内村鑑三全集10、岩波書店、504頁、4500円、1981.4.24
 
1902年(明治35年)
目次
凡例…………………………………………1
1902年(明治35年)
十九世紀に於ける欧米の大著述……………3
新年雑感 他…………………………………5
 新年雑感
伝道の区域
困つた国………………………………………9
希望の新年 他………………………………11
 希望の新年
 本誌の目的
 記者の職権
 神の器具
 聖意の実成
 改革の精神
 我が社会改良法
 平和の宗教
 煽動と救拯
 聖霊の要求
基督教の信仰…………………………………16
基督教の修養…………………………………22
感謝の新年……………………………………25
大望……………………………………………29
朝報存在の第一期(演舌)…………………31
「教会」を弁ず………………………………36
我等の所有物…………………………………41
日英同盟に関する所感………………………43
説と志 他……………………………………49
 説と志
 最高のオルソドキシー
 最も貴きもの
 愛と信仰
 懐疑の精神
 意志の作用
 同情推察の人
 激戦
真正の基督教…………………………………53
独立教会の真義………………………………62
再び政治を排斥す(在米の川上君に答ふ)……65
政治家を賎む…………………………………67
杜軍の大勝利…………………………………69
福音と社会 他………………………………72
 福音と社会
 福音の宣伝
 三個の福音
 福音の器具
 一大事業
 感謝
 吾等の基督教
 単独の我れ
 我の証明者
 信任
 勇気
海浜の祈祷……………………………………77
歓喜の福音(腓立比書と其註解)第1章 …81
聖書を棄てよと云ふ忠告に対して…………96
古歌と信仰……………………………………99
聖書の研究と社会改良……………………102
政治家微りせば(政治家不要論)………111
『真英国』に序す…………………………113
信者不信者を見分ける法…………………115
山桜かな……………………………………122
二個の動物園(一名 政治家動物学)…124
余の特愛の讃美歌…………………………128
 序文
 『世々の磐』
 『此身有の侭に』
 『我は王の子なり、“I'm the Child of a king”』
 キリスト信徒の交際
聖書は如何なる意味に於て神の言辞なる耶……139
辱かしめられし時…………………………148
我とキリストと……………………………150
乞食国………………………………………152
絶対的真理 他……………………………153
 絶対的真理
 天才と信仰
 信仰の解
 万民救済の希望
 信仰の目的物
 至高の愛
 希望の土台
 世を救ふの途
 余を毀ち見よ
聖書雑感……………………………………157
伝道を勧む…………………………………160
編輯後の祈祷………………………………164
基督信徒の患難……………………………165
宮川巳作『使徒保羅』書評………………172
時感三則……………………………………173
日本貴族の心中……………………………175
『独立清興』〔序文・目次のみ本巻収録〕……177
自序………………………………………178
最も幸福なること 他……………………179
 最も幸福なること
 悪人の世に在る理由
 善を為せ
ボーアを慰む………………………………182
日本国の大罪悪……………………………184
Death of Republics. ……………………186
“Imposture.”……………………………188
余の聖書(在米の河上君に答ふ)………190
健全なる思念 他…………………………196
 健全なる思念
 神命を俟つのみ
 大なるクリスチヤン
 道徳と宗教 其一
 道徳と宗教 其二
 不幸の極
 赦免の神
 愛の世界
 神助
 聖望
最も有益なる学問…………………………200
世の状態と吾人の希望……………………201
正義を唱へよ………………………………211
田中正造翁の入獄…………………………213
信者と不信者との区別(再び) 他……216
 信者と不信者との区別(再び)
 避暑
 「我身」
 神聖なる商業
旅行と修養…………………………………219
農業と宗教(「農業雑誌」第八百拾号を祝するの辞)……221
時勢の要求と基督教………………………223
政治と宗教…………………………………232
善人の養成…………………………………235
妨害 他……………………………………241
 妨害
 安心
 憐憫
 変更
洗礼約翰の最期……………………………244
天然と人……………………………………248
大井川上り…………………………………250
飢饉…………………………………………255
聖語と其略註………………………………256
 詩篇第十九篇
 羅馬書研究の方法
 人生の価値
 衆人と偕に祈るの利益
 弁明の備準
 金銭の愛
 狭隘の利益
 兄弟の親睦
 真正の兄弟
新詠 他……………………………………272
 新詠
 午後七時会
〔第三回角筈夏期講談会〕開会の趣旨…275
酒を飲まざる利益…………………………280
幸福なる我れ 他…………………………282
 幸福なる我れ
 我が武器
 山と祈祷
 輿論の勢力
 真正の教育者
 扶助なき我れ
 謙遜と意気地無
 神聖なる午後七時
骨肉の叛逆…………………………………286
狭隘の利益…………………………………291
真正の兄弟…………………………………296
国家禁酒論…………………………………305
国家禁酒論に対する反対説………………309
日本国の二大敵……………………………311
秋の到来 他………………………………313
 秋の到来
 信と学
 信仰と偏執
 本誌の性質
 信仰と無学
 智識の霊
 聖霊の恩賜
 聖霊降臨の準備
 安全の策
 大誤謬
 無識の結果
 愍むべき地位
 無きもの
 信仰と実力
 晴空録
聖詩解訳  詩篇第四十六篇……………322
救霊問答……………………………………325
実力の宗教…………………………………329
我家の憲法…………………………………335
酒と腐敗(帝国禁酒党樹立の必要)……336
宗教の大敵…………………………………338
誠信なる主…………………………………341
哥林多前書第一章―第三章………………344
 恩寵の生涯………………………………344
 基督信者の分争…………………………350
 神の愚と人の智慧………………………358
 人智と神智………………………………366
 信仰の赤子………………………………375
 万物の所有者……………………………381
抑慾の秘訣…………………………………387
信仰治療の可否……………………………388
金を要せざる慈善…………………………392
歌に就て……………………………………394
事業と成功…………………………………397
余の基督教…………………………………399
懲治的患難…………………………………402
禁酒小言……………………………………403
患難と恩恵 他……………………………405
 患難と恩恵
 無理の要求
 手段と目的
 争闘の真因
 此世
 迫害の精神
 基督信徒の徽章
 最大幸福
 患難と栄光
 至言
 信、望、愛
 キリストの愛
 万善の基礎
 独特の生涯
 歌の供給者
教界近時の弊害……………………………411
基督教的ホーム 他………………………413
 基督教的ホーム
 午後七時
予の宗教的生涯の一斑……………………415
クリスマスの声 他………………………428
 クリスマスの声
 福音を説くべし
 福音の応用
 神の教示
 歳末の感謝
クリスマス演説 平和と争闘……………433
別篇
付言…………………………………………439
社告・通知…………………………………456
参考…………………………………………462
サムエル前書解義………………………462
内村氏の鉱毒問題解決…………………468
毎日曜聖書講義…………………………470
 
一九〇二年(明治三五年) 四二歳
 
(3)     〔十九世紀に於ける欧米の大著述〕
                       明治35年1月1日
                       『学燈』56号
                       署名 内村鑑三 K.Uchimura,Editor of the“Yorozu Choho.”
 
     〔……諸先生に願ふて教を乞ひし条項は即ち次の如し、(1)文芸学術諸科学を通じて十九世紀中の最大著述 (2)最も興味ある詩賦 小説等の傑作 (3)読書家の座右に備ふべき十九世の大著述 (4)各専門の学術文芸に関する十九世紀の大著述 (5)十九世紀晩年の大著述 (6)最も有名なる十九世紀史及十九世紀研究に最も必要なる参考書 其他十九世紀中の有名なる楽曲及美術 画譜等〕
 
 拝啓御質問の条々に付き左に申上候
 (1) 小生も欧米大家の説に従ひ、十九世紀中の最大著述としてはダーウヰンの「原種論」(Charles Darwin's Origin of Species)を指す者に御座候、小生は目下主として歴史宗教等の研究に従事致し居る者に御座候得共、然りとて小生が今日尚ほ此著に負ふ所は実に多大なるものに御座候、小生をして天然の観念に意を注がしめし者、亦事物の研究に緻密を主とせざるべからざるを悟らしめし者は実に此書に御座候、小生は今日の学生が何人と雖も或は一年或は二年を消費しても此書を攻読せられんことを望む者に御座候、
 (2) 小生は和洋を問はず小説は一切之を読み不申條、然し詩は喜んで嗜読仕候、而して小生の知る十九世紀(4)の最も興味ある傑物とはヲルヅヲスの作プレルード(The Prelude,by William Wordswbrth)なりと存候、大詩人の心中は此作の中にありと存候。
 (3) 勿論専問に依て異なるべし、字典百科全書の類は何人も知る所なるべし、善き万国地図と歴史年表とは何人に取りても必要なるべし、独逸版ステイーレルの万国図(Stieler's Hand-Atlas)とプレーツの歴史年表(Ploetz's Epitome of Universal History)は小生に多大の便宜を与ふる者に御座候。
 (4) カーライルのコロムウエル伝(Letters and Speeches of Oliver Cromwell,by Thomas Carlyle)ヲルヅヲス詩集、ムルフホード氏「国民論」(The Nation,by Elisha Mulford)等に御座候。
 (5) 別に是ぞと申す者に見当り不申條
 (6) 小生は好んで太古史并に中古史を研究する者に御座候間十九世紀史に就ては至て不案内に御座候。其他楽曲 画譜等も大作と称すべき者は概ね十九世紀以前に出来し者と存候間茲には申上ず候。
 
(5)     〔新年雑感 他〕
                       明治35年1月5日
                       『無教会』11号「社説」
                       署名なし
 
    新年雑感
 
〇神に依る生涯は実に愉快なる生涯であります、歳の始より其終まで歓喜は連続致します、春には春の快楽があり、夏には夏の快楽があり、秋には秋の快楽があり、冬には冬の快楽があります、人生は涙の谷なりとは神を知らない人の云ふた事であります、左様、涙の谷ではありまするが亦姫百合を以て飾られたる谷であります。
〇一日は私共に取ては短かき一生涯であります、朝生れ、昼働き、夜は復活の希望を懐いて睡眠の床に就きます、斯くて私共には一年に三百六十五回の生涯があります、何んと楽しいことではありません乎。
〇神の命さへ守れば宜しいのであります、世が如何に成り行かふが、人が私共に就て何んと思ふが、是れ私共の如何んともすることの出来ない事であります、私共は正義有の儘を実行して、他は之を悉く神に任かすまでゝあります、幸福なる生涯の秘訣は単に此一事に存ると思ひます。
〇私共は善をなすに倦んではなりません、勿論善は一から十まで人に受け納れらるゝものではありません、然しながら二十粒蒔く善き種の中から一粒位ひは必ず果実を結びます、私共が二十人に教を説きまして其中一人が誠(6)に道を信じて呉《くれ》ればそれで沢山であります、樹に成る都ての果《み》は熟するものではありません、私共の蒔く都ての真理も亦心の畑に植え附かるものではありません、私共は唯働いて倦まなけばそれで宜しいのであります。
〇基督教は社会改良ではありません、亦家庭改良でもありません、基督教は天国の道でありまして、私共が今から之を学びますのは天国に入つた時の用意をなすのであります、私共は歓喜を此世以外に有たなくてはなりません、而して後始めて此世に於て歓喜を有つことが出来るやうになるのであります、此世に歓喜を有たふとする者は今世来世両つながらに於て之を有つことが出来ません。
 
    伝道の区域
 
〇私共は可成丈け他人の行かない所、又何人も行かふと欲はない処に行て働くべきであります、是れ実に保羅の伝道の方針でありまして、亦私共の方針でなくてはなりません。
〇日本国には人口が四千七百万余有りまして基督信者と称へらるゝ者は三四万に過ぎません、さうして今や都鄙至る所に教会又は講義所の設立を見るに至りましたけれども、然し未だ基督教の何たる乎さへも知らない者は天下何千万人と云ふ数を知りません、斯う云ふ場合にありまする私共の伝道の区域は甚だ広い者でありまして、私共は丁度阿非利加の内地に入て植民地を求むるが如き者でありまして、何にも他人の伝道の区域を蚕食するの必要は少しもありません。
〇私共は嫉妬の精神を甚だ忌む者であります、私共は何人に対しても好意を表せんと欲する者であります、故に私共は可及丈け他人の事業との接触を避けんと欲する者であります、他人が都会に働かんと欲へば私共は鄙《いなか》に行(7)きませう、彼等学生を導かんと欲へば私共は農夫職工を訪《とひ》ませう、彼等が常に目して勁敵となす所の寺院僧侶を私共は私共の友人として迎へませう、私共は謹んで他人の導いた信者に道を説きますまひ、私共は他人の先駆《さきがけ》となることあるも決して彼等の後殿となりて彼等の労働の結果を収むるが如き事は為さない積りであります。
〇世の基督信者に申します、若し私共の発行する雑誌や著書にして諸子の従来の教会的関係を害ふが如き者少しにてもあらば直に取て之を捨てられよ、私共の目的は病者を癒《いや》さんと欲するに有て全者《まつたきもの》を導かんと欲するにありません、それ故に私共は既に教会を有つ人に向ては殊更に道を説くまいと欲ひます、私共の特別に追求する読者は無神論者であります、仏教の僧侶であります、宗教も教会も有たない者であります、精神界の浪人であります、世の教役者諸子にして若し諸子の手に余る者があらば幸に其人を私共に紹介せられよ、私共は諸子の友たらんことを願ふ者でありまして、諸子の教師たらんことを欲《ねが》ひません。
〇亦地方の同志諸君に申上ます、私共は喜んで諸君の招待に応じたくは欲《おも》ひまするなれども、私共の行かんと欲する所は教会又は講義所等の在る土地にあらずして未だ曾て一回も基督教なるものゝ伝へられたことのない所であります、其交通不便の地なるは私共の元より辞する所ではありません、私共の有つ僅少計りの閑暇《ひま》は私共は之を僻陬の地の為めに費さんと欲ひます。
〇斯く申しまして私共は他の教役者に向て悪意を表するものでありません、否な好意を表しまするが故に私共は此方針を取らんと欲するのであります、我儕が事ふる主は一であります、我儕彼に忠実ならんと欲する者は如何して相争ふ事が出来ませう乎、然しながら肉に属ける我儕は可成丈け争闘《あらそい》の危険を避くべきであります、パウロとバルナバとが後には互に相離れて働きましたやうに我儕は区域を異にして働かんと欲ふのみであります、若し(8)共働の機会あらば我儕は勿論喜んで相提携して働かんと欲ひます、私共は他に意旨があるのではありません。
 
(9)     困つた国
                        明治35年1月8日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
〇正義を唱ふる者はある、然し正義を行ふ者はない、今や此日本国に於て正義を行ふ者があれば、彼は逆臣国賊の名を着せられて終に殺されて了ふ、東洋の君子国は今や正義の行はれざる国となつた。
〇不義に依て立ち、不義に依て持続されつつある此政府と社会、彼等は正義の大敵である、若し正義を実行せんと欲せば此政府と社会とを斃さゞるを得ない、然し是「忠君愛国」の主義に反することであつて、今の日本人の敢てする所ではない、彼等は皆な正義を圧しても「忠臣」たり、「義士」たらんと欲する者である、故に日本国の改善は今の日本人からは到底望めない
〇社会問題の解決は易い、即ち其法律的又は倫理学的解釈は至て易い、然しながら其実行は難中の難である、法も道も人に依て行はれるものである、之を行ふの人がなければ明法も明倫も無いと同然である、日本国の法律は立派である、其道徳も立派である、然し其裁判官と学者と教育家と宗教家とは?……
〇人を作らんかな、人を作らんかな、人を作て而して後に社会を改良せんかな、是れ余輩の唯一の社会改良法である、是を措いて社会問題を喋々する者の如きは兵を練らずして軍を談ずる者である、炭《たん》を燃かずして汽車を行らんと欲する者である、是れ不可能の事である、故に他の人が社会問題に熱注しつゝある間に余輩は耶蘇坊主と(10)なり又は理想団員となりて新人を作らんと欲する者である。
 
(11)     〔希望の新年 他〕
                      明治35年1月25日
                      『聖書之研究』17号「所感」                          署名なし
 
    希望の新年
 
 世に悲歎の事多し、然れども吾等は希望の神を信ず、吾等彼を信ずるが故に此悲歎の世に在て全幅の希望を以て茲に新たなる年を迎ふ。
 
    本誌の目的
 
 社会を改良するための雑誌にあらず、国家を改造するための雑誌にあらず、亦必しも人に喜楽を供するための雑誌にあらず、神の聖旨を宜るための雑誌なり、その福音を伝ふるための雑誌なり、神を宣べ伝ふるは本誌唯一の目的なり。
 
    記者の職権
 
 我れ筆を執て此誌に対す、我は我にして我にあらず、我は我れ以外の者なり、然り我は我れ以上の者なり、我(12)は「或者」が我に告る事を伝へ、わが思惟以上の事を語る、此時に於ける我の言は我れ以上の権能を有す、人、之に聴かざるべからず、そは是れ我が言にあらざればなり、之に永久の真理存す、そは之れ至高者の言なればなり、記者たるの我は公人にして私人にあらず、神の人にして肉の人にあらず。
 
    神の器具
 
 我に罪過あり、神は之が為めに我を罰し給ふ、然れども我の不浄は神が我を使用し給ふ時の妨礙ならず、神は其霊火を以て我をしも潔め給ふなり、神は我の愚《にぶ》きを通してその智《さと》きを伝へ、我の弱きを通して其強きを顕はし給ふ、土塊を以て人を創造り、之に生命を嘘入《ふきい》れ給ひし神は、我をしも用ひて其|聖霊《みたま》の器となし給ふなり。
 
    聖意の実成
 
 我が欲ふ事の成るにあらず、我が欲はざる事の成るなり、是れ我が意の此世に成らざらんがためにして、亦神の聖意が我を通して成らんためなり、我は返て我が不能を喜ぶ者なり。
 
    改革の精神
 
 社会の改良、新国家の建設、是れ吾等を奮起せしむるに足るの思想にあらず、肉体の復活、基督の再来、万物の復興、不朽の栄光、是なくして吾等に飛揚の歓喜あるなし、活動の動機あるなし、吾等は此地以上の者たるにあらざれば此地を改造するに足る者たる能はず。
 
(13)    我が社会改良法
 
 人は直に社会を改良せんと欲す、我は人を改良して社会を改良せんと欲す、人は直に人を改良せんと欲す、我はキリストを通して人を改良せんと欲す、我の社会改良法は甚だ迂遠なるが如しと雖ども、而かも過去二千年間の人類の歴史に徴して、我は其最も確実にして且亦最も迅速なる改良法なるを知る。
 
    平和の宗教
 
 我は我が基督教のために人に殺さるゝことあるも、人を殺すことあらじ、我は我が信仰のために人に迫害せらるゝことあるも、人を迫害することあらじ、基督教は血を流すことあり、然れども之れ我の進んで流すにあらず、守て流さるゝなり、基督教は我に取ては徹頭徹尾平和の宗教なり。
 
    煽動と救拯
 
 社会は煽動に依て革まる者にあらず、煽動は塵を飛ばし、泥を揚るに止まる、煽動の効は汚濁の存在を示すにあり、其他にあらず。
 社会は愛心に依て革まる、人の罪を赦し、之れを我身に担ふに依て潔まる、贖罪は社会改良唯一の法なり、之れに依てキリスト我を潔め給へり、我は之れに依て社会を潔めん。
 
(14)    聖霊の要求
 
 或る時は神が見えなくなる、或る時はキリストが貴くなくなる、或る時は歓喜も希望も我が心より失せて我は普通の肉の人となる、其時には我は我が心に卑しく想はれて、何のために此世に生存して居るかゞ解らなくなる。
       *     *     *     *
 聖書を読むも熱心は我に還らぬ、祈祷を続けるも聖霊は我が心に降らない、天を仰ぎ地に伏すも、我は我自身を救へない、其時に我は思ふ、我は神に棄てられしかと、或は神は存せざる乎と、或は我の信仰なるものは総て皆な空想なりし乎と、是れ我に取て最も辛らい時である。
       *     *     *     *
 我が生涯は斯くて終る者ではあるまいか、我が信仰は一時的のものであつて、我が世を去らんとする時に我を去るものではあるまいか、我は虚空の上に希望を築いた者ではあるまいか、我は懐疑を以て終る者ではあるまいか、我は如何《どう》して往時の熱心を恢復しやう乎、其時に我は詩人と偕に神に叫んで曰ふ、「我が霊魂《たましひ》は塵につきぬ、汝の言に従ひて我を活かしめ給へ」と(詩篇百十九篇二五節)。
       *     *     *     *
 我に智識がないのではない、我は三十年の長き学問に従事した者である、我は少しく天然に就て知る、聖書の智識も我の全く有たないものではない、然れども神の聖霊我が心より失せて我が智識は反て我の苦痛である、不消化物の我が胃中に存して我に苦痛を感ぜしむるが如くに、霊化されざる智識は我が脳裡に存して我を懊殺せん
(15) 我に亦済世の意志がないではない、我は国を愛し民を思ふ、然しながら霊火我の心に熄へて、我は民のためを思ふて彼等のために何事をも為すことが出来ない、我は唯世を慷慨する計りで、之を済ふの能力を有たない、神の霊を奪はれし我は精神的の不具者である、世に歯癢き事とて欲ふて為し能はざるが如き事はない。
       *     *     *     *
 来れよ、聖霊、来て再たび我が心を俘虜にせよ、我が口に新らしき歌を置けよ、我が心の堅き氷を解いて、其中に喜びの花を咲かせよ、我が眼をして我が主を其栄光に於て見るを得さしめよ、我が愛心に能力を添へよ、我をして単に学の人たるのみならず亦働らきの人たらしめよ、世は汝の降臨を要する切なり、我をして先づ汝の光に撃たれしめよ、『我れ此所にあり、我を遣し給へ』(以賽亜六章八節)改行
 
(16)     基督教の信仰
                      明治35年1月25日
                      『聖書之研究』17号「講演」                          署名 内村鑑三
 
     愚妹の如く基督信者とならんと欲せざる者も聖書の研究に従事致し得るや御示し被下度候
             (武州岩槻某婦人の来書)
 日本国が改築せらるゝ時は日本人の多数が基督教を信ずる時である、此事に就ては吾等は一点の疑ひを懐かない。
 然しながら日本人が基督教を信ずるとは彼等が宣教師や牧師から洗礼を受けて今の基督教会に入ると云ふことではない、洗礼を受ると云ふこと、基督教を信ずると云ふ事とは全く別物である、余輩の見且つ聞く所に依れば洗礼を受けて立派な教会員でありながら無神論者も敢てしない事をする人が沢山ある、善く基督教の何たる乎を究めないで基督教信者(所謂)となつた者は沢山ある、故に今日の所では此国に在て基督教信者であると云ふ事は其人に取て決して名誉ではない、彼が教会員であると云ひて彼を信じて彼と事を共にする時には酷い目に会ふ事が度々ある。
 基督教を信ずるとは先づ第一に基督の行為に傚ふと云ふ事である、基督は怒らなかつた、基督信者たる者は怒つてはならない、基督は謙遜であつた、即ち己れ神の子でありながら僕《しもべ》の貌《かたち》をとりて己を卑うして人のために尽(17)した、吾等も此心を有たなければならない、彼は勤勉であつた、彼は労働を以て耻と為し給はなんだ、吾等も彼に傚ふて善く働かなければならない、懶惰は基督信者に取ては弱点ではなくして罪悪である、基督は亦柔和であつた、此点に於ては彼は殆んど女の如くであつた、彼の愛は実に婦人の愛にも勝つた(撒母耳後書一章二五節)、吾等にも彼にありしやうな女らしい所がなくてはならない、女らしいとは勿論女々敷いと云ふ事ではない、吾等も基督のやうに感情が鋭敏でなくてはならない、衿恤《あはれみ》に富まなければならない、温き同情の涙に溢れなければならない、是が基督のやうに婦らしい事である、此心がなくてはヱライ政治家にも又軍人にもなる事は出来ない、泣くことの出来ない人は基督信者ではない。
 吾等は勿論今日直に基督のやうな完全の人となる事は出来ない、基督信者とは勿論完全の人と云ふ意ではない、然しながら彼は完全を追ひ求むる人であつて、彼の不完全を常に慨く者である、悔改とは実に此悲歎の心を云ふのである、基督信徒、一名之を「悔ひ改めたる罪人」と云ふ事が出来る、単に過去の失敗を悔む計りではない、自己の罪性を歎くことである、歎いて神の宥恕を乞ひて其霊を受けて罪を癒されんことを望むことである、此悲歎と慾望とがなくして如何なる人も基督信者と称ふ事は出来ない、我は義人なり、我は心に一点の疚しき所なき者なりと誇る人は聖人又は義人であるかも知れないが基督信者ではない。
 基督のやうな人になることである、是れが基督教を信ずると云ふ事である、基督教を哲学的に攻究すると云ふことではない、基督教学者となると云ふ事ではない、基督教の真髄を探つて、仏教、儒道、其他の宗教を駁撃すると云ふ事ではない、勿論亦教会の儀式を落度なく守ると云ふ事でかない、多くの場合に於ては斯かる事柄が基督教であるやうに思はれて居る、然し決して爾うではない、宗教とは何んである耶、予言者ミカは此問に答へて(18)曰ふた、
  ヱホバの汝に要め給ふ事は唯正義を行ひ、憐憫を愛し、謙遜りて汝の神と解に歩む事ならずや、(米迦書六章八節)
 洗礼あるも、晩餐式あるも、堅信礼あるも、信仰箇条あるも、若し是れなくば宗教はない、是れ常識《コンモンセンス》である、然しながら多くの場合に於て人に信ぜられない事柄である、宗教と云へば何やら秘伝でゞもあるやうに思はれて居る、何にか普通道徳の代理をする者のやうに思はれて居る、神社仏閣に参詣すればそれで淫行《いたづら》を行しても博奕をなしても可いやうに思ふて居る人がある、故にヱライシヤ、ムルフホードと云ふ学者は「基督教のみは宗教ではない」と云ふた、即ち基督教のみは道徳の代理をする者ではないと、の意である、実に適切の言である。
 然しながら単に善行をなすのみが基督教ではない、基督教は道徳以外のものではないが、然し道徳のみではない、若し爾うならば基督教は儒教と同じものである、基督教是れ高潔なる道徳なりと云ふ者は未だ基督教の何たるを知らない者であると思ふ、斯う云ふて基督教は何にも道徳の「工風」を教ゆる者ではない、「工風」とは不自然のものである、即ち人の拵へたものである、若し禅宗が胆力鍛錬の工風であるならば基督教はそんなものではない、道徳ではない、亦道徳の工風でもない、基督教は道徳の精神であつて其根源である。
 仁愛、喜楽、平和、忍耐、温柔、※[手偏+尊]節、是れ皆な是を目的として達し得らるゝものではない、是れ皆な聖書に所謂る「霊《みたま》の結ぶ所の果《み》」であつて、之を完全に行はんと欲すれば先づ心の状態から直して行かねばならないのである、人は素々神の僕として造られたる者であるから彼が人たるの本分を完全に尽さんと欲すれば先づ僕(神の)たる彼の本来の位地に立戻らねばならぬ者である、唯善人になりたいといくら焦慮つても彼は善人となるこ(19)とは出来ない、偶々修養の結果とやらで彼が善人になつたと思へば彼は自身の高徳を誇る高慢の人となつたのである、無神論者の道徳が道徳の如くに見えて実は道徳でないのは少しく事理に通じた者の能く知る所である、真正の道徳は絶対者に対する吾等の心の態度より来る者である、爾うして基督教とは人の心を此正当の態度に還さんとする者である。
 斯くするために基督教は人に罪の源因を告るものである、聖書が吾等に教ゆる所に依れば罪なるものは決して天然のものではない、若し之が天然のものであれば之は罪ではない筈である、罪とは人の良心と深い必然の関係を有つもので、之は彼が犯したものでなければならない、即ちそれが為めに彼が罰せられる可き者でなければならない、然しながら彼は如何して罪を犯すに至つたか、彼は罪を犯し度くして之を犯したのである乎。
 基督教は此問ひに答へて云ふ、人は罪を犯せり、而して罪を犯せしが故に彼は罰せらるべし、然しながら彼は罪を犯す前に之を犯さゞるを得ざるに至れり、即ち彼は神を離れ、神より独立せり、是れ彼が罪を犯すに至りし所以なり、と、罪悪問題は実に人生の最大問題である、都ての道徳も宗教も政治も、亦た能く探究して見れば医学も法律も文学も皆な此問題を解釈せんために起つたものである、如何にして人をして罪を犯さゞるに至らしめん乎、世に是より重大なる問題はない、爾うして基督教は大胆に、明白に、歴史的に、事実的に此最大問題に対する答案を与へたのである。人が罪を犯すのは彼は之を犯さゞるを得ないから犯すのではない、彼に肉躰なるものがあつて、之が彼の霊に逆つて彼に罪を犯さしむるのでもない、人は素と罪を犯すの必要があつた者ではない、亦今日も之を犯すの必要があるものではない、今や義人天下に一人もなしとて我れ適当の道に由て我れ惟り義人たるを得ない理由はないのである、我は天に父なる神の在るのを忘れ、我れ惟り我が意志の能力《ちから》に由て大聖人と(20)なるを得べしと信じたのが抑々誤謬の開始なのである、我は人なれば神に頼るべき者である、彼の霊を我が心に受けて始めて善人となり得る者である、若し我が我意を張つて我は縦令神たりと雖も其奴僕とはならじと威張るとも、悲かな我は人にして神にあらざれば、我は自から独力で純潔なる人となることは出来ない、人は人たるの態度に還つて、初めて人らしき人となる事が出来るのである、基督教の教ゆる所は実に是れ丈けである、学ぶに至て困難なるやうに見えて実は至て容易である。
 基督教は罪の源因を明にすると同時に亦其芟除の途を供へる、一度び罪を犯したる者は既に精神上の病人である、彼は唯だ心に罪を憎んだ丈けで罪から脱する事は出来ない、否な、彼は既に真個《ほんとう》に罪を憎むことの出来ない者となつた、彼は今は罪に苦む者ではあるが之を取去ることの出来ない者である、罪の結果を憎む者で、罪其者は反て之を慕ふ者である、罪を慕ふて而うして之より免かれんとす、是れが人生の悲劇である、茲に於てか贖罪の必要が出て来るのである、即ち罪より我等を引上げ、吾等が今慕ふ所のものを憎ましめ、罪其物に対して非常の憎悪の念を生ぜしむるものゝ必要が出て来るのである。
 贖罪と云へば何にやら他の人が吾等の為めに罪の賠償をして呉れて吾等自身は何にも為すことなしに罪の身の儘に永生に入ることの出来るやうに思ふて居る人が有る、然しながら是れ単に贖罪を文字通りに解釈してより起る誤迷であつて、基督教の所謂贖罪(Atonement)なるものは決してそんなものではない、英語の Atonement とは At-one-ment との意であつて、「二者をして一ならしむる」の意であると云ふ、即ち人類の罪悪に依て乖離せる神と人とを再び一ならしむる或る行動又は事実を指して云ふのであると云ふ、それは兎に角、基督の贖罪なるものはこの神人和合一致の結果を生ずるものである事は確かである、基督の十字架上の死は罪人をして其罪を(21)嫌はしめ、それがために彼に取りて今日まで慕はしかりし罪は憎むべきものとなり、彼の心に一大変動を起して、彼をして努めずして善を追求せしめ、悪を避けしむるに至る、是れ何が故に然る乎、其理由の解説は別の事として、其所謂る贖罪力の絶大なることは数百千万人の実験に照らして疑ふべくもない、十字架上の基督を望み見て罪なるものは全く吾等の心より消え失するのである、幾那《キナ》剤に由て熱が下るよりも速かに、莫爾此涅《モルヒネ》剤に由て痛みが去るよりも確かに、罪の苦痛は基督の死に依て取り除かるゝのである。
 何故爾うである乎、何故基督の十字架など云ふ訳も分らないものに由らなければ罪は除かれない乎、何故人は自力で清浄潔白の者となる事が出来ないかと問ふて吾等基督信者を責める者がある。何故かは吾等は能く知らない、之に哲学上の解釈もある、病理学上の解釈もある、生物学上の鰐釈もある(『求安録』参考)、然しながら何よりも確かなるものはその効果其物である、何故幾那が熱を冷すか、未だ病理学上の疑問である、然しながら其下熱剤たるは誰も疑はないから、医師も素人も安心して之を用ふる、吾等が基督の十字架を世に勧るのも同一の理に由るのである。
 基督教を信ずるとは基督に依て神に還ることである、爾うして神に還ることが出来て吾等が始めて自由に善を為すことが出来るやうになるのである、神、基督、善行、是に達するのが基督教の目的である、其他は都て余計である、洗礼!受けても宜し、受けずとも宜し、教会!入つても宜し、入らずとも宜し、法王、監督、牧師、執事……彼等若し基督を説き、其栄光を顕はす者ならば彼等に聴け、然れども若し然らずば彼等に聴かざれ、彼等も同じ人である、彼等は罪を赦すの力を有たない、彼等がその専有権として手に握れる儀式は、其物それ自身に於て何の効力をも有たない者である、吾等は彼等に欺かれざるべし、吾等は基督に行て彼等に行かじ。
 
(22)     基督教の修養
                      明治35年1月25日
                      『聖書之研究』17号「講演」                          署名 内村鑑三
 
 基督教にも修養なるものがあります、然し是は儒教や禅宗で云ふ修養とは全くその趣きを異に致します、基督教で云ふ修養なるものは胆力鍛錬ではありません、又喜怒哀楽の情を自由に支配すると云ふ事でもありません、或は山に立籠り、或は禅寺に入て、身を責め、慾を制するが如きは基督教の修養ではありません、日本や支那で修養と云へば何にやら凡人には出来ないことのやうに思はれて居ますが、基督教の勧むる修養なるものはそんな不自然の者ではありません。
 基督教の修養第一は祈祷であります、是は神と偕に在る事であります、或は山に登り、流れに臨み、或は密室に入て、我が心の満腔の感謝を神に捧げ、時には亦我の悲痛を訴へて神の慰藉に与かることであります、我等は亦友人と共に祈ることもあります、又稀には公会堂に入て衆人と共に祈る事もあります、讃美は又我等の祈祷の大部分であります、我等の歓喜心に溢れて我等は歌はずには居られません、祈祷と讃美とは神の霊を以て我等の心を充たされんための修養であります。我等の修養第二は聖書の研究であります、我等は聖書に由て信仰の糧を得るのであります、基督信徒の人生観なるものは聖書に於てのみ示されて居ります、或人は基督信徒は正道を践む者であるから、何にも必しも聖書計りに頼る必要はないと申します、然しながら是は未だ深く聖書を研究した(23)ことのない人の云ふ事であります、以賽亜や、何西亜や、約翰や、保羅の伝へた事に、釈迦や孔子や、プラトーや、シセロが夢に見たことの無い事があります、基督教の人生観なるものは世の聖賢君子が伝へたものとは全く別物でありまして、我等が聖書を探つて、其真理を発見しました時には丁度コロムブスが新大陸を発見した時のやうな心持がするのであります、「耶和華云ふ、我の思念は汝の思念にあらず、我の道路《みち》は汝の道路にあらず、蓋は天の地よりも高きが如く我の道路は汝の道路よりも高し、我の思念は爾の思念よりも高し」と、(以賽亜第五十五章八、九節)、即ち聖書に示されたる神の聖意《みこゝろ》と論語や孟子やプラトーの『共和論』に書かれたる人間の思念との間に天地の別が在るとの意であります、「是故に人キリストに在るときは新たに造られたる者なり、旧きは去りて皆な新らしく作るなり」と保羅は申しました(哥林多後書七章十七節)、聖書は他宗の教典に較べて見て至て短かい書であります、亦外見上至て容易《やさし》い書のやうに見えます、然しながら容易いやうに見えますのは其文字丈けであります、是を学ぶの困難は其文字や理屈にあるのではありません、聖書研究の困難は其伝へんとする真理の奇異なるのに因ります、基督教は神と人生とを如何に見るかゞ解つて、聖書の研究は至て容易で且つ非常に面白いものであります。
 我等の修養第三は労働であります、労働は我等の信仰を確かむるものであります、亦之を固める者であります、労働は信仰の実験であります、基督教は神の真理でありまして、人の工風した空想でありませんから、之は是れ日常の生涯に試みて有効なる者でなくてはなりません、基督教は書斎の宗教ではありません、又寺院教会の宗教でもありません、基督教は実際の宗教であります、即ち是を農に施し、商に施し、工に施して偉大なる実効を奏する宗教であります、勿論之を施して直に金が儲かると云ふのではありません、然しながら神の真理であります(24)から之は是れ正直なる労働とあれば何れの労働に施しましても我等に永久の大満足を与へ、我と世とを永久に益する真理でなくてはなりません、爾うして是れは過去二千年間に於ける幾千万の正直なる人の実験に依て明かなる事でありまして、我等も亦我等の身に於て自身此世界通有の大真理を試めさなければなりません。
 基督教を信ずる農夫の修養とは善く忠実に其田圃を耕すことであります、斯くして彼は始めて基督教の真髄を識ることが出来るのであります、彼は何にも伝道師となつて、特別に基督教学者となるの必要はありません、否な、鋤を棄て神学書を手にする者は返て基督教を忘却するものであります、最も善き説教は教会の講壇にあるものではなくして、谷の小川の其辺りに桜草が咲く所にあるものであります、雲雀の声を善く聞く者はムーデーやビーチヤーの説教を聞よりも幸福であります、我等は神に頼らずして何事も出来ません、農なり、工なり、商なり、若し之を究め見れば皆な是れ神と人との共同事業であります、斯くて神と共に働らいて我等は神を知り、神と偕ならざるを得ません、基督教は到底労働に依らざれば解らない宗教であります。
 基督教の修養! 是れ座禅でもなければ、読書でもありません、基督教の修養は祈祷を以て神と交はることであります、聖書に於て神の聖旨を探ることであります、爾うして其後は田圃に於て、職工場に於て、又は帳場に於て神より賜はりし能力を実行することであります、何んと常識に適ふたる、又何んと有益なる修養法ではありません乎。
 
(25)     感謝の新年
                      明治35年1月25日
                      『聖書之研究』17号「雑録」                          署名 角筈山人
 
 新年は全躰に幸福なる者であるが、然し今年程幸福なる歳は余輩に取ては曾てなかつた、先づ歳の暮に方て何人も心配することは勘定支払の事であつて、余輩の如く此非基督教国に在て基督教を説くを以て唯一の業となして居る者に取ては歳の暮は随分心配の時である、勘定が足らぬと云ふて行て補給を仰ぐべき教会もなければ会社もない、只日毎の糧を我儕に与へ給へと祈るの外に余輩に余輩の貸主に対して余輩の責を充たすの途はない、余輩は唯働いて祈るまでゞある、爾うして若し宇宙に神なる者がなくして、余輩の祈祷はたゞ空中に失する者であるならば世に余輩程頼み尠い者はあるまい。
 然しながら神は在る、必ず在る、神は其約束を守り給ふ、彼は余輩の信仰を無益に終らせない、汝の能力は汝が日々に需むるところに循はん(申命記三十三章二五節)と約束し給ひし神は日に月に歳に我儕の欠を補ひ給ひて我儕をして乏しからざらしめ給ふ、世間全躰に不景気を歎ずる時に方て誰か宗教の為めに費す者あらんやとは人も我も預期せし所なりしなれども、然れども時が来りて見れば豈計らんや余輩の読者は餅を廃しても真理の※[麥+面]麭を食はんと欲する人達であることが解つた、諸氏は歳末に至て此微さき雑誌を忘れ給はなんだ、諸氏は歓んで諸氏の責を尽されて余輩をして余輩の責を尽すことを許された、故に余輩は幸にして紙屋にも活版屋にも広告屋に(26)も一銭一厘の負債を余すことなしに芽出度き春を迎へる事が出来た、それ計りではない、余輩の会計小僧は余輩に報告するに余輩が常に神聖に保存する読者諸氏よりの前金貯蓄に更に幾干の増加あるを以てした。
 余輩雑誌事業に従事する茲に四年、殆んど単身孤独之に従事することなれば何時|阻碍《さまたげ》を見る乎知れざる境遇に在る者であつて、既に一昨年の六月のやうに心臓も張り裂けん計りの痛き経験を有つた事もある、然しながら全躰に之を評すれば余輩の雑誌的生涯は無事平穏の生涯であつて之を回想して余輩に只感謝の涙あるのみである、若し頒つべきの思想なくば虚偽を読者に頒たんよりは寧ろ白紙を頒つべしと予て誓ひし余輩も未だ一回も白紙を読者に頒ちしことなく、亦金鉄の身を以て誇る能はざる余輩は過去四年間未だ一回も疾病に妨げられて雑誌の発刊を怠つた事もない、殊に此種の事業の最大困難なる会計問題に就ても未だ一回も差したる不足を感ぜしことなく、随て未だ一回も友人の許に走せて急援を乞はねばならない事もなかつた、余輩は以上の事を思ふ毎に余輩の事業は確かに至《いと》高者《たかきもの》の事業であることを疑ふことは出来ない。
 殊に昨年は平穏、喜楽、進歩の時であつた、実は余りに平穏過ぎて反て余輩の筆勢の稍鈍るを感じた位ひである、人の健全に最も必要なる者は強敵である、敵の無い者は進歩せざる者である、然るに昨年は殊更に余輩に敵する者一人もなきに至て、余輩は反て神の懐に隠るの機会を多く有たざりしが故に神恩を感ずること平年に比して稍々尠き乎を歎ぜざるを得なかつた、然しながら余輩は殊更に艱難を需むべきではない、平和は何の形状《かたち》を以て来るとも神の賜として感謝して之を受くべきである。
 敵の減じたと同時に友人は著しく増加した、北は北海道の北見より南は台湾の台南まで旧情は温まり新情は固たまり、吾等は此日本国に在て一大友義的団躰を知らず識らずの間に作つたやうに感ずる、『東京独立雑誌』の(27)後を享けたる『聖書之研究』は普通の雑誌ではない、其記者と読者との関係は商估と其華客との関係ではない、吾等は一団の家族である、吾等は此小なる機関に依て同一の精気を呼吸する者である、「研究読者」と云へば相互に何にやら懐敷思はれる、多くの深密なる交際は此関係から起つた、此事は余輩が特別に神に感謝せざるを得ない事である。
 東京の僻隅角筈に在て一小雑誌を編輯しながら、読者より送られし天下の珍味を味ひながら新年を迎へたりと云ふたならば天下数百の雑誌記者は余輩の境遇を羨むであらふ、然し之は事実である、余輩は感謝の余り此事に就て大に天下に向て誇らねばならない、既に雑誌を購はるゝことが余輩に対して無上の好意であるのに、其上更に好意を表せられんがために其土地々々の産物を寄せられて余輩の心を慰めらるゝ読者あるを見て、余輩の心の杯は溢れん計りである、北見の海岸よりはオクホツク海に游泳せし橙色を帯びたる鮭魚は酒粕に漬けられて来る、羽前の国よりは其中央山脈冱寒の地に神と友との協同事業に依て培養されし林檎が寄贈者の赤心を表せん計りた真赤になつて余輩の許に来る、飛騨山中渓流碧湍を飛ばす所に捕へられしと思はるゝ香魚は塩漬となりて是れ又角筈の里に来る、浪花の都よりは記者の不精を責められんためにか、将た又贈者の香はしき心を表せんためにか、いとも香はしき石鹸一ダースは来りし新年の終りまで余輩の身を潔ふして心を潔ふせよとの意を以て是れ亦角筈の里に来る、信州は寒国であるから氷餅を送り、真綿を送り、以て余輩の冷淡を責められる、甲州の柿に紀州の蜜柑、勿論人はパンのみを以て生る者ではないから食物の饒多の故を以て殊更に喜ぶべきではないが、然し是等は物でなくして精神であり、肉躰の食物でなくして霊魂の慰藉であるを知れば余輩が茲に之を自慢そうに書き立つるのも決して無理ではないと思ふ。
(28) 斯くも神と人とに恵まれて此新らしき新年を迎ふる余輩の幸福も亦大ならずや、余輩は今年も亦余輩に取りて如何なる年である乎を知る、即ち又恩恵の一年であることを知る、今日迄多くの危険を経て我を導き給ひし神は終りに至て我を棄て給はじ、余輩は新年の始めに方て読者諸君に告るに唯パウロがピリピ人に書き送りし言あるのみである。
  我には総ての物そなはりて余りあり、………夫れ我が神は己の富に従ひてキリストイヱスにより栄光を以て諸君の乏しき所を補ひ給はん、
  願くは我儕の父なる神に世々栄光あらんことを アーメン(腓立比書四章十八、十九、二十節)
 
(29)     大望
                        明治35年1月25日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
〇社会党員某曾て威那国の劇作者にして詩人なるイブセンを訪ひ問ふて曰く「先生社会党を以て如何となす」と、イブセン答へて曰く「然ればなり、余の看る所を以てすれば社会党員の為す所は鶴嘴《ピツクアクス》を以て山を掘るが如し、余は鉱山の底に深く穴を穿つて之を満たすにダイナマイトを以てし、爆発一番以て全山を壊さんと欲す」と、某其一|言《ごん》に辟易して去りしと云ふ。
〇富を平均するも何かせん、吾人は宜しく富なるものに対する慾念を絶つべきなり、貴族を廃するも何かせん、吾人は宜しく吾人の心底に於て皆な悉く貴人たるべきなり 富を求むるの必要なく、名誉を追ふの心なきに至て真正の社会主義は世に行はるゝに至るなり。
〇言ふを休めよ、是れ難事なり、到底此世に於て行はるべきにあらずと、是を今日の政治家に望み、亦たその教育家に待て其難事たるは疑ふべからず、然れども是を釈迦保羅、ソクラテスの如き人に望んで、実《じつ》成し難き事にあらず、世は既に幾回か無私無慾の社会を見たり、英国の清党時代の如きは其一例なり、此時に際して社会に貴族あるなく、富者あるなし、人は人として尊敬され、正義は法律として服従さる、余輩の日本国に於て見んと欲する事は清党時代の一度び我が国民の中に臨まん事なり。
(30)〇人あり曾てトマス、カーライルのために英国政府に諮り、彼を貴族に列せしめんと欲す、カーライル此事あるを聞て笑て曰く、何人か醜夫我がために此事を謀る、我は英国貴族の列に加へられんよりは寧ろ西印度産の巻煙草一箱を得んと欲すと、常に社会党を嫌て止まざりしカーライルこそ真正の社会党員なりしなれ。
〇仏国を改造し其自由をして米国にまで及ぼさしめし者はダントン、ローベスピヤ等の激徒にあらずして、顔色常に蒼然 蒲柳の質を以て書斎に隠退蟄居せし哲学者ジヨン ロツク其人なりしと云ふ、羅馬帝国を改造せし者はハン、バンダル等の蛮族にあらずして、平和の福音を齎らして鎖に繋がれながら羅馬に入りしタルソの天幕職工パウロなりしと云ふ、言あり曰く 成る事は微々にして破るゝ事は大なりと、世に所謂大なる事の成るに非ず、微々として世の耳目に触れざる事の返て成るなり、愛、平和、ホーム、労働――是れ国家を改造するの原動力なり、帝国議会、示威運動――是れ児戯なり怕るゝに足らず。
 
(31)     朝報存在の第一期(演舌)
       (万朝報三千号に寄す)
                        明治35年1月27日
                        『万朝報』
                        署名 客員内村鑑三
 
 諸君、我が万朝報は今年今日を以て其第三千号に達しました、是れ私共の非常に喜ぶことでありまして、亦諸君が朝報のために祝して下さることであります(同感)。
 三千号十年の生涯は短いやうで実際は随分永いものであります、此間に多くの新聞紙は起りました、起つて又消えて了つたものも沢山あります、又まだ存在して居りましても、独り存在することが出来ずして、或は節を藩閥政府に売り、或は政府よりも悪い政党に売つた者も大分あります、或は金持の道具となつた者もあります、或は其|幇間《たいこもち》となつた者もあります(然り、実に然り)、然るに幸にして我が万朝報は過去十年聞かゝる災害に罹ることなく、自立自存して今日あるに至りましたのは是れ実に朝報の栄誉と致すことでありまして、又実に天佑に依ることであると思ひます(ヒヤ、ヒヤ、宗教臭いな)。
 天佑に依ると申しますると何やら宗教臭く聞えます、然しながら朝報過去十年間の歴史を能く稽へた人は天佑の一言を以て其成効の秘訣を評するより他に言葉はないと思ひます(仕方がない、君に同意しやう)、若し社会の攻撃が朝報成効の秘訣であると云ふ人がありますならば私は之に答へて申します、社会の弊害を指摘して止まざ(32)る新聞紙は尚ほ他にも沢山ありますと、下民に対する同情、即ち平民主義が、朝報盛大の理由であると云ふならば、平民主義の新聞紙は尚ほ他にも沢山あります、故に人は評して朝報は運の好い新聞紙であると云ひます、然し私共少しく其発達に注意して居りました者の眼より見ますれば、朝報の好運は之に天の佑助があつたからだと思ひます(満座静粛)。
 偖此三千号と云ふ祝すべき且つ記憶すべき標柱の側に立ちまして、私共は朝報の過去を顧み、且つ其未来を考ふべきであると思ひます(謹聴)、朝報は其存在第一期に於て何を為しましたか、是れ先づ第一に私共の茲で考究すべき問題であると思ひます 朝報は今日まで如何なる善を為しましたか 或は如何なる不善を為しませんでしたか、私は少しく此事に就て考へて見たいと思ひます(謹聴)。
 私は思ひます、朝報は第一に政府又は政党の機関とはなりませんでしたと、是れ実に明治時代の日本に在て新聞紙に取ては容易の事ではありません(ヒヤ、ヒヤ) かの悪魔に類したる今の政治家は己れ正道の頼るべきものがありませんから、何んでも利益を以て総ての者を其味方と為さんと努めます(君の政治嫌ひは何時もながら大賛成だ)、彼等は生来の淫売婦でありまして、人の良心を誘《いざな》ふより外に人を支配するの術を知りません(少し強過ぎるぞ)、それ故に今日まで彼等のために其骨|鎔《とろ》け、其胆を奪はれた新聞紙と新聞記者とは沢山ありました、(挙て数ふべからず) 然るに其間に立て十年一日の如く政治家たる者に対して一の好意を表することなく、一視同悪、彼等全体を看ること二本足を有したる、獣類と思ひ来りましたことは是れ朝報が今日天下に向て大に誇るべきことであると思ひます(拍手大喝采)
 第二に朝報は賄賂を取りませんでした、斯く云ふて彼は其潔白を誇るのではありません、収賂《しうろ》は商売の一点か(33)ら云ふても損であります、朝報は計算上からでも賄賂を取りません、賄賂を取る者は一時の利益のために永年《えいねん》の利益を犠牲に供する者であります 朝報如何に愚なりと雖もそんな愚は学びません、賄賂を取る者は悪人と称ふよりは寧ろ愚人と称ふべきであると思ひます、朝報愚なりと雖も賄賂を取る程の愚人ではありません、(朝報エライぞ)。然しながら愚人の多い此世の中に在て決して賄賂を取らなかつたのは朝報に取て大出来でありました、朝報は茲に君子ぶつて収賄の敗徳たる理由を説教致しません、唯、全く営業上より観察しまして、収賄の損害を同業者に勧告致します(君も亦一種の商売人だな)。
 第三に朝報は愛想を振り蒔きませんでした 朝報は官庁又は政党、又は金持に媚びませんでしたのみならず、亦公衆に向ても殊更に其好意を迎へんとは致しませんでした、朝報は曾て其定価以下に其新紙を売捌いた事はありません、朝報は今回を除くの外曾て特別大附録を添へた事はありません、又今回と雖も別に名士に依頼して其祝文を乞ひません、朝報は常に好からんことを努めまするも或時に非常に好からんことを努めません、それ故に朝報は社会全体に愛読されますが、特別に贔屓客《ひいき》なる者を有ちません、是れ朝報の一つの特質でありまして、世が朝報を特愛せざると同時に亦之を読まざれば措かない一つの理由であります(観察至て深し)。
 私は朝報は完全無欠の新聞紙であるとは申しません(ソロ/\始つたぞ)、私は朝報にも沢山欠点があると思ひます(何んだか薄つ気味が悪いぞ)、然しながら物の善悪を評するには其時の境遇を以て為なければなりません、朝報が比較的に完全に近い新聞紙であると云のは之を明治の今日、藩閥政府が勢力を占、政友会、進歩党、さては帝国党など云ふ国の為を思はないで自己の胃の腑の為めを思ふ政党が栄え、発音機に類したる人物が教育家の地位に立ち、古河市兵衛が正五位を賜はり、無辜三十万の民が飢餓に泣くと云ふ此悲惨極まる世に在て、完全に(34)近い新聞紙であると云のであります、(誉めるのだか罵るのだか解らない)、盗賊の中に在ては如何なる聖人も端座して道徳を説く事は出来ません、盗賊の社会に在ては盗まないのが高徳であります(ヒヤ、ヒヤ満腔の大賛成)、朝報は明治の今日に在て盗みませんでした、節を売つて盗賊の肩を持ちませんでした、私が朝報を日本無比の新聞紙であると云ふのはこのためであります 即ち多くの人が盗む時に盗まなかつたからであります(同感、々々)。
 それならば朝報は其他に何んな善を為したりと云ふに、先づ今日の処他の新聞紙に秀でゝ是ぞと云ふ大善を為したとは思はれません、私は明白に私の所見を茲に表白致します、朝報今日までの完全は消極的の完全でありましたと、朝報は其存在第一期に於て多くの為すべからざるの不善を為しませんでしたと、爾うして朝報積極的の完全は之を今日以後、即ち其三千一号より待つべきであると申します(ヒヤ、ヒヤ、満場拍手大喝采)。
 朝報は今日まで社会の弊害を指摘するに忙《いそがは》はしう御坐いました、今日よりは其美風を養成するに努めませう(静聴)、朝報は今日まで悪政党の攻撃に重に其筆端を向けました、今日以後は単に彼等を筆誅するに止まらずして、政党ならざる政党、即ち国家を愛して自己の胃の腑を愛せざる政党の建設に努めませう(拍手)、朝報は今日まで賄賂を斥けました、今日以後は之を斥くるに止まらずして、進んで其力量以内の慈善施与に従事致しませう、朝報の筆は今日までは憤怒《ふんど》を以て充たされました、今日以後は大に歓喜と希望とを世に供しませう、朝報は今日迄は主として悪人を責め立ました、今日よりは大に善人誘導に力を尽しませう、詮ずるに朝報存在の第一期は僅に其教育修練の時代、即ち幼少時代でありました、其成年時期即ち事を成すの時期は今日を以て始まるべき者であります(満座静粛、記者中感に打たるゝ者多し)、我等は今日より貴族の敵を以て任ずるのみならず、平民の最も謹厳なる且つ深愛なる友人となるべきであります、(貴族は矢張り赦さないのかと叫ぶ者あり)、一言以て(35)之を言はば今日以後の朝報は世の悪に勝つに善を以てするの朝報であります、毒を消すに薬を以てするの朝報であります。
 天佑を帯びて今日に至りし朝報は是非共今日より前述の新生面を開かなければならないと思ひます(大賛成)、朝報は世を毀つために起つた新聞紙ではないと思ます(然り) 之を癒し、之を建つるために起つた新聞紙であると思ひます(大に然り)、其今日まで破壊し来りましたのは、今日より新たに建てん為めであると思ひます、今日までは荊棘を払ふに止まりました、今日から建築の業《げふ》が始まるべきであります、是を思へば今日《こんにち》の祝会は其記者たる者に取ては戒心の時であると思ひます、今日からが難関に取懸るのであります、私《わたくし》は今日《こんにち》此時に際しまして記者一同が此決心を以て世に立たれんことを望みます(拍手大喝采)。
 
(36)     「教会」を弁ず
                        明治35年2月5日
                        『無教会』12号「社説」                            署名 内村鑑三 述
 
 基督教の「教会」てふ言葉は彼の洗礼なる言葉と倶に今日頗る世人の誤解を蒙つて居る、或人は之を普通一般の伽藍であるやうに説き、或人は之を神の礼拝堂と考へて居る、言ひ更ふれば彼等は「教会」其者を直に壮麗なる建物と結付くる許りであるやうに見える。
 風琴《オルガン》ありピヤノあり説教壇ありて設備の立派に整頓せる家屋、これ必ずしも神に礼拝を捧ぐべき処に非ざることは真に聖書を読んだ者の夙に了解せる所であらうと信ずる、救主基督は人の居ない山中や曠野に於て祈祷を捧げ給ふた、怒浪岸をかむ海浜や山嶽の絶頂、貧児飢に泣く頽屋《くづれや》や病者の枕辺、是等はニコライ会堂にも優つて我等が神と相親しむべき崛強の場処である、説いて茲に至れば、予輩は昔時北海道の深林に、憂愁を神に訴へた事を念頭に思ひ浮べざるを得ない、天空快濶百樹千草、百千鳥の囀る赤裸々の宇宙に対しては予輩は思はず感謝の声針放つて満腹の熱情を披瀝せざるを得ない。
 或人は又説明を下して「教会」とは即基督信者の団躰であつて其目的とする所、信者は勿論未信者も相共に集合して各自の信仰心を涵養し又は喚起せんとするに在るのであるといふてをる、併しこれも亦殆んど無意味の解釈に過ぎない、成程吾れ一人では信仰が冷却するといふ心配も一応は尤の様であるが、併し「教会」其者を一般(37)の田躰と同一視して、それで敬虔《オアイアス》ナ神聖ナ想念が浮んで来るものであらうか、高潔清淑の思考はさておき、これからして教勢扶植などいふつまらぬ野心が我精神を痲痺せしめて其極測る可らざる種々の弊害が起つてくるといふ禍はなきか、今日の政党や会社等の如く専ら現在の利益のみを目的として立て居る団躰であるならばそれこそ沢山有力家の賛成入会を乞ふて権力の膨大を計る必要もあらうが、世と戦ふべき基督教徒がかゝる謬見よりして俗臭政客の所行を摸するに至つては是れ実に非基督的精神の最甚しきものと云はなければならぬ。
 「教会」とは元来エクレジア(ekklesia)と云ふギリシャ語より来つたる言葉である、之を分析して見ればeはout(外)kleはcall(呼ぶ)で、「外へ呼び出される」といふ意味を含んで居る、即エクレジアとは神に呼出され、選抜されたる人の全躰を称するの言葉であつて、斯様な人々は、たとへ森林中に祈祷《ゐの》らうが、山の上に於て礼拝しやうが、空の小鳥と共に讃美の歌を歌はうが 其人自身が即ち立派な「教会」である、故に「教会」、エクレジアといふものは選出されたる信者の裏に存立して居るのであつて、何も金銀を鏤め五彩を飾つた建築物の外観に在るのではない、保羅はテサロニカやコリントに「教会」を立てた、併し貧乏なる彼は「教会」の建築者ではなかつた、従て彼は建物を大切にせよと教へなかつたに相違ない。
 一躰この人を信者に仕様、あの人を会員に取込まうとするのは神を蔑にしたる振舞であつて頗る大失態の所為といはなければならぬ、吾々は福音を人々に宣伝ふることは出来る、併しながら同胞が之を信ずるか、信ぜぬかは全く神の干与り給ふ所であつて、吾等人間の力の及ぶ所ではない、真のキリスト信者は神に喚出されたる者である、真の教会員は神の御心に協ふたる者である、それをしも考へずして自分の口舌や策略を以て無理無態に人々を其仲間に引入れ様とするは僭上といはんか越権といはんか、これ実にキリスト信者に取て※[しんにょう+官]《のが》る可らざる罪(38)業と見做さなければならぬ。
 予は是迄或一種の基督教界の先生達と度々会談したことがある、彼等は伝道の方法について甚だ雄弁である、而して「近頃教勢如何、教会の状況如何」とは彼等が人々に対する得意の質問である、予はかゝる先生に会する毎にこれ実に予等と直反対の人達であつて決して我党の士ではないと考へた、予の亜米利加に在て博士シーリー先生に見ゆるや、先生の口から出た質問はこれであつた「貴君は彼れを信じて最早幾年になりますか」と、「彼」とは何ぞ、予は直に之を解することが出来なかつたがはたと思付いてあゝ流石は先生の言であると感心したことを今に尚記憶して居る。
 然るに、こゝに一つの実際問題が起つてくる、何かといふに、召されたるは何人なるか、召されたりといふ其証拠は那辺に存在するかといふ問題である、その大躰は誰れにも分明る、が其詳細に至ては何人も窺ひ知ることはできぬ、一言以て云はゞ基督の人世観、復活、其他世の中の智恵では了解のでき兼ぬることを神より啓示《しめ》されたる時は即其人が召出されたる中の一人となつたのである、併し世には偽善者なるものが跋扈して居る、平身低頭予れを選び給ひしを感謝すと切りに神に祈つて居る人に就て其言行をみれば己を処するには緩にして人を責むるには甚だ急なるものが多い、如此きは決して選ばれたる人ではない。
 総じて世の中の智恵には限涯《かぎり》がある、善といひ正義といふも吾々に利益を与ふるものをさすに外ならぬと多くの人々は考へて居る、即善悪とは畢竟其事物の結果により判断すべきもので、若し善にして利益其者の伴ふことなくんばそれは吾人の行ふべきことではないといふに帰着させて了ふである、予嘗て大学の哲学博士某と宗教上の談話を試みたことがある、博士が云ふには自分は何うしても神を信じ基督を信ずることは出来ないと、そこで(39)予は博士の所謂道徳の根本、標準なるものいづれに存せるかを質問した、博士はそれは勿論国家であると答弁した、然らば其所謂国家とは明白にして疑ふ可らざるものであるかとは予が博士に対する第二の質問であつた、所がいや夫は充分明瞭ならぬにしても兎に角国家其者が神、キリストなどよりも国民を導く上に取て都合の宜しいものであるといふ返答を受取つたのである、即此答弁に徴して見れば此哲学博士は国家其者を道徳上の土台、根本とするが人民に取つて何よりの利益であると考へられたのである、彼の日本国は帝国主義を取らなければならぬといふ議論も所詮は利益上の議論に外ならぬ、仏教の僧侶が地獄極楽説は田舎の匹夫野人を説付けるに都合が可いと思うて説法をしたならばそれも前と同じ様な利益一方の振舞ではないか、基督教にして智者や学者にはユニテリアンが宜しく愚者や貧民には未来復活位のところを説いて聴かせるがよいと云ふならば、それも言語同断のはなしと云はなければならぬ。
 以上の如き説を真面目に唱へて居る様な人は確に神に選ばるゝの資格なき人であつて彼等は実に真面目なるべき人世を戯談半分に考へて居る人達である。 吾人が全く現世的の利得を蝉脱《はなれ》て其以外に超然自立するに至るは聖霊の特別の援助によるに非ずんば決して為し能はざる事である、吾々が特別に天の啓示《けいし》を受けて世上の知恵、慾望、毀誉褒貶より一切絶縁して正義天道を求めんとする心が鹿の谷水を慕ふが如くに起つたとすればそれこそ即神に召出だされたる一の大なる徴候である。
 我等日本人の宗教は我等日本人の力に頼て起されねばならぬ、我等に外人の幇助を借りて輪煥の美を極むる礼拝堂を建て様との野心は無い、併し吾等は真の意味の「教会」を到る処に立てゝ見たい考である、吾等は吾等の力の及ばん限り神の福音を宣べ而して已に其福音を信じた者に対しては汝等ます/\神を愛し同胞を愛せよとい(40)はゞそれで充分なりと信ずるのである。
 若し一度神を信じた人が真に選ばれた一人であるならば其人はたとへ孤独となつて山野の間に屏息し様が、将たまた紛々たる俗人社界に揉まれ様が決して中道にして其信念を墜落する心配はない、されど其人が真に選ばれざる一人であるならば、たとへ大都会の会堂に出入して吾は立派なる基督信者であると自慢してもその信仰は日と共にいよ/\冷却し来るに相違ない。
 
(41)     我等の所有物
                           明治35年2月7日
                           『万朝報』
                           署名 内村生
 
〇土地は地主に属し、政権は政党と政府とに属し、金は貴族と実業家に属す、故に普通人間たる吾等に属するものとては此世には何にもない、是を思ふ時には我等は或時は悲しく思ふ。
〇然し我等は悲しくはない、我等に尚ほ未だ我等の所有物がある、我等の心、即ち是である、我等は我等の心を開拓し、こゝに我等の王国を建設し、我等は其王たり、主たり、権者《けんしや》たる事が出来る、故に英国の文豪キングスレーは云ふた「心ぞ我の王国なれ」と、日本の今日の如きに在ては国土政権は悦んで之を政治家と実業家とに譲り渡し我等は心の王国に於てのみ主権者たるべきである。
〇詩人ミルトンは云ふた「我等は暴力に抗することは出来ない、然し吾等は心の中に暴人を卑める事が出来る」と、警察樺と陸海軍とを其掌中に握れる政府に対して、我等は抗する事は出来ない、然しながら我等は斯ふ云ふ政府を我等の心に於て卑める事が出来る、我等は我等の心に於て如斯き政治家に向て斬罪なり、絞罪なり勝手に申渡す事が出来る、実に愉快ではないか。
〇心さへ我等のものであれば沢山である、土地も遣ふ、金も遺ふ、時宜に依りたらば生命も遣ふ、然し良心は遣らないぞ、否な、決して遣らないぞ、否な、否な、決して遣らないぞ、縦令如何なる大権を委ねられたる政府な(42)りとも我等の良心は決して遣らないぞ。
 
(43)     日英同盟に関する所感
                     明治35年2月17・18・19日
                     『万朝報』
                     署名 内村生
 
〇国人が挙て悦ぶ時に余れ惟り憂ふるのは何にやら奇を好むやうに見えるが、然し悦ぶべからざるに悦ぶのは国に対して誠実でないと思ふから茲に此事に関する余の所感を有の儘を述べやう。
〇此同盟に依て日本は竟に所謂る「大陸政治」なるものゝ渦中に巻き込まれたのである、其如何に危険なるものであるかは人の能く知る所である、ワシントンは彼の米国の保全《ほうぜん》を計らんが為に此危険に近づかざるを以て其国是と定めた、之は政海の阿波の鳴門である、之に入りしは確かに死地に臨んだのである。
〇英国が同盟国として頼むに足らざる国であるのは歴史上確定の事実と称しても良い程である、仏蘭西人の言《ことば》に「個人として最も信用するに足る者は英国人であつて、政府として最も信用するに足らぬ者は英国政府である」といふことがあるが実に能く物の真相を穿つた言であると思ふ、欧洲に在て英国が常に孤立の地位に立つのは何にも必しも其島嶼的地位に因るのではない、大陸諸国は既に充分に英国政府の信頼するに足らないのを知るが故に慎んで之との同盟を避けるのである、然るに今や日本国は此不信用を以て有名なる英国政府と盟約を結んだのである。
〇文明諸国に爪弾きされたる英国政府は已むを得ず非文明国と同盟を結ぶを以て其常習として居る、自国と全く(44)主義方針信仰を異にする土耳其国は英国特愛の同盟国であつて、此非基督教国の歓を買はんが為めには彼は自から威力を貸して土耳其国内に於ける基督教を迫害せしむるの手段を取つた事さへある、自国は基督教国たるを以て誇り、殊更に宣教師を送り出して外国を教化せんとする英国が土耳其に在ては回々教徒を授けて基督信徒を迫害せしむるとは此偽善的政府の敢てする所である、然かも是れ日本が今回同盟を結んだ英国政府である。
〇其歓心を買はんが為めには斯くも努めたる英国政府は土耳其が危機に迫らんとした時に之を援けたかと云ふに、決して爾うは為ない、同盟国たるの名義を利用して土耳其の製造業を奪ひ、商業を侵掠せし英国人は其露国と釁《きん》を開かんとするや、言を左右に托して終に之を授けず、而して戦局を結んで伯林会議となりしや、自身は戦はざるに友邦(?)分配の分前に与かり、シプラスの一島を奪ひ去て恬として耻ぢざるにあらずや、アルビー卿をして幾回となく友誼と援助とを土耳其政府に通ぜしめしかば、英国公使を信ずるの余り露国に向て戦争を宣告せし彼れオトマン帝国は憐むべし、全く英国の為めに欺かれて終に其領土の大部分を削られたり、非基督教国に対する英国の非基督教的態度は最も明白に千八百七十七年の土露戦争の前後に於て顕はれたり。
〇又近き過去に於て英国に信頼して国家の危殆を招きし者は、千八百六十四年に於ける丁抹である。かの丁普戦争なるものも丁抹に対して英国が援助を約束したればこそ始つたものである、然るに愚かにも小なる丁抹は英国の後援を信じて独、墺の二国に向て戦争を開いた、爾うして其悲しむべき結果は何人も能く知る所である。
〇国としては利益一方の英国人は、政府としては義理も人情も全く顧みない者である 彼等はアルメニヤ人の虐待を聞いても土耳其政府に迫つて其罪を問はんとは為ない、彼等は自から自由独立を愛する民であると称しながら、希臘が土耳其に苦しめらるゝを見るも之を援けんとは為ない、米国に奴隷廃止の戦争が始まれば国民挙て南(45)部なる奴隷保存党に組みせんとした、小国に対し弱国に対する英国の措置は無情愧耻の連続である、爾うして日本人が同盟条約を結締したとて喜ぶ国は此無情極る英国である。 〔以上、2・17〕
〇英国の政治家とて勿論利益一方の人のみではない、偶には彼等の中にも高貴なる人がある、我等はジヨン ブライトを知る、我等は亦グラツドストーンを知る、亦ジヨン モーレーを知る、然れども今日勢力の地位にある英国の政治家なる者は如何なる人である乎、サリスベリー卿とは如何なる人物である乎、彼は悪人ではない乎も知れない、然れども所謂「民の人」でない事は彼自身も承知して居る、彼は人に接することを好まない、彼は王室の特権に重きを置て民の声を軽んずる者である、彼は英国の利益の外に眼の届かない人である、彼は具翁の如き詩人ではない、彼に預言者的の高貴なる所はない、彼が英国人に愛せらるゝのは英国人の多数は彼の如き者であるからである、即ち自国の利益の外に他を顧ない者であるからである、サリスベリー卿が日本国と同盟を結ぶに方て自国の利益を計ると同時に日本の利益に就て少しなりとも考へたりとは如何しても思へない、彼は英国のため一に日本と同盟したのである、爾うして自己の利益のためのみの同盟は同盟にして同盟ではない。
〇爾うしてサリスベリー卿の名義上の副官《レフテナント》であつて、実際上の首相は誰であるか、想卑く、眼近く、所謂る時代の子供なるチヤムバレーン其人ではない乎、若し世に世界的俗人なる者があれば彼である、彼はグラツドストーンと正反対的の人物であるから竟に平民党に叛いて貴族党に降つた、具翁は正義を愛したれど彼は利益を愛する、具翁は人類の友であつたが彼は英国人(而も其|下劣《かれつ》なる部分)の友である、若し彼の何人たる乎を知らんと欲せば吾等は態々英国倫動に行て彼の俗人的容貌を伺ふの必要はない、彼の同類は横浜、神戸、長崎等東洋諸港に在留する彼の国人中に数多ある、即ち世界に英国の外に国なきやうに思ひ、英人にあらざる者は人にして人にあ(46)らざるやうに信じ、口にする所は只「英国の利益」「英国の利益」のみであつて、横柄にして冷血、商売上の正直は守るなれども其正直は利益以外に渉ることなく、即ち支那人に西洋的教育を与へしが如き者は吾人が屡次我国在留の英国人中に於て目撃する所である、爾してチヤムバレーンとは即ちこの支那人に西洋的教育を授けし者の一人である、即ち英国人にして英国の理想に適はざる者、オルヅオスの心を解せず、バーンスの義侠なく、父祖の宗教と博愛とより全く遠ざかりし者である、而して日本国が今回同盟を結びし政府とは此の非英国的英国人なるチヤムバレーンを戴いて其の教導者となす者である。 〔以上、2・18〕
〇チヤムバーレンの政府と同盟して日本人はチヤムバーレンの敵を敵とするに至つた 即ち名誉の死を遂げし南阿のジユーベルト其勇将クロンエー、デヴエツト、ポータ、彼等は皆なチヤムバーレンの讐敵である、爾して我等今やチヤムバーレンと同盟して南阿に於ける是等の自由の戦士を敵とするに至つた、嗚呼憐むべきは実に南阿の愛国者である、彼等は世界の最大強国を相手に二ケ年の長き間独立の苦戦を続けて来た、彼等は東洋の天地に於て彼等の同情者が起つて、其の方面に英国の注意を惹き、為めに彼等の頭上に鍾まる圧迫の減ぜられんことを望んだ、然し今や彼等の希望は全く画餅に属した、同情者と望みし者は今は彼等の敵と同盟した、東洋の天地は今や彼等に希望を供せざる者となつた、想ひ見る、ヴハール河の辺、ルステンベルグの山中、デヴエツト、ポータの旗下の勇士が日英同盟を耳にする時に、彼等の失望落胆は如何計であらう、彼等は東洋に君子国あるを聞いた、然れども此君子国は今や薩長人士と云ふ其最も下劣なる分子の支配する所となりて、強に屈し、弱を圧するの術に慣れて、十字架星下に自由の為めに戦ひつゝある者があることを憶はない、東洋の日本国は今や君子国ではない、自由は已に我等の裡にもない、我等は南阿の同志を思ふ切なれども我等の上に権を握れる者は我等の理(47)想の人ではない、チヤムバーレンと同盟を結びし者は真個の日本人にあらずして、長州人である、之を悦ぶ者も亦日本人にあらずして肥後人である、彼等は長州肥後を以て日本の部分と思ふてはならない、地理的に其部分たる是等の二国は精神的に、桜花国の版図以外に立者である、故に此日英同盟なる者は実は日英同盟にはあらずして、英国と長州との同盟である、北清に於て分捕に従事せし者の類がチヤムバーレンと同盟して更に東洋全体に於て分捕を継続せんとするのである、故に見よ、長州の斃るゝ時は此条約の終る時である、我も今日より南阿の民と共に自由の神に向つて、此罪悪の府の一日も早く斃れんことを祈らう。
〇俗人輩は云ふであらう、南阿の亡民を敵に持つた処が何の害がある乎と、是れ九州人の張本たる大隈伯の言ふ所であらう、是れ俗人の集合体なる進歩党の輿論であらう 肥後人、長州人、中国人、等は総て斯く信ずるであらう、然れども真正の日本人は爾うは信じない、真正の日本人は義人を敵とするのを以て最も怕るべきことゝ信ずる、蓋《そは》義人を敵とするは天を敵とすることであつて、其結果たるや延いて永遠にまで達るからである、古語に斯う云ふ言がある、即ち、「小子の一人を礙《つまづか》かする者は磨石をその頸に懸けられて海の深《ふかみ》に沈められる方なほ益なるべし」と、世に弱き義人を失望せしむる程の罪悪はない、天は利益のために強と与して弱を悲境に陥らしめたる者を罰せずしては措かない、日本国は今や其明治政府の下に南阿に於ける微弱なる義人の一団体より彼等の待ち望みし唯一の希望を取り去つた、爾して天は決して日本国の此無情を忘れない、日本国は其無慈悲の故を以て罰せられずには止まない、已に朝鮮に於て、遼東に於て、台湾に於て大罪悪を犯したる、日本国は今や英国と同盟して罪悪の上に更に罪悪を加へた、余輩此事を思ふて氷水の如きものゝ余輩の身に注がるゝを感ずる。
〇是故に今より五年を経ざる間に日本人が英国を讃賞するの声は之を呪咀するの声となるに相違ない、今日此同(48)盟を祝せざるを以て時勢後れのやうに信ずる日本全国の新聞記者は五年を経ざる間に筆鋒鋭く英国の無情を責め、罪なき、余輩基督信者に迫て、基督教国たる英国の非行を責めよと叫ぶであらう、然かし余は今日此処に断言し置く、余は其時に方て其責に当らないことを、余は今日日英同盟の罪悪なることを明言する 余は此同盟あるが為めに日本は非常の悲境に陥ることを予言するに躇躇しない、余は政治に関係しない者である、而かも余が基督教を信ずるの故を以て後日に至て基督教国たる英国の非行を責めよと余に迫まる者あるも、余は其時其要求に応じないための用意として此処に此一言を放つて置く。 〔以上、2・19〕
 
(49)     〔説と志 他〕
                      明治35年2月22日
                      『聖書之研究』18号「所感」                          署名なし
 
    説と志
 
.説を共にする者あり、志を同じくする者あり、而して二者孰れを友として択ばんとならば余輩は後者を撰ぶ者なり、説は変じ易し、志は奪ふ可らず、志に於て相一致して吾人は始めて永久の友となるを得るなり。
 
    最高のオルソドキシー
 
 最高のオルソドキシー(正統教)とは基督の心を以て兄弟を愛することなり、基督の慈愛なく、その忍容と従順となくして吾等如何なる教義を固信するも未だ以て真個の正教徒を以て自から任ずる能はず、若し吾等の奉ずる教義にして吾等を基督の如き者たらしめずば、吾等は自身の信仰に就て大に疑念を懐いて可なり、吾等は信仰に於て強固なるに先つて心情に於て基督の如く温和なるを要す。
 
(50)    最も貴きもの
 
 富と権とに優つて貴きものは智識なり、智識に優つて貴き者は道徳なり、道徳に優て貴きものは信仰なり、信仰に優て貴きものは愛心なり、愛に於て強固にして信仰は確実なり、道徳は高尚なり、智識は該博なり、而して富も権も竟に亦愛心の命を奉ずるに至る、万有を其中心に於て握らんと欲せば吾人は愛に於て富饒なる者とならざる可らず。
 
    愛と信仰
 
 神は愛なれば吾人は愛して始めて神を知るを得べし、愛せざる者は神を知らず、神を知らずして彼を信ずる能はず、愛を以て始まらざる信仰は虚偽の信仰なり、是れ人を殺すの信仰なり、之を済ひ之を活かすの信仰にあらず、世に信仰上の争闘多きは愛に基かざる信仰多きに因るなり。
 
    懐疑の精神
 
 凡そ事信じ(哥林多前書十三章七節)とは凡ての事実是れ信じとの意ならざる可らず、愛は公平にして受容的なれば確実なる事実とあれば直に喜んで之を信ず、是れ実に科学の精神にして亦宗教の精神ならざる可らず、其理論を究むるにあらざれば凡そ事信じ能はざる者は不幸なるかな、彼の如きは常時懐疑の中に悩む者にして、確信の快楽と歓喜とを永久に楽しみ得ざる者なり、世に自己の感覚に信を置くこと能はざる者の如く憐むべき者はあ(51)らじ、而かも懐疑者の多くは此心理的不能に苦しむ者なり、深く思はざる可らず。
 
    意志の作用
 
 神に依て思ひ、神に依て動き、神に依て息ふ、是れ基督信徒の生涯なり、我の意志なるものは我れ之を我が意志をして神の意志たらしむるために消費し、神の大意志をして我の小意志に代て我を活動せしむ、斯くて我は我が意志の弱きを覚えず、そは我が意志は之を神の意志となすに足り、而して神の意志は自由に我を使用して尚ほ余りあればなり。
 
    同情推察の人
 
 食するの何ぞ易き、耕すの何ぞ難き、聞くの何ぞ易き、語るの何ぞ難き、読むの何ぞ易き、著はすの何ぞ難き、食ふ者は耕す者の労を知らず、聞く者は語る者の難を憶はず、読む者は著はす者の苦を体恤《おもひや》らず、吾儕をして皆悉く作為の人たらしめよ、然らば吾等は都て感謝の人と成りて都ての労働の人に向て同情推察を表するに至らん。
 
    激戦
 
 前あるを知らず、後あるを知らず、右あるを知らず、左あるを知らず、人あるを知らず、我あるを知らず、唯何者かゞ来つて我が心志を奪ひ、我が手を取り、我が情を激して我をして我の欲はざる事をなさしむ、此時我の全身は燃え、我に知覚あつて無きが如し、我は何を為し何を書きつゝあるを知らず、唯知る、彼れ我を去りし後(52)に、我は彼の手に在りて我以上の事を為せしことを。
 
(53)     真正の基督教
                      明治35年2月22日
                      『聖書之研究』18号「講演」                          署名 内村鑑三
 
 基督教に真個のものと虚偽《うそ》のものとがあると云ふのは何にやら奇妙に聞えますが、然し今日のやうに多くの異説が基督教の名を以て世に伝播せらるゝ時に方ては此問題を攻究するの必要があります、勿論誰も自分の抱懐する説を虚偽と信ずる者はありませんから、若し私が茲で真個の基督教の何たるを説きますれば之は取りも直さず私自身の信奉する基督教を説やうなものであります、西洋の諺に「真宗教とは我が宗教であつて偽宗教とは他人の宗教である」と云ふ事がありますが、実に其通りでありまして、若し私共が最も公平にして、全く私心を脱したる観念を以て為ませんならば「自我是れ真理」てふ悲むべき誤謬に陥り易くあります。
 今世間を見まするに基督教なるものは決して単純唯一のものではありません、天主教と申しまして羅馬法王を地上に於ける基督の代理者として戴く基督教があります、希臘教と申しまして重に東欧諸邦に行はれ、我国に於ては露西亜人に依て伝播せらるゝ基督教があります、前二者を称して普通旧教と申しますが、基督教其物が二千年以前に此世に出たものでありますから、真正の基督教に実は新旧の別はない筈であります、旧教に対して新教があります、是は普通プロテスタント教と申しまして、其顕然として世に立つに至りましたのは今より四百年程前の事でありました、爾《さう》して新教に派の多い事は実に驚くばかりでありまして、私共始めて基督教に接しまして、(54)斯くも其分離して居るのを見まして実に怪訝の念に堪えません、先づ此日本国に目下伝播されつゝある基督新教の教派を算へて見ましても実に夥多しいものであります、組合教会と称へまして英米の会衆教会に傚ふて建てられ今尚ほ其補給を受けて伝道に従事しつゝある者があります、「日本基督教会」と称へまして其名こそ如何にも日本特産の基督教会のやうに見えまするが、実は矢張り西洋伝来の教派が僅かに其名を変更したまでのものがあります、是は即ち西洋の長老教会并に其似寄の教会の日本に移植されし者でありまして、其純然たる教派的教会であることは誰も疑ひません、又監督教会なるものがあります、之に上下の別があります、上は英国貴族の教会でありまして、天主教に能く似た者であります、下は稍や平民的の教会でありますが、其儀礼を重んじ、教役者中に階級制度を重んずる点に於ては是れ亦会衆長老の諸教派とは全く趣を異にする者であります、監督教会より起り、之に似て而も一層平民的なるものをメソヂスト教会と称へます、之にも亦多くの種類があります、美以《びい》教会と称へまして、其最も保守的なるのがあります、美普《びふ》教会と称へまして、美以の更らに自由なるのがあります、北米加奈太より来りしものを加奈太メソヂストと申します、南方諸州より送られましたものを南メソヂストと申します、実に煩雑極まる事であります、又浸礼教会と称ふのがあります、是は浸没《イマルシヨン》を以て洗礼の正式であると信じて動かない教派であります、浸礼教会に対して普連土《フレンド》一名クエーカー教会と称ふのがあります、是は洗礼、聖餐其他の礼式を諸て無用視する者であります、其他数へ立てれば数限りはありません、基督は神に非ずして人であると主張するユニテリアン教会があります、又之に能く類似したる宇宙神教なるものがあります、聖書の外には何にも頼らないと道ふプリマス兄弟派と云ふのがあります、是等が皆な真正の基督教であると唱へられて我が邦人の上に伝へられるのであります、憐れむべきは我等異邦の民であります、我等は如何して真正《ほんとう》の基督教を(55)虚偽《うそ》のそれより区別致しませう乎、若し監督教会の宣教師の説に従ひまして基督は神であると信じますればユニテリアン派の宣教師は彼は人であると説きまして、監督派の教義を迷信なりとて嘲笑ります、若し救霊の必要条件として浸礼教会の宣教師より正式の洗礼を受けますれば普連土派の宣教師は洗礼は不必要であると唱へます、同一の基督教に斯くも多くの宗派があり、其中に斯くも多くの矛盾と衝突とがあるとは如何にも解し難い事でありまして、私共此事を考へまして時々基督教其物がイヤになる事があります、使徒パウロは喊叫《さけ》んで申しました、「キリストは数多に分かるゝ者ならん乎」と(哥林多前書一章十三節)、然るに実際我等の目前にキリストが数多に分かたるゝのを我等は目撃するのであります、パウロの言葉が誤謬であります乎、是等の諸教派が虚偽の基督教を代表する者でありますか、我等は能く此事を心に分別すべきであると思ひます。
 然らば真正の基督教なる者はありますまい乎、パウロの唱道せし「分つべからざる基督」なるものは世に在りますまい乎、基督教とは到底紛雑を免れない者で、其真偽は到底判別し難い者でありませう乎、若し爾うならば基督教の研究なる者は実に益のない者であると云はなければなりません、若し到底解し難いものであるならば之を学ばざるに若くはありません、我等は天文学を研究するに方て爾んな不安の念を以て之に従事致しません、我等は天躰の実質並に運行に就て或る確実なる智識に達し得べしとの確信を以て其研究に従事致します、勿論多少の異論は免がれません、然し天躰の何にたる乎に就て若し異論百出其底止する所を知らざるが如き事がありますれば、是れ取りも直さず、天文学なるものは攻究するの価値なきものであるとの証拠でなくてはなりません。
 私は矢張りパウロの唱へしやうにキリストは分つべからざる者である事を信じます、従てキリスト教なる者は一種特別の教義を教ふる者でありまして、之は決して曖昧模糊、何れに之を解するも差支のないやうな者ではな(56)い事を信じます、基督教は宇宙の真理である故に真理と称すべき者は都て是れ基督教の一方面であるなど云ふ人は基督教を弁護するやうで実は之を排斥する者であります、若し基督教が影もなき形もなき、唯漠然たる「宇宙の真理」でありまするならば、我等は何にも特別に之を唱道するの必要はありません、基督教は梢に楽を奏する風に在り、厳に白布《ぬの》を纏ふ波に在りなど申しまするのは或る特別の意味に於て之を云ふのであります、真理とは捕捉すべからざる者であつて、捕捉すべき者は真理にして真理にあらずなど云ふ人は未だ真理探究のための適当なる準備をなさない人であると思ひます、真理は明白に之を定言することの出来る者であります、基督教も真理である以上は是れ亦明白に定言することの出来る者でなくてはなりません。
 一、基督教はイエスキリストに依て素めて世に唱へられた教であります、勿論其中に基督以前に唱へられた教理もあります、又基督教以外の宗教に依て伝へられた真理も含まれて居ます、然しながら基督を離れて基督教はありません、若し世に仏教も基督教である、儒教も基督教であるなど云ふ人がありますれば、其人は自分で何を云ふて居る乎を知らない者であります、世に如斯き人はない筈でありまするが、然し往々にして爾ういふ人のあるのは実に奇怪《ふしぎ》の事であります、都ての真理は基督教であると云ふ人は都ての動物は人間であると云ふ人と同じであります、理屈の附けやうで或は爾う云はれない事はない乎も知れません、然しながら人は人、猿は猿と、科学的の区別を附ける人は仏教も矢張り基督教であるなど説いても承知致しません、基督を含まない者、基督を最高の地位に置かない者、是れは基督教ではありません、斯う云ふて、私共は勿論基督教以外の宗教を悉く排斥するのではありません、私共はたゞ仏教も儒教も神道も基督教ではないと云ふのであります、思想の固定せざる日本に在ては斯くも明白なる事までを説明して置くの必要があります。
(57) 二、基督教は聖書の上に立つ教であります、聖書を離れて基督教はありません、聖書の無くなる時は基督教の無くなる時であります、聖書に依て弁明されない基督教は名は基督教でも実は基督教ではありません、世に唱へらるゝ多くの基督教論なる者は「犯すべからざる聖書の基礎」の上に立つ議論ではありません、世に或は聖書の上にのみ立つ宗教は甚だ狭隘なる者であるなど云ふ人もありませうが、然し狭隘と云ひ広闊と云ふも是は事実問題ではありません、狭隘なるが故に基督教を嫌ふと云ふならばそれまでゞあります、然しながら広闊(所謂)を慕ふがために基督教を曲解するのは基督教に対して甚だ不信実のことであると思ひます、之を信ずると信ぜざるとは人々の勝手であります、然しながら之を我が所有となさんがために之を其物以外のものとなさんと努むるのは誠実の人、公平を愛する人の決して為すべき事ではないと思ひます。
 三、基督教は人類の堕落を教ふる教であります、「義人なし、一人もあるなし」(羅馬書三章十節)とは其明白に唱ふる所でありまして、聖書を始めより終まで調べて見まして基督を除くの外は世に完全なる義人ありとは一つも書いてあるのを見ません、基督教会が聖人として仰ぎ来りましたるパウロでも、ペテロでも、ヨハネでも、又旧約時代のアブラハムでもヤコブでも、モーゼでも、イザヤでも、エレミヤでも基督教の眼には皆な罪人であります、「我は穢れたる唇の者なり」とは預言者イザヤが神の黙示に接した時に掲げた声であります、(以賽亜書六章五節)、「主よ我を離れ給へ我は罪人なり」とは聖ペテロが基督の何者たる乎を智覚した時の言葉でありました、人の性は元来善であつて、我等に罪を贖はるゝの必要はないと云ふ人は善人である乎、悪人である乎、それは別問題として其人は聖書の基督教が解つた人でない事丈けは明かであ久ます、孔子も罪人である、釈迦も罪人である、ソクラテスも罪人である、人と云ふ人にして罪人でない者はないと云ふは我等の歓迎する教理ではありませ(58)んが、然しながら基督教は臆せず、怖れず、大胆に、明瞭に此教義を唱ふる者でありまして、若し世に人は生れながらにして罪の有る者ではない、無辜の小児を責むるに罪を以てするが如きは残酷の極であると云ふ人があれば、其人は慈悲深い人(世の所謂)、ヒユーマニチーの人(同)である乎は知れませんが、然し聖書の基督教を信ずる人でない事丈は確かであります、基督教は慈悲を説き寛容を勧めまするは勿論でありますが、然し神の前に罪人たるべき者を指して義人なり善人なりとは称へません、人の基督教に関する信仰の真偽を試めすに其人の罪悪に関する思念を糾す程|正確《たしか》なる法はありません、我は罪人なり、然れども神の恩恵に由りて義しかるを得たりと云ひ得る者のみが聖書に適ふたる基督信者であります、別に悔むべきの罪を感ぜず、我は生れながらにして殊更に神の赦免を乞ふべき罪を犯せし事なしと信じ且つ此事を公言する人は世に謂ふ悪人ではない乎も知れませんけれども、然し基督信者ではありません、此事に関する使徒ヨハネの言は実に強い詞であります、即ち約翰第一書第一章八節以下に於て斯う書いて居ます、
  若し罪なしと言はゞ是れみづから欺けるにて真理彼等にあるなし、若し己の罪を認《いひあら》はさば神は信実なり公義なるが故に必ず我儕の罪を赦し諸の不義より我儕を潔むべし、若し罪を犯したることなしと言はゞ神を※[言+荒]者《いつはりもの》とする也、その道我儕に在るなし。
 四、基督教は基督に於ける贖罪を教ふる宗教であります、是を唱へまするのは如何にも偏狭のやうに聞えまするけれども、然しながら事実は之を隠蔽する事は出来ません、基督を要せざる清洗は基督教の全然排斥する処であります、「爾曹我を離るゝ時は何事をも行し能はず」とは基督の語気を強めて述べられた言葉であります、(約翰伝十五章五節)、又「是故に子もし爾曹に自由を賜ひなば爾曹誠に自由を得べし」と基督は述べられました(59)(同八章三六節)、人は全然堕落せし者であるが故に彼は自から己を潔ふするの能力をさへ失ふた者でありまして、彼が再び原始《はじめ》の清浄に還らんが為めには彼は神の子の十字架上の贖罪を要する者であるとは聖書が繰返し、繰返し、言葉を更へ例を代へて述ぶる所でありまして、此著明なる事実を看過して如何して基督教の真意が解つたと申せませうか私の解し得ない所であります、「其子イエスキリストの血すべての罪より我儕を潔む」とは基督教の土台石とも称すべき教義でありまして、若し哲学的に之を解し難いからと云ふて之を取除いて了いますならば基督教と云ふ建築物は其土台から壊れて了ふ者であると信じます。
 五、基督教は肉体の復活を信じます、是も亦前と同じやうに信ずるに至て難い教義であります、然しながら聖書、殊に新約聖書は肉体の復活を以て基督教の死活問題と見做して居ります、(使徒行伝二章、哥林多前書十五章等参考)、世には「復活の教義は破るゝも基督教其物は存在す」など云ふ人もありまするが、然し少しく精密に聖書其物に就て基督教を調べた人は決して如斯き言を発しないと思ひます、基督教の道徳、其|歓喜《よろこび》、希望なるものは皆な此復活の信仰に繋がる者でありまして、基督教より復活の信仰を取去るのは丁度|鏈《くさり》を其中央より切断するが如き者であります、(以弗所書第四章一節に於ける「然れば」の前後の関係を参考せよ)、故にストラウスの如き基督教の反対者ですら白しました、「復活は基督教の中心の中心である、基督教の心臓《ハート》は今日に至るまで是(復活)である」と、彼は基督教の頼むに足らざる宗教であることを証明せんために此言を発したのであります、故に博士フエヤベーンはストラウスの此言に答へて次のやうに白しました、
  爾うである、復活は教会を造つた、昇天せし基督は基督教を作つた、そうして今日に至るも尚ほ基督教的信仰なる者は此基督と立つか倒るゝ者である………若し生きたる基督がアリマテヤのヨセフの墓から出ざ(60)りしとならば、其墓は一人の人を葬つた墓ではなくして一つの大なる宗教を葬つた墓となつたであらう、基督教の希望も、之に伴ふ熾んなる熱心も之と共に此墓の中に葬られて了つたであらう。
 復活なしに基督教を人に信ぜしめんと努むる伝道師は不可能を努むる者であります、如斯き人は基督教ならざる基督教を説く者であります、人が復活を信ずるに至りまするまでは彼は基督教を信じたとは申されません、斯く断言するは其人に対して甚だ気の毒のやうにはありまするが、然し、此事を断言しなければ彼に偽の希望を給するに至ります、世には躓石《つまづきのいし》を取去らんとて復活の信仰を要求せざる基督教を説く者があります、然しながら斯くして造り上げたる信者は教会員とは成ることが出来る乎も知れませんけれどもパウロ、ペテロ、ヨハネの持つたる能力を有つ者と成ることは出来ません、復活の信仰は実に基督教の要石《かなめいし》であります。
 勿論是れ丈けで基督の真意を尽したとは云へません、然しながら以上の五ケ条を以てしましても今や世上紛々乱麻の如く異説の布かるゝ時に当て我等は真正の基督教を虚偽の基督教より別くる事が出来やうと思ひます、基督を最高位に置く基督教、聖書の敬虔なる研究を促す基督教、人の罪あることを認め、大胆に之を唱道する基督教、基督の罪を贖ふの能力を信じ、其宝血に万民の科を消滅する能力のあることを宣ぶるの基督教、肉体の復活を信じ、其信仰の上に凡ての希望を築くの基督教、是等は凡て聖書に適ひ、即ち基督教の建設者の意に適ふたる基督教であると思ひます、若し人が是れ丈けを信じますれば彼が天主教であらうが、希臘教徒であらうが、或はバプチスト(浸礼派)であらうが、メソヂストであらうが、「長老」であらうが、「監督」であらうが我等は深く咎むるに及ばないと思ひます、亦若し以上の教義を全身全力を以て信じますれば彼は宗派の人たるを歇めて即ち真正の加特利《カトリツク》(「広量」の意)信者となるであらうと思います、世に宗教奪ひなるものがありますのは其根本的教義(61)に重きを置かないで、其枝葉を重要視するからであります、真正に基督を信ずる者は何人に対しても寛大である筈であります、真正に聖書を深く研究する者が説の異同のために他を迫害するが如き事はない筈であります、真正に自己の罪人たるを覚りし者は都ての人に向て恤衿《あはれみ》深い筈であります。真正に基督の贖罪を信じて我等は最も謙遜なる者でなければなりません、真正に肉体復活の希望を懐いて我等は歓喜に溢るゝ者でなくてはなりません、詮ずる所、真正の基督教は真正の道穂となりて顕はるべき者であります、「光に居ると言ひて其兄弟を憎む者は今尚ほ暗に居るなり」と使徒ヨハネは曰ひました、我等は真理を信じなければなりません、即ち全身全力を挙げて之を信じなければなりません、即ち智識的に之を信ずるのみならず亦意志的に之を信じなければなりません、霊と真《まこと》を以て真理を信じてこそ真正の救拯は我等に臨《きた》るのであります。
 
(62)     独立教会の真義
                       明治35年3月7日
                       『無教会』13号「論説」
                       署名 内村鑑三
 
〇独立教会とは独立の基督信者に依て建てられたる教会であります、即ち人に依るの必要もなく、亦教会に依るの必要もなく、只主イエスキリストにのみ依て立つ人々の相集て建てた教会であります、教師なくば信仰が維持せられない、教会がなければ信仰が冷へるなど言ふ人は未だ独立の信者ではないのでありまして、爾う云ふ人達の建てた教会は名は独立でも実は依頼の教会であります。
〇多くの教師方は信者の信仰に就て非常に心配せられまして、若し彼等を教会に於て牧するにあらざれば彼等の信仰は直に冷へ去るやうに思ふて居られます、然しながら是れ真正の信仰を以て養はれた事のない信者に就ての心配でありまして、若し一度びなりとも主を其栄光に於て見た者は爾う安す々々と信仰を落す者でありません。
〇私共は真理其物に信仰を置かなければなりませむ、真理は其物自身の気附《きつけ》を取る者であります、真理を伝へ置けば真理は其子供を容易に捨てません、教会がなくとも、牧師がなくも、真理の子供は容易に真理を去るやうな事は致しません、信仰の冷却を気遣う教師達は未だ自身の伝へられた真理に充分の信仰を置かれない人達でありまして、其れが為に真理以外に何にか信仰維持の方法を講ぜんと務められるのであります。
〇善く考へて御覧なさい、基督教を千九百年の長き間此世界に維持して来りましたのは決して人でもなければ亦(63)教会でもありません、若し神の聖霊が信者の心の中に強く働きませんでしたならば基督教は疾《と》くの昔に消えて了つた者であります、同じやうに基督信者の信仰なる者は説教や儀式位ひの力で繋げる者ではありません、神の聖霊大に吾等の心に降り、悪魔の万軍は起て吾等を砕かんとするも吾等をして基督の愛より離れざらしめ給ふが故に我等は今日まで信仰を維持して来ることが出来たのであります、教会を以て信仰維持の必要具と見做す人は神の聖霊の能力を軽しむる人であると思ひます。
〇若し教会が信仰維持に必要であるなれば何故に立派な教会の信者の中より多く堕落信者が出でますか、若し牧師を有たない信者は危険の位地に立つ者であると云ふ人がありますならば、私は其人より何故に世に多くの堕落牧師がある乎、其理由を聞きたく思ひます、自身すら信仰を維持することの出来ない者が如何して他人の信仰を維持することが出来ますか、世に堕落信者と堕落牧師との多いのは神が吾等に教会や牧師に依る勿れと教へ給はん為ではありますまいか。
〇斯う云ふて私は何にも教会の用を認めないのではありませむ、人は類を以て相集まる者でありますから、同一の主義と信仰とを懐く者は自然と相集つて団躰を作る者であります、教会は「成る」者でありまして「作る」べきものではありません、天然の生長でありまして、人為の製作ではありません、神の聖霊に導かれて期せずして成つた者が真個の神の教会であります。
〇教会は信仰を養ふ所と思ふのが抑々間違の始めであります、教会は信仰を養ふ所ではありませむ、信仰を表白する所、之を他人に頒つ所であります、私共は他人より益を受けんために教会に行てはなりません、之を与へんために、出来る丈けの善を我が兄弟姉妹達に分け与へんために其処に行かねばなりませむ、斯う云ふ教会が真(64)に栄える教会であります、何故に多くの教会に於て不平が多くありますか、それは其会員たる者が皆な餓饑童のやうに只己れ養はれんと欲してのみ其処に集ふからではありません乎、与ふる者は受くる者よりも幸福であります、与ふる者の集つた所には不平はありません、今の教会なる者が大方は不平の醸造所であるのは、其会員たる者に真理の素養が全く欠けて居るが為に、与へんとする心が無くして、受けんとする心のみがあるからであります。
〇基督信者は主イエスキリストより直に霊の賜を受る者でありますから、之を教会亦は牧師の手より受ける必要はありません、彼は与ふる為に教会を建て、亦た之に集ふのでありますから其活動の原動力とはなりましても決して其厄介者とはなりません、爾うして与ふる者は更に受くる者でありますから、基督信者は他人に与へんとしつゝ自から受くる者であります、即ち彼が受くるの法は与ふるにあるのでありまして、彼は他人に施しながら自身に富を増しつゝ行く者であります。
〇斯う云ふやうに基督信者なる者は元来独立の者であります、依瀬する者は基督信者ではありません、基督を信ずると称するも外国宣教師や、彼等の建てた教会に依頼する者は実は未だ基督を信じない者であります、独立は信徒の信仰の唯一の試験石であります、独立心のなき者には信仰はない者と見て間違はありません。
 
(65)     再び政治を排斥す
         (在米の川上君に答ふ)
                         明治35年3月11日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
〇在米の友人川上清君近頃余に書を寄せられて余が政治を論ぜざるを責めらる、余は朝報紙上に君の書翰を読んでより茲に再考三思して竟に亦た君の勧告に応ずること能はざるを告白せんと欲す。
〇余に政治に関係せよと勧めらるゝは雲雀に向て地に降て家鴨と共に泥水に田螺、泥鰌を漁《あさ》れと命ぜらるゝに均しからんと信ず 君の知る如く、総ての動物は同じからず、日光を好む鷲と雲雀とあれば、日光を嫌ふ泥亀と土竜《むぐらもち》あり、亦総ての人は同じからず、昇天の希望を有する詩人と哲人とあれば、潜泥を愛する政治家あり、故に余は総ての人に向て詩人たれと勧めず、或る人は特別に政治家たらんために造られたり、彼が政治を愛するは泥亀が泥を愛するが如し、彼等は宜しく政治を語るべし、然れども雲雀と紅雀と鶯とは泥中に在て声を揚げ得る者に非ず。
〇今の社会は職業分担の世なりと伝ふ、肥取りは下肥を扱ふべし、詩人は詩を作るべし、詩人にして若し肥取りに従事するあらば是れ国家の大損害ならずや、政治家は社会の肥取りなりとは余の曾て言ひし処、彼等は自から進んで此臭事に当らんと欲す、吾人何ぞ喜んで此等の醜児に此臭事を任せざる。
(66)〇近頃人あり、余の許を訪ふて余に次回の総選挙に於て衆議院議員の候補者として打て出でん事を勧む、余は彼に答て曰く「君、余を侮辱する何ぞ夫れ甚だしきや、余は馬族にもあらず、亦|高襟《はいから》にもあらず、然るに余に勧むるに日本帝国の衆議院議員たるを以てす、余不肖なりと雖も未だ日本国の政治家たるまでには堕落せず」と、客再び余の家を訪はず。
〇余には余の好んで為し得る業あり、伊藤博文侯は国家を調理するの大手腕を有せられ、君寵身に余るの大政治家なりと雖も而かも世の父兄にして侯に妙齢の女子の教育を託する者とては一|人《にん》もあらじ、余は小にして国政を談ずる能はず、然れども幸にして余は伊藤侯の為し得ざる事を為し得ると信ず。余は天子に寵せられざるも寡婦孤児に愛せられんことを求《ねが》ふ、余は憲法を作り得ざるも痛める心に多少の慰癒を供し得るを信ず、余は余の天職を以て満足す、君願くは再び政治を余に勧めて余の平安を妨ぐる勿れ。
 
(67)     政治家を賤む
                          明治35年3月15日
                          『万朝報』
                          署名 内村生
 
〇政治を賤しめよ、然らば政治を改むるを得ん、日本に於て政治の腐りし主なる原因は其余りに貴まるゝに在り、然れども政治は素と是れ左程に貴きものに非ず、之を殖産に此し、文学、宗教、哲学に比して政治は至て劣等なるものなり、政治を其適当の地位にまで引き下ぐるにあらざれば政治の改良は望むべからず。
〇政治家何者ぞ、彼は番頭の一種に非ずや、彼は国家の俗務を掌る者、其実力を増進し、其精神を涵養するの高貴なる地位に居る者に非ず、然るに彼を崇めて貴人となし、高官となす、是れ番頭を奉つて主人と仰ぐの類に非ずや、社会の転倒も茲に至て其極に達せりと謂つべし。
〇番頭を尊んで主人を卑む、番頭に位階勲章を給して主人を奴隷視す、主人の衣と食とを奪て番頭を賑ふ、主人は其田を荒され其家を毀たるゝに番頭は破璃室内に安臥す 政治家なる者の越権擅行此の如し、余輩が政治家を糞尿視し、蛇蝦視する亦故なしとせんや。
〇故に今日の政治家なる者を賤しめよ、若し途上に彼に会すれば彼の影を避けよ、彼と食を共にする勿れ、彼と縁を結ぶ勿れ、彼の勲章を視る時は是れ収斂の徽章なりと思へ、彼は耕さずして食ふ者、作らずして単に費す者なり、彼に只口あるのみ、脳なし亦た心なし、彼は番頭たるの本分を忘れて主人を其地位より引き下げて自ら其(68)産と位とを奪ひし者なり、世に卑しむべき者にして今日の政治家の如き者あらんや。
〇正義を愛する真正の日本男子よ、汝謹んで今日の政治家となる勿れ、汝、何を好んで政治家の群に入て汝の国と心とを欺かんとする、汝は政治家と成つて国を救ふ能はず、汝は野に在て耕すべし、工場に在て働くべし、而して天然が暴風と地震と黴毒とを以て今の政治家なるものを悉く剿滅する時を待つべし、此時蓋し遠きにあらざるべし、政治家ならざる者が政治を主る時は到らん、吾等謹んで其時を待て可なり。
 
(69)     杜軍の大勝利
                         明治35年3月16日
                         『万朝報』
                         署名 内村鑑三
 
〇東洋の君子国なりと自称する日本国と世界の基督教なりと自称する英国との間に同盟の約成て、日本国に於ては官民相合同して全国到る処に日英同盟祝賀会なる者は開かれ、狂酔婬歌して泰平を謳ひつゝある時に方て、南阿に於ける一団の愛国者は、此同盟を耳にして一時は非常に落胆せしならんも、天其孤独を憐み給ひけん、近頃に至て二回の大勝利を彼等に与へ、以て日本国の外に尚ほ頼るべきものあるを彼等に示し彼等の心を強うせしのみならず、亦世界数百千万の彼等の同情者をして茲に一時の愁眉を開くの快を感ぜしめしは、余輩の茲に正義の為め、将た又人道の為めに深く感謝して止まざる所なり。
〇デラリー将軍千六百の杜軍を率ゐ、英将メシユーエンの引率する一軍を襲ふ、英軍大に敗れ、死する者四十、傷を負ふ者七十五、捕虜となりて杜軍に降りし者二百、而《しかう》してメシユーエン将軍自身も腿に負傷して捕虜の中にありと、是豈開戦以来の大勝と云はざるべけんや、メシユーエンは曾てモツダー河を挟んでクロンエー将軍と雄を争ひし者、而してクロンエー三千の味方と共に十五万の英軍の囲む所となり、衆寡敵し難く、終に英軍に降るや、英軍は彼と彼の勇士とをセントヘレナの孤島に移し、彼等今尚ほ彼処《かしこ》に呻吟しっゝあり、然るに今やメシユーエン将軍同じ運命に遭ふ、知らず、杜軍は英軍の如くに無情にして、彼を荒漠人無き所に移してクロンエ(70)ーに報んとする所ある乎、余輩は杜軍の公義を信ずる厚きが故に其決して然らざるを信じて疑はず。
〇曩にはデウエツト将軍英国の輜重兵三百を生擒《とりこ》にし、今亦デラリー将軍此勝を得たり、杜軍の士気茲に一段の挽回を得て南阿の自由は今や復たび全く希望なきにあらざるに至れり。
〇言ふを休めよ、余輩が日本国の同盟国なる英国の敗を聞いて悦ぶは日本国に対しての不忠なりと、余輩は日本国を愛するに於ては何人の後にも出ざらんと欲す、余輩は日本国を愛す、故に杜国に対して深き同情を表す、乞ふ少しく其理由を述べん。
〇杜国は今や世界の自由のために戦ひつゝあり、恰かも二千二百年の昔、希臘が彼斯《ぺるしや》に対して世界の自由のために戦しが如し、彼時に於て小なる希臘が大なる彼斯の圧砕する所となりしならんか、今や世界に自由なく、憲法なく、随つて今日の英国も日本もなかりしや必せり、今若し杜国にして全く英軍の破砕する所とならんか、帝国主義なる旧時の圧制は終に世界に普きを得て、小国は茲に存在の基礎を危くせられ、世界は終に二三強国の専有する所とならん、微弱なる杜軍は其身に於て帝国主義の鋭鋒を受けつゝあり、彼にして之を挫かざらんには、其災害終に東洋の吾人にまで及ばん。
〇英国をして日本と同盟せしめし主なる原因は南阿に於て其際会せる危機にありとす 若し此危機にして存せざらん乎、英国何を好んで彼が常に賤視して止まざりし日本国と同盟せんや、故に若し南阿戦争にして速に結了を告げん乎、是れ日英同盟の主なる動機の取り去らるゝ事にして、其結果たるや何人も之を予察するに難からざるべし、南阿に於る杜軍の勝利は利益の一点より見るも日本人の度外視すべからざる事なり。
〇然れども余輩は我国今日の政治家なる者に傚ふて利益の点より此事を打算せず、杜軍は二十世紀に於ける人類(71)の自由の為めに戦ふ者なり、故に杜軍の勝利は自由の勝利なり、而して自由の勝利は亦日本の勝利ならざるべからず、余輩が曾て論ぜし如く、日英同盟なる者は実に我国一部の政治家とチヤムバーレン内閣(余輩は殊更に斯く云ふ)との間に結締されし同盟にして、特に正義を愛する日本人と人道を愛する英国人との間に成りし者に非ず、若し倫理学者の眼より之を視れば是れ一種の野合的同盟にして、将来の歴史家に依て甚《いた》く非難さるゝ所の者たるや敢て疑を納れず、此同盟にして其目的とする功を奏せざらんことは余輩の信じて疑はざる所にして、其遅かれ早かれ我国の大恥辱となりて終らんことは天の命数と云はざるべからず、余輩は実に此同盟の結ばれし事を両国の為に悲む者なり。
〇此時に方て杜軍の大勝利を耳にす、是れ何事を吾人に教へんとする乎、即ち勢力の頼むに足らざる事是なり、二十五万に余る大軍を以て一万に満たざる小軍に当る、而かも大敗相次ぐ、英国と結んで露に当るも仏に当るも若し正義の確信我になくんば、我は却て大敗を取らんのみ、然れども若し日本人四千万に杜人十万の懐く所信あらんか、宇内何物か怕るゝに足る者あらんや、吾人は英と結ぶを要せず、又露と力を協はすを要せず、吾人は独立独歩して世界に闊歩するを得るなり、民に確信なきが故に大国と結ぶの必要は生ぜしなり、日本国の運命は蓋し杜国のそれに比べて実は憐むべき者に非ずや。
〇語を寄す、余輩の愛する同胞よ、南阿の民に深く学ぶ所あれ、勢力は兵に非ず、軍艦に非ず、勢力は確信にあり、民の結合にあり、今日の日本人の如く同胞相欺き、我利是れ求め、政治は利益のためにのみ論ぜられ、農夫田を荒されて訴ふるに所なし、国状斯の如くにして十三師団の陸軍と二十万頓の海軍とは何の用ふる所かあらん、吾人深く此に鑑る所なかるべけんや。
 
(72)     〔福音と社会 他)
                      明治35年3月20日
                      『聖書之研究』19号「所感」                          署名なし
 
    福音と社会
 
 福音は社会の為にあらずして、社会は福音の為なり、神は世を救はんが為に福音を下し給ひしにあらずして、福音に顕はれたる彼の聖旨を実顕せんが為に世を造り給ひしなり、福音は目的にして社会は手段なり、社会改良を目的とする福音の宣伝は基督教の本旨にあらず。
 
    福音の宣伝
 
 我等世を救はんことを意ふべからず、福音を宣伝せんことを努むべし、福音或は我等が意ふ如くに世を救はざるべし、世或は其頑冥の故を以て福音に接して却て其滅亡を早めることあるべし、然れども我等は福音を宣伝して怠るべからず、我等は福音其物に注目して世の盛衰興亡に意を留むべからず、我等は神を信じ神の福音を信じ只管に神の聖旨の世に成らんことを祈るべし、天の地よりも高きが如く神の智慧は人の智慧よりも深し、我等の看て以て滅亡となす者は却て大なる救済なるやも計られず、我等は世を福音に委ねて可なり、神は其手の業を打(73)棄て給はざるべし(約百記十章三節)。
 
    三個の福音
 
 福音の第一は約翰伝第三章十六節に在り 曰く「其れ神は其生み給へる独子を賜ふほどに世の人を愛し給へり、此は凡て彼を信ずる者に亡ること無して永生《かぎりなきいのち》を受けしめん為なり」と。
 福音の第二は彼得前書第二章二十四節に在り、曰く「彼れ(イエス)木の上に懸りて我儕の罪を自から己が身に任《お》ひ給へり、是れ我儕をして罪に死て義に生かしめん為なり、彼の鞭打たれしに因りて爾曹|医《いやさ》れたり」と。
 福音の第三は約翰第一書第四章十節に在り、日く「我儕神を愛するに非ず、神我儕を愛し、我儕の罪の為に其子を遣はして挽回《なだめ》の祭物《そなへもの》とせり、是れ即ち愛なり」と。
 我等の福音の粋は此にあり、我等は山をして此音を響かしめん、海をして此声を揚げしめん。
 
    福音の器具
 
 我は我に口あるを感謝す、我は之を以て神の福音を宣べん、我は我に手あるを感謝す、我は之を以て神の福音を伝へん、我は我に足あるを感謝す、我は之を以て神の福音を運搬ばん、我は福音のために造らる、我は其伝播の器具たるべし。
 
(74)    一大事業
 
 政治の為めに定められし者は政治に行け、実業のために定められし者は実業に行け、然れども福音のために定められし者は福音に来れ、此に一大事業在て存す、余輩は世の大志を懐く者にして此れに注目する者甚だ尠きを怪む。
 
     感謝
 
 神に感謝す、嗚呼神に感謝す、神は我に多くの艱難を下し給ひしを、我れ食を以て貧者を養はんとせしが故に神は我を貧に陥れて我をして饑餓に泣かしめ給へり、我れ国を救はんとせしが故に神は国人を駆て我に逆はしめ、我に被らするに国賊の名を以てせしめ給へり、我れ社会を改良せんとせしが故に多くの偽《いつはり》の兄弟を我に贈て我の社会的事業を破砕せしめ給へり、神は我を其福音のために備へ給へり、故に彼は我れがわが業に就くまでは我に平安を賜はざりし、今に至て我は知る、我に臨みし饑餓の難、迫害の難、偽りの兄弟の難は皆な幸福の域に我を駆逐するための恩恵の鞭撻《むち》なりし事を。
 
    吾等の基督教
 
 基督教は慈善事業なりと云ふ者は誤れり、基督教は慈善事業に非ず、基督教は神の大能なり、基督教は労働なりと云ふ者は誤れり、基督教は労働にあらず、基督教は神と其遺はせし独子とを信ずることなり、基督教は神学(75)なりと云ふ者は誤れり、基督教は神学に非ず、基督教は基督の心を以て人を愛することなり、基督教は括る信仰なり、即ち果《み》を結ぶ信仰なり、果実のみに非ず、信仰なり、実らざる信仰にあらず、「果を結びて益々大になる」信仰なり(哥羅西書第一章六節)、吾等の追求むる基督教は是なり。
 
    単独の我れ
 
 我れ我が事を為すに方て富豪の寄附を仰ぐを用ひず、我の事ふる天の父は天地万物の造主なり、我れ我が志を伸るに方て社会の賛同を得ることを要せず、我の友なる天使《てんのつかひ》は宝座《みくら》に近く我が為めに祈る、我に糧あり、聖書に在り、我に力あり、祈祷に存す、我は単独にして世界を相手に戦ひ得るなり。
 
    我の証明者
 
 我の証明者 第一は我自身なり、我は己を欺かざらんと欲す、我の良心にして我を許せば我は衆人の猜疑する所となるも可なり。
 我の証明者 第二は我の神なり、若し彼にして我と伴に在さば何人も我に逆ふ能はず、我は小なり、然れども神は大なり、我れ神と協同して我一人は世界よりも大なり。
 我の証明者 第三は我の事業なり、人に依ることなく、たゞ神にのみ頼て我の就せし我の事業は我を神と人との前に義とする者なり、我の伝へし言葉に因て罪を悔ひ改めし者、我の宣べし福音に因て生命に皈りし者は我の冕《かむり》にして我の喜なり、我を未来の裁判に於て弁護する者は彼等なり、彼等の我を証明するありて我は大胆に神の(76)審判の前に立たむ。
 
    信任
 
 人を信ぜんか、人を信ぜざらんか、人を信ぜざれば危険少し、然れども人を信ずるは我に益あり、我は我が心に於て同情の念の常に燃えんがために多くの危険を冒しても努めて人を信ぜんと欲す。
 
    勇気
 
 世に悪人多し、然れども其中に少数の善人の存するあり、我等此少数の善人を済はんために努力すべし、多数の嘲笑罵詈の如き何ぞ夫れ意とするに足らんや。
 
(77)     海浜の祈祷
                      明治35年3月20日
                      『聖書之研究』19号「所感」                          署名 内村鑑三
 
 明治卅五年一月廿九日余れ筆硯の業に倦み、読書又興味を失し、寒風戸を叩きて身も心と共に凍えんとしたりければ、春を湘南の地に探らばやと欲ひ、独り杖を曳いて三浦半島に遊ぶ、横須賀に下車し、米ケ浜を伝うて浦賀に達し、久比里坂を越えて八幡に出づ、此処を距る八丁にして海浜白砂の上に屹立する者を米国水師提督伯理上陸紀念碑となす、余此処に至り、碑を仰ぎ瞻て後其台石の上に蹲り、独り今昔の感に打たれぬ、余の面前に横たはるは浦賀海峡の水、其彼岸に壁を築くは鋸山なり、手作川は余の左方に於て海に注ぎ、千駄崎は余の右方に於て海に突出し其懐に久里浜の村落を抱く、余の其時の立脚地は即ち四十九年の昔、水師提督ペルリが始めて彼の足を印せし処なりと思へば千思万考交々余の胸裡に浮び来りて余は暫くの間其処に黙想に沈みたり、余にして若し詩人ならん乎、余は直に詩を賦して余の此時の感を述べしならん、余にして若楽人ならん乎、余は立に楽譜を組んで余の当時の情を写せしならん、然れど詩人ならず、楽人ならざる余は余の万感を発表するの術に乏しく、依て独り台石の上に立ち、海に面し、石碑を背にして独り左の如き祈祷を余の神に捧げぬ、余は信ず、余の当日の此祈願の声を開きし者は惟り浜の真砂と磯打つ波のみにあらざりしことを。
(78)  因に記す、提督ベルリ久里浜上陸の当日彼の旗艦に在て神に感謝の祈祷を捧げしと云ふ。
 歴史の神よ、爾は永く此国を鎖し給ひて此年此曰(嘉永六年六月九日)に爾の僕ペルリを遺して此国を開き給へり、余は信ず、是れ爾の深き摂理に存せし事なりしを、爾は此美はしき山と丘とを造り、此海と河とを備へ給へり、是れ皆な悉く爾の聖名を称へんためなり、予は今独り此湾に臨み、かの山に対して復たび爾の聖業《みしごと》を讃め称ふ。
 余は信ず余の神よ、爾は滅さん為めに此美はしき国土を造り給はざりしを、余は信ず、此国は是れ此国のためにのみ造られし者にあらざるを、爾が爾の僕を遺して、始めて此所に我等を世界の民に紹介し給ひし時は是れ爾が我等の肩上に大なる責任を置き給ひし時にして、爾の聖意が茲に開展の一歩を進め、亜細亜の億兆が爾の聖旨を受けんための門戸が更に茲に開かれし時なることを、此年此日アゝ神よ、大革命は此国に臨みたり、此国のみならず、此年此日亜細亜の暗夜は爾の光輝《ひかり》を望みたり、願くは神よ、永久に此嘉永六年六月の九日を祝し給へ。
 而して最《いと》も微《ちいさ》き我の運命も此一日の出来事に関はれり、若し此日なかりせば我は此世に遺されしも爾の聖顔を拝すること能はざりしならん、我は異教の民として一生を送り、世の功名利達の外に我の希望を繋ぐものなく、平和なき歓喜なきものとして塵より出でゝ塵に帰りしならん。
 然れども此祝すべき日は我に天の希望を持来せり、我は此日ありしに由りて我国に臨みし都ての恩恵に就て爾に感謝す、今日我等の享有する自由、今日我等に便益を供する都ての利器、かの海に浮ぶの海船、かの山に轟くの※[さんずい+氣]車、かの市《まち》を繋ぐの電線、余は皆な是等に就て爾に感謝す。
 然れども爾は此日是等にも優る者を吾等に与へ給へり、爾は爾の福音を以て此国を恵み給へり、民を活かすの(79)能力を以て我等を見舞ひ給へり、アヽ余が今日余の微さき心の中に感ずる救済の大能……世に何物か之に優るの恩恵あらんや、是ありてのみ余に生命あり、是なくして我国人は死滅なり、生命の神よ、爾此日の爾の誓約を覚え給ひて此国民を化して悉く爾の民となし給ふまでは休み給はざれ。
 余は今此石碑の下に跪きて余の愛する此日本国のために祈るなり、余は亦朝鮮の為めに祈るなり、支那のために祈るなり、暹羅、安南、印度のために祈るなり、此石碑は是れ東洋救済の紀元を紀念する為めに建てられし者、日本国の大任を此処に印する者なり、神よ、五十余年前に此地に揚りし爾の讃美の声をして遠く大陸の山河にまで響き渡らしめよ。
 爾うして神よ、亦此所に跪く此微き爾の僕を恵み給ひて彼の従事する小なる事業の上に爾の祝福を垂れ給へ、願くは之をしも祐け給ひて、之をしも亦此地球の半面に於ける爾の偉業を輔くるための一小器具とならしめよ。
 余は余の力弱きを知ると雖も亦爾に頼て大事を為し得るを信ず、余は爾の伝道師たらんことを求ふ、余は東洋全躰を余の祈祷の区域となすべし、余の神よ、余が爾に在て懐く所の余の此大望を許せよ。
 願くは爾の聖霊裕かに此国民の上に降り、其社会の日々に堕落し行くに係はらず、爾は爾の大図のために此民を省み給ひて、爾の大能を以て人力の及ばざる事を就し、爾の聖名が水が大洋を掩ふが如くに此全土を掩ふに至り、多くの義人此地に生れ、多くの聖徒此土に起り、世界の創造の始より爾が此国に就て企て給ひし爾の聖業《みしごと》の必ず此民に依て開始められんことを、余は此国の天職を思ふ毎に其滅亡を聞くこともあるも未だ之を信ずること能はず、爾は爾の聖業を蔑《かろし》め給はず、爾は必ず此国を救ひ給ふなり、若し此国のためにあらずとするも、亜細亜億兆のために、人類全躰の為めに、此処に始めて上陸して爾に祈願を捧げし者のために、また此小なる僕の祈祷(80)のためにも爾は必ず此国を救ひ給ふべし、願くは爾の恩恵余の足下に積る浜の真砂の如くに数限りあらざれ、願くは爾の慈愛余の目の前に横はる海の如く深かれ、願くは爾の約束海の彼方に堅城を築く山の如くに動かざれ。
 都て是等の感謝と祈祷とを余の救主イエスキリストの聖名に依て聴き給へ アーメン
 
(81)     歓喜の福音
        (腓立比書と其註解)第一章
                  明治35年3月20日−5月20日
                  『聖書之研究』19・20・21号「註解」                      署名 内村鑑三
 
 一、キリストイエスの僕パウロとテモテ、ピリピに居る所のキリストイエスに在る凡ての聖徒及び凡の監督執事に書を送る、
〇「キリスト」、受膏者の意なり、希臘語のキリオー(Chrio 受膏)より来りし詞にして、希伯来語のメシヤ(Messiah)の訳字なり、受膏は猶太国に於ける国王即位の式なり(撒母耳前書十章一節)、イエスを受膏者と称ふは彼が神の定め給ひにし王なるに由る、彼はダビデの裔にして猶太人正統の王たるの資格を有せり、彼は亦神の子にして人類唯一の王なり、人類の王として其頭に膏を沃がれし者は彼一人なり、故に彼を称して「唯一のキリスト」(the Christ)といふ、キリストは尊号にしてイエスは通称なり、イエスをキリストと称して吾等は其神性を表し奉る。
〇「イエス」、希伯来語のヨシヤを希臘音に綴りし名なり、「救拯は神に在り」との意なり、万民を罪より救ふ故に其名をイエスと名くべしと云へり(馬太伝一章廿一節)、イエスなる名称は猶太人中稀れならざりしが如し、(路可伝三章二九節にヨセとあるはイエスと読むべきものなり、哥羅西書四章十一節にユストと名くるイエスな(82)る者あり、)然れども此名、人類の救主に通用せられてより特殊の意義を通ずるに至れり。
〇「キリストイエス」、キリストなるイエス、王なるキリストなるイエス(路可伝二三章二節)、イエスと称へられしキリスト、其名に神人一体の意義存す、キリストは世の創始より存せし者、アブラハムの有らざりし先より在る者(約翰伝八章五八節)なり、イエスはマリヤの子にしてユダヤのベツレヘムに生れし歴史的人物なり、イエスは我儕の友人にしてキリストは我儕の救主なり、我儕はイエスとして彼を愛し、キリストとして彼を崇め奉る、彼はインマヌエルなり、即ち「神我儕と偕に在る」者なり、(馬太伝一章二三節)、我儕の救主の神性と人性とはキリストイエスなる其名称に於て彰はる、キリストイエスと云ひ、又イエスキリストと云ふ、パウロの書翰中キリストを前にしてイエスを後にすること八十七回、イエスを前にしてキリストを後にすること七十八回なりと云ふ、尊称を先にして通称を後にするは稍々重きを其顕職に置きしに因るならん、即ちパウロはイエスの威稜を称揚するの余り彼を呼び奉るに多くキリストイエスの名を以てせしが如し。
〇「僕」、奴僕の意なり、啻に弟子たるに止らず、又其従者なりと云はず、奴僕又は奴隷なりと云へり、曾て人を戴て主と仰ぎしことなきパウロが自から称してキリストイエスの奴僕なりと云ふ、以てパウロの心に映せしキリストの何人なるかを知るを得べし。
〇「パウロとテモテ」、タルソのパウロとルステラのテモテ、師弟の最も親密なる者、子の父に於ける如く我と共に福音の為に勤めたりとは師が此書に於て其愛弟子に就て語る所なり(二章二二節)、パウロ自から此書を作るに方て之に少《わか》きテモテの名を列ねて以て其名誉を頒つ、師の愛と謙遜とは無意識の間に此の如き小事に於て彰はる。
(83)〇「ピリピ゚」 東欧マケドニア洲の一都市なりき、其古蹟は北緯四十一度、東経二十四度の交叉する辺にあり、ネアポリス港(今の Kavala)を距る西北八哩余、其要害の地たるを以てマセドン王ピリピの改築する所となれり、依て此名を附せらる、後、羅馬人の占領する所となりてより其殖民地となれり、バルカン半島を希臘多島海に沿ふて東西に横断する国道の此辺を通過したれば其交通の便は至て好良なりき、東はスレース洲を経て黒海の沿岸に達し、西はアムピポリス、アポロニヤ、テサロニカ等の名市を経てアデリヤ海の岸に通ぜり、紀元前四十二年、即使徒パウロが平和の福音を齎して此所に到りし前九十五年、シーザーの暗殺者なるカシアスとブルータスは此所に其復讐者なるアントニーとオクタビアスの二人の敗る所となり、茲に羅馬共和国は終結を告げて、世はアウガスタス帝一人の有となれり、武将に依て築かれ、戦場を以て名高かりしピリピの市は今は使徒保羅の贈りし『腓立比書』なる平和と希望と歓喜との書翰の名を以て広く世界に知らる、言ふを休めよ、功名は流血にありと、永久の功名は伝道にあり、マセドン王ピリピ又は羅馬の勇将アントニーの故を以てせずして、タルソの天幕職工パウロの故を以てピリピの名は不朽に属せり。
〇「キリストイエスに在る」、パウロ独特の用語なり、イエスに在る聖徒とはイエスに因て潔められし者の謂ひなり、イエスに在る兄弟とは同一の生命をイエスに仰ぐ者の称なり、(約翰伝十五章参考)、基督信者は先づ其身も霊も之をキリストに置く(委ぬる)者なれば其相互的関係は皆な悉く「キリストに在る」ものならざるべからず、我儕はキリストに在て相結合す、我儕の惰性に駆られて相愛するにあらず、我儕の利益に導かれて相一致するにあらず、我儕の和合は間接的なり即ち第三者に因て成る和合なり、而も是れ最も親密にして最も強固なる和合なり、我儕キリストに因らずして神に近づくこと能はざるのみならず、亦彼に因らずして我儕互に相近づくこと能(84)はず、先づキリストに在らんのみ、然らば我儕は凡てキリストに在る者と共に在るを得べし、キリストの心を有たざる者はキリストの属に非ず、キリストに在るに非れば基督信者の心を了る能はず、
〇「聖徒」、(Hagios,Saints)簡び出されし者の意なり、(加拉太書一章十五節参考)、即ち神の労働者として特別に此罪悪の世より撰別されし者の称なり、基督教に所謂る聖徒なる者は完全無欠の人を指して云ふに非ず、神の恩恵に与りて、罪の赦免を受けし者、是れ「ハギオス」、即ち簡び出されし者なり、是を聖徒と訳して、其「赦されし罪人」なる原意を通ずる難し。
〇「監督」、単に監督者の意なり、即ち信仰上の長者なり、今日世に称する高位の僧官を指して云へるにあらず、エペソの教会の長老をば指して亦監督と云へり(使徒行伝二十章十七節と二二節と参考)、監督亦教会の長老に過ぎざりし事は基督教の共和的精神に照らしても明かなり。
〇「執事」 教会の事務員なりしならん、監督と相待て教会の雑務に与かりし者なるが如し、(使徒行伝六章参考)、「凡て」の一字に注意せよ、ピリピの教会に多くの監督と執事とありしを見て以て初代の教会に今日世に称する監督制度なる者の存在せざりしを知らん。
〇「聖徒及び監督」 信徒(聖徒)を先に呼で監督を後にす、是パウロの教会観なり、基督の教会に在ては小なる者は前にせられて大なる者は後にせらるべきものなり、基督曰く「爾曹のうち大なる者は幼《わかき》が如く首《かしら》たる者は役《つか》ふる者の如くなるべし」と(路加伝廿二章二六節)。
〇「書を達る」 此詞原著にあるなし、第一節は書翰の宛名たるに過ぎず、是を普通の日本文に訳せば即ち左の如きものならん
(85) 在ピリピ
  キリストイエスに在る凡ての聖徒及び凡ての監督執事へ
                キリストイエスの僕パウロとテモテより
〇此書は紀元の六十二年頃羅馬に於ける監禁の中よりエパフロデトの手に由てピリピに贈られしものなりとは学者の一般に信ずる所なり、此書と以弗所、哥羅西、腓利門の三書を合せて監禁中の書翰と称す、其前後早晩に就ては学者中異論ありと雖も、其パウロが鏈鎖に繋がれて羅馬に囚人たりし間に成りしものたることは疑ふべきにあらず、身は縲絏の中に在て此歓喜の言を発す、其歓喜の福音たるは其悲歎の境遇の中に在て成りし者なるが故に更に一層著明なるを得ん。
  二、願くは爾曹我らの父なる神及び主イエスキリストより恩寵と平康を受けよ
 第一節は宛名にして第二節は挨拶なり、基督信徒の挨拶なるものは斯くも簡短にして而かも懇切なる者なり。
〇「父なる神」、其子キリストに由て更に子として迎へられし者の父なり、人類は神に造られし者なるが故に神は或る意味に於ては人類全躰の父なりと雖も然れども彼が神を指してアバ父と呼ぶに至るは其特別の救済の恩恵に与つて後の事なり、神を父と呼び奉るに至りしは基督信者の特権なりとす、パウロの所謂父なる神は常に此基督信徒の神を指して云ふなり。
〇「主イエスキリスト」 啻に師イエスキリストの意にあらず、亦主人イエスキリストにもあらず、主イエスキリストなり、即ちエホパイエスキリストなり、希臘語の Kulios なる詞は希臘訳聖書に於てエホバてふ神の尊称を訳する為めに用ひられしものなり。
(86)〇「恩寵」 都ての善きものは神より来る、故に美はしき日の光なり、香はしき清き空気なり、是れ皆な神の恩寵にあらざるはなし、然れども新約聖書に謂ふ所の恩寵なるものは重に霊の賜を指して云ふなり、即ち神より来る心の富にして、之を受けて吾等真正の基督的人物と成るを得るものなり、其何物たる乎は之を受けて始めて知るを得べし、而して之を知て吾等は天上天下之に優る者の他になきを知るなり。
〇「平康」 罪を赦されしより来る平和、神の恩寵に沐する安心、律法は我等の上に力なきものとなりて、吾等を縛るにたゞ愛の絆のみあるに至りし喜楽、是をば称して基督信徒の乎康とは云ふなり、是れ有りて吾等は死に近くも懼れず、是れ有りて吾等は人世の変遷に怕《おぢ》ず、吾等は神に於て喜び、颶風生命の舟を撃てども吾等は主の懐に在て眠る。
〇恩寵と平康とは父とキリストより来る、父の有てるものをキリストも亦有てり、キリストは父と権能を共にするのみならず、亦恩寵を共にす、父に祈ることを吾等はキリストに求むるを得べし、キリストに神性を帰せざる者は聖書の此等の言に注意すべし。
〇「受けよ」、此詞原書にあるなし、若し之を存せんとならば「受けんことを」も正す方適当ならん、全節パウロの祈願を記す、「恩瀧爾曹にあらんことを」とか、或は「爾曹恩寵を受けんことを」とか読むべし、「受けよ」の意訳宜しからず。 〔以上、3・20〕
  三、四、爾曹始の日より今に至るまで偕に福音に与るに縁り、われ爾曹を思ふごとに我神に謝す。
〇「われ………恒に………欣びて………我神に謝す」 挨拶終て直に感謝に移る、是此書が歓喜の福音たる所以、単《たゞ》に謝するのみならず、欣びて謝す、単に此時に於てのみ謝せしに非ず、恒に彼等を思ふ毎に謝せりと云ふ、以(87)て知る保羅の祈祷の多分は祈願にあらずして感謝なりしことを、彼に謝すべきこと多くして求むべき事甚だ尠かりしが如し、彼の宗教は徹頭徹微感謝の宗教なりし。
〇「始の日より」 始めて福音を聞きし日より。事は使徒行伝第十六章に明かなり。
〇「偕に福音に与る」 福音に関はる総ての栄光と責任とに与かるを云ふ、其栄光は基督と偕に艱難に耐ゆることなり、(三章十節参考)、其責任は之が伝播を援くることなり、単に福音を受けて其恩恵に与かるに止まらずして、進んで之を世に表白し、其頒布を授くるを云ふ、第三節を左の如く解訳して其真意を一層明瞭ならしむるを得ん、
  始めの日より今に至るまで福音のためにする爾曹の協力に就て我神に謝す。
 ピリピ人が屡々資を保羅に贈て其欠乏を補ひしは此書の終結に於て詳かなり。
  五、また恒に爾曹衆の為に祈求《ねが》ふ毎に欣びて祈求ふ。
〇「爾曹|衆《すべて》のために」 保羅の祈祷の共通的なるに注意せよ、彼に依怙贔屓なるものあるなし、彼は教会全躰のために祈るなり、斯くするは彼の愛が稀薄冗漫なる故に非ず、彼は茲に彼の愛心を教会全躰の上に傾けて其和合一致を計りつゝあるなり、等しく保羅の祈祷の題目に上りしピリピの信徒は互に相愛せざるを得ざるに至りしならむ。
〇「祈求《ねが》ふ毎に歓びて祈求ふ」 言、甚だ重複に似たり、然れども重複の中に深情存す、彼は祈求ふて止まず、然れども彼は哀願する者にあらず、亦強請する者にあらず、彼は欣んで祈る者なり、祈祷は彼に取りては歓喜なり、是れ父と語ることなり、是れ彼の友を記臆することなり、何物か之に優るの喜楽あらんや、吾等時には祈祷を厭ふ、吾等は義務として之を為すこと屡々あり、吾等は祈祷の何たる乎を知らず、故に吾等の祈祷に歓喜なき(88)なり。
〇曾ては涙を以て蒔かれし福音の種、今は効果を奏してピリピの信者は自ら進んで其伝播の責任を共分するに至れり、之を聞きし保羅、如何でか感謝の涙に溢れざらんや、彼がピリピ人の為に欣びて祈求ふは宜なり、彼は彼等に於て福音の実効を目撃せり、彼は彼の労働の全く無益ならざりしを認めたり、欲求の理由茲に存す。
○然れども彼は猶ほ彼等のために求むる所なくんばあるべからず、彼等の信仰未だ完全《まつた》からず、彼等相互の間に不和あり、争論あり、此書翰は是れ之を癒さんために作られし者なり、彼は彼等の今日ありしを聞いて欣ぶ、彼は彼等の上に現はれし神の恩恵に就て感謝して止まず、然れども彼は更に彼等の信仰の完成を祈らざるを得ず、茲に於てか祈願の要生ず、感謝と祈願、過去に対する感謝と未来に対する祈願、此二者ありて完全なる祈祷あり、読者は宜しく此等数節に現はれたる保羅の祈祷の精神に注目すべきなり。
  六、爾曹の心の中に善工《よきわざ》を始めし者、これを主イエスキリストの日までに全うすべしと我深く信ず。
〇「我深く信ず」 訳文に在ては肝要文字の屡々章句の終尾に移さるゝことあるが為に原文の語勢を損ふこと多し、第四節の終りに於ける「我謝す」の詞は第三節の始に置かるべきものにして、其意は第五節の終に至て完結すべきものなり、第六節の終に於ける「我深く信ず」は希臘文に在ては一語にして節の始に置かるべきものなり、全節を解訳すれば大略左の如し、
  我は信じて疑はず、此一事を、即ち爾曹の中に善き事業を始めし者は必ずイエスキリストの日までに之を継げて完結に至らしめ給ふべし。
〇「我深く信ず」 「我は信じて疑はず」確信の詞なり、永き実験の結果として立証し得る事実に対して言ふ詞な(89)り。
〇「此一事を」 auto touto 此熟語訳文に現はれざるが故に原文の義を弱むること太大なり、保羅は彼の数十年に渉る信仰上の経歴の結果として下に記載する「此一事」に就ては疑を狭まざるに至りしを述べたり、如斯き脱字は訳文に於て赦すべからざるものと曰はざるを得ず。
〇「爾曹の心の中に」 原文に「心」の辞なし、単に爾曹の「中」といふ、「爾曹の間に」とか、或は「爾曹の中に在て」とか訳する方意義に制限を附せずして却て穏当なるが如し。
〇「善工を始めし者」 悔改の福音を伝へしめ、之を信ぜしめ、救済の途に就かしめし神を指して云ふ、基督信徒は「既に望を得たる者」と称ふべからず、(第三章十二節)彼は今猶ほ標準《めあて》に向ひて進む者なり(仝十四節)、彼は纔に善工を始められし者、彼の完成は尚ほ永き修養と指導とを要す。
〇「イエスキリストの日」 キリスト再臨の日、即ち彼が栄えの要に蔽はれて世を鞫《さば》かんがために再び吾等の間に現はれ給ふの日を指して云ふなり(馬太伝七章二二節、仝十章十五節、路可伝十七章二四節等参考)。
〇「全うすべし」 欠を補ひて完全に至らしめ給ふべしとの意なり、(epitelesei)即ち完全なるクリスチヤンたるを得さしめ給ふとなり、過去に於ける神の恩恵は未来に於ける恩恵継続の実証となり、今日まで吾等を導き来り給ひし神は終に吾等を棄て給はざるべしとなり、(撒母耳前書七章十二節)。
   his love in time past
    Forbids me to think
   He'll leave me at last
(90)    In trouble to sink.
   過にし時に於ける神の愛は
   彼が終に我を棄て去て
   我をして悲痛に沈ましめ給ふとは
   我如何にするも信ずる能はず
 我自から撰んで神に来りしに非ず、神我を撰んで彼に来らしめ給ひしなり、我に一の賞むべきの望徳ありて我は神の子と称へられしにあらず、神が永遠の愛を以て我を彼に引寄せ給ひしに由て我は今日あるを得しなり、我が罪人たりし時に我を其子に於て召し給ひし神は如何で復たび我を其手より放し給はんや、我の罪は大なれども神の愛は我の罪よりも大なり、彼の愛の抱懐する所となりて宇宙何物も我を彼の手より奪ひ去る能はず、故に保羅は語を強めて云ふ、我は此二事を信じて疑はず、我等を召しゝ者は必ず永久に我等を救はずして止み給はざるべしと、偉大なる哉此慰藉。
  七、此の如く我が思ふは宜なり、爾曹常に我心に在るに縁る、そは我が縲絏に在るとき及び福音を弁明し之を堅固する時も爾曹は皆我と偕に我が受る恩に与かればなり。
〇「此の如く」 此くも深き愛を以て我が爾曹衆に就て思ふは宜なり、訳文は茲に「爾曹衆に就て」の三辞(huper panton humon)を脱せり、恒に彼等|衆《すべて》の為に祈求《ねが》ひし保羅は茲に亦彼等衆に就て懐ふと云へり。〇「爾曹常に我心に在るに縁る」、前句に関聯して読むべし、爾曹常に我心に在るが故に、即ち我れ常に爾曹を深く懐ふが故に爾曹の救済に就て斯くも(第六に云へるが如く)厚き希望を懐くは適当なり(dikaion)、師と弟子(91)とが斯くも深く相繋がる場合に於ては師が弟子の将来に就て斯くも深く思ひ遣るは決して怪むに足らずとなり。
〇「そは」 以下師と弟子との間に存する深き関係の理由を述ぶ。
〇「我が縲絏に在るとき」、保羅今や羅馬に在て囹圄の中に此書翰を作りつゝあり、彼の足は鏈鎖に繋がれ、兵卒一人常に彼の傍にあり。
〇「福音を弁明し之を堅固す」、弁明(apologia)は真理の発表なり、堅固(bebaiosis)は其建設なり、之を弁明(弁護)すと云ひ、堅固《かたう》すると云ひて其誤謬を正し其弱所を強うするが如くに聞えて原文の建設的意義を伝ふる難し、基督教は神の真理なり、是れ世に所謂弁明の必要なきものなり、基督教の真理は亦宇宙の依て以て建つ所の磐石なり、是れ人に依て堅固せらるべきが如きものにあらず、基督教は発表すべきものなり、此世に建設さるべき者なり、世の哲学を懼れて其弁明を努めしが如き、其弱点を認めて其防禦に汲々たりしが如きは使徒保羅が彼の信奉せし基督教に対して取りし態度にあらず。〇然れども真理の発表と其建設とは常に激烈なる反抗を惹起す、縲絏常に之に伴ひ、迫害常に之を迎ふ、茲に於てか特別の恩恵の必要生じ、熱き同情の要求起る、福音を信じ、其発表と建設とを画《はか》る者にして此世に在て同一の艱難に遭遇せざるはなし、基督教的同情なるものこゝに生じ、斯教を信ずる者をして四海をして最も深厚なる意味に於ての兄弟たらしむ。
〇「爾曹は皆我と偕に我が受る恩に与かればなり」、基督を信ずる者はピリピにあるも羅馬にあるも皆彼に在て一体なり、彼等に同一の悲歌あり、同一の歓喜あり、彼等は聖霊てふ同一の神経を以て相繋がれる者なるが故に羅馬に於ける苦痛は直に海を渡り、山を越へてピリピにまで伝へらる、殊に両者師弟の関係に立つ場合に於ては、(92)二者を繋ぐ交感神経の鋭敏なるは言を俟たず、保羅今は独り羅馬の囹圄に繋がる、然れども彼は独り在るにあらず、彼の主は彼と偕にあり、亦彼の主のみならず、彼の多くの兄弟と姉妹とは同一の信仰と希望と恩恵とに於て亦彼と偕にあり、ピリピに於て、テサロニカに於て、コリントに於て、ヱペソに於て、ガラテヤに於て、彼の恩恵の侶伴は挙て数ふべからず、彼等は彼と偕に恩恵の共有者、(synkoinonous)なり、彼の受る恩恵に彼等は与かり、彼と彼等とは同一の恩恵の共分者なり、斯かる者は真個の兄弟なり、骨肉の兄弟の親しきに優るの兄弟なり、彼が彼等を斯くも深く思ふは之がためなり、即ち彼と彼等とは同一の主より同一の恩恵に与かる者なればなり。 〔以上、4・20〕
  八、我れキリストイエスの心を以て爾曹衆を恋慕ふことに就て其証をなす者は神なり。
〇「心」、心情(splanchnon)なり、感情の最も軟き者なり、人の心を鞫くのキリストに亦此婦人の愛に均しきものあり、吾人彼を恐る1と同時《とも》に亦深く彼を愛せざらんや。
〇「恋慕ふ」 齢六十を越へし老雄に優柔此の如きの語あり、基督信徒の愛を語るに恋愛の語を以てするより他に途なきが如し。
〇「其証をなす者は神なり」 人は我が此言を聞くも信ぜざらん、然れども我が心の裡を視給ふ神は我は虚飾を語らざるを知り給ふ、我は実にキリストの心を以て爾曹を愛す、我れ独り愛するに非ず、キリスト我に在り、我れキリストに在りて我は彼の愛を以て我が愛となし、以て爾曹を愛するなりと、謙遜なる保羅は彼の愛を表白するに方ても薄弱なる彼の愛を語らずして深厚なるキリストの愛を唱ふ。
  九、また爾曹の愛智識と諸の智慧の中に益大に為りて最も勝れたる所を弁へ知り(93)
〇第十節の終にある我れ「祈る」の詞は此節の始に来るべきものなり、「我此事を祈る、即ちまた爾曹の愛云々」と読んで此節并に次節に一層の趣味あるを暁るを得ん。
〇「智識」 霊智なり(epignosis)、事物の真相に入り、其本質を明かにすることなり、単に智識的に解するのみならず、霊能を以て暁ることなり、真正の智識は実に斯の如き者なり、水の水たる、風の風たるを知るは比較的に難からず、難きは水と風との意味を知ることなり、是れ大詩人の力を俟て始めて知るを得ることなれども、而かも基督信者は詩人の性を具へたる者なれば、彼は信仰の眼を以て事物の真髄を透察するを得るなり。
〇「智慧」 判断力(aisthesis)なり、之を今日世に称する常識《コンモンセンス》と称するを得ん乎、即ち善と悪、美と醜、真と偽、とを直覚的に判別するの力を指して云へる詞なるが如し、真正の智慧(wisdom)は実に此の如きものなり、真理を味ふ深く、之を応用する久しきに渉て吾人は此智悪に達するを得るなり、之をば称して一名練達といふなり、「患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず」と云へり(羅馬書五阿三、四節)、此霊能なくして完全なる基督教的生涯を送る能はず。
〇「爾曹の愛智識と諸の智慧の中に益大に為」らんことを祈ると、愛は日々に成長せざるべからず 然れども霊智的に、常識的に其発達せんことを祈ると保羅は曰へり、愛は智識の中に働かざるべからず、智識を欠ける愛は盲愛にして迷信の一種なり、其深きが故に貴からず、其慧きが故に尊きなり、智識と智慧の中に成長して愛は始めて世界最大のものたるを得るなり。
〇「最も勝れたる所を弁へ知り」、最善最美(diapheronta)を弁知するの意なり、其何たる乎を了し、世の多くの提議に惑はされて影を以て実となし、耻を以て誉となすことなく、真理の何たるか誰たる乎を弁明し、其上に立(94)つて動かざらんことをとの祈願なり、而して吾等は智識的に発達せる愛を以てのみ此事をなすを得べし、かのリバイバルを以て発起せられし愛は智識を欠くが故に最善最美の何たる乎を誤り易く、往々にして偏愛に陥り、愛すべからざる者を愛するに至ることあり、又愛に欠乏する乾燥無味の智識は之を動かすに生命の主動力なきが故に其観る所常に浅薄にして其知る所常に不定なり、真理は愛と智識とを以て始めて知るを得べし、世に渇望すべきものとては深き愛と博き智識とにぞある。
  十、十一、イエスキリストに由る義の果を満せて神の栄光と讃美を顕はし、キリストの日の為めに潔くして過なからんことを祈る。
〇「キリストに由る義」、キリストを信ずるより来る義、或は神がキリストに託りて吾人に賜ふ義、即ち律法《おきて》の力行に由て躬から得し義に非ずして、神の恩恵に依て、吾人に せられし義を指して云ふ。
〇「義の果」、善行なり、信仰の結果たる善行なり、信仰は原因にして善行は結果なり、信仰は義を喚び起し、義は善行を生ず、吾人は果を結ばざるべからず、然れどもその義の果たるを要す、吾人は義を追求せざるべからず、然れども其キリストに由るものたらんことを要す、「キリストに由る義の果」の一句に万斛の意義在て存す。
〇「満せて」、満ち充ちて、或は満ち溢れて、(pepleromenoi)、保羅の用語に過甚的文字多し、是れ彼が激性の人にして亦足ることを知らざる(神の恩恵に於て)の人なりしに由るならん、彼は義の果の少量を以て満足せず之を以て満ち溢れんことを求《ねが》へり、物に於ては無慾なるべし、霊に於ては多慾にして飽くことを知らざるを可とす。
〇「神の栄光と讃美を顕はし」、「顕はし」の訳文弱し、重複の嫌ひありと雖も原文に従ひ「為めに」と直訳する、のはるかに優れるを見る、吾人が善を行すは吾人が之に依て賞誉に与からんが為めに非ずして、之に依て神の栄(95)光と讃美との揚らんためなり、神の栄光を目的とせざる善行は善行にして善行に非ず、神をして吾人に在て善行を為さしめ、吾人の弱きむ以て彼の強きを顕さしむること、是れ吾人が神のため亦人のために為し得る最大事業なりとす。
〇「キリストの日の為めに」、最終の裁判の日なり、万物が終結を告るの日なり、予言者ゼパニヤの所謂る「忿怒《いかり》の日、患難《なやみ》及び痛苦《くるしみ》の日、濃き雲及び黒雲の日、」(西番雅書第一章十五節)なり、其時に方ては純潔なる者のみが神の前に立て恥なきを得るなり、其時に方ては純白ならざる羊は凡て弾かれ、純金ならざる金は凡て斥けらる、世に所謂る聖人なる者は天国に於て聖人たる能はず、比較的の善人に非ずして絶対的の善人のみが天国の市民たるを得るなり、吾人は実にかの怖るべき日の為めに自身を用意しつゝあるや。
〇「潔くして」、単純にして混合《まじり》なきか、或は透明にして一点の曇りなきの意ならん 二者孰れにするも其純潔を要求する詞たるや疑ひを納れず。
〇「過なからんことを」、妨害なき、又は不足なきの意なり、「純潔にして瑕瑾なきに至らんこと」をとか、或は完全にして意志の実行を妨害するものゝ心に存せざるに至らんことを」とか解すべし、意義全く明瞭ならずと雖も其純潔を要め、完全を求むるの詞たるは敢て疑ふべきに非ず。
〇愛に加ふるに霊智と常識とを以てし、最善最美の何たるかを弁へ知り、キリストに託りて神の賜はる義の結果を以て満ち溢れ、神に栄光と讃美とを奉らんためにキリストの日に於て完全無欠の者となりて顕はれんことを祈ると、一言一句意味深長にして量るべからず、実に是れ神の言辞《ことば》にして之に服従して吾人は神の前に完全なるものと成るを得べし。 〔以上、5・20〕
 
(96)     聖書を棄てよと云ふ忠告に対して
                      明治35年3月20日
                      『聖書之研究』19号「思想」                          署名 聖書生
 
〇今は聖書を棄て起つ時であると云ふ人がある、と云ふのは聖書の研究を棄て社会的事業に従事せよと云ふことであるさうだ、然し我等には其意が少しも受け取れない。
〇先づ第一に聖書は吾等の霊魂の糧である、聖書を棄てよとは吾等の兵糧を棄てよと云ふのと同然である、世に兵糧なくして戦争に出よと曰ふ者あるを聞かない、而かも聖書を棄てゝ起てよと言ふ人は兵糧を棄てゝ戦争に出でよと勧める者である。
〇往昔英吉利のコロンウヱルや、瑞典のガスタヴハス アドルフハスや、仏蘭西のコリニエー等が出陣せんとするや、彼等は敵に当る時の最良の武器と心得て、日常彼等の兵士をして深く聖書を研究せしめしのみならず、戦場に臨めば殊更に其一句を心に留て火石の中に身を投ぜしめた、現に南阿に於て自由のために戦ひつゝあるボーア人は朝な夕なに聖書の語を以て彼等の心を強めつゝある。
〇第二に聖書を棄てるやうな者は起つことの出来ない者である、起つと云ふのは何にも必しも声を張り上げて社会の腐敗を叫ぶと云ふことではない、神の聖旨を宣べる事、是が真個に起つと云ふ事である、神の聖語は両刃の剣の如き者であつて、是を以てして始めて乱麻の如き社会問題を一刀両断の間に決することが出来るのである、(97)聖書に依らざる社会問題の解決なるものは皆な悉く不公平なる者である、今日吾人の目前に横たはる大問題が一つも解決せられないのは全く今日の社会的運動者に聖書の智識と素養とが欠乏して居るからである、故に彼等は只噪ぐ計りで一つも問題の解決に達しない、彼等は常に無理相談をのみする者であつて、道理に適ひ常識に合ふたる答案に達することが出来ない、若し彼等が吾等に向て聖書を棄て起てと喊ぶ代りに彼等自身が少しく社会運動を棄てゝ静粛なる聖書の研究に従事したならば、彼等の解決せんと努めつゝある社会問題のために如何計りの利益であるか知れない、吾等は実に彼等に此事を勧めたく思ふ者である。
〇聖書を棄て社会が改良され国家が救へるならば之を棄てもしやうが、然し是を人類の過去二千年間の歴史に照らし見て聖書の研究は社会改良の最良法であることを吾等は疑ふことは出来ない、是れ吾等が聖書を棄てることの出来ない第三の要点である、吾等は確に信じて疑はない、渡良瀬川沿岸に聖書の行渡る時は鉱毒問題の解決せらるゝ時である事を、労働者の中に聖書智識の普及する時が労働問題の解決せらるゝ時である事を、聖書の教ゆる人生観が人の懐抱する所となりて如何に困難なる社会問題と雖も鉾決せられない事はない筈である、聖書を以てせざる社会改良なる者は皆な表面的の改良である、即ち浅く民の傷を癒して安《やす》し安しと云ふ者である、吾等の所謂社会改良なるものは其様なものではない。
〇吾等は聖書を以て人の霊魂を救はんとするのである、即ち世の罪悪を其根本に於て絶たんと欲するのである、餓者に食を給するのは一時の救助である、其霊魂を済ふのは永遠に渉るの救助である、爾うして吾等は聖書を研究してこの深い永い救済に従事せんとするのである、故に吾等は聖書を棄てることは出来ない。
〇然し斯く云ふも吾等の此言の日本人多数の人に受納れられないのは吾等は能く承知して居る、日本人は大抵政(98)治家である、即ち政略家である、彼等は政治的に世が救へればそれで救へたと思ふ者である、彼等は吾等と異なりて政治や社会に非常に重きを置く者である、彼等は人は肉躰であると思ふて、霊魂であるとは信じない、故に彼等の目から見たならば吾等の為しつゝある事は非常に迂遠の業のやうに見えるに相違ない。
〇然し吾等には吾等の意見がある、爾うして吾等の此意見なるものは吾等が今日の日本の政治家や社会改良家から学んだ者ではない、吾等の社会学の先生は主イヱスキリストである、又彼の弟子なる使徒パウロである、又詩人ダンテである、ヲルヅヲスである、カーライルである、ロエルである、ワルト ホイツトマンである、斯う云ふ人達は日本今日の政治家や社会改良家とは全く異りたる人生観を吾等に教へて呉れる、故に吾等は是等世界の教師に依て歩まんとするのである、日本今日の大家に何んと云はれやうともそれは吾等が少しも意に留める所ではない。
 
(99)     古歌と信仰
                     明治35年3月20日
                     『聖書之研究』19号「思想」
                     署名 角筈山人
 
                       貫之
   ことしより春しり初むる桜花
     散るといふことはならはざらなむ、
 註、今年より信仰を起せし基督信者よ、汝等は今日までの信者と異り堕落といふ事は習はざらんことを、汝等は永久に汝等の信仰を保ち、社会の勢力に圧せらるゝことなく、世の益なき権能に惑はさるゝことなく、終結《をはり》まで汝等の信仰を維持せんことを、「千人は汝の左に斃れ、万人は汝の右に仆るとも」(詩篇第九十一篇七節)、汝等は永久までも斃れざらむことを、今年より基督を識り初むる者よ、我は切に汝等に願ふ、汝等今日までの宣教師的基督教徒に傚ふことなく、散るといふこと、堕落といふことは決して習はざらんことを。
       ――――――――――
                       よみ人しらず
   山高み人も賞翫《すさめ》ぬ桜花
     甚くな詫びそ我れ見はやさむ、
(100) 註、汝の思想余り高きに達して人の汝の真価を悟る者あるなく、汝は朋友親戚に疎ぜられ、汝の父母妻子までも汝の信仰を賞讃することなしと雖も、汝深く之を憂ふる勿れ、汝を識る者は存するなり、キリストは汝を知り給ふなり、キリストは汝の信仰の花を賞で給ふ、世が汝を賞し得ざるは汝が高きに昇りし故なり、汝、天の人となりたれば世は汝を解し得ずなりしなり。「我れ見はやさむ」、我も汝と経験を偕にする者、我も汝の如くに誤解され、嫌らはれ、遠けられ、疎ぜられ、責められたれば我は汝を解し得るなり、汝が信仰高く棲《と》まりて世の汝を賞翫するなきが故に我は殊更に汝を恋慕ふなり、顛頂《いたゞき》に高く清き真如の月光を受くる者よ、汝の孤独を歎ずる勿れ、世に汝を愛づる者あり、汝、俗人に賞翫《めで》られんために高きを去て卑きに就く勿れ。
       ――――――――――
                   源のむねゆきの朝臣
   常盤なる松の緑も春来れば
     今一しほの色まさりけり、
 神に依る者は春来らざればとて其緑の色を変へず、彼の境遇は永久の冬を呈するも彼の心に不朽の緑在りて存す、彼は必しも春の来るを待たず、世が以て逆境となすものは彼に取ては必しも逆境に非ず、彼は彼の牧者と共に休息《いこひ》の水浜《みぎは》に逍ぶ者、彼の衷心は常に青々として園中の葵の如し。
 然れども彼も亦人なり、春を好まざるに非ず、而して彼の信念能く霜雪の猛威を凌ぎ、地凍水氷も彼の志を奪ふ能はざるに及んで、春陽彼のために将さに動かんとするや、彼の発する光輝に世に儔ひすべき者あるなし、松の緑は桃桜の紅に優る、彼は信仰の褒美として之を得たり、彼は栄光の上に更に栄光を衣せらる、是れ彼の(101)特色の一しほ他に優る所以なり、千林百草春を歓ぶは一なりと雖、松の之を迎ふるや、彼に溢るゝの感謝あり、松たれよ我が友、松となりて厳冬に耐えよ、而して春陽若し汝に臨むことあらば万物に優るの光輝を放つて天に在す汝の父の栄光を顕はせ。
 
(102)     聖書の研究と社会改良
         明治卅五年三月二日東京神田青年会館に於て
                      明治35年3月20日
                      『聖書之研究』19号「講演」                          署名 内村鑑三
 
 聖書は甚だ古い書であります、其最も新しい部分と雖も今を去る千八百年程前に書かれたるものであります、爾うして斯くも古い書が現在の世を改良するに力があると言ふのであります、私は茲に難題を設けたやうなものであります。
 若しマーシヤルの『経済論』が現時の社会改良に益があり、カール、マツクスの『資本論』が労働問題の解釈に功があると申しますならば、誰も直に之を肯ひませうが、然しながら千八百年以前に成つた書が今日尚ほ吾人の社会を改革するの力を具へて居ると申しまするのは何やら荒唐無稽を語るやうに聞えます。
 夫れ故に私の如き者が目下専ら聖書の研究に従事して居りますれば多くの人は種々の批評を加へて私を嘲ります、或人は私は世に当るの勇気がないから古典の背《うしろ》に匿れるのであると申します、彼等は私に聖書先生の名を与へて呉れまして、私を腐れ儒者の一種と見做します、又或る人は私は道楽のために古典の探究に従事するのであると思ひます、即ち聖書の研究は骨董を弄ぶが如き者でありまして、別に害はなき事なれども去ればとて此活世界に必要のものではないと思ひます、故に成る有名なる社会改良家の一人は私の事業を評すると同時に申され(103)たさうです、即ち「今は聖書を棄てゝ起つべき時である」と、即ち今や国家滅亡に瀕して居る 此際聖書の研究などに従事する時ではないと申されたさうであります。
 成程或る場合に於ては斯う云ふ考への起るのも無理ではないと思ひます、世には無益なる聖書の研究があります、即ち骨董的の聖書の研究があります、即ち聖書時代の風俗習慣を探ると称し、又は其制度文物を究むると唱へまして、聖書を以て考古学の教科書のやうに心得まして其研究に従事する者があります、或は近来世に称する高等批評なる者は聖書を聖い書と見做さないでたゞの古い書《ほん》と思ひ、其記事を分析し、之を取壊《とりこわ》して又立直さんとし、或はアブラハムは実在したと云ひ、又は想像的人物であると云ひ、或はヤコブは月神の具躰であつて、彼に十二子ありしは年に十二ケ月あるを示し、彼に五人の妻ありて七十二人の孫ありしことは五日を以て一週に算へし週間が七十二回続いて一年即ち三百六十日を作ることであるなど申します、聖書も斯う云ふ風に研究されますれば至て面白いものゝやうでありまするが然し若し是れが聖書でありまするならば聖書とは志士が世に処するに当て必要なる書であるとは思はれません、若し是れが聖書の研究でありまするならば之を棄て起つのが吾人今日の為すべき事である乎も知れません。
 又世には之と正反対の聖書の研究があります、即ち別に其文意組織等を究むることなく、只盲滅法に之は神の辞であると信じ、其中に一点の錯誤なきと信じ、其言にさへ頼れば何事も明瞭なるやうに思ふて、たゞ其章句を引証して事物の解釈を試みんとする者があります、然しながら私共は之を称して聖書の研究とは申しません、是れは聖書の暗誦でありまして、其研究ではありません、若し聖書は之を暗誦して事の了《す》むものでありまするならば私共は何にも骨を折つて其科学的攻究に従事する必要はありません。
(104) 聖書の研究とは聖書の文学的解剖でもなければ亦考古学的考証でもありません、然ればとて其盲目的暗誦に研究の名を下すことは出来ません、聖書の研究とは聖書を其始めより終りに至るまで一貫する或る一種特別の精神を発見することであります、其記載する事項は一人種と一地方とに関したる事でありまするが、然しながら此|事項《ことがら》に由て顕はれたる精神は実に神の奥義でありまして、是れは世と共に移る者でなく、是は往昔も今日も人を救ひ、社会を改むるに効力の著しい者であります、聖書の研究とは創世記の始めより黙示録の終りに至るまで其中に含まれてある所の一種異様の人生観の探究を目的とするものであります、爾うして斯かる研究は今日に於ても決して無益の者ではありません。
 聖書を真正《ほんとう》に研究した事のない人は斯くも貴い、斯くも珍奇なる真理が斯も古い書の中に実在して居ると聞いて之を疑ひます、聖書は今日の処では至て普通《あたりまへ》の書《ほん》でありまして、何れの古本屋に行ても些少《わづか》の金を投ずれば購ふことの出来る書であります、斯くも価値のない、斯くも有旧たる書の中に斯くも貴い真理があらうとは誰も思ひません、然しながら私共今日此旧来の書を手に取て其中に伏在して居る所の真珠の如き真理を発見しました時には丁度コロムブスが始めて亜米利加大陸を発見した時のやうに悦ぶのであります、即ち聖書に記いてあります通りに此天国の真理は畑に蔵れたる宝の如く人之を看出さば之を秘《かく》し喜び帰りて其所有《もちもの》を尽く売りてその畑を買ふやうなものであります(馬太伝十三章四四節)、是は実に古い新い真理であります、是は保羅、彼得、約翰の真理ではなくして、是は私の発見した真理でありまして、私自身の真理であります、ルーテルのやうな人が聖書を自分の胸に当て是れ我が書なりと叫びましたのは決して理由のない事ではありません、此在旧たる書に此新らしき真理を発見して私共は足の下に珍宝を発見したやうに喜ぶのであります。
(105) 偖、社会改良とは何でありまするか、今日社会改良と申しますれば随分漠然たることを言ふのでありまして、多くは是れ弊風排除、罪悪※[巣+立刀]燼に外ありません、然しながら社会の罪悪は之を摘発し之を詰責すればとてそれで社会が改良されるものであるか、是れ大なる疑問でありまして、実際此事に当て居る人も斯かる改良法に多くの信用を置いて居らぬやうに見えます、罪悪は道徳的疾病でありますから外より之を切断して必しも癒ゆる者では
ありません、社会とは多くの人が考ふる如き単純なる組織躰ではありません、随て社会的罪悪の如きも之を責め立てたばかりで正すことの出来るものではありません、社会改良は至て易いやうで最も困難なる業であります、是を行ひまするには多くの勇気を要しまするのみならず、亦深き智慧と強き能力を要します、直に人の良心を改良するにあらざれば社会の罪悪は拭へるものではありません。
 曾て或る弁士が此高壇から演べられましたが、種々雑多の社会の罪悪も之を詮じ詰めれば二個の罪悪に帰するのでありましやう、即ち利慾と好色の二つに帰着するのでありましやう、故に若し何にかの方法を以て此等二個の罪悪を其源に於て涸すことが出来ますれば、是れ社会の罪悪を其本に於て絶つことであるに相違ありません、而して若し此病根を絶たずして、いくら其結果を責めた所が、是れ単に一時を繕ふに止て永久の治療でない事は誰も能く知つて居ます、如何して人の利慾と好色の念を潔めることが出来る乎、或は是れ実際出来得る事であるか、是れ大に私共の攻究すべき問題であります。
 若し利慾は人の固有の性であつて、之を絶つことは到底出来ない、即ち人は利慾的動物であつて、彼より利慾を絶つは彼を殺すに均しなど云ふ人がありますれば其人の社会改良なる者は甚だ覚束ない者であると思ひます、然しながら多くの人は殆んど之に均しき人生観を懐きながら社会改良を喊んで居るやうに思へます、即ち人を利(106)慾的動物と見做して、一の利慾を抑へるに他の利慾を以てし、即ち利益の調和を謀て世に平和を来らせんとして居る人が世間普通一般の政治家や憂国家と称へられる人達であるやうに思はれます、然しながら斯の如くにして成つた平和は極く皮相の平和であることは誰にも能く解ります、軍隊と巡査と法律とを以て維持されて居る平和は実は平和ではありません、是れは何時破裂するか知れない平和であります、斯の如き状態に在る社会は危険極まる社会でありまして、私共は之を以て到底満足することは出来ません、若し平和が平和ならば是れ人の心の中から起つた平和でなくてはなりません、利慾其物を断つにあらざれば社会の真正の平和は望めません。
 茲に於て聖書の吾人に伝ふる社会改良法の実に非凡卓越にして到底人智の思ひ及ばざる所のものであることが解ります、聖書は利慾の実在を認めます、亦その社会の争乱腐敗の主なる原因の一であることを認めます、然しながら此事を認めると同時に此罪悪の怪物を討伐※[巣+立刀]滅するに足るの能力を私共に与へます、聖書は利慾を以て殺し難き敵であるとは信じません、聖書は利慾に勝る強き能力を私共に与へまして、私共を利慾以上の人と成します、聖書に依てのみ私共は真正の無慾の人と成ることが出来ます。
 聖書は人をして其利慾の念を絶たしめ、之に代ふるに他を救はんと欲するの聖慾を以てせしめまして社会を其根底より改めます、爾うして私共は世に此事を為し得る勢力は聖書の基督教を除いて他に決して無い事を信じます。
 利慾を穀ぎ之を聖化するに此くも偉大なる功力を有する聖書の教訓は利慾の姉妹とも称すべき好色の罪悪に対しても同一の権能を揮ひます、能く人の称ふる所でありまするが若し世に婦人なる者がなくば世に罪悪なる者はあるまいとの事であります、西洋でも日本でも同じ事でありまして、モラリチー又は品行と申しますれば曰はず(107)して男女の関係を指して言ふのであります、品行方正なる人とは盗まない人、友を陥れない人などを指して称ふにはあらずして、男女の関係の清い人を謂ふのであります、此世の罪悪は総て此関係の紊れるより素まる者でありまして、若し此関係が清潔であり、神聖でありますれば罪悪は其泉を絶たれたと言ふても宜う御座います。
 若し此事を疑ふ人がありまするならば今日世の人が叫号して止まざる社会的罪悪の一二に就て考へて御覧なさい、かの目下の社会的罪業の首《かしら》とも称ふべき足尾鉱毒事件に就て考へて御覧なさい、渡良瀬川沿岸十数万人の家を壊ち食を奪ひ、其辜なき嬰児《あかご》の乳汁《ちゝ》までを涸らせる者は何でありますか、是れは勿論足尾の鉱山より流れ来る銅毒砒毒であるに相違ありませんが、然し、此鉱山を掘り又掘らしむる動力は何処にありますか、鉱毒の奥に更に鉱毒よりも更に激甚なる害毒があるのではありませんか、是れは山から出る毒ではなくして、人の心に湧き出づる毒であります、是は日光山脈に潜む毒ではなくして、東京の中央に於て醸されつゝある毒であります、若し何にかの方法を以て東京に於ける此害毒の源を絶つことが出来ますれば足尾の鉱業は其日の中に停止されまして、幾万の民は※[倏の犬が火]《たちまち》にして餓死の恐怖を撤回するに至りませう、足尾鉱毒被害問題とは実は婦人問題であると申しましたならば人は之を一笑に附しませうが、然し罪悪の泉源の何処に潜伏し居るかを能く知る者は此事を聞いて決して怪みません、清い家庭に棲むで居る者は数万の人の家庭を破壊するやうな事業に安閑として従事して居ることは出来ません、愛情が腐れて家庭は紊れ、家庭が紊れて肉慾益々昂進し、其結果婬縦となり、放埒となり、終に冷酷なる心情となりて茲に前代未聞の悲劇を演ずるに至つたのであります。
 若し帝国三百の代議士が皆な悉く一夫一婦を実行する人でありまするならば議会今日の腐敗は私共の耳にする所でないに相違ありません、日本国の社会を其根底に於て濁す者は腐れたる政治家輩の腐れたる情念であります、(108)国家に対する彼等の観念が卑陋なるのではありません、神の造り給へる最も神聖なるべき婦人に対して彼等既に陋劣を極むる念を懐く者でありまするから、総てのものに対する彼等の眼識が陋劣になるのであります、仏国革命時代の偉人ミラボーが幾回か歎じて申しました、「我に国家を済ふの大抱負大経綸ありと雖も之を決行するの確信がない」と、蓋し彼は婦人に対して清浄い人でありませんでした故に彼は何物かが彼の胸中に在て彼の信念を抑圧するのを覚えたのであります、情念に於て汚れたるミラボーは大経綸を抱きながら彼の愛する仏国を済ひ得ずして空しく不帰の客となりました、妻女の事是れ私事のみなど唱ふる日本国の政治家達は未だ人生の何たる乎を知らない人達であると思ひます。
 情愛の事は決して私事ではありません、総ての高貴なる総ての荘厳《サブライム》なる思念は此泉より流れ出る思想の水を以て養はるゝ者であります、今日差したる害なしとて穢き小説に眼を曝す者は其害毒を非常に悔ゆる時が来るに相違ありません、情愛に於て潔からずして吾等は勇敢なる事は出来ません、雄弁なるものは確信の発顕であります、情愛の潔からざる所には確信がありませぬ故に雄弁なる者はありません、一夫一婦の法律案の提出さるゝたび毎に之を一笑に附して議題とも為し得ざる我国の議会に雄弁なる者の絶えて無いのは決して怪しむに足りません、清浄なる思想を勇ましく演べるのが雄弁であります、既に勇気なく、亦清浄雪を欺くの思想なき我国今日の政治家の口より世界に響き渡る雄弁のなきは決して怪むに足りません。
 如何にして学生の品行を取締らんか、是れ目下教育上の大問題であります、品行は規則を以て取締ることの出来るものではありません、大家の格言を幾回《いくたび》読み聞かしても心情を潔めることは出来ません、御覧なさい 我国学生の腐敗が過去十年間絶えず唱へられたるに係はらず、其堕落は日々に益々甚だしいではありませんか、国家(109)の経綸を口にし、社会の改良を絶叫する学生の口より度々漏れ出る婬話なる者は何を示しまするか、是は彼等の心の奥底に潜伏する腐死の空気を洩す者ではありません乎、清き青年と汚れたる青年とは是で分るのであります、試験毎に好成績を奏する者が好青年ではありません、其唇に曾て汚穢の言葉の浮び出しことなく、若し過つてその之に触るゝことあれば赧顔羞恥、措く所を知らざる者が吾人の望を嘱すべき青年であります、而かも斯の如き青年は今は何処に居りますか、都下幾万の青年は此羞耻の感覚に於て過敏なる者でありますか。
 茲に於て又聖書研究の必要が来るのであります、曾て詩人ローエルが申しました通り、基督教に依らずしてデセント(端正)なる社会の成つた例はありません、成程言語、動作、衣裳等に於て礼儀正しき社会が基督教なくして出来た例はあるかも知れません、然しながら邪念を全く其|原《もと》に於て絶ち、謹んで之を語らざるにあらずして、語るべき思念なきが故に語らないやうな、爾んな社会は未だ曾て基督教の感化力に依らずして成つた例はないと思ひます、その扮装《みなり》の立派なるは其人が真正の貴女であり、紳士であるの証拠にはなりません、多くの場合に於て私共は最も厳めしき紳士が実は禽獣にも劣る卑人である事を発見したではありません乎、天の使をも欺くやうな貴女にして腐敗の塊に過ぎない者を私共は度々目撃致したではありませんか、聖書の伝ふる基督教の注入を俟つて衷心よりする紳士淑女は始めて世に顕はれるのであります、此事に関する基督教の効力は実に世界無比であります。
 札幌農学校前校長故ウイリヤム、クラーク氏は曾て故黒田清隆氏より学生の品性養成を託されました時に、彼等に基督教の聖書を教ふるより他に途なき事を以て答へました、爾うすると黒田公は大に驚かれまして、耶蘇教を伝ふるより他に徳性を養ふの途がないとは奇怪千万である、其事のみは賛成することが出来ないと申されまし(110)たら、クラーク氏は之に答へて「然らば私は学生の徳性養成の任に当ることは出来ません、」と申して儼として其説を取て動きませんでした、而かして数週間を経て後に長官黒田公は終に其説を譲られ、クラーク氏に聖書の教授を許されましてより札幌農学校に於ける基督教の信仰なるものは始まつたのであります、クラーク氏が固く其持説を取て動かざりしは之に深き理由があつたのであります、氏は先づ第一に学生の情愛を潔めんと致したのであります、即ち品行を其源に於て正さんと致したのであります、爾うして私共氏の教育に与つた者は氏が其目的を※[衍/心]《あやま》りませんでした事を信じて疑ひません、私共はクラーク氏より霊魂の治療に与かつた者であります。
 聖書に顕はれたる聖き神に接して邪念は私共の心より焼き払はれます、基督なる神の自顕を仰ぎ見まして、汚穢の念は意はずして私共の心より消えて了います、聖書は総ての点に於て私共を潔めまするが、殊に人力の到達するに最も困難なる人の情愛に立入り、彼を其処に潔めまして、社会の害毒を其根本に於て絶ます、是れは基督教独特の功績でありまして、此事の出来る宗教も哲学も他には決して無いと信じます。
 使徒パウロは申しました、「我は福音を恥とせず、其は此福音はユダヤ人を始め、ギリシヤ人、総て信ずる者を救はんとの神の大能なればなり」と、私も亦パウロの説いた此福音を載せて居る聖書の研究に就て恥と致しません、何故なれば是れ社会を其根底に於て潔むる唯一の能力であると信ずるからであります、私を嘲ける者は嘲けても宜しう御座います、私は空気を撃つやうな無益な業に従事して居る者ではありません、私に聖書を棄てよと言ふ社会改良家があつても私は之を棄てません、私は実際最も力ある社会改良に従事して居るのであると自から信じて居ます、私の社会改良は根本的改良であります、即ち罪悪を其根より絶つ改良であります、爾うして此事を為す大能力は此古い微《ちい》さい書《ほん》の中に在るのであります。
 
(111)     政治家微りせば
        (政治家不要論)
                         明治35年3月24日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
〇余輩頻りに政治家を罵るや、人あり余輩に告げて曰く、「若し政治家微りせば如何」と、余輩は彼に答へて曰く、『然り若し政治家微りせば天下は太平無事なるならむ、政治家なくして民に重税を課する者あるなく 重税を課する者なくして民に衣食足り、民に衣食足りて盗む者あるなく、殺す者あるなく、随て人は悉く其天然性に帰るを得て真個の楽園は吾人の中に臨まん』、と。
〇人、大政治家の出顕を望んで止まず、然り、余輩も亦切に之を望む者なり、然れども大政治家の此世に必要なるは民を治むる為めに必要なるにあらず、民は政治家を要せずして能く自己を治むるを得るなり、大政治家の此世に必要なるは民を治むる為にあらずして政治家を治むる為めなり、即ち其野心を抑へ、其利慾を圧し、彼等をして良民として此世に存在して政治家として懶惰に耽けざらしめんために必要なるなり、コロムウエルの如きは即ち斯かる政治家なりしなり、(若し彼をも政治家と称せざるを得ずんば)、彼は国民を政治家の手より援ひ出せし者なり、彼の剣《つるぎ》は政治家を屠るために揮はれたり、彼は政治家を縛つて民に自由を供せり、彼は政治家の撲滅者なりしが故に国民の放免者なりしなり。
(112)〇「政治家微りせば」?然り、是れ人類の理想なり、吾等は皆な政治家のなき社会を作らんために日夜努力しつゝある者なり、彼等有るが故に人生の此涙あり、此悲歎あるなり、彼等微りせば国民の幸福之に優る者なからむ。
〇逝けよ、政治家、逝《いつ》て再び吾人の間に帰り来る勿れ、吾人は汝等を要せず、汝等は苦痛の源なり、汝等有るが故に此偽善あり、此堕落あるなり、罪悪は素と汝等の造りしものなり、陸軍と海軍とは汝等が発明せし者なり、国を護る為に其必要あるに非ず、汝等自身を衛らんために其必要あるなり、汝等の奪ひ去りし吾等の山林と田圃と公債証育とを悉く吾等に還附せよ、然らば吾等は心に充ち身に足りて永久の平和を謳歌するを得む。
 
(113)     『真英国』に序す
                        明治35年4月5日
                        好本督『真英国』
                        署名 内村鑑三
 
 邦人にして英国に遊ぶ者の多くは帰て吾人に告げて曰ふ、英国の強大は其富にあり、其薄利なる資本にあり、其商業と製造と海軍とにあり、日本に若し英国の富と軍艦とあらしめば日本は東洋の英国たり得べしと、而して邦人此種の言を聴て英国の富を羨んで歇まず。
 然れども是れ英国の皮相観なり、英国は大国なり、然れども大国は資本饒多の故を以て成る者にあらず、恰かも大人物は資財と位階との故を以て成る者にあらざるが如し、大国家は大人物の如し、即ち貧者を顧る者なり、痴者を教へ、盲人を導く者なり、英国の大なるも茲にあり、其四百余艘の軍艦にあらず、其チヤンバレーン、セシル・ローズにあらず。
 今や皮相的英国を日本国に紹介する者千百を以て算へらるゝに方りて親友好本督君は博愛的英国を吾人に伝へらる、吾人大に君に謝する所なくして可ならんや、英国の同盟国たる日本は其陸海軍を以てのみ同盟の実を挙ぐべきにあらず、英国の教育と慈善に学び、英人に傚ふて盲者、唖者は勿論無言の禽獣までを人らしく待遇《あしら》ふに至て吾人は始めて英国の同盟国たるの名に耻ざるに至るを得べし、此書此時に方て出づ、豈天意と称せざるべけんや。
(114) 明治卅五年二月二十四日、日英同盟祝賀の声全国を通して囂しき時に誌す
     内村鑑三
 
(115)     信者不信者を見分ける法
                        明治35年4月5日
                        『無教会』14号「論説」                            署名 内村鑑三
 
〇信者、不信者を見分ける法は至て易いやうで実は甚だ困難であります、能く此見分のつくやうになるには多くの信仰上の経験が要ります、今茲に私が知て居る所の方法に就て少し御話申しませう。
〇先づ第一に心に留め置くべきことは洗礼を受けた者の必しも信者でない事であります、立派な教師より立派な洗礼を受けた不信者が世には沢山あります、即ち聖書をも読みまするし、教会政治をも語りまするし、殊に祈祷の術に於ては甚だ巧なる人で神の聖意《みこゝろ》を少しも解らず、其思ふ所、為す所に於ては立派な不信者が世には沢山居ります 爾うして私共の見る所に依りますれば斯う云ふ人は反て今日の教会に於ては多くの勢力を持つて居る人でありまして、亦外国宣教師などには特別に信用を置かれて居る人であります、故に外見上立派な信者のやうに思はれまして、それが為に多くの正直なる人の礙《つまづき》となる人が沢山あります、故に始めて基督教を信じた人は此「洗礼を受けた不信者」に就て非常に注意しなければなりません。
〇又教師又は牧師なりとて必しも信者であるとは限りません、独逸国には神を信じない牧師があるとは曾て聞きましたが、私共も基督を知らない牧師を度々此國に於て看た事があり.ます、其奉ずる信仰は至て堅固で、英雄弁は全会を圧するに足りて、然かも信者でない牧師と教師とがあります、是れ亦私共の大に注意すべき事であり(116)ます。
〇去らば如何して信者不信者を見分けんかと申しまするに、是れは到底一見して分る事ではありません、私共は能く其人の主義信仰を考へ、其人の日常の挙動に注意し、能く其人が永の間取り来りし生涯の方針を究め見て始めて其人が信者であるか、不信者である乎を略ぼ見分けることが出来るのであります。
〇先づ第一に好んで聖書を読まない者は基督信者ではありません、聖書は神の言葉でありますから神を信ずる者は必ず喜んで之を読むべき筈であります、何にもお交際《つきあい》に之を読むのではありません、何にも宣教師を歓ばせんために之を読むのではありません、実に餓え渇く如く神の義を慕ふの心を以て之を読むのであります、亦世には批評学研究のために聖書を読む人があり、亦古代史研究のために之を繙く人がありまするが、然し是れ皆な聖書を愛読し、敬読する人ではありません、聖書を読むことが尠くして聖書以外の宗教書類を読むことが多くなる時には大抵其人の信仰が冷え出した時であります、聖書に就て語りまして、聖書其物に深き注意を払はない者は大抵は怪い信者であります。
〇第二に祈らない者は基督信者ではありません、尤も世には祈祷の上手な信者があります、宣教師学校の信者などで特別に祈祷の稽古をした信者があります、然し彼等の祈祷は祈祷ではありません、彼等は人に聴かれんために祈るのでありまして、神に聴かれんために祈るのではありません、故に祈祷の上手なる人は反て不信者と見て宜いと思ひます。
〇然しながら真正に神を信ずる者は祈らずには居られません、人の前で声を揚げては祈らない乎も知れません、然しながら独り密室に居りまする時か、或は友と森林に逍遥しまする時か、或は病人の枕辺に於て、或は繁劇の(117)執務最中に於て彼は度々心を開いて神の祝福を祈ります、斯くて祈祷は秘密のものでありますがら、私共は眼に之を目撃して人の信、不信を定めることは出来ません、コロンウエルの祈つて居る所を見た人は唯だ一人であつたそうです、ワシントンが雪中に独り跪いて彼の国のために祈つて居るのを見た人も特別に彼の挙動に注意して竊かに彼の跡を尾いて行つた彼の兵卒の一人のみであつたさうです、故に私共は或人の祈るのを目撃した事がないとて其人の信不信を判断してはなりません。
〇然しながら祈る人には祈る人の態度があります、能く彼の容貌を察しますれば彼は其処に何にやら祈祷の跡を留めて居ります、彼は何んとなく天の方を仰で居ります、彼の眼には何にやら希望があります、彼の一躰の態度に「或る者」に依頼する所があります、彼の言語に謙遜の辞が多くありまして、彼の挙動に自己の能力《ちから》に誇る所が少しもありませむ、即ち彼の全躰が祈祷でありまして、私共彼が声を揚て祈るのを一回も聴きませんでも、確かに彼が屡次祈祷の座に近づくの人であることを覚ります。
〇第三に基督信者は他人の悪事を語ることを好みません、是れ一には聖書の特別なる教訓に由るのでありまするが(馬太伝七章一節、羅馬書二章一節、同十四章四節、雅各書四章十一節等参考せよ)然しそれのみではありません、彼は神を知りてより彼自身の懦弱《よわさ》に就て憶ふ事が余りに多くなりました結果として、彼は他人の悪事に眼が届かなくなりました、世には能く「基督教の教師程能く兄弟柿妹の悪事を語るに巧なる者はない」と云ふ人がありますが、是れは矛盾の極でありまして、若し世にそんな教師がありまするならば、彼は教師でも信者でも何んでもないのであります、兄弟の秘密を探り、之を語るの故を以て第一の快楽となす教師のあることは実に悲むべき事であります、勿論他人の事に就て何にも一切語つてはならないとは聖書に誡めてはないと思ひます、公人の(118)公的行為に就て公正の批評を下すことは決して悪い事ではないと思ひます、然しながら其私的秘密を発き、之を稠座《てうざ》の前に於て語ることを以て少しも耻ぢざるのみならず、反て此事を為すを以て快楽となすが如きに至ては之を堕落の極と言はなければなりません、詩篇の第一編に「嘲ける者の座にすわらぬ者は幸ひなり」と書いてありますが、私共若し兄弟姉妹の悪事秘密を喜んで語る人がありましたならば、彼は縦令教師であらふが、神学者であらふが私共は直に其席を去るべきであると思ひます、是れ実に罪悪の巣であります、基督の在す所ではありません。
〇第四に基督信者は人を憐む者であります、神は憐憫に富み給ふ者でありますから、神を信ずる者は亦憐憫深い者でなくてはなりませむ、他人の困つて居るのを見て喜ぶ者は、確に悪魔の子供であります、兄弟の苦境に陥りしに乗じて更に彼に苦痛を加へんと欲する者は確に其人が基督信者でない証拠であります、「爾曹の父の憐憫《あはれみ》なるが如く亦憐憫を為すべし」(路可伝六章三六節)とは聖書を一貫する精神でありまして、此精神なくしては如何に深遠なる神学者でも其人は基督信者であるとは申されません、曾て或る信者が或る有名なる基督教の教師を評しまして「あの先生の最も悦ぶことは他人の苦しむのを見る事です」と申しましたが、是れ実に其先生に取ての最大の不名誉でありまして弱き信者の一人をして此声を発せしめし此先生は未だ基督の心を有たない人であると言はなければなりません。
〇曾て聞きました事に、かの明智光秀と云ふ人は毎朝必ず雀一羽を拈り殺しまして、彼の心に存する慈悲心を打消さんと致したさうでありますが、私共若し人に対して慈悲深からんと欲しますれば勢ひ必ず無言の禽獣に対しても慈悲深くなくてはなりません、故に牛馬を虐待する者、好んで遊戯のために銃猟に従事する者は基督の心を(119)有たない者であると言はなければなりません、詩人カワパーの詞に「我は思慮なく虫螻を踏み殺す者を我が友人の中に加へない」と云ふ言がありますが、私共も生物に対して同情を表はさない人は之を基督信者の中に算へないでも宜しからうと思ひます。
〇第五に働かない人は基督信者ではありません、勤労は基督信徒たるの最も著明なる特徴であります、世に懶惰《なまけ》信者なる者がありますが彼は信者ではありません、基督教を信じたるの故を以て普通の労働を廃して外国宣教師の通弁人になつたり又は神学を修めて伝道師にならんと欲する者の如きは大抵は怪しい信者であります、基督の精神は労働の精神でありますから、基督を信じて労働を廃する理由はありませむ、基督教を信ずるや否や、農を止め、商を廃して所謂教役事業に従事せんと欲する者にして確実なる信仰を懐く者至て尠く、亦た斯う云ふ人で永く続いて教役事業に従事して居る者は甚だ尠くあります、農工商の高尚なる職業を放棄して、教師、伝道師の比較的に平易なる職に就きし者は多くは復た伝道の職を歇めて、銀行員であるとか、外国商舘の番頭であるとか、仲買商であるとか、更に一層平易にして不生産的の職に就く者であります、斯う云ふ実例は私共の沢山目撃する所でありまして、其人達に取り実に気の毒の極であります。
〇以上は先づ私の今日思ひ附きましたる信者、不信者を見分ける要点であります、基督信者は酒を飲まない者、煙草を吸はない者であるとか、世間には禁酒禁煙を以て基督信徒たるの特兆であるやうに思ふ人がありまするが、それは間違いであると思ひます、飲酒喫煙は之を罪悪と見做す事は出来ません、友人を罪に陥れるのは罪でありまするが煙草を吸ふのは罪ではありません、然しながら基督信者となれば自づと酒や煙草のやうな不必要品は嫌《いや》な様になる筈であります、彼は他に大なる快楽を得ますれば之を煙や水に得んと欲しなくなる筈であります、故(120)に基督信者は大抵は此二者を用ひませむ、殊に我国の如く多くの弊害の酒に附随して居る国に在りましては禁酒は殆んど信仰の一条件と見做しても宜しいと思ひます、私は公けに酒を嗜み、薬用のためでなく、快楽のために酒煙草を自由に用ゆる基督信者に多く信用を置きません、私は聖書の聖語に依るではなくして、普通の道穂に訴へまして極く必要の外は禁酒禁煙を基督信者たるの一条件として要求する者であります。
〇日曜日を守る事は亦た基督信者たるの一条件として見做されて居りまして、私も之には大賛成であります、但し日曜日を守るとは単に日常の職を休むと云ふ事ではありません、世には労働を止めるよりも悪い事が沢山あります、日曜日を守ると称して、説教を聞き、祈祷を捧げた後で、信徒相集つて世間話しに無益の時間を費し、かの兄弟の悪事を語り、この姉妹の秘密を評して喜ぶのは是れ日曜日を守るのではなくして之を敗るのであります、日曜日は之を聖く守らなければなりません、即ち善を為すために之を費さなければなりません 殊に人の霊魂を救ふために費さなければなりません、日曜日を守るとは斯う云ふ事であります、即ち日常より一層神に近く歩き、日常より一層深く霊魂と永遠の事に就て考へ、且つ其ために働く事であります、爾うして之を為さない者は基督信者ではありません。
 先づ今日は之で止めて置きませう、まだ他にも信者不信者を見分ける法はありますが、然し以上で大抵沢山であると思ひます。
 然し此講話を終ります前に尚ほ一言申し遺て置かねばならぬ事があります、即ち私共が他人の信仰の真偽に就て心配するよりは先づ自分自身の信仰に就て深く注意する事であります、「我は実に救はれたる者であるか、我は実に真正《しんせい》の基督信者である乎、我は神の恩恵に与かりし者である乎、」是れ私共に取て最も大切なる問題であ(121)ります、他人は先づ如何でも宜う御座います、我の目に梁《うつはり》の在るのに他人の目に在る塵を払ふことは出来ません故に私が茲にお話し申しました信者不信者の見分法はドウゾ之を貴下方御自身に施して、他人に施さないやうに致したいものであります。
 
(122)     山桜かな
                         明治35年4月5日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
〇日本人の歌題にして山桜の如く美はしきはなし、山桜は日本魂の粋なり、日本国の天然有の儘なり、八重桜の如く、又御所桜の如く、人為に依て天然を変更せられし者にあらず、花は単弁にして玉葉茂り、能く喬木と成て丘陵を飾る、人、之を庭園に移す者なきが故に高く山中に潜んで独り春風に開く、彼は錦を都城に加へず、彼は柳桃と嬌を競はず、彼は文明を厭ひ、君寵を避く、彼は実に真個の日本人なり。
〇故に吾人の愛国詩人は日本心を山桜に譬へたり、彼は日本心は八重桜又は牡丹桜なりと曰はず、彼の謂《いはゆ》る日本心なる者は東台又は墨堤に都下の酔客を誘ふ者にあらず、日本心は山桜なり、彼は奥山に深く咲く者なり、詩人の詠ぜし
   山高み人も賞翫ぬ桜花
     甚くな佗びそ我見はやさん
と云ひしは此花なり、俗人の賞翫せざるもの、亦之を見るも彼等の賞翫し能はざるもの、即ち独り山谷に在て巌石と、渓流とに向て色を呈する者、是れ真個の日本心なり、是れ少数の義人が見て以て娯む者、即ち今日の日本人が措て以て問はざる者なり。
(123)○故に古昔より我が国の詩人にして義を愛し、仁を慕ふ者は山桜を歌ふを以て喜びとせり、東国武士の模範たりし源義家の純白雪をも欺く日本心は能く有名なる彼の山桜歌に現はれたり、
   吹く風を勿来の関と思へども
     途も狭に散る山桜かな
 此武士と此日本心ありて東国に仁慈の武威は施かれ、幕政是が為に開かれて、日本人は七百年の間|公卿族《くげぞく》の悪政より免《まぬか》るゝを得たり、嵐峡御室に御所桜の咲き乱るゝありて洛陽の懦夫を酔はしめし頃、関東に天然の山桜咲て能く純粋の日本人を留めたり、山桜の在る所に日本人の自由は存す、関東の平原に西南産の異種の桜樹の移植せられてより、六十余州復た自由の一声をだに挙げざるに至れり。
〇平忠度の山桜歌は能く天智の朝の旺盛を伝へ、併せて平族一門の赤心を留たり、
   さゞ波や志賀の都は荒れにしを
     昔ながらの山ざくらかな
 志賀の都は一千年の夢となりて去りぬ、絶代の英主天智の皇《くわう》は今は山科の里に眠り給ひぬ、藤家に偉人出るありて明主の断を助くるなし、志賀の都は荒れたり、然れども山桜は今尚ほ此土に存するなり、大化の中興未だ全く期し難きにあらず。
〇山桜かなも然り山桜かな、生来の君子、智あり、勇あり又仁ある者、天智の皇と義家と忠度、山桜の精神が人と成りて現はれし者、桜花国の理想、新日本の建設者、吾人は彼等の出顕を望んで止まず。
 
(124)     二個の動物園
        (一名政治家動物学)
                     明治35年4月17・20・22日
                     『万朝報』
                     署名 内村生
 
  此編稍々旧稿に属す、然れども動物園繁昌の今日尚ほ多少の趣味を存するならん
〇日本東京に二個所の動物園あり、一は上野公園にありて他の者は日比谷公園の傍にあり、余輩屡次前者に到り見しも汚濁臭気を懼れて未だ曾て後者に足を運びしことなし、蓋し思ふ、日比谷なるものゝ標本は悉く上野なる
ものゝ中に在れば、上野を見て更に日比谷を見るの要なしと。
〇今上野なる動物園に入り、其処に飼育せらるゝ動物を※[手偏+僉]するに反て日比谷動物園のそれに優る者多きを見る、そこに第一に余輩の注意を惹く者は獅子なり、近頃海外より来る、未だ幼児にして善く其王性を現はさず、他日其鬣を立て牙を閃かす時は東都第一の偉観ならん、彼等に比対するの動物日比谷に在るなし、獅子は吼れども政治家(或は代議士と称す、年俸二千円を貪る動物なり)は黙す、獅子は怒れども政治家は従ふ、上野に咆哮の音は聞ゆれども日比谷に反対の声は揚らず、仏国議会に偉人ミラボーありて彼の鬣を振りしとは曾てカーライルの革命史に於て読し所なれども、日本議会に曾て獅子の現はれしことなく、此|処《ところ》には只狐狸の輩《はい》が兢々として尾を(125)掉るあるのみ。
〇次は熊なり、北海道産のもの、日光産のもの朝鮮産のもの等あり、体重くして頭小なり、好んで芋類を食す、其性甚だ怯懦なれども食に窮する時は人の弱きに乗じて其生命を損ふことあり、今、日比谷に至り見んに此処《こゝ》に亦数十頭の怯懦なる熊類あるを見ん、彼等に首領あり、日比谷には出で来らずして牛込に棲むと聞く、彼を称して大熊と云ふ、大熊数十頭の小熊を率ゐて天下に臨む、時に或は対外硬を唱へ、或は軟を唱ふ、軟は其|本性《ほんしやう》にして、食に窮する時のみ硬を叫んで国民を欺くと云ふ、小熊多くは奸智に富む、其敵を攻むるに巧なるのみならず、亦其政友を陥るゝに妙を得たり、故に彼等の群《ぐん》は分れて二となり、又三となり、今は純粋の熊属として日比谷に飼育せらるゝ者は四五十頭に過ぎずと聞く、或は九州産あり、或は中国の産あり、或は東北の産あり、九州の者群を統率し、中国の者其参謀官たり、而《しかう》して東北の者は犬馬の労を取る、日比谷に於ける熊族生活の状態は上野に於けるものゝそれよりも興味多し。 〔以上、4・17〕
〇上野動物園に亦虎ありき(今はあるなし) 彼は伊国の操獣師チヤリネの置去りし者、印度産なれども印度に於て生れし者にあらずして日本東京に於て檻中に生れし者なりと云ふ、故に彼は叢林の自由を知らず、然れども能く其虎たるの性を失はず、檻中に彷徨するも尚無人の地を行くの概ありき、余は彼を見る毎に失意の地位にある彼の意気を賞し、深く彼の孤憤を憐みたりき。
〇獅子を有せざる日比谷の動物園は亦一疋の虎を有せず、人に吼ける者あるなく、風に嘯く者あるなく、彼等は皆従順猫の如き者のみ、故に日比谷に在ては獅子族は総て猫を以て代表さる、其肉を食《くら》ひ餌《ゑ》を捕ふの術に於ては猫は確かに虎の一種たるに相違なしと雖も、而かも前者が人に狎れ後者が林中の自由を愛するの点に於ては二者(126)の間に天地雲泥の差あり。
〇今、日比谷動物園内の猫を※[手偏+僉]するに白猫あり、黒猫あり、斑猫《ぶちねこ》あり、三毛猫等ありて彼等は多く進歩党に属すと云ふ、哮ることなく、たゞ猫声《めうせい》を発するのみ、公然正義を唱ふることなく、たゞ秘密運動に小策を旋らすのみ、三菱に狎れて其小判を食《くら》はんと欲す、彼等は皆な牡猫《をねこ》なり、新橋柳橋の牝猫《めねこ》と相対して東都の醜態第一たり。
〇上野に亦駱駝あり、清国旅順より連れ来りし者、バクトリヤ産の者にして背上に二個の隆肉を有す、甚だ醜き動物にして其臭気厭ふべし、駱駝は多婬性の動物なり、故にアラビヤ地方に於ては多婬の人を称して駱駝と曰ふとは余輩が曾てモハメツト伝に於て読みし所なりとす、駱駝亦恩を感ぜず、其主人を咬む事屡ばなり、故に感恩の念に乏き者を亦駱駝と称することありと云ふ。
〇駱駝の情性前述の如しとすれば日比谷動物園は之を駱駝園と称する方、却て適当なるならん、多婬にして感恩の念に乏しきは我国今日の政治家たる者の恒性なりとす、故に政友会、之を駱駝会と称するも可なり、猫党《めうたう》たる進歩党亦駱駝党と称するも可ならん、駱駝侯あり、駱駝大臣あり、代議士にして駱駝ならざる者甚だ稀なるが如し。 〔以上、4・20〕
〇微々たる上野動物園に飼育さるべきの動物にして飼育されざる者多し、此処に長頸雲を衝くの麒麟あるなし、亦レビヤサンと称へられ古代の文学に大力の標準として引用せられし河馬《ひぽゝたます》あるなし、犀あるなし、豹あるなし、狒々あるなし、豪猪《やまあらし》あるなし、綾鯉《せんざんかふ》あるなし、帝国唯一の上野動物園は伯林、巴理、紐育、費府のそれに比べて実に見る影もなき者なり。
〇然れども微々たる此動物園は狐鼠の類を養ふ甚だ多し、狐、狸、貉の類は悉く此処に代表され、亦鼠類には(127)家鼠《ねずみ》、※[鼠+奚]《はつかねずみ》、白鼠等一つとして養はれざるはなく、亦|鼬鼠《いたち》、黄鼠《てん》等の肉食鼠も悉く此処に飼育さる、世に狐鼠々々泥棒の名称あるが如く、上野動物園は其飼育する動物類に依て評すれば之を狐鼠々々園と称するも敢て不当にあらざるべし。
〇微々たる動物園と微々たる議会、獅子なき虎なき議会には麒麟あるなく、犀あるなく、河馬《ひぽゝたます》あるなく、豹あるなし、狒々は時々其の高壇に顕れし事ありしと聞きしかども今は院外に在て大政党を率ゆると聞く、斯くも大動物に於て全く欠乏する日比谷の動物園は上野のそれの如く狐鼠の類を匿ふ甚だ多し、其|数《す》百の議員は駱駝にあらざれば鼠、鼬の類、其議会操縦の運動なる者は白と黒との駒鼠の競争に過ぎず、事を議するに方ては常に狐鼠々々然、彼等天下の公事を議するに方て多くは之を待合茶屋の奥座敷隠密の所に於てす、彼等公然政敵に当るの勇気を有せず、唯隠謀術数を以て之を陥いるの衝を知るのみ、反対党の言葉尻を捉へて之を詰責するが彼等の有する唯一の戦術なりとす。
〇狐鼠々々動物園と狐鼠々々議会、公論を避け、光明を嫌ふ、何事も密談と賄賂とを以て決す、唯悦ぶ此議会遠からずして解散され新たに動物の入れ更へあらんとは、切に願ふ、新たに入り来る者は狐鼠の類にあらずして獅子、麒麟の類ならんことを、熊党と駱駝会とは其の跡を絶ちて之に代ふるに虎類犀族を以てせられんことを、余輩は明白に曰ふ帝国議会をして偉人の議会たらしめよと。 〔以上、4・22〕
 
(128)     余の特愛の讃美歌
                   明治35年4月20曰−37年11月17日
                   『聖書之研究』20−58号「所感」
                   署名 内村鑑三
 
   序文
 
  讃美歌は基督信徒の霊魂の声なり、彼に特殊の心情あり、彼は之を普通の辞を以て言ひ彰はす能はず、之に意義あり、然れども意義のみは其情を通ずる能はず、之に音楽なかるべからず、然れども修飾のための音楽にあらず、特殊の意義と特殊の音楽とありて彼の心中の特殊の実験は言顕はさるゝなり、是れを称してヒム(hymn)、又はサーム(Psalm)と云ふ、ヒムは神を讃美するの歌にして、サームは総て之をチタラ(cithara 琴の一種)に合して謡ひし者を称ふ、然れども之を讃歌と称ふも或は琴歌と唱ふるも能く吾人の称する讃美歌なる者の真意を通ずる難し、讃美歌は必しも神を讃美するの歌にあらず、神に祈る者あり、亦神に苦痛を訴ふる者あり、基督信徒の喜怒哀楽は総てその讃美歌に現はる、故に余は之に定義を附して基督信徒の霊魂の詞となせり、蓋し是れ其最も明細なる定義なりと信ずればなり。
  讃美歌の数甚だ多し、其最も古きものは旧約聖書にあり、土師記第五章は女予言者デボラの讃美歌なり、撒母耳前書第二章にサムエルの母ハナの讃美歌あり、仝後書第一章に於けるヨナタンの死を嘆けるダビデの(129)哀歌も之を讃美歌として見るを得べきか、詩篇百五十篇は皆な悉く讃美歌なり、哈巴谷《ハイホツク》の予言は讃美かを以て終る、約拿救済に遭ひて亦讃美の声を掲ぐ、若し夫れ旧約を去て新約に入らんには其始より終りまで讃美にあらざるはなし、マリヤ聖子を胎内に受けて讃美を捧げ(路可伝一章四六より五五節まで)、ザカリヤ其子の生るゝを聞いて聖霊に感《みた》されて亦た主なるイスラエルの神を讃美す(仝六八より七六節まで)、天使聖子の降誕を告るに讃美歌を以てし(二章十四節)、老ひたるシメオン、イエスを見て嬰児を抱きて神を讃美す、(仝二九より三二節まで)、イエスは晩餐席上に神を讃美し、パウロとシラスとはピリピの獄屋に在りて亦神を讃美せり、而してハレルヤ、アーメンハレルヤは世界が終結を告る時の讃美の声なりと云ふ(黙示録十九章)、天に明星の始めて輝きし時に天使は神に讃美を唱へ、地に悪魔の頭の砕かるゝ時に聖徒は讃美の声を掲ぐ、基督教は歓喜の宗教なり、歓喜の宗教は讃美の宗教なり、讃美なくして基督教あるなし、基督教其物を一大讃美歌と見て可なり。
  聖書以外に亦讃美歌多し、基督教徒の在る所に必ず讃美歌あり、基督教在て讃美歌なきはなし、有名なる燭光歌(The Candleligbt Hymn)と称へらるゝ者は第二世紀の作なりと云ふ、Te Deum,Veni Creator Spirirus.等は中古の始より基督教会に伝へらる 而して今日吾人が有する所の讃美歌は数千を以て算ふを得べし 今茲に其大略をも紹介する難し。
  余も亦幸にして基督を信ずるを得て、讃美歌なる霊魂の詞を少しく解するを得、亦時には之を語らざるを得ざりき、然れども楽感に乏しき余は歌はんと欲して能く歌ふ能はず、唯時々感に充つる時は僅に声を含んで独り之を口中に唱ふるのみ、余の霊は音楽を感ず、然れども余の口は之を謡ふ能はず、余は霊と誠を以て神(130)を拝する外、彼を讃美する術を知らず。
  然れども既に恩恵に沐する者、余にも亦特愛の讃美歌なからざらむや、而して余にして若し其楽を伝へ得ずんば余は其意義を伝ふるを得べし、今や和文に訳せれし讃美歌尠からずと雖も楽譜に合せんと欲して字音を限りし為めに原意の充分に伝へられし者曾て有るなし、余は此事を憂ふる久し、曾て「愛吟」を著して此欠の一部分を補はんとしたりしが、今亦茲に其志望を続け、余の特愛の讃美歌を本誌の読者に紹介せんと欲す、然れども意味深長なると余の筆の鈍きとは余をして余の感じ得る丈けをも読者に通じ能はざらしむ、然れども為すは為さゞるに優るべし、読者乞ふ余の意を諒せよ。
 
    『世々の磐』
 
 余の学びし最初の讃美歌にして、亦た最も好く救拯に関する余の信仰を彰はす者なり、原文は Rock of Ages を以て姶まり、「われたる岩や」又は「千世へし岩よ」と訳されて我邦の信徒間に歌はる、英人トプラデーの作にして彼の名は此讃美歌と共に広く世界に知らる、蓋しカルビン主義の信仰を代表する者にして此歌の如きは他にあるなけむ、英国前宰相グラッドストンが死に瀕して彼の愛孫と偕に彼の病床に在て唱へしものは此歌なりき、人の救済は其品性に由ると云ふ者、我等はキリストに真似て始めて救はるゝを得べしと言ふ者、吾等は此世に於て完全の域に到達するを得と唱ふる者に対して、此歌は明白に十字架上の贖罪を声言する者なり、ユニテリヤンの徒は勿論此歌に深き興味を感ずる能はず、メソヂストの徒、亦た此讃美歌に賛同を表する能ざるべし、然れども幾千の痛める霊魂は此一小歌にギリアデの乳香(耶利米亜記八章二二節)を発見せり、幾万の懼れたる心は此歌(131)を唱へながら安き永き眠に就けり、学説討論は強健栄華の時に用あらん、然れども吾等主に於て眠らんとする時に、只此霊魂の声あるのみならん、今を去る十一年前桜花爛漫として都城を飾る頃 先愛 内村加寿子が彼女の夫が逆臣国賊として国人に窘しめらるゝの声を聞きながら悲しき眠に就きし時、彼女の枕辺に於て余と余の父とが声を合して歌ひし者は此歌なりき、理論の達し得ざる所に信仰は達す、吾等神の審判の前に立つ時に只此讃美歌あるのみ、余は茲に余の意訳を掲ぐ。
   世々の磐よ我を囲めよ
   我を汝の間に匿せよ
   汝の脇より流れ出し
   血潮と水は我の罪を
   贖ふ二倍の代価《しろ》となりて
   責《せめ》と科《とが》より我を救へよ
 
   我の手の業《わざ》如何に多きも
   法律《おきて》の要求《もとめ》に応《かな》ふ能はず
   我の熱心|休《や》む時なきも
   我の涙は流れ尽ずも
   我の罪をば贖ふ能はず
(132)   君、若し我を救ひ給はずば
 
   何の功績我にあるなし
   只十字架にのみ我は鎚がる
   裸躰なるまゝ汝に到り
   援助なきまゝ汝を仰ぐ
   穢れたるまゝ泉に走る
   我を洗へよ、我れ死なんとす
 
   我れ此|生気《いき》を引き取らんとする時
   我の瞼の閉んとする時
   我れ見ぬ世に逝らんとする時
   審判の聖座に汝を見る時
   世々の磐よ我を囲みて
   我を汝の間に匿せよ。
     『此身有の儘に』“Just as I am,without one plea” 〔以上、4・20〕
 
(133) 英国、シヤーロット エリオット女史の作なり、身の汚穢に耻ぢ、又は心の疑団に遮られてキリストに来り得ざる者を助け励まして偉大の功を奏せし歌なり、余も幾回かキリストを離れ、余の心に彼を見失ひ、信仰の綱の切れんとせし時に此歌を口にして大胆に彼の許に還り来れり、実に誠に彼の血は悩める良心を癒すための唯一の医薬なり、世の哲学者は此事を暁り得ざらん、然れども我等癒されし者は其特功を信じて疑はず。
 
   此身有の儘に、一言の申訳なく
    唯だ爾の血が我がために流されしてふ一事を以て
    又爾が我に爾に来らんことを、命じ給ふが故に
   アヽ神の羔よ我は大胆に爾の許に到る。
 
   此身有の儘に、躊躇することなく
    我が心より罪の斑の悉く取去られん時を待つことなく、
    爾の血は総ての汚穢を洗ひ潔め得れば
   アヽ神の羔よ我は大胆に爾の許に到る。
 
   此身有の儘に、暴風《あらし》に打たれつゝも
    心に猶ほ多くの疑団と苦悶とを存し
(134)    恐怖と争闘、内と外より我を悩めつゝあるも
   アヽ神の羔よ我は大胆に爾の許に到る。
 
   此身有の儘に、盲目の憐むべき我は
    爾に癒されて我が眼を開かれんために
    又我が凡ての要求を爾に由て充たされんがために
   アヽ神の羔よ我は大胆に爾の許に到る。
 
   此身有の儘を爾は受け給ふならん
    歓んで我を迎へ、赦し、潔め、助け給ふならん
    我は唯だ爾の約束其儘を信じつゝ
   ア、神の羔よ我は大胆に爾の許に到る。
 
   此身有の儘に爾の限りなき愛は
    我が爾に到るの凡ての障害を取り排ひたれば
    今爾の所有《もの》たらんために然り、爾|惟《ひと》りの所有たらんために
   ア、神の羔よ我は大胆に爾の許に到る。
(135)   此身有の儘に、渠の惜気なき爾の愛の
    広さ、長さ、深さ高さを実験《こゝろみ》んために
    暫時|此地《こゝ》に於て、後に彼天《かしこ》に於て――
   アヽ神の羔よ我は大胆に爾の許に到る。 〔以上、7・20〕
 
     『我は王の子なり、』“l'm the child of a king”
 
 リバイバル用の讃美歌なるが故に其思想甚だ高からずと雖も、而かも其中に一片の真情の存するありて、貧に苦められ、定住の家屋なくして世に彷徨ひし時余を慰めしこと其幾回なるを知らず、余は未だ其作者の何人なるを知らず、知る者あらば幸に之を教へられよ。
  イスラヱルは己を造り給ひし者を喜び、シオンの子等は己が王の故によりて楽むべし(詩篇百四十九篇二節)。
 
   我が父は家屋と土地とを夥多《あまた》有ち給ふ
    彼は其手に世界の富を握り給ふ
   紅玉と金剛石と金と銀とを以て
    彼の金庫は溢る、彼の富に際限《かぎり》なし。
     我は王の子なり、王の子なり、
 
(136)     イヱスを教主とし有て我は王の子なり。
 
   人類の救主なる我が父の独子は
    一度は此世に在て貧者に在《ましま》しき、
   而かも彼は今は天上に在て王なり、
    彼は久しからずして我をその宮殿に招き給ふ。
     我は王の子なり、王の子なり。
     イヱスを救主とし有て我は王の子なり。
 
   我も一度は世に捨てられし漂流人なりき、
    自ら好んで罪人たり、生れながらの異邦人なりき、
   然も今は択まれて神の子となれり
    宮殿と王衣と王冠との相続人となれり。
     我は王の子なり、王の子なり、
     イヱスを教主とし有て我は王の子なり。
 
   然らば小屋たり天幕たり、我れ何ぞ択まん、
(137)    我がために天上に玉殿の造られつゝあるあり、
   今は家郷より離れて此地に漂流ふも
    我は歌て進まん、我は王の子なりと、
     我は王の子なり、王の子なり、
     イヱスを救主とし有て我は王の子なり。
 
     キリスト信徒の交際(“Blest be the tie that binds”の意訳)
 
   我れ爾曹を愛する如く爾曹も相愛すべし(約翰伝十三章卅五節)。
    一、我儕の心をキリストの愛に
        繋ぐ其|索《つな》は祝すべきかな、
      斯く繋がれし者の交際《まじはり》は、
        天のそれに然も似たり。 〔以上、9・20〕
 
    二、我儕の天父《ちゝ》の宝座《みくら》の前に、
        我儕は熱き祈祷を注ぐ、
      我儕の憂慮《うれへ》も慰藉《なぐさめ》も、
        恐怖《おそれ》も希望《のぞみ》も皆な一《ひとつ》なり。
 
(138)    三、我儕は相互《たがひ》の悲愁《かなしみ》を頒ち、
        我儕は相互の重荷を担ふ、
      而して時々相互のために、
        熱き同情の涙を流す。
 
    四、我儕互に相別れんとする時、
        衷に耐え難き苦痛《くるしみ》あり、
      然れど心の中に結ばれて、
        我儕は再び相会はんと欲す。
 
    五、悲哀、苦痛、労苦《いたはり》を離れ、
        罪の縲絏を去り、
      永久限りなき國に、
        全き平和を楽まんと欲す。 〔以上、明治37・11・17〕
 
(139)     聖書は如何なる意味に於て神の言辞なる耶
                      明治35年4月20日
                      『聖書之研究』20号「講演」                          署名 内村鑑三
 
 私は聖書は神の言辞《ことば》であると信じます、之に較ぶべき書は宇内万巻の書中一もないと信じます、私は聖書に依るにあらざれば人類は到底神の聖旨を暁《さと》ることが出来ないと信じます、私は人の救済《すくひ》なるものは聖書の研究と離るべからざる関係を有つ者であると信じます、私は若し人ありて私に世界億万の書中唯一書を簡べと云ひまするならば私は基督教の聖書を撰ぶ者であります、聖書は実に世界唯一の書であります、聖書は実に神の書であります、若し人類の有する物の中で最も貴いものは書物であると云ひまするならば、聖書は書物の中で最も貴いものであります、多くの人が聖書を以て世界第一の珍宝であると思ひまするのは決して理由なき事ではありません。
 聖書は神の言辞であります、然しながら如何なる意味に於て神の言辞でありませう乎、是は一言一句皆な悉く神の口を以て語られたものであるから神の言辞であるのでありませう乎、或は手習師匠が子供の手を取て字を書くやうに神が予言者使徒等の手を取て之を書かしめ給ひしものであるから神の言辞であるのでありませう乎、聖書は一点一画の誤謬を、留めない書でありませう乎、聖書は之を読むに日本人が其戴く天皇陛下の勅語を拝読する時のやうに只百礼千拝して其の言に服従すべき書でありませう乎、是れ容易いやうで実は甚だ六ケ敷い問題であります、聖書は神の書であることに就ては少しく注意して此書を究めし者の何人も疑はない所でありまする(140)が然し如何なる意味に於て神の書である乎は決して容易なる問題ではありません。
 聖書は一点一画の誤謬なき神の言辞であるとの説は之を信ずるに至て易いやうには見えまするが、然し少しく精細に聖書を究めて見まするとその容易には受取れない説であることが解ります、或人は云ひます、宇宙万物何一として変遷せざるものはありませんから、神は正に一つの不変不動の書を人類に遺されて万事を裁決するための標準となし給ひましたと、是れ一聞して実に尤らしく聞える説でありまするが、然しながら事実は如斯き断決を許しません、聖書は神が直に造り給ふた星でもなければ亦岩でもありません、聖書は矢張り人の手を以て書かれた書であります、故に人に誤謬のある限りは聖書にも一つの瑕瑾がないとは云はれません、然し若し人ありて神は奇績を以て誤り易き人を以て誤りなき神の言辞其儘を伝へしめ給ふたと云ひまするならば、是れ困難に加ふるに更に困難を以てするの説であると云はなければなりません、其故如何となれば其場合に於ては神は奇績を以て始めて聖書を書かしめ給ひしのみならず、四千年以来総て之を謄写し来りし者を悉く奇績を以て総ての誤謬より免がれしめ給ひたりと我々は信ぜざるを得ないからであります、私は奇績の実在を疑ふ者ではありません、然し論者の云ふが如き奇績の連続は神の威権のためにも、将た亦私共の常識に照して見ましても到底私共の信ずることの出来ないことであります。
 聖書は元来日本語で書かれた書でない事は誰もよく知つて居ります、私共が今日有ちまする日本語の聖書なる者は日本語を善く知らない外国人と希臘希伯来の原語を少しも知らない日本人とが相|集《よ》つて翻訳したものであります、如斯き翻訳書に誤謬がないとは何人も信じません、日本訳の聖書中に多くの誤訳のある事は少しく之を原文に対照して見たことのある人の少しも疑はない所であります。
(141) 英訳聖書とても同じ事であります、英訳聖書は英文学の華であると称《とな》へられます、是は一種の霊感に因て成つた書でありまして、其内に幾多の誤訳あるに係はらず訳文其物が一種の高潔なる文学として永く後世にまで伝はるべき者であることは私共の敢て疑はない所であります、然しながら文学的には斯程に立派なる英訳聖書と雖も批評学発達の今日決して完全無欠の訳文であるとは申されません、其一例を挙げて見ますればかの有名なる約百記五章六、七節の二節であります、
  Although affliction cometh not forth of the dust, neither doth trouble spring out of the ground;yet man is born unto trouble as the sparks fly upward.
 是は誠に美はしい言辞でありまして、私共は此言辞の少しなりとも変更せられんことを望みません、然れども如何せん、原語は如斯き翻訳を許しません、終の一節なる the sparks fly upward は全く誤訳でありしことは今は何人も認る所であります、故に日本訳に「火の子の上に飛ぶが如し」とありまするのも、之は英訳同様訂正を加へなければならない者であります、故に猶太人なるアイザツク、レーザル氏の英訳には此所を as younng birds take up their flight「雛鳥が上に飛ぶが如し」と正してありまする、事勿論小事に属するとは申しまするものゝ英訳聖書を以て直に希伯来原書同様に見ることの出来ない一例として充分に価値ある事であると思ひます。
 爾うして何にも誤謬は訳文にのみ止まるのではありません、今日まで伝はりし原文其物に多くの疑はしい点があるのであります、其著名なる一例は馬可伝十六章の九節以下二十節までゞあります、或る最も信穎するに足るべき古き写書《しやほん》には此部分が欠けて居ります、且又其文躰は馬可伝全躰のそれとは大分違つて居ります、殊に十八節の「蛇を操《とら》へ毒を飲むとも害なく」との言辞の如きは少しく迷信的に聞へまして、何やら全く心霊的なる福音(142)書には不似合なる言辞のやうに聞えます、是れが馬可伝の一部分であらふとは如何しても思はれません、故に此等の数節に就ては種々の説が唱へられました、或は馬可が福音の全部を結了した後数年を経て更に此一部分を速急に書き加へたものであるとか、或は馬可の弟子の一人が先師の死後に之を書添へたものであるとか申しまして孰れも歴史的確証に拠る説とは称はれません、何にしろ此所に疑はしい数節が在ること丈けは確かであります。
 亦一時は三位一躰論の最も有力なる憑拠として見做されし約翰第一書第五章七節は全く他人の手に依て挿入されしものなる事が分りましてより、今は全く聖書より取り除かれまして改正英訳に於ても亦日本訳に於ても其跡を留めません、即ち今の第七節なるものは節の順序を乱さゞらんがために元の第六節を割いて新たに設けられたものでありまして、元は今の第七節と第八節との間に左の一節があつたのであります。
  天に在て証《あかし》を作す者は三なり、即ち父、道《ことば》、并に聖霊なり、而して此三は一なり、
 三体一躰論者に取りては此上もなき有力なる聖書の此一節も全く外来挿入の詞句でありし事が分つてからは聖書より全く取除《とりの》かるゝに至りました。
 勿論以上の如き例は沢山はありません、聖書(殊に新約聖書)の全躰より申しますれば挿入不明の詞句は至て尠くありまする、然しながら其全く無い事ではない事を知りますれば、私共は理論上聖書の詞句的無誤謬説を唱ふる事は出来ません、殊に旧約聖書の或る部分、即ち十二予言者の書の如きに於きましては曖昧不明の文字が沢山あることでありますれば、尚更聖書無誤謬説を維持することの困難を感ずるのであります。
 私は更に進で申します、我々人類は神より一点一画の誤謬なき啓示を受くるの必要がありませんと、神が我々に思考力と自由意思を与へ給ひし以上は我々は真理を知るためには別に文字的に完全なる神の法律を神より賜は(143)るの必要はないと思ひます、神は霊でありまするから彼は言語を以て顕はすことの由来るものではありません、言語其物が人間の工風に成つたものでありまして決して完全なるものではありません、星さへも其前に耻づる神(ヨブ記廿五章五節参考)は仮令希伯来語を以てするも亦は希臘語を以てするも決して完全に世に顕はさるゝことの出来るものではありません、霊のみが霊なる神を認ることが出来ます、韻文も散文も詩歌も戯曲も決して神を完全に伝ふる事は出来ません、故に聖書を以て誤錯なき神の言辞であると思ふ人は無限なるべき神に制限を加ふる者であると思ひます、若しイヱスの事を一々記《しる》しなば其書この世に、載尽すこと能はずと約翰伝の末章末節に書いてあります、神の言辞は旧約卅九巻新約廿七巻位にて書き尽されるものではありません、又神が自己を顕はし給ふに方てヤコブの失錯や、ダビデの犯罪等を細々と書き記させ給ふの必要があるとは如何しても、思はれません、私は神の栄えの無限なるを知りますれば寧ろ聖書の不完全を唱へて神の完全を維持したく思ふ者であります、聖書無誤謬説は神の権能を保持するやうに見えて実は之を涜すものであると思ひます。
 然らば聖書は何にが故に神の言辞であるかと申しまするに、勿論其中に神にあらざれば到底語ることの出来ない事が書いてあるからであります、其文章の優劣は私共の論ずべき所ではありません、之に文法上の過失が幾らあらふがそれは私共の問ふ所ではありません、歴史的事実の誤錯の如き、科学的証明の不足の如き、以て神の聖旨の如何を示すに方ては左程大切なる事柄でありません、私共は人世に対し、宇宙に関する神の真理を識りたく欲ふ者であります、爾うして聖書は最も明白に私共の要求する此説明を与へて呉れるのであります、即ち聖書の完全なるのは其辞句文章等の外形に在るのでなくして之を一徹する神の聖旨に存するのであると思ひます、聖書が神の言辞であると云ふのは其中に神の心が充ち溢れて居るからであります、私は此大事実に優る聖書の証明は(144)ないと思ひます。
 今之を罪悪問題の一事に照して考へて御覧なさい、人生の問題にして是に優るの大問題はありません、或は人の性は善なりと云ひ、或は悪なりと云ひます、善なるが如くに見えて悪であります、悪なるが如くに見えて善であります、悪とは何んである乎、其原因如何とは世の原始より今日に至りまするまで智者が問ふて止まない大問題であります、或人は悪は善の反面であるから絶対的に悪いものではないと云ひます、又或人は悪は天然自然に実在するものであるから、到底取除くことの出来るものでないと云ひます、聖書に依らざる罪悪問題程曖昧模糊たるものはありません、然るに聖書は罪悪に就て何と云ひますか、聖書は悪は自由意思を授けられたる人類が任意的に其造主なる神を離れたことであると云ひます、事甚だ簡明ではありまするが其中に深遠にして量るべからざる所があります、私共は聖書の此告示を聞いて始めて罪悪の深源を暁る事が出来るのであります、恁くも簡明に恁くも直截的に罪悪問題を解説した書《ほん》は聖書を除いて他に一つもありません。
 爾うして聖書の聖書たる所以は聖書は単に悪の原を解いて其芥除の途を備えずには措きません、聖書は完全なる罪の消滅法を備えます、而かも聖書は世間在来の消滅法を説きません、聖書は罪の消滅法として遁世圧慾の衝を嘲けります、亦た聖書は無遠慮にも贖罪法として慈善の無効を説きます、聖書は大胆に明白に罪悪は人の力に依て除くことの出来ないものであることを説きます、聖書は或点から見ますれば甚だ無慈悲なる書であります、痛く私共の罪悪を暴露し且つ之を攻撃しながら世に之を癒すの術はないと宣べます、聖書は一時は人を失望に陥らしむる者であります、然しながら失望の底に確乎たる希望を備える者であります。
 聖書は神御自身の贖罪の死を以てする罪の赦免を伝へます、爾うして是れ完全なる赦免でありまして此赦免に(145)与つて私共に「凡て思ふ所に過へる平安」があります、如斯赦免と平安とは神を除いて他の者が与ふることの出来ないものであります、爾うして此赦免を宣伝する聖書は必ず神の言辞であるに相違ありません、
 神御自身の性質に就ても聖書は人間の思想以外の事を我々に伝へます、聖書は神の愛心を伝へて曰ひます。
  若し上の天量ることを得、下の地の基礎《もとゐ》探ることを得ば我またイスラエルの総ての子孫を其|諸《すべて》の行《おこなひ》のために棄つべし(耶利米亜記三十一章三十七節)
 又曰ひます
  婦その乳児《ちのみご》を忘れて己が胎の子を憐まざることあらんや、縦令彼等忘るゝことありとも我は汝を忘るゝことなし(以賽亜書四十九章十五節)。
 又曰ひます
  それ神は其生み給へる独子を賜ふほどに世の人を愛し給へり、此は凡て彼を信ずる者に亡ること無くして永生を受けしめんが為なり(約翰伝三章十六節)
 如斯き神を伝ふる書は聖書を除て他に決て無いと信じます、成程鬼神の穂たるそれ熾なるかなとか、天は均く万民を愛すとか云ふが如き言は他にも見えることがありまするが、然し神は愛其物であつて、彼は永久の愛を以て人類を愛する者であるとの教義の如きは基督教の聖書を除いては他に決して見ることの出来ない事であると思ひます、聖書は神に就て人の思ひ及ばざる所の事を伝へます、是れ神ならでは到底伝ふることの出来ない事柄であります、爾うして神に関して斯くも貴き観念を伝ふる書は神の書でなくてはならないと私共は称《い》ふのであります。
(146) 又肉体の復活に関して、万物の復興に関して、永遠の生涯に関して聖書が私共に伝ふる事柄は皆な人智以上、人の推量以上の事であります、私共是等の事を聞いて唯驚く斗りであります、其背理でない事は他に之に類したる現象があるので分ります、其人性に能く適合したる事であることは我等之を信じて我等の理性情性が著しく進歩発達するので解ります、神は決して無理を私共に強ひ給ひません、神はその援助なくして人類が独り躬から達し能はざる真理を聖書に現はれたる特別の啓示を以て私共に伝へられるのであります、
 ムーデー氏は曾て云ひました「余は聖書は神の霊感《インスビレーシヨン》に依て成りし書であるを知る、其は余は之に依て神の霊感に与かることを得ればなり」と、聖書が神の言辞であるの実証は其吾等を神に霊化するの異能に在ります、其如何にして書かれし書である乎、是れ全く別問題と致しまして、聖書のみが真正のクリスチヤンを造り、聖書のみが人を人以上の者たらしむる者であることは、是れ疑ひのない事であります、是を神の言辞でないと申しまして何と申しませう。
 勿論恁くも貴き、恁くも超人間的の奥義を伝ふる書でありまするから、其文の高潔なる、其思惟の深遠なるは云ふまでもありません、亦神と永遠とに就て語る書でありまするから最も真面目なる書であるに相違ありません、随て其写字の誤謬も、歴史的并に科学上の誤謬も他の古書と較べて見まして割合に甚だ尠いに相違ありません、心の清い人は真理を見るに鋭い眼を有つ者でありますから神に託《よ》りて心を潔められし聖書の記者が彼等の時代不相応の科学的智識を備へて居つた事は決して疑ひを納れません、然しながら此故を以て聖書は歴史的に又科学的に誤謬のない書であるとは云はれません、其確かに誤謬のない点は其神と宇宙と人生とに関して伝ふる教義に於てあるのであります、神の言辞を此所に索めずして、精神以外、教理以外に探る者は多くの悲むべき矛盾に陥ら(147)ざるを得ない者であると思ひます。
 聖書は神の言辞であります、即ち神の心を私共に伝ふる書であります、然しながら心は文字ではありません、心は文字に於て顕はるゝ者であります、即ち文字の中に含まれ居る者であります、私共は聖書の不完全なる文字の中に完全なる神の心を探るのであります、是れ即ち聖書研究の目的であります、若し聖書が文字的に完全なるものでありまするならば、聖書の研究は至て容易い者となりまして、其研究は化して其暗誦となりませう、然し物の精神は唯之に接した斗りで得らるゝものではありません、私共研磨の功を積んで始めて事物の精神に達することが出来るのであります、多くの基督信徒が聖書を研究せんと欲せざるのは彼等の聖書に関する思想が間違つて居るからであります、聖書の文字其物が神の言辞であるやうに思へばこそ之を研究して其真意を探らんと欲するの念が起らないのであります、聖書其物は普通の書物と少しも異なりません。
 只其の中に神の真意が蔵れてあると思へばこそ之を探り出さんとの心が起るのであります、研究の功を積まない聖書はたゞの紙とインキとであります、是れに何の功徳もなければ是に何の神聖なる所もありません、其紙とインキとの中に匿れて居る真理を発掘して始めて聖書が神の言辞となるのであります、聖書を死たる書とならしむるも又活きたる書とならしむるも全く私共の覚悟如何に依るのであると思ひます。
 
(148)     辱かしめられし時
                        明治35年5月5日
                        『無教会』15号「論説」                            署名 角筈生
 
〇私は或る時、私の目下の者共に辱められます時に実に堪え難く意ひます、私は如何しても其人を赦すことは出来ないやうに感じます、私は如何かして其人に私の受けた侮辱を報ひたく思ひます。
〇爾う云ふ時に私は私の救主の事を思ひ出します、彼は私よりも甚しい侮辱を受けられました、彼は彼が救はんとし給ひし者に殺されました、然しながら彼は自由に彼等を赦されました、私が今日私の目下の者共より受くる侮辱は私の救主が世の人々より受けし侮辱に較ぶれば実に何でもありません。
〇私には人を赦すの能力はありません、然しながら私は之れを私の救主から受くる事が出来ます、私は彼に頼つて何人《だれ》でも赦すことが出来ます、私が赦すのではありません、私の救主が私に由て赦されるのであります、爾うして私の救主の赦される人を私は自由に赦さなければなりません。
〇使徒保羅は白しました「我は我に力を与ふるキリストに因りて諸ての事を為し得るなり」と、(腓立比書四章十三節)、私共は私共に力を給ふキリストに因りて如何なる敵をも赦すことが出来る筈であります、私共がキリストの奇蹟力を要するのは実に此時に於てあるのであります。即ち大事を為す時に此力を要するのではなくして、大侮辱に耐え、能く之を赦す時に之を要するのであります、故に保羅は亦白しました「神の栄の権威に循ひて賜(149)ふ諸の能力を得て強くなり、凡ての事喜びて恒忍《しの》び且つ久耐え」と(哥羅西書一章十一篇)。即ち忍耐には神より賜ふ諸の能力が要るとの事であります。
〇私共は亦身に多くの侮辱を受けて始めてキリストの十字架の苦を推量る事が出来るのであります、若し私共がキリストの心に入らんと欲するならばキリストが受け給ひしやうな同じ侮辱を私共も身に受けなければなりません、私共をしてキリストと同情推察の人とならしめんためには侮辱は私共の身に取て最も必要なるものであります、神が私共に此苦痛を下し給ふのは私共をして一層深くキリストの心を知らしめ給はんとの神の聖旨《みこゝろ》に因るのであるに相違ありません。
 
(150)     我とキリストと
                        明治35年5月5日
                        『無教会』15号「論説」                            署名 聖書生
 
〇私共の敵が私共を罵る時には必ず私共の救主と宗教とを罵ります、彼等は思ひます、「私共の心を苦しめるに最も好き手段にして私共の主なるイエスキリストを罵るに勝るものはない」と、恰かも子の罪を責めるに其親を責めるやうに、彼等は私共を責めるに方て必ず私共の主《しゆ》を責めます。
〇爾うして彼等が想ふ通り私共は私共の主を罵られて非常に痛く感ずる者であります、私共は私共の主の栄のために何事をも為さんと欲する者でありまするから、私共の敵に私共の主を罵られて私共自身を罵らるゝよりも痛く感じます、私共の敵は私共の痛所を善く知つて居ます、故に彼等は私共を責むるに方て必ず此痛所を衝きます。
〇然しながら恁くせられて私共はキリストと同一躰の者であることを覚ります、若し私共とキリストとの関係が左程に親密なものでありませんならば私共の敵は私共を攻めるに方て私共を攻めてキリストを攻めない筈であります、然るに彼等が私共を困しめるに最も好き手段は私共の救主なるキリストを攻めるにあるを知る処より察しますれば彼等敵人の眼にも私共とキリストとは非常に親密の者である事が分つて居ると見えます、是れ敵の立証に拠ることではありまするが、然しながら私共の名誉として此上のことはありません。
〇私共を誉める時にはキリストを誉め、私共を罵る時にはキリストを罵ります、嗚呼、私共とキリストとは斯く(151)も相離るべからざるのであることを知りまして、私共は実に感謝に堪えません、「耶蘇」の名は何と名誉の名ではありませんか、「聖書先生」、嘲弄のために発せらるゝ此名称に私は無量の先名誉と責任とを感じます。
 
(152)     乞食国
                         明治35年5月18日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
 乞食国《こつじきこく》とは東洋の君子国の事である。
 其華族は皇室より貰はんと欲し、其官吏と人民とは政府より貰はんと欲し、其雇人は雇主より貰はんと欲し、其弟子は師より貰はんと欲し、其弟は兄より貰はんと欲し、其子は父より貰はんと欲し、其妻は夫より貰はんと欲し、其臣は君より貰はんと欲す、彼等の所謂る幸福とは貰ふことであつて、不幸とは貰ひ得ぬことである。
 貰へば喜び貰ひ得ねば怒る、彼等の不平なるものは貰ひ得ぬ時に起るものであつて、其時には彼等は彼等の主に逆《そむ》き彼等の師を売るに少しも躇躇しない、貰はんと欲して媚び、貰ひ得ずして怒り且つ反く、日本人の生涯の半分以上は此一事に止つて居る。
 彼等は労働の快楽を知らない、彼等は独立の貴重なることを知らない、彼等は与ふることの貰ふことよりも幸福《さいはひ》なることを知らない、彼等は皆乞食である、華族も豪商も官吏も僧侶も政治家も教育家も皆な娼婦 幇間と同様の乞食である、只其外形が違つて居るまでゝあつて、其貰はんと欲する彼等の根性に至ては彼等は皆一様に立派なる真個《ほんとう》の乞食である。
 
(153)     〔絶対的真理 他〕
                      明治35年5月20曰
                      『聖書之研究』21号「所感」                          署名なし
 
    絶対的真理
 
 真理は事に非ず、人なり、哲理に非ず、宗教なり、教義に非ず、人格なり、絶対的真理は主イエスキリストなり、彼に聴き、彼に傚ひ、彼を信じて吾等に真理と生命とあり、彼に於て之を索めずして宇宙に於て之を探らんと欲するが故に世は永久に真理を看出し能はざるなり(約翰伝十四章六節)
 
    天才と信仰
 
 余は天才に非ず、神を信ずる者なり、余は余の本来の性に備え附けられし才能に依て事を為すものにあらずして、日々信仰に依て神より受くる能力に依て万事《すべてのこと》に当る者なり、天才の人は神を離れても尚能く独り事を為すを得べし、然れども信仰の人は神を離れて何事をも為す能はず、基督曰ひ給はく「爾曹我を離るゝ時は何事をも行し能はず」と(約翰伝十五章五節) 余が天才の人にあらざる確証は余が基督を離れて何の善き事をも為し得ざるに存す。
 
(154)    信仰の解
 
 信仰は自信に非ず、神を信ずることなり、世の謂ゆる確信にあらず、神に頼ることなり、信仰は依頼の精神なり、而かも人に依頼するにあらずして全能なる父なる神に依頼するの精神なり、世を根本的に革めしものは此精神なりき、而して今尚ほ更に之を改め得るものは此精神なり、神に縋るの依頼心有て始めて真個の独立と威厳と自尊とはあるなり。
 
    万民救済の希望
 
 罪人の首《かしら》たる余を救ひ得る愛は如何なる罪人をも救ひ得て尚ほ余りあるべし、余は余を救ひ給ひし神の愛を以てして救ひ得ざる罪人の場合を思惟する能はず、神が世に先じて余を救ひ給ひしは余をして万民に神の救済の約束を伝へしめんが為めならざるべからず、余は万民救済の希望を余自身の救済の上に置く者なり。
 
    信仰の目的物
 
 平和を望む勿れ、キリストを望めよ、一致を望む勿れ、キリストを望めよ、熱心を望む勿れ、キリストを望めよ、平和も一致も熱心も凡てキリストに於て存す、キリストは信仰の目的物なり、彼は万善の所有者なり、吾等百難を排して彼に至るべし、然らば凡の書きものを彼に在て有つを得む。
 
(155)    至高の愛
 
 余は生れながらにして暗きを好む者なり、然るに神は余をして彼の光明の一端を仰ぐを得さしめ給へり、余は生れながらにして死に傾く者なり、然るに神は余をして生命に向ふを得さしめ給へり、神は余の意嚮如何に関はらず、余を救はんとし給ひつゝあり、神の愛の入の愛よりも高きは実に天の地より高きよりも高し。
 
    希望の土台
 
 余は福音の宣伝者にして商人又は官吏ならざるが故に神の救済に与からんとは思はず、余にして若し幸に済はるゝを得ば是れ偏に神の恩寵に由てなり、余の職業、余の品性、余の行働、余の階級、余の学問等は余の救済に何の干はる所あるなし、余は余の救済の希望を単に神の無限の愛に置く者なり。
 
    世を救ふの途
 
〇世は罪悪を以て充たさる、而して余自身が罪人なり、罪人の身を以て罪悪の世を潔めんと欲す、何物か之に勝るの難事あらんや。
〇故に若し余にして世を潔めんと欲せば余は不可能事を企る者なり、余は余自身さへも潔め得ざる者なり、況して他人をや、況して社会をや。
〇余は唯福音を唱へ得るのみ、而して之を以て余自身救はれながら之をして世を救はしめんのみ、余は福音の(156)器具たらんのみ、而して福音をして世を救はしめんのみ.
 
    余を毀ち見よ
 
 余を毀ち見よ、然らば其時余の福音の光は揚らん、人が余を求むる間は余の説く福音は崇められず、余が皆無に帰する時に余の救主の栄光は顕はるゝなり。
 
(157)     聖書雑感
                      明治35年5月20日
                      『聖書之研究』21号「所感」                      署名 くぬぎ生
 
〇余の総ての歓びは聖書の研究にある、余は古哲エラスマスの語を繰り返して云ふ「余は堅く聖書の研究を以て余の一生を終らんと決心せり、余の総ての歓喜と余の総ての平和とは其中に存す」と。
〇余に取りては聖書の研究は苦労ではない、否な、之を研究しない事が却て大なる苦労である、此世に在て其浪風に身を露らし、其無情、反逆、冷酷に接して、聖書に目を曝らし耳を傾けない事は実に不幸の極である、余は恋人よりの書を読むの心を以て聖書を研究する、聖書は実に曾て聖アウガスチンが唱へし如く神より人類に贈られし恋文である。
〇聖書の何たるかを知らない人は時々余を嘲り又罵つて云ふ「偽善者よ」「世を欺く者よ」と、彼等は聖書とは読んで字の如く聖き書であつて、之を学び之を説くものは世の謂ゆる聖人でなくてはならないと想ふて居る、然れども聖書の聖の字は聖人の聖の字とは全く意味を異にする、此一事を知るためにも彼等は少しく聖書を研究するの必要がある。
〇聖書の聖の字(hagios)は撰別を意味する、或は聖別と訳せられて、神に依て世より分別せらるゝの意である、故に聖書一名之を特別の書と称ふ事が出来る、即ち人間の思想意外に渉る事を伝ふる書であるとの意である。(158)聖書の聖書たる所以は清浄無垢の聖人にあらざれば之を説くことが出来ないからではなくして、却て罪人にあらざれば之を解することが出来ないからである。
〇故に或る点から云へば聖書を愛読するといふことは決して名誉の事ではない、是れは自己は罪人であると云ふことを告白することであつて、清浄潔白、俯仰天地に恥る所なき世の義人等の大に忌み嫌ふ所であるに相違ない、衛生論に深く注意する者は必ず病人である、罪の赦免を伝ふるを以て其第一の目的として居る聖書に渾身の注意を払ふ者は神の前に立て罪人の首《かしら》を以て自から任ずる者でなくてはならない、自己は聖人なりと想ふ人は聖書研究のための第一の要素を欠いて居る人である。
〇余は余の罪深きを感ずる者である、故に余に聖書研究の必要があるのである、「爾曹の罪は緋の如く赤くあるも雪の如く白くならん」(以賽亜書第一章十八節)との言辞《ことば》を読んで余は無上の慰藉を感ずる者である、余は無智の者である、故に余に聖書を研究するの必要があるのである、「神の愚は人よりも慧《さと》し」とか、又は「神は智者を愧かしめんために世の愚かなる者を選び給へり」などいふ聖書の言辞を読んで余は余の無智不学に就て絶望せざるに至るのである、余は亦弱き者である、富なく、友なく、世の称する権力とては一として有たざる者である、此時に方つて余は聖書に於て「是は権勢に由らず、能力に由らず、我霊に由るなり」(撒加利亜書第四章六節)など云ふ如き言辞を読んで余の消えなんとする希望を回復する者である、罪を感ずる者であればこそ、無智不学の者であればこそ、無能無力の者であればこそ、余は聖書に縋るのである。
〇斯くて聖書の研究は苦労でない斗りでなくして、快楽である、慰藉である、平安である、歓喜である、世に「教役」なる文字があつて、伝道の業を労役のやうに想ふて居る人があるが、余に取ては福音宣伝は無上の喜楽(159)であつて、余は他事を捨てゝも身を全く此一事に委ねたく欲《おも》ふ者である。
 
(160)     伝道を勧む
                      明治35年5月20日
                      『聖書之研究』21号「思想」                           署名 伝道生
 
 基督教の伝道とは我が主張を世に及ぼし、我が徳を以て人を化し、以て我党我弟子を作ることではない、基督教の伝道とは我の罪あるを世に表白し、我の受けし恩恵を人に示し、我が救主を世に紹介し、以て彼の従者、彼の弟子を作る事である、世に所謂る伝道なるものと基督教の伝道なるものとの間に斯くも相違のあることを我等は深く心に留めて置かなければならない。
       *     *     *     *
 此意味を以てすれば真正《ほんとう》の基督信徒たる者は誰でも伝道に従事する事が出来る、否な、伝道に従事することの出来ない者は実は信者ではないのである、伝道は説教でもなければ牧会でもない、伝道は我が心に実験せし神の拯救《すくひ》を世に発表することである、此実験なくして如何に該博なる神学教育を受けた人でも基督教の伝道師となることは出来ない、又此実験あれば如何に無智無学の人と雖も有効なる伝道師となることが出来る。
       *     *     *     *
 今や日本の最も要求する所のものは其国民の良心の革命である、鈍りたる腐つたる良心を以てしては富も才も学も何んの用をもなさない、爾うして良心の革命は倫理学の講釈を以て起すことの出来るものではない、良心は(161)良心の裁判人を俟つて始めて其睡眠より覚ますことが出来る、日本国に基督の必要なるは病人に医者が必要なるよりも大である。
       *     *     *     *
 今や神学教育を受けたる立派なる(立派なるべき)伝道師は大抵は伝道の聖職を去つて、或は学校教員となり、或は政治家となつて了つた、国民に語学と哲学と文学とを注ぎ込まんと欲する者は幾等でもあるが、直に其良心を覚醒し、其処に新生命を注ぎ込まんと欲する者は寥々として雨夜の星の如くである、我国今日の腐敗なるものは何んでもない、其国民の良心に生命がないからである、爾して此良心の生命なるものは基督の福音を除いては他に何んにもない。       *     *     *     *
 何故に伝道師は起らない乎、何故に青年は工学士、又は法学士、又は文学士、又は医学士とのみならんと欲して伝道師とならんと欲せざるか、何故に商人は産を作らんとのみ欲して伝道のために資を投じて救はれたる霊魂の収入を得んと欲せざる乎、何故に妙齢の女子は富家に嫁して貴女として世に崇められんことのみを望んで、貧しき伝道師の妻となりて其聖業を援けんと欲するの聖望を起さゞる乎、何故に伝道の業が甚だ不人望にして人毎に皆な殖産利達栄進にのみ注意するか、若し地を拓かんと欲するならば僅々二十万方哩の此国、既に拓くべきの寸地を余まさないと云ふても可い、凡ての事業は逼迫を極めて、新事業を此地に起すの困難は実に名状すべからずである、只日本人の精神界のみは全く荒蕪地である、之は西此利亜の曠地に均しき未開地であつて、何人も此所に耕して、饒多の収穫を得ることが出来る、吾等は野心ある日本人が何故に此新事業に着目せざる乎を思ふ(162)て常に怪訝の念に堪えない者である。
       *     *     *     *
 多くの基督信者は託言を設けて云ふ、余は到底伝道の器にあらずと、然し爾う云ふ彼等は普通の伝道師を非難して止まない、又云ふ、余は実業に従事して金銭を以て伝道を援けんと、然し爾う云ふ彼等は実業に成功して多少の余裕を生ずるに足るも目っ駄に金銭を出して伝道を援けない、文学を以て或は哲学を以て伝道を援けんなど声言した人で其約束を履行した人は曾てない、彼等は斯く自分勝手な理屈を述べて伝道の責任より免がれんとするのである、彼等は未だ心に真個の拯救を味はつたことがない故に之を他に頒たんとするの心を起さない、彼等が争つて伝道の責任を避けんとするのを見ても彼等が真実の基督信者でないことが分る。
       *     *     *     *
 世に真個の伝道程楽しい事はない、是れは事業中の事業であつて、一度び其快味を味ふて吾等は他の事業に転ずることは出来ない、人の霊魂を救ふことである、彼を心の根底より革むる事である、或時は瞬間にして罪人が其罪を棄て神に還り来るのを目撃することがある、彼の家庭は潔まる、彼の妻子と姉妹とは歓ぶ、彼の生涯の方針は全く一変する、彼に依て新事業は企てられ且つ成就せらる、一片の福音が斯くも深遠なる変化を生ぜし乎と思へば実に驚く斗りである。
       *     *     *     *
 此に社会と人心とを根本的に改造し得る確かなる勢力がある、爾うして我等何人たりと雖も謙遜なる心を以て此勢力を使ふて世に大革命者となることが出来るのである、基督を信じて基督教の伝道に従事せず、又伝道の責(163)任を分担せんと欲せざる者は自己れ宝を握て之を使用せざる人と同様である、余輩は幾重にも本誌の読者に基督教の伝道を勧むる者である。
 
(164)     編輯後の祈祷
                      明治35年5月20日
                      『聖書之研究』21号「実験」                          署名 編輯生
 
 我主イエスキリストよ、此雑誌は成れり、如何に憐れなる者ぞ、余は之を余の読者に送り出すを耻づ、然れども爾は知り給ふ、是れ余の作り得し最善のものなることを、余の肉は病み、余の霊は憂へ、単独此の事に当ることなれば、余に平常の気力なかりし、余は知る、慈恵《めぐみ》ある爾は余より余の能ふに勝る事を要め給はざるを、願くは爾の強きは余の弱きに託て顕はれ、此憐れなる雑誌に添ふるに爾の聖霊の力を以てし、以て、此小さき者をして全く無用ならざらしめよ。
 
(165)     基督信徒の患難
                      明治35年5月20日
                      『聖書之研究』21号「講演」                          署名 内村鑑三
 
 基督信者には患難があります、世の人の知らない患難が沢山あります、罪を離れて神に還りし以上は患難の彼の身に臨む筈はないやうに思ふ人もありますけれども、然し事実は決して爾うではありません、基督信者は神と基督とを信じて却て患難を身に招いたやうなものであります、患難は基督信徒の附着物であると称ふても宜いと思ひます。
 基督信徒に世間普通の患難があります、貧の患難、死の患難、天災の患難、社会の患難、是れ皆な世間一般の上に来る患難でありまして、私共が基督を信じたればとて神は是等の患難より私共を特別に救ひ出しては下さりません、ヱホバの神は災難除の神ではありません、彼を信ずるも信ぜざるも来るべきの患難は必ず来ります。
 然しながら此外に尚ほ殊更らに基督信者には彼れ独特の患難とも称すべきものがあるのであります、彼には世と絶縁するの患難があります、彼には罪と奮闘するの患難があります、眼に見えぬ神を常に信仰の眼に認め置くの患難があります、敵をも愛さねばならぬ患難があります、神の正義を実行するために世人は勿論近親骨肉の者までに反対されるの患難があります、真理と異端とを弁別せねばならぬ患難があります、時には親や君にまでも逆らはねばならぬ患難があります、基督信者の患難は到底世の人の量り知ることの出来る者ではありません、彼(166)(信者)は恰かも患難を求めて基督に来つた者のやうに思はれる時があります。
 斯くも患難が多いのに然らば神は特別に基督信者を援けて下さる乎と云ふに決してさうではありません、基督彼自身すら終に其敵人に捕はれ十字架の恥辱を受けられました、其時彼の敵人は嘲つて白しました、「彼は神に依り頼めり、神若し彼を愛《いつく》しまば今彼を救ふべし」と、然るに神は其聖なる独子が斯くも嘲弄せらるゝを見給ふも決して彼を救ひませんでした、基督は敵の思ふ存分に辱かしめられて終に十字架の上に死なれました、何んと無慈悲なる神ではありません乎、真理を信じ之を宣べ伝ふることは何んと甲斐のない事ではありません乎、然しながら是れ基督御一人には限りません、凡て誠実に基督を信ぜし者は基督の受けられし苦痛より免がるゝ事は出来ません、十字架は基督教の附物でありまして、十字架無しの基督教とては広き宇宙に決してありません。
 茲に至て大疑問が起るのであります、何故に神は基督信者を困しめ給ふのである乎と、聖書に基督は苦しまねばならぬと書いてあります、(馬太伝十六章二一節使徒行伝三章十八節等参考)、亦基督信者たる者は必ず苦しむべき者であると書いてあります、(羅馬書八章十七節、腓立比書一章二九節等参考)、苦痛は基督信者の生涯の要素の一つでありまして、之れなくしては彼は信者であつて信者でないやうに書いてあります、是は抑も伺う云ふ理由《わけ》でありませうか、神に愛せられる者、特別に神に簡まれて其子と称ばれし者が特に多くの艱難に遭はねばならぬとは如何にも奇怪ではありません乎。
 然しながら善く考へて見ますれば之には実に実に深い理由が在て存することを私共は暁《さと》ることが出来ます、之を患難と称しまするのは肉の眼を以て見る時にさう称ふのでありまして、基督信者の信仰の眼を以て見まする時には患難が患難でなくなるのであります、即ち患難が化して恩恵となるのでありまして、若し患難がなくなれば(167)其時には恩恵がなくなるのであります。
 患難は勿論刑罰の一種であるに相違ありません、患難其物は決して楽しい者ではありません、若し罪がありませんでしたならば患難はないに相違ありません、世に患難がなからざるを得ざるに至りました事は実に欺かはしい事であります、然しながら若し罪があつて其刑罰たる患難がなかつたならば如何でありませう、若し人が罪を犯しまするも神は全く彼を放棄して其罪を問ひ給ひませんでしたならば如何でありませう、是れ実に悲痛の極ではありませんか、神は其子を愛し給へばこそ彼を懲しめ且つ之を鞭ち給ふのであります、(希伯来書十二章六節)、人が神に刑罰を加へられざるに至りし時は其人が神に全く捨てられし時であります、神、予言者ホセヤを以てヱフライムの民に宣告して曰ひ給ひました「ヱフライムは偶像に結び聯《つらな》れり、その為すがまゝに任せよ」と、(何西阿書四章十七節)、斯く宣告せられて人も国民も其悲運の極に達したと云はなければなりません、世に神に「為すがまゝに任かせらるゝ」事ほど恐しい事はありません、而かも刑罰は吾等をその為すが儘に任せざらしめんとの神の恩恵に出るものであります、仮令事業の失敗であれ、悪疾であれ、火災、水難等の禍であれ、若し之れ吾等の罪を矯めんため神が吾等に送られし者であると思へば吾等は感謝して之を受くべきであると思ひます。
 此点から考へて見ましても基督信者は特別に神より多くの鞭撻を受くべき筈の者であります、彼は特別に神に愛せらるゝものでありまするから、亦随て彼の受くる懲罰も特別に厳しくなくてはなりません、基督信者に取ては少しの罪悪も大なる罪悪であります、彼は世人に優てより多くの光輝と恩恵を受けた者でありまするから、彼は普通一般の人として裁判かるべき者でありません、彼は神の法律に服従すべき者でありまするから、之を破り之を犯した場合には彼れ相応の神の忿怒《いかり》に触れべき筈の者であります、刑罰の甚しいのは愛の甚だしい証拠であ(168)ります、神が時には非常の刑罰を以て私共を見舞ひ給ふのは神が非常に私共を愛し給ふの一つの確かなる証拠であります。
 然し懲罰のために斗り神が私共に患難を下し給ふのではないと思ひます、患難は亦鍛練の性を帯びて居るものであります、私共は時々神に私共の信仰を鍛えられんために神より患難を賜はるのであります、故に使徒ヤコブは白されました、「我が兄弟よ、若し爾曹各様の試誘《こゝろみ》に遇はゞ之を喜ぶべき事とすべし、蓋は爾曹の受くる信仰の試錬《こゝろみ》は爾曹をして忍耐を生ぜしむると知ればなり」と(雅各書第一章二、三節)、信仰は金や銀や鉄と同じものでありまして、鍛えられなければ剛《かた》い強いものとなる事は出来ません、所謂生鉄なるものと鋼鉄なるものとの間に殆んど?と石との差別がありまするのは全く鍛錬の効に依るのであります、艱難は熱火のやうなものであります、亦時に依ては鉄砧《かなしき》と鉄槌の用を為す者であります、之に依て私共は疑惑を脱して確信に入り、恐怖を去て平靖に進むのであります、艱難に由らずして私共は誠実の何たる乎を深く解することは出来ません、艱難は実に金の中より其|金渣《かなくそ》を去る者であります、ミルトンは彼の明を失はずに彼の「失楽園」を書くことは出来ませんでした、ダンテは失恋の苦を味ふて見て彼の神曲を綴り得たのであります、艱難を経ない人ほど詰らない者はありません、彼は実に味の無い人でありまして、彼の額《ひたへ》に皺がないと同時に心に同情と推察の涙のない人であります、艱難は実に神の心を見るための眼鏡であります、艱難に依らずして私共は基督の心を以て我が心となす事は出来ません、艱難は実に基督と私共とを継ぐ鎖であります(腓立比書三章十節)、艱難に依て私共は世の凡ての人と兄弟姉妹となることが出来るのであります。
 艱難とは斯くも貴きものでありまするから、其私共の身に臨みまする時に、私共は感謝して之を受け、出来得(169)る丈けの勇気を以て之に耐え、亦得らるし丈けの利益を其中より得なくてはなりません、殊に大艱難なるものは大幸福と同じやうに一生に二度とは私共の身に臨まないものでありまするから、私共は之に遭遇する時に謹んで之を接《う》け、善く主の之を以て私共に教へ給はんと欲し給ふ事を学び、其私共の身を離れ去る時に方ては私共は前よりも数層倍の善且つ忠なる者とならなければなりません、艱難は勿論之に遭遇する其当時は決して楽しい者ではありません、然れども其苦い困しい中に医癒の名薬が籠つて居るのでありまするから、私共は苦しまぎれに其効能を逸してはなりません、(彼得前書一章十六節)。
 懲罰のため、亦試練のための艱難は亦完成のためであります、私共は鍛えられる斗りでは足りません、私共はより深く神の恩恵を暁りより多く之を私共の心に受け、神を知る益々深く、彼の恩恵に与かること益々多くならなくてはなりません、人間は元是れ神の恩恵を受くるための器物でありまするから、或時は神に由て之を拡められ、又或る時は之を改善せられなくてはならないものであります、生れたまゝの人間は神の恩恵を感ずるに至て鈍い者でありますから、彼は時々艱難を以て彼の感能を覚されなければならない者であります、艱難は確かに刺激剤の一種であります、之に依て鈍りし視覚は一層の明を得まして、見えざりし天の光栄が見えるやうになります、之に依て石の如き堅き心は砕かれまして、之に代はるに柔き情の心を以てせられ、前に感ぜざりし神の愛が感ぜられるやうに成ります、危き疾病に罹て神に還り来りし人は沢山あります、資産を失ふたために霊の財貨《たから》を豊かに受けた人も沢山あります、身の損失は多くの場合に於て心の利益となりました、若し世に疾病なく、失敗なく、泣くことゝ死ぬることゝが無いならば此世は何んと堅い冷《つべた》い堪え難い所でありませう、世に同情推察と云ふ美はしいものがありますのは是れ皆な人間の上に臨む艱難なる天使の賜物であります、我等人類は艱難に由て(170)互に相|鍛《きた》ひ合せられるのであります、艱難は刺激剤であると同時に亦溶解薬であります、之に由て人は神と和合することが出来るのみならず、亦人と一致することが出来るのであります、人間は亦神の恩恵を受くるに至て狭いものであります、彼の狭量なる、彼は少しの恩恵に接すれば直《じき》に一杯になるものであります、金銭に対しては無限の慾を有つ人間は霊の恩恵に対しては極く小慾の者であります、彼、少しの徳を以て誇り、少しく他人に勝《まさ》つて清くなればそれで聖人にでも成つたやうに思ふ者で ります、夫れ故に彼の心の恩恵の授器は絶えず広められるの必要があるのであります、さうして艱難は此場合に於ては鑿か鑢《やすり》の用を為しまして、私共の堅い心の容量を掘り拡《ひろ》め、私共をして既往の恩恵を以ては足らずして更に大なる恩恵を受けたく感ずるやうに為して呉れます、神の恩恵は無限のものでありますから、神は私共の心の量が増せば増すほど其善きものを以て私共を満たしめ給ふ事が出来ます、さうして夫れ故に神は時々更に大に私共を恵み給はんと欲して不意の艱難を私共の上に下し、私共を非常に驚かし給ふと同時に亦私共の想ひに過る恩恵を私共に下し給ひて其至大の愛を私共に示し給ひます。勿論鑿や鑢を以て私共の心を※[宛+立刀]《ゑぐ》られる時には私共は非常の苦痛を感じます、私共の最も愛する者が私共を棄て去る時に、私共の愛弟子が私共を反き去る時に、私共の骨肉の兄弟までが私共の敵と組んで私共を窘めます時に、私共が忠実ならんと欲する時に不忠の臣、不孝の子として攻め立てられまする時に、私共は実に消え入る斗りの痛を感じまして、神も天国も私共の希望の空より全く拭ひ去られたやうに感じます、私共は其時イエスと共に叫んで日ひます、「我が神、我が神、何故に我を棄て給ふ乎」と、世に艱難ありとは聞きましたが斯かる艱難ありとは之に遭遇するまでは決して知ることを得ません。
 然しながら神は其時私共を棄て給ふたのではないのであります、神は手に新たらしき恩恵を持ち給ひて私共(171)の身より雲霧の晴れるのを待ち給ふのであります、「その怒はたゞ暫時《しばし》にてその恵は生命《いのち》と共に永く夜はよもすがら泣き悲しむとも朝には喜び歌はん」(詩篇三十篇五節)、朝の明くると同時に神が私共に下し給ふ恩恵は亦譬るに物なきものであります、其恩恵は其忿怒に準じ、三年の呪咀の後に百年の福祉が来ります、神とは実に斯の如き者であります、その道は量り知るべからず、其愛は私共の思料以外に渉ります。
 斯く観じ来れば艱難とは神が人類に下し給ふ賜物の中で最も貴いものであることが分ります、真珠も金剛石も艱難に較べて見ますれば土塊に過ぎません、神と天国とを私共に紹介する艱難は人類の善き友にして亦其善き師であります、彼ありて私共は私共の罪を知り、私共の信仰を鍛えられ、且つ確められ、彼に依て神と接し人と和合し、亦彼に依て神の無限の恩恵を受くることが出来るのであります、其暗く見ゆるのは私共の眼が曇つて居るからであります、神の眼より見給ふ時には私共の身に艱難の近づきます時は金襴の雲が乾ける田圃に近づきし時でありまして、遠からずして恩恵の驟雨が私共の心の畑に滝の如くに掛らんとする時であります。
 然らば来れ艱難、我等は歓んで汝を迎へん、我等は汝に依て偉大なる強固なる基督信者とならん、我は再び汝を我が讐《あだ》と呼ばじ、そは汝は我の姉妹、我の真正の兄弟なればなり。
 
(172)     〔宮川巳作『使徒保羅』書評〕
                      明治35年5月20日
                      『聖書之研究』21号「雑録」                          署名 内村生
 
  宮川巳作氏著『使徒保羅』東京警醒社書店発兌
 其如何なる書なるかは本誌に掲げられたる氏の寄贈文を継読せられし者の予想し得る所なるべし、近世の批評学的智識に加ふるに確実なる敬虔に富める信仰を以てせし者、此態度と精神とを以てしてのみ聖書は之を正当に解するを得べし、余は友人の書を世に紹介するに方て激賞の言辞を用ゆるを好まず、然れども余は此書が確かに聖書研究の新方法を我国に開けりとの余の意見を本誌の読者に報ずるに躊躇せず。
 
(173)     時感三則
                        明治35年5月20日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
〇今の日本人に景慕せらるゝ事程迷惑なる事はない、彼等は余輩を景慕するとの故を以て多くの義務を余輩に申付ける、曰く金を借せ、曰く位地を世話しろ、曰く著書に序文を書けと、而して若し余輩が彼等の此要求に応ぜざれば蔭に廻て余輩に関する多くの悪口を放つ、アヅミレーシヨンの何たる乎を知らない日本人は未だ景慕の何たる乎を知らない。
〇今の日本人は荐《しき》りに自身の事業に対して他人の同情を要求する、然れども彼等は他人の事業に対しては決して同情を寄せない 彼等は天下は自分の所有であるかのやうに思ふて自分の事業に同情を寄せない者は逆臣か国賊であるやうに思ふて居る、然れども彼等ばかりが人間ではない、余輩にも余輩の事業がある、彼等若し彼等の事業に対して余輩の同情を要求するならば、彼等は宜しく先づ余輩の事業に対して彼等の同情を寄すべきである、然るに之を為さずして只余輩の同情のみを要求し、而して余輩の之に応ぜざるや余輩を責むるに冷淡無情を以てす、彼等の無情こそ実に驚くに堪へたるものにあらずや。〇日本今日の如き不健全なる社会に在ては人は害を避けんが為めに忙はしくして益を為すの暇がない、盗まれざらんことに忙はしくして与ふるの暇がない、誤解せられざらんが為めに忙はしくして信を得るの暇がない、此国(174)に於ける清浄潔白とは盗ま「ない」こと、虚を吐か「ない」事等であつて、善を為すといふこと、生命を供するといふ事ではない、日本人の道穂の絶頂は此「ない」の一字に止て居る、彼等に安心なるものは至て少い、彼等は丁度台湾の疫癘の中に在るやうな心持を以て怖る怖る彼等の同胞同類の中に棲息して居る者である。
 
(175)     日本貴族の心中
                         明治35年5月22日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
 今日の日本に於ては正義は迚も行はれない それが君子国の君子国たる所以である、若し正義が行はれるならばそれは君子国ではなくして、逆臣国である、不孝国である、忠孝主義を遵奉すればこそ今日の日本は斯う云ふ結構なる国になつたのである。
       *     *     *     *
 日本人は駄目だとは余輩の如き耶蘇信者の曰ふ所ではなくして、耶蘇教も信ぜず、仏国革命史も読まず、位階勲章を授けられて朝廷の御待遇殊に厚い立派なる日本紳士の唱ふる所である、彼等は云ふ、「迚も駄目だ、今の社会は迚も駄目だ、之を改革するなどとは到底出来ることではない」と、朝廷の御信任殊に厚き人士すら斯の如しとすれば日本人全体の失望落胆は実に思ひ遣られる。
       *     *     *     *
 改革は之を他人に任かし、自分は今の間に出来る丈け財産を作り置き、万一大革命でも起つた場合には、財産を頼りに引籠んで居やうとは今の日本の貴族とか上流人士とか称ふ人達の大抵が取て居る方針らしい。
(176) 朝廷にさへ忠実であれば下民に対しては忠実でなくても宜しい、国民は腐敗しやうがそれは何うする事も出来ない、但し基督教と社会主義とは大禁物だ、去りとて自身出て社会を改めんとするの勇気もなければ確信もない、人心の腐敗は実に歎ずべきことである、然し我が子孫の将来も善く計つて置かねばならない、先づ此《この》処《ところ》余り深く考へないで忠良なる臣下として黙して天恩に浴するに若かずとは日本貴族の心中であるやうに察せらる、実に結構なる、羨ましい事である。
 
(177)     『独立清興』
                     明治35年5月28日
                     単行本
                     署名 内村鑑三述
 
  初版表紙142×98mm〔画像略〕
 
(178)   自序
 
 人に清興なかるべからず、身を害はずして却て之を補ふもの、心を汚さずして却て之を潔むるもの、他人を益すると同時に自己を益するもの、是をば称し余は清興といふなり。
 直に天然と交はることなり、其著書に於て偉人の思想に接することなり、友を訪ふことなり、仁慈の眼を以て人情を観察することなり、余に亦此清興なきに非ず。
 此小著述は是れ余の喜的一面を発表せんがために成りし者なり。
  明治卅五年五月十二日    東京市外角筈村に於て 内村鑑三
 
 過去の見……………………………………7巻
 余の今年の読書……………………………7巻
 東北紀行……………………………………6巻
 近県歩行……………………………………7巻
 善光寺詣り…………………………………7巻
 古今集擅評…………………………………6巷
 
(179)     〔最も幸福なること 他〕
                        明治35年6月5日
                        『無教会』16号「論説」                            署名 角箸生
 
    最も幸福なること
 
 世に最幸福なることゝは人に善を為して其人に悪しく思はれ又悪しく言はれることであります、斯く為られてこそ私共は始めて基督の御心が解るのであります。
 人に善を為して其人に善く思はれますればそれには」何の報酬《むくひ》もありません、彼の為めに善を計つて彼に窘しめらるればこそ私共は天に希望を置くことが出来るに至るのであります。
 人に善を為して其人に窘められ、爾うして心に喜んで其人を赦し、更に其人のために善を為さんと欲ふに至て私共の品性は稍や完成されたと云ふことが出来るのであります、忍耐練達が此に至りますまでは私共は心に安じてはなりません。
 私共は神が私共に多くの私共を憎む人を下し給ひましたことに就て感謝しなければなりません、斯くて私共は私共の信仰を練るの機会を与へられ之に依て私共の拯救を完ふすることが出来るのであります、私共は私共を窘める人々の前に平伏して彼等の好意を謝すべきではありません乎。
 
(180)    悪人の世に在る理由
 
 神は何故に多くの悪人を造り給ひし乎とはたび/\私共の心を苦しめる問題であります。
 或人は此問に答へまして、是れは地獄の人口を供給するためであると云ひました、然しながら私共は其説に服することは出来ません。
 神が多くの悪人を世に造り給ひしのは一つは神の恩恵を世に顕はさんがためでなくてはなりません、神の恩恵を以てして救へない悪人はない筈でありまするから、丁度多くの大病人を病院に収容して医師の伎倆を試すやうに、神は多くの悪人を此世に送つて其偉大の救済力を試めさるゝのであるかも知れません。
 然し悪人の用は之に止まりません、世に多くの悪人がありて総ての奸計《わるだくみ》を運らせばこそ善人は始めて善人となることが出来るのであります、悪人の存在は実に善人産出のための必要でありまして、悪人の居ない世界に於て真個《まこと》の善人が出やうとは如何しても考へられません。
 斯くて悪人は此世に於て決して用の無い者ではありません 神の手に使はれて彼等は天の摂理を援けつゝある者であります、彼等ありしに由てキリストは十字架の上に無限の愛を顕はすことが出来たのであります、彼等あるが故に私共も神に依て私共の罪より免がれ、私共の身にキリストの愛の幾分かを表はすことが出来るのであります、神に感謝すべきことは数限りありませんが、然し神が悪人の多い世の中に私共を送り給ひしことは是れ亦殊に私共の神に謝すべきことであると思ひます。
 
(181)    善を為せ
 
 何んでも働くが善うあります、善を為して決して損はない筈であります、若し形を以て其結果が現はれませんければ心に於ける神の恩恵を以て現はれます、善は何処までも善であります、善が悪となりやう筈は決してありません、善が悪しき結果を来たすやうに見えても私共は決して意《こゝろ》を傷めてはなりません、善は必ず善き果《み》を結ぶに至ります。
 故に善を為ない一日は損失の一日と見做さなければなりません、金は儲つても善を為さない日は損失の日であります、名は揚つても善を為ない日は堕落の日であります、私共は金や名を持つて未来の裁判の前に立つ者ではありません、其時に私共の弁護の用をなす者は私共の為した善であります、此永久の価値ある貨幣を積まないで私共は実に不安心の極に居る者であります、私共はドレ丈けの善を為したか、是れ私共が日毎の帳簿によく書き留め置くべきことであります。
 嗚呼、善、善、善、是をなすために私共は此世に生れて来たのであります、金を儲けに来たのではありません、位階や勲章を貰ひに来たのではありません、又必しも世に所謂事業を為すために来たのでもありません、善を為すために来たのであります、善を収獲しに来たのであります、私共は何を措いても善を為さなくてはなりません。
 
(182)     ボーアを慰む
                        明治35年6月5日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
 嗚呼、余の愛するボーアよ、汝は竟に汝の自由と独立とを失へり、余は深く汝のために悲しむ。
 過去三年間、人類の自由の希望は汝の肩上に懸れり、而して爾は善く此大任を了《さと》り、万苦を排して能く汝の此天職を完うせんとせり、然れども東洋の日本国が汝の敵なる英国と盟約を結んでより汝は終に起つ能はざるに至れり、余は知る、汝に最後の止めを刺せし者は東洋の日本国なることを、余は此事を思ふて此無恥の政府の下に日本国に生れ来りしを耻づ。
 然れども余の愛する友よ、汝は汝の損失に就て深く失望するを要せず、汝は汝が以て最も貴重なりと做すものを失ひしにあらず 汝の失ひしものは国土なり、政治上の自由と独立となり、鉱山なり、牧場なり、即ち凡て此世に属けるものなり、十七世紀の高潔なる信仰箇条を以て深く養はれし汝は此等のものを失ふも深く心に歎かざるべし、汝の希望は此処にあらずして彼所《かしこ》にあり、「神の造り営める基ある京城《みやこ》」とは汝の聖書が汝に伝へて汝の希望を繋ぐ所のものなり 英人をして其渇望して止まざる土地と金鉱と金剛石鉱とを有たしめよ、彼等は口に基督教を信ずると称するも心に泥土《でいど》を愛する者なり、彼等は純然たる此世の子供にして此罪悪の世に於て大ならんと欲する者なり 彼今暴威を逞うして汝に勝てり、彼は今カインがアベルを殺せしが如くに汝を殺せり 而し(183)て世の真理を知らざる者は彼を賞讃して汝を嘲けるならん、然れども汝心に留めて忘るゝ勿れ、汝の教主イヱスキリストは汝の如くに悪人のために殺されし者なることを、汝は小なりと雖ども世界の模範的基督教国として仰がれし者、汝の最後は実にキリストの最後なりし、余は汝の此最後を聞て心窃に汝の為に感謝せざるを得ず。
 土地と自由と独立とを失ひし汝は爾来世界第一の説教師なるべし、汝は哲人ノバリスに傚ひ、今後は「神と真理と永生」とを世に伝ふるために働かん、汝は実に小なるものを失つて大なるものを得たり、汝は低きに於て敗れて却て高きに於て勝てり、余は確に信じて疑はず、今より後南阿の地は高潔の思想を以て世界に鳴らんと、之に反して汝の敵たる英国と其同盟国たる日本とは今より益《ますま》す其軍備を拡張し、此世に於て益す大なる者となり、支那を分割し朝鮮を割取し、黄金を其国庫に積んで富と強とを以て万世に誇らむ、只見ん、其議会は日々に腐敗し、共道徳は月に堕落し、天の光明は全く其民の中《うち》に絶えて、昼尚ほ暗黒を感ずるに至らん、ソクラテス将さに死せんとするや、人其枕辺に臨んで死者の不幸を語る、ソクラテス其人に答へて曰く、「死者不幸か生者不幸か是れ天の神ならでは知ること能はず」と、今や英杜両国の幸不幸を判断せんとするに方て余はソクラテスの此言を思ひ出さゞるを得ず、勝ちし英国の不幸か、敗れし杜国の幸か、是れ人の知る所にあらず、余は今より三百年の後の歴史家に此問題の判決を譲らん、而して今は古聖の左《さ》の言を以て余の心を慰めん、
  其生命を保全《はうぜん》せんと欲する者は之を喪ひ真理のために生命を喪ふ者は之を保全すべし、人若し全世界を利するとも自己を喪ひ自ら亡びなば何の益あらん乎
 余は信ず南阿に於ける余の友人の今日の慰藉《ゐせき》も正さに此聖語に存することを。
 
(184)     日本国の大罪悪
                       明治35年6月6日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
 罪悪の種類は多し、然れども微弱者の生命を賭して自己の利益を図るに勝るの罪悪世にあるなし、而かして日本国は南阿の二小共和国が敗滅に瀕する時に際し、其敵国たる英国と同盟して其絶滅を早めたり。
 若し世に人ありて羸弱|援《たすけ》なき者の生命を賭して自己の利益を図る者あれば吾人は彼を称ぶに人面《にんめん》獣心の名を以てするならん、然るに爰に同一の行為に出でし国民あるを見る、義侠を愛するの志士仁人は何の名を附して此国民を責んとするか。
 昔しはユダ国の愛国者オバデヤ、其隣邦エドムがユダの敵国たるバビロンと同盟して其滅亡を援けしを憤り、声を放て彼れエドムを詛ふて曰く、
  嗚呼汝は滅ぼされて絶えん、汝と盟約を結べる人々は汝の敵となり、汝を欺きて汝に勝たん云々
と、今や南阿の愛国者として同一の呪詛を日本国に向て放たざるものなしとせんや、而してエドムはオバデヤの言に随ひて終に共同盟国の亡ぼす所となれり、余輩は偏に同一の運命の余輩の愛する日本国の上に臨まざらんことを望む。 曩には隣邦扶植を名とし、戦を起して東洋壊乱の基を開けり、今又大国と同盟して小国の強圧※[巣+立刀]滅に与かれり、(185)此事を心に思ふて故国のために戦慄せざる真個《しんこ》の日本人は何処にあるや、余輩が茲に日本国の大罪悪を絶叫するは天の忿怒《ふんど》を怖れてなり。
 
(190)     余の聖書
        (在米の河上君に答ふ)
                    明治35年6月14・15・16日
                    『万朝報』
                    署名 内村生
 
 余の聖書は矢張り旧い古い基督教の聖書である、余は廿五年間之を読み続けた、爾うして今日尚ほ未だ之を棄てるの理由を発見しない。
 余もダーウインを読んだ、彼の「原種論」の如きは幾遍となく繰り返して読んだ、爾うして余が今尚ほ此書に負ふ所は甚だ多い、余は亦ライエルの「地質学の原理」を読だ、之はダーウイン氏をしてその志を立てしめた書《ほん》であるさうだ、実に地質上の宝典とも称すべき書であることは疑ふべくもない、余は又古代史に於ては多くローリンソンを読む者である、彼の著にして余の読まない者は甚だ稀であると思ふ、セイスの著書は亦余の好読物《かうよみもの》の中に算られるものである、宗教学に於ては余はマクスムラーの著書は出来得る丈読んだ、余をして比較的宗教学の快味を覚らしめた者は実に彼である、余を人類学の初歩に導いた者はコートラフアージである、亦タイラーとルポクとは此事に就て多く余に教へた、余はルコントを読んだ、余の地質学の教科書は彼の「地質原論」であつた、彼の「宗教と科学」とは余の宗教上の信仰を確かめるに大に力のあつた書である、余はギボンを読んだ、彼の「羅馬衰亡史」は史学に志す者の何人も読まざるを得ない書であつて、未だ此書を読んだことのない人は史(191)学の批評に喙を容れるの資格を有たない人であると思ふ、地学に於てはレクラス、デビスは余の先生(勿論|書籍上《しよじやくじやう》での)である、余はハクスレーを読んだ、彼の「有脊椎動物解剖論」は余の脳を甚く痛めたる書の一つである、余はスペンサーを多く好む者ではない、然しながら彼の論旨の何処にある乎位ゐを知る丈けは彼の著書並に雑誌に出たる彼の論文を読んだ積りである、余はマルチンの生理書を読んだ、フホン ランケとモムゼンには未だ其大著述を善く味ふたとは言へない、然し前者の闊大なると後者の深淵なるとを暁《さと》る丈けまでには其著に接した積りである、天文学に於ては余はロクヤー、プロクター、フラマリオン等を出来得る丈け読んだ積りである、ニューコムは未だ多く読まない、然し遠からずして其大天文書は余の机上に在るであらう。
 余は無学であるから未だ余の友人河上清君が指名された著書を尽く読んだと云ふことを爰に表白することの出来ないのを甚だ残念に思ふ、然し河上君が指名されない書《しよ》で余の読んだ書は別に随分あると思ふ、君は歴史家としてブンゼン、モットレー、ヴイラリを指名されない、社会学者としてキツド、ナツシユ、ドモーランを指名されない、天文学者としてポール、キルショフが洩れて居る、然し薄学なる余も多少是等の著書に眼《まなこ》を曝らした積りである。
 然しながら余は未だ是等の書を以て基督教の聖書に優るの書であるとは思へない、否な、若し河上君にして深くマクス ムラーの書を読まるゝならば彼は君に告げて世にバイブルに優る書はないと曰ふことを発見せらるゝであらう、余はローリンソンの著書とは常に首引きをして居る者であるが、彼の如きはクド/\敷い程余にパイブルの考古学上第一の証典《おーそりてー》たるを説いて止まない、セイスも亦同じである、セイスの著書を「新聖書」の中に算へらるゝ人で基督教の聖書を聖書でないと云はるゝ人は自家撞着の讃を免かれまいと思ふ、フホン ランケを(192)師とする人でバイブルが欧洲文明の進歩の上に及ぼしたる明白なる事実を疑ふ者はない筈である、キツドの如き社会学者は欧洲文明の基礎は基督教の他愛主義にあると云ふて居る、若し河上君にしてナツシユの著書を読まれたならば、君は基督教の聖書なくして今日吾人が称する自由、独立なるものは世に決して無かつた事を了《し》られるであらう。 〔以上、6・14〕
 聖書の聖書たる所以は何にもこれに宇宙万物の詳細に就て示す所があるからではない 若し魚類学を研究しやうと思ふならば我等はアルベルト ダンテルの大著に行くべきであつて、基督教の聖書へ行くべきではない、縦令古代史を究めんと欲するに方ても吾等は聖書を以て決して史的事実の採掘所と見做してはならない、近頃発刊になりしロージヤスのバビロン並にアツシリヤ史こそ聖書に優るの史的証典であると云はなければならない、近世の経済学を学ばんとしてマーシヤルを捨て聖書に行く者は狂人である、是は余りに明白なる事柄であつて、聖書に日本産の魚類の名が示してないから之は聖書と称するに足らないなど、云ふ人があれば、彼は確かに常識を欠いて居る人である。
 聖書の聖書たる所以は之に人生の原理が示してあるからである、人生とは何んである乎、死は万事を終るものである乎、競争は果して社会進歩の原理である乎、勝つは果して勝利である乎、屈することが却て勝利ではあるまい乎、人は愛すべき乎、憎むべき乎、絶対的の愛心は果して道義の絶頂でない乎、是等の事に関して最も明白なる、最も満足なる解答を与へて呉れる者が聖書である、余と雖も勿論聖書は知識の進歩に何等の関係を有たない者であるとは言はない、知識と道徳とは相互に極く深い、極く密接なる関係を有つ者であるから、高い清い道徳を伝ふる者は人を直に深い博い知識に導く者である、聖書は道徳の書であつて、知識を其源に於て司るも(193)のである。
 聖書が斯の如き書であることを知て、何人がライエルの「地質学の原理」が聖書であると云ふ者があらうぞ、吾人は此書を学んで地層構造に関することを知ることが出来るが人生の何物たるかを此れより学ぶことは出来ない、人は死に瀕して地質学を読んで心に慰藉《ゐせき》を得ることは出来ない、ハクスレーの著書を読んで罪人が其罪を悔ひて正道に還つたと云ふ例を聞いた事はない、ギボンの作如何に大なりと雖ども是れ決して世の貧する者、虐遇さるゝ者のために吾人の身命を犠牲に供せんと欲する心を吾人に起さしむる者ではない、ギボンの羅馬衰亡史を聖書であると云ふのは史学の専門家が暗比的《めたふほりかりー》に之を云ふのに止つて、世界の万民が之を聖書と認めるから爾《さう》称《いふ》のでない
 聖書が聖書たるのは其が万人の書であるからでなくてはならない、河上君の如き学者のみが以て之を聖書と做すに止まらずしてコートラフアージであるとか、ヘルムホルツであるとか、云ふ名を耳にするも其の何人の名である乎少しも解らない者にも能く解る書でなくてはならない、此標準を以て河上君が指名されし著者の著作を評すれば其中に一として聖書と称すべき書の無いことが分る、河上君が書を寄せられし理想団員中には農夫も沢山ある、商人も職工も沢山ある、然るに河上君は彼等に勧めて基督教の聖書の如き古い詰らない書を棄て、ロツクヤーの天文書や、ローリンソン氏の古代書に頼れと、言はるゝのである、河上君よ、君は未だ曾て余が目下従事しつゝあるが如き伝道の事業には従事せられしことなしと思はる、若し然らんには君は決して君の国人にタイラ−の「原人論」や、プロクターの「他界論」の如き書を其聖書として推薦し給はないであらう。
 如何にして貧生涯に処せん乎、如何にして此不公平極まる藩閥政府の下に立つて歓喜満足の生涯を送らん乎、(194)如何にして「ホーム」なる者を有せざる此日本の社会に在て純潔なる青年時代を経過せんか、是れ実に君の故国に於て多数の人の遭遇する実際上の大問題である、然るに君はサレーやリボーの心理学書位を以て此窮民を救はんとせらるゝか、余は君に告んとす、余の廿年間に渉るの実験に徴すれば此窮民を救済ふに方て君が棄て以て聖書にあらずと做せし旧い古い基督教の聖書に優て力ある書の他に一つもなき事を。 〔以上、6・15〕
 河上君は云ふ「余は大胆に公言す、基督教の聖書は決して今日に於て聖書の名を値する者に非ず」と、余は君に言はんと欲す「是れ非常の断言なり、君は斯かる公言を今日に於てなされしことを後日必ず悔ひ給ふことあるべし」と。 君は基督教の聖書の中にあるヨツブの書を読まれしか、之を攻究せられしか、カーライルは此書を以て世界の文学中最上位を占むべき著作なりと云はれしが、我が河上君はカーライルの此言を肯諾する能はざるに至られしか、君は亦パウロのローマ人に贈りし書翰を考究せられしか、是れは詩人にして哲学者なりしコレリツヂが人類に依て書かれし最大|文字《もんじ》と評されし書なるが、我が河上君はコレツリツヂの此言に不同意を表せらるゝまでにローマ書の研究を積まれしか、君は理想的社会を画きしものにして黙示録の終りの二章に優るものを発見せられしか、若し発見せられしとならば之を余に示されよ、イエスの山上の垂訓なるものは道義の極点に達せしものなりとは米国第一流の政治家ウエブスターの唱へて止まざりし所、我が河上君はウエブスターの此証言に反対を表せざるを得ざるまでにマタイ伝の福音書を味はれしや、嗚呼我が友よ、断言するに遅かれ、断言するは易し、之を撤回するは難し、君の政治学の研究の其絶頂に達したらん時に君はイザヤの預言書に優るの政治書の他に存在するなきを発見し給はん、君の社会学の研究の其極処に達したらん時に君はヨハネの伝へし愛の福音書に依らずし(195)て、人を人に結び附け、社会の病原を其根本に於て絶つの途なきことを発見し給ふならん、君は聖書の事に就て再び思ひを運らして可なり。
 君は祈祷を廃せられしと云ふ、余は亦此事に就て君の為めに甚だ悲む、君は今日まで感情を以てのみ宇宙の主権者に迫りしか、若し然らば君は未だ真正の祈祷の何なるを知り給はざりしなり、祈祷は祈願に非ず、祈祷は一つの道理的実在物が他のより高き道理的実在物に其心霊の奥殿《おくでん》に於て接することなり、必ずしもアーメンと叫ぶを須ひず、必しもアヽ神よと言ふを要せず、然しながら深き清き感情を以て此至誠の祈祷を宇宙の霊に捧げ得ざる者の状態を余は甚だ燐むなり、而うして余は信じて疑はず、吾等をして此聖き高き祈祷を捧げしむる者は実に基督教の聖書なるを、君が基督教の聖書を棄つると同時に祈祷を廃せられしと聞いて、余は君が目下不信の流行する米国西部の地に在て心霊上非常に危険なる地位に陥り給ひしことを君のために歎ぜずんばあらず、君よ、君は余の迷信を嗤ひ給ふならん、然れども余にして若し君のために余は角筈村の櫟林の下に※[行人偏]立《てきりふ》して、或は信濃なる天竜河の辺《ほとり》に於て君の為に余が祈ることあらば君は余に向て不同意を表し給ふや、余は信じて疑はず、君は喜んで余に此事を許し給ふを、君よ、哲学者ベーコンの如くあれよ、即ち深く学ぶと同時に益す深く信じ、君が大知識となりて故郷に帰へらるゝ時は君が小児の如くなりて、天の神に向てアヽ父よの声を発し得る時ならんことを。
 明治卅五年六月十三日信州天竜峡に向て発足せんとする準備中、東京市外角筈村に於て。 〔以上、6・16〕
 
(196)     〔健全なる思念 他〕
                      明治35年6月20日
                      『聖書之研究』22号「所感」                          署名なし
 
    健全なる思念
 
 事業の困難を思ふべからず、亦我の荏弱《よわき》をも思ふべからず、神の全能なるを思ふべし、其恩恵の無限なるを念ずべし、去らば事業の困難は失せて我等は強き者とならん。
 
    神命を俟つのみ
 
 我にして若し神の事業を為し得ずんば何事をも為さゞるに若かず、我にして若し神の言を語り得ずんば何事をも語らざるに若かず、神にして若し我に無為と無言とを命じ給ふならば無為と無言とは我が此世に於て為し得る最大事業なるを知らん、既に我意に於て死したる我は神の命なくしては動かざるべし、然り、動き得ざるなり。
 
    大なるクリスチヤン
 
 余は或時は大なる著述家たらんと欲す、又或時は大なる慈善家たらんと欲す、更に又或時は大なる説教家たら(197)んと欲す、而うして大なるクリスチヤンたらんと欲すること甚だ稀なり、大なるクリスチヤンとは些少の野心をも蓄へざる者なり、神の聖旨を行さんとするより他に一つの計劃をも立てざる者なり、無心無慾の者にして順ふを知て求むることを知らざる者なり、余は知る服従|此《こゝ》に至るにあらざれば余は神の前に大なる者となりて世に大なる事を為す者と成る能はざることを。
 
    道徳と宗教 其一
 
 道穂は自省なり、宗教は自捐なり、道徳は己に恃み、宗教は他に仰ぐ、自ら潔くせんとするは道徳なり、神に聖められんとするは宗教なり、道徳は傲慢に終り易し、宗教は懶惰に流れ易し、岩の如くに冷かにして而かも堅きは道徳なり、花の如くに軟かにして而かも慕はしきは宗教なり、岩は玉となりて砕けん、而かも花は実を結んで世を益して万世に至らん。
 
    道徳と宗教 其二
 
 道徳は道を以て迫り、宗教は愛を以て勧む、道徳は命令し、宗教は懇願す、道徳は外を制して中に達せんとす、即ち求心的なり、宗教は内を化して外に及ぼさんとす、即ち遠心的なり、道徳は法にして、宗教は情なり、道徳は罪を怖れしめ、宗教は之を憎ましむ、風儀の改善は道徳に属し、良心の洗浄は宗教の業なり、二者其活動の域と方法を異にす、宗教は道徳の好果を収め得べし、然りと雖ども道徳は宗教の域に達する能はず。
 
(198)    不幸の極
 
 病むも可なり、余はたゞ神の聖意《みこゝろ》を知らんと欲す、貧するも可なり、余はたゞ神の聖意を知らんと欲す、人に憎まるゝも可なり、余はたゞ神の聖意を知らんと欲す、余の不幸の極は神の聖意を知り得ざるにあり、余は疾病を怖れず、貧困を怖れず、孤独を怖れず、余はたゞ神に棄られて其聖意の余に伝へられざるに至らんことを怖る、神よ、願くは余に如何なる患苦を下し給ふと雖も汝と余との間に霊の交通を遮断し給ふ勿れ。
 
    赦免の神
 
 余は未だ能く神の何者たる乎を知らず、然れども其余の悪を憎み給ふに優《まさり》て余の善を愛し給ふ者なるや敢て疑ふべきにあらず、余が終末の裁判の日に於て神の前に立つや、余の悲歎は余の悪の多き事にあらずして、余の善の尠き事ならん、而して余は其時余の予想に反して愛なる神が余の犯せし凡ての悪を忘れ給ひて、唯だ余の行せし些少の善をのみ記臆し給ふを発見して驚愕の念に堪えざらん、「神の恩恵の広きは海の広きが如く広し、」吾等神の忿怒に就てのみ念ずるは誤れり、神は忿怒の神に非ず、恩恵の神なり、即ち赦免の神なり。
 
    愛の世界
 
 神に愛せらるゝに至るが人生第一の目的なり、此目的に吾人を達せしめんがために神を信じて世に憎まるゝの必要生じ、義を守て人に嘲けらるゝの必要起り、善を為して却て悪人視せらるゝの必要は出しなり、世に患苦と(199)称へらるゝものは皆な吾人をして神に愛せられしめんがために在るものなり、故に吾人は神は愛なりと云ひ、宇宙は愛の機関なりと唱ふるに躊躇せざるなり。
 
    神助
 
 神を信ぜよ、去らば神は汝の必要に応じて凡ての善き物を以て汝を恵まん、或は天来の思想を以て、或は外来の友人を以て、或は意はざるに汝に臨む凡ての恩恵の手段《てだて》を以て彼は汝の事業を輔けん、汝の目下の境遇を以て汝の力を量る勿れ、汝は信仰を以て神の力を汝の力と為すを得べし、多くを望めよ、蓋は天に在す汝の父は其恩恵の宝庫を開いて汝の来て之を求めんことを待ちつゝ在り給へばなり。
 
    聖望
 
 貸を積むを要せず、善を積まんかな、産を作るを要せず、友を作らんかな、万人に向て好意を表し、何人に対しても悪意を挟《さしはさ》まず、仁慈を水の如くに流れしめ、公義を雨の如くに注がしめ、讃歌《うた》ひつゝ、活働きつゝ、祝福《めぐ》みつゝ、我は我が短かき此生涯を過んかな。
 
(200)     最も有益なる学問
                      明治35年6月20日
                      『聖書之研究』22号「所感」                          署名 角筈生
 
〇書を読むこと斗りが学問ではない、生涯の苦しき経験も亦最も有益なる学問である、学問の目的は神を知るにある、爾うして人生の苦しき実験ほど善く神の聖旨を我等に知らするものはない、故に実験は読書に優るの学問である。
〇我等或時は思ふ、「書を読まざること爰に数旬、世の小事の為に忙殺され、貴重なる時間は貴重ならざる事柄のために吸収され、我は我身に回復すべからざる損耗を招けり」と、然れども神に頼る我等は書を読まずして書を読むに優るの利益を得る者である、神は我等が空費せしと思ひし時に於てより明かに我等の心に顕はれ給ひて我等をして曩日《さきのひ》に優りてより近く彼に近づくことを得さしめ給ふ、書を読んで益し、書を読まずして益す、基督信者の生涯は如何なる場合に処するも利益と進歩との生涯ならざるを得ない。
〇斯くて我等は智識より智識へと絶えず進み行く者である、世の人に憎まれつゝ兄弟、親戚、友人にまで嫌はれつゝ、肉に属ける凡ての物を失ひつゝ、我等は時々刻々と天の快楽に向て進み行く者である、キリストを信ずる我等に取ては損失とては実は一つもない、我等に来るものは皆な利益而已である、我等は此世を棄て天国を得、人を去て神に到る者である、世に羨むべき地位とて我等キリストを信ずる者の地位の如きはない。
 
(201)     世の状態と吾人の希望
                      明治35年6月20日
                      『聖書之研究』22号「講演」                          署名 内村鑑三
 
 キリストが此世に生れ給ひましてより茲に千九百年以上、世界の文明国は大抵は基督教を信ずると云ひ、世に二億と七千五百万の基督信徒者があると称へらるゝ今日、世は嘸かし精神的にも道徳的にも著大の進歩を為したやうに考へられますが、然しながら善く世界目下の状態を考へて見ますれば事実は全く私共の此予想に反して居ることを私共は発見するのであります、成程近世紀に於ける物質上の進歩は実に非常なる者であります、]《エツキス》光線、無線電信の発明を始めと致しまして、凡ての工芸上の進歩発達と云ふものは実に私共の予想以外であります、「人は神なり」との古い語は人智の進歩せる今日に至て始めて事実となつて世に顕はれしやうに思はれることがあります、世界孰れの国も英国利民福の増進のために忙《いそが》はしく、是れが為めに山は平げられ、海は埋められ、人は天然に勝ちて世は楽園と化しつゝあるやうに見えることがあります。
 然しながら此楽天主義の世の観察も少しく眼を其皮層以下に注ぎますれば全く痴人の夢であることが解ります、世は其外面に於て進歩せるやうに其内部に於ては進歩しません、而已ならず、外面の進歩は却て内部の退歩を示す場合が沢山あります、成程世に所謂る人生の幸福なる者を標準として度《はか》りましたならば廿世紀の今日は十七世紀の往昔《むかし》に優る数層の進歩であるかも知れません、然しながら若しイエスキリストの福音を以て進歩の標準と致(202)しまするならば、今日は決して往昔に優て進歩せる世でない事が能く解ります、其実例を今多く茲に掲ぐるの必要はありません、私共が毎日読む所の世の新聞紙が能く此悲しむべき事実を私共に伝へます。
 世界第一の基督教国を以て自ら任じまする英国ですら暴力に訴へて他の小なる而かも己れに優る程の基督教国を亡すことに少しも躊躇致しませんでした、爾うして此事に関して其皇帝陛下は壮観を尽して倫動なる望会堂に詣でゝ神に感謝の祈祷を捧げたと云ふ事であります、往昔は羅馬法王が聖バルトロマイの祝日に於て天主教徒が仏国の新教徒を※[巣+立刀]滅したればとて羅馬なる聖彼得大会堂に於て特に大感謝式を挙げたと云ふことでありまして、私共此事を歴史に読みまする毎に私共の血が沸騰《にえた》つやうに感じましたが、此廿世紀の今日に於て英国倫動の聖保羅寺院に於て英国教会の首長なる其皇帝陛下に由て之に均しき事蹟が演ぜられしと聞て私共は唯だ愕く斗りでゐります、南阿戦争の始めに方りまして、数多の英国兵が※[さんずい+氣]船に乗て戦地に向て出帆せんとする時に、送らるゝ兵士も送る国人も皆一斉に声を揚げて「我等はマジユバの敗を記臆せん」と唱へて敵人復讐の意を表しました時に、之を聞きし哲学者スペンサー氏は是れ太古時代に放ける復讐を以て唯一の目的となせる野蛮人の声であると云はれたそうであります、又パールデベルグの戦争に於きまして、三千の杜軍は五万の英兵の囲む所となり、衆寡敵せず、杜軍が終に英軍に降りました時に、英軍の総督ロバーツ将軍は英国女皇陛下に祝電を発して「陛下よ、マジユバの讐は報ひられました」と云はれたそうであります、何も普通の兵士斗りではありません、立派なる将軍と女皇陛下とが復讐の祝電を交したと聞きまして私共は「基督教は英国に於て絶えたり」と叫びたくなるではありませんか、「悪を以て悪に報ゆる勿れ、衆人の善とする所を心に記て之を為せ」、とは聖書の明白なる教訓であります、然るに「聖書は我国建国の基礎なり」と云ひて世界に向て誇る英国人が微弱にして取るに足らざる程(203)の二基督教国を亡ぼしたと云ひて之が為めに狂喜して為めに特別の感謝の祈祷を神に捧げるに至ては世は亦復たび太古時代の野蛮に立ち還つたやうに感ぜられるではありませんか、エランズラーグテの役に於きましては英国の騎兵は悪魔の名を唱へつゝ今や臨終の祈祷を神に捧げんとて跪きつゝありし杜国の兵士を無慙にも槍玉に揚げたそうであります、英国の兵士が敵を殺す時の普通の用語は Go to hell(地獄に落ちよ)との語であつたそうであります、然るに此残忍無耻の兵士が讃美歌の外に歌はなく、聖書の外に読物のなき南阿両共和国の民に勝て英国の自由と独立とを奪つたのであります、爾うして是は決して太古時代の事でもなければ亦中古時代の事でもありません、是れは之れ紀元の一千九百〇二年、吾等の目前に於て諸外国に平和の福音を伝へんがために多くの宣教師を送りつゝある英国に由て犯されし大罪悪であります、我等基督を信ずる者は我等と同宗教なる英国のために他宗信者の前に慚死すべきではありません乎。
 是は英国であります、爾うして其兄弟国とも称すべき北米合衆国は如何でありますか、是れ又同じ憐れむべき悲むべき状態に陥つて居ります、其民の口にする所のものは唯金であります、金は彼等の実際の神であります、彼等の事業の成効とは多く金を獲る事であります、彼等が菲律賓群島を攻めまするのも重に金のためであります、東洋貿易の主権を握らんために彼等は菲民六百万人の自由を奪ひました、支那貿易の利益に与からんことが彼等の東洋政治に容喙せんとする主なる動機であります、彼等は玖馬の民を助けて西班牙人を西半球より放逐しましたが、然し彼等は無報酬では之を為しませんでした、彼等は義戦の報酬として自身西班牙よりポートリコの沃饒なる島を奪ひ取りました、而已ならず、彼等の或者は玖馬までも合衆国の領地とせんとの説を公けに唱へて耻と致しませんでした、大統領ゼフハソンの手に由て草せられし有名なる「独立の宣告文」なる者は今は僅に少数人(204)士の尊重する所に止まりまして、残余の国民、即ち其最大多数は之を種々に曲解して偏に自己の利益を計らんとのみ努めて居ります、米国に於ける市政の腐敗と云ふものは実に驚くべき者であります、其自由の淵源とも称へらるゝボストン市ですら、贈賄は殆んど白昼の公事でありまして、其市長たる者が政党に賂《まいな》へりとて之を宴会の席上に於て語りました時に何人も彼の此暴言を咎むる者はなかつたとの事であります、ボストンですら此の如き状態でありますからは、シカゴ、サンフランシスコ等、徳義の制裁力の至て薄い所に於ける市政紊乱の程度は実に思ひ遣られます、勿論米国に於きましても少数の義人はないではありません、彼等は甚《いた》く此事を患へ是等の罪悪を痛撃して居りまするが、然し国民の多数は其如何ともすべからざるを知りまするから、唯是を一笑に附して居る斗りであります、殊に罪悪の詰責の任に当るべき基督教会の牧師伝道師ですら強く此悪事を攻めますれば教会の収入を減少するの虞がありまする故に言辞を謹んで唯に一般の罪悪を貴むるに止まつて、公盗の名を指して特殊の罪悪を糾問するが如き事を致しません、教師相集つて相共に語りますることは重に金の事であります、或は「余は二十弗の説教をなせり」とか、或は「余は牧師館附の年俸二千弗の講壇を得んと欲す」とか、或は「余の教会は何百万弗を代表す、故に余は毎週何百万弗に向て説教しつゝあり」とか、実に之を聞くさへ嘔吐を催す事柄を彼等は少しも心配気なしに相互に語つて居ります、斯の如き牧師や伝道師に何の勇ましい事も出来やう筈はありません、彼等は自分と自分の家族の衣食の事に就て思ひ煩ひ且つ怖れ慄いて居る者でありますから、古代の予言者の口調を以て世の罪悪を面の当り攻立つる事などは到底彼等より望むことの出来ないことであります、北米合衆国の人心を支配する者は今はホイチヤーの如き詩人でもなければ、ガリソンの如き社会改革者でもなければ、ビーチヤーの如き説教者でもありません、米国を今日支配する者はモルガンであります、アストンであり(205)ます、バンダービルトであります、即ち其財権を握る者であります、法律は彼等の利益を計るために設けられます、大統領と知事と代議士とは彼等の好意を得て始めて其職に就くことが出来るのであります、教会内で最も勢力のある者は信仰の最も強い者ではなくして、金を最も多く持つ者であります、牧師の説教は金持の感情を害せざらんやうに力められます、伝道事業も慈善事業も彼等に取ては先づ第一に金の問題でありまするから、彼等は金持の賛同を俟たずして何事をも為し得ません、彼等の或者は金を称して「全能なる金《オールマイチーダラー》」と申しまするが、是れ米国民全躰を支配する精神でありまして、若し其帰依者の多数を以て称しますれば米国は決して基督教国ではなくして、明白なる拝金崇国であります、彼等は金に頼り、金を怕れ、金に使役せらるゝ国民であります、米国人の多数は基督教信者であるなどゝの我邦の或人士の想像の如きは実に虚偽の絶頂であります。
 斯う云ふ国であります故に、他国の自由であるとか、独立であるとか云ふ事に彼等が国民として同情を寄するなど云ふ事は彼等より全く望めない事であります、彼等は菲律賓人が幾度となく彼等に向て哀願しましたけれども其高尚にして且つ正当なる希望などには少しも耳を傾けません、彼等の或者は菲律賓戦争を継続すべしとの説を立てまするに方つて、次の様に云はれたそうであります、
 支那は世界第一の市場である、今之を自転車製造業の一事より考ふるも、若し楊子江沿岸にして米国商人のために開かるゝに至らば、爾うして支那人の一青年毎に必ず一輌の自転車を有たざるを得ざるに至らば米国今日の自転車製造人は製造品の剰余を生ずるの患より全く免がるゝに至るに相違ない、爾うして菲律賓を占領し置くは吾人の支那貿易を保護するために必要である。
 斯んな馬鹿気切たる説が大統領の撰挙権を有する彼等多数の上に勢力があるのであります、ワシントンとリン(206)コルンとの米国も茲に至て全く消滅したと云ふても宜うあります。
 若し理を以て云へば米国は英国の敵であつて杜国《トランスバール》の味方でなくてなりません、是れ歴史上の関係から云つても然るべき筈の事であります、南阿の二共和国を造つた者は合衆国を作つた者と同種類同信仰の人達でありました、即ち独逸、和蘭、仏蘭西の新教徒でありまして、彼等の中 西に航した者が北米合衆国を作り、南に航した者が南阿共和国を建てたのであります、斯くて二者共に兄弟国とも称すべき間柄の事でありまするから、南阿共和国の民は今回の英国との葛藤に於きましては彼等に対して必ず米国の同情がある事と思ひました、然しながら事実は全く彼等の予想に反しました、今の米国人は昔の米国人ではありません、彼等は清教徒の子孫とは云ひまするものゝ、其中から清信徒の霊魂を抜き去つた者であります、今や彼等に取て最も大切なるものは人類の自由ではなくして外国貿易であります、爾うして外国貿易と云へば彼等の第一の得意は英国であります、故に主義に於ては共和国の味方であるべきではありまするが利益に於ては彼等は英国の恩恵を蒙る商人であります、主義は利益に代へられません、故に彼等は多くの詰らなき理屈を附けまして、両共和国の懇願を斥けて、英国の好意を失はざらんことをのみ是れ努めました、近頃駐米英国大使の死去しました時の如き、米国政府が之に与ふるに国葬の礼を以てしましたことの如きは其一例であります、爾うして斯くも熱心に南阿の二共和国を排して英国の肩を持ちし者は米国の政治家や商人に止まりません、其多くの基督教の教師までが世界進歩の為めであるとか、人類幸福の増進の為めであるとか云ふ名義の下に英国に向て厚き同情を表しました、かの有名なる組合教会の教師ライマン アボツト氏の如きは実に其一人でありまして、彼の如きは口を極めて南阿に於ける共和国民の時勢後れなることを唱へました、国の僧侶が腐りまする時は其国が腐敗の極に達した時であります、今や米国に於ては其(207)基督教会の牧師までが君主政治に与みして民主政治に反対するに至りました、茲に至て其腐敗堕落の度は何処まで進んだかゞ能く解ります。 若し又米国を去つて独逸に到り、仏蘭西に行き、露西亜に到りまするも同事であります、富であります、国力であります、是れ彼等が獲取せんとする唯一の目的物であります、コロムウエルがサボイ山中の民の虐殺を憤て師を大陸に送らんとせしが如き挙動は今の所謂基督教的君主なる者よりは決して望めません、彼等の義侠なる者は皆代価附きの義侠であります、彼等が基督教国の君主であるから彼等は基督教徒を保護するならん杯との希望を懐く者は必ず彼等に就て大失望を致します。
 斯く観じ来れば二十世紀今日の世界は矢張り暗黒の世界であります、英吉利人が土耳古人を援けて土耳古国内の基督教徒を迫害したと云ふ世界であります、土耳古皇帝が命令を下してアルメニヤの基督教徒を虐殺せしめますれば、其血の未だ乾かざる間に独逸皇帝は態々彼をコンスタンチノーポルに訪ふて彼と友誼を厚うしたと云ふ世界であります、希臘国が其自衛上土耳古に向て戦を宣告しますれば列国相|集《よ》つて之を傍観し、其常に讃称して止まざる希臘に向て一臂の力をも貸さなかつたと云ふ世界であります、基督教国の兵士が支那に入て強姦掠奪を恣にしましても本国に在ては輿論が勃興して之を責めたと云ふ事を聞かない世界であります、是れ決して基督の教訓が普く行き渡つた世界ではありません、純粋の基督教国なる者などは広き此世界に一も見当りません、腐敗したる国は日本国のみであると思ふのは大なる間違であります、否な、或る点に於ては日本国の方が所謂基督教国よりも※[しんにょう+〓]かに優たる国であります、善く宣教師的基督信者が云ふ事でありますが、日本は悪い国であるがアメリカは善い国であるとか、イギリスは善い国であるとか云ふのは大間違であります、曾て極めて善良なる英(208)国の婦人が私に語られましたが、彼女の本国なる英国に於ても真面目に基督教を侶ずる事は甚だ困難であつて、それがためには多くの迫害を受けなければならないと云はれましたが、実に爾うであろふと思ひます、日本で迫害されるから米国に行たら善からふと思ふのは大間違であります、基督の教を有の儘に信じますれば基督教の宜教師にまで嫌はれますることは往々あることでありまして、現に宣教師仲間でも余りに公平で余りに義しい人は其同僚の排斥する所となりて本国に逐ひ還へされた者も有るそうであります。
 世界とは実に斯んな所であります、キリストが世に降られてより後千九百年余の今日、彼を正直に信ずる者は彼の如くに広き此世界に於て枕する処を有ちません、不義は到る所に勝を制し、義の繁昌する処とては宇内に未だ一個所も見当りません。
 然らば私共は失望しませう乎、否な、決して爾うではありません、是が世界であるのであります、世界は斯くあるべきものでないと思ふたのが抑々間違の始めであつたのであります、私共の脳裡に基督教国なるものを画き、此世界に標準的聖人国でもあるかのやうに思ひ、如何かして我国をも其国のやうに為したいと欲ふたのが抑々失望の始めであります、爾んな理想国は此世には一つもありません、此世は何処までも罪悪の世であります、二十世紀の今日と雖も若しキリストが再び肉躰を取て此世に降り給ひましたならば世界は挙て彼を再び十字架に釘けるに相違ありません、世より迫害を受くべき者はキリストの直弟子にのみに止りません、二十世紀の今日に於ても彼の弟子たる者は当さに迫害を受くべき者であります、彼等は到底此世と一致し得べき筈の者ではありません、基督教をも信じて其救霊の利徳に与かり、世とも相和して其好遇を受けんとするは、是れ到底望むべからざる事であります、迫害は基督教信者の附属物《つきもの》であります、之れなくして彼は基督信者ではありません。
(209) 此考を以て希伯来書第十一章を読んで御覧なさい、其何んと深い福音を私共に伝ふる章であるかゞ善く解ります、
  それ信仰は望む所を疑はず、未だ見ざる所を憑拠《まこと》とするものなり(一節)、
其発端の言辞《ことば》が既に来世的であります、理想を此世に求めよとの言辞ではありません、
  此等は皆信仰を懐きて死ねり、未だ約束の者を受けざりしが遙かに之を望みて喜び、地に在りては自から旅人なり、寄寓者《やどれるもの》なりと言へり(十三節)、
是れが昔しの神を信ぜし者の覚悟でありました通りに、今日我等基督を信ずる者も亦此覚悟を以て此世に処さなければなりません、此世に於て勢力を得て此世を我党の所有となさんと欲ふが如きは基督信者の懐くべからざる野心であります、我等は地に在りて自から旅賓《たびゝと》なり寄寓者《やどれるもの》なるを知て其積りで万事を所置しなければなりません、
  如此いふ者は家郷《ふるさと》を尋ねる事を表すなり(十四節)、
即ち家郷を此世以外に尋る事を表すのであります、我等は此地に土着すべき者でありませんから、此地に子孫繁栄の策を講じません、私共は此地の寄留人でありまして、其地主と家主とは世の権者俗人であります、私共は此地に在ては他人の地面に一時借宅して居るに過ぎない者であります、
  亦或人は最も愈れる復生《よみがへり》を得べき為に酷刑《せめ》られて免さるゝことを欲《この》まざりき、亦或人は嬉笑《あざけり》を受け、鞭打れ、縲絏と囹圄《ひとや》の苦みを受け、石にて撃たれ、鋸にて挽かれ、火にて焚かれ、刃にて殺され、綿羊と山羊の皮を衣て経あるき、窮乏《ともしく》して難苦《なやみくるし》めり、世は彼等を置くに堪へず、曠野と山と地の洞と穴とに周流《さまよ》ひたり(三五−三八節)。
(210)是れが基督信者の普通の生涯であります、初代の基督信者の生涯は皆な是れでありました、新教創設時代の新教徒の生涯も亦是でありました、爾うして近き今日に至りましても、前世紀の未に於てはアルメニヤの基督信者は回々教徒たる土耳古人より此|苦《くるしみ》を受け、今世紀の始に方りましては南阿両共和国の民は基督信徒(所謂)たる英国人より此虐待を受けました、然し彼等は基督が其弟子に約束し給ひしものより以上の患難を受けたのではありません、彼等は世の俗人より基督の弟子が受くべき当然の試誘《こゝろみ》を受けたのであります、
  更に愈れる者を神、予め我儕に備え給へり(四十節)。
是が基督の弟子に此世に於て此虐遇、此孤立、此患難がある理由であります、我儕に更に愈れる者を神が予め備へ給ふたからであります、来らんとする栄光の余りに大なるが故に神は此世に於凡ての安全を我儕より奪ひ、我儕をして此世に在ては希望の快味を感ぜしめ給ひ、彼世に於ては実成の歓喜を下し給ふのであります、我儕に広き此世界に隠家のないのは我儕が此世に希望を繋がざらんためであります、来世存在の実証は現世に於ける義人の不安に存します、天国は米国でもなければ、英国でもありません、天国は此世以外に在るものでありまして、其王はキリストであり、其法律は愛であります、其市民たるの約束を受けし我儕は現世に於ける不遇辛惨を以て反て大なる恩恵と感じます、此世は美はしい所でありまするが天国は更に之に愈つて美はしい所であります、然らば我儕は喜んで此世界を世の人に与へませう、悪人にさへ斯くも美はしい世界を与へ給ふ神が彼を愛する者に譲り給ふ来らんとする世界は如何に美はしい所でありませう。
 
(211)     正義を唱へよ
                      明治35年6月20日
                      『聖書之研究』22号「講演」                          署名 くぬぎ生
 
 吾等が此世に於て正義を唱ふるのは其現世に於て実行されんことを望むからではない、吾等は此世は罪悪の世なるを知る、神の正義を憎むの世なるを知る、悪人が跳梁して義人が迫害せらるゝの世なるを知る、而かも吾等は正義を唱道して歇まない。
 正義は第一に神の正義である、神の正義であるから吾等は如何なる場合に於ても之を唱へなくてはならない、其利害は吾等の関する所ではない、神の正義であるから吾等は全世界の抵抗に遭ふても之を唱へなくてはならない。
 正義は第二に世を鞫《さば》く者である、正義の唱道なくして世は其日毎に犯しつゝある所の罪悪の罪悪なるを知ることが出来ない、吾等は現世を正義の世となすことは出来ないかも知れない、然しながら吾等は神の正義を唱へて世をして其神に戻《もと》れる者であることを知らしむる事が出来る、正義の唱道は世の救済の初歩である、之を為さずして福音を伝播するも無効である。
 故に吾等は正義を唱へなくてはならない、大胆に之を唱へなくてはならない、世の之を容れざるも意とするに足らない、其此世に採用されんが為めに唱ふるのではない、其正義なるが故に、其之を審判いて終に之を悔改に(212)導かんがために、吾等は憶せず怖れず之を唱ふべきである。
 
(213)     田中正造翁の入獄
                       明治35年6月21日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
 田中正造翁の入獄は近来稀に聞く所の惨事である、深く此事に就て思念を運す人にして奇異の感に撃れない者はあるまい。
 翁とても勿論完全無欠の人でないことは余輩とても能く知つて居る、然しながら此罪悪の社会に在て翁ほど無私無慾の人の多くない事も亦余輩の保証する所である、窮民の救済に其半生を消費し、彼等を死滅の瀕《みぎは》より救はんとするより外に一つの志望もなければ快楽もない此翁は実に明治現代の一義人と称しても決して過賞の言ではなからふと思ふ。
 然るに此人が此窮民を弁護しつゝありし際に官吏の前で誤て欠伸を為たりとて其老体の死に近かんとしつゝあるにも拘はらず、日本帝国の法律に問はれて一ケ月と十五日の重禁錮の刑罰に処せられたとのことである、余輩は法律学に暗い者であるから刑の通用の当否に就いて云為するに由なしと雖も、而かも現代の法律なる者は情と慈悲とより離るゝ余に遠き故に、其結果終に斯る稀有の善人までを獄に投ぜねばならぬに至たかを思ふて涙|潸然《さんぜん》たらざるを得ない。
 田中正造翁に比対して翁に此苦痛を持来すの原因たりし古河市兵衛氏の状態を考へて見たらば如何であらう、(214)若し世に正反対の人物があるとならば田中翁と古河氏とである、二者大抵同齢の人にして一つは窮民を救はんとしつゝあり、他の者は窮民を作りつゝある、然るに無辜の窮民を救はんとしつゝある田中翁は刑法に問はれて獄舍に投ぜられ、窮民を作りつゝある古河市兵衛氏は朝廷の御覚え浅からず、正五位の位を賜はり、交際を広く貴族社会に結び、基督教界の慈善家にまで大慈善家として仰がれ、日本国到る処に優遇歓待されつゝある、田中翁は官吏の前で欠伸を為したればとて法律の明文に依て罰せられ、古河市兵衛氏は七人の妾《せふ》を蓄へ、十|数《す》万人の民を饑餓に迫らせて、明白なる倫理の道を犯しっゝあるも法律に明文なければ氏は正五位の位階を以て天下に闊歩す、余輩此事を想ふて現代の法律なるものゝ多くの場合に於ては決して人物の正邪を判別するに足るものでない事を思はざるを得ない。
 然しながら熟々考へて見るに古河市兵衛氏の位地は決して羨むべきではなくして、田中翁の目下の境遇こそ却て余輩の慕ふべきものである、「義の為めに責らるゝ者は福なり」、善を為し義を行はんとして、それが為めに苦を受くること程幸福なることは実は此世にないのである、斯く為られてこそ吾人は始めて世界の義人の群に入ることが出来るのであつて、ソクラテスの心を知らんと欲し、キリストの苦を思ひ遣らんと欲すれば吾人は必ず一度は此苦痛を味はなければならない、正五位の栄位と之に伴ふ栄誉に与かるのも幸福であるかも知れない、然しながらキリスト、ソクラテス等世界有数の偉人の心を知るの栄誉は明治政府が其寵児に与ふる位階勲章に勝る幾層倍の栄誉であることは余輩の言を俟たずして明かである、故に田中翁たる者は今回の入獄に就て甚く失望することなく、人生の快味の却て此辺に存するを知り、人を恨むことなく、社会を憤ることなく、君の出獄の日を待て、更に一層の謙遜と慎重の態度とを以て君の終生の志望を貫かれんこと、是れ君の友人の一人なる余が(215)梅雨の空に、獄中の君を思ひ遣りて君のために書き記す所の祈願である。
 
(216)     〔信者と不信者との区別(再び) 他〕
                       明治35年7月5曰
                       『無教会』17号「論説」
                       署名 内村鑑三
 
    信者と不信者との区別(再び)
 
〇世に我ほど不幸なる者はないと言ふ人は不信者であります、世に我ほど幸福なる者はないと言ふ人が基督信者であります、信者と不信者とを区別するのは至て容易であります。
〇泣言を云ふ者は不信者でありまして、何の不平の訴ふべき事のない人が信者であります、幾度洗礼を受けても聖餐式に何度列つても心に罪の赦免の歓喜を感ぜず、愛なる神を認めない者は真個《ほんとう》の不信者であります、私は歓のない信者を沢山見ました、爾うして私は直に彼等は立派なる不信者であることを認めました。
 
    避暑
 
〇夏が来たとて必しも避暑休養しなければならないと思ひ給ふな、夏も矢張り神が造り給ふたものでありますから、是は必しも避けねばならない者ではありません、夏には夏に於て為すべき事業があります、又山に逃げ海に遁れずして之を消費するの途があります、必ずしも或る人々のなすやうに暑を惧るゝこと死を惧るゝが如く、総(217)ての事業を打棄て置いて山に逃げ登るの必要はありません。
〇若し神が閑暇と資力を与へ、神の事業の何に障害を来すこともなしに休むことが出来るならば感謝して御休みなさい、海に浴し、山を攀るのは必ずしも身躰を強くするため斗りではありません、直に神の造り給ひし天然に接して天然の神に接するためであります、私共は信仰養成のために避暑すべきであります、惰眠を貪るために之を為してはなりません。
 
    「我身」
 
〇世に「我身」といふ言辞《ことば》がありますれども、是れは基督信者の言辞ではありません、「我身」と云へば如何にも此身が我が所有であつて、他のものはいざ知らず、此身丈けは我が気儘勝手になすことが出来るやうに思ふ人が多くありまするが、然し私共基督を信ずる者には我が所有と称すべきものは一つもありませんから、随つて我身なるものもありません、此身は是れ神の所有でありまして、我の勝手にすることの出来るものではありません、是は神の御役に供すべきもの、神の栄光を顕はすべきもの、神の祭壇の上に献ぐべきものであります、是れをば「我身」なれば是を殺すも活すも我が勝手なりなど云ふ人は未だ此身が如何に貴いものである乎を知らない人であります。
 
    神聖なる商業
 
〇世に神のために真理を伝ふる者はあります、神の為めに筆を執り、又は神のために風琴を弾ずる者はあります、(218)神のための伝道はあります、神のための慈善事業も無い事ではありません、然しながら世に探しても無いものは神のためにする商売であります、神のためにする農業であります、神のためにする製造業であります、多くの人は伝道は神のためであつて商業は金のためであると思ふて居ります、彼等は商業で金を儲けてそれを伝道のために寄附すればそれで神のために尽したと思ふて居ります、彼等は商業其物が神聖なるものであつて、是れが伝道の一つであることを知りません。
〇使徒保羅が伝道に従事した心を以て商業に従事する人が欲いものであります、商品を商品として見ることなく、神より委ねられしものと思ふて之を取扱ふ人が欲いものであります、斯う云ふ人は必ず商業に於ても成功するに相違ありません、斯う云ふ商人が世に出てこそ天国は此世に来るのであります、信仰を以て商業に従事する人、是れが私共の最も見たく欲ふ者であります、此誌の読者諸君の中に此の聖き望を懐かるゝ人はありません乎。
 
(219)     旅行と修養
                          明治35年7月5日
                          『苦学界』17号
                          署名 内村鑑三
 
 時今や夏に向ふ、諸子は此の夏を如何にして暮さんとせらるゝや。旅行は楽しきものぞ、殊に夏日の旅行に於てをや、諸子旅行せよ。古の史を確知せんと欲する者は旅行せよ、山川の向脊を実見せんと欲する人は旅行せよ、又地質の如何風俗の如何を知らんとする者も然り、日本は四時の風景に佳なる国也、春の花、夏の山、秋の楓、冬の雪。又日本は山国也、中州に富士の名山、箱根の嶮山あり、九国に英彦の山耶馬の渓あり、上毛の三山、羽前の三山等見る可き頗る多し。又日本は海国也、太平洋に面する海の流麗温雅なるあれば、山陰北陸の海の、断巌絶壁加ふるに白沫天を衝き鬼神も為に戦慄せん計り物凄きあり。
 旅行せよ、質素なる旅行せよ、旅行して深山幽谷に入りたる時に、家無く食無き時に茲に堪忍の心は生ずる也。旅行せよ、空腹をかゝへて道を行くに、茅屋に入りて飯を乞へば、常には食す可くもあらぬ、猫の椀の如きに盛りたる汚気なる粟飯も、限りなく甘く食ひ得る也。旅行はよき修養也、旅中に家無くして野に宿し食ふ可き無くして能く忍ぶ、一朝事ある時苦き旅行したる兵士は大胆にして能く戦ふ也。又、旅行せんと欲したる時には、能ふ可くは自己一人にて旅行せよ、然らば自己を力となして、少なくとも依頼心を除き得べし。
 善を為さんとせば旅行す可し、旅行して自ら苦み人の同情を乞はんとする時に、茲に初めて人の苦痛を知るを(220)得可き也。
 又、旅行せば誘惑と戦ふ可し、一杯の水を飲まんとするも嚢中軽くある時は、人の勧めも聞かず。又、旅舍温泉等にて自らを惑わさんとする魔物あるも、遠き前途と軽き嚢中とを思へば、遂に誘惑せらるゝに由なし。旅は人生を知るを得、見よ、幾日を費して超えたる高山は雲路逢かに隠れ、海岸砂上の己が足跡は、波の洗ふが度毎に洗ひ去られ消え去るに非ずや。その時の旅人の考慮は如何にぞや、人世の運命も亦、成す後より/\消え行きて、現れざる事雲外の山の如く、洗ひ去らるゝ砂上の足跡に等しきかと、思ひ去り思ひ来れば旅情将に哀々として絶えなんとす、旅行は、要するに、美的善的の修養を得る也、之れ即ち人世の旅行は理想とする完全の境にして、即ち諸子に旅行の実験を勧むる所以なり。
 
(221)     農業と宗教
          (「農業雑誌」第八百拾号を祝するの辞)
                 明治35年7月5日
                 『農業雑誌』810号
                 署名 『聖書之研究』雑誌主筆内村鑑三
 世に高貴なる業は二つある、其の一つは人の心を養ふことで伝道の業である、其の他のものは彼の肉体を養ふことで農業である。前のものは真理を上の天より取り来り、之を以て饑ゑたる霊魂を養はんとし、後の者は果実を下の地より作り出して饑ゑたる肉体を養はんとする。此の二つの業ありて、国家があり、社会があるのである。二者其の一を欠いて、政治もなければ商業もない。人生は其の基を農に置き、其の存在を徳に繋ぐものである。
 先進津田仙君、農に従事すること茲に三十余年、我が国に於ける君の新式農業は其の齢を明治政府と同じうし、而も其の功|※[しんにょう+〓]《はるか》に閥族輩の上に出づ。彼等が自己のために名利を計りつゝ僅に国家を其の外面に於て飾らんとしつゝありし間に、君は単独国家を其の基本より改造せんとし給ふた。君は西洋文明を直に我が国の土壌に移植せんとして、克己勉励今日に至り給ふた。若し国家に功臣がありとすれば、君は確に其の一人である。而も君は今日尚ほ無位の一平民であツて、心に天の神を信ずる外に普通の日本農民と何の異る所はない。
 茲に於て君の農業の普通の農業ではないことが判る。津田式の農業は第一に文明流の農業である、即ち古説旧習に依る農業でなくして、学説進歩の農業である。第二に平民的農業であツて、資を官に仰ぎ、位階勲章を以て(222)誇るが如き役人的農業ではない。第三に信神的農業である、即ち単に産を獲て満足する農業ではなくして、体を養ふと同時に天に徳を積まんとする農業である。君の農業が其の長命なるに干らず、政府の深く之を賞することなく、公衆の広く之を迎ふることなきは其の全く脱俗的農業であるからである。而も天は君の業を恵んで、君の晩年をして感謝と満足との生涯たらしめ給ふた。 余は君の知遇を辱うする茲に二十余年、君と志望を共にし信仰を同うし、君と稍々同一の径路を辿ツて今日に至ツた者である。余は農業教育を受けて始めて世に出た者であるが、今は主に基督教の伝道に従事する者である。爾うして基督教の何たるかを深く究めたことのない者の中には、余を以て余の本職を棄てたものゝ様に想ふ人がある。然しながら前にも言ふた通り真正の宗教は真正の農業の真の兄弟である。宗教は心を耕すもので、農業は地を耕すものである。実物を貴び、空想を排する点に於ては二者全く同一である。故に津田先生が農に従事して深く宗教を信ぜらるゝやうに、余は宗教の伝道に従事して、深き興味を農業に於て有つ者である。先生が政府に頼らずして独り其の業に励まるゝやうに、余は政府は勿論、教会又は外国宣教師に一切頼ることなく独り余の業に勉むる者である。先生が興産的に新日本を造らんとせられし様に、余は精神的に新日本を建設せんと努むる者である。故に先生は常に深き同情を余の業に寄せられ、余も亦先生の助言に待つこと多く、若し行路難を告ぐる時は余は直に先生の門に馳せて其の援助《たすけ》を借りるを常とする。余が常に神に祈ることは神が余の敬友津田先生の農業を恵まれし如くに、余の小なる伝道事業を恵まれんことである。茲に『農業雑誌』第八百十号の発刊を祝すると同時に津田家の万歳を祈り奉る。
 明治三十五年六月十九日 東京市外角筈村「聖書研究社」に於て
 
(223)     時勢の要求と基督教
                      明治35年7月20日
                      『聖書之研究』23号「講演」                          署名 内村鑑三
 
 基督教は此世の者ではありません、基督教は或る意味から云へば此世とは何の関係もない者であります、基督が其母マリヤに向て爾と我と何の与あらんやと云はれしやうに基督教は或る意味から云へば此世とは何の与もない者であります、基督教は社会改良のための道具ではありません、国家建設のための方便ではありません、基督教は此世が失せても存在する者であります、基督教は此世以外の者であります、即ち天の者でありまして、其存在を此世と共にするものではありません。
 世に現世的基督教なる者を唱ふる人があります、其人等の曰ふ所を聞きまするに基督教とは決して此世を情《あぢき》なく思ひ、後生を願ふて寺に籠る隠遁者の宗教ではない、之は活世界の舞台の上に顕はれて、活劇を演ぜんとする者の宗教であるとの事であります、実に勇ましき言辞でありまして、誰も之を聞いて憤然として起たない者はありますまい、斯くあつてこそ世に始めて壮士の宗教とも称すべき者が顕はれたのであつて、志士の信ずべき宗教は現世的基督教を除いて他にあるべからずとは私共が折々耳にする所であります。
 然しながら少しく精密に聖書を研究しますれば基督教の決して現世のための宗教で無いことが判ります、基督教は勿論世を救ふ者であります、歴史有りて以来基督教に優る道徳上の勢力の曾て此世に顕はれたことはありま(224)せん、真正の基督教を信じて人は決して隠遁者となりやう筈はありません、此世の属でない基督教信者が此世に於て最も勢力のある者であります、然しながら此|奇《ふしぎ》なる事のあるにも関はらず基督教は現世のための宗教ではありません、之を現世的に信じて基督教は速に其勢力を失ふに至ります、事業は基督教の結果でありまして、基督教其物ではありません、社会改良を目的とする基督教は甚だ微力なる者であります。
 基督教は世の人を駆て天国に入れんとするものであります、其聖徒なるものは罪より聖別されし者であります、其数会なる者は之をエクレジヤ(ecclesia)と称へまして「世より呼び出されし者」との意味であります、基督教信者は世に在るも世に属ける者ではありません、彼は世と全く関係を絶つた者であります、世の歓喜《よろこび》は彼の歓喜でなく、世の悲痛《かなしみ》は彼の悲痛でありません、此事を能く心に弁へないで、基督教を以て社会改良の用具なりと思ふたり、又は徳性修養の術なりと考へる人は基督教に就て必ず失望します、若し天国の市民となるの希望がなければ基督教を信ぜざるに若くはありません、若し単に人の品行を改めんとするのが目的ならば彼に基督教を説かないに若くはありません、実利的の支那人や日本人は此事を心に留めないで自身に大なる失望を招いたのみならず亦多くの人を躓かせました、基督教を以て国家を救はんとしたが其之を為すこと能はざるを知つた故に今は之を捨《すて》て政治家となつたなど云ふ人が元の基督教の教師の中に大分ありまするが、之は全く基督教の本性を誤解してより来つた懺悔であります、基督教は保羅とか彼得とか云ふ現世とは全く関係を絶つた人々に由て伝へられた宗教でありますから、私共も其心得を以て此教を信じなければなりません。
 斯かる宗教が今の時勢に何の必要があるかとは誰しも聞かんと欲する所でありませう、然しながら斯かる宗教であればこそ、殆んど腐敗の極に達したる羅馬帝国の社会を改造し、其後千九百年間、人類の社会が幾回となく(225)土崩瓦解せんとしたる時に之を九死の中より救ひ出したのであります、世と関係を絶つた者が世を済ふとは何にやら逆説のやうに聞こへまするが、然し是は歴史上の大事実でありまして非なるが如くに見えて実は是なるは此一事であります。
 世と全く関係を絶つて私共は始めて無慾の人となることが出来るのであります、此世を無視するにあらざれば私共は富貴を糞土視することは出来ません、若し社会改良が私共の唯一の目的でありますれば私共は或時は金力を利用する事もありませう、又は貴顕に阿る事もありませう、自由を唱へて終に身を政府に売つた政治家は沢山あります、平民主義を称道して貴族の奴隷となった文士もあります、此世の改革を目的とする政治と文学とは皆な斯んなものであります、土に属ける者は凡て土に属ける者に似ます、天に属ける者のみ天に属ける者に似ます、(哥林多前書十五章四八節)、此世に執着する者は如何に偉大なる思想を懐く人でも此世を其足の下に踏み附けることは出来ません、此世を糞土視するに至て私共は始めて此世の誘惑なるものより全く免かるゝことが出来るのであります。
 英国のコロムウエルとは抑も何んな人でありましたらふか、彼は国民の自由のために戦ふたとの事であれば彼は日本の板垣退助君のやうな人でありましたらふか、イーエ、決して爾うでありません、其人物の大小はさて置き、コロムウエルと板垣君とは全く質《たち》の異《ちが》つた人でありました、コロムウエルは天国の人で板垣君は現世の人であります、コロムウエルに取ては彼の英国は勿論此世なるものは全く無いものでありました、「我キリストと偕に十字架に釘けられたり、既《もはや》我れ生けるに非ず、キリスト我に在りて生けるなり、今我れ肉体に在りて生けるは我を愛して我がために己を捨てし者、即ち神の子を信ずるに由りて生けるなり」とはコロムウエルの信仰であり(226)ました、彼は戦場の露と消ゆる其日には直に神の国に入りて栄光の冠を戴くことであると信じて居りました、斯う云ふ人でありましたから彼には野心なるものは露ほどもありませんでした、彼は国王に成らんと欲すれば成ることが出来ましたけれども、自ら強ひて成りませんでした、彼は勤めて国王に成らなかつたのではありません、彼には成らんと欲するの慾がなかつたのであります、彼は天に於て更に愈れる善き国を望む者でありましたから此世に於て朽る冠を戴かんとは致しませんでした、彼が国王と成らなかつたのは何にも彼の抱懐した主義のためではありません、彼は彼の救主に由りて皇帝の冠などいふ穢き物には全く眼を注がなくなつたのであります、此世の慾を断念した彼は其誘惑に対しては金城鉄壁の如き者でありました。
 斯くも根本的に無慾の人でありましたからこそ、彼は英国に自由の堅い基礎を置くことが出来たのであります、何にも彼の意志が他の人に秀て特別に強かつたからではありません、亦多くの歴史家が曰ふやうに彼が軍事上非凡の才能を備へて居つたからではないと私は思ひます、彼の公明正大が天地をも動かすを得たのは全く彼の非世界的観念に由つたのであると思ひます、既に此世より何の望む所もない者でありましたから彼は此世のために彼の生命を犠牲に供するを知つて、之より何の報酬をも仰ぐことを知りませんでした、英国の自由は実に斯くも無我無慾の人に由て据え附けられたのであります。
 板垣退助君は全く之と異ります、勿論彼が今の世に在て比較的に高潔な人であることは何人も認めて居ります、彼が維新の元勲中殊に誠忠純正の人であることは没すべからざる事実であります、私は茲に板垣君をコロムウエルと比較して君の価値を墜さんとするのではありません、私は亦茲に此二人の自由の戦士を対照して一人の大を賞揚して他の者の小を嗤はんとするのではありません、私は只茲に若し板垣君にしてコロムウエルの信仰を有た(227)れしならば私共日本人が今日享有する所の自由は如何なるものであつたらふか、其事に就て考へて見たいと欲ふのであります。
 板垣君は愛国者でありました、然しながら君は国以上に愛するものを有ちませんでした、君に取ては他の多くの日本人に於けるが如くに日本国は最上の善でありました、嗚呼自由よ、自由よ、我れ汝と情死せんと或る自由家が叫んだのは日本国の自由を指して云ふたのであります、彼等は万事を棄て日本国のために尽さんと致しました、彼等は来世の希望の如きは措いて問ひませんでした、彼等は専一に日本国の善を計らんと致しました、然るに何んぞ計らん、彼等の此誠実も熱愛も何の功を奏せずして、板垣君は活きて自由は死し、民撰議院は設置せられてより、民の自由は日々に萎縮し、君の晩年は決して幸福なるものではなくして、君自身は何位とか何爵とか云ふ世界的栄誉をもつて其残年を憂愁の中に送られつゝあるのであります。
 同じく国を愛して一人は真個の自由を扶殖して、他の者は却て自由を毀損するの媒介者となりましたのは抑々何が故でありませう、勿論コロムウエルの場合に於ては自由を愛するの国民があり、板垣伯の場合に於ては自由の何たるかさへ碌に判らない国民を其背に控へられたる事でありますれば、此点から観察しますれば板垣伯の事業はコロムウエルのそれに較べて却て困難であつたと云はなければならない乎も知れません、然しながら私共の茲に攻究せんと欲するものは事業の成効の問題ではありません、其性質の問題であります、板垣伯は実にコロムウエルの如き自由を自身に持つて居られたか否やの問題であります、普通の東洋人には未来の観念なるものは殆んどありません、此世に仁道を布き、此世に正義を行ふのが東洋の英雄なる者の唯一の志望でありまして、先づ来世に希望の根拠を定め、其余力を以て現世の救済に従事せんとするが如きは到底東洋人の心を以てしては解し(228)得ない事であります、爾うして板垣伯如何に高潔なりと雖も彼は此点に於ては東洋人以上の人ではありません、彼は只自由を日本に扶殖せんとしたるのであります、彼は此地以外に自由を認めませんでした、故に彼は終に自由の縛る所となりました、彼は自由の為に自由の敵なる藩閥政府と結びました、彼は自由の為に自由の大禁物たる爵位を受けました、彼は自由を愛するの余り終に其愛情に引かされて自由の奴僕となりました。
 嗚呼真正の自由は情実の容喙を許しません、縦令君の言であらふが、親の命であらふが、神聖なる天賦の自由は之に服従すべき筈のものではありません、爾うして情実の絆を断つことの出来る者でなければ自由を其真意に於て味ふことは出来ません、実に自由とは情実の覇絆を脱することであります、情実なる者が私共に取て何の勢力なきに至り、私共の心を支配するに唯正義公道のみあるに至て私共は始めて真正の自由に達したのであります、若し圧制政府に勝ち得たとしても情実に勝ち得ませんならば其人は自由の人ではありません。
 然し如何して情実に勝ち得ませう、羅馬のコルネリヤスでさへ其母に頼まれますれば羅馬の市民を容赦《ゆる》したではありません乎、涙の人であればこそ英雄と称えらるゝのではありません乎、然るに此情実をも絶たなければならないと云ふのであります、嗚呼、志士の行路ほど難いものはありません。情実を断たんと欲せば此世に死なければなりません、無私、無慾、無情(無慈悲に非ず)の人にならなければ情実の纏緬《もつれ》なる此世に在て一刀両断乱麻を断つの英断に出ることは出来ません、「人、其父と母とを憎むにあらざれば我が弟子たる能はず」と大胆に言ひ放たれたるキリストあつて始めて家庭の新組織が此世に顕はれ、曾て預言者マラキが預言せしやうに父なる者が始めて其子を真正に思ひ遣ることが出来るやうになつたのであります、(馬拉基書第四章五節)、思ひ切つて現社会を破壊することの出来ない者に此社会を改良する事の出来やう筈はありません、而かも之を為すに剣を以て(229)するのでなく、威力を以てするのでなく、唯だ天地を以てするも動かすことの出来ない信仰と希望とを以て此大事を為し得ない人の社会改良事業なるものは知れたものであります、板垣伯が日本国に於て自由の扶殖に全然失敗せられたのも、又其他の日本人の新社会建設運動なるものが皆な悉く堕胎に終つたのも、彼等が皆な此世の人であつて、此世に在て此世を改良せんとしたからであります、世に完全なる自動横のないやうに、此世以外に出《いで》ずして此世を動かすの能力はありません、先づ天に移されて然る後に天の強固なる位置よりして此世を動かさんとすればこそ此世は我が思ふ儘に動くのであります。
 我国に於ける非世界的宗教の必要は何にも政治方面にのみ限りません、其商業に於て、其農工業に於て、其教育に於て、其文学に於て、殊に其家庭に於て、此非世界的の宗教の必要を非常に感ずるのであります、実業は殖産のためであつて、殖産とは慾のためであるなど云ふ人は未だ殖産の何たる乎を知らない人であります、米国の国家学者ブロンソンの言に「財産とは物質を以て神と交はる事なり」といふのがありますが、実に斯かる高貴なる思想を以てして始めて堅固不抜、国家を万世に益することの出来る殖産が世に顕はれ来るのであります、政治界に位階勲章の類を糞土視する偉人の出る必要があると同時に、経済界にも亦富貴を顧ない実業家の出る必要があるのであります、即ち富の誘惑を感ぜざる実業家、金銀宝玉を見ることたゞの瓦礫の如く、只之を使用して人類を救はんとする外に他に何の念慮もなき実業家が世に出でゝ始めて経済界を其根本に於て調理することが出来るのであります。
 何故に我国今日の文学は趣味単調、不平を漏らすものに非ざれば恋愛を歌ふ者、失意と失恋の外に何の書き綴ることのない者でありますか、若し世に肉情的文学なるものがありまするならば是は我国今日の文学であります、(230)是を手にして血肉の嗅気《にほひ》がすると云ふても可いと思ひます、何処に雲雀の翼を藉りて清き日光を指して昇るが如き曲がありますか、何処に血肉を離れたる愛を以て清士が淑女と結ぶの景緻《ありさま》を述べた作がありますか、詩人オルヅオルスの「山中の小女」の二編の如き、人であるか天使であるか判別し難き人物を描いた作は何処にありますか、此肉体の世に於てのみ理想を索むる文学者や美術家ほど憐れむべき者はありません、彼等はたゞに汚れたる社会の実写家たるに過ぎません、彼等はたゞ盗賊を見て吠る犬の如き者でありまして、高きに昇て地の全景を写し得る鷲の技倆を有た者ではありません、ラフハエルも、ハイドンも、ミルトンも、オルヅオスも天に国籍を移さずしては彼等の大作を作り得ませんでした。
 そうして家庭の大難題に就ては……如何にして家庭を潔めませうか、如何にして夫婦相敬し、親子兄弟偽らずして相愛し、呟く事なく、猜む事なく、労働と節倹とを以て最大幸福と思ふやうになることが出来ませうか、一家の収入を増せばそれで幸福なるホームが出来やうと思ふは大間違であります、上流社会に仲間入して始めて家庭の新趣味を嘗《あぢは》ふことが出来やうと思ふのも大間違であります、去りとて東洋風の忠孝道徳をいくら注ぎ込んだ所が心より満足するの家庭は決して出来る者ではありません、家庭とは家内に設けられたる待合茶屋ではありません、即ち他人の手を藉らずして、一家相集つて娯楽を尽すための所ではありません、家庭は心霊の交際所でありまして、既に此世以外に於て溢るゝ斗りの安慰を持つ者が、此世に在るの間、其最も親しき者に此安慰と観喜とを頒つための所であります、我等は家庭に在て妻に慰められ、子に事へられんとするのではありません、我等は既に大なる恩恵に与かつた者でありますから、我等より弱き我等の妻子に出来得る限りの保護と親切とを与へんとするのであります、此心があつて、家庭は義務の処ではなくして愛心の所となるのであります、社会の制裁(231)を怕れて妾を蓄へないのでありません、神が我に委ね玉ひし一人の婦女に向て雑りなき誠実を表せんためにあだし女に眼を触れないのであります、老後の準備をなさんがために児女を教育するのではありません、我に委ねられたる幼き者の心に天の神を顕はさんために彼等に道を伝ふるのであります、我等の家庭は天国の雛形であります、不完全ながらも此地に在て天国に似たる場所を建てんとして我等が設けたる所であります、是れは家屋でもありません、又は庭園でもありません、是はホームでありまして心の富を頒つ処であります。
 「凡そ其生命を助けんとする者は之を失ひ若し其生命を失はん者は之を存《たも》つべし」、(路可伝十七章三三節)、此世を救はんとするものは却て之を救け得ず、此世を棄る者が却て之を存つのであります、キリストと偕に十字架に釘けられ、此世の慾念全く絶へ、我に父母なく、妻子なく、社会なく、国家なきに至て、私共は始めて真正の孝子となり、真正の愛国者となり、真正の社会改良家となることが出来るのであります、斯くて国を救ひ、家を起し、社会を改良するものは決して世に称へられる所の現世的基督教なるものではありません、そんな者は世に無い斗りでなく、若し有りとするも、是れ決して世を益する者ではありません。
 
(232)     政治と宗教
                      明治35年7月20日
                      『聖書之研究』23号「雑録」                          署名 角筈山人
 
〇今や伝道事業を擲て政治界に打て出る元の基督教の教師が大分ある、而かも此種の宗教家は新教派の教師の中に多い、而かも其組合派の人の中に多い、而かも其同志社出の人の中に多い、是は最も奇妙なる事である。
〇勿論政治とても悪い事ではない、世に神聖なる政治なる者もあることなれば、余輩は人が伝道を棄て政治に入りたればとて其人が必しも堕落したとは曰はない、若しコロムウエルの政治、リンコルンの政治が日本今日の政治界に於ても行はれるとの事なれば、余輩は必しも是等還俗の宗教家達の所行を非難しない。
〇然しながら余輩の如何しても解らない事は彼等が基督教の伝道を廃めた事である、彼等が何が故に斯くも有益なる、斯くも愉快なる、斯くも自由なる事業を棄てしか、是れ余輩の知らんと欲して知るに苦しむ事である、彼等は実に真正の基督教の真味を嘗ふた事があるのであらうか、若しありとすれば何故に其伝道を廃めたのであらふか、彼等は日本今日の政治界にキリストの平和の如く喜ばしき、麗はしきものあるを発見したのであらふか、それとも彼等は一時キリスト教を信じたとは云ふものゝ其実は其真味を嘗ふたのではなくして、彼等が今日之を棄てゝ、代議士の候補などに立つたのは聖ヨハネが曰ひしやうに、彼儕が我儕を去りしのは彼等が始めより我儕と偕にあらなかつたからではあるまいか、何れにしても今の時に方て世俗の人ですら其腐敗を厭ふて入り兼ねる(233)政治界へ基督教の教師達が押出さるゝとは如何にも奇《ふしぎ》なる事である。
〇政治は此世の事であつて、基督教は天国の事である、天国の事を廃めて此世の事に身を投ず 是れ確かに堕落である、勿論基督信者が国の政治に干与せねばならぬ時もある、然し日本の今日は斯かる時でないのは誰が見ても判る、我等が政治に千与する時は世人が政治の危険と困難とを怖れて容易に之に入らなくなつた時である、即ち政治に伴ふ責任が非常に重くなつて、其与ふる報酬が迚も其責任に酬ゆるに足らなくなつた時である、即ち政治が怖れられ、嫌はれ、何人も之を避けんとするに至つた時である、恰かも今日基督教の伝道が世に嫌はれ、卑められ、無用視せらるゝやうに政治が世に厄介物視せらるゝに至つた時である、爾う云ふ時には基督信者は世に率先して政治家となるべきである、然しながら其時の到来するまでは彼は彼の本職たる、不人望の地位に立ち、社会の下層に真理を注入するを以て彼の最愛の事業となすべきである。
〇然るに政治は今や何人も渇望する事業である(若し之に事業てふ高尚なる名称を附し得るとするも)、三百八十余の代議士の椅子を狙ふに千有余名の候補者があると云ふ時である、それのみならず、公明手段を取ては迚も政界に働く事が出来ないと一般に認められて居る時である、斯かる時に方て政治に入る宗教家の心事は最も解し難いものである、殊に伝道事業の更に振はざる今日、国民は政治熱の欠乏の故にあらずして、高貴なる信仰の欠乏の故を以て将さに其国家的存在までをも危くせんとしつゝある時に方て、伝道を止めて政治に入る人の如きは宗教の謀叛人である計りでなく、亦国家に対して最も不実なる人ではあるまい乎、余輩は世の人が「政治も悪い事ではない」との一事を以て是等の還俗的牧師や伝道師を容赦して少しも其罪を問はないのを見て甚だ不審に感ずる者である、勿論物質主義一方の支那、朝鮮、日本に於ては政治は立身であつて、宗教は隠退である、然しなが(234)ら支那人や朝鮮人の眼に斯く見ゆればこそ、我等は断然宗教を択んで政治を斥くべきである、我等は宗教の名誉と威権と実力とを是等肉慾的の東洋人に我等の身を以て教ゆべきである、世の以て立身と見做すものは我等に取ては堕落である、伝道を去て政治に入つた者は何れの点より見るも堕落である。
〇彼等伝道を去つて政治に入つた者は云ふ「我等政界に入りたればとて基督教を棄てしに非ず我等は今猶ほ旧時の信仰を有す、我等はたゞ活動の区域を転ぜしのみ」と、言葉は甚だ立派なるが如くに見ゆるが、然し是れ果して事実であらふか、彼等は実に今猶ほ旧時の信仰を有つて居るか、若し爾うならば彼等は何故に世俗同様の政治運動に従事する乎、何故に彼等は彼等が曾て飲まざりし酒を今飲むか、彼等が曾て教壇に立て神の福音を宣べ伝へし時の高貴なる思想を彼等は今実に料理屋待合茶屋等に於て保ち得ると云ふか、余輩は彼等が明白に白状せんことを要む、彼等は今は旧時の基督信者ではない事を彼等は高きより低きに就いた者であることを、彼等が今猶ほ基督教を棄てないと云ふならば彼等は今は極く低い意味で斯教を信じて居るのであつて、彼等が教会を牧して居つた頃、若し彼等の信者の中に、彼等の如き者が顕はれ出しならば、彼等は必ず之に「堕落信者」の札を附けたに相違ない。
〇我等「嘗いて主を恩恵ある者と知りし者」は如何でか彼の福音の宣伝を廃めて他の事業に行かんや、我等若し神と同胞とに強ひらるればいざ知らず、我等より進んで政治に入るが如きは我等には思ひも依らぬことである、此所に個人と国家とを永遠に救ふの途が我等の手に委ねられたのである、我等何を撰んで活ける水の源なる福音を棄て壊れたる水溜なる今の日本の政治に行かんや、基督教の伝道師たるは日本政府の大臣たるよりも、又其議会の議員たるよりも※[しんにょう+〓]に名誉ある職である、我等は野心の一点から云ふても此高貴なる伝道の職を終生去るまいと欲ふ。
 
(235)    善人の養成
                       明治35年7月23・25・27日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
〇今や国民挙て善き代議士を得んとて騒ぎつゝある間に余輩は平常の通り余輩の微力を揮て善き人を作らんと試みつゝある、爾うして今の日本国に於て善き代議士を得るは木に縁て魚を求むるより難いが、然し適当の方法を以てすれば善き人を作ることは左程に難い事ではない、余は邦人が不可能い政治家の探索に熱注して可能る善人の養成を不問に措くのを見て常に怪訝の念に堪へない者である。
〇善人とは盗まない人の称ではない、今の日本に於ては積極的の善人は居なくなつたから、盗まないとか、誑さないとか云ふ消極的の人だけが善人と称ばるゝに至つた、然し余の云ふ善人なる者は爾んな者ではない、若し消極的方面より云へば彼は不平を唱へない人、忿らない人、懶けない人、等である、即ち世が以て別段に罪悪と認めない事を自から認めて罪悪となし、進んで之を忌み避ける人である、世に注文されて、社会より制裁を加へられんことを怖れて、品行を慎む人の如きは余は之を善人の中に加へない。
〇真正の善人は積極的に善を追求する者である、即ち何にか此世に於て善き事を他人に為さんと、其事に就て思慮を運らし、其|機《をり》を常に窺ひつゝある者である、即ち今の官吏や文学者や相場師が何か良き儲け口ありやと常に注目しつゝあるやうに、真正《しんせい》の善人は何にか社会のため、他人のため、殊に貧者弱者のため、益を計り、援助《たすけ》を(236)供せんと注目しつゝある者である、世人の目的が金儲けを為すにあるやうに、善人の目的は善を為すにある、彼は若し人が善を為すの方法を彼に告ぐるあれば、其人に向て謝儀を呈せんと欲する心を持つ者である。
〇斯の如き善人は実際養成することの出来る者であらうか、是れ今の日本人の全体が疑ふ所である、彼等は政治家の出来ることを信じて疑はない、尠《すこ》し小才《こさい》があつて、金が有つて、其上法律学校の一も卒業すれば彼は直に政治家の卵子となることが出来、其後時日さへ過ぎれば、丁度蝮の卵子が真正の蝮と化して人を刺すやうに、彼も真正の政治家となりて害毒を国民に加へるに至る、今の日本に於て政治家を作るほど易い事はない、其事は全国到る処に政治学校の繁昌するので判る。
〇文学者を作るのも至て易い、筆が能く利いて、情慾が強くさへあれば今の日本国に於ては何人でも文学者となる事が出来る、彼の心中に蟠る情慾有の儘をさへ書けば彼は直に大文学者として世に迎へられる、博文館は歓んで彼を迎へる、春陽堂は進んで彼に善き俸給を払ふ、彼は国家に悪を為しながら、其文名は全国に響き渡る、今の日本に於ては恋愛文学者にあらざれば文学者ではない、然かも彼は清恋《せいれん》を歌ふ者ではない、貪恋《たんれん》を語る者である、邪慾を綴る者である、馬の文学を修めた者が今の日本の文学者である。
〇政治家も出来る、文学者も出来る、官吏と会社員とは東西の二大学校に於て昼となく夜となく村井商会の巻煙草同様製造せられつゝある、薩長政府と其文部省との力を以て作ることの出来ない人物とてはない、唯彼等が全力を尽しても出来ないものが一つある、それは前に述べたやうな積極的の善人である、大政府が其総ての力を尽しても出来ない者を、余輩の微力を以てしても作ることが出来ると云ふのである、是れは随分大胆の言であるに相違ない。 〔以上、7・23〕
(237)〇如何して善人を造らうか、是れ決して勅令を発して出来る者ではない、若し威力を以て善人が出来る者ならば今の大学生や中学生は皆んな善人であるに相違ない、然るに之を発したる大臣までが善とは縁の甚だ遠い人であるのを見て、余輩は今の我国の教育家なる者が善人養成術に於ては全く不案内の人達であることを知るのである。
〇善人のみが善人を作ることが出来る、悪人はいくら位が高くとも、いくら金が有つても、いくら君寵が身に余つても、亦いくら学問が有つても、善人を作ることは出来ない、豚が豚を生むことが出来るやうに博士は博士を生むことが出来る、官吏は官吏を養成することが出来る、然し豚や馬がいくら方法を講じても人を生むことが出来ないやうに、官吏や学者は如何に智慧を絞つても善人を作ることは出来ない、是れ生物学上の原則であつて、亦倫理学上の原理である、然るに最も奇態なる事には今の日本国の教育家なる者は此判り切つたる原理を顧みないで、豚をして人を生ましめんと勉めつゝある、即ち今の内閣の下に、其文部省の下に、善人を造らんと努めつゝある、若し世に不道理の極なる者があれば、それは日本国今日の教育家の夢想である。
〇善人のみが善人を作ることが出来る、然し我れは善人であると称ふ人は善人ではない、社会は皆な腐敗して居つて、我れ一人のみは純潔の人であると曰ふ人は大なる偽善者である、真正の善人は自己の不善を自覚し、之れを世に表白して耻とせざる者である、彼れは即ち謙遜の人である、啻に譲退の人である計りでなく、虚心の人である、我《わが》衷《うち》に一つの善き事を認めざる者である、斯かる善人でなくては世を善道に導く事はない。
〇故に善人とは世に謂ふ所の正義の士とは違う、かの君子とか正士とか称はるゝ人は大抵は道穂家である、即ち世を責むるに厳にして自己を責るに至て寛なる者である、恰かも今日の社会改良家のやうに、世の罪悪を責め立つればそれで世が革まると信ずる者である、然しながら、若し真正の善人たらんと欲せば我等は先づ第一に我等(238)自身の不善を認め、之を悔ひ、之を耻ぢ、之を潔められんことを祈らなければならない、西洋各国の大善人なる者は皆な此経験を嘗めた者である、ルーテルも、ウエスレーも、コロムウエルも、グラツドストンも皆な一時は懺悔の人であつた。
〇グラツドストンも其罪を懺悔した事があると聞いたら志士仁人を以て自から任ずる東洋人は皆な驚くであらう、然しながら是は事実である、グラツドストンは勿論妾を蓄へた事に就て悔るの必要はなかつた、彼れは亦代議士を買収して其良心を堕落せしめた罪に就て表白するの必要はなかつた、彼は日本国の薩長政府の政治家が懺悔しなければならないやうな罪を犯した事はなかつた、然し彼にも亦懺悔すべき罪があつた、彼は曾て其下婢を叱つた、彼は此事のために非常に彼の心を痛めた、彼は是がために二三日寝食を廃した、彼は此時に神と人とに対つて大なる悪を為したと思ふた、若し一方に東洋の伊藤侯、山県侯を置き、他方に西洋のグラツドストンを置いたならば、両者の間に道徳上の距離は洋の東西の距離よりも更に大なるではあるまいか。
〇己が善人であると想ふ者は善人でないとすれば、善人が善人を作らんとするに方て自己の徳を以てしないのは勿論である、真正の善人は善を自己以外又は以上に求むる者であるから、彼は人を善に導くにも彼を自己に導かずして、善の源に連れ行かんとする、之を天と云ふか、神と云ふか、如来と云ふか、それは別問題として、何れにしろ人は或る宗教を以てせずして、真正の善人を作ることが出来ないのは、能く判つた事であらうと思ふ、宗教なくしてはミルトンもヒユーゴもオルヅオスも養成されなかつた、宗教なくして、善其者を恋ひ慕ふ者は出来ないと思ふ、若し其実例を見んと欲すれば今の日本国の文部省教育の結果が天下無二の好き例である。 〔以上、7・25〕
(239)〇余輩にも余輩の善人養成法がある、詔を換へて云へば余輩にも余輩の宗教がある、余輩も之に依て(余輩自身の徳を以てに非ず)多少の善人を養成することが出来た、今左に二三の実例を掲げやう。
〇茲に尾張の名古屋から報知がある、余輩の友人の通知に依れば彼地の或る女工で近頃非常に歓ばしい者となつた者があるとの事である、彼女は今は職工たる彼女の辛らき地位に安んじ、彼女の貧しき家庭は全く一変し、彼女の母が非常に喜んで彼女に向て「お前が爾んなに喜ばしい人と成つて私までが非常に嬉しいが、然し人の云ふには仏法を信じなければ極楽へ行けないとのことであれば其れ計りが心配である」と言ひたらば彼女は答へて「極楽へ行く行かないの問題ではありません、私は今既に極楽に在る者です」と云ふたさうである、「今既に極楽に在る者である」、此語を発することの出来る者は今の日本に幾人あるか、本願寺の法主彼れ自身が此喜ばしき表白を為し得るや疑問である。
〇次は市ケ谷の監獄署よりの通知である、彼は数年の重懲役に処せられた者のやうに見える、彼は近頃余輩に手紙を送つて溢るゝ計りの感謝を述べて来た、署長も押丁も彼の悔改に就ては大に満足して居るとのことを他から聞いた、又同じやうな手紙が函館からも札幌からも来た、監獄署内に善人の起りつゝあるのは最も喜ばしい事である 彼も人間、是も人間、一人の罪人が悔ひ改めたる為め天に於ては大なる喜びがあるとの事である。
〇其次は妾奉公をするとて人に卑められる者である、彼女は近頃余輩の許を訪ひ来て其の紅の袖を絞り、彼女の心の悲痛を訴へた、彼女は如何にして善人となることが出来やうかと泣いて余輩の教を聞いた、人は芸妓《げいしや》上りなればとて彼女を卑めるかも知れないが、余輩は深き敬虔の念を以て彼女に接した、彼女の罪ではない、彼女を弄んだ浮薄男子の罪である、余は彼女と共に泣いた、伝道の業にも亦たローマンチツクの所がある。(240)〇其次は学生である、彼等とても腐敗漢ばかりではない、彼等を導くに適当の道を以てすれば彼等は実に日本国の将来を任かすに足るべき人物となるのである、彼等の一人は新道徳に接してより、其心と周囲との腐敗に堪へなくなり、曾て本郷の向ケ岡より上野公園の森の上に旭の昇るを見て、自己の心の穢れに耻ぢて何と言ふて天に訴へて好いか発するに言辞がなかつたとの事である、斯くも自己の汚穢《をくわい》に耻た彼は今は大に暁《さと》る所があり、其風采、目的までが前とは全く変て来た、近頃其母なる人に遭ふた所が彼女は斯う云ふた、
  〇〇も近頃は非常に変つて釆ました、好きな芝居も今は全く廃ました、頃日《このごろ》彼に「お前も遠からず卒業するから新らしく家を建てやらう」と申しましたら、彼の云ふに「私はそんなものは要らない、私は卒業すれば月に十五円位で暮らす積りである、私は……」との事であります、実に困つた者であります、彼が無慾になつたには驚きます
と、然し彼は無慾になつたのではない、彼は実に大慾になつたのである、彼は世の学士に較《なら》ふて会社の役員や政府の官吏と成つて千や万の金を得やうとするアムビシヨンを断《ことわ》つたのである、彼は国と人類との事を思い出したのである、彼の如き者が続々と起るにあらざれば日本国の将来は甚だ不安心である。
〇其他|富者《ふうした》の中《うち》にも、貧者の中にも、職人の中にも、商人の中にも、同じやうな実例は沢山ある、斯くて余輩は余輩の養成法を以てしても善人を作ることが出来るのを知つた、余輩は此事業に無上の快楽を感ずる者であつて、之を思ふて世の政治家達が候補運動などに狂走しつゝあるを見て、如何にも可笑く感ずる者である。 〔以上、7・27〕
 
(241)     〔妨害 他〕
                        明治35年8月5日
                        『無教会』18号「論説」                            署名なし
 
    妨害
 
 或る時は私共の事業に非常の妨害が来ります、私共は之に遭遇して非常に心を痛めます、私共は其時は神の摂理を疑ふに至る事があります、私共は想ひます、神は私共を捨て賜ふたのではありますまいかと。
 然るに少しく心を静めて考へて見ますれば妨害が決して妨害でない事が判ります、即ち之は神が私共の事業に新方針を与へ給はんために下し給ふた恩恵の手段でありまして、之に随つて私共は更に自由と活動の域に出づることが出来るのであることを私共は看出します、実に神を信ずる者には悪い事は一つも来りません、彼に臨むものは善き事斗りであります、私共の生涯は実に感謝の連続であります。
 
    安心
 
 宇宙は其細目に至るまで神の支配し給ふ所のものであります、神の許可《ゆるし》なくしては一羽の雀すら地に落ちません、又私共の頭の毛までが皆な算へらるゝとのことであります、斯かる世に在て斯かる神を信ずることであり(242)ますれば私共は何事に関はらず安心して居るべきであります、私共の兄弟が私共に逆つて私共を困めませうが私共の友が私共を売て私共を死地に陥れませうが、私共の事業に大妨害が起りませうが、是れ皆な愛なる天の父の主宰の下に成ることでありますれば、私共に益をなすことであつて、決して害をなすことでないに相違ありません、「万事は神の旨に依りて召かれたる神を愛する者の為めに悉く働きて益をなす」とは実に慰藉《いせき》を以て充たされたる言辞であります。(羅馬書八章二十八節)
 
    憐憫
 
 今は暗黒の世の中であります、今は猜疑の世の中であります、人は神を求めんとせずして、理想の人を看出さんとのみ致して居ります、故に彼等は日々失望し、煩悶し、且つ怒《おこつ》て居ります、彼等は神の子と成らんとはせずして、人の弟子とならんとして居ります、彼等は神の懐に還らんとはせずして、人の袖に鎚らんとして居ります、爾うして其人が彼等の想ふ通りの人でない故に、其人に唾《つばき》し、其人を藐視《かろし》めて、多少の快楽を自己の心に収めつゝあります、実にキリストの父なる天の神を知らない人の心ほど浅墓なるものはありません、然るに世の人が万人に万人まで斯かる浅ましき人であるのを思ふて私共は時には涙を流さゞるを得ません、…………宇宙の孤児《みなしご》、「望なく又世に在て神なき者」(以弗所書二章十二節)、とは実に彼等のことであります。
 
    変更
 
 本号を以て此小冊誌の終刊と致します、其代りに来る十月よりは「聖書之研究」を毎月《まいげつ》二回づゝ発行するこ(243)とゝ致しまして、是まで通り矢張り毎月二度づゝ紙上に於て愛する読者諸君と御目にかゝります、発刊以来諸君が浅からぬ同情を此冊誌に寄せられしを感謝します、合せて更に同一《おなじ》の同情を「研究」誌に寄せられんことを願ひます。
 
(244)     洗礼約翰の最期
         (馬可伝第六章十四より二九節まで)
                      明治35年8月5日
                      『無教会』18号「講話」
                      署名 内村鑑三
 
 聖書中に注意すべき人物は沢山あるが其中最吾曹の同感同情を惹くものは洗礼《ばぷてすま》約翰其人である、基督は工匠《だいく》を職とせる人の家庭に人となつて初めの生活は至極平穏なものであつた、然るに約翰はわかい中から悲惨しき月日を送つた、彼は所謂憶慨家の一人であつて、駱駝の毛衣皮の帯といふ躰裁で唯一人猶太の荒野に彷徨ひ、蝗虫《いなむし》や野蜜《のみつ》を食ひ乍ら正義の洗礼を唱へて基督の福音の先駆を做した最後の預言者であるが、基督世に出でゝ天国の道を宜ぶるに及び約翰其人は宛然有て無きに等しく其勢力頓に衰微するに至つた、加之《しかのもならず》彼の最後は終始正義を守り通した人間のそれとしては実に半銭の価値もない犬猫同然の死様であつたと云はなければならぬ。
 爰にヘロデ王といふがあつた、彼は嘗て賄賂を捧げて羅馬の帝王に諛《こ》び前ヘロデ大王領国の四分の一を占し得たる男である、又彼は羅馬に如《ゆ》き異腹《はらちがひ》の兄弟ピリポの家に寓して嫂《あね》ヘロデアと密通した、然るにヘロデアは一方ならぬ奸婦であるから直に王に薄りて妾を正室《ほんさい》に据え給へと申出でた、これ素より彼の望む所、即其妻なるエドム王の娘を棄てゝ公然奸婦ヘロデアを娶つた、これ実に二重の奸淫を犯せる振舞、義人の舌いかで黙するを得んや、満朝の臣士口を緘《つぐ》んで語らざる間に立て洗礼約翰は面折廷諍忌憚する所なく彼の所業を攻撃した、されど(245)良薬は口に苦し、ヘロデは大いに約翰を怨んだのであるが之を殺すこと能はずして終にマケーラスと呼べる土地の岩窟中に約翰を押籠め以て自分等の罪悪を隠さうと仕《し》た、其後ヘロデは己が誕生の日に当時の大臣貴族を招いて盛んなる酒筵を催した、宴酣にしてヘロデアの娘は起て一坐の興を添へんが為め彩粧《こさう》軽舞大に衆客の喝采を博した、酪酎せるヘロデは益々上機嫌となつて直に其席上で娘に向ひ嬢が求めんものはたとへ我領分の半に至るとも吝まず遺すべしといふ約束をした、乃《そこ》で娘の母ヘロデアは隙さず洗礼《せんれい》の約翰が首を賜はれと注文したのでヘロデは今更衆前に矢《ちか》ひし約束を取返す訳にゆかず命令忽ち雑兵《ざつへい》の下に下つて白刃一閃約翰はあへなくも無惨の最期を遂げて了つた、思ひ見よ一は無類の婬婦一は無上の義人である、一方が破廉恥の代表者であれば一方は正々義々の好摸型である、然るに正邪忽ち顛倒して義人の頸《うなじ》は恰かも胡瓜や水瓜の様に切り落されて了つた、吾々は今藩閥政府に対して不平がある、紳士富豪に対して不平がある、されどこれを約翰の末路と較べて見れば吾々の蒙て居る侮蔑は勿論言ふに足らない、況んや吾々に反対するものはヘロデア程|汚醜《けがらは》しき奸物《もの》ではない、而して況んや吾々がヨハネよりも遙に劣等な凡俗の徒党であるといふことを反省して見れば吾々の怨嗟不平の甚大ならざるものなることは分り切つたることであらう。
 処で茲に一つの疑問が起つてくる、即救主基督は何故其異能を以て約翰を救はなかつたかといふことである、諸君の已に知れるが如く基督を真先に猶太人に紹介した人は此約翰であつて基督と約翰とは一段と深い関係があつたのである、それにも係はらず基督はたゞの瞽者《めくら》や癩病人ばかりを治療して遣つて約翰に対しては何の痛痒だも感ぜざる振舞であつた、若し基督にして奇蹟を行ふの権威があるとすれば彼は先づ進んで獄裏の義人を救けてやるべき義務が有るではないか、然るに彼は恬として此義人を眷顧《かへりみ》なかつたのである、眷顧みざりしが故に彼れ(246)約翰は忽ち悪人共の酒の肴となつて夕の露と消失せて仕了つたのである、シテ見れば上帝に愛なるものがあるのであるか基督に奇蹟を行ふ力が有つたのであるか 吾等は大に此問題に就て研究する所がなくてはならぬ、今日の日本人のよく云ふ所であるが社会は腐敗朽頽に瀕して居れどされど一意専念進んで之が救済を試みんと欲するものはない、不義は富み栄ゑ小民は飢渇に苦んで居る、古河《ふるかは》一人の為に幾干《いくばく》の赤児は出もせぬ母の乳房に縋つて蚊細い声して啼いて居るではないか、人は渾沌として世に是非明快の判断なし、如斯き、状態を見て流石の約翰も終には其信仰を動かしたに相違ない、そこで彼は其弟子を基督の下に遣はして「待たる救主は爾《なんぢ》なる乎」といふ質問をした、(馬太伝第十一章二より七節まで)小人の毒手にかゝつて将に馘《くびき》られんとする正士の質問此質問を受取られた基督は心窃に幾回か暗涙に咽ばれたであらう、併し基督の約翰に対する返答は至て簡単なるものであつた、「我に於て躓かざる者は幸福《さいはひ》なり」といふ一言であつた、而して後基督が諄々として衆に説教せられた言葉は如何にも深醇切実、措辞も亦至極美妙であつて大に約翰の為に弁護せられた所がある、(馬太伝第十一章八より十五まで)よく之を翫味して観ると当時基督が約翰を救助《たす》け給はざりしは則大に救助け給ひし所以であつて、基督は約翰の名誉幸福の為に態と忍ぶ可らざる苦痛を忍んで救助け給はざりし所以が分つてくる。約翰は死んだ。されど信仰の約翰は死して死なゝかつたのである、予輩は約翰の善行と約翰の最期とを対照稽査して未来復活の確証がたしかに此処に存在して居ると考ふる、嘗てボルテアと云ふ学者が申した言がある 神が世界を創造つたものとすれば神程惨酷なものはあるまいと、成程此世は惨酷である、無慈悲である、兵馬角逐いかにも血腥《ちくさ》き修羅場である、それで吾々は少し苦しい目に出会ふと基督何ぞ吾等を救はざると叫ぶのであるが乍併《しかし》それは大変な間違で有る、此世は決して/\吾々の終局ではない、墳墓は決して/\万事皆|休《きゆうす》を表はすの場処ではない、(247)さればこそ保羅も善き戦《たゝかひ》を戦へりと喜んだのである、若し未来復活の信仰を撤去せんか、吾等はいかで世の誤解侮辱に安然として忍び通すことが出来やうか。
 然れど多くの人の中には陶淵明を気取つて自分の不平を酒盃に洩らして居るものもあらう、或は又喫煙や詩吟を以て英雄的の快楽を弄して居る者もあらう、されども真面目なる人は決して酒や煙草位で安心することは出来ない、吾等を永遠に慰ましむるものは復活の教義未来の信仰より外には無い、真の基督信徒に取りては現世の懊悩は却て未来観喜の源で有る。
 かく云へば或人々は切りに冷笑して此れ詩人文学者の空想であると言ふかも知れぬ、然れど此れは決して詩人文学者の空想ではない、今迄不義と見做された人が新生涯の暁には不朽の冠を頂いて現るゝといふ事は確に事実上の事実であつて、若し之を排斥せんか吾々は約翰の一生を読んで唯失望の雲に蔽はるゝ許りである、言更ふれば約翰の最期は解す可らざるものに成て了ふのである、乍併《しかしながら》馬可伝六章を読んで黙示録の新天新地を読み而して善く其前後本末を照し合せて観れば神の慈愛と吾人の希望とは確に其裏に潜んで居る。成程ヘロデは後に至つて位を褫《うば》はれ哀れな生涯を荒野《あれの》の間に終つたとあるが、併し其位なことでかゝる罪悪が贖《つぐな》はるゝものだと思ふのは間違である、そこで諸君吾々が現世に於て悪人の栄華を見る時に方つては吾々は大に戒心せなければならぬ、又現世に於て善人の不遇失敗を見た時には吾々は益々勇奮の気概を高めねばならぬ、願くはかゝる確信が科学上の確信となつて諸君の心中に植付けられんことを祈る。
 
(248)     天然と人
                         明治35年8月7日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
〇天然は美しくある、然し人心は腐てる、天然の美と人の醜とを思ふ毎に余輩は悲惨の念に堪へない者である。
〇其天然の美を以て評すれば日本は世界第一の国である、然し其人心の腐敗を以て論ずれば日本は世界最悪の国の一である、富士山の麓、鴨河の岸に堕落の最も甚だしいものが行はれつ」ある、日本国民の堕落は其の風景の秀美の故を以て一層明白に顕はれる。
〇大平洋の水は浄くある、然し之に身を洗ふ浴客の心は穢くある、富士山の巓は高くある、然し之を攣《よぢのぼ》る登山者の志は低くある、日本人は此美しき国土を所有するの資格と権利とを失つた者である。
〇夏は来た、嗚呼我は何処に遊ばうか、箱根にか、俗人は彼所にあつて、其山を涜し、其水を濁す、榛名にか、紳士と娼婦とは彼所にあつて清風ために妖氛を帯ぶ、富山の八湖も今は其岸に日本貴族の別荘を見るに至りしと云ふ、大磯は遊廓地であつて、狒々猩々の棲息する所である、鎌倉は博奕場であつて、都会に財を貪りし者が賭事に快楽を貪る所である、夏は来た、然し山の紫なる所、水の美なる所は皆な悉く悪人の占領に帰した、嗚呼我れ何処に遊ばんかな。
〇此広き、而かも美くしき日本国に生れ来て今や清潔なる休養地とては一つも発見することが出来ない、到る処(249)に淫歌は聞え、臭声は揚る、都会のみ穢れたのではない、海浜も山間も今は腐蝕の跡を留めない所はない、日本全土は俗化せりと云ふも、誰も此言を否む者はあるまい、余輩は夏期の来る毎に日本の天然と其人心との対較《こんとらすと》とを意はざるを得ない。
 
(250)     大井川上り
                       明治35年8月12・14・15日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
〇人の心の穢れたる此日本国に於て其美しき天然の美を探らんと欲へば之を人の行かざる所に求めざるべからずとは余の平素の所信である、近頃「夏期善人養成会」(之を「夏期聖書研究会」と称す)の重き任務を終へたれば、二三日間穢れぬ有の儘の天然と交はらんと思ひし頃、丁度来会者の一人にして愛すべき田舎漢を其故郷に送り届くるの必要が生じたれば、天然を賞づると同時に小なる慈善を行はんと思ひ、去る五日の正午彼を伴ひて彼の故山なる遠州大井川の上流を指して発足した。
〇乗り慣れし東海道の汽車に乗り、午後七時頃島田駅に達すれば一|人《にん》の小形《こなり》の紳士の内村君、内村君と頻りに呼ぶ者があつた、是は誰ならんと怪んで其紳士を能く看れば紛ふべきなき知友小手川豐次郎君であつた 今日今頃何のために斯かる僻陬《ゐなか》に在《おは》すかと尋ぬれば君は少しく耻かしげに、「イヤ君の嫌ひな政治運動の為め」との答であつた、去らば政友会の選挙運動のためであるかと問へば爾うであるとの答であつた、然るに如才なき君は余に向て「君どうか此所で我輩のために一席の演説を為て呉れない乎」との注文であつたが、余は政治と聞ては身の毛の立つ程恐ろしく感ずる者であつて、殊に政友会と聞ては大の大嫌ひな者であるから、其会員たる小手川君に対しては常に尠からぬ尊敬を表する者であるが、君の此注文には死んでも応ずる事が出来ないと思ひ、程能く謝(251)絶したる所、君も頗る手持無沙汰気に、君と同行の数名の灰殻連《はいかられん》と車に飛乗て何れか指して飛去られた、残されし余と余の被保人《ひほうにん》とは島田宿の藤村屋とて四等か五等の旅籠屋に投じ、其所に夜遅くまで余が余の足を彼に揉まれながら彼の将来に就て彼に訓誨を加へつゝあつた頃は、彼等政友会の灰殻連はビールの一杯機嫌に反対党撲滅策を講じつゝあつたであらふ、嗚呼、我は天に謝す、我は耶蘇教の伝道師となつて、政治家とならざりし事を、此一人の罪を悔ひたる田舎漢を教ふる事は多くの反対党を倒して帝国議会に勢力を占むるに優る数層倍の名誉と持権とである、嗚呼、愚なる日本人よ、彼等は何故に政治家たるを望んで伝道師たるを嫌がる乎。
〇明れば六日、大井川の水漲て、神座《かんざ》の渡船場が渡れぬとのことなれば、汽車にて鉄橋を金谷駅に渡り、是より脚半草鞋掛の装足にて大井川の水上指して歩を進めた、平なるは五和村《ごくわむら》の横岡までの僅か三十丁余、後は山又山、上つて下り、下つて上り、斯かる所にまで人家があるとは日本国も如何に開けたる国なるかなと驚く程である、神尾峠の頂より大井川の下流を眺むれば濁流日光を受けて銀板を海に連ぬるが如く、前に広原の拡がるあり、後に峰巒の重なるあり、此所に天然は勢力を占めて、政治の狂愚には関せざるが如し。 〔以上、8・12〕
〇横岡より家山まで川に添ふたる山又山、別に見るものとてはないが、山の林はドコまでも新らしく、川の水はドコまでも勇ましく、之を仰ぎ之に臨んで言ひ尽されぬ程の歓喜がある、天然の子供たる人は常に斯くあるべきである、自由で、心配なくして、有の儘で、羨ましきは実に山と山川とである、若しオルヅオスの一句を借りて云ふならば、余は其時は清き風に誘はれて何処《いづく》ともなく深山指して進み行く者であつた(「プレルード」第一章参考)、余りの嬉しさに余は余の同伴の被保人に促して山の中腹に二人佇立して首《かうべ》を低れて天地の造主に感謝の祈祷を捧げた。
(252)〇家山は山中の一都会である、此所に電信局もある、料理屋もある、後で聞けば潜代言も居れば詐欺師も居るとのことである、我等は此所に昼食し、旅行の半を終へしを喜んだ。
〇是れからは未だ山続きの四里、先づ第一に登り詰めしは葛籠の嶮道、之より足下を見下せば名にし負ふ大井川の七曲、激流は右と左に数回《すくわい》蜿曲《ゑんきよく》し、駿河なる半島は遠江に向て突出し、遠江のものは駿河に向て突出す、矮松奇石を飾り、白浪《はくらう》其根を洗ふ、嗚呼美形、天然の戯作《ぎさく》、之を見んがために五里の山道を越えて此所に来るの価値は確かにあり、而かも此美形は人に捨てられて独り此山中に潜む、然れども彼女を憐む勿れ、都に出て日本貴族に姦せられんよりは山に在て清節を守るに加《し》かず、大井川の七曲よ、余は汝に傚つて生涯せん。
〇或時は鬱蒼たる杉林に隠れ、或時は磊落たる磧に出で、又或時は碧潭に添ふて溯る、変化多きこと如斯き道は稀なるべし、終《つひ》に進んで下長尾に至れば路傍に横文もて Swiss Milk(瑞西《すゐつる》牛乳)と書しありたれば、是れ我ために特別に書かれしものと思ひ、歩行を止《とゞむ》る半時《はんじ》余、特に其三合を搾り取らせて立に之を飲み尽しければ傍に見て居りし腰掛茶屋の者共は余の大酒にあらで大乳なるに驚き、斯かる剛力者も世にある乎と言はぬ計りに余の顔を見詰めたりき。
〇終に我等の目的地なる速川榛原郡《ゑんしうはんばらごほり》中川根村字上長尾に達しぬ、前の村長八木氏の家に投じ、此所に厚き待遇を受けたり、九里の山道に足を疲らかしたる余も、一回の演説だもなすことなしには此里を去るを許されずとのことにて、其夜直に余の当夜の主人公の家の広き台所に於て小演説会は開かれたり、来りし者は多くは家持なりと云ひて村でも権力ある者との事であつた、余は「日本今日の困難」との題にて、西洋東洋両文明の衛突より今日の困雑なる者の多く起る所以を述べ、例を軍隊並に議会の腐敗に引き、東洋主義を捨てゝ、全然西洋主義を取る(253)にあらざれば、到底此困難を取り去られざるを説いた、是れにて此演説を終ひて余の室《しつ》に帰て、耳を傾けて来会者の余の演説を批評しつゝあるを聞けば、彼等の或者は云へり「万朝報ソツクリだ、行り方が中々甘い」と、是を聞て余は思はず吹出しぬ。
〇茲に余の被保人を其家族と友人とに引渡し、余の遠来の義務も之で達したれば、之よりは面白く愉快に帰途に就んとそれを楽しみに眠に就いた。 〔以上、8・14〕
〇是からが大井川下りである、山に由らん乎、川に由らん乎、東都の文壇とやら称へて懶惰者《なまけもの》の多く従事する職に在て筆より重い物は滅多に取つたことの無い余なりと雖も、尚ほ九里や十里の山道を越え得ないことは無い、然し山に由て上り来て、又山に由て下るとは余りに興味なきことなれば、帰途は河流しと意を決したれども、数日来の霖雨にて河水殊の外漲り、漸く薩と其朝川が開いたとの事にて、舟は頗る危険なりとの事なりしも、少しの危険を冒さずば万朝報に報ずる事も無からんと、友の留めるのも聞かず、雨の降りしくにも干はらず、遠州産の茶十箱計りを積みし小舟に乗り、急流に任かして川下指して流れ出でた。
〇早いわ、早いわ、早いこと矢の如しとは此事だらう、轟々《ぐわう/\》、ジヤリ/\、渦を越え岩を除け、時には波を被りながら進む其の状は面白くもあり、又怕くもあつた、下り下つて七曲の悪所に来れば水幅は狭み、流は益す急なり、遠州へ向て進み、又駿州へ向て進む、僅か四十五分間計りにて七八回駿速二国に対する余輩の嚮背を異にしたと云ふ有様、七曲を無事に奔下して先づ生き伸びたとホット一息附きしと思へば舟は家山の繋舟場《つなぎば》に着いた、五時間を費して漸く越えし山道《さんだう》の麓を一時問と十五分で下りしを思ひ、時には危険を冒すの利益もあると独り処世の方法に就て考へた。
(254)〇家山よりは河流も大分緩くなり、夫れと同時に面白味も減じた、午後一時に上長尾を舟出して、同じく四時に横岡に着いた、それより雨を冒して金谷の停車場に着いたのは午後の五時頃であつた、後にて聞ば此日の大井川下りは大胆者の行為であつて、舟を出した舟子も之に乗りし乗客も生命知らずであるとの事であつた。
〇其夜は静岡の大東館に泊り、其番頭に対て茶代廃止の利益を語りしに、彼は喜んで之に応じ、未だ公然と発表はせざれども既に大抵は之を実行しつゝあるとの事であつた、成程其扱ひ方も至て深切で、文明流の旅館として耻しからぬ者であることを知つた。
〇其翌朝汽車に乗て興津に来れば国府津松田間汽車不通と聞き、其日の帰京は覚束なければ沼津に下車し、此所に一夜の安民を貪らんとした、何処に身を投ぜんと考へしに、牛臥《うしぶせ》の三島館とやらは静かなる所と聞き、篠を衝くが如き大雨を冒して其処に至り、先づ茶代廃止会員たるを表白して、宿泊を求むれば、善き室なしとの故を以て入口の小部屋に投げ込まれた、是れでは休養も如何かと思ひ転室を求めたれど応ぜず、然れば再び沼津に帰らんものと思ひ、昼食を終へて後又々雨を冒して沼津に帰て来て其処の杉本旅店に投じた、翌日汽車にて某外国人と同車し、彼も前夜三島館に投じたりと聞きしかば室は如何と聞きしに「オヽ、結構《スプレンヂツド》」と答へた、若干《いくら》払ひしと聞けば五六円と答へた、そこで余は又|暁《さと》つた、「金力即ち権利である」と、内村主義は到底避暑|場《ぢやう》では行はれない。
〇翌九日朝汽車開通し、車中に南洋ニユージーランドより来りし英人某ありたれば、彼に彼国に於ける社会主義実行の状態を聞き、同じ島国でも東洋の日本の※[しんにょう+向]かに南洋のニユージーランドに劣るを歎じ、早く此国にも斯かる主義の行はれかしと祈りつゝ角筈の古巣に帰つたのは其日の午後四時であつた。 〔以上、8・15〕
 
(255)     飢饉
                          明治35年8月18日
                          『万朝報』
                          署名 内村生
 
〇飢饉よ、来れ、来て此罪悪の国民を罰せよ、彼等は罪に罪を重ねたり、彼等は東洋平和の名の下に東洋平和を擾乱せり、彼等は自由平等を装ふて新華族を作り、最も陳腐なる最も圧制なる東洋風の忠孝道徳を強ひつゝあり、其政治家の多くは相場師の類なり、其実業家は虚業なり、其数育は偽善なり、而かも天は此民をも恵み、過去三十年間曾て差したる凶年とては之を此民の上に降さゞりし、故に彼等は心に誇つて曰へり、我は先天的に好運の民なれば我の罪悪は積んで天に達するも我の上に天罰の臨み来るべき筈なしと、彼等は亦警醒者を嘲て曰く、天何者ぞ、来て我が別荘と妾宅とを見よ、是れ宇宙に天なく神なき実証ならずやと。
〇斯かる民は天の厳罰を要するなり、義人の声も予言者の忠告も斯かる民を醒すに何の効力あるなし、天災のみが彼等が覚醒するに足るの能力を有す、故に余は今日に於ては寧ろ飢饉を歓迎せんと欲する者なり、米穀二三千万石の減収何かある、人はパンのみを以て生活る者に非ず、金融の逼迫何かある、人の生命は其霊魂に存して財嚢に在らず、人を救はんがためには、人の霊魂を覚醒せんがためには吾等は喜んで饑餓を忍ばんと欲す。
〇飢饉よ、来れ、来て此不公平極まる経済界を匡正せよ、又天爵を軽んじ人爵をのみ専ぶ此虚偽の社会を改造せよ、吾等は汝の力を藉るに非ざれば此痼疾の民を根本的に救ふ能はざるべし。
 
(256)     聖語と其略註
       (第三回夏期講談会に於て読まれし者)
                     明治35年8月25日
                     『聖書之研究』24号「註解」
                     署名なし
 
     詩篇第十九篇
 
   諸《もろ/\》の天は神の栄光を顕はし、
   穹蒼《おほそら》はその手《みて》の業《わざ》を示す、
   この日|語《ことば》をかの日に伝へ、
   この夜智識をかの夜に送る、
   語らず言はず其声聞えざるに
   其響は全地に普く、
   其語は地の極《はて》にまで及ぶ。
   神はかしこに帷幄《あけばり》を太陽《ひ》のために設け給へり
   太陽は新郎《にひむこ》が祝ひの殿を出る如く、
(257)   勇士《ますらを》が競ひ走るを悦ぶに似たり
   其出立つや天の涯《はし》よりし
   其運り行くや天の極に至る
   物として其|和煦《あたゝまり》を被らざるはなし。
 
   ヱホバの法《のり》は完全《また》くして霊魂《たましひ》を蘇生《いきか》へらしめ、
   ヱホバの証詞《あかし》は固くして愚者《おろかなるもの》を智《さと》からしむ、
   ヱホバの訓諭《さとし》は直くして心を悦ばしめ、
   ヱホバの誡命《いましめ》は清くして眼《まなこ》を明かならしむ。
   ヱホバの惶懼《おそれ》は潔くして世々絶ることなし、
   ヱホバの裁判《さばき》は真実《まこと》にして悉く正し。
   是を黄金に較るも純金《まじりなきこがね》に此ぶるも弥《いや》優りて慕ふべく、
   是を蜜に較るも蜂の巣の滴瀝《したゝり》に比ぶるも弥優りて甘し。
   爾の僕はこれらによりて※[人偏+敬]戒《いましめ》を受く
   これらを守らば大なる報賞《むくひ》あらん。
   誰か自身《おのれ》の過失《あやまち》を識り得んや、
   願くは我を隠れたる※[衍/心]《とが》より解放《ときはな》ち給へ、
(258)   願くは爾の僕を引止めて故意《ことさら》なる罪を犯さしめず、
   それを我が主たらしめ給ふ勿れ、
   去れば我は※[王+占]《きず》なき者となりて大なる※[衍/心]を免かるゝを得ん。
   ヱホバ、我が磐我が贖主よ、
   我が口の言、我が心の思念《おもひ》をして爾の前に受け納れらるゝことを得しめ給へ。
 天然の法律と神の律法とを較べし聖語《ことば》なり、天躰に声なく、響なきも、其和煦は地に普きが如く、碑の真理に世の所謂る勢力なるものゝ附随することなきも、之に疲れし霊魂を蘇生へらしめ、愚者を智からしめ、憂ふる心を悦ばしめ、曇れる眼を明かならしむる能力《ちから》存す、大陽の光線の普く照り渡りて、其達する所に、物の隠れて顕はれざる者なきが如くに、神の真理は人の心の深奥にまで透徹し、其処に隠れたる※[衍/心]を発見し、神に依り頼む者をして其覊絆より脱することを得しむ、世に貴きものにして日光の如きはあらず、人に必要なるものにして神の真理の如きはあらず、純金も宝玉も、富貴も権勢も之に比べて糞土たるのみ、吾等は大陽の光に r《ひとし》き神の真理を獲んことを欲す、吾等は心の奥底より洗ひ潔められんことを欲す、而して吾等を中心より潔むるものは聖書に顕はれたる神の真理のみ、人をして真実に悔改めしむる者は之のみ、彼の良心其物を改造する者は是のみ、他の者は社会と個人との外面を修補矯正するに過ぎず、吾等は僅に暗夜に燈光を求むる者にあらず、吾等は直に進んで日光に出でんと欲する者なり、聖書研究の目的は霊魂の大陽を探るにあり、而して身心を其大光に曝らし、自己の罪過を識認し、総ての隠微の※[衍/心]より解放たれ、以て吾等の口の言と心の思念をして聖くして全能の神に受け納れらるゝものたらしむるにあり。
 
(259)       ――――――――――
 
     羅馬書研究の方法(其第五章を読む)
 
 科学に法則あるが如く、宗教に教理あり、法則は天然観察の結果を能く簡明なる語に彰したる者なり、教理は心霊実験の結果を能く簡潔なる語に言ひ表したるものなり、教理を断定と解するは謬れり、是れ法則を学説と混ずるの類なり、多くの人に由て実験されし同様の事実を簡単にして明白なる言語に表したる者、是を科学に於ては法則と称し、宗教に於ては教理と曰ふなり。
 又能く法則を知るは科学を究むるの捷径なるが如く、能く教理を解するは宗教を解するの使方なり、此法たるや演繹的なるが故に背理的なりと云ふを得ず、人は何人もニュートン、ダーウヰンの観察を繰返すにあらざれば科学者たること能はずと云ふを得ざるが如く、彼は亦アンセルム、カルビンの推理探究を積むにあらざれば宗教を解し得ずと云ふ能はず、先進攻究の結果を利用するは後進たる者の特権なり、教理に由て宗教を学ぶは此特権を用ゐるに外ならず。 由来羅馬書は難解の書なりと称へられて、人の其攻究に従事する者尠し、然れども少しく基督教の原理を解して此書は決して解し難きの書にあらざるを知るべし、人の凡て罪人なること、基督の血に縁てのみ罪の赦免のあること、罪の潔め、其鞫を心に留めて之を読めば羅馬書は我が心中の実験録となりて、吾等之を手にして読んで其終に達せざれば止まざるべし、要は基督を心に実験するにあり、所謂|基督的意識《クリスチヤンコンシヤスネス》を養成するにあり、而して此意識を以て此書を読むにあり、然らば此書は一種の霊的|稗史《ローマンス》と化せん、何ぞ必しも註解書に縁るの要あらんや。
 
(260)     人生の価値
 
  或篇に人|証《あかし》して曰ひけるは人を誰として爾これを心に記《とむ》るや人の子を誰として爾これを眷顧《かへりみ》るや(希伯来書二章六節、詩篇八篇四節)。
  イエス答へて彼に曰ひけるは若人我を愛せば我言を守らん且我が父は之を愛せん、我儕来りて彼と偕に住むべし(約翰伝十四章二三節)。
  爾曹は神の殿にして神の霊爾曹の中に在すことを知らざる乎(哥林多前書三章十六節)。
 人の生命は何故に貴重なるや、是れ容易なるが如くに見えて実は甚だ困難なる問題なり、何故に乞丐一人の生命は千万金を値する馬のそれよりも貴きや、或は云ふ、是れ己の生命が貴き故なり、即ち若し他人の生命を害ふを許し置かんには終に我が生命を侵す者の出で来らんことを懼れてなりと、然れども此解釈は人命其物の貴重なる所以を説明するに足らず。
 基督教は人命の貴重なる所以を説て曰く、人は神の聖殿たるの資格を備えたる者なればなりと、即ち天の父と其愛子とが其聖霊に由て彼の内に宿り、彼と偕に住むを得べければなりと、哲学者カント約翰伝の十四章二十三節を評して曰く、「是れ人類の最大特権を示せる語なり」と、神の宿る所となる者、是れ人なり、彼の何人たるを問はず、彼は乞丐なるも、卑人なるも、黒奴なるも、無宿無頼の流浪人なるも人は人にして此至大の特権を有す、馬は皇帝の愛馬なりと雖も此特権を有せず、万金を値する猟犬も此特権を有する者にあらず、黄人も黒人も銅色人も、人とし称えらるゝ者は凡て此特権を有す。
(261) 故に人命は貴重なるなり、故に之を毀つ者は神殿を毀つの罪を以て罰せらるゝなり、「若し人、神の殿を毀たば神かれを毀たん、蓋《そは》神の殿は聖きものなればなり、この殿は即ち爾曹なり」(哥林多前書三章十七節)、他人を殺す者も、自己を殺す者も、均しく是れ神の聖殿を毀つ者なり。
 是れ如何なる教訓ぞ、吾等各自は神の宿り給ふ聖殿たるを得べしと、吾等は自己の貴重なるを覚りしや、吾等時には生命を嫌ふに非ずや、此宝殿を吾等に委ねられしに吾等は如何にして之を用ゐつゝあるや。
 又世に貴重なる者尠きとて歎つ者多し、曰く人は皆凡俗のみと、曰く、英雄の世に出る甚だ稀なりと、然れども是れ基督の福音を知らざるより発する歎声なり、世に貴重なる者は多し、日本国に四千五百万の神の聖殿あり、其各個はソロモンの造りしと云ふ神殿に優る数倍の価値ある者なり、隣邦の朝鮮に一千五百万の神の聖殿あり、其支那に四億万の神の聖殿あり、嗚呼吾等何ぞ今日起て之を潔めて之を神に捧げざる、吾等此地に存して実に望城《きよきまち》なるヱルサレムに在るに非ずや。
 
       ――――――――――
 
     衆人と偕に祈るの利益
 
  我また爾曹に告げん 若し爾曹の中二人のもの地に於て心を合せ何事にても求めば天に在す吾父は彼等の為に之を成し給ふべし、蓋我が名の為めに二三人の集れる処には我も其中に在ればなり(馬太伝十八章十九 二十節)
 神は祈祷を聴く者なれば、彼は一人の祈祷も万人の祈祷も等しく之を聴き納れ給ふ、故に彼は吾等各自に独祷(262)の義務を命じ其権利を与へ給へり、吾等は各自独り屡次静かなる所にて祈るべきなり。
 然れども神は亦彼の子供が衆人相集て祈ることを嘉し玉ふ、彼は其場合に於ては彼等の中に在すと約し給へり。
 衆人相偕に祈るの利益二つあり、其第一は神が各自の心に存する牆壁を排除し、心をして心と通ぜしめ、茲に真個の兄弟的団合を作らしむるにあり、人心を結附けるものにして誠実なる祈祷会の如きはあらず、人は神に於てのみ互に相一致するを得る者なり、偕に祈り得ざる者は真正の兄弟姉妹にあらず、偽善を怕れて人の前に祈り得ざる者は未だ人と真誠に交はりしことなき人なり、真個の鰥寡孤独とは人と偕に祈り得ざる者なり、吾等が二人或は三人、或は五十人、六十人相偕に心と声とを合して祈る時に、神は吾等の中に在して、吾等の隔離したる心を繋ぎ、吾等をして彼の中に在て相互に真個の兄弟姉妹たらしめ給ふ。
 其第二は祈祷に力の加はることなり、一人の祈祷に一人の力あり、十人の祈祷に十人の力あり、五十人の祈祷に五十人の力あり、吾等と雖も五十人心を合せて吾等に懇願し来る者ある時には単独の請求に対するよりも多く彼等に向て耳を傾くるに非ずや、吾等と霊性を同うし給ふ神も亦然かせざらんや、神が斯く為し給ふは彼が偏頗なるが故にあらず、彼は斯くなして、彼の子供をして彼に向て相一致せしむ、吾等は兄弟の祈祷を藉りて吾等の祈祷に力を添ふるを得るなり、吾等は又兄弟の祈藤に和し、之を助けて之に吾等の力を添ふるを得るなり、吾等は祈祷に於ても、他の事業に於けるが如くに、兄弟姉妹互に相助くるを得るなり。
 故に吾等は各自独り祈ると同時に、吾等の同志と偕に祈るべきなり、吾等は衆人の援助を藉りて吾等の祈祷を天に達せしめん。
 
(263)       ――――――――――
 
     弁明の備準
                                     爾曹心の中に主なるキリストを崇むべし、亦爾曹の衷にある望の縁由(理由)を問ふ人には柔和と畏懼を以て答弁《こたへ》をなさんことを恒に備へよ(彼得前書三章十五節)。
  我儕前に爾曹に我儕の主イエスキリストの能力と其顕れ給ふことを告ぐるに巧なる奇談《あやしきはなし》を用ゐざりき、我儕は親しく其大なる威光を見し者なり(彼得後書一章十六節)。
 基督教は理論に非ず、然れども理論に合はざる者に非ず、理論は吾人の神の子たるを教へず、吾人は理論に由て基督の吾人の救主なるを認めず、基督教は事実なり、故に理論以上なり、理論を以て基督を知らんと欲する者は竟に彼を識り得ざる者なり。
 理論は基督教を説明する能はず、然れども之を弁護するを得べし、吾等の希望は理由なき者に非ず、天然と哲学とは其合理的なるを示す、世に人生観多しと雖も基督教の如くに饒多の証明を有する者はあらず。
 感覚にのみ依る宗教は迷信に走り易し、之を矯むるに冷静なる論証なかるべからず、吾等の宗教の乾燥無味にして情なき涙なき者にあらざるは言を俟たず、然れども理論を悉く反対者に譲て、吾等は己れを守るに唯だ単純なる感覚のみを以てするが如きは吾等の為すべきことに非ず、基督を信じて理性の発達を来たさゞるが如きは其信仰の未だ甚だ薄弱なる証なり、基督信者は大なる理論家ならざるべからず、霊を解放されし者は亦智能をも開発せられし者なり、吾等の信仰を深き形而上学と博き天然学との上に築かしめよ。
 
(264)       ――――――――――
 
     金銭の愛
 
  爾曹世を過《わた》るに貪ることをせず有るところを以て足れりとせよ 蓋我れ爾を去らず更に爾を棄じと云ひ給ひたれば也、然らば我儕毅然として曰ふべし 主我を助くる者なれば恐怖《おそれ》なし 人、我に何をか行さんと(希伯来書十三章五、六節)。
  財を慕ふは諸の悪事の根なり(提摩太前書六章十節)。
 此所に引用されたる希伯来書の一節に誤訳がある、「世を過るに貪ることをせず」とは意味甚だ平凡である、原文の希臘語は只僅かに三つの辞より成る、aphilagyros ho tropos.、其第一の aphilagyros は是を又三つの辞に解剖することが出来る、aは「無し」、phil は「愛する」、agyros は「銀」である、三語相合して「銀を愛することなく」なる一辞を作る、ho は冠詞で、tropos は心の傾嚮である、故に全句の意味は汝の心の傾嚮をして銀を愛することにあらしむる勿れとの意である、斯う読んで其中に幾多の面白い事柄が含まれて居ることが判る。
 之に依て其頃のユダヤ地方の通貨が銀であつたことが判る、故に貪慾なることを愛銀と称ふたと見える、爾うして神の何たる乎人生の何たる乎を弁へない者は頻りに銀を欲しがつたと見える、又丁度其頃は日本今日のやうに、西方亜細亜に経済上の大変動の来つた時であつて、人は不安心の余り何んでも銀を獲んと欲したと見える、彼等は心に曰ふたであらふ、「銀即ち是れ勢力」と、丁度今日の日本人が財産を生命と思ふやうに其時分のユダヤ人は神に頼るよりも多く銀に頼つたのであらう、無慾になるのは彼等に取ては、吾等今日の日本人に於けるが(265)如く非常に難い事であつたらふ。
 此時に方て希伯来書の記者は大胆に其受信者に向て曰ふた、「銀を愛する勿れ」と、即ち彼等は彼等に向て銀に頼らずして神に頼れと云ふた、安心は財産に於てあらずして天地万物を造り給ひし神に於てあると曰ふた、是れ甚だ単純なる教訓のやうに見えて、実は之を実行するに甚だ難いことである。
 銀を愛することなく、唯神より賜はりし所のものを以て足れりとせよ、そは万物を造り之を支配し給ふ神は吾等を去らず、決して、否な決して(「更に」の意)吾等を棄てじと約束し給ひたればなりと、是れ実に偉大なる慰藉であつて、又偉大なる勇気を吾等に供する言辞である、貧を懼れ、饑餓を心配して身と心を苦める者に取ては之に優るの安慰はない、吾等の安全は王の王、帝の帝なる全能の神が保証して下さるとのことである、吾等は何を苦んで財を貪らんとする乎。
 此約束と保証とあれば吾等は正義を為すに決して怕れてはならない、世の俗人は吾等を脅かして吾等の職を奪ふて吾等と吾等の家族とを飢えしめんとする、是れ彼等が吾等を攻むる時の唯一の脅迫手段である、然し吾等は彼等を怕るゝに足らない、全能の神は吾等を棄てじと誓ひ給ふた、故に吾等は毅然として曰ふべしだ、主 我を助くる者なれば恐怖なし、人、我に何をか行さんと。
 嗚呼、吾等は金銀を失はんがために世を怕れてはならない、吾等は大丈夫である、神は吾等と偕に在り給ふ、不義不正の金銀、我に時て何かあらんやである。改行
 
(266)     狭隘の利益
 
  申命記第七章一節より十一節まで(略す)、
  シオンよ我れ汝の人々を振起してギリシヤの人々を攻めしむべし(撒加利亜書九章十二節)。
  又爾曹彼等(偶像信者)の中より出で之を離れ汚穢に捫《さは》ること勿れ 我爾曹を受けん(哥林多後書六章十七節)。
  我また天より声あるを聞けり 曰く我が民よ爾曹彼の罪に共に与かりまた彼の災に共に遇ふことを免かれんが為め その中を出べし(黙示録十八章四節)。
 此東洋の日本国では宏量と云へば必ず善い事で狭隘と云へば必ず悪い事である、狭隘にも利益があるなどゝ言つても日本人は容易に信じない、斯う信ずるのは何にも必しも世の俗人に限らない、基督教の教師の中にも同じ宏量大度主義が唱へられる、彼等は基督教は宇宙主義であると云ひて歓んで之を迎へる、ユニテリヤン主義に教理の牆壁が無いと云て彼等は之を讃賞して止まない。
 然しながら吾等は忘れてはならない、基督教は一種の狭隘なる宗教であることを、基督故の先駆なりし猶太教は非常に狭隘なる宗教であつた、猶太人は他の国民との交際を許されなかつた、彼等の上に神の恩寵の最も豊かに降つた時は、彼等が固く孤独を守つた時であつた、之に反して彼等の最も堕落した時は彼等がフイニシヤ人、埃及人、バビロン人等の彼等の周囲の民と広く交はつた時であつた、開放主義を取つたソロモン、アハズ等は堕落せる国王であつて、孤立主義を取つたヘゼキア、ヨシヤ等が最も神の聖意に叶つた王であつた、猶太人の清潔は孤立に由て維持された者である、猶太教を広く拡げて其最も貴き所は消えて了ふ。
(267) 故に猶太の精神は希臘の精神と正反対であつた、猶太は狭くして深からんとし、希臘は広くして浅からんとした、故に神は予言者ザカリヤを以て曰はれた「シオンよ、我れ汝の人々を振起してギリシヤの人々を攻めしむべし」と。
猶太教の後を嗣ぎし基督教も亦多くの点に於て狭隘なる宗教である、基督教は万民のために説かれたる宗教であるが、然し万民の中で神に特別に択ばれたる者にのみ受け納れらるべき宗教として説かれた者である、教会(ecclesia)は世より召び出されし者の団躰であつて、彼等は世に在るも世に属すべき者ではない、「爾曹此世に効《なら》ふ勿れ」とは基督教の大切なる教訓である。
 故に基督教に於ても猶太教に於けるが如く其信徒が広く其心の門戸を開いて世を迎へた時は其信仰の必ず堕落した時である、彼のサボナローラ時代の羅馬教会の如く法王が文学と美術とを重んじ、プラトーの哲学がイザヤの予言に優る勢力を有つに至つた時は教会の非常に腐敗した時である、所謂 Pagan Christianity(偶像信者の基督教)と称へて世俗の援助と同情とを求めて終に全く其勢力を失つた教会と教徒とは沢山ある、
 広い者は浅い者である、吾等は狭くして深くなければならない、爾うして深い所へ行て、其処で眼の届かない所に於て万人と偕にならなければならない、外面に於ける和合一致は甚だ薄弱なる和合一致である、世界主義は心の奥底に於て取るべき者である、然らずして誰とでも和し、悪人とでも盗賊とでも和するに損害あるなしとの主義を取て、憎愛の区別を少しも立てざる者は、終には真理を誤謬より区別することが出来なくなつて、其極神を失ひ、真実なる友とては一人もなきに至る、吾等は実に狭隘の利益を忘れてはならない。
 
(268)     兄弟の親睦
 
  視よ兄弟相陸て偕に居るは如何に善く如何に楽きかな、
  首に灑れたる貴き膏鬚に流れアロンの鬚に流れその衣の裾まで流れ滴たるが如く、
  またへルモンの露降りてシオンの山に流るゝが如し。
  そはヱホバかしこに福祉《さいはひ》を降し窮《かぎり》なき生命をさへ与へ給へばなり。
                       詩篇第百三十三篇
 世に美はしき楽しき事とて霊に於ける兄姉妹が一体となりて偕に神の前に居ることの如きはない、是れは丁度祭司の首なるアロンが神の前に香《にほひ》よき膏を注がるとき、其滴灑が首より鬚に及び、鬚より衣の裾の隅々にまで至るが如きものである、其やうに主に於ける団躰の中に在て何人も其より受くる恩化に与からない者はない、其首長たる教導者より、其|最《いと》微《ちいさ》き者に至るまで均しく聖霊の受膏に与からない者はない、又ヘルモンの山より下る露がシオンの山を湿《うるほ》すやうに、全会衆が同じ聖霊の恩沢に与かるのである、斯かる所にヱホバは福祉を降し、窮なき生命を与へ給ふ。
 
       ――――――――――
 
     真正の兄弟
 
  イエス人々に語り居る時その母と兄弟彼に言はんとて外に立ければ、或人イエスに曰ひけるは爾の母と兄弟(269)爾に言はんとして外に立り、イエス告げし者に答へて曰ひけるは我母は誰ぞ我兄弟は誰ぞや、手を伸べその弟子を指さして曰ひけるは是れ我が母我が兄弟なり、蓋《そは》すべて我が天に存す父の旨を行ふ者は是れ我が兄弟我が姉妹我が母なれば也(馬太伝第十二章四六より五〇節まで)。
  是に於てベテロ彼(イエス)に曰ひけるは我儕一切を舍て爾に従へり、イエス答へて曰ひけるは誠に爾曹に告げん我と福音の為に家宅或は兄弟或は姉妹或は父或は母或は妻或は児女或は田疇《たはた》を舍る者は、この世にて百倍を受けざる者なし、即ち家宅、兄弟、姉妹、母 児女、田疇を迫害と共に受け、後の世に窮なき生命を受けん(馬可伝第十章二八より三〇節まで)。
  体は一つ霊は一つ……主一つ信仰一つバプテスマ一つ(以弗所書四章四、五節)
 基督教は東洋流の忠孝主義とは相容れざる者であるとは其敵の屡次云ふ所であるが、是れは根拠なき反対説ではない、キリストは其母に向つて「婦《おんな》よ爾と我と何の与《かゝはり》あらんや」と曰ひ給ふた、又聖書には「凡そ我に来りてその父母妻子兄弟姉妹また己の生命をも憎む者に非れば我弟子と為ることを得ず」と書いてある、又先づ行て父を葬ることを我に容せと云ひたる弟子の一人に向てイエスは「死たる者に其死し者を葬らせよ」との甚だ無情なる語を発せられた、是等の例を見ても基督教は東洋流の忠孝主義と両立して行くことの出来ないものであることは能く判る、それを両立し得る者のやうに弁護を努むる者が却て誤つて居るのである。
 基督教は孝悌の道を教へる、然しながら東洋主義とは全く異つたる根底よりして之を教へる、東洋道徳は血縁に依る道徳である、即ち東洋人に取ては直接に血を分けた者が父母であり、兄弟であり、親戚であるのであつて、其他の者は総て他人である、或は之を家族制度と曰ひ、或は閥族制度と云ふも畢《つま》る所は血縁を土台にして成つた(270)制度である。
 然しながら基督教は之とは全く反対して居る、基督教は霊魂を土台として作つた家族制度を伝ふる者である、其教ゆる所に依れば我の真正の兄弟とは我と胎を共にしたる者にあらずして、我と生命の主を共にする者であるとの事である、霊魂は直接に神が造り給ふた者であるから、霊魂の関係は肉体の関係よりも※[しんにょう+〓]かに深いものである、爾うして人の人たる所以は其身に宿る霊魂にあるのであるから、吾等神に由て新たに我霊魂を発見したる以上は、古い肉の関係を離れて新らしき霊の関係に入るべきである。
 斯く云ひて勿論肉の関係を度外視せよと云ふのではない、肉の関係とて矢張り神に依て定められたものであるから、吾等は之を大切に守らなければならない、イエスが死する前に其母をヨハネに委ねられたやうに、吾等は吾等の力の範囲内に於て吾等の血肉に対して出来得る丈けの義務を尽さなければならない、然しながら霊の肉よりも大切なるが如く、霊の兄弟は肉の兄弟よりも深い関係をもつ者である、是れ争ふべからざる事実であつて、世に信仰の友を有つ者の何人も否むことの出来ない事である。
 故に若し霊肉孰れをか択ばざるを得ざる場合に於ては吾等は止むを得ず霊のものを択ぶべきである、是れ甚だ辛《つ》らい事であるは言ふを俟たない、然し致し方がない、肉は此世に於て尽きる者であつて霊は永遠にまで存する者である、霊は神と繋がる者で、肉は此世に属ける者である、吾等キリストを信ずる者は天に在て新しき霊の家族を作るものである。
 肉の兄弟姉妹を棄る事は辛い事であるが、然し其|報賞《むくひ》は実に大なる者である、之に窮なき生命の伴ふて居る計りではない、吾等は此世に於ても亦百倍の霊の兄弟姉妹を獲るに至るのである、三人又は四人の兄弟姉妹を棄る(271)報賞として五大洲に跨がる主にある総の霊の友を我が兄弟姉妹として有つに至るのである、其中には勿論日本人もあれば支那人もある、欧羅人もあれば亜米利加入もある、グラツドストーンのやうな政治家をも主と共にあるが故に我兄弟と呼ぶ事が出来るやうに成る、総て主を信ずる婦人は最も深い意味に於て我が真正の姉妹となる、又今人にのみ止まらない、過去の人で、アブラハムも、ダビデも、イザヤも、エレミヤも、パウロも、ペテロも、ヨハネも、ダンテも、ルーテルも、ウエスレーも、皆同一の主より同一の生命を引く者なるが故に我が兄弟となるのである、斯くて世界は我がためには非常に広くなる、我は我が戦争を見るの心持を以て南阿トランスバールの民の自由のために戦ふのを目撃するに至る、我は我が心の実歴談を読むの心を以てパウロ、ダンテ、ミルトン、パンヤンの作を読むことが出来るに至る、基督に在て四海皆な真個の兄弟となり、古今皆な真個の姉妹となる、何んと嬉い事ではない乎。
 体一つ霊《みたま》一つ主一つ信仰一つパブテスマ一つ、是を以て総て生活《いき》る者総て眠りし者が主に在て繋《つな》がり、一つの大なる家族を作て永久に主を讃美するのである、然らば吾等何をか歎かん、信仰のために肉の兄弟を失ふに至る事は惨は惨なりと雖も、主は此損失を償ふて余りあるの利得を吾等に与へ給ふ、吾等は決して淋しく感じてはならない、吾等は主に在て深く互に相愛し、以て主の聖旨《みこゝろ》を成さなければならない。
 
(272)     〔新詠 他〕
                      明治35年8月25日
                      『聖書之研究』24号「所感」
                      署名 内村生
    
    新詠
 
 七月三十一日講談会園遊会の日、霖雨霽れ、久振りにて日光を仰ぐ、時に我が同志中心に新光明に接せし者多きを想ひ、彼等の歓を我が心に移して左の一詩を賦す。
 
   霖雨の空は霽れにけり
    日の太陽は照りにけり
   神は此日を祝しけん
    特に此日を祝しけん
 
   疑団の雲は晴れにけり
    義の太陽は昇りけり
(273)   神は此身を恵みけん
    特に此身を恵みけん
 
   此日此身を我が神よ
    活ける犠牲《にへ》とし受け給へ
   我と我等を恵みてぞ
    ペンテコステの火を降せ。
 
    午後七時会
 
 是は第三回夏期講談会最終の祈祷会の席上に於て来会者六十余名に依て組織されたる最も神聖なる会である、其目的は来年七月廿五日に至るまで毎夕七時を期して会員同時に自己と会友の為に祈るにある、吾等は今回の会合に於て祈祷の非常に力あるものなるを覚つた故に、斯く結合し主に叫び、且つ強く相互の心情《こゝろ》を繋がうと欲ふ。
 敢て誌友諸君に告ぐ、諸君も何ぞ速かに此会に加はらざる、吾等は喜んで諸君を吾等の伴侶《なかま》に迎へんと欲す、午後七時、一日の業務終へて、暮色蒼然、四面稍静かなる頃、東西南北同時に心を合せて在さざる所なき主に祈るにあり、何等の特権ぞ、何等の愉快ぞ、北見の宗谷に在る者は台湾の打狗安平にある者のために祈り、能登半島に落陽の日本海に沈むを望む者は東海の岸に旭日を迎ふる者のために祈る、斯くして「研究」誌の読者は国の四方に散布して主に在て総て真正の兄弟姉妹たるを得べし、来れよ誌友、来て我が祈祷の家族に加はれよ。
(274) 此聖約成つて以来茲に二週日、余は溢るゝ歓喜を以て此聖き時を守れり、或る時は汽車中に於て、或る時は旅店の屋上に於て、常には※[木+國]林の下に於て、余は余の祈祷を以て全国に在る余の霊の兄弟姉妹を見舞へり、余は近頃に至りて非常の能力《ちから》の余の心に加へられしを感ず、余は人の面を恐れずなりぬ、伝道の精神は頓に勃起しぬ、余は全世界を相手に戦はんとするの勇気を与へられぬ、是れ皆此祈祷会の応験にあらざるなきや。
 有益なる神聖なる会は組織されぬ、誌友は其姓名と祈祷の題目とを本社に送て其会員となれ。
 毎日正午後七時! 忘るゝ勿れ此時を。
 
(275)     〔第三回角筈夏期講談会〕開会の趣旨
                      明治35年8月25日
                      『聖書之研究』24号「講演」                          署名 内村鑑三
 
       ごく/\大まかなる講演筆記なり、言文一致らしく認めてはあるものゝ、こは唯原意を酌んでかきたる迄の事にて、文字上の責任は一に筆記者の手に在り、一言読者諸君に断り置くなり。          筆記者
 
      (詩篇第十九篇朗読)
 講談会広告文の劈頭にもつてきて私は毎年「神若し許し給はゞ」といふ条件を加へて置きます、これは所謂拉典語の d.v.で其実際の意味如何は英米《あちら》でも別段に注意されて居りませんが、併し私は飽迄も正直に此文句を使用ゐて居ります、私は信じます、全能の神にして若し許可を与へ給ふことなくんば私の此微力では到底何事も做し得ないものであるを。
 先づ一昨年は例の独立雑誌社の破壊のありました年で、同時に学校は手を離れる、攻撃は受ける、私は実に悚然として其為す所を知りませんでした、然るに局面は忽ち一変して大島さんは来てくださる、応援は信州や京都より相呼応してくる、此学校は容易に借りらるゝといふ勢で、第一回の講談会は其後何の障りもなしに続けて行くことが出来ました、昨年も本年も無事に難関を切りぬけて多くの会員諸君と懐かしき此講堂に相会するに至りましたは感謝の次第に堪へません。
(276) 単に会場のみの困難ではありません、吾々は世の所謂有志家や知名の士の賛成補助を仰ぐことのできえない者であります、賛助を与へて呉れるものは僅の親友や雑誌の読者諸君許りであります、若し世界に神なるものが有りませんならばコンナ粗漏極つた計画の行はれ様筈はありません、私は此講談会についてことに神の御恩寵を下つたことを感謝いたします。
 神が許可し給ひし此講談会は決して無益な集会ではありません、若し本会が要のない会合でありまするならば、神は屹度吾々の計画を妨げられた筈であります、これは何うしても神が何かを諸君の脳中に注ぎ込むの機会を私共に与へて下さつたのだと信ずる外はありません。
 そこで私は諸君に対して本会の性質目的を一応お談話《はなし》しておくの必要があると考へます。
 申す迄もなく今日の日本は随分腐敗堕落を重ねて居ります、併しながら近頃になつて日本国民の多数が其腐敗堕落を意識する様になつてきたのは兎に角一縷の希望と申さなければなりません、社会の改良策や矯正策は国民の大に喜んできた問題であります、されど悲哉今日我国で唱へられて居る国家改良法、道徳養成法は究竟《せん》ずるに外側から内面を浄めて行かうといふもので、言ひ換ふれば社会の境遇や状態をのみ完全に仕様といふ方法に外ならぬものと考へます、私とても是等の策略を全く不必要として排斥する訳ではありませんが、併し是等が一番大切な改良法であらうとは何うしても信ずることができません。
 社会と云はず、国家といはず、個人の改良法について見ましても今のは矢張り外側からの改良に外なりません、莫かれ/\の規則励行、煩瑣極まる法令の強迫です、かゝる方法の下に訓練せられて人は皆希望の無い消極的の姑息道学者となつて了ふ許りであります、人の霊魂を救ふといふ宗教界も詮ずる所矢張り外面的改良法でありま(277)す、宏大な教会堂と機敏な弁士と愉快な音楽と種々さま/”\の歓楽とを供へて青年子女を導かうとして居ります、洵に派手やかな縡《こと》ではありませうが、これが精神的伝道者の為すべき所であらうとは私等には何うしても思はれません。
 今や改革の火の手は甚熾んですが要するに外面的求心的の姑息法であります、私共の求むる改良法は求心的でなく遠心的でなくてはなりません。外面よりの改革でなく内側よりの改革でなくてはなりません、今の世に禁酒会といふが行はれて居りますが、成程酒盃のこと位は禁酒会の力でやめられるにしましても、人心根本の改良は区々たる人間の力、文部省の倫理教育を以て成効すべきものではありません。
 茲に唯一つの改良法が残つて居ります、それは私共の平生主張して居る改良法でありまして、即詩篇第十九篇中にかいてあるものであります、「エホバの法はまたくして霊魂をいきかへらしむ」、吾々人間の霊魂をいきかへらせるものが真の改良法であります、「願くは我をかくれたる※[衍/心]より解放ち給へ」、此祈願によらずして吾々に真の改革のでき様筈はありません。
 聖書研究の利益はいろ/\です、之を政治や文学上にも発見することができますれば又之を殖産や法律の上に発見することが出来ます、併し私共が特別に聖書研究の利益を感じますのはそれが私共人間の霊魂をいきかへらしめるといふ其事に存して居るのでございます、人間の霊魂をいきかへらしめ力、これは何の力でありませうか、これは実に大変な力であります、然るに世間の人――ことに多数の宗教家迄が此力のあることに気が付かぬは実に残念の至りではありませんか。
 聖書は痛くてたまらぬ程私共の急所を圧へます、どんなに傲慢の人でも真に聖書を読んで吾れは義人なりと叫(278)ぶことは出来ません、単にかく叫ぶことのできない耳ならず、私共は神の前に非常の大罪人であることを感ずる様になつてまゐります、キリストに責められたバンヤンはどうでありましたか、聖書の教を聴いて私共はよくバンヤンの苦悶なるものを了解することが出来ます。
 聖書とは如斯きものであります、併し聖書の教ほど人々の良心を鋭敏くするものはありません、私共は文部省の倫理教育や仏教にその様な力があらうとは夢にも信ずることが出来ません。
 吾々は大々的の罪人となつて、昼も夜も泣き通さねばなりません、乍併神は其流るゝ涙をいつの間にか奇麗に拭い取て下さります、吾々は清浄められ、赦されて始めてこゝに人間の人間たる真価値を認むるに至ります、吾々は実に大罪人であります、されど吾々は元と/\神の子でありますれば神は必ず特別の恩寵を吾々の上に下し給はることでございます。
 已に溢る、程の神恵に洛して、如何なる人も其恵を他人に分たないわけにはまゐりません、倶不戴天の敵に対しても吾々は愛を以て之と接し得る様になります、吾等の人生観は見る/\うちに一変し来つて吾等は鑠金の夏をもそんなに苦しく感じない様になつてまゐります、凡ての善き事は吾々は喜び勇んでそれを守ることが出来る様になつてまゐります、心の底からの讃美の歌は此時始めて聞いたり発したりすることが出来るのでございます。
 此講談会は小さな/\研究会であります、名を貸して呉れる華族も居なければ金札を撒きちらして呉れる紳士紳商も居りません、失礼ながら世間に軽蔑されて居る小学教員や大工左官百姓の集会であります、果敢ないといへば洵に此上もなく果敢ない会合の様に見られます、若し文部省の参事官でも此門前を通りませうものなら、内村がまた例の気狂ひじみた真似を行つてるなどゝ冷嘲《ひやか》すかも分りません、併し冷嘲は冷嘲、非難は非難に任せ(279)て置きませう、世間の評判ばかりあてにして居るのは無信者のすべきことであつて決して神に頻る者のなすべきことではありません。
 そこで私共は此講談会で何を為すのでありませうか、私共は自らを侮つてはなりません、私共はこゝに世間の貴族や権勢が何うしても為すことができない大問題を解決しやうとして居るのであります、大問題とは何ぞや、日本人日本国の根本的改革であります、然り私共の根本の改革であつて外面的の一時的の改良なるものではありません、根本改革といへばいかにも六箇敷いことの様にきこえます、成程六箇敷仕事には相違ありません、併しこれは已に聖書中の人物が試つてみた事であります、私共の弱いのは恐怖るゝに足りません、キリストさへ強くあれば私共に取て何の憚る所がありませうか、キリストを見ざりし前のヨハネやパウロは罪に悩める一病人に過ぎませんでした。
 「エホバの法はまたくして霊魂をいきかへらしむ」、私共に大確信が有つて私共に成就《でき》得ない事業はありません、今や私共が大に決心して改革の緒を開く時機であります、私共は改革のピギニングをやる可きでございます、私共が神の奴僕でありまする以上は私共にパウロやヨハネが試つた事の出来ぬ訳はありません。
 角筈の講談会は実に如上の目的を以て生れてきた会合であります、故にこれは一内村の講談会ではありません、個人々々の講談会ではありません、若し諸君の心中に此目的が存在して居りませんならば角筈の講談会は全く取るに取らぬものであらうと考へます。改行
 
(280)     酒を飲まざる利益
                        明治35年8月31日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
〇酒を飲まざる利益の第一は経済である、勿論下戸の建た蔵はないとの事であるから酒を飲まないとて金が溜ると云ふのではない、然し酒を飲まないために多少の慈善も出来る、又之がために書物が買へる、他人が毎月酒のために費す七八円の金を書物に費せば随分沢山に新思想に接することが出来る。
〇酒を飲まざる利益の第二は健康である、酒精は或る場合に於ては薬品であるに相違ない、然し薬品でないから是は平常食物のやうに用ふべき者でない、酒を飲まない者には病気の時に薬が非常に善く利く、他人の三分の一か四分の一の分量で何れの薬品も彼の身体に充分の効を奏する、余の如き勿論無病の者ではないが、然し筆を執る職にあるも今尚ほ十里の山道を越ゆる事が出来、一日三河づゝ演説して之を十日間続けることが出来るのは、是れ全く余の禁酒制度に因るのであると思ふ。
〇酒を飲まざる第三の利益は品性である、勿論酒を飲む者は必ずしも士君子でないと云ふのではないが、然し飲まない者の眼から見れば飲む人の或る時の態度は決して立派なるものではない、酩酊は確かに一時的発狂であつて、人の最も悪しき習慣は此時に方て発表せらるゝものである、懇親会の席上に於ける拳骨の交換などは決して尊重すべき者でないことは誰でも知て居る、然し是れ皆な酒の仕事であることも亦誰でも知て居る、高き品性は(281)迚も酒を飲んで保てるものではないと思ふ。
〇酒を飲まない第四の利益は交際である、酒は交際の機関であるなどゝは全くの嘘である、酒は相互の弱点を現はす者で是がために真正の嘆美《アドミレーシヨン》の念の起りやう筈はない、爾うして嘆美の念なくして真正の友誼は成立たない、酒に由て結ばれたる友誼は虚偽の友誼である、之は酒と共に消え失する友誼である、かの酒を以てする親睦会なる者が曾て真正の友人を作つたことがないのを見て、酒は親睦の機関であるなど云ふ迷信は全く破裂すべきである。
〇余とても勿論酒を飲むことは虚言を吐き、盗み、姦淫し、節を売るやうな罪悪でない事を知て居る、然しながら飲むと飲まぬと孰れが善いかと問はるれば勿論飲まざるに如かずと答ふるのみである、余は亦酒精は一滴も口に当てずなどいふ馬鹿な説を維持しない、寝前の葡萄酒一杯は多くの場合に於ては大なる健康の扶助であると思ふ、然し快楽のための飲酒、交際のための飲酒、習慣のための飲酒、是等は皆害有つて益がないから君子国の民は皆な之を廃めたら宜からうと思ふ。
 
(282)     〔幸福なる我れ 他〕
                      明治35年9月20日
                      『聖書之研究』25号「所感」                          署名なし
 
    幸福なる我れ
 
 我が敵は我を苦めんとし、我が神は我が敵を以て我を恵まんとす、我が敵の譎計は凡て我を導くの摂理と化し、我は彼等に憎まれて却て幸福なる者となる、幸福なるは万事を神に任したる我にぞある。
 
    我が武器
 
 我は我が剣に依て勝つにあらず、我は我が臂《かひな》の力を以て我が敵を仆さず、我をして勝たしむる者はヱホバなり、我をして万卒に勝るの勇者たらしむる者は神の霊なり、万軍の主、我が衷に宿りて何人も我が前に立つ能はず、我は永遠《とこしへ》にヱホバの名を讃美せん(詩篇第四十四篇参考)。
 
    山と祈祷
 
 我れ溺き時は独り静かなる山に入り、其処に我の磐にして我の教主なるヱホバの神に我が祈祷を以て接す。(283)而して見よ、入る時には弱かりし我は強き者となりて出で来るなり、偉大なるかな山の勢力、量るべからざるかな祈祷の効果、山と祈祷とありて、人世は苦痛の谷に非ず。
 我れ山にむかひて目を挙ぐ、我が扶助《たすけ》はいづこより来るや、我が扶助は天地を造り給へるヱホバより来る(詩篇第百二十一篇)。
 
    輿論の勢力
 
 我は世の輿論なるものを怕れたりき、我は単身之に当る能はずと想へり、我は其威力の下に圧せられて、我が全性の発達は之がために妨げられたり。
 然れども人類を造り給ひし神は我をして輿論に勝つことを得さしめ給へり、我は神の全人類よりも大なるを知て、我は神に頼りて輿論以上の者たるを得たり、然り我は我が救主に依て世に勝つことを得たり。
 来れ輿論、来れ迷信に沈める社会、汝の古き習慣と浅き道徳とはヱホバの一言に抗する能はず、彼に依る我は汝の勢力以外にあり。
 
    真正の教育者
 
 大政府の文部省が百年を消費して為す能はざる事を我は一回の説教を以て為すを得るなり、大哲学者が終生の努力を以て遂行し能はざる事を我は一分時に於て為すを得るなり、我の弱を以てして彼等の強を以てするも為し能はざる事を為し得るは抑々何の理に由るや。
(284) 我に基督の福音あればなり、人の隠れたる※[衍/心]を現はし、之を放解するの能力の我に、委ねられたればなり、而して是れ爵位と共に人に附与せらるゝの能力に非ず、又学位と共に学者に授けらるゝの特権に非ず、是れ神の子を信ずるより来る大能なり 而して天より此能力を附与せられし者が終に国民を救ひ、之に最高の智識を与ふる者なり、真正の教育者は実に基督信徒なり。
 
    扶助なき我れ
 
 我の敵人は我に就て曰ふ「彼の事業は道徳的たるのみ、政府の之を保護するに非ず 貴顕の之を恩助するに非ず、彼の過失を列挙して世の彼に対する信用を傷けんか 彼の事業は一撃の下に之を毀つを得べし」と、斯くて彼等は我を蔑視すること甚しく、我等を以て甚だ与かり易き者となせり。
 然れども弱きが如くに見ゆる我は彼等が想ふが如き弱き者に非ず、我を説かずして天地の造主なる神を説く者は天地が失すると雖も失する者に非ず、我が敵は其毒手を以て我が事業を毀つを得ん、然れども我の説きし真理は其地上の結構を毀たれて却て愈々益々其生活力を増し、世は終に之に堪ゆる能はざるに至る、基督其敵に答へて曰く「爾曹この殿《みや》を毀て、我れ三日にて之を建てん」と(約翰伝二唖十九節) 世に永久の性を有する者にして神を宿す人の霊の如きはあらず。
 
    謙遜と意気地無
 
 謙遜なれ、柔和なれ、然れども意気地無たる勿れ、謙遜は勇気なり、然れども意気地無は卑怯なり、二者其外(285)貌に於て相似て其内容に於て全く本性を異にす、而して世に所謂る基督的謙遜なるものにして、卑怯の結果なるもの多し、我等の謙遜をして有り余るの能力を有する者の謙遜ならしめよ、世の圧迫を怖れて萎縮するの謙遜(退縮)ならしむる勿れ。
 
    〔神聖なる午後七時…〕
 
 神聖なる午後七時を忘る勿れ、此時に祈祷を以て四海を兄弟姉妹とせよ。改行
 
(286)     骨肉の叛逆
                      明治35年9月20日
                      『聖書之研究』25号「研究」                          署名 内村鑑三
 
  我れ我が兄弟には異人《ことくにびと》の如く、我が母の子には外人《あだしびと》の如くなれり(詩篇第六十九篇八節)
  是れその兄弟も尚ほ彼を信ぜざるが故なり(約翰伝七章五節)。
  汝の兄弟と汝の父の家も汝を欺き、又大声を揚げて汝を追ふ、彼等親しく汝に語るとも之を信ずる勿れ(耶利米亜記十二章六節)。
〇世に基督信者ほど嫌はれる者はない、彼は信仰が進めば進む丈け世の忌み嫌ふ所となる、是は何にも仏教儒道の盛に行はれる日本に於て斗り然るのではない、基督教国と称へられる西洋諸国に於ても同じ事である、保羅は「我儕今に至るまで世の汚穢《あくた》また万の物の塵垢《あか》の如し」と云ふたが、今日に至るも基督信者の運命は実に如斯きものである。
〇何故基督信者は実に斯くも嫌はれるのである乎、此事は能く考へて見れば随分奇なる事である、彼が悪人でない事は誰も知て居る、彼が虚言を吐く者でなく、放蕩をする者でなく、盗む者、姦淫を犯す者でない事は誰も承知して居る、彼は全躰に能く国法を守り、他人に対て親切で、能く社会の義務を尽す者であることも能く判つて居る、然るに彼が世の放蕩児よりも、虚言吐よりも、獰人奸物よりも人に排斥せらるゝとは実に奇妙なる事では(287)ない乎。
〇爾うして彼は世人にのみ嫌はれるのではない、彼の敵は彼の家の者である(米迦書七章六節)。彼は彼の信仰の故を以て時には彼の父に誤解され、母に疎まれ、「我が父母我を捨るともヱホパ我を迎へ給はん」(詩篇二十七ノ十)との歎声を発するに至ることがある、不孝児と云へば必ず彼の事である 彼は父母以上の天の父母を信ずるとの故を以て、何にか肉躰の父母でも捨てたやうに疑はれる、彼が為さんと努むる凡ての善は彼が基督信者たるの故を以て少しも賞美《ほめ》られず、彼が為さゞる善は同じ理由を以て厳しく詰責《せめ》られる。
〇彼の兄弟も亦彼を嫌ふ、彼等は非常に彼を馬鹿にする、彼等は彼が基督信者なるが故に彼等に向て強い抵抗を為さない事を知て居る、彼等は彼を脅迫する、彼等は彼に総ての義務を負はせる、爾うして彼を讒《そし》り、罵り、嘲ける、彼等は彼を斯く扱ふの権利を有つて居るやうに思ふて居る、又彼は斯く彼等に扱はるゝの義務を有つて居るやうに思ふて居る、彼の柔和たるべき事は彼等を安全の地位に置くが故に彼等は些少の心配なしに彼を罵りもする、嘲けりもする、爾うして若し彼が少しく彼等に向て抵抗を試むれば彼等は馬太伝五章を引いて彼に説教する。
〇嗚呼神よ、我等を鞫き給へ、人の心を知り給ふ者よ、正義の法を以て我等を糾し給へ、我等此世に在ては権利なきが如き者なり、我等は終日汝のために死に附《わた》され、屠られんとする羊の如くせらる(詩篇四十四篇二十二節)。
〇何故に基督信者は斯くまで其兄弟にまで嫌はれるか、何故にダビデもエレミヤも、キリストもパウロも皆な骨肉に逐はれ、其憤怒を買ひしか、是れ大に攻究すべき問題である。
〇其一は確に基督信者の人生観が世人のそれと余りに違うからであるに相違ない、彼は彼等の中に在て確に一の(288)変物《かはりもの》である、彼の希望、彼の歓喜、彼の生涯の目的は彼等のものとは全く違つて居る 彼の善と信ずる者は彼等の善と做す者ではなく、彼の彼等に勧めんと欲する所のものは彼等の甚だ忌み嫌ふ所のものである、彼は心の平和を求むるも彼等は富貴安楽と之に伴ふ栄誉を求むる、彼等は彼より彼の与ふ能はざる者を要求する、爾うして彼が之を彼等に与へ得ざるが故に、彼等は彼を怒り彼を讒る、彼は彼等の中に在るも彼等の属《もの》でないが故に彼等は非常に彼を嫌ふ、恰かも一羽の家鴨が鶏の群の中にあるやうな者であつて、彼等は彼を疑ひ且つ迫害せざるを得ない。
〇其第二の理由は嫉妬である、彼等は皆な人生に就て不満であるのに、茲に彼等の中に一人、満腔の満足を以て神を讃美しつゝ日を送る者がある、是れ彼等が見て以て堪えられぬ所であるに相違ない、又彼等は互に相結ぶに血肉の関係を以てするに引替へ、茲に彼等の中に一人の霊の関係を以て兄弟姉妹を数多宇内に有つ者がある、是れ彼等が観て以て羨んで歇まざる所であるに相違ない、又彼等は彼を苦しめるも苦しめらるゝ彼の事業は愈増して旺《さか》へ、苦しめし彼等は常に其活動の区域を狭められつゝある、是れ彼等が見て以て憤慨に堪えない所であるに相違ない、斯くて神なき彼等は神に依る彼を羨んで止まず、茲に彼等は嫉妬の念を起し、彼と彼の事業とを毀たんとする企図《くはだて》を起すのであらふ。
〇其第三の理由は愛と憎との衝突であると思ふ、愛と憎とは正比例に相増減する者である、一方に愛の増す時は他方に憎が増す時である、神と基督とを知らざる彼等は彼の骨肉なるが故に彼より総ての愛を要求する、然しながら彼は神と基督とを知ることが出来た故に斯かる偏愛を彼等に供する事が出来ない、茲に於てか彼等の彼に対する憎が一層増進し、人倫の道(骨肉の関係を云ふ)を破る者として彼等は強く彼に当る、爾うして世は又此骨肉(289)の関係に依てのみ立つ者であるから、此愛憎の衝突に於ては勿論基督を信ぜざる彼等に与みして、基督を信ずる彼を窘しめる、是れ自然の成行であつて、一人の人が深く基督を信じて此顕象の現はれざるはない、否な、斯かる顕象の頻々として現はれて来ないのが却て怪むべきである、斯かる事のあるべきを知り給へばこそ基督は「地に泰平を出さん為に我来れりと意ふ勿れ、泰平を出さんとに非ず、刃《やいば》を出さん為に来れり」(馬太伝十章三四節)てふ非常の言辞を発せられたのである。
〇是れ実に苦しい事である、斯かる辛らき経験を有たざれば神の国に入ること能はずとの事であれば、或は神の国に入らぬ方が却て幸福ではあるまい乎と思はれる時がある、然しながら我等は否でも此苦き杯を飲まなければならない、其れは他にも種々《いろ/\》理由があるが、其肝要なるものゝ一つは我等が斯く戦はねば真正の幸福なる家庭なる者を決して此地に於て見ることが出来ないからである、甚だしき逆説のやうには見ゆれども、然し一度は子が其父に背き女が其母に背き、娘が其|姑《しうとめ》に背くにあらざれば(馬太伝十章三五節)真正の愛心は決して家庭の中に来らない、是は甚だ危険な教訓のやうに見える、然しながら是れ聖書が幾回となく教ゆる真理であつて、亦歴史上の事実として決して否むべからざる事である、是れ勿論我等が骨肉を憎むからではない、否な、決して爾うではない、是れは我等がより大なる愛に接した為に我等に対する我等の骨肉の憎を惹起し、其結果として此悲惨なる顕象を見るに至るのである、是を以て見ても罪の結果とは実に恐ろしいものである事が判る、血を流すにあらざれば到底之を此世より拭ひ去る事は出来ない、故に此衝に当る我等の心を神は深く推察し給ふ、彼は斯かる場合に於ける我等を慰めて曰ひ給ふ「兄弟は兄弟を死に付《わた》し、父は子を付たし 子(神を信ぜざる)は両親《ふたおや》(神を信ずる)を訴え且つ是を殺さしむべし、又汝等我が名のために凡ての人に憾《にく》まれん、然れども終りまで忍ぶ者は救(290)はるべし」と(馬太伝十章二一、二二節)。
〇然し此等は皆な手順に過ぎない、其結果は何である乎と云ふに、地上に於ける天国である、幸福なる家庭である、今日我等が羨んで止まざるクリスチヤンホームである、美はしき美はしきホームある、総ての善きのものは戦ふにあらざれば得る事が出来ない、善き国家も爾うであれば善き社会も爾うである、善き家庭とても此例以外のものではない、欧米諸国に於ても多くのキリスト信徒が此苦しき戦争を闘ひたればこそ彼国今日の美はしき家庭を見るに至つたのである、故に我等も能く今日の苦境に堪え後世子孫へホームてふ天の恩恵の最も大なる者の一つを譲り渡すべきである。
 
(291)     狭隘の利益(【前号十二頁以下参考】)
                     明治35年9月20日
                     『聖書之研究』25号「講演」
                     署名 内村鑑三
 
     筆記者黒木生白す、こは前号に載せられしものと同じく極く大略の講演筆記にして、文字上の責任は一に筆記者の手に在り、但し山県先生の分は先生の手稿に接するを得しが故に稍々精密なるを得たり、読者諒焉
 
  内村生白す、黒木君の原意を酌取るに巧なる、君の筆記は能く要を尽し、粋を写す、読者諸君が之に依て講師の真意を会得して誤ることなきは余の謹で茲に保証する所なり。
 
 今読んだ申命記七の一−十一迄に書き記してあることは旧約書中に多く見る所の教へである、猶太人は特に神から選び出されたる聖民なれば諸種の隣民族と交際してはならぬ、若しその教へに背くならば忽ち天罰が下るといふ、之を四海兄弟の観念より読めば如何にもせまくるしい窮屈な思想であるとしか思はれない、猶太人の歴史は一種狭隘の歴史、孤立の歴史と称して差支へはない、新約にて哥林多後書六の十七なども旧約書から引出された思想であつてキリスト信者に適応さるべき教訓である、教会を意味する希臘語の ecclesia は ec=out,cle=call で、即此世から呼出された団鉢との意義である、其外 Congregation,Separate,Saint などの原義を探つて吾々は殆んど同様の教訓を発見することができる。
(292) 旧約新約其いづれより見るも、猶太人、キリスト信者は元と/\特別に作られたる者であつて、猶太数キリスト教は或点より言つて狭隘なる宗教といはなければならぬ、神は嘗てアブラハムにカルデアを離れよと命令した、モーセ、エレミヤ、イザヤ等も選ばれたる猶太民中より一層精選せられて、神の特別の感化を受けた人々であつた。
 歴史れ繙いて見るに彼の希臘人は世界的の国民であつた、諸種の民族と相混交して成るべく外部に拡がらうと欲した国民であつた、猶太人は全く之に反して己れを守ることに力を竭した民族であつた、彼等は宏量の民と狭隘の民との一幅対である、ユダヤ人よ汝の民はギリシアの民と反対せざる可らずと言て希臘主義を排斥したのは預言者ゼカリヤであつた。(撒加利亜書九章十三節)。併し乍ら狭隘といへば如何にも不愉快な面白からぬ言葉である、宏量海の如しとは東洋人が豪傑を賞揚する讃辞である、基督教は世界的なり包括的なりと説かれて、吾々にうれしい心持の起らぬことはない、ユニテリアンの歓迎さるゝも一つは広く門戸を開放して善を慕ひ義を求むる者は誰でも来れと叫んで居るからのことである、狭隘てふ文字が今日の人心を感服せしむるそれでないことは吾輩よく承知して居る。
 併しよく/\研究して見れば、神は独りノアの一族を救つて、多くの人々を救はなかつた、モーセ、アブラハム等は皆狭隘の歴史をふんだ人々であつた、ソロモンは学者であつた、彼は恐らく埃及、希臘、印度等の思想に通じて居たであらう、併し彼は埃及やフイニシヤより愛妾をかりあつめた不道徳の行為をやつた、大風呂敷の結果はいつも大堕落である、猶太の王にして堕落せざりし者は皆悉く孤立主義を確守せし人々に限られたことは明白な事実である。
(293) 下つで基督教となつても、世間と和合しで広く門扉を開きし時はいつも其大堕落の時であつた、キリスト教会の歴史を調べて見れば是等は明々白々なる事実である、新島君の失敗も矢張り此点に在つた、明治二十三年、二十五六年頃の同志社の状況は特に吾々に取ての 最よき殷鑑といはなければならぬ、今日の堕落信者を見よ、彼等は皆新神学とやらを唱へて三位一躰を嘲り、贖罪の教理を罵つたる人々である、狭隘を厭ひし名ある信者にしてキリスト的特性を失ひし者は其例決して尠くないのである。
 広く交りて大平和が来るとの思想は大間違である、味を失つたる塩とは、広く世間と交つたキリスト信者の成果《なりのはて》を形容するに最もよく適合した言葉である。
 一種の狭隘はキリスト教の特性として吾人の堅く守らねばならぬ所のものである、ヂヨンソンは嘗て I love good haters と言つた、hate 即ち憎むと云ふ字は余りよい字とは言はれないが、併し伊藤侯も古河市兵衛氏も我友人なりといふ人は決して吾人の尊信すべき人物ではない。
 吾人は此点に於て亦日本人と西洋人との気質を比較することができる、すき嫌ひの甚しいのは西洋人である、彼等は嫌ひな人とは決して交際しない、それで彼国に於て、友人よりの添書なるものは頗勢力あるものとなつて居る、吾等は洋人の添書によりて其友なる他の洋人と一見旧知の如く握手快談することが出来るのである。
 されど日本に於てはそうでない、日本人は誰をも自己の友人とする、友誼上に於る日本人の態度は甚だ曖昧であるといはなければならぬ、今茲に一人の友人が有て其友人が私に不信極まる行をなした為めに私が其友人と絶交したとするも第三の人(即両者の友人)は相かはらず両者の友人となつて居る、如此にして両者の第三者を疑ふに至るは人情の自然である、而れども此第三の人は日本に於てあへて珍らしからぬ人物であつて、或人々は(294)却て其広量なるに感服して居る傾きがあるではないか。
 併し乍ら如此きは決して予輩の信を措くべき人物ではない、誰れとでも、たとへば鼠小僧とでも石川五右衛門とでも交際を開く人は実は自己の交際をとめ様とする人である、明白に厳重に交際上の区別を立てゝ居る人は信用ある人物で有つて、これは実に敵人と雖挙つて腹心を談ぜんとする人物である。
 基督教は一種特別の宗教である、儒教仏教も同じく真理なれば共に手を携へて交つて行かうといふのは如何にも美しいクリスチヤンの態度のやうである、併しながら、婦人の如きヘンリー、マルチンもキリスト以外に救主ありといはれた時には起て大抵抗を試みた、予輩はマルチンの挙動を正なりとして大に其勇気を敬慕せざるを得ない。
 諸君にして若し漠然たる考を広大《ひろ》いとせんか、それは間違ひである、※[開から門を除く]《それ》は広大きに非ずして唯広大きが如くに見ゆるのみである、頑固に自説を守るものは最貴むべき信者である、信頼するに足るべき人物である、或人の書翰中に「真理は中庸にありといへど真理は実は極端にあり」といふ一句があつたが、甚だ善い言辞であると思ふ、狭隘、極端の語に辟易するは予輩は飽迄も義に勇む義者の本領に非ずと信ずる者である。
 欧洲十六七世紀の光明は、中世時代より山の中へ引籠りし僧侶共がキリストの真理を守り通したる結果として来た者であつた、英や独の盛大となつたのは常に不義に向て戦を宣告せし人々が居つたからである、非狭隘主義の却て光明を消燼した例は一々之を挙げる迄もない。
 かくいへば或人は大に喜んでヨシおれは其極端狭隘の手箒を以て当るを幸ひ向ふの人をたゝき落してやらうと力むかも知れぬが、併しそうなつてはならない、吾人は一の人間として彼れ古河市兵衛をも尊敬せねばならぬ、(295)これ特にキリスト信者の忘る可らざることである、乍併吾々は彼と交際し彼の金を貰ひ、彼と主義を同じうすべきではない、吾々の主義、信仰を維持するについては吾々は飽迄も籠城的でなくてはならぬ。
 アブラハムより基督に至る迄神が或人々の間に障壁を環らし給ひしには大なる意味がある、バイブルの今日に伝はり、予言者の続々世に出たりしは決して偶然の事ではないと信ずる。
 狭隘は真正の世界主義に達する最良の手段である、吾々は狭隘を守て世の誘惑に欺かるゝことなく、終に誰れとでも一致することの出来る時節がくる、人類全躰と交らんとするの慾念が有て吾々は益々狭隘の利益を主張せねばならぬ。
 世に社会主義者の唱ふる財産平等説といふがある、平民主義といふがある、然し人々は心の奥底に於て一所になるべしである、或点に於ては隔離のある方が却て可い、五十人が一団となつて祈る時は皆兄弟姉妹である、然れど彼等が五十日間合同し見よ、予輩は必ず彼等の中に喧嘩口論の起るを見るであらう、カーライルは此点について甚しき狭隘家であつた、彼は訪問者の多くを拒絶した、然しながら彼の友人エマーソンも終に彼の真意を悟るに至つた、真に人類を愛したるは宏量なるエマーソンではなくして却て狭量なるカーライルであつた、彼の外相を観て直ちに彼は薄情なりきと叫ぶの徒は未だカーライルを知れるものと云ふ可らずである。
 予は重ねて云ふ予輩の所謂狭隘とは深くして広からんが為めの狭隘なることを、諸君願くは其深処に於て人々と一致せよ、外形の異同に係はつて其根を深くすることを忘るゝのは.決して真正のクリスチヤンの為すべき事ではないと思ふ。改行
 
(296)     真正の兄弟(【前号十五頁以下参照】)
                     明治35年9月20日
                     『聖書之研究』25号「講演」
                     署名 内村鑑三
 
 馬太伝十二章の四十七節以下にかういふことが書いてあります。「或人イエスに曰ひけるは爾の母と兄弟なんぢに言《ものい》はんとして外に立てり、イエス告げし者に答へて曰ひけるは我母は誰ぞ我兄弟は誰ぞや、手を伸べ其弟子を指て曰ひけるは是れわが母わが兄弟なり、蓋《そは》すべて我が天に在す父の旨を行ふ者は是れわが兄弟わが姉妹わが母なれば也。」(尚ほ馬可伝十章の二八節以下三十節まで、以弗所書四の四−六其他をも参照なさい)キリスト教を研究する人、ことに支那道徳の教をうけた日本人は、これを読んで如何に感じませうか。これは我等の父母兄弟親戚に対して頗る不穏な言葉であると思はぬものは恐らく一人もありますまい。教育勅語を奉持して居る学者は常に申します、キリスト教は忠孝の道に反対するものであると。さうするとキリスト信者の多くはいろ/\な弁駁をいたして、切にキリスト教保護策を講ずるのが常であります。
 併し、忠孝主義を以てキリスト教をうつ人の方には、大に強味があるのであります、キリストが十二歳の折、エルサレムの殿堂《みや》にたつた一人で、教師共と問答して居ました、ところが帰りかけて居たキリストの両親は大に心配してわざ/\歩を返して、キリストを探しにまゐりました。其時イエスは其両親に向つて「何故われを尋ぬるや、我は我父の事を務むべきを知らざる乎」と申されました。これはイエスが腹立ち紛れに申された言葉では(297)ありません、これは基督《わたし》は此世の義務の外に、それ以上に、まだ一層重大な役目をもつて居る身分だとの意味を直接にほのめかされたものには相違ありませんが、然し日本人普通の観念より申しますれば決して穏当な挨拶の様には思はれません。又カナの酒宴の場でイエスは其母に対つて、「婦よ、われと汝と何のかゝはりあらんや」と申されました、「婦よ」とはいかにも耳障で御座います、併し聖書の中には、まだ/\強い文句が沢山にあります、馬太伝十の三十五以下を読んで御覧なさい、而して又路加伝十四の二十六を読んで御覧なさい、「凡そ我に来りて其父母妻子兄弟姉妹また己の生命をも憎む者に非ざれば我弟子と為ることを得ず」とは随分惨酷極つた言葉ではありませんか、「我母は誰である乎」といふ我が子の言葉を聞いては、すぐに憤怒《おこつ》てくる日本の母に、若しこんな教をきかせたなら、それは実に大変であります。
 然しかゝる教へを示してをる言葉は聖書中にいくらも御座います、斯様な言葉のキリストによりて発せられたことは、明白なる事実でして、我々キリスト信者は何うしても之を掩ひかくすことは出来ません、忠孝主義の論者が先づ此点に於て、大にキリスト教に反対するのは一応尤なことゝ考へます。そこで或キリスト信者は倉皇狼狽して、「憎む」といふ字をやさしく改訳して、馬鹿な弁護をやらうとして居ますが、これは却てキリスト教を涜すものであつて、真理に不忠実な似而非基督教徒の所業と申さねばなりません。
 キリストはいふ迄もなく、完全無欠の人で、情愛の非常にこまやかな気質で御座いました。それはキリストが十字架につけられ給ひし最期の言葉に徴しても明かなことであります。キリスト十八九歳の頃に父は歿し、それからキリストは腕一杯、大工の稼業をして、母を養ひ又よく弟妹をも愛されました。其実際の行為から考へて見れば、決してキリストが不孝不悌な御方であつたとは申されません。
(298) 然しキリストは憚る所なく、再三再四かゝる不遜らしき言葉を申されました、これには何か深い理由がなくてはなりません。然りキリスト教其者はかゝる言葉を発せざるを得ないのであります、私は今こゝに其説明をいたしたい。これは私一個人の説をのべるのではなく、諸君の説を述べるので御座います。
 現世に於る肉躰的の関係は貴いものには相違ありません、お父さん、お母さんといへばいかにも親しくきこえます、兄弟姉妹、皆な吾々を近く引寄せる言葉には相違御座いません。天然の情として吾々が父子相慕ひ兄弟相愛するは当然のことで御座います、又尤も美しい心で御座います。
 然し吾々の長い経験によりまして、吾々が生涯の中心は肉躰に在らずして、霊魂、人格に在るといふことを悟るに至ります。此肉躰は父母から分けて貰つたものといたしましても、此の霊魂、人格なるものは決して父や母から降つて来たものではありません、吾々が、此の霊魂、人格なるものをどこからか貰つてまゐりますと、肉躰の関係が薄くなつてきたといふ訳ではありませんが、併しどこやらに肉躰の重みが軽くなつて来たやうな感じがいたしてまゐります。キリストの重きを措いてる所は汝等の肉躰を殺して、十字架を負へといふにあります、キリストによりて生くるといふのが即ち信者の生涯で御座います、肉躰の関係は天然の関係として貴ばないのではありませんが、肉の関係が我々の心の中の一番大切なところに影響や勢力を及すものであるとはキリスト教の全然申さぬことであります。私はこのへん迄信仰がのぼつてこねば、真のクリスチヤンではあるまいと考へます、肉的の欲望は消えて了ひ、心の裏には主なるキリストが宿りて、吾々の全意志が自然とキリストに向いてきた時こそ、吾々が真正のクリスチヤンになつた時だらうと考へます。かゝる境遇に立て、肉躰上の関係は殆んど顧みるに足りません、かゝる境遇に進んでまゐりますと、これは私の親であるから、これは私の兄弟であるから特別(299)にしないではならんといふ様な思考《かんがへ》は消滅《なく》なつてまゐります。同じ血筋/\といふて居る間は吾々の世界は洵に窮屈きはまるもので御座いますが、併し吾々が血肉の中心、生命の心棒なる神の霊を分けて貰つて、霊的身躰の部分となつて、吾々は皆真正の兄弟姉妹と成るので御座います、霊的の父母兄弟は肉的の父母兄弟に此べて、数倍も数十倍も優つたものであるといふことは決して理由のない事ではありません。
 昨晩私共は此一室で、各自自分の罪を告白して一所に神様に祈りをいたしました。日本今日の状態では、肉縁の近い人が幾百人集りましても私共は決してこんな祈祷会を開くことは出来ません、同じ霊によりて祈りますることがいかに神聖で美しいものであるかは、今更私がこゝに繰返す必要はありません、霊的結合と肉的結合との相違、これは経験した人々の明白に感ずる所で御座います。
 それでは、此世の血縁肉縁なるものは取るに足らぬものでありませうか、イーエ、さうではありません。私は十人の外国人が活ける神の子を信ずる様になつたと聞いて大に嬉しう感じます、併しこれを一人の日本人がキリスト信者になつた時の喜びと比べますれば、どちらがより大なる喜びでありませうか。私は私の朋友がキリストを讃美する様になつたのを見て、大に喜ぶものであります、併しこれを私の兄弟親戚が自分共の大罪を告白した其叫びと此べて見まして、どちらがより大なる喜びで御座いませうか。是は分かり切たる事であります。
 肉に於て近かりしものが霊に於ても近くなつてきますれば、これ程私共をして親しく感ぜしむることはありません。夫婦の間柄について申しますれば、若し此両者間に肉躰以上、霊的の関係が添はつてまゐりますれば、それこそ鉄の輪で締めた上をプラチナで〆めつけた様なもので御座います。
 併し肉の関係がなきにせよ、霊を以て引きしめた関係は前者より一層も二層も強いものであります。かくいへ(300)ばいかにも情けない話しのやうに聞えますが、事実其ものを誣ふることは出来ません、若し私共の家族に神を信じない人がありまするならば、私共は唯熱心の祈祷によりて其人たちを同一の信仰に導く様にして、可成早く霊の父母、霊の兄弟を見ることのできる様いたさねばなりません。
 メシアを慕ひ来りしアンデレ、ペテロ等はキリストより見れば肉親の兄弟よりも愛すべく親むべきものでありました。霊的生涯を送らうとするキリスト信者に取て、如此きことあるは、いくら日本人の攻撃を受け様が致方はありません。普通の兄弟を賤しめる訳ではありませんが、併し肉の兄弟の浅くして、霊の兄弟の深いものなることは不信者と雖争ふことのできぬ事実であると信じます。朝鮮は肉の関係の大層深い国であります、或一人が大臣にでもなれば、時には遠い親類迄が七八十人も集つてきて其家の厄介になるさうであります。日本はまだそこ迄進んで居りませんがおもなる関係を肉の上に措いてることはあへて朝鮮とちがひません、キリスト教はこれを破るので御座います、私共は、肉躰に於て素より白哲人種や、エスキモー人種と同一なものではありませんが、彼等と私共とが一旦新生命をうけさへすれば肉の兄弟も及ばぬ深い深い兄弟となることができるといふ大福音を受取つて居るので御座います。此の大福音――大思想は未だ日本人の多くが夢にも想うて居ない思想、福音であるかは知りませぬが、併しこの思想は大に世界の一致を助けて居ります、外国伝道はこれによりてはじまつてまゐりました、日本の東西に、儒道や神道の信者の中に一人でもボア人の為に同情を捧ぐるものを得たいとは私の常に思うて居たところでありました、成程日本人は英杜戦争に多少の心配をしなかつたのではありませんでした、但し其心配は利己的の心配、輸出入、貿易、十露盤上の心配でありました。ボア人の勝敗はとりもなほさず我の勝敗だと迄に思ひつめた者は恐らく一人も無かつたらうと考へます。
(301) 諸君よ、諸君の胸中に若し日本人のみが日本国を愛するものだといふ考がありますればそれは大間違ひで御座ります、亜米利加入で非常に日本国日本人を愛して居るものが御座います。日本人も神の子だ、神の霊を享けることができる、日本人を救済つてやらなければならぬとは、彼等亜米利加人の或者が胸の中に抱いて居る熱情であります。世は腐れたりと雖、愛の源泉はどこかに流れ出でゝ人を湿し国を潤ふさうといたして居ります。涙を流して南天北地の為に世界人類の為に祈つてる人はたとへ日本国になくとも、日本国外のいづれかにかくれて居るので御座います。
 かく申しましても、日本の愛国者があへて私共の説に服するとは思ひません、啻に服せないのみならず、尚ほ口をきはめて耶蘇教は人倫を破壊るの教だと罵りませう。左様、破るかも知れませぬ、乍併それが為めに、それが破れた為に、私共は抱世界的の人民を兄弟と呼ぶことが出来る様になります、私共は狭い小字宙を脱して広い愉快な大字宙に入りその大字宙の兄弟と心の底をうちあけて交ることができるやうになるのであります。肉的姑息の愛にかゝはつて、吾々の生涯は洵に憫れなもので御座います。この思想眼を以て読まなければ、馬可伝十の二十九以下も訳の分らぬものになつてしまひませう。
 キリストの為めに此世の妻子兄弟と離れても、未来には限りなき生命をうくることができると言つて、単に償ひを未来にのみ求めて居る人がありますが、それは普通一般の信者の慰めで御座います、ペテロを通して慰められしキリストの言辞はそれとはちがひます。「我と福音の為に家宅或は婦妹あるひは父、或は母或は妻あるひは児女或は田疇を捨つる者はこの世にて百倍を受けざる者なし」これがキリストの教訓であります。
 ペテロはキリストの教によりて親や兄弟と争つたであらうと考へます、パウロは明かに之と争ひました、彼の(302)家庭の関係は為之一時乱れてまゐりました。然しキリストの為に一切を舎てしペテロやパウロは此地に於て百倍の兄弟を得たことを彼等は大に感謝したで御座いませう。私共もこれが為めには時には心臓をつかれ腸をかきむしられるやうな苦みに出あひますが、然し無料《たゞ》で此苦をうけません、此苦あつたが為に私共は此処に居る多くの諸君と兄弟姉妖になることができました。親類/\といへば如何にも親しい様にきこえますが、今の親類は少し上等な土産を持参して行かねば笑ひ貌をして呉れません。併し土産なしに私共を迎へてくれる霊の兄弟は日本国到る処に御座います。貧乏な私でも十銭銀貨一枚をポツケツトに入れて新宿のステーシヨンを出さへしますれば、北は根室の端から南は薩摩の鹿児島迄旅行してくることができます、一面識がなくても喜んで労れを慰めてくれるのは霊の兄弟に限ることゝ考へます。
 豈にたゞに日本のみならんやです、洗礼を受けた日本人が外国に行くと、随分親切に取扱はれたものであります、併しこれはすこし以前のことで、度々日本人に誑かされた外国人は今や大に日本人を疑うて居りますが、然し若し私共が真正のクリスチヤンであるならば、彼等は決して私共を排斥はいたしません、たゞに排斥致しませんのみならず、大に私共を歓待して呉れます、英であれ仏であれ独であれ、これは皆同様で御座います。
 欧洲の諸国民が移住民となつて亜米利加に航海の途上、或時大西洋の波の上で言語のちがつた諾威の一信者と伊太利の一信者とが互に握手したといふ面白い話が御座います。伊太利の信者は諾威人がバイブルらしき書物を熱心に読んでをるのを見ました。彼は嬉しくて堪りませんでした、何うかして自分の意志を諾威人に通ぜやうと思ひましたが、国語では分りませんから、一声高くハレルヤと申しましたら、書物を読んで居た諾威人は直にアーメンと答へて握手の礼を施しました、ハレルヤ、アーメン、これは世界共通の言語で御座います。
(303) 私は喜んでグラツドストーンの著書を読みます、世界第一等の政治家が我朋友兄弟中にありと思へば実に愉快を感ずるので御座います、グラツドストン翁死去の新聞に接しました時に私は真に自分の兄弟が死んだやうな心持がいたしました。クロンウエルの伝を読みまする時に、私の心に大愉快が御座います、クロンウエルは私に取て親密な兄弟であります。キリスト信者にしてミルトンを知らない人の多いのは残念な話しであります、ミルトンの著書を僅に字句的に読みちらして此大詩人を知たやうに喋舌る学者もあると思ひますが、それは口先きばかりです。真のキリスト信者でなけらねば、ミルトンを解することはできません、ミルトンの兄弟となつて「失楽園」は、らくに読むことができます。多くの文学者はダンテの著をつまらぬと申しますがこれはダンテの著がつまらぬのではありません、若しつまらぬといへば、ダンテの経験なくダンテの生命なき人其人がつまらぬのであらうと考へます。
 よろしい、勘当されてもよろしい、グラツドストンやミルトンやダンテは決して吾々に勘当を与へません、朝も晩も彼等は吾々の座右につき添うて居ります。故に私は更にまた真のキリスト信者が私共に取て真の兄弟姉妹であることを繰返しておきます、私共はかく考へて此世の中のあらゆる不平や苦みを脱却することができるので御座います。
 今年の講演もこれが最後となりました。私は今日なつかしき諸君と訣れるについて、何か一つのお土産を差上げたい。私共は十日の間こゝに会して祈りつゞけました、同一の主イエス、キリストを仰ぎました、而して来年の七月廿五日迄毎晩七時を期して祈祷を捧げるとの約束をいたしました。諸君の一人が七時に祈て居られます時には他の諸君も亦同時刻に祈つて居られるので御座います、二十人、三十人、四十人、五十人、是は皆な、これ(304)大兄弟で御座います。或人々は渡辺国武氏の兄弟を羨みます、なぜ羨むのですか、私共には分りません、渡辺兄弟も決して私共の様によい兄弟を有つては居りません。
 兄弟の関係を深からしむる法は、たゞこれです、即ち己れの信仰を強めることであります。凡ての方法をつくして兄弟を救助けなさい、此の会員中には已にこの事を実験して居る人が御座います。あの家(指さして)は私の住宅であります、実にはかない建物で御座います。如何なる狂人もこれを東京一番の家だとはほめて呉れますまい、されど或友人は私のところにきて、君の家は開放主義だと申して呉れました、成程開放主義、愉快極まる言葉です、私はこの言をきいて大に喜びました。夏は万物膨脹の時であるといたしましても、こんな百人近くの家族的膨脹は金持ちの豪家にも余り多くはあるまいと考へます。
 鉄柵を仰山にとりまはして、潜《くゞ》つては出で潜つては入る千坪万坪の家屋も、全人類を兄弟とする理想から見ては蟻の孔一つにも当りません、私共願はくは主キリストをいたゞいて教会てふ真の大家庭を日本中に又世界中にひろめたいので御座います。
 
(305)     国家禁酒論
                      明治35年10月9・10・11日
                      『万朝報』
                      署名 内村生
 
〇日本人が酒の為に政府に納むる税金は一ケ年に五千八百万円以上である、若し之を原価の二割と見積れば日本人が一年間に酒のために消費する金は実に二億九千万円の巨額である、是は実に莫大の金額であつて若し此金があれば他に税を仰がないで帝国政府を一ケ年間維持する事が出来る、或は一千万円づゝの戦闘艦を廿九膿造る事が出来る、或は一千万円の建設費と一千万円の基本金を有する大学校を十四設くることが出釆る、此金が有つて為し得ない事は何にもない、然し是は日本人が僅か一ケ年間に飲む酒の代価でほかない。
〇一年に二億九千万円、若し此金を五年間蓄へ置けば饑饉が十年間続かうが日本国民は飢ゆる心配はない、又若し此米を酒に造らないで常食に供したならば国内に饑餓を訴ふるの民は一人もなくなる、其れ計りではない、著し酒が無くなれば監獄費の半額以上は減ずる、警察費と裁判費とも大分減ずる、瘋癲病者は少くなる、夫婦喧嘩も少くなる、夫れが為に国家社会の進歩は非常に渉る、国家を利益することで毒あつて益なき酒を廃するに如くものはない。
〇日本国は君子国ではない乎、其国民は愛国心を以て世界に鳴る者ではない乎、然るに何故此一英断を施して国家的禁酒主義を実行しない乎、現に米国のメイン州、アイオワ州の如きは法律を以て酒類の販売を禁止して居る(306)ではない乎、愛国心に富める日本人が今日之を為し得ない理由は何処にある乎、若し之を永久に実行し得ないならば十年間なりと之を行つて見たらば如何に、国家のためとならば身命をも惜まない日本国民が十年間酒を禁じ得ない理由《わけ》はあるまい。 〔以上、10・9〕
〇或人は曰ふであらう、若し国家的に酒を禁じたならば日本政府第一の財源を枯らしてそれが為に財政が非常の危窮に陥るであらうと、然し是は最も愚かなる議論であると思ふ、国民に一年二億九千万の余裕が生ずるのである、それがために商工業は非常の進歩をなして政府の他の収入は日ならずして非常の増加を来すに相違ない、恰も禁酒家の家には別に蓄金《ちよきん》は出来ないにもせよ其の衣食住に於て著るしき改良が現はるゝと同一である。
〇抑も酒税に由て国家を維持するが如き馬鹿気切つたる事はない、是は民の宝血を浪費して国家を維持すると同一である、是れは国民に其健康を害はしめ、其家庭を紊乱《ぶんらん》せしめ、其道徳を堕落せしめて国家を維持すると云ふのである、是に優るの背理は何処にある乎、曾てマダガスター島の女皇が非常の英断を以て彼女の島王国に酒類の販売を禁止した時に、彼女に説くに同一の背理を以てした者が有つた、其時彼女は答へて「朕は朕の愛する民の生血を以て朕の政府を維持しない」と曰ふたさうである。
〇禁酒の利益は斯くも莫大なるものであれば、吾等日本臣民たる者は今日直に其実行を始むべきである、政府や議会が法律を出して酒を禁止するのを待つ必要はない、吾等各自が今日先づ率先して禁酒を実行し、然る後に之を広く友人郷党の間に勧め、到る処に強大なる禁酒的団体を作り、其勢力を以て終には村会議員より、郡会、県会、国会議員に至るまで悉く真面目なる禁酒家を選出するに至るやう努むべきである、此事業は他の事業と異なり、国家的事業と為るにあらざれば功を奏せざる事業ではなくして、一人之を実行すればそれ丈け国家を益する(307)事業であれば、吾等此主義の賛成家は弛まず懼れず今日より直に其実行と唱道とを開始すべきである。 〔以上、10・10〕
〇余は偏に望む、理想団を以て直に禁酒的団体となさんことを、理想団は既に其会合に於て悉く飲酒を禁じつゝあれば余は茲に百尺竿頭一歩を進めて其団員たる者は医師の勧告の下に薬品として之を用ふる外は決して酒類を用ひざる事と為したく欲ふ、斯く為せば一方に於ては理想団をして目下の社会に向て一大任務を負はしむると同時に他方に於ては団員たる者の資格を高め、断然意を決して国家社会のためには総ての我慾を絶たんと欲する者にあらざれば入団し得ざるに至て団をして非常に高潔にして且厳粛なる者とならしむるであらうと思ふ、余は天下数万の理想団員が異口同音に余の此説に賛成せられんことを願ふ。
〇日本国の禁酒軍、禁酒を実行して富国強兵の基を開かんとする愛国的大団体、何んと勇ましい、何んと美はしい、爾うして又何んと容易い大運動ではない乎、是に賛成し得ない者は酒屋と女郎星を除いて外に誰があらうぞ、今や政府は財政整理の難局に当て、只僅に売債の一事を以て一時の弥縫を施しつゝあるではない乎、財源を枯らし尽して猶は新財源を求めつゝあるではない乎、今や大英断に出づべき時なりとは吾等の屡ば聞く処であるが、余の看る処を以てすれば最も容易なる大英断とは此国家禁酒主義の実行である、余は東洋の君子国たる日本国が此美事を実行して大に他の国民に誨ふる所あらんことを望む。
〇序に曰ふて置きたいが、曾て北海道の奥尻島に於て全島に禁酒主義を実行して、数年ならずして、全島の富は著しく増加し、新道は開かれ、学校に高給を受くる新教貝は聘せられ、一時は北海の禁酒島と称へられて、其名は全世界に轟いた事がある、後不幸にして其業は中絶したれども禁酒主義の実行が全社会の福祉を増進するに(308)如何に急速なるかは、奥尻島に於ける数年間の実験を以ても知ることが出来る、余は信じて疑はない、若し日本帝国に禁酒主義を実行する事が出来るならば其事それ自身にて欧洲諸強国は日本の威力に懼れ、終に手を全く東洋より引くに至るであらう、爾うして酒を廃めて敵を駆迫《おひや》るのは弾丸を以て之を撃退するに優ること数等の方法なるは誰が見ても明かである、要は日本国民の飲酒慾節制の一事に在るのである、国民に此決断さへ有れば東洋の平和は目前の事である、日本国民は国家、東洋、全人類のために些々たる此一事を行へない乎。 〔以上、10・11〕
 
(309)     国家禁酒論に対する反対説
                      明治35年10月19日
                      『万朝報』
                      署名 内村生
 
〇其一 是は日ふべくして到底行はれないと云ふ説である、
 此反対説に対して余輩は云ふ、若し行はれないと云ふ人が今日直に之を行へば、即ち今日、今晩より直に酒を禁ずれば、それで国家禁酒主義は思ふよりも早く其実行を見るに至るであらうと、若し飲む人は反対を唱ふるを止め、彼が飲まなく成つて始めて反対を唱ふるやうにさへすれば、此主義は思ふよりも容易く世に行はれるに至るであらう。
〇其二 は交際の利器を奪はれるとの説である、
 此事も別に心配するに及ばない、顔を赤くし一時的精神病に罹るにあらざれば交際が出来ないなど云ふ人は未だ真の交際の何たる乎を知らない者であるから、爾う云ふ人は先づ第一に交際の何たる乎を攻究すべきである、交際は水でも出来る、ラムネでも出来る、若し酒は交際のための必要物であるから之を廃てはならないと云ふならば、それこそ酒を禁ずるための最も好き理由であると思ふ、故如何となれば酒で結んだ交際は最も多くの場合に於ては偽りの交際、山師、悪友の交際であるからである。
〇其三 は国民の元気を銷耗するとの説、
(310) 是も謬説の一つである、然り、其最も甚だしい者であると思ふ、若し酒が米の如き、牛肉の如き身体の滋養物であるならば之を禁じて国民の元気を銷耗《せうかう》するの虞れもあらうが、其物其れ自身が銷耗物である酒を廃めて国民の元気が銷耗しやう筈は一つもない 余は酒を飲過ぎて耄碌した人を沢山知つて居るが、酒を飲まないが故に、脳を痛めたとか、心臓を壊はしたとか云ふ人のある例を聞いたことはない、曾て米国のペリーなる人が北極探険に行つた時に、其率ゐし水兵の中で酒を飲みし者は強さうには見えたれども先づ斃れ、酒を飲まない者は終りまで能く極寒に堪へ忍だといふ事である、陸に在ても、海に在ても酒は確に元気銷耗物であつて、之を廃することは元気を銷耗する所ではない、却て之を快復し、之を振興することであるは何所から見ても明白である。
〇其四 は禁酒主義の実行は日本国の習慣を打破るとの説、
 是も甚だ理由なき反対説であると思ふ、如何に国の習慣なればとて悪い習慣は総て之を破るに如くはない、現に男子のチヨン髷の如き、其日本国の古習旧慣なればとて其廃止の当時には島津久光公の如き甚だ有力なる反対者ありしにも係はらず、其無要なる習慣なりしが故に、日本人は直に其廃止を実行したではない乎、日本人が祝儀葬式其他総ての儀式に酒を用ふる事は最も悪い習慣であつて、是れ国家禁酒主義の成否如何に係らず、早晩廃止すべきものである、酒を飲ざれば祝意を表することも出来ず、弔意をも呈することも出来ないとは日本人に取て決して名誉の事ではない、我等は人を祝する時にも、亦弔ふ時にも真面目に之を為さなければならない、酒を礼儀より取除くことは礼儀を一層厳粛ならしむる事である。
 
(311)     日本国の二大敵
                        明治35年10月23日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
〇若し日本国を滅す者がありとすれば夫れは露西亜の海軍でもなければ、亦仏蘭西の陸軍でもない、それは必ず酒と黴毒との二つである、其勢力の強大なる我が二十万噸の軍艦と十三師団の陸兵を以てしても到底禦ぎ切れるものではない、亦其動作の機敏なる、彼等は伊藤侯の如き大政治家の鼻をも犯し、山県侯の如き大軍人の心臓をも攻撃する、彼等に依て滅ぼされし国家としては既に羅馬あり、彼斯あり、布哇等ありて、彼等の侵害に遭ふて大打撃を被らざる国家とては一つもない、歴史家ニアンデルは曰ふた、「外敵の侵略に遭ふて亡びた国家とては曾て一つもない、亡国は常に自殺的である」と、爾うして自殺とは最も多くの場合に於ては酒と黴毒とを以てする自殺である、実に恐るべくして又懼るべきである。
〇或医学者は言ふたに「日本国に於ける黴毒の蔓延は実に甚だしいもので、今や日本人にして多少黴毒に感染して居らぬ者は一人もあるまい」とのことである、黴毒は眼を侵し、鼻を侵し、脳を侵し、肺を侵し、胃を侵し、心臓を侵し、霊魂《たましひ》を侵す、人と国家とを敗滅に導く者は実に此病である、而も其病毒は日本国到る処に培養せられ、最も神聖たるべき伊勢の山田ですら其最も盛なる培養地として天下に知らる、東京、大坂の砲兵工廠や目黒の火薬製造所等にて外敵を撃退くるために兵器弾薬が盛に製造されつゝあると同時に日本国到る処に同胞撲滅の(312)ため黴毒の病菌が盛に培養されつゝあると思へば、今日世に謂ふ国家の経綸なるものゝ実に矛盾極はまるものであることが判る。
〇爾うして酒と黴毒との関係は殆んど親と子との関係である、酒を廃めずして黴毒を絶つことは出来ない、爾うして黴毒を絶たなければ国は滅びて了ふ、故に禁酒論は耶蘇教徒に依て唱へられる宗教論ではない、禁酒論は実に愛国論である、苟も此日本国を愛する者にして此論に賛成しない者はない筈である。
〇序に言ふて置くが、身体を害するに最も甚だしいものは純粋の日本酒ではない、毒物中の大毒物はかの世に所謂る舶来酒である、ラム、ホイスキー、偽葡萄酒、即ちアルコホル精と薬品を以て造られたる酒類、是が身体を壊つ者である、悪魔は斯かる毒物を造つて飲酒家を苦める、故に其誘惑より全く免れんとすれば禁酒を断行するに如くはない。
 
(313)     〔秋の到来 他〕
                      明治35年10月25日
                      『聖書之研究』26号「所感」                          署名なし
 
    秋の到来
 
 秋の到来と同時に吾人をして研学の人たらしめよ、夏は感情の季節にして秋は思考の時なり、夏に於て吾人は感じ、歌ひ、信じ、愛せり、秋に於て吾人をして学び、究め、信仰の理由を探り、愛の泉源に達せしめよ、夏の成長をして秋に於て熟さしめよ、天然は爾か要求す、吾人の情性も亦爾か要求す。
 
    信と学
 
 信は人を深くし、学は彼を闊くす、信なきの学に熱なし、学なきの信に光なし、信を以て荒蕪を拓き、学を以て之を田園に化す、信のみの信仰は粗野たるを免がれず、学を以て之を研磨するに至て信は始めて温雅たるを得るなり、学の驕傲に失し易きの理由を以て吾人は其探究を怠るべからず。
 
(314)    信仰と偏執
 
 信は感情なり、其最も高尚にして最も激烈なる者なり、信は邪慾を焼き、罪念を滅す 然れども信仰の熱火にして若し能く智識の冷光を以て制限せらるゝにあらざれば其延びて焼くべからざるものをも焼き尽すに至ること往々にしてあり、智識の教導なくして信仰は偏執に失し易し、吾人の信仰をして美はしき天然の真情を滅するに至らざら
 
    本誌の性質
 
 是れ聖書の研究なり、我が主張の発表に非ず、又必しも信仰養成のための機関に非ず、聖書の研究なるが故に余輩は之を以て最も正格に最も忠実に聖書の記述する真理を世に紹介せんことを欲す、聖書の研究なるが故に余輩は余輩の理性に訴へて深く且つ広く之を究めんと欲す、聖書の研究は宗教家の熱心と科学者の精密とを要す、二者其一に欠乏して本誌の目的を達する能はず。
 
    信仰と無学
 
 若し吾人の信仰にして吾人を新智識に導くにあらざれば是れ吾人の信仰の真個の信仰にあらざる確証なり、信仰は道念のみにあらず亦光明なり、神を信じて更に多く学ばんと欲するの志を起さゞる者は未だ真正に彼を信ぜざる者なり、無学を以て満足する者は偽信者なり、信仰と無学とは両立し得べき者に非ず。
 
(315)    智識の霊
 
 聖霊一名、之を智慧聡明の霊、才能の霊、智識の霊と称す(以賽亜書十一章二節)、吾人は聖霊に依て吾人の罪悪を認め心を潔め、救拯を全うするに止まらず、吾人は亦之に依て万事《すべてのこと》を究知《たづねし》り又神の深事《ふかきこと》を究知るなり(哥林多前書二章十節)、依て知る聖霊は宗教の精神たるに止まらずして亦科学哲学の精神たることを、エホバを畏るゝは智識の本なり(箴言一章七節)、真理の探究は其総ての方面に於て聖霊の優渥なる援助を要す。
 
    聖霊の恩賜
 
 聖霊は吾人の最も乞ひ求むべきものなり、然れども是れ神の恩賜なるが故に、吾人の請求して必しも之を獲取し得べきものにあらず、神にして若し其聖意に通ひて豊かに之を吾人の上に降し給はんか、吾人は感謝して之を受くべきなり、然れども若し神にして其聖旨のまゝに今日之を吾人に下し給はざらんか、吾人は神の従順なる小供として呟くことなく、謹んで彼の之を下し給ふの時を俟つべきなり、聖霊の恩化の他人の上に降て我が上に降らざるを見て、神を恨み、我に就て失望するが如きは未だ信神の秘密を探り得しものと称すべからず、保羅曰く「己の子を惜まずして我儕|衆《すべて》の為に之を付《わた》せる者は豈《など》か彼に併《そへ》て万物をも我儕に賜はざらん乎」と(羅馬書八章三二節)、聖霊の恩賜に於ても亦爾かあらざらん乎。
 
(316)    聖霊降臨の準備
 
 吾人は自から求めて聖霊を獲る能はず、然れども吾人は自から進んで聖霊の恩賜に接する時の準備を為し得るなり、吾人は深く聖書を究めて、神の聖語に吾人の心の耳を慣らし得るなり、吾人は行為を正くし感情を潔くして、聖霊降臨のために此肉体の神殿を聖め得るなり、吾人をして吾人の為すべきを為さしめよ、然らば神は必ず彼の為さんと欲する所を吾人に於て為し給はむ。
 
    安全の策
 
 聖書をして汝を感化せしめよ、余をして之に余の感化力を加へざらしめよ、余に感化せらるゝ者は余の斃るゝと共に斃れん、然れども聖書に依る者は永久に斃るゝことなし、「其れ人は既に草の如く、其栄は凡ての草の花の如し、草は枯れ其花は落つ 然れど主の道《ことば》は窮なく存《たも》つなり、爾曹に宣伝へらるゝ福音は乃ちこの道なり」(彼得前書一章二四、二五節)。
 
    大誤謬
 
 余を崇拝し、余を盲信する者は余より真理を学び得ざる者なり、其は善なる者は我れ乃ち我衷に居らざるを知ればなり(羅馬書七章十八節)、余は余の背後に立つ余の神を世に紹介せんと欲する者なり、余は彼の使者なり、又は送話器なり、故に人は余を通ふして直に余を使役し給ふ神を信ずべきなり。
 
(317)    無識の結果
 
 人の何たるを知らず、故に神の何たるを知る能はず、神の何たるを知らず、故に人の何たるを知る能はず、神の何たるを知らざる者は敬崇を人に向て払ひ、人の何たるを知らざる者は救済の神を需めんとせず、神に依て汝等の眼の開かれんことを祈求《もと》めよ、然らば汝等は頼るべき者に頼りて、頼るべからざる者に頼らざるに至らん。
 
    愍むべき地位
 
 余は教会を建てんとせず、故に余は教派的嫉妬の害毒より免かるゝを得るなり、余は人を救ふに方て彼を余の教会に収容するの必要を認めず、故に余は福音の自由伝道師たるを得るなり、余は拡張すべき教会を有する宗教家の地位を愍む。
 
    無きもの
 
 我に我あるなし、神、我に在て働き給ふ、我に我が言辞あるなし、我が言辞は神の言辞なる聖書なり、我は既に無きものにして、我の今生けるは我の生けるに非ずしてキリスト我に在りて生けるなり(加拉太書二章廿節)。
 
    信仰と実力
 
 我が弱きを思ふて為し得ざらんと信ぜん乎、我は為し得ざるべし、神の強きに頼りて為し得べしと信ぜん乎、(318)我は為すを得ん、爾曹の信ずる如く爾曹に成るべしと主は曰ひ給へり(馬太伝九章二九節)、神の無限の力に頼りて我等は我等の信ずるが如くに諸 の事を為すを得るなり(腓立此書四章十三節)。
 
       ――――――――――
 
    晴空録
 
 我が神は万事《すべてのこと》を為し得給ふ、彼は億万の星を空間に懸け、之に尽きざる光輝を放たしめて、万世を照さしめ給ふ、彼は山を造り、之を地の磐石の上に築きて、陸を水上に支ゑ給ふ、彼は亦我が悪しき心を変へて書き心と為し得給ふ、彼は人の為し得ざる事を為し得給ふ、彼は我に聖き心を与へて我を彼に救ひ得給ふ、頌むべき哉。
       *     *     *     *
 我が神は善き人ならでは之を救ひ得ざるが如き神に非ず、彼は悪人に書き心を与へて之をしも救ひ得給ふ神なり、意志の改造、是れ神ならでは為すこと能はざる事業なり、然れども彼は基督に縁りて此最大奇跡を為し得給ふ、此事を為し得給ふが故に吾等は彼を無限の愛、大能の神とは称し奉るなり。
       *     *     *     *
 日を与へて昼の光となし、月と星とを定めて夜の光となし、海を激してその濤を鳴らしむる者、即ち万軍のエホバ斯く言ひ給ふ、我れイスラエルの家(全人類の代表者)に立ん所の契約は此れなり、即ち我れ我が律法《おきて》を彼等の衷に置き、之をその心の上に録《しる》さん、我は彼等の神となり、彼等は我の民となるべし、我れ彼等の不義を赦し、その罪を再び思はざるべし(耶利米亜書卅一章三三、三四、三五節)、偉大なるかな此恩恵奇跡中の大奇跡、然れ(319)ども神は此事を吾等罪人の心に為し能ふなり。
       *     *     *     *
 エテオピヤ人は其膚の黒色を変へ能はず、豹は其|斑紋《まだら》を変へ能はず、悪に慣れたる我等も自から努めて神を歓ばすに足るの善人となる能はず(耶利米亜書十三章廿二節)、然かはあれど全能の神は此事を為し能ふなり、彼は我等の衷に新たなる清き心を創造り得るなり(詩篇五十一篇十節)、彼は此奇跡を吾等の上に施して我等を救ひ給ふなり。
       *     *     *     *
 我れにして自から悔改むるにあらざれば神は我を救ふ能はずとは偽予言者と偽牧師の度々我等に告げし所なり、然り、我は悔改めざれば救はれざるべし、然れども神は其聖霊を以て我を悔改めしめ給ふ、我れ独り躬から意志の努力を以て悔改めしに非ず、是れ到底我の為し得ざる業なり、然れども神我に宿り、我が意志を以て彼の意志となし、而して彼の意志の能力を以て我をして悔改めしめ給ふ、我れ独力を以て悔改めしに非ず、而かも神は之を我が悔改として受け納れ給ふ、嗚呼、神秘中の神秘とは神と意志との神秘なり、而かも贖罪の神秘は此神秘の中に存す、吾等は哲学的に之を説明し能はざらん、而かも最も確実なる事実として吾等は此事を知るなり、蓋吾等の意志に関する事実は吾等が最も確実に知り得る事実なればなり。
       *     *     *     *
 神、我に在て我を救ひ、而かもその功を己れに収め給はずして之を我に帰し給ふ、神の謙遜なること実に斯の如し、神は神に由て我を救ひ給ひしに、彼はそれが為に我を功なき者となし給はず、却て彼の善き子として我を(320)受け給ふ、恰かも父が物を其子に与へて、彼が彼に其物を献ずるを見て彼より新たに之を受けしが如くに感じて喜ぶが如し、神は自己の善行を我等に移し、彼が我等に縁て之を為し給ふに係はらず、之が為めに我等を賞め給ふ、嗚呼無限なる天父の愛、而かも是れ我等の解し得ざる愛に非ず。
       *     *     *     *
 贖罪とはカルバリー山上、基督の十字架上の死を以て完成されしものにあらず、是れ僅かに贖罪の端緒なりしのみ、其の完成は今日吾等の心に於て遂行されつゝあるなり、聖父と聖子とが其聖霊を以て吾等の心に降り、此所に吾等のために苦み、此所に吾等に代はり(即ち我等と成りて)悔改の実を挙げ終に我等をして罪なき者となりて神に受け納れられしめ給ふに至て贖罪の実行は挙がりしなり、贖罪は二千年前の過去に於て有し事にあらず、贖罪は今日吾等の心の衷に於て行《な》されつゝあることなり、贖罪は神学説にあらず、贖罪は我が目前の事業なり、我が心中の実験なり。
       *     *     *     *
 「基督我が衷に在り」、我が側にあるに非ず、我と偕に在るに非ず、亦単に我が衷に宿て我が心の客たるに非ず、基督我が衷に在りとは我が存在の中心に在り給ふとの意ならざるべからず、即ち彼れ我が意志となり、我がペルソナとなり、我をして彼と我とを判別し能はざらしむるに至ることならざるべからず、此時に於ける彼と我との和合は親密なる夫婦の和合にもいや愈りて、彼れ我なる乎、我れ彼なる乎、之を判別すること能はざるものなり、二心同躰に宿る之を友誼と云ふと、然れども、キリストとキリステアンとの一致は二心の抱合なるに止まらで、二個のベルソナの相流合して一となりしものなり、此故に二者は永久に相離るべきものに非ず、生も死も(321)高きも深きも今ある者も後にある者も我儕を我が主イエスキリストに頼れる神の愛より絶《はな》らすること能はず(羅馬書九章末節)。
 
(322)     聖詩解訳
        詩篇第四十六篇
                     明治35年10月25日
                     『聖書之研究』26号「註解」
                     署名 内村鑑三
 
此詩何人の作なるや知る能はず、或はエルサレム城外よりアツシリヤ軍の退陣の後予言者イザヤの指導に依て作られしものなるべしと云ふ者あり、或は然らん(列王紀略、十八、十九章参考)然れども其何人の作たるに係はらず、神を信ずる者の堅城鉄壁の何たる耶を歌ひし者として聖詩中特に人目を惹くものなり、有名なるルーテルの讃美歌にして『宗教革命時代の軍歌』と称へらるゝ Eine feste Burg ist unser Gott.(堅き城は我等の神なり)は此詩を義訳せしものなり、其中に勇気凛々として動かすべからざるものあれば、又清流の芳味独り静かに感謝して掬すべきものあり、過去三千年の長き間、神を信ずる者の恐怖を静め、敵軍蝗の如くに起て彼を囲みし時に彼に神の扶助を俟望ましめし此聖詩を吾等今日の日本人も亦深く味はずして止む可けんや。
篇中「神の都」は往時の聖都エルサレム、今の『神の教会』なり、是を湿す河は尽きざる聖霊の流れなり。
 一、神は我儕の堅城、また力なり、
(323) 二、然れば我儕は懼れじ、縦令地は変り、
   山は海の中央に移さるとも、
 三、縦し其水は鳴轟きて騒ぎ、
   其溢るゝがために山は動《ゆる》ぐとも、
    万軍のヱホバは我儕と偕なり、
    ヤコブの神は我儕の城なり。
 四、河あり、其支流は神の都を歓ばしむ、
   至上者《いとたかきもの》の住み給ふ聖所《きよきところ》を喜ばしむ、
 五、神、其中に在し給ふが故に都は動かじ、
   神は彼所《かしこ》を扶けん、速に彼所を扶けん、
 六、諸の民は騒ぎたり、諸の国は揺《ゆる》ぎたり、
   彼は一声を放ち給へり、而して地は消えんとせり、
 七、 万軍のヱホバは我儕と偕なり、
    ヤコブの神は我儕の城なり。
(324) 八、来りてヱホバの作為《みわざ》を観よ、
   地に為せる其掃攘の事迹を看よ、
 九、ヱホバは地の極までも戦闘《たゝかひ》を止めしめ、
   弓を折り、戈を断ち、戦車《いくさぐるま》を火にて焼き給ふ、
 十、汝等静まりて我の神たるを識れ、
   我は万民に崇められ全地に尊まるべし、
    万軍のヱホバは我儕と偕なり、
    ヤコブの神は我儕の城なり。
 
(325)     救霊問答
                      明治35年10月25日
                      『聖書之研究』26号「質問」                           署名 角筈生
 
問、神は如何にして人を救ひ給ふ乎。
答、神は彼を義人と為して彼を救ひ給ふ。
問、神は如何にして人を義人となし給ふ乎。
答、神は人に義を奨励し、或は義の境遇を供し、或は義の理想を示し、或は義の実行を扶け、即ち義の空気と義の動機とを供して人を義に導き給ふ。
問、然らば人は義の空気に感染する久しきに至れば、遂に義人たるを得る乎。答、否な、然らず、人は自動的実在物なれば彼は週囲の感化に依てのみ感化さるべき者にあらず、彼が充分に感化されんがためには彼は彼の意志より感化されざるべからず。
問、境遇は意志を感化するの力なき乎。
答、全く無しとは曰はず、然れども境遇は中心の感化を扶助するに止て、意志其物に穿入して其素質までを感化するの力を有せず。
問、然らば何物が意志を感化するを得る乎。
(326)答、神の霊、即ち聖霊のみ、
問、神の霊は如何にして意志即ち人の霊を感化するや。
答、直に人の霊に入りてなり。
問、霊が霊に入るとは如何なる事ぞ。
答、冷が霊に入るとは二つの霊が融合して一つの霊となることなり。
問、如斯き事は実際有り得る事か、又為し得る事か。
答、其為し得る事、有り得る事たるを吾等は吾等の実験に依て知るなり。
間、其時の実験は如何なるものぞ。
答、其時吾等は自身非常に強くなりしを感ず、前に慕はしかりし者は今は憎むべき者となり、憎むべき者は愛すべき者となるなり、聖書に謂ふ所の「是故に人キリストに在るときは新たに造られたる者なり、旧《ふるき》は去て皆な新しくなるなり」とは此事を指して云ふなり。
 更に云はんと欲す、神人合体とは斯かる事を指して謂ふならんと信ず、神と人との場合に於ては合体は合霊ならざるべからず、其は神は霊なれば彼は霊に於てのみ人と合同し得ればなり。
問、神は如何にして人と合同し給ふや。
答、キリストを通うしてなり、神聖にして犯すべからざる完全無欠の神が罪に破れたる人の心の中に宿らんがためには彼は或る特別なる形状にて人に現はるゝの必要あり、是れキリストなり、故に人はキリストに縁らざれば神と偕なる能はず、亦神もキリストを通さずして人と偕なる能はず、キリストは神と人との間に立つ(327)中保者なり。
問、然らば人はキリストに縁らざれば救はるゝを得ずと云ひ給ふの乎、
答、余は実験上、又理論上爾か答へざるを得ず、救はるゝとは比較的に善人に成るとの謂ひにあらず、亦真理の一分を解し得たりと云ふにもあらず、キリストが曰はれし如く天に在す我儕の父の完全《まつたき》が如く我儕も完全を得て我儕は始めて救はるゝなり、救済とは世人が思ふが如き容易の事にあらず、人は自から努めて救はるべき者にあらず、救済は神の業なり、神に依るにあらざれば人は到底救はれざるなり。
問、君の説は少しく狭隘なるが如くに覚ゆ 如何。
答、或は然らん、然れども余は事実を曲ぐる能はず、吾等が救はれたりと称するも 若し実際救はれずんば吾等如何ともする能はず、吾等は救はれたりと思ふて救はるゝに非ず、吾等は救はれて始めて救はるゝなり、爾うして救はれるとは洗礼を受くるとの謂ひにもあらざれば亦教会に入るとの謂ひにもあらず、いくら牧師や宣教師が吾等は救はれたりと曰ひ呉れたにせよ、若し実際神に救はれずば吾等は何の益する所なきなり、吾等は唯偏に救はれんと欲す、救はれたりと思はんとは欲せず、又救はれたりと人に称はれんとも欲せず。
問、救はれたりとの確信如何。
答、吾等が義人となる事なり、吾等が意志の中心より義を慕ひ仁を愛し、吾等の感情も肉情も悉く聖化せられつゝあるを感ずる時に吾等は確かに救済の途に就きしを信ずるなり。
問、吾等は義人となりしと誤信するの懼れなき乎。
答、全くなしとは限らず、然れども神の義人は世に謂ふ所の義人と異る、神の義人は最も謙遜なる者にして、(328)彼は義のために誇らず、善のために己れを賞讃せず、彼は救はれし罪人なれば総ての罪人に向て最も深き同情を表す、斯かる義人は自己を妄信するの虞れ甚だ尠し、吾等は斯かる場合に於ては真理の確かに吾等の中に宿りしを知るなり、乞ふ更に再び君と共に此大問題に就て攻究するを得ん。
 
(329)     実力の宗教
                     明治35年10月25日
                     『聖書之研究』26号「講演」
                     署名 内村鑑三
 
  其は神の国は言《ことば》に非ず、能《ちから》にあればなり(哥林多前書四章二十節)
   (九月七日札幌独立教会に於て)
 基督教は何んな宗教である乎とは私共が度々他人から聞かれる所であります、爾うして此問に対して私共は簡明なる答をなすのに困るのであります、基督教は之を一つの組織立つたる教理であると云ふことは出来ません、其聖書なるものは多くは事実の記録でありまして、其中に一つも基督教は哲理的に講述した所のものとてはありません、世に基督教的宇宙観とか或は人生観とか云ふものを唱ふる者がありまするが、是は聖書の中に散在して居る教義より演繹して斯かる説を唱ふるのでありまして、決して聖書の中に斯かる宇宙観や人生観が書いてあるからではありません。
 故に世の哲学者の眼より見た時には基督教は至て詰らない宗教であります、其聖書の記事の中には前後互に相矛盾して居る所のものもないではありません、其文章に文則に合はないものがあります、其記事の中には普通の礼法から考へて見ても随分如何はしい所のものがあります、此点から視ますれば仏法の経文は遙かに基督教の聖書に優る経典であります、前後相符合し、章句整然たる点より視察致しますればスペンサー氏の社会哲学論は新(330)約聖書に勝る数等の書であります。
 然らば基督教に於て何の取所があるか、若し其説く所の教理に由て考ふれば仏教は遙に基督教に優るの宗教ではない乎、基督教は常に科学の進歩に反対し来つたではない乎、其聖書は多くは荒唐無稽の記事ではない乎、爾うして今や科学の進歩せる此世に在ては基督教は既に無用の宗教ではない乎、誰か奇績の愚を信ずる者があらふ、誰かカントやスピノザの哲学に較べてパウロやヨハネの書翰が貴いものであると思ふ者があらふ、進化論の何たるを知らず、微分説の何たる乎を解せず、生理学の元理に就ては全く無学文盲なりし使徒輩が書き残せし書は二十世紀の今日の人心を感化するに何の力があらうとは私共が今日の学者達、殊に青年達より度々聞く所であります。
 成程基督教は今日世に称揚せらるゝ所謂哲理的宗教ではありません、若し夫れ言語の美、理論の精に至ては基督教は欣んで之を他の宗教又は哲学に譲ります、其分量に至ては基督教の教典は決して仏教の経文に及びません、若し言辞の美に至てはパウロの書翰は決してプラトーの哲学には及びません、若し宗教は理論であり、哲学でありまするならば、基督教は現時の社会に於ては既に存在の理由を失つたものであるかも知れません、亦それが私共の目的であつたならば私共は速《とく》に基督教を棄て了《しま》つたらふと思ひます、基督教が二十世紀の今日の文明諸国に於て尚ほ其勢力を維持して居るには何にか他に理由がなくてはなりません。
 基督教存在の理由は、たゞに存在と曰ふては足りません、其勢力と窮《かぎり》なき生長の理由は其言葉にあるのでなくして、其能力にあるのであります、神は議論ではなくして実力であります、人生は理屈ではなくして実行であります、故に神を人類に紹介して之を救ふの宗教は大なる能力でなくてはなりません、美文は人を救ふの能力では(331)ありません、哲学は社会を革むるの爆発薬ではありません、若し基督教がその宣言するが如くに神の真理でありまするならば、是れは美文であるとか哲学であるとか云ひて、単に人を楽ましむる者で有てはなりません、是は詩篇に云へるが如く霊魂《たましひ》を復活《いきかへら》らしむる者であります(詩篇第十九篇)、是は両刃の剣よりも利く気《いのと》と魂また筋節《ふしぶし》骨髄まで刺《とほ》し剖ち心の念《おもひ》と志意を鑒察《みわく》るものであります(希伯来書四章十二節)、是はユダヤ人を始めギリシヤ人、其他凡て信ずる者を救はんとの神の大能《ちから》であります(羅馬書一章十六節)、基督教が「言と智慧の美《すぐれ》たる」者でない事は其宣伝者が始めより宣言して居る所であります(哥林多前書二章)。
 力であります、然り、力であります、爾うして是が何れの世に於ても人類が最も要求する所のものではありませんか、説は幾干《いくら》でも出でます、論は誰にでも出来ます、然れども最も得難いものは力であります 今の日本の政治家を御覧なさい、彼等各自はそれ/”\国家救済策なるものを抱懐して居ます、或は軍備を拡張すべしであるとか、或は商工業を振興すべしであるとか、或は港湾を改築すべしであるとか、或は教育を普及すべしであるとか、其他種々雑多の国家振興策なるものは講ぜられます、然れども最後の問題たる実力即ち金力の供給策に就ては誰れも確説を持ちません、彼等は金を使ふ事は知つて居るかも知りませんが、之を作り出すことを知りません、彼等は即ち世に所謂る政治家でありまして、政治を口にする者、経綸を論弁する者、能弁と論文とを以て時事を評論するに止まる者であります、彼等は即ちカーライルが常に罵て止まざる Palaverer 即ち空談者でありまして、彼等の言の巧なるに関はらず、彼等の論旨の立派なるに係はらず、国家を其危窮の場合より救ひ出すためには至て用の少ない人物であります。
 遺徳家も同じことであります、吾人の今日最も要求する所のものは吾人の脳裡に最も好く箝《はま》り込む倫理哲学で(332)はありません、是には独逸や英国の近世の倫理学者の説の中に最も恰好のものがありませう、或は進化論に堅い基礎を据へた倫理学もありませう、或は心理物理学より編み出された倫理説もありませう、或は全く政治の一方面より考へ出した国家倫理説なるものもありませう、其他社会倫理とか、宇宙倫理とか唱へられまして、社会を主として立てられた倫理であるとか、宇宙を客として組まれた倫理とか申しまして、種々雑多の倫理説が今の世の中に唱へられます、然しながら是等は皆な倫理説に止まります、学者の研究の材料として面白味があり、之を知りて之を語り、之に就て論文を作つて、私共の博識を衒ふことは出来るかも知れませんが、然し其実行の一段に至つては、即ち人心感化の一段に至ては是等の中執れも未だ古い旧い基督教に及ぶ者はないのであります、社会主義は立派であります、然しながら如何うして人をして其美麗なる条目を実行せしめませう乎、如何して人をして自己の利慾を忘れしめて社会全躰の利益を意はしめませう乎、是が問題中の最大問題でありまして、茲に至て如何なる社会主義者も筆を擱き匙を投ずるに至るのであります。
 如何にして善人を作らんか、如何にして悪人をして悔改めしめん乎、如何にして人をして善を愛し悪を憎ましめん乎、如何にして人の心に存する小我を殺して、之に代ふるに宇宙人類の大我を以てせん乎、我等何人も善の善なるを知つて居る、然しながら善を作る事の困難は金を作るよりも難い、若し世の人を善人となすことが出来るならば其時こそ如何なる倫理説でも容易く之を行ふことが出来る、プルードン、ラサル、マールクスの社会主義を何の苦もなく世に行ふことが出来る、之に反して人が自分勝手である以上は、人が自れを先きにして他を後にする間は、彼に中心の満足なくして、只肉慾の満足を以て英饑たる霊魂を癒さんとして居る間は、如何に巧妙なる社会説と雖も決して之を実行することは出来ない。
(333) 此時に方て基督教は其独特の力を人世に供するのであります、他の倫理説や社会論が実力欠乏の故を以て苦しむ時に方て基督教は彼等が如何に苦心しても得ることの出来ない力を世に供給するのであります、倫理学者が幾年かゝつても説服することの出来ない罪人を基督教の説教師は時には僅に聖書の一句を引用して悔故に導くことが出来るのであります、大政府の威力と大哲学者の博識を以てしても如何しても感化することの出来ない社会を、一人の取るに足らない基督の僕が其心に響き渡りし天の福音を世に宣伝《のべつた》へて之を震動せしむることが出来るのであります、罪人を論服するのではありません、又威服するのでもありません、愛を以て彼の全性を化するのであります、此一事に至ては如何なる宗教でも如何なる哲学でも基督教に及ぶものはありません。
 善心の発動者、正義の実行者、即ち人を救ふための神の大能、是が基督教であります、議論は之を他の宗教に譲りませう、若し仏教が近世の科学説と能く和合するとならば誠に結構の事であります、私共は仏教のために此事あるを祝します、然しながら私共は他の方面に於て仏教に勝つことが出来ます、即ち罪人を救ふことに於て、人に新希望を供することに於て、彼に慈善心を起すことに於て、学校を建つる事に於て、病院を設くる事に於て、国民に自由を供する事に於て、無智の眼を開いて彼をして宇宙の美を讃美せしむることに於て、我等は遙に仏教の上に出ることが出来ます、禅堂に在て仏理の深奥を黙稽せんとする者はするが宜い、然れども私共の宗教は空《そら》碧《みどり》にして山青き辺にあります、脳裡に宿る煩悩を減殺せんと勉むる者は勉むるが宜しい、吾等は活ける社会の活ける罪悪を殺し、此処に天国を臨《きた》らせんとするのであります、基督教は実際的宗教であります、彼は空理を藐視《かろしめ》ます、彼は文の巧拙に拘泥しません、彼は誠実有の儘であります、彼は汚穢を焼き尽すの火であります、彼は傷を癒すの香油であります、彼は実物であります実力であります、彼は評さるべき者で、評論する者ではありませ(334)ん。彼は何が故に救ふ乎を弁解致しません、彼は只救ふのみであります、彼は道徳界の硬貨であります、即ち彼自身に於て罪を贖ふの能力を備へた者であります、故に、彼は世の実業家が政治家の多弁を笑ふやうに倫理学者の空理を嗤ふ者であります、彼はたゞ事を為すを知ります、爾うして理論は之を世の宗教家や倫理学者に譲ります。
 日本の今日は斯かる宗教を要しません乎、東西両洋の学説にして一として唱へられざる者はなく、人は皆な咸く新説を渇望して止まざる日本人は今や実力欠乏の故を以て苦んで居るではありません乎、国家教育は善人養成のために何の功を奏しましたか、進化説の普及は道徳の進化に何の影響を及しましたか、吾等の脳髄が充実して来ると同時に吾等の心裡は日々に益々空乏を感じて来るのではありません乎、仏教の教理が近世の学説と能く符合して居るとは云へ、仏教が今日の日本人、殊に青年を救ふに方て其巧力の至て微弱なるは今は何人も認むる所ではありません乎、日本の道徳界は其政治界と均しく多弁家、評論家の跋扈する所ではありません乎、百の議論が提出せられて一つの実行の挙らない社会ではありません乎、此の時に方て我等は言に在るに非ず能力に在ると云ふ基督教を最も要するではありません乎、基督は誰である乎、神である乎、人である乎、其議論は区々であります、然しながら只一事は明白《あきらか》であります、即ちキリストは人を救ふ神の大能なる事是れであります(哥林多前書一章二四節)、此故に私共は保羅と共に彼の福音を世に伝ふるのを耻と為さないのであります(羅馬書一章十六節)、否な、耻と為さないのみならず、私共の普通の愛国心に訴えまして、今日の日本に基督教の非常に必要のあるを感じ、父母兄弟朋友の反対を受けましても大胆に此福音を此世に伝へんとするのであります。
 
(335)     我家の憲法
                      明治35年10月25日
                      『聖書之研究』26号「家庭」                          署名なし
 
第一条 神を畏れ人を愛すべし。
第二条 神の前に上下尊卑の別あるなし、我等肉に於ては夫婦父子師弟君臣たるも霊に於ては凡て兄弟姉妹たるべし。
第三条 虚言は如何なる場合に於ても語るべからず、若し悪を為せし場合には悪を為せりと告ぐべし。
第四条 暴言婬話を謹むべし、之を為す者は神に詛はるべし。
第五条 時間を浪費すべからず、懶惰は大なる罪悪と知るべし。
第六条 労力を惜むべからず、凡て汝の手に堪ることは力を尽して之を為すべし
第七条 薬用の外は酒と煙草との使用を厳禁す。
第八条 万事清潔を守るべし、清浄は心にのみ限るべからず。
第九条 濫りに外泊すべからず、家を外にする者は終に天下に家なきに至るべし。
第十条 毎日午後七時を以て祈祷の時と定む、一家挙て此時を聖守すべし。
 
(336)     酒と腐敗
        (帝国禁酒党樹立の必要)
                        明治35年10月28日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
〇酒と腐敗である、酒の腐敗ではない、若し酒の腐敗ならば金を払つて授産館より秘伝を授つて之を止めることが出来るかも知れない、然し酒と腐敗とに至ては是れ国家的事業として其関係を絶つより外に途はあるまいと思ふ。
。酒と腐敗、即ち酒より生ずる道徳の腐敗殊に政治的道徳の腐敗、之は実に著しい者であつて、日本の国家を患ふる者にして此一事に注意しない者はあるまい、今や政治界救済策を喋々する者多き時に方て其根治策を国家的禁酒主義の実行に取らんと欲する者なきを見て余は頗る怪訝の念に堪へない者である。
〇若し代議士選挙の際に酒がなかつたならば如何であらう、酒なく、故に料理店なく、妓楼なく、待合茶屋がなかつたらば今の腐敗政治家輩は選挙民を誘ふに途なきに至り終に自から政治界を退かざるを得ざるに至るではあるまいか、収賄と云ひ贈賄と云ひ皆大抵は酒を飲ませるとか、飲ませられるとか、或は酒に伴ふ悪き快楽を買ふとか売るとか云ふ事ではない乎、酒は実に腐敗政治家の手であり足であつて、若し酒がなくなれば彼等悪魔の種族は何事をも為し得ざるに至るではあるまい乎、若し然りとすれば(而して余は其然るを信じて疑はない)国家(337)の法律を以て酒を禁ずるときは直に以て腐敗政治家の手足を断つことであつて、我国の政治道徳を振興する途として之に優るの捷径は他にあるまいと思ふ。
〇見給へ、代議士候補者の運動費なるものゝ其大部分は酒のために使用せらるゝことを、見給へ、議員買収なる者の大抵は酒の席に於て行はるゝことを、酒は総ての悪事の媒介者である、殊に政治的悪事の媒介者である、若し日本国に酒が無つたならば帝国議会は今日のやうな腐敗漢の集合体ではなかつたであらう、若し酒がなかつたならば今日我国民が苦しむやうな悪法律は決して世に出でなかつたらう、酒は実に国民の大敵である、彼が威力を揮ふ間は国民の死滅は時々刻々と早められつゝある。
〇語を寄す政界の志士よ、片岡君よ、江原君よ、根本君よ、君等は何ぞ一日も早く帝国禁酒党なる政党を樹立し給はざる、政友会とか、進歩党とか、帝国党とか称して名有て主義も実もなき政治的団体と百年行為を偕にするも日本国は何等の善をも君等より受けざるべし、試みに思ひ給へ、茲に若し酒を飲まない者のみが組織する政党がありとすれば其党は如何に純潔にして如何に勢力の有る者であるぞ、日本国の改造なるものは斯かる団体を以て始まるものに非ずや、斯かる真面目なる政党を以てのみ新日本は造られ得るなり、酔枕美人膝的の政治家に今日は日本国を委ぬる時にあらざるなり、敢て告ぐ。
  附記す、前回の論文に於て亡国云々に関する歴史家ニアンデルの言はニーブルの誤謬なりし、茲に訂正す
 
(338)     宗教の大敵
         (十月十日東京高輪西本願寺大学校に於ける演説の一節)                            明治35年11月1日
                       『万朝報』
                       署名 客員内村鑑三
 
 仏教の大敵は基督教ではない、又基督教の大敵は仏教ではない、爾う思ふ人達は仏教基督教執れをも知らない人であると思ふ、余は基督教攻撃を以て能事とする仏教徒の仏教的信仰其物を疑ふ者である、余は又仏教を罵つて快哉を叫ぶ基督教徒を甚だ卑む者である、宗教とは決して斯かる筈の者ではない。
 仏教の大敵は即ち基督教の大敵である、即ち宗教の大敵である、爾うして宗教の大敵とは何者である乎と問ふに宗教の大敵とは自身宗教を信ぜざるに之を国家或は社会の用具として利用せんと欲する者である。
 宗教を侮辱する者にして之に勝る者はない 彼等は宗教は迷信であると言ふて居る、彼等は宗教は有識の徒には全く無用のものであると唱へて居る、然るに彼等は此迷信此無用物を彼等の同胞に推薦しつゝあるのである、彼等の不信実も此に至て其極に達せりと云ふべきではない乎。
 然も斯る人は此日本国には決して尠くはない、故福沢諭吉先生の如きは終生斯る説を唱へられた、爾《さす》して彼の門下生は今に猶何の憚る所なく此説を唱て居る、然るに最も奇態なる事には斯る無礼千万の説に対して大義憤を発した仏教又は基督教徒のあるを聞かない、聞かないのみならず、彼等が斯かる説を以て広量であるとか、大度(339)であるとか評して返て之を歓迎して居るのを聞く 実に奇怪千万ではないか、然し能く考へて見られよ、自己の信ぜざる者を他人に信ぜよと薦めるのである、若し之が偽善でなく不実でないならば偽善不実とは何んであらう。
 此点に於ては西洋人は日本人と全く違ふ、西洋人は自分の信じない事を決して他人に勧めない、若し彼等は彼等の父祖の宗教なる基督教が迷信であると信じれば彼等は斯かる説を唱道するに依て社会の安寧が大に妨げらるゝを知ると雖も彼等は大胆に彼等の所信を唱ふるに躊躇しない、彼等は自己が看て以て誤謬となす者を彼等の妻子や下女下男に向て真理なりとて之を勧めない、彼等は総ての人類に対して適当の尊敬を表する者であるから之に迷信を勧めて一時的の安楽を供せんとは為さない、此心があつてこそ始めて真理を知ることも出来るのであつて、又真理に人を導くことが出来るのである。
 然し此国に於ては斯かる不信実極まる思念を懐く人は福沢先生と其門下生に限らない 日本の政治家と称ふ人達は大概は此種の人である、彼等は人に依て道を説くとか唱へて人に依ては如何なる不道理でも之を説いて少しも耻と思はない、曾て故グラツドストン翁が或る田舎の老嫗《ばあゝ》を捉へて彼女に愛蘭自治制を彼が国会に為したと同じ筆法を以て説いたとの話があるが、然し爾んな事は日本の政治家達には迚も出来ない、彼等は唯虞翁の馬鹿正直を嗤ふのみであらう、然しながら此誠実があつたからこそグラツドストンに彼の大勢力があつたのである、国会議員も人なれば田舎の老嫗さんも人である、彼れの確信を説くに方つてはグラツドストンは智者愚者の差別を少しも立てなかつた。 政治家の政略は少しは許せる、然しながら学者の政略に至ては少しも許すことが出来ない、若し哲学者とか文学博士と称へられる人が出て仏教は別に基督教に優る所がなくとも国体を保存するに必要であれば之を保護しな(340)ければならないなど云ふ奇怪千万の説を唱へ出したならば、其時こそ実に宗教家たる者の大憤慨を発すべき時であつて 我等は共同して斯かる宗教の大敵を排斥すべきである。
 余の仏教に関する知識は至て浅薄なる者であるが、然し其真理たるや決して政治や哲学者の保護を仰がなければ生存し得ないやうな、そんな下劣な者でない事丈けは余と雖も能く知て居る、釈迦牟尼仏の宗教は或る一国の政体を保存するがために世に説かれたものではない、宗教は宇宙の問題であつて、一国の問題ではない、政府や哲学者の援助を得たりとて歓ぶやうな宗教は既に存在の理由を失つた者である、爾うして仏教は斯かる卑しき宗教でない事を余は充分に承知して居る。
 宗教を以て社会国家の用に供せんとする者宗教を以て暫時的のものと見做す者、之を政治的に、或は単に之を哲学的に説いて精神的に之を解釈し又は拡張せんと欲せざる者、彼等は皆な宗教の大敵である、彼等は実に宗教を藐視《かろし》め、同胞を侮辱し、宗教を保護すると称して実に之を破壊する者である、宗教家の最も注意すべきものは偽《ぎ》哲学者の賛成である。
 宗教伝播のためには政府の補助も要らない 哲学者の賛成も要らない、社会の同情も要らない、吾等には只一つ心の中に動かすべからざる信念があれば沢山である、若し此胸中に光明が輝き、若し民を愛し、人を救はんとする熱情があれば其他のものは無くても宜しい、然り、多くの場合に於ては却て無い方が宜しい、故に我等仏教徒たると基督信徒たるとを問はず、かの似而非なる宗教賛成家に頼《よ》ることなく、否な、頼らざるのみならず却て彼等を斥け、唯胸中一片の赤誠に頼り、勇ましく、歓んで吉等の任務を尽すべきであると思ふ。
 
(341)     誠信《まこと》なる主
       "Not Seldom,clad in radiant vest.”
                  詩人ヲルヅヲス作
                      明治35牛11月10日
                      『聖書之研究』27号「清想」                      署名 内村鑑三意訳
 
      一
  錦繍に纏はれて昇りし朝日は
   却て其日の雨を醸し
  晴れ渡りし夕の空は
   続く日和の兆候《しるし》にあらず。
 
      二
  最と滑かなる海も時には
   之に頼《たよ》るの小舟を欺き
  若し上天《しやうてん》の星を頼まば
   彼等も亦不実なることあり。
(342)
      三
  枝広々と伸べし立木も
   電光|蒼穹《あをぞら》を劈く時は
  其木影に身を寄せし者を
   天火の難より護る能はず。
 
      四
  然れど爾は誠信なり、肉に宿りし主よ
   謙遜りて人の為に死せし者よ
  爾の微笑《えみ》に譎詐《いつはり》なし、爾の約束は
   世は変るとも変ることなし。
 
      五
  我は宝座《みくら》の前に平伏し
   単に爾の平康《たすき》を乞へり
  而かして平康のみにあらで
(343)  上向く確信は与へられぬ。
 
(344)     〔哥林多前書第一章−第三章〕
                   明治35年11月10日−36年1月25日
                   『聖書之研究』27−32号「註解」
                   署名 内村鑑三
 
    恩寵の生涯 哥林多前書第一章〔第一節−第九節〕
 
  (一)神の旨によりて召されてイエスキリストの使徒となれるパウロ及び兄弟ソステネ、(二)コリントにある神の教会、即ちキリストイエスに在りて潔められ、召されて聖徒となれる者、及び彼等の処にも我等の処にも諸の処に於て我等の主イエスキリストの名を※[龠+頁]《よ》ぶ者に書を贈る、(三)爾曹願くは我儕の父なる神及び主イエスキリストより恩寵《めぐみ》と平康《やすき》を受けよ。
  (四)イエスキリストに在りて爾曹が賜はりし神の恩寵に就て我恒に爾曹の為めに我神に感謝す、(五)蓋爾曹彼に在りて諸事《すべてのこと》即ち凡の教訓と凡の智識に富むことを得たればなり、(六)是れキリストの証《あかし》爾曹の中に堅うせられしに因る、(七)斯くて爾曹は神より賜はれる所の恩寵に於て欠る所なく、我儕の主イエスキリストの顕はれんことを俟てり、(八)神は終まで爾曹を堅くし我儕の主イエスキリストの日に於て爾曹に責《とが》なからしめん、(九)それ神は誠信なり、彼れ爾曹を召して其子我儕の主イエスキリストの交際《まじはり》に入らしめ給へり
〇「神の旨に由りて召されて使徒となりしパウロ」、自ら進んで福音の宣伝者となりしに非ず、人は自ら択んで(345)世の所謂る善人、義人と成るを得んも、自ら好んでクリスチヤンたり、使徒たり、伝道師たる能はず、是たるを得るは神の特別の恩恵に由るなり、神より賜はる諸ての恩恵の中に彼の奴僕たり又労働者たるに優るの恩恵あるなし(第一節)。
〇「コリントに在る神の教会」、コリントは有名なる希臘の一市にしてパウロの時代に在ては其商業の旺盛なると道徳の腐敗せるとを以て有名なりし、然るに此所に神の教会ありしと云ふ、或人曰く、コリントにある神の教会てふ語に勝るの逆説あるなしと、腐敗の中心に於ける聖徒の団躰!若しコリントに於て神の教会を建つるを得しならば如何に腐敗せる地に於ても同一の事を就すを得べし、人の在る所には神の霊は働き給ふ、我等は土地の腐敗に就て失望落胆すべからざるなり(第二節)。
〇「教会、乃ちキリストイエスに在りて潔められ、召されて聖徒となりし者」、教会とは斯の如き者なり、是れ自薦信者の集合躰にはあらざるなり、是れ神に潔められし者、而かもキリストに在りて潔められし者、又神の撰択に由りて彼に召されて聖徒たるを得し者の心霊的結合躰たるなり、故に基督の霊の働く所には神の教会はあるなり、主の名の為に二人或は三人の集れる処、是れ即ち神の教会なり、吾等はコリントに教会堂のありしを聞かず、亦其処に牧師又は監督又は執事等の教職ありしを知らず、吾等はたゞ腐敗せるコリントに神に召されてキリストに在て罪より潔められし者のありしを知るなり。故に其所に強固なる神の教会の存在せしを知るなり(第二節)。
〇「彼等の処にも我等の処にも云々」、彼所にも此所にも、即ち天下到る処に於て主の名を※[龠+頁]《よ》ぶ者に書を贈るとの意なり、パウロは此書をコリントの一教会に宛てしにあらず、彼は人類全躰に向て之を発せしなり、彼は之を(346)以てコリント人を誡むると同時に亦天下の人を万世に誨へんとせり、神の言辞に特別なると共通なるとの別あるなし、特別の真理は共通の真理なり、一人を救ふに足るの真理は万人を救ふを得べし、パウロは此書をコリントに於ける小数の基督信徒に贈て彼の信ぜし大教義を世界に向て発表せり、其が書翰なるが故に公的文書に非ずと云ふ者は謬れり、パウロは執筆の当時より其宇内的たらんことを期せしなり(第二節)。
〇「イエスキリストの名を※[龠+頁]ぶ者」とはイエスを主として崇め拝する者なり(創世記四章二六節参考)、単《たゞ》にイエスを師として戴くに止まらず、亦生涯の好侶伴として其模範に傚はんとするに非ず、彼を栄光の主として拝することなり、彼に人の王たるの冠を奉ることなり、イスラエルの民がヱホバの名を※[龠+頁]びし心を以てナザレのイエスの名を※[龠+頁]ぶことなり、是れキリスト信者の本分なり、此一事を心に留めずしてパウロの書翰を解すること能はず(第二節)。
〇「恩寵」は神の愛心より出る凡ての賜なり、「平康」は恩寵を受けし時の心の状態なり、神の恩寵に接せずして人の心に平和あるなし、彼に億万の富あるとも、彼は王侯を友とするとも、神に愛せらるとの確信なくして人に真正の歓喜あるなし、最も善き事は神我等と偕に在し給ふ事なり、人世の凡ての幸福は之を平康の一字に一括するを得るなり、是をば称して「神より出て人の凡て思ふ所に過る平安」(腓立比書四章七節)とはいふなり(第三節)。
〇恩寵と平康とは我儕の父なる神及び主イエスキリストより来る、父よりも来る、亦キリストよりも来る、然り、父とキリストとより同時に来る、父は其子に縁らずして善きものを人に与へず、子は亦父の属を取て之を人に賜ふ、人に其名を※[龠+頁]ばれ給ふイエスは父と権威を偕にして凡ての恩恵を人に給ふを得るなり(第三節)。
(347)〇「イエスキリストに在りて爾曹が賜はりし恩寵」在りての一字に注意せよ、基督信徒に賜はる神の恩寵はキリストを離れて降るものにあらず、神はキリストに在りて吾等を救ひ、キリストに在りて吾等の心の中に宿り、キリストに在りて永久に吾等を恵み給ふなり、キリストは吾等の霊の世界なり、吾等の欲する凡ての善きものは彼の中に在るなり、キリスト、イエスキリスト、キリストイエス………パウロが此名称を反覆して止まざるは彼はキリストを以て盈満《みた》され、又彼の全生涯が神の最大の賜たるキリストの中に封入せられたればなり(第四節)。
〇他の人が神より賜はりし恩寵に就て殊に感謝す、蓋彼れ自身の経験に於てキリストに在りて神より受くる恩寵に優るの福祉《さいはひ》の他にあるなきを知ればなり、富貴何物ぞ、声名何物ぞ、権威何物ぞ、是れキリストに在りて神より受くる霊の恩寵に較べて瓦礫たるのみ、糞土たるのみ、而して我は此至上至大の恩恵の我一人の上にのみ下るにあらずして、凡て主の名を※[龠+頁]ぶ者の上に下るを聞て殊更に感謝するなりと、神の慈愛の広きかな、海の広きが如くなり、我は我が心に下りし神の恩恵の深きに就て我神に感謝せり、而かも亦其万人の上に降るを聞きて更に其闊きに就て感謝せんと(第四節)。
〇キリストに在りて彼等が神より賜はりし恩寵は或は教訓(言《ことば》、希臘人の切望せし雄弁の意ならんか)、となり或は知識となりてコリントに在るキリスト信者の中に顕はれたり、必しも信仰を以てのみならず、亦善徳を以てのみならず、智慧となり、聡明となり、優麗温雅なる言辞となりてキリストの霊は彼等の生涯を輝らせり、智慧と弁舌とは希臘人たるコリント人の最も追ひ求めし所の者なり、而かもプラトーに由らずして、アリストートルに因らずして、アリストフハニスに頼らずして、十字架に釘けられし工匠の子なるナザレのイエスに依て彼等は新らしき智識と言辞とを得たり、而して是れ単に天然と美術と文学と政治とに関する智識にあらざりし、是れ神と(348)人と宇宙とに関係する新智識にして、此智識有て、姶めて人世は吾等に取ては微妙なる音楽の如き者となり、天然は精巧なる絵画の如き者となりて、吾等は思ふ所に過る歓喜を感ずるに至るなり、然り、吾等がキリストを信ずるは信仰道徳のためのみにあらざるなり、吾等の智識のために、吾等の哲学のために吾等はキリストを知らざるべからず、智識は之を希臘人より得、信仰は之を猶太人より得んと欲するに非ず、イエスキリストに在りて神は彼の義と智慧とを吾等に顕はし給へり、キリストを中心として人世も宇宙も円満に了解し得らるゝものとはなるなり(第五節)。
〇「キリストの証《あかし》」はキリストのキリストたる証明なり、そのコリント人の中に堅うせられしとはキリストの神の子たるの実証がコリント人の受けし神の恩寵に由て世に揚りしとの意なり、キリストを信じてより来りし彼等の善行に由て、亦殊に希臘人の天賦として世界に知られし彼等の智識雄弁の彼等がキリストを信ぜしに依りて更に上進し且つ聖化せられしに由てパウロがキリストに就て証明せしことの彼等に於て確かめられしが故に彼は恒に彼の神に感謝すとなり、キリスト教は各人の特性を打消す者にあらずして、却て之を発達せしめ顕著ならしむる者なり、希臘人はキリストを信ずるに由て更に善美なる希臘人となり、日本人は更に完全なる日本人となるなり、パウロはコリント人がユダ人の如くなりしとて茲に彼の神に感謝せざりき、彼は希臘人がキリストに在りて希臘人たるの光輝を放つに至りしと聞て、是れキリストのキリストたる所以の実証なりとて殊に彼の神に謝したりき、広量なるかなパウロの信仰!(第六節)。
〇彼等の信仰に彼等の切望して止まざりし言語の術と智識とを加へられて彼等は何の欠くる所なき者となれり、キリストは人を完全となさんとの神の大能なり、希臘人も之に由て完全なる者と成るを得べし、日本人、支那人、(349)朝鮮人亦然り、神はキリストに在て我等の凡ての短所を補ひ、凡の欠点を充たし給ふ、彼に無量の恩恵在て存す、我等欠点多き者、何ぞコリントの信者に倣ふて速に彼に至て吾等の不足を充たされざる(第七節)。
〇「キリストの顕はれんこと」とは或はキリストの再臨を指すと云ひ、或は最終の裁判を示すと云ふ、然れども其孰れを採るもパウロの真意を探るに大差なからん、人の生涯は孰れの点より見るも試練なり、終まで忍ぶ者のみが救はるゝなり、吾等は常に守て祈らざるべからず、吾等は此世に於て吾等の凡ての欠けたるを補はれ主の前に立つ時の準備をなさゞるべからず、禍なるは此重大なる準備をなさゞることなり、欠けたるを補ふの能力《ちから》なく、曲れるは直くすべからざるとなし、誤れるは正すべからざるとなし、たゞ無為にして死を俟つことなり、而してキリスト信者は爾かなすべからざるなり、彼は日一日と完全に向て近くべきなり、彼は欠くる所なくして主の顕はれんことを俟つべきなり(第七節)。
〇「神は終りまで爾曹を堅くす」と、即ち神は其堅信の恩恵を中絶し給はずとなり、彼は吾等を召し、吾等に一時は悔改の非常の苦痛を感ぜしめ、吾等に多くの患苦を下して神の深き聖意を知らしめ、或時は涙の谷に、又或る時は笑《えみ》の園に我等を教え導き給ひて後に、終に吾等を悪魔の手に付して吾等を剪滅《ほろぼ》し給はずとなり、神は其手の工作《わざ》を藐視《かろし》め給はず(詩篇第五拾壱篇)神は其始め給ひし工作を結了《おへ》給ふべし、「神は終まで爾曹を堅くす」と、偉大なる約束此語の中にあり(第八節)。
〇「是れ我儕の主イエスキリストの日に於て我儕に責《とが》なからんためなり」、是れ我儕の救拯の完全うせられんためなり、此世に於て始められし我儕に関する救拯の事業の最終の日に於て其完結を告げんためなり、此世に於て善人たるを得るは是れ救拯の第一歩なり、神の聖意は永久に我儕を救はんとするにあり、即ち此地消え失せて後(350)に、山は鎔け、河は枯れ、日と月とは光を放たざるに至て、尚ほ万物の霊長たる我儕を神の聖顔の光に接せしめんとするにあり、其時に我儕は雪の如くに白くなるを要す、我儕の常に注目すべきは此懼るべき主イエスキリストの日なり、其日は暗くして何人も主の公平なる裁判より免かるゝを得ず(約耳書第一、二章参考)(第八節)。
〇然れども神は誠信《まこと》なり、彼は人の如く吾等を欺き給はず、彼は必ず彼の択みし者を救ひ給ふ、若し吾等の力に頼らんか、吾儕に剪滅さるゝの虞れあり、然れども神は幾回となく吾等の救済を約束し給へり、吾等の救済の希望は単に神の誠実に存す、而して是れ天地は失するとも変らざる誠実なり(第九節)。
〇誠実なる神御自身が吾等を召して其子イエスキリストの交際《まじはり》に入らしめ給へり、即ちキリストの生命を受け、彼と共に天国の嗣子《よつぎ》となし給へり、「交際」は友人としての交際にあらず、同一族の子弟としての共有権を賜はることなり、此権を賦与せられて吾等は始めて天国の民たるの資格を得るなり、道徳家となりてにあらず、世の所謂る義士仁人となりてにあらず、イエスの交際に入りて実質的に神の子となりてなり、是に優るの栄誉世にあるなし(第九節)。 〔以上、11・10〕
 
    基督信者の分争 哥林多前書第一章〔第一〇節−第一七節〕
 
  (十)兄弟よ、我いま我儕の主イエスキリストの名に託りて爾曹に勧む、爾曹皆な言ふことを同うし且つ分争《わかるゝこと》なく心を同うし意《おもひ》を同うして相合ふべし、(十一)蓋我が兄弟よ、クロエの家人爾曹の事を我に告げて爾曹の中に争ありと言ひたればなり、(十二)爾曹各我はパウロ我はアポロ、我はケパ我はキリストに属すると言ふと、我れ即ち此事を言ふなり (十三)キリストは数多に分かるゝ者ならん乎、パロ  曹の為に十字架に(351)釘けられし乎、また爾曹はバプテスマを受けてパウロの名に入りしや、(十四)我れ神に す、我はクリスポとガヨスの外商曹の中一人にもバプテスマを施したることなし、(十五)此は我が名に入れんためにバプテスマを施すと人に言はれんことを懼れたれば也 (十六)我亦ステパノの家族にバプテスマを施せり、此外には我れ人にバプテスを施しゝこと有や否やを知らず、(十七)キリストの我を遣しゝはパブテスマを施さんために非ず、福音を宣べ伝へしめんためなり、又我に言の智慧を用ゐしめ給はず、是れキリストの十字架の虚くならざらんためなり。
〇基督信者の間に分争ありと云ふ、是れ腐敗せるコリントの市に神の教会ありと云ふと同一轍の背理なり、仁愛、喜楽、平和、忍耐の主を主として戴く基督信者の中に分争ありとなり、世に歎ずべき事にして如斯きはあらず、而かも是れ争ふべからざる事実なり、是れ希臘のコリントに於てのみ然るにあらず、日本の東京に於ても、京都に於ても大阪に於ても、然り、世界各国基督教の説かるゝ孰れの国に於ても、殊に新教と称へらるゝ一種の基督教の説かるゝ国に於て爾るなり、兄弟は兄弟を売り相互に其伝道を妨げ、而して其失敗を見れば快哉の声を揚げて喜ぶ、故に基督教の敵人は笑て曰ふ、基督教懼るゝに足らず、其信徒の中に、殊に其先導者の中に一致なければなりと、嗚呼主よ如斯事は何時まであらんか(以賽亜書六章十一節)、若し基督信者にして一致せん乎、世に之に当り得るの勢力あるなし、而かも彼等は分争を好むなり、猜疑と嫉妬とは彼等の特性なり、而して其宣教師と称へらるゝ者は喜んで獰人奸物を庇保するなり、耻辱、恥辱、主よ速に彼等を鞫き給へ。
〇然れどもパウロはコリントの教会に分争あるを聞て之がために怒らざりしなり、彼は其仲裁を試みんとするに方て自身其局に当らんとは做さゞりしなり、彼は主イエスキリストの聖名に託りて分争者に勧告せしなり、平(352)和の恢復はキリスト以外に於て望むべからず、人、皆キリストに在るに※[しんにょう+台]んで始めて真正の一致はあるなり、是れ我等の大に注目すべきことなり、基督信者の平和は相互の利益のために講ずべからず、又世間の嘲笑を憚て計るべからず、是れ策士と称へらるゝ教会内の俗人の取る方法なれども必ず失敗に終るの方法なり、先づ信者をしてキリストに還らしめよ、然らば彼に在りて真正の一致あらん(第十節)。
〇「キリストの名に託りて」、キリストに代て、或はキリストをして我に代はらしめて、爾曹に勧む即ち乞ひ求むと、パウロは信者間の分争を欺く甚だし、故に平和の主の聖名を藉り来りて彼等に一致を懇請すとなり、此愛心と謙遜とありて何れの釁隙も和解せざらんや(第十節)。
〇「言ふことを同ふし」 信仰の表白を一にせよとの謂ひなるべし、勿論信仰の細目に於てまで全然相一致せよとの謂ひにはあらざるべし、そは是れ到底望むべからざる事なればなり、然れども信仰の根本に就ては、即ち神の事、キリストの事、救拯の事、復活の事、最終裁判の事に就ては基督教徒中に異説あるべからず、基督教に天日よりも更に明瞭なる五六の信条在て存す、之を排して基督教徒と称するを得ず、此に信仰の根拠を定めて我等は非常に寛大宏量なるを得るなり、然れども此に定論一致なくして、和合共同は望むべからず、世には宏量を銜ふて信条的の一致を一切排斥するものあり 然れども是れキリストに託らざる一致なり、我等はキリストに託らずして一致せんとも欲せざるなり、そは是れ有名無実の一致にして無きに均しき一致なればなり(第十節)。
〇「心を同ふし、意を同うし」 心(nous)は衷心の状態にして思想なり、意(gnome)は其発表にして実行の方針なり、即ち信者たる者は其人生に関する観念に於て、亦之を顕実する大方針に於て、合同一致すべしとなり、而して是れ為し得ざることにあらず 同一の主より同一の生命を仰ぐ者にして是を為し得ざる理由あるなし、若し此(353)事を以て不可能事と做す者あれば、是れ其人の受けし福音の「異なる福音」(加拉太書一章六節)たるの証明と見て可ならん。
〇「相合ふべし」 調和の意なり、四肢百体相和し、相聯絡して健康躰を形成するが如く、我等も同一の主義方針に由て統一せられて、キリストの体なる神の教会を育つべしとなり、基督教は天の音楽なり、斉整、和諧は其天賦の特性たり、之を破る者は基督信者に非ず 和諧なき基督教は其何主義たるを問はず、基督教の名を附せらるべき者に非ず(第十節)。
〇「クロエ」は婦人の名なり、然れども其何人たるを知らず、蓋し彼女は基督信者にはあらざりしならん、悪事千里を走る、教会内の醜事は洩れて世に知れ渡りぬ、隠れたるものにして顕はれざるはなし、希臘のコリントに於ける教会内の分争は不信者の口を通して海を渡りてエペソなるパウロの耳に達せり、慎まざるべけんや、懼れざるべけんや(第十一節)。
〇コリント教会内にパウロ党あり。アポロ党あり、ペテロ(ケパ)党あり、而して自称超然主義を唱ふるキリスト党ありたりと云ふ、パウロを崇拝し、其の口調を学び、其起居寝食の習慣にまで傚はんとせし輩はパウロ党の旗幟の下に一団を作り、教会内に勢力を占めんとせり、アポロ党は蓋し学者党なりしならん、博識宏量を以て誇り、パウロ党を目するに狂信党を以てし、ペテロ党を嘲りて迷信党となせしならん ペテロ党は保守党なり、其信仰の系統に就て誇り、他を目するに異端を以てし、己れのみ天国に入るの特権を有するが如くに信ぜしならん、而して彼等三党を睥睨せし者にして別にキリスト党なる者あり、自から「基督の基督教」を奉ずると、称し、宏量大度己れに若く者なしと宣言せしならん、肉に属ける者が真理を信ずるの結果は古今東西変ることなし、自己に頼る(354)能はず、故に他人に頼らざるを得ず、自らキリストに頼る能はず、故に他人に頼てキリストに頼らんと欲す、崇拝すべき者はキリストのみなるに、別にキリスト以外に「理想的人物」なる者を想像して、其人に向て崇拝を献ぐ、愚の極、奴隷根性、最も非基督教的の態度而かも是れ希臘のコリントのみに於て在りし根性態度に非ず、日本国到る処に此暗愚と背理とあり、真理を毀損する者にして人物崇拝の如きはあらず、此悪風の存する処に基督教を説く難し、キリストは人を離れざれば信ずる能はず、悪むべく、卑むべく、排すべきは実に此人物崇拝の醜事なりとす(十二節)。
〇パウロ何人ぞ、ベテロ何人ぞ、アポロ何物ぞ、彼等は皆な人ならずや、「汝等人に倚るを癈めよ、彼は鼻にて気息《いき》する者、彼れ何ぞ算ふるに足らんや」(以賽亜二章廿二節)、彼等も我等もたゞ伝道の機具たるのみ、我等は哀ふるも可なり、キリストのみ崇めらるれば足る、我を拝する者は愚人なり、智慧の無き者なり、我に由て党を樹つる者の如きは我を最も誤解する者にして、我が最大の志望に反する者なるが故に我に大侮辱を加ふる者なり、故に、人、ペテロを伏し拝みたればペテロは彼を拒んで「我も人なり」と喊べり(使徒行伝十章二六節)、ルステラの人々パウロとバルナバに犢を献げ神として彼等を祭らんとせし時に彼等は恐惶措く能はず、衣を裂き、大声に叫はり曰ひけるは
  人々よ、何故に此事を行すや、我儕も亦爾曹と同じ情慾を有つ所の人なり 爾曹に福音を伝ふるは爾曹をして此虚妄(偶像)を捨て、天と地とを造り給へる活ける神に帰らしめんが為めなり、
と(使徒行伝十四章)、基督教の伝道師に取て迷惑なることゝて人に崇拝せらるゝが如きはあらず、彼は之を受けて大侮辱を感ずるなり、そは斯くせられて彼は彼の事業の失敗に終りしを知ればなり(十三節)。
(355)〇「キリストは数多に分かるゝ者ならん乎」、「主一つ、信仰一つ、バプテスマ一つ」(以弗所書第四章五節)、キリストは二人あるなし、二人あるべからず、彼は歴史上のキリストにして、其事蹟は歴然として記録に存す、吾等聖書が示す儘のキリストを信ぜん乎、吾等彼に就て同一の信仰を懐かざるを得ず、然るに吾等之を為さずして、吾等各自の我意を聖書に於て読まんと欲するが故に、種々なるキリストが吾等の迷へる目の前に現出せらるゝなり、キリストは天主教徒が想像するが如き僧侶にあらず、カルビン主義の人に依て現はさるゝが如き無慈悲なる裁判人にあらず、彼は亦世の所謂る社会主義者が理想するが如き人情一片の人にあらず、キリストはキリストなり 彼の誰たりしかは聖書に於て明かなり、彼は批評学者の解剖刀に依て数多に分解さるべき者にあらず、彼は混成的性格《コムポジツトキヤラクター》に非ざるなり、彼は神の独子にして人なるキリストなり、彼を完全に信じて人は彼に就て分離すべきに非ず(第十三節)。
〇「パウロは爾曹の為に十字架に釘けられし乎」、愚なる人々よ、汝等はパウロの贖罪なることに就て聞きし事ありや、若しありとすれば是れ笑ふに堪えたる事に非ずや、汝等は罪に胎まれし人が死して人類の罪を贖ひ得ると思ふや、アヽ愚の極、無智の極、パウロ党を樹て、パウロの名に依りて誓ふ者等よ、汝等の子供らしきことも亦愍むべきにあらずや(第十三節)。
〇「爾曹は亦バプテスマを受けてパウロの名に入りしや」、パウロ教会に入らんとせしや、パウロと一体とならんとせし乎、爾曹はバプテスマの意義を解して而して後に之を受けしや、パウロの名に入りてパウロに属すとよ。然らば爾曹は奴隷なり一人前の人間にはあらざるなり、我は如斯者に師として仰がるゝを耻とすと(第十三節)。
○我に一つの神に感謝すべきことあり、即ち我がバフテスマを施こせしことの至て尠きこと是れなり、我は会堂(356)の宰《つかさ》なるクリスポに之れを施したり(行伝十八章八節)、我は亦全会の寓主《あるし》ガヨスに之を授けたり(羅馬書十六章二三節)、然り、我亦之を爾曹の中の一人なるステパノの家族に授けたり、然れども我の数十年に渉る伝道生涯の間に此外に我は未だ曾て洗礼を施せしことあるを覚えず、他の伝道師は受洗者の多きを以て誇らん、然れども我パウロは其尠きを以て誇るなり、然り、我は洗礼を避くるの伝道師なり、我れ今其理由を爾曹に説明せん(第十四節)。
〇「此は我が名に入れんためにバプテスマを施すと人に言はれんことを懼れたれば也」、我が洗礼を避くるの理由は是れなり、我は我が信者を作らんとすと人に言はれんことを嫌へばなり、バプテスマは美はしき礼式なり或者に取ては之を受けて信仰上多大の益なしとせず、然れども水の洗礼は霊魂を救ふための必要に非ず、而して若し之に伴ふに分争嫉妬の患ありとすれば、我は寧ろ之を授けざらんと欲す、人の霊魂を救ふに必要なるものは天よりする聖霊のバプテスマなり、然れども是れ水のバプテスマなくとも受け得らるゝ者なり、我は信じて疑はず、水の洗礼を受けざればとて地獄に落る者の決して無きことを、兄弟を憎み、其の秘密を発き、彼を悪に陥れ、彼を彼の敵に売て、終に永遠の刑罰に処せらるゝの教師牧師は決して尠からざるべし、我は我が党を作り、我が弟子を作り、我が権力を扶植すると世の人等に言はるゝを懼るれば我は勉めて洗礼を施さゞるなり、汝は我は世の言を懼れて義務を果たさずと曰ふか、否な、然らざるなり、バプテスマは義務に非ず、是れ人々各自の撰択に任かして可なるものなり、我は不必要なるものに自由にして、必要なるものを以てのみ束縛されんと欲す、而して我はバプテスマの式を不必要物の類目中に編入する者なりと(第十五節)。
〇「キリストの我を遣はしゝはバプテスマを施さんために非ず、福音を宣べ伝へしめんがためなり」、バプテス(357)マは何人も之を施すを得べし、テモテもテトスもシラスも、然り、偽の教師、牧師、宣教師も能く之を為すを得べし、然れどもキリストの召を蒙らざる者は何人と雖も真実に福音を宣伝へて人の霊魂を救ふ能はず、福音宣伝の難事に比すればバプテスマを施すことは易々たる業なり、故に我は難き伝道の業に従事して、易き授洗の業は之を他の伝道師に譲らんと欲す、我は人を救へば足れり、彼がバプテスマを受けると受けざると、地上の教会に入ると入らざるとは我に於て何の係はる所あるなし、然り、我は福音の宣伝者なり、授洗者に非ず、教会員の養成者に非ずと(第十七節)。
〇自由なるパウロよ、我等は汝を敬慕して止まざるなり、汝に地上の教会はあらざりしなり、汝を縛るにキリストの愛の外何物もあらざりしなり、汝は無形のキリストを伝へ、無形の教会を建てんとし、水ならざるパブテスマを施したり、伝道師たる者にして悉く汝に傚はんか、世に宗派的嫉妬なるものは絶無なりしならん、願くは我も汝の跡を践み、法王、牧師、監督輩の我に按手の礼を授くるなきも、単に神の子の指導に頼り、凡ての形式を要せざる生命の福音を世に宣べ伝へんことを。
〇「又我に言の智慧を用ゐしめ給はず、是れキリストの十字架の虚くならざらんためなり」、言の智慧とは言語、動作、形式等、総て外面に表はるゝ方法手段を言ふなり、詭弁を弄せざるは勿論、世の所謂る方便策略なるものは一切之を用ゐず、赤裸々の十字架其儘を宣伝へんことを努めたりとの意なり、救済の能力《ちから》はキリストの十字架其物に存す、之を世に呈するに方て能弁の術を以て之を飾るの要あるなし 福音其物に絶大の牽引力在て存す、若し其儘を世に示さんか、」音楽の美を以て之に加味せざるも、絵画の麗を以て人を引かざるも、饑え渇きたる霊魂は其救拯に与からんために争て主の許に来るなり、世の智識と才略と美術とを少しも藉らざる基督教、是れパ(358)ウロの宣伝せし基督教なり、曰く哲学的証明、曰く教会音楽、曰く伝道の方策、曰く政府の保護、曰く社会の賛助、是等は皆なキリストの十字架を虚くするの虞れあるものなり、吾等もパウロに傚ふて単純正味の福音を宣伝へん(第十七節)。
〇如何にして信徒の分争を避けん乎、先づ第一にキリストに還てなり、我れキリストと偕にありて人と争はんと欲するも能はず。第二に分争の原因を絶つてなり、人は肉のために争ふて霊のために争はず、雅各曰く「爾曹の中の戦闘と争競《あらそひ》は何より来りしや、爾曹の百体の中に戦ふ所の慾より来りしに非ずや」と(雅各書四章一節)、戦闘と争競とは慾を離れて在るものにあらず、而して慾は慾を充たすものゝ無き所に存せず、教会と称する建築物と勢力との存する所には慾あるが故に分争あるなり、信者と称する具体的実在物の存する所には亦慾あるが故に分争あるなり、眼に見ゆる教会なく、名簿に記入すべき信者なき所には慾なきが故に分争なきなり、而してパウロは此分争を避けんがために自己の信者なる者を作らざりし、彼は三四の人を除くの外は曾てバプテスマなるものを施さゞりし、彼に教会はありたれども全く心霊的のものたりし、彼は信者を作りしも之を彼の教会に収容して其会員となすが如き陋醜を行はざりし、若し亦彼に地上の教会ありしとするも、是れ僅に天上の教会の映象たるに止つて、彼は之を以て永久的の物とは見做さゞりしなり、何も有たざりし彼に彼の慾を惹くの原因あらざりしが故に彼は分争の危険に陥りしことなかりし、幸ひなるは無一物なる彼が如き者なり、我等も彼に学びて何も有たざる者とならん。 〔以上、11・25〕
 
     神の愚と人の智慧 哥林多前書第一章〔第一八節−三一節〕
(359)  (十八)夫れ十字架の教は滅ぶる者の為めには愚なるもの、然れども我儕救はるゝ者の為めには神の能たるなり、(十九)即ち我れ智者の智を滅ぼし、識者の識を廃せんとあるが如し、(二十)智者安に在る、学者安に在る、此の世の論者安に在る、神は此の世の智慧をして愚ならしめしに非ずや、(廿一)世人は己を恃みて神を知らず、是れ神の智慧に適へるなり、此故に神は伝道の愚を以て信ずる者を救ふを善《よし》とせり、(廿二)ユダヤ人は休徴《しるし》を乞ひ、ギリシヤ人は智慧を覓む、(廿三)然れども我儕は十字架に釘けられしキリストを宜べ伝ふ、此はユダヤ人には礙《つまづき》、ギリシヤ人には愚 (廿四)然れど召されたる者にはユダヤ人にもギリシャ人にもキリストは神の大能また神の智慧なり、(廿五)それ神の愚は人よりも智く、神の弱は人よりも強し、(廿六)兄弟よ召を蒙れる爾曹を視よ、肉に循《よ》れる智慧ある者多からず、能ある者多からず、貴き者多からざるなり、(廿七)神は智者を愧かしめんがために世の愚なる者を選び、強者を愧かしめんために世の弱者を選び給へり、(廿八)神がまた世の賤者《いやしきもの》、藐視めらるゝ者、即ち無きが如き者を選び給ひしは是れ有る者を滅さんためなり、(廿九)これ凡ての人神の前に誇ることなからんためなり、(三十)然れども爾曹は神に由りキリストイエスに在りて有り、彼は神に立られて我儕のための智慧また義また聖また贖となり給へり、(卅一)録して誇る者は主に在りて誇るべしと在るが如し。
〇神は世の智者の眼より視れば愚人なり、彼に策略なるもの一つもあるなし、彼は事を為すに人を威嚇し給はず、彼に又人を誘ふための能弁あるなし、彼の方法は凡て誠実なり、彼の言語は沈黙なり、彼は信ずるを知て疑ふを知り給はず、彼は総て実直にして総て有の儘なり、彼は時には怒り給ふなり、然れども人を憎んで怒り給ふに非ず、人が彼の信実を信ぜざるが故に怒り給ふなり、人が神を解し得ざるは人に神の誠実なければなり、寸毫の(360)詭譎《いつはり》なき神は人の眼には愚人なり。
〇故に神の救済の道なる十字架の教は世の人の眼には愚の極なり、神の独子が十字架に上げられしとよ、而して如斯にして罪人を救ふの道を開かれしとよ、何人か此妄誕無稽を信ずる者あらんや、希臘哲学に斯かる救済法の曾て説かれしことなし、支那道徳は曾て斯かる済民の策を講ぜず、十字架は耻辱の極なり、而して人を救ふの唯一の道は此恥辱の教なりと云ふ、是れ智者俗人の聞て以て愚の極となす所なり(第十八節)。
〇然れども神の観る所は人の観る所と異なる、人の視て以て救済となすものは神の眼には沈淪なり、富貴なり、栄華なり、暢達なり、人に崇められんことなり、武威を以て他の国民を我が足下に強圧せんことなり、是れ人の看て以て個人と国家との救済となす所のものなり、然れども神は斯かる事を以て耻辱となし給ふなり、神の救済は霊魂の救済なり、故に肉慾を減殺することなり、故に身を十字架に釘けることなり、嘲けらるゝことなり、斯くして肉に於て死して霊に於て活くることなり、故に十字架の教は世の教と正反対なり、国威宣揚を以て道徳の最大目標となす者の眼にはキリストの十字架の教は確かに愚の極なり(第十八節)。
〇然れども十字架の教を愚なりと見做す者は沈淪《ほろぶ》る者なり、彼が永生を承継ぎ得ざるは勿論、彼が霊能の美を会得し能はざるは勿論、彼は彼が得んと欲する此世の物をも得る能はずして、此世に於ても終に滅る者なり、十字架は此世に在ても、世界到る所に勝利の記号なり、此教に因らずして社会は立たず、個人は仆る、十字架の教を嘲ける者に眼を留めよ、彼は必ず遠からずして滅ぶる者なり(第十八節)。
〇世の以て愚の極と見做すものが我儕の以て智の極として誇る所のものなり、十字架は此世に於ける我儕の万事なり、我儕の希望も、我儕の平和も、我儕の勇気も、我儕の愛心も、総て皆な之に繋がるなり、其何故に然るか(361)は我等既に幾度か之を述べたり、復た幾度か之を演べん、然れども十字架基督を信ずる我儕の生涯に於て何よりも明白なる事実なることは世の斉しく我儕に於て認むる所なり(第十八節)。
〇「我れ智者の智を滅し云々」、以賽亜書二十九章十四節の言辞なり、智者に若し智ありとすれば神にも智あり、識者に若し識ありとすれば神にも識あり、而して智を以て神の命を拒まんとする者を神は神の智を以て愧かしめ給ふ、人は哲理を以て世を救はんとせり、然れども視よ、哲理は世を救ひ得ざりし、国王の威力を藉りて風教を革めんとせり、然れども之れ亦失敗なりし、文士の筆は却て世の堕落を来し儒者の教訓は社会の混乱に終れり、而して智者と哲学者と愛国者とが其為す所を知らざるに至て神は十字架の愚を世に示し給ひて之を救ひ給ふ、世界救済の道は常に此順路を取れり、日本国も若し救はれんと欲すれば亦此順路に由らざるべからず(第十九節)。
〇「智者」は智謀者なり、即ち今日世に称する策士なり、「学者」は博学者なり、即ち過去並に現在の事を多く識ると自から称する者なり、考証該博を以て誇り、博覧を以て権者に阿る、今日我国に於て哲学者と称へらるゝ者はキリスト時代に於てユダヤに於て学者と称へられし者に彷彿たり、「論者」は論弁者なり、即ち奇弁以て能く非を理となすを得べしと自から信ずる者なり、即ち口のみの雄弁者なり、確信なく、経論なく、唯だ巧言を羅列して我意を貫徹せんとする者なり、世界何れの国、何れの時代か是等三種の虚栄家在らざらんや(第二十節)。
〇然れども策士の策は無功に終り、哲学者の癖論は嘲笑に帰し、多弁家の経綸は耻辱を招けり、神は彼等が欲するまゝに彼等をして其愚を演ぜしめて、然る後に神の智慧を以て世を救ひ給ふなり、彼等は十字架の教を嘲りたり、彼等は之に優るの教を製作したりと思へり、而して彼等は之を以て此国此民を救はんとせり、然るに視よ、堕落は堕落に続けり、徳操は地に絶えんとせり、家に貞操なく、国に良心なきに至れり、神は此世の智慧をして(362)愚ならしめ給へり、十字架の教を藐視むるの結果は常に斯の如し、伯るべきに非ずや(第廿節)。
〇世の人は己の智慧を恃みて神を知らず、然れども是れ神の智慧に通へるなり、是れ一には世の人をして其智なるものゝ智にあらずして愚なることを知らしめんためなり、二には福音の愚を以て彼等を救はんためなり、神に頼らずして神を知る能はず、己の智慧に恃む者に神を知らんと欲するの聖望は興らず、人、若し己の智慧に恃みて神を知らざらんと欲せば、神は彼を其欲する儘に放棄し、彼をして飽くまで其智(実は愚)を演ぜしめ給ふ、智者其智の欺く所となりて其羅網に陥るまでは其愚を覚て神に還り来らざるなり、神の恩恵の大なるものゝ一は智者が其智に負ける事なり(第二十一節)。
〇「伝道の愚」は伝道師の愚にあらず、伝へられし道の愚なり、乃ち福音の愚と訳して最も明瞭なるならん、即ち滅ぶる者の眼に愚の極と見做さるゝ十字架の教を指して云へるなり(第二十一節)。
〇「ユダヤ人は休徴を乞ひ」、即ち今の支那人日本人の如し、彼等は物質に現はれたる真理の結果を見るにあらざれば之を信ぜざるなり、彼等は問ふて云ふ、是れ実に富国強兵の基なるか、是れ実に幸福なる家庭を作る者なるかと、基督教にして若し社交的勢力ならず、経済的原動力ならざる以上は彼等は真理として之を受けざるなり、彼等の宗教は目の宗教にして心の宗教にあらず、彼等は捫《さは》り、感じ、楽しむにあらざれば真理を真理として信じ能はざるなり(第廿二節)。
〇「ギリシャ人は智慧を覓む」、哲学的証明を要求す、必しも真理を渇望して之を要求するにあらず、探究の娯楽に耽けんために之を要求するなり、ギリシヤ人の宗教は智的道楽のための宗教なり、自己の霊魂を救はんための宗教にあらず、又世の罪人を救はんための宗教にあらず、智能の満足を追求せんための宗教なり、独り禅堂に(363)端座し、人生を夢想し以て智覚を誇る者の如きは此種の宗教家なり、宗教を審美的に攻究し、自身は其苦を嘗めんと欲せずして、常に局外に在て其優劣を批評する者の如きも亦此種の宗教家なり、彼等は宗教に就て少しく学ぶことを得ん、然れども宗教其物を知る能はず(第廿二節)。
〇然れども十字架の教は物質的ならず、又空想的ならず、智識的ならず、又迷信的ならず、此は眼に見ゆる休徴(結果)を要求するユダヤ人には礙の石、智的証明を要求するギリシヤ人には愚の極なりと雖ども、而かも神に召されて心に其奥義を示されたる者には、其ユダヤ人たると、ギリシヤ人たるとを問はず、キリストは神の大能また神の智慧なり、基督信者はキリスト以外に休徴を乞はず、亦キリスト以外に真理の証明を覓めず、「我は真理なり」とキリストは言ひ給へり(約翰伝十四章六節) 休徴に就て彼は言ひ給へり
  奸悪なる世は休徴を求む、然れども預言者ヨナの休徴の外は之に休徴を与へられじ、夫れヨナが三日三夜魚の腹の中に在りし如く人の子も三日三夜地の中に在るべし(馬太伝十二章三九、四十節)。
真理は神の子イエスキリストにあり、而して其休徴はイエスの復活に存す、是に優さるの真理あるなし(第廿三、廿四節)。
〇キリスト、キリスト、我儕の能力はキリストなり、我儕の智慧はキリストなり、神、キリストに在りて我儕を己に和《やはら》ぎ給ひたれば我儕もキリストに在りて新しき能力と新しき智慧とを有つに至れり(哥林多後書五章十七、十八節参考)、世が我儕を解し得ざるは我儕は今能力と智慧とを自己に於て有たずして我儕の救主イエスキリストに於て之を有てばなり(第廿四節)。
〇キリストは我儕の智慧なり、然れども世は彼を以て愚なりと做す、キリストは我儕の能力なり、然れども世は(364)彼を以て弱しと做す、然れども我儕は知る、神の愚(世が以て愚と做す者、即ちキリスト)は人よりも智く、神の弱(世が以て弱と做す者、即ちキリスト)は人よりも強し、曾て此世に生れ来りし総ての智者賢人を合するも彼等は其智を以てキリストに当る能はず、此世の権者を悉く集むるも其威力を以てキリストに敵する能はず、キリストを愚と云へば云へ、彼は世の総ての智者よりも智し、彼を弱と云へば云へ、彼は世の総ての王侯貴族よりも強し、釈迦と孔子と孟子とソクラテスとゾロアストルとを以てしても、キリスト一人に当る能はず、アレキサンドルとシーザーとナポレオンとを以てしてもキリスト一人に敵する能はず、汝若し此事実を疑はゞ汝の眼を開いて闊く世界歴史を見よ(第廿五節)。
〇「兄弟よ、神の召を蒙むれる爾曹を視よ、肉に循れる智慧ある者多からず、能ある者多からず、貴き者多からざるなり」、基督信者中に学者多からず(全く無きにあらず)、富める者多からず(仝)、権威ある者多からざる(仝)は事実なり、而して世は此事実を以て我儕の宗教を無智無能無力の者の宗教と見做すなり、然れども彼等は此事実に深き理由の存するあるを知らざるなり(第廿六節)。
〇基督信者中愚者多くして智者尠きは神が世の愚者を以て智者を愧かしめんためなり、弱者多くして強者尠きは世の弱者を以て強者を愧かしめんためなり、また賤者即ち無きが如き者多くして、有る者即ち有権者尠きは世の賤者を以て貴人を愧かしめんためなり、而して神が斯く為し給ふは凡ての人が神の前に誇ることなからんためなり、此明白の理由あるが故に基督信者中に無学の者と、貧しき者と、賤しき者と、愚かなる者とが多きなり、世を救ひし者は羅馬皇帝シーザーにあらずしてナザレの大工の子イエスなりし、欧洲に新紀元を開きし者は新プラトー派の哲学者にあらずして鉱夫の子ルーテルなりし、米国に在て最も力強かりし者は富豪パンダービルトに非(365)ずして一商店の番頭たりしムーデーなりし、智者安くにある学者安くにある、イエスキリストに頼る愚人の智慧に哲学者の智識も遙かに及ばざる所あり、是れ奇なるが如くに見えて最も明白なる事実なり、世の智者たる者は深く茲に留意すべきなり(第廿六、廿七、廿八、廿九節)。
〇世の人は其智慧と権力とに誇らん、然れども爾曹は神に由りてキリストイエスに在るなり、自から択んでイエスに在るに非ず、神に導かれ、英霊魂を活かすの能力に由てイエスに在るなり、独り此世に実在するにあらず、イエスに在りて在るなり、イエスに在て我儕はイエスの智慧を以て我が智慧となし、彼の能力を以て我が能力となすを得るなり、此特権と賜物とありて我儕は世の人を羨むに足らず(第三十節)。
〇彼れキリストイエスたるや、彼は神に由て立てられて我儕神に召されし者の智慧たり、また義たり、また聖成《きよめ》たり、また贖罪《あがない》たりし者なり、キリストは我儕の道徳的宇宙なり、総て道徳的に美なるもの、真《まこと》なるもの、慕はしきものは彼に在て存す、我儕今彼に在りて我儕に欠くる所何もあるなし、我儕は彼に在りて智くせられ、義とせられ、聖められ、我儕の罪を贖はる、我儕キリストに在りて彼の外に亦何をか求めん(第卅節)。
〇「誇る者は主に在りて誇るべし」、耶利米亜書九章二三、二四節に曰く
  ヱホバ斯く言ひ給ふ、智慧ある者は其智慧に誇る勿れ、力ある者は其力に誇る勿れ、富める者は其富に誇る勿れ、誇る者は此事を以て誇るべし、即ち明哲《さと》くして我を識ることゝ、我がヱホバにして地に仁恵と公道と公義とを行ふ者なるを識る事是なり、
 我儕に何の誇るべき所あるなし、我儕は只我儕の主イエスキリストを以て誇るなり、我儕は彼に在りて誇るなり、即ち彼の智と義と聖と贖とを我が所有となすを得て(神の恩恵に由りて)誇るなり、其外我儕に何の誇る所あ(366)るなし、イエスを離れたる我儕は世の汚穢《あくた》また万の物の塵垢《あか》なり(三章十三節)、(第卅一節)。  〔以上、12・10〕
 
    人智と神智 哥林多前書第二章〔第一節−第一六節〕
 
  (一)兄弟よ、我曩に爾曹に到りし時も言と智慧の美《すぐ》れたるを以て爾曹に神の証を伝へざりき、(二)蓋われイエスキリストと彼の十字架に釘けられし事の外は爾曹の中に在て何をも知るまじと意を定めたれば也、(三)我れ爾曹と偕に居りし時は弱く且つ懼れまた多く戦慄けり (四)我が言ひし所また我が宣べし所は人の智慧の婉言《うるはしきことば》を用ゐず、唯|霊《みたま》と能の証を用ゐたり (五)蓋爾曹の信仰をして人の智慧に由らず、神の能に由らしめんと欲へば也 (六)然れども我儕全き者の中に智慧を語る、是れ此世の智慧に非ず、亦廃らんとする此世の有司《つかさ》の智慧に非ず (七)我儕の語る所は隠密《かくれ》たりし神の奥義の智慧なり、此は世の創始の先より神の預じめ我儕をして栄《さかえ》を得しめんが為めに定め給ひしもの也 (八)此世の有司に之を識る者一人もなし、若し識らば栄の主を十字架に釘けざりしならん (九)録《しる》して神の己を愛する者の為めに備へ給ひしものは目未だ見ず、耳未だ聞かず、人の心未だ念はざる者なりと有るが如し (十)然れど神は其霊を以て之を我儕に顕はせり、霊は万事を究《たづ》ね知り、また神の深事《ふかきこと》をも究ね知るなり、(十一)それ人の事は其人の中にある霊の外に誰か之を知らんや、此の如く神の事は神の霊の外に知る者なし、(十二)我儕の受けしは此世の霊に非ず、神より出る霊なり、是れ神の我儕に賜ひし所のものを知るべきためなり、(十三)且つ我儕此事を語るに人の智慧の教ふる所の言を用ゐず、聖霊の教ふる所の言を用ゐるなり、即ち霊の言を以て霊の事に当るなり、(367)(十四)性来《うまれつき》のまゝなる人は神の霊の事を受けず、是れ彼等に愚なる者と見ゆればなり、又之を知ること能はず、そは霊の事は霊に由て弁ふべき者なるが故なり、(十五)然れど霊に属ける者は万事を弁へ知る、而かして己は人に弁へ知らるゝことなし (十六)誰か主の心を知りて主を教ふる者あらんや、然れど我儕はキリストの心を有てり。
〇福音は事実なり、美文に非ず、哲学に非ず、是は之れ単純なる言辞を以てのみ伝へらるべきもの、是に文飾を施して福音は福音たらざるに至る、福音其者が美文なり、哲理なり、金は鍍金《めつき》すべからず、福音は之を包むに言と智慧の美《すぐ》れたるを以てすべからず(第一節)。
〇福音の精要はイエスキリストと彼の十字架にあり、聖書の倫理思想にあらず、其数会組織にあらず 神は其生み給へる独子を賜ふほどに世の人を愛し、彼に十字架の恥辱を受けしめ給ひて、罪に沈める人類のために救済の途を開き給ひしとの事是れ福音の真髄なり、十字架を離れて基督教あるなし、縦し山上の垂訓は取除かるゝことあるも、縦し使徒ヤコブの格言は消滅に帰することあるも、若しイエスと彼の十字架との歴史的事実の存するあれば、基督教は儼然として永久に存し、人は其救済を求めん為にイエスに来るべし、十字架上の贖罪なき基督教は希望なき、生命なき基督教なり、然り、如斯きは基督教には非るなり。(第二節)
〇彼れ木の上に懸りて我儕の罪を自ら己が身に任ひ給へり(彼得前書、二章二四節) 是れ世に所謂る倫理的基督教にはあらざるべし、其中に迷信の如きもの存すと言ふ者もあらん、然れども実際的に人を罪より救ふ者は此事実なり、汝等我を仰ぎ望め、然らば救はれん(以賽亜書四十五章二十二節) 其科学的説明の何たるかを知らずと雖も、我等は唯十字架上のイエスを仰ぎ望むに由りて我等の罪は消え、我等は神の前に立て潔き者となるを知る(368)なり 神は其独子を十字架に釘けしめ給ひて世の人を罪より救ひ給へりとは我等が鼻に気息の通ふ間は絶叫せんと欲する歓喜の音信《おとづれ》」なり。(第二節)
〇保羅はコリントに居りし時は弱く且つ懼れまた多く戦慄けりと云ふ、彼れ誠実一途の猶太人、多く文学を修めしにあらず、美術に疎く、政治に闇く、キリストと彼の十字架の外に伝ふべきの真理を有せずして、独り漂然として文化の中心なるコリントに至る、彼も亦感情の人なれば独り斯る社会に入て孤独寂寞の感に打たれ、弱く且つ懼れまた多く戦慄きしならん、彼は勿論文学を懼れしに非ず、彼は亦美術に眩惑せられしに非ず 然れども彼は全く無学の人にあらず、アラタスの詩を引証して雅典《あてんす》人に語りし彼は亦能く美術文学の趣味を知れり、(使徒行伝十八章廿八節)然るに彼れ今や文学の念を放棄し、世の哲学を糞土に比し、たゞ十字架の福音に彼の身を固め、単身文化の盛京に入りし事なれば、彼にも亦学者に有り勝なる恐怖心生じ、時には懼れまた戦慄きしならん、斯る場合に於て彼が一層世の智識と教養とに頼らずして霊と能力の証とをのみ用ゐしは余輩自身の実験に照して想像するに難からず、希臘文学等には少しの趣味を有せざりし彼得、約翰の徒は保羅の此恐怖を聞て卑怯の行為となせしならん、然れども無学の者は学者の弱点と誘惑とを知らず、我は福音を恥とせずと羅馬人に書き贈りし保羅は高度の教養を受けし希臘人の中に在て学者にあり易き恐怖を感ぜしなり。(第三節)
〇人の智慧の婉言とは希臘人が世界に向て誇りし、哲理を飾るに修辞の術を以てせし者なり、其理や玄妙にして、其言や美妙なり、彼等は美はしき思想を表はすに美はしき言を以てして世の賞賛を博せんとせり、哲人アナクサゴラスの哲理に政治家ペリクリスの弁を加へしもの、是を以てして何人をか説服し得ざらんやと彼等は思へり、彼等は妙理を窮めたり、彼等は文を練りたり、而かして彼等は終に世を導化すること能はざりし(第四節)。
(369)〇然れどもキリストの僕なるパウロは哲学と美文とを用ゐざりし、彼は単純に、且つ大胆に、且つ謙遜にイエスキリストの福音を宜たり、彼は古哲の言を引かざりし、彼は婉曲の辞を撰まざりし、彼の文法には誤謬多かりしならん、彼の引証は粗漏なりしならん、然れども彼の無骨なる言辞に霊と能との証明ありき、彼の言語に由て霊魂は救はれ、行為は根本的に改められ、眼未だ見ず、耳未だ聞かざるの大変動は彼の福音を信ぜし者の上に顕はれたり、霊の証明とは神の霊が直に人の霊に示す所の証明なり、能の証明とは霊の活動の結果として顕はるゝ行動の証明なり 汝等来り観よ(約翰伝一章四六節) 来て論よりも証拠を観よ、救はれし霊魂を観よ、改まりし行動を観よ、暫らく其哲理に就て問ふを止めよ、而して我等若し之を如何にして為しゝと今日訊されなば十字架に釘けられし所、神の甦らせ給ひし所のナザレのイエスキリストの名によりて此事を為せりと答へんのみと(使徒行伝四章九、十節)。(第四節)
〇我は福音を伝ふるに婉曲の辞と玄妙の哲学とを用ゐず、そは我が福音は神の真理にして、是を汝等に推薦するに方て人の智慧と技術とを用ゐるの要なければなり、汝等若し我の能弁に推服して我が福音を信じたらんには汝等の信仰は人為的にして頼むに足らず、汝等若し亦我が該博なる学問を尊信するの余り、我が福音を信じたらんには汝等の信仰は思惟感情の信仰にして意志の信仰にあらざるが故に是れ亦頼むに足らず、我は汝等をして神の能に由て信ぜしめんとせり、故に我は故《ことさら》に努めて学問と能弁とを以て汝等を説服せんとせざりし、我に熱心はありしならん、我は之を神より賜はりたり、然れども我に技術なるものは一つもあらざりしなり、我は有の儘を語れり、而して神をして我を通して汝等に語らしめたり、故に汝等にして若し我に縁て信ずるを得しならば、是れ我に由りしにあらずして神に由りしなり、神は直に汝等の霊魂を救へりと(第五章)。
(370)〇我儕基督を信ずる者の中に我儕が称して以て「智慧」と做すものなきに非ず、我儕は之を不信者の間に語らず、亦キリストに居る赤子(二章一節)に向て語らず、我儕は之を全き者の中に語る、即ち十字架の奥義を会得せし者(全き者の意義)の中に語るなり、然れども是れこの世の智慧に非ず、哲学者の哲理に非ず、亦廃れんとする此世の有司(権者)が視て以て智慧と做すものにあらず、希臘人は我儕に智慧なしと云はんも我儕には彼等の知らざる智慧あつて存す、我儕を「巧なる奇談《あやしきはなし》」を信ずる者と做す勿れ、我儕が世の学者の智識を用ゐざればとて我儕を無識の者なりと侮る勿れと、希臘哲学を放棄して福音の使者となりしパウロは彼の新哲学に就て一言の弁疏なき能はず(第六節)。
〇我儕の智慧(哲理)はイエスキリストなり、ピサゴラスの宇宙観にあらず、プラトーの人生観にあらず、神の独子彼自身なり、神は彼を以て万物を造り給へり(以弗所書三章九節)。万物は彼より出で、彼に倚り、彼に帰るなり(羅馬書十一章三六節)、彼に由りて万物は造られたり、………彼は万物より先にあり、万物は彼に由て存つことを得るなり(哥羅西書一章十六節)、彼(神の羔)曰く我はアルパなり、オメガなり、首先《いやさき》なり末後《いやはて》なり、始なり終なり(黙示録廿二章十三節)、汝等は信ぜざらん、然れども我儕は宇宙と人生とを総てイエスキリストに於て説明せんとする者なり、我儕の哲学はキリスト中心説なり(第七節)。
〇此智慧たる、哲理たる、真理たる、是れ隠密《かくれ》たりし神の奥義の智慧なり、而して此は創世《よのはじめ》の先より神の預じめ我儕をして栄を得しめん為めに定め給ひし所の者なり、是れ今日まで人の目より隠れしもの、而かも世の創始より神の定め給ひしものにして、今ナザレのイエスに縁て人類に示されしものなり、世の之を知らざりしは神が今まで之を示し給はざりしに因る、而して是れ人の智慧を以て知るを得るの真理に非ず、イエスキリストは哲学(371)以上、科学以上の真理なり(第七節)。
〇此世の有司にして之を識る者一人もなし、カイザルもビラトもヘロデも、亦た凡て政略と権謀とを以て此世を治めんとする者にしてイエスを万全の智慧として悟り得る者一人もあるなし、彼等はイエスを利用することあらん、彼等は彼に偽善的崇拝を奉ることもあらん、然れども彼を識ることは彼等の智謀を以てしても策略を以てしても決して為し能はざることなり、若し識らば栄の主を十字架に釘けざりしならん、十字架に釘けざりしのみならず、跪いて彼を拝し、自ら冕《かんむり》を脱し、王の宝座を彼に奉り、王の王、人類の首《かしら》として彼に事へしならん、然れども憐むべき盲目の彼等有司は権を貪るの余り、万物の主権を握る彼を識る能はず、却て彼を目して卑しき者と做し美服を衣、文繍を衣て奢れる人を拝して、荊棘の冕を被れる人類の王を主として崇めざるなり、何時も憎むべく、卑むべく憐むべき者は彼等政治家にぞある(第八節)。
〇「神の己を愛する者の為めに備へ給ひしものは目未だ見ず 耳未だ聞かず 人の心未だ念はざるものなり」、以賽亜書六十四章四節よりの意訳的引証なるが如し、神の真理は人の思想以外に在り、哲学如何に深遠なるも神の真理に達する能はず、科学如何に精確なるも神の真理を究むる能はず、神の真理は神の黙示に由てのみ知り得るなり、是は神に愛せられし者が直覚的に神より示さるゝものなり、深く哲学を修めてキリストイエスを解せんと欲するも無益なり、万巻の神学書を渉猟するも救拯の奥義を解し得ざるなり、汝是を解せんと欲するか、行て汝の心を卑くし、謙遜りて神の示明を祈るべし、然らば神は其恩恵の為に汝に此事を知らしめ給ふやも斗られず(第九節)。
〇十字架の真理!奇異なる真理!而かも深遠にして美はしき楽しき真理!我の理性を満足せしめ、我の感情を(372)潔め、我の全性を調和せしむる真理は此十字架の真理なり、是れ世の学識の曾て想像だもせざりし真理、而かも謙遜にして神に依り頼む者には何人にも知られ得るの真理なり、単純にして深遠、水晶の如き山湖の水の如きもの、透明なるも其深度は量り知るべからず、其物それ自身にして詩歌たり、哲理たり、智慧たる者、我儕は神に由て少しく其何たるを知ると雖、之を適当に言ひ顕はすの言辞を有せず。(第九節)。
〇此深遠度かるべからざるの真理を神は其聖霊を以て我儕に顕はせり、そは聖霊は万事を究ね知り、神の深き事をも究ね知ればなり、それ人の事は其中にある(人の)霊の外に誰か之を知らんや、此の如く神の事は神の霊の外に之を知る者なし、故に神の深き事を知らんと欲せば神の霊に頼らざるべからざるは明かなり 然るに此単純なる原理を知らずして、人の智慧と智識とを以て神の事を探究せんとする者の愚かさよ、「高等批評」と称して言語学的に聖書の字句を解剖して其中に神の真理を発見せんとする者の如き、聖書は人に依て書かれし書なるが故に人の智識を以て解し得ざるの理なしと信じて、星と岩と植物と動物とを研究するの態度を以て此書を研究せんとする者の如きは未だ聖書研究に必要なる原則をだも知らざる者なり、聖書は宝の書なり、而して霊の書を学ぶに方ては先づ何よりも先きに霊の感化を要するなり、令万邦の言語あるも、仮令古今の哲学あるも、神の霊なくしては聖書の一事をだも解し得ざるなり、是れ平易なる常識なり、而かも此常識に則らざる者の世に尠なからざるを如何せん。(第十、十一節)。
〇保羅は重複して曰ふ我儕の受けしは此世の霊に非ず、神より出る霊なりと、聖霊を以て単に精神なり活気なりといふは誤れり、我儕は感情の激動に接したるに非ず、我儕は実に誠に神の聖霊に接したりと、保羅の時代に於ても今の時に於けるが如くに、聖霊を天然的に説明せんとする者ありしが如し、故に保羅は此重複の言を発して(373)斯かる誤解を排除せんとせり、(第十二節)。
〇是れ神の我儕に賜ひし所のものを知るべき為めなりと、我儕にイエスを賜ひしも若し其聖霊を下して我儕を教へ給はざらんには我儕如何でか、イエスのキリスト(受膏者、即ち救主)たるを知るを得んや、神は物を賜ふと同時に亦物の説明をも賜ふなり、キリストを下し給ふも聖霊を下し給はずば、我儕はキリストに就て知る能はず、又彼に由て救はるゝを碍ず(第十二節)。
〇我儕神の事を語るに人の言を以てせずして、神の言、即ち聖霊の教ふる所の言を以てせりと、聖霊の事は聖霊の言を以てのみ語るを得べし、我等が神のインスピレーションに由て受くべきものは神の真理のみに止らず、之を伝ふるの言も亦然り、
〇真理は福音の真髄にして聖書は其形体なり、(第十三節)
 生命と肉体は相離るべからざる者なるが如くに、真理は之を言ひ表はす言を離れて知る能はず、真理は言なり、言は真理なり、聖書若し神の真理ならば其文字は神の文字なり、聖書の言語的神聖説なるものは心理学上の此単純なる原理に基くものなり(第十三節)。
〇霊の言を以て霊の事に当る、霊の事を伝ふるに霊の言を以てす、即ち霊の事を伝ふるに方ては我は我自ら語らずして霊をして我を通して語らしむとなり、成功する伝道師は神の話器とならざる可らず、風の松の梢を吹いて松籟の楽を奏するが如くに、霊をして己が任《まゝ》に我が全性を吹かしめて我が身に天来の美楽を奏せしめざる可らず、(約翰第三章八節) 我れ学び得て我れ語るに非ず、神に教へられて彼に語らしめらるゝなり(第十三節)。
〇性来《うまれつき》の儘なる人は霊に接するも之を受けず、彼はたゞ愚なりとして之を排斥するのみ、縦し又之を受くるとす(374)るも之を知ること能はず、霊のことは霊に由てのみ之を了解し得べし、人は聖霊に依らずしてイエスを主なりと認むる能はず、彼がイエスに由て救はるゝに至るは徴頭徽尾神の業なり、(第十四節)。
〇性来のまゝなる肉の人は霊に関する事は何事も之を知る能はず、然れども霊に属する者は万事を弁へ知るなり、彼は第一に神の救拯の奥義に就て知るを得るなり、第二に己に就て弁へ知るなり、第三に人生に就て知るなり、第四に天然に就て知るなり、霊に属ける者の如く常識に富めるものあるなし、彼等は多くの事に関しては大哲学者も知らざる事を知るなり、学識は人を迷信より全く解脱せしむること能はざるも、キリストに於る信仰は人をして迷信の覊絆より全く脱するを得しむ、神を畏るゝは智慧の始なり、キリストを信ずるは科学の始めなり、人は罪より救はるゝにあらざれば天然に勝つ能はず、天然に勝つにあらざれば之を考究せんとの志は起らず、キリストに於ける信仰が近世科学の始めなりと聞て多くの学者は嗤ふならん、然れども欧米科学の淵源を深く究むる者は余輩の此言を聞て怪まざるなり。(第十五節)。
〇霊に属する者は万事を弁へ知ると雖も彼自身は人に弁へ知らるゝことなし、彼は霊に縁てキリストに在る者なれば、同じくキリストに在る者に非ざれば能く彼を解し得る者世にあるなし、彼の心裡に深遠にして量るべからざる所あり 彼は哲学者ならず、然れども一種の儼然たる哲学を有す、彼は道徳家に非ず、然れども道徳以上の道徳を守る、彼を不忠の臣として罵る者あり、然れども何人も彼を悪人として責むる能はず、キリストを知らざる彼の兄弟は彼を不孝の子として窘むることあり、然れども彼は放蕩児にもあらず、又は家名を傷くる者にも非ず、世の人の眼には甚だ奇異に見えて、而かも義人と善人との性を具ふる者は彼なり、世が甚だ彼を厭ふは彼を解し得ざるに因る、而かも彼は甚だ有用なる人にして、世は彼なくして進む能はず、彼を愛する能はず、然れば(375)とて彼を棄つる能はず、汝自からを誰と為るかとはユダ人がイエスに問ひし所(約翰第八章五三節)にして世人が亦今日我等イエスを信ずる者に問ふ所なり、而して我等はイエスに由て罪より救はれし者なりと答ふるも彼等は其何たるを解する能はず、彼等は只其時我等を卑下して曰ふのみ「汝天下の愚人よ」と、(第十五節)。
〇誰か主の心を知りて主を救ふ者あらんやと古への予言者は曰へり(以賽亜書四十章十三節) 神の智と識の富は深いかな、其審判は測り難く、其|踪跡《みち》は索ね難し(羅馬書十一章三三節) 然れども我等は神の霊に由て此測り知るべからざるキリストの心を有す、即ち全知に近き智識を有す、基督教徒とは実に如斯き者なり、愚なるが如くに見えて聡明《さと》き者、智なきが如くに見えて全知者の心を有つ者なり、人生と宇宙との秘密の鍵を握る者は実に彼なり、彼は宗教家なるのみならず、亦哲学者なり、詩人なり、彼を侮る勿れ、彼はライブニツツとなりて現はれたり、カントとなりて世に出たり、宇宙を終に完全に解釈する者は彼ならざる可らず(第十六節)。 〔以上、12・25〕
 
     信仰の赤子 哥林多前書第三章〔第一節−第一五節〕
 
  (一)兄弟よ我曩に爾曹に語れる時に霊に属ける者に語るが如くする能はず、唯肉に属ける者キリストに在る嬰児《あかご》に語るが如くせり (三)我爾曹に乳を哺《の》ましめて固き物を与へざりき、爾曹食ふこと能はざればなり、今も尚ほ能はず、(三)爾曹は尚ほ肉に属す、爾曹の中に嫉妬と紛争とあれば爾曹は肉に属ける者、人の如く歩む者に非ずや、(四)或人は我はパウロに属き、亦或人は我はアポロに属くと曰ふと、爾曹も亦世の人に非ずや (五)パウロ何人ぞ、アポロ何人ぞ、唯主が各人に賜はれる所に随ひ爾曹をして信ぜしめんとて勤むる(376)者に外ならず (六)我は植え アポロは灌《みづそゝ》げり 然れど育て給ひし者は神なり、(七)然れば植えし者は数ふるに足らず、灌ぎし者も亦然り、唯育て給ふ所の神のみなり、(八)植うる者と灌ぐ者とは一なり、各其労働に循ひて報を受けん (九)我儕は神と共に働く者なり、爾曹は神の田《はたけ》 神の家なり、(十)神の我に賜ひし恩恵に循ひて我れ賢き工師の如くに既に基礎を置《す》えたり、而して他の人其上に家を建つ、然れど各其上に如何に建つべき乎を慎むべし (十一)そは既に置えられし基礎の外に誰れも基礎を置うること能はざればなり、此基礎は即ちイエスキリストなり (十二)人若し此基礎の上に金銀宝石木草|禾稿《わら》を以て建てなば (十三)各人の工《わざ》は明瞭《あきらか》に顕はれん、そは審判の日之を顕はすべければなり、其日は火を以て顕はれ火は各人の工の如何を試むべし (十四)若し其建つる所の工保たば彼は報を受けん (十五)若し其工焼かれなば彼は損を受けん、然れど自己《みづから》は火より逃れたるが如く辛うじて救はれん。
〇信仰は亦|生活《いけ》る者にして他の生物と等しく成長する者なり、初めに苗、次ぎには穂出で、穂の中に熟したる穀を結ぶ(馬可伝四章二八節)、初めより完全なるに非ず、年を経て完全に達するなり、完全ならざるが故に信仰無しと云ふ勿れ、不完全なる所にも真実の信仰はあるなり、信仰の長者《おとな》あり、信仰の子供あり、又信仰の嬰児《あかご》あるなり、嬰児は長者の食物を消化する能はず、然れども彼は同じく一人前の人たるを失はず、直に深き教義を解し得ずとて、彼を目するに不信者を以てすべからざるなり(第一節)。
〇信仰の嬰児とは肉に属けること未だ甚だ多くして、霊に属けること未だ甚だ尠き者なり、彼等は未だ僅かに信仰の萌芽を受けしに止り、彼等の全体は未だ尚ほ肉の法則に循ふ者なり、故に彼等は霊の事を審判くに肉の定規を以てし、霊の領分に於てすら肉の法則を行はんと欲す、彼等の無智や憐むべし、而かも長者気《おとなげ》なき彼等の信仰(377)に亦甚だ愛すべき者在て存す、保羅は茲にコリントの信徒を叱責しつゝあるにあらず、其幼稚なる信仰に就て戯れつゝあるなり(第一節)。
〇爾曹は希臘哲学に於ては長けるならん、然れどもキリストの事に就ては未だ全く嬰児なり、爾曹智に於て富めるが故にキリストの奥義を直に解し得べしと意ふ勿れ、我れ今爾曹が嬰児なる理由を示さんと(第一、二節)
〇爾曹の中に嫉妬と紛争とありと聞く、是れ確かに爾曹が未だ肉に属ける者、世の人の如くに歩む者なるの証にあらずや、爾曹の哲学は如何に高尚なるも、爾曹の愛国心は如何に熱誠なるも、爾曹の伝道心は火の如く焔ゆるも、若し爾曹相互の中に嫉妬と紛争とあれば爾曹はキリストに在ては未だ甚だ幼稚なる者なり、我は爾曹は全き不信者なりとは云はず、爾曹は曾て爾曹の罪を悔ひ、主の聖名を表白して其聖き教会に入れり、然れども爾曹の信仰は僅かに外に向て発表せられしに止て内に向て成長せざりき、故に爾曹は今に尚ほ依然として信仰の嬰児たるなり、爾曹の信仰は理窟の信仰なり、競争の信仰なり、然れども平和の君なるキリストに於ける信仰にあらざるなり(第三節)。
〇爾曹の中にパウロ派あり、アポロ派ありと聞く、爾曹も亦た世の人ならずや、世の人は党を樹て、派を結ぶ、彼等は神を識らず、故に人と結んで事を為さんと欲す、結党の精神は不信の精神なり、人は他を援けんと欲して党を結ばず、他を利用して己れの利益を計らんがために此事を為すなり、故に結党の精神はキリストの精神と正反対なり、是れキリストの教会内に在るべからざる者なり、然るに爾曹今此精神爾曹の中に有りと聞く、爾曹も亦た世の俗人ならずや、爾曹と世の政党者と何の異なる所あらんや(第四節)。
〇パウロ何人ぞ、アポロ何人ぞ、各其神より給ひし能力に循ひて爾曹のために労働く者にあらずや、家は之を作(378)りし器具に循ひて種別さるべき者なるや、世に鉋党ありや、鋸党ありや、家を造りし者は工匠《たくみ》ならずや、爾曹は機具に依て相分れんと欲す 爾曹は未だ基督教の何たるを知らず、智を以て誇る爾曹の無智も亦た甚しからずや(第五節)。
〇我は確かに爾曹の中に福音の種子を蒔けり、アポロは我後に来りて、我が蒔きし種子に灌げり、然れども若し義の大陽にして爾曹の上に輝かざりしならば如何、若し聖霊の暖風にして爾曹を温めざりしならば如何、農夫は土壌を造らず、亦日光と空気とを造らず、彼は唯だ僅かに神の造り給ひし種を神の造り給ひし土に植え、之に灌ぐに神の造り給ひし水を以てし、以て謹んで収穫の時を俟つのみ、我儕の伝道事業も亦如斯し、我儕はたゞ蒔きしのみ。灌ぎしのみ、神は総て其他の事を為し給へり、我儕の為せし所は言ふに足らず、我儕はたゞ機具として使用せられしに過ぎず 我儕は鋤の如き者、放水管の如き者、神の属を取て神の属に施せしに過ぎず、然るに爾曹は我儕に依て党派を結ぶと聞く、爾曹は未だ植物成長の理由だも解し得ざる無学者なり(第六、七節)。
〇植うる者は灌ぐ者に優らず 灌ぐ者は植うる者よりも貴からず、二者共に神の労働者にして其労働如何に由りて雇主なる神より恩恵の賃金を受くる者あり、既に賃金を受くる者たり、故に我儕は自身の業に従事する者にあらず。爾曹は我儕に賃金を払ふて我儕を使役する神に謝すべし、既に有り余る報賞を受けつゝある我儕に対して爾曹は何の謝する所なくして可なり、(第八節)。
〇我儕は神と共に働く者なり、即ち神の事業を以て我儕の事業となす者なり、斯く言ふは勿論神と我儕とは同等の権利を有する者なりと謂ふに非ず、彼は雇主にして我等は被雇人なり、我儕は収穫の分配に与かるの権利を有せず、然れども寛大なる神は我儕を使役し給ふと同時に我儕に彼の共働者たるの栄誉を附与し、我儕を日雇人と(379)して見做し給はずして我儕を彼の労働の仲間として扱ひ給ふ、宇宙の万物を造り、之を治め給ふ神の共働者たる我儕の栄誉は実に大ならずや(第九節)。
〇我儕は神の共働者にして爾曹は神の田なり、我儕は神と偕に爾曹を耕して改悔の善き実を爾曹より収穫《かりと》らんと欲す、爾曹は亦神の家なり、我儕は神と偕に堅固き信仰の土台の上に爾曹を築き、爾曹を活ける石を以て建てられたる神の聖殿《きよきみや》と為さんと欲す、我儕は農夫なり、工匠なり、天国建設のために使役せらるゝ神の労働者なり(第九節)。
〇我は神の我に賜ひし恩恵に循ひて賢き工師の如くに爾曹の中に既に堅き基礎を置えたりと信ず、蓋我は我が智慧を説かず、我が哲学を伝へずして、キリスと其十字架とを爾曹の中に宣べたればなり、是れシヲンに置かれし貴き隅の首石《おやいし》にして之を信ずる者は辱しめらるゝことなし(羅馬書九章三三節)。他の人若し其上に家を建てんと欲せば如何なる家を建つべき乎に注意せよ、彼は土台に不似合なる家を建つべからざるなり、十字架の上に十字架の教会を建てよ、『倫理教会』を建つる勿れ、『社交的団妹』を築く勿れ、是等はキリストの教会に似て非なる者なり、キリストの教会は羔の血に由て救はれし者の生ける有機躰《ヲルガニズム》なり(第十節)。
〇基礎《いしづえ》は唯一なり、既に神に由て置えられし者是なり、即ちイエスキリストなり、此外に万世不動の基礎あるなし、是れ時と共に移らざるもの、万物悉く廃滅に帰する時に、独り巍然として存する者なり、教会の土台は勿論是なり、社会の土台も是れなり、国家の土台も是なり、智識の土台も是なり、是に由らずして世に強固なる者一つもあるなし、(第十一節)。
〇金を以て建てし者は金の報を得ん、銀を以て建てし者は銀の報を得ん、宝石を以て建てし者は宝石の報を得ん、(380)而して草と禾稿《わら》とを以て建てし者は草と禾稿との報を得ん、人は其播し所のものを獲取らざるべからず、倫理の禾稿を以て建てられし教会は福音の金を以て築かれし教会の如くに堅からず、哲学の草を以て作られし信者は十字架の宝石を以て飾られし信者の如くに美はしからず、名は同じく基督信徒ならむ、然れども禾稿の信者と金の信者とが明瞭に判別せらるゝ時は到らん。(第十二、十三節)。
〇焼かるべき木と草と禾稿と、焼かるべからざる金と銀と金剛石とを判別する日は到らん、其日は試錬の火を以て顕はれ、火は各人の事業の如何を試めさん、貴金と宝石とは残るべし、木と草と雑草とは焼き尽さるべし、国の為にキリストを信ぜし者、道徳の模範として彼を仰ぎし者の如きは木の如くに焼き尽されん 若しそれ名誉と些少の快楽とを追求してキリストの教会に入り来りし者の如きは春の野に火の枯草を焼き払ふが如くに煙となりて空に消え失せん、其時羔の血を以て印せられし者のみ残り、世に純潔の信徒のみ存して、神の聖名は「偽はりの兄弟」のために涜さるゝこと全く無きに至らん、来れ此試錬の日よ、我等は其到来を待つや久し(第十二、十三節)。
〇神は火を以て人の事業の真偽を試めし給ふべし、然れども彼は事業を以て人を試めさず、世には真心を以て誤謬を伝へつゝある者あり、其業や保つべからず、然れども其の志や嘉すべし、而して愛なる神は其事業の故を以て其人を棄て給はず、偽はりの事業を毀ち給ふと同時に其人を救ひ給ふべし、然れども其人の救はるゝや火より逃れたる人の如く辛うじて救はるゝなり、彼は天国に入るも何の事業をも彼の手に携ふることなく、只生涯の失敗談のみを齎らして僅に聖徒の群に入るを得るなり、彼の事業は悉く焼き去られ、天国に入るも一人の彼に由て救はれし者の出で来て彼を迎ふるなく、亦一人の改悔者の彼に感謝を表するなし、彼は孤独知らざる国に入り、(381)其処に新たに知己を作らざるべからず、彼は不幸の人たりしなり、彼は善き心を有ちしと雖も善き智識を有たざりしなり、(第十五節)。 〔以上、明治36・1・15〕
 
    万物の所有者 哥林多前書第三章〔第一六節−第二三節〕
 
  (十六)爾曹は神の殿《みや》にして神の霊爾曹の中に在すことを知らざる乎 (十七)若し人、神の殿を毀たば神彼を毀たん、蓋神の殿は聖きものなればなり、此殿は即ち爾曹なり (十八)誰も自から欺く勿れ、爾曹の中に此世に於て智慧ありと意ふ者あらば智者とならん為に愚になるべし (十九)蓋この世の智慧は神の前には愚かなればなり、聖書に神は智者を其自分《みづから》の詭計《はかりごと》に因りて執へ給ふ (二十)又主は智者の思念《おもひ》を虚きものと知り給ふと録されたり (廿一)然れば誰も人に依りて誇る勿れ、そは万物は爾曹の物なればなり (廿二)即ち或はパウロ或はアポロ、或はケパ、或は世界、或は生、或は死、或は今のもの、或は未来のもの、是れ皆な爾曹の属なり (廿三)而して爾曹はキリストの属、キリストは神の属なり。
〇爾曹人に属き、人に依て党を樹つる者よ 爾曹自身は何者なる乎爾曹は知るや、爾曹は神の殿にして神の霊爾曹の中に在すことを爾曹は知らざる乎、爾曹は爾曹自身の威厳を認むる乎、即ち爾曹は寧ろ人に事へらるべき者にして人に事ふべき者にあらざるを知る乎、爾曹自己を卑うして神が爾曹に賜ひし特権を放棄する勿れ(第十六節)。
〇爾曹は神の殿(naos)なり、殿の中の至聖所《いときよきところ》なり、神は山に住み給はず、亦雲に乗り給はず、金銀宝石を以て鏤められたるエルサレムの聖殿も今は神の住み所にあらず 爾曹が神の殿たるなり、爾曹世の賤者、愚者 弱者、(382)世が見て以て塵埃《ちりあくた》となす者、爾曹が天の神が住み給ふ所の聖き殿たるなり、爾曹此事を知るや、或は今我より此事を聞かせられて之を信ずるを得るや、然れども是れ事実なり、神は爾曹如き者の中に寓り給ふを以て自から美《よし》と看給へり、爾曹視よ、我儕称へられて神の子たることを得たり、是れ神の我儕に賜ふ何等の愛ぞ、世は父を識らず、是に由て我儕をも識らざる也(約翰第一書三章一節)。
〇爾曹キリストに依りて神を信ずる者は神の教会なり、而して神は其霊を以て爾曹の中に寓り給ふなり、爾曹各人の中に個々別々に寓り給ふのみならず、特に爾曹全躰の中に教会の首長として、其生命として寓り給ふなり、爾曹は活ける石なり、神は爾曹を以て霊の室《いへ》を造りて其中に住み給ふ(彼得前書二章五節) 爾曹は使徒と預言者の基の上に建てられたる神の殿たり、イエスキリスト其|首石《おやいし》になりて、全家みな構合《くみあ》ひて彼の中に在るなり、是れ霊に由りて神の居み給ふ処となるべき為めなり(以弗所書二章末節) 世に貴きものとて神に依て結ばれたる信徒の団躰の如きはあらず、神は斯かる団躰を造らんがために其独子を世に降し給ひしなり、教会は実に神の身躰なり、万物を以て万物に満たしむる者の満る所なり(以弗所書一章末節)
〇爾曹は斯くも貴き者なれば爾曹を毀つ者は神の聖殿を敷つ者なれば神は彼を毀たでは止み給はざるべし、我儕若し爾曹に誤謬を伝へん乎、我儕は神の聖殿を涜すなり、我儕若し爾曹の中に、紛争嫉妬の種を蒔かん乎、我儕は神の聖殿を毀つなり 我儕は爾曹のために働く神の職工なり、我儕は慎んで神の聖殿たる爾曹を毀損せざらんことを努めざるべからず、故に爾曹は主にして我儕は従なり、爾曹は客にして我儕は主なり、事ふべきは我儕にして爾曹にあらず、爾曹何を苦んで我儕に隷属し我儕に依て党を樹てんとする乎(第十七節)。
〇我儕何人も自から欺くべからざるなり、若し我儕の中に此世に於て智慧ありと意ふ者あらば其人は真正の智者(383)とならんために愚《おろか》になるべきなり、智と意ふは愚なり、愚と意ふは智なり、我儕自己の暗愚を覚りし時に神は始めて其光明を我儕に賜ふなり、爾曹は主イエスがパリサイの人に告げ給ひしことを記憶する乎、主は曰ひ給へり「爾曹若し瞽ならば罪なかるべし、然れど今我儕見ゆと言ひしに因りて爾曹の罪は存《のこ》れり」と(約翰伝九章末節)我れパウロが斯く曰ふは爾曹の中に智者を以て自ら任じ、爾曹の中に紛争嫉妬の種を蒔く者あるを知ればなり、爾曹斯る人に注意して彼等の欺く所となる勿れ、蓋彼等は智者なりと自信して自己をさへ欺く者なればなり(第十八節)。
〇此世の智慧は神の前には愚なり、神は慧き者をその自己《みづから》の詭計《たくみ》に因て執らへ、邪まなる者の謀計をして敗れしむと約百記に録さる(五章十三節) また主は智者の思念を虚きものと知り給ふと詩篇第九十四篇にあり(十一節)、神が此世の智者と其智慧とを賤め給ふこと斯の如し、然り、世に危険なる者にして智者の如きはあらず、彼等の建設は破壊なり、彼等の成功は失敗なり、策略家の導く所となりて教会は奈落の底に沈むなり、俗智に長けたる牧師に養はれて信徒は悪魔の手に附《わ》たさる、恐るべきは此世の智者なり、国を亡す者は彼なり、教会を毀つ者は彼なり、信徒の身と霊魂とを滅す者は彼なり、然り、智者に注意せよ、彼を斥けよ、彼を遠ざけよ、彼に近づく勿れ、然り、智者!正義公道の外に処世の術ありと信ずる者!我重ねて云ふ愚者にして爾曹を滅す者なる此世の智者に注意せよ(第十九、二十節)。
〇人とは斯の如き者なれば、智者とは実は愚人なれば、而して我儕は皆神の職工なれば、爾曹神に愛せられ、神の聖殿となりて其寓り給ふ所となりし者よ、爾曹何人も人に由りて誇る勿れ、パウロに由りて誇る勿れ、アポロに由りて誇る勿れ、ケパに由りて誇る勿れ、我儕使徒なればとて我儕は朽つべき人にして生命の神にあらず、人(384)若し誇らんと欲せば神に由りて誇るべし、福音はパウロに由りて伝へられたればとて特別に貴からず、福音は福音其者に因りて貴し、パウロの福音なる者あるなし、ペテロ(ケパ)の福音なるものあるなし、爾曹神と基督と其福音とに由りて誇るべし、基督の僕にして其福音の宣伝者なる我儕弱き人に由りて誇るべからず。(第二十一節)
〇万物は爾曹の物なり、蓋爾曹は神の教会にして神の霊の寓り給ふ身体なればなり、万物の中に最も貴きものは人なり、人の中に最も貴きものは神に愛せられ、キリストに依りて救はれし爾曹なり、故に万物は英霊長たる人の用をなすが如くに、万物と万人とは爾曹キリストの僕たる者の用をなすなり、基督信者は実に斯くも貴き者なり、万事は皆な爾曹の益となるなり、(哥林多後書四章十五節) 我儕は主に在て何も有たざるに似たれども凡ての物を有つなり(仝六章十節) 宇宙万物は爾曹と我儕の物なり(第廿一節)。
〇万物は爾曹の物なり、勿論爾曹の私慾を充たすための物にあらず、万物は神の造り給ひし物にして、素より神の属なり、然れども爾曹神に愛せられ、其子キリストに依りて同く其子となるを得て、神の属を以て爾曹の属となすを得たり、父の有は子の有なり、我儕称へられて神の子たることを得し者は万物を我儕の有となすを得たり、アヽ窮りなきは神の愛なるかな、思念《おもひ》に過るは我儕の特権なるかな、而かも此事は我儕のために自己を棄てしイエスキリストに縁りて事実となれり(第廿一節)
〇パウロも爾曹の属、アポロも爾曹の属、ケパ(ペテロ)も爾曹の属、即ち我儕凡ては神が各人に賜はれる恩恵に随ひ爾曹をして信ぜしめんとて勤むる神の道具にして爾曹の用を為す者、即ち爾曹の属なり(三章五節参照) 爾曹は目的物にして、我儕は神が之に達せんが為に用ひ給ふ所の機械なり、爾曹は神の愛児にして、我儕は神の命を帯びて爾曹を保育する乳母なり、使徒たる我儕の名誉は神のために爾曹に事ふるにあり、爾曹の権威も亦大な(385)らずや。(第廿二節)。
〇使徒たる我儕のみならず、全世界も亦爾曹の用をなすものにして、爾曹の属なり、其山も丘も、木も草も、野も林も、皆な爾曹の属なり、爾曹貧にして土地一寸をも有せずとて悲むか、悲しむべからざるなり、眼を揚げてかの山を看よ、之を視て神の能力と恩恵とを感じ、神を讃め、神の愛を覚る者は、全土は我の有なりとて誇る王公貴族にあらずして、寸地の所有権だも有せざる爾曹なり、他人の田に咲けばとて野草は神の造りしものにして、我れ若し之を看て神を讃め、彼を追求めて彼に救はれなば、其田は実は我の有にして他人のものにあらざるなり、貴族と富豪とは山と野との物を執て之れを食ひ、其胃を充たす、然れども我儕キリストを信ずる者は宇宙の霊を執り、之を以て我儕の霊を養て我儕の父なる神に還るなり、物は彼等に属して霊は我儕に属す、而して霊は物の精要なるが故に、万物は其の精要を消化する力を有する我儕の属なり(第廿二節)。
〇人も物も爾曹の属なり、而已ならず、生も爾曹の属、死も亦爾曹のものなり、生は之を以て爾曹の神の業を為さんためなり、死は之を以て爾曹の信仰を世に向て証明せんためなり、生を重んぜよ、而して死を軽んずる勿れ、殊に死を重んぜよ、我儕各人は唯一回死するのみ、我儕は能く之を利用して、一死をして万生に優るの功を奏せしめざる可らず(第廿二節)。
〇現世も爾曹の属なり、未来も亦爾曹の属なり、現世は神の公道を立つるための我儕の戦場なり、来世は神の恩恵を永久に楽しむための我儕の楽園なり、此美はしき天地を造り給ひし神は之よりも更に数等美はしき天国を造り給ひて我儕彼に愛せられし者を俟ち迎へ給ふなり、既に此世の万物を有する我儕は来らんとする神の国に於ても其主人公たるべしとなり、我儕歓んで又喜ばざる可んや(第廿二節)。
(386)〇万事万物は爾曹の属なり、そは爾曹はキリストの属なればなり、神は彼に万物を与へ給へり(馬太伝十一章二十七節) 故にキリストの属たる爾曹は亦キリストと偕に万物の所有者なり、爾曹の所有主は唯キリストのみ、爾曹は彼に在て万物の所有主なり、(第廿三節)。
〇キリストは神の属なり、勿論|僕《しもべ》が主の属たるの意味に於て然るにあらず、子が父の属たるの意味に於て、妻が夫の属たるの意味に於て、キリストは神の属、其愛する者たるなり、父は万物を子に与へ、子は其万物を彼に縁りて父を信ぜし我儕に賜ふ、万物は我儕に繋がり、我儕はキリストに繋がり、キリストは父なる神に繋がる、斯くて宇宙万物はキリストに在りて一躰となり、完全なる一整躰(Cosmos)をなして神なる中心点の周囲に運転するなり、人も万物も皆なキリストに在て相繋がるなり、彼と離れて一致あるなく、団結あるなし、人に由りて相結ぶは相離るゝなり、結党は離散なり、党派の樹立は基督の精神に反す、爾曹は直に之を爾曹の中より根絶すべきなり(第廿三節)。 〔以上、明治36・1・25〕
 
(387)     抑慾の秘訣
                      明治35年11月10日
                      『聖書之研究』27号「註解」                      署名 角筈生
 
  爾曹霊に由りて行《やす》むべし、然らば肉の慾を成すこと莫らん(加拉太書五章十六節)。
 「霊」は聖霊なり、「由りて」は在りてと読むべし、「行む」は常に行ふの意なり、「成す」は完成なり、言ふ意は我が意志の所在を我が衷に宿り給ふ神の聖霊の中に定めて常に之より離れざらんことを勉めんには我は肉の不正なる要求(慾)に応ぜざるを得て終に霊的人物たるを得んとなり、潔くして主を悦ばす者たるの秘訣は茲にあり、肉慾に抗し、之を抑圧し得て然る後に霊の人と成るに非ず、霊の人と成りて然る後に肉の要求を拒絶し得るに至るなり、我等はたゞ意志の方向を転ずれば足れり、然らば我等は信仰より信仰に進み、恩寵に恩寵を加へ、終に全然肉の覊絆より脱するを得るに至らん。
 
(388)     信仰治療の可否
                      明治35年11月10日
                      『聖書之研究』27号「質問」                          署名 記者答ふ(ウ、カ生)
 
     神癒と云ふ事に就て御教示を乞ふ(陸奥青森 吉崎俊雄)
 神癒とは信仰に由て肉躰の疾病を癒さるゝと云ふ事である、神が疾病を癒し給ふといふ事に就ては神を信ずる者は何人も疑を挟むべき筈はない、只所信の異なる点はキリスト信者は医薬を用ゆべきや否やの一点である、爾ろして余は医薬を用ゆる事は決して聖書の教訓に反する事でないと信ずる者である、而已ならず多くの場合に於ては之を用ひざることが却て神の聖旨に反くことであると信ずる者である、勿論凡ての医療は神より来るものであるから、医薬を用ゆればとて決して神に籟らないと云ふのではない、薬は矢張り神が造り給ふたもので、医師も多くの場合に於ては神の命令と許可とに依て其業に従事する者であるから、吾等が彼等に依て吾等の肉躰の疾病を癒されんとすることは決して悪い事ではない、悪い事とは医師にのみ頼て神に頼らない事である、或は神の命を待たずして医師に頼ることである、然しながら普通の常識に訴へ、神の指命を乞ふて、吾等の信任する医師の治療を乞ふことは吾等キリストを信ずる者の為すべき事であると思ふ。
 勿論世には偽医師一名薮医者なる者がある、然しながらそれと同時に亦偽牧師もあれば偽伝道師もある、偽物の在ることは真物の存在せざることの理由とはならない、神の命じない伝道師が偽伝道師であつて、神の命じ(389)ない医師が偽医師である、吾等は偽伝道師に頼らざるやうに亦偽医師に頼らざるやう用心すべきである、然れども真正の医師は真正の伝道師だけ貴むべき者である、吾等は注目して彼を捜索し、若し彼を看出すを得ば吾等の身躰を彼に任かすべきである。
 又偽医師の多いのは偽伝道師の多いのと同一である、実に今の世に於ては医師たらんと欲する者は伝道師たらんと欲する者よりも多いから随て偽医師の数は偽伝道師のそれよりも多い、故に真個の医師の捜索は頗る困難である、然し彼とても全く無いとは限らない、或る時は吾等は真個の医師に遭遇することがある、即ち謝礼を目的とするに非ず、評判を求むるに非ずして、単に人世の疾菅を拭はんと欲する医者に邂逅することがある、是れは実に貴い人物であつて、若し幸にして彼が如き者を看出すことを得しならば吾等は総ての礼儀を尽して彼を款待優遇すべきである。
 キリストが奇跡を以て疾病を癒し給ひたれば信者たる者は何人も世の医師に頼らずして、直に奇蹟的にキリストに癒さるべきであると云ふ者は、未だキリストの聖旨を知らない者であると思ふ、キリストは「汝の信仰汝を癒せり」とは宣給ひしも、医療の方法に就ては人々に由て之を異にし給ふたやうに見える、彼が生来《うまれつき》なる瞽を癒し給ひし時には「地に唾《つばき》し唾《つば》にて土を和《と》きその泥を瞽者の目に塗り、彼に曰ひけるはシロアムの池に往き洗へ」と命じ給ふた、爾うして彼れ行て主の命じ給ひしが如く為したれば彼は癒えたりと記してある(約翰伝第九章)、此場合に於ては主は確かに彼の能力以外に或る一つの方法を用ひられしやうに見える、彼は勿論間接の方法を用ひずしては瞽目を癒すことが出来なかつたのではない、然し彼が或る場合に於ては方法を採り給ふた事は明かである、其やうに彼が今日彼が造り給ふた薬品を用ひ、彼が命じ給ふた医師を使ふて彼の医療の聖業を遂げ給ふの(390)は彼として必ず為し給ふ事であらふと思はれる、殊に彼の在世の時代とは異なり、今日のやうに医術の非常に進歩したる時に於ては彼が普通の場合には彼の奇跡力を使用し給はずして、医薬を以て患める者を救ひ給ふのは最も有りさうな事である、今日の医術の進歩なるものは決して神に頼らずして成つたものではない、欧米諸国の大医と称せらるゝ者は我国今日の医師の如くに神を畏れず人を敬まない者ではない、大医は大哲学者大政治家大科学者大軍人と同じく多くは敬虔なる神の信者である、爾うして今日の医学なるものは多くは斯かる大医の研磨探究に由て出来たものである、吾等は我国今日の多数の医師が不信不敬の人であるのを見て、直に医術其物が悪魔の業であるやうに速断してはならない。
 雅各書の第五章十四節に「爾曹の中誰か病める者ある乎、あらば教会の長老等を招くべし、彼等主の名に託りて其人に膏を沃《そゝ》ぎ之が為に祈らん、それ信仰より出る祈祷は病者を救ふべし、主これを起さん」と記《か》いてあるも、之を決して医師を招く勿れ、薬品を用ゆる勿れとの勧言《すゝめ》と解してはならない、此所に記されたる膏其物が一種の薬品である、雅各の茲に言ふ処は疾病の時に祈祷せよとの事である、医師に頼るも頼らざるも神の援助を乞ふことを怠るなと云ふのである、吾等は神に頼らざれば何事も為し得ざる者であれば、病の時には殊に祈祷の効力に頼れと教へたのである、医師に頼るなと教へたのでなくして、神に頼れと特に注意したのである。
 斯く云ふて吾等は無方《むやみ》に医者に懸れと云ふのではない、多くの疾病は医師の援助を借りずとも治るものであるから、出来得る限りは信仰と清潔法とに依て其治療の途を講ずるに若くはない、今の人は神を信ぜざる結果として医師を信じ過ぎ、それがために却て其身を誤るは常である、吾等神を信ずる者は適当の範囲内に於て医師を信ずべきである、然し之に反して医師を信ずるは不信である、薬品は悪魔の供する毒物である、キリスト信者たる(391)者は如何なる場合に於ても医師の治療を受くべからずなど云ふのは是れ聖書の明白なる教訓に照して見ても、亦吾等の健全なる常識に訴へて見ても、決して穏当なる思想に出たる者とは思はれない、吾等は神を信じ、神に祈りつゝ医師の治療を受け、全癒の福祉《さいはい》に与かりし時には医師に感謝するよりも多く医師の医師たる神に感謝すべきである。
 
(392)     金を要せざる慈善
                        明治35年11月13日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
〇慈善と云へば必ず金を与ふることであると思ふのは大なる間違である、慈善は金を与ふることではない、人を援けることである、爾うして多くの場合に於ては金を与へない方が却て大なる慈善である。
〇若し金を与ふる者のみが慈善家であるならば古河市兵衛氏も慈善家である、彼は早稲田大学へ六千円寄附した、彼は年の暮になれば、此所の感化院、彼処の孤児院へ四百、五百の金を配る、爾うして之を受けし者は彼に向て深き感謝の意を呈する。
〇然し余輩の見る所を以てすれば古河氏は慈善家ではない、彼れが社会に於て為しつつある悪は千や万の金で償へるものではない、勿論氏に於ても与ふるは与へざるに勝るとは雖も、社会が氏より要求する処は氏が慈善を止むるも可なれば、氏の徳性を高うして、社会に華奢淫逸の害毒を流されざらんことである、古河市兵衛氏は千人の孤児を養ふことはありとするも、それと同時に天下幾千万の青年を誤《あやまり》つゝある者である。
〇人を援ける者が慈善家である、親切なる言辞を以て将さに失望に沈まんとしつゝある者を引立つる者も慈善家である、貧しき清き、而かも楽しき生涯を送て、天下幾百万の貧者に清貧の喜楽を示す者も大なる慈善家である、身は襤褸を纏ひ、茅屋に住むも、心に天の福音を宿し、之を世に伝ふる者も大なる慈善家である、清き小説を綴(393)る者、高き詩を作る者も慈善家である、凡て貧の生涯を高潔ならしむること、凡て不幸の境遇を安からしむること、是れ亦慈善である、爾うして之は金無くして為すことの出来る事である、然り、最も多くの場合に於ては却て金を以てしては為すことの出来ない事である。
〇吾等何人も古河市兵衛氏、平沼専蔵氏となることは出来ない、否な、吾等は彼等たらんことを欲しない、然し吾等は西行法師の如くに住むに家なくも人生の満足を歌ふことが出来る、吾等はパウロの如くに身に一物なくも万物を我が有となすことが出来る、山より掘り出した金や銀や銅を以てせずして、心より湧き出した愛心を以て大なる慈善家となることが出来る、天下千万の貧者よ、来て吾等と共に金を要せざる慈善事業に従事せよ。
 
(394)     歌に就て
                       明治35年11 月24・25日                           『万朝報』
                       署名 内村生
 
〇人は感情的動物である、爾う云ふのは彼は感情のみの、或は主として感情的の動物であると云ふのではない、彼に最も肝要なるものは道理である、確信である、信仰である、感情は彼の情性中最も劣等なるものである。
〇然しながら彼は彼の道理と確信を感情に現はさんと欲する者である、美とは真理が感情に現はれたる者であつて、感情に包まれて真理は始めて具体的となるのである。
〇歌は霊魂の声であると云ふ、完全なる歌は詞と楽とより成る、歌の詞、即ち韻文は其理であつて、楽は其情である、詞のみでは歌にならず、亦楽のみでも歌にならない、感ぜられたる道理、是れが歌である。
〇故に歌とは軽佻浮薄のものではない、歌は哲理よりも深いものである、哲理の大部分は頭脳《あたま》丈けでも稽ふることは出来るが、真理が歌となりて顕はるゝまでには全心全体の賛同を得なければならない、歌は実に真理の粋である、始めに科学あり、次に哲理あり、終に詩歌があるのである、故に未来の天国に於ては真理は皆な歌であると云ふのは、何にも誰れも今の基督教の会堂に於けるが如くに大声を揚げて歌を唄ふて居るといふ事ではなくして、理想の国に於ては真理は既に探考思念の程度を経過して、詩歌と云ふ真理の精要《えつせんす》のみ存《のこ》ると云ふことである。
〇夫れであるから歌の無い処には理想はない、科学ばかりでは歌は出ない、歌とならない哲学は偽哲学である、(395)国民の歌ふ歌に依て其文明の程度は能く分る、彼は理想の民である乎、或は邪慾の民である乎、是れは其学艦と軍隊と、貴族と博士と豪商とを見ては分らない、其国民の常に歌ふ歌が其道徳の指標である、嗚呼、我が日本国よ、汝は如何なる歌を歌ひつゝある乎。 〔以上、11・24〕
〇歌は国民理想の表示である、夫れと同時に又歌は国民に理想を供する者である、世に理想の如く伝染的のものはない、哲学者が大部の書を著はして百年かゝつても為すことの出来ない事を詩人は一篇の歌を作つて一瞬間に為すことが出来る、多くの国民の歴史は歌の歴史である、仏蘭西人のマルセーユの如き、蘇格蘭人のワー、ワツト、ビー、ゼ、トレートース、ネーブの如き、米国人のヘイル、コロムビヤの如き、国民精神の鼓舞者としては百の軍艦、万の軍隊に優るの勢力である、「我に一|小歌《せうか》を作らしめよ、然らば我は全国民を動かさん」とは欧米人の諺である、実に国民の理想を表はす一小歌を作る者は其国の大恩人であつて亦大軍人、大政治家に勝るの権者である。
〇執れの国にも国歌なるものがなくてはならない、然し我日本にはまだ是がない、「君が代」は国歌ではない、是は天子の徳を称へるための歌である、国歌とは其平民の心を歌ふたものでなくてはならない、国は実は其平民の所有であつて、貴族の所有ではないから、国の理想は其平民の中に在つて貴族の中にはない、平民の心を慰め、其望を高うし、之に自尊自重の精神を供する歌が日本国民の今日最も要求する所のものであると思ふ。
〇平民的なればとて勿論野卑であつてはならない、平民は国の天然的貴族であるから、彼の思想が高尚なる丈け、彼の歌は高潔でなくてはならない、然れども高尚なるとは優美なるとの意ではない、優美とは貴族の令嬢などを形容する言辞であつて、是は実果を貴ぶ平民の理想ではない、平民は強健でなくてはならない、楊のやうな、牡(396)丹のやうな美は貴族の美であつて、平民の美ではない、平民の美は松である、※[木+解]《かし》である、楠である、暴風に打たれても仆れない美である、故に平民歌なるものは大嶽と大洋と大河と亦蒼空とを歌つたものでなくてはならない。
〇平民歌であるから労働歌でなくてはならない、歌は娯楽のためではなくて労働を援け促がすものでなくてはならない、或人が歌つて
   執らん此筆 国のために
   揚げん此斧 人のために
   撃たん此槌 道のために
   為さん万事を神のために
と言ひし如きは能く平民歌の主意に適つたものであると思ふ、世の懶族貴族輩に卑しと思はるゝ労働を高貴ならしむるものが平民歌である、高尚にして優美ならず、通俗にして野卑ならず、詩人ホヰツチヤーが或る下婢《かひ》の乞ひに応じて
   御身が手に把る箒を以て
   世界の一部を潔くせられよ
と書きしが如きは平民歌の一例であると思ふ。
〇誰が吾等平民の日毎の業を神聖ならしむる者ぞ、誰が朝報社の募集に応じて、我国最始の平民歌を作る者ぞ、天は未だ斯かる歌人を吾等の中に送らざる乎、余輩は手に桂冠を掲げて彼に冠せんと待ちつゝある。 〔以上、11・25〕
 
(397)     事業と成功
                      明治35年11月25日
                      『聖書之研究』28号「所感」                          署名なし
 
 成る事は成る時に至れば成るなり、急ぐべからず、怕るべからず、唯だ神を信じて俟てば足る、ヱホバを俟望め、然らば彼れ汝を救はん(箴言二十章二二節)。
       *     *     *     *
 成功は事の成否にあらず、信仰の貫徹なり、実に神を俟望む(信ずる)者は愧しめられず(詩篇二十五篇三節)、終りまで忍ぶ者は救はるべし(馬太伝十章二二節)、我が最大の事業は最終まで我が信仰を保全することなり。
       *     *     *     *
 人の前に主を識らずと言ひて事業の成功を劃する者の愚かさよ、人若し全世界を得るとも其生命を喪はゞ何の益あらん乎(馬可伝八章三六節)、主の許さゞる事業は事業にして事業にあらず、主の賜はざる成功は成功にして成功に非ず、主キリストは事業の生命なり、主より離れたる成功は大失敗なり。
       *     *     *     *
 神には神の事業在て存す、人は唯だ之に参与するの特権を許さるゝのみ、孰か主の心を知りし、孰か彼と共に議ることを為せしや、其審判は測り難し 其|踪跡《みち》は索め難し(羅馬書十一章三三、三四節)、吾等は神と共謀者た(398)る能はず、吾等は亦神の事業の補助者たる能はず、吾等の事業なるものは啻に神の聖業《みわざ》を宣べ伝へ其|作《な》し給へる事を考ふることのみ(詩篇第六十四篇九節)。
 
(399)     余の基督教
                      明治35年11月25日
                      『聖書之研究』28号「所感」                          署名 内村鑑三
 
〇余の基督教は第一に来世的である、余は現世に於て余の理想が実行されやうとは思はない、余の希望は総て「備へ整ひて神の所を出て天より降り来るべき聖き城市《まち》なる新しきエルサレム」に於て在る、余が此世に於て総ての※[言+后]罵凌辱を忍び、人に践み附けらるゝを以て反て満足に感ずることの出来るのは余に来らんとする栄光の王国が約束せられたからである、余は基督教は現世を救ふための絶大の勢力であるとは信じてをるが、然し余が之を信ずる主なる理由は、其が余に天国に入るの資格を与へて呉れるからである、余は或者のやうに現世的基督教なるものを唱へて無私無慾を誇らない、来世の栄光に与からんとする希望は決して卑劣なる慾望ではない、是れは神が吾人より要求し給ふ慾望(若し之に慾望の名を附し得べくんば)であつて、此慾望を懐き、之に依て生涯を送ることは恥辱ではなくして大なる栄誉である、然り、余の基督教は来世的である、余はパウロと偕に死して後の義の冕《かんむり》を俟ち望む者である(提摩太後書四章八節)。
〇余の基督教は第二に贖罪的である、余は余の善行を以て聖潔《きよ》められんとは欲しない、余には余の生来の悪性がある、又日々己れに加へつゝある罪悪がある 故に若し神にして余の罪を贖ひ給ふにあらざれば余は到底神の聖前に立つことの出来ない者である、余は何人たりとも他の人が余の罪を贖ひ得るとは信じない、然しながら人に(400)贖ひ得ないからとて神に贖ひ得ないとは余は信じない、人の罪を赦し得る者は神のみである、(馬可伝二章一−十二)その如くに人の罪を贖ひ得る者は神のみである、神が余の罪を贖ふたと聞いて余は奇異とは思はない、思はないのみならず、余は之あるを聞て始めて神の神たるを信ずるのである、故に余は或る人の如くに贖罪の教義を時勢後れの迷信とは思はない、余の平和と安心とは一つに此教義に於て在る。
〇余の基督教は第三に奇蹟的である、余は奇蹟をば有り得ない事とは信じない、奇蹟は天然的現象の激甚なるものであつて、決して天然の法則に逆つたものではない、天然とは普通の現象を指して云ふものであつて、奇蹟とは特殊の現象を云ふものである、故に其本を探つて見れば天然と奇蹟との間に差別はない、爾うして余は基督教は罪に死せし人類を救はんための特殊の勢力であると信ずる、基督教は普通の倫理ではない、仁を践み義を行ふた位ひで人の霊魂は救ひ得らるゝ者ではない、彼は既に天然的には死したる者であるから、彼は天然的に救ひ得らるゝ者ではない 彼を救ふには特殊の勢力が要る、即ち奇蹟が要る、奇蹟的ならざる宗教は罪に死したる人を救ふの能力を有たない、若し基督が釈迦や孔子の如き人間であつて、其説きし所の教義が僅かに仁義忠孝等普通の人倫に止まつたならば、彼は決して人類の教主として仰がるべき者ではない、彼に天然に於ても人間に於ても発見することの出来ない特殊の能力があるからこそ彼は吾人を救ひ得る者として崇められるのである、奇蹟力を認めず、之を供給しない宗教の如きは取るに足らない宗教である。
〇余の基督教は第四に聖書的である、余は勿論真理は聖書以外には無いとは云はない、真理は風にもある、水にもある、凡て正義の行はるゝ所には真理は必ずある、然しながら基督教は神の特殊の黙示に由て成りし宗教であるから、是れは決して聖書を離れて有り得べき者ではない、世には基督教は真理であるから聖書に由らずとも存(401)在する者であるなど唱ふる人があるが、さう云ふ人は未だ基督教の何たる乎を知らない人であると思ふ、余は断言して云ふ、孔子の論語に基督教はない、仏教の経文にもない、プラトーの哲学にもないと、善を践み義を行へ位ひが基督教ではない、神は万物の造主である位ひが基督教ではない、基督教とは「それ神は其生み給へる独子を賜ふほどに世の人を愛し給へり、此は凡て彼を信ずる者に亡ぶることなくして永生《かぎりなきいのち》を受けしめんが為めなり」(約翰伝三章十六節)是である、斯の如き事は聖書を除いては他の書には決して書いて無い、聖書に於て基督教を探らずして、之を探る所は他にはない、故に聖書に合はざる基督教は基督教ではない、吾等の基督教が聖書全躰の証明する所となりて、吾等は始めて基督教の真髄に達することが出来たと云ふことが出来るのである、勿論聖書の記事に多少矛盾する所があるやうに見える、然し是れは外形上の矛盾であつて、精神上の矛盾ではない、聖書は其構神に於ては始めより終りまで全然一致して居る、爾うして是は儒教、仏教、其他世の宗教に於て見ることの出来ない精神である、余は全然聖書に頻らない基督教を以て真正の基督教と認むることは出来ない。
 
(402)     懲治的患難
                      明治35年11月25日
                      『聖書之研究』28号「雑録」                          署名なし
 
 我等神を信ずる者に取ては患難は懲治なり、是れ我等を殺さんためのものにあらず、我等を癒し、我等を活かさんためのものなり、患難なき者は神に愛せられざる者なり、誰か父の懲めざる子あらん乎、衆《すべて》の人の受くる懲治にして若し爾曹になくば爾曹は私生児にして実子に非ず、又我儕の肉体の父は我儕を懲らしめし者なるに我儕は尚ほ彼を敬へり、況して霊魂の父をや、我儕は彼に服ひて生命を受くべきなり、……凡ての懲治は其当時は悦ばしきものにあらず、否な、反て悲しと意はるゝものなり、然れども之に由て鍛錬されし者には後には平康の果を結ばせり、即ち義の結果なる平康の果を結ばせり、(希伯来書第十二章)。
 
(403)     禁酒小言
                        明治35年12月5日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
〇禁酒は小事なりとて、嗤ふ者が沢山居る、然し禁酒は小事ではない、飲む人其者に取ては小事であるかも知れぬが、彼の妻、彼の娘、彼の家族全体のためには決して小事ではない、彼が酒を飲むために、彼の妻の勤倹は何の実効をも奏しないで、一家一同は常に貧と不足とに泣いて居るのである、余輩は日本国の憐れむべき婦女子のために特別に禁酒論を唱へるのである。
〇酒を飲ませる事が御馳走であるとは誰が始めた事であるか知らねど最も奇妙な事である、客に毒を飲ませて、彼を暫時的の狂人に成して、それで彼を款待したと思ふとは愚も亦甚だしからずや、然し何れの宴会に於ても是は当然の事のやうに思はれ、飲ませざれば款待《もてなし》でないと思ひ、毒に中て酔はざれば御馳走でないと思ふ、人類の馬鹿さ加減も此に至て言語同断ならずや。〇毒を飲むさへ愚の極なるに、人に毒を勧めるとは何事ぞや、歳将さに暮れんとするに方て、失望の中に復た此一年を送りし者共が、忘年会を名として身体のアルコホル漬けを開始する頃《ころほ》ひ、余輩は彼等が少しく此事に注意し、自身は意志薄弱のため飲まざるを得ざるとするも、害を他人に及ぼして、自身を毒すると同時に他人までに毒を強ざらんことを彼等に勧めざるを得ない。
(404)〇酒で歳を忘れて、酒で年を覚ゆ、忘年会は鬱憤放散会であつて、屠蘇酒は自暴自棄酒である、「やけ」は「焼け」であつて、酒精を以て身体を焼くことである。
 
(405)     〔患難と恩恵 他〕
                     明治35年12月10日
                     『聖書之研究』29号「所感」
                     署名なし
 
    患難と恩恵
 
 患難は恩恵を離れて考ふべからず、そは患難は恩恵の一部分なればなり、鹹味を和せずして甘味は甘味ならず、患難なくして恩恵は恩恵ならず、食に薬味の必要なるが如くに人生に患難は必要なり、患難ありて始めて人生に香味は生ずるなり。
 
    無理の要求
 
 人、汝に無理を要求する時に汝、喜んで之に応ぜよ、蓋人が汝に無理を要求する時に神は恩恵を以て汝に逼りつゝあり給へばなり、キリスト信徒に迫害多きは彼に恩恵多きが故なり、世が彼より普通以上の道徳を要求するは彼に普通以上の恩恵の加はらんためなり、敵の声は神の声なり、嘲罵凌辱の声は之を訳すれば恩恵慈愛の語なり、吾等は新しき心と共に新しき耳の吾等に与へられんことを神に祈らざるべからず。
 
(406)    手段と目的
 
 患難のための恩恵にあらず、恩恵のための患難なり、患難は手段にして恩恵は目的なり、患難を以て始まり恩恵を以て終るなり、一の患難は百の恩恵を招き、短き此患難の世は永 無窮の恩恵の世に終る、故に我等は恩恵に就て思ふこと常にして患難に就て考ふること稀れならざるべからず、そは神の造化に於ては患難は其最小部分に過ぎざればなり。
 
    争闘の真因
 
 凡ての悪事、凡ての怨恨、凡ての争闘は神を識らざるより来るなり、神を識らず、故に人生を識らず、人生を識らず、故に慰安なし、安慰なし、故に人を怨む、人を怨む、故に争闘生ず、神を識らんと欲せずして人より満足を要求するは無益なり、そは世界の人を挙げて悉く我が意に循はしむるを得るも、我が衷心の悲痛は依然として存すればなり。
 
    此世
 
 此世は慰安暢達の世にあらず、是れ疑察 鞭撻 圧抑の世なり、吾等は斯かる世に処して来らんとする誠信喜楽自由の世に入るの資格を作りつゝあるなり、世に惨事多きは是れがためなり、悪人多きも亦是れがためなり、只凡ての事は神の旨に依りて召かれたる神を愛する者の為に悉く動《はたら》きて益をなすを我儕は知るなり(羅馬書八章(407)二八節)。
 
    迫害の精神
 
 基督宜はく「凡て爾曹を殺す者自から神に事ふると意ふ時至らん」と(約翰伝十六章二節)、彼等が吾等を責むるは吾等を悪人と信じてなり 故に彼等の迫害に大に吾等の同情を表すべきものあり、彼等は正義のために我等を殺さんとするなり、社会のために、人道のために、然り 或る場合に於ては我等の奉信する基督教のために吾等の生命を奪はんとするなり、故に彼等の激怒に一片の誠実の賞すべきあり、吾等は彼等のために祈て彼等を憎むべからざるなり。
 
    基督信徒の徽章
 
 苦痛の極は善を為さんと努めつゝある時に人に悪しく思はるゝことなり、然れども是れキリストの受け給ひし苦痛にして、吾等は此苦痛を味うことなくしてはキリストと偕になりて彼の王国に入る能はざるなり、十字架上の苦痛とは斯かる苦痛を指して謂ふなり、此苦痛は是れキリスト信者の徽章なり、是れなくして吾等は天国の市民たる能はず。
 
    最大幸福
 
 苦む事は書き事なり、吾等は之に依て神を識るを得るなり、神を識るは永生《かぎりなきいのち》なり、而して吾等若し苦しまず(408)して永生に達する能はずとせば何物か苦む事に優るの福祉《さいはい》あらんや。
 
    患難と栄光
 
 彼(基督)は神の体《からだ》にて居りしかども自から其神と匹《ひとし》く在る所の事を棄て難きことゝ意はず、反て己を虚うし僕の貌《かたち》をとりて人の如くなれり、既に人の如き形状《ありさま》にて現はれ己を卑くし死に至るまで順ひ十字架の死をさへ受くるに至れり、是故に神は甚しく彼を崇めて諸の名に超《まさ》る名を彼に予へ給へり、此は天に在るもの地に在るもの及び地の下にあるものをして悉くイヱスの名に由て膝を屈《かゞめ》しめ、かつ諸の舌をして悉くいヱスキリストは主なりと称揚《いひあらは》はして父なる神に栄《ほまれ》を帰せしめんためなり(腓立比書第二章六節−十一節)。
 
    至言
 
 博士ヘンリー、バンダイク氏近頃其聖職を退かんとするに方り、紐育なる氏が永年牧せし教会の講壇より述べて曰く
  世に三つの異端あり、三つ以上あることなし、是れ今日ある異端にして亦世の創始よりありし異端なり、其第一はヘロデの異端にして安逸と功名とを追求するの異端なり、二はイスカリオテのユダの異端にして金銭のために其救主を売るの異端なり、三はカインの異端にして其兄弟を憎むの異端なり、即ち名利の異端、貪慾の異端、憎悪の異端、是れなり、而して此二十世紀に於て吾人の前に横たはる所の来らんとする凡ての争闘と患難の中より唯三つのものゝみ熱火の鍛錬を経て存《のこ》るべし、信、望、愛、是なり、即ち人を神に繋ぐ(409)所の信、人を来世に繋ぐ所の望、及び人を神と同胞とに繋ぐ所の愛是なり、是等の中最も大なるものは愛なり、
と、至言と謂ふべし。
 
    信、望、愛
 
 信とは神の誠信を信ずるの信なり、望とは復活と永生と来らんとする神の王国とを望むの望なり、愛とは十字架に釘けられ死して甦りしキリストに於て顕はれたる神の愛なり、世に勝つ者は此の三つなり。
 
    キリストの愛
 
 如何なる悪人なりと雖もキリストに在りて彼を愛せんと欲すれば愛し難きにあらず、彼の心にキリストを顕はし、彼をキリストに連れ来らんためには吾等は如何なる詬罵をも忍ぶを得べし、吾等キリストを離れて悪人を愛せんとすればこそ吾等の愛の不足を感じて己れの弱きを責むるなれ、然れども神は人の如くに吾等より無理を要求し給はず、神は吾等に「敵を愛せよ」と命じ給ひし前に敵を愛するに足るの愛を吾等のために供へ給へり。
 
    万善の基礎
 
 神を信ぜずして信あるなし、永生を望まずして望あるなし、キリストを愛せずして愛あるなし、同胞間の信用は神を信ずる信より起り、永生の希望起りて人生の憂愁は凡て拭はる、若し夫れキリストの愛に至ては是れのみ(410)が純潔の愛にして、此愛に欠乏して父子も真正の父子に非ず、兄弟も真正の兄弟に非ず、夫婦も亦真正の夫婦に非るなり。
 
    独特の生涯
 
 我に独特の歓喜あり、故に神は我に独特の患難を下し給ふなり、人は我の歓喜を知る能はず、故に我の悲痛をも知る能はざるなり、我が生涯の独特なるは神が我を特別に愛し給ふが故なるべし、故に我は喊んで言はん「来れ独特の患難よ、我れ歓んで汝を迎へん」と。
 
    歌の供給者
 
 或る時我に思想絶えたり、我は歌ふに歌なく、語るに言辞なきに至れり、其時人あり 来りて無情の剣《つるぎ》を以て我が心を刺せり、我は甚く苦痛を感ぜり、我は悲鳴の声を揚げたり、然るに視よ、彼が残せし傷口より思想の玉泉は流れ出て、我が信仰の眼は開け、讃美の歌は再び我唇に還りたり、其時我は痛める我が傷口を抑へながら云へり、「無情なる深切なる敵人よ、汝は我に新しき歌を供せり」と。
 
(411)     教界近時の弊害
                      明治35年12月10日
                      『聖書之研究』29号「思想」                          署名 角筈生
 
 方法は沢山に講ぜらる、然れども精神は只僅かのみ修養され、聖書は只浅くのみ究めらる、未だ信仰の勇者なきに青年万国同盟会の大会は明年を期して東京に於て開かるゝと云ひ、粗漏極まる聖書の翻訳には少しも注意せずして聖書会社は昼となく夜となく其印刷販売に忙はし、曾てカーライルが唱へし如く十九世紀文明は(二十世紀は更に然り)方策的文明なり、深く考ふるの暇なくして只奔走に疲かるゝの文明なり、事業を称して運動と云へるは能くも云へり、伝道も運動の一種なり、伝道の事業の成功は救はれし霊魂の多寡に依て量られずして伝道師の旅行せし哩数に依て示さる、二十世紀の伝道は多くは足と汽車との事業なり、心を労する至て尠く、思考を要する至て尠きも成功を見るに難からざる事業なり、然れども是れ貴むべき事業に非ざるは瞭かなり。
       *     *     *     *
 事務家、書記、理事員、一人の伝道師に十数人の事務家は附随す、演説場はあれども演説家はなし、福音の必要は喇叭を以て吹聴せらるゝも福音其物を説く者なし、人は皆な聖書に就て語るも聖書其物は究められず、基督教論は盛に唱へらるゝも基督教其物は世に供せられず、旗幟と喇叭とはありて戦士は無し、而かも策士の列を脱して戦士たらんと欲する者は更になし。
(412)       *     *     *     *
 彼等は皆な一様に孤独を怕る、彼等は独り立つ能はず、故に事を為すには必ず合同して為さんと欲す、独り世界に対して戦はんとするの信仰なきが故に、他と相協同して所謂団躰の精神を藉りて群集的に事を為さんと欲す、故に会は会に次ぎ、週の始めより其終まで会合のなき日とてはなきなり、往昔の基督信者は独り神と交際る事多くして、人と接すること尠かりしも、今の基督信者は人と接する事多くして、神と偕なる事甚だ尠し、故に信仰の蔵蓄甚だ尠くして、常に世に供するに稀薄極まる真理を以てす、二十世紀の基督教は会合的基督教なり、故に是は霊魂の重傷を癒す力を有せざる基督教なり。
       *     *     *     *
 吾等は彼等に傚はざるべし、吾等は神と交際はること益々多くして、人と交際はること割合に尠かるべし、吾等の交際は狭き深き交際なるべし、吾等は多く旅行せざるべし、然れども吾等の足の跖《うら》を印する所には福音の種を植附けずしては止まざるべし、吾等は多くの演説会を開かざるべし、然れども開く時には其処に吾等の深所を吐露し大感動を与へざれば止まざるべし、吾等は会衆に頼らずして神に頼るべし、吾等の宗教は貴族的階級的ならざるは勿論なれども、又群集的ならざるべし、吾等はエノクに傚ふて独り神と歩むべし、而して神と偕に人の中に降りて人と交際はり、人を救はんことを努むべし、吾等は斯かる方針を吾等の聖書の中より学べり、
 
(413)     〔基督教的ホーム 他〕
                      明治35年12月10日
                      『聖書之研究』29号「家庭」                          著名なし
 
    基督教的ホーム
 
 涙なしと云ふに非ず、苦痛なしと云ふに非ず、憂慮なしと云ふに非ず、空乏は常なり、敵人嘲罵の声は屡々我等の耳に達す、然れども是れ地上の小楽園なり、朝と夕とに祈祷の声は揚るなり、聖書は常に研究せらるゝなり、暴言は何人の口よりも出ざるなり、淫話の如きは唇に上るをさへ許されざるなり、時には讃美の声の聞ゆることあり、談話の重なる題目は慈善なり、労働は非常に重ぜらるゝなり、節倹は厳く守らるゝなり、不平不満の人は一人もなきなり、感謝は我等の平常の状態なり、人に疑察せらるゝも人を疑察せざらんと努むるなり、我等は総て愚人なり、欺かれ易き者の中の最も欺かれ易き者なり、然れども我等|蹶《つまづ》くも仆れざるなり、我等は主に援けられつゝ今日に至れり、我等は主に縋るより他に世に処するの途を知らざるなり、或る意味に於ては我等は赤子の団躰なり、我等は正直のために失敗せり、而して斯く唱へて偽善者なりと称へらるゝ者なり、貧にして貧ならず、愚にして愚ならず、只驢馬の如き忍耐を以て信仰の馳場《はせば》を走らんと欲す、美はしきはキリストの寓り給ふホームなり、我等は其類を世の人の中に見ず、罪を悔ゆる義人、赦されし罪人、十字架に釘けられし者を主と(414)し仰ぎ、之に事へ、之に神としての崇拝を奉る、偽善の如くに見え、迷信の如くに見ゆ、而かも正義を唱へて懼れず、深き趣味を以て哲理を講ず、信仰と道穂とを主座に置くも、智識を磨くことに於ては人の後に出でざらんと欲す、キリストの寓り給ふ所は此の如し、而して我等之に優りて楽しき所を地上に見ず。
 
    午後七時
 
 今は善き習慣となりて此時は最も聖き時となれり、此時我は主の前に我が凡ての重荷を下し、人に見えざるの苦痛を凡て主に訴へ、彼の指導を仰ぎ援助を乞ひ求む 我は亦主が多くの霊魂の兄弟姉妹を全国に、然り全世界に於て、我に下し給ひしを感謝し、思念を北は北見の宗谷稚内より南は台南安平まで、東は北米諸州より西は楊子江河岸にまで走らせ、彼等各自の上に、其場合と境遇とに循ひ聖意に適ふ恩恵を下し給はんことを祈る、此時我の小さき居室は神の聖殿の一と化し其書棚に潜む書も其机上に横たはる図画も我が祈祷の声に応じてアーメンの声を発するが如くに覚ゆ、アヽ美はしきかな祈る此時、此時亦数多の祈祷が我が為に捧げられつゝありと思へば、我は何となく天使に囲繞せられつゝあるが如くに感じて、邪念劣想は我が心に起らんと欲するも得ざるなり、我は我が友に来年七月まで此聖き時を守らんことを約したり、然れども我は今は決せり、我は此時を永久守らん事を、然り此鈍き舌は真に入り声を放ち得ずなるも我は我が生ける霊に於て永久にインマヌヱルの名を唱えん。
 
(415)     予の宗教的生涯の一斑
                      明治35年12月10日
                      『聖書之研究』29号「講演」                      署名 内村鑑三
 
  内村生白す、此篇は去る十月十日余が東京芝高輪なる仏教大学に於て為したる演説の筆記にして、『高輪学報』第十三号に掲げられしものを其編者の承諾を得て茲に転載せしものなり、該筆記中往々余の意を尽さゞる所ありたれば余は自由に之に訂正を加へたり、読者諒焉。
 私は此頃北海道へ伝道に参りまして、余り沢山演説したので咽喉を痛めました故、当分の間演説は致すまいと思つて居りました所へ、二三日前当校からお使があつて私に是非共演祝しろと云ふお話でありました、其時私考へて見ましたに今まで度々演壇に登りましたが、未だ仏教学校の演壇に登つたことはない、又私は別に自分では己れは耶蘇教の信者と言つて額に判を捺して世の中に立たぬ積りでありますが、然し先づ私は基督信者であると世の中に知られて居る身分であるに、其私に向つて仏教学校から演説しろと云ふ依頼を受けて見ますれば何やら一の大責任を脊負《しよ》はされた心が致しまして、縦命咽喉が破れても其好意に報ひなければならぬと云ふ考から、二十五分なり三十分なりお話をして、此好意に報ひて来やうと云ふ考から、終にお約束を致しましてそれで今日罷出た次第であります、勿論短い時間に此処によく人の言ひまする仏教と基督教との関係であるとか、或は私は何故に仏教を信じないで基督教を信ずるかとか、其様なことを今爰に言ふことも出来ませぬし、亦言ふ必要もな(416)からうと思ひます、然し唯だ一つの事に付て諸君と私と一つであると云ふことだけ述べることが出来ます、即ち諸君と私共の違ひを言ふよりは先づ第一に諸君と私共との同じ所を言つて置いた方が宜からうと思ひます、それは何であるかと言ふと、吾々基督信者も諸君仏教信者も或一の事に付て同じである、それは吾々は宗教を信ずるものであると云ふこと、それだけは諸君も私も一緒であります、夫故に或人の言ふ様に基督教と仏教と別々になつて居るのは甚だ不得策であるからどうかして此二つを和合したらばさぞ良いかも知れませんが、然し私の考へまするに、それは実に馬鹿気たことでありまして、それは基督教のためにもならず、真理のためにもならず、国家のためにもならない事であると思ひまして、私は今はそんな考へは棄てしまいました、私は今は其様な夢を見て居る人にはそれは詰らない夢であるからお捨てなさいと勧めて居ります、けれども仏教信者は仏教信者、基督信者は基督信者であつても、相互に喧嘩をして一方が他方の欠点を挙げてお前の宗教は嘘である、偽宗教であると罵るべきではありません、吾々が真の宗教家ならば吾々は相互に対して非常に深い尊敬を払はなければなりません、同じく真理の信者としてお互に尊敬を払つて居りますれば、仏耶両教は其時は既に一致して居るのであります、私は此事に就て常に思出しますに二つの例があります、それは私に大へんに良い考を持たせました、其一は十四五年前に死なれた池上の新井日薩師の言であります、丁度私が北海道札幌に居りました頃、私共が基督教を信じましたために、日蓮宗の坊さん達が集つて駁邪演説と云ふ基督教攻撃の演説を企つて、日薩師に相談に行つたさうであります、其時日薩師は非常に不興であつて言はれたに、お前達は何をするか、人として仮令どのやうな宗教であるにしろ、一の宗教を信ずることは非常なことである、一生涯の熱血を濺いだものでなければ之を信ずることは出来ない、縦令我宗教でないにしろ、其人が其宗教を信ずると云ふ事は容易の事ではない、仮令幾(417)ら欠点があらうが、声を極めて異教の人を罵り合ふことはお前達決して為てはならないと、そう言はれたと聞きました、実に美くしい話であると思ひました、従来自分は大へん日蓮上人の敬慕家で、不束なる英文の筆を執つて日蓮上人を世界に紹介したいと云ふ考が起つたのも日薩師の此一言に基して居ると考へまする。もう一つ私に他宗に対して良い考を持たなければならぬことを教へて呉れた人は、これは諸君に其名を覚えて置いて欲しい、麻布の東洋英和学校に居られた加奈多人のホイツチングトン氏であります、此人は哲学者で良い宣教師、良い基督信者でありました、或時私が先生の所に行つて話して居りました時に、基督信者と外の宗教との関係の話が出ました、其時先生は斯う言はれた、『私は何時でも芝の山内を運動するが、寺の前を通る時には必ず帽子を取つて行きます』と、私は其時これは宣教師にないことゝ思ひまして、『あなたは基督教の宣教師で御座いませんか』と問掛けた 『勿論』、『それが仏教の寺の前を通るに帽子を御取りになるのでありますか』、『左様』、『何のために御取りになりますか』、『私は基督教の教師でありますから勿論仏教を悉く賛成することは出来ませぬ。けれどもあの寺に我同胞が心を寵めて精神を罩めて礼拝して居るのを見ます時に、私は其人達に対して帽子を冠りながら其前を通ることは出来ません、私は其人達に対し私の尊敬を表するがために私の帽子を取るのであります』と斯う申されました、私は茲に一人の友人を見出したと思ひまして、一層其人と親密になつて、別離の時には真の兄弟と別れるやうに涙を以て別れました、今の日薩師の話、ホイツチングトン氏の話から考へても、是が仏教徒が基督教徒に対しても、基督教徒が仏教徒に対しても、取るべき君子的の、ゼントルメン的の態度であると考へます、さう云ふ訳でありますから、私は今此処に、諸君に向てなぜ私が基督教信者であつて、なぜ仏教信者ではないか、仏教に何処に欠点があるか、基督教は何処が仏教に優つて居るかと云ふやうなことを言ひたくありませ(418)ん、又言ふべきではないと思ひます、併ながら諸君を私の同胞として、宗教を信ずる方々として、私の実験談を少し諸君にお話し致して今日の責を塞がうと思ひます。
 私が基督教を信じましたのは、今から二十五年ばかり前であります、北海道札幌に於て始めて之を信じたのであります、其信じました手続は、長い詰らない話でありますから、茲にお話することは出来ませぬけれど、併し其基督教を信ずることが、どれ程困難であつたか、どう云ふ困難と、吾々は戦はなければならなかつたか、其事に就てお話し致したいと思ひます。
 それは多分私が経過して来た困難の中の或部分は、矢張り諸君仏教徒も遭遇しなければならぬ困難であるかも知れぬからであります、けれども其多くの部分は、諸君が曾て諸君の信仰上一度もお感じのなかつた困難であらうと思ひます、先づ其第一の困難で殊に私共が信仰の初期に於て感じた困難は何であるかと申しますに、それは愛国心と基督教の衝突であります、其衝突は今日吾々日本人が基督教を信ずる時に必ず免るべからざる衝突であります、私は極く詰らない者でございますが、然し矢張り日本の武士の家に生れたものであります、武士の家に生れたばかりでなく私の先祖を調べると、先祖は詰らない百姓であつたそうでありますが、鉄砲を撃つのが上手でそれが為めに天草に耶蘇教徒が起つた時に、狙撃に行くために雇はれて、彼の地に行いて、大部基督信者を撃殺した、其お蔭で武士に取立てられたと云ふことでありますから、其子孫たる私が基督教を信ずることは、遺伝から言つても非常に困難でありました、斯かる遺伝を有つた者でありまして「我国」「日本国」と云ふ考が私の心の中に深く々々染込んで居りましたから外国から来た宗教を信ずると云ふことは、私に取ては非常に辛い事でありました、殊に宗教は吾々の日常の生涯に込入つて居るものでありまするから、真理は真理とした処が其真理(419)が吾々の全身に徹するまでに吾々の遭遇する困難は、今日仏教徒諸君の知らない困難であらうと思ひます、其困難は今の仏教徒諸君は感じないが、然し昔の仏教家は必ず感じたことのある困難であるに相違ありません、耶蘇教が外来の教であると言へば仏教も亦外来の教であります、故に初めの仏教徒は私共が今日遭遇する困難に出会ひました、往昔の日本の仏教徒も真理は真理、国は国と別を立てましたが、然し当時の国粋保存者の考と衝突して、迫害を受け血を流しました、千何百年後の今日は仏教は日本国の宗教となり、之を信ずるは日本国産出の教を信ずるやうに容易くなりて、諸君は私の遭遇した苦みには出会はれなかつたが、然し私共日本武士の家に生れた者が真面目に基督教を信ずる時には、諸君の千何百年前の先祖が出会つた同じ困難に出遭つたのであります、基督教は人類を救ふ教である、基督教には真理がある、基督教はどこから来たかと云ふと外国から来た、外国から来た者である故にそれにはいろ/\の吾国人の心に抵触することが附随して居る、其外国的の側を去つて其中の真理を取つて我物としやうと云ふ其困難は今日の仏教徒の推察の仕難い困難であると考へます、それ故に私共基督教を信じました時に、先づ第一に決断をした事は何であるかと云ふと、私共は基督教を信じやう、基督教は信ずるけれども外国人から金は一文も貰ふまい、基督教を信じても外国にある何派とか何教会とか云ふ者とは一切関係を絶つて吾々日本人は日本人で基督教を信じやう、日本国の着物を着せた基督教を此国に拡めやう、と、斯う云ふ考を起しました、吾々は基督教は信ずるが然し之に附随したる外国の弊害を取り去る為に外国人から一文も補助は受けまい、伝道会社の補助は受けまい、何の教派教会にも関係を持つまいと、斯う云ふ決断が其時に起つたのであります、さう云ふ風にして基督教の真理は受け、弊害は同時に外に撤して了ふの考を有つて、及ばずながら過去二十五年間継続して来たのであります、其結果はどうであつたか、基督教は受けたけれども、併し(420)ながら外国人の補助は受けぬ、基督教に附随して居る外国的の趣味は受けぬと云ふことがどう云ふ困難を来たしたかと云ふと、先づ二つの困難を来たしました。
 一は基督信者が一般に受くる迫害を私共は日本人から受けました、日本人の多くは耶蘇教と云へば皆同じものと思ひまして、耶蘇教一名外教と云ふ考へから、耶蘇信者であると云へば外教信者であると云ふことから、吾々の為すことは皆外国人から便嗾されて為すことであるやうに考へて居ます、さう云ふ人は、二十五年前に限りません、今日でも同じであります、物の区別をよく立てない人から見れば仕方のないことではありますが、彼等が深い所にまで立入つて研究しないで何でも吾々に少しの失策があれば吾々は外教徒であると云つて吾々を責める、吾々が真理を信ずるにどれ程骨を折つたか、どれほど勉強したかと云ふことは考へずに、吾々が基督教を信じたのは、外国人にご愛想をして補助を受けたいがための卑劣なる慾心からであると思ひ、矢鱈に吾々を責めたことは実に憤慨に堪へないことでありました、今日でもまだ私共は多少世間一般から其攻撃を受けて居ります、これは基督教を信じた者の免れ難い迫害であつて、吾々が忍ばなければならぬことかも知りませんが、併し外国人よりの金銭上の補助は全く絶つと云ふ決断を立つた吾々に向つては、実に無慈悲極まる攻撃である、けれどもそれは唯だ一方の攻撃であつて、それだけなれば忍ぶことが出来る。
 二には私共は基督教徒彼等自身から攻撃せられました、彼等は申しました『彼は基督教を信ずるが、日本人と国粋保存家の愛想を取るために、愛国といふことを言つて居るのである』と斯く申しました、あつちからも拳骨を受け、こつちからも拳骨を受けると云ふ始末であります、(笑声起る)私共は自由説を取る者でありますから、聖晩餐であるとか、洗礼であるとか云ふものは取り除いて了いました、又宗教は心の問題でありますから、頭に(421)水を浴びること、パンを食ふことは大切なことではない、吾々は心に基督を宿さなければならぬと唱へました、それを見ると通常の基督信者より大変な攻撃が起りました、諸君にお暇があるならば他の基督信者の論を御覧なさい、暗々裡に吾々の説を壊さうとしていろ/\の手段を取つて居ることが御分りになります、それ故に吾々は或点に於ては兄弟に向つて戦はなければなりません、吾々は二十五年間此戦闘を継けて居ります、又私は地方に参りましても別に仏教徒のご愛想を取つたからではありませぬが、仏教徒と曾て一回も衝突したことはありません、寺を借りて説教したこともあります、或は腹の狭い仏教徒は腹を立てるかも知りませんが、如来様の前で説教したことは度々あります、神道の事務所に行つて基督教を説いたこともありますが、神主と衝突したことはありません、けれども私共の前きに立つて私共の事業を第一に妨げるものは誰れであるかと言ふと、基督教徒彼等自身であります、内村のやうに国粋主義独立主義を唱へられては、吾々の宗教は仆れる、吾々の教会は破壊されると言つて私の伝道を妨げます、私は伝道するに喧嘩をするの争ふのではありません、国民に向つて宗教を説かうと思ふのでありますから、伝道する時には図を披いて此処には基督教会があるから止めやうと彼処にも教会があるから止めやうと云ふて可成教会のある所へは行かぬやうにして居ります、教会のない所を撰み、教会の間を縫ふて歩いて伝道して居ります、斯う言ふ有様であります、日本的にやらうと言ふので、普通の基督信徒からやられ、基督教を信ずると言つて日本人全躰からやられる、其間を這入つて行くのでありますから、吾々が通つて行く道は実に狭いものであります。
 私が今茲に衣食問題を持出しましたならば、甚だ卑しいとお笑ひになるかも知りませぬが然し是れは実際問題であつて、最大問題の一でありまするから申上げます、此衣食問題は困難なる問題であります、我々は餓死ぬ訳(422)には往きません、武士の子孫と雖も詰らなく腹を空らすは嫌ひであります、(笑声起る)お前は何宗を信ずるかと問はれました時に、私は或真理を信ずる者であるとは答へませぬ、私は社会に正義公道を説く者でありますと言ふ方が、或時はうまく往きますが、それは人を欺くのであります、私は職業を奪はれても構はぬ、基督信者であると言ひます、日本人は基督信者即ち耶蘇信者危い奴だと言つて遁れます、(笑声起る)、耶蘇信者であると云ふことで学校に行て教師となることも出来ません 伝道会社も入れて呉れません、四方に戸を閉ぢられて其間を行かなければならぬのでありまして、唯だ真理一つに頼つて、真理のためならば命を捨てる、家と財産は勿論、真理のためならば何時でも命を捨てると云ふ覚悟でやつて往く(拍手起る)やつて来たのであります(拍手起る)、神があると信じ、人間の心には神が宿て居る、日本人が堕落して居つても、私の誠実を日本人に訴ふれば、終には私に賛成してどうかして私を生かして置いて呉れると云ふ考を以てやつて来たのであります。
 それは失敗に終たかと云ふに、私は其事に就ては感謝しなければならぬ、日本人から又耶蘇教徒から嘲けられたが今日に至つて二十五年間の戦ひの結果が実を結んで、今日は仏教徒の学校さへ私を聘んで下さるやうになつた(拍手起る)、私が『聖書之研究』と云ふ雑誌を出しても多の人が買つて読んで呉れる、どう云ふ人がそれを買て読むかを話さして頂きたい、耶蘇教徒許りが私の雑誌を買ふかと言ふに決してそうではない、歳の暮になつて雑誌の読者が私に見舞状を呉れる、其中に寺の判が捺してある者がある、何国何郡の阿弥陀寺とか、又其他のものも僧侶であることが其名で分る、それが十本も十五本も来る、実に有難い、斯くまで日本人の思想が変つたか私の志が透徹したかと思ふて感謝に堪えない、此頃万朝報の紙上で社友の一人と聖書論をやつた、友人は聖書は詰らない本であると言つたから、是は少し私の年来の主義に戻りますから、大切の問題であると思つて聖書(423)論を書いた、所が時勢の変遷に依てあの新聞が其聖書論を載せて呉れた、それで方々から感謝状が来たが、其中三河国の或る仏教の寺から来たものがある、それに言ふに『あなたが聖書の弁護を書いて下さつて誠に有難い、私は何にもそれに依て耶蘇教徒になつたとは申しません、然しあなたの聖書の弁護の方法に依て、私は私の経文を弁護することが出来ます』と云つて来ました、基督教徒が誠実に聖書を弁護するのは諸君の経文を弁護するので、諸君が真面目に経文を弁護なされば、私の聖書を弁護して下さるのであります、時勢の変遷と雖も感謝して事の爰に至りましたのを受けなければなりません。
 もう一つの困難は誰でも出会ふ困難でございますが、即ち西洋の学術と基督教との間に起る衝突の困難であります、私が始めてダルウインの原種論を読みました時に、誰れも出会ふ困難に出会ひました、或人の言ふ通りダルウイン自身は基督教を攻撃するためにこの本を書いたのでないと云ふことは分つて居ります、只之を棒読みにする人は彼が基督教を壊すために之を書いたと思ふかも知れませんが、然し少しく之を深く読んだ人はさう云ふ考を起しません、けれども、原種論に附随していろ/\の説が起つて来ます、それがために或時は吾々の信仰を土台から壊はされんとしたことは事実であります、基督教の真理と進化論との衝突をどうして和合しようかとして頭脳《あたま》の内に大議論が始まりました、或時は遂に進化説に負けて基督教をやめやうと思ひましたが、亦或時はダルウインの説の弱点が見へて来ました、それで或時は此方、或時は彼方と其間に立つて行く頭脳の内の困難は又非常なものでありました、けれども此経験は私に良いことを為しました、私に宗教はどこ迄も合理的でなければならぬ、コンモンセンス的でなければならぬ、学術を排斥しては真理は得られぬ、とは云へ亦学術を総て信じてはならぬ、真理は宗教と学術の間にあると云ふことを私に教へて呉れました、それが為めに、今日は私の考が人(424)生に対しても、宗教に対しても、亦宇宙に対しても、大分明白になつて来たのを喜ぶのであります。
 私は諸君が此同一の戦ひを戦はれんことを望みます、先程北村君のお話のやうに古い本ばかりを読んで居つてはいけません、我々は今日最も進歩した思想を養はなければなりません、日本人は本の読方が足らないと思ひます、其本を読むに諸君は英語なり、独乙語なり、仏蘭西語なりを研究されて、吾々の日本文を読むが如くに、それよりも容易く之を読むやうになつて、日進の思想を養はなければ、吾々の宗教は直に腐つて了います、宗教は感情の最も高尚なるものでありますから、感情は光明を与へて乾して行きませぬと直ぐに腐つて了います、腐つて迷信になつて了います、吾々は信仰を進めると同時に新智識より一日も離れてはなりません。
 第三の戦ひは前のものに似て実は似て居らないものである、それはどの宗教家でも、総て人生の事を深く考へる人には誰にでも来る戦である、それを何と言つたらよいか、それは心の中の戦ひである、第一の戦ひが肉躰の戦であれば、第二のは頭脳の戦ひで、第三は心の中の戦ひである、是はどう云ふ所に出て来る戦ひであるかと言ふに、私共が基督教を信ずる時に総てのものは善のために働くと云ふ事が先づ第一に起る信仰である、即ち宇宙は勿論、人生の総ての苦痛、悲歎は総て善のために働き、其結果は万善であると云ふ信仰である、それはフエースと云ふて、心に深く染込んで居つて、若しそれが真理でなければ吾々はショウペンハウエルに従て自殺を望む方が良いかも知れぬ、然るに其信仰が吾々にあるにも拘はらず事実はどうであるかと言ふに、人生は吾々の見る通りのものであつて、誰れでも若し真面目に人生を考へたならば其解釈に非常に困るのである。
 人生の事実と吾々の理想とをどうしたならば調和することが出来るか、事実を信じやうか、理想を信じょうか、此戦ひ、此疑問、此戦ひを終つた時は、吾々の生涯の終る時である、吾々が勉強奮発するのは、此大問題を解く(425)ためであらふと思ふ、吾々は理想を以て事実を説明しやうか、或は事実に負けて此世の中の人とならうか、此世の中を足の下に踏へて天国の人とならうかと云ふ此戦ひは是れ私の今でも戦つて居る戦ひであります、或時は仕方がない、今更世に降参することは出来ぬから山にでも逃げ入らうかと思ふこともありますが、併しながら又思ひ返へしまして、否やさうでない、矢張り善が勝ちつゝあるのである、道理が勝ちつゝあるのである、此世を足の下に踏まい付けなければならぬと思ひ返します、然しながら此大困難、此大疑問の間に始終進歩があります、丁度此頃の天気のやうに夏中殆んど雨が降りつゞけて、雨が六日天気が一日であったのが、段々雨が少くなつて終には七日が七日皆天気で、曇つた日は一日もなくなりまするやうに、吾々の進歩は決して急激なものではありません、私は今日は雨が四日、天気が三日位ひの程度に居るのであるかも知れません、今にどうかして雨を三日、天気を四日にしなければならぬ、其次ぎは雨が二日、天気が五日、終には七日が七日まで悉く晴天になる積りであります、此確信を以て其戦を今でも続けて居ります、此大なる希望があつて、吾々は終に此世に勝つことが出来るのであると思ひます。
 此のやうに私の信仰の戦ひを区別して見ますると三つになります、爾うして私も先づ有難いことに肉躰の戦ひは終に戦ひ通ふして了いました、第二の頭脳の戦も今は私に取ては過去の戦ひであります、世にはまだ基督教と仏教との優劣を論じて、基督教は詰らない宗教であるなどと言ふ人がありまして、又是に答へる人もありまするが、私に取てはそれは十年前の戦ひであつて今は少しも痛みを感じない問題であります、第三の事実と理想との衝突は今日尚ほ戦つて居る戦ひでありますが、それに就ても大抵勝算が立つて来ましたから、其事に就ても私は喜んで居ります。壇を降る前に諸君に一つお話して置きたいことがある、それは宗教の大敵は誰であるかと云ふ(426)ことであります、宗教の大敵と云つて仏教の大敵は基督教であると言ふことはやめて貰ひたい、斯く云ふことは諸君の耻であると思ふ、私も亦基督教の大敵は仏教であるとは言ひませぬ、其点に於ては御互に同じ所に立つて居ると思ひます、宗教の大敵は誰であるかと言ふに、斯う云ふ人である、それは日本に沢山あります、宗教などは有ても無くても好いものである、己れには宗教は不必要である、(拍手起る)けれども愚民を導くには必要のものである、国家を導くに必要のものである、(拍手起る)それだから吾々は宗教の事に口を出すと言ふ人がある、(拍手起る)其人は三田に居つて、此議論を時事新報で二十年一日の如く唱へて居られた、然るに日本人が斯かる議論に対して公憤を発したと云ふことを聞かない、而かも此新聞が日本第一の上品な新聞であると云つて迎へられて居るのが私には分らぬ、なぜ仏教徒諸君がこの主義に向つて大憤慨を発しないか 基督教徒も此の大侮辱を加へられても少しも侮辱と感じないで、反てあの人の事を賞め立て居る、宗教は詰らないものであるが、国民の為にやらなければならないと言ふ、是程宗教を侮辱した言葉はない、自分の吐出した物を人に食はせやうと云ふと同じである、吾々は斯かる宗教の侮辱に対しては大反対をなさなければならない、吾々は人に教ゆるに、真理であるか、嘘であるかを知ずに、天国がある極楽があると言つてお爺さんお婆さんに教へて居る人は大嫌ひである、(拍手起る)さう云ふ人は日本人でない、仏教徒でない、基督教徒でない、人間でない、(拍手起る)私はグラツドストンがエライと思ふたのは、彼が愛蘭土の自治策を立つて論じた時に、彼の家の近所の無一文字のお婆さんに、希臘の哲学等を引いて是だから愛蘭土に自治制を施さなければならないと言つて一生懸命に説いて居つたと言ふことであります、福沢先生から言へば、それには人を弁へなければならぬ、人によつて話をしなければならぬと言はれるであらうが、私はグラツドストンが議論するに方て、お婆さんに対しても、反対党の首領(427)に対しても、同じ確信を有つて居つたといふのを聞て非常に彼を尊敬致します、宗教家には此の熱誠がなければ宗教を拡めることは出来ませぬ、宗教に依て人の死生が決するのであります、永遠の生命は是に依て決するのであります、宗教は人を救ふためのものであります、仏教国であるから仏教でなければならぬと言ひ、日本政府の保護位ひを頼んで之を拡めんとするやうでは駄目であります、フランクリンの言葉に政府の保護を受なければ立行かない宗教は死ぬ方が良いとのことであります、井上哲次郎君は仏教は基督教より良いか悪いかは知らぬが、之は日本国の国躰を保護するに良い宗教であるから、日本国は之を保護しなければならぬと言はれて居るやうに見えまするが、然し私は仏教はそんな卑い教ではないことを知つて居る、釈尊の教はそんな卑しい教ではない、釈尊の教は哲学博士の言つたやうな保護は要らぬ、(拍手起る)確信があつて、無限の慈悲があつて人を愛すれば、それが釈尊の教である、それ故に政府の保護も哲学博士の保護も要らぬ、吾々は唯だ一つの光明と確信と正義の心とがあればそれで沢山である、(拍手起る)之を以て国家社会の大敵人類の大敵を征伐しやうと思ひます、(拍手起る)。
 
(428)     〔クリスマスの声 他〕
                     明治35年12月25日
                     『聖書之研究』30号「所感」
                     署名なし
 
    クリスマスの声
 
  是はキリスト降世より七百余年前にユダヤの山地なるエルサレムの丘に於て予言者イザヤの口より揚がりし声なり(以賽亜書第九章にあり)。
(一) 今は困苦《くるしみ》を受くれども後には闇なかるべし。
(二) 前にはゼブルンの地、ナフタリの地を侮らしめ給ひしかども、後には海に沿ひたる地とヨルダンの外の地と異邦のガリラヤに栄を得せしめ給へり。    幽暗《くらき》を歩める民は大なる光を視たり、死陰《しかげ》の地に住める者の上に光は輝けり。
(三) 汝民を殖《ふや》し、其|歓喜《よろこび》を増し給ひたれば、彼等は収穫時《かりいれどき》に悦ぶが如くに、又|掠物《えもの》を分つ時に楽むが如くに汝の前に歓べり。
(四) そは汝彼等の負へる軛と其肩の笞《しもと》と虐《しへた》ぐる者の杖とを折り給ひたればなり。
(五) 凡て乱れ戦ふ兵士《つはもの》の軍装《よろい》と血に染みたる衣とは皆な火の燃料《もえくさ》となりて焚《やか》るべし。
(429)(六、七) 我儕のために一人の嬰児《みどりご》は生れたり、我靜のために独の子は与へられたり、政事は其肩にあり、其名は「驚嘆くべき智謀者」、「大能の神」、「永久《とこしへ》の父」、「平和の君」と称へらるべし、其権威と平和とはいや増して窮《かぎり》なし、ダビデの位と其国とを嗣ぎ、之を治め、公道と正義とを以て之を堅めて世々|窮《かぎり》なからん。
   万軍のヱホバの熱心之を成し給はん。
       *     *     *     *
 此予言に合ひし者はヨセフの子として生れ給ひしガリラヤのナザレのイエスなり、彼に世の人の思ふ所に過ぐる智慧ありたり、彼は永久の父と性を同うせり、彼は実に大能の神なり、平和の君なり、世は徐々として彼の権威に服しつゝあり、彼の公義が水が大洋を掩ふが如くに全地を掩ふに至て戦争《たゝかひ》は息んで兵士の軍装と血に染みたる衣とは皆な火の燃料となりて焚き尽さるべし、彼の光明の達する所には圧制の軛は凡て砕かれ、虐待の杖と笞とは総て折らる、彼の民と僕とは日に月に歳に増しつゝあり、彼の大光は最後《いやはて》に生れし者なる我等をも照らせり、失望の死陰の谷に住める我等をも照らせり、神は偶像国よと侮られし此国にも栄を得さしめ給へり、今は尚ほ苦困あり、然れども暫時《しばらく》にして闇なかるべし、「歓喜は朝と同時《とも》に来る」光明此国に照り渡る時に総ての涙は拭ひ去らるべし。
       *     *     *     *
 来れ教主よ、来て此国民を救ひ給へ。
 
(430)    福音を説くべし
 
 世に惨事多き耶、福音を説くべし、世に罪悪多き耶、福音を説くべし、国を救はんと欲する耶、福音を説くべし、社会を改良せんと欲する耶、福音を説くべし、福音は世を救ふための神の能なり、福音に由て救はれずして国も人も未だ救はれざるなり、福音に由らざる救済は凡て偽はりの救済なり。
 
    福音の応用
 
 我が説く福音を応用して汝の境遇に処せよ、我れが福音を説く者なるが故に汝の苦しき境遇を避けて我に逃れ来る勿れ、キリストに縁りて直に身を救はれんと欲ふ勿れ、先づ霊を救はれて然る後に霊の能を以て自ら身を救はんことを努めよ、人は各自其境遇と戦はざるべからず、汝の兄弟に負はしむるに汝の負ふべき重荷を以てすれ勿れ(加拉太書六章五節)。
 
    神の教示
 
 多く学ばんと欲すべからず、神に教へられんと欲すべし、然らば神は或は書籍に由りて、或は天然に由りて、或は霊の黙示に由りて 我等が学ぶべき事を我等が学び得る丈け我等に教へ給ふべし。
 
    歳末の感謝
 
(431) 歳将さに暮れんとす、アヽ我が神よ、我は重ねて爾に感謝す。
 我は今年も亦多少の熱き涙を流したり、人の知らざる多少の苦き杯を飲みたり、然れども爾は我を棄て給はずして我に爾の業を為さしめ、弱き我に依て爾の福音を説き給へり、爾は又此小なる雑誌を持続するを得さしめ、爾の聖書を我国に広めしめ給へり、斯くて汝の恩恵に由りて我は亦無益に此歳を過さゞりし、我に取ては是も亦勝利の一年なりし。
 爾は亦此歳我に爾の聖旨に就て多く示し給へり、我は更に伝道の決心を堅うせり 我はより多く我を憎む者のために祈るを得たり、我は主の歓喜に充たされて喜んで我が敵の要求に応ずるを得たり、我は亦た更らにキリストに対する我が信を堅うせり、我は「批評」なる者を懼れずなりぬ、我は聖書に示されたる救拯の真理の人智以上に立つ者なるを悟るを得ぬ、我の迷霧の減退すると同時に我の確信は増進しぬ、我は去年の終に比して今年の終の我に取ては著しく幸福なる者なるを感ず。
 神は亦此歳我に新しき多くの兄弟姉妹を与へ給ひぬ、此扶助なき我を使役し給ひて多くの貴き霊魂を彼の宝庫に収穫れ給ひぬ、数十百万の富と数十百人の教役者とを使用する伝道会社に勝る事業を此孤独|頼辺《よるべ》なき我に遂ぐるを得さしめ給ひぬ、北見の北端より台湾の南端に至るまで、太平洋の東岸にコロムビヤ、フレーザーの両大河が其源を発する所より、其西岸に於て楊子江の洪河が洋々として東に向て流るゝ辺に至るまで爾は我に祈祷の友を与へ給ひぬ、我は今は孤独の人に非ず、時針午後の七時を告る時は(二千有余の霊の兄弟は一斉に爾の前に跪いて相互のために祈るなり、世の学者は我等の愚を嗤ふならん、然れども祈祷は此世に於て大事をなせるを我等は知る、太平洋の両岸に跨がる二千有余の祈祷の声が天に達せざる理由あらんや。
(432) 歳将さに暮れんとす、アヽ我が神よ、我は爾に感謝するのみにして、他に願ふ所あるなし、爾は我等に我等の祈願に勝りたる恩恵を与へ給へり、我が感謝の杯は溢る、我は永久にヱホバの殿に住まん。アーメン
 
(433)     クリスマス演説 平和と争闘
                      明治35年12月25日
                      『聖書之研究』30号「講演」                          署名 内村鑑三
 
  天上《いとたかきところ》には栄光神にあれ、地には平安《おだやか》、人には恩沢あれ(路可伝二章十四節)。
  地に泰平《おだやか》を出さん為に我れ来れりと意ふ勿れ、泰平を出さん為に非ず、刃を出さん為なり、夫れ我が来るは人を其父に背かせ、女を其母に背かせ、※[女+息]を其姑に背かせん為なり、人の敵は其家の者なるべし(馬太伝十三章三四、三五、三六節)
 キリストの此世に来り給ひしは平和を来たすためであります、然るに彼が生れ給ひてより後千九百余年の今日、此世は少しも平和の世ではありません、今年の今日、日本帝国の議会に於ては更に軍備拡張を討議しつゝあります、阿非利加のソマリランドに於ては英人が回々教徒と戦つて居ります、南亜米利加のヴエネヅエラに於ては英独の二国が軍艦を以て或る要求を迫りつゝあります、西印度のハイチに於ても内乱は今済んだ計りであります、独逸と露西亜とは東洋へむけ新たに軍艦を派遣最中であります、世界各国の軍備は月々に増す許りで減ずるの兆候は少しも見えません、平和を祝すべき今年のクリスマスも矢張り戦雲を以て掩はれて居ます。
 爾うして戦争は国と国との間にのみ限りません、米国に於て世界の開闢以来未だ曾て有つた事のない労働者の大同盟罷工がありまして其落着は何時の事か分りません、仏国の南部に於ては船員の大同盟罷工が行はれつゝ(434)ありまして、船は湊に這入つたきり動く事は成りません、資本家と労働者との衝突は日々に熱度を高めて来まして、茲に未来の大戦争を萌して居ります、競争と競争、衝突と衝突、是れが紀元の千九百二年のイエス降誕祭に於ける文明世界の状態であります。
 爾うして今眼を転じて階級と階級との争ひより個人と個人との折衝と反目とを視ますれば是れ亦実に惨憺たる者であります、親は子を憎み、弟は兄を責め、弟子は師を売り、同胞相鬩ぎ、少しの資財の有る処には必ず財産争ひがあり、寡婦が其不義を行ふために其実子を厭ふもあり、友に売られて之を憤り彼を殺さんと忿るもあり、子は其母の罪のために路頭に迷ひ、妻は其夫の酔酒のために空乏に泣いて居ます、子を恨む親、親を怨む子、兄を憤る弟、弟を歎く兄、一家淆乱、社会紛乱、実に見るに忍びざる状態であります、世は平和どころではありません、鮮血淋漓たる戦場であります。
 斯う考へて来ますと基督教は此世に何の功をも奏しないやうに見えます、功を奏しないのみならず、基督が世に降て来て人が彼の福音を信じたからこそ返つて争闘が増したやうにも思はれます 故に世の平和を望む者は度々基督教を嫌ひます、彼等はキリストを以て世の擾乱者と見做します 彼等は安慰を望むに切なるが故にキリスト教の如き激烈にして深刻なる宗教を斥けます。
 然しながら我等キリストを深く信ずる者は世の此悲惨なる状態を見て失望致しません、我等は先づ第一に此状態は是れキリストが明白に予言されたるものであることを認めます、キリスト教は元々安泰を望んで此世に顕はれた者ではありません、是れは神の真理であります、爾うして世は悪魔の世であります、神が悪魔の世に臨んで衝突のない筈はありません、熱気が寒気と接触する所に雲が起り、風が起り、雨が降るのであります、光が闇暗《くらやみ》(435)に臨む所に薄暮の愴然たるのがあるのであります、真理が誤謬に接して争闘のない筈はありません、戦争は是れ救済の臨みし確かなる予兆であります、其れ許りではありまん、キリストが世に降り給ふて以来、争闘は段々と外面的に成つて来ました、彼は霊魂の城砦でありまして、彼に拠る者には心の中に常に永久の平和があります、殺さるゝのは肉躰丈けであります、焼かるゝのは身のみであります、奪はるゝのは財のみであります、キリストが世に顕はれ給ひてより神を俟ち望む者は心の隠場を得て、霊魂は肉情を離るゝを得、それがために剣《つるぎ》を以てしても達することの出釆ない「堅き城」を心の中に得ることが出来るやうになりました、それでありますから基督を信ずる者に取ては世の争闘は左程に苦痛ではありません、又彼を信ぜざる者に取ては争闘は却て彼等をキリストに逐ひやる機会となりまして、彼等を救拯の歓喜に導くに至ります、平安は実にキリストの降誕と同時に此世に臨んだのであります、今は只此平安を実にせん為に種々の戦ひが戦はれつゝあるのであります。
 蓋は吾等の謂ふ平和とは無事との謂ひではありません、平和は神の意志と人の意志との調和であります、神に愛せらるゝとの確信であります、直に神の霊を我が心に寓すの歓喜であります、是れは実に神より出て人の凡て思ふ所に過ぐる平安(腓立比書四章七節)でありまして、神は斯かる平安を我等に下し給はんためにキリストを世に降し給ふたのであります、我等は平和を世の安逸を望む者がなすやうに解してはなりません、平和は心の平和であります、身を殺しても得んと欲ふ平和であります。
 勿論斯る宏大なる平和を神より賜はりたる吾等は決して自から世の平和を乱しません、吾等は争ふことがありまするも金のためや財産のためには争ひません、我等は亦た世にいふ権利なるものゝために争ひません、基督信者は無抵抗主義を執る者であります、我が衣を取らんと欲する者には之を取らせます、我が金を欲しがる者には(436)之を与へます、我等基督信者はたゞ精神の自由のために争ひます、我等に悪事を強いられる時に争ひます、真理を蹂躙せられる時に争ひます、無辜の迫害を見る時に争ひます、爾うして斯る争ひをなすことを以て我等は大なる名誉なりと信じます。
 故にクリスマスが来りたればとて我等は何人とも平和を結ばんとは致しません、悪魔は我等の永久の敵であります、世に正義が全然行はれる迄は我等の戦ひは絶えません、キリストが此世に生れ来り給ひしは我等の心に人の思ふに過る平安を与ふると同時に此世に此激烈なる戦を開始せんが為でありました、故に聖母マリアが始めて嬰児を抱いて神の殿に詣りし時に老人シメオンは此児を祝して其母に曰ひました。
  此嬰児はイスラエルの多くの人の頽《ほろ》びて且つ興らん事と誹駁《いひさからい》を受けん其|記《しるし》に立てらる、是れ衆《おほく》の心の念ひ露はれんがためなり、又剣汝が心を刺透すべし(路可伝二章三四、三五節)
 と、イエスを以て平和の記号《しるし》とのみなすは間違であります、彼は亦戦争の記号であります、彼れが世に出てより始めて真個の義戦なる者が開始されたのであります。
 嗚呼楽しき、楽しきクリスマス、此時に幸福なるホームの基礎が此地に据えられました、此時に大慈善の理想が地に植付けられました、凡ての善きものは此時此涙の世に臨みました、然しながら此時又大責任が人類の肩の上に置かれました、此時から闇黒の駆逐が始まりました、此時から罪悪の大掃攘が始まりました、故に天使は彼の降世を聞いて喜びましたが、悪人ヘロデは之を聞て非常に懼れました、此時に総ての圧制は崩れだしました、君の圧制も親の圧制も、資本家の圧制も雇主の圧制も、将た又た労働者の圧制も平民の圧制も、弟子の圧制も、子の圧制もイエスの誕生の此時に崩れ出しました、即ち嬰児イエスの誕生に由て人類の歴史に新紀元が開かれま(437)した 新らしき平和と新しき争闘とが此時人類に供せられました、我等深く人世を稽ふる者はたゞ浮気に此降誕祭を祝しません、我等は深き感謝と共に重き責任の念を以て此佳節を祝します。
 
(439)     別篇
 
  〔付言〕
 
  好本督「英国所見」への付言
             明治35年2月22日『聖書之研究』18号「実験」
 
 内村生白す、此編の記者なる好本君は東京独立雑誌以来の本誌の友人なり、君は余輩と主義信仰を偕にし、属すべきの教会を有たざれども天然と人道との教会に於て余輩と共に同一の父を拝する者なり、君一昨年の秋飄然独り去て英国に遊ぶ、君は東京商業学校出身の人なれば人多くは君の外遊を以て商業視察のためなりとなせり、然れども君は商業家としては余りに温かき心情を有せり、君は獲んと欲するより与へんとするに余りに熱心なりき、故に君の英国滞在一ケ年は君を駆て商業家以外の者たらしめたり、君は学ぶ為めに英国に行きて、泣く者、憐れむ者となりて故国に帰れり、而して帰て茲に半歳ならずして一書を著はせり、名けて『真英国』と云ふ、遠からずして東京なる内外出版協会より発刊されんとす、余は其原稿を読むの特権を許され、読んで余は余に此友人あるを喜び、「研究」雑誌に此愛読者あるを感謝し、日本国に此好青年あるを賀せり、依て君と余との相互的友人なる山県五十雄君と謀り、茲に本書の数編を掲げ、一面には著者の精神の宣布を賛け、他面には本書梓成りて世に出づるに方て本誌の読者諸君が之を歓迎敬読せられんための手引となさんと欲す。
 
  陸中斉藤二荊「角筈訪問録」への付言
             明治35年3月20日『聖書之研究』19号「雑録」
 
 内村生白す、我等は三日間此兄弟と寝食を共にするを得し(440)を感謝す、彼の澄める眼眸に我等は無量の平和を読めり、彼は大胆なるキリストの証明者なり、彼は我等を学ぶ者にあらずして、我等の学ばんとするキリストを学ぶ者なり、誰か云ふ日本にキリストの忠実なる僕なしと、若し東北の山中彼が如き羔を牧する尠からずんば日本国の未来は憂慮すべきによらず、祈れよ兄弟、君の微さき業に満足せよ、神の平康長久に君と君の愛する者との上にあらん。
 
  故ジュリヤス、エッチ、シーリー先生
  「日本国の教育と基督教」への付言
            明治35年4月20日『聖書之研究』20号「思想」
 
 内村生白す、左の一編は故森有礼氏が曾て米国駐剳公使たりし頃我国の教育に関し広く彼国知名の教育家の意見を求められし時、アマスト大学前総長故ジュリヤス、エッチ、シーリー先生が氏の質問に対して答へられし言なりとす、事は三十年の昔に属すると雖も先生の意見の今日尚ほ我国に取り甚だ剴切なるを見る、幸に札幌独立教会教務主任宮川巳作氏の翻訳を得たれば茲に之を掲載して本誌の読者に示すことゝはなしぬ、若し夫れ余自身に取ては是れ余の恩師の言にして亦余の教育上の意見なり、余は直に之を彼の口より授かり、今之を茲に本誌の読者に頒つを得て無上の栄光を感ぜずんばあらず。
 因に記す、森氏の質問は「教育の効果」と題し左の五ケ条に渉れり。
 一、国家の物質的繁昌に及ぼす効果、
 二、其商業に及ぼす効果、
 三、其農業並に殖産上の利益に及ぼす効果、
 四、其国民の社交、道徳、並に躰質上の状態に及ぼす効果、
 五、其法律並に政治に及ぼす効果、
 又白す、編中の検点は編者たる余の謹んで附せし所のものにして、先生の真意の在る所を一層明瞭ならしめんためなり。
 先生、余は茲に復たび先生の言を読んで深き感慨なき能はず、若し先生の教訓なかりせば「聖書之研究」誌は決して世に出でざりしならん、余不肖先生の弟子と称するに足らず、而かも少く先生の真意を窺ふを得て心に再生の感ありたる者なり、此書簡に顕はれたる先生の言は一種の予言たりしなり、(441)日本国は無宗教の教育を施して今や自殺の危険に迫りつゝあり、嗚呼森君にして深く先生の注意に注意せられしならば日本国に取りて如何に幸福なりしぞ、然れども薩長の政治家は智略に富んで道義に欠乏せり、彼等は西洋文明を採用して其宗教を斥けたり、而して見よ、日本国の陥りし今日の堕落を、然れども先生よ、我等は今日も猶ほ失望すべきにあらざるなり、我等は先生の言を服膺して大胆に基督教を我国に伝播せん、我等は先生の神に頼りて薩長人士が壊ちし此国を建直さん、先生願くは此小なる雑誌を受納せよ、是れ曾て先生がアマスト丘上森林の繁れる所に於て余に伝へられし所の真理を敷衍して我邦人に伝へんとするものなり、是れ確かに先生の雑誌なり、先生の声は此小なる機関を以て日本全国に伝へられつゝあり、先生の愛し給ひし此日本国は先生の救主を受け納れずしては止まざるべし、我等先生の後進たる者は此事に努めて先生の志を継がんと欲す、先生願くは天に在て我等弱き者のために祈られよ。    先生の小なる弟子白す、
 
  故W、A、スターン先生
  「日本国の教育と基督教(二)」への付言
             明治35年5月20日『聖書之研究』21号「思想」
 
 内村生白す、博士スターン氏はシーリー先生の前にアマスト大学綜長たりし人なり、余の彼地に至りし時は氏は既に故人となりて余は僅に氏の神聖なる記臆にのみ接するを得たり。然れども今日再び氏の日本に関する此書簡を敬読するに及んで余は氏の日本を思ふ如何に切なりしかを追想せずんばあらず、「キリスト万人のために死に給へる如くに、予にして若し日本の為めに自由に死ぬるを欲せずば予は実に禍なり」と、嗚呼此の熱愛を以て日本を愛する日本人は幾人かある、今を去る三十年前、たゞ日本の名を耳にせしのみにして曾て何等の利益をも之より受けし事なき一外人にして日本を思ふに斯くも切ならしめは抑も何の理由に因るや、基督の愛なり、然り、基督の愛なり、基督の愛のみが人をして真実の愛国者たらしめ、亦真実の愛人類者たらしむ、此人にして斯教を日本人に薦む、吾等彼の声に聴かずして可ならんや。
 
(442)  「獄裡における『研究』雑誌」への付言
           明治35年5月20日『聖書之研究』21号「雑録」
 
 内村生申す、彼れなるは英国オクストフホードより、是れなるは北海の監獄より、然れども同一の霊は此等二者を導けり、神は人に由て其恩恵を限り給はず。
 今や余の近親骨肉の者が「世を欺く者よ」、「天下の暗愚者よ」、と呼んで余を罵る時に方て茲に北地の或る監獄より次の如き音信の来るあり、実に我の兄弟とは我と胎を共にせし者にあらずして、我と神と救主とを共にする者なるを我は深く暁らずんばあらず、我にして若し此憐れむべき罪人の一人を救ひ得ば、我は天下の智者義人に「天下の暗愚者」視せらるゝも猶ほ心に足りて益々我赦罪の福音を宣伝せんと欲す。
 
  永島與八「嗚呼幸福なる哉西谷田の地(鉱毒問題解決の第一歩)」への付言
            明治35年5月20日『聖書之研究』21号「雑録」
 
 内村生白す、余は去月二十一日本誌第二十号の校正を終るや、二日を卜して友人永島氏を彼の居住の地なる群馬県邑楽郡西谷田村に訪ひ、其処に村民五十余名と相会し、鉱毒問題解決の第一歩として心界改善の必要を説き、先づ其第一着として禁酒禁煙の急務を唱へり、時に席上余の所説に賛同を表せられし者は村長氏を始めとして二十有余名に達せり、然るに今又茲に永島氏よりの寄贈文に接し、以て彼地に希望の春陽と共に歩一歩を加へしを知るを得たり、余は信じて疑はず、此方法を以てして解決し能はざる難問題の世にあるなきを、鉱毒は返て恩恵となりて終らん、預言者|哈巴谷《はゞかく》は斯かる場合に於て歌て曰く「その時には無花果の樹は花咲かず、葡萄の樹には果ならず、橄欖の樹の産は空しくなり、田圃《たはた》は食糧《くひもの》を出さず、圏《をり》には羊絶え、小屋には牛なかるべし、然りながら我はヱホバによりて楽み、我が拯救の神によりて喜ばん、主ヱホバは我力にして我足を鹿の如くならしめ、我をして我が高き処を歩ましめ給ふ」(哈巴谷書第三章十七より十九節まで)。
 
(443)  住谷天来「自誨之歌」への付言
             明治35年7月20日『聖書之研究』23号「思想」
 
 内村生白す、余は深き同情を天来君に寄す、然れども君よ、急《せ》く勿れ、天国の門に迫りて其中に突入せんとする勿れ、理想の城を仰賤して之を襲撃せんとする勿れ、人生はゲーテの言へるが如き突撃と肉迫と(Sturm und Drang)に非ず、静かに天の命を俟たれよ、神をして君を導かしめよ、彼をして我等の賤しき体を化《か》へて貴き者とならしめよ、吾等をして哲人、詩人たらんとせずしてクリスチャンたらしめよ、即ち贖はれし者、栄光の神の所有物たらしめよ、然らば吾等は泣きながら歓ばん、働きながら楽まん、謹んで告ぐ。
  陸中大湯 桶本喜太郎
  「亜伯拉罕の信仰」への付言
            明治35年7月20日『聖書之研究』23号「思想」
 
 内村生白す、余は此パブテスマのヨハネの如き士の正教会内に在りて、怖れず憶せず、東北の野に民の罪悪を疾呼するあるを聞て神に感謝す、我国の新教派内に才子なり、学者ありとは余輩の屡々聞かされし所なりと雖も、其中にエリヤなく、エレミヤなきは何人も承認する所なり、声を挙げよ、我が友、新派たれ、旧派たれ、是れ余輩の今日問ふ所にあらず、世はハリストス(キリスト)の福音を要求するや急なり、専一《ひたすら》に君の聖職を尽されよ。余輩は君のために祈らむ。
 
  「第三回角筈夏期講談会感想録」への付言
       明治35年8月25日、9月20日『聖書之研究』24・25号「雑録」
 
 内村生白す、余は又茲に感想録を編纂し、之に余の評註を加へて、之を余の誌友の清覧に供する栄誉と歓喜とを有す、順は総て原稿到着の順に従ふ、或は多少截断省略せし者あり或は全く掲載を断念せし者あり、然れども総ての純金と金剛石とは保存せしと信ず。
 
〔「其一 美作津山 森本慶三(寄宿)」の感想文の末尾に〕
 註、作州より態々上京さるゝこと茲に二回、而して今回は智を以てせずして力を以て帰らる、君に対する余輩の目的は達せられたり。
(444)〔「其二 山形県西田川郡大山町 白井為治郎(寄宿)」の感想文末尾に〕
 註、此「真の日本人」を迎へし余輩の責任は実に重かりき、彼の如き者を一歩誤らしめて天の厳罰の余輩の頭上に落来るや必せり、余輩は熱誠彼の如き者の師たる能はざるを知て、特に聖霊の恩化の余輩の上に厚からんことを祈れり、而して彼が余輩に由て何物か獲る所ありしと聞て甚だ悦び且つ感謝す、余輩は祈祷を以て彼の迹を追うべし、
〔「其三 信濃島内 望月直弥(寄宿)」の感想文の末尾に〕
 註、恐るべし、恐るべし、此信仰と此祈祷とありて山をも動かすを得べし、人は云ふ南信の地は腐れり、筑摩の水は濁れりと、然れども神の霊此人の中に宿りて清浄の松本平の地に臨まざると云ふを得んや、祈れよ、望月君、一希望は君を透して君の郷里に臨まんとす「権勢に由らず、能力に由らず、我霊に由るなり」とヱホバは宣べ給ふ(撒加利亜書四章六節)
〔「其四 東京小山内薫(通学)」の感想文の末尾に〕
 註、善し、善し、余は君の信仰に就て満足す 亦安心す、君は余に依らず、又註解書に依らずして、直に聖書を解するの力を知るに至れり、今より君は独立的の進歩をなすならん、今より余は君より多く学ぶ所あらん、余をして君を此所まで導くの器具とならしめ給ひし神に感謝す、エベネザー。
〔「其五 岡山仁王町 大賀一郎(寄宿)」の感想文の末尾に〕
 註、余輩は君に多くを与へ得ざりしを悲む、然れども若し岡山人士なる君にして「狭隘の利益」を知り、冗漫の害を了られしならば君の生涯に於て益する所決して尠少ならざるべし、物にクギリなきは日本人全躰の弊なり、然れども中国人士の材能に富める、冗漫に失し易くして終に信を天下に失ふに至るは余輩の屡々目撃せし所なり、中国人はギリシャ人なり、彼等は其寛洪の性を矯めんがためにユダ人の狭隘主義を要す、君之を努められよ。
〔「其六 神奈川県田中竜夫(寄宿)」の感想文の末尾に〕
 註、茲に又基督の愛を以て一人の友は捕縛せらる、感謝すべきかな、嗚呼神よ、彼を再び爾の御手より放免する勿れ、永久に爾の捕虜として彼を留め置けよ、彼れ若し爾より走らんとする時は我を彼に送れよ、或は彼を我に送れよ、我も亦彼を失ふに忍びず、我も亦父の愛を以て彼の迹を追はん。
〔「其七 東京 鹿子木員信(通学)」の感想文の末尾に〕
 註、年若き時に始めて主イエスキリストを発見せし時の快は実に斯の如きものなり、老成人の到底推量する能はざる所(445)なり、恋愛の最も熱烈なるものはキリストに対する救はれたる霊魂の愛なり、真正のローマンスとは此時に成る者なり、キリストは凡ての人を愛し給ふ、然れども世界の王の如く彼は兵卒としては最も多く青年を褒め給ふ、願ふ鹿子木君の熱烈の愛が君を駆てキリストの善き兵卒たらしめ、君が少女を愛するの熱愛を以て此霊魂の救主を愛し、彼の栄光を揚げんがためには君の身命を屑とも思ひ給はざるに至らんことを。
〔「其八 東京 小野保之(通学)」の感想文の末尾に〕
 註、君の如き柔和なる者に罪よ罰よと云ふことを聞かするのは随分残酷であるやうに思はれる時がある、然し是も説教者の役目であるから仕方がない、然し亦君の優しい心の中に大波小波が起つて、終には其中から楽園が涌き出したと聞いて余は非常に嬉しい、常に沈黙を守る君の心には亦量るべからざる深い経験のあるのを余は知つて居る、君猶ほ当分角筈通ひを止め給ふな。
(「其九 駿河沼津 入江功一(寄宿)」の感想文の末尾に〕
 註、堅き人の心を綻ばす基督の能力は偉大なる者なり、彼に由て辜なき洪笑は発し、彼に由て隔なき友誼は結ばる、人と人とを結び附ける者にして基督の愛の如きはあらず、実に基督に由てのみ真正の交際はあるなり、入江君は今より後は沙漠の中のオーエシスにあらずして富士の裾野の一庭園ならん、咲けよ、咲いて人を喜ばせよ、而して広く歓喜を撒布せよ。
〔「其十 東京神田 田端善吉(通学)」の感想文の末尾に〕
 註、東京市中に書店多しと錐も、躬から「聖書之研究」の看板を掲げられ、之を販売する者は田端君の書店あるのみ、余は君の店前を通過する毎に君の好意を思はざるなし、茲に君を此会に見るを得て、余は歓喜に堪えざりき、霊の兄弟は肉の兄弟に優る、我等今後益々親近なるべし。
〔「其十一 東京 赤沼孝四郎(通学)」の感想文の末尾に〕
 註、松下義塾と角筈夏期講談会との異なる点は前者は支那流の忠孝主義を奉じ、師弟の関係を厳にせりと雖も、後者は基督教の兄弟主義に則り、其中に一人の師として崇めらるゝ者はなかりき、松陰は義を慕ひ国を愛せしも、余輩は基督を慕ひ基督を愛す、余輩不省と雖も松蔭以上の理想を有す、又此会に集ひ来りし者の中に伊藤博文 品川弥二郎の輩に傚はんと欲する者はあらざるべし、赤招君の意も蓋し此にあらん、但世の誤解を避けんが為めに謹で此一言を附記す。
(446)〔「其十二 伊豆 鈴木衡平(通学)」の感想文の末尾に〕
 註、是れ確かに神霊の恩化に由る、蓋人は神の霊に由らずして己れの罪人たることを知る能はざればなり、先づ神に砕かれ、然る後に彼に由て建てらる、神に由て砕かれし者は福なり。
〔「其十三 東京 伊藤元正(通学)」の感想文の末尾に〕
 註、誰か此正直なる表白を読んで感激せざる者あらんや、文を習はざるは必しも不幸に非ず、文を能くする者は非を飾りて理となし、感ぜざるに感ぜしが如くに見せしむるの危険に陥り易し、然れども文を知らざる者は真に感ぜざれば之を筆に表す能はず、是れ不文の人の感想に却て真情多き所以なりとす、君は文人たるを要せず、君は君の按摩術と鍼とを以て充分に神の栄光を顕はし得るなり、君益々潔かれ、而して強かれ。
〔「其十四 駿河 栢森誠(通学)」の感想文の末尾に〕
 註、君の心中戦闘の実情を聞て余は深き同情を君に寄す、リバイバル云々に就ての君の疑惑は故なきに非ず 然れども知れよ、大島兄と余とは寧ろ科学の人なるを、吾等は容易に現象の事実を信ぜざるなり、若し世に冷脳の人あらば大島兄は彼なり、故に吾等は朝の講演に於て夜の熱を矯めんとせり、然れども事実は終に掩ふべからず、黒岩兄の理論一方の講話を聞きし後にも吾等の熱誠は熄えざりし 是れ真正のリバイバルならずや、余輩は未だ斯かるリバイバルの我国に有りしを聞かず、消さんと欲して消す能はざるリバイバル、是れ今回の吾等のリバイバルなりし。
〔「其十五 東京本郷 続木斎(通学)」の感想文の末尾に〕
 註、余が君を教へしよりも君が余に教し事多し、余は君の学問上の先生ならん、然れども君は余の実行上の先生なり、君はパンを売りミルクを売りしも君の面に常に歓喜満ちたり、心地善かりしは毎朝重荷を担ひ来りし君の顔貌を見ることなりし、主イエスを信じて如何なる卑き労働に従事する者なりとも真正のゼントルマンたるを得るなり、君、主に謝せよ、君の歓喜は是れ彼が君に与へ給ひし者なればなり。 〔以上、8・25〕
 
  要則
 文の巧拙を問はず簡潔にして有の儘なるを貴しとす
〔「其十六 陸中花巻 斎藤宗次郎(寄宿)」の感想文の末尾に〕
 註、此勇気と此信仰、我が友は之を我が神より得たり、曩(447)には天下唯一の義人を以て自から任ぜし此友は今は罪人の首を以て自から表白す、願ふ、神は彼の此地に於ける労働を長からしめ、且つ多からしめんことを、願ふ北上河畔に此希望の声の絶えざらんことを、願ふ、彼を透ふして聖霊豊かに東北の野に降り、常識に富める高き深き信仰の我日本全土を掩ふに至らんことを。
〔「其十七 丹波亀岡 奥村義一(寄宿)」の感想文の末尾に〕
 註 若し世に快活なる人がありとすれば此人である、而も此人が罪を悔ひて泣いたのである、嗚呼世の俗人よ、汝等は基督信徒の罪の懺悔なるものゝ何たるを知る乎、強き逞き者が全身を振はして泣くとは何んな事である乎を知る乎、嗚呼我は義人なり善人なりと想ふて平安に時を過す者よ、若し悔改と之に伴ふ歓喜とを知らんと欲せば丹波の亀岡に行き、此友を訪ふて彼の実験を聞け、彼は汝に語るに世に歓喜に溢るゝ生涯の必ず在る事を以てせん。
〔「其十八 茨城県稲敷郡高田村 朝比奈儀助(寄宿)」の感想文の末尾
に〕
 註 常識に富める謹直なる農夫が始めて基督教に接したる時の感は蓋し此の如きものなるべし、世の普通の方法に縁て平安を得んと欲して得ず、終に之を霊なる神に於て発見す、余輩は憂愁を以て来りし此友人が歓喜を以て余輩を辞し去られしを見て以て余輩の今年の労働も亦全く無益ならざりしを知て深く神に感謝したりき。
〔「其十九 東京麹町 西沢八重子(通学)」の感想文の末尾に〕
 註 余の愛する妹よ、余がキリストに在て生みし女よ、余は御身の信仰が益々進みて其美はしき実を結びつゝあるを見て実に悦ぶなり、御身は多くの若き婦人の中に在て今日まで余を離れず、善く余の勧言を納れられて今日に至れり、余は御身のために祈る、御身が之より益々静かなる賢き婦人となり、信仰に進むと同時に信仰に就て誇らず、隠れたる所に在て微《ちさ》き書を多く為すことに益々励まれんことを、而して余が年老ひたる時に余に少くとも一人の婦人の余の理想を受納れて柔和|恬静《おだやか》なる生涯を送る者あるを見て余の言ひ尽されぬ歓喜となすを得んことを。
〔「其二十 東京浅草 市川茂平(寄宿)」の感想文の末尾に〕
 註 余は謹んで茲に此正直にして有の儘なる表白文を歓迎す、世に事実有の儘に優る美文あるなし、而して此表白文は其有の儘なるが故に一の美文たるを失はず、心の実験其儘を(448)示すは大なる伝道にして大なる慈善なり、吾等と偕に在りし時に一言の感話を為さゞりし此友は其感想録に於て最も大なる懺悔を為されたり、依て知る君の勇気の来会者の多くのそれに優る所あるを、而して君は是れ亦神の賜物なることを忘るべからざるなり。
〔「其二十一 信濃下伊那郡竜丘村 小林みちえ(寄宿)」の感想文の末
尾に〕
 註 小林妙子は生れて僅かに三月の小女にして其母君に懐かれて我等の中にありき、彼女は今回の会員中最も年若き者なりき、彼女が一人前の婦人となりて世に立つ頃、我等に由て蒔かれつゝある福音の種は実を結ぶに至るならん、忍耐、忍耐、而かも希望、少女さへも其|汚濁《けがれ》を悟るあり、世の大人にして其罪を覚らざる者は恐るべし。
〔「其二十二 東京麹町 石坂保吉(通学)」の感想文の末尾に〕
 註 石塚君は正教会(希臘教会)の信者なり、角筈の陋屋勿論駿台の大数堂と比較すべくもあらず、然れども君は此淡白にして飾なき会合に於て壮厳眩き斗りの大教堂に於て看出し難き真情を発見せられしが如し、依て知る真正の神殿は謙遜《へりくだり》たる人の心にして、大廈高楼にあらざることを。
〔「其二十三 小石川区 林甚之丞(通学)」の感想文の末尾に〕
 註 人をして迷信を脱して真理に立返らしむるのが角筈講談会の重なる目的の一である、道ならざる道に依て救はれんとした者を真正の救ひの道に導くを得ば此目的は達せられたのである、大挙伝道の手伝ひを廃して謹粛なる祈祷に依らんと決心せられし此友は確かに健全なる常道に還られしことゝ信ぜらる。〔「其二十四 工科大学 青山士(通学)」の「祈祷」の末尾に〕
 註 斯かる祈祷を捧げ得る人が工学士となりて世に出る時に天下の工事は安然なるものとなるべく、亦其間に収賄の弊は迹を絶たれ、蒸※[さんずい+氣]も電気も真理と人類との用を為すに至て、単に財産を作るの用具たらざるに至らん、基督教は工学の進歩改良にも最も必要なり。
〔「其二十五 丹波志賀郷 林万之助(寄宿)」の感想文の末尾に〕
 註 林万之助君は瓦職工なり、真理を学ばんために古里の道を遠しとせずして、真宮君と共に態々大江山の麓より此会に臨まる、余は知るコロムウエルの旗下に立て最も勇敢に国のために戦ひし者は神を信ぜし錫工パンヤンの如き人なりしを、額に汗して食を獲る者が神を信ずるに至て国家の基礎は(449)確立せられたりと云ふべし、筋力逞くして日に焼けたる人が聖書を手にして神に祈る状の美はしさよ。
〔「其二十六 丹波綾部 真宮作次郎(寄宿)」の感想文の末尾に〕
 註 基督教を解して人生と社会とに関する総ての問題を解するを得たりとは急速の臆断の如くに見えて然らず、基督教が神の真理たるは其明かに総ての難問題を解釈し得るに存す、キリストは宇宙の中心点なり、彼の中に在て人生を観すれば事として歓喜ならざるはなし、物として希望ならざるはなし。
〔「其二十七 信州上田町 水野市次郎(寄宿)」の感想文の末尾に〕
 註 去年は大不平信州上田より来り、今年は此満足同じ上田より来る、余の満足如何斗りぞや、嗚呼信州の上田よ、余は余の最も多くの労力を汝に与へたり、余は汝を見舞へること今日まで茲に九度に及びたり、只怕る、汝は未だ充分に福音の歓喜に接せざるを、是れ蓋し余の信仰薄きに由るならん、然れども汝が余を愛するの余りキリストを愛するの薄きにも由らずと云ふを得ず、若し汝よりして構神的大興起の始まるにあらずんば余は之を誰よりか望まん、視よ丹波なる大江山の麓を 視よ羽前なる酒田川の岸を、余が見舞はざるに彼地に聖霊は動きつゝあり、余は汝より多きを望めり、然り多くを望みつゝあり、汝、余をして失望に沈ましむる勿れ。
〔「其二十八 茨城県稲敷郡高田村 農 根本益次郎(寄宿)」の感想文の末尾に〕
 註 曾て水戸烈公の配下にありし茨城県人に義気あり、公道を慕ふの心あり、然れども儒教に神道を混じたる水戸主義なるものは狭隘固陋にして二十世紀の今日に於ては害ありて益なきものとはなりぬ。此に於てか基督の光明の茨城県人の固まりし心を解くの必要は起るなり、而して幸なるかな我友根本君の如き、基督に解放されて彼等は強固なるクリスチヤンたるを得るなり、水戸主義の基督化されし者は再び天下を聳動するに足る、茨城県人たる者大に此に省みる所なくして可ならんや。
〔「其二十九 山陰 小出満二(通学)」の感想文の末尾に〕
 註 君が過る一年間日曜日毎に余の家族と共に聖書を読まれし甲斐ありて茲に此沈痛なる信仰の表白を為し得るに至られしを余の神に感謝す、我慾は宗教にも入り易し、神と同胞との為めとならば天の生命の記録より我が名を削られんも恨まずとの覚悟なくんば真にキリストの救済に与かる能はず、君能く此一事を心に留めよ。
(450)〔「其三十 第一高等学校 倉橋惣三(通学)」の感想文の末尾に〕
 註 後世恐るべしと孔子は曰へり、此人三年にして不信より此に至れり、神は彼の心の眼を速に開きつゝあり、過去三回の講談会は実に君が評せし如くなりき、悲哀は実に液躰にして地に流れ、歓喜は実に気躰にして上昇して神に到る、是れ確かに独創的宗教観なり、君が一年間角筈に聖き安息日を守りし結果は君に此独創観を与へたり、君は再び聖日を他の遊戯に徒費せんと思ふや。
〔「其三十一 東京 浅井正則(通学)」の感想文「稍々不満」の末尾に〕
 註 君は罪の赦免を暁り給へり、然れども是れ講談会に依てにはあらずと云ひ給へり、君は人物崇拝のために此会に臨まれずと云ひ給へり、君は会員中居睡する者あるを目撃せりと云ひ給へり、余は悲む此会が君を益する斯くも尠少なりしことを、余輩は今年は罪の赦免を説かずして聖霊の恩化と歓喜とを説けり、君は余輩の与へんと欲せし者を得ずして他のものを得給へり、人物崇拝の此会に於ける大禁物なりしは君を除くの外会員一同の承認せし所ならんと信ず、其一人は余輩に書き送て曰く「十日間の会合に先生が全力を尽して先生の影を薄うせんと試みられたる事、之れ偏に私の感謝に辞なき処に有之候、先生の影は薄かりき、為めに主イエスの影はいと濃かりき云々」と、余は余の此真意の君の心に透徹せざりしを甚だ悲む、居睡云々に就ては西洋に諺あり、曰く、「教会堂に於て他人の居睡を目撃する者は自身説教に注意せざる者なり」と、余は恐る、君も又此一例にあらざりしやを、然れども君が斯くも明白に有の儘に君の感想を書き送られしを君に感謝す、余の最も憎む者は賞讃者のオベツカなり、余は君の正直と大胆とを尊敬す。
〔「其三十二 陸中 鈴木恒治(通学)」の感想文「失望」の末尾に〕
 註 余輩の誠実足らずして君を失望せしめし事は余輩の深く悲む所なり、余輩にたゞ一言君に伝へたきあり、即ち「君は歓喜を目的として来られしが故に歓喜を得給はざりし」と、信仰の目的は歓喜を得るに非ずして、神に撃たれても罰せられても、偏へにその正義に服従せんとするにあり、君の目的にして正義の神に在て心の歓喜にあらざりせば、君は多少の歓喜を以て此会を去られしならんと信ず、願ふ君若し機あらば再び此会に臨まれよ。
〔「其三十三 哲学館生徒 渡辺三造(通学)」の感想文の末尾に〕
 註 アヽ貴き神よ、爾《あなた》は此卑しき僕を使ひ給ひて三回の講(451)談会に依て此一人の爾の愛子を爾の懐に連れ還らしめ給ひしを感謝す、是れ爾の為し給ふ所にして我等の目には奇《ふしぎ》に見ゆるなり、願くは卑しき我等に爾の貴き事迹《みわざ》を中止《とゞ》め給はず、永久に彼を救ひ、亦彼を通して彼の故郷なる飛騨の国を救ひ給はんことを、アーメン。
       ――――――――――
 
     「遺憾録(一名不参者の感想録)」
〔其一 丹波何鹿郡志賀郷村 志賀真太郎」の書簡への付言〕
 丹波大江山の麓より此感想来る、自身来る能はず、故に友人二人を送る、我が同志の深情謝するに余りあり、由来丹波の地に余輩と信を共にする者多し、今年三人を送る、余輩|彼所《かしこ》に主の栄光の大に揚るの時を待ち望まざらんや、神の祝福饒かにかの「関西の瑞西《スヰツツル》」の上にあれ。
〔「其二 信州下伊那郡竜丘村 小林洋吉」の書簡への付言〕
 自身来る能はざればとて友を送る者あれば、茲には自身来る能ざるが故に妻と妹とを送る同志あり、然り、彼等二人の姉妹は我等と同宿せり、その伴ひ来りし三月の嬰児は微笑を呈して天の福音を我等に伝へたり、送れよ、其友を、送れよ、其妻女を、同志の家族は余輩の家族なり、余輩は歓んで彼等を迎ふ。〔「其三 下野、安蘇郡、飛駒村、関口幸四郎」の書簡への付言〕
 余輩の待受けし者の一人なる下野飛駒の関口幸四郎君は終に彼の日光山中の廬を出る能はずして、痛く余輩を失望せしめたり、左に掲ぐる彼の寸翰は以て余輩の失望の故なきを知らしむるに足る、然れども彼は山中に在て祈祷を以て余輩の事業を援けられたり、而して余輩も亦祈祷を以て彼の好意に酬ひたり、霊に於て交はる者何ぞ必しも肉に於て相見るを須ゐん、君それ健在なれ。
〔「其四 速江 ナ、ハ、」の書簡への付言〕
 茲に救はれし人の小歴史を見よ、之を読みて高ぶる心を低くせよ、誰か主キリストに医療の力なしと云ふや、誰か人物養成に基督教の必要なしと云ふや、怒る者よ、泣く者よ、殊に傲慢なる者よ、来てキリストに於ける活ける生命の水を求めよ。 〔以上、9・20〕
 
(452)  鎌倉津村 外山統蔵「民の声」への付言
                明治35年9月1日『万朝報』
 
 内村生白す、去る八月十八日の朝報紙上に余が「飢饉よ来れ」の一編を掲ぐるや、毀誉褒乾の声四方より来れり、其多くは漢学流の済民論にして取るに足らずと雖も、左の如きは誠実なる民の声として敬聴するの価値ある者なりと信ず、人誰か情として飢饉を歓迎する者あらん、単に其懲治的利益を認めて時に此声を発するのみ、余の非難者にして若し深く眼を古代の予言者の書に曝さるゝならば余の此言の最も適切なるを知らるべし、余輩は浅く民の傷を癒す偽の予言者に学ばざらんと欲す、余輩は社会の根本的大変革を要求する者なれば古人の言を藉りて僅に歓声を発せしのみ。
 
  黒岩周六「神は有る耶無き耶(上)」への付言
              明治35年10月25日『聖書之研究』26号「思想」
 
 内村生白す、友人黒岩周六氏は基督信者に非ず、氏は亦有神論者を以て自ら任ぜず、故に氏の云ふ所にして余輩の全く同意を表し能はざる所のもの往々にしてあり、然れども氏は今や此深遠なる問題に就て熱心なる攻究者なり 故に余輩は今茲に深き敬虔の念を以て氏の云はんと欲する所を聞かんと欲す、読者諒焉。
 
  在米国 村田勤「愛児の永眠を聞て」への付言
              明治35年10月25日『聖書之研究』26号「実験」
 
 内村生白す、主に在て眠る者は幸なるかな、主に在て死別は更に近くなる事なり、友人村田君は愛児を失て返て彼を得たり、人は死して始めて霊たるを得るなり、而して霊たるを得て彼は始めて時と空間との制限に勝つを得るなり、死は自由に入るの門なり、嗚呼喜ばしきかな。
 
  「「研究」雑誌と軍人」への付言
              明治35年10月25日『聖書之研究』26号「雑録」
 
 愉快ではないか、斯のやうな手紙を受取ることは、僕を国(453)賊である、逆臣である、国家教育に反対する者であるなど云ふ人は、此等の手紙を読んで貰ひたい、最も忠実なる兵卒が或は軍艦の甲板上に於て或は中宵厩舎の暗燈の光を以て僕の書いた雑誌を読んで居るとの事である、僕とてもコロムウエルやブレーキを慕ふ者であるから、軍人に慕はるゝのは少女に慕はるゝよりも嬉しい、神の真理も時には剣を以て護られなければならない、基督教は婦人や小児のためのみの宗教ではない、勇ましい、儼めしい男子も之に依て救はれなければならない、一手に聖書を携へ、他手に剣を提げ、自由のために戦ふ戦士の芙はしさよ、爾うして神は斯かる戦士を我国にも与へ給ひつゝあるやうに見える、喜ぶべきではない乎。
                      角筈生
 
  香川悦次「禁酒の三傑」への付言
                      明治35年11月9日『万朝報』
 
 内村生白ふ、左の一筋は友人香川悦次氏の寄贈にかゝるものなり、国家の経綸は論ずるが酒は廃められぬなど唱ふる腰抜政治家輩は之を読んで漸死すべきなり。
 
  札幌 竹内余所次郎
  「内村先生北海伝道録」への付言
              明治35年11月10日『聖書之研究』即号「雑録」
 
 内村生白す、編中余に関する賞讃の辞あるも是れ余の甘諾する能はざる所のものなり、然れども之を消除して文勢を害ふの恐れあるを以て不遜を顧みず之を其儘に存し置けり。
 
  ジョン、アル、モツト 丹羽清次郎訳
  「伝道上の大計画」への付言
              明治35年11月25日『聖書之研究』28号「思想」
 
 内村生白す、余がモット氏に向て常に多くの尊信を払はざる者の一人なるは世の既に知る所なり、是れ氏が余りに計画に富んで福音の真髄に入ること極めて浅きに因る、然れども氏の計画たるや常に世界大にして其方策の常に常識に富めるは余の常に敬服して止まざる所なり、殊に氏が自治自動の独立教会を奨励し、異教国に向て多大の同情を懐くに至ては余は氏に向て尊敬の外他に何の表すべきものなし、只知る最も効果ある伝道は自から進んで伝道することに非ずして、神に(454)伝道せしめらるゝ事なるを、吾等深く基督を学ばんか、吾等は広く伝道せざるを得ざるに至るべし、吾等をして真理のダイナモ(発電機)たらしめよ、然らば神は吾等の労働の田甫《はたけ》として全世界を吾等に賜ふべし、伝道の方法は後にするも可なり、吾等の先づ第一に要するものは強大なる真理の発動力なり。
 
  山県五十雄「基督教婦人 細川忠興の妻」への付言
              明治35年12月25日『聖書之研究』30号「史談」
 
 内村生白す、日本の武士道の基督教化せられしものが我が理想なり、而して今や此理想の三百年前に於て日本婦人に由て現実せられしを聞く、我等何ぞ励まざらんや、励めよ、我が信仰の姉妹よ、徒に外国宣教師に尾従して其通弁人たるを以て基督教婦人の本職と意ふ勿れ、細川忠興夫人に鑑みよ、少くとも彼女丈け勇猛なれ、誠実なれ、以て明治の今日に主イエスキリストの栄光を挙げよ、
 
  「聖書研究録」への付言
              明治35年12月25日『聖書之研究』30号「雑録」
 
 角筈聖書研究会は会員の数を二十五名に限り(家屋狭隘のため、会員は主に夏期講談会の残徒なり、)毎日曜日午前十時より東京市外角筈村なる本誌主筆の書斎に於て開かる、今年学びし所のものは旧約聖書中の撒母耳前書と伝道之書との全部并に撒母耳後書の前半部なりとす、左に掲ぐるは会員中の或者が此会に於て感得せし所のものゝ記述なり、載せて以て読者の参考に供し、併せて本研究会の報告に代ふ。
 
  医師 磯部検三「飲酒ト国力ノ関係」への付言
               明治35年12月27日『国の光』114号「雑録」
 
 内村鑑三白す、一夕理想団晩餐会の席上に於て一紳士あり、立て貧民に対する飲酒の利を説て、余輩禁酒主義を取る者をして殆ど席に堪えざらしめたり、時に少壮の一紳士あり、徐に立て滔々数千言、酒の特に貧民の害敵たるを論破し、堅固不抜の論城に拠て酒類称揚談を全然沈黙せしめたり、余は歓(455)喜に堪えず、彼《のち》に彼に乞ふに彼の論旨を一編の論文に綴られんことを以てせり、此編は是なり、かの少壮紳士とは何人ぞ、医学上より固く禁酒主義を取り、近頃結婚の礼を挙げられし際と雖ども一滴の酒類を用ひざりしと云ふ此主義の「チヤムピオン」(戦士)なる東京京橋加藤病院医師磯部検三氏なり、余は今茲に此有為の紳士を『国の光』雑誌の読者に紹介するの名誉を有す、
 
(456)  〔社告・通知〕
 【明治35年1月25日『聖書之研究』17号】
   謹言
 
 左の読者諸君より年賀状を賜はり、深厚なる同情を寄せらる、茲に深く諸君の好意を謝し併せて至高者よりの恩恵豊かに諸君の上にあらん事を祈る。
  明治三十五年一月             内村鑑三
                       聖書研究社
〔以下、発信地方名、差出人氏名等掲載あり−略〕
 
 【明治35年3月20日『聖書之研究』19号】
   謹告
 
 小生義近時職務非常に多端にして読者諸君よりの教理其他に関する御質問の御書面に対し一々御返答致し兼ね候間右不悪御了諾願上候                                内村鑑三
 
 【明治35年5月20日『聖書之研究』21号】
   ●第三回夏期講談会広告●
 
 神若し許し給はば来る七月二十五日より向ふ十日間東京市外角筈村精華女学校(元独立女学校)内に於て『聖書之研究』読者の第三回夏期講談会を開く。読者諸君の奮て来会せられんことを願ふ。
     注意
一、本誌の読者にあらざる者は来る勿れ。
一、基督教を単に哲学的又は批評的に攻究せんと欲する者は来る勿れ。
一、教勢を視察し、講師を批評せんと欲する者は来る勿れ。
一、真心を以て聖書を研究せんと欲する者は来れ。
一、真実に神を信ずる者と霊交を結ばんと欲する者は来れ。
     要件
一、会費金壱円、寄宿料一日金四拾五銭、以上来会当日会計へ御払渡しの事。一、寄宿生は四十名を限りとす、入会申込の順を以て室を定(457)む。但し婦人室の設けあり。
一、入会申込期限七月十日、其後の申込は一切謝絶す。
一、担任講師は内村鑑三、大島正健の両人とす、外に科外講議を他に乞ふことあるべし。
一、十日間に渉る純潔なる家族的生涯を送らんことが本会第一の目的なり、故に目的此にあらずして他にある者は必ず本会に臨まれざらんことを勧告す。
 右謹告仕候也
  明治三十五年五月              聖書研究社
 
 【明治35年7月20日『聖書之研究』23号】
 去月十六日以端書当社主筆に宛て疾く/\福音を垂れよと申越され十九歳の青年云々と記されたる方は是非共宿所氏名を通知せられたし 若し面会を忌まるゝならば書面なりとも差上げたし。
 
 【明治35年8月5日『無教会』18号】
   謹告
 
〇本号を以て本誌を廃刊す。其代りに来る十月より「聖書之研究」を毎月二回発行す。
〇本誌に対して御払込になりし前金は之を「聖書之研究」へ繰込み可申候、但し払戻を要求せらるゝ諸君へは御申越次第直に御返金申すべく候、但し少額の事故郵便切手にて御免蒙りたく候。
〇「聖書之研究」は第二十五号(十月五日発兌)より定価一部に付き郵税共金拾銭、毎年七八両月休刊し、一ケ年二拾冊を発刊す。一ケ年分郵税共前壱円八拾銭、半年分全九拾銭。
〇「研究」誌内に家庭欄を設け、振仮名附きの読物を供す。
〇本誌の主幹は彼の全力を揮て「研究」誌の編輯に従事せんとす。
 右謹告致し候也
  明治卅五年八月               聖書研究社
 
(458) 【明治35年8月25日『聖書之研究』24号】
   謹告
 
 東京在住の本誌の愛読者諸君の中に大工職を取らるゝ方有之候はゞ少々御依願申上たき事有之候に付き御住所御一報願上候
   ――――――――――
 神若し許し給はゞ小生義来る九月中旬は北海道札幌南三条西六丁目札幌独立教会内に滞在仕るべく候に付き同地附近の話友諸君には御来訪被下度候、尤も健康のため往復共※[さんずい+氣]船便を取り候故、東北地方の諸友へは御無礼可仕候。
                   内村鑑三
 
   ◎改善予告◎
 
 来る十月より毎月廿日一回発兌を改めて十日廿五日の二回とす、毎号六十四頁以上八十頁以下とす。
 毎年七、八両月休刊し一年間に二巻二十冊を発行す。(但し此両月間に臨時増刊をなすことあるべし)。
 定価一冊に付き郵税共金拾銭とす、一年分前金壱円八拾銭、半年分仝九拾五銭。
 特に家庭欄を設け、振仮名付きの簡易なる読物を掲げ、以て家庭刷新の用に供せんと欲す。
 また質問欄を設け、教義に関する読者の質問に応ずべし
 主張は従来の通り「基督の為め国の為め」、目的は深き信仰と広き智識に則り、常識を去らず、霊感を重んじ、聖書に顕はれたる測る可らざる神の愛を世に示さんとするにあり。
 更に読者諸君の賛助と祈祷とを請求す。
 来る九月休刊の旨「無教会」を以て予告致し置候処、原稿輻湊のため例月の通り発行致し候に付き、右様御承知被下度候、第四巻総目録は九月発行の分に附し可申候。
  明治卅五年八月               聖書研究社
 
 【明治35年10月18日『万朝報』】
 病気に付き当分の間 演説説教講演の依頼を謝絶す
                 内村鑑三
 
(459) 【明治35年10月25日『聖書之研究』26号】
   謹言
 
 余は第三回夏期講談会を終りし後七ケ年振りにて一ケ月の閑暇を得たれば、幸に頭脳に休息を供して秋風の到ると同時に大に為すあらんと図りしも、北海並に東北の諸友は余に此静養を与ふるを肯ぜず、余を駆て夏期伝道に従事せしめられし結果として夏の終りし頃は余の肉は更に一層の疲労を感じ、秋風到りしと雖も希望の飛躍を試る能はず、空しく一回の雑誌を休刊し、本号又余の企図を去る甚だ遠きを致せり、然れども是れ諸友の好意と神の誘導とに因りしことにして又如何ともする能はず、乞ふ読者諸君願くは余の労力の東北の一方面に使用せられて、広く全国に渉らざるを咎め給ふことなく、茲に暫らく余の病弱を赦され、余の健康快復のために祈られんことを。              内村鑑三
   ――――――――――
 次号には竹内余所次郎氏の筆に成る本誌主筆の北海道夏期伝道日誌なる者を掲ぐべし、蓋し黒木耕一君の講談会日誌に類して本誌一回の休刊を償ふに足らん乎。
 
 【明治35年11月10日『聖書之研究』27号】
   読者諸君に謹告す
 
 生義幸にして近来頗る壮健、独り雑誌編輯事業に従事すること茲に五箇年に亘りしも、去月上旬伝道過労の結果として只一回の休刊を為せし外、未だ曾て一回も筆を止むるの必要を感ぜしことなし、是れひたすらに天父の恩恵に因ることゝ常に感謝に堪えざるなり、然りと雖も身金鉄にあらざれば、或は病のために、或は他の止むを得ざる事故のために執筆を止むるの必要を生ずるやを量られず、而して本誌は主として生一人の労働に成る者なれば生の労働の休止は直に本誌の休刊となりて顕はるゝに至るは止むを得ざるなり、斯かる場合に於ては其旨を直に万朝報紙上に広告すべしと雖も、該紙の行渡らざる本誌の読者諸君に於ては予め此事を諒せられ、若し発行期日より算して七日を過るも本誌の諸君の手に達せざることある時は、休刊の止むを得ざるに出しことゝ了承あらんことを願ふ、然れども過去の経験より推測するに斯かる(460)不幸は当分の所万々あるべからざる事にして、又天父の援助と諸君の祈祷とに由り本誌の事業に多くの阻害あらざらんことは生の信じて疑はざる所なり、謹んで告ぐ。
  明治卅五年十一月               内村鑑三
 
 【明治35年11月25日『聖書之研究』28号】
   『研究』読者のクリスマス
      (読者諸君に檄す)
 主の降誕節は近づけり、余輩は同情を貧者に表して此佳節を守らんと欲す、去年は同志数十名、剰余の衣類を渡良瀬河沿岸の礦毒被害民に頒つて最も喜ばしき降誕節を守るを得たり、今年は更に其規模を拡張し、本誌の読者全躰より同一の寄贈を仰いで主を喜ばすと同時に饑寒に泣く我が同胞を喜ばせんと欲す、余輩は読者諸君が奮て此歓喜の群に加はられんことを望む。
 古足袋可なり、古シャツ可なり、古襦袢可なり、古帽子可なり、古股引可なり、小児のチヤン/\の如きは余輩の最も歓迎する所なり、去年は七百余品を送り、沿岸到る所に感謝の声を揚げしめたり、今年は之に勝る数十百倍の同情の代表物を贈り、毒流の辺りに『研究』読者の感謝の供物《そなへもの》を主の祭壇の上に献げんと欲す、「公道を水の如くに、正義を尽きざる河の如くに流れしめよ」と予言者亜麼士は言へり、吾等は古河市兵衛氏が毒水を流しつゝある処に主の公道を尽きざる河の如くに流して多少氏の被らしめつゝある害毒を阻止賠償せんと欲す。
 物品は十二月廿日までに本社に送られたし、左すれば本社は彼地に在る同志に計り、昨年の例に傚ひ出来得る丈け公平に其分配を取計るべし、謹んで告ぐ。
  明治三十五年十一月             聖書研究社
 
 【明治35年12月25日『聖書之研究』30号】
   社告
 
 歓ばしきクリスマスと楽しき新年との読者諸君の上にあらんことを祈る
                    内村鑑三
                    社員一同
 
(461)   面会規則
 
     (三十六年一月より実行す)
一、毎金曜日午後一時より四時までを来客接待并に面会の時日と相定め候事
一、初対面の方は予め前以て其御用向を御通知ありて小生の承諾を得られたき事、但し御問合せの時は返信用郵券御封入の事
一、一身上の処置に就ては一切御相談に応ぜざる事
一、不得止事故ある時は面会日と雖も不在致す事有之べく候事
 右の件々御承知の上御訪問有之たく候也
  明治三十五年十二月         内村鑑三
 
(462)  〔参考〕
 
   サムエル前書解義
                明治35年3月7日−7月5日
                『無教会』13−15、17号
                署名なし
 
     小引
創世記 出埃及記 利未記 民数紀略 申命記を五書と云ひ創世の事蹟よりアブラハムの子孫埃及に入り人口百万に達するに及びモーゼに率ゐられパレスチンに入りてより建国に至る迄を述べモーゼの副官ヨシユヤ始めて神に代り国を治め次で士師の世となりしが猶太の英雄時代とは此間を称するものにして少しの蛮風ありしと雖人物輩出して神の贈物を整へたり。路得記は当時の家庭財産の引渡を伝ふ 土師治国の頃四隣漸く興り遂に王者を立つるの要あるや神はソウロを呼び玉ふ サムエル書は此過渡時代百廿五年間の記事にて始めサムエルの事よりサウロ、ダビデ王次でソロモン王の堕落に至り筆を擱く 列王紀略は以下諸王の分割より亡国迄の歴史なり。
    サムエル前書
 聖書の記事に一貫して見えるのは凡て大運動の前駆を大人物の事蹟で書き始めて社会の有様や政治の状態等に筆を起さない事であります。此れは出埃及記や此記を見てもすぐにわかりますが大に意味のある事です。
    第一章
 こゝで注意すべきは多妻の事であります、第六節に「其敵」と申す語がありますがこれは勿論ペニンナの事でして聖書に多妻主義を論じた処はありませぬが其如何なる悲境に陥るかの実例を屡々挙げてあります、同じ家に住み同じ席に食事をする女子が他を「敵」と称するやうになつたのですから十分これは多妻を否定する論に値するでせう。
 こゝを読んでも解りますがサムエルの生涯は其始めより全く献身的でありまして其一生のあひだ此をエホバに捧げた母の清い心を見ますれば神様がサムエルを予め撰び玉ふた事は明かであります。(エフライテは多分ベッレヘムと同処異名であります 〇某は某の子、某は某の子と書いてあるのは其名家であるのを示す為めです 〇禁酒をし剃髪をしないのは清者の恒であります 〇「汝の霊いく」と云ふのは誓の語です)
(463)    第二章
 こゝで注意すべきはハンナの祷であります、此祈はマリヤの祈(路一、四六)と共に有名なるもので其|辞《ことば》の中には敵のペニンナを未だ充分に愛するに至らない節もありますが広義に見ますれば「勇者の弓折れ倒るゝ者は勢力を帯ぶ」と云ふ神の摂理と「我角はエホバによりて高し」と云ふ心の喜びとは新約聖書にも見える言です。十節の「膏そゝぎし者」と云ふのはキリストの遠き予言であります。
 次にこゝで注意すべきは聖職に在るものゝ心得であります、十一節以下はエリの子とサムエルとを照応して一は祭司の子で悪魔に弄ばれ他は平民の子で神の召に預かるのを記したのでありますが此有様は此時代のみならずパリサイ人が神より遠ざかりし時に大工の家にキリストを置き給ひ羅馬教会が乱れし折に鉱夫の子なるルーテルを召し給ひし等の例が沢山ありますから今の聖職に在るものも余程注意しなければならないと思ひます。ほんとの宗教は却て聖職以外の人から出る事と聖書が常に僧官制度に反対して居ると云ふ事とはこゝで分かります。
 次は懐妊の事であります、こゝには「エホバ此婦よりして子を汝に与へ玉はん」(廿節)とありまして聖書は懐妊を神の特別なる御意に由るとし独逸の人はこれを「めぐみあるの状態」と称します。
 次はエリの罪であります。エリと云ふ人は全くの俗人でもありませんし神の御声に気が付かない様な人でもなく(三章八節)又敬虔の念なく神を軽んずる人でもありませんでしたが(三章十八、四章十八)さりとて神を得て万物を損とする程の人物でもなかつたのです。要するに只習慣的の宮守以上の人ではなかつたのですから今日の多くの人の陥り易すい罪に落ちたのです。所謂子煩悩で神よりも自分の子を尊び(二章二九)十分に責むべき子に向つて「只然かすべからず我聞く風聞よからず」(二章二四)位の事でとめて置いた事です。
 これは親たるものゝ顧りみねばならぬ事で神よりも多く己れの子を愛し神よりも多く己れの妻を愛する事は神の前に大なる罪悪であります。廿七節に「神の人」と云つてあるのは予言者の事であります。その誰であつたかは解りません 卅五節以下は来るべきメシアの予言でありまして旧約聖書の中諸処に其の来降を望み其人々の理想に由つて解を異にしつゝも朧げにイエスを予言してあります。 〔以上、3・7〕
(464)    第三章
 この章はマルチン ルーテル特愛の章でありまして又古来多くの人を感動せしめたと云ふ事であります。
 是は丁度、今日の日本の様に神の黙示の絶えた暗黒時代であつたのです。だからサムエルも神の声を耳にしながら是を人の声だと思ひ誤まつたのであります。エホバが肉の耳に聞こえる様な言語を発したかどうだか、それは此処に議論する事は出来ませんが、これだけの事は確かです、即ちサムエルは実際人の声だと思つたのです。我々が実際インスピレーシヨンに接した時に之を他人に語るも信ずる者はありません。さうかと云つて自分で独断にする訳にも行きません。そこでサムエルも『今呼んだのは若しや貴君ではありませんか』とエリに尋いて見たのです。ユリも流石は神に仕へて居る者でありますから、『これは屹度エホバの御声に相違ない』と思つて、サムエルに注意を与へたのです。 十八節を御覧なさい。エリはサムエルに依て、どうしても償《あがな》ふ事の出来ない刑罰が自分に来る事を知つたのです。エリは意志の薄弱な人ではありましたが、この神の言《ことば》を聞いて少しも怨む処なく、所謂レシグネーションを遣つて、凡てを神に任せて祈つた処はエリの尊《たつと》い処であります。
 十九節の『地に落ちざらしめ給ふ』は空に帰せしめなかつたと云ふ意味です。サムエルの口を通して来りし神の言葉は悉く事実となって顕れたのです。
 二十節のダンは南のはづれ、ベエルシバは北のはづれ。『ダンよりベエルシバに至るまで』とは、イスラエル中と云ふ意味です。
 二十一節のシロと云ふのはエホバを拝する処の在つた地です。神は一度《ひとたび》隠れ給ひましたが又こゝに出給ふたので、サムエルに依り天の語《ことば》が顕れたのです。斯くして新運動の始まる基が生じ、イスラエル王国の起る新紀元が始まつたのです。
 (十七節の『汝にかくなし又かさねてかくなしたまへ』は誓の語でありまして、多分手真似をしながら斯う云つたものであらうと云ふ事です。)
    第四章
 ペリシテはヨツパの南方に位する国でありましてエジプトとユダヤとの間にあります。エクロン アシドデ ガタ アシケロン ガザと云ふ五つの都会に依て支配されて居りました。ペリシテの諸君主とは此都の君を云ふのです。(パレスチナ(465)と云ふ名も実はイスラエルの敵の名なる此ペリシテから来たのです)その地は平坦豊饒でありまして常に埃及人とユダヤ人との間に立つて商売をして居りました ユダヤ人は当時牧畜を遣つて居りましたから、自然商売人のペリシテ人を賤め、農商の争、絶ゆる事もありませんでしたが、ウリヤ王の時、始めてペリシテ人はユダヤの支配を受くる事となりました。
 ベリシテは山と海との間にある土地でありまして丁度我国の河内和泉あたりの様な処であります。ペリシテの神はダーゴンと申しまして、商売の神であります、頭と手が人間で、尾の方が魚の様になつて居る偶像の神であります。諸都《はうばうのみやこ》に大きな塔があつて之を祭つたものです、サムソンが数千人を殺したと云ふのも此|宮殿《みや》に於てゞす。
 当時ユダヤの首都《みやこ》はエルサレムでなくして、神殿はシロに在りました。
 一節のエベネゼル アペクは山地《やまぢ》と海辺との間に在る土地です。二節に『四千人ばかりを殺せり』とありますが、四千人とは少し多きに過ぎる様です、一躰ユダヤ数字によりますと、一つ点の有る無しで多くの差異が起るのですから随分誤り伝へかねないのです。聖書に書いてある数に信じ難いのゝ多いのは之が為めです。
 三節の『契約の櫃《はこ》』と云ふのは即ち十誡の入れてある櫃です。よくこゝの意味を汲み取つて御覧なさい。神様はいくら契約の櫃を大切《だいじ》にしたつて、契約そのものを守らぬ者をば守り給ひません、その証拠にはイスラエル人はこの櫃を持て来ましたが戦には敗けました。櫃さへ持て来れば勝てると思つたのは、何様道徳心の腐敗した、迷信に依り頻む人民たちの考へつきさうな誤謬《あやまり》です。
 四節のケルビムと云ふのは多分新約聖書にあるマイケルの類でせう。ケルビムが彫刻か何かで出来て居て契約の櫃を捧げて居る様にでもなつて居たものでせう。 〔以上、4・5〕
 九節を御覧なさい、ユダヤ人は契約の櫃が着いたので全然《すつかり》
安心して仕舞つたのに反して、ペリシテ人は此通り奮発したのです。さて十節です、契約の櫃に依頼したユダヤ人は勝ちましたらうか、否々散々に敗けました。いかに契約の櫃を大切にして貴んでも、その契約を守らなければ何にもなりません、神はかゝる者を辱しめ給ふのであります。これは此事実の明らかに告ぐる所でありまして、聖書が唯こゝに此事実をのべて故らに其註解を加へなかつたのは反て味《あぢはひ》のある所であ(466)ります。現今だつてもさうです。一も聖書二も聖書で只聖書を貴んで居たばかりで其教を守らなければ何にもなりません 勅語は守るべきものであつて、無意味に拝むべきものでないのと丁度同じです。
 序ですが、他国人ならば恐らくこの敗北の記事を曲げて、どうでも勝利を得た様に書いたでせう。然し其処はユダヤ人です。其信ずる契約の櫃を奉ずるも猶かのペリシテ人に破られた事を少しも躇躇なく記してあります。
 十二節の『衣を裂き、土をかむりて』は愁傷《うれい》の態であります。十三節の『道の傍に』は異本に『門の傍に』とありまして、当時は町の門の処に腰掛があつて其処で裁判をしたものですから、多分そこを指したのでせう。十六節の『吾が子よ』は凡て青年《わかもの》を呼び掛くるに用ひた語です。
 さて十八節ですが、エリにとつて神の櫃は実に其生命であつたのです。其神の櫃が奪はれたと聞いたのですから其落胆は非常なもので仰《あをの》けに門の傍らにおちて頸が折れて死んだとありますから随分無惨な最後をとげたものです。十九節以下のエリの娘の悲嘆には大に同情を寄すべきものがあります。二十一節の『栄光』とあるのは即ち神の栄光でありまして、当時のイスラエル人の栄光とする所は実に此契約即ち十誡であつたのです。今それの書いてある石板《いしいた》が奪《と》られたのですから、あゝ栄光イスラエルを去りぬと嘆いたのです。二十二節の『イカボーデ』。エリの※[女+息]はこれを最後の語として死んだのです。自然かの女はイカボーデの註をした様に見えます。かの女は生きてる甲斐のないのを嘆じつゝ死んだのです。かのダニエルウエブスターが節を売つた時に詩人ホヰツチーアは『栄光アメリカを去りぬ』と云ふので『イカボーデ』と云ふ詩を書きました。
 以上の記事に依て見ますとエリは性《き》の弱い人で、且|真《ほんと》に神を悟つて居つたものではありません。畢竟神櫃の番人であつたに過ぎません。今日も猶エリの如く聖書の弁護人であつて、ほんとうに其教を知らない人が沢山有ります。エリの※[女+息]は忠実な敬すべき婦人だと思ひます。
 
  筆記者白す。『サムエル前書解義』は、極大略な筆記でありますから、此解義を読まるゝ諸君は無論聖書の本文に就て熟読《しくどく》せらるゝ必要があります。此解義だけを読まれて「これは何の事だか解らない」と云はれても、それは強ち筆記者だけの罪ではないと思ひます。  〔以上、5・5〕
 
(467)     第五章
 所謂契約の櫃の在る場処《ところ》は神の在し給ふ処なるを表すものでありますなら、ペリシテ人は之を奪つて恰《さ》もユダヤの神を奪つた様に思つたのです。彼等は実にダゴンがエホバに勝つたのだと思つたのです。ダゴンと云ふのはペリシテ人の商業《せうばい》の神でありましてミルトンの矢楽園の第一章第四百五十七節に載つて居ります。
 さて此章に記いてある様な事件が果して実際にあつたものであらうか如何か、それを論ずるのは聖書の批評でありまして今此処でなす可き事ではありません。唯吾々はこれを事実と信じて、その示す処の教訓を考へなければなりません。神がイスラエル人を守らなかったのはイスラエルの人が其|誡《をしへ》を守らなかつたからで、罪は充分イスラエル人にあります。イスラエル人が余り神に背いたので其神の櫃すら敵手に落つる事となつたのであります。然し、ペリシテ人が神の櫃を奪つて、ダゴンがエホバに勝つた様に誤解し、イスラエルが斯かる運命に陥つたのは全く神の罰である事に気が付かなかつたのは又ペリシテ人の罪でして、此故に罰は今ペリシテ人の身の上にも及んだのであります。
 現今《いま》の基督信者でも左様です。聖書を神の如くに思つて、よく其教訓を守らない時には、聖書までが敵の手に落ちる事があります。然し爾う云ふ場合に仏教信者なら仏教信者が之を以て仏教が基督教に勝つたのだなんどゝ思へば、罰は却て其人の上に及びます。此章に書いてある様な場合でもペリシテ人にして若し悔い改めて此誡を守るやうになりましたらうか、神様は屹度ペリシテ人を守り給ふたでせう。斯う云ふ風に正義の念は実に聖書を貰徹して居ります。迷信は何処に在つても罰せらる可きものであります。聖書は破られても正義は永久《とこしへ》に正義であります。 〔以上、7・5〕
 
(468)     内村氏の鉱毒問題解決
                      明治35年4月9日
                      『福音新報』354号
 
所謂鉱毒問題の論議囂々たるものこゝに十余年、而も徒らに囂々たるに止まりて未だ解決を見るを得ざるは洵に痛恨の事と為す、思ふに其然るもの種々雑多の所因あるべしと雖も、然れどもこれが論議を試むる人々に注意の足らざる所あり、思慮の及ばざる所ありて、或ひは完き同情を惹くに欠くるあるもの、またその一因にあらざるなき乎、今や解決を呼はるの声を聞くもの漸く多からむとす、この時、この際、ます/\沈思静慮、能く事の実相を究め、漫りに感情に馳するの陋を学ばず、公正なる鉄案を下してこれを決するの緊要なるを感ず。
頃者鉱毒問題解決期成同志会の設立あり、其発表演説会ともいふべきものは東京基督教育年会に於て開かれき、論ずる人、説く所、従来の鉱毒演説と多く異なるものあらず、唯だ中に一人、内村鑑三氏の演説は一種異色を帯びて而して事理最も切実、独り解決期成同志会の規箴として忘るべからざるのみならず、苟も斯問題に心を寄するものゝ深く体すべき所説なるを信ず、即ち氏は鉱毒問題解決期成同志会の一員として、同会に望み併せて江湖に警告せり、其要にいふ。  傍聴者の一人(投)
 一、斯問題を正しく解決せむには三点の規箴を要す、其一は誠実也、従来鉱毒問題を議するもの、多少の政略、多少の術策を用ゐ、事実よりも声言を大にしたる跡あるは争ふべからざるが如し、或は六万町歩三十万人、或は七万町歩三十五万人、頃日に至りては四十万人と叫ぶもあり、何れが果して真なる乎、はた或は鉱毒被害地は茫々たる荒野となり一|茎《けい》の草だに生ぜずといひ、三十五万の民は炊ぐに物なくして飢に斃れむとすといふ、左れど鉱毒地には草も生ひ居れり、餓死者もある無し、斯の如きは声余りに大に失せり、勿論余は鉱毒の惨を認むるに於て人後に落ちず、唯だこれを説き、これを訴ふるには必ず誠実にせむことを望むのみ、若し幾分にても虚偽の在《そん》するあらば正しき解決は望み得べからず、事実有りのまゝに一点の偽るなく、誠実を主とするは第一の道也。
 二、誠実に次ぐの一点は其飽くまで公平なるにあり、若し偏頗不公平の跡の幾分にてもあらば正しき解決は望み得られざらむ、古河市兵衛氏の悪しき所を撃つは何の躇躇する所かあらん、断々然として責むべきなり、左れど被害民及び被害民の側には悪しき所なき乎、耻づべき所なき乎、若しありとせば他を責むるに先ちてこれを悔ゆるを要す、謝するを要す、(469)余は古河氏に責むべきもの多々あるを認むると共に、被害民にも悲むべき欠点あるを知る、乃ち幾たぴか示談金を取りたる如き何たる残り惜しき欠点ぞ、其他謝すべきことあらば凡て先づ謝するにあり、凡そ是非曲直を判ずるには最も公平を持せざるべからず、鉱毒々々と叫ぶものゝみ斯事に忠なるにはあらず、能く/\穿鑿せば身命を賭して斯問題に殉ぜむとするが如く見ゆる人の中にも或は案外なる虚偽漢のあるやも測り知るべからざる也。
 三、第三の要は愛心にあり、貴き愛心なくんば正しき解決は望んで得べからず、鉱毒被害民其ものを愛するは固より左ることながら、徒らに涙を以て若干の金を投げ与ふるが如き小慈善は到底斯問題を解決するに足らず、更に其敵手と認むる古河氏に対しても寧ろこれを苦《にく》まずして深く愛し、彼れの為めに満幅の誠意を以て其過を悔ゐ、善を為さしめむことを祈らざるべからず、彼れも人也、能く理を尽し道を以てせば何ぞ過を知らざらん、何ぞ善に還ざらん、若し徒らに古河氏を悪むのみを知つてこれを愛するの宏量雅懐なくんば、斯問題は到底正しく決すべからざる也。
 要するに以上の三点は斯問題を解決せむとするものゝ宜しく先づ銘すべき事也、由来一論一義己れと合ざれば直に邪と罵り、悪と譏は論壇の弊也、余は飽まで信ず、斯問題を解決せむとせば以下の要点を銘して立ざるべからずと、乃ち期成同志会に望む所、はた天下に望む所、実にこゝにあり、若し彼の礦毒々々と叫ばずして先づ斯く言ふを以て、或は他に買収されたりなど、悪言を放ち、又は同志会に在るを非とするものあらば、余は直ちに退会するも可、敢て其譏を甘受し、所信に向つて進まむとす云々。
  大要実に斯の如し、而して内村氏の此演説は非常の拍手、非常の喝采を以て応ぜられ、深く聴衆の同情同感を惹けり、よし等しく席にありて弁士毎に拍手を以て酬ひたる島田三郎氏が、独り氏の演説にのみは拍手せざりし奇観ありしとするも、満堂幾百の聴衆は急霰の如き拍手、而も思慮を尽して成れる同感の大拍手を以て酬ひたりき。然り内村氏の注意は至理至当也、苟もこの心なくむば何ぞ紛糾せる難問題を正しく解決することを得む、而して内村氏の口より出でたる所は、また実に真正なる社会の意思、要望ならずんばあらず、即ち解決に関する論議の漸く多からむとするの時、この切実なる注意のよく凡ての人に聞かれむことを望んで止まざる也。
 
(470)     毎日曜聖書講義
                 明治35年5月5日、6月5日
                 『無教会』15、16号
                 署名なし
 
  毎週日曜午前十時より内村先生、おのが家内の為にとて聖書の講義せらる、於是か集りきく青年十数名、予も亦昨年九月十五日より常に其座に列して聴けり、今其要点をものして茲に掲ぐ           戸塚生
 
 九月十五日
 此日、馬可伝第十章第一節より同第十六節迄の講義あり、そを大別すれば(一)離婚問題、(二)基督が非常に孩提《おさなご》を愛し給ひし事なりとす。
 抑第一は真面目なる牧師又は法律家等の年来|頭脳《あたま》を悩ませる大問題にして有名なる基督信者中この事あるが為に妻君の威嚇圧抑を享けて黙し居るもの亦尠しとせず、今此数節をよく味はんとする者は馬太伝第十九章と対照して巨細《こまやか》に之を研究せよ(例へば「パリサイ人の来てイエスを試みいひけるは人なにの故に係らず〔八字右○〕其妻を出すは可か」の附圏の所馬可伝の方には記され居らざることなど)。先づ此章中にて最も人々
を躓かしむるは「是故に人は其父母を離れ其妻に合て二人の者一躰と成るべし 然ば二には非ず一体なり」の節なるべし、己れ独立して妻を娶れば乃ち両親の膝下を辞して別家に住す、今日の東洋人をして言はしむれば不孝の限りなるが如しと雖福沢翁も已に夫妻別居の可なるを説かれたり、但し予輩の眼より之を観れば米人の細君優遇は太だ其度を過ぎたり、さればとて日本の父母が強く其子女を抑留し膝下に長く奉仕せしめんとするは余り無理なることには非ずや、さはいへ茲に注目すべきは「一体と成るべし」てふ一句なり、べしなる助辞を命令言と解しては其意甚妥当ならず 基督は決して二人の者一体たれよと頭ごなしに強ひ給ひたるにはあらず ※[開の門なし]《そ》はヘブリユーの原文に照しても知るし、思ふにかゝる誤訳は英訳聖書の Shall be one flesh より来りしものか「一体と成るならん」と改訳すべし。
 天主教の行はるゝ国に於ては此数節に殆んど文字通りの解釈を加へて其制裁太だ厳格なるものあり、敢て離婚を許すことなしと雖米国の如きは一躰に太だ自由、海上三哩以外に船を漕出して得々互に離婚式を行ふなどは寧ろ滑稽なり、此章教訓の応用は人によりて異なり国によりて同じからず(471)其間頗困難を感ずるものありと雖要するに結婚其者は人間の一大事なり、慎重丁寧聘せざるの前佳婿を択み淑女を求め今日の所謂「見合ひ」などにたよりて咄嗟間に大切なる婚姻の儀式を拳ぐ可らず、これ実にキリスト教が結婚に対する主要の訓戒なりとす、然り結婚が已に至重の人道なる以上は琴瑟和合の関係は容易に分たるべきものに非ず、況んや之を一朝の感情一夕の微嫌によりて離乖せんとするの非なるは云ふ迄もなし、然れど基督は如何なることありとも離縁す可らずとは教へ給はず、馬太伝十九章中に「我汝等に告ん もし姦淫の故ならで其妻を出し他の婦を娶るものは姦淫を行ふなり……」とあるに注意せよ、但しこゝに姦淫とあるは単に男女肉体上の堕落失態を意味せるものか或は其他の意義をも含有し居るか、これ亦研究すべきことなるべし。
  予曰く娶るは出《いだ》すの始め、離すは娶るの基、軽率に軽率煩陋に煩陋、今日の新家庭豈にいふに足らんや 有名なる日本の某統計学者曰く邦人結婚者の三分一は全く離縁に終りつゝありと、嗚呼如此きは如何なる現象ぞや、妻を去りし後の寡夫《をとこ》の無頼夫に離れし後の孤婦《おんな》の生活は如何、又かゝる間に生れし子女の生立ち行未は如何、考へ来ればこれたゞに一人一家庭の問題なるのみならず実に国家社会の盛衰問題なりとす、吾人深く鑑みる所なかる可らず。
「凡そ其妻を出して他の婦を娶るものは其妻に対して姦淫を行ふなり」これ実に其本妻を逐出して兄弟の妻ヘロデヤを納れたるヘロッド王の惇倫に大鉄槌を加へ、当時猶太の大問題に明快なる解決を下したるもの深く味ふべき言句ならずや。
 九月二十九日
 馬可伝第十章第十七節より同第四十五節迄の講義あり。
     (一) 最後の慾心
 廿一節以下の処、之を有の儘に解釈して之を実行せんとする者あり、甚しき迷妄なるべし 彼等曰く如何なる富者たりと雖、キリストの弟子たらんとせば悉く其所有を售り来るべきなりと、これキリストの精神を酌まずして、徒に文字《もんじ》の表面に拘泥せるものの言なるのみ、茲にキリストに走り来りしものは品行方正の一青年なりき、渠は姦淫せず妄言せず父母にも孝道を尽したる、即ち普通の道徳に於ては一も欠如たることなき青年なりき、彼答へて「師よ是皆我が幼《いとけな》きより守れ(472)るもの也」といひしは決して詐りにては非ざりし也、されど基督の活眼はこの青年に尚一つの虧けたるものあるを発見したり、何ぞや彼の心中に財産上の貪慾尚甚だ盛なりし事なり、さればイエスは正直なる青年を愛みて教へ給ひぬ「爾なほ一を虧く ゆきて其|所有《もちもの》をうり貧者に施せ 然らば天に於て財《たから》あらん――」と 諸君よ此言を以て直に財産は罪悪なりと教へたるものと解すること勿れ、これ大なる誤謬なり。
 世には容易く財産をすてゝ切りに学問を重んずる者あり、かゝる人来つて予れ財産を棄てんといはばキリストはさらば汝学問の慾を絶てと言はれしなるべし、世には愛国狂なる者あり かゝる人来つて我財産をすてんといはゞキリストはさらば汝次に愛国心をすてよといはれしなるべし、学問其者に何の罪悪あるなし。愛国其者に何の罪悪あるなし、我れ愛国、学問の奴隷と化してこゝに百千の罪悪は生じ来る 財産の事亦其理に洩れじ、今彼の青年にして屑よく其所有を售り其金を以てキリストに来らんか、青年の信念已に確実にして毫も疑ふべき所なし、乃キリストはたゞそれにて可なり、爾よろしくそを納めて遣ふべき時に遣へとの一言を以て立ろに其金を返されしなるべし。
 予は此節を読んで人誰れにも最後の慾心あることを知れり、人は曰く予れ凡て他の慾念を排せり 只此一物のみは我秘密の宝玉《たから》にして神明にも捧ぐ可らざるものなりと、吁《あゝ》これ終に彼の一生を苦しむる悪魔に非ずや、これを去ること猶敝履を脱ぐが如くにして人は始めてキリストの弟子たることを得べけん、可憫し此好青年、徒に哀み憂へ大なる産業を棄つる能はず、其遂に平和を得ざりしも宜なる哉 〔以上、5・5〕
     (二) 基督と弟子との問答
 青年は哀み憂て去きぬ、イエス環視して弟子に言ひけるは財を有る者の神国に入るは如何に難いかなと、弟子聴て駭けり、於是乎イエス其語の弟子に誤解せられたるを覚り更めて彼等に言つて曰く、小子よ、あゝ可憐の幼児《おさなご》よ財産を恃む者の神国に入るは如何に難かな、富る者の神国に入るよりは駱駝の針の孔を穿つは却て易しと、さて駱駝云々の比喩《たとえ》については種々の註解あれど、此比喩キリストの言語としては余り過激に過ぎたり、予輩は実際救はるべき富人を見ること少なからず、今此語によれば富者は殆んど救はれ難き不幸の者、否な全く救ふ可らざる不幸のものとなり了るなり、今後猶太の風習にして一層詳に稽査せられんか 予輩は其時に至り(473)或は此語の真意を解するに至らん、今はた如何ともすべき様なし。
 さはれ今の世は黄金万能時代なり、地獄の沙汰も金次第、浮世さま/”\の快楽は勿論のこと普通の学芸も金なくしては習ふ可らず宗教其者も金なくしては修む可らず、これ日本の状態のみならず真に世界一般の傾向なり、故に予は曰貧人の神国に入よりは駱駝の針の孔を穿《とほ》るは却て易しと、然るにキリストは一千余年前の太古に於て全然之に反する教を垂れ給へり、これ洵にキリストの偉大なる所なり、げにキリストの眼より観れば富人程不幸なるはあるまじ、貧者の一月に十五銭の雑誌代を擲つは易し、富者の其放蕩をやめて宗教に入るは難し、されば其難きを忍びて勇往直進するものゝ如何に感賞すべき丈夫なるかよ、彼れはやがてキリストの成し難しといひ給ひしことを成し遂げたる豪の者なればなり、予れ福音を貧人に説き得べし 然れども富者の耳に福音を伝へてそを擒にせんは大勝利にしてしかも大難事に属す、併し世には大富豪にして尚ほ伝道事業に熱衷し千金を抛擲するに吝《りん》ならざるの士多し、キリストの福音が富者財布の紐を緩めて其口を披かしむるは豈に奇怪ならずや、基督教に貴族富豪を感化せしむる偉力あり 予等俄に上流に対して失望嗟嘆す可らず。
     (三) 十七、十八節は神学上の大問題なり
 これ実に幾多の宗教家を悩殺せる難文句なり、如何に之を解明して基督の神性を維持せんか、諸君も常に考慮し置くの要あり。
 聖書中に於てキリストの自己を人間なりと称せられし処四つ、而して神性の現はれ居るところは其幾許なるを知らず、然るにユニテリアンの徒は曰く彼は真にして此れは虚なり故に吾人は飽迄キリストを普通の人間なりと信ぜざる可らずとこれ実に牽強附会の甚しきものに非ずや、予輩は単にこの節のみを観てキリストの神性を否むこと能はざるなり、尚予は一歩を遜つて此節を鰐釈せん、或人保羅を崇拝して神なりとして彼の前に衣を捧げしことあり、保羅大に驚きて自己の弱き人間なることを弁ぜん為め衆前に其衣を裂きたりと云ふ、キリストの尊《とおとき》と雖其目前に己れを賛称するものあれば彼或は謙遜羊の如くに答へられたることもありけんと考へらるるなり。されど予輩は一歩を進めて本文通りに註解を下し却てキリストの神の子なることを説示するを得べし、イエス曰く「何ぞ我を善と称ふや  」と これ即問ひし者の信仰を(474)試たる言に非ずや 思ふに予れらは emphasis を何ぞの副詞に置かざる可らず、イエスの本意は何故に、何なる理由にて、何なる信仰の下に我を善と称ふやといふに在り、斯くして看ればこゝの一句は却て暗々裏に我は神の子なり、今汝の前に立てる人は即善其者なるぞてふことを現はし居るなり、こゝに今一つ泰西の学者の註解法あり、「何ぞ我を善と称ふや」を「何故善につきて我に問ふや」と改めて解することなり、此改訳或は然らん、然れども「善き師よ」の問に答へたる言葉としては此改訳のしかく妥当なるものに非ざるを知るべし。
     (四) 基督信者は迫害てふ条件の下に現世の快楽をも享け能ふべし
 二十九節以下イエスの言よく翫味すべし、信者にして或は疑ふ者あり 曰く吾等果して家宅兄弟姉妹等を受くることありや、彼の保羅の如きすら尚ほ一枚の衣服に窮したるに非ずやと、夫れ然り、豈に夫れ然らんやイエスの言は確に目前の事実也、肉躰の兄弟を捨てゝ精神的の兄弟姉妹を得たるの基督信者古往今来天下に不鮮少《すくなからず》とせんや、予の如きも十銭銀貨一枚を以て東京より北は室蘭、南は鹿児島迄愉快に面白く旅行することを得べし、併しこれ或は教会の未来を示されたる言なるかも知る可らず、枕するに家なかりしキリストも今や億万人の崇敬を受けて世界六分一の面積を有する英の女皇《によおう》すらも低頭其膝下に拝せしむるを得るに至れり、基督の勢力も大ならずや、
 但し文字の解釈は孰れにもせよ此に注意すべきは迫害と共にの五字にあり、爾ぢ大なる快楽と窮なき生《いのち》を受けん為には世の侮蔑《あなどり》に忍び多くの人に踏付けられざる可らずとは飽迄もキリスト教の精神なり「先なる者は後になり後なる者は先になるべし」は暗にペテル等を誡められたる語なること明なり。
     (五) 勢力拡張は神意に非ず
 使徒等キリストに随ふこと已に三年尚ほ未だ謙徳の何たるかを解せず、一人は曰く我は右大臣たらん、一人は曰く我は左大臣たらんと、望む所のもの素より僭越の極なりと雖之を憤りし者亦以て談ずるに足らず、彼等は人の僕たるを肯んぜずして常に世の首たらんと欲せしこと幾回ぞ 救主基督の失望察すべきに非ずや、
 斯る教訓は古今東西何人も屑しとせざる所、東洋の英雄殊に然り、この教訓は予れにも分明《わか》らねば諸君にも分明り難し、(475)予れ一地方に伝道を試れば人は曰く勢力の拡張なりと、真に聖書を読みし者にして誰かかよわき我力を張らんとする者ぞ 人の脚を洗ふものを集むるは可なり 勢力拡張は真正基督信徒の決して思惟すべき所に非ざるなり、〔以上、6・5〕
          〔2021年7月251(水)午後7時45分、入力終了〕