萬葉學叢刊中世篇、佐佐木信綱編、古今書院(1928.2.8)、臨川書店1972.11.5版による。
 
(1)萬葉學叢刊中世篇
 
     序言
 
       一、萬葉學叢刊收載書について
 萬葉集は、いふまでもなく、我が國最古の歌集にして、上代及び奈良朝の文化と思想とを今日に傳へ、吾人をしてそぞろに欽仰に耐へざらしむるものがある。何人といへども我等が祖先の情懷を忍ばうとする時、此の一卷を繙けば、その面目躍如として眼前に浮び、時人の胸臆に入り得たる如き感を抱く事を得るであらう。殊に我が國歌に親しむものは何をおいでもまづ萬葉集には接しなければならぬ。此の心持はすでに平安朝時代の貴族達の間にも涌いてあた。而して今日に至るまで萬葉集を讀み味はふとともに、此の書に對する諸種の研究が絶えず行はれて、その數は實に莫大なものとなる。その研究書の中には時に價値の乏しいものもありはするが、此の古典に對する尊崇の念は、人々を驅つて、心血をそそいだ幾多の尊い研究を生んだ。就中古人がいかに萬葉集を愛し、萬葉集に學ぶ所があつたかは、之等研究書を閲して知る事を得、また我等も多く教へられる所があるのである。ただその研究書は、萬葉學といふ名稱を附せられて、廣汎な國文學の中にも、一大金字塔を建てられるくらゐに多數に達するので、我等をして一目の下に之等古人の研究を知り得(2)る事を許さない。殊にその多數の書が、多く未だ刊行せられず、中には名家の篋底深く私せられ、或は天下ただ一本といふやうなものもあつて、容易に見る事を得ないのである。これは萬葉集を研究しようとする學徒の爲には、まことに遺憾な事であつて、今日の如く、諸種の文物が進歩すると共に、我等の祖先の生んだ文化に對して憧憬の情の切なるものある時期に際し、是非ともこれらの研究書のうちの貴重なものを廣く世に紹介したいと思ふ。それで、ここに萬葉學叢刊と題して、諸種の萬葉研究書を收載するにあたり、その採收の目標としたものは、第一にそれが萬葉學史上重要な位置にあり、種々の點から見て債値あるものである事、第二に稀覯の書にして見易からざるものなる事、第三に主として古寫本、もしくは信用するに足るべき寫本による事、第四に價値ある自筆稿本にして世に埋もれてゐるものを採用する事、かくの如き標準のもとに、多數の萬葉學書の中から撰定して、之を刊行する事とした。これによつて萬葉學書中の稀覯書も、一般にたやすく讀み得るやうになる事と思ふ。
          二、中世篇牧載書の時代
 萬葉學書を刊行するにあたつて、ただ無秩序に並べるといふのは、無意義なことであるから、今は時代別にして、時代の古いものから順次並べて刊行する事とした。此の中世篇に收めたものは、即ちその最も古いものから始めて、およそ平安朝の末期から室町時代の末期まで、萬葉學史上、未だ新しい研究法の起らぬ前、その前期に屬するものを載せた。それで、次に此の時期の萬葉學の書史について略述しよう。
(3)          三、前期の萬葉學書史
 奈良朝時代と平安朝時代とでは、その用語も語法も變つたのみならず、所謂萬葉假字で書いた萬葉集は、平安朝時代の中頃になると讀み解き難くなつた。ここに萬葉集の研究が必要となり、即ち萬葉集の訓點の研究が始まつた。天暦五年に源順以下の梨壺の五人が、此の訓點研究の衝に當つた。此の訓點を古點といふ。併し、それ以上進んだ研究は未だ起らなかつた。
 平安朝の末期に至り、歌學の發達と共に萬葉學も甚だ進歩して、訓點は、古點に次いで次點が附けられ、諸種の歌學書には多く萬葉集をひき、特に萬葉集を主とした研究書も出でた。その中で、萬葉集のみを對象とした獨立の著書としては、先づ
       一、類聚古集
を擧げなければならぬ。此の書は藤原敦隆の著で、萬葉集中の歌を、四季天地山水等に類別して、編纂したもの、廿卷より成る。(現存せるは十六卷)一名を類聚萬葉とも、部類萬葉集ともいふ。後に此の書の短歌のみを抄出した本も出でた。これが萬葉類纂の書の嚆矢である。次には、同じく敦隆の著にかかる
       二、萬葉集目録
これは萬葉集に出でたる人々の歌數と、作者の略傳とを記したものであるらしいが、今は佚しで傳はらぬ。此の敦隆の萬葉集目録と同じく
(4)       三、萬葉集目録
とも名つくべき書名未詳の學書がある。作られた時代も亦不明であるが、その書寫の書風、用紙等より考へて、平安朝末期を下らざるものと考へられる。敦隆の著と異なる所は、かれには作者の傳記があり、これにはそれを缺いて居る事である。
       四、萬葉集抄
本書は藤原盛方の著であらうかと推せられる。これが、獨立した萬葉集の註釋書として著作されたものの最初である。集中の短歌百六十九首、長歌三首、旋頭歌一首を拔抄して註釋し、その解釋の仕方は、よく當時の面目を傳へてゐる。
 以上の如くして、順次に、類纂、傳記、註釋等の書があらはれて、研究も次第に進んだが、さらに當代歌學者中に於いて最も博學であつた顯昭は、
       五、陳道因勝命等難撰萬葉集時代條々事
を著した。之はさきに顯昭の著した「撰萬葉集時代條々事」に對して、道因勝命等が、「難撰萬葉集時代條々事」をものして、その説を非難したので、更に顯昭は此の書を出だして、道因勝命等を駁撃する所があつた。但、前二書は今佚して傳はらず、顯昭の此の書によつて、その間の事情を推する事が出來るのである。
 元來萬葉集は、平安朝時代に入つて、その歌詞の難解なるとともに、その編纂の時代に就いても全く不明(5)となつた。ここに萬葉集編纂の年代を明かにしようといふ書史學的研究が起つて、顯昭の如き學者がこれを研究したのはさもあるべき事で、萬葉學の新しい機運が、かかる點にまで向つた事は、自然のなりゆきである。かくて、顯昭に續いて、藤原俊成が
       六、萬葉集時代考
を書いた。之は後京極良經の問に答へた消息であつて、略して萬時とも言はれてある。
 また、古今集なる長歌短歌の區別が、當時の歌學者間に問題となつてゐたので、ここに俊成の子定家が、萬葉集中の例證によつて、當時の歌學者の謬論を破し、長歌短歌の意味を明かにした。即ち
       七、萬葉集長歌載短歌字之由事
がそれである。貞永元年に成つた。定家の子の爲家もまた、
       八、萬葉集佳詞
を著したといふ。この書は、集中の佳句を抄出して、簡單な註解を加へたものである。但、此の書を爲家の著といふのは、その奧書によるので、未だ確かではないが、その簡素な解釋は、恐らくはその時代のものと思はれる。果して爲家の著であるとすれば、俊成以來當時の歌壇の覇者が、累代萬葉學に心をひそめてゐた事は、注意すべきである。
       九、古葉略類聚鈔
(6)は、選者も、その成つた時もさだかでないが、建長二年に書寫した零本五册が傳はつて居る。類聚古集に傚つて、萬葉の歌を分類したもの、本文をさながらに出した部分と、假字に書き改めたものとが交つて居るが、古集とともに、校勘の資料としても重んずべきものである。
 萬葉學史上の前期は、ここに一小段落がついた。あらゆる研究の萠芽が此の間に起つた。しかしそれらは、未だ幼稚なものであつた。鎌倉時代の中期、關東に釋仙覺が出づるに及んで、萬葉學は新生面を開いたといつてよい。彼の著にして今日に殘れるものは、
       十、萬葉集註釋
       十一、奏覽状
の二つがある。萬葉集註釋は、また萬葉集抄、仙覺抄ともいふ。全卷にわたつて難解の歌を抽出し、註解を加へたものである。元來仙覺は、將軍頼經の命をうけて、十數本の異本によつて、萬葉集を校合し、かつ、古來古點次點にも點の無かつた歌に對して新たに訓點を施し、さらに從來の誤つた訓を改めた。此の仙覺の新しく附したものを新點といふ。かくて彼は晩年にその註釋を成したもので、時に文永六年である。その拔抄して註釋を施した歌は、六百九十餘首に達する。此のやうに多數の歌を註解したものは未だかつて現れなかつたのみならず、その註解には、それ以前の註釋及び歌學の書を參照し集成した。しかもまた前人の研究以外に出て、語釋も詳しく、悉曇にも通じてをつたので、その音韻の法を應用し、考證詳しくして引用する所多く、(7)しかも歌の味ひをも深く解してゐた事は注意せらるべきで、何れの點から見ても、萬葉學上に一新紀元を開いた著述である。かつその引用書の中には、現在散佚して見得られざるものもあるので、その點から見ても價値がある。その總論の如きも、名義、時代、撰者、長歌短歌説等、あらゆる方面にわたつてゐて、前代の研究を大成した觀がある。勿論多少の誤謬曲解があるにしても、此の當時これ程の業績をなし得た事は、萬葉學史上不朽の名を止めるものである。奏覽状は、仙覺が建長五年十二月に、仙洞に奉つたもの。萬葉の訓の困難なる事から、新點の事に及んで述べてゐる。彼の見解と抱負を知る事が出來て、萬葉學史上の貴重なる一文獻となす事が出來る。
 仙覺についで、同じく關東に由阿が出た。由阿は、
       十二、詞林釆葉抄
       十三、拾遺采葉抄
       十四、青葉丹花抄
の三書を今日に殘してゐる。前二者は註釋をまとしたものであつて、後者は歌全體の解に及んでゐる。三書を通じて、彼が仙覺のよき後繼者であり、仙覺の大成しかつ創始した萬葉學を、忠實に繼承してゐる事が知られる。仙覺の萬葉研究は、由阿に至つてます/\光輝を増し、萬葉學の内容はいよ/\豐富となつて、後世に傳へられたのである。中世の萬葉學は、ここに至つて極まつた。下つて室町時代になると、稍衰へた感(8)がある。此の期に注意すべきは
       十五、宗祇抄
即ち連歌師種玉庵宗祇の註解であるが、これは仙覺抄や詞林釆葉抄によつた所が多く、かつ註解を附せずに單に歌のみをあげたものも數多あつて、その價値は前二者に劣るが、卷を追うて註解したもので、この點では仙覺抄につぐものといふべく、また分量も多くして、當代の萬葉學を代表するものと言へよう。但、その今日に殘れるものは、宗祇抄の原本ではなくて、後人が更にそれから拔抄した略本で、その名を萬葉註抄書として傳へられてをる。しかして、此の拔抄本にも、廣略二種の本がある。
 宗祇の學統を受けた猪苗代兼載の萬葉集の講説を、桑下叟が幼時に聞いて、後年それを筆録したものが、
       十六、萬葉集之歌百首聞書
である。集中の歌百首を抄出して、四季戀雜に分類註解したもの、源氏物語その他の古典に詳しい彼の、萬葉集に對する見解を窺ふものとしては、唯一の書である。かつこれが、萬葉集より百首を抄出したものの初をなしてゐる。以上の他、此の期では、宗祇と時代の同じい權大納言宣胤が、建徳三年に勅を奉じて撰んだ
       十七、萬葉類葉抄
がある。十八卷より成つて、集中の歌句を天象時節地儀等に分類したもので、間々註解が加へられてゐる。他に同じ著者の手に成る
(9)       十八、萬葉集拔書
一册がある。集中の詞句を抽出して、簡單な註釋を附した。また
       十九、萬葉集目安
がある。萬葉見安とも云ふ。著者未詳であるが、或は堯以の作とも言はれる。卷中より、卷の順に難語を摘出して註解を施したるもの、萬治四年に版行した。萬葉集難義と題したものもあり、天和四年の版本には、萬葉集秘訣とも題されてゐる。
 以上が此の期の萬葉學書中の主なるものであつて、要するに、室町時代に至つては、萬葉集の研究は著しい進歩も、該博の研究もなくて、ただ仙覺や由阿の説を繼承するのみ。此の時代は、源氏物語の研究が盛んに行はれて多大の進歩をなしたのに對し、萬葉集の研究は、室町時代に至つて、寧ろその沈滯期に入つたのである。
 
          四、中世篇收載書について
 
 前項にあげた諸研究書の中、
  類聚古集
は、既に、帝國學士院の補助を受けて、複製出版したところであり、
  萬葉集抄
(10)も亦、本叢書において既に複製刊行した。次に敦隆の
  萬葉集目録
は早く佚して今日に傳はらぬ。
  陳道因勝命等難撰萬葉集時代條々事
  萬葉集時代考
  萬葉集長歌載短歌字之由事
以上三書は、續群書類從和歌部に載するところなので、今ここに收めなかつた。
  古葉略類聚鈔
また、さきに帝國學士院の補助のもとに、刊行した。仙覺の
  萬葉集註釋
  奏覽状
は、これまたさきに、本叢書のうちに、仙覺全集を公けにして、それに收めた。
  萬葉類葉抄
は、今傳はるものは、完本でなく、徳川時代に、補闕が撰ばれたやうの次第であるから、ここには採らぬ事とした。以上の他、
(11)  詞林釆葉抄
は既に國文注釋全書の中に入つてゐるが、本編には再び之を收めて、由阿の萬葉學の全部を窺ふ便りとし、かつ流布本及び刊行本には誤が多いので、古寫本によつて、もつてその原本の面目を示す事とした。かくの如くして、上記の諸書を省き、詞林釆葉抄を採つて、本卷に收載したる學書は、
  萬葉集目録
  萬葉集佳詞
  詞林釆葉抄
  拾遺釆葉抄
  青葉丹花抄
  萬葉抄 一名宗祇抄
  萬葉集之歌百首聞書
  萬葉集目安
の八書となる。次に之等收載書の解説と、及び此の翻刻を讀む上の注意とを揚げる。
 
          五、解題
 
萬葉集目録
(12) 藤原敦隆の萬葉集目録は佚して傳はらぬが、ここに平安朝の末期に寫したと思はれる古寫本が近衛公爵の書庫中に埋もれてをつたのを、大正七年四月予が同家の藏書の閲覽を請うた際、蟲喰歌書と題した一箱の中から發見した。ぼろ/\に成つてをつた斷片を繼ぎ合せて考査したところ、卷首が缺けてをるので書名も明かでないが、その内容によつて假に萬葉集目録と名づけた。その傳はつたものは、つなぎ合せて一卷としたもの、斷片二葉、及び手鑑におした一葉であるが、もとは各部一卷の卷子本であつたと思はれる。紙質は鳥の子で、上下に墨界があり、紙幅は大凡九寸六分である。書は二筆であるが、その一筆の書體は前田侯爵家所藏の永承五年歌合や北山抄に酷似してゐて、桂本萬葉から系統を引いた院政時代前後のうるはしき書風である。本書の體裁は前後二部に分れ、前部は各卷別に、初めにその卷の歌數、及び訓のあるものと無いものとの歌數をあげ、次に其の卷の、雜歌相聞挽歌等の部門を擧げて、それを短(長歌の事)反(長歌の反歌)歌(短歌)及び旋(旋頭歌)の四體に分つて歌數を記し、更にその下に讀人の明かなると不明なるとに分つて歌數を記した。後部は讀人の知られたる四百六十四人の名を卷の順に從つて擧げ、その下に歌數を記した。而して前部のは、卷首缺けたる爲め卷二より初まつて、卷一はないが、斷片二葉の中、一葉は此の卷一の目録にして、他の一葉は、更に卷一の前に附くべき、萬葉集全體の歌數及び訓のあるものと無きものとを記した總括であつて、はるかに前部の終なる、萬葉集全體の各歌體別の歌數と、讀人あり、讀人不知の兩樣の歌數を記して總括としたる部分に相對して、これを最初に記したものと思はれる。また手鑑におされたものは卷十六(13)であつて、これももと此の卷子の中にあつたのを、後、近衛家でとつて貼られたものである。所々に朱の書入があるが、前部の、本文の數字を訂正して傍らに記したものは全部朱書で、その他に卷三の挽歌の最後歌四十五首とある下の、有讀人の下に記してある四十首の二字、及びその左隣の無讀人五首の五字が朱書であり、また卷八秋相聞の項中、歌廿七首の下方の連歌一首云々の書入も同じく朱書である。後部では作者の名の傍ら及び下方に記した數字以外の人物に關する書入數字の訂正、及び作者名の上に十人毎に打つた數字は何れも朱書である。その他にも朱書があつたらしいが、後削りさつた痕跡がある。而して、時として脱した人名を行間に補つて書入れたものもあるが、これまた朱書であつて、その行間にある事によつて、本文の墨書との區別が容易に出來よう。また前部の各卷の下、訓のある歌と無き歌の數を記した部分は、何れも貼紙を附して、その上に書かれたものであるが、此の貼紙の下には何の字も記されてゐない。またその字は本文と同筆と認められる。本書の中訓讀のある歌とない歌との數が記されてゐる如きは、當時の萬葉學を研究する上に甚だ參考となる。また古今集の誤りを襲うて長歌を短歌と記してゐる如きは、平安朝末期當時のものとして信用するに足るもので、想像を逞うすれば、本書はかの佚した敦隆の萬葉集目録の稿本若しくは略本などの寫本ではないかとも考へられて興味の深いものである。たゞ殘念な事には、近衛家から借用して、東京帝國大學で保管中であつたのを、大正十二年の大震災に燒失してしまつた。それで今殘るものは、卷十六の斷片なる手鑑に貼してある部分のみである。併し幸ひにして、その原本を東京帝國大學國語研究室において影寫(14)したものがあつたが、偶然と言はうか、天祐と言はうか、大震災の際、同研究室に學生が入つて、窓より投げ出してくれた書籍の中に此の影寫本もあつて、その面影を今日に殘す事が出來た。もし然らずば、この書は全く天地の間に殘存せないものとなつたであらう。いま萬葉學叢刊の中に收めたるものは、即ち影寫本を撮影縮寫したものであつて、卷十六の條のみが原物よりの寫眞撮影である。但、紙數の都合上九寸六分の大きさをいたく縮めたので、文字がやや讀みづらくなつたのは遺憾である。即ち影寫本の四面づつを、本書の一頁に收めたのである。
萬葉集佳詞
萬葉集中、詠歌の資材たるべき佳詞を卷の順に摘出し、かつ所々に略注を加へたもの。藤原爲家の著と傳へられてをる。爲家の孫なる冷泉爲秀の奥書が確であるとすれば、原本が爲家の自筆本であるといふことは確であるといはねばならぬ。しかも原本が爲家の自筆本であるとしても、爲家の著と直ちに認めることは出來がたい。いかにとならば、傳爲頼本萬葉集及び定家樣切萬葉集【校本萬葉集首卷上一二一頁參照】がある事によつて考へると、定家が萬葉集中から佳詞を抄出して(定家が萬葉集中から秀歌を抄出した本は、不完全ながら、轉寫本が傳はつてゐる)、自ら略註を加へたものとも見られる。或は定家が萬葉集の上部に佳詞を抽書しておいたのを、爲家がぬき出して略註を加へたものともおもはれる。(そは、傳爲頼本萬葉集の上部に佳詞が抽書してあるから、しか考へられる。)しかし、いづれにしても爲家の時代のものと思はれるから、假に所傳のままに爲家の著とし(15)ておく。而して爲家の自筆本にあつたといふ佳詞の註は朱で書いてあつたと云ふ。いま萬葉學叢刊に收めたのは、竹柏園所藏の長禄四年の奥書の寫本によつた。此の長禄四年本の筆者圓雅は、和歌所法印堯孝の弟子新續古今集隱名の作者で、他に古今集を書寫したのを竹柏園に架藏してをり、またいはゆる和歌四式も圓雅の寫本によつて世に傳はつたものとおぼしい。しかしてこの圓雅書寫の萬葉集佳詞は、表紙は後に改装したものであるが、本文は胡蝶裝の原形を存してゐる。朱で合點、四聲點及び濁點と、歌詞の句切に點が打つてある。此の朱の四聲點は印刷が困難なので、濁點の他は今はすべて省いた。歌詞の句點は必ずしも五七の調に從つて打つたものではなくて、時には不可思議な所に打つてあるものもある。但、此の本では、何れも原本のままに句點を打つた。合點は除いた。略註は爲家筆本の朱書とは違つて、此の圓雅の本には、奥書に記されてゐる如く、全部墨に改められ、行間に記した所もあり、歌詞の下方に記した所もあつて、亂雜であるが、今は一定して、地名その他の極めて簡單なもの、及び適當と認めたものだけ行間に置いて、他はすべて歌詞の下に續け記す事とした。而して註解の句讀點は、今あらたに附けた所である。なほ圓雅には、この長禄本以前に、享徳二年に書寫した本の轉寫本が傳はつてをる。今、長禄本の落丁と思はれる部分を、その本に依つて末に出しておいた。
詞林釆業秒
鎌倉時代の文永六年に、關東に於いて釋仙覺が萬葉集注釋を撰した後、萬葉集の研究には全く見るべきもの(16)がなかつた。その後百年を經て南北朝時代に至り、再び東國の釋家に由阿出でて、萬葉學上に逸すべからざる足跡を印した。その著作の最も優れたるものは、即ち詞林釆葉抄である。
 詞林釆葉抄は、集中の枕詞、地名、故事、その他の難語を注出して、之に考證解釋を加へたもの。最後に人麿が萬葉以前に卒したか否かの問題を始めとして、萬葉集に訓點を附した時代と人等の説明に至るまで、語釋以外の總論をも添へてある。和漢の古典を引用する事最も豐富に、考説また緻密である。今日より見ては、未だしき所、牽強に失した所もありはするが、併し當時にあつて、これほどの詳しい考證を作つた事を多としなければならぬ。その説の中には、仙覺抄の影響を受けた所甚だ多く、仙覺抄と同説、乃至敷衍した箇所が少くない。併し、その間新しい材料も掲げ、殊に二條冷泉二家傳來の説を擧げた所もあつて、その説を窺ふ便りとなる。
 本書の著作年代については、跋文によつて明かである。それによると、由阿は貞治四年秋以來、關白二條良基から冷泉爲秀を通して度々上洛を促がされた。それで由阿は、翌五年五月に至つて、相州藤澤から京洛に上つて、良基に萬葉集を講じた。その際に、自己の著書詞林釆葉抄を關白の上覽に供した所、遂にその手元に留めおかれた。しかして奥には、
  貞治五年十一月廿五日
 楡柳營邊藤澤山隱保桑門由阿【春秋七十六】
(17)とある。貞治四年秋、關白に召されて以來、その上覽に供する爲に筆を取つて此の書の著作に志し、その成るを待つて、翌五年五月上洛したものであらうか。或は、前に著してあつたのを携へて上洛したか、それらはさだかでない。しかして、貞治五年に由阿が七十六であつたことに就いて、流布本には大抵七十七と記してあるが、そは誤であつて、此の本最古の寫本なる田中勘兵衛氏所藏の本、及び京都帝國大學所藏本、いづれも七十六とある。之を憑據とすべきである。しかして水戸彰考館藏の一寫本には、
  本云先年草案之本紛失之間重書寫之
   應安二年三月十八日 頽齡七十九【右筆可恥之】
とあるので、貞治五年より四年後に由阿が書寫せしめた本もあつた事が知られる。その他東大國語研究室藏本には「于時應永二年【乙亥】卯月上旬書寫之」といふ奥書のある本もあり、田中勘兵衛氏所藏本には「應永十二年【乙酉】九月十二日和州廣瀬郡於百濟寺寫之」とあつて、著作後間もなく傳寫せられ流布せられた事が知られる。
 萬葉學叢刊に收めたものは、京都帝國大學の藏本にして、十册の胡蝶裝、六半形の厚紙に書寫した本である。第五卷の終には、「于時永享三二月自九日染筆」とあり、第十卷の終には「于時永享三六月十一日造筆畢權律師宥惠」とあるので、その書寫の年代を知る事が出來る。而して此の書の奥書の一には、「柿本遺塵澄經記之 春秋滿七十」とあつて、心性院澄經(經は雅の誤か)が書寫した旨を記し、奥書の二には、明徳三年十一月下旬に、豐原寺の住僧「實名教憲春秋壯年」なる人が書寫した由、而して澄雅の寫本にはすべて墨で書か(18)れてあつたのを、此の時注付の小字等は朱書した旨が記されてある。かくて白山豐原寺西谷なる實名教憲、即ち宥遍僧都が壯年に寫した此の自筆本から、更に、恐らくはその弟子と思はれる宥惠の永享三年に書寫した本が、此の京大藏本である。即ち此の書の原寫本は、現存の他の古寫本よりも古いのである。此の寫本は、注付小字等すべて朱書されてゐたのは、明徳三年本にならつたのであらう。若干の誤寫もあるが、流布本に較べて甚だ善本たる事は言ふを俟たぬ。過誤脱漏の僅少なるのみならず、流布本に多く掲げられてある引歌の如きも、此の書には極めて少い。故に、原本の面影を最もよく傳へてゐると思はれる此の古寫本を、ここに原本としてとることとした。しかしてその校訂に當つては、一字一句も苟くもせず、原本の通りの形に於いて現はす事につとめた。之によつて、比較的原本に近い形によつて、詞林釆葉抄を世に紹介することを得たと思ふ。なほ句讀點は編者の新たに加へた所、第六卷には、後に綴り代へた際、紙の順序を誤まつて前後した箇所があつたが、それらは今改めておいた。また原本には四聲點が多くついてゐるが、それは今省いた。
拾遺釆葉抄
釋由阿は、貞治五年五月上洛して、閣白二條良基に萬葉集の講義をした。その際に、萬葉集の讀方語句の解釋等に就いて、由阿自身その要點を書き止めておいて、後にそれを關白に進上した。それが即ち此の書である。講義は多分五月の中旬頃に始つて、七月の十日或はそれ以前に終つたのであらう。即ち此の書の奥書にはその旨の事が記してあつて、「貞治五年七月十日」と記されてゐる。しかして更に奥書には、「貞治六年三(19)月十八日」の年月日があるのは、由阿は此の時に此の書を淨書〔二字傍線〕して關白に進上したのであらう。後にまた臺門の僧等覺がそれから寫し傳へたのである。此の書萬葉二十卷の卷次に從つて、その卷中の難解の歌につき、また單に語句のみに就いて、註解を施したものである。詞林釆葉抄の如き精細のものではなく、極めて簡單な解釋に、出典等も全く略せられてゐるが、併し彼の如き語句の解釋ではなく、萬葉全體に渉り、その卷次に從つて歌を注解した點において、寧ろそれよりもまとまつた萬葉の注釋書といふ事が出來る最初に、簡單ながら總論があり、各卷の始にはその卷の大要までも標記せられてゐるのである。時には注解なくして語句のみを擧げてあるのは、單に訓を示す爲か、また歌詞としての佳句を特に揚げたやうである。また、在采葉として注の無いのは、即ち關白に奉呈した自己の著詞林釆葉抄に讓つたのである。本書一名を續詞林釆葉といふ。但之は、由阿自身の命名したものではあるまい。本書の卷末には、「拾遺釆葉抄廿卷終」とある。更にその後に「一名續詞林釆葉」と紙を新たにして記されてゐる。これは後人の書き加へであるやうに思はれる。なほ萬葉代匠記首卷今井似閑の書入によれば、「木瀬三之曰藤澤由阿萬葉集抄百卷江州彦根家中岡村半之丞所持にて三之繙之」とある。此の百卷は廿卷の誤であつて、木瀬三之の見た百卷の萬葉集抄とは、或は廿卷の拾遺釆葉抄であつたかも知れぬが、今はそれを明め得るよしもない。
 萬葉學叢刊に收載したこの書は、水戸彰考館所藏一册本によつた。此の寫本は新しくて、誤脱も甚だ多い。字劃の不明瞭にして宛字らしい所もある。それらは今出來るだけ正字にして掲げた。但し原本の面目は傷け(20)改める事はない。その他、編者の私案はすべて括弧の中に入れて掲げた。
青葉丹花抄
由阿は更に、應安七年、年八十四にして、萬葉集廿卷中の要謌を注出し、之に簡單な語釋注解を施して、青葉丹花抄と名づけた。歌に注解のないもののあるのは、所謂要謌を示す事を目的として、必ずしも注解を加へる必要を認めなかつたからであらう。併し、その訓點を知る上には重要な資料となる。此の書また卷の順次に從つてゐるが、拾遺釆葉抄は、歌中の一語一句、または數句をあげて解釋するに留めたに對し、此の書は寧ろ歌禅體を掲げ、その全形を示して、要謌を知らしめる事につとめた。收載の歌は、卷末に二百八十首とあるが、實際の歌數はそれよりも十首ほど少いやうである。本書、一名を萬葉難義といふ。
 萬葉學叢刊に收めたものは、水戸彰考館藏本によつた。その奥書には、「康暦二年初冬廿六日」とあるので本書はその成つて間もなく、五年にしてすでに書寫され流布された事を知るが、此の彰考館本は、それよりもはるか後の轉寫本である。これまた誤脱が多いが、今は大抵原本のままで收めた。
 以上三書は、以て南北朝時代の萬葉學者由阿の説と、その研究の全部を知る事が出來よう。
萬葉抄
 萬葉抄はまた萬葉集註抄書、一に宗祇抄といふ。連歌師宗祇の著に成るからである。本書は萬葉集卷一から二十にいたる各卷から、若干の歌を摘出して註を加へたもの、仙覺抄や釆葉抄などからの引用も多いが、(21)みづからの説を加へた所も少くない。但、註のなくて單に歌のみを擧げたものも多く入つてゐるが、何れも假名交りに書き直してあるので、その訓點を知る上に甚だ便利である。
 本書の流布本には、いづれも、「私云借用註本是迄少々書寫侍ぬ」云々といふ跋があつて、奥に「文龜二年二月五日於越後國府中旅窓寫畢」と記されてゐる。之は宗祇抄を拔出した人の筆であつて、即ち流布本は、宗祇抄さながらの寫本でなく、更にそれより抄寫した本である。
 宗祇抄の諸本として特に注意すべきは竹柏園所藏の二卷の卷子本である。此の卷子本は、もと册子であつたのを改裝したものと思はれるが、その内容は流布本に比すると、收載歌數が甚だ増加して、かつ註解も詳しくなつてゐる。併し之にも、前記の「私云」云々の跋があるので、宗祇抄原本よりの拔萃には違ひないが、併し流布本は更に此の抄出本よりの略本であつて、流布本の原形は此の竹柏園本の如きものであつたらうと思はれる。竹柏園本には「文龜二年」の奥書はなくて、代りに雀輕子の文字が書かれてある。此の雀輕子といふ人は何人か分らぬが、恐らくは連歌師の一人であらう。早川幾忠氏所藏の美濃判一册の宗祇抄も亦竹柏園本と同じく、流布本よりも詳しいものであるが、此の本にも前記「私云」の跋文があり、「文龜二年」の奥書はなく雀輕子の名もなくて、代りに、「文明十八年」云々の奥書がある。水戸彰考館所藏の萬葉集爲廣私註と題されたものにも同樣の奥書があるが、此の題簽は書寫者の名を著者とあやまつたので、中は即ち宗祇抄の流布略本と等しい。更に彰考館藏の宗祇抄の一本には、その奥書によるに二種の本によつて校合されたものが(22)ある。即ち宗祇の弟子宗碩より杉宗珊に傳はり、宗甫が寫して、「天文八年」に興國が更に寫し終へたもの。他は「文明十四年」に宗誕が寫した本より更に「天文廿二年」に寫されたもの、此の二種の本によつて寫された。此の宗誕筆の本の原本は、宗祇自筆の本であるといふが、いかがであらうか。右彰考館一本の奥書の中、「天文八年」に興國の寫した本の原本は、いま高松宮家の御藏本となつてゐる。(以上の奥書は、いづれも本書の奥に載せてあるから參照せられたい)
 以上の如く種々の本があるが、それはいづれも、「私云」の跋ある本より出でて、宗祇自筆の本によつたものは先づ見えないと言つてよいやうである。此の「私云」の抄寫本からして、文明十八年の奥書ある早川本や竹柏園藏の雀輕子書寫本が出た。更に流布の内容の一段と簡略になつた岩崎文庫藏の「明應元年十月二十八日」の奥書ある本、また文龜二年の奥書ある流布本が出でたので、文明十四年の宗誕筆の本も恐らくは此の系統のものであらう。誓切を以て(恐らくは宗祇が)門弟宗碩に屬したといふ、彰考館本の一本の奥書は疑はしい。兎に角彰考館本にも「私云」の奥書が添うて居り、その内容は流布本と同じくて、雀輕子書寫本や、早川本よりも簡略になつてゐるのである。此の略本即ち流布本は、萬葉集註抄書、或は萬葉集註抄、また宗祇抄と呼ばれてゐるが、その原本と思はれる雀輕子書寫本は萬葉抄と題せられてゐる。多分之が原本の名稱であらう。而してそれから抄出した旨の「私云」の奥書ある流布の略本に、後になつて萬葉集註抄書などと名付けられたのであらう。
(23) 萬葉學叢刊に收めたる宗祇抄は、右の竹柏園本を底本として、之に早川幾忠氏所藏本を以て校合した。兩者何れも得失があつて、相補ふ所が少くない。以上二本の校合によつて、稍完全なものになつた事と思ふ。更に水戸彰考館本を參考して、多少の訂正をした所がある。本文は竹柏園本により、その明かに誤と思はれる所は、早川本や彰考館本によつて改め、またいづれでもよいと思はれる所、いづれに從ふべきか俄に判定の出來難い所は、傍に括弧にイとして記しておいた。此の括弧内にイと註した部分は、早川本が主としてあるが、また稀には彰考館本をも入れた所がある。句讀點は新たに編者の附した所、本文の形式は、大抵早川本に從つておいた。之が最もよく整つてゐたからである。また竹柏園本早川本には、何れも既に他本との校合がしてあるので、之等の原註は今は括弧を付せずして、傍らに記しておいた。即ち括弧の有無によつて編者の註か又は原註であるかを知り得るのである。異本との校合以外の原註、即ち本文の假名の傍らに漢字を宛てた如きは、宗祇自身、又は「私云」の奥書を記した抄出者の書き加へたものであつて、いづれの本にも共通してゐる。ただ時として一方にあつて他の本には脱落してゐる所もあるので、之等の原註はよく異本と相訂して本文に書き加へ、脱漏なきを期した。
萬葉集之歌百首聞書
 本書は集中の歌百首を抄出して、それを四季戀雑の順に分類して並べ、之に註釋を加へたもので、始めに聞書とあるので、師の講説を弟子の筆記したものであることが知られる。而して本書と相似た表題のものが、(24)東京帝國大學國語研究室にあつた。その題簽には、萬葉集聞書とあり、内題には萬葉集之歌百首とある。奧には、
 奥書云此百首歌往昔幼少之比先師兼載法橋之演説を受侍りき。其聞書こまかに筆をくはへてしるし付侍へきよし、左京兆嚴命によつて白地染老筆者なり。比興々々
      二月              桑下叟
とある。此の奥書のある書は、去る大正十二年の震火災で燒失したが、萬葉學叢刊に收めたる萬葉集之歌百首開書は之と同一物であつて、桑下叟が幼少の時連歌師兼載から聞いた講義を老後に書き記したものである。
 ここに收載したるものは水戸彰考館の藏本によつた。猪苗代兼載は陸奥猪苗代小出方村の人、宗祇の門に入り、その讓りを受けて花下と號し、連歌の宗匠となり、永正七年二月十七日に没した。歌道熱心の人で、萬葉集の他源氏物語の註解等にも骨を折つた。我が國文學研究史上逸せられぬ人である。桑下叟はいかなる人とも未だ審にせぬ。ただ宮内省圖書寮の藏書中に、桑下叟の奥書のある書を見たのみである。
萬葉集目安
 集中より、卷の順に隨うて難語を摘出し、略註を加へたもので、萬葉集辭書ともいふべきものである。萬葉集見安、萬葉集難義、萬葉集秘訣などと題した本もある。著者は堯以とも言はれるが、未だ明かでない。萬治四年に刊行されたが、古寫本としては、木村正辭博士舊藏岩崎文庫所藏の本は、室町末期の書寫本であ(25)る。萬葉學叢刊は、すべて古寫本によることを原則としたが、右の古寫本はいかにも誤字が多く、善本でないから、萬治の刊本によつて收める事とした。(なほ本書と紛はしきものに、コ川時代の中期に、池永秦良の稿本を、上田秋成が補正した萬葉集目安補正なるものがあるが、それはこの室町時代に成つた萬葉集目安の體裁にならふ所があつたといふに過ぎない。而して目安補正は、茄十音順に並べられてゐるのであるから、此の點から見ても、室町時代の目安とは大いに違うてをるものである。)この萬葉集目安は、簡單なものながら、萬葉辞書の嚆矢ともいふべきものとして、中世の萬葉學上に注意すべき書である。
 
 予が東京大學古典科在學中、萬葉の講義を聽き、爾來萬葉に就いて屡指示を忝うした木村正辭博士は、仙覺抄は版本があるが誤が多い、詞林采葉抄は版本が無い、兩書とも古寫本によつて校訂した善本を出版したいものであると、數囘語られた。後明治四十三年に、國文註釋全書には、兩書を、一は博士の校訂書入本を以て校し、一は博士の所藏本を底本として刊行したが、今日より見れば兩書とも不完全な點が多い。そは時代の進歩のためで、當時知られなかつた古寫本が世に出た爲に、前者の不備な點が明かになるに至つたのである。予は多年萬葉集の校訂にたづさはつて來たので、さきに仙覺抄は現存中の最も古い寫本によつて、仙覺全集の中に收載刊行し、更にここにこの萬葉學叢刊を刊行することを得て、釆葉抄は京大本の古寫の善本によつて掲ぐることとし、木村博士の希望を實現することが出來たのみならず、他に彰考館所藏の由阿の二(26)著を加へて、今日に於いて知らるる限の由阿の全集を成し得たのは、喜ばしいことである。加ふるに、近衛家の萬葉集目録は、その原本は不幸にも湮滅したが、天下一本といふべき影寫本によつて收め、萬葉集佳詞、宗祇抄も今日知らるる限に於いての古寫の善本によつて收め、萬葉集之歌百首聞書また、東京帝大本は湮滅したが、幸ひにも彰考館本によつて載することを得た。萬葉集目安は、版本ながら稀覯書によつて之を收めた。斯くして中世の萬葉學書は、この叢刊によつて、從來刊行せられなかつたものが、殆ど全部刊行せらるるにいたつたのである。一は埋もれたる古人の業積を顯彰し、一は古人の業績を基礎として更に新しき萬葉學を興さむとする將來の學者の爲に、この萬葉學叢刊中世篇を刊行し得たことは、ひとり吾人の喜にとどまらぬと思ふのである。
 終に臨みて、文學士藤田徳太郎君が本書の校正を擔當せられ、就中詞林采葉抄のごときは、六校七校を重ねて、原本に近いものを出し得るに至つた勞苦に對して、感謝の意を表するものである。
  昭和二年八月八日    佐佐木信綱識
 
 
萬葉集目録〔省略〕
 
(1)萬葉集佳詞
 
   一
 
さゝなみ《近江》のくにつみかみの。浦さびて【ふるき事によむへし】
はままつがえの。たむけくさ
たき《吉野》つみやこは
みゆきふる。あき《所の名也》のおほ野にはたすゝき【はた薄とはすゝきのお花ははたをさしたるに似たれはいふ也】
いしはしる。あふみのくに 近江國
たをやめ《少女也》の袖ふきかへすあすか風
つら/\《つらなりたる也》つはき。こせのはる野
あさもよひ。きびとゝもしも【とは木をたきて朝のくひ物をするをいに也】
かくま野に。にほふはきはら
まつふくかせ
ますらおの。ともや。たばさみ
みつ《攝津》のはま松。まちこひぬらむ
かものはかひに。霜ふりて
たかしのはま たかしの山とも
たびにして。ものこひしぎのなくことも
みつのはまなる。わすれかい
よぶこどり。きさ《吉野》のなかやま
みよしのゝ。山したかせ
うぢまやま。朝ぎりさむみ
とふとりの。あすかのさと
あをによし。ならのみやこ【青瓷《アヲニ》の氏かいくさにかちたりしゆへにかくいひはしめたる也】
おきつしら浪。たった山【しら浪のたつたといはんとて山とはつゝけたる也】
おはなかりしき。やとれりしうちのみやこの。かりいほ【かりいほはあからさまなたるいほといふ事也】
とよはた雲に。いり日さし【こよひの月のくもりあらしとあり】
みわ山を。しかもかくすか
そまかたの。はやしはしめ【とはそまかたといふ所の林をにしめてはやしゝをいふ】
かはかみの。ゆづはのむら【は所の名也 草 かやをよむへし】
(2)うつせみの。いのちをゝしみ
みよしのゝ。みゝかのみね
しろたへの。衣ほしたる。あまのかく山【かこ山とも】
 
   二
 
みこもかる。しなのゝまゆみ
たまかつら。花のみさきてならさらは
あかつき。づゆ
やまの。しづく
かるくさの。つかのあひだも 【戀の心にひまなしといはむとてつかとはつゝくる也】
ゆづるはの。み井の。うへより
ほむけの。よする。かたより【とはいねお花なとの風ににかれてかたなひさなるをいふ】
すみよしの。あさかの。うらに玉も。かりてな
たちばなの。かげふむみち
いはみ。のうみつのゝうら
さゝの葉は。みやまも。さやに
いはみのうみ。うつたの山の。このまより【こひしき人の袖に見えてなともよむへし】
いはしろの。はままつがえ
たまかつら。かげに見えつゝ
とぶとりの。あすかの。かは
あまさがる。ひなのあら野【宮こをわかるゝといふ事ひなのあ野はゐ中の野也】
たかまどの。野への秋はぎ【鹿なとをよむへし】
 
   三
 
あびきすと。あことゝのふる。あま【あみひく事あことはあみうとをとゝのふるをいふ】
やすみしる。わがおほきみ【國王の御事也やすみとは方をしるといふ事也】
みよし野の。みふねのやま
あしきだの。のざかのうら
なつくさの。野じま《淡路也》のさき【ゆりいほりみよむへし】
あらたへの。ふぢえのうら【大甞會ニ天子ノ御|袍《ハウ》ニ麁妙細妙《アラタヘニコタヘ》とて二ありあらたへの御袍は藤にてをれるゆへにあらたへのふちえとつゝくる也】
ともし火のあかしのせと
(3)あまさかる。ひなの。なかぢ【都をはなれたるゐ中のなかきみちといふ事也】
かりこもの。みだれて見ゆるあまの。つり舟
あまくだる。かみの。かく山【とはあまのかこ山也天子をかいみとよませたる也】
ものゝふの。やそうぢがは【ものゝふのやといはんとてやそうち河とはつゝくる也】
いざよふ。なみ【とはさそふ浪といふ事也】
みわのさき。さのゝ。わたり【家もあらなくにとよむへし】
ゆふなみ。千どり
山もとの。あけの。そほぶね【とはあかき舟也】
たなゝし。をぶね
かさぬひ《遠江》の。しま
たづさはに。なく【和こひしともよむへし】
たかしま《近江》の。かち野のはら《野原》
しかのあまの。めかり。しほくみ【いとまなしとよみたり】
しらすけの。ま野のはぎはら【鹿をよみたり】
すみさふる。いはむらもすぎ。はつせ山【花もみち月かねをよむへし】
こゝにしてつくしはいつく【みや二はいつこともよむへし】
いほほらの。きよみか。せきのみほのうら【ゆたに見えつゝ物おもひもなしとありゆたとはゆたかといふ事也】
まつち山|すみたか《いほさきの》はら【日のくれてやとかるよしをよむへし】
すかの。は《すかの葉とはすけのは也》しのぎ【ふる雪のとよみたり】
いはがねの。こりしく山【とはいはかねのこゝりたるといふ事也】
しのずゝき。くめのわかこ
いちの。うへき《いちのうへ木とはまちのうへきをいふ也》の。こたるまて【こたるまてとはおほきになてえたのしたるまて君にあはぬとよみたり】
さゝなみの。いそこえ地なる。のとせかは
みよし野の。よしのゝ。みやは【かみさびてなとふりたる事をよむへし】
たごのうら《駿河》。ふじのたかね【雪はふりけりとあり】
みつもろの。かみなび山【とはやまとのみむろ山也もみちきし里なとをよむへし】
こぎ行舟の。あとしら浪【はかなき事によむへし】
みよしのゝ。たか|き《しろ》の山の。しら雲は
そむきに。見ゆるおくのしま
むこの浦を。こぎまふ船。あはしまを
うのすむいしに。よするなみ
さむきあさけ【あしたといふ事也】
(4)あらいそに。おふる。なのりそ【とは神馬藻《シンサウ》なりそとよむへし】
しほつやま《近江》
つるがのやま《越前》【あつさ弓つるかとつゝくへし】
こしのうみの。たゆひのうら【浪をよむへし】
たかくらの。みかさの山に。なくとりの【こゑきくからに人のこひしきなともよむへし】
よし野なる。なつみの川【かもをよむへし】
あきつばの袖ふるいも【あきつはのそてとはきはめてうすき衣の袖ふるといふ事也】
ゐまちづき。あけのと【よひにいつる月をゐまちの月とはいふそれにそへてあけのとはつゝくる也】
たきのうへ《淡路》の。あさ野の。きゞす【かすみをよみたり】
とぶさたつ。あしがら山もふなきゝり【とふさたつとはこすゑ也たつもみちまつせきなとよむへし】
うばたまの。そのよのうめ【そのよのうめとは夢といふ事也ゆとうとは一韻なるゆへ也】
やまの葉に。いざよふ月
みちのくの。まのゝかやはら。とをけれと
けおく山の。いはもとすけ【のねんころにともいはもとすのねのなかきともよむへし】
すまのあまの。しほやきぎぬの。まとを【さむき心月にもよむへし】
かくれぬのはつせをとめ【かくれぬとはかくれてといふ事はつせとははつかなりといふ事さてかくれてはつかなるをとめとつゝけたり】
かつしかの。まゝのいりえ【つきはしとよめりつきはしとははしをつきたる也】
さやかのかは
とものうら《備後》の。いその。むろの木【ふねつなくとよめり】
としま《淡路》のさき【はやふねのとしまのさきとよめり】
うつせみはかなき
あさとりの 朝の鳥也
 
   四
 
あさ日かげ。にほへる。山【梅や花をよむへし】
みくまのゝうらの。はまゆふ【浦のはまゆふかさねてもとよむへし】
かみかぜの。いせの。はまおき【おりしきて旅ねやすらんとよめり】
をとめらか。そてふるやま【みつかきのひさしきよゝりとよめり】
しきたへの。まくらに。くゝる。なみたにそ
あさぢかりほし。しきしのふ【あさちはあさきちかや也しのふ戀の心をよむへし】
たまくしげなる。たまくし【ともにほめたる詞也これも戀の心をよむへし】
(5)さほのかはと【千鳥をよむへし】
おくのうみの。しほひのかた【ちとりをよむへし】
とことばに【とほつまにといふ事 常不止也】
きのくにの。いもせのやま
やまとぢの。しまのうらわ【やまとちとは日本の惣名也】
のちはなにせむ。いけるよの【ためこそ人は見まくほしけれとあり戀によすへき也】
しろかみまじり【おふるまてありとしのよる心也】
月よゝし【よしとつゝけたり】
つくしや。いづこ【こゝにしてつくしはいつことありたひの心也】
くさかえの。いりえ【にあさるあしたつのともなしとよめり】
あびきする。なにはおとこ【あひきとはあみひく事也】
つき草の。うつろひやすく【うつろひやすき人の心のとよむへしつき草は露草なり】
あさだつ。くも【あしたたつ雲也】
あらたまの。としの。をなかく【としのをとは年緒をいふ】
しらとりの。とば山。まつのまちつゝそ
わが戀わたる。このつきころは
わかやとの。ゆふかげぐさ《ゆふへのかげの草也》のしら露は
けぬ《けぬはきえぬ事也》かにもとな。おもほゆるかも
やおかゆく。はまのまさご【やおかとはとをく行事也】
ねよとのかね【初夜のかね也】
あし邊より。みちくるしほの。いやまし【いやましとはいよ/\人をおもふとよむへし】
松の葉に。月は。うつりぬ【もみちはのすきぬや君かあはぬ夜おほくとあり】
月の。うちのかつら【ありと見て手にはとられぬとありありとみてあはぬとよむへし】
あらたまの。つき【あらたまのとしとも月ともつゝくる也あら玉の春とよめる事はなし】
しろたへの。そてわかるへき【わかる、戀の心也】
あこし《所の名》山。いほへかくせるさでのさき【いほへとは五百重かくせるといふ事也】
あさに。ひに。色つく山【あさにとはあしたにといふ事ひにとは日ことにといふ】
月よみの。ひかり【月よみとは月よといふ事也】
しづたまき【とはしつのをたまきといふ事也こひにもよむへしをたまきくり返しとも】
みやこも。しらぬ【たひの心也】
いのちに。むかふ【せつなる戀也】
すがのねの。おもひみたれて
(6)よこぎる。くも
こひぐさを。ちからぐるまに。なゝくるま
かりころも。みだれて
かすか野に。あさたつ雲の。しく/\に【しく/\はしけを事也】
うばたまの。そのよの月【月をまつ心也】
たくなはの。ながきいのち【たくなわはあみのなわ也】
み《ゆふやみはといゝけたり》ちたづ/\し。月まちて【かへれわかせこそのまにも見んとあり】
ちどりなく。さほ《大和也》のかはとのきよきせを【霧たちわたれともよむへし】
わすれぐさ。したひもにつく【ふるさとゝありあまのかく山によめり】
わかさぢ《若狭路》の。ゝちせの山【のちにあはんかならす君にけふならすとも】
むくらふの。けやしき《けやしきはにいやしき也》やと【君きまさは玉しかましを】
うちわたす。たけだのはら【たつとうつらみよめり】
たまの。を《玉のをは命也》ゝあはを【あわをとはあは|ら《(シヵ)》といふ事よはしといふ事也】
うつらなく。ふるきさと【よりおもへともなにそいもにあふよしもなきとあり】
 
   五
 
(コノ間落丁ヵ)
なきすみの。ふなせ《所の名》の山
きよき。しらはま【よする浪とよめり】
いなみ《播磨》のゝ。あさちをしなみ【ふる雪のとよめり】
たまもかる。からか《つくし》のしまに。むかひたち【あまなとをよめり】
つだ《播磨》のほそえに。うらかくれ行【ふねをよめり】
見ぬめ《淡路》の。うら【人を見ぬめのあまともよむへし】
すまのあまの。しほやきゝぬ【ふち衣とよめり】
さゝだけの。おほみや人【さゝ竹の大宮人とつゝくる事はさゝは一もとある事なしある所にはおほくむらかるゆへにおほ宮人はおほきにそへてよむさし竹ささ竹さす竹みなひとつ事也さしすせその韻なるゆへ也】
ときつかせ【にはかにふく風也】
こひわすれがい【わすれかいといふかいあり】
きびのこじま《備中》【大和こひしきともよめり】
くるす《山城》のをのゝ。はぎのはな【衣にすらむとよめり】
ならの。あすか【寺 里をよめり】
すみよし《攝津》の。こすのとこなつ
山のはに。いざよふ月まつ【月にそへて人をまつに夜のふくるによめり】
ま木の葉《おく山 とかしらにをけり》。しのぎ。ふる雪
こてふにゝたり【梅さきたりとつけやらはこてふににたり又後撰には花すゝきこてふにゝたりともあり】
(7)ゆふたゝみ。たむけの山【ゆふたゝみといふ事はゆふを手をもちてたゝむによりてゆふたゝみとはつゝけたる也たは手なり】
かはぐち《伊勢河口》ちのゝへ【にいほりてよのふれはいもかたもとのおもほゆる哉とあり いほりてはいほりしてと也】
わか《同》の。松ばら【たつのなくとありいもによりとあり】
みちのしばくさなかくおふ
みか《山城》のはら。ふたひのゝべ【おほみやところいつみ河かせの山とよめり】
いづみ《同》がはゆくせの。みづ【のきよけれはよろつ代までのおほみや所 心をとる】
をとめ《同》らか。うみをかくといふ。かせの山【梅 鶯をよめり】
こまやま ほとヽきす【こまのゝなてしこをよめり】
ますかゞみ《淡路》。ゝぬめの。うら【あまとよめり】
たきのうへ《同》の。みふねの。山【花 よふに鳥をよめり】
みよしのゝ。きよき河うち【千鳥 かはつをよめり】
しらゆふばな
みよしのゝ。あきつの。かは【きり 又あきつの野へともよめり】     七
 
   七
 
あまのうみに。くものなみたち【月の舟ほしのはやしにこきかくされぬとあり】
ますらおの。ゆずゑ《弓のすゑ也》。ふりたて【かるかたのよるさへきよくてる月夜かなとあり】
いざよふ月。夜ふけ
こすの。まとほり【とはすたれみすなとをふきとほす風をいふをときく人のこひしきなとにもよむへし】
しもぐもり
山のはに。いざよふ月を。いつとかも【月によそへて人をまつによむ】
あなしがは《大和》。まきもくの《雲たてるとあり》。ゆづきがだけ
たゆたふ。なみ【のとは浪のゆらめきてゆたかなるをいふ也】
まきもく《同》の。ひばらの。山【松 又たま木のみやともよめり】
くしかみ《所の名也》の。ふたかみ。山【いもなとゝよめり】
かたをかの。むかひの。みね【しゐまきてとよめり】
おほきみの。みかさ《大和》の山【みかさとは御かさ也 みかさの杜とよめり 月 雲 もみちをよめり】
よし野かは。むつだのよと【やなき】
はつせがは《大和》。しらゆふはな
なかるゝみお。井でこすなみ
さひのくま《さゝのくまとも》。ひのくまがは【駒とめてしはし水かへかけをたに見んとあり】
ゆふはがた《所の名》【ゆふはかは ゆふは山 同所歟】
(8)みわ《同》の。ひばら【しるしの杉 花 もみちをよめり】
あをねかみね《同》のこけむしろ【みよしのゝあをねかみねのこけむしろたれかをるらんたてぬきなしにとあり】
いもかりとわかゝよひちの【しの薄われしかよはゝなひけしのはら】
いは井の。みづ
みづわけ山【神さふるいはねこゝしきみよしのゝ水わけ山】
いはと。がしは【とは いしをいふ也】
たちかてに。する【たちかていてかて同事也】
しなかどりゐな野【ゐなのをゆけはありま山霧たちこめてとあり】
 白鹿取猪名野《シナカトリヰナノ》【しなかとりといふは昔國王のかりしたまひけるにしろきしかはとりて猪はなしかるかゆへにしなかとりゐな野とはつゝけたる】
むこがは【ゆすり行水のとも】
ちぬの。うみ【いくたの海也はまへのこ松とありちぬ男といひしものゝこの海にて身をなけしゆへにかく名付と云々】
とをのさと【はとをき里也】
かつしか《下總》の【まゝのつきはし】
かとり《同》の。うら【ひたち海のかとりの浦にこく舟のとあり】
にふ《大和》の河【ま木なかすにふのかはらとあり】
かしま《常陸》の。さき【浪をよめり】
はこね《相摸》【にはたつすみれみよめり】
みかたの。うみ
ひがさ《播磨》のうら【あまつたふひかさの浦をすきゆけは いなみのうみとよめり】
なごえ《相摸》のはま【かまくらのなこえのはまとつゝけたり】
しろたへに。にほふまつちの。山河に【わかむまなつむとよめり】
いとが《紀伊》やま【花をよめり】
なくさやま
をすての。山【あまを舟をすての山とあり】
たまつしま。よく見ていませ【あをによしならにある人のとよめり】
ゆら《紀伊》の。みさき【かいひろふゆらのみさきによする浪とあり 玉ひろふともあり】
さひか《同》の。うら【きの國のさひかのおきにいてぬれはあまのともし火浪になつさふとあり】
いもせの山《同》【にあさまくとあり】
かたみの。うら【にたつなきわたる】
たまのうら
おほはやま
みわの。さき【さのゝわたりとよめり】
(9)にほ《駿河》の。うら
かね《同》の。みさき
みづくき《近江》の。をか【やかた くす もみち むしをよめり】
たてしま
ゆふのやま【くろかみ山をあさこえて山したつゆとあり】
しかのあまの。やくしほけふり
うきぬの。いけ
くさふかゆり
あなじ山。つばきさけれや【八みねとかけりやみねこえて】
くらはし。やま【河ともあり】
あをみづら。よさみのうら
かきごしに。いぬよびこして【とかりす 鳥かる也】
あさづくひ。むかひの山【あさつくひとはあしたの日也ゆふつくひとも】
をちこちの。いはなかにある。しら玉を
この山の。もみちの。したの。はな。ゝれば
くれなゐの。こぞめのころも
かうちめの。てぞめのいと【かうちめととは河内の國の女也】
ひざにふす。たまのをごとの【小琴とかけり】
みちのくの。あだゝらまゆみ【あたちのまゆみ也】
ゆふひかくれぬ。あさぢはら
うなでの。もりの【すかのねを】
みしまえの。たまえ【のあし】
あはちのや。ゝはしのしのを【やにはきてまことありとや】
ゆだのたゆだに【ゆたはゆかく手のたゆき也又秘説あり】
ふるの。わさた【いそのかみふるのわさ田はひてすとも】
すみよしのあさゝはをのゝかきつばた
あきざらは。かけにもせんと【わかまきしからあゐの花を】
みそら行。月人おとこ。ゆふ《ゆふへ也》さらす
あさしもの。けやすきいのち
ゆふかけて。いのるみむろの。かみさびて
ひろせ川。袖つくばかりあさきせや【こゝろふかめて】
まかなもち。ゆけのかはらの。むもれ木の
おほふねにまかぢしけぬき
むらさきの。なたかのうら
(10)いりぬるいその見らくすくなく【しほみては】
にはつどり《には鳥也》。かけのたれおの。なかきこゝろも
みぬさ《御幣也》とるみわのはふりかいはふすぎ
 
   八
 
をとめらがかざし
かはづなく。かみなび川に【山吹 かはつ】
はるの。あめの。しき/\ふるに。【しきりにふる也】
うちきらし《きらしはきりあふ也》。雪はふりつゝ
春のゝに。あさるきゞすのつま戀に
わかやとに。まきしなでしこ
つばなぬく。あさぢかはらの
たまきはる。いのちにむかふ
かみなびの。いはせのもりの。【ほとゝきすならしの岡にとあり】
たちはなのはなちるさと
しげみに。まじるひめゆり【なつ草の】
さつき《五月といふ事也》のや。はなたちばなを
わかせこが。やとのかきつの。さゆりはな
みづとりの。あをばの山
あきのつゆ。うつし《うつしとはうつろふといふ事也》なりけり。みつとりの【あをはの山】
秋たちて。いくかもあらねと【このねぬるあしたの風はたもとさむし】
ゆきゝのをか《大和》の。秋はぎ
見そめのさき
さやけくてれる
かみなつき。しぐれにあへる。【もみぢばの】
こもりえの。はつせの山は
秋はきの。えたもとをゝに
さをしかの。あさたつ野への。秋はぎに【にほひてゆかん】
しかの。むねわけ
おほのうら
わがせこが。わさだ。つくれる
はたずゝき。お花さかふき
そらきらし【うちきらし】
(11)松かげの。あさちかうへの。しら雪を
けさずてをかむ。ことのはぞなき
たるみのうへ【さわらひの】
いはせの。もり【のよふこ鳥】
はる山の。さきのをすぐに【わかなつむ】
うちなひき。春はきたれど
こぞの春。いこして。うへし【小木なとをほりてうふるをいふ】
わかせこに。見せむとおもひし
あすよりはわかなつまむと【しめし野に昨日もけふも雪はふりて】
 
   九
 
朝きりに。ぬれにしころも
ふぢしろの。みさか【をこえて】
かざしの。たま【のをゝよにみ】
(コノ間落丁ヵ)
ころもての。ひたちのくにゝ【手をひくとつゝけたり】
ありあけのよ
みよしのゝ。雪ふる山を
いにしへの。さゝだおとこの
あしのやの。うなひをとめの
ちぬおとこ
 
   十
 
あまのかは。 みつかげぐさ【水のかけ草也】
こそのわたりの。うつろへは【あまの川こそのわたりとありうつろふはかはる也】
しら雲の。いほへかくれは《五百重かくれたり》
たなばたつめの。あまつひれ【雪をよめり】
やそのふなつの。みふね【あまの川やそのふなつのとあり】
あまの。かはど
くもの。ころも【七夕の雲の衣】
あしたまも。てだまもゆらにをるはたの
さぬかたののべのあきはぎ
あきはぎの。えばもしみゝ【しみゝとはしけき也】
山とびこゆる。かりかね
さをしかの。つまとふとき
(12)はだれしもふり【うすき霜也 斑也】
山のとかげ【あとのかけ也】
かげくさ《かけの草也》の。おもひみだるやと
いもかてを《手をとるとそへたり》。とりこのいけ【水なとあり】
おばながすゑに。なくもず【のこゑきくとあり】
秋はぎの。えだもとをゝ
あき田かる。かりいほを。つくり
つまかくす。やのゝ。かみ山【弓をいるにはつまかけといふ事あり】
いもが袖。まきもく山
つまなしの木【なしをつまなしの木とつゝけたり】
たかまつの《まつのはたかまとゝいふ事也》。野の。うへのくさ
ま木の葉も。あらそひかねて【もみちとよめり】
つきびとの。かつらのえたの。いろづく
みづくきの。をかのくず葉
あすかゞは。かつらき【山とあり】
さをしかのつまよぶ山の。をかべ【なるわさ田はからしとあり】
しら露を玉につくれるながつきの
ありあけの月を見れとあかぬかも
かりのつばさの。【おほひは】
あきたのほむけ【穂向とかけり】
はつせかせ
朝かすみ。かひやかした【になくかはつ】
さをしかの。あさふすをの
さをしかの。をのゝ草ぶし
おはなかもとのおもひ草【とは露草《月草とも》いふ】
みくさの。はな【ふかき草也 又水にある草をもいふ】
あふさか山の。しのずゝき【ほにいてぬ薄也又ほにいつともよめり】
いさなみに。いまも見てしか
はなのゝ。すゝき
やまきねかつら
しなへ。うらふれ【とはうらふれとはしのひうらむる也】
はふりこが。いはふやしろ
しのずゝき。ほにはさきいてぬ
しらかしの。えだも。とをゝに
(13)あさとを。あけて
ほづえのむめ【こすゑ也】
さゝの葉に。はだれふりおほひ
あまをぶね。はつせの山
山したかせ
あさづま《近江》。山
ともしくも。あらじうぐひすのこゑ
はこどり【はる鳴とり也】
むらさきの。ねはふよこのゝ。はる野には
かすかなる。はかひ山
かげろふの。もゆる春日
やまだの。さはにえぐつむと【えくとはおはせり也】
なきて。うつろふ。うぐひす
あさみどり。そめかけたりと【淺緑也 柳 草なとをいふ】
かつらなる。やなき【おほやみ人のかつらなる柳とあり】
うつたへに。とりは。はまねと【うめの花とあり】
あらそひ。かねて【もみちすとあり】
いたくな。ふりそ
もずの。草ぐき【春されはもすの草くき見えすとも】
かほどり
をみなべし。さく野に。おふるしらすげ
くにすらがわかなつむらん【國栖とかけり大和の國の人也天智天皇御時わかなをつみてたてまつりし人也】
かはかみの。いつものはな【のいつも/\とあり】
むかひの。ゝべ
ふちは。ちりすきて
くれなゐの。すゑつむ。はな【いろころもとあり】
なつくさの。露わけ。ごろも
つちさへ。さけて。てる日
あめのをしてと。みなしかは【をしてはしるし也みなしかはゝ水無也】
ゆふつゞも。ゆきかふそら
 
   十一
 
としのを。ながく
(14)あやむしろ。をになるまで【にあひみねはをとなるまてに君をしまたむ】
ゆくみ《山城》のさと
わかくさの。にゐたまくら
たちておもひ。ゐてもぞおもふ
くれなゐの。あかもたなひき
いにしすがたを
むばたまの。いもが。くろかみ
とものさはぎ【ものゝふの とものさはきとあり】
ゆみとるかた
あさねがみ
ゆふされは。きみやきますとまちしよのなごりぞいまもいねがてにする
しきたへの衣てかれて【あひみねはとあり】
いもかそで。わかれしひより。しきたへのころもかたしき。こひつゝそねる
山さくらど【あしひきの山さくら戸をあけをきてとあり】
しか《筑紫》のあまのしほやきころも【まとをとあり】
くれなゐの。こぞめの。ころも【からあるのやしほのころも】
しつはたをび【のかたむすひとありしつはたをひとはしつかはたをるをひ也】
あづさ弓。すゑのはらのにとがりするゆづる【とかりとは鳥をかる也ゆつるは弓のつる也】
ときもりのうちなすつゞみ【うちならすつゝみ也】
ともし火の。かげにかかよふ【さゆりはな】
みちゆきつかれ。いなむしろ【しきても君を見んよしもかも】
をはりだの。いたゝのはし。けたよりゆかむ
みやぎひく。いづみのそま【にたつたみ】
すみよしの。つもりのあま【のかつきすとあり】
ひだ人の。うつすみなは【たくみをふふ也】
をくか火《かやり火也》のしたこかれ【ゆくと戀にそへたり】
すぎいたもて。ふけるいたま【のまとをにとあり】
あしびたくやは。すゝたれど【をのかつまこそとこめつらしき】
あげさゝはのゝ【いもかかみあけさゝはのとあり】
すそひく《からころも》みち【をなかにをきてとあり】
あまとぶや。かるのやしろ【うむひのみやとあり又やま】
(15)くたみ山。夕ゐるくも
をちかたの。はにふのこや【つちしてつくりたる屋也】
さくらあさの。おふのした草【つゆあらはあかしてゆかんおやはしるともとあり】
山とりのお【のひとみねとあり】
しはをやま
まこもかる。おほのかはら【のみこもりにこひしきいもかひもとあり】
あをやぎの。いはかきぬま
いさやがは《近江》【しらぬ事にそへたり】
ものゝふの。やそうちかは【千鳥 はしひめ しはふねともよめり】
井てこすなみ
ゐてのしからみ
かさのかりて【わさみのゝわれはいりぬと わさみのとははしめのみの也】
あきかせの。ちへのうらわ【なるこつみ】
しろたへの。みづのはにふの色【にいてゝいはすてのみそわかこふとあり】
すがしまの。なつみのうら【による浪のあひたもをかす】
うしまづ《播磨》の。なみの。しほさい【しほさき也】
しほみては。みなわにうかふ。まさごにも
われはなりにしか。戀はしぬとも
しがのあまの。けふりやきたて【やくしほのとあり】
あしわけをぶね。さはりおはみ【わかおもふ君にあはぬとあり】
むまやぢにひき舟わたりたゞのりに
いもかこゝろにのりにけるかも
はつせのや。ゆづき《所の名也》かした【に月よゝしとあり】
こまにしき。ひものかたへを【とこにおとしとあり】
たまほこのみちゆき人
たまゆらに
ふるの神すぎ
いはねふみかさなる山【とをしとあり】
ひもかゞみ。のとかのやま【もたれゆへに君ゆきまさるとあり】
こはたの山に。むまはあれど【君をおもへは】
せゞのしきなみしき/\【しけき心也】
みなはさかまき行水
のちせ《のちせとはのちのせ也しつけみにしつかなる事》。しつけみのちもあはむ【かも河とあり】
かとり《常陸》のうみ【おきつしら浪】
(16)しらまゆみ。いそへのやま
あをやぎの。かつらき山《大和》【柳 花 くも】
うはたまのくろかみやま
くさふかゆり
やましろのいづみの。こすけ【かさにぬひとあり】
みむろの山《同》の。いはほすけ
のきのした草
あきがしは。ぬるはかはべ【あきかしはゝいし也ぬるはぬるゝ也】
みちのべの。いちしのはな【いちしるくとありいちしはいちこ也】
みなそこに。おふるたまものねふかめて
しきたへのころもで
ちぬ《攝津》のうみのはまへのこ松ねふかめて
わがこひわたる。ひとのこゆへに
にほとりのあしぬれくる【世間にはみほといふ鳥也】
たかの山の。みねゆくしか
おほふねにまかてしげぬき【まかてとは左右のかち也しけくぬく也】
おやの。かふこのまゆごもり【いふせくもとあり】
つるぎたち。もろはのとき
ますかゞみ。てにとりもちて。あさな/\
みれとも。きみが。あくときのなき
ゆふされは。ゆかのうへさらぬ。つげ枕いさともきみをまつぞくるしき
ときゞぬの。戀みたれつゝ。うき草のうきても。われ。は。こひわたるかも
ことたまの。やそのちまた
たまきはる。いはかきぶち【いのちといへはいはかきふちともあり】
かくらくのとよはつせぢ【かくらくとはかくるゝ也】
わきもこかわれをゝくると。白妙の袖ひつまでに。なきしおもほゆ
あらたまの。すどがたけがき【すとゝは竹にてあみたる戸也】
 
   十二
 
ゆふは山【ひもをゆふは山なとあり】
(17)あら井のさき
しまくまやま【玉か|つら《(マヽ)》しまくま山とあり】
かけろなく【にはとり也】
こぬみのはま【まつ人のこぬみのなと】
かすか野の。あさぢがはら
すみよしの。きしにむかへるあはぢしま
けいのうらに。よするしら浪
ときつかせふけゐ《攝津》のはま【に鳴千とり】
たごの。うら【ふしのたかねにとあり】
かすがなる。みかさの山に【ゐる雲を】
やかぢかけ。しまがくれなは【あまたのかち也】
わがせこが。あさけのすがた【あさけはあした也】
やましろの。いはたのもりの【よふこ鳥とあり】
あさは野に。たつ|みわ《三輪》こすけ【たつみわこすけねかくれてとあり】
うばたまの。ねてのゆふへの【ものおもひに】
たまだすき。かけてわすれん
あらたまの。としのをながく
わきもこがよとでのすかた【よとてとはねところをいてたるすかたといふ事也】
しろたへの。袖のなれにし
ひとの見て。ことゝがめせぬ
うつせみの。うつしごゝろ
くれなゐの。うすそめ衣【あさはかにあひ見し人にこふるとあり】
まだまつき《實玉付とあり》こえかねて
はふりこがいのるみむろのます鏡
ふるの。たかはし【いそのかみふるのたかはしとあり】
あしわけをふね
あしびきの。山よりいづる月まつと【人にはいひてとあり】
 
   十三
 
見ゆるこじまの。はまひさき
あさがしは。ぬるやかはべのしのゝめの
(18)みかさに。ぬへる。ありますげ【おほ君のみかさにぬへるとあり】
やまさはえく
いはもとすげ
あしがきの。なかのにこくさ
あさはの。のら【くれなゐのあさはのゝらとあり】
あしたづの。さはぐいりえ
いつしばゝら【いちこのしは也】
まのゝいけの。【こすげ】
かみなひの。あさゝは|あ《(マヽ)》らの。をみなべし
たにべにはへる。たまかづら
くさをふゆ野に。ふみからし
やまぶきの。にほへるいも
かたいともて。ぬきたるたま
あくらのはまの。わすれかい【人をあくらのとあり】
すみよしの。うつせがい
いせのあまの。あはびのかい
あらいその。すどり【すとり すか鳥 同事也】
千とり。しはなく【しはなくとはしきりに鳴也】
なには。すががさ
このまより。うつろふ月
やへむぐら。はひたる庭に。玉し|か《マヽ)》しを
あつさ弓。ゆづかまきかへ【ゆつかは弓のつかまきかふる也】
みしま《攝津》。すげ
みよし野の。みくまがすげ
かはかみに。あらふわかな
うきたのもりのしめ
やばせのかは
あしはらの。みづほのくに【日本名也】
いぐしたてみわすへまつる【みわとは神にたてまつ名酒也】
いそしの。み井
あふみのうみ。しらゆふ花になみ【たちわたる】
あごのうみ
みゆきふる。よしのゝたけに。ゐる雲の
(19)よそに見し。こにこひわたるかも
かはのせの。いはかどわたり【いはのかと也】
 
   十四
かつしか《常陸》の。まゝの。うらわ
にゐ《同》。くはまゆの。きぬ【にゐくはまゆとはあたらしきくはまゆ也 つくはねのとあり】
しなのなる。すがのあらのゝ。ほとゝきす
あらたま《遠江》の。きべのはやし【になをたてゝとあり】
きべ《同》人の。まだらふすま【またらなるふすま也】
ふじの。しばやま
かすみゐる。ふしの山
ふじのたかねの。なるさは【さぬらくは玉のをはかりこふらくはふしのたかねのなるさはのこと】
あしがらの。はこねの山
かまくらのみこしのさき
かまくらの。みなせのかは
あしかりの。ま|のゝ《(マヽ)》こすげの草枕
はこねの。ねろ《ね也》の。にこくさ
たま川に。さらす。てつくり【のぬのとあり】
むさしのゝ。うけらがはな【をけら也】
むさしのゝ。くさばもろむき
おはやがはらの。いはゐづら
まゝのてごな【人の名也】
にほとりの。かつしかわせ【かつしかは所の名 わせとはいね也 にへすともはいゐ|ます《(マヽ)》といふ事也
あのをとせず。ゆかん【こまもか】
つくはねに。かゞなくわし【ねのみをかなかん】
そがひに見ゆるあしを山【あしかるとかもとあり】
をつくばの。ねろ【つくはねのねろにとあり】
ひたちなる。なさかのうみ【の玉もこそ】
しなのちの。ちくまのかは【のさゝれとも】
ひのくれに。うすゐ《上野》の山を【こゆる日はせなのかそても】
とねがは《同》【の河せもしらす】
いかほろ《同》の。やさかのゐて
(20)いかほろの。ぬま
いならのぬま
さの《上野》ゝ。ふなばし【とりはなしとあり】
しもつけの。みかほの山
みちのくの。かとりをとめ
いなさ《遠江》。ほそえ【のみをつくし】
しだ《駿河》のうら【をこく舟のとあり】
あしがり《あしから也》の。あきなの山
みちのくの|あたゝら《あたち也》まゆみ
つむがのに。すゝかをと。とかりすらしも
あつまぢの。てごのよひさか
あさでこぶすま【あさのこふすま也】
山鳥の。おろのはつおに。かゝみかけ【となふへみこそとなふは鳴也】
ゆふまやま【なによそりとあり】
かはかみのねじろたかゝや
うなはら《うみ也》の○ねやばら。こすけ【ねあらはなるすけ也】
しばつき《相摸 所の名》の。みうらざきなるねつこ草
たなびく。雲のいざよひ
おほをそ。どり【からすてふおほをそ鳥 おほをそといふはからすはそら事をするゆへ也】
あべ《駿河》のたのもに。ゐるたつ【あへのいけともあり】
さをしかの。ふすやくさむら【とほくとも】
あぢのすむ。すさのいりえ
まつかうら
あぢか|さ《(まヵ)》の。かけのみなとにいるしほの
まくらがの。こがのわたり
おほ船を。へゆももとゆも【へにももとにもといふ事也】
 
   十五
 
いはねふみ。いこまの山【をこえてわかくる】
つきよみの。ひかりをきよみ
 
はなれそ《はなれたるいそといふ事》に。たてる。むろのき【うたか|ひ《(マヽ)》も
しかま《播磨》。がは【たえん日にこそわかこひやまめとあり】
なつ草の。野じま《淡路》【かさきにいほりするわれはとあり】
(21)しろたへのふちえ《同》のうら【藤にしろふちいふふちのあれはしろたへとはよめり】
ひなの。なかち【ひなはゐ中をいふ也】
あかしのと【なみとも】
あこの。うら
かざはや《筑紫》の。うら【わの浪】
山のはに。月かたぶけは。いさり。する【あまのともし火とあり】
たづがなきあし邊【さして】
つくしぢの かたの。おほしま【しましくもみねはこひしきとあり】
いはひじま【いく世ふるまていはひきぬらんとあり】
からの。うら【あさりするたつとあり】
しかのあまの。一日もおちす。やくしほ
あきつきぬらし【あしひき山 松かけ 秋ちかくなるらんとなり】
かんさぶる【かみさふる也】
わきもこがときあらひ。ごろも【秋風にともわきもことは女也】
からとまり《筑紫》の。のこの。うらなみ【たゝぬ日はとあり】
かやの。やまべ
あまとぶや。かりのつかひ【えてしかもとあり】
あらたまの。たつ月
たらしびめ。み舟。はてけん。まつうらの【うみ たらしひめとは神宮皇后】
山とぴこふる。かりかね【は宮こにゆかはとあり】
あらたまの。月日
もみぢばの。ちりなむ。ときに
あさちやま《對馬》【しくれの雨にもみつとあり】
をくつゆ。 しもに。あへずして【もみちすとあり】
もみぢばの。ちりの。まがひ
くれなゐの。やしほの色【のすり衣とあり】
ながつきの。もみぢの。やま
あめつちの。そこひのうらに。わかことく
あぢま野に。やとれる。きみに
 
   十六
 
(22)しらたまの。をだえのはし
とよくに《豐前》の。きくのいけ【なるひしのうれを】
 
   十七
 
きのふこそ。ふなては。せしか【いさなとりひゝきのなたをけふ見つるかも いさなとはちいささうを也 ひゝきのなたは攝津】
あまをとめ。いさり。たくひの【おほゝしくつのゝ松原とありつのゝ松原はないは】
たちはなの。にほへる袖に。ほとゝきす【なくと人つくとあり】
うづらなく。ふるしと。人は【おもへれと花たちはなのとあり】
かりがねは。つかひに。こんと【さはくらし秋風さむみとあり】
はぎの花にほへる山を【秋にはにいてたちならし 長歌也】
ふせのうみ《越中》の。おきつしら浪。ありかよひ【いやとしのはにとちり いやとしとは彌年とかけり】
おきつなみ。よせくる。たまも【かたよりにかつ|く《(らヵ)》につくりとあり 長哥】
 
   十八
 
たるひめの。さき
たるひめの。うら【をこきつゝけふのひはたのしくあそへいひつきにせん】
をふのうらの。ありその。めくり【見れとあかすけり】
ともしびの。ひかりに見ゆるさゆりばな【さゆりは小ゆり也】
あをの。うら
きみが。すがたを見ず。ひさに
 
   十九
 
このさとは。つぎで霜やをく。夏のゝに【をきつきてをく心也】
わか見し草は。もみぢたりけり
とをきをとも。きみか。いたむと【こひの心也】
 
   廿
 
(23)くずのすゑ。つゐに【かつらのすゑつゐにともあり】
あしのみのはな【色にいてゝ世間にあせみといふ】
たかまと《大和》の。おはな
やちくさに。草木をうへて【やちくさとは八千種とかけり】
しかの。むねわけ
そでも。しほゝに【なきしそもはゆとあり そもはゆとはなきしそおもふといふ事也】
たちばなの。したふく風の。かふはしき
つくば《常陸》の山を。こひすあらめや
つくは山の。たちはな
わがゝどの。いつもと。やなぎ【うへをきてとも】
ちば《下總》のぬの。このてかしは【のほゝまれとあやにかなしみとありぬのはぬま也】
みそらゆく。雲も。つかひと
ひはりあがる。はるべと【なれはかすむとあり】
ふゝめりしはなのはしめ【てさくまてにあひみぬ君とありふゝめりしとはつほめるといふ事】
松がえの。つちにつくまて。ふる雪の【きえぬとあり】
あぢさゐのはな【世間にあつさへといふ花也】
みやこどり
そがひ【そはさま也 そかひに見ゆるおくの嶋とよめり】
みづとりのかものは色のあをきむま【をひくとあり】
 
 以《寫本云》祖父入道大納言爲家卿 自筆本所被書寫也但佳詞之注等於本者以朱被書付之而今態以墨注之云々爲後代誠爲宜而已
          左兵衛督藤原朝臣爲秀判
 
 長禄四年閏九月中旬之比以證本令書寫之畢
             桑門圓雅
――――――――――
 (六頁上段「コノ間落丁カ」に相當スル部分ニ一本ニ次ノ十七行アり)
きみがてなれのこと
たなれの、みこと【たなれとは手なれと云事也 みことは御琴なり】
たましま《筑前》の、この河かみ【に家はあれと君をやさしみあらはさすありき やさしむとははつかしむる心也】
(24)わかゆつるまつらの河《同》【わかゆつるとはこあゆ也】
まつらがはなゝせのよと【いもかあゆもなとよめりはよとむともわれ|よ《・(マヽ)》とます君をしまたん】
 
たましま《同》の、うら【わかゆつるとあり】
まつうらがた《筑紫》、さよひめのこが、ひれふりし【さちひこの遣唐使之時ひれふりかたけに|しらこ《(マヽ)》のさよひめなこりをゝしみてさちひこをまねきし事也】
 
   六
 
はつせ《大和》めのつくるゆふはな【はつせめのはやまとのはつせの女也つくるゆふ花とは神に奉るへいを云】
たきのみなわ【とはたきの水のあは也】
みがり人はとりやたはさみ【御狩也】
あしかきのよしのゝさと
をしてるや、なにはの、ちには【なにはすかゝさともあり梅ふるさとゝもよめり】
あきつとり【おきつとりかもともうともよめり】
お|く《(マヽ)》やだま【とはあはひの玉也 玉のえんにひろふともよするともよむべし】
あはぢしま、まつほのうら【やくしほのともよめり】
 (一一頁上段「コノ間落丁カ」ニ相當スる部分に一本に次ノ十六行アリ)
しらとりのさきさか山【の松かけ】
あけまくおしきあたら夜
くぜ《山城》のさぎさか【たまくせのさき】
ひらの山かせ、うみふけは、あまの
そてかへるみゆ【つりする】
さゝなみの、ひら山【風とあり】
はまゝつかえのたむけぐさ
むつだの、かはの、かはやなき
かはづなくむつだのかは
やましなの、いはたのをの
わかたゝみみへのかはらの【いそのうらに】
しらゆふはな
みくるすのなかにむかへる|さ《(マヽ)》しゐの【さらしゐに】
しら雲の、たつた《大和》の山
つなの、はま
いゆきあひのさかのふもとに【ゆきわひのといふ事】
 
(25)詞林釆葉抄 目録
 
 第一
奈良都           青丹吉奈良《アヲニヨシナラ》 賀茂
宇治都           物武八十氏河         《付》千早人宇治
千盤破宇治         鏡山             楯並《タタナメテ》泉(ノ)河
 第二
隱口初瀬          海小《アマヲ》舟泊瀬     味酒《ウマサカノ》三輪 付三室
雷岳《イカツチヤマ》    葛城山            龍田山
芳野山           袖振山            東野
吉野國|栖《ス》      蜻《アキツノ》小野  
 第三
天皇《スヘラキ》      磯城嶋大和          秋津嶋大和
虚見津《ソラミツ》大和   天(ノ)香具山        石上布留
玉|手次畝火《タスキウネヒ》勝間田池           墨吉
葦垣吉野          葦(ノ)屋(ノ)處女塚《ヲトメツカ》 志長鳥伊那《シナカトリイナ》《付》水長鳥安《ミナカトリ》安房就
 第四
忍照《ヲシテル》難波    級照《シナテル》       朝毛吉紀《アサモヨヒキ》
妹背山           樂々《サヽ》浪        鯨魚取淡海《イサナトリアハミ》
角|鹿《カノ》濱      明石浦  陬磨浦
白縫《シラヌヒノ》筑紫   松浦河 《付》玉嶋河     浦嶋子
渤海《ホツカヒ》
 第五
鷄之鳴東          富士山《付》鳴澤       打|縁《ヨスル》駿河國
波(ノ)關守        鳥總立《トフサタツ》足柄   鎌倉山
筑波山           衣手(ノ)常陸(ノ)國    霰降《アラレフリ》鹿嶋
夏|麻引海上《ソヒクウナウモ(マヽ)》) 佐野舟橋
 第六
千盤破《チハヤフル》    神風  神無月
大神《ヲカミ》       木綿疊《ユフタヽミ》     紐呂寸《ヒモロキ》
八隅知之《ヤスミシシ》   夷《ヒナノ》都        久堅天
豐旗雲           月桂             七夕姫
(26)天在一棚橋        時津風
 第七
玉鉾道           雲聚《ウスノ》玉       鳥羽《ウハ》玉
玉|勝《カツ》間      玉|箒《ハヽキ》       玉|剋春《キハル》
釼|刀《タチ》       山|多豆《タツ》       角※[章+オオザト]經《サハフ》
燧火《トフヒ》       防人《サキモリ》       橡衣《ツルハミノキヌ》
髪梳小櫛《クシラ《・ツケノ》ノヲクシ》 比禮麾《ヒレフリ》  日本琴
五手船           水手《カコ》         水砂兒居《ミサコヰル》
必志《ヒシ》        歌方
 第八
紐《ヒモ》鏡        山鳥(ノ)鏡         九月其初雁《ナカツキノソノハツカリ》
百舌草莖《モスノクサクキ》 鹿火屋《カヒヤ》       負圖神龜
肩拔占《カタヌキノウラ》 《付》異名(ノ)占  足日木山  山櫻戸
鉾椙《ムスキ》       合歡木花《ネフノハナ》    結松
兒手柏《コノテカシハ》 《付》異名柏  翼酢華《ハネスノハナ》  阿倍橘《アヘタチハナ》 《付》橘甘子
 第九
手向草           百夜草            思草
戀草            夕陰草            水陰草
鬼之志古草《ヲニノシコクサ》 針原《ハリハラ》      葛餝早稻《カツシカワセ》
浦(ノ)濱木綿《ハマユフ》 弱草夫《ワカクサノツマ》   波之吉也志《ハシキヤシ》
人麿萬葉 以前〓不     人麿入唐(スルヤ)不《イナヤ》 古語|採擇《サイチヤク》
 第十
旋頭歌           長歌短歌歌          萬葉集書樣
萬葉集時代         萬葉集撰者          萬葉集點和
  已上一百廿五篇
 
(27)詞林釆葉抄 第一
      藤澤山陰侶桑門由阿撰
 
   奈良都
當集第三卷、大宰少貳小野老朝臣歌云
 アヲニヨシナラノ都ハサク花ノニホフカ如クイマサカリナリ
奈良宮ノ時代事、或云十代、或云九代、又ハ七代ナト、亦説々不同也。續日本紀《延暦十六年菅野眞道奉勅撰之》曰自持統天皇、至于光仁天皇九代、居寧樂都云云。水鏡《葛城尼於泊瀬寺語之》曰、和銅三年自難波遷奈良都矣。萬葉集第一云、和銅三年春二月|從《ヨリ》2藤原宮1遷寧樂都焉。如此兩説者七代ト見エタリ。仍今考v之云、慶雲四年六月十七日、文武天皇於2藤原宮1崩玉フ。同七月十三日、母后元明天皇即位。同五年正月改元爲2和銅元1。同二年始(テ)建(ツ)2那羅《ナラ》都(ヲ)1。同三年遷都至(マテ)2桓武天皇延暦二年(ニ)1、八代|居《マシ/\ス》2平城宮(ニ)1。同三年遷(ル)2山城國|筒木《ツヽキノ》郡(リ)長岡(ノ)京(ニ)1。同十三年遷(ル)2平安城(ニ)1云々。然者自2藤原宮1遷都ノ以來皇居ハ七代也。十代説(ハ)自2持統1至2桓武1マテヲ申ストカヤ。然而文武天皇猶以(テ)不3至2平城1。况ヤ持統ヲヤ。抑奈良都ニハ七大寺十五大寺アリト云ヘトモ、東大興福(ノ)兩寺、無《ナキ》2止事《ヤンコト》1者也。東大寺ハ聖武皇帝ノ御願、四聖共(ク)成(ノ)靈場、閻浮第一ノ伽藍、諸寺諸山(ニ)??《タクラク》ス。然間、聖武天皇我朝ノ諸神ノ中ニ奉撰玉テ、正八幡大菩薩ヲ此寺ノ鎭守ト奉(ラン)v崇《アカメ》トテ、勅使ヲ鎭西宇佐ノ宮ヘタテマツラセ給ケレハ、乘物ナキヨシ勅答アリケルニヨテ、帝ノ玉ノ御輿ヲ奉玉シカハ、ヤカテ乘ウツラセ玉ヒテ、南都ヘ入セ給フ。自v其以來、代々ノ御門ノ祖《ソ》神トシテ、一朝ノ宗廟ニテ、四維八|?《エン》ヲ擁護シ玉者也。興福寺ハ淡海公不比等ノ御願、累代攝録ノ氏寺也。南圓堂ヲ建立シ玉シニハ、千體ノ觀音ノ像ヲ銀ニテ奉v鑄、底ニ理テ、其上ニ立玉シニ、春日ノ明神ノ老翁ニ現シテ、北ノ藤波ノ詠ヲナシ玉シヨリ以降《コノカタ》、陛下《ヘイカ》輔佐ノ臣トシテ、藤門四家ニ相別レ、末代マテ榮サセ玉フコト、不可有(28)限。此心ヲヨマセ玉ヒケル、後京極殿
 春日山ミヤコノ南シカソ思フ北ノ藤ナミハルニアヘトハ
 秋津嶋オサムル屋戸ノヽトケキニツカフル北ノ藤波ノカケ 京極黄門
 
   青丹吉寧樂
當集第|十五《(マヽ)》卷大納言旅人哥
 龍ノ馬イマモエテシカ青丹吉ナラノ都ニユキテコムタメ
アヲニヲシナラト云事、説々多之。日本紀第五《元正天皇御宇養老四年一品舍人親王太政大臣安麿奉勅撰之》曰 取詮 御間|城入彦五十瓊殖《キイリヒコイニヘノ》天皇十年|武埴安彦《タケハニヤスヒコ》起(シテ)v軍(サヲ)奉(ラン)v傾(ケ)2御門《崇神》(ヲ)1トシテ山|背《シロ》ヨリ競來《キホヒ》妻吾田媛《ツマノアカタヒメ》ハ大和ヨリ引v屯《タムロヲ》襲來《オソヒキタテ》磯城嶋瑞籬《シキシマミツカキ》ノ宮ニ入ラムトス。天皇|五十芹彦《イセリヒコノ》命ヲ
被2差遣1。爰(ニ)旅※[草がんむり/聚]《タムロアツマテ》2那羅《ナラ》山(ニ)1、草木(ヲ)※[足+滴の旁]※[足+且]。【々々此《テキソコヽコニハ》云2布彌那羅須《フミナラスト》1。】因《チナンテ》號(ケテ)2其山(ヲ)曰(フ)2那羅山(ト)1。時ニ酒入2青※[次/瓦]《アヲシニ》1、官軍前(ニ)持來。此|刻《キサシ》埴安彦《ハニヤスヒコ》超(テ)2輪韓《ワカラ》河(ヲ)1【今泉川也】已ニ責來ル。官軍|曰《イハク》、青※[次/瓦]《アヲシ》ヨシモテ返レト云々。依之アヲシヨシナラト云ケルヲ、シトニト同韻ノ故ニ、アヲニヨシナラト云也。又云、震旦ノ三皇ノ中ニ、黄帝ノ時、帝徳|昌《サカン》ニシテ、衣裳ヲタレ、棟宇《トウウ》ヲ構《カマ》ヘ、弧矢《ユミヤ》舟|※[楫+戈]《カチ》ヲ作リ、素字《ソシ》ヲ作リ、甲子ヲ始(メ)、暦數《レキス》ヲ定メ、醫方|占候《センコウ》、呂律宴會以下、此代ノ儀式禮法ヲ本トスル故ニ、奉v褒《ホメ2此帝(ヲ)1トテ如(シト)2丹青畫出《タンセイエカキイダセルカ》1云詞(ハ)ヲ、我朝神武帝|功《(マヽ)》ヨリ以來、寧樂《ナラ》七代、超2過代々(ニ)1給コトヲ准例シヲ、丹青トイハン和語不(ル)v叶故(ニ)青丹吉奈良《アヲニヨシナラ》ト云ル也。又歌ニ、青丹吉國地《アヲニヨシクニツチ》コト/\ミセマシ物ヲトヨメルニ付テ、靜謐ノ義ト云コトアリ。聖武ノ御宇ニ天下|安寧《アンネイ》ニシテ、萬國(ノ)民ナヒキ奉ルコトヲ、帝ノ勅言ニ、アレニヨクナヒクト御口號シ玉ト云也。仙覺此義ヲ勘ヘ出セリト申キ。又幣帛ニ色々アリ。白幣《シラニキ》手、青幣《アヲニキ》手也。アヲニキテハ青キ帛也。其ノアヲニキテハ、ナラ/\トマトハル物ナレハ、アヲニキテナラト云ルヲ、キヽノヨキニ付テ、アヲニヨシト云也。隨而當集ノ第十三卷哥云、
(29) 帛《ミテクラ》ヲナラヨリイテヽ、水タテノホツミニイタリ、トアミハル坂下ヲスキテ、石走ル神ナヒ山ニ、アサ宮ニツカヘマツリテ、吉野ヘト、入マスミレハ云々
凡青丹吉奈良ト云説々多v之。宜(・シ)3用2以縁《ヨセ》1矣。
 
   賀茂
當集第十一卷哥曰
 カモ山ノ後セシツケ|ニ《(マヽ)》後モアハムイモニハ我ヨケフナラストモ
同第十二卷哥云
 神山ノヤマ下トヨミユク水ノ水尾シタエスハ後モ我ツマ
賀茂山、神山、同山名也。抑賀茂大明神ノ御事、社家
ノ課《(深ィ)》秘ニテ、兩氏人々モ被v申旨ナキ故ニ、上古ノ哥モスクナク、子細ヲシレル人|稀《マレ》ナル者歟。爰ニ或書云、日向襲之峯《ヒムカノソノタケニ》、天降坐建角身命《アマクタリマシ/\シタケツノミノミコト》也、神倭石彦之御前立上坐《カンヤマトイハレヒコノミマヘタチアカリヰマシ玉》、而《シカウシテ》宿2坐《ヤトリマス》大倭葛木峯《オホヤマトカツラキノミネニ》1自(リ)v彼《カシコ》漸(ク)遷(リ)2坐《マス》山城(ノ)國岡田之賀茂(ニ)1、隨山代河(ヨリ)下リ葛河與2賀茂河(ニ)1所(ロ)v會(フ)立坐《タチマシ》玉ヒ、見2廻《ミクラシテ》質茂河(ヲ)1、而|言《ノ玉ハク》、雖2狹少《セハクスコシキ也ト》1、然(カ)モ石河|清《キヨ》河ニ在ケリ。仍號(ク)2石川|瀬見小《セミノヲ》河(ト)1。此(ノ)命《ミコト》娶《メトシテ》2丹波國(ノ)神(ミ)伊賀古夜日賣《イカコヤヒメヲ》1生(マシ玉)子《コ》曰(フ)2玉|依日子《ヨリヒコト》1。次ニハ曰(フ)2玉依|日賣《ヒメト》1。於(テ)2石河瀬見小河(ニ)1遊爲時《アソヒ玉ヘルトキ》、丹塗矢《ニヌリノヤ》自2河上1流下(タル)。乃(チ)取(テ)挿2置《ハサミオク》床(ノ)邊《ホトリニ》1。遂感盈《(孕ィ)》《ツイニカンヨウシテ》生《アレマス》2男子《ヲノコヽヲ》1。至(テ)2成人《ヒトヽナリ玉》之時(ニ)1、造《ツクテ》2八尋屋《ヤイロヤヲ》1酒飲《サケノミ》遊ヒ玉フ時ニ、穿《ウカチテ》2屋甍《ヤノムネヲ》1昇(リ玉)v天(ニ)。乃(チ)因(テ)2外祖父名《ハヽカタノヲウチノナニ》1、號《ナツク》2賀茂|別《ワケ》雷(ノ)命《ミコトト》1云々。此神|天降坐《アマクタリマシ/\》テ賀茂|縣鎭座《アカタシツマリマス》矣。磯城《・欽明》嶋(ノ)宮(ノ)御宇天皇|御世《ミヨニ》、一天風|吹《フキ》雨|零《フリ》、百姓《ミタカラ》含(ム)v愁(ヲ)。爾時《ソノトキ》勅《ミコトノリシテ》2卜部伊吉若日子《ウラヘノイキワカヒコニ》1令(ム)v卜《ウラナハ》。乃(チ)賀茂神|祟《タヽリ》也。仍(テ)夏四月吉日、馬(ニ)繋《カケ》v鈴(ヲ)、人|蒙《カフル》2猪影《チヨエイヲ》1。而(シテ)駈馳《カリハセ》爲(ス)2祭祠《マツリト》1。能(ク)令(ム)2祷祀《イノラ》1。因(テ)v之(ニ)五穀成就(シ)天下豐平ナリ。乘《ノリ》馬(ノ)始(メ)於(リ)v此也矣。此(ヲ)號(ク)2上賀茂社(ト)1。山ヲハ神山、日景山、賀茂山(ト)申ス。片岡社ヲハ號2中賀茂(ト)1。鶴岡山ニ鎭座シ玉フ焉。多田須宮ヲハ號2下鴨社(ト)1。御祖《ミヲヤ》ノ神(ト)申也。
 
   宇治都
當集第一卷哥曰
(30) 秋ノ野ノ美草《ミクサ・ヲハナ》カリフキヤトレリシ蒐道《ウチ》ノ都ノカリイホシソ思フ
問曰、右哥ハ皇極天皇戊申、近江ノ比良宮ニ幸シ時ノ御製也。然此ウチノ都ハ、山城ノ宇治ト可2心得1乎。將又比良ノ浦ニ有v之哉。答曰、當所ノ御製ノ上ハ、比良ノ内ノ都也。何故ニ山城ノ宇治ト心エンヤ。彼宇治ハ、若郎子《ワカイラツコノ》宮ノ龍樓《リヨウロウ》也ト云ヘトモ、即位ヲハシマサスシテ崩玉シ上ハ、都《ミヤコ》ト申カタシ。故ニ代々ノ先達ノ歌枕ニモ不v擧2宇治都(ト)1。八雲御抄ノ皇居ノ御目録ニモ入サセ玉ハス。隨而眞觀【右大辨光俊】此歌ヲトリテ
 ヤトリスル比良ノ都ノカリイホニ尾花ミタレテ秋カセソ吹
此尚書禅閤ハ、爲《シテ》2續古今集撰者(ト)1、宏才博覽之《コウサイハクランノ》上(ヘ)、對(シテ)2仙覺律師(ニ)1萬葉集一部相承云々。於v題《コヽニ》末《スエ》ニ學ヒ膚受蒙愚《ウスクモウク》雖v不v可v及(フ)2九牛之一毛(タニモ)1、今試(ニ)考(テ)v之(ヲ)1云(ク)、日本紀第十一卷曰、大鷦鷯天皇譽田《ヲヽサヽキノスヘラミコト《仁徳》ハホンタノ《應神》》天皇(ノ)第四子也《ヨハシラニアタリ玉ミコナリ》。母《イロハヽヲハ》曰2仲姫命《ナカツヒメノミコト》1、天皇幼而聰明叡智《スヘラミコトイトケナクシテサトリサカシクマシマス》、貌容美麗《ミカホハナハタカホヨシ》。及(テ)2壯仁《ヲトコサカリニ》1寛慈惠《メクミイツクシクマシマス》。四十年《ヨツアマリヒトヽセノ》春(ル)二月《キサラキ》譽田天皇 崩《ホンダノスヘラミコトカンサリマス》。時(ニ)太子菟道稚郎子《ヒツキノミコウチノワカイラコニ》讓《ユツリマシテ》d位(ヲ)于大鷦鷯尊(ニ)u、未即帝位《アマツヒツキシロシメサス》。仍(テ)諮《ニラメノ玉ハク》2大鷦鷯尊(トニ)1夫(レ)君《キミトシテ》2天(ノ)下(タニ)1、以(テ)治(メ)2萬民《オホンタカラヲ》1者(ハ)、盖之《フタキニオホフコト》如(シ)v天《アメノ》、容之《ヲサメルコト》如(シ)v地《ツチノ》。上《カミ》有(テ)2驩心《ヨロコヘルミコヽロ》1以(テ)使《ツカフ》2百姓《ミタカラヲ》1。々々(ラ)欣然《ヨロコヒテ》天(メ)下安矣《シタヤスラカナリ》。今(マ)我《ヤツカレハ》也弟《兄歟》也《イロトナリ》。且《マタ》文獻《サトリ》不《ス》v足《タラ》。何(ソ)敢(ヘテ)繼《ツイテ》2嗣《ツキノ》位(ヲ)1登(ラン)2天業《アマツヒツキニ》1乎【乃至】。亦奉《マタツカフマツル》2宗廟社稷《クニイエ》1重事也《ヲモキハサナリ》。僕之不侯《ヤツカレミツナウシテ》不《ス》v足(ラ)、以(テ)v稱《カナフニ》【乃至】固辭《カタクイナヒ玉フ》。不v承各《ウケ主ハスシテオノ/\》相(ヒ)譲(ツテ)之、既《ステニ》而|興《ツクテ》2宮《キウ》室(ヲ)於|菟道《ウチニ》1而|居之《マシマス》。【乃至】菟道(ノ)稚郎子皇子《ワカイラツコノミコ》今若宮|我知《ヤツカレシル》不v可v奪《ウハフ》2兄王《イロトノキミ》之志(ヲ)1、豈《アニ》久(ク)生《イキテ》之煩(サン)2天《アメノ》下(ヲ)1乎《ヤトノ玉テ》、乃|自死《ミツカラサリ玉ヌ》焉。時(ニ)大鷦鷯(ノ)尊(コト)聞(テ)2太子薨《ヒツキノミコノカンサリ玉ト》1、以(テ)驚《ヲトロキテ》之、從2難波《ナニハ》1馳(セテ)之、到《イタリ》2菟道(ノ)宮《ミヤニ》1。爰(ニ)太子薨之《ヒツキノミコカンサリマシテ》經《ヘタリ》2三日《ミカヲ》1。時(キニ)大鷦鷯(ノ)尊(コト)※[手偏+孚]※[手偏+辟]叫哭不知所如《ミムネヲ《玉ノ》ウチテサケヒテセンスヘシラス》。乃解髪《スナハチトキミタクシヲ》跨《マタカリ》v屍《カハネニ》以(テ)三(ヒ)呼曰我弟皇子《ヨンテノタマハクワカイロトノミコト》、乃(チ)應《コタヘテ》v時而|活自起以居《イキタマヒミ ヲキテシテサシマス》。爰《コヽニ》大鷦鷯尊(コト)、語《カタテ》2太子(ニ)1曰《ノ玉ハク》、悲兮惜兮何所以之自逝之若死者《カナシキカナヤヲシキカナヤナンノユヘニミ スキマスシヌルヒト》有《アラハ》v知《サトリ》先帝何《サキノミカトイカヽ》謂《オホサン》v我乎《ヤツカレヲヤ》。乃(チ)太子《ヒツキノミコ》啓《マウシテ》2兄王《イロヘノキミニ》曰(ハク)、天命也《イノチカキリナリ》。(31)誰能留焉《タレカヨクトヽメナンヤ》。若(シ)有《アラハ》d向《マウテクルコト》c 天皇之御所《スヘラミコトノミモトニ》u具《ツフサニ》奏《マウサン》2兄王聖之且《イロカミコノヒシリニシテマタ》有《マシマス》v讓《ユツリ》矣。然(ルニ)聖王《ヒシリノミコ》聞《キコシメシテ》2我死《ヤツカリヲヘリト》1、以(テ)急《イソキ》馳《イマセリ》2遠(キ)路(ヨリ)1。豈(ニ)得《エン》v無(キコトヲ)v勞《イタハシキコト》乎《ヤ》。空(シク)乃(チ)進《タテマテ》2同(シ)母妹八田皇女《ハラノイロトヤツタノヒメミコヲ》1曰《ノ玉ハク》、雖(ヘトモ)v不《スト》v足《タラ》2納釆《メシナルヽニ》1僅《ワツカニ》充《ツカヒ玉ヘ》掖庭之數《ウチノミヤノカスニ》1。乃(チ)且《マタ》伏《フシテ》v棺《ヒツキニ》而|薨《ミウセ玉フ》。於v是大鷦鷯(ノ)尊(コト)素服 爲之發哀哭之甚慟《アサノミソタテマツリテカナシミ玉ノミワナイ玉コトタスキタリ》。仍(テ)葬《ハフリタテマツル》2於|菟道《ウチノ》山(ノ)上(ニ)1矣。既(ニ)以(テ)謂《イヒ》2宮室《キフシツト》1※[人偏+稱の旁]《イフ》2菟道《ウチノ》宮(ト)1非2宇治(ノ)都(ニ)1乎《ヤ》。比良《ヒラ》山ノ麓《フモト》ノ内ノ都也ト云ハンコト、奈何《イカン》。現文在(ル)v眼(ニ)哉。就v中御製註曰、山(ノ)上(ノ)憶良大夫類聚歌林《ヲクラノタユフルイシユカリンニ》曰、天皇戊申年、幸《イテマシテ》2比良宮(ニ)1大御歌《オホミウタ》云々。但日本紀曰、天皇五年春正月己|卯朔《トノウサク》辛|巳《トノミ》、天皇至(ル)2紀伊温泉《キイノイテユニ》1。三月戊寅朔、天皇|幸《イテマシテ》2吉野宮(ニ)1而|肆宴爲《トヨノアカリキコシメス》。庚辰|幸《イテマス》2近江(ノ)平浦《ヒラノウラニ》1焉。以之推之、吉野ノ宮ヨリ比良《ヒラ》ノ宮ニ幸《イテ》マス中途ニシヲ、宇治ノ故宮《コキウ》ニ借庵《カリイホ》ヲ結《ムス》ヲオハシマシケリト見ヘタリ。此御製ノ文字|使《ツカヒ》モ菟道宮子トカケリ。日本記ニ令2符合1。就中御製ノ腰《コシノ》句ニ、ヤトレリシトテ、第五句ニハ、シソ思フト云リ。想像《オモヒヤ》ル言也。當所ノ景トハ見ヘサル者(ノ)乎《ヲヤ》。山城國風土記《孝嫌《(マヽ)》天皇勅國々被召之》曰、謂(フ)2宇治(ト)1者|輕嶋明宮《カルシマアカリノミヤ》《・應神》御宇天皇之子、宇治(ノ)若郎子《ワカイラツコ》造2桐原《キリハラ》日|桁《ケタ》宮(ヲ)1、以(テ)爲(ス)2宮室《キウシツト》1。因御名《チナンテミナヲ》號《カウス》2宇治(ト)1。本名(ハ)曰《イフ》2許乃國《コノクニト》1矣。宇治都無2相違1者乎。
 
   物武八十氏河付千早人宇治
當集第三卷、柿本人丸哥曰
 物ノ武ノ八十氏川ノアシロ木ニイサヨフ波ノユクエシラスモ
物武ト者物ノフシト云詞也。萬人ニ勝レタリトイフ也。八十氏ト云コト先達(ノ)異儀|區《マチ/\》也。或云、物武ノ矢トツヽクル也。或云、百姓中ニ卿《ケイ》相雲客ノ所(ロ)v賜《タマハル》氏姓ノ外、八十氏ハ武士以下ノ姓也。或云、百官ハ百敷《モヽシキ》ニ候《コウ》シテ政ヲタスケ、武士ハ四域ニ散在シテ、國家ヲ奉(ル)v守(リ)。物ノ數《カス》ノ極《キハメ》ハ算術《サンシユツ》ニモ九々八十一ト云滿數ナルヲ云也ト。又古老傳云、昔崇神天皇御宇、逆徒《ケキト》山|背《シロ》ヨリ競《キヲヒ》來(ル)時(キ)、八十氏ト云|防人《サキモリ》ヲ宇治河ノ邊ニ差遣テ、關城ヲ固《カタムト》云々。是橘ノ小島(ノ)關歟。可|祥《(詳ィ)》
次千早人宇治、當集第七卷哥云
(32) チハヤ人ウチノ河浪キヨキカモ旅行人ノタチカテニスル
チハヤ人ウチトハ、路早人打出ルトツヽクル言ハナリ。然而此歌ノ心ハ、チハヤ人ノコトクニ路ヲ早ク行ヘキニ、宇治河ノ形勢《ケイセイ》ノ美《ヒ》ナルニヨテ、過カテニスルト讀《ヨメ》ル也。又千ハ滿數《マンシユ》多《ヲホク》ノ義、早人ハ勇士《ヨウシ》也。多ノ物武ノ打出ヲ輕ク早キ姿《スカタ》也。是以呉子曰、勇《ヨウノ》於(ルコト)v將《シヤウニ》乃(チ)數分《スフン》之一|尓《シ》也。夫(レ)勇《ヨウ》者(ハ)必(ス)輕(クス)v合《アフコトヲ》輕(ク)v合(ヲ)而不(ルハ)2知|利《リヲ》1未《ヒ》v可《カ》也矣。然者勇士ハ必ス輕ク早カルヘキ者也。
 
   千岩破宇治
當集第十三卷、穗積朝臣歌曰
 チハヤフルウチノ渡ノタキツセヲミツヽ渡テアフミチノ相坂コエテ前後畧之
チハヤフルウチトハ、道早クフル菟ト云言也ト、先達申タレトモ、※[手偏+僉]2日本紀第一1曰(ク)、于《ニ》v時|高皇産靈尊《タカスヘミアルタマノミコト》以(テ)2眞|床追衾《ユカヲヒノフスマヲ》1覆(ヒ)2於|皇孫天津彦火瓊々杵《スメミマコアマツヒコホニヽキノ》尊(コト)1、使降之《アマクタラシム》。皇孫《スメミマコ》乃(チ)離(レテ)2天磐座《アマノイハクラヲ》1、【天岩座此云2阿麻能以簸矩羅(ト)1。】且《マタ》排2分《ヲシワケ》2天《アマノ》八重雲(ヲ)1積《(稜ィ)》威之道別《イトノチハケニ》々々(テ)而|天2降《アマクタリマス》於|日向襲之高千穗※[木+患]觸峯《ヒムカノソノタカチホノクシフルノタケニ》1矣。以v之(ヲ)案(ルニv之、イトノチワケニチワケテ、ミチハヤククタルト見ヘタリ。アマトハウチ也。ウチハ※[ウ冠/禹]雷《(宙ィ)》《ウチウ・オホソラ》ノ大ソラ也。然者|道《ミチ》早(ク)降(ル)※[ウ冠/禹]雷《(宙ィ)》《ウチウ》也。降《古》《フル》ハクタル也。【古今集】
 チハヤフルウチノハシモリナレヲシソアハレトハ思フ年ノヘヌレハ
此橋守ハ椿|姫《ヒメ》ノ事ニヤ。今ハ姫大明神ト申ニヤ。彼橋姫物語ハ、昔妻二人モタリケル男、本ノ妻ノツハリシテ七|磯《ソ》ノ和布《ワカメ》ヲネカヒケルニ、伊勢ノ海ツラニテ尋ヌトテ、龍王ニ召レテウセヌ。彼妻尋行テアヘリケルニ、サムシロニ衣カタシキト云哥ヲ詠メテ、キエウセニケリ。又今ノ妻モ同ク尋行テアヘリケレハ、同歌ヲ詠シケリト云々。委ハ彼物語ニアリ。
 
   鏡山
鏡山ハ三所アリ。山城、近江、豐前也。當集第二卷從(リ)2山科(ノ)御陵《ミサヽキ》1退散之時|額田《ヌカタ》王作歌
(33) 山科ノ鏡ノ山ニヨルハモ、夜ノツキ、ヒルハモ日ノツキ、ネノミヲナキツヽ。《(マヽ)》百敷ノ大宮人ハユキワカレナム矣
右歌ハ天智天皇大津宮ニシテ崩御ト云々。然而マコトニハイツチトモナク御馬ニ召レテウセサセ玉ヒケリト申。御沓ノ落タリケルヲ取テ、山科ノ山|陵《レウ》ニ納メ奉ルトナム。此鏡山ヲヨメル歌ナリ。近江ノ鏡山ハ、世ノツネニ知處也。アフミノヤ鏡ノ山ヲタテタレハト云ヒ、鏡山イサ立ヨリテト詠リ。豐前國鏡山者、當集第三卷|手持女《タチメ》王歌曰、
 トヨ國ノ鏡ノ山ニ石門タテカクレニケリナマテトキマサヌ
此鏡山ハ廣嗣《ヒロツキ》ノ靈《レイ》ノ神ト顯玉フ。其心ニナスラヘテヨミ玉フ也。此山ヲリ死手ノ山ヘ入シ事也。石門《イハト》ハ死門ナリ【安樂集ニ見タリ】。此廣嗣ハ、淡海公孫|宇合《ウカウ》ノ子ナリ。此人玄肪僧正ノ説ニヨテ、大宰少貳ニウツサル。依之|謀反《ムホン》ノ心ニヤ、肥前國松浦郡ヨリ龍駒ニ乘テ、朝ニハ都ニノホリ、夕ヘニハ松浦ニ皈ル。仍テ大野ノ東人ヲ將軍トシテ、平城《ナラノ》御門ノ御宇、天平十二年ニ官軍馳下テ、責戰。廣嗣軍ヲ引テ、知賀《シカ》ノ嶋ヨリ龍駒ニ鞭打テ海ヲ渡ル。馬スヽマス。怒《イカリ》ヲナシテ龍|駒《ク》ノ頸《クヒ》ヲ切テ、舟ニ乘テ東國ヲ指テ行ニ、逆《ケキ》風吹テ吹返ス。時ニ松浦ノ橘嶋ニ到。官軍取籠テ是ヲウツ。其|遺躰《ユイタイ》三箇日ノ間タ虚空ニアカリテ、電《イカツチ》ノ如ニヒカリカヽヤキ、トヽロク聲都ニ及ヘリ。爰ニ吉備《・姓》《キヒ》ノ眞吉備、勅ヲ承テ靜メテケリ。其時彼遺躰、此ノ鏡山ニ落留レリ。同十七年六月、玄肪《ゲンハウ》僧正歸朝シテ、大宰府|觀音寺《天智天皇御建立》供養ノ導師トシテ、要|?《ヨ》ニ乘テ、參堂ノ刻《キサミ》、俄ニ空ヨリ黒雲飛降テ、僧正ノ首ヲ引切テ提テ上リ、忽然トシテ失ヌ。次ノ年其|首《カウヘ》、興福寺ノ唐院ノ邊ニ落シタリ。頭塔《ツタフ》トテ今ニアリ。是則廣嗣ノ靈ノ所爲也矣。爰ニ豐前國風土記曰、田河郡鏡山在郡東 昔者氣長足姫《・神功皇后宮》《ムカシオキナカタラスイヒメノ》尊(コト)在《マシ/\テ》2此山(ニ)1遙(カニ)覽《ミソナハシ玉》2國(ノ)形《カタチヲ》1、而勅|祈《キシテ》曰、天神地祇爲(ニ)v我助(玉ヘ)v福《サチヲ》。便(ハチ)用《モテ》2御鏡(ヲ)1安2置此|處《トコロニ》1。其(ノ)鏡(ミ)化(シテ)爲v石(ト)在《アリ》2山中(ニ)1。因《チナテ》名《ナニ》曰2鏡山(ト)1焉。又或家系圖(34)云、宇合子《ウカウノコ》廣嗣|坐《ヰテ》v※[右/辛]《ツミニ》配流爲2惡靈(ト)1。豐前國松浦郡鏡明神是也。此兩説|凡慮《ホンリヨ》難(シ)v測《ハカリ》。然而於2山名(ニ)1者、多百歳上古之上者、風土記説可(キ)v用v之者歟焉。
 
   楯並泉河
當集第十七卷歌
 タテナメテイツミノ河ノミヲタヱスツカヘマツラム大宮所
此歌ハ從2奈良(ノ)宮1遷(ル)2久邇《クニ》都(ニ)1之時ノ詠歌ナリ。泉河ト云フコト、日本記第五卷曰、崇神天皇ノ御宇|武埴安彦《タケハニヤスヒコ》謀《ハカリ》2反逆(ヲ)1、興《オコシ》v師《イクサヲ》、官軍|吏《マタ》避《サテ》2那羅《ナラノ》山(ニ)1而|進《スヽテ》到《イタリ》2輪韓《ワカラ》河(ニ)1與《ト》2武埴安彦《タケハニヤスヒコト》1狡《ハサテ《(マヽ)》》v河(ヲ)屯《タムロ》各相|挑《イトム》焉。故(ニ)時(ノ)人改(メテ)2其河(ヲ)1曰2挑《イトミ》河(ト)1。今泉河ト云|※[言+任]《マカレル》也(ト)云々。此時|楯《タテ》ヲ並《ナラヘ》テイトミケル名ナリ。
                          交畢
詞林釆葉抄 第一
 
詞林釆葉抄 第二
 
隱口初瀬【付海小船泊瀬】 味酒三輪【付味酒三室】
雷岳           葛城山
龍田山          芳野山
吉野國栖         袖振山
蜻小野          東野
 
   隱口初瀬《コモリクノハツセ》
當集第三卷、山前王歌曰
 コモリクノハツセヲトメカ手ニマケル玉ハミタレテアリトイハシカモ
隱口、此訓、カクラク、カクレク、コモリエ、コモリク、先達古訓如v斯區也。其中ニ、カクラクハ、字訓ナル故ニ尤有(ル)2其謂1歟。コモリエ更ニ不2相叶1乎。若疑ラクハ口ノ字ノ草ニシテ大ナルカ江ニ混《コンス》ル歟。致(ス)2淺智1之故ナリ。所詮此所ハ山ノ口ヨリ入ヲ奥フカキ故(35)ニ籠口《コモリクチ》ノ初瀬《ハツセ》云者乎。就中萬葉集卷々異名假名ニ、コモリクト書ル、處々ニ多(シ)之。或ハ己母理久乃初瀬《コモリクノハツセ》、或云|己毛利久乃波都世《コモリクノハツセ》、又云、隱來《コモリク》、又ハ隱國《コモリク》、乍《アルヒハ》云|隱久《コモリク》【不遑羅縷】。因(テ)※[手偏+僉](テ)2日本紀1曰(ク)、大泊瀬幼武《オホハツセワカタケノ》天皇六年春二月戊子朔乙卯、天皇|遊《イテマシテ》2于泊瀬小野(ニ)1、觀《ミソナハシテ》2山野之|體勢《アリサマヲ》慨《ナケイテ》然(モ)興感歌《ミオモヒシテウタヨミシテ》曰(玉ハク)
 擧暮利矩能播都制能野麻幡伊麻※[手偏+施の旁]知能與盧斯企野麼和斯里底幡與呂斯企夜麻能據暮利短能幡都制乃夜麻《コモリクノハツセノヤマハイマタチノヨロシキヤマワシリテハヨロシキヤマノコモリクノハツセノヤマ》矣
右萬葉日本紀コモリクト訓《クンス》ヘキ證跡明鏡ナリ。次、海小舟泊瀬ト云事、舟トムルト云詞ハ近來ノ歌也。古歌ハ多ハ舟ハツルト詠セリ。當集第一卷大寶二年壬寅太上天皇《持統天皇》幸《イテマス》2于參河國(ニ)1時|高市連黒《タカチノムラシクロ》人歌曰、
 イツクニカ舟ハテスラムアレノサキコキタミユキシタナヽシ小舟
同第三卷、角磨《ツノマロカ》歌曰
 ヒサカタノアマノサクメカ岩舟ノハテシ高津ハアセニケルカモ
然者只アマヲ舟ハツトツヽクル詞也。抑初瀬ト者、此河ヲハ百瀬《モヽセ》河ト云名アリ。長谷寺ヘ詣《マウツル》ニ渡ル所ハ最初ノ瀬ナル故ニ初瀬ト云ナルヘシ。大初瀬小初瀬在之。
 
   味酒《ウマサカノ》三輸 付味酒三室
當集第八卷、長|屋《ヤノ》王歌曰
 ウマサカノミワノ祝カ山テラス秋ノ紅葉ノチラマクオシモ
味酒、此訓アチサケ、ウマサケ、ウマサカ、三訓也。※[手偏+僉]2日本紀(ヲ)1曰、崇神天皇八年冬十二月丙申朔乙卯、天皇以(テ)2大田々根子(ヲ)1令v崇2大神(ヲ)1。是日活日自《コノヒイクヒミツカラ》擧《サヽケテ》2神酒《ミワヲ》1獻《ケンス》2天皇(ニ)1。於v茲《コヽニ》天皇|哥《ミウタヨミ玉テ》之曰(ク)、
 宇麻作階|淤《(マヽ)》和能等能々阿佐妬珥毛於辭寐羅箇|淤《(マヽ)》和能等能渡※[土+爲]《ウマサカミワノトノヽアサトニモヲシヒラカネミワノトノトヲ》焉
今(マ)以2此御歌(ヲ)1證トスルニ、ウマサカト云フヘキ者乎。
任(テ)2字|訓《クンニ》1アチサケ混《コンスル》v俗(ニ)歟。不v可|庶幾《ソキス》1矣。凡酒ヲミワト云フコト、神ノ造始(シ)故歟。日本紀(ニ)曰、素盞烏尊《ソサノヲノミコト》(36)教(ヘテ)曰(ク)以(テ)2諸ノ菓(ヲ)1酒也和羅釀《サカヤワラヲカモスヘシ》矣。仍|神酒《ミワト》書(ル)也。一説云、崇神天皇ノ御宇土佐ノ國|神河《ミワカハ》ノ水ヲモテ、大神ノタメニ酒ヲ釀シタリケルカ、コトニ目出《(マヽ)》キ酒ニテ、御門ニ獻シタリケル故ニ、彼ノ河ノ名ヲ取テ、酒ヲミワト申トモ云フナリ。又三輪ニタツヌルト云フ事、古今集歌云、
 コヒ《(戀ィ)》イシクハトフラヒキマセワカヤトハミワノ山下杉タテル門
此歌ハ、三輪明神住吉ノ大神ニ奉玉フト申シ傳タレハ、三輪ハ女躰ニテ座ト聞タリ。雖v然(ト)拾遺抄ニ、住吉明神ノ御託宣ノ歌トテ、
 スミヨシノキシモセサラムモノユヘニネタクヤ人ニマツトイハレム
此歌ハ、住吉明神ハ女躰ニテ、三輪ヘ奉玉フト申ニヤ。然而住吉四所ノ明神ノ内、一社ハ神宮皇后ニテヲハシマスト云、又玉津嶋トモ申セハ、カク讀玉(ヒ)ケルニコソ。住吉ハ男體ニテ、異國|征伐《セイハツ》ノ時モ、代々|荒御前《アラミサキ》ニテオハシマ|ス《(マヽ)》ナン。三輪明神ノ女體|俗《(男ィ)》體物語ハ兩説在之。或ハ伊勢國アフキノ郡ニテ、獵師《レウシ》ノ妻トナリ玉ヒ、男子ヲウミ玉ヒケリトモ、或ハ人ノ女ニ通テ、寶殿ニトメ入ラレテ、シルシニ付タリケルシツノヲ玉キノ三ワケ盛タリケレハ三輪ト申トモ云ヘリ。正説難辨。爰ニ古語拾遺《大神宮禰宜齋部廣成奉撰》曰、大己貴《・日本甘心》神ハ大和ノ城上郡《キノカンノコホリ》大三輪ノ神是也云々。俗體|頗《スコフル》莫2異《イ》論1者哉。此神ハ社モナクシテ祭ニハ茅《チ》ノ輪ヲ三作テ岩ノ上ニヲキテ祭ルト申。現存六帖歌云、
 ツカネツヽタテカサネタル茅カヤサハ三輪ノ社ノシルシナルラム
又伊勢ノアフキノ郡ノ獵師ノ尋キタリケル時ハ、社ノ内ニ母子共ニオハシマシテ、御戸ヲ開テミエ給ヒケリトモ申セハ、社ナシトモ申スヘカラス。
次、味酒三室、當集第七卷歌云、
 我キヌノ色キソメタリウマチカノ三室ノ山ノ紅葉シタルニ
同第十二卷歌云、
(37) 祝子《ハフリコ》カイハフ三室ノマス鏡カケテソシノフアフ人コトニ
第三卷曰、登2神岳《ミワヤマニ》1山|部《ヘ》赤人作歌曰、
 三室ノヤ神南ヒ山ニ五百枝サシシシニオヒタルトカノ木ノイヤツキ/\ニ玉カツラ
 
   雷岳
當集第三卷、天皇|御遊《ミイテシ玉》雷岳(ニ)之時人麿歌云、
 スメロキハ神ニシマシマセハアマ雲ノイカツチノ上ニ庵スルカモ
イカツチハ山ノ名也。三室山ノ賜ノ名也。其|所以何《ユヘイカントナレ》ハ日本紀第十四卷曰、大初瀬幼武《オホハツセワケタケ》《雄略》天皇御宇七年秋七月甲戌朔丙子、天皇|詔《セウシテ》2少子部連螺|蝋《・(マヽ)》《チイサコヘノムラシスカルニ》1曰、朕《ワレ》欲(モフ)v見(ント)2三|諸岳《モロヤマノ》形(ヲ)1【或云此山之神爲大物主也。或云菟田黒云坂神也矣。】汝膂力《ヤツカレチカラ》過《スキタリ》v人(ニ)。自行|投《・(マヽ)》來《ミツカラユイテトラヘテコヨ》。螺蝋《スカル》答曰、試往|投《・(マヽ)》v之(ヲ)。乃(チ)登(テ)2三諸岳(ニ)1投2取《トラヘテ》大※[虫+也]《ヲロチヲ》1奉2示《ミセタテマツル》天皇(ニ)1。々々|不《ス》2齋戒《モノイミシ玉》1。其雷〓々目精赫々《ソノカミヒカリカヽヤキマナコトヽロキカヽヤク》。天皇|畏《オソレ玉》蔽《フサキ》v目《メヲ》不《ス》v見《玉》、却2入《カクレ玉》殿中(ニ)1。使《シメ玉》v放2於|岳《ヤマニ》1。仍賜v名(ヲ)爲(ス)v雷《イカツチト》矣。尓《シカウシテ》後(チ)螺蝋《スカル》無(ク)v程|死訖《マカリヌ》。天皇|憐《アハレミ》玉ヒ墓《ハカ》ヲツキ碑《ヒノ》文ヲ立(テ)玉フ。投《・(マヽ)》《トル》v雷《イカツチ》螺蝋之墓《スカルカハカト》矣。雷大(ニ)怒《イカテ》碑《ヒノ》文ノ柱ヲケサクニ、半分破タルサケ目ニ落入テ七ケ日アリ。天皇ユルスヨシノ贈《ヲクリ玉フ》2宣命(ヲ)1時(ニ)、雷忽天ニアカリヌト云。天皇螺蝋カ姓改玉ト焉。
 
   葛城山
當集第十一卷歌云
 アヲヤキノカツラキ山ニタツ雲ノ立テモヰテモ妹ヲシソ思フ
昔ハ此山ヲハ高尾張邑《タカヲハリノムラ》ト申ケルヲ、此所ニ土蜘蛛《ツチクモ》ト云物アリケルヲ、國土ノ人民、多勢ヲ〓《ソツシ》、葛《カツラ》ノ網《アミ》ヲヌキ投《ナケ》懸テ、押《ヲ》シ〓《コロシ》テケリ。ソレヨリ葛城ト申トカヤ。凡此山ニ靈崛靈所アマタアリ。或金剛山トテ過去ノ迦葉佛ノ説法ノ場《ニハ》、今ハ寶喜菩薩ノ説法砌アリ。古《ムカシ》※[臨/金]眞和尚天平年中我朝(ニ)渡(リ)、平城宮ヘ入玉トテ、此山ヲトホラレケルニ、布薩皷《フサツノツヽミ》ノ聞エケレハ、尋行テ見玉フニ、赤面ノ鬼王、皷ヲウツ。和尚問(テ)曰(ク)、何ル靈場|乎《ソヤ》。答曰、往昔《ムカシ》(38)迦葉説法ノ所、今在寶喜淨土也矣。即隨(テ)2鬼王(ニ)1往2詣(シ)彼所(ニ)1、説戒ノ砌ニ《・(マヽ)》烈《ツラナル》。採《トリ》玉ヒケル籌《テウ》ハ今招提寺ニアリ。彼鬼王ハ昔西天ノ流砂葱嶺《リウサソウレイ》ニスミシ深砂大王、日本ニ超テ、吉野ノ藏王權現トアラハレ玉ト名乘玉ヒケリト申傳タリ。或|豐樂寺榎葉《トヨラテラノエノハ》井三村ノ椙アリ。葛城|高崗《タカヲカ》ノ宮ト申ハ綏靖《スイゼイ》天皇ノ皇居ナリ。葛城ノ聖ト聞シカ鬼トナリテ、后ヲ菟角ナヤマシタテマツリシ、ソノ棲ヲハ知人ナシ。伏見翁トテ盲聾《マウレウ》ナリシカ、天竺ノ波羅門僧正ノトホリ玉フ見奉リテ、驚立テ十天樂ヲ舞ヒ唱歌ヲシケルモ此ノ山ノ仙人トカヤ。九箇乙女《コヽノヽヲトメ》ト贈答《サウタウ》セシ竹取翁《タカトリノオキナ》舊跡アリ。今ノ世ニ竹取《タカトリ》越トテヲトロ/\シク聞シ是也。太子ノ御廟ヲハ御廟《ミハカ》山ト申トソ。又一|言主神《コトヌシノカミ》御座(ス)。日本紀曰、雄略天皇四年二月、天皇|射2狩《カリシ玉》於葛城山(ニ)1。忽(ニ)見(ル)2長人《タケタカキヒトヲ》1。來(テ)望《ミル》丹容《タンムカヒニ》1。面貌容儀《カホスカタ》相(ヒ)2似(リ)天王(ニ)1。天皇|知《シロシメセトモ》2是|神《カミナリト》1猶故《ナヲコトサラニ》問(テ)曰(ク)、何(レノ)處公《トコロノキミソ》也。長(キ)人|對《コタヘテ》曰、現人《アラヒト》之|神《カミソ》。先《マツ》稱《ナノリ玉ヘ》2王(ノ)諱《イミナヲ》1。然(シテ)後應導《ノチイワン》。天皇答(テ)曰|朕是幼武《ワレハコレワカタケノ》尊(コト)也。長人次(ニ)稱(シテ)曰(ク)、僕是一事主神《ヤツカレハコレヒトコトヌシノカミ》也。【乃至】於《ニ》v是|日晩田罷神《ヒクレテカリヤンテカミ》侍2送《アヒヲクリ玉》天皇(ヲ)1。至(ル)2來田水《クタカハマテ》1。是(ノ)時|百姓咸言《ミタカラコト/\クマウス》有《マシマス》v徳《イキホヒ》天皇也矣。此一言主神ノスミ玉フ在處トテ靈瑞幽谷《レイスイユウコク》アリ。彼神ノ渡シケルトテ、久水路《クメチ》ニ石橋アリ。抑此岩橋事、普文武天皇御宇、※[人偏+殳]小角《エンノヲツノ》ト申優婆塞アリ。金峯山ト金剛山トノ間(ニ)石ノ橋ヲ渡サントテ、彼一言主神ヲ語ヒケルニ、其形(チ)醜《ミニクキ》コトヲ耻テ、夜ル渡シケルカ、渡終サルニ夜明ニケレハ、行者|怒《イカリ》ヲナシテ金剛杖ヲモテ、散々ニウツ。明神恨ヲナシテ、御門ニ訴申ケレハ、伊豆ノ大嶋ヘ流サル。行者ヨナ/\ハ富士ノ嶽《タケ》大峯葛城ヲ巡禮シテ、明ケレハ嶋ニ皈ル。剰《アマサヘ》河内ノ國|膽駒《イコマ》山(ノ)二鬼ヲ投《(マヽ)》テ使者トシテ相從リ。一言主神奉(ト)傾2御門(ヲ)1ト伺申ヨシ奏シケレハ、行者ヲ召返テ、已ニ首ヘヲ可被|刎《ハネ》ニテアリケルニ、行者勅使ノ前ニシテ、其|刀乞《タチヲコヒ》取テ、二(ツ)ノ肩面|背《ウシロ》マネキリテ返ニ、見レハ、金文アリ。富士ノ明神ノ表《ヘウノ》文也。天聽驚カシマシ/\テ則ユルサレタリケルニ、行者神咒ヲ誦シテ高聲ニヲソシ/\トセム。時ニ口ヨリ火?ヲハケル大鬼王明神ヲ搦《シハリ》テ出來レ(39)リ。行者慈尊ノ出世ニ此|搦目《シハリメ》ヲハトキ玉ヘトテ、谷ノ底ヘ投《ナケ》入ル。御門恐サセ玉ヒテ此國土ニスムヘカラスト勅勘アリケレハ、藤ノ杖ヲ庭上ニ突《ツキ》立テ、其ノ末ニ登テ、端座《ヲスヰス》ス《(マヽ)》。其ノ杖立處猶王土也トアリケレハ、老母ヲ鉢ニ入テ捧《サヽケ》テ唐朝ヘ飛去訖(ト)云々。異國ニモ此例アリ。三齊記曰、秦ノ始皇海中(ニ)造2石橋(ヲ)1、海神柱(ヲ)立。始皇相|看《ミンコト》ヲ求ム。海神ノ云、我形(チ)醜《ミニクシト》。始皇即入(コト)2海底(ニ)1卅九里(ニ)至テ看《ミル》2海神(ヲ)1。コノ海神ノ姿ヲ繪ニウツサントシ玉フニ手ハタラカス。左右ノ中ニ妙ナル繪師アリ。是《(足ィ)》ニテカク。海神大ニ怒テ帝《ミカト》約《(勅ィ)》ヲ變ス。始皇忽ニ※[しんにょう+外]《ヽケ》玉フ。馬ノ足ニシタカツテ橋クツル。鞭ヲアヲヽ走《ハシ》ラス。繪師ノ臣ハ水ニ溺《ヲホレ》テ死ト云々。
 
   龍田山
當集第一卷歌曰
 ワタツウミノ奥ツシラナミ立田山イツカコエナン妹カアタリミム
龍田ト云コト、古老傳云、昔此所ニ雷神落テアカルコトヲ得ス、童子トナリタリケルヲ、農夫《ノウフ》養子トス。比シモ旱※[日/拔ノ旁]《カンハツ》ナリケルニ、隣村ニハフラサレトモ此農夫カ田ノ上ニ夕立《ユフタチ》時《ヨリ》々ソヽキテ、稻花成熟シ、西收思ノマヽニシテケリ。其後此童子|暇《イトマ》ヲ乞テ小龍トナリ、天ニ昇リヌ。依之此(ノ)作田ヲ龍ト云ケルヲヤ|カ《借》テ所ノ名トス。然レハ龍田ハ正字也。立田ハ半假字也。彼在中將、奈良ノ京|春日《カスカ》ノ里ニスミケル比、河内國|高安《タカヤス》ノ里ヘ通ヒケルニモ、此山ヲ越ケルトソ申。高安ノ女ハ大|領《リヤウ》ト云ケル者ノ女《ムスメ》トカヤ。サレハ大領カ屋敷、中將ノ垣内トテ、今ニアリト申。サテ中將ノ春日(ノ)里ノ女ノ、風吹ハオキツ白波立田山トヨメリケルハ、此山ニハ盗人アル所アレハ、オホツカナキヨシヲヨメリト申ス。隨而ヌス人ノ立田ノ山ニ入ニケリトヨメレハサモヤト覺ユルニ、今ノ哥、ワタツミノオキツ白波立田山トアレハ、只波立トツヽクル諷詞《フウシ》ト聞ヘタリ。又古今集ニ、タカミソキユフツケ鳥カ唐衣ト云歌ハ、大和物語ニハ、昔アル男《ヲトコ》、女《メ》ヲヌヌミテ立田山ヲ越ケルカ、アマリニ女ノ泣《ナク》ヲ聞(40)テ男ノヨメルトナム申。然而伊勢物語ニハ業平ノ歌ト見ヘタリ。奈何|可祥《(マヽ)》。
 
   芳野宮
吉野宮、何レノ時初テ建ラレケリトモ不v知。仙覺モ未v勘(ヘ)。管見(ニ)所(ロ)v不v及也。爰ニ勘日本紀曰取|言《(マヽ)》神武天皇、葦原中津國ヲ征《タイラケ》玉ハムトテ、日向國ヨリ御《ミ》舟ニ召レテ、今ノ難波ニ着、河内ヨリ泝《サカノホリ》、射駒《イコマ》山(ヲ)コヱントシ玉シニ、長|髓彦《スネヒコ》ト云者、櫛玉速日命《クシタマハヤヒノミコト》ヲ君トタトヒテ、天皇ヲフセキ奉シカハ、葛木ヲ超、木ノ國ヲ巡リ、吉野ニ出座テ、御軍ヲトヽノヘ玉ヒシ程、行宮《カウキウヲ・カリミヤ》定テアリケルニヤ、其後代々ノ御門ノ皇居之有無不2分明1。然ニ應神天皇十年、吉野ノ宮ニ幸《ミイテシ》時、國栖《クニス》人參テ三木ヲ獻《ケン》セシカハ天皇サマ/\ノ物玉ヒ、御歌ヨミシ玉ヒケリト見エタリ【已上】。然者應神以前ニ吉野(ノ)宮トテアリケル事勿論也。自v其|以來《コノカタ》大泊瀬幼武天皇四年(ノ)秋八月、行2幸吉野宮(ニ)1。又皇極天皇五年春正月、幸2吉野宮(ニ)1肆宴《トヨノアカリキコシメス》矣。又清見原天皇八年五月幸2吉野1。天皇御製
 ヨキ人ノ吉野ヨクミテヨシトイヒシ吉野ヨクミヨヨキ人ヨキミ
當集第六卷曰、元正《ケンセイ》天皇養老七年五月(ニ)、幸2吉野離宮(ニ)1之時、笠《カサ》朝臣金村歌云、
 美《ミ》吉野ノ秋津ノ宮ハ神カラカ貴《タト》《(マヽ)》カルラム國力ラカミカホシカラム山川ヲサヤケクスメリウヘシ神《(マヽ)》カタメケラシモ
 神代ヨリ吉野ノ宮ノアリカヨヒ高クシレルハ山川ヲヨ|モ《(マヽ)》            山部赤人
此長短二首神世ヨリトヨメリ。爰ニ知ヌ神武天皇|畝火橿原《ウネヒカシハラノ》宮ニオハシマシヽ時、彼吉野ニ離宮ヲ横ヘテ臨幸アリケルニコソ。神代ヨリトハ神武ノ御宇ヲサスナルヘシ。草葺不合《カヤフキアハセスノ》尊ノ第四|御子神日本磐余彦《ミコカンヤマトイハレヒコノ》天皇ト申、神代トヨメルコトハリニヤ。又持統文武兩帝臨幸アリト見エタリ。又聖武天皇神龜二年臨幸ノ時、笠朝臣金村歌云、
 万代ニミレトモアカヌ三吉野ノ瀧ツ河内ノ大宮所
(41)抑此吉野山ハ漢朝ヨリ飛來ルトモ申ニヤ。金峯山神|區《ク》、古老傳云、昔漢士(ニ)有2金峯山1。金剛藏王菩薩住(玉フ)v之。而ルニ彼山飛2移《トヒウツリ》巨海(ヲ)1而來(ル)。今(ノ)金峯山是也焉。日藏傳曰、天竺佛生國ノ巽《タツミ》、俄ニ闕《カケ》テ飛來ル矣。李部《リホウ》王記曰、吉野山ハ五臺山ノ片端《カタハシ》乘v雲(ニ)飛來也焉。此三説、皆異朝山也矣。
 
   吉野國栖
當集十卷哥曰、
 クニスラカ青菜《ワカナ》ツムテフ司馬《シハ》ノ野ノシハ/\君ヲ思フコノコロ
日本紀曰【取意】輕嶋豐明宮天皇十九年、天皇幸2吉野宮1。時(ニ)國※[木+巣]人《クニスヒト》參テ御酒獻《ミキタテマツル》。此國※[木+巣]人ハ、人ナリ《(マヽ)》スナヲニシテ、山ノ菓《コノミヲ》食物トシ、蛙《カヘル》ヲ煎《ニテ》吉味トスト申。其後節會ニハ栗草平《クリクサヒラ》カエル|メ《ナ歟》ト云物ヲ國ツ物トテ持ヲ參也。是則吉野ノ國栖《クスノ》始也。今ノ世ニモ元日ニ參コト不v絶云々。重テ※[手偏+僉]2日本紀1曰【取意】、神武天皇、國々ヲ經テ吉野へ幸《イテマシヽ》時、菟田郡《ウタノコホリ》ヨリ尾長(ク)引(テ)岩押摧《イハヲヲシクタキテ》參ル者アリ。名ヲ問玉ヘハ、石排別子《イハヒラキワケノコ》也ト申。天皇|駕《ミトモニ》侍ルヘシトテ相(ヒ)從《シタカヘ玉フ》。此則吉野ノ國栖《クス》カ初祖《ハツヲヤ》也。然ニ《(マヽ)》人王ノ始ヨリ仕ル者哉。
 
   袖振山
當集第十一卷歌曰
 ヲトメラカ袖フル山ノミツカキノヒサシキ世ヨリ思キワレハ
此山ノ在所不2分明1歟。或云、石上布留山ヲ申也。隨而同第十二卷歌云、
 ワキモコヤ|ア《我》ヲ|ワス《忘》ラスナ石ノ上袖フル河ノタエント思ヘヤ
依2此歌1歟。尤有v據《ヨトコロ》者也。然而|八雲御抄《順徳院御作》(ニ)云、吉野ニアリト云々。神女降臨ノ處、誠ニ有2由來1者也。仍乙女等トヨメリ。神女|郡《・(マヽ)》降《クンカウ》ト聞ヘタリ。
 
   蜻小野
日本紀曰、蜻、和名カケロフト云々。當集第十二卷哥云、
 ミヨシノヽ秋津ノ小野ニカルカヤノ思ヒミタレテヌ(42)ル夜シソオホキ
蜻乃小野、カケロフノヲノ、カタチノヲノ、秋ツノヲノ、三訓ナリ。然而秋ツノヲノト云ヘキ歟。※[手偏+僉]2日本紀1曰、大|泊瀬幼武《ハツセワケタケノ》天皇四年秋八月癸卯朔戊申、行2幸《イテマシ》吉野宮(ニ)1庚戌|幸《イテマシテ》2于河上(ノ)小野(ニ)1、命《ミコトノリシテ》2虞人《カリヒト》駈《カラシメ玉フ》v獣《ケタモノヲ》。欲(シ玉フ)2躬射《ミツライント》《(マヽ)》1。而(テ)待?疾飛來《マチ玉フニアフトクトヒ》來(テ)※[口+替]《クラフ》2天皇(ノ)臂《タクフラヲ》1。於《ニ》v是|蜻蛉《アキツ》忽|然《セントシテ》飛(ヒ)來(テ)齧《クラフ》v虻《アフヲ》將去《イヌ》。天皇|喜《ヨロコヒ玉》2厥《ソノ》有(ルコトヲ)1v心、詔《ミコトノリシ》2群臣《マチキンタチ》1曰、爲(メニ)v朕《ワカ》讃《ホムル》2蜻蛉《アキツヲ》1歌賦之《ウタヨミセヨ》。群臣《マチキンタチ》莫《ナシ》2能(ク)敢(ヘテ)賦者《ヨムモノ》1。天皇乃(チ)口《クチヲ》號曰(ク)、野麼等能嗚武羅能陀※[糸+家]《(該ィ)》尓《ヤマトノヲムラノタケニ》、之之符須登※[手偏+施の旁]例可擧能居登※[食+拔ノ旁]褒麼陛尓麼烏須《シシフストタレカコノコトオホマヘニマヲス》。乃至|阿娯羅※[人偏+爾]※[こざと+施の旁]々伺斯々麼都登《アクラニタタシシシマツト》乃至|倭我※[こざと+施の旁]々西麼《ワカタヽセマ》、※[こざと+施の旁]倶符羅尼阿武※[手偏+可]枳都枳《タクフラニアフカキツキ》、曾能阿武烏阿枳豆波野倶臂《ソノアフヲアキツハヤクヒ》、※[食+拔ノ旁]褒彌爾麼都羅符《オホキミニマツラフ》焉。讃(テ)2蜻蛉(ヲ)1名(テ)2此地(ヲ)1爲2蜻蛉野《アキツノノト》《小歟》1云云。然而異趣、可v隨2心(ノ)縁(ニ)1歟。
 
   東野
當集第一卷|輕皇子《文武天皇》宿《ヤトリマス》2于安騎野(ニ)1時柿本朝臣人麿作哥長哥畧之
 アツマ野ニ煙ノタテルトコロミテカヘリミスレハ月カタフキヌ
右輕(ノ)皇子幸2吉野(ノ)安騎野《アキノニ》1之時|侍《ハヘテ》v駕《ミトモニ》讀(メリ)。然(レ)者東野ハ吉野ニアリト見エタリ。隨|而《テ》彼(ノ)所(ニ)東坂ト云フ道有(リト)v之云云。而ニ近來歌人如2武藏野(ノ)1詠v之。烟ノ立ト云ヘルヲ富士ト得心ニヤ、比興之至(ト)可云歟。雖然萬葉集之外猶(ヲ)有2殊(ル)證據1者非(ス)v可v僻之。能々可v祥《ツマヒラカ》《・(マヽ)》矣。
 
                      交畢
 
詞林釆葉抄 第二
 
(43)詞林釆葉抄 第三
 
天皇    磯城鴫大和
秋津嶋大和 虚見津大和
天香具山  石上布留
玉手次畝火 勝間田池
墨吉    葦垣吉野
草屋|塚《(マヽ)》女 志長鳥伊那 付水長鳥|安房就《(アハニツク)》
 
   天皇《スヘラキ》
當集第一卷、從(リ)2藤原京1遷(ル)2寧樂《ナラノ》宮(ニ)1時哥【歌主未v詳】
 天皇《スメラキ》ノ御コトカシコミニキヒニシイエヲエラビテ隱國《コモリク》ノ初瀬ノ河ニ舟《フネ》ウケテ道ユキクラシ青丹吉ナラノ都ノ佐保川ニイユキイタリテ我ネタル衣(モ)ノ上ニ朝月夜
右我朝ノ聖《セイ》主ヲスメラキト申和語、義理|字尺《シシヤク》共分(テ)五品也。一(ニ)曰(ク)、此王ノ字ハ三ノ字ヲ躰トス。是則天地人ノ三|才《サイ》ヲ兼ヌ。三ノ字則|木數《キノカス》也。【河圖洛書數也】。此ノ字(ニ)|《キ》ノ點《テン》ヲ引下セリ。然者木ヲ惣《スヘ》テモテスヘラキト云ナルヘシ。二曰、日域者是|扶桑《フサウ》國也。隨而|國木《クニキ》也。日ハ東ヨリ出ツ。震卦《シンノケ》木也。【其色青色也。】三曰、松ト云字ハ十八公也。加之緑松ハ霜ノ後ニ君子之|徳彰《トクアラハル》ト云。其(ノ)色緑ナルコト東ヲ司謂《ツカサトルイヒ》也。木公ト書ケルコト專(ラ)和國(ノ)君ト云ツヘキ者歟。四曰、日本ト云コト又東也。本ノ字木横シマニ一文字ヲ引。皇ハ木ノ王ナレハ※[うがんむり/取]符合《モトモフカウ》スル哉。又曰、日本(ノ)々(ノ)字、木者|基《モト》也。此兩字全一躰ニシテ其(ノ)聲《コヘ》同(シ)v之(ニ)。是以論語曰(ク)、君子ハ務本《ツトムモトヲ》1々|立《タテ》而|道生《ミチナル》。本(ハ)基(ニ)立而後可2大成1也矣。和漢兩朝|含《フクテ》2自然之理(ヲ)1書(ヲ)成セル者歟。五曰、王皇ノ字共ニ木ノ躰、本ヲ專ニシ、震《シン》ノ卦《ケ》青色ヲ惣《スヘテ》スヘラキノ御名《ミナ》成セシムル物也。就中皇ノ字ニアマタノ義有(リ)v之。其一理ヲ案スルニ、世(ノ)人依(ル)2野馬臺《ヤハタイ》ノ説(ニ)1歟ニテ、人代ハ百王ニ限ヘシト云云。然而豐葦原者(ハ)神國トシテ、天照大神ノ御末ヲ受《ウケ玉》、石清水ノ(44)清(キ)流(レ)ヲ今ニ澄《スマ》シメ、北ノ藤波猶(ヲ)古(ニ)立返リ、君臣ノ道|互《タカイニ》其徳ツキセス、松ノ緑ハ千年ノ色ヲ彰シ、花ノ白《カホハ》《・(マヽ)》セハ萬代ノ句ヲ殘ス。是背春ノ季(ヲ)司《ツカサトリ》、朝日ノ彰ヲ陽徳ニ象《カタ》トル者歟。詩ニ曰、誰|言《イヒシ》春(ノ)色(ノ)從(リ)v東|到《イタルトハ》露暖(カニシテ)南枝花始(テ)開(クトキ)ト云云。然者スヘラキノ儲《マウケ》ノ君ヲハ東宮(ト)申、此|謂《イヒ》歟。側聞《ホノカニキク》天照大神(ノ)御壽命十萬五千歳ト云云。神道ノ一世未(タ)(・ス)v央《ナカハナラ》。王法以(テ)可同之(ニ)1者也。又皇ハ是白王也。白色ハ衆色ノ王トシテ、至(テ)白キハ青色也。故ニ皇ノ字ハ又木ヲ部《スフ》ルニヨリテスヘラキトモ訓《クン》シ、白王トモ申也。凡(ソ)和歌者我國ノ風|俗《ソク》トシテ以(テ)v之|扶《タスケ》v政(ヲ)、以之和(ル)v民(ヲ)媒《ナカタチ》トスル者乎。君ハ又青色ノ徳ヲ待テ天下ヲ安《ヤスン》シ萬民(ヲ)撫(玉フ)。故ニ史記ニ曰、歌者柯《カハカ》也矣。則|可木《カホク》ト書リ。是以古今集ノ序(ニ)曰(ク)、夫和歌者|託《ツケ》2其根於心地(ニ)發《ハツスル》2其花於|詞林《シリンニ》1者也焉。君上|云《(之ィ)》木徳和歌之道一致(ナル)者歟。スヘラキトヨメル歌近來ハイト不v多(カラ)。當集第十八卷云
 スヘラキノ御代サカヘント東ナルミチノク山ニ金(ネ)花サク
 スヘラキノ南ノ※[草がんむり/宛]ニ御イテセシソノ世ノ秋ハコヨヒナリケリ          光俊
 
   磯城嶋大和
當集第十三卷歌、
 シキシマノ大和ノ國ニ人フタリアリトシキカハナニカナケカム
仙覺、式嶋大和《シキシマヤマト》トハ、トキヽヌノ思ミタレテト云ヘルカ如シ、ト許《ハカリ》注シテ、ナニトモ義ヲ尺セス。イカニイヘル言ニカアラン、其心ヱカタシ。今試ニ考(ヘ)v之云。式嶋トハ大和國(ノ)内ノ名所也。皇居ニモ崇神天皇(ノ)磯城嶋|瑞籬《ミツカキ》ノ宮、欽明天皇ノ磯城嶋|金※[渕ノ旁]《カナサシノ》宮アリ。然者式嶋ト云ヘルモ大和ト云ヘルモ同言ナルヘキ歟。大和ハ我朝ノ惣名ナレドモ、又一國ノ名也。サレハ大和コトノハ、シキシマノ道、アシ原ノ道ナト申ハ同事ナレハ、式嶋大和ハ只カサネタル言ナルヘシ。然ハトキ衣《キヌ》ハミタレタル物ナレハ、思亂ルト云フモ重タル言(ハ)也ト心得ヘキ歟(ト)覺ユ。凡我朝異名アマタアリ。伊弉諾尊《イサナキノミコト》ハ曰《ノ玉フ》2豐葦原(45)千五百秋瑞穂地《チイホアキミツホノクニト》、浦安國《ウラヤスクニ》、細戈千足國《ホソホコチタリクニ》、磯輪上秀眞《シワカンノホツ|テ《(マヽ)》》國(ト)、【已上】太己貴神《オホナンチノカミ》ハ玉墻内國《タマカキウチクニ》ト、神武天皇(ハ)秋津嶋(ト)、鹿嶋ノ大神ハ藤根國《トウコンコクト》、又葦原中津國、大|八十洲《ヤソクニト》、漢朝ニハ扶桑國、東海國、倭面|國《圖歟》、耶麻堆、君子國(ト)、寶志和尚ハ東海姫氏國、又野馬臺(ト)、此等ノ名ハ次ヲモテ所(ロ)v擧(ル)也。非2今|惡《(マヽ)》樞(ニハ)1矣。次(ニ)大和ト云事、山ノ跡ト云詞ナリ。日本紀ノ私記ニ曰、日本國ハ自2大唐1東(ヲ)去(コト)萬餘里、日出(テ)2東方(ヨリ)昇《ノホル》2于扶桑(ニ)1。故云(フ)日本(ト)1。古者謂(フ)2之(ヲ)倭國(ト)1。通云2山|跡《アトヽ1。山|謂《イフ》2之(ヲ)耶麻跡(ト)(マヽ)1謂之(ヲ)止《トヽ1音登戸反《コエハトトノカヘシ》。下《シモ》同(シ)。天地割判泥濕未v※[火+參]《アメツチサケワカレテヒチクリイマタカハカ》。是以|栖《スムテ》v山《ヤマニ》往來《ユキキス》。因《ヨテ》多(シ)2蹤跡1。故(ニ)曰2邪麻止《ヤマトヽ》1。又|古語《ココ》謂《インテ》《(マヽ)》2居住(ヲ)1爲v止《トト》言《コトハ》住《スム》2於山(ニ)1也音同(シ)v止《カミニ》。東海女國也矣。裏書《ウラカキニ》云、隋書《スイシヨ》東夷傳(ニ)曰(ク)、倭國(ハ)在(リ)2百濟《サイ》《クタラ》新羅(ノ)東南(ニ)1。水|陸《ロク》三千里(ヲ)於2大海之中(ニ)1、依(テ)2山嶋1而|居《コス》2卅餘國(ト)1云々。因v茲神武天皇ヲハ神日本磐余彦《カンヤマトイハレヒコノ》天皇(ト)申ス。然者大和ト云詞ハ是神代ヨリハシマリケルナリ。
 
   秋津嶋大和
當集第一卷、舒明天皇登(テ)2香具《カク》山(ニ)1望《ミ玉フ》v國(ヲ)之時(ノ)御製《ミウタ》
 大和ニハ村山アレトヽリヨロフ天ノ香具山ノホリタチ國ミヲスレハ國原ハ煙タチタツ海原ハカマメタチ立オモシロキ國ソ秋津嶋大和ノ國ハ
右秋津(ノ)嶋ト云事、神武天皇卅一年|皇《スヘラキ》廻d幸《メクリイテマシテ》〓間岳《ホヽマノヲカニ》1登(リ)玉ヒテ、此國ノ姿廻見《スカタヲミメクラシテ》、蜻蛉之臀※[口+占]《アキツノトナメ》ノ如ニシアルカナトノ玉シヨリ、始テ秋津嶋ノ名ヲ得タル也。秋津トハ東方羽《トハウ》也。此虫ノ東ニ向テ居タルスカタナルヘシ。大和|同前《トウセン》焉。
 
   虚見津大和
當集第一喚頭雄略天皇御製
 ソラミツ大和ノ國ハヲシナヘテワレコソヲラシツケナヘテ我コソヲラシ我コソハセナニハツケメ家ヲモ名ヲモ
古事《コシ》記(ニ)曰(ク)、
櫛玉饒速日《クシタマニキハヤヒノ》命(コト)乘《ノテ》2天石舟《アマノイハフネニ》1葦原ノ國ヲ見廻リ玉トテ、虚空《ソラ》ヲ飛翔《トヒカケリ》玉シヲ、虚空見津《ソラミツ》大和ノ國ト申也。(46)日本紀第一卷、取詮神武天皇筑紫ヨリ御軍《ミイクサ》ヲ集メ、吉備小嶋《キヒノコシマ》【今備前備中備後】ヲヘテ、葦原中津國へ入ラント、御舟ヲソロヘテ、波(ミ)早《ハヤノ》津ニ【今難波津也】着《ツキ》玉ヒ、河内(ニ)衍《・(マヽ)》膽駒《ニサカノホリイコマ》山ヲ越玉フニ、長髄彦讎族共《ナカスネヒコト云エヒスノヤカラトモ》ヲ※[巒ノ山が十]《ヒイ》テ防(キ)戰(フ)ニ、天皇勝コトヲエ玉ハス。引|退《ソヒ》フ葛木山ヲ超《コエ》、紀伊ノ國ニ廻リ、吉野ノ内津國《ウチツクニ》ヨリ國(ニ)見岡《ミノヲカ》ト云所ニテ見玉ヘハ、武軍《キクサ》共ツトヘリ。御《ミ》軍スヽミテ戰(カ)ハントス。長髓彦使(ヒ)ヲ奉リ申サク、昔天ツ神ノ御《ミ》子、天ノ岩舟ニ乘《ノリ》テ天降《アマクタリ》玉ヘリ。櫛玉饒速日《クシタマニキハヤヒノ》命ト名乘玉ヘリキ。奴《ヤツ》レカ妹三炊屋媛《イモウトミカシヤヒメノ》命ヲ御妾《ミメト》シ玉ヒテ御子ヲ生《アレマ》シ玉ヘリ。名ヲハ可美眞手《カミマテノ》命(コト)ト申。是ヲ君ト崇《アカメ》テ葦原ノ國ヲ治《ヲサ》メサセタテマツル。其外ニ又天ツ神ノ御子イマスヘシヤト。天皇|汝《ヤツカレ》カ君トスル相(ヒ)看《ミン》ト宣《ノ玉》フ。長髓彦則|速日《ハヤヒノ》命ノ天羽々矢一脈《アマノハヽヤヒトスチ》、及歩勒《ヲヨヒカチユキ》ヲ天皇ニミセ奉ル。天皇マコト也トテ、又|我羽々矢《ワカハヽヤ》ト靱《ユキ》トヲ視《ミ》セシメ玉フ。長髓彦是ヲミテ恐レ惶《ヲノヽ》キ奉ル矣。
 
   天香具山
當集第一卷、持統天皇|御製歌《オホミウタ》
 春スキテ夏キニケラシ白タヘノ衣|乾有《サラセリ・ホシタル》アマノカク山
此山ニ衣ヲホスナト云事、甘橿《アマカシ》ノ明神トテオハスルハ、人ノトカノ虚《キヨ》實ヲタヽシ玉フ神ニテ、ソノ衣ヲ神水ニヌラシテホスト申傳タリ。然而是正義ヲ不知。今考之云、此香具山ノ宮ハ藤原ノ宮御宇天皇ノ離宮ト見ヘタリ。其故者、當集第二卷長歌曰、
 我大君ノ萬代トオモホシメシテツクラシヽ香來山ノ宮萬代ニスキント思ソ《(マヽ)》ヤ云云。
同第三卷歌曰、
 アモリツク天(ノ)香具山霞タチ春ニイタレハ松風ニ池波立テ櫻花|木《コ》ノクレシケミ百式ノ大宮人ノタチイテヽアソフ舟(ニハ)梶《カチ》棹モナ|ク《(マヽ)》サヒシモコク人ナシニ
歌註曰、右今(マ)案(ルニ)、遷2都《セント》寧樂《ナラニ》1之後|怜《アハレンテ》v舊(ルキヲ)作(ル)2此歌(ヲ)1歟矣。而ニ此山昔ハ人屋多クアリケル故ニ、衣ヲモホシケルカ、山家ナルニヨテ外ヘモミヱケルナルヘシ。必シモ科《トカ》ヲタヽスハカリニテハアラサルヘシ。就中此(47)山ニハ卯花多クサキケルヲ衣|千似《ホスニ(マヽ)》ソトモ申ニヤ。凡此山我朝ノ靈山トシヲ在所|陰《□》陽(ウ)家《ケ》ニ沙汰セラルヽ山也。古語拾遺(ニ)曰(ク)、天照大神入(玉シ)2天(ノ)岩窟《イハヤニ》1幽居《カクレマス》、六合常闇晝夜不v分《クニノウチトコヤミニシテ|ヒルヨル《・ヨルヒル(マヽ)》ハカタス》。高皇彦靈神《タカスメムスヒメノカミ》會《ツトヘテ》2八十萬神《ヤヲヨロツノカミヲ》於|天八瑞河原《アメノヤスカハラニ》1議《ハカリ》2奉謝之方《イノサノハウヲ》1取《トテ》2天(ノ)香具山(ノ)銅《カネヲ(マヽ)》1以2鑄日像之鏡《イシカヒカタノカヽミヲ》1、種《マキテ》v麻《アサヲ》以(テ)爲(ス)2青和幣《アヲニキテト》1【古語(ニ)尓|岐弖《キテ》】、穀木種殖《カチキウヘテ》之以(テ)作(ル)2白和幣《シラニキテヲ》1【是木綿也己上一夜(ニ)蓄茂也】此等ノ儀式皆以香具山也。今ノ世ニモ豐御《トヨノミ》神樂ト申ハ是ヲ模《ウツ》シテ被行者也。
 
   石上布留
當集第十一卷歌云、
 石上ノフルノ神杉カミトナル戀ヲモ我ハサラニスルカモ
此歌ヲトラセ玉ヒテヨマセマシ/\ケル
 フカミトリアラソヒカネテイカナラムマナク時雨ノ布留)神杉【後鳥羽院御歌】
普此河ニテ女ノ布ヲアラヒケルニ、水上ヨリ劍ノナカレタリケルカ、アタル土石草木タマラス切ケルニ、此布(ニ)マトハレテ留リタリケルヲ、俗人取テ神トイハイタリケルカ、アマリニ物ニタヽリケレハ、土ヲ一丈ニ堀リテウツミタリケレハ、一夜ニ杉生タリケルヲ神杉ト申トカヤ。此所ハ安康天皇ノ穴穗《アナホ》ノ宮、仁賢天皇ノ廣高ノ宮ヲ造ラレタリシ跡也。
 
   玉手次畝火山
當集第一卷、柿本人麿哥云、
 玉タスキウネヒノ山ノカシ原ノ聖(ノ)御世ユアレマシヽ神ノアラハストカノ木ノ云々
玉タスキウネトハ、玉ハホムル言ナリ。ウネハ田ヲ耕《スク》時ハ畝ノアル故ニ田スキウネト云也。順《シタカウカ》和名ニ尺スルニ、畝ノ字ヲ引(テ)2唐令《タウリヤウヲ》1曰、諸因廣《シヨテンヒロサ》一歩|長《ナカサ》二百四十|歩《フヲ》爲畝(ト)1。々百(ヲ)爲v項《キヤウト》去頴《キヨエイ》反。項ト者六町六段二百四十歩也矣。又玉|手次《タスキ》懸タルハ、肩《カタ》ニ畝ノコトクニスチノタカケレハ申也トモ云。
 
   勝間田池
彼池ニハ水ナシト讀習セリ。然而
(48)當集第十六卷歌
 カツマタノ池ハ我シル蓮《ハチス》ナシシカイフ君カヒケナキカコト
註(ニ)曰、右新田部ノ親王|出《イテ》2遊于|堵裏《トリニ》1御2見《ミソナハス》勝間田(ノ)池(ヲ)1。感緒《カンシヨシテ》2御心之中(ニ)1還(テ)3自(リ)2彼(ノ)池1不《ス》3忍(ヒ)2怜愛《レイアイニ》1。於《ニ》v時語《カタテ》2婦人《タヲヤメニ》1曰(ク)、今日遊行(シテ)見(ルニ)2勝間田(ノ)池(ヲ)1、水ノ影|濤々《タウ/\トシテ》蓮(ノ)花|灼々《シヤク/\タリ》。※[立心偏+可]怜《カレイ》斷(テ)v腸(タヲ)不2可3得2言(ヲ)1。尓(ルニ)婦人《ヲトメ》作(テ)2此|戯哥《タワフレノウタヲ》1專(ハラ)輙《タヤスク》吟詠(スル)也矣。此ノ親王《ミコ》世ニ勝《スクレタル》大〓ニテオハシケルヲ表《ヘウシ》テ戯レニヨメルナリ。然者水ナシトハミエス。隨而古今六帖云、
 カツマタノ池ニスムテフコヒ/\テマレニモヨソニミルソカナシキ
抑此池ノ在所不分明。古ノ哥枕ニハ美作國ニ入畢。雖v然萬葉集ニ令2相違1歟。新田部|親王《ミコ》大和國藤原ノ宮ヨリ當日遊覽シテ皈《カヘリ》玉フ。然ハ美作國ナルヘカラス。爰ニ良玉集曰(ク)、泊瀬ヘ參リケル時昔ノ勝間田池ノ跡ヲ見テト云々。此則奈良ノ藥師寺也。昔ノ池ノ水絶テ後已ニ精舍《シヤウシヤ》ヲ立タリ。用水ナシト詠セシコト尤其|謂《イハレ》歟矣。帝王系圖(ニ)云ク白鳳元年十一月依(テ)2皇后ノ病《ヤマヒニ》1造(ル)2藥師寺(ヲ)1焉。是則彼池跡也云々。
 
   墨吉
當集第七卷、攝津國歌云、
 スミノヱノ岸ノ松カ根ウチサラシヨリクル波ノヲトノサヤケサ
墨吉、スミノエ、ミツノエ、三訓也。然而スミヨシスミノエハ同訓也。ミツノエトハ浦嶋カ子ノ釣シケン水ノ江ナルヘシ。攝津國ノ墨吉ヲハミツノエトハ不(ル)2可訓(ス)1者也。是以(テ)丹後國ノ風土記(ニ)曰、美津乃江之浦鳴子玉匣《ミツノエノウラシマコノタマクシケ》1云々。不3可2混《コン》亂1者歟。墨吉ハ古語、近來ハ住吉也。抑住吉大神ハ※[手偏+僉](ルニ)2日本紀(ヲ)1、底筒男中筒男表筒男三《ソコツヽヲナカツヽヲウハツヽヲミハシラノ》神也矣。古事《コシ》記曰(ク)、問曰、是(ノ)三大神者|當《マサニ・ヘシ》在《イマス》2筑紫ノ披《橘歟》之|小戸《ヲトニ》1。而今|在《マシマスコト》2攝津國ノ墨ノ江(ニ)1如何哉《イカンソヤ》。答曰(ク)、此(ノ)神(ノ)荒御魂者《アラミタマハ》、猶《ナヲ》在《イマス》2筑紫(ニ)1。但|和魂獨《ニコタマハヒトリ》在《イマス》2墨吉(ニ)1耳焉。神功皇后(ノ)宮ノ記(ニ)曰、九年三月皇后|親《マノアタリ》爲(ル)2神主(ト)1。其後皇后墨(49)江ニ遷坐《ウツリマス》矣。此神本|在《イマス》2筑前ノ小戸1。即《ツイテ》2神功皇后1初テ遷2居(リマス)2攝|津國《ツノクニ》墨江(ニ)1。此三神海中ヨリ湧《ユ》出シ玉コトヲヨメル、
 西ノ海淡木ノ原ノシホ路ヨリアラハレ|イテ《出》シ住吉ノ神
                       卜部兼直
神宮皇后|三韓《・カン》《新羅百濟高麗》ヲ征玉シ時、守護ノ荒御前トシ、皈朝ノ後(チ)住吉ニ鎭《シツマ》リ玉ケルカ、孝謙天皇御宇天平勝寶年中ニ、社ノ荒廢《カウハイ》シタルコトヲ帝ニ告申サセ玉ケル御歌、
 夜ヤサムキ衣ヤウスキ片※[金+拔ノ旁]ノユキアヒノ間ヨリ霜ヤヲクラム
彼大神ハ如(シ)2上(ニ)述(ルカ)1。神代ニ自(リ)2海中1涌出シ玉(フ)神也。然ヲ天降タルトモ荒人神トモ可申乎ト覺ユルニ、當集第六卷石上乙麿歌曰、
 カケマクモユヽシカシコシ墨吉ノ荒人神ノ|フナノヘ《舟上》ニ|ウシワキ《虫涌》玉ハン嶋ノサキ/\ヨリ玉ハム礒ノサキ/\アラ波ノ風エアハセス草ツヽミ病アハセス速《スミヤカ》ニ返シ玉ハネ本ノ國ヘニ
因テ此長歌ノ詞(ニ)ヨメルニコソ。凡荒人神ト云コト其品多之1。日本武尊《ヤマトタケノミコト》對《タイシテ》2蝦夷《エヒスニ》1、吾レハ是|現人神《アラヒトカミ》ノ子也ト名乘玉ヘリ。然レハ天皇ヲモ荒人神ト可申ニヤ。又日本紀曰、雄略天皇四年春二月|射2※[獣偏+葛]《ミカリシ玉フ》於葛城山(ニ)1。忽(チニ)見(玉テ)2長《タケタカキ》人1 天皇問(テ)曰、何ノ處(ノ)公《キミソヤ》也。長人《タケタカキヒト》對(ヘテ)曰、現人之神《アラヒトノカミソ》、僕是一事主神《ヤツカレハコレヒトコトヌシノカミ》也云云。又天神地|祇《キ》ノ外ノ神ヲハ皆荒人神ト申ヘシト日本紀(ニ)申タンナレハ、以(テ)2何|篇《ヘンヲ》1墨吉ノ大神ヲハ荒人神ト可申乎。若|荒御前《アラミサキ》ト申ニ付テ申ニヤ。次ニ天降タルトヨメル事、是亦日本紀(ニ)令(ル)相違1者歟。但シ諸神ハ皆天ニノホリテ、大梵天王ノ勅許ヲ蒙テ神ト定リ玉フト申セハ、イツレノ神ヲモ天降トハ可奉申1ニヤ、能々可v詳(カニス)。又住吉四所明神者、如古事記1者神宮皇后|遷坐《センサ》ト見ヘタリ。但津守ノ國基申ケルハ、第四ノ社ハ玉津嶋ノ明神也云云。定テ有子細歟。追テ可尋之矣。
 
   葦垣吉野
近來葦垣ノ吉野トツヽクル歌在之。誠ニ詞ノツヽキソノタヨリアル物ナリ。然而日本紀萬葉古哥集等ノ中ニ、(50)葦垣吉野トツヽケタル歌不及管見(ニ)1。爰
當集第六卷歌曰
 忍照ヤ難波ノ國ハアシカキノフリニシ里ト人ミナノ思ヤスミテツレモナクアリシアヒタニウミヲナス長《ナカ》ラノ宮ニマキ柱フトシキタテ、云云
右哥詞ニ葦垣乃古郷跡人皆《アシカキノフリニシサトトヒトミナノ》ト上七字ヲ古人如此ヨミナセリ。或ル本ニハ古郷ノ二字ヲ吉野トカキナホセル有(リ)v之。然而|首尾《シユヒ》不(ル)2相階《アイカナハ》1歟。此歌ノ詞ノ前後皆難波也。忍照難波ト、長柄《ナカラノ》宮ノ卷柱《マキハシラ》ナト也。將亦(タ)難波ニ吉野ト云フ所ナシ。只フリニシ里ニテアルヘキニヤ。吉野ト訓セルモ※[區の品が口]《カタシ》2信用1。況ヤ吉野ト書改ルコト奈何《イカン》。理不盡ノ本也。但此古點ノツヽキヲモテ、任(テ)2一説(ニ)1アシカキノ吉野ト詠センコト非(ル)2制(ノ)限(リニ)1者也。例セハコモリ口《ク》ヲ隱|江《エ》トヨミ、味酒《馬サカ》ヲアチサケトヨメル歌オホクミユルカコトシ。此(レ)ハ言(ハ)ノ便《タヨリ》甘心也。
 
   葦屋處女墓
當集第九卷、過(ル)2葦(シノ)屋處女墓《ヤノヲトメツカヲ》1時、蟲麿《ムシマロ》歌曰、
 イニシヘノ|サヽタヲノコ《イサヽケクタケキ男也》トツマトヒシウナヒヲトメノヲキツキソコレ
サヽタヲノコトハイサヽケキ男也。勇《イサ》ミ輕《カロキ》也。ヲキツキトハ墓也。息《イキ》ノツキタル處也。又ハ棺《ヒツキ》ヲ置ク所ナリ。此歌|濫觴《ランシヤウ》大和物語ニ見ヘタリ。然而本歌ハ當集ナレハ少《スコシキ》所(ロ)v載《ノスル》之也。攝津國ノ男ノ姓ハ兎原《ウナヒ・トハラ》【乃云兎原|壯士《ヲトコ》也】血沼《チヌ》ノマスラヲトヨメリ。和泉國ノ男ノ姓ハ宇金《ウカネ》也。アラソフニ勝負ヲエサリケレハ、處女思ワヒテヒソカニ出テ、身ヲナケヽル時ヨメル、
 スミワヒヌ我身ナケナムツノ國ノ生田《イクタ》ノ河ハ名ノミナリケリ
仍二人男共ニ身ヲナケテケレハ、處女塚《ヲトメツカ》ノ左右ニ塚ヲツケリ。其後年|經《ヘ》テ、此野(ヲ)スキケル旅人、日暮ニケレハ此塚ノ邊(リ)ニ臥タリケルニ、墓ノ内ニ戰ノコエ時ヲウツシケルカ、ヤヽシツマリテ後、裸《ハタカ》ナル男一人來テ、此旅人ノ枕ニヲキタル太刀ヲカリテ、程ナク戰ノヨソオヒノキコエケルカ、又シツマリテ太刀ヲカヘス(51)トテ、此御ハカセニテ敵ヲコソシヘタケテ候ヘトテ、コヨナクヨロコヘル氣色ニテ失ニケリト云云。等《ヒトシク》思2兩人(ヲ)1戀ト云コトヲヨメル、
 ツノ國ノ生田ノ河ニ鳥モヰハ身ヲカキリトヤ思ナリナム
此歌ハ彼二人ノマスラヲツマアラソヒノ時、生田ノ河ニ居タリケル鳥ヲ、一人ハ頭ヲ射、一人ハ尾ヲ射タリケル事ニコソ。又コノ處女塚ヲ俊頼朝臣ハモトメツカトヨメリ。
 求塚《モトメツカ》御《ミ》前ニカヽル|シハ※[行人偏+爰]フネノ北氣《風名也》ニナレヤヨル方モナシ
 
   志長鳥伊那【付|水長鳥安房就《ミナカトリアハニツク》】
當集第七卷歌云
 シナカトリヰナ野ヲユケハアリマ山夕霧タチヌヤトナシニシテ
シナカトリ説々不同也。或云、狩《カリ》衣ノ裾《シリ》ノ長ヲ、居ル時カヒトリテ居ルヲ云ナリ。或云、攝津國|猪名野《ヰナノ》ニテ狩ヲシケルニ、白鹿ヲ取テ猪ハナシト云ケルヨリ申ト、爰ニ日本紀曰、景行天皇卅年、日本式尊|進2入《イテマシ玉フ》信濃(ニ)1。是《コレ》山也。山高谷|幽《フカク》シテ翠嶺萬重《タケトヲクカサナリ》、人倚v杖《ヒトツカレテツエニ》而難(シ)v昇《ノホリ》。山(マ)嶮
磴※[糸+行の旁]《ケハシクカケハシメクリ》、長峯數千馬頓轡《ミネツヽアリテムマナツミテ》而|不v進《ユカス》。日本式尊|※[木+皮]《ヒラキ》v煙(ヲ)凌《シノキ》v露(ヲ)經《ヘ》2大山《タケヲ》1遙(ニ)逮《ヲヨテ》2千峯《チヽノミネ》1飢《ツカル》2之|食《ミチ》1。於2山中(ニ)1山(ノ)神令(ント)3苦《クルシ》2王(ヲ)1化《ナリテ》2白(キ)鹿《シカト》1立《タテリ》3於2王ノ前(ニ)1。異《アヤシミテ》之(ヲ)1以2一|箇蒜《コノヒルヲ》1彈《ハシキカケタマフニ》白鹿(ニ)1。則(チ)中《アタテ》v眼(ニ)而殺(シヌ)之。爰ニ王忽ニ失(ナヒ)v道(ヲ)不4知3所(ヲ)2出(ル)1。時(ニ)白狗來テ導《ミチヒク》v皇(ヲ)之。隨(フ)2狗(ノ)徃(ニ)1仍|得《ウ》3出(ルコト)2美濃(ニ)1。吉備武彦《キヒノタケヒコ》自(リ)越《コシ》出(テヽ)而|遇《マイリアフ》之。先《サキニシテ》v是(ヲ)度《コユル》2信濃ノ坂《サカヲ》1者《モノ》多(ク)得2神|氣《キヲ》以(テ)※[病垂/謹の旁]臥《イタミフス》。但(シ)從《ヨリ》2〓《コロシテ》白鹿(ヲ)1之|後《ノチ》踰《コユル》是|山《タケヲ》者《モノ》嚼《カン》テ蒜《ヒルヲ》1塗《ヌテ》人及馬牛(ニ)1自《ヲノラ》不《ス》3中《アタラ》2神氣(ニ)1也焉。今考v之、彼(ノ)信乃國伊那ニ|ハ《(マヽ)》白鹿ヲ取玉フコトヲシナカトリヰナト云ツヽケケルヲ、今ノ世ニハ攝津國ノヰナ野ニトリヨセテ諷詞《フウシ》トスルニコソ。例セハ同國若栗林ト云フ所ヲ過玉フニ、夷《エヒス》ノ族《ヤカラ》襲《ヲソヒ》タテマツラムトス。尊《ミコト》則白(キ)鳥トナリテ南山ニ飛《トヒ》ノホリ玉フ。其所ヲハ白鳥トテ今世ノ驛館也。南ノ山ヲハ鳥羽山トテ有之1。然而近代ハ城《山歟》南ノ鳥羽ヲ白鳥ノ鳥羽ト云ヒナラ(52)ハセルカ如也。白ヲシナト云詞、當集第二云
 ミ《水》草カルシナノヽ眞弓ワカヒカハムマ人サヒテイナトイハムカモ
ミ草トハスヽキ也。シナノトハ薄(キ)白クカレタル野ヲ云フ也。白キ野ヲ信乃《シナノ》ニ言ヲカル也。古哥云
 君ト我エモオキヤラスシナコマヤソノ足ウラノ土ナケレトモ
シナコマトハ白(キ)駒《コマ》也。歌ハ、人ノネタルヲオコナシト思ニハ東方ヘ行、葦毛ノ駒ノ足ノウラノ土ヲ取テ、七家ノ竈《カマ》ノヘスヒヲ取合藥シテ、ネタル人ノホソノ上ヘニ付ツレハオキアカラスト云フコトヲヨメル也。又|薄《スヽキ》ヲミ草(ト)云事、日本紀第一(ニ)曰(ク)、使《シテハ・シム》d山雷《ヤマツチヲ》1者|採《トラ》c五百箇眞榊八十玉籤《イホカノマサカキノヤソノタマクシヲ》u、使《シテハ》d野槌《ノツチヲ》1者|採《トラ》c五百箇野簾八十玉籤《イホカノミクサノヤソノタマクシヲ》u矣。此(ハ)天照大神《アマテラスオホカミ》石戸《イハト》ニ籠セ玉ヒシ時、ヲコツリ出シタテマツラムトセシ態《ワサ》ナリ。依之1信濃國ノ諏方御射山《スハノミサヤマ》ノ祭(リ)ニハ、薄《スヽキ》ヲ取テ御|幣《ヘイ》トスルナリ。仍ミ草カル信乃ト云也。又信乃ノ眞弓ト云事、續日本紀《延暦十六年菅野眞道撰》、大寶二年甲午信濃國|梓弓《アツサユミ》一千張、以|充《アツ》2大宰府1矣。梓弓ハ弓ノ本タル故ニ眞弓ト云也。信乃國ノ古キ濟物也焉。
次水長鳥安房ニ就《ツキ》タルト云事、續日本紀(ニ)曰(ク)、日本根子高瑞淨足姫《ヤマトネコタカミツキヨタラシヒメノ》天皇(ノ)御宇養老二年五月甲午朔乙未、割《ハケテ》2上總國之平郡安房朝夷長※[手偏+左]《・(マヽ)》《ヘクリアハアスヒナナカサ》四郡(ヲ)1置《ヲク》2安房國(ニ)1矣。然ハ長狹等ノ四郡ヲ取テ安房ニ付テ云詞歟云云。隨云ク
當集第九卷詠(スル)2上總(ノ)末珠名娘子《スエノ玉ナヲトメヲ》1歌云
 シナカトリアハニツキタル梓弓《アツサユミ》スエノ玉ナハムナ分ノヒロキワキモ腰細ノスカルヲトメカソノカホノウツクシケサニ花ノコトヱミテタテレハ
右歌ノアハニツキタル梓弓トハ、安房ニツキタル上總弓ト云フ詞也。弓ハ彼國貢(ク)調《テフ》也。又シナカトリアハニツキタルトハ、倭武尊《ヤマトタケノミコト》ノ蒜《ヒル》ノ泡《アハ》ビテ白鹿ヲ取玉フ事ヲ申トモ云ヲ、誠ニ言(ハ)ノ縁サモト聞ユ。然而此歌四郡ヲ取安房ニ付ト云歟。凡ソ當集ノ庭訓《テイキン》ニ仙覺注(シ)置(ク)之處ハ、シナカトリトハ獵者《レウスルモノ》也。イサナトリトハ漁父也ト云云。此上者|未學《ミカク》蒙昧之|微質《ヒシツ》雖非可及※[米+斤]簡1、令3披2見一(53)部始終(ヲ)1、有(リ)d契《カナフ》2此(ノ)理(ニ)1歌u有(リ)d違此詞(ニ)1之所(ロ)u。於如然1者不(ル)可有毎首一致之儀(ニ)1者哉。所詮シナカトリトハ白鹿ヲ取伊那ト可(キ)心得1者(ノ)歟。伊那トハ信濃ト美濃トノ境ナル伊那ノ郡《コホリ》ナルヘシ。是則日本武(ノ)尊(コト)美濃出玉フト云詞ニ符合セリ。爰ニ仙覺庭訓ノシナカトリイナトハ、獵士《レウシ》ハ類ヒ多キ者ナレハサソヒツルヽ心ナルヘシト云云。日本紀ノ心ニ令相違1歟。又イサナトリ淡海《アハミ》モ只魚ヲトル海トツヽクル也ト心得ナハ、何レノ哥モ不可相違1者歟。但シ不《ス》3窺《ウカヽハ》2膏※[亡/肉]之※[手偏+奥]《カウハウノフカキ》處(ロヲ)1、後哲宜3ク2商量《シヤウリヤウ》之(ヲ)1矣。
 
 
             交畢
詞林釆葉抄第三
 
詞林釆葉抄 第四
 
  忍照難波       級照
  朝毛吉紀       妹背山
  樂々浪        鯨鯢取淡海
  角鹿濱        明石浦
  陬磨浦        白縫筑紫
  松浦河 付玉嶋河   浦嶋子
 
   忍照難波《ヲシテルナニハ》
當集第十卷歌曰、
 オシテルヤナニハホリエノアシヘニハ雁《カリ》ネタルカモ霜ノフラクニ
喜撰式(ニ)曰(ク)、海ヲハオシテル、湖ヲハニホテルト云々。爰ニ萬葉集一部始終披見ノ處、難波ノ外オシヲルトヨメル歌ナシ。然レハ海ノ惣名ト註スルモ不審ナキニ非ス。然而先賢ノ明作定テ有子細1者(ノ)歟。難波ヲオシヲルト(54)云事義理各別也。其故者日本紀第十一卷曰、天皇十一年夏四月|代《戊歟》寅朔|紹《・(マヽ)》《ミコトノリシ》2群臣《マチキンタチニ》1、今|朕視《ワレミソナハス》2是(ノ)國(ヲ)1郡澤曠《クニサハヒロクシテ》而|田園小《タハタケスクナシ》。亦《マタ》河(ノ)水|横逝《ヨコシマニナカレテ》以(テ)流(レノ)末不※[馬+央]《シリトカラス》。聊《イサヽカ》逢《アテ》2霖雨《ナカアメニ》而海(ノ)湖逆上《ウシホサカノホリテ》而|巷里《ムラサト》乘(テ)船(ニ)1道路《ミチスチ》亦(タ)泥《ヒチニナリヌ》。群臣《マキンタチ》共(モニ)視v之(ヲ)決《ミヲサクリ》2横源向《ヨコシマノミナトヲ》1通(シテ)2海(ノ)塞逆《フサカレルコミヲ》1流、以(テ)全《マタクセヨ》2田宅《ナリハヒトコロヲ》1。冬(ユ)十月《カミナツキ》堀《ホテ》2宮北之郡原《ミヤノキタノクニハラヲ》1引(テ)2南水(ヲ)1入(ル)2西海(ニ)1。以(テ)號《ナツケテ》2其水(ヲ)1曰2堀江(ト)1焉。彼(ノ)難波(ノ)浦(ハ)水アサクコミフカキ故ニ、舟ヲイタス時ハヲシテイツルト云|詞(ハ)ト見エタリ。不(ル)可准2自余ノ海(ニハ)1歟。明玉集云、
 ヲシテルヤ御津ノ堀江ニ舟トメテ闘鷄野《ツケノ》ノ鹿ノコヱヲ|ナ《キ歟》ク哉
昔|闘鷄野《ツケノ》ニ牡鹿《サホシカ》アリ。妻《メ》鹿ノ外淡路ノ嶋ニ妾《セウヲ》モテリ。或夜|妻《メ》鹿ニ語云、我|背中《セナカニ》俄ニ薄《スヽキ》生テ、則霜ニ枯《カレ》ヌト夢ニ見タリト。妻鹿(カ)云、淡路ノ妾カモトヘユカン時、海上ニテ背中《セナカ》ニ矢ヲ射立《イタテ》ラレテ、鹽《シホ》ヲ付ラルヘシト。ハタシテ夢合ノコトシ。ソレヨリツケ野ヲハ夢野ト申トカヤ。日本紀ニ見タリ。
 
   級照《シナテル》
當集第九卷歌云、
 シナテルヤ片アスハ河サニヌリノ大橋ノ上(ニ)紅ノ赤モスソヒキ山アヰモテスレルキヌキテ云々
級照ヤカタアスハトハ、シナハシナフ言(ハ)、テルハ日也。カタアスハ河ハ、片サカリナルソハト云言(ハ)也。片サカリナル山ニハ日ノコトニアタヽカニアタルナリ。又級照(ヤ)片岡山ト云フモ義同也。聖徳太子片岡山ニイテマス時、飢ル旅人道ノホトリニ臥ル。太子飲食ヲタマフ。又紫ノ御衣ヲヌキテウヘ人ノ上ニオホヒ玉フ。御歌云、
 シナヲルヤ片岡山ニ|イヰ《飯》ニ|ウヘ《飢》テフセル旅人アハレオヤナシ
飢人頭ヲオコシテ、答歌云
 イカルカヤ富ノ緒河ノタエハコソ我大君ノ御名ハワスレメ
此太子御哥ノ心ハ、彼達磨大師觀音ノ化來ニヲ、西方(55)極樂ノ本師彌陀ニハナレ奉リ、東土ノ衆生利センカ爲ニ日域ノ旅人トナリ玉ヘトモ、機縁イマタ純熟セサル故ニ、中道ノ法味ニウヘテ二邊ノ片岡山ニ臥セリト云フ心也。七代紀ニ見エタリ。
      
   朝毛吉紀《アサモヨヒキ》
當集第一卷、調首淡海《》ツキノヲフトアハミ》歌云、
 アサモヨヒ紀人トモシモマツチ山ユキクトミラム木人トモシモ
アサモヨヒト云言(ハ)、朝ヨキ薪ヲタクコト※[うがんむり/取]上《サイシヤウ》ナレハヨキ木ト云フ事ナリ。爰ニ柿本人麿集云、天平勝寶七年春二月於2左大臣橋(ノ)卿ノ東ノ家(ニ)1宴《エンス》v饗《アヘヲ》於2諸卿《マチキン》大夫等(ニ)1。于時主人大臣問(テ)2人麿(ニ)1云、古歌云、アサモヨヒキノセキモリカタツカ弓ユルス時ナクワカモエル君矣。哥ノ頭《ハシメ》ニアサモヨヒキト云其心イカン。人麿答云、式部卿石河卿ノ説ニ云、古俗言《フルキシヨクケン》併(ラ)朝食カシク是ヲアサモヨヒト云。紀《キ》ハ薪也。是ヲ紀伊國ノ發《俗歟》語トスト云云。知ヌ朝ノ飯ヲカシク薪ト見エタリ。又タツカ弓ト云フ事、昔河内國ニアル男イツクヨリトモナキ美《ヒ》人ノアリケルヲ妻トス。年來志フカク思ヘリケルカ、或夜夢ノ内ニ云、我汝ニ日比ノ契《ナコリ》イマタツキストイヘトモ、契已ニキハマレリ。然レハ遠所ヘマカリナントス。此ヲカタミニ見玉ヘトテ、弓ヲ手ニトラストミテサメス。枕ノ上ヲミレハ白トウノ弓アリテ妄《妾歟》ハミヱス。男歎ナカラ此弓ヲ手ナレテ明暮|自愛《シアイ》スルニ、此弓アル時白キ鳥トナリテ南ヲサシテ行ク。男跡ヲタツネテ|ヲヒ《追》行ニ、紀伊國|雄《ヲ》山ト云所ニテ又人トナリテウセヌ。此女ハ彼山ノ關守ノ弓ニテアリケルトカヤ。
 
   妹背山
當集第七卷、柿本人麿歌
 大汝貴少彦名《オホナンチスクナヒコナ》ノツクレリシイモセノ山ヲミルソカシコキ
日本紀曰取意|大汝貴《オホナンチノ》神ハ素盞烏尊《ソサノヲノミコト》御子|奇稻田姫《クシイナタヒメノ》生《アレ》マス神也。此神父ノ尊ノ讓ヲウケテ葦原ノ國ヲ造リ、山川草木ヲツクリイタシウヘソメ玉(ヒ)シ故ニ、國作大汝貴(56)命《クニツクリオホナンチノミコト》トモ申。又ハ大國主ノ神トモ申也。此尊凡一百八十神ノ御子オハストイヘトモ、國ヲツクリ玉ウカオハセス。爰ニ出雲國|五十佐々《イソサヽ》ノ小《ヲ》河ニシテ海上ヲ見玉ヘハ、人ノコエアリテスカタナシ。驚テ是ヲ求ルニ獨リノ小男白|※[草がんむり/(僉+殳]《カノミ・カヽラミ》ノ皮ヲ舟トシ、鷦鷯《サヽキ》ノ羽ヲ衣トシテ、ウシホニシタカヒテウカヒ來レリ。大汝尊|掌《タナコヽロ》ニヲキテ是ヲ翫(ヒ)玉フニ、ヲトリアカリヲ尊ノ御カホサキニクヒ付玉フ。アヤシミ玉イ|テ《(マヽ)》、高皇彦《タカミムスヒ》ノ靈《ミタマノ》尊(コト)ノ曰ク、吾ウメルトコロノ御子スヘテ一千五百|座《サ》ヨリ《有歟》。其中ニ腹惡クオハシテ我ニシタカヒ玉ハヌヨリ、手ニトリテヒシカントセシニ、指ノハサマヨリクヽリ落シヨリ、ソレニテソオハスラム。養ヒ玉ヘト申玉ヒシカハ、子トシテ、名ヲハ少彦名《スクナヒコナノ》命ト申キ。此神心イサヽケク賢クオハシテ、尊トモロトモニ國ヲオサメ、森羅萬像ヲ造玉(ヒ)シ也。必シモ妹背山ハカリヲ作玉フニハアラス。イツレノ山川ヲモ作玉フ也。
 
   樂々浪《サヽナミ》
當集第一卷、柿本人麿歌云
 サヽ浪ノ志賀ノカラサキサキクアレト大宮人ノ舟待カネツ
ナヽ波ト云コト、天智天皇粟津ノ宮ニオハシマシヽ時、伽藍《カラン》建立ノ御志アリシニ、天皇六年二月帝ノ御夢ニ沙門アテ秦シテ曰、戌亥ニアタレル山ニ靈崛アリ。彼ヲ|シメ《(マヽ)》玉ヘト。仍テ勅使ヲツカハシテミセシメ玉フニ、種々ノ奇瑞《キスイ》アリ。帝則(チ)臨幸アリシニ、仙人アリテ奏テ云、予此ノ湖畔《コハン》歴覽スルニ、五色ノ波海上ニウカヘリ。其聲ヲ聞ハ五波羅密ヲ唱フ。彼波ノヨスル方ヲ尋テ此所(ニ)來住シテ已ニ數百歳ヲ經《ヘ》タリトテ、唱テ曰、古仙
靈崛伏藏地佐々名實長等山《コセムレイクツフクサウチサヽナミナカラヤマ》トテ忽然トシテ隱《カクレ》訖ヌ。仍此所ニ被(ル)3建《タテ》2靈場(ヲ)1。號(ス)2崇福寺(ト)1。自尓以來(タ)志賀|辛崎《カラサキ》ノ外湖水ノ邊ノ山海ヲ神波《サヽナミ》トヨメルナリ。此心ヲヨミ玉フ
                    京極黄門
 山人ノ光《ヒカリ》タツネシ跡ヤコレ御《ミ》雪サヘタル志賀ノ明ホノ
(57)延暦七年傳教大師叡山ヲ建立シ玉ヒテ、何ノ神カ我山ノ佛法ヲ守護シ玉フヘキトテ、日本紀ヲ披見シ玉フニ、大國主神我朝ノ地神ニテ座ケリトテ、彼垂迹大和國三輪ノ社ヘ詣玉ヒ、事ノ由ヲ被(ル)2告申1。明神一|諾《タク》ノ神勅アリ。仍叡山ノ嶺ニ椙生イタリ。明神辛崎ノ松ノ下(ト)ニ栖(ミ)ケル常陸國鹿嶋ヨリ來ルト申琴ノ御館《ミタチ》トイフ老翁ヲ召具テ、五色ノ光波上ニ御舟ヲ浮ヘテ東坂|本《モト》三河ニコキトメテ御舟/棹ヲツキタテ玉ヒテアカリマス。ソノ棹桂ノ木ニテ今ニアリ。比叡ノ祭ノ時、賀茂ノ明神ヘ此桂ヲ一枝タヲマツラセ玉フト云云。又翌日賀茂祭過ヌレハ葵ヲ日吉ヘタテマツラセ玉フト申。又大師根本中堂ヲ立玉フトテ地ヲ引玉ヒシニ、サマ/\ノ靈瑞アリ。
八舌鑰蠣蛤《ヤシタカキカキハマクリ》ノ貝多カリケリ。大師|白鬚《シラヒケ》ノ明神ニ尋申サレケレハ、老翁ニ現シテ宣玉ハク、此湖水ノ七度桑|田《テン》トナリシヨリ遙ノ昔葦原ノ神達アツマリテ、伊勢ノ海ノ清キ汀ノ砂ヲハコヒチ此山ヲツキ、末世ニ佛法繁昌ノ地トシテ、住劫廿番ノ時分ニ、慈尊出世シ玉ハン曉マテ、トコシナヘニ諸天善神影向シ玉フヘキ所ナリト宣玉フト申シ也。八(ツ)舌ノ鑰ハ唐朝ヘ持テ渡リ玉(フ)ヘシト云云。
 
   鯨魚取淡海《イサナトリアハミ》
當集第二卷、近江天皇《天智》大殯《オホモカリ》《殯ハ葬例也》時大|后《コウノ》歌
 イサナトリアウミノ海ヲヲキサケテコキクル舟《フネ》ヘニツキテコキクル舟オキツカヒイタクナハネソ云々
鯨魚取此訓クチラトルイサナトリ兩説也、問云、右ノ御歌ノ淡海ノウミ近江海トハミヱス。大海ナルヘシ。然ハ尤クチラトルト可訓。ナンソイサナトリト點スル乎。此ノ新點難(キ)心得者ナリ。答云、此第二ノ卷ヲ披見スルニ、大后ノ御歌ノ前後皆近江海ヲヨメリ。或ハ志賀辛崎、或ハ樂々波《サヽナミ》大山守ト云。故ニ其ノ文字使ヒ相(ヒ)替ルトイヘトモ是近江ノ海也。隨而第一(ノ)卷柿本人麿作歌云、
 石|走《ハシ》ル淡海《アハミ》ノ國ノサヽ波ノ大津ノ宮(ト)云々
其證當集中(ニ)十二箇所有v之。或ハ鯨魚《イサナ》ト書ル所五箇所、(58)或ハ鯨名《イサナ》ト書リ。乍《アルヒ》ハ勇魚《イサナ》、又(ハ)不知魚《イサナ》、又(ハ)伊佐魚《イサナ》ト。支證|霍然《クワクセン》也。凡魚ヲナト云事多シ。眞|ゝ《(マヽ)》魚魚※[自/死]眞魚板《マナナマクサシマナイタ》ト云フ俗言可(シ)思之(ヲ)。就中日本紀ニ魚鹽地《ナシホノトコロ》ト訓ス。又當集第五卷云、
 タラシヒメ神ノミコトノ魚ツラスト|ミタヽ《御立》シセリシ石ヲ誰ミキ
此歌ハ松浦ノ河ニテ神功皇后宮ノ鮎(ヲ)ツラセ玉ケル事ヲ山(ノ)上ノ憶良《ヲクラ》カヨメル也。鯨《クチラ》ヲイサト訓ル事壹岐國風土記曰、鯨伏郷《イサフシノサト》云々。又イサナトリウミトツヽクル事、或云魚トル鵜《ウ》ト云事也ト。抑鯨ヲイナナト訓ル事|鯨鯢《ケイケイ》ハイサミ武《タケ》クイサヽケキ物ナリ。一|游《イフニ》一|洋《ヤウ》ヲ走(シル)ト云。斃後《タウレテノチ》其眼(コ)天ニ昇テ慧星トナルトモ申。海録ニ見タリ。又廣州記曰、鯨鯢目ハ明月珠ナリ云。註□ニハイサナトリトハ漁父也ト注セリ。祖□相傳ノ義也イヘトモ相違スル歌多之。今考之云、イサナトリトヨメル歌ノ漁父カト覺ルモアリ。其中ニ更々漁父ナラサルハ、第三卷|角鹿《ツノカ》ノ津《ツ》ニシテ乘(ル)v船(ニ)時笠(ノ)金村作歌
 大舟ニ眞梶《マカチ》ス《(マヽ)》キオロシ勇魚《イサナ》トリ海路ニイテヽコキユケハト云々
此歌金村大船ニノリテコクト見(ヱ)タリ。又大宰帥大伴ノ卿上(ル)v京《ミヤコニ》時作歌
 昨日コソフナテハセシカイサナトリヒ|ヂ《ヒ歟》キノナダヲ今日ミツルカナ
是又大伴卿上洛ノ時ノ歌也。此外此集(ノ)中ノ歌ニ更々漁父ナラヌ多シ。依v繁(キニ)略v之(ヲ)。
 
   角鹿濱
當集第三卷、笠金村哥
 コシノ海ノ角鹿ノハマ|エ《(マヽ)》大舟ニ眞梶如上
角鹿濱今ノ世ニハ敦賀《ツルカ》ノ津ト云。目本紀曰、【取意崇神】御間城《ミマキ》入彦五十瓊殖天皇御宇越前國|笥飯《ケイ》ノ浦(ニ)額角一アル者ノ乘(テ)v舟(ニ)來レリ。何(ノ)國ソト問ニ、答云|伽羅國《カラコクノ》王ノ子也。名(ヲハ)曰(フ)2都努我阿羅斯等《ツノカアラシトト》1。日本(ニ)聖ノ天皇オハスト承テ、穴門ト云所ヨリ着テ浦々嶋々ヲ傳ヒ、此浦ニ詣タリト云。然而天皇メクミ玉ハスシテ崩マシス。垂仁天皇御(59)宇ニ召《メサレテ》赤絹《アカキヌ》百疋賜テ、先帝ノ御名ノ御間城《ミマキヲ》汝(カ)國ノ名トセヨトテ、其國(ヲ)※[手偏+爾]摩那《ミマナ》ノ國ト名付テ返玉フ云云。角鹿ノ濱トハ此謂ナリ矣。
 
   明石浦
當集第三卷、柿本人麿歌
 燈ノ明石ノ大門《ナダ・セト》ニ入日ニヤコキワカレナム家ノアタ《(マヽ)》ミム
明石浦トハ赤石浦ト云フ事也。日本紀曰取意神功皇宮三韓ヲ討征《ウチタヘラケ》テ都ヘ上リマスニ、仲哀天皇(ノ)御子|鹿弭坂《カニサカノ》王|忍熊《ヲシクマ》王|二柱《フタハシラノ》御|弟《ヲトヽ》ニテマス譽田ノ天皇【譽田ノ天皇トハ皇后ノハキ玉(ヒ)シ鞆《トモ》ノカタチニアヘ玉(フ)ナリ鞆《トモ》ヲハ古ノ人ハ寶武多《ホムタ》ト申此鞆ノカタチ天皇ノ御|腕《ウテ》ノ上ニ肉ノヲヒイテ玉ヒシ故ニホムタノ天皇ト申タテマツリシヲ寶武多ヲ譽田ト申カヘタルナリ焉》太子ニ立玉フコトヲソネミテ、幡磨國ニ先皇ノ山陵ヲツクマネヲシテ、此浦ニ赤石|運《ハコヒ》テ嶋ヲ造ラシメ、二柱ノ王|假廂《カリヒサシ》ヲ棧敷《サンシキ》トシテ、大子ヲ入タテマツリ、此棧敷ヲ落破テ討タテマツラントハカラヒ玉(フ)ニ、赤(キ)猪《イノシヽ》、來(テ)鹿弭坂《カニサカ》王ヲ忽(チ)ニクヒコロシツ。忍熊王ハ軍ヲ引テ山|背《シロ》ニ渡リ玉フ。官軍山中ニ行合テ、多ク討《ウダ》ルヽ所ヲ今相坂ト云ナリ。忍|坂《熊歟》王ハ瀬田(ノ)渡リニテ討レ玉(フ)。武内歌讀玉フ。
 アフミノミセタノワタリニカツク鳥メニシミエネハイキノヘセシモ
赤石浦トイヒシヲ明石トカヘタルナリ。
 
   陬磨浦
當集第三卷歌云、
 スマノアマノシホヤキキヌノ藤衣(モ)マトヲニシアレハイマタキナレス
藤衣ハアサマシキ衣也。若(シ)昔(ヘ)藤ノ皮ニテモ織コトノ有ケルニヤ。此浦ハ行平ノ中納言事アリテ沈淪《チンリン》シケル比、
 ワクヲハニトフ人アラハスマノ浦ニモシホタレツヽワフトコタヘヨ
トヨミテ、都ニアリケル舊友腹カラナトノ方ヘ恨ヲトワレタリケレハ、左近中將業平片野ノ御狩ニコトヨセテ、ヒソカニ彼浦ニ尋行テ、ヤカテ立別ケル時ヨメリ(60)ケル
 スマノ浦秋萩シノキコマナメテ鷹狩ヲタニセテヤワカレム
曉點ヲ打出ケルニ、比ハ八月廿日アマリノ空《ソラ》ナリケレハ、晨明《アリアケ》ノ月中|空《ソラ》ニノコリテ、海上漫々タル銀浪千里ノ氷(リ)凛《リン》々トシテ、淡路嶋繪嶋カ礒ハル/\ト見渡ルヽニ、只遠山ノ雪ノ曙《アケホ》ノ心地シテ、イツクヲ天末トモミス、イツクカ海岸トモ辨ヘサリケレハ、此ノ勝景ニノミ心ノヒカレテ、ヤカテコノモトニシハシハカクテモアラマホシク覺ユルホトナレハ、行トシモナケレトモ、玉ノ轡《クツハミ》ヲ月毛ノ駒ニ任テ、泣《ナク》々|立返《ダチカヘリ》ケルトカヤ。又源氏ノ大將ノ、ソノカミ北|闕《ケツ》ノ錦《キン》帳ヨリ出テ、只人トナリ玉ヒシカトモ、玉ヲミカキ瑠璃ヲノヘシ御栖引カヘテ、此浦ニサスラヒ、松ノ柱竹ノ垣柴ノ樞《トホソ》ノ内ニ玉|藻《モ》ノ床《トコ》波ノ枕ヲシキ、忍三年ヲ送玉ケンアリサマ、短筆※[區ノ品が口](キ)v記者也。此集ノ所|談《タン》ナラストイヘトモ以v次|載《ノス》之(ヲ)1。
 
   白縫《シラヌイノ》筑紫
當集第三卷歌曰、
 シラヌヒノツクシノワタハ身ニツケテイマタキネトモアタヽカニミユ
此歌或曰、綿《ワタヲ》物(ニ)入ネトモヌヒツヽケテ敷《シキ》モスルト云也ト。然而綿トモツヽケスシテシラヌヒノツクシトヨメル歌アレハ、此義未v詳《ツマヒラカナラ》。因※[手偏+僉]日本紀曰、大足彦忍代別《オホタラシヒコヲシシロワケノ》天皇(ノ)御宇十八年五月壬辰朔從(リ)2葦北《アシキタ》1發船《フナダ|ラ《(マヽ)》シテ》到(ル)2火國(ニ)1。於v是(ニ)日没《ヒクレヌ》也。夜冥《ヨクラクシテ》不3知2着《ホトリ》岸(ヲ)1。遙|視《ミテ》2火(ノ)光(ヲ)1天皇|挾※[手偏+〓]者曰《カチトリノモノニノ玉ハク》、直《タヽ》指《サシメヨ》2火(ノ)處《モトヲ》1。因(テ)指《サシテ》v火(ヲ)往之。即(チ)得(タリ)3着《ツクコト》2岸(ニ)1。天皇|問《トヒ玉》2其火(ノ)之光|處《モトヲ》1曰、何謂邑《イカニイフサトソ》也。國人《クニト》對(ヘテ)曰(サク)、是(レ)八代縣豐村《ヤツシロノアカタトヨムラ》。亦尋《マタタツネ玉フ》其(ノ)火《ヒハ》是(レ)誰(レ)人(ノ)之|火《ヒソヤ》也。然(ルニ)不3得2主(ヲ)1。茲《コヽニ》知(ヌ)非2人(ノ)火《ヒニ》1。故(ヘニ)名(テ)2其國(ヲ)1曰(フ)2火|國《クニト》1焉。今ノ世ニ肥前肥後ト云是也。以之思(ニ)之1シラヌ火ノツクシト云ヘル諷詞也。凡九州ヲ筑紫ト云ヘル名ハ此嶋|形《スカタ》似2木兎《ツクニ》1。紫ハシマト言也。仍|木兎《ツク》嶋ト云フ也。今世ニ筑紫ト書ル也。
 
   松浦河 付玉嶋川
萬葉集第五卷、遊(フ)2松浦河(ニ)1序(ニ)曰、余以《ヨヲモンミレハ》暫(ク)往《ユイテ》2松浦之(61)縣《アカタニ》1逍遥聊《セウヨウシイサヽカ》臨(テ)2玉嶋之|潭《フチニ》1遊|覽《ランス》。忽(ニ)値《アフ》2釣魚女子等《テウキヨノヲトメラニ》1也。花容《クワヨウ》無(ク)雙(ヒ)光儀《クワウキ》無《ナシ》v匹《タクヒ》。開(テ)2柳葉於眉ノ中(チニ)1、發(ス)2桃花於|頬《ケウ》上(ニ)1。意氣《イキ》凌《シノキ》v雲(ヲ)風流絶(タリ)v世(ニ)。乃至|娘子等咲《ヲトメラワラテ》曰(ク)、兒等者漁父之舍兒《コラハキヨフノシヤシ》、草《アウ》庵(ノ)之|微者也《イヤシキモノナリ》。唯性《タヽシセイ》便(トシ)v水(ヲ)復《マタ》心(ロ)樂《ネカフ》v山(ヲ)1。或(ハ)臨(テ)2洛浦(ニ)1而徒(ラニ)羨《ネカヒ》2王|魚《キヨヲ》1、乍《アルヒハ》臥《クワシテ》2巫峽《フカウニ》1以空(シク)望《ノソム》2烟霞《エンカニ》1乃至|下官《カクワン》對(ヘテ)曰(ク)、唯々《イイ》敬(テ)奉《ウケ玉ハリヌ》2芳命(ヲ)1。于時|日《ヒ》落《クラク》2山西(ニ)1驪馬《リハ》將《マサニ・ス》v去《サンナント》。遂《ツヰニ》申《ノヘテ》2懷抱《クワイハウヲ》1、因《チナンテ》贈《ヲクル》2詠歌(ヲ)1曰蓬客等
 マツラナル玉嶋河ニアユツルトタヽセルコラカ|イヱ《家》チシラスモ
答歌|仙緩《ヤマヒメ》
玉嶋ノコノ河上ニ|イヱ《家》ハアレト者ヲ|ヤサシミ《ハツル言ナリ》アラハサスアリキ
後人|追《ヲテ》和2松浦|仙媛《ヤマヒメノ》歌(ヲ)1一首
 君ヲマツ松浦ノウラノヲトメコハ常世ノ國ノアマヲトメカモ
神功皇后宮火前國松浦ニヲハシテ、針ヲカヽメスシテ鈎トシ、裳ノ糸ヲヌキテ鈎ノヲトシテ、水ニ投入テ誓(テ)曰ク、我西ノ寶ノ國ヲ得ヘキナラハ此針ニノメトテ、棹ヲアケ玉ヘハ點ト云フ魚ヲ得玉ヘリ。珍(シキ)物トテ其所ヲメツラト名付玉フ。今ノ松浦也。今ノ世ニモ此河ノ鮎ヲハ男ノツルニハツラレスト申。王魚ト云ル名此レナリ。異國ニモ有2此例1。朱※[涯ノ旁]《シユカイ》記曰、南海(ニ)有2王餘魚1【和名加良取(テ)2此俗1云|賀例《カレイ》1ト矣】昔越王|責《セメントテ》2呉《コ》王(ヲ)1渡(ル)v海(ヲ)。船中(ニシテ)得(タリ)2此魚(ヲ)1。即(チ)鱠作(リ)不《スシテ》v盡《ツクサ》我可(ク)3得《ウ》2呉國(ヲ)1者|莫《ナカレ》v斃《タウルヽコト》トテ、餘半(ヲ)奇《スツ》《・(マヽ)》v水(ニ)。自(ラ)以(テ)2半身(ヲ)1爲(ル)v魚(ト)。故(ニ)曰(フ)2王餘魚(ト)1矣。肥前國風土記曰、大|件挾手彦連任那《トモノサテヒコノムラシニナ》國(ヲ)鎭《シツメン》トテ此村(ニ)至リヌ。篠原村ニテ弟日姫娉《ヲトヒヒメヲメト》ス。別(レ)去(ル)日鏡(ヲ)取(テ)與(フ)婦《メニ》1。妾《セウ》悲(テ)v別(ヲ)玉嶋河(ヲ)渡時彼(ノ)鏡(ヲ)懷《イタキ》河(ノ)底沈畢《ソコニシツミヌ》。此《コヽヲ》鏡(ノ)渡(リ)ト云云。
 シツメケン鏡ノ影ヤコレナラン松浦ノ河ノ秋ノ夜ノ月              冷泉中納言爲相
 
   浦嶋子
續浦嶋子傳曰取詮 此浦島子者上古(ノ)仙人也。齡《ヨワイ》雖(ヘトモ)3過(クト)2三百餘歳(ヲ)1形容《カタチハ》如(シ)2童子(ノ)1。好(テ)2仙學(ヲ)1。奥《カクス》2秘術(ヲ)1。於《ニ》v是|釣《テウ》魚之處(ニ)曳《ヒキ》2得《エタリ》靈龜《レイキヲ》1。眠(ル)2舟(ノ)中(ニ)1之間(タ)忽(ニ)作《ナル》2美女《オトメト》1。問(テ)曰(ク)、(62)何(レノ)處(ヲ)爲《スル》v居(ト)、誰(レ)人(ヲ)爲《スル》v祖《ヲヤト》。神女答(テ)曰(ク)、妾《セウハ》是(レ)蓬莱(ノ)女《ムスメ》也。在(テ)2昔之世(ニ)1結(フ)2夫婦之義(ヲ)1。我《□》成(テ)2天仙(ト)1生(マレ)2蓬莱之|官《宮歟》中(ニ)1子《ナンチハ》作《ナテ》2地仙(ト)1遊2澄《ユフテウス》江波(ノ)上(ヘニ)1。宜(ク)向(テ)2蓬城(ニ)1將(ニ・ス)3遂《トケント》2曩時《ナウシノ》之志(ヲ)1。嶋子隨(テ)2神女(ニ)1須臾《シハラクノ》之間(タニ)向(フ)2蓬山(ニ)1。其宮(ノ)爲勢《ヨソヲイ》金臺玉樓|隆宗紺殿綺窓※[火+愛]爛《リウソウトシテコンテンキソフアイランタリ》。嶋子|與《ト》2神女》1共入(リ)2玉房(ニ)1坐《ヲル》2録《ロク》床錦莚(ニ)1。朝(ニハ)服《フクシ》2金|丹《タン》石|髓《スイヲ》1、暮(ニハ)飲《ノム》2玉酒|瓊※[將/衣]《・(マヽ)》《ケイシヤウヲ》1。駐《トメ》v老(ヲ)延(フ)v齡(ヲ)。然而神女語(テ)2嶋子(ニ)1曰(ク)、漸(ク)見(ルニ)2子容顔《ナンチカヨウカンヲ》1、累《カサネテ》v年(ヲ)枯槁《コカウシ》、逐(テ)v日(ヲ)骨|立《リウス》。定(テ)知(ヌ)成2故郷之戀慕(ヲ)1。宜(ク)還(ヘル)2舊里(ニ)1。以(テ)2繍衣《シウイヲ》1被《キセテ》2嶋(ノ)子(ニ)1送(ル)2玉|匣《クシケヲ》1。若(シ)欲《オホハヽ》3見2再蓬《サイホウノ》之期(ヲ)1莫《ナカレ》3開《ヒラクコト》2緘1。言畢約成《イヒヲハテヤクナリ》分《ワケテ》v手(ヲ)辭去《サリサル》。嶋子忽(ニ)到(テ)2故郷(ノ)澄江(ノ)浦(ニ)1處2見《ミメクラスニ》舊里(ヲ)1、桑田變改家園《サウテンヘンカイカヱン》爲(ル)2河|濱《ヒント》1。水|陸推遷《ロクヲシウツリ》山|岳《カク》成(ル)2江海(ト)1。僅(カニ)遇(フ)2洗《アラフ》v衣(ヲ)之老|嫗《クニ》1。問《トフニ》2故人(ヲ)1嫗《オンナ》曰、我年百|有《イフ》七歳、未(タ・ス)2聞|島子《シマコトイフ》名(ヲ)1。唯《タヽシ》古老(ノ)曰(ク)、經《ヘシ》2數百歳(ヲ)1昔(シ)有(リ)2水江浦島子(ト)云(フ)者《モノ》1。好《コノンテ》v釣(ヲ)乘(リ)v舟(ニ)入2海中(ニ)1云云。島子不3堪《タヘ》2悲歎(ニ)1。忽(ニ)開(ク)2玉匣《タマクシケヲ》1。于v時紫(ノ)雲出(テ)v匣《ハコヲ》指《サシテ》2蓬山(ヲ)1飛去之處(ニ)、老|情《セイ》忽(ニ)來(テ)紅涙|濕《ウルオス》2白髪(ヲ)1。慕《シタヒ》2仙洞(ノ)之芳談(ヲ)1、隱2倫《インリンシテ》海浦(ニ)1遂《ツイニ》不v知3所(ヲ)2v終1矣。
右浦島子ハ雄略天皇廿二年入2蓬莱(ニ)1之後、送(テ)2帝王三十二代年暦三百七十餘|載《サイヲ》1。至(テ)2淳和天皇天長二年乙巳(ニ)1丹後國|餘謝《ヨサノ》郡(ノ)海濱(ニ)皈朝淺毛《キテウシテアサモ》河ノ明神ト示《シ》現矣。
 
   渤海《ホツカイ》
當集第廿卷曰(ク)、渤海ノ大使小野ノ田守ノ朝臣云云。
普天智天皇七年冬十月大(ノ)將軍|李劫《リコウ》渤海ヲ亡《ホロホ》シテ後日本ヘ貢|詞《調歟》獻セス。然ルニ聖武天皇ノ御宇神龜四年十二月渤海ノ寧遠《ネイエン》將軍|高仁義《コウシキト》云|者豹皮《モノヘウノカハ》三百帳獻(ス)v之(ヲ)。天皇叡感アリテ絹綾《キヌアヤ》糸綿ヲ虫麿(ヲ)副《ソヘテ》返(シ)送(リ玉)。其後復改(テ)2渤海1王城國トセントテ田守ヲ被v遣歟。追可詳。續日本紀第十卷云、渤海|郡《キン》者舊高麗國也。渤ト者海水|踊騰貌《ヲトリアカルカタチ》也云云。日本紀ニ曰取意。仲哀天皇長門國|豐浦《トヨウラ》宮(ニ)坐《マシ/\シニ》天(ノ)告(アリテ)曰、渤海ハ寶ノ國也。伐征《ウチタイラケ》玉ヘト。天皇高岡登テ乾《イヌヒニ》當レル海上ヲ視《ミソナハ》スニ、廣遠トシテ國ナシ。天皇何レノ神ノ吾《ワレ》ヲ欺乎《アサムクソヤ》。大空ニ豈《アニ》國アラムヤトテ、神ノ告ヲ疑ヒ玉フ。爰ニ熊襲《グマソ》ト云フ讎《エヒス》ノ族ヲ引テ天皇ヲ襲《ヲソイ》タテマツル。是ヲ責メントシ玉フニ、塵輪《チンリン》ト云者(ノ)雲ニ乘リ風ニ隨テ天(63)ヲ飛(ヒ)※[翔に近い字]《カケル》モ)アリ。天皇|手御多羅枝《ミテツカラミタラシ》ヲ取テ此ヲ射玉フニ、塵輪相(ヒ)引《ヒキシテ》毒矢ヲ放ツ。互ニ疵《キス》ヲ蒙テ天皇崩玉ヒヌ。于時神宮皇后先皇ノ遺勅ニ任テ、御|麻《イモヲト》ノ若多良妣※[女+羊]《ワカタラヒメヲ》御使トシテ龍宮ヘ遣シテ、干珠滿珠ヲ乞取《コイトリ》、鹿嶋香《カシマカ》取陬方住吉ナト諸ノ神達ヲ御|伴《トモ》トシテ、橿日《カヒ》浦ニテ假大夫《カリニマスラヲ》ノ姿トナリ玉フ。御舟ヲ艤《ヨソ》ヒ渤海ヘ渡玉ヒ、風神・海神・豐姫《トヨヒメ》・礒良《イソラ》・高良・ナト申|葉御前《アラミサキ》御舟ニ制玉ヘハ、軍(サ)共《トモ》皆(ナ)破テ、三韓ノ王|白繩《シロキナハ》ニテ自縛《ミツカラシハ》ラレテ、皇后(ノ)御前ニ跪《ヒサマツキ》、首《カウヘ》ヲ叩《タヽヒ》テ言《マウ》サク、今ヨリ後王ノ馬|飼《カイ》トナラン。西ヨリ日ノ出、河ノ逆《サカサマニ》流(レ)、石砂天ニ登テ明星トナラサラン外ハ、御調《ミツキ》ヲ春秋タチマツラント申。皇后御弓ノ筈《ハス》ニテ山ノ頂ノ石ニ、高麗ノ公《キミ》ハ日本ノ王ノ門ヲ守ル犬人也ト書玉ト云云。渤海郡我朝ヘ通|用《ヨウ》スルコト是ヨリ始(ム)之(ヲ)1焉。
 
         交畢
詞林釆葉抄 第四
 
詞林釆葉抄 第五
 
  鷄之鳴東       富士山 付鳴澤
  打縁駿河國      波關守
  鳥總立足柄      鎌倉山
  筑波山        衣手常陸國
  霞降鹿嶋       夏麻引海上
  佐野船橋
 
   鷄之鳴東
當集第二卷、柿本朝臣人麿作歌
 鳥カ鳴・東ノ國ノ・御軍・召玉(ヒ)ツヽ・チハヤフル・人ヲナコシト・マツロハヌ・國ヲオサムト・皇子《ワカミコ》ニ・マカセ玉ヘハ・オホミ身ニ・刀《タチ》トリハカシ・オホミテニ・弓《ユミ》トリモタシ・御軍《ミイクサ》ヲ・アトモヒ玉ヒ・トヽノフル・皷《ツヽミ》コヱハ・イカツチノ・コエトキクマテ・吹ナセル・小《ヲ》角ノコヱモ・アタミタル・虎カホユルト・諸人ノ・ヲヒユ(64)ルマテニ・指《サシ》アタ《(マヽ)》ル・幡《ハタ》ノナヒキハ・野ヘコトニ・ツキテアル火ノ・ナヒクコト・已下略之
今此歌ノ心ハ唐(ノ)兵機《ヘイキ》等ヲ思ハシメテヨメルナリ。其故者|呉起《コキニ》曰、夫(レ)※[鼓/卑]皷金鐸《ヘイコキンヌテ》所3以《ユヘ》威《イスル》2耳(ヲ)1。旌旗麾幟《セイキキシヨクハ》所3以|威《イスル》2目《メヲ》1。禁令刑《キンレイケイ》罸|所3以《ユヘ》威《イスル》2心(ヲ)1。耳(ハ)威《イスル》2於聲(ニ)1不《ス》4可《アルヘカ》3不《スハ》2清《キヨカラ》1。目(ハ)威《イセラル》2於色(ニ)不《ス》4可《アルヘカ》3不《スハ》2明(カニセ)1。心(ハ)威《イセラル》2於|刑《ケイニ》1不4可《アルヘカラ》3不《スハ》2嚴《イツクシク》1云云。是等ノ兵機《ヘイキ》ヲ慮《オモンハカリ》テヨメルナリ。此ハ高市皇子達(シテ)2武※[足+勇]闘戰《フヨウトウセンニ》1提《ヒサケ》2兵機(ヲ)1詳《ツマヒラカニシ》2禮法(ヲ)1給《タマフ》事也。次(ニ)皷《ツヽミ》ノ聲|雷《イカツチノ》聲トキクマテトヨメル事、凡軍ノ象《カタチ》ハ雷霆《ライテイ》ノコトク風《フ》雲ノ如シト云フ。龍虎ノ威ヲ振《フル》フトモ申也。又|指擧幡《サシアクルハタ》ハ籏幡《キハン》等也。靡幡《ナヒキハタ》ハ※[病垂/土]麾《カサリサシマネク》也。麾(ネク)トハ左ヲマネキテ左ニシ、右ヲマネキテ右ニスト云々。是軍陣ノ博士《ハカセ》トシテ士率《シソツ》ヲ靡從兆也《ナヒカシシタカフシルシナリ》。付v之立(テ)2奇正虚實《キセイキヨシツヲ》1分《ワカツ》2八將八部(ヲ)1者。是以(テ)古文握奇《コフンアウキ》經(ニ)曰(ク)、黄帝|立《タテヽ》2井田之法《セイテンノハウヲ》1、因(ナンテ)
以(テ)制《セイス》v兵(ヲ)臣風后《シンフウコウ》佐《タスケ》2黄帝(ヲ)1破《ヤフルカコトシ》2蚩尤《シイウヲ》1。着《ツイテ》2握機《アクキ》經(ニ)1爲(ス)2万|世兵法《セイヘイハウ》之祖(ト)1云云。籏(ノ)文(ンハ)者天・地・風・雲・龍・虎・烏・※[虫+施の旁]・等也。四(ヲ)爲(シ)v正(ト)四(ヲ)爲(ス)v奇(ト)1。此等ノ心ヲヨメル歌也。又鷄カ鳴東ト云詞ハ、曉ニ至レハ雌《メトリ》先クヽト鳴ヲ聞テ、雄《ヲトリ》即(チ)鳴也。然ハ鳥カ鳴ハアカ妻《ツマ》ト云フ言也トモ云也。アハ明ル詞ナレハ、鳥カ鳴ハ夜明ルト云(フ)詞也トモ申、故ニ玄《チン》《・(マヽ)》中記曰(ク)、東南(ニ)有2桃都《ヲウト》山1。上(ニ)有2大樹1。名(ク)2桃都(ト)1。枝相(ヒ)去コト三千里。上ヘニ有2天鷄1。日《ヒ》初テ出テ照(ス)2此|樹《キヲ》1。鷄即鳴。天下ノ鷄皆隨v之鳴ト矣。次アツマト云詞ハアカツマト云フ言(ハ)也。日本紀第|十《(マヽ)》三卷曰、纏向日代《マキモクヒシロノ》宮御宇天皇四十一年、日本武|尊《ミコト》東|夷征伐《イセイハツ》之時、進《イテマシテ》2相摸(ニ)1欲(ス)3往《イテマサン》2上總(ニ)1。乃(チ)至(ルニ)2于海中(ニ)1暴風《アラシマ》忽(ニ)起(テ)、王(ノ)船|漂蕩《タヽヨヒテ》而|不《ス》3可《ウヘカラ》2渡《ワタルコト》1。時(ニ)有(リ)2從《シタカヘル》v王(ニ)妾《セウ》1。曰(フ)2弟橘媛《ヲトタチハナヒメト》1。穗積氏忍山宿禰《ホツミウチヲシヤマノスクネ》之女也。啓《マウシテ》v王(ニ)曰(ク)、今《イマ》風起(テ)浪(ミ)泌《ハヤクシテ》王(ノ)船《ミフネ》欲《□》v没《シツミナント》。是(レ)必(ス)海神ノ心也。願ハ賤妾之身《センセウカミ》贖《アカハントテ》2王(ノ)之命(ヲ)1而入(ラ)v海(ニ)、言訖《コトハヲハテ》乃(チ)被《カフリ》v瀾《ナミ》入《イリヌ》之。暴風《アカラシマカセ》即(チ)止《ヤミヌ》。船得着岸《エタリホトリヲ》1。故(ニ)時ノ人(ト)號《ナツケテ》2其海(ヲ)1曰2馳水《ハシリミツト》1。爰(ニ)日本武尊(ト)則(チ)從2上總1轉《ツタヒテ》入(ル)2陸奥《ミチノヲクニ》1。時(ニ)大(ナル)鏡(ヲ)懸(テ)2於王(ノ)船(ニ)1從(リ)2海路《ウミヂ》1廻(リ)2於葦ノ浦(ニ)1至(リ玉フ)2蝦夷境《エヒスノサカヒニ》1。【乃至】蝦夷《エヒス》既(ニ)平《タイラケ玉ヒ》自(リ)2日|高見國《タカミノクニ》1還《カヘリマス》之。歴《ヘテ》2常陸(ヲ)1至(リ)2甲斐國(ニ)1居《オハシマス》2于|酒折宮《サカオリノミヤニ》1歌略之則(チ)自(リ)2甲斐1北轉《キタニウツリ》歴《ヘテ》2武(65)藏上野(ヲ)1而|※[しんにょう+禄の旁]《イタル》2于碓日坂《ウスヒサカニ》1。時(ニ)日本武尊(ト)願《(マヽ)》《シノヒ玉フ》弟橘媛《ヲトタチハナヒメ》之|情《ミコヽロヲ》1。故(ニ)登(テ)2碓日(ノ)嶺(ニ)1而|東南望之三歎《タツミノ方ヲミソナハシテミタヒナケイテ》曰(ク)、吾嬬《ワカツマハ》者|耶《ヤ》【嬬此云2菟摩(ト)1》】故(ニ)因(テ)號(テ)2山(ノ)東(ノ)諸(ノ)國(ニ)1曰(フ)2吾嬬《アツマノ》國(ニト)1也。今ノ世東ノ字ヲアツマトヨメルハ義讀也。
 アツマチノ道ノスヱナル常陸帶ノカコトハカリモアワムトソ思フ
 古郷ノヌシヤイツチトコトヽヘハ東ノ方ヲ夕暮ノ空
                   後京梅殿
 東路ノ春ノユクヱヲコヨヒヨリ夢ニモツケヨ宇津ノ山ノ|メ《(マヽ)》
                   京極黄門
 白河ノ關マテユカヌアツマチモ日數ヘヌレハ秋風ソフク
                     國助
 
   富士山
凡此山者爲2神山之居1故(ニ)以(テ)2言語(ヲ)1難(シ)v述(ヘ)1。以2翰《カン》墨(ヲ)2※[區の品が口](キ)v記(シ)1者也。雖v然志(ノ)之所(ロ)v之《ユク》粗《ホヽ》可3載2之(ヲ)1。富士縁起(ニ)云(ク)、此山者月氏七嶋第三也。而天竺(ノ)烈擲《レツテキ》三年(ニ)我朝ニ飛來(ル)。故(ニ)云(フ)2新《ニヰ》山(ト)1。本ハ號2般若山(ト)1。其(ノ)形(チ)似(リ)2合蓮花(ニ)1。頂上八葉也。中|央《アウニ》大(ナル)有(リ)v窪《クボ》。々(ノ)底《ソコニ》湛《タヽヘテ》2滿(テリ)池水(ヲ)1。色如(シ)2青藍《アヰ》1ノ。味《アチハヒハ》甘|酸《シユンニシテ》治(ス)2諸(ノ)病患(ヲ)1。池(ノ)傍(ラニ)有2小穴1。形(チ)如(シ)2初月(ノ)1。或時(ハ)出(シ)2黒烟(ヲ)1或時(ハ)白雲立(ツ)2金色(ニ)1。承和三年(ノ)春者|垂《タレテ》2珠簾(ヲ)1雨《フラス》2玉(ヲ)四方(ニ)1。貞觀五年秋者|白衣《ハクイノ》天女|雙《ナラヒ》立(テ)無遊《マイアソフ》。古老(ノ)傳曰(ク)、此山(ノ)麓|乘馬《ノメノ》里(ニ)有2老翁1愛(ス)v鷹(ヲ)。※[女+まだれ/〓]《ウハ》ハ飼(フ)v犬(ヲ)。後(ニハ)作《ツクルヲ》v箕《ミヲ》爲(ス)v業1ト。竹節(ノ)間(ニ)得《エタリ》2少女(ヲ)1。容※[貌ノ旁]端嚴《ヨウハウタンコン》光明照|耀《ヨウス》。爰(ニ)桓武天皇御宇延暦之比(ロ)、諸國(ニ)下(シ)2宣旨(ヲ)1被3撰2美女(ヲ)1。坂上田邑麿爲(シテ)2東國(ノ)勅使1富士|裾《スソノ》宿(ス)2老翁(ノ)宅(ニ)1。終夜《ヨモスカラ》不《ス》3絶《タヘ》2火(ノ)光(リ)1、問2子細(ヲ)1是(レ)養女(ノ)光明也。田邑麿即(チ)上洛(シテ)奏(ス)2事由(ヲ)1。於是少女登(テ)2般若山(ニ)1入(リ)2巖崛(ニ)1畢(ヌ)。帝|幸《マシマス》2老翁宅(ニ)1。奏(ス)2由緒(ヲ)1。帝泣(シテ)脱《ヌイテ》2王(ノ)冠(ヲ)1留《トヽメ》2此(ノ)處(ニ)1、登(テ)2頂上(ニ)1臨《ノソミ》2金崛《キンクツヲ》1、少女出向(テ)微笑《ヒセウシテ》曰(ク)、願(ハ)帝|留《トヽマリ玉ヘ》v此(ニ)帝即(チ)入v崛(ニ)訖(ヌ)。王(ノ)冠(リハ)成v石(ト)在《アリ》2于今1。彼(ノ)翁(ナハ)者|愛鷹《アシタカノ》明神也。※[女+まだれ/〓]《ウハハ》者|飼犬《イヌカヒノ》明神也【已上】。今考之云、當山縁起之上者仰テ雖(モ)4令(ト)3信2用之(ヲ)1時代甚(タ)不審也。疑(ラクハ)若天智天皇歟。彼(ノ)帝(ト)近江ノ宮ニテ崩シ玉トイヘトモ、實ニハ不v然。白地《アカラサマニ》御馬ニ召シテ出マシテ隱玉所ヲシラス。宇治山ノ麓ニ御鞋片口落タリ。是ヲ取テ山陵ニ(66)籠タテマツル。靴《クツ》石トテ長三尺計ナル有(リ)v之。富士ノ金崛ヘ入玉フハ此帝歟。【可詳】鴨ノ長明カ巡歴《シユンレキ》記云取意昔此山ノ傍ニ採竹《タカトリ》ノ翁ト云者アリ。宅後竹ノ林ニシテ※[(貝+貝)/鳥]ノ卵子《カイコ》ヲ得タリ。養(テ)子《コ》トス。少女トナリテ身ノ光(リ)カタハラヲテラス。百《モヽ》ノ媚《コヒ》アリ。ミル人斷(チ)v腸(ヲ)聞モノ動(ス)v心(ヲ)。此ヨリシテ青竹ノ中ヨリ黄金イテキテ貧翁《ヒンヲウ》忽ニ富人《トミヒト》トナリニケリ。英花《エイクワ》ノ家好色ノ道(チ)月卿爭(ヒ)v光(ヲ)雲客重(ヌ)v色(ヲ)。艶言《エンケン》ヲツクシ懇懷ヲヌキンツ。時ノ帝(ト)叡聞《エイフン》ニヲヨヒ、御狩遊ノ由ニテ※[(貝+貝)/鳥]娘《アウキ》竹亭ニ幸《イテマシ》、鴛ノ契ヲムスヒ、松ノ齡ヲヒキ玉フ。竹姫後日(ヲ)契申ケレハ帝空ク返玉フ。カタヘノ天雲是ヲシリテ、飛車テイタシテ迎テ天ニ昇リヌ。※[(貝+貝)/鳥]姫帝ノ御契(ノ)サスカニ覺テ、不死ノ藥ニ歌ヲカキソヘテ留テケリ。
其(ノ)歌云
 今ハトテ天ノ羽衣キルトキソ君ヲアハレト思ヒ|イテ《出》ヌル
帝御返歌
 アフコトノ涙ニウカフ我身ニハシナヌクスリモナニヽカハセム
勅使計ヲメクラシテ、富士ノ嶺ニノホリテ此樂ヲ燒アケヽリト。仍此山ヲハ不死ノ山ト云ヒケルヲ、郡ノ名ニ付テ富士トカケルナリ已上或記云、此山ヲハ蓬莱也。昔シ漢朝ノ方士《ハウシ》此山ニ來テ求2不死ノ藥(ヲ)1矣。古老(ノ)傳云、秦ノ二世皇帝ノ皇子|伴《トモナテ》2方士(ニ)1、此山(ノ)麓|隱里《カクレサトニ》來住(ス)。聖徳太子(ノ)臣下|秦《ハタノ》河勝(ハ)皇子十三代(ノ)後胤也云云。漢土(ノ)東夷傳曰、東海(ニ)有v國。曰(フ)2扶桑(ト)1。彼(ノ)國(ニ)有v山。號(ク)2富士(ト)1。仙(ノ)所居也焉。我朝大内記録所(ノ)記|云〔□で囲む〕、宣化天皇御宇自海中涌出(ス)。此(ヲ)號2不盡|山1矣〔二字□で囲む〕。然而萬葉集第三卷山部赤人歌云、
 アメツツ《天地》ノ・ヒラケシ時ユ・カミサヒテ・タカクタウトキ・スルカナル・フシノタカネヲ・アマノ原・フリサケミレハ・渡ル日ノ・影モカクロヒ・テル月ノ・ヒカリモミヱス・云云。
如此歌者神代(ノ)山ト見エタリ。梵竺ノ嶋涌出山|雨《(マヽ)》説頗(ル)不(67)審也。又カクヤヒメノ異説能々可尋之。又延暦年中天
神アマクタリテ造レルヲシハ山トモ|ニイ《新》山トモ云(フ)ト申
タレトモ、又イフカシ。
當集第十卷歌云
 アマノ原フジノシハ山コノクレノ時ユツリナハアハズカモアラム
此歌又延暦以前也。然(レ)者昔ヨリ此山ヲハシハ山ト云ケリト見エタリ。都良香(ノ)記曰、頂上(ニ)有2平地1。廣《ヒロサ》一|許里《キヨリ》。其(ノ)頂(ノ)中央(ニ)窪下《クホミクタレリ》。躰《スカタ》如2炊甑《カンソウ》1ノ。甑(キノ)底《ソコニ》有(リ)2神池1。池(ノ)中(ニ)有2大石1。々(ノ)躰驚奇宛《スカタケイキナルコトアタカモ》如2蹲《ウツクマレル》虎(ノ)1云云。伊勢物語ニハ山ノスカタシホシリニヽタリト云フ。※[赫/火]※[亦/火]姫《カクヤヒメノ》物語、鏡ト薫《タキモノ》ヲ山(ノ)巓《イタヽキ》ニウツメリト云云。又駿河國俗傳(ニ)云(ク)、昔ハ此山ノモユル事甚(クシテ)火|焔《エン》天ニノホリ、黒煙日ヲカクシ、磐|石《(マヽ)》フラシ熱湯ヲナカス。隣國|鳴動《メイトウ》シテ草木枯※[木+葛](シ)、東作西收(ニ)民ノ愁アリケルカ、清和天皇(ノ)御宇貞觀年中ヨリ此煙タエテタヽスト云ヘリ。其昔(ノ)燒石此山ノ四方(ノ)麓數十里(ニ)及テ宛滿《ミチミチ》テ今(ニ)有之云云。此心ヲ冷泉ノ黄門
 時シラヌフジノ煙モ秋ノ夜ノ月ノタメニヤタヽスナリケム
然而西行上人ハ風ニナヒク富士ノ煙(ト)詠シ、家隆卿ハフシノネノ煙モナヲソ立ノホルトヨマレタリ。昔ノ煙ニナスラヘテ、タエタルヲモ立トヨマン事タメシナキニアラサル歟。例セハ、長柄ノ橋ハ、伊勢カ歌ニハ造トヨメレトモ、絶タルタメシニヒキ、武|隈《クマノ》松(モ)考|普《(マヽ)》《タカヨシ》任國(ノ)時|煎《(マヽ)》《キリ》テ橋(ニ)造シ後(チ)長(ク)絶タレトモ、アルヨシニヨムカコトシ。此外タエタル事ヲアルヨシニヨメル歌不可勝計。抑此富士權現(ハ)信濃國淺間(ノ)大神一躰兩座(ノ)垂迹ニテオハシマストカヤ。兩山共ニ淺間大菩薩ト申故也。隨而平(ノ)兼盛カ集ニ云、富士ノ池ニハ色々ノ玉ワクト申ス。ソレ|ハ《ニィ》臨時(ノ)祭(リ)シケル日歌ウタフ哥
 君カ代ノ數ニオトラムスルカナルアサマノ池ノソコニワク玉
此大宮(ノ)御前ノ水ヲハ御手洗ト申也。此山南閻浮提第一(ノ)(68)靈山、高サ一由旬トカヤ。須彌(ハ)十六萬由旬|半《ナカハ》海(ニ)入テ上(ハ)八萬由旬也。日月(ノ)行度ハ此半腹、四王天持雙山(ノ)頂ナルヘシ。如v此數量ヲモ此富士ノ一由旬ヲモテ校量スト云々。
 ヨソニミテイクカキヌラン東路ハサナカラフシノ山ノフモトヲ               源兼昌
 朝日サスタカネノ御《深歟》雪空ハレテタチモヲヨハヌ富士ノ河霧             家隆
 フジノネハ年ニタカサヤマサルラムキヱヌカ上ニツモル白雪                本《(東ィ)》撰六帖讀人不知
 フシノネニフリツム雪ハ六月《ミナツキ》ノ十五日ニケヌレハソノ夜フリケリ        赤人
 
   鳴澤
當集第十四卷歌云
 サヌラクハ玉ノ緒《ヲ》ハカリコフラクハフシノタカネノ鳴澤ノコト
此鳴澤水ノ有無ノ事古來先達トカク申シアヘリ。或云、コノ澤水アルニ非ス。彼山ノ權現ノ御誓ニテ、此山砂、晝ハ終日《ヒメモスニ》麓ヘクタリ、夜ハ夙夜《ヨモスカラ》嶺ヘノホル。其砂(ノ)聲水ノ如ニテ鳴カ故(ニ)鳴砂ト申ヲ、鳴澤トハ云也云云。考v之云、右哥ノ異本歌云、
 サヌラクハ玉ノヲハカリコフラクハ伊豆ノタカネノ鳴澤ノコト
伊豆高根ナランニハ、富士ノ大菩薩ノ御誓ニテ砂ノ上リ下(ル)其|理《コトハリ》不和叶1。就中俊頼、法性寺殿御會(ニ)紅葉ノ題ニテヨメル歌
 雲ノヰルフシノ鳴澤風コシヲ清見カ關ニ錦ヲリカク
此歌鳴澤ト云一名アリト見ヘタリ。又津守ノ景基、駿河國ヘ下リケル人ニヨミテ送ケル歌
 フジノネノ雲井ナリトモワスラレテ鳴澤ノ水タユナトソ思フ
又後鳥羽院ヨマセマシ/\ケル御歌
 煙立思モ下ヤコホルラム○富士ノ鳴澤ヲトムセフナリ
此御製|并《ナラヒニ》兩先達ノ莫《ナシ》2異論1。尤令指南1。鳴砂説不可(69)用之。
 
   打縁流駿河國
當集第三卷、高橋(ノ)連蟲麿《ムラシムシマロ》之集歌
 ナマヨミノ・カヒノ國・ウチヨスル・スルカノ國ト・ヨ《(マヽ)》テ/\ノ・國ノ境ニ・イテヽシアル・フシノタカネハ・アマ雲モ・イユキハヽカリ・鳥タニモ・飛モノホラス・云々。
ナマヨミノカヒノ國トハ、ナヨヤカニカホル香ハヨキトツヽクルナリ。ウチヨスルスルカノ國トハ、異儀多之。浪ノ砂ヲ打寄ルトツヽケタリトモ、又カノ國ニハ富士(ト)葦高(トノ)二ノ山アリ。是則胎金兩部ノ垂跡也。此兩山ノ間ハ、昔ハ東海道ノ驛路《エキロ》也。ソノアハヒニ横走《ヨコハシリ》ノ關ト云フアリケリ。此道ハ觸穢ノ者《モノ》トヲリケルヲハ、明神イトハセ玉ヒテ、南海ニ淨嶋カ原ノユラレアリキケルヲ打寄サセ給テ、ツナキ留《トヽメ》サセ玉(ヒ)ケレハ、打寄ル駿河國ト申トモ、又或説云、昔富士山ハ海中ヨリ涌出シテ、波ニ隨テウカレケルニ、諸ノ天女アマクタリ舞ヒ遊ヒケルヲ、白波ウチヨセテ此國ノ山トナレリケレハ申トカヤ。蓬莱(ト)申説ニ符合スル者也。
 
   波關守
當集第六卷歌云
 富士コエニユカマシモノヲ間守ニウチヌラサレヌ浪カスヘステ
上古ニハ足柄清見カ横走トテ、足柄ヲ超テ富士ノ麓ヲトヲリテ、清見カ關エ出ル道ニ、横走ノ關トテ、足高山ノアハヒニアリケリ。間守《マモリ》トハ、清見カ關波ノ關戸ト申ハ、關守ニウチヌラサレヌトヨメル歌ヲ、關ノ字ヲ書損テ間(ト)書ナシタルニヤ。凡波ノ關守ト云(フ)コト、今ノ世ニハ久岐賀崎《クキカサキ》ト申所也。昔ハ此道ヲトホリケルニ、鹽ミチヌレハ往來ノ人立モトヲリテ、妻《メ》波|男《ヲ》波ヲカスヘテ、シハ波トテ小《コ》波ノヨスル時トホリケル故ニ、波ノ關守トモ波ノ關戸トモ申ケル也。已下歌略之。
 キヨミカタ關守(ル)浪ノ秋ノコエコレヤ都ノ荻ノウハ風
 清見潟ムラ雲ハラフユフカセニ關モルナミヲイツル(70)月カケ   後京極殿
 清見カタ種《(鐘イ)》ノコエタニナキサウツナミノ關戸ハ月ソ明行
 清見方關ニトマラテユク舟ハアラシノサソフ木ノ葉ナリケリ      實房
 
   鳥總立足柄
當集第三卷歌云
 トフサタテアシカラ山ニ舟木キリ木ニキリヨセツアタラ舟木ヲ
トフサタテトハ、八雲御抄云、木ノ梢也ト。或先達云(ク)、草木(ノ)スエヲ切テ木キリタル代ニ立ルヲ云フ也。又仙覺云ク、ヲノマサカリヲトフサト云。此ヲ打立テ木ヲ切ト云云。此義相傳(ノ)上(ハ)ナレトモ、指テ證據アリトモ不覺者歟。今推(スルニ)2此歌ノ心(ヲ)1、木ヲ切ル時、木足《コアシ》トテ切クツノチルカ、鳥ノ翅ノトフニ似ルヲトフサト云ヒ、木足ノカロクチルヲ足柄トヨセタルニヤ。又鳥ノ翅ハ鞦ノ總ノコトクナリ。鳥ノトハントテハ、マツ翅ヲタテヽ足カロクトフト云フ言(ハ)ニヤト覺ユ。奈何。然而同第三卷歌云
 トフサタテ舟木キルトイフ能登(ノ)嶋山ケフミレハ木タカクシケクナリニケルカナ
トヨメレハ、足カロクトフトイハストモ、只鳥ノトフニテモアリナン。或云、トフサトハ落花ヲ申也。
【後拾】我思フ都ノ花ノトフサユヘ君モ下ヱノシツ心アラシ
                               祭主輔親
今考之云、此歌モ必スシモ落花ニテモアラサルヘシ。只花ノ枝トヨメルニヤ。朶《タ》ノ字ヲトフサトヨメル上ハ、イツレノ木ノ枝ニテモトフサト云フヘキ歟。
 卯花モ神ノヒモロキトケヌトヤトフサモタハニ木綿《ユフ》カケテケリ
是又チルトハ見ヘス。只枝ノタハミタルトミヘタリ。然者御抄ニ木ノ梢也ト被v遊タルモ符合(スル)之(ニ)者也。但當集ノ庭|訓《キン》ナレハ斧鉞《ヲノマサカリ》ヲ可申也。又トフサタヲトツヽケスシテ足柄山トヨメル歌古來不可勝計。
(71) 足柄ノ山路コヱユク明ホノニ。一村カスム浮嶋カ原
                  後京極殿
 秋マテハ富士ノタカネニミシ雪ヲワケテソコユル足柄ノ山                               光俊
 
   鎌倉山
當集第十四卷歌曰
 タキ木コルカマクラ山ノコタル木ノ松トナカイハヽコヒツヽヤアラム
薪ヲキル鎌トツヽクル也。コタル木トハ、松ハ葉シケク枝カサナリテコタル物也是ヲ人ヲ待コトニソヘタリ。凡鎌倉トハ鎌ヲ埋倉《ウツムクラ》ト云(フ)詞(ハ)也。其濫觴者音大織冠鎌足イマタ鎌子ト申タテマツリシ比、宿願オハシマシケルニヨテ、鹿嶋參詣ノ時、此|由井《ユイ》ノ里ニ宿シ玉(ヒ)ケル夜、感(シテ)2靈夢(ヲ)1年來所持シ玉(ヒ)ケル鎌ヲ今ノ大|藏《クラ》ノ松カ岡ニ埋ミ玉ヒケルヨリ鎌倉郡ト申ト云云。因v茲思v之(ヲ)、此歌鎌倉山ノ松トツヽクルコト、鎌ヲ埋所ハ松カ岡也トヨメルニ非スヤ。凡鎌ト云義尺、松ト云字尺、是皆異朝本朝今古其理多v之。先ツ鎌倉トハ鎌ハ金ヲ兼ヌト書ル者也。金ハ司(ル)2兵甲武機(ヲ)1。倉ハ人君トカケリ。然者此鎌倉ハ含(テ)2自然之理(ヲ)1武|備將兵《ヒシヤウヘイ》之居ナル者也。就中披2見(シテ)地理全書(ヲ)1此所ノ風水嶺樣ヲ案ルニ、今ノ鶴カ岡ハ天|倉《サウ》ト云フ山也。西ニ高キ山ハ武|曲《キヨク》星ノ地ニ相當レリヨリ、其名ヲ號(ス)2武|庫《コト》1。龜谷《カメカイノ》山也。是則鎌倉ノ中央第一ノ勝地也ト見エタリ。今此等ノ山悉(ク)倉庫《サウコ》ノ名有之1。其中山ヲ當《アテ》2玄武《ケンムニ》1、貴人金|爐《ロ》等ヲ當2朱雀(ニ)1、天倉ヲ左(ニシ)武庫ヲ右(ニ)シテ、武將於(テハ)3成(ルニ)2居(ヲ)1者諸ノ吉慶可有之歟。故ニ全書(ニ)曰、天倉|武庫《フコ》接(ス)2龍|行《ケイヲ》1。前(ヘニ)有(リ)2金|爐《ロ》玉|案《アム》1。若(シ)※[シンニョウ+千]《ウツサハ》2此地(ニ)王侯宅《ワウコウタクヲ》1白屋《ハクヲク》爲《ナシ》v官《クワンヲ》、名目《メイホク》成《ナラン》2行軍《カウクヲ》1。出(テヽ)v陳《チンヲ》來(テ)唱※[口+若]《シヤウタクス》。前(ヘニ)有2排衙及貴人《ハイコヲヨヒキシン》。十里|方圓《ジャウヱン》皆(ナ)變改《ヘンカイス》受2職《シユシヨクス》金牌《キンハイ》玉|榜《ハウノ》名(ヲ)1矣。此外大藏亦倉也。崇山武也。然者鎌字(ハ)金(ヲ)【兼也金ハ西也】倉ノ字ハ人君《シンクン》也。因(テ)案v之、兼《カヌル》v西(ヲ)人君(ノ)居官タルヘキ理《コトハリ》明白ナル者歟。茲拔以勘2ルニ太織冠之古(ヲ)1、此所ニ鎌ヲ埋玉テ後、天智天皇八年ニヤ改(メ)2中臣(ヲ)1始テ賜(リ)2藤原ノ姓(ヲ)1、任(シ)2内大臣(ニ)1玉ヒシヨリ以降、代々皇帝ノ(72)執ネトシテ、末代ニ至マテ萬國ヲ治玉フ。隨而|後玄孫染屋《コケンソンソメヤノ》太郎|大夫《タユフ》時忠【東大寺郎辨僧正父ナリ】自(リ)2文武天皇御宇1至(マテ)2聖武天皇神龜年中(ニ)1、鎌倉ニ居住(シテ)東八ケ國(ノ)惣追補使《ソウツイフクシ》ニテ、鎭《シツメ》2東夷(ヲ)1守(リ)2國家(ヲ)1タテマツリキ。其後平將軍貞盛ノ孫上總介直方鎌倉ヲ屋敷トス。爰ニ鎭守府將軍兼伊與守源頼義イマタ相摸守ニテ下向之時、直方ノ聟トナリ玉テ八幡太郎義家【鎭東將軍】出生【シ玉シカハ】鎌倉ヲ讓タテマツリシヨリ以來、源家相傳ノ地トシテ、去治承五年ニ右幕下【征夷將軍】鶴岡(ニ)奉(リ)3崇(メ)2八幡宮(ヲ)1玉フ。案(スルニ)2如此之義理(ヲ)1、先段(ニ)述ルカ如(ク)、玉《(マヽ)》城ハ西也。鎌倉ハ東也。依3含(ニ)2此義(ヲ)1兼(ヌル)v金(ヲ)人君(ト)訓尺スル者也。然者鎌倉ノ君將(ハ)都鄙ノ政ヲ扶《タスケ》專(ニシテ)2武勇(ヲ)1可4奉3守2護帝都(ヲ)1道也。譬ヘハ如(シ)d謂《イフカ》c寰《クワン》中(ハ)天子(ノ)勅|塞外《サイクワイハ》將軍(ノ)令(ト)u。京鎌倉是也。故ニ天子(ハ)禀(ケテ)2天命(ヲ)1以(テ)正《タヽシクシ》2王|制《セイヲ》1將軍(ハ)承《ウケテ》2王命(ヲ)1以守(ル)2將道(ヲ)1。然者此代々將軍皆(ナ)以2鎌倉(ヲ)1爲(シ玉)2基(ト)1。此字訓若アタルナラハ、末代モ亦可v然。抑々《ソモ/\》鶴岡松岡(ニ)八幡大菩薩(ヲ)奉(ル)2勘請(シ)1此又不可思議ノ理也。其(ノ)故(ハ)者彼大菩薩者應神天皇ノ垂迹トシテ、神功皇后三韓征伐之時、胎内ニシテ令(玉)3得2將軍位(ヲ)1。誕生之砌ハ八流ノ幡天ヨリ降下シヨリ、專(ニシテ)2鎭護國家(ヲ)1武將擁護ノ神也。本地ハ是彌陀如來。是(レ)亦含(ム)2兼(ル)v西(ヲ)1之理(ヲ)1者歟。次ニ松カ岡ニ鎌ヲ理【玉フコト】松(ハ)十八公ト書リ。是木公也。司(ル)v東義也。彼是(レ)兼(ヌル)金(ヲ)人君(ニ)符合スル者ノ乎焉。鎌倉山トヨメル歌古來イト多カラス。
 眞カナシミサネニワハユク鎌倉ノ水無能瀬河(ニ)鹽ミツラムカ
 鎌倉ノ御越カ崎ノ岩ノ《(マヽ)》エノ君カクユヘキ心ハモタシ
 《古歌》
 鎌倉ノ御越カ嶽ニ雪キエテ水無能瀬川ニ水マサルナリ
 《續古》
 宮柱太敷《ミヤハシラフトシキ》タテヽ萬代ニ今ソサカヘシ鎌倉ノ里
                鎌倉右大臣
 《堀川百》
 我ヒトリ鎌倉山ヲコヘ行ケハ星月夜コソウレシカリケレ
 
   筑波山
筑波山ト云名ハ、天照大神此山ノ巓《イタヽキ》ニテ紫ノ筑《ツク》琴ヲヒ(73)カセ玉ニ、至(テ)2水波ノ曲(ニ)1鹿嶋ノ浦ノ波|乘《ノテ》v雲(ニ)飛(ヒ)登リ、此山ノ嶺ニ着タリケリ。仍|着波《ツクハ》山ト云フ。而ルヲ因《ヨテ》2琴ノ名(ニ)1筑波山ト云フ歟。波ノ上リケル所ヲハ汲上《クミアケノ》浦(ト)申(ト)カヤ。筑波小筑波トテ二ノ嶺有(リ)v之。狹衣ノ小筑波トヨメリ。二ノ嶺|女《メ》神|男《ヲ》神兩座シ玉。疇昔※[女+燿の旁]歌《ムカシハカヽヒノ》祭トテ、諸國ノ男女|騎歩《キホ》共ニ登リ集リ、自他ノ妻妾ライハス、タカ|セ《(マヽ)》ニ娉遊《タハクリアソヒ》ケリ。カヽヒト云フ言(ハ)此レナリ。依之當第九卷歌云
 鷲ノスム・ツクハノ山ニ・イサナヒテ・ヲトメヲトコノ・行(キ)ツトヒ・カヽフカヽヒニ・人ツマニ我モカヨハム・我ツマニ・人モコトヽヘ・コトモトカムナ云云【此祭今世ニハタエタリ】同第十四卷歌
 狹衣ノヲツクハネロノ山ノサキワスラヘハコソナヲカケナハメ
此山ヲハ君ノ惠ノシケキニタトヘタリ。古今集眞名序云|仁《シン》流1秋津洲之外(ニ)1惠《ケイ》茂(シ)2筑波山之陰(ヨリモ)1矣
 ツクハネノコノモカノモニ陰ハアレト君カ御《ミ》陰ニマスカケハナシ
 ツクハ山シケキ惠ニモラサスハ立ヲ玉木モ花ヤサカマシ
              安嘉門院右衛門佐
 ツクハネノ山鳥ノ尾ノマス鏡カケテイテタル秋ノ夜ノ月
                  家隆
 
   衣手常陸國
衣手ノヒタチト云フニ兩義アリ。日本紀曰、倭武《ヤマトタケノ》天皇|巡2狩《シユンシユシテ》東夷之國(ヲ)1幸(ニ)遇(フ)2新治之縣《ニイハリノアカタニ》1。所(レテ)3遣《ツカハ》2國造※[田+比]那良珠命《クニツクリヒナラタマノミコトヲ》1新《アタラシク》令《シム》3堀《ホラ》2井(ヲ)1。流v泉淨(ク)澄《スメリ》尤(モ)有2好愛《カウアヒ》1。時(ニ)停《トヽメテ》2乘輿《ミコシヲ》1翫(ソヒ)v水(ヲ)洗(ヒ)v手(ヲ)御衣《ミソ》之|袖《ソデ》垂(テ)v泉(ニ)而|沾漬《ヌレヒツ》。袖之|義《チ(キカ)》以爲2此國ノ之名(ト)1矣。尊(ノ)御衣ノ御袖ヲヒタシ玉フ故ニヒタチト云ト聞ヘタリ。依之第九卷歌云、
 衣手ノ・ヒタチノ國ノ・二並ノ・筑波ノ山ヲ・ミマクホリ・アセカキナケキ・ネトリスル・ウソフキノホリ・云云
(74)此歌ハ先段ノ※[女+燿の旁]歌ノ祭ノ歌也。又常陸國風土記曰、往來(ノ)道路|不《ス》3隔《ヘタテ》2江海之|津濟《シンサイヲ》1、郡郷《クニサト》堺(ヒ)相(ヒ)續《ツヽキ》、山河之峯谷|取《トテ》2近道《キントウノ》之義(ヲ)1以(テ)名(ク)2稱《ナト》1焉。此ハ國中ノ道路江海陸地一(ニ)ツヽキタル故ヘニ直路《ヒタチ》ト云フ矣。
 
   霰降鹿嶋
萬葉集第廿卷歌曰、防人歌也
 アラレフリカシマノ神(ニ)イノリツヽスメラミ草ニ我ハキニシヲ
アラレノフルハカシマシキト云フ諷詞也。スメラ御草トハ野民也。民ノ帝徳ニシタカヒタテマツルコト春ノ草ノ風ニナヒクカ如ト云フ故ニ、民ノ草葉トモ申スナリ。抑我朝ノ諸神ノ中ニ、上《カミ》天皇ヨリ下《シモ》萬姓ニ至マテ、此鹿嶋ノ神ヲ崇敬シタテマツルコト有2元由1者乎。彼國(ニ)摩大鹿嶋《ナテオホカシマ》ト申ハ、天神中主《アミナカヌシノ》尊(ト)ノ孫|天兒屋根《アマツコヤネノ》命(ト)ヨリ八代ノ神ニテマシマス。天御中ま《アメミナカヌシノ》尊ハ月神トシテ天上ニマシ/\、盡未來際マテモ一天下ヲ照臨《セウリン》シ玉フ。天兒屋根命、瓊々桙《ニヽキノ》尊供奉ノ神トシテ高天ノ原ヨリ天降リ玉、日向ノ國|高千穗峯《タカチホノタケ》ヨリ丹波國餘謝ノ郡|魚井原《ナイハラ》ニ坐《マシ/\》シテ、雄略天皇ノ御宇天照大神|大佐々《オホサヽ》命(コト)勅シ玉テ、今ノ伊勢國ノ外宮ヘ遷幸ナシタテマツリ玉フ。被《(彼ィ)》皇孫尊天鷺豐受《スメミマコノミコトアマテルトヨウケノ》大神宮ト申タテマツリ、天兒尾根命(ト)社稷《シヤシヨク》ノ神トテ相殿ニ座《マシ/\》シヨリ以來、宗廟ノ神ノ御後見ニテ朝家ヲ守護シ玉フ。就中稱徳天皇神護景雲ノ比カトヨ、南都春日山ニ遷座シ玉ヒ、藤氏ノ祖神トシテ國家ヲ治《ヲサメ》玉(フ)。故ニ大織冠淡海公ヨリ天下輔佐ノ臣アヒツヽキテ、末代マテモ繁昌諸家ニ超過シ玉フ者也。凡ソ我朝ヲハ藤根國ト申トカヤ。是則鹿嶋ノ明神|金輪際《コンリンサイ》ヨリ生出タル御座石《ミマシノヲ》柱トシテ、藤ノ根ニテ日本國ヲツナキ玉(フ)ト申故也。又四所兩神ノ内|武甕槌《タケミカツチノ》神申ハ、豐葦原ノ主イマタサタマリ玉ハサリシ時、高皇産靈《タカスメミアレタマノ》尊(ノ)【皇孫尊祖父栲幡千々姫ノ父也】使トシテ出雲國ニ到リ、大已《オホナンチノ》命(ト)ニ此葦原ヲ乞トリ、國征クル矛《ホコ》ヲ請収テ天上ニノホリ、天照大神ニタテマツリ玉(フ)。則皇孫尊ヲ大|倭《ヤマト》國ノ主トシテ下シタテマツリ玉(ヒ)シニ、五神ヲソヘ奉(リ)玉(フ)。其ノ專一ノ神(75)ニテ下玉シ者乎。其後神武天皇中津國ヲ征ケントシ玉(ヒ)
シ時、天皇夢ノ内ニ武甕雷《タケミカツチノ》神ノ國征《クニタイラケ》玉シ※[音+市の右上に点のあるの]靈《フツノミタマ》ト云フ劔《ツルキ》ヲ得玉(ヒ)テ、遂ニシエタケカタカリシ長髄彦《ナカスネヒコ》ヲ征ケ玉キ。是復(タ)武甕槌ノ威神力ニ非スヤ。是以或ハ四夷ノ亂ヲ靜《シツメ》、或ハ異朝ノ敵ヲ亡シ玉モ專ラ此神ヲ先トシテ、諸神モ進發シ玉フトソ申ス。然者神功皇后宮三韓ヲ責サセ玉ヒシ時、鹿嶋|香取《カトリ》ノ兩社ニ天ノ御札フレリ。其銘(ニ)曰(ク)、東太神表矣。仍三月初ノ巳ノ日、香取ノ明神門出シ玉(フ)。午ノ日鹿嶋ヘ渡リ玉フ。兩神共ニソレヨリ起《タチ》玉フ。今ノ世ニ旅ノ首途ヲ鹿嶋立ト申ハ此|縁《ヨセ》也。諸神鹿嶋明神|起《タチ》玉フコトヲ聞(キ)玉ヒ、鹿嶋起ソト宣《ノ玉ヒ》シ故ナリ矣。凡此垂迹ノ事秘説多之。依3不2習博1不3與2記之(ヲ)1矣。
 
   夏麻引海上
第十四卷歌云
 夏ソヒクウナカミカタノオキツスニ舟ハトヽメンサ夜フケニケリ
麻ノ生タル所ヲハウト云ヘハ、夏ソヒクウトツヽクル也。麻ノウハカハヲトリノクルヲヒクトハ云也。櫻麻ノオフノ下草トヨメルモ、フトツヽクル許《ハカリ》也。又ヒキタル麻ヲ白クカケヲキタルハ、ウハノ髪ニニタルヲモ申也。又十三卷歌ニ、夏ソ引ミコトヲツミテトヨメルハ、只麻ノミトツヽクルナリ。歌
 舟トムルウナカミカタノオキツスニ夜ヤフケヌランタヅソ鳴ナル
 夏ソ引ウナカミ山ノシヰ柴ハカシ鳥ナキツ夕アサリシテ
                      俊頼
 
   佐野舟橋
コノ橋在所先達歌枕處々ニカハレリ。然而
當集第十四卷歌云
 カミツケノ佐野ノ舟橋トリハナシオヤハサクレトワハサカルカエ
トリハナシトハ此橋ヲハ河ニハ渡サヽルニヤ。路ノ兩方水田ニテ、板ヲウチ渡シ/\スルトカヤ。然レハ水ナキ時ハトリハナチテヲクト申ス。同卷歌云
(76) クルシクモフリクル雨カミワカサキサノヽ渡リにイエモアラナクニ【此歌ハ近江國ノ佐野ニヤ】
 
       交畢
詞林采葉抄 第五
 于時永享三 二月自九日染筆
 
詞林采葉抄 第六
 
  千磐破   神風     神無月
  大神    木綿疊    紐呂寸
  八隅知之  夷都     久堅天
  豐旗雲   日經緯    月桂
  七夕姫   天在一棚橋  時津風
 
  千磐破
當集第三卷歌曰
 千磐破神ノ社ノナカリセハ春日ノ野邊ニ粟マカマシヲ
チハヤフルト云事先達ノ異儀多之。或ハ千ノ磐屋ニ經ト云。或ハ千ノ磐ヲ破ト。又昔社ノナカリシホトハ、茅ノ葉ニテ※[草がんむり/〓]タル屋ニ神ハスミ玉ヒケルヲ申トモ、其外モ樣々ニ申侍ニヤ。然而當集ノ庭訓ハ任2記(ノ)文1令加※[米+斤]簡1者也。所詮ミチハヤクフルト云フ言也。日本記第一曰、干時|高皇産尊《タカミムスヒノト》以(テ)眞床追衾《マユカヲヒノフスマヲ》1覆《ヲヽヒ》d於|皇孫天津彦《スヘミマコアマツヒコ》々|火瓊々杵尊《ホニニキノト》使《シム》v降之《アマクタラ》。皇孫《スメミマコ》乃(チ)離(レテ)2天磐座(ヲ)1【此(ハ)云|阿麻能以簸矩羅《イハクラト》且排2分|天八重《アマノヤヘ》雲(ヲ)1稜威之道々別々而《イツノチハケニチハケテ》天2降《アマクタラシム》於日|向襲之高千穂峯《ムカノソノタカチホノタケニ》1矣。皇孫尊《スメミマノミコト》路(チ)早(ク)降(ル)ト云也。フルハクタル也。皇孫ハ神ノ御中ノ宗廟ノ神ニテオハシマセハ、チハヤフルト云フ詞ヲ諸神ニ亘シテ申也。此|言《コトハノ》歌不可勝計
 チハヤフル神ノイカキモコヘヌヘシ大宮人ノミマクホシサニ
 チハヤフル齋《イツキ》ノ宮ノ有巣《アリス》河松トヽモニソ影ハスムヘキ                京極殿
 アクルヨリユフカクルマテチハヤフル神ノ宮人代ヲイノルラン            中院亞將
 
   神風
神風(ノ)】伊勢者先達(ノ)打開髓腦等被2勘置1之上(ハ)者末世學淺智之|魯愚《ロク》雖《イヘトモ》3難(シト)2探擇《サイチヤク》1、拾《ヒロイ》2日本紀萬葉之詞(ヲ)1、粗載《ホヽノス》之者也。
當集第四卷、碁檀越《キノタンヲツ》往《ユイテ》2伊勢國(ニ)1留妻《トヽマルツマ》作(ル)歌曰、
 神風ノ伊勢ノハマ荻オリフセテタヒネヤスランアラキハマヘニ
日本紀第一曰取意高皇産靈尊【皇《スヘ》孫(ノ)尊|御祖《ミヲヤ》神也】經津主《フツヌシノ》神【香取明神也】武甕槌《タケミカツチノ》神【鹿嶋明神也】二神使ヒトシテ出雲國|天降《アマクタリ》、對《ムカイ》2大己貴神《オホナンチノカミニ》1【三輪明神也】皇孫尊此國ノ君トシ給ハムト申玉フニ、大汝貴命(ト)御子事代主《ミココトシロヌシノ》神問ヒ玉フニ、早ク避タテマツリ玉ヘト申玉フ。其(ノ)弟健御名方《オトヽタケミナカタノ》神【陬方大明神也】武ク荒キ神ニテ、イナヒ申玉フ。然而尊國(ニ)平《タヘラケ》タル廣矛《ホコヲ》モテ二神(ニ)授テ曰ク、天孫《アマツミマコ》此矛ヲモテ國ヲ平ケ玉ハヽ、必(ス)平ケ玉ヒナントテ、百不足八十隈《モヽタラスヤソクマ》ニ隱《カクレ》玉フ。御子達《ミコタチ》スヘテ一百八十神オハスル處々ニ隱玉焉。健御名方《タケミナカタ》ノ神ハ、伊勢國ヨリ風神《神風歟》ト共ニ、信濃國陬方ノ郡ヘ遷リ玉フ。然者風神ハ伊勢陬方兩所ニヲハシマス。故神風ト云コト陬方ニモ可v亘也矣。又|活目入彦五十狭茅《イクメイリヒコイスサチノ》天皇廿五年|倭姫(78)命《ヤマトヒメノミコト》御|杖《ツエ》トシテ、天照大神ノ鎭《シツマリ》玉フヘキ所ヲ求玉ヒテ、伊勢國度遇宮遷玉フ時、大神倭姫命トニカヽリテ宣ハク、此神風伊勢ノ國ハ常世《トコヨ》ノ波敷波寄《ナミシキナミヨス》ル國也。宇摩※[福の旁に近い字+司]《ウマシ》ニ《(マヽ)》ノ國也。此國ニ居《ヲラン》ト思也ト。仍(テ)五十鈴宮大宮柱大敷立鎭玉《イススノミヤオホミヤハシラフトシキタテヽシツマリ》玉フ。十一皇子(ノ)中第十(ノ)皇子(ノ)風(ノ)宮也【風伯神ト申】。然者神風ト云事(ハ)神代ヨリノ言也矣。常世ノ波ト云事ヲ衣笠内府
 神風ヤ五十|鈴《スヽ》ノ河ノ磯ノ宮トコ世ノ波ノヲトソノトケキ
一日、天照大神伊勢(ノ)國鎭(マリ)玉ハントシ給シニ、天上ヨリ天降リ玉(フ)也十八神(ノ)内、伊勢津姫ト申神、先立テ此國ニオハセシカ、大神(ニ)國ヲ惜ミタテマツリ玉ヒシヲ、退クヘシト神勅アリシカハ、風波ヲタテヽサルヘシトテ、伊勢ノ海ノ波荒レ動々《トヽロキ》、暴風吹立テ、天地動搖シテ黒雲ニ乘リ、信乃國陬方ノ郡ヘ飛《トヒ》去玉|フ《(マヽ)》云フ。兩説風神同異可詳。又仲哀天皇新羅國ヲシタカヘ玉ヘト天ノ告アリトイヘトモ、神ノ言ヲソシリ給ヲ用ヒ玉ハス、讎《エヒス》ノ毒矢ニアタリテ崩《カミアカリ》玉フコトヲ神功皇后宮歎キ給テ、長門國|豐浦《トヨウラノ》宮|齋《イツキノ》宮造リ玉フ。自《ミツカラ》神主トナリ玉フ。天(ニ)祈(テ)曰(ク)、先皇(ニ)教《ヲシヘ》事シ給シ神ハ何ノ大神ニテヲハスルソ。御號《ミナヲハ》誰ト申ソト七日七夜祈(リ)申玉ヒシカハ、答|曰《ノク》、神風伊勢國|百傳度會《モヽツタフワタラヒノ》縣(タ)、五十鈴《イスヽノ》宮(ニ)所居《ヲルトコロノ》神也。名ヲハ撞賢木嚴御魂天疎向津姫命《ツキサカキイツクミタマアマサカルムカツヒメノミコト》也ト云云。日本紀ニ見ヘタリ。
 君カ代ハツキシトソ思フ神風ヤミモスソ川ノスマンカキリハ
此歌神感アリテ人ノ夢ニミエケルトナム申。
 神風ヤ豐ミテクラニ四《(マヽ)》手カケテタノムトイフモカシコシ 後鳥羽院御製
 神風ヤ玉籤ノ葉ノ露霜ニアマテル光(リ)イク世ヘヌラム       後京極殿
 神風ニコヽロヤスクソマカセツル櫻ノ宮ノ花ノサカリハ        西行上人
 
   神無月
(79)當集第八卷、大伴宿禰池主歌云
 神無月シクレニアヘル紅葉ハノフカハチリナム風ノマニ/\
抑一天下ノ神無月(ヲハ)、出雲國ニハ神在月《カミアリツキ》トモ、※[○○]神※[○○]在|月《ツキ》トモ申也。我朝ノ諸神參リ集リ玉フ故也。其神在ノ浦ニ神々來臨(ノ)時ハ、小童ノ作レル如ナル篠舟波上(ニ)浮フコト不可及2算數1モ。諸神ハ彼浦神在(ノ)社ニ集玉ヒテ、大社ヘハ參(リ)玉ハスト申。此神在ノ社ハ不老山(ト)云所ニ立玉フ。神號ヲハ佐太《サタ》大明神ト申也。是則傳奏(ノ)神ニテ座トカヤ。大社ヲハ杵舂《キツキ》明神ト申トカヤ。別當ヲハ國|曹《造》《・コクサウ》ト申云云。問曰、此大社素戔烏尊ニテ座《マシマス》ヲ、日本國ノ神々|御祖《ミヲヤ》ノ神トテ尊崇《ソンソウ》シ奉テ參リ集リ玉フコト誠以不審也。其故者伊弉諾伊弉册二神コソ天神地祇(ノ)御祖《ミヲヤ》ニテマシマセ。サテハ天照大神コソ宗廟ノ神ニテ座《マシマ》セハ、尤モ尊敬アルヘキニ、第四ノ御子ニテマシマスヲハ、何故ニ御祖(ノ)神トハ申ニヤ。答曰、【其子細深秘有之故ニ不載之矣。】又|簸《ヒノ》河上ノ手摩乳脚摩乳ノ神ノ女《ムスメ》稻田姫ヲハサクサメノ社ト申所ニ齋《イハヒ》タテマツル。社ナントモナク、八重垣《ヤヘカキ》トテ八所ニ引離々々《ヒキハナレ/\》有v之。此サクサメノ明神ト申トカヤ。大社ノ御歌トテ
 日モクレヌサクサメノ刀自《トシ》ハヤイテヨ心ノヤミニ我レマヨハスナ
サクサメノ刀自トハ夕《ユフ》ツヽヲ申スニヤ。稻田姫ノ事也。ソレヲ刀自トヨマセ玉フ事【子細可尋之。】依之後撰集歌ヲ勘ルニ
 今コントイヒシハカリヲ命ニテマツニケヌヘキサクサメノ|トシ《刀自》
此ハ外姑《シウトメ》ノ歌ト見エタリ。サクサメノ事【未勘定。追可詳】刀自事|娘子《ヲトメ》ノ惣名歟ト見ユ。源順カ和名(ニ)云(ク)、劉白列女《リウハクレツチヨ》傳(ニ)曰、古語謂(フ)2老母(ヲ)1。名《ナツク》老女(ヲ)1。用《モチフ》2刀自(ノ)二字(ヲ)1云云。但(シ)權大納言行成卿カヽレタル後撰集ニハ、此歌(ノ)終(リ)ノ七字ヲハ丁年《テイネント》申シタリ。丁年(トイハ)者若(ク)盛ナル心也。或ハ廿トモ、又六十(トモ)申。然而丁年(ハ)丁歳《ヒノトノトシ》也。強※[門/吾]赤奮若丑《キヤウキヨセキフンシヤクウシ》也。或(ハ)作愕《サクカク》不一准1。江師《カウソツ》ハサクサメノ刀自(ハ)姑《シウトメ》ノ名也ト云云。又(80)當集ニハ母刀自《ハヽトシ》トモヲメリ。我子ノ刀自トモ云。又高貴(ノ)夫人ナントモ我身ヲ卑《ヒ》下シテ刀自ト被v仰タリ。天武
天皇(ノ)后藤原(ノ)夫人|字《アサナ》曰(フ)2大原大刀自《ヲハラノオホトシト》1。鎌足内大臣御|女《ムスメ》又|刀自賣《トシメト》云(フ)アリ。此集ノ作者|物部刀自賣《モノヽヘノトシメ》、掠※[手偏+奇]部刀自賣《クラハシメノトシメト》云云。
 神《詞花》無月アリアケノ空ノ時雨ルヲ又ワレナラヌ人ヤシルラム            赤染右衛門
 嵐《千》フク比良ノタカネノネワタシニアハレシクルヽ神無月哉             道因
 時《新古》シモアレ冬ハ葉守ノ神無月アラハニナリヌ森ノ柏木              慶算
 
   大神
當集第二卷歌曰
 我岡ノ大神ニイヒ|ヲ《(マヽ)》フラシツル雪ノクタケシソコニ|ナ《(マヽ)》リケリ
コレハ天武天皇賜2藤原夫人(ニ)1御製曰
 ワカ里ニ大雪フレリ大原ノフリニシ里ニフラマクハ後
此御返事(ニ)タテマツリ玉フ歌也。ヲ神トハ※[虫+也]※[雨/龍]《シヤリウ》也。凡|龍《リウ》ニ四種アリ。烏龍【金翅鳥】馬能【龍(ノ)馬ト云フ】※[虫+也]龍《シヤリウ》難陀跋難陀等ノ莫龍也。此※[虫+也]龍モロ/\ノ神トアラハレテ、人ヲ利シ人ヲ惱《ナヤマ》スト云云。豐後國風土記曰、球珠郡※[王+永]※[潭の旁]郷《クスノコホリクタミノサト》、此村ニ有v泉《イツミ》。景行天皇|行幸《ミユキ》之時、奉膳之人《ミカシハテノヒト》擬《キシテ》2炊《カシカント》2於|御飲《ミケヲ》1令3汲2泉(ノ)水ゐ1。即有2※[虫+也]龍1【謂|於箇美《ヲカミト》1矣。】常陸國風土記曰、新治郡驛家《ニイハリノコホリエキカ》名(ヲ)曰2大神《ヲカミト》1。所2以《ユヘ》然稱《シカイフ》1者、大蛇多在《ヲロチオホクアリ》。因(テ)名(ク)2驛家(ト)1焉。日本紀曰、闇寵【此曰(フ)2久良於箇|美《ミト》1云云。山神歟】。
 
   木綿疊
當集第六卷歌曰
 ユフタヽミ手向ノ山ヲ今日コヘテイツレノ野邊ニ庵セム|コラ《兒等》
木綿タヽミトハ、幣ヲハサミタル串ノ頭《カシラ》ニハ、タヽミタル紙ヲハサム。ソノ下ヨリ幡《ハタ》ノ手ノ如ニ長(キ)ハ手也。サレハ木綿疊手トツヽクル也。第十二卷歌ニ、ユフ(81)タヽミ田上《タナカミ》山ノサナカツラアリサリテシモアラシ|ヌ《メ歟》スト|モ《(マヽ》)、ヨメルモ、只タヽミ手(ト)云フ言(ハ)也、衣手ノ田上ナント云ルハ重タル詞(ハ)也。今ノ歌ノ詞書《コトカキニ》云、夏四月【天平九年】大伴ノ坂上(ノ)郎女《ヲトメ》奉(リシ)3拜《ヲカミ》2賀茂ノ神社(ヲ)1之時|便《タヨリニ》超2相坂山(ヲ)1望2見《ノソミミテ》近江(ノ)海(ヲ)1而|晩頭《ハントウニ》還(ヘリ)來|作《ツク》レル歌ト云云、然者相坂山ヲ手向山ト云コト勿論也。當集ニ、ヨソニノミ君ヲアヒミテ木綿タヽミ手向ノ山ヲアスカ|コ《(マヽ)》ナン、ト云フ戀ノ歌ノ心モ、相坂山ト聞タリ。隨テ第十三卷歌曰、
 物部ノ・ウチ河ワタリ・オトメラニ・相坂山ニ・手向草・イトリヲキツヽ・ワキモコニ・アウミノウミノ・云々
又源仲正歌
 鳥井タツ相坂山ノサカヒナル手向ノ神ヲ我ナイサメソ
古今集假名序云、相坂山ニ手向ヲイノルト云々。相坂山ヲ手向山ト云明證如斯。
 
   紐呂寸
當集第十一卷歌云
 神ナヒニヒモロキタテヽ齋トイヘト人ノ心ハマモリアヘヌカモ
此ヒモロキハ神籬ヲヨメリト見エタリ。凡ヒモロキハ歌ニヨテ可2心得1者也。目本紀第一卷曰、天照太神|勅《ミコトノリシテ》曰(ク)、吾(レ)則(チ)起《タツ》2樹|天津神籬《アマツヒモロキ》【神籬古語|比茂呂伎《ヒモロキ》】及天津磐境《ヲヨヒアマツイハサカヒヲ》1。當(ニ)d爲(シテ)2吾|孫《ミマコヲ》1奉(ツル)c齊《イハヒ》u。汝天兒屋根《イマシアマツコヤネノ》命(ト)太玉《フチタマノ》命(ト)二神(ミ)宜《ヨロシク・ヘシ》持天津神籬《モテアマツヒモロキ》降c於葦原中津國(ニ)u亦(タ)爲(メ)2吾孫《ワカミマコ》奉《マツルヘシ》2齋《イハヒ》1焉。又神ニタテマツル贄《ニエ》ナトヲモ申也。日本紀竟宴歌ニ、神ノヒモロキソナヘツルカナトヨメリ。又疑開抄云、
 ヒモロキハ神ノ心ニウケツラム比良ノ高嶺《タカネ》ニ木綿カツラセリ              文時
此歌ヲ源ノ順傳ヘ開テ、ナニトヨマレタルニヤトオボメキケレハ、文時返リ聞テ、順ノ異《(主ィ)》ハエシラシ/\トウナツキケリトカタリ傳ヘタリ。又江帥卿歌云、
 ミワタセハ神ノヒモロキトキテケリ比良ノ高ネニ木綿カツラセリ
(82)文時匡房兩首ノ歌等同也トイヘトモ、其心難(シ)得1矣。又先祖ノ廟ヲ祭ル供具ヲモ申。又常ニ献スル供御《クコ》ナントヲモ申ニヤ。我朝大内ノ大學寮二|季《キ》ノ上丁下丁ノ尺奠ノ翌《ヨク》日ニ、六位直會ヲ持參《チサン》シテ、奏(シテ)云(ク)、大《・文歟》學寮《フンカクノツカサノ》献ル昨日ノ尺奠ノ※[月+乍]《ヒモロキ》ト云云。又文選ノ西都ノ賦ニ曰ク、論(シテ)v功(ヲ)賜(フ)※[月+乍](ヲ)焉。史記ノ晋世家《シンセケニ》曰取意昔晋ノ獻公《ケンコウ》ト云シ帝(ト)オハス。后ヲハ齊羌《セイカウト》云フ。死《マカリ》ニケリ。其後|驪戎《リシユ》カ女驪姫《ムスメリキ》ト云ヲ后トス。其腹ノ子ヲハ奚掉子《ケイセイタウシト》云フ。先后ノ()子ヲハ申生重耳夷吾《シンセイテウシイコ》ト云フ。父獻公奚齊ヲ愛シヲ大《(マヽ)》子ニ立ムトス。后(ノ)云ク、我子今ハ少《ヲサナ》シ。申生ヲ太子ニ立ヨト。イミシク云ヒタリト思テ、申生ヲ立テケリ。カクテ年月(ヲ)經(テ)、后太子ニ云ク、其母コソ夢ニミヘツレ。※[月+乍]ヲ調《トヽノ》ヘヨ。ソレヲハ我|許《モト》ヘモテキテタムケヨト云フ。太子イミシク調ヘテ、繼母(ノ)后(ノ)モトヘ遣《ツカ》ハシタリ。父獻公狩ニ出(テ)返(ル)夕《ユフヘ》ニ早(キ)青附《シヤウブ》子《シ・ス》ヲ※[月+乍]ニヌリテヲキ、太子ノモトヨリヲコセタリト云ヒテ、外ヨリモテキタル物ヲハ、初《ハツ》ヲヽ物ニ祭《マツリ》テコソト云ヒケレハ、土ニ祭リタレハ、土俄ニヲヒアカリタリ。毒ノ入タルヨ。父ヲ※[殺の異体字]シテ位ニ付ムトスルヨト云ヒケレハ、父犬ヲ喚テクハス。立所ニ死ニケリ。父兵ヲ起テ申生ヲ※[殺の異体字]テケリト云云。父母ニ獻ヲモ申ト見ヘタリ。
 卯《古歌》花モ神ノヒモロキトケヌトヤトフサモタハニ木綿カケテケリ
 
   八隅知之
當集第一卷曰、天皇遊2※[獣偏+葛]《ミカリ》内野(ニ)1之時|中皇命《ナカウシノミコト》使《シテ・シムル》d間人連老《ハシウトノムラシヲキナヲ》1獻《ケンセ》u歌
 八スミシヽ我大君ノ朝(タ)ニハトリナテ玉ヒ夕《ユフヘ》ニハイヨセタテヽシ御トラシノ梓ノ弓ノ中ハスノ云云
八隅知之《ヤスミシシ》、ヤスミシル、ヤスミシリシ、ヤスミシヽ、三訓也。然而ヤスミシルトイハヽ之字不被和(セ)1。シリシトイハヽ先帝ヲ申詞ハナルヘシ。然レハヤスミシヽト可訓1歟。是レ八方上下八嶋ノ國《クニ》シロシメスト云フ詞也。八嶋國者、日本紀第一卷曰、伊弉諾伊弉册(ノ)尊立(テ)天浮橋《アメノウキハシノ》之上(ニ)1共(ニ)計曰《ハカリテノ玉ハク》、底下豈《シタツソコニアニ》無(ン)v國(ヤトノ玉テ)歟、廼(チ)以2天之(83)瓊《アマノヌ》【玉也此云奴】矛《ホコヲ》1指下《サシクタシテ》探v之《カキサクル》。是《コヽニ》獲《エタリ》2滄溟《アヲウナハラヲ》1。其(ノ)矛鋒滴瀝《ホコノサキヨリシタタル》之|潮凝《ウシホコテ》成(ル)2一(ノ)嶋(ト)1。名(テ)v之曰(フ)2※[サンズイ+殷]※[馬+刃]盧嶋《ヲノコロシマト》1。二神《フタハシラノカミ》於v是《コヽニ》降2居《アマクタリマシテ》彼(ノ)嶋(ニ)1、因(テ)共|爲夫婦《ミトノマクハヒシテ》産2生《ウマント》洲國《クニツチヲ》1。便(チ)以(テ)2※[サンズイ+殷]※[馬+刃]盧嶋《ヲノコロシマヲ》1爲(ス)2國中之柱《クニノナカノミハシラト》1。【乃至】由v是始(メテ)起《ヲコル》2大八洲國《オホヤシマノクニ》之號1焉。嶋ト洲《ス》ト同之。又|隅者乾坤《スミハケンコン》也。乾坤亦天地也。其故者|天地開闢《アメツチヒラケシヨリ》以來(タ)、案(スルニ)2大易《タイエキ》|大《(衍カ)》大|極《キヨク》之理(リヲ)1、以2乾卦《ケンケヲ》1爲(ス)2方角之父《ハウカクノチヽト》1。以2坤卦(ヲ)1爲v母。見則非(ス)d以2震離兌炊《シンリタンカン》等(ヲ)1之|基《モトヽスルニ》u。唯《タヽ》方(ハ)以v隅(ヲ)爲(ス)2根本(ト)1。數(ハ)以v八(ヲ)爲v極。八々六十四|卦《ケ》以v之可(シ)3准2知之(ヲ)1。凡(ソ)方角者以(テ)v西(ヲ)爲v本(ト)之處(ニ)四|維《イヲ》謂(フ)2八|隅《スミトハ》1者、皆十二支|司《ツカサトル》2一支|宛《ツヽヲ》1者也。至四維(ニ)1者一|隅《クニ》二|支《シヲ》司(トル)之故(ニ)、四|維《ユイ》者以八支(ヲ)1爲(ス)2躰本(ト)1。所謂《イハユル》戌亥丑寅辰巳未申是也。故(ニ)易道《エキタウニ》以2乾坤(ヲ)1爲《シテ》2父母(ト)1生2出《ウミイタス》少男少女(ヲ)1。自餘(ノ)方角(ヲ)生《ウムト》云云。加之合(スレハ)2方角(ヲ)1又八(ト)云(フ)數(ス)也。是則八|隅《ク》之故。是以(テ)天下(ハ)以2乾坤(ヲ)1立《タテ》、天子(ハ)八隅知食《ヤスミヲシロシメシテ》國家(ヲ)持《タモタ》シメ玉(フ)者哉。又|隅《ク》者|陬《ス》也。嶋也。尺氏(ニ)云(ク)、陬《スハ》隅《ク》也矣。麻果《バクワニ》云(ク)、聚《アツメテ》v居(ヲ)爲(ス)v陬《スト》焉。常陸國風土記曰、卷向日代宮大八洲照《マキムクヒシロノミヤオホヤシマテラシ》臨(ミ)天皇矣。爰知《コヽニシンヌ》乾・坤・隅・陬・嶋・洲・皆一|致《チ》也。然者|八隅知之者《ヤスミシシハ》天地乾坤向平知食云フ詞(ハ)也、因(テ)※[手偏+僉](ヘテ)2日本紀(ヲ)1曰、大《仁徳》鷦鷯天皇五十年春三月壬辰朔丙申、河内(ノ)國人奏言《クニヒトマウシテイハク》、於|茨田堤雁産《マイタノツヽミカリコウム》之。即(チ)日|遣《ツカハシテ》v使《ツカヒヲ》令《シメ玉》視《ミセ》。曰《マウサク》既(ニ)實《マコト》也。天皇《スヘラミコト》於《コヽニ》v是|哥《ミウタヲ》以(テ)問《トヒ玉テ》2武内宿禰(ニ)1曰(玉ハク)、阿耆豆辭莽《アキツシマ》・揶莽等能區珥々《ヤマトノクニヽ》・箇利古武等《カリコムト》・儺波爾《・(マヽ)》簡輸揶《ナハニカスヤ》・矣。武内宿禰|答《コタヘテタテマツル》歌曰(ク)、夜輸瀰始之《ヤスミシシ》・和我於朋枳瀰波《ワカヲホキミハ》・于倍儺《ウヘナ》々々々・和例※[馬のような字]斗波輸儺《ワレヲトハスナ》・阿企兎辭摩《アキツシマ》・耶莽等能倶珥々《ヤマトノクニヽ》・箇利古武等《カリコムト》・和例破枳箇儒《ワレハキカス》・焉。
右ヤスミシヽト云詞ハ明鏡也。此外日本紀曰(ク)、或ハ野須彌斯志《ヤスミシシ》、或ハ安見師志《ヤスミシシ》ナト處々多之1矣。
 
   夷都
常集第十八卷歌云
 アマサカルヒナノ都夜故《ミヤコ》ニアメ人ノカクコヒスラハイケルシルシアリ
夷ノ都トハ諸國(ノ)々府《コクフ》也。是|田舎《イナカ》ノ都(ニテ)、國司ノ在所ナル故ニ申也。君トハ王者ヲコソ申(トモ)、分々ニ隨テ五位ニ至ルマテモマウチ君ト申カ如ク也。又都夜故ト書テミヤ(84)コトヨムコトハ二字アマルニニタレトモ、傍例モアルニヤ。後岡本ノ朝|左《臣歟》大臣|大紫蘇我連《オホムラサキノソカノムラシ》或ハ蘇我連羅志《ソカノムラシ》ト書リ。又當集十六卷能登國ノ歌ニ、ツヽキヤフリト云フ句ヲ、都追伎破夫利《ツヽキヤフリ》ト書(リ)。破ノ一字ニテ可v足。然而夫利ノ二字ヲソヘタリ。可准知之1矣。アメ人トハ王城ノ人ヲ敬フ言ハニテ、天人ニナスラヘテ云(フ)也。歌ノ心ハ、カヽルヒナノ都(ニ)アレトモ、都ノ人ノ戀シトイヘハ生ルカヒアリトヨメルナルヘシ。
 
   久堅天
此詞ハ久(ク)堅キ也。世界建立(ノ)時|渾混二義割《コントンジギノワカレテ》、澄《スメルハ》登テ天、濁ルハ降テ地トナル。地ハ是常住ナラサレハ、三|災懷劫《サイエコウ》ノ時ハ劫火(ニ)燒テ塵灰《チリハイ》トナルヘシ。天ハ則住劫廿番(ノ)時(ノ)彌勒慈尊(ノ)出世(シ)玉ハム曉ノ天マテ破ルヘカラス。鑽《キレ》ハ彌堅《イヨ/\カタシ》。仰ハ彌高(ト)云カ如シ矣。
當集第十三卷ニハ久堅(ノ)都ヲトオミ草枕トモヨメリ。コレハ久ク遠キ方ト云リ。聊哥ノ心コトナルヘシ。
 
   豐旗雲
 ワタツミノトヨハタ雲ニ入日ネシコヨヒノ月ヨスミアカクコソ
歌(ノ)註(ニ)曰、豐旗《トヨハタ》雲(ハ)古語海雲也矣。夕日ノホトリニ、赤雲ノ旗ノ手ノ如ナルカ、漫々(ト)晴タル海上ニ浮ル也。是則月光清カルヘキ故也。ネシト云ヘルハ寢《ネヌル》義也。六臣註
文選(ニ)曰(ク)、寢者息《シンハソク》也。寢所休所《シンシヨヤスミシヨ》同意、歌(ノ)心(ハ)、日モ天ノ行度ヲ、ハル/\ト廻テ入日(ニ)ナリヌレハ、閑《シツカ》ニ息《ヤスミ》玉フト云フ言(ハ)也。此歌入日サシトテ玉葉集ニ入ラレタリ。旗ト云フ言(ニ)因テ尤|縁《ヨセ》アル物也。本集ノ言ヲスコシ引カヘテ、代々撰集ニ入ルヽコト是先規也矣。ワタツウミ同詞(ハ)也。知《和歟》(ハ)廻レル義、須彌四域ヲ遶ル。太(ハ)タヽヘ《湛》タル言(ハ)也。津(ハ)休(メ)字、宇(ハ)多ノ義、三《ミハ》水也。海神《ワタツミ》、海童、海底、渡海、海若ナトワタツミトヨ○《メ歟》リ。龍宮ハ海底ナル故也。喜撰式云、海底ヲワタツミト云(フト)云云。又第三卷、ワタツミノ手ニマカシタル玉タスキカケテシノヒツ大和嶋根ヲトヨメル、手トツヽキタルハ、綿ツム手トツヽキタルニヤ、海童ノ手(ニ)マキタル玉トツヽクルニヤ、(85)可v任2心ノ縁《ヨセニ》1焉。然者ワタツミトハ龍神(ト)申(ト)聞エタリ。古今集歌
 ワタツミノカサシニサセル白妙ノ浪モテユヘルアハチシマ山
 ワタツミ《新六 天ノ原ィ》ノトヨハタ雲ニ鳴神ノヲトスキヤラヌ夕立ノ空               信實
 
   日經緯
當集第一卷藤原宮御井歌【在大和國高市郡】
 日ノ本ノ・青香具山(ハ)・日ノ經ノ・大御門ニ・春日山路《・一本春ノ山路トアリ》・シニ《(マヽ》サヒタテリ・畝火ノコノ水山(ハ)・日ノ緯《ヌキ》ノ・大御門ニ・水山ト・山サヒイマス・耳高ノ・青菅山ハ・背友《ソトモ》ノ・大御門ニ・ヨロシナヘ・カミサヒタヲリ・名タヘナル・吉野ノ山ハ・影友《カケトモ》ノ・大御門ニ・高シルヤ・天ノ御影・天知ルヤ・日ノ御影ノ・水コソハ・トキハニ・アラ|《(マヽ)》御井ノ清水・矣
右藤原ノ宮ニ束西南北ノ大御門ヲ立ラタリ。初(ノ)二(ハ)日(ノ)經緯《タテヌキ》ニヨリテ方角ヲアラハセリ。後ノ二(ハ)山(ノ)陰陽《インヤウヲ》定(ト)見ヘタリ。因v茲日本紀第十一卷曰、以(テ)2東西(ヲ)1爲(シ)2日(ノ)縱《タテト》1、南北(ヲ)爲(ス)2日(ノ)横《ヨコシマト》1。山|陽《ヤウヲ》曰2影面《ケケトモト》1。山|陰《インヲ》曰(フ)2背面《ソトモ》1。是(ヲ)以(テ)百姓安居《ミタカラスミヤスシ》。天下《アメノシタ》無《ンシ》v事《コト》焉。今考(テ)v之曰(ク)、此日(ノ)經緯《タテヌキ》異朝(ノ)依v水(ニ)隨v山(ニ)陰氣陽氣《インキヤウキ》アリト云ヘル同(シ)v之。凡其地形不2一准1。山|陽《ヤウ》山|陰《インノ》事難(キ)2心得1者(ノ)歟。水(ノ)陰《イン》ハ山(ノ)陽《ヤウ》也。山(ノ)陽(フ)亦水(ノ)陰也。坎離《カンリ》可2隨之(ニ)1。加之|就《ツク》2方角山|川《センニ》1時(ニ)陰陽之義在之。故ニ陰陽論|斷《タンノ》卷(ノ)謌《ウタ》陽山(ニ)曰、乾甲坤乙
屬《ケンカウコンヲツシヨクスル》何(ノ)方(ニカ)1。坎癸申辰《カンキシシン》一|樣装《ヤウニヨソフ》。吏《マタ》與《ト》v離《リ》壬寅午戌《シンインコシユツ》、和(シ)v山(ヲ)和(シ)水(ヲ)一時(ニ)陽《ヤウナリ》。同卷(ノ)謌(ノ)陰山(ニ)曰(ク)、艮丙巽辛《コンヘイソンシン》何(レノ)處(ニカ)尋(ネン)。兌丁己丑盡同林《タイテイキシンコト/\クトウリンナリ》。更《マタ》與2震庚《シンカウ》1亥卯未《シンハウヒ》和v山和v水一時(ニ)陰(ナリ)云云。是(レ)大國|謌《ウタ》也。巨細略v之。倩《ツラ/\》案(ルニ)2此日(ノ)經緯(ヲ)1水陰山陽ヲヨメルナルヘシ。後人能(ク)可3得2其心(ヲ)1者歟矣。任(テ)2本書文(ニ)1記v之。
 
   月桂
當集第四卷、湯原王歌曰贈娘子
 メニハミテ手ニハトラレヌ月ノ内ノ桂ノコトキ妹ヲイカニセム
(86)月内(ノ)楓ノ事|兼明苑《ケンメイエンニ》曰(ク)、月内(ノ)桂長(サ)二百五十丈、月(ノ)輪(ノ)内(ニ)有之。下《モトニ》有v河。此ノ木秋花|開《ヒラク》矣。安天論ニ曰(ク)、月中(ニ)仙人桂樹(アリ)。初生《ハシメオフレハ》仙人(ノ)足|看《ミユ》。後(ニ)成2桂樹(ト)1。下(ニ)有(リ)v河。々(ノ)上(ヘニ)有2桂樹1。高《タカサ》五百丈。桂樹(ノ)下(トニ)有v人。斫《キル》樹(ヲ)1。呉剛父《コカウト云フ》矣。淮南子《ワイナンシニ》曰(ク)、〓《ケイト》云フモノ請《ウク》2不死ノ樂(ヲ)於西王母(ニ)1。〓(カ)妻《メ》恒娥《コウカト》云フモノ竊《ヌスミテ》之(ヲ)1服《ブクシテ》忽ニ得v仙(ヲ)。入(テ)2月宮(ニ)1成《ナル》2蟾蜍《センシヨト》1。棲《スム》2桂樹(ノ)下《モト》1焉。太平廣記(ニ)曰(ク)、唐(ノ)玄宗皇帝開元六年八月十五夜(ニ)羅公遠《ラコウエン》侍(テ)2禁中(ニ)1翫(ソフ)v月(ヲ)。于v時羅公袁桂(ノ)枝(ヲ)投(ク)v天(ニ)。化(シテ)作(ル)2銀橋(ト)1。玄宗|踏《フンテ》2此橋(ヲ)1登(リ)2月宮(ニ)1、恒娥《コウカ》看《ミテ》2霓裳羽衣《ケイシヤウウイノ》曲(ノ)舞(ヲ)1、寒氣《カンキ》甚(タ)白露|霑《ウルホス》v袖(ヲ)。故(ニ)則|婦《・(マヽ)》(リ玉)2下界(ニ)1矣。彼舞ヲハ揚貴妃傳(フ)v之(ヲ)云云。此(ノ)花春(ル)開秋|實《ミ》ナルトモ、又秋勅花|發故《ヒラクルユヘ》月光|彌映徹《イヨ/\エイテス》ストモ焉。
 
   七夕姫
當集第十卷七夕歌九十八首
 ハタモノヽフミ木モテイテ天ノ川打橋ワタス君カコムタメ
織女《タナハタ》トハ機《ハタ》ヲ織ル名也。タナトハソラト云フ言(ハ)也。タナクモルト云フモ天ノクモル也。家具《ケク》ノ棚ト云(フ)モソラニツル故也。タナ橋モ兩岸|桁《ケタ》ノ上ヘニ板ヲ打渡ヲ云也。然者タナハタトハソラノハタト云フコト也。或先達云、七夕ツメトハ七夕嬬ト云言(ハ)也。ツマトハ夫ヲモ申詞ナレハ彦星《ヒコホシ》也云云。此義不可然歟。七夕ツメトハ姫ト云(フ)詞也。其故ハ當集第八卷山(ノ)上(ノ)臣憶良カ歌曰、
 彦里ト・七夕ツメト・天地ノワカレシ時ユ・イナ後・河ニムキタチ・思ソラ・ヤスカラナクニ・歎クソラ・【已下略之】
 彦星ト七夕ツメトコヨヒアハム天ノ河戸ニ浪タツナユメ
※[手偏+僉]2古語拾遺1曰、于時天照大神|赫怒《アカリマシテ》入《イリ玉》2于天(ノ)石窟《イハヤニ》1、閇《トチテ》2磐戸《イハトヲ》1幽居《カクレマス》。爾即六合常闇晝夜不v分《シカウシテクニノウチトコヤミニシテヨルヒルワカタス》。群神愁迷手足困※[ガンダレ+昔]《カンタチウレエマトイアシテノオキトコロナシ》。高皇産靈神《タカミムスヒノミタマノカミ》會《ツトヘテ》2八十萬神於天八湍河原《ヤヲヨロツノカミヲアマノヤスカハラニ》1議《ハカラフ》2奉謝之方《イノリノハウヲ》1。鑄《イサシメ》2日像《ヒカタノ》鏡(ヲ)1、青和幣白《アヲニキテシラ》和幣|笠矛盾刀斧鉾等雜物《カサホコタテタチヲノホコラクサ/\ノモノ》、又令d天羽槌碓神《アマノハツチウスノカミヲ》織《ヲラ》c文布《アヤヌノヲ》u、令《シテ》d天棚機姫神《アマノタナハタツメノカミヲ》1織(ラ)c神衣《カンミゾヲ》u所謂和衣《イハユルニキタヘ》矣。七夕天上ニシテ日神ノ御衣織《ミソヲヲリ》玉ト見エタリ。隨而
(87)當集第十卷歌曰
 七夕ノ五百機《イホハタ》タテヽ織ル布ノ秋サリ衣タレカトリミム
七夕ツメハ七夕姫ノ支證明白也。寧彦星機織《ムシロヒコホシハタヲル》ヘシヤ。牽牛織女メ神ヲ神ノ事、古物語アリトイヘトモ、作者未勘之1。故不載之1焉。金谷園(ノ)記(ニ)曰(ク)、漢武帝|張騫《チヤウケンヲ》使トシテ、令(ム)3極《キハメ》2銀河《アマノカハノ》源(トヲ)1。騫《ケン》到2牽牛國孟津《ケンキウコクマウシニ》1。時(ニ)織女《タナハタ》河(ノ)邊(リニ)洗(フ)2身(ヲ)1。問曰(ク)、何故(ニ)至(ル)v此(ニ)乎。騫(カ)曰(ク)、依(テ)2漢帝(ノ)勅(ニ)1欲(ス)4令3極2銀河(ノ)源(ヲ)1。織女(ノ)曰(ク)、不v可《アル》2極《キハムルコト》1。速(ニ)皈《カヘテ》親《マミヘヨ》2漢帝(ニ)1。與《アタフ》2一(ノ)槎《ウキヽ》一(ノ)恠《クワイ》石(ヲ)1。騫《ケン》還《カヘテ》2下界(ニ)1獻(ス)v帝(ニ)。東。方朔(カ)云、此(ハ)是(レ)織女(ノ)支機石《シキイシ》也矣。經《ヘテ》2三年(ヲ)1皈(ルト)云云。【漢帝妃宮以(テ)2此支機石(ヲ)1※[金+希]織始可詳】乞巧奠《キツカウテンノ》事風土記曰(ク)、七月七日|牽牛織女《ヒコホシタナハタ》會|交《カウス》。以(テ)2此(ノ)日之夜半(ノ)時(ヲ)1於(テ)2庭中|欄格席《ランカクノムシロニ》1、藉《シキテ》2白茅《ハクハウヲ》1安2置《アンチ》酒脯及糖※[米+各]雜菓《ホヲヨヒタウラクサウクワヲ》1祭(ル)v之(ヲ)。所願即隨願而待矣。長恨歌曰、秋七月七日牽牛織女相(ヒ)見(ル)夕《ユフヘ》、秦人《シンヒト》風俗(ナレハ)是(ノ)夜《ヨ》張《ハリ》2錦繍(ヲ)1陳《ツラネ》2飲食《インシヨクヲ》1、樹《タテ》2爪華《・(マヽ)》《クワクワヲ》1焚《タク》2香(ヲ)于庭(ニ)1。號爲(ス)2乞巧《キツカウト》1焉。初學記曰、庭(ニ)施《シキ》2几莚《キエンヲ》1設《マウケ》2酒藥(ヲ)1、散《サンシ》2香粉《カウフンヲ》1河皷《カコト》織女(ト)二星(ノ)神《カミ》當《マサニ》v會(ス)。手洗《タライニ》入v水(ヲ)移《ウツス》v影(ヲ)。守(テ)夜|壞《・(マヽ)》《イタイテ》2私願(ヲ)1天漢(ノ)中(ニ)奕々《エキ/\タル》正日(ノ)氣《キ》五色也。以(テ)v此(ヲ)爲(ス)v徴《シルシト》。見(ル)物《モノ》拜v之乞v富乞v壽乞v子。唯《タヽ》乞v一(ヲ)。不3得2兼求1スルコトヲ焉。荊楚記曰、此(ノ)祭時|陳《ツラネ》2爪菓《クワクワヲ》1於2庭中1乞巧時、有(テ)2※[虫+喜]子《キシ・クナリ》1爪《・(マヽ)》上網《ウリノウヘニアミスレハ》以(テ)爲(ス)v得(ト)矣。
 天ノ河紅葉ヲ橋ニワタセハヤ七夕ツメノ秋ヲシモマツ
鵲ノ橋ノワタリニタナハタハ夜モフケヌトヤユフケトフラム                   俊惠
 天ノ川月ノ御舟ノヽホリセニミカクヒカリヤワタス玉橋
              中務卿ミコ
 銀河《アマノカハ》トワタル舟ノカチノ葉ニイク秋カキツ露ノ玉ツサ              五條三品
 
   天在一棚橋
當集第十一卷歌曰
 アメニアルヒトツタナハシイカテユクラムワカ草ノツマカ|イ《(マヽ)》トイフ足ヲウツクシ
一タナ橋(ノ)事或先達(ハ)天ニアル日トツヽケタリト。或先達(88)ハ山合ナトニ高(ク)渡セル橋也ト云フ。今考之云、第十卷七夕歌云
 天ノ河棚橋ワタス七夕ノイワタラサムニ棚橋渡ス
一タナハシト云フニ知ヌ、天河ノ橋也。アメニアルトヨメリ。不可及2※[米+斤]簡(ニ)1者乎。凡(ソ)銀漢ニハ浮橋、玉ノ橋、打橋、棚橋、鵲橋、鵲寄羽橋、黄椋、ナトヨメリ。皆此類也。
 
   時津風
當集第六卷、大貳小野老朝臣歌曰
 時ツ風フクヘクナリヌカシヰカタシホヒノキハニ玉藻カリテナ
此風ハ四季ノ内イツレノ時ニテモ吹ツヽキタルヲ云フ也ト申タリ。或云、十一月ノ風也ト。其故者時雨霰フリツヽキテ荒ヲ云也ト。然而古今六帖ニ秋風ノ題ニテ
 ウチハフキ雁ソキヌラシワキモコカ衣ノヒモヲ時津風フク
今考v之(ヲ)曰(ク)、時津風ト者大風也。其名亦四時(ノ)風也トモ云(フ)歟。隨而時世(ノ)吉凶以之可v計(ル)者也。是以軍勝。第七卷立春注(ニ)曰(ク)正月戊申二月己酉三月庚戍有|暴《ホ》風1。從東1來(ル)。七日不(レハ)v止|兵起《ヘイヲコル》。立夏立秋立冬等之暴風依v時隨v節吉凶亦如是。余(ハ)以之可准知。然者此風ヲハ漢朝ニハ四時ノ風ト云フヲ、和國ニハ時津風ト云ナルヘシ。
 
     交畢
詞林釆葉抄第六
 
(89)詞林釆葉抄第七
 
  玉鉾道  雲?玉 鳥羽玉
  玉勝間  玉箒  玉剋春
  劔刀   山多豆 角郭經
  烽燧火  防人  橡衣
  髪梳小櫛 比禮麾 日本琴
  五手船  水手  水砂兒居
  必志   歌方
 
   玉鉾道
當集第十一卷歌曰
 玉鉾ノ道行占ニウラナヘハイモニアハムト我ニイヒツル
玉鉾ノ道先達トカク申アヘル事不一准。一(ニハ)昔(ハ)刀《タチハ》稀也。仍|非職《ヒシキ》ノ者ハ甲乙ヲキラハス鉾(ヲ)持ケル(ニ)、遠近ヲイハス、道ヲアリクトテハ桙ヲツキテ兵具トセリ。然間人ノ亭ヘ入テハ、此鉾ヲ妻戸立ソヘテヲキケルカ、キスノツキケル故ニ、ソレヲカクサントテホウタテヲハ・シハシメタリ。サレハホウタテハ鉾立《ホコタテ》也。依之鉾ハ道ノシルヘト申也。玉ハ褒《ホムル》言也。或云、漢ノ高祖|項羽《カウウ》ト戰コト七十余度(ノ)時、玉鉾トテ玉カサリタル鉾アリ。是高祖ノ兵機《ヘイキ》ノ第一ノ重寶也。合戰破レテ軍共散々(ニ)ナリケル時、此玉桙ヲ阡《チマタ》ニ立テケレハ、高祖ノオハスル方ヘ鉾ノ向ケレハ、是ヲシルヘニテ尋行ケリト申。此説末v詳可尋之(ヲ)1。當集庭訓云、桙(ニ)鞘《サヤ》アリ柄《ツカ》アリ身《ミ》アリ。然者桙ノ身トツヽクル也云云。鞘トツヽケタル歌、當集第十一卷歌曰、
 トヲクアレト君ヲソコフル玉梓ノ里人ミナニ我コヒメヤモ
サヤヲ略テサトツヽケタリ。古歌ノ躰如斯。今考之云、日本紀第一(ニ)曰(ク)、伊弉諾伊弉册尊立2於天(ノ)浮橋之上(ニ)1、共(ニ)計曰《ハカリノ玉ハク》、底下豈《シタツソコニアニ》無《ナカラン》v國《クニ》歟《ヤトテ》、廼《スナハチ》以2天之瓊《アメノヌ》【玉也此ニハ云|奴(ト)1】矛《ホコ》1指(シ)下テ探《カキサクル》v之(ヲ)、是(レ)獲《エタリ》2滄溟《アオウナハラヲ》1。其(ノ)矛鉾滴瀝《ホコノサキヨリシタヽル》(90)之|潮嶋《ウシホシマトナル》。名2之|〓〓廬嶋《ヲノコロシマト》1。於是|降《アマクタリ》2君彼嶋(ニ)1。因(テ)欲共夫婦《ミトノマクハヒシテ》産2生《アレマス》洲國《クニツチヲ》1。便《スナハチ》以2〓|〓《(マヽ)》嶋1爲2國(ノ)中(ノ)之|桂《ミハシラト》1矣。
右|瓊矛《ヌホコ》是玉鉾也。則天地人之始(メ)也。仍王臣(ノ)道(ノ)々タルコト以v矛(ヲ)爲v始(ト)。故ニ玉桙ノ道ト申也焉。此心ヲヨセマシ/\ケル後嵯峨院御製
 久方ノアメヨリクタス玉桙ノ道アル國ソ今ノ我カクニ
然而當集ノ庭訓ナレハ、玉桙ノ身可信用之。
 夏草ハシケリニケリナ玉桙ノ道ユキ人ノムスフハカリニ
 玉桙ノ道行人ノコトツテモタエテヒサシキ五月雨ノ比                    京極黄門
玉桙ノ道トツヽカヌ歌
 玉桙ヤオホクノ民ノ龍ノ市ニクルレハ皈ルコヱキコユナリ
             順徳院御歌
 玉桙ノ手向ノ神モ我コトク我思フコトヲ思ヘトソ思フ
             貫之
 コノホトハシルモシラヌモ玉桙ノユキカフ袖ハ花ノカソスル                         家隆
 
   雲聚玉
當集第十二卷歌曰
 五十串タテ神酒《ミワ》スヘマツリ神主ノウスノ玉カケミレハトモシモ
ウスノ玉ノ事先達ノ尺シタルハ、田夫カ田作ルトテ、水口祭《ミナクチマツリ》スルニハ、幣ヲ五十立テ三木ヲタムケテ祭ル也。ウスノ玉トハ、豆ヲ貫《ツラヌキ》テモリアケタルカ、中ハホソクテ臼《ウス》ノヤウナレハ、ウスノ玉ト申也云云。此義ムケニヲシハカリノ事ニヤ。五十串《イクシ》ト書タレハトテ五十ニハカキルヘカラス。只幣ハサミタル串ヲイクシト申也。ウスノ玉トハ、昔官位ノ階《シナ》ニ隨テ冠ニ鈿《ウス》ヲ着ケリト見エタリ。ウストハカンサシ也。ミレハトモシモトハメツラシト云(フ)言(ハ)也。日本紀第廿卷、推古天皇(ノ)御宇十一年十二月戊辰朔壬申始(テ)行《ヲコナハル》2官位(ヲ)1。大徳小徳(91)【今者四位也】大|仁《シン》小仁五位大禮小禮六位大信小信七位大義小義八位大智小智初位並(ニ)以2十二階(ヲ)1當色|絶《・(マヽ)》縫《タウシキヌキテヌヘリ》之。頂※[手偏+※[うがんむり/取]]※[手偏+總の旁]《イタヽキトリスヘテ》如(ク)v嚢《フクロノ》而|着縁《ツケタリモトヲリ|テ《(マヽ)》》焉。唯元日ニハ着《ツケタリ》2髪花《カウスヲ》1【髪花此ヲ云宇須(ト)1矣】。同第廿五卷、孝徳天皇御宇|制《ソヘタリ》2七色十二階之冠(ヲ)1。其冠之|背《ウシロニハ》張《ハリテ》2漆羅《ウルシヌリウスモノヲ》1以(テ)v緑《ミトリ》而|鈿《ウスニハ》異《コトニス》2其(ノ)高下《タカキヒキヲ》1。形(チ)似(タリ)2於|蝉《カサリクシニ》1。小錦(ノ)冠《カフリ》以上之|鈿《ウスハ》雜《マシヘテ》2金銀(ヲ)1爲(ス)v之(ヲ)。大小|青冠《セイクワン》之|鈿《ウスハ》以v銀(ヲ)爲v之(ヲ)。大小黒冠之鈿以v銅(ヲ)爲v之(ヲ)。建武《ケンフノ》之冠(ハ)無v鈿《ウス》矣。官位ニ随テ冠ニ鈿ノ玉ヲ着ト見エタリ。然社官モ此冠ヲキタルヲウスノ玉懸トヲメル也。爰ニ以當集第十九卷歌曰、
 嶋山ニテレル橘ウスニサシツカヘマツルハマウチキミタチ
月卿雲客ノ冠ノカサリニ花橘ヲサスト聞タリ。臼《ウス》ノ義返々見苦キ※[米+斤]簡也焉。
 
   烏羽玉
當集第七卷歌曰
 ヌハ玉ノ我黒カミニフリナツムアマノ露霜トレハキエツヽ
喜撰式云(ク)、夢ハヌル玉、夜ハヌハ玉、髪ハウハ玉(ト)云云。然而當集ニハ大略ヌハ玉ト點シテ義ヲハ様々ニ申カヘタリ。隨而カキ樣アマタアリ。烏羽玉、烏玉、黒玉、夜于玉、野于玉ナト書リ。野于玉ト云コト、狐ハ百|才《サイ》經ヌレハウハノ姿ニナル故ニ如此書ルト申。又順カ和名、烏扇射于《カラスアウキニヤカン》トモカケリ。此ノ聲カリテ野于トハカケル也。其故ハ、カラスアフキハ、ミハ票玉ノ樣ナレハ也云云。又烏ノ羽ニ黒キ玉アリテ、日ニ近付ハ一天クラクナリケルト云フ古物語アリ。烏ト云フ字ヲハクロシトヨメハ黒玉也。又或云鵜羽玉ト云也ト。皆黒ト云(フ)詞也焉。
 ムハ玉ノ我黒カミヤカハルラム鏡ノカケニフレルシラ雪
               貫之
 ムハ玉ノヤミノウツヽノウカヒ舟月ノサカリヤ夢モミユラム
               家隆
 山タカミ嵐フキヽテムハ玉ノ黒木ノ寝屋ハイカヽサ(92)ムケキ                        中院亞將
花鳥モミナユキハテヽムハ玉ノ夜ノ間ニ今日ノ夏ハキニケリ
               助定
 
   玉勝間
當集第十二卷歌曰
 玉カツマアハムトイフハタ|ヒ《(レィ)》ナルヤアヘル時サヘオモカクレスル
此集ニ玉カツマトヨメルハ、女也トモ、又タ戀ヲ云也トモ申ハ、今ノ歌ノ心ヲ※[米+斤]簡セル也。同卷歌曰
 玉カツマアヘ嶋山ノユフ露ニタヒネハエスヤナカキ此夜ヲ
此歌ニテハ玉カツマハ戀ノ魂ノアヘキアリクヲ申トモ云ヘリ。雖然美作國風土記曰、日本武尊櫛ヲ池ニ落シ入玉。因テ號(ク)2藤間田ノ池(ト)1云云。此ハ勝間ハ櫛古語也ト見タリ。隨而第十二卷歌云
 玉カツマ嶋熊山ノユフクレニヒトリヤ君カ山路コユラム
此歌ハ櫛ノ齒ノツケキトツヽクル也。シマハシケキ言也。又玉カツマトハ玉匣也。然ハ玉カツマアハムト云(フモ)、アヘシマ山ト云(フモ)アフ言ハナルヘシ。サレハ當集中ニ玉カツマノ歌ハ皆此兩義ヲハイツヘカラサル物歟。
 
   玉箒
當集第廿卷於2内裏1賜《タマフ》2玉箒(ヲ)1右中辨家持歌曰
 ハツ春ノ初子ノ今日ノ玉ハヽ木手ニトルカラニユラク玉ノヲ
俊頼朝臣玉箒ヲ尺云、正月初子ニ蓍《メトト》云(フ)草ヲ小松ニ付テ、コカヒスル屋ヲハケハ、ホメテ玉箒ト云也云云。然而今ノ歌ハ稱徳天皇御宇天平寶字二年正月三日、召《メシ》2侍從堅子《マウキンタチ》王|等《ラヲ》1令3侍《ハンヘテ》2於内裏之東|屋垣下《ヤカキノモトニ》1、即(チ)賜《タマフテ》2玉箒(ヲ)1肆宴《トヨノアカリキコシメス》。于時|内相《タイシヤウ》藤原(ノ)朝臣|奉《ウケ玉ハテ》2勅宣(ヲ)1諸王卿等《スキミマチキンタチヲ》隨(テ)v堪《タフルニ》ニ任v意(ニ)歌並(ヒニ)賦(ス)v詩《シヲ》。仍(テ)應(シテ)2詔旨(ニ)1各|陳《ノフ》2心緒(ヲ)1作v歌(ヲ)賦(ス)v詩(ヲ)矣。然者|養女熊《・(マヽ)》《カイメカワサ》ニカキルヘカラス。就中當集第十六卷歌曰
(93) 玉ハヽ木カリコ鎌丸ムロノ木トナツメカモトヽカキハカムタメ此歌ハ玉箒ト|モ《云歟》草アリト見タリ。鎌ニテカルヘキ故、彼志賀寺ノ上人|宮息所《ミヤストコロ》ノ御手(ヲ)賜テ、此歌ヲ詠シケル、當所誦詠ト申ナカラ心ノ中哀ニコソ。
 玉ハヽキトル手モユラニ契ヲキテイク世子ノ日ノ春ニアフラム
 
   玉尅春
玉キハルト云フ言、歌ニヨリテ可心得1也。
當集第一卷歌曰
 玉キハル内ノ大野ニウマナメテアサフマスラムソノ草フケ野
玉キハルト云フコト、一(ツ)ニハ玉|極《キハマ》ル内裏ト云也。莊嚴極ルト云也。内日サスト云フ同心也。文選(ニ)曰(ク)、晨
光内照流景外※[火+延]《シンクワウウチニテスシテリウケイホカニヒラメク》云云。玉樓金殿也。一ニハ黄帝ノ臣下|  蛍尤琢鹿野《シユウタクロクノ》ニテ討《ウチ》タリシ眼ヲ毬打《キウチヤウ》ノ玉ニシテ打コトヲ玉木ハルウツト云フ也。玉木ハルユフサリクレハト云フ歌ハ、魂《タマシイ》キハマリシツマリテ、夜ニナルト云(フ)心也。又玉キハル命ト云フ歌ハ、玉シヰキハマリテ命ツキヌルト云也。當集第|六《(マヽ)》歌
 玉キハル命ハシラス松カエヲムスフ心ハナカクトソ思フ
 玉キハル我身時雨トフリ行ハイトヽ月日モオシキ秋カナ
               京極黄門
 玉キ破我屋ノ上ヘニタツ霞タチテモヰテモ君カマニ/\
 
   角障經《ツノサフル・ツノサハフ》
當集第二卷歌曰
 ツノサハフ石見ノ海コトサヘクカラノサキナルイク 《リ歟》ニソフカミルヲフル云云
角※[章+おおざと]經、此訓、スミサヘシ、ツノサフル、カクサフル、ツノサハフ。古點如斯。然而ツノサハウト可訓也。其故者日本紀曰、大鷦鷯天皇卅年甲寅朔庚申、天皇|浮江《カハフネヨリ》幸(マス)2山|背《シロニ》1。時(ニ)桑枝《クワノエタ》※[さんずい+公]《シタカテ》v水(ニ)而流ル。 天皇(94)|視《ミソナハシテ》2桑枝(ヲ)1而|歌之曰《ミウタヨミシテノ玉ハク》。兎怒槎破赴以破能臂謎餓飫朋呂加珥枳許瑳怒于羅|患《・(マヽ)》破能《ツノサハフイハノヒメカオホロカニキコサヌウラクハノ》紀【已下畧之】
角サハフハ多ト云フ言也。石ハツノ/\トシテ多ク指出タルカトノアル也。又カモシヽト云モノハ角ヲ岩ニカケテヌル也。ソレヲサハルト申歟。多キヲサハト云フ言(ハ)日本紀ニモ當集ニモ處々ニ多之。又鹿ハ木草ノ中行ニハ角サハレトモトヽコヲラス、岩ナトニサヘツレハ行コトナキヲ角サハフト申トモ云フ。イクリハ石也。イハ發語、クリハ石也。北國ノ俗言也。
 
   劔刀
當集第七卷歌曰
 ツルキタチモロハノトキニ足ヲフミシニヽモシナム君ニアハスハ
釼刀トニハアラス、兩方ニ刃ノアル也。釼ト云(フ)物ニニタリ。ツハニハアラテワサ/\トシタル輪ノアル也。浦鳴子ノ返哥云
 トコシヘニスムヘキ物ヲ劔刀我心カラヲ|ハ《(マヽ)》ヤコノ君
是モ輪トツヽケタリ。狗《コマ》釼ト申ハ柄ヲ長クシテ輪ノ有ル也。狗釼和佐美《コマキワサミ》カ原トヨメル是也。玉釼トヨメルハ只ホムル言(ハ)也。李喬《リケウ》カ百詠ニ曰、帶《オヒテ》v鐶《クワンヲ》疑《ウタカフ》2寫《ウツスカト》v月(ヲ)1引(テハ)v鏡(ヲ)似(リ)2含(ムニ)v泉(ヲ)1。註(ニ)曰、刀頭《ツルキノカシラニ》有(リ)v鐶《クワン》似(リ)v月(ニ)刀《・(マヽ)》有2水(ノ)文《モン》1矣。世人釼刀(ト)云(ハ)只普通ノ釼ト許《ハカリ》心得タリ。又釼ト刀(ト)二物ト心得ル|ニ《(マヽ)》不(ル)3伺《ウカヽハ》2當集(ヲ)1之故也。
 
   山多豆
當集第二卷、衣通王歌曰
 
 君カユキケナカクナリヌ山ダ《・(マヽ)》ヅノ《タツネ異本歌》ムカヘカユカムマチニハマタシ
歌註曰、山多豆者是今|造木《サウホク》者也矣。言者|斧鉞《ヲノマサカリ》ヲ申也。ヲノマサカリハ外ヘヤレトモ我身ヘノミ向(フ)物也。傍ヘ行コト無v之、因v茲※[手偏+僉]2異朝(ヲ)1云、六|韜《タウ》曰、將軍|受《ウケテ》v命(ヲ)乃(チ)齊(シテ)2於|太《タイ》廟(ニ)1擇《エラヒ》v日|授《サツケ》2斧鉞《フエツヲ》1、君入(テ)v廟(ニ)西(シ)面(テニシテ)立《タツ》。將軍入北(タ)面(ニシテ)而立。君(ミ)親《マノアタリ》操《トテ》v鉞《エツヲ》持(テ)2其(ノ)首《カシラヲ》1授(テ)2其(ノ)柄《エヲ》1曰、從v此|以往上《カミツカタカミ》至(マテ)2於天(ニ)1將軍|制《セイセヨト》v之(ヲ)。既(ニ)受《ウケテ》v命(ヲ)曰(サク)、臣《シン》聞《キ》、治(ムルコトヲ)國(ヲ)1不4可3從2外1。治(ムルコト)v軍《イクサヲ》不4可3從《シタカウ》2中《ウチニ》1。御《キヨシテ》2二(95)心《フタコヽロヲ》1不《ス》4可《アルヘ》3以(テ)事《ツカフルコト》2君(ニ)1。凝《コラシテ》v志(ヲ)不《ス》v可《ヘカラ》3以(テ)應《ヨウス》2敵《テキニ》1。臣既(ニ)受v命(ヲ)。專(ニシテ)2斧鉞之威(ヲ)1不2敢(ヘテ)還《カヘラ》1云云。是則以2斧鉞(ヲ)1定(ム)v契《チキリヲ》1。行留《ユクモトマルモ》同心ヲシルト云也。仍(テ)和漢心同司シ物也。日本紀曰、景行天皇御宇爲(ニ)2東夷征伐(ノ)1日本武尊(ト)下向之時、天皇|手《ミテツカラ》持(テ)v鉞(ヲ)授(ケテ)v尊(ニ)曰(ク)、我(レ)聞(ク)蝦夷夏《エヒスハナツハ》栖《スミ》v巣《スニ》冬(ハ)臥《フス》穴(ニ)1登(ルコト)v山(ニ)如(シ)2飛鳥(ノ)1。行(クコト)v草(ヲ)如2走《ハシル》獣(ノ)1。惠(ヲ)得《エツレトモ》忘《ワスレ》v恩(ヲ)、恨(ヲ)得酬《エツレハムクユル》者也。是ヲ討《ウタン》トスレハ隱草、是《(マヽ)》追ハムトスレハ入山。今(マ)汝《ヤツカレヲ》見ルニ、形(チハ)朕《チンカ》子ナレトモ實神靈《マコトハシンレイ》也。天下ハ是|汝《ヤツカレカ》天下也。兵《モノヲ》煩《ワツラ》ハサスシテ夷《エヒスヲ》征《タヘラ》クヘシト云云。是則符2合(ス)六|韜《タウニ》1。或抄云、山多豆トハ山田ヲ守ルシツ也ト。隨而古人小田ヲモル山タツトヨメル歌侍ルニヤ。是今案ノ推量也。出所何ノ集ソ乎。就中右歌ノ異本歌ニ、山タツネムカ|ヒ《(マヽ)》カユカントヨメリ。非2人ノ名1ニハ歟。昔者萬葉无沙汰之故ニ古來ノ先達等多(ク)令(ル)2蹉路《シヤロ・ミチタカヘ》1者也矣。
 
   ※[火+逢]燧火
當集第六卷、悲(シム)2寧樂故《ナラノコ》郷(ヲ)1歌
 イコマ山・飛火カクレニ《カクマニイ訓》・ハキノエヲ・シカラミチラシ・サホシカハ・ツマヨヒトヨミ・山ミレハ・山モミカホシ・里ミレハ・サトモスミヨシ・云云
國史(ニ)曰(ク)、天智天皇三年於(テ)2對馬壹岐筑前(ニ)1置《ヲク》2防《フセキ》與|※[火+逢]《トフヒヲ》1。和銅五年正月|廢《ハイシテ》2高安※[火+逢]《タカヤスノトフヒヲ》1始(テ)置(テ)2高見《タカミ》及(ヒ)大和國(ノ)春日(ノ)※[火+逢]《トフヒヲ》1以|通《トウス》2平城1焉。國史ニ云ヘルコトキハ、射駒《イコマ》山(ノ)西《ニシ》高安《タカヤスニ》※[火+逢](ヲ)置レタリケルヲ當集ニハヨメル也。然ヲ元明天皇ノ御宇ニ始テ奈良ノ都ニ遷サレテ後(チ)、春日野ノ※[火+逢]《トフヒ》云フ也。又桓武天皇延暦十五年三月山城大和兩國|置《ヲカル》2※[火+逢]燧《トフヒヲ》1云云。能因(カ)歌枕ニハ燧(ノ)岡《ヲカ》肥前國ニアリト云云。又攝津國陬磨ト淡路ノ岩屋トノ中ノ渡(ノ)舟ヲ、互(ヒニ)喚《ヨフ》トテハ、シルシノ※[火+逢]《トフヒ》ヲ立ルトナン申。顯輔卿アハチトイフ女ノモトヘツカハシケル歌
 イカニセントフ火モイマハタテワヒヌコヱモヲヨハスアハチシマ山
 ア《新勅》ハチシマシルシノ煙タテワヒテ霞ヲイトフ春ノ舟人                                 前内大臣
(96)凡ソ※[火+逢]ノ事、周(ノ)幽王《イフワウ》々|申侯女《シンコウノムスメ》后ラステヽ、褒※[女+以]《ホウシヲ》后トス。此后スヘテ咲《ワラフ》コトナカリケルニ、或時|※[火+逢]《ホフ》火ヲ見テエメリ。幽王興ニ入テ※[火+逢]火ヲ擧《アケ》テミス。仍萬國ノ兵馳來コト度々也。然而空ク歸(リ)訖(ヌ)。爰申侯西夷《コヽニシンコウセイヰ》ヲ伴《トモナ》テ責來ル。依之雖v(カト)擧2※[火+逢]火《ホウクワヲ》1兵(ノ)共來コトナシ。然レハ幽王|逐《ツヰ》ニ麗山|下《モト》ニテ失《ウセ玉フ》。后ハ尾二アル狐《キツネ》トナリテ失訖ヌ焉。
 
   防人
當集第廿卷、被3遣2鎭西(ニ)1防人歌曰
 マスラヲノユキトリヲヒテイテヽイケハワカレヲオシミナケキケムツマ
防人者註尺云、※[革+力]負職《ユキエノシヨク》也ト。左右ノ衛門司ヲ懸タル者(ノ)歟。又注セシ抄ニハ關守ノ一名也ト云云。爰ニ此卷ノ諸國ノ防人等之中(ニ)、相摸國防人|部領使《フリヤウシ》守從五位下藤原朝臣|宿奈麿《スクナマロ》、駿河國(ノ)防人部領使(ノ)守從五位下布|絶《・(マヽ)》朝臣人主以下、國々(ノ)防人等、或六位七位也。豈如(ク)2關守等(カ)1爲《タラン》2下輩(ノ)之仁1乎。就中此防人等(ヲ)被(ルヽ)3遣(サ)2筑紫1事、於鎭西(ニ)1
爲3禦《フセカンカ》2異敵(ヲ)1也。防人云即(チ)防戰士《ハウセンシ》也。爰以|痛《イタム》2防人悲別之心(ヲ)1歌曰
 スメラキノ・トヲノ朝庭《ミカト》ト・シラヌヒノ・ツクシノ國ハ・アタ《敵》マモル・オサヘノキソト・キコシメシ・四方《ヨモ》ノ國・ニハ・人サハ《多也》ニ。ミチ《(マヽ)》ハアレト・鷄カ鳴・東男《アツマヲトコ》ハ・イテムカヒ・カヘリミセステ・イサミタル・武キ軍ト・ネキ玉ヒ・【己下畧之】
右歌東國(ノ)勇士等《ヨウシラヲ》撰召《エラヒメサレテ》、被《レテ》3遣(サ)2鎭西(ニ)1被(ト)v構《カマヘ》2城※[土+郭](ヲ)1見エタリ。然(ハ)者爲(ニ)1異朝警固(ノ)1於v被v差2遣《サシツカハサレンニ》兵率者《ヘイソツヲハ》、尤(モ)可然|君將《クンシヤウ》可3被v定(メ)2節度使《セツトシト》《・節度使ハ大將軍名ナリ》1之處(ニ)、被(ル)v下《クタ》2彼(ノ)防人|等《ラヲ》1事、頗《スコフル》(ス)3無(キニ)2不審1。雖v然(ト)守(ル)v城(ヲ)之時(ハ)者以(テ)2弓兵|歩兵《ホヘイヲ》1專《モハラ》爲《スル》2軍名《クンメイト》1者(ノ)也。加之兵家(ニ)上中下之三有(リ)v之。不《スシテ》v戰《タヽカハ》屈(レハ)2敵兵《テキヘイヲ》1上也。百戰《モヽタヒタヽカヒ》百(ヒ)勝《カツハ》中也。深《フカクシ》v溝《ミソヲ》高《タカクシテ》v壘《ソコ》守下也云云。然間先遣(シテ)2防人|等《ラヲ》1守(ル)v城(ヲ)事此(ノ)謂(ヒ)歟。又大國是|猛勢《マウセイ》也。我朝ハ又旡勢也。餘攻《アマルハセメ》不(ルハ)v足《タラ》守《マモルト》云フ。是則上中下ノ三|有餘不足《イウヨフソク》之義理、兩朝符合スルコト以v之可心得1者也矣。
 
   橡衣
當集第七卷歌曰
(97) ツルハミノキヌキシ人ハコトナシトイヒシ時ヨリキマホシクオホユ
橡衣トハ四位ノ朝服《テウフグ》也。此ノキヌキタル人ハイカナルツミヲモユルサルトカヤ。サレハ此歌ノ心ハ、朝ニ仕ルニハ霜ヲ拂ヒ、星ヲ戴《イタヽキ》コソア|ル《(マヽ)》。妹《イモ》カリユク心ノミアリテ、忠臣ノ義ヲ忘ルヽ時ノミアレハ、橡ノ衣ヲキテソノトカヲマヌカレハヤト云也。橡ノ衣ヲトヨメルハイツモサメヌ色也。橡ノヒトヘ衣トヨメルハウラモナキ衣ナルヘシ。又源氏ニ白橡ノ衣アリ。可尋之。
 
   髪梳小櫛
當集第三卷歌曰
 シカノアマハメカリシホヤキイトマナミ髪梳《ツイシウ・ツケ》ノヲクシモトリモミナクニ《ツケ》
髪梳小櫛《ツケノヲクシ》此訓カミケツリノヲクシ、ツケノヲクシ、クシラノヲクシ、三訓也。カミケツリハ吟《キン》不可然。ツケノヲクシハ字ノ訓オホツカナシ。クシラノヲクシト云ヘキ歟。大隅國風土記(ニ)曰ク、大|隅郡串下郷《スミノコホリクシノシモノサト》、昔者造國神勤使者《ムカシハクニツクリノカミツトメツカヒヲ》遣《ツカハシテ》2此村(ニ)1令(ム)v見《ミセ》。消息(ノ)使者|報道口《コタヘテイフナラク》、有《アリテ》2髪梳神《クシラノカミ》1云(ク)可《ヘシト》3謂《イフ》2髪梳村《クシラノムラ》1ト。因(テ)曰(フ)2久西良郷《クシラノサトヽ》1。髪梳者|隼人《ハヤヒトノ》俗語|久西良《クシラ》。古語如v斯。然而世以(テ)今改(タメテ)曰2串下郷《クシノシモノサト》1矣。
 
   比禮麾
ヒレノ事先達多(ク)以テ袖也ト註ス。八雲御抄ニモ袖ナリト勅筆之上者仰(テ)雖可信之(ヲ)1、勘(ルニ)2舊記1ヲ、ヒレハ乙女ノ※[將/衣]束中(ニ)裾帶領巾《クンタイレイキン》トテアリケル也。或ハ肩巾《ケンキン》肩《カタ》ニモ掛ケル也。膳夫采女手繦《センフサイシヨタスキ》ナト樣ナル物也。然ヲ天武天皇ノ御宇十一年三月、四十八|階《カイ》並如v此。男女ノ※[將/衣]束等|被《ラレ》2省略1訖ヌ。太平御覽曰、領巾【婦人ノ項ノ餝也】今世懸帶ノ如クナル物也。細比禮乃鷺《タクヒレノサキ》ト云ヘルモ首毛《カシラノケ》ヒレノコトクニサカリタル故也。當集第三卷|丹比眞人笠麿《タチヒノマトンカサマロ》任《ユイテ》2紀伊國(ニ)1超(ル)2勢能《セノ》山(ヲ)1時ノ歌曰
 タクヒレ《ホソヒレ異説》ノカケマクホシキイモカ名ヲコノセノ山ニカケハイカヽアラム
領巾ハカクル物ト見エタリ。全(ク)非袖(ニハ)1乎。同第十三卷問(98)答歌曰
 人ツマノ・馬ヨリユクニ・サカツマノ・カチヨリユケハ・ミルコトニ・ネノミシナカル・ソコ思ニ・コヽロシイタシ・タラチネノ・母ノカタミト・我モタル・マソ|モ《(マヽ)》鏡ニ・アキツ領巾《ヒレ》・ヲヒソヘモチテ・馬カヘワカセ・
右(ノ)歌鏡トヒレト取ソヘ、カタミニノコシタルヲモテ馬カヘト云ヘリ。更ニ袖ニアラス。又云(ク)
 アコノ海ノ・アライソノ上ニ・ハマナツム・アマヲトメラカ・マツヒタル・領巾《ヒレ》モ・チルカニ・手ニマケル・玉モユラヽニ・白妙ノ袖フリミセツ・アヒ思ラシ・
此歌領巾ト袖ト各別ノ物ト見エタリ。肥前國風土記(ニ)曰(ク)、松浦(ノ)縣《アカタ》々(ノ)東(ニ)卅里(ニ)有(リ)2※[巾+皮]搖峯《ヒレフリノミネ》1【※[巾+皮]搖|比禮府離《ヒレフリ》也】最頂(ニ)有(リ)v沼。計《ハカルニ》可2半町(ナル)1。俗傳(ニ)曰(ク)、昔者《ムカシ》檜前《・宣化》《ヒサキノ》天皇(ノ)世《ミヨニ》、遣(シテ)2大伴(ノ)紗手比古《サテヒコヲ》1鎭《シツメラル》1任那《ニナノ》國(ヲ)1。于v時有(リ)2娘子《ヲトメ》1。名(ヲ)曰(フ)2乙等比賣《ヲトヒメト》1。離別之日乙等比賣登(テ)2此峯(ニ)1擧《アケテ》v※[巾+皮]《ヒレヲ》招《マネク》。因(テ)以爲(ス)v名《ナト》矣。萬葉集第五卷云、大伴(ノ)佐提比古郎子特《サテヒコノイラツココトニ》被《カウフテ》2朝命(ヲ)1奉《ウケ玉ハル》v使《ツカヒヲ》藩國(ニ)。艤《ヨソテ》v掉《サホヲ》言(フ)v皈《カエランコトヲ》。稍《ヤヽシテ》赴《ヲモムク》2蒼波(ニ)1。妾也|松浦佐用嬪面《マツラサヨヒメ》嗟《サケヒテ》2此別易《コノワカレノヤスキヲ》歎《ナケク》2彼(ノ)會《アフコトノ》難(キヲ)1。登(テ)2高山之嶺(ニ)1斷《タチ》v肝《キモヲ》鎖《ケス》v魂(ヲ)。遂《ツイニ》脱《ヌイテ》2領巾《ヒレ》1麾《サシマネク》v之。傍者《カタワラナルモノ》莫《云コトナシ》不《スト》2流《ナカサ》涕《ナミタヲ》1號(テ)2此(ノ)山(ヲ)1曰(フ)2領巾麾《ヒレフリ》之|嶺《ミネト》1焉。兩説ノ娘女《ヲトメノ》名相違ストイヘトモ、※[糸+寄]是《コトコレ》等同也。彼モ是モ全ク袖ヲヒレト云フニハアラス。但八雲御抄彼(ノ)御代ノ比《コロ》マテハ萬葉集ノ沙汰イトナカリケルニヤ。
 
   日本琴 對馬|結石《ユフシ》山ノ孫枝《マコエタ》
當集第五卷(ニ)曰(ク)、梧桐日本琴《コトウノヤマトコト》夢(ニ)化《クワシテ》2娘女《ヲトメニ》1曰(ク)、余|託《ツケ》2根《ネヲ》遠嶋之崇巒《エンタウノスウランニ》1曝(ス)2〓九陽之休《モトヲキウヤウノキフ》光(ニ)1乃至|偶《タマ/\》遭《アテ》2良|匠《シヤウニ》1散《サンシテ》爲《ナル》2小琴(ト)1。不《ス》v顧《カヘリ》2質麁音少《カタチノアラクコエノスクナキコトヲ》1恒希《ツネニネカハクハ》君子(ノ)左(ノ)琴《キントナランコトヲ》。即(チ)歌《ウタヨミシテ》曰(ク)
 イカニアラム日ノ時ニカモコヱシラム人ノヒサノ|ヘ《上》我枕セン
大伴淡等【改名旅人】夢覺報詩詠曰
 コトヽハヌ《物イハヌ也》木ニハアリトモウルハシキ君カ手馴《タナレ》ノ琴ニシアルヘシ
(99)凡和琴者依(テ)3爲(ルニ)2本朝(ノ)之|謌器《カキ》1、拍|子《シ》ト云ヒ調《シラヘ》ト云、暗《ソラニ》習(テ)2音曲(ヲ)1不v傳2案|譜《フヲ》1者也。然ニ嵯峨天皇此(ノ)曲(ヲ)尚侍廣《ナヒシノカミヒロ》井|女王《スメミコトニ》傳《ツタヘ》サセ玉フ。其後中絶シタリシニ、承和ノ御門|召《メシテ》2慈賀(ノ)善門(ヲ)1於|階下《ハシノモトニ》1其(ノ)曲(ヲ)傳サセ玉フ又相坂ノ邊(リニ)蝉哥翁《センカオウ》アリ。尤モ此道ニ長セリキ。又貞觀ノ聖皇藤原ノ磐井(ヲ)召(テ)2於|御簾際《キヨレンノキハニ》習御《シウキヨ》。彼(ノ)時貞保親王蒙(フテ)2勅命(ヲ)1譜《フヲ》作《ツクリ玉》。自(リ)v尓《シ》以(ノ)來《カタ》代々相傳|不《ス》2能《(絶ィ)》之1云云。和琴ニアマタノ名アリ。朽目鹽竈水龍《クチメシホカマスイレウ》。又|宇陀《ウダ》法師ト申ハ檜《ヒノ》木ヲモテ作ルトカヤ。一條院御宇内裏燒失ノ時昔(ノ)宇陀法師ハ燒(ケ)訖。後三條院ノ御時延久四年八月南殿ノ御|遊《ユウ》之時、宇治ノ左大臣殿和琴ヲ賜セ玉フ。口宣《クセン》ニ御手《ミタ》ナラシノ宇陀法師(ト)。此勅言古風ヲ思食出サセ玉ヒケルニヤ。鴨ノ長明記云(ク)、和琴ハ元(ハ)弓六張ヲ引並《ヒキナラヘ》テ用ヒケルカ、後ニ琴ニハ作タリケル也。其弓ハ上總國ノ古《フル》キ濟物《セイモツ》也。仍彼國ノ古キ注文ニ曰弓六張|神樂《カクラノ》※[米+斤]矣。
 
   五手船
當集廿卷歌曰
 サキモリノ堀江コキイツル五手《イツテ》船カチトルマナク戀《コヒ》ハシケヽム
櫓《ロ》十丁タテタル船ヲ五手船ト云フ。二丁ヲ一手ト云フ故也。又ハ船ハ伊豆國ヨリ造リ始タル故ニ伊豆出船ト云トモ云ヘリ。日本紀第十卷|譽田《ホンタ》天皇《應神》御宇五年秋八月庚寅朔壬寅、令《シテ》2諸國(ヲ)1定(メ)2海人《アマヒト》及山|守部《モリヘヲ》1。冬十月|科《コトフキヲシ》2伊豆國(ニ)1令(ム)v造(ラ)船(ヲ)1。長(サ)十丈船既(ニ)成《ナテ》之|試《コヽロミニ》浮(フ)2于海(ニ)1。便(チ)輕(ク)泛疾《ウカンテトク》行(コト)如(シ)馳(ルカ)。故(ニ)名(テ)2其船(ヲ)1曰(フ)2枯野《カラノト》1。由《ヨテ》2船(ノ)輕疾《カロクハヤキニ》1名(クル)2枯野《カラノト》1是義違《コレコトハリタカフ》焉。若シ謂《イフヲ》2輕野《カロノト》1後ノ人|誑歟《ヨコナマルカ》。
 
   水手
當集第四卷|丹比眞人笠麿《タチヒノマトントカサマロ》歌
 アマサカル・ヒナノ國ヘニタヾムカフ・アハチヲスキテアハ嶋ヲ・ソカヒニミツヽ・朝ナ《眞《(マヽ)》》キニ・水手《カコ》ノヲトヨヒ・
水手ヲカコトヨメル事|鹿子《カコ》也。淡路國風土記云(ク)、應神天皇廿年秋八月天皇淡路ノ嶋ニ遊獵《ユウレウ》ノ時、海上(ニ)大|鹿《シカ》浮(ヒ)來レリ。則(チ)人(ト)也。天皇召(テ)2左右(ヲ)1詔問《セウシテトヒ玉フ》。答(ヘテ)曰(ク)、(100)我(ハ)是(レ)日向《ヒムカ》國ノ諸縣郡牛《モロアカタノクンキウ》也。角度皮着《ツノアルシヽノカワヲキタリ》。而(ルニ)年老(テ)雖(トモ)2不(ト)v與仕(フルニ)1、尚以(テ)莫(シ)3忘《ハスルヽコト》2天恩(ヲ)1。仍(テ)汝女長髪姫貢《ヤツカレメノカミナカクヒメタテマツル》也(ト)。仍(チ)令《シム》3榜《コカ》2御舟(ヲ)1矣。因v茲此(ノ)湊(ヲ)曰(フ)2鹿子《カコ》ノ湊(ト)1云云。然間水手ヲカコト申ナリ。
 ハリマカタスマノ朝|氣《ケ》ノ霧カクレオキコクカコノコエノハルケサ                        範兼卿
 
   水沙兒居
當集第十一卷歌曰
 ミサコヰルス|マ《ニ歟》ヲル舟ノ夕《ユフ》シホヲマツラムヨリハ我レコソマサレ
註尺云、此鳥水(ニ)入ヲハ涙ニヌルヽニタトヘ、イツルヲハ人目ヲツヽミカヌルニタトフ。スニヲル舟トハシハシ忍ヒ居《ヰ》タルニタトヘタリ。思ヒワヒテユカムトスル心ト云云。今考ルニハ毛詩ノ一(ニ)曰、關雎《クワンシヨ》ハ后妃《コウヒ》ノ徳《トク》矣。關雎トハ我朝ノ水砂兒也。此鳥天ノ七十二|侯《コウヲ》知テ嫁《トツク》コト五日ニ一度ツヽ也。然ハ一年七十二度也。雌雄アリトイヘトモ退《シリソヒ》テ河《カ》中之|洲《スニ》アリト云ヘリ。后妃《コウヒ》ノ心|使《ツカヒ》可(シトス)2准之(ニ)1。其色ニ耽《フケ》ラスシテ、退《シリソヒ》テ深宮中《シンキウノウチ》ニアリト云フ。此心也。今歌ニミサコヰルスニヲル舟ト云フ符2合(ス)之(ニ)1。ミサコトヨメル歌近來イト多カラス。
 夕暮ニタカノトフカトミエツルハナミマヲ渡ルミサコナリケリ                             俊頼
 ミサコヰル藤江ノ浦ノ朝ホラケアラキ浪ニモスム心カナ
此上者雖不4可3加2蒙愚之※[米+斤]簡(ヲ)1、竊《ヒソカニ》伺《ウカヽフニ》2此歌ノ心(ヲ)1、ミサコトハ鳥ニハアラサルカ。波ノ打寄タル洲《ス》也。ソノスニ舟ヲコキ入ヌ|ル《(レィ)》ハ、鹽ノミチサル前ニハシ|《(ツィ)》フキテイテカタキ也。此ヲ人待心ニヨセタルナルヘシ。隨而京極黄門ノ註シ玉へル物ニモ、ミサコヰル、鳥ニ非ストコソ侍レハ、私ノ愚案モ可符合1也。能々可尋之。
 
   必志
當集第二卷歌曰
 サシヤカム・コ屋ノシキ屋ニ・カキステム・ヤレコモヲシキテ・カヽレヲラム・鬼ノシキテヲ・サシカヘテ・(101)ネナム君ユヘ・赤根サス・ヒルハシミラニ・ヌハ玉ノ・夜ハスカラニ・コノ床ノ・ヒシトナルマテ・ナケキツルカモ・
ヒシトハ海中ノ洲《ス》也。ソノユヘハ大隅國風土記曰ク、必志《ヒシ》ノ里、昔者此村之中(ニ)在(リ)2海之|洲《ス》1。因《ナツケテ》曰(フ)2必志(ノ)里(ト)1【海中之洲者|隼人《ハヤヒトノ》ノ俗語云2フ必志(ト)1矣】。古語之上者雖不可及2重尺(ニ)1、鬼ノシキテトハ、棲ル屋ノアマタアルニモ、人ト枕サシカヘテヌル夜ナケレハ、燒テステムト思フ。我手ヲイタツラニ我枕ニシカンヨリモ、屋ヲモ手ヲモ燒ステハヤ、凶ノシキテカナト云フ也。鬼ト云フモ凶ノ心也。鬼ノシコ草ト云フモ凶ノ草也。シコハ醜《シコ》也。鬼也。
 
   歌方
當集第十五卷歌曰
 ハナレソユタテルムロノ木ウタカタモ久シキ年《時ィ》ヲスキニケルカモ
歌方事或抄ニ云ク、忘《ワスレ》スト云フ詞也。或云未必ト書ケリト。後撰集歌云
 思河タヱスナカルヽ水ノアハノウタカタ人ニアハテキエメヤ
依2此歌(ニ)1或先達云ク、アタナル人ヲウタカタ人ト云也。然而トモ京極黄門此歌ヲ尺シ玉ヘル物ニハ、ウタカタト云フ詞(ハ)眞名ニハ寧ナントツカヘル詞ノ樣ニ思ヨル事|ヤハ《(マヽ)》、サナクテハイカテカト云フヤウノ言(ハ)也)。ソレヲ此歌ヒトツヲミヲ、浮タル人ト云樣ニウタカタ人ト六字ヲツヽケテヨメリト云フハ、深ク見分テ知リカホニノヘヤル説也。只四字ノ詞也ト云云。誠ニ此思河ノ歌計ニテハ、ウキタル人トモ心得ツヘケレトモ、萬葉集ノ歌、離タル礒崎ニ室ノ木ノ根モアヤウケニテ生ヒタルカ、老木ニプ《(マヽ)》ナレルヨトヨメリ。カリソメト云フ詞ト見エタリ。ウタカタ人ト云フヘカラサルニヤ。隨而第十七卷歌曰
 ウクヒスノキナク山吹ウタカタモ君カ手フレヌ花チラメヤモ
此歌モ、カリソメナリトモ君カ手フレタル山吹ナレハ、(102)花チルナトヨメリ。
 
      交畢
詞林采葉抄第七
 
詞林釆葉抄 第八
 
紐鏡       山鳥鏡   九月其初雁
百舌草莖     鹿火屋   負圖神龜
肩拔占 付異名占 足日木   山櫻戸
鉾椙       合歡木花  結松
兒手柏 付異名柏 翼酢花   阿倍橘 付橘甘子
 
   紐鏡
當集第十一卷歌
 ヒモ鏡能登カノ山ニタレユヘカ君キマセルニヒモトカスネム
紐鏡トハ氷也。イツレモ結物ニテ鏡ニニタル也。水ハコホリヌレハヲトモナクノトカナレハ、ノトカノ山トツヽケタリ。寶方朝臣五節ノ舞姫《マヒヒメノ》紐トケタリケルヲムスフトテヨメル歌ノ返事
 ウ《清少納言》ハ氷アハニムスフルヒモナレハカサス日影ニ|ユルフ《トクルィ》フハカリソ
(103)菅家萬葉集云
 冬サムミノキニカヽレルマス鏡トクモ破《ワレ》ナン老マトフヘク
  詩曰
冬來(テ)氷(ノ)鏡|據簷《ヨテノキニ》懸(レリ)
一且(ン)※[走+尓]看《ワシリミル》未(タ)《・サル》v破《ワレ》前《サキ》
嫗女《クチヨ》頻(リニ)臨(ソンテ)無(シ)2粉黛《フンタイ》1
老(ヒ)來(テ)皺集幾廻季《シハアツマルイクメクリノトシソ》
又或云、鏡ハ日神ノ御躰ナレハ日モ鏡ニテ、ノトカニ照シ玉フト云也ト。是モサモヤト覺ユ。
 
   山鳥鏡
當集第十四卷歌云
 山鳥ノオロノハツヲニ鏡カケトナフヘミコソナニヨソリケメ
オロノハツオノ事、奥義抄《清輔抄》ニ、ナカオト書テ、此言ヲ尺ルニ、ナキヨソリトソアラムト思(フ)ニ、ナニヨソリトアルオホツカナシト云云。明匠ノ言ナレトモ歌ノ始終難v得。イカニ存セラレケルニヤ。古キ抄物ニ云ク、普隣ノ國ヨリ山鳥ノ鳴聲妙也トテ送リケルニ、スヘテ鳴コトナシ。然ヲ此鳥|伴《トモ》ヲ離レテ鳴ヌニヤトテ、籠ノ上ニ鏡ヲ懸テミセケレハ、影ヲミテ即ナキケル程ニ、後ニハ長キ尾ニ付タリケルト云云。此歌ノ心ハ、ヲロハ雄《ヲトリ》也。ハツオハ長尾《ナカヲ》也。トナフヘミコソトハ鳴也。ナニヨソリトハ汝ニヨルト云(フ)也。汝ハ雌《メトリ》也。山鳥ノ鏡ニウツル影ヲミテ、雌ト思テ鳴ヲ云也。或云、山鳥ハ夜ハ雌トハカナラス嶺|隔《ヘタ》テヽヌル也。曉ニ至レハ雄ノ尾ヲモタケテ丸クシテミレハ、雌ノネタル所ノミユルヲ、鏡トモ中トカヤ。此心ヲヨメル歌
 ヒルハキテヨルハワカルヽ山鳥ノカケミル時ソネハナカレケル
異苑《イヱンニ》曰(ク)、山鷄《サンケイ》愛(シテ)2毛羽《モウウヲ》1映《エイシテ》v水(ニ)則(チ)舞(フ)。魏(ノ)武帝時南方(ヨリ)献v之(ヲ)。命(シテ)dv人(ヲ)取(テ)2大鏡(ヲ)1着《ツケ》c其(ノ)前(ヘニ)u。鷄|鑒《カヽミテ》v形(チヲ)而|舞《マウ》焉。古(キ)抄物之説令2符合1也。
 
   九月其初雁《ナカツキノソノハツカリ》
當集第八卷曰、天平十年秋九月遠江守櫻井王奉(ツル)2天皇(ニ)1歌【此兩集代々故奉3載2帝號(ヲ)1云云】
(104) ナカ月ノソノ初雁ノ使ニモ思フ心ハキコエコヌカモ天皇|賜《タマウ》2報和御歌《カヘシノミウタヲ》1
 大ノ浦ソノ長濱ニヨスル浪ユタケク君ヲ思フコノコロ
歌註(ニ)曰(ク)、大浦者遠江國ノ海|濱《ヒン》ノ名也矣。右長月ノ初雁者九月始テ聞ケルニヤ。胡雁《コカンハ》八月中旬ト云コト和漢事舊タリ。仍(テ)此歌難3得2其心(ヲ)1者歟。然而六|臣《シン》註文選曰、陽鳥翔《ヤウテフカケルコト》以(テ)2玄《ケン》月(ヲ)1焉。爾雅《シカニ》曰、九月ヲ爲(ス)玄(ト)1。國語(ニ)曰(ク)、陽鳥至于玄月矣。陽鳥者鴈(ノ)屬《タクヒ》也。然者九月來ルヲモ初雁(ト)可申ニヤ。隨而當集第十三卷歌云。
 カミドケノ・ヒカルミ空ノ・九《ナカ》月ノ・時雨(ノ)フレハ・鴈|金《カネ》モ・イマタキナカス・百タラヌ・卅《ミソ》ノ槻枝《ツキエ》ニ・水エサス・秋ノ紅葉|葉《ハ》・ヒキヨチテ・我ハモテユカム・君カヽサシニ・
九月雁金イマタキナカストヨメリ。況ヤ初雁トヨマム事何事カアラム。
 
   百舌草莖
當集第十三卷歌曰
 春サレハモスノ草クキミヱストモ我ハミヤラム君カアタリヲ
昔(シ)男ハルカナル野ヲ行ケルニ女アヘリケリ。即(チ)カタラヒヨリテケレハ、別ナントスル時袖ヲヒカヘテ、女ノスム里ヲ問ヒケレハ、鵙《モス》ノヰタル草ノタカキヲサシチ、我スム所ハ此ニアタリタル里ナリトイヒテ別レヌ。男世ニツカヘ人ニマシハル程ニ、次ノ年ノ春ノ比、思出テ彼野ニ行テオシヘシ里ヲ見ヤレハ、空イトカスミ渡リテ、イツクヲ尋ヌヘシトモ覺エサリケリト云云。然而當集ノ心ハカナラス草ノ莖ニハアラス。只草ヲクヽルト云フ言《コトハ》也。※[(貝+貝)/鳥]ノ歌ニモコノ間タチクキナカヌ日ハナシトヨメリ。タチクキハクヽル也。モスハ秋冬木草ノスエニヰテ鳴ケトモ、春夏ニナリヌレハ木ノ陰草ノ中ニクヽリアリク。此心ニヨソヘタル也。俊頼朝臣伊勢國ニスミ侍ケル時、顯季卿ノ許ヘヨミテ遣ハサレケル歌
(105) トヘカシナ玉クシノ葉ニ|ミ《見》カクレテモスノ草莖|目路《メチ》ナラストモ
顯季卿是ヲミテ、モスノクサクキヲハイカニ知テカクヨメルニヤト、カタフカレケルトソ。玉クシノハトハ榊ヲ申也。伊勢ニ限テ可申ニヤ。日本紀|公望《コウハウ》ノ註(ニ)曰(ク)、眞坂樹八十玉籤《マサカキノヤソタマクシ》、問(テ)曰(ク)、玉籤何物(ソ)乎。是坂樹也。玉者尊貴之名也。用《モテ》2此坂樹(ヲ)1〓立《サシタテヽ》以(テ)爲2神之木(ト)1。故(ニ)謂(フ)2之籤《コレヲクシト》1耳矣。
 
   鹿火屋
當集第十卷歌曰
 アサカスミカヒヤカシタニ鳴河ツコヱタニキカハ我コヒ|ンカモ《(メヤィ)》
此鹿火屋先達サマ/\ニ申アヘリ。清輔ノ曰ヒケルハ、井中(ニ)魚トルトテ河江ニ簀《ス》ト云(フ)物ヲ立マハシテ、口(チ)ヲ一(ツ)アケテ蕀《ウハラ》ナトヲ取入テヲキヌレハ魚ノ集ル、ソノ上ヘニ屋(ヲ)ツクリカケテマモル事ノアル也。此ヲカヒヤト云ト云云。公實卿付此義讀マレケル
 マスラヲカ|モフシツカフナフシツ《藻臥束鮒※[横目/林]漬》ケシカビヤカ下ハ氷リシニケリ
顯昭ハ、ヰ中ニハコカヒスルニ、別ニ屋ヲカマヘ棚ヲモカキテコヲカフヲカヒヤト申也。ソノ棚ノ下ニ水ヲホリ入タレハ河出ノ鳴也。フシツケヲカヒヤトハキコヱスト云云。今考之(ヲ)1云、此歌當集ノ秋ノ雜ノ歌ニ入タリ。本集ニタカイテカヒコノ義顔ル不審也。多才博覽ノ人々定有子細1歟。但|左大將家《後京極殿》ノ御歌合|判詞《見阿》(ノ)詞ニ云、田屋(ニ)鹿ヲヨセシトテ、人ノ髪ノヲチ、ナニクレノクサキ物ヲ取集テヤケハ、ソノ香ヲイトヒテ鹿ノヨリコヌ也。ソノ火ノ煙ノ翌朝マテ殘テ、霞ノ如クニミユルヲ朝霞ト云也ト判シ玉ヘリ。萬葉集ノ心ニ同v之。更ニ餘儀ニツクヘカラス。就中當集第十七卷柿本朝臣人麿歌曰
 アシヒキノ山田モル翁《ヲ》ノヲク蝦火《カヒ》ノシタコカレツヽ我コフラクハ
カヒヲ鹿火ト書リ。正字也。蚊火屋同シ言(ハ)也。但注尺ニ云、水ノ邊(リ)ニ魚トラントテ造(リ)懸(ケ)タル庵ニ、鹿ナトヲ(106)ヨセシトテ※[自/死]キ物ヲヤク。其火ノ煙ノ朝マテノコリタルヲ朝霞ト云也。霞ト云ハ丹色ニテ日ニカヨフ物ナレハ、朝霞ト云也ト云云。祖師相傳(ノ)義ナレトモ可v改《アラタム》者歟。彼判(ノ)詞管見同v之。
 
   圖負神龜《フミオヘルアヤシキカメ》
當集第一卷、藤原宮|※[人偏+殳]民《エタスタミ》作(レル)歌
 我國ハ・常世ニナラム・フミヲヘル・アヤシキ龜モ・アタラ《新》世《代》ト・泉ノ河ニ・モチコセル・マキノ|ツマテ《爪手》ヲ・百タラヌ・筏ニツクリ・ノホスラム・云云
竊(ニ)案(ルニ)2此歌(ヲ)1、和漢兩朝(ノ)深意(ヲ)含(ル)者歟。其(ノ)故者、史記(ニ)曰、神|龜《キ》者天下(ノ)寶(ラ)也。與《ト》v物|變化《ヘンクワシテ》四時(ニ)變(ス)v色(ヲ)。居《ヰテハ》而|自《ヲノツカラ》匿、伏《フシテハ》而|不《ス》v食《モノクハ》。春(ハ)蒼《アヲシ》。夏(ハ)赤(シ)。秋(ハ)白(シ)。冬(ハ)黒(シ)矣。是賢王聖主之御宇(ニ)神龜出來ルコトヲ詠ル也。和國ニハ靈龜元年八月己未朔丁丑、大初位下|高田首久比麿《タカタノヲフトクヒマロ》獻(ス)2靈龜(ヲ)1。長七寸|濶《ヒロサ》六寸。左(ノ)眼白右(ノ)眼赤(シ)頸《クヒハ》者三|臺《タイ》背《ウシロニ》負《オフ》2七星(ヲ)1。前(ヘ)脚《アシニ》並(テ)有(リ)2離卦《リノケ》1。後脚《ウシロアシニ》並(ンテ)有(リ)v※[ヌ/ヌ]《カウ》。腹《ハラノ》下(ハ)赤(ク)白(シ)。點相次《テンアリアヒツヽヒテ》八字ノ文アリ矣。天平元年五月甲子朔己卯、京職《ミサトノカミ》大夫從三位藤原朝臣|麿《マロ》負《オヘル》v圖《フミ》龜《カメ》一|頭《ツ》獻(ス)v之(ヲ)。背《セナカニ》有(リ)v文。天皇|貴平知《キヘイチ》百年矣。是以改(メテ)2神龜六年(ヲ)1爲天平元年焉。加之※[手偏+僉](テ)2異朝(ヲ)1曰ク洛書之起《ラクシヨノオコリハ》背|堯《ケウ》王以(テ)v璧《タマヲ》洛水之|底沈《ソコニシツメシ》之時、靈龜背(カノ)上(ヘニ)負(テ)v書(ヲ)即(チ)出(ツ)。其(ノ)象赤《カタチセキ》文朱|字《シ》也焉。註(ニ)曰、天|禹《ウ》王(ニ)賜(フ)v書(ヲ)。神龜|負文出《オテフミヲツ》背其數アリト云云。元定曰、
洛書|九宮《キウキウ》之|數《カス》戴《イタヽイテ》v九|履《フム》v一(ヲ)。三(ヲ)左(ニシ)七(ヲ)右(トス)。二四(ヲ)肩《カタニシ》六八足トス焉。故(ニ)洛書(ハ)天地之理一也。圖象圓《トノカタチハマロナリ》。々《マロナルハ》天也。喜象方《シヨノカタチハホウ》、々ナルハ地ナリト云云。然(レハ)即天地五行之根源、四季萬物之本ノ躰、併(ラ)莫《ナシ》3不《スト云コト》備《ソナヘ》2此(ノ)龜(ノ)背(カニ)1。如v此|靈龜《レイキ》神物(ハ)明王聖主之代(ニ)出(テ)施(コス)仁政(ヲ)1之時、其(ノ)徳化|盛《サカンニシテ》自然(ニ)出現(シ)示《シメス》2吉兆(ヲ)1矣。然(レ)者今(ノ)詠歌|鑒《カヽミテ》2異朝之洛書(ヲ)1述(フル)2其意(ヲ)1者乎。
 
   肩拔占 付異名占
當集第十四卷歌曰
 ムサシ野ニ占ヘカタヤキ正手ニモノラヌ異《(君カ)》名占ニテニケリ
昔天照太神天(ノ)岩窟《イハヤニ》籠(リ)玉ヒシ時、思(ヒ)兼神議《カネノカミハカリコト》ヲナシ、天ノ香具山ノ鹿ヲ生《イケ》ナカラトラヘテ肩ヲ拔テ、香具《カ來《ク》》山ノ葉若《・ハワカ》《榊也》ノ木ヲ根コシニシテ、其肩ノ骨ヲ燒テ占ヲセシ事也。今(ノ)世ニモ卜部氏ハ葉若ノ木ニテ龜ノ甲《コウ》ヲ燒テウラナフトカヤ。是ヲ肩燒ノ占トモ申也。古歌云
 浪問ヨリイテタル龜ハ萬世ト我思フ占ノシルヘナリケリ
此肩拔ノ占(ノ)事、武藏野ニヨセテヨメル故ニ、昔ハ此野ニ鹿多アリケリ。然間伊勢物語ニ三吉野(ノ)タノムノカリト云ヘル歌ヲモ、タノムト云フ事ヲシテ、武藏野ニテ鹿ヲ狩ルナト尺シタル也。然而近代ハ鹿|希《マレ》ニスメルニヤ、ヨメル歌モ少キナリ。
抑此|卜筮《ホクセイト》者自(リ)2異朝上代1莫《ナシ》3不《セスト云コト》v專(ラニ)2此道(ヲ)1。故(ニ)天地之道日月之|運《ウン》、陰陽吉凶以(テ)v之計(リ)以(テ)v之|決《ケツス》。王者|聖《セイ》人定(ルニ)2國家(ヲ)1此(ノ)道(ヲ)爲(ス)v先(ト)。卜《ホクトハ》者洛書ヨリ事起テ通2用(ス)萬事(ニ)1。筮《セイト》者|河圖《カト》也。八卦|周易《シユヤク》是ヲモテ00成(ス)。自v爾以來(タ)一切善惡(ノ)事莫(シ)2不《スト云コト》依(ラ)2卜術(ニ)1。是則兩朝一同之儀也矣。次眞柴占(ノ)事同卷歌曰
 ヲフシモトコノモト山ノ眞柴ニモノラヌイモカ名肩ニイテンカモ
此占ハ眞柴ヲ燒テ占ナフト申。然者マシハ)占ニハイテヌ妹《イモ》カ名ノ、肩拔ノ占ニイテタリトヨメル也。負笞《オフシモト》ト云事、或書ニ曰(ク)、惣《スヘ》テ刑罰《ケイハツ》之道(ハ)不v限2軍場(ニ)1、依(テ)2時宜(ニ)1設《マウクルニ》2其(ノ)刑品《ケイヒンヲ》1有(リ)2五|品《ヒン》1。謂(ク)墨※[鼻+立刀]腓宮《ホクキヒキウ》大|辟《ヘキ》也。其數分2三千(ニ)1。又有(リ)2笞杖徒流死《チチヤウツルシ》之五刑1。凡可2明律令正格式(ヲ)1云云。此五刑(ノ)之|内《ウチ》笞《チ》ハシモト也。依(テ)2科ノ輕重(ニ)1シモトノ數ヲアツル也。拾遺集ニモ、大隅ノ守櫻嶋ノ忠信カ占カンカヘントシケル翁ノ歌云
 オヒハテヽ雪ノ山ヲハイタヽケト|シモ《霜・笞也》トミルニソ身ハヒヱニケル
此歌ニヨテ其科ヲユルサレタリト申メリ。又シモトユフ葛城山ト云風詞モ、此|笞《シモト》ヲ結《ユフ》葛《カツラ》トツヽクル也。近來霜ト云葛城ト云詞ハ不便ノ事也。又次ニ山|菅《スケ》占ト申ハ、山菅ノ葉ヲムスヒ合セテ、ソノスヱヲ巫《カンナキ》ニムスハスルトカヤ。又思ヒワヒミツノカシハニトフコトノシツム(108)ニウクハトヨメルハ、大神宮ニハ三角《ミツノ》柏ト云物ニテ占ヲヌルニヤ。アフコトヲウラナフト云題ニテ、俊頼
 神風ヤ三角カシハニコト、ヒテタツヲ眞袖ニツヽミテソクル
コノ占ハ彼三角柏ヲトリテ水ノ上ニナクルニ、立ハカナフ、シツムハカナハストナム申。又|御綱柏《ミツナカシハ》ト云モ三角柏モ同物歟。【委細在下柏段】
 
   足日木
當集第十一卷歌曰
 アシヒキノ山橘ノイロニイテヽワカコヒナンヲヤメカタクスナ
アシヒキノ事先達區ニ申タレハ、※[糸+寄]《コト》新(シク)雖(ヘトモ)4難(ト)3載《ノセ》2短筆(ニ)1、當集相傳之義爲(ニ)述之(ヲ)1粗《ホヽ》所v註(ス)2之(ヲ)1。智度論第十七云取意一角仙人トテ額(ヒ)ニ角アリテ、四足鹿ノ脚ノコトシ。通力自在ナリケルカ、山ノ澤ニ落テ腰ヲ打折(リ)足ヲ引ケルヲ申トモ、又雄略天王御狩ニ山ヘ入セ玉ヒ、御足ヲフミソソシテ、惡キ日來タリトノ玉タリケルヲ申ストモ、又神代ニハ人皆山ニ栖ムトテ、山ニ生タル葦ヲ引ステヽ路トストモ申。此外モトカク申アヘリ。然而モ當集|處《(マヽ)》訓|山齊《アシヒ》也。第廿卷|屬《ツケテ》2目(ヲ)山齊《アシヒニ》1作歌三首
               太監物御方主
 ヲシノスム君カコノ嶋ケフミレハアシヒノ花モサキニケルカモ
              右中辨大伴家持
 池水ニカケサヘミヱテサキニホフアシヒノ花ヲ袖ニコキレテ
              大藏大輔甘南備【伊香】
 礒影ノミユル池水テルマテニサケルアシヒノチラマクヲシモ
於2尺義(ニ)1者依v爲(ルニ)2秘曲1不v注2之(ヲ)1
              大宰帥大伴卿歌
 イモトシテフタリツクリシ我|山齊《ヤマ》ハコタ○《カ歟》クシケ|リ《(マヽ)》ナリニケルカモ
足引ノ山トツヽカヌ歌、菅家御作ニモ、アシヒキノコナ(109)タカナタト。
當集第三卷歌云、
 アシヒキノ石根コヽシミスカノネヲヒケハカタシトシメノミソユフ
薪勅撰ニモ          權中納言頼資
 足引ノ岩倉山ノ日景草カサスヤ神ノミコトナルラン
足引ノ石トツヽクル事玉篇(ニ)曰(ク)、高大(ナル)有v石《イシ》。曰(フ)v山(ト)矣。山ト石ト一也ト見ヘタリ。又地埋全書(ニ)曰(ク)、水(ハ)地(ノ)血脈《ケツバク》也。石ハ山ノ骨也云云。有(テ)v石山大ナリト云フコト以v之可(シ)2知之(ヲ)1。
 
   山櫻戸
當集第十一卷正述心緒歌曰
 アシヒキノ山櫻戸ヲアケヲキテワカマツ君ヲタレカトヽムル
山櫻戸ニ二義アリ。一ニハ櫻ノ木ヲ板ニ取テ作リタル戸也。一ニハ櫻ノ若木ヲウヘテ垣ヲシマシタルニ、戸ヲ一(ツ)アケテ人ノ出入トシタルヲモ申ナリ。
 アシヒキノ山ノ《(マヽ)》櫻戸ヲマレニアケテ花コソアルシタレヲマツラム            京極黄門
此兩首ハ垣ヲシメクラシタル心ニヤ。
 
   鉾椙
當集第三卷歌云
 イツノマニカミサヒケルカ香具山ノムスキカモトニコケオフル左右《マテ》ニ
ムスキトハ若木ノ椙也。人ノヲサナキ|コ《子》ヲムスコト云カコトシ。ムスメトモ申。然ルヲハヤク老木ニナリテ苔ノオヒタルヨトヨメル也。又ハ椙ノスカタ鉾ノサキノコトクニ細ク尖《スロト》ナレハ申也。隨而鉾椙ト書(キ)タリ。正字ナルヘキ歟。又或先達ノ云(ク)、杉ヲモヲ作リタル鉾ヲ祭禮ノ具ニ用之1。此山ニ此儀式有之云云。
 
   合歡木《ネフノ》花
當集第八卷紀(ノ)女郎《ヲトメ》贈《ヲクル》2大伴家持(ニ)1歌
 ヒルハサキテヨルハコヒヌルネフノ花君ニミセンヤ(110)ワケサヘニミヨ
此合歡木ノ花訓之1ヲ、カウカノ木、ネフリノ木、ネフノ花、トリ/\ニ先達申アヘリ。仍古今六帖題ニカウカト擧タリ。然而カウカト訓シ、ネフリノ木トヨミテハ花ノ字訓セラレス。只ネフノ花ト可訓1歟。其故ヘ者同卷ニ家持贈和歌曰
 ワキモコカカタミノ合歡木《ネフハ》者花ノミニサキテケタシモミニナラヌカモ
文選(ニ)曰、合歡《カウクワン》除(ク)v眠(リヲ)矣。就中右歌ノ詞ニ云、右|折2攀《ヨチヲツテ》合歡花《ネフノハナ》并(ニ)茅《ハウ》花(ヲ)1贈也ト云云。尤花トヨムヘシト見ヘタリ。當集新點ノ訓《クン》已《ステニ》文選(ニ)令(ムル)2符合1者也。然而古今六帖者貫之女ノタメニアツメタリト申。仍號(ス)2紀氏六帖(ト)1。カウカトヨマムコト何事カアラム。
 
   結松
當集第二卷、有間皇子|自傷《ミツカライタンテ》結(テ)2松(ノ)枝(ヲ)1作歌
 岩代ノハマ松カエヲヒキムスヒ眞幸《マサキク》アラハ又カヘリミム
此御歌ハ、孝徳天皇、有間皇子ハ位ヲタモチ玉フマシキ氣色ヲ御覽シテ、讓リタテマツリ玉ハサリケレハ、怨《ウラミ》タテマツリテ、アクカレアリキ玉ヒケルカ、蘇我ノ赤兄臣《アカエノシン》ト心ヲ一ツニシテ畿内ノ軍ヲカタラヒ、屯《タムロ》別テ國ヲ傾ケ玉ハムトテ、鹽屋ノ小戈《コホコ》ト云者ニヒネリ文ヲアタヘテ、世ノ中ヲ占(ナヒ)玉フ。此事世ニ聞エシカハ、後(ノ)飛鳥《アスカ》岡本ノ宮ヨリ官軍木ノ路ヘ馳向テ、藤代坂ニテ有間皇子ヲトラヘタテマツリテ、ユヒコロシタテマツル。赤兄《アカエ》ノ臣ヲハ鎭西ヘ流シ遣サレ訖ヌ。今此君ハ既ニ天子ノ位ヲ可2受繼玉(フ)1ナレトモ、其|謀《ハカリコト》拙クシテ利《殺歟》害ヲ知リ玉ハス。興(シ)2兵戰(ヲ)1亂(ント)2天下(ヲ)1シ玉フ。故ニカヽル難《ナン》アルナルヘシ。凡義兵闘戰之道ハ天地人ノ三|才《サイヲ》勘見シ、國家ノ政ヲ高察シテ可3キ成2事(ヲ)1處ニ、假《カリニ》筆跡ヲ結(テ)v松(ニ)顯(シ)v志(ヲ)、纔(ニ)※[草がんむり/聚]《アツメテ》2少※[欒の木が十](ヲ)1。於(テ)3行《ヤラン》2大軍(ヲ)1者爭(カ)可v達(シ玉)其(ノ)本望(ヲ)1乎。誠(ニ)可v謂2暗君愚將(ト)1。或文(ニ)曰、若(シ)以(テ)2備(フルヲ)1進戰《スヽンテタヽカイ》、退(ソヒテ)守《マモルニ》、而不(ルハ)v求(メ)2能(ク)用者《モチフルモノヲ》1譬《タトヘハ》猶《コトシ》d伏《フク》。鷄《ケイノ》之|搏《ウチタヽケ》v貍(ヲ)乳犬《シフケン》之|犯《ヲカセルト》c虎《トラヲ》u雖v有(ト)2闘心1隨(テ)v之|死《シヽナン》焉。此文更ニ此事ニ符合スル者(ノ)ヲ乎。(111)就中ニ歌ヲ結v松(ニ)ニ事雖3似(ト)2干祝言(ニ)1、此君含(ミ)2野心1玉ヒシカトモ、不2遂《トケ》玉ハ1シテ還テ亡(シ)v身(ヲ)玉ヒシカハ、彼(ノ)結松ヲハ慶賀ニハ不可讀1者歟。彼皇子ノ昔ノ思ヲヨミ給ケル。
當集第二卷、柿本人丸
 岩代ノ野中ニタテルムスヒ松心モトケス昔ヲモヘハ
 
   兒手柏 付異名柏
當集第七卷歌云
 ナラ山ノコノテカシハノ二ヲモテトニモカクニモ|ネチケ《侫人》人カナ
柏ノ葉ノモエイツル時ハ、兒ノ手ノ如ニシハ/\ト文ノアルヲ云也。面モ裏モ同樣ニミユル也。ネチケ人トハウラヽカナラヌ人ノ心ノウラオモテノアル也。侫人ト申也。柏ハ只世ノツネノ柏也。別名ニアラス。但シ草ノ中ニモコノテカシハトテアル也。西行上人歌云
 イハレ野ノ萩ノタエマノヒマ/\ニコノテ柏ノ花サキニケリ
範永朝臣大和守ニテ下リタリケルニ、奈良坂ノホトニテ、白キ花ノイミシクサキタルヲモテ行合タリケルヲ、國ノ民ノ中ニトモシタリケルカ是ヲミテ、ユヽシクサキタルコノテカシハカナト云ヒケルヲキヽテ、馬ヲトヽメテ、イカニ云フソト問ケレハ、此サキタルハ大トチトモ申物也。ソレヲ此國ニハコノテカシハト申也ト云ヒケレハ、範永朝臣メテヽ、ソノ男ニ物トラセテ、故ヘヲ問ヒケレハ、カノ花ノ葉ハ兒ノ手ノヤウナレハ申也ト云ヒケリト云云。隨而當集廿卷歌云
 チハノ野ノ兒手柏ノホヽマ|ン《(レヵ)》トアヤニカナシミヲキテ我キヌ
トヨメリ。此歌ハ鎭西ヘツカハサルヽ防人《サキモリ》カ妾《メ》ノハラミタルヲトヽメテキタリトヨメル也。花ノツホミタルニヨソヘタリ。茶《オホトチ》ノ説尤(モ)可(キ)2許用1者歟。
次ニ異名柏事、凡カシハト云フニ付ヒテ、樹ノ名ニアリ、石ノ名ニアリ。木ノ類ヒニハ、玉柏只柏也。ホムル言(ハ)也。ナラ柏、コナラ拍【柞也葉ノ細ク長也】、ナカメ柏、アカラ柏、(112)寶柏、葉ヒロ柏、石ノ名ニハ玉柏、岩戸柏、水ノ柏、三角柏ハ伊勢ノ御裳濯河ノ岸(ニ)生ルヲトリテ、神供ヲモソナヘ、占ヲモスルトソ申。祭主輔親集ニ云、九月御祭ノ時齋宮ノ女房ノ中ヨリカシハヲ一葉ヲコシテ、ナニト申ニヤトイヘリケル返事ニ
 ワキモコカミモスソ何《(河ヵ)》ノキシニオフル人ヲ|ミツノ《三角》ヽ柏トヲシレ
又古歌云
 神風ヤミツノ柏ノ秋ノ色ニ豐氏人ノ袖サヘ|ク《(ソヵ)》テル
當集第二卷歌註ニ曰、※[手偏+僉]日本紀(ヲ)1曰、大鷦鷯天皇卅年秋九月乙卯朔乙丑、皇后遊2行《アソヒマシテ》紀伊國(ニ)1到《イタリヌ》2熊野|※[山+昇]《サキニ》1。
取《トテ》2其處(ノ)之|御綱葉《ミツナカシハ》1而|還《カヘリマス》矣。是(レ)又三角柏歟。所詮一物也。又玉柏石樹ニ在之。
 
   翼酢花
ハ|スネ《(マヽ)》ノ花尺義一|唯《(淮ヵ)》ナラス。古來難義ナリ。
當集第四卷大伴坂上郎女歌曰
 オモハストイヒテシ物ヲハネス色《イロ》ノウツロヒヤスキ我心カモ
同第十二卷歌曰
 ハネス色ノウツロヒヤスキ心アレハ年ヲソキフルコトハタエステ
此兩首ニテ月草ト尺シタリ。
同第十一卷歌曰
 山フキノニホヘル妹カハネス色ノ赤モノスカタ夢ニミエツヽ
同第八卷家持カ康※[木+康]《ハネスノ》花歌云
 夏マチテサキタルハネス久堅ノ雨ウチフラハウツロヒテムカ
右此等ノ歌ニテ、或ハ庭櫻、奈梨《カラナシ》、或|木蓮《キハチス》ナトヽ尺セリ。爰(ニ)本草(ニ)曰、陸機草木ノ※[足+疏の旁](ニ)曰、唐※[木+康]《タウテイ》即(チ)奧李《オクスモヽ》也。其花或(ハ)白(シ)或(ハ)赤(シ)。六月|實《ミ》成(ル)矣。然ハ家持歌夏花開クトヨメルモ奧季ニ符合スル歟。今考之云、古今集|僻案《定家抄》ニ長歌ノ詞ハトテ註セラルヽ中(ニ)、セメキケント云フ詞ヲ尺セラレタルニ、引(テ)2毛詩(ノ)棠※[木+康]《タウテイノ》詩(ヲ)1云、兄弟|鬩《セメク》2千|庸《カキニ》1。外(ニハ)禦《フセク》2其(ノ)(113)※[(弟+攵)/刀]《アナツリヲ》1矣。毛詩(ノ)註(ニ)曰、鬩《セメク》ハ恨《ウラムル》也。禦《フセク》ハ禁《イマシムル》也焉。此ハ周公旦兄弟中アシクシテ、彼ノ讒ニヨテ周公旦ヲ東山ニ被v流ナトセシカトモ、他人ノアナツリヲハフセクト云ヘルナリ。此心ヲ召公〓《セウコウセイ》ノ作ラレタル詩也。棠※[木+康]|譬《タトヘ》ノ
心ハ、彼花ノ下ニ萼トテ袴《ハカマ》ノコトクナル物アリ。是ヲ花ノ兄弟ニ喩ヘ、ハナルマシキ物ナカラ、纔ニ及フコト作レル也。然ルニ奥李、庭櫻、月草ナトハ姿振舞相叶ハス、木蓮ナルヘキカト覺ユ。其故ヘ者木蓮ノ花赤白。就中|唐※[木+康]花反偏發《タウテイハナハンメヒトヘニヒラク》ト論語ニ言ヘルハ、花下ナル袴、花ノ盛ナル時ハ一ニソヒツキテ、萎《シホム》時花ニモソハス、ソリカヘリテハナルヽコトヲ譬ヘタルナリ。彼夏花開實成ルモ、ウツロヒヤスキトヨメルモ、木芙蓉《モクフヨウ》ト見エタリ。但註尺ニ云、唐※[木+康]子《タウテイノミ》如(シ)v李。赤(ク)白(シ)小(シ)。一名|移《イ》音移|子※[而/大]苦《ヤワラカニニカシ》。野(ノ)李《スモヽ》也。似(リ)2白楊(ニ)1。江東ニハ呼《ヨテ》爲(ス)2夫移《フイ》1。子《ミ》如2櫻桃1。可2食《クラツ》之(ヲ)1。日本紀曰、明位已下進位已上之朝服ノ色、淨位已上並(ヒニ)着《キル》2朱花《ハネスヲ》1矣。若v斯尺義多(シ)v之。一篇(ニ)難(シ)2落居(シ)1。能々可(シ)2商量1。
 
   阿倍橘 付橘甘子
當集第十一卷歌云
 ワキモコニアハテ久モムマシモノアベ橘ノコ|チ《(ケヵ)》ヲフルマテ
此アヘ橘ヲアツ橘トテ六帖ニアリ。隨而新撰六帖ニ面々アツト詠シ玉ヘリ。仰テ雖可信2用之(ヲ)1、當集已ニ眞名假名ニ阿倍橘ト書《カケ》リ。因テ※[手偏+僉](ル)2源順カ和名(ヲ)1、七卷(ノ)食經(ニ)曰、橙《トウ》【宅耕反和名|安部太知波奈《アヘタチハナ》】似(テ)v柚(ニ)而|小《チイサキ》者也矣。東宮切韻(ニ)曰、橙《トウ》柚ノ類。郭知玄《クワツチケンカ》曰(ク)、大(ニシテ)皮《カハ》黄《キ》ニ皺《シハメリ》焉。類※[草がんむり/聚]名義抄(ニ)曰、阿倍多知波奈。甘于ノ皮ノアツクフツツカナルアリ。眼前ト云ヒ證跡ト云、アヘト云フヘシ。アツ橘ハ假名ノ誤《アヤマリ》歟。追々不審。萬葉無沙汰之故歟。
次橘事日本記|第七《(マヽ)》曰(ク)取詮|活目入彦五十狹茅《イクメイリヒコイスサチノ》天皇御宇九十年、遣(シテ)2田道間守《タチマモリヲ》於|常世《トコヨノ》國(ニ)1令《シム》v求(メ)v橘(ヲ)1。九|十《(マヽ)》年(ニ)天皇隱玉フ。明年|田道間守非v時香菓《タチマモリトキナラスカクノコノミ》【此云|當《(箇カ)》】倶乃ニ《・(マヽ)》彌】持(テ)來(テ)則(チ)到(リ)2天皇陵(ニ)1叫《ヨハイ》泣(テ)曰、常世ノ國ハ神仙ノ栖《(マヽ)》也。非(ス)d可《ヘキ》3到《イタル》2直《タヽ》也|人《ヒトノ》之所(ニ)u。往還《ユキカヘルコト》已(ニ)十年《トトセ》、生《イキテ》有《アルトテ》2何(ノ)益(カ)1忽(ニ)死訖矣。(114)扶桑《フサウ》略記曰、九十年辛酉天皇遣(シテ)2但馬毛理《タチマモリヲ》於常世(ノ)國(ニ)1詔《ミコトノリシ玉ハク》2於新羅ノ王子(ニ)1曰(ク)、求(ム)2非時香菓《トキナラヌカコノコノミヲ》1。仍|貢《タテマツ》2九種(ノ)物(ヲ)1。其(ノ)中(ニ)有2一(ノ)香花1。所v謂橘是是焉。當集第十八卷、元正《ケンセイ》天皇御製曰
 橘ノトヲノ橘ヤスヨニモ我レハワスレシコノ橘ヲ
トヲノ橘トハ常世《トコヨ》橘也。ヤスヨトハ八千代也。トコヨノ國ノ菓ト見(ヘ)タリ。彼ノ田道間守昔(ノ)新羅(ノ)王子|天日槍《アマヒホコ》之四世(ノ)孫但馬清彦《ソンタチマノキヨヒコ》之子也焉。彼田道間守(カ)廟《ヘウニ》被(ル)3贈《ヲクラ》2右兵衙佐宣命(ヲ)1云云可尋之。季衡《キシヨウ》於2江陵(ニ)1曰、吾《ワレ》令《シテ・ム》d千戸(ノ)奴《ツラ》1種《ウヘ》c橘(ヲ)u。年別(ニ)取(ル)2絹千疋(ヲ)1。號(ス)2之(ヲ)千|頭木奴《ツモクツト》1。復次(ニ)甘子事聖武天皇御宇天平八年、從五位下|波多《ハタノ》朝臣播磨唐朝ヨリ甘子ノ種《タネヲ》持來ル。佐味蟲麻呂《サミノムシマロ》家ノ後|薗《エン》ニ栽《ウヘ》タリ。子《ミ》ヲ取テ献(ス)2天皇(ニ)1。仍蟲麿(ヲ)從五位下ニアケ給フ焉。甘子トヨメル歌希ナルニヤ。
 コノコロハ伊勢ニシル人ヲトツレテタヨリウレシキ花カウシカナ               慈鎭和尚
 
      交畢
詞林釆葉抄第八
 
(115)詞林釆葉抄 第九
 
 手向草    百夜草        思草
 戀草     鬼志古草       水陰草
 夕陰草    針原         葛餝早稻
 濱木綿    ※[蒟の立が句]草夫 波之吉也之
 人麿【萬葉以前※[戀の心が十】不  人麿入唐不 古語採擇
 
   手向草
當集第一卷、川嶋皇子歌曰
 白波ノハマ松カ枝ノ手向草イク世マテニカ年ノヘヌラム
此歌者持統天皇朱鳥四年庚寅秋九月|幸《イテマス》2紀伊國(ニ)1之時|從《カテ》v駕《ミトモニ》、若ノ浦吹上ノ濱ナトヲ歴覽シテヨミ玉フ御歌也。此手向草ハ松ノ枝ニ懸タルサカリ苔ト見エタリ。サカリ苔ト云フニ二アリ。サカリ、サカリ也。一ハシツカカセニ懸ルウミヲノ如シ。一ハ女蘿《メコケ》トテツタノ如ニテカヽリタル物也。毛詩(ニ)曰、有(リ)2誕蘿《サカレルコケ》1毛丘葛《モウキウノカツラ》矣。木ノ本ヨリスエニトヲサカリ行テ懸レル也云云。凡ソ神ニタテマツル物ヲハ手向草ト可申ニヤ。
當集第十三卷歌云
 青丹吉・ナラ山スキテ・物ノ武ノ・ウチ河ワタリ・ヲトメラニ・相坂山ニ・手向草・イトリヲキツヽ・ワキモコニ・アフミノ海ノ・オキツ波・已下略之
此手向草モ、關守ル神ニクサ/\ノ物トリヲキテ奉ルト申ト見エタリ。以之可知之(ヲ)1。
 
   百夜草
當集第廿卷、防人《サキモリ》歌云
 父母カ殿ノモリヘノ百夜草百夜イテマセ我キタルマテ
歌ノ心ハ、此防人鎭西ヘツカハサルヽ道スカラ、ツヽカナカレト、百日ネキ《祈》玉ヘトヨメルニヤ。百夜草ハ月草也。此草百夜花ノサク故ヘニ申ト。月草即正字ナリ。倶舍論(ニ)、依主尺持|業《コツ》尺ト云フコトアリ。此持業尺也。其ノ正躰ヲ名ニ提《ヒサケ》タルヲ申也。此花俗ニハ露草ト申。(116)歌ニモヨメリ。凡此月草別名ト云ヒ書樣ト云ヒアマタノ品《シナ》有之。所謂、鴨頭《アウトウ》草、鷄冠《ケイクワン》草、韓藍花《カラアイノハナ》、翼酢《ハネスノ》花、唐※[木+康]《タウテイ》花、百夜草、月草、露草等也。皆月草ノ尺有之云云。
 
   思草
當集第十卷歌曰
 道ノヘノオ花カモトノ思草イマサラナニノ物カヲモハム
思草ノ事或云(ク)、瞿麥《ナテシコ》ヲ申ト。子《コ》ト云フ詞ニ付テ云ヘルニヤ。但シ淺茅ヲ可申也。茅ノ葉ハ枝ナトモナクテ、一スチ/\生ヒタレハ、餘念ナキ事ニヨセタルニヤ。就中佛ケ初成道ノ時、指(テ)2茅《ハウ》草(ヲ)1吉祥草ト宣玉ヘリ。仍是ヲ草座トシテ、菩薩樹下ニ未來ノ衆生ヲ思念シ、何レノ法ヲカトカントヲ、於三七日中思惟如是事ト説キ玉フ。即(チ)是也。淺茅ノ花ヲ、ツ花トモオ花トモ申上ヘハ、オ花カ下《モト》ノ思草トヨメル、尤有v據者(ノ)。然而家ニハリンタウヲ思草ト被仰之上者、可信用之。不可付2餘義(ニ)1。又九條ノ前ノ關白殿ハ紫遠ヲ思草ト云也ト被仰1云云。
 
   戀草
當集第四卷歌曰
 戀草ヲ力《チカラ》車ニ七車ツミテモアマル我カ戀草ハ
コノ戀草ハ草ニハアラス、戀ノ數《カス》也。種也。物ヲ思フコトノ數ヲヨメリ。然而モ近來先達皆(ナ)草ノ名ニ詠メリ。如v此舊例多v之。掘河院百皆ニ
 タノメヲキシコトノハニヨリ戀草ヤ人松虫ノスミカナルラム
此外ノ歌不可勝計1
 
   鬼之志古草
當集第四卷、大伴家持歌云
 ワスレ草我カ下《シタ》ヒモニツケタレト鬼ノシコ草コトニ|モ《(マヽ)》アリケリ
以2此歌(ヲ)1忘草ヲ鬼ノシコ草ト云フ也ト、尺シタル先達多之。然而同卷歌云
 忘草ヒモニ我ツクカコ山ノフリニシ里ヲ忘レンカタメ
(117)此歌ハ忘草ト云フ名ニ付テ、愁ヘヲモ、思事ヲモ、忘レントテ紐ニ付ルコトヲヨメリ、先(キ)ノ歌ハ、此草ヲ紐ニ付タレトモ、凶《ケウ》ノ草ニテアリケリ、イヨイヨ戀ノ心ノマサルハトヨメル也。忘草ヲ鬼ノシコ草ト云ニハアラス。鬼ト云モ醜《シコ》ト云モ只凶ノ心也。心中ニ忘シト思事ヲハ紐《モンニ》書ストテ帶紐ニ書テ付ル也。當集ノ心ニテハ鬼ノシコ草草ノ名ニハ非ス。只言(ハ)ヲカレル也。※[禾+(尤/山)]康養生《ケイカウヤウシヤウ》論(ニ)曰、萱草《クワンサウ》忘《ワスル》v憂《ウレヘヲ》云、季※[山+喬]カ百詠、萱《ワスレクサノ》詩曰、※[尸/徙]歩《シホシテ》尋(ヌ)2芳草(ヲ)1忘(テ)v憂(ヘヲ)自結v※[草がんむり/聚](ラヲ)。忘草ハ萱草也。ヲニノシコ草ニハ非ル者ヲ乎。八雲御抄ニハ、鬼ノシコ草ハ紫苑也ト云云。中院亞將《大納言爲家》同ク紫苑也ト被仰1之上者不可有餘義1者也。
 
   針原
當集第十四卷歌曰
 イカホロノソヒノハリ原我キヌニツキヨラシモヨヒタヘト思ヘト
ハリ原ハ萩原也。ヒタヘハヒトヘ也。播磨國風土記曰、萩原《ハキハラ》ノ里、右|所3以《ユヘ》名(クル)2萩原(ト)者、息《神功皇后宮》長帶日賣命《ヲキナカタラシヒメノミコト》韓國還上《カラクニヨリカヘリマス》之時(キ)、御《ミ》船(ヲ)宿《トヽメ玉フ》2於此|村《ムラニ》1。一夜(ノ)之間(タニ)生(ヒタリ)2萩(ノ)根《ネ》1。高(サ)一|丈許《チヤウハカリ》。仍名(ク)2萩《ハリ》原(ト)1。闢《ヒラキ玉フ》2御井(ヲ)1故(ニ)云(フ)2針間《ハリマ》井(ト)1己上。播磨ノ國ト云ヘル名ハ萩ノ名ヲトレルナリ。
 
   葛餝《カツシカ》早稻
當集第十四卷歌云
 ニホ鳥ノカツシカワセヲ|ニヱ《贄》ストモソノカナシキヲ|ト《戸》ニタテメカモ
ニホトリノカツシカワセトハ、鳰鳥ノカツクトツヽクル也。但シ歌ノ心ハ、下總國|葛餝郡室《カツシカノ)コホリムロ》ト云フ里ニハ、早《ハヤ》ワセトテ、イトハヤクイテクル稻《イネ》アリ。此ワセヲカツ/\トリテ贄《ニヘ》スル時ハ、門戸ヲ閇テ、シタシキウトキヲイハス、内ヘ入レスシテ、只家中ノケコハカリサシツトヒテ、クヒノヽシルト申也。カク人ヲイトフ、ニヰトリノ時也トモ、我カ思フ妹ヲハトニタテシトヨメルナリ。
 
   水陰草
(118)當集第十卷歌曰
 天ノ河水陰草ノ秋カセニナヒクヲミレハ時ハキニケリ
此歌水陰草ハ稻ノ一名ト見エタリ。其故者、銀河《キンカ》天水ノ惠ミニテ、苗代水ノ始メヨリ、稻花成熟ノ時マテモ、雨露ノ惠ニ浴《ヨク》スル也。是天|漢《カン》ノ水ノ陰《カケ》ノ草ト云フ心也。能因アマノ河ナハ代水ニセキクタセトヨメリケレハ、即(チ)天(ノ)感アリテ雨クタリケルト申モ此心也。又コト草ヲモ水ノ陰ニ生フルトヨメリ。同第十卷歌曰
 山河ノ水陰《ミカケ》ニオフル山スケノヤマスモイモカオモホユルカモ
又水陰草トヨメル歌
 谷フカミ水陰草ノ下ツユヤシラレヌ戀ノ涙ナルラム
コノ歌者、稻ニモカキラス、水邊ニ生ヒテ水ニ陰アル草也。
 
   暮陰草
當集第四卷歌曰
 我ヤトノユフカケ草ノシラ露ノケヌカニモトナオモホユルカモ
註尺云、暮陰草未v勘云云。今試考(ルニ)v之(ヲ)、ナニノ陰トハイハサレトモ、夕《ユフ》陰トヨメル歌、當集第十卷詠蝉歌曰
 夕陰ニキナク日クラシコヽタク|モコ《(マヽ)》トニキケトアカヌ|コエ《聲》カモ
此歌ハ只夕陰ノ草ト見ヘタリ。然而(モ)同卷歌曰
 陰草ノオヒタルヤトノ夕《ユフ》陰ニナク蛬《キリ/\ス》キケトアカヌカモ
此歌ハタ陰草ト云フ草アリト見エタリ。爰ニ夜一夜草ト云フ草アリ。此草ハ夕陰ニ花|開《サキ》、夜明レハシホムト申。此夜一夜ノ《(マヽ)》和名|司《ツカサトル》2陰氣《インキヲ》1草ト見ヘタルニヤ。加之此夜一夜草|者《ハ》本草曰(ク)、景《ケイ》天草矣。此(ノ)名天(ノ)景《カケ》也。暮《ユフ》又日ノ陰也。爭カ有(ン)2餘義1乎。義理悉(ク)令2符合(セ)1。夜一夜草ヲ夕《ユウ》陰草ト申ヘキ也。舂昧《シヨクマイ》之※[米+斤]簡雖(モ)v有(ト)2其憚(リ)1粗注v之(ヲ)焉。
 
   濱木綿
(119)當集第四卷柿本人麿歌曰
 御熊野《ミクマノ》ノ浦ノハマユフ百《モヽ》ヘナル心ハ思ヘトタヽニアハヌカモ
此濱木綿ハ紀伊國ノ御熊野ニハ非ス、志摩國ノ眞熊野ノ浦ニアリ。大臣ノ大饗ノ時志摩國ヨリ獻スルコト舊例也。此レヲモテ雉《キシ》ノ別足ヲツヽムトソ申。眞熊野浦此國ノ名所タルコト、同第六卷大伴家持歌云
 御《ミ》ケツ國|志摩《シマ》ノアマナラシ眞熊野(ノ)小舟ニノリテオ|ナ《(マヽ)》ヘコクミユ
此濱木綿ハ芭蕉ノ如ニテ、莖ハヘケハイクへトモナクカサナリタル物也。此心ヲ新撰六帖(ノ)歌云
 カサヌトハナニ思フラン濱木綿ノヘカレノミユク我|身《世ィ》カナシモ
此ノハマユフニ戀ル人ノ名ヲカキテ枕ニスレハ、必ス夢ニアフトミユトナム。衣ナントニモ付ルニヤ。
 時ノ間ノヨハノ衣ノハマユフヤナケキソフヘキミク|マ《(マヽ)》ノ浦             京極黄門
 カキツクル浦ノハマユフナニトシテ夢ニハ人ヲミセハシメケム
               光俊
紀伊國ノ御熊野ノ浦ニモヨメリ。
 
   ※[苟+苟]草夫
當集第二卷|吉備津釆女《キヒツノウネメ》死(スル)時、柿本朝臣人麿歌云
 シキタヘノ手枕マキテ釼刀《ツルギタチ》身(ニ)ソヘネケムワカ草ノソノツマノコハ前後畧之
若草ノツマトハ女ニテアルヘキカト覺ユルニ、古今集ノ歌ニワカ草ノツマモコモレリト云歌ハ、后ノヨミ玉へルト申ヲ、男ノ歌ニヤトオホツカナキトコロニ、日本紀第十五卷曰(ク)、有2女人1。居2于難波御津(ニ)1哭(テ)曰(ク)、於母亦兄於吾亦兄※[苟+苟]草夫吾夫|阿《・(マヽ)》怜《オモニモセアレニモセワカクサノアカツマアハレ》【古者以2※[苟+苟]草1辟《(マヽ)》夫婦故以※[苟+苟]草爲夫(ト)1矣】ツマト云フ和語ハ、ツハツヽク、マハマトハル也。夫婦枕ヲ並ヘテツヽキマトハリスルト云フ詞ハ也。
 
   波之吉也志《ハシキヤシ》
此言(ハ)、ハジキヤシ、ハシキヨシ、ハシキ、ハシケヤシナト當集卷々ニヨメル歌ノ心不2一准1。第二卷、ハシキ(120)ヤシワカツマノコトヨメルハ女ト見タリ、第七卷、ハシキヤシワキヘノ毛桃トヨメルハ木ト申ヘキニヤ。又花トヤ。第十二卷、石ハシルタルミノ水ノハシキヤシ。是ハ水也。第十六卷、竹取ノ翁ニアヒテ九箇神女ノ、ハシキヤシ|ヲキナ《翁》ノ歌ニトヨメルハ男也。第廿卷ニ、ミヨシノヽ玉松カエハハシキカモトヨメルハ松トミユ。所詮イツレモホムル詞ト心得テ歌ヲミムニ不可有相違者ノ歟。
 
   人麿萬葉以前※[戀の心が十]不
當集第二卷梯本朝臣人麿在2石見國1臨v死時自傷作歌
 カモ山ノイハネシマケル我レヲカモシラスト妹カマチツヽアラム
問(テ)曰(ク)、此歌(ノ)端作《ハシツクリ》詞(ニ)曰(ク)、藤原宮御宇|皇《(マヽ)》代矣。爰ニ知ヌ人麿持統天皇御宇ニ令|※[戀の心が十]《ソツ》去1者哉。然而人丸(ノ)讃(ニ)云、仕(ヘ)2持〓文武之兩帝(ニ)1遇(フ)2新田高市《ニヒタタカチ》之皇子(ニ)1矣。兩説雖令相違1、共(ニ)以テ萬葉以前之歌仙ト見ヘタリ。其故者、窺《ウカヽフニ》2當集之立樣(ヲ)1、不3稱《イハ》2季節雜歌(ヲ)1、不3論2譬喩相聞(ヲ)1、以(テ)2年月次第(ヲ)1令2綜緝《ソウシウ》1者(ノ)也。然レ者人麿不3至2元明以後(ニ)1之條|柄焉《ヘイエ也・明白也》也。奈何《イカン》。答曰、石見國風土記(ニ)云(ク)、天武三年八月人丸任(ス)2石見守(ニ)1。同九月三日任2左京大夫正四位上行(ニ)1。次年三月九日任(ス)2正三位兼播磨守(ニ)1矣。自v爾以來(タ)至(マテ)2持〓文武元明元正聖武孝謙御宇(ニ)1奉2仕七代ノ朝(ニ)1者ノ哉。於v是《コヽニ》持〓御宇(ニ)被3配流2四國之地(ニ)1。文武御代(ニ)被3左遷2東海之|畔《ホトリニ》1。子息躬都良|者《ハ》被(ル)3流2隱岐(ノ)嶋(ニ)1。於(テ)2謫《テイ・タク》所《シヨ》死去云云。如此沈淪之時分死生之眞|僞《キ》不定者歟。就v中當集ニモ時代前後之歌不v限2此一首(ニ)1。第一卷ニハ元明天皇御宇和銅五年歌入v之(ヲ)。然而(モ)第二卷ニハ仁徳齊明天智天武持〓文武御宇ノ歌有v之。以v之(ヲ)思之(ヲ)1。又所3載(スル)2先段(ニ)1人丸集(ニ)曰(ク)、天平勝寶九年春二月、於2左大臣橘卿之東家(ニ)1朝毛吉紀《アサモヨイキト》云フ詞ノ問答訖(ヌ)。然者及2孝謙天皇御代(ニ)1在生之條不可有2異論1者也。仍萬葉撰集之時者人麿專(ラ)雖可爲2棟梁1、依(テ)2天氣(ニ)1内々被2密談1云云。
 
   人麿入唐不
拾遺集歌詞書云、人丸モロコシノ使ヒニマカリケル時
(121) アマトフヤ雁ノツカヒヲエテ|モ《(マヽ)》カナナラノ都ニコトツテヤラム
就(テ)2此集詞書(ニ)1先達多在人丸入唐之由(ヲ)1云云。今考v之、萬葉集并人丸集兩本(ニ)入唐之由曾所3不v見2之1也。爰當集第十五卷(ニ)曰(ク)、新羅(ノ)使等《ツカイラ》當所誦詠(ノ)古歌一百四十五首云云。此中ニ人丸歌多v之。隨而今被3入2拾遺集(ニ)1天飛哉《アマトフヤ》ノ歌有v之。彼(ノ)詞書(ニ)云、天平八年六月遣(ハサル)2新羅國(ニ)1之時、使人|等《ラ》及2海路(ニ)1當所誦詠古歌(ニ)云、天飛哉《アマトフヤ》ト云云。此歌ノ下ニ作者無v之。此歌又人丸集(ニ)有之。就中|遣唐使《ケンタウシ》大伴|宿禰佐手《シユクネサテ》麿記曰、白木(ノ)共使《ケフシ》山城(ノ)史生上道《シシヤウカンツチ》人丸|副使《フクシ》陸奥ノ介從五位下玉手ノ人丸焉。伴ノ使等天平勝寶九年四月二日進發、同十年九月廿四日皈2着紀伊國(ニ)1矣。因(テ)2此人丸等之名(ニ)1柿本朝臣人丸入唐之由被(ルヽ)2載之1歟。奈何。又|九章實《キフシヤウシツ》傳云、田口ノ人丸【非2歌人1】柿本人丸【化人】上道《カンツチノ》人丸玉手ノ人丸已上。如v此同名異躰(ノ)人丸アマタアリト云云。天平勝寶之比ハ人丸專(ラ)奈良ノ朝トノ近臣ナル者ノ乎。
 
   古語採擇
註尺云、立2言辞抄尺篇(ヲ)1而雖3載2之(ヲ)1爲2幼童1重註(ス)v之(ヲ)。當集(ノ)歌者專(ニシ)2古語(ヲ)1、有2鬼語1有2夷曲1有2境談1有2習俗1。各依2論聞(ニ)1難v解者也。因v茲粗擧(ク)v之(ヲ)1。
タカトノ【高樓也】ムラト【妻戸ノアマタアル也】マサカ【寢所也又ハ在所ヲモ云フ】アレマス【ムマルヽ也】ミガテリ【ミカテラ也】イカクル【カクルヽ也イハ發語】ヲソ【ソラコト也】カヨリカクヨリ【トサマカウサマ】キソノヨ【昨日ノ夜】ヤサシミ【ハツル心也】アチサハウ【アチハフル也】ミツラ【モトヽリ也】サニツラフ【ケハフ也イロメク也】ヨシヤエシ【ヨシヤヨシ也】ヨスガ【日本記ニハ資也カタミトモ又ハタヨリヲモ云フ歌ニヨルヘシ】ウハヘナシ【上ナキ也】ヲソロ【ヲソキ也】ヨノホトロ【夜ノ明ルホト也】ウケビテ【イノルト云也】ネグネギゴト【同シク祈也】コヽログ|ニ《(マヽ)》【アヤシキ也】メグシ【アヒスル心也】カクロキカミ【カミノ黒キ也】コト玉【コトハヲホメテ云也】コヌレ【コスエナリコヌレカクレトモ】タヅカヅエ【手ニツク杖也】タツカ弓【手ニトルナリ】コボシキ【戀シキ也】ヲカヒ【ヲカヘ也】クダツ【月夜ノフクル也|項《(マヽ)》ナリ】ナツラス【魚ツルナリ】イトラ【ウツラ也】イクリ【石ナリクリハ石イハ發語】コキタムル【コキメクル也タミテ同シ】山タヅ【ヲノヲモ申タツキヲモソマ人ヲモ】ワケ【男也ヲ《(マヽ)》クレヲモ云ナリ】ダフテ【ツフテナリ】ホトロ【ホテリトモ云天ノヒカル也】ウツシ心【ウツヽ心也】シラガ【シロキヌサ四手也】ユギ【ヤナクヰ也】トノクモリ【タナヒキクモル也】ヲキマケテ【ヲキカケニ海也】夏マケテ【同心也】ヲテモコノモ【カノ(122)モコノモ也】草ハモロフキ【モノハヲウ也】ハリミチ【ツクリ道也】カリハネ【草木ノカリクヒ也】ムカツヲ【向フミネ也】スゴ【シツコ也シツコハ人也】コロ【コラトモ男女共二人ヲコトモ也】モコロ【コトク也同シト心得ヘシ】ウラマチヲル【下ニ待也】ソ|シ《(ゝィ)》リ【アカル也】風ノムタ【波ノムタトモニト也】山ノタオリ【フモト也】野ノソキ【野ノツヽキ也】山ノソキ【同心也】キシノツカサ【岸ノツヽキ也】野ツカサ【野ノキハ也】ホグ【サカユル也】カクハシキ【香コマカナリトモ】カハタレ時【明ホノ也タソカレニ對ス】イハ人【家人也】ツクヒヨ【月夜ナリ】ア《(マヽ)》ヘビ【ヲヒ也帶也】ムラキモ【思ノ切ツナルニ肝切】カヘラヒヌレハ【返ヌレハナリ】カモシモノ【鴨也】シラニ【不知也】イハネサクミテ【石根フミクホムル也】シヾニ【シヽミトモシケキ也】カマメ【カモメナリ】タニクヾ【谷水ナリ谷ヲクヽル也】マカナヒニ【眞ニ永日ナリ】イタトリヨリテ【手トリヨル也】イトラシテ【トラシメタルナリ】ワキヘノソノ【我家ノソノ也】イトノキテ【イトヽシク也】アトモヒタチテ【哀ト思立ナリ】コヒノム【乞祈ル也】マカナシミ【眞ニ悲也】ヲミネミソクシ【嶺峯ミ過也】トコノヘタシ【床ノヘタテ也】花チラフ【花散ナリ】コロヲシモヘハ【兒ココ《(マヽ)》ヲ思ヘハ也】ニフナミ【ユルサス也】イモカヘ【妹カ家也】カラストフ【烏トイフ也】シダ【同《(マヽ)》ト云フ事也】マガモ【眞鴨ナリ】ヲカモノモコロ【雄鴨ノ如ナリ】ヲサ/\【優也】シマシクモ【シハシナリ】マツカヘリ【被《(マヽ)》返也】ツバラ/\【ツマヒラカナリ】カタネモチ【肩ニモツ也】ウツシマコ【現ノ眞子ナリ】カソケキ【カスカ也】マツロフ【奉仕也】エラ/\【エム心也】イムナシ【妹無也】サヽゴテユカ|シ《(マヽ)》【捧テ行也】ヲメガハリ【面カハリナリ】チマリヰテ【留居《リヰイ》也】アメツシ【天地也】ミタラシ【ミトラシ御弓也】イハロ【家也】ハガシ【放也】アシブ【葦火也】マユスビ【眞結也】トリヨロフ【取ヨルナリ】ヌルヨオチス【夜コトニ】也サキク【サキサチ皆幸】ニハ【海ノ面ノシツカニ平キタル也】シノグ【加也コユル也】角ノフクレ【腹立也】テモスマニ【手モヤスメス也】ス【コトクシヤウ也】ユ【ヨリ又ハ發語】カ、イ、ユ【皆發語】アヘ【クワウ也】ハフル【ワタル也】カニモカクニモ【トニモカクニモ】カヾヨフ【ホノカニ也】イサヽメ【イサヽカノホト也】ハタレ【霜雪ノウスキ也】玉カツマ【クシ也戀ヲモ云フ】マドヲク【眞ニ遠也】ヘナリニケラシ【隔《ヘタテ》ニケラシ】コロクトソ鳴【兒コロクルト也】サスナベ【銚子也】シヒニテアレカモ【ヤスラフ也】タシヤハヽカル【立ヤハヽカル】シマカキ【嶋陰也】
 
       交畢
詞林釆葉抄 第九
 
(123)詞林采葉抄 第十
 
 旋頭歌   長歌短歌  萬葉集書樣
 萬葉集時代 萬葉集撰者 萬葉集點和
 
   旋頸歌
當集第十一卷歌曰
 ハツセノヤユツキカタケニ我カクシタルツマアカネサシテレル月夜ニ人ミケムカモ
旋頭者五七七五七七トヨムヘキ物也。其故者濱成式曰、旋|者《(マヽ)》雙本也矣。雙本者ハ本ニナラフト可v訓也。又旋頭ヲカシラニ|カヘル《メクリィ》、ハシメニカヘルト兩訓也。然者此三訓共ニ上下ノ句文字ノ數同シカルヘシト見エタリ。因テ披2見ルニ萬葉集ノ一部始終(ヲ)1、旋頭歌六十五首在v之。毎頸二句|談《(マヽ)》v之。然而モ拾遺集云
 マスカヽミソコナル影ニムカヒヰテミル時ニコソシラヌオキナニアフコヽチスレ
此歌モ、ミル時ニトツヽクルハ一句ソフニヽタリ。二句ニヨムヘキナラハ、ミルトヨミキラムニ、アナカチニ古歌ノ躰ニソムクヘカラス。此外三首ノ旋頭歌皆二句ニヨマルヽ也。古今集旋頭歌曰
 暮サレハ野邊ニマツサクミレトアカヌ花マヒナシニタヽナノルヘキ花ノナヽレヤ
此(ノ)歌花マヒナシニト句ヲキリテ二條家ノ庭訓トセラル。心ハ花モイヒナシニト云云。然而|密勘抄《顯註密勘 家重書》(ニ)云(ク)花モ小|ナ《(マヽ)》ヒナシニヲ花マヒナシニトカケルナリト侍リシカハ、年比誰モカクヤ知テ侍ラント心(ヲ)ヤリテ、難義トモ思侍ラス。花モイヒナシノナント申シ歌ハ、人ノミシ處ニテヨミテ侍リシニヤ。今コソハハツカシクハ侍レト云云。就v之※[手偏+僉](ルニ)2拾遺愚草(ヲ)1、院句題五十首歌(ニ)云、
 ミヨシ野ノ花モイヒナシノアラヌカトワケ入ミネニニホフ白雲
此歌ノ事ニヤ侍ラム。然者京極黄門云(ク)、花マヒナシニトハヨムマシキニヤト被v仰タリ。仍テ此歌ヲハミレ(124)トアカヌ花トヨミキリテ、マヒナシニタヽナノルヘキ花ノナヽレヤトヨムヘキ也。マヒトハマイナヒ也。賄賂也。マヒナクテハナノラシトアラハニ聞ユ。マヒト云フ詞ハ當集ニ處々多之1。
   第五卷
 ワカケレハ道ユキシ|ウ《(マヽ)》シマヒハセン下ヘノツカヒヲヒテトララセ
   第六卷
 アメニマス月ヨミ男マヒハセンコヨヒノナカサ五百夜《イホヨ》ツキコソ
   第九卷
 ※[(貝+貝)/鳥]ノ・カヒコノ中ニ・郭公・獨(リ)生レテ・サカチヽニ・ニテハナカス・サカ母ニニテハユカス・卯花ノ・サケル野邊ヨリ・トヒカヘリ・キナキドヨマシ・橘ノ・花ヲヰチラシ・ヒネモスニ・ナケトキヽヨシ・マヒハセン・トヲクナ行ソ・我(カ)宿(ト)ノ・花橘ニ・栖渡レ鳥・
   第廿卷
 我ヤトニサケルナテシコ・マヒハセン・ユメ花チルナ・イヤオチニサケ
右歌等皆以テ賄賂ノ義炳焉也 然ルニマヒナシニトヨムヘキナラハ、二句ノ義勿論也。次ニ下ノ歌ヲミカサノ山ノ紅葉ハノ色神無月トハヨムヘカラス。二句ニヨムヘキ義同前。
 
   長歌短歌
於(テ)2此長歌短歌1先達ノ所判二途也。隨而二條家冷泉家相分レタリ。掘河院御時百首ヲ召レシニ、俊頼ナント短歌トテ長歌ヲソヘテ獻セラレタリシヲ、一旦イハレアリト存セラレケルニヤ、五條三品千載集ヲ撰ハレシ時、短歌トテ長歌ヲ載ラレタリ。京極黄門《定家》先人《俊成》一期ノ遺恨此事也ト被v仰云云。爰(ニ)古來風躰《尺阿作》云、萬葉ニハスヘテ卅一字ノ歌ヲハ短歌ト書テ、長歌ト書ル處一所モナシ。三十一字ノ反歌短歌ヲ長歌ト云フラム、彼髓腦ハ萬葉ヲ委ク見サルニ似タリ。拾遺集ニハ長歌ノ部ト立テ、人丸カ吉野ノ宮ニ奉ル長歌ト書リ。源順ト能(125)宣ト贈答セる歌モ、又東三條入道左大臣圓融院ヘ奉ル、皆長キヲ長歌、ミシカキヲ短歌ト侍ル也【已上】然(レ)者千載集ノ比マテハ、萬葉ノ沙汰分明ニモナカリケルニヤ。將亦謳歌ノ説ニ付玉ケルニヤ。明眼ノ素意凡慮難(キ)v測者也。爰ニ二條家ノ庭訓トシテ、近來勅集ニ被(ルヽ)3號2短歌1者長歌也。是則先年爲世卿古來風躰者非(ト)2尺阿之作(ニ)1勅答被v申タリシ故ニ、被3背《ソムカ》2彼抄1歟。然而モ去嘉暦三年ニ故藤谷黄門爲相卿以(テ)2尺阿自筆(ノ)古來風躰(ヲ)1於(テ)2黒戸御所(ニ)1被(ルヽ)2備(ヘ)2後醍醐院ノ叡覽(ニ)1之後、被3止2彼邪論(ヲ)1訖ヌ。就中八雲御抄(ニ)曰ク、古來風躰俊成ノ作云云。尤可被3信2用之(ヲ)1。何(ソ)被3違(セ)2曩祖(ノ)之本意(ニ)1乎。甚不審也。凡萬葉ノ模樣《モヤワ》ヲミルニ、長歌二百六十首、短歌四千百八十八首也。此内ナカキヲ短歌ト云ヒ、ミシカキヲ長歌ト立テタルコト一所モナシ。ナカキヲ短歌ト立ラルヽコト、疑フラクハ、若シ二條家ニハ萬葉集相傳ノ本被(ル)2紛失1歟。於3有2披閲1者《ハ》爭(カ)有2此義1乎。萬葉集ニハ、長歌ヲハ、或ハ賦、或ハ長篇ト云ヒ、短歌ヲハ、或反歌、或ハ一絶二絶ト云フ。縱ヘハ如(シ)2修多羅ノ長行偈頌(ノ)1。長歌ヲクレ/\トツヽケ訖テ、其大低ヲツヽメテ、卅一字ニ結ヌルヲ反歌短歌トモ申也。短キヲ長歌ト云ハムコト、以2詩賦ノ長篇(ヲ)1云2絶句(ト)1、以絶句(ヲ)1云(フ)2長篇(ト)1。豈可(シ)階《カナウ》2其理(ニ)1乎。玉篇字ノ反ヲ付ルニ、反トモ切トモ云ハツヽムル言(ハ)也。二字ヲ縮(ム)2一字(ニ)1也。爭カ長ヲツヽムルトハ云フヘキ乎。返々理不盡ノ義勢也。迷(ヘル)2和語(ニ)1ノミニアラス、漢朝ノ古詩ニモ不叶者(ノ)歟。文選(ニ)曰ク、廣謂《ヒロクスル時ハイヽ》賦《フト》約《ツヽムル時ハ》謂v詩(ト)矣。賦、長篇、長歌、詞ハコトナリトイヘトモ心ハ是同一也。就中古今集眞名序(ニ)曰ク、逮《ヲヨテ》3于|素戔嗚《ソサノヲノ》尊ト到(ルニ)2出雲國(ニ)1始(テ)有2卅一字之詠1。今ノ反歌ノ作也焉。反歌者何物乎。則短歌也。然レ者卅一字ノ歌ヲ短歌ト云コト明鏡也。老子經(ニ)曰(ク)。反者本也矣。反歌ハ卅一字ノ歌ノ本ナルコト和漢符合ス。古今集序尚以被2迷或1。况ヤ及2萬葉集披見(ニ)1哉。拾遺愚草(ニ)云、水無瀬殿ニテ候シニ、大僧正長歌ヲヨミテタテマツラレタル返事只今ツカフマツルヘキ仰(セ)事侍リシカハ、ヤカ(126)テ○サテモイカニワシノミ山ノ月ノ影鶴ノ林ニ入シヨリヘニケル年ヲカソフレハ二千年ヲモ過ハテヽ後ノ五ノ百トセニ入ニケルコソカナシケレアハレ御法ノ水ノアハキエ行比ニナリヌレハソレニ心ヲスマシテソ我山水ニシツミユク杣ノタツキノヒヽキヨリ峯ノ朝霧ハレノキテクモラヌ空ニソ立返ヘキ
   返歌
 サリトモト思フ心ソナヲフカキタエテタエ行山河ノ水
右長歌反歌、古來風躰(ノ)尺義ニ等同也。萬葉集ノ模樣相叶ヘリ。隨而僻案ニモ、古今集雜躰部ノ註ニ、長歌ト擧ケテナカ歌ノ詞ハヲ注セラレタリ。又新勅撰集ニモ長歌ノ部トテ、ナカ歌四首擧ラレタリ。然者五條ノ三品、京極ノ黄門共ニ長キヲ長歌、短キヲ東歌ト分明ニ落居之上者、閣2私ノ非案(ヲ)1可v被3信2用累葉相傳之正義(ヲ)1者歟。
 
   萬葉集書樣
當集(ニ)有(リ)2四種(ノ)書樣1。一(ハ)眞名假名、二(ニハ)正字、三ニハ假《カリ》字、四ニハ義讀焉。開(シテ)v之爲2七種(ト)1。於v中眞名假名勘(ルニ)2古語(ヲ)1炳焉(ナル)博士《ハカセ》也。次(ニ)於2正字(ニ)1、有2通正字1、有2別正字1。次(ニ)於2假字1、有2全假字1、有2半假字1。次ニ於(テ)2義讀《キヨミニ》1、有(リ)2全義讀1、有2半義讀1矣。通正字(ト)者、雪、月、花、春霞、秋風、等也。別正字者、霍公鳥郭公、芽子《ハキ》萩、黄葉《モミチ》紅葉、等也。全假字|者《ハ》、川津《カハツ》蝦、日倉之《ヒクラシ》蜩矛、垣津籏《カキツハタ》杜若、朝※[貌の旁]《アサカホ》槿、等也。半假字者、乳鳥《チトリ》千鳥、秋津羽《アキツハ》蜻蛉羽、打背《ウツセ》貝空背貝、等也。全義讀(ハ)者、春鳥《ウクヒス》※[(貝+貝)/鳥]、三五夜《モチツキ》望月、水烏《ウ》鵜、丸雪《アラレ》霰、東細布《ヨコクモ》横雲、小沼《イケ》池、留鳥《アミ》網、不行《ヨト》淀、風流《ヨシ》由、多集《スタク》スタク、無用《イタツラ》徒、潔身《ミソキ》ミソキ、入風スキマ、日月ホト、火氣ケフリ、戀水ナミタ、左右マテ、礒廻アサリ、求食アサル、〓鷄ツヽ、羊蹄モ《(マヽ)》、母准シ、八十一クヽ、追馬〓犬ツマ、馬聲蜂音石花《イフセ》イフセ、【不遑羅縷】
半義讀(ハ)者、金風アキカセ、白風同、南風同、若月三日月、鴨頭草ツキクサ、若兒ミトリコ、樂々浪《サヽナミ》、神樂トモ、朝烏アサヒ、(127)細竹シノ、風流士タハレヲ、暮三伏一向夜ユフツクヨ。如v此七種ノ書樣者、廣(ク)被《カウフラシム》2一部(ニ)1普(ク)亘(ル)2古來(ニ)1者(ノ)也。依v繁(ニ)略之(ヲ)1焉
 
   萬葉集時代
問曰(ク)、當集(ハ)者何(ノ)帝御宇(ニ)被撰之1哉。如2古今集序(ノ)1(ハ)者人麿赤人同時(ノ)奈良御門御時被3撰2萬葉集(ヲ)1云云。然者寧樂帝者何レノ御門ヲ可v申哉。答曰(ク)、此條古來難義也。雖v然(ト)任(テ)2當集現文并(ニ)風土記國史公卿補任(ノ)説(ニ)1、以2聖武天皇(ヲ)1奉3號2奈良御門(ト)1者也。難(シテ)曰(ク)、此義不審也。其故者古今集序(ニ)曰(ク)、昔平城(ノ)天子|詔《セウシテ》2侍臣(ニ)1令3撰2萬葉集(ヲ)1。自(リ)v尓以來(タ)時(キ)歴《ヘ》2三十代(ヲ)1、數過(リ)2百年(ニ)1焉。而(ルニ)自2平城天皇1至(マテ)2醍醐帝(ニ)1十代也。從2大同元年1迄《マテ》2延喜五年(ニ)1百年也。依v之平城天皇(ヲ)奈良御門トハ可v申者哉。因茲中古先達顯輔、清輔、俊頼、顯昭、ナト皆平城之由注(シ)2置(ク)之(ヲ)1者也。随(テ)而國史(ニ)曰、平城【號(ス)2奈良ノ帝(ト)1矣】。大和物語(ニ)云、奈良(ノ)帝泊瀬ニオハシマシヽ時、嵯峨帝ヨリ贈ラセ玉フ御歌【ミナ人ノソノカニアケルフチハカマ君カタメニト今ソヲリツル】道理文證如此。尤平城帝ヲ奈良(ノ)御門ト可申者ヲ乎。答(テ)云、先(ツ)古今集序(ノ)十代事、以2繼躰王位ノ次第(ヲ)1可(シ)3考《カウ》2之(ヲ)1。所v謂聖武《一》【文武太子】孝謙《二》【聖武御女】廢帝《三》【天武孫一品舍人親王子雖無繼躰萬葉之當代之間不除之】稱徳【孝謙重祚之故不取之1】光仁《四》【天智孫施基皇子御子】桓武《五》【光仁太子】平城【依不繼躰君除之】嵯峨《六》【桓武第二子】淳和【桓武第三御子然而子細以前】仁明《七》【嵯峨第二子】文徳 清和 陽成 【已|上代《(マヽ)》又子細同前】光孝《八》【仁明第二子】宇多【光孝第二子】醍醐《十》【宇多太子】己上以(テ)2此次第(ヲ)1爲2十代(ト)1。此是諸王臣人民|計《カソフル》2其重代之時、自(リ)2父祖1至(マテ)2于|玄《ケン》孫(ニ)1、任(テ)2譜系《フケイニ》1數(フル)v之(ヲ)者也。以v之(ヲ)可知之1焉。隨而続日本紀曰(ク)、延暦三年十月自奈良都1遷(ル)2長岡京(ニ)1。同十三年自2長岡1遷(ル)2平安城(ニ)1矣。同延暦廿五年【改大同】五月十八日平城天皇即位。同四年十○《月歟》三日爲2太上天皇(ト)1云云。豈稱(ン)2奈良帝(ト)1哉。但(シ)仙院之後有(テ)2御出家1奈良ニスマセ玉ヒシカハ、奈良ノ御門ト申一名マシ/\キ。其(ノ)上彼ノ院於2奈良京(ニ)1崩御《ホウキヨ》之間、依(テ)3立(ルニ)2高陵於奈良(ニ)1如此申也。御在位之時ハ平安城ニマシ/\シ上者.爭カ奈良御門トハ可申哉 其理頗ル不2相叶1。嵯峨深草醍醐花山是皆或ハ離宮(ノ)號《ナ》、或ハ山陵ノ名也。莫(レ)3迷《(マヽ)》2或(スルコトニ)之1。例(セハ)如(ナル)d號(スレト)2寛(128)平(ヲ)於朱雀院(ト)1承平(ノ)御門也、雖(トモ)3稱(スト)2圓融(ヲ)於仁和(ノ)帝(ト)1光孝天皇(ナルカ)u者哉。又人麿赤人大同以前(ノ)歌仙也。諸兄《モロエ》家持《ヤカモチ》不《ス》3奉《ツカウマツラ》2此|朝《ミカトニ》1。旁以(テ)無(キ)v據者也。所詮古今集ノ序(ノ)平城天子ヲハナラノ天子ト可v訓(ス)也。其(ノ)故者、當集第一第十第十七卷(ニ)云、平城ナラ、又第一第八卷(ニ)云(ク)、平山【ナラヤマ】平宮【ナラノミヤ】平城故郷【ナラノフルサト】如此訓v之。加之國史(ニ)曰(ク)、平城(ノ)朝(ト)左大臣|石足《イシタリハ》者天平元年二月任2正四位下左大辨(ニ)1【以下略之】。又曰(ク)、藤原朝臣|弟《ヲト・ツキ》貞《サタ》平城朝左大臣正三位長屋(ノ)王男焉。長屋王者天平元年三月十日|坐《イテ》v辜《ツミニ》自殺《シセツス》云云。此等(ノ)平城朝聖武天皇也。尾張國風土記曰、愛智《ヲチ》郡(リ)福生寺|俗《シヨクニハ》號(ス)2三宅寺《ミヤケテラ》1。平城(ノ)宮(ノ)御宇|天瑞國押開豐櫻彦《アメミツクニヲシヒラキトヨサクラヒコノ》天皇神龜元年從七位下|三宅連庶佐《ミヤケノムラシモロスケ》所(ロ)3奉《マツル》2造《ツクリ》之1【已上】。公卿補任(ニ)曰、藤原朝臣仲麿【贈太政大臣武智麿男】平城朝天平十五年五月五日任(ス)2參議民部卿(ニ)1乃至天平寶字元年五月十九日任(ス)2紫微内相《シビダイシヤウ》兼《ケン》中|衛《エノ》大將(ニ)1矣。以(テ)2聖武(ヲ)1奉(ル)3號(シ)2平城帝(ト)1支證等分明也。仍(テ)古今集(ノ)序(ノ)平城天子(ニハ)奈良(ノ)天子(ト)可v訓(ス)之條無2異論1者(ノ)哉。重(テ)問(テ)云(ク)、以(テ)2繼躰王(ノ)位次第(ヲ)1爲《スル》2十代1事、并(ニ)平城ヲナラト可v訓之旨誠分明也。但(シ)縱(ヒ)有(テ)2道理文證1雖(フトモ)3可v稱(ス)2聖武(ヲ)於奈良(ノ)御門(ト)1。於和歌道(ニ)1者俊成定家爲家以後彼(ノ)家督《カトク》相承之義可(キ)3賞2翫之1者也。而(ルニ)自(リ)2大納言爲氏卿1以來(タ)以(テ)2文武天皇(ヲ)1號2奈良御門(ト)1、於2彼御宇(ニ)1被(ル)v撰2萬葉集(ヲ)1。人麿赤人同(ク)爲(ル)2近臣1之由代々(ノ)庭|訓《キン》也。隨(テ)而二條家ノ證本ノ古今集ニハ、序并秋部ノナラノ御門ノ御歌ト云註ニハ、文武天皇ト被(レ)2註付1訖。尤可(シ)3指2南之(ヲ)1。就中大和物語注(ニ)云、釆女ヲ召ルヽナラノ御門ハアメノ帝也云云。爰ニ文武天皇ヲ天之津足大火《アメノツタラシオホヒノ》天皇ト申者ノ乎。又人麿赤人同時帝ノ事、當集第一卷(ニ)安騎野、同第二雷岳臨幸之時【輕太子云云文武天皇】人麿|侍《ハヘテ》v駕《ミトモニ》詠歌有v之。勘(ルニ)2此等(ノ)證跡(ヲ)1、奈良御門(ト)者文武天皇勿論之上者、不可3背(ク)2嫡流相博之義(ヲ)1。此條如何。答(テ)曰(ク)、人丸赤人同時帝(ヲ)稱2寧樂御門(ト)1之條諸一同之義也。然而(モ)人麿者自(リ)2文武天皇1至(マテ)2孝謙天皇(ニ)1七代之朝(ニ)奉(ル)v仕(ヘ)之由載先段(ニ)訖。不可限2文武一帝(ニ)1者也。次(ニ)赤人同時事※[手偏+僉](ルニ)2當集現文(ヲ)1、文武御宇(ノ)詠歌一首モ所不見之1也。爰知(ヌ)元明以後(ノ)歌仙トシテ至(ト)2聖武御宇(ニ)1云事ヲ。復次ニ文武(129)御宇(ニ)被v撰2萬葉集(ヲ)1之由(ノ)事、彼(ノ)帝大化三年八月十五歳ニテ即位。慶雲四年六月十七日崩御(ト)云云。御在位之閤爲2幼帝(ト)1。曾(テ)以(テ)撰集之沙汰無之1。被3載《ノセ》2何(ノ)記録(ニ)1乎、不審|旦千《シヤセ》也。抑勘(ルニ)2萬葉集一部始終(ヲ)1、從2第一卷1於(テ)2卷々處々(ニ)1引(ク)2日本紀風土記(ヲ)1。爰(ニ)彼(ノ)記者天慶六年日本紀|竟宴《ケイヱ》橘(ノ)直|〓《カンカ》序(ニ)曰(ク)、元正天皇御宇一品舍人(ノ)親王|太《ヲオノ》朝臣|安麿等《ヤスマロラ》奉勅《ホウチヨク》、四十二帝之|興衰《コウスイ》一千餘年之治亂録v之矣。次(ニ)風土記者聖武天皇御宇天平年中被v仰2國々(ニ)1、至(テ)2孝謙天皇勝寶元二載(ニ)1被2召す集1者也。若此集文武天皇御宇(ニ)於3被2撰之(ヲ)1者爭(カ)以(テ)2三四代末來之書(ヲ)1爲(ン)2本文(ト)1哉。將又(タ)文武天皇(ハ)者人王四十二代之帝也。隨而彼御宇之治世被2載之(ヲ)1歟。知(ヌ)文武天皇(ハ)者萬葉集以往(ノ)御門也ト云事若(シ)v斯。被3迷2明鏡之證跡等1被3背2俊成定家之庭訓(ヲ)1之條可3謂2暗證之義勢(ト)1者(ノ)歟。次(ニ)天帝(トノ)事、聖武(ヲ)天瑞國押開豐櫻彦《アメシルシクヲシヒラキトヨサクラヒコノ》天皇(ト)申上(ハ)者是又非(ル)2文武一帝(ノ)號《ミナノミニ》者(ノ)乎《ヲヤ》。又二條家代々庭訓(ノ)事、古來風躰(ニ)云(ク)、ナラノ宮聖武天皇(ノ)御時(ニ)ナン橘(ノ)諸兄大臣(ト)申人勅ヲウケ玉ハテ萬葉集ヲ撰ト云云。此抄俊成卿筆作之由八雲御抄被(ル)2載之(ヲ)1。而(ルヲ)爲世卿非(ル)2俊成卿之制作(ニ)1之旨勅答被申訖云云【此段在上】。加之後鳥羽院被3召2百首(ヲ)1之時、定家卿【于時權少將】依3被2v漏彼人數(ヲ)1尺阿被3進2仙洞(ニ)1愁訴(ノ)状云(ク)、奈良(ノ)東大寺ノ大佛ツクラセオハシマシテ候聖武天皇ノ御時萬葉ヲエラハレテ候。又此都ニハ延喜ノ御時コノ道興シ候【前後略之】。此現文在掌之上者不4可3依2彼(ノ)嫡流之庭訓(ニ)1者(ノ)歟、而(ニ)彼禅閣者匪(ス)2直也人(ニ)1。於2斯(ノ)道(ニ)1(ハ)者被3通2神明(ニ)1之由有2其(ノ)譽《ホマレ》1。然者此抄等已(ニ)天下之明鏡也。縱(ヒ)雖(モ)3爲(ト)2他(ノ)門葉1誰(レカ)蔑2如(ン)之(ヲ)1。况(ヤ)爲《シテ》2彼(ノ)苗裔《ヘウエイト》1尤(モ)可3被(ル)2採用之(ヲ)1。爭(カ)被3違(セ)2曩祖之義理(ニ)1乎《ヤ》。疑(ラクハ)若(シ)被《ラルヽ》3禀《ウケ》2餘家(ノ)之遺流(ヲ)1歟。殆不審相貽ル者也焉。又文武(ヲ)不可稱2奈良(ノ)帝(ト)1事八雲御抄(ニ)云、藤原宮【持統文武元明】平城宮【元明自藤原宮遷之元正聖武孝謙光仁矣。】隨(テ)而當集第一卷云(ク)、和銅三年庚戍春二月從2藤原
宮1遷(ル)2寧樂(ノ)都(ニ)1之時|御輿《ミコシヲ》停《トヽメ》2長屋(ノ)原(ニ)1※[しんにょう+向]《ハルカニ》望(ンテ)2古郷(ヲ)1太上天皇御作歌曰
 トフ鳥ノアスカノ里ヲイ《(オキィ)》テイナハ君カアタリハミエスカモアラム
(130)右御製ハ、慶雲四年六月十七日文武天皇於(テ)2藤原(ノ)宮(ニ)1崩御。同七月十七目元明天皇即位【文武天皇母后】同五年正月十七日改元爲(ス)2和銅元(ト)1。同二年被3建2平城宮(ヲ)1。同三年遷都之時|惜2慕《オシミ タラレテ》文武(ノ)陵《ミサヽキヲ》1令2哀慟1之給(フ)御歌也。君カアタリトハ文武山陵ト聞エタリ。然者奈良(ノ)都(ハ)文武崩御之後經(テ)2四ケ年(ヲ)1草創也。元明以前帝(ヲハ)不v可3稱2諾樂御《ナラノミ》門(トハ)1之條炳焉也。就中當集卷々(ノ)中(ニ)、始(メ)自(リ)2泊瀬朝倉御宇天皇|代《ミヨ》1至(マテ)2元正天皇(ノ)御宇養老年中(ニ)1、代々(ノ)皇代年月具(ニ)以(テ)註(ス)v之(ヲ)。神龜以後天平乃至勝寶々字之間(ノ)歌乍3擧《アケ》2年號(ヲ)1皇代(ノ)註無v之。是則聖武孝謙兩帝(ノ)當代之故(ヘ)也。是(ヲ)以(テ)榮花(ノ)物語(ノ)第一(ニ)云(ク)、昔高野(ノ)女帝《孝謙天皇》天平勝寶五年左大臣橘(ノ)卿諸|卿大夫《マチキンタチ》集《アツマテ》撰(ス)2萬葉集(ヲ)1云云。此文明(ニ)可2見之(ヲ)1。又以2聖武(ヲ)1可3稱2奈良御門(ト)1事尾張國風土記(ニ)曰(ク)、葉栗郡(ニ)川嶋(ノ)社【在河沼郷河嶋村】奈良宮(ノ)御宇聖武天皇(ノ)時|凡海部忍人中《ヲシミヘノヲシヒトノナカニ》此(ノ)神化(シテ)爲《ナテ》2白鹿(ト)1時々出現(ス)。有(テ)v紹《セウ》奉《マツリ》v齋《イハヒ》爲天社(ト)焉。公卿補任(ニ)云(ク)、藤原朝臣八|束《ツカ》【改名眞楯】奈良(ノ)朝天平廿年三月廿二日任(ス)2參議兼大宰(ノ)帥(ニ)1【乃至】天平神護二年正月八日任(ス)2大納言(ニ)1矣。任(セテ)2此等(ノ)文理(ニ)1以(テ)2聖武(ヲ)1那羅御門(ト)申者也。抑萬葉集(ハ)者皇代記曰、天平元年正月十四日奏(ス)2諸歌(ヲ)1云云。此則萬葉撰集之濫觴也。仍(テ)同二年詔《セウシテ》2諸兄公家持(ニ)1被v撰之(ヲ)1。自v尓|以後《コノカタ》迄《イタルマテ》2天平寶字三年正月一日首尾三十箇年之間、以(テ)2六箇(ノ)集1爲(シテ)2本集(ト)1撰v之。所v謂|古今《(マヽ)》集、柿本朝臣人麿集、山(ノ)上(ノ)臣憶良大夫類※[草がんむり/聚]歌林、笠(ノ)朝臣金村集、田邊《タヘノ》福麿集、高橋ノ連《ムラチ》蟲麿集【已上】。此上帝王十代御製、其外被3降《クタ》2芝紹《シセウヲ》於四海(ニ)1逮《ヲヨンテ》于天下之|都人《トシン》士女國々(ノ)防人部領使《サキモリコトリツカイ》上下ノ|丁《ヨホロ》泉郎|乞《コツ》者等ノ歌(ニ)1、作者|都盧《トロ・白里》五百餘人、作歌類※[草がんむり/聚]四千餘首、鳩集所2v令|呈《テイ》進1也。《(マヽ)》誠(ニ)以(テ)非2聊余之撰集(ニ)1乎。又當集(ニ)所v奉(ル)帝王十代御製(ト)者、所v謂雄略、舒明、天智、天武 持統、文武、《(マヽ)》元正、聖武、孝謙【已上】。若(シ)文武(ノ)御宇(ニ)被v撰之(ヲ)1者、元明、元正、聖武、孝謙、未來四代之御製不2可入之(ヲ)1。若天寶慶雲之比被 撰之(ヲ)1者、和銅以後(ノ)神龜天平勝寶々字等(ノ)未來年號(ノ)詠歌不可入之(ヲ)1。旁以相違萬多也。以2何明證(ヲ)1二條家(ノ)證本(ノ)古今集(ニハ)顯露(ニ)被3註(シ)2付文武天皇(ト)1乎。恐(ラクハ)大(ニ)謬(ル)者歟。凡此集ノ爲(リ)v躰|〓遠微〓〓奥《クワウエンビベウヲンアウ》難見之(131)故(ニ)、古來(ノ)好十※[米+斤]簡區(ニシテ)徒|費《ツイヤス》2言塵(ヲ)1者歟。但(シ)於2二條冷泉兩流相論(ニ)1者龍虎之|諍《アラソイ》也。非(ル)2所v及2凡慮(ノ)1者乎。雖v然|不《ス》v堪v耽《フケル》v道(ニ)之志(ニ)1任(テ)2拙劣之管見(ニ)1粗註(フ)之矣。
 
   萬葉集撰者
當集撰者事先達樣々(ニ)申(ス)v之。或云山上(ノ)憶良、或云藤原|眞楯《マタテ》、又橘左大臣大伴家持云云。前兵衛佐顯仲(ノ)云(ク)、萬葉集者橘諸兄藤原眞楯等奉勅撰之(ヲ)1云云。仙覺考之1云、憶良(ハ)者當集以前(ノ)先達也。眞楯(ハ)者不3※[手偏+僉](カヘ)2其證據(ヲ)1。而(ニ)此集者左大臣橘諸兄公大伴家持爲(ル)2撰者1歟。其故(ヘ)者《ハ》第十九卷家持歌(ニ)云
 白雪ノフリシク山ヲコエユカム君ヲソモトナイキノヲニ思フ
左大臣換(ヘテ)v尾(ヲ)云、イキノヲニスルト。家持猶(ヲ)喩《サトシテ》曰、如v前誦v之(ヲ)1也。撰者於(テ)d不2甘心1之句u欲(スルカ)3換《カヘント》2尾(ヲ)1歟。然而(モ)家持相共(ニ)爲2撰者1之故(ニ)令2評判者(ノ)1也。就中第廿卷、昔《ムカシ》年|防人《サキモリカ》歌書v之(ヲ)畢(テ)云(ク)、右八首(ノ)歌贈(ル)2兵部少輔大伴家持(ニ)1云云。爲(ル)2撰者1之條勿論也。而(ルニ)諸兄公文武天皇御宇(ニハ)葛城王《カツラキノ大キミトテ》※[苟+苟]《ジヤク》年末稽古之時分也。家持(ハ)十歳以前|幼童《ヨウトウ》也。豈及(ン)2撰集之沙汰(ニ)1乎。然者文武御宇之比ハ萬葉集撰者誰人(ソヤ)哉。未審々々。爰(ニ)諸兄公(ハ)至聖武天皇御宇天平八年(ニ)1爲(シテ)2左大辨(ト)1始(テ)賜(ル)2橘(ノ)姓(ヲ)1之時太上天皇御製曰
 橘ハ實《ミ》サヘ花サヘソノ葉サヘ霜ハヲケトモマシ常葉ノ木
其後經(テ)2左大臣(ヲ)1、天平勝寶元年叙(シテ)2正一位(ニ)1爲2致仕《チシノ》大臣(ト)1。驗《アキラカニ》知(ヌ)爲《シテ》2聖武孝謙之|寵《テウ》臣(ト)1萬葉集爲2撰者1事。隨|而《テ》第一卷(ノ)奥書(ニ)云(ク)、天平寶字五年左大臣橘(ノ)諸兄撰2萬葉集(ヲ)1矣。又家持同爲2撰者1之條勘(カヘ)3載《ノセ》先段(ニ)1訖(ヌ)。而(ニ)諸兄公(ハ)孝謙九年天平寶字元年正月六日薨(ス)。家持(ハ)至(テ)2桓武天皇延暦二年(ニ)1任(ス)2從二位中納言(ニ)1。同五年十月五日※[戀の心が十](ス)云云。然則(チ)撰者兩人共ニ文武平城ノ中間之先賢也。仍當集者非2文武之撰集(ニ)1非(ル)2平城之勅撰(ニ)1之旨明白也。誠(ニ)知(ヌ)聖武皇帝ノ勅集ト云フコト無2異論1者哉矣。
 
   萬葉集點和
天暦(ノ)御宇詔(シテ)2大中臣(ノ)能宣、清原(ノ)元輔、坂上(ノ)望城、源(ノ)順、(132)紀(ノ)時|文《フン》等(ニ)1於2昭陽舍(ニ)1梨壷加2和點(ヲ)1。號(ス)2古點(ト)1。又追(テ)加(ル)2點(ヲ)1人々、法成寺(ノ)入道關白太政大臣、大江佐國、藤原ノ孝言、權中納言匡房、源(ノ)國信、大納言源師頼、藤原ノ基俊等各(ノ)加v點(ヲ)。此名(ク)2次點(ト)1。又權律師仙覺加v點(ヲ)。此|稱《ナツク》2新點(ト)1矣。抑新點事、後嵯峨院(ノ)御宇獻2上仙洞(ニ)1仙覺奏状(ニ)云(ク)、去寛元四年夏(ノ)比、抄d出(シテ)諸本無點(ノ)歌長歌旋頭合百五十二首(ヲ)u、同年七月十四日|終《ツイニ》以(テ)加(ヘ)2推點(ヲ)1畢(ヌ)。所v點(スル)有(ラ)v誤(リ)者|奇《(マヽ)》置何(ソ)有(ン)v恨(ミ)。所v點無v誤(リ)者採用何(ソ)無(ン)v許(ルシ)。羨《コヒネカハクハ》達(シテ)2天聽(ニ)1欲(ス)3遂(ト)2地|望《ハウヲ》1。其(ノ)理若(シ)叶《カナハヽ》者勿(レ)3嫌(フコト)2桑門下智之僧徒(ヲ)1。其事若(シ)宜(シクハ)者勿(レ)3賤《イヤシムコト》2柳城邊|鄙《ヒ》之凡侶(ヲ)1。疋夫言《ヒツフノコトハ》聖人|擇《エラフ》v之(ヲ)蓋此(ノ)謂(ヒ)歟。爲(ニ)3散(カ)2餘執(ヲ)於萬葉之古風(ニ)只《タヽ》加(フ)2數點《ステンヲ》於一身之底露(ニ)1。採用難v知、任(ス)2浮沈於龍池之水(ニ)1。叡賞《エイシヤウ》不v辨、待(ツ)2許否《キヨフヲ》於鳳闕之雲(ニ)1而已矣。此奏状依(テ)3達(スルニ)2天聽(ニ)1有(テ)2叡|感《カン》2被下
御製(ヲ)1               後嵯峨院
 ワカノ浦藻ニウツモレテシラサリシ玉モノコラスミカヽレニケリ
   萬葉得|果《(マヽ》仙覺律師房
其後被尋下條々在別紙依v之(ニ)被3召2入續古今集1訖(ヌ)。
凡仙覺所調新點本者
正二位前大納言《頼經光明峯等御息》征夷大將軍《鎌倉將軍》御本 松殿入道殿下《法性寺御息》御本【帥中納言伊房手跡】
光明峯寺入道前攝政左大臣《後京極殿御息》家御本
鎌倉古大臣《實朝右幕下御息》家御本 六條修理大夫經盛《刑部卿忠盛御息》本【彼本者以二條院御本書之經盛自筆也】
左京大夫顯輔《顯季息》本 右大辨光俊入道眞|親《(マヽ)》《按察中納言光親息》本【基長中納言本也】
己上以(テ)2十本(ヲ)1令(ム)2校合1矣。古次兩點(ハ)者以v墨(ヲ)點v之、於(テ)2新點1者以v朱點v之。所v調本(ニ)云(ク)、文永元年十月廿五日依(テ)2中務卿親王家仰(ニ)1令2獻上之(ヲ)1訖(ヌ)。同三年丙寅八月廿三日重(テ)調v之(ヲ)相承之(ヲ)云云。萬葉集點和事 天暦(ノ)御時|廣幡《ヒロハタノ》女御ノスヽメ申サセ給ケルニヨテ、仰(セテ)2五人(ノ)英才《エイサイニ》1漢字(ノ)右(ニ)被3付2假名(ヲ)1云云。然而(モ)無2點和1之歌多(ク)相(ヒ)貽(ル)之上(ヘ)、古語鬼語相(ヒ)交(ハリ)輙(ク)難v得2其心(ヲ)1。故(ニ)翫(フ)v之人(モ)少(ク)、證本又(タ)稀《マレ》也ケルニヤ。爰ニ俊綱ノ朝臣法成寺寶藏ヨリ申出テ書寫之(ヲ)1。其後顯鋼ノ朝臣書寫(133)流2布之(ヲ)1云云。又漢字之外假名ノ歌別(ニ)書(ク)v之(ヲ)コト、法成寺入道殿爲(ニ)4令《玉ハンカ》3獻2上東門院(ニ)1、仰(テ)2藤原家經(ニ)1被書2寫萬葉一部(ヲ)1之時、假名歌別(ニ)書v之云云。雖v然又(タ)道風手跡(ノ)本假名(ノ)歌別(ニ)書v之(ヲ)。然則漢字(ノ)右(ニ)付(クル)2假名(ヲ)1事梨壺(ノ)舊例也。尤(モ)可2貴(フ)之(ヲ)者歟。委細追テ可詳之(ヲ)1耳。
 
詞林釆葉抄 第十
       交畢
書本云、
去年《貞治四》秋之比、二條關白殿下仰(テ)2冷泉相公(ニ)1、可參洛之由度々依(テ)被仰下、及2今年五月中旬(ニ)1令2上洛1、於2執柄家1萬葉集一部讀進之(ヲ)1矣。
以2其次(ヲ)1詞林釆葉抄【由阿抄出】備2上覽(ニ)1之處、即(チ)召2置之(ヲ)1被v副2御本萬葉集(ヲ)1訖(ヌ)。仍(テ)此|草《(マヽ)》己非2私ノ抄物(ニ)1乎。就中至第十卷1者冷泉二條兩流之差違粗記v之(ヲ)1。豈非(ス)d以2尺※[晏+鳥]《セキエン》之《ノ》眼(ヲ)1※[米+斤]《ハカルニ》c大鵬之翅(ヲ)u哉。
然而(モ)太陽之光(ハ)者管見知v之(ヲ)1、迅雷《シンライノ》之響(キハ)者|蒙愚《モウク》驚(ク)v之(ヲ)。因(テ)v茲或(ハ)就2古集之文理(ニ)1、或ハ任(テ)2先賢之舊記(ニ)1所v令(ル)3採2擇之(ヲ)1也。然者此抄於2異門偏執(ノ)之族(ニ)1者不v可3許2之(ヲ)1。返々致難破(ヲ)1之故也。深(ク)納(テ)2匪之底(ニ)1莫(レ)3出(コト)2困之外(ニ)1而已。
 貞治五年十一月廿五日
 
楡柳榮邊藤澤山隱|保《(マヽ)》桑門由阿【春秋七十六】
 應安三年暮春廿日誂數輩寫十帖畢
 
(134)抑此由阿上人者、西都花下備2槐門師範(ニ)1、東關月前爲2藤澤客衆1。而(ニ)萬葉始終口傳盡(シ)2深底(ヲ)1學v之(ヲ)、十卷(ノ)首尾自抄究2深奧(ヲ)1、記v之。誠(ニ)是※[立心偏+広]才博覽(ノ)人也。豈非2和語明鏡書(ニ)1哉。爰(ニ)予以謂酌(ンテ)2冷泉遺流(ヲ)1、幸(ニ)被慕當道(ノ)餘波1。仍及2大概相傳1、致(ス)2一部書寫(ヲ)1。但殘命己(ニ)待(ツ)旦暮(ヲ)1。餘執必莫3及(フ)2再往(ニ)1而已。
 柿本遺塵澄經記之 春秋滿七十
 
于※[山/日]明徳第三暦【壬申】黄鐘下旬之天、一部十卷筆劫訖。抑此抄依不思儀之子細一見。誠以可謂千載一遇者也。仍不堪欲携此道志、乍聊爾書之所以者、何散孤陋之聞、爲助獨學之廢忘也。愚筆之拙姿、一身猶以痛之。豈不慙他見哉。羨後人莫出笞底。縦雖有十之八九者僻字、爭不致九牛一毛之徳乎。於此寫本文字不審千萬々々。况禿筆之謬及過半歟。雖然爲萬葉集一部之採葉之上者可秘々々。穴賢々々。【寫本者注付小字等悉以墨書之雖然此本者私ニ以朱書之】
       豐原寺住侶蘭臺【實名教憲春秋壯年】
或人云
 此由阿隱遁之後、從二條關白殿下萬葉集之深奥可注進之由依破抑下、此抄備上覽。其時同獻一首云云。其詠云
思ヒキヤ木カクレハテシナラノハニ關路ノ月ノヤトルヘシトハ
 此抄寫得之刻、此物語或人被觸耳之間、同私書之。眞僞雖知後見許用無益歟如何。
 
於白山豐原寺南谷聞持之御房宥遍僧都御自筆本給書寫畢
 抑此道依望被許御本申及眼見事生涯思出何事歟如之
             非人宥惠如意之
 
于時永享三六月十一日
  造筆畢權律師宥惠
 
(135)拾遺釆葉抄
 
萬葉集名事
ヨロツノ言葉ト云義也。
上代々ノ御製ヨリ、下百寮緇素、萬國民庶、相|僕《(撲カ)》部領使、防人丁、及白水郎、乞食者等歌ニ至マテ、都慮四千五百十六首令綜緝之故ニヨロツノコトノハト名付ル者也。
問云、古今集以來代々撰集皆題目下ニ和歌兩字アリ。何此集ニ無之乎。
答云、不載和歌兩字事二義アリ。一二ハヨロツノコトノハ即和歌也。二ニハ寄花寄月詠歌ヲ時、他人又詠ヲ同題ヲ和歌ト云。不然ヲハ只某甲作レル歌ト書。當集ノ心如斯。又古今集以後集々和歌ト書コトハ、詩ハ是唐ノ歌也。今ノ五句歌ハ我朝ノ風俗ナレハ、ヤマトウタト云ナルヘシ。其意趣聊異ナル物歟。
 
  第一
 泊《雄略》瀬朝倉宮 高《舒明》市岡本宮 明《天武》日香河原宮
 後《同》岡本宮   近《天智》江大津宮 藤《天武》原宮
 元明天皇      藤原宮和銅元    寧《元明》樂宮
一、〓頭 雜歌 長歌也  雄略天皇|御製《ミウタ》
 コモヨミ、若菜入ル籠也。吉也。ツクシヨミ、津串也。須兒ハシツノ反也。ソラミツ山跡ノ國、古事記曰、櫛玉|饒《(マヽ)》日命乘天磐舟ニ過行葦原國ヲ、虚空見津山跡國云々。
一、山トニハ村山アレト、連山也。トリヨロフハ取寄ナリ。國見ハ登高山ニ國ノ形勢ヲ望也。天香來山、天ノ異ナル香來ル所ト申也。國原ハ平原ノ義也。海原同前。
一、八隅知之 在采葉抄
一、ミトラシ、御多羅枝也。【多羅葉ノ長七尺五寸也准之】
(136)一、玉尅春 在采葉抄 或云、玉樹ノメクム儀歟。
一、ワツキモシラス、タツキモシラス也。
一、村肝、思ノ切ナル時ハ斷腸コト寸々云云。山コシノ風 ウラフレハ、内ニ歎也。内ハ心也云々。
一、草枕旅、草ヲ枕ニ結ニハ非ス、カリノ枕也。又高シト云也。又草ハ始)義也。
一、時シミ、時シケキ也。シヽミシケミ、同音也。ヌル夜オチス、ヌル夜コトニ也。カヽヌ心也。
一、夕月ノ事 在別紙
一、齒ヲ世トヨメルコト、歳義也。年齒ハ世也。
一、欲《ホリ》シ、思シ也。セマホシナト同之。
一、渡津海、ワハ廻ル、タハ瀝ル、ツハ休字也。ウハ多、ミハ水也、曰大海ハ須彌ヲ廻リ瀝テ多キ水也。龍神ヲワタスミト云モワタノ祇也。又ワタツミトハ綿ヲツム言也。委細ニ在采葉抄。
一、空蝉ノツマ、嚴キ郎女也。
一、豐旗雲 在采葉抄
一、冬木成、冬ノ木ノ目ノ春ニナルト云言也。又冬ノ期極ト云也。成ハ終也ト注文選ニアリ。
一、青丹吉 在釆葉抄 味酒三輪三室 同前
一、杣カタ、只杣也。ハヤシハシメ、杣ハヤス也。
一、アカネサス紫、紫ノ色ハ赤色ノ所接也。
一、草ムサス|フ《(マヽ)》、仙覺云、草ムサス、若クムサセテ老セヌ郎女ト云々。然而只草茂サス〔二字右○〕トヨミテ、ツケラス、トコハカニテアレト可申ニヤ。
一、ウツアサヲ オミノ大君、麻ヲハキテ白クナスヲウツト申トカヤ。ヲミハウム言也。
一、玉タスキ 畝火 在采葉
一、アマサカルヒナ、天離ル日ト云詞也。又都ヨリ國々ヘ下ハ天ノサカリタル心地スルトモ申。田舍ハ徒然也。故(ニ)日長トモ申也。
一、石走足淡海、水ハ淡ノ石ヲ走也。
一、霧ト云和語ハチリト申言也。チリ/\トスル也。然ヲ霞ノキリアフト申ハ流ルヲヨメル也。
(137)一、サキク、サチ、同幸也。不死云幸ト、不合凶ニ云幸ト云。
一、サヽ波 在采葉 手向草 同前
一、タチハキノタフシノ埼、刀ヲ帶タルハ手ノ節ノミユル也。
一、鹽サヰノ事、仙覺云、鹽境ト云々。然而境ハ假名ツカ|ヒ《(マヽ)》ナリ。コノ所ニ歌ノ書ヤウ皆ヰ也。然ハ只鹽ノミチクルサキヲ申ヘキニヤ。ヰハ休字歟。雲井ト申言モカナラス居ニモ非ス。只雲ノ立所也 隨而第二卷ノ歌ニアトヰ波立ト云ルモ、跡ニ波ノタツトヨメレハ、ヰハ休言ト申ヘキ歟。
一、息津藻ノカクレノ山、息ノ藻ハ沈浮モサタマラス隱ルヤウニ侍ルニヤ。
一、隱口初瀬 在采葉(ニ)
一、坂鳥、山ニアルハ山鳥、野ナルハ野鳥、又田鳥、水鳥同前。坂ヲコユル鳥ハツカルヽ心歟。
一、旗薄、穗ニ出テナヒクハハタニ似ト申也。
一、ミ草 在采葉 東野 同前
一、荒妙ノ藤、赤ク妙也。白妙ノ藤トモヨメリ。
一、衣手ノ田上、古語ノ習重テ申也。手ノ手《タ》トツヽクルナリ。
一、百タラス筏、百ニタラス五十トツヽクルナリ。百ニタラス八十《ヤソ》三十《ミソ》 同前
一、明日香風 初瀬風、痛足風、伊香保風、同之也。
一、日經緯 在采葉 朝毛吉木 同前
一、ツラヽ椿、葉ノ面ノツラヽト|ミ《(シヵ)》タルナリ。又列木ノ義ニモ申ニヤ。
一、トモヤタハサミ、ヌサトリムケテ。
一、墨吉、スミノエ、ミツノヘ、スミヨシ 在佐葉抄
一、宇治間山、或云ウチ山ノ異名也ト。然而當集ニ自寧樂宮幸于吉野宮ニ時ノ御製ナレハ非宇治山ニ。
一、スメ神、社ヲ造並テ奉齋神也。
一、栲《タヘ》ノ穗、タヘノハ褒ル言、穗ハアラハルヽ詞也。(138)火ヲホトヨメルモ顯ル物也。アカルハアラハルヽ也。
一、玉桙道 在采葉(ニ) 神風伊勢 同前
 
  第二
 難《仁徳》波高津宮 近《天智》江大津宮 明《天武》日香清御原宮
 藤《持統》原宮   後《齊明》岡本宮  寧《元明》樂宮
一、山タツ、歌注ニ曰、造木ノ物也云々。
 或抄物ニ山タツハ小田|等《(マヽ)》ミツ也ト云々。此歌ノ次上ノ歌ハ山タツネトヨメリ。俗ニハタツキト云物ナリ。歌ニモタツキヲトヽヨメリ。此ハツカフトキハ我方ヘ向テ外ヘ向ハヌ物也。兵具ノ時ハ斧鉞ト云也。六※[革+蹈の旁]ニ曰、將軍受命乃齊於太廟擇日授斧鉞(ヲ)、君入廟西南ニシテ而立ツ。將軍入テ北面ニシテ而立、親採鉞持其首授其柄曰、從此似往上至於天(ニ)將軍制之矣。是別征敵ヲ速ニ還白セヨ云々。今ノ歌心准之。
一、岩根ミマク、枕ニカヽリテ臥タルハ三卷也。マトハルナリ。
一、信濃眞弓 在采葉(ニ) ミツラハ御絃也。上古ハヨロツノ和語ニ字母ヲツカフナリ。字母ヲハ男聲トモ申也。己下四韵ヲハ字子ト申也。
一、オカミ、※[虫+也]寵也。 在采葉ニ。 大雪フレリ、
 足引山、ハシキヤシ、同前。
一、朝河渡、冷クハケシキ事也。
一、マスラヲ、益荒ノ義也。マスラ武雄トモ申也。
一、我ユフ髪、人ニ被戀ニハ髪ノヌルヽ也。 在本文ニ
一、アリコセルカモ、アリモスルカモ也。
一、大舟ノ津守、大舟ハ出入タヤスカラス、其津ニ居ル物ナレハ申也。
一、ダケ《(マヽ〕》ハヌレ、タクハアクル也。ヌレハ髪ヲアケタルハヌル/\トマトハル也。妾ノ髪ヲハ夫ノ拷ケル也。
一、橘ノカケフム路ノ八衢、仙覺云未勘ト云々。
 筑後入道|寂意《孝行 仙覺嫡男也 光行子》勘テ申、右近橘陰也云々。
今考之曰、文選(ニ)市路ヲ八衢ト云。然者大和國迦留市(139)ハ橘寺ノ前也。若是ヲ申ニヤ。
一、オホナコヲ ヲチカタ、女ハ兒ヲトスト申也。
一、玉松カエハハシキカモ 朝參ノ義也。
一、手童、手ニイタク程ノ少兒也。
一、鯨魚取 在采葉ニ
一、此道ノハナ《(マヽ》 隈コトニ、ナヒケ此山、
一、香青ナル、香ハ發語也。青也。
一、朝羽フルヽ、朝渡ルナリ。亘《ハフル》。風雲波ニアリ。
一、波ノムタ、波ノ友ニ重也。ムタハ、共ノ古語也。
 一集ノ始終ニ可亘。古語抄ニ、ア。發語也。香、維、發語也。
 羽振亘。共ムタトモ也。モコロ如也。
 ス、樣。シミシケキ。シヽ、同前。シダ間。アヘ加也。
 ユ、ヨリ。但ユハ發語ニモ。カタミテ、廻。モトヲリ、同。
一、角※[章+おおざと]往 在采葉ニ。アマツタフ、同。
一、コトサヘク、唐人ノ物申ハサヤカニモナキ也。
一、イクリ、維ハ發語。クリ也。石也。
 春駒ノアカキヲハヤミ
一、挽歌、哀傷也。前漢ニ田横ト云臣没時被官者挽柩。繩ヲ着テ歌ヲ作テ挽云也。繩ヲハ挽※[糸+弗]ト申也。
一、カヨリカクヨリ、彼ヨリ此ヨリ也。キソノ夜、昨夜ナリ。
一、三輪山ノマソユフ 短ユフ、眞麻ヲ付タル木綿ヲ長シト思タレハ、命短ケレハ短木綿ト申也。
一、神ノ字ヲミワト讀ム事、※[虫+也]ハ神ノ假躰也。然ニ※[虫+也]ハカナラス三曲ニ臥故ニ申トカヤ。
一、荷向ノハコ、工調ノ荷ヲハタラカサシトテ、緒ヲツヨク付ヲ結タル也。
一、袋ニ火ヲ入事、葬例ノ火ヲハ袋ニ入也。
一、玉葛ミナラス、葛ハ何モミナルハ少也。
一、荒《凶服也》妙衣、堯舜ハ藤衣ヲ着玉シ也。
一、向南《キタ》山、天智山陵ハ山城ニアリ。太后奈良ニ座テ北山トヨミ玉フ。天智御馬ニメシテ行方シラス失給(140)フ。御沓片方宇治ニ落チタリ。沓石ト云也。
一、飛鳥ノキヨメシ、鳥鳴ヲ聞テ掃除スト云也。
一、春花ノカシコキ、花ノ香トツヽクル也。
一、大船ノ思タノミテ、大船ハ危コトナキ也。
一、放鳥、籠ノ内ヨリハナツヲモ云。是ハ羽ヲコキテ池ニ放タルナリ。
一、佐日ノ隈、サヒ仙覺、サイ寂意
一、木|丘〔右○〕開道《モクサイミチ》、草木ノ茂ヲハ丘ヲ書也。
一、毛衣、褻衣也。
一、ヤタコラ、奴等也、クモリ、同。
一、御食向大※[瓦+玉]《ミケムカフコカメ》、御食向ヒ來ト申詞也。又昔ハ土※[瓦+玉]ニテ御膳ヲ獻ケルトモ申。
一、飛鳥河、ノホリ瀬ニ、石橋渡シ、下リ瀬ニ、打橋渡シ
一、ユフツヽノカヨリカクヨリ、毛詩曰、在東曰啓明在西成長康云。位ノ違テ出ヲ申也。
一、狛劔ワサミカ原、高麗ノ鉾ノサキハワサ/\トアル也。又鉾ノ輪ノアルヲモ申ナリ。
一、久堅ノアマツ御門、天皇ト申故也。
一、木綿花、木綿ノ木今ノ世ニハ絶タリ。昔ハ近江國ノ湖津ニアリケリ。羅浮山記ニ云、子ハ如米坏花ハ似芙蓉。正月|花《ハナサキ》五月ニ子矣。
一、ソトモノ國ノ橘《(マヽ)》タテル不破山コヘテ云々。
一、判竹皇子、篠竹ノ子トツヽクル也。
一、鳥カ鳴東 在采葉
一、鹿シ|ミ《(マヽ)》ノ、鹿ノ如ニ臥也。イハヒ臥同ナリ。イハ|淵《(マヽ)》ノ發語。伊ハヒモトヲル、廻也。
一、渡會ノ齋ノ宮、水穗ノ國
一、コトウヘク百濟、言ノ理ヲ得テハクタラトナル也。
一、久堅ノ天ニシラルヽ、天命ノ事也。
一、夜コモリノ猪、カルモカキテ夜ノコトクニ臥也。
一、ウツセミノ人、世ト云モアタナル也。
一、カケロフノ石垣淵、カケロフ日ト云也。イヲヒニカヨハス也。又ハクロキ蜻蛉ハ岩ニ似タル也。
(141)一、御タチセシ橘ノ嶋ノ宮、マカリノ池アリ。
一、コチ/\、條々ノ義ナリ。重也。ヲチ/\トモヨメリ。
一、白|栲《タヘ》ノアマヒレコモリ、白妙ノアマハ妙天也。領巾《本ノマヽ》ハ頂ニ餝ル物ナレハアマヒレト云也。
一、サネカツラ後モアハム、堤ニ立ル槻ノ木。
一、鳥徳自物、鳥ヲ脇ニハサミテ合ヲ申也。
一、枕ツクツマ屋、枕ハ北ニスル物也。妻屋モ北ニアレハ、枕ニツヽク妻屋ト申也。
一、ワキモコカカタミニヲケルミトリ子、人丸歌也。妻ニオクレテヨメリ。此ミトリ子ハ柿本美都良歟。
一、岩根サクミテ、窪ニ决クリタル也。
一、カケロフノホノカ、カケロフハモユル言也。
一、衾道ヲ引手ノ山、衾ニハ乳ノアルヲ引ト云。
一、百枝槻、コチ/\ニ枝サセル。
一、玉床ノコ枕、コロ/\ニ臥枕也。
一、マカリ道、罷ハ去也。行也。
一、アマカソフ凡津子、海人ヲツトフル小|?《事歟》也。アコトヽノフルト云フ同事ナリ。ウナアシ也。
一、玉藻吉讃岐、彼國ノ海ノ藻ハ供御ニ獻スト云也。
一、アラトコ、荒床也。荒波ニヨリクル玉、
一、コキタクモ、コヽタクモ、同言也。多也。巨也。
 
  第三
 和《元明》銅四  神《聖武》龜五、六  天《同》平元、二、七、十一、十六
一、雷岳 在采葉ニ
一、ソラ行月ヲ網ニサシ、ヒハリ網ノ圓ナルカ月ニニタル、是ヲ帝ノ天蓋ニヨセテヨメル也。
一、橘《(マヽ)》ノタツアラ山中、都トナシツ
一、梅ノ和語、ウハ宇、メハ目、大ナル目也。
一、スヘラキ、王字ハ天地人ノ三ツヲ自在ニシ玉フ故也。然ハ三ヲ一ノ點ヲ引※[手偏+總の旁]テスヘラキト申。我朝ハ扶桑國即木也。日東ヨリ出ツ。隨テ日本ト云。本又木也。基也。論語ニ曰、君子務本々立而道生【本基々立而後可大】(142)成矣。】然者日本ノ王ハ木ヲ司リ玉也。
一、大門《ナタ、セト》、阿波國ノ風土記曰、波高《ナタ》云々。明石浦セトナシ。ナタナルヘキヲヤ。
一、アハミ路ノ野嶋近江、東路ノ野嶋鎌倉六浦、夏草ノ野嶋諷詞也。
一、庭トハ、海ノ上ノナキタル也。註文選曰、庭ハ正也ト。海ノ面ノ平々ト有也。正ハ能心也。
一、燈ノ明石 在采葉ニ。射去ハ夜、アサリハ晝也。
一、アモリツク天香具山、天降リ付也。
 此山ハ天ヨリ降也。此缺ハ筑紫ニ天ノ本山トヲアリ。
一、打靡春去來、春則霞ナル故也。
一、香來山ノ鉾椙 在采葉ニ
一、マイテク、朝々參ルナリ。マウノホル也。
一、アマ傳コシ雪霜、イキナメテ、息ツキテ也。
一、燒ツヽ、ヨケツヽ也。片見ノ衣ヲステヽヨケタル也。
一、物武ノ八十氏河 在采葉ニ
一、赤曾保舟、赤キ塗小舟也。
一、近江海八十湊、コキタミ行、廻也。
一、笠嶋ノ勝野ノ原、雪モハタラニ
一、棚引、タナハ天也。七夕ハ天ノ機ト云詞也。
一、クヽツ、今ノ世ニ馬ニ物飼旅ノ具也。海人ノ礒菜ツムトテモツ物也。
一、市樹、樹ハ爲旅客殖之 同前歟
一、梓弓引豐國、弓ヲ引ハ豐ニ弘キ也。
一、井中、井ヲヒニ通テ日長ト云詞也。夷ト云同之。
一、眞白衣【新點マシロニソ、古點シロタヘニ】此卷ノ末ニ我|墨《(マヽ)》髪ノマシラカニト云歌アリ。
一、石花ヲセトヨメルハ、石ノ花ハ石ノセイ也。
一、巨木《ヲミノキ》、仙覺未勘云々。若モミノ木歟。
一、社、コソ、此和語ハ門代ノ反也。上古ニハ神ヲ奉齋トテハ鳥井許ヲ立ケリ。其後社ニ入タテマツレハ、鳥居ハ門ナレハ門代也。
一、殆ノ字ノ尺、近也。敗也。幾也。危也。始也。
(143)一、夢ノ和太、吉野ノ歌ヲ擧中ニ入タリ。然者吉野ノ名所ナリト仙覺注之。然ハ或仰云、源氏ニ夢ノ渡ト云言アリ。コレニコソト。甘心々々尤所仰也。
一、白縫筑紫、大|海《(汝ヵ)》小彦名命 同在采葉
一、濱曩、アヘノ嶋、鵜ノスム石
一、名乘藻ヲ、日本紀ニハ忍心也ト。
一、角鹿濱、水砂兒居 同在采葉ニ
一、物武ノヲミ、男トツヽクル也。
一、殿クモル、タナクモル也。
一、高クラノ御笠、帝ノ御座ノ天蓋也。
一、玉匣奥、匣ノ底也。白香付、白木綿付也。
一、齋ヘ、酒入タル瓶也。秋津羽ノ袖
一、竹玉、竹ヲ寸々ニ切テ祭禮ニ用之。
一、木綿疊 在采葉、奥山ノ榊ノ枝
一、前一ニトヨメリ 煎ノ字ノ列火ヲ書切タリト申先達アリ。無念々々。
一、カラアヰ、恒阿集云、鷄頭花カラアヰ
一、仙柘枝《ツミノキ・アマツミ》、註ニ曰、似桑有|判木《ツノ》也云々。但恒阿集曰、蚕所食也。若桑歟。
一、年魚、點ハ一年物也。然者サケ《鮭》トモ訓ス。
一、瀧ノ上ノ淺野ノ雉、輕ノ池ノ入江
一、妹カ手ヲ卷トモ取トモヨメルハ切ナル心也。
一、鳥總事 在采葉ニ
一、イナタキニキスメル玉、頂ナリ。帝御髪ノ中ノ玉ノ事。
一、ナユ竹、ナヨ竹|内《同ヵ》也。仙覺苦竹也ト云々。然ハ竹ノ惣名ト可申歟。ナヨ竹ノトヲヨルトヨメルモタハヤカナル姿也。同詞歟。
一、サニツラフ、紅顔也。ヲヨツレ、音信也。
一、石門タテ、死門也 在采葉ニ
一、マカコト、誑言也。天雲ノソクヘハ、雲ノ底也。
一、春日野ノ粟、春日里ノウヘコナキ
一、杖ツキモ、異物志云、跨|父《(マヽ)》長萬丈餘善走○持杖見日出向西走○終日走竟不能逐日○大怒枕林以※[人偏+殳]訖杖(144)化爲※[登+おおざと]杖林也矣。
一、ユフタスキカナニ、カヒナニ點也。
一、百傳フイハレノ池、百ニ傳五十也。
一、サヽラ男、月名也。サヽラヱ男、サヽラノ小野
一、七ミ菅、斜菅也。石戸破太刀モカナ
一、初瀬女、泊瀬明神也。長谷ハツトヨム事始終長々トハツルト云義也。イサヨフ雲
一、ヒチカタ、土ヲヒチト云詞、空ニ起ヲ云塵ト、草木ノ權ヲ云土ト。
一、山ノハニイツモノコラ、山ニ出ル雲ト云也。
一、大荒|成《(マヽ〕》ノ時、終焉時也。大ニ荒キ息ナリ。
一、ヲキツキ 在采葉(ニ) 押盟 同前
一、天木香、天童法ヲ行ニハ樫《※[木+聖]歟》ノ木ヲ香ニ用ル也。
一、内日指京都 在采葉(ニ)
一、年ノ緒、年緒ハ相次テ不切故ニヲト申也。
一、ワツカ杣山、ワハ斧也。斧ヲ使杣也。
一、ヨスカ、カタミナリ。日本紀ニ資《ヨスカ》、タスクル心也。又ハ便也。
一、拷角ノ新羅國、ヨキ角ハ白也。
一、敷妙ノ家、ミトリコノハヒタモトヲリ、這廻也。
 
  第四
 神龜元、同二、五
一、不知哉河氣ノコロ/\、河ノ氣ト云也。コトニ此比也。
一、味村ノイサトハユケト、誘引テ行也。
一、河上ノ出雲ノ花、藻ノ花ノ水ヨリ出ツ也。
一、浦濱木綿、刀《(マヽ)》向 内在《(マヽ)》采葉ニ
一、珠衣ノサイ/\、※[王+衣]ノ衣ノ聲也。文選曰|萃葵《スイサイ・ソヨメク》。註曰衣ノ聲也云々。
一、妻ヲツマト云和語ハ、ツヽキマトハル義也。
一、神風、神振山、青旗 同在采葉
一、イユキサ|イ《(クヵ)》ヽミ、船ヲコク跡|ヲ《(マヽ)》物ヲ决ル樣ナル也。
一、水手《カコ》、梶取也。淡路國風土記曰、應神天皇遊※[獣偏+葛]淡(145)路嶋(ニ)之時、海上(ニ)大鹿浮來、則人也。天皇召テ左右紹令問。答曰、我是日向國|諸縣《モロアカタ》ノ群牛也。着用鹿皮ヲ。年老雖不歟仕事尚以無忘。而(ニ)汝カ女貢長髪妃ヲ矣。仍令榜御舟(ヲ)云々。此湊ヲ鹿子ノ湊ト申也。
一、稻日妻浦見、イナフ妻ヲ恨ルト申。
一、市柴、嚴柴也トモ、又市子トモ申也。
一、穂田ノカリハカカヨリアハヽ、稻ヲアナタコナタヨリカリモテ行ハ一所ニ寄合也。ハカハ期ナリ。ハカチトモ申也。
一、三相ニヨレル糸ヨソリナク、無恐。
一、ウツタヘニ、八雲ノ御抄ニハヒトヘニト。又ハツネサマニナリ。譬一、雨障【アマツヽミ・アマサハリ】、雨ヲツヽミテカヘラサル也。
一、麻手、麻ヲカリテ束テ立タル、手ニ似也。シキシノフトハ、庭ニホストテヒロクルヲ申也。
一、好渡人、七夕ヲ申也。
一、アツフスマナコヤカ下、綿厚衾ヲキテヌルハ、風霜ノ思ナクナコヤカナル也。
一、涯ノ官、岸ノ次也。官位ノ如也。又ハ山、野、同前。
一、赤駒、馬ノ毛ハ栗ニ喩。班白黒赤皆同。
一、爪引夜音、弓ヲ引音也。
一、ナコリ、餘波。昨日ノ風波ノヽコリト云々。僧法|僧《(マヽ)》ニ浪ナコリ一字也。
一、アソヽニハ サソ有ラント云詞也。
一、裹鮒、包丁賦云、鯉ノ|フ《(ツヵ)》トニ鮒ノ身ヲ調テ入テ獻スト云々。モフシツカフナトハ、藻臥束鮒也。
一、月桂ハ、在采葉抄ニ。飛鳥ノ河ニミソキソユク。
一、枕片去、枕我ニカタラハレテ夢ミセヨ也。
一、玉主、玉ハ女也。主ハ男也。
一、サトレサカハリ、神ノ心人ニカワリテサトラセヨナリ。
一、翼酢色 在采葉抄ニ。燒刀ノヘツカフ、刀ノキツ也。
一、左テハヘシ、小網ヲハヘシ也。ハネカツラ、花髣也。
(146)一、倭|父《(マヽ)》シツ。父《(マヽ)》ハ和ニ閑ル心也。凡ノ民ヲシツト申ハ、君ハ萬機ノ諮詢ニ御暇少シ。野人ハ一身ノイトナミハカリニテ閑ナル故ニ申和語也。
一、眞玉付ヲチコチ、玉ニ付タル緒ト云也。
一、二鞘ノ家、二刀ノ家ハ中ヲ隔タル也。
一、戀草、戀敷也。泉ノ里、和泉國也。
一、眞香《タヽカ・マサカ》、寢所ヲモ申ス。又只住所トモ見タリ。
一、片※[土+完]《カタモヰ》ノソコ、茶※[土+完]ノ底ニ文付名也。
一、吹舞、ヱメルナリ。ヱマイラルマクト申ス事也。
一、ミツレニミツレ、ムツレナリ。
一、小金門、門ヲ因ク閇タル也。情クヽ、奧ヲ奇心也。
一、ウツセミノ世ヤモ、アタナル代ニフタリツレタル心也。
一、鬼之志許草 在采葉抄、大|ワ《ハ》女ノ惣名也。
一、神ノモロ臥、神ハ夜モ離玉ハテ共ニ臥玉ヘシ。
一、老舌出、老テハ齒落舌出ル也。
一、歌ノ和語、史記曰、歌ハ柯也。ウハ宇、タハ多也。
一、道ノ長手、道ヲ行ニ手ヲ打振樣ナル也。
一、キヒノ酒、キヒニテ造酒也。ヌキストハ、ワタシ也。
一、三笠森ハ、槻木也。筑前國在之。
一、ネヨトノ鐘、餓鬼ノシリヘニヌカツク、佛トテ拜也。
一、ツ《(ワヵ)》ケトハ、男ヲ云也。二ユクナラ|レ《(シヵ)》、二道也。
一、カミシ待酒、米ヲ噛テ造也。漢ニハ酒噛日在之人ヲ待酒也。サヽ|シ《(マヽ)》コトハ也。
一、辛人ノ衣染紫、紫ハ傳致大師唐ヨリ始渡玉。
一、赤根サシテレル月夜、五百百波立、難波男
一、衣手ヲ打廻ノ里、袖ハ打廻ル物ナレハ申也。
一、暮陰草、仙覺未勘云々。
 今試考之ニ、ナニノ陰トモイハサレトモ夕陰トヨメル歌古來是多シ。然者當集第十卷詠蝉歌、
 夕陰ニ來鳴日晩コヽタクモ日コトニキケトアカヌ聲カモ
(147)近來歌
 庭ニ生ル夕陰草ノ下露ヤ暮ヲ待間ノ涙ナルラン
如此兩首者只夕陰ニ生ル草ト見タリ。
同卷云
 陰草ノ生タル宿ノ夕陰ニ鳴蛬聞トアカヌカモ
此歌ハ陰草ト云草アリト見タリ。爰本草ニ景天草ト云ルハ夜一夜草也。コレヲ可申歟。此草夕ニ花開テ明レハ萎云々。
一、大ナソニ、大方也。空蝉ノ人。石橋ノ間チカキ
一、劔刀名ノ惜、立名ノ惜也。又ハ刀ハナヒキタル物ナレハ申也。
一、千名ニ五百名ニ立ヌトモ目ヲホリ、見タキ也。
一、ウケヒテ、祈也。ホトケトモ、殆也。
一、夜ノホトロ、明ルナリ。打渡竹田【竹ノ細橋也】
一、事不問木スラ、物イハヌ木サヘ味ハフテ物ヲ云也。モロチハ、妻戸ハ諸チノアル也。練ノ村戸ハ、クル/\ト廻ハナルナリ。妻戸ノ四五間モ並ヲ村戸ト申也。此戸ノ聲ニスカサレテ人ノクルト思也。
一、玉ノヲヽアハセ《(マヽ)》ニヨリテ、合緒也。イツハリモニツキテソスル。苗代水ノ中淀
ヲトヽシノサイトヽシヨリ。板フキノ黒木ノ屋根
 
  卷五
 始終雜歌。時代無之。歌序在之
一、スへラキノトヲノ御門、高遠ノ言也。
一、コヤシヌレ、是ヤ死也。ヲキソノ風、歎《ナケク》息也。
一、ウキクツ、古沓ハウク也。谷クヽ、谷水也。
一、天雲ノムカフスキハミ、天ハ伏地向也。
一、ナリヲシマセ、家ニ歸テ稔ヲセヨト云也。
一、眞ナカヒニ、眞ニ永日也。ヨチコラ、等閑也。
一、ヲトメサヒスト、乙女スサヒスト《翁サヒ 翁サレ同之》也 遊戯スル也。
一、ニナノワタ、仙覺云、蜷ニナト云虫ハ腸ノ黒ヲ申也ト云々。今考之云、水ノ湛タル所ハ黒也。ワタトハ水ノミワタトモヨメリ。ワハ廻タル也。湛也。
(148)一、シツクラヲキテ、シツラヒタル鞍也。
一、タツカ枝、手ニ束也。イマノヲツヽ、今ノ幻也。
一、サナス板戸、鳴ス也。ミヤヒ、閑麗。雅也。
一、春サレノ詞、春ニナル。春ナレハ。春去ハ餘准之。
一、トシ|ノ《(マヽ)》クモ、殿シケシ也。アカノシ、我主人也。
一、メサケ玉ハネ、召擧給ヘ|シ《(也ヵカ)》。御玉ハ、御賜也。
一、佐余姫、比禮麾 在采葉
 聖武御宇、超代々帝徳ニ事ヲ申云、頼《ミタ|テクニ《(マヽ)》ハ及萬方。註ニ曰、頼ハ被也。及ハ至也。萬方是萬國也。明王治化感得萬國皆歡心云々。
一、トケ霜ノウチコヒフシテ霜柱ハ、コロヒ臥也。
一、ヌヱ鳥ノトヨヒ居、ノトコヘニ、籠聲ニ鳴也。
一、好去好來【ヨクユキ ヨクコヨ・ヨミユキ ヨシコ】、息災ニシテ往還レ也。
一、コト玉ノサキソフ國、言玉ノ幸ソフ國也。
一、カタチツクホリ、形盡欲也。マヒハ、賄賂ナリ。下ヘノ使ハ、冥途ノ使也。ソキノ國、下ヘノ國也。
一、アラタヘノ布カタキヌ。白妙ノタスキ。思父横風
一、サキ草ノ中ニヲネント。
一、貧窮問答。ヒヽシヒシ、源氏ニヒヽ|チヰ《(マヽ)》タリ云言歌《(歟ヵ)》。カトアラヌヒチ、戈《カト》ヨカラヌ也。
 フセイホハ、軒モハラヌ菴也。マキ菴ハ丸屋也。
一、ウツテ、、巌キ父也。テヽハ、照義。ハヽハ、ハクヽム議也。
 
  第六
養《元正》老七 神龜元、二、三、四、五  天平元ヨリ八
一、藤江浦、住吉明神藤ノ枝ヲ海上ニ投テ誓テ云、此藤ノヨリタラン所ヲ我領トセント。仍此浦神領也。
一、マク|ハレ《(マヽ)》ミ 委細見也
一、タニキリテ、コマヌキヲタルヽ儀也。
一、マユ|ク《(マヽ)》セン、マイナヰセンナリ。
一、ヲロヽカニ、ヲロソカニ也。
一、水枝サシ、若枝也。タヽ名ツク、立ツヽク也。
一、カクニシリ|ニ《(マヽ)》、如此見シル也。
(149)一、コケ《(マヽ)》クレハ、ヨチ《(マヽ)》クレハ也。
一、シヽニシアレハ、シケクアレハ也。
一、ナキスミ、鳴嶋也。昔此嶋ノ明神ノコ體ノ御服ニ吉玉ヲ入タルヲ、唐人クシリケレハ、鳴玉テ舟ヲ海底ニ沈メ玉ヒケリト申。攝津國名所也。
一、味コリノアヤ、嚴綾也。間使トハ、使ノカヘラヌニマタヤルヲ云也。
一、隼人ノセト、ハヤ人ハ武士也。武士ハサトシト云也。
一、指進《サシスキ》ノ栗栖、栗ノ栖ハ指出ヲ網ノ樣ナルヲスキト申。
一、雨コモリ御笠。燒刀ノカト打ハナツ、岩ヲ打放刀也。
一、打酒、美酒也。嚴酒也
一、草ツヽミ、草ノ病トテ|ソト《(マヽ)》病也。
一、カニハマキ、カハ歟。
一、粉ハマ、白テ粉ノコトクナル心也。
一、ユフトリシテヽ、取閑也。石綱《イハツナ》、ツタ也。
一、トコ岩、トコシナヘニアル石也。
一、アシカキノ吉野ト云事、不審、古ヲ吉トカキアヤマル也。
一、皇ノヒキノマニ/\、コヒ《(マヽ)》キト申言也。仰任也。
一、カヽヒハ、筑波山ノ祭ニアリ。又掉歌也。漢朝ノ巴國ノ人ノ歌トモ申。
一、時津風 在采葉ニ。八千戈神、大汝貴命也。夜霧立テ、此豊御木、友|ナメ《並》テ
一、御食|間《(向ヵ)》淡路、御ケツ國、工調奉ル國也。百鳥ノコ ソヵ)ヘナツ|ア《(カヵ)》シク。我ハマナコ|ウ《(ソヵ)》
一、武ソカニキタル、武ク來ル也。
 タケソカニ、チカヘル心也。夜ノタケテ思ノ外ニキタル心也。
一、住吉ノ荒人神 在采葉ニ
一、丹ツヽシ、赤也。アチサワフ、嚴幸《イツクシクサイワフ》也
一、イナヰツマカラカニ、イヤト云妻也。仍カラキ也。
(150)一、アカヤ《(マヽ)》、アヤナシ。
一、ヲヽリ|ヽ《(マヽ)》ヲヽル アカリ《上》/\ト云心也。
一、凡有《ヲホナラハ》。サス竹ノ大宮、サヽ竹ハ多心也。
一、ソキ、山ノ間也。
 
  第七
 雜歌 譬喩歌 挽歌
一、琴ノ下樋、琴ノ腹也。
一、菅藻、スケニ似テ人ノクフモ也宇治川ニアリ。
一、タトヘノ網代、ヒヲノアタナルヲ人ノ命ニタトフル也。
一、志長鳥 在采葉。
一、カシフリ立テ、舟ヲ繋ク木也。カシハ木ノ惣名也。日方、範兼 巽風ト云。清輔 坤風ト云
一、アタへ行ヲステノ山、布施物ヲハ捨心ニテ引也。心ヲ留メテ引ニハ三寶受玉ハスト申。
一、チハヤフル金ノ御埼、神ト云言ヲ金ト申也。
一、ユタネマキ荒木ノ小田、ユハ發語也。荒木田也。
一、アユヒ、ハヽキトモ申。クヽリトモ申。
一、眞櫛モテカヽケタ|リ《(マヽ〕》、機ヲ織トテ櫛ニテケツリアクル也。湊ノ洲鳥。アサコク舟。
一、シマツ、嶋人也。東人ヲアツマツト申如也。
一、テルサツ、テルハヒカル也。サツハ武士也。
一、玉オホレ、ソラオホレ《魂オホレ也》也。アマツタフ日笠浦
一、土針、土萩也。木萩 草萩 野萩アリ。
一、橡衣 在采葉。道ノヘノ草フカ百合。
一、辟竹《サキタケ》、破リ竹ハ後ニハウシロ合ニナル也。
 大海ハ嵐ナ吹ソ。妹門出入河。
 礒本ユス|ケ〔右○〕立波。庭ツ鳥カケノタレ尾。足速小舟風守リ。
一、眞〓《マカナ》モテ弓削河原。岩疊賢キ山
一、清見カタノ波ノ開《(關ヵ)》ノ事、今ノ世ノ久支カ埼ト申所也。荒礒ノ波ノ間ヲ數ソヘテトホリケル故也。昔ハ不盡超トテ、足柄清見カ横走ト云コトヲシケリ。(151)横走トハ富士ト足高山トノ間ヲ過ケリ。其ニ觸穢ノ者ナト通ケルヲイトヒテ、浮嶋ノ波上ニタヽヨヒケルヲ、明神引ヨセテツキ玉ケルヲ浮嶋カ原ト申テ、其後ハ道トセリト云々。
 
  第八
 天平五、十  四来雜歌  四季相聞
一、イコシテ、根コシヲ也。堀也。
一、合|觀《(マヽ)》木 在采葉。イカト/\、門々也。イハ發語也。
一、物武ノイハセノ森、武士ハ馬ノ上ニテ物ヲ射也。
一、打アクル佐保ノ川、狛桙ノ竿ハ、打上物也。
一、國ノハタテ、國ノ豐ナリト云也。手モスマ休也。
一、イナウシロ イナヒテ、背向ニナル也。
一、玉匣蘆城ノ河、玉匣アクルトツヽクルナリ。
一、タフテ、ツフテ也。射目立テ、セコ立ル也。
一、ウカネラヒ、宇鹿也。雨間モ|ラ〔右○〕カス。
一、田フセ、田家ノ軒ノ土ニツク程ナル也。
一、九月ノソノ初雁、六臣註文選江賦曰、陽鳥翔于爰以九月矣。
 爾雅曰、九月爲玄云々。
 國語曰、玄月至于陽鳥焉。陽鳥雁之屬也。
一、大口ノマカミノ原、大口ハ腰ニ卷物ナレハ申也。
一、淡雪ノホトロ/\、班也。坏ニ梅ノ花ウケテ。
 
  第九
 泊《雄略》瀬朝倉宮御宇天皇御製 崗《舒明》本宮 神龜五
 天平元、五
一、衣手ノナキノ河、袖ニハ波ノ有也。
一、木國ノ昔弓雄 在采葉。由羅埼。白神礒。
一、打タオルタムノ山、草木ノ枝ヲ折ニハタハメ折也。タムハ、多武峯也。壇ノフリタリシカハ壇ノ嶺トモ。
一、衣手ノタカヤ、衣ノ|エ《衣》ハ高也。樓觀ヲタ|ア〔右○〕ヤト申。彦|里《星ヵ》ノカサシノ玉
(152)一、御食向南淵、天下ノ旱※[日/跋の旁]ノ時|八束《非眞楯》丸ト申ケル者此河ニ行供御ノ水ヲ汲ケル故御食向ト申云々。春草ヲ馬咋山。
一、水長鳥安房就 在采葉。
一、劔刀サト、サトキ也。又ハサヤトツヽクる也。
一、浦嶋子。汲〔右○〕照。衣手常陸。
 筑波山※[女+燿の旁]歌 同在采葉。
一、神モ千分玉、神モ分身シテ利益衆生シ玉也。
一、朝月夜【アサツクヒ・アサアケ】。クシロ、※[金+爪]、玉キノ古語也。
一、コトヒノ牛ノミ|アケ《(マヽ)》ノ酒、牛ノ糟ニエヒテホユル也。
一、墨吉【スミノエ ミツノエ スミヨシ】 在采葉。
一、松反シヒニテアレヤハ、人ノアルキシテ、三クリノ中ノヤウニ人ノ中ニ居テ、後怠ニテ返ラントモセヌヲ待也。
一、白玉ノ人ノソノ名、玉ノ光ルトツヽクル也。
一、イモナネ、妹カ姉也。
一、下樋山、樋ヲ埋山也。ソシ《(マヽ)》向。
一、ナセ、兄弟ハ箸也。ナセハ弟ノ古語也。
一、燒刀ノタカシ〔右○〕、タカヒ〔右○〕、刀ノ柄也。又ハツハ也。
一、八年兒片生《ヤトセコノカタヲヒ》、十六歳壯年也。半ハ八歳也。片生也。
一、篠田|丁子《ヲノコ》、イサヽケキ也。シヽクシロ黄泉ニテマタントハ、翰廻シテ後世ニテアハンと云心也。
 キ ヵ、・、〃チヒチ  ハ カ、、、
牙喫|達《・(マヽ)》怒《キマキ|タチ《(マヽ)》ヒテ》、齒喫《ハカミ》シテ怒レル也。
 
  第十
 四季之雜  四季之相聞
一、サネ《(マヽ)》テ、榊也。紫ノ根ハフ摸〔右○〕野
一、百舌鳥草筮〔右○〕 在采葉
一、下夜、夜ノ闌ヲ申也。毛桃ノ下ニ月夜サシ。
一、サノカタ、藤ノ一名也 實固也。
 梅ノ花四垂柳ニ折交テ。
一、ミツレテ、人ニ隨也。女郎花サク野ニ生ル白ツヽシ。
(153)一、イホツヽトヒ、多集也。橘ノ林ヲウヘン郭公
一、國栖【クニス・クス】 在采葉。雨間アケテ。
一、デ〔右○〕ヾ《天川》ノ渡、アマタノ渡也。惠具ハ、芹一名也。
一、手草、手ニ取草也。神樂ニヨメルハ竹葉也。
一、乙女等ニ行合ノワセ、早稻ノ一名也七夕ニヨメリ。
一、トマヲ苫手、鳴コノ繩也。朝※[白/ハ]ノ土顯ルヽ心也。
一、※[白/ハ]花、杜若也。此花開時鳴故ニ※[白/ハ]鳥トモ申。※[白/ハ]ヨ鳥トモ、又喚子鳥同歟。
一、湯篠、イ篠、イサ篠同。ウ|カラ《(マヽ)》フウカヽウ也。
一、春サレハスカルナク野ノ郭公、サヽリ蜂也。
一、七夕歌詞、七夕ノ足玉 手玉
 フナ渡  奴延鳥  赤羅引 安ノ渡【安ノ川原】
 水無瀬川 天ノ河路 石《イソ》枕【石ハ玉也】 荒礒
 月人|壯《ヲトコ》 水陰草 白芽子《アキハキ》 去年渡
 年ノ渡  天ノ河津 遠嬬  鷄カ子《コ》
 石拷帶  其屋戸  織白布 五百機立(テ)
 秋去衣  天ノ河|門《ト》 天津領巾 八十ノ舟津
 八十ノ渡 引舟   引繩  遠キ渡
 直《タヽ》渡 棚橋 打橋  玉橋
 浮橋   玉床   玉|〓《トヾリ》 八十瀬
 大舟   左小舟  嬬喚舟 具穗《(マヽ)》舟
 舟装   雲衣   狛錦紐 機ノ踏《フミ》木
 落瀧津
一、朝※[白/ハ]ハ。夕陰ニ。尾花カスエニ鳴百舌鳥。
一、妻隱【ツマコモル・ツマカクス】。天ノ海月ノ舟。桂梶。
 ※[手偏+卒]《(マヽ)》頭ノ萩。コノコロノアカツキ露。
一、雁ノ翅ノ覆羽。左小鹿ノ小野ノ草伏。
一、朝霞鹿火屋。思草 在采葉ニ。
一、水陰草、稻ノ一名也。水ノ陰ニ生ル草ト也。水ヲ懸ル草ト云ハ非也。俊頼ノ歌ニ
 谷フカミ水陰草ノ下露ヤミラレヌ戀ノ涙ナルラン
 
  第十一
 古今相聞往來歌類之上時代無之
(154)一、ニイムロノフムシツノコ、民ノ屋ヲ造ニハ萱ヲフミシツメテ、オシホコト申物ニテ、ユフコトナリ。
一、天ニアル一棚橋。劔《(紐ヵ)》鏡 同在采葉。
一、百サカ舟、米百石積ル舟也。
一、眉根カキ、鼻ヒ※[糸+刃]トキ、遊仙崛ニアリ。
一、道ノシリ、東山道ノ|ソ〔右○〕テ也。
一、年キハル、年極也。老期也。ウケヒ、誓約也。
一、布留神杉 在采葉。籠ツ、籠泉ノ澤ナリ。
一、シリ草、鷺ノシ|サ《(マヽ)》シ也。イハネフミ重ル山
一、秋柏、秋ノ柏ノヌルヽコトシケシト申也。
一、コマ人、肥人ノ膚ノコマヤカナル也非高麗(ニハ)。
一、青柳葛城山 在采葉。早人同前。
一、コト玉ノハナ、言葉ノ多也。花、細也。妙ナルナリ。
一、玉木破石、命ソ石トツヽクル也。非破石。
一、璞ノス戸、玉ノストツヽクル也。フリ分ノカミ。
一、山櫻戸 在采葉。若草ノニヰ手枕。
一、葛城ノソツ彦眞弓、弓ヲ能作|入《(人ヵ)》ト云々。然而日本紀曰、仁徳天皇大后|盤《(マヽ)》姫葛城襲津彦ノ女也矣。然者善射歟。
一、紐|召《(呂ヵ)》寸 在采葉。夕凝ノ霜。オモワ|レレ《(マヽ)》。
一、ヲチカタノハニフノコ屋ニ小雨フリ、彼方《ヲチカタ》ヒサカタヒサカタノト訓ル不審。都ノ外ヲ彼方ト云。賤屋也。
一、櫻麻ノヲフノ下草、櫻ノサカリニ蒔物也。又麻ノ中ニウス紫ニテ櫻ニニタルアサト云々。
一、カサノカリテ、笠ヲ作ニハ輪ヲシテカリハ人ニ《(マヽ〕》作ソムル也。ワヲ手ト云也。然ハ手ノワト申也。
一、サハノリ、ヒシキノ|道〔右○〕ニ似タリ。阿倍橘 在采葉。
一、玉ノ緒ノ嶋、命シハシト云也。
一、澤タチミ、草ノ中ヨリ流出タルヲハ立水ト申。サハヽ、多キ立水ト申也。
一、小墾田ノ板田橋ノ壞【コホレ・クツレ】、
 アラカヘハ神モニクミス。ソキ坂モテフケル板間
一、志長鳥 在采葉。池ノ下樋ハ、埋樋也。
 ホタテフルカラ。葦垣ノ中ノマコ草。シラマナコ。
(155) 日本ノムロフ《・本ノマヽ》ノ毛桃
 
  第十二
 古今相聞往來歌類之下
一、ミソコ菅、水ノ中ノ菅也。水咫衝石《ミヲツクシ》。
一、ヨコスヲキヽテ、讒言也。玉劔、褒也。
一、ヲ心、雄心也。ト心、同也。武心也。
一、玉勝間 在采葉。烏羽玉同前。
一、コトアケセス、言ヲ不盡也。
一、橡ノアハセノ衣源氏ニ白橡ノ衣アリ、橡ノヒトヘ衣、橡ノトキ|ヨ〔右○〕ラヒ衣。
一、スモリ乳母、卑乳母也。スハシツノ反。又ハモリ乳母二人ヲ申。郭公飛播ノ浦。
一、豐國《ツクシ》ノキ|リ〔右○〕ノ濱松、長濱、高濱、池
一、アラ|ハ《(マヽ)》メノアサラノ衣、桃皮ニテ染タル也。赤也。
一、赤キヌノスミウラ衣、面裏共ニ赤也。
一、ウミヲノタヽリ、八雲御抄云、シツノヲ玉木也。ウミタル麻ヲカクル物也。望ノ日。
一、アゲニタネマキ、岳田也。稗ヲオホミヱラレシユヘソト、此歌ヲ、聖廟御作ニヒヘエリト云々。
一、シヽ田、四々十六歩ヲ一段トスル時。
一、衣春日ノヨシキ河。洗衣取カヘ川。
一、オモシル、小兒ノ心ニヨソヘタル也。我ヲ※[厭のがんだれなし]心也〕
一、妊《(マヽ)》カ目ヲミマク堀江。目サマシ草【草ハ種也・言也】。
一、木綿疊 在采葉。ユフツヽミ【木綿ヲタヽミアケタル也】。
一、オモタカフタ、疲タル馬ノマカフラノ事ナリ。
一、ヤソカ梶、多ノ梶也。一、白眞弓飛騨ノ細江。
一、玉ノヲノウツ、魂ノウツケタル也。
一、盗人ノエレル穴。岩木ノ山。コヌミノ濱。
 
  第十三
 雜歌 相聞 問答 譬喩 挽歌
一、霹靂《カミトケ》、鳴神也。浦細《ウラクハシ》、内心ニ褒心也。
一、マサケモテ、眞ニ提持也。
(156)一、甘南備ノ三田屋、仙覺云ミタヤ所ノ名也云々。然而若神ノ御田ヲ守ル屋歟。
一、五十串、幣ハサミタル串也。
一、雲※[草がんむり/聚]玉 在采葉。帛※[口+立刀]楢從《ミテクラヲナラヨリ》 同在采葉。
一、イキタメカタキ石枕、氣息メカタキ也。
一、劔刀イ|ソ《(ハヵ)》フ、劔ハアカムル寶ナレハ申也。
一、モチヒキカケ、鳥取モチヰ也。
一、千磐破宇|※[人偏+台諌]《(遲ヵ)》 在采葉。
一、百クキネ、百岫嶺也。ヲキソ山、信乃國ノ木曾山也。ヲケニタレタルウミヲ、麻笥《ヲケ》也。
一、月讀ノモチコス、月ハ水ノ精ナレハ月ノ持タル水ト云也。
一、久賢ノ都、久ク遠キ都ト申也。
一、サシヤカン|コ〔右○〕ヤ、只燒ムト云也。シキヤ、重屋也。屋ヲヤカントスル手ヲ凶鬼ノ手也ト中也。
一、シミラニ、終日也。百タラヌ山田。
 初瀬川ノヰクヰニハ鏡ヲ懸、眞クヰニハ眞玉ヲ懸也。
一、ウツクツノ三宅、沓ツクルハウツト申。三トハ形ヲ作テ中ニ入タル也。
一、マ|ユ《(マヽ〕》フアサヽ、眞麻木綿《マソユフ》 麻《アサ》ソ也。
一、必志 在采葉。御ハカシヲ劔ノ池、御ハカセハ劔也。
一、シナテルツクマ、萎立ル草ハ物ニ付ト申也。
一、百篠ノミ、百ハ多也。三ハ篠ノ實也。
 長谷ヲ國ニヨハヒシテ。籠リツマ。
一、イヌタテヽ、イヌハ、射奴也。セコ也。
一、初瀬ノ川ニ鵜八ヒタシ、鵜ハ八ヲ一荷トス。
一、衣手ノ葦毛ノ馬、衣手ノ白ト云義也。
一、杖タラヌ|サ《(マヽ)》カ、杖ハ一丈ナレハタラスハ八尺也。
一、ナ|ソ《ク》ヤ、矢ヲ放ハ投ル樣也。
 
  第十四 東歌
 上總 下總 常陸 信濃 遠江 駿河 伊豆 相撲 武藏 上野 下野 陸奥
一、夏麻引海上 在采葉。ニヰ桑マユ春蚕ノキヌ也。
(157)一、ナヲタテヽ、汝ヲ立テ也。雪カツマシヽ、雪積ル也。
一、アラタマノキヘノ林、年改リ來經(コト)早ト云也。
一、イホナキタヽニ、尾《(マヽ)》崎ヲスクニカヨフ也。
一、ミソクシ、見過シ也。ワヲネシナ|リテ《(マヽ)》、我ヲ泣スル也。
一、班衾、文ノアル衾也。サワタ、多綿也。
一、マツシタス、待シタハ間。スハ如也。スキノ木ノ間ノヒマナキ樣ニ汝ヲマツコト也。
一、ミコシノサキノ岩クヱ、鎌倉ノ稻村カサキ、又ハ七里濱ノ腰越ヲモ申。岩クヘハ岩ノ崩也。
一、アシカラヲ舟、足輕小舟也。濱ツヽラ。
一、アシカリノトヒノカウチ、足柄ノ土肥ノ河内也。
一、鎌倉ノ美奈能瀬川、仙覺ハ大滑河。寂意筑後入道ハ稻瀬川也ト申。ミコシカタケニ雪キエテミナノセ河ニ水マサルトヨメルコトキハ、彼山ノ麓ヲナカレタレハ大滑河有(ル)v據物(ノカ)歟。
一、ニコ草、苔也。花ノサカヌ物ナレハ申也。
一、ミサカヽシコミ、惶シキ也。コチテツルトハ、此坂ヲコユル物ハ嶮岨ノ故ニ、兼テ聲ヲアケテ人馬ノ行合ヘキヨシヲ申也。ヨハフ也。
一、コヨロキノ濱、大礒ハヨロキ、小礒ハ小餘綾ナト申キ。然而故藤谷黄門ハ七里濱ノ礒ナリト云々。
一、ムサシノヽ占ヘカタヤキ 在采葉。
一、草葉モロムキ、草ノ葉ハアナタコナタヘ向也。
一、ムサシノヽ小クキ、小峯也。岫也。
一、アシカラノヲテモコノモニ、ヲチコチ也。
 カナルマシツミ、鷺トルワナノアヤツリノハツレテナルシツメヨト云也。
一、ニホトリノカツシカワセ 在采葉。マヽノヲスヒ【山ノ尾ソヒ也】。
一、カヾナク鷲、文選曰寒鷲ハ嚇於雛ニ|曰《(マヽ)》。
 ソカヒニミユル、ソカヒハカヒ也。スチカヘサマ也。
(158) 笠懸ハスチカヒ弓手ノ物也。犬追者モ同前。
一、モリヘスヘ、守ヲ居也 狹衣小筑波 在采葉(ニ)
一、今ノハリ道、新墾路也。
一、カリハネ、草等ノカリクヒ也。
一、中マナ、河ノ中ノ流洲也。マナコノアル也。
一、ヲフモ悲モ、麻生也。正音ハ寢所也【只在所ヲモ申トミエタリ】。
一、草枕田子、草枕ハ旅也。枕高シトツヽクル也。
一、ヲトノ田トリ、ヲトハ所ノ名、田トリハ人也。田夫也。人ハソノ引合ニテ、ヒトリ、フタリ、ミタリ
一、カミツケノマクハシマト、窓ハ上ニ付タレハ日ノ指入テマクハシキ也。サノヽ|ク《(マヽ)》タチオリハヤシ。
一、ヨセツナハヘテ、赤城明神縁起云取意昔伊香保ノ明神ト赤城大明神ト美人ヲ論玉テ、軍※[手偏+構の旁]ラレ玉シヨセツナヽリ。赤木ハ石ニテ打玉、伊香保ハモカキニテ打玉ケル故ニ、伊香保ニハ石ナシ。赤城ニモカキナシト云々。
一、クスハカタ、女ノカホハ葛ノ葉ノ如ニ圓長ナル由也。
一、ムラナヘ、苗ヲ取束テ取盡タルヲ申也。
一、コナラノス、小楢ノ葉ノ如也。佐野舟橋 在采葉。
一、ソラユトキヌヨ、空ヨリトヒキタリヌル也。
一、ヒコ舟、舟ヲ山ニテ作テ浦ヘ引ニ、兩方ニ繩ヲ付テ引ニ、一方ヘハ引ス、尻ヘモ引心也。
一、ワヲカケ山、今ノ矢倉ノ嶽也。ワトハ斧ナリ。木ヲ切テ休ム時斧ヲ切クヒニカケヲクナリ。カツノ木トハ、木ヲ切タルノコリヲヘキトルヲカツト申也。
一、薪コル鎌倉山 在采葉。針原同。
一 アタヽラ眞弓ハシキヲキテ、弓ヲコシラヘルヲ申也。
一、テ《千歟》コノヨヒ坂、碓水山、宇津谷、兩説也。
 碓氷ハ、日本武尊、吾嬬者耶トノ玉故也、宇津山ハ、坂コヘテアヘノ田ノモニ鳴タツノトヨメル、此山ニ當ル也。
一、駒ハ|ダ《(マヽ)》クトモ、駒ニ乘ヲ申。タクハアカル也。ア(159)カルハ乘也。
一、アサヲコ衾、麻ノ小衾也。
一、トヽトシテ、動カシテ也。山鳥鏡 在采葉。
一、アリキヌ、アリノマヽノ衣也。又ハ蟻ノ腰ニ細クキル也。
一、カク|ズ《(マヽ)》ヽソ、弓ノ筈ニ鈴金銀ナト入タレトモ、弓 ノネハモトノ物ナリト申也。
一、ツヽミヰ、鳥ナトニ不淨入サセシトテ※[果/衣]井也。
一、クヽミラ、莖立タルニラ也。マ日、眞日暮也。
一、ヲフシモト木ノモト山 在采葉
一、ムカツヲ、向ノ嶺也。マツマ、間妻也。隱妻也。
一、サネカヤ、カリツミタルハ寢タルニ似リ。
一、アハヲロ、土ノ淡キ沈也。タハミツヲ、ミクリ也。
一、キソモコヨヒモ、昨モ今宵モ也。
一、ニヌ雲、布雲也。
一、タクフスマ、拷衾。妙衾也。白ク美也。
一、コラレアハユク、コラサレテ吾ハ行也。
一、大ヲソ鳥、カラスハコロ/\ト鳴ハコロクト鳴カト云也。
一、アナユム、足ナヤム也。ヒロハシ、尋橋。小橋也。
一、ヲノカヲヽ、已カ夫ヲ也。オホニナ、欝也。思フ也。
一、ムロカヤノツルノツヽミ、沼ヲ道ニナシテ萱ヲカリ敷タルヲフメハ足ノツル/\ト入ヲ申也。
一、ナルセロニキツノヨスナス、河ノ瀬ノナルヲカシカマシト思ヘハ、又狐ノ夜鳴ハイトヽヲソロシキ也。
一、松カ|ウラ《(マヽ)》ニ月ハユツリヌ、人ヲ待心也。
 ユツリハ、ウツルナリ。
一、アリソヤ、海ノ邊ノ藪ノ陰ニ水ノタマリタル也。
一、ソハエ|ロ《(マヽ)》ハ、ソハ也。背也。戀死ヲソハニテ祈也。
一、山カツラ、昔神樂時冠ノ額ユフ草也。
一、クヘコシニ麥ハムコマ、孔子ノ物ヘ行玉フニ、路次ニ馬ノ頭ヲ指出テ草ヲハムニ、孔于曰、牛ノ草クハンスルトノ玉シ事也。顔囘ハ六町ノ内ニ得タリ、(160)閔子騫十二町、冉伯牛十八町、仲窮ハ廿四町ニテ得タリシ事也云々。
一、枕カノコカ、枕ノ香ノコキト云也。
 
  第十五
 天平八年遣使新羅國之時使人等當所誦詠歌一百卅五首
一、ハナレソニタテルムロノ木ウタカタ毛、離礒也。離洲也。ウタカタハカリソメ也。又ハシハシ也。水壺ヲウタカタト云モカリノ心也。ウタヽネ同前。
一、歎ノ露、氣也。息《ヲキ》ソノ霧同之。
一、アカシツルウヲ、明シツル夜也。宇トヤト同韵ナレハやニ通シヲ夜ヲウト申也。
一、アマタカネニモ、アマタ夜ナリ。子ノ時ヲ夜ノ半ナレハ夜ヲ司ル時也。子聲モ夜ノ名也。
一、人ナフリ、人ヲスカス也。娶ル心ナリ。
 
  第十六
 序抜 詞書等
一、竹取翁歌詞
 ユフハタノ袖ツキ衣、ユフハ糸也。袖ヲ續也。カツ《(マヽ)》フル色、六位ヨリ昇進ニ隨テソメカフル朝服也。ヲチカタノフタウラクツ、二重裏也。ヲミノコラ、麻ヲウム兒等也。
 オホアヤ、大文ナリ。アサテツクラヒ、布作也。アリキヌノ實《(寶ヵ)》ノコラ、蟻腰ニウツクシクキル事也。ナカメイミ、沓ヲツクルニハ長雨ヲイトフナリ。ワタツミノ殿ノ御カサニトヒカケル|ヌ〔右○〕カルノコトキ、綾ノ文ニ龍神ノスカタヲオリテ、天盖ナトアリテ、万ツノ〓蟒アルナリ。
 サス竹ノトネリ、竹ノ戸ト云也。
 イニシヘノサヽキシ我ヤ、崇敬セラレシ也。
 老人ヲ送シ車、周文王ノ大公ヲミツケ玉フテ車ニ乘テ送玉シ事也。
(161)一、墨江ノ小集樂《ヲ|ヘフ《(マヽ)》》ニイテヽ、住吉濱ニ年コトニ出テ、ヲヘラヰトテ男女遊フ事也。其中ニ吉妻モタル男此歌ヲヨメリト申。此ハ似※[女+燿の旁]歌祭事也。
一、アキカヘリシラストノ、アキナヒシテハトリカヘサヌ事也ト云詞也。ニフヽハ、ニフ/\也。
一、カルハスハ、苅ワセハ也。タフセハ、田廬《タフセ》也。
一、ツノヽフクレ、ワロキ事也。腹立ナリ。
一、脈ハ、物ヲ注ス日記也。交定ノ義也。
一、サスナヘ、銚子也。ヒハ也〔右○〕、檜橋也。所名也。
一、無心所着【心ナクシテ所着ス・心ニ着スル所無ナリ】。ツフレ石、圓石也。
一、虎ニノリ古屋ヲコヘテ青淵ニ鮫龍《ミツチ》トリコン劔刀モ刀〔右○〕
 此歌ノ心難得。本縁有ニテ、若又只命ヲステヽ淵ニ入テサメトラント云歟ト注尺ニ云リ。然而淵ニサメアルヘカラス。ミツチ又トリテ無所用歟。是ハ命ヲ虎ニタトヘ、形ヲハ古屋ニヒト|シ〔右○〕ヌ、生死ノ古郷ヲ出テ、名號ノ利劔ヲモテ、四大ノ毒※[虫+也]ヲキラントヨメルニヤ。
一、エタスハタラ、エタスハ、※[人偏+殳]也。ハタラハ、促也。
一、アラキ田、所名也。ウタ/\也〔右○〕、宇多々。多義也。稲ヲ倉ニツミタル如也ト云也。ナキノアツ物。
一、シホヒノ山、生死ノ海ノ波ノヨラヌコトヲウラヤム也。
一、フカフノ里、仙室也。善惡忘脚ノ所也。
 老子ノ道ハ虚無。孔子ノ道ハ座忘。
一、梨、棗、キミ、栗《(マヽ)》、葛、カラタチ、ウハラ、勝間田池 在采葉。藤ノ木、西海枝《(マヽ)》ナリ。
一、赤根サス君カ心、赤心ト云也。
一、アラヲラ、マスラヲ同之。武男也。
一、我ウナケル、我ウナシニ懸ルト云也。
一、ハシタテノクマキ、所名也。阿ト云字ヲハクマトモヨミ、カクルトモヨメハ、橋ヲハ木ヲヨセカケテワタスユヘニ、ハシタテノ阿木トツヽクル也。
一、シラキヲノ、白※[王+磨]ノ斧也。ワシハ、斧ヲツカフ杣(162)人也。
一、メツチコ、吉兒也。又コイ《(マヽ)》兒也。
一、乞食者歌詞
 唐國ノ虎ト云神ノ皮ヲタヽミニサシテ、虎ハ通力アレハ也。
 ミカサノハヤシ、角ニテ御笠ノカサリヲスル也。ミスミノツホ、墨入ル壺也。ミスミノ鏡、墨ヲ和ヌルニハ眼ヲ入ル也。
 ミキハ、鹿ノツケシ血也。
一、モンニレ、茂リタル楡也。アシカニ、白蠏也。
一、イホヘハキタル、木ノ皮ヲハキテアクヲタルヽナリ。
一、アメニアルサヽラノ小野、月ノ名ヲサヽラヘ男ト申也。
一、ソメヤカタ、初テ來始タル屋形ニ神ノ鳴惶《ナリヲソルヽ》也。
一、人玉ノサヲナル、マヲナル也。青ヲマサヲト云如也。
 
  第十七
 天平二、十、十二、十三、十六、十八、十九、廿
 詩序 詩
一、ウタコツ、歌ウタフ也。タユタフ命。
一、玉ハヤス武庫、昔此浦ニテ玉ヲウリハヤラカス也。
一、タチナメテ泉河 在采葉。
一、マケノマニ/\、任ノマヽ也。奥カ、奥也。
一、郭公タチクキ、木ノ間立クヽルナリ。
一、キソヒカリ、競狩也。藥狩同之。卯日五月ニスル也。
一、ナヲトノミコト、汝カ弟ノ命也。
一、シナサカルコシ、階離ル、帝都外也。階サガルトモ云也。
一、アカヲクツマ、吾奥深ク心ニクヽ思妻也。
一、スソミノ山、麓ノ打廻タル所ヲスソミト申也。
一、ミヌ日Hサマネミ、ミサル日ハ少モ隙ナク思也。
一、ヒナニナカヽス、名不闕也。越前、越中、越後也。
(163)一、ヲスクニナレハ、望ミ見ル國也。
一、アユミ、脛巾也。若草ノ物ニ纒ル如ニ足ニ纒也。
一、タフ|ル《(マヽ》タルシコツオキナ、タハフレタル凶ノ翁也。
 シハフレツクレ、呻吟ソ《(マヽ)》鷹留打吹シハフキスル也。
一、マツカヘリシヒニテ、待レテ返也。
一、ツナ|モ《(マヽ)》トル、小キ 《(マヽ)》子代也。
一、ヲチカ、老翁ヲハヲヽチト云也。
 野《(マヽ)》 知也。養|父《(マヽ)》、鷹飼也。イマニツケツル、夢心。
一、スカナク、※[口+妻]※[口+羅]也。惱メル心也。
一、アシツキ、蒜。海草也。
一、アユノ風、北國ノ俗ニ云。東風也。
 
  第十八 家持越中守ニテ在國|ケ《本ノ》年ト見タリ
 天平廿年  天《聖武》平感寶元  天《孝謙》平勝寶元
一、玉クシケイツシカ、嚴也。
一、サカミツキイマス、注尺曰、大君ニ獻ル御酒ナリ。然而若榮ハ御着《ミツ|ト《(マヽ)》》マシマスト申歟。
一、橘事 在采葉。ツハラ/\、詳々也。
一、エモナツケタリ、吉名付タリ。エシラヌモ、吉モ不知ト申ナリ。吉ハエノ音也。墨吉エ
一、ウマニブツマニ、馬ニ物ヲオホスル夫馬ト云也。
一、ヒナノ都 在采葉。都夜故《ミヤコ》。天人《アマヒト》。
一、タカミクラ、帝御座也 座ヲタカシトヨム故也。
一、オホキミノヘ、故也。イマノヲツヽ、今ノ幻也。
一、ナカサヘル、流傳也。流ハ傳也。
一、アヒウツナヒ、神アラハルヽ義也。現【ウツノフ・アラハルヽ】。
一、ミコトノサキ、御門ノ幸也。ヲクツキ、ヲキツキ也。
一、サブルコ、遊姫ノ名也。注尺云、スヽカケヌハヒマクタレリトハ、七道ニ七ノ鈴アリ。其中ニ口ノ缺タル一アリ。是ヲタマハリタル驛使ハ惣惡キ也。今ノ本妻ハ家持カヨハサルニ來ハ鈴缺ニタトヘタリト云々。然而只鈴ヲモ掛|又《(ヌヵ)》驛使ニ譬歟ト覺ユ。如何。
(164)一、アユルミハ玉ニヌキツヽ、諸ノ菓ハヤスク落ルニ、橘ノ子ハ翌年マヲモアル物ナレハ、タヘタルミト云也。
一、山ノタオリ、山ノカヒ也。息津都、龍宮也。
一、ミヤテシリフリ、ミステヽ尻カロク行也。
一、テラサヒアリク、テラメキアルク也。
一、ホヨトリテ、木ノ若枝トリヲ也。
一、コ|ス《(マヽ)》レハ、木抄也。
 
  第十九
 天平勝寶二、三、五
 當卷家持於越中國令詠吟歌也云々
一、寺井ノ上ノカタカコノ花、カタカシノ花トモ點リ。然而端作ノ詞ニ堅香子草花ト書リ。木ニハアラサルヘシ。春花ノサク草ナリ。花ノ色紫。
一、サシマクル、心ニ指任ル也。夜クタチニ鳴河千鳥
一、智地ノ木、葉似楊梅、菓如胡頽子ノ。熟時色赤鵯好食之云々。走湯山、伊豆國大嶋在之。
一、椙ノ野ニサヲトル雉、只ヲトルナリ。
一、シカワタハ、ソレカ腸ヲハ我ニハツヲヽムケヨ也。
一、羽フリ鳴シタカタニカスム、注尺ニハ誰爲ニカスムトアリ。然而誰田ニカスムト申ヘキニヤ。
一、シツク石、沈石也。石ノ和語ハ、イハ入、シハ沈也。
一、クスハシキ、クルハシキ也。狂也。足引ノ八嶺ノ雉。
一、トヲンマヨヒキ、トヲヽノ姿ノ眉引也。褒也。
一、シツクアヒニケリ、シツクトヽモニ散ト云也。
一、ホロニフミアタシ、ホロハトヽロクナリ。アタシハ渡(シ)ナリ。
一、クシモミシ屋中モハカシ、夫旅立跡ニハ三日屋ヲモ庭ヲモハカス髪ケツラスト申也。
一、ウスノ玉 在采葉。サハアラヽキ、尾草《ミソハキ》也。
一、人ハワレシク、シケク也。巖ニ生ルナテシコ。
(165)一、手束弓 在采葉。山下日影カツラケルニ。梅ヲシノハン。イサヽ村竹吹風ノヲトノカ|リ《(ソヵ)》ケキ、イサヽカカロク風ニナヒク故也。又ハイヰサヽトモ申。
 
當集※[うがんむり/取]結勺者天平寶字三年正月一目家持作歌也
 
  第二十【而或本云武藏國都筑上|下《(丁ヵ)》服部於田歌爲集終云々。如現文者設歟】
 天平勝寶五、六、七、八、九 天平元 天平寶字元、二、三年正月一日歌※[うがんむり/取]【結勺】也
一、アカラカシハ、赤柏也。男ヲミナ、※[草がんむり/八/土]《茶歟》花也。
一、石ナミ小河、天川ヲ申也。
一、母トフ花ノ、母ノ榮花ノサカヌヲ恨也。
一、百夜草、月草也。此草百夜花サク故ニ此名アリト申。月草即正字也。倶舍論曰、依主釋持業尺ト云コト在之。コノ名ハ持業尺也。其正躰ヲ名ニ提タル也。當集ノ中ニ月草ノ別名ト云、書樣ト云、アマタノシナアリ。
 鴨頭草、鷄冠草、韓藍花、翼酢花就一説等也。鴨頭草ト書所、第七卷
  鴨頭草《ツキクサ》ニコロモハスラン朝露ニヌレテノ後ハウツロヒヌトモ
 鷄冠草ト書所、第十卷
  ニ〔右○〕ノヒニハ戀テ死ヌトモミソノフノ鷄冠草《カラアヰクサ》ノ花ノ色ニイテメヤ
 歌註曰、類聚古集云鴨頭草又鷄冠草依此儀者可知月草矣。韓藍花ト書、第七卷
  戀シ日ノ氣ナカクナレハ御ソノフノ韓藍花《カラアヰノハナ》ノ色ニテニケリ
 翼酢花卜ト書所、第四卷
  思ハシトイヒテシ物ヲ翼酢花《ハネス》色ノウツロヒヤスキ我コヽロカナ
   此等ノ歌皆月草也。
 此卷防人歌皆是或詞或鬼語也。
抑此百夜草作者防人者下野國佐野郡丈部黒當也。防人(166)事、仙覺云、關守一名云々。今考之云、第廾卷天平勝寶七歳乙未二月遣筑紫諸國防人等者、相摸國防人部領使守從五位下藤原朝臣宿奈麻呂、駿河國防人部領使守從五位下布施朝臣人主、以下國々防人等或六位或七位也。爰如關守等爲下輩之仁哉。就中此防人等被遺筑紫事於鎭西爲禦異敵也。防人ト書ル即防戦士也ト見タリ。爰以此卷痛防人悲別之心歌云
 スメロキノトヲノ朝庭トシラヌヒノ筑紫ノ國ハ|アタマモル《敵守也》オサヘノキ《禦セ《(マヽ)》城郭也》ソトキコシメシ四方ノ國ニハ人サハニミチテハアレト鷄カ鳴東男ハ出向ヒカヘリミセステ勇タル武キ軍トネキ玉ヒ 已下略之。
東國ノ勇士等ヲ撰召レテ被遣鎭西被搆城郭ト見タリ。守城シ時者弓矢歩兵専爲宣命。故ニ被下防人等者也。是全非關守之類歟。但注尺ニハ勒負職ト云。
一、ナミナサキソ 波ナ關ソナリ。
一、五手舟 在采葉。ミツク白玉、御調玉也。
一、ア《(カヵ)》キナテサクアレ、仙覺云、カシラナキナテヽシヤクリシテ泣シナリト云。然而只幸アレト云歟。
一、庭中ノアスハノ神、竈ノ神也。庭ハ人ノ足ノ邊ナレハアスハノ神ト申也。
一、タヽミケ又ムラシカイソ、疊薦也。ムラシカイソトハ駿河國ノ名所也。コモハ村々ナル物也。
一、ハフマメノ、コ豆トテ葛ノアリテ延物也。
一、アシカキノクマト、組戸也。
一、オキロナキ、奧モナキ也。ハラヽニウキテ、チリ/\也。
一、ソキタクモ、幾也。ヤソカヌキ、八十梶貫。多也。
一、スメラミ草 在采葉。ユトコニモ、豊也。
一、ミサカタマハリ、サカシケレハ廻テ行ナリ。
一、アラシヲモ、荒キ男ナレトモト也。
一、タシヤハヽカル、立憚也。
一、シコノミタチ、頻ニ立トノ仰ニ出立也。
一、サツヤヌキ、利矢ヌキ也。イハ人、家人也。
一、アモシヽ、アモハ母、シヽハ父也。母ヲアモト云(167)事、阿ハ父也。モハ、母也。凡ヲヤノ反ハ阿也。然間阿彌陀佛三世諸佛ノ悲母ニテ座。
 シヽハ父ノ反也、シハ師也。シハ士也。
 マフンヒトノヨホロトハ、近衛ノ御|文《(マヽ)》也。
一、ミツラノ中ニ、妹ヲ髻ノ中ニモコメテント云也。
一、上ツマトハ、四十以上也。下ツマトハ、十八歳以上也。
一、ツクヒヨ、月夜也。助ノ|マ《(マヽ)》トハ、正キ使ノ外ニ制《(マヽ)》ナリ。
一、フタヲカミアシケ人也アタユマヒ我スル時ニ防人ニサス、心ハ二重心ノ惡キ人也。アタユマヒハ、賄賂ヲトリテ又防人ニ指ト云也。
一、カハタレ時、夕ノ誰皮時ニ射〔右○〕テ、曉ハ彼誰時ト申也。
一、イツモト柳、陶令カ門柳也。五柳先生カ事也。
一、チハノ|メ《(マヽ)》ノコノテ|ア《(カヵ)》シハ 在采葉、草也。
一、村玉ノクルニクキサシカタメトモ妹カ心ハアヨ|リ〔右○〕ナメ、ムラ玉ハ戸ヲ並テ立タル也。
 クルヽ木ヲ固タリト云也。ヨ〔右○〕ヨクナメハアルクコトアラント云也。
一、ヲモナシニシヲ、阿母モナシニシテ也。
一、ヲヒソヤノソヨト、負タルソヤノソヨトナルマテ泣ナリ。
一、ヒナクモリウスヒノ坂、日ノ陰ヲウスヒトイフナリ。
一、枕タシ、枕太刀也。シマツクヒ、島使也。
一、マコカテハナリ、眞子カ手離也。
一、カシユカヤラン、歩ヨリヤラント云也。馬ハ何毛ヲモ栗毛ト云。牛ハ色カハレトモ黒ヲ正トスル也。
一、アラシヲノイヲ、忌《(荒ヵ)》雄也。イヲハ弓也。弓ヲ反ハイ也。カナルマシツミ、的ヲ射テナリヲシツメテキク也。
一、サヘナヘヌ、故障也。エ|メ《(マヽ)》、勅也。
一、イヤオチニサケ、イヤツヽキニサケナリ。
(168)一、班田、※[手偏+僉]注也。班田使ト申也。ヒルハタヽヒテ、晝ハ田ヲ廻リ※[手偏+僉]テタヽスト也。
一、鳰鳥ノヲキナカ河、水鳥ノ息長ト云也。
一、カチツクメ、梶※[木+取]也。揖※[手偏+取]トモ申也。
 ツクメトハ、取ト云言ノ古語也。
一、都鳥、※[山+鳥]?也。フナキホフ、舟ヨソヒナリ。
二 クニマキシツヽ、國任シツヽ也。
一、タカチヲノタケ、皇孫尊天隆玉所也。
一、オホクメノマスラタケヲ、大來目命大伴氏初祖也。
一、ミツホナス、水ノ淡ノ中ニ金壺ノコトクニ丸ナル物ヲ中也。ミツホ、ミツ《水》ヽホトモ。
一、アヲムマ、白馬トカキテアヲ馬トヨメリ。アハアサキヲ云。ヲハミトリ也。ミトリノウスキハ白キナリ。然ハ柳ヲ青柳ト申ハ葉ノ面ハ白クテ裏ハ翠也。衣モ面白クテ裏翠ナルヲ柳裏ト申ニヤ。白楊トイヘルモ此心也。
 
拾遺采葉抄廿卷 終
 
(169)萬葉集以四代之秘傳終一部之讀進不貽奥旨所奉授關白殿下也
   貞治五年七月十日   桑門由阿【記之】
 
   貞治六年三月十八日 藤澤山陰侶桑門由阿判
 
       次相傳天台  桑門兼覺
 
   正文在列
   僧由阿令進上一部相傳奥書也
              花押
 
一名 續詞林采葉
 
(170)   青葉丹花抄
 
  第一
赤ねさす|紫《紫ハアカキ色也》野行しめの行野もりはみすや君か袖ふる
 石歌は天智天皇かまふ野に御かりし給し時、額田王、女王也、
 御ともにてよみ給。紫雪、四月雪と注する先達は萬葉を不知也。
天の香久山のほりたち國見をすれは國原は煙たちたつ海原は鴎たちたつ面しろ|國《(マヽ)》そあきつしま大和の國は
海底のとよはた雲に入日|ねし《シツマル心也》今夜の月よすみあかくこそ
秋の野に尾花かりふきやとれりし宇治の都のかり廬しそ思ふ
白浪の濱松かえの|手向草《サカリ苫也》何世までにか年のへぬらん
婦人《タヲヤメ》の袖吹返|明日香《名所也》風都をとをみいたつらにふく
河上の|つら/\《ハノ面ツラ/\シタルナリ》椿つら/\くに見れともあかすこせの春野は
か|こ《(マヽ)》山と耳なし山とあひし時たちてみにこしうなひ國原
 香《久・具》山と耳梨山ととはりせしを、うねび山は夫《オトコ》にて立てみたりし也。
味酒《ウマサカ》三輪山|青丹吉《アヲ〓ヨシ》奈良山こえてと云々
 長歌の詞歟。是を略す。うまさかとは吉酒なり。三わとは酒のみとつゝくるなり。あをにヨしナラトハ、奈良七代ノ中ニ、聖武天皇の御代には殊賢主にて、丹青畫出かことくなりといふ言をやはらくるにあをとはいはれぬ故にあをにといふなり。よしとはほむる也。
春過て夏來にけらし白妙の衣ほしたりあまノかこ山
 此山は卯華おほくさきにけるを衣ににせたり。
あまさかるひなに五とせすまゐして都の手ふりわすらへにけり
(171) あまさかるひなとは、天をさかり行日とつゝくる也。
 手ふりとは都のふるまひなり。
百敷の大宮人のいへとすむさをの山をは忘られんやも
 百官皆圓座をならへて、内裏には候する也。然はもゝしきと云言也。されは萬葉にては百敷、家の説にはもゝしぎとにこる也。
樂々《サヽ》浪志賀長歌ノ言也
 昔勅使に向て仙人の云ク、古仙靈崛伏藏地佐々名美長等山と云より、近江國の名所をは、志賀のみならす、さゝなみとよめるなり。
隱口《コモリクノ》初瀬の山の山きはにいさよふ雲は妹にかもあらん
 此所は、山の合をせは/\ととをりてみれは、奥の深けれは、こもり口のはつせと申也。かくらく、こもりえといふは、古點あやまる也。
ますらをの|とも矢《ヲトヤ也》たはさみ立むかいいるまとかたはみれとあかぬかも
あられ《ミソレィ》ふり|あられ松原《住吉ノ名所也》住吉のをとひをとめとみれ|あ《(マヽ)》かぬかも
 をとひとは、をとむすめはことにみれともあかぬ也。
旅にして物戀鴫のなくこともきこえさりせは戀てしなまし
朝月夜さやかにみれは|たへ《タヘハ吉也アラハルヽ也》の穗によるのしもふり岩とこに河の氷こりてと云々
 あさつくよと云て、又夜なと云言心へす。たゝ有明のとよむへき歟。亦あさつくよとあくるをおしみと云歌も、有明と見えたり。
あさもよひきべ行君か信土山こゆらんけふそ雨なふりそね
 あさもよひきとは、寒朝には吉薪をたくに、もへて吉木と言なり。しかれとも人丸の説には、朝飯かしくとてたく木也と云々
 
  第二
あつま野《吉野ニアリ》に煙の|たてる《富士ニ付事ヒカコトニヤ》所見て歸りみすれは月かたふき(172)ぬ
飛鳥のあすかの里をおきていなは君かあたりは見へすもあらなん
あつま人の|の《にィ》ざきのはこのにのをにも妹か心にのりに
ける哉《カモ》
 内裏十二月晦日荷向祭、物を入箱也。
橘の陰ふむ道の八〓《ヤチマタ衢ヵ》に物をそ思ふ妹にあはすて
遊士《タハレヲ》と我は聞とも宿かさす我をかへせりをその遊士
 石河の乙女と云かうしよくの女のとなりに、又好色の男有。夜るよはひに男の方へ行て、下女の火とらんとするよしいひけれは、讀てつかはしけり。
角《長歌》さはふ石見の海とは
 鹿の角は草木にさはれともとゝまらす、岩にさはる時はとゝまるを言也。
家にあれは笥にもる飯を草枕旅にしあれは椎のはにもる
 けにもるとは、昔はまけたるけにいひをもりてくひけり。其後土器は出來にけり。又其後ぬり物はし出したり。
石代の濱松かえを引むすひ|まさき《實幸》くあらは又かへりこむ
 有間皇子願書の樣なる物をまつの枝につけ給なり。まさきくとは幸あらはと云なり。
石代の野中にたでるむすひ松心もとけす昔思へは
北山にたなひく雲の青雲の星別ゆき月もかくれて
 青雲卜云ハササウレイノアヲハタ也祝言ニハヽカルヘシ
 天智天皇かくれ給し時天武御歌也。
久方のあめにしらるゝ君ゆへに月日もしらす戀わたる哉
 あめにしらるゝとは、人の死生をは天のはからはせ給也。ひさかたとは、天は世の滅する時もはたらかぬ故に、久くかたきといふなり。きれともきられぬなり。
 
  第三
(173)鳥か鳴あつまの國の御軍《ミイクサ》を長歌略也
 須彌山のたつみのかたに桃都山と云山銀の鷄有。夜の明始なく。これを聞て人間の鷄皆鳴。東よりはしむれはあつまと申也。又あつまと云事は、日本武尊奥の夷をしたかへて、臼井の山をこゆるとて、辰巳方を見やり給て、今|六浦《ムツラ》の太戸の渡にて、海に入たりし妾をしたひ給て、あかつまやとて三度なきよはひ給しより、あかつま山と申を、あつまといひなせる也。
ともし火のあかしのせとに入日にやこき別なん家のあたりみす
旅にして物戀しきに山もとのあけのそほ舟奥にこくみゆ
 あけのそほ舟とは赤ぬりたる小船なり。
昔こそ難波ゐ中といはれけれ今は都とそなはりにけり
岩やとにたてる松の木な《汝》をみれは昔の人をあひみるかこと
 なをとはなんちと云也。
こまつるきわさみかはら長歌
 こま釼とは、不動尊の持給釼の如にて、わのわさ/\とあるなり、
ちはやふる神をなこしと長歌
 日神あまの岩戸に籠らせ給しを、千磐屋經と云也。
 又|太|刀《(マヽ)》雄《タチカラヲ》の神岩屋を引やふらせ給しを千磐破と云一義有。
くるしくも降くる雨はみ《(マヽ)》はのさきさのゝ渡に家もあらなくに
 さのゝ渡は近江國に有。さのゝ舟橋。今は下野の佐野なり。昔は上野の國也。
田子の浦うち出てゝ見れは白妙の富士のたかねに雪はふりつゝ
富士のねにふりつむ雪は六月の十五日にけぬれは其夜ふりけり
忘草我ひもにつくかこ山のふりにし里をわすれしかた(174)め
 昔の人は忘しと思ふ事をは書付て、※[さんずい+申]《シン紳歟》に書すとて、帶にゆひつけゝるなり。
ひんかしの市のうへ木のこ|え《(マヽ)》るまてあわぬ君ゆへ我戀にける
 市とは町也。今の京の町は東の市也。西の京の有し時は西の市ともありき。
梓弓|ひく《弓引ハユタカナル也》豊國のかゝ見山みてひさにならは戀しけんかも
 豐前國の鏡山は大宰小貳廣繼か靈也。
とふさたて足柄山に船木きり木にきりよせつあたら舟木を
 とふさとは、杣人木をきるとては、よの木の枝をきりて山の神に奉る也。とふさとは木の枝を申なり。
ともの浦の礒の室の木みんことに我みしいもは忘れんかも
鹿のあまのめかりしほやきいとまなみつけのをくしもとりもみな|ら《(マヽ)》に
しらぬひのつくしのわたは身につけていまたきねともあたゝかにみゆ
 しらぬひのつくしといふは、しらぬ火の筑紫と云也。
陸奥のまのゝかやはら遠けれと面影にしてみゆといふ物を
朝鳥《アサトリトハニハトリノアシタニ鳴ヲ云也》のねのみやなかむわきもこに今又さらにあふよしをなみ
 
  第四
戀しなむ後はなにせんいける日のためこそ妹は見まくほしけれ
君待と我こひすれは我やとのすたれうこかし秋の風ふく
眞野の浦のよとのつきはし心にも思ふや君か夢にしみゆる
あまさはりつねする君は久方の昨やの雨にこりにけん(175)かも
久方の雨もふらぬに雨つゝみ君にたくゐてこの日くらさん
庭にたつあさてかりほししきしのふ東乙女をわすれ給な
爰にありてつくしやいつこ白雲のたなひく山の西にそ有らし
白鳥の鳥羽山松の待つゝそ我こひわたるこの月比を
八百日行《ヤヲカユク》濱の砂も我戀にあにまさらめや奥津嶋もり
忘草我下紐につけたれと鬼のしこくさ猶こひにけり
 鬼のしこくさとは紫遠と申也。兄弟父の跡を戀悲て、兄は餘に歎の切なれは、忘れんとて、萱草をうへで、忽に忘れにけり。弟は紫遠をうへて忘れじと歎とき、父夢に來て喜事限なし。其後はかへまいりたれは、鬼現て云、汝恐事なかれ。汝か父のかはねをまほる神也。日のうちに有らん事をは告知らすへしと云。其後紫遠をは鬼のしこくさと申なり。
玉主にたまはとらせつかつ/\も枕と我はいさふたりねん
 玉主は夫也。魂はとらせつ、我はぬけからなりと云也。
目には見て手にはとられぬ月の中のかつらのことき妹を如何にせん
 月の中に桂有。たかさ五百丈。本に呉剛父と云ものあり。斧をもてきりたをさんとする事夜るひるやますと云々。桂男これなり。桂のもとに水なかれたりと云々。
足引の山たち花の色に出てかたらひつきてあふ事もあらん
 山橘は草也。實はほゝつきのほとにてあかし。葉橘也。
眞熊野の浦のはまゆふ百へなる心は思へとたゝにあはぬかも
 はまゆふは芭蕉のことくにて、くきをへけはいくへ(176)にもへかるゝ也。ねりぬきのやう也。大臣大饗時、雉のへつそくをつゝみて尊者の前におくなり。これに思ふ人の名を書て枕の下にしけは、必夢に見ゆる也。又是に文書て送に用されは女あくと申す。
戀草を力車に七車つみあまりてもなをやこひまし
 戀草は戀の數なり。然を近來草によめり。
                  顯仲卿
 たのめをきしことの《(衍ヵ)》のはにより戀草や人松虫のすみかなるらん
ゆふやみはみちたと/\し月待てゐませ我せこそのまにもみん
月夜には門に出立て夕け問足占をそせしゆかまくをほし
我戀は千引の石を七はかりく|ひ《(マヽ)》かけても神のもろふし
 千引の石とは神千人して引たりし神代の石なり。この石をくひにかけて、神とふたりはぬるとも、人とはねかたしといふなり。
玉の緒をあはをによりてむすへらはやかて後にもあはさらんやは
夏野行小鹿の角の|つかのま《一束斗ノ義也》もいもか心をわすれて思ふや
あつふすまなこやか下にねたれとも妹としねゝははたしさむしも
 あつきゝぬ也。これをきたれはなこやかにてさむかるましきにと云なり。
 
  第五
銀も金も玉もなにせんにまされる寶子にしかめやも
 梧桐日本琴對馬結石山の孫枝化夢女良によめる歌
いかならん日の時にかも聲しらん人のひさのへ我まくらせむ
 松浦の、玉嶋河に鮎つる乙女をみて蓬客
松浦なる玉嶋川にあゆつるとたゝせるこらか家ちしらすも
(177)玉《返事》嶋の此川上に家はあれと君をやさしみあらはさすありき 又蓬客
人を待松浦のうらの乙女らは常世《トコヨ》の國の|あまをとめ《蓬客來ト云也》かも
みな人をねよとのかねはう|ち《(マヽ)》なれと君を思へはいもねかねつも
思はぬをおもふといはゝ大寺の餓鬼のしりへに|ぬかつく《禮拜也》かこと
 寺のひんつるを佛とて拜か|黒《(愚ヵ)》なるをいふなり。
お|も《(マヽ)》へ行へに行いまやいもかため我すなとれる藻臥束鮒
 藻仲に臥たる一束計成小鮒なり。
春ざれはすかるなる野の時鳥ほと/\妹にあはすきにけり
とをつ人松浦さよひめ妻こひにひれふりしよりおへる山の名
 ひれとは女の装束に項にむすひかくる物なり。今世の懸帶はそれをまなふなり。此は昔大伴のさてひこといふ物、異國の使に渡りけるに、妾に松浦佐用嬪とて美人有。名殘|をし《(マヽ)》み松浦の山にのほりて、行舟を招ける。後にはひれをぬいてふりて招けるなり。ひれを袖といふ人有。萬葉をしらさる故也。曰本記を引ていへる事なれは正説也。
 
  第六
大和道の吉備の小嶋を過て行は筑紫の小嶋おもほゆるかも
山のはの|さゝらえ男《月ノ名也》あまのはらとわたるさきにみらくしよしも
あめにます|月よみ男《月ノ名也》まひはせん今宵の長さ五百《イヲ》夜つきこそ
燒刀のかとうちはなつ|ますらを《武士也》の|ねぐ《祈也》とよみき《豊御酒》に我ゑひにけり
(178)我宿の梅さきたりとつけやらはこてふにゝたり|あり《(マヽ)》ぬともよし
我宿の君松の木にふる雪のゆきにはゆかしまちにしまたん
玉木わる命はしらす松かえをむすふ心はなかくとそ思ふ
乙女らかうみをかくてふかせの山時のうつれは都となりぬ
さしすきの栗栖の小野の萩か花ちらん時にし行てたむけん
 さし杉のくるすのをのとは、栗の栖は網をすきたるやうに見ゆる故に、さしつゝきたると云也。聖武天皇諸兄|云《(マヽ)》(ニ)橘の姓を給とて御製
橘は實さへ花さへその葉さへ霜はをけともまし常葉の木
紫の色のかつらの花やかにけふ見る人は後あはむかも
 紫の鬘とよめる歌也。又紫の桂もあるへし。紫のかつらの林と詩にも有。上はなにとも取寄へきなり。
 
  第七
天の海雲の浪たち月の船星のはやしにこきか|へ《(マヽ)》るみゆ
霜くもるするとにかあらむ久方の夜渡月のみえぬおもへは
大君の御笠の山の帶にせる細谷川の音のさやけさ
琴とれは歎さきたつ蓋もことの下檜《コトノハチナリ》に要やこもれる
さ夜ふけて堀江こくなる松浦舟梶音たかし水尾はやみかも
 昔は筑紫船難波の浦に付故によめる。
斐太人《番匠也杣人ヲモ申也》の眞木なかすてふ丹生《ニウ》川ことはかよへと船そかよわぬ
人ならは親のおもひ子あさもよひ木の河つらの妹と背の山
 朝もよひきとつゝくる事、朝もへてよき木とつゝく(179)る也。
吉野川岩戸柏の常葉なる我は通はむよろつ代まてに
道《ミチ》野邊の草ふ|り《(マヽ)》百合の|花ゑみ《サク也》にゑみせしからに妻と思ひつ
時ならぬ斑ころものきほしきか衣|はり原《萩原也》ときにあらねとも
橡《ツルハミ》のきぬきし人はことなしといひし時よりきまほしくおほゆ
 つるはみの衣とは、にぶ色の衣なり。四位の朝服と也。四品したる人のきるなり。今の世には色にまかふ間聞きす。このきぬ着たる人をは、昔は罪科あれとも行事なき故に、きまほしきとよめるなり。源氏にはしらつるはみといふ事有。普通の儀には非す。少ものゝきるなり。
河内女《タメ《(マヽ)》コノ國ノ女也》の子そめの糸をくり返しかたいとに有とたへんと思ふな
月草《ツユクサ也》に衣はすらん朝露にぬれての後はうつろひぬとも
しなか鳥ゐ名野を行は有間山夕きり立ぬやとりなくして
 しなかとりとは日本武尊の、陸奥より歸路のとき、信濃國と美濃國の堺に、ゐ名野と云所にて、白鹿の目に萩のあはをはしき入給しかは忽に死ぬ。是を白き鹿とりゐ名野といひそめたるを、今は攝津國の猪名野によみなせり。其外樣々の儀有も、日本記の説に可付也。
あまきりて《キリノコトクニクモリタルナリ》日方吹らし水莖のお|の《(マヽ)》かみなとに波たちわたる
 ひかたとは、範兼卿は辰巳風と云。清輔はひつしさるのかせと云。
紅の|こそめ《コクソメタル也》の衣下にきてうへにとりきはことなさ|し《(マヽ)》かも
伊勢のうみあまの|嶋津《嶋人也》か鮑玉とりての後も戀しけんかも
ひさにふす|玉の緒《ホムル也》琴のことなくはいくそはく我戀しけ(180)んかも
南淵の細川山にたつま弓|ゆつるまく《カハニテマク也》まて人にしらるな
思ひあまりいともすへなみ玉たすきうねひの山にわかしめむすふ
 玉たすきうねひの山とは、玉たすきをかけたる肩には、うねのやうにてちかひたるを申なり。
紫《ムラサキハ五色ノ上ナルヲ云也》の名高の浦の|なのりそ《神馬草也》のいそになひかんとき待我を
しほみては入ぬる磯の草なれやみえてすくなく戀しくおほき
わかせこをいつちゆかめ|き《(マヽ)》さき竹のそかひにねしそいましくやしき
 竹をわれは思ひ/\に成ことくに、うしろあわせにねたりし也。
庭つ鳥かけのたれ尾の亂尾のなかき心もをもほへなくに
 
  卷八
 
うちあくるさほ《コマホコノサホハウチアクレハ云也》の川原の青柳の今は春邊と成にけるかも
秋萩はさきぬへからし我宿の淺茅の花の散行みれは
秋の野にさきたる華を手を折てかきかそふ|れ《(マヽ)》七種のはな
萩の花小華葛はななてしこのはな女郎花又ふちはかまあさかほの花 
                      山上|憶良《ヲクラ》
九月の其初雁のつかひにも思ふ心はきこえこぬかも
 雁金は八月十五夜に來と申とも、九月初雁にもよめり。
百濟野《クイ《(マヽ)》タラノ》の萩の古枝に春待とすみし鶯なきにけんかも
十二月にはあは雪ふるとし|り《(らヵ)》ぬかも梅の花さくつほめらすして
岩そゝくたるみの上の早蕨のもへ出る春に成にけるかも
さほ河の水をせきあけて植し田をかるわさいねはひとり成へし
 右連歌の始也。日本記曰、日本武尊甲斐國酒折宮にて歌をもて問給ふ。
  秉燭者
 にひまり兎玖波《ツクハ》を過ていく夜かねつる
 かゝなへてよには九夜日にはとをかを
  連歌の最初也。
 
  第九
木の國の昔弓雄のかふらもて鹿とりなひく坂の上にそある
 
彦星の|かさしの《天人ナレハ也》たまの妻戀にみたれてけらし此川のせに
細ひれの鷺坂山の白つゝし我ににほはせいもにしめさん
狹夜中に夜はふけぬらし雁金のきこゆる空に月渡るみゆ
いにしへのさゝた男の妻とひしうなひ乙女の|おきつき《ハカナリ》そこれ
鶯《長歌》のかひ子のうちに郭公ひとり生てさか父|に《(マヽ)》てはなかすさか母ににてはなかす卯花のさける野邊より飛かへりきなきとよまし橘をゐちらし上下略之
さゝ浪のひら山風のうみふけは釣するあまの袖かへるみゆ
露霜のさむき夕の秋かせに紅葉にけりなつまなしの木は
我せこにあはぬも久しむましもの阿倍橘の苔おふま|て《(マヽ)》
 
  第十
我宿の毛桃のしたに月よさしした心よしうたてこのころ
橘の林をうへは郭公常にふゆまてすみわたるかね
天《巳下七夕歌》河|水かけ草《イネノコト也》の秋風になひくをみれは時はきにけり
天河やすの渡に舟うけて秋たち待といもにつけこせ
久方のあまのしるしと水無頼河へたてゝおきし神代の(182)うらみ
 水無瀬河は天河也。誠の水なき故也。
とを妻と手枕かへてねたる夜は鷄かねなくなあけはあくとも
天河去年のわたりのうつろへは河瀬をふむに夜そ深にける
織女の五百機《イヲハタ》たてゝ織布の秋さり衣たれかとりみん
秋風の吹たゝよはす白雲は七夕妻のあまつひれかも
秋風に川浪たちぬしはらくは八十の舟津に御ふねとゝめよ
天河とをき渡になけれとも君か舟出は年にこそまて
銀河のうち橋わたる妹家路やますかよはむ時またすとも
國《クニ》すらはわかなつむらんしはの野のしは/\君をおもふこの比
 國すらとは吉野の十津河の國栖也。應神天皇御代より今世まで元日に參るなり、
矢田野の淺茅色つくあらち山峯のあは雪寒そあるらし
さほしかの入野のすゝき初尾花いつしか君か手枕にせん
さほしかの妻とふ山の岡邊なるわさ田はからし霜は置とも
槿はあさ露おひてさくといへと夕影にこそ咲まさりけれ
影草の生たる宿の夕かけに鳴きり/\す聞あかぬかも
みさこ《鳥ニハアラス砂也》ゐるすにをる舟の夕しほを待らんよりは我こそまされ
朝霞かひやかしたに鳴河出聲たに聞は我戀めやも
 かひやの事先達樣々に申たり。是は田をもるしつ、鹿をよせしとて、くさき物を夜やきて、火をふすふるけふり朝のこりて、霞のことく見ゆる也。其火のあたゝか成につゐて河つ鳴也。
秋山のしたひか下になくとりの聲たに聞はなにかなけかむ
(183) 下樋とて、よその水くゝりて、とひと云物にてうくるを言也。上なるをかけひと云。
春されはもすの草|莖《クキ》みえすとも我はみゆらん君かあたりを
 昔里野を行に女と行逢て、かたらひよりて別るゝ時、女のすむ方を問けれは、たかき草の末にもすのゐて鳴けるを、あの草の上よりみゆる里といひたれは、其後春の比此野を行てみれは、霞わたりてそことも見えす、尋あはすと申事あり。
乙女らは行逢のわせをかる時に成にけらしも萩の花さく
みちのへの尾花かもとの思草今更何か物をおもはむ
 思草は萬葉には茅かや也。家にはりんたうと仰する。
 
  第十一
ま|ゆ《(マヽ)》かきはなひ紐ときまつらめ〓いつしかみむと思我君
みとり子の|すもりの乳母《下主メノト也》ももとめてはちのめや君かおももとむらん
玉ゆらに《タマ/\也》昨日の夕部みし物をけふのあしたはこふへきもの|を《(マヽ)》
ひも鏡のとがの山にたれゆへか君きましたり紐とかすねん
 ひも鏡とは氷也。鏡の如なる物なれは引合て云也。
 水は氷になれはのとかなるゆへにつゝくるなり。
神なびにひもろきたてゝ|いむ《イハフ也》といへと人の心は守りあへぬかも
 ひもろきとは神にも君にも父にも物を參らするを申也。まなしやうしんによるへからす。
我宿の穗蓼《ホタテ》ふるからつみはやしみになるまてに君をしまたん
足引の山櫻戸をまれにあけて我待きみを誰かとゝむる
 山櫻戸とは櫻の木を板にとりて打たる戸をも申。又若木櫻をうへて垣をしまわして出入の爲に戸を一あ(184)けたるをも申。花の開たるをも申と云人はひか事なり。
とにかくに物はおもはし斐大|工《タクミ》うつすみなはのたゝ一すちに
櫻麻のおふの下草露しあれはあかしても行母はしるとも
 櫻麻とは櫻の華の盛に蒔は申なり。又麻の中にうす紫にて櫻のはなににたるをも申なり。
あらたまの《ストツヽクル也ストハアナ也》すこか竹かきあみめにもいもしみえなは我こひめやも
山しなの木幡の山にむまはあれとかちよりそ行君を思ひて
華くはし《ウツクシキ也》あしかきこしにたゝ一めみえしこゆへに千へに歎つ
まとこしに月さし入て足引の嵐吹夜は君をしそ思ふ
むかふれは面かくれする物からにつきてみまくのほしき君かな
 
  第十二
をちかたのはにふの小屋に小雨ふり床さへぬれぬ
 をちかたを久方と云古點あり。
荒熊のすむといふ山のしわせ山せめてとふ共なか名はいはし
玉劔《ホムル也》まきぬる《枕ニスル也》いもゝあらはこそ夜はなかくともうれしかるへき
高麗劔《コマツルキ》さかかけゆへによそにのみみつゝや君を戀わたるらん
 こま釼とは不動の劔のことく、わのさか/\としたる也。
中/\に人とあらすは桑子にそなるへかりける玉のをはかり
豊國の企久のはま松心にも何とていもに逢見そめけん
鈴鹿川八十瀬わたりて誰ゆへか夜こえにこえし妻もあらなくに
(185)玉かつま《手ハコ也》あはむといふはたれなれはあへる時さへ面隱《ミエカクレナリ》する
木綿たゝみ田上山のさねかつら有さりてしもあらし|す《(マヽ)》めとも
 ゆふたゝみ田上とは、四手の中にたゝみあけたる手也。
こと玉とは言の玉也。祝言せよと也。まさきくとは幸によくあれと云事也。
 
  第十三
いくしたてみわすへある神主のうすの玉かけみれは|ともしも《ウツクシキ義也》
 いくしとは御幣の串也。みわとは神に奉る酒を申なり。神主のうすの玉とは冠のうしろに付たるかさりの玉也。ともしと云はほむるき也。
式嶋の大和國に|人ふたり《我トイモト也》有としをもはゝなにかなけかん
敷嶋の大和國はこと玉のたすくる國そまさきくよくあれ人丸
 
  第十四
夏そひく海上かたのおきつ※[さんずい+砂]に舟はとゝめん狹夜ふけにけり
 夏そひくうなかみとは、あさをかくと云をは引と云也。うはかわをのそくなり。それはうはのかみの白にゝたりと云也。
きべ人の斑衾《マタラフスマ也》に綿さわた入なまし物を妹か夜とこに
 またら衾とはなにゝてもあれ、もんのある也。
 わたさはたとは、綿をおほく入たるかよき樣に、君か夜床に入はやと云也。
あまの原ふしの|後《(マヽ)》山|この暮《木ノ陰也》に時|ゆつり《ウツル也》なはあはすかもあらん
さぬらく《人トヌル事也》は|玉のを《ミシカキ也》はかりこふらくは富士の高嶺の鳴澤のこと
(186) 此鳴澤を水のある澤にあらすと云はひか事也。
我せこを大和へやりて待し|たす《アヒタ也》足引山の|杉の未の間《ヒマモナキ也》は
武藏野にうらへかたやきまさてにものらぬ君か名うらにてにけり
 日本紀に云ク、日神あめの岩屋に籠せ給し時、香具山の鹿をいけなからとらへて、肩のほねをぬきて、燒て占をせし事を、武藏野は昔は鹿のおほかりし野なれは、引よせてよめる也。かめの甲のうらのはしめなり。
筑波峯に|かゝなく《ワヒナキナリ》鷲のねをのみかなき渡なん|かふ《(マヽ)》ことはなし
筑波嶺の|そかひに《スチカヘ也》みゆるあしを山あしかるとかも|さね《サワ也》みえなくに
上野のさのゝ舟橋とりはなしおやはさくれと|わ《我也》はさかるかへ
 此橋は河には渡さす。兩方は田にて中に細道のあるか、田より水の入は板を打渡/\て、水の入さる時は取放也。それかことく女のおやにしられぬ夫したりとてはなせともなをさけらぬなり。
薪こるかまくら山のこたる木を待となかいはゝ戀つゝやあらん
 薪こる鎌とつゝく。こたる木とは松の枝のこたるゝ也。
山鳥のをろのはつ尾に鏡かけとなふへみこそなによそりけめ
 皆異國より山鳥ををくりて、鳴聲たえなるよし申たりけるに、すへてなく事なし。ある女御ともをはなれてなかぬにこそとて、かゝみをみせたりけれは、その影をみてなきはしめたり。其後は長尾《ハツオ》に鏡を付たり。なかせんとて見せける也。をろとは雄なり。はつおとは長尾なり。となふへみとは鳴なり。なによそりとは汝か影によると云也。又云(ク)、山鳥はひるは雌雄一所にあそひ、夜は山の嶺をへたてゝぬるに、雄の長尾を丸にして女鳥の方をみれは、その振舞の(187)みゆるを申也。古歌に云(ク)、ひるはきて夜はわかるゝ山鳥の影みる時そ音はなかれける
からすとふ大|をそ《ソラコト也》鳥の|まさて《占也》にもきまさぬ君をころくとそなく
しなのなるすかのあら野の時鳥鳴聲きけは時過にけり
 
  第十五
はなれそ《離礒也》にたてるむろの木歌方も久き時を過にけるかも
白妙の藤江の|浦《白ミノマシル也》い《・(マヽ)》さりするあまとやみらむ旅行|袖《(マヽ)》を
あまさかるひなの長路をこき行は明石の門より|大和嶋みゆ《家ノアタリミユィ》
奥津風いたくな吹そわきもこか|なけき《イキ》のきりにあはまし物を
石走たきもとゝろに鳴蝉のこゑをしきけは都しおもほゆ
大舟に|かしふりたてゝ《キヲタテヽ船ヲツナク也》濱きよき鞠生の浦にやとりはせまし
あまとふや雁を使に得てしかも奈良の都にことつてやらん
ゆふされは衣手さむしわきもこかときあらひきぬ行てはやきむ
 
  第十六
さすなへ《※[金+是]》にゆわかせことも|いちゐつ《所ノ名也》の|ひか《(はヵ)》し《橋ノ名也》よりくるきつ《キツネ也》にあむさん
 
虎|の《(マヽ)》り古屋をこえて青淵に鮫龍《ミツチツノナキ※[虫+也]也》とりこん劔刀も|る《(マヽ)》
 虎を取にたとへて、命をすてゝ生死の故郷を出て、惡趣をもおそれす、念佛の利劔にて無常の敵鬼をきらむといふなり。
勝間田の池|に《(マヽ)》我しる蓮なししかいふ君かひけなきかこと
 新田部の大きみ勝間田の池の蓮の面白をみて、歸て婦女に語たるを誑して詠也。大君はおほひけなり。
(188)奈良山のこの手柏の二面とにもかくにもねちけ人かな
 柏の若はへは小兒の手の如也。うら面かはらす。ねちけ人とは侫人とて、こゝろはつらはしき人なり。
無心所着歌
 心ニチヤクスルトコロナシト云。ツヽカヌコトヲヨメルナリ。
わきもこかひたひにおふる雙六のことひの牛のくらのうへのかさ
我せこかたうさきにする|つふれ石《ツブラナル石也》のよしのゝ山に|ひほ《魚也》そかゝれる
藤の木《サイカシ也》にはひまとわれる|くそかつら《ヘクソカツラ也》たゆる事なく宮仕せん
波羅門のつくれる小田をはむ烏まなふたはれではたほこにをる
我門の榎のみむれはむ百千鳥ちとりはくれと君そきまさぬ
我門に千鳥しはなくおきよ/\わか一夜妻人にしらすな
すこも《アミタルコモ也》しき|青《アヲ》菜|煎《ニ》もてこ梁《ウツハリ》に行騰《ムカハキ》かけてやすむこの君
ひしほ酢に蒜《ヒル》つきかてゝ鯛ねかふ我になみせそなきのあつもの
玉箒|かりこ《苅來也》かま|丸《カコ《(マヽ)》也》むろの木になつめかもとをかき|から《(マヽ)》んため
心をし|無何有《ブカウ》の|さと《仙宮也》にをきたらは|はこや《仙洞也》の山は見まくちかけん
寺々の女餓鬼申さく大神《オホミハ人ノ名也》の男餓鬼たはりてそのこはら|さ《(マヽ)》ん
おもはぬを思ふといはゝ大寺の餓鬼のしりへにぬかつくかこと
 
  第十七
かきつはたきぬにすりつけますらを|のきそひかり《競狩》する月はきにけり
 五月の鹿かりするをはくすりかりとてするに、山の(189)しけれる木陰にてすれは、我ひとりとおもひたるを、人あらそひかるを、きをひかるといふなり。
あゆの風《北國ノ東風也》いたくふくらしなこのあまのつりする小舟こき歸るみゆ
玉はやすむこの渡に|あまつたふ《天ヲ傳ル也》日のくれ行は家をしそ思ふ
うつらなくふるしと人は思へとも花橘のにほふこの宿
こしの海信濃の濱を行暮し永春日もわすれて思ふや
あま乙女いさりたく火のおほゝしく角の松原おもほゆるかも
たてなめて泉の川のみをたえすつかへまつらん大宮所
 楯《タテ》なめて泉の河とは、崇神天皇の御時、ゑひす山背《ヤマシロ》より奈良の都えせめ入けるを、官軍此河をはさみて、楯をつき合で、たかひにいとみ合けるを、たてならへていとみ川と名付たりけるを、今の世には泉川と云成也。
千磐破神の社にてる鏡しつにとりすへいの|る《(マヽ)》つるかも
 しつにとりそへは御正躰に四手をとりそへたるなり
 
  第十八
あまさかる|ひなの都《國府也》に|あめ人《都人也》しかくこひすらはいけるしるしあり
物武の八十氏人も芳野川たゆる事なく仕つゝみむ
 應神天皇の御時、吉野川の水上に物武參り、其後名をとはせらる、やそうち人也と。仍召仕はる。後には宇治川のはたにをかれて山背賊徒をふせかる。物武のやそうち河といふ事是より始る也。
さふる子《遊女ノ名也》かいつきし殿に鈴かけぬは|やま《(マヽ)》くたれり里もとゝろに
 鈴かけぬはいまとは、内裏には驛路《ヱキロ》のすゝ七道にあてゝ七有。驛使《ウマヤノツカイ》に立ものに、官人手にまかせてとりてとらするに、七の内に口のかけたる鈴一あり。是にとりあたりたるは何事に付ても物惡也。
すめらきの神の大御世に田道間守《タチマモリ》常世《トコヨ》に渡り時ならぬ(190)かく|こ《(マヽ)》のみ長歌略也
 垂仁天皇の御時、田道間守と云物を常世の國へ渡して橘をもとめしむるに、往反する事十年にて、五月の比歸朝す。時に天皇崩御なりしかは、袖につゝみたる橘をすて、陵にいたりてたちまちに死ぬ。右兵衛佐の宣命を彼廟にをくられたりと申。橘をは常世にてはかくのみとも、かくのこのみ共申也。
 
  第十九
我そのゝ李の花か庭にちる|はたれ《ユキ也》のいまた殘たるかも
春|まけて《カケテ》物かなしきに狹夜ふけて羽ふり鴫《(マヽ)》鳴誰田にかすむ
杉の野に|さをとる《ヲトル也》雉のいちしろくねにしもなかん|こもりつま《カクシタルクマ也》かも
唐人の船をうかへてあそふてふ今日そ我せこ花かつらせよ
藤浪のかけなる海の底きよみ|しつく石《シツミタル石也》をも玉とそ我み|ゆ《(マヽ)》る
やかた《屋形失形》をのましろの鷹を手にすゑてかきなでみつゝかはまくよしも
乙女らか後のしるしとつけをくしをいかはりをひてなひきけらしも
 生田の乙女塚に、彼|八《(マヽ)》子の櫛をそへてうつみたるか木になりて、つかの上になひきけると申傳たり。
鮹《シヒ》つくとあまのともせるいさり火のほにかいてなむ我下おもひ
くしもみし屋中も|わ《(マヽ)》かし草枕旅行君をいはふと思て
 
天地とひさしきまてに萬代に|我《(マヽ)》へ祭《マツラン》黒酒白酒《清酒濁酒・クロキシロキ》を
河|※[さんずい+沙]《ス》にも雪はふるらし宮の内に千鳥鳴らしすむ所なみ
我宿|の《(マヽ)》いさゝ《いひさゝ也》むら竹吹風のおとの|かそけき《カスカナル也》この夕かも
たつか弓手にとり持て朝かりに君は立いぬたなくらの野に
 たつか弓とは、とつかをおほきにまきたるを申也。立か杖と申もたゝ手にとるを中也。
 
(191)  第廿
宮人の|袖つぎ衣《袖ヲユシキニテツキタル也》あき萩ににほひよろしき高圓《タカマト》の山
秋の野にけふこそゆかめ物武の男をみなの花匂みに
父母の殿の|しりへ《後苑也》に百夜草もゝよいてませ我きたるまて
 百夜草とは月草也。此は百夜花さく故也。
庭中のあすはの神に小柴さし我《(マヽ)》いはゝむかへりくまてに
 此神はかまの神也。足のほとりに有神也。かまの前に柴を指て主人を祝祈也。
曉のかはたれ時に嶋かけをこきこし船のたつきしらすも
 かはたれ時とは明方なり。たそかれ時に對して申也。かはたれほしとは明星を申也。
我門の五もと柳いつも/\おもかこひしくなりましつゝも
 唐朝の五柳先達か事を思て詠也。
村玉のくるにくきさし《ツマトノクルヽキヲサシタル也》かためてしいも|る《(かヵ)》心はかよひなんかも
枕たちこしにとりはきま悲みせなかきまさむ月のしら|る《(マヽ)》ゝ
ますらをとおもひし物を太刀はきてかにはの田井に芹そつみける
佐保川に氷渡れるうすらひのうすき心を我おもはなくに
初春の初子の今日の玉箒手にとるからにゆらく玉の緒
ますらをの|ゆきとり《ヤナクヰ也》おひて出て行は別をゝしみ歎けん妻
防人《サキモリ》の堀江こき出いつて舟梶とるまなく戀はしけゝむ
 さきもりとはいまの世の野臥といふものなり。此中に五位六位の侍有。又賊者もあり。筑紫の異國警固の爲に向しものなり。それか難波より堀江に舟出して有しを、防人《サキモリ》の堀江とて名所に入たる先達あり。(192)萬葉を不知故也。いつて舟とは櫓十丁立るを申也。櫓は二丁を一手とする故也。又舟は伊豆の國より出始たれは伊豆出舟と云事也。
千葉の野のこの手柏のふゝめれとあやに悲みおきてたかきぬ
 此は千葉より立さきもり也。妻のはらみたるをおきて出たりと見ゆ。このこの手柏は草也。おほとちといふ物なり。花しろく咲也。草木にわたる也。
ふなきほふ《舟ヲアラソイテ出入ヲ云也》堀江の川のみなきはにきゐつゝ鳴は都鳥かも
水鳥の鴨の羽色の青馬をけふ見る人は|限なしといふ《命ノナカキ也》
 正月七日白馬節會の歌也。然を白馬を青馬と云事、いたつて白色は青也。然者萬の木の葉はみとりなれとも、柳をわきて青柳といふ事は、柳の葉の面は青くうらは白き故に白楊とも云。青は白き本也。
打なひく春ともしるく鶯の樹《(マヽ)》の木まをなきわたらなん
霰ふり鹿嶋の神をいのりつゝすめらみくさに我はきにしを
 あられふりかしましきとつゝくる也。すめらみくさとは、帝王をはすめらきと申、御草とは萬民を申は、風に隨草のことくに、勅にしたかひて防人に立と云也。さきもりといふ和語はかたきをふせく心なり。
鷄《トリ》か鳴東男のつまわかれかなしくありけん年の緒なかみ
 年のをとは、去年されは、又今年來/\て、とし/\のきれさるを年のをといふ也。
赤根さす|ひる《白《(マヽ)》ト云也》は田たひて烏羽玉の夜のいとまにつめる芹これ
 田たひてとは田を檢注してといふなり。
我やとにさけるなてしこ|まひ《マイナイ也》はせん|ゆめ《ユメ/\也》花ちるないやをちにさけ
足引の山ゆきしかは山人の我にえしめし山つとそこれ
嶋山にてれる橘|うす《カフリノカサリ也》にさしつかへまつるは|まうちきんたち《臣下達也》
(193)いにしへに君か三代へて仕けり我大王は七世申さね
 
歌數二百八十首
應安七年金商之比御撰萬葉集廿軸之要謌名曰青葉丹花抄此集者卷々敷錦?歌々縷金玉是則和歌之骨且數奇之明鏡也而今下僕及窮老蒙昧之期不可研握翰者殆手疼眼翳禀性難彫闇神靡※[王+磨]者乎然而依有一諾之貴命不※[衣+扁]再會之面拜粗記之然深納※[竹/逃]之底莫出※[門/困]之外而已
 
                   藤澤山陰侶桑門由阿在判
 
                   春秋八十四老云寫書畢
 
康暦二年初冬廿六日
 
(194) (編者云。由阿傳承の萬葉集に關して、京都帝國大學所藏本萬葉集の卷二十の奥に載せたる、禁裏御本萬葉集の奥書を次に附收す。)
又校本奥書云 毎卷在之
此本爲嫡弟付屬之本三代相傳之間所奉授迎阿彌陀佛也
  永和元年十一月廿五日    桑門由阿在判
右此本者以寫校兩本具勘之雖然朱墨紺之三點同事異故抜肝撰要點之畢但長歌内異説之小字等者以朱而點之旋頭哥之上之墨點者如本説用之 爰此集雖分廿卷縮帖數以爲十册此只隨身所用之爲輙斗也凡此一部内依事廣而其謬繁多也依然漢字相違假名差謬若干在之仍而開韻書以勘本字憑類本以正假名於見及分者悉直付了但上代古賢之輩及數遍而致細讀剰三代相博之奥書等雖載之依見落參差之段所々在之況今以愚昧管見勘之所點前後文字乙落定雖可多猶以強點之知非迷理者也嗟呼野※[晏+鳥]不思虚空上井蛙不知溟海波是不足比之併頼數奇志後日耻者哉
   應永廿五戊戌卯月上旬
         正五位下源朝臣前上總介範政判
 縮兩卷以爲一帖十册内
  かきよせてきよむとすれとよろつ葉のおつるはたえぬ松のした庵
 
(195) 萬葉抄 上
 
萬葉抄第一
 雜歌 泊瀬《ハツセ》朝倉(ノ)宮|御宇天皇代《アメノシタシロシメススヘラキノミ|コ《(マヽ)》》雄略|大泊瀬稚武《オホハツセワカタケノ》天皇天皇|御製歌《ヲホミウタ》
こもよみこもちふくしもよみふくしもち此岡になつむすこいへきか名つけさねそらみつやまとの國はをしなへてわれこそをらしつけなへてわれこそをらし我こそはせなにはつけめ家をも名をも
 此歌|の《はイ》點いろ/\にあれとも、是は新點にてよし。仍書之也。ことは菜つむかたみ也。ふくしとは、菜つむ時かねなとにてしたる物也。すことはいやしき者也。子と云は男女にかよふ。此歌は童女也。わきもこと云かことし。名つけさねとは名をつけよと云詞也、さねは詞の助也。さねと云詞此集におほし。御製の心は、天皇野遊の時叡覽の體也。籠もよき籠をもち、ふくしもよきふくしをもちて、此岡に菜つむ女、家をきかしめ、名をつけよ、日本國は皆是吾しめ給所也。われこそはせなには家をも名をもつけめと詠給也。彼女艶女の故如此あそはす也。籠もよき、ふくしもよきは、思ふものゝもてる程に、よきとみゆるなり。そらみつ大和國とは日本紀の詞にて、こゝに別しての心なし。
 
やまとにはむら山ありととりよろふ天のかく山のほりたち國見をすれは國はらは煙たちたつ海原はかもめたちたつおもしろき下略之
 此歡は岡本御宇天皇かく山にのほりての御製也。大和にはむら山ありととりよろふとは、大利國にはくたけてむら/\なる山おほき國也。彼山にて遙に國を望てあそはしけるさま也。國原とは、たゝこにの廣きさま也。それに民の戸の煙たちたる樣也。海原とは、大和より海のみゆへきならねと、日本のあるしにてまします間、海内も心の中にして、鴎は海にたつ物なれは、煙なとに對して讀給へる也、眺望の心も侍にや。おもしろき國も其心たるにや。又國さかへる心も君の御心にはさも侍ぬかし。
 
やすみしゝ我大君のあしたにはとりなてたまひ夕には外よりたてりしみたらしのあつさの弓の中はすのをとす也下略之
 此やすみしゝとは八嶋しろしめす也。我大君の大八嶋をしろしめす心也。八方と云儀あれとも、天地をのこすへきにあらさる間難有。此詞はやすみしると云所も多し。枕詞とみえたり。みたらしのあつさの弓はかさなる詞也。みたらしとは御弓也。御とらしともいへり。相通の(196)故也。中はすとはなつと云事也。同韻相通の詞なり。弓は兵かきなつる物なれは、朝には取なてと詠也。音すとは絃打也。
 
玉きはるうちの大野に駒なへて
 玉きはると|云《(はイ)》常の釋には、玉しゐきはまると云義、臨終の由を釋す。玉きはる命なとよめる歌には可然。但如此事は、詞は同けれとも、下の心かはる事おほし。此歌の玉きはる内とは内裏也。玉きはるとは嚴麗のきはまると云詞也。是うちといはんためによそへよめる詞也。魂きはまる義ならは、いかてか天皇野遊の時さる禁忌の詞を詠せん哉。うちの大野と云は、大和國宇智の郡の野也。今は内野といへり。古は内の大野といへり。玉きはる内の大野は枕詞也。
 
  明《(マヽ)》香河原宮御宇天皇代 皇極天皇女帝也 額田王《ヌカタノヲホキミ》歌
秋の野に尾花かりふきやとれりし宇治の都のかり庵しそ思ふ
 此秋の點にみくさかりふきともあり。まことの草の義也。人丸歌に、みな人《(人はみなイ)》は萩を秋といふいな我は尾花か末を秋とはいにんとよめり。お花、草の中にはほめたる義也。宇治の郡はかり宮也。采葉云、此歌は皇極天皇近江の比良宮に幸《ミユキノ》時(ノ)御製也。比良の内の都也。何そ山城の宇治と心得ん哉。宇治は稚市《ワカイチツ《郎イ》《イラ》》子ましますといへとも、即位もなくて崩し給し上は、都といひかたし。故代に達者歌枕にもあけす。八雲御抄皇居目録にも入させ給はす。大納言光俊此歌をとりて、やとりするひらの都のかり庵にお花みたれて秋風そ吹 但今の御製の註云、山上憶良大夫類聚歌林云、戊申年幸比良宮時御歌云々。但日本紀云、天皇吉野宮に御幸して豊のあかりきこしめす。其後近江比良に御幸し給ふ。是を以て是を推するに、吉野宮より比良宮へいます時、宇治にかり庵作りおはしますと見えたり。此御歌の句、やとれりしと云て、第五句にしそ思ふといへり。思ひやる詞也。當所の景とはみえさるをや。當國風土記曰、宇治へ應神の御子宇治稚|市《(郎イ)》子|桐《相イ》原|日桁《ヒケタ》の宮を作て宮室とす。仍御名を宇治と申といへり。彼是宇治都無相違者也。宇治王子崩御の心を慈鎭、むかし見し人の涙やつゆならむ世をうち山の秋の花園 衣笠内大臣、白露に散や過なん山しろの宇治の宮この秋萩の花 如此の上は宇治にも無相違哉。
 
  中皇命|往《イマス》于紀温泉時御歌【是は有馬皇子此岡にて松を結ひ給ひけん事を本歌にてよみ給へる也】
君か代もわか世もしれや岩代の岡の草ねをいさむすひてん
 
わか|思ひ《ほり》し野嶋はみせつ底ふかきあこねの浦の玉そひろはぬ
 是も紀伊國幸時の歌也。野嶋は紀伊國也。かゝる所はみせたれと、あこねの浦の玉そひろはぬとよめり。私云、あこねの浦は夫婦の契の事をいへる事あり。伊勢物語の秘事也。其心にて玉そひろはぬは戀の心なるへし。
 
(197)わたつみのとよはた雲に入日ねし今夜の月よすみあかくこそ
 とよはた雲といはんとてわたつみとをける也。海の古語也とも釋せり。夕日にあたる雲の赤色なる幡に似たりといへり。入日よき時は月光晴也。入日ねしと云を入日さしと點せるもあり。心大やう也。ねしとはやはらくと云詞なれは、入日やはらきては晴天たるへき事のいはれ叶へり。
 
冬《長歌》こなり春さりくれは
 とは冬木のすかた也。春のくれはと云心也。
 
うまさかの三輪山のあちさけの
 と點せる本あり。酒のみとつゝくるよし也とかや。神の御ために造たる酒殊にめてたけれはうまさかの三輪といへり。神酒と書て三輪と訓するは此故也。
 
そまかたのはやしはしめ
 といへるは、林のしけ|く《(りイ)》て杣山なとの形のことくはやしはしむる心也。
 
  天皇遊蒲生野時額田王作歌
あかねさす紫野ゆきしめ野ゆき野守はみすや君か袖ふる
 此歌の釋に、あかねさすと云は、天皇の御幸なるか故に、王をは日にたとへ奉れは、あかねさす日の心にいへり。次紫野は山城也。標《シメ》野は大和也。彼御遊の狩の間に行めくり給と釋せり。此儀不可然。紫野標野蒲生野にあり。あかねさすといふ發句は古語のよそへこと也。紫は其根赤き物也。又紅葉に淺深ありといへとも、たゝ赤きにとれり。紅を淺赤とかき、紫を深赤とかけるは此義也。
 
  皇太子答御歌
むらさきのにほへるいもをにくゝしあらは人つまゆへに我戀めやも
 是は女を紫にたとへたり。又うつくしき姿なるへし。
 
  麻績《ヲミ》王流於伊勢伊良虞嶋之時人哀傷作歌
うつあさのをみの大君あまなれやいらこか嶋の玉もかりしく
 うつとは物をほむる詞の隨一也。よきあさのをみと云詞也。
 
  藤原宮天皇御製 持統天皇
春すきて夏きにけらし白妙の衣はすてふあまのかく山
 采葉云、此山に衣をほすと云事、甘橿神《アマカシ》とてましますは人の眞そらことをたゝし給ふ。然は衣を神水にぬらしてほすと申つたへたり。正義(198)をしらす。今考之。香具山は藤原宮御宇離宮とみえたり。其故は當集第二の長歌に、わか大君の万代とおほしめしてつくれりし香久山の宮萬代にとあり。同第三の長歌に、天のかく山霞立春にいたれは松風に池なみ立て櫻花とあり。池なとも有ける也。此山には昔人すめる故に衣をほしける歟。必科をたゝすはかりにてはあらし。又卯花さきて衣ほすに似たりとも申にや。私云、衣ほす義ふるく云ならはせるを用るに事たれり。此歌の春すきて夏きにけらしと侍こそ同し詞にて聞え侍れ。さるはいはれ侍る歌也とかや。新古今にいれり。御門おほくましませとも、百人一首にも此持統天皇の御歌入れり。此歌によれりと申人侍き。
 
玉たすきうねひの山
 とは田をすく心によそへたり。田にうねとてあれは如此いへり。うねひの山は日向國也。うねひの山のかしはらとよめり。
 
あまさかるひな
 田舍なとにては空もひきくみゆると云尺あり。不然。あまさかる日とつゝけんため也。日の空をさかりめくる事少も間斷なき也。日といはん爲也。鵜といはんとてまとりすむと云かことし。
 
  過近江荒都時柿本朝臣人丸反歌
さゝ浪の志賀のから崎さき|は《(マヽ)》あれと大宮人の舟まちかねつ
 
さゝ浪のしかの大わたよとむとも昔の人に又もあはめやも
 
  高市《タケチ》古人感傷近江舊都作歌 或書云高市(ノ)連《ムラシ》黒人《クロヒト》
いにしへの人にわれはあれやさゝ浪のふるき都をみれはかなしも
 
さゝ浪の國つみ神のうらさひてあれたる都みれはかなしも
 
  幸于紀伊國時川嶋皇子作歌 天智天皇御子
白浪の濱松か枝の手向草いく世までにか年のへぬらむ
 此第三句をす|さ《まイ》ひ草と點せる本あり。不可然。神に手向る物を松の枝にかけ置たるを、濱松かえの手向草とよめり。苔をも申とかや。
 
  人丸幸吉野時長歌
あめのしたに國はしもさはにあれとも山川のきよき河内の御心もよしのゝ下略之
 さはにあれともとはおほくあれとも、此吉野のくにゝ勝て瀧の都はみれともあかぬとよめり。私云、たつさはに鳴とはさはくといへり。是を以て思ふにそれもおほき心歟。
 
見れとあかぬよしのゝ河のとこなめに
 といへるは常になめらか也とほめたる詞也。
(199)しほさゐにいらこの嶋へこく船にいものるらんかあらき嶋わを
 しほさゐ、一義云、海の鹽さし滿てゐたるを云。一義しほさき也云々。兩義のうちには、鹽さきは浪あらくて舟こく事大事なれは、あらき嶋輪をと心もとなく思やるに叶也。第三の歌に、鹽さゐの波をかしこみ淡路嶋ともよめり。是もしほさきに浪のあらき也。
 
わかせこはいつち行らん沖津藻のかくれの山をけふか越らん
 隱の山は伊勢の名所也。沖津藻はかくれたる物なれは、隱山によそへつゝくる也。第十一にも、沖津もをかくさふ浪のいをへなみなと讀り。立田をよまんとて奥津白波といへるかことし。
 
  輕《カルノ》皇子宿(リ)2安騎《アキ》野(ニ)1給時人九長歌
こもりくのはつせの山は槇たてるあら山みちを岩かねの已下略之
 こもりくこもりえ兩義也。泊瀬に槇たてるあら山道とよめり。又安騎の大野にはたすゝきとも、同長歌によめり。
 
安騎のゝに宿る旅人打靡きいもねられしや古へ思ふに
 うちなひきいもれねれしとは、ぬるすかたを打なひくと讀る也。
 
  輕皇子宿于安騎野時柿本朝臣人丸短歌
あつま野の煙のたてる所みてかへりみすれは月かたふきぬ
 采葉云、あつま野芳野にあり。あつまさかとて有といへり。近來の歌人武藏野と心えたり。比興の事也。此歌をとりて續古今に、雲こそは空になからめあつま野のけふりも見えぬ夜半の月影
 
  藤原宮之※[人偏+殳]民作歌
荒《長哥》妙の 追勘之
   尺云、藤の花はいたここまやかにもあらぬ物からうつくしけれは荒妙の花と云といへり。
 あらたへの藤原のうへとあり。藤のさまあらき也。あらたへの布絹をたにとよめる同事也。此歌の中に岩はしる近江國と侍るは、岩はしるあはと云義也。水の淡の心なり。あは海とも近江をいへり。衣手の田上とつゝくるは、衣の袖をは手のうへにかくる物なれは、田を手の心になせり。ものゝふの八十氏河とあるは、武士の矢とつゝけ、又は八十の氏の事にいへり。又は武士の八十氏といふもの芳野にあるを、天武の時此河上にをかれたり。それより號すともいへり。○文をへるあやしき龜も新世《アラタ》と泉の河にもちこせる眞木のつま手を百たらす筏につくりのほすらん 文おへるあやしき龜とは賢王聖主の時いつる事あり。大國にも四季を色に顯す龜ありき。史記にみえたり。和國には靈龜元年に出つ。又神龜六年の時出來る。背《セナカニ》文字等有て姿色々也。九色をあらはせり。註委けれとも略之。心は(200)時代をほめて、泉河に筏の算をちらしたるやうなるを百たらすといへり。八十一の心也。然はかゝる世に文|負《ヲヘル》奇き龜も出來なんと也。
 
  從《飛鳥清御原宮高市郡》明日香宮遷居藤原之後志貴皇子御作歌
たをやめの袖吹きかへすあすか風都を遠み徒らにふく
 此歌の心は、あすかの都にて有し時に、飛鳥風も宮女の袖を朝夕に吹かへしたるか、今都うつりて遠さかれはいたつらに吹とよめり。
 
  大寶元年辛丑秋九月|太上天皇《持統女帝也太上天皇尊號自是始也》幸于紀伊國時作歌
こせ山のつら/\椿つら/\に見つゝおもふなこせの春野を
    右一首坂門人|足《タリ》
 心は物をつら/\と見る也。目もかれぬ心也。或本に、川上のつら/\椿つら/\にみれともあかすこせの春野を
 
  大寶二年壬寅太上天皇幸于三河國時歌
ひくま野ににほふ萩原いりみたる衣にほはせ旅のしるしに
    右一首|長忌寸奧丸《マサルイミキノオキマル》
 心は歌のおもてに聞えたり
 
  謝與女王《ヨサノヒメミコノ》作歌
なからふる妻ふく風のさむき夜にわかせの君はひとりかぬらん
 なからふる妻ふく風とは、夜の衣をふみくゝみて寢たるつまを吹風も寒き夜は、我せの君は獨かぬらんといたはりておもひやる歌也。私云、夜の衣を長くふみくゝみたる事さこそあらめと、わかれて程をへぬれはなからふる妻とよめる歟。然を夜の嵐なとの身にさむく吹たる時男を思やりてよめる歌也。
 
ますらおのともやたはさみ立むかひいるまとかたはみるにさやけし
 立むかひとは弓射る姿也。とも矢手はさみとは矢を指にはさみて射る也。
 
いさ子ともはや日のもとへ大とものみつの濱松まちこひぬらん
 此歌は、山上憶良入唐して、本郷を思てよめり。別の心なし。
 
  慶雲二年丙午幸于難波宮時志貴皇子御作歌 天智天皇太子
蘆へ行鴨の羽かひに霜ふりて寒き夕はやまとしそ思ふ
 誠にさひしく物あはれにて、故郷を思ふ心もさこそとおもはるゝ歌也。
 
  太上天皇幸于難波宮時歌
(201)大とものたかしの濱の松かねを枕にぬれと家し思ほゆ
    右一首|置始東人《ヲキソメノアツマツ》
 たかしの濱は津國也。此歌の心に、大伴のたかしの濱の松は所から面白し。其松かねを枕にぬれと、猶故郷の戀しきとよめる也。
 
大とものみつの濱にある忘貝家にある妹を忘て思ふや
    右一首|身入部《ミトヘノ》王
 此歌の心は、みつの濱にみるといへとも、家にあるいもはいかてわすれぬそと云也。やも、とかめたるやなり。
 
  大行天皇幸于吉野宮時歌 或云天皇御製 旅の心也。
み吉野の山下風の寒けくにはたやこよひも我獨ねん
 
  同時|長屋《ナカヤノ》王 天武孫高市子右大臣也
宇治間山朝風寒し旅にして衣かすへき妹もあらなくに
 
  和銅三年庚戌春二月從2藤原(ノ)宮1遷2于|寧樂《ナラノ》宮(ニ)1時御輿(ヲ)停2長屋(ノ)原(ニ)1廻《カヘリ》2望(テ)古郷(ヲ)1御作歌
とふ鳥のあすかの里をゝきていなは君かあたりは見えすかもあらん
 私云、此歌は新古今にも入れり。をきていなはと云におくのおをかける本あり。不可然。長屋原に御こしをとゝめて、故郷を遠望しての御歌ならは、故郷の飛鳥を置ていなは、過にし君かあたり見えすかもあらんとよみ給へるならし。
 
  和銅五年壬子夏四月遣(ス)2長田《ヲサタ》王于伊勢齋宮1時山邊御井作歌
山のへの御井を見かてら神風のいせのをとめらあひみつるかも
 
わたつみの沖つしら浪たつた山いつかこえなん妹かあたりみん
 私云、此歌も同所にてよめり。立田山といはんとて沖つしら波といひ、おきつ白浪といはんとてわたつみといへり。敷鴫の大和にはあらぬから衣のことし。されは此歌をもつて、顯昭法師は彼沖津白浪立由山夜半にや獨の歌をも盗人ならすともといへるにや。
 
萬葉抄第二
 相聞(【戀の歌の事也ィ有】) 難波高津宮御事天皇代 磐姫皇后思天皇御作歌
ありつゝも君をはまたむうち靡き我黒髪に霜をく迄に
  或本曰
ゐあかして君をはまたんぬは玉のわかくろ髪にしもは(202)をくとも
 ぬは玉ともうは玉ともいへり。夜の心又黒き心也。二の差別色々に申せとも、たゝ兩義いつれにもつくへし。又うちなひき我黒髪とよめるも、髪は長くしてなひけは也。
 
かく許戀つゝあらすは高山の岩ねしまきてしなまし物を
 此歌第二句戀つゝあらすはと云は、戀つゝあらんするにはと云詞也。此類多し。
 
眞草苅しなのゝ眞弓我ひかはうま人さひていなといはんかも
 此點に水こもと云たるもあれとも眞草よろし。三草苅しなのとつゝくる事、しなのとはしらのと云詞也。同韵相通也。秋の野に尾花出なひきて白くみゆるによそふる也。千草万木おほしといへとも、神祇を祝かさリ奉る事は、榊をみ榊といひ、薄をみ草と云へし。み草とて薄をぬさにする事あり。天の岩戸に籠給ひし時も、薄を御ぬさにしたる事あり。諏訪(ノ)明神のみさ山の狩には、花すゝきを取てぬさに奉ると云事是也。信濃ま弓といふ事、昔信濃よりの土産とみえたり。大寶年中の比也。うま人と云事は、昔百濟國より馬を此國へ奉るに、多く成けれは、いみしくかたき物にして、秦氏の先祖是をのれり。御門いみしきものにし給て、伊駒山に放てかはしめ給ひけり。御門のおほえありける人給て、是を乘てありきりる。されは馬に乘たる人をやんことなき人にしけり。さてそのかみよき人をは馬もたる人の子と云けり。それは其代には馬人のこと云也。まうとゝ云事も是による事もあり。さひてとはさひしめてと云詞也。後久米禅師石川|市《(郎イ)》女をこふる時、我ひかはうま人さひていなといはんかもとよめり。彼おとめをほめてかくいへる也。おとめか返し、み草かるしなのゝ眞弓ひかすしてしゐさるわさをしるといはなくに 人もひかずして、しゐさるわさを我しると云へきにあらずとよめり。
 
  近江大津宮天皇御歌を鏡王女奉和御歌
秋山の木の下かくれ行水のわれこそまさめみおもひよりは
 此歌、秋山の木のしたを人しれす行水、我こそまさめは、水はます物なれはいへり。そなたの御おもひよりはとよめり。秋山用にたゝねとも、景氣歌のかさり、又は哀なるかたも一入侍にや。
 
  大津皇子賜2石川|郎女《ヲトメニ》1御歌一首
足引の山の雫に妹まつとわれたちぬれぬ山のしつくに
 此集に如此かへして、又山のしつくになとよめる事おほし。あまりたる樣なれと、切なる所をいはんためなれは、二度いへる事殊勝なる物をや。返しに山の雫にならまし物をとよめるは、しつくに成ては何の用か侍るへき。たゝ我を待てぬれんしつくに成て、君にはなれすあらはやとよめる是も切也。
 
  石川郎女奉和歌
(203)われを待と君かぬれけん足曳の山のしつくにならまし物を
 
梓弓ひかはまに/\よらめとものちの心をしりかてぬかも
 是も石川のおとめの歌也。後の心をあやふむ心也。
 
玉かつら實ならぬ木にはちはやふる神そつくといふならぬ木ことに
 此歌は、神の社なとに、大なる木に花さきて實もならねかつらなとのある也。それかさすかに目にたつさまなれは、神そつくといふ、ならぬ木ことにとそへたる也。此歌は大伴安丸巨勢のおとめを思かけてよむ歌なれは、みならぬ木にとは思ふ事のならぬ物から、心をつくと云事也。心に魂也。魂は神也。又男すへきほとの女の、男のなけれは、鬼魅に領せらるゝなとよめる歟。乙女の返し、玉かつら花のみさきてならすあるはたか戀にあらめ我戀思ふをとよめる也。是はうけひきたる歌也。
 
大舟のつ守の占につけしとはまさしにしりてわかふたりねし
 此歌、第二句つもりのうらとはうらなふ占也。津守連通と云ける人は名高き占の博士也。されは事書にも、大津阜子竊(ニ)婚2石川女郎1時津守の連通占露2其事1皇子御作歌一首云々。歌にも津守のうらにつけしとはといへり。發句に大船とよめる事は、津守といはんための枕詞也。大船は常にあるく事なし。津にのみあれは如此よめり。又つもりの浦の名所にもいへる哉。歌の心は、ひそかに、おとめと契て、ふたりねし事を|占にて《恨ティ》あらはしたりといへる歟。つけしとは後悔の心歟。
 
  幸2于吉野宮1時|弓削皇子《天武天皇子》賜2額田王(ニ)1歌
いにしへ|に《ヲノ心也》こふる鳥かもゆつる葉のみゐのうへより鳴わたり行
 
  弓削皇子思紀皇女御作歌
夕されは鹽みちきなん住の江のあさかのうらの玉もかりてん
 私云、此歌戀の歌とも見えす。玉もを思ふ人によそへて、鹽滿來てさはりなからんさきにあふへしとよめる歟。
 
  柿本人丸從石見國別妻上來時歌
石見野や高角山の木のまよりわかふる袖をいもみつらんか
 妹見つらんかとは、我思ことく、忘ぬ事にしておもひやりてもみるやとよめる也。
 
さゝの葉はみ山もさやに|みたれ《亂》とも我はいもおもふわ(204)かれきぬれは
 私云、此歌は妹に別て太山なとに旅のやとりしてよめる歟。篠の葉そよき打乱てあれとも、我はたゝ妹を思とよめり。此歌未の集に乱るめりと入れり。惣して萬葉其外の古歌少つゝなをして入らるゝ事習也。乱るめりの時の心は、打みたれてあるをみるにも、吾は妹おもふといふ心なるへし。
 
秋山におつる紅葉々しはらくはちりなみたれそ殊かあたりみむ
 此歌、木葉のしけく秋の山に散みたれて、思ふかたをさふる心也。
 
  柿本人九妻歌
思ふなと君はいふともあはん時いつとしりてか我戀さらむ
 私云、思ふなと君はいふともとは、一向に我を思ふなと云にはあらす。さのみ心をくたきておもふなとなくさめて云なるへし。さてこそ君はいふともあはん時いつとしりてか我戀さらんと、歸こん日をもしらぬ事を歎く歌也。
 
秋の田のほむけのよするかたよりに君によりなんこちたかりとも
 秋の田穗に出ぬれは、日をへてなひきまさる也。こちたかりともとは人ことのいたましき也。秋の田のかたよりによるやうに、我は君によりなん人言はいたましくともといへり。
 
人ことをしけみこちたみをのか世にいまたわたらぬ朝川渡
 此歌は、人ことのあまり深くいたましくて、いまたあはぬ人にあへりといはれぬるとよめり。いまたわたらぬ朝川渡るとはなき名の心也。
 
ますらをやかた戀せんとなけゝともしこのますらを猶戀にけり
 鬼のますらおと點せる本あり。あしき也。しこのますらをとよむへし。凶の心也。鬼と云字をしことよめり。歌の心は、ますらわの武き身にて、諸共に思はぬ人を我のみや戀んとなけゝとも、しこのますらおにてなを戀るとよめり。
 
なけきつゝますらおのこの戀ふれはこそ我ゆふ髪のひちてぬれけれ
 是は今のますらおの返し也。歎つゝ戀れはこそ我髪のぬれけるらめとよめり。
 
わきもこに戀つゝあらすは秋萩のさきて散ぬる花にあらましを
 是も以前のことく、戀つゝあらむするには散やすき花にもならはやと(205)よめり。
 
大船のはつるとまりのたゆたひに物おもひやせぬ人のこゆへに
 此歌、大舟のとまる時に、ゆられやすからぬやうに物おもひもするとよめり。
 
たはれをと我はきけとも宿かさす我をかへせるをそのたはれを
 此歌、たはれおとはなひきやすき好色の人を云也。色このむ男と聞て思かけて、賤き女のまねをして、火を取に行たれとも、とゝめすしてかへしけれは恨てよめり。をそとは空事と云心也。
 
  返し
たはれおに我はありけり宿かさすかへせる我そたはれおにある
 此心は、たはれおに我は有けりとは、好色の者は人の樣をしりてこそはいかなる人にもあふ事あれ、かりに火を執に來たる者なとを留ぬは眞のたはれおそとよめり。
 
いにしへの|おふな《嫗》にしてやかく許戀にしつまんたは|れお《らは歟》のこと
 おふなとは老女也。たはらはとは童女也。心は古き老女にして若き乙女の樣に戀に沈んやと也。
 
  挽歌【(哀傷の歌の事也ィ有)】近江天皇崩御之特大和大后御歌
人はいさおもひやすらむ玉かつら影にみえつゝ忘られぬかも
 此歌は、玉かつらとは、女を玉かつらにたとへたる事あり。是は近江天皇崩御之後に后の御歌也。人はいさおもひやすらむ我はおも影にのみ忘られぬかもといへり。此集にかもと云事おほし。かなと云心もあり。又疑ふ心もあり。是は哉なるへし。
 
  天皇大殯之時額田王
かゝらんとかねてしりせは大御船はてしとまりにしめゆはましを
 
  石川夫人歌
さゝ浪の大山もりはたかためか山にしめゆふ君もあらなくに
 
  移葬大津皇子於葛城二上山之時大|來《ク》皇女哀傷御歌
磯のうへにおふるつゝしを手をらめと見すへき君かあ(206)りといはなくに
 此時舍人のよめる歌とも云也。
 
  日置皇子尊殯宮之時柿本人丸短歌
嶋の宮まかりの池のはなち鳥人めに戀て池にかつかす
 
嶋の宮上なる池の放鳥|あら|い《(マヽ)》な行そ《・アラクナト云心也》君まさすとも
 
  皇子尊宮舍人等慟傷作歌
たかてらす我日のみこのいましせは嶋の御門はあれさらましを
 
よそにみしま弓の岡も君ませは|とこ《常》つ御門ととのゐするかも
 
天地とともに|を《終》へんと思つゝつかへまつりしこゝろたかひぬ
 依多略之。是皆哀傷の歌なるへし。
 
  有間皇子自傷結松枝歌 孝徳天皇子
岩代の濱松かえを引むすひまさしくあらは又かへりみん
 
家にあれはけにもる飯を草枕旅にしあれは椎の葉にもる
 
  長忌寸意吉《マサルイミキヲキ》丸見2結松1哀咽歌
岩代の野中にたてるむすひ松心もとけす昔おもへは
 
  大寶元年辛丑幸于紀伊國時見結松歌柿本人丸集中出也
後みんと君か結へる岩代の小松かうれを又みけんかも
 
とふ鳥のあすかの川のゝほりせにおふる玉藻は【是は人丸か長歌也、依多略之。玉もをよめる程に記之。】
 
  又
とふ鳥のあすかの川のゝほりせに岩橋わたしくたり瀬にうち橋わたし  ともよめり。
 
  又人丸長歌に
そともの國の槇たてる不破山こえてこまつるき とあり。
 不破に槇をよめり。こまつるきは下に付詞也。末略之。又此歌の中に鳥かなくあつまと云詞あり。烏かなくあつまとは、曉鳴時先雌時を知てくゝと鳴を聞て雄鳴ゆへに鳥かなく吾妻といへり。又あつまのあをあくる心によめりとも云り。さてあつまの國とつゝくる事、日本武尊ゑひすを平けて、臼井※[土+登]に登て、橘姫の海中へ龍神の爲に入給し事を(207)思て、三度吾妻と歎給し故に坂東をなへてあつまの國といへり。
はにやすの池のつゝみのかくれぬの行ゑをしらすとねりはまとふ
 はにやすの池は大和也。隱れ沼は水の行ともなき沼也。さて行ゑ不知とよめり。高市皇子死給時人丸短歌也。
 
秋山の紅葉をしけみまとひぬるいもをもとめむ山路しらすも
 此歌は、人丸か妻死後かなしみてよめり。秋山のもみちをしけみとは時の事を入てよめり。人に死してやみにまとふ事なれは、紅葉をしけみまとひぬる妹をもとめん山路しらすもと、其時に當て山路を紅葉に分難き事を引合てよめり。
 
去年みてし秋の月夜はてらせとも相みし妹はいやとをさかる
 是も人丸か妻の死後の歌也。
 
  柿本人九在石見國臨死時自傷作歌
かも山のいはねし|まけ《卷》る我をかもしらすて妹か待つゝあらむ
 
  人丸か長歌の中に
海をかしこみ行舟の梶引おりてをちこちのとあり。梶引をるとは、舟路に梶取か舟の行てよかるへき方をはからひて、引なをしゆらふる也。されはそれかよき方へやらんとて引むくるを引おるとは云也。
 
  丹比眞人【名闕】擬柿本人丸之意報歌
あまさかるひなのあら野に君をゝきて思つゝあれはいけるともなし
     右歌作未詳
 
  靈龜元年乙卯秋九月志貴親王を葬る時の長歌に
梓弓手に取持てますらおのともや手はさみ立むかひ高圓山に春野燒
 とあり。末に哀傷の詞あり。略之。高圓を射る的になしてよめり。仍書之。
 
たかまとの野への秋萩いたつらにさきか散らんみる人なしに
     右歌笠朝臣金村集(ニ)出
 是も志貴王子死給て、高圓山の萩はみはやす人なくて、徒にさき散らんとよめり。
 
(208)  或本歌
高圓の野への秋萩なちりそね君か形見にみつゝ忍はん
 
萬葉抄第三
 雜歌 天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人丸作歌
すめろきは神にしませはあま雲のいかつちのうへにいほりするかも
 雷とは山の名也。三室山の事也。雷の岡ともいへり。大泊瀬幼武天皇時彼山の雷を取て御覽しけるより、是をいかつちの岡ともいふらし。
 
  弓削皇子遊吉野時御歌
瀧の上の御舟の山にゐる雲のつねにあらむと我おもはなくに
 心は雲は定まらぬ物なれば、世中の不定をよそへてよめる歌也。
 
  柿本人丸※[覊の馬が奇]旅歌
あはみちの野しまか崎の濱風に妹か結しひも吹かへす
 
白妙の藤江の浦にいさりするあまとかみらん旅ゆく我を
 
いなみ野も行すきかてにおもへれは心戀しきかこの嶋みゆ
 兩所いつれも播磨也。かこの島を故郷によそへてよめり。
 
ともし火のあかしのなたの入日にや漕わかれなん家のあたりみて
 海路旅歌也。家のあたりみてとは、必我家のあかしにあるにてはなし。明石の里なとをこきはなれやゆかんとよめり。私云、家は故郷の事歟。みては見すして也。
 
あまさかるひなの長路をこひくれは明石のとよりやまとしまみゆ
 是は淡路なるへし。※[覊の馬が奇]中遠望の心也。
 
氣比の海のにはよくあらしかりこもの亂てみゆるあまのつり舟
 にはよくあらしとはなきたる時を云也。かりこもはみたるゝといはんため也。
 
  鴨君足人香具山歌
いつしかも神さひけるかかく山のむ杉かもとに苔むすまでに
(209) む杉かもとに苔のむすまてとは、古木にあらで若木の杉也。老木にては云に及はす。いつしかにと云心若木と心得へし。む杉を鉾杉と云事も侍にや。
 
  柿本人丸從近江國上來時至宇治河邊作歌
武士の八十うち川のあしろ木にいさよふ浪の行衛しらすも
 行衛しらすもとは旅の心也。なかるゝ浪のゆくゑなきによそへたる也。
 
  長忌寸《マサルノイミキ》奥丸歌
くるしくもふりくる雨かみわかさきさのゝわたりに家もあらなくに
 此歌只旅の歌也。句面のことし。
 
  柿本人丸歌
あふみの海夕波千鳥|な《汝》かなけは心もしのにいにしへおもほゆ
 此歌は夕波に千鳥のさひしく鳴をきゝて古を思ひ出る心也。
 
  長屋王古郷歌 天武天皇孫高市王子
わかせこかいにしへの里のあすかには千鳥鳴也しま待かねて
 しま待かねてはしはし待かねて也。まとはと同韻也。故郷にて問へき人なとのあるを待てよめるならん。
 
  高市連黒人※[覊の馬が奇]旅歌
族にして物|戀し《かなしィ》きに山もとのあけのそほ舟沖にこくみゆ
 あかく色とりたる小船也。歌の心は旅にして故郷なとを思てねられぬに、山もと明わたりて、奥に舟なとの行を見たる心也。
 
しはつ山うちこえみれは笠ゆひの嶋かくれこくたなゝし小舟
 柴津山近江歟。古今には打出てみれはとあり。少なをして入らるゝ事常の事なれは別とは不可心得。此柴津山は豊前とも云り。可尋。
 
磯さきをこきたみ行は近江の海八十の湊にたつさはになく
 磯崎は名所也。八十の湊名所と云事もあり。又近江には山/\の河水湖に落るを、數多きによりて八十湊ともいへり。たつさはに鳴はさはく也。私云、此集にさはにと云事多き心也。若是も多く鳴心歟。
 
いつくにか我やとりせむ高嶋のかちのゝはらにこの日くれなは
 
  石川女郎歌一首 石川朝臣君子號曰少郎子也
(210)しかの海士はめかり鹽やきいとまなみつけのをくしを取もみなくに 私云、此つけのをくしを、食物入る物とやらん|書《(云イ)》たる物見侍し如何にそや。此集には髪けつる小櫛とかけり。もしいやしき者なれは髪けつる櫛なとをもとらぬといふ心歟。
 
  高市連黒人歌
わきもこにいな野はみせつ名|次《ツキ》山|角《ツノヽ》松原いつか示さむ
 是は名ある所をみせたる心也。いつかしめさんはしめてみせんと云心也。
 
いさやこらやまとへはやく白菅のまのゝ萩原手折てゆかん
 白菅とは花しろくさく物なれはいへり。此眞野は大和也。私云菅|花《(萩イ)》如何。
 
  穗積朝臣老歌
我いのちまさしくあらは又もみんしかの大津によする白波
 志賀の大津おもしろき所なれは、我命まさにあらは又も來て見んと云也。
 
  角丸歌
久かたのあまのさくめか岩船のはてし高津はあせにけるかも
 
風をいたみ沖つ白波高からしあまの釣舟濱にかへりぬ
 
  辨基歌
まつち山夕こえ行ていほ崎のすみた河原に獨かもねん
 
  博通法師往紀伊國見三穗石屋作歌
しのすゝきくめのわか子かいましけるみほの岩屋はあれにけるかも
 ほに出ぬすヽきをしのと云は忍ふと云詞也。下略也。ふるく人の住たる岩室を見てよめる也。私云、しの薄くめとつゝくは來の字と註にあり不審。頭註〔二字□で囲む〕一義くめはこもる心歟。(イナシ)
 
ときはなる岩屋は今も有けれと住けん人そつねなかりける
 同時の歌也。
 
  式部卿宇合卿被使改造難波都之時作歌
むかしこそ|灘波《名ニハ(イ旁書)》ゐなかといはれけめ今は宮人そなはりにけり
 仁徳之後田舍といひけるにや。時代可勘歟。
 
(211)ひんかしの市の植木の木垂《コタル》まてあはぬ君ゆへ我戀にけり 門部王詠東市樹とあり。心は戀也。こたるまてとは年へて枝先なとの垂れる木也。
 
  山部宿禰赤人望富士山歌
田子の浦に打出てみれは白妙のふしの高ねに雪はふりつゝ
 信濃の淺間と一體の神也。淺間《センケン》大菩薩と申也。本地胎藏界大日也、。葦高山の明神は金剛界大日也。又反歌此次長歌に飛鳥をよめり。飛鳥飛てのほらすとあり。及はぬ心歟。
 
ふしのねに降をく雪はみな月のもちにけぬれはその夜ふりつゝ
 
  大宰少貳小野|老《ヲイノ》朝臣歌
あをによしならの都はさく花の匂ふか如く今さかり也
 
  防人《サキモリノ》司佐大伴四綱歌 つくしにてよめり。
藤浪の花はさかりに成にけりならの都をおもほすや君
 
  帥大伴卿歌
わか命もときはならぬか昔みしきさの小河を行てみんため
 
あさち原とさまかくさま物おもへは古にしさとのおもほゆるから
 
わすれ草わかひもにつくかく山の古にし里をわすれぬかため
 いつれも大和を忍ふ歌也。此内忘れ草の歌、忘れぬかためとあるはてにはあしく心得つれは理知かたし。かく山の古にし里のわすれかたくて心苦しけれは、忘れ草みひもにつけてしるしを見、愛を忘れんと也。されはわすれぬかためと云爲の字、たゝ《(なイ)》り忘られね程に其爲にと云心也。
 
  沙彌滿誓詠綿歌 俗姓笠朝臣也
しらぬひのつくしのわたは身につけていまたはきねとあたゝかにみゆ
 つくしはわたのある國歟。しらぬひのわたふるくは可然。人綿を絹なとにも入、ね《(衣イ)》とも、ぬひつゝけて着けり。又綿ともいはてしらぬひのつくしとはかりよめるもあり。しらぬ火のつくしと云儀也。註依多略之。
 
  太宰帥大伴卿讃酒歌
夜るひかる玉といふとも酒のみて心をやるにあにしか(212)めやも
 
いける人つゐにもしぬる物にあれは此世なるまはたのしくをあれな
 此世はたゝ酒を飲てたのしめと云心也。前は夜光玉にもまされりと也。
 
  沙彌滿誓歌
世中を何にたとへん朝ほらけ漕行舟の跡なきかこと
 此歌は何にたとへんと云て、こき行船の跡なきかことしと又思ひかへしていへる也。拾遺には跡のしら浪とあり。是も詞をすこし引なをして入れり。
 
  日置少老歌
なはの浦にしほやく煙夕されは行過かねて山にたなひく
 なはの浦津の國と云り。此歌山にたなひくとよめり。若國名別歟。可尋。
 
  山邊宿禰赤人歌
秋風のさむき朝けをさのゝ岡こゆらん君に衣かさましを
 
みさこあるあら礒に生るなのりそのなのりはつけよ親はしるとも
 是は戀の歌也。親はしるともと云は、親のいさむる事なれはかくよめり
 
しつの岩屋 の歌は吉野也。大なんちの神のましますかとよめり。
 
雨ふれはさゝむと思ふかさの山 と云歌も御笠の山の次にあり。三笠の山を笠の山ともいへる歟。石上乙丸朝臣の歌也。
 
秋津羽の袖ふるいもを あきつはとはうすき物也。乙女なとの袖のうつくしきうすものをよめり。
 
あを山の嶺のしら雲朝にけにつねにみれともめつらしき我君
 歌の心は、青山に白き雲のたちたるは目につくへき事也。朝にけには朝夕也。古今には朝なけにといへり。此山の雲の白きことく、朝夕みれともあかぬ君そとよめり。
 
  笠朝臣金村鹽津山作歌
しほつ山うちこえゆけは我のれる馬そつまつく家こふらしも
 
  角鹿津乘船時笠朝臣金村作歌
こしの海のたゆひのうらを旅にしてみれはともしみやまと思つ
 
(213)  出雲守門部王思京歌
お《飫》ふの海の河原の千鳥なかなけは我さほ川のおもほゆらくに
 
  湯原王吉野作歌
吉野なるなつみの河の川淀に鴨そなくなる山陰にして
 
  山邊宿禰赤人詠故太政大臣藤原家之池歌
いにしへのふるき堤は年ふかき池の渚に水草生にけり
 藤原古宮の池なるへし。
 
 辟喩歌 紀皇女御歌
かるの池の入江めくれる鴨すらも玉ものうへに獨ねなくに
 いつくの池をも云へけれとも、鴨とかるとは一なる間、縁によりてよめり。心は入江めくれる鴨すらもとは、鴨は契深き物にて、霜夜には互に拂てぬるを、我妻は問ひ來る事もなくて、獨ぬるをうらみてよめり。
 
  造筑紫觀世音寺別當沙彌滿誓歌
とふさたてあしから山に船木きり木にきりよせつあたら舟木を
 とふさたてとは斧をもいへり。又切時くつのちるをもいふ。又木の末むもいへり。舟木切には傍の木に切よせしとする也。舟は物にさへらるゝを忌故に、よき木なれとも船にせぬ也。されはあたら舟木をとよめり。心は戀の歌也。心にしめて過こし人、おもひの外に、やらしと思ふかたになひきぬれは、あたら舟木とよそへたり。舟につくらましかは、朽はてんまても我に隨て、吾も身をやとすよすかとして、はなれさらましをとよめる歟。
 
  月歌
見えすとも誰こひさらむ山の端にいさよふ月をよ所にみてしか
 山のはとは高き思にたとふ。いさよふ月とは、日暮れはまたるゝ心也。みえすとも誰こひさらむとは、こゝに見えすとも、山の端にいさよひたる月のほのめくを、猶戀しきによそふ。みてしかとはかなと願ふ詞也。切なる心に中/\よそに見てしかなとよめり。
 
  笠女郎贈大伴宿禰家持歌
つくま野におふるむらさききぬにそめていまたきなくに色に出にけり
 心をふかく君に染しにより、いまたあはぬ先にも思の色深くして、人にしらるゝにたとへたり。
 
みちのくのま野の萱原遠けれと面影にしてみゆといふ(214)物を
 みちのくは思の深きに喩ふ。萱原は戀の茂きに喩ふ。遠けれとはいまた逢ぬに喩ふ。いまた逢ねと面影に立てみゆ|と《(る心イ)》也。
 
  藤原朝臣八束梅歌
いもか家にさきたる花の梅の花實にしなりなはともかくもせん
 花にめてゝよそなからみるをは夫婦とならさるに喩ふ。實にし成なはとは契る(まイ有)こと有て、一身になれるにたとふ。
 
  娘子報佐伯宿禰赤丸贈歌
ちはやふる神の社しなかりせは春日の野へにあはまかましを
 此歌女の歌也。神の社しなかりせはとは、定て妻あるらんと恐にたとふ。古歌に人妻は森か社かと云かことし。(イ頭註、人妻はもりか社かから國のとらふす野邊かねて心みん)諸の種ある物あれとも粟をよめるはあはまし物をと云心也。恐るへき事たになかりせは、後にもあはんと契をかましと讀り。契を結はん種也。春日は神のます所なれはよそへてよめり。
 
  大綱公人主宴吟歌
すまのあまの鹽やきゝぬの藤衣まとをにしあれはいまたきなれす
 藤衣は賤き物のきるをもいへり。まとをにしあれはとは、あしき布はうすくて間の遠き也。それを我中の遠てきなれすとよそへたり。古今には、鹽やき衣おさをあらみまとをにしあれや君かさまさぬ。是も詞を少かへて入れり。
 
  挽歌 大伴皇子被死之時磐余池堤流涙御歌
もゝ《百》つたふいはれの池になく鴨をけふのみゝてや雲かくれなん
   右藤原宮朱鳥元年冬十月
 
  河内王葬豐前國鏡山之時|手持女王《タモチヒメミコ》作歌
豐國のかゝみの山に岩戸たてかくれにけらしまてときまさす
 此鏡山より死出山へ行と云事あれは、河内王を彼鏡山にて葬時、其心を思よそへてよめり。
 
岩戸わるたちからもかな手をよはき乙女にしあれはすへのしらなく
 此歌天の岩戸あけたりけん事を思て、此鏡山の岩門をあけて、なき人を二度見はやとよめる也。
 
(215)  土形娘子火葬泊瀬山時柿本朝臣人丸歌
こもりくのはつせの山の山きはにいさよふ雲はいもにかあらん
 葬煙をいさよふ雲とよめり。祝言の砌なとに可心得也。
 
  溺《ヲホレ》死出雲娘子火葬吉野柿本人丸歌
山の端にいつもの子らは霧なれやよしのゝ山の嶺にたなひく
 
  和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌
かさはやのみほのうらはのしらつゝしみれともさひしなき人おもへは
 
  悲傷膳部王歌 作者未詳
世中はむなしき物とあらむとそ此てる月はみちかけしける
 
  天平二年庚午冬十二月太宰帥大伴卿向京上之時作歌
わきもこかみしとものうらのむろの木は常世にあれとみし人そなき
 
磯のうへに根はふむろの木見し人をいつそとゝはゝかたりつけんか
 
  還入故郷家即作歌
   妻にをくれて京に上時の歌と云々。三首ともに。
人もなきむなしき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり
 
  天平三年辛未秋七月大納言大伴卿薨時歌
かくし|のみ《耳》ありける物を萩の花さきてありやとゝひし君はも
 
  大作宿禰家持悲傷作歌 妻にをくれてよめり。
今よりは秋風さむく吹なんをいかてか獨なかき夜をねん
 
  弟大伴宿禰|書《フン》持和(スル)歌
なかきよを獨やねんと君かいへは過にし人のおもほゆらくに
 
  移朔而後悲嘆秋風家持作歌
うつ蝉の世は常なしとしる物を秋風さむみしのひつる(216)かも
 
出て行みちしらませはかねてよりいもをとゝめん關もすへまし
 
  悲緒未息更作歌
世中はつねかくのみとかつしれといたむ心は忍ひかねつも
 
さほ山にたなひく霞みることに妹を思てなかぬ日はなし
 
此四首同し心を家持よめり。
大|あらき《荒城》の時 死期の時といへり。
 
うち日さす宮こ 宮の内は高き物なれは日の光さし入て照す心也。
 宮の内はかさりてかゝやく心也。
 
萬葉抄第四
 相聞 額田王思近江天皇作歌
君まつと我戀をれは我宿のすたれうこかし秋風そふく
 
  吹刀自《ツキ《(マヽ)》ノトシ》歌
まのゝ浦の|よとのつき橋《名寄に津の國とみえたり》心よりおもふやいもかいめにしみゆる
 
  田部忌寸櫟子任大宰時歌
をき《置》ていなはいもこひんかも敷妙の黒髪しきて長き此夜を
 
わきもこにあひしらせけん人をこそ戀のまされはうらみおもはめ
 
朝日影にほへる山にてる月のあかさる君を山こしにして
 心は、西の山の端近き在明の月は、光も照しなから、夜のあくるに隨て、朝日の出なんとするよそほひのうつろへは、あかぬ名殘によそへたり。山こしは隔る心歟。
 
山のはにあちむら駒はさるなれと
 あちむら駒とは、白駒影なと云て、ひま行駒なとのことし。山のはに日影のさる心を云り。又あちむらさはき行ともわれはさびしもとよめりともいへり。私云、みちむらはかりならはしかり。駒と云儀如何。たゝひま行駒の心歟。
 
  柿本朝臣人丸歌
(217)みくまのゝ浦のはまゆふもゝへなる心はおもへと|たゝ《直》にあはぬかも
 伊勢の御熊野也。濱ゆふ、大臣の大饗の時雉の別足をつゝむ也。歌の心は百重に思へとも逢ぬと歎也。此濱ゆふに戀しき人の名を書て枕にもし、衣なとにも添てしけは、思ふ人夢に見ゆるとなん。定家卿、時の間の夜はの衣のはまゆふや歎そふへき御熊野の浦とあり。紀伊國にも濱ゆふをよめり。
 
いにしへに有けん人もわかことやいもに戀つゝいねかてにけん
 
  基檀越往伊勢國時留妻作歌
     男の伊勢へ下たるを思|かけ《(やりイ)》てよめり。
神風やいせの濱荻おりふせて旅ねやすらむ荒き濱へに
 
おとめこか袖ふる山のみつかきの久しき世より思そめてき
 右上布留の山を云ともいへり。十二卷に、わきもこや吾をわすらすな石上袖ふる河のたえんと思や依之いへり。八雲御抄には吉野にありと云神女下によれり。みつかきは久しき事によめり。
 
夏野行をしかの角のつかのまもいもか心を忘れておもふや
 夏の鹿は角おひ初て、短て一束はかりなるをいへり。
 
  安倍女郎歌
今更に何をか思はむうちなひき心は君によりにし物を
 君になひきてよる心の外に何をか更に思はんといへり。私云、とにかくに物は思はすひた人のうつすみ繩のたゝ一すちにと云心歟。
 
  京職藤原大夫贈大伴郎女歌
あつふすまなこやか下にふせれとも妹としねゝははたへ寒しも
 あつふすまはやはらかにあたゝかなる也。なこやのやは詞助也。
 
  大伴郎女和(スル)歌 後ニハ坂上郎女ト號ス。
千鳥なくさほの河との瀬をひろみうち橋わたす|な《男ノ心》かくと思へは
 心は、さほ川のひろきせにもせなか來るとおもへは、うち橋をわたすとよめり。
 
  高田女王贈今城王歌
此世には人ことしけしこむ世にもあはんわかせこ今ならすとも
 
我せこに又はあはしかとおもへはか今朝の別のすへな(218)かりつる
 
  神龜二年乙丑春三月幸三香原離宮時得娘子歌
此夜半の早くあくれはすへをなみ秋のもゝ夜をねかひつるかも
   右作者未詳
 
  大宰少監大伴宿禰百代戀歌
こともなくありこし物を老の浪かゝる戀にし我はかへるか
 
戀しなむ後は何せんいける日のためこそ妹を見まくほしけれ
 
思はぬを思ふといはゝ大野なる三笠の森の神もしるらん
 御笠の杜筑前國也。心は、我僞なき心を神もかゝみて知給はんとよめり。
 
とことはにかよひし君か使こす今はあはしとたゆたひぬらし
 
みな人をねよとの鐘はうつなれと君をし思へはいねかてにかも
 
わすれくさ我下ひもにつけたれとおにのしこ草ことにし有けり
 采葉云、戀を忘んとて忘草を付たれと、猶戀しけれは、忍草にて有けるよとよめり。鬼のしこ草を忍草と云一名也。忘れ草をしのふ草と云にあらず、をして云也。同し物也と云事もあれとこゝにてはかなはす。
 
山すけのみならぬ事を我によりいはれし君は誰とかぬらん
 私云、山菅のみならぬとは、實のならぬ物なるを也。心は、ならぬ事ゆへにわれ人名をはたちて、いつくの誰とかぬらんとうらみたる歌也。
 
  大伴坂上郎女歌
黒髪にしろ髪ましりおふるまてかゝる戀にはいまたあはなくに
 
  大宰大監大伴宿禰百代等贈驛使歌二首
草枕たひ行君をうつくしみたくひてそこししかの濱へを
 筑紫の志賀をよめり。心にしかの濱の挑望おもしろきを、うつくしき君にたとへてよめり。
(219)    右一首大伴百代
 
すはうなる岩國山をこえん日は手向よくせよあらきその道
    右一首少典山口忌寸若丸
 私云、是も旅なる人を思やるに依て戀の部に入歟。
 
  大宰帥大伴卿上京之後沙彌滿誓贈卿歌
ますかゝみあかさる君をゝくれゐてあした夕にさひつゝやをらん
 
  大納言大伴卿和(スル)歌
こゝに有てつくしやいつこしら雲のたなひく山の西にあるらし
 私云、兩首男女の歌にあらす。友なとを戀るも相聞に入り。後撰等にも如此ある也。
 
草香江の入江にあさるあしたつのあなたつ/\し友なしにして
 前の心におなし。
 
  大宰帥大伴卿任大納言上京之時|防人佐《サキモリノセウ》大伴四綱
月夜よし河音きよしいさこゝにゆくもとまるもあそひてゆかん
 
  笠女郎贈大伴宿禰家持歌
しら鳥のとは山松のまちつゝそ我戀わたるこの月頃を
 
八百日行濱の眞砂も我戀にあにまさらめや沖つ嶋もり
 
いせの海の磯もとゝろによする波かしこき人に戀渡るかも
 私云、磯もとゝろによする波かしこきとは恐たる心也。我より上の人を戀る心歟。
 
夕されは物おもひますみし人のことゝひしさまおも影にして
 
天地の神もことはりなくはこそ我思ふ君にあはぬしにせめ
 
心にも我はおもはすさらに又わかふるさとにかへりこんとは
 此歌戀と心えかたし。立わかれつる男、更に又我古郷に歸こんとは心にも思はすと、家持か笠|市《郎イ》女うらみたる心歟。
 
(220)  山口女王贈大伴家持歌
あしへよりみちくる鹽のいやましに思ふか君か忘れかねつる
 
  大伴坂上郎女恨歌
はしめよりなかくいひつゝたのめすはかゝるおもひにあはまし物か
 
  西海道節度使判官佐伯宿禰東人妻贈夫君歌
ひまもなく戀るにかあらむ草枕旅なる君か夢にしみゆる
 
  八代女王獻天皇歌
君によりことのしけきを故郷のあすかの河に御祓しにゆく
 
  大伴四鋼宴席歌
なににしか使のきつる君をこそとにもかくにも待かてにすれ
 
  湯原王贈娘子歌
めにはみて手にはとられぬ月の中の桂のこときいもをいかにせん
 歌に不審なし。五句君にもある《(桂のことき君にもある哉イ)》哉と侍るやらん。
 
  中臣女郎贈大伴宿禰家持歌
かすか山朝ゐる雲のおほつかなしらぬ人にもこふる物かも
 朝ゐる雲のふかくて、いつれともしられぬを、初たる人なとによそへたる也。
 
  広河女王歌
戀草をちから車に七車つみて戀らくわか心から
 
  豊前國娘子大宅|女《(マヽ)》歌
夕やみはみちたと/\し月まちて|いなせ《行心也》我せこそのまにもみん
 
  大伴宿禰家持贈娘子歌
千鳥なくさほの河原の清きせを馬うちわたしいつかゝよはん
 我こふる人のなひきていつか馬うちわたしかよはんとよめり。
 
  題各別
(221)かくはかわ戀|つゝ《乍》あらすは岩木にもならまし物を物思はすして
 是も戀つヽあらんするには岩木にもならましとよめり。物おもはすしては心なき儀也。私云、本註にあらんするにはとかけるうへに、愚意をやりかたしといへとも、此集一向にあらぬ文字をかける事も侍れと、此あらすはなとのすは、不の字にて其心大略たかはす。若戀つつあらすは岩木にも似てや侍らん、心はかく思のかなしきにより、戀せぬ身にたにあらは岩木にも成て有なん、戀する身ほとうき物はなしとよめる歟。
 
いましはよ名のおしけくも我|に《(マヽ)》なし君によりては千へにたつとも
 
  坂上大孃贈家持歌
とにかくに人はいふとも若狹路の後瀬の山の後もあはん君
 
  更大伴家持贈坂|上《(マヽ)》孃歌
夢にあふは|うれ《(くるィ)》しかりけりおとろきてかきさくれとも手にもふれねは
 
おもひたえわひにし物を中/\に何かくるしくあひみそめけん
 
  大伴坂上郎女從竹田庄贈女子大孃歌
うちわたす竹田の原に鳴たつのまなく時なしわか戀らくは
 
  在久邇京思留(ル)寧樂宅(ニ)大孃大伴家持作歌
ひとへ《山城》山かさなる物を月よゝみ門に出たち妹か待らん
 
  大伴宿禰家持報贈紀女郎歌
久かたの雨のふる日をたゝひとり山へにをれはいふせかりけり
 
萬葉抄第五
 雜 梅花歌 筑前山上大夫
春されは先咲宿の梅の花ひとりみつゝや春日くらさん
 春されはと云事を去る心に云人あり。不然。春なれは、春にしあれはなと云心也。梅花歌今四首無不審。
 
梅の花ちらまくおしき我そのゝ竹のはやしに鶯のなく
 
春の野に霧たちわたりふる雪と人のみるまて梅の花ちる
 
(222)梅の花折かさしつゝもろ人のあそふをみれは都しそおもふ
 
  後追和梅花歌
雪の色をうはひてさける梅の花今盛り也みん人もかな
 
わか宿をさかりにさける梅のはなちるへくなりぬみん人もかな
 
  娘等更報歌
松浦川七瀬のよとはよとむとも我はよとます君をしまたん
 
  後人追和之歌
まつら河川のせはやみくれなゐのものすそぬれぬ鮎かつるらん
 松浦川にあゆつる事は、皇后のうらかたに釣給ひて、あなめつらやとのたまひけるよりよめり。
 
  和松浦仙|媛《ヒメ》歌
君をまつまつらの浦のおとめらはとこよの國のあま乙女かも
 
  天平二年七月日憶良歌
松浦かたさよひめのこかひれふりし山の名のみや聞つゝをらむ
 只さ夜姫と云事也。其子にはあらず。
 
とをつ人まつらさよ姫妻こひにひれふりしよりおへる山の名
 
玉しまの此川上に家はあれと君をやさしみあらはさすありき
 君をやさしみとははつる心也。
 
  敢(テ)布《ノフルノ》私懷歌
あまさかるひなに五とせすまひつゝ宮このてふり忘られにけり
 ひなに五とせとは、受領の任遠國に六ケ年なれは五年といへり。都のてふりとは郡のふるまひ也。述懷の歌也。
 
一世には二たひ見えぬちゝはゝをゝきてやな(か脱カ)く我わかれけん
 これも述懷の歌也。
 
慰むる心はなしに雲かくれなき行雁のねのみしなかる
 
(223)水なはなすもろき命もたくなはの千いろにもかとねかひつる|哉《(かもィ)》
 此兩首は、老たる人の病おもりて子をおもひてよめると云り。
 
萬葉抄第六
 雜 養老七年癸亥夏五月幸于吉野離宮時笠朝臣金村短歌
年ことにかくもみてしかみよし野のきよき河内の瀧のしら浪
 
山たかみしらゆふ花におちたきつたきの河内はみれとあかぬかも
 歌に別の心なし。幸時の心なれは年ことにみはやといひ、みれとあかぬとよめり。
 
  或本反歌 同し時の歌也。
御よし野の秋つの川は萬代にたゆることなく又かへりみん
 
  車持朝臣千年作反歌
千鳥なく吉のゝ川の音しけみやむ時なしにおもほゆるきみ
    右或本云養老七年五月幸于芳野離宮御作
 
  神龜元年甲子冬十月幸于紀伊國時山邊宿禰赤人反歌
和歌の浦に鹽みちくれはかたをなみあしへをさしてたつ鳴わたる
 
  神龜二年乙丑夏五月幸芳野離宮時笠朝臣金村歌
萬代にみるともあかんやみよし野の瀧つ川内の大みやところ
 
  山部宿禰赤人作歌
うは玉の夜のふけゆけは楸おふるきよき河|内《(原ィ)》に千鳥しはなく
 
  又同時反歌
あし曳の山にも野にも狩人のともやたはさみみたれたるみゆ
 
  神龜三年丙寅秋九月十五日幸於播磨國印南野時
(224)  短歌
いなみ野の淺芽をしなみさぬる夜のけなかくあれは家のしのふる
 
  同時又反歌
風ふけは浪かたゝむと待程につたのほそ江にうら|かく《隱》れゐぬ
 
  駐(テ)香椎浦(ニ)述懷歌帥大伴卿
いさやこらかしゐのかたに白たへの袖さへぬれて朝なつみてん
 面白所をかやうにいはんも述懷たるへし。
 
  山上憶良沈痾之時歌
人なれはむなしかるへし萬代にかたりつくへき名はたゝすして
 心は、みちある名をものこさてむなしからんとかなしむ心也。
 
すまのあまの鹽やきゝぬのなれなはか一日も君を忘れておもはん
 歌に義なし。赤人歌也。
 
  神龜四年丁卯正月長歌之中詞
まくすはふ春日の山は打なひき【とあり。又高圓に鶯鳴ぬとあり。】
 
  反歌に
梅柳すくらくおしみさほのうちにあそひしことは宮もとゝろに
 此歌は長歌の反歌也。
 
大和路の吉備の小しまを過てゆけはつくしの小嶋おもほえんかも
 大和路の吉備とは、大和に都ある時はいつくより|ゆけとも《(行をもイ)》やまと路の何といへる也。
 
故郷のあすかはあれと青によしならのあすかを見らくし|よし《吉》も
 此歌は坂上市女詠2元興寺之里1。飛鳥二ケ所也。これは故郷にあらす。
 
  春三月幸于難波宮之時船王歌
まゆのこと雲井にみゆる阿波の山かけてこく|ふね《眺望の心也》とま
りしらすも
 
  忌部首|黒《(マヽ)》恨友|※[貝+(八/示)]《ヲソク》來歌
山の端にいさよふ月の出んかと我まつ君し夜はふけに(225)けり
 心に、待人を月によそへて、いさよひて遲きをうらむる歌也。
 
  冬十一月左大臣葛城王等賜2姓橘氏(ヲ)1之時(ノ)御製歌
たち花は實さへ花さへその葉さへ枝に|霜をけと《(霜ふりましてィ)》ましときはの木
 
  橘宿禰奈良丸應 詔歌一首
おく山のま木の葉しのきふる雪のふりはますとも土におちめやも
 此歌のしのくはなひく心也。奥にみゆへし。葉の茂き木なれは土には落めやもといへるにや。
 
  冬十二月十二日葛井連廣(以下ナシ)
我宿の梅さきたりとつけやらはこてふにゝたり散ぬともよし
 月夜よしの歌は是を本歌にてよめり。歌の心義なし。
 
  夏四月大伴坂上郎女奉拜賀茂神社之時|便《(マヽ)》相坂山《(上ィ)》望見近江海而晩頭還來作歌
木綿たゝみたなかみ山をけふこえていつれの野へにいほりせんこら
 賀茂へ參て、それより相坂をこえて、大和へ歸時の歌也。ゆふたゝみたとつゝくるは、木綿は串にたゝみたる紙あり。其したに手ある物なれは、たなかみとかさねたることは也。
 
  天平十一年己卯天皇遊獵高圓野之時以此獣獻上副歌
ますらおかたかまと山にせめくれは里におちくるむさゝひそこれ
 
  十二年幸于伊勢國時天皇御製
いもにこひわかの松原見わたせはしほひのかたにたつ鳴わたる
 
  高岡河内連歌
故郷はとをくもあらすひとへ山こゆる吾からに戀そわかせし
 聖武天皇伊勢へ行幸時道にてよめる也。私云、ひとへ山は山城泉川邊にあり。ならより遠からさるへし。又ひとへ山と云|は《(イナシ)》心につきて、隔ぬ心にとをくもあらすとよめる也。
 
  天平十六年甲申正月十一日登渚道岡集一株松下飲歌
ひとつ松いく世かへぬる吹風のこゑのすめるは年ふか(226)きかも
 
  傷惜作歌奈良都荒 作者未詳
世中をつねなき物と今そしるならの都の移ろふみれは
 
  悲奈良古郷歌
立か|へ《(はィ)》りふるき都と成ぬれはみちのしは草なかくおいにけり
 
  讃久邇新京歌
いつみ河ゆく瀕の水のたえはこそ大宮ところうつりもゆかめ
 
乙女らかうみをかくてふかせの山時のゆけれは宮こと成ぬ
 
かせの山木たちをしけみ朝さらす鳴てとよます鶯の聲
 
こま山になく郭公いつみ河わたりを遠みこゝに通はす
 
  春日悲傷三香原荒墟作歌
みかのはらくにの宮こはあれにけり大宮人のうつりいぬれは
 
さく花は色もかはらす百敷の大宮人そたちかはりぬる
 
  過2敏馬《ミヌメノ》浦1時作歌
ますかゝみみぬめのうらはもゝ舟の過て行へき濱ならなくに
 ます鏡みぬめとは發語の句也。心はおもしろき所なれは、過て行へき濱ならぬとよめり。
 
濱きよみうらなつかしみ神代より千船のとまる大わたのはま
 これもみぬめの浦にて田邊福丸之歌也。神世のいはれ此註になし。
 
萬葉抄第七
 雜 詠天
空の海雲の浪たち月のふね星のはやしにこき隱るみゆ
 此歌は人丸歌也。此註には其心しるさす。私云、伊勢物語の註を見侍し中に、彼歌の心を云侍し間これに今|書《(云イ)》付侍ぬ。昔惡王のまし/\けるを、雲客百官とりたてまつりてをしこめて置奉りけるをよめり。天の海とは天上也。うみとは浪也。舟の縁也。雲の浪たちは雲客のさはく事也。月の舟は王の一御事也。雲の上をてらし給ゆへに月とも日とも申也。舟と申事萬民をわたす心也。星のはやしにこきかくるとは、百官を星の位といへは也。されは雲客星の位の人々王をゝしこめ申心也。(227)歌のおもては義なし。
 
  詠月
山のはにいさよふ月を出んかと待つゝをれは夜そふけにける
 
あすの夜もてらむ月夜はかたよりに今夜によりて夜なかゝらなん
 
もゝしきの大宮人のたち出てあそふこよひの月のさやけさ
 
久方のあまてる月は神代にか出かへるらむ年はへにつゝ
 
うは玉の夜わたる月をあはれとて我いつる袖に露そをきける
 此五首かくれたる所なし。但神代の歌は、としへて末の世なれと、あきらかに天照月は、神世にやかへるらんとよめり。天照も其心ならし。
 
  詠雲
あなし川かは浪立ぬまきもくのゆつきかたけに雲|たてるらし《たつらしもィ》
 あなし川ゆつきかたけ同所なれは、河波を見て雲もたつらしとよめる歟。又移る心にもいへるにや。
 
足曳の山川の瀬のなるなへに弓槻かたけに雲立わたる
 是はたゝ眼前にみる當代をよめり。
    右二首柿本人丸集出
 
  詠山
いにしへのことはしら|ぬを《ねとィ》我みても久しく成ぬ天のかく山(無不審ィ)
 
紀路にこそいも山ありといへかつらきの二上山も色こそ有けれ
 歌の義は、いも山せの山とて名山ありと云に、葛城の二上山も面白山也とほめたる心也。色こそ有けれは其心也。
 
  詠岡
かた岡のむかひの|きし《(峯ィ)》に椎まかはことしの夏のかけに|ならは《比》ん
 ことしのかけにならはんとは、やかて生茂りてならはむといふ心也。
 
  詠川
大君のみかさの山のおひにせる細谷川の音のさやけさ
 五文字は御笠といはんため也。歌に義なし。
 
(228)泊瀬川なかるゝみおのせをはやみゐてこす波の音のさやけさ
 井てとは水をせきあけたる所を云也。
 
我ひもを妹か手もちてゆふは川又かへりみん萬代迄に
 ゆふは川肥後也。
 
  詠葉
いにしへに有けん人も我ことや三輪の檜原にかさし折けん
 今紅葉を折てかさして、むかし三輪の檜原にかさし折ける事を思ひよそへたる也。
    右歌柿本人丸集出
 
  詠蘿
みよし野の青ねかみねの苔むしろ誰かをりけむたてぬきなしに
 
  詠鳥
山きはにわたるあきさの行てゐむその川のせに浪たつなゆめ
 山きはゝみね也。浪たつなゆめとは、しつかなるせにゐてあそふをみむため也。又はくゝむ心ならし。
 
  思故郷
きよきせに千鳥妻よひ山のはに霞たつらむ神なひの里
 神なひの里も故郷と見えたり。時代可尋。
 
年月もいまたへなくにあすか川瀬々にわたせし石橋もなし
 飛鳥の故郷いつしかあれて石はしなとも絶たるよとよめり。
 
  芳野作
神さふる岩ねこりしくみよし野の水分山をみれはかなしも
 此かなしもと云詞、私云、愁の心にあらす、愛したる心歟。其故は同吉のゝ歌此集につゝきて五首あり。或其興をほめ、或は萬代まてになとよめり。以是みるに常のかなしみにはかはるへし。人をいとをしくかなしなと云心歟。
 
吉野川いはとかしはの常磐なる我はかよはんよろつ代まてに
 
  山背作
宇治川におふるすが藻を河はやみとらてきにけりつとにせましを
(229) すがもくふ物と註にみえたり。川はやくてとられぬ心也。
 
  攝津作
しなかとりゐな野をゆけは有ま山夕霧たちぬ宿はなくして
 歌に義なし。旅の心也。
 
さ夜ふけてほり江こくらし松浦舟かち音たかしみをはやみかも
 よる舟のかち昔をきゝて、浪も|はや《(あらイ)》くみおもはやきかと思ひやる心也。
 
めつらしき人を我家に住よしの岸のはにふ|を《のカ》みんよしも哉
 此きしのはにふと云事愚意心得かたきにより、自然注なとをも見侍やとて、抄書にくはへ侍れとも此注にもなし。御存知の人あらはいはれを可書入給也。異本有。(【此の三行彰考館一本にあり】)
 
暇あらはひろひ|て《(にィ)》ゆかむ住吉の岸によるてふ戀忘れ貝
 
なこの浦の朝けのなこりけふもかもいその浦わに亂てあらん
 是はたゝ浪のなこり歟。みたれてあらんとは浪のあらかるへきかといふ也。
 
住よしの遠里をのゝま萩もてすれる衣のさかりすき行
 
難波かたしほひにたちてみわたせは淡路の嶋にたつわたるみゆ
 
  ※[羈の馬が奇]旅歌
家わかれ旅にしあれは秋風の寒き夕に雁なきわたる
 
いつくにかふなのりすらむ高嶋のかとりの浦にこきいつるふね
 
いなみ野は行すきぬらしあまつたふひ笠の浦に浪たてるみゆ
 天つたふい日かさとは日とうくる詞也。たひ行人を思やりてよめる歌也。
 
舟ことにかしふりたてゝ庵するなこ|江《イ無》の濱へは過かてにかも
 旅のとまりにも庵するとよめり。津國也。
 
妹かため玉をひろふと紀の國のゆらのみさきに此日くらしつ
 たひ行身なたれとも、いもかために玉ひろふとて、日をくらすと云心也。
 
(230)もかり船沖こきくらしいもか嶋かたみの浦にたつかへるみゆ
 此舟は海士なとのふね也。これを見たる主は旅人歟。※[覊の馬が奇]中眺望なとの心ならし。
 
あはしまにこき渡らんと思へとも明石のとなみいまたさはけり
 
ちはやふるかねのみさきをすくれとも我は忘れすしかのすめ神
 志賀のすめ神、惣社をすめ神と申何事歟。筑|紫《前カ》り志賀の惣社歟。ちはやふるも其心歟。我は忘れすとはたひの祈なとを(してィ有)忘れぬ事(にや又ィ有)在所面白儀歟。
 
あ|ま《さィ》きりあひ干潟吹らし水くきの岡のみなとに浪立わたる
 朝きりあひともあり。たなきる同心歟。朝くらき也。
 
浪たかしいかにかちとり水鳥のうきぬやせまし猶やこくへき
 いかに揖とりとは水主をよひていふこと葉也。水鳥のうきねとはまくらことは也。
 
竹《タカ》嶋のあと川浪はさはけとも我は家おもふいほりかなしみ
 
玉くしけみむろと山をゆきしかはおも白くして昔おもほゆ
 玉くしけみむろとはまくらことは也。昔大和に都ある時、近江へは宇治より田上へとをりてゆことみえたり。此集にもあり。さやうの時みむろ戸山をこえけるにや。
 
志賀のあまのしほやく煙風をいたみ立はのほらて山にたなひく
 是旅にてみる所をよめるにや。※[羈の馬が奇]旅にいれり。
 
  臨時
山もりの里へかよへる山みちの茂くなりけるわすれけらしも
 
あかつきと夜からすなきてこの山の梢のうへはいまたしつけし
 
ことし布新嶋もりのあさ衣|かた《肩》の|まよひ《亂》は誰かとり見ん
 
  行路
(231)遠く有で雲井にみゆるいもか家にはやくいたらむあゆめ栗駒
    右一首柿本人丸之歌集出
 
  旋頚歌
はしたてのくらはし|山《くらはし川に菅をもよめり》にたてるしら雲みまほしみ我するなへにたでるしら雲
 
山《此歌不審》しろのくせの森の草な手折そをのか時立さかゆともくさなたおりそ
 
水そこの奥つ玉ものなのりその花妹とあ|り《(れィ)》とこゝにか有となのりその花
此岡に草か|り《(るィ)》おのこしかなかりそ有つゝも君かきまさんみまくさにせん
 
あられふり遠つ江にあるあと川柳かるれとも又も生てふあと河やなき
 
住の江のいてみの濱の柴なかりそね乙めらかあかものすそのぬれゆかんみん
 歌に不審なし。柴をよめるめつらしさに書入侍ぬ。右の歌皆人丸集に出。
 
春日なるみかさの山に月の舟いつたはれおののむ盃に影はみえつゝ
 
  辟喩歌 心は皆戀の歌也。寄衣
あたらしくすれる衣はめにつきて我におもほゆいまたきねとも
 初たる人をみて、わか妻とはせねとも、あはれと思ひ|た《(かくィ)》る心也。
 
  寄玉
あちむらのとをよる海に船うけて白玉とらん人にしらすな
 
わたつみの手にまきもたる玉ゆへに|いそ《石》の浦はにかつきするかも
 わたつみとは海神也。うみの神のもてる玉のたとへ也。又わたつみとは母ふいふ也。うみの心也。母の手をはなたす深窓にかしつきて玉の如くする也。いそのうらはにかつきするとは、乙女を思とて涙の海に沈たるにたとふ。くるしき心也。
 
  寄木
みれとあかぬ人國山の木の葉をそをのか心になつかし(232)くおもふ
    右四首柿本人丸歌
 此歌はみれとあかぬ人とつゝくる也。木の葉の色々にうつくしきを、思ふ人によそへて、なつかしく思ふとよめり。
 
  寄衣
つるはみのきぬきし人は事なしといひし時よりきまほしくおほゆ
 つるはみの衣とは四位の朝服也。但内侍等典侍等のきぬ也。昔はつるはみの衣着たる人にはとかをおこなはさりける也。我戀の事しけく無名なとをもたて、とか私人の云に依て|これ《(此衣イ)》を願也。
 
橘の嶋にしをれは河とをみさらさてぬひしわか下ころも
 
 嶋にしをれはとは、離《(れ々イ)》嶋にゐてさひしくむかしの色香を忍ふに喩ふ。
 川とをみとは、契|わ《(憑イ)》たるへきかたもなき也。さらさてぬひしとは、心に色もかはらてかたみのきぬをきる心也。
 
  寄糸
河内めの手染の糸をくり返しかた糸にあれとたえんと思ふや
 手染の糸とは色ふかく思ひみたるゝ也。かた糸はあふことなけれと、たえむとおもはぬにと云心也。
 
  寄玉
わたのそこおきつしら玉|よし《縁》をなみつねかくのみや戀わたりなん
 
  寄山
岩たゝみかしこき山としりつゝも我はこふるか友ならなくに
 岩たゝみとは通ひかたきに喩ふ。賢き山とは高き人に喩ふ。友ならなくにとは我身いやしきと云心也。
 
  寄草
月草に衣いろとりすらめともうつろふ色といふかくるしさ
 
紫の糸をそ我よる足引の山たち花をぬかんとおもひて
 
山たかみ夕日かくれぬ淺茅原後みんためにしめゆはましを
 私云、此歌戀の心如何。夕日かくれにあらん淺茅原目につくへきさま也。それによそへて、後みんためにしめゆはましと云を、なれつる人(233)を猶後と契へき物をと云心歟。此註にも侍らす、をしあてにかくしるし侍りき。
 
まとりすむうなての杜のすかのねを衣に|か《書》きつけきせん子も哉
 まとりすむうなてとは枕詞也。此歌の心は、菅の根のやうに、心を長く我にうつして妻となる子もかなとよそへたる也。
 
女郎花おふる澤へのま葛原いつかもくりて我衣にきん
 女郎花を女に喩ふ。澤へのま葛原とはしほれ恨る也。いつかもくりてとは、いつか我手にひかれて、身にしたかふ妻となさむと云心也。
 
三嶋江の玉江のこもをしめしよりをのかとそ思いまたからねと
 
かくしてや猶やおひなん深雪ふる大あらき野の篠ならなくに
 
近江野や矢橋の|さゝ《(篠《シノ》ィ)》を矢にはかてまことあ|る《(りィ)》とや戀しき物を
 此歌も心得かたし。少おもひはかる事侍れ共、よもあたり侍らしと不及申(【此二行彰考館一本にあり】)
 
月草に衣はすらん朝露にぬれての後はうつろひぬとも
 
  寄稻
石上ふるのわさ田を|ひい《秀》てすともしめたにはへよもりつゝをらん
 ひいてすともとは、あしき契也ともと云心也。しめたにはへたらは我ものともらむといへり。人もぬしありとみんと云心也。
 
  寄木
ま木柱つくる杣人いさゝめにかり庵のためにつくりけんやも
 ま木はよき太にてくちぬ物也。されは朽ぬ物として長きよすかと思に、人の心のうつろひぬへきを、かり庵のために作けめやもとよそへたり。いさゝめは程なき心也。
 
たらちねの親のそのなる桑も猶ねかへはきぬにきるといふものを
 此歌も、以前の、わたつみの手にまく玉の心也。願へは我つまとなると云心也。又心なき木たにも衣になしてきれはきるものを、心ある人の身として、かく戀かなしませて、なとか我妻ともならぬそと云也。桑絲と云事あれはよめり。
 
  寄花
住吉のあさ澤をのゝかきつはた衣にすりつけきん日し(234)らすも
 
秋されは|み《(マヽ)》むと我まきしからあゐの花たれかつみけん
 我しめをきて、後の妻とせんと思人の、よそに契る心也。
 
  寄鳥
あすか川七瀬のよとにすむ鳥も心あれはこそ浪たゝさらめ
 此鳥はをしかもなとの心にや。鴛鴨はいつれも妻とよくかたらひて、そねみなとする事なけれは、浪たゝさらめといふへし。彼鳥のことく我中も浪たてさらんに喩ふる也。七せのよととは、瀬一あれは又よとも一あり。仍七瀬のその淀に住と云也。浪たゝさらめと云心に叶へり。
 
  寄獣
三國山木すゑにすまふむさゝひの鳥まつかことわれ待|やせ《瘠むヵ》
 
  寄月
春日山やまたかゝらし岩のうへのすかのねみんと月待かねぬ
 山高からしとは思ひの心、又高山に月の障ることく、人のさはりかちにて遲をよめり。菅のねみんと云はねみんと云心歟。可尋。
 
  寄神
ゆふかけて祭るみむろの神かけていむにはあらす人めおほみこそ
 
  寄海
大舟にまかちしけぬき漕出にし沖はふかけんしほはひぬかも
 行衛もなくゆられて安き心もなきにたとふ。沖はふかけむとは我戀によそへたり。鹽はひるといふともおもひはふかき|と《(をイ)》そへたり。
 
  寄川
初瀬河なかるゝみなは絶はこそ我思ふ心とげすとおもはめ
 
水こもりにいきつきあまり早川のせにはたつとも人にいはめやも
 
  寄藻
しほみては入ぬる磯の草なれやみらくすくなく戀らくのおほき
 
  ※[羈の馬が奇]旅
(235)なこ《津國也》の海を今朝こきくれは海中にかこそ鳴なるあはれそのかこ
 
萬葉抄第八
 
 春雜歌 志貴皇子御歌
岩そゝくたるみの上の早蕨のもえ出る春に成にける哉
 たるひとかける|は《(事イ)》不(可イ有)然|たるみ《垂水》也。水也。
 
  鏡王女歌
神なひのいはせの杜のよふこ鳥いたくなゝきそ我戀まさる
 
  中納言安倍廣庭卿歌
いにし年ねこしてうへし我宿の若木の梅は花咲にけり
 ねこしてとはこぐ心也。日本紀には堀遣とかけり。
 
  山部宿禰赤人歌
春の野にすみれつみにとこし吾そ野をなつかしみ一夜ねにける
 
我せこにみせんと思し梅の花それともみえす雪のふれゝは
 
あすからはわかなつまむとしめし野に昨日もけふも雪はふりつゝ
 
  又山邊赤人歌
くたら野の萩のふる枝に春まつと住し鶯鳴にけんかも
 くたら野津國の名所なり。又冬野を云ともいへり。
 
  大伴坂上郎女柳歌
打あくるさほの川原の青柳は今は春へと成にける哉
 
  大伴宿禰三林梅花歌
霜雪もいまた過ねは思はすに春日の里に梅の花みつ
 
  厚見王歌
かはつなく神なひ河に影みえて今かさくらん山吹の花
 
  大伴宿禰村上梅花歌
つほめりといひし梅か枝今朝ふりし淡雪にあひてさきにけるかも
 
霞立かすかの里の梅花山下風にちりこすなゆめ
 散こすなとはちり過る心也。ゆめは努/\と云心也。
 
(236)  中臣朝臣|武良自《ムラシノ》歌
時は今春に成ぬとみ雪ふる遠き山へに霞たなひく
 
  河邊朝臣東人
春雨のしく/\ふるに高圓の山の櫻はいかゝあるらん
 
  大伴宿禰家持鶯歌
うちきらし雪はふりつゝしかすかに我家のそのに鶯のなく
 
  丹比眞人乙磨歌
霞たつ野上のかたにゆきしかは鶯鳴つ春になるらし
 
  山田|女王《ひめみこ》歌 高安女王也
山吹のさきたる野へのつほすみれ此春雨に盛なりけり
 
  大伴家持雉歌
春の野にあさるきゝすの妻こひにをのか有かを人にしれつゝ
 
 春相聞 大伴家持贈坂上家之大孃歌
我宿にまきしなでしこいつしかも花にさかなんなそへつゝみん
 花にさかなんなそへつゝみんと云詞戀也。なそへはたとへつゝ也。
 
  大伴田村家毛大孃與妹坂上大孃歌
つはなぬく淺茅か原のつほ菫いまさかり也わかこふらくは
 
  厚見王贈久米女郎歌
宿にある櫻の花は今もかも松風はやみ土におつらむ
 櫻を人によそへたり。土にやおつらんは身をあしくやもつらんと云心なり。
 
  久米女郎報贈歌
世中もつねにしあらねはやとにあるさくらの花もおつる比かも
 人の心もつねならねは、宿のさくらも落るころそとうらみたる|心《(歌イ)》也。
 
  大伴家持贈坂上大孃歌
春霞たなひく山のへたてれは妹にあはすて月そへにける
    右歌從久邇京贈奈良宅
 
 夏雜歌 志貴皇子御歌
(237)神なひのいはせのもりの時鳥ならしの岡にいつかきなかん
 
  沙彌霍公鳥歌
足曳の山郭公なかなけは家にあるいもつねにおもほゆ
 
  山邊赤人歌
戀しくはかたみにせんと我宿に植し藤浪今さきにけり
 
  小治田朝臣廣耳歌
獨ゐて物思ふよゐに郭公こゝに鳴わたる心あるらし
 
  大伴家持歌
うの花もいまたさかねは郭公さほの山へにきなきとよもす
 
  家持晩蝉歌
しのひのみをれはいふかしなくさむと出たちきけはきなく日くらし
 
  大伴|書《フン》持歌
我宿の花たちはなに郭公今こそなかめともにあへる時
 
  大伴坂上郎女歌
時鳥いたくなゝきそ獨ゐていのねられぬにきけはくるしも
 
 夏相聞 大伴四鋼宴吟歌
ことしけみ君はきまさす時鳥なれたにきなけ朝戸ひらかん
 
  大作坂上郎女歌
夏の野のしけみにさける姫ゆりのしられぬ戀はくるしき物を
 
  大伴田村大孃與妹坂|上《(マヽ)》孃歌
ふる郷のならしの岡の郭公ことつてやりきいかにつけきや
 
 秋雜 大津皇子御歌
たてもなくぬきもさためすおとめらかをれる黄《(錦ィ)》葉|は《(にィ)》霜な|あら《(ふらィ)》しそ
 
  穗積皇子御歌
今朝のあさけ雁かねきゝつ春日山もみちにけらし我心いたし
 
(238)秋はきはさきぬへからし我宿のあさちか花の散行みれは
 
  長屋王歌
あち酒のみわのはふりか山てらす秋のもみちのちらまくもおし
 
  山上臣憶良七夕歌
風雲は二つの岸にかよへとも我遠妻のことそかよはぬ
 
秋風の吹にし日よりいつしかとわかまち戀し君そきませる
 
ひこほしの妻むかへ舟こき出らし天の河原に露のたてれは
 
霞たつあまの河原に君まつと行かへるまにものすそぬれぬ
 
  笠朝臣金村伊|香《カコ》山作歌
いかこ山野へにさきたる萩みれは君か家なるお花しそおもふ
 
  山上臣憶良詠歌野花
秋の野にさきたる花を手折ては君かそふれは七くさのはな
 
  天皇御製
今朝のあさけ雁かねさむく聞しなへ野への淺茅そ色附にける
 
  大宰帥大伴卿歌
我岡の秋萩の花風をいたみ散へく成ぬみん人もかな
 
  湯原王七夕歌
七夕の袖つくよるのあかつきは河瀬のたつはなかすともよし
 私云、袖つく夜るとは、そてをもろともにかさねたるをよむといへるにや。
 
 市原王歌
時まちておつる時雨の雨やみてあさかの山のうつろひぬらん
 
  湯原王歌
夕月夜心もしのにしら露のをく此庭にきり/\す鳴
 
(239)  衛門大尉大伴宿禰稻公歌
時雨の雨まなくしふれは三笠山梢あまねく色附にけり
 
  大伴家持和(スル)歌
大君のみかさの山の紅葉々はけふの時雨に散か過なん
 
  安貴王歌
秋たちていくかもあらね|と《(はィ)》このねぬる朝けの風は袂さむしも
 このねぬるはねぬる心也。宿の字をかけり。後撰には袂すゝしもと入。
 
  故郷豐樂寺にて尼私房宴歌
あすか川ゆきゝの岡の秋萩のけふふる雨に散か過なん
    右一首丹比眞人國人
 
鶉なくふりにし里の秋萩を思人とちあひみつる哉《(かもィ)》
 
秋萩はさかりすくるをいたつらにかさしにさして歸りなんとや
    右二首沙彌尼等
 
  家持秋歌
久方のあまゝもをかす雲かくれ鳴そ行なる渡る鴈かね
 雨間もをかすは、絶す時雨て、ふかき雲隱に雁の鳴たる心也。
 
  藤原朝臣八束歌
春日野に時雨ふるみゆあすよりは紅葉かさゝん高圓の山
 
  右大臣橘家宴歌
雲のうへになきつる鴈の寒きなへに萩の下葉はうつろはんかも
 
朝戸あけて物思ふ時に白露のをける秋萩見えつゝもとな
 心に、物思ふあした樞をしあけてみるに、秋萩に白露をけるさま、身にしむ心ちし侍り。もとなと云詞此集に多し。詞の助字と見えて、別の心なし。
 
さを鹿の來たちなく野の秋萩は露霜をひて散にし物を
    右二首文忌寸馬養
 
  橘朝臣奈良丸結集宴歌
手おらすて散なはおしと我思し秋の紅葉をかさしつるかも
 
(240)なら山の嶺のもみち葉とれはちる時雨の雨もまなく降らし
    右一首内舍人縣犬養宿禰吉男
 
足引の山の紅葉はこよひかも染ていぬらん山川のせに
    右一首大伴書持
 
もみち葉をちらまくおしみ手折きて今宵かさしつ何か思はん
    右一首縣犬養宿禰持男
 
神な月時雨にあへるもみちはのふかは散なん風のまに/\
 時雨にあひてうつろひ終る紅葉、風のまに散なん事をゝしむ歌也。
    右一首大伴池主
 
  佛前唱歌
時雨の雨まなくなふりそ紅にゝほへる山のちらまくもおし
 
  大伴像見歌
秋萩の枝もとをゝにをく露のけなはけぬとも色に出なゆめ
 此歌秋部なから忍戀の歌と見えたり。
 
  大伴家持歌
さを鹿の朝たつ野への秋萩に玉とみるまでをける白露
 
  石川朝臣廣成歌
妻こひに鹿なく山の秋萩は露霜さむみさかりすき行
 
珍しき君か家なる花薄ほに出る秋のすくらくもおし
 
  大伴宿禰鹿鳴歌
此頃の朝けにきけはあし曳の山をとよましさを鹿の鳴
 
  家持歌
高圓の野への秋萩此頃のあかつき露にさきにけんかも
 
 秋相聞 丹比眞人歌
うたの野の秋はきしのきなく鹿も妻に戀らく我にはまさし
 
  丹生女王贈大宰帥大伴卿歌 六句歌
高圓の秋の野かみの撫子の花うらわかみ人のかさせるなてしこの花
(241) 撫子に戀の心をよせたる也。うら若みはなてしこの事、又人の盛なる心歟。
 
  賀茂女王歌
秋の野を朝行鹿の跡もなくおもひし君にあ|く《へ歟》る今夜か
 
  山口女王贈大伴宿彌家持歌
秋萩にをきたる露の風吹ておつる涙はとゝめかぬつも
 秋萩咲たる折しも、露を吹亂したる夕の風には、おもひもそひ、涙もとゝめ《(まりイ)》かたかるへし。
 
  大伴田村大孃與妹坂上大孃歌
我宿の秋の萩さく夕日かけに今もみてしかいもかすかたを
 
わかやとにもみつるかえてみることに妹をかけつゝ戀ぬ日はなし
 
  大伴宿禰家持贈安倍女郎歌
今つくるくにの都に秋の夜の長きを獨ぬるかくるしさ
 此歌は、久邇の都作るとき、家持なとも此所にありて、大和にある女郎をおもひてよめる也。
 
  大伴家持從久邇京贈留奈良宅上大孃歌
あし引の山へにをりて秋風の日ことにふけは妹をしそ思ふ
 此歌も同所よりならへをくる歌也。
 
 冬雜 天皇御製 豐明之時御製也
あをによしならの山なるくろ木もてつくれる宿は萬代まてに
 
  三野連石守《ミノノムラシイシモリ》梅歌
ひきよちておらは散へし梅の花袖にこき入てそまはそむとも
 
  巨勢朝臣|宿奈《スクナ》麿雪歌
我やとの冬木の上に降雪を梅の花かとうち見つるかも
 
  忌部首黒丸雪歌
梅の花枝にかちるとみるまてに風にみたれて雪そふりくる
 
  家持雪梅歌
今日降し雪にきほひて我宿の冬木の梅は花さきにけり
 きほひてはあらそひてと云心也。
 
(242) 冬相聞 三國眞人々足歌
おく山のすかのねしのきふる雪のけぬとかいはん戀のしけきに
 菅の根しのきとは、諸の草は枝葉茂くてわか木よりなひけとも、菅は一すちありて直にたてる物也。しのきとはしなひてなひく心也。なひかぬ物なれとも雪にしなふとよめり。心は雪によそへて、我命きえぬとやいはん、戀のしけきにといへり。
 
  大伴坂上郎女歌
さかつきに梅の花うけておもふとちのみての後は散ぬともよし
 
  藤皇后奉 天皇御歌
わかせことふたりみませはいくはくか此ふる雪のうれしからまし
 
  紀小鹿女郎歌
久かたの月夜をきよみ梅花心ひらけてわかおも|へ《(ふィ)》る君
 月夜に梅花さきあひたるをみるやうに心のそむ儀也。心ひらけてとはふしやうにに思はぬ心也。
 
  大作宿禰家持歌
淡雪の庭に降しきさむき夜を手枕まかす獨かもねん
 
萬葉抄第九
 
 雜歌 泊瀬朝倉宮御宇雄略天皇天皇御製
夕されはをくらの山になく鹿のこよひはなかすいねにけらしも
    右或本云岡本天皇御製
 
  岡本宮御宇天皇幸紀伊國時歌
朝霧にぬれにし衣ほさすしてひとりや君か山路こゆらん
    右歌作者未詳
 
  大寶元年冬十月|太上《持統》天皇|大行《文武》天皇幸紀伊國時歌
三つなへの浦しほみつなかしまなる釣するあまを見て歸こん
 
ゆらのさきしほひにけらしくら神の磯のうらみをあへてこきとよむ
 
ふちしろの御坂をこゆと白妙のわか衣手はぬれにける(243)かも
 
玉くしけあけまくおしきあたらよを衣手かれて獨かもねん
 此歌も紀伊國にてよめり。旅戀なるへし。
 
  後人歌
をくれゐてわか戀をれはしら雲のたなひく山をけふかこゆらん
 
  獻忍壁皇子歌 詠仙人歟
とこしへに夏冬ゆけやかはころもあふきはなたす山にすむ人
 
  鷺坂作歌
しら鳥の鷺坂山の松かけにやとりてゆかなん夜もふけ行を
 
  高嶋作歌
高しまのあと川浪はさはけとも我はいも思ふたひねかなしも
 
  鷺坂作歌
ほそひれのさきさか山のしらつゝしわれにゝほはて妹にしめさむ
 
  宇治河作歌
大くらの入江ひゝく也いめ人の伏見の田井に鴈わたるらし
 
  獻弓削皇|歌《(マヽ)》
さよ中と夜は深ぬらし鴈かねの聞ゆる空に月渡るみゆ
 
  泉河邊作歌
春草を馬くひ山をこえくなる鴈の使はやと過ぬなり
 此歌註に雁の使の事也|云々《(イナシ)》と云へり。然|を《(はィ)》たゝ文もちたるつかひの事歟。本にも雁の使とかけり。又雁をよめる歟。馬くひ山泉川に並ひたる也。
 
  柿本人丸歌
わきもこかあかもぬらしてうへし田をかりておさめんくらなしの濱
 早苗なととるもののあかもといはん事いかゝと思ひ侍しに、民のもすそといひ、惣して如此|たくひ《(多くイ)》あれは、たゝ衣裳と心得侍也。是も私に如此おもひし事を申出也。又御製なとにも、秋の田のかりほの庵のとま(244)をあらみともあそはし、又伊勢物語にはおち穗ひろふともいへり。又わさ田はからし霜はおくともなとよめり。只此道はやんことなき人も、いやしき事をするやうにもいひ、又いやしき者にも、あかもなときたるやうによめる事、姿心のやさしからんためなるへし。
 
  登筑波山詠月
天原雲なきよひにうは玉の夜渡る月のいらまくもおし
 
  幸吉野離宮時歌
おちたきつなかるゝ水の岩にふれよとめる淀に月の影みゆ
    右二首作者未詳
 
  槐本《エスモト》歌
さゝ浪のひらの山風海ふけは釣するあまの袖かへるみゆ
 
  春日藏歌
てる月を雲なかくしそ嶋かくれ我舟よせん泊しらすも
 
  絹《キヌカ》歌
蛙なく六田の淀の河柳ねもころみれとあかぬ君かも
 此は春の柳に君をよそへたり。此類おほし。ねもころは懇也。
 
  丸《まるか》歌
いにしへのかしこき人のありきけん吉野の川原みれとあかぬかも
 
  石川卿歌
慰めて今宵はねなんあすよりは獨かゆかむ今別なは
 
  宇合卿歌
山城のいはたのをのゝ柞原みつゝや君か山路こゆらん
 
  伊保丸歌
わか|たゝみ《疊》三重の河原のいそのうらにかはかりかもと鳴蛙かも
 
  登筑波山歌 作者なし
つくはねのすそはの田井に秋田かる妹かりゆかむ紅葉手折て
 
  七夕歌
天川霧たちわたりけふ/\と我まつ君か舟出すらしも
    右歌或云中衛大將藤原|比《(北ヵ)》卿宅作也
 
あかつきの夢と見えつゝかち嶋の岩こす浪のしきてし(245)そ思
 梶嶋は丹後也。しきてしそ思とは頻に思ふ也。旅の泊に人を戀る歌と見えたり。
 
 相聞
石上ふるの|山《(わさィ)》田のほには出す心のうちにこふる此ころ
 
  大神大夫任長門守集三輪河邊宴歌
をくれゐて我やはこひん春霞たな引山を君かこえなは
 
  大神大夫任筑紫國時阿倍大夫作歌
をくれゐて吾やはこひんいなみ野の秋萩みつゝいなむこゆへに
 
  與妻《ヨメ》歌
雪こそは春日にきえめ心さへ消うせたれや|こと《言》もかよはぬ
 
  神龜五年戊辰秋八月歌
三越路の雪ふる山をこえん日はとまれる君をかけて忍はん
 
  思娘子作歌
立かはる月かさなりてあはされはさねわすられす面影にして
 
 挽歌 哀弟死去作歌
別れても又もあふへくおほえねは心みたれてわか戀|ぬ《(マヽ)》やも
 
  詠勝鹿眞間|娘子《ヲトメ》歌
かつしかのまゝの井みれは立ならし水をくみけんて子をしそ思
 
(247)萬葉抄下
 
萬葉抄弟十
 春雜歌
久かたの天のかく山この夕霞たなひく春立らしも
 
まきもくの|ひ《(槇ィ)》はらにたてる春霞晴ぬ思は慰めつやも
 
子らかてをまきもく山に春されは木葉しのきて霞棚引
 此五文字はまきもくといはんためはかり也。同春なから暮春の歌也。木葉ふかく成て、これも菅の根しのきのことくしなひなひく心也。
 
  霞
今朝ゆきであすはこんといふしかすかに朝妻山に霞棚引
 此歌の心はあすこんといひて別たれと、さすがに朝妻山に霞たなひきて、ゆく跡をへたつるをみれは、戀しきと云心也。
 
  詠鳥
うちなひき春たちぬらし我門の柳のうれに鶯のなく
 打なひき春たちぬとはなへてと云心也。歌の心はみゆるまゝ也。
 
梅花さける岡へに家ゐせはともしくもあらし鶯のこゑ
 
我せこを|なこし《名越》の山の呼子鳥君よひ返せ夜の深ぬまに
 歌の心はなこしの山をせこそなこそといふ山そとよめり。さてよひかへせといへり。せこと君をなし主也。古歌には如此あり。
 
冬こもり春さりくらしあし曳の山にも野にも鶯のなく
 
紫のねはふよこ野の春のゝに君をかけつゝ鶯のなく
 紫を君によそへ鶯を身によそへてよめり。君をかけつゝとは思かけたるを云儀也。
 
春日なる羽かひ山よりさほのうちへなき行なるはたれよふこ鳥
 
あつさ弓春山ちかく家ゐしてたえす聞つるうくひすの聲
 
打なひき春さりくれは篠のう|へ《(れィ)》に尾羽うちふれて鶯のなく
 
朝霧にしとゝにぬれてよふこ鳥三舟山より鳴わたるみゆ
 
  詠春雪
(247)梅花ふりおほふ雪をつゝみつゝ君にみせんととれはきえつゝ
 
今さらに雪ふらめやもかけろふのもゆる春日と成にし物を
 かけろふのもゆる春日とは、日のゝとかに成て空も晴たるにもゆるやうにかすかに日に映してみゆる事あり。喩へはいとゆふといふおなしことなり。私云、かけろふと云事色々あり。此歌は此註のことし。又かけろふの石岩なとつゝくることくさ也。そろ藺《イ》と云草也。ゐといはんため也。本より草なれは勿論也。このかけろふの岩を蜻蛉の石なとに居たるか黒くて色まかふ程にかやうに云と申さるゝ人も侍るにや。又虫にもあり。命あたなるものの時をもまたぬむしなりといへり。數は三ツ儀は四|ツ《(重イ)》なり。
 
風ませに雪は降つゝしかすかに霞たなひき春はきにけり
 
君かため山田の澤にゑくつむと雪けの水にもの裾ぬれぬ
 
梅かえになきてうつろふ鶯のはね白妙に淡雪そふる
 
雪をゝきて梅をなこひそあし曳の山かたつきて家ゐする君
 
  詠霞
昨日こそ年はくれしか春霞かすかの山にはや立にけり
 
  詠柳
霜かれの冬の柳はみる人のかつらにすへくもえにけるかな
 
淺緑そめかけたりと見るまでに春の柳はもえにける哉
 
山のはに雪はふりつゝしかすかに此川柳もえにけるかも
 
もゝしきの大宮人のかつらゆふしたり柳はみれとあかぬかも
 
  詠花
きゝすなく高圓の野へに櫻花散なから經てみる人もかな
 
春雨にあらそひかねて我宿の櫻の花はさきそめにけり
 
春雨はいたくなふりそ櫻花いまた見なくにちらまくもおし
 
見わたせは春日の野へに霞たちさきにほへるは|櫻《(梅のィ)》花か(248)も
 
いつ《何》しかもこの夜あけなん鶯の木つたひちらす梅の花みむ
 
  詠月
春かすみたなひくけふの夕月夜清く成らん高圓の野に
 
春されは木かくれおほき夕月夜おほつかなしも山陰にして
 
朝かすみ春日のくれは木間よりうつろふ月をいつしかまたん
 
  詠川
いまゆきてみる物にもか飛鳥川春雨ふりてたきつせの音を
 
  野遊
春日野の淺茅のうへに思ふとちあそふけふをは忘られめやも
 
百敷の大宮人はいとまあれや梅をかさしてこゝにつとへ|り《(るィ)》
 
 春相聞
春山の霧にまとへる鶯も我にまさりて物おもはめや
 
  寄鳥
春されはもすのくさくきみえすとも我はみやらん君かあたりを
 
  寄花
春のゝに霞たなひきさく花のかくなるまてにあはぬ君かも
 此歌程へてあはぬ人の春に成ても猶あは|ぬ《(すイ)》とうらみて月日のうつるをいへる心也。
 
  寄霜
はるされは水草のうへにをく霜のきえつゝも我は戀わたるかも
 
  寄露
春霞立にし日よりけふまてに我戀やますかた思にして
 
玉きはる我山のうへにたつ霞立てもゐても君か|まに/\《隨意》
 
(249)  寄雨
梅の花ちらす春雨いたくふる旅にや君かいほりさすらむ
 
  寄草
ほのかにも君をあひみて菅のねのなかき春日を戀わたるかも
 
  寄雲
しらま弓いま春山に白雲のゆきやわかれん戀しき物を
 
  悲別
朝戸出て君かすかたをよく見すて長き春日を戀やくらさん
 
 夏雜 詠霍公鳥
旅にして妻戀すらし郭公神なひ山にさ夜ふけてなく
 
朝霞たなひく野へにあし曳の山郭公いつかきなかん
 
藤浪のちらまくおしく時鳥|いまき《今城》の岡を鳴てこゆなり
 
この暮の夕やみなるに時鳥いつこを家と鳴わたるらん
 
五月山うの花月夜郭公きけともあかす又なかんかも
 
橘のはやしをうへん時鳥常に冬まてすみ渡るかね
 すみ渡るかねとはすみわたるかにと云詞也。
 
  詠花
見わたせはむかひの野へのなてしこのちらまくおしみ雨なふりこそ
 
春日野の藤は散行て何をかもみかりの人のおりてかさゝむ
 
 夏相聞 寄鳥
郭公なくやさ月のみしか夜も獨しぬれは明しかねつも
 
  寄草
人ことは夏野の草のしけくともいもと我とし|たつさ《携》はりなは
 
  寄花
鶯のかよふかきねのうの花のうきことあれや君かきまさぬ
 
下にのみ戀れはくるし撫子の花にさき出よ朝な/\見ん
 
(250)よそにのみ見つゝやこひん紅のすゑつむ花の色に出す
 
  寄日
六月の|つち《土》さへさけてゝる日にも我袖ひめや君にあはすして
 
 秋雜歌 七月歌
萬代にてるへき月も雲かくしくるしき物そあはんとおもへは
 月は行末の代遠く絶す照すへき物なるに、今夜しも雲かくしあふへきたつきもしらぬ事をよめり。七夕のうたはおもひやりてもよみ、又身のうへの樣にもよむとかや。此歌にて可意得也。
 
天河水かけ草の秋かせになひくをみれは時はきにけり
 水陰草は稻の一名也。銀河のめくみにて苗代水の始より稻花熟すといへり。能因も其心をよめり。此歌の七夕の心は、水陰草の秋風になひくを見て、七夕のあふへき時はきにけりとよめる也。この歌をとらせ給て後鳥羽院御うたに、ひこ星のかさしの玉や天河水かけ草の露とまかはん 又、谷ふかみ水かけ草のした露やしられぬ戀の涙なるらんそはたゝ水邊に生て水陰にある草也。
 
秋されは川霧たちて天河かはにむきゐてこふる夜そおほき
 
織女のいをはたたてゝをる布の秋さり衣誰かとりみむ
 
秋風の吹たゝよはすしら雲はたなはたつめのあまつひれかも
 
しは/\もあひみぬ君を天河舟出はやせよ夜のふけぬまに
 
秋風のきよき夕に天河舟こきわたる月人おとこ
 此歌は星のわたりの舟には月をなして、桂男のこきわたるとよめり。
 
君か舟いま漕くらし天河きり立わたる此河のせに
 
天河々とにたちてわか戀し君きます也紐ときまたん
 
この夕ふりくる雨はひこほしのと渡る舟のかひのちるかも
 かひのちると云たるも雫の心なるへし。
 
あまの川遠きわたりになけれとも君か舟出は年にこそまて
 
天河うち橋わたしいもか家路やますかよはん時またす(251)とも
 天河にうち橋をよむ事たゝ地儀の同し心になしてよめり。千鳥やたづなとよめるをもつて心得へし。棚橋わたしともよめり。時またすともかよはんとは、年をまつ中なれはたゝをして絶すかよはんと也。
 
天河罪たち|渡る《(のほるィ)》七夕の雲の衣のかへる袖かも
 
あし玉も手玉もゆらにをるはたを君かみけしにぬひてきせんかも
 
天河たなはしわたす七夕のわたりまさんにわた|せ《(すィ)》たなはし
 
天河々と八十ちありいつ|く《(こィ)》にか君か御舟をわか待をらん
 
こまにしきひもときかへし彦星の妻とふよひそ我もしのはん
 こま錦を繊女の紐にすへきならねとひもといはんため也。又うつくしきひもといはむため也。
 
  詠花
ま葛原なひく秋風吹ことにあたの大野|に《(のィ)》萩の花ちる
 
秋田かるかりほのやとり匂ふまてさける秋萩みれとあかぬかも
 
秋かせはすゝしく成ぬ駒なへていさ野にゆかん萩の花みに
 
我宿にさける秋萩つねならは我まつ人にみせまし物を
 
手にとれは袖さへ匂ふ女郎花このしら露にちらまくもおし
 
乙女ら|に《(【かは】イ)》ゆきあひのわせをかる時に成にけらし|な《(もィ)》萩の花さく
 ゆきあひのわせとははやわせといふ心也。
 
朝霧のたなひくをのゝ萩の花今やちるらんいまたあか|なく《(ぬィ)》に
 
戀しくはかた見にせよと我せこかうへし秋萩今さきにけり
 
秋風は日ことに吹ぬ高圓の野への秋萩ちらまくもおし
 
  詠雁
秋風に山|よ《(とィ)》ひこゆる雁かねのいや速さかり雲隱れつゝ
 
明暗の朝霧かくれ鳴て行雁は我こふいもにつけこせ
 
(252)天雲のよ所に雁かねきゝしよりはたれ霜ふりさむし此夜は
 
あし邊なる《新古にかきほなる》荻の葉さやき秋風の吹くるなへに雁鳴渡る
 
む《(うィ)》は玉の夜わたる雁はおほつかないくよをへてかをのか名をよふ
 
  詠鹿鳴
此ころの秋の朝|け《(あけィ)》の霧かくれ妻よふ鹿の聲のはるけさ
 
雁はきぬ萩はちりぬとさをしかの鳴なる聲もうらふれにけり
 
  詠蟋
秋風のさむく吹なへに我宿の淺茅かもとに蛬なく
 
かけ草の生たる宿の夕影になく蛬きけとあかぬかも
 此かけ草に夕かけ草也と釋せり。夕かけ草とよめる歌、當集に、我宿の夕かけ草のしら露のけぬかももとなおもほゆるかも 此歌の釋色々也。ゆふかけ草未勘と云釋もあり。陰草も夕かけ草と云釋もあり。又夕景の革ともいへり。末の|抄《(集イ)》歌に、光なき我古郷のきり/\す身はかけ草のねをのみそなく 又ある註に、夜一よ草といふ草を夕かけ草といへり。夕景に花咲て明れはしほむ物也。此花一夜草は本草に景天草と云り。此名は天の氣也。故《(仍イ)》夜一夜草を夕陰草と云へしと釋せり。
 
庭草にむら雨ふりて|きり/\す《拾遺に日くらしの》なく聲きけは秋はきにけり
 
  詠鳥
いもか手をとりこの池の浪まより鳥のねきこゆ秋過ぬらし
 
  詠露
秋萩にをく白露のあさな/\玉とそみゆるをける白露
 
秋田かるかりほをつくりわかをれは衣手さむみ露そをきける
 
  詠山
春はもえ夏は緑にくれなゐの錦にみゆる秋の山かも
 
  詠黄葉
つまかくす矢野の神山露霜に匂ひそめたりきらまくもおし
    右一首柿本人丸集出
 
雁なきて寒き朝けの露ならし春日の山をもみたす物は
 
此頃のあかつき露にわか宿の萩の下葉は色つきにけり
 
(253)大坂をわかこえくれは二上に紅葉々なかるしくれふりつゝ
 
秋されはをく白露にわか宿の淺茅かうらは色附にけり
 
妹か袖まきもく山の朝霧に句ふ紅葉のちらまくもおし
 
露霜のさむき夕の秋風にもみちにけりなつまなしの木は
 
わかせこか白たへ衣行ふりにうつりぬへくももみつ山かも
 
秋風の日ことにふけは水草の岡の木葉も色附にけり
 
時雨の雨まなくしふれは槇の葉もあらそひかねて色附にけり
 
いもかりと馬にくらをきて伊駒山打こえくれは紅葉ちりつゝ
 
雁かねの寒く鳴より水くきの岡のくす葉は色附にけり
 
あすか川もみち葉なかる葛城の山の木の葉はいまし散らん
 
夕されは雁のこえ行立田山時雨にきほひ色つきにけり
 
さ夜ふけて時雨なふりそ秋荻の下葉のもみちちらまくもおし
 
  詠田
さをしかの妻とふ山の岡へなるわさ田はからし霜はをくとも
 
我門にもる田をみれはさほのうちの秋萩すゝきおもほゆるかも
 
  泳月
わかせこかかさしの萩にをく露をきよくみせんと月は照らし
 
おもはすに時雨の雨はふりたれと天雲晴て月はきよきを
 
白露を玉になしたる長月の有明の月よみれとあかぬかも
 
  詠風
秋田かる民のいほりに時雨ふりわか袖ぬれぬほす人なしに
 
(254)玉たすきかけぬ日もなく我こふる時雨しふれはぬれつゝもゆかん
 
  詠露
あまとふや雁のつはさのお|は《もィ》ひ羽のいつこもりてか霜のふるらん
 
 秋相聞
たそかれとわれをなとひそ長月の露にねれつゝ君待我を
 たそかれ時と云にはかはれり。誰そと我をなとひそといふ心也。
 
秋山の霜ふりおほひ木の葉ちる年は行とも我忘れめや
 
  寄露
秋萩のさきちる野への夕霧にぬれつゝきませ夜はふけぬとも
 
露霜に衣手ぬれて今たにも妹かりゆかん夜は更ぬとも
 
秋萩の上に白露をくことに見つゝそ忍ふ君か姿を
 萩色々さきみたれたる上にをきたる露をあはれと思ふへき物也。それに君かすかたをよそへて戀る也。
 
  寄田
住吉の岸を田にほりまきし稻のしかもかるまてあはぬ君かも
 
秋の田のほのうへにをける白露のけぬへく我はおもほゆるかも
 
  寄凰
はつせ風かく吹夜半にいつまでか衣片しきわれ獨ねん
 
  寄雨
秋萩をちらすなかめのふる頃はひとりおきゐて戀るよそおほき
 
  寄蛙
朝霞かひやか下になく蛙聲たにきかはわれ戀めやも
 かひやか下の事六百番に見えたり。此註にもおほくかき侍れとも正義みえす。私云、俊成の儀を仰て鹿火屋か下と可意得|ならむ《(イナシ)》。歌の心は上|十《(句イ)》七は序にて、聲たにきかはより戀になれり。(己前の秋萩の上露にはかはるへき歟イ有)
 
  寄鹿
さをしかの朝ふすをのゝ草わかみかくろへかねて人に(255)しらるな
 是も忍ひかねて人にしらるなとよめり。聲たにきかはの儀也。
 
  寄草
道のへのお花かもとのおもひ草今更何の物か思はん
 おもひ草の義まち/\也。撫子をもいひ、茅をもいふとも申。九條前關白はしをんと仰られける也。定家卿はりんたうといひ給ふ也。くわんさうをも申とかや。但かれわたる頃の薄かもとにりんたうのさきたるを、紫のゆかりなつかしき色をおもへる心也といへり。定家卿の儀尤可爲正義。此歌の心こそいかにと思ひ侍れ。此註にもしるさす。もし道の邊のお花かもとの思草は、一すちに心をかよはしたるおもひ變する事なし。今更に何の物をかおもふへきといふ心にや。
 
ふしまろひ戀はしぬともいちしるく色には出し朝かほの花
 
さをしかの入野の薄はつお花いつしか妹か手枕にせん
 いつしかと云詞に二義あり。いつしか人の心のかはるなとゝ云詞もあり。これはいつか也。しはやすめ字也。いもか手枕にせんとは、妻こふる鹿の入野なる花すゝきを枕にして、いつか妹とふたりねんと云心也。
 
朝露にさきすさひたる月草の日うつるともにけぬへくおもほゆ
 
わきもこに相坂山のしの薄ほには咲いてす戀渡るかも
 
藤原のふりにし里の秋萩はさきて散にき君まちかねて
 
  寄山
秋されは雁とひこゆるたつた山立てもゐても君をしそ思ふ
 
  寄黄葉
わか宿の葛葉日ことに色附ぬきまさぬ君は何心そも
 
  寄月
君に|こひ《よりィ》しなへうらふれ我をれは秋風吹て月かたふきぬ
 しなへうらふれとは、人をうしと思へともしなふ心也。とにかくに人になひく義也。うらふれは惱の字也。たのむ心也。
 
秋の夜の月かも君は雲かくれしはしもみねはこゝら戀しき
 
  寄夜
よしへやし戀じとおもへと秋風の寒く吹夜は君をしそ思ふ
 
(256)秋のよをなかしといへとつもりにし戀をつくせはみしかゝりけり
 
  寄衣
時雨ふるあかつき月夜ひもとかす戀しき君とをらまし物を
 
 譬喩歌
はふりこかいはふやしろの紅葉々もしめをはこえて散といふ物を
 
 冬雜歌
まきもくのひはらもいまたくもらねは小松か末に淡雪そふる
 此歌新古今には小松か原とあり。春の部に入如何。もしくもらねはをかすまねはと云心にや。
 
あし曳の山路もしらすしらかしの枝もとをゝに雪のふれゝは
    右歌柿本人丸之歌集出也。但件一首、或本には三方|田《(マヽ)》彌作
 
  詠雪
夜をさむみ朝戸をあけて出てみれは庭もはたれにみ雪ふりたり
 
  詠花
たかそのゝ梅の花そも久かたのきよき月夜にこゝら散くる
 
きて見へき人もあらなくに我家の梅の初花散ぬともよし
 
  詠黄葉
矢田の野の淺茅色つくあらち山嶺のあは雪寒くふるらし
 
 冬相聞
ふる雪の空にけぬへくこふれともあふよしをなみ月そへにける
 
  詠雪
夢のこと君をあひみて天きらし降くる雪のけぬへくおもほゆ
 
(257)  寄花
わか宿にさきたる梅を月夜よみよな/\みせん君をこそまて
 
  寄夜
足引の山下風はふかねとも君かこぬ夜はかねて寒しも
 
萬葉抄第十一
 
 相聞 旋頭歌
泊瀬野や弓槻か下に我隱したる妻あかねさすてれる月よに人みけんかも
 
天にある一棚橋い|つち行らん《かてかゆかんィ》わか草の妻かりと|いは《いふィ》ゝ足|のかさり《をうつくしィ》を
 或釋云、天にある日とつゝけんためといへり。又天河橋といへり。棚橋ともよめれにもと見えたり。わか草は妻といはんため也。天にある日とつゝくる義ならは、天河にもかきらし。たなはしは具足なともよはくて、棚のやうなる橋也。歌の心は、たのもしけなくあやうき一棚橋を、うつくしけなる足にて渡ゆくをいたましと思やる心也。
    右歌柿本人丸集出
 
うち日さす宮ちにあへりし人妻ゆへに玉の緒のおもひみたれてぬる夜しそおほき
 
ます鏡みしかと思妹にあはんかも玉の緒のたえたる戀のしけきこのころ
 
海原の道にのりてやわか戀をらむ大舟のゆたにあるらん人の子ゆへに
 道にのりてやわか戀をらむとは、海路はそこはかとなくあやうきにたとふ。大舟のゆたにあるらんとは、人はなひく心もなくうこかぬ物ゆへにとよそへたる也。我のみや行ゑなくふりたる戀をせん、うこかぬ人ゆへにとよめり。私云、古今にゆたのたゆたに物おもふとは、ゆられ物思ふ心也といへり。此註うこかぬ人とあり如何。大舟はゆれはさうなく動や|ら《まカ》ぬ物也。古今の心はよくかなひぬ。是はかはれり。若是も定心なき人ゆへに、行衛なき海原の道に心をのせて、戀やをらんといふ心歟。
 
  正述心緒
たらちねの親の手はなれかくはかりすへなきことはいまたせなくに
 
戀しなはこひもしねとや玉ほこの道行人にことつてもせぬ
 
(258)心には千へにおもへと人にいはぬわかこふる妻をみるよしもかな
 
かくはかり戀しき物としらませはよ所にみるへく有ける物を
 
わか後にむまれん人も我ことく戀する道にあひあふなゆめ
 
ますらおのうつゝ心もわれはなしよるひるいはす戀しわたれは
 ますらおのうつゝ心もなしとは、ますらお心のたけきものなれとも、よるひるこひわたるおもひに、うつゝ心もなしとよめり。現心うつゝ心とよむ也。月草のうつし心は色ことにしてとよめるは心別也。
 
何せんに命つきけんわきもこに戀せぬさきにしなまし物を
 
見わたせは近きわたりを打めくり今やきますと戀つゝそをる
 
世の中のつねかくそとは思へともはては忘れす猶戀にけり
 かりそめに人になれなとすれはふかきおもひとなる事もある物をと、我心をいさめて思ひつるに、はてはわすれすに戀しくなれりとよめり。
 
戀をしてしにする物にあらませは我身そ千へにしにかへらまし
 
玉ゆらの昨日の夕みし人のけふのあしたにこふへきものか
 
中/\に見さりしより|は《(もィ)》あひみては戀しき心ましておもほゆ
 
ゆけと/\あはぬいもゆへ久堅の雨露霜にぬれにけるかな
 
戀しなはこひもしねとやわきもこか我家の門を過て行らん
 
まゆねかきはなひゝもとき待らんやいつしかみむと思ふ我君
 眉ねかき鼻ひ紐ときは人のとふへきつけ也。君を行てみむと我おもへは、今のことくしてや待らんとよめり。古今に隣のかたにはなもひぬ哉と云はあしき義歟。
 
白妙の袖をわつかに見しからにかゝる戀をも我はする(259)かも
 
わきもこに戀てすへなみ夢みんとわれはぬれともいこそねられね
 
ゆへなしに我下ひものとけたるを人にしら|る《(すィ)》な|たゝ《直》にあふまてに
 
   寄物陳思
いかならむ神にぬさをも手向はか我思ふいもを夢にたに見む
 
天地といふ名のたえてあらはこそ妹にわかあふ事もやみなめ
 
岩ねふみかさなる山にあらねともあはぬ日|おほく《(あまたィ)》戀渡る|哉《(かもィ)》
 
山し|な《(ろィ)》のこはたの|里《(山ィ)》に馬はあれとかちよりそ|くる《行ィ》君を思かね
 
ちはや人うちのわたりのはやきせにあはす有とも後もわかせこ
 
ことに出ていはゝいみしみ山川のたきつ心をせきそかねたる
 
鴨川ののちせしつけみ後もあはん妹には我はけふならすとも
 
あら磯こえほか行浪のほか心我はおもはす戀てしねとも
 
大舟のかとりの浦にいかりおろしいかなる人か物おもはさらん
 
しらま弓いそへの山のときはなる命ならはや戀つゝをらん
 しらま弓いそへ|と《(ィナシ)》は枕詞也。山はかはらぬ物なれはときはといへり。ときはなる命ならはこそ戀つゝもをらめ、あすをしらぬ命そとよめり。命ならはやを常住にありたきやうに見るへからす。
 
しら玉を手にまきしより忘れしとおもひし事はいつかやむへき
 
天雲のよりあひとをみあはすともこと手枕を我はまかめや
 
青柳の葛城山にたつ雲の立てもゐても妹をしそ思ふ
 
(260)春日山雲井かくれに遠けれといへは思はす君をしそおもふ
 
うは玉の黒髪山の山すけに小雨ふりしきます/\そ思
 
朝霜のけなはけぬへく思ひつゝいかて今夜をあかしなんかも
 
久かたの天てる月のかくれなは何になそへて妹をしのはん
 
三日月のさやかに見えす雲かくれ見まくそほしきうたて此頃
 
我せこに我こひをれは我宿の草さへ思ひうら枯にけり
 
山城のいつみのこすけをしなみに妹か心を吾は思はす
 
見渡せはみむろの山の岩こすけ忍ひに我はかた思する
 
すかのねの忍ひに君か結てし我ひものをゝとく人あらめや
 
水底におふる玉ものうちなひき心をよせて戀るこの頃
 
天雲にはねうちつけてとふたつのたつ/\しかも君しまさねは
 
たらちねの親のかふこのまゆこもりこもれるいもをみるよしもかな
 
朝月日むかふつけくしふりねれと何しか君かみれとあかれぬ
 
ますかゝみ手に取もちて朝な/\みれとも君をあく事もなし
 
  問答
なる神のしはしうこきて空くもり雨もふらなむ君をとゝめん
 
なる神のしはしうこきてふらすとも我はとまらん妹しとゝめは
 
  正述心緒
苅こものひとへをしきてさぬれとも君としぬれは寒けくもなし
 
立別|ゆきみ《往箕》の里に妹をゝきて心そらなり土はふめとも
 
わか草の新手枕をまき初て夜をやたてんにくからなくに
 
(261)うつゝには逢よしもなし夢にたにまなくみむ君戀にしぬへし
 
妹こふと我なく涙敷妙の枕とをりてまけはさむしも
 
たちておもひゐてもそ思紅のあかもたれひきいにしすかたを
 
心には千へにしき/\おもへともつかひをやらむすへのしらなく
 
むかへれは面かくれする物ゆへにつきて見まくのほしき君かも
 
うは玉の妹か黒かみこよひもか我なき床になひきてぬらん
 
ますらおはとものさはきになくさむる心もあらむ我そくるしき
 
かくてのみ戀はしぬへしたらちねの親にもつけつやますかよはせ
 
朝ね髪我はけつらしうつくしき殊か手枕ふれてし物を
 
逢みてはいくひさゝにもあらなくに年月のことおもほゆるかも
 
人ことのしけくて君に玉章の使もやらす忘ると思な
 
夕されは君やきますと待し夜の名殘そ今もいねかてにする
 
あひおもはす君はあるらしうは玉の夢にも見えすうれへてぬれは
 
戀しなん後は何せん我命いける日にこそ見まくほしけれ
 
ゆかぬわれくるかとかとをささすしてあはれわきもこ待つゝかあらん
 
しるしなき戀をもするか夕されは人の手枕まかむ子ゆへに
 
心をし君に|まつる《奉》と思へれはよし此ころはこひつゝをあらむ
 
思いでゝねにはなくともいちしるく人のしるへく歎すなゆめ
 
玉ほこの道行ふりに思はすも妹をあひみて戀る頃かも
 
(262)うは玉のわかしろかみをひきぬらし亂てかへり戀わたるかも
 
ゆふけにもうらにもつけあり今夜たにきまさぬ君をいつとかまたん
 
あし曳の山櫻戸をあけ置て我待君をたれかとゝむる
 
  寄物陳思
しかのあまのしほやき衣なるといへと戀てふものはわすれかねつも
 
から《紅ィ》あゐの八しほの衣朝な/\なれはすれともましめつらしも
 
紅のこそめの衣色ふかく染にしかはかわすれかねつも
 
古ころもうちすて人は秋かせの立つる時に物思物そ
 
いにしへのしつはた帶をむすひたれ誰といふとも君にはまさし
 
うは玉のくろ髪しきて長き夜を枕のうへにいもまつらむか
 
時もりのうちなすつゝみかそふれは時には成ぬあはぬもあやし
 
玉ほこの道ゆきつかれいな莚敷ても君をみん由もかな
 
をはた田の|いた《(坂ィ)》ゝの橋のこほれなはけたよりゆかんこふなわきもこ
 
宮木ひく泉の杣にたつ民のやすむ時なく戀渡るかも
 
住よしのつもりのあまのうけのをのうかひかゆかん戀つゝあらすは
 上は序の詞也。常のことし。うかひかゆかんとは、かゝる戀をせすはうかふことも有へき物をとよめり。
 
とにかくに物はおもはすひた人のうつすみなはのたゝ一すちに
 一すちに人を思ふ外はとにかくに物はおもはすとよめり。
 
あし曳の山田もるおのをく鹿火の下こかれのみ我こふらくは
 
杉板もてふける板まのあはさらはいかにせんとかあれねそめけん
 
君こふといねぬ朝|け《(あけィ)》に誰のれる駒の足をと我にきかす(263)る
 
紅のすそひくみちを中にをきて我やかよはん君やきまさん
 
天雲の八重雲かくれなる神の音にのみやは聞渡りなん
 
わきもこに又もあはんとちはやふる神のやしろにねかぬ日はなし
 
夕月夜あかつきやみの朝かけに我身は成ぬ君をおもひかね
 ゆふ月夜にこいまやと待人もとはて曉やみに心まとふ也。朝かけになるとは、夕あかつきのうつりを云也。影となるとは、おもひに衰て影のことくになれると云こころ也。古今にかゝり火のかけとなるなとよめるかことし。
 
いもかめの見まくほしけく夕やみの木葉かくれの月まつかこと
 
ま袖もてゆか打はらひ君待とをりしあひたに月かたふきぬ
 
二上にかくるゝ月のおしけれといもか袂をかるゝ此頃
 此歌は月のかくるゝもおしけれと、妹のた七もとのかるゝに猶ましてかなしといへる歌也。
 
我せこかふりさけみつゝなけくらんきよき月夜に雲なゝひきそ
 
ます鏡清き月夜のうつろへは思ひはやます戀こそまされ
 
此山の嶺にちかしと我みつる月の空なる戀もする|哉《(かもィ)》
 
うは玉の夜わたる月のうつろへはさらにや妹に我戀をらむ
 
君かきる三笠の山にゐる雲のたてはつかるゝ戀もするかも
 
窓こしに月はてらして足曳の嵐ふく夜は君をしそ思ふ
 
から衣君にうちきせみまほしみ戀そくらしゝ雨のふる日を
 
笠なしと人にはいひて雨つゝみとまりし君かすかたしそ思ふ
 
妹か門行過かてに久堅の雨もふらなん|そ《其》を|よし《縁》にせん
 
櫻あさのおふの下草露しあらは明してをゆけ親はしる(264)とも
 
待かねてうちにはいらし白妙の我衣手に露はをくとも
 
白妙の我衣手に露はをきていもにはあはすたゆたひにして
 
とにかくに物は思はす|白《(朝ィ)》露の吾身一つは君かまに/\
 
かけろふの岩垣沼のかくれにはふしてしぬとも君か名はいはし
 
あし曳の山したとよみなく鹿の時そともなく戀わたるかも
 
よしへやしあはぬ君ゆへいたつらに此川の瀬に玉裳ぬらしつ
 
おく山の岩垣沼の水こもりに戀やわたらむあふよしをなみ
 
わきもこに我こふらくは水ならはしからみこえて行へくそ思ふ
 
おく山の木葉かくれて行水の音きゝしより常忘られす
 
ものゝふのやそうち川のはやき瀬に立あへぬ戀も我はするかも
 
高山に出くる水の岩にふれわれてそ思ふ妹にあはぬ夜は
 
高山の岩もとたきり行水の音にはたてし戀はしぬとも
 
風ふかぬうらに浪たつなき名をも我はおふかも逢とはなしに
 
すか嶋のなつみの浦による浪のあひたもをきてわかおもはなくに
 
霰ふりとをつ大浦による浪のたとひよるともにくからなくに
 
住吉の岸のうらみにしく浪の數にも妹をみる由もかな
 
大伴のみつのしら浪あひたなく我こうらくを人のしらなく
 
しかのあまの煙やきたてやくしほのからき戀をも我はする哉
    右一首石川君子朝臣作之
 
中/\に君にこひすはひらの海のあまならましを玉も(265)苅つゝ
 
すゝきとる海士のともし火よそにたに見ぬ人ゆへに戀る此ころ
 
湊入の蘆わけ小舟さはりおほみ我おもふ君にあはぬころかも
 
浪まよりみゆるこ嶋の濱楸久しく成ぬ君にあはすして
 
あさ柏ぬるや河へのしのゝめのおもひてぬれは夢に見えくる
 
月草のかりなる命ある人をいかにしりてか後もあはむといふ
 月草も日かけにうつろふ物なれは、あさかほなとのことくかりなる命とよめり。かりなる命ある人をいかにしりてかとは、此人と云字は我事と見えたり。假なる命ある我を後もあはんと云たの|む《(まぬイ)》物をとよめり。人のうへをかりなる命あるとはいひかたし。但惣別諸人の事にもなるへし。
 
紅のあさはの野らにかる草の束のまをたに我は忘れす
 
わきもこか袖をたのみてまのゝ浦のこすけの笠をきすてきにけり
 
道のへの草を冬野にふみからし我戀まつと妹につけこせ
 
紫の名高のうらのなひき藻の心はいもによりにし物を
 
忍ひには戀てしぬとも御園生の月草の花の色に出めやも
 
さく花は過る時あれと我こふる心の中はやむ時もなし
 
玉の緒のくゝりよりつゝ末つゐに行は別ておなし緒にあらむ
 玉の緒の|歌《(イナシ)》は念珠をよむにや。くゝりよりつゝもその心ならし。同し緒にあらむとは|弟子《第二イ》の緒なとの玉は別にあれは、隔る心にて嫌也。
 
かた糸もてぬきたる玉の緒をよはみ亂やしなん人のしるへく
 
伊せの海士の朝な夕なにかつくてふあはひの貝のかた思にして
 
曉と鳥はなく也よしへやしひとりぬる夜はあけはあくとも
 
思へともおもひもかねつ足曳の山鳥のおの長き此夜を
 
(266)あし引の山とりのおのしたり尾のなか/\しよをひとりかもねん
 
わきもこにこふるにやあらん沖にすむ鴨のうきねのやすけくもなし
 
  問答
うらふれて物なおもひそ天雲のたゆたふ心我おもはなくに
 
うらふれて物は思はす水無瀬川有ても水は行てふものを
 
かくたにも妹をまたなむさ夜ふけて出くる月のかたふくまてに
 
木のまよりうつろふ月の影をゝしみ立やすらふにさ夜深にけり
 
思ふ人こんとしりせは八重葎はひたる庭に玉しかましを
 
玉しけるいへも何せんやへむくらはひたる小屋も妹としねなは
 
かくしつゝありなくさめて玉の緒の絶て別はすへなかるへし
 
紅の花にしあれは衣手にそめつけもちてゆくへくそ思ふ
 
  譬喩歌
みさこゐる洲にをる舟の夕しほを待らんよりは我こそまさめ
    右一首寄舟喩思
 心は洲にある舟の鹽の滿を待より人をまつはまさるとよめり。夕鹽といへる夕に人を待ことの便也。深き義なし。但みさこゐると云事、釆葉には、關雎は后妃の徳といへり。わか朝のみさこ也。此鳥天の七十二候を知て、嫁する事五日に一度つゝ也。然に一年に七十二度也。雌雄退て河中洲にありといへり。后妃も退て深宮の中に有といへり。可准之。みさこゐるとをけるも戀に縁あるゆへ也。又みさこゐるとは鳥にはあらす。浪のよせたる眞砂也。眞の字をみとよむ故也。眞砂のゐたる洲の舟は出かたきにより鹽を待ともいへりと註せり。
 
三嶋すけいまた苗なり時またはきすや成なん三嶋菅笠
 いまた苗なるとはいときなき女にたとふ。さかりになる時をまちてもいかなる人か契らんとよめる歌也。
 
(267)河上にあらふ若菜のなかれきていもかあたりの瀬にこそよらめ
    右二首寄草喩思
 
萬葉抄第十二
 
 相聞 正述心緒
我せこか朝けのすかたよく見すて今日のあひたを戀くらす|哉《(かもィ)》
 朝けのすがたとは明かたにわかるゝ人のすかた也。源氏物語に此詞多し。
 
後もあはん我をこふなと妹はいへとこふるあひたに年はへにつゝ
 
うつゝには|たゝ《直》にもあはす夢にたにあふとはみえよ我こふらくに
 
  寄物陳思
人めにはうへをむすひてしのひには下ひもときてこふる日おほき
 
山しろのいはたの森に心をそく手向したれは妹にあひかたき
 
すかのねの忍ひ/\にてらす日にほすや我袖妹にあはすて
 
  正述心緒
わかせこをいまや/\と待をるに夜の深ゆけはなけきつるかも
 
戀つゝもけふはあらめと玉くしけ明なんあすをいかゝくらさむ
 
人ことはまことこちたく成ぬともそこにさはらむ我ならなくに
 
たちゐするたつきもしらす我心あまつ空なりつちはふめとも
 
こひ/\て後もあはんとなくさむる心しなくはいきてあらめやも
 
ますらおのさとき心も今はなし戀の奴に我はしぬへし
 
いつまてにあらん命そおほよそはこひつゝあらすはし(268)ぬるまされり
 
うつくしと思ふわか妹を夢に見ておきてさくるになきかゝなしさ
 
しなん命これはおもはすたゝしくも妹にあはさることをしそ思ふ
 
うらふれて枯にし袖を又まかはすきにし戀やみたれこんかも
 かれはてゝ思たえたるに、又はかなき程にあひたる心也。袖をまく手枕まくなとよゆる歌此集におほし。袖をかさね枕をかはす心とみえたり。又ひとりも枕をまく樣によめる歌あり。たゝ枕をする心歟。
 
おもひつゝをれはくるしもうは玉の夜にしならは我こそゆかめ
 
あら玉の年のをなかくいつまてか我戀おらんいのちしらすて
 
白たへの袖おりかへしこふれはかいもかすかたの夢にしみゆる
 
玉ほこの道にゆきあひてよそめにもみれはよき子をいつしかまたん
 
つは市の八十のちまたに立ならしむすひし紐をとかまくおしも
 
我姿おとろへゆけは白妙の袖のなれにし君をしそ思ふ
 
君こふと我なく涙白妙の袖さへひちてせんすへもなし
 
今よりはあはしとすれや白妙の我衣手のひる時もなき
 
うつ蝉のうつし心もわれはなし妹をあひみて年のへぬれは
 
  寄物陳思
としのへは見つゝしのへと妹かいひしきぬのぬひめをみれはかなしも
 
ときゝぬのおもひみたれて戀れとも何のゆへそととふ人もなし
 
何ゆへかおもはすあらむひものをの心にいり|て《(きィ)》戀しき物を
 
祝部子かいはふみむろのます鏡かけてそしのふあふ人ことに
 
(269)劔太刀名のおしけくも我はなし此頃のまの戀の繁きに
 
あつさ弓ひきてゆるへぬますらおや戀てふ物を忍ひかねてん
 引てゆるへぬとは心のたけきまゝに思かへす事なきをいへり。
 
乙女子かうみをのたゝり打をかけうむ時なしに戀わたるかも
 たゝりとは糸なとかけてよる臺也。うちをかけはよきをと云詞歟。一卷にうつ麻のをみの大者と云所の註に見えたり。うむ時なし○《にィ》とは懈たる時なしにと云心也。
 
たらちねのおやのかふこのまゆこもりいふせくも有か妹にあはすて
 まゆこもりいふせくもあるかとは、かひこのまゆのうちにこもりたるはみえぬ物也。いふせきは心もとなき也。おやのかふこのまゆ籠と侍るは、深窓にこもりて出ぬを蠶にたとふる也。
 
玉たすきかけねはくるしかけたれはつきて見まくのほしき君かも
 かけねはくるしとは、人をかけておもはしとすれは苦し、又かけて思へはいよ/\戀しさまさると也。
 
むらさきの色のかつらのはなやかにけふみる人を後こひんかも
 
玉かつらかけぬ時なくこふれとも何そもいもにあふ時もなき
 
足曳の山より出る月待と人にはいひて君をこそまて
 
久かたのあまつ御空にてる月のうせなむ日こそ我戀やまめ
 
月夜よみ門に出たち足うらして行時さへや妹にあはさらむ
 
うは玉の夜わたる月のさやけくはよくみてましを君か姿を
 
足曳の山を木たかみ夕月のいつかと君を待かくるしさ
 
神《ミワィ》山の山したとよみ行水のみをしたえすは後も我つま
 みをしたえすはとは水のみをと我身とをかねてよめり。
 
山川の瀧にまされる戀すとそ人しりにけるまなくおもへは
 
いかるかの|よるか《大和》の池のよろしくも君をいはねは思そ(270)わかする
 
妹かめをみまくほり江のさゝら浪しきて戀つゝ有とつけこせ
 見まくほり江とはみまくほしきと云心也。しきて戀つゝは頻也。
 
あま雲のたゆたひやすき心あらは吾をたのむなまてはくるしも
 
君かあたり見つゝをゝらん伊駒山雲なかくしそ雨はふるとも
 
きり目山行かふ道の朝霞ほのかにたにや妹にあはさらむ
 
かくこひん物としりせはゆふへをきてつとには消る露ならましを
 
後つゐに妹にあはんと朝露のいのちはいけり戀は茂けれと
 
朝日さす春日のをのにをく露のけぬへき我身おしけくもなし
 
朝な/\草葉にしろくをく露のきえはともにといひし君はも
 きえはともにとふかく契し人今はいつくにそ、忘れたるにやとうらみたる歌也。君はもと云詞に心こもれり。此集にもおほくあり。古今にも多し。能々可思量也。
 
君まつと庭にしをれはうち靡き我黒髪に霜そをきける
 
神さひて岩ほにおふる松かねの君か心は忘れかねつも
 
御狩するかりはのを野のなら柴のなれはまさらて戀そまされる
 
春日野にあさちしめゆひたえめやと我おもふ人はいやとをさかる
 
妹か門行過かねて草結ふ風吹とくな又かへりこん
 草を結ふ事道のしるしにむすふ也。又歸こんと云其心也。
 
百に千に人はいふとも月草のうつし心は我もためやも
 
曉のめさましくさとこれをたに見つゝいまして我をしのはせ
 
忘くさ垣もしみらに植たれと鬼のしこ草なを戀にけり
 
みな人の笠にぬふてふありま菅有て後にもあはんとそ(271)思ふ
 
みよしのゝ|秋つ《かけろふヵ》のをのにかる草のおもひみたれてぬる夜しそおほき
 
妹待とみかさの山の山菅のやますや戀ん命しなすは
 
たはみち《たにはちィ》の大江の山のさねかつらたえむの心我はおもはす
 
おほさきのありそのわたりはふ葛の行かたなくや戀わたりなん
 
ゆふたゝみしらつき山のさねかつら後もかならすあはんとそ思ふ
 
住よしのしきつの浦のなのりその名は|つけ《告》てしをあはぬもあやし
 
君にあはて久しく成ぬ玉のをのなかき命のおしけくもなし
 
あま乙女かつきとるてふわすれ貝世にも忘れす妹かすかたは
 
中/\に人とあらすは桑子にもならまし物を玉のをはかり
 人とあらすはとは人なみの身にもあらすはと云心歟。桑子にもならまし物をとは、桑子は契ふかき物なれは、かゝる虫にもならましとよめり。玉のをはかりはすこしの心也。桑子にえんある詞也。人にいとはれなとしてよめる歌歟。此歌を伊勢物語に十六段の中に、伊勢か拔て云入れる中に、此歌を戀にしなすはと詞をかへて入たり。
 
ますけよきそかの河原に鳴千鳥まなし我せこ我こふらくは
 
遠つ人かり路の池にすむ鳥の立てもゐても君をしそおもふ
 
しらま弓ひたのほそ江のすか鳥のいもに戀めやいをねかねつる
 
朝からすはやくなゝきそわかせこかあさけのすかたみれはかなしも
 
物おもふといねすをきたる朝けにはわひて鳴也かけの鳥さへ
 
  問答歌
紫ははひさす物そつは市の八十のちまたにあへる子や(272)たれ
 
たらちねの親のめす名を申さめと道行人を誰としりてか
 
あはさらむしかはありとも玉つさのつかひをたにも待やかねてん
 
あはんとは千へにおもへとありかよふ人めをおほみ戀つゝそをる
 
久堅の雨のふる日をわか門にみの笠きすてくる人やたれ
 
まきもくのあなしの山に雲ゐつゝ雨はふ|る《(れィ)》ともぬれつゝそくる
 
  ※[羈の馬が奇]旅發思
わたらへの大河のへの若くぬきわかくしあれは妹こふるかも
 
豐國のきくの濱松心にもなにとて妹にあひしそめけん
 此二首人丸歌也。旅と見えす。但※[羈の馬が奇]旅の時其所にのそみてかくよめる歟。
 
なゆきそとかへりもくやと歸り見にゆけとかへらす道のなかてを
 
里はなれ遠からなくに草枕旅としおもへは猶戀にけり
 
ちかけれは名のみも聞てなくさめつ今夜そ戀のいやまさりなん
 
年もへす歸きなめと朝かけに待らんいもか面影にみゆ
 
草枕たひのくるしくあるなへに妹をあひみて後こひんかも
 
國とをみたゝにはあはす夢にたに我にみえこせあはん日まてに
 
あつさ弓末はしらねとうつくしき君にたくへて山路こえきぬ
 弓を女にたとへたる事其心也。古今に梓弓春の山へをこえくれはなと云歌もその心也。
 
よそにのみ君をあひみてゆふたすき手向の山をあすかこえなん
 
み雪ふるこしの大山行過ていつれの日にか我里をみむ
(273) 旅とはかりきこえてあれと、我里をみんと云に戀の心こもれる歟。
 
いて我駒はやく行こせまつち山待らむ妹を行て早みん
 
わきもこに又もあふみのやす川のやすきいもせす戀わたるかも
 
郭公とはたのうらにしき浪のしは/\君をみんよしもかも
 
のとの海につりする海士のいさり火の光に|ま《(マヽ)》せ月待かてら
 
しかのあまの釣にともせるいさり火のほのかにいもをみるよしもかな
 是も旅の心みえす。某所にいたりてよめるによりて、旅の心をもてる歟。
 
難波かた漕出る舟のはる/\とわかれてゆけと忘れかねつも
 
松浦舟見たるほり江のみを早みかちとるまなくおもほゆるかも
 
草まくら旅にしあれは刈こもの亂て妹に戀ぬ日はなし
 
  悲別歌
白妙の袖の別はおしけれとおもひ亂てゆるしつるかも
 
くもる夜のたつきもしらぬ山こえていにし君をはいつとかまたん
 
あし引の山はもゝへにへたつとも妹は忘れしたゝにあふまてに
 
岩木山たゝこえきませ磯崎のこぬみの濱も吾たちまたむ
 
住吉の岸にむかへるあはち嶋あはれと君をいはぬ日はなし
 是もさして別の心みえす。別たる人を日ことにしたふ心歟。住吉より淡路をみるまことに其興ある故に、あはれと思所なれは、人によそへてよめると見えたり。
 
久にあらん君を思ふに久かたのきよき月夜もやみの夜にみゆ
 
萬葉抄第十三
 
(274) 雜歌
ひとりのみ見れは戀しみ神なひの山の紅葉々手折こん君
 
さゝれ浪うきてなかるゝ泊瀬川よるへき磯のなきかわひしさ
 此歌述懷の心とみえたり。
 
  長歌
斧とりて 丹生の檜山の 木こりきて 舟につくりて まかちぬき いそこきめくり 嶋つたひ みれともあかす みよし野の 瀧もとゝろに おつる白なみ
 
みよし野の瀧もとゝろにおつる白浪とまりにしいもを見まくのほしきしらなみ
 
あふ坂をうち出てみれはあふみの海しらゆふ花に浪たちわたる
 
 相聞 長歌
敷嶋の やまとの國に 人はあまた みちてあれとも 藤なみの おもひまとはし 若草の おもひつきにし 君により 戀やあかさん なかきこの夜を
 
  反歌
しきしまのやまとの國に人ふたりありとしおもはゝ何かなけかむ
 
おほ船のおもひたのめる君ゆへにつくす心はおしけくもなし
 
久かたの都をゝきて草まくら旅行君をいつとかまたん
 
かくのみしあひ思はすは天雲のよそにそ君はあるへかりける
 
みつ垣の久しき世より戀すれは我帶ゆるふ朝夕ことに
 我帶ゆるふとはおとろへやせたる心也。
 
飛鳥川せゝの玉ものうちなひき心はいもによりにけるかも
 
我心やくもわれなりよしへやし君にこふるも我心から
 
ひとりぬる夜をかそへんと思へとも戀のしけきに心ともなし
 我心のやうにもなきといふ(心イ有)也。
 
(275)いをもねす我思ふ君はいつくへそ此身誰とかまてときまさぬ
 夜もやすくいもねす待わふる君はいつくへそ。待かぬる我身をは、我ともおもはて、とはぬかといへり。
 
衣手に山おろし吹て寒き夜を君きまさすはひとりかもねん
 
たらちねのおやにもいはすつゝめりし心はゆるす君かまに/\
 人のわれを妻とせんとする事を親にもいはすはつかしみて、あはしと思ひし心はゆるす、今は君かまゝそとよめる也。
 
天地の神を祈て我こふる君にかならすあはさらめやも
 
うつ蝉の命をなかく有てこそとゝまる我はいはひてまため
 
いつみ河わたる瀬深み我せこか旅行衣ぬれぬらんかも
 
萬葉抄第十四
 東歌 上總國歌
夏そ引うなかみかたの沖の洲に船はとゝめむさ夜更にけり
 夏そ引うなかみかたとは、麻のおふる所をうといふなれはよめり。又苧の白きを老女の髪にたとふ。※[人偏+刃]淨上かたとよめり。私云、此註又釆葉にも麻生る所をうといふといへり。苧をう|む《イナシ》といふ事あり。さやうの心歟。
 
かつしかのまゝの浦まをこく船のふな人さはく浪たつらしも
 
  常陸國歌
つくはねのにひ桑まゆの絹はあれと君かみけ|し《(はィ)》のあやにきまほし
 春蠶のまゆを新桑まゆといへり。是よき也。それはあれと君か衣のあやにくにきまほしきとよめり。戀の心也。又あやにとはつよくなと云心也。
 
しなのなるすかの荒野に時鳥なく聲きけは時過にけり
   右一首信濃國歌
 
 相聞 駿河國歌
さぬらくは玉の緒はかりこふらくは富士の高ねのなる(276)澤のこと
 ぬる事はたゝしはしと云詞也。戀しきは大に高き也。なる澤は絶ぬ心也。此鳴澤を、神の誓にて、晝はふむに依てくたりたる砂の、夜るはのほると云儀あり。津守景基か歌に、富士のねの煙なりともわすられてなる澤水のたゆなとそ思ふ 又後鳥羽院御製、煙たつおもひも下や氷るらんふしのなる澤音む|せ《(すイ)》ふ也 然はたゝ水邊なるへし。
 
  相摸歌
あしからのはこねの山にあはまきてみとはなれるをあはなくもあやし
 まきたる粟は實なるを、我あはましといひ初し契の|たね《(程イ)》はいたつらにて、なる事もなくてあはぬもあやしとよめり。足柄山の杉の木のまとよめる歌もあり。
 
  武藏國歌
玉河にさらすてつくりさら/\に何そ此子のこゝらかなしき
 
  常陸國歌
妹か門|やゝ《(いやィ)》とをくきぬつくは山かくれぬ程に袖はふりてん
 かくれぬ程に袖をふりても見せんと云心也。此集に我袖ふるを妹みつ
らんかといふ同心也。
 
つくはねに|かゝなく《わひてなく心也》鷲のねをのみかなきわたりなんあふとはなしに
 
つくはねのそかひにみゆるあしを山あしかるとかもさねみえなくに
 そかひにみゆるとはまほならぬ人を云也。あしかるとかもみえぬとは、わか身にさせるとかはなき物を、何とてまほならぬといふ心也。さねは詞の助也。
 
しなの路はいまのはり道かりはねに足ふましむな沓はけわかせこ
 
信濃なるちくまの河のさゝれ石も君しふみては玉とひろはん
   右二首信濃國歌
 今のはり道は新くかりはらひたる道也。かりはねはかりくい也。
 
  下總國歌
にほ鳥のかつしかわせはにへすともそのかなしみをとにたてめやは
 鳰鳥のかつしかはかつくと云詞也。勝鹿は早稻の在所也。釆葉にみえ(277)たり。贄をよめり。わせをかりて食ことを云。是は此註に見えたり。
 
草枕たこのいり野 とよめり。上下略之
 
  上野闘歌
かみつけのさのゝくゝたち折はやし|あれ《我》はまたんを今年こすとも
 
上つけのいかほの沼のうへこなきかくこひんとやたねもとめけん
 
かみつけのさのゝ船はしとりはなしおやはさくれとわれさかるかへ
 此船橋水なき時はとりはなちをくともいへり。歌の心は、親にしらせす人と契るを、その道の舟橋をとりはなちさくれとも、我さかるかはとよめり。かへはかは也。
 
つくしなるにほふ子ゆへにみちのくのかとり乙女のゆひし紐とく
   右一首陸奥國歌
 
  辟喩歌
遠つあふみいなさほそ江のみをつくしあれをたのめてあさましき物を
 みをつくしとは、年へて深きこひちに立てかはくまもなきにたとふ。又我見をつくすにも喩ふ。遠つあふみは逢ことの遠き也。いなさ細江は我云事をいなさの心也。憑たる事も今あさましき也。
   右一首遠江國歌
 
薪こるかまくら山のこ|たる《垂》木をまつとせなかいはゝ戀つゝあらん
   右相摸國歌
 薪こるは鎌倉山といはん爲也。こたる木は枝なとの垂たる木也。それを松とせなかいはゝ戀つゝあらんと也。松と待と兼たる字也。
 
 雜歌
おもしろき野を|な《(マヽ)》ゝやきそふる草に新草ましりおひはおふる哉
 
 相聞
戀つゝもをらむとすれはゆふま山かくれし君をおもひかねつも
 
河上のねしろたかゝやあやに/\さね/\てこそ|こと《言》に出にしか
(278) 川上のねしろたか萱とは水にあらはれて根白き也。さね/\とは、かやの水にあらはれてよはくてふしたると、人のねたるとをよそへてよめり。秋風そよきて高かやの音しけきを、いもせのなからひもさね/\てむつこと茂きによそふる也。私云、此註にあやに/\と云事なし。もしあやに戀しくと云様の詞歟。あやにくの儀也。つよく戀しきと云詞也。
 
あしの葉に夕霧たちて鴨かねの寒き夕し猶や忍はん
 歌に儀なし。猶やしのはんは戀の心也。鴨か音とよめる間書入侍り。此註にも此歌はやさしき歌也とかける、さもと見え侍りぬ。
 
あつさ弓末に玉まき
 とよめり。結構の弓には玉をはすにかさる也。それをあたにもせぬ事を、おもふ人にたとへたり。
 
谷せはみ嶺まてはへる玉かつらたえむの心わかおもはなくに
 
坂こえてあへの田のもにゐるたつのともしき君かあすさへもかも
 
ひろ橋をむまこしかねて心のみいもかりやりて我はこゝにして
 廣橋とははしの横のひろきにては侍らぬにや。溝ほりなとのひろさ一ひろはかりあるに、細きはしを渡し、かち人はかりかよふ所を、馬わたるへき様なけれは也。
 
あちのすむすさの入江のかくれぬのあないきつかしみすひさにして
 
枕香の古河のわたりのからかちの音たかしもなねな|く《(マヽ)》子ゆへに
 
萬葉抄第十五
 
 天平八年丙子夏六月遣使新羅國之時使人等各悲別贈答(ス)及海路之|上《ホトリ》慟《イタミ》v旅(ヲ)陳v思作歌並當所誦詠(スル)古歌少々抄之
むこの浦の入江のす鳥はくゝめる君をはなれて戀にしぬへし
 入江の巣鳥を我見にしてよめり。女の歌也。
 
おほ舟に妹のる物にあらませははくゝみもちてゆかまし物を
 是は返事也。新羅の使なれは、かゝる船に妹をのする事なきを歎きてよめり。
 
(279)君か行海邊の宿に霧たゝはあがたちなけく|いき《息》としりませ 是も女の歌也。
 
秋さらはあひみん物をなにしかも霧にたつへく歎しまさん
 此歌の心は、秋さらは歸こん物をとなくさめたる心也。
 
わ《女》かれなはうらかなしけんあか衣したにをきませたゝに逢までに
 
我《男》ゆへにおもひなやせそ秋風のふかんその月あはんものゆへ
 
は《女》る/\とおもほゆるかもしかれともあたし心を|わ《(あィ)》かもたなくに
   右六首贈答
 是皆夫婦の歌とみえて別の心なし。私云、六月京を立てやかて此歌ともに秋を契れり。新羅へ其間にゆき歸かたし。もし明年の秋歟。
 
夕されは日くらしさなく伊駒山こえてそあかくる妹かめをほり
 右の一首秦の間滿の歌也。大和より津國へ出る道に伊駒をこゆると也。妹か目をほりは見まくほしき心也。
 
いもにあはすあらはすへなみ岩ねふむ伊駒の山をこえてそあかくる
   右一首磐※[鑿の金が足]還私家陳思
 是も秦間滿歌也。
 
妹と有し時はあれとも別では衣手さむき物にそ有ける
 
うらはらにうきねせん夜は沖つ風いたくな吹そ妹もあらなくに
 
大伴のみつにふなのり漕出てはいつれの嶋に庵せんわれ
   右三首發之時作歌
 
朝ひらきこきいてゝくれはむこの浦の鹽干のかたにたつか聲する
 
わたつみの沖つしら浪立くらしあまをとめとも嶋かくるみゆ
 
ぬは玉の夜はふけぬらし玉の浦にあさりするたつ鳴渡る也
 
(280)はなれそにたてるむろの木うたかたも久しき時を過にけるかも
   右四首乘船入海路上作歌
 うたかたとはかりそめ也。はなれたる磯にかりに立て、はかなけなるむろの木の久しき|年《(年イ)》を過けると、老木を見てよめり。十七卷に、鶯のきなく款冬うたかたも君か手ふれす花ちらすかも。是もかりそめにたにいまた君か手ふれさる山吹の花をちらすかと、鶯をかこちてよめる歌也。彼撰|歌《(集イ)》に、おもひ川たえすなかるゝ水のあはのうたかた人にあはてきえめや。此うたかたは寧なと云詞、又いかてなと云詞そと定家卿の訓《註イ》也。歌によりてかはるへし。
 
わたつみの海に出たるしかま川たえむ日にこそあか戀やまめ
   當所誦詠古歌右一首
 戀歌。然も大和にある人を戀てよめり。
 
あまさかるひなの長路をこひくれは明石のとより家のあたりみゆ
 
むこの海にはよくあらしいさりする海人の釣舟波の上にみゆ
 
海原を八十島隱れきぬれともならの都は忘れかねつも
 
  安藝國長門嶋舶泊磯邊作歌
岩はしる瀧もとゝろになく蝉のこゑをしきけは都おもほゆ
   右一首大石蓑丸
 
山川のきよき河せにあそへともならの都はわすれかねつも
 
戀しけみなくさめかねて日くらしのなく島かけに庵するかも
 私云、蜩を大略山にならてはあらぬ樣に心え侍り。此集には蜩のなく野へともよみ、又かやうに島かけなとにもよめり。
 
白妙《あらたへィ》の藤江の浦にいさりするあまとやいはん旅行われを
 白妙は物をほむる詞也。私云、藤代むかしは藤白とかけり。白き藤の有ける故也。然は是もさ様の事有けるにや。
 
わかいのちをなかとの島の小松原いくよをへてか神さひわたる
 
  從長門浦舶出之夜仰觀月光作歌 舶《ハク》大船也。
(281)山の端に月かたふけはいさりするあまのともし火沖になつさふ
 
  周防玖河郡麻里布浦行之時作歌
草まくら旅行人をいはひ嶋いく世ふるまていはひ來にけん
 
  熊毛浦舶泊之夜作歌
 
都へに行船もかな苅こもの亂れて思ふことつ|て《(けィ)》やらん
 
  至筑紫館遙望本郷悽愴作歌
今よりは秋つきぬらし足引の山松蔭に日くらしなきぬ
 
  七夕仰觀天漢各陳所思作歌
秋萩にゝほへる我もぬれぬとも君か御舟のつなしとりなは
 此歌は七夕の夜新羅の使よめり。秋萩のにほふ我もぬるとも、七夕の舟の綱手をとらむとよめる、まれにあふ星の契を時に感して、我綱をとりてかよふかたへひかはやとよめり。此十五卷歌五十六首、新羅使歌也。又其内贈答の歌に女の歌あり。又古歌を誦詠する事もありと見えたり。
 
年に有て一夜いもにあふ彦星も我にまさりて思ふらめやも
 
  海邊望月作歌
妹を思ひいのねられねに曉の朝霧かくれ雁かねそなく
 
夕されは秋風寒しわきもこかときあらひ衣行て早きん
 
  別《(到ィ)》津亭舶泊之作歌
天飛や雁の使にえてしかもならの都にことつ|て《(けィ)》やらん
 
秋の野をにほはす萩はさけれともみるしるしなし旅にしあれは
 
妹を思ひいのねられねに秋の野に棹鹿鳴つ妻思ひかねて
 
  肥前國松浦郡狛嶋亭泊之夜遙望海浪各慟旅心作歌
歸來てみむと思ひし我宿の秋萩すゝき散にけんかも
 
  返歌
紅葉々の散なん山にやとりぬる君をまつらん人しかなしも
 
しらき《新羅》へか家にか歸るゆきの嶋ゆかむたつきも思ひか(282)ねつも
 
  到對馬嶋淺茅浦船泊之時不得順風經停五ケ日於是瞻望物華陳慟心作歌
もゝ船のはつるつしまのあさち山しくれの雨にもみた|し《(マヽ)》にけり
 
秋されはをく露霜にあへすして都の山は色つきぬらん
 
  竹《タカ》敷浦舶泊之時各陳心緒作歌
あし曳の山したひかるもみち葉のちりのまかひはけふにも有哉
   右一首大使
 
たかしきの紅葉をみれはわきもこかまたむといひし時そきにける
   右一首副使
 
たかしきの玉もなひかし漕いてん君か御舟をいつとかまたん
   右一首對馬娘子名玉槻
 
玉しける清きなきさをしはみてはあかすわか行かへる(282)さに見む
   右一首大使
 
あま雲のたゆたひくれは長月の紅葉の山もうつろひにけり
 
  廻來筑紫海路入京到播磨國家嶋之時作歌
家しまは名にこそ有けれ海はらをあか戀きつる妹もあらなくに
 
大伴のみつのとまりに船|い《(はヵ)》てゝたつたの山をいつかこえゆかん
 
  中臣朝臣宅守與狹野茅上|子《(マヽ)》贈答歌
あし曳の山路こえむとする君を心にもちてやすけくもなし
   右一首娘子臨別作歌
 
ちりひちのかすにもあらぬ我ゆへにおもひわふらん妹かゝなしさ
   右一首中臣朝臣宅守上道作歌
 
あかねさすひるは物おもひうは玉のよるはすからにね(283)のみしなかる
おもひつゝぬれはかもとなぬは玉の一夜もおちす夢にしみゆる
 
天地に神なき物にあらはこそ我思ふ妹にあはぬしにせめ
   右一首中臣朝臣宅守
 
我宿の松の葉見つゝあれまたむはや歸りませ戀しなぬまに
 
あはん日のかたみにせよとたをやめのおもひみたれてぬへるころもそ
   右二首娘子
 
むかひゐてひとひもおちす見しかともいとはぬ妹を月わたるまで
 
わきもこにあふ坂山をこえてきてなきつゝをれと逢よしもなし
 
山川を中にへたてゝ遠くとも心をちかくおもはせわきも子
   右三首中臣朝臣宅守
 
萬葉抄第十六
 
 有由縁雜歌
  昔者有|娘子《ヲトメ》字(ヲ)曰櫻兒也于時有二壯士共誂此娘而捐生挌競貪死相敵(ス)於是娘子歔欷曰從古來于今未聞見一女之身往適二門矣方今壯士之意有難和平
 
不如妾死相害(スルコト)永息(ニハ)人客《爾乃ィ》尋入林中懸樹經死其兩壯士不|放《敢ィ》哀慟血|涙《泣ィ》漣襟各陳心緒作歌二首
春されはかさしにせんと我おもひし櫻の花はちりにけるかも 其一
 
いもか名にかけたる櫻花ちらはつねにやこひんいや年のはに 其二
 かさしにせんとは我妻にせんとおもひしと云心也。つねにや戀んいや年のはにとは、年に彌戀やせんと也。
 
  或曰昔有三男同|娉《ヘイス》一女也娘子嘆息曰一女之身易滅如露三雄之志難平如石遂乃彷徨池上沈没水底(284)於時其壯士等不勝哀頽之至各陳所心作歌 娘子字※[草冠/縵]兒也
耳なしの池しうらめしわきもこかきつゝかくれは水はかれなん 其一
 
あし曳の山かつら|この《(のこィ)》けふゆ|け《くヵ》と我につけ|こせ《(せはィ)》かへりこましを 其二
 
足引の山かつら|この《(のこィ)》けふのこといつれのくまをみつゝきにけむ 其三
   二條院御本には玉かつらの子と有といへり。山と玉と同韻にて山と同し事也と註に見えたり。
 
  竹取翁逢九箇女子相語之時歌依詞多略之同長歌略之反歌
しなはこそあひみすあらめいきたらはしらかみ子らにおひさらめやも
 
  娘子等和(スル)歌
死もいきもおなし心とむすひてし友はかはらし我もよりなん
 
春の野の下草なひき我もよるにほひよりなむ友のまに/\
 
  昔者有壯士與美女也【姓名未詳】不告二親竊爲交接於時娘子之意欲親令知因作歌送與其父歌曰
下にのみ戀れはくるし山のはに出くる月のあらはれはいかに
 
あさか山かけさへみゆる山の井の淺き心も我おもはなくに
   右歌傳葛城王遣陸奥國之時釆女之歌也
 私云、古今には此ことかきの如く、淺くに人をおもふ物かはと詞をすこしかへてかけり。大和物語には、或女をつれてみちのくまていきて住けり。山の中にをきて、男はありきて物なとこひてくはせけり。其間に女此歌をよみて死けりと見えたり。
 
朝かすみかひやかしたになく蛙しのひつゝありとつけん子もかな
 此かひやか下以前に註し侍り。蛙のかくれて鳴ことく忍ひつゝ有とつけん子もかなと也。
   右歌河村王宴居之時彈琴而即先誦此歌以爲常(285)行也
 
夕立の雨うちふれは春日野のお花か末の白露おもほゆ
 
夕月日さすや|岡《(川ィ)》へにつくる屋のかたちをよしみしかそよりくる
   右二首小鯛王歌也
 夕立の名殘に、春日野の尾花うちみたれてあるうへに、露のをきたるさまを、乘興してよめる歟。おほゆとは心にかけてしたふ心ある也。夕月日の歌も眺望とみゆ。但形をよしみしかそよりくるといへるも、白露おもほゆも戀の心かとおほゆ。
 
  謗侫人歌一首
なら坂のこのてかしはの二おもてとにもかくにもねちけ人かも
   右歌一首博士消奈行文大夫作歌
 心は手のうらを返すと云事也。
 
  厭世問無常歌
いき死のふたつの海をよそにみてしほひの山を忍ひつるかも
 
世中のしけきかり庵にすみ/\ていたらむ國のたつきしらすも
   右歌二首河原寺之佛堂裏在和琴面也
 
心をしむかうの里にをきたらははこやの山を見まくちかけん
   右一首
 
我門の榎のみもりはむ百千鳥ちとりはくれと君はきまさす
 
我門に千鳥しはなくおきよ/\我一夜妻人にしらるな
 此百千烏鶯にあらず。百せんの鳥也。歌は煩なし。後の千鳥も水邊にあらす。おほき鳥の心也。明かたに色々の鳥なく也。此歌に人の妻を犯してよめるとなん。
 
  豐前國泉郎歌
とよ國の菊の池なるひしのうれをふむとや妹か御袖ぬれけん
 
  豐後國泉郎歌
紅にそめてし衣雨ふりてにほひはすともうつろはめやも
 
(286)紅に染たる衣に雨ふりてにほふとはうつろふ心也。それは移ふとも我はうつろはめやもとよめ|り《る歌の心也イ》。戀の歌也。
 
萬葉抄第十七
 
  天平二年庚午冬十一月太宰帥大伴卿被任大納言兼帥上京之時※[人偏+兼]從人等別取海路入京於是悲傷※[羈の馬が奇]旅各陳所心作歌
 
玉はやすむこのわたりにあまつた|ふ《(ひィ)》日の暮ゆけは家をしそ思ふ
 
  天平十年七月七日之夜獨仰天河聊述懷大伴家持歌
七夕のふなのりすらします鏡きよき月夜に雲たち渡|り《(マヽ)》
 
かきつはたきぬにすりつけますらおのきそひかりする月はきにけり
 きそひ狩とは、四月五日に藥狩とて、いつれのますらをも競ていつれは、きそひかりと云也。十六卷長歌に、卯月とや五日の程に藥かりとよめり。仍四月五日定日也。
 
  平群氏女郎贈越中守大伴宿禰家持歌
君により我名はすてにたつた山たへたる戀のしけき頃かも
 
秋の夜はあかつき寒し白妙の妹か衣をきんよしもかも
 
日くらしの鳴ぬる時はをみなへしさきたる野へを行つゝもみん
   右一首大目秦忌寸八千嶋
 
雁かねはつかひにこんとさはくらん秋風さむみその川のへに
 
駒なへていさうちゆかむしふたにの寄与き磯まによする浪みに
   右二首家持
 
ぬは玉の夜は深ぬらし玉くしけ|ふたかみ山《越中》に月かたふきぬ
   右一首史生士師宿禰道良
 
  大目秦忌寸八千嶋館宴歌
なこのあまの釣する船はいまこそはふなたなうちてあ(287)へて漕てめ
 
  守大伴家持贈拯大伴宿禰池主悲歎歌
鶯のなきちらすらむ春の花いつしか君と手折かさゝん
 
  天平二十年二月十九日大伴家 事書依多略之
山のかひにさける櫻を唯一め君にみせては何を思はん
 
鶯のきなく款冬うたかたも君か手ふれす花ちらめやも
 
  述戀緒歌
あら玉のとしかへるまであひみねは心もしのにおもほゆるかも
   右歌家持
 
  四月十六日夜遙聞時鳥詠 家持
ぬは玉の月にむかひて郭公なくねはるけし里遠みかも
 
かたかひの河の瀬清く行水のたゆる事なく有通ひみん
 片貝河越中也。私云、たゆる事なくとは戀にはあらす。家持越中國守たる間祝の心によめる歟。
 
落たきつ片貝河のたえぬこといまみる人もやますかよはん
 此歌は大伴宿禰池主和之。是も祝の心とみえたり。此次は皆越中にての歌也。
 
  思放逸鷹夢見感悦作歌
矢形尾の鷹を手にすへて|三嶋野《越中》にからぬひまなく月そへにける
 
二上のかのもこのもに網さして我待鷹を夢につけつも
 
あひの風いたくな吹そなこの海士の釣する小船漕かへるみゆ
 
湊風さむく吹らしなこの江に妻よひかはしたつさはになく
 
こしの海のしなのゝ濱を行くらし永き春日も忘ておもへや
   右三首天平廿年春正月廿九日大伴家持作歌
 
  婦負《越中ヵヒメノ》郡渡鵜坂河邊時作
鵜坂川わたるせおほみ|あか《我》馬のあかきの水にきぬゝれにけり
 
  從珠洲郡發時歌
(288)すゝの海に朝ひらきして漕くれは長濱の浦に月てりにけり
   右歌家持作
 
萬葉抄第十八
 
  天平廿年三月廿三日於家持舘新歌并誦古詠各述心緒
浪たてはなこのうらまによる月のまなき戀にそ年はへにける
 
なこの海にしほのはやひはあさりしに出んとたつは今そ鳴なる
   右二首田邊史福丸
 
  干時期之明日將遊覽布施水海
玉くしけいつしかあけんふせの海の浦を行つゝ玉もひろはん
 
藤なみのさき行みれは郭公鳴へき時にちかつきにけり
   右歌同作
 
あすの日のふせのうらまの藤なみにけたし|きなかき《時鳥をよめり》ちらしてんかも
   右一首家持作
 
  至水海遊覽時各述懷作歌
をろかにそ我は思ひし|おふの浦《越中也》のありそのめくりみれとあかすけり
   右歌福丸作
 
郭公こよなきわたれ燈をつくよになそへ其かけ|を《(にィ)》みん
   右一首家持作也
 こよなきわたれとは今夜也。つくよになそへとは月夜になすらへんと也。
 
  太上皇御在於難波之時右大臣橘宿禰歌一首 清足姫天皇也
ほり江には玉しかましを大君の御船こかんとかねてしりせは
 玉しかましをとは天皇のまします奔走の心也。
 
  御製歌和
(289)玉しかす君かくいていふ堀江には玉しきみてゝつきてかよはん
 君かかくいふ堀江には、君の御方より玉をしきて、つきてかよはんとあそはす也。
 
橘の下てる庭に殿たてゝさかみつきくます我大君かも
 此歌河内女王歌也。橘の下てるとは橘の宿禰の所なれは也。さかみつきとは酒御調也。くますとは酌也。
 
夏の夜はみちたと/\し船にのり河の瀬ことに棹さしのほる
 此歌は御舟にて堀江|の《にイ》遊宴日作也。
 
  獨居幄裏遙聞郭公鳴作歌
行衛なく有わたるとも時鳥なきし渡らはかくや忍はん
 行衛なく時鳥の有とも、鳴わたらは忍はんといへり。家持歌。
 
  粟田王歌一首
月まちていへにかゆかむ我させるあからたち花かけに見えつゝ
 
  四月一日拯久米朝臣廣綱之舘宴歌
二上の山にこもれる郭公今もなかぬか君にきかせん
   右一首遊行女婦士師作也
 
あすよりはつきてきくらむほとゝきす一夜のか|り《(らヵ)》に戀渡るかも
   右一首羽咋郡擬主帳能登臣乙美作
 
  越中國守家持歌
足引の山はなくもか月みれはおなしき里を心へたてつ
 
みしま野に霞たな引しかすかに昨日もけふも雪はふりつゝ
 
  賀陸奥國出金 詔書歌
すへらきの御代さかへんとあつまなるみちのく山にこかね花さく
   右天平勝寶元年五月十二日於越中國守舘大伴家持作之
 
  爲幸行吉野離宮之時儲作歌
物部の八十氏人もよしの川たゆる事なく仕へつゝみん
 
(290)萬葉抄第十九
 
  天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李作
春のその紅にはふもゝの花したてる道に出たつをとめ
 此歌に、園の桃の紅匂ひわたる陰に、婦人の數々立やすらひてあそふさま艶なるをよめり。
 
  見歸雁歌
つはくらめ時に成ぬとかりかねは古郷おもひ雲かくれなく
 
春されはかくかへる|とも《かりィ》秋風にもみちの山をこえさらめやも
 
  夜裏聞千鳥鳴歌
夜くたちにね覺てをれは川瀬とめ心もしのに鳴千鳥かも
 夜くたちとは曉の事也。斜此字也。心は、曉のね覺に、河瀬をとめて心もしのに千鳥の鳴折さひしき心をよめり。私云、心もしのにとは間斷もなき也。古來風躰にみゆ。
 
  聞曉鳴雉歌
あし曳の八尾のきゝすなきとよみ朝けの霞みれはかなしも
 八尾はかなたこなたの尾也。おほき心也。なきとよむと云にてその心みえたり。歌の心は、春の夜の明かたに、あまたの山の霞渡りたるに、こなたかなたに雉子のなくこゑ物あはれにおもしろきをよめり。此か なしきは愁の心には成かたし。
 
  遙聞泝江船人之唱歌
朝床にきけははるけし射水川あさ漕しつゝうたふ船人
 
  三日守大伴家持之舘宴歌
けふのためと思ひてしめし足引のおのへの櫻かく咲にけり
 
から人の船をうかへてあそふてふ今日を我せこ花かつらせよ
 心は、大唐にも三月三日には上巳祓をして、湖海なとに船を浮て身の祈をもし、又遊宴をもする也。是をおもひよそへてよめる|也《りイ》。花《以下イナシ》かつらせよとは、柳をかつらにかくる事なるへし云々。
 
  六日遊覽布施水海作歌
藤なみの花のさかりにかくしこそ浦こきへつゝ年にしのはめ
 
(291)  悲世間無常長歌一首
天つちの とをきはしめよ 世の中は つねなき物と かた|る《(マヽ)》へき なからへきたる あまのはら ふりさけみれは てる月も みちかけしけり あし引の 山のこすゑも 春されは 花咲にほひ 秋つけは 露霜おひて 風ましり 紅葉ちりけり うつせみの から《(マヽ)》のみならし くれなゐの 色もうつろひ うは玉の 黒かみかはり 朝のゑみ 夕かはらひ 吹風の みえぬかことく ゆく水の とまらぬことく つねもなく うつろふみれは 庭たつみ なかるゝなみた とゝめかねつも
 
  反歌
うつ蝉のつねなきみれは世中に心つきすて嘆く日そおほき
 
  詠霍公鳥并時花歌
年のはに來なく物ゆへ郭公なけはしのはくあはぬ日をおほみ
 私云、年のはと云詞、今は年の始の心にとれり。是は毎年の心也。いやとしのはと此集に侍るも毎年の事也。仍註也。天平勝寶二三廿日詠り。
 
さ夜ふけてあかつき月に影みえてなく郭公きけはなつかし
 此歌は感霍公鳴述懷といふ事をよめり。別の心なし。
 
  怨郭公歌
時鳥なき渡りぬとつくれとも我きゝわかす花は過つゝ
 右歌、心は、花のさかりはみな過はてゝ、なくさむかたたきに、時鳥のはつ音をたに人つてにのみきゝてよめる、誠其感ありて聞ゆ。
 
  詠霍公鳥并藤花
杜宇なく羽ふりにも散にけりさかり過らし藤なみの花
 
  怨霍公鳥歌
月たちし日よりおきつゝうち忍ひまてと來なかぬ郭公かも
 
  贈京人歌
妹ににる草とみしより我しめし野への山吹誰か手折し
(292) いもに似たるとは花によそへていへる詞也。然は誰か手折しと云も人をねたむ心也。
 
  十二日覽布施湖船泊於多祐灣望見藤花各述懐作歌 家持
藤なみのかけなる海の底きよみしつく石をも玉とそわれみる
 しつくとは沈むと云詞也。此集に、水底にしつく白玉誰ゆへに心つくして我おもはなくにともよめり。此歌の心に、藤の陰にあれは石をも玉とみると|いへ《(よめイ)》り
 
田子の浦の底さへ匂ふ藤浪をかさしてゆかむ見ぬ人のため
 
  次官内藏忌寸綱丸
いさゝめにおもひてこしをたこの浦にさける藤なみ一夜へぬへし
 
藤なみをかり庵につくりい|さ《(ほィ)》りする人とはしらぬあまとかみらん
 此四首皆布施海にてよめり。家持 忌寸綱丸 久米廣綱 久米繼丸
 
  恨霍公烏不喧歌 久米朝臣廣綱
いへにいきて何をかたらむあし曳の山郭公一聲もなけ
 
朝霧のたなひく田井に鳴雁をとゝめえてしか我宿の萩
   右一首は幸於芳野宮之時藤原皇后宮御作 年月不詳
 
足引の山のもみちにしつくあひてちらむ山路を君かこえまく
 右歌家特人に餞する時よめる。雫とゝもに紅葉の散らむ山路を、君かこえいなむ事をかなしく思ひてよめる歌也。
 
撫子は秋さく物をわか家の雪の岩ほにさきにけるかも
 此歌は、綱丸の舘にて雪のふりたる日、庭もをのつからあらぬさまをつくりたる様にみえて、草木にも花さきたる様なるを久米朝臣廣綱よめり。
 
  遊行女婦蒲生娘子歌
雪嶋の岩ほにおふるなてしこは千代にさかぬか君かかさしに
 此おとめは遊女とみえたり。其所を祝て千代にさけかしとよめり。雪嶋所の名にてはあるへからす。庭の雪をかくよみなせり。
 
  于是諸人酒酣更深※[奚+隹]鳴因此主人内藏伊美吉綱丸(293)作歌うちはふき鳥はなけともかくはかり降しく雪に君いまさめや
 
  入唐使藤原朝臣清河 參議從四位下
春日野にいつくみ室の梅花さきてあり|ま《待》て歸くるまて
 此歌は、藤原大后より大船にまかちしけぬきと云歌を給ける返しによめり。
 
  天平五年十一月在於左大臣橘朝臣宅肆宴歌
葎はふ賤しき宿も大君のまさんとしらは玉しかましを
 
松かけの清き濱へに玉しかは君はいまさんかきよき濱へに
   右一首右大辨藤原八束朝臣
 
  廿五火新甞會肆宴詔歌 大納言巨勢朝臣
天地とあひさかへんと大みやをつかへまつれはたふとくうれしき
 
嶋山にてれる橘|こ《(うヵ)》すにさしつかへまつるはまうちきみたち
   右一首大辨藤原八束朝臣
 右歌ともみな新甞會肆宴應詔歌也。月卿雲客の冠の鈿に花橘をさすとよめり。橘左大臣の宅にての歌なり。
 
袖たれていさ我そのに鶯の木つたひちらす梅の花みに
   右一首大和守藤原永平朝臣
 
  五年正月四日於治部少輔石上朝臣宅嗣|宗《(マヽ)》宴歌
ことしけみあひとはさるに梅の花雪にしほれてうつろはんかも
 
  十一日大雪落積尺有二寸仍述拙懷歌
御園生の竹の林に鶯はしは鳴にしを雪はふりつゝ
 
  二月廿三日作歌
春の野に霞たな引うらかなしこの夕かけに鶯のなく
 
  廿五日
うら/\にてれる春日に雲雀あかり心かなしもひとりし思へは
 
萬葉抄第二十
 
(294)  天平勝寶五年八月十二日二三大夫等各壺酒登高圓野聊述所心
たかまとのお花吹こす秋風にひもときあけんたゝならすとも
   右一首京少進大伴宿彌池主
 
天雲に雁そ鳴なる高圓の萩の下葉はもみちあへんかも
   右一首左中辨中臣清丸朝臣
 
をみなへし秋はきしのきさをしかの露わけなかむ高圓の野そ
 
  天平勝寶六年正月七日天皇太上天皇々后於東常宮南大殿肆宴歌
いなみ野のあからかしはゝ時はあれと君をあか思ふ時はさねなし
   右一首播磨國守安宿王奏
 心は、あから柏は時ありて其興あり。君をあふく心は常住にて時もなしとよめり。あから柏の事註になし。
 
  七夕
はつ歌風すゝしきゆふへとかんとそひもは結しいもにあはんため
 
秋風にいまか/\とひもときてうら待をるに月かたふきぬ
 
秋草にをく白露のあかすのみあひみる物を月をしまたん
   右歌大伴家持獨仰天漢作歌
 
  天平勝寶七歳乙未二月相賛遣筑紫諸國防人等歌
吾妻はいたく戀らしのむ水にかけさへみえてよに忘られす
   右一首主帳丁麁玉郡若倭部身麿
 
父母のとのゝしりへのもゝよ草もゝよいきませ我きたるまで
   右一首同郡年|郡《(マヽ》足國
 釆葉云、歌の心は防人鎭《サキモリ》西へ被遣道すから、つゝかなかれと百日ねき給へとよめり。いき給へはいのり給へ也。もゝ夜草とは月草也。此草百夜花さく故に此名ありといへり。此歌を取て、顯昭、百夜草もゝ夜(295)まてなと契けんかりそめふしのしちのはしかきとよめり。
さきもりの堀江こき出るいつて舟かちとるまなく戀はしけゝん
   右大伴家持作歌
 釆葉云、櫓十丁たてたる舟をいつて船といへり。二を一手といへる故也。又舟は伊豆國より造初たる故に、伊豆出船といふともいへり。防人《サキモリ》とは勒負職也。左右衛門司也。防戰士也。歌の心は鎭西への海上の道すから古郷の妻を思ふ心也。
 
たらちねの母をわかれてまことわれ旅のかりほにやすくねんかも
   右一首國造丁早部使主|之《(三ヵ)》中
 
よそにのみ見えてやはこん難波かた雲井にみゆる嶋ならなくに
   右一首武射郡|上丁《本使ノ心也》丈部山代
 
櫻花いまさかり也難波かたをしてる宮にきこしめすなへ
   右兵部少輔大伴宿禰家持
をしてるや難波の津より船よそひあれはこきぬと妹につけこせ
   右信太郡物部道足
 
つくはねのさゆりの花 とよめり。
 
あられふりかしまの神をいのりつゝすめらみくさに我はきにけり
 此二首は那賀郡上丁大舍人部千丈歌也。常陸國の防人と見えたり。但筑波山をもよめり。霰ふりかしまとつゝくるはかしましと云心也。民の帝徳にしたかふ事、春の草の風になひくかことしと云故に、民の草葉とも申 《闕字》/\と君に隨て箱紫へ下侍ほとに鹿嶋の神に祈をしたる。
(以上七行彰考舘本朱書入)
 
橘の下ふく風の|かくはしき《香ハシキ也》つくはの山をこひすあらめかも
   右|助丁《タスケノヨヲロトハソヘ使ノ心也》占部廣方
 
つくはねのさゆりの花 ともよめり。下略之。
なにはとを漕いてゝみれは神さふる伊駒のたけに雲そたなひく
   右一首梁田部上丁大田部三成
 
あか時のかはたれ時に嶋かけをこきにし船のとまりし(296)らすも
 歌に義なし。かはたれ時とはかれはたれと云詞也。
 
  獨惜能田山櫻花歌 家持
たつた山みつゝこえにし櫻花散か過なんわか歸るとに
 立田山をこえて津國にいたりてよめる也。歸るとにとは歸るさきにと云心也。
 
家思ふといをねすをれはたつかなく蘆へも見えす春の霞に
 是も家持歌也。其體かくれたる所なく面白歌也。
 
御空行雲もつかひと人はいへとも家つとやらむたつきしらすも
   右兵部少輔大伴宿禰家持
 此註に|其《(もイ)》心なし。
 
草まくら旅なるせなかまろねせは家なる我はひもとかすねん
 此歌は物部歳徳か妻之歌也。
 
むまやなる繩たつ駒のおくる|な《かイ》へ妹かいひしをゝきてかなしも
 歌の心は、厩にふしたる駒の繩もたちておくるかことく、我を起かはといひしいもをゝきてかなしとよめる也。
 
雲雀あかる春へとさやに成ぬれは都もみえす霞棚ひく
 右歌家持作也。すかたおもしろく覺て書加|た《(侍イ)》り。
 
わかせこかやとなる萩の花さかん秋の夕は我《をヵ》しのはせ
 右歌大原眞人今城歌也。萩の花さかん秋の夕暮に、我をわすれすしのへといふ心也。
 
我やとにさける撫子まいはせんゆめ花ちるないやおちにさけ
 右歌丹比國人眞人壽左大臣也。心は、さける撫子まいはぜんとは、まいないせんゆめ/\ちるな、いよ/\たえすさけと云心也。花に心をつけてよめり。古今に、春されは野へに先さくみれとあかぬ花まひなしにたゝなのるへき花の名なれや 此歌を定家卿花もいひなし(にイ有)と註をかゝれたり。但此歌には其心かなはさるにや。
 
うるはしみあかもふ君は撫子の花になそへてみれとあかすも
 右歌家持也。うるはし|み《(きイ)》はほむる詞也。なそへてはた|す《(そイ)》らへて也。
 
  八月十三日在内南安殿肆宴歌
乙女子か玉もすそひくこの庭に秋風吹て花は散つゝ
(297)   右一首内匠頭兼播磨守正四位下安《部ヵ》宿禰奏之
 
  天平元年班田之時使葛城王從山背國贈|障《(マヽ)》妙觀婦等所歌【副芹子裏】
あかねさすひるはたゝひてぬは玉のよるのいとまにつめる芹これ
 此歌の心此註にみえす。私云、六花《(マヽ〕》の註やらんを見侍しに、此心はあかねさすひるは日といはんため也。晝はたゝひてとは、田のけん見なとしてひまなけれは、よる芹をつむとよめると有しやらん。
 
  降《(マヽ)》妙觀命婦報贈歌
ますらをと思へる物を太刀はきてかにはの田井に芹そつみける
 
  天平勝寶八年三月七日河内國侍人卿馬國人之家宴歌
鳰鳥のおき中川はたえぬとも君にかたらむことつきめやは
   右一首主人散位寮馬史國人
 鳰鳥の沖中河《(イナシ)》とは息長といふ心也。水に入て久しくあれはいき長きと云心也。いきとおきと相通なれはいへるにや。中と云字長とよむ故也。
 
ふなきほふ堀江の川のみなきはに來ゐつゝなくは都鳥かも
 舟きほふとは船よそひと云心也。
   右歌江邊作歌
 
  於兵部大亟大原眞人今城之宅宴歌 兵部少輔家持作
あし引の八《是も多き心也》おの椿つら/\にみるともあかめやうへてける君
 
  天平寶字元年十一月十八日於内裏肆宴歌 皇太子御歌
天地をてらす月日のきはめなくあるへき物を何かおもはん
 
  十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌
うちなひく春をちかみかぬは玉の今夜のつく夜かすみたるらむ
(298)   右一首大藏大輔甘南備伊香眞人
 
あら玉のとしゆきかへり春たゝはまつ我門に鶯はなけ
   右一首右中辨大伴家持
 
大海のみなそこ深く思ひつゝもひきならしゝ菅原の里
   右一首藤原宿奈丸朝臣之妻石河女郎薄愛離別悲別歌也
 
  二年春正月召侍從豎子王臣等令侍於内裏之東屋垣下則賜玉箒肆宴于時内相藤原朝臣奉勅宣諸王卿等隨堪任意作歌并賦詩仍應詔旨各陳心緒作歌賦詩
はつ春の初子のけふの玉はゝき手にとるからにゆらく玉の緒
   右一首右中辨大伴家持作但依大藏政不堪奏之
 
水鳥の鴨の羽の色のあを馬をけふみる人はかきりなしといふ
   右歌家持作
 今日みる人に限なしとは祝の心也。
 
  二月於式部大輔中臣清麿朝臣之宅宴歌
見むといはゝいなといはめや梅花ちり過るまて君かきまさぬ
 花みんといはゝいやといふへき事ならぬを、散過るきて君かとはぬとうらむる心也。
 
梅の花香をかくはしみ遠けれと心もしのに君をしそ思ふ
   右一首治部大輔市原王
 かをかくはしみとは香こまやか也。とをけれとゝは君とわれと中遠けれと斷絶なく思ふといへり。香をかくはしみはほめたる也。
 
八千くさの花はうつろふときはなる松のさ枝を我はむすはん
   右一首家持作
 たゝ松の葉をむすふともよめり。
 
  依興各思高圓離宮處作歌
たかまとの野へはふ葛の末つゐに千代に忘れん我大君かも
   右一首主人中臣清丸朝臣
 
(299)  七月五日於治部少輔大原今城眞人宅餞因幡守大伴家持宴歌
秋風のすゑふきなひく萩の花ともにかさゝすあひかわかれむ
 
  私《寫本ニ如此(イアリ)》云、借用註本是まて少々書うつし侍ぬ。彼本すゑ/\の卷は事の外大やうにて、これそと思ふ事侍らぬまゝ、愚本ぬき書のうち其理心え侍らぬ歌おほく侍り。しかれとも大かたにて先しるしをはる所也。此あらましを思ひたち侍る折ふし、思かけぬみたり心ちの事ありて、をこたりなから、猶我身ともなきやうに侍れとも、思ひたちし末をとけんとはかり書《(付ィ)》○侍ぬ さためてかきちかへなとおほかるへく覺え侍りぬ。萬一御一|見《(覽ィ)》の人は御筆をくはへ給へき者也。
 
 以或人本早卒染筆宗祇法師抄也云々
              雀輕子(二行竹柏園本奥書)
 
 文明十八年三月目 右衛門督藤原爲廣判
               (一行早川本奥書)
 
 右《本云》此抄出爲連歌之宗祇注了予七十餘年之比爲連歌抄出了以誓切門弟宗碩屬處也
 此抄出事杉宗珊以所持本宗甫令書寫之給然予又以誓允懇望
  天文八十一月初十日書寫了 興國在判
 以右之奥書本書寫之次依繁多有注和歌令書拔了 (六行彰考館本奥書)
 
 文《本云》明十四年二月廿四日夜於灯下寫畢 宗誕
 右本者以宗祇自筆之本被寫之今不改字寫之
  天文廿二年十月九日寫之畢同十日加一校
                主式部卿 (四行彰考館本朱書入)
 
(300)   萬葉集之歌百首聞書
 
かけろふの夕さりくれは里人のゆつきかたけに霞たなひく
 かけろふにあまたの儀侍るにや。かけろふのもゆる春日なとよめるは、春の日ののとかにて空も晴たる比、もゆるやうにかすかにゑいしてある物あり。いとゆふの類也。又かけろふのいわとつゝくるは、いといはんため也。藺といへる草をかけろふといへる一名も侍るにや。これを、蜻蛉といへる虫の、石なとにゐたるかくろくて、色まかふほとに、かくいふといえる義もあり。又蜻蛉は、命あた成ものゝ、夕をもまたぬをもいえり。かけろふのはかなく飛ちかふなと源氏物語に侍るも、蜻蛉の事にや。此歌かけろふの夕さりくれはとは、蜻蛉の夕をまたぬあた成物なれは、いふへといわんためはかりに、發語(ニ)おけるにや。但春の歌なれは、いといふに似たるかけろふの儀も可相叶と也。夕さりくれはとは夕になれは也。春されはなといへるにをなし。里人は弓といはん爲也。ゆつきは弓槻とかけは也。ますらお、山かつなとは、弓をはなたぬ物なれは也。ゆつきかたけは大和國の名所也。歌は、ゆつきかたけ眺望をよめる、のとか成日の夕になれは、いよ/\霞たなひきておもしろき吉也。
 
あたらしき年の始にとよの年しるすとならし雪のふれゝは
 とよのとしはゆたか成年也。雪は豐年瑞相也といえり。改年に雪ふれるは、ことしのゆたかならんをしるして雪のみせたるよと也。
 
かせの山木立をしけみあささらす鳴とよまする鶯の聲
 風の山は山城國、みか原、泉河なとおなし所也。あささらすは朝不去也。毎朝の意也。みか原のほとりに、むかし久爾の都といえる皇居のたてりしをほめ(301)て、鶯によそへてよめる歌といへり。なきとよまするは、山もひゝく程うくひすのしけく鳴と也。動の字をとよむとよめり。古今に、山下とよみ鹿の鳴らんと有におなし。
 
袖たれていさ我園に鶯の木つたへちらす梅の花みん
 そてたれては、袖うちはへるといえるにおなし。花ちるは面白物なれ共、鶯の木つたいちらすは猶見事成へけれは、遊みんとなるへし。吾そのといえるは自愛の心也。
 
霞立なかき春日をかさせれといやなつかしき梅の花かも
 かすみたつ長き春日とは、世界打霞ていかにものとか成永日のさま也。かゝる永日にかさしもて遊へとも、猶梅花のあかすおもしろき吉也。いやなつかしきはいよ/\なつかしきとなり。かもはかなといえる詞つかひ也。又うたかふ心にいへるも侍へし。歌(ニ)よるへし。
 
春山の霧にまとえる鶯も我にまさりて物思ふらめや
 鶯によせて戀の歌也。春のうたに霧をよまする證歌也。きりにまとへる鶯のことく、旅路にまとふ心成り。詩にも咽霧山鶯鳴尚少とあり。
 
御吉野の岩もとさらす鳴蛙むへも鳴けり川の瀬清み
 かわつの岩本をさらすなくもことわり成けりと、よし野川の清見事成をほめていえるなり。鳥のさへつり虫のなく事も、心よき時音をたつる物なれは也。音なく事をかなしき心に取なす事も侍るへし。歌(ニ)より其意得侍るへきにや。
 
ふくめりし花のはしめに越我やちりなん後に都へゆかん
 花のつほみたるをふくむといえり。花のつほみたるよりあくかれ出て、ちりはてなん後ならては、都へ歸らしと花に執心したる樣也。
 
春雨の心は君もしらるらん七日しふれは七日こしとや
 はるの意の歌也。春雨あなかち日をかきりて七日ふ(302)れるにはあらす。久しき事をいはんとていえる歌也。おほき事をいはんとて、八百日ゆく濱の眞砂なといえるかことし。雨をかこつけに|に《(衍ヵ)》してこぬ人を、此春雨のはれすは七日もこしとにやと、うらむる心也。
 
朝霧にしとゝにぬれてよふこ鳥みふね山より鳴渡みゆ
 しとゝにぬれてとは、伊勢物語にも、みのもかさもとりあへで、しとゝにぬれてまとひきにけりと侍る、きた|る《(マヽ)》も身につく程ぬれたる心のよし申侍り。歌の心は、呼子鳥の朝霧にうちぬれて鳴わたるを、あわれみたる春の歌也。みふね山は和州よし野山のほとり也。
 
足引の八峯のきゝす鳴とよみ朝けの霞見れはかなしも
 八峯はやつおとよむへし。あまたの|そ《(みヵ)》ね也。みれはかなしもとは霞を愛したる心也。かすみをあわれひ、露をかなしふといえるに、雉早朝よりなく物にや。春の山の明ほのゝ景氣を身にしめたる心成り。
 
うら/\にてれる春日にひはりあかり心かなしも獨しおもへは
 うら/\はうらゝといえるにおなし。心かなしもは前のきゝすの歌とおなし心也。あはれみ愛する吉なり。春日のうらゝなるに、ひはりあかりておもしろき景氣を、ひ|は《(マヽ)》りなかめ入たる心なり。
 
郭公なく聲聞や卯花のさきちる岡に田草引いも
 卯花のさきちる岡に、時鳥のなき侍らん折ふしのおもし|き《(マヽ)》言語道斷なるへし。これをいもにきかせはやといえる心也。田草引は田草を取事也。吾思ふ人まことに田の草を取へきに|な《(マヽ)》らねとも、うの花さき、時鳥鳴折ふし、田の草を取ものなれは、風雅の習、いやしきものに成りかわりていえるなるへし。
 
橘のにほえるそのに郭公鳴と人つくあみ|さ《(マヽ)》ましを
 時鳥はたち花にたより有鳥成り。あみ|さ《(マヽ)》ましをとは、網をさしてよそへやらす、何も聞へきおと也。
 
朝霧にやへ山こえて時鳥いまきの岡を鳴て過也
 霧は秋の題に用來侍れとも、上古には四季ともによ(303)めり。當時も事(ニ)よりて用侍るへきにや。ほとゝきすの山たかく鳴て行景氣のうた、聞たるまゝ也。今城の岡は紀伊國也。
 
かきゝらし雨ふるよるを時鳥鳴て行成り哀その鳥
 かききらしは、うちきらし、天きらし、なといえるにおなし。霧のやうにかきくもりたるをいへり。かゝる雨夜にぬれつゝいつこへゆくらんと、時鳥を哀みたる心也。その鳥は郭公|を《(衍ヵ)》すをさしていえること葉なり。
 
ふしのねにふりおける雪はみな月のもちにきゆれは其夜ふりけり
 もちは十五日也。富士の雪は六月十五日消て、その夜に又もとのことくふるといえる證歌也。歌は聞えたるまゝにや。
 
あまの河水かけ草の秋かせになひくをみれは時は來にけり
 七夕の歌也。水陰草は稻の一名也。天河の水のめくみにて、なわしろのはしめより、稻の能熟するによりて、天河にいねをよめるといえり。歌の心は、稻花の秋風になひくをみて、七夕の逢へき時もはや來にけ|り《(マヽ)》よといへる心にや。七夕の歌は、此せかいのやうによみ侍る事ならひ事にや。古今集にも多くみえ侍り。水かけ草は稻の事ならて、たゝ水邊に有草をよめる歌も侍り。
 
天河去年の渡のうつろへは河瀬ふむ間に夜を更|け《(マヽ)》る
 ひこほしの、去年のつたいわたりつるまゝなれは、わた瀬もかわりたるをうつろふといへるにや。去年のわたりをたとるたに夜の更行をかなしみたる心成り
 
七夕のいほはたたてゝ織布の秋さり衣たれか取みん
 いほはたはおほくのはた成り。五百機也。秋さり衣は秋になりての※[將/衣]束也。七夕の具にかきりていふへし。歌の心は、七夕のてつから織たる※[將/衣]束は、ひこほしならて、凡人のみるへき物ならすと也。
 
あし玉もて玉もゆらに織はたを君かみそにそぬひきせ(304)んかも
 前の歌と同心也。あし玉も手玉もゆらとは、はたおる時手をうこかし足をうこかす事のひまなきさま成り。君とはひこほしの事、みそとは御衣と書り。御※[將/衣]束とゆふ心也。七夕の辛勞して織たるはたをは、彦星よりほかには、たか衣|君《(マヽ)》にかせんと也。
 
ゆふつゝも行かふ空にいつまてかあふきてまたん月人男
 ゆふつゝは夕の星也。これも七夕の歌也。月人おとこは月中(ニ)あるかつら男の事也。たゝ月の事と心へ侍へし。歌の|は《(マヽ)》、星も今夜あふ夜にて行かよふに、吾思ふ人をはいつまてまたんそと、月にうれへていへる心也。
 
七夕の袖つく夜の曉は川瀬のたつはなかすともよし
 袖つくとは袖をもろ共にかさねたる心にや。七夕のあふよなれは、川瀬のたつもなきておとろかすなと也。川瀬はあまのかはせ也。
 
おとめらにゆきあひのわせをかる時に成にけらしも萩の花さく
 行あひのわせははやわせの事也。おとめらは、行あふといわんためはかりにおける|調《(詞ヵ)》也。戀の歌にはあらす。萩は初秋に咲ものなれは、わさ田をかる時にもなりぬらんと也。
 
白露と秋の萩とはこひみたれわく事かたき我心哉
 秋はきのしら露にさき亂たることく、戀路に我心のみたれたるをよそへたるにや。分別なき心也。
 
みな人は萩を秋とゆふ我はいな尾花末を秋と思はん
 折ふし花もみちを愛するも、心/\によるにや。みな人は萩か花を秋の最上といへとも、我は又尾花のさかりを秋の物とはもてあそはんと也。
 
女郎花生る澤へのまくすはらいつかもくりて我きぬにせん
 戀の歌也。おみなへしを女にたとふ。葛は、麻なとのことく、糸にくりて布(ニ)する物成を、我思ふ女の、い(305)つかわか手にひかれてつまとならんとよそへたる也
 
かけ草のおひたる宿の夕影に鳴 《(マヽ)》きけとあかぬかも
 影草は草の名にはあらす。たゝ夕影に生たる草成り。夕かけの草むらにきり/\すの鳴聲を愛したる歌也
 
わたつみのとよはた雲に入日さし今夜の月夜すみあかくこそ
 わたつみは海の事也。とよはた雲は夕日にあたる雲の赤色なるか、旗に似をいへり。雲のはたてといえるにおなし。入日のよくてる時は、月の光さやかなるといへり。海上の夕日のさやか成をみて、今夜の月のてらん瑞相をしれると也。此歌入日ねしといへる本も有り。ねしといふはやわらくといへる心なれは、入日やはらいて月の晴天たるへきとにや。すみあかくは澄て明なる成り。
 
大船にまかちしけぬき海原|を《(マヽ)》き出わたる月人おとこ
 まかちしけぬきは、大船にはかちをし|る《(マヽ)》く取て、ゆたんせぬ心にや。是は海上の月を大船にして、こく人には桂男をとりなしたる也。
 
そらの海に|雲《(マヽ)》波たち月の舟星の林にこきかへ|り《(マヽ)》みゆ
 此歌、おもての儀は、空のかきりなきを海にたとへ、雲をはなみによそへ、月を舟になし、星の多きおはやしのことしとよめるにや。ふるき注にいわく、惡王のまし/\けるを、雲客百官とりたてまつりて、おしこめておき奉りけるなとをよめり。空の海とは殿上也。海とは浪也。舟なとのえん也。雲のなみたちは雲客のさわく事也。月の舟は王の御事成り。雲の上をてらし給ふゆへに月とも日とも申也。舟と申事も萬民をわたし給ふ心成り。星のはやしにこきかへるとは、百官を星の位といへは也。されは雲客星の位の人々王おおしこめ申心也と云々。柿本人丸歌也。
 
おちたきつなかるゝ水の岩にふれよとめることに月の影みゆ
 たきりてなかるゝ所には、月の影も靜ならぬ成り。岩にふれてよとめる水の、しつか成所/\に、やとり(306)たる月のおもしろきをよめる歌也。
 
月夜よし川音すめりいさこゝに行も留も遊て行かん
 川邊の月夜の面白さ、うち過かたけれは、行末をいそくみちなり共、又もつともこゝに立とまるとも、遊覽せん意也。京極黄門、秋の月川音すみてあかす夜におちかた人の誰を問らん、此和歌おとり給へるといえり。
 
窓こしに月さし入て足引の嵐吹夜に君をしそ思ふ
 足引は山とつゝけねとも山の事也。戀路のならひいつもかなしけれとも、取分山のあらしはけしく、月はさやかにさし入たるよの、ひとりねのかなしきよしの戀の歌也。詩にも月入紗窓曉寺鐘なと侍るおもかけにや。
 
とを妻をふりあふきみて忍ふるに此月のおもに雲たなひくな
 とふつまは遠くにある妻也。ふりあふきみてはふりさけみるといへるにおなし。とをきつまをこひつゝ、月をみてもなくさめんと思へは、月のおもてを雲かくすなといへる也。
 
久方のあま|ゝ《(マヽ)》おかす雲かくれなきそ行成わさた雁金
 あまゝは雨のひまなり。あまゝもおかすは間斷もなくしくるゝ空に、ぬれつゝ雁のわたるをあはれみたる心也。わさ田かりかねは田をかる心に秀句せり。
 
なか月のそのはつかりの便にも思ふ心はきこへこぬかも
 雁は八月中旬より來る習なれとも、おそくわたるかりは九月にもあるへけれは、なか月の初雁とはよめり。雁使雁書の事、蘇武か古事よりおこれり。九月まて遲くわたる雁金のたよりにも、君か思ひの程おは、つたへおこさぬ身よとうらみたる戀の心也。なか月の初かりの事異説侍れとも不用之。
 
おしてるやなには堀江のあしへには雁ねたるかも霜のふらくに
 おしてるは難波の發語也。古今集にも見ゆ。なにわ(307)江のあし邊にねたる雁を、霜夜の寒きにあはれみていえるうた也。ふらくにはふるに也。
 
そらを飛雁のつはさのおゝひはのいつこもりてか霜のふるらん
 おほひ羽とは、兩の翅のおほひたるやうにひろかりたるをいへり。雁はあまたつれてとふものなれは、翅も空におほひたる成るに、いつこをもりて、猶霜のさむくふるらんと也。秋の末つかた雁鳴て霜の寒きをよめるなり。
 
雁もきぬ萩もちりぬとさをしかのなく成聲もうらふれにけり
 雁金わたりてはきのちるおりふし、秋のかなしさよの常なるましけれは、鹿のなくねさへ思ひありけにきこ|へ《(マヽ)》ると也。うらふれは、くたひれなやみたるよし成り。秋はきにうらひれすれはと古今に侍るとおなしこと葉也。
 
心あへはあひぬる物を小山田のしゝ田もることはゝしもらすも
 しゝ田もるとは、しかのくる秋の田をまほろ事成り。心かけたる女をはゝのまほりふせく事、秋の田に鹿を禁制することくなれとも、たかいの心たにかよはゝ、おのつからあふ事あらんするほとに、中/\はゝのまもる事をやめよかしといへる戀の歌也。
 
おく山に住とゆふ小鹿よいさらすつまとふ萩《(マヽ)》ちらまくおしも
 よいさらすはよいことにの心也。あささらすといえるにおなし。萩をはしかのつまといひならはせり。萩の花ちりなは、鹿の聲さへとをくならん事をおしと思へる心にや。
 
わかつくるわさ田のほたちつくりたるほくみそ見つゝしのはせわかせ
 ほたちはいねのほに出たるすかた也。ほくみはみのよくいりて、穗のさしくみたるいえり。わかせわわかせこ《(マヽ)》下略していへる也。夫の事也。いもせは夫婦(308)の事なるを、いもとせといゝわけたる也。歌の心は、わかおりたちてつくりたるわさ田のほ|と《(マヽ)》にいてゝ、おもしろき景氣を、わかせ子、みつゝ我を思ひおこせよと、戀の心によめるにや。
 
夕こりに霜をおきけり朝戸出に跡ふみつけて人にしらるな
 ゆふこりは夕へに霜のこりしきたる也。夕霜の今朝まてこりかたまりてきへぬほとに、わかるゝあさ戸出に跡つけて、人にとかめらるなと也。是も戀のうた成り。
 
松かへの土につくまてふる雪をみすてやいもかこもりおるらん
 終日の雪のさま也。松かへも土につくほとうつもれなひきたるを、たち出ても見は、わかつれ/\おもおもひやりてとふへきを、つれなくこもりおるにやといえる戀歌也。
 
深雪ふるこしの大山ゆき過て何の時かわか里をみん
 こしのおほ山別而山の名にあらす。北國の大山越なり。一説には越中(ニ)ある名所也ともいへり。歌はきこへたるまゝ也。旅歌にや。
 
あふみの海夕波ちとりなかなけは心もしのにむかしおもほゆ
 心もしのには心もしきり(ニ)也。なかなけはゝ汝かなけは也。なみにちとりのさひしくなくをきゝて、いにしへを思ひ出る心也。志賀の舊都をよめる人丸歌と云々。
 
眞菅よきそか|の《(マヽ)》はらに鳴千鳥まなしわかせこ我戀らくは
 ま菅よきは菅のおもしろくよく生たるさま成り。まなしはひまなく也。千鳥の隙なく鳴ことくに、わかせこをこふる事の間斷なきと也。そか川原國不分明。
 
打なひく春をちかみかぬは玉の今夜の月夜霞たつらん
 歳暮の歌也。うちなひく春とは、世中おおしなへて春になりて、人の心もくつろきなひくおいへり。霞(309)なひく事には侍らす。ぬは玉はうは玉といへ|り《(マヽ)》おなし。よるといえる枕言也。冬の月夜なから、漸春ちかくなれはにや、霞たちてのとかなるらんと也。
 
あま雲の八重雲かくれ成神の音にのみやはきゝやわたらん
 上句は音に聞といわん序、たひの歌也。なる神のことくおとにのみやはきくへき。さりとも一度は逢みる事こそあらんすらめと也。
 
戀草を力車になゝくる|ま《(マヽ)》こふらくわかこゝろから
 戀草といえる、草の名にはあらす。こひのたね成り。種はかす/\の心也。なくさめくさ、つれ/\くさなといへるにおなし。力くるまは荷をつむ車也。戀草を荷つむ物ならは、車七兩にもつむほとならんと也。
 
みしま菅いまたなへなり時またはき|に《(マヽ)》や成なんみしますかゝさ
 みしますけはつのくに三嶋のすけ也。いまたなへなりとはいとけなき女にたとへてよめり。時またはとは、さかりになる時を我は待あひたに、人の物にやならんとうたかひ思へる戀の歌成り。菅は笠にぬふ物なれは、わか物になして、いつかきんとよせていへるにや。
 
笠なしと人にはいひて雨いゝそとまりし君か姿しそ思ふ
 あまいゝそは雨にぬれしとのよういをいへり。わかるゝおりふし、雨のふりぬれは、笠なしといひて、あまよういにかこつけて、君かやすらひし心さしの忘れかたきよしの戀歌也。
 
とにかくに物は思はすひた人のうつ墨なわのたゝ一すちに
 ひた人は番匠の惣名也。ひたたくみといへるもおなし。歌の心は、一寸ちに君を思ふほかにはこと心なきよしを、すみなわの一筋にゆかまねによそへたる戀歌也。
 
梓弓ひきてゆるさぬますらおや戀てふ物を忍かねけん
 
(310)弓を引つめてはなたぬあいたは、こと心なくゆたん有ましきにや。そのことくに、戀路にわか心の打ゆるすひまなく、忍かねたる也。ますらおはあらき山かつなとの事也。弓を引物なれはよそえていへり。
 
わか草の新手枕をまきそめて夜おやへたてんにくゝあらなくに
 若草はわかき女にたとへていひならわせり。新手枕とつゝけんため也。枕をまくとは枕おかはしたる心也。妹か手おまく、袖おまくなと此集に多みゆ。いつれもあひふれ、かたらへる心によめり。はしめて枕おかわし逢そめぬれは、此後は一夜おもへたてん事は有ましけれと、戀路のならひこゝろのまゝならねは、夜おやへたてんとうち佗たる也。
 
世中の人のこと葉とおもほすなまことそこひしあわぬ日おほみ
 世の人の口すさみに戀しゆかしなとゆふたくひにはあらす。われはあわぬ日おほくへたてぬれは、眞實(ニ)こひかなしむ心そと、うれへかけたる戀歌也。
 
しつたまき數にもあらぬ命もてなそかく計わか戀わたる
 しつたまきはしつのおたまきをつゝめていへる也。數ならぬ身とつゝけんためにおける言也。古今集に、いにしへのしつのおた卷いやしきもよきもさかりはといへるにおなし。又くり返す心に用侍る歌もあるへきにや。歌の心は、かすならぬ身の、命のはかなきまをさへしらすして、なそかくはかり戀路にまとふそと、我身おかへりみたる心にや。
 
いもか門ゆき過かねて草むすふ風吹とくな又かへりみん
 草をむすふ事みちのしるしにむすふなり。しほりなといへるにおなし。きこへたるまゝの戀の歌也。
 
かくこひん物としりせはゆふおきてつとには消る露ならましを
 ゆふおきては夕におきて也。つとはあした也。夕露(311)の朝ははかなくきゆることく、命もなからへすはかく計物は思ふましきをと、命おさへうらめ敷おもへる戀の歌也。
 
ちはやふる神の社しなかりせはかすかの野へにあわまかましを
 神の社しなかりせはとは、ぬしのある人に思ひおかけ《(マヽ)》いへり。ぬしのなき人ならはおそれすあふへきものおといへる心也。いつれの草木にも種はあるものなれとも、粟およそへ侍るは、あふ心にとりなして、契をむすはんたねの心およめるにや。かすかは神のまします所なれは、よせていへる戀の歌也。
 
かみつけのさ野の舟はし取はなちおやはさくれと我さかる|へき(かへヵ)
 おやはさくれとゝは、さまたくれと也。歌の心は、おやにしらせすしてちきるに、その道の舟はしをとりはなちさまたくれとも、我はさまたけられんかわと也。かへはかはといふ詞なり。萬葉以後はよめりともみへす。此歌一儀にいわく、舟はし水なき時はとりはなちおくおよめりともいへり。只取はなつといわんために、ふなはしとかけたる詞つかい也。川の兩方(ニ)夫婦のおやの家ありしと成り。ふるこひちとて今にそのなこり道侍るよし、かのくにの人申侍り。
 
おはた田の板田の橋のこほれなはけたよりゆかんこふなわかせこ
 こほれなはとは、はし板のくちやふれておつる心也。板こそこほるゝ共、橋けたはのこらん程に、かよふ事やむましけれはこふるなと、せこおなくさめたる歌也。いたゝの橋攝津國ともいへり。又和洲ともゆふ。おはた田といへる所にわたしたる橋の名お、いた田のはしといえるにや。
 
あすか川七瀬の淀に住鳥も心のあれはこそなみたゝさらめ
 七瀬の淀は、瀬一あれは又淀も一あり。七瀬に七の淀といへる心なり。淀は水のしつか成所おいへり。(312)この水鳥はおしかもなとの事にや。おしかもはつまとよくかたらひて、そねみなとする事なくしつかなれは、波おもたてすならひ住ぬる事を、わか中のあひ思わぬによせて、うらやみたる戀の歌也。
 
たへす行あすかの河のよとみなはゆへしもあると人のみらくに
 あすか川のたへすゆくことく、我中のかよひもとたえなきを、もしさわりなとありて、ゆかぬおりもあらは、いかなるゆへそと人のあやしめん|ほ《(マヽ)》に、とたへおもおかしといへる戀の歌也。見らくはみん(ニ)也。らくはそへ字也。
 
此川のみなはさかまきゆく水のことはかへらしおもひそめたり
 みなわは水泡也。さかまくは、淵なとに水のうつまくさま也。ことはかへらしとは、一たひ思ひそめたりし我戀路の、思ひなかりし時に、たちかへりかたき事お、水のかへらねにたとへてよめり。流水かへらす、後くわい先にたゝすといえる本文あり。上句はかへらしといわん序也。この川とは、いつくの川にてもあれ、その川にさしあたりていへる也。非名所。
 
しなのなるちくまの川のさゝれ石も君しふみては玉とひろわん
 千くま川のさゝれ石、人の目にたつへきものならねと、君かふみたらは、なつかしくひろいて、玉のことくもてあそはんといえる戀の歌也。
 
さほ川のさゝれふみわたりうは玉の駒のくる夜は年にもあるか
 さゝれはさゝれ石の心也。うは玉はよるの心也。歌は戀の心也。さほのさゝれ石を駒にうちふませて君か問くる事、一年(ニ)一たひなとにて、まれなる事よとうらみたる心也。さほ河は此歌に別而用所なけれとも、その所にのそみての戀の歌なるへし。有かはある哉也。
 
さぬらくは玉のおはかりこふらくはふしのたかねの成(313)さはのこと
 さの字も、らくもそへ字也。ぬる事はといへる心也。玉のおはあまたの儀侍れとも、是はしはしの間の事也。たとへは珠數一くり程の間といへる心也。富士のなるさはの事、いさこなといふ説侍れとも不可用之。雪のしつくの落つもれる澤水の事なり。ぬる事はすこしのあいたにて、こふる事はふしのなるさはのさわきひゝくことく、たゆる時なきといえる戀の歌也。
 
なくさ山ことにそ有ける我戀の千へのひとへもなくさまなくに
 なくさ山をなくさむ心に取なせり。なくさむといふ山の名は世の人のこと葉はかり成けり。我戀は千重百重にかなしけれとも、ひとへにてもなくさむ事なしと也。山はかさなる物なれはよそへたる戀の歌也。名草山紀洲也。
 
うは玉の黒かみ山の山くまにこさめふりしきます/\そおもふ
 うは玉は黒きをいわんためにおけり。黒髪山下野國の名所也。小雨はこまかなる雨。ます/\はいよ/\の心也。細雨のやむ事なきことく、君お思ふおもひのいつともなき戀の歌也。
 
おくれゐてこひつゝあらすはきの國のいもせの山にあらましものお
 いもせ山は、妹の山背の山とて、さしむかいたる二の山成を、引あわせていもせ山といえり。此二の山の中になかるゝ川よし野川也。こひつゝあらすはとは、こひつゝあらんするよりはといえる|調《(詞ヵ)》也。思ふ人におくれてかくこひつゝあるへくは、いもせの山に吾身をなして、いつもさしむかいてあらはなくさむへきものをと成り。
 
住吉のきしにむかへるあわち嶋哀と君をいわぬ日もなし
 すみよしの岸にさしむかひたるあわち嶋の景氣、日ことにみれともあか|め《(マヽ)》つらしきことく、君にあかぬ(314)よしのこひの歌也。此哀は愛したる心也。人丸歌也。
 
わたつみの海に出たるしかま川たゑん日にこそ我戀やまめ
 しかま川播磨國にあり。海中になかれ出たる程の大河なれは、水のたゆる事有ましきことく、我戀の止時あるましきと也。又海にいてたるとは、物思の大儀に成りて、しのひかたき心おふくみたるといへり。
 
みさこゐるすにおる舟の夕鹽を待らんよりも我こそまため
 みさことは關雎と書り。海邊にある水鳥成り。すにおる舟は洲さきに居舟也。洲にかゝりたる舟の、夕鹽を待てゆかんとすることく、夕になれは君を我こそまため|に《(マヽ)》といへる戀の歌也。この關雎は后徳ある鳥也。天の七十二候を知て嫁する事五日に一度つゝなり。しかれは一年に七十度にて、雌雄すさきおへたでゝすむといへり。后妃もしりそきて、深窓の中にあるへきとゆふ事、かの鳥戀路にたよりあるによりて、よせてよめると也。一儀に云、みさことはまさこの事也。砂のたかき洲は舟もとゝこほり行やらねは、夕鹽を待ことく、君を待つとよめるともいへり。はしめの儀を可用と也。
 
大舟のたゆたふ海にいかりおろしいかにしてかわ我戀やめん
 いか成大舟ともいかりをおろしてしつめとゝむるなり。そのことく戀路に吾心のたゆたひみたるゝをしつめて、やむるよしもかなと也。たゆたふはゆられしつまらぬさまなり。
 
紫の名たかきうらのまさこちに袖のみねれてねすかなりなん
 紫は名高《(マヽ)》いわん爲也。紫は色の至上にて、※[將/衣]束にもゆるされなくてはもちい侍らねは、名のたかき物なるを、戀路に名の立たる事こよせていへり。いたつらに名をたち、袖のみぬれて、人とぬる事はなくてややみなんと歎たる戀の歌也。又紫は女にたとへて(315)いひならわしぬれは、かた/\よせていえり。名高浦遠江國也。
 
とことわにかよひし君か使こす今はあはしとたゆたひぬらし
 とことわは常住也。常にかよひし君か使のとたえたるは、今はあわしと君か心のとゝこほりたるにやと也。たゆたふは、舟にかきらす、物のやすらひとゝこほりたるをいへり。
 
とふさたであしから山に舟木きり木にきりよせつあたら舟木を
 とふさといふにあまた説あり。木きるおのをもいへり。又木きる時きりくつのちるをいふともいえり。又木の末をもいえり。鳥總とも又登夫作とも書り。是萬葉の書樣也。舟木をきるには、かたはらの木に切よせしとする也。舟は物にさわるをいむならひなれは、よき木なれとも、木にきりかけたるをは舟にせぬを、あたら舟木とはいへり。心は戀の歌也。吾思ひをかけたる人、思ひのほかにこと人になひきぬる心を、舟につくりたらは、捨はてんまても、わかものにせんするをと、よそえていへり。八雲御抄には、木にきりかくつとありて、注と《(マヽ)》とふさは木の梢也。山に入て木おきりては、かならす木の末をきりて切たる木の跡にたつる也。たとへはとわり也。仍木にきりかくつとよめる也。抑此歌は滿誓か筑紫の觀音寺へ|く《(マヽ)》るおりの歌也。あしから山は末勘とあり。兩説共にもちい來侍れとも、猶八雲御抄を明鏡とすへきにや、いかゝ。あしから山は普通には相摸國也。
 
年ことにかくもみてしか御吉野の清川うちの瀧の白波
 芳野宮にみゆき有し時笠金村歌也。みてしかはみてしかな也。《(み脱ヵ)》ゆきのおりふしなれは、祝言の心に、年ことにかくのことくみてしかなといえり。川うちといへるは、山中へ川のなかれめくりていりたるをいへり。よし野の瀧のおもしろきをほめてよめる歌也。
 
ほり江には玉しかましを大君の御舟こかんとかねて知(316)せは
 太上天皇難波の宮にまします時、左大臣橘宿禰の歌といへり。堀江は難波堀江成り。玉しかましおとは莊嚴大奔走の心なり。
 
たち歸り古都と成れ《(マヽ)》はみちの芝草長く生けり
 奈良都のあれたるをみてよめる田邊福麿か歌也。ならの都を山城國久爾都へうつされたる時とかや。あたらしき都にたちかはりて、こゝは舊都となれるよし也。下句は荒廢のさまなり。
 
み芳野のあをねか嶺の苔莚誰かおるらんたてぬきなしに
 苔のたいら成をむしろにたとへて、苔むしろとはいへる也。おるものはたて貫ある習なれとも、苔莚なれはたて貫もなくて、誰かよくむしろのことく織つらんと也。青根か嶺よしの山につゝきたる名所也。
 
住吉のえなつに立て見わたせはむこの浦より出る舟人
 江名津は住吉にある津の名也。敷津高津なといへる類也。むこの浦は兵庫浦也。眺望の歌きこへたるまゝ也。
 
さゝ波やひら山かせの海吹は釣するあまの袖かへるみゆ
 さゝなみ、近江國の、名所の發語におけること葉也。水うみにて釣する人、ひら山風あらく吹おろしぬれは、舟をこきかへる袖のみゆると成り。眺望歌也。
 
もかり舟沖こきくらしいもか嶋かたみの浦にたつかへるみゆ
 おきより鶴の飛かへるは、藻かり舟のこきくるにおとろきたるにやと也。いもか嶋、かた見の浦同所也。紀洲也。
 
さ夜更てほり江こくらしまつら舟かち音たかしみをはやみかも
 みおは水のはやき所をいへり。肥前國松浦かおきは唐舟の出る浦也。大舟をこき出るかち音の堀江にたかきは、水のはやき所大事なれは、梶取ゆたんなく(317)舟をあつかふにやと也。一儀(ニ)は、此堀江は、攝州の難波堀江也。しからは筑紫の松浦と攝州の堀江方角殊外相違也。此心はつくしまつらよりのほりたる唐舟、攝州國の堀江にこきつけたるをよめると心へ侍るへし。むかし唐舟をつけん爲にほりたる江也と云々。此かもはうたかへる心也。かなの心にてはなし。
 
けひの海にわよくあらしかりこもの亂てみゆる海士の釣舟
 けひのうみは越前國、つるかの海上のよくなきたるを、にわのよきといへり。かりこもは亂てといはん爲成り。海人の釣舟打みたれてかす/\見ゆるは、にはよくあるらしと也。
 
古里は遠もあらすひとへ山こゆる我からにこひそわかせし
 ひとへ山は山城國泉河の邊にありといへり。旅の戀の心也。ひとへといふ名によりて、へたてぬ心に、とをくもあらすとよめるにや。古郷はまた遠くはあらねとも、わか執心から遠きやうにこふると也。
 
しなかとりゐな野を行は有間山夕霧立ぬ宿はなくして
 旅歌也。聞へたるまゝ也。しなかとりゐな野とつゝくる事あまたの説あり。昔攝津國の野にて狩をしけるに、白鹿を一とりて、猪のしゝのなかりけれは、猪のなき心に、此野をゐなき野といひならはせり。しなかは白鹿の事成り。白の字をしなとつかひたる調《(詞ヵ)》也。この集に又もありと云々。又ゐのしゝの一名をしなかとりといへるかさね調《(詞ヵ)》也。しなかとりゐとつゝけ侍るともいへり。まとり住うとつゝけ侍るかことし。此外にも説侍れとも、たゝゐなのゝ枕こと葉也《(マヽ)》、心へ侍るへし。ありま山ゐな野おなし所、攝州也。
 
わかせこか衣もうすしさほ風はいたくな吹そ家にいたるまて
 旅の心也。わかせこか衣もうすしとは、せ子か形見(ニ)きたる衣の心也。さほは和州の名所也。さは風ははつせ風なといへるにおなし。家にかへるまてかせ(318)も故《(マヽ)》てあらくなふきそと也。
 
宇治川に生るすかもを川はやみとらてきにけりつとにせましお
 すか藻は|くふ《食》物とみへたり。海草なとの類にや。川はやくてとられぬ心也。つとは土産也。家つとにせましをと也。旅の心にや。
 
ほり江より朝鹽みちによりこつみ貝にありせはつとにせましお
 ほり江は攝津國の事也。こつみは木積と、《(マヽ)》木のくつなとの事也。歌はきこへたるまゝ也。前の歌とおなし心也。
 
しほ津山うちこへくれはわかのれる駒つ《(マヽ)》まつくいも戀らしも
 旅戀の歌也。人にこひらるゝ人は、のれる馬つまつくといへり。鹽津山は江州にあり。
 
波たかしいかにかち取水鳥のうきぬやせまし猶やこくへき
 旅の歌也。いかにかちとりとは、梶取によひかけて、いかにそととふ心也。なみのたかく立ぬれは、ゆくすへはこきかたけれは、此まゝ海上にや浮寢おすへき。されとも猶こき行へきかと、かちとりに問たる心也。舟はかち取のまゝにて、あとも先もゆくものなれはなり。水鳥はうきねといはん爲におけり。我うきねの事也。
 
あまさかるひなのあら野に君おおきて思ひつゝあれはいけりともなし
 ひなは田舍也。ひなのあら野は非名所。たゝ田舍の荒野の事也。あまさかるはひなといわん枕|調《(詞ヵ)》成り。 ゐ中は空もとをきやうにおほゆれは、あまさかるなといへり。天離夷と書り。君おをきては、荒野に君をおきたるにはあらす。君をは跡に殘しおきて、ひなのあら野まて旅にきたれは、いける心ちもなく戀しきと成り。
 
都なるあれたる家に獨ねは旅|そ《(にヵ)》まさりてさひしかるへ(319)し
 此歌きこへたるまゝ也。旅に出たる人のつま、都にて獨寢のさま、旅よりも中/\くるしかるへしと也。
 
いわしろの濱松かへを引結ひまさ敷あらは又かへりこん
 是は人王卅七代孝徳天皇子に有間王子と申すおはしましけり。此王子位をたもち給ふましきけしきを御門御覽して、位を讓奉り給はさりしかは、うらみ奉りてあくかれありき給ひけるか、國をかたふけたまはんはかり事をめくらし給ふ事、世に聞へて、のち都より官軍をつかはして、紀州磐代い《(マヽ)》ふ所にて、皇子をとらへ奉りて、ゆひころし奉る時、皇子よみ給ひて、松にむすひつけ給へる歌也。まさしくあらはゝ幸あらは也。猶もわか身幸ありて、此害まぬかれなは、又かへりこんと也。此因縁によつて、いはしろの結松、祝言の歌にはよむましきよし、八雲御抄其外の記録にみゆ。岩代の松はかりはくるしかるましと也。
 
みなわなすもろき命もたくなわの千ひろにもかとねかひつるかも
 老たる人病にしつみて、子をみてよめるうたなり。みなわは水の泡也。たくなわは、海人の舟なとにつけてくる繩なり。長をいわんためにおける調《(詞ヵ)》成り。
 泡のことくもろき命おも、子のためにたくなわのことく長くもかなとなり。此かもは哉の心也。
 
あまさかるひなに五とせすまひつゝ都のてふり忘られにけり
 受領|住《(マヽ)》遠國は六ケ年なれは、五とせといへり。都のてふりは都のふるまひなり。田舍に久敷ありて、都のふるまひおもむきおも忘れはてたるよし、述懷の心也。都のてふりを、みやこのてふれ物なといへる説あり。不用之。古今集にあふみふり、しはつ山ふり、なと侍るに、おなし心成り。
 
(320)萬葉見安
 
萬葉集第一
一 名告沙根《ナツケサネ》 名ヲツケヨ也。サネハ言ノタスケ也
一 御執乃《ミトラシノ》 御タラシ也
一 朝布麻須等六《アサフマスラム》 朝狩ニ鳥ヲフミタツル也
一 和豆肝之良受《ワツキモ|ノ《(マヽ)》ラス》 タツキモシラス也
一、双要子鳥卜歎居者《ヌエコトリウヲナキヲレハ》 ヌエ鳥ハノトコエニナク也
一 遠神《トヲカミ》 神ノ代ノ神也
一 草武左受《クサムサズ》 【由阿仙覺】深山ノ木カケナルユヘ草ノヲエサル也
一 打麻乎麻續《ウチアサヲヲミ》 アサノヲヽウムトツヽクル也 アサヲヒクヲウツト云也
一 澤二雖有《サハニアレトモ》 シケキ心也
一 常滑《トコナメニ》 ミツノソコニツチノナメ/\トシテイツモナカレヌヲ云也
一 高殿《タカトノ》 内裏ヲ申也
一 青垣山山神《アヲカキヤマノヤマ|カミ《ヒコ》》 青垣ハ青山ツラナル心也 山神ハ山神也
一 大御食《ヲホミケ》 王ノ供御也
一 嗚呼見浦《アミノウラ》 伊勢ノ國ノ名所也
一 釼着手節乃崎《タチハキノタフシノサキ》 太刀ハキテツカヲニキル時ハ手ノフシノミユル也。タフシノサキ伊勢也
一 潮左爲《シヲサヰ》 シホミツサキ也
一 己津物隱乃山《ヲキツモノカクレノヤマ》 オキツモハオキノモ也
一 去來見乃山《イサミノヤマ》 名所也
一 高照日之皇子《タカテラスヒノワカミコ》 王子ノ御事也
一 石根禁押靡坂鳥乃朝越《イハカネノフセキヲシナミサカトリノアサコエ》 石根ノフセキハ石ノ道ヲフセク也 サカ鳥ノ朝コエハ鳥ノ朝ワタル也
一 阿騎乃大野爾旗須爲寸《アキノオホノニハタスヽキ》 アキノ野ハ吉野也。ハタスヽキハ薄ノホニイテヽハタニ似タル也
一 眞草《ミクサ》 スヽキ也
一 葉過《ハスキ》ハ 比ノスキタル也
一 日雙斯《ヒナメセシ》 日ナメノ王子也
一 都|言《(マヽ)》者高所知武等《ミヤコニハタカシルラムト》 高知ハミヤコヲホムル義也
一 眞木佐苦檜《マキサクヒ》 凡眞木ノ戸眞木(ノ)板戸ト申ハ杉木也。檜ハヒノ木也
一 嬬手《ツマテ》 小財木《コサイモク》也
一 鴨自物《カモシモノ》 鴨ト云心也
一 埴安乃堤《ハニヤスノツヽミ》 名所也
一 青香具山《アヲカクヤマ》 カク山ノアヲクミユル時ヲ云也
一 之美佐備立《シミサヒタテリ》 シケクサヒシクタテル也
一 美豆《ミツ》山 山ノカケノ水ニウツリタル水影也
一 日緯《ヒノヌキ》 南北也、日ノタテハ東西也。ソトモハキタ、カケトモハ南也
一 耳|高《(マヽ)》之青菅山《ミヽタケノアヲスケ》 名所也
一 名細《ナクハシキ》 名ノウツクシキ也
一 朝毛吉木人乏母《アサモヨイキヒトトモシモ》 アサモヒ《(マヽ)》キハ採葉ニアリ ヒキトヽモシモハ面白ト云心也
一 船泊爲良武《フナハテスラム》 舟ヲトム《(マヽ)》ル也
一 榜多味《コキタミ》 コキメクル也
 
一 暮相而朝面無美《ヨヒ|マ《(ニカ)》アヒテ|アサカホナシミ《・アシタヲモナミ正本》 女ハヨヒニアヒテ朝ノカホヲ人ニミセヌ事也
一 氣長《ケナカキ》 物思フ時ハイキヲツクハナカキ也
一 在根良《アリネヨシ》 峯ノ面白也
一 早見濱《ハヤミノハマ》 名所也
一 鞆乃音爲奈利《トモノヲトスナリ》 トモハカハヲハリテヨクヌ リテ弓イル時手ニヌキ入ル物也
一 須賣神《スメカミ》 社ヲツクリツヽクルヲ申也
一 柔備爾之《ニキヒニシ》 ニキハヒシ也
一 河隈《カハクマ》 河ノマカリタル所也
一 朝月夜《アサツクヨ》 在明ト云點モアリ
一 栲乃穗爾《タヘノホ〓》 ウツクシクアラハルヽ心也
一 磐床等河之氷凝《イワトコトカワノヒコリテ》 イワトコハツネノ義 ヒコリテハコホリノコル也
一 山邊乃御井 伊勢ノ名所也
 
萬葉集第二
一 山多都《ヤマタツ》 ヲノヲモ申、タツキヲモ申、杣人ヲモ申也
一 霧相朝霞《キリアフアサカスミ》 キリノ色ニチリ/\トシタルカ朝霞ニ似タル也。キリハチリ/\ト云心也
一 信濃乃眞弓《シナノヽマユミ》 國ノ土貢マ《(ニカ)》弓|チ《(ヲカ)》※[シンニョウ+手]奉ル故
一 宇眞人佐備而《ウマヒトサヒテ》 ヨキ人我ヲササヒメテト云心也
一 梓弓都良絃取波氣《アツサユミツラヲトリハケ》 ツルニトリハケ也
一 荷向篋《ノサキノハコ》 ノサキノ祭トテ極月ノタマ祭ノ庭ニ物ヲサヽクル事也
一 實不成樹爾《ミナラヌキニ》 夫モタヌ女ニハ神ノツクニ我ニシタカヘト
一 大船之津守之占《オホフネノツモリノウラ》 津守ノナニカシト云占ノマサシキニミアラハサルヘキニフタリネタル事ト云心也
一 大名兒彼方《オホナコヲヽチカタ》 ヲヽナコヲオトシタリト云心也
一 弓絃葉乃三井《ユツルハノミヰ》 大和名所也
一 波思吉《ハシキ》 ヨシト云心也。ウヤマフ心也 葉シケシト云。又使ヲモ申
一 鬼乃益卜雄《シコノマスラヲ》 ワロキ心也。ケフノ夫也ト云心也
(322)一 住吉乃淺鹿乃浦《スミヨシノアサカノウラ》 名所也
一 多氣波奴禮多香根者長寸妹之髪《タケハヌレタカネハナカキイモカカミ》 タケハヌレハカミヲアクルカヌレ/\トマキアクル也カケヌ時ハナカキ也
一 葦若未乃 アシノワカキ也
一 足痛《アナヘク》 アシヲイタミナヘク也
一 石之嫗爾 トシヨリタル女也
一 如手童兒《タワラハノコト》 手ニスフルホトノ童ノコト也
一 能咲八師《ヨシヱヤシ》 ヨシヤヨシ也
一 朝羽振風《アサハフルカセ》 朝ニフキクタル風也
一 言佐敝久《コトサヘク》 コトカマヒスキ也。カヤ/\ト云心也
一 伊久里《イクリ》 石ノ事也
一 大船之渡山《オホフネノワタリノヤマ》 名所也
一 鳥翔成有我欲比管《トリハナスアリカヨヒツヽ》 鳥ノ羽ニテ飛|ヲハ《(マヽ)》ヤクカヨヘト云心也
一 青旗乃木旗能上乎《アヲハタノコハタノウヘヲ》 サウレイノハタ也
一 君曾伎賊乃夜夢所見《キミソキソノヨユメニミエツル》 君ソ昨日夜ユメニミエツル也
一 神樂波乃大山守《サヽナミノオホヤマモリ》 内裏ヲマモル人也。トノモリ何事也
一 夜者毛夜之盡晝者母日盡《ヨルハモヨノツキヒルハモヒノツキ》 夜ハヨモスカラ晝ハヒメモスニト云心也
一 三諸之神之神須疑已具耳矣自《ミモロノカミノカミスキイクニヲシ》 ミモロノ神イハフ所也。神杉ハ本神タマシヒノスキユクヲシキ也
一 神山之山邊眞蘇木綿短木綿《ミワヤマノヤマヘマソユフミシカユフ》 マソハカラムシ也。命ノミシカシト云心也
一 青雲《アヲクモ》 サウレイノハタニ似トヨメル也
一 鹽氣能味《シホケノミ》 シホノイキ也
一 香乎禮流國爾味凝 アチノヨキ也。國ヲホムル義也
一 宇都曾見《ウツソミ》 ウツセミ也
一 神分《カミワカレ》 天地ニ神ノウカレシコト也
一 水穗之國《ミツホノクニ》 我國ノ惣名也
一 天地之依相極《アメツチノヨアリアフカキリ》 天地混沌ノ一ナリシ事也
一 放鳥荒備勿行《ハナチトリアラヒナユキソ》 放鳥ア|ヲ《(ラカ)》クナユキソ也
一 島御門《シマノミカト》 名所也。島宮ニ王子ノ御座アル故ニ
一 佐日之隈《サヒノクマ》 大和名所也。伊勢ニモアルカ
一 御立爲之《ミタチセシ》 宮ノ御所作シタル所也
一 橋之島宮《タチハナノシマミヤ》 大和名所也
一 島恤《・(マヽ)》立《ト|リ《(クカ)》ラタテ》 鳥カフトテフラニテ作物也
一 東乃多藝能御門爾雜伺侍《ヒカシノタキノミカトニサウラヘト》 御門ニ瀧ノ落タル所也東ノ瀧ノ御門名所ニアラス
一 水傳礒《ミツヽテノイソ》 名所也
一 木丘開道《モクサクミチ》 木ノシケリタル所也
(323)一 眞浦悲毛 我等カナシキナリ
一 毛許呂裳遠《ケコロモヲ》春冬|行設而《マケテ》 褻《(マヽ)》衣ハケ|ハ《(カカ)》レノケ也 マケテハカケテ也
一 八多籠良《ヤタコラ》 ヤツハラト云心也
一 多田名附《タヽナツク》 ナツキシタシム心也
一 柔膚尚乎《ヤハハタスラヲ》 ヤハラカナルハタヲ身ニソヘヌ也
一 所虚故《ソコユヘニ》 ソノ|ユル《(マヽ)》也
一 敷藻相《シキモアフ》 シキモアヘヌ也
一 越乃大野《コスノオホノ》 名所也
一 玉藻如許呂臥者《タマモノコトクコロフセハ》 コロヒフス也
一 御食向木※[瓦+并]宮《ミケムカフ|キノヘノミヤ《・コカメノミヤイ本》》 御食ヲ持向テクルトモ云、又土器ニテソナヘタルヲモ云。キヘノ宮名所也
一 味澤相《アシサワフ》 アチハフル也
一 狛釼和射見我原乃《コマツルキワサミカハラノ》 コマツルキハワサ/\トアルユ故ニコマツルキワサミカ原トツヽクル也
一 食國《ヲシクニ》 帝王ノシロシメス國ト云心也
一 人乎和爲跡不奉仕《カミヲナコシトマツハヌ》 カミヲナコシトハカミヲナコムル也 マツロハヌハツカウマツラヌ也
一 大御身爾《オホミヽニ》 御身也
一 小角《ヲツノ》乃|音母敵見有《コヱモアタミ|アル《・タル》》 ヲツノハイクサフ|ネ《(エカ)》也 アタミタルハオソロシキ也
一 渡會乃齋宮《ワタラヘノイツキノミヤ》 伊勢名所也
一 木綿花《ユフハナ》 木綿木ト云木アリ。花ハ芙蓉ノコトシ。實ハ朱坏子ノコトシ
一 鶉成伊波此廻《ウツラナスイハヒモトホリ》 ウツラノヤウニハヒメクル也
一 言右敝久百齊之原《コトウヘク《(マヽ)》タラノハラ》 言ヲ得テ後ハクタ|ヲ《(ラカ)》ナルト云心也
一 埴安乃御門之原爾《ハニヤスノミカトノハラニ》 名所也
一 哭澤之神社三輪須惠《ナキサハノモリニミワスヱ》 ミワハサケ也
一 高比所知奴《タカヒシ|タ《(ラカ)》レヌ》 人ノシヌルは天命トテ天ニシラルヽヲ申也
一 吉隱之猪養乃岡《ヨコモリノヰ|ア《(カカ)》ヒノヲカ》 猪ハカルモカクトテモヲ身ニケテハイテヌヲ夜コモリノヰトツヽクルナリ
一 天飛輕路者《アマトフヤカルミチハ》 雁ノ道也
一 眞根久往者《マネクユカハ》 ヒマニユカハ也
一 玉蜻磐垣淵《カケロフノイハカキフチ》 カケロフハクロキ物ナル故ニイハモクロキニヨテカケロフノイハトツヽクル也。又カケロフ日ト云
一 天領巾隱《アマヒレコモリ》 イタヽキノカサナル故ニ天ニヨソヘテイヘルナリ
一 枕付嬬屋《マクラツクツマヤ》 枕ヲ北ニスル故ニツマヤヲハ北ニツクル間枕ニツヽクツマヤト云心也
一 氣衝明之《イキツキアカシ》 ケナカクト云同心也
一 羽易山《ハカヒヤマ》 カスカニアリ
一 石根左久見《イハネサクミ》 石ヲフミクホメル所也
一 衾道乎引手乃山爾《フスマチヲヒキテノヤマニ》 フスマチヒキテノ山トモニ名所也。フスマニヒモノアル故ニフスマチヲヒクトツヽクルナリ
一 奈用竹乃騰遠依《ナヨタケノトヲヨル》 ナユ竹ハ竹ノ惣名也。トホヨルハタヲヤカニナヒクスカタナリ
(324)一 天數凡津子之《アマカソフオホシツノコカ》 アマカソフハアマノウナカシスル物也
一 跡位浪立《アトヰナミタチ》 跡ニ浪立
一 名細之《ナクワシキ》 名ノオモシロキ也
一 天離夷之荒野《アマサカルヒナノアラノ》 ヒナノアラノ非名所。タヽイナカノ也
一 御駕之手火之光曾幾許照而有《オホムタノタヒノヒカリ《(マヽ)》コヽタテリタル》 葬禮ノ時手コトニ火ヲ毛ツコトヲオホクテラセリト云也
一 道巳伎太久母《ミチコキタク|ホ《(マヽ)》》 ミチコキタクモハ道ノオホキ也。コヽシキコヽタキ同心也。イツレモオホキ也
 
萬葉第三
一 恐隱江《カシコ|ニ《(キカ)》コモリエノ》 オソロシキ也
一 角障經《ツノサハフ》 鹿ノヲトロノ中ヲトヲレ共角ノ物ニサハラヌ事也
一 栲領巾《タクヒレ》 タヘナルヒレ也
一 宜名倍《ヨロシキナヘ》 ヨロシキ也
一 手祭爾《タムケニ》 山ノタウケ也
一 見染跡衣《ミシメトソ》 ヨクミシメヨト也
一 月競敢六鴨《ツキニキヨヒアヘムカモ》 月ノハヤクスクルト云心也
一 大王之遠乃朝庭跡《スヘラキノトホノミカトヽ》 遠ク久シト云。又十方ヲ心ニマカスル義也
一 久米能若子《クメノワカコ》 クメハ姓也。ワカコハ名也
一 東市《ヒカシノイチ》 東京町也
一 梓弓引豊國《アツサユミヒクトヨグニ》 弓ヲヒケハヒロクナルユヘニ。又ユタカナル義也
一 伊去波伐加利《イユキハハカリ》 伊發語也。ユキハヽカル也
一 茶麻余美乃甲斐《ナマヨミノカヒ》 ナマヨヒカト云心也
一 石花海《セノウミ》 セノ海ト云海アリ。二字ヲ一字ニヨム也
一 國乃鎭《クニノシツメ》 日本ノ鎭守ノ心也
一 飽田津《ニキタツ》 名所也
一 都賀乃樹乃彌繼嗣爾《トカノキノイヤツキ/\ニ》 枝ヲシタイ/\ニサス木也
一 河登保志呂《カハトホシロ》 河面白也
一 夢乃和太《ユメノワタ》 吉野内名所也。又二條殿ノ仰ニハ夢ノ渡リ夢浮橋ナト云言ノ便也
一 一抔《ヒトツキ》 一盃ノ心也。酒ノ名ヲ聖ト負ハ酒ヲホムル也
一 津乎乃埼《ツヲノサキ》 名所也
一 繁貫《シケヌキ》 シケクヌク也
一 臣之武士者《ヲミノタケヲハ》 武士也
一 殿雲流《トノクモル》 空ノクモル也。タナクモルト云也
一 高座《タカクラ》 帝王ノ御座高ト云也。高座ノ御笠トツヽクル王ノ上ノ天蓋也
一 天原從生來《アマノハラヨリアレキタル》 ムマレキタル也
(325)一 白香付《シラカツケ》 四手ツクル也
一 齊戸《イハヒヘ》 酒入ルカメ也
一 竹玉《ケケタマ 》竹ノクタノヤウニツラヌキテ神ニ奉ル也
一 十六自物《シヽシモノ》 鹿ノヤウニヒサヲリテト云也
一 冬木成《フユコナリ》 冬キハマリテ春ニナルト云也
一 安倍而《アヘテ》 トリアヘヌ也
一 爾波母 海ノヘイ/\トアル也
一 許藝廻《コキタメ》 ユキメクル也
一 殖子水葱《ウヘコナキ》 草ノ名也。柄ハ枝サス也
一 玉之手二卷難寸《タマノテニマキカタキ》 タマシヰノ義也
一 伊奈太吉《イナタキ》 イタヽキ也
一 伎須賣流玉《キスメルタマ》 髻中明珠トテ帝王ノ御イタヽキニアル玉也。或ハ肉髻ノ玉トモ申
一 許其思美《コヽシミ》 シケキ心也
一 百傳磐《モヽツタフイハ》 此イハ五十ノ心也
一 親魂《ムツタマ》 ムツマシキタマシヒ也
一 名湯竹乃十縁皇子《ナユタケノトヲヨルミコ》 トヲヨルハナヒクスカタ也
一 狹丹頬相《サニツラフ》 人ノカホノウス紅葉ナル也
一 於余頭禮《オヨツレ》 ヲトツレ也
一 天雲乃曾久敞能局 雲ノハテト云心也
一 天有左佐羅能小野《アメアルサヽラノヲノ》
一 七相菅《ナヽミスケ》 葉ノナヽメナルスカタ也
一 逆言之狂言等《サカコトノマカコトヽ》 サカサマコトマカリコト也
一 橘ヲ玉ニヌクハ クスタマニツクル事也
一 泊瀬越女《ハツセヲトメ》 ヒチカタヲトメカ神ニイハフカ
一 八十隅坂《ヤソスミサカ》 名所也
一 吉野河乃奧爾名豆颯《ヨシノカハノオキニナツサフ》 ナツサフハナレフレタル也
一 倭|父《・(マヽ)》幡乃帶《シツハタノオヒ》
一 見津津四《ミツ/\シ》 人ノヲサナキ也
一 清之河乃河岸《キヨメシカハノカハキシ》 チカコトセシ也
一 大荒城乃時《オホアラキノトキ》 死時イキノアラキコト也
一 滿闕《ミチカケ》 生死ノ二ノ心也
一 天雲之向伏《アマクモノムカフス》 天ハウツフク地ハ|ラ《(アカ)》ヲノク故也
一 外重爾立内重爾仕奉《トハニタチウチハニツカヘ》 内外ニツカヘ奉ル心也
一 去左爾《ユクサニ》 行サマナリ
(326)一 愛八師《ヨシエヤシ》 ヨシヤヨシト云心也
一 匍多毛登保里《ハヒタモトホリ》 ハラハヒメクル也
一 哭子成《ナクコナス》 子ノ哭ヤウニト云也
一 波之吉佐寶《ハシキサホ》山 サホヤマヲホメタル心也。又敬心也
一 花吹乎爲里《ハナサキヲセリ》 花ノサキコタレタル也
一 彌日異《イヤヒケニ》 日コトニト云心也
一 和豆香山 杣山ノ事也 ヲノタツキヲワト云|ヨラ《(マヽ)》ワヲタツル故也
一 安積皇子《アサカノワウシ》 此事哥ノ詞ニハアラス作者ノ註也 聖武ノ皇子也
一 活道山《イクチヤマ》 名所也
一 心|振起《フリタテ》 タケキ武士ノ心ヲフリタ|テヤ《(マヽ)》ウニト云也
一 靱《ユキ》 ヤナクヰナリ
一 丹杵火爾之家《ニキヒニシイヘ》 ニキハヒシナリ
一 妻屋《ツマヤ》 妾ヲヽク所ナリ
一 因香跡《ヨスカト》 カタミト云心ナリ
 
萬葉第四
一 伊目《イメ》 ユメ也
一 河上乃伊都藻《カハカミノイツモ》 モノ水ヨリ出ユヘニイツモト云
一 取等騰巳保里《トリトヽコホリ》 トリツキタルヲヒキハナシカタキヤウニト云心也
一 住坂《スミサカ》 名所也
一 臣女《マウトメ》 朝ニツカフル女也
一 青旗乃葛木《アヲハタノカツラキ》 ハタニタカツラトテヒレノアル故ニハタノカツラキ山トツヽクル也
一 粟嶋《アハシマ》 アハノ國ナリ
一 五十行左具久美《イユキサクヽミ》 舟ノ行跡ノ浪ノクホミタル也
一 稻日都麻《イナヒツマ》 ツマノイナト云心也
一 四時二生|者《・(マヽ)》《シヽニオヒタル》 シケク生タル也
一 家之島《イエノシマ》 我家ニミアテタル
一 袖解更而《ソテトキカヘテ》 タカヒニ袖ヲトキカヘテ切ニチキル心也
一 穗田苅波加《ホタノカリハカ》 田ヲカリモテ行所也。ヲハカトヨム也
一 市柴《イツシハ》 イチコナリ
一 忌見跡《コ《(ユカ)》ヽシミト》 イム心也
一 庭立麻手苅干《ニハニタツアサテカリホス》 アサヲカリテ立レハ手ノヤウニアルヲアサテトヨム也
一 好渡人者年母《ヨクワタルヒトハトシニモ》 七夕ノ事也
一 烝被奈胡也《アツフスマナコヤ》 ヨルノフスマナコヤカ也ト云也
(327)一 河門《カハト》 カハヘカヨフ道ノアル所也
一 岸宦《シノツカサ》 キシノクタリ也。キシノツヽキ也
一 馬柵《ムマオリ》 馬ヲコムルオリ也
一 内日指宮《ウチヒサスミヤ》 内裏ハ玉樓金殿ナル故ニ内ヘ日ノサシタルヤサナル也
一 安蘇蘇二者《アソヽニハ》 アソコト云コトハ也
一 道守《ミチモリ》 道ヲマモル人也。關モリ也
一 衣手易而《コロモテカヘテ》 ヌル時衣手ナサシカユル也
一 山跡道乃嶋浦廻爾《ヤマトチノシマノウラハニ》 嶋ノ浦ハハツクシ也
一 吾君者和氣乎波《ワカキミハワケヲハ》 ワケハ我ヲハナリ
一 吉備能酒《キヒノサケ》 キヒニテツクル酒ナリ。人ノツヨクヱフサケナリ
一 貫簀《ヌキス》 ヌキス給テ公《(マヽ)》トセムト云心也
一 磐爾觸《イハニフレ》 岩ニアタル也
一 鹿乃濱邊《シカノハマヘ》 ツクシナリ
一 本名如此耳《モトナカクノミ》 モトナハ心モトナキ也
一 將全《マタケム》 マタクアラント云心也
一 何如恠《ナニノサトシソ》 アヤシキ心也
一 多奈和《オホナワ》 オホキニノドカナル也
一 釼太刀名《ツルギタチナ》 太刀ハオヒキタルユヘニタチナトツヽクル也
一 赤羅引《アカラヒク》 アカモヒクナリ
一 宇波敞無《ウハヘナキ》 ウヘナキナリ
一 燒太刀隔《ヤキタチンモヘタツ》 ヤキタチノヘトツヽクル事太刀ヲヤク時ヘノイテクル故ニ
一 亂在久流部寸二《ミタルヽクルヘキニ》 クルヘキハ糸カクルクルメキト云物也
一 玉主爾玉者授《タマヌシニタマハサツケツ》 玉ヌシトハオト|ロ《(コカ)》ノコト也
一 乎曾呂《ヲソロ》 オソロシキ也
一 言名具左曾《コトノナクサソ》 ナクサメト云心也
一 神祇毛知寒邑禮左變《カミ毛シルカニサトル 《(マヽ)》サカハリ》 神モ我ニ入カハリテト云也
一 四惠也《シエヤ》 ヨシヤナリ
一 倭|父《・(マヽ)》手纏《シツタマキ》 シツカヲタマキナリ
一 眞玉付彼此《マタマツキヲチコチ》 玉ヲ付ルヲトツヽクルナリ
一 二鞘之《フタサヤノ》 二カタナノサヤノコトナリ
一 君之眞香曾《キミカマサカソ》 君カ在所ナリ。又ハ寢所ヲモ云
一 家人《イヘヒト》 家ノメ也。イヘアルシト云心也
一 葉根※[草冠/縵]《ハネカツラ》 花カツラ同事也
一 片※[土+完]之底《カタモヒノソコ》 茶片※[土+完]ノソコニ文ノアルヲシルシニシタル心也
(328)一 垣穗成人辭《カキホナスヒトコト》 人コトシテ我ヲ人ノヘタツル也
一 常呼二跡吾行莫國小金門爾《トコヨニトワカユカナクニ》 トホキ國ヘユカネトモ戸ニカキカケタリナトスルヲコカナトヽハ云也
一 吾兒乃刀自 女ノ惣名也
一 情具久《コヽロクヽ》 心ノクヽルナリ
一 手引石乎七許頭二將繋母神之諸伏《テヒキノイシヲナヽハカリクヒニカケテモカミノモロフシ》 神千人シテモツ石チ七クヒニカケテイノルトモカナハテ神モトモニソモロフシニセサセ給ヘキ也
一 屋戸開設而《ヤトアケマケテ》
一 夜之穗抒呂《ヨノホトロ》 夜ノホノ/\トアクル也
一 牟具良布節穢屋戸《ムクラフノケカシキヤト》 ムクラノ生テイヤシキトナリ
一 竹田之原《タケタノハラ》 山城ノ竹田ノ里同所也
一 玉緒乎沫緒二搓而《タマノヲヲアハヲニヨリテ》 沫緒ハ緒ヲアハセテヨルナリ
一 老舌出而與余牟友《オヒシタイテヽヨヽムトモ》 老テ口タレ舌ノイツルヲ云也
一 一隔山《ヒトヘヤマ》 名所也
一 得飼飯而雖宿《ウケヒテヌレトモ》 イノリコトヲシテヌレトモ也ネタル也
一 僞毛似付而曾爲流《イツハリモニツキテソスル》 ニッカハシクスルト云也
一 吾者保抒毛友《ワレハホトケトモ》 ホトメケトモ也
一 木尚味挾藍諸芽等之練乃村戸二所詐來《キスラアチサヰモロチラカネリノムラトニアサムカレ|ケリ《・ケル》》 事不問【モノイハヌ也】木スラハ木也。味狹藍トは口ヲアチハヘテ物ヲ云ヤウナル也。モロチトハ妻戸ハ上下ニチノアル故ニ。ネリトハクルリトマハルトヲ云。村戸トハ御所ナトニハ四五間モツヽキテアルユヘニイフ。アサムカレツヽトハ戸ノナルヲトニ人ノクルヤトスカサレタリト云也
一 黒木之屋根《クロキノヤネ》 タゝ屋ナリ
一 路之長手《ミチノナカテ》 道ヲ行トテ手ヲフル事也
一 浦若見《ウラワカミ》 タヽワカキト云心也
 
萬葉第五
一 石木乎母刀比佐氣斯良受《イハキヲモトヒサケシラス》
一 伊毛乃美許等能阿禮乎禮婆《イモノミコトノアレヲレハ》
一 伊弊社可利伊麻須《イヘサカリイマス》
一 阿乎爾與斯久奴知許等其等美世麻斯母乃乎《アヲニヨシクヌチコトコトミセマシモノヲ》 アヲニヨソ我ハヨクハ也。クヌチハ國土ゴト/\クミセマシ物ヲト云心也
一 於伎蘇乃可是爾《オキソノカセニ》 人ノイキナリ
一 多爾伎利物知《タニキリモチ》 手ニヽキリモチタル也
一 志都久良宇如意伎《シツクラウチヲキ》 シツカニクラ《(ヲ脱カ)》キテ也
一 佐那周伊多斗乎《サナスイタトヲ》 戸ヲナラス也
(329)一 麻多麻提《マタマテ》 マコトニタマノヤウナル手ト云心也
一 多都可豆慧《ク《(タカ)》ツカツヱ 手ニトル杖也
一 許志爾多何禰提可由既婆《コシニタガネテカユキハ》 杖ニコシヲヤスメテカシコヘユクト也
一 意余斯遠婆《ヲヨシヲハ》 ヲヨソ也
一 阿良久毛《アラクモ》 アルモナリ
一 伊刀良斯弖《イトラシテ》 トラセ給テ也
一 意枳都布可延《オキツフカエ》 オキツハ枕言フカエハ名所也
一 宇奈可美乃胡布乃波良爾《ウナカミノコフノハラニ》 名所也。ウナカミハ海上也
一 久志美多麻《クシミタマ》 二石ノ名也
一 伊麻能遠都豆爾《イマノヲツヽニ》 ヲソヽトハウツヽナリ
一 多布刀伎呂可憐《タフトキロカモ》 タツトキ也。ロハ詞ノタスケ也
一 古飛斯宜志惠夜《コヒシキシヱヤ》 シヱヤハヨシヤナり
一 乎加肥爾波《ヲカヒニハ》 岡部也
一 波流加多麻氣弖《ハルカタマケテ》 マケテハカケテ也
一 伊米爾《イメニ》 夢ナリ
一 美也備多流《ミヤヒタル》 ウツクシキト云心也。閑麗閑ノ字ハカリヲモヨムナリ
一 等富都比等《トホツヒト》 遠人ナリ
一 和可由都流《ワカユツル》 ワカユハコアユ也
一 奈良遲那留志滿乃已太知《ナラチナルシマノコタチ》 奈良路ナル小嶋ト云所也
一 茶都良須等《ナツラスト》 ナハ魚也。ツラスハ魚ツル也
一 美多多志《ミタヽシ》 御立アル也
一 毛毛可斯母《モヽカシモ》 百日ト云也
一 奈爾可佐夜禮留《ナニカサヤレル》 サ|ヨ《(マヽ)》レルハサハレル也
一 故保斯苦《コホシグ》 コヒシク也
一 意久利麻遠忌弖《イクリマヲシテ》 ヲクリ申テ也
一 比等母禰能《ヒトモネノ》 人モ我モト云ナり
一 美麻知可豆加婆《ミマチカヅカハ》 ムカヘノ馬チカツカハ也
一 等乃斯久母佐夫志許米《トノシクモサフシコメ》 殿ニ居テサヒシキト云心也
一 麻乎志多麻波禰《マヲシタマハネ》 申タマハス也
一 美夜故能提夫利《ミヤコノテフリ》 都ノフルイマイト云。又ハ都ニテ手フレシ物ト云ナリ
一 阿良多麻能吉倍由久等志乃《アラダマノキヘユクトシノ》 アラタマノトシノキテヘユク也。引合テキヱユクト云也
一 阿我農斯能《アカノシノ》 我ヌシノ帝王ト申心也
一 美多麻多麻比弖《ミタマタマヒテ》 宣旨ヲタマハリテ也
一 ※[口+羊]佐宜多麻波禰《メサケタマハネ》 メシアケタマハネナリ
(330)一 路乃長手遠《ミチノナカテヲ》 道ノナカキ也
一 國乃意久加遠《クニノオクカヲ》 國ノオク也、カハ助言也
一 百重山《モヽヘヤマ》 名所也
一 等許自母能《トコシモノ》 霜ノトケタル也。マロフトモ云
一 伊奴時母能《イヌシモノ》 犬ノヤウニト云也
一 堅鹽《カタシホ》 燒鹽也
一 之可夫可比鼻毘之毘之爾志《シカフカヒヒヒシヒシニシ》 人ノアツマリムカヒサテ雜言スルヲ云。源氏ニハヒヽ|ヲ《・(ラカ)》ヰタリト云
一 可登阿良農比宜《カトアラ|ス《(ヌカ)》ヒケ》 カトモナクワロキヒケト云ヘリ
一 和和氣佐我禮流可可布能尾《ワワケサカレルカヽフノミ》 ワヽケハヤフレサカリタル也カヽフハツヽリノコト也
一 布勢伊保《フセイホ》 軒ノ土ニツクハカリイヤシキ家也
一 麻宜伊保乃《マキイホノ》 草ニテモカヤニテモ物一ニテ作タル家也。マロ屋同心也
一 伊等乃伎提《イトノキテ》 イトヽシク也
一 楚取五十戸良我許惠《タカノトルイトラカコヱ》 タカノトル鶉ノコヱ也
一 言靈能佐吉播布國等《コトタマノサキハフクニト》 コトタマハコトハ也、サキハフハ幸也
一 勅旨載持弖《ミコトノリノセモタシメテ》 綸旨ヲクヒニカクルコトヲ云也
一 神豆麻利宇志播吉伊麻再《カミツマリウシハキイマス》 神ツマリハ神アツマル也。ウジワキマスハウジノワクヤウニ海中ヨリ神ノワキ出給シ事ヲ云
一 船舳《フナヘ》【フネノハフネノヘ】 舟ノヘノ言也
一 大國玉《オホクニタマ》 ミワノ明神ノ御事也
一 阿遲可遠志《アチカヲシ》 チカシ也、アハ發言ナリ
一 知可能岫欲利《チカノ|イ《(マヽ)》キヨリ》
一 都都美無久《ツツミナク》 ツヽシミヲリ
一 紐解佐氣弖《ヒモトケサケテ》 ヒモヲトケハ兩方ヘサカルユヘニ
一 病遠等加弖《ヤマヒヲトカテ》 ヤマヒヲノソカヌト云心也
一 兒等遠宇都弖弖波《コトモヲウツテヽハ》 子トモヲウチステヽ也
一 可爾可久爾《カニカクニ》 トニカクニ也
一 許良爾佐夜利奴《コラニサヤリヌ》 子ニサハリヌナリ
一 麁妙能布衣《アラタヘノヌノキヌ》 フトクアラキ布衣也
一 七種寶《ナヽクサノタカラ》 七寶也
一 表者奈佐我利《ウヘニハナサカリ》 外ニハネシトサカル心也
一 三|技《・(マヽ)》之中爾乎禰牟《サキクサノナカニヲネム》 父母ノ中ニ子ノネタ|ハ《(マヽ)》三アレハサキクサノ中ト云
一 横風乃爾母布敷可爾《ヨコカセノニモシク/\カニ》 ヨコカセハ思ノ外ノコトヲ云。シク/\ハシキロ也ト云
一 立阿射里《タチ|《(アカ)》カサリ》 タチヤスラウ也
一 我《ワ》例|乞能米登《コヒノメト》 我コヒネカフ也
シタヘノツカヒ
一 之多敞乃使《シタヘノツカヒ》 冥途ノ使也
(331)一 阿麻治思良之女《アマチシラシメ》 登天。登霞。人ノ死スルハ天ニスラルヽコト也。故ニ天命ト云
 
萬葉第六
一 水枝指四時爾生有《ミツエサシシヽニオヒタル》 若枝也。人ノ子ヲミツコナント云カ如シ。シヽニハシケ/\也
 
一 毎年如是裳 年コトニカクモト云ナリ
一 味凍綾丹乏敷《アチコホリアヤニトモシク》 アチ|ヨ《(コカ)》リハヨキアヤト云心也
一 左日鹿野由《サヒカノユ》 糺《(紀カ)》伊ノ國名所也
一 立名附《タヽナツク》 タチツヽク也
一 跡見居置《アトミスヘヲキテ》 狩ニ鹿ノ跡ヲミスル事也
一 續麻成長柄《ウミヲナスナカラ》 長柄ノ豊崎ノ都也。ウミノナカキトツヽクル也
一 味經乃原爾《アチフノハラニ》 名所也
一 八十伴雄者《ヤソトモノヲハ》 アマタノ男也
一 黄土粉二《ハニフニ》 ツチナリ
一 御食都國《ミケツクニ》 帝王ノ供御ヲソナフル國也
一 名寸隅乃船瀬從《ナキスミノフナセニ》 名所也
一 松帆乃浦爾《マツホノウラニ》 名所也
一 手弱女乃念多和美手《タハヤメノオモヒタワミテ》 思入タル也。物思フ時ハ前ヘタハム也
一 船瀬濱《フナセノハマ》 名所也
一 下咲異六《シタウレシケム》 心ノソコニウレシキ也
一 櫻皮纒作流舟《カニハマキツクレルフネ》 カハノイロニイロトリタル舟也。カハマキノ舟トモ是ヲ申也
一 乏毳《トモシカモ》 オソロシキ也
一 伊奈美嬬辛荷之嶋《イナミツマカラカノシマ》 イナヒツマハイナト云嬬。カラ|カフ《(マヽ)》ハ我ニカラカフト云心也
一 都太乃細江《ツタノホソエ》 名所也
一 加我欲布珠乎《カヽヨフタマヲ》 波ニタヽヨフ貝ノ事也
一 韓衣服楢乃里之嶋松爾《カラコロモキナラノサトノシママツニ》 名所也
一 判竹之大宮人《サスタケノオホミヤヒト》 萬葉ニテハサス竹也。ヨニハサヽ竹也。竹ノ惣名也
一 隼人乃湍門《ハヤトノセト》 ハヤ人ハ武士ノハヤクサトシト云心也
一 湯原《ユハラ》 名所也
一 大汝小彦名《オホナムチスクナヒコナ》 ミワノ明神ノ御事也
一 名兒山跡負而《ナコヤマトヲイテ》 名所也
一 指進乃栗栖小野《サシスキノクルスノヲノ》 栗ノススノアミノコトクスキタルニソヘタリ。ストハ栗ノイカ也
一 五百隔山伊去割見賊守《イホヘヤマイリ《(マヽ)》サクミテアタマモル》 イホヘ山ハ名所也。アタ|ニ《(マカ)》モル異國ノ警固也
一 山乃曾伎野之衣寸《ヤマノソキノヽソキ》 山ノツヽキ野ノツヽキト云事也
一 件部乎班遣《トモヘヲワカチツカハス》 モノヽフノコトナリ
(332)一 一 丹管士乃《ニツヽシノ》 アカキツヽシ也
一 言擧不爲《コトアケセス》 是非ナク仰ニシタカフ也
一 奈凝委曲見《ナコリマクワシミ》 ナコリハノコリノ波也。マクワシミハクハシクミント云心也
一 直超乃此徑爾師弖《タヽコヱノ|コ《(マヽ)》ミチニシテ》 タヽコヘトハ津ノ國ノ山ヲコユルヲタヽ越ノミチト云也
一 大能備爾鴨《オホノヒニカモ》 大ノ日ノヽトカニテラス也
一 雨隱三笠《アマコモリミカサ》 雨ノクモリト云。又雨ノ内ニ笠ハコモル故ニ雨コモリカサト云也
一 燒刀之加度打放《ヤキタチノカトウチハナシ》 太刀ニテ岩ノカトヲモウチハナツトツヽケル也
一 大夫之?豐御酒爾吾醉爾家里《マス《(マヽ)》ヲノネクトヨミキニワレヱイニケリ》 マスラヲナレトモイハヒテノマスル酒ニ我ヱヒニケリト云也
一 茂岡爾《シケヲカニ》 名所也
一 御民吾生有驗《ミタラカノワレイケ|リ《(マヽ)》シルシアリ》 ヰノチ也
一 住吉乃粉濱之四時美開藻不見《スミヨシノコハマノシヽミアケモミス》 コハマノシヽミハシケミ也草木ノシケキホトニアクル|モ《・(マヽ)》ラスト云也
一 四八津之泉郎《シハツノアマ》 名所也
一 黄土爾保比而將去《ハ|マ《(ニカ)》フニホヒテユカン》 ニホヒテユカンハアソヒテユカン也
一 木尚妹與兄《キスライモトセ》 木ニタニメ木ヲ木トテアルニトヨメル也
一 春去者乎呼理爾《ハルサレハヲヽリニ》 アカリニアカルト云也。又高ニウツルトモ
一 多鷄蘇香仁《タケソカニ》 タケキコト也
一 弱女乃惑爾縁而《タヲヤメノマヨヒニヨリテ》 マトハル心也
一 馬自物繩取附肉自物《ウマシモノナハトリツケテシヽシモノ》 馬ノ|ツチ《(マヽ)》ニマトハレタル也
一 判並《サシナミシ》 サシナラフ也
一 牛吐賜《ウシハキタマヒ》 ウジワク也
一 風爾不合過草管見《カセニアハセクサツヽミ》
一 吾者眞子《ワレハマナコ》 オモヒ子ト云心也
一 大崎乃神之小濱《オホサキノカミノコハマ》 名所也
一 長門有奥津借嶋奧眞經而《ナカトナルオキツカリシマオキマヘテ》 借嶋ハ名所也。ナ《(マカ)》ヘテハアケテ也
一 四泥能崎木綿取之泥而《シテノサキユフトリシテヽ》
一 多藝乃野上爾《タキノヽウヘニ》 名所也
一 一重山 名所也
一 石鋼乃又變若反《イハツナノマタワカエツヽ》 石ツナハツタナリ。ワカエハワカクナル也
一 木晩※[穴/牛]皃鳥者《コ|ノ《(コカ)》クレカクレカホトリハ》 カホトリハムシハミトモ云ヨフコトリトモ云
一 海片就而《ウミカタツキテ》 ウミカケテ也
一 夕薙丹擢合之聲《ユフナキニカヽヒノコエ》 舟人ノウタノ聲棹歌ナリ
一 海石之鹽于乃共《アマイシノシホヒノムタ》 アマイシハ所ノ名。ムタハトモ也
一 味原宮《アチハラミヤ》 名所也。難波カ
一 八千桙之神御世自百船之《ヤチホコノカミノミヨヨりモヽフネノ》 オホナムシミワノ明神也
(333)一 千船湊大和太乃濱《チフネノトマルオホワタノハマ》 名所也
 
萬葉第七
一 明日之夕將照月夜者片自爾《アスノヨモテラスツキヨハカタヨリニ》 アスノ夜ノ月ヲ今夜ニカタヨセテテラセトネカヒタル心也
一 靱懸伴雄廣伎大伴爾《ユキカクルトモノヲヒロキオホトモニ》  ユギハヤ《(マヽ)》クイ也。伴雄ハ大伴ハ君ニツカフル武士也
一 佐檜乃熊檜隈河《サヒノクマヒノクマカハ》 伊勢名所也
一 湯種蒔荒木小田《ユタネマキアラキノヲタ》 ユタネハユタカニヨキタネト云心也。小田ハアラ田也
一 去來〓去河《イサ/\カハ》 イサ河名所也
一 白氣結瀧至《キリソムスヘル》 キリムスフハキリムセフ也瀧チユクタヽ瀧ノ行也
一 結八河《ユフハカハ》 名所也
一 渡秋《ワタルアキサ》 村鳥也
一 安志妣成《アシヒナス》 木名。アシヒサ|ヌ《(マヽ)》ハ大木也
一 琴之下樋爾《コトノシタヒニ》 コトノハラ也
一 薯蕷葛《サネカツラ》 草ノ名也。五味子トモ云
一 能野川石迹柏《ヨシノカハイハトカシハ》 石ノカトノアルヲ云
一 阿自呂人《アシロヒト》 アシロ守也。又アシロト云所アルカ
一 氏川爾生菅藻《ウチカハニオホルスカモ》 スケニ似タル草也。キビヨキ也
一 氏人之譬乃足自《・(マヽ)》我有者《ウチヒトノタトヘノアシワレヲレハ》 アシロハカリニスルモノナルユヘニ我身ニタトフル也
一 木積不來友《コツミコストモ》 アツマリコストモト云心也
一 千早人氏川《チハヤヒトウチカハ》 ミチハヤクウチイツルト云也
一 穿江水手鳴松浦舟《ホリエコクナルマツラフネ》 古ハツクシ舟ノ難波ニツキシ故ニ
一 陳奴乃海 名所也
一 圓方之湊之渚鳥《マトカタノミナトノストリ》 圓方湊ノ名所也
一 衣丹摺牟眞野榛原《キヌニスリケンマノヽハキハラ》 大和名所也
一 高嶋之三尾勝野之《タカシマノミヲノカチノヽ》 名所也。高嶋香取ノ浦モ有
一 可志振立而《カシフリタテヽ》 木ヲ立テ舟ヲツナクヲカシト云也
一 出入河《イテイリカハ》 名所也。未勘
一 事聽屋毛《コトユルスヤモ》 コトウケスルカト云也
一 足代過絲鹿乃山《アシロスキイトカノヤマ》 アシロヲスク絲トツヽクル也
一 安太部去小爲手乃山《アタヘユクヲステノヤマ》 布施引ニハスツルヤウニ思ヘキ故ニアタヘヒクヲステノ山トツヽクル也
一 神我手渡海部未通女等《カミカテワタルアマヲトメラ》 龍神ノ上ヲワタルト云心地
一 黒牛乃海紅丹穗經百礒城《クロウシノウミクレナヰニホフモヽシキ》 中海ニシテ上郎女房赤キハカマキテ舟アソヒサセ給ヲヨメル
一 興津梶漸漸志夫乎《オキツカチシハ/\シフヲ》 シフハ舟ノシフル也
一 夜中乃方爾《ヨナカノカタニ》 近江ノ名所也
(334)一 神前《ミワノサキ》 名所也
一 鴨翔所見《カモカケルミユ》 鴨カケルミユル也
一 風早之三穗乃浦《カサハヤノミホノウラ》 名所也
一 牡鹿之須賣神《シカノスメカミ》 筑紫ノ鹿島也。スメ神ハ社ヲツクリナラヘタル也
一 眞櫛用掻上拷島《マクシモテカキアクルタクシマ》 ハタヲル時櫛ヲモテ糸ヲカキアクル也。タクシマトツヽクルハイタクト云心也
一 竹島阿戸河《タカシマノアトカハ》 近江高島ノコト也
一 師努母川原《シノフカハラ》 名所也。シノフカ原也。野カ
一 他廻來毛《タモトオリクモ》 道ヲメクリキタル
一 衣針原《コロモハリハラ》 萩原也
一 山海石榴開八峯越《ヤマツハキサクヤツヲコエ》 椿ノサク八オコエテ也ヤツヲノツハキトヨメリ
一 鹿待君之伊波比嬬可門《シカマツキミノイハヒツマカモ》 狩人ノトモシスルニハ深山入トテ祝コトヲスルヤウニ君ニアハントイハフ故ニイハヒツマト云也
一 西市《ニシノイチ》【西京】尓但獨出而眼不並買師絹之商許里鴨《ニタヽヒトリイテヽメナラハスカヘリシキヌノアキシコリカモ》 ワロキ絹ヲカヒテコリタリト云心也
一 麻衣肩乃間亂《アサコロモカタノマヨヒ》 衣ノカタノヤフレタル也
一 八船多藝《ヤフネタキ》 多ノ舟ヲヒキアクルヤウニ人ニ心ヲツクスハクルシキト云心也
一 釼後鞘納野邇《タチノシリサヤノイルノニ》 太刀ノサヤニイルトツヽクルナリ
一 住吉波豆麻公《スミノエノハツマノキミ》 ハツマハ所ノ名也。ハツマト云所スミシ人也
一 馬乘衣《マソコロモ》 カラムシニテオル衣也
一 雜豆臈《サニツラフ》 カホヲ色トルサニツラフ同心也
一 奴《ヤツコ》 從類也
一 私田苅《シ|ノニ《(マヽ)》タカル》 人ニモシラレスハシメテスコシ田ヲカル也
一 池邊小槻《イケヘノヲツキ》 ツキノ木也
一 天在日賣菅原《アメニアルヒメスカハラ》 ヒメスカハラハ名所也アメニアル日トツヽクル也
一 引津邊在《ヒキツノヘナル》 ヒ|ツ《(マヽ)》キハ名所也
一 橋立倉椅山《ハシタテクラハシヤマ》 同川モアリ。丹後名所也
一 河靜菅《カハシツスケ》 水ニシツムスケ也
一 青|甬《・(マヽ)》髪依|細《・(マヽ)》原《アフミツラヨサミノハラ》 アヲミツラアヲキ物ニテヒシカツラヲユヒタル也。ヨサミノハラハ名所也。
一 江林次完也《ヱハヤシニヤトルシヽヤ》 江ニモ林ニモヤトルシヽト云心也
一 千名|各《・(マヽ)》《チナニハモ》 千人我名ヲタツルトモト云リ
一 人國山《ヒトクニヤマ》 名所也
一 橘島《タチハナノシマ》 ツクシノ名所也
一 河内女《カハチメ》 神也
一 嶋津《シマツ》 嶋ニスムアマ也
(335)一 玉令縁流《タマオホレヌル》 ソラオホレナリ
一 照左豆《テルサツ》 ヨキオトコト云也
一 陸奥之吾田多良眞弓《ミチノクノアタダラマユミ》 アタヽラヲネトテミチノクニヽアル所也
一 磐疊恐山《イハタヽミカシコキヤマ》 山ノタカキヲ云也
一 高圓草野 高キ人ノイトケナカリシ時シメササマシヲ今クヤシキトヨメル
一 土針《ツチハリ》 土萩也
一 眞珠付越菅原《マタマツクコシノスカハラ》 玉付ハ面白ト云也
一 眞鳥住卯名手神社《マトリスムウナテノモリ》 眞鳥スムトツヽクルニヨテ此鳥ノ鵜ト云説アレト但仙覺ハワシト也
一 白管眞野榛原《シラスケノマノヽハキハラ》 大和ノ名所也
一 伊左佐目《イサヽメ》 ※[斬/足]時也
 
一 向峯《ムカツ|テ《(ヲカ)》》 ムカヒノ山也
一 山治左能花《ヤマチサノハナ》 山チサト云木アル也
一 秋芽于自花實成《アキハキノハナヨリミナル》 ミノナルハ木ハキ也
一 大和乃也《ヤマトノヤ》 タヽ大和也。野ニハアラス
一 伏超《フシコエ》 昔ハ富士トアシタカ山ノアハイヲトヲリケルコト也
一 間守爾《ヒマモリニ》 昔ハクキカサキヲトヲリケルニ波ノヒマヲマモリテトヲリケルヲヒマモリトハ云。昔ノキヨミカセキ是也
一 紫之名高浦《ムラサキノナタカウラ》 紫ノ名タカキトホムル心也
一 殊放《コトサケ》 コトサケハコトハヲサクル也。言ヲ不用
一 邊着經時爾《ヘツカフトキニ》 舟ノヘタヨリイツル也
一 蜻野※[口+立刀]人懸者朝蒔《アキツノヲヒトノカヽレハマイテマク》 マイテマクハマ|ク《(ィカ)》リタキト云コトハ也
一 辟竹之背向爾宿之久《サキタケノソカヒニネシク》 サキ竹ノソカヒトハ竹ヲワレハウシロアハセニナルヲ云。ネシ|シ《・(マヽ)》ハ心ヨリネヌト云也
一 玉梓能妹《タマツサノイモ》 咒願ヲヨミテ山ニヲサムルコトヲ云也
一 海中爾鹿子曾鳴成《ウミナカニカコソナクナル》 鴨ノ子ノナク也
 
萬葉卷八
一 春山關之乎爲黒爾春菜※[手偏+余]《ハルヤマノセキノヲスクロニワカナツム》 春山ノセキノアタリノヤケノニワカナツム也
一 伊許自而《イコシテ》 ネコシテ也
一 國乃波多弖爾《クニノハタテニ》 國ノハテマテト云心也
一 打止佐保《ウチ|ナ《(マヽ)》クルサホ》 コマホコノサホ也
一 打霧之《ウチキラシ》 霞ノキリノヤウニ立也
一 霞立野上《カスミタツノカミ》 美濃名所也
一 戯奴之爲吾手母須麻爾《ワケカタメワカテモスマニ》 ワケカタメハ我タメ也。手モスマ|ン《(ニカ)》ハ手モヤスメ|ム《・(マヽ)》也
一 合歡木花《ネフノハナ》 カフカノ事也
一 和氣佐倍《ワケサヘ》 ワレサヘナリ
(336)一 五月玉《サツキタマ》 クス玉也
一 大城乃山 ツクシノ名所也
一 從此間鳴渡《コヨナキワタル》 コノアヒタコレヨリナキ|ソ《(ワカ)》タル也
一 由利登云者不謌二似《ユリトシイヘハウタハヌニニル》 ウタヲウタフニ聲ヲユリスヘヌレハ聲ノヒヽキヲ云也
一 伊可登《イカト》伊可登 伊ハ發語也。但門云也
一 望降《モチ|タ《(マヽ)》カケ》 望月ノカタフク也
一 我許來益武《ワカカリテ《(キカ)》マサム》 我モトヘキマサムト也
一 伊奈宇之呂《イナウシロ》 ウシロムキト云心也
一 玉〓之眞可伊毛我母《タマキノマカイモカモ》 タマヽキテウツクシキカヒモカナト云也
一 多夫手《タフテ》 ツフテ也
一 於毛也者《ヲモヤハ》 ヨモヤハ也
アヲハノヤマ
一 青羽能山《アヲハノヤマ》 若狹名所也
一 乎曾呂波《ヲソロハ》 ヲソキ也
一 射目立而《イメタテヽ》 メヲタテヽ也
一 吉名張乃猪養《フナハリノヰカヒノ》山 フナハリハ舟ノ内ニヨコサマニワタシタル木也。ヰカヒトツヽクルハ此木ニヰテカヒヲツカフユヘニ云。ヰカヒノ山名所也
一 秋付者《アキツケハ》 秋ニナレハト云也
一 宇加泥良比《ウカネラヒ》 ウカハ大鹿也。シカネラフカ
一 布將見《シキテミム》 シキリテミム也
一 然不有《タヽナラス》 イタツラナラヌ也
一 田廬《タフセ》 田守イホナリ
一 狹尾鹿乃胸別《サオシカノムナワケ》 鹿ノムネニテ草ヲワクルコトヲ云也
一 吾情都未《ワカコヽロツマ》 心ニ思フツマ也。心シメ同事也
一 容花《カホハナ》 カキツハタ也
一 大口能眞神之原《オホクチノマカミノハラ》 名所也
一 尾花逆葺《オハナサカフキ》 サカサニフク故ニ云也
一 沫雪保抒呂保抒呂《アハユキホトロホトロ》 ホトロ/\トハ雪ノフル時光ノアルヲ云
一 棚霧合《タナキリアヒ》 タナハ空也
一 此五柴《コノイツシハ》 イチヒノ木也
一 引攀折《シ《(マヽ)》キヨチヲル》ヒキタハメテオル也
 
萬葉第九
一 白崎者幸在待《シラサキハサキノアリマテ》 此所ハ面白ユヘニ幸アラハ又ミムト云心也
一 三名部鹿嶋《ミナヘカシマ》 紀伊國名所也
一 朝開《アサヒラケ》 アサホラケ也
(337)一 大我野《オホカノ》 大和名所也
一 木國之皆弓雄《キノクニノムカシユミヲ》 關守ニヨソヘタル弓ニ古詠スル也
一 響失《ナルヤ》 カフラヤ也
一 常之倍爾《トコシヘニ》 謌ハ仙人ヲヱニカキタルヲミテヨメル也
一 在衣邊《アリソヘ》 タヽ海ノ邊也
一 杏人濱 名所也
一 衣手乃名木之川《コロモテノナキノカハ》 衣ヲキルニモンノナミノヤウナル故ニ衣ノ手ノナミニヨソヘテナキトツヽクル也
一 巨掠乃入江《オホクラノイリエ》 宇治名所也
一 射目人《イメヒト》 夢ニミル人也
一 伏見河田井《フシミノカハタイ》 田家也。又田ノ井ヲモ云也
一 衣手高屋《コロモテノタカヤ》 衣手ヲヒキタツレハタカキトツヽクル也。高屋ハタカトノ
一 御食向南淵《ミケムカフミナフチ》山 旱魃ノ時彼川ハヤリ水アルヲ以テ供御ヲシケル故ニミケ向ミナ|ラ《(マヽ)》フチトツヽクル也
一 三川 東坂本ニアリ
一 足利思伐榜行舟薄高島之足速水門《アシリヲハコキユクフネハタカシマノアトノミナト》 イツレモ高崎ノ内ノ名所也
一 吾疊三重河原《ワカタヽミミヘノカハラ》 タヽミハ面ウラナカ三重ナル故ニ。三重ハカハラアル所也
一 夏箕爾傍爲而《ナツミニソイテヰテ》 川ソヒ行也
一 水長鳥安房爾繼有梓弓《ミナカトリアハニツキタルアツサユミ》 上總國四郡ヲトリテアハノ國ニツケタル故ニ。シカ《(マヽ)》ノ所ヲトルト云
一 末乃珠名者胸別之《スヱノタマナハムネワケノ》 スエノタマナハ名所也 ムネハケハ女ノムネノヒロキ也
一 鎰佐倍奉《カキサヘニ《(マヽ)》タレ》 カキサヘ女ニメテヽトラスルト云心也
一 金門爾円《カナトニ》 カキカネヨクシタル家ノ戸也
一 田菜不知《タナシラス》 タヽシラヌ也
一 得乎良布見者《トヲラフミレハ》 トヲクナルヲミレハ也
一 伊許藝※[走+多]相《イコキワシラヒ》 ムツヘル心也
一 世間之愚人《ヨノナカノシレタルヒト》 シヨセンナキ人ト云心也
一 由奈由奈波《ユナ/\ハ》 ヨナ/\ナリ
一 釼刀已心《ツルキタチサカコヽロ》 ツルキ太刀ハツハノサカ/\トアル故ニツルキ太刀サカトツヽクル也。サカハヲノレ也
一 級照片足羽川《シナテルヤカタアスハカハ》 カタヲキル所ニハ日ノ日ノヨクテラス也タカヲカ山ノ尺同心也
一 橿實獨《カシノミヒトリ》 カシノ木ニハ《(マヽ)》タヽミノ一ナルユヘニ
一 前玉之小崎池沼《サキタマノコサキイケ》沼《イケ》イ 武藏國名所也。サイタマノ郡ニ有
一 三粟乃中爾向有曝井之《ミツクリノナカニムカアルサラシヰノ》 三栗ノナカヲイハンタ|ノ《(メカ)》也サラシ井ハ名所也
 
一 遠妻四高爾《トヲツマシタカニ》 妻遠所ニヰタリトモカクレナキ所ナラハ尋テ行マシト云
一 許知期智《コチコチ》 コナタ/\也
一 暇有者魚津柴比渡《イトマアラハナ|シ《(ツカ)》サヒワタ《(マヽ)》》 タツサフ同心也。トリナルヽ也
一 嶋山乎《シマヤマヲ》 大ナル嶋ノ山ノヤウ也
(338)一 名負有杜爾風祭爲奈《ナニオヘルモリニカセマツリセナ》 杜ニハ神マセハ風吹ナハ風マツリセント也
一 衣手常陸《コロモテノヒタチ》 衣ノヱモンヲヒキタルユヘニ衣手ノヒタチトツヽクル也
一 今日爾何如將及筑波嶺《ケフヒニイカヽヲヨハムツクハミネ》 カヽヒノマツリノ心也
一 師村田井爾《シツクノタヰニ》 ツクハネノシツクノ田井名所也
一 新治乃鳥羽能《ニイハリノトハノ》淡海《アハヲ》《・アフミ》毛《モ》 イツレモ名所也
一 裳羽服津乃《モハキツノ》 名所也
一 通女|壯《・(マヽ)》之往集《ヲトメオトコノユキツトヒ》 カヽヒノマツリノ心也
一 加賀布※[女+燿の旁]歌爾《カヽフカヽヒニ》 カヽヒノマツリノ心也
一 目串毛勿見《メクシモミルナ》 メコヤト云心也。ウツクシヤト云也
一 男神爾雲立登《ヲノカミニクモタチノホリ》 男ノ神女ノ神トテツクハニ二ノ尾ノアル也。ソノオノカミ也。二ナミノツクハ山ト云
一 久志呂爾《クシロニ》 タマキヲ云
一 吾奥手爾《ワカオクテニ》 オクノ手トハ左ノ手也
一 ※[糸+刃]兒爾伊都我里座者《ヒヒノコニイツカリマセハ》 ヒモノコハ人ノ名也。イツカリハイツキカシツク心也
一 絶等寸笑《タユラキノ》山 名所也
一 牡《・(マヽ)》牛乃三宅之酒爾相向《コトウシノミヤケノサケニアイムカフ》 牛ノカスクヒテホユルハカシマ|キ《(マヽ)》也カシマニ向フ故ニミヤケノサケニ指向ト云。ミヤケノサケハ下總國也
一 滿乃登等美爾《ミチノトヽミニ》 シホノミチトヽマル也
一 松反四臂而《マツカヘリシヒテ》 松カヘリハ人ノ外ヘユキタルヲ歸ヲマツテ《(マヽ)》松ニソヘタリ。ソレヲ松カヘリト云。シイテハシイテ待也
一 麻呂等言《マロナ《(マヽ)》イハヽ》 イハヽコヨ也
一 三越道 三國ノ心也
一 吾子羽※[果/衣]天乃※[雨/(隹+鳥)]群 子ハツヽメハクヽメナリツルムラハムラツルナリ
一 白玉《シラタマ》之|人《ヒト》 玉ノヒカルトリヽクル也
一 辭緒不延《コトノヲノヘス》 コトハヲモノヘヌ也
一 田時乎白土肝向《タトキヲシラニキモムカフ》 タトキハタツキモシラヌ也。キモムカフハ村肝ノ心也。物ヲ思ヘハ肝ノキルヽ也
一 玉※[金+爪]《タマタスキ》 カクルタスキ也
一 神之三坂爾和靈乃《カミノミサカニニキダマノ》 神靈ヲイハフヲニキタマト云
一 父母賀成任爾《チヽハヽカナシノマニ/\》 ウミタルマヽノ子ト云也
一 箸向弟乃命《ハシムカフナセノミコト》 ハシムカフハ兄弟也。ナセノ命ハ弟ノ名也
一 味澤相《アチサハフ》 アチハフル也
一 直佐麻《ヒタサヲ》乎 ヒタアヲキ也
一 齊兒毛《イハヒコモ》 アヤニシキニテツヽメル兒ヨリモト云心也
一 田名知而《タナシリテ》 身ヲモシラテト云心也
一 小放爾髪多久《ヲハナチニカミタク》 オサナキ時イマタイハレヌホトノミカ《(マヽ)》ヲハナチノカミト云也
一 虚木綿《ソラユフ》 イトイフ也。遊絲
一 垣※[まだれ/戸]成人《カキホナスヒト》 人ニヘタテラルヽ心也
(339)一 智奴壯士《チヌオトコ》 チヌノ人也
一 酒須師競《ススシキヨヒテ》 スヽミキヲヒテ也
一 燒太刀手頴押禰利《ヤキタチノテカヒヲシネリ》 タカヒトハツカトモツハトモ云也。ヲシネリハヌカムトヲシヒネル也也。
一 完串呂黄泉爾《シヽクシロヨミニ》 鐶ノ古語也
一 牙喫建怒而如已男爾《キカミ|タチ《(マヽ)》ヒテモコロヲニ》 キカミハキ《(マヽ)》ヲカミテイカル也モコロヲハ同ト云古語也
一 負而者不有跡懸佩之小釼取佩《マケテハアラシトカケハキノヲタチトリハキ》 マケテハアラシトハマケシト云心也。カケハキハ釼ヲハキテ也
一 新裳如毛《ニイモノコトモ》 古ノ別ヲキヽテ今ノ別ノヤウナル故ニ新喪《・ニイモ》ノコトモト云
 
萬葉第十
一 佐豆人《サツヒト》 サトキ武士也
一 佐宿木花《サネギノハナ》 サカキノ花也
一 馬醉之花曾置末勿勤《ツヽシノハナソヲキニマモナキ》 花ヲミルニ南白キアマリ心ノヲキ所ナキ也
一 里得之鹿齒《サトヲエシカハ》 里ヘユキタ|ル《(リカ)》シカハ也
一 狹野方波《サノカタハ》 藤ノコト也。サネノカタキ故ニサノカタト云
一 伊都藻花《イツモノハナ》 藻也
一 田草引《タクサヒク》 手ニテ引草ト云。又田ノ草トモ云
一 雨|臍《・(マヽ)》《アマハリ》 空ノハルゝ也
一 雨間開《アマヽアケテ》 雨ノハレタル空也
一 春之在酢輕成野《ハルサレハスカルナルノ》 スカルスカリノトヒテナク也
ニホノオモ
一 丹穗面《ニホノオモ》 紅顔也
一 然叙手而在《シカソテニアル》 吾妻ヲ手ニゝキリタル心也
一 水良玉五百都集手《シラタマノイホツツト|モ《(ヒカ)》テ》 玉ノオホクアツマル也
一 干可太奴《カヽタヌ》 カコタヌ也
一 自古擧而之服《ムカシヨリアケテシコロモ》 衣ヲアケテカチワタリセシコトヲ云。イツモワタリタキ心也
一 稻目明去《イナメアケユク》 シノゝメノアクル也
一 有通出出乃渡《アリカヨヒテヽノワタリ》 アマタノワタリ也
一 具穗船 《クホフネ》 クミフネ也。アマタクミアハセテカサリタル舟也
一 旗荒本葉裳具世丹《ハタアラモトハモクセニ》 ハタアラシハ舟ニハタヲタテタルカスゝキニ似タル故ニハ|タ《(マヽ)》ラシト云。モトハモクセトハ葉ノクセミタルヲ云
一 久方乃大檢常弖《ヒサカタノアマシルシトテ》 空ノシルシ也
一 手寸十名相《タキソナヘ》 イタキテウヘタル也
一 國方可聞 イツクノ國ノカタソ也
一 阿跡念登夜渡吾乎《アトオモ|フ《(マヽ)》トヨワタルカ《(マヽ)》ヲ》 アト思ヘトハナニト思ヘトモ也。ヨワタルハ世ヲワタル也
一 秋田苅苫手搖《アキタカルトマテウコカシ》 トマテハナルコノナハ也
一 大坂乎吾越來者二上爾《オホサカヲワカコエクレハフタカミニ》 大坂二上イツレモ名所也
(340)一 灼然《イチシロク》 イチシルク也
一 大城山《オヲキノヤマ》 ツクシノ宰府也
一 吾《ワカ》松原 我アタリノ松原也
一 山司《ヤマツカサ》 山ノツヽキ也。岸ノツカサ同事也
一 吉魚張之夏身乃上爾《フナハリノナツミノウヘニ》 イツレモ名所也
一 笠立而《カサタテヽ》 仙未勘。スハノミサ山ニタツマト云花アリ。花紫ニシテ笠ノコトシ。ニホフコト甚シ。若是カ
一 舌日下《シタヒカシタニ》 樋ヲ山ニウツム也。此故ニシタヒ山ト云名所有
一 田爾墾《タニハリ》 田ヲツクルヲ云也
一 橘乎守部《タチハナヲモリヘ》 橘ノ實ナルヲマモル也
一 思草《オモヒクサ》 チカヤナり
一 秋就者水草花《アキツカハミクサノハナ》 スヽキ也
一 秋津葉《アキツハ》 トンハウ也
一 奉者《マタサハ》 ツカマツル也
一 湯小竹 イヒサヽ也
一 吉名張乃野木《フナハリノノキ》 フナハリハ名所也。ノキハ野ノ木也
 
萬葉第十一
一 新室壁草《ニイムロノカヘクサ》 家ヲ始テツクリタルカヤカキ也
一 新室踏靜子《ニイムロノフミシツカコ》 カヤヽヲ作テフミシツムルト云心也
一 手玉鳴裳《タタマナラシモ》 タマ也
一 長谷弓槻下《ハツセノユツキカシタ》 ユツキハツキノ木也
一 朝戸出公足結《アサトイテノキミカアユヒ》 アユヒハハヽキ也
一 天在一棚橋《アメニアルヒトツタナハシ》 天川ノハシ也
一 開木代來背若子《ヤマシロノクセノワカコ》 クセト云所ニスム女也
一 曲道爲《ヨキミチニセン》 ヨケル道也
一 公目尚《キミ|ヤ《(カカ)》メヲスラ》 君ニミエン心也
一 早敷哉誰障鴨《ハシキヤシタカサヘテカモ》 使ヲサヘタル也
一 年切及世《トシキハルヨマテ》 ヨハヒノキハマル也
一 朱引《アカラヒク》 アカモノ事也
一 告田何極《イテイカニキハム》 キハミハキハマル也
一 利心《ト《(マ )》コヽロ》 タケキ心也
一 玉久世《タマクセ》 名所也
一 垣※[まだれ/戸]鳴《カキホナル》 ヘタツル心也
一 ※[糸+刃]解開 下ヒモヲトキタル也
(341)一 百積船《モヽサカフネ》 米ヲ百石入タル船也。人ノムスメ母ニモシラレスシテ男ヲシタルヲタソトトヘトモイハヌ時此舟ヲカフセテセメトフ也
一 占判《ウラサシテ》 ウラトフ心也
一 路後《ミチノシリ》 ミチノ國也
一 ※[糸+刃]鏡 コホリヲチ云也。ムスフ故ニ申
一 千早人宇治《チハヤヒトウチ》 道ハヤク打出ル人ナリ
一 鴨河後瀬 ノチセハ末ノ瀬也
一 言出云忌忌《コトイテヽイハヽユヽシミ》 ユヽシムイム心也
一 受日鶴鴨《ウケヒツルカモ》 ウケヒハイノル心也
一 大舶香取海《オホフネノカトリノウミ》 香取ノウミ也
一 淡海奥嶋|仙《・(マヽ)》《アフミノウミオキツシマヤマ》 竹生嶋也
一 隱處澤泉《コモリツノサハイツミ》 サハニコモリタル水也
一 鳥《・(マヽ)》玉間開乍《ウハタマノヒマシラミツヽ》 ヒマシラミツヽハヒマアケテ也
一 天雲依相《アマクモノヨリアヒ》 天地ノ遠キ心也
一 妹命《イモカミコトヲ》 敬心也
一 知草人皆《シリクサノヒトミナ》 シリクサハ鷺ノシリサシ也
一 山萬※[草がんむり/臣]白露《ヤマチサノシラツユ》 山チサハイホタニ似タル木也
一 潮核延子菅《ミナトサネハフコスケ》 湊ニ根ノハフタル菅也
一 秋柏潤和川邊《アキカシハヌルヤカハヘ》 河ヘノ石ノヌレタルヲ云也
一 核葛後相《サネカツラノチアハント》 十方ヘハフ故也
一 衣手離而玉藻成《コロモテカレテタマモナス》 ナヒキテヌル心也
 
一 肥人額髪結《コマヒトノヒタイカミユフ》 高魔人也。又ハコエタルヲモ云又ハコマカニウツクシキヲ云也
一 染木綿《ソメユフ》 ソメユフハ紫ノ絲也
一 朝月日向黄楊櫛《アサツクヒムカフツケクシ》 クシハカミヲケツル時ワレニムカフ故也
一 事靈八十衢《コトタマヤソノチマダ》 人ノ詞ノオホカルヲ云也
一 獨寢等※[草がんむり/交]朽目八方綾席《ヒトリヌトコモクチメヤ|マ《(マヽ)》アヤムシロ》 文ノアル莚也
一 ※[人偏+回]俳往箕之里《タ《(マヽ)》トマリユキミノサト》 名所也
一 且戸遣《アサトヤリ》 朝ノ戸ヲアクル也
一 目之乏流君《メノホルキミ》 メノホル君ハ人ノ目ニミヘタキ也
一 言縁妻乎※[草がんむり/忘]垣《コトヨセツマヲアラカキ》 人コトノシケキヲヘタテヽミムト云心也
一 手握《タマキリ》 タマシヒヲゝトロカス也
一 戀之奴《コヒノヤツコ》 ヤツコハ戀ト云ヤツト云心也
一 左太多寸《サタオホキ》 人ニ沙汰セラルゝ也
一 今谷毛目莫令乏《イマタニモメナトモシメリ《(マヽ)》》 目カレセスミヨトノ心也
一 奥津浪敷而《ヲキツナミシキテ》 聞戀ノ心也
(342)一 朝影吾身者《アサカケニワカミハナリヌ》 カケノヤウニヤセタルト云心也
一 波禰※[草冠/縵]《ハネカツラ》 玉カツラ也。オサナキ時ノカツラ也
一 葛木之其津彦眞弓《カツラキノソツヒコマユミ》 ※[手偏+僉]テ云仁徳天皇后岩ノ姫ハカツラキノソツヒコムスメ也。然ハ弓ヲツクルニハアラス弓ヲヨクイケル人カ
一 燈之陰爾蚊蛾欲布《トモシヒノカケニカヽヨフ》 ウツクシクアサヤカナル姿也
一 小懇田之板田《ヲハリタノイタヽ》 名所也
一 置蚊火之《ヲクカヒノ》 カイヤカ下ノウタト|ナ《(オカ)》ナシ
一 天飛也輕乃社乃《アマトフヤカルノヤシロノ》 カルハカリカネ也
 神名火〓呂寸立《カミナヒニヒ|ト《(モカ)》ロキタテ》 ヒモロキハ玉カキ也
一 靈治波布神毛《タマチハフカミモ》 タマシヒヲチラス心也
一 二上爾陰經月《フタカミニカケロフツキ》 二上山ニカケロフ月也
一 月夜之《ツキヨノ》湯從去者《ユツロヘハ・ユフサレハ》 ウツロヘハナリ
一 雨乍見《アマツヽミ》 雨ツヽミハ雨ニアハシトテ留ル事也
一 猶預四手《タユタヒニシテ》 ヤスラフ心也
一 夕凝霜《ユフコリノシモ》 霜ノ夕コホルヲ云也
一 師齒迫《シハセ》山 名所也
一 玉蜻石垣淵《カケロフノイシカキフチ 里《(マヽ)》トツヽクル也。又岩カキヰヲヒトカヨフ故也
一 朝東風爾 朝ノ東風也
一 瀧千《タキチ》 タキツナリ
一 笠乃借手乃和射見《カサノカリテノワサミ》 笠ヲ作ル時下ニアクル物ヲ借手ト云。ワノアル故ニワサトツヽクル也
一 白細砂三津之黄土《シラマナコミツノハニフ》 ナニハノミツ也
一 風緒痛甚振浪《カセヲイタミイタフルナミ》
一 驛路爾引舟渡《ハイマチニヒキフネワタル》 ムマヤチノ事也。 引舟ハトモヘニ繩ヲツケタルヲ云
一 阿倍橘《アヘタチハナ》 柑子也
一 靡合歡木《ナヒキネフ》 ネフタノ木也
一 紅之淺葉 紅ノアサキトツヽクル也。武藏名所也
一 夏草之苅除十方《ナツクサノカリソクルトモ》 カリノクル儀也
一 鷄冠草花《カラアヒノハナ》 ツキ草也
一 翼酢色乃赤裳《ハネスイロノアカモ》 ハネスハ木蓮也
一 衣霜《コロモシモ》 霜ハヤスメ字也
一 弓東卷易中見判《ユツカマキカヘアテミレハ》 先ノ女ト今ノ女トヲミアハスル也
一 山河爾筌乎伏《ヤマカハニウケヲフセ》 筌ハウケ也
一 儲溝方爾《マケミソカタニ》 雨ニ池水ノマサル時ノヨケミソ也
一 日本之室原《ヒノモトノムロフ》 ムロフ名所也
一 三名乃幾許《ミナノコヽタタ》 名所也。オホク戀心也
 
(343)萬葉第十二
一 思許理來目八面《シコリコメヤモ》 シキリナル心也
一 多本纒宿登《タモトマケヌト》 人ニアフ心也
一 枕毛衣世二《マクラモソヨニ》 枕ニ泪ノヲツルカ聞ユルホト也
一 妹登曰者無禮恐《イモトイヘハナヘテカシコシ》 ナヘテナラス善ト云心也
一 玉勝間相《タマカツマアハム》 タマクシケ也。又ハ櫛ヲモ云也
一 幻《・(マヽ)》婦者《サヲトメハ》 著キ心也
一 緑兒之《ミトリコノ》爲|杜乳母《モリメノト》 モリメノトノ事也
一 各寺《ヲノカシ》師 ヲノレ/\ト云心也
一 海石榴市《ソ《(ツカ)》ハイチ》 名所也
一 桃花褐淺等乃衣《モヽノハナアサキラノキヌ》 桃ニテ染タルキヌ也
一 大王之鹽燒海部《オホキミノシホヤキアマ》 勅ヲ蒙テ鹽ヲヤキシ故也
一 赤帛之純裏衣《アカキヌノスミウラコロモ》 ウラヲモテアカキ衣也。何色ニテ|二《(モカ)》表裏同ヲ云也
一 三諸乃犬馬鏡《ミムロノマスカヽミ》 神躰ヲ申也
一 釼太刀名之惜毛《ツルキタチナノヲシケクモ》 太刀ナヒクトツヽクル也
一 續麻之多田有《ウミヲノタヽリ》 タヽリトハ風ニ懸《(マヽ)》ヘタルヲ云也
一 白香付木綿《シラカツクユフ》 イフックルト云心也
一 何時之眞枝《イツノサネキ》 榊葉也
一 上爾種蒔《アケニタネマキ》 アケハ水ノナキヲカノ心也
一 如神所聞瀧《カミノコトクキコユルタキ》 鳴神ノコトクニキコユル瀧也
一 面知者之《ヲモシルキミノ》 ムカシニクキ人ヲ云也
一 洗衣取替河《アラヒキヌトリカヘカハ》 衣ヲ取カヘ/\アラフ心也
一 〓目山《イタメヤマ》 熊野也
一 意具美《コヽロクミ》 心クム也
一 五更之目不醉草《アカツキノメサマシクサ》 ツレ/\草也
一 白檀斐太乃細江《シラマユミヒタノホソエ》 引トツゝクル心也
一 菅鳥《スカトリ》 スカ鳥ハ巣鳥也
一 紫者灰指物曾海石榴市《ムラサキハハイサ|フ《(スカ)》モノソツハイチ》 椿ソアクヲサスト云心也
一 山岫《ヤマノクキ》 岩屋ノヤウニアル處也
一 玉勝間安部嶋山《タマカツマアヘシマヤマ》 タヤクシケアフト云心也
一 浦廻榜能野舟附《ウラハコクヨシノフナツキ》 吉野ハ出雲國也
一 松浦舟亂穿江《マツウラフネミタルホリエ》 筑紫舟難波ニ付ヲヨメル也
一 玉勝間嶋熊《タマカツマシマクマ》山 櫛ノハノシケキトツヽクル也
(344)一 明日從者將行乃河《アスヨリハイナムノカハ》 猪野ノ河也
一 贖命者《アカフイノチハ》 イノル事を云也
ウチシケメヤモ
一 打四鷄目八方《ウシシケメヤモ》 ウキ心也
一 八十梶懸 八十ノ梶也
 
萬葉第十三
一 樹奴禮我之多《コヌレカシタ》 梢ノ下也
一 浦妙山《ウラクワシヤマ》 クハシクウソクシキ也
一 霹靂之日香天《カミトケノヒカルミソラ》 ナルイカツチ也
一 三田屋乃垣津田《ミタヤノカキツタ》 田ノメクリニ垣ヲシタルヲ云也
一 秋赤葉眞割持小鈴文|田《・(マヽ)》良爾《アキノモミチハマサケモチヲスヽモユラニ》 紅葉ヲ鈴ノヤウニサケ持タルヲ云也
一 引攀而《ヒキヨチテ》 ヒキタハメテ也
一 靜《(マヽ)》榜入來 イソキヽヲイコ|ヨシ《(マヽ)》
一 葦原笑水穗之國《アシハラノミツホノクニ》 ミツホトツヽクルハタカンナノ樣ニアシノホモエ出タルヲ云也。芦芽
一 生多米難石枕《イキタメカタキイシマクラ》 イキノヤスムマモナ《・(キ脱カ)》心也《アシアシ》(マヽ)
一 新夜 兩僞也
一 五十申立神酒座奉《イクシタテミワスエマツル》 神ニ酒ヲ奉也
一 帛※[口+立刀]|楢《・(マヽ)》從出而《ミテグラヲナラヨリイテヽ》 釆葉ニアリ
一 礪津宮地《トツミヤトコロ》 遠キ内裏也
一 朝日奈須目細毛《アサヒナスマクワシモ》 朝日ノ窓ニ入時ハ目モ取ムカハヌ心也
一 花橘乎末枝爾毛知引懸《ハナタチハナヲホスエニモチヒキカケ》 郭公ヲモチニテ取ント云心也
一 春山之四名比盛《ハルヤマノシナヒサカヘ》 春ノ木草ノミル/\品/\トアルヲ云也
一 釼刀鞘從拔出而伊香胡《ツルキタチサヤ|ニ《(マヽ)》ヌキイテヽイカコ》山 ヌキタル時イカメシキヲ云心也
一 百岐年三野之國《モヽクキネミノヽクニ》 小峯ノアマタアルヲ云也
一 一處女等之麻笥垂有《ヲトメラカヲケタレタル》 ヲコケ也
一 月夜見乃持有越水《ツキヨミノモチコセルミツ》 月ハ人間ノ水ノセイヲ持故ニ天ヘ水ヲトリアケ給ト云心也 
一 大舟能思憑《オホフネノオモヒタメル》 波風チモイタマハヌ心也
一 久堅之王都乎《ヒサカタノミヤコヲ》 久キ方ノ都也
一 事靈之所佐國《コトタマノタスクルクニ》 コトタマハ詞也
一 夏麻引命乎貯《ナツヲヒクミコトヲツミテ》 アサヲ引時ミノナル事ヲソ、クル也
一 思足椅《オモヒタラハシ》 思ノコスコトナキ也
一 眉隱氣衝渡《マ|カ《(マヽ)》フエコモリ|イ《(マヽ)》テツキワタリ》 虫ノマユノ内ヲイテヽイツカイキツカントノ心也
一 味酒乎神名火山《ウマサケヲカミナヒヤマ》 唐ニハオホクノ人ヲアツメテ米カマセテ酒ニツクル故也
一 登能陰《トノクモリ》 タナクモリト同事也
(345)一 大口乃眞神之原《オホクチノマカミノハラ》 大口ハ上ヲノムトツヽクル也ノムハカムト同事也
一 判將燒小屋之四忌屋爾《サシヤカムコヤノシキヤヤニ》 人ノ枕ニセンスル我手ヲシキテネタルハ鬼ノ手ヲシキテネタルカ如ニウトマシキ心也。シキヤハ草ニテ作リタル家ナリ。セハキ家也
一 赤根判晝者終爾《アカネサスヒルハシミラニ》 ヒメモスニノ心也
一 此床乃比師跡鳴左右《コノトコノヒシトナルニ《(マカ)》テ》 海中ノ須ト云心也
一 浪雲乃愛妻跡《ナミクモノウツクシツマト》 波モ雲モ共ニイツクツキト云心也
一 吾嗟八天嗟《ワカナケキヤソノナケキ》 八ノ坂ヲ越テキヌレハ苦ト云心也
一 峯之手折丹射目立《ミネノタヲリニイメタテヽ》 ミネノタヲリハ平ニヒチヲリテアル處ニセコ入ヨト云心也
一 床敷而《トコシキテ》 トコシナヘナル心也
一 事者棚知 タナトハ空ヲ云。空ニシラルヽトモト云心也
一 左奈葛後毛相得《サナカツラノチモアハント》 サネカツラ也、十方ヘハフ心也
一 菅根之根毛一付三向凝呂爾《スカノネモコ|ミロ《(マヽ)》コロニ》 スケハ根ノ一スチツヽアル故也
一 言之禁毛《コトノイミモ》 タヽリアラスナト云心也
一 倭父|弊《・(マヽ)》乎《シツヌサヲ》 ヌサヲトリシツムル心也
一 御佩乎釼池之《ミハカシヲツルキノイケノ》 御ハカセノ劔トツヽクル也
一 夷離國治爾《ヒナサカルクニヲヲサメニ》 ヒナハナルトモ又ハヒナノサカレトモ兩儀也。國ヲサメハ國司也
一 妹之正香爾《イ|キ《(モカ)》カマサカニ》 寢所ヲ云。又ハ住所也
一 打久津三宅乃原《ウツクツノミヤケノハラ》 クツニミヲイルヽト云心也。又クツヲツクルヲハ打ト云也
一 夏草乎腰爾魚積《ナツクサヲコシニナツミテ》 草ノ深ヲ分ルヲ云也
一 日本之黄楊乃小櫛《ヒノモトノツケノヲクシ》 大和國ニ日ノ本ト云所ニテクシヲヒク故也
一 行取左具利《ユキトリサクリ》 ヤナクヰヲコシニツクル心也
一 志乃岐羽矣二手挾《シノキハヲフタツタハサミ》 タカノハニテハキタル上矢ヲ云也
一 年乃八歳※[口+立刀]鑽髪 女コハ八歳ニテ髪ヲソキ始ルヲ云也
一 幾許雲《コヽタ|タ《(クカ)》モ》 ソコハクノ心也
一 川瀬之石迹渡《カハセノイシトワタリ》 岩トハ岩ノカト也
一 次嶺經《ツキネフル》 山代ト大和ノ峯ツキヲ行心也
一 日足座而十五月之《イヒタ|ヲ《(ラカ)》マシテモチツキノ》
サスヤナ
一 判楊板張梓矣《サスヤナキネハルアツサヲ》 柳ハサセハ根ノツク故也
一 雪穗麻衣服者《ユ|ヘ《(キカ)》ノウヘニアサキヌキルハ》 サウレイノ時ノ白衣
一 城於道從《キノウヘチヨリ》 キノ上名所也
一 展轉土哭抒母《コヒマロヒヒツチナケトモ》 ヒツチナケトモハモタヘコカルヽヲ云
一 百小竹之三野|玉《・(マヽ)》《モヽサヽノミノヽオホキミ》 モヽサヽハ多ノサヽヲ云。ミノトハサヽノミノトツヽクル也。ミノヽ王ト云人有
一 金厩立而飼駒|甬《・(マヽ)》厩《ニシノムマヤタテヽカウコマヒンカシノムマヤ》 東ハサマレウ西ハウマレウ
一 衣袖大分青馬《コロモテノアシケノムマ》 衣手ノ白心ヲツヽクル也
一 山隨如此毛現《ヤマノマニカクモウツナヒ》 ウツナヒハウツヽナキ心也
(346)一 且名伎爾水|干《・(マヽ)》之音《アサナキニカコノヲト》 舟コク音也
一 納潭矣枕丹卷而《イルフチヲマクラ〓マキテ》
一 天雲乃行之隨爾所射完《アマクモノユキノマニ/\イルシヽ》 シヽヲイルニタトフル也
一 君之佩具之投箭《キミカヲヒコシナクヤ》 ヤナクヰヲ云也。又ハ矢ヲ放ツ時ナクルヤウナルヲ云
一 琴酒者《コ《(マヽ)》サケハ》 アハセスハノ心也
 
萬葉第十四
一 奈都素妣久宇奈加美《ナツソヒクウナカミ》 ヲヽ引テウムト云心也
一 麻萬能宇良未《マヽノウラマ》
一 筑波禰乃爾比具波麻欲《ツクハネノニヒクハマヨ》 ツクハネハクハコノ在所也
一 伊奈乎可母《イナヲカモ》 サモナキニト云心也
一 爾努保佐流可母《ニノホサルカモ》
一 阿良多麻能伎倍乃波也之《アラタマノキエノハヤシ》 年ヘアラタマリタル事ヲ云也
一 由伎可都麻思自《ユキカツマシヽ》 雪ノフリツム也
一 移乎佐伎《イヲサキ》 名所也
一 和多佐波太《ワタサハタ》
一 伊毛我乎抒許爾《イモカヲトコニ》 夜床ノ事也
一 等伎由都利《トキユツリ》 時ウツリノ心也
一 佐奴良久波《サヌラクハ》
一 於思敞《ヲシヘ》
一 乎弖毛《ヲテモ》
一 可奈流麻之豆美《カナルマシツミ》 カナルハ鈴也。マシツミハ眞ニシツメヨ也
一 見所久思《ミソク|モ《(シカ)》》 見スクス心也
一 安乎禰思奈久《アヲネシナク》 ワレヲネナクト云心也
一 麻都之太須《マツシタス》 隙モナキ也
一 美胡思能佐伎《ミコシノサキ》 イナムラカサキ也
一 伊波久叡《イハクエ》 岩|ツタ《(クツカ)》レ也
一 安之我良乎夫禰《アシカラヲフネ》 足カロキ舟也。アシハヤ舟ニ同
一 阿之我利《アシカリ》 足柄也
一 多欲良爾《タヨラニ》 ユタカナル心也
一 安是加麻可左武《アセカマカサム》 ナトカ枕ニセラレント云心也
一 爾古具佐能波奈都豆麻《ニコクサノハナツヽマ》  ニコクサハ花モナキ草也。ツヽミテハナサカヌト云心也
一 久毛利欲能阿我志多波倍乎《クモリヨノアカシタハヘヲ》 下ハヘハシタヨハフ心也。クモリヨハクモル夜也
一 武藏野爾宇良敞可多也伎《ムサシノニウラヘカタヤキ》 鹿ノカタヲヌキテ占ヲスル事也
(347)一 麻左弖爾毛《マサテニモ》 マサシキ心也
一 乎具奇我吉藝志《ヲクキカキケシ》 ヲクキハ小峯也
一 久佐波母呂武吉《クサハモロムキ》 草ノアナタコナタヘシタレタル也
一 伊利麻治《イリマチ》 入間川也
一 伊波爲都良《イハイツラ》 井草也
一 奈都蘇妣久宇奈比《ナツソヒクウナヒ》 ウナヒハ名所也
一 禰呂爾可久里爲《ネロニカクリイ》 カクレヰ陰居タル也。ネロハ峯也
一 和禮爾余須等布《ワレニヨストフ》 我ニシラセヨ也
一 麻末乃於須比《マヽノヲスヒ》 マヽノツヽキ也
一 可豆思加和世乎爾倍須《カツシカワ|ヨ《(マヽ)》ヲニヘス》 ヨキ稻池
一 筑波禰爾可加奈久和之《ツクハネニカヽナクワシ》 カヽナクハ寒キ鷲ト云心也、
一 左其呂毛能乎豆久波禰呂《サコロモヲツクハネロ》 衣ノヲトツヽクルハヒモ也。ヲツクハヽ小筑波禰也。
一 泰比太欲波佐波大爾奈利奴《アヒタヨハサハタニナリヌ》 人ニアヒタキ世ノアマタ夜ヲカサヌレトモアハヌ心也
一 多都登利能目由可《タツトリノメユカ》 鳥ノ目ノヤウニモアラハヤノ心也
一 伊麻能波里美知可里婆禰爾《イマノハリミチカリハネニ》 ハリミチハ土ヲヽキタル道也ヤリハネハヤリクヰ也
一 中麻奈爾宇伎乎流布禰《ナカマナニウキヲルフネ》 中マナハ河《(マヽ)》ノ中|嶋《(マヽ)》也
一 可伎武太伎《カキムタキ》
一 乎度能多抒里《ヲトノタトリ》 ヲトハ名所也。タトリハ田作ル人也
一 可美都氣努麻具波思麻度爾《カミツケノマクハシマトニ》 高キマトニ日ノカヽヤキイツルヲ云
一 伊香保呂《イカホロ》 上野ノイカヲノ峯也
一 可奴麻豆久《カヌマツク》 沼ニツク心也
一 比等登於多波布《ヒトヽヲタハフ》 雲ノ人ノ手ヲサシノフル樣也
一 蘇比乃波里波良《ソヒノハリハラ》 山ツヽキノ萩原也
一 多胡能禰爾與西都奈《タコノネニヨセツナ》 ワレヨリモサル人ナレハ思ツクモコトハリナル心也
一 久受葉我多《クスハカタ》 クスノ葉ノヤウニカカホノマロクイツクシキヲ云也
一 奈美爾安布能須《ナミニアフノス》 波ニアフヤウナル心也
一 夜左可能爲根爾《ヨサカノイネニ》 名所也。ヰ關ヲ申也
一 宇惠古奈伎《ウエコナキ》 セリニ似タル草也
一 於奈爲具佐《ヲホイクサ》 大キナルヰ草也
一 於毛比度路《ヲモヒトチ》 ヲモ|ヒト《(マヽ)》ヽ云心也
一 久麻許曾之都《クマコソシツ》 ヒマノシツカナル心也
一 許奈良能須《コナラノス》 コナラノ木也
一 蘇良由登伎奴與《ソラユトキヌヨ》 空ヲ飛ヒコヨトノ心也
一 筑紫奈留爾抱布兒《ツクシナルニホフコ》 ウツクシキ女也
(348)一 比古布禰《ヒコフネ》 引舟也
一 斯利比可志母與《シリヒカシモヨ》 トモヘニ繩ヲ付テ引舟也
一 和乎可鷄夜麻能可都乃木《ワヲカケヤマノカツノキ》 カツノ木ハ木ノ切カフ也。オノタツキヲワト云也。
一 可豆佐可受等母《カツサカツトモ》 木ヲワリサクコトヲ云也
一 許太流木乎《コタルキヲ》 松ノ木ヲ云也
一 比多敞登於毛敵婆《ヒタヘトヲモヘハ》 ヒトヘトヲモヘハナリ
一 志良登保《シラトホ》 遠白ニ面白心也
一 安多太良末由美波自伎於伎弖《ア|ラ《(タカ)》ヽラマユミハシキヲキテ》 弓ヲ作テヲキテ也
一 都良波可馬可毛《ツラハカメカモ》 ツルハ|ケ《(マヽ)》メヤモト云心也
一 可牟思太《カムシタ》 名所也
一 波由馬宇馬夜《ハイマウマヤ》 ハイマハ早馬也
一 都追美井《ツヽミイ》 驛使ニノマスル水ヲハツヽミテヲクユヘ也
一 余知乎曾母弖流《ヨチヲソモテル》 ヲナシホトノ人ノコト也
一 安豆麻治乃手兒乃欲妣左賀《アツマチノテコノヨヒサカ》 ウスイ山。又ハウツノ山ヲモ云
一 宇良毛奈久《ウラモナク》 心モナクト云心也
一 久君美良《クヽミラ》 ニラノ莖立ヲ云也
一 等許乃敞太思爾《トコノヘタシニ》 床ノヘタテ也
一 都可布河泊豆 川門《カハト》ハ川ノハタノヰ也
一 安努奈由可武《アノナユカム》 アノハ親也
一 乎那能乎能比自爾都久麻提《ヲナノヲノヒシニツクマテ》 ヲナノヲハ同ヤウナルミネ也ヒシハ海ノスヲ云也
一 乎久佐乎等《ヲクサヲト》 草カルオトコ也
一 古麻波多具等毛《コマハタクトモ》 馬ニノル時ハイタクヤウナルヲ云也
一 多母登乃久太利《タモトノクタリ》 袂ノスソエオ云也
一 安佐提古夫須床《アサテコ|ソ《(フカ)》スマ》 床ノ衾也
一 可伎都楊疑《カキツヤキ》 垣ニ生タル柳也
一 宇都世美能夜蘇《ウツセミノヨソ》 空蝉ノヨトツヽクル也
一 夜麻等女《ヤマトメ》 大和ニ妻ヲヽキテ我ハ都ニヰテヲモヒヤルウタ也
一 伊禰都氣波可加流安我手乎《イネツケハカヽルアカテヲ》 我手チ枕ニナス心也
一 爾布奈美爾《ニフナミニ》
一 眞日久禮弖《マヒクレテ》 日暮テノ心也
一 夜末佐波妣登《ヤマサハヒト》 ヲヽキ人ヲ云也
一 麻等保久野《マトホクノ》 間遠野也
一 美奈可《ミナカ》 里ノ眞中也
一 麻乎其母能於夜自麻久良《マヲコモノヲヤシマクラ》 蒲ノ同枕也
(349)一 己許呂乃緒呂爾《コヽロノヲロニ》 心ノ尾ト云義也
一 伊米能未爾《イメノミニ》 夢ノ身也
一 安乎禰思奈久流《アヲネシナクル》 ナクト云心也
一 刀奈里乃伎奴乎可里弖《トナリノキヌヲカリテ》 主ノアル女ヲミタルハ隣ノ絹ヲカルカ如シト云心也 
一 等抱可騰母《トホカトモ》 遠キ心也
一 禰毛等可兒呂賀於由《ネモトカコロカヲユ》 山ノ尾|上《(土カ)》也
一 宇惠太氣能毛登左倍登與美《ウヱタケノモトサヘト|ネ《(ヨカ)》ミ》 竹ヲ植ル時ハ本末ノ動ヲ云也
一 宇倍兒《ウヘコ》 ウヘハマコト心也
一 多刀都久能努賀奈敞《タトツクノノカナヘ》 月日ノ立去心也
一 故奈乃思良禰 越ノシラネ也
一 阿抱思太毛《アホシタモ》 逢時ノヒマ也
一 安波乃敞思太毛《アハノヘシタモ》 アハヌ間ノ心也
一 茶爾已曾與佐禮 汝ニコソヨレト云心也
一 安利伎奴《アリキヌ》 アリノマヽノ絹也
一 須蘇乃宇知可倍 衣ヲカヘス心也
一 家思吉已許呂《ケシキコヽロ》 ケシカラヌコト心也
一 須素能宇知可比《スソノウチカヒ》 ウチカヒハカサナル心也
一 禰泰敞乃可良 ネヌト云心也
一 許等多可利《コトタカリ》 事タカヒタル心也
一 遠家爾布須左《ヲケニフスサ》 フスサハヲヽウミヲク心也
一 由豆加奈倍麻伎《ユツカナヘマキ》 ユミノツカヲナラヘマク心也
一 母許呂乎《モコロヲ》 モロトモニヲトコ也
一 伊夜可多麻斯爾《イヤカ|カ《(タカ)》マシニ》 一方ニ心ヲ引ヲ云也
一 安豆佐由美須惠爾麻末吉《アツサユミスエニ《(マヽ)》マヽキ》 銀ハスノ弓也
一 可久須酒曾《カクスヽソ》 カクノコトクト云心也
一 於久乎可奴加奴《ヲクヲカヌカヌ》 ノチヲカヌルト云心也
一 於布之毛等許乃母登夜麻乃《ヲフシモトコノモトヤマノ》 シモトヲコノミオフ心也。コノ本山ハ名所也
一 麻之波爾毛能良奴《マシハニモノラヌ》 眞柴ノ占ト云コト也
一 可多爾伊弖牟可母《カタニイテムカモ》 鹿ノカタヲヌキテ占ヲスル事アリ
一 之牙可久爾《シケカクニ》 シケキ處ト云心也
一 左禰度波良布母 サネハ禰ハヤト云心也
一 安豆左由美欲良《アツサユミヨラ》 弓ヲ引時ハ本末ノヨル心也。ヨラハ名所也
一 泰乎波思爾於家禮《ナヲハシニヲケレ》 汝ヲハシニヲクト云心也
一 四比乃故夜提《シヒノコヤテ》 椎ノ小枝也
(350)一 安比波多家波自《アヒハタケハシ》 椎ノ枝葉ノシケキ心也
一 加敞流弖能毛美都《カヘルテノモミツ》 楓ノ紅葉也
一 伊波保呂乃蘇比《イハホロノソヒ》 巖ノツヽキ也
一 宇良毛等奈久文《ウラモトナクモ》 心本ナクト云儀也
一 多知波奈乃古婆乃波奈里《タチハナノコハノハナリ》 橘ノミル/\トワカキヲ云也。ハナリトハ女ノヲサナキヲ云也
一 禰自路多可我夜《ネシロタカヽヤ》 水ニ洗テ根ノ白ヲ云也
一 左宿佐寐弖許曾《サネサネテコソ》 妻ニアヒテノチ思出ル心也
一 根夜波良古流氣《ネヤハラコスケ》 ネノヤハラカナル菅也
一 佐禰加夜能麻許等《サネカヤノマコト》 サネ/\トヨキカヤ也
一 奈其夜波禰呂等《ナコヤハネロト》 ナコヤカニネヨトノ心也
一 牟良佐伎波根乎可母乎布流《ムラサキハネヲカモヲフル》 根ヨリオフル也
一 宇良我奈之家乎《ウラカナシケヲ》 イトヲシケナル心也
一 禰乎遠敞奈久爾《ネヲヲヘナクニ》 ヌル事ノトケヌト云心也
一 安波乎呂能乎呂爾於波流《アハヲロノヲロニヲハル》  沼ニ草ノ生タルヲアラハ《(マヽ)》ト云。アハヲロモ同。ヲロ田ハヲロカナル田也
一 多波美豆良《タハミツラ》
一 和我目豆麻《ワカメツマ》 目シメニ人ヲヽモフ心也
一 安佐我保熊等思《アサカホノトシ》 朝カホノヤウニ年ノサカリニウツクシキ人也
一 志保悲乃由多《シホヒノユタ》
一 波大須酒伎《ハタスヽキ》 ハタノ手ニ似タルト云心也
一 芝付乃御宇良《シハツキノミウラ》 相摸ノ國ノ三浦也
一 根都古具佐《ネツコクサ》 芝ノヤウニ針ノヤウナル草也
一 之良夜麻可是能宿奈敞抒母《シラヤマカセノネナヘトモ》 風ノ吹居タルヲ云也
一 古呂賀於曾伎《コロカヲソキ》 薄絹也
一 爾曾里都麻《ニソリツマ》
一《イ余》 爾努具母《ニノクモ》
一 久毛能都久能須《クモノツクノス》 クモノツクノスハ雲ノツク也
一 阿我於毛乃和須禮牟之太波《アカヲモノワスレムシタハ》 アカヲモノハ我面影也。ワスレンシタハワ《・(ス脱カ)》レムヒマ也
一 久爾波布利《クニハフリ》 クニハフリハ國ヲコエテワタル心也。雲ニモ風ニモアルヘシ
一 對馬能禰《ツシマノネ》 クニノツシマ也
一 可牟能禰《カムノネ》 名所也
一 可努麻豆久比等曾於多波布《カヌマツクヒトソヲタハフ》 カヌマツクハ沼ニ雲ノ付也。深田ニ人ノ手ヲヒロケテソフト云心也
一 奈我波伴爾已例安波由久《ナカハヽニコレ《(マヽ)》アハユク》 汝カ母ニコラサレテ青雲ニナルマテ遠クユク心也
一 於毛可多 面影也
一 於抱野呂爾《オヲノロニ》 大ノーラシ《(也カ)》
(351)一 可良須等布於保乎曾抒里《カラストフヲホヲソトリ》 ヲホヲソトリモ鳥也
一 伎曾許曾波兒呂《キソコソハコロ》 キソコソハ昨日コソ也。コロハ人ノ惣名也
一 麻乎其母《マヲコモ》 マヲコモハマコモ也
一 於吉都麻可母《ヲキツマカモ》 ヲキツマカモトハヲキニアルカモ也
一 水久君野爾《ミクヽノニ》 名所也
一 可母能波抱能須《カモノハヲノス》 カモノハヲノスハカモノハヲノシテホノメク心也
一 許等乎呂波敞而《コトヲロハヘテ》 コトヲヨソヘテハイモカヨハシテノ心也
一 奴麻布多都可欲波等里我柄《ヌマフタツカヨハトリカセ》 二ノ沼ニ鳥ノカヨフ心也
一 奈與母波里曾禰《ナヨモハリソネ》 ナヨモハリソネハナヲモイソノ心也
一 於吉爾須毛乎加母《ヲキニスモヲカモ》 ヲキニスモアオカモハヲキニスム鴨也
一 毛已呂也左可抒利《モコロヤサカトリ》 モコロハ如クニテ也。ヤサカトリハ八坂ヲコエテユク鳥也
一 乎佐藝禰良波里《ヲサキネラハリ》 ヲサキネラハリハ尾上ニラノ始テモエイツルヲ云也
一 波伴爾許呂波要《ハヽニコロハヘ》 母ト女トコロ/\ニナル心也
一 兒呂我可奈門欲《コロカヽナトヨ》 カナトハタカトノ也。人ノ女ヲヽク所也
一 麻欲婢吉能與許夜麻《マヨヒキノヨコヤマ》 マヨハマユ也。横サマナルトツヽクル詞也
一 思之奈須於母敞流《シヽナスヲモヘル》 鹿ノ樣ニカクレヰタル心也
一 安奈由牟古麻《アナ|ル《(マヽ)》ムコマ》
一 於能我乎遠於保爾奈於毛比曾《ヲノカヲヽヲホニナヲモヒソ》 ヲホツカナクナ思ソ也
一 爾古麻爾《ニコマニ》 コマ/\ト云心也
一 久敞胡之爾《クヘコシニ》 クエハカキ也。カキコシナリ
一 安受乃宇敞爾《アスノウヘニ》 葦ノ上也
一 安夜抱可等《アヤホカト》 アヤウキ心也
一 左和多里能手兒《サワタリノテコ》 サワタリハスコシユキチカフ也
一 安受倍可良《アスヘカラ》 葦ノ上カラ也
一 古麻乃由胡能須安也波刀文《コマノユコノスアヤハトモ》 コマノユクノスハ駒ノユクヤウ也。アヤハトモハアヤフケレトモ也
一 麻由可西良布母《マユカセヲフモ》 マヨハカスト云心也
一 武路我夜乃《ムロカヤノ》 ムロカヤハ家ツクル萱也
一 都留能都追美《ツルノツヽミ》 ツルノツヽミハ足ノツル/\トイツル心也
一 安乎楊木能波良路可波刀爾《アヲヤキノハラロカハトニ》 ヤナキノメノハル所ニ汝ヲ待ト云心也
一 西美度波久末受 ミツハクマスト云心也
一 多知度奈良須母《タチトナラスモ》 タチ所ニテ待ナレタル心也
一 奈流世路爾《ナルセロニ》 瀬ノナル所也
一 木都能余須奈須《キツノヨスナス》 キツネノ夜ナクヤウニト云心也
一 伊等能伎提《イトノキテ》 イトヽシキ也
(352)一 多由比我多《タユヒカダ》 名所也
一 伊豆由可母 イツヨリカ也
一 和賀利可欲波牟《ワカリカヨハム》 ワレカヨハンノ心也
一 於志弖伊奈等《ヲシテイナト》 ヲシテユカン心也
一 奈美乃保能《ナミノホノ》 波ノヲトノアラハルヽ也
一 伎曾比登里宿而《キソヒトリネテ》 キノフヒトリネテ也
一 阿遲可麻能可多爾左久奈美《アチカマノカタニサクナミ》 サクナミハウチヒラク心也
一 麻都我宇良爾《マツカウラニ》 松ニヨソヘテ也
一 佐和惠宇良太和《サワヱウラタワ》 ハヤクウ|ヲ《(マヽ)》ニ立ト云心也
一 於毛抱須《ヲモホス》 ヲホシメス也
一 和賀母《ワカモ》抱乃須毛 我イモヲホノメカス心也
一 許弖多受久毛《コテタスクモ》 チリ|クモ《(マヽ)》ツト云心也
一 麻久良我乃許我《マクラカノコカ》 枕ノウツリカノコキ心也
一 可良加治《カラカチ》 マカチトヲナシキ事也
一 思保夫禰能於可禮婆《シホフネ|ネ《(マヽ)》ノヲカレハ》 舟ヲイタツラニヲキテハナニノ用ニモ立ヌト云心也
一 那乎抒可母思武《ナヲトカモシム》 ナニトカセンノ心也
一 許曾能左刀妣等《コソノサトヒト》 ヨソノ里人也
一 麻可禰布久爾布能麻曾保《マカネフクニフノマソホ》 マソホハホノヲ也ニフノ名所也
一 可奈刀田乎安良我伎麻由美《カナトタヲアラカキマユミ》 アラカキマユミハアラキノ弓也
一 阿米乎萬刀能須《アメヲマトノス》 雨フラハ君ヲトヽメン心也
一 安里蘇夜爾《アリソヤニ》 アライソニシホノタマル所也
一 比多我多《ヒタカタ》 名所也
一 多知美太要《タチミタヘ》 トコシナヘニ立ト云心也
一 安騰須酒香《アトスヽカ》 音スルヤウニト云心也
一 都久可多與留母《ツクカタヨルモ》 月ノカタフク夜ト云也
一 曾和敞可毛加未《ソワヘカモカミ》 ソハニタテル神也
一 佐伎母里《サキモリ》 アシヽロノフシ也
一 可奈刀※[人偏+弖]《カナトテ》 チヤウタイヲ出カネタル心也
一 於能豆麻《ヲノツマ》 我ツマ也
一 於保保思久《ヲホヽシク》 ヲホツカナキ也
一 夜麻可都良加氣麻之《ヤマカツラカケマシ》 マシハノウラヲスル時カクルカツラ也
一 乎佐刀奈流波奈多知波奈《ヲサトナルハナタチハナ》 ヲチナル里ナリ
一 渚可敞爾多弖流可保我波奈《スカヘニタテルカホカハナ》 スカヘハソカヘ同也
一 吉《イ古》奈宜我波奈《キナキカナ》 ウヘコナキトヲナシ
(353)一 夜麻須氣乃曾我比《ヤマスケノソカヒ》 スケノモチレアフ心也
 
萬葉第十五
一 多久夫須麻新羅邊伊麻須《タクフスマシラキヘイマス》 シラキヘ|シ《(マヽ)》ラム也。タヘニシロキ|ス《・(フカ)》スマ也
一 之保麻都等安里家流《シホマツトアリケル》 フネノシホトキヲ得テイツル也
一 安佐妣良伎 アサホラケ也
一 印南都麻《イナミツマ》 イナミノ遊君也
一 波奈禮蘇爾《ハナレソニ》 ハナレタルイソ也
一 宇多我多 カリナル心也
一 之麻思久母《シマシクモ》 シハラクモ也
一 湯種蒔《ユタネマキ》 ユタカナルタネマキト云心也
一 多麻藻可流乎等女《タマモカルヲトメ》 ヲトメハ名所也
一 武庫能宇美能爾波《ムコノウミノニハ》 ニハトハ海ノ波モタヽスノトカナル也
一 白玉比利比弖《シラタマヒリヒテ》 シラ玉ヒロヒテト云心也
一 奈氣伎能奇里《ナケキノキリ》 人ノイキヲイフ也、ヲキソノキリトモ云也
一 左宿等布毛能乎 サヤウニ飛モノヲト云心也
一 可我美奈須美津能波麻備《カヽミナスミツノハマヒ》 ハマヒハ濱邊也
一 都良良爾宇家里《ツラヽニウケリ》 舟ノツラ也
一 鹿子毛許惠欲妣《カコモコヱヨヒ》 水手トカケリ。舟ヲ云也
一 許己呂奈具也等《コヽロナクヤト》 心ナクサムルヲ云也
一 和多都美能多麻伎《ワタツミノタマキ》 龍神ノ玉キ也
一 可是能牟多《カセノムタ》 風ノモト也
一 可之故美等能許能等麻里《カシコミトノコノトマリ》 カシコミハヲソロシキキ也。ノコハ名所也
一 多良思比賣《タラシヒメ》 神功皇后ノ御コト也
一 多太末可母 タヽイマ也
一 波之家也思 ホメタル義也
一 毛奈久由可牟《モナクユカム》 ツヽカモナクユカント云心也
一 由吉能安未能保都手乃宇良《ユキノアマノホツテノウラ》 ユキハ壹岐ノ國也。ホツテ人ノ物ヲホシカル占也
一 新羅奇敞《シラキヘ》 シン|ヲ《(ラカ)》コク也
一 道乃奈我弖《ミチノナカテ》
一 久里多多禰《クリタヽネ》 クリタムルト云心也
一 安米能火毛我母《アメノヒモカモ》 天火モカナト云心也
一 加思故美等能良受《カシコミトノラス》 カシコクナノラスト云心也
一 美故之治能多武氣《ミコシチノタムケ》 ミコシチハ越前越中越後ノ山ノタウケ也
(354)一 安里伎奴《アリキヌ》 アリノマヽノキヌ也
一 波太奈於毛比曾《ハタナヲモヒソ》 又ナヲモヒソ也
一 須牟也氣久《スムヤケク》 炭燒ト云心也
一 安來都知乃曾許比能宇良《アメツチノソコヒノウラ》 ウラハ天也。ソコハ地也
一 左禰安良自《サネアラシ》 ヨモアラシ也
一 都奇和多流麻弖《ツキワタルマテ》 月日ノスクル心也
一 比等奈夫理《ヒトナフリ》 女ノ人ニナフラレテ心ノ亂ルゝ也
一 須惠之多禰可良《スヱシタネカラ》 心ノタネ也
一 多麻之比波安之多由布敞爾多麻布禮抒《タマシヒハアシタユフヘニタマフレト》 人ノタマシイヲ我心ニカクル也
一 須流須敞能多度伎《スルスヘノタトキ》 セムスヘナシト同心也
一 安麻其毛理毛能母布《アマコモリモノモフ》 雨中ニ物オモフ心也
 
萬葉第十六
一 水波將涸《ミツハカレナム》
一 足曳之山縵之兒《アシヒキノヤマカツラノコ》
一 結幡之袂着衣《ユフハタノソテツキコロモ》 ユフハタカウケツ也
一 四千庭三名之《ヨチニハミナシ》 オナシヤウニミナス心也
一 成見羅《ナレルミツラ》 鬢額ナり
一 津蚊經色丹名着來《ツカフルイロニナツケクル》 官ニヨリテ人ノ衣装ノ色ノカハルヲ云也
一 丹穗之爲《ニホシヽ》 ニホヒシナリ
一 狛錦※[糸+刃]丹縫着《コマニシキヒモニヌイツケ》 コマニシキハ青錦也
一 判部重部波累《サシヘカサネヘナミカサネ》 色色ニサシカサヌルヲ云也
一 麻續兒等 ヲサナキモノトモ也
一 寶之子等蚊《タカラノコラカ》 人ノ子ハ寶ナル故ニ云也
一 打栲者《ウツタヘハ》 ウツクシクタヘナル心也
一 朝手作尾《アサテツクリヒ》 ヲヽウミコシラフルヲ云也
一 倍巾裳成者《シキモナセハ》 シキ物ヲナスト云心也
一 彼方之二綾裏沓《ヲチカタノフタアヤウラクツ》 沓ノウラハ二重ニ打物也
一 飛鳥壯蚊霖禁《アスカヲトコカナカメイミ》 アスカヲトコハ沓作也。シカルニ沓ノ形打テハ日ニホスモノナレハ長雨ヲイム也
一 海神之殿盖丹飛翔爲輕如來《ワタツミノトノヽミカサニトヒカケルスカルノコトキ》 ワタツミノトノハ龍宮也。ミカサハ天蓋也。天蓋ニ蝶ヤスカルヲカサリニツクルヲ云
一 還氷見乍《カヘリヒミツヽ》 形見ヲスル心也
一 狹野津鳥《サノツトリ》 野鳥也
一 秋僻而《アキサケテ》 秋サリテノ也
一 判竹之舍人《サスタケノトネリ》 竹ノ戸トツヽクル心也
(355)一 古部挾狹寸爲我哉《イニシヘノサヽキシワレヤ》 古ハサヽケラレシト云心也
一 古部之賢人《イニシヘノカシコキヒト》 周ノ文王ノカリセシ時渭濱ニ釣セシニ太公望ヲエテ車ニメセテ歸シヲ云也
一 所詈金目八《ノラレカネメヤ》 人ニノロ|ハ《(マヽ)》ルヽコト也
一 豈藻不在《アニモアラス》 明ニモアラス也
一 者田爲爲寸《ハタスヽキ》 スヽキノホノハタノヤウニナヒクヲ云也
一 墨江之小集樂《スミエノヲツメ》 アツマル心也。ヲヘラノ祭トテ男女集テ我モ人モ妻ヲ不定也
一 商變領爲《アキカハリシラス》 アキナヒヲシテハトリカヘサルヽヲ云
一 卜部座龜毛莫燒曾《ウラヘスヱカメモナヤキソ》 周ノ世ニ龜ヲヤキテ占ヲシケルニカメノ甲ニ八卦ノ出キタルミテ吉凶ヲシリケル也。周公且ノ時龜ノ甲ヨリ起タル八卦ニチナミテ八八六十四卦ヲナシテ森羅ノ萬物ヲ占ケルト云也 易十卷
一 可流波須波田※[まだれ/戸]《カルハスハタフセ》 タフセハ田守菴也
一 二布夫爾咲而《ニフヽニヱミテ》 ニカワラフ心也
一 朝霞香火屋之下乃鳴河津《アサカスミカイヤノシタノナクカハヅ》
一 坂門等之角乃布久禮爾四具比相《サカトラノツノヽフクレニシクヒアイ》 サ|ヤ《(カカ)》トラハイタカ也。角ノフクレハ腹立也。四具比ハ論シアフコト也
一 童女波奈理《ウナヒハナリ》 オトコモセサル女子也
一 髪上都良武可《カミアケツラムカ》 女ノ始テ男ヲスル云也
一 判名倍爾湯和可世《サスナヘニユワカセ》 サスナヘハテウツ也
一 櫟津乃檜橋《イチツ《(マヽ)》ノヒハシ》 イチヰツハ名所也。ヒハシハ檜ノ木ノハシ也
一 狐爾安牟佐武《ナ《(キカ)》ツニアムサム》 キツネニアムサントナリ
一 蔓菁煮將來《アヲナニモテコ》 アヲキナニテコヨト云也
一 意吉麻呂《ヲキマロ》 人ノ名也
一 香塗流塔《カウヌレルタウ》 塔ヲカウイロニ綵色タルヲ云也
一 痛女奴《イタキメヤツコ》 キタナキヤツコト云心也
一 玉掃苅來鎌麻呂《タマハヽキカリコカマヽロ》 ハヽキヲカマニテカリテコヨ也
一 池神力士※[人偏+舞]可母《イケカミリキシマヒカモ》 イケカミハ所ノ名也。力士ハ寺ノ門ニタテル二王也
一 白鷺乃桙喙持而《シラサキノホコクヒモチテ》 木ノ枝ヲクハヘタルヲホコトヨメル也
一 櫛造刀自《クシツクルトシ》 刀自ハ女惣名也
一 鮫龍取來《ミツチトリコム》 虎ハ佛教也。人ノチカツキエサルカ故ニ此佛教ニ乘シテ煩悩ノ苦海ノミツチナトノスメルヤウニヲソロシキヲコヘテ地獄ナトノイフセキヲ打取ト云心也
一 成棗寸三二粟《ナシナツメキミニアハ》嗣 アマタ|ノ《(マヽ)》ヲヨメル哥也。アハツキハアフト云心也
一 勝間田之池《カツマタノイケ》 昔ハ水ノアリケルカ今ハナキ也女ノ男ヲ狂シテヨメル也
一 兒手柏《コノテカシハ》 セイヨウニアリ。青葉丹花抄ノ事也
一 吾妹兒之額爾生雙六《ワキモコノヒタイニオホルスクロク》 ムシンシヨチヤクノ哥心モ詞ツヽカネトモヨメリ
(356)一 都夫禮石之吉野乃山《ツフレイシノヨシノヽヤマ》 ツフラナル石ノヨキヨツヽクル也
一 氷魚曾懸有《ヒヲソカヽレル》 魚ノヒヲナリ
一 寺寺之女餓鬼《テラ/\ノメカキ》 ヒ|レ《(ンカ)》ツルノ事
一 大神乃男餓鬼《オホ|ウ《(マヽ)》ハノヲカキ》
一 佛造眞朱不足《ホトケツクルアカニタラスハ》 佛ヲアカクサイシクヲ云也
一 八穗蓼《ヤホタテ》 タテノシナノ八アリ。又ハ穗ノ八アルトモ云也
一 薦疊平群《コモタヽミヘクリ》 コモタヽミヘクリトハタヽミヲヘリトツヽクル也
一 造駒土師乃志婢麻呂《コマツクルハシノシヒマロ》 コマツクルハ土ニテツクル馬也
一 檀越也《タンヲチヤ》 タンナ也
一 課※[人偏+殳]徴者《ユタスハタラハ》 ユタスハエタスト同シクワヤクヲカケテセムル也
一 荒城田乃子師田《アラキタノシヽタ》 アラキタハ名所也。シヽ田ハ一段十六ア也
一 于稻于稻志《ウタ/\シ》 多事也。アタ/\シトモ今ハ云也
一 潮干乃山《シホヒノヤマ》 哀傷ノ事也。禁忌ノ哥也
一 無何有之郷《フカウノサト》 仙家也
一 藐孤射能山《ハコヤノヤマ》 仙洞ノ名也。仙洞ハ院ノ御所也。仙家ニタトヘ奉崇也
一 石麿《イシマロ》 人ノ名也
一 武奈伎《ムナキ》 ウナキノ名也
一 ※[草がんむり/皀]莢爾《チノキニ》 サイカシ也、サイカチ
一 波羅門乃作有流小田《ハラモンノツクレルヲタ》 寺ノ門田ヲ僧ノ作ヲ云也
一 ※[月+令]腫而《マナ|フ《(マヽ)》メハ|シ《(レカ)》テ》 マフチハハレテト云心也
一 赤根佐須君之情《アカネサスキミカコヽロ》 アカネサス心トツヽクルハサフアカキニヨリソレヲイヒタサン用所也
一 功爾申者《コウニマウサハ》 官ヲナル時ノ供錢ヲ云也
一 將訴《ウレヘマウサム》 ウタヘ申サント云心也
一 王之不遣《オホキミノツカハ|サル《(マヽ)》》 宮《(マヽ)》ノ領使也
一 情進爾《サカシラニ》 サカシキ心也
一 余須可乃山《ヨスカノヤマ》 カタミノ山也
一 大浦田沼者《オホウラタヌハ》 大浦ハ名所也。タヌハヌマタ也
一 奧鳥鴨云舟《ヲキツトリカモトイフフネ》 舟ヲカモニ似テ作ルカ故也
一 赤羅小船爾《アカラヲフネニ》 アカク彩色ケル舟也
一 所射鹿乎認河邊《イルシカヲトムルカハヘ》 テヲヒ鹿ノ河ヲワタリテ後追失ヘルヲ云也
一 琴酒乎押垂小野《コトサケヲヲシタルヲノ》 琴ト酒ト共ニヲスト云心也
一 心毛計夜爾《コヽロモケヤニ》
一 伊呂稚世流菅笠小笠《イロチセルスカヽサヲカサ》 イロ/\トリ/\ト云心也
一 楷楯熊來乃夜良《ハシタテノクマキノヤラ》 岩ノアヒノ穴ノヤウナル所也。ヨラ《(マヽ)》ハ岩屋ノヤウナル所也
(357)一 新羅斧墮入和之《シラキヲノヲトシイルヽワシ》 シラミカキノ斧也、ハシハ斧ヲオトシ入テ樵ト集リテハシ/\トロ/\ニ云ヲ云也
一 熊來酒屋眞奴良留《クマキサカヤマノラル》 《(マヽ)》酒ノム所ニテノ|ロ《(マヽ)》ヒアヘ|ル《(マヽ)》ヲ云也
一 佐須比立率而《サスヒタチヰテ》
一 所聞多禰乃机之嶋《ソモタネノツクエノシマ》 名所也
一 目豆兒乃負《メツコノマケ》 ミレトモアカヌチコノマウケト云心也
一 大野路者繁道森徑《オホノチハシケチハシケチ》 大野路ハ名所也。繁道森徑ハシケルヲ云也
一 指羽爾毛君之御爲《サシハニモキミノミタメ》 サシハトハ上箭也
一 伊夜彦於能禮神佐備《イヤヒコノヲノレカミサヒ》 イヤヒコト云所ニ立ル神也
一 藥※[獣偏+葛]《クスリカリ》 夏ノ鹿カリナリ。又ハキヲヒカリトモ云也。草木ノ深キ山ニテ我モ/\トカル故ニアラソヒキヲフカリト云也
一 比米加夫良《ヒメカフラ》 ヒトヽナル故ニヒメカフラト云也
一 御笠乃婆夜詩《ミカサノハヤシ》 カラカサノロクロナトニ角ヲスルヲ云也。シツラヒヲ云也
一 御墨甜《ミスミツホ》 ニカハニスミチリテ用ニアフヲ云也
一 吾美義《ワカミキ》 ミキハ鹿ノ血ノコト也
一 葦河爾《アシカニ》 アシノホトリニ小サキカ|マ《ニ》也
一 置勿爾到《ヲキナニイタリ》 ヲキナハ名所也
一 都久怒爾到《ツクヌニイダリ》 所ノ名ヲツクヌト云也
一 布毛太志可久物《フモタシカクモ》 ホタシカクルト云心也
一 毛武爾禮乎《モムニレヲ》 ニレト云木也
一 始垂乎《ハツタレヲ》 ハツタレハ鹽ヤク始也
一 陶人乃《スエヒトノ》 スエ人ハカハラケ作ノ名也
一 天爾有哉神楽良能小野《アメニアルヤサヽラノヲノ》 アメニアルサヽラト言ヲカリテツクル也。サヽラノヲノハ月ノ名也
一 奥國領君之染屋形《ヲキツクニシラセシキミカソメヤカタ》 ソメヤカタハキソメタルヤカタト云心也。領君國司
一 神之門渡《カミノトワタリ》 イカツチノナリマハリタル義也
一 佐青有君《サヲナルキミ》 ヒトタマノアヲキトツヽクル也
 
萬葉第十七
一 安我松原《アカマツハラ》 ワカマツトツヽクル也
一 比治奇乃奈太《ヒチキノナタ》 ヒヽキノナタ也
一 船乃可治麻 カチマハカチトルマ也
一 多麻波夜須《タマハヤス》 玉ヲウリハヤス也
一 民布由都藝《ミフユツキ》 冬三月ヲ云也
一 烏梅乃花美夜萬等之美《ウメノハナミヤマトシミ》 トシミハ太山ハ末《(マヽ)》サムキト云心也
一 佐吉乃盛《サキノサカリ》 梅ノサキタルサカリ也
一 木際多知久吉《キノマタチクキ》 木ノ間クヽルト云心也
(358)一 野豆加佐《ノツカサ》 野ノツヽキ也
一 鶉鳴布流之《ウツラナクフルシ》 フルシハ古|卿《(マヽ)》也
一 服曾比※[獣偏+葛]《キソヒカリ》 キヲヒカリ也
一 米具美多麻波奈《メクミタマハナ》 メクミヲタレタマヘト云心也
一 久良多爾爾宇知波米※[氏/一]《クラタニヽウチハメテ》 クラタニハ名所也。ウチハメテハ身ヲハナクル也
一 布左多乎里家流《フサタヲリカル》
一 乎加備可良《ヲカヒカラ》 岡邊
一 宇多我多毛《ウタカタモ》
一 安倍弖《アヘテ》
一 大王能麻氣乃麻爾麻爾《オホキミノマケノマニマニ》 マケハ國ノ守ニ任スル時ヲ云也
一 道乎多騰保美《ミチヲタトホミ》 道トヲミ也
一 敞奈里※[氏/一]安禮婆《ヘナリテアレハ》 ヘナリテハヘタヽル也
一 於餘豆禮《オヨツレ》 ヲトツレ也
一 奈弟乃美許等《ナヲトノミコト》 弟ノミコト也
一 間使《マツカヒ》 始テ人ノ方ヘツカヒヲヤルニヲソキト云。又使ヲヤルヲ云也
一 山河乃曾伎《ヤマカハノソキ》 ソキハソコ也
一 之奈射加流故之《シナサカルコシ》 少將中將ナトノ北國ヘ國ニナリテクタレハ國ノ守ニ任セラルヽ間雲シナノサカルト云心也
一 伊良奈家久《イラナケグ》 イラナケクハ彌ナケク也
一 今日毛之賣良爾《ケフモシメラニ》 ヒメモスニ也
一 等毘久久※[(貝+貝)/鳥]《トヒクヽウクヒス》
一 己許呂具志《コヽロクシ》 心クルシキ也
一 許等波多奈由比《コトハタナユ|シ《(マヽ)》》 言ヲアケテ云心也
一 眼具之《メクシ》 メ|ヤ《(マヽ)》シモセヌ心也
一 可牟加良夜《カムカラヤ》 神カラヤト云心也
一 曾許婆可敷刀伎《ソコハタフトキ》 ソコハクタフトキ也
一 佐吉乃安里蘇 名所也
一 伊麻乃乎都豆爾《イマノヲツヽニ》 今ノウツヽ也
一 宇知久知夫利《ウチクチフリ》 ヲチコチニフレタル心也
一 佐吉多母登保理《サキタモトホリ》 サキニヤスラフ心也
一 麻都太要《マツタヱ》 名所也
一 宇加波多《ウカハタ》 鵜ツカフ河也
一 曾許母安加爾《ソコモアカニ》 ソコモアカヌ心也
一 許已婆久毛《コヽハクモ》 ソコハクモ也
一 見奴日佐麻禰美《ミヌヒサマネミ》 ミヌ日ハスコシモ不忘心也
(359)一 比奈爾名可加須古思能奈可《ヒナニナカヽスコシノナカ》 越前越中越後三ケ國也
一 久奴知許等其等《クヌチコトコト》 國土ヲシナヘテ也
一 須賣加未能宇之波伎伊麻須《スメカミノウシハキイマス》 神祇ニウシノ如クニ諸神ワキ出マスヲ云也
一 登母之夫流我禰《トモノフルカネ》 ヲモシロト云心也
一 安麻曾曾理《アマソヽリ》 空ニサシアカル心也
一 可伎加蘇布敷多我美夜麻《カキカソフフタカミヤマ》 カキカソフ二ノ山ト云心也
一 於夜目得伎波爾《ヲヤシトキハニ》 同時ニト云心也
一 手多豆佐波利弖《テタツサハリテ》 手ヲトリクムヲ云也
一 安由能加是《アユノカセ》 北國ニハ東風ヲアユノ風ト云
一 須賣呂伎能乎須久爾《スメロキノヲスクニ》 スメラキノシロシメス國也
一 美許登母知《ミコトモチ》 國仕ノ事也
一 安由比多豆久利《アユヒタツクリ》 アユヒハ足ニハクハヽキ也
一 吉美賀多太可《キミカタヽカ》 タヽカハマサカヲナシ
一 之麻都等里《シマツトリ》 鵜ノ事也
一 伊保都登里《イホツトリ》 アマタノ鳥也
一 知登理布美多弖《イ《(マヽ)》トリフミタテ》 アマタノ鳥也
− 手放毛《ヤハナシモ》 テヲハナツコト也
一 惠麻比都追《ヱマヒツヽ》 エミツヽト云心也
一 之許都於吉奈《シコツオキナ》 野知《ノシリ》云心也
一 之波夫禮都具禮《シハフレツクレ》 シハブキスル心也
一 火佐倍毛要都追《ヒサヘモヱツヽ》 火ノ樣ニモエコカルヽト云心也
一 等奈美波里《トナミハリ》 アミノ事也
一 之都爾等里蘇《シツニトリソ》 シツメトリソヘヨ也
一 己比能美弖《コヒノミテ》 コヒネ|カ《(衍カ)》カフ心也
一 保追多加《ホツタカ》 ヲシムタカ也
一 都奈之等流《ツナシトル》 コノシロト云魚也
一 比美乃江過弖《ヒミノエスキテ》 越中ノヒヽト云所也
一 乎等都日毛《ヲトツヒモ》 一昨日モナリ
一 伊麻爾都氣都流《イマニツケツル》 夢ニツケツル也
一 麻追我敞里《マ|ヲ《(ツカ)》カヘリ》 マチカヘル也
一 之比爾弖《シヒニテ》 シヒテ也
一 佐夜麻太乃乎治《サヤマタノヲチ》 サヤマタハ名所也。乎治ハヲフチ也
一 情爾波由流布《コヽロニハユルフ》 心ノユルラカナル事也
一 須可奈久《スカナク》 スケナキト云心也
(360)一 葦附等流《アシツケトル》 アシツキハ草ノ名也
一 波久比能海《ハクヒノウミ》 名所也
一 伊久代神備曾《イクヨカミヒソ》 カミサヒタル也
一 宇良波倍弖《ウラハヘテ》 月日ヲヘテ也
一 奈加等美乃敷衍刀能里其等《ナカトミノフトノリコト》 ナカトミハ姓也。フトノリハナカ|ト《(マヽ)》ハラヘ也
一 安加布伊能知《アカフイノチ》 イノルイノチ也
 
萬葉第十八
一 美等母安久倍伎《ミトモアクヘキ》 ミレトモアクヘキカノ心也
一 登乎能多知波奈《トヲノタチハナ》 トヲキトコロノ國ヨリ橘ヲトリワタシタルヲ云也
一 左可彌豆伎《サカヤツキ》 サカヘツキマシマス也
一 安加良多知姿奈《アカラタチハナ》 アカキタチハナ也
一 都波良都波良《ツハラツハラ》 ツマヒラカナル也
一 楊奈疑可豆良枳《ヤナキカツラキ》 アヲヤキモカツラキモサイハラノウタ也
一 所心歌 心中ニ思ヘル事ヲヨメルト云心也
一 宇萬爾布都麻爾《ウマニフツマニ》 夫馬也
一 比登加多波牟可母《ヒトカタハムカモ》 タヘカタキ心也
一 比奈能美夜故《ヒナノミヤコ》 府中ヲ云也
一 安米此度之《アメヒトシ》 天人也
一 高御座《タカミクラ》 坐ヲ高クシテイル心也
一 久爾能麻保良《クニノマホラ》 國ヲ守也
一 伎吉能可奈之母《キキノカナシモ》 聞事ノカナシキ也
一 比流久良之《ヒルクラシ》 日クラシノ事也
一 欲和多之《ヨワタシ》 ヨモスカラ也
一 許已呂都呉枳 心ウコキテ也
一 神安比宇豆奈比《カミアヒウツナヒ》 神アヒアラハシテ也
一 御靈多須氣弖《ミタマタスケテ》 天ノメクミ也
一 麻布呂倍乃《マツロヘノ》 ツカマツル心也
一 牟氣乃麻爾麻爾《ムケノマニ/\》 帝王ヨリ物ヲタマハル心也
一 女童兒《メヌハラハコ》 メノハラハヘ也
一 心太良比爾《コヽロタラヒニ》 心ノマヽニ也
一 撫賜《ナテタマヒ》 帝王ノ人ヲアハレミ給心也
一 大件能《オホトモノ》 ツカフル氏人ト云心也
一 美都久|久《・(マヽ)》屍《ミツクヽカハネ》 人ノヒヰノ心也
(361)一 敞爾許曾死米《ヘニコソシナメ》 ホトリノコト也
一 乎追通爾《ヲツヽニ》 ウツヽ也
一 奈我佐敞流《ナカサヘル》 ナカシツタハル也
一 於保伎美能美許登能佐吉《ヲホキミノミコトノサキ》 帝王ノミサキハラヒ也
一 等保追可牟於夜《トホツカムヲヤ》 人ノ先祖ヲ上ノ親ト云也
一 於《ヲ》能我名負名負 親ノ名ヲオフ心也
一 麻氣能麻久麻久《マケノマクマク》 マカスル心也
一 珠洲乃安麻《スヽノアマ》 スヽハ名所也
一 於伎都美可未《ヲキツミカミ》 ソコノキハメ也
一 伊保知毛我母 五百千モカナト云心也
一 夜床加多古里《ヨトコカタコリ》 泪ノ水也
一 奴吉麻自倍《ヌキマシヘ》 ヌキマシルト云心也
一 伊保都追度比《イホツヽトヒ》 五百ツトフ心也
一 左夫流其兒《ヲ《(マヽ)》フルソノコ》 家持カウカレメトリヲキタル處ニ都ノ妻下テアル心也
一 移都我利安比《イツカリアヒ》 イツキカシツク心也
一 伊毛我多可多可《イモカタカ/\》 我ヨリモ目高キ人ト云心也
一 美夜泥之理夫利《ミヤテシリフリ》 ミステヽシリヲウチフリテ出心也
一 須受可氣奴《スヽカケヌ》 驛使コソ鈴ヲハ懸ルニ我ハ鈴カケネトモ驛使ノヤウニ來由也
一 夜保保許毛知 採葉抄ノ事也。サイヨウニ委細也
一 時支能《トキシクノ》 常葉ニ香ノアルト云心也
一 香久乃菓子《カクノコノミ》 橘ノ木名也
一 安由流實 タエナル實
一 末支大末不 儲玉フ也
一 許登可多禰母知《コトカタネモチ》 綸旨ヲ頸ニカクル心也
一 美奴日佐末禰美《ミヌヒサマネミ》 ミヌ日久シキト云心也
一 左可美都伎《サカミツキ》 盃也
一 安蘇比奈具禮《アソヒナクレ》 遊ヒナクサム心也
一 奈呉江能須氣 ナコヘハ所名也
一 阿波之多流《アハシタル》 合フヨシ也
一 美夜古可多比等《ミヤコカタヒト》 都ノ方ノ人也
一 朝參乃伎美《マテイリノキミ》 源氏ニハマフノホルト云也。内裏ヘ參テ仕ルヲ云也
一 布奈乃倍《フナノヘ》 舟ノ上也
一 萬調麻都流《ヨロツヽキマツル》 萬ノ調ヲ奉ル心也
一 奈里波比《ナリハヒ》 作物ノ惣名也
(362)一 於枳都美夜敞《ヲキツミヤヘ》 龍王ノ都也
一 許能美由流《コノミユル》 カミノミユル同心也
一 和我保里之《ワカホリシ》 我ホシカリシト云心也
一 宇奈我既里爲弖《ウナカケリイテ》 ウナシニカヽリカタニカヽリテテントウスル心也
一 安夜爾久須之彌《アヤニクスシミ》 アヤニクニクルシキ也
一 於吉可邊佐倍波《ヲキカヘサヘハ》 ヲキテハト云心也
一 於能等母於能《ヲノトンモヲノ》 ヲノレトヽモウラヲ付タリト云心也
一 波利夫久路應婢都都氣《ハリフクロヲヒツヽキ》 針袋ヲ頸ニ懸ル也
一 多多佐爾毛可爾母《タヽサニモカニモ》 タヽサハタテサマ也。カニモハカク也
一 夜都故等曾《ヤツコトソ》 ヤレ《《(マヽ)》》ト云心也
一 奴之能等能度爾《ヌノシトノトニ》 ヌス|タ《(マヽ)》ヒヌト也
一 伊夜之伎麻須毛《イヤシキマスモ》 イヤシキリ也
一 許奴禮能保與等里天《コヌレノホヨトリテ》 梢ノワカハヘ也
一 知等世保久登曾《チトセホ|ト《(マヽ)》ヽソ》 千年ヲイノル也
一 等枳自家米也母《トキシケメヤモ》 トキシケクトコワカニト云心也
一 夜夫奈美能佐刀《ヤフナミノサト》 ケカラハシキ里ヲ云也
 
萬葉第十九
一 堅香子之花《カタカシノハナ》 ツヽシニヽタル草也
一 夜具多知爾《ヨクタチニ》 夜ノ深過ル心也
一 都婆良可爾《ツハラカニ》 詳也
一 此間毛於夜自《コヽモヲヤシ》 爰モ同シト云心也
一 語左氣《コトハサケ》 語ニモイハヌ心也
一 馬太伎由吉※[氏/一]《ウマタキユキテ》 馬ニ乘ト云ル也
一 飼久之余志《カハクシヨシ》 加樣ニコトヨキト云心也
一 ※[盧+鳥]八頭可頭氣弖《ウヤツカツキテ》 鵜ヲ八カツキテハ一荷カ
一 礒上之都萬麻《イソノウヘノツマヽ》 口傳ニアリ。萬云樹名都萬麻
一 暮加波良比《ユフヘカハラヒ》 タカハル心也
一 言等波奴木尚《コトトハヌキスラ》 物イハヌ木ト云心也
一 知智乃實 チヽト云木ハ葉ハ柳ニ似タリ。梅ノ色付時是モアカク色付。實ハ胡桃ノコトシ
一 投矢毛知 矢ヲ放ツハ投ル心也
一 左之麻久流情《サシマクルコヽロ》 指枉ル心也
一 許韓久禮|罷《(マヽ)》 木下闇同
一 宇都之眞子 眞ノ子ト云心也
(363)一 可都良久麻泥爾《カツラクマテニ》 カツラクムト云心也
一 眞可伊可氣《マカイカケ》 ヨキカイ也
一 垂姫爾《タルヒメニ》 タルヒメノ明神
一 之我波多《シカハタ》 其カハタ也
一 面輪能宇知《ヲモワノウチ》 面輪ハ面ノ内也
一 可蘇氣伎《カソケキ》 カスカ也
一 伊頭敞能山《イツヘノヤマ》 名所也
一 安多可毛《アタカモ》 アキラカ也。則トモ
一 月夜安伎※[氏/一]牟《ツキヨアキテムム》 月ヲミアキテユカン也
一 垣都能谿《カキツノタニ》 ソトモノ谷也
一 久須婆之伎《クスハシキ》 クハシキ也。物クルハシキトモ
一 生而靡有《ヲヒテナヒケリ》 ツケ櫛ノ生テ木ニ成ト云心也
一 麻都呂布物《マツロフモノ》 ツカマツル也
一 縁木積成《ヨル|ユ《(マヽ)》ツミナシ》 木葉アマタノ水ニ流ヲ云也
一 美久之宜爾 櫛笥也
一 比伎能末爾麻仁《ヒキノマニ/\》 マヒ《(マヽ)》キノマヽニ也
一 意伊豆久《ヲィツク》 老ニ成心也
一 御見多麻波牟《キミミタマハム》 見玉ハン也
一 天雲乎富呂爾布美安太之《アマクモヲフロニフミアタシ》 ホロ/\トフミ渡ト云心也
一 波多※[女+感]嬬《ハタヲトメ》 ハタハヨミツヽクル也。イカツチノヤウニキコエタルト云心也
一 二上之峯於乃繁《フタカミノヲノヘノ|シ《(マヽ)》》 山ノシケミ也
一 許毛爾之波《コモニシハ》 コモリシハト云心也
一 此吾子《コノアコ》 若キ女ノ惣名也
一 春日野爾伊都久《カスカノニイツク》 イツキカシツク也
一 神言《カミコト》 詫宣也
一 情《・(マヽ)》初夜可母《ヲシキヨヒカモ》 宵ノ心也
一 公之事|路《・(マヽ)》乎《キミカコトトヲ》 君カコト共也
一 磐船浮《イハフネウケテ》 鳥也
一 掃平《ハラヒタヒラク》 惡神ヲハラヒノクル也
一 八十友之雄乎撫賜《ヤソトモノヲヽナテタマヒ》 ナツケサセ給也
一 等登能倍賜《トヽノヘタマヒ》 ツハモノヲメシ集ル心也
一 安天左波受※[立心偏+民]賜者《アテサハスメクミタヘハ》 ワツラハサヌ心也マ
一 從古昔無利之瑞《ムカシヨリナカリシミツモ》 水ノ事也
一 多婢末禰久《タヒマネク》 絶ヌ也
(364)一 手拱而《コマヌキテ》 手ヲ組テ畏ル心也
一 吾大主《アカオホヌシ》 我主ト云心也
一 赤駒之腹婆布田爲《アカコマノハラハフタヰ》 深キ田ヲ都ニナシタル也
一 梳毛見自屋中毛波可自《クシモミシヤナカモハカシ》 家主ノ梳モテ七日カミモケツラス家ヲモ|ワカ《・(ハカ)》ヌ事也
一 四船《ヨツノフネ》 大使 副使 大|炊《・(マヽ)》判官 スナヒ判官 小臣判官也
一 安可流橘宇受爾指《アカルタチハナウスニサシ》 赤橘也。ウスハ頂ノカサリ也
一 千年保伎《チトセホキ》 祈心也
一 等餘毛之《トヨモシ》 トヨム心也
一 足之照而《タラシテラシテ》 天地ノ王メクミノ普ト云心也
一 五百都都奈《イホツヽナ》 未勘カ
一 嶋山爾照在橘《シマヤマニテレルタチハナ》 シマヤマハ非名所
一 日影可豆良家流《ヒカケカツラケル》 日カケノカツラ也。草カ
一 能登河乃後者《ノトカハノノチハ》 ノトカハノヽチト詞ヲツヽクル也
一 可豆良久波《カツラクハ》 カツラニクム心也
一 保久等 祈ル心也
一 可蘇氣伎 カスカナル心也
 
萬葉第二十
一 安可良我之波《アカラカシハ》 アカキ色ノ柏也
一 伊之奈彌於可波《イシナミヲカハ》 天川名也
一 須蘇未乃努都可佐《スソミノノツカサ》 スソ野ノツヽキ也
一 美許等加我布里《ミコトカヽフリ》 勅旨ヲ蒙也
一 伊牟奈之爾志弖《イムナシニシテ》 イモナクシテ也
一 波波登布波衆《ハハトフハナ》 親ヲカヘリミル花ノサケカシ也。ハヽト云花ニ母ヲタトヘテ榮ルト云心也
一 等倍多保美志留波乃伊宋爾《トヘタホミシルハノイソニ》 遠江ノ名所也
一 爾閇乃宇良《ニヘノウラ》 同國ノ名所也
一 左佐已弖由加牟《サヽコテユカム》 サヽ|キ《(マヽ)》テユカン也
一 母母余具佐《モヽヨクサ》 ツキクサ也
一 伊藤爾布理 イソニフレト云心也
一 宇乃波良和多流 海原ワタル也
一 夜蘇久爾《ヤソクニ》 アマタノ國ト云心也
一 比呂乎《ヒロヲ》 日ノコトヲ云也
一 安多麻毛流《アラマモル》 異國ノ敵ヲ守心也
一 於佐倍乃城曾 フセキ|コ《(マカ)》モル城郭也
(365)一 禰疑多麻比《ネキタマヒ》 イハヒ玉フ也
一 安之我知流《アシカチル》 チヒサキカニ也
一 都都麻波受《ツヽマハス》 ツヽカナキ也
一 爾比佐伎母利《ニヒサキモリ》 ハシメタル野伏ヤウノ物也
一 美豆等里乃多知能已蘇伎爾《ミツトリノタチノイソキニ》 水鳥ノヤウニツレテ立ト云心也
一 毛能須價爾弖《モノスキニテ》 モノイハスキテ也
一 多多美氣米串良自加已蘇《タヽミケメムラシカイソ》 タヽミノコモノムラトツツクル也、ムラシハ名所也
一 阿等利加麻氣利《アトリカマケリ》 我ヒトリマカルヨシ也
一 美豆久白玉《ミツクシラタマ》 御器物ノ玉也。水ニシツム玉トモ一 由伎加弖奴加毛《ユキカテヌカモ》 ユキカネタル心也
一 波波刀自《ハヽトシ》 シウトメ也。自ハ女ノ惣名也
一 和|呂《(マヽ)》多比波多比等於米保《ワカタヒハタヒトヲメホ》 ワカタヒト云心也オメホトハヲモヘト也
一 宇知江須流《ウチエスル》 ウチヨスル也
一 苦不志久米阿流可 コヒシクアルカ也
一 佐久安禮天《サクアレテ》 サクリアケテナク心也
一 爾波奈加能阿須波乃可美《ニハナカノアスハノカミ》 カマノ神也。アシモトノ神ト云心也
一 古志波佐之《コシハサシ》 カマノ上ニ松椙ノ葉ナトヲ手向ル心也
一 宇萬良能宇禮爾波保麻米《ウマラノウレニハホマメ》 ウハラノスヘニハフ延|コ《(マヽ)》マメ也
一 伊倍加是《イヘカセ》 我家ノ方ヨリ吹風也
一 和我可良爾《ワカヽラニ》 ワカユヘニ也
一 阿之可伎能久麻《アシカキノクマ》 アシノクミト也
一 奈伎志曾母波由《ナキシソモハユ》 ヲモヒ入タル心也
一 和努等里都伎弖《ワノトリツキテ》 ワレニトリツキテ也
一 敞牟可流布禰《ヘムカルフネ》 舟ノヘノムクト云ヨシ也
一 伊麻能乎爾《イマノヲニ》 イマノヲハ今ノ世也
一 見能等母之久《ミノトモシク》 ミテヲモシロキ也
一 波良良爾宇伎弖《ハラヽニウキテ》 アマタウキタルト云心也
一 曾伎太久毛《ソキタクモ》 オホキ事也
一 於藝呂奈伎可毛《ヲキロナキカモ》 ヲクシナキ也
一 已伎婆久母《コキハクモ》 オホキト云心也
一 由多氣伎可母《ユタケキカモ》 ユタカナル也
一 宇倍之神代由《ウヘシカミヨユ》 トヲキ神代也
一 夜蘇加奴伎《ヤソカヌキ》 舟ノ梶也
一 加里母我《カリモカ》 雁金也
(366)一 和須例母之太《ワスレモシタ》 ワスレヌヒマ也
一 久自我波《クシカハ》 クシノコホリノ河也
一 須米良美久佐《スメラミクサ》 ミクサハ民ノ事也
一 美佐可多麻波理《ミサカタマハリ》 坂ヲメクル也
一 多志夜婆婆可流《タシヤハハカル》 タチハヽカル
一 之許乃美多弖《シコノミタテ》 シキリニタテト云心也
一 伊波妣等《イハヒト》 イヘ人也。我妻ヲ云也
一 多多理之母已呂《タヽリシモコロ》 タヽリシハ立心也。モコロハコトクニト云心也
一 阿母志志《アモシヽ》 アモハ母也。二人親也。シヽハ父也
一 美都良乃奈可爾《ミツラノナカニ》 ヒンツラノナカニト云心也
一 都久比夜波須具波由氣等毛《ツクヒヤハスクハユケトモ》 月夜ノ過ル也
一 布多富我美阿志氣比等《フタホカミアシケヒト》 フタヘタマシヰノアシキ人也
一 阿多由麻比《アタユマヒ》 ワイ|コ《(ロカ)》ト云心也
一 阿加等伎乃加波多例等枳《アカトキノカハタレトキ》 アカトキハアカツキ也カハタレトキハ明ホノ也
一 茶美奈等惠良比《ナミナトヱラヒ》 ナミナヱラヒソ也
一 志流敞爾波《シルヘニハ》 シリヘノコト也
一 於母加古比須須《ヲモカコヒスヽ》 コヒスヽハコヒシキ也
一 多牝等敞等麻多妣爾《タヒトヘトマタヒ》 マタヒトハ眞ノ日也
一 爾波志久母《ニハシクモ》 シケクヲモキ心也
一 牟浪他麻乃久留爾久枳佐之《ムラタマノクルニクキサシ》 ムラトニクキサス也。村戸トハ妻戸也。クルハクルヽキ也。クサヒノ事ヲ云也
一 阿用久奈米加母《アヨクナメカモ》 アルキワスラレト云心也
一 美許等爾佐例波《ミコトニサレハ》 ミコトニアレハノ心也
一 於比曾箭乃 ヲフソヤ也
一 久爾敞之於毛保由《クニヘシヲモホユ》
一 意母奈之爾志弖《ヲモナシニシテ》 母ナシニシテ也
一 意毛知知我多米《ヲモチヽカタメ》 母父也
一 和我伊波呂《ワカイハロ》 ワカイヘ也
一 比奈久母理宇須比乃佐可《ヒナクモリウスヒノサカ》 日ノウスクモリタルニヨソフル也
一 知知能未乃《チヽノミノ》 チヽノ木ノ實也
一 多久頭怒能之良比氣乃宇倍《タクツノヽシラヒケノウヘ》 タク角ハ妙ナルツノ也|ヒ《・(マヽ)》ラヒケハ白キヒケ也
一 奈美太多利《ナミタヽリ》 ヒタヒノ波ノ心也
一 奈氣伎乃多波久《ナケキノタハク》 歎ノタマハク也
一 可胡自母乃《カコシモノ》 鹿ノヤウニト云心也
一 左波爾可久美爲《サハニカクミイ》 オホクマハリヰタルヨシ也
(367)一 乎可之佐伎伊多牟流《ヲカシサキイタムル》 山ノ崎ヲマハル也
一 麻久艮多之《マクラタシ》 枕太刀也
一 都久乃之良奈久《ツクノシラナク》 月ノ白クナル心也
一 麻古我《マコカ》 ヨキ女也
一 美流乃須母《ミルノスモ》 ミルヤウニト云心也
一 伊波奈流和禮《イハナルワレ》 家ナル我ハ也
一 阿加胡麻《アカコマ》 アカコマハワカコマ也。ハカシハハナスト云心也
一 多麻乃余許夜麻加志由加也良牟《タマノヨコヤマカシユカヤラム》 タマノヨコヤマハ名所也カチニテヤラント云心也
一 伊波呂《イハロ》 我家也
一 安之布多氣《アシフタケ》 芦火也
一 許禮乃波流母志 コノハリヲモチテト云心也
一 美禰波保久毛乎《ミネハホクモヲ》 峯也
一 美佐可多婆良婆《ミサカタハラハ》 三坂メクラハ也
一 麻由須比爾《マユスヒニ》 眞結也
一 奈波多都古麻《ナハタツコマ》 馬ノツナキ繩ヲキル心也
一 阿良之乎乃伊乎佐大波佐美《アラシヲノイヲサタハサミ》 アラヲチハ男也。伊ハ弓也
一 可奈流麻之都美《カナルマシツミ》 マトニアタルヲナリヲシツメテキク心也
一 佐弁奈弁奴美許登爾《サヘナヘヌミコトニ》 勅ヲ不辭事也
一 母等都比等《モトツヒト》 本褻シ人也
一 麻比之都都《マヒシツヽ》 マヒナヒノ心也
一 夜都與爾乎《ヤツヨニヲ》 八千代ノ心也
一 宇都良宇都良《ウツラウツラ》 イツラ/\ト云心也
一 可爾波乃田爲《カニハノタヰ》 芹ヲ女ノモトヘツカハシテ狂スル心ヲヨメル也
一 爾保抒里乃於吉奈我河波《ニホトリノヲキナカカハヽ》 鳰鳥ノ重長キ心也
一 可治都久米《カチツクメ》 ツクメハトル心也。古言也
一 多可知保乃多氣《タカチホノタケ》 日向國ノ名所也。神ノ天降リ始玉ヒシ所也
一 麻可胡也《マカコヤ》 チイサキ家也
一 於保久米能麻須良多氣乎《ヲホクメノマスラタケヲ》 大伴氏ノ先祖
一 久爾麻藝之都都《クニマキシツヽ》 國廻スル心也
一 麻都呂倍奴《マツロヘヌ》 奉仕心也
一 可之姿良能宇禰備乃宮《カシハラノウネヒノミヤ》 神武天皇ノ都也
一 可久左波奴《カクサハヌ》 サハラヌ心也
一 安加吉許已呂《アカキコヽロ》 心願ハ赤キユヘニト云心也
一 須賣良敞《ス|ハ《(マヽ)》ラヘ》 スメラキ同事也
(368)一 牟奈許等母《ムナコトモ》 空シキ子共也
一 於夜乃名多都奈《ヲヤノナタツナ》 親ノ名失フナト云心也
一 已許呂都刀米與《コヽロツトメヨ》 ツカヘヨト云心也
一 美都煩奈須《ミツホナス》 水ノ泡ノ中ノ玉也
一 宇須良婢《ウスラヒ》 薄氷也
一 安來乃美加度《アメノミカト》 天智天皇也
一 多波和射奈世曾《タハワサナセソ》 タワレタルワサナセ|ハ《(ソカ)》也
一 毛婢伎奈良之《モヒキナラシ》 裳ヲヒキナレタル心也
一 都奇餘米婆《ツキヨメハ》 月ノウツリカハルヲ云也
一 伎許散婆《キコサハ》 キコシメサハ也
一 伊氣乃之良奈美伊蘇爾與世《イキノシラナミイソニヨセ》 水邊ヲモ礒ト云事アリ
一 都禰欲比伎須牟《ツネヨヒキス|モ《(マヽ)》》 ツネニヨリ來住心也
 
一 多多志志伎美《タヽシヽキミ》 宮ヲタテシ也
一 美與等保曾氣婆《ミヨトホソケハ》 トヲクヘタヽル心也
一 伎美我許乃之麻《キミカコノシマ》 池ノ中嶋ヲ君カ作シト云也
一 伊夜之家餘其騰 イヤシキリ也
 
萬葉集註釋
   萬治四辛丑年季春吉日
             中野氏是誰刊行
 
古今書院版 1928.2.8
臨川書店版 1972.11.5 
 
 〔2016年4月14日(木)御前10時5分、入力終了〕