, 不可處師表之地, ヘ誨儒生, 請遞直講。" 皆不允。
●乙未、台諌が奏上して言った、「完川正禧は、供述では服しなかったが。二心を抱いていることは明白なので、『?源録』で削ることを求める。李承元のことは、与人贓で論じるのは不可だから、録案すべきで、その事干も推問し終えるべきだ。
 
3579、
金引石倉庫之穀八百餘石, 擅自區處, 宜論以入己之罪。尹c出身未久, 又無名望。六曹判書, 亞於三公, 實朝廷重任也。上ヘ云, c已?承旨、觀察使, 臣等以爲, 承旨則於廢朝承乏驟陞, 觀察使除授時, 物論皆以爲不可。赴任果無聲績, 請遞。崔世陳, 無行人也, 不可處師表之地, ヘ誨儒生, 請遞直講。" 皆不允。
●金引石は倉庫の穀八百余石を、勝手気ままに処分したから、入己の罪で論じるべきだ。尹cは出身が、まだ長くなく、また名望もない。六曹判書は、三公に次ぎ、まことに朝廷の重任だ。上教して言った、c已は承旨、観察使を経歴したが、臣等の考えでは、承旨は廃朝で人材のない時にわかに昇ったのであり、観察使を除授したときは、物論は、皆、不可とした。赴任したが、果たして成績がなかった、交替を求める。崔世陳は、行いの悪い人で、師表の地にいて、儒生を教誨すべきではないから、直講を替えるのを求める。」皆允許しなかった。
?源録 : 李氏王室の系譜の記録。
録案 : 犯罪人の姓名、身分、犯罪事実などを罪案に記録して入れる。
事干 : 関係者。
入己 : 私事で占める。
 
3580、
中宗4年(1509年)1月3日(丙申)
昼講で参賛官成夢井等が御書を下して過失を言うことについて奏上する。
○丙申/御晝講。參贊官成夢井曰: "日者下御書于政院, 臣等伏讀不勝感激。其曰:‘自古人君, 惡聞其過者多, 喜聞其過者少。’此言大關治亂。大抵人主樂聞直言, 則雖中人以下, 皆欲進言, 惡聞其過, 則小人必逢迎上意, 人臣直言與諛侫, 皆由君上開導。
●丙申、昼講に出た。参賛官成夢井が言った、「先頃御書を政院に下したが、臣等は伏して読んで感激に堪えなかった。それに言う、「昔から人君は過失を聞くのを憎むものが多く、過失を聞くのを喜ぶものは少ない。」この言は大いに治乱に関係する。大抵の人主が直言を聞くのを楽しむと、中人以下といっても、皆、進言しようとし、その過失を聞くのを憎むと、小人は必ず上意に迎合するが、人臣の直言と諛侫は、皆、君上によって開導される。
 
3581、
「矩忠於唐, 而侫於隋, 此其效也。唐太宗, 三代以下卓越之君也, 貞觀之治, 多足稱者, 然閨門多有慙コ。今殿下以爲不取, 古人云: ‘取法於上, 僅得其中, 人主多以堯?舜爲高遠, 莫肯取法。’今下御書, 非徒臣等知之, 朝廷士林, 傳誦於口, 豈但一時之美?
●「矩が唐に忠で、隋に侫だったのが、その効果だ。唐の太宗は三代以下の卓越した君で、貞観の治は、多く称するに足るが、閨門は多く慙徳がある。今、殿下は取らないとしたが、昔の人が言う「法を上に取って、僅かに中を得る。人主は多く尭?舜を高遠だとして敢えて法に取ることをしない。」今、御書を下したが、ただ臣等が知るだけでなく、朝廷の士林も口に伝誦する。どうしてただ一時の美事であろうか。
 
3582、
亦於史冊有光, 請終始一心。古人稱人君之コ, 仁厚、剛斷二者, 必兼備, 然後無弊。一於仁厚, 則其弊也優游; 一於剛斷, 則下人莫知所措。今臺諫所言, 如其可用, 當速決斷, 不宜優游也。" 檢討官李希曾曰: "一國臣民, 責望殿下者至矣, 而臺諫所啓, 間或留難, 臣恐衆望缺矣。
●また史冊にも光がある、終始一心なのを求める。昔の人は人君の徳を称して、仁厚、剛断の二つとを必ず兼備すれば弊害がない、とした。一に仁厚なら、その弊害は優柔不断であり、一に剛断なら下人はどうしていいか分からない。今、台諌が言う所は、もし用いるべきなら、速く決断すべきで、優柔不断ではいけない。」検討官李希曽が言った、「一国の臣民が殿下に責望するのが強いが、台諌の奏上は、間々あるいは保留になる。臣は衆望に欠けるのを恐れる。
 
3583、
今下御書, 見聞者孰不感動? 然古人云: ‘非言之艱, 行之惟艱。’願殿下終始此心, 以副一國之望。" 上曰: "予庶幾終始此心, 勉從直言。" 記事官權?曰: "古人云:‘王言如絲, 其出如綸, 王言如綸, 其出如?。’日間傳臺諫曰:‘務勝。’又曰:‘附下罔上。’徐祉言事, 殿下?之。雖非以此遞職, 外人皆曰: ‘徐祉言事太過, 見遞。’人主出言, 不可不愼。"
●今、御書を下したが、見聞するものだれが感動しないだろうか。しかし昔の人は言った「言うのがむつかしいのではない、行うのがただむつかしいのである。」願う、殿下が終始この心で、一国の望みに添うことを。」上が言った、「予は終始この心を願う。努めて直言に従う。」記事官権?が言った、「昔の人は言った「王の言は糸のようで、それが出るのは綸のようで、王の言は綸のようで、その出るのは?のようだ。」近頃台諌に伝教して言った、「務勝。」また言った「附下罔上。」徐祉の言のことを殿下はわるいとした。このことで職を替えないとしても、外の人は、皆、言った、「徐祉の言は甚だ出過ぎており、それで替えられた。」人主の発言は、謹まないわけにはいかない。」
責望:しなければならない事を責任を持ってすることを期待する。
務勝:競って勝つことに力をつくす。
 
3584、
○夕講に出る。
●〔省略〕。
 
○台諌が以前のことを奏上するが、允許しない。
●〔省略〕。
 
○太白晝見。
●〔省略〕。
 
3585、
中宗4年(1509年)1月4日(丁酉)
昼講に出る。侍講官金ェが慶尚左道の防御を止めさせようとする。
○丁酉/御晝講。侍講官金ェ曰: "臣近日自慶?道來, 左道防禦, 不甚緊, 而年年別赴防, 軍士無休息之時, 問諸大臣, 姑罷防禦何如? 奉化、禮安, 本是殘邑, 因廢朝之亂, 流民未盡安集。蘇復間, 貢賦移定他邑何如?"
●丁酉、昼講に出る。侍講官金ェが言った、「臣は近日慶尚道から来たが、左道の防御はそれほど緊要ではないが、年年別に赴防して、軍士は休むときがない。大臣に尋ねる、しばらく防御を止めてはどうか。奉化、礼安は、もともとそこなわれた村で、廃朝の乱で、流民は、未だことごとく安集していない。復興の間、貢賦は他の村に移定してはどうか。」
 
3586、
台諌が崔世珍は師表として相応しくないと奏上するので、彼を交替させる。
○臺諫啓前事。又啓: "崔世珍喪中娶妾事, 考諸推案, 則切隣皆以喪前事, 受刑納供。然而終不窮推, 故世珍亦不得發明。大抵門地, 以興販爲業, 身且卑?, 嘗赴京時, 多?人財物, 爲法官所劾, 其不合師表無疑也。" 傳曰: "完川正等事, 不允。崔世珍事, 果如所言, 則不合師儒, 其遞之。"
●台諌が前のことを奏上した。また奏上して言った、「崔世珍が喪中に妾を娶ったことは、その推案を考えると、近所が、皆、喪を前のこととして刑を受け納供した(供述した)。しかし、終りまで窮推しなかったから、世珍も弁明できなかった。大抵、門地は、販売を起こすのを仕事にして、身分もまた低く、かつて京に赴くとき、他人の財物多くもたらし、法官の弾劾する所となったが、師表に合わないことは疑いない。」伝教して言った、「完川正等のことは允許しない。崔世珍のことは、はたして言う通りなら、師儒に合わないから、交替させよ。」
 
○夕講に出る。
●〔省略〕。
 
○太白晝見。
●〔省略〕。
 
3587、
中宗4年(1509年)1月5日(戊戌)
○戊戌/御朝講。
●〔省略〕。
 
熊川人が倭賊に殺された事と咸鏡道軍堡の移設問題とを議論する。
○慶?道敬差官金謹思馳啓曰: "熊川官吏, 令人取材木于加コ島, 逢倭賊見殺事, 臣方推之。且親到觀其形勢, 島在海中, 與倭居浦所不遠。臣疑彼見我人孤單懸入, 乘機竊發, 致此變故也。" 兵曹啓曰: "此事當通諭島主, 然臣等不得擅便, 請收議。" 傳曰: "可。" 仍召三公、兵曹堂上議之。領議政柳洵、左議政朴元宗、右議政柳順汀、判書洪景舟、參判任由謙、參議朴召榮、參知姜景叙等議:
●慶尚道敬差官金謹思が馳啓して言った、「熊川の官吏が、人を加徳島にやって材木を取らせたら、倭賊に逢って殺されたことを、臣がまさに推問した。また自ら行ってその形勢を見たところ、島は海中にあり、倭の居る浦と遠くない。臣が疑うに、倭人が我が国の人が単独で深く入ったので、機に乗じてひそかに発し、この事変に至ったと思う。」兵曹が奏上して言った、「このことは島主に通諭すべきだが、臣等勝手な便宜は出来ないので、収議を求める。」伝教して言った、「そうせよ。」それで三公を召して、兵曹と堂上が議論した。領議政柳洵、左議政朴元宗、右議政柳順汀、判書洪景舟、参判任由謙、参議朴召栄、参知姜景叙等が議論した:
 
3588、
"觀謹思所啓之意, 則加コ島賊變, 必是三浦居倭所爲也。若置而不問, 國威不振, 彼無所畏忌, 寇鈔益甚。令謹思招語頭倭等曰:‘近者熊川人, 取材木于加コ島, 因連日大風, 不得回來, 賊倭乘夜竊發, 殺害人物, 掠奪衣糧。聞其人皆能爲我國言語, 若眞賊倭, 則豈得解我國言語? 又於大風, 獨能渡大海來寇, 是必三浦倭人, 知熊川人在此島, 窺便作耗耳。
●「謹思の奏上の意を見ると、加徳島の賊変は、必ず三浦に居る倭の仕業だ。もし放置して不問にすると、国威が振るわず、彼は畏忌するところが無く、寇鈔が益々ひどくなる。謹思に頭倭等を招いて次のように言わせるに、「近ごろ熊川の人が、加徳島に材木を取りに行ったが、連日の大風で、戻ってこれないと、賊倭が夜に乗じてひそかに発し、人々を殺害し、衣糧を掠奪した。聞くと、その人たちは皆、我が国の言葉をよく話す、もし真の賊倭なら、どうして我が国の言葉が分かろうか。また大風で、単独にどうして大海を渡って來寇できようか、これは必ず三浦の倭人で、熊川の人がこの島にあるのを知って、便宜を見て盗みをはたらいたのだ。
 
3589、
爾等來居于此, 積有年紀, 食我土毛, 長子及孫, 與我編氓無異, 猶懷獸心, 剽竊不已可乎? 爾豈不知麾下人所犯乎? 如不來告, 則朝廷必有處置, 後悔無益。’以此嚴辭詰責, 得其要領馳啓事, 下諭何如?" 傳曰: "依啓。" 兵曹又啓曰: "咸鏡道觀察使高荊山所啓各堡移排事, 請遣大臣, 措置何如?"
●あなたたちはここに来て住み、長年たって、我が国のものを食い、子孫が成長し、我が編氓に違いないのに、なお獣心を抱き、剽竊が止まないのは、それでいいのか。あなたはどうして麾下のの犯行だと知らないのか。もし来て告げなかったら、朝廷には必ず処置があり、後悔しても無益だ。」これで厳しい言葉で詰責し、その要領を得たら馳啓することを下諭してはどうか。」伝教して言った、「奏上によれ。」兵曹がまた奏上して言った、「咸鏡道観察使高荊山が奏上した各堡の移排のことは、大臣を遣って措置するのを求めるが、いかがなものか。」
 
3590、
傳曰: "固當遣之。但去年失農, 似或不可, 其議于三公。" 柳洵等啓曰: "咸鏡道雖曰失農, 然爲大事, 不計小弊。各堡移排事, 今若不?措置, 則恐有大弊。且此道近年以來, 人馬彫殘, 防戍不固, 尤當速遣大臣, 以爲措置之方。其城底野人, 亦於大臣之行, 可饋餉慰ス其心。但令省減帶行之人, 俾無州縣之弊。" 傳曰: "可。"
●伝教して言った、「もとより派遣すべきだ。ただし去年農を失ったのは、或いは不可のようだ,。三公で議論せよ。」柳洵等が奏上して言った、「咸鏡道は失農したといっても、しかし大事だ。小弊は問題ない。各堡塁の移排のことは、今もしすぐに措置しなかったら、大弊があるだろうことを恐れる。またこの道は近年、人馬が彫残し、防戍が固くない。最も速やかに大臣を派遣して、措置の方をなすべきだ。その城下の野人は、また大臣が行くにあたって、食糧を送ってその心を慰問すべきだ。ただし引率の人数を減らさせて、州県のの弊をなくさせるべきだ。」伝教して言った、「そうせよ。」
 
3591、
命遣朴元宗, 元宗啓曰: "國家之事, 所當盡力, 而一身不足憚勞也。然臣以武人, 驟居台位, 前日固辭不得, 常懷危懼。今此沿革之事至大, 非臣所能措置, 請辭。" 傳曰: "邊方之事, 卿當任責。去年當行而止, 今則不可辭。"
●命じて朴元宗を派遣する。元宗が奏上して言った、「国家のことは尽力すべきだが、一身は労を憚るには足りない。しかし臣は武人として、急に台位に居り、前日固辞したができなかった、常に怖れを抱いている。今、この沿革のことは至大で、臣がよく措置できるものではない、辞退を求める。」伝教して言った、「辺方のことは卿が責任を負うべきだ。去年行くべきを止めたから、今は辞退できない。」
 
3592、
朴元宗等が金寿卿の加資、閔懐発の叙任、職任の遷転について奏上する。
○忠勳府堂上朴元宗等啓曰: "金壽卿嘉善之加, 例以執事加改之。前日會盟宴時, 下ヘ云, 三等以上, 其授一資, 壽卿其時, 已爲嘉善, 故不授具加。今則只帶通政, 其加不得不授。閔懷發所犯, 雖無?, 然以親功臣, 不可久罷其職, 宜可速敍。
●忠勳府堂上朴元宗等が奏上して言った、「金寿卿の嘉善の加資は、執事の加資を例にして改めた。前日の会盟宴のとき、下教して言った、「三等以上は、一資を授けよ」と。寿卿はそのとき、すでに嘉善だったので、加資を具えて授けなかった。今はただ通政を帯びているので、その加資は授けないわけにいかなかった。閔懐発の犯したのはひどいけれども、しかし親功臣ということで、長くその職を止めさせるわけにはいかない、速やかに叙任すべきだ。
 
3593、
且以親功臣, 爲參奉、奉事者, 雖過箇滿, 不得遷轉, 臣等請參外之職, 箇滿則遷。當今功臣最多, 故臣之欲啓此事者久, 而不敢也。 然國家待功臣之意, 不可與凡例等, 故敢啓。" 傳曰: "可。壽卿加資, 亦一時之事, 不可追論授之。且以親功臣, 豈無陞嘉善之時? 今則不可。" 元宗等謝曰: "上ヘ允當。"
●また親功臣で、参奉、奉事になった者は満期が過ぎても遷転できない。臣等は、参外の職は満期が来たら遷すことを求める。今は功臣が最多なので、臣がこのことを奏上しようとしたのも長いが、あえてしなかった。しかし国家が功臣を待遇する意は、凡例と同じであっては行けないので、敢えて奏上した。」伝教して言った、「そうせよ。」寿卿の加資も、また一時のこと、追論して授けることはできない。また親功臣で、どうして嘉善に昇進するときがないか。今はできない。」元宗等が謝して言った、「上教はまことに当を得ている。」
箇満:在任期間。
 
3594、
完川正に加罪する事を下問すると、柳洵等が加罪しないようにする。
○傳曰: "完川正事, 臺諫累請加罪, 何以斷之?" 柳洵等啓曰: "若干大事, 則當服大罪, 不止分配。臣於推鞫時, 悉知情?, 頓不相干, 今若加罪, 則似乖於理。" 傳曰: "知道。"
●伝教して言った、「完川正のことは、台諌が重ねて加罪を求めるが、どう断定すればよいか。」柳洵等が奏上して言った、「いくつかの大事は、当然大罪に服すべきで、分配に止まってはいけない。臣は推鞫のとき、ことごとく実情を知った、急には相関しないから、いまもし加罪したら理におそむくようだ。」伝教して言った、「わかった。」
 
○昼講に出る。
●〔省略〕。
 
3595、
台諌が完川正、李承元、金引石、尹c等のことを奏上したが允許しない。
○臺諫啓完川正、李承元、金引石、尹c等事, 傳曰: "完川正事, 問諸三公, 皆云不可加罪, 予意亦然。餘亦不允。"
●台諌が完川正、李承元、金引石、尹c等のことを奏上した。伝教して言った、「完川正のことは三公に問うと、皆、加罪すべきではないという。予の意もそうだ。ほかも允許しない。」
 
3596、
夕講に出て論語を講じた。侍講官金?が忌辰斎、巫覡の禁止を求める。
○御夕講。講《論語》, 至 "非其(思)〔鬼〕而祭之諂也。" 侍講官金?曰: "聖人垂ヘ如此, 其至如國家(忌晨)〔忌辰〕之齋, 亦可革也。且城中巫覡成風, 士大夫之家, 亦出入無忌。 請申明禁斷。" 傳曰: "巫覡事, 憲府當禁, (忌晨齋)〔忌辰齋〕 不可革也。"
●夕講んみ出た。『論語』を講じて、「鬼でなくて祭るのは諂いだ。」にお至った。侍講官金?が言った、「聖人の垂教はこのようだ。その最たるものは国家忌辰祭のようなもので、また廃止すべきだ。また城中、巫覡が風俗をなし、士大夫の家にも出入りして憚らない。禁断を申明することを求める。」伝教して言った、「巫覡のことは司憲府が禁ずべきだ、忌辰斎は廃止できない。」
 
3597、
弘文官修撰李希曽の卒記。
○弘文館修撰李希曾病歿, 命賜賻。
【史臣曰: "希曾, 允儉子也, 年少聰睿, 才藝宿成。料事合宜, 善爲疏、箚, 爲史官稱職。 至是夭歿, 時人惜之。"】
●弘文館修撰李希曽が病歿したので賻儀を下賜するよう命じた。
【史臣が言う、「希曽は允倹の子だ。年少にして聰睿で、才芸ははやく完成した。事の処理が適切で、疏剳がよくでき、史官となって職をまっとうした。ここにいたって夭歿し、時の人は惜しんだ。】
 
3598、
中宗4年(1509年)1月6日(己亥)
朝講に出る。献納柳思敬が職田を功臣に量給しようとする。
○己亥/御朝講。掌令尹希仁、獻納柳思敬, 以前事極論, 不允。思敬曰: "國用田, 盡給功臣, 國用不足, 乃以軍資補之。軍資日至?竭, 請以百官職田, 量給功臣。如是則待功臣厚, 而軍資亦不至?竭。古有守信、恤孤、科擧之田, 而無職田, 今量減何妨?" 命收議于大臣。
●己亥、朝講に出た。掌令尹希仁、献納柳思敬が、以前のことを極論したが、允許しなかった。思敬が言った、「国用田を全部功臣に給し国用が不足しているので、軍資で補った。軍資が日々に虚渇した、百官の職田を功臣に量給することを求める。こうすると功臣への待遇も厚く、軍資も虚渇に至らない。昔、守信、恤孤、科虚の田はあったが、職田はなかった。今、量って減らしても何の妨げがあろう。」収議を大臣に命じた。
 
3899、
昼講に出る。柳希渚、権?が冗官減縮と荒れ地の免税を求める。
○御晝講。侍講官柳希渚曰: "古云:‘省事不如省員, 省員不如省官。’祖宗朝設官分職, 非不至也, 今承廢朝之後, 民窮財盡, 所當省費。冗官之有可省者省之, 則財自足矣。" 記事官權?曰: "陳荒之田, 該曹不許免?, 計國用不足也。今民生方困, 不當收其租也。"
●昼講に出た。侍講官柳希渚が言った、「昔言った、「省事は省員に如かず、省員は省官に如かず。」と。祖宗朝の設官分職は至らざるは無かった。今廃朝の後を承けて、民は窮し財は尽きた、まさに省くべきところだ。冗官があって省くべきものは省く、そうすれば財は自ずから足る。」記事官権?が言った、「荒田は、該曹が免税を許さない、国用を計ると不足だからだ。今、民生はまさに困窮している、その租税を収納すべきではない。」
 
3900、
冗官を減員することを伝教し、府院君以上、該曹堂上に収議させる。
○傳曰: "柳希渚等所言果是。頃因廢朝板蕩, 生民流離, 田野荒蕪, 理固宜也。陳田不得免?, 非爲用度不贍也。今欲救弊, 必須儲備, 欲儲備, 必須省員。今之外方各官, 事務不緊, 而有二員者, 京職以一任, 而有二三員者, 量減其員, 官職不緊者, 亦減之。明日府院君以上及該曹堂上, 召集收議。"
●伝教して言った、「柳希渚等が言うのはやはり正しい。先頃の廃朝の板蕩で、生民は流離し、田野が荒蕪したのは、理としてもとよりその通りだ。陳田が免税できなかったのは、用度が足りなかったためではない。今、救弊しようとすれば、必ず備えがいる、備えようとすれば、必ず省員しなければならない。今、外方の各官は、事務が緊急でなくて二員あるのと、京職が一つの任で、二三員あると、量ってその人員を減らせ。官職の緊急でないものも減らせ。明日、府院君以上及び該曹の堂上は、召集して収議せよ。」
 
3901、
戸曹郎官が、奉化、礼安に貢物を割当てなければならないと言う。
○?曹カ官啓曰: "各道貢物, 已磨?, 奉化、禮安, 雖殘弊, 貢物不可移定他郡。且此二縣, 非路邊。路邊殘邑必多, 請令其道監司, 分揀馳啓。" 從之。
●戸曹カ官が奏上して言った、「各道の貢物は、すでに用意したが、奉化、礼安は、残弊したといっても、貢物を他郡に移定できない。またこの二県は、路辺ではない。路辺の残邑は必ず多い。その道の監司に、分揀(分別)して馳啓するようにさせることを求める。」従った。
 
3902、
崔夢錫の濫刑した事について司憲府に伝教する。
○傳于憲府曰: "觀崔夢錫推案大略, 其被殺者, 初以盜牛囚?, 終無盜牛形迹, 必夢錫懷憤殺之也。被殺人等, 當初以衙中數外馬二匹, 將告訴監司, 夢錫疾之, 乃托以盜牛而濫刑, 父子、兄弟相及者八人。凡枉刑殺人, 雖一人猶不可, 況八人乎? 此雖蒙宥, 憲府觀事之輕重, 當論啓, 而不爲。予意此事已甚, 若全釋, 則無以懲後人。"
●司憲府に伝教して言った、「崔夢錫の推案の大略を見ると、殺されたものは、初め牛を盗んで囚?されたが、遂に牛を盗んだ形跡がない。必ず夢錫が憤りを抱いて殺したのだ。殺された人たちが、当初、官衙中の数字外の馬二匹で、監司を告訴しようとして、夢錫が気に病み、そこで牛盗みに託して濫刑した。父子、兄弟、相及ぶもの八人だ。およそ枉刑で人を殺すのは、一人でもなお不可だ、まして八人はなおさらだ。これは容赦されても、司が事の軽重を見て、論啓すべきだが、しなかった。予の意ではこのことはすでにお甚だしい。もし全部釈放したら後人を懲戒できないだろう。」
 
3903、
中宗4年(1509年)1月7日(庚子)
○庚子/御朝講。
●〔省略〕。
 
職田節減、陳田免税、陳田の免税、官職の減縮等、官場の弊害駆除を議論する。
○傳曰: "如奉化、禮安及路邊殘弊等官救弊事, ?議之。柳洵等議: "今調度不足, 移用軍資倉穀, 實非經遠之謀。但職田, 國家所以優待朝士, 載在《大典》, 無朝夕之急, 而減朝官職田, 以充軍資, 非惟失祖宗經制本意, 亦有傷於事體。
●伝教して言った、「奉化、礼安及び路辺の残弊等、官場の救弊のことを、みな議論せよ。柳洵等が議論した、「今、調度不足で軍資の倉穀を移用するのは、実に将来を見越した計策ではない。ただし職田は、国家が朝士を優待するためのもので、『大典』に載せてあり、朝夕の急なしに朝官の職田を減らして、軍資にあてるのは、ただ祖宗経済の本意を失うだけでなく、また事体をそこなうものがある。
 
3904、
況今國家方節儉省浮費, ?仍有稔, 則不數三年, 用度有餘, 自不至於借費軍資。省費不如省官, 然祖宗設官分職, 量事置吏, 今無可省之員, 且近日如加設官、假官、軍職之類, 減汰已多。雖加省一二員, 其省費不廣, 而舊典有虧矣。陳田免?事, 收?案已到該曹, 今不可更議。
●まして、今、国家はまさに節倹して浮費を省くが、豊作なら三年を経ずして、用度は余りがあるので、自然軍資を借費するに至らない。省費は省官に如かず、しかし祖宗の設官分職は、事を量って吏を置いた、今、省ける員はない、また近日、加設官、仮官軍職の類は、減汰がすでに多い、一二員を省くのを加えても、その省費は広くなく、旧典に欠ができる。陳田の免税のことは、収税案がすでに該曹に至り、今、更議すべきではない。
 
3905、
如奉化、禮安殘邑救弊事, 遙度擬議爲難, 下諭各道觀察使, 如有殘弊最甚各官, 則弊事及可救之策, 磨?以啓後, 更議何如?" 洵等又啓曰: "各道方物進上大鹿皮, 得之艱難, 而國用則不切。雖不可永除, 限民生蘇復, 權減何如?" 傳曰: "卿等所啓果是。朝士職田, 載在《大典》, 不可廢也, 然限豐稔權減何如?
●奉化、礼安のような残邑救弊のことは、遠くから推測で議論するのはむつかしいので、各道観察使に下諭して、もし残弊が最も甚だしい村があれば、弊害及び救うべき策を準備して奏上してから、更に議論してはどうか。」洵等がまた奏上して言った、「各道が方物で進上する大鹿皮は、得るのが困難で、国用も切実ではない。長く止められないといっても、民生の蘇復に限って仮に減らすのはどうか。」伝教して言った、「卿等の奏上はやはり正しい。朝士の職田は、『大典』に載せてあり、やめることは出来ないが、豊稔になるまで仮に減らすのはどうか。
 
3906、
省官亦是難事, 然漢光武時, 亦減損吏職, 以救弊, 今亦省官以儲備何如? 陳田免?, 前年則已矣, 今年則?免何如?" 洵等啓曰: "朝士職田, 所以養廉恥之具, 不可永減, 但限豐稔, 量減爲當。省官事, 臣等以官案觀之, 無可省者。然必欲減省, 令吏、兵曹磨?後, 更議何如?
●省官も難事だが、漢光武の時も、吏職を減損して救弊したが、今また省官で儲備するのはどうか。陳田の免税は前年のは終わった。今年は免税してはどうか。」洵等が奏上して言った、「朝士の職田は廉恥心を養う具で、永減はできない。ただし豊年まで量減するのが当を得ている。省官のことは、臣等が官案を見るに省けるものがない。しかし必ず減省しようとするなら、吏、兵曹に準備させた後、再議してはどうか。
 
3907、
陳田免?事, 農前預定, 則惰農不昏作勞, 待秋成可議。" 傳曰: "大鹿皮豈無所用, 但今時則百姓困弊, 限五年權減。職田太半量減, 則過矣, 若六品以上字數多者, 量減爲當。省官事, 亦令該曹磨?, 只省其員多無事處。陳田免?事, 依允。"
●陳田の免税のこと, 農事の前にあらかじめ定めたら、農事を怠けて力を尽くさないから秋の稔りを待って議論すべきだ。」伝教して言った、「大鹿皮はどうして無用なのか。但し今の時は百姓が困弊しているから五年を限って仮に減らせ。職田は太半を減らしたら行き過ぎだ。六品以上で字数の多いようなものは、量減するのが穏当だ。省官のことは、また該曹にお準備させよ。ただしその員数が多くて用事のないところを省け。陳田の免税のことは、奏上によって允許する。」
 
3908、
○御晝講。
●〔省略〕。
 
南憬が伐木軍人を侵奪した事件を推問せよと義禁府に伝教する。
○傳于禁府曰: "南憬前任善山府使時, 侵漁代木軍人, 收合緜布五百匹, 移置?州人家, 買家舍田民事, 其推問。"
●義禁府に伝教して言った、「南憬が以前善山府使に任じていたとき、伐木軍陣を侵奪して、緜布五百匹を収納し尚州の人家に移し置いて、家舎と田民を買い取ったことを推問せよ。」
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
3909、
司憲府が崔夢錫が8人を死なせたことについて奏上する。
○憲府啓曰: "崔夢錫致令八人同時皆死, 府中議亦以爲未便。但非關係綱常, 而已經赦宥, 故未敢請罪耳。" 傳曰: "夢錫事, 雖非贓汚綱常, 不可以赦宥之。若不畢推, 無以懲後, 其畢推之。"
●司憲府が奏上して言った、「崔夢錫が八人を同時に皆死なせたが、府中の議もまた穏便ではないとする。ただし綱常に関係せず、すでに赦免したから、あえて罪を乞わなかったのだ。」伝教して言った、「夢錫のことは,、贓汚や綱常ではないとしても、赦免は出来ない。もし推考を遂げなかったら、後の懲戒とならない。推考を最後までやれ。」
 
○臺諫, 以完川正、尹c事啓之, 不允。
●〔省略〕。
 
3910、
左議政朴元宗が病気のことを言うので代わりに宋軼を巡辺使にする。
○左議政朴元宗啓曰: "臣以各堡移排事, 當往咸鏡道, 但前者赴京時, 左脚不仁, 驅馳遠路, 恐生他病。臣以武臣當任邊事, 病勢如此, 故敢啓。" 傳曰: "然則當改之。" ?以宋軼爲巡邊使。
●左議政朴元宗が奏上して言った、「臣は各堡の移排のことで咸鏡道に行くべきだが、ただ先に赴京したとき左脚が悪くて、遠路を馳せていくと、他病が生じるおそれがある。臣は武臣として辺事に任ずるべきだが、病勢がこのようなのであえて奏上した。」伝教して言った、「それなら改めるべきだ。」そこですぐに宋軼を巡辺使にした。
 
3911、
中宗4年(1509年)1月8日(辛丑)
朝講に出る。沈貞の外任、尹cの判書任命、官職と職田の縮小を議論する。
○辛丑/御朝講。領事成希顔曰: "成川僻地, 非務劇也, 而沈貞爲府使。貞才兼文武, 眞有用者也。用人當重内而輕外。" 持平申?、正言洪彦弼, 論完川正、尹c事, ?又曰: "六曹之任甚重, 府院君年未至老, 而堪爲任事者, 亦多有之。兼判六曹以之治事, 則當有益國家, 何必以c爲判書也?"
●辛丑、朝講に出た。領事成希顔が言った、「成川は僻地で、事務が激しくないのに、沈貞を府使にした。貞は文武を兼ねる才があって、まことに有用なものだ。人を用いるには内を重んじ外を軽くする。」持平申?、正言洪彦弼が、完川正、尹cのことを論じ、?はまた言った、「六曹の任は甚だ重く、府院君はまだ年老いていないが、ことを任ずるに堪えるのも多い。判書、六曹を兼ねてことを治めさせれば、国家に利益があるだろう。どうして必ずしもcを判書にする必要があるか。」
 
3912、
上曰: "沈貞, 銓曹數擬望於守令, 予亦欲擇差, 故差之。然若可用人, 不宜出守州郡也。" 希顔曰: "日者以省官職、減職田事, 命議。若調度甚乏, 則當如是救之, 不然, 當遵守成憲而已。大抵人君當先自節儉而已。昔漢文帝節儉, 天下殷富, 隋 文帝之時, 天下財物極盛, 煬帝以奢侈自敗, 爲唐所有。節儉爲上, 省官等事乃末務也。" 上曰: "人君崇儉節用可也。但欲救弊, 故欲省官耳。"
●王が言った、「沈貞は銓曹がしばしば守令に擬望し、予も択差しようとしたので任命した。しかし使える人なら州郡を出守すべきではない。」希顔が言った、「最近、省官職、減職田のことを議論するよう命じた。もし調度が甚だ乏しかったら、このようにして救うべきだ。そうでないなら成憲を遵守するだけだ。だいたい人君が率先して倹約すべきだ。昔、漢の文帝は節倹し、天下は殷富で、隋の文帝の時, 天下の財物は極盛だったが、煬帝は奢侈で自滅し、唐の有する所となった。節倹が上策で、省官等のことは、結局末務だ。」王が言った、「人君が節倹を貴んで節用するのはよいことだ。ただ弊を救おうとして省官しようとしたのだ。」
 
3913、
府院君で判書を兼任させることを伝教する。
○傳曰: "以府院君兼判書, 古有其例。雖不必例皆除授, 間或交差事, 言于銓曹。"
●伝教して言った、「府院君で判書を兼任させることは、昔その例がある。例によって皆除授する必要はないが、間々あるいは交差することは銓曹に言え。」
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
3914、
○傳曰: "沈貞, 可用於京職云, 其遞之。"
●〔省略〕。
 
諌奏聴納、官爵重視、字牧重視など7条目を奏上する大司諌柳世?等の上訴。
○司諫院大司諫柳世?等上疏曰:
天道至誠不貳, 故能斡旋樞極, 而萬物得以遂, 王者誠一無僞, 故能統攝機務, 而庶政得以理。古之人君, 孰不欲善治, 然而不能者, 患在於循名, 而無實。故?僞日滋, 上下相欺, 而終至於不可救。
●司諌院大司諌柳世?等の上疏に言う:
天道は至誠で不二だから、枢極が斡旋でき、万物は遂げられる。王は誠一で無偽だから、機務が統摂出来、庶政は道理を得る。昔の人君は、だれが善治しようとしないだろうか、それでも出来ないのは、その患は名に従い実がないからだ。だから虚偽が日々に盛んになり、上下が相欺き、ついに救えないことになる。
 
3915、
伏惟殿下再造丕基, 慨然圖治, 可謂盛矣。然其求治之誠, 慮有所未至, 故敢以七事條陳, 而歸之於誠。曰納諫諍。臣等聞理亂之始, 必有萌象, 開直言廣視聽, 理之萌也, 甘?諛蔽近習, 亂之象也。自古人君?位之初, 必有敢言之士。人主苟能?懷納諫, 則士皆樂行其道, 競爲忠?, 而上下之志通, 幽遠之情達, 欲無理, 得乎?
●伏して思うに殿下は丕基を再造し、慨然として治を図るから、盛んと言うべきだ。しかしその求治の誠は、まだ至らない所があると思われるので、あえて七つのことを条陳したが、誠の帰するところだ。
諌諍を納れるということ。臣等が聞くに理乱の始めは、必ず萌しがある。直言を開いて広く視聴するのは理の萌しだ。?諛に甘んじて近習を選ぶのは乱の象だ。昔から人君即位の初めは、必ず敢言の士がある。人主が仮にもよく虚心に諌言を納れれば、士は皆その道を行うのを楽しみ、競って忠直をなす。そして上下の志が通じ、幽遠の情が届き、治まらないようにしようとしても出来ない。
 
3916、
苟拒而不納, 則士皆阿意迎合, 以竊其位, 而十?之事, 皆可欺也, 欲無亂, 得乎? 殿下臨御未久, 而言官相繼伏閤, 天聽猶?, 終至於擧朝爭之, 然後勉而從之。臣等竊恐懷祿保身者, 有以窺殿下聲色, 而不盡言也。如此而謂殿下有納諫之誠乎? 曰惜名器。臣等聞名器者, 朝廷公器, 帝王所以礪世磨鈍, 以待賢者, 固不可謂我私有, 而授之非人。
●仮にも拒んで納れないと、士は皆意におもねって迎合し、その位をぬすみ、十?のことも皆欺けるから、乱のないようにしようとしてもできるだろうか。殿下は臨御がまだ長くなく、言官が相継いで伏閤しても、天聴はまだ遠く、ついに朝廷を挙げて争うに至り、その後で勉めて従う。臣等はひそかに恐れる懐禄保身のものにひそかに殿下の声色をぬすんで言葉を尽くさないのがあるのではないかと。このようであっては殿下は納諌の誠があると言えようか。
名器を惜しむということ。臣等は聞く、名器は朝廷の公器で、帝王が礪世磨鈍する道具で、それで賢者を待遇する。もとより私有物とは言えないし人でなしに授けることも出来ない。
 
3917、
是以名器重, 則朝廷尊, 名器賤, 則朝廷卑。臣等觀廢朝, 舊老諫輔, 殺戮殆盡, 引進嬖倖, 雜糅混施, 而終底亂亡, 此其驗也。今殿下其命一官爵一人, 固當難愼, 而驟陞望輕者, 備諸列卿, 庸鄙無能者, 典守方面。名器之賤, 一至於是, 臣等恐殿下尊賢之誠, 有所未至也。
●そこで名器を重んじれば朝廷は尊く、名器を賎しめば朝廷は卑しい。臣等が廃朝を見るに、舊老が諌輔すると、殺戮されてほとんど尽きた、嬖倖を引き進めて雑糅混施して、ついに乱亡に至った、これがその験だ。今、殿下が一官爵を一人に命ずるにも、もとより慎重であるべきだが、にわかに軽い人を昇進させて、列卿に備え、平凡で無能なものを地方官に任命する。名器の賎しさは、まったくここに至った。臣等は殿下の尊賢の誠はまだ至らない所があるかと恐れる。
 
3918、
曰重字牧。臣等聞漢宣帝有言曰: "庶民安於田里, 而無愁嘆者, 政平訟理也。與我共理者, 其惟良二千石乎!" 今殿下常重是任, 至引對問以字牧之方, 其恤民之意至矣。然以今觀之, 銓曹不問賢愚, 若陞參職, 則例皆注擬。而至於殿最, 爲監司者亦曰, 某守, 某之姻?也, 某宰, 某之膠漆也, 政苛猛虎, 而譽言日至, 沽名鸞鳳, 而民實怨咨。臣等恐殿下愛民之誠, 有所未盡也。
●字牧を重んじるということ。臣等は聞いいている、漢の宣帝に「庶民が田里に安んじ、愁嘆するものがないのは、政治が平和で訴訟が理にかなっているからだ。我と共に治めるのは、ただ善良な二千石だろうか。」という言葉がある。今、殿下が常にこの任務を重んじ、引いて、字牧の方を対問するなら、それは恤民の意の至ったものだ。しかし今これを見るに、銓曹が賢愚不問で、もし参職に昇進させると、皆、例によって注擬する。殿最に至っては、監司になったものも、某守は某の姻?だ、某宰は某の膠漆、と言う。苛政は虎よりも猛しなのに、誉言は日々に至り、鸞鳳の名は得たが、民はまことに怨咨する。臣等は、殿下の愛民の誠が、まだ尽くされていないのではと恐れる。
 
3919、
曰嚴贓汚。古者竊鉤者誅, 所以養廉也。今無ョ小民, 迫於飢寒, 竊人財物, 則必嬰木索受笞?, 死而不恤, 況貪吏犯贓, 豈但竊鉤哉? 頃自廢朝, 廉恥道喪, 攘奪人財, 盜取官物, 貪汚成風, 其擧劾見推者, 僅百中一二。而殿下曲加恩貸, 至於承元之罪, 論請逾年, 而未回天聽。
●贓汚を厳重にするということ。昔は竊鉤するものは誅した、養廉のためだ。今、無ョの小民が飢寒に迫られて、人の財物を盗んだら、必ず木索につながれて笞?を受け、死んでも憐れまれない、まして貪吏の犯贓はどうしてただ竊鉤だけだろうか。近頃、廃朝から廉恥の道が失われ、人の財を奪い取り、官物を盗み取る貪汚が風を成し、弾劾されて推問されるのは僅かに百中の一二だ。しかし殿下は曲げて恩貸を加え、承元の罪に至っては、論請が年を越すが、まだ天聴が返されない。
 
3920、
是殿下之法, 不行於奸贓, 而獨行於小民, 臣等恐殿下養廉之誠, 有所未至也。曰抑奔競。古者士?操節, 不求僥倖, 故韓維守道, 而彦博薦之, 劉器之靜退, 而?公進之。今士習不正, 奔競成風。爲士者率皆藉父兄勢, 托故舊親, ?求媚謁, 乞哀昏夜, 至於除拜之日, 片牘公行, 其貪鄙無恥, 甚於攫金, 而恬不知愧。
●この殿下の法は奸贓には行われないで、ただ小民に行われる。臣等は殿下の養廉の誠はまだ至らない所があるかと恐れる。
奔競を抑えるということ。昔、士は操節を貴び、僥倖を求めなかったから、韓維は道を守り、彦博が薦めた。劉器は静退して温公が進めた。今は、士習が正しくないので、奔競が風習となった。士たるものは率先して皆父兄の勢を借り、故旧の親しみに託して、諂って求め媚びて謁見を求め、暗夜に於乞哀し、除拜の日に至って、片牘が公に行われて、貪鄙無恥は金を得るより甚だしく、恬として恥を知らない。
 
3921、
入(大學)〔太學〕衣縫掖者, 亦不事窮經, 唯務媒進, 旁谿曲逕, 爭相倣效, 士習之?, 孰甚於此? 臣等恐殿下礪士之誠, 有所未至也。曰闢異端。夫異端之?, 售僞而假眞, 似是而實非, 深排痛觝, 惟恐不去。今妖尼惠明, 執左道惑民, 罪不可貰。殿下?位之初, 當致天誅, 以肅民聽, 而卵育至今, 此殿下失刑之大者也。
●太学に入り縫掖を着るものも、経書を極めることをこととせず、媒進を努め、旁谷曲逕を争い模倣するので、士習の毀れるのは、何が此よりひどいだろうか。臣等は殿下、礪士の誠がまだ至らない所があるのではと恐れる。
異端をしりぞけるということ。だいたい異端の説は、偽りを売って真実を仮り、正しいようで正しくなく、深く排斥して厳しく当たっても、ただ除去できないのを恐れる。今、妖尼恵明は左道を執って民を惑わす、その罪は許せない。殿下は即位の初め、まさに天誅を致して民聴を粛清すべきだが、卵が育って今に至った。これは殿下の失刑の大きなものだ。
 
3922、
一(公)〔幺〕魔尼至賤也, 而(大學生)〔太學生〕上封章, 臺諫、侍從、經幄大臣, 皆曰可去, 而殿下猶不去之, 獨何耶? 曩者殿下欲復兩宗, 已開緇?之窺覘, 而今不去惠明, 益培其根抵, 臣等竊痛焉。臣等未知殿下衛道之心, 果在於誠乎。曰謹終始。《書》曰: "謹終于始。" 始之不謹, 而能有終者, 未之有也。殿下, 上承祖宗付托之重, 下負臣民拭目之望, 當謹其始, 以圖其終。
●一人の幺魔尼は至って賎であり、太学生が封章を進じ、台諌、侍従、経幄大臣が、皆、除去すべきと言うが、殿下だけはやはり除去しないのはどういうことか。先に殿下は両宗を復興させようとし、すでに緇?の窺覘を開いたが、今、恵明を除去しないのは、益々その根底を養うもので、臣等はひそかに痛む。臣等は、殿下の衛道の心は、果たして誠にあるのか、疑問だ。
終始を勤めるということ。『書』に言う、「終わりを始に勤める。」と。始に勤めないでよく終わりのあったものは、未だない。殿下は、上は祖宗付托の重責を承け、下は臣民の拭目の望みを負い、まさにその始めを勤め、その終わりを図るべきだ。
 
3923、
然當今失政, 如上所陳, 則豈可謂有其始乎? 唐太宗喜聞直言, 聞過必改, 可謂納諫之主矣。然徒事?名, 而不主於誠, 故罔終之漸, 遽形於魏?之疏, 甚可懼也。故臣等以一誠, 爲七條之綱。殿下以誠而納諫, 則?言日進, 而下無壅塞, 以誠而命官, 則賢智登用, 而名器自尊。
●しかし当今の失政が上に述べたようなものなら、どうして始めがあると言えようか。唐の太宗は直言を聞くを喜び、過ちがあれば必ず改めたのは、納諌の主と言える。しかしただ虚名を事として、誠を主としなかったから、終わりがないの漸で、にわかに魏?の疏が現れたのは、甚だ恐るべきだ。それで臣等は一誠をもって、七条於の綱を作った。殿下が誠をもって納諌すれば、忠直な言葉が日に日に進んで下に押し塞がることがなく、誠をもって官に命じれば、賢智が登用され、名器も自ずから尊い。
 
3924、
至於重守令之選, 而民生厚, 嚴贓吏之法, 而貪風?, 士習可正也, 異端可排也, 一政之施, 一號之發, 皆在於殿下之至誠, 殿下可不深念之乎? 昔李絳言於憲宗曰: "陛下置臣於耳目之地, 若臣畏避左右, 愛身不言, 是臣負陛下, 言之而陛下惡聞, 是陛下負臣。" 臣等官以諫爲名, 寧有隱而不言, 言而不盡, 以負殿下耳目之任乎?
●そして守令の人選を重くするに至ば民生が厚くなるはずで、贓吏の法を厳しくすれば貪風が抑えられ、士習を正し、異端を排することができる。一政の施行、一号の発令は、皆、殿下の至誠にある。殿下は深く念じないでおれようか。昔、李絳が憲宗に言った、「陛下は臣を耳目の地に置いたが、もし臣が左右を畏避し、身を愛して言わなかったら、これは臣が陛下に背くのであり、言っても陛下が聞くのを憎むと、これは陛下が臣に背くのです。」臣等の官は諌を名とするが、どうして隠れて言わず、言って尽くさず、そういうことで殿下の耳目の任に背けようか。
 
3925、
傳曰: "觀疏陳七條皆善, 其曰謹終始, 曰至誠等語, 尤嘉。《詩》云:‘靡不有初, 鮮克有終。’予以不穀, 猶恐不及, 敢忘斯言? 爾等效李絳之言, 欲不負其任, 若實有是誠, 則國家之福也。所言如其可納, 予安敢違?? 爾等不忘此意, 當盡言無諱。"
●伝教して言った、「疏陳七条を見ると、皆、善い。終始を謹め、至誠と言う等の語は、最も嘉い。『詩』に言う、「始めのないものはないが、良く終わりのあるものは少ない。」予は不穀で、やはり及ばないのを恐れるから、どうしてこの言葉を忘れようか。あなた達は李絳の言に倣いその任に背かないようにするが、、もしまことにその誠があるなら、国家の福だ。言うところがもし納れられるなら、安は敢えて違うだろうか。あなた達はこの意を忘れず、言葉を尽くし憚ることのないようにすべきだ。」
 
3926、
○臺諫啓前事, 不允。
●〔省略〕。
 
中宗4年(1509年)1月9日(壬寅)
○壬寅/御朝講。司諫李希孟、持平韓效元啓前事, 不允。
●〔省略〕。
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
3927、
中宗4年(1509年)1月10日(癸卯)
朝講に出る。柳世?、李自華等が完川正、尹c、官職縮小について奏上する。
○癸卯/御朝講。大司諫柳世?、掌令李自華, 以完川正、尹c事啓之, 領事柳洵曰: "臣爲推官見之, 完川正, 果以父病, 問卜於盲者, 慮其不來, 以韓亨允之言請之, 則其與盲不相知明矣。豈以不道之事, 輕問於不相識之盲乎? 事?疑似。"上曰: "尹c則遞之。完川正事不允。"
●癸卯、朝講に出た。大司諌柳世?、掌令李自華が、完川正、尹cのことで奏上し、領事柳洵が言った、「臣が推官となって見ると、完川正は果たして父の病で、盲人に問卜したが、来ないのを考慮して、韓亨允の言で求めたが、その盲人と面識がなかったことが明らかだ。どうして不道のことを、軽率に相識でない盲人に尋ねようか。ことは疑わしい。」王が言った、「尹cは替えよ。完川正のことは允許しない。」
 
3928、
世?曰: "欲省官者, 專以省費也。但祖宗朝設官分職, 各司其任, 今不可改也。成均館、承文
●〔省略〕。
院, 亦以員多減之, 成均風化之源, 承文事大之地, 省員則不可謂重學校, 亦不可謂重事大也。"知事金應箕曰: "百司之員雖多, 或災傷敬差官, 或軍籍カ官, 皆以他官兼之, 不可減也。且以員多者減之, 故成均館、承文院, 亦皆減省, 臣非不知不可, 出於不得已也。"
●世?が言った、「官を省こうとするのは、もっぱら費を省くためだ。ただし祖宗朝の設官分職は、それぞれの司がそれぞれの任で、今、改められない。成均館、承文院も、員が多くて減らしたが、成均は風化の源、承文は事大の地で、省員は学校を重んじることにならないし、事大を重んじることにもならない。」知事金応箕が言った、「百司の員が多いといっても、あるいは災傷敬差官、あるいは軍籍カ官は、皆、他官を兼ねていて減らせない。また員が多くて減らすから、成均館、承文院も、皆、減省したが、臣は出来ないのを知らないのではないが、やむを得ないことから出たのだ。」
 
3929、
省官減職田のことを明日宰枢で収議することと政院に伝教する。
○傳于政院曰: "省官減職田事, 明日欲收議于宰樞, 今日於經筵, 左右大臣、臺諫所言, 甚合予意, 其勿議之。上無濫費, 下至守令, 亦皆節用, 則財自足矣, 不須省官。"
●政院に伝教して言った、「省官減職田のことは、明日宰枢で収議しよう。今日、経筵で左右大臣、台諌が言うことは、甚だ予の意に合う、議論するな。上が濫費せず、下が守令に至るまで皆節約したら、財は自然に足る。省官すべきではない。」
 
3930、
尹cの遞任は注擬のとき慎重にするように銓曹に下諭せよと伝教する。
○傳于政院曰: "用人不可不愼擇。尹c之遞, 非有過失, 以其踐?未久也。然?除之, 又改之, 事甚不可。當初注擬時, 尤當愼簡, 其諭銓曹。"
●政院に伝教して言った、「人を使うには慎重に選択せざるを得ない。尹cの遞任は、過失があるのではなく、その経歴が長くないからだ。しかしすでに除したあとで、また改めるのは、事は甚だ不可だ。初め注擬のとき、最も慎重に選ぶべきだ、銓曹に下諭せよ。」
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
3931、
台諌が完川正のことを奏上する。
○臺諫啓完川正事, 傳曰: "經筵聞領議政之言, 其罪可疑。古云: ‘罪疑惟輕。’ 豈可以疑事, 絶其屬籍乎?"
●台諌が完川正のことを奏上した。伝教して言った、「経筵で領議政の話を聞くと、その罪が疑わしいと言う。古語に「罪が疑わしければただ軽くする。」と言う。どうして疑わしい事で属籍絶ってしまうのか。」"
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
○太白晝見。
●〔省略〕。
 
3932、
中宗4年(1509年)1月11日(甲辰)
○甲辰/受朝賀, 御朝講。
●〔省略〕。
 
輪対を聴く。平安道長城の築城、馬価の暴騰について議論する。
 
3933、
○聽輪對。司僕副正李軾曰: "平安道長城, 基址已定, 而未築者, 慮民力之困也。臣往見中朝, 自遼東至山海關, 築土城, 不擾民間, 而令戍卒, 分授自築, 事甚便易。臣願解氷以後, 合氷以前, 各堡戍卒, 半爲防戍, 半爲版築, 鎭將, 以一朔所築, 報于監司、兵使, 考其勤慢殿最, 則民無騷擾, 而長城自成矣。
●輪対を聴く。司僕副正李軾が言った、「平安道長城はその土台は既に定まったが、まだ築けないのは、民力が困しむのを配慮するからだ。臣が中朝に行って見るに、遼東から山海関に至るまで、土城を築くのに、民間を煩わさず、戍卒に命じて分担させて自築するが、事は甚だ簡便だ。臣が願うに、解氷以後、結氷以前、各堡の戍卒を、半分は防戍し、半分は版築をし、鎮将は一月の所築を監司と兵使,に報告し、監司と兵使に勤慢を調べさせて殿最させれば、民は騒擾がなく、長城は自然に成る。
 
3934、
今之鎭將, 以不緊之事, 勞役戍卒, 略無休息, 寧使築城, 以圖無窮之利。" 軍資主簿姜終孫曰: "近年以來, 馬價極高, 驛吏爭先貿買, 散盡家産。一馬之價, 幾至三四百匹, 因此驛吏彫殘, 不堪其苦。今後定上中馬價, 毋過其限。"
●今の鎮将は緊急でないことで戍卒を労役し、ほぼ無休だが、むしろ築城させて無窮の利を図らせよ。」軍資主簿姜終孫が言った、「近年以来、馬価がばかばかしく高く、駅吏は争って先に貿買し、家産を散尽する。一馬の価が、ほぼ三四百匹に至る。これによって駅吏は彫残し、苦痛に堪えない。今後上中馬の価を定めて志の限度を過ぎさせるな。」
輪対:毎月三回ずつ各部の郎官が順に王に謁見して所管職務について報告する事。
 
3935、
掌苑署で立春の節花を献上する。
○掌苑署獻立春節花。傳曰: "冬至、立春節花, 只獻大妃殿, 勿獻大殿、中宮。予不喜花卉。"
●掌苑署で立春の節花を献上した。伝教して言った、「冬至、立春の節花は、ただ大妃殿にお献上せよ、大殿、中宮には献上するな。予は花卉を喜ばない。」
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
3936、
完川正は廃庶人とし、前善山府使南憬の貪汚は時推罪人で照律させる。
○臺諫啓完川正事, 又啓曰: "前善山府使南憬, 恣行貪汚, 事干人等, 皆已承服, 當刑訊南憬, 而命更推事干。臣等聞之, 不勝驚愕。事干人等, 請勿拿推。" 傳曰: "完川正事, 爾等以大義言之, 其削屬籍, 廢爲庶人。南憬事, 其子宜城尉南致元, 欲與事干面質, 故命拿來。其勿更推, 以時推照律。"
●台諌が完川正のことで奏上し、また奏上して言った、「前善山府使南憬は、ほしいままに貪汚を行い、関係者等は、皆既に承服したが、南憬を刑訊し、関係者を更に推問することを命じるべきだ。臣等はこれを聞いて驚愕に堪えない。関係者等は拿推しないことを求める。」伝教して言った、「完川正のことは、あなた達は大義ということで言った、属籍を削り、廃して庶人とせよ。南憬のことは、その子宜城尉南致元は、関係者と面質しようとするので、拿来を命じた。更に推問するのは止めて時推罪人として照律せよ。」
 
○太白晝見。
●〔省略〕。
 
3937、
中宗4年(1509年)1月12日(乙巳)
朝講に出る。南憬、禁標外の陳田に対する免税、流難民、安集等を議論する。
○乙巳/御朝講。執義朴光榮、正言南袞曰: "南憬事, 以時推照律, 凡時推照律者, 皆不緊小事也。此則罪犯贓汚, 不可不取服定罪。" 上曰: "事干已服, 無更推之事, 故命以時推照律矣。" 光榮曰: "前者禁標内陳田, 已令免?矣。標外之民, 亦不安集, 今還舊居, 不得耕耨, 田多茂穢, 請勿收?。"
●乙巳、朝講に出た。執義朴光栄、正言南袞が言った、「南憬のことは時推で照律するが、だいたい時推照律は、皆、緊急でない小事だ。これは贓汚の罪を犯したので、取服して罪を定めざるを得ない。」王が言った、「関係者がすでに服して、更に推問することがないから、時推で照律することを命じた。」光栄が言った、「前に禁標内の陳田は、既に免税を命じた。標外の民も、安集せず、今、旧居に帰還し、耕耨が出来ず、田は多く荒れている、収税しないことを求める。」
 
3938、
領事朴元宗曰: "光榮之言是矣。臣於廢朝, 爲京畿觀察使, 備嘗知之, 立標無常, 或近或遠, 民不安業, 流離散亡者多。然臣意以謂收?案, 已到?曹, 今不可改。且免陳田?, 則恐惰農自安也。且廢朝, 民間騷擾, 不堪徭役, 一里之民, 竝皆流離, 又罹癘疫, 散亡殆盡, 其幸存者, 欲還舊士, 慮其絶?徭役, 督及其身, 不復舊居者多矣, 請曉諭各道, 務要安集。" 傳曰: "流離之民, 欲還舊土者, 下諭八道, 毋使督役, 以安其業, 標外未收田?, 與陳田?, 竝皆?免。" ?曹啓曰: "陳田, 今皆耕治, 考之無據, 其?不可減也。"
●領事朴元宗が言った、「朴光栄の言は正しい。臣は廃朝で、京畿観察使となり、かねて知ったことだが、標を立てるのに一定がなく、あるいは近くあるいは遠い、民は安業せず、流離散亡するものが多い。しかし臣が思うに収税案は既に戸曹の至り、今、改められない。また陳田税を免除すると、惰農が怠けるかと恐れる。また廃朝で、民間が騒擾し、徭役に堪えず一村の民が皆流離し、また癘疫にかかり、散亡して殆ど尽きた。その幸いに残ったものが元の土地に帰ろうとしても絶戸の徭役がその身に及ぶのを心配して元の家に帰らないものが多い、各道によく教え知らせて努めて安集を要するよう求める。」伝教して言った、「流離の民で元の家に帰ろうとするものは、八道に下諭して、督役させないで、その仕事を安くさせよ。標外の未収の田税と陳田の税は、皆免除せよ。」戸曹が奏上して言った、「陳田は、今皆耕作して、調べても根拠がなくその税は減らせない。」
 
3939、
守令の不法を摘発しなければ監司まで処罰するという意味を各道に下諭させる。
○傳于政院曰: "近者民間弊?, 朝廷共議?之, 守令不能奉公, 使民流離, 未蒙實惠。雖或有不法守令, 監司以爲某也某之姻?, 某也某之族屬, 殿最不得無失實。今後守令不法, 朝廷所聞多, 而監司不摘發以聞, 則非但罪守令, 監司亦當罷職, 其諭各道。且令憲府, 亦啓守令病民者。"
●政院に伝教して言った、「近ごろ民間の弊?を朝廷で共に議論したが、守令が奉公できないことで、民を流離させ、実恵を蒙らない。あるいは不法な守令があっても、監司が某は某の姻?で、某の族属で、殿最が実を失わないことができない。今後、守令の不法を朝廷が聞くことが多いのに、監司が摘発しないと聞こえたら、ただ守令を罪するだけでなく、監司も罷職することになるから、それを各道に諭せ。また憲府に命じて、守令が民を病ませたことを奏上させよ。」
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
○太白晝見。
●〔省略〕。
 
3940、中宗4年(1509年)1月13日(丙午)
朝講に出る。特進官孫?が各司のp隷、羅将の苦情と解決策を奏上する。
○丙午/御朝講。持平韓效元, 以南憬時推照律未便事, 啓之, 不允。特進官孫?曰: "各司p隷、羅將, 一年之内, 四朔立番, 又有助番二朔, 庶民中最爲艱苦者也。當其番上也, 近道則猶可及期, 如五六日之程, 若或不及, 鞭撻隨之。
●丙午、朝講に出た。持平韓効元が南憬を時推で照律するのは穏便ではないと奏上したが、允許しなかった。特進官孫?が言った、「各司のp隷、羅將は一年の内に四月立番し、また助番二月があるが、庶民中で最も艱苦なものだ。番上にたって、道が近いものは、まだ期限に間に合うが、五六日の程のものは、もしあるいは間に合わなかったら、鞭で打たれる。
 
3941、
代立之人, 濫?其債, 鬻及財産, ?不能支, 逃散則侵及一族切隣, 弊甚不貲。臣前爲忠C道觀察使, 備嘗知之, 民間騷擾, 不能安業者, 職此故也。請以京近官?正兵充定, 申明法禁, 勿立助番。" 效元曰: "p隷之類, 其苦無比, 在遠方者立番爲難。今之宰相、功臣, 比古爲多, 其所占伴人, 勿於京畿, 以京畿人, 定p隷、羅將爲當。"
●代立の人はその債を濫?し、財産を売るに及んでも、払いきれずに、逃散すれば侵は一族や近所に及び、弊が甚だしくて償いきれない。臣は前に忠清道観察使で、かつて詳しく知ったが、民間の騷擾で、仕事が安らかにできないのは、つまりこのためだ。京に近い村の?、正兵で充定し、法禁を申明して、助番を立てないことを求める。」効元が言った、「p隷の類は、その苦が比べものがなく、遠方にあるものの立番は困難だ。今の宰相、功臣は、昔に比べて多い。それが占めた伴人は京畿においてでなく、京畿人でp隷、羅將を定めるのが妥当だ。」
 
3942、
義禁府で南憬の照律について奏上する。
○義禁府啓南憬照律, 傳曰: "其?贓案, 告身盡奪可也。"
義禁府で南憬の照律について奏上するので、伝教して言った、「贓案に記録して、告身はすべて回収するのがよい。」
 
p隷、羅将のことは既に立法したから当該官司で奉行せよと伝教する。
○傳曰: "p隷、羅將事, 曾已立法, 該司當奉行, 不須更立科條。"
●伝教して言った、「p隷、羅将のことは既に立法したことだから当該官司で奉行するべきだ。更に科条を立てることではない。」
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
3943、
中宗4年(1509年)1月14日(丁未)
朝講に出る。正言洪彦弼が政事の時に奔競する事を禁止しようと奏上する。
○丁未/御朝講。正言洪彦弼曰: "政事時, 凡雜人一切禁之, 已有其法, 而猶不奉行。政事日, 衣冠之人, 奔走請囑, 或公傳折簡, 奔競成風, 廉恥道喪, 銓曹亦以簡牘, 擬差官爵。咫尺之地, 不宜如是, 請一切痛禁。" 上曰: "已令部將, 令軍士禁之。若有其人, 則法司當摘發啓之。"
●丁未、朝講に出た。正言洪彦弼が言った、「政事の時は、だいたい雑人は一切禁止するのはすでにその法があるが、なお奉行されない。政事の日、衣冠の人は奔走して請嘱し、あるいは公然と折簡(手紙)を伝え、奔競するのが風となり、廉恥道を失った。銓曹も簡牘で官爵を擬差する。咫尺の地でこのようであってはならない。一切痛禁することを求める。」王が言った、「すでに部将に命じて軍士に禁じさせた。もしそんな人があれば、法司が」摘発して奏上すべきだ。」
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
3944、
李宜蕃の妻権氏の上言を見て李?を交替させる。
○下李宜蕃妻權氏上言于政院曰: "?辭甚切。《大典》云: ‘親年七十, 則一子歸養, 八十則二子歸養, 九十則諸子歸養。’爲人子者, 當先歸養。今朔州府使李?等, 則母爲上言, 而子不歸養, 其可乎? 大凡貪爵祿不歸養, 則三綱?, 風俗?, 故前此已曉予意。今權氏之子, 只有此二人乎? 又有他子乎? 其考啓。" 吏曹啓曰: "李?三兄弟也。" 傳曰: "遞李?。"
●李宜蕃の妻権氏の上言を政院に下して言った、「言葉の様子が甚だ切だ。『大典』に言う、「親の年が七十なら、一子は帰って養い、八十なら二子が帰って養い、九十ならすべての子が帰って養う。」人の子たるもの、帰って養うのを先にすべきだ。今、朔州府使李?等は、母が上言したが子は帰って養わない、それでよいのか。だいたい爵禄を貪って帰って養わないのは、三綱がくずれ、風俗が毀れるから、以前に既に予の意を明らかにした。今、権氏の子は、ただこの二人だけか。またほかに子があるのか。調べて奏上せよ。」吏曹が奏上して言った、「李?は三兄弟だ。」伝教して言った、「李?を交替させよ。」
 
○太白晝見。
●〔省略〕。
 
3945、
中宗4年(1509年)1月15日(戊申)
○戊申/受朝賀。
●〔省略〕。
 
朝講に出る。守令の選抜、推薦での人材登用について議論する。
○御朝講。大司諫柳世?曰: "守令, 係一邑之休戚, 任字牧之寄, 其責大矣。今銓曹不問人物賢否, 例以職秩相當, 注擬, 以是守令, 擧非其人, 請令銓曹, 勿拘職秩, 愼簡差除。非特守令, 僉使、萬?, 亦當擇差, 而今率皆以年老才衰者差遣, ?有不虞之變, 則將何以禦之?
●朝講に出た。大司諌柳世?が言った、「守令は一邑の休戚に係わる。字牧の責任に任じたのだから、その責任は大きい。今、銓曹は人物の賢否を問わず、例として職秩が相当すれば注擬する。だから守令は、皆その人物ではない。銓曹に命じて、職秩にこだわらず、慎重に選んで差除させることを求める。ただ守令だけでなく、僉使、万戸も選んで差遣すべきなのに、今ほとんど皆、年老いて才の衰えたものを差遣するが、もし不慮の変があったら、どうやって防ぐのか。
 
3946、
頃者熊川有倭變, 此亦可虞。且薦擧者, 欲用其人也, 而銓曹略不擧用, 徒爲文具耳。" 上曰: "此言當矣。大凡民之苦樂, 在於守令。擇人注擬事, 已諭銓曹, 不能奉行, 甚非也。" 領事成希顔曰: "臣曾爲政曹, 非不欲擇人而任之, 但人才之中, 賢者幾何? 若無大過, 則可以職秩差之。且薦擧者, 當試用之, 賢者則超拜之可也。
●近頃熊川で倭変があったが、これも憂慮すべきだ。また推薦者は人材を用いようとするのだが、銓曹はほぼ挙用しないので、無駄に文具になるだけだ。」王が言った、「此の言は当然だ。だいたい民の苦楽は守令にある。択人注擬のことは既に銓曹に指示したが、奉行できないのは甚だ間違っている。」領事成希顔が言った、「臣はかつて政曹だったが、人を選んで任じようとしないのではないが、ただ人才のうち、賢者はどれだけいるのか。もし大過なければ、職秩で差任できる。また推薦人は試用するべきだが、賢者は超拝がよい。
 
3947、
以一人而擧之者多, 則其人必賢矣。" 持平申?曰: "朝廷百執事, 亦已多矣。人才未可多得, 作成人才, 不容不急, 然薦擧之中, 有才行可用者, 豈皆不如百執事者乎? 當速擧用, 可也。在廢朝, 柳洵爲吏曹判書, 有薦金宏弼者, 自參奉, 超陞爲六品。今亦卓用, 則其人皆爲可用之才矣。今之爲士者, 皆奔競請囑, 公道掃地。若一以薦擧用之, 則公道庶乎復明, 而士心亦且興起。" 上曰: "其(薦擧單字)〔薦擧單子〕内, 以一人而擧之者多, 則其人果賢矣, 銓曹用之可也。"
●一人を推挙するものが多ければ、その人は必ず賢人であろう。」持平申?が言った、「朝廷の百の執事も既に多い。人材が多く得られないなら人材を養成するのを急ぐべきだ。しかし推挙の中で才行があり用いられるものは、どうして皆百の執事に及ばないだろうか。早く挙用するのが当然でそうすべきだ。廃朝にあって柳洵が吏曹判書だったとき金宏弼を推挙するものがあって、参奉から超昇して六品になった。今も抜擢すれば、その人は皆使える人材になる。今の士たるものは皆奔競請嘱して公道は地を掃いた。もしもっぱら推挙で用いれば公道はまた大方明るくなり士心もまた興起するだろう。」王が言った、「推挙単子の中に、一人を推挙するのが多ければ、その人はやはり賢人だろうから、銓曹は用いるのがよい。」
 
3948、
守令選抜に慎重を期さなければ吏曹を咎めると政院に伝教する。
○傳于政院曰: "經筵臺諫之言是矣。中外之官, 銓曹固當擇差, 守令尤當愼擇, 而專不誠心奉行。今若如是, 當責吏曹。其諭是意。"
●政院に伝教して言った、「経筵で台諌が言ったことは正しい。中外の官員は銓曹が元々択差するが、守令はもっと慎重に選ばなければならないが、もっぱら誠心で奉行していない。今ももしこれと同じなら当然吏曹を咎めるべきだ。この意を諭示せよ。」
 
○傳曰: "今之薦擧者, 以公論擧之, 不可不用。其先擧用。"
●〔省略〕。
 
3949、
僉使、万戸の賢否を検覈して賢でなかった者を奏上するように水使に下諭せよ。
○傳曰: "僉使、萬?之賢否, 水使固當檢覈。如有不賢者, 其速馳啓事, 諭諸水使。"
●伝教して言った、「僉使、万戸の賢否を、水使はもとより検覈すべきだ。もし賢でなかったものがあれば、速やかに馳啓するようにすべての水使に下諭せよ。」
 
3950、
政院で、万戸は武芸取才者を書く問題を奏上する。
○政院啓曰: "經筵所啓萬?, 例以武藝取才者差之, 其人無前程, 率皆侵漁軍卒。蘇復間, 請以武科出身者及内禁衛年少有志者差之, 則必當謹飭矣。" 傳曰: "以武藝取才, 爲萬?, 其來已久。内禁衛、兼司僕, 豈皆賢乎? 武藝取才者, 亦豈不賢乎? 武藝取才中, 擇用爲當。"
●政院が奏上して言った、「経筵で奏上した、万戸は武芸取才者を取るのを例つるのについて,、その人は将来がないので、おおかた皆軍卒を侵していく。蘇復までの間は、武科出身者及び内禁衛年少で有志のものを取れば、必ず謹飭するだろう。」伝教して言った、「武芸取才で万戸にするのは、由来がすでに長い。内禁衛、兼司僕は、どうして皆賢いか。武芸取才は、どうして賢くないか。武芸取才中で選び用いるのが穏当だ。」
 
3951、
○傳曰: "今薦擧之人, 書名以啓。"
●〔省略〕。
 
京官の今年の殿最は間違ったから今後はそうするな。
○傳曰: "京官之任, 雖不如守令, 豈無懶慢不供職者乎? 今年貶中者, 只二人, 京官豈皆賢乎? 後勿如是。"
●伝教して言った、「京官の任は守令には及ばないと言っても、どうして、懶慢で職務に誠実でないものがないだろうか。今年、貶中になったものは、ただ二人だが、京官はどうして皆賢いか。これからはこうするな。」
 
海州の人が撃錚した事を闕内に入れよと伝教する。
○傳曰: "前日海州人, 於神武門外?錚, 兵曹捕問, 則以其守令不法事, 訴於行臺監察, 故主倅侵苦之云。其所陳上言, 入内可也。"
●伝教して言った、「前日海州のが神武門外で?錚し、兵曹が捕問すると、その守令の不法のことで行台監察に訴えたので、その守令が急に侵苦するという。その陳上の言を闕内に入れるのがよい。」
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
○太白晝見。
●〔省略〕。
 
3952、
中宗4年(1509年)1月16日(己酉)
朝講で、平安道権官に本道人を差任すること、水軍、茂山と豊山の両堡問題とを議論する。
○己酉/御朝講。掌令尹希仁曰: "平安道權管, 或以本道人差之, 類皆侵漁軍卒, 或私役於其家。自今後請勿以本道人差遣。" 獻納柳思敬曰: "近來民不安業者, 專以p隷、水軍也。p隷則前已議之, 水軍最爲艱苦, 散亡殆盡, 一族切隣, 竝受其害。京畿則非下三道防禦緊急之比, 期以蘇復, 分爲四番, 則可休三朔矣。"
●己酉、朝講に出た。掌令尹希仁が言った、「平安道権管は、或いは本道人を差任するが、大部分が皆軍卒を侵して、或いはその家で私役する。今から後、本道人を差遣しないことを求める。」献納柳思敬が言った、「近ごろ民が仕事に安くつけないのは、もっぱらp隷、水軍である。p隷は前にすでに議論したが、水軍は最も艱苦で、散亡してほとんど尽き、一族や近隣は、皆その害を受けた。京畿は下三道の防禦の緊急の比ではない、蘇復を期して、分けて四番にすれば、三か月は休めるはずだ。」
 
3953、
特進官田霖曰: "臣於咸鏡道, 出入幾十九年, 凡要害之地, 無不知之。今者茂山、豐山兩堡, 欲移置者, 使邊民便於耕稼耳。然臣謂茂山、豐山兩堡元軍數少, 今若移排, 則防戍必至單弱, ?有虜人猝至, 則何以禦之? 況(梁楊萬洞)〔梁永萬洞〕, 踰一嶺, 則胡人常往來畋漁之地, 侵掠之患, 無時無之。
●特進官田霖が言った、「臣は咸鏡道で出入すること十九年に近く、およそ要害の地は知らないものがない。今、茂山、豊山両堡を移置しようとするのは、辺民の耕稼に便利なようにさせようとするのだ。しかし臣が思うに、茂山、豊山両堡はもともと軍が少なく、今もし移排したら、防戍は必ず単弱になる。もし虜人が急に来るようなことがあったら、どうやって防ぐのか。まして梁永万洞は、一嶺を越えれば、胡人が常に往来畋漁する土地で、侵掠の患が無い時はない。
 
3954。
臣竊以爲加置農堡, 又設木柵, 使節度使, 將兵守備, 耕種(收獲)〔收穫〕後, 疊入爲便。" 特進官李?曰: "(梁楊萬洞)〔梁永萬洞〕, 雖曰土地沃饒, 掘其地僅尺五寸許, 則有沙石, 數年耕種, 則地力盡, 而沙復出, 亦非久耕之地也。果如田霖所啓, 加設木柵, 以備之可也。且慶源、慶興之境, 古有阿吾地堡, 今者移置於二十里許。舊堡所設處, 宜於防戍, 請還移排。今宋軼之行, 箭竹與常紙, 使之?去, 分賜軍卒。大抵各驛殘弊, 箭竹則本道所儲者多, 以此分給爲便。常楮國用亦匱, 若欲分與野人, 則莫如以本道所儲之鹽, 比前加給。"
●臣がひそかに思うに、農堡を加置し、また木柵を設け、節度使に兵で守備, 耕種、収穫させ、畳んで堡塁に入れさせるのが便だと思う。」特進官李?が言った、「梁永万洞は、土地肥沃だといっても、その地をわずかに一尺五寸許り掘ると、砂石があり、数年耕種すると、地力が尽きて、砂がまた出て、また久耕の地ではない。やはり田霖の奏上のように木柵を加設し、それで備えるのがよい。また慶源、慶興の境は、昔阿吾地堡があって、今は二十里ばかり移置した。もとの堡が設置したところは防戍によい、また移排することを求める。今、宋軼が行くのに、箭竹と常紙を持って行かせ、軍卒に分賜させてほしい。だいたい各駅は残弊し、箭竹は本道の備蓄が多い、それで分給するのが便利だ。常楮紙は国用も不足している、もし野人に分予しようとするなら、本道備蓄の塩前より多く給するのに及ばない。」
 
3955、
平安道はもちろん両界の権官も本道人を差任するなと伝教する。
○傳曰: "平安道權管事, 果如所啓。非但平安道, 兩界權管, 其依守令例, 勿以本道人差之。"
●伝教して言った、「平安道の権官のことが果たして奏上と同じだったら、平安道だけでなく、両界の権官もその守令の例によって本道人を差任するな。」
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
3956、
司憲府が楊州牧師趙金虎、富平副詞富平府使奇?、高陽郡守申景源等の交替を求める。
○憲府啓曰: "楊州牧使趙金虎, 專不治事, 奸吏用權, 不能禁制, 使民間騷然, 富平府使奇?, 崇飮不治事, 高陽郡守申景源, 於疲弊之官, 多率奴婢, 衙内十朔之用, 至七十餘石。文化縣令鄭有綱, 人物最下, 又不治事, 新昌縣監梁濟, 性本狂悖, 又不解事。請皆罷之。" 傳曰: "皆遞之。"
●司憲府が奏上して言った、「楊州牧使趙金虎は全く政をせず、 奸吏が権力を使うのを禁制できず、民間を騒然とさせた。富平府使奇?、飲酒にふけり政をしなかった。高陽郡守申景源は疲弊した村で、多くの奴婢を従えているので、役所内10か月の費用が七十余石に至った。文化県令鄭有綱は人物が最下で、また政をしなかった,新昌県監梁済は、性格がもともと狂悖で、理解力がない。皆罷免することを求める。」伝教して言った、「皆交替させよ。」
 
3957、
刑判を賛成、参賛中から抜擢しようとして金応箕を刑判にさせる。
○吏曹判書金應箕等啓曰: "刑曹判書, 命以府院君擬望。然以府院君, 爲六曹判書, 則於政府方物封裹時, 座次舛錯, 且刑曹務劇, 以元勳老成, 使之勤苦, 亦爲未便。臣等意政府贊成以下, 皆無事可爲。聞世宗朝, 政府多有闕員, 今亦以政府贊成、參贊中, 一人擬之, 何如?" 傳曰: "刑判, 不須以府院君爲之。雖小各司, 不可闕員, 況政府重地, 不可以無事闕員也。吏曹, 以李?、尹金孫, 注擬, 御書以金應箕爲刑判, 仍傳曰: "尹金孫前爲刑判, 被駁遞之, 李?亦爲判尹, 而被駁。若除二人, 則恐又論遞, 故以金應箕特授耳。"
●吏曹判書金応箕等が奏上して言った、「刑曹判書を府院君で擬望するよう命じたが、府院君を六曹判書にすると、政府の方物を封裹するとき、座次が錯雑し、また刑曹は激務で、元勳の老成者で勤苦させるのも、穏便ではない。臣等の意は、政府賛成以下は、皆、することが無い。聞くところ世宗朝は、政府に多くの欠員があった。今も政府の賛成、参賛中、一人擬してはどうか。」伝教して言った、「刑判は、府院君でさせるには及ばない。小い各司でも、欠員にすべきではない。まして政府は重地で、仕事がないと言って欠員にすべきではない。吏曹が、李?、尹金孫で注擬するから、御書は金応箕で刑判にせよ。そこで伝教して言った、「尹金孫は前に刑判で、駁されて交替したし、李?も判尹で駁された。もし二人を除任すれば、また論遞されるかも知れないので、金応箕を特授するのだ。」
 
○太白晝見。
●〔省略〕。
 
3958、
中宗4年(1509年)1月17日(庚戌)
○庚戌/御朝講。
●〔省略〕。
 
海州人の撃錚は治罪しないで、不法な守令は行台監察が推問せよと伝教する。
○傳曰: "海州人?錚者, 勿治罪, 守令不法事, 則令前去行臺監察, 推之以啓。"
●伝教して言った、「海州人の撃錚は治罪するな。守令の不法は先に行った行台監察で推問させて奏上せよ。」
 
3959、
田霖と李?に軍堡の移設について前後の発言が異なる理由を言わせる。
○傳曰: "移堡事, 丁卯年初議時, 李?、田霖, 當商確言其未便可也。其初不言, 而今言其未便, 何前後各異也? 其言于田霖、李?。【霖等不能對。】
●伝教して言った、「移堡のことは、丁卯年に初めて議論した時、李?、田霖が、商議して穏便でないと確言するのが正しいはずだ。初めに言わないで、今その穏便でないのを言うのは、どうして前後で異なるのか。田霖、李?に言え。【霖等は応えられなかった。】
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
3950、
台諌が宋軼の咸境道派遣の中止、不法な守令の罷職、司諫金克?の交替を奏上する。
○臺諫啓曰: "宋軼往咸鏡道, 驛路有弊, 臣等固欲啓之, 而未知移堡利害, 故未果。今知邊事大臣, 皆以爲不可, 則宋軼不必遣。況軼不知邊事, 雖使往觀, 只聞其監司、兵使之言, 而還。
●台諌が奏上して言った、「宋軼が咸鏡道に行くと、駅路に弊害がある。臣等はもとより奏上しようとしたが、移堡の利害を知らなかったので果たさなかった。今、辺境のことを知る大臣が、皆、不可とするので、宋軼は必ず派遣しない。まして軼は辺境のことを知らず、行って観させても、ただその監司と兵使の言を聞いて還る。
 
3951、
今可更問知邊事之臣, 以不可移之意, 馳書其道, 熟講利害, 然後遣之。" 憲府啓曰: "昨日論啓不法守令等, 只令遞差, 則將無所懲, 請罷之。" 諫院啓曰: "金克?, 今爲司諫, 克?前爲掌令時, 啓匿名書。匿名書雖父子之間, 不得傳?, 而敢啓之, 以此其時被駁左遷。司諫非他官例也, 以諫諍彈駁爲任, 請遞之。" 傳曰: "金克?, 其遞之。宋軼事, 明日當收議。守令事已付西班, 不可罷職。"
●今、辺境のことを知る臣に更に尋ねて移設すべきではないということをその道に書簡を急送してよく利害を講じ、そのあとで派遣するのがよい。」司憲府が奏上して言った、「昨日不法守令等を論啓したが、ただ替えさせるだけでは懲らしめにならないだろう、罷免を求める。」諌院が奏上して言った、「金克?は、今、司諌だが、克?は前に掌令だったとき、匿名書を奏上した。匿名書は父子の間でも伝説できないのに、敢えて奏上し、そのことで論駁され左遷された。司諌は他の官の例ではなく、諌諍彈駁が任務だ。替えるのを求める。」伝教して言った、「金克?は替えよ。宋軼のことは、明日収議するつもりだ。守令のことはすでに西班に付した、罷職できない。」
 
3952、
○御夕講。
●〔省略〕。
 
中宗4年(1509年)1月18日(辛亥)
朝講で宋軼の派遣停止、京城判官の文官任命、不法守令の罷免、を決める。
○辛亥/御朝講。大司諫柳世?曰: "宋軼之行, 正當農時, 重臣之行, 雖曰太簡, 豈得無弊?" 執義朴光榮曰: "豐山、茂山等堡移設, 是固重事, 可遣大臣看審。然知邊事, 無逾於高荊山, 今荊山與節度使, 同議措置, 則雖大臣就觀, ?不得措一辭矣。"
●辛亥、朝講に出た。大司諌柳世?が言った、「宋軼の行くのは正に農時にあたる。重臣の行くのは、大変簡略だといってもそうして弊害がないだろうか。」執義朴光栄が言った、「豊山、茂山等の堡の移設は、もとより重大事で、大臣を派遣して看審すべきだ。しかし辺境のことを知ることでは高荊山以上のものはない。今、荊山が節度使と一緒に議論して措置したら、大臣が就て観察しても、やはり一言も措置できないだろう。」
 
3953、
上曰: "巡邊之行, 予意亦有弊。然今日收議于大臣, 有言未便者, 可停行矣。" 特進官辛允武曰: "鏡城, 北道巨鎭, 而國庫?竭, 疲弊尤甚。而往來軍官, 多有侵責者, 以其判官, 其儕輩故也。鏡城判官, 若以文臣除授, 則(虞侯)〔虞候〕、軍官, 莫不敬重, 不敢?求矣。" 世?、光榮曰: "不法守令, 憲府彈駁遞職, 而竝付西班, 殊無勸懲之意, 皆當罷之。" 上曰: "依啓罷之。鏡城判官, 以文官擇差, 可也。"
●王が言った、「辺境巡行は、予の意でも弊害がある。そして今日大臣で収議して、言があるのは穏便でないから、行くのを停止するのがよい。」特進官辛允武が言った、「鏡城は北道の巨鎮で、国庫が空になって疲弊が最も甚だしいが、往来する軍官には多く侵責するものがある。その判官が同輩だからだ。鏡城の判官を、。もし文臣で除授すれば虞候軍官は敬重せざるを得なくなり、あえて徴求しない。」世?、光栄が言った、「不法な守令は、司憲府が弾駁遞職させて、みな西班に付けたが、特に勧懲の意はない。皆罷免すべきだ。」王が言った、「奏上通り罷免せよ。鏡城の判官は文官を択差するのがよい。」
 
3954。
○御晝講。
●〔省略〕。
 
司畜金鳳瑞を陞叙することを伝教する。
○傳曰: "司畜金鳳瑞, 前爲平康縣監時, 有政績, 令吏曹陞敍。"
●伝教して言った、「司畜金鳳瑞は、前に平康県監だったとき政績があったので、吏曹にめいじて陞叙させよ。」
 
3955、
柳洵、朴元宗、柳順汀等が移堡、阿吾地堡の便否、京畿水軍の立番問題を議論する。
○柳洵、朴元宗、柳順汀等議: "移堡事, 觀高荊山所啓, 則不得不速移, 若田霖等所啓, 則似不可容易移之。速遣大臣, 將兩意更審便否, 措置爲當。邊事爲重, 往來小弊, 何足計之? 阿吾地堡, 舊在江邊, 李克均審其便否移之, ?今堡是也。克均出入邊方, 諳達邊事, 其移置之意, 必有在也。
●柳洵、朴元宗、柳順汀等が議論した、「移堡のことは、高荊山の奏上を見ると、速く移さないわけにはいかないが、田霖等の奏上のようだと、容易には移せないようだ。速やかに大臣を遣って、両方の意見で更に便否を審査して措置するのが当を得ている。辺境の事は大事なので、往来の小弊はどうして計算するに足りようか。阿吾地堡は、もと江辺にあったが、李克均がその便否を審査して移して、今の堡がそれだ。克均は辺境に出入して、辺境の事は熟知しているので、その移置の意図は必ずある。
 
3956、
今大臣之去, 本道監司及兵使, 同審便否, 啓聞後更議。且京畿水軍, 其役最苦, 分左右番立役, 果無休息之時。然水軍, 以兵船數, 酌定其額, 載在《大典》, 若分四番, 則其立番之數爲半, 減少兵船, 守備似難。況京畿分四番, 他道仍舊, 則京外異法未便。命下兵曹。"
●今、大臣が行くと、本道監司及び兵使が同じく便否を審査し奏上後更に議論する。また京畿水軍は、その労務が最も苦しく、左右番に分けて立役すると、果たして休息の時がない。しかし水軍は、兵船の数でその額を酌定することが『大典』に載せてある。もし四番に分けると、その立番の数が半分になり、兵船を減少させるので、守備が困難なようだ。まして京畿を四番に分け、他道がもとのままでは、京外が異法になり穏便ではない。兵曹に命令を下す。」
 
3957、
柳洵等がp隷の応役を救済する対策、野人?哈の待遇問題を議啓。
○柳洵等議啓曰: "近來p隷役苦, 救弊之策誠難。請抄京中軍士保人, 充定p隷。抄外方p隷, 充給京軍保人, 則p隷在京立役爲便, 保人在外, 亦不如p隷之苦役。但京人多巧黠, 而保人之額, 不付軍案者頗多。搜括爲難。請別立事目, 使勿隱漏。且野人?哈, 前者有功而來, 厚賜遣之。今來雖無功, 然其賜給太略, 其心想必不樂。彼以酋長歸順, 不可不厚待。" 傳曰: "其賜物。"
●柳洵等が議啓して言った、「近来p隷の役苦の救弊策は誠に困難だ。京中軍士の保人を選んでp隷に充定することを求める。外方のp隷を選んで京軍の保人に充給すれば、p隷が京にあって立役するのは穏便であり、保人が外にあっても、p隷の苦役には及ばない。ただし京人は多く巧黠で、保人の額(数)を軍案に載せないものが非常に多い。搜括するのは困難だ。別に事目を立て隠漏させないように求める。また野人?哈は、前に功があって来て、厚賜して遣った。今来るのは功がないが、その賜給を大きく省くと、心は必ず不満に思う。彼は酋長として帰順したから厚待しないわけにはいかない。」伝教して言った、「物を下賜せよ。」
 
3958、
○御夕講。
●〔省略〕。
 
○以李?爲議政府右參贊, 申用漑爲吏曹判書, 金應箕爲(刑曹刑書)〔刑曹判書〕, 安?爲司憲府大司憲, 尹耕爲司諫院司諫, 金世弼爲兼藝文館應ヘ, 柳沃爲司諫院正言, 成世昌爲弘文館副修撰, 李彦浩爲博士, 金希壽爲著作。
●〔省略〕。
 
中宗4年(1509年)1月19日(壬子)
朝講で、寺の田税の軍事への補充、京城判官、李長坤の辺将任用について議論する。
○壬子/御朝講。獻納柳思敬曰: "朝廷經費, 咸仰軍資, 以是軍資?竭, 非(紬)〔細〕故也。 今兩宗已革, 而其?猶存, 臣意盡革寺社田?, 以補軍資。"
●壬子、朝講に出た。献納柳思敬が言った、「朝廷の経費を、皆、軍資に仰ぐから、軍資が虚渇すりうが、これは小さい事ではない。今、両宗はすでに廃止したが、その税はまだ残っている、臣の意では寺社の田税をすべて止めて軍資に補給するのがよい。」
 
3959、
上曰: "補軍資, 不須以寺社之?也。節用則財自足矣。前日寺社田?, 已議減之, 今之所存者, 不得已也。" 持平申?曰: "寺社之?, 何有不得已也? (忌晨齋)〔忌辰齋〕内需司供備, 今無不得己之事。上學問高明, 左道之事, 在所當斥, 補軍資之事, 可裨益於國家, 不須留難。"
●王が言った、「軍資の補充に寺社の税を用いる必要はない。節用すれば財は自ら足る。前日、寺社の田税は、既に議論して減らしたが、今残るのはやむを得ないものだ。」持平申?が言った、「寺社の税は、どうしてやむを得ないことがあろうか。忌辰斎の内需司の供備は、今、やむを得ないことはない。汪の学問は高明で、左道のことは退けるべきことだが、軍資の補給のことは国家に裨益できるから留難すべきではない。」
 
3960、
上曰: "寺社之田, 前者臺諫言之, 故已令?曹磨?減之。其不減者, 今欲更磨?耳。" 領事朴元宗曰: "昨聞鏡城判官文光世遞差之命。光世雖武士中稍可用者, 然豈如文臣乎? 鏡城, 道内巨邑, 而近來年穀不登, 疲弊太甚。以文臣差之, 則可使蘇復, 而其道守令、軍官, 亦且敬憚。成宗朝, 洪?、安潤孫, 曾授邊方之職, 今亦以秩高文臣擇差, 而遞任時, 以其本職之秩次, 陞敍爲當。"
●王が言った、「寺社の田は、前に台諌が言ったので、既に戸曹に命じて準備して減らさせる。減らないものは、今、もっと準備するのだ。」領事朴元宗が言った、「昨日、鏡城判官文光世の交替の命を聞いた。光世は武士中でやや使えるものだが、しかしどうして文臣のようであろうか。鏡城は道内の巨邑で、近来年穀が稔らなくて、疲弊が甚だしい。文臣を差遣すれば、蘇復させられるし、その道の守令、軍官も敬して憚る。成宗朝で、洪?、安潤孫が、かつて辺方の職を授けられた。今も秩高の文臣を選び差遣して、交替の時、本職の秩次にしたがって陞叙するのが穏当だろう。」
 
3961、
申?曰: "國家以文臣交差, 其法善矣。然文臣豈皆賢乎? 須擇有武才者, 使知邊事, 可也。今則文臣皆不欲之, 故雖曰文臣, 以其殘劣者及無勢力者差之, 衆皆不服, 是非朝廷本意也。須於六曹カ官及秩高者中, 擇遣甚善。" 元宗曰: "近來兩界凋弊, 軍需不贍。臣反覆計之, 莫如擇人。近者李長坤, 爲昌城府使, 未幾命遞之。長坤可爲邊將者也。然此人於咸鏡道, 則身所經?, 周知邊塞, 但於平安道, 則未嘗知之。
●申?が言った、「国家が文臣を交差するのは、その法は善い。しかし文臣がどうして皆賢いか。武才のあるものを選んで辺境の事を治めさせるのがよい。今は文臣は皆望まない。だから文臣といっても、劣等なもの勢力のないものが差遣され、衆は皆服さないが、これは朝廷の本意ではない。六曹カ官及び秩高のものの中から、選んで派遣するのが甚だ善い。」元宗が言った、「近頃両界が凋弊して、軍需が豊かでない。臣が反覆して計るに、人を選ぶのが一番だ。近ごろ李長坤、昌城府使として、それほどの間でもないのに替えられた。長坤は辺境の将たるべきものだ。しかしこの人は咸鏡道では、自身経歴して辺塞はよく知っているが、平安道は経験した事がない。
 
3962、
雖遞之, 後須差授西邊, 使之備諳爲當。前者李克均, 爲滿浦僉使, 柳順汀爲評事, 爲義州牧使, 爲節度使, 今如長坤輩, 亦可用之邊鎭也。" 上曰: "李長坤將爲邊將, 故差授昌城。然近日沈貞爲成川府使, 有云才器不當, 故改差。今昌城, 恐於長坤不合, 故命遞之。然後於邊方有闕, 則當差之。"
●替えさせても、後に西辺に差授して備諳(習熟)させるのが妥当だ。前に李克均が満浦僉使になり、柳順汀が評事になり義州牧使になり、節度使になったが、今、長坤のようなやからも、また辺鎮に用いることができる。」王が言った、「李長坤は辺将にしようとしたから、昌城に差授した。しかし近日、沈貞を成川府使にすると、才器が不適だと言うので、改差した。今、昌城が長坤に合わないのを恐れて、替えるのを命じた。しかし後に辺境にまさに欠員があったら差遣すべきだ。」
 
3963、
元宗曰: "沈貞亦有武才, 亞於長坤者也。成川無事養病之地, 以年少宰相, 不可置之閑地, 故前日成希顔, 啓請遞之。今昌城防禦事緊, 須以有武才差。長坤, 今則已遞, 後於邊地, 可用也。" 思敬曰: "元宗之言是也。長坤以四品, 驟陞堂上, 臣等欲啓其濫爵。然臣等意謂使長坤, 早知邊事, 故有是命也, 未幾?遞之, 臣未知上意也。長坤若不赴昌城, 則其堂上之資, 不可仍授也。"
●元宗が言った、「沈貞も武才があり、長坤に次ぐものです。成川は無事に養病する地ではなく、年少宰相を置くことのできる閑地でないので、前日、成希顔は、替えることを啓請した。今、昌城は防禦のことが緊要で、武才のあるものを差遣すべきだ。長坤は、今既に替えられたが後に辺地で用いるべきだ。」思敬が言った、「元宗の言は正しい。長坤は四品で、急に堂上に昇ったが、臣等はその濫爵を奏上しようとした。しかし臣等の意では長坤は早く辺境のことを治めさせたからこの命があると考えたが、まだそれほど経っていないのに替えたので、臣は上の意がわからない。長坤がもし昌城に赴任しなかったら、堂上の品階は、そのまま授けられない。」
 
3964、
李長坤を辺将に任用しないということではないと伝教する。
○傳曰: "李長坤, 非不欲用於邊將也。前者沈貞爲成川府使, 成希顔, 以爲人器不相當, 故?命遞之, 今長坤之遞, 亦猶是也。且滯任三年, 則恐有妨於用人矣。柳思敬因人之言, 以爲: ‘臣欲啓之’云。長坤之遞久矣, 其心若謂不可, 則何不?啓, 而乃於今日言之耶? 大凡用人之際, 人皆如此紛紜論啓, 甚不可。"
●伝教して言った、「李長坤を辺将に任用しないということではない。前に沈貞が成川府使になると、成希顔が人の器が相当しないとしたので、すぐに命じて替えた。今、長坤の交替も、やはりこれと同じだ。また滞任三年では、人を用いるのに妨げになるかと恐れる。柳思敬が人の言によって「臣は奏上しようとした」としたと言う。長坤の交替は長いが、心に不可だと思うのなら、どうしてすぐに奏上しなくて、今日言うのか。だいたい人を用いるのに、人は皆、このように紛紜して論啓するが、甚だ不可である。」
 
3965、
寺社の田地の廃止、存続を戸曹がなぜ奏上しないのか尋ねよ。
○傳曰: "寺社之田, 可革可存者, 已令?曹磨?, 而今不來啓, 何也? 其問之。"
●伝教して言った、「寺社の田地の廃止、存続を既に戸曹に準備させたが、今だに来て奏上しないのはなぜか。尋ねよ。」
 
承政院が、八道が同日に泥棒を捕まえることを穏便でないとする。
○政院啓曰: "八道同日捕盜事, 臣等以爲不可也。其諭書云:‘監司親自開拆。’監司亦於守令, 秘密措置, 則人皆驚駭, 又若妄捕拘?, 則耕農失時, 其弊亦多。" 傳曰: "果可已也。其問諸田霖。"【時霖爲捕盜大將, 啓此方略。】
●承政院が奏上して言った、「八道が同日に捕盜することを、臣等は不可とする。その諭書に言う、「監司は自ら開拆せよ。」と。監司も守令に秘密で措置したら人は皆驚駭する。またもし妄捕拘?したら、耕農が時を失い、弊害も多い。」伝教して言った、「はたして止めるべきことだ。田霖に尋ねよ。」【時に田霖が捕盜大将で、この方略を奏上した。】
 
3966、
政院が文臣に天文と篆文を習熟させて朔書を施行させようとする。
○政院啓曰: "祖宗朝, 以文臣肄習天文, 又令書篆文。今亦精擇年少文臣, 使之竝肄習。且朔書亦廢之已久, 是亦勸奬之事, 請依舊復行。" 傳曰: "皆依啓。"
●政院が奏上して言った、「祖宗朝は文臣に天文を習熟させ、また篆文を書かせた。今また年少の文臣を精細に選んでみな習熟させたい。また朔書も廃止してすでに久しい。これも勧奨することを、旧によってまた行うことを求める。」伝教して言った、「皆奏上によれ。」
 
3967、
○御晝講。
●〔省略〕。
 
司諌院が李希輔の延曙察訪を替えることを求める。
○諫院啓曰: "李希輔爲延曙察訪。希輔在廢朝, 攀附内人, 得幸於廢主, 而驟陞者, 請遞之。" 傳曰: "非重任, 故不允。"
● 司諌院が奏上して言った、「李希輔を延曙察訪にした。希輔は廃朝にあって内人に攀附して廃主に寵幸され急に昇進したので、替えることを求める。」伝教して言った、「重要な任務ではないので允許しない。」
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
京畿観察使柳浜の卒記。
○京畿觀察使柳濱卒。命賜賻。濱性廉簡公直, 不治家事, 常以?布爲褥。及爲吏判, 注擬皆從公論, 門無私謁, 士林嘉之。謚曰忠定。
●京畿観察使柳濱が卒した。命じて賻を賜った。濱は性格が廉簡公直で、家事を治めず、常に荒布を褥とした。吏判になるに及び、注擬は皆公論に従い、門に私謁が無く、士林は嘉した。謚して忠定という。
 
3968、
中宗4年(1509年)1月20日(癸丑)
○癸丑/諫院啓李希輔事, 不允。
●〔省略〕。
 
晋州牧使李?、尚州牧使孫仲暾への褒賞箱を慶尚道観察使に下書する。
○下書于慶?道觀察使曰: "道内晋州牧使李?、?州牧使孫仲暾, 勤謹奉公, 惠及於民, 予甚嘉之。各賜ク表裏一襲, 兼賜褒書, 卿其分授。"
●慶尚道観察使に下書して言った、「道内の晋州牧使李?、尚州牧使孫仲暾は、謹んで奉公し、恵みは民に及んだ。予は甚だ嘉する。それぞれにク表裏一襲を下賜し、兼ねて褒書を下賜する。卿は分授せよ。」
 
○下書于咸鏡道觀察使曰:道内富寧府使蘇起坡, 勤謹奉公, 惠及於民, 特賜ク表裏一襲, 兼賜褒書, 卿其授之。
●〔省略〕。
 
3969、
中宗4年(1509年)1月21日(甲寅)
朝講で参賛官宋千喜が八道で一時に盗賊を殺す事を停止させると、すぐにそうする。
○甲寅/御朝講。參贊官宋千喜曰: "密諭八道同日捕盜事, 田霖援世祖朝事, 啓之。然祖宗朝事, 有可行者, 有不可行者, 特觀其時勢耳。 今之爲盜賊者, 類皆廢朝失業人也。同日搜捕, 雖得眞盜, 必及無罪, 請姑停之。" 上曰: "八道一時搜捕事, 大將言之, 故今欲擧行, 當問于大臣。"
●甲寅、朝講の出た。参賛官宋千喜が言った、「八道に密諭した同日捕盜のことは、田霖が世祖朝のことを援用して奏上した。しかし祖宗朝のことは、行うべきものとそうでないものとがあるから、特にその時勢を見るべきだ。今の盜賊は、大部分が皆、廃朝の失業人だ。同日の搜捕は、本当の盗賊が捕らえられるが、必ず無罪のものに波及する。暫く停止するのを求める。」王が言った、「八道の一時搜捕のことは、大将が言ったから、今挙行しようとしたが、大臣に問うことにしよう。」
 
3970、
寺社の田税を準備した単子を下し、今全部減らせないとする。
○下寺社田?磨?(單字)〔單子〕曰: "寺社之?, 雖異端之事, 以其爲先王先后也。前有減半者, 又有專減者, 今不可盡減。"
●寺社田税の磨?単子を下していった、「寺社の税は、異端のことだが、先王先后のためだ。前に半減させたが、また専減もあるので、今、全部減らすことはできない。」
 
3971、
司憲府で李長坤の成川府使の叙任を悪いとし、尹寿千の罷職を求める。
○憲府啓曰: "李長坤, ?政超資, 不次擢用者, 欲使知邊事也。而還遞昌城, 臣等初未知所以, 未?論啓。今聞傳ヘ曰: "成川府使沈貞, 以人器不相當, 故遞之, 今長坤之改昌城, 亦猶是也。’臣等以爲不然。成川,内地無事, 而沈貞年少, 可用於朝廷者也, 昌城巨鎭, 而防禦最緊, 須使如李長坤任之, 可也。慈山郡守尹壽千, 憚其殘邑, 托故(窺)〔規〕免, 非止罷職。請推其由, 以防後弊。" 諫院亦以李希輔、李長坤事啓之, 皆不允。
●司憲府が奏上して言った、「李長坤は政事ごとに資(品階)を越え、順序無視で抜擢して使うのは、辺境のことを知らせようとしてだが、かえって昌城に替えるのは、臣等は初め理由が分からなくてすぐには論啓しなかった。今伝教を聞くと、「成川府使沈貞は、器が相当しなくて替えた、今、長坤を昌城に改めるのもやはりこれと同じだ。」と言う。臣等はそうではないとする。成川は内地で無事で、沈貞は年少だが朝廷で用いるべきものだ。昌城は巨鎮で防禦が最も緊要だ、当然李長坤のようなものを任ずるのがよい。慈山郡守尹寿千は、その疲弊した村を憚って事故に託してのがれようとした、罷職にとどまるものではない。その理由を推問して、後弊を防ぐことを求める。」司諌院も李希輔、李長坤のことを奏上したが、皆、允許しなかった。
 
3972、
司直康允禧、司猛崔亀寿、コ山監李修等が辛服義のことを奏上する。
○司直康允禧、司猛崔龜壽、コ山監修等, 詣政院啓曰: "允禧到龜壽之第, コ山監自外來曰: ‘吾弟廣興監俊, 謂近者被罪人等, 欲推戴寧山君, 而其事未著。’云。臣等聞此語, 不可隱忍, 故來啓。"【罪人指辛服義。】傳曰: "其問廣興監以啓。" 廣興監啓曰: "臣今朝到私奴金碩孫家, 利城君婢卵盞適來, 碩孫妻問曰:‘爾進賜【俗稱宗親曰進賜】之心, 今則何如?’
●司直康允禧、司猛崔亀寿、コ山監李修等が政院に参って奏上して言った、「允禧が亀寿の家に行き、徳山監が外から来て言った、「吾が弟の広興監李俊が、近ごろ罪せられた人等が寧山君を推戴しようとしたがそのことはまだ発覚していない。」と。臣等はこの話を聞いて、じっとしていられないので来啓した。」"【罪人は辛服義を指す。】伝教して言った、「広興監に尋ねて奏上せよ。」広興監が奏上して言った、「臣が今朝、私奴の金碩孫の家に着くと、利城君の婢の卵盞がたまたま来て、碩孫の妻が尋ねていった、「あなたの宗親【俗に宗親を進賜と言う】の心は、今、どうか。」
 
3973、
卵盞答曰:‘進賜, 當前日擾亂之時, 以問安詣闕, 令勿出去, 故婢未知安否也。且寧山君於前日, 疑必有擧名, 故裹頭長臥。’云。臣之所聞, 只此而已。" 傳曰: "コ山監初啓, 有推戴之語, 而廣興監初啓無此語, 何也? 其更問コ山監, 以啓。" コ山監曰: "臣弟廣興監, 初與臣語, 有欲立寧山君之?。廣興監不識字者也, 所謂‘欲立’者, 欲推戴也, 故臣以推戴之?, 啓之耳。今當下問之時, 廣興監年少愚癡者, 其心畏縮, 故未盡啓之。更問則可知矣。" 傳曰: "下コ山監、廣興監于禁府囚之, 明日牌招左議政朴元宗, 使之推鞫。"
●卵盞が答えて言った、「宗親は、前日の擾乱のときにあたって、問安で宮中に参上したが、出て去るのを禁じたので、婢は安否を知らない。また寧山君は前日、必ず挙名があるのかどうか疑ったので、頭を包んで長く臥していた。」臣が聞いたのはただこれだけだ。」伝教して言った、「徳山監の初啓では、推戴の語があるが、広興監の初啓ではこの語がない、どういうことだ。更に徳山監に尋ねて奏上せよ。」徳山監が言った、「臣の弟の広興監は、初め臣と語ったとき、寧山君を立てようとする説があった。広興監は文字を知らないのだ。所謂「立てよう」というのは、推戴しようということなので、臣は推戴の説を奏上したのだ。今、下問のときにあたって、広興監は若くて愚かで、心が畏縮したので、ことごとくは奏上できなかった。更に尋ねればわかる。」伝教して言った、「徳山監、広興監を禁府に捕らえて、明日、左議政朴元宗を牌招して推鞫させよ。」
 
3974、
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
八道が同日に捕盜することを三公に議論させると、皆、停止を求める。
○議八道同日捕盜事于三公。領議政柳洵議: "當今弊政之後, 民多失業, 民間騷擾之事, 一皆停斷, 惟令專務於農, 使不失時, 然後乃可。若使同日擧事, 則所在郡邑, 以疑似見捕, 囚係者必多, 疏理之間, 坐失農時。眞盜不可多得, 而平民受弊不貲, 政院議啓是也。況諸道監司、守令, 秘密措置, 其於見聞, 亦有驚駭之虞, 尤不可行。" 朴元宗、柳順汀之議, 亦同。傳曰: "三公之議, 皆同, 勿令八道同日搜捕, 別爲方略捕之。"
●八道が同日に捕盜することを三公に議論させた。領議政柳洵が議論した、「当今の弊政の後、民は多く失業した、民間の騒擾のことは、一たび皆、停断し、ただ農業に専念させ時機を失わせないようにし、そのあとあでするのがよい。もし同日に挙行したら、あるところの郡邑で、疑わしいことで逮捕され、囚係されるものが多く、疏理の間、みすみす農事を失う。本当の盗賊は多く得られず、平民の受ける弊害は多い。承政院の議啓が正しい。まして諸道の監司、守令は、秘密の措置が、見聞されて驚駭する恐れがあります。もっとも行うべきではありません。」朴元宗、柳順汀の議論も同じであった。伝教して言った、「三公の議論は皆同しだ。八道に命じて同日の搜捕をさせるな。別に方略をなして捕えよ。」
 
3975、
茂山、豊山の軍堡を移設する問題で咸境道都体察使宋軼に下教する。
○ヘ咸鏡道都體察使宋軼書曰:
愼固封(彊)〔疆〕, 以禦外侮, 王政之所急。漢列亭障, 唐置諸鎭, 皆所以備夷虜而守邊圉也。惟我北鄙, 與醜虜接壤, 彼其鷙悍禽獸之性, 固難以化懷而コ綏。常伺我隙, 侵掠我土地, 肆毒我赤子, 我之所以備禦之者, 寧可少忽哉? 故自我祖宗列聖, 未嘗不留意於此。
●咸鏡道都体察使宋軼に書を下教して言った、
慎んで国境を固めて外侮を防ぐのは、王政の急務だ。漢が亭障を並べ、唐が諸鎮を置いたのは、皆、夷虜に備え国境を守るためだった。ただし我が北辺は醜虜と境を接し、その鷙悍禽獣の性は、もとよりなつけて徳化させるのは困難だ。常に我が隙を窺い、我が土地を侵掠し、我が人民をほしいままに毒する。我が備禦の理由はそうして少ないだろうか。だから我が祖宗列聖以来、北に意を用いなかったことはない。
 
3976、
相山川度形勢審土地, 而爲之置鎭列堡, 以守之, 使内足以衛吾民, 而安於耕稼, 外足以禦彼虜, 而遏其寇暴。其初設也, 豈不反覆商量, 必欲宜于民而便乎守, 以爲永久之圖哉? 然勢與時異, 弊或生焉, 利害便否, 久而後定。如或害于民, 而妨于守者, 則有不容不改也。豐山、茂山兩堡, 守土之臣, 以爲不便于守而, 有害於民, 不可不移置, 廷臣之嘗見其地者, 則又議以爲不可。
●山川を相し、形勢をはかり、土地を察し、鎮を置き堡を並べて守り、内では我が民を守るに足らし、耕稼を安らかにすると、外は虜を防ぐに足り、その寇暴を抑えた。初めの設置では、どうして反覆商量し、必ず民と守りに便宜しし永久の計画をしないだろうか。しかし勢と時は異なり、弊害が或いは生じ、利害便否は久しい後に定まる。もしあるいは民と守りに害があれば、改正を認めざるを得ないことがある。豊山、茂山の両堡は土地を守る臣が、土地を守るに不便で民に害があり移置せざるを得ないとする。廷臣がかつてその地を見ると、また議論して不可とした。
 
3977、
甫乙下堡, 舊所廢也, 亦豈無其意? 而今之言者, 又以爲不可不復。嗚呼! 廢置沿革, 重事也, 不可以一人言而建, 不可以一人言而廢。苟爲便利, 又不可重變更, 而不爲處置也。卿志氣宏毅, 識慮洪深, 有文武之才, 經遠之略, 能爲國家, 決大策定大計, 無踰於卿。特遣卿往巡邊?, 以定二者之策。卿其往哉, 審利害察便否, 可移則移之, 可復則復之, 務在擇民利, 而便防守。
●甫乙下堡は昔廃されたところで、またどうしてその意図がないだろうか。しかし今の発言では、また復旧せざるを得ないとする。ああ、廃置の沿革は重大なことで、一人の発言で建てることも廃することもできない。仮に便利だとしても、また重ねて変更することも、処置しないことも出来ない。卿は志気が宏毅で、識慮が深く、文武の才や、経遠の策略があり、よく国家のために、大策を決め大計を定めること、卿にこえるものはない。特に卿を派遣して辺境を往巡して二つの策を定める。卿よ行って、利害を審査し便否を察して、移すべきは移し、復旧すべきは復旧せよ。任務は民利を選び防守に便なるにある。
 
3978、
庶幾建萬世長久之計, 使邊圉永固, 兇虜莫犯, 不亦偉哉? 況北道經近年昏政之後, 民生倶困, 軍需不裕, 士馬不精, 兵器不?, ?備之事, 必多踈虞, 其竝咨訪檢括, 詳議蘇民實邊之策, 以啓。許卿便宜從事, 如有違卿節度者, 通政以下, 任卿處斷。於戲! 以定以匡, 予欲修宣王之政, 于襄于夷, 卿可(免)〔?〕南仲之績。故?ヘ示, 想宜知悉。
【禮曹正カ金安國製。】
●万世長久の計画を建て、辺境を固くし、兇虜に犯させないように願うのは、また偉大ではないか。まして北道は近年の昏政の後を経て、民生は共に困難で、軍需は豊かでなく、士馬は精鋭でなく、兵器は鍛えられていず、防備のことは必ず多く粗漏があるから、等しく巡察して調べて総括し、民を蘇生させ辺境充実の策を詳しく議論して奏上せよ。卿が便宜に従事することを許可し、もし卿の節度に違反する通政以下があれば卿の処断に任す。ああ。天下を定匡し、予は宣王の政を修めようとする。襄夷においては、卿は南仲の成績を免れようか。それでここに教示する。想って知悉すべきだ。
【礼曹正カ金安国が製した。】
 
3979、
中宗4年(1509年)1月22日(乙卯)
朝講で李長坤の昌城副司直叙任の問題、倭変を防ぐ方策などを議論する。
○乙卯/御朝講。掌令尹希仁論啓前事, 獻納柳思敬, 亦以李長坤、李希輔事啓之。領事宋軼曰: "長坤超擢其秩者, 欲早知邊事, 而又將爲節度使也。臣爲平安道觀察使, 其道之事, 粗嘗知之, 今長坤雖授昌城, 其他地界, 必不周知。若使爲(虞侯)〔虞候〕, 通行於水上水下, 則賊路要害, 無不知之。"
●乙卯、朝講に出た。掌令尹希仁が以前のことを論啓した。献納柳思敬が、また李長坤、李希輔のことを奏上した。領事宋軼が言った、「長坤がその秩を越えて選ばれたのは、早く辺境のことを知るようにさせ、また節度使にしようとしたからだ。臣は平安道観察使となって、その道のことは、あらかたかつて知った。今、長坤は、昌城を授かったが, その他の地界は、必ず周知していない。もし虞候をさせて、水上水下を通行させれば、賊路の要害を知らないことはないようになる。」
 
3980、
上曰: "超陞李長坤者, 將爲邊將也。然昌城於長坤, 恐未相當, 故遞之。後有可當之職, 則當?敍之。" 特進官尹c曰: "臣爲慶?道觀察使, 遍觀沿海諸郡。鎭海一縣, 土地不廣, 人民鮮少, ?有變故, 勢難禦之。若革之爲僉使、萬?之所, 則常設備禦, 而關防必不踈虞矣。不然則以武臣爲守令, 率軍官爲備敵之所可也。
●王が言った、「李長坤を超陞させたのは辺将にしようとしたのだ。しかし長坤は昌城は適当ではないので交代させた。後に適当な職があればすぐに叙任しよう。」特進官尹cが言った、「臣は慶尚道観察使だったとき、沿海の諸郡をあまねく見た。鎮海一県は土地が広くなく、人民が少なくて、もし変事があると、勢いとして防ぎにくい。もし廃止して僉使、万戸の所管にすれば備禦を常設し、関防は必ずおろそかになる怖れがない。そうでないなら武臣を守令とし、軍官を率いて敵に備えるところにするのもよい。
 
3981、
近者加コ島, 有殺人者, 此必薺浦倭人所爲也。倭人累爲邊患, 不可不備。臣意以爲南海、巨濟、東?等沿海列邑軍卒, 則仍留防戍, 以聞慶、咸昌等上道軍士, 遞番上京, 則邊軍自爲防戍, 而番上者亦便於往來矣。前者已啓此意, 而兵曹以爲不可。臣意以爲, 邊民與倭雜處, 伺(侯)〔候〕動息, 不至畏縮, 故可使應變, 若上道軍民則不然, 萬一有變, 則奔竄不暇, 將何以禦之?" 上然之。
●近ごろ加徳島で殺人者がいたが、これは必ず斉浦の倭人のしわざだ。倭人はしばしば辺境の患をなすから、備えないわけにはいかない。臣の意では、南海、巨済、東?等の沿海の村軍卒を、そのまま留めて防戍し、聞慶、咸昌等の上道の軍士を遞番で上京させれば、自然と辺境軍は防戍をなし、番上するものも往来に便だ。前に既にこの意を奏上したが兵曹は不可とした。臣の意では、辺境民と倭人が混じって暮らし、動静を窺えば、畏縮に至らないので変に応じられる。上道の軍民のようなのはそうでなく、万一変があると、逃げ去るのに暇がないので、どうやって防ごうか。」王はそうだとした。
 
3982、
鏡城判官金胤文が替えられて還ってきたら本職を超越して除授せよ。
○傳曰: "鏡城判官金胤文, 銓曹已擇差, 其遞還也, 超本職除授。"
●伝教して言った、「鏡城判官金胤文は銓曹がすでに択差したが、交替で還ったら、本職を超えて除授せよ。」
 
平安道虞候呉堡は李長坤と替え差任せよ。
○傳曰: "平安道(虞侯)〔虞候〕?堡, 與李長坤換差。"
●〔省略〕。
 
広興監とコ山監との言葉が相違するので推問せよ。
○傳曰: "廣興監所言, 無推戴之語, 而コ山監言之。別有所聞乎, 更詳推之。"
●伝教して言った、「広興監の言葉には「推戴する。」という言葉がなかったのに徳山監は言った。別に聞いたのがあったのかまた詳しく推問せよ。」
 
3983、
司憲府が体察使宋軼を咸境道に送らないようにと言ったが允許しない。
○憲府啓曰: "近來咸鏡一道, 殘弊太甚, 今體察使之行, 必加騷擾。況去二年, 穀粟不登, 民多窮困, 大臣之行, 豈其時也。高荊山, 久在其道, 幾至十年, 柳?年, 亦以名將, 詳知邊事, 其所計料, 必無錯謬。雖使宋軼往見, 不過高荊山、柳?年二人之意。且山川形止, 賊路要害, 豈可一見而周知?
●司憲府が奏上して言った、「近頃咸鏡一道は残害がひどく、今、体察使が行くと、必ず騷擾を加える。まして去る二年穀粟は稔らず民は多く窮困している。大臣が行行くのはどうしてその時であろうか。高荊山は久しくその道に在って、十年に近いし、柳?年も名将として詳しく辺境のことを知っている。その計料するところは、必ず間違いがない。宋軼を行かせてみても、高荊山、柳?年二人の意以上のことはない。また山川の形状、賊路の要害は、どうして一見でみな分かるだろうか。
 
3984、
臣等以爲, 以高荊山, 柳?年書?, 示知邊事大臣, 商度計議, 朝廷當取舍耳。且使宋軼, 往巡六鎭, 凡大臣之行, 入六鎭, 則城底野人, 皆來謁見, 其饋餉之費, 將使民間, 鷄犬一空, 其弊不貲。臣聞高荊山, 亦謂朴元宗曰:‘本道今方雪塞, 三月晦間, 當消盡。宋軼之行, 適丁其時, 則頗有妨於農事。’云。請勿遣體察使。振威縣令丁三山, 前任全州判官, 嚴刑峻法, 又善事人。全州號稱富盛, 一經三山, 蕩盡無餘。請速遞之。" 又啓前事, 諫院亦啓李希輔事, 竝不允。
●臣等が思うに、高荊山、柳?年を、辺境の事を治める大臣に示して、商度計議させ、朝廷が取舍するべきだ。また宋軼に六鎮を往巡させると、およそ大臣の行くのが六鎮に入ると、城下の野人が、皆、謁見に来てその食費が、民間に鶏犬が全部無くなるようにさせ、その弊害は少なくない。臣が聞くところ高荊山は、また朴元宗に言った、「本道は、今、まさに雪で塞がっている、三月の末頃消え尽くすだろう。宋軼の行くのを丁度その時に合わせれば、大変農事に妨げがある。」と。体察使を送らないように求める。振威県令丁三山は、前に全州判官に任じて、厳刑峻法で、またよく人に仕えた。全州は富盛を称号するが、一たび三山を経ると、蕩尽してあますところがない。速やかな交替を求める。」また以前のことを奏上し、司諌院も李希輔のことを奏上したが、みな允許しなかった。
 
3985、
左承旨韓世桓が康允禧等を推問して来て皆捕らえることになっていないと奏上する。
○左承旨韓世桓, 往推康允禧等于禁府, 復命曰: "康允禧、崔龜壽等, 聞コ山監之言, 有關宗社故來啓。且婢卵盞等言, 似有推立之語, 然皆幼稚迷劣, 不可取實。コ山監, 初不知辛服義推辭, 有寧山君之語, 故聞廣興監之言, 驚駭來啓, 亦不可謂之非矣。" 傳曰: "竝置勿推。"
●左承旨韓世桓が往って康允禧等を義禁府で推問して復命して言った、「康允禧、崔亀寿等が、徳山監の言を聞いて宗社に関することがあるので来啓した。また婢の卵盞等の言では推立の語があったようだが、皆、幼稚迷劣で、事実を取ることは出来ない。徳山監は、初め辛服義の推辞を知らず、寧山君の語があったので、広興監の言を聞いて、驚駭して来啓したので、また非とは言えない。」伝教して言った、「みなそのままにして推問するな。」
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
○以李?爲議政府左參贊, 尹金孫爲右參贊, 李繼孟爲京畿觀察使, 韓亨允爲同知中樞府事。
●〔省略〕。
 
3986、
中宗4年(1509年)1月23日(丙辰)
朝講で司諌尹耕等が李希輔の交替、宋軼の派遣停止を求める。
○丙辰/御朝講。司諫尹耕曰: "李希輔, 卑?辨給人也。其在廢朝, 與゙繼衡, 最爲寵幸, 時人目之曰:‘内各氏。’【俗號婦人謂各氏, 言阿意曲從, 猶宮中嬖妾也。】延曙察訪, 非他道比也, 豈可以希輔, 任此職乎?" 掌令李自華, 以宋軼之行, 爲不可曰: "當廣收群議。"領事成希顔曰: "臺諫, 以民弊啓之, 然移堡事, 或曰可, 或曰不可, 終無歸一之論。大凡擧大事, 則不計小弊。" 上曰: "宋軼之行, 業已定之。李?、田霖, 雖以爲不可, 然不得已往見, 故已令遣之耳。" 自華又論啓前事, 皆不允。
●丙辰、朝講に出た。司諌尹耕が言った、「李希輔は下品でへつらい、口先のうまいひとだ。廃朝にあって、゙継衡とともに最も寵幸され、時の人は目して「内各氏。」と言った。【俗に婦人を号して各氏という、阿意曲従してまるで宮中の嬖妾のようだという意味だ。】延曙察訪は他道の比ではない、どうして李希輔をこの職に任ずるのか。」掌令李自華は、宋軼の行を不可として言った、「広く群議を収めるべきだ。」領事成希顔が言った、「台諌は民の弊害を奏上したが、移堡のことは或いは可と言い、或いは不可と言って、遂に帰一する論がない。だいたい大事を行うには小弊は数えない。」王が言った、「宋軼の行はすでに決まった。李?、田霖は不可とするが、やむを得ず往見するので、既に派遣させたので。」自華がまた前のことを論啓したが、皆、允許しなかった。
 
3987、
○御晝講。
●〔省略〕。
 
司憲府が宋軼を派遣しないことと、三山のこととを議論する。
○憲府啓曰: "請勿遣宋軼, 以本道監司啓本, 廣收群議處置。" 且論丁三山事。諫院亦啓丁三山、李希輔事, 皆不允。
●司憲府が奏上して言った、「宋軼を派遣せず、本道の監司の奏上本で、広く群議を収めて処置することを求める。」また丁三山のことを議論する。司諌院も丁三山、李希輔のことを奏上したが、皆、允許しなかった。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
3988、
中宗4年(1509年)1月24日(丁巳)
朝講で宋軼のこと、倭人の倭料、文臣の試射、京城の軍卒素服、塩分問題を議論する。
○丁巳/御朝講。執義朴光榮, 請勿遣宋軼。特進官洪景舟曰: "近者邊境無虞, 數年晏然, 然危生於安, 患生所忽。宋軼之行, 雖似有弊, 邊鄙之事, 不可不往審。且兩界, 則城?野人, 貪戀國恩, 聽順於我, 邊將視如吾民, 其勢易制。南方則不然, 三浦倭人, 古稱腹心之疾, 少有變故, 則邊將匿不以聞, 以其有罪也。倭人亦知此意, ?掠無時。
●丁巳、朝講に出た。執義朴光栄が宋軼を派遣しないことを求める。特進官洪景舟が言った、「近ごろ辺境は危険がなく、数年平安だ。しかし危険は安泰時に生じ、患難はいい加減なところに生じる。宋軼の行は弊害があるようだが、辺境のことは往審しないわけにいかない。また両界は、城下の野人が国恩を貪恋して我が国に聴順し、辺将も吾が民を見るようで、勢い制御しやすい。南方はそうではなく、三浦の倭人は、古く腹心の病と称し、少し変故があると、辺将は隠して奏聞しないが、それは罪になるからだ。倭人もこの意を知り、劫掠がしょっちゅうだ。
 
3989、
近者熊川, 有殺人者, 此亦大患。倭料, 亦以慶?道 星州以下穀輸給, 又量其船隻大小, 所遺不貲, 其道所儲之穀殆盡。今後則不得已轉給星州以上之穀, 薺浦七百餘石, 釜山浦亦不下五百餘石, 臣恐將不能支矣。且文臣試射, 成宗朝故事, 而廢朝亦爲之, 欲使知武事也。在成宗朝, 以文臣善射者, 職兼宣傳官, 將欲爲儒將也。故柳順汀、成希顔、柳濱、申用漑, 亦參試射。今亦豈無其人? 然文臣善射者少, 不必多抄。"
●近ごろ熊川に、殺人者があったが、これも大患だ。倭料は、また慶尚道星州以下の穀を輸給するが、また船隻の大小を量って送るのは少なくなく、その道の備蓄の穀物はほとんど尽きた。今後はやむを得ず星州以上の穀類を転給するが、薺浦の七百余石、釜山浦もまた五百余石を下らず、臣は支給出来ないだろうことを恐れる。また文臣の試射は成宗朝の故事で、廃朝もなしたが、武事を知らせようとしたのだ。成宗朝にあっては、文臣の善射するもので、職は宣伝官を兼ねたが、儒将にしようとしたのだ。だから、柳順汀、成希顔、柳浜、申用漑も、試射に参加した。今またどうしてその人がないだろうか。しかし文臣の善射する者は少なく、必ずしも多く選ぶことはない。」
 
3990、
參贊官成夢井曰: "臣曾爲咸鏡道評事, 粗知北方之事。近者鏡城判官, 死者非一, 又失農, 故殘弊太甚, 以秩高文臣, 擇差甚善。然臣以爲雖擇人差之, 蘇復似難。其處軍卒, 屬營者多, 屬府者少。蓋營人役歇, 府人役重, 故皆欲屬營, 而府人類皆貧殘, 雖欲蘇復, 得乎? 前者高荊山, 定營中立役者六百餘人, 餘皆屬府, 今亦營中任事人外, 一皆屬府, 毋使托營, 則自然蘇復矣。
●参賛官成夢井が言った、「臣はかつて咸鏡道評事になって、だいたい北方のことは知っている。近ごろ鏡城判官では、死者は一人ではなく、また農を失い、それで残弊が甚だひどい。秩の高い文臣をえらんで差遣するのが甚だ善い。しかし臣が思うに、人を選んで差遣しても、復興はむつかしいようだ。そこの軍卒は、属営のものが多く、属府のものは少ない。おそらく営人の役は軽く、府人の役は重い。それで、皆、属営を欲するが、府人の類は、皆、貧残だ。復興しようとしてもできるだろうか。前に高荊山は、定営中の立役者六百余人を定め、余は、皆、属府とした。今また営中の事を任せた人以外、一切皆属府にして、営に託さなければ、自然に復興するだろう。
 
3991、
且北方濱海, 而難於煮鹽者, 鹽釜一破, 則民不能備, 而六鎭收?, 亦多故也。野人雖職至中樞僉知者, 親自爭鹽, 鹽之貴如此。六鎭則多材木, 可易煮鹽。能使民間, 備鹽釜, 而ェ官?, 則民多煮鹽。以此數事, 諭諸體察使, 竝使措置。何如?"
●また北方の海岸で、塩が煮にくいのは、塩釜が一度毀れると、民は新調できなくて、六鎮の収税も多いからだ。野人は職が中枢僉知に至ったものでも、自ら塩を争うので、塩の高いのはこのようだ。六鎮は材木が多く、塩が煮やすい。民間に釜をよく新調させて官税をゆるくすれば民は多く塩を煮る。この数箇条を諸体察使に諭して、皆、措置させたらどうか。」
 
3992、
塩盆、鏡城軍卒が営に所属した問題、は体察使に任せ、文臣試射を承諾する。
○傳曰: "都承旨成夢井所啓鹽盆事, 與鏡城軍卒, 皆屬營等事, 令體察使措置。文臣試射, 擇其善射者耳, 不須多也。"
●伝教して言った、「都承旨成夢井が奏上した、塩盆のことと、鏡城軍卒は、皆、営に属した等のことは、体察使に措置させる。文臣試射は、そのよく射るものを選ぶだけだ。多くはいらない。
 
○臺諫啓前事, 皆不允。
●〔省略〕。
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
○太白晝見。
●〔省略〕。
 
3993、
中宗4年(1509年)1月25日(戊午)
○戊午/受朝參。
●〔省略〕。
 
○御朝講。持平申?、正言南褒, 論啓前事, 皆不允。
●〔省略〕。
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
○太白晝見。
●〔省略〕。
 
兵曹で、高原、文川及び六鎮の入居の便宜を体察使、観察使が議論して奏上することを求める。
○兵曹啓: "高原、文川及六鎭等處, 入居便宜, 令今去體察使, 與觀察使, 同議以啓。" 從之。
●兵曹が奏上して言った、「高原、文川及び六鎮等のところの入居の便宜を、今度行く体察使に命じて観察使と一緒に議論して奏上するようにさせる。」従った。
 
3994、
南訥、?知介、伊時羅等の妻子を野人に返すように命ずる。
○命還南訥、?知介、伊時羅等妻子。先是城?野人等, 謀還撫夷堡人物, 虜?知介妻子而來, ?知介、伊時羅等, 果刷還撫夷堡軍士崔守江, 求其妻子。至是兵曹請還送, 從之。
●南訥、?知介、伊時羅等の妻子を返すように命じる。これより先、城下の野人等が、撫夷堡の人物を返すようにさせようと図り、?知介の妻子を捕虜にして来た。?知介、伊時羅等は、果たして撫夷堡の軍士崔守江を刷還(捕虜の送還)してその妻子を求めた。そこで兵曹は還送を求めた。従った。
 
対馬島主宗杙盛が特に貞長を送ってくる。
○對馬島主宗杙盛, 特遣貞長來。
●〔省略〕。
 
3995、
中宗4年(1509年)1月26日(己未)
○己未/御朝講。
●〔省略〕。
 
承政院に、銓曹での守令の人選に慎重を期せよと、伝教する。
○傳于政院曰: "京外官吏, 須皆擇差, 而尤當謹於守令。若用非人, 則不饒事, 曾已諭之, 近者臺諫論啓者多, 此亦銓曹不擇差之故也。人才雖曰有限, 亦當擇用。今判書受任未久, 其曉予意, 使勿如是。且六鎭守令, 文武交差, 已有其法, 然不可以殘劣者差之。尤加愼擇。"
●承政院に伝教して言った、「京外の官吏は、皆、択差すべきだが、守令は最も慎重であるべきだ。もしふさわしくない人を用いたら、許さないということは、かつてすでに諭したが、近頃台諌の論啓するものが多い。これも銓曹が択差しないからだ。人才は限りがあると言っても、また択用すべきだ。今、判書は受任して長くないが、予の意を理解して、こうならないようにせよ。また六鎮の守令は、文武が混じるのは、すでにその法があるが、しかし残者を差遣してはならない。もっとも慎重に選択せよ。」
 
3996、
朝講で記事官鄭熊が人君が鳩を育てると思い、追い払えと言う。
○御朝講。記事官鄭熊曰: "聞殿屋上, 有家鴿之聲。鴿, 邪慝之物, 畜於私家, 猶不可, 況宮禁乎? 請去之。" 傳于政院曰: "鄭熊去鴿之語, 無乃以予爲觀玩耶? 山鳩自來自育, 何能去之?"【熊聞鳩聲, 意上所畜有是啓。一時皆笑】
●朝講に出た。記事官鄭熊が言った、「殿の屋根に家鴿の鳴き声があるのを聞く。鴿は邪慝(邪悪)のもので、私家で飼うのも不可だが、まして宮中では尚更だ。追い払うのを求める。」承政院に伝教して言った、「鄭熊の鴿を追い払えと言う語は、予が観玩のためにするということなのか。山鳩が勝手に来てかってに育つのを、どうして追い払えるのか、」【熊が鳩の声を聞いて、王が飼っているのだと思い、この奏上があった。一時に皆笑った】
 
3997、
吏曹判書申用漑、参判朴説、参議崔?が銓曹で人選を間違ったので伝教に待罪する。
○吏曹判書申用漑、參判朴?、參議崔?啓曰: "臣等聞上ヘ, 銓曹不能擇人, 臣等不勝惶恐, 待罪。" 傳曰: "近者臺諫, 以守令不合者, 紛紜駁劾, 此必銓曹不能擇用故也。自今後宜擇用, 勿待罪。"
●吏曹判書申用漑、参判朴説、参議崔?が奏上して言った、「臣等は上教を聞いたが、銓曹は人を択ぶことができない、臣等は惶恐に堪えないので待罪する。」伝教して言った、「近ごろ台諌が、守令の不適格者を紛紜駁劾するのは、必ず銓曹が択用できなかったからだ。今後はよく択用せよ、待罪するな。」
 
○臺諫啓前事, 皆不允。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
○慶?道 知禮縣, 地震。
●〔省略〕。
 
3998、
中宗4年(1509年)1月27日(庚申)
常参を受けて朝啓を聴く。朝講で李希輔、丁三山、鏡城に綿布を支給すること等を議論する。
○庚申/受常參, 聽朝啓, 仍御朝講。司諫尹耕, 以李希輔、丁三山事啓之。掌令李自華, 極論巡邊使不可遣之意, 且曰: "鏡城府庫, 今已蕩盡, 須下送緜布貿穀, 以充官倉。" 又以丁三山事啓之。上曰: "李希輔, 前已被罪, 可以懲艾, 不可永棄也。"
●庚申、常参を受け朝啓を聴き、朝講に出た。司諌尹耕が、李希輔、丁三山のことを奏上した。掌令李自華が巡辺使は遣るべきではないという意見を極論し、また言った、「鏡城の府庫は、今すでに蕩尽した綿布を下送して穀物と交換させ官倉を充たすべきだ。」また丁三山のことを奏上した。王が言った、「李希輔は以前既に罪せられ懲戒できるから、永久に棄てられない。」
 
3999、
穀物を売るのは戸曹に問い合わせ、鏡城の蘇復の策は後日議論せよと伝教する。
○傳曰: "貿穀事, 其問諸?曹, 鏡城蘇復之策, 後日收議時, ?議之。"
●〔省略〕。
 
掌楽院正李元成が、提調の意として、姿色があって贖身す女妓の立役を求める。
○掌樂院正李元成, 將提調意啓曰: "有姿色成才女妓, 雖贖身者, 進豐呈及?樂時, 則依前受ヘ, 使立役。" 傳曰: "凡公賤贖身者, 不可立役矣。今掌樂院稱姿色, 以法外事來啓, 提調豈知之? 必カ官告提調, 使之入啓, 速推以啓。"
●掌楽院正李元成が提調の意として奏上して言った、「姿色があって伎芸が成った女妓はたとえ贖身になった者としても、進豊呈及び閲楽時には以前の受教によって立役させるように。」と。伝教して言った、「だいたい公賎として贖身したものは立役させられないが、今、掌楽院で姿色を称して法外の事を来て奏上するが、提調はどうして知らないのか。これは必ずカ官が提調に告げて入啓させたのだから、速く推問して奏上せよ。」
 
4000、
姿色にをかこつけて王の歓心を考えた掌楽院の郎官を推問させる。
○傳曰: 掌樂院カ官, 已令推之矣。頃在廢朝, 興C之類, 多入内者, 廢主常於豐呈見之, 知其某有色某有才, 因此生心。當時提調者, 亦非也。今掌樂院, 以法外事來啓, 此必托以豐呈, 常欲使之也。提調聞カ官之言而啓之, 政院不防啓, 亦甚不可。稱姿色, 欲入諸近君之地, 務欲取ス, 以此意下禁府推之。" 政院待罪曰: "其初入啓時, 臣等未及計料, 今聞上ヘ, 乃知掌樂院之失也。上ヘ至此, 乃國家之福也。 非但今日, 將以戒後世也。"
●伝教して言った、「掌楽院カ官はすでに推問させた。前に廃朝は、興清の類が多く入内したが、廃主は常に豊呈で見て、だれは美人で、だれは才能があるということを知って、それで淫蕩な心が生じた。当時の提調も非があった。今、掌楽院が法外のことで来て奏上した、これは必ず豊呈に託して、常に使おうとするのだ。提調はカ官の言を聞いて奏上したが、政院が奏上を防がなかったのは、甚だ善くない。姿色を称して王の近くに入れ、歓心を取ろうと努めた、そのことで禁府に下し推問せよ。」政院が待罪して言った、「その初め入啓のとき、臣等は考えが及ばなかったが、今、王の示教を聞いて掌楽院の誤りであるのを知った。王の示教がここに至ったのは、国家の福だ。今日だけでなく、後世も戒めるであろう。」
 
4001、
辺境守領の贅沢を禁止せよと平安道、咸境道観察使及び節度使に下諭する。
○下諭于平安、咸鏡觀察使節度使曰: "邊方守令, 不專意武事, 而徒?侈靡, 其所致意者, 飮食器皿之間。費其價, 載輸于京, 本土不産磁器等物, 無不貿去, 誇張過客, 自以爲能。 任黜陟者, 亦視爲常事, 恬不譴責, 其弊不貲。卿悉此意, 嚴加禁斷, 痛革此弊, 使之專委武事。"
●平安、咸鏡の観察使、節度使に下諭して言った、「辺境の守令は、武事に専念せず、いたずらに贅沢を貴び、意を致すのは、飮食と器皿にある。その値を費しソウルに積んでは媚び、本土が産しない磁器等のものを買い去らないことはなく、過客に誇って、自ら有能と為す。黜陟に任ずるものも、常のことと見なして、恬として譴責しないから、その弊害は少なくない。卿はこの意をよくわきまえ、厳しく禁断を加え、厳しくこの弊害をなくし、武事に専念させよ。」
 
4002、
台諌が前の事を奏上する。司憲府で松禾県監李條昌を替えることを求める。
○臺諫啓前事, 憲府又啓: "松禾縣監李條昌, 人物殘劣, 且於駕前呈上言, 欲參原從功臣, 大壞士風, 請遞之。" 皆不允。
●台諌が前の事を奏上し、司憲府がまた奏上して言った、「松禾県監李條昌は人物が残劣で、また駕前で上言を呈し、原従功臣にお参加しようとし、大いに士風を壊した。替えることを求める,」皆允許しなかった。
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
4003、
中宗4年(1509年)1月28日(辛酉)
朝講で、領事朴元宗が、贖身した女妓の立役問題で有司を入獄させることはない、という。
○辛酉/御朝講。領事朴元宗曰: "贖身女妓立役事, 非自廢朝始, 祖宗朝已然。若廢女樂則已, 不爾則不可以陋?者入侍。豐呈雖有姿色, 自非廢朝, 豈至生心? 爲有司者, 慮其司事?踈, 不得不啓。其有意務ス, 非所啓本意, 罪不至下獄。"
●辛酉、朝講に出た。領事朴元宗が言った、「贖身女妓の立役のことは,廃朝から始まったのではなく祖宗朝ですでにそうだった。もし女楽を廃したのならそれまで、そうでなければむさくるしいものを入侍させられない。豊呈は姿色があったとしても、おのずから廃朝ではないのだから、どうして乱れた心に至ろうか。有司になったら、その役所のことの虚踈を思慮しなければならないので、奏上しないわけにはいかない。意のある務スだというのは奏上の本意ではないから、罪は下獄には至らない。」
 
4004、
台諌が前の事を奏上するので。丁三山, 李条昌を替えよと伝教する。
○臺諫啓前事, 傳曰: "丁三山性殘暴不可治民云, 李條昌駕前上言。此愚惑無ョ之徒所爲, 皆遞之。"
●台諌が前の事を奏上するので、伝教して言った、「丁三山は性格が残暴で民を治められないといい、李条昌は駕前で上言した。これは愚惑で無頼の徒のすることだ、皆替えよ。」
 
端川で銀を採掘するのに1年間の国用に合わせて採取せよと伝教する。
○傳于政院曰: "端川採銀之弊, 非偶然。私自採取, ?入中國, 罪雖重而利亦重, 故禁之不止, 此深可慮。 其擇文官最有名望者差遣, 其令工曹, 計一年國用之數採取, 勿令加數濫採。"
●承政院に伝教して言った、「端川の採銀の弊は偶然ではない。私的に採取して中国に持って行く。罪は重いが、利も重いので、禁じても止まない。これは深く憂慮すべきだ。最も名望のある文官を選んで派遣し、工曹に命じて、一年の国用の数を計って採取し、数を増やして乱掘するのは止めさせよ。」
 
4005、
経筵の時、左議政が女伎立役問題で言ったことは軽重を知らないのだと伝教する。
○傳曰: "昨日命推掌樂院官員者, 予意廢朝, ?以聲色自?, 今掌樂院, 托以祖宗朝故事, 稱有姿色, ?請用於進豐呈, 此甚不當。今朝經筵, 左議政言:‘祖宗朝亦取姿色而不?。’此在上無欲而已, 是可慙之言也。祖宗朝承傳, 雖曰:‘姿色成才。’云。此亦有司一時偶然計料者也, 在後嗣, 不必援以爲例。
●伝教して言った、「昨日命じて掌楽院の官員を推問させたが、予の意は、廃朝は既に声色で自ら楽しんだが、今、掌楽院が、祖宗朝の故事に託して、姿色があると称して進豊呈に使うのを強請するのは、甚だ不当だ、ということだ。今朝の経筵で、左議政が言った、「祖宗朝も姿色を取ったが、楽しまなかった。」と。これは王が無欲だったと言うことだが、これは恥ずべき言だ。祖宗朝の承伝に、「姿色成才。」とはいうが、これも有司が一時的に偶然計料したことだ。後嗣にあって必ずしも例として引くことではない。
 
4006、
其曰, 罪不至下獄, 左相權衡輕重, 未可知也。在今日三公之道, 不當致意於此等事也。" 政院啓曰: "上ヘ允當。此非止一時, 當垂範萬世之法言也。第其推考傳旨云, 取ス於此, 今日在下, 豈欲爲取ス之事也?"
●その「罪は下獄に至らない」というのを、左相が権衡の軽重を知らないのだ。今日にあって三公の道は、これらのことにまで意を致すべきではない。」承政院が奏上して言った、「王の示教はまことに穏当だ。これは一時に止まるものではなく万世に垂範すべき法言だ。
その推考の伝旨を、王の歓心を買うと思ったが、今日、下にあるものが、どうして歓心を買うものとするだろうか。」
 
4007、
中宗4年(1509年)1月29日(壬戌)
朝講に出る。正言南褒が李希輔の事を議論する。
○壬戌/御朝講。正言南褒, 論李希輔事, 上曰: "李希輔正科出身, 可任以事者也。"
●壬戌、朝講に出た。正言南褒が李希輔のことを議論し、王が言った、「李希輔は正科出身で事が任せられる。」
 
掌楽院郎官を時推で照律せよと伝教する。
○傳曰: "觀禁府推案, 掌樂院提調, 亦預知之也, カ官慮其司事?踈, 而來啓, 似非取ス。然姿色稱云, ?請啓之, 則不遠於取ス也。固當刑推定罪, 其以時推照律。"
●伝教して言った、「義禁府の推案を見ると、掌楽院の提調もあらかじめわかることで、カ官がその役所の虚踈を配慮して来啓したというのは歓心を買おうとしたのではないようだ。しかし姿色を称して言って強請して奏上した、歓心を買うのと違わない。もとより刑推して定罪すべきだ、時推して照律せよ。」
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
4008、
学宮の奴婢の減少、?水の公知占有に関する太学生元胤宗等の上訴。
○(大學生)〔太學生〕元胤宗等上疏, 略曰:
國學, 首善之地, 風化之源, ?代帝王, 咸以是爲重。迄至麗季, 學校?廢, 文成侯安裕, 慨然以扶植斯文爲念, 以其世業臧獲, 施納國學。國朝自祖宗以來, 專委文廟之享, 師生之養, 不役於他。近年來奴隷, 娶公私婢爲妻, 故其生産日繁, 而學宮奴婢, 日益減縮, 誠非細故。
●太学生元胤宗等の上疏の概略:
国学は首善の地(教化の始)、風化の源で、歴代の帝王は、皆これを重んじた。高麗末期にいたって学校は頽廃し、文成侯安裕は慨嘆し、斯文を扶植することを念とし、その世業と臧獲を国学に施納した。国朝は祖宗以来もっぱら文廟の享、師生の養を任せて他にやらせなかった。近年、奴隷が公私の婢を娶って妻とするので、その生産は日に盛んだが、学宮の奴婢は日に益々減縮するが、誠に些細なことではない。
 
4009、
?水東北, 皆是學宮之地, 故許於隙地造家, 以便服役, 其娶公私之婢者, 視爲己物, 或父死子繼, 或轉賣於他。此厥不禁, 則學舍之傍, 將盡爲他有, 而學宮奴婢, 反無可居之地, 皆散居於遠。往來供役之際, 必致稽緩, 或不堪其役, 則將逃散, 而不可救。今學舍之旁, 爲他人有者, 悉推還之, 學宮奴娶公私賤之産, 許屬學宮, 則非特於斯文幸甚, 亦可慰文成於百載之下矣。
命下該曹。
●?水の東北は、皆、学宮の地だから、隙間に家を造ることを許可し、それで、仕事に就くのに便利にしたが、公私の婢を娶るものは、自分のものと見なして、或いは父が死んで子が継ぎ、或いは他に転売する。これを禁じないと、学舎も傍はことごとく他人の所有になり、学宮の奴婢は、かえって住める土地がなくなり、皆、遠くに散居する。往来供役の際、必ず遅くなり、或いはその役に堪えないと逃散して救えなくなるだろう。今、学舎の傍で他人の所有となっているものは、皆、還収し、学宮の奴が公私の賎民を娶って産んだ子は学宮に属するのを許せば、ただ斯文に幸甚であるだけでなく、また文成を百年後にも慰められよう。
該曹に下すよう命じた。
 
4010、
中宗4年(1509年)2月1日(癸亥)
朝講で、p隷、羅將の苦役に対する救済策を議論する。
○癸亥朔/御朝講。大司憲安?曰: "p隷、羅將之役甚苦, 全家逃散, 則禍及一族, 朝廷計無所出, 議以京軍士保人充定矣。然保人則數少, p隷、羅將數多, 豈足充數? 若刷出各品京中伴人, 則可充數也。" 獻納柳思敬曰: "p隷、羅將, 居外方者, 若富實, 則勿換定, 加給率丁一人亦當。"
●癸亥朔、朝講に出た。大司憲安?が言った、「p隷、羅将の役が甚だ苦しく、全家が逃散すると、禍は一族に及び、朝廷は計の出るところが無く、京の軍士の保人で充定すると議論した。しかし保人は数が少なく、p隷、羅将は数が多い、どうして数を充足するか。もし各品の京中の伴人を捜し出せば数が充たせる。」献納柳思敬が言った、「p隷、羅将で、外方に住むものがもし富貴なら、換定しないで、率丁一人を加給するのも当を得ています。」
 
4011、
上曰: "p隷之弊, 政丞欲救之, 故已令磨?。然若令p隷, 自望率丁, 則其於軍卒, 得無難乎?" 洪景舟曰: "今市中人, 稱保人, 閑遊者甚多。令推刷則皆欲托屬於他役, 若與漢城府同議以定, 則不得規免矣。"
●王が言った、「p隷の弊は政丞が救おうとするので、既に準備を命じたが、もしp隷に自ら率丁が希望できるようにさせたら、軍卒のほうで難のないようにできるか。」洪景舟が言った、「今、市中の人で保人を称して閑遊するものが非常に多い。推刷させれば皆田の仕事にことよせるだろうから、もし漢城府とともに議論して定めれば、規免できないだろう。」
 
4012、
義禁府が掌楽院官員の罪律を決める事について奏上する。
○義禁府啓曰: "掌樂院官員之罪, 無正律, 故比律用之。若比於巧言侫色, 則其罪杖一百, 以不應爲事理重論斷, 則罪止杖八十。故不得已以制書有違律論啓。" 傳曰: "掌樂院官員, 雖?公事, 情?於私, 其改照律, 以啓。"又傳曰: "義禁府堂上宋軼, 今將遠行, 不可推, 其餘堂上及色カ廳, 竝推之。檢律誤錯照律, 而堂上亦不詳察入啓, ?律亦可推也。"
●義禁府が奏上して言った、「掌楽院官員の罪は正律がないので、律になぞらえて用いた。もし巧言侫色になぞらえたら、その罪は杖一百で、不応為事理重で論断すると、罪は杖八十に止まる。それでやむを得ず制書有違律論で奏上した。」伝教して言った、「掌楽院官員は、公事によったとしても、情は私に渉るから、改めて照律して奏上せよ。」また伝教して言った、「義禁府の堂上の宋軼は、今遠行しようとするから推問できない。ほかの堂上及び色カ庁が、一緒に推問せよ。検律が照律を誤り、堂上も入啓を詳察しなかったから、律を検して、また推問すべきだ。」
不応為事理重:律令に条文はないが当然してはならない事をしたことを「不応為」と言って、その中でも程度がひどいのを事理重'という。大明律刑律雑犯不応為。
 
4013、
台諌が小各司の都提調の改差、尚衣院の提調金寿童の改差を求める。
○臺諫啓曰: "各司則例無都提調, 而今皆以正一品爲提調。若褒貶時, 則六曹判書, 反就都提調私第取稟, 於事體未便。且取才時, 正一品不得入六曹, 故該曹獨自試才, 有乖《大典》同取才之意。今小各司都提調, 竝改差。?衣院事多細碎, 以曾經政丞金壽童, 爲提調, 殊非尊待之意。竝速改差。" 皆不允。
●台諌が奏上して言った、「各司は例として都提調はないのに、今、皆、正一品を提調にする。もし褒貶のときになると、六曹判書が、逆に都提調の私第で取稟するから、事体において穏当でない。また取才のとき、正一品は六曹に入れないので、該曹が独自に試才し、『大典』同時に取才するの意に反する。今、小各司の都提調は、全部改差し、尚衣院は事が多く細砕なのに、かつて政丞を経験した金寿童を提調にするのは、殊に尊待の意にならない。皆速やかに改差せよ。」皆、允許しなかった。
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
4014、
捕盜大将田霖が強盗当来等23人を金浦で捕らえて来て復命するので酒を賜う。
○捕盜大將田霖, 捕?盜當來等二十三人于金浦, 來復命, 命賜酒。時窮民相聚爲盜, ?掠自恣, 仁川、金浦尤甚, 命以霖爲捕盜大將。盜聞之相語曰: "寧逢猛虎, 不願逢霖。" 霖性嚴峻且直。嘗爲兵曹參判, 有一小吏, 欲試奸術, 霖知之, 輒怒叱吏曰: "抱其項而拔其頭。" 自是吏皆慴伏, 莫能售其術。
●捕盜大将田霖が、強盜当来等二十三人を金浦で捕まえて来て復命したので賜酒を命じた。時に窮民が互いに集まって盗みをなし、強奪をほしいままにし、仁川、金浦が最も甚だしいので、田霖を捕盜大将にすることを命じた。盗賊がこれを聞いて互いに言った、「猛虎にあうとも、霖に逢うことは願わない。」霖は性格が厳しくてまっすぐだ。かつて兵曹参判だったとき、一小吏があって、奸術を試みようとした、霖は知るとすぐ怒って吏を叱って言った、「首を抱いて頭を抜くぞ。」これから吏は皆慴伏して、術策が使えなかった。
 
4015、
中宗4年(1509年)2月2日(甲子)
朝講で司諌尹耕、持平申?が各司の都提調、尚衣院提調金寿童のこと議論する。
○甲子/御朝講。司諫尹耕, 論各司都提調事, 持平申?, 亦論金壽童?衣院提調未便事。上曰: "提調事, 果有關體統, 臺諫之言是也。然若一切改之, 則大臣無丘史, 不得出行, 待大臣不可如此。"
●甲子、朝講に出た。司諌尹耕が、各司の都提調のことを議論し、持平申?も金寿童の尚衣院提調が穏便でないことを議論した。王が言った、「提調のことは、果たして体統への関連があるから、台諌の言は正しい。しかしもし一切改めたら大臣は丘史がなくて出行できない、大臣の待遇はこのようには出来ない。」
 
4016、
都体察使宋軼が拝辞して会寧府使の後任任命、守領の赴任催促を求める。
○都體察使宋軼拜辭曰: "會寧府使李之芳, 丁母憂, 不須待監司啓本, 宜令速差其代, 給馬遣之, 以及臣行。所欲移堡之處, 在會寧, 若無邑主, 則誰能措置? 且鏡城於六鎭, 尤殘弊, 府使則以節度使兼之, 故一府之事, 專委判官。今以金胤文爲判官, 臣前爲禮曹判書, 胤文爲正カ, 審知其人之爲善。
●都体察使宋軼が拝辞して言った、「会寧府使の李之芳は丁母の憂で、監司の啓本を待たなかった、速くその後任を命じて、馬を与えて送らなければならない。臣が行って移堡しようとする所が会寧にあるが、もし邑主がないと誰が充分に措置できるか。また鏡城は六鎮で最も疲弊してるが、府使は節度使が兼ねているので、一府のことは、もっぱら判官に委ねている。今、金胤文を判官としたが、臣は前に礼曹判書で、胤文を正カとして、その人が善であることを詳しく知っている。
 
4017、
然補弊之才, 則恐有短也。臣非謂必遞之, 其人如此, 故敢啓。且此道未赴任守令, 與端川郡守, 請皆催促赴任。" 傳曰: "會寧府使, 依所啓速差。未赴任守令, 亦促遣之可也。金胤文則銓曹已精選差之。大凡人物有限, 備?柔全才者, 固難得矣。"
●しかし補弊の才は足りないようだ。臣は必ず替えよと言うのではない、その人がこのようなのであえて奏上した。またこの道は守令を赴任していない、端川郡守と共に、皆赴任を催促することを求める。」伝教して言った、「会寧府使は奏上により速く差任する。まだ赴任していない守令も、速く派遣するのがよい。金胤文は銓曹が既に精選して差遣した。だいたい人物は限度がある、強柔全才を備えたものはもとより得がたい。」
 
4018、
金浦県令を推考しなければならない事で都事が兼職して治めよと伝教する。
○傳曰: "金浦縣令推考可也。其縣守與下吏, 皆被推, 則其官事必多?踈, 令都事爲兼官治之。" 【金浦縣庫内, ?盜隱匿, 故推之。】
●伝教して言った、「金浦県令は推考するのがよい。その県守と下吏が、皆、推問されると、その官の事は必ず虚疎が多くなるから、都事に兼官して治めさせよ。」【金浦県庫内に郷東を隠匿したので推考した。】
 
強盗当来の原従の功を削奪するように命ずる。
○命削?盜唐來原從功。
●〔省略〕。
 
4019
義禁府が、李元成、閔希謙の罪律を決めて奏上する。
○義禁府啓: "李元成決杖一百, 盡奪告身, 閔希謙杖九十收贖, 盡奪告身。" 傳曰: "掌樂院官員, 可依律罪之, 然觀推案, 提調亦已知之。元成等只笞五十贖, 可也。" 政院啓曰: "李元成等罪, 止於(苔)〔笞〕五十, 然私罪被推, 則當解見任別敍矣。
●義禁府が奏上して言った、「李元成は杖一百にして、告身を全部取り上げ、閔希謙は杖九十で贖いを収めさせ、告身を全部取り上げると決めた。」伝教して言った、「掌楽院官員は、律によって罪するべきだが、推案を見ると、提調も既に知っている。元成等は、ただ笞五十の贖いでよい。」政院が奏上して言った、「李元成等の罪は笞五十にとどめたが、私罪を推問されると、現任を解いて別に除すべきだ。
 
4020、
殿下不邇聲色, 而元成所啓如此, 其罪大矣。然元成等非擅爲之也, 觀其推案, 則提調已令啓之, 元成等豈有取ス之意? 臣等以爲, 元成被罪, 過於情理也。" 傳曰: "政院意如此, 則當初啓之可也。今?定罪, 而所啓如此, 予未知也。且解見任, 非罷職例也。"
●殿下は声色を近づけないが、元成の奏上はこのようで、その罪は大きい。しかし元成等は独断でやったのではない。その推案を見ると、提調が既に奏上させている、元成等がどうして悦を取ることがあろうか。臣等が思うに、元成が罪されるのは情理を過ぎている。」伝教して言った、「政院の意がこのようなら、初めに奏上するのがよい。今、既に罪を定めたのに、奏上はこのようだ、予はわからない。また原因を解くのは、罷職の例ではない。」
 
4021、
中宗4年(1509年)2月3日(乙丑)
朝講で特進官田霖が前万戸崔守文と金浦の強盗隠匿者を処罰しようとする。
○乙丑/御朝講。持平韓效元, 論各司提調事, 不允。特進官田霖曰: "?盜許接科罪節目, 非不至也, 而前萬?崔守文, 許接情?甚明。如咸鏡道 穩城殘弊等郡, 官奴定屬爲當。且金浦官庫, ?盜隱匿者多, 庫子、ク吏, 非不知也。請竝罪之。" 傳曰: "田霖所啓當矣。其許接人科罪者, 前有法條, 然士族亦必有隱接者矣。兩界本入居之地, 崔守文畢推後, 入送于兩界。"
●乙丑、朝講に出た。持平韓效元が各司の提調のことを議論したが允許しなかった。特進官田霖が言った、「強盗を許接して罪を科する節目は至らないことはないが、前万戸崔守文が許接した状況は甚だ明らかだ。咸鏡道穏城のように残弊した郡等が官奴を定属するのが穏当だ。また金浦の官庫は強盗を隠匿するものが多いが、庫子、ク吏は知らないのではない。皆罪することを求める。」伝教して言った、「田霖の奏上は当を得ている。許接した人に罪を科するのは、前に法条があったが、士族も必ず允接したものがいる。両界は本来入居する土地だ、崔守文は推問を終えた後、両界に送って入れよ。」
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
○以權福爲司憲府持平, 金漑爲弘文館副校理, 崔命昌爲司諫院正言。
●〔省略〕。
 
4022、
中宗4年(1509年)2月4日(丙寅)
朝講で大司諌柳世?と李自華が提調のことを奏上したので、昭格署の提調を替えさせる。
○丙寅/御朝講。大司諫柳世?啓提調事, 掌令李自華亦啓之, 只命改昭格署提調。
●〔省略〕。
 
咸境道五鎮の人口が減少するので全家徙辺に相当する者を移住させよ。
○傳曰: "咸鏡道五鎭, 近來殘弊, ?口耗少, 故以南方無罪者, 皆使入居。今後罪應全家者, 皆於五鎭入送。"
●伝教して言った、「咸鏡道の五鎮は近来残弊し、人口が減ったので、南方の無罪のものを皆入居させよ。今後、罪が全家に相当するものを、皆、五鎮に送り入れよ。
 
4023、
兵曹が、沿辺軍士の防戍、上道軍士が京中で立番することを奏上す。
○兵曹啓: "慶?道沿邊軍士, 則仍留防戍, 以上道軍士, 立番京中事, 請依尹c所啓。" 從之。
●兵曹が奏上して言った、「慶尚道の沿辺軍士がなお止まって防戍し、上道軍士が京中の立ち番をすることを依尹cの奏上によって求めた。」従った。
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
4024、
節義と廉恥は重いので清廉な人を登用するようにと議政府に伝教する。
○傳于政府曰: "節義廉恥, 維持國家之元氣, 國家之治亂, 莫不由元氣之盛衰。予以寡昧, 纉承丕, 夙夜兢タ, 思致至理。至理之方, 在更化, 更化之本, 在培養元氣, 故?擧褒賞之典, 以旌節義之門。第念自經亂政, 廉心道喪, 士風掃地, 舊染猶存, 治難復古。
●議政府に伝教して言った、「節義と廉恥は国家の活力を維持する。国家の治乱は活力の盛衰によらないものはない。予は寡昧なのに宝位を継承し、朝も夜も戦々兢々として、思いを至理に致す。至理の方法は更化にあり、更化の本は活力を培養するにある。それで既に褒賞の特典を行い、節義の門に旌を立てた。思うに乱政を経過してから、廉心の道が失われ、士風が地を払い、旧染は猶存し、治は復古しがたい。
 
4025、
其欲洗滌古習, 砥礪士心, 非上之人, 有以操其鼓舞之柄, 以振作之, 則其何以更化而致至理乎? 十室之邑, 必有忠信, 百僚之中, 豈無廉吏? 予將擢用奬勸, 以興頑廉懶立之風, 體予至懷, 旁求以聞。"
●古習を洗い流し士心を励まそうとするなら、上の人が鼓舞の中心となって振作しないのなら、どうやって更化して至理に至るのか。十戸の村にも必ず忠信のものはあり、百僚の中にもどうして廉吏がいないだろうか。予は選び勧めて頑廉懶立の風を起こすから、予の至懐を肝に銘じて、広く求め奏上せよ。」
 
4026、
中宗4年(1509年)2月5日(丁卯)
○丁卯/受朝參。
●〔省略〕。
 
朝講に出た。掌令尹希仁、献納柳思敬が都提調のことを奏上した。
○御朝講。掌令尹希仁啓都提調事, 獻納柳思敬亦論之, 傳曰: "提調事, 當更議。"
●〔省略〕。
 
○遣醫問朴安性之病。
●〔省略〕。
 
4027、
中宗4年(1509年)2月6日(戊辰)
朝講に出る。士習を正す事が出来ない事と倭人の横暴を防ぐ方策とを議論する。
○戊辰/御朝講。執義朴光榮曰: "近來士習大壞, 儒生居(儒生居)館者, 爭爲忠順衛司直, 又求爲外方ヘ授。若或登第, 則?授東班六品, 以此爲後日媒進之計。且於道路, 無一人挾書, 皆欲借馬騎之, 此皆士習之不正也。若此者雖登第, 請勿授東班六品。" 知事洪景舟曰: "倭人肅拜時, 有人戲之以言, 倭人以鐵鎖, ?頸於闕門外, 提曳而去。陵蔑我國人物如此, 而譯官不解諭止之。且如都城之外, 有騎馬者, 則稱以犯馬, ?持之物, 亦皆攘奪, 此亦譯官陰使之然也。
●戊辰、朝講に出た。執義朴光栄が言った、「近来士習が大いに毀れ、儒生の居館するものが忠順衛の司直になることを争い、また外方の教授になる事を求める。もし或いは登第すると、すぐに東班六品を授けるので、これを後日の媒進の計にする。また道路では、一人も書を挟む者が無く、皆、馬を借りて乗ろうとする、これは、皆、士習が正しくないのだ。もしこういうものが登第しても東班六品を授けない事を求める。」知事洪景舟が言った、「倭人が粛拝するときふざけた事を言う人がいたが、倭人は鉄鎖で、宮門外で首をくくり、引いて去った。我が国の人を侮辱する事はこのようだ。しかし訳官はさとしてやめさせることをしない。またもし都城の外で馬に乗った者があると、盗まれた馬だと称して、持っているものをみな奪い取る、これも訳官が陰でそうさせている。
 
4028、
前者守令, 因病在衙, 倭人突入曳出, 有或不?於心者, 亦或拳歐。又於路上, 故爲稽留, 以計日數, 多受留浦糧, 此皆譯官之所囑也。請治罪。" 特進官李?曰: "洪景舟之言是也。近者外方守令, 受辱於倭人者, 專由通事陰囑之故。臣爲金海府使時見之, 倭人陵蔑我國者, 未有甚於今日。前者焚蕩昌原、東?近處人家, 今又殺人於加コ島, 此必三浦倭人所爲也。
●前に守令が病気で役所にいると、倭人が突入して引っ張り出し、或いは心に不満を持ち、又或いは拳で殴るものがある。また路上にわざと滞留して日数を数え、多く留浦糧を受けるが、これは皆訳官がさせるのだ。治罪を求める。」特進官李?が言った、「洪景舟の言は正しい。近ごろ外方の守令が倭人に侮辱されるのは、もっぱら通事がかげでやらせていrからだ。臣が金海府使だったとき倭人が我が国を侮辱するのは今ほど甚だしいことはなかった。前には昌原、東?の近隣人家を焼き尽くし、今また加徳島で人を殺したのは、これは必ず三浦の倭人のしわざだ。
 
4029、
當初來居, 酌定其數, 其後生産漸繁, 日益滋蔓。自古夷狄入中國, 而不受其害者, 未之有也。國家不先設備, 而彼若猝然入寇, 則將何以禦之? 莫若先設備禦, 使我關防益固, 且開諭島主, 則彼將自?。" 景舟曰: "前者北平館 野人, 有不恭之罪, 野人所見處, 拿其通事而推之。今亦闕門外押去通事, 倭人所見處, 令禁府カ官, 拿來治罪何如?"
●当初来て住んだときはその数を斟酌して決めたが、その後生産がだんだん盛んになり、日ましに増える。昔から夷狄が中国にはいると、その害を受けないことは、かつてなかった。国家が先に設備しないで、彼らがもし急に侵入したら、どうやって防ぐのだろうか。先に設備して防ぎ、我が関の防衛益々固くするのがいちばんよい。また島主に諭せば、彼らも自ら控えるだろう。」景舟が言った、「以前北平館の野人が不恭の罪があったので、野人が見るところでその通事を捕まえて推問した。今も宮門外で押去通事を、倭人の見るところで、禁府カ官に命じて、捕らえてきて治罪するのはどうか。」
 
4030、
倭人の横暴のことで義禁府郎官を送って押去通事を推問させる。
○傳曰: "今聞倭人於闕門外, 提曳人物。其押去通事, 遣禁府カ官推之, 且令通事, 開諭倭人, 使不得作弊。今後如有攘奪路人所持者, 其通事與驛子, ?治罪。其被奪者, 京則告該曹, 外方則告守令, ?實。"
●伝教して言った、「今聞くと倭人が宮門外で人を連れていった。義禁府郎官を送って押去通事を推問し、また通事に命じて弊害を起こせないよう倭人に諭させよ。今後もし通行人を掠奪するものがいたら、通事と駅子を共に治罪せよ。掠奪されたものは、京なら該曹に告げ、外方なら守令に告げ、実情を調査させよ。」
 
4031、
既に、儒生が忠順衛教授になろうとする事を禁じる法があるから施行せよ。
○傳曰: "儒生爲忠順衛ヘ授事, 前已立法禁斷, 今當擧行。"
●伝教して言った、「儒生が忠順衛教授になろうとする事は前に立法して禁じたから、今は実行すべきだ。」
 
義禁府郎官趙Kが東平館に行って通事をつかみだした事を奏上する。
○義禁府カ官趙K啓曰: "臣以拿來通事事, 抵東平館, 通事在倭人坐中, 方行茶禮。令捕出枷鎖, 倭人發怒, 乃奪鎖自加其頸曰:‘我有罪, 通事何罪? 其捉我去。’云, 令通事諭解, ?拿來。"
●義禁府カ官趙Kが奏上して言った、「臣が通事を捕まえてくることで、東平館に着くと、通事は倭人の座中にあって、まさに茶礼を行っていた。つかみださせて枷鎖をかけると、倭人が怒り出して、鎖を奪い自分の首にかけて言った、「私に罪がある、通事に何の罪があるか。私を捕らえていけ。」通事に諭解させて、その場で捕まえてきた。」
 
4032、
東平官別座が倭人が腹を立てた状況を奏上する。
○東平館別坐啓曰: "倭人閉門鎖鑰, 撤取堂中鋪板, 以自衛, 又梯墻設(侯)〔候〕望處, 使二人持劍, 立門兩傍。臣令通事叫呼開門, 初不應, 良久乃開。臣入開諭, 且饋之酒, 倭怒不肯飮。臣先飮然後乃飮, 怒猶未解曰:‘鎖子在頸, 飮不得下。’云。"
●東平館別座が奏上して言った、「倭人が門を閉じ鍵をかけて、堂中の鋪板を取ってきて自衛し、また見張り所に梯子と塀を設置し、二人に剣を持たせて門の両脇に立たせた。臣は通事に大声で呼びかけ門を開けさせたが、初めは応じず暫くしてあけた。臣は入って開諭し、また酒を贈ったが、倭人は怒って飲もうとしなかった。臣が先に飲んでそのあとで飲んだ。怒りがまだ解けないで言った、「鎖が首にあって、飲んでも下へ行けない。」」
 
4033、
一品の官員を小各司の提調にしたことがあるのか上告させる。
○傳曰: "以一品爲小各司提調事, 臺諫言之。在祖宗朝, 亦有一品爲小各司提調者歟? 其考啓。" 政院啓曰: "祖宗朝, 以一品爲小各司提調事, 於《日記》未得考之。考吏曹大官案何如?"
●伝教して言った、「一品の官員を小各司の提調にしたことを台諌が言った。祖宗朝にあっても一品の官員を小各司の提調にしたことがあったのか。考啓せよ。」政院が奏上して言った、「祖宗朝で一品の官員を小各司の提調にしたことは、『日記』ではまだ調べがつかない。吏曹大官の案を調べたらどうか。」
 
4034、
各官司の提調に関する事、各品官の伴人を選んでp隷に充定する事を議論する。
○以各司提調事及抽出各品伴人, 充定p隷事, 命議于三公。從右議政柳順汀之議。其議曰: "祖宗朝, 參酌各司所掌緊歇, 或置提調, 或置都提調, 載在《大典》, 一依《大典》, 除授爲當。雖都提調衙門, 竝以正一品除授, 無副提調, 亦妨事體。正一品一員, ?爲都提調, 則其次宜以從一品以下除授, 使爲之副, 正合事體。
●各官司の提調事及び各品官の伴人を抽出してp隷に充定することで三公に命じて議論させる。これは右議政柳順汀の議論に従った。その議論に言う、「祖宗朝は、各官司の所掌の緊歇を斟酌して或いは提調を置き、或いは都提調を置いたが、『大典』に載せてあり、一に『大典』によって除授するのが当を得ている。都提調の衙門でも、皆正一品で除授するし、副提調がないと事体を妨げる。正一品が一員で、既に都提調になったら、その次は従一品以下で除授し、副にさせるのが、正に事体に合う。
 
4035、
且p隷之數果多, 只以京中軍士保人充定, 必不足。京中(東西江)〔東西班〕各品伴人及樂生、書吏、三醫司等率(叮)〔丁〕, 竝令推刷充定, 亦爲便當。但樂生、書吏、三醫司率丁中, 異居者, 則可矣, 子壻弟姪, 抽出充定, 則一家兩役, 恐不能堪。"
●またp隷の数はやはり多いが、ただ京中軍士の保人で充定すると必ず不足する。京中東西班の各品の伴人と楽生、書吏、三医司等の率丁を、皆捜し出して充定させるのも穏当だ。ただし楽生、書吏、三医司の率丁中居を異にするものがよい。子壻弟姪を抽出充定すると、一家両役となって恐らく堪えられないだろう。」
 
4036、
中宗4年(1509年)2月7日(己巳)
朝講で宰相の丘史の問題、尚衣院で一品が提調になる問題等を議論する。
○己巳/御(講講)〔朝講〕。大司憲安?、大司諫柳世?曰: "提調, 自有《大典》之(去)〔法〕, 不須收議, 欲以權宜爲之, 則弊亦大矣。" 領事朴元宗曰: "都提調衙門少, 而正一品人, 比前爲多。大抵宰相, 凡公私出入, 肩輿乘軒, 又前呵後擁, 無丘史, 則不得行矣。如中原宰相, 則肩輿者四人, 雖無丘史, 未爲不可, 我國不然, 多率丘史。若年少朝士, 則或相借率, 大臣則不可借也。
●己巳、朝講に出た。大司憲安?、大司諌柳世?が言った、「提調は自ずから『大典』の法があるから収議すべきではない。仮の便宜でしようとすると弊害も大きい。」領事朴元宗が言った、「都提調の衙門は少なく、正一品の人は以前に比べて多い。大抵の宰相は、だいたい公私の出入りで、肩輿乗軒し、また、前呵後擁するから、丘史がなかったら行く事が出来ない。中国の宰相なら肩輿者は四人で、丘史がなくても不可ではないが、我が国はそうではなくて、たくさんの丘史を率いる。もし年少の朝士だと互いに借りて率いるが、大臣は借ることが出来ない。
 
4037、
?衣院雖小小物色, 皆關於御用。前者沈?、李克培, 皆以一品爲提調, 已有前例, 今亦何妨? 且正一品, 人臣之極位, 褒貶時, 以參議來議于家, 亦何妨乎? 若取才衙門, 則相換爲當。" 上曰: "丘史之數, 載在《大典》, 若循此例, 則何不可之有?" 元宗曰: "頃者有治效守令, 如李?, 則已爲嘉善, 不可加焉。如?州牧使孫仲暾, 則前爲守令, 亦有政績, 富寧府使蘇起坡, 則其民近因李長坤之行, 遮道乞留, 又於成宗朝, 從軍北征, 甚有功勞, 褒賞之典, 不可徒以表裏。其遞還也, 只授副護軍, 當差僉知, 以示褒賞之意。" 上曰: "善治守令, 前已賞表裏。然其中卓異者, 可別議賞典。
●尚衣院はこまごました物色でも、皆、御用に関係する。前に沈?、李克培は、皆、一品で提調になった、既に前例がある、今また何の妨げがあるか。また正一品は人臣の極位だから、褒貶のとき、参議が家に来て議論するのに何の妨げがあるか。取才の衙門なら、交換するのが当を得ている。」王が言った、「丘史の数は『大典』に載っている、もしこの数に従うなら、何の不可があるか。」元宗が言った、「近頃治効のあった守令の李?のようなのなら、すでに嘉善になったから加えられない。
 
4038、
如?州牧使孫仲暾, 則前爲守令, 亦有政績, 富寧府使蘇起坡, 則其民近因李長坤之行, 遮道乞留, 又於成宗朝, 從軍北征, 甚有功勞, 褒賞之典, 不可徒以表裏。其遞還也, 只授副護軍, 當差僉知, 以示褒賞之意。" 上曰: "善治守令, 前已賞表裏。然其中卓異者, 可別議賞典。
●尚州牧使孫仲暾のようなのは前に守令だったとき、また政績があり、富寧府使蘇起坡は、その民が近く李長坤が行くのに道を遮って留まるのを求めた。また成宗朝で従軍して北征し、甚だ功労があった。褒賞の典はただ表裏ですることはできない。それが交替で帰還する時は、ただ副護軍を授けたが、まさに僉知に任命して褒賞の意を示すべきだ。」王が言った、「善治の守令は前に既に表裏を賞した。しかしその中で特にすぐれたものは別に賞典を議論するのがよい。」
 
4039。
政治功績が優れている尚州牧使孫仲暾、富寧府使蘇起坡に加資するよう伝教する。
○傳于吏曹曰: "?州牧使孫仲暾、富寧府使蘇起坡, 勤謹奉公, 惠及於民, 政績卓異, 其特加一資。" 【仲暾, 鷄林君 昭之子也。?任梁山、金海, 皆有治聲。至是以治效聞, 其父昭曾爲守令, 以治行第一, 爲世所稱, 子能繼之, 可謂無忝矣。暾常曰: "吾父廉介, 吾所不及。" 起坡武人, 性廉潔不治家産, 遇敵忘身, ?勇無比, 在北方人, 稱之曰: "鐵内禁。"】
●吏曹に伝教して言った、「尚州牧使孫仲暾、富寧府使蘇起坡は、謹んで奉公に勤め、恵みは民に及び、政績が卓越するから、特に一資を加えよ。」【仲暾は 鶏林君昭の子だ。梁山、金海に歴任し、皆、政治功績の名声があった。ここにいたって治効が聞こえた。その父昭はかつて守令であって、治行を第一として、それが世の称する所となり、子がよくそれを継いだ、家門の名誉を汚さなかったと言うべきだ。暾は常に言った、「吾が父の廉介は吾の及ばないところだ。」起坡は武人で、性廉潔で家産を治めず、敵に合うと我が身を忘れ、強勇無比で北方に居る人は称して、「鉄内禁。」と言った。】
 
4040、
○御晝講。
●〔省略〕。
 
台諌が贓吏蔡石堅の逮捕と慎克誠のことで敬差官尹殷輔の推問を求める。
○臺諫啓曰: "贓吏蔡石堅逃躱, 當窮極搜捕, 愼克誠事亦大, 而敬差官尹殷輔不啓稟, (經)〔徑〕自上來, 請推。傳曰: "如啓。"
●台諌が奏上して言った、「贓吏蔡石堅が逃げたので徹底的に捜査逮捕すべきだ、慎克誠のことも重大だが、敬差官尹殷輔が稟を奏上しないで、勝手に上京したので推問を求める。伝教して言った、「奏上のようにせよ。」
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
4041、
東平官別座が倭人が議政門の外を取り巻いたことを奏上する。
○東平館別坐啓曰: "倭人等, 終夜明燈巡警曰:‘朝鮮必治我罪。當還本土, 將告歸于禮曹。’四十餘人, 或奪驛馬, 或奪行路人馬, 皆帶劍, 或騎或?, 到議政門外環立云。" 政院啓曰: "倭人必有所欲言而來耳。令禮曹カ官開諭何如?" 傳曰: "依啓, 且饋以酒。"
●東平館別坐が奏上して言った、「倭人等が終夜火を灯して巡警して言った「朝鮮は必ず我を治罪する。本土に還るべきだから、礼曹に告げて還ろう。」四十余人が、或いは駅馬を奪い或いは通行人の馬を奪い、皆、帯剣して、或いは騎馬で或いは徒歩で、議政門外に来て取り巻いたと言う。」 政院が奏上して言った、「倭人は必ず言いたいことがあって来ただけだろう。礼曹カ官に開諭させてはどうか。」伝教して言った、「奏上に依れ、また酒を贈れ。」
 
4042、
各官司の提調問題、各品官の伴人をp隷に充数する問題について伝教する。
○傳曰: "正一品提調, 掌樂院、?衣院、司僕寺外, 皆遞之。有二提調衙門, 則以正一品、從一品以下交差, 有一提調衙門, 則勿差正一品, 一人毋得兼差四司。雜類保人, 充定p隷, 同居率丁, 勿抽出, 宰相伴人, 亦勿移定。 限p隷充數間, 各品伴人, 毋得望占圻甸之民。"
●伝教して言った、「正一品提調は、掌楽院、尚衣院、司僕寺以外、皆、替える。二提調がいる衙門は、正一品と従一品以下とを交差させ、一提調の衙門は正一品を差遣するな、一人は四司を兼差させるな。雑類の保人はp隷を充定するが、同居の率丁は抽出するな、宰相の伴人も移定するな。p隷を充数する間に限り、各品の伴人はソウル近くの民を望占出来ないようにせよ。」
 
4043、
纛祭斎日で礼曹判書不在のときに、礼曹判書に会おうとしていた倭人が太平館に入る。
○兵曹判書洪景舟啓曰: "臣見倭人騎馬者五人, ?行者二十七人, 塞路以來, ?奪人馬。其性雖輕躁, 豈無其計? 此時待之不可失宜。" 政院亦啓曰: "請召三公, 與該曹判書, 同議處之。" 是日以纛祭齋, 禮曹不仕, 往復之間, 以致移時。倭奴等怒曰: "禮曹不見我, 我當去。" 遂向崇禮門, 至(大平館)〔太平館〕前乃止, 入處(大平館)〔太平館〕 。
●兵曹判書洪景舟が奏上して言った、「臣が見るに、倭人の騎馬のもの五人、?行のもの二十七人が、道を塞いで来て人馬を掠奪した。その性は軽躁だといっても、どうして計画がないだろうか。この時の対応は宜しきを失してはならない。」政院も奏上して言った、「三公を召して該曹の判書と共に議論して処置することを求める。」この日は纛祭斎で、礼曹が出仕せず、往復の間に時間がたった。倭奴等は怒って言った、「礼曹は我等に会わない、我等は去るべきだ。」遂に崇礼門に向かい太平館の前に至って止まり、太平館に入って居座った。
 
4044、
倭人は狡いから大臣で議論して事体にあうようによく処理せよと伝教する。
○傳曰: "倭人性本奸黠。令大臣議之得體, 毋使陷於術中。"
●伝教して言った、「倭人は性質が本来狡猾だから、大臣で議論して事体を得させ、彼らの術策中に陥らないようにさせよ。」
 
中宗4年(1509年)2月8日(庚午)
○庚午/御朝講。
●〔省略〕。
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
4045、
礼曹判書正カ申?が倭人を館所で還した事を奏上する。
○禮曹正カ申?啓曰: "臣昨往(大平館)〔太平館〕, 立大廳, 呼特送上、副官, 小二殿, 下副官四人等語之曰:‘爾等夜深, 宜亟還本館。’特送等曰:‘本國不欲與島主相好耶? 意必不好, 故我等欲還歸耳。’臣答曰:‘爾島誠心款付, 故本國之待島主, 亦優厚。’特送等曰:‘我等豈爲他人子而來此耶?’【我國人戲罵曰: "吾子。" 故云。】今拿通事而去, 是拿我等也。’
●禮曹正カ申?が奏上して言った、「臣は昨日太平館に行って、大庁に立ち、特送上副官と小二殿上副官四人等を呼んで語って言った、「あなた達は夜深いから、すぐに本館に還るのがよい。」特送等が言った、「本国は島主と仲よくしようとしないのか。必ず好くないようだから我等は還帰しようとするのだ。」臣は答えていった、「あなたたちの島が誠心款付したから、本国の島主への待遇も優厚なのだ。」特送等が言った、「我等はどうして他人の子になろうとしてここに来るか。」【我国の人が戯罵して「吾が子。」というので言った。】今、通事を捕まえて去ったが、これは我等を捕まえるのだ。」
 
4046、
臣答曰:‘其罵汝者, 乃愚妄人也, 已令訊之。且我國之法本嚴, 故前此琉球國使臣之來, 通事有罪, ?拿來。我國格例如此。’特送等曰:‘非但拿通事也, 又?吾頸。如不信吾言, 請視鐵鎖。’?以其鎖示之。臣答曰:‘是雖無識之人, 豈不知爾國之人而拿之? 且爾國必擇爾等而遣之, 爾等亦奉命而來, 不可如是也。’
●臣が答えて言った、「その汝を罵ったものは、つまり愚妄の人だ。すでに訊問させた。また我が国の法はもともと厳しいので、以前琉球国の使臣が来たとき、通事が有罪で、すぐに捕まえてきた。我が国の格例はこのようだ。」特送等が言った、「ただ通事を捕らえただけでなく、また私の首をつないだ。もし私の言うことを信じないなら、鉄の鎖を見ることを求める。」そうしてその鎖を示した。臣が答えていった、「これは無識の人だが、どうしてあなたの国を知らないで捕らえるだろうか。また汝らの国は必ず汝らを選んで派遣し、汝らも命を奉じて来るから、このようであってはならない。」
 
4047、
特送等曰:‘然則我等當還本館, 且有所言, 明日須來見。不然則我等當留宿于此, 而不還館。’臣答曰:‘汝有所言, 則當於饋餉時言之可也。且此處, 乃上國使臣留接之所, 爾等不宜留宿。’反覆開諭, 然後乃還館所。"
●特送等が言った、「それでは我等は本館に還るべきだが、また言うことがあれば、明日来て会うだろう。そうでなければ我等はここに留宿して館に還るべきではない。」臣は答えて言った、「汝に言うことがあれば饋餉のときに言うのがよい。またここは上国の使臣を留接するところで、汝らは留宿すべきではない。」反覆開諭してそのあとで館に還った。」
 
4048、
中宗4年(1509年)2月9日(辛未)
朝講で台諌柳思敬、権福が小各司の提調で差任した正一品を交替させない。
○辛未/御朝講。獻納柳思敬、持平權福曰: "小各司提調, 以正一品差之, 非《大典》之法, 殊失重大臣體貌, 請一切遞之。" 上曰: "以正一品爲小各司提調, 古豈無之? 祖宗朝, 洪達孫爲内贍提調, 尹子雲爲造紙署提調, 今雖爲之, 不妨。"
●辛未、朝講に出た。献納柳思敬、持平権福が言った、「小各司の提調を正一品で差任いたが、『大典』の法ではない。ことに大臣の体面を重んじるのを失っているから、一切替えることを求める。」王が言った、「正一品を小各司の提調にするのは、昔どうしてなかったのか。祖宗朝では、洪達孫が内贍提調になり、尹子雲が造紙署提調になった。今こえをなしても妨げない。」
 
4049、
柳沃が宥旨敬差官呉益念が和順県監崔夢錫の罪を赦免したことを奏上する。
○正言柳沃啓曰: "臣自全羅道而來, 聞前和順縣監崔夢錫, 殺人至八九, 罪至重也。而宥旨敬差官?益念, 不取稟擅放, 致令逃匿, 臣恐用情也。且臣道經各官, 多設盜直幕, 一幕直人五六, 不能捕盜, 而輒拘留行人無行?者, ?取所?之物, 反爲有弊。請罷之。" 傳曰: "知道。"
●正言柳沃が奏上して言った、「臣は全羅道から来て、前和順県監崔夢錫が人を殺すこと八九人に至ったと聞いたが、罪は至って重い。しかし宥旨敬差官呉益念は,取稟せず勝手に釈放して逃匿させるに至った。臣は私情があったのではと思う。また臣は道中各村を経たが、多く盜直幕を設営し, 一幕直の人は五六人だが、捕盜が出来ないで、問題のない通行人を拘留して持ち物を奪うなど、却って弊害がある。やめさせることを求める。」伝教して言った、「わかった。」
 
○御晝講。
●〔省略〕。
 
○御夕講。
●〔省略〕。
 
 
 
2-10、1