内村鑑三全集15、岩波書店、538頁、4600円、1981.11.24
 
目次
凡例
1907年(明治40年)四月−一二月
Study the Bible! ………………………… 3
Mr. J. R. Mott. …………………………… 5
善且つ弱きキリスト 他…………………… 7
善且つ弱きキリスト
愛情の充溢
狭き広き愛
宗教の所在
学識と信仰
感謝と祈祷
神の助
聖書の読方二三
我主イエスキリスト…………………………11
今昔の感………………………………………12
士師ギデオン…………………………………13
我とキリスト…………………………………45
万国基督教青年大会に出席せざる理由……46
課題〔11「キリストの謙遜 腓立比書第二章五―九節」〕……50
万国基督教青年大会に就き附記……………53
A Miracle.……………………………………54
Poor Christianity.…………………………55
Tired of Christians.………………………56
“Misapplied Philanthoropy.” …………57
神の忠僕 他…………………………………58
神の忠僕
内外の我
事業としての苦痛
悲痛消散の途
父死して感あり
理と情
悲痛の極
社会主義
善悪の差別
大なる小児の祈祷……………………………63
約翰伝十五章五節……………………………64
神学の要………………………………………69
死の慰藉………………………………………70
最も貴むべき教会 羅馬加特利教会………73
健全なる聖書研究……………………………75
父の永眠に就き謹告す………………………77
義の宗教 他…………………………………80
義の宗教
思想の由来
様々の基督教
死魚の類
予想と事実
教会と信仰
最も善き聖書の註解…………………………83
忿怒の神………………………………………84
偽預言者とは何ぞや…………………………86
キリストの愛…………………………………94
神は愛なり(約翰第一書第四章)…………97
我れかキリストか………………………… 101
課題〔12「同情のキリスト 希伯来書二章十四―十八節」〕…… 102
余の父の信仰……………………………… 108
今井樟太郎君追悼演説…………………… 110
夏と天然 他……………………………… 116
夏と天然
宇宙の占領
夏の夕
救済の三階段
基督伝の研究
神学と福音
預言者と基督者
恩恵の受器
単一の信仰
聖書の主人公
罪の人……………………………………… 120
預言者エゼキエルの偽預言者観 以西結書第十三章…… 122
神の事業と人の事業……………………… 127
緑蔭独語…………………………………… 128
『研究誌』に就て 彼は祈祷の子なり… 135
課題〔13「余は『聖書之研究』雑誌より何を得し乎」〕…… 138
夏の午後 他……………………………… 140
夏の午後
神に感謝す
神のための善
労働の特権
最大事業
失敗と成功
利己的信仰
教会員と基督信者
罪人の友…………………………………… 144
愛の進歩…………………………………… 146
申命記標註………………………………… 148
信仰の性質………………………………… 158
一番豪らい人 ナザレのイエス………… 159
神学瑣談…………………………………… 163
無抵抗主義の根拠………………………… 167
記者の感想………………………………… 171
『基督教世界』の開書への回答………… 175
秋を迎ふ 他……………………………… 177
秋を迎ふ
燈前の快楽
幸福なる家庭
幸福に入るの途
伝道の真意
救主キリスト
十字架の教
生命の消耗
中和の人
国威と貧困
基督教の特長
日本人の救済
時感三則…………………………………… 181
最大幸福…………………………………… 183
福音書研究………………………………… 184
基督教の研究……………………………… 188
種蒔の譬…………………………………… 191
鳴浜懇話会………………………………… 201
課題〔14「基督者が世の人より受くる讒謗 馬太伝十章二十四―二十六節」〕…… 202
『保羅の復活論 哥林多前書第十五章と其略註』〔表紙写真・自序のみ収録〕…… 205
緒言……………………………………… 206
秋と河 他………………………………… 207
秋と河
我が生涯
神の日本国
福音の商買
聖職と職業
世の批評と基督者の実状
幸福なる朝鮮国
約翰書の研究……………………………… 211
我が舞台…………………………………… 223
誰の功か…………………………………… 224
キリストの囚人…………………………… 228
神学雑談…………………………………… 231
余の北海の乳母 札幌農学校…………… 235
課題〔15「余は如何にして基督に来りし乎」〕…… 237
天国を望む………………………………… 240
批評家に告ぐ……………………………… 242
新島先生の性格…………………………… 243
自捐の秘訣 他…………………………… 245
自捐の秘訣
合離のキリスト
キリストの批評
父の顔
我と労働者
悪人の殲滅
負けるは勝つ
移転前の感………………………………… 248
主祷の一節………………………………… 249
花巻座談…………………………………… 259
宗教の必要 附たり、其伝道法………… 264
余が見たる今の基督教会………………… 269
課題〔16「余は今の基督教会に就て如何に思ふ乎」〕…… 272
大疑問と其解釈…………………………… 273
クリスマスの朝 他……………………… 278
クリスマスの朝
宇宙の祝日
親心と神心
子を失はんとして感あり………………… 280
処女の懐胎は果して信じ難き乎(馬太伝一章十八―二十五節、路加伝一章二十六―三十八節)…… 282
アイの攻撃 隠悪と敗北 約書亜記第七章(改訳)…… 292
医術としての宗教………………………… 297
基督教道徳の欠点………………………… 303
柏木に於ける最初の編輯………………… 305
課題〔17「基督の降誕と我運命」〕…… 308
善き習慣 新聞紙読覧の廃止…………… 310
懐胎の告知 路加伝一章二十六―三十八節(改訳)…… 312
慶報………………………………………… 314
1908年(明治四一年)一月―七月
我が信仰の告白  其一 他……………… 317
我が信仰の告白 其一
我が信仰の告白 其二
新年と決心
我が愛国心
戦争廃止の歌
キリストの王国
戦争の結果
神の論証
聖書の解釈
聖書の自証
教会の今昔………………………………… 322
読むべきもの、学ぶべきもの、為すべきこと。…… 323
黙示録は如何なる書である乎…………… 325
預言者エリヤ……………………………… 335
不幸なる教役者…………………………… 372
回顧と前進………………………………… 373
新年と新事業……………………………… 377
課題〔18「新年と新生」〕……………… 379
イエスの容貌に就て……………………… 380
我が教会 他……………………………… 383
我が教会
基督教の極致
実験のキリスト
聖書の真価
見捨られたる教会
近世の二名士
余輩の同志者
教会と信仰
真面目なる偽善者
憐むべき迷信
キリストと娼妓
道徳と経済
道徳と信用と富
多数と単独………………………………… 389
キリストの賜物…………………………… 391
黙示録に於ける数字……………………… 393
伝道と自由………………………………… 404
基督教の性質……………………………… 405
仏教徒との交際…………………………… 409
香のなき国 之を補ふの必要あり……… 411
楽しき生涯 他…………………………… 414
楽しき生涯
現世の楽しき所以
来世と向上
来世を説かざる宗教家
我が信ずる福音
我が希願
宗教と教会
神意と人意
墓地たる此地
不滅の獲得
不朽の我等
感謝の回想
クリスチヤンとクリスト………………… 419
義とし給ふとは何ぞや…………………… 420
国は基督教なくして立つを得る乎……… 423
自然主義 他……………………………… 428
自然主義
進歩と苦痛
聖国の到来
不用問題
福音の勢力
無抵抗主義の威力
近世の聖書研究
公平なる批評
交友と信仰
宇宙の無要物
武士道と宣教師
父の一周期に際して
今より後
人を救ふの力
常識と信仰………………………………… 434
基督教と進化……………………………… 435
パリサイの人と税吏の譬 路加伝十八章九―十四節…… 440
向上 他…………………………………… 444
向上
謙遜と祈祷
樹と其果
信仰の告白
信仰の理由
科学と宗教
パリサイ派とサドカイ派
罪とは何ぞ
天国とは何ぞ
現在のキリスト
昔の神と今の神
誰か之に堪んや
豪らい人
使徒信経略註……………………………… 450
詩人………………………………………… 453
仏法の無抵抗主義………………………… 454
善きサマリヤ人の話(路加伝十章二十五節より三十七節まで)…… 455
不義なる番頭の譬 路加伝第十六章一―十一節…… 461
富者と貧者 路加伝第十六章十九―卅一節…… 463
都会か田舎か 他………………………… 466
都会か田舎か
四十の数
生計難と聖書の慰藉
『よろづ短言』〔表紙写真・目次・自序のみ収録〕…… 469
自序第二………………………………… 470
自序第一………………………………… 472
第百号 他………………………………… 476
第百号
恩恵の数々
信仰の途
キリストと基督教
救はるゝ者
十字架の教
外国伝道
十字架の濫用
我が理想
イエスに於ける友人
教会と自由
真理と独立
聖書人物の真価
信条と救済
儀式の単純
誤解されし教養 パウロの贖罪論……… 483
最大の異端………………………………… 490
予と研究誌………………………………… 491
本誌の為さゞること……………………… 493
Mr. Taft and Christian Missions.…… 494
A Missionary Problem.―The Cause of Failure.…… 496
Husk and Kernel.………………………… 498
 
別篇
付言………………………………………… 501
社告・通知………………………………… 506
参考………………………………………… 509
主の死の半面 馬可伝十五章一節より三十九節まで
 
一九〇七年(明治四〇年)四月−一二月 四七歳
 
(7)     〔善且つ弱きキリスト 他〕
                     明治40年4月10日
                     『聖書之研究』86号「所感」
                     署名なし
 
    善且つ弱きキリスト
 
 善なるキリスト、弱きキリスト、然り、彼は善なりしが故に弱かりしなり、彼に善を愛するの心ありたり、然れども善人を恵むの資力なかりき、彼に悪を憎むの心ありたり、然れども悪人を罰するの威力なかりき、彼は此世に在りし間は唯善なりしのみ、力ありしにあらず、彼は純正の善を以てのみ世を救はんとし給へり、偉大なるかなキリスト!
 
    愛情の充溢
 
 人に愛情なしと言ふ勿れ、人に愛情なきにあらず、我に愛情なきが故に人に愛情なきが如くに感ずるなり、我に愛情ありて世に愛情の充溢するを見るべし、我も願くは神より愛を賜はりて世を愛祝して之を愛化せんことを。
 
(8)    狭き広き愛
 
 狭くあれ而して広くあれ 神より賜はりし少数の友人に厚くして総ての人に厚くあれ、我が主義に忠実にして、すべての正直なる主義に忠実なれ、限りある人は限りなき神の如くにすべての人に一様に厚くして一様に忠実なる能はず、故に彼は愛を一 部に注集して全局に忠ならんのみ。
 
    宗教の所在
 
 宗教は文字に非ず、文典に非ず、神学に非ず、然り、人物に非ず、道徳的感化に非ず、宗教は人の側に在りては信仰なり、神の側に在りては聖霊の恩賜なり、是等の二者ありて、完全無欠の聖書なくとも、崇高偉大の人物なくとも、宗教は吾人の衷に存す、吾人は宗教を聖経又は人物以外に於て求めざるべからず。
 
    学識と信仰
 
 聖書を究めよ、然れども聖書は宗教なりと惟ふ勿れ、宗教は聖書の中に在り、神学を究むるも可なり、然れども宗教を神学の中に求むる勿れ、神学は宗教に就て攻究する学なり、宗教は神学以上なり、又聖書以上なり、宗教は我と神との直接の関係なり、此聖なる関係なくして、聖書学者も信者にあらず、神学者も宗教家にあらざる也。
 
(9)    感謝と祈祷
 
 歓べよ、感謝せよ、而して更らに大なる恩恵を仰げよ 感謝は有効なる祈祷の要素なり、神は感謝なき祈祷に其耳を傾け給はず 夫れ有てる者は予へられて尚ほ余りあり、有たぬ者はその有てるものをも奪はるる也 感謝は「有てる」を証明す、感謝するものは恩恵の上に更らに恩恵を加へらるべし、我等は聖父の前に貧困を訴へて彼の憐愍を乞はんと欲すべからず、寧ろ富有を陳べて恩恵の加増に与からんと欲すべし。馬太伝十三章十二節。
 
    神の助
 
 神は種々《さま/”\》の方法を以て我等を助け給ふ、或ひは霊を以て、或ひは物を以て、或ひは友人を以て或ひは敵人を以て、或ひは同国人を以て或ひは外国人を以て、或ひは知人を以て或ひは未知の人を以て、我等の弱きを助け、乏しきを補ひ給ふ、神の方法に富み給ふは彼が日々我等を助け給ふその方法の豊かなるに由て知るを得べし、我等に臨む患難は多し、然れどヱホバは我等を皆な其中より授け出し給ふ。詩篇第三十四篇十九節。
 
    聖書の読方二三
 
 汝を訟へて裏衣《したぎ》を取らんとする者には外服《うはぎ》をも亦取らせよ、そは汝より奪ひし者は奪はれ、奪はれし汝は更らに善き裏衣と外服とを神より賜はるべければ也、即ち奪ひし者の損失にして奪はれし汝の利得なれば也。馬太伝五章四十節。
(10) 悪を以て悪に報ゆる勿れ、そは神は汝に代りて之を報ひ給へば也、而して彼が汝に代りて報ひ給ふや汝が思ひしよりも亦汝が為し得るよよりも、遙かに厳酷に、且つ顕明に公正に之を報ひ給へば也、汝は自身手を下して汝の敵を罰せんと欲してたゞ僅かに軽く彼を罰し得るのみ、祈祷を以て彼を裁判の神に附せよ、然らば神は汝に代り重く且つ公平に彼を罰し給ふべし。羅馬書十二章十七節。
 汝等を迫害する者を祝し、之を祝して詛ふべからず、そは大なる裁判の彼等を待つあれば也、彼等は憐むべき者にして憎むべき者にあらず、彼等は屠所に曳行かるゝ羊の如き者なり、彼等が哀哭切歯する日は遠きにあらざる也、恐るべき裁判の日の到来を信ずる者は自己を迫害する者を祝して之を詛はざるなり。仝十四節。
 
(11)     我主イエスキリスト
                     明治40年4月10日
                     『聖書之研究』86号「所感」
                     署名 角筈生
 
 我は人に依らず、又自己に頼らず、我は我が救主イエスキリストに依る、彼に頼るは独立的依頼なり、依頼的独立なり、勇ましき依頼なり、優しき独立なり、我はイエスキリストに依りて、他者に頼りて独り立つ者なり。
       *     *     *     *
 我は主観せず、又客観せず、我は我が霊魂の救主なるイエスキリストを観じ奉る、彼は我にあらず、故に彼を観奉るは客観するなり、然れども彼は我が霊に宿り給ふ者なれば我は自我の如くに彼を感じ奉るなり、我はイエスキリストを観じ奉りて、主観的にも、亦客観的にも我が神を拝し奉るなり。
       *     *     *     *
 我は善人ならず、又悪人ならず、我はキリストに在りて生くる者なり、善なる者は我れ乃ち我肉に居らざるを知る(羅馬書七章十八節)、然れども我は亦万善の主の我衷に宿り給ふを知る、彼の善は我が悪を償ふて余りあり、我は未だ完全ならず、然れども我を救ふ者の完全なるが如く彼に在りて竟に完全なるを得る者なり。
 
(12)     今昔の感
                     明治40年4月10日
                     『聖書之研究』86号「所感」
                     署名 櫟林生
 
 我は始めに思へり、我れ若し我が一生の中に一人の霊魂を救ひ得ば足ると。 年経て後に我は思へり、神は拙き我を使ひ給ひて我が思ひし所に過ぎて数百千人の霊魂を救ひ給へり、我は深く彼に感謝すと。
 今に至りて我は思ふ、我はまことに極めて少数の霊魂を救ひ得しのみ、我を師よ師よ呼ぶ者は多し、然れども我が福音を信じて我と偕に苦む者は尠し、神は我が最始の希望を容れ給ひしに過ぎずと。
 然れども我れ翻て思ふ、キリストも其貴き一生の中に僅に十二使徒を得給ひしのみ、而かも其中の一人は悪魔にして、其余の者と雖も一たびは悉く彼を棄去れり、主キリストにして如斯し、我れにして若し一人の霊魂を救ひ得ば是を以て大に足れりと為ざるべからず、救霊は大事業なり、一人の霊魂を救ふは一国を興すよりも難し。
 
(13)     士師ギデオン
                 明治40年4月10日・5月10日・6月10日
                 『聖書之研究』86・87・88号「研究」
                 署名 内村鑑三
 
   編者曰、本文は邦訳聖書に基き、改正英訳聖書、アイサック・レーゼル(猶太人)英訳旧約聖書、綜理ダグラス著『士師記解釈』、G、F、ムーア氏著『士師記批評的註鰐』等に由り之に改正を加へしものなり、余輩は読者が註解を読む前に本文を熟読、精読せられんことを望む。
 
     土師記第六章
 
       要略
  一、イスラエルの子等悪を行《な》してミデアン人の手に附さる(一−五節)。
  一、イスラエルの子等其罪を悔ひてヱホバに呼はる(六節)。
  一、ヱホバ預言者を遣《おく》りて彼等を責め給ふ(七−十節)。
  一、ヱホバの自顕、ヨアシの子ギデオンの聖召(十一−廿四節)。
  一、ギデオン、バアルの像を毀ち其父の家と郷とを革む(二十五−三十二節)。
  一、ミデアン人の侵入、羊毛を以ての試験(三十三−四十節)。
(14) 1イスラエルの子等復たヱホバの目の前に悪を行へり、ヱホバ七年の間彼等をミデアン人の手に附し給へり 2ミデアンの手イスラエルを圧せり、ミデアン人の故を以てイスラエルの子等は山にある窟と洞穴《ほらあな》と堡砦《とりで》とを自己のために造れり 3斯くてイスラエルが種を蒔くや、ミデアン人、アマレキ人及び東方の民、相共に上り来り 4イスラエル人に対して陣を張り、地の産物を荒してガザにまで至り、イスラエルの中に生命を維ぐべき物を遺さず、羊も牛も驢馬も遺さゞりき 5彼等は家畜と天幕とを携へて来れり、蝗虫《いなご》の如くに数多く来れり、彼等と彼等の駱駝は数ふるに勝へず、彼等は国を荒さんとて入来れり 6斯かりしかばイスラエルはミデアン人のために大に衰へたり、茲に於てかイスラエルの人々ヱホバに呼はれり。
 7斯くてイスラエルの子等ミデアン人の故を以てヱホバに呼はりしかば 8ヱホバ一人の預言者をイスラエルの子等に遣《おく》り給へり、彼れ彼等に告げて曰ひけるは、
   イスラエルの神ヱホバ斯く曰ひ給ふ、
   我、曾て汝等をヱジプトより上らせ、
   汝等を奴隷の家より出し、
  9汝等をヱジプト人の手より救ひ、汝等を虐る者の手より脱し、
   汝等の前より彼等を追攘ひ、其邦土を汝等に与へたり、
  10我れ又汝等に言へり、我は汝等の神ヱホバなり、
   汝等が住居る《すまゐを》アモリ人の国の神を懼るべからず、と
   然るに汝等は我が声に従はざりき。
(15)  11茲にヱホバの使者来り、アビエゼル人ヨアシの所有《もの》なるオフラの橡《かし》の樹の下に坐し給へり、時にヨアシの子ギデオン、ミデアン人の目より隠さんために酒搾《さかぶね》の中に麦を打ち居たりしが 12 ヱホバの使者彼に顕はれて曰ひ給ひけるは『猛き勇者よ、ヱホバ汝と偕に在す』と、13 ギデオン彼に曰ひけるは
  あゝ我が主よ、ヱホバ若し我等と偕に在さば何とて是等のこと我等の上に及びたるや、又我等の父祖が我等に告げて『ヱホバは我等をヱジプトより導き出し給ひしにあらずや』と言ひしそのすべての不思議なる行為《わざ》は何処にあるや、今はヱホバ我等を棄てミデアン人の手に附し給へり。
 14ヱホバ彼を顧て曰ひ給ひけるは『汝、此汝の力をもて行きミデアン人の手よりイスラエルを救ひ出すべし、我れ汝を遣すにあらずや』と 15ギデオン彼に曰ひけるは『あゝヱホバよ、我れ何を以てかイスラエルを救ふべき、視よ、我家はマナセ族の中の最も弱き者、我は又我が父の家の中の最も微さき者なり』と 16ヱホバ彼に曰ひ給ひけるは『我れ必ず汝と偕に在るべし、汝は一人を撃つが如くにミデアン人を撃つを得べし』と 17ギデオン彼に曰ひけるは『我れ若し汝の前に恩恵を得しならば、請ふ我と語る者の汝なる休徴《しるし》を我に示し給へ 18願くは我れ復たび汝に来り、我が祭物を携へて之を汝の前に供ふるまで此処を去り給ふ勿れ』と、彼れ曰ひ給ひけるは『我れ汝の還るまで止まるべし』と 19ギデオン即ち往きて小山羊と粉一エパをもて造りし無酵《たねいれぬ》パンを備へ、肉は之を筺《かご》に入れ、羮《しる》は之を壺に盛り、而して橡樹《かしのき》の下なる彼の所に持来りて之を献げたり 20神の使者彼に曰ひ給ひけるは『肉と無酵パンとを取りて此巌の上に置くべし、而して羮を之に注ぐべし』と、彼れ即ち其如く為せり 21ヱホバの使者その手に持てる杖の末端《さき》を伸して肉と無酵パンとに触れたりしかば巌より火燃え上り、肉(16)と無酵パンとを焼き尽くせり、而してヱホバの使者は去りて彼の目に見えずなり給ひぬ 22ギデオン茲に於て彼がヱホバの使者なりしを覚れり、ギデオン曰ひけるは『于嗟我れ死なん、神ヱホバよ、そは我れ実《まこと》に面を合せてヱホバの使者を見たれば也』と 23ヱホバ彼に曰ひ給ひけるは『平安汝にあれ、怖るゝ勿れ、汝死ぬることあらじ』と、24茲に於てギデオン彼所《かしこ》にヱホバのために祭壇を築き、之をヱホバシヤロと名けたり、是は今日に至るも尚ほアビエゼル人のオフラに在り。
25斯くてヱホバ其夜ギデオンに曰ひ給ひけるは『汝の父の牡|犢《こうし》即ち七歳なる第二の牡犢を取り、汝の父の有てるバアルの祭壇を毀ち、其傍なるアシラを斫仆《きりたふ》すべし 26而して汝の神ヱホバのために此堡砦の頂に次序《ついで》を正しくして祭壇を築き、第二の牡犢を取り、汝が斫仆せるアシラの木を以て燔祭を献ぐべし 27ギデオン即ちその僕の十人を携へてヱホバの曰ひ給ひし如くに行へり、然れど父の家のものども及び邑の人を怖れたれば昼之を為すことを得ず、夜に入りて之を為せり 28邑の人々朝早く起き出て来りしに、視よ、バアルの祭壇は毀たれ、其傍なるアシラは斫仆されてあり、新たに築かれたる祭壇の上に第二の牡犢は献げられたり 29彼等互に曰ひけるは『誰が此事を為せしや』と、彼等且つ問ひ且つ探り、終に曰ひけるは『ヨアシの子ギデオン此事を為せり』と 30茲に於て邑の人々ヨアシに対ひ曰ひけるは『汝の子を曳き出せ、彼は死ぬべし、そは彼はバアルの祭壇を段ちたればなり、又其傍にありしアシラを斫仆したればなり』と 31然るにヨアシ己れの周囲に立てるすべての人々に曰ひけるは『汝等はバアルのために論争《いひあらそ》ふや、汝等は之を援けんとするや、之がために論争ふ者は朝の中に死ぬべし、バアル若し神ならば自から論争ふべし、そは人、其祭壇を毀ちたれば也』と 32是をもて人々彼れその祭壇を毀ちたれば『バアル自から論争ふべし』と曰ひて其日ギデオンをエルバアルと称べり。
(17) 33茲にミデアン人、アマレク人、及び東方の民等相集りて河を済りヱズレルの谷に陣を張れり 34然るにヱホバの霊ギデオンに臨めり、彼れ※[竹/孤]を吹きしかばアビエゼル人彼の下に集れり 35彼れ使者を※[行人偏+扁]くマナセに遺《おく》りしかば、マナセ人も亦彼の下に集れり、彼れ又使者をアセル、ゼブルン及びナフタリに遣りしかば、その人々も之を迎へたり 36時にギデオン神に曰ひけるは
  汝、曾て言ひ給ひしが如く、果して我が手を以てイスラエルを救はんとし給はゞ 37視よ我れ羊毛《ひつじのけ》の一束を禾場《うちば》に置くべし、而して露若し羊毛にのみおきて地はすべて燥き居らば、我れ之に由りて汝が曾て言ひ給ひし如く、汝が我が手を以てイスラエルを救ひ給ふを知るべし
と 38即ち斯くなりぬ、彼れ翌朝早く起出で、羊毛を掻寄せてその毛より露を搾りしに鉢は水を以て満たされた 39ギデオン又神に曰ひけるは『我に向つて怒を発し給ふ勿れ、我をして尚ほ一回言はしめ給へ、願くは尚ほ一回羊毛を以て試さしめ給へ、願くは羊毛のみは燥きありて地には悉く露あらしめ給へ』と 40其夜神その如くに為し給へり、即ち羊毛のみは燥きありて地にはすべて露ありき。
 
     註解
 
      時代
 紀元前凡そ千年頃、イスラエルの子等がカナンの地に定住してより二百年乃至三百年の後也、士師ギデオンの前にオテニエル(三章九節)、エホデ(仝十五節)、シヤムガル(仝卅一節)、女預言者デボラ(四章四節)并にバラク(18)(仝六節)ありたり、皆な救者《すくひて》としてヱホバに召されイスラエルを其敵の手より救へり、ギデオンは士師の第六代目なり、或ひは曰ふ、彼れ以前の土師に同時代の者ありたりと 若し然りとすれば彼の年代を精密に知るは更らに難し、後の預言者に所謂る大預言者と小預言者とありしが如く、士師に又大士師と小士師とありたり、而してギデオンはデボラ、サムソン、ヱフタと共に四大士師と併せ称せらる。
       人名、地名
 (1)「ミデアン人」 ミデアンはアブラハムが其妻ケトラに由て生みし子の一人なり(創世記廿五章一−四節)、其子孫はヨルダン河以東の沙漠に住せり、彼等時にはイシマエル人と称せられたり(八章廿四節)、二者の習俗の能
く相似たるに由てなるべし、今日のアラビア人の如き者にして掠奪を以て業とせり 〇(3)「アマレキ人」 剽※[立心偏+干]の民なり、幾度かイスラエルの民を苦しめし者、ミデアン人と同じくヨルダン河以東に住せり(今往きてアマレクを撃ち云々。撒母耳前書十五章三節参考) 〇「東方の民」 ユダヤの地より見て云ふ、ヨルダン河以東に居住せし民なり、ミデアン、アマレク、其他の東方の民を云ふ 〇「ガザ」 ピリステの地に在り、エルサレムより西南にあたり、地中海の浜より遠からざる所にあり、東方の民の掠奪ガザにまで至りしとあるを見てその全国に渉りしを知るべし 〇(11)「アビエゼル人」 マナセ族の一支派なり(約書亜記十七章二節) 〇「オフラ」 マナセの地に在りたり、然れど明細に其地位を定むる能はず 〇(24)「ヱホバシヤロム」 ヱホバは平和なりとの意なり、平和はヱホバより来るとも、ヱホバは平和を賜ふとも解するを得べし、祭壇に名を附する前例は之を出埃及記十七章十五節に於て見るべし(ヱホバニシ、ヱホバ我旗の意なり)、紀念のために祭壇を築きし前例は約書亜記二十二章二十六節に記さる 〇(25)「アシラ」 バアルの像を祭るために立てられし竿なりしが如し、時には数本林立せし(19)ことありたり、故に林と訳せらるる事あり、「アシラを斫仆す」の意は之に由て明かなり 〇(32)「エルバアル」 バアルをして自から論争はしめよとの意なり、偶像の無力なるを表彰して最も適切なる称号なり、此名を負はしめられてギデオンは偶像の破壊者、真神の忠僕として自から立てり 〇(33)「ヱズレルの谷」 イサカル領とマナセ領との間に跨がりし広谷の名なり、其水は東に流れヨルダン河に注げり、東方より攻登りし敵は恒に此谷に由りしが如し、後日に至りサウロ王が其子ヨナタンと共にピリシテ人を迎撃し、其殺す所となりしも此辺に於てなりし、猶太歴史に於ける著名の戦場なり 〇(35)「マナセ」「アセル」「ゼブルン」「ナフタリ」 地図を参照すべし、カナンの地北半部を占領せるイスラエルの支派の名称なり、中にイサカルを欠けり、蓋しギデオンがミデアン人を敗りしはイサカルの領内に於てなりしが故に、彼等の戦闘に加はりしは勿論のことゝして其名を省きしに由るなるべし。
 
     教訓
〇ヱホバに簡《えら》まれ、愛せられ、其驚くべき摂理の下に導かれ来りしイスラエルの子等は復たび彼の前に悪を行へり、彼等は前にも同じ悪を行ひ其懲罰と赦免と救済とに与かれり、然れども懲りずまに彼等は復た、然り復た、ヱホバの前に悪を行へり、人類を代表し、神の撰民を代表し、基督信者を代表する彼等イスラエルの民は悪に陥るに易くして善に留まるに難き民なるかな(一節)。
〇イスラエルの子等はヱホバの前に悪を行へり、如何なる悪をか、姦婬か、奢侈か、酔酒か、狂暴か、彼等はすべて是等の悪を行ひしならん、然れども彼等は是等の悪を行ひし前に更らに大なる悪を行へり、彼等はヱホバの(20)神を棄て他《ほか》の神に従へり、バアルの崇拝家となれり、偶像信者となれり、心の純正を要求し給ふヱホバの神を去て或ひは理性を満足すると称し、或ひは美的観念に訴ふると称し、放縦を許容し、不浄を看過するギリシヤ人、フィニシヤ人、カナン人等の崇拝するバアルの神に事へたり、是れイスラエル人が犯せし特別の罪たりしなり、神は特に此罪のために彼等を其敵の手に附し給へり(一節)。
〇イスラエルの子等はヱホバを棄てバアルに事へたり、而してヱホバは七年の間彼等をミデアン人の手に附し給へり、信仰失せて独立失す、ヱホバに依るは独り立つの途なり、個人に於て然り、国家に於て然り、人類の歴史は此事を証明す(二節)。
〇「堅固なる避所《さけどころ》」なるヱホバを離れしイスラエルの民は最も憐れなる者となれり、曾ては五人は百人を遂ひ、百人は万人を逐ひし彼等は今はミデアン人の追窮する所となり、山に在る窟や洞穴や堡砦を自己のために造りて其中に身を匿くすに至れり、白日に闊歩せし彼等は暗夜に彷徨する者となれり、心にヱホバの神を棄て身に異邦人の圧迫を受くるに至れり(二節)。詩篇七十一篇七節。利未記二十六章八節。
〇信仰堕落の結果としてイスラエルの民は其自由と独立とを失ひしに止まらず、其産までをも奪はるゝに至れり、彼等種を蒔くや、ミデアン人は其同類アマレキ人及び其他の東方の民を伴ひ来り、イスラエル人に対して陣を張り、地を荒して北の方ガリラヤ湖畔より南の方ガザの市にまで及べり、彼等は蝗虫《いなご》の如くに来れり、其数は算へ難く、其残害は防ぐに途なかりき、斯くてイスラエルの中に存せし生命を維ぐべき物は羊、牛、驢馬に至るまで蝗虫に食み尽されしが如くに異邦人の掠むる所となれり、イスラエルの民はヱホバの神を棄てし時に事の茲に至らんとは思はざりしならん、彼等は身の繁栄を期してヱホバを去てバアルに事へしなり、然るにバアルは彼等の(21)希望を充たす能はずして、彼等は彼等の生命と恃みし其財産までを奪はるゝに至れり、信仰堕落は恒に信仰堕落に止まらず、延びて資産消失にまで曁ぶ(三−六節)。
〇「茲に於てかイスラエルの人々ヱホバに呼はれり」 彼等は異邦人の掠むる所となり、其産を奪はるゝに至つて、始めて自己の非を暁り、声を揚げてヱホバに呼はれり、憐れむべき彼等は非を非として解する能はず、其悲むべき結果を見て始めて自己に帰るに至る、神を其真美に於て視ずして、其下し給ふ物質上の恩恵に於てのみ認むる者の為す所は恒に斯の如し、其産を奪はれて後始めて神に向つて叫ぶ、産を奪はるゝまでは心より聖霊を取り去らるゝも、口より讃美の声を絶たるゝも、何の損失をも感ずることなく、神は無きに等しき者と思ひ、或ひは利慾の神バアル即ちヱホバなりと想ひて、安逸貪婪を継続す、彼等の愚や憐むべし、然れども産を奪はれて目を覚ませし彼等に尚ほ救済の希望存す、世には此希望すらも存せざる者あり、即ち産を奪はるゝもヱホバに帰ることなく、尚ほもバアルに祈りて復たび産を作らんと欲する者あり、然れどもイスラエルの民は斯くまでに神に詛はれし民にはあらざりき、彼等は彼等の圏《をり》より羊と牛と驢馬とを奪はれて終に眼を上げてヱホバに向つて呼はれり(六節)。
〇ヱホバはイスラエルの子等の叫号《さけび》の声を聴き給へり、依て先づ一人の預言者を彼等の中に遣り給へり、預言者は預言者なるよりは寧ろ詰責者なり、彼は救者《すくひて》に非ず、救者は預言者の後に来る、神は先づ預言者を遣りて罪を責めしめ、然る後に救者を遣りて恩恵を施して救ひ給ふ(七、八節)。
〇イスラエルの罪とは是れなり、即ち彼等は前に彼等を救ひしヱホバを棄て、彼等と何の関係もなき異邦人の神に従へり、忘恩は彼等が犯せし特別の罪悪たりしなり、彼等若しヱホバを識らざりしならば止む、然れども彼等(22)は国民としては既に数百年に渉り「ヱホバの恩恵深きを嘗《あぢは》ひ」ながら、今に至て之を棄て他の神に仕へたり、是れヱホバが彼等に就て特に怒り給ひし所以なり、故にイスラエルが犯せし罪は異邦人の犯し能ふ罪にあらず、「曾て嘗ひて主を仁《めぐみ》ある者と知」りし者のみ犯し能ふ罪なり、即ち不信者の犯し能ふ罪にあらずして、信者のみ能く犯し克《あた》ふ罪なり、イスラエルは今復た此事を覚らざるべからず、然らざれば救済は彼等の上に臨まざるべし(八−十節)。
〇預言者は其任務を終りたり、吾人は其何人なりし乎を知らず、聖書は其名さへをも吾人に伝へず、唯纔かに彼の発せし此警醒の一言を録《しる》すのみ、彼は誰なりし乎、アモスの如き牧者なりし乎、エリヤの如き野人なりし乎、吾人は知らず、吾人は唯此時尚ほイスラエルに無名の預言者ありしを知るのみ、既に此預言者ありたり、イスラエルの復興は期して待つべし(七−十節)。
〇預言者は其警醒の任務を終りたり、今は救済者の顕はるべき時なり、「茲にヱホバの使者来り、アビエゼル人ヨアシの所有なるオフラの橡の樹の下に坐し給へり」、ヱホバの使者とは何者なる乎、希伯来語にて之を Mal'ak《マラク》Jahweh《ヤーベー》と云ふ、彼は人なるが如くにして人にあらず、神なるが如くにして霊にあらず、彼は曾て曠野《あれの》の泉の旁《かたはら》にてアブラハムに顕はれし者、又|棘《しば》の中の火※[陷の旁+炎]《ほのほ》の中にてモーゼに顕はれ給ひし者なり、人に非ず、神に仕ふる天使にあらず、マラクヤーベーはヱホバの自顕なり、後にイエスキリストとして顕はれ給ひし者也とは神の選民の一般に信ずる所なり、彼れ今其民を救はんとてマナセ族アビエゼル人ヨアシの所有なる橡の樹の下に坐し給へり、是れより奇績《ふしぎなるわざ》はイスラエルの中に行はるべし(十一節)。創世記十六章十七節以下。出埃及記三章二節以下。
〇ヱホバは其民を救はんとて下り給へり、然れども自己を国民全体に顕はし給はず、其中の唯一人に顕はし給へ(23)り、而かも其中の最も小なる者に顕はし給へり、国民の救済は個人の救済を以て始まる、而かも其最も小なる者の救済を以て始まる、衆目が見て以て塵となし、衆指が指して以て穢《あくた》と做す者の救済を以て始まる、是れヱホバの為し給ふ所、我等の目に奇しと見ゆる所なり(十二節)。
〇ヱホバの使者は酒搾《さかぶね》の中に麦を打ち居たるヨアシの子ギデオンに顕はれ給へり、彼れ彼を祝して曰ひ給はく『猛き勇者よ、ヱホバ汝と偕に在す』と、後に処女マリヤを祝して『慶《めで》たし、恵まるゝ者よ、主汝と偕に在す』と言ひ給ひしが如し、ギデオンの小なりしも神に其勇猛を認めらるゝ所となりたり、彼は自己の弱きを知れり、然るにヱホバは「猛き勇者よ」と曰ひて彼に話し掛け給へり、ヱホバはギデオンの信を知り給へり、彼の天上よりの力を受くるに足るの器なるを知り給へり、故に微弱なる彼を「猛き勇者よ」と称び給へり、人は其予定の力量に於て神に識らる、今のギデオンは後のギデオンに非ず、「猛き勇者」とは今のギデオンに非ず、神が予め定め給ひしギデオンなり、即ち聖霊を受けて後のギデオンなり(十二節)。第三十四節を見よ。
〇ギデオン驚いて曰ふ、ヱホバ我と偕に在すとよ、此事決してあるべからず、ヱホバは既にイスラエルを棄て之をミデアン人の手に附し給へり、ヱホバがイスラエルと偕に在し給ひしは過去の事に属す、今は末の世なり、預言は止み、奇績も亦絶えたり、ヱホバ我と偕に在すと聞くも我は其声を信ずる能はずと(十二、十三節)。
〇然れどもヱホバは更らに彼を強めて曰ひ給はく、「疑ふ勿れ、信ぜよ、汝、此汝の力を以て行きミデアン人の手よりイスラエルを救ひ出すべし、我れ汝を遣すにあらずや」と、神はモーゼの時に於ての如くギデオンの時に於ても人と偕に在し給ふ、彼は永遠の存在者なれば彼の存在が過去に属するが如き時は永久にあるべからず(十四節)。
(24)〇「汝、此汝の力を以て往くべし」と、我、今汝に与へんとする其力を以て往くべし、汝に存するにはあらで我に存する此(彼は自己を指して此言を発し給ひしならん)力を以て往くべし、我れヱホバ汝を遣すにあらずやと、ヱホバはギデオンの注意を自己(ヱホバ)に惹き給ひて彼を励まし給へり、彼れギデオンは自己の力を以て往くにあらず、ヱホバの賜ふ力を以て往くなり、独り自から択らんで往くにあらず、ヱホバに遣られて往くなり、彼の成功の希望と確実とは此に存す(十四節)。
〇然れどもギデオンの懐疑はヱホバの此奨励の言を以て晴れず、彼は更らに彼の微弱を訴へて彼に負はされんとする責任より免かれんとせり、「我家はマナセ族の中の最も弱き者、我は我が父の家の中の最も微さき者なり」と、前にモーゼは彼を埃及王パロに遣さんとするヱホバの命を拒んで曰へり「主よ、我はもと言辞に敏き人にあらず、我は口重く舌重き者なり……願くは遣はすべき者を遣はし給へ」と、後にヱレミヤは預言の職を辞して曰く「噫主ヱホバよ、視よ、我は幼なきに由り語ることを知らず」と、神に召されし者は恒に自己の微弱を識認して止まず、辞するに能力の不足を以てす、然れども此謙虚ありてこそ能く神よりの力を注がるゝを得るなれ、ギデオンも亦自己を信ぜざりし、彼も亦神の召命に接して甚だ意外に感じたり(十五節)。出埃及記四章十、十三節。耶利米亜記一章六節。
〇ヱホバ復たびギデオンの辞退の言辞を退けて曰ひ給ひけるは「我れ……我れ万物を造りしヱホバ……必ず、汝と偕に在るべし、汝は一人を撃つが如くミデアン人を撃つを得べし」と、ヱホバの手に由りて事を為さんとす、ギデオンの弱きを以てするもミデアシの強きを挫くは容易の業なり、ギデオンはヱホバを信ずれば足る、其余はヱホバ、彼に代り、彼を通うして為し給ふべし(十六節)。
(25)〇ギデオン茲に於て彼の前に立つ者の普通尋常の人にあらざるを覚りたり、彼は彼と語る者の彼なるを稍や悟るに至りたり、彼は今彼の彼たるを認めざるべからず、彼にしてヱホバたらん乎、然らば彼の召命は動かすべからず、又彼の言は事実となりて顕はるべし、故に彼は茲に祭物を献げて彼を拝し奉れり、而して彼は之を納け給ひて彼のヱホバたるを証し給へり、ギデオンは面を合せてヱホバと語りつゝありしなり(十七−廿一節)。
〇聖なるかな聖なるかな聖なるかな万軍のヱホバよ、汝の実在を確むるに唯献祭の一途あるのみ、唯汝のみ能く之を祝し之を納け給ふ、我は我が祭物の汝に納けらるゝを見て汝の我と偕に在し給ふを知るなり、我は我が利慾の祈願を汝の前に陳べて、汝の之に応へ給ふや否やを見て、汝の実在を試むる能はず、是を之れ神を試むると云ふなり、然れども祭物を献げて汝の聖旨のある所を知らんとするは是れ汝の許し給ふ所なり、ギデオンは此途に由りて汝の汝なるを知り得たり、願くは我も我が有する最も善き物を汝の前に献げて我の霊と語る者の聖なる万軍のヱホバなるを知らんことを(仝)。以賽亜書六章。
〇ヱホバの使者、ギデオンが献げし祭物を納け給ひて後に彼の目に見えずなり給ひぬ、茲に於てか恐怖ギデオンの身を襲ひぬ、彼は目に神を視しを覚りぬ、面を合せて神を見し者は其栄光に耐えずして死すべしとは彼が曾て聞きし所なり、実に人は未だ曾て神を見しことなし、然るにギデオンは今や面前に彼の祭物を受納れ給ひしヱホバを見奉れり、故に彼は歎声を発して曰へり「于嗟我れ死なん、神ヱホバよ、そは我はまことに面を合せてヱホバの使者を見たれば也」と、昔時ヤコブも亦ヱホバと相見えて死せざりしを歓び、其会見の地をペニエル(神の面)と名づけて曰へり「我れ面と面を合はせて神と相見て我が生命尚ほ存るなり」と、後日又シモン ペテロ、イエスが其神たるの栄光を以て彼に顕はれ給ひしを見て、死を怖れて其足下に俯して曰く「主よ我を離れ給へ、我(26)は罪人なり」と、人は神を見んと欲すれども、彼と相見えて怖れざるを得ず、我等は自己の何たるを知らず、又神の何たるを知らず、故に濫りに神人合体を口にして憚からざるなり、ヱホバ、モーゼに曰ひ給はく、「汝は我が面を見ること能はず、我を見て生くる人あらざれば也」と、神を怖れざる者は彼を視奉ること能はず、ギデオンの恐怖は其謙虚の如し、是れありたればこそ彼は神に召され、其自顕の恩恵に与かりしなれ(廿二節)。創世記三十二章三十節。路加伝五章八節。出埃及記三十三章廿節。
〇然れどもギデオンは恐るゝに及ばず、彼は死ざるべし、ヱホバは彼を殺さんとして彼に顕はれ給ひしにあらず、彼を救ひ、彼を以て彼の家と国とを救はんために彼に顕はれ給ひしなり、神は又神として彼に顕はれ給はず、ヱホバとして顕はれ給へり、ヱホバは神なり、然れども宇宙の主権者としての神にあらず、人類の救主としての神なり、彼は万有を主宰し給ふ、彼の手には権勢と能力あり、然れども彼れ人を救はんとして世に臨《くだ》り給ふや、彼は身に謙遜を衣、人の如き形状にて現はれ給へり、人は神を見て生きざるべし、然れどもヱホバを見て救はるべし、ヱホバは人の見るを得る神なり、先きにモーゼに顕はれ、ヱホバなる名を彼に示し給ひ、後にイエスキリストとして世に顕はれ、万人の罪を贖ひ給ひし者なり、今やギデオンも亦彼を見奉れり、彼は見るに柔和なる人の友なりき、彼れギデオンを祝して曰ひ給はく「平安汝にあれ」と、(廿三節)。歴代志略上廿九章十二節。彼得前書五章五節。腓立比書二章八節。出埃及記三章十四節。
〇「茲に於てギデオン彼所《かしこ》にヱホバのために祭壇を築き、之をヱホバシヤロと名けたり」、祭壇を紀念のために築くはイスラエル人の習慣なりしが如し(地名欄を見よ)、ギデオン今やヱホバの特性に就て新たに示さるゝ所ありたり、彼は神は懼るべき者、捫《さは》るべからざる者、燃たる火の如き者、密雲、暗黒、又は暴風の如き者なりと想へ(27)り、然るに茲にヱホバの柔和なる形状を拝し奉り、其「平安汝にあれ」なる優しき声に接して、ヱホバに関はる彼の思想は一変せり、彼は心に曰ひしならん、「ヱホバは猛威にあらず、権勢に非ず、平和なり」と、ヱホバシヤロム、ヱホバは平和なり、人の近づき得る者、人に近づき給ふ者、救済の神、宥め得べき者、永久に怒り給はざる者、赦し給ふ者、故に我と我家と国とを敵人の手より救出し給ふ者と、是れ此時に於けるギデオンの感なりしならん、彼が彼所に紀念のために祭壇を築きて之をヱホバシヤロム(ヱホバは平和なり)と名づけしは宜べなり、神の僕の生涯に於て紀念すべき期は彼が神に就て新たに学ぶ所ありし時なり、而して威権の神が平和の神として心に顕はれ給ひし時に、我等今日の基督者も亦石ならぬ壇を築きて、其上に新たに自己を献げまつるにあらずや(二十四節)。希伯来書十章十八節。
〇ヱホバは先づ自己をギデオンに顕はし給ひ、彼を聖め且強め給へり、今より彼を以てイスラエルの民を救ひ給はんとす、然れども之に先だちて彼をして彼の家と郷とを救はしめ給ふ、ギデオンは先づ其父の有てるバアルの祭壇を毀ち、其傍なるアシラの竿を斫仆し、其木を以て父の圏《をり》より取出せし七歳の牡犢を燔祭としてヱホバに献ぐべく命ぜられたり、是れ勇気を要する行為なり、父に背き、郷友に背き、其忿怒を買ふの行為なり、然れどもギデオンは之を敢てせり、但し昼間に於て之を為さずして夜間に之を為せり、彼の勇気に尚ほ足らざる所ありたり(廿五−廿七節)。
。郷民は怒れり、彼等はギデオンの死を其父に求めたり、然れども何ぞ計らん、父ヨアシは其子の行為を怒らずして、却て其ために弁じたり、ギデオンの心を照らせし神の霊は度に其父の心を化せしが如し、敵と思ひし父は今や既に味方と化し居れり、ギデオンの此時の感謝は如何ばかりなりしならん、然れども断じて神の命を行ふ者(28)は恒に此くの如し、反対は思ひしよりも強からず(廿八−卅一節)。
〇ギデオンの父ヨアシ、其子の行為を弁じて曰く「バアル若し神ならば自から論争ふべし」と、真神と偽神、真理と誤謬との別を識るに唯此一途あるのみ、真神は懲し給ふ、偽神は罰する能はず、真理は其れ自身を証明す、後、パリサイの人にて衆民の中に尊ばるゝ教法師ガマリエル、同じ論法を以てイエスの弟子等の行為を弁じて曰く「此人々を容して之に係はる勿れ、若しその謀る所、行ふ所、人より出でば必ず亡ぶべし、若し神より出でば汝等彼等を亡すこと能はず、恐らくは汝等神に逆ふ者とならん」と(卅一節)。使徒行伝五章三十四節以下。
〇ヨアシの抗する所となりて郷民はギデオンに害を加ふること能はず、唯彼にヱルバアルなる綽号《あだな》を附して之を放免せり、ヱルバアル、之を釈けば「バアル論争ふべし」の意なり、敵の嘲弄の言辞に深き意味の存することあり、ギデオンは喜んで此名を受けしならん、彼は独り心に黙想して曰ひしならん「ヱルバアル、バアル論争ふべし、然れども彼は論争ふ能はず、彼は口ありて語る能はず、耳ありて聴く能はざる偶像なり、彼れ恐るゝに足らず、彼を拝するカナン、ミデアン、アマレキの民等も亦恐るゝに足らず、我は此名を帯びて進んでバアルと其従者等とを撃たん」と(卅二節)。
〇彼の家と郷とは今や彼に服せり、彼は今より進んで彼の国を救はざるべからず、ミデアン人、アマレク人及び東方の民等は相集りて既にヨルダン河を渡りてヱズレルの谷に陣を張れり、然れども恐るゝ勿れ、此時ヱホバの霊ギデオンに臨めり、敵は其大軍を悉して来れり、然るに之に対してヱホバの霊ギデオンに臨めり、敵の聯合軍とヱホバの霊、二者何れが強き乎、今やヱズレルの谷に肉の力に対する霊の力は試めされんとす(卅三、卅四節)。
〇ヱホバの霊ギデオンに臨めり、彼れ其霊に励まされて※[竹/孤]を吹きしかばアビエゼルの全郷は彼の旗下に集れり、(29)彼れ又マナセ族を招きければ全族挙つて彼の命に服へる、彼れまたアセル、ゼブルン及びナフタリの諸族を招きしかば彼等も亦彼の招きに応じて来れり、彼は一躍して人望の人となりぬ、彼は最早マナセ族の中にて最も弱き家の中の最も微さき者にあらず(十五節)、人望、一時に身に蒐る時に大なる危険あり、ギデオンは今や輙《やや》もすれば神を忘れんとするの危険に瀕せり、彼は再び神に近づきて、彼と彼の民と両つながらを力附くる者の神ヱホバなることを確かめざるべからず、所謂る「羊毛を以てせし試験」とは是れなり(卅四節以下)。
〇羊毛の一束は民の先導者たる己れギデオンを代表し、禾場《うちば》は彼の周囲に在る民を代表 、露は神の霊を代表す、ギデオンは先づ知らんと欲す、神の霊は特に先づ彼れ一人の上に下りし者なる乎、彼の熱心なる者は彼れが民衆熱心に駆られて得し者にはあらざる乎、彼の受けし力は人よりなる乎、神よりなる乎、熱情の火なる乎、恩恵の露なる乎、是れ彼れが第一に知らんと欲せし所なり、而して神は彼の祈願《ねがひ》に応《かな》ひて、其、彼が思ひしが如くなることを彼に知らしめ給へり(卅六−卅八節)。露が神の霊を代表することに就ては詩篇第百三十三篇三節。何西阿書十四章五節を見るべし。
〇ギデオンは第一に彼の受けし能力の特に神より送られし者なるを知らしめられたり、彼は次に彼の招きに応じて彼の下に集り来りし民も亦単に彼れギデオンの声に応じて集りしにあらずして、神の霊に導かれて来りし者なるや否や、其事を知らんと欲せり、即ち神はギデオンを離れて直に民を招き給ひしなる乎否やを知らんと欲せり、是れ第二の「試験」の意味にして、神は又ギデオンの祈願に応へて、其、彼が思ひしが如くなるを彼に知らしめ給へり(卅九、四十節)。
〇ギデオン茲に於て、彼に臨みし能力の所謂る多数の勢力に非ずして特に神より賜はりし霊なるを知れり、又民(30)を強むる者の彼等の先導者なる彼に非ずして神御自身なるを知れり、導く者も神に導かれ、導かるゝ者も神に導かるゝを知れり、茲に於てか彼の懐疑は晴れ、憂慮は散し、勇気は百倍して、彼は彼の下に集ひ来りしすべての民を導きて進んでハロデの泉の辺りにミデアン人に対して陣を張れり(次章一節)。
  註 第二十五節并に二十八節に云へる「第二の牡犢」と云へるは何の意味なるや、原文不明にして知るに由なし、「其七歳」の者とあるは七年間に渉るイスラエルの束縛を表してなるべし、牡犢を罪祭として献ぐることに就ては出埃及記二十九章三十六節、利未記十六章六節等を見るべし。 〔以上、4・10〕
 
     士師記第七章
 
       要略
  一、ギデオン民を率ひてミデアン人に対す(一節)。
  一、ギデオン其兵を選抜す(二−八節)。
  一、ギデオン密かに敵陣を窺ふ(九−十五節)。
  一、ギデオン謀計を廻らして敵陣を敗る(十六−廿二節)。
  一、ミデアン人の追撃(廿三−廿五節)。
 1斯くてヱルバアル即ちギデオン及び彼と偕に在りしすべての民は朝|夙《つと》に起出てハロデの泉の辺に陣を取れり、ミデアン人の陣は彼等の北の方にあたりモレの山に沿ひ谷の中にありき。
(31) 2時にヱホバ、ギデオンに曰ひ給ひけるは
  汝と偕に在る民は、我れその手にミデアン人を附さんには余りに多し、恐くはイスラエル我に向ひて自から誇りて曰はん『我れ我が手を以て己を救へり』と 3然ればいま民の耳に告げて曰ふべし『誰にても懼れ慄く者はギレアデ山を廻りて帰り去るべし』と、
茲に於て民の帰りし者一万二千人ありき、而して一万人は残れり。
 4ヱホバ又ギデオンに曰ひ給ひけるは
  民尚ほ多し、汝、彼等を導きて水際に下るべし、我れ彼所にて汝のために彼等を試みん、凡そ我が汝に告げて『此人は汝と偕に往くべし』と言はん者は即ち汝と偕に往くべし、又凡そ我れ汝に告げて『此人は汝と偕に行くべからず』と言はん者は即ち往くべからざるなり。
 5斯くてギデオン、民を導きて水際に下れり、ヱホバ、ギデオンに言ひ給ひけるは
  凡そ犬の舐むるが如くに其舌を以て水を舐むる者は汝之を別け置くべし、又、凡そ其膝を折り屈みて水を飲む者をも亦然かすべし。
 6而して水を舐めし者の数は三百人なりき、余の民は尽く膝を折り屈みて水を飲めり 7ヱホバ、ギデオンに曰ひ給ひけるは『我れ水を舐めたる三百人を以て汝等を救ひ、ミデアン人を汝の手に附すべし、余の民は悉くその所に就くべし』と 8茲に於て彼等民の兵糧と其※[竹/孤]とを手に受取れり、ギデオンすべてのイスラエルを各自其天幕に送り帰せり、然れどもかの三百人を留置けり、而してミデアン人の陣は彼の眼下に谷の中にありき。
 9其夜ヱホバ、ギデオンに曰ひ給ひけるは『起てよ、下りて敵陣に攻入るべし、我れ既に之を汝の手に付たせ(32)り 10然れど汝若し下ることを怖るゝならば汝、汝の僕フラと偕に陣所に下るべし 11汝、彼等の言ふ所を聞かん、然かせば汝の手は強められて汝敵陣に攻入ることを得ん』と、ギデオン即ち其僕フラと偕に下りて陣所に在る隊伍の外辺に至れり、12ミデアン人、アマレキ人及びすべて東方の民は其数蝗虫の如く谷の中に偃し居れり、其駱駝も亦数ふに勝へず、浜の砂の如くなりき 13ギデオン其処に至りしに、或人其|侶伴《とも》に夢を語り居れり、其人は曰へり
  視よ、我れ夢を視たり、大麦のパン一つミデアンの陣中に転《まろ》び入りて天幕に至り之を打仆し覆しければ天幕は倒れ臥せり
と 14其侶伴答へて曰へり
  是れイスラエルの人ヨアシの子ギデオンの剣に外ならず、神はミデアンと其すべての軍とを彼の手に付たし給へり
と 15ギデオン夢の物語と其解釈とを聞きしかば地に伏して拝せり、彼れイスラエルの陣所に還り曰ひけるは『起てよ、ヱホバは汝等の手にミデアンの軍を付たし給へり』と。
 16斯くて彼れ三百人を三隊に分ち、手に手に※[竹/孤]及び空瓶《からつぼ》を取らせ、瓶の中に火炬《たいまつ》に置かしめたり 17彼等に曰ひけるは
  我を視て我が為す如くせよ、我れ陣所の外辺に至らん時我が為す如く汝等も為すべし 18我及び我と偕に在る者すべて※[竹/孤]を吹かん時、汝等も亦すべて陣営の四方にて※[竹/孤]を吹きて曰ふべし「ヱホバのため、ギデオンのため」と。
(33) 19斯くてギデオンと彼と偕に在りし百人、中更の初め番兵の新たに置かれし頃、陣営の外辺《ほとり》に至れり、彼等※[竹/孤]を吹き、其手に携へたる瓶を打砕きたり、20即ち三隊の兵等※[竹/孤]を吹き瓶を砕き、左手に火炬を執り、右手に※[竹/孤]を持ちて之を吹き、「ヱホバのため、ギデオンのため」と喊べり 21各人その持場に立て陣営を囲みたり、全軍は走れり、彼等は叫号せり、遁逃せり 22三百の人※[竹/孤]を吹きければ、ヱホバは各人の剣をして其同士と全軍とを撃たしめ給へり、全軍は逃れてゼレラの方《かた》ベテシッタまで、又タバテに沿ひしアベルメホラの境にまで至れり。
 23茲に於てイスラエルの人々、ナフタリの中より、又アセルの中より、又マナセの全族の中より集ひ来りてミデアン人を追撃せり 24ギデオン又使者を※[行人偏+扁]くエフライムの山地に遣して曰はせけるは
  下りてミデアン人を邀へ、其前に水を擁してベテバラ及びヨルダンにまで至るべし
と、斯くてエフライムの人々尽く集ひ来りてベテバラ及びヨルダンに至るまでの水を擁したり 25彼等はミデアンの侯伯オレブとゼエブの二人を俘へ、オレブは之をオレブの巌に殺し、ゼエブは之をゼエブの酒搾《さかぶね》に殺し、尚ほもミデアンを追撃せり、而してオレブとゼエブの首を携へてヨルダンの彼方に於てギデオンの許に至れり。
 
     註解
 
 本文の訂正並に記事の年代に就ては前号を見るべし。
       地名、人名
 (1)「ハロデの泉」「モレの丘」 両軍ヱズレルの谷を隔て相対す、ハロデの泉は其南にあり、「モレの丘」は其北にあり、「ハロデ」は戦慄の意なり、三節に謂へる懼れ慄くより出し名なる乎、若し然りとすれば名は此事あり(34)しょり後にて附せられし者なるべし、撒母耳前書廿九章一節に謂へるヱズレルに在る泉水とは此泉のことなるべし 〇(3)「ギレアデ山」 ヨルダン河以東に在り、此名の山、其以西に見当らず、故に日本訳聖書の「ギレアデ山より帰るべし」は地理学上意味を為さず、余輩は博士ダグラスの説に従ひ「ギレアデ山を廻りて」と改訳せり、即ちパレスチナ本土を避けて、ヨルダン河を渡りギレアデ山の麓に添ひ迂廻して家に還るべしとの意なるが如し、註解者を多く苦めし一節なり 〇(22)ミデアン軍は其一部は北の方ベテシッタに向ひ、其他の一部は南の方アベルメホラに向ひ、南北両方に向て遁れしが如し、アベルメホラは預言者エリシヤの生地なり(列王紀略上十九章十六節)、ゼレラはゼレダ(仝十一章廿六節)又はザルタナ(仝四章十二節)ならんとの説の外、是等の地名に就て知る所なし 〇(25)「オレブ」 烏、「ゼエブ」 狼、人に禽獣の名を附けしは我国にも其例あり、頭八咫烏《やたからす》、土蜘蛛《つちくも》、熊襲等の名を参照すべし 〇「オレブの巌」「ゼエブの酒搾」 後世にて附せし名なり、士師記の書かれし時代には著名の所なりしなるべし。
 
     教訓
 
〇イスラエルの戦争はヱホバの戦争なり、是れ数を以て勝つべき者にあらず、信を以て勝つべき者なり、人は数に頼むも神は信を求め給ふ、二万の人は多きに過ぐ、神によりて敵を敗らんとす、三百人にて足る、然り、一人にて足る、神は其愛子をして「我れ我が手を以て己を救へり」と云はしめ給はず(二節)。
〇モーセの遺書に曰く
  汝その敵と戦はんとて出るに当り馬と車を見、又汝より数多き民を見るも之を懼るる勿れ、そは汝をエジプ(35)トの国より導き上りし神ヱホバ汝と偕に在せばなり………誰か懼れて心に臆する者あるか、其人は家に帰り行くべし、恐くはその兄弟等の心、之が心の如く挫けん(申命記二十章一節、八節)。
と、敵の多きは懼るゝに足らず、味方に怯者あるは恐るべし、怯者は之を淘汰すべし、怯者は之を其家に還すべし、怯者は独り怯者たるに止まらず、其怯を他人に伝染す、怯者を陣中に留めて全軍怯者と化するの虞れあり(二節)。
〇怯者は其家に還るべし、然れども東の方ヨルダン河を渡り、ギレアデ山を廻りて還るべし、怯者は其怯を全軍に伝ふるのみならず、之を国民に伝へて其鋭気を挫くの虞れあり、故に家に還るに方ても国民の中を通過すべからず、国外を廻りて行くべしと、而して此命に従ひ陣を去りし者一万二千人なりしと云ふ、即ち陣に臨みし者の過半数なりしと云ふ、憐むべきかな怯者!(二節)。
〇蝗虫の如きミデアンの軍に対して二万の軍は多きに過ず、然るに既に其半を失ひたり、イスラエル人の心中察するに余りあり、然るにヱホバは更らに言を続けて曰ひ給ふ「民尚ほ多し」と、軍は更らに精選せられざるべからず、民の自己に恃む心は更らに除かれざるべからず、一万人は尚ほ多し、神の奇蹟を表はすに足るの少数にまで減ぜられざるべからず(四節)。
〇ギデオン軍を導きてハロデの泉より流れ出る小川の水際に至れり、此所に其三百人は直に地に伏し、其面を水に当て犬の舐むるが如くに其舌を以て水を舐めたり、其余の民は尽く膝を折り、屈みて水を飲めり、前者は敏捷を表し、後者は猶予を示せり、敵を面前に控へながら猶予する者の如きは取るに足らず、ギデオンは勇あり且つ警戒怠らざる三百人を以て敵の大軍を敗るべしとなり(五、六、七節)。
(36)○水辺に警戒の欠乏を表せし一万余の民は軍を去りて家に還るに及ばず、其携へし所の兵糧と※[竹/孤]とを戦士に渡し、各自其天幕に留りて、少数の攻撃隊の後援たるべしとなり、怯者は家に還り、勇者は陣に留り、敏者は進んで敵に当る、軍の区分、斯の如くに成りて、小軍も能く大軍を敗るを得べし、軍を弱からしむることにして其厖雑なるが如きはあらず、勇怯を区分して勇気は十倍し、利鈍を区分して鋭利は百倍す、区分なるかな、区分なるかな、事を成すの秘訣は茲に存す(八節)。
〇軍の淘汰成り、ギデオンは今や直に進んで敵を撃て之に勝つを得べし、然れども必勝の確信、未だ彼に起らず、彼に尚ほ躇躇逡巡の色あり、故にヱホバは彼を密かに敵の陣営に遣り、其状況を察せしめ給ふ、而してギデオン其所に至れば、敵の陣中、既にヱホバとギデオンの名を聞て震ふを見たり、「大麦のパン一つミデアンの陣中に転入《まろびいり》て天幕に至り之を打仆し覆しければ天幕は倒れ臥せり」と、是れ懦夫の夢語《ゆめものがたり》に過ぎず、然れども能く陣中の輿論を表する者なり、大麦のパン一個は酒搾の中に麦を打ち居たりしヨアシの子ギデオンなり(前章十一章)、彼れミデアンの陣中に転び入りて其王の天幕を打仆し、之をして立つ能はざるに至らしめんと、敵軍既に此恐怖を懐けり、一撃の下に之を挫くを得べし、我等に力を添へ給ふ神は同時に敵の胆を奪ひ給ふ、即ち恐怖の霊を彼等に下して彼等の心を弱くし、我等をして彼等を挫くに更らに容易ならしめ給ふ(九−十四節)。
〇ギデオン、敵兵の夢物語を聞いて歓びて地に伏してヱホバを拝せり、必勝の確信今や彼に起れり 故に彼は急ぎイスラエルの陣に還りて曰ふ「起てよ、ヱホバは汝等の手にミデアン軍を付たし給へり」と、戦は既に勝ちしものとしてギデオン之をイスラエルの陣に報じたり(十五節)。
〇ヱホバに頼りてミデアンの大軍を敗るに方りてはギデオンは剣を抜いて血を流すの要を見ざりき、※[竹/孤]と火炬、(37)鳴る物と光る物、是れにて足れり、敵は之を敗れば足る、殺すを要せず、其胆を奪へば足る、其の生命を奪ふを要せず、ギデオンの戦争は神の戦争なりし、故に自から進んで血を流す戦争にあらざりき(十六−廿節)。
〇ギデオンと彼の三百人は各自その持場に立ちて敵の陣営を囲み、叫び且つ光を放てり、而して敵軍は互に相殺せり、我等叫べば彼等互に相殺し、我等輝けば彼等先を争ふて走る、神の戦争は斯くあらざるべからず、自から手を下して敵を殺すべからず、敵、若し殺さゞるべからずば敵をして之を殺さしむべし、我等は唯勝利の声を放ち、真理の光を放てば足る、殺戮は我等の業にあらず(廿一、廿二節)。
〇敵軍遁逃の報伝はるや、全国今や怯懦の民あるなく、ナフタリ人も、アセル人も、マナセ人も招かざるに集ひ来りて北ぐる敵の跡を逐へり、世に敗軍を追撃し得ざるが如き怯者あるなし、他人をして敵を敗らしめ、而して己れ其追撃の任に当る、人情は古今東西変ることなし、勇者は独り立て敵を敗り、怯者は隠れて批評眼を以て勝敗を目撃し、敵の敗走を認めて然る後に集ひ来りて戦勝の栄誉を窃む(廿三節)。
〇然れどもヱフライム人は少しく恥を知れり、彼等は招かれずしては追撃の軍に加はらざりき、ギデオン又彼等の頼むべきを知りたれば使者を遣はして彼等の参加を促せり、而してギデオンの召に応じて下り来りしヱフライム人は其為す所又群を抜けり、彼等はベテバラ及びヨルダンの渡口に敵を邀へ、其処に敵将二人を殺し、其首を携へてヨルダン河の彼方にギデオンに会せり、唯憾む、敵を放りて後に、信仰の戦争は殺戮の戦争と化せしことを、ギデオンの堕落は実にミデアン軍潰走の時を以て始まれり、成功の時、是れ堕落の危機なり、ギデオンは敵に勝つの訣を知て之を逐ふの術を知らざりき、敵将の生首を見て喜びしギデオンは自家に大敵を起すの俑を作れり(廿三−廿五節第九章参照)。 〔以上、5・10〕
 
(38)     士師記第八章
 
       要略
  一、ギデオン頓智を以てエフライム人の怒を解く(一−三節)。
  一、ギデオン、スコテとペヌエルの民に食を乞ひて斥けらる(四−九節)。
  一、ギデオン、ミデアンの軍を殲《つ》くす(十−十二節)。
  一、ギデオン、スコテとペヌエルを懲す(十三−十七節)。
  一、ギデオン其兄弟の仇を報ゆ(十八−廿一節)。
  一、ギデオン、イスラエルの王位を辞す(廿二−廿三節)。
  一、ギデオン掠奪の金を得てエホデを造る(廿四−廿七節)。
  一、ギデオン、平康をイスラエルに供す(廿八節)。
  一、ギデオンの晩年と死(廿九−卅二節)。
  一、ギデオンの死とイスラムルの堕落(卅三−卅五節)。
 1エフライムの人々ギデオンに曰ひけるは「汝ミデアン人と戦はんとて往ける時、我等を招かざりし此|詭瞞《いつはり》は何事ぞや」と、斯くて彼等烈しく彼と争ひたり 2彼、彼等に曰ひけるは「我、汝等に比べて何を為せしぞ、エフライムの拾ひ得し葡萄はアビエゼルの収獲《かりと》りし葡萄に勝さるにあらずや 3神はミデアンの侯伯オレブとゼエブを汝等の手に付し給へり、我れ汝等に此べて何を為し得しぞ」と、ギデオン斯く曰ひしかば彼等の憤怒《いかり》解けた(39)り。
 4ギデオン彼と偕にありし三百人と共にヨルダンに至りて之を済り、疲れながらも尚ほ追撃せり 5彼、スコテの人々に曰ひけるは「願くは我に従へる人々にパンを与へよ、彼等は疲れたれば也、而して我はミデアンの王ゼバとザルムンナを追撃しつゝあり」と 6スコテの侯伯等曰ひけるは「ゼバとザルムンナ今既に汝の手の中に在るや、我等何ぞ汝の軍にパンを与へんや」と 7ギデオン曰ひけるは「然らばヱホバ我が手にゼバとザルムンナとを付し給はん時、我れ野の荊《いばら》と棘《おどろ》とをもて汝の肉を打つべし」と 8斯くて其所よりペヌエルに上り同《おなじ》事を彼等に述べたるに、ペヌエルの人もスコテの人の答へしが如くに答へしかば 9彼れ又ペヌエルの人に告げて曰ひけるは「我れ安らかに帰る時に此の城楼《やぐら》を毀つべし」と。
 10偖ゼバとザルムンナは其軍凡そ一万五千人を率ゐてカルコルに在りたり、是れ東方の民の全軍中、生残れる者のすべてなり、戦に斃れし者は剣を抜く所の者十二万人なりき 11ギデオン即ちノバとヨグベバの東にて天幕に住める者の路より上りて敵の陣営を撃ちたり、陣営は安心して備へざりき 12ゼバとザルムンナとは走れり、ギデオン其跡を逐ひてミデアンの二人の王ゼバとザルムンナを擒にし、悉く其軍を敗りたり。
 13斯くてヨアシの子ギデオン、ヘレシの坂より軍を旋《かへ》し 14スコテの人の中、一人の少壮者を執へて之に尋ねたれば、彼れ則ちギデオンのためにスコテの侯伯及び其長老七十七人を記録《かきしる》したり 15ギデオン、スコテの人に到り曰ひけるは「茲にゼバとザルムンナを視よ、此者に関して汝等は我を嘲けりて『ゼバとザルムンナ今既に汝の手の中に在るや、我等何ぞ疲れたる汝の軍にパンを与へんや』と曰へり」と 16茲に於て彼れ邑の長老等を執へ、野の荊と棘とをとり、之を以てスコテの人を懲したり 17彼又ペヌエルの城楼を毀ち、その邑の人を殺した(40)り。
 18斯くて後ギデオン、ゼバとザルムンナに曰ひけるは「汝等がタボルにて殺せし者は如何なる者なりしや」と、彼等答へけるは「彼等は能く汝に似たり、其一人は王の子の如くに見えたり」と 19彼れ曰ひけるは「彼等は我が兄弟、我が母の子なり、ヱホバは活く、汝等若し彼等を生かし置きたらんには我れ汝等を殺すまじきものを」と 20即ち其長子ヱテルに曰ひけるは「起て彼等を殺すべし」と、然れども少者は其剣を抜かざりき、彼れ年若きが故に懼れたれば也 21茲に於てゼバとザルムンナ曰ひけるは「汝自から起て我等を撃てよ、そは大人に大人の力あれば也」と、ギデオン則ち起てゼバとザルムンナとを殺し、その駱駝の頸に懸けたる半月形の飾を取りたり。
 22茲に於てイスラエルの衆ギデオンに曰ひけるは「汝、我等を治めよ、汝と汝の子及び汝の孫も亦爾かせよ、そは汝、ミデアンの手より我等を救ひたればなり」と 23ギデオン彼等に曰ひけるは「我れ汝等を治めざるべし、亦我子も汝等を治めざるべし、ヱホバ汝等を治め給ふべし」と。
 24ギデオン又彼等に曰ひけるは「我れ汝等に一つの希願《ねがひ》あり、汝等が各自掠取せる環を我に与へんこと是なり」と(是れ彼等イシマエル人なるが故に金の環を着けたるに由る) 25衆答へて曰く「我等悦んで之を与へん」と、即ち外衣《うはぎ》を敷き各自其掠取せる環を其中に投げ入れたり 26ギデオンが求めて得たる金の環の重量は一千七百シケルなりき、外に半月形の飾、耳環、ミデアンの王等の着たる紫の衣、及び駱駝の頸に懸けたる鏈《くさり》などもありき 27ギデオン之をもて一箇のエホデを造り之を己の邑なるオフラに蔵む、イスラエル挙て其処に行いて之と淫を行ふ、此物ギデオンと其家とを陥るの罟《わな》となりぬ。
(41) 28斯くてミデアンはイスラエルの子等の前に征服せられて復たび其頭を擡ぐることを得ざりき、斯くて国はギデオンの世にある間、四十年間休息を得たり。
 29斯くてヨアシの子エルバール往きて己の家に住めり 30ギデオン其身より出たる子七十七人を生めり、彼れ多くの妻を有ちたれば也 31シケムに居りし其妾も亦彼に一人の子を産みしかば彼は之をアビメレクと名けたり 32ヨアシの子ギデオン高齢に達して死し、アビエゼル人のオフラに在るその父ヨアシの墓に葬られたり。
 33ギデオン死するや否やイスラエルの子等翻りて復たバアルを慕ひ、バアルベリテを其神となせり 34イスラエルの子等、其|四囲《まわり》の諸の敵の手より己を救ひ出し給ひし神ヱホバを記憶《おぼ》へず35又エルバアル即ちギデオンがイスラエルに為せしすべての善行に循ひて其家を厚く待《あし》らふことをせざりき。
 
     註解
 
       地名、人名等
 (5)「スコテ」 盧の意なり、其名の起原に就ては創世記三十三章十八節を見るべし、今に至り其位置を確定する難し、ヨルダンの低地に於てスコテとサルタンの間云々(列王紀略上七章四十六節)とあればヨルダン河沿岸の低地に在りしは明かなり、又スコテの谷とあれば(詩篇六十篇六節)高地の間に介して特に一郷を作りし邑なりしが如し、ヨルダン河の東岸、ヤボクの支流が之に注ぐ辺にありしならんとは一般の説なり 〇(8)「ベヌエル」 神の面の意、創世記三十二章三十節前後を見るべし、「ヤボクの渡」より程遠からぬ所にありたり、其所(スコテ)より上りてとあればヨルダンの低地より東の方高原に上りし所にありしは明かなり、然れどもスコテと同じく其位置(42)を判定する能はず 〇(7)「ゼバとザルムンナ」 生贄と隠場無し、其侯伯は烏と狼(前章廿五節註解参考)、其王は生贄と隠場無し、「生贄」は神に献ぐる動物、「隠場なし」は無頼漢なり、共に甚だ忌ましき名なり、蓋し少しく原名の音を存してイスラエル人が附せし綽名なるべし、ミデアン人と雖も自から選んで斯かる名を其王に附せざりしならん 〇(10)「カルコル」 位置判然せず 〇(11)「ノバとヨグベバ」 ノバは判然せず、然れどもヨグベバは今尚ほユベイハーの名を以て存す、ヨルダン河以東の高原がアラビヤ砂漠に接近する辺にあり、ガドの子孫は……ヨグベバ……などの堅固なる邑を建て羊のために圏を建たり(民数紀略三十二章三十五節)とあれば有名なる城邑なりしが如し 〇(13)「ヘレシの坂」 原文不明なり、随て其位置は固より知るを得ず 〇(26)「シケル」 金一シケルは二百五十二※[氏の横線なし]六二なり、故に我国今日の金貨に換算すれば凡そ二十円に当るべし、故に千七百シケルは代価金三万四千円余の金塊なり
〇(27)「エホデ」 或ひは祭司が其職を執る時に着し聖衣なりと云ひ(出埃及記二十八章四−七節)或ひは偶像の一種なりと云ふ、ギデオンは金襴の僧衣を着て民の畏敬を惹かんとせしか、或ひは或る種の偶像を作りて其迷信を促さんとせし乎、二者孰れなりしとするも霊的崇拝を棄てゝ物質的崇拝の弊を作りしは明かなり 〇(31)「アビメレク」 我父は王なりの意、ギデオン、王位を辞せしも此名を其妾腹の子に附せしを見れば、彼の心中既に王者を以て自から任ぜしにはあらざるか、何れにするも彼に取りては甚だ不穏当の名なり
〇(33)「バアルベリテ」 契約のバアル、契約を司るバアル、或ひは契約を守るバアル、即ち能く契約を守りて帰依者の祈願を聴くバアル、九章四十六節に「ベリテ神」とあるに同じ。
 
     教訓
 
(43)〇一たび敵の堅勁を挫きし後のギデオンは信仰の人にあらずして普通の軍人なりき、彼は北ぐる敵の跡を逐ひ殺戮を行ひ、仇を報ひ、忿恚を発し、掠奪を擅にし、淫縦に耽けり、宗教的安逸をさへ求めて栄華の中に一生を終れり、国に敵国なければ亡ぶと、人に艱難なければ其信仰衰ふ、ミデアン人の侵入に由りてギデアンの信仰は喚起せられたり、ミデアン人の敗亡に由てギデオンの信仰は衰へたり、或る意味より云へばイスラエルを救ひし者はギデオンにして、ギデオンを救ひし者はミデアン人なりし、謹むべきは強敵を前に控へし時にあらずして、彼を敗りし後にあり(全章)。
〇ミデアン人の与みし易きを知りしエフライム人は軍功の更らに多からざらんことを憾みたり、故にギデオンを責むるに初めより彼等を招かざりしを以てせり、北ぐる敵を遂ひて功を顕はせしエフライム人は陣営に拠りて相対せし敵をも敗り得しならんと想へり、然らば彼等何ぞ自から進んで敵に当らざりしぞ、他人をして敵の堅勁を挫かしめ、而して己れ追迹の任を受けて少しく功を立てたればとて、冒堅の功に与からざりしを怒る、エフライム人は今の教会独立論者なり、外人の跋扈せし時には身を匿して一臂の労を貸さず、而して其の傲慢の角の挫かれし今日、頻りに声を高くして独立を唱ふ、然れども視よ、ミデアン人は今は遁れて既に河の彼方に在り、彼等は今は追はざるも自から亡ぶべし、今や勇者の己を抑ふべき時なり(一節)。
〇功成りし後のギデオンは政治を捨て宗教を取れり、彼れはまことに善き選択を為せり、そは政治は低き此世の事にして宗教は高き神のことなれば也、然れどもギデオンの選びし宗教はモーセ、エリヤ、ヱレミヤのそれの如き聖き精神的宗教にはあらざりし、彼はミデアン人より奪取りし金を蒐めて金襴の僧衣を作り、之を己が身に着けて民の敬崇に己に惹かんとせり、茲に於てかイスラエルは挙て之と淫を行へりと云ふ、即ち彼等はヱホバを棄(44)て燦然たる金色の法衣を拝するに至りしと云ふ、而已ならず、法衣は又ギデオンと其家とを陥ゐるの罟《わな》となりしと云ふ、即ち、法衣は民を惑はし、ギデオンと其全家とを堕落に導きたりと云ふ、諱むべきは金襴のエホデに止まらず、すべての教職的衣服なり、之に由て他を欺き己を滅せし実例は、古今東西枚挙するに遑あらず(二十二−二十七節)。
〇多妻は悪事なり、而して旧約聖書は之を誡むるに禁制的律法を以てせずして事実的証明を以てせり、アブラハムの場合に於て、ギデオンの場合に於て、ダビデ王の場合に於て、多妻は多くの紛雑、多くの悲痛の基因なるを示せり、特別に神に選まれし者の行為なればとて、多妻は悪事たるを失はず、神は其愛子たりと雖も罪の正当なる結果より彼を免除し給はず、罪の価は死なりと云ふ、士師ギデオンたりと雖も殺人、褻涜、多妻の刑罰より免かるゝこと能はざりき、彼れ死するや否や、イスラエルの民は再び以前の偶像崇拝に戻り、彼の子等は互に相争ひて彼の家は終に全滅に帰せり(廿九節以下、第九章末節まで)。 〔以上、6・10〕
 
(45)     我とキリスト
                     明治40年4月10日
                     『聖書之研究』86号「研究」
                     署名なし
 
〇我れ善を為してキリストに納《う》けられるのではない、キリストに納けられて善を為し得るのである、我の第一に為すべきことは先づ謙遜りてキリストに到ることである、去れば我が霊魂は聖められて我は自づと善を為し得るに至るのである。
〇我が言に一つとして善きことはない、去れどキリストが我に在りて語り給ふことはすべて謹聴すべきことである、我は自己を抑へて何事をも言はざらんことを努むべきである、去らばキリストは我が衷に働き給ひて、我が緘黙を破りて語り給ふであらふ、我は自己の為めを計り、又読者のためを計りて全然受働者の地位に立つべきである。
 
(46)     万国基督教青年大会に出席せざる理由
                     明治40年4月10日
                     『聖書之研究』86号「雑録」
                     署名 編輯生
 
〇戦勝の余光を藉りて日本東京に於て開かれし万国青年会大会へ出席せよとの深切なる招待を受けた、然し余輩は謹んで之を辞した、感謝を以て之を辞した。
〇そは余輩には大会に出席するの何の用もないからである、若し広き此世界に於て余輩が会合すべき人があるならば、神が使徒ペテロをヨパよりカイザリヤなる百夫の長コルネリオの所へ遣り給ひしが如く(使徒行伝十章)其人を特別に独逸よりなり、露西亜よりなり、那威よりなり、丁抹よりなり、和蘭よりなり、余輩の此小屋に遣り給ふであらふ、或ひは余輩より往きて訪ふべき人があるならば、神がアナニヤをダマスコなるパウロの所へ遣し給ひしが如くに(使徒行伝第九章)、万里の途を遠しとせずして余輩を其人の所へ遣し給ふであらふ、余輩は何にも自から進んで縦令世界の名士であればとて、神が特別に余輩のために遣はし給はず、又特別に余輩を遣はし給はない人々に会合せんとて用なき会に出席して用なき時間と精力とを消費すべきではない。
〇斯く言ひて余輩は自己を尊大視して名士との会合を避くるのではない、否な、余輩は家に在て毎日世界の名士と会合しつゝある者である、彼等が精力を尽して書きし著書、余輩は毎日之を読んで世界の名士と接しつゝある、名士とは顔でもなければ躯でも無い、名士とは心である、深き博き知識である、爾うして名士が名士であるだ(47)けそれだけ外に顕はるゝこと尠くして、内に隠るゝこと多き者である、名士は之と握手したればとて分かる者ではない、或ひは一時問や二時間其演説を聞きたればとて識ることの出来る者ではない、名士を識らんと欲せば数日間彼と偕に居らなければならない、彼に肉体あることを忘れて彼の霊に接しなければならない。
〇爾うして余輩は毎日家にありて斯かる会合を世界の名士と重ねつゝある、聖書学者として余輩が最近の数ケ月間に会合せし者はオクスフホールド大学のサンデー博士、ユニオン神学校のビンセント博士、フヒラデルヒヤ神学校のゴールド博士、ハーバード大学のムーア博士、独逸グライフスバルト大学のクレーメル博士等である、余輩は或時は数日間、或時は数週間、彼等の各自と親密に会合しつゝある、余輩は彼等と説を同うすることを発見する、又説を異にすることを発見する、爾うして彼等の学説を拝聴しつゝある間に(眼を以て)多少彼等の人物品性をも感知する、余輩は斯の如くにして彼等の親密なる友人となる。
〇大会に出席したればとて迚も斯かる友誼を結ぶことは出来ない、否な、大会に出席して余輩は多くの交はるべからざる人と交はる、多くの策士、多くの政略家、聖書よりも人類統御学に精はしき人、愛の無き神学博士、常識を欠ける熱信家、即ち余輩の平和を奪ひ、余輩に多くの疑問を懐かせ、余輩が折角養ひ得し伝道の熱心を奪ふ者に接する、是れ余輩に取りて大なる危険であつて、又確かに大なる損害である、余輩が若し自己の属であるならば危険も損害も患ふるに足るまい、然しながら余輩も亦「或る他の者」の命を帯びて業に従事する者であれば、余輩は身を無用の危険に曝らしてはならない、余輩は余輩の天職を重んずる点から見ても斯かる会合は成るべく避くべきである。
〇斯く云ひて余輩は〈ヨブのやうに山犬の兄弟となり、舵鳥の友となりて殊更らに単独を楽む者ではない(約百記(48)三十章廿九節)、言ふまでもなく基督者は単独の者ではない、単独なる者はストア派の哲学者であるかも知れないがキリストの弟子ではない、基督者とは云ふまでも無くキリストと偕に在る者である、宇宙万物を造りし者にして一度は自己を虚うして人の形を取りて顕はれ、死して甦り、今は父の右に坐して、万物を統治め給ふ者を無二の友として持つ者である、爾うして斯かる大能者を友とし有つて、我等はおのづから静粛を愛するに至る、随て友を求むるに方ても所謂る社交的集会に於て求めんとはしないで、キリストに在りて求めんとする キリストに在る者は眼に見ゆるも見えざるもすべて兄弟姉妹である、爾うしてキリストに在る者は人に紹介されずして、彼に導かれて相互に深き友誼を結ぶ、キリストに在りて我等は大洋を隔てゝ手を握り、大陸を越えて愛を交換する、キリストに在りて我等は白色なるも黒色なるも、銅色なるも黄色なるもすべて兄弟姉妹である。
〇斯く云ひて余輩は善意を以て開かれたる此大会にケチを附けんと欲する者ではない、人には各自其天職と趣好とがある、会合の賑かなるを愛する人もある、対座の静かなるを好む人もある、大演説会を択む人もある、或は米国宣教師某が余輩の伝道法を評して曰はれしやうに所謂「火鉢伝道」を選む人もある、大網を以て一時に大猟せんとする人もある、釣を垂れて一尾づゝ漁《すなど》らんとする人もある、爾うして余輩は二者何れをか選む者であると問ふ人があれば余輩は寧ろ「火鉢伝道」太公望的釣漁者たらんと欲する者であると答へざるを得ない、余輩の宗教は之を公衆の前に曝らすには余りに繊弱である、余輩が森の下や小川の辺に於て得し平和は万国大会の前に曳出されては甚だ擾乱せられ易くある、余輩は斯かる大会の前に提供されて少しも擾乱せられない信仰と平和とを持つ人々を羨まざるを得ない、然し余輩には爾んな固い大胆なる信仰はない、余輩の信仰はヨナタンがダビデに向つて懐きし愛のやうに婦人の愛の如き者である、即ち細くして乱され易きものである、余輩は自己の弱きを知(49)るが故に赤面を恐れて大集会の席を避くる。
〇開国以来僅かに五十年、基督教は日本全国を捲席せんとすと、于嗟又盛んなるかな、然れども翻て思ふ、日本に於ける基督教の勢力は世の運動者が想ふが如くに盛ならざるを、基督教は日本国の高壇に、或ひは其文壇に、或ひは其政治界に教育界に多少植附けられしやも知らず、然しながら大切なる日本人の霊魂には多く植附けられないと思ふ、日本人の霊魂は未だ未開の荒漠地であると思ふ、我国に滞在する七百の外国宣教師と彼等が毎年消散する幾十百万円の金とを以てしても、日本人の霊魂界には未だ種と称すべき種は下りて居らないと思ふ、彼等は今日までに幾回の大会、幾回の大説教会を開いた、然しながら日本人の心霊界は依然としてシベリヤ的の曠野《あれの》である、キリストは曰ひ給ふた、神の国は顕はれて来る者にあらずと(路加伝十七章二十節)、誠に神の国は大演説会や大説教会や、万国大会に由ては来らない、神の国はキリストの忠実なる僕の一人一人の隠れたる苦闘に由て来る、大会の設計者、其運動者、其賛成者は尠くはない、然しながら涙と汗とを流して種を播く者は甚だ尠ない、茲に於てか余輩は万国大会に出席する其時間を以て東海の或る漁村にキリストの福音を伝へんとす、是れ少くとも余輩一個人に取りてはキリストの聖旨《みこゝろ》であると思ふ。
 
(50)     課題〔11「キリストの謙遜 腓立比書第二章五−九節」〕
                     明治40年4月10日
                     『聖書之研究』86号「雑録」
                     署名なし
 
     キリストの謙遜 腓立比書第二章五−九節
 
  五、汝等キリストイエスの意を以て意とすべし。
 キリストの如くに意ふべし、彼の如き意思の傾向を取るべし、即ち下の如くすべし、彼の謙遜に傚ふべしと、六節以下に掛けて読むべし。
  六の上、彼は神の体にて居りしかども
 「神の体にて居りし」とは神の実体にて実在せしとの意なり、即ち神なりと云ふに等し、「体」と訳されし原語 morphe に許多の解釈は加へられしと雖も、余は斯く解することの最も適当なるを信ぜずんばあらず、若し英語にて之を云へば subsisting in the essential character of God となるべし、而して神の特質に於て実在することゝ神たるとの間に多くの逕庭あるなし、ヱホバの自顕と云はずヱホバの使者と云ひ、或ひはヱホバの面と云ふを見て、猶太人が神の特性を述ぶるに方て用ひし語法の如何を知るべし。士師記六章十一節、創世記三章八節。
  六の下、其神と匹《ひとし》くある所の事を棄難き事と意はず、
(51) 難節なり、余は博士H、A、A、ケネデー氏の説に従ひ、強いて神と匹しからんことを欲せずとの意味に取らんと欲す、即ち、キリストは神に在しませば神たるの威権を揮はんと欲すれば揮ひ得しと雖も、彼は此事を為ぎずして自から謙遜り給ひたりとの意義なるべし、余は斯く解して前後の意義を一層明瞭に為し得べしと信ず。
  七、反て己を虚うし、僕の貌を取りて人の如くなれり。
 キリストは神なるが故に神たるを得しと雖も、之を為さずして反て己を虚うし、人の如く成り給へりと、「虚うし」は其全能者たるの威権を去りてとの意なるべし、「僕の貌」とあるは前に「神の体」とありしと同一の詞なり、故に「僕の貌」を取りてとあるは僕と成りてと云ふに同じかるべし、「人の如く成り給へり」と、以てキリストの素《はじめ》より人ならざりしを知るべし。
  八、既に人の如き形状《ありさま》にて現はれ、己を卑くし、死に至るまで順ひ、十字架の死をさへ受くるに至れり。
 神たりしも人の如き形状を以て現はれ、即ち人として現はれ給ひ、而して更らに其謙遜を続け給ひ、己を卑くし、死に至るまで順ひ、而して唯の死にあらずして十字架の死をさへ受くるに至れり、即ち謙遜の上に謙遜を加へ、謙遜の絶下にまで下り給へり。
  九、是故に神は甚しく彼を崇めて諸の名に超《まさ》る名を之に予へ給へり。
 最高の者が絶下にまで謙遜り給ひしが故に、其報賞として神は絶頂にまで彼を引上げ給へり、謙遜は尊貴《たふとき》に先だつ(箴言十五章卅二節)、キリストは先づ大に謙遜り給へり、是故に神は甚だしく彼を崇めて尊貴の極に達せしめ給へり。
 是れキリストの謙遜なり、而して我等基督者は此謙遜を以て我等の謙遜となすべしとなり、即ち我等は謙遜を(52)人より学ぶべからず、神なるキリストより学ぶべしとなり、釈迦より学ぶべからず(彼の謙遜の大なりしに係はらず)、パウロより学ぶべからず、西郷隆盛、乃木大将より学ぶべからざるは勿論なり、キリストより学ぶべし、彼は天より地にまで降り給ひしに止まらず、罪なきに罪人とまで謙遜り給へり、嗚呼、キリストを仰ぎ見て、我等何人か自己の謙遜に就て誇り得んや、人なる我等が偽善者なりとて罵られたればとて、国賊親不孝として嘲けられたればとて、我等何ぞ恨むべき、我等もキリストに傚ひ、下り得る丈け下りて来らんとする神の国に於て上り得る丈け上げられんかな。
       ――――――――――
 次回課題
  同情のキリスト
  希伯来書二章十四−十八節
 
(53)     万国基督教青年大会に就き附記
                     明治40年4月10日
                     『聖書之研究』86号「雑録」
                     署名なし
 
 余輩も亦雑誌記者とやらを代表して此会に出席するやう其プログラムに見えし由なれども余輩は斯かる承諾を与へし覚え更らに無し、是れ蓋し外交に巧みなる青年会書記諸君が余輩の如きツマラナキ者までの名を引出して其会に景気を添えんとせられしに由るならんも、去りとて又諸君が斯かる堂々たる大会を開かるるに方て斯かる如何はしき手段を取られしとは驚くの外なし、基督教の威権に関はることなれば斯かる手段は今後一切取られざらんことを余輩は諸君に望んで止まず。
 
(58)     〔神の忠僕 他〕
                     明治40年5月10日
                     『聖書之研究』87号「所感」
                     署名なし
 
    神の忠僕
 
 我は我がものに非ず、我が家族のものに非ず、我が親戚のものにも非ず、我は神のものなり、故に神の聖旨を遂ぐるに方ては血肉と謀るの要なき者なり、人に対しては絶対的独立者たるにあらざれば我は神の忠実なる僕たる能はず。加拉太書一事十六節。
 
    内外の我
 
 肉なる我あり、霊なる我あり、外なる我あり、内なる我あり、地に属ける我あり、天に属ける我あり、我は二個の我より成る、肉なる我は歎き悲む、霊なる我は常に歓ぶ、外なう我は日々に壊るゝとも内なる我は日々に新たなり、地に属ける我はなる我は  塵に帰るべし、天に属ける我はキリストと偕に挙げらるべし、見ゆる我は見えざる我に非ず、前者に慕ふべき艶色《みばえ》なし、然れども後者は鷲の如く翼を張りて昇らん。以賽亜書五十三章二節。仝四十章三十一節。
 
(59)    事業としての苦痛
 
 苦むは大なる事業なり、之に由りて我は自己の愆《とが》を示され、他人の罪を贖はせられ又新たに同情の区域を増して、より多くの人を慰むるの能を供せらる、我は学んで救はるゝに非ず、苦んで全うせらるゝなり、智識を供して世を済ふに非ず、同情を寄せて人を助くるなり、福音は苦痛に存す、キリストの福音はキリストの受難に外ならず、苦痛の深き丈け夫れ丈け恩恵の深きは感ぜらるゝなり、又恩恵の深きを伝ふるを得るなり、苦痛は徒労として見るべからざるなり。
 
    悲痛消散の途
 
 人生に悲痛多し、然れども悲痛は悲痛として神も我も之を除く能はず、悲痛は希望と歓喜とを以てのみ能く之を除くを得べし、恰かも暗黒は光明を以てのみ能く之を駆逐し、汚濁は清水を以てのみ能く之を排攘し得るが如し、我等は現世以外に希望を認めてのみ能く現世に於けるすべての悲痛を消散するを得べし、天の力を藉りずして地の悲痛を排除する能はず、而して天の力を藉りて排除する能はざる地の悲痛あるなし、終生地に哭するも悲痛は去らず、然れども一たび天を仰ぎ見れば悲痛は其最も重き者と雖も春暁の霜の如くに消ゆべし。
 
    父死して感あり
 
 肉の父は逝けり、然れども霊の父は残れり、地上の父は去れり、然れども天に在す父は存せり、小なる父は我(60)を離れたり、然れども大なる父は我に近し、我は我が父を失ひて此世に在りて猶ほ孤児ならず、天に在す我等の父よと、然り、我は父を失ひて父を失はず、天に在す我が父は存す、而して我が失ひし地に在りし父も亦天に在す父に在りて存す、天に在す我が父を失はざる我は地に在りし我が父を永久に失はず、我は我が父を失ひて泣く、然れども我は希望なき他の人の如くに憂戚《なげ》かず、そは我等イエスの死にて甦りし事を信ずるが故にイエスに由れる所の既に寝れる者を神、彼と偕に携へ来らんことを信ずれば也。帖撤羅尼迦前書四章十三、十四節。
 
    理と情
 
 理あり、情あり、情は理を打消す能はず、理は情に勝つ能はず、理は永生を信じて動かず、情は永別を惜んで泣く、理は望み、情は歎く、理は諭し情は狂ふ、人の二元性は最も著しく死に際会して顕はるゝが如し。
 然らば理は天なる乎、情は地なる乎、理は父なる乎、情は母なる乎、理は強くして情は弱し、理は猛くして情は麗はし、嗚呼、我は人なり、天使に非ず、我は地の産なり、故に涙の子なり、我が泣くは我が故郷なる地を愛してなり。 アヽ神よ地を救ひ給へ、我は地を離れたる天を望まず、復興せる天地を望む、即ち理と情との合する所、涙泉の涸渇する所にはあらで、其浄めらるゝ所、詩人の夢想せる永久に女らしき所、天にもあらず、去りとて又地にもあらず、天と地との合せし所、嗚呼、我は彼所に我が父と再び相会せんと欲す。
 
    悲痛の極
 
(61) 人の死するは悲し、然れども品性の堕落するが如くに悲しからず、品性の堕落は霊魂の死なり、之に復活の希望あるなし、是れ永遠の死なり、歎じても尚ほ余りあるは実に此事なり。
 預言者ヱレミヤ曰く
  死者のために泣くこと勿れ、之がために嗟くこと勿れ、寧ろ※[手偏+虜]《とら》へ移されし者のためにいたく嗟くべし、彼は再び帰りて其|故園《ふるさと》を見ざるべければ也(耶利米亜記廿二章十節)
と、悪魔に※[手偏+虜]へられ、其社会に移されて再び帰りて父の故園を見る能はざる者の如くに悲むべくして痛むべき者はあらず、我は我が首《かうべ》を水となし、我目を涙の泉となして斯かる者のために泣かんと欲す。仝九章一節。
 
    社会主義
 
 基督教に似て而かも最も非なる者を今日我国に於て唱へらるゝ社会主義となす、是れ聖書に所謂る不法の隠れたる者なり、是れに敬虔なし、恭順なし、平和なし、是れ単に不平と頑抗と破壊の精神なり、是れ僕《しもべ》を主に叛《そむ》かせ、子を親に叛かせ弟を兄に叛かせ、弟子を師に叛かしむるの精神なり、即ち特に叛逆の精神なり、服従を絶対的に拒絶せしむる悪魔の精神なり、余輩は永き忍耐の後に此断言を発せざるを得ざるに至りしを悲む。帖撒羅尼迦後書二章七節。
 
    善悪の差別
 
 善とは他なし、吾人を善人として接《う》くることなり、悪とは他なし、悪人を善人として信ずることなり、善を為(62)して然る後に善人を接くるに至るにあらず、善人を接けて然る後に善を為すに至るなり、其如く又、悪を為して然る後に悪人を信ずるに至るにあらず、悪人を信じて然る後に悪を為すに至るなり、信仰は前にして行為は後なり、先づキリストを信じて然る後に善人となる、先づ悪魔を信じて然る後に悪人となる、人の運命は其信ずる者の如何に依て定まる、故に曰へるあり、彼を接け其名を信ぜし者には権を賜ひて此を神の子と為せりと、又獣の印誌を受けたる者は硫礦にて燃ゆる火の池に投入れらると。約翰伝一章十二節。黙示録十九章廿節。
 
(63)     大なる小児の祈祷
                     明治40年5月10日
                     『聖書之研究』87号「所感」
                     署名 角筈生
 
 イエス様、私は貧しい、且つ力の無い者でありましてアナタと同胞のために何にも為すことが出来ません、たゞ此事を為さうと思ひます、即ちアナタと偕に苦しまうと思ひます、爾うして苦情の同情を私の同胞に供して少しなりと彼等を助けやうと思ひます、私はアナタが私を助け給ふに方ても金や銀や其他の此世の物を以てせずして、苦痛の同情を以てし給ふのを見奉りまして、人を助くるの最も良き方法は決して金銀を施すことではないことを知りました、私に取りましてもアナタの御同情が何よりかの慰藉《なぐさめ》で又何よりかの能力《ちから》でありますから、他人に取ても同じであらうと思ひます、ドウゾ私もアナタのやうな人の救者《すくひて》となるやうに私を助けて下さい、アーメン。
 
(64)     約翰伝十五章五節
                     明治40年5月10日
                     『聖書之研究』87号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
 イエス、其弟子等に言ひ給はく汝等我を離れて何事をも為す能はずと、是れ果して事実である乎、我等は彼を離れて果して何事をも為す能はざる乎、是れキリストの言であるとするも、少しく誇大に過ぐるの言ではあるまい乎。
 実に我等はキリストを離れてすべての悪事を為すことが出来る、我等は悪を為さんと欲してキリストと偕に在るの必要はない、此事に就てはキリストの此言葉は確かに不当である。
 然らば我等はキリストを離れては如何なる善をも為す能はざる乎、是れが問題である、世にはキリストを知らざる者にして善人があるではない乎、又我等彼を識り得し者と雖も展々本能的に知らず識らずの間に善を為すではない乎、キリストを離れては何事をも為す能はずとは少しく過ぎたる言ではない乎。
 然かし是れは聖ヨハネの言である、彼の言は常に簡潔である、彼は無用の言を弄することを甚だ嫌ひし人である、凡そ兄弟を憎む者は即ち人を殺す者なり(約翰第一書三章十五節)と言切りし彼は確信の外は何事をも言はざりし者のやうに見える、是を誇大の言と称するのは容易くある、然しながら是れ果して誇大の言である乎、我等は深く攻究すべきである。
(65) イエスの此言は普通一般の人に向つて発せられた言ではない、是れは其弟子等に、殊に晩餐の席に列なりし彼に密接せる十二弟子等に向つて述べられし言である、故に是れは何人にも通用すべき一般の真理ではない、是れは基督者にのみ適用すべき真理である、所謂る基督的真理《クリスチヤンツルース》である、我等は先づ此事を心に留めて置かなければならない。
 去らば基督者は果してキリストを離れて如何なる善をも為す能はざる乎、彼等はキリストの霊を以て充ち満つるにあらざれば父母にも孝なる能はず、朋友にも信なる能はず、国にも忠なる能はず、隣人にも愛なる能はざる乎、是れ我等の知らんと欲する所である。
 否な、然り、我等はキリストを離れても世の人のやうに普通の善を為すことが出来る、即ち或ひは義理に縛られて、或ひは社会の制裁に駆られて、或ひは良心に責められて、或ひは天然性に従ひて多くの善を為すことが出来る、此意味に於ての善を為すに我等は決して全く無能ではない、此意味に於ての善を我等はキリストを離れても多く為すことが出来る。
 然しながら是れ果してキリストが欲し給ふ善である乎、言葉を代へて言へば是れ果して基督教的善である乎、我等は爾うは思はない、キリストが見て以て善と做し給ふ善は人がいふ善とは全く其性質を異にする、是れは聖書に所謂る神の義であつて、人の義とは其根本を異にする者である、若し単に善に就て謂ふならば、善は犬にもある、猫にもある、鷲にもある、獅子にもある、然し人の善は禽獣の善と全く其性質を異にするやうに、基督者の善は世の人の善と全く其根本を異にする、両者の間に外形上の類似はあるが、それと同時に素質上の相違がある、爾うして人にあらざれば人の善を為すことが出来ないやうに、基督者にあらざれば基督者の善を為すことは(66)出来ない、是れ最も解し易き理である。
 去らば基督者の善とは何んな者である乎と云ふに、それは聖霊に由て再び生れたる者のみ行し得る善である、即ち性来《うまれつき》の善ではなくして、キリストを通うして聖霊に由りて行さるゝ善である、是れは社会の制裁に余義なくせられて為す善ではない、又は良心に責められて止むを得ず為す善でもない、去りとて又生れつき性質の善なるに由り自動的に行さるゝ善でもない、是れは自己の霊より出る善ではあるが、然し自己以上の実在者に由て注入せらるゝ善である、即ち之を為す者が我が善なりと言ひて誇ることの出来ない善である、即ち自己は生れながらにして悪しき性質の者であるに関はらず行し得る善である、又世に制裁を加へられずとも、良心に責められずとも、衷なるキリストの愛に励まされて為し能ふ善である、是れ実に一種特別の善である、己れキリストを識らずしては識ることの出来ない善である、善は善であるけれども、人の善が犬や猫の善と全く性質を異にするやうに、人の善とは全く性質を異にする善である。
 爾うして此意味に於ては基督者はキリストを離れては如何なる善をも為す能はずとの事である、爾うして事実は実に其通りであるのである、キリストは基督者の生命であるから、彼はキリストを離れては実に何事をも為すことが出来ない、彼はキリストを離れては基督的に最小の善をも為すことが出来ない、彼はキリストを離れて彼の有てる金銭を貧者に施すことが出来る、然しながらキリストが要め給ふやうな動機を以ては彼は彼を離れては一銭の金をも施すことは出来ない、キリストの眼より見て、彼が其弟子等に向つて汝等我を離れて何事をも為す能はずと言はれたのは決して不当の言ではない。
 基督者とはキリストと共に死したる者である、我れキリストと偕に十字架に釘けられたりとパウロは曰ふた、(67)爾うして基督者の信仰の程度は彼が彼の肉性に於て死にし程度に由て定まるものである、多く死にたる者は多く彼を信じ、少く死にたる者は少く彼を信ずる、爾うして彼は齢が進むに循てその死の程度を増すべき者である、斯くて彼が自己に死ゆきつゝある間に、彼が独り為し能ふ事柄が段々と減じ行くのである、爾うして彼が完全の信仰に達する時は彼が全く自己に死たる時であつて、彼が誠に実にキリストを離れては独り自から何事をも………文字其儘に何事をも………為す能はざるに至つた時である、此辺の消息を洩したものが復活後のキリストがペテロに陳べられし言である
  誠に実に我、汝に告げん、汝、幼き時は自から帯し、意に任せて遊行《ある》きぬ、然れども老ては手を伸て人、汝を束《くゝ》り、意に欲《かなは》ざる所に汝を曳至らん(約翰伝廿一章十八節)。
 我は何事をも為し能ふべしと云ふ者は信仰の尚ほ幼き者である、然れども信仰の老練者は聖ヨハネの言其儘を語りて曰ふ、我は誠に実にキリストを離れては何事をも為す能はずと。
 余は前に人はキリストを離れても悪事は之を為すことが出来ると云ふた、然しながら余は人の言を藉りて爾う云ふたのである、然しながら基督者の眼から見て悪事を為すのは事を為すのではない、是れは事を壊つのである、人が悪をなしたればとて彼が事を為したとは言へない、事を為すとは勿論善を為すの意である、爾うして、事は……永久に渉る事は、人の霊魂を救ふことは、神の国を建設することは、火を以てしても水を以てしても、此世の大革命を以てしても壊つことの出来ない事は……是れはキリストを離れては何人にも為すことの出来ない事である、事と云ふことを軽く取れば何人も独りで之を為すことが出来る、然れども之を重く取て果して神なるキリストに由らざれば全然為す能はざることが解かる、聖ヨハネの言は簡単である、簡単であるから一字一字に重み(68)を附けて読まなければならない、
  汝等(世の人にあらざる我が弟子等)は我(神の義として世に遣されし我)を離れては(葡萄樹の枝が其幹に連なるが如く汝等我に連なるにあらざれば)何事をも(事と称すべき何事をも)為す能はず(絶対的に為す能はず)。  驚くべきかな此聖語! 余輩は基督教のすべてが其中に含まれて在るかのやうに感ずる。
 
(69)     神学の要
                     明治40年5月10日
                     『聖書之研究』87号「研究」
                     署名なし
 
 神学は信仰のためには要らない、神学は神学のために要る、神学を壊つために要る、新神学は旧神学を壊つために要る、所謂る高等批評は所謂る正統派神学を壊つために要る、神学のある間は神学が要る、爾うして人が信仰に頼つて神学に頼らなくなる時に神学は要らなくなる、余輩は神学が要らなくなる時の一日も早く来らんことを待望む者である、
 
(70)     死の慰藉
       (四月廿日角筈に於て)
                     明治40年5月10日
                     『聖書之研究』87号「談話」
                     署名なし
 
 世に死ほど恐ろしい者はありません、是れを「恐怖の王」と称します、之を慰むるに足る者は天上天下何処にもありません、生者必滅とは言ひますが然かし死に際会する毎に我等は新らしく其恐怖を感じます、縦令へ命数の既に定まりたる老人の死であるにしても、死は死よりも他の者ではありません。
 何を以て死を慰めん乎、哲学を以ても之を慰むることは出来ません、文学を以ても之を慰むることは出来ません、カーライルのやうな豪らい人でも、其妻ジエーンを失ひてより彼が死に至るまで幾回となく声を揚げて「嗚呼、唯の一回たりとも我は再び我がジエーンに会はんことを」と言ふたさうであります、ミルのやうな哲学者でさへ、其妻の死には堪え得ずして其墓より遠く離れては居住し得なかつたとの事であります、人の智慧は如何に豪らくとも、其能力は如何に強くとも彼は死に勝つことは出来ません、死の前には英雄も赤子であります、其前には只涙と麻の衣があるのみであります。
 何を以て死を慰めん乎、死は死にあらずとの信仰のみ能く死を慰むるに足ります、人はドウしても死を思切ることは出来ません、或ひは時を経て死を忘れることは出来ませう、然し死を思切ることはドウしても出来ません、(71)学者が何んと言はうと、哲学者が何んと説明しやうと、死者はまことに死せりと聞いて彼は諦めることは出来ません、彼は人は死するために造られた者でないことを知ります、死を非認せらるゝまでは彼は心に満足しません、彼はそれまでは心に要めて止みません「我が愛する者を我に還へせよ」と。
 福音とは他の事ではありません、是れは死の死滅を報ずる音信であります、  イエス曰ひけるは我は復生《よみがへり》なり、生命《いのち》なり、我を信ずる者は死ぬるとも生くべし(約翰伝十一章廿五節)。
  彼は死をもて死の権威を有てる者即ち悪魔を滅し、且つ死を畏れて生涯繋がるゝ者を放ち給へり(希伯来書二章十四、十五節)。
  復た死あらず、哀み哭き痛みあることなし(黙示録廿一章四節)。
 是れがキリストの福音の極致であります、福音が若し死を慰むるに足りませんならば、それは福音ではありません、社会を改良する者は他にもありませう、家庭を潔むる者も亦他にあります、然しながら死を慰むるに足る者はキリストの福音を措いて他にありません、死を忘れしむるにあらず、単に死を宥むるに止まらず、死を無き者として死後の生命を約する者はキリストの福音を除いて他にありません、福音の特性と其能力とは茲に在ります、即ち是れは充分に死を慰めます、「恐怖の王」を服へます。
 福音を信ずるの困難は尠くありません、或ひは十年、或ひは二十年、或ひは三十年、其探究に身を委ねて、得る所は殆んど無きやうに感ぜらるゝ時があります、それがためには、世には嫌はれ、財は失ひ、地位は棄て、多くの言ひ難き艱難に出会ひます、然しながら其報賞は愛する者の死に遭遇して知られます、我等は勿論其時に歎きますが、然かし希望なき他の人のやうに憂戚《なげ》きません、我等の死別の憂戚は絶望の憂戚ではありません、再会(72)の希望を有する憂戚であります、美はしき涙の伴ふ憂戚であります、仰天哭地の絶叫ではありません、涙に咽びながら歌ふ讃美の声であります、爾うして此時に斯かる経験を有つを得まして数年に渉る信仰維持の苦痛はすべて充分に償はれるのであります、恐怖の王なる死を慰むるに足るの慰藉、是を得るためには一生を費しても惜くはありません、キリストの福音を信ずるの利益は特に死に際会したる時に判然ります。
 世に憐むべき者にして不信者の葬式の如きはありません、我等は之に臨んで遺族を慰むるの言を知らずして窮します、不信者の死別は悲痛の極であります、一点の光の照らす所なき真暗であります、我等はたゞ頭を低れて弔意を表するまでゞあります、信者の信者たる特権が死に際会して顕はれますやうに、不信者の不信者たる悲境は同じく死に際会して顕はれます、暗黒を主どる死の前に立ちまして一つは援け起され、他の者は打ち沈むのであります。
 故に我等は終まで耐え忍ぶべきであります、我等の信仰の報いらるゝ時は必ず到ります、死が我等の家を襲ふ時に、我等の信仰は充分に報いられます。
 
(73)     最も貴むべき教会
        羅馬加特に利教会  (教友某と下野太平山に遊びし途中語りし所)
                     明治40年5月10日
                     『聖書之研究』87号「談話」
                     署名 内村鑑三
                                    余は今は無教会信者である、然しながら若し教会に入るとするならば余は羅馬加特利教会(天主教会)に入らうと欲ふ、是れは最も古い、最も固い、最も世界的にして、最も完備せる教会である、是れは新教諸教会のやうな成上りの教会ではない、是れは二千年間の歴史に深き根拠を据えたる最も歴史的の教会である、若し信仰を維持するために制度の必要があり、教職の必要があると云ふならば、余輩は斯かる強固なる斯かる完備せる教会に入るべきである。
 新教の教師は云ふ、羅馬加特利教会は腐敗して居ると、然し若し腐敗の事であるならば新教の諸教会とても加持利教会に譲らない、殊に米国の新教諸教会の如きに至ては其腐敗たるや実に言語に断えたる者がある、若し教会を其陥りし腐敗に由て鞫くならば、世に取るに足るべき教会は一つも無くなる、余輩は加特利教会が腐敗して居ればとて、其荘厳と堅牢とを疑はない。
 又云ふ、加特利教会に信仰の自由がないと、然かし余輩は爾うは信じない、勿論教会として立つ以上は多少の束縛のあるのは止むを得ない、爾うして加特利教会の束縛なるものは其世界的である丈けそれ丈け寛《ゆるや》かである、(74)余輩は自由を標榜する小なる新教会の中に最も厳酷なる束縛の行はれて居るを知る、二十世紀今日の加特利教会はルーテル在世当時のそれではない、加特利教会の偉大なる理由の一つはその世と共に変遷進歩するの一事である。
 殊に余輩が加特利教会に就て感嘆して止まざることは其伝道法の常に静粛にして始終一貫して居ることである、新教の諸教会が騒ぎ、躍り、叫び、吹立つる時に方て古き加特利教会は其静かなること太古の如しである、加特利教会は名士を招聘して大演説会を開かない、加特利教会は万国学生大会を開いて示威的運動を試みない、加特利教会は自己を信ずる余りに篤きが故に此世の権者に縋り、其威力を借りて教勢を拡張しやふと為ない(昔しは為したれども)。
 羅馬加特利教会は貴婦人的教会である、其聖マリヤ崇拝は能く其理想を顕はして居る、加特利教会に新教諸教会に居るやうな鉄面婦人は居らない、婦人らしき婦人を余輩は最も多く加特利教会の中に見る、新教諸教会に最も欠けて居るものは婦人のモデスチー(謙卑)である、マリヤ崇拝を嘲ける新教諸教会は其婦徳に於ては遙かに羅馬加特利教会の下に居る。
 聖アウガスチンの母教会にして、聖フランシスを出し、トマス・アクイナスを産み、ニユーマン大僧正を惹附けし羅馬加特利教会は今日尚ほ尊敬すべき教会である、余輩も亦若し今後、教会に入るの必要を感ずるに至るならば、喧々囂々として、此世の勢力を獲るに日も亦足らざる新教諸数会に入らずして、古き固き広き羅馬加特利教会に入らんと欲する。
 
(75)     健全なる聖書研究
        (地方より訪来りし或る教役者に語りし所)
                     明治40年5月10日
                     『聖書之研究』87号「談話」
                     署名なし
 
 感情は之を人より得べきではない、直に之を神より得べきである、人よりは唯乾燥無味の事実を聞けば足る。
 故に感情的の説教や演説は成るべく避くべきである、又書を撰むに方ても感情を伝ふる書は成るべく避くべきである、所謂る信心的書類《デヴオーシヨナルブツクス》は甚だ危険なる書である、読書は成るべく丈け乾焼無味なるを良《よし》とする、単純なる真理を伝ふる書、乾燥せる光明を伝ふる書、是れが読むに最も健全にして最も利益多き書である。
 感情は酒精の如き者である、酔て直ちに消ゆる者である、故に善き感情をのみ維れ求むる者は美酒の一杯に一時の快感を求めんとする飲酒家に異らない、二者共に身心の奮興刺激を要求して止まざる者であつて、体の弱き者にあらざれば心の鈍い者である、酒を飲むことの悪いのは酒其物が悪いからではない、其結果が悪いからでる、即ち其奮興性が悪いからである、其如く人の感情にのみ訴ふる説教演説の類は人を害すること決して酒に劣らない、然り、一つは体を毒する者であつて、他の者は心を害する者であるから、感情的説教演説の類は酒に勝るの毒物であると曰はざるを得ない。
 今や幸にして聖書批評学なる者が始まり、聖書研究より感情が全く取去られた事を感謝する、今の聖書研究な(76)るものは昔時のそれとは全く違う、是れは主として文字の研究、原文原意の研究である、是れはダーウヰンやヘッケルの天然研究と少しも異ならない、極く冷たき乾いたる研究である、然しながら斯かる研究に由て神の真理は会得せらるゝのである、爾うして一たび神の真理を会得したる以上は清き感情(寧ろ感想)は滾々として我等の心裡より湧出づるのである、即ち一壜の酒の如くにあらずして、岩間より流れ出づる岩清水の如く、渇を癒し、快を供して止まないのである、一つの真理は百の感情に優さる、三角内の角度を加すれば二直角となるとの真理を教へらるゝ方が、幾多の絵画を示さるゝよりも遙かに利益多くある、其如く馬太伝の一章を精密に且つ合理的に教へらるゝ方が千古の説教を聞かせらるゝよりも遙かに利益多くある、酒は飲まずとも可い、然し米と肉とは食ふべきである、其如く感情的の説教や演説は聞かずとも可い、然しながら聖書は静粛に且つ精密に学ぶべきである、所謂るリバイバル的の聖書研究法は成るべく避くべきである、爾うして之に代ふるに静かなる敬虔深き科学的の研究を以てすべきである。
 
(77)     父の永眠に就き謹告す
                     明治40年5月10日
                     『聖書之研究』87号「雑録」
                     署名 鑑三
 
 去月十三日午後十一時、私の父内村宜之は七十六歳を一期として永き眠りに就きました、謹んで此事を年来の誌友諸君に告げ奉ります、彼の就眠は至て静かでありました、彼は深く主イエスキリストと其救を信じ、何の恐るゝ所なく、充分の覚悟と感謝と満足とを以て永き眠りに就きました、彼は永眠当日の朝、彼の娘に四月分雑誌の発行に就て尋ねました、彼は其既に発送を終りしを告げられて安心を表しました、以て彼が如何に此誌に就て思ひ居りしかゞ分ります。
 彼は私に取り肉体の父でありしばかりではなく、最も善き友人、最も善き相談相手でありました、私は私の生涯又は事業の上に於て大切なる決を取るに方ては必ず彼の判断を聞きました、爾うして彼の判断は常に公平で、且つ常に大胆でありました、彼は未だ嘗て一回も身の快楽を貪らんために正義の道を棄てるやうな事を私に勧めた事はありません、彼の遺言の一つは私が終生決して聖書事業を廃せざちんことでありました。
 彼の生涯の事跡に就て、又彼のキリストに対する信仰に就て私は今茲に書きたくはありまするが、それは私の感情が少しく落付いて後のことに致します、私は今は唯、彼が世間稀れに見る所の正直の人、忠臣、孝子、慈父であつたことだけを茲に諸君に申上げて置くに留めます。
(78) 彼は常に西行法師の歌を口づさびて言ひました
   願くは花の下にて春死なん
      その如月の望月のころ
と、爾うして神は彼の其願を納れられまして、彼は桜花爛漫の時、眠に就きました、時は四月の十五日、今年に入つてより始めての好天気、晴天一点の雲を留めざる日に彼の柩は『研究』誌が常に編輯せらるゝ私の書斎に移されました、爾うして此所に最も簡単にして而かも最も厳粛なる式は私の旧友大島正健氏に由て主られました、又神学上に於ては常に説を異にしますなれども心情に於ては私の永年の友人なる海老名弾正君も馳附けられまして式を助けられました、又私の古き友人で父の囲碁の友なる松村介石君も臨席せられまして深き同情を遺族一同に述べられました、爾うして、式終て後、角筈より雑司ケ谷の墓地に至るまでの行列は終生忘るべからざるものでありました、先きに立ちて歩みし者は私でありました、私は田圃路を案内せねばなりませんでした、私の次ぎに海老名君と松村君とが歩まれました、其次ぎに親戚に囲まれて父の柩が進みました、其次ぎに婦人と小児とが人力車に乗りてつゞきました、其次ぎに角筈聖書研究会の青年諸氏が歩まれました、其次ぎに他の友人方が来られました、花は咲き、鳥は歌ひ、風は無く、日は暖かに、人家を避けて田圃道をうねり行き、雑司ケ谷の墓地に達しました、此所に宮川巳作君司会の下に祈祷を捧げ、父が恒に其孫児と共に歌ひし讃美歌第三百二十一番『はなちりうせては』を歌ひ、復活の日に於ける再会を期して彼の遺骸を土に委ねました、私は今是れ以外のことは書き得ません。
 彼の辞世の歌は是れでありました、
(79)   始めより神の賜ひし生命なれば
     又聖旨に任かすべきなり。
切に読者諸君の御加祷を願ひます。
 父を葬りてより二週日後に誌す。
 
(80)     〔義の宗教 他〕
                     明治40年6月10日
                     『聖書之研究』88号「所感」
                     署名なし
 
    義の宗教
 
 基督教は愛の宗教なりと云ふ、然り、又義の宗教なり、愛は情なり、故に渝ることあり、然れども義は主義なり、故に山岳と共に動かず、義に倚らずして愛は愛ならず、我等時には愛ならざることあり、然れども何れの時に於ても義ならざるべからず、義は宗教の柱石にして又其礎盤なり、厳正なる義を離れて強健なる宗教あるなし。
 
    思想の由来
 
 思想は頭脳より来らず、心情より来る、心情より来らず、行為より来る、行て感じ、感じて想ひ、想ひて思想となりて口舌に上り、筆尖に顕はる、思想の由て来るや遠し、而して何れの場合に於ても勇壮なる行為に由らずして、高潔なる思想は出来らざる也。
 
    様々の基督教
 
(81) 基督教あり又基督教あり、教会を立てんと欲する基督教あり、肉体の病を癒されんと欲する基督教あり、社会を改良せんと欲する基督教あり、世に権力を振はんと欲する基督教あり、而して又自己の罪を悔ひて霊魂を救はれんと欲する基督教あり、名は同じく基督教なり、然れども実は千殊万端なり、吾等は実に由て組すべし、名に由て合ふべからず、基督教の名は今や一致協同の標榜となすに足らざる也。
 
    死魚の類
 
 戦争開けて盛んに戦争を謳歌し、平和成て直に平和協会を興す、是れ今日の基督信者の為す所なり、言あり曰く「生ける魚は水流に逆ひて游ぎ、死せる魚は水流と共に流る」と、曾て一回も世に逆ひしことなく、常に其潮流に循て往来する我国今日の基督信者は死せる魚の類にあらずして何ぞや。
 
    予想と事実
 
 余輩は教会は神を信ずる者が神を拝する所なりと思へり、然るにその社交的倶楽部の一種なるを発見せり、余輩は教会は愛を交換する所なりと想へり、然るに其、勢力争奪の場所なるを発見せり、愛なし、又敬虔なし、而かも之を教会と名づく、余輩は茲に於てか神と愛とを教会以外に於て求むるに至れり。
 
    教会と信仰
 
 昔時、羅馬加特利教会は唱へて道へり、教会なくして信仰あるなし、教会を離れし者は神に棄てられし者なり(82)と。
 然るに勇敢なるルーテルは独り立て曰へり、否な然らず、教会なくとも信仰はあり、神は教会に棄てられし者をも取り上げ給ふと、茲に於てかプロテスタント教会は起れり。
 然るにルーテル死して四百年後の今日、彼を以て始まりしプロテスタント諸教会は昔時の羅馬加特利教会に傚ひ教会と信仰とを同一視するに至れり。
 茲に於てかルーテルは再び起らざるべからず、然り数多のルーテルは既に世に出たり、神を専有せんとする者は終に神を失ふ、今のプロテスタント教会も亦、昔時の羅馬加特利教会の如くに、其僭妄の故を以て活ける真《まこと》の神を失ひたり。
 
(83)     最も善き聖書の註解
                     明治40年6月10日
                     『聖書之研究』88号「所感」
                     署名 研究生
 
 申命記にヅラィバー氏あり、士師記にG.F.ムーア氏あり、預言書にデリッチ、チーニー、デビッドソン氏等あり、新約全体にペンゲルあり、マイヤーあり、其馬太伝に近頃発刊になりしアレン氏あり、其路加伝にプラマー氏あり、其羅馬書にサンデー氏あり、其加拉太書にライトフート氏あり、其希伯来書と約翰書翰にウエストコット氏あり、其黙示録にミリガン氏とスウヰート氏あり、然れども是等のすべての註解書に優りて、最も善き聖書の註解は身の患難と心の苦痛となり、註解書は之を省くを得べし、然れども苦痛と患難と無くして聖書を解する能はず、新旧六十六巻の書は総て是れ悉く患難の中に書かれし書なり、故に患難を知らずして之を解する能はず、又患難に居らずして之を楽しむ能はざる也。
 
(84)     忿怒の神
                     明治40年6月10日
                     『聖書之研究』88号「所感」
                     署名 角筈生
 
 神は愛であると云ふ、まことに其通りである、神はまことに愛である、愛であるから怒り給ふ、又憎み給ふ、闇黒のない光のないやうに憎のない愛はない、神が若し冷静なる理であり給ふならば彼は愛し給はざると同時にまた怒りもし又憎みもし給はないであらう、然しながら熱き愛であり給ふが故に彼は或る場合に於ては燬尽す火であるのである(希伯来書十二章末節)、ヱホバの神は今尚ほ嫉む神である、彼に其熱情があるが故に彼はその独子を棄てまでも罪に沈める我等を救ひ給ふたのである。
 神は勿論理由なくしては怒り給はない、ヱホバは怒ることの遅い者である(拿翁書一章三節)、彼は短気なる気儘なる酷薄なる者ではない、然れども怒ること遅しと雖も全く怒らない者ではない、神は怒るべき時には酷しく怒り給ふ、
   誰かその憤恨《いきどほり》に当ることを得ん、
   誰かその燃ゆる忿怒《いかり》に堪ふることを得ん、
   其|震怒《いかり》の注ぐこと火の如し、
   巖も之がために裂く(拿翁書一章六節)。
(85) まことに活ける神の手に陷るは畏るべき事である(希伯来書十章三十一節。)
 其愛が無限である丈け其忿怒も亦激烈である、神の忿怒を知るに由て我等は其愛の深さ闊さを知ることが出来るのである。
 
(86)     偽預言者とは何ぞや
                     明治40年6月10日
                     『聖書之研究』88号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
 聖書に偽預言者又は偽の預言者と云ふことがある、「偽の預言者を謹めよ」(馬太伝七章十五節)、又「偽預言者多く起りて多くの人を欺かん」(仝廿四章十一節)、「偽りの預言者バリエス……此人は国の方伯セルギスパウロといふ智者と偕にあり」(行伝十三章六、七節)、「昔し民の中に偽はりの預言者ありき、其如く汝等の中にも偽はりの師いでん」(彼得後書二章一節)、「多くの偽預言者出で世に入れり」(約翰第一書四章一節)、以上は新約聖書に於てゞある、旧約聖書には偽預言者なる辞はない、然し「※[言+荒]言《いつはり》を述ぶる預言者」(以賽亜書九章十五節)、「虚誕《いつはり》の黙示と卜筮《うらない》と虚しきことと己の心の詐りとを汝等に預言する者」(耶利米亜記十四章十四節)等の辞がある、勿論、偽預言者といふと同じことである、只旧約に於ては新約に於けるが如く Pseudoprophetes と云ふ此類の預言者を呼称するための一箇の辞がなかつたまでゞある。
 抑々偽預言者とは何である乎、是れ単に悪むべき者、蔑視むべき者、売僧、偽善者、羊の皮を被りたる狼等と称し一目して其偽物たるを知ることを得らるゝ者であつた乎、言を換へて曰へば偽預言者とは必ずしも悪人であつた乎、悪を企図み、悪を行ふを以て其日を送りし奸獰邪智の者であつた乎、偽預言者の名其物が斯かる者として彼等を吾人に紹介する、吾人は其名を聞いてさへ其面に唾したく思ふ。
(87) 然しながら聖書は斯かる者として偽預言者を吾人に伝へない。偽預言者とは其当時偽預言者と認められた者ではない、随て其当時世に嫌はれ、其紳士淑女の避くる所となつた者ではない、否な、夫れとは正反対である、偽預言者とは真預言者に対して爾う称はれた者であつて、彼等は真の預言者より見て偽はりの預言者であつたのである、彼等は世が見て以て偽預言者と做した者ではない、イザヤ、ヱレミヤ、エゼキエル、アモス、ホゼヤ等極めて少数の人が見て以て偽預言者と做した者である、人の真偽を判別することの難いのは今も昔も同じ事である、爾うして偽預言者と真預言者とは何人にも判別《みわく》ることの出来た者ではない、真理を知る者のみ能く虚偽を識る、真預言者のみ能く偽預言者を判別ることが出来た、偽頚言者とは勿論偽はりの世が見て以て爾か称んだ者ではない、神の人が見て以て爾か名づけた者である。
 然らば偽預言者とは何んであつた乎と云ふに、彼等は先づ第一に当時の所謂愛国者であつた、即ち国の利益を思ひ、国威宣揚を唱へ、一向《ひたすら》に其富強安寧幸福を願つた者である、故に彼等は進んで政治に携はり、他強国との同盟を説き、自国の悪事と云へば只管之を掩はんとし、之を金甌無欠の国として世界に紹介し、以て其称讃同情を博せんとした、即ち、偽預言者とは何物よりも先づ第一に自己の国を愛した者である、正義よりも、公道よりも、然り、ヱホバの神よりもユダ国又はイスラエル国を愛した者である、彼等は国王の頌徳者、国民の讃美者であつた、宗教も之を国のために利用して之を以て国を建てんと欲した者である。
 然るにイザヤ、ヱレミヤ、エゼキエル、アモス、ホゼヤ、ザカリヤ等の預言者は之とは全く正反対の態度を取つた、彼等は勿論国を愛した、然れども国よりも神と正義とを愛した、彼等は神の人でありし故に国に責むべき事があれば之を責むるに少しも躊躇しなかつた、国の名望なるものは彼等は少しも眼中に置かなかつた、神の正(88)義、神の名誉、是れが彼等の熱心を喚起せし唯一の原動力であつた、預言者ミカは曰つた、
  我はヱホバの聖霊に由りて能力身に満ち、公義と勇気、衷に満つれば、ヤコブ(ユダ国)に其愆を示し、イスラエル(国)に其罪を示すことを得(米迦書三章八節)と。
 「国に其愆と罪とを示すことを得」と、是れ偽預言者の為し得なかつた所である、必しも国人の反対を懼れてゞはない、彼等が国を愛する余りに切なるより、情に於て為さんと欲して為し得なかつた所である、然るに真の預言者はヱホバの聖霊に由りて此情に打勝つことが出来た、故に大胆に、臆せず、国に其愆を示し、民に其罪を示すことが出来た。
 偽預言者の何たる乎を知らんと欲すれば之を真預言者と相対して見るに若くはない、真預言者の顕はれたる時に必ず偽預言者が顕はれた、一つは他を離れては顕はれなかつた、預言者ミカヤに対して偽預言者ケナアナの子ゼデキヤがあつた(列王紀略上廿二章廿四、廿五節)、預言者アモスに対して偽預言者ベテルの祭司アマジヤがあつた(亜麼士書七章十−十七節)、預言者ヱレミヤに対してギベオンのアズルの子なる偽預言者ハナニヤがあつた(耶利米亜記廿八章)、又ネヘラミ人シマヤがあつた(仝廿九章廿四節以下)、其他、名は記してはないが、イザヤに対しても、エゼキエルに対しても、又其他の預言者に対しても偽預言者のあつたことは確かである(以西結書十三章、撒迦利亜書十三章二節等を見よ)、爾うして是等の対照に由て吾人は真預言者と偽預言者とを明白に分つことが出来る。
 今ミカヤ対ゼデキヤの例に就て見るに、イスラエルの王アハブ、ギレアデのヲモテを略取せんとするに方り、其預言者四百人許りを集めて「我れギレアデのラモテに戦ひに往くべきや又は罷むべきや」と問ひしに、彼等偽(89)りの預言者等は王の意に逆らはんことを恐れ、且つ国威宣揚を欲ひければ異口同音に「王よ攻め上り給へ、主ヱホバ必ず之を王の手に付し給ふべし」と答へた、然るにアハブ王、同事をイムラの子ミカヤに問ひければ彼は臆せず王に答へて曰ふた「ヱホバ汝に就いて災禍《わざはひ》あらんことを言ひ給へり」と、斯くも憚からず善事を預言せず唯悪事のみを預言せしが故に王はミカヤを悪みたりとある、ケナアナの子ゼデキヤは王に善事を預言せし四百人の預言者(偽)の一人であつたらふ、彼はミカヤが「ヱホバ虚言《いつはり》を云ふ霊を此のすべての預言者等の口に入れ給へり」と曰ひしを聞き怒つてミカヤの頬を批《うち》しと云ふ、此場合に於てはゼデキヤと其同僚とは所謂る忠臣愛国者であつた、彼等は君のためを思ひ、国のためを計りて王の作戦計画に同意し、彼を勧めて遠征の途に上らしめんとした、独りミカヤのみ斯る無謀の計策に反対した、彼はアハブ王の人物を知つた、故に彼のなすことの正義と公道とに合《かな》はないことを知つた、預言者ミカヤの欲せしことは他国の攻略では無くして自国の改革であつた、ラモテの王の征服ではなくして、イスラエルの王の悔改であつた、偽預言者は国の膨張を望んだ、真預言者は民の改心を求めた、一つは威を外に張らんと欲した、他の者は衷に望まらんことを希ふた、偽りの預言者と真の預言者との別は茲に於て明白である、威か徳か、富か望《きよ》めか、二者の欲ふ所に由て其真偽は顕はれた、国の富強に目を留めし者、是れが偽預言者であつた、国の神聖に意を注ぎし者、是れが真預言者であつた(列王紀略上廿二章を見よ)。
 同じ事がアモス対アマジヤの場合に就て見ても判かる、アモスはイスラエルの民の罪科を歎き之を誡めて「汝等悔改めざれば其罰としてイサクの崇邱《たかきところ》は荒され、イスラエルの聖所は毀たれん、ヱホバ剣をもてヤラベアムの家に赴かん」と告げた、然るに祭司アマジヤは之を以て不敬の言となし、王ヤラベアムに言遣はして「イスラエ(90)ルの家の真中《まなか》にてアモス汝に叛けり」と云ふた、即ち、アモスを叛臣なり国賊なりと称して彼を王に訴へた、彼れアマジヤの目に映ぜしアモスは民を乱す者、王に叛く者、神の聖殿を涜す者であつた、然れどもアモスの目より見れば、彼に沈黙を命じ、彼を王に訴へし祭司アマジヤこそ真の逆臣国賊であつて偽はりの預言者であつた、神の聖旨を伝へし者、是れが真の預言者であつた、王の意を迎へし者、是れが偽はりの預言者であつた、後者必ずしも悪人ではなかつた、彼れ或ひは恭順の人、温厚篤実の人であつたであらう、然れども彼はペテロの如くに神の事を思はず人の事を思ひたれば、真の預言者の目より視て偽りの預言者であつたのである(馬太伝十六章廿三節)。
 当時の愛国者であつた偽りの預言者は又武力の賞讃者、同盟の賛成家であつた、彼等は神の国を此世に建つるに方て人の力を藉るの必要を信じた、彼等は純正の義には余り重きを置かなかつた、彼等は武を以てユダとイスラエルの神聖を維持せんとした、又時には他の強国と同盟を結んで自国の利益を計らんとした、故に彼等の或る者はヘゼキヤ王に勧めて埃及国と結ばしめた、又彼等の或る者はヱホイアキム王に勧めて款をバビロン国に送らしめた、彼等は即ち国運発展の方法として普通の政略を講ずるに躊躇しなかつた、彼等は神を信ずると同時に又剣の力を信じた、彼等は信仰と剣と政略とを以て彼等の国を維持し神の国を此地に来さんとした。
 然るに真の預言者は斯かる複雑なる且つ矛盾せる方法には全然反対した、彼等は十誡第一条を文字通りに信じた、汝我面の前に我の外何物をも神とすべからずと、即ち唯一神教の精神を其儘に実行せんとした、ヱホバに依恃む者はヱホバの外何物にも依恃むべからずと、是れ彼等が厳然として採て動かざる主張であつた、彼等の或者は謡ふて曰ふた、
(91)  或者は戎車に恃み、或者は騎馬に恃む、然れど我等は我がヱホバの名を唱へん(詩篇廿二篇七節)
と、是れ軍備排斥の言である、信仰を以て兵馬に代へんとする語である、又預言者イザヤは当時の同盟論者に反対して曰ふた、
  援助を得んとてエジプトに下り、馬に依頼む者は禍ひなるかな、戦車多きが故に之に恃み騎兵甚だ強きが故に之を恃む、然れどイスラエルの聖者を仰がずヱホバを求むることをせざるなり(以賽亜書卅一章一節)
と、預言者ホゼヤも亦同じ事を曰ふた
  アッスリヤは我等を援けず、我等は馬に乗らじ(何西阿書十四章三節)
と、爾うして武力と外交とを全然排斥せし真の預言者はエホバに依恃むことを以て国政唯一の方法となした、
  汝等静かにせば救ひを得、平穏にして依頼まば力を得べし(以賽亜書三十章十五節)
と、戎車に恃まず、騎馬に頼まず、外交に恃まず、同盟に恃まず、唯静かにヱホバの神に恃まば国を救ふを得べく、勢力を得べしとのことであつた、爾うして神の選民の歴史に於ては事実は常に其通りであつた、ギデオンがミデアン人を敗つたのも、ヘゼキヤ王がアッスリヤ軍を退かしたのも、ユダとイスラエルの聯合軍がモアヴの軍を滅したのも皆な此方法に由てゞあつた、神の選民に剣を抜いて戦ふの必要はない、異邦に援助を乞ふの要はない、唯祈つて恃てば足るとは是れ真正の預言者の堅き信仰であつた、即ち彼等はキリスト以前の平和主義者、基督教以前の非戦論者であつた、彼等は個人の行為よりのみならず、国家の政治よりも腕力と政略とを放逐せんとした。
 茲に於て偽りの預言者と真正の預言者との間に断えざる衝突があつた、一つは他の者を罵りて偽りの預言者と(92)いふた、両者の相違は必しも人物、人成《ひとゝなり》の相違ではなかつた、信仰、主義、方針の相違であつた、所謂「偽預言者」の中にも誠実なる愛国者があつたであらふ、又、後世の人が真正の預言者と称する者の中にもエリヤの如き粗野の人、ヨナの如き薄志弱行の人、ヱレミヤの如き感情激変の人もあつた、両者同じく国を思つたのであらふ、然れども偽はりの預言者は所謂「※[言+荒]《いつは》りの預言」をしたのである、即ち唯一神教の主義に由らずして、神以外の或る他の勢力に由て国を救ひ民を済はんとしたのである、其精神や必しも咎むべきでない、唯真正の預言者の懐きし厳密なる唯一神教の立場から見て、其方法と政略とが全く誤つて居つたのである。
 茲に於て真の預言者と偽りの預言者との別が判然するのである、神の外何物にも頼らざりし者、是れが真の預言者である、神に頼るの外、又此世の勢力にも頼らんとせし者、是れが偽りの預言者である、預言者の「真」と「偽」とを両者の品性又は人格に由て定めてはならない、其取りし主義方針に由て定むべきである。
       *     *     *     *
 偽りの預言者、偽の監督、偽の宣教師、偽の牧師、彼等は如何なる者であらふ乎、キリストの福音を宣ぶると同時に軍備拡張の必要を唱へ、神の僕なりと称しながら政権の保護を仰ぎ、此世に友人多きを以て誇り、社交を円滑にして福音の伝播を計らんとし、此世に在りては此世の方法に由らざるべからずと称して此世のすべての方法に由て神の国を此世に建設せんとす、其精神や咎むべきにはあらざるべし、又斯かる方法を取る者を称して悉く悪人なり、偽善者なり、諂媚者なりと云ふことを得ざるべし、然れども、それに関はらず彼等は偽りの預言者の類である、善人ならんも「※[言+荒]りて」福音を説く者である、キリストの福音の精神は彼等の取る主義精神とは其根本を異にする、人は善意を懐けばとて偽善者たるを免かれない、世には自から欺く人がある、爾うして昔(93)時の偽の預言者の多くは斯かる人であつたのである。即ち自己の善良を信ずるの余り、※[言+荒]はりて神の聖旨を伝へし者である。
 
(94)     キリストの愛
                     明治40年6月10日
                     『聖書之研究』88号「感話」
                     署名 内村鑑三
 
 キリストの愛は情夫の愛ではなかつた、又慈善家の愛でもなかつた、キリストの愛は義人の愛であつた、彼にも亦或る種の恋愛はあつたやうに見える(ヨハネ伝十一章参照)、彼が慈善心に富んで居つたことは確かである、然しながら彼が特に人類を愛し給ふた愛は義を愛するの愛であつた、彼は此愛のために己が身を捨て給ふたのである。
 義を愛するの愛は、自己は勿論、人よりも尚ほ義を愛するの愛である、義は人の生命である、故に義を愛せずして人を愛することは出来ない、世には時には義を棄て人を救はんとする人があるが、斯かる人は義と人と両つながらを悪む者である、最も大なる善は人に衣食を供する事ではない、亦必しも人の生命を救ふことでもない、最も大なる善は義を行ふことである、爾うして人をして己に傚つて義を行はしむることである、キリストは小なる善人ではなかつた、彼は五千人の人にパンと魚とを供して満足し給ふやうな小慈善家ではなかつた、又は天下を統一し之に善政を布いて自から安んじ給ふやうな君子でもなかつた、彼は人類に義を教へ、之に義的生命を供せざれば休《や》む能はざりし大救主であつた、彼のゲスセマネの苦痛も十字架上の死も是れがためであつた、即ち人類に義的生命を供せんがためであつた。
(95) 彼は義を唱へ給ふた、故に世の憎む所となり給ふた、然かし彼は身の安全を計らんために義の唱道を止め給はなかつた、義は彼に取りては生命よりも貴くあつた、然り、彼に取りては義即ち生命であつた、義を否認するは彼に取りては永久の死であつた。
 然かし彼は神の子であつた、故に彼れ若し自己を救はんと欲せば彼は十二軍余の天使を彼の父に請ふて之を以て彼の敵を滅し、以て彼の義を地に成立たしむることが出来た(馬太伝廿八章五十三節)然かし彼は此事を為し給はなかつた、彼は義を愛し給ふた故に義以外の力を藉りて義を行はんとは為し給はなかつた、義は義其物の力を以てのみ行ふべき者である、義以外の力を藉りて行ふ義は義ではない、是れは虚偽である、偽善である、此世の義である、政治家の唱ふる義である、偽預言者と偽牧師との唱道称讃する義である、然れどもイエスキリストの愛し給ふ義ではない。
 キリストは義を愛し給ふた故に、義を防禦するために何の権能をも用ひ給はなかつた、故に寧ろ義に殉じ給ふた、彼は義を貴び給ふの結果、自己の生命を之に供して、義の貴尊を世に示し給ふた、義は神聖である、是れは彼の愚かなる弟子ペテロが思ひしやうに剣を抜き其敵の血を流して守るべき者ではない、是れ神の子が自身其血を流して護るべき者である、義は忿怒ではない、忍耐である、愛である、義の義たるを世に示さんと欲する者は之がために戦ふてはならない、是れがために自己を犠牲に供すべきである、キリストは義のために自己を献げ給ひて義の貴尊と栄光と神聖とを神と人との前に彰はし給ふた、義は無抵抗主義を以てせずしては表顕《あら》はすことの出来る者ではない。
 義のために人を怖れず、義のために己を惜まず、義のために威力を用ひず、キリストに在りて義は最も完全に(96)人類に示された、爾うして斯くの如くにして義を彰はし給ひしキリストは人類の最大恩人である、他の人は其財を散じて窮民を救ふた、或る他の人は其怪腕を揮ふて国政を斉へた、然れどもキリストは惟り義を完全に顕はして人類に霊的生命を供し給ふた、キリストは人類の首長たる資格に適《かな》いて他の人の為す能はざることを我等のために為し給ふた、我等は其愛に応へんがために彼の如くに義を唱へ、彼の如くに義を守り、彼の如くに義に死すべきである。
 
(97)     神は愛なり
       (約翰第一書第四章)
                     明治40年6月10日
                     『聖書之研究』88号「感話」
                     署名 内村鑑三
 
 神は愛なりと云ふ、是れは神は愛する者であると云ふ事ではない、亦愛は神の特性であると云ふ事でもない、神即ち愛であると云ふ事である、則ち愛とは神の別名であると云ふ事である。
 神は愛なり、愛は神なり、故に神を解せずして愛は判明らない、愛を解せずして神は判明らない、神は愛であり、愛は神であるから、我等は神を識て愛することが出来、愛して神を識ることが出来るのである。
 昔時は碑をエロヒムと称へた、能力ある者の意である、宇宙万物を造りし者、地の基を置《す》え、晨星《あけのほし》を天に懸けし者、仇を報ゆる者、又忿怒の主、己に逆らふ者に仇を報い、己に敵する者に向ひて憤恨を含む者であつた(拿翁書一章二節)、神を大能者と称へたのは之が為めであつた、即ち為さんと欲して為す能はざることなき者であつたからである。
 又神を智慧又は聡明《さとり》と呼び奉つた、
  ヱホバ智慧をもて地を定め、聡明をもて天を置へ給へり、其智識によりて海洋《うみ》は湧出で、雲は露そゝぐなり(箴言三章十九、廿節)。
(98) 神は全能者であつて、又全智者である、大なる帝王であつて、又大なる哲学者である、畏るべき者であつて、又敬ふべき者である。
 然しながら神は愛であるとは、是れキリストに由て始めて世に伝へられたる真理である、福音の福音たるは殊に此大真理を伝ふるからである、神は大能者である、然れども能力は彼の特性ではない 山を摧き巌を裂くのは彼が喜び給ふ事ではない、神は全智者である、然れども智慧は彼の特性ではない、彼は智者を愧かしめ、学者を迷はしむるを以て快とし給はない、神は愛である、能力以上、智慧以上の愛である、彼が喜び給ひ、好み給ひ、誇り給ふ所のものは是である、彼は能力を示し給はない時もある、然しながら愛を懐き給はない時はない、そは愛は彼の本体であるからである、能力は彼の衣である、故に神は大能を帯び給ふとある(詩篇六十五篇六節)、智慧は彼の装飾である、故に智悪は真珠に愈れりとある(箴言八章十一節)、然れども愛は神の本体である、彼より智慧を去り、権能を去るも、神は神にして、万物の首長である、神は愛である、権能ではない、知慧ではない、神より権能と智悪とを除き去て愛のみ存《のこ》りし者が、イエスキリストである、爾うして彼は曰ひ給ふた、我を見し者は父を見しなりと。
 神は愛なり、故に神が我等に賜ふ最大の恩賜《たまもの》は愛である、神は必しも我等に権能を賜はない、彼はイエスに之を賜はなかつた、神は其愛子が敵に嘲けられ、※[言+后]《のゝし》らるゝ時に方ても、彼に天より万軍を召びて之を滅すの権能を賜はなかつた、イエスは窘しめらるれども自から謙りて口を開かず屠場《ほふりば》に索かるゝ羔の如く、毛を剪る者の前に黙す羊の如くにして其口を啓らき給はなかつた、然し神は其時に著しく愛を彼に与へ給ふた、彼をして十字架の上より父よ彼等を赦し給へ、其為す所を知らざるが故なりと叫ばしめ給ふた、十字架に釘けられしイエスには自(99)己を救ふに足るの能力さへ無つた、然し彼は神の子であつた、愛の外、何物をも有ち給はざりし弱き援助《たすけ》なき者であつた。
 権能の在る所必しも神の在し給ふ所ではない、権能は悪魔にも在る、神を悪み其道を嫌ふ者にして権能を握る者は世に決して尠くない、悪魔も亦神に傚ふて奇蹟を行ふた(出埃及記七、八章を見よ)悪魔は又智悪に富んで居る、神と悪魔との異なる所は其権能と智慧に於てゞはない、若し権能ある者が貴むべき者であるならば悪魔も亦貴むべき者である、若し智慧ある者が敬ふべき者であるならば悪魔も亦敬ふべき者である、神と悪魔との異なる所は其権能と智慧とに於てゞはない、其愛に於てゞある、悪魔には何があつても愛はない、愛は神より出づ(四章七節)、悪魔には愛はない、故に愛なき者は神を識らず、神は即ち愛なればなりとある(八節)。
 愛、愛、吾等の希ひ求むべき者は是れである、権能は要らない、有つて甚だ危険である、智慧は要らない、有つて返て吾等を迷はす、要る者は愛である、敵を倒すための権能ではない、我を倒さんとする我敵を愛する愛である、是れ吾等の最も要求すべき者である、吾等基督者は権能を以て自から守らんとは為ない、愛の中に恐怖あることなし、全き愛は恐怖を除くとあれば(仝十八節)吾等は愛を以て敵に向はんとする、吾等は権能の足りないのを歎かない、愛の足りないのを悲む、愛を以て溢れさへすれば天上天下恐るべきものは一つもない。
 聖霊の降臨と云ふ、然り、昔時は聖霊の降臨に接して勇者は猛き力を得、智者は深き妙理を暁つた、士師ギデオンの如き、預言者ダニエルの如きは其例である、然し今はそれと異なる、聖霊、即ちイエスキリストの霊の降臨は殊に愛の注入である、神は今は愛として吾等の霊に降り給ふ、故に凡そ愛に居る者は神に居り、神また彼に居ると云ふ(十六節)、我等に権能が加はりたればとて必しも聖霊が我等に降つたとは限らない、権能は時には政(100)府より加へられ、又悪魔より加へらる、智慧とても同じである、然れども我等の霊に愛が加はつて、吾等は聖善の神の霊が吾等の衷に臨みしことを確認する、其時吾等の汚れたる体は聖き神の聖殿となる、其時吾等は実に誠に神の宿る所となつたのである、イムマヌエル、神我等と偕に在りとは此事である。
 神は愛なり、故に神の事業とは愛を以て愛の国を此世に建設することである、愛は其目的であつて又其手段である、権能と束縛と威力とは此事業に与かつて何の力もない、権勢に由らず、能力に由らず、我霊に由るなりとヱホバは告げ給ふた(撒加利亜書四章六節)。
 神は愛なり、依て神の事業の忍耐の事業であることが判明る、人は容易に愛を感じない、彼は抑圧すること易くして感化すること甚だ難い者である、然るに吾等基督者は徐々たる愛の感化力の外、何の勢力をも使つてはならないのである、吾等は十字架に上げらるゝも吾等の権力を使つてはならないのである、キリストの生涯と其福音宣伝法は是であつた、即ち使徒パウロの所謂る神に和らがんことを人に願求することであつた(コリント後書五章二十節)、愛の涙を以て世の罪人に改悔を願求すること、是れが基督者の伝道法である。
 神は愛なり、基督教のすべては簡単なる此語の中に含まつてある、海よりも深く、山よりも高く、宇宙の無限大なるを以てするも此一語を限ることは出来ない。
 
(101)     我れかキリストか
                     明治40年6月10日
                     『聖書之研究』88号「感話」
                     署名なし
 
 我れが為すのではない、キリストが我に在りて為し給ふのである、故に我が事業ではない、キリストの事業である、我は死んだ者である、キリストが我に在りて生き且つ働き給ふのである、是れは信仰ではない、亦理想でもない、事実である、何よりも確かなる事実である、それ故に我は基督者であると言ふのである、我れがキリストを信ずるからではない、我は死してキリストが我れに在りて生き給ふからである、此事を疑ふ者は基督者ではない、是れは世の人から見れば大なる秘密である、然しながら基督者から見れば何よりも明かなる事実である。加拉太書二章廿節。
 
(102)     課題〔12「同情のキリスト希伯来書二章十四−十八節」〕
                     明治40年6月10日
                     『聖書之研究』88号「雑録」
                    署名なし
 
      同情のキリスト 希伯来書二章十四−十入節
 
  十四の上、それ諸子《こども》は偕に肉と血とを具ふれば彼も同じく之を具ふ。
 「諸子は」 キリストが救はんと欲し給ふ人の子等は 〇「偕に肉と血とを具ふれば」肉と血とを共にすれば。血肉の性を同一の祖先より受継ぎたれば。人の子は霊のみならず、又肉と血とを具ふる者なれば 〇「彼も同じく之を具ふ」 人の子の救主なる彼れキリストも亦彼等の如くに肉と血とを己に取り給へり、即ち人となりて世に降り給へり、受肉し給へり(腓立比書二章八節参考)。
  十四の下、是れ死を以て死の権威を有てる者、即ち悪魔を滅し、
 「是れ」 キリストが肉と血とを具へて世に顕はれ給ひし目的は是れなり、即ち云々 〇「死を以て死の権威を有てる者云々」 死を以て死を滅さんためなり、死を以て死を無に帰せしめんためなり、或ひは、死を無能ならしめんためなり(テモテ後書一章十節を見よ)、死は存するも之に恐怖なからしめんためなり、死なる毒蛇より其毒牙を引抜いて之をして無害なる者とならしめんためなり、「滅し」の訳は悪し、絶滅の意にあらず、無能なら(103)しむの義なり 〇悪魔を無能ならしめて死を無能ならしめ給へりと、死は罪の結果にして罪は悪魔より出たり、故に悪魔を無能ならしめて死は其|刺《じゃり》を失はざるを得ず(コリント前書十五章五十六節を見よ) 〇キリストの死は如何にして悪魔を無能ならしめし乎、之を学理的に解するは難かるべし、然れども吾人はキリストの死に由りて死が死たらざるに至りしを知る、即ち、キリストの死は彼を信ずる者に取りては死の死なりし事を知る、其説明の如何に関はらず、吾人は実験に因て其事の事実なるを知る 〇然れども其説明の一は確かにキリストの無抵抗主義実行に存せざるべからず、悪に抗する勿れとの訓誡は悪を滅すに最も有効なる途として吾人に伝へられし者ならざるべからず、悪人を滅すに最も善き方法は悪人をして思ふ存分に悪を行はしむるにあり、恰かも毒蛇をして其毒分を放散せしめて之をして真に無害ならしむるが如し、悪魔は神の聖子を殺して悪魔の悪魔たるを充分に顕したり、彼は自己の罪のために亡びたり、彼はキリストを殺して自から死したり、キリストは死の権威を有てる悪魔を滅さんとするに方て、悪魔を殺し給はずして悪魔をして自己を殺さしめたまへり、而して斯かる大罪悪を犯さしめられて悪魔は終に其権威を揮ふ能はざるに至れり 〇キリストの死は神に対しては罪の宥和《なだめ》の死なりし、人に対しては同情推察の死なりし、而して悪魔に対しては其権威挫折のための死なりし也、神はキリストの死を見そなはして彼に依恃む者の罪を看過し(赦し)給ふに至れり、人はキリストの死を見て、死を罪の結果として見ざるに至れり、而して悪魔はキリストの死を見て、死の恐怖を以て最早や人を威嚇するあたはざるに至れり、罪を知らざる神の聖子の死はいづれの方面より見るも死の意味を一変せり。
  十五、且つ死を恐れて生涯繋がるゝ者を放たんため也。
 死の恐怖に由て生涯、束縛の中に在る者を釈放せんためなり、即ち死の縲紲より人を解放せんためなり、死は(104)最大の虐主なり、彼は恐怖を以て人類を縛り、其一生をして恐怖の連続たらしむ、死は生々たる此人生を裹むに悲哀の黒布を以てす、死あるが故に人生に深き歓喜あるなし、而かもキリストは自から死を味ひ給ひて死をして死たらざらしめ給へり、キリストの死に由りて死は無きと同然のものとなれり、茲に於てか深き笑ひは人世に臨みたり、茲に於てか高き讃美は人の口より上れり、キリスト降世以前に、所謂る凱旋的謡歌なる者はなかりき。
  十六、実に天使を助けず、アブラハムの子孫を助く。
 「助く」 は手を取り上ぐるの意なり、即ち手を取て小児を導くとか、又は溺るゝ者の手を取り上げて之を助くるの意なり 〇実に肉と血とを享けざる天使の手を取りて之を助けんとするがキリスト受肉の目的に非ず、彼は之を享けたる弱き人類を助けんがために世に降り給へり、彼はまことに汝等アブラハムの子孫(希伯来書を受取りし基督信者)を助く、彼は汝等と異なる者に非ず、汝等と同じ境遇の下に生育し、汝等の艱難を知り、汝等と悲痛を共にす、彼は天使の救主に非ず、弱き罪ある泣き悲しむ人類の教主なり。
  十七、是故に神につける事に就て衿恤と忠義なる祭司の長となりて民の罪を贖はん為にすべての事に於て兄弟の如くなるは宜べなり。
 「是故に」 肉と血とを享けたる弱き人の子を助くるがキリストの受肉降世の目的にてあれば 〇「神につける事云々」 以下少しく言辞の順序を変更するを要す、即ち左の如くすべし
  衿恤ある且つ神につける凡の事に就て忠義なる祭司の長となりて云々
 「祭司の長」 神と人との間に立て其仲保者となる者 〇「衿恤ある云々」 人に対しては衿恤(憐憫)ある者、同情に富める者、神に対しては彼に関はるすべての事に就て忠義(忠実)なる者、即ち完全なる祭司の長なり、所(105)謂る衿恤と真実と共に合ひ義と平和と互に接吻せる者なり(詩篇八十五篇十節)、神に対して忠義なる祭司は尠からず、然れども同時に人に対して憐憫深き祭司は甚だ稀なり、宗教家は何れの国何れの時代に在りても神に対しては熱心に走り易きも人に対しては冷酷になり易き者なり、所謂る峻厳なる熱信家とは是なり、而かもキリストは世に有りふれたる斯かる宗教家にてはあらざりし、彼は同情と熱信とも合せ有ちし祭司の長なりし 〇「神に関はるすべての事に就て」 神を祭るすべての法に就て(五章一節参考)、即ち供物犠牲等に関はるすべての事に就て。祭事の細末までを怠らざりし完全なる祭司の長なりし 〇「民の罪を贖はんため」 贖ふに非ず、宥むなり、民の罪に対する神の忿怒を宥めんため云々、キリストは我等の罪の挽回《なだめ》の祭物なりと云ふ(ヨハネ第一書二章二節)、彼は人を説き神を宥めて二者の和平を計り給へり、聖なる神にも亦義忿緩和の要あるなり 〇「すべての事に於て兄弟の如くなるは」 万事万端に於て彼の兄弟たる人の子の如くなるは云々、人に対しては同情推察に満ち、神に対してはすべての事に就て忠実なる祭司の長となりて、民の罪に対する神の忿怒を解かんためにキリストはすべての点に於て彼の兄弟なる人の如くなるの必要ありたり 〇「宜べなり」 斯くならざるを得ざりき、斯く為すは彼の義務なりき、人を救はんためには人の如くならざらんと欲するも得ざりき、愛にも亦束縛あり、キリストは愛の縄目を以て自ら縛り給へり。
  十八、そは彼れ自から誘はれて艱難を受けたれば誘はるゝ者を助け得るなり。
 「彼れ自から誘はれて云々」 彼は聖き者なりしも亦人の子の如く終生悪に誘はれ給へり、而かも能く誘惑に勝ちて一回も罪に陥入り給はざりし、而して誘はれしに由て、即ち、誘惑の実験を有ち給ひしが故に彼は「誘はるゝ者を助け得るなり」、茲にある「助け」なる辞は第十六節にある「助け」なる辞と異なる、是は「声に走る」(106)の意なり、即ち、援助を乞ふ声に応じて走り赴くの意なり、艱難の何たる乎を知り給ふキリストは艱難に在る者の応援に赴くを得るなりと。
 以上五節を左の如く改訳して其意義を一層明瞭ならしむるを得べし。
  それ子等は肉と血とを共に享けたれば彼も亦彼等の如くに之を己に取り給へり、是れ死に由りて死の権威を有てる者、即ち悪魔を無能ならしめ、且つ死を恐れて終生其束縛の下に在る者を釈放たんためなり、彼は実に天使を助くる者にあらず、アブラハムの裔を助くる者なり、是故に彼れが憐憫《あはれみ》ある且つ神に関はるすべてのことに就て忠実なる祭司の長となりて民の罪の為に宥和《なだめ》をなさんために、すべての事に於てその兄弟の如くなるは彼の為すべきことなりき、そは彼れ自から誘はれ艱難を受け給ひしに由て能く誘はるゝ者を援け得給へばなり。
       ――――――――――
 同情のキリスト、神の子なればとて独り天の高きに居り給ひて人の艱難を下瞰し給ふ者にはあらで、人の肉を取り其血を分ち、人の受くべき艱難をすべて受け給ひし者、斯かる者は神なるよりも寧ろ人なり、主なるよりも寧ろ友なり、畏るべき者なるよりも寧ろ愛すべき者なり、彼は自から誘はれて艱難を受け給ひしに由て、誘はるゝ者の援助を乞ふ声に応じて直にその許に走り赴き給ふと、如何なる福音ぞ、然り、彼は吾人の許に走り来るを要せず、吾人は唯彼れあるを知れば足る、彼も苦み給ひたれば吾人の苦むは当然なり、彼も此世の人に憎まれ給ひたれば吾人の憎まるゝは当然なり、同情のキリストは同情を以て吾人を助け給ふ、吾人はキリストありしを知るのみにて既に吾人の苦痛の悉く拭はれ去りしを感ず、同情のキリスト、然り、同情のキリスト!
       ――――――――――
 次号課題左の如し
  余は『聖書之研究』雑誌より何を得し乎
 此課題に対し読者諸君より多数の答文を得て座ながら全国の教友諸君と共に楽しき夏期懇話会を開かんと欲す、続々と御投稿を乞ふ、原稿〆切六月三十日。
                       内村鑑三
 
(108)     余の父の信仰
                     明治40年6月10日
                     『聖書之研究』88号「雑録」
                     署名 鑑三
 
〇武士道を以て己を鍛へ上げた彼は晩年に至りては熱心なる非戦論者であつた、日露戦争中と雖も、彼は余と共に非戦論を唱へた、爾うして人ありて彼に「貴老の非戦論は御子息に傚はれしものならん」と云ふ者があれば、彼は憤然として答へた「悴は悴で厶る、私は私で厶る、私は悴に信仰を左右せらるゝ者では厶らぬ」と、ポーツマス平和条約成りしと聞て、彼は「マー善かつた」と幾回となく繰返して曰ふた。
○彼は所謂宗教の熱心家ではなかつたが、然し堅く基督教の根本的教義を信じた、殊に復活の教義は彼が非常に重きを置いた所の者である、彼は海老名弾正君を尊敬し、君の主筆になる雑誌「新人」を毎月欠かさず愛読した、然し海老名君の復活論(寧ろ復活否認論)には全然反対を表した、彼の武士気質はすべての廻り遠い説を斥けた、彼はハーナツク流の研究法を以てしては基督教は到底解らない者であると信じた、彼は又綱島梁川君の『病間録』を読んで曰つた「是れは宗教ではない」と。
〇此二三年来、彼が何よりも嫌つた者は今日我国に於て唱へらるゝ社会主義であつた、彼は幾度となく繰返して曰ふた「天下を乱す者は是れである」と、彼は社会主義は儒教に反き基督教に反き日本道徳に反く者であると曰ふた、彼は余が余の日曜日の聖書講演会より社会主義者の出席を謝絶したのを聞いて大賛成を表した。
(109)〇昨年の秋の頃より彼の信仰に大変革が来た、彼は一日余を招いて曰ふた「余は今日まで誤れり、余は今日まで人は自己の救済を完うすべき者であると思ふた、然し爾うではない、人の救済は既にキリストに由りて完うせられたる者である、我等はたゞキリストを信じさへすれば可いのである、余は今日始めて余は既に救はれたりと云ふことが出来る」と、余は歓喜の余り其時彼に答へて曰ふた「祖父様、(余等は彼を称ぶに彼の孫児が彼を称ぶ名称を以てせり)其事が判分りましたか、其事が判分りさへすればそれで人は此世を去つても可いのであります、人の此世に生れて来たのは此事を知らんが為めであります」と、彼は答へて曰ふた「実に爾うだ、実に爾うだ」と、其後彼は死に就くまで幾回となく曰ふた「キリストはきつと俺を救つて下さる」と。
〇彼は常識に富み冷静なる頭脳を有つたる人であつた、故に事物に関する彼の判断は常に穏健であつた、余は余の為すことに就て彼の反対を受くることを何よりも恐れた、又彼に賛成されることは全天下の賛成を得るよりも嬉しかつた、彼れのみは遠慮なく余を叱つて呉れた、然るに今や此人なし、余は今更らながら余の寄り凭りし大黒柱が除かれしやうに感ずる。
 
(110)     今井樟太郎君追悼演説
                           明治40年6月20日
                           『基督教世界』
                           署名 内村鑑三
 
 由来文筆を以て世に立つ者は友人の少きものなり 文士は一種の隠れたる公生涯を送る者といふも可なり、場合によりては全国民を敵として立たざるを得ざる事あり、かゝる時は真に孤独の生涯を送るの覚悟なかる可らず、予は此職業を執りて世に立つ者なり、加ふるに余の性僻は極めて交際を嫌ふ者にして自ら求めて友を得んと努めたることなし、且つや関東に生れたる一種の地方的感情は関西人士と親交を結ばんとする如き思ひも懸けざる事なりき、かく職業上より云ふも性質上より云ふも故今井君と余とが親友となることの如きは実に不思議と云はざる可らず、然らば何故に今井君と余とが親友になりしかと云ふに実に左の如き事によれり、今より九年|前《ぜん》余の生涯のうちに終生忘るべからざる一大打撃は来れり、何人にも一度は見舞ひ来るべき災難が此時余の身上にも落ち来りしなりき、余は社会の凡の人に誤解せられ、兼ねて親友と頼み居りし人々にも全く見棄てられんとする境遇に立てり、余の事業は一敗地に塗れて再び世に立ち得ざるにはあらずやと思ひし程なりき かく失望の淵に沈みつゝありし時に一日名も知らぬ一人の大阪人より一封の手紙を受取れり、不審ながら披き見るに短かき文句なりしも言々皆な同情の涙に満ちて、先生よ仮令世は悉く先生を棄つるとも決して失望し給ふ勿れ、神は先生の心を知り給へば必ずや世の誤解を解き給はん、願くは正義の為め道の為め患難のうちに一層の勇気を以て奮闘し給は(111)んことを云々とありて、心より余の境遇に同情を表して神によりて余を慰めんとしたるなりき、嗚呼余が此手紙を読みし時の感は如何なりしか、世には只一人たりとも余の心事を知れる友ありと思ひし時の余の喜は如何なりしか、此時余は暗夜の中に只一つの星を認めしなりき、失敗何かあらん、患難何かあらん、仮令世は挙つて余を棄つるとも未見の一友にして斯の如く余を思ふ者あらば我望は足れりと非常なる感激の情を以て再び勇気を振ひ起したりき、而して此未知の友は即ち故今井君にてありしなり、実に世には只だ一本の草の葉によりて沈まんとする一生の救はるゝことあり、余は今井君の一片の同情によりて志を挽回したりし也、其年即ち明治三十三年の秋なりしと思ふ、余が京都に来りて一場の講演をなせし時今井氏は態々大阪より来りて余の演説を聴かれたり、此時初めて未見の友と相見るを得たりしが多く相語るの時なくして別れなりき、爾来杳として音信を欠きしが一昨年の春五月頃なりき、今井君は突然余が角筈の寓を訪はれたり、過分の贈物を齎らして而して曰く、今日は御礼の為めに参上せりと、余怪み問ふて曰く余こそ君に向つて感謝すべき者なれ、君の御礼とは果して何の意ぞやと、氏曰く否々、三十三年に京都にて御目に懇《かゝ》りし時は実は拙者に取つて最も失意の時なりき、当時事業意の如くならず、加ふるに共同者たる友人の負債を一身に引き受けて如何とも為し難き苦境に陥りたれば拙者は一生負債を償却する為めの生涯を送らざるべからずと自ら覚悟したる程なりき 然るに幸にして漸次幸運に向ひ、今日は凡ての借財を返却する為に上京したるなり、此間始終信仰と勇気とを拙者に与へ給ひし者は実に先生の著書と雑誌となりき、故に今日は取り敢へず来りて謝意を陳ぶるなりと、余は此言を聴きて非常なる感動に打たれたり、大抵の人は苦しき時に宗教家に訴へ来るものなり、然るに氏は苦境に在りし時一度も来り告げしことなく其|数《す》年間は杳として音信なかしなり、而して喜びの時に来りて謝意を表す 余は思へり此人は容易ならざる人物(112)なり、余は実に思ひ懸けざる良友を得たりと、爾来余は益々君を尊敬し且窃かに此良友を与へ給へる天恩を感謝して非常に心強き感を有したりき、元来宗教家なるものは富豪もしくは実業家に対しては常に独立を保たざるべからず、実業家固より悪しきにあらねど此と関係を結ぶ我れに於て一片の弱点あらば思はざる誘惑に陥ることなきを保せず、是れ吾儕宗教家に取りて最も戒心すべき事の一なり、而かも余は実業家たる今井君に対しては毫もかゝる懸念の必要なきを思へり、春秋に富める有為多望の同君が後日大に成功せらるゝ時あらば、余は少しも頭《かしら》を下げず、又毫も自己の自重心を傷くることなくして、何の遠慮もなく学校なり慈善事業なりの設計に関する勘定書を携へて君の面前に差出し、君宜しく余の事業の為めに此資金を投ぜよと要求するを得べき友人は即ち此今井君なりと思ひたり、余は心窃かに君の成功を祈り且つ斯かる日の到来せんことを信じて待ち望みたり、
 噫、然るに昨年の今月|今日《こんにち》(六月五日)突然東京の君の支店より凶報あり曰く今井君死せりと、余は如何にしても之を信ずる能はざりき、即ち取るものも取り敢へず、日本橋の支店に駆け付けたるに店員も狼狽為す所を知らざる有様にて終に事実なるに相違なきを発見せり、噫余の此時の感想如何 余は大変なものを失ひ了りぬ、神は余を欺きたり 今井君の死は何物にも増して余に取りての損失なりと思ひたりき、余は家に帰り、二日を経て彼の葬儀が大阪に於て営まれし同時刻に於て余の家内の者を集めて余の角筈の家に於て今井君の葬式を営みぬ、又当日弔電を認めて「今井君の永眠を悲しむ、神皆様を慰めん」と書きたるも、終に自ら慰むる能はず、再び筆を執りて「……神我儕を慰めん」と書き直したりき、噫かくの如くにして余と今井君との短かき此世の交際は終りぬ、
 今此一週年に際して亡き友の追悼会に臨み諸君と共に何事を学ぶべきか、今井君の死は其家族に取り日本の社(113)会に取り将た余自身に取りて果して之れ損失なりしや、夫れ然らん、而かも余は此頃に至りて必ずしも其然らざることを悟るに至れり、斯く云ふ余自身は近頃ろ余の老ひたる父を失ひしなり、余が最良の友なる七十六才の父を葬りしなり、余の疲は未だ癒へずして人生の大なる寂寥を感じつゝある時なり、而してかく愛する友と愛する父の死を想ふにつけて余は直ちに主基督の死を思ひ起さゞるを得ざるなり、約翰伝十六章の七節に曰く
  我往くは爾曹の益なり若し往かずば訓慰師《なぐさむるもの》なんぢらに来らじ、若ゆかば彼を爾曹に遣《おく》らん
 基督の死は我等の益なりと云ふ此の美はしき考へは我等の心に起り来らざるを得ず、基督死して慰むる者即ち基督の霊来りて我が内のものとなる也 余の父は死せり、而かも彼れ死して余は近く父を発見せり、生前には父は余の長者なりき、余は彼の前に低頭せざるを得ず、彼は余の上に権威を以て臨みたりき、彼れと吾との間には父子たるの差別ありき、然るに一たび父を葬りて父と我とは全く一ツになれり、霊に於て一体となれり、此実験は到底能く説明し能はざれども此れ人生の事実なるを奈何せん、父の志を想ふては感奮道に進み、
英霊に励まされては人生の難事に当る、彼の肉は死せり而かも其霊は新たる我衷に生きたる也。斯くの如く今井君も其死によりて更に我等と近くなれり、余は告白す、君の生前に在りては余は君の家族の為めに祈りしことなし、然るに今は心より君の遺族の為めに又其事業の繁栄の為めに日夕神に祈る心となれり、前にも云ひし如く余は隠れたる公生涯を送るものなり、講壇に立ちて説教することほど余に取りて恐ろしきはなし、況や此の大阪に来りて諸君の前に演説をなすことの如きをや 然かも昨年今井君の未亡人来りて天満教会に於ける聖書研究の講演を依頻せらるゝや、余は終に拒む事能はざりき、今井君の霊吾れに向つて先生願くは往き給へ余の為めに此依頼に応じ給へと要求するが如く感ずればなり、死せる今井君の此命令には頑陋余の如きものも終に服従せざるを得ざるなり、(114)故に余が若し大阪に来りて幾分かの善事を為したりとせば、そは実に今井君が余を引き出して此講壇に立たしめたるなり、即ち今井君の霊わが衷に生きて余をして君の志を行はしむるに外ならず、かく君の一家に対するインタレストを余のうちに起したるも、又た余をして毫も予期せざる事業に従事せしむるも是れ皆な今井君の死によりて起されたる変化にして、霊に於て一ツとなること得たる此利益は実に君の死其物の賜物なりと云はざるべからず、「我が往くは爾曹の益なり」と宣へる主基督の言は吾人の親しき友の場合に於ても真に吾等を欺かざるを知るべきにあらずや、
 吾等茲に於てか知る、人死するも実は決して死せざることを、諸君、今井君は今何処何にありや、今井君は彼の永良《ながら》の墓地にあらざるなり、彼れの霊は独り天のみに在らざるなり、今井君の居る処は彼れの愛せる者の心たるなり、彼は其友人及妻子の心に宿りて其友人妻子を以て己が事業を為しつゝある也、曾ては一人の今井君が今は多数の今井君となりて諸方に其志を成しつゝあるなり、即ち彼れの精神は現に地上に残りて、いはゆる増大《アクセラレート》せられて広く世上に活動するなり、霊魂不滅の真理は科学的に証明出来ざれども、善人の精神が現在此世に永存して而かも一層増大せられたる力を以て人心の衷に生くる此一事は毫も争ふべからざる事実にあらずや、善人と悪人との大なる差は実にこゝに在り、悪人は其死と共に永遠に忘れられ若くは寧ろ其生存せしことの記臆すら取り除かんとせらるゝに反して、義しき人の記臆は永遠に人心中に生きて偉大なる感化を与ふる也、即ち義人は墓に葬られずして友人の心に葬らるゝものなり 此深玄なる真理を味ふることは吾人に取りて大なる幸福にして、今日今井君の一周年紀念会に於て氏の友人たりし諸君と共に深く考へんと欲する所なり、かへす/”\も我等は御互に我儕の肉体のうちに故今井君の霊を活かして彼れの志を継承する覚悟を固めんことを望んで措かざる(115)なり、噫わが友は死せず、希くば諸君と共に永遠に今井君を紀念し、彼をして永久に我儕の衷に活かしむる契の約を立てしめよ。
   (右は六月五日天満教会に於ける紀念会に於て内村氏の述べられし者の大意なり、茲に氏の校閲を経て之を紙上に掲ぐるの栄を得たり)
 
(116)     〔夏と天然 他〕
                     明治40年7月10日
                     『聖書之研究』89号「所感」
                     署名なし
 
    夏と天然
 
 神を衷より視よ、又外より視よ、霊に於て視よ、又物に於て視よ、聖書に於て視よ、又天然に於て視よ、神を一方より視て彼を誤解するの虞れあり、夏は来れり、我等は天然を学んで天然を透うして天然の神に達すべし。
 
    宇宙の占領
 
 自覚せよ、又自忘せよ、自己の罪を悔いて神に至れよ、又自己の罪を忘れて神の天然に遊べよ、神の如く聖くなれよ、天然の如く自由なれよ、神の子となれよ、又天然の子供となれよ、衷に省みて又外に伸びよ、汝等に国を与へ給ふ事は汝等の父の喜び給ふ所なりと主は曰ひ給へり、己の霊を救はるゝと同時に宇宙を己が有と為せよ。路加伝十二章三十二節。
 
    夏の夕
 
(117) 神アブラハムを外にたづさへ出して言ひたまひけるは天を望みて星を数へ得る乎を見よと、然り、壱等星二十一、弐等星七十三、参等星二百三十、四等星七百三十六、五等星二千四百七十六、六等星七千六百四十七、以上は肉眼に映ずる者なり、第九等星に至るまでのすべての星を数ふれば六十三万余、第十等星を合すれば総数二百三十一万一千に達すべし、而して未だ全宇宙の一隅を窺ひしに過ぎず、小事に齷齪して常に頭を低るゝ者よ、時にアブラハムの如くに神に携へられて郊外に出で、天を望みて星を数へ得る乎を見よ。創世紀十五章五節。
       ――――――――――
 
    救済の三階段
 
 行ふて救はるゝに非ず、信じて救はるゝ也、信じて救はるゝに非ず、聖霊を受けて救はるゝ也、行為は信仰を促すに必要なり 信仰は聖霊を招くに必要なり、行為、信仰、受霊は救済の三階段なり、人は其すべてを経由するにあらざれば神の天国に入る能はざる也。
 
    基督伝の研究
 
 我れキリストに傚はんと欲して基督伝を学ぶ、学んで而して益々傚ふの難きを知り、知て而て失望し、失望して而して自己の罪を覚り、覚りて而して終に彼の十字架に縋り、鎚りて而して稍や少しく彼に傚ひ得るに至る、キリストは基督伝を研究して直に傚ひ得る者に非ず、先づ一たび基督伝に由て殺さるゝにあらざれば、我等はキリストに在りて生き、彼の如くに行ふ能はざるなり。
 
(118)    神学と福音
 
 キリストに傚へと言ふ、是れ所謂る新神学なり、キリストに救はれよと言ふ、是れ旧き福音なり、神学は曰ふ「汝は神の子なり」と、福音は曰ふ、「汝は神の子とせらるべし」と、神学は人を高く見て実際に彼を高めず、福音は人を低く見て実際に彼を高くす、余輩は神学よりも福音を愛する者なり。
 
    預言者と基督者
 
 世の悪事を見て我は預言者となりて怒る、自己の悪事を見て我は基督者《クリスチヤン》となりて泣く、暗黒を自己以外に認めて我は人世に就て失望し、之を我が衷に認めて我は救主の既に世に降り給ひしを知る、預言者たるは良し、然れども基督者たるは更らに良し、我は自己の罪人の首なるを自覚し、神を我が有となし、併せて彼に在りて罪の世を救はんかな。
 
    恩恵の受器
 
 我は自己に就ては罪を語り得るのみ、神に就てのみ善と義と愛とを語るを得るなり、我れもし罪なしと言はゞ是れ自から欺くなり、神の愛なるが如く我は罪なり、神の光なるが如く我は暗なり、神の真理なるが如く我は誤謬《あやまり》なり、我は恩恵の愛器としてのみ自己を世に示し得るのみ、我を師と称ぶ勿れ、そは汝等の師は一人、即ちキリストなればなり、我に於てたゞ恩恵の動作を見よ、而して我れ罪人なるに救はれしが如く、汝等も亦我が如く(119)に救はれよ。約翰第一書一章八節。馬太伝二十三章八節。
 
    単一の信仰 
 
 我が信仰をして単一ならしめよ、我が信仰をして一キリストに止まらしめよ、それ神の充足れる徳は悉く形体をなしてキリストに住めり、キリストを信ずるは万物を信ずるに均し、キリストを信じて信仰は最も単純にして最も宏闊なり、キリストを信じて我等は万事万端に気を配るを要せず、キリストを信じて成るべき事は悉く成る、キリストを信じて我は教会を要せず、信仰個条を要せず、其他此世の種々雑多なる交際を要せざるなり。哥羅西書二章丸節。
 
    聖書の主人公
 
 聖書の主人公はアブラハム、モーゼ、イザヤ、ヱレミヤ、パウロ、ペテロ等所謂聖書人物に非ず 聖書の主人公は神御自身なり、神が如何に働き給ひし乎、是れ聖書の録す所なり、聖書に在りては人は皆な機械なり、奴僕なり、雑色なり、
  日は新郎《にひむこ》が祝の殿を出るが如く、勇士《ますらを》が競ひ走るを悦ぶに似たり、其出立つや天の涯よりし、其運ぐり行くや天の極に及ぶ、物としてその和煦《あたゝまり》を蒙らざるはなし(詩篇第十九篇)
 地上に於ける神の凱旋的進行を録せしもの、是れ余輩の尊重する聖書なり、聖書の研究者は此一事を忘るべからざる也。
 
(120)     罪の人
                     明治40年7月10日
                     『聖書之研究』89号「所感」
                     署名 角筈生
 
  善なる者は我すなはち我肉に居らざるを知る(羅馬書七章十八節)。
 是を左の如く改訳すべし、
  我は知る我が衷には、即ち我が肉には、善の宿らざることを。
 謙遜の言葉なり、然れども事実なり、此言を発し得ざる人は未だ自己を知らざる者なり、パウロ然り、吾人何人か然らざらんや。「我は知る」 我は此事を自覚す。「我が衷には」 我れが我れと称する者の中には。「即ち我が肉には」 生来の我れには、キリストの恩恵に与らざりし前の我には、罪の中に生れ、罪の中に生育ち、祖先より罪を伝承し、又自から罪を造りし我には、単に我肉体に止まらず、我が智、我が心、すべて神の霊の恩化に与からざる我が天然性には。「善」 キリストに在りて我が発見せし善は。人の称する善にあらず、神が善と見留め給ふ善は。「宿らざることを」 善は本性として我が衷に実在せざることを、時に天外より臨むことあるも、是れ一時の感動に過ずして、永久性のものにあらざることを、生来の我は善の伝達器なるべけんも、その所有者にあらず、我は我が全性を探り見て本然の善を発見する能はずと。
 憐むべきは人なる哉、而かも人は何人も斯の如き者なり、汝等悪者なるにとキリストは人類全体に就て曰ひ給(121)へり(馬太伝七章十一節)、人は善に不足するにあらず、全然善を欠くなり、彼は悪者なり、神に善者とせらるゝまでは毫も善ならざる者なり。
 基督教は此事を教ゆ、聖書は万人を罪の下にとぢこめたり(加拉太書三章廿二節)、基督教の聖書に由れば世に善人なる者一人もあるなしと言ふ、是れ非常の宣言なり、然れども否むべからざる事実なり、此事を知らずして基督教を解する能はず、此事を知らずしてキリストの救済に与かる能はず、キリストは我等をより善き善人となさんがために世に降り給ひしにあらず、悪者を善者となさんがために贖罪の血を流し給ひしなり。
  視よ、我れ邪曲《よこしま》の中に生れ、罪に在りて我が母、我を孕みたり(詩篇第五十一篇五節)。
  其頭は病まざる所なく、其心は疲れはてたり、足の裏より頭に至るまで全き所なく、たゞ創痍《きず》と打傷と腫物《しゆもつ》とのみ(以賽亜書一章五、六節)。
  義人なし、一人も有るなし………悟る者なし、神を求むる者なし、皆な曲りて全く邪となれり、善を為す者なし、一人も有るなし(羅馬書三章十−十二節)。改行
 
(122)     預言者エゼキエルの偽預言者観
        以西結書第十三章
                     明治40年7月10日
                     『聖書之研究』89号「研究」
                     署名なし
 
 一ヱホパの言我に臨みて言ふ、
 二人の子よ、預言を事とするイスラエルの預言者に対ひて預言せよ、己の心より預言する者等に言ふべし、汝等ヱホバの言を聴くべしと。
 三主ヱホバ斯く言ひ給ふ、
 何をも見ずして、己れの霊のまゝに行ふ所の愚かなる預言者は禍ひなる哉。 四イスラエルよ汝の預言者は荒墟に居る狐の如し 五彼等は破口《やぶれくち》を守らず、亦イスラエルの家の四周に石垣を築きてヱホパの日に防ぎ戦はんとせざる也。
 六彼等は虚《むなしき》を見、偽を語り、ヱホバ言ひ給ふと言ふ、然れどもヱホバは彼等を遣はし給はざりしなり、而も彼等はその言の成らんことを望む 七我は彼等に言はんとす、汝等は虚しき夢幻を見しにあらずや、汝等偽はりの預言を語りしにあらずや、汝等は「ヱホバ言ひ給ふ」と言ふ、然れども我れ語らざりしにあらずやと。
 八是故に主ヱホバ斯く言ひ給ふ、
(123) 汝等虚を語り、偽を見たり、故に、見よ、我れ汝等に抗せん、主ヱホバ是を言ひ給ふ 九我が手は虚を見、偽を預言する預言者の上に加はるべし、彼等は我が民の衆会の中に居らずなるべし、彼等はイスラエルの家の籍に記されざるべし、彼等はイスラエルの地に入らざるべし、而して彼等は我の主ヱホバなるを知るべし 一〇彼等は平和なきに「平和」と言ひて我民を惑はしゝが故に、是故に……………人あり、塀を築けば彼等は石灰《しつくひ》を以て之を塗る 11石灰を以て之を塗る者に言へ「是は壊《くづ》るべし」と、大雨|降《くだ》らん、大雹降らん、暴風起りて之を裂かん 一二視よ塀の壊るゝ時、人、汝等に言はん、「汝等が塗りし其|白堊《しろかべ》は今何処にあるや」と。
一三是故に主ヱホバ斯く言ひ給ふ、
 我れ我が憤恨《いきどほり》の暴風を以て之を裂くべし、我が忿怒の大雨を降すべし、我が忿怒の大雹を降して之を殲《つく》すべし
一四斯くて我れ汝等が石灰を以て塗りし塀を毀ちて之を地に倒すべし、斯くて其|基礎《いしづゑ》は露はさるべし、塀は壊るべし、而して汝等は其中に殲さるべし、而して汝等は我のヱホバなるを知るべし 一五斯くて我れ我が忿怒を塀と石灰を以て之を塗りし者の上に注ぐべし、而し我れ汝等に言ふべし、今や塀あるなし、又之を塗りし者あるなしと、イスラエルの預言者は是れなり、彼等はヱルサレムに関して預言し、平和なきに彼女に就て平和の黙示《しめし》に与かれりと言ふ、主ヱホバ之を言ひ給ふ。
 
    大意
 
〇偽預言者は己の心を語る者なり、神の心を語る者にあらず、自から進んで預言者たる者なり、神に簡まれて預言者となりし者に非ず。
(124)〇偽預言者は荒墟に巣を作る狐の類なり、光明を避け、幽暗を愛し、手段、方法を講ずるに汲々として公道を行ふに努めず。
〇偽預言者は臆病者なり、彼等は国難に際して身を挺して国を護らんとせず、常に身を安全の地位に置いて、平和なきに平和、平和と叫ぶ、彼等は何よりも国民の反対を懼る、如何なる場合に際するも「平和」「穏便」は彼等の套語なり。
〇「塀」は政治家の提供する政略なり、而して偽預言者は為政家の政見とあれば善悪に関はらず、悉く之に賛成し、之を塗るに宗教の自重を以てす、然れども大雨降り、暴風起りて、政治家の政略が其根底より壊るゝ時に偽預言者も亦共に滅さるべし、其時彼等は神の欺くべからざると自己の偽預言者なるとを知るべし。
〇神が嫌ひ給ふ者にして偽預言者の如きはあらず、政治家の頤使する所となり、宗教を政治の機関に供し、政治家の所行とあればすべて之を謳歌する偽預言者の如きはあらず、「人あり、塀を築けば彼等は石灰を以て之を塗る」と、悪事の塗抹者、醜事の修飾者、神は彼等を嫌ひ給ふ、故に時到れば暴風大雨を降して、政治家と共に彼等を滅し給ふべしと。
 
     註解
 
 (1)「人の子よ」 神より人を呼び掛け給ふ時の称号なり、聖なる預言者たりと雖も弱き愆り易き人の子たるに過ぎず、キリストが此名を己に負ひ給ひしは自から遜りてなり、人に対する一般の称号なりと雖も、而かも純なる人の稀なる此世に在て此名を以て神に呼ばるゝは大なる名誉なり、蓋し神が特に此名を以て預言者を呼び給ひし(125)は特愛の意を表せられしに由てなるべし 〇「預言を事とする預言者」 預言して歇まざる預言者、勝手放題に預言する預言者、神より遣はされざる自称預言者なるが故に時と所とを選ばずして預言する預言者、勿論偽預言者なり 〇「対ひて預言せよ」 斯かる自選預言者に対して神の言を発せよ、神に代て語れよ、汝の預言職を偽預言剿滅のために用ひよ 〇「己の心より預言する者」 偽預言者は神の心を伝へずして、己の心を語る。
 (3)「何をも見ずして」 神の黙示に接せずしてと云ふに同じ、或る実物の心に臨みしが如くに判然と神の聖旨を体得せずして 〇「己の霊のまゝに云々」 神の霊のまゝに行ふべき者なるに己の霊のままに行ふ愚かなる預言者は云々。
 (4)「荒墟《あれあと》に居る狐の如し」 荒敗の地に棲むジヤカルの如し、光明を避けて幽暗に居る、何事を為すにも必ず秘密手段に出づ、正門よりせずして裏門より入らんとす、獅子の如くに勇ましからずして、狐の如くに卑怯なり。ジヤカルは狐の一種なり、シリヤ地方に産す。
 (5)「破口を守らず」 卑怯者なり、故に民のために戦はんとせざる也、敵来りて城壁を破り、城内に侵入せんとするも自ら破口に立て防ぎ戦はんとはせざる也、彼等は悪牧者《あしきひつじかひ》なり、狼の来るを見れば羊を棄て逃ぐ、狼、羊を奪ひて之を散らす(約翰伝第十章第十二節) 〇「石垣を築きて云々」 破口に立て敵と戦はんとせず、亦石垣を築きて防禦の策を講ぜんともせざる也、民を敵の劫掠に任かす、自己の安逸を計れば也 〇「ヱホバの日」 ヱホバが忿怒を以て民を鞫き給ふ日、困難の臨む時。
 (6)「虚を見、偽を語り」 空虚を見、虚偽を語る、無を見て有なりと云ふ、ヱホバの言の臨まざるにヱホバ言ひ給ふと言ふ、見るべき物なきに見たりと称して虚偽を語る 〇「其言の成らん事を望む」 己れ偽りの預言者なる(126)に其言の事実となりて顕はれんことを望む、彼等も亦申命記十八章廿二節の言に由りて己の真偽を試みんとす、難いかな。
 (8)「我れ汝等に抗せん」 我れヱホバ汝等偽預言者等に対して忿怒の面を向ふべし。「主の面は悪を行ふ者に向ひて怒る」(彼得前書三章十二節)を参考せよ。
 (9)「我が手は偽預言者の上に加はるべし」 我は忿怒の面を向くるに止まらず、更らに進んで刑罰を加ふべし
〇「民の会衆の中云々」 彼等は議会に於ける彼等の席を失ふべし、彼等の名は撰民の籍より削らるべし、彼等は聖地より逐はるべし、官を褫《は》がれ、籍を除かれ、国より逐はるべし 〇「彼等は我の主ヱホバなるを知るべし」斯くも恥辱の上は耻辱を加へられて彼等は終に神の神たるを知るに至るべし、彼等神を説く者なれども危害の身に及ぶまで自身神を認めざるべし。
 (10)「是故に………」 エゼキエルは茲に至つて情迫りて言はんと欲する所を言ひ得ざりしが如し、聖書に文法に合はざる節あるは反て其意義を強からしむ 〇「人あり」 暗に時の方伯即ち政治家等を指して云ふ 〇「塀」 日光製の煉瓦を以て作りし塀を云ふなるべし 〇「石灰を以て之を塗る」 石灰を以て煉瓦を塗り、其凸凹を隠くし、不斉を蔽ふ、醜を飾りて美観を呈せしむ。 以下意味明瞭なり、註解を要せず。
 
(127)     神の事業と人の事業
                     明治40年7月10日
                     『聖書之研究』89号「研究」
                     署名なし
 
 成りし事業は神の事業なり、作りし事業は人の事業なり、成りし事業は神、之を支持し給ふ、作りし事業は人、之を運動に由て維持せざるべからず。
 人、自から事業を計画し之を遂ぐるを以て神の聖旨なりと信ず、焉ぞ知らんや、是れ自己の事業にして神の事業にあらざることを。
 神の事業は待て成る、進んで、訴へて、乞ふて作り上げし事業は神の事業にあらざる也。
 
(128)     緑蔭独語
                     明治40年7月10日
                     『聖書之研究』89号「談話」
                     書名 内村鑑三
 
〇余輩はキリストを信ずる者の一人である積りである、然し『教界』の一人ではない積りである、教界と云ふは俗界と云ふと多く異らない、余輩は終りまで教界又は俗界の人とはならない積りである。
〇余輩は第一に人たらんと欲する、第二に武士(剣を抜かざる)たらんと欲する、第三に基督者たらんと欲する、情の人、義の人、愛の人とならんと欲する、其他の者とならんと欲しない、余輩は如何なる意味に於ても「特別の人」とならんと欲しない。
〇余輩の理想は貴族ではない、平民である、教職ではない、平信徒である、サリスベリー侯ではない、グラッドストン氏である、監督誰々ではない、単純のトーマス・カーライルである、神は預言者エゼキエルを「人の子」と呼び給ふた、余輩も亦神にも人にも斯く呼ばれんことを欲する、「人の子」、「人類の一人」、是に優さりて貴い称号は他にない。
〇人の本体は言ふまでもなく霊であつて肉でない、彼は特別に霊的実在物である、爾うして霊に階級とか称号とか云ふやうなものは無い筈である、人を其本体に於て認むれば純粋なる平民である、故に彼は神が彼に就て定め給ひし偉大に達すれば達する程、単純なる平民となる、肉体より離れたる霊、是れが平民の本体である、神の前(129)に独り立たる裸体の我、此「我」に位階も、勲章も、学位も、教職も附着して居りやう筈はない、キリストの十字架の血を以て贖はれし罪人、是れが平民の完全に達したる者である、爾うして余輩は斯かる完全なる平民となりたく欲ふ。
〇人であつて人でない人、神に対しての人であつて、人に対しての人でない人………、人に対すればこそ人は華族にも列せられたく欲ひ、監督にも選まれたく欲ふのである、然しながら我等何人も神に対しては罪人の首である、世に我より外に人があると思ふのが抑々堕落の始である、世は先づ第一に神と我とである、爾うして此関係が定まつて然る後に始めて我と他人との関係、即ち交際が始まるのである、人は人と共に神に至るのではない、先づ独り神に往て然る後に人と聯なるのである、神は今の労働者が資本家に迫るやうに、人が団体を組んで近づくべき者ではない、彼は各人が其胸を打て神よ罪人なる我を憐み給へと言ひて其|宝座《みくら》に近寄るべき者である(路加伝十八章十三節)、信仰は交際の結果として起るべき者ではない、人は社交的動物であるよりも寧ろ拝神的動物である、希臘語のアンソロポス(人)は「上を仰ぐ者」の意であると云ふ、周囲に人は無きものと思ふて、上を仰いで至上者《いとたかきもの》と交通する者、是れが古人の見たる人であると云ふ。
〇今の人は輿論を作らなければ何事も成らないと思ふ、故に彼等は輿論を作るに汲々として日も亦足らない、然しながら昔より今日に至るまで、人類の大進歩にして輿論となつて成つたものはない、進歩は常に偉人が独り為して成つた者である、ルーテルは彼れ在世当時の旧き腐れたる宗教を改革するに方て革新思想が輿論となるのを待たなかつた、彼は独り大胆に彼の革新思想を実行した、爾うして彼の実行に促されて革新運動は始つた、人を待つては何事も成らない、社会や教会が革新思想に同意する時代は世の終末まで待つとも来らない、故に先づ(130)独りで革新思想を断行すべきである、左すれば革新運動は起るべきものであるならば起る、今の所謂運動家は此の点から見て確かに臆病者である、彼等は独りで為すことが出来ない、故に輿論を作ると称して多数の力を藉りて為さんとする、彼等は情婦に情死を迫る懦夫の類である、独りで死ぬることが出来ない、故に他の人と共に死なんとする、運動家は独りで革命の焔火に己が身を投ずるの勇気を欠く、故に多数を駆り集めて己が身を棄てずして、然り、他人をして己に代て其の身を棄てしめて、革新の恩恵に与からんとする、注意すべきは今の所謂運動家である。
〇ルーテルばかりではない、我等の救主イエスキリストが斯かる独行家であり給ふた、預言者イザヤは彼に就て予想して曰ふた、
  (問)、此のエドムより来り、緋衣《あかきころも》をもてボヅラより来る者は誰ぞ、其服飾華やかに、大なる能力をもて厳《いかめ》しく歩み来る者は誰ぞ。
  (答)、是は義をもて語り、大に救済を施す我なり。
  (問)、汝の服飾は何故に赤く、汝の衣は何故に酒※[木+窄]を蹈む者とひとしきや。
  (答)、我れ独りにて酒※[木+窄]を踏めり、諸の民の中に我と共にする者なし、………そは刑罰の日我が心の中にあり、救贖《あがなひ》の歳既に来れり、我れ見て助くる者なく、扶《さゝ》ふる者なきを奇めり、此故に我が臂《かひな》、我を救ひ、我が忿恚、我を扶へたり。(以賽亜書六十三章一−五節)。
 此中に辞し難い言葉がないではない、然しながら唯一の事は明白である、即ちキリストが独りで洒※[木+窄]を蹈み給ひし事、即ち独りで苦き杯を飲み給ひし事、民の中に彼と苦痛を共にする者なかりし事、彼を見奉りて彼を助(131)くる者なかりし事、彼を扶《さゝ》ふる者なかりし事、此事は確かである、キリストの救贖は彼が単独でなし給ふた事である、国民の賛成、教会の同情を得て為し給ふた事ではない、否な、国民に反対され、教会に悪まれつゝ為し給ふた事である、キリストは単独の救主である、全世界を敵とし持て起ち給ふた救主である、彼の御生涯に輿論を作るとか、社会と教会との賛成を待つとかいふ事は一もない。
〇大教師が斯うであつた、其弟子たる者も斯うでなくてはならない、我等も亦若しイエスの弟子であると称ふならば独りで革新の酒※[木+窄]を踏む者でなくてはならない、独りで異端のエドムを蹈躙《ふみにじ》り、独りで腐敗のボズラを蹈潰す者でなくてはならない、独りで迫害の緋衣《ひのころも》を着、独りで義をもて語り、大に救済を施こすの覚悟を為さなくてはならない、教会の中に我と共にする者なしとて歎いてはならい、又我を見て助くる者なく、扶ふる者なきを奇しんではならい、キリストの如くに独りで十字架に上り、独りで義を唱へて独りで死するの決心を懐かなければならない。
〇然り、キリストは愛の人であつたから大なる交際家であつたと思ふのが今の基督信者の懐く大なる誤謬である、然り、キリストは愛の人であり給ふた、純愛の人であり給ふた、故に世の濁愛に堪え給はなかつた、キリストは世を愛し給ふた、然かし世の愛を切求し給はなかつた、故に自づと単独の人であり給ふた、キリストの愛は人に由て得た愛ではない、神に由て得た愛である、愛は人を以て始まる者ではない、神を以て始まる者である、愛は神より出づと使徒のヨハネは曰ふて居る(約翰第一書四章七節)、人は人を離れて愛を知る能はずと云ふのは大なる誤謬である、人は人を離れて愛を行ふことは出来ない、然かし愛は是れ人より学ぶべき者ではなくして神より学ぶべき者である、我が罪の神に赦されし時、我が心に神の聖霊の臨みし時、我は其時始めて愛の何たる乎を知(132)るのである、故に基督者とは神より愛を受けて之を人に頒つ者である、人と愛を交換する者ではない。
〇故に単独でも可い、単独の方が可い、然り、単独で単独でない、我が友は軒の雀と池の鮒とばかりではない、我が友は全世界に居る、茲に於てか余輩は詩人ローエルの『真人の祖国』の一節を想ひ出さゞるを得ない。
 
   真人の祖国は何処に在るや、
    彼が偶然に生れ来りし国乎、
    愛に焦るゝ彼の霊は
   斯かる境界に限らるゝを拒むに非ずや、
   嗚呼然り、彼の祖国は碧空《あをぞら》の如くに
   広くして且つ自由ならざるべからず。
 
   そは単に自由の存する所乎、
    そは神が神にして人が人なる所乎、
    彼が人を愛するの情は
   是よりも広き区域を要むるに非ずや、
   嗚呼、然り、彼の祖国は碧空の如くに、
   広くして且つ自由ならざるべからず。
 
(133)   其那辺たるを問はず、人が其心に
    歓喜《よろこび》の冠を着、悲哀《かなしみ》の足械を穿く所、
    其那辺たるを問はず、人の霊が
   真且つ美なる生涯を追求むる所、
   其処に真人の大なる故郷は存す、
   是れ彼の世界大の祖国なり。
 
   一人の奴隷が泣き悲む所、
    人が人を助け得る所、
    神に感謝せよ、我兄弟よ、
   地の其一点が我が有にして又汝の有なり、
   其処に真人の大なる故郷は存す、
   是れ彼の世界大の祖国なり。
 
〇然り、階級に繋がれず、「真人の無形の団体」より他に何れの団体にも繋がれず、独り神と共に在りて、すべて泣き悲む人と共に交はる、是れが余輩が追求むる「真且つ美なる生涯」である、斯かる遠大なる故郷、無辺の(134)祖国は此櫟林の蔭にも在る、其下を逍※[行人偏+羊]する余輩の小《さゝや》かなる心の中にも在る。
 
(135)     『研究誌』に就て
         彼は祈祷の子なり
                     明治40年7月10日
                     『聖書之研究』89号「雑録」
                     署名 編輯生
 
  『研究誌』は如何にして成る乎。
 『研究誌』は祈祷を以て成る、錬磨研鑽の結果として成る者ではない、其記者は文学者ではない、又天才ではない、彼は又深く神学を知らない、聖書とても専門家に就て学んだ者ではない、彼は唯直に神に教へられて神に
由て筆を執る者である、彼は今日まで幾回か筆を投げんとした、然かし大能の神は今日まで彼を扶けて彼をして此至難の業を継けしめ給ふた、栄光はすべて恩恵の神に帰すべきである。
  『研究誌』は如何にして維持せらるゝ乎
 『研究誌』は祈祷に由て維持せらる、教会又は伝道会社又は外国宣教師の補助に由て維持せらるゝ者ではない、神御自身が其庇護者である。爾うして祈祷に由て維持せらるゝ者であるから創立以来未だ曾て一銭一厘の借金を為したことはない、余輩は勿論友人の援助を受けないとは曰はない、余輩が請求しない友人の愛的寄附は余輩は喜んで且つ感謝して之を受けた、爾うして斯かる寄附は決して尠くはなかつた、然し是れ皆な余輩の予算外の寄附であつた、本誌はカツ/\ながらも此数年間其れ自身で維持し来つた者である。
(136)  『研究誌』は如何にして送出さるゝ乎
 『研究誌』は祈祷を以て送出さる、其、読者の手に達する頃は、余輩が熱心以て、神が拙き此誌の上に其祝福を垂れ給はんことを祈りつゝある時である、爾うして余輩は此祈祷の特に聴かれしことを信ずる、其証拠には余輩が特に悪しと思ひし号に対して、読者より特に篤き謝辞の来るのが恒である、雑誌は実に筆を以てのみ書くべき者ではないことを余輩は知る、是は之れ祈祷を添へて送り出すべき者である、我児を世に送出す時のやうに父の熱き祈祷を其身に添へて送り出すべき者である。
       *     *     *    *
 祈祷に由て成り、祈祷に由て維持せられ、祈祷に由て送り出さるゝ此誌が祈祷に適ふ果を結びしことを感謝する、樹は其果を以て知らると云ふ、然らば教会に依らずと雖も余輩の事業も亦悪しき樹には非るべし、余輩に人に由て附与せられし教権はない、然し神は余輩を使ひ給ひて余輩をして多少の善事を為さしめ給ふた、本誌に掲ぐる読者諸氏の感想録が其証拠である、余輩も亦使徒パウロの言を以て此誌の読者諸氏の或者に就て言ふことが出来る、
  汝等は我等の書翰なり、即ち我等心に書《しる》せり、衆《すべて》の人の知る所、読む所なり、汝等は明かに我等が役事《つとめ》に由
て書けるキリストの書翰《ふみ》也、是墨に非ず、活ける神の霊にて記し、又石碑に非ず、心の肉碑に記したり(哥林多後書三章二、三節)。
 余輩は同じパウロの言を藉りて云ひ得るなり、
  今より後何人も我を擾《わづら》はす勿れ、そは我れ身にイエスの印記《しるし》を佩びたれば也(加拉太書六章十七節)。
(137) 願くは恩恵尚も此誌と此誌の読者との上にあらんことを、アーメン。
 
(138)     課題〔13「余は『聖書之研究』雑誌より何を得し乎」〕
                   明治40年7月10日・8月10日
                   『聖書之研究』89・90号「雑録」
                   署名なし
 
       ――――――――――
 以下は次号に掲載仕るべく候、多数諸君より有の儘の所感を御送り被下感謝の至りに存候、編輯生に於ても信仰上大に益する所有之候。敬具。
                      編輯生 〔以上、7・10〕
 内村生曰ふ、池田君は『研究誌』を正読せる者なりと謂ふべし。
       ―――――――――― 
 次回の課題左の如し
  基督者が此世の人より受くる讒謗
 馬太伝十章二十四、二十六節。
(139) 答文〆切八月三十一日 〔以上、8・10〕
 
(140)     〔夏の午後 他〕
                     明治40年8月10日
                     『聖書之研究』90号「所感」
                     署名なし
 
    夏の午後
 
 風戦ぎ枝躍る、猫眠り子供遊ぶ、地は平静なり、我が心亦平静なり、我は既に聖き国に在り。
 
    神に感謝す
 
 我に文才と芸術とあるなし、我は深く神に感謝す。
 我に交際の技量あるなし、我は深く神に感謝す。
 我は経済の学と術とに暗らし、我は深く神に感謝す。
 我は政治を知らず、法律に疎し、我は深く神に感謝す。
 我は唯|依頼《よりたの》むを知る、見えぬ神に依頼むを知る、其他を知らず、我は深く稗に感謝す。
 
    神のための善
 
(141) 人を感化せんための善に非ず、神を喜ばせんための善ばり、善は人を却て悪に導くの場合あり、キリストの善は却てイスカリオテのユダを堕落せしむるの機会となれり、善は善を励すと雖も悪は善に会ふて却て増長す、我等は善を為すに方て其人に及ぼす感化に注意せずして、その神の聖旨に適ふや否やを究むべき也。
 
    労働の特権                          
 キリストの為めに働らきしと云ふ、否らず、キリストの為めに働らきしにあらず、キリストのために働らくの特権を許されしなり、是れ我等に取り最大の快楽なりし 我等は是がために報酬を受くるの権利なし、我等は無益の僕なり、為すべき事を為したるに過ぎず、唯希ふ、此特権の我等より奪はれざらんことを、我等は高き代価を払ふも尚ほ此特権を我等に留め置かんと欲す。路加伝十七章十節。
 
    最大事業
 
 国産を興すも事業なり、善政を布くも事業なり、教育を施すも事業なり、大文学を産むも事業なり、然れども此他に尚ほ一大事業の存するあり、イエスキリストを世に紹介するの事業是れなり、イエスは食物なり、又|飲料《のみもの》なり、彼は心霊的天地なり、イエスも亦人生の必要物なり、人は彼に由らずして父に来る能はざるなり、伝道は真面目なる且つ確実なる事業なり 然り、橋を架するよりも、運河を鑿つよりも、難且つ有益なる事業なり。
 
(142)    失敗と成功
 
 我は家を斉へんとせり、然れども斉ふる能はず、我が家の者は却て我より叛き去れり。
 我は国を済はんとせり、然れども済ふ能はず、我が国人は却て国賊なりと称して我を迫害せり。
 我は神の教会を潔めんとせり、然れど潔むる能はず、教会は却て羊の皮を被むる狼なりと称して我を斥けたり。
 時に我は神に叫んで言へり、我は何をも為す能はざる者なる乎、或ひは汝、我を詛ひ給ひし乎と。
 時に彼は我に答へて言ひ給へり、唯我を信ぜよ、何事をも為すを要せず、唯我が愛を受けよと。
 我は其如くせり、而して我は我が事業の挙らざるを欺かざるに至れり、而已ならず新らしき能力は我に加へられて、我は少しづゝ家をも斉へ、国をも救ひ、亦人をも神に導き得るに至れり。
 是れヱホバの成し給へる事にして我等の目に奇しとする所なり(詩篇第百十八篇廿三節)。
 
    利己的信仰
 
 余輩は外国宣教師に非ず、又其雇人に非ず、又教会の牧師に非ず、故に余輩は人に信仰を哀求せざるなり、信ぜんと欲せば信ぜよ、信ぜざらんと欲せば信ずる勿れ、神なり、余輩なり、信仰なり、棄てんと欲せば自由に之を棄てよ、信仰は他人のために非ず、自己のためなり、信ずるは他人に恩を着せんがためにあらず、人に対する怨恨を晴らさんがために神に対する信仰を棄つるが如きは之を愚の極と称せざるべからず、而かも此類の事の決して尠少ならざるを如何せん。
 
(143)    教会員と基督信者
 
 組合教会貝は居る、基督信者は居らない、メソヂスト教会員は居る、基督信者は居らない 「日本基督」教会員は居る、基督信者は居らない、独立教会員は居る、基督信者は居らない、浸礼教会員は居る、基督信者は居らない、「聖公会」員居る、基督信者は居らない、教会員はいくらでも居る、併しキリストを信じ彼のために苦しむ者は居らない、教会のために尽せば同情と報酬とがある、キリストのために尽したればとて何の同情も報酬もな
い、然り、若しキリストのために十字架に上げらるゝことあるも今の教会と教会員とからは唯だ嘲笑と罵詈と讒誣とがあるのみである。
 
(144)     罪人の友
                     明治40年8月10日
                     『聖書之研究』90号「所感」
                     署名 櫟林生
 
 キリストは罪人の友であると云ふ、洵に其通りである、キリストは税吏、罪ある者の友であつた。馬太伝十一章十九節。
 併しながら罪人の友であると云ふのは悪人の友であると云ふことではない、キリストは悪人の友ではない、人は悪を為してキリストの敵となるのである。 キリストが罪人の友であると云ふのは、彼は世が称して以て罪人となす者の友であると云ふことである、即ち自から罪を悔ひて神に赦されし者、或ひは身に罪を犯せしことなきも、世の慣例習俗に従はざるの故を以て罪人として世に目せらるゝ者、或ひは人の猜む所となりて罪なきに罪ありと称ばるゝ者、………キリストは斯かる罪人の友であると云ふことである、即ちパリサイ人が称して以て罪人と做す者の友であると云ふことである。
 キリストは教会と教会信者とが目して以て不信者、異端論者、罪ある者と見做す者の友である、キリストは国家と政治家とが称して以て、逆臣、国賊、売国奴と見做す者の友である、キリストは此世の志士、義人、批評家の類が目して以て偽物、偽善者、獰人、奸物と見做す者の友である、キリストが罪人の友であると云ふのは此虚偽の世の人が罪人と称する者の友であると云ふことである。
(145) キリストが罪人の友であるのは彼れ自身が罪人であつたからである、即ち彼れ自身が学者やパリサイの人等にベルゼブル即ち悪魔の王と云はれたからである、爾うして斯くも極端に誤解されし彼はすべての誤解さるゝ人に対して深き同情を寄せ給ふのである。
 
(146)     愛の進歩
                     明治40年8月10日
                     『聖書之研究』90号「所感」
                     署名 角筈生
 
 始めに余輩は天然を愛した、第一等の天然学者とならんとした、其時余輩は山と海と、河と湖水と、其中に在るすべての物と交はりを結ばんとした。
 其次ぎに余輩は国を愛した、熱烈なる愛国者とならんとした、其時余輩は歴史を研究した、我国を世界第一等の国と成さんとした。
 其次ぎに余輩は人類を愛した、殊に平民を愛した、貧を慰め、弱を援けて、其ために身を献げんとした。
 今は余輩はイエスキリストを愛する、彼の謙遜なる弟子たらんと欲する、其奴僕たるを辞さない、爾うして何よりも十字架に懸かりしイエスを愛するに至つた。
 天然は無感覚である、故に我れ彼を愛するも彼は我を愛しない、国と人とは薄情である、我れ彼等を愛するも彼等はそれ丈け我等を愛しない、否な多くの場合に於ては彼等は我が愛に報ゆるに憎悪を以てする、然かしイエスのみは多感多情多愛である、彼は我が彼に呈する愛の幾層倍の愛を以て我に酬ひ給ふ、彼れ而已が愛する甲斐のある者である、爾うして彼の愛に溢れて而已、我は真実に天然、国、人を愛することが出来る。
 イエスはまことに神の愛の子である、神の愛は彼に於て顕はれた、我は彼を愛して始めて愛の何たる乎を知つ(147)た、彼を愛して始めて愛は其最高の目的物に達するのである。
 
(148)     申命記標註
                   明治40年8月10日・9月10日
                   『聖書之研究』90・91号「研究」
                   署名 内村鑑三
 
 余は旧約聖書中の申命記を愛読する者の一人である、神の義と愛と情とを示す者にして、古代の書の中に之に比ぶべき者はないと思ふ。
 勿論茲で申命記に就てすべてを語ることは出来ない、唯其中の余の特愛の聖句の或者を掲げて、其如何なる性質の書である乎を示し、併せて之に関はる余の感想を少しく述べやうと思ふ。
 其第一章十六、十七節に曰く
  汝等その兄弟の中に起る訴訟を聴き、此人と彼人との間を裁判くべし、他国の人に於ても亦然り、汝等人を視て裁判《さなき》すべからず、小なる者にも大なる者にも耳を傾くべし、人の面を恐るべからず、裁判は神の事なればなり。
 是れ神がモーゼを以て当時の裁判官に伝へ給ふた言葉である、実に簡潔にして力ある言葉ではない乎、今より少くとも二千七百年前に定められたる律法なりと雖も、其精神に至ては今も尚は廃らない、外国人の権利を内国人同様に認め、法律の前に富者貧者の差別なきを言明し、人の面を恐るべからずと曰ひて富者権者のために特別の裁判を為すべからずと誡む、殊に裁判は神の手なりと云ひて裁判の神聖を宣ぶるに至りて、誰か荘厳の感に打た(149)れざる者あらんや、裁判は国家安寧のためばかりではない、又生命財産の保護のためばかりではない、裁判は特に神の事である、之を忽諸《ゆるがせ》にする者は神に対して罪を犯す者である、今の文明国の民法、刑法に此神聖あるや、疑はし。
 
 仝じ章の三十節に曰く
  汝は又汝の神ヱホバが、人の其子を抱くが如くに汝を抱き給ひしを見たり。
 公義の神は又慈愛の神である、ヱホバの神に此優さしい心がある、旧約は愛を説かずといふは※[言+荒]言《いつはり》である、人が其子を抱くが如く汝の神ヱホバは汝を抱き給へりと、是れに勝さりて濃かなる愛情は何処にある乎、而かもイスラエルを抱きし神は天地万物の造主であると云ふ、大なる神、大なる父、イスラエルは幸福なる民である。
 
 其第四章十五、十六節に曰く、
  ホレブに於てヱホバ火の中より汝等に言ひ給ひし日に汝等は何の像《かたち》をも見ざりしなり、然れば汝等深く自から慎み、道を愆《あやま》りて自己のために偶像を刻む勿れ。
 偶像崇拝を絶対的に禁じた言葉である、ヱホバはホレブの山(シナイ山)よりイスラエルの民に語り給ふた、然しながら何の像をも以て彼等に顕はれ給はなかつた、イスラエルの民はヱホバの声を聞いた、然しながら其像を見なかつた、声は霊的である、形は物質的である、真理は之を耳に由て伝ふべきである、目に由て示すべきでない、目を以て見て人は真理を暁らずして、之を伝ふる器械を崇むるに至るの虞がある、ヱホバは御自身さへも其(150)像に於て崇拝せらるゝことを許し給はなかつた、神の声は杜鵑のそれの如くである、吾等は其の声を聴けども其形を見ない、偶像崇拝は真理の伝達と其了解とを紡ぐるものである、故に是れは絶対的に禁ずべき者である。
 絵画彫刻を以て神の形を現はすこと、或ひは建築術を凝して教会堂を飾ること、或ひは荘美なる僧衣を着て民の敬崇を惹く事等はすべて偶像崇拝の類である、純然たる霊的宗教は斯かる形貌の使用を許さない、声あるも形なき宗教、是れがヱホバの命じ給ひし宗教であつて、又我等の主イエスキリストの宗教である。
 神は霊なれば拝する者も亦霊と真を以て拝すべき也。約翰伝四章廿四節。
 
 其第七章廿二節に曰く
  汝の神ヱホバは是等の国民を漸々に汝の前より逐攘ひ給はん、汝は急速《すみやか》に彼等を滅しつくす可らず、恐らくは野の獣殖えて汝に逼らん。
 「汝」 はイスラエルの民に対して云ふ、彼等は其時カナンの土地を征服しっゝあつたのである、
 「国人」 はカナンの地に住める諸民族を云ふ、即ちイスラエルの民の掃攘すべき敵である、爾うして神は其選民を約束の地に導き給ふに方ても急速には其敵を逐攘ひ給はざるべしとの事である、即ち征服の事業は漸々に行はるべしとの事である、爾うして其故は野の獣が増殖して選民を害はざらんがためであるとの事である。
 人は急速の成功を要求する、然かし神の事業は常に順序的である、初めには苗、次ぎに穂出で、穂の中に熟したる穀を結ぶ(馬可伝四章二十八節)、神は急速に其選民を約束の地に導き給はなかつた、神は又た急速に其愛子を聖国に導き給はない、所謂る「即刻の改信」なるものは神に取て為し難い事ではあるまい、然し全智の神は斯(151)かることを為し給はない、「恐らくは野の獣殖えて汝に逼らん」、恐らくは急劇の改信は其人を前よりも更らに悪しき状態に陥しいれん。
  悪鬼人より出て旱きたる地を巡り安息を求むれども得ずして曰ひけるは、我が出し家に帰らん、既に来りしに空虚にして掃浄《はききよ》まり飾れるを見、遂に己よりも悪き七つの悪鬼を携へ、偕に入りてこゝに住まへば其人の後の患状《ありさま》は前よりも更らに悪かるべし(馬太伝十二章四十三−四十五節)。
 悪は之を急速に逐攘ふべきでない、漸々に逐攘ふべきである、急速の成功に恐るべき危険がある、不信者に急速の改信を迫るが如きは決して彼等を救ふ途でない、「汝の神ヱホバは漸々に汝の敵を汝の前より逐攘らひ給はん」と、漸々に、然り、漸々に!
  誡命に誡命を加へ、誡命に誡命を加へ、度に度を加へ、度に度を加へ、此にも少しく、彼にも少しく教ふ(以賽亜書二十八章十節)。
 
 其第八章二、三節に曰く
  汝記念すべし、汝の神ヱホバこの四十年の間汝をして曠野の路に歩ましめ給へり、………即ち汝を苦しめ、汝を飢えしめ、又汝も知らず、汝の先祖等も知らざる所のマナを汝等に食はせ給へり、是れ、人はパン而已にて生くる者に非ず、又ヱホバの口より出る言に由りて人は生くる者なるを汝に知らしめんため也。
 仝十六節に曰く
  汝の先祖等の知らざるマナを曠野にて汝に食はせ給へり、是れ皆な汝を苦しめ、汝を試みて終に福祉を汝に(152)賜はんとてなりき。
 「人はパン而已にて生くる者にあらず、又ヱホバの口より出る言に由りて人は生くる者なり」是れキリストが曠野の試誘《こゝろみ》に於て悪魔に向つて引用されし言葉である、神が時には飢餓を以て其子を苦しめ給ふは彼に食物以外、他に食物あることを知らしめんがためである、神の言葉は誠に実に滋養に富める食物である、是れは霊魂の食物である計りではない、又肉体の食物である、人は神を知ることに由て麁食して、又断食して其健康を保つことが出来る、清き良心は最も良き滋食品である。
 「終に福祉を汝に賜はんとて也」と、神は其愛子を初めに苦しめて終に祝福し給ふ、若き時に窮乏を味はしめて老ひて益々恩恵の豊富に飽かしめ給ふ、初めに肉体の食を奪ひて後に霊魂の食物を裕かに与へ給ふ、
  イエス曰ひけるは誠に実に汝等に告げん、若し人の子の肉を食らはず其血を飲まざれば汝等に生命なし、我肉を食らひ我血を飲む者は永生あり、我れ末の日に之を甦らすべし、夫れ我肉は真の食物、又我血は真の飲物なり、我が肉を食らひ我血を飲む者は我に居り我も亦彼に居る(約翰伝六章五十三−五十五節)。
 是れは譬喩であらふ乎、事実であらふ乎、是れは実に甚しき言である(仝六十節)、即ち解するに最も難い言葉である、然れども人生の曠野に独り神と偕に語り、其微かにして而かも確かなる声を聴いて、イエスの此言葉の、事実中の事実であることが判明る、人の食物問題は経済的にのみ解釈することは出来ない、世には米以外、パン以外、肉以外、野菜以外、他に尚ほ経済学者と相場師との知らない食物がある。
 曠野の試誘、飢餓の苦痛、食を奪はれて路頭に迷ふこと、是れ実に貴いことである、是に由て「終に福祉を汝に賜はん」と神ヱホバは曰ひ給ふた、然り、「終に」、末の日に、「福祉を賜はん」、之を甦らすべし、政府や会社(153)や教会に食を奪はれて神に永生を賜はると云ふのである、何等の福祉ぞ!
 因に云ふ、イエスが曠野の試誘に於て悪魔に向て発せられし言葉はすべて此申命記より引かれしものである、「人はパン而已にて生くる者に非ず」とは其第八章三節より、「主たる汝の神を試むべからず」とは其第六章十六節より、「主たる汝の神を拝し、唯之にのみ事ふべし」とは其第六章十三節より引かれたる者である、以てイエスが如何に申命記を愛読されし乎が判明る、イエスの特愛の看たりし此書は又吾人の特愛の書たるべきである。馬太伝四章一−十一節参考。
 
 其第十章十二節に曰く
  イスラエルよ、今汝の神ヱホバの汝に要求め給ふ事は何ぞや、唯是れのみ、即ち汝が汝の神ヱホバを畏れ、その一切《すべて》の道に歩み、之を愛し、心を尽し、精神を尽して汝の神ヱホバに事へ、又我が今日汝等に命ずるヱホバの誡命《いましめ》と法度《のり》とを守りて身に福祉を得るの事のみ。
 神が其選民より要求め給ふことは是れのみである、其他にない、彼は彼等に貴顕の門に出入せよと命じ給はない、又広く交際を此世に求めよと教へ給はない、又彼等より教会堂建築を要め給はない 口先の讃美と言辞の弁証とを求め給はない、神を畏れ、神を愛し、神に事ふること、是れ神の選民が為すべき唯一の事である、ヱホバは仝一の要求を預言者ミカの口を通うして為し給ふた、  ヱホバ数千の牡羊、万流の油を悦び給はん乎、我が愆《とが》のために我が長子を献げん乎、人よ、彼れ前《さき》に善事の何なるを汝に告げたり、ヱホバの汝に要め給ふ事は唯正義を行ひ、憐憫を愛し、謙遜りて汝の神と偕に歩む(154)事ならずや(米迦書六章七、八節)。
 偶像崇拝を禁じ給ひし神はすべての表面の儀式方法を嫌ひ給ふ、イスラエルは神に事ふるに方て多く心を配るべきではない、曰く教会政治、日く伝道の方法と、是れ神の選民の憂慮すべきことではない、「正義を行ひ、憐憫を愛し」、即ち厳格にして心優さしく、「謙遜りて神と偕に歩む事」、是れ敬神の諸凡《すべて》である。 〔以上、8・10〕
 
 其第十章十九節に曰く
  汝等外国人を愛すべし、そは汝等もエジプトの国に於て外国人たりし事あれば也。
 外国人を愛すべし、異国の民なりとて彼等を冷遇虐待する勿れ、汝等も曾て一度はエジプト国に在て外国人たりし者、而かして其王と民との虐遇する所となりて、異邦に流寓するの辛らさ、痛さを味へり、汝が人に為られんと欲するが如く其如く人にも為よ、汝、外国に在て其民の優遇する所となりしか、其恩を酬ゐんがために汝等の中に流寓する外国の民を優遇せよ、人は人なり、すべて神の子なり、支那人なりとて賤み、朝鮮人なりとて蔑《かろ》しめ、印度人なりとて欺く者は君子国の民にあらず、勿論キリストの僕にあらざるなり。
 
 其第十四章廿一節に曰く
  汝、小山羊を其母の乳にて煮るべからず。出埃及記廿三章十九節、仝三十四章二十六節参照
 動物に対して無慈悲なる勿れ、小山羊と雖も其親子の情を重んぜよ、其肉を煮るに其母の乳を以てする勿れ、(155)人は動物に対して冷酷にして同胞に対して冷酷なるに至る、山羊をも其情に於て顧みよ、而して自身《みづから》も亦柔和、温情の人と成れよ。
 
 其第二十二章六、七節に曰く
  汝、鳥の巣の路の辺《ほとり》、又は樹の上、又は土の上にあるを見んに、雛又は卵、其中にありて母鳥その雛又は卵の上に伏し居らば、その母鳥を雛と共に取るべからず、必ず其母鳥を去らしむべし、唯その雛のみを取るも
可なり、然かせば汝福祉を獲、且つ汝の日を永うするを得ん。
 獣に対して無慈悲なる勿れ、又禽に対して慈悲深かれ、鳥の巣を擾す勿れ、母鳥を雛と共に取る勿れ、親子を同時に捕虜となす勿れ、若し止むなくば必ず母鳥をして去らしめよ、小鳥と雖も之を孤児となす勿れ、孤児となさんよりは寧ろ之を殺すに若かず、斯の如く小鳥にまで汝の同情を表して、汝は神より福祉を獲て、地上に汝の日を永うするを得ん、平和は之を人に対してのみ求むべからず、又獣と禽に対して求むべし、森の獣をして汝を祝さしめよ、林の鳥をして汝の名を讃へしめよ、万軍の主ヱホバ斯く命じ給ふ。
 
 其第廿四章五節に曰く
  人、新たに妻を娶りたる時は之を軍に出すべからず、又何の任務をも之に負はすべからず、其人は家に問居してその娶れる妻を慰むべし。
 新婦《はなよめ》を顧みよ、人に嫁するや否や直に彼女より新郎を奪ひ去りて、彼女に憂目を見せしむべからず、兵役は新(156)婚後一年間之を新郎に課すべからず、是れ彼れをして家に在りて彼の新婦を慰めしめんためなり、是れ又万軍の主ヱホバの律法《おきて》なり、人の思念《おもひ》に過ぎて、弱き器を思ひやること深し、婦人の幸福を措て問はざる国も民も栄えざるべし。
 
 其第二十五章四節に曰く
  穀物を碾《こな》す牛に口籠《くつご》をかく可らず。
 家畜を愛すべし、之を家人として扱ふべし、牛に穀物を碾さしむるに方て之に口籠を繋けて、彼が足下に践む所の毅粒を食ふこと能はざらしむる勿れ、労働の権利は之を家畜に於ても認めよ、彼が其報酬の分配に与かるは宜べなり、況して人に於てをや。
 
 実に驚くべき書である、モーゼの律法と云へば厳格一方の律法であるとは世間一般の想像である、然るに事実は決して爾うではない、宇宙の主宰、万物の造主なるヱホバの神の誡命として伝へらるゝモーゼ律は獣を回護《かば》ひ、禽を眷顧み、新婦を想察《おもひや》り、家畜の権利までを重んずる者である、世に優さしい律法とてモーゼの律法の如きはない、「基督教は厳父の如き者であつて、仏教は慈母の如き者である、故に我は後者に適かん」など云ふ者は未だヱホバの神の心を知らない者である、
  婦《おんな》その乳児を忘れて己が胎の子を憐まざることあらん乎、縦ひ彼等忘るゝことありとも我は汝等を忘るゝことなし(以賽亜書四十九章十五節)。
(157) 是でも基督教の神に慈母の愛が無いといふ乎、愛深きが故に厳格であるのである、浅き愛は放縦である、申命記を読んで神の厳格と憐憫とが解かる、彼は非常に厳格にして非常に慈悲深き父である 〔以上、9・10〕
 
(158)     信仰の性質
                     明治40年8月10日
                     『聖書之研究』90号「研究」
                     署名なし
 
 信仰は先きに主観的にして後に客観的なり、先きに客観的にして後に主観的なるにあらず、信仰は衷より起る、外より起らず、神の霊に因て起る、人の証明に由て起らず、余輩は聖書が肉体の復活を伝ふればとて之を信ぜず、余輩の衷に肉体を復活せしむるに足るの能を確認するが故に此事に関する聖書の記事を信ずるなり、主観的たるは信仰の特性なり、主観的なるの故を以て信仰を排斥する者は信仰其物を排斥する者なり。
 
(159)     一番|蒙《え》らい人
         ナザレのイエス
                    明治40年8月10日
                    『聖書之研究』90号「座談」
                    署名なし
 
 世界で一番蒙らい人は歴山王《アレキサンドル》でも、シーザーでも、那翁でもない、ネルソン提督でも、ワシントン将軍でもない、哲学者カントでも、戯曲の作者シエークスピヤでもない、世界で一番蒙らい人はナザレ人ヨセフの子イエスである、開闢以来彼よりも豪らい人は世に出なかつた、又世の終末に至るまで彼よりも豪らい人は人の子の中に生れないと信ずる。
 何故にイエスは蒙らい乎、彼は歴山王のやうに世界を征服しなかつた、ネルソン提督のやうに敵の艦隊を滅さなかつた、哲学者カントのやうに哲学組織を立てなかつた、シエークスピヤのやうに筆を執らなかつた、又ワシントンのやうに自由のために剣を抜かなかつた、而かも彼は人類の中で最も蒙らい者である、何故に爾うである乎。
 彼は奇跡を行なつたからである乎、爾うではないと思ふ、奇跡を行つた者はイエスの外にもある、或る意味に於ては歴山王も奇跡を行つた、彼も歳三十を越えざるに一小国の兵を提げて天下を横行し、三年ならずして文明世界の王となつた、是れ確かに奇跡ではない乎、英国のウイリアム・ピツトは歳二十四にして世界最強国の総理(160)大臣となつた、是れ又奇跡ではない乎、楽譜家モザートは八歳にして能く困難しい楽を奏した、是れ又奇跡ではない乎、其他、人の予測以上の事を為した者は決して尠くない、イエスは其奇跡の故に特別に蒙らい者ではない。
 殊にイエス自身が奇跡に重きを置かなかつた、彼は人が彼を「奇跡を行ふ者」として知らんことを嫌ふた、彼が奇跡を行ひしは、富める慈善家が金を与ふるやうに、情に負けて行ふたのである、彼は決して奇跡を以て彼の教を拡めんとはしなかつた、彼は寧ろ奇跡を伝道の妨害物と見做した、故に彼に由て病を癒されし者の一刻も早く彼の前を退去らんことを要めた(馬可伝第一章四十節以下)。
 イエスの蒙らいのは文にも才にも智にも能にもなかつた、彼は世の人より見て殆んど無能の人であつた、今の人は頻りにイエスは豪らい豪らいと云ふが彼等の大抵はイエスの豪らい理由を知らないと思ふ、然り、若し今イエスが東京か大阪に顕はるゝとするも、彼を大人物として認むる者は日本人中一人も有るまいと思ふ。
 去らば何故にイエスは蒙らいのである乎。然り、イエスは世の蒙らい人のやうに少しも蒙らくなかつたから、其れであるから、一番蒙らいのである、イエスは世を救はんとするに方て権力、金力、政略、脳力、何れにも由らなかつたから、其れであるから蒙らいのである、彼は空手で起つたばかりではない、得らるゝ此世の勢力をも悉く斥けて、唯正義と愛の一途を以て全世界を征服せんとしたから、其れであるから、一番蒙らいのである、其点に於て彼に及ぶ者は古今東西一人もない、イエスと較べて見てすべての聖人は罪人である、我国の聖徳太子ですら、敵人守屋の大臣を殺さんがためには祈祷も捧げたれば計略をも運らした、モハメツトの如きも正道を世界に拡めんためには剣を抜くも可なりと信じて、大規模に之を実行した、哲学者カントの如き俗人の眼から見て、殆んど完全に近い人でも国王に正理の唱道を禁じられし時には、方便のために口を噤《つむ》いだ、イエスの如くに正義(161)のために大胆に 愛のために熱心なる者は人類の中に一人もない、彼の弟子は此世に幾千万人あつたか知れないが、彼の完全なりしが如くに完全なりし者は一人もなかつた、彼は人の中に在て比較以外である、恰もヒマラヤ山がが富士山の上に聳ゆるが如く、すべての人の中に在て無類無双である。
 人は言ふであらふ、イエスは偉大であるが、而かも彼の偉大は人の真似の出来ない偉大である、又出来るも反て世を益しない偉大である、若しすべての人がイエスの如くになるならば国は亡びて仕舞ひ、社会は崩れて仕舞ふであらふと。
 多分爾うであらふ、爾うして彼を真似て、我等も多分今の人に、然り、今の基督信者に、猶太人が彼を殺したやうに殺されるであらふ、然かしながら国は亡び社会は崩れても、イエスの偉大は疑ふことは出来ない、イエス一人は全人類よりも豪らくある、全人類は亡びてもイエスは亡びない、正義が正義であり愛が愛である間はイエスは矢張り人類の王である、剣を執る者は剣にて亡ぶ、是はイエスの言であつて、又宇宙の法則である、此法則に洩れた個人も国家も一つもない、唯時間の問題である、若し之れに時間を藉せば此法則は必ず其れ自身を証表する、宇宙の法則は是国彼国に遠慮しない、是れは磨臼の如くに必ず其中に入りし者を悉く粉にする。
 イエスは兵法にも政治にも文学にも長じて居らなかつたが然し能く此法則即ち愛の法則を識つて居た、彼は抵抗の全く無益なるを知つた、彼は又圧制を以てして何事も成らないことを知つた、又政略方法のすべて愚策であることを知つた、彼は神の聖旨を解した、即ち神は愛であることを識つた、故に愛に由らずしては何事も為さなかつた。
 又愛を以てすれば全人類を救ふことが出釆ると信じた、故に彼は死に至るまで愛した(約翰伝第十三章一節)、(162)彼はゲーテよりも、シルレルよりも、ラフハエルよりも、ベートーベンよりも、すべての詩人、すべての美術家よりも理想の人であつた、Idealist! 理想家、然り、夢想家、世に理想家はあるとするもイエスの如き理想家はない、爾うして其理想を実行せんと欲して三十三歳の若きに其生命を棄てた、彼は実に実に豪らいではない乎。
 彼に較べて見て今の基督信者は「イエスの弟子」であるといふことが出来る乎、誰かイエスの如くに微少《ちつと》も政略を用ひない者がある乎、誰かイエスの如くに微少も権力に依らない者がある乎、誰かイエスの如くに所謂天才に重きを置かない者がある乎、誰かイエスの如くに富に全然無頓着なる者がある乎、彼れは言ふた「人の子来らん時信を世に見んや」と(路加伝十八章八節)然り、彼が再び世に来り給ふ時に信者らしい信者が一人もあらふ乎、彼の前に立て我等何人も
   All hail the power of Jesus’name!
    Let angels prostrate fall;
   Bring forth the royal diadem,
    And crown Him Lord of all.
    あまつつかひよ   イエスのみ名の
    ちからをあふぎて  主とあがめよ
と謳ふべきではない乎。
 
(163)     神学瑣談
                    明治40年8月10日
                    『聖書之研究』90号「座談」
                    署名なし
 
〇神学は信仰が結晶した乎、左なくば其化石したものである、信仰は生命であるから、是れは到底組織され又は定義されべき筈の者ではない、信仰は神学と成て死する者である、神学は信仰の死体である。
〇故に神学は信仰に近い者ではない、若し信仰に近い者があるとすれば、それは詩歌竝に美術である、三者同じく発動性の者であつて、思索的の者ではない、詩歌の化石した者が批評学であつて、美術の化石した者が審美学である、生命は孰れも化石し易い者であつて、信仰のみ其数に洩れることは出来ないと見える。
〇神学の化石性に就ては旧新の別はない、旧神学が化石した故に新神学が起つたのであるとは新神学者が常に唱ふる所であるが、事実は決して爾うではない、肉体の復活は無いと弁証せんとするのも有ると弁証せんとするのと其思索的径路に於て異なる所はない、二者同じく信仰以外の能力を以て信仰の事を弁論せんとするのである、信仰は思索ではない、若し二者の間に関係があるとするも、それは極く間接の関接である、信仰は視能の一種である、夫れ我等が聞き又目にて視、懇切に観、我が手捫はりし所のもの、即ち元始より在りし生命の道を汝等に伝ふと(約翰第一書一章一節)、恁《かゝ》る確実なる者は弁証され得べき者ではない、誰も太陽の実在を弁証せんとする者はない、是れは余りに確かなる事実である、爾うして基督者に取りてはキリストは義の太陽であつて、是れも(164)亦弁証せんとするには余りに明白なる者である、世に弁証し難い者とて自明理の如きはない、爾うして神とキリストと其救済とは信仰上の自明理である。
〇伯林大学教授ハーナックスは現今の神学界の泰斗である、彼は久しき以前に使徒行伝は聖ルカの書いた作ではないと主張した、爾うして彼は彼の神学説に多くの賛成者を得て、愛すべき使徒行伝は一時は将さに其歴史的価値を失はんとした、然るに近頃に至り、同じハーナックス氏は彼の前説を取消さゞるを得ざるに至つた、彼は使徒行伝の聖ルカ著作説に同意せざるを得ざるに至つた、茲に於てか神学界の一動揺は稍や平静に復したのである。
〇然し何故に恁かる動揺が起つたのである乎、何故に、使徒行伝の著作論が欧米諸国の基督信者の信仰までを動かすに至つたのである乎、夫れは彼等が信仰を信仰として見ないからである、信仰が歴史的証明の上に立つ者であると思ふたからである、即ち信仰が思索に負けたからである、思想の奴隷となつたからである、信仰が信仰として其威権を保つ間は聖書の批評解剖に由て其基礎を動かさるべき筈はない、縦し使徒行伝が聖ルカの作であらうがあるまいが、其記載する信仰的事実の、我等の今日実験する事実である以上は、我等はそれがために我等の信仰を動かされない、信仰が其土台を離れる時に神は屡々神学者を遣り給ひて、之を震ひて、其堅牢を試み給ふ、神学に若し要があるとすれば信仰ならざる信仰を壊すにある。
。近頃英国に博士カムベルなる人が起つて新神学を唱ふると称して、彼国の基督教界は大に動揺して居るとのことである、余輩は未だ委しくカムベル博士の説を究めない、然かし余輩の少しく聞きし所に由れば彼の説とて決して新らしい者ではない、彼の唱へしと略ぼ同じ事を基督降世百五十年後のアレキサンドリヤのクレメントが唱へた、即ち神は愛であるとの教理を其極端まで論究して、神は万人を愛する、故に永久の刑罰なるものはない、(165)神が其子を降して万人の罪を負ふて十字架に上りて贖罪の血を流さしめ給ひしといふやうな事はないと云ふのである、近頃出版になりし米国エール大学神学教授故スチープンス氏著『基督教救済論』の主張する所も略ぼ是れに類して居る、昔時の所謂ペラジウス主義、中世のアリアン主義、近世のユニテリアン主義、皆な是れと大同小異である、名は新神学であるが実は旧神学と仝じやうに矢張り旧神学である、真理の或る一面を表はす者であつて、全然受くべき者でもなければ、去りとて又全然斥くべき者でもない。
〇博士カムベルに就て思ひ出すのは W・L・ウォルカー氏である、此人は近代に於ける最も透明なる思想家の一人であると思ふ、氏の著述に成りし『霊と受肉《スピリツト、エンド、インカーネーシヨン》』の一冊は実に近世の大著述と称すべき者であると思ふ、氏の文は決して流暢ではない、氏は又神学者として迎ふべき人物ではない、氏は実に深き霊の人である深き霊に深き学を具へたる人である、氏は氏の思索の結果を提供しない、氏は氏の実験を語る、氏は元、ユニテリアン教会の教師であつた、然し二十五年間の霊的奮闘の後に福音主義に還つた、故に氏はユニテリアン主義を嘲けらない、又世間有振れの福音主義に同意しない、氏は福音の根本義を握つた、故に自由の人であつて又謙遜の人である、外観はユニテリアン主義の人であつて、内容はオルソドックス主義の人である、近世の宗教的著述家中に余輩が尊敬せざるを得ない人は此人である。
〇ウォルカー氏は又近頃『新神学に就て』と題する小著述を公にした、余輩は未だ是を手にしない、然れども其題目より考へて、又氏の主張より推して、其如何なる書なる乎は読まずして略ぼ推察することが出来る、「吾人は新神学を要する乎」、「新神学は吾人の要求を充たすに足る乎」と、是れ氏が此著に於て自から問ふて自から答ふる問題である、爾うしてウォルカー氏は是に対して「否な」と云ふのであらふ、教権的に爾う云ふのではなく(166)して、思索的に、即ち新神学の剣を己の手に採て爾う答ふるのであらふ、孰れにしろ余輩は W・L・ウォルカー氏の著を英文を読み得る本誌の読者諸君に推薦せざるを得ない、若し氏の著作も亦神学書であると云ふならば余輩は神学に反対しない、然し氏の神学は普通の神学とは全く違つたる神学である、即ち神学ならざる神学である。
〇実に五月蝿い事である、建ては又毀し、毀しては又建つ、是れ神学の常である、要のない事のやうではあるが、然かし亦全く益のない事でもあるまい、多少の進歩は又其中にあるのであらふ、爾うして斯く言ふ余輩も亦時には神学書を買ふて読む、読んで其愚と無益とを知るが故に、之がために投ぜし金を惜む、或ひは之を道楽と云ふのであらふ、或ひは恐い物見たさと云ふのであらふ、己の信仰も壊れるものならば時には壊して見るも可い、唯度々神学の迷霧の中に彷徨ふて、出口を失ふて煩悶することがある、斯かる場合に際して熱心なる信仰家に余輩の愚を笑はれることが度々ある、然し此彷徨の実験なくしては同じ困難の中に在る者を救ひ出すことは出来ない、神学界の冒険旅行《エキスカルシヨン》は危険は危険であるが、甚だ興味あるものである、久しく神学海の氷山雪塊の中に漂ひ、近頃無難に又々元の信仰の春の海に還り来りたれば、感想のまゝを茲に誌す。
 
(167)     無抵抗主義の根拠
        (五月十九日角筈に於て)
                      明治40年8月10日
                      『聖書之研究』90号「座談」                          署名なし
 
  われ爾曹を遺すは羊を狼の中に入るゝが如し故に蛇の如く智く鴿の如く馴良《おとなし》かれ。……この邑にて人なんぢらを責めなば他の邑に逃れよ、我まことに爾曹に告げん、爾曹イスラエルの諸邑を廻り尽さゞる間に人の子は来るべし(馬太伝第十章十六−廿三節)。
〇羊の体躯《からだ》の構造を見よ、かれには牙なく、その角も蹄も防禦用としては全く無効のものである、之に反して狼はその牙も爪も争闘攻撃の鋭利なる具である、羊は始より平和の子であつて狼は始より闘の子であることはその体の構造を見ても明である、信者は羊であり世は狼であるなら、最も平和無力のものが最も獰猛残忍のものゝ中に投ずるのである、何と恐ろしいことではないか、爾うして此の無力なる羊は恐ろしき狼に対し克く解抵抗でなくてはならぬと云ふ、蛇の智はあつてもよい、善に対して敏くなくてはならぬ、併かし毒嚢《どくぶくろ》をすてなくてはならぬ、さうして鴿の如く馴良でなくてはならぬ、然り、純良でなくてはならないと。
〇残害《そこのふ》べく構《つく》られたる世に入りて無抵抗の態度をとれとのことである、或る学者は此の語の余りに強きに過ぎるが故に後世の附加であると云ふて居る、その説の当否はさてをいて吾等信者が世に入るに当りては此の態度をと(168)らなければならぬ、キリスト御自身が此の態度をとられたのである、彼は奸悪の世に来り羔の如くにして十字架に上り給ふた、初代の使徒等も亦其師の如くに(仝章廿五節)此の態度をとつた、彼等には蛇の智慧と分別はあつた、彼等には善を見るの智と機を察し人を識るの慧があつた、然し彼等は如何なる場合に於ても害を以て人に向ふ事は出来なかつた、基督者は元より所謂「御人好」である、彼の生涯は当初より無抵抗の生涯である、彼は性質として害を以て人に迫ることは出来ない。
〇此の語を拡充すれば馬太伝五章が無くとも戦争などは基督者の主張し得べきものでない、我等は敵の為めに祈りその救ひの方法を講ぜなければならぬ、この点に於てはクロンウエルも、ワシントンも、今の基督教国なるものも、戦争弁護の牧師も根本に於て誤て居る、キリストは義務として無抵抗の生涯を送り給ふたのではない、これは彼の固有の性質から出たのである、さればキリストに連らなる基督者も無抵抗が本来の性質でなくてはならない。
〇故にキリストは曰ひ給ふた、この邑《まち》にて人、爾曹を責めなば他の邑に逃れよと、権利をはるな、抵抗するな、逃げ廻れと、これは実に武士教育を受けた者などにとりては堪らない語辞《ことば》の様に見える、しかしこれは恐れて逃れるのではない、怯懦で逃げるのではない、これは実に神の力を信じ彼の義の審判に信頼して逃げるのである、故に主は直ちに厳粛なる口気を以て言ひ給ふた、我まことに爾曹に告げん爾曹イスラエルの諸邑を廻り尽さゞる間に人の子は来るべしと、逃げ廻ることは随分長く逃げ廻らなければならぬ、長く忍耐しなければならぬ、然し逃場のなくならない間に確に神の審判は来ると、吾等は此の神の義の現はれる時の来るを信じて逃げるのである、故に吾等は敵に抗して共に亡ぶるの愚を為してはならない、敵と和らぎ敵のために祈らなければならない、さう(169)すれば神は吾等に代りて審き給ふのである、かゝる審判は末日でなくとも吾等の短かき生涯に於て屡々実験するところである。
〇報知新聞の講談に面白い咄がある、即ち大岡越前守が一日将軍家より善悪を示せとの難題を言ひかけられた、すると頓智ある越前は次の日将軍家の前に不例翁《おきあがりこぼし》をころがし、倒れては起き倒れては起きするのを指し、善とはこれで厶ると云ふた、又美しい京人形を出し、一撃の下にその美しき面をくだき、悪とはこんなもので厶るといふたとのことである、実に面白い咄である、さうである、倒れては起き負けては勝つのが善の性質である、爾うしてこれがキリストの教である、無抵抗なるものが勝つ、愚かなるものよ、天然はこの真理を示して居るではないか、亜非利加内地に年々獅子の減じ行くのは驚くべきものである、之に反して獅子や虎に食はれる兎や羚羊は相変らず繁殖し行くとのことである、これは弱者柔和なるものゝ勝利を示す生物界の大事実である。
〇先頃有名なる魚類学者カリフヲルエア大学のジヨルダン博士は「戦争と亡国」と題する大論文を公にし、古今の例をひき、戦争は国を起すものに非ずして国を亡ぼすものなることを論じた、彼は希臘も羅馬も戦争で亡んだものなることを考証明確なる鋭利の史眼を以て論断した、彼は日露戦争を論じて日本は三百年の平和の蓄積によりて露国に勝つたのである、日露戦争後の日本こそ最も注意すべきであるといふた、而して博士の言は事実である、戦争後の議会を見よ、前議会は最も醜悪腐敗せる議会ではなかつたか、獅子が減るのは彼の精力が侵撃争闘に集注して生殖育児の方面に及ばないからである、戦争で国が亡ぶるのは「人」が無くなるからである、有為なる人物は皆な力の府なる軍隊に入りて戦場に骨を晒し、道徳界は社界の腐敗を支ふる有為なる人物を欠き、殖産興業も人なきがために衰ふから国は遂に亡ぶのである、今日の希臘人を見て吾等はこれが彼の大文明を生みし国(170)民の子孫であるかと疑ふ程である、是は外ではない、かの絶えざる戦争に有為なる人物は死に絶えて今日残れるものは当時生残の屑の子孫であるからである、余輩は横須賀に伝道して海軍々人中実に人物の多いのに驚くものである、斯かる人物は宗教界や文学者の中には見られない、国の勢力の中心なる有為の人物が争闘事業に集中して平和の事業が屑の手に托せられるとは実に寒心すべきことである、これが国を亡ぼす基に非ずと言ふか、誰か戦争が国を興すと言ひ得る者ぞ。
〇かく考へて鴿の如く羊の如く無抵抗純良なることは勝利の道であることがわかる、此キリストの御言葉は実に天と地に溢るゝ大真理である、故に基督者は個人としても社会としても国家としても無抵抗の態度をとらなければならぬ。
 
(171)     記者の感想
                      明治40年8月10日
                      『聖書之研究』90号「雑録」                          署名 編輯生
 
 書きたい事は沢山あります、然かし書き得る事は多くありません、書きたい事は私の感想であります、然かし書き得る事は神が私をして書かしめ給ふ事であります、神に使はるゝ記者は書きたいとて思ふやうに書き得る者ではありません、執筆は彼に取りては所謂「朝飯前の仕事」ではありません、是れは数日に渉る苦悶の業であります、天を仰ぎ見て、雲間より洩れ来る光を捉へて、之を紙に写すことであります、爾うして或時は雲が堅く鎖して少しも光明を送りません、其時、私供は「光り欲しさに泣く赤児」となるのであります、爾うして漸々《やう/\》にして得た少しばかりの光が一冊の雑誌となるのであります。
 
 凡そ十年間も続いて独りで雑誌を書いて居りますと、時には倦厭《あき》を感じます、「書いて何時まで至るのである乎」と独り己に問ふことがあります、然し幸にして聖書の研究でありますから今日まで継続することが出来たのであります、是れが若し政治の雑誌か、若しくは文学又は社会改良のための雑誌でありましたならば迚も斯う永く継けることは出来なかつたに相違ありません、聖書の研究は古典の研究ではありません、自己の研究であります、是れは聖書を以て自己を読むことであります、問題は外にあるのではありません、内にあるのであります、(172)泉は我心の奥底より湧き出づべき者であります、其れ故に世の批評も何も彼も忘れて何時までも書くことが出来るのであります、聖書の研究と題して私は幸福なる標題を選らんだのであります、若し国とか社会とか文とか術とか云ふ題を選らびましたならば私の筆は疾に自殺を遂げたに相違ありません。
       ――――――――――
 然し自己に就て書くことは易いやうで易くありません、是は自己を他人に与ふることであります、我が術、我が学、我が文を与ふるのではありません、我れ自身を与ふるのであります、世に辛らこと、難いこととて之に勝さる者はありません、己が心血を絞るに止まりません、己が霊魂を傾注けることであります(以賽亜書五十三章十二節)、爾うして此辛らい業に従事して私は時に思ひます、キリストが其血を流して世を救ひ給ひしとは之に類したる事ではあるまい乎と、血とは白血球と赤血球との混じたる流動体ではありません、血とは生命其物であります(そは肉の生命は血にあれば也と利未記十七章十一節に在ります)、血を流すとは霊魂を傾注くると云ふと同じで腓立比書二章七節に云ふ「己を虚うし」と云ふと同じであらふと思ひます、自己を空虚にして他人を充満すこと、是れがキリストの業であつて、又其聖足の迹を践まんとする私供の業ではありますまい乎、何れにしろ自己に就て書き且つ語ること程、苦しい仕事は他にないと思ひます。
       ――――――――――
 此事を知らない世の呑気な宗教家は私供に会ふと必ず尋ねます、「貴下の雑誌は幾許出ます乎」と、「幾許出ます乎、何冊売れます乎」と、何んと情けない問ではありません乎、然かし確かに近世流の問ひであります、嗚呼、彼等が若し宗教の何たる乎を知るならば己に耻ぢて斯かる質問は掛けられない筈であります、「幾冊《いくら》売れます乎」(173)と、嗚呼、私供は聖物を涜がす是等の質問家に問ひたく思ひます、「霊魂の量目《めかた》は幾干《いくら》あります乎、其目下の相場は弗と仙《セン》とに積れば若干になります乎」と、「幾冊売れます乎」と、其れは人の問懸ける質問であります、然かし「何を為します乎、如何なる善を為しました乎、寡婦と孤児とを慰めました乎、罪人に其罪を覚らしめて彼を神に連れ帰りました乎」、是れ多分天使が私供に問懸けて呉れる質問であらふと思ひます、私供は自己の霊魂を傾注《かたぶ》けて、他の霊魂を獲ないでは満足しません、金は金で獲られますが、霊魂は金では獲られません、霊魂は霊魂でなければ獲られません、霊魂を傾注けなければ霊魂は獲られません。
       ――――――――――
 爾うして稍や少しばかりの霊魂を獲るを得まして――勿論神の恩恵に由りまして――私供は非常に満足するのであります、私供の労力は已にに業に充分に償はれたのであります、縦し今日、何にかの止むを得ざる事情のために此誌を廃めんではならない場合に立至りましても、私は深く歎かないのであります、此小なる雑誌も亦神の恩恵に由りて少しなりとも或る永久的の事業を為したのであります。
       ――――――――――
 畢竟するに、伝道は現在に於ける成功を期して為すべき業ではありません 是れは伝道者が死んで後に始めて果を結ぶべき者であります、今はたゞ種蒔に従事するのみであります、収穫は将来に於てでなければ来世に於てゞあります、私供は遠き未来を望んで私供の業に従事する者であります、今、結びし実は未来に結ばるべき夥多《あまた》の果の予兆にほか過ぎません、聖書の真理は人の学説のやうに五年や十年で廃たる者ではありません、之を蒔く者は山林を植える者の類であります、レバノンの香柏が其果を振落し万国が之がために悦ぶ時は百年、千年、(174)万年の後であります(詩篇七十二篇十六節)、私は十九世紀の終より二十世紀の始にかけて此非基督教的の日本国に生れ来て、私の生涯の中の最も善き部分を此事のために消費したことを非常に有難く感じます。
 
(175)     〔『基督教世界』の開書への回答〕
                      明治40年8月29日
                      『基督教世界』一二五二号
                      署名 Kanzo Uchimura.
 
    秋期の活動に関する意見を徹す
  今や炎熱の候、教界の諸兄姉は静かに心身の休養をなされつゝあらん、此間来らんとする本年下半期の活動に関し各自大に計画を立て覚悟を定め居らるゝならんと信ず、希くば本誌の愛読者諸君左の問題に対し腹蔵なき意見を寄せられんことを。
   第一問、貴下は我邦の基督教会が如何なる方面に活動の主力を注ぐ可しと思はるゝや.
   第二問、貴下自身の秋期に於ける活動の方面は如何。
   第三問、秋期に於て特に研究せんとせらるゝ問題あらば其題目如何。
  以上三問題に対し八月中に回答せられんことを望む
   但し回答は郵便端書に限るものとす
    明治四十年八月八日      大阪中ノ島五丁目 基督教世界社
     愛読者諸君
 Answers to Queries.
I am one who thoroughly hates the word“活動”.It is a term full of vulgar sense,and unless (176)Japanese Christians get rid of this hateful term,true activity will not be possible by them.
 T.Into tbeir own selves.Know about their sin, and need of God's mercy to cleanse it.
 U.Deeper,yet deeperinto my own self.so that I may not be deceived by
 V.The same old question,Christianity of Jesus Christ,
  Churches and Church Christians.
         Kanzo Uchimura.
 
(177)     [秋を迎ふ 他〕
                     明治40年9月10日
                     『聖書之研究』91号「所感」
                     署名なし
 
    秋を迎ふ
 
 秋よ来れ、汝の燈火と新著述を持て来れ、他人は活動せんとする時に我は汝と偕に黙考せん、我は汝の清空に我が心を洗はん、汝の涼風に我が疲れたる脳を休めん、夏は我に取りては又労働の時期なりし、来れ、我友秋よ、来て空乏の我を充たせよ。
 
    燈前の快楽
 
 山の静かなるは佳し、然れども真理の静かなるに若かず、海の広きは佳し、然れども真理の闊きに及ばず、涼風膚に滲みて、燈火に対して大著を繙く時に、我心は湖辺を※[行人偏+羊]ふ時よりも静かなり、又大海を望む時よりも闊し。
 
    幸福なる家庭
 
 夫あり、妻あり、而して其間に一人の子あり、秋宵静かなる頃、彼等三人燈火を囲みて座し、頭を垂れて神に(178)祈る、是れ幸福なる家庭なり、其時主は彼等の中に顕はれて曰ひ給ふ、二人三人、我名に由りて集れる所には我も必ず其中に在るべしと、神聖何ものか之に若かん、是れありて王※[危の中が矢]の宮殿も羨むに足らざるなり。馬太伝十八章二十節に対するアレキサンドリヤのクレメントの註解に依る。
 
    幸福に入るの途
 
 更らに大なる犠牲を為して更らに大なる幸福に入らんかな、幸福は物を獲て来らず、物を棄てゝ来る、我は我が有する最も大なる物を棄て最も大なる幸福に入るを得るなり、幸福に入るの途は易し、感謝すべきかな。
 
    伝道の真意
 
 伝道は道を伝ふる事に非ず、自己を虚うして他を充たす事なり、自己の霊魂を傾注して之を他の霊魂に注入する事なり、即ち自己は死して他を活かす事なり、伝道は言語の伝達に非ず、文字の配列にあらず、生命の交附な
り、伝道の難きは是れが為めなり、其貴きも亦是れが為めなり。
 
    救主キリスト
 
 キリストは教法師(今の所謂神学者)と成らんと欲して成るを得たまへり、然れども成り給はざりし、キリストは会堂の宰《つかさ》(今の所謂牧師)と成らんと欲して成るを得たまへり、然れども成り給はざりし、キリストは自から択んで教主となり給へり、即ち自己を捨て他を救ふ者と成り給へり、道を説く者と成らずして生命を与ふる者と成(179)り給へり、真理を究むる者と成らずして真理其物と成り給へり、我等も亦彼に傚ひて神学者牧師とならずして、小なりと雖も救者《すくひて》となりて、自己を捨て他を活かさんかな。加拉太書二章廿節
 
    十字架の教
 
 キリストの教は十字架の教なりと云ふ、然り、然ども十字架を仰ぐ教にあらず、又十字架を唱ふる教にあらず、身に十字架を負ふ教なり、然り、身に十字架を負はせらるゝ教なり、キリストを信ずる必然の結果として此世と此世の教会とに批《うた》れ又|唾《つばき》せらるゝ教なり、十字架を負ふことなくして基督教あるなし、十字架を負はざる基督教は僞はりの基督教なり、今の所謂「基督教」の如きは是れなり。
 
    生命の消耗
 
 我眼は聖書《みふみ》を読むための眼なり、我れ之れがために盲者となるも何をか惜まん、我口は聖旨《みこころ》を伝ふるための口なり、我れ之れがために唖者となるも何をか悲まん、然り、我が一生は神を讃め其|聖恩《みめぐみ》を称ふるための一生なり、我れ之れがために死に就くも何をか歎かん、唯願ふ此貴き生命を神以外の者のために消耗せざらんことを。
 
    中和の人
 
 我は俗人たらざらんとす、同時に又隠遁者たらざらんとす、我は交際の人たらざらんとす、同時に又書斎の人たらざらんとす、我は神の人たらんとす、即ち此世に在りて此世の属たらざらんとす、神と偕に歩みながら人に(180)接する者たらんとす、喧囂の裏に静粛を楽む者たらんとす、学者に非ず、政治家に非ず、基督者たらんとす。
 
    国威と貧困
 
 我れ某軍港に伝道し、巨艦の工を竣ふるを見たり、我れ之を仰ぎ見て曰く、盛なるかな日本帝国と。
 我れ某地方に伝道し、多くの茅舍陋屋を見たり、我れ之を望み見て曰く、憐むべきかな我が国と。
 此民にして此艦を造る、以て知る国威の宣揚は必しも民の幸福の兆にあらざることを。
 
    基督教の特長
 
 基督教は善き軍人を作らざるべし、然れども基督教は善き農民と職工とを作る、基督教は善き宮廷を作らざるべし、然れども基督教は善き家庭を作る、基督教は外に張るに善からざるべし、然れども基督教は中を固むるに善し、基督教は特に平和の宗教なり、隣人を愛し、家族と親み、静かに人生を楽ましむる宗教なり。
 
    日本人の救済
 
 吾人の実見する所に由れば日本人の神の国に入るよりは駱駝の針の孔を穿るは却て易し、其虚栄心、其貴族根性、其人物崇拝、其武士道、其儒教道徳は彼の進路を遮て彼をして嬰児の如くなりて神の国に入らざらしむ、吾人此事を思ふて時に絶望の声を揚げて言ふ、然らば誰か救を得べき乎と、其時、主は吾人に答へて曰ひ給ふ、是れ人には能はざる所なり、然れど神には能はざる所なしと。馬太伝十九章二十四節−二十六節
 
(181)     時感三則
                     明治40年9月10日
                     『聖書之研究』91号「所感」
                     署名 角筈生
 
    福音の唱道
 
 或人は日ふ、我は偽書者なりと、我はイエスキリストの福音を唱へん。
 或人は曰ふ、我は不忠の臣なりと、我はイエスキリストの福音を唱へん。
 或人は曰ふ、我は不孝の子なりと、我はイエスキリストの福音を唱へん。
 キリストは我が義、我が贖、我が弁護なり、我は誉めらるゝも、誹らるゝも、時を得るも、時を得ざるも、我主イエスキリストの福音を唱へん、
 
    堕落の機会
 
 或人は事業を重ず、事業是れ基督教なりと信じて終にキリストを離る。
 或人は道徳を重ず、道徳是れ基督教なりと信じて終にキリストを棄去る。
 或人は誠実を重ず、誠実是れ基督教なりと信じて終にキリストを疎んず。
(182) キリストに在りて事業を為し、キリストに在りて正義を行ひ、キリストに在りて誠実なるにあらざれば永くキリストと偕に在りて其救済に与かること能はざる也。
 
    基督信者と基督者
 
 基督信者、基督を奉ずる者、基督を載く者、基督を担ぐ者、基督を自己と社会と国家と教会とのために利用せんとする者。
 基督者、キリストに捕はれし者、其取て代はる所となりし者、キリストに服ふ者、其使役する所の者、キリストに自己と自己に属するすべてのものを献げし者。
 前者はいくらでも有る、後者は滅多に無い、我等何人も後者たらんことを希ひ且つ勉むべきである。
 
(183)     最大幸福
                     明治40年9月10日
                     『聖書之研究』91号「所感」
                     署名 櫟林生
 
 此世に於て最も幸福なる者は誰か、国王より位階勲章の恩賜に与かる者乎、或ひは富貴を以て一世に誇る者か、或ひは大経綸を国に施して民の喝采を博する者か、大学者か、大博士か、大監督か。
 否な、否な、決して爾うではない、此世に於て最も幸福なる者はイエスキリストが解つた者である、彼を神の子、人類の王として仰ぎ得る者である、十字架の屈辱を最大の栄誉と認め得る者である、イエスを友とするに優さる名誉はない、イエスを師として仰ぐに優さる幸福はない、イエスを王として崇むるに優さる歓喜はない、イエスを霊魂の監督として載くに優さる安心はない、人世最大の幸福を得るに難くない、最も謙遜にして最も柔和なりしナザレ人イエスを最も大なる者として納《う》くる事である。
 
(184)     福音書研究
        (順を逐はず、随時、随感、研究の結果を掲ぐべし)
                     明治40年9月10日
                     『聖書之研究』91号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
       十二弟子の選定 馬可伝三章十三−十九節
 
 十三、「イエス山に登りて云々」 イエスは神と天然とを証人に立てゝ十二弟子(後に十二使徒)を定め給へり、彼は会堂に於て人を証人に立てゝ彼等に伝道の職を授け給はざりし也 〇「其怠に適ふ所の者を召しゝかば云々」 自身欲し給ふ所の者を前に召び給ひしかばと改訳すべし、イエスは其弟子を簡び給ふに方て、弟子等の意に循ひ給はずして、自己の意を行ひ給へり、聖父の意を受け給ひし彼は恵まんと欲ふ者を恵み憐まんと欲ふ者を憐み給へり(羅馬書九章十五節)、彼は又曰ひ給へり、汝等我を選ばず、我れ汝等を選べりと(約翰伝十五章十六節)、予定の教義に就て疑を懐く者はあらん、然どもイエスの弟子たる者は自からイエスを師として選びし者に非ずして、イエスに弟子として選ばれし者なることは聖書が所々に示す所なり、故に聖マカは特に語を強めて言へり、「御自身欲し給ふ所の者を云々」と。
 十五、多くの信頼すべき謄本に従ひ「病を医す」の字を脱すべし、即ち此一節を単に「且つ鬼を逐出すの権威(185)を授く」と改むべし。
 十六以下、十二弟子の名、之を四人づゝの三組に分つべし、
  シモン(ペテロ)、ヤコプ(ゼベダイの子)、ヨハネ、アンデレ。ピリボ、バルトロマイ、マタイ、トマス。ヤコブ(アルパヨの子)、タツダイ、シモン(カナン派の)、ユダ。
 中に二組の兄弟ありたり、即ちシモン(ペテロ)とアンデレ、ヤコプとヨハネ。
 二人のヤコブありたり、ゼべダイの子ヤコブとアルパヨの子ヤコブ。
 二人のシモンありたり、シモンペテロとカナン派のシモン。
 二人のユダありたり、タツダイ一名レツバイ(馬太伝十章三節)ヤコブの兄弟にして其本名をユダと云へり(行伝一章十三節)、イスカリオテのユダ。
 ピリポは始めてイエスに召されし弟子なり(約翰伝二章四十三節)。
 バルトロマイはナタナエルなるべし(約翰伝一章四十五節)。
 マタイはレビにして税吏なり。
 トマスに裁ては約翰伝十一章十六節、仝廿一章二節を見るべし。
 其職業に就て云はん乎、四人は漁夫なりし、一人は税吏なりし、他の一人(カナン派のシモン)は攘夷派の愛国者なりし、其他の者の職業に就ては知る所なし、然れども十二弟子の中に一人の祭司、一人の神学者なかりしは明かなり、イエスは其直弟子を純平民の中より選び給へり、彼の立てんとする教会なる者は其始めより純平民的(186)の者なりし、之に法王、監督、祭司等の僧侶的階級はあらざりし也、然り、絶対的にあらざりし也。
 十七、「雷の子」 愛と平和の化身として認めらるゝ使徒ヨハネは其始めは「雷の子」たりし也、即ち急劇火性の青年たりし也(路加伝九章五十四節を見よ)。
 十八、「カナンのシモン」 カナン人なるシモンに非ず、カナン派即ち、当時の攘夷党の一人なり、此派に属する者を一名ゼロテといへり(行伝一章十三節)。
 十九、「イスカリオテのユダ」 「ケリオテの人ユダ」の意なり、イエスは彼を直弟子の一人として選び給ひて自己の不明を表はし給ひしにあらざる乎、イエス若し神の子ならば如何で始めよりユダの終に自己を敵に売る者なるを知り給はざるの理あらんや、或はイエスはユダを悪人と知りつゝ故意に十二弟子の中に加へ給ひしなる乎、是れ大なる疑問なり。
 
    ユダの聖召に就て
 
 余は思ふ、イエスはユダの悪人なるを識て彼を十二弟子の中に加へ給ひしにあらざることを、彼れユダが完全の人にあらざりしは言ふまでもなし、彼に一大欠点ありたり、貪婪是れなり、然れども十二弟子の中、何人か完全なる人なりしぞ、彼等は其師が敵に捕はれて行くを見て皆な逃去りし者にあらずや、ペテロの如きは三回まで「我れ彼を識らず」と曰ひしにあらずや、イエスがイスカリオテのユダを招きしは其善人たり得るの可能力を信じ給ひてなり、人に自由意志の存する間は神なりと雖も絶対的に其将来を予知する能はず、人は何人も自から選んで善人と成るを得べし、又悪人となるを得べし、ユダは神がイエスの反逆人として 予め定め給ひし者にあら(187)ず、彼はイエスの忠僕とならんと欲して成るを得しなり、故にイエスが彼を己が直弟子の一人として選憩びしとて決して怪しむべきにあらず、ユダの聖召に由てイエスは其不明を示さゞりしなり、善人が悪人と化するは是れ天然の顕象の如くに予測し得べきことにあらず、人は自由なる実在者なり、彼が善を棄て悪を択ぶは彼の自由意志の選択に存す、神たりと雖も之を予測する能はず、そは予測し得るは自由にあらざれば也。
 イエスの門下より一人のイスカリオテのユダ出たり、我等の門下より十人百人のユダの出るあるも敢て驚くに足らざるなり、我等は勿論イエスの如き聖く且つ全き者にあらず、然れども我等とても亦た我等の許に来る人の善悪を予測する能はざる也、人が悪人と化したればとて是れ彼が始めより悪人たりしとの証拠にあらず、彼は始めは善人たりしならん、然れども後に悪人と成りしならん、我等が彼を招きし時に彼は誠実なる善人たりしならん、然れども年を経て悪魔の誘ふ所となりて悪人となりしならん、我等が彼に欺かれしにあらず、亦彼が故意に我等を欺かんとせしにもあらざるべし、彼が一時は善人たりしは事実なり、後に悪人となりしも亦事実なり、人は善悪を選択し得る自由意志を具へたる者なり、故に何時たりとも悪人となるを得べし、ユダの堕落を以てイエスを責むるに其不明を以てする能はず、余輩も亦多くの場合に於て同様の詰責より免るゝを得べしと信ず。
 
(188)     基督教の研究
                     明治40年9月10日
                     『聖書之研究』91号「講演」
                     署名 内村鑑三
 
  〔鳴浜講演〕第一日(八月三日)約翰伝十五章朗読
 多くの人は基督教の何たる乎を深く究めないで、自分の考へたる宗教に基督教の名を附してそれが基督教であると云ふ、然し是れ真理を貴ぶ者の決して為すべきことではない、基督教は基督教である、其真理であるか、虚偽《いつはり》である乎は全く別問題である、聖書に示されたる基督教の何たる乎を究めないで「我教是れ基督教なり」と云ふは独断の最も甚だしいものである。
 或人は基督教は万人の信ずべき教であると云ふ、果して爾うである乎、所謂「広量海の如し」とは果して基督教の謂ひである乎、聖書は此事に就て何と云ひて居る乎、夫れ招かるゝ者は多しと雖も選ばるゝ者は尠し(馬太伝二十章十六節)、凡て永生に定められたる者は信ぜりと(使徒行伝十三章四十八節)、イスラエルの子の数は海の砂の如くなれども救はるゝ者はたゞ僅々ならんと(羅馬書九章廿七節)、爾うして是に類する言葉は聖書の中に数限りないではない乎、是れは何事にも広量と無辺とを貴ぶ日本人には甚だ耳障りの悪い言葉であるに相違ない、然かし事実は掩ふべからずである、聖書に顕はれたる基督教は実に斯かる「狭い」教である、是れが嫌《いや》であるとならば基督教を廃めるより外に途はない、爾うして多くの人は其「狭い」理由に由て之を廃めた、然かし、止む(189)を得ない、基督教は信者を教会に繋ぎ置くために其教理を曲げることを為ない。
 或人は基督教は正義実行のための教であると云ふ、果して爾うである乎、善を為し、恵を施せばそれで基督教のすべてを悉したと云ふを得る乎、武士道は果して基督教である乎、儒教又基督教の一面に外ならずと謂ひ得る乎、然し、聖書を深く究めキリストを深く味ふた者は決して斯かる言を発しない、彼等は基督教に於て目未だ曾て見ず耳未だ曾て聴かざる真理を発見する、彼等はキリストに其眼を開かれて言ふ、「視よ、万物悉く新たになれり」と、世に謂ふ完全の君子もキリストを解して「我は罪人の首なり」と云ふ、高潔を誇る武士もキリストに接して「主よ我を離れ給へ、我は罪人なり」と云ふ、基督教を単に正道なりと解する者は未だ基督教を知らざる者である、基督教は正義以上である、「神の正義」である、世の姶より隠されてキリストに於て顕はされたる神の大なる奥義である。基督教は世に歓迎さるべき教であると信ずるのが又大なる誤謬である、聖書に由ればキリストの福音は永久に此世と正反対の地位に立つべき者である、世の終末に至るまで世はキリストの福音を歓迎しない、世に歓迎せらるゝ福音はキリストの福音ではない、世は実は基督者を愛するとは虚である、世は今も昔の如く基督と其弟子を憎む、我等は勿論進んで故意に世に憎まれんとはしない、然かし、我等が若しキリストの属であるならば世に憎まるゝが当然である、世に憎まれ、猜まれ、疑はれ、何んとなく嫌はるゝ事、それが、基督者の普通状態である、然るを基督者は義人であり、善人であるから世に嫌はれる筈はないなどゝ思ふのが抑々大なる間違であるのである、聖書を深く究めた人は斯かる誤謬を懐かない筈である。
 今や基督教ならざる者が多く基督教の名を附せられて我等に提供せらるゝ時に、我等は深く聖書を究めて我等の立場を明かにする必要がある、基督教は何んである乎、我等は果して基督教を信じて居る乎、是れ斯かる会合(190)に於て我等が真面目に究むべき問題である。
 
(191)     種蒔の譬
        〔鳴浜講演〕第二日(八月四日)馬可伝四章朗読
                     明治40年9月10日
                     『聖書之研究』91号「講演」
                     署名 内村鑑三
 
     譬の意味
 
 種蒔の譬はキリストが為されし多くの譬の中で最も解し易いものである、之には剰へキリスト御自身の註解が付いて居る、然し解し易い此譬の中にも多くの深い深い真理が含まれてある、余の如く二三十年間も聖書を読み続けた者でさへも近頃に至て漸く其小口が解かつて来たと云ふても可い、歳漸く三十を過ぎ、別に学問と云ふ学問を為ない人が斯かる深い言葉を発せられしを見て其人が尋常一様の人でなかつた事が解かる、キリストの神性は彼の話されし言葉に由て解かる。
 キリストは何故に譬を以て教へられし乎、普通の解釈に由れば、是れ其当時の人が無学であり、六ケ敷い事は解し得ざりしが故に、キリストは深い真理を卑近の譬を以て教へられたのであると、然し是れ果して譬の真意である乎。
 譬とは希伯来語で「マシヤル」と云ふ、隠語の意である、物を明らさまに言はずして、是を他の事に寄せて語(192)る、是れがマシヤル即ち譬である、故に茲に云ふ譬とは真理を明かに示さんがためではなくして、其正反対に之を隠さんが為めの言葉である、故にマシヤル之を隠喩と訳すべきである、それが譬の目的であつたことはキリストの御言葉に照らして見ても解かる、
  イエス彼等に曰ひけるは神の国の奥義を汝等には知ることを賜へど他の者にはすべて譬を以てす、是れ彼等視るとも視ず、聴くとも聡らず、心を改めて其罪の赦を得ざらん為めなり(十一、十二節)。
 然らばイエスは何故に斯かる隠語を以て神の国の奥義を伝へられし乎といふに、夫れは彼が当時の聴衆、殊にユダヤ人に就て失望されたからである、イエスは終に当時のユダヤ人に明白の真理を明白に語るの無益なるを覚り給ふた、否な、是れに止まらない、彼等心の頑剛《かたくな》なるユダヤ人はキリストの言葉を聞けば聞くほど其心を頑剛にし、彼に対する反抗の度を益々加へ来つた、又他の一方にはイエスの盲信家は彼の言葉を悉く曲解し、天国の教を現世的に解し、終にはイエスを立てゝ此世の王と成さんとまで為した、斯かる聴衆に対して赤裸々の真理を語るのは甚だ危険である、恰かも利刀を彼等の手に渡たすが如くである、故に真理は之を譬の鞘に収めざるを得なくなつて来た、茲に於てか隠語を以て道を説かるゝの必要が起つたのである。
 斯くてキリストの譬は決して解し易いものではない、試に第三十節以下の芥種の譬を見よ 是れ決して解し易い言葉ではない、今日の吾人に取てさへ爾うであるから、当時の聴衆に取ては更らに爾うであつたに相違ない、神の国は一粒の芥種の如し、之を地に播く時は万《よろづ》の種より微さけれど、既に播きて萌出れば万の野菜よりは大きく云々と、当時の聴衆は之を聴いて何の事か少しも解らなかつたであらふ、神の国とは人の国に優さりて大なるべき筈の者であるに、是れは始めには最も小なる者であると云ふ、聴衆は之を聴て嘲つたであらふ、イエスは戯(193)語《たはごと》を語って居るのであると。
 然るに其後は更らに解らない、此芥種の如き神の国は終には大なる樹となりて、巨いなる枝を出して空の鳥、其蔭に棲むほどに及ぶと、是れ確かに隠語である、イエスの聴衆のみならず、彼の直弟子ですら之を解し得なかったに相違ない、然かしイエスは殊更らに此譬の意味を説明し給はなかつた、彼は寧ろその当時の人に解せられなかつたことを喜び給ふたであらふ、イエスは此譬(他の譬も爾うである)を説きつパナシにして「時」をして之を説かしめ給ふた、此譬の深い意味は二十世紀今日の我等基督者に少しづゝ解つて来たのである。神の国は真に芥種の如くである、其始めやヨセフの子イエス一人である、而かも彼は罪人として十字架に釘けられた、彼の後は無名の漁夫や税吏である、初代の基督教は歴史家の記録に載るの必要がない者と認められた、然るに小なる者は段々と大なる者となつた、終には世界最大の勢力となつた、爾うして終に空の鳥が其枝の蔭に棲むに至つた、サテ、空の鳥とは何である乎、林に囀る鶯であるか、空を翔ける雁《かりがね》である乎、爾うではない、サタン即ち悪魔である、第四節に於ける「空の鳥来りて之を食へり」とある所に於てはその悪魔であることが能く解かる(第十五節を見よ)、以弗所書二章の二節にある「空中にある諸権」とは是れである、故に空の鳥が来りて其枝に棲むとは樹が茂りて鳥が其枝に止まりて囀ると云ふことではない、悪魔が来りて教会を占領するとの意である、神の国は終に勢力を得て、悪魔にまで其強大を認められ、終には其棲む所となるに至るとのことである。
 爾うして基督教会の歴史が能く此事を示して居るではない乎、羅馬天主教会が悪魔の巣と成つたばかりではない、聖公会も、メソヂスト教会も、パブチスト教会も、長老教会も、教会と云ふ教会で此世に勢力を得た者で空の鳥即ち悪魔の巣とならなかつた者はない、此小なる教友会とて決して此危険より免かるゝことは出来ない、是(194)れが少し此世に勢力を得るに至れば悪魔は直に其利用すべきを知て、美《よ》き教友と化して其中に入来る、芥種の譬は僅々三節の中に基督教の経歴を書き尽くして余ます所がない、実に深い驚くべき言葉である。
 其他の譬とても同じである、之を悉く解し得る人は広い世界に一人もない、神の聖語は其|聖業《みしごと》の如く、其片言たりと雖も之を解き尽くすことは出来ない。
 
    馬可伝四章三−九節まで
 
 (三)「聴けよ」 とは聴衆の注意を惹いていふ、「耳を掘りて聴けよ」、「よく考へて見よ」との意である、後にある「耳ありて聴く者は聴くべし」とあるに同じである 〇「種播く者」 はキリスト御自身である、福音を人に伝ふる者は常に彼れである、彼が伝道師の言葉を以て人に臨み給ふのである。
 (四)「路の傍」 大道ではない、人に践附けられて堅くなりし野中の小路である、或種は斯かる小路に添ふて落ちたとのことである、爾うして地の固きが故に根を出すことが出来ず、左う右うする内に空の鳥が来て種を食ふて仕舞ふたとのことである、固い地は硬い心である、人に践まれて情は薄らぎ、愛をも真理をも納《う》けざるに至つた者である、斯かる者は善き事は何を聞いても信じない、彼等は善に対しては全く無感覚となつた、キリストの福音を以てするも彼等の頑剛の外皮を破ることは出来ない、爾うして左う右うする内に悪魔は舞ひ来つて真理の種を奪ひ去る、受けざる心と悪魔の妨害、両者相援けて播かれし福音の種は無効に帰するのである。
 (五)「磽地《いしぢ》」 とは礫《こいし》まじりの土地ではない、固い、水を通さない岩の上に薄き沃土《よきつち》の置かれし所である、故に雨降るも下に透うらず、日照るも深く温めず、日光の反射に由て雨水は蒸発して甚だしく種の萌芽を促す、然れ(195)ども土地浅きが故に乾燥することも亦早い、温気と湿気の饒多《おほ》きが故に急速に発生し、炎熱と乾燥とに遭へば直に枯れる。
 浅い土地は浅い心である、真理を受くること早くして之を棄つることも亦早い、其始めて之を受くるや、歌ひ、叫び、躍り、歓ぶ、曰くハレルヤ、曰くアーメンと、然し是れ暫時である、少しの迫害、少しの患難、少しの障礙《つまづき》に遭へば直に信仰を棄て元の状態に還へる(十六、十七節)、彼に根がないからである、彼は深く究めずして信じたからである、彼は福音の快楽的半面をのみ味はんとして、之に伴ふ苦痛と犠牲とを計算しなかつた(路如伝十四章二十五節以下参照)、爾うして斯かる人は甚だ多い、殊に此日本国に多い、四五年を経ずして所謂「基督教を卒業して仕舞ふ者」は此国の基督教信者の中に甚だ多い。
 (七)第一は全く萌出《はへいで》ぬ種、第二は萌出るも直に枯るゝ種、爾うして第三は萌しも実らぬ種である、土地は沃くある、能く真理の種を受けて能く之を発生せしむ、然し彼は善き種を受くると同時に悪しき種を棄てなかつた、彼は「広量」に過ぎて善悪二つながらを嚥下《のみくだ》した、故に福音の種の育つ頃には斯世に属《つ》ける多くの主義や野心も亦発生し、前者は終に後者《あとのもの》の蔽ふ所となりて彼は纔かに繊弱なる信仰的生命を保つに至る、政治的野心を棄て得ずして伝道を廃めて政界の走狗と化せし者、社会に貢献するを名として、道を等閑に附して財を求むる者、智識を探ると称して基督者たるを耻て哲学者たるを以て誇る者、小児の玩具に等しき位階勲章を得んがためにキリストの為めに受くる※[言+后]※[言+卒]《そしり》を避けし者、是等は皆な此世の思慮《こゝろづかひ》と貨財《たから》の惑、又各様の情慾いり来りて道《ことば》を蔽《ふさ》ぐにより終に実を結ばざる者である(十九節)、爾うして斯かる類は我国の基督信者の中に決して尠くない、之を思ふて我等は寒心せざるを得ない。
(196) (八)斯くて大抵の種は実らない、然かし少数の種は実る、爾うして実る者は或ひは三十倍、或ひは六十倍、或ひは百倍の実を結びて、実らない種の損失を補つて尚ほ余りがある、「沃壌《よきち》」とは軟かい土地で、深い土地で、雑草の種を留めない土地である、即ち申命記十一章十一、十二節に云へるやうな土地である、
 汝等が往きて獲る所の地は山と谷の多き地にして天よりの雨水を吸ふなり、その地は汝の神ヱホバの顧み給ふ者にして年の始より年の終まで汝の神ヱホバの目、常にその上にあり。
 斯かる土地と心とに播かれし種は必ず善き実を結ぶ、爾うして其実は何ういふ者である乎と云ふに使徒パウロの言に由れば左の如き者である、
  聖霊の結ぶ所の果は仁愛、喜楽、平和、忍耐、慈悲、良善、忠信、温柔、※[手偏+尊]節(加拉太書五章二十二節)。
 是れである、爾うして斯かる実は之を結びし者の心にのみ留らない、広く他人の心に伝はる、一人の基督者は蕃殖して三十人、六十人、百人、然り、或る時は千人万人の基督者となる、爾うして是れ何にも必しも彼が伝道師となりて伝道を努むるからではない、蕃殖は真理の天然性であつて、之れは人が努めずとも自然に伝播する者である、然り、真理を受けし人は其の伝播を努めざらんと欲するも得ない。
 福音を聴く者に是等の四つの階級がある、昔もあつた、今もある、又後々までもあるに相違ない、我等はキリストが我等に由て播き給ふ種は必ず発生し必ず実るべき者であると思ふてはならない、草木の種に於てすら爾うである、※[木+解]《かしわ》や楓《かいで》の種ですら、その地に墜る数は幾千万を以て算ふるなれども、其萌えて終に実を結ぶに至る者は極くの極くの少数である、況して真理の種に於てをや、誠に招かるゝ者は多くして選まるゝ者は尠ない、基督者となるは容易のことではない、循て基督者と成るを得し特権は又非常のものである、種蒔の譬は最も解し易い(197)者であるが、併し其伝ふる真理は聖められざるを眼を以て見ては甚だ解し難いものである。
       ――――――――――
 
  〔鳴浜講演〕第三日(八月五日)
 
    馬可伝四章廿一−廿五節
 
  二十一節。又彼等に曰ひけるは燈火《ともしび》を持来りて桝の下、或ひは寝台《ねだい》の下に置く者あらんや、之を燭台の上に置くならずや。
 キリスト在世当時のユダヤ人の家庭の状を画いたものである、如何に貧しき家と雖も麦を量るための桝と床の上に寝るための粗造なる寝台を具へた、燈火は我国のカンテラのやうなる者であつてオレブ油を点した者である、燭台は勿論蝋燭台ではない、カンテラを置くための台である、爾うしてユダヤ国の家婦にして燈火を持来りて之を桝の下或ひは寝台の下に置く者はなかつた、必ず之を燭台の上に置いた、況してキリストをや、彼れ隠語を語りたればとて豈《など》か之を永久に隠し置き給はんや、是れ之をして終には地の極までを輝らさしめんがためならずや、彼の弟子等は隠語なればとて之を不問に附し置くべきではない。
  二十二節。隠れて明瞭《あきらか》にならざるはなく、蔵《つゝ》まれて露はされざる者なし。
 何事もこの通りである、天然界の事物に就て見るも、隠れたる者にして終に明かにならざるものはない、其秘密は終に探り出されて、人類の智識は日々に増し加へられつゝある、神は永久に秘密を守らんために何事をみ蔵(198)み給はない、蔵まれしは終に之を露はさんがためである、終に之を露はして彼の子供を喜ばせんがためである、隠語なるマシヤル即ち譬に於ても其通りである、是れ当時のユダヤ人、学者、パリサイ人等に取ては確かに隠語であつた、然し信仰の眼を以て見る者に取ては決して隠語ではない、是れ亦終には信仰の子供に露はされんがための秘密である、彼等は終に其奥義を示されて喜ぶであらふ、天地の主なる父が之を智者と達者とに隠して赤子に顕はし給ふを感謝するであちふ。馬太伝十一章二十五節。
  二十三節。耳ありて聴ゆる者は聴くべし。
 聴くべき耳を持つ者は聴くべし、其聴き取り得る量に従ひて聴くべし、智者は智者の耳を以て聴くべし、愚者は愚者なりに覚るべし、福音は今は隠語として与へらる、人の之を如何に解し得るや、如何程深く解し得るやは之を聴く人の耳の聴取力の如何に由る、即ちその心の理解力の如何に由る。
  二十四節。又彼等に日ひけるは汝等聴く所の事を熟慮せよ、汝等が度る所の量をもて汝等に度らるべし、又汝等に加へらるべし。
 汝等聴く所の事を熟慮せよ、之を聴き流しになす勿れ、之に深き注意を加へ、其中より能ふだけの真理を摂取せんことを努めよ、そは汝等が度る量目を以て真理は汝等に度らるべければ也、又同じ量目に順つて真理は汝等に加へらるべければ也と、即ち一合の桝を以て神に至る者は一合の桝を以て度り与へられ、一舛の桝を以てする者には一舛の桝を以て与へらるとのことである、神の真理は大海の水の如き者である、之は何人と雖も之を汲取る量目の大小に由り幾許《いくら》でも汲取ることの出来る者である、イエスの譬の如きも其通りである、其意義に限りはない、深く解し得る者は之を深く解するを得、浅く解する者は僅かに之を浅く解する、故に我等は神に向て更ら(199)に深き真理を示し給へと祈るべきではない、唯我等の聴く耳を深くせよ、之を慧くせよと祈るべきである、我等の耳にして慧からん乎、我等の悟る心にして広且深ならん乎、我等は神の聖書よりいくらでも深い多くの真理を得ることが出来る、聖書は実に誠に真理の無尽蔵である、人が之を知り尽したといふ時期は決して来らない、泉は汲めば汲むほど清水を供《あた》へて止まない、我等は単へに汲器《つるべ》の量の益々大ならんことを祈るべきである。
  二十五節。そは有てる者は尚ほ与へられ、有たぬ者は有てる者をも取らるべければ也。
 聴く所の事に注意せざるべからず、そは真理は斯世の財貨の如く、有てる者は尚ほ与へられ云々と、富者の富は益々増すに引換へて貧者の貧は益々甚だし、有てる者は其の上に加へらるゝに、有たぬ者は既に有てるものをも奪ひ去らる、残酷なる斯世なるかな、然れども慰めよ、生命を得んとてキリストに来りし者よ、信仰も亦財貨の如し、信仰も亦有てる者には益々加へられ、有たぬ者よりは既に有てる者をすら奪ひ去らる、十円の金を善く利用する者は終に之を百円と為し得るやうに、小なる信仰なりと雖も之を以て忠実に神に事ふる者は終に大なる信仰を懐き得るに至る、大小の問題ではない、有る乎無い乎の問題である。一合の桝なればとて賤んで之を棄つる者は終に何物をも獲ることが出来ない、感謝して一合の桝を利用してこそ終に一舛又は一斗の桝を与へられるのである、故にキリストの聖語が悉く解らないとて之を棄てはならない、我等は我等の理解力相応に之を学べば宜いのである、然らば、我等はより多く、より深く、より明かに示さるべしとのことである。
 神の真理を学ぶに此謙遜がなくてはならない、キリストの言葉は解し難い、然しながら誠実を以て之を学ぶ者にして少しも解らない者とてはない、我等は解し得る其少しを以て満足すべきである、爾うして更らに大なる黙示を待つべきである。
(200) キリストが隠語として譬を語り給ふに方て此深い注意を弟子等に与へ置き給ひしは洵に理由のあることであると思ふ、殊に彼等が種蒔の譬を解するに方て宿命説に陥るの虞れがあつた、彼等は或者は固つたる小路、或者は磽地、或者は沃壌と、すべて前以て定まつて居る者であると思ふの虞れがあつた、爾うしてキリストは斯かる謬説を取除かんために有てる者は云々の語を述べられたのであると思ふ、磽地は磽地なりに種を受くれば可いのである、神は磽地より沃壌同様の収穫を要求し給はない、神は固い小路を拓いて之を沃壌となすことが出来る、神は磽地に於ける浅き土を深くなすことが出来る、神は患難のダイナマイトを用ひて傲慢の岩を砕くことが出来る、神に由て如何なる硬地も、如何なる磽地も沃饒の地となすことが出来る、祈祷と忍耐、是れは自己の信仰を増す上に於ても、亦他人をキリストに導く上に於てもすべての事に優さりて肝要である。
 
(201)     鳴浜懇話会
                     明治40年9月10日
                     『聖書之研究』91号「雑録」
                    署名なし
 
 教友会第二回夏期懇話会は過る八月三日より七日まで五日間、千葉県山武郡鳴浜村大字本須賀海保竹松氏の宅に於て開かれた、来り会する者四十余名、其半数は其地附近の者であつて、其余の半数は全国より集ひ来つた者であつた、遠きは肥前長崎、陸中花巻、越後大鹿より、近きは東京、常陸より、炎熱を冒して集ひ来つた、純然たる霊的会合であつて、いとも楽しきものであつた、或ひは附近の川に漁り、或ひは大平洋の水に浴び、朝は講じ、夜は談じ、其余は遊んで食て寝て暮らした、依て知る此会合の我等の大運動大活動大飛躍でなかつたことを、我等は県知事よりも、郡長よりも、否な、村長閣下よりすら何の招待にも与からなかつた、我等は又一銭一厘の寄附を高貴の人に乞はなかつた、而かも最も有益にして最も力ある会合を得た、殊に九十九里沿岸一帯の地、四方一岳の視線を遮るなき所に、夕陽金繍を纏ひて地平線下に下る偉観は稍梢やミシシッピ平原のそれに似て強く我等の美感を動かした、神と聖書と友情と天然、是れありて我等は五日間、此罪の世に在りて稍や天国のそれに似たる生涯を送つた。
 
(202)     課題〔14「基督者が世の人より受くる讒謗 馬太伝十章二十四−二十六節」〕
                     明治40年9月10日
                     『聖書之研究』91号「雑録」
                    署名なし
 
     基督者が世の人より受くる讒謗 馬太伝十章二十四−二十六節
 
 意義明瞭なり、別に註釈を要せず、「ベルゼブル」は悪鬼の王を云ふ、馬可伝三章二十二節を見よ。
 「掩はれて露はれざるは無し」、人、其善を掩はれてその善の終に露はれざるは無し、敵人の批評は如何に苛酷なるも、以て善人を悪人と成すに足らず、善人は終に善人として露はるべし、若し現世に於てにあらざれば来世に於て露はるべし、我等は敵の悪口罵詈を懼るに足らず、そは神イエスキリストを以て人の隠微を鞫き給はん時、我等は我等の真性に於て露はるべければ也。羅馬書二章十六節。
       ――――――――――
 
     世の讒謗と天国の希望 編輯生
 
 余の如き者が死して後に栄光の体衣を被せられて神の天国に入るのであると云ふ、是れ果して事実であらふ乎、是れは信ずるに甚だ難いことである。
(203) 是れは勿論余に斯かる栄光を獲得するに足るの徳があると云ふことではないに相違ない、若し余が余として扱はるゝならば余は地獄の底に投入れられべき者である、余が若し栄光の国に入るを得て其処に永久の福祉を享くることが出来るとならば、それは何にか余以外の善徳に由るのでなければならない。
 爾うして斯かる善徳が余の衷に在ると余は信ずることが出来やう乎、嗚呼、余は救はれたり、必ず天国に入るを得べしと云ふは余に取りては甚だ傲慢の言ではあるまい乎、僭越ではあるまい乎。
 嗚呼余が救はれし証拠は何処にあらふ乎。
 嗚呼、然り、無いではない、此永の年月、余が幾回となく神を棄んとせしにも関はらず、今尚ほ神に棄てられざるのは、其事が余が神に選まれし一つの確かなる証拠ではあるまい乎。
 余と同時に信仰を表はせし人にして今は既に全く之を放棄せし者多きに関はらず、余が尚ほ不束ながらもキリストのために世の※[言+后]※[言+卒]を受けつゝあるは、其事が余が救はれつゝあるの確かなる証拠の第二ではあるまい乎。
 爾うして世の※[言+后]※[言+卒]其物が、其れが余が神の属である何よりも善い証拠ではあるまい乎、世はキリストの属でない者を斯くまでに※[言+后]らない、曰く国賊、曰く乱臣、日く偽善者、曰く破壊者、曰く親殺し、曰く弟殺しと、余は何故に斯くまで此世と此世の教会とに悪まれるのであらふ乎、余は神の前に立て罪人の首であることを自認する、然かし人の前に立て斯かる罪人であるとは何うしても思はれない、余は及ばずながらも使徒パウロに傚ふて、恥づべき隠れたる事を棄て、詭譎《いつはり》を行はず、神の道を乱さず、真理を顕はさんと努めつゝある(哥後四の二)、然るに余は大罪人の如くに謂はれ又謂はれつゝある、是れ果して何を示すのであらう乎。
 嗚呼、世の※[言+后]※[言+卒]こそ、余がキリストに永久の愛を以て捕はれしことを示すのではあるまい乎 彼をベルゼブル(204)即ち悪魔の王と※[言+后]りし世が同じ憎悪を余に表しつゝあるのではあるまい乎、嗚呼、斯くあれかし、余も世に十字架に釘けられてキリストの属たるを証明されんことを希ふ、余が世に誉めらるゝに至る時は余が天国に入るの資格を失つた時である、世の甚だしき讒謗が余に臨む時に余は安全である、余が受くる世の讒謗は余が天国に入り得るの「印記《しるし》」である。
 去らば来れよ讒謗、来て余の天国に入るの特権を確かめよ、何んとでも云へよ、余と余の同志とを※[言+后]るは汝等に取り多少の慰藉ならん、余等は汝等より此慰藉を奪はざるべし、然し余等には又余等の慰藉あり、汝等の讒謗は余等の信仰の耳には天使の声として聴ゆるなり、天国の語は此罪の世に於ては正反対の音を発するなり、祝福は呪詛と、善良は罪悪と、真善は偽善と響くなり、然らば誹れよ世よ、汝の誹謗の語を蒐めよ、而して之を余等の頭上に堆《つ》んで、余等の天国に入るの権利を確かめよ。
       ――――――――――
 内村生白す、宍戸君の此一篇、以て悪魔と其子供の心を穿て余蘊なし、余は之を読んで再び起て戦ふの勇気を得たり、深く君に謝す。
       ――――――――――
  次号課題
 余は如何にして基督に来りし乎
 原稿締切九月三十日
 
(205)     『保羅の復活論哥林多前書 第十五章と其略註』
                     明治40年9月18日
                     単行本
                     署名 内村鑑三編
〔画像略〕 初版表紙189×127mm
(206)   緒言
 
 茲に旧稿に厳密なる訂正を加へ、之を一書となして世に遣《おく》る、余輩はその多少、世を益せんことを欲す、基督教は世界の最大問題なり、而してキリストの復活は基督教の最大問題なり、此小著述にして若し少しなりとも邦人間に於ける此大問題の解釈を助くることあらば余輩の栄光何ぞ之に若かむ。
  明治四十年九月六日                  著者
 
(207)     〔秋と河 他〕
                     明治40年10月10日
                     『聖書之研究』92号「所感」
                     署名なし
 
    秋と河
 
 秋到る毎に余は河を懐ふ、二箇の大なる河を懐ふ。
 其第一は石狩河なり、森深く、水静かに、蔦は弓形を為して深淵を覆ひ、赤葉其下に垂れて紅燈の幽暗を照すが如し、大魚流水に躍り、遠山其面に映る、余は幾回となく独り其無人の岸を逍※[行人偏+羊]し、或ひは清砂の上に立ち、或ひは葦の中に隠れて余の霊魂の父と語りぬ。
 其第二はコンネチカット河なり、之をホリヨーク山上より望んで銀河の天上より地下に移されしが如し、余は其岸に太古の鳥類の足跡を探り、或ひは楓樹の下に坐し、或ひは松林の中に入りて、異郷に余の天の父と交はりぬ。
 静かなる秋と静かなる河! 余は其岸に建てられし余の母校を忘るゝ事もあらん、然れども秋到る毎に余に静かなる祈祷の座を供せし河を、余は死すとも忘る能はざる也。
 
(208)    我が生涯
 
 我れ我が過去を回顧《かへりみ》て我が生涯に蹉跌多かりしを悲む、我れ我が神を仰見て我が生涯の其の摂理に由りて成りしを喜ぶ、我が欲ふ所を為さんとするにあらず、汝が欲ふ所に任かせ給へ、小なる我が生涯と雖も亦人が計画みて成りし者にあらざる也。馬可伝十四章三十六節。
 
    神の日本国
 
 日本国は日本人の国なりと云ふ、然り、外国人に対して日本国は洵に日本人の国なり、然れども神に対して日本国は日本人の国にあらざる也 日本国も亦神の国なり 日本人は富士山を築かざりし也、日本人は琵琶湖を穿たざりし也、日本人は桜樹を造らざりし也、日本人は日本国を神より与へられしに過ぎず、真正の愛国心は外敵に対して此国を護らんとするに止まらず、神に対して之を聖めんとす、之を聖国《みくに》に類するが如き者となして、神の栄光を顕はさんとす。
 
    福音の商賈
 
 初代の教会に Christemporos なる者ありしと云ふ、「基督を商ふ者」の意なり、而して甚く信者の諱む所となりしと云ふ、而して二千年後の今日、同一の商賈は未だ其迹を絶たず、是れ今日に至るもキリストの福音の世に広く伝はらざる主なる原因の一なるべし、余輩は此上、教役者と称する「基督を商ふ者」の増加せんことを望まず、(209)鋤を取る者、槌を振ふ者、網を引く者、舵を取る者が奮然起てキリストの福音を唱へんことを欲す。
 
    聖職と職業
 
 使徒パウロと云ふ、然れども使徒たるはパウロの職業にあらざりしなり、タルソのパウロは天幕職工たりし也、而して天幕職工たりしが故にキリストの善き使徒たりし也、救主イエスキリストと云ふ、然れどもイエスは自から救主として世に立ち給はざりし也、ヨセフの子イエスは父の職業を接けて木匠《たくみ》たりし也、而して木匠たりしが故に人類の完全なる救主たりし也、聖職は職業として従事すべき者にあらず、先づ普通の労働者たるにあらざれば善き伝道者たる能はざる也。
 
    世の批評と基督者の実状 哥林多後書六章九、十節意訳
 
 詐る者の如くに思はるれども実は誠実なり、知られざる者の如くに思はるれども実は能く知られ、死に瀕する者の如くに思はるれども、視よ、我等は活く、懲さるゝ者の如くに思はるれども実は殺さるゝに至らず、悲む者の如くに思はるれども而かも常に歓び、貧しき者の如くに思はるれども而かも多くの人を富まし、何も有たざる者の如くに思はるれども実はすべてのものを保有す。
 
    幸福なる朝鮮国
 
 聞く朝鮮国に著しき聖霊の降臨ありしと、幸福なる朝鮮国、彼女は今や其政治的自由と独立とを失ひて、其心(210)霊的自由と独立とを獲つゝあるが如し、願ふ、曾ては東洋文化の中心となり、之を海東の島帝国にまで及ぼせし彼女が、今や再たび東洋福音の中心となり、其光輝を四方に放たんことを、神は朝鮮国を軽蔑め給はず、神は朝鮮人を愛し給ふ、彼等に軍隊と軍艦とを賜はざるも、之に優さりて更らに能力強き聖霊を下し賜ふ、朝鮮国は失望するに及ばず、昔時猶太亜が其政治的自由を失ひてより、其新宗教を以て西洋諸邦を教化せしが如くに、朝鮮国も亦、其政治的独立を失ひし今日、新たに神の福音に接して、之を以て東洋諸国を教化するを得るなり 余輩は朝鮮国に新たに聖霊の降りしを聞いて、東洋の将来に大なる希望を繋ぎ、併せて神の摂理の人の思念に過ぎて宏且つ大なるに驚かざるを得ず。
 
(211)     約翰書の研究
         鳴浜講演第四日目分
                   明治40年10月10日・11月10日
                   『聖書之研究』92・93号「研究」
                   署名 内村鑑三
 
 約翰書の研究は我等に取り最も肝要である、是れは究むるに至て難く、又至て易い書である、批評的に究むれば至て難く、信仰的に究むれば至て易い書である。
 新約聖書は時を異にしたる多くの人に由て書かれたる書である、随て其内容に進歩がある、約翰書は約翰伝の附属として書かれたる者と思はれる、爾うして約翰伝は四福音書の中で最も後に書かれたる者である、最も後に書かれたる者であるから最も老熟したる最も円満なる思想を伝へて居る、使徒ヨハネは新約聖書の総括《そうくゝ》りを為して世を去つた者である。
 真理の発顕は何れの時代に於ても反対思想の唱道に由て促がさるゝ者である、猶太人にして基督信者となりし者がキリストの福音は特に猶太人の為めの福音であると主張した時に、之に反対して世界的救主なるイエスキリストを描いたる路加伝が書かれたのである、又キリストを信ぜざる猶太人の或者が、ガリラヤのナザレより出たるイエスがメシヤである筈はないと唱へた時に、之に反対してナザレのイエスは実にキリスト即ちメシヤであると唱へたる馬太伝が書かれたのである、哥林多前後書はコリントに於ける信徒を誡めんがために書かれた者であ(212)る、コリント人を知らずして哥林多書は解らない、議論はすれど操行修らず、思弁に傾き実行を怠つたコリント人を知つて始めて哥林多書を解することが出来る、如斯くに書翰の受取人を知らずして其書翰を解することは出来ない、誤謬が真理を呼|出《いだ》し異端が正道を招いたのである、約翰書を研究するに方ても之を要求せし当時の状態を究めなければならない。
 使徒時代に於て四大思想は四大使徒に由て代表されて順次に顕はれた、其第一は使徒ペテロに由て代表されたる思想であつた、彼は熱烈な気象を具へたる猶太人であつて、厳格なる猶太数の感化の下に成育《そだ》つた者であるから、規則とか制度とか云ふ観念に非常の重きを置いた、彼の理想は秩序ある教会の設立に在つた、彼に取りてはキリストは霊魂の牧者監督であつた(彼得後書二章二十五節)、彼は完全なる規律を以て人を救済に導かんとした、基督教会の思想は使徒ペテロを以て始つた者であると思ふ、羅馬天主教会が彼を其守護聖人として戴くは理由のない事ではない。
 使徒ペテロの後に来つた者が使徒ヤコプである、彼も亦一度は厳格なる猶太数信者であつた、併しながらペテロとは異なつたる方面に於て厳格であつた、ペテロが訓誡的なるに対してヤコブは自誡的であつた ヤコブの理想とする所は自身を潔うすることであつた、彼の所謂る自由なる全き律法(雅各書一章廿五節)とは身に完全に神の律法を行ふ道であつた、ヤコブに由てペテロの教会思想は個人化されたのである、信者が教会の成長にのみ注意して個人の完成を忘れんとする頃に、ヤコブは起つて自己清浄の必要を唱へたのである。
 使徒ヤコブの後に来つた者が使徒パウロである、ヤコブの思想は自省を重んずるの余り、信者を心霊的傲慢に導き、彼が神を離れて自から義とせんとする危険に陥んとする時、パウロは起つて彼の信仰に由る救済の福音を(213)唱へたのである、其個人的なるの点に於てはヤコブもパウロも同じであつたが、併し完全に達する途に於ては二者各々其取る所を異にした、先づ自己を潔くせよとヤコブは曰ふた、然り、然れども神を信じ彼に潔められて聖くなれとパウロは答へた。
 然るにパウロの思想も亦多くの弊を生ずるに至つた、人は行に由て救はるゝに非ず信仰に由て救はるゝなりと聞いて多くの浅薄なる信者は救済とは全く思想のことであると思ふに至つた、茲に於てか多くの無益なる神学論が闘はせらるゝに至つた、信仰は議論のことであると思ふに至つた、信仰が制度と化せんとする危険に代へて、今は哲学と化せんとするに至つた、パウロ主義は党派を作り易い、争闘を生み易い、茲に於てかそれ以上の主義の必要が起つた。
 爾うして此必要に迫まられて顕はれた者が使徒ヨハネを以て代表されたる思想である、彼はパウロが信仰を主張せしに対して愛を主張した、人は信仰に由て救はれるのではない、神と人とを愛するに由て救はれるのであると言ふた、当時の人が神の性質に就て種々の意見を懐き、或ひは純真理であると云ひ、或ひは超自然であると云ふに対してヨハネは神は愛であると云ふた、彼のユダヤ的気質はすべての空論空想を嫌ふた、彼はパウロに似て神秘的であつた、併かしペテロ、ヤコブに似て実際的であつた、爾うして愛は能く彼の此混合性を表す者である、愛は理であり又実である、愛は秩序であり又勇行である、神は愛であると云ひて、神に就てすべてを言ひ悉したのである、ヨハネは愛を説いてパウロの信仰主義の欠点を補ふと同時に又ペテロの教会主義とヤコブの潔行主義との欠点をも補ふたのである。
 ペテロとヤコブとパウロとヨハネ、是等四大使徒は使徒時代の代表者であつて、又すべての時代の代表者であ(214)る、始めに教会、次ぎに自制、次ぎに信仰、終りに愛、個人の信仰の進歩も常に此順路に従ふ者である、先づ第一に洗礼を受けて教会に入り、其制裁に依りて救を得んとする、是れペテロ時代である、次ぎに斯かる制裁の効の至て尠きを見て、独り克己勉励に由りて己を潔うせんとする、是れヤコブ時代である、次ぎに己れで己を潔うする能はざるを悟て単《ひたす》らに神に信頼して救はれんとする、是れパウロ時代である、終りに救は己を潔うすることにあらず、進んで神と人とを愛することであるを識るに至る、是れがヨハネ時代である、健全なる信仰の進歩は此の径路を経るを常とする。
 又使徒時代より以来、基督教会の経過して来た径路も亦此通りである、中古時代の羅馬天主教時代が基督教会の教会時代であつて、其ペテロ時代であつた、爾うして其終りに方て聖フランシスを以て代表されたる信者が続々と起つて、教会内にあるも各自、己れの努力に由て救済を全うせんとしたのが、基督教会のヤコブ時代であつた、爾うしてルーテルを以て代表されたる所謂宗教革命を以て教会は更らに又新時代に入つたのである、ルーテル以来今日迄が基督教会のパウロ時代である、宗派続出時代、神学説濫造時代、研究時代、競争時代、パウロ主義のすべての美点とすべての欠点を発顕した時代である、爾うして第二十世紀に入つて今や基督教会は其最後の時代に入りつゝあるのである、今や人はルーテルを以て始まりし所謂プロテスタント主義に厭き果て、何れかの方面に於て和合一致を求めつゝある、宗派の害は其極点に達し、乾燥無味の神学説、毀ち得て建つる能はざる聖書の批評は日々と信者に忌まれつゝある、進まん乎、退かん乎、プロテスタント主義以上の信仰にまで進まん乎、旧の羅馬天主教会に帰らん乎、是れ今日の大問題である。
 併し退くはキリストの福音でない、キリストの福音は進むべき者である、パウロ主義はヨハネ主義に入るべき(215)である、プロテスタント主義は棄てられて、教会主義ならで愛神愛人主義に入るべきである、夫れが時の要求であつて、又基督教会の取るべき当然の順路である、長老教会も、組合教会も、浸礼教会も、メソヂスト教会もすべて今日限りのものである、今より後の要求は教会ならざる教会である、即ちキリストの愛を以て憲法とし、規則とし、紀律とする教会である、若し今の時に方て基督教会が此順路を取らなければ、或る基督信者が愛に達せずして終に堕落して仕舞ふやうに、基督教会も其最終の到達点に達し得なくして亡びて仕舞ふに相違ない。
 茲に於てか今日に於て約翰伝と約翰書との研究の必要が起つて来るのである、ヨハネの思想がよく解かるのはパウロ思想の欠点が見えて後である、信者は一足飛びにヨハネ思想に入ることは出来ない、我等身を宗教界今日の混乱の中に置いて見て、始めてヨハネの思想の如何に確実にして如何に深遠なるかが解かる、今茲に約翰書の一節を執らへ来つて、予の言はんと欲する所の那辺にある乎を示さうと欲ふ。
 約翰第一書一章七節に曰く
  若し神の光に在るが如く光の中を行かば我ら互に同心となることを得、且つ其子イエスヰリストの血すべての罪より我らを潔む。
 是れは使徒ヨハネの合同一致論と之に加ふるに彼の信徒聖潔論を以てしたるものである、彼の時代に於ても今の時代に於けるが如くに多くの合同一致説は提出されたのであらふ、或ひは正式の洗礼晩餐式に由て信者の合同を計らんとするがあり、或ひは一定の信仰個条に由て教会の一致を来さんとするがあり、或ひは更らに信徒の智識を高めて新光明に由て合同一致せんとする説が提出されたであらふ、然るに老ひたるヨハネは斯かる提議に一つも賛成しなかつた、彼はキリストの弟子は斯かる方法を以て一致し得る者でない事をよく知つた、儀式や、信(216)条や智識は霊魂を結附ける能力ではない、去らば如何したらば信者は和合一致することが出来やうか、使徒ヨハネは曰ふた
  神が光に在るが如くに汝等も光の中を歩むべし、去らば互に合同するを得べし
と、実に直截的にして実に深い言葉である、神は光である(一章五節)、爾うして光である神は己が放ち給ふ光の中に在し給ふ、之に反して我等人間は幽暗に居る者である、故に互に相啖ひ相殺すのである、故に若し神が光に在し給ふが如くに我等其光明に由て行はんとすれば、我等は自づと互に相愛し、相和するに至るのであると。
 実に共通りである、神は光であるとは他の人も言ふた、然し光の中を行るくべしとは老いたるヨハネが始めて発した言である、彼は言はんと欲した「光明、光明と曰ひて空論虚説を闘はすを止めよ、光明を身に行はんとせよ、神の全きが如く汝等も全からんとせよ、去らば汝等も光明の何たる乎を解して併せて相互に和合一致するを得べし」と、実行、而かも自己の理想の実行にあらず、神の光の体顕……ヨハネは信者の一致は此一事に存すると言ひ放つた、之を聞いて多くの合同一致論者は口を緘んだであらふ、是れ尤も千万である、然し実に難い、難いけれども之を除いて他に確実なる合同一致の途はない、老いたるヨハネの一言は種々雑多なる教会合同論に対し最終の判決を与へた、汝等教会の策士輩よ、汝等神学の販売人等よ、神の光を身に行へよ、而して和合一致の美を挙げよ。若し人ありて老いたる使徒に向つて身に体すべき神の光とは何ぞやと問ふたならば彼は直に答へたであらふ、「言ふまでもなし、神の子イエスキリストなり」と、キリストは神の栄の光輝である(希伯来書一章三節)、神の光を行ふとはキリストに従ふことである、実行的に彼の弟子たる事である、キリストに顕はれたる神の光を身に行はんとして苦祷勉励する者は其属する教会の何たるに係はらず、其奉ずる信条の何たるに係はらず、(217)其取る学説の何たるに係はらず、已に業に兄弟姉妹である、之に反して行はんとせずして、単に主張せんとし、言語と投票とを以て争はんとする者は聖日毎に同一の教会堂に集ひ、席を隣りにし、祈祷讃美を偕にして数年に渉るも心の中に於ては真の敵である、斯かる者はいくら弁じ、いくら論じても合同一致を来すことは出来ない。
 憲法が不完全であるからではない、信仰箇条に不足があるからではない、人物が居らないからでもない、信者に愛がないからである、神の光を身に行はんとする決心と誠実と熱望とが無いからである、其れがために信者間に一致がなく、教会間に合同がないのである。
 然し是れに止まらない、神の光を行はんとすれば其子イエスキリストの血すべての罪より我儕を潔むとのことである、是れは抑々如何いふ事であらふ乎。 キリストは我儕の尚ほ罪人たる時我儕のために死に給へり、神は之に由りて其愛を彰はし給ふとパウロは曰ふたではない乎(羅馬書五章八節)、即ちパウロの言に依れば我儕の罪の潔めは已に十字架上に於て遂げられたのではない乎、然るにヨハネは茲に我臍若し神の光を行《ゆ》かばキリストの血すべての罪より我儕を潔むと言ひて、罪の潔めは我儕の言行に伴ふものゝやうに言ふて居る、是れ明かにパウロの言と矛盾して居るではない乎。
 然り、矛盾して居るやうに見える、然し矛盾して居らない、ヨハネはパウロ思想の欠点を補ふて居るまでゞある、キリストの血(彼が死に際して流し給ふた血)は已に我儕の罪を贖ふた(即ち我儕を義とした)、然しながらそれがすべての罪より我儕を潔むるのは是れ我儕各自に取りては終生の事業である、キリストの血は我儕を潔むる者であるが一時に潔むる者ではない、神の羔は世の始めより殺され給ひしものであつて(黙示録十三章八節)其血は世の終りまで人の罪を潔むる者である、贖罪は既成の事業であるが、其適用は未成の事業に属する、我儕は(218)日に日にキリストの血に由て我儕の罪を潔められなければならない。
 而已ならず、キリストの血に由て罪を潔められんと欲せば我儕は神の光の中に歩まなければならない、信者の和合一致を来す光りの実行は同時に信者各自の罪の潔めを来たす、兄弟と和するを得て自己を潔うするを得、是れが光の中に歩む喜ばしき結果である、爾うして其説明は措いて事実はヨハネが言ふ通りである、キリストの血を以てする罪の徐々たる潔めは神の光に歩まんとする日々の奮励努力より来るものである、ヨハネは茲に我儕は単に光の中を歩むに由て潔められるとは云はない、歩むに由てキリストの血我儕を潔むと云ふて居る、即ち罪より我儕を潔むるものはキリストの血であつて我儕の努力と奮励とではない、然しながら努力奮励するにあらざれば主の宝血を我儕の属となすことが出来ない、ヨハネは只の実行家ではないから善行我儕を救ふとは言はない、同時に彼は迷信家ではないから人は努めずして神の救済を己が所有となすことを得べしとは言はない、彼は茲に於てヤコブ主義の極端とパウロ主義の極端とを避けて居る、彼は言ふて居る、神の光を行へよ、而して其愛子の血を以てする罪の潔めの恵みに与かれよと。
 「潔む」は現在動詞である、「既に潔めり」でもなければ「後に潔めん」でもない、「今潔む」或ひは「今潔めつゝあり」である、ヨハネの見る所に由れば救ひも潔めも今、目前のことである、キリストは何を為されし乎との歴史上の問題ではない、キリストは今、何を為し給ふ乎との目前の問題である、贖罪、罪の潔め、嗚呼、神学者よ、汝等の言は美《よ》し、然れども人は過去の歴史的事実を信じて潔められるのではない、今行つて今潔められるのである、人の調印する信仰箇条は彼を救はない、彼が全身を傾けて行はんとする信仰のみ、彼を救ひ彼を潔むるの機会となるのであると、是れがヨハネが茲に言ふ所の短くして力強き言葉の意義であると思ふ。
(219) 愛を以て行為と信仰とを結附けし者、合同一致を教会制度に於て求めずして、愛の決行に於て求めし者、是れがヨハネ主義である、爾うして此事を心に留めて読めば約翰伝と約翰書とは決して解し難い書ではないと思ふ。
 
     附言
 
 茲に「行《あ》るく」と訳されし原語は「行《おこな》ふ」と云ふとは少し違う、「行るく」又は「歩む」とは「生涯を送る」の意である、創世紀五章二十四節に云へる「エノク神と偕に歩めり」とあるは神と偕に生涯を送れりとの意である、故に約翰書の茲に云ふ「光の中に行るく」とは単に光明の道を実行すると云ふに止まらない、光を以て生涯の方針と定め、之に由て念ひ且つ行ふの意である、ヨハネを浅薄なる道徳の実践躬行家と見るは大なる間違である、彼は愛、光、真の実現者である。 〔以上、10・10〕
 
     約翰第一書五章四、五節
 
  凡そ神に由て生るる者は世に勝つ
 「世に勝つ」 悲痛に勝ち、忿怒に勝ち、絶望に勝ち、憎悪に勝つ、我等は自己に恃んで日々に世に負けつゝあり、我等は悲痛の呑む所となり、忿怒の駆る所となり、絶望に沈み、悪を以て悪に報ひつゝあり、世に勝つは容易の事にあらず、然り、世に勝つは人の事にあらず、世は人よりも強し、世に勝たんと欲せば人以上の力に依らざるべからず 〇「神に由て生るゝ者」 「者」とは物なり、又人なり、又主義なり、又信仰なり、必しも「人」と解すべからず、「神より生ずるもの」、神より来るもの、神に原因するもの 〇人は自から努めて世に勝つ能はず、(220)神のみ能く之に勝ち給ふ、勝利の栄光はすべて神に帰し奉るべきものなり、物なると人なると、念《おもひ》なるとに係はらず神より出るものはすべて世に勝つの能力を有す。
  我らをして世に勝たしむるものは我らの信なり
 「我ら」人類全体を指して云ふに非ず、基督者を指して云ふなり、基督者は世に勝つを得る者なり而して基督者をして世に勝たしむる所以の者は其奉ずる独特の信なり、此信たる神に原因するものにして世に勝つの能を有す、すべての信が世に勝つに非ず、神より出し信のみ能く世に勝つを得るなり、信に迷信あり、又半信あり、信は世を動かすの能たるに相違なし、然れども基督者の懐く信のみ能く世に勝つを得るなり 〇高調《エムフハシス》は之を「我儕の」三字に置て読むべし、之を「信」の字に置くべからず、信は如何に熱心なるも必しも世に勝つの能力《ちから》にあらず、剣を抜いて世に勝たんとする回々教徒の信の如き、すべての計略政略を用ひて世に勝たんとする今の教会信者の信の如き、信は信なるべけれども世に勝つの信にあらざる也。
  誰かよく世に勝たん
 然らば世に勝つ者は誰ぞ、云ふまでもなし、神より特殊の信を賜はりし基督者なり、彼は何を信ずる者なるや。
  イエスを神の子と信ずる者に非ずや
 基督者はイエスを神の子と信ずる者なり、彼は此信を神より賜ひたり、而して此信に由て彼は世に瞼つを得るなり、此特殊の信を懐く彼れ基督者のみ能く世に勝つを得るなり 〇「イエスを神の子と信ず」 木匠《たくみ》の子にして罪人として十字架の刑に処せられしナザレのイエスを理想の人、模範の人、天上天下唯一の人と信ず、世に勝つの信とは是れなり、「神の子」とは神より生れし者にして神と性を共にする者とも、又は神の如き人にして其性(221)を帯ぶる者とも解するを得べし、イエスは蓋し後者なりしと同時に又前者なりしなるべし、然り、前者なりしが故に後者なりしなるべし、希伯来人はすべて優秀のものを「神のもの」と称せり、モーセを神の人と称せり、レバノンの香柏を「神の樹」と称せり、吾人が今日理想の人と云ふを彼等は神の人又は子と云へり、イエスは其本性に於て又其品性に於て神の子たりし也。
 イエスは神子にして理想の人なり、是れ我儕基督者が神より賜はりし信なり、而して此信ありて我儕は世に勝つを得るなり、儕臍虚栄に走らんとする時に、イエスが模範の人なるを知て我儕も亦彼の如くに率直なるを得べし、我儕怒らんとする時、羔の如きイエスを仰瞻て彼の如くに柔和なるを得べし、我儕悲痛に沈まんとする時、悲哀の人なるイエスを想見て我儕も亦彼の如くに自己を聖旨に委ぬるを得べし、我儕懶惰に流れんとする時に、労働者の一人たりしイエスに鑑みて、我儕も亦労働を耻ざるに至るべし、ナザレのイエスを神の子と信じて我儕に拭ひ得ざる涙あるべからず、我儕の免かれ得ざる試誘あるべからず、イエスを神の子と信ずるは誠に世と其すべての罪悪に勝つの途なり。
 基督者にして其信の薄きを歎ずる者多し、彼等は其信の増さんことを求めて止まず、然れども彼等は其信の如何なる者なるべき乎を知らざるべし、信は明白ならざるべからず、信とは単に信力に非ず、信とは或る明白なる事を信ずることなり、而して基督者の場合に於ては信とはイエスを神の子と信ずることなり、此信たる単に祈りて獲る能はず、聖書に深くイエスの性格を探り、果して彼が模範の人たる乎を究めて以て獲るを得べし、信は歴史的ならざるべからず、又常識的ならざるべからず、之を求むるに祈祷を以てするは勿論なりと雖も、然れども是れ単に祈祷を以てのみ獲らるべきものにあらざるなり。
(222) ヨハネの言は深し、然れども水晶の如く透明なり、神に依らずして世に勝つ能はず、神より出るものに世に勝つの能あり、我儕基督者の信は神の賜物にして彼より出しものなり、故に我儕は之に由て世に勝つを得るなり、其信とは何ぞ、イエスを神の子と信ずる事なりと、立論は一般より特殊に向て進む、即ち左の如し
 一、神より出づるものゝみ能く世に勝つを得べし。
 二、我儕基督者の信は神より出しものなり、故に我儕は之に由て世に勝つを得るなり。
 三、依て以て世に勝つに足る基督者の信とはイエスを神の子と信ずることなり。
 世に勝つの途は之に由て明かなり。 〔以上、11・10〕
 
(223)     我が舞台
                     明治40年10月10日
                     『聖書之研究』92号「寄書」
                     署名なし
 
 我にも亦活動の舞台あり、教壇に非ず、文壇に非ず、劇壇に非ず、演壇に非ず、我が小なる居室なり、長さ十五尺に幅十二尺、机一基に椅子三四脚、偉人の肖像と小児画と天然画、書籍と筆と墨と紙、我が活動の舞台は是れなり、我は此中に在りて我が同情を世界の万民に寄するを得るなり、泣き、祈り、怒り、働らくを得るなり、我れ神と共に働らきて我は此小室の中にありて大なる世界を動かすを得るなり。
 
(224)     誰の功《いさを》か
                     明治40年10月10日
                     『聖書之研究』92号「談話」
                     署名なし
 
〇余が神のために何にか善き仕事を為して居るから、其れがために神は余を活かして置き給ふのではない、神が余を愛し給ふが故に、彼は余をして存《ながら》へしめ給ふのである、余の従事する事業の報酬を以てではない、神の恩恵に由て余は存在する者である、余の事業は余に取りては道楽に過ぎない、余は余の事業に由て生活する者ではない。
〇余の功績か、キリストの功績か、信仰上の大問題は是れである、所謂新神学とは余の功績を重んずる者であつて、旧神学とはキリストの功績を重んずる者である、余は余の救済を全うすべき者である乎、又は余の救済は已にキリストに由つて全うせられた者である乎、二者孰れが真《まこと》なる乎、是れが新旧両思想の分れる所である、普通の倫理学上の観念より見れば前者が真らしくある、然し聖書の示す所に由れば真理は後者に在るが如くに見える、倫理か福音か、問題は終に茲に帰着するのである。
〇爾うして余自身は福音信者である、余はキリストの功を信ずる者である、神が余を恵み給ふのはイエスのために(for Jesus'sake)恵み給ふのである、余はコロムウエルと同く「毫釐をも稼ぎ得ざる者」である、余はキリストが余に代りて成就げ給ひし善行に由て救はれるのである、余が大胆にも多くの余不相応の要求を以て神に近づ(225)き得るは全く是れがためである。如何に慈悲深き神なればとて、余は余のために余を恵み給へと言ひて彼に近づく事は出来ない、然しながらキリストのために余を恵み給へと言ふのであるならば、余の如き者と雖も大胆にアバ父よと叫びながら、神の宝座《みくら》に向て進行くことが出来る、余は余のために何物をも要求する資格を有たない、併しながらキリストのためとならば万事を父に向て要求することが出来る、自身では何一つ有たざる者、然れどもキリストに在りては万物を保有する者である(哥林多後書六章十節)。
〇余の此信仰を全然非認するが如くに見ゆる聖書の言葉は腓立比書二章十二節である、パウロは其所に於て言ふて居る、
  汝等畏懼戦慄《おそれをののき》て己が救を全うせよ
と、去れば余の救は余が全うすべき者ではあるまい乎。
〇併しパウロの此言葉は爾う云ふ事を我等に教ゆるのではない、先づ第一に茲に「己が」とあるのは是れは神に対して云ふたのではなくして、パウロに対して云ふたのである事はその後を読んで見れば判かる、彼は茲にピリピに於ける彼の信徒が彼等の師父なる彼れパウロに頼ることなく、彼が彼等と偕に居らざる時と雖も独り自から己が救を全うせよと言ひ贈つたのである、即ち汝等自から神にのみ頼ることなくして、己が救を全うせよと言ふたのではなくして、汝等我れパウロに依ることなくして、各自己が救を全うせよと云ふたのである。〇其次ぎは「全うせよ」との辞《ことば》である、是れは決して原語の完全なる訳語ではないが、然かし「獲得」の意でない事は明かである、パウロは腓立比人に向つて「汝等勉めて己が救を獲得せよ」とは言はない、救は神の賜物である、是れ人が自から獲んと欲して獲られる者ではない、然かし人は神より賜はりし救を或る意味に於ては全う(226)することが出来る、即ち聖霊の恩化を妨ぐることなくして、神が要め給ふ完全に己を達せしむることが出来る、其事は疑ふべくもない。
〇併し「全うせよ」は善き訳語ではない、其原語はパウロ独特の辞であつて、訳するに甚だ難いものである、故に日本訳聖書に於ても種々の辞を以て訳して居る、或ひは来らすとも云ひ(羅馬書四章十五節)、行ふとも云ひ(仝七章十五節)、なすとも云ひ(哥林多後書十二章十二節)、至るとも云ふて居る(仝七章十節)、爾うして其真の意義は内に在るものを外に出すと云ふことであると思ふ、英訳聖書に之を腓立比書の此処に work out と訳してあるのは最も適切であると思ふ、然かし英訳の場合に於ても高調《エムフハシス》は之を out に置いて読まなければならない、即ち「畏懼戦慄て汝等の衷なる救を外に働らき出せよ」との意である、爾うして「外に働らき出す」とは「実を結ぶ」と云ふに異ならない、即ち身に於て神の栄光を顕はすと云ふに同じであつて、短い言葉を以て言へば信仰を行為に顕はせと云ふ事である、爾うして此事たる確かに「救の完成」である、行為《おこなひ》は信仰の仕上げである、人は行為に由ては救はれないが行為を以て外に顕はれない信仰に由ては救はれない、我等若し己が救を全うせんとすれば、キリストが我等のために遂げ給ひし救ひを外に働らき出さなければならない。
〇然し若し腓立比人がパウロに向つて、彼等は如何にして救を全うすべき乎と問ふたならば、彼は此善を為よ、彼悪を為す勿れとは答へなかつたであらふ、彼は希伯来書記者のやうに「イエス即ち信仰の先導《みちびき》となりて(信仰を興す者にして)之を成全うする者を望むべし」と答へたであらふ(希伯来書十二章二節)、信仰も救もイエスに由て興されイエスに由て全うされる者である、故に我等は我等の救を全うせよと命ぜられて、益々自己を棄てイエスを望むべきである、我等は信仰に由て救はれるのであるが、併し其信仰までが自己が興すものではなくして神(227)が我等に賜ふ物である(以弗所書二章八節)。
〇余の信仰の立場を明かにするために余が聖書の此一節に就て斯くまで力を籠めて論究するのを見て、読者の或者は無益の談義なりと言ひて訝るであらふが、決して爾うではない、此腓立比書二章十二節のために心を悩めた者は今日まで幾人あつたか知れない、是れは如何にもユニテリヤン主義を主張する言葉のやうに見える、之を浅く解してパウロの説きし恩恵の福音は其土台から崩れて仕舞うやうに見える、故に腓立比書の註解者は力を籠めて此一節を説明して居る、米国の聖書学者として有名なる故 H・C・ツラムブル氏の如きは特に一篇の論文を公にして、此一節の福音的意義を明瞭にせんとした、余の茲に述べたる解釈の如きも大に氏の見解に負ふ所がある。
〇洵にキリストは我等の救の始めであつて、又其終りである、基督者の生渡は基督である、其義も信仰も、行為も、功績もすべて基督である、余が今日まで幾回となく引用した言葉であるが、基督者の生涯はパウロの左の一言にて尽きて居ると思ふ。
  我れキリストと偕に十字架に釘けられたり、既《もはや》我れ生けるに非ず、キリスト我に在りて生けるなり、今我れ肉体に在りて生けるは我を愛して我がために己を捨てし者、即ち神の子を信ずるに由て生けるなり(加拉太書二章十節)。
 
(228)     キリストの囚人《めしうど》
                     明治40年10月10日
                     『聖書之研究』92号「談話」
                     署名なし
 
  異邦人の為めにキリストイエスの囚人となれる我(以弗所書三章一節)。  主にありて囚人となれる我(仝四章一節)。
  イエスキリストの為めに囚人となれるパウロ及び兄弟テモテ(腓利門書一節)。
  是政に爾、我等の主の証を為すことゝ其囚人なる我とを恥となす勿れ(提摩太後書一章八節)。
 キリストの囚人である、故に我等は為さんと欲する事を為すことは出来ない、我等は政府の役人とならんと欲して成ることは出来ない、我等は貨殖の業に従事せんと欲して成ることは出来ない、然り、我等は教会の役人、即ち其牧師、監督、伝道師とならんと欲して成ることは出来ない、我等は縲紲《なわめ》の身である、我等の活動の区域は限られて居る、我等は狭い不自由の身である。
 然し止むを得ない、是れ我等の運命であつて、又我等の特権である、我等はキリストに捕へられたる者である(腓立比書三章十二節)、気儘なる我等は斯くも身の自由を失はなければ福音の宣伝に徒事しないであらふ、我等も亦利慾の人、野心の者であるから、何にか自己以外の勢力が来つて、我等を縛るにあらざれば、我等も亦利慾と野心とが導く所に走るであらふ、然るに恩恵の主は其愛の鏈鎖《くさり》を以て我等を縛り給ふた、我を囲みて出ること(229)能はざらしめ、我が鏈索《くさり》を重くし給へり(哀歌三章七節)、彼は我等をして福音を唱ふるより他の事を為す能はざらしめ給ふた、不幸なる我等! 幸福なる我等! 不幸なるは鏈索を以て縛られたからである、幸福なるは其鏈索が愛のそれであるからである、キリストの愛我を余義なくすと(哥後五章十四節)、我等は或意味から云へば余義なくせられて福音を伝ふる者である。
 キリストの囚人! 囚人であるから国の一端から他の一端まで走り廻ることは出来ない、囚人であるから交際場裡に花を咲かせる事は出来ない、囚人であるから此世と此世の教会との忌み避くる所となる、囚人の身は幽暗の身である、蟄居の身である、多くは沈思黙考の身である、活動よりも寧ろ読書の身である、演説よりも寧ろ執筆の身である、カイザリヤの獄舎に繋がるゝこと二年、ローマの牢獄に呻吟すること数年、獄舎より書翰を諸方に贈りてキリストの福音を万民に伝へしと云ふ、使徒パウロが世界を教化せしも、ジヨン・バンヤンが英民族を薫化せしも、等しく獄舎の内からである、キリストの福音と獄舎との間に深い深い関係がある、キリストの福音、一名之を獄舎の福音と称することが出来る、自身罪人として十字架に釘けられ給ひしイエスは、其弟子を又罪人として世に遣はし給ふ。
 然らば我等は囚人たるを辞せざるべし、我等は束縛を歎かざるべし、唯或る方法を以て福音を伝ふるの自由を与へられしを深く感謝する、自由に家族と共なるを得、自由に自由の空気を吸ひ、自由に稲田《たうでん》の風に靡くを見、自由に流水の畔に※[行人偏+羊]《さまよ》ふを得、我等に是丈けの自由があれば沢山である、其他の自由と特権とを我等は要めない、官吏たるの自由、教役者たるの自由、政治に参与して民心を左右するの自由、是れ我等の欲する自由ではない、我等に若し肩書の必要があるならば、それは是れにて足る、即ちイエスキリストの囚人と、是れに優さりて貴き爵(230)位も官位も学位も教職も、広き宇宙に一つもない。
 
(231)     神学雑談
                     明治40年10月10日
                     『聖書之研究』92号「談話」
                     署名なし
 
〇今の新神学と云へば必ず先づ四福音書を批判するを常とする、其表明者の言ふ所を聞けば、曰く馬太伝は税吏より選まれて使徒となりしと云ふマタイの書いた者ではない、其著者は不明である、故に馬太伝の名は不当である、馬可伝はペテロの弟子マカ、路加伝はパウロの同伴者ルカが書いた者とするも、約翰伝に至つては使徒ヨハネの書いた者でない事は近世批評家の殆んど一致する所であつて、是を使徒ヨハネの作と信ずるが如きは無識の最も甚だしいものであると。
〇然るに新神学の此提説に対して近頃強力なる反対者が出たのは甚だ心地善いことである、爾うして其反対者とは誰である乎と云へば、古典学第一等のオーソリチーとして仰がるゝ独逸国ハーレ大学教授フリードリツヒ・ブラース氏其人である、氏は近頃物故せられたが、世を逝る二週日程前に認めたる氏の論文中に氏は明かに馬太伝の使徒マタイの作なること1、約翰伝の使徒ヨハネの作なることゝを認めて居る、是れ確かに神学界に於ける青天の霹靂である、大学者は未だ必しも旧来の伝説を棄てない。
〇ブラース氏は共馬可伝論の始めに於て曰ふて居る、「新約聖書に関しては批評学は過ぐる一百年の間に未だ一歩たりとも確実なる進歩を為さない」と、即ち氏の説に従へば今日の新約聖書は其大体に於ては百年前の新約聖(232)書であると、即ちヨハネが書いたと言はれし物はヨハネの書いたもの、パウロが書いたと言はれし者はパウロが書いたものであると、氏の此言に九鼎の重みがある。
〇余輩は今茲にブラース氏の研究の順序を読者に示さんと欲する者ではない、唯茲に此事ありしを告げて新説なりと聞いて驚かないやうに読者に注意する、独逸流の神学者と云ふ神学者が挙つて約翰伝のヨハネ的著作を香認するを見て、茲に約翰伝批評の最終の言が発せられしやうに思ひ、循つて新約聖書全体の著作に就て疑を挾むに至るは今の人の常である、然かし其事は決して爾うではない、最終の言は未だ発せられない、然り、此大問題に関する最近最重の言は此フリードリツヒ・ブラース氏の言であつて、それは約翰伝は使徒ヨハネの作であるとの事である。
〇茲に言ふて置くが博士プラース氏は神学者ではない、彼は希臘、羅馬古典学の専門家であつた、爾うして氏の専究せし此学科に於て世界第一等のオーソリチーであつた、爾うして此人が近世神学者の説を拒んだのである、氏は言ふて居る、
  人は三四年神学を修めたりとて、或ひは縦へ神学の教授なればとて、又は神学博士の称号の所有者なればとて、其れに由て彼が宗教に関する智識を有すとは証明せられない、凡て是等の事は彼が天の事を受くるの機能を有たざる俗趣味の人たるを妨げない
と、ブラース氏は彼の深遠なる科学上の智識と敬虔なる信仰上の立場より茲に断然と神学者の提説に対して反対の言を発したのである。
〇爾うして神学殊に聖書のことを能く知る者は実は神学者ではない、英国の神学界に於て聖書智識に最も確実な(233)る貫献を為したる者は W・M・ラムセー氏其人である、氏の加拉太書論、使徒行伝論、黙示録論等は近世の大著作である、然るに此ラムセー氏も亦神学者ではない、氏も亦ブラース氏に似て考古学者である、爾うして考古学
の立場より聖書を研究して、其歴史的真価を認め、之に関はる古来の伝説の近来唱へらるゝ仮説に優さりて遙かに信頼すべき者であることを唱ふる者である。
〇神学者は神学を知らない、聖書学者は聖書を知らない、聖書を毀つ者は聖書学者である、宗教を紊す者は宗教家である、基督教其物が当時の神学者、宗教家に反いて興つた者であつて、今と雖も教会以外、神学校以外の人に由て維持せらるゝ者である、多くの人々東より西より来りてアブラハム、イサク、ヤコプと偕に天国に坐し、国の諸子は外の幽暗に逐出されて其処にて哀哭切歯すること有らんとは昔も今も同じである(馬太伝八章十一、十二節)、神学者が毀ちし聖書が神学者ならざる学者に由て建て直されつつあるとは最も興味ある顕象である。
〇爾うして夫れは其|理由《わけ》である、宗教家は宗教を知つて人生を知らない、彼等の人生観は主もに教会と称する一種の人為的社会に限られてある、彼等は天然の上より、世界歴史の上より宗教を見んとしない、故に彼等の人生観のみならず宗教観までが常に拘束されて居る、余輩が度々唱へしやうに神学は神学を毀つための要がある、然し宗教を建つるための要はない、基督教は始めて大工の子イエスに由て創められ、後、漁夫や税吏に由て伝へられた、其如く今に至るも基督教に常に生気を吹入する者は教会以外、神学校以外の者である、教会と神学校とは常に宗教を腐らす所である、基督教の復興は常に之を平信者の努力に待たなければならない。
〇故に今の神学界の動揺なる者は少しも憂ふるに足らない、是れは神学と教会との破滅を意味すると同時にキリストの福音の復興を意味する者である、即ち震はるべき者の棄られて震はれざる者の存《のこ》らんとする前兆である(234)(希伯来書十二章二十七節)、神学と教会とが神学者の暴慢と宗教家の嫉妬、陥※[手偏+齊]、相殺に由て毀たるゝ時に、キリストの基督教は新郎《にひむこ》が祝の殿を出るが如くに疲れ果てたる此世に出で来りて、物として其|和煦《あたたまり》を蒙らざる者なきに至るのである。
 
(235)     余の北海の乳母
        札幌農学校
                     明治40年10月10日
                     『聖書之研究』92号「雑録」
                     署名 内村生
 
 余は札幌農学校(今は東北大学)の卒業生である、其事は事実である、然しながら余は札幌農学校の産ではない、農学校は余に多くの善き事を教へて呉れた、馬に就て、牛に就て、豚に就て、馬鈴薯《じやがたらいも》に就て、砂糖大根に就て教へて呉れた、是れ皆な貴い智識であることは明かである、然しながら農学校は最も善き事を余に教へて呉れなかつた、神に就て、キリストに就て、永生に就ては、少しも教へて呉れなかつた、是れは余が札幌農学校以外に於て学んだことである、余は農学校に謝す丈けは謝する、然かしその余を謝さない、爾うして斯くなして農学校は余を忘恩者の一人として算へないであらふ。
 余の札幌農学校に対する関係は子が其母に対する関係ではない、乳児が其乳母に対する関係である、神の人モーゼが彼を生みしヘブルの婦《をんな》に対する関係ではなくして、彼を河辺の葦の中に拾取りて育し埃及王パロの女《むすめ》に対する関係である(出埃及記二章)、余に取りては札幌農学校が余に授け呉れし智識はすべて「エジプトの智慧」である、貴からざるにはあらざれども最も貴い智慧ではない。
 モーゼはエジプトの地を逃れ出てミデアンの地、ホレブの山に行て最も貴き黙示に接した、余も亦札幌の地を(236)去て、マツサチユーセットの地、ペンシルバニヤの丘に於て人に由らざる教を受けた、札幌は余を此世の人にして呉れた乎も知れない、乍然神の子たるの資格を余に授けた所は札幌ではない、余が札幌農学校の産でないと云ふのは是れが為めである。
 斯くて札幌農学校は余の母校ではない、乳母校である、余の父と母とはほかに在る、然かし乳母校としては彼女甚だ慕ふべき者である、彼女に精神はなかつた、彼女は純然たる現世的婦人であつた、故に彼女の子供も亦能く彼女に肖て多くは地の事に慧くして天の事に疎い者である、然しながら彼女を囲む天然は日本国第一等である、彼女の南に聳ゆるエニワ岳、彼女の東を流るゝ石狩河、彼女の北を洗ふ日本海、彼女の西を垣するテイネ山、彼女を見舞ふ候鳥《わたりどり》、彼女を飾る春の花と秋の実、是れありて彼女の俗気は充分に償はれた、余は彼女に育てられたりと云ふよりは寧ろ彼女を囲む天然に養はれたる者であると云ふべきである、余は札幌農学校の産なりとの称は拒むが、北海の天然の子なりとの言は否まない。
 然しながら余は摂理の神が余を余の乳母札幌農学枚に託し給ひしを感謝する、余は余の青春時期を北海の処女林の中に経過するの機会を与へられしを感謝する、余にして若し其時帝都泥濁の中に留め置かれしならん乎、余も今頃は多くの学士博士と共に、心にモーゼの神を認めずして単にエジプトの学者又法術師の類として棲息したであらふ。
 汝の生命長かれよ、余の北海の乳母校よ。
 
(237)     課題〔15「余は如何にして基督に来りし乎」〕
                      明治40年10月10日
                      『聖書之研究』92号「雑録」                          署名 主筆
 
     余は如何にして基督に来りし乎
 余は第一にキリストに引附けられて彼に来つた、彼が其無窮の愛を以て余を己に引附け給ふにあらざれば余は如何にしても彼に来ることは出来なかつた、余の場合に於ても亦、我儕神を愛するは彼れ先づ我儕を愛するに因れり(約翰第一書四章十九節)であつた、余がキリストを択らんだのではない、キリストが余を択び給ふたのである、夫れ故に余は彼の弟子となることが出来たのである。
 余は第二に生涯の患難に逼られてキリストに来つた、余は世と人との全く頼むに足らざるを知つて終にキリストに来らざるを得なくなつた、余も亦余の短かき生涯に於て多くの患難に遇ふた、余も亦パウロと等しく同族の難、異邦人の難、偽はりの兄弟の難に遇ふた(哥林多後書十一章廿六節)、爾うして之に遇ふて余は益々キリストに来らざるを得なくなつた、人生の辛らき経験を経し者は皆な預言者エレミヤと共に云ふ、汝等各自其隣人に心せよ、何れの兄弟をも信ずる勿れ、兄弟は皆な欺きをなし、隣人は皆な讒りまはればなりと(耶利米亜記九章四節)、人に信を置かざるに至て神に信を置くに至る、爾うして神に信を置くに至て人に人として信を置くに至る、(238)余も亦此径路を経てキリストに至り、彼に在て再び人を愛し得るに至つた者である。
 余は第三に自己の罪に責められてキリストに来つた、我れ願ふ所は之を行はず、反りて願はざる所の悪は之を行へり……噫我れ悩める人なる哉、此死の体より我を救はん者は誰ぞやとは余も幾回か叫んだ者である、爾うして其時、十字架上に余の罪を釘けし救主を示されて、余も亦パウロに傚ふて、是れ我儕の主イエスキリストなるが故に神に感謝すと言ひて神を讃美した者である(羅馬書七章)、神に己が罪を指さるゝ程苦しいことはないが、然かし此苦みを経ずしてキリストに来ることは出来ない、神は傷け給ふ、又癒し給ふ、余も一度は罪の苦痛の地獄に投込まれて、其中よりキリストに救出されたる者である。
 上よりはキリストに引附けられ、周囲よりは世に逼まられ、衷よりは罪に責められて余はキリストに来るを得た、斯くて余は人に由てキリストに来た者ではない、キリスト御自身と世路難と衷なる苦闘と、余は是等三者に導かれて余の尊むべき、讃むべき、崇むべき救主イエスキリストに来た者である。
   嗚呼神よ、悲惨の道は
    余が爾に到るの径路なりき
   而して今も尚暗黒の裏に在て
    余は目を閉て惟爾に従ふ
 
 幽陰日光単に爾の聖旨に任かす
 悲喜哀楽唯爾の命に従はん
(239)   爾の大図に則りて
   余の生涯は聖ならざるを得ず
              (『愛吟』より)
       ――――――――――
 次回課題左の如し
 余は今の基督教会に就て如何に思ふ乎
  注意=批評は謙遜にして深切なるを要す。
 原稿締切十月三十一日
 
(240)     天国を望む
            アイザック・ワット作
                     明治40年10月10日
                     『聖書之研究』92号「雑録」
                     署名 内村生 訳
 
   我れ天の第宅《すまひ》に入るの
    我が特権を確めらるゝ時に
   我はすべての恐怖に遑を告げ
    我が流るゝ涙を拭はん。
 
   縦へ全地は我に逆ひて立ち
    石火の槍を我に投ぐるも
   我はサタンの激怒を笑ひ
    我は恚れる世に向はん。
 
   憂愁は洪水の如くに来れ
    苦悶は暴風の如くに荒れよ、
(241)   我はたゞ我家に着かんことを、
    我神、我国、我が諸凡《すべて》に至らんことを。
 
   其処に天の静かなる海に
    我は我が疲れし霊を浴せん、
   雨して配慮の漣波すらも
    我が静かなる胸を越えじ。
 
(242)     批評家に告ぐ
                     明治40年10月10日
                     『聖書之研究』92号「雑録」
                     署名 独立生
 
 余輩は狭いと云ふ者が沢山ある、殊に教会信者の中に沢山ある、然り余輩は神の如くに広くない事を耻る、乍然余輩は教会信者程は狭くない積りである、余輩の交際は議会や、一教派や、基督教界に限られて居ない、余輩の友人は全世界に渉つて居る、余輩の通信者は米国にある、英国にある、欧洲大陸諸邦にある、余輩は又友人を不可知論者《アグノスチツク》の中に有つ、仏教信者の中に有つ、天主教信者の中に有つ、希臘数信者の中に有つ、新教信者の中に在るは勿論である、無教会信者なる余輩は幸にして世界的である、余輩は正直なる人、誠実なる人とあれば誰れにでも同情を寄せ、誰れとでも交際を結ぶ、余輩の忌み嫌ふ者はズルイ人、暗い人、ノーブルならざる人である、斯かる人は日本人であらふが、基督信者であらふが余輩は大嫌いである。
 余輩を責むるに狭量を以てする者に告ぐ、君等も確信の人となり、ヒユーマニチーの人となりて来て余輩の友誼を試みよ、余輩は君等に酬ゆるに余輩の有する最も温かき友情を以てすべし、自身俗気紛々、薄志弱行の人でありながら余輩を責むるに狭量を以てする勿れ、余輩は人を容れざるに非ず、骨のなき、信仰のなき、勇気のなき人を容れざるのみ、敢て告ぐ。
 
(243)     新島先生の性格
                          明治40年11月1日
                          『中央公論』224号
                          署名 内村鑑三
 
 新島先生が事業に忠実であつたこと、愛国心が強くして日本を切に思はれたこと、それから基督教に深く帰依して居られたこと等は、何人も異議のないところである、が唯一つ私の疑ふ点は、先生を宗教家と見る事が出来やう乎、其一点である、米国でも逢つたし、日本でも逢つた、先生と私とは相逢つたことは稀だとはせぬが、何時も心霊上の問題となると先生は沈黙を守られた、私の熱信を褒めては呉れられたけれど、自身で深く味はれた心霊上の自証の境界を話されたことはない、一度も無い、先生を尊崇《アドマイア》する人から先生に就いての談話を聞いても、此処ぞ先生が宗教家だといはるべき点が窺はれない。先生の人格の如何は先生の化身と見られる同志社によつて知られやうと思ふ、聖書の中にも「樹はその実によつて知らる」とある、吾人は到底正当に人を解釈することは出来ぬ、只其の人の精神の現れたる事業の結果を見て、それから判断を付けるより他には道がないのである、それ故同志社の結果の如何を見て、遡つて新島先生の何人たるやを知るべきであらう、が同志社の齎らせる結果は如何であるか、之は天下万衆の前に示されて居る当面の事実であるから、敢て私見を此間に挿むまでもなかろう、先づその事実を見るに、同志社が出す人物には宗教家は少ない、満更無いとは言へないが割合に少い、それは宗教を説くもの凡てが宗教家であるとする、左様な標準によるならば談は又達つて来ようが、世には名は政治家で(244)もその実宗教家なるものがあると同じく、名は宗教家でもその実又政治家なるものもある、同志社で出した宗教家には真の宗教家なるものは甚だ少いと思ふ。重ねて約言するならば、新島先生は誠実の士である、愛国者であつた、自己の為したる事業には熱心なる人であつたとは言ひ得るが、宗教家には言ひ兼ぬるといふ事に帰着する、日蓮とか親鸞とか蓮如とかいふ性格ではなかつた、又ルーテルとかサボナローラとかフランシスとかいふ人物でもなかつた、丸でその質を異にして居られたやうに思はる、然し斯うは言ふものの、或は私が先生に対して接近の度が少くて、遂にその真相を窮めることの出来なかつたのかも知れぬ。西洋の諺にも、「故人に対しては善い事の他何も言ふな」とある、それ故これ以上の品隲は私の憚るところである。
 
(245)     〔自捐の秘訣 他〕
                     明治40年11月10日
                     『聖書之研究』93号「所感」
                     署名なし
 
    自捐の秘訣
 
 捐てよ、然らば得べし、死せよ、然らば生くべし、虚しかれよ、然らば充たさるべし、得んと欲して失ひ、生きんと欲して死し、充たされんと欲して常に空し、人生成功の秘訣は自捐にあり、我等は小なる自己を捐て大なる神を得べきなり。
 
    合離のキリスト
 
 我れキリストを感じて神の恩恵を蒙ることあり、我れキリストを感ぜずして直に神の恩寵に与かることあり、我れ時に思ふ、神に愛せらるゝに我に必しもキリストの要あるなしと、然れども否らざる也、我れキリストを感ずる時はキリストが神に代て我に臨み給ふ時なり、我れ彼を感ぜざる時は彼が我に代て我がために神に執成《とりな》し給ふ時なり、キリストは善き友人なり、彼は我に臨む時も我を離るゝ時も我がために働らき給ふ。
 
(246)    キリストの批評
 
 我はキリストに審判かるべき者にしてキリストを審判くべき者に非ず、我れキリストを審判かんとする時に彼は我が衷よりそのすべての恩恵を撤去し給ふ、批評するは審判くなり、我れキリストに対して批評家の態度に出て我は彼より何の善きものをも獲る能はざる也。
 
    父の顔《かんばせ》
 
 善の我に臨む時に我は神が我を嘉し給ふを感ず、悪の我に迫る時に我は神が我を怒り給ふを覚ゆ、我に取りては我が境遇は碑の聖旨の反映なり、我は我が父の顔を窺ふの心を以て我が身上の変化を見るなり。
 
    我と労働者
 
 我れ労働者を使ふにあらず、我は彼と共に働らくなり、我れ彼に給金を払ふにあらず、我が充《じう》を以て彼の欠を補ふなり、我と彼とは兄弟なり、我等は互に相援けて地の改良を計るなり。
 
    悪人の殲滅
 
 世に悪人は多からず、然れども少数の悪人はすべての悪事を為すなり、陸軍と海軍とは彼等に備ふるためなり、政治と法律とは彼等を取締るためなり、視よ、微《わづ》かの火如何に大なる林を燃すを、視よ一人の悪人、如何に大な(247)る悪事を為すを、家庭は其覆へす所となり、社会は其便す所となり、国家は其滅す所となる、彼は争乱の孵化者なり、怨恨の醸造者なり、斉家の途は彼を除くにあり、治国の途も亦之に外ならず、キリストの世に臨み給ひしも亦悪鬼を喪《ほろぼ》さんためなりし也。雅各書三章五節。路加伝四章三十四節。
 
    負けるは勝つ
 
 喧嘩して勝つた其当時の心持は甚だ善いものである、然かし其後の心持は甚だ悪いものである、其後の心持より言へば負けた心持は勝つた心持よりも遙かに善い 誠に負けるは勝つで勝つは負けるである、負けて人格は昇り、信仰は進む、人に負けるのは神に勝つのである、忍んで人に負ける時に神の慈恵の門戸は開かる、我等は人に撃たれて神の懐に入るべきである。
 
(248)     移転前の感
                    明治40年11月10日
                    『聖書之研究』93号「所感」
                    署名 角筈生
 
 余等は数日ならずして余等の住慣れし古き家を去て新たに築かれし家に移らんとす、今や庭園の樹木は抜取られ、垣は毀たれ、四囲の状態は荒敗を極む、而かも余等は些少の悲痛をだも感ぜず、喜悦に満ちて移転の日の一日も早からんことを欲す、是れ抑々何が故ぞ、余等に新らしき家の備えられしが故に、古き家の敗頽に意を留めざるに因るにあらずや。
 基督者が死に臨んで悲まざるも亦此類の感ならずんばあらず、彼は新き体の彼のために備えられしを知るが故に古き体の敗壊を見て悲まざるなり、
 我儕是を知る、我儕が地に在る幕屋若し壊れなば神の賜ふ所の家屋天にあり、手にて造らざる窮りなく保つ所の家屋なり(哥林多後書六章一節)、
 死する前の感は移転前の感ならざるべからず、福なる哉、主に在りて眠る者は。
 (移転前三日角筈に於て認む、因に曰ふ、角筈生は今後蜀江生と改名すべし)。
 
(249)     主祷の一節
                     明治40年11月10日
                     『聖書之研究』93号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
  我儕を試探《こゝろみ》に遇はせず、悪より救出し給へ、国と権《ちから》と栄は窮りなく爾の有なれば也、アメン(馬太伝六章十三節)。
 是れは有名なる主の祈祷の終りの一節である、我等が日常繰返す言葉であるが、其明白なる意味は大抵の人の知らない所である、且つ其れは容易いものではない。
  我儕を試探に遇はせず
 是れは抑も何う云ふ事であらふ乎、試探は我儕に来るべき者ではない乎、
試探は主キリストにも来たではない乎、試探に遇はない基督者とては一人もない筈ではない乎、故に使徒ヤコブは云ふて居るではない乎「兄弟よ、若し汝等各様の試誘《こゝろみ》に遇はゞ之を喜ぶべき事とすべし」と(雅各書一章二節)、又キリストは「礙《つまづ》く事は必ず来らん」と云はれたではない乎(馬太伝十八章七節)、是等の事実に由て見るも我儕を試探に遇はし給ふ勿れとは全く無益の祈祷ではない乎、主は何故に斯かる無益の祈祷を其祈祷の中に加へられたのである乎、是れ第一に起る疑問である。
 此疑問に答ふる前に究め置くべき問題がある、其れは試探とは何んである乎、其事である、試探と訳されし原(250)語は一つであるが、不幸にして其訳語は様々である、「試探」と云ひ、「惑ひ」と云ひ、「試惑」と云ひ、「試誘」と云ふ、然し其原語は一つであるのである、是れは甚だ紛らはしい事である、故に其中の何れか一つに定めて仕舞う方が可いと思ふ、是を其中の何れに定めるも差したる違はない、何故となれば其中何れの辞に訳するも「こゝろみ」の何たる乎を充分に示すことは出来ないからである、故に仮りに之を試誘と訳することに為さう、爾うして聖書に所謂る試誘とは如何なるものである乎に就て語らふ、文字の如何は左程大切なる問題ではない、其意義は何んである乎、是れを知ることが最も大切である。
 試誘の何たる乎を知るに最も確かなる材料は馬太伝四章の一節より十一節迄に於てある、此処に模範的試誘とも称すべきものが示されてあるのである、是れはキリストが遇はれし試誘であつて、亦我等彼を信ずる者の各自の遇ふべき試誘の標本である、爾うしてその信仰の試であり、情慾の誘《いざなひ》であつた事は確かである、悪魔はキリストの情念に訴へて彼を信仰の頂上より引下さんとしたのである、然しながら深くキリストの野の試誘の性質を考へて見ると試誘は「こゝろみ」又は「いざない」に止まらなかつたのである、野の試誘はキリストの伝道の首途に於て彼の救済の事業を破壊せんとする悪魔の手段であつたのである、試誘は試誘に止まらない、破壊であつたのである、悪魔は茲に最も陰険なる手段を以てキリスト降世の目的を其根本より覆へさんとしたのである。
 斯くて試誘なる辞に反抗、破壊の意義を加へて読まなければ聖書に幾回となく使はれて有る此辞の意味は解らない、使徒行伝十五章十節に「何故我等の先祖等も我等も負ひ能はざる軛を弟子等の頸につけて神を試むる乎」とあるは「神の聖旨に逆ふ乎」との意である、又哥林多前書十章九節に「又彼等の中或者キリストを試みて蛇に滅されたり」とあるは、キリストに逆らひ、其聖意を悩め奉りたりとの意でなくてはならない、「試むる」とは多(251)くの場合に於ては「ためす」と云ふ事ではない、「反逆の意を表す」とか「無視する」とか云ふ事である。
 其次ぎに究むべき問題は「遇ふ」といふ辞の意義である、「遇ふ」とは単に「遭遇」の意ではない、「遇ふ」とは至て軽い辞である、馬太伝二十六章の四十一節に同じ辞が(「試探」と関聯して)「惑に入らぬやう」と訳してある、「入る」と云ふ方が「遇ふ」と云ふよりも稍や深くある、又バプテスト教会訳の聖書には主の祈祷の此一節を英訳に傚ひ「我儕を試誘に導かず」と訳してある、「導く」と云ふは「遇ふ」と云ふよりも遙かに明確である、我等は試誘に遇はざるを得ない、然れども遇ふとも其中に入らない事は出来る、試誘に遇ふと、之に導かれて其中に入るとは全く別事である、我儕を試誘に導き給ふ勿れとは意味のない祈祷ではない。
 然しながら単に「入れず」又は「導かず」の意義であらふ乎、希臘語の eisphero の意味は多分是れ以上ではあるまい、然しながら我等は単に字典の供する意義に由て此重大なる辞の意義を定むべきであらふ乎、我等は「試誘」の場合に於ての如く、此辞の場合に於ても基督者の実験を以て字義の不足を補ふべきではあるまい乎、「試誘に遇はせず」とは「試誘に呑まれず」との意でなくてはならない、其持去る所とならず、其の捕虜となる事なくとの意でなくてはならない、詩篇第十九篇十三節にある
  願くは爾の僕を引止めて故意なる罪を犯さしめず、それを我が主たらしめ給ふ勿れ
との言辞が主祷の此一句の最も善き註解であると思ふ、「試誘を我主たらしめ給ふ勿れ」と解して其解釈に間然する所はないと思ふ。
 「我儕を試誘に遇はせず」と云ふ、我等は試誘に遇はざるを得ない、又愛なる神が我等を試誘に遇はし給ふ筈はない、故に「我儕を試誘に遇はせず」と云ふは無益なる無意味なる祈祷である、「我儕をして我儕の信仰を毀(252)たんとし、我儕をして神に逆らはしめんとする悪魔の譎計の持行く所とならしめ給ふ勿れ」と、是れが此短かき祈祷の意義でなくてはならない、希伯来語の簡潔なる、是を冗漫に失し易き他国の言辞に訳するは随分の困難である、我等は深く希伯来人の心理的実験に入つてのみ能く其言語の意味を解することが出来る。
  悪より拯出し給へ
 是れ亦|容易《やさし》い言辞ではない、「悪」とは悪事である乎、悪其物である乎、悪者即ち悪魔である乎、先づ其事を究めなければならない、爾うして文法的に攻究すれば三者何れにも之を解することが出来る、路加伝六章四十五節にある「善人は心の書庫《よきくら》より善を出し、悪人は其悪庫より悪を出す」とあるは確かに悪事を指して云ふたのである、又羅馬書十二章九節に「悪は悪み善は親み」とあるのも同じことである、然しながら馬太伝十三章十九節にキリストの言辞として記してある「天国の教を聞て悟らざれば悪鬼来りて其心に播れたる種を奪ふ」とあり、又同三十八節に「稗子《からすむぎ》は悪魔の子等なり」とあるは主の祈祷の中にある「悪」なる辞を「悪鬼」又は「悪魔」と訳したのである、故に「悪より拯出し給へ」との言辞を「悪者」即ち悪魔より拯出し給へと解するのは決して聖書に依る所のない解釈ではない、実に新約聖書の註解者として第一等の地位を占むるベンゲル氏の如きは之を「悪者」即ち「悪魔」と解して居る(英訳 Gnomon 第百九十二頁を見よ)、又ネツスル氏編纂希臘語聖書にも引照は凡て此辞を「悪者」と解して読むべき章節に対して附してある、又聖書全体の思考の傾向より稽ふるも之を「悪者」と解するの適当なるを見る、聖書に由れば悪とは抽象的に悪魔を離れて存在する者ではない、悪とは悪魔の行為であつて、悪魔より拯はるゝより他に悪より拯はるゝ途はない、悪魔は根本であつて悪は枝葉である、悪の源は悪魔に於て存して居るのである、故に悪魔より拯はれんと欲するの祈願は悪より拯はれんとするよりも(253)遙かに深い祈願である。
 「拯出す」とは何である乎、「拯出す」とは「索出《ひきいだ》す」の意であつて、敵の手中より拯出すことである、帖撒羅尼迦後書三章二節に「我儕をして邪まなる悪人より救はるゝことを得しめよ」とあるは此言辞である、羅馬書十一章廿節に「救者《すくひて》はシオンより出てヤコブの不虔を取除かん」とあるは此意味に於ての救者である、若し救者の例を挙げんとすれば其第一はモーセである、彼はエジプト人の手よりイスラエルの民を拯出した者である、其第二はヨシユアである、彼はモーセの救済即ち拯出の業を全うした者である、其第三はギデオンである、彼はミデアン人の手よりイスラエルの子等を救出した者である、其他の士師も亦すべて此意味に於ての民の救者であつた、「ヱホバ誰々を以て何々人の手よりイスラエルの民を救ひ出し給へり」とは士師記々者の套語である、是に由て観れば拯出すとは或る敵の手より人を救出すことであることが判かる。
 故に「悪より拯出し給へ」とは「悪魔の手より救出し給へ」との祈願である、悪魔は我等を擒にし、我等を縛りあれば、其束縛より我等を釈放ち給へとの祈願である、爾うして是れが我等に取り最も重要なる祈願であるは云ふまでもない、悪魔は我等を衷に於て縛り又外に於て縛る者である、我等に悪意を提供し、悪行を勤むる者である、人はすべて悪魔に憑かれたる者であつて、彼が教主を要するは彼れ悪魔より拯出されんがためである、恐るべきは罪ではない、罪の案出者なる悪魔である 除くべきは悪ではない、悪の根源なる悪魔である、悪魔より拯出さるゝにあらざれば我等は悪より拯出されたのではない、キリストは其弟子等に「我儕を悪魔より拯出し給へ」と祈れと教へ給ひて、彼は我等人類の最も切なる祈願を示されたのである。
 「我儕を試誘に陥らしめず、悪魔より拯出し給へ」と、然し原語の聖書に於ては二句の間に alla なる接続詞が(254)加へてある、日本訳には除いてあるが然し是れは看過すべからざる詞である、是を此場合に於ては「更らに進んで」と訳すが当然であらふと思ふ、「我儕を試誘に陥らしめ給はざるに止まらず、更らに進んで我等を悪魔の手より拯出し給へ」と、「試誘に陥らしめ給はず」とは此祈願の消極的半面であつて、「悪魔の手より救出し給へ」とは其積極的半面である、悪を避くるにては足らない、之を根本的に絶つべきである、キリストの此祈祷の一言に悪に関するすべての祈願が含まれてある。
 序に言ふて置くが、馬太伝五章三十七節に「汝等たゞ是々《しかり/\》、否々と云へ、此より過るは悪より出るなり」とあるは同じく「悪魔より出るなり」と読むべきである、悪魔は弐心者《ふたこゝろのもの》である、曖昧模糊は彼の特性である、彼は何事に関しても是々否々とは断言しない、我等は事を曖昧に附して悪魔の味方を為すのである。
  国と権と栄は窮りなく爾の有なれば也。
 是れ亦解するに随分難い言辞である、斯かる称讃の辞を祈祷の終に附するの必要があるであらふ乎、此一句に就ては聖書学者の中に種々《さま/”\》の議論がある。
 多くの聖書学者は此一句を全然除いて居る、有名なるウエストコツト、ホルト両氏の編纂に成る希臘話聖書には此一句は除いてある、バプテスト教会訳日本文聖書にも是れは除いてある、路加伝十一章に伝へられたる主の祈祷の中にも此句は記されてない、是れ或ひは後世の編纂者が加へた者である乎も知れない、然し至て古い頃より此句が伝つて居つた事は確かである、故に今日之はキリストの言辞でないと断言することは出来ない、或ひはキリストの言辞であつたかも知れない、然し疑はしい。
 然し若しキリストの言葉であつたとすれば、其意味は何う云ふ事であらふ乎、或ひは又極めて早い頃の信者が(255)之を加へたのであるとすれば彼等は何の意味を以て之を加へたのであらふ乎、何れにするも我等は今日主の祈祷を唱へるに方て此一句をも唱へるのは事実である、我等は如何なる意味を以て之を唱へるのであらふ乎。
 普通の解釈に依れば是れは主祷全体に附すべき頌歌であるとのことである、基督者の実験に於ては祈祷と讃美とは区別し難い者であるから、祈祷の終に讃美の附くのは無理ならぬ事である、然し解し難いのは「なれば也」の結辞である、若し「なれば也」と結んであれば「そは」を以て始まるのが当然である、「そは国と権と栄は云々」と、然し「そは」とは理由を示す辞であつて、其後に来る文字は其前にありし文字の理由を示す者でなければならない、
  我儕を試誘に陥らしめ給はず、更らに進んで悪魔より我等を救出し給へ、其故如何となれば国と権と栄は窮りなく爾の有なれば也
と、斯う成るべきである、而して爾う見れば「国と権と栄は云々」は主祷全体に関聯して読むべきではなくして、特に試誘と悪魔とに関する祈願の理由として解すべきであることが判明る、我儕は神に向て何故に悪魔の手より我儕を救出し給へと祈るか、如何となれば神は無限の能力を自身に備へ給ふ者にして、彼のみ能く人類の強敵なる悪魔を征服し得れば也と、是が此祈願の意義でなくてはならない。
 爾うして我等悪魔との経験を有する者は此祈祷の能力を充分に感ずるのである、悪魔は悪むべき者であると同時に非常に強い者である、我等何人も悪魔に対しては対等の敵ではない、ルーテルの歌に「夫の古へよりの悪しき者は、今は猛威を悉くして立てり、政権を以て装ひ、邪曲の計を旋らす、世に彼に当る者なし」とあるは善く悪魔の本性を表はした言である、キリストも亦悪魔が彼の当の敵であることを示されて居る、彼が「勇士を先づ(256)縛らざれば如何で其家に入り、其家具を奪ふことを得んや、彼を縛りて後に其家を奪ふべし」と言はれたのは彼と悪魔との関係に就て言はれたのである(馬太伝十二章二十九節)、又「子若し汝等に自由を与へなば汝等誠に自由を得べし」との言も此辺の消息を伝へられた者であると思ふ(約翰伝八章三十六節)、キリストが此世に降られたのは所謂る蛇の首を挫かんためである。
 茲に於て主の祈祷の末節の意味が明白になつて来るのである、最後に来るべき天国と、之を建設するの力と、之を完成するの栄光とを具へ給ふ神なれば、彼は能く我等を悪魔の手より拯出し給ふべしとのことである、ルーテルの讃美歌の第二節が能く此意を顕はして居る、
  若し我等の力に頼らば、我等は直に失はれむ、然れど一人の聖き者の我等のために戦ふあり。彼れ何人と尋ぬる乎、イエスキリスト其人なり、万軍の神に在して、彼の他に神あるなし、彼、我等と共に戦ふ。(『愛吟』より)
 今、聖書とルーテルとの言葉を離れて、我等の生涯の実験に照らして見て、主の教へ給ひし此祈祷の我等に取り最も切なる祈願であることが判かる、我等は自身の計略奮励を以てして到底悪魔に勝つことの出来ないことを知る、悪魔は政権を以てし、腕力、金力を以て我等に臨むばかりではない 彼は時と場合に由ては宗教を似てし、道徳を以てし、然り、時には信仰を以て我等に迫る、 等聖書の言葉を引いて自から守らんとすれば彼も亦聖書の言葉を引いて我等に当る、我等若し道念に訴ふれば彼も亦道念に拠て我等を苦める、彼は時には忠孝道徳の背後《うしろ》に隠れ、又正統教会の信仰個条を楯に取りて詰責の矢を我等に向て放つ、実に「世に彼に当る者なし」である、彼は知慧に富み、計策に富み、文を能し、言語に巧である、ヤンネとヤンブルがモーセに敵《さから》ひしやうにすべ(257)ての知識と道徳とを弄して我等に敵ふ(提摩太後書三章八節)。
 爾うして悪魔の強き所以は彼れ自身の強きにのみ因らない、此世はすべて悪魔の味方である、基督者の言と云へば何にも耳を傾けない此世と此世の教会とは悪魔の言とあれば喜んで之を聴かんとする、悪魔は決して単独で我等を攻めない、必ず世を煽動して之をして我等を攻めしむ、爾うして此世は喜んで彼の使役に応ずる、悪魔は此世全体を提《ひつさ》げて我等に臨む。
 人、誰か此敵に勝ち得んやである、彼は時には神学者となりて教会に跋扈する、聖人君子となりて此世を使揮する、骨肉の兄弟となりて我等の身に迫る、悪魔は悪しき霊としてのみ存在しない、智と情との人と成りて我等の間に棲息する、世に所謂る悪漢なるものは多くは此類である、彼等は世に畏れられながら自由に悪事を遂行する。
 人、誰か此敵に勝ち得んや、法律に由るも、道徳に由るも、宗教に由るも、彼を征服することは出来ない、彼は誠に斯世の主である(約翰伝十二章三十一節)、斯世の中に彼に勝つの力はない。
 然かし神は彼に勝つ者を世に遣《おく》り給ふた、彼は国と権と栄とを保有し給ふ者であつて、彼而已は能く斯世の主なる悪魔に勝つことが出来る、我等は彼に頼て我等の大敵に勝つことが出来る、大能者は此世に臨み給ふた、彼而已は悪魔以上の能力と知慧とを具へ給ふ、彼は容易く我等を拯出し給ふ。
 茲に於て馬太伝五章三十九節にある「悪に敵する勿れ」とのキリストの訓誡の意義が一層明瞭に成るのである、「悪」とは勿論悪者即ち悪魔である、爾うして我等は彼に敵対すべからずとの事である、「悪魔に敵する勿れ、そは爾は彼に勝つ能はざれば也、悪魔は之を爾の神に委ねよ、爾は悪魔に悪を為さしめて彼の滅亡を待てよ」と、(258)是れが此訓誡の精神であると思ふ、悪魔に敵するは善き政策でないのみならず、是れ不可能事である、人は何人も全力を振ふて悪魔に勝つことは出来ない、彼は主イエスが其の口の気を以て滅すべき者である(帖撒羅尼迦後書二章八節)。
 我等を試誘に陥らしめず、更らに進んで悪魔より救出し給へ、そは国も権も栄も爾の有なれば也。アメン、実にアメン、我等は日々の悪魔との戦闘に於て絶えず此祈願の声を放たざるを得ない。
 
(259)     花巻座談
                     明治40年11月10日
                     『聖書之研究』93号「談話」
                     署名 内村生
 
 去る十月十一日思はざるに陸中花巻に至るを得たり、翌十二日の夜、其地に在る十数名の教友余を取囲み、余に多くの質問を試みたり、余は高壇に立て演説を為すに非ずして、親友と膝を交へて語ることなれば余の心の門戸は開かれ、思はざるに余の信仰の秘密を語りたり、此一篇は其一節なり、全国の誌友がかの小なる一室に集はれしと仮定して茲に是を掲ぐることゝ做せり。
 
     永生
 
 同、先生、永生とは何う云ふ事であります乎。
 答、爾うであります、永生と云へば何人でも読んで字の如く永い生命であると思ひます、故に永生の字に「かぎりなきいのち」と訓してあります、然しながら聖書で云ふ永生、殊にヨハネが云ふ永生は果して永い生命である乎、是れ考究すべき問題であります。
 聖書の原語で云ふ永生とは必しも「永い生命」と解するを要しません、永生と訳されし希臘語は之れは時と関係のない生命であります、即ち肉体の生命の如く時と共に変化せざる生命であります、哥林多前書十五章パウロ(260)の復活論の中に霊と血気との区別がしてありますが、永生とは霊と云ふと同じで血気即ち肉体の生命に対して云ふたものであると思ひます、必しも永いのが貴い生命ではありません、高い聖いのが貴いのであります、長い布の帯は短い繻珍の帯に及びません、其如く如何に永いとて意味のない、目的の低い生命は決して貴いものではありません、キリストが我等に与へ給ふ貴い生命を永生と訳したのは最も不幸であると思ひます、支那人の教にも夕に道を聴て朝に死すとも可なりと云ふことがあります、善き道を聞けば其日の中に死んで了つても可いとのことであります、実に高い且つ勇ましい心立ではありません乎、然るに基督信者は唯永い永い何時までも消へない生命を得んとて喘ぐのでありませう乎、若し爾うならば基督信者は支那の道徳家に劣ると思ひます、私一個人の経験に於きましても私が神より新たの真理に接した時に、此真理に接したれば今此時に死んで了つても可いと思ふた事があります、神の真理に一分時間接すれば人生の苦痛はすべて償はれるのであります、真理とは斯くも貴いものであります、必しも生命の永きを要求しません、其高くして聖きを要求します、キリストのやうな生涯を一日送ることが出来ればそれで此世に生れて来た甲斐が充分にあると思ひます、私は世間普通の基督信者が永生々々と云ひて唯|単《ひた》すらに永く生きんとのみ欲するを見て彼等のために甚だ歎く者であります、キリストの与へ給ふ生命は聖いのみならず、永久に続く者でありませう、然し其永いのは我等の注意すべき事ではありません、其高い事、其秋の空天《そら》の如くに清いこと、其事が此生命の殊に貴い理由であります、我等は唯死にたくないと云ひて永い生命をのみ望んではなりません、私の永生の解は是れでありませす。
 
(261)    盗賊の慰藉
 
 問、先生、路加伝廿三章四十三節にあるキリストが其の側に在りて同じく十字架に釘けられし盗人の一人に語られし辞の意味《わけ》を語つて下さい、「今日、汝は我と偕に楽園《パラダイス》に在るべし」とは何う云ふことであります乎。
 答、爾うであります、是れは随分六ケ敷い問題であります、キリストの此御言葉に由て多くの神学説が立てられました、或ひは「今日」とあるから人は死すと即時に天国に入る者であるとか、或ひは「楽園」とあれば天国は或る一定の場所であるとか、或ひは天国はキリストの再臨と同時に建設せらるべき者であれば、楽園とは其時までの死せる善人の一時の休息所であるとか、主の死際の此一言が多くの神学者の頭脳を悩ます原因となつたとは実に不思議であります。
 然しながら是れキリストの情性を考へないから来る誤想の結果であると思ひます、キリストは死に際して神学説を唱へられたのではありません、キリストは人でありました、爾うして今茲に罪を悔ひし一人の罪人を慰めんとせられたのであります、此罪人は多分無智無学の人であつたのでありませう、彼は勿論神学を解せず、キリストの天国の福音すら曾て聞いたことの無い者でありましたらふ、彼は唯当時の平人の一人として死後に楽園の在ることを微に聞いて居つたのでありませう、爾うして此無智の者を慰むるに方てキリストは御自身の理想又は信仰を語られずして、平人の解し得る言を以て平人の心を慰め給ふたのであると思ひます、今やキリストに取りても盗賊に取りても気息の将さに絶えんとする間際であります、其時イエスは子供を慰むるに子供の言葉を以てせられたのであります、イエスは悔ひたる罪人に曰はれました、「我は汝の改悔を聞いて甚だ喜ぶ、慰めよ、汝が聞(262)きし如く、汝は死する今日、我と偕に楽圍に在るべし」と、此聖言を聞きし盗賊は如何ばかり悦びましたらふ、彼には死の苦痛は無かつたでありませう。
 キリストは勿論斯く云ひて悔ひたる罪人を騙し給ふたのではありません、キリストの此言葉の中に深い意味が含まれてあります、罪人は誠にキリストと偕に其日楽園に在つたのであります、実に彼が罪を悔ひた其即刻彼は既にキリストと偕に楽園に在つたのであります、神の真理を遺漏なく説悉すことの出来る人間の言葉とてはありません、我等の言葉は神の眼より見れば何れも皆な赤児の言葉であります、即ち表号にほか過ぎません、キリストは此場合に於ては彼の天国の福音を無智の罪人の言辞に訳されたのであります。
 新約聖書中に「楽園《パラダイス》」の文字が使つてある所は此所の外に哥林多後書十二章四節と黙示録二章十七節であります、何れも後世の人が使つたのでありまして、キリストが此辞を使はれたのは唯此所ばかりであります、彼は天国に就て語られました、神の国に就て述べられました、然し「楽園」に就ては述べられませんでした、彼は多分故らに此辞を避けられたであらふと思ひます、丁度今日我等が日本に於て「極楽」と云ふが如くでありまして、是れに多くの物質的の意味が着いて居りまして、キリストの純然たる霊の世界を表明はすには最も不適当なる辞であつたらふと思ひます、然しながら今は言辞の撰択の場合ではありません、今や一人の霊魂が罪を悔ひて死なんとする場合であります、其時イエスは死者に天国の奥義を説聞かせんとは為し給ひませんでした、彼は今は信仰の赤児《あかご》に赤児の言辞を以て語られたのであります、斯く為すは当然であります、真情の然からしむる所であります、人なるイエスは斯かる場合に於て神学者の態度を取られて、十字架の上より説教せんとは為られませんでした。
(263) 此事たる又我等キリストの弟子たる者に多くの貴い教訓を与ふるではありません乎、我等も亦或る時は異教信者の死の枕辺に招ばるゝではありません乎、爾うして其時我等の或者は「極楽」を語り、「高天原」を口にするを大なる罪悪である乎の如くに感じ、厚かましくも外国宣教師か又は彼等に雇はるゝ牧師伝道師に傚ひて基督教の教義を説かんとするではありません乎、爾うして斯かる偽善者の態度に出て我等は神のために何にか大なる善事でも為したやうに信ずるではありません乎、然しながら是は人類の友なるイエスキリストの精神ではありません、仏教徒の死際に極楽を語て彼を慰むるは決して罪ではありせん、天国と云はずして高天原と云ひたればとて場合に由りては少しも悪るくありません、人の真情は聖いものであります、我等は其要求には躊躇なく応ずべきであります。
 畢竟するに、十字架の上に於けるキリストの盗賊慰藉の御言葉は彼の御真情を能く我等に示すものであります、我等は聖ルカが此御言葉を彼の筆に留めて置いたことに就て深く彼に感謝しなければなりません、私はキリストのヒユーマニチー(人道感)を深く探れば探る程、彼の神なることを覚ります。
 
(264)     宗教の必要
        附たり、其伝道法
                     明治40年11月10日
                     『聖書之研究』93号「談話」
                     署名 内村鑑三
 
  盛岡又は宇都宮に於て少数の聴衆に語りし所のものゝ大要なり。
 
  イエス曰ひけるは、誠に実に汝等に告げん、若し人の子の肉を食はず其血を飲まざれば汝等に生命なし、我肉を食ひ我血を飲む者は永生あり、我れ末の日に之を甦へらすべし、夫れ我肉は誠の食物、又我血は誠の飲物なり(約翰伝六章五十三−五十五節)。
 宗教は果して人生に必要である乎、世に宗教のあるのは事実である、宗教の無い国民とてあるなく、又宗教の無い人とて無い筈である、然し世には宗教の必要を認めない人が沢山居る、実業の必要、経済の必要、政治の必要、学術の必要を認めない者はないが、宗教となると其必要を認める者は至て少ない、故福沢諭吉氏の如く宗教は愚民を導くに有用である、婦女子と小児とを教ゆるに便利である、然かし智者(多分自己を指して云はれたのであらふ)には必要はない、智者は宗教を省いても宜いと言ふ人は此世に沢山居る、殊に此日本国に沢山居る。
 然し事実は果して爾うである乎、宗教とは政治経済とは異なり或る種の人にのみ必要の者である乎、是れ吾人(265)の攻究を要する問題である。
 世には学問は必要でないと云ふ人がある、人の必要物といへば、それは衣食住であると言ふ人がある、彼等は是れあれば人生のすべてが足ると言ふ、爾うして彼等の勢力のすべては之を得るために消費せられる、富足て徳足ると彼等は云ふ、衣食足て礼節を知るとは彼等の套語である、然かし少しく事理を解する人の眼から見れば、斯かる人は極く浅薄なる人である、人はパンのみを以て生くる者ではない、人には哲学も要る、詩歌も要る、美術も要る、智識は決して人間の贅沢品ではない、必要物である、人に食物を消化すための胃の腑のあるやうに、真理を受くるための心《マインド》がある、人は食物の欠乏に由て飢ゆるやうに又智識の欠乏に由て飢ゆる者である、智識は確かに一種の食物である、更らに高尚なる、随て更らに必要なる食物である。
 然かし人は智識を以てしても未だ足りる者ではない、彼には又智識以上の要求がある、彼は一種の永久性を具ふる者であつて、此性も亦食慾智能同様に充たされんことを要求する、此要求たる智者愚者の差別はない、人たる者には何人にも必ず此要求がある、人は学問に上達すればそれで他に求むべき物なきに至ると云ふ人は未だ学問の何たる乎を知らない者である、学問は人を満足させる者ではない、学問の特性は人をして益々自己の無学を感ぜしむるにある、若し幸福の一点より云へば無学の人は学者よりも遙かに幸福である、ニユートンの如き大学者ですら自己の無学を歎じて止まなかつた、哲学者スペンサーの如きですら人は智識のみを以て足る者ではないと言ひて宗教の必要を認めた、全然無宗教の学者とてはない、若しあるとすれば心に大なる欠乏を感ずる人である、学理の追窮に余義なくせられて止むを得ず宗教の不必要を唱ふる者である。
 「但し人の衷には霊あり、全能者の気息《いき》人に聡明《さとり》を与ふ」と(約百記三十二章八節)、是れは心理学上の事実で(266)ある、人には何人にも霊なる器能がある、「是れは神の気息」即ち永久者の霊を以てのみ充たさるべき者である、恰かも食を受くるための胃の腑があり、智識を受くるための心《マインド》があるやうに、全能者の霊を受くるための霊魂がある、人の此霊性即ち宗教性を称して近世の心理学者は自覚而下的自我《サブコンシヤスセルフ》と云ふ、感能智能以下の自我、自我たるを識ると雖も求めて自覚する能はざる自我、自我の最も深き所、所謂る深淵が深淵に応ふる所、自我が永久者と接触する所、自我の大洋の下層流、個人の自我が宇宙の自我と繋がる所……斯かる領分が人の衷にある、爾うして宗教とは此深き領分を養ひ且つ充たすことである。
 茲に於てか前に掲げし聖書の言葉の意味が稍や少しく解かるのである、キリストの血と其肉とは人の宗教性を養ふための唯一の飲物又食物である、此事は彼を味ひし者の何人も善く知る所である、是れは迷信ではない実験である、常識に富み智識に富む所の人も事実として認めざるを得ないものである。
 茲に於てか人に宗教の必要なることが判明かるのである、彼の食慾に応ずるために食物は必要である、彼の心を養ふために智識は必要である 彼の宗教性=自覚而下的自我=を充たすために宗教は必要である、世に食慾の無い人は無いやうに宗教性のない者はない、爾うして人は食物の欠乏に由て飢餓を感ずるやうに宗教の欠乏に由て饑渇を感ずる、宗教的饑渇、普通之を称して寂寥と云ふ、かの心の奥底に於て感ずる無限の寂寥、是れが宗教的営養不足の最も明白なる兆候である、希侶来の詩人は歌ふて曰ふた、
  あゝ神よ、鹿の渓水を慕ひ喘ぐが如く
  我が霊魂は爾を慕ひ喘ぐなり
と、是れ人の真情である、渇ひたる鹿が渓水を慕ふが如くに、人はすべて其心の深き所に於て神を慕ひつゝある、(267)或人は唯我慢して此切なる要求を外に発せざるまでゞある、我は無宗教なりと誇る人も深所に於ては確かに神を求めつゝある、米国の詩人ワルト、ホイツトマンは曰ふた
  余は確かに識る、余の大なる僚友の存することを
と、「大なる僚友」のあるを知らざる人は最も憐れなる者である。
 宗教の無い人は脚荷《バラスト》の無い船のやうな者である、其底が軽い故に甚だ転覆し易い、宗教の無い人は又|挿花《いけばな》のやうな者である、今は咲き誇るも根なきが故に早く枯れる者である、人は彼の深き所に神を貯へて永久の重量《おもみ》を自己《おのれ》に附すべきである、彼は又根を宇宙の本源にまで拡げて永久の生命を吸取るべきである、宗教は有限の人に無限の性を供する者である。
 是れが宗教である、宗教とは寺院では無い、教会でもない、規則でもない、儀式でもない、又経文でもない 聖書でもない、宗教とは永久的生命である、或ひは此生命を自己に摂ることである、此生命と其摂取がなくして宗教はない。
 宗教が是れであるとすれば――是でなくてはならない――伝道の何たる乎は明白である、伝道は単に道を説くことではない、説教是れ伝道なりと思ふ世間普通の宗教家は宗教の「いろは」をも知らない者である、伝道とは教勢拡張ではない、社会改良ではない、国家救済ではない、洗礼ではない、晩餐式ではない、伝道とは――其文字が甚だ人を誤り易い――霊的生命を他に供する事である、其の自覚而下的自我を養ふ事である、宗教とは政治、経済、医術と同じく明白なる目的を有つたる明白なる事業である、是れはと単に歌と弁舌とを以てする老若男女の慰安術ではない、是れは曖昧模糊を本領とする夢想家の囈《たわ》言ではない、是れは実物を以て実要に応ずる確実な(268)る事業である。
 故に此深い確実なる生命を知らない者は、如何に弁舌に巧みなるも、如何に神学に博く渉るも、如何に政治的技量に長くるも、彼は伝道者たるを得ない。 世に資本なくして商業に従事する者はない、若し有れば彼は山師である、其如く世に宗教的生命なくして伝道に従事する者は無い筈である、若しあれば彼も亦山師である、神を見しこと無き者、神の声を聞きしことなき者、自我の深所に於て常に「宇宙我」の注入を受けつゝない者は、其役僧なると、監督なると、大智識なると、神学博士なるとに関はらず、彼は一先づ伝道を中止すべきである。
 
(269)     余が見たる今の基督教会
                     明治40年11月10日
                     『聖書之研究』93号「雑録」
                     署名 主筆
 
 余も基督教を信じて多少今の基督教会に接せざるを得なかつた、爾うして余の見た所は余り善い事ではない。
 余は多少基督教会を援けたと思ふ、然し教会は余を援けて呉れなかつた、余が基督の聖名のために最も苦しむ時と雖も、教会は余を傍観して居つたばかりでない、種々と余を批評して、余に苦痛を加へた、余はキリストの聖名のために苦しみて世の残酷を悟つたばかりでない、基督教会の無情冷酷を識つた。
 然し教会信者は余を苦しめたばかりではない、相互を苦しめつゝある、彼等が門外漢を攻むるは彼等相互を攻むる余波にほか過ぎない、余の見たる所に依れば教会内にすべての罪悪は行はれて居る、妬忌、争闘、詭譎、刻薄、讒害、毀謗、狎侮、傲慢、譏詐、背約、不情、不慈……パウロが異邦人の罪として算へ立つた罪は其最も激烈なる形に於て今の基督教会内に於て行はれて居る(羅馬書一章)、或る点から云へば今の基督教会ほど恐ろしい所はない、余は不信者の中に在ても所謂る信者より受けたやうな猜疑、讒害を受けたことはない、余が基督教を信じたる最も不幸なる結果は基督信者(教会信者)と交際を結んだことである、爾うして今や彼等と全く相絶つに至つて余は幸福なる生涯に入つた。
 余の知人にして知名の経済学者が曾て余に語つたことがある(彼は薯き基督信者である)、「余は如何に窮する(270)も援助を乞はんとて基督信者の許に走らざるべし、余は援助を乞はんためには不信者の所に行くべし」と、余に取りても同じである、余は今の基督信者に援けられんとして多くの取返し難き恥辱に陥つた、余の兄弟たるべき基督信者は余の最も恐るべき敵である。
 余は亦或る地方の基督信者にして近頃洗礼を受けて教会に入りし者が余に語りしを聞いた、「私は不信者でありました時に多くの激しい争闘を見ました、然し信者になつて教会に入つてから兄弟方(同会員を指して云ふ)が為れるやうな激しい喧嘩を見たことはありません」と、余も亦同じことを言はざるを得ない、余が見たる多くの争闘の中で信者が信者と争ふ争闘、殊に教師が教師と争ふやうな激烈にして醜悪なる争闘を見たことはない。
 又或る老錬の牧師は余に告げて曰ふた、「余は二十五年以上も外国宣教師と接触せしも未だ彼等の中に一人の親友を作らない」と、是れ最も推察すべき表白である、然し事実であると思ふ、爾うして同じ表白を為さなければならない者は彼れ一人に止まらないと思ふ。
 其他今の基督教会に就て余が言ふべきことは沢山ある、然し之を言ふは余の忍びない所である、縦へ余の関係しない所の者なりと雖も同じ基督の名を冠する者に就て其欠点を語るは決して快くない。
 然し余は尚ほ唯一言云ひたく欲ふ、今の基督教会に世才はあらふ、熱心はあらふ、又多少の智識はあらふ、然し愛は無い、其事は明白である、今の教会にキリストの愛があるとは教会信者自身すら言ひ得ない所であると信ずる。
 近頃独逸国ハルレ大学教授にして万国伝道史のオーソリチーとして世界に名高きヴヱルネツク博士は余の著「余は如何にして基督信徒となりし乎」に依て余の名を知り、在本邦の彼の旧弟の一人に言を托して余に言はし(271)めた、「乞ふ内村に言を伝へよ、余は彼の無教会主義に賛成する能はず、然れども基督者としての内村に深き同情を表す」と、此言を受取りし余の名誉は実に譬ふるに物はない、然し余は又余の友人(即ち老博士が言を托せし彼の旧弟)に言を托して博士に答へた、「深く先生の同情を謝す、余は終生先生の高恩を忘れざるべし、然れども先生にして若し日本今日の基督教会の実況を知られん乎、先生は余が無教会信者たるを許され給ふべし」と、余の見る所を以てすれば日本今日の基督教会は使徒時代に於けるコリント教会よりも悪しくある、コリントに於けるが如き粗雑なる罪悪はあるまいが、然しながらそれよりも遙かに深い遙かに上進せる罪悪が行はれて居ると思ふ、外国宣教師に由て基督教が日本に伝へられて最も奇異なる基督教会が世に現はれた、是を如何にして革むべきか、或ひは是れ革むるの価値ある者である乎、是れ基督教全体に係る世界の一大問題であると思ふ。
 主よ、願くは此国に於て爾の聖名を崇めさせ給へ、アーメン。
 
(272)     課題〔16「余は今の基督教会に就て如何に思ふ乎」〕
                     明治40年11月10日
                     『聖書之研究』93号「雑録」
                     署名なし
 
       ――――――――――
 次号課題は左の如し
 基督の降誕と我が運命
 原稿締切十一月三十日
 
(273)     大疑問と其解釈
 
                     明治40年11月10日
                     『聖書之研究』93号「雑録」
                     署名 内村鑑三
 
 余に一つの大疑問がある、宗教(勿論基督教をも含む)は果して悪人を善人と成すを得る乎と、余は基督教を信じて茲に三十年に至るも此問題に対して積極的確答を与ふることが出来ない。
 余は基督教は愛の宗教、公義の宗教であることを知る、然るに基督教を信ずる者の中に、佞姦の人、邪智の人、譎詐の人の多いのは何う云ふ理由である乎、過去千九百年間の教会歴史は光明の歴史であると仝時に暗黒の歴史、陥※[手偏+齊]の歴史、兇穀の歴史、陰謀の歴史であるのは何が故である乎、我等が此世に於て接触する最獰最悪の人は宗教家、然り基督信者ではない乎、最れ抑々何が故に然る乎。
 若し宗教が悪人を善人となす者であるならば、宗教に帰依する者は嫌でも終に善人となるべきではない乎、若し又善人とならない場合に於ても彼等は終に宗教の中に留まり得ずして自から其中より脱出すべき筈ではない乎、然るに悪人は永く宗教に帰依して善人に化せざるのみならず、多くの場合に於て教会又は寺院の中に在て最大の勢力を揮ふ者は悪人である、宗教は悪人を善人に化し得ざるのみならず、彼を其中より放逐することも出来ない、余は甚く此事に迷ふ。
(274) 然し是れ余の疑惑である、余が斯くあらねばならぬと思ふが故に此大疑問が余に起るのである、事実は事実である、宇宙何物も事実を動かすことは出来ない、宗教は必しも悪人を善人と成さない、然り、多くの場合に於ては悪人を更らに悪しき者となす、宗教は吾人の善の増長を援くると仝時に又悪人の悪の増長を促がす、義の太陽は火の太陽と異らない、同一の太陽が蝋は之を溶いて泥は之を固めるやうに、同一の宗教は善人の心は之を和らげ、悪人の心は之を頑にする、是れ天然の法則である、止むを得ない、我等は事実の鞭を蹴ることは出来ない(使徒行伝九章五節)。
 聖書は此事に就て何と云ふて居る乎、其但以理書十二章十節に曰く
  悪者は悪事を行はん、悪者は一人も暁ること無かるべし、然れど頴悟者《さときもの》は暁るべし
と、其提摩太後書三章十三節に曰く
  悪人と人を欺く人は益々悪に進み、人を惑はし亦人に惑はさる
と、又其黙示録二十二章十一節に曰く
  不義者は不義なるまゝにし、汚穢者《きたなきもの》は穢きまゝにし、義者は義なるまゝにし、聖者は聖なるまゝにせよ
と、又悪人が到底悪を絶つ能はざることに就ては預言者ヱレミヤは言ふて居る  エチオピヤ人其|膚《はだげ》を変へ得る乎、豹その斑駁《まだら》を変へ得る乎、若し之を為し得ば悪に慣れたる汝等も善を為し得べし
と(耶利米亜記十三章廿三節)、悪人は終に善人たる能はずとは実に絶望の言ではあるが、然かし止むを得ない、斯く云ふ聖書が悪いのではない、聖書はたゞ人生の悲むべき事実其儘を述べたまでゞある。
(275) 然し或人は云ふであらう、神が其子を遣《おく》り給ふたのは悪人を化して善人と成さんが為めではない乎、キリストは「康強《すこやか》なる者は医者の助を要めず、唯病ある者之を需む」と言ひ給ふたではない乎、又神は預言者イザヤを以て「汝等の罪は緋の如くなるも雪の如く白くなり紅《くれない》の如く赤くとも羊の毛の如くにならん」と言ひ給ふたではない乎(以賽亜書一章十八節)、キリストは特に失はれたる羊を求めんために来られたのではない乎と。
 然し問題は善人、悪人の間題である、善人とは罪を犯さない者との謂ではない、又悪人とは善を知らない者との謂ではない、キリストと偕に十字架に釘けられし盗賊の一人は大罪を犯せるに関はらず善人の性を帯びて居つた者である、「禍なる哉汝等パリサイ人」と幾回となくキリストに罵られしパリサイの人等は神に就き聖書に就ては甚だ通明《あかる》い人であつた、世には悪しき善人があると同時に又善き悪人がある、善悪は人の本質である、是は姶より外に現はれるものではない、是れは或る順路を経て終に発露せらるるものである。 爾うして宗教とは之を其表より見れば善悪発露の手順である、是れは善を善として発露し、悪を悪として発露する者である、宗教に由て善は悪に裹まるゝも終に善として発露し、悪は善を以て飾らるゝも悪として露出する、宗教は写真術に於ける顕像剤の如き者である、是に由て影像は始めて明白に露はれるのである。
 爾うして宗教の優劣は此善悪発露力の強弱に由て定まるのである、善き宗教は著しく此力を有し、悪しき宗教に在ては此力が甚だ微弱である、善き宗教は善人を著しく善となすに加へて、悪人を著しく悪しくなす、之に反して悪しき宗教は善悪を分別する力に甚だ乏しい。
 爾うして基督教の主なる目的は斯の善悪の差別を顕明にするにあると思ふ、キリストが生れて後に其母マリヤに抱かれてエルサレムの聖殿に詣りし時に預言者シメオンは嬰児に就て彼女に語て曰ふた
(276)  此嬰児はイスラエルの多くの人の頽びて且つ興らん事と誹駁《いひさからひ》を受けん其|号《しるし》に立らる、是れ多くの心の念の露はれんため也
と(路加伝二章三十四、五節)、キリストに接して悪人は悪人として顕はれ、吾人は善人として顔はれるのである、キリストが世を鞫き給ふとは此事であると思ふ、我等人類はすべて一たびは彼の台前に立て鞫かれねばならない者である計りではない、彼が世に顕はれ給ひてより裁判は已に始まつたのである、キリストが世に降り給ひて其福音が世界に唱へられてより以来、綿羊と山羊との差別は日々に益々顕明になりつゝあるのである、世の進歩は善の増進に伴ふ悪の減退ではない、善の発達と同時に悪の発達である、義者の途は旭日の如く愈々光輝を増して昼の正午に至ると同時に、悪人と人を欺く者とは益々悪に向て進む、是れが所謂る世の進歩である、進歩ではない、善悪の顕別である、爾うして宗教は、殊に基督教は、この善悪顕別の作用を為すものである。
 世には悪の発達なるものがある、悪にも高い悪と低い悪とがある、低い悪とは好色、酔酒、放蕩などの悪であつて、全く肉慾の悪である、高い悪とは嫉妬、讒謗、陥※[手偏+齊]、佞険等の悪であつて、心霊的の悪である、前者は何人にも悪として分かる、後者は多くの場合に於ては悪として認められないのみならず、反て高徳として受けられる、政治家の野心は愛国心として称揚せられ、宗教家の宗派心は熱心として誉め立てらる、爾うして宗教は低き悪を駆て高き悪となす者である、宗教に由て悪人は禁酒すると同時に傲慢の人となり、節慾すると同時に仇恨娼嫉の人となる、悪の至極の発達は宗教家に於てのみ見ることが出来る、是れ宗教の然らしむる所であつて、又悪人が宗教に接触せし当然の結果であると思ふ。
 然らば誰が善人で誰が悪人である乎。
(277) 人、若しキリストに接して彼の暗き罪を照らされ、堪え難き程までに共苦痛を感じ、彼は永久に滅さるべき者ではあるまい乎と自から疑ふ時に、其人は幸にして沈淪の子でないことを覚るべきである、彼が罪の苦痛を感ずるのは罪が彼を去りつゝあるの兆候ある。
 之に反してキリストに接して、彼に撻れんとせずして彼を用ひんとし、彼に救はれんことを需めずして、彼を以て世を済度せんことを欲し、自己の罪に泣き得ずして、他人の罪をのみ指摘し得るに至る者は、是れ危険なる階級に属する者であつて、我等の注意すべき人物である、畢竟するに、善人は自己を悪人と認むる者であつて、悪人とは自己を善人なりと信ずる者である、(路加伝十八章九節以下十四節までに載せられたるキリストの譬を見るべし)。
 依て知るべし、此世に善人のみの集合体の存在せざる事を、宗教其物が大悪人の巣窟であることを知て、我等は此世の我等の永久の住家でないことを知る、善人のみ能く善人を識る、教会の規則を以てして悪人を省いて善人をのみ納るゝことは出来ない、悪人は教会の中に多く在る、然り聖書の言に照らして見ても最大の悪人は基督信者として存在することが解かる、所謂アンチキリスト(「キリストに敵する者」と訳さる、約翰第一書二章十八節を見よ)とは公然とキリストに敵する者ではない、アンチキリストとはキリストを真似る者である、故に聖ヨハネは彼を「惑に誘ふ者」と称して居る(仝二章七節)、キリストに似て非なる者、是れがキリストの大敵である、故に彼は基督教会外に立つ者ではない、彼は世が見て以て立派なる基督信者と見做す者である。
 
(278)     〔クリスマスの朝 他〕
                     明治40年12月10日
                     『聖書之研究』94号「所感」
                     署名なし
 
    クリスマスの朝
 
 此時事宙は完全に達せんとする其最後の武歩を取れり、此時神に類する「第二の人」は世に出たり、此時造者と受造者との聯絡は成れり、此時万物再興の端緒は開かれたり、此時新社会の建設は始まれり、此時平民は世界の主権者となれり、此時愛は人類の律法となれり、此時旧道徳はすべて廃れ、旧制度はすべて頽れ、万物悉く新たになれり、此時すべての善事は世に臨めり、我等此時を祝せざらん乎。
 
    宇宙の祝日
 
 呱々の声は嬉々の声なり、其始めて響き渉るや全家は歓喜を以て震ふ、新らしき人は希望を齎らして我等の中に臨みたれば也、ベツレヘムの夕、万物の長子が呱々の声を揚げし時に、宇宙は歓喜を以て震へり、「終のアダム」は不朽を齎らして人類の中に臨みたれば也、此時天は地に応へて言へり、男子《おのこ》は人の中に生れたりと、此時造化は声を合せて歌へり、我等の釈放の期《とき》は至れりと、クリスマスは宇宙の祝日なり、天と地と其中に在るすべ(279)てのものとが其釈放、自由、完成を祝する日なり。
 
    親心と神心
 
 父が子を愛する愛は子が父を愛する愛よりも強し、神が人を愛する愛は人が神を愛する愛よりも強し、子は父の愛を知らず、人は神の愛を知らず、神に無人論無しと雖も無神論は熾んに人の間に行はる、人を照らす真《まこと》の光は世に来れり、然れども世は今に至るまで之を識らず、人の心は子の心なり、彼は親の心を識らざるが故に神の心を識らざるなり。
 
(280)     子を失はんとして感あり
                     明治40年12月10日
                     『聖書之研究』94号「所感」
                     署名 蜀江生
 
 余は子を有て知れり、殊に彼を失はんとして知れり、余が世に供し得る最大の賜物は余の一子なることを、余は余の所有物《もちもの》を悉く供するを得べし、然り、場合に依りては余は余自身を供するを得べし、然れども余の一子を供するに至ては是れ難中の難なり、余が彼を供する時は余の一切を供する時なり。
 余は茲に於て解せり、聖書の言辞の意味深きことを、
  それ神は其生み給へる一子を賜ふほどに世を愛し給へり(約翰伝三章十六節)。
  キリストは我等の尚は罪人たる時我等のために死たまへり、神は之によりて其愛を彰はし給ふ(羅馬書五章八節)。
  己の子を惜まずして我等すべてのために之を付し給へる者は豈《などか》彼に併へて万物をも我等に賜はざらん乎(仝八章三十二節)。
 是れ愛の至極なり、神は万物を我等に賜ひしに止まらず、然り、神御自身を賜ひしに止まらず、惜むことなくして其一子を賜へり、聖書が神は愛なりと云ふは是れがためなり、彼は神として与へ得る最も大なる者を与へ給ひたればなり、而かも之を我等罪人に与へ給ひたればなり。
(281) 子を有て親の恩は知らると云ふ、然り、余は子を失はんとしてイエスキリストの御父なる神の愛を知れり。
 
(282)     処女の懐胎は果して信じ難き乎
        (馬太伝一章十八−二十五節、路加伝一章二十六−三十八節)
                     明治40年12月10日
                     『聖書之研究』94号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
 進歩思想を標榜する近世の神学者は大抵は処女懐胎の事実を否定する、彼等は之を称して「誕生談」と云ふ、美はしき談には相違なけれども勿論事実として在つた事ではないと云ふ。
 爾うして彼等が之を否定する理由は主もに二つである、其一は馬太、路加の両伝を除いて他に新約聖書は此事に就て言はないと云ふこと1、其第二は之を科学的に説明するは全然不可能の事であると云ふことである。
 今少しく其第一の理由に就て言はんに、約翰伝が処女懐胎に就て一言を録さないのは別に怪むに足らない、そは約翰伝は処女懐胎以上の奇跡を述べて居るからである、イエスを永遠より神と偕に存在したる道理《ロゴス》と同一視して、別に其受肉の方法に就て語る必要はない、イエスは既に驚くべき者である、生である、光である、万物の造者《つくりて》である、斯かる者が異様の方法に由て世に生れ出しと記すも人は之に由て信仰上何の益する所はない、約翰伝記者の立場より見れば処女懐胎の如きは勿論の事である、人ならぬ者が世に臨むに方て人ならぬ方法に由りしとは述ぶるの必要なき事である、約翰伝記者はキリスト先 在《プリエキジステンス》のより大なる奇跡を述べしが故に処女懐胎のより小なる奇跡を省いたまでゞある。
(283) バウロの書翰中に処女懐胎に就て一言も云ふてないとは多くの批評家の云ふ所である、成程、イエスは処女マリアより生れたりと明白に言ふてはない、而已ならず彼(イエス)は肉体に由ればダビデの裔より生れ(羅馬書一章三節)と言ふてあるを見ればパウロはイエスの自然的出生を信じて居つたやうにも見える、然しながらパウロ在世当時の基督信者が普く処女懐胎を信じて居つたに係らず、熱誠パウロの如き者が明白に斯かる迷信(若し彼が之を迷信と信ぜしならば)に反対しなかつた事は注意すべき事実である、此事に関するパウロの沈黙は此事の軽からざる反証であると言はなければならない。
 而已ならず、聖ルカはパウロの最も親しき友人であつた、彼の医者であつたのみならず、彼の言行の記述者であつた、然るに此人の綴りしと云ふ路加伝が最も精細に処女懐胎に就て述べて居るのである、師たるパウロの信ざりし事を弟子たるルカが細かに記しやう筈はない、パウロ主義の福音書とも称すべき路加伝はパウロの信仰を伝へたものであると見るべきである。
 而已ならず、パウロの書翰中、彼は所々に主イエスの異様なる誕生に就て暗示して居る、試に加拉太書四章四節を見るに
  然れども期《とき》既に至るに及びて神其子を遣し給へり、彼は女より生れ、律法の下に生れたり
とある、「彼は女より生れたり」とは奇異なる言である、若し彼が普通の人でありしならば此は全く述るの必要なき言である、神の子は此世に降り給ふに方て、突然天の高きより天降り給はずして、女の胎より生れ給へりとは、是れ既に異様の言である、パウロの此言と路加伝の記事との逕庭《けぢめ》は至て僅少である、パウロは茲にルカが表示して居る所の事を暗示して居るのである。
(284) 然しパウロの此言の意味は茲に止らない、深くパウロが使用せし言辞の意味を探つて見ると、彼は茲に特更らに言辞を選んで使つて居ることが判明る、此処に「女より生れたり」とあるは馬太伝十一章十一節并に路加伝
七章二十八節に「婦の生みたる者」とあるとは全く違つたる言辞である、前者は希臘腺語の ginomai であつて、後者は其 gennao である、日本訳に由て見るも、「生れたる」と「生みたる」との間には多少の相違がある、「生みたる」とは自然法に由て婦の生みたるのであつて、「生れたる」とは婦に由て生み出されたのである、イエスとバプテスマのヨハネとの区別は茲に在つた、イエスは神の子であつて女に由りて現世に於ける其生命を己に取り給ふた者である、ヨハネは婦の生みし者の一人であつて、普通の人でありしが故に普通の方法に由て生れ出た者である、聖書は意味なくして異なつたる言辞を以て同じ事実を宣伝へんとはしない。
 前に引用した羅馬書一章三節の言辞も同じ意味である、「ダビデの裔より生れ」とあるはダビデの裔に由りて一の存在の状態より他の存在の状態に移されたりとの意義である(博士サンデー著『羅馬書証解』第六頁を見よ)。
 此ほか処女懐胎に関聯して居る新約聖書の言辞は後に至て掲げやうと思ふ、然し前に述べた丈けに由て見ても此事の馬太、路加両伝の記事にのみ止まるものでない事が判明ると思ふ。
 然し斯く弁明した処が今の人は容易に承知しない、彼等は曰ふ、縦し聖書は何んと言ふとも処女懐胎は信じ難き事である、是れ天然の法則に反き、又人類の発達上何の益なき事である、是れはすべての宗教にある祖師を尊敬するの余り後世の門徒の心に胚胎せし想像であつて、強ち咎むべきにはあらざれども、理学者として又哲学者としては到底受納るべからざる迷信であると。
 然し果して爾うであらう乎、是れ余輩の問はんと欲する所である。
(285) 処女の懐胎は天然の法則に反くと云ふ、然し「天然の法則」とは何んである乎、其解釈に由て此問題は定まるのである、天然の法則と云ふは必然の理と云ふと全く其趣きを異にする、二と二を合すれば四となるとは必然の理であるが、猿或ひは人を生まんとは必しも天然の法則に反いた想像ではない、或る特別の場合に於ては斯かる事は無いとも限らない、然り、多くの進化論者は人類の起源を斯かる異様の現象に帰して居る、在つた事はすべて天然である、如何なる奇跡と雖も若し在つたとすれば是れ又天然の現象の中に編入されべき者である、処女懐胎は尋常の出来事でないと云ふを得るも、天然の法則に反いた事であるとは云へない。
 処女懐胎は奇跡であるに相違ない、即ち吾人が通常目撃する事実でない事は確かである、然れども天然物の進化に於て之れに類したる奇跡は他に之れを求むることは出来まい乎、物質が其の存在を始めし時に斯かる奇跡は行はれたのではあるまい乎、即ち何も無き時に物の現はれしは是れ物以外の能《ちから》に由つたのではあるまい乎、縦し又或る唯物論者の説に従ひ、物質は永遠より存在せしものなりとするも、此死せる物質の中に生命の臨みし時には、物質以外の或る勢力が宇宙に臨んだのであつて、是れ又物質の立場より見れば大なる奇跡であつたではあるまい乎、爾うして単純の生命が進化して植物となりし時に、又植物が進化して動物と成りし時に処女懐胎に類する奇跡が行はれたのではあるまい乎、即ち更らに新たなる勢力が現象的宇宙に臨んだのではあるまい乎、爾うして動物が進化して人類と成つた時に、宇宙に其時まで未だ曾て在つたことのない最大奇跡が行はれたのではあるまい乎、単純の物質の場合より見れば生命の現出は奇跡である、動植物の立場より見れば自覚と意識と惰性とを具へたる人類の現出は奇跡である、其如く、普通の人類の立場より見れば天の性を具へたる基督者の現出は奇跡である、物質は其れ自身に由て進化して人類と成つた者であるとは維持するに甚だ困難なる学説である、最も注(286)意深き学者は所謂生物の自発的発生《スポンテニアスゼネレーシヨン》を否定する、猿猴類と人類との間には渉るべからざる渠溝がある、進化は勢力の自発と注入との合成的動作である、生物が猿猴類まで進まざれば人類は現はれなかつた、然しながら外部より霊魂が注入されるまでは猿猴は人類と成りて顕はれなかつた、人類がダビデの裔なる処女マリアとなるまでは基督は世に臨まなかつた、然し基督は処女の生みたる者ではない、人の肉体と神の聖霊との合成的動作に由て現はれたる者である、故に彼は人の子にして又神の子である、恰かも人類が猿猴の一種にして又万物の霊長であるが如きものである。
 斯く弁じて科学者と哲学者は少しは承知するであらふが、然し承知しない者は今の神学者である、聖書を以て本職とする彼等神学者輩は余輩の弁明に対して曰ふ、縦し処女懐胎の如きは有り得る事なりとするも、斯かる事の有る必要は何処にある乎、イエスキリストは普通の人たるも人類の救済上何の差支なきにあらずや、誠に希伯来書記者の言の如く、イエスは人にして自から誘はれて艱難《なやみ》を受けたればこそ我等憐むべき誘はるゝ者を助け得るなれ(二章末節)、神が人の中に宿り給ふに人以外の者の中に宿り給ふの要はない、人は既に神の子なれば、イエスは最上の人として天の父を人類に示したのであると。
 果して爾うであらふ乎、人類の完全なる教主は果して人たるを以て足るであらふ乎、イエスは孔子、孟子、釈迦と性を共にして人類を神の子となすを得たらふ乎、是れ深き攻究を価する問題である。言ふまでもなく救済とは心の洗滌に止らない、又霊魂の啓発に止らない、救済とは全人性の救済でなくてはならない、即ち霊肉両つながらの救済でなくてはならない、基督教は希臘哲学(近世哲学も亦然り)のやうに霊肉両性の個々別々《セパレート》の存在を認めない、基督教は人生の渾一《ユニテー》を主張する、人の肉体が死んで霊魂が生くるのではない、人は新らしき体を以て再(287)ぴ生くべき者である、霊魂の無い人の無いやうに体の無い人とて有るべきではない、人は若し救はれる者であるとすれば霊肉両つながら同時に救はれべき筈の者である。
 此事に関する聖書の指示は最も明白である、キリストは身(体)の救主なりと云ひ(以弗所書五章二十三節)、彼れ世に臨《きた》る時曰ひけるは汝、犠牲《いけにへ》と礼物を欲《この》み給はず、唯我がために肉体を備ふと(希伯来書十章五節)、我等是れを知る、我等が地に在る幕屋(此肉体を指して云ふ)若し壊れなば神の賜ふ所の屋(新らしき体)天にあり、手にて造らざる窮りなく有つ所の屋なりと(哥林多後書五章一節)、其他是に類したる言辞は新約聖書の所々に夥多《あまた》有る、爾うして是れ皆な曾て義人ヨブが患難の極、神に向つて放つた声の余韻である、
  我れ、我を知る贖ふ者は活く、後の日に彼れ必ず地の上に立たん、我が此皮此身の朽果てん後、我れ肉に在りて神を見ん(約百記十九章二十五、二十六節)。
 哥林多前書十五章に顕はれたるパウロの復活論全篇が此希望の最も明白なる表顕である、彼は彼の霊魂が体を褫《はが》れて存在せんことを恐れた、誠に着ることを得ば裸になることなからんと(後書五章三節)、イエスは此世を去る前に其弟子等に此希望を確かめんために左の如く語り給ふた、即ち、
  我れ汝等に告げん、今より後汝等と偕に新しき物を我父の国に於て飲まん日までは再びこの葡萄にて造れる物を飲まじ(馬太伝二十六章二十九節)。
 イエスが其弟子等に供せし希望、其弟子等が今日まで懐く希望が是であるとすれば、此希望を供せしイエス自身が此希望の実体を以て生れ給ひしとは信じ難い事ではない、イエスの体が普通の人の体と其質を異にして居つたことは聖書の記事に由て見て明かである、変貌の山に於ける彼の栄化の如きは確かに彼の体質の如何を示すも(288)のである、
  六日の後イエス、ペテロ、ヤコブ、其兄弟ヨハネを伴ひ人を避けて高山に登り給ひしが、彼等の前に其|容貌《すがた》変はり、其面、日の如く輝き、其衣は白く光れり(馬太伝十七章一、二節)。
  其衣輝き白きこと甚だしくして雪の如く、世上の布晒人も斯く白くはなし能はざるべし(馬可伝九章三節)。
 此記事は是或る神学者が為すやうに電光反映の結果として解すことの出来る者ではない、是れはイエスの体質が此時、其光輝を放つた事と見るのが最も適当であると思ふ、パウロの言ふ所の
  凡そ我等|※[巾+白]子《かほおほひ》なくして鏡に照《うつ》すが如く主の栄を見、栄に栄いや増さりて其同じ像《かたち》に化《かは》る也(哥林多後書三章末節)
とあるは心の栄をのみ指して云ふたのではなくして、亦体(像)の栄をも指して云ふたのである、パウロの所謂る栄(英語の glory 希臘語の doxa)は栄誉の意ではなくして光輝の義であることは聖書学者の一般に認むる所である、是れ以西結書第一章にあるエホバの自顕の記述に於けるが如く光輝、光彩、赫奕等の語を以て表はさるべき辞である、
  我見しに、視よ、烈き風、大なる雲、及び燃ゆる火の団塊、北より出来る、又雲の周囲に輝光あり、其中よりして火の光あり、熱けたる金属の如きもの出づ(以西結書一章四節)、
 光輝又光輝、栄に栄いや増さる主イエスの像とは斯かる者であると思ふ、高山に於けるイエスの変貌は其栄光の体よりせし光輝の放射であつたのである。 イエスの復活が其体質の最も善き表証である、復活を信ずるの困難は之を普通人の肉体の復活として見んと欲(289)するからである、復活はキリストの体を以て始つたものである、人の体は其れ自身で復活するものでがない、然しイエスの体は始めより復活の精気を備へて居つた、是れは始より死に由て死する者ではなかつた、是れは羅馬兵の鎗を以てしては殺すことの出来ない者であつた。
 イエスの体が斯かるものであつたとすれば、其産出の方法も亦自から異なつて居つたことが判明かる、肉に由て生まるゝ者は肉(肉的)なり、霊に由て生まるゝ者は霊(霊的)なり(約翰伝三章六節) 原因に伴はざる結果あるなし、人に由て生れし者に栄光の像のある筈はない、肉に由て生まれし者が死して後に昇天しやう筈はない、イエスの変貌と其復活とは彼の特種の産出法、即ち処女懐胎を表証するものである。
 爾うして教主イエスが斯かる体質を以て生れ出で給はんことは実に人類の切なる要求である、
 受造者《つくられたるもの》自《みづ》から敗壊の奴たることを脱がれ神の諸子の栄なる自由に入らんことを許されんとの望を有されたり、万の受造者は今に至るまで共に歎き共に苦むことあるを我等は知る、唯此等のもの耳ならず、聖霊の姶めて結べる実を有てる我等も自から心の中に歎きて子と成らんこと、即ち我等の身体の救はれんことを俟つ(羅馬書八章二十一−二十三節)。
 「我等の身体の救はれんことを俟つ」是れ我等の最大祈願である、キリストの救済が我等の霊魂に止まらずして身体にまで及ばんことを俟つ、即ち弱きものが強くせられ、死が生に呑まれんことを俟つ、即ち我等の煩はしき穢れたる体がイエスのそれの如き自由なる聖きものと化せんことを俟つ。我等は如何にしてイエスの聖き体質を己が有とするを得る乎、是れ肝要なる問題であるが本間題と直接の関係なきが故に茲には之を論じない。
 要するにイエスを以て万物の進化は新紀元を開いたのである、茲に彼を以て新ヒユーマニチーが開始されたの(290)である、聖書に於て彼が終りのアダム又は第二の人と称せられるのは是がためである(哥林多前書十五章を見よ)、彼は新造化の始めである、爾うして此地位に立つ彼が独特に神より生命を受けたとは決して信じ難いことではない、否な、天然界の類推《アナロジー》より考へて、是れは斯くあらねばならぬことであると思ふ。
 処女の懐胎と云ふ、是れ汚れたる人には多くの汚らはしき思想を起さしむる言辞である、
 潔人にはすべての物潔く、汚れたる人と不信者とには一として潔き物なし、既に彼等の心と良心ともに汚れたり(提多書一章十五節)。
 処女は清い者であつて、懐胎は汚らはしい事ではない、是れは汚れたる人に取てのみ汚らはしい事である、独逸語にて婦人の姙娠状態を in gesegneten Umstaenden(恵まれたる状態)と云ふはよく独逸国民の敬虔の心を表して居る、懐胎を笑ひ嘲ける民は常に不虔不徳の民である。
  汝等婚姻の事をすべて貴め、又閨をも汚すこと勿れ、神は苟合又奸淫する者を審判き給はん(希伯来書十三章四節)。
 故に処女マリヤの懐胎は神が婚姻を賤み、之を罪悪視し給ひしより之を避けんとして為し給ふた事ではない、独身生涯を神聖視せし旧来の基督信者は斯かる誤謬に陥り易かつた、爾うしてダビデが其罪を悔ひし言辞に罪に在りて我母我を孕みたりき(詩篇第五十一篇五節)とあるを見て、彼等は男女の配合に由てなりし子はすべて罪に在て生れし者であると信じた、然し是れ甚しき誤謬である、人は人として神聖である、神に造られし物にして一として神聖ならざるものはない筈である、イエスが処女より生れ給ひしは神が普通の産出法を賤しめ給ふたからではない、人類以上の生命を此世に持来すために必要であつたからである、贖罪はキリスト降世の唯一の目的で(291)はなかつた、是れ罪の世に現はれ給ひし第二の人に自と懸かりし職分であつた、処女の懐胎は新人を世に供するために必要であつた、余輩は聖書の記事に由るのみならず、宇宙の進化の順序よりして、又吾人人類の切なる要求よりして、此大なる事実を信ずるに躇躇しない者である。
 
(292)     アイの攻撃
        隠悪と敗北 約書亜記第七章(改訳)
                     明治40年12月10日
                     『聖書之研究』94号「研究」
                     署名なし
 
 時にイスラエルの子等、詛はれし物に就きて罪を犯せり、即ちユダの支派《わかれ》なるゼラの子なるザプデの子なるカルミの子アカン詛はれし物を取れり、是を以てヱホパ イスラエルの子等に対ひて震怒を発ち給へり。
 ヨシユア ヱリコより人をベテルの東に当りてベテアベンの辺にあるアイに遣はし、之に語りて言ひけるは「汝等上り往きてかの地を窺へ」と、其人々上り往きてアイを窺へり、彼等ヨシユアの許に帰りて之に言ひけるは「民をして尽く上り往かしむ勿れ、唯二三千人を上らしめてアイを撃たしめよ、すべての民を彼処に遣りて労せしむる勿れ、彼等は寡ければ也」と、茲に於て民 凡そ三千人ばかり彼処《かしこ》に上り往けり、然るに彼等 アイの人の前より遁走れり、アイの人彼等の中三十六人ばかりを撃てり、彼等を門の前より追ふてシバリムに至り、下坂にて彼等を撃てり、民は魂神《たましい》消えて水の如くになれり。
 斯りしかばヨシユア其衣を裂き、ヱホパの櫃《はこ》の前に俯伏《ひれふ》して暮にまで及べり、彼とイスラエルの長老等とほ斯くな代り、彼等は首《かしら》に塵を蒙れり、ヨシユア言ひけらく、
  嗟主ヱホバよ、汝 何とて此民を導きてヨルダンを済らせ、我等をアモリ人の手に付し、我等を滅亡《ほろぼ》さしめ(293)給ふや、我等ヨルダンの彼方に安んじ居りしならば善かりし者を、嗟主よ、イスラエル既に敵に背《うしろ》を見せたれば我また何をか言はん、カナン人及び此地のすべての民等之を聞き、我等を攻囲み、我等の名を此世より絶たん、汝は汝の大なる聖名《みな》を如何にし給ふや。
 ヱホバ ヨシユ了に言ひ給ひけるは、
  立てよ、汝 何とて斯くは俯伏すや、イスラエルは罪を犯せり、彼等は我が彼等に命ぜし我が契約を破れり、彼等は詛はれし物を取れり、窃み且つ詐はりて之を己が所有物の中に置けり、是をもてイスラエルの子等は敵に当ること能はず、彼等は敵に背を見す、彼等は詛はれたる者となりたれば也、汝等その詛はれし物を汝等の中より絶つにあらざれば我れ再び汝等と偕に居らじ、立てよ、民を潔めよ、彼等に言へ、
   汝等明日のために己を潔めよ、イスラエルの神ヱホバ斯く言ひ給ふ、イスラエルよ、汝の中に詛はれし物あり、汝 其詛はれし物を汝等の中より除き去るまでは汝の敵に当る能はず、然れば明朝汝等その支派に循ひて進《すゝみ》出づべし、而してヱホバの(鬮をもて)引き給ふ支派は其|宗族《やから》に循ひて進出づべし、而してヱホバの引き給ふ宗族は其家族に循ひて進出づべし、而してヱホバの引き給ふ家族は其男子 一人一人進出づべし、而して詛はれし物を有てる者として引かれし者は火にて燬《や》かるべし、彼と彼の所有物はすべて燬かるべし、そは其者はヱホバの契約を破り、イスラエルの中に愚かなる事を為したれば也。
 茲に於てヨシユア朝夙く興き、イスラエルを其支派に循ひて進出しめけるにユダの支派引かれたり、ユダの諸の宗族を進出しめけるにゼラの宗族引かれたり、ゼラの宗族を家々に循ひて進出しめけるにザプデ引かれたり、ザプデの家の人々を進出しめけるにアカン引かれたり、彼はユダの支派なるゼラの子なるザプデの子なるカ(294)ルミの子なり、ヨシユア アカンに言ひけるは、
  我子よ、請ふ、汝 イスラエルの神ヱホバに称讃《ほまれ》を帰し奉り、之に対ひて懺悔せよ、汝の為したる事を我に告げよ、其事を我に隠す勿れ。
 アカン ヨシユアに答へて言ひけるは、
  実に我はイスラエルの神ヱホバに対ひて罪を犯し如此如此行へり、即ち、我れ掠奪物の中にバビロンの美はしき衣服一枚と銀二百シケルと重量五十シケルの金の棒あるを見しや、欲しく思ひて之を取れり、視よ、其物は我が天幕の中なる地に埋め匿しあり、銀は其下にあり。
 茲に於てヨシユア使者を遣しければ彼等走りてアカンの天幕に至れり、而して視よ、其物は彼の天幕の中に匿しありて銀は其下にありたり、彼等 之を天幕の中より取出してヨシユアとイスラエルのすべての子等との所に携へ来り、之をヱホバの前に置けり、ヨシユアやがてイスラエルのすべての子等と共にゼラの子アカンを執らへ、かの銀と衣服と金の棒及び彼の男子、女子、牛、驢馬、羊、天幕等、すべて彼の有てる物を尽く取りて之をアコルの谷に携へ行けり、而してヨシユア言ひけるは
  汝 何とて我等を悩せしや、ヱホバ今日汝を悩し給ふべし
と、やがてイスラエル人皆な石をもて彼を撃ち、石をもて此等の物を撃ち、火をもて之を燬けり、而して彼等彼の上に大いなる石塚を積揚げたり、此塚は存りて今日に至る、斯くてヱホパ其烈しき震怒を息め給へり、是に由りて其所の名をアコル(悩《なやみ》)の谷と呼べり、此名存りて今日に至る。
 
(295)     略解
 
〇選民の歴史は道徳的なり、彼等にありては道徳的原因は直に境遇的結果を以て現はる、イスラエルの子等はヱホバの前に罪を犯したり、故に彼等はアイの前に敗れたり、兵力の不足なりしが故に非ず、戦術の拙劣なりしが故にあらず、ヱホバの命令を破りしが故に敗れたり。
〇イスラエルの子等は其罪を悔ひたり、彼等は其中より詛はれし物を絶ちて己を潔めたり、茲に於てか彼等は再び立て敵に当るを得たり、罪は敗北を招き、悔改は勝利を呼べり(第八章を見よ)、敗北の道徳的原因を取去りて大勝は彼等に臨めり。
〇イスラエルの歴史は我等すべて神を信ずる者の歴史なり、我等も亦罪を犯して人生の戦闘に於て敗れ、之を悔ひ己を悛めて勝つ、我等は権力を以て勝つ能はず、智略を以て優る能はず、信仰を以てのみ能く勝つを得べし、衷を潔め神と和合して我等は始めて勝利の戦陣に臨むを得るなり、敵は先づ之を己が衷に於て亡さざるべからず、然らば外なる敵は戦はずして潰ゆべし。
〇患難の我等に臨むあらん乎、我等は其理学的原因を探ると同時に道徳的原因を究めざるべからず、我等にありては失敗は悔改を要求し給ふ神の声なり、我等は衷に詛はれし物を匿し居らざる乎、我等は曖昧模糊の中に明白なる公道を埋め置かざる乎、我等の中にアカンは在らざる乎、我等は不義の金と銀とを懐にして神の震怒を己が身に招き居らざる乎、是れ我等が患難に遭遇する時に己に問ふて己に答ふべき問題なり、
 災禍《わざはひ》は塵より起らず、艱難《なやみ》は土より出ず(約百記五章六節)
(296)是れに道徳的原因在て存す、ヱホバに鞭撻《むちうた》れて己の罪を発見する者は幸福《さいはひ》なり。
〇猶太歴史は他ならず、国民の歴史を信仰的に解釈せし者是れなり、何れの国民の歴史と雖も之を信仰的に解すればすべて猶太歴史の如き者ならざるべからず、之を単に政治史として見るを得べし、戦争史として見るを得べし、経済史として見るを得べし、而して又信仰史として見るを得べし、旧約聖書は猶太民族の信仰史なり、其、人類進歩の記録として特に貴きは是れがためなり、カーライル曰へるあり「人類の歴史はすべて聖書なり」と、然り、之を信仰的に解して日本歴史も支那歴史も猶太歴史に劣らざる聖書なり、唯之を政治的に又は戦争的に又は経済的に解する者多くして信仰的に解する者なきを悲むなり。
 
(297)     医術としての宗教
         或る夜信仰を共にする或る医師に語りし所なり。
                     明治40年12月10曰
                     『聖書之研究』94号「談話」
                     署名 内村鑑三
 
 宗教は其実際的方面に於ては確かに医術の一種である、是れは人を其霊魂に於て救ふことである、人の救済が其最大の目的である、人を実際に救はない宗教は其数理は如何に高遠なるも、其儀式は如何に荘厳なるも、用のない宗教である、即ち宗教と称すべからざる宗教である。
 基督教其物が艱難める人類の救済術として現はれたる者である、キリストは己を医師に譬へ給ふた、爾うして実際に幾回となく医術を施し給ふた、初代の基督者が彼を救主と称んだのは医療者の意味に於てゞあると云ふ、即ち救主と訳されし希臘語の soter は元々医師を称ぶに用ひられし辞であると云ふ、基督教が化して教会制度となり、組織神学となつたのは後世のことである、其初めユダヤに於て宣伝へられし時には是れは単に病める者の※[醫の酉が巫]癒《いやし》、疲れし者の安息であつた。
 医術の一種たる宗教は医術のやうに発達し、医術のやうに施さるべき者である、宗教は若し学問であるとすれば、医学、法律と同じく実際的の学問である、是れは実際を離れて論ずべからざる者である、世に純宗教なる者はない筈である、宗教は学者が彼の書斎に籠り、沈思黙考して案出すべき者ではない、是れは活ける人生に接し、(298)其病的状態を究め、之を癒すの術を施すべき者である。
 此点に於て宗教は遙かに医術に後れて居る、医術は今や全然科学範囲内にあり、疾病の兆候に由て其原因を探り、之を除かんとしつゝあるに比らべて、宗教は未だ古代の喋昧時代を脱せず僅かに信仰箇条なるものを設け、之を信ずる者は救はれ、信ぜざる者は救はれずと做す、恰かも古代の医師が万病を癒すに唯一の療法に依つたと同じである、宗教は未だ科学範囲に入つたとは言へない、宗教は未だ秘法範囲に於てある、即ち病者の確実なる療法を知る能はずして、単に僥倖的療法を施しつゝある。
 然しながら宗教は何時までも斯かる状態に在つてはならない、霊魂の救済術も亦肉体のそれの如くに、確実なる精密なるものとならなければならない、即ちすべての人に向つて同一の療法を施すのではなくして、各人の病の性質に循つて特別の療法を施すに至らなければならない、宗教は崇拝物と来世とに就て黙考するに止まらずして、進んで人生の心的疾病を攻究し、之を癒すの方法を発見すべきである。
 人の心的疾病は決して単一ではない、彼が神を離れたのが彼のすべての疾病の遠因である乎も知れないが、然かし直に神を説きたればとて彼は癒さるべき者ではない、彼の心の病は体のそれと均しく種々雑多である、情の病がある、意の病がある、智の病がある、彼が神を見失つたのも単に不信にのみ由らない、爾うして宗教家の為すべきことは精しく各自の病を診察し、之に適当する療法を施すことである。
 試に茲に思想上の懐疑よりして苦悶する者ありとせん乎、斯かる人に向て讃美歌を唱へ、信仰を説くも無益である、思想上の懐疑は思想を以て解かなければならない、哲学上の懐疑は哲学を以て、政治上の懐疑は政治を以て、倫理上の懐疑は倫理を以て応じなければならない、斯かる人に向てペテロがユダヤ人に告げしやうに
(299) 汝等各自悔改めて罪の赦を得んがために、イエスキリストの名に託りてバプテスマを受けよ(使徒行伝二章三十八節)
と叫ぶも無益である、宗教は感情ばかりではない、又深い静かなる道理である、道理の解釈に苦む者に向つては道理を以て之に応じなければならない。
 又世には感情の疾病に由りて苦む者が沢山居る 爾うして感情の患者に内的なると外的なるとがある、即ち疾病の原因を衷に有つのと外に有つのとがある、前者は感情其物の疾病であつて、後者は感情の外より乱されたる疾病である、前者即ち所謂る神経質の患者に向つて多くの場合に於ては宗教を説くのは反て害がある、彼等の多くは既に業に余りに宗教的であるのである、斯かる場合に於ては彼等の宗教熱を醒すのが反て彼等を救ふの途である、彼等の心をして宗教より転ぜしめ、或ひは冷静なる数学の研究に赴かしめ、或ひは確実なる天然の探究に走らしめ、以て感情以外の方面より彼等をして再び神に至らしめなければならない、感情の人に更らに宗教熱を加へ、彼をして熱心の上に更らに熱心に走らしめて、彼の熱誠を讃称《ほめたゝ》ふるのが普通宗教家の為す所であるが、是れ常識の人の最も慎むべき事である、要は患者を健康状態に復らしむるにある、彼れをして我が教義を広め、我が教会の勢力を張らしめてはならない、イエスがガダラの地に於て悪魔に憑かれし者を癒されしやうに彼をして慥かなる心にて坐らしめなければならない(馬可伝五章十五節)。
 外部の刺激に由りて乱されし感情の患者は種々である、失恋のために患む者、事業失敗のために患む者、試験落第のために患む者、家庭不和のために患む者、野心挫折のために患む者、愛する者を失ひて患む者、貧にして患む者、数へ来れば殆んど其数に限りがない、然しながら是にも亦それ相応の療法があると思ふ、勿論、聖書を(300)用ひ、祈碍を勧め、勇気を鼓舞するは大抵の場合に於て為すべき事であるが、然しそれのみにては足らない、感情患者の場合に於ては其治療に最も必要なるものは深刻なる同情である 是れなくして彼等を癒すことは殆んど不可能いと思ふ、同情に不足する宗教家は此種の患者に対しては殆んど無能である、傷けられたる感情を癒すの第一の秘訣は医師(此場合に於ては宗教家)自身が己が身に彼の痛みを感じ、之れを彼と共に頒ち、爾うして之を軽減するにある、外部の刺激は或る場合に於ては之を除くことが出来る、然し大抵の場合に於ては刺激は既に過ぎ去つて、痛き傷のみ残るのである、爾うして斯かる傷を癒すのが宗教家独特の本分である、斯かる場合に於て彼の技倆は最も多く要求されるのである、茲に於てか、彼は彼の心の衷よりギレアデの乳香にはあらで、同情の香油を取出し、之を痛める傷に塗りて、其苦痛を取去るべきである、宗教家は神学の外に深き同情を要する、彼はすべての方法を以て此情性を養成すべきである。
 此他にもまた種々の疾病がある、傲慢病、懶惰病、酔酒癖、讒害病、不平病、是れ皆な情の病にあらざれば意志の病である、或ひは肉体の病が其感化を精神に及ぼしたものである、殊に我が日本人中に最も多いのは傲慢病である、是れは種々の形に於て現はれる、階級の傲慢、富の傲慢、智識の傲慢、天才の傲慢、道徳の傲慢、信仰の傲慢、傲慢の病だけでも之れを一つの専門学科となすことが出来る、爾うして之を癒すのは心的疾病中最も困難である、日本人の傲慢病を癒すを得て宗教家は其技術の極致に達したと云ふことが出来やふと思ふ。斯の如く善き宗教家となるのは甚だ困難である、彼は博き智識を要する、彼は政治、経済、理学、文学、哲学に一通りは通じて居らなければならない、彼が宗教に精しくなくてはならないのは勿論である、彼が基督教の教師であるとすれば彼は聖書殊に新約聖書を掌を反へすやうに善く知らなければならない、聖書の言辞は誠に活きて能あり両(301)刃の剣よりも利く、気と魂又筋節骨髄まで刺し剖ち心の念と志意を鑑別くるものであれば(希伯来書四章十二節)彼は其各章各節の真義を精しく探り置き、臨機応変に之を適用しなければならない、彼は又博い深い同情の人でなければならない、政治家にも、科学者にも、哲学者にも、実業家にも、文学者にも、宗教家にも、貴族にも、平民にも、資本家にも、労働者にも、深き同情を寄することの出来る者でなくてはならない、彼は斯くて単一の思想の人であつてはならない、彼の奉ずる信仰箇条を除いては他は断じて之を容れないと云ふ底の人であつてはならない、世に種々の宗教があり、同じ宗教の中に種々の宗派のあるのは是れ人の心が種々であるからである、一つの薬を以てすべての病を癒すことの出来ないやうに一つの宗教を以てすべての人を救ふことは出来ない、或人には天主教が最も適切なる宗教である、斯かる人は之を躊躇することなく天主教会に委ぬべきである、又或る他の人にはユニテリヤン主義が最も適切である、斯かる人は之れを畏憚なくユニテリヤン協会に送るべきである、己は無教会主義でも可い、然しながらすべての人を律するに己の主義を以てしてはならない、人の心は古代の信者が想ひしやうに単純斉一の者ではない、是れは極めて複雑なるものである、すべての人を単一の信仰の下に抱括しやうと欲ふて、人を真理に導くことは出来ない、種々の人に対する我等の態度は使徒パウロのそれでなくてはならない。
  我れすべての人に向ひて自主の者なれども更らに多くの人を得んために自から己をすべての人の奴隷となせり、ユダヤ人には我れユダヤ人の如くなれり、是れユダヤ人を得んためなり、又律法の下に在る者には我れ律法の下に在らざれども律法の下に在る者の如くなれり、是れ律法の下に在る者を得んためなり、律法なき者には我律法なき者の如くなれり、是れ律法なき者を得んためなり、……弱者には我れ弱者の如くなれり、
(302) 是れ弱者を得んためなり、又すべての人には我れそのすべての人の状《さま》に循へり、是れ如何にもして彼等数人を救はんためなり、我れ福音のために此く行ふは人と共に福音に与からんためなり(哥林多前書九章十九−二十三節)。
是れ放縦主義ではない、同情主義である、宗教家とは斯くあらねばならぬ者である。
 近世の心理学は宗教を医学同様に科学範囲に導きつゝあると思ふ、之に由て宗教の本領は確定せられ、其応用の方法は明指せられつゝある、遠からずして宗教は今日の如く単に信仰のことでなきに至るであらふと思ふ、即ち精密なる一の科学となりて、心の疾病の原因を探り之を癒すことが出来るに至るであらふと思ふ。
 実に今の宗教ほど漠然たる者はない、宗教家の事業と謂へば其大部分は高壇に立て教を説くことである、彼等に取りては宗教是れ説教と云ふても可い程である、試みに医師が今の宗教家が為すやうに為したならば如何であらふ乎、若し医師の主なる事業が高壇に立て病理を説き衛生を唱ふることであつたならば如何であらふ乎、患者はすべて病床に呻吟して一人も癒さるる者はないであらふ、其如く宗教家も心的患者を一人一人と診察し、各自適応の治療を施すにあらざれば医師の功を奏することは難いではない乎、演説と説教と神学と、之に加ふるに教会の年会と議論と議決とを以つて世を救はんとするからこそ今の宗教家なる者は世を益すること甚だ尠ないのではあるまい乎、今や宗教家は目を覚ますべき期であると思ふ、医学者が夙く既に神農エスキラピオスの古説を棄て科学範囲に入りしが故に、多くの偉績を挙げつゝある今の時に、宗教家はアウガスチン、カルビンの説にのみ固着して艱《なや》める人世の救済を怠るべきではない。
 
(303)    基督教道徳の欠点
        十一月二十四日柏木聖書研究会に於ける講演の大要
                     明治40年12月10日
                     『聖書之研究』94号「談話」
                     署名なし
 
 基督教道徳に欠点があると云ふ、是れは基督教を信ずる余輩の口より出づべき言ではないやうに見える、然し余輩は事実有の儘を語らざるを得ない。
 基督教道徳は愛の一字を以て尽きて居る、夫れ故に基督教道徳の欠点と云へば愛の欠点である、愛には又愛の欠点がある。
 愛は人を軟弱にする、愛は人の律法的観念を緩める、愛は放埒を助ける、愛は人の依頼心を促がす、愛は女性的である、愛は勇気を挫く、愛は人をして女々しからしむ。
 愛は美徳の女王である、然れども女王は独りで立つことは出来ない、彼女を支ふるに強き勇者が要る、彼女は単独で位を保つ者ではない、彼女が美くしくして優さしきは彼女の下に多くの大《ふと》き逞しき丈夫が居るからである。 其如く愛も亦独りで立つことの出来る者ではない、愛を支ふるに厳格なる道徳が無くてはならない、愛が美徳の女王として諸徳の上に聳えんがためには、彼女の下に多くの厳格なる道徳と峻烈なる律法とが行はれなければならない、愛は道義の尖塔《ピラミツド》の頂点である、之に律法の地盤がなくてはならない、又道徳の支石がなくてはならな(304)い、愛は独り理想の虚空に浮ぶ者ではない、愛は動かざる固き道念の上に立つべき者である 基督教は漂然として天より降つた者ではない、基督教は厳烈なる摩西律より生れ出た者である、始めて基督教を受けた民は二千年間最も厳格なる道徳の下に最も厳格なる鍛錬を経た者である、律法が其極に達して愛の福音が与へられたのである、基督教の有難さは律法の苦さが解からなければ解からない、恰かも血を流して得たる憲法にあらざれば其貴さが解らないと同然である。
 厳しき律法の上に立てキリストの愛の福音は瞻て美はしく仰いで慕はしいのである、恰かも富士山が巍々たる山脉の上に聳えて其儔なき容姿を表はすと同然である、縛られ、撻《う》たれ、燬《や》かれ、鍛えられ、免かるるの途なきに至て十字架の放つ軟かき光は認めらるるのである、平和の白き百合の花は岩の狭間に於て咲く、我等は之を花瓶に移して其香をも色をも知ることは出来ない。
 故に道徳を知らずして愛を知るは大なる危険である、愛は苦き律法と共に味ふべき者である、道徳の下地を作らずして愛を授くる教師は人を滅亡に導く者である、基督信者のすべての腐敗とすべての堕落とは此不注意より来る。
 初代の基督信者より其猶太教を除き、英民族より其ピユリタン主義を除き、日本人より其武士道を除きて、基督教道徳の害は懼るべきものである、人の心を腐らす者にして無分別なる慈善の如きはない、爾うして無分別なる慈善の中にも愛の福音の無分別なる伝播ほど憾ろしい者はない、之に由て身は亡び、家は壊れ、社会は乱る、謹みても尚ほ慎むべきは固き道念の上に築かざる愛の福音の宣伝である。
 
(305)     柏木に於ける最初の編輯
                     明治40年12月10日
                     『聖書之研究』94号「雑録」
                     署名 編輯生
 
〇角筈を去れば悪しき事は我等に臨むまじと心を定めて柏木の地に移るや否や、何んぞ計らん、悪魔は其窒扶斯菌を以て、我等の長子を撃つたのである、尤も彼は柏木に於て撃つたのではない、角筈に於て撃つたのである、爾うして柏木に至るや否や、其襲撃の結果は高熱となりて現はれたのである。
〇角筈に於て人をして我等を学校泥棒と呼ばしめ、偽善者と呼ばしめ、露探と呼ばしめ、終には親殺しとまで呼ばしめし悪魔は尚ほ更らに一撃を加へずしては我等をして彼地を去らしめなかつた、即ち彼は悪疫を以て我等の迹を逐ふた、角筈の櫟林丘は我等に取りては終まで悪魔との戦闘場であつた。
〇移転早々家具の整理は未だ附かず、壁は未だ乾かず、大工は未だ其工を竣へざるに家に重病者が起つたのであるから、其混雑は一通りでなかつた、生命には多分差支ひはあるまいとは思つたが、然し親の心を以て見れば随分の心配であつた、時には今年よりは最早共に凧を揚げることは出来まいか、野川に釣を垂れることは出来まい乎と思つて、心配のために眠られない夜も幾度かあつた。
〇然かし神は我等を助け給ふた、彼は我等が思はざるに我等の信仰の友なる医師を送り給ふた、我等は又此際我等の衷なる愆を省みて、出来得る丈け之を除いた、我等は信仰と常識とを以て此困難に対した、爾うして幸にし(306)て又之に勝つことを得た。
〇此間に立て年中最も好良たるべきクリスマス号を書かねばならないのであつた、其困難は一通りでなかつた、或ひは今月こそは休刊しやう乎と思ふた、然し兎にも角くにも筆を執ることに定めた、其余輩の思ひに適はざりしは残念であるが、然かし休刊せずに事の済みしだけは感謝の至りである。
〇顧みれば去る明治三十二年角筈に来りしより茲に九年、余輩の生涯は相も変らず奮闘のそれであつた、「角筈聖人」と云はれ、角筈偽善者と云はれ、独立女学校の明渡し、東京独立雑誌の廃刊、父と母とを茲に失ひ、其他口にも筆にも尽し難き人生の苦き杯を茲に飲んだ、然し神は我等と偕に在り給ふた、我等は矢張り勝得て余りあるのである、角筈に於ては悪魔は其最も醜悪なる最も隠密なる方法を以て我等と我等の事業とを毀たんとした、然かし彼の詭計はすべて無益であつた、我等は存して今に至り、尚ほ我等に委ねられし我等の事業を続けることが出来る、我等は之に由て観て此世の讒害、誹謗なるものゝ至て力なきものなることを覚つた。
〇角筈には角筈の悪魔が居つて、我等を苦しめた、然し我等は神に依て彼に勝つを得た、柏木には亦柏木の悪魔が居る乎も知れない、然し我等は之にも亦勝ち得ると確かに信ずる、時は移り所は変るとも我等の頼む神は変らない、今日まで我等を護り給ひし彼は亦何時々々までも我等を護り給ふと信ずる、我等は年を経る毎に我等の神の益々頼るべきものなるを知る、
   His love in past
     Forbidss me to think,
   He'll leave me at last,
(307)    ln trouble to sink.
   過去に於ける彼の愛は
     我をして思ふを禁ぜしむ、
   彼は終に我を棄て給ひて
     憂愁に沈ましめ給はんとは。
〇序に言ふて置くが、我等は角筈の地を去りしも、神が我等に賜ひしものは 尽く之を持来つた、我等の旧き家は毀たれて、其すべては壁土に至るまで柏木の地に運ばれた、爾うして今や旧き家は新らしき形を以て蜀江山の地に建てられつゝある、遠からずして此地に於て我等の門戸は今日までよりはより広く開かれ、茲に多くの読者を迎ひ得るに至るであらうと思ふ。
 
(308)     課題〔17「基督の降誕と我運命」〕
                     明治40年12月10日
                     『聖書之研究』94号「雑録」
                     署名なし
 
 内村生曰ふ、余は『聖書之研究』が君より教会を奪ひ、教会的信仰を奪ひて君に永久の害を及さゞらんことを祈る、今や世界各国に於て(殊にルーテルの本国なる独逸に於て)単純にして深遠なる福音主義の信仰は教会を離れて起りつゝあり、今の教会を離るゝは決して不幸に非ず、然れどもキリストを離るゝは最大の不幸なり、而して我等は今の教会を離るゝともキリストを離るゝの要なきなり、然り、キリストを離るべからざるなり、然り、キリストに合はんがために今の教会を離るべき也。
       ――――――――――
 次号即ち新年号課題は左の如し
    新年と新生
  人、若し新たに生れずば神の国を見ること能はず(約翰伝三章三節)。
  人、キリストに在る時は新たに造られたる者なり、旧きは去りて皆な新らしく作るなり(哥林多後書五章十七節)。
(309) 注意 読者諸君にして未だ一回も課題を試られざる者多し、余輩は諸君が奮然として之に応ぜられんことを切望す、文の拙劣は決して意となすに足らず、然り、文の拙劣は反て真心を現はすに能あり、唯諸君が言はんと欲する所を言へよ、諸君の確心は多くの同志を益すべし。
 原稿締切一月五日、但し成るべく早きを好しとす。
 
(310)     善き習慣
        新聞紙読覧の廃止
                     明治40年12月10日
                     『聖書之研究』94号「雑録」
                     署名 柏木生
 
 私は近頃一つの善き習慣を発見しました、それは今の新聞紙を読まないことであります、私は此習慣を採用してより日は未だ至て浅くありまするが其効果は既に甚だ好良であります。
 新聞紙は現代の歴史であるべき筈であります、爾うして現代の歴史を読むは古代の歴史を読むと同然、有益であるべき筈であります、然しながら今日の新聞紙は歴史ではありません、是れは小説であります、是れは事実有の儘を報ずる者ではなくして、事実に関する記者の想像を載する者であります、故に私共は今の新聞紙を読んで新事実を知るのではなくして記者の心を知るのであります、勿論、記者が義しい人、聖い人でありまするならば之を知るのも甚だ有益でありませうが、然し今の新聞記者の多くは斯かる人であるとは言ひ兼ねます、彼等の大多数は己れの未熟なる心を以て社会の事物を見、之に未熟の解釈を加へて世に報ずるのです、故に新聞紙に由て吾人として報ぜらるゝ者は斯かる記者の眼に映ずる善人であります、悪人として報ぜらるゝ者は斯かる人が見て以て悪人と做す者であります、善悪は真の善悪ではなくして記者の見た善悪であります、年末だ若く、経験足らず、善悪の差別を為すの力に至て乏しき者の定めた善悪であります、其観察の信ずるに足らざるは云ふまでもあ(311)りません 而かも彼等の観察が何々新聞の意見として世に提供せられるのであります、爾うして私共は之を読んで時には之を信ずるのであります。
 論より証拠であります、今の新聞紙を読んで居つて聖き和かなる心を持つ事は甚だ困難であります、不平は之に由て起されざるを得ません、私共は之に由て憎むべからざる人を憎み、愛すべからざる人を愛するに至ります、私共の判断力は之に由て曲げられます、公平は私共の心より取去られます、私共は日々眼を今日の新聞紙に曝らして聖からんて欲して日々に益々穢がされます、血に交はれば赤くなると云ひます、俗気紛々たる今の新聞紙を読みつゞけて私共は俗人たらざらんと欲するも得ません。
 斯く云ひて私は絶対的に新聞紙を拒絶するのではありません、世には新聞紙らしき新聞紙が無いとも限りません、或る人が曾て米国スプリングフイールド、レパブリカンと云ふ新聞紙を評して云ひました、此新聞紙を読みつゞけて新約聖書を読むが如き感がすると、即ち心を潔うし、思を高うし、義を愛し、不義を憎むに至らしむとのことであります、グラツドストン翁が終生マンチエスター、ガーヂアンなる新聞紙を手ばなさなかつたと云ふが如きも、世に頼るに足るの新聞紙の在ることを証します、然しながら悲いことには私は我国に於て未だ斯かる新聞紙に見当りません、私は斯かる新聞紙の一日も早く我国に生れ出でんことを望みます、然し、其生れ出づるまでは今の新聞紙に眼を曝らさないのが精神上大なる利益であると思ひます。
 
(312)     懐胎の告知
         路加伝一章二十六−三十八節(改訳)
                     明治40年12月10日
                     『聖書之研究』94号「雑録」
                     署名なし
 
 此れより六ケ月に当りガブリエルと云へる天使神よりナザレと云へるガリラヤの邑に在るダビデの家の者なるヨゼフと名けたる人に聘定《いひなづ》けせられたる処女の所に遣されたり、其処女の名はマリヤと云へり、天使、彼女に来り曰ひけるは、
  芽出たし、恵まれし者よ、主、汝と偕に在す。
と、処女甚たく其言を訝り、その問安《あいさつ》は如何なる事なるぞと思ひめぐらせり天使彼女に曰ひけるは、
  懼るゝ勿れ、マリヤよ、
   汝は神に在りて恵を受けし也、
  視よ、汝孕みて男子を生まん、
   其名をイエスと称すべし、
  彼は大なる者となるべし、
   又『至上者《いとたかきもの》』の子と称へらるべし、
(313)  主なる神は彼に其父ダビデの位を賜ふべし、
  彼は窮なくヤコブの家を治むべし、
  而して彼の治世に終なかるべし。
マリヤ 天使に曰ひけるは
 我れ未だ夫に適かざるに如何にして此事あらんや。
天使 彼女に答へて曰はく、
 聖霊 汝の上に臨むべし、至上者の能《ちから》 汝を庇ふべし、是故に生まるゝ所の聖なる者は神の子と称へらるべし、視よ、汝の同族エリザベツ、彼女も亦其老年に於て男子を孕めり、石婦と称へられし彼女に此事ありて既に六ケ月に及べり、そは神に於ては能はざる事なければ也。
マリヤ曰ひけるは、
 視よ、我は是れ主の使女《つかひめ》なり、汝の言へる如く我にあれかし。茲に於て天使 彼女を去れり。
 
(314)     慶報
                     明治40年12月10日
                     『聖書之研究』94号「雑録」
                     署名なし
 
〇内村生著英文『日本及び日本人』は這般又独逸国に於て其国語を以て Japanische Charakterkoepfe の題目の下に発行せられたり、丁瑪訳も既に着手せられたりとの報あり、欧洲大陸に於て余輩は益々善き友を作りつゝあり。
〔画像略〕ドイツ語版初版表紙192×128mm
〔画像略〕デンマーク語版初版表紙 200×145mm
 
 一九〇八年(明治四一年)一月−七月 四八歳
 
(317)     〔我が信仰の告白 其一 他〕
                     明治41年1月10日
                     『聖書之研究』95号「所感」
                     署名なし
 
    我が信仰の告白 其一
 
 我は自己を救ふに非ず、キリストに由て救はるるなり、我が救拯は我が道徳に於て存せず、キリストの功績に在て存す、イエスキリストの血すべての罪より我を潔む 我は新年の始に方り、我が信仰を告白すること爾り。
約翰第壱書一章七節。
 
    我が信仰の告白 其二
 
 我はキリストと彼の福音を信ず、然れども我は今の基督教会なるものを信ぜず、其神学と信仰箇条とを信ぜず、其制度と儀式とを信ぜず、其監督と牧師と伝道師とを信ぜず、我は今の基督教会なる者のサタンの会なるを信ず、我は我が信仰を彼等に認められんとせず、我は彼等に由らずしてキリストの所に到らんと欲す、我は新年の始めに方り、我が信仰を告白すること又爾り。黙示録三章九節。
 
(318)    新年と決心
 
 決心又決心、決心を為すは決心を破るに等し、人は心を決して何事をも為す能はず、事を為すは神に在り、唯神に頼らんのみ、歳来るも歳去るも唯神に頼らんのみ。
 
    我が愛国心
 
 我は我が愛する斯国を今日直に済ひ得ざるべし、然れども我は百年又は千年の後に之を済ふの基を置えんと欲す、我が小なる事業が救済の功を奏するまでには我国は幾回となく亡ぶる事もあらん、然れども我は永久の磐の上に築て時の変遷を懼れざるべし、我は我国を世々の磐なる我神に委せん、世の政治家の如くにあらずして、預言者の如くに、使徒の如くに、大詩人の如くに、大哲学者の如くに、永遠の真理を講じて永遠に我国を救ふの道を講ぜん。
 
    戦争廃止の歌
 
 我が理想は神の思想なり、而して神の思想は終に事実となりて世に顕はるべき者なり、理想を語るは夢を語るに非ず、未来の事実を語るなり、神の僕モーセの歌と羔の歌とは正義終局の勝利の歌なり、戦争絶対的廃止の歌なり、万物復興の歌なり、地の改善、民の充足の歌なり、歌は理想なり、未来の完全を今示されて之を視て歓びて発する声なり。黙示録十五章三節。
 
(319)    キリストの王国
 
 此世の 諸の国は我等の主イエスキリストの属となり、キリスト世々窮なく之を治め給はん時に、陸《くが》には兵営絶えて※[竹/孤]の声は揚らざるべく、海には軍艦失せて黒煙天に漲らざるべし、山は森林を以て蔽はれ、河は其岸を溢れず、肥料は豊かに供給されて民は凶斂を歎かざるべし、人は衣食足りて其隣人を羨まず、人生は楽しきものとなりて、死と墓とは忘らる、軍人は医師と化して病毒と戦ひ、税吏は巡視と成りて民に慰藉を頒つ、嗚呼慕はしきかなキリストの王国、我は其到来の一日も迅速からんことを願ふ。黙示録十一章十五節。
 
    戦争の結果
 
 此世の牧伯と偽りの頚言者とは言へり、戦争は可なりと、然れども神は言ひ給へり 戦争は非なりと、而して神の言は聞かれずして戦争は開かれたり、而して今や戦争の結果は顕はれたり、貧困、飢餓、絶望、自殺! 敵を門前より攘ひ得て敵は門内に現はれたり、戦争は敵を絶たず、新たに敵を作る、神の預言者は言へり
 凡そ人を虜にする者は己れ又虜にせられ、刀にて人を殺す者は己れ又刀にて殺さるべし、聖徒の忍耐と信仰茲に在り(黙示録十三章十節)。
 然り、聖徒の信仰は非戦にあり、国民は挙て戦争を唱へ、教会は拳て戦争に和するも聖徒の忍耐と信仰は非戦にあり。
 
(320)    神の論証
 
 神の言辞は事実なり、神の議論は事実なり、神の証明は事実なり 神は声を出して語り給はず、然して事実を以て語り給ふ、戦争の非なるを論じ給ふに戦争の結果を以てし給ふ、教会の非なるを示し給ふに教会の実情を以てし給ふ、論ずるを休めよ、人よ、唯見よ、見て覚れよ、而して改めよ、神は耳より、眼より、鼻より、口より、然り、上より、下より、地の四方より事実を以て汝に迫り給ふ。
 
    聖書の解釈
 
 曰く聖書研究、曰く沙翁研究、曰くゲーテ研究、曰くダンテ研究と、今の人は想ふ、何事も研究に由て之を解するを得べしと、否らざるなり、夫れ人の事は其中にある霊の外に誰か之れを知らんや、此の如く神の事は神の霊の外に知る者なし、沙翁の霊を以てのみ能く沙翁の作を解するを得べし、ダンテの霊を以てのみ能くダンテの作を解するを得べし、而して神の霊を以てのみ能く神の書たる聖書を解するを得べし、聖書の文字を解し得たればとて、聖書は之を解するを得ず、近世の所謂聖書学者の誤謬は単に此明白なる一事に存す。哥林多前書二章十一節。
 
    聖書の自証
 
 聖書は神の書なり、神に由て書かれし書なるのみならず、又神に由て使はるゝ書なり、我等は欲《この》んで聖書を解(321)する能はず、然れども神は其解釈を以て我等の霊に臨み給ふ、聖書にして若し神学者の機智を以て解し得らるる者ならん乎、是れ神の書にあらざるなり、聖書は神に由てのみ満足に解釈されて其神の書なるを自証す。
 
(322)     教会の今昔
                     明治41年1月10日
                     『聖書之研究』95号「所感」
                     署名 柏木生
 
 余にして若し初代の信者なりしならん乎、余は勿論教会に属せしならん、初代の教会は此世と相対して立ちし者なり、之に入る者は此世と絶たざるべからず、此世の権者と富者とに憎まれざるべからず、迫害は彼の蒙るべき必然の災厄たりし也、彼は教会に入て凡てキリストのために苦む者と運命を共にしたり。
 然れども今の教会は否らず、今の教会は此世の一部分なり、是れ此世の交際を求むる所、此世に権力を張らんとする所、此世に媚ぶる所、基督の名の下に此世の人の集る所なり、故に今の教会なる者は名こそ教会なれ実は教会にあらざるなり、世と相対して立つ所にあらずして世と和する所なり、キリストの福音を以て世を征服せんとする所にあらずして、世の援助を仰いで自己の存在を維持せんとする所なり、勝利の教会に非ずして、阿諛服従の教会なり、故に斯かる教会に属せんよりは世に止まるに如かず、我等救はれんがために此世を去りし者、何を好んで再たび此世の一部分なる今の教会に帰らん乎。
 然り、余は聖なる公的教会を信ず、然れども是れ今の教会にあらざることは火を睹るよりも明かなり、今の教会は初代の教会の存在の理由を以て自己の存在を弁護するの権利を有せず、二者は其名に於て相等しきのみ、其実に於ては今の教会が初代の教会と相|離《さ》るは北極が南極を離るに等し。
 
(323)     読むべきもの、学ぶべきもの、為すべきこと。
                     明治41年1月10日
                     『聖書之研究』95号「所感」
                     著名 蜀江生
 
 読むべきものは聖書である、小説ではない、政論ではない、然り、神学ではない、註解でない、聖書其物である、神の言にして我が霊魂の声なる聖書である、聖書は最も興味深き最も解し易き書である、世々の磐より流れ出づる玉の如き清水である、之を哲学的に解釈せんとせず、之を教会の書として読まず、神が直接に霊魂に告げ給ふ言として読んで、聖書は其最も明瞭なる意味を我等に供給する、我等はすべての物を読むを止めても、然り、時々すべての物を読むを止めて、一意専心聖書を読んで之をして我等の霊魂を活き復らしむべきである。
 学ぶべきものは天然である、人の編みし法律ではない、其作りし制度ではない、社会の習慣ではない、教会の教条《ドグマ》ではない、有の儘の天然である、山である、河である、樹である、草である、虫である、魚である、禽である、獣《けもの》である、是れ皆な直接に神より出で来りしものである、天然は唯天然ではない、神の意思である、其意匠である、其中に最も深い真理は含まれてある、天然を知らずして何事をも知ることは出来ない、天然は智識の「いろは」である、道徳の原理である、政治の基礎である、天然を学ぶは道楽ではない、義務である、天然教育の欠乏は教育上最大の欠乏である。
 為すべき事は労働である、口を以てする伝道ではない、筆を以てする著述ではない、策略を以てする政治では(324)ない、手と足とを以てする労働である、労働に由らずして信仰は保てない、労働に由らずして智識以上の智識なる常識は得られない、労働は労働としてのみ尊いのではない、信仰獲得并に維持の途として、常識養成の方法として、愛心喚起の手段として又最も尊いのである、キリストに於ける信仰は文に頼て維持することは出来ない、語るを知て働くを知らざる者は大抵は遠からずしてキリストを棄る者である、福音は神学ではない労働である、聖書の最も善き註解は神学校より来る者にあらずして、田圃より、又は工場より、又は台所より来る者である、労働なくして身は飢え、智識は衰へ、霊魂は腐る、労働を賤む者は生命を棄る者である、労働是れ生命と云ふも決して過言ではない。
 
(325)     黙示録は如何なる書である乎
                     明治41年1月10臼
                     『聖書之研究』95号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
 聖書の中に黙示録なる書がある、其巻末に在て二十二章に渉る書である、其地位から云ふも長さから云ふも特に信徒の注意を惹くべき書でなくてはならない。
 然るに実際は如何である乎と云ふに、基督信者にして此書を読む者は至て尠ない、不信者が之を嘲けり、之を顧みない計りでない、信者にして其価値と実用とを認むる者は甚だ尠ない、彼等の大多数に取りては此書は七の印を以て封印せる内外に文字ある巻の如きものである(五章一節)、即ち彼等の中一人として此巻を開き又之を見るに堪る者がないと云ふても可い程である(仝四節)、黙示録は大抵の信者に取りては不可解の書である、有て無きに均しき書である、其中に二三の警句二三の慰藉の言辞のないではないが、然し全体としては隠れたる、測り知るべからざる書である。
 然しながら黙示録は果して斯かる性質の書であらふ乎、黙示録は果して不可解の書であらふ乎、是れは全然解し難き書にあらざれば又之に反して如何様にも解することの出来る書であらふ乎、黙示録は神が人の頓智を試みんがために特に世に供し給ひし謎語であらふ乎、言を換へて云へば黙示録は信者が之を読まざればとて何の損害をも感ぜざる書であらふ乎、即ち信仰的生涯を送る上に於て何の実益も無い書であらふ乎。
(326) 余輩は爾う思ふことは出来ない、黙示録は聖書の一部分である、而かも大切なる一部分である、爾うして若し聖書が解し得らるべき書《もの》であるならば、黙示録も解し得らべき書でなくてはならない、黙示録は謎語ではない、其名が既に黙示録である、即ち人に示されたる事の記録である、是れが解し得られない筈はない。
 爾うして黙示録自身が其解釈を読者に促して居るのである。
  此はイエスキリストの黙示なり、即ち神、彼をして迅速に起るべき事を彼の僕等《しもべども》に示さしめんとて彼に賜ひし所なり(一章一節)。
  此預言の書《ふみ》を読む者と之を聞きて其中に記しある所を守る人々は福なり(一章三節)。
  耳ある者は聖霊の諸数会に言ふ所を聞くべし(一章十一節)。
 是等の言に由て見るも黙示録記者が不可解の書として此書を亜細亜の諸数会に送つたのでない事は明かである、勿論其中に解し難い所がある、謎的の所がある、其有名なる十三章末節の如きは是である。
  此獣の数目《かずめ》の義を知る者は智慧あり、才智ある者は此獣の数を算へよ、獣の数は人の数なり、其数は六百六十六なり。
 是は確かに難解の語である、然しながら是れに類したる言辞は聖書の他の所に幾許《いくら》もある、帖撒羅尼迦後書二章孝七節の如きは此類である、其他旧約の但以理書の如き撤加利亜書の如き、又新約の馬太伝第二十四章の如き、皆な難解の語たるを免かれない、解し難きは黙示録に限らない、聖書全体が肉の心を以て読めば閉ぢられたる書である。
 故に難解の故を以て此書を不可鮮の書と見てはならない、黙示録は解し得らるべき書である、爾うして解し得(327)て最も利益多き書である、黙示録を見逃して、我等は聖書の中の最も善き部分を見逃すのである、茲に慰藉と希望と勇気と歓喜との宝蔵が我等のために備えられてあるのである、我等は之を開くの鍵を授けられて我等の父が其中に貯へ給ひし美食《よきもの》の饗筵《ふるまい》に与かるべきである。
 黙示録は如何なる書である乎と問ふに、一読して何人にも判明る事はその特に慰藉の書であることである、黙示録は不信者と偽信者との迫害する所となりし基督者を慰めんとて書かれたる書である、是れは或る学者が言ふやうに基督教歴史哲学を世に供せんとして著はされたる書ではない、又或る他の学者が言ふやうに基督教会の運命を戯曲に綴つた者ではない、黙示録の目的は文学的ではない、実際的である、是れは哲学の書ではない、又文芸の書ではない、慰藉の書である、流るゝ涙を拭はんための書である、忍耐を勧めんための書である、希望を供せんための書である、黙示録の此実際的動機を見逃して此書の意味を解し、其価値を知ることは出来ない。
  汝、将さに受けんとする苦《くるしみ》を懼るゝ勿れ、悪魔将さに汝等の中の或者を獄《ひとや》に入れ汝等を試みんとす、汝等十日の間(或る不定の時期の間)患難を受くべし、汝、死に至るまで忠信なれ、然らば我れ生命の冕を汝に与へん(二章十節)。
  此後我れ観しに諸国、諸族、諸民、諸音の中より誰も数へ尽すこと能はざる程の多くの人、白衣を着、手に椋櫚の葉を持ち、宝位《みくらゐ》と羔の前に来りて立てり………彼等は大なる艱難を経て来れり、曾て羔の血にて其衣を洗ひ、之を白くせる者なり、是故に彼等は神の宝位の前に在り、且つ神の殿《みや》にて夜昼神に事ふ、彼等は重ねて飢えず、重ねて渇かず、又日も熱気も彼等を害はざる也、そは宝位の前に在る羔、彼等を養ひ、彼等を活ける水の源に導き、又神、彼等の涙を其目より拭ひ給ふ可れば也(七章九節以下)。
(328)  我れ新しき天と新らしき地を見たり、前の天と前の地は既に過ぎ去り、海(混乱の状態)も亦有ることなし、我れ聖き城なる新しきヱルサレム、備整ひ神の所を出て天より降るを見たり、其状は新婦《はなよめ》其|新郎《はなむこ》を迎へんために修飾りたるが如し、我れ大なる声の天より出るを聞けり、曰く神の幕星人の間に在り、神、人と共に住み、人、神の民となり、神又人と共に在して其神となり給ふ、神、彼等の目の涙を悉く拭ひ去り、復死あらず、哀み、哭《なげ》き、痛み有ることなし、そは前の事既に過去れば也(二十一章一−四節)。
 是れ黙示録中の慰藉の言の二三である、爾うして全篇、斯かる言を以て充ちて居る、是れ解し難き言で無いのみならず最も美はしき、最も喜ばしき言である、慰藉の言として之に優さる者は他にはない、神、彼等の目の涙を悉く拭ひ去り給はんとあるを読んで我等の目に再び感謝の涙が浮ぶのである、我等は斯かる約束の言に接して歓喜に満ちて叫ぶのである、「来れ患難、来れ迫害、我は死に至るまで主の導き給ふ所に従はん」と。
 其目的に於て黙示録と善く似たる書は彼得前書である、二者其文体を異にするも其内容は同じである。
  汝等今暫時各様の艱難に遇ふて憂へざるを得ずと雖も却て喜ぶなり、汝等の信仰を試みらるゝは壊《くつ》る金の火にて試みらるゝよりも貴くして、汝等イエスキリストの顕はれ給はん時に称讃《ほまれ》と尊貴《たうとき》と栄光を得るに至らん(彼得前書一章六、七節)。
 是を移して以て黙示録の序文となすことが出来る、黙示録は此原理を具体的に述べたるものである、而かもペテロ以上の描写的才能を以て述べたるものである、其書かれし時代より云ふも、其主眼とする目的より云ふも黙示録は彼得前書に極く近い書である。
 特に慰藉の書である黙示録は非常に真面目なる書である、勿論聖書中に不真面目なる書とては一つも無い、然(329)し真面目にも度がある、赤熱の真面目もあれば白熱の真面目もある、爾うして黙示録の真面目は白熱のそれである、是れは路加伝のやうに敬慕の余り救主の美を讃へたる書ではない、又羅馬書のやうに歴史に顕はれたる神の摂理を述べたる歴史哲学のやうなる書ではない、又加拉太書のやうに福音の教義を論じたる議論ではない、黙示録は戦争の最中に血を以て書かれたる信仰の書である、其文体が著しく戦闘的であるのは全く是れがためである、曰く馬、曰く※[竹/孤]、曰く神の怒を盛れる七つの金椀《かなまり》と、曰く我れイエスの証《あかし》及び神の道《ことば》のために首|斬《きら》れたる者の霊魂を見たりと(二十章四節)、鮮血淋漓とは此事である、黙示録は著述家が書斎に在て多くの参考書に照合《てらしあは》して書いた書ではない、其ペンを信徒の迫害の血に浸たして書いた書である、此書の文体の稍や奇怪なるより之を作者が一時の感興に乗じて綴りし一種の戯作と見るは大なる間違である、今や基督者に大迫害起り墓は口を開いて彼等を呑んとして居つた、今や戯曲を草する時ではない、今や哲学を講ずる時ではない、今や世界の未来に就て無益の空想を弄する時ではない、今は試錬の時である、死を以て信仰を試みらるゝ時である、此時に於て成りし此書、白熱の真面目ならざらんと欲するも得なかつた、黙示録を読んで此真面目を認めない者は其著者の赤心を蹂躙する者である、斯かる呑気なる、不真面目なる、即ち未だ血を以て信仰のために争つたことのない読者のために此書の最後の言辞は書き加へられたのである。
  我れ此書の預言の言を聞く者に証をなす、若し此書の預言の言に加ふる者あれば神、此書に録《しる》す所の災を以て之に加へん、若し此書の預言の言を削る者あれば神之をして此書に録す所の生命の樹の果《み》と聖城《きよきまち》とに与かること莫らしむ(二十二章十八、十九節)。
 是れ一読して誇大の言のやうに見える、然し誇大の言ではない、俗人の褻涜を斥けんとした赤誠の誓である、(330)赤誠はヱホバの神の如く嫉妬深き者である、即ち赤誠の外、自己に触《ふる》ることを許さゞる者である、熱血を以て書かれし此書! 其著者は茲に世の批評家、偽りの預言者、文芸家輩が其汚れたる手を此書に触れざらんことを要求たのである。
 慰藉の書であり、真面目の書である黙示録は又現代の書であつた、即ち特に後世を教へんとして書かれた書ではなくして、其当時の必要に応じて成つた書である、黙示録は則ち歴史的の価値を有する書である、黙示録は未来記ではない、或る註解者が云へるが如く、或ひはモハメツトの出現を予言し、或ひはルーテルの蹶起を予言し、或ひはナポレオンの横行を予言し、甚だしきに至ては第二十世紀の始めに於ける日本国の勃興までを予言したと云ふが如き驚くべき未来先見の書ではない、黙示録は第一世紀の終りに於ける羅馬帝国の状態を叙して患める基督者を慰めんとした書である、故に之を解するに当時の歴史的智識が必要である。
 其当時痛く基督者を迫害した羅馬帝王にしてネーロとドミシアスがあつた、彼等は帝王崇拝を諸国の民に強ひ、諸民の信仰的統一を計らんとした、而して基督者がイエスを王として戴くより、羅馬政府は乱臣国賊として痛く彼等を責めたのである、此際に方て彼等を慰めんとしたのが此黙示録である、
  此七の首《かしら》は婦《おんな》の座する七の山なり、七の王あり、其五は既に傾《たふ》れて一は尚ほあり、余りの一は未だ来らず、来らば暫らく止まらん、昔に在りて今在らざる獣は第八なり、即ち七の王より出し者にて終に沈淪《ほろび》に往かん(十七章十、十一節)。
 是れ確かに当時の歴史に直接の関係ある言辞である、「婦」とは言ふまでもなく帝都ローマである、其「座する七つの山」とは有名なる「ローマの七丘」である、「七の王」とはアウグスタス以後七人の帝王である、其五人は(331)既に失せて、一人は今位に在り、「昔に在りで今在らざる獣」とはネーロにあらざればドミシアスである、二者何れも獣の名を価する程の虐主であつたことは歴史家の斉しく認むる所である、勿論当時の政治的状態の詳細に就て今之を知ることは出来ない、爾うして黙示録を詳細に解する事の出来ない一の理由は当時の歴史に就て吾人の知る所が至て不完全であるからである、然しながらタシタス、ヂオン、スエトニアス等、羅馬帝国当時の歴史家の記事より推して吾人は其当時の状態を略ぼ明かにすることが出来る、爾うして黙示録を以て其当時の歴史の信仰的解釈と見て其興味は一層深く感ぜらるゝのである。
 黙示録は現代の書であつて歴史の書である、然しながら其れが故に永久の書たるを失はない、歴史は時代的であつて信仰は永久的である、爾うして羅馬歴史を信仰的に解釈せし其原理を以て吾人は今日の世界歴史、又日本歴史を解釈することが出来る、黙示録に永久的の価値があるのは全く是れが故である、歴史は善と悪との衝突である、黙示録記者の言を以てすればキリストと悪魔との争闘である、爾うして悪は如何なる手段を弄して善に勝たんとする乎、善は如何なる武器を以て悪に対するか、是を羅馬歴史に於て見て日本歴史に適用することが出来る、「歴史は繰返す」と云ふは此事である、唯舞台に現はるゝ人物《ペルソネル》が異なるまでゞある、之を繰る善の霊と悪の霊とは昔も今も少しも変らない。
 黙示録著者が自己の著述を指して「預言の言」と称へしは此事である、預言とは預言でないとは余輩が屡々本誌の紙上に於て言ふた所である、prophesy は「前に言ふ」ではなくして「代て言ふ」である、即ち「神に代て言ふ」である、爾うして神は物の外装を透うして其真髄を視給ふ者であるから、其代言者たる預言者は時代顕象の中に存する永久真理を発見して之を人に示す者である、黙示録著者も亦此意味に於ての預言者であつた、イザヤ(332)がアツシリヤ時代の預言者、即ち其当時の歴史の信仰的解釈者であり、ヱレミヤがバビロン時代の預言者であつたやうに黙示録著者は羅馬時代の預言者であつたのである。
 現代歴史の性を帯びたる黙示録は特殊の文体を以て書かれたる書である、即ち其当時流行せし黙示文学の一として書かれたる書である、黙示録は黙示録であると云ふは駄弁を弄するやうであるが、然かし此事を心に留めずして正しく此書を解することは出来ない、是を単に黙示録と云ふは聖書の中に他に此名を帯びたる書がないからである、然しながら其、始めて著はされし当時に在ては単に黙示録と云ふて其、如何なる黙示録であるかは少しも判明らなかつた、聖書の黙示録の著されし当時に他に幾多の黙示録があつた、即ちバルヒの黙示録、アダムの黙示録、エノクの黙示録、エヅラの黙示録等の書があつた、爾うして其目的こそ異なれ、其趣向と文体とに於て是等の黙示録は聖書の黙示録と多く異なる所がなかつた、故に聖書の黙示録は之を他の黙示録より区別せんためにヨハネの黙示録と称せられたのである、即ち黙示文体を以て書かれたるヨハネの書との謂である。
 爾うして黙示文体とは如何なる者である乎と云ふに、其一斑は之を旧約の但以理書又は撒加利亜書を読んで知ることが出来る、新約の黙示録は主として旧約の但以理書に傚て書かれたる書であると云ふも多く誤る所はない、今茲に二者の類似に就て詳しく述ぶる事は出来ない、唯其一例を挙げんに預言者ダニエルがネプカドネザル王に曰ふた言葉に左の如きものがある、
  王よ、汝は一箇の巨《おほひ》なる像の汝の前に立てるを見たり、其像は大きくして其|光輝《かがやき》は常ならず、其形は畏ろしくあり、其像は頭は純金、胸と両腕とは銀、腹と腿とは銅、脛《はぎ》は鉄、脚は一分は鉄一分は泥土なり、汝見て居りしに、遂に一箇の石、人手に由らずして生れて出で、其像の鉄と泥土との脚を撃て之を砕けり、斯りし(333)かば其鉄と泥土と銅と銀と金とは皆な共に砕けて夏の禾場《うちば》の糠の如くに成り、風に吹き払はれて止まる所なかりき、而して其像を撃たる石は大なる山となりて全地に充てり、是れ其夢なり(但以理書二章三十−三十六節)。
 是は黙示文体の善き標本である、爾うして之に類したるものは創世記にも、民数紀略にも、列王紀略にも、以賽亜書にも、以西結書にも、約耳書にも、撒加利亜書にもある、特に以西結書の如きは但以理書に次ぐの黙示文学と称すべき者である。
 之に由て観て其文体から云ふて新約聖書の黙示録の決して独特の書でないことが分かる、是れに類したる書は他にも多く在つたのである、是れは当時のユダヤ人が其思想を発表するに方て度々用ひし文体であつたのである、黙示文学とは詩に似て詩ではない、描写に似て描写ではない、表号を以て思想を表はしたる文体である、即ち表号的文学とも称すべきものである、故に是れは文字通りに解釈すべきものでないことは何よりも明かである、即ち「星」と云ひて星学者の云ふ星を指したのではない、「海」と云ひて地学者の云ふ海を云ふたのではない、「※[竹/孤]」と云ひて軍器を云ふたのではない、「三年半」と云ひて暦の三年半を云ふたのではない、千年と云ひて百年を十倍せし時限を云ふたのではない、是れには皆な其れ/\の意味があつたのである、爾うして是等の表号たる、著者が勝手に鋳造したる者ではなくして、其当時の読者には善く知れ渉りたる者である、始めてヨハネの黙示録を読みし者が今の多くの基督信者が読む時のやうに奇怪驚愕の感を以て之を読まなかつたことは明かである、彼等に取りてはヨハネの黙示録は秘密文字ではなかつた、彼等はパウロ、ペテロの書翰を解したやうにヨハネの黙示録を解したに相違ない、若し其意味に解し難い所があつたならばそれは其文字ではなくして其精神であつた、肉の(334)人が是を解し得ないのであつて、普通教育を有する霊の人は最も明白に、且つ多大の興味を以て此霊の書を解したに相違ない。
 故にヨハネの黙示録を文字通りに解釈せんとする程、無益にして有害なる事はない、恰かも詩歌を解するに散文の定規を以てするが如く、其結果たる笑ふべきものであるは言ふまでもない、黙示録を解釈せんとすれば黙示文学の定規を以てしなければならない、爾うして此定規たる、是をすべての黙示文学の研究に由て得なければならない。
       *     *     *     *
 新約聖書の黙示録とは其大体に於て以上の如き者である、慰藉の書、熱誠の書、時代を信仰的に解釈せし書、表号を以て著者の深遠なる思想を表はしたる書である、是を深く研究するは容易の事でない、然し研究して其利益は実に無量である、奇異なるが如くに見ゆる此書は患めるキリストの僕の最良の侶伴である、「竜と獣と偽りの預言者」に苦しめらるる基督者に取りて此書に優さりて美はしい者は他にない、是れ又確かにヱホバの言葉である、多くの黄金《こがね》に較るも、多くの純精金《まじりなきこがね》に較るもいや優さりて慕ふべく、是を蜜に此ぶるも、蜂の巣の滴瀝《したゝり》に比ぶるもいや優さりて甘い言葉である(詩篇第十九篇)、神若し許し給はゞ余輩は更らに此貴き書に就て本誌の読者に語りたく欲《おも》ふ。
 
(335)     預言者エリヤ
                    明治41年1月10日−4月10日
                    『聖書之研究』95−98号「研究」
                    署名 内村鑑三
 
      アハブの即位(列王紀略上第十六章二十九−三十三節)
 廿九ユダの王アサの治世第三十八年にオムリの子アハブ イスラエルの王となれり、彼れサマリヤに於て二十二年間イスラエルに王たりき 三十アハブ其先にありしすべての王よりも多くヱホバの目の前に悪を為せり 卅一彼はネバテの子ヤラベアムの罪を行ふ事を軽き事と做せしや、シドン人の王エテバアルの女イエゼベルを娶りて妻となし、往きてバアルに事へ、之を拝めり 卅二彼れ其サマリヤに建たるバアルの殿《みや》の中にバアルのために祭壇を築けり 卅三アハブ アシラ像を作れり、斯くてアハブは其先きにありしイスラエルのすべての王よりも甚しくイスラエルの神ヱホバの怒を激《おこ》す事を為せり。
      堕落の一斑(仝三十四節)
 卅四彼の代にベテル人ヒエル ヱリコを再建せり、彼れ其基を置えし時に其長子アビラムを喪ひ、其門を立てし時に季子セグぶを喪へり、ヌンの子ヨシユアに由りてヱホバの言ひ給へるが如し。
      エリヤの現出(仝第十七章一−七節)
一ギレアデに寄寓せるテシベ人エリヤ アハブに言ひけるは
(336)  我が事ふるヱホバは清く、我が言に由るにあらざれば数年間雨も露もあらざるべし
二時にヱホバの言彼に臨みて曰へり
三汝 此処を去り、東に向ひ、ヨルダンの前なるケリテの渓谷《たにあひ》に身を匿せ 四汝 其|渓《たにがは》の水を飲むべし、我れ鴉に命じて彼処にて汝を養はしむ
と 五彼れ往きてヱホバの言の如く為せり、即ち往きてヨルダンの前なるケリテの渓谷に住めり 六鴉は朝にパンと肉と、夕にパンと肉とを彼に持来れり、彼は又渓に飲めり 七然るに国に雨なかりしが故に暫らくして其渓水涸れぬ。
      異邦に逃る(仝八−十六節)
 八ヱホバの言 彼に臨みて
  九起ちてシドンに属するザレバテに往きて其処に住むべし、我れ彼処に※[釐の里が女]婦《やもめ》に命じて汝を養はしむ
と 十斯くて彼起ちてザレバテに往けり、彼れ市《まち》の門に至りし時一人の※[釐の里が女]婦の其処に薪を採《ひら》ふを見たり、乃ち之を呼びて曰ひけるは「請ふ、器に少許《すこし》の水を我に持来りて我に飲ませよ」と 十一彼女之を持来らんとて往ける時、エリヤ彼女を呼びて曰ひけるは「請ふ、汝の手に一片のパンを我に持来れ」と 十二彼女曰ひけるは「汝の神ヱホバは活く、我にパン有るなし、唯桶に一握《ひとつかみ》の粉と瓶《かめ》に少許の油とあるのみ、視よ、我は二本の薪を採へり、我は今家に往て我と我子のために調理し、之を食ひて死なんとす」と 十三エリヤ 彼女に曰ひけるは
 懼るゝ勿れ、往きて汝が言ひし如くせよ、但し先づそれを以て小さきパン一つを作り、之を我に持来れ、然る後に汝と汝の子のために作るべし 十四そは「ヱホバが地の面に雨を降らし給ふまでは其桶の粉は竭きず、(337)其瓶の油は絶えず」とイスラエルの神ヱホバ言ひ給へばなり。
 十五彼女往きてエリヤの言へる如く為せり、而して彼女と彼と彼女の家族は久しく食へり 十六桶の粉は竭きざりし、瓶の油は絶えざりし、ヱホバがエリヤに由て語り給ひしが如し。
      貧女を救ふ(仝十七−二十四節)
 十七是等の事のありし後に、其家の主婦なる婦の子病に罹れり、其病劇くして気息其中に絶えたり 十八婦エリヤに曰ひけるは「神の人よ、我れ汝と何の干与《あづかり》あらんや、汝は我が罪を憶ひ出さしめて我が子を死なしめんために我に来りし乎」と 十九彼れ彼女に言ひけるは「汝の子を我に附せ」と、彼れ之を彼女の懐より取り之を己が居る高部屋に拘来り、己が牀《とこ》の上に置けり 二十斯くて彼れエホバに叫びて曰ひけるは
  我が神ヱホバよ、汝は我が偕に宿る此※[釐の里が女]婦の上にも亦災を下して其子を死なしめ給ふ乎
と 廿一斯くて彼れ三度身を伸して小児の上に伏しヱホバに叫びて曰ひけるは「我神ヱホバよ、我れ汝に願ふ、此小児の生命を再び其中に還らしめ給へ」と 廿二ヱホバエリヤの声を聴きいれ給へり、小児の生命は再び彼に還れり、彼は復活せり 廿三エリヤ即ち小児を抱き之を高部屋より家に連れ下り、其母に附して言ひけるは「視よ汝の子は活く」と 廿四婦エリヤに言ひけるは「今我は汝が神の人にして汝の口にあるヱホバの言の真なるを知る」と。
 
(338)    字解
 
       列王紀略上第十六章二十九−三十二節
 29此時猶太国は南北二国に分れたり、南なるをユダと称し、エルサレムに都し、北なるをイスラエルと称してサマリヤに都せり、ユダに王ありしと同時にイスラエルにも亦王ありたり、アサの治世第三十八年は紀元前八百七十年頃に当る 〇30「ヱホバの目の前に悪を為せり」 多くの不義を行ひしに止まらず、凡ての不義の源なる背信を行へり、即ち聖きヱホバの神を棄て異邦の神に事へたり、殊に「悪」と云ふは此事なり 〇31「ネバテの子ヤラベアム」 イスラエル王国の建設者なり、ダビデ王統に叛きて別に王統を立てし者、彼は始めてヱホバを拝するに偶像を以てせり、故に偶像崇拝を称して殊に「ヤラベアムの罪」と云へり(十二章二十六節以下を見よ) 〇「シドン人の王エテバルの女イエゼベル」 ツロ、シドンに就ては『興国史談』を見るべし、ペニケ国の貿易市場にして殿富を以て聞えし者、アハブ王は婚を異邦の王と結んで其淫猥なる宗教を採用せり、淫婦イエゼブルに就ては黙示録二章二十節を見るべし 〇32首府に偶像殿を建て、其中に偶像を安置して之に事へたり 〇32バアルは男神にしてアシラは女神なり、淫猥放縦は常に男神、女神の崇拝に伴ふ。
       仝三十四節
 ヱリコを再築すべからずとはヱホバがヌンの子ヨシユアに由りて選民に命じ給ひし所なり
  ヨシユア其時人々に誓ひて命じ言ひけるは、凡そ起てこのヱリコの邑を建る者はヱホバの前に詛はるべし、其石礎を置ゑなば長子を失ひ、其門を建てなば季子を失はんと(約書亜記六章二十六節)。
(339) ベテル人ヒエルは此禁を犯して此呪詛に触れたり.
       第十七章一−七節
 1「ギレアデ」 ヨルダン河の東にあり、アラビヤ沙漠に接し、イスラエル王の権力範囲以外に在りたり 〇「テシベ」 ガリラヤのナザレより程遠からざる所に在りたり 〇「ヱホバは活く」 誓の言なり、語気を強め、其誠実を確かめんために用ひられたり 〇「我が言に由るにあらざれば」 ヱホバが我が言を以て其禁を解き給ふまでは 〇2「ケリテの渓谷」 其置位を確定する能はず、蓋しヨルダンより遠く東に方りて沙漠に瀕せし辺に在りしならん乎、旱魃数旬にして渓水涸れたりとあるを見て、其ヨルダン本流に近からざりしを知るに足らん乎 〇4「鴉」 日本産の鴉と異ならず、鳥類が如何にして人を養ふを得し耶、之を奇跡と見るより他なからん、或る言語学者は云ふ「鴉」と訳せられし希伯来語は「商人」とも亦「亜拉比亜人」とも解するを得べしと、若し然りとすれば亜拉比亜の隊商にして其辺を通過せし者が朝夕孤独の預言者に食物を供給せしと解するを得べけん、奇跡は強ひて之を信ずべき者にあらざれば、此見解或ひは我等の採用すべき者ならん。
       仝八−十五節
 8シドンはピニケに在り、イスラエル国より西北に方り、レバノン山に沿ひ、地中海に面し、古来より貿易の繁盛を以て名あり、ザレパテは其南に位ひし、同じく古代よりの名市なりし 〇12「一握の粉と少許の油」 貧の極なり、粉は勿論麦粉なり、油はオレイフ油なり、混じて茲に所謂パンを作りたり、我国の煎餅の如き者なりしならん 〇14「其桶の粉は竭ず、其瓶の油は絶えず」 汝の飲食物に不足なかるべしと、必ずしも奇跡的に供給せらるべしとの意にあらず 〇15「彼女と彼と彼女の家族と」 貧しき※[釐の里が女]婦と孤独の預言者と貧女の一人の子息と(340)なり、聖き楽しき一団欒。
       仝十七−二十四節
 18「我れ汝と何の干与あらんや」 我を去れよと言ふに同じ、路加伝五章八節を見るべし 〇「我が罪を憶ひ出さしめて」 神をして我が罪を憶ひ出さしめて云々、預言者の同宿は神の注意を其家に呼ぶの機会となれりとの意なるべし、聖浄の臨む時に汚穢の曝露さるゝの懼れあり 〇19「彼女の懐より取出し云々」 死児を懐にせし貧女の境遇想ひやらる 〇20「※[釐の里が女]婦にも亦災を下し云々」 災は之を富める人と権《ちから》ある者の上に下すべし、※[釐の里が女]婦の上に下すべからずと、神に対する預言者の懇求は下民に対する同情を以て充満す ○21「彼れ三度身を伸して小児の上に伏し云々」 猛き預言者も貧児の死体に対しては慈父の如し。
 
    意解
 
〇悪王位に即き、異教の女を迎へて妻となし、国政弛み、淫猥行はれ、聖浄は失せ、圧制は臨めり、民は権者に媚びて自由の声を潜め、其預言者すらもたゞ単《ひたす》らに淫婦の微笑を買はんと努めたり、イスラエルに光明絶えて、世は阿諛盲従の暗夜となれり(二十九−三十三節)。
〇上の為す所、下之に従ふ、宮中にヱホバの礼拝は廃れ、バアルのために祭壇は築かれ、アシラの像の祀られし時に、ベテル人ヒエルはヱホバの禁を犯してヱリコの旧市を再興せり、ヱリコの地たる異邦モアブの国境に接し、気候温暖にして民に惰気を促し、腐敗の巣窟たるに最も適したり、神が呪詛を以て其再興を厳禁せしは深き道徳的理由に因れり、然れども今や道徳を省みる時に非ず、国民は挙て快楽を追求せり、彼等は言へり、人生是れ快(341)楽の享有に外ならず、ヱホバの禁制の如き、之を迷信と見て可なりと、茲に於てかベテル人ヒエル、衆に先じ、其未だ目を之に注がざるに乗じ、ヱリコの旧市を復興して利益と快楽とを独専せんとせり、彼れ是れがために長子を喪ひ又季子を喪ひたり、然れども彼は深く彼に臨みし大なる災害を歎かざりしならん、彼の目的は利益と快楽の獲得に有り、神を棄てしと同時に彼の情は鈍りたり、ヱホバの命に背き、彼の愛子二人を喪ひて、彼は尚ほ彼の事業の成功を見て得々たりしならん、ベテル人ヒエルは当時の模範的実業家なり、民衆は彼の不虔を咎むることなく、返て深く彼の成効を羨みしならん(三十四節)。
〇此時に方りギレアデの曠野より一人の野人現はれたり、其名をエリヤと云へり、彼はイスラエル国の北方に当り、ナフタリの地なるテシべベ人なり、然れども彼の生国の腐敗に堪えざりけん、之を避けてヨルダンの彼方なるギレアデの地に寄寓せり、我等は彼の系図を知らず、彼の父は誰ぞ、彼の教師は誰ぞ、是れ問ふて益なき問題なり、彼は忽焉として歴史の舞台に現はれ、又忽焉として之を去れり、彼は蓋し自成の人なりしなるべし、彼は預言学校(当時の神学校)に学ばず、故に彼は預言者ならざる預言者なりし、彼は独り曠野に在りて神より直に其細き声に接せり、彼は斯世の交際を避けたり、故に彼は粗野の人たるを免かれざりし、然れども此人に聖き優しき心ありたり、彼に王者の暴を挫くの勇ありたり、※[釐の里が女]婦の涙を拭ふの情ありたり、単純にして高潔、エリヤは聖書人物中最も愛すべき者の一人なり(十七章一節)。
〇国人拳て権威に媚び、其預言者すらも悉く口を噤ぎて語らざりし時に、ギレアデより来りしテシベの野人は独り声を揚げて叫んで曰く
  我は誓て曰ふ、我が言は真なり、国民は上より下まで悉く罪を犯し、ヱホバの怒に触れたれば、其蒙るべき(342)適当の刑罰として今より後、ヱホバが我が口を以て言ひ給ふまでは地は旱魃を以て困むべし、
と、而して野人の声は全国に響き渉りて終にアハブとイエゼブルとの耳にまで達せり、彼等は震動せり、此野人何を語る乎と、此不敬漢と、国民の罪悪を唱ふる此国賊と、殊に被雇預言者等は口を揃へて曰へり、汝異端の徒よ、何故に国王を辱むるぞと、エリヤは国民に警告して其忌嫌ふ所となりたり、彼は故国に帰り来りてギレアデの曠野に在りしと同じく孤独の人なりき、彼は終に又身を匿さゞるを得ざるに至れり(一−六節)。
〇民のために正義を唱へて、民の中一人もエリヤを回護《かば》はんとする者無かりき、彼は逃れてケリテの渓谷に至り、茲に渓流に飲み、「鴉」に養はれたりと云ふ、「鴉」若し鳥ならん乎、禽獣は彼の国人に優さりて彼に厚かりき、若し亜拉此亜人ならんか、異邦の人は故国の民に優さりて彼に深かりき、預言者は其故郷其家の外に於て尊まれざることなしと(馬太伝十三章五十七節)、預言者を憎む者にして其国人、其家人の如く甚しきはあらざるなり(一−六節)。
〇渓流に水竭きて、真の預言者は還るに家なく、再び隠場を異邦に求むるに至れり、ヨルダンの河辺より上り、彼の故国を横断し、西の方、海に沿ひたるザレプタの邑に至り、其処に貧しき※[釐の里が女]婦の款待を受けたり、禽にあらざれば※[釐の里が女]婦、此世に於ける神の人の友は是れのみ、権者と富者とは彼を憎み、国民は拳て彼を避く、彼が枕する所は潺々たる声を発する渓流の辺にあり、一握の粉、一壺の油、僅かに生命を繋ぐ※[釐の里が女]婦の家にあり(八−十五前)。
〇偉人は情人なり、彼は王者の権を恐れず、然れども※[釐の里が女]婦の懇求に抗する能はず、アハブ王とイエゼベル女王と四百のバアルの預言者の前に立てば巌《いは》よりも堅きエリヤは※[釐の里が女]婦と其一子の前に立てば老媼よりも柔《やさし》かりき、「彼れ三度び身を伸して小児の上に伏し、ヱホバに叫びて曰ひけるは、我神ヱホバよ、我れ汝に願ふ、此小児を復た(343)び活かし給へ」と、預言者自身が大なる小児なりき、小児の心に大人の実験を加へし者、是を偉人と云ふ、エリヤに於て我等は模範的偉人を見るなり、力の人にして情の人、彼が「神の人」と称へられしは彼が神の特性たる此両性を供へたればなり(十七−二十四節)。 〔以上、1・10〕
 
     列王紀略上第十八章
       預言者故国に帰る(一、二節)
 多くの時日を経たる後、第三年にヱホバの言 エリヤに臨みて曰く「往きて汝の身をアハブに示せ、我れ雨を地の上に降さん」と、エリヤ其身をアハブに示さんとて往けり、時に饑饉サマリヤに甚だしかりき。
       途に朝臣に邂逅す(三−十五節)
 時に7ハブ其|家宰《いへつかさ》なるオバデヤを召したり(オバデヤは大にヱホバを畏れし者にて、イエゼベルがヱホバの預言者を断たる時、オバデヤ百人の預言者を取り、之を五十人づゝ洞穴《ほらあな》に匿し、パンと水とをもて之を養へり)、アハプ オバデヤに曰ひけるは、「今遍く国中を巡行き、諸《すべて》の水の源と諸の川とに至り見よ、或ひは馬と騾とを活かしむるに足る草を得ることあらん、然らば我等家畜を尽く失ふに至らじ」と、彼等巡るべき地を二人の間に分ち、アハブ此途を取り、オバデヤは彼途を取れり、而してオバデヤ途に在りし時、視よ、エリヤ 彼に遭へり、彼れそのエリヤなるを識りければ、地に伏して言へり、
  我主エリヤよ、汝は此に居たまふや
と、エリヤ彼に曰ひけるは、
(344)  然り。往きて汝の主人に告げよ、視よ、エリヤは此にありと。
 彼れ曰ひけるは、
  我れ何の罪を犯したれば、汝、此僕をアハブの手に付して彼をして我を殺さしめんとするや、汝の神ヱホバは生く、我が主人の人を遣はして汝を尋ねざる民あるなく、又国あるなし、而して若し「エリヤは在らず」といふ時は其国其民をして汝を見ずといふ誓を為さしめたり、汝は今言ふ「往きて汝の主人に告げよ、視よ、エリヤは此にあり」と、然れども我れ汝を離れて行かん時、ヱホバの霊は我が知らざる処に汝を携へ往かん、斯くて我れアハブの許に至りて彼に告ぐるも、彼れ汝を尋ね得ざる時は彼れ我を殺すべし、然れども汝の僕なる我は幼少の時よりヱホバを畏れたり、イエゼベルがヱホバの預言者を殺したる時に我が為したる事は我主に聞えざりしや、即ち我れヱホバの預言者百人を五十人づゝ洞穴に匿し、パンと水とを以て之を養ひし事は我が主に聞えざりしや、然るに今汝は曰ふ、「往きて汝の主人に告げよ、視よ、エリヤは此にありと」、然らば彼れ我を殺すならん。
 エリヤ曰ひけるは、
  我が事ふる万軍のヱホバは活く、我は必ず今日我が身を彼に示すべし。
       終に王と会見す(十六−十九節)
 オバデヤ即ち往きてアハブに会ひ之に告ければ、アハブ エリヤに会はんとて往けり、アハブ エリヤを見し時、アハブ エリヤに曰ひけるは、
  イスラエルを乱す者は汝なるか。
(345) 彼れ答へけるは、
  我はイスラエルを乱さず、汝と汝の父の家と之を乱したり、汝等はヱホバの命を拒みたり、而して汝はバアルに事へたり、故に今 人を遣し、すべてのイスラエルを我が許にカルメル山に集めよ、亦バアルの預言者四百五十人、并にイエゼベルの席に食ふアシラの預言者四百人をも集めよ。
       カルメル山上の決祷(二十−四十節)
 是に於てアハブ 人をイスラエルのすべての子孫の中に遣し、預言者等をカルメル山に集めたり、時にエリヤすべての民に近づき曰ひけるは、
  汝等何時まで二者の間に躊躇ふや、ヱホバ若し神ならば之に従へ、然れどバアル若し神ならば彼に従ふべし。民は一言も彼に答へざりき、エリヤ 民に言ひけるは、
  我れ……唯我一人のみヱホパの預言者たり、然れどバアルの預言者は四百五十人なり、然れば彼等をして二の犢を我等に供へしめよ、而して彼等をして自己のために其一を選み、之を截り剖き、之を薪の上に載せしめよ、而して火を其下に置かざらしめよ、我は残りの犢を調理へ之を薪の上に載せん、而して火を其の下に置かざるべし、斯くして汝等は汝等の神の名を※[龠+頁]《よ》ぶべし、我はヱホバの名を※[龠+頁]ばん、而して火を以て応ふる神を神と為すべし。
 民皆な答へて曰く、「此言は善し」と。
 茲に於てエリヤ バアルの預言者等に言ひけるは、
  汝等多数なれば先づ汝等のために一の犢を選み、之を調理へ、而して汝等の神の名を※[龠+頁]ぶべし、然れども火(346)を其下に置く勿れ。
 彼等乃ち其与へられたる犢を取り、之を調理へ、而して朝より午時《ひる》に至るまでバアルの名を※[龠+頁]びて言へり「バアルよ、我等に聴き給へ」と、然れども何の声もなく、何の応ふる者もなかりき、斯くして彼等は其造りし壇の周囲《まはり》に踊れり、午時に及びてエリヤ彼等を嘲けりて言ひけるは、
  大声を揚げて叫べよ、彼は神なればなり、彼は黙想《かんが》へ居る乎、又は他処に行し乎、又は旅にある乎、或ひは仮寐《ねぶ》りて醒《おこ》さるべき乎。
 是に於て彼等は大声に呼はり、其例に循ひて刀剣と槍をもて其身を傷つけ、血は迸るに至れり、斯くして午時過ぎて、彼等は醜事を為して晩の祭物を献ぐる時にまで及べり、然れど何の声もなく、又何の応ふる者もなく、又何の顧る者もなかりき。
 時にエリヤ すべての民に向ひて言ひけるは「我に近よれ」と、民皆な彼に近よれり、彼れ先づ敗壊《くづ》れたるヱホバの祭壇を修理《つくろ》へり、エリヤ 十二の石を取れり、ヤコブの子の支派の数に循ひてなり、ヱホバの言會てヤコブに臨みて言へり、イスラエルを汝の名とすべしと、彼れ石を以てヱホバの名に由りて、祭壇を築き、祭壇の周囲に種子二セヤを容るべき溝を作れり、彼れ又薪を陳列べ犢を截剖きて薪の上に載せたり、斯くて彼れ言ひけるは、
  四の桶に水を満たし、之を燔播祭と薪の上に沃ぐべし、
と、又言ひけるは、
  再たび之を為せ、
と、再び之を為せしかば、又言へり
(347)  三たぴ之を為せ、
と、乃ち三たび之を為せり、水は祭壇の周囲に流れたり、彼れ又溝にも水を満たしたり、斯くて晩の祭物《そなへもの》を献ぐる時に及びければ預言者エリヤ近く寄来りて言ひけるは、
  アブラハムの神、イサクの神、イスラエルの神なるヱホバよ、汝のイスラエルに於て神なることゝ、我が汝の僕にして汝の言に循ひて是等のすべての事を為せしことを今日知らしめ給へ、ヱホバよ我に聴き給へ、我に聴き給へ、是れ此民が汝ヱホバは神に在しますことゝ、汝は彼等の心を翻さんと欲し給ふことを知らんが為めなり。
 時にヱホバの火降り、燔祭と薪と石と塵を焚《やき》尽し、亦溝の水をも舐め尽せり、民皆な之を見て地に伏して言へり、
  ヱホバ……彼は神なり、ヱホバ……彼は神なり、
と、エリヤ彼等に言ひけるは「バアルの預言等を執らへよ、彼等の一人をも逃遁れしむること勿れ」と、即ち彼等を執らへければ、エリヤ彼等をキシヨン川に曳下りて彼処に彼等を殺せり。
       大雨沛然として到る(四十一−四十六節)
 茲に於てエリヤ アハブに言ひけるは、
  汝上りて食ひ且つ飲むべし、既に大雨の声聞ゆ、
と、アハブ即ち食飲せんとて上れり、斯くてエリヤ カルメルの巓に上り往き、地に伏し、其面を膝の間に入れて祈れり、彼れ其僕に言ひけるは「請ふ、上り往きて海の方を見よ」と、彼れ上り往き、見て言ひけるは「何も(348)なし」と、エリヤ言ひけるは「再たび往け、七次往け」と、第七次《なゝたびめ》に及びて彼れ言ひけるは、
  視よ、微少《すこし》の雲、人の手ほどのもの、海より起る、
と、エリヤ言ひけるは「起てアハブに言へ、汝の車を備へよ、雨に沮《とゞ》められざるやう直に下れ」と 暫時《しばらく》ありて空天《そら》雲と雨とによりて黒くなり、大雨下れり、アハブは乗りてヱズレルに到れり、ヱホパの能力エリヤに臨み、彼れ其腰を絡束《から》げ、ヱズレルの入口までアハブの前に趨り往けり。
 
     字解
 
 1「多くの時日を経たる後」 ザレプタなる※[釐の里が女]婦の一子を復生せしめて後。エリヤは少くとも二年以上彼女の客たりしが如し 〇「第三年」 旱魃の第三年、旱魃は三年と六ケ月継けりと云ふ(路加伝四章二十五節を見よ)
〇「往きて汝の身をアハブに示せ」 彼の汝を尋ぬるを待たずして、汝より進んで彼の前に出でよ 〇2「サマリヤ」 イスラエル王国の首都なり、饑饉は首都附近の地に甚だしかりしと云ふ。
 3「家宰」 王室の財産管理人、小朝廷の内蔵頭《くらのかみ》なり 〇「イエゼベル」 淫祠を祭りしイエゼベル、故にヱホバを憎みて其預言者を殺したり 〇5「騾」 驢と牝馬との雑種なり、主として駄馬として用ゐられたり。
 17「イスラエルを乱す者」 民の攪乱者、悪人の眼に映ずる預言者は是れなり 〇18「汝等はヱホバの命を拒み云々」 汝と汝の父祖等とはヱホバの命を拒み、汝は特に之に加へてバアルに事へたりと、アハブの罪は彼の父祖等の罪の上に出たりとなり 〇19「すべてのイスラエル」 全国民の代表者 〇「カルメル山」 地中海に突出する海角なり、海面よりの高さ五百五十六尺、キシ∃ン川其北麓に於てアークル湾に注ぐ、石灰岩より成り、洞穴(349)多し、渺茫たる地中海の水、其麓を洗ひ、眺望樋めて美なり 〇23「火を其下に置かざらしめよ」 詐欺を避けんがためなり、バアルの祭司等は密かに火を燔祭の下に置て其燃上るを見て、天火なりと称して民を欺きしが如し
〇26「壇の周囲に踊れり」 28「刀剣と槍とを以て其身を傷け」 今も尚ほ回々教の僧侶の為す所なり、彼等は斯くなして神の憐愍を喚起せんと欲す 〇31「イスラエルを汝の名とすべし」 創世記三十二章二十八節を見よ
〇32「種子二セヤを容るべき溝」 一セヤはエパの三分の一にして我邦の七舛弱に当る、一斗四舛を容るべき溝とは小に過るが如し、今に至り其詳細を知る能はず 〇37「汝は彼等の心を翻さんと欲し給ふ云々」 ヱホバ曰ひ給はく背ける子等よ我に帰れ、我れ汝等の違背《そむき》を癒さんと(耶利米亜記三章二十二節) 〇40「彼処に彼等を殺せり」 民をして彼等を殺さしめたり。
 41「上りて食む云々」 アハブはキシヨン川の岸に下り、バアルの預言者の殺さるゝを目撃せしが如し、「上り」は再びカルメル山に上りて云々なるべし 〇42「其面を膝に入れて」 屈伏の状をいふ、神に祈るの熱心、預言者の姿勢に現はる 〇43「七次往け」 雨の降るまで幾回も往け 〇45「ヱズレル」 カルメル山より東南、キシヨン川の南岸に在る城市なり、イスラエル王の居住の地の一として知らる。
 
     意解
 
       一、二節
〇隠るべき時あり、顕はるべき時あり、隠るべき時は世が栄華に耽る時なり、顕はるべき時は世が援助を求むる時なり、世の昼は預言者の夜なり、世の夜は預言者の昼なり、霊界の明星なる預言者は夜に入て始めて世の認む(350)る所となる。
〇顕はるべき時に顕はる、虐王の憤恚も恐るゝに足らず、彼は既に神の懲罰に苦みて恩恵の下賜を待ちつゝあり、ヱホパの言エリヤに臨みて曰く「往きて汝の身をアハブに示せ、我れ雨を地の上に降さん」と、預言者は今や膏雨の恩恵を齎して渇ける地に臨まんとす、誰か彼を歓迎せざるものあらんや、虐王アハブと婬婦イエゼベルも今やエリヤに手を触れんとするも能はざるなり、三年に渉りし旱魃は神の預言者が世に顕はるべき機会を供せり。
       三節より十五節まで
〇地に雨降らざること三年と六ケ月、餓殍《がへう》途に横たはり、黎民飢餓に泣く、而かも虐王は民を思はずして馬と騾とを思ふ、侍臣オバデヤを召し、自身と共に国中を遍歴し、青草を求めて所有の家畜を保存せんとす、悪政の極は終に茲に至る、人は禽獣よりも尊からざるに至る。
〇憐むべきは朝臣オバデヤなり、彼れ心にヱホバを畏れたれども身に暗主に事へざるべからず、故にエリヤを主と呼び、又アハブを主と呼べり、二人の主に事ふとは実に彼の事なり、ヱホバの懲罰を恐れ、又虐主の忿怒を懼る、然れども憐むべきは彼れ一人に止まらざるなり、朝臣オバデヤの地位に在る者は古今東西絶ゆることなし。
〇青草を尋ねて神の預言者に遭ふ、預言は青草に優さるの恩賜《たまもの》なり、而かも朝臣と俗吏とは爾か信ぜず、預言者に遭ふて戦慄し、青草を得ざればとて歎息す。
〇「往てアハブに告げよ、視よ、エリヤは茲に在り」と、神の使命を帯びて故国に帰りし預言者は猛きこと獅子の如し。
       十六節より十九節まで
(351)〇「アハブ エリヤに会はんとて往けり」と、会見を求めし者はエリヤに非ずしてアハブなり、身に一物を持たざる預言者は今や王の王たるなり、此威権を有せざる者は真の預言者にあらざるなり。
〇アハブはエリヤを呼び掛けて「イスラエルを乱す者よ」と云へり、悪人の眼には神の人は常に此の如くに映ずるなり、悪人の罪を看過せざるが故に、遠慮なく社会の罪を摘指するが故に、預言者は常に平和の攪乱者として世に目せらる、彼等は「攪乱者」こそ彼等の傷を癒す者なることを知らざる也。
〇民の擾乱者は預言者に非ず、悪人なり、悪しき政治家なり、偽りの預言者なり、平和なきに平和平和と叫ぶ者なり、イスラエルを乱せし者はエリヤに非ず、アハブ王なり、其父なり、其祖父なり、事実は明白に語らざるべ
からず、エリヤは王者の面を恐れて、馬を見て鹿なりと言はず、鴉を見て鷺なりと言はざりしなり。
〇然れども事実はカルメル山上に於て決せらるべし、エリヤの言、或ひは暴言なるやも計られず、預言者は言ふ者なるよりは寧ろ為す者なり、民の代表者をカルメル山上に集めよ、バアルの預言者四百五十人、女王の寵に誇るアシラの預言者四百人、彼等も同時にカルメル山上に来れよ、而して王も亦其朝廷を率ひて之に臨めよ、活ける神は在し給ふ乎、彼は其預言者を以て語り給ふ乎、万事はカルメル山上に於て決せらるべしと。
       二十節より四十節まで
〇エリヤは先づ民に其決心を促せり、彼等は今二者の間に彷徨ふ、半ばヱホバを信じて半ばバアルを信ず、是れ誠実の士の憎んで止まざる所なり、バアルに従ふも可なり、然らば判然とバアルに帰依せよ、ヱホバを信ずるが如くに見せて、バアルに事ふる勿れと、然り、余輩も亦信者を愛し、純然たる不信者を愛す、余輩の堪ゆる能はざる所の者は半ばキリストを信じて半ば此世に従ふ者なり、名は基督信者にして、実は此世の従属たる者なり、(352)エリヤ若し今人の中に臨まば同一の言を以て彼等の二心を責むるなるべし。
〇民は一言も彼に答へざりき、時に彼れ歎息の余り独り叫んで日く、
  嗚呼、然らばヱホバの預言者は今は我れ一人のみなる乎、他は皆な頼るに足らざる乎、民の中一人の信者なき乎、然れどもバアルの預言者は四百五十人なるに非ずや、嗚呼、単独の我れなるかな、
と、エリヤの此言を倨傲の言として見るは誤れり、是れ失望に瀕する歎息の声たりしなり。
〇今は誰に訴へて誰に裁判かれん、直に神に訴へて事物の真偽を別たんのみ、火を以て応ふる神を神とすべきのみと、国民挙て非を理とする時に方て黒白を別つに唯此方法あるのみ、火を天より仰ぐのみ、霊火を受くる者を真人とし、霊火を受けざる者を偽善者となすのみ、エリヤは彼の時代に在りて彼の取るべき最終、唯一の方法を取りしのみ。
〇バアルの預言者四百五十人、之に加ふるにアシラの預言者四百人、国民の後援と国王の庇保とを以て祭壇に臨み、その周囲に坐して「バアルよ、我等に聴き給へ、我等は国民の声を代表す」と叫んで朝より午時に至る、然かも何者も彼等の声に応ずるなし、彼等は狂へり、踊れり、身を傷けたり、然れども何者も彼等に応へざりき、彼等は多数を頼んで声を高うして上より天火を招かんとせり、然れども天は寂として声なく、日光、鋭く彼等の頭上を輝らせり、熱誠の預言者も今は笑を禁ずる能はざるに至れり、熱誠の解けて外に溢るゝもの、之を諧謔といふ、エリヤも亦偉人の例に傚ひて此性を具へたり、彼は破顔一笑、戯れて曰く、
  叫べよ、更らに叫べよ、バアルは真に神なり、彼は終に汝等の祈祷を聴くべし、彼は今哲学者の如くに黙想に耽けり居るならん、又は商人の如くに用事を帯びて他処に行きしならん、或ひは旅行中にて不在ならん、(353)或ひは寐り居るならん、
と、是れ他人の誠実を嘲ける非紳士的の言なりと称するを得ん、我等はすべての事に於てエリヤを我等の模範と仰がず、我等の模範は他に在り、然れども人なるエリヤとして、我等は彼に此善罵を許さんと欲す。
〇然れども今よりが真面目の時なり、他人の失敗は必しも我が成功の証にあらざる也、諧謔止んで預言者は粛然たり、彼は今より天より火と水とを招かざるべからず、彼は民の代表者に向ひて曰く「我に近かよれ」と、恰かも厳父が大事に臨んで其子を膝下に招くが如し。
〇エリヤは先づ敗壊れたるヱホバの祭壇を改築せり、彼はレビの族《やから》にあらざりしが故に、祭司たるの教権を有せざりしと雖も、自から神の預言者なるを知りしが故に、憚らずして祭司の職を執れり、彼れ先づヤコブの子の支派《わかれ》の数に循ひ、十二の石を取り、ヱホバの名に由りて祭壇を築けり 是れ蓋しイスラエルの民の其当時に於けるが如く南北両邦に分るべき者に非ざることを暗示してなるべし、祭壇の周囲に広溝を築きしは、之に水を満たせて、火気の皆無を証明せんためなり、斯くて民に命じて犠牲《にえ》と祭壇の上に、桶十二杯の水を注がしめ、然る後に祈祷に取掛かれり、而して其祈祷たるや簡にして単、自己の名誉を求むるにあらずしてヱホバの栄光の顕はれんことを願ふ、若し祈祷にして聴かるゝ者ならば、斯かる祈祷ならざるべからず、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神なるヱホバよと、約束の神、自顕の神、矜恤《あはれみ》の神よと、而して「汝は彼等の心を翻さんと欲し給ふ慈愛の神なるを彼等に知らしめ給へ」と祈るや、ヱホバの火降りて、燔祭のみに止まらず、祭壇の石と其|辺《ほとり》の塵までを焚き尽し、亦溝の水までを舐め尽したりと云ふ、大なる奇跡、科学の法則に反すと近世の読者は云ふならん、然れども、近世に至てエリヤの如き預言者の出しことなし、其宗教家なる者は多くはバアルの預言者の類なり、(354)エリヤの信仰ありてエリヤの奇跡は行はるゝなり、今やエリヤの信仰なし、エリヤの奇跡なきは敢て怪むに足らざる也。
〇ヱホバは火を以てエリヤの祈祷に応へて彼れヱホバの神なるを証し給へり、然れども人なるエリヤは、憐むべし、其成功の駆る所となりて、大なる罪を犯したり、彼は憤怒に乗じて、バアルの預言者等を執らへ、磧《かはら》に曳行きて民をして之を殺さしめたり、彼れ或ひは心に想ひしならん、是れ前に女王イヱゼベルがヱホバの預言者を屠りし其罪に報ゐんが為めなりと、然れども彼は未だ愛の奥義を知らざりしなり、若しナザレ人イエスにして彼の地位に立たん乎、彼は此残忍を行ひ給はざりしや明かなり、エリヤは偉人なり、然れども神の子に非ず、彼は他神の預言者を殺さしめてヱホバの憤怒に触れ、終に彼の心より其聖霊を奪はるゝに至れり、事、後篇に至て明かなえい。
       四十一節より四十六節まで
〇然れども熱心は未だエリヤの心を去らざりし、彼に尚ほ雨を招くの信仰存したり、火を祈て之を得し彼は雨を祈て又之を得るの確信を有せり、エリヤは今や火を招きし熱心を以て雨を招きて地を潤さんとす。
〇アハブに降雨の必然を約して、再びカルメル山に上て雨を祈りたり、彼れ祈祷の聴かるゝを確信したれば幾回か人を海角に遣て海を望んで天候を報ぜしむ、終に人手大の雲の西方、沖遙かに起るあり、雲は祈祷と共に其嵩を増し、終に満天を蔽ふて沛然雨を降せり、アハブは車に乗りて雨を冒してヱズレルの離宮に到れり、而してヱホバの能力は益々エリヤに加はり、彼は結束して趨りてアハブの馬車に先じてヱズレルの入口に到れり。
〇大事は成れり、ヱホバの神なるの実証は挙れり、然れども同時にエリヤの人なるの証跡も亦挙れり、彼は人を(355)殺したり、故にヱホバは彼より一時其霊を奪ひ給へり、悲痛、落胆は次で彼に臨めり、彼は終にホレブの曠野に逃れざるを得ざるに至れり。 〔以上、2・10〕
 
     列王紀略上第十九章
 
       エリヤの走逃(一−八節)
 アハブ イエゼベルにエリヤの為したる渾の事及び其如何に渾の預言者等を刀剣《かたな》にて殺したる乎を渾て語りしかば、イエゼベル使者をエリヤに遣して言ひけるは「神等斯くなし復た重ねて斯く為し給ふべし、我れ必ず明日今頃汝の生命をかの人々の一人の生命の如くせん」と、彼れ此事を観しかば起て彼の生命のために往きてユダに属するベエルシバに至り、彼処《かしこ》に彼の従者を遺し、自身は一日路ほど進みて曠野に入り、来りて一本の金雀花の下に坐したり、彼れ其身の死なんことを求めて言ひけるは
  足れり、ヱホバよ、今我が生命を取り給へ、そは我は我が父祖等に勝さらざればなり。
 斯くて彼れ金雀花の下に伏して寐《ねぶ》れり、時に人あり、彼に捫《さは》りて言ひけるは「興きて食へ」と、彼れ見しに、視よ、頭の側に炭にて焼きたるパンと一瓶の水ありき、彼れ乃ち食ひ且つ飲みて復た臥したり、ヱホバの使者二次来りて彼に捫りて言ひけるは「興きて食へ、そは途尚ほ遠ければなり」と、彼れ興き、飲み且つ食ひ、其食の力に依りて四十日四十夜往きて神の山ホレブに到れり。
       山上の示顕(九−十八節)
 斯くて彼れ彼処の洞穴に至り其処に宿れり、時にヱホバの言彼に臨みて言ひけるは
(356)  エリヤよ、汝、此処に何を為すや
と、彼れ言ひけるは
  我は万軍の神ヱホバのために甚だ熱心なりき、そはイスラエルの子孫汝の契約を棄て、汝の祭壇を毀ち、刀剣を以て汝の預言者等を殺したればなり、而して我れ、我れ一人のみ存る、而して彼等我生命を求め、之を奪はんとす
と、ヱホバ言ひ給ひけるは、
  出てヱホバの前に山の上に立つべし、視よ、ヱホバは通過《すぎゆき》き給ふべし
と、時に大なる強風起り、山を裂き岩を砕きたり、然れどもヱホバは風の中に在さゞりき、風の後に地震ありたり、然れどもヱホバは地震の中に在さゞりき、地震の後に火ありたり、然れどもヱホバは火の中に在さゞりき、而して火の後に静かなる微細《ほそ》き声ありき、エリヤ之を聞き、面を外套に蒙《つゝ》み、出て洞穴の入口に立てり、声あり、彼に臨みて言く、
  エリヤよ、汝、此処に何を為すや
と、彼言ひけるは、
  我は万軍の神ヱホバのために甚だ熱心なりき、そはイスラエルの子孫汝の契約を棄て、汝の祭壇を毀ち、刀剣を以て汝の預言者等を殺したればなり、而して我れ、我れ一人のみ存る、而して彼等我が生命を求め、之を奪はんとす
と、ヱホバ彼に言ひ給ひけるは
(357)  往け、曠野を経てダマスコに還るべし、往きてハザエルに膏を沃ぎてスリヤの王となすべし、又ニムシの子エヒウに膏を沃ぎてイスラエルの王となすべし、又アベルメホラのシヤパテの子エリシヤに膏を沃ぎて汝に代りて預言者たらしむべし、斯くてハザエルの剣を遁るゝ者はエヒウ之を殺すべし、エヒウの剣を遁るゝ者はエリシヤ之を殺すべし、我れ猶ほ七千人をイスラエルの中に遺さん、彼等は皆な其膝をバアルに跼《かゞ》めず、其口を之に接けざる者なり。
       エリシヤの聖召(十九−二十一節)
 エリヤ彼処を去り、シヤパテの子エリシヤに遭ふ、彼は十二※[藕の草がんむりなし]《くびき》の牛を其前に歩ましめ、己は其第十二の牛と偕にありて耕し居たり、エリヤ彼の所に渉りゆきて外套を其上に投懸けたり、彼れ牛を棄てエリヤの後に趨り行きて言ひけるは、
  請ふ、我をして我が父と母とを接吻せしめよ、然る後、我れ汝に従はん
と、エリヤ彼に言ひけるは、
  往け、還れ、我れ汝に何を為したりしや
と、彼れ彼を離れて家に還り、一※[藕の草がんむりなし]の牛を取りて之を殺し、牛の器具《うつは》を焚きて其肉を煮、之を民に与へて食はしめ、而して起て、エリヤに従ひ之に事へたり。
 
     字解
1「渾…渾…渾云々」 一五一什《いちぶしじう》を語りしかば 〇2「神等斯く為し云々」 手真似を以て為したる誓ひの言な(358)り 〇3「彼れ此事を観しかば」 此事に勘付きしかば。エリヤはイエゼベルの使者の到りし前に危険の彼の身に迫りしを覚りしが如し 〇「ユダに属するベエルシバ」ユダ王国に属するシメオンの地に在るベエルシバ、猶太亜国の南に尽きてバランの砂漠に連なる辺にあり 〇「従者」 伝へ言ふ、ザレバテなる ※[釐の里が女]婦の一子にしてエリヤが死より救ひし者なりと 〇4「金雀花」 れだま樹、本誌第二十三号を見よ、茫漠たる砂原の中に立てる一本のれだま樹の下に坐せりと云ふ 〇「父祖等に勝さらず」 父祖等と何の異なる所なし、即ち我は父祖等と運命を共にす、善を以て悪に勝つ能はずとの意なり 〇5「人あり、彼に捫りて云々」 『愛吟』中「エンデイミオン」の一篇を参照すべし、知らぬ情《なさけ》の人ありて、此身の憂《うき》に応ふらんとは斯かる人なり、エリヤ後に其人の天使なりしを発見せりと云ふ、然れども渾て援くる人は天使にあらざる乎 〇7「途尚ほ遠ければ也」 ベエルシバよりホレブまで直径六十哩、旅程尚ほ遠し、エリヤは未だ死すべからず、彼に尚ほ為すべきの事業存す、前途尚ほ遼遠なり 〇8「四十日四十夜」 或る長時日を経て。必しも四十昼夜の意に非ず 〇「神の山ホレブ」 モーセが神より十誡を授けられし山、故に此称あり、事、出埃及記第十九章に審かなり。 9「彼処の洞穴」 ホレブの洞穴とて有名なりし者、曾てモーゼが神の示威に接せし所、出埃及記卅三章廿一、廿二節を見るべし 〇「宿れり」 一夜を過せり 〇「汝何を為す乎」 英語の How do you do と云ふに同じ、「何を為す乎」は「如何に為すや」、即ち「如何にあるか」、又は単に「如何に」と云ふに同じ 〇11「ヱホバは通過き給ふべし」 ヱホバの栄光汝の前を過ぐべし、汝はモーセの如く其示威に与かるべし 〇12「静かなる微細き声ありき」 静粛の中に微細き声ありきとも訳するを得べし、後者蓋し正訳なるべし 〇13「外套」 所謂「預言者の外套」なり、一種の制服なりしならん、第十九節を見よ 〇15「膏を沃ぐ」 単に任命の意なり、三人受膏の記事(359)聖書に見当らず、馬太伝末章十九節「万国の民にバプブテスマを施し」の辞も斯く解すべき者なるべし、即ち単に「弟子と為すべし」の意にして必しも水の洗礼式を施すべしとの意にあらざるべし 〇17「エリシヤ殺すべし」 剣を以てに非ず、ヱホバの言を以て殺すべし 〇18「七千人」 我が簡みたる多数を遺さんとの意なり、数字を字義なりに解すべからず 〇「其口を之に接けざる者」 バアルの像を接吻せざる者。接吻は属従の表彰なり。
 19「エリヤ彼処を去り」 ホレブを去り、曠野を経て再び故国に帰り、ヨルダン河の東、スコテより程遠からぬアベルメホラの地に到りて 〇「十二※[藕の草がんむりなし]の牛」 二十四頭の牛を以て耕耘に従事せりと云ふ、以てエリシヤの家の豪農なりしを知るべし 〇「外套を其上に投懸く」 預言職授任の式なるべし、而かも其式場は教会堂に非ずして田野なり、授くる者は野人、受くる者は農夫なり、最も厳粛なる儀式は斯かる場合に於て行はる 〇20「我父と母とを接吻せしめよ」 我が父母に離別を告げしめよ 〇「行け、還れ」 行け、然れども直に我が許に帰り来れ 〇「我れ汝に何を為したりし乎」 我れ汝にエホバの名に由りて預言の職を授けたりしに非ずや、汝は今や家を顧るべきに非ず、神のため、国のため、汝の公職に就くべきにあらずや云々、エリヤの此言に確かに不満の調あり 〇21「エリヤに従ひ之に事へたり」 エリヤの弟子となり、之に師事せり、後に「エリヤの手に水を注ぎたるシヤバテの子エリシヤ」と称はれたり(列王紀略下三章十一節)。
 
     意解
 
       一節より八節まで
〇イエゼベル 神の預言者を屠り、エリヤ バアルの預言者を屠り、暴に報ゆるに暴を以てせり、是れ常人にあ(360)りては許すべしとせん、然れども神の人にありては許すべからず、暴行に対して刑罰なかるべからず、而して神の人に在りては暴行の刑罰は聖霊の褫奪なり、エリヤたりと雖も此刑罰より免かる能はざりし。
〇妖婦の威嚇に会ふて、エリヤは之に耐ふる能はず、死を恐れて遁逃す、全国民の反抗に会ふて鉄壁の如くなりしエリヤも、神の聖霊を奪はれて荏弱きこと斯の如し、悪者は逐ふ者なけれども逃ぐと云ふ(箴言廿八章一節)、神の人エリヤも殺人の罪を犯して此憐むべき状態に陥れり。
〇イスラエルを去てユダに走り、ユダに留まる事能はずしてシナイに走る、バアルの預言者四百人と相対して猛きこと獅子の如くなりしエリヤは今や自己の影の逐ふ所となり、彷徨四十日、身をホレブの洞穴に隠すに至て姶めて平安を得たり、想ひ見る、れだま樹の下、偉漢長旅に疲れて寐るの状を、彼れ今や真に孤独なり、人を離れ、神を離れ、宇宙の孤客となりて独り曠野に徨ふ。
〇彼れ今やヨブの如く生を願はずして死を求めたり、曰ふ、最早足れり、我は苦痛を嘗め尽せり、我が事業は渾て失敗なりし、我が誠実は人の認むる所とならず、神も亦我を去り給ふ、我は我が父祖等と何の異なる所なし、我が前にありしすべての預言者の如く、我が生涯も亦失敗のそれなりしと。
〇然れども失望其極に達して希望の曙光現はる、エリヤは新たに神意を暁らざるべからず、彼に尚ほ為すべきの事業在り、彼はホレブに行て神の教訓に与からざるべからず、復た故国に帰りて、正義公道を唱へざるべからず、彼は熱心に駆られて犯せし罪のために砂漠の露として消ゆべからざるなり。
〇茲に於てか天使彼に来りて彼を慰めたり、曰く「エリヤよ、興きて飲み且つ食へ、汝の前途尚ほ遼遠なり」と、神は其子の荏弱を知り給ふ、彼は其失錯の故を以て之を追窮し給はず、其荏弱を自認するに至るや、天使を遣り(361)て之を慰め給ふ。
       九節より十八節まで
〇天使の慰藉に力を得て徒歩数日にしてシナイ半島ホレブ山に至る、茲に曾て神の人モーゼが籠りしと伝へらるゝ洞穴あり、エリヤ之に宿り、過去を追想し、モーゼの神の示威を待てり、声あり彼に問ふ、彼れ思ふが儘を答ふ、彼は尚ほ自己の潔白を弁じて止まず、曰ふ、我れ熱誠を以て民の罪悪を責めたり、然るに民我を殺さんとすと、彼は未だ自己の罪を暁らず、彼は死を恐れて茲処に逃来りし理由を解せず、故にヱホバは今茲に彼を教へ給はんとす。
〇声あり曰く、洞穴の入口に立つべし、汝はモーぜの例に傚ひ神の示威に接すべしと、時に大風の山を裂き岩を砕くあり、然れどヱホバの影を見る能はず、風息みて後に地震ふ、然れどヱホバの声を聞く能はず、地震止みて後に噴火あり、然れどもヱホバの跡を認むる能はず、噴火止みて後に万籟粛然たり、而して視よ、微細き声あり、エリヤの心に耳語きて曰ふ、エリヤよ、如何にと、然れどもエリヤは此時未だ此現象を以てする大教訓を暁る能はざりしが如し、故に彼の答ふる所前と異ならず、彼はヨブの如く依然として彼の潔白を維持せり、彼れ終に之を暁りしや否や、吾人は知らず、唯識る、其真に神の大なる示威なりしことを。
〇即ち識る神は大風を使ひ給ふも大風の如き者にあらざることを、裂きて砕くは彼の喜び給ふ所にあらず、彼は又地震の如き者にあらず、震ひて恐れしむるは彼の欲《この》み給ふ所にあらず、ヱホバは又火の如き者にあらず、毀きて尽すは彼の求め給ふ所にあらず、彼は静粛を愛し給ふ、彼の宝座は万有淵静の中にあり、彼の声は洪波の如くならず、潺湲の如し、彼は咆哮《ほへ》たまはず、耳語き給ふ、静粛の中に細き声を聞きて我等は其洵に神の声なるを知(362)るなり。
〇然れどもエリヤは此示顕に接して其深き意味を暁る能はざりしが如し、彼は義罰の神としてより他にヱホバの神を知る能はざりしが如し、故に彼の再度の自弁に接して神は更らに彼を責め給はず彼の解し得る範囲に於て彼を慰め、彼を故国に還し給へり、ヱホバは彼に言ひ給ひしが如し、
  我れ汝に教ゆるも汝は暁らず、尚ほ我より悪人の責罰を望んで止まず、然らば我れ暫らく汝の意に任かせん、往て我名に由りてスリヤの王としてハザエルを定むべし、イスラエルの王としてエヒウを定むべし、而して汝の後継者としてエリシヤを定むべし、彼等三人相授けてアハブと其家を罰すべし、憐むべし、汝は未だ愛の勢力を暁る能はず、唯義罰の悪人の上に加はらんことを求む、我れ今深く汝を責めず、責むるも詮なければなり、ホレブに於ける示威の意味は後世之を暁る者あるべし、汝は旧約の預言者として汝の生涯を終るべし、我れ後日に至り、汝に勝さる預言者を起し、静かなる微細き声の福音を唱へしむべし。と。
〇アハブの家は亡ぶべし、然れども信仰はイスラエルの中より絶えざるべし、ヱホバは更らに許多の義人を彼等の中より起し給ふべし、アハブに諂ひてバアルに膝を屈せざる者、イエゼペルに媚びてアシラの像を接吻せざる者を起し給ふべし、エリヤは単独を歎《かこ》つべからず、そは彼は神と偕に在りて単独ならざるのみならず、神は又彼のために多くの同志を起し給ふべければなりと。
       十九節より二十一節まで
〇ホレブに於ける隠退は終れり、彼は其処に神の大なる示顕に与かりしも其深意を暁らざりしが如し、然れども他に大なる任命を帯びて故国に帰れり、アベルメホラに於てシヤパテの子エリシヤに会し、之に預言の職を授け(363)
たり、エリシヤは富家の子弟なりしも何の躊躇する所く、断然起て野人の迹に従へり、彼は自己の決心を固うせんために、先づ牛二頭を屠り、其耕具を焼て其肉を煮、之を村民に施して去れり、聖職に就く者に此決心なかるべからず、河を渡り舟を焼て去るとはエリシヤの謂なり、彼はエリヤの後継者として能く其任に耐ふるなるべし。 〔以上、3・10〕
 
     列王紀略上第二十一章
 
編者云ふ、読者は先づ普通日本訳聖書を読み、然る後に余輩の此訳文を読むべし、而して両者相違の点に注意すべし、蓋し解釈の半分以上なるべし。
       暴主の貪望(一、二節)
 ヱズレル人 ナボテ ヱズレルに葡萄園を有ちたり、サマリヤ王アハブの宮殿の側に在りたり、アハブ ナボテに言ひけるは、
  汝の葡萄園を我に与へよ、我れ之を我が蔬菜園となさんとす、我家に近かければ也、我れ之に代へて其れよりも善き葡萄園を汝に与へん、或ひは若し汝の心に適はゞ我れ其価を銀にて汝に与へん、と。
       硬漢の拒絶
 ナボテ アハブに言ひけるは、
  是れヱホバの禁じ給ふ所なり、我は我父祖の産業を汝に与ふる能はず、と。
 アハブ憂ひ且つ怒りて其家に帰れり、ヱズレル人ナボテの言に由てなり、アハブ其床に臥し、其面を背け、食(364)をなさざりき、其妻イエゼベル彼の所に来り、彼に言ひけるは、
  汝、何故に憂ふるや、汝、何故に食せざるや、と。
 彼れ彼女に言ひけるは、
  我れヱズレル人ナボテに語りて言へり「汝の葡萄園を銀に易へて我に与へよ、若しまた汝、欲するならば我れ之に易へて他の葡萄園を汝に与へん」と、然るに彼は答へて言へり「我は我葡萄園を汝に与へざるべし」と、我れ是れが故に憂ふ、と。
 其妻イエゼベル彼に言ひけるは、
  汝は今イスラエル国圍を治むるに非ずや、起て食せよ、汝、心に楽しかれ、我れヱズレル人ナボテの葡萄園を汝に与へん。と。
       妖婦の奸計(五−十一節)
 茲に於てイエゼベル アハブの名を以て書を作り、彼の印を捺し、此書をナボテの住する邑の長老並に貴人に贈れり、彼等は彼と同邑の人なり、イエゼベル其書に記して言ひけるは、
  断食を布告し、ナボテを民の上座に据えよ、而して悪漢二人を彼の前に据え、彼に対して証《あかし》を為して言はしめよ、「汝は神と王とを詛ひたり」と、斯くて彼を曳出し、石にて彼を撃ち、彼をして死なしめよ。と。
       無辜の虐殺(十一−十四節)
 ナボテの邑の人、即ち其邑の住人なる長老と貴人等、イエゼベルが彼等に言遣はせしが如くに為せり、即ち彼女が彼等に贈りし書に記しありしが如くに為せり、彼等は断食を布告し、ナボテを民の上座に据えたり、時に悪(365)
漢二人入り來りてナボテの前に座せり、斯くて悪漢、彼に対し、即ちナボテに対し、民の前にて証を為して言へり、
  ナボテは神と王とを詛ひたり、と。
 茲に於て人々彼を村の外に曳出し、石にて彼を撃ちたれば、彼れは死せり、斯くて彼等人をイエゼベルに遣して言へり、
  ナボテ石にて撃たれて死せり。と。
       果園の略奪(十五、十六節)
 斯くてイエゼベル ナボテ石にて撃たれて死したりと聞きしかば、イエゼベル アハブに言ひけるは、
  起てヱズレル人ナボテが銀に易へて汝に与ふるを拒みし葡萄園を占領すべし、ナボテは生きて居らず、死にたれば也、と。
 斯くてアハブ ナポテの死にたるを聞きしかばヱズレル人ナボテの葡萄園を占領せんとて、其処に下らんとて起てり。
       義人の憤怒(十七−廿六節)
 時にヱホバの言テシベ人エリヤに臨みて言へり、
  起てサマリヤに在るイスラエルの王アハブに会はんために下るべし、視よ、彼れ今ナボテの葡萄園に在り、彼れ之を占領せんとて其処に下れり、汝、彼に語りて言ふべし、
  ヱホバ斯く言ひ給ふ、汝は殺し且占領せし乎、と。
(366) 汝又彼に語りて言ふべし、
  ヱホバ斯く言ひ給ふ、犬がナボテの血を舐めし其処に於て、犬は汝の血を舐むべし、と。
 アハブ エリヤに会ふて之に言ひけるは、
  嗚呼我が敵よ、汝、我を見出せし乎、と。
 エリヤ答へて言ひけるは、
  我れ汝を見出せり、汝、ヱホバの目の前に悪事を為すがために自己を売りしが故に、視よ、我れ汝の上に悪事を降さん、汝の後裔を除き、汝に属する者は、繋がれたる者と繋がれざる者とを論ぜず、悉く之を絶ち、汝の家をしてネテバの子ヤラベアムの家の如く、又アヒヤの子バアシヤの家の如くに為さん、汝、我を怒らせ、イスラエルをして罪を犯さしめたるに因てなり、又イエゼベルに就てもヱホバ斯く語りて言ひ給ふ、「犬、ヱズレルの城壁の側にイエゼベルを食はん」と、アハブに属する者にして邑にて死する者は、犬之を食はん、野にて死する者は、空の鳥之を食ん。と。
 (実にアハブの如くヱホバの目の前に悪事を為さんために自己を売りし者はあらざりき、其妻イエゼベル彼を煽動せしなり、彼は偶像に従ひて甚だ悪むべきことを為せり、彼はすべての事に於てヱホバがイスラエル人の前より追攘ひ給ひしアモリ人が為せしが如くに為せり)。
       暗主の懺悔(二十七−二十九節)
 アハブ是等の言を聞きしかば、彼れ其衣を裂き、粗麻布《あさぬの》を身に纏ひ、食を断ち、粗麻布の上に臥し、素足にて歩めり、時にヱホパの言テシベ人エリヤに臨みて言へり、
(367)  汝、アハブの我前に自己を卑下するを見るや、彼れ我が前に自己を卑下するに因て我れ悪事を彼の日に於て降さゞるべし、彼の子の日に我れ悪事を彼の家に降すべし。と。
 
     字解
 
       一−十六節
 1「ヱズレル」 第十八章四十五節本文竝に字解を見るべし 〇2「葡萄園」 カルメル山竝にキシヨン河沿岸一帯の地は好良なる葡萄の産出を以て名あり 〇3「ヱホバの禁じ給ふ所なり」 民数紀略三十六章七、八節を見るべし、父祖伝釆の所有地を他人に売渡すは摩西律の厳禁せし所なり 〇4「アハブ……其家に帰り」 サマリヤなる其家に帰り 〇7「汝……国を治むるに非ずや」 汝は国王ならずや、臣下の所有はすべて汝の所有ならずや云云 〇「我れ……・汝に与へん」 ナボテは何と言ふとも我れ計策を以て故の欲する田園を汝に与ふべし 〇8「ナボテの住する邑」 勿論ヱズレルなり 〇「長老竝に貴人」 家富み位高く、民の指導者を以て自から任ずる者 〇9「断食を布告せよ」 大不敬漢のヱズレルに現はれしあり、市民は自から其罪を負ひて断食を行ふべし、と、撒母耳前書七章六節の例に傚ふ 〇「民の上座に据へよ」 民衆の注目する所に据へよ 〇10「悪漢」 直訳すれば「ベリアルの子」なり、哥林多後書六章十五節を見るべし、無神の徒なり、利益のためとならば何事を為すにも躊躇せざる者なり 〇「二人」 証人は必ず二人以上ならざるべからず、申命記十七章六節 〇「神と王とを詛ひたり」 讒誣の言なり、不敬不忠を行ひたりとなり 〇「石にて撃ち云々」 利未記二十四章十六節に曰く「ヱホバの名を涜す者は必ず誅されん、全会衆必ず石をもて之を撃つべし」と 〇16「下らんとて起てり」 アハ(368)ブは今やサマリヤに在りたり、サマリヤは高地に在り、ヱズレルは河岸の低地にありたり、故に爾か云ふ。
       十七−二十九節
 18「下るべし」 エリヤ今またカルメル山上に在りしが如し 〇19「殺し且占領せし乎」 殺し且つ窃みし乎、十誡の二ケ条を同時に破りし乎 〇「犬、汝の血を舐むべし」 二十二章三十八節を見るべし、アハブはヱズレルに於てにあらず、サマリヤに於て死せしと雖も、預言の要点は事実となりて現はれたり 〇20「自己を売りしが故に」 自己を悪人(此場合に於ては特に妖婦イエゼベル)の手に委ねしが故に。アハブ自身は悪に手を下さゞりしならん、然れども彼は彼の配下を制する能はずして彼等をして大罪を犯さしめたり 〇21「繋がれたる者と繋がれざる者」 申命記三十二章三十六節参考、奴隷と自主との意なるべし、加拉太書三章二十八節を見るべし 〇22「ネバテの子ヤラベアムの家の如く」 十五章二十九節を見るべし 〇「アヒヤの子バアシヤの家の如く」 十六章十節を見るべし 〇23「犬……イエゼベルを食はん」 列王紀略下九章孝三十五−三十七節を見るべし 〇2526両節は列王紀略編者の回想なり、故に挿入文として読むべし 〇「アモリ人」 カナン民族中最も勢力ありし者なり、アハブはカナン土着の民の習慣に傚ひてすべての悪事を行ひたりとなり 〇27「粗麻布を身に纏ひ……粗麻布の上に臥し」 昼は之を身に纏ひ、夜は其上に臥したり 〇29「彼の日に於て」 彼の世に在る間は。
 
     意解
 
〇十誡第十条に曰く、汝、その隣人の家を貪る勿れと、然るにサマリヤ王アハブはその隣人の田圃を貪り、之を己が有となさんとせり、彼は想ひしならん、我は国王なり、故に法律以上なり、我に為さんと欲して為す能はざ(369)ることあるべからず、又我が臣民にして我が命を拒む者あるべからずと、故に彼はヱズレル人ナボテに臨むに権威と利得とを以てし、其葡萄園を獲んとせり。
〇然るにナボテは王の権威に優りて法律を貴びたり、摩西の律法に曰く、
  地を売るには限りなく売るべからず、地は我(神)の有なればなり。利未記二十五章二十三節。
  イスラエルの産業、この支派《わかれ》よりかの支派に移ることあらじ、イスラエルの子孫は皆な各自その父祖の産業に止まるべきなり。民数紀略三十六章七節。
 ナボテは法律に由て王の要求を拒めり、為めに災害を己が身に招けり。
〇王は怒れり、彼は食を廃したり、彼は彼の臣下に彼の命令を拒む者あるを見て之に堪ゆる能はざりし、故に小児の如くに悶え、単へに其小なる慾望の達せられんことを欲ひたり。
〇茲に於てか妖婦イエゼベル現はれたり、彼女は曰へり「汝は国王ならずや、而して国王として国内に於て為す能はざることあらんや、起てよ、憂ふる勿れ、ナボテは拒むとも、法律は禁ずるとも、我れ我が計略を以て汝の欲するものを汝に与へん」と、彼女は実に彼の身に添ふ悪霊なりき。
〇イエゼベルの計策は大胆にして単純なりき、官書を私造するにあり、ナボテに罪を被むらするにあり、而して彼を殺して其田圃を奪ふにあり、而して彼女は躇躇することなく、彼女の欲するが儘を実行せり。
〇憐むべしナボテは罪なきに悪漢二人の偽証に由て、国賊、不敬漢の名を被せられ、民衆の石撃する所となりて死せり、「ナボテは神と王とを詛ひたり」と、イエゼベル如何で神を知らんや、而かも彼女は神の名を藉りて無辜を殺したり、嗚呼、敬神よ、愛国よ、如何に多くの罪悪は汝の名に由て行はれしよ。
(370)〇悪漢の憎むべきは言を待たず、然れども恕すべからざるはヱズレルの長老と貴人となり、彼等はナボテと同邑の者たり、然るに其讒誣さるゝを見るも敢て一言、彼のために弁護の声を揚げず、見す/\彼をして悲惨の死を遂げしめたり、人情軽薄、薄きこと紙の如し、然れども何ぞ惟りヱズレル市民に限らん、権威を懼れ、自己の安全を気遣ふて、長者も貴人も怯懦なることすべて如此し。
〇国に大罪は行はれたり、然れども一人の起て王と民とを責むる者なかりき、イエゼベルは心に言ひしならん、我れ我が智慧と権力とを以て何事をか為し得ざらんやと、国民は声を潜めて互に相語りて言ひしならん、今や不義に抗するも益なし、唯各自身を慎みて王者の憤怒に触れざらんのみと 然れども茲に一人の人の面を懼れざる者ありき、彼れホレブの山より帰りて以来、カルメル山に隠れて長く沈黙を守りたり、然りと雖も、ヱズレルに無辜の血の冷酷に流されしを聞て、終に再び起たざるを得ざるに至れり、アハブがサマリヤを出てヱズレルに至りしと同時にエリヤはカルメル山を出て同じくナボテの邑に下れり、恰かも大軍の山を降りて王を迎撃せんとするが如し。
〇二者はナボテの葡萄園に於て出会せり、アハブは始めより此事あらんを懼れたり、故に彼はエリヤに曰へり「嗚呼我が敵よ、汝、我を見出せし乎」と、恰も盗賊の警官に出会せしが如し、エリヤは憚からず王を責めたり、彼は神の刑罰を彼に申渡したり、彼は彼の家の全滅を預言せり、ヱホバの律法はすべての人に対して公平なり、殺せし者は殺さるべし、王と女王とは殺し且つ奪ひたり、故に殺され且つ奪はるべしと、神の公義を齎らして身に寸鉄を帯びざる預言者は強きこと銅の城の如し。
〇エリヤの詰責と呪詛とに会ふて、アハブは甚く罪を悔ひたり、神は砕けたる悔いし心を藐《かろし》め給はず、積悪アハ(371)ブの如き者の場合に於ても然らざるはなし、彼の罪は懺悔の故を以て軽減せられたり、彼の家は彼の存命中に亡びざるべし、然れども彼とイエゼベルとはナボテの惨死に類する死を免かるゝ能はずと、神は人を視て審判き給はず、神の前には国王も臣下と等しく罰せらるべし、イスラエルを治むる者は其国王にあらずしてヱホバなり、而してヱホバは其預言者を以てイスラエルと其王とを治め給ふ。 〔以上、4・10〕
 
(372)     不幸なる教役者
                     明治41年1月10日
                     『聖書之研究』95号「研究」
                     署名なし
 
 飢えたる教役者!、彼等は受くるを知て与ふるを知らざる不幸なる者なり、彼等は奔走して寄附金を仰ぎ、説教を依頼す、彼等に資財なきは勿論、智識なし、又信仰なし、彼等は人に忌まれ又神に識られず、彼等は実に何物をも有たず、何事をも為さゞる者なり、世に不幸なる者にして確実なる信仰を懐かざる宗教家の如きはあらず、万物悉く神の聖業を翼賛しつゝあるに、彼等のみは空を撃つが如くに何事をも為さずして日を送る者なり。
 
(373)     回顧と前進
                     明治41年1月10日
                     『聖書之研究』95号「雑録」
                     署名 内村生
 
 今年は明治四十一年である、即ち余が基督教を信じてより丁度三十年目である、余は余の三十年間の信仰的生涯を顧みて深き感に撃たれざるを得ない。
 明治の第十年に北海道札幌の地に於て現世的の米国人より現世的の基督教を聞き、之が真の基督教なりと思込み、教会に入り、又教会を建て、洗礼を受け、信者と交はり、迷ひに迷て今日に至りしを思ふて身の毛も立つ程である、今に至りて思へば余は札幌に於て基督信者となるべからざる者であつた、若し此時に断然と友人の勧誘を退け、余の信仰的独立を維持したならば余の生涯は如何に平穏で、如何に幸多かつたであらふ。
 余は終にはキリストに捕虜《とりこ》にせらるべき者であつた、余は幼時よりの神信心であつた、爾うして東京青山に於て始めて英国女教師某(宣教師に非ず)より新約聖書物語一冊を貰ひ受けし時に余は既にジーサスクライスト(余は当時未だ主の名を日本音に於て知らざりし也)を拝せんとの念を起した、余が基督教普及の今日、何時かキリストを信ずるに至らんことは疑なき所である。
 余は基督教を信ずべきであつた、然し、米国式の基督教を信ずべからずであつた、米国式の基督教は此世の宗教である、霊的なるよりは寧ろ肉的なる宗教である、敬虔の念至て薄く、主として数と量とを追求する宗教であ(374)る、此世を感化するを以て第一の目的とする宗教である、此世の愛国心と殆んど異なる所なき宗教である、爾うして不幸にも斯かる基督教を信じたる、然り、信ぜしめられたる、余は信じて返て多くの不幸を身に招いた、余は愛を主張して愛を知らざる教会信者と交際を結んだ、余は不信者よりもより悪しき人々の社会に入つた、余は知らず識らずの中に偽善者となつた、余は自己の本性に反いたる事を為さんとした、教会を建てんとした、用なき教義を守らんとした、無理に聖書を解釈せんとした、聖書に汝等不信者と※[藕の草がんむりなし]ふなかれ(哥林多後書六章十四節)と教へてあるに関はらず、信仰を共にするとの理由より教会信者と生涯の苦楽を共にせんとした、余は米国式の基督教を信じて実に荊ある鞭を蹴《けつ》て居つたのである(使徒行伝二十六章十四節)。
 然し今や悔ひても詮はない、過去をして過去を葬らしむるまでである、幸にして余はキリストを棄つるに至らなかつた、余は余の霊魂を毀たれずして教会より出で来るを得た、余は朧ながらにもキリストを其清浄に於て認むることが出来た、キリストは米国人が伝へしやうなる救主でない事が判明つた、米国人に由て米国式の基督教を信ぜしは不幸は不幸なりしと雖も、而かも其没了する所とならざりしは神の大なる恩恵と云はなければならない。
 余は茲に米国式の基督教を蔑《さげし》みて、独逸式又は露国式の基督教を讃へんとする者ではない、余は米国人に反いて欧洲人に頼らんとする者ではない、余の信仰は何処までも独立である、然しながら米国人の国民としては敬虔の民でない事は確である、敬虔の一事に於ては欧洲人は遙かに米国人の上である、此一事に於ては米国人は露西亜人にも及ばない、米国人は商人の思想を以て宗教に臨む者である、若し世に非宗教的の国民があるとすればそれは米国人である、宗教の事に就ては、我等日本人は遙かに米国人の上に居る、崇拝の精神は之を米国人の中に(375)求むることは最も難い、米国人は何処々々までも現世の人である。
 余にキリストを最も明白に示して呉れた者は米国アマスト大学綜理故シーリー先生である、故に余の信仰は米国人に由て伝へられし者のやうに思ふ人もあらふ、然し爾うではない、今に至て思へばシーリー先生がキリストを深く余の心琴に打込み給ひしは先生の非米国的信仰に由つたのである、先生は先生の信仰を独逸留学中に得給ふたのである、先生の信仰に独逸的パエチスト風のあつたことは先生とパエチズム(敬虔主義と訳せん乎)とを知る者の等しく認むる所であると思ふ、先生に曾て本誌に掲げしチンチエンドルフ伯の信仰に似たるものがあつた、先生は米国組合教会の教師であつたが、其信仰の質は全く非米国的であつた。
 余は不幸にしてチンチエンドルフ伯の故国に於て其深き清き信仰を汲取ることが出来なかつた、然しながら神の驚くべき摂理は余をして米国に於て其末流を汲むを得しめた、余の知る米国人中でシーリー先生のみ真に敬虔の人であつた、即ち面と面とを合してキリストと語り、すべての哲学とすべての才能を其足下に投出して、彼を万善の主として仰いだ人であつた、余が知りし丈けにては先生に於て商人的根性の痕跡だも見ることは出来なかつた、先生は米国人に似ず広告を最も忌嫌ひ給ふ人であつた。
 斯くて余は米国人に由て米国主義より救はれた、爾うして基督教を信ずる上に於ては甚だ自由なる此日本国に帰り来て、余が三十年前に北海道札幌に於て陥りし米国式の基督教より全く脱出するを得た、爾うして神の摂理に由て落るは昇るの手段であつた、余は米国式の現世的宗教を脱して.此世のすべての教会より脱することを得た。
 余は斯く云ひて米国人を怨むのではない、余が其現世主義に陥つたのは彼等の罪ではなくして余の罪である、彼等は彼等が最善最美と信ぜし者を余に伝へたのである、余は余の自由意志を以て断然之を退くべきであつた、(376)余の本能《インスチンクト》は余に此事を知らした、然し余に之を退くるの勇気がなかつた、余は余の薄志弱行の結果として三十年間信仰の途に迷つたのである。
 然し今は眠《ねぶ》りより覚むべき時である、夜は既に央《ふ》けて日は近づけり、此故に我は暗味《くらき》の行を去て光明の甲《よろひ》を衣るべきである(羅馬書十三章十二節)、我は明治四十一年を以て新たにキリストを信じたりと思ひ、後に在るものを忘れ、前に在るものを望み、神、キリストイエスに由りて上へ召して賜ふ所の褒美を得んと標準《めあて》に向ひて進むべきである(腓立比書三章十三、十四節)。
 
(377)     新年と新事業
                     明治41年1月10日
                     『聖書之研究』95号「雑録」
                     署名 柏木生
 
〇我等に取りては新年必しも新ではない、旧年必しも旧ではない、霊是れ新である、肉是れ旧である、キリスト是れ新である、斯世是れ旧である、キリストは昨日も今日も永久に新である、斯世は過去も現在も永遠に旧である、肉を棄て霊に往き、斯世を去てキリストに至るより外に旧より新に移る途はない。
〇人生是れ何物ぞとの問に対し、或る黒人の牧師は答へて曰ふた、「人生とは晴天に雨を祈り、雨天に晴を祈ることである」と、実に其通りである、乱に在ては治を欲し、治に在ては乱を懐ふ、斯世の人は唯変化を要求する、彼等が新と称するは新にはあらずして変化である、年が変はれば之を新年と称し、政府が変はれば之を新政府と呼ぶ、古き同じ政党も其名が変はれば新政党として世に迎へらる、然し新ではない変である、唯変つたまでゞある、而かも其実質が変つたのではない、其名が変つたまでゞある、其実体は古き旧き死と罪とである、新の何たる乎を知らざる彼等は名称と服装とを変ふるより外に新に入るの途を知らない。
〇曰く革新、曰く刷新と、我等は此声を聞て少しも喜ばない、革新は反復に過ぎない、自由党が帝国党となり、帝国党が又自由党となる、彼等は之を称して革新と云ふ、然し其党員なる者は古き旧の党員である。
〇茲に於てか真の新なる者は之を斯世より望む事は出来ない、斯世は何時までも旧である、悪魔と呼ばれ、サタ(378)ンと呼ばるる者、全世界の人を惑はす老蛇の支配を受くる者である(黙示録十二章九節)、新は此老蛇と絶つにあらざれば来らない、此老蛇と偕に在る間は年は幾度改まるも、内閣は幾度更はるも、斯世は矢張り古き旧の世である、輪換は革新ではない、更生のみ真の革新である。
〇然らば我等は今年も去年の如くに福音宣伝に従事せんかな、政治に従事するも古き事業を繰返すに過ぎない、社会改良は古家《ふるいへ》の改築の如きものである、人は新たに生るゝにあらざれば神の国に入ること能はず、爾うして福音はキリストに在りて新たに人を生む者である、一人の人がキリストを信ずる時に真の革新は始まるのである、其他の革新はすべて虚偽の革新である、名は美、声は高くあれども実質の無い革新である、神の聖業を一歩なりとも進めんと欲する者は斯かる事業に従事せんとはしない。
 
(379)     課題〔18「新年と新生」〕
                     明治41年1月10日
                     『聖書之研究』95号「雑録」
                     署名なし
 
     新年と新生
 
 人、若し新たに生れずば神の国を見ること能はず(約翰伝三章三節)。
 人、キリストに在る時は新たに造られたる者なり、旧きは去りて皆な新らしくなる也(哥林多後書五章十七節)。
       ――――――――――
 編輯生曰、実に御仰せの通りであらふと思ひます、貴下は幸福なる方であります。
 
(380)     イエスの容貌に就て
                     明治41年1月10日
                     『聖書之研究』95号「雑録」
                     署名 主筆
 
 或る晩餐会の席上に於て友人某に語りし所
 
問、イエスは一体如何いふ容貌の人でありました乎伺ふことは出来ます乎。
答、然ればであります、イエスの伝記として残つて居るものは四ツありますが、其中に彼は如何いふ容貌の人であつた乎、其事に就ては少しも書いてありません、其身の丈けは如何程、其顔の色は白くあつた乎、黒くあつた乎、眼は鋭くあつた乎、優さしくあつた乎、声は高くあつた乎、低くあつた乎、其等の事に就ては彼の伝記者等は何の記す所もありませんでした、只約翰伝の第八章五十七節に彼の敵人が三十歳前後の彼に問て汝未だ五十歳に達せざるにアブラハムを見しと言ふやと言ふたとあるを見まして、私共はイエスが歳不相応に其額に年波を湛えて居つたことを知るのであります、其他イエスの肉体に就て私共は絶対的に何にも知らないと云ふても宜う厶います。
 然しながら能く考へて御覧なさい、此一事が善く基督教の何たる乎を示すではありません乎、即ち基督教は絶対的に霊の宗教であつて、肉のことには少しも思ひ及ばなかつた事を示すではありません乎、若し是れが他の宗(381)教であつたならば如何でありませう、其祖始たる者の容貌体格は其弟子等の最も注目する所であつて、其伝記なるものは詳しく之を記すに相違ありません、然るに茲に神の子として仰がれしイエスの伝記に其容貌に就て一言の記す所がないのであります、是れ実に著るしい事ではありません乎、爾うして事は茲に止まりません、イエスの弟子の一人なるパウロの如きは特更らに彼の肉体に就ては知らざらんと欲しました、彼れパウロは曰ひました
  是故に今より後、我等肉体に依りて人を識るまじ、誠に我等肉体に依りてキリストを識りしかども今より後は此の如く之を識るまじ(哥林多後書五章十六節)。
爾うして彼れパウロはイエスの容貌に就ては一言を述べませんでした、数多き聖書記者等はイエスの教訓、彼の行為に就ては洩らす所なく記しました、故に後世の私共がイエスに就て知る所は唯彼の霊に就てのみであります、歴史的イエスとは全然霊的イエスであります、私共は肉的イエスに就て知らんと欲するも、之を知るの※[夕/寅]縁《てづる》は一つもありません。
 爾うして此事は単に過去の事実としてのみ見逃すべきではありません、此事は私共に大なる教訓を与ふべきであります、イエスの人格が全然霊的であつた故に、其弟子等が之に見惚れて少しも其肉に思ひ及ばなかつたやうに、私共後世の基督者等も霊に於て秀でゝ肉に於ては実際的に消えて了はなければなりません、肉は如何でも宜いのであります、小さからふが、大きからふが、美くしからふが、醜からふが、如何でも宜いのであります、肉は益なしであります(約翰伝六章六十三節)、肉のことに就て語り、肉のことに就て書き、肉のことに深き注意を払ふのは私共の信仰の極く弱い且つ低い兆候《しるし》であります。
 然るに此事に関する今の基督信者、即ち教会信者の為す所は如何であります乎、彼等が何よりも好むことは人(382)物批評であります、爾うして人物批評とは人の悪口でありまして、人の悪口は肉体の悪口であります、人の容貌より其住居の状態、収入の多少、小児の有無、其他聞くに忍びざる所の肉に係はる観察談であります、爾うして少しく自己の意に通ふ人があれば直に其写真を乞ふて之を印刷に附して紙上に掲げ、其能弁を賞し、其身振りを誉め、以て偏へに彼に由て自己の理想的人物を画かんとするのであります、我等肉体に依りて人を識るまじとの使徒パウロの決心は今の基督信者の間には少しも行はれません、否な、彼等の間には其正反対が行はれて居ります、彼等は肉体に依らざれば人を識るまじと決心して居るやうであります。
 聖書の中にはイエスの容貌に就てのみならず、其直弟子等の容貌に就ても少しも記るしてありません、霊なる神を崇むるの余り人の容貌に就て少しも注意しなかつたのはイスラエル人の美徳と云はなければなりません、之に反して今の基督信者、殊に米国流の基督信者が争つて人の容貌に就て知らんと欲するのを見て、彼等が如何程、キリストの理想より離れたる人々であるかゞ分かります、私共は聖書記者等が神の子にして人の首《かしら》なるイエスの肉体に就て一言を書き残さなかつたのに鑑みて基督教を全然霊的に解釈し、又相互の交際に於ても肉を顧みずして霊に注目するやう努むべきであります。
 
(383)     〔我が教会 他〕
                     明治41年2月10日
                     『聖書之研究』96号「所感」
                     署名なし
 
    我が教会
 
 我に教会無し、然れどもキリスト有り、而してキリスト有るが故に我にも亦教会あり、キリストは我が教会なり、彼は神の聖きが如く聖し、宇宙の広きが如く広し、我にキリストありて我は完全なる教会に属する者也。
 
    基督教の極致
 
 「キリストは今尚ほ活きて我等と偕に在し給ふ」 基督教の極致は是れなり、キリストにして若し単に歴史的人物ならん乎、基督教の倫理は如何に美にして、英教義は如何に深きも、其すべては空の空なり、キリストにして今尚ほ在す者ならざらん乎、我等は今日直に基督教を棄てゝ可なり、基督教の存在如何は単にキリスト現在の一事に懸る。
 
(384)    実験のキリスト
 
 キリストは今尚ほ在し給ふ、彼は我が祈祷《いのり》を聴き給ふ、彼は自己を我に顕はし給ふ、彼は神の深事《ふかきこと》を我に示し給ふ、彼は実に我が牧者なり、我が霊魂の監督なり、我は今彼を見る能はざるも最も確実に彼の実在を感得す、彼れ我と偕に在すが故に我は独り在るも寂寥からず、彼れ我に代りて戦ひ給ふが故に、我は世が挙りて我に逆ふも恐れず、彼は曰ひ給へり、我は生者なり、前に死しことあり、視よ、我は世々窮りなく生きんと、又曰ひ給へり、我は世の末まで常に汝等と偕に在るなりと、而して我は我が日常の生涯に於て彼の是等の言の空言にあらざるを実験す。黙示録一章十八節。馬太伝末――末節。
 
    聖書の真価
 
 教会の書、宣教師の書、神学者の書として見て、聖書は厭ふべき、嫌ふべき、呪ふべき書なり、然れども神の書、人類の書、平民の書として見て、聖書に優さりて愛すべき、慕ふべき、祝すべき書はあらざる也、我等は聖書を直に神より受け、之を我書として研究し、自由、独立、敬虔の人となるべき也。
 
    見捨られたる教会
 
 キリストを去て教会を去る者あり、キリストに就て教会を去る者あり、今や不信者は教会を去り、信者も亦之を去る、冷かなる者去り、熱き者亦去る、而して微温き者のみ残る、神、ラオデキヤの教会に言はしめて曰く、汝、(385)既に微温くして冷かにも有らず、熱くも有らず、是故に我れ汝を我が口より吐出さんと。黙示録三章十六節。
 
    近世の二名士
 
 数十年に渉る深き研究の結果として「教会と近世思想」なる書を著はし断然教会を去りし者を英国の名士ヴィヴィアン氏となす、キリストに深く接するの余り「基督教国の攻撃」なる書を著はし、教会を離れて福音の真髄を世に伝へんとせし者を丁瑪国《デンマルク》の思想家キルケゴードとなす、前者は教会を外より見て之を去り、後者は中より覗ひて同じく之を去れり、余輩はヴィヴィアン氏の誠実を愛す、然れどもキルケゴードの熱信に服す、教会は去るべし、然れどもキリストは去るべからず、余輩はキルケゴードの類の基督教世界に益々多からんことを願ふ。
 
    余輩の同志者
 
 余輩の同志者は日本国に於てはあらざる可し、米国に於てはあらざるべし、然れども思想の本源地たる欧洲に於てあり、キルケゴードあり、「科学と基督教」の著者なるベテックス氏あり、「宗教か神の王国か」の著者なるローツキー氏あり、何れも今の教会を離れたるキリストの福音を唱ふる者なり、彼等の説く所は遙かに在来の宣教師の説く所よりも深くして強し、彼等は真に初代の基督者の心を識りたる者なりと信ず、主もに英米の宣教師に由て基督教を聞きし我国の基督信者は是等明察の思想家に耳を傾くるを要す。
 
(386)    教会と信仰
 
 教会を離れて信仰は維持する能はずと云ふ、然り、或る種の信仰は教会を離れて維持する能はざるべし、教会的信仰、是れ教会を離れて維持する能はざる也、然れども昔し在して今尚ほ在し給ふキリストの信仰は人の作りし教会を離れて容易に之を維持するを得るなり、彼等を世に伝ふる教会なきも、支那の聖人は今尚ほ東洋数億万の民を風化しつゝあるにあらずや、ダンテを世に伝ふる教会は何処にあるや、而かも彼の感化は日々に益々世界に遍きにあらずや、況してキリストをや、キリストにして若し教会の手を藉りずして其信者の信仰を維持する能はざらん乎、彼は孔子ダンテに劣る者なり、教会はキリストを庇保せんとして返て彼を貶《おと》す者なり、我等は確かに今の教会を離れてキリストに於ける我等の信仰を維持するを得るなり。
 
    真面目なる偽善者
 
 偽善者に不真面目なると真面目なるとあり、前者は偽善と知りつゝ之を行ふ者なり、後者は真理なりと信じて偽善を行ふ者なり、後者、或ひは前者よりも愛すべき者なりとせん、然れども其身の危険より云へば後者の危険は遙かに前者のそれに優さる、不真面目なる偽善者に覚醒の機会あり、然れども真面目なる偽善者に至ては其悔改は期して待つべからず、世に扱ひ難き者にして真面目なる偽善者の如きはあらざる也。
 
    憐むべき迷信
 
(387) 聖書の朗読に功徳ありと信じ、之れに誤訳あるも敢て之を訂さんとせず、唯神の言なりと称して、之を読聞かして衆俗を済はんとするあり、水の洗礼に異能ありと信じ、洗礼の深き心霊的意義を解せずして、唯其礼を施して信者を作らんとするあり、二者等しく悪意に出づるにあらざるべけれども、憐むべき迷信と言はざるべからず、真理のみ能く人を救ふを得べし、聖霊のみよく人を神の子となすを得べし、聖書の深き研究と聖霊の親しき交際とを措て他に人を救ふの途は存せざるなり。
 
    キリストと娼妓《あそびめ》
 
 貧すれば宗教家をして自己を慰めしめ、富めば娼婦をして同一の事を為さしむ、是れ今の日本人の多数の為す所なり、彼等の目的は単に慰藉を得んとするにあり、慰藉にして得られん乎、其種類と方法とは彼等の敢て択まざる所なり、キリストと娼婦! 是れ同一の日本人が其境遇の変化に由て其慰藉者として迎ふる者なり、パウロ曰く、汝等の身はキリストの肢《えだ》なるを知らざる乎、我れキリストの肢を娼妓の肢となして可《よか》らんや、可らざるなりと、然り、可らざるなり、然れども多くの日本人は此事を為して耻ざる也。哥林多前書六章十五節。
 
    道徳と経済
 
 道徳の結果は、終に経済に現はる、徳は国を富まし、罪は之を貧うす、故に其経済に由て其道徳を推量るを得べし、忠愛を唱ふるの民、必しも忠愛の民にあらず、富みて泰き民のみ真に忠愛の民たるなり、汝の出入帳を示せよ、我れ之に由て汝の道徳を知らん、神、モーセを以て其撰民に告げて曰く、
(388)  汝は許多《あまた》の国々の民に貸すことを為すに至らん、借ることなかるべし(申命記二十八章十二節)
と、国々の民に借りて之に貸すこと能はざる民は道徳の民にあらざる也。
 
    道徳と信用と富
 
 道徳の人に認められし者、之を信用と云ひ、信用の硬化せし者、之を富と云ふ、道徳なくして信用あるなし、信用なくして真正の富あるなし、而かも道徳は容易に人に認められず、信用は容易に富と化せず、道徳が化して富となるまでに多くの時日と忍耐とを要す、然れども道徳は終に富と化せざれば止まざる者なり、我等善を播きて、何人か其結果たる當を穫取《かりと》らざるを得ず、道徳を唱へて之を行ふ者も亦国家を富ます者なり、然り、斯かる者のみ真に国家を富ます者なり。
 
(389)     多数と単独
                     明治41年2月10日
                     『聖書之研究』96号「所感」
                     署名 柏木生
 
 多数に由らざれば事を為す能はずと云ふ、然り、多数に由らざれば議会に勢力を振ふ能はず、選まれて教会の監督たる能はず、法律を出す能はず、教義を定むる能はず、世には多数に由らずして為す能はざる事尠からず。
 然れども世には又多数に由らずして為し得ること多し、多数に由らずして永久的著述を為すを得べし、多数に由らずして人を悔故に導くを得べし、多数に由らずして天の美曲を奏づるを得べし、多数に由らずして天然の秘密を探るを得べし、ダンテは独り其「神曲」を綴りたり、リビングストンは独り福音を阿非利加土人に伝へたり、ベートーベンは独り其独創の楽を奏したり、ニュートンは独り天然の法則を発見したり、然り、我等の主イエスキリストは独り十字架に上り給ひて万民の罪を贖ひ給へり、世の大事業にして単独の人に由て遂げられし者は決して尠からず。
 曰く政治運動、曰く集中伝道と、斯くして集合的に働かんと欲する者は働くべし、然れども集合必しも勢力にあらざるなり、人の衷には霊あるあり、全能者の気息之に聡明を与ふ(約百記三十二章八節)、人は単独にして又勢力なり、彼は直に神に接するの権能を有す、而して此権能にして彼に存する間は彼は単独にして宇宙を動かすを得るなり。
(390) 多数、多数、多数と、今の人は、然り、今の基督信者は、多数の奴隷となりつゝあり、全能者の子たる権利を放棄して、羊の如く、雀の如く、鰊の如く、集合力に由て事を為さんとしつゝあり、宜べなり、偉大なる事の彼等の中より出ざる事や。
 
(391)     キリストの賜物《たまもの》
                     明治41年2月10日
                     『聖書之研究』96号「所感」
                     署名 蜀江生
 
 キリストの賜物は財産ではない、智識ではない、制度ではない、教会ではない、彼れ御自身である、彼は我等のために自己を与へ給ふた。
 彼は第一に天の栄光を去て、僕の貌《かたち》を取りて人の中に現はれ給ふた、是れ謙虚の極である、キリストは自己を人に与へんがために天の高きを去て地の低きにまで下り給ふた、彼は単に天より恩恵《めぐみ》を降らせんとはせずして、自から恵を携へて地に降り給ふた。
 彼は第二に祭司、学者、牧伯等、此世の人々に自己を附たし給ふた、是れ聖き彼に取りて苦痛の極であつた、彼はすべて苦む者の友たらんと欲して、己れ先づ苦痛を其極に於て味ひ給ふた、単に人と成りて世を救はんとせずして、苦痛の人となりて人を慰め給ふた。
 彼は第三に今聖霊として我等の心に臨み給ふ、即ち我等の最も近き友として我等と偕に歩み給ふ、我等の祈祷を聞上げ給ふ、我等の弱きを助け給ふ、単に教師として存せずして、救者《すくひて》として我等の衷に宿り給ふ、我等は今や目にて彼を観ず、手にて彼に捫《さわ》らず、然れども自我の奥底に於て彼を宿し奉る、前《さき》に人となり地に下り、罪人として十字架に上り給ひし彼は今や人の友、罪人の救者として我等の衷に宿り給ふ、是れ恩恵の極である、世に(392)之に勝さるの賜物はない、全能者を衷に宿すこと、是れ名誉の極であつて、幸福の極である、而かも是れ基督者の為す所である、世の人は此事を聞て怪むであらふ、或ひは笑ふであらふ、然れども我等は此事を信じて疑はない、此事あるが故に我等は基督者なりと称するのである、此事あるが故に我等は一人、世に立つも恐れないのである、然り、此事あるが故に我等は希望を懐いて永の眠に就くのである、我れ生くれば汝等も生きんと(約翰伝十四章十九節)、永生者は親しき友として我等の衷に宿り給ふ、彼れ生き給ふ間は……然り、彼が再たび死し給ふ時はない……我等は彼と偕に生くるのである、感謝すべきかな。
 
(393)     黙示録に於ける数字
                     明治41年2月10日
                     『聖書之研究』96号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
 黙示録を研究するに方て何人も直に困難を感ずることは其数字の解釈である、七つの教会あり、七つの霊あり、七つの燈台あり、七つの星ありと云ひ、又二十四の宝座と二十四の長老を見たりと云ひ(四章四節)、宝座の正面と其四囲に四つの活物ありと云ひ(四章六節)又四人の天使は地の四隅に立て地の四方の風を引留めたりと云ふ、其他七の数、四の数、三の数、十の数、十二の数が全篇に渉りて用ひられて在る、黙示録は表号的文学の一として書かれたる者であるから、其数字も亦表号的に解釈すべき者であるは明かである、去らば其数字は何を示すのである乎、是れ我等の知らんと欲する所である。
 
     七の数
 
 黙示録中に最も多く用ひられたる数は七の数である、此書はアジヤに在る七つの教会に贈られたる者なりと云ひ(一章四節)、著者は身を転じて金の七つの燈台を見たりと云ひ(同十二節)、七つの星は七つの教会の使者、七つの燈台は七つの教会なりと云ふ(同二十節)其他、七つの印にて封印せる巻物あり(五章一節)、七つの※[竹/孤]あり(八章二節)、七つの雷あり(十章三節)七つの金椀《かなまり》あり、而して末後《いやばて》に七つの災殃《わざはひ》ありと云ふ(十五章一節)、(394)是れ算数の七でないことは何う見ても明かである、去らば是等の場合に於ける七の意味は何である乎。
 猶太人の思想に循へば、四は地の数であつて、三は天の数である(後に詳かなり)、爾うして四と三とを合したる七の数は天地万物を示す数であつて、総体又は総数を示す数である、爾うして物の総数とは神が其聖旨に於て定め給ひし数であるから、是を予定の数とも見るを得べく、又完全の数とも解することが出来る、七は即ち「是れ以上あるなし、又是れ以下あるなし」と云ふ数である、物は七に達して其完全に達したのである、神が七日を以て其造化の聖業を了へ給ひしと云ふは此事である、又キリストが其弟子に七を七十倍する忍耐を教へ給ひしも又此意味に於てゞある、七は所謂有終の美を表はす数である。
 完全の意を示す七の数に又雑駁、多様の意味がある、七である、一でない、複雑である、単調でない、日光も之を分析すれば七色であるやうに、真理も之を解釈すれば多様である、天の星は一様ではない、七様である、即ち此星と彼星と其栄え各々異なりである(哥林多前者十五章四十一節)、神の教会は一つではない、七つである、我等は彼の身の肢《えだ》なりである(以弗所書五章三十節)、変化なくして完全はない、風景に於ても、美術に於ても、変化は完全の特性である、爾うして七は多角的完全を示す数である。
 黙示録に於ける七の字は此意味に於て解すべき者であると思ふ、「アジヤに在る七の教会」とは七箇の教会を云ふたのではない、アジヤの総の教会を云ふたのである、当時のアジヤ州に於て七箇以上の教会の有つたことは明かである、爾うして黙示録はアジヤの諸教会に宛て贈られたる書翰である、恰かも彼得前書がボント、ガラテヤ、カパドキヤ、ビテニアに散りて滞留れる者に贈られたると同然である(同書一章一節を見よ)、而かもアジヤの諸教会と云はずしてアジヤの七教会と云ふ、意味は同じやうで同じでない、七教会はすべての教会ではない、(395)七教会は一には代表的教会である、二には七の霊(一章四節)の形を以て顕はれたる者である、七と云ふはすべてと云ふよりも明確である、愛は漠然たるを嫌つて、明確なるを喜ぶ、ヨハネは其黙示録をアジヤの七教会に贈て、彼等の運命に関する彼の個人的念慮を表した。
 神の七の雲(一章四節、三章三節、四章五節等)と云ふも此意味に於ての七である、神の霊は一つに定つて居る、然るに之を七の霊と云ふ、是れ勿論霊が七つあると云ふことではない、多方面に働らく霊との意である、其最も善き註解は哥林多前書十二章である、
  或人は霊に由りて智慧の言を賜はり、或人は同じ霊に由りて智識の言を賜はり、或人は同じ霊に由りて信仰を賜はり、或人は同じ霊に由りて病を医す能を賜はり、或人は異能を行ひ、或人は預言し、或人は霊を弁へ、或人は方言を云ひ、或人は方言を訳するの能を賜れり、然れどすべて是等の事を行ふ者は同じく一霊なり、彼れ其心の儘に各人に頒与ふるなり(八−十一節)。
 斯くして神の霊は一つであつて七つである、神の霊である故に、智慧の霊であり、智識の霊であり、信仰の霊であり、医癒《いやし》の霊であり、異能の霊であり、預言の霊であり、弁別の霊であり、理解の霊である、霊を其実体に於て見れば一つである、其示現に於て見れば七つである、即ち多様である、故に七の目は全世界に遣はす神の七の霊なりとある(五章六節)、霊は神の様々の聖意を為さんがために世に遣さるゝ者、是れ神に取りては人を鑑たまふ目であつて、人に取りては世の暗を照す光である、キリストの言葉に身の光は目なりとあるは此辺の消息を伝へたものであると思ふ(馬太伝六章二十二節)。
 七つの燈台、七つの星、七つの巻物、七つの※[竹/孤]、七つの雷、七つの金椀は皆な此意味に於て解釈さるべき者で(396)あると思ふ、教会に七個の困難が臨むのではない、様々の困難が臨むのである、罪悪の世に七個の刑罰が加へられるのではない、様々の刑罰が加へられるのである、而かも七つであつて無限ではない、神の聖意に於て予め定められたる困難と刑罰とである、エリパズ其友ヨブを慰めて曰く
  神は汝を六の艱難の中にて救ひ給ふ、七の中にても災禍《わざはい》汝に臨まじ(約百記五章十九節)
と、是れ詩人の謂ふ所の
  義者は患難多し、然れどヱホバは皆な其中より救出し給ふ(詩篇三十四篇十九節)
とあると同じである、黙示録はキリストの教会の遭遇すべき患難を述べた書である、之に六の艱難七の災禍臨むと雖も、神は其愛する者をすべて其中より救出し給ふと、然り、七つの災禍は来る、然し七つ以上は来らない、神の定め給ひしより以上の災禍は来らない、彼は負ひ難きの重荷を其子等に負はしめ給はない、黙示録記載の所謂「七難」の教訓は此辺に在るのであると思ふ。
 
     四の数
 
 宝座の正面と其四囲に四つの活物ありと云ひ(四章六節)、四人の天使、地の四隅に立ち、地の四方の風を引留むと云ひ(七章一節)、城(新ヱルサレム)は四方にして長さと闊さと相同じと云ふ(二十一章十六節)、以上に由て見て四は広延《エキステンシヨン》を示す数であることが判明る、爾うして古代の人は地は無限に広き者であると思ふたから、広延を示す四の数は同時に地其物を示した、爾うして地の外に宇宙あるを知らざりし彼等に取りては地は現象的字宙の総体であつた故に、地を表はす四の数は又神の造化の総体を示すに至つた、四は即ち地と海と其中に在る諸《もろ/\》(397)の物を表はす数であつた、吾人今日の言辞を以てすれば現象的宇宙の総体、是れ古代のユダヤ人に由て四の数を以て表はされたる者である。
 宝座の正面と其四囲に四の活物あり、前後悉く目なり、第一の活物は獅子の如く、第二の活物は牛の如く、第三の活物は面の貌人の如く、第四の活物は飛ぶ鷲の如し、此の四の活物各々六の翼あり、其内外悉く目なり、此もの夜昼息まずしていふ、聖なる哉、聖なる哉、聖なる哉、昔し在し、今ま在し、後ち在す主たる全能の神と(四章六−八節)。
 是を黙示録記者の宇宙観と見て、其生々活々の状を察することが出来る、現象的宇宙は其一面に於ては獅子、即ち活動である、其他の一面に於ては牛、即ち力である、又他の一面に於ては面の貌、人の如き者、即ち聡明である、残りの一面に於ては鷲、即ち向上力又は霊能である、或ひは之を野獣、家畜、人類、鳥類とも解することが出来る、二者孰れに解するも四の活物は活きたる宇宙である、転々として止むことなく、生々として休むことなき活世界である、爾うして此宇宙が夜となく、昼となく、聖なる哉、聖なる哉、聖なる哉、主たる全能の神と唱へて讃美しつゝあるとのことである、偉観之より大なるはない、荘厳之に勝さるはない、紙の座し給ふ宝座とは之より他の者ではない、「地は我が足※[登/几]《あしだい》なり」とは此事である(以賽亜書六十六章一節)、爾うしてヨハネは神が斯かる宝座に座し給ふのを見たとのことである、此神にして世を鞫き給ふ、我等は其迫害を意とするに足りない、万物其命に従へば、我等の敵も神の怒の一吹に会ふて滅ぶべしと。
 四の数に就ては此外、説明するの必要はないと思ふ。
 
(398)     三の数
 
 四は地の数であつて三は天の数である、天の数であるが故に又神の数である、又霊の数である、信仰的のユダヤ人に取ては三は神聖なる数であつて、同時に又数の単位であつた、一は数ふるに足らぬ数であつて、三は最小の複数であつた、物を其単純の極まで簡約して三より以下に及ぼすことは出来なかつた、超絶的の神は単純の極である、而かも彼は淡味単調の一位ではない、愛の交換を以て永久に存在する三位であると、基督教神学に於ける三位一体の教義の如きも元々此思想より出た者である。
 三の数は数字としては黙示録の中に多く用ひられて居らない、偽りの預言者の口より蛙に似たる三の汚れたる霊の出るを見たりと云ひ(十六章十三節)大なる邑(バビロン)三つになりと云ひ(同章十九節)、聖きヱルサレムの四方の垣に各三つの門ありと云ふ(二十一章十三節)、孰れも霊と天とに多少関係のあることではあるが、然し神には何の関係もないことである、然しながら三の字を離れ三の事実に至れば、黙示録は三の数を以て充ち満ちて居る、其三四の例を挙ぐれば、宝座の中より閃電《いなづま》、迅雷《いかづち》、及び許多《あまた》の声(三つの声)出づと云ひ(四章五節)、二十四人の長老、宝座に座する者の前に伏し、主よ汝は栄と尊貴《たふとき》と権威(三つの尊称)を受くべき者なりと曰ひたりと云ひ(四章十一節)、四の活物は昼夜を別たず、聖なるかな、聖なるかな、聖なるかなと三たび繰返して叫びたりと云ひ(同章八節)又主たる全能の神を称びまつるに、昔し在し、今在し、後在す者なりといひて過去、現在、未来の三世紀に渉りたる其実在を唱へまつりたりと云ふ(同章同節)、其他黙示録全体を通じて、其全篇の構造に於て、其文章の選択に於て、其例証の引用に於て、三の数は至る所に顕はれて居る、黙示録其物が神聖なる作であ(399)る、神の名を憚かると同時に三の字は成るべく避けて居るが、然し神聖なる三の思想に由て造られて居る、其詳細に就ては今論ずることは出来ない、然し注意して此書を読む者は此事実を発見せざるを得ない。
 
     十の数
 
 十は不定数である、七よりも多く、十二よりも少く、天地の数なる三と四とを加へても、乗じても得られない数である、故にスムルナの教会に書を贈て、汝等十日の間患難を受くべしとあるは、或る時期の間と云ふ事である(二章十節、創世記二十四章五十五節参考)、爾うして十日が不定時期であれば、十の百倍なる千年は更らに不定の時期である、茲に於てキリストに由て聖められし者が神とキリストの祭司となり、キリストと共に千年の間王たるべし(二十章六節)とあるは、百年を十倍せし千年に非ずして、或る長き時期を指したるものである事が判明る、所謂「信者治世千年説」なるものは黙示録を文字通りに解釈するより起る説である、表号的文学に在ては其数字も亦之を表号的に解釈すべきである、千年とあれば十世紀である、故に何時始つて何時終るべき者であると云ふは余りに小児らしき解釈である、キリストは其弟子等に告げて、父の其権にて定め給へる時又は期《とき》は汝等が知るべき所に非ずと言ひ給ふた(使徒行伝一章七節)、十日の間困むべし、千年の間王たるべしと、我等の知らざる或る時期の間我等は辱しめらるべし、又或る長時期の間我等は栄を受くべしと、是れ以上の事は我等が知るの要なき事である。
 
(400)     十二の数
 
 三と四とを合したる数が七であつて、之を乗じたる数が十二である、故に七は完成の数であつて、十二は増殖の数である、造化は第七日を以て終り、造られしものは、生めよ、繁殖よ、地に満盈《みて》よとの神より祝福の辞を賜はつた(創世記一章二十八節)、若し数を以て之を言ひたらんには「十二倍せよ」と言ふべきであつたらふ、十二は一年に於ける月の数である、爾うして古代の人は歳月は是れ太陰の生む子であると思ふた、十二は又黄道帯十二宮の数である、爾うして十二宮は之を太陽の子として見ることが出来る、神がアブラハムに告げて、汝の子孫は天の星、浜の砂《まさご》の如くなるべしと云ひ給ひし其約束はヤコブの十二人の子を以て其実現の端緒を開いたのである、イスラエルに十二|支派《わかれ》ありしは、其数の弥や増して限りなきを示し、キリストが十二使徒を立て給ひしは彼の王国の終に全人類を抱合するに至るべきを表明し給ふてゞある、十二は繁栄、増殖、拡張を示す数である、所謂る芽出度き数である、黙示録に於ても十二と其倍数とは此意味に於て用ゐられてあると思ふ。
 白衣を着、首に金の冕を戴きて二十四の宝座に坐する二十四の長老は許多の宝座に坐する許多の長老である、イスラエルの諸の支派の中、印せられたる者合せて十四万四千ありとあるは(七章四節)12×12×1000であつて、即ち神が曾てアブラハムに約束し給ひし天の星の如き浜の砂の如き信仰の子孫の数である(創世記二十二章十七節)、爾うして各派の一万二千人ありとは各派より救はゝ者の多数である、我れ観しに羔シオンの山に立てり、十四万四千の人、是と偕に在りとあるも同じ事である(十四章一節)、聖き城なるヱルサレムの衢の中及び河の左右に生命の樹ありて十二種の果を結び、一種を月毎に結ぶ也とあるは、之を「年中美果の絶ゆる時なし」(401)と解すべきなれど、亦多種多様の意を含むものと見て、其意義の一層深きを党ゆ、城に十二の門ありて其門に十二の天使居り、門の上にイスラエルの十二の支派の名を書《しる》し、又城の石垣に十二の基址ありて其上に羔の十二使徒の名ありとあり、又其石垣を測りしに百四十四キュビト(12×12)ありと云ひ、十二の門は十二の真珠なりと云ふは(第二十一章)勿論十二の支派と十二使徒とに擬へて云ふた者であるから、必しも十二の数を規則通 に多種多様、多角多量と解することは出来ないが、而かも十二の数を斯くも重ねて書列ねてあるを見て、記者の画かんとする新ヱルサレムの宏大無辺、極美極麗の状を較々《やや》想像することが出来る、十二、十二、十二と、何事も壮大、何物も壮美と、恰かも夏の雲が上が上にと堆積するの状態である、此章に於ける十二の数を一々規則通りに解釈せんとせず、其詩歌的印象を得んとして、我等は此書の著者が示さんとする新郎を迎へんために飾りたる新婦新ヱルサレムの無限の美をやゝ了得することが出来る。
 
     其他の数
 
 此他四十二ケ月と云ふがある(十二章二節)、千二百六十日と云ふがある(同三節)、何れも三年半であつて、七年の半分である、即ち予定時期の半分である、三日半(十一章九節)も同じやうに解釈すべき者である。
 獣の数は六百六十六なり(十三章十四節)とあるは種々に解釈する事が出来る、希伯来語に於ても希臘語に於ても、数はすべてアルハベツトを以て書かれた者であるから、六百六十六は或る文字の数を合した数である乎も知れない、希伯来文字で書いたる帝王ネーロ(Kaiser Neron)、希臘文字で書いたる拉典人(Lateinos 羅馬人を云ふ)は孰れも其文字に由て表はされたる数を合すれば六百六十六と成ると云ふ、爾うして著者の意は此難解の数字を(402)以て虐主ネーロにあらざれば、圧制国羅馬を暗に示したのであると云ふ、或ひは爾うである乎も知れない。
 又他の一説に従へば六は七に一を欠く数であるが故に、流産、堕胎、循て失敗を示す数であると云ふ、爾うして六六六と云ふは失敗、失敗、失敗と三呼したのであつて、今や基督者を圧服せんとして獣力を以て顕はれたる羅馬帝国と其帝王との企図のすべて失敗に終るべきを示したのであると云ふ、是れ又傾聴すべき説であつて、前者よりも更らに意味深い説であるやうに見える。
 
     約説
 
 以上は余輩の見たる黙示録に於ける数字の意義の大略である、然し黙示文学なる者は、半ば叙述的にして半ば詩的文学であれば、之を解するに或る一定の法則を以てする能はざるは明かである、或る場合に於ては著者は表号を去て実写に移て居るやうに見える、其十三章一節の如きは其一例である、
  我れ海の砂の上に立ちて一匹の獣の海より出づるを見たり、之に七つの首と十の角あり、其角の上に十の冕を載き云々
と、茲に云ふ獣とは圧制国羅馬を指した者であるは疑ひないが、其七の首《かしら》と十の角とは羅馬の七丘と十人の帝王とも見るを得べく、又七は羅馬帝、十は諸国の王とも見ることが出来る、斯かる場合に於ては著者は事実を其儘語りつゝあるのである乎、或ひは表号を以て述べつゝあるのである乎、之を判分つのは甚だ困難である、其他之に類したる難解の所は決して尠くない、数字に於てのみならず、其他の表号に於ても著者は文字を其字義なりに使ふて居る所がある、是れ読者の深き注意を要する点である。
(403) 然しながら此書の大体に於て表号は或る一定の意味に於て用ひられて居る、解釈は決して容易ではないが、然し解釈の途は探るに難くない、読者は忍耐して預言の書にして慰藉の書なる此大著作の意味を究むべきである。
 
(404)     伝道と自由
                     明治41年2月10日
                     『聖書之研究』96号「寄書」
                     署名なし
 
 伝道は絶対的に自由ならざるべからず、伝道者を支配するに神の霊の外、何物もあるべからず、教会も妨害なり、会社も妨害なり、給料も妨害なり、恩給も妨害なり、彼は独り平原の中央に立て碧空を望んで霊気の充たす所たる者ならざるべからず、彼は誠に野に呼べる人の声ならざるべからず、彼は祭司又は学者又はパリサイの人の類よりは何の支配をも受けざる者ならざるべからず。
 
(405)     基督教の性質
                     明治41年2月10日
                     『聖書之研究』96号「雑録」
                     署名 編輯生
 
 宗教にも夫れ々々|質《たち》がある、仏教は哲学的であると云ひ、神道は国家的であると云ひ、儒教は政治的であると云ひ、回々教は武勇的であると云ふ、其他印度教、波斯教等にも夫れ々々の特性即ち貿がある、夫れ故に哲学を好む者は自づと仏教に傾き、国家主義を重んずる者は神道を選み、治国平天下に志す者は儒教を修む、人の質に応じて宗教がある、人は各自、其欲する所の宗教を選むべきであらふ。
 然らば基督教は如何いふ貿の宗教である乎と問ふに、先づ第一に基督教は平和の宗教である、其点に於て基督教は全く神道又は回々教と其質を異にして居る、其旧約聖書時代に於て多少武力を用ひないではなかつたが、然し其創立の最初《はじめ》より平和好きの宗教であつた、特にキリストの福音となつてよりは、全然武力の使用を禁ずるに至つた、神は預言者ホゼヤをしてイスラエルの民に告げて言はしめた、
  我はユダの家を憐みて之を救はん、然れど我は弓、剣、戦争、馬、騎兵などに由りて救ふことをせじ(何西阿書一章七節)
と、基督教と戦争とは最も不釣合のものである 基督信者にして戦争を弁護する者は自己の宗教を破壊する者である、深く聖書を究めし者にして、武力を以て正義を維持せんとするが如き者は無い筈である。(406)平和の宗教である基督教は夫れと同時に又家庭の宗教である、是れはアブラハムと其妻サラとを以て始つた宗教である、信仰の始祖と唱へらるゝアブラハム、イサク、ヤコブは皆な家庭の人であつた、所謂内気の人であつた、大国家を建設して四隣を蹂躙せんとの思考の如きは彼等の心に浮んだことはなかつた、ユダ民族は平和の家庭として世界を風化するの天職を授けられたる者である、爾うして彼等が国民として起つ能はざるに至て、其世界感化の大事業は再たびガリラヤのナザレなる一工匠の家庭に於て始つた、基督教の特産物は国家ではない、家庭である、今日文明世界に於てホームと称せらるゝものは、是れ特に基督教に由て成つた者である、ホームは家族ではない、又必しも家庭ではない、血族相集つて必しもホームは出来ない、棲むに家あり、囲むに食卓ありて必しもホームは出来ない、ホームは血に由て繋がる者が又霊に由て繋がる所である、即ち人と其妻と、其間に設けられたる子とが主の名に由て相集まる所である、ホームに必要なる者は財産ではない、亦所謂此世の和楽でもない、ホームに必要なる者は小なる祭壇である、其上に毎日家族の砕けたる心の祈祷の祭物が献げられて、聖き楽しきホームは作られるのである。
 平和の宗教であり、家庭の宗教である基督教は其自然の結果として労働の宗教である、労働を神聖視したのは基督教が始めである、労働の有益と其貴尊とを認めた宗教は基督教以外にもあつた、然し「働くは是れ神を讃美するなり」と唱へて、労働を以て最上の祭儀と認めたのは基督教が始めである、キリスト御自身が哲学者でもなく、又神学者でもなかつた、彼は又文芸の人でもなく、又読書の人でもなかつた、キリストは労働者であつた、労働を以て生業となしたのみならず、労働を以て神に事へ、労働を以て神を探りし者であつた、神の子なりし彼は其父に似て製作者であつた、彼は考ふる者、書く者語る者ではなくして造る者であつた、爾うして造つて其父(407)なる造物主の心を識り、善く之に事へた者であつた、若し世に労働教なる者があるとすれば、夫れはキリストの基督教である、キリストは或る他の教師の如くに多くの言葉を以て労働の功を説かれなかつた、然し其福音の下地は確かに労働であつた。
 其他基督教が貴族の宗教ではなくして平民の宗教であり、僧侶、神主、祭司の宗教ではなくして、平信徒の宗教であることに就ては今日まで幾回も述べたから茲には言はない。
 基督教は以上の如き宗教であるとすれば之を信ずる者は如何なる者であるべき乎は問はずして明かである、貴族は其貴族根性を棄ずして平民の宗教なる基督教を信ずることは出来ない、軍人は其殺伐の気象を去らずして平和の宗教なる斯教を信ずることは出来ない、個人も家庭も悉く之を国家の犠牲に供すべしと唱ふる国家主義者が特に家庭の宗教なる基督教を歓ばないのは勿論である、爾うして基督教の下地が労働であるからは、夫れが学者の宗教でないことは云ふまでもない。
 今の教育と云へば学問をすることである、即ち書を読むことである、爾うして学生とは書を読まんと欲する者であつて、学問に由て人生を解釈し、安座して世を導かんと欲する者である、爾うして浅見の宗教家は言ふ、「斯教将来の希望は学生に在り」と、斯くて彼等は重きを学生伝道に置く、彼等は想ふ、「若し学生にして教化するを得ば未来の天下は我有なり」と。
 然しながら事は全く彼等の予想に反する、基督教を信ずるに速かにして又之を棄つるに速かなる者は今の所謂学生である、彼等が基督教を信じたと云ふのは其頭脳の一隅に於て僅か信じたのである、彼等は基督教を聞いたのである、或ひは見たのである、或ひは感じたのである、味ふたのではない、験したのではない、智識の修養を(408)のみ惟れ努めて居る今の学生には其衷に基督教を収容すべき場所がない。
 基督教の貿は所謂「書生|質儀《かたぎ》」の正反対である、キリストは言はれた
  人、若し我を遣し者の旨に従はゞ(旨を行はゞ)此教の神より出るか、又己に由りて言ふなるかを知るべし(約翰伝七章十七節)。
 基督教は即ち行つて知るべき者である、キリストは又言はれた、
  誠に実に汝等に告げん、若し人の子の肉を食はず、其血を飲まざれば汝等に生命なし、我肉を食ひ我血を飲む者は永生あり、我れ末の日に之を甦へらすべし、夫れ我肉は真の食物又我血は真の飲物なり(約翰伝六章五十三−五十五節)。
 基督教は味ふて覚るべき者である。
 基督教は斯かる質の宗教であれば、其、今日の学生に容易に信じられないのは勿論である、二者は其質を異にして居る、ユダヤはギリシヤに反き、ギリシヤはユダヤに反くやうに(撒加利亜書九章十三節)基督教は今の学生に反き、今の学生は基督教に反く、エチオピヤ人が其膚を変へ、豹が其|班駁《まだら》を変へるやうに今の学生が其希望と目的と性質とを変へるにあらざれば、彼等はキリストの忠実なる僕となることは出来ない(耶利米亜記十三章二十三節)。
 
(409)     仏教徒との交際
                     明治41年2月10日
                     『聖書之研究』96号「雑録」
                     署名なし
 
 西陲の地に余輩に一人の信仰上の友人あり、彼は西本願寺派の僧侶にして某寺に住職たる者なり、彼は余輩と宗教を異にするも信仰を一にす 即ち各自の崇拝物に対する心の態度を一にす、是れ吾等が宗教を異にするも心を共にする所以なり、左に先頃彼より達せし書翰を掲ぐ、若し読者の宗教的寛容の精神を養ふの一助とならば幸甚し、中に称讃の辞多しと雖も慚愧を省ず其儘を載す。  拝啓、先生愈御健勝慶賀至極に存じ申候、陳れば先日は御高編「保羅の復活論」御恵贈を辱ふし誠に先生が御厚意感謝の至りに候。九月の「聖書之研究」に於て先生が「幸福なる家庭」てふ題下に於て馬太伝の小釈を試みられしが誠に小生にとりては尊さかぎりなく候、生等が宗祖聖親鸞は曾て「一人居て喜ばゞ二人と思ふべし、二人居て喜ばゞ三人と思ふべし、その一人は親鸞なり」と誡められたり、古訓新釈二ながらうれしく存候。
  先生よ、先生と小生とは宿世如何なる縁ありしにや、先生は神を仰ぎ小生は仏を信ず、その教を奉ずる異にすと雖も、而も小生は先生が超然たる風格と真摯なる信念とに動かされて宗教的意識を喚発せられし事幾何ぞ、生が始めて先生の著書に接せしは既に十数年前なり、爾来小生も昔日のそれにあらず、多少文字を習ひ経験も嘗めぬ、而も先生を慕ふの念は愈々切にして愈々固し、小生が英文を披くの力を得し後ちは先生の紹介によりてカーライルの愛読者となり、オーヅスオースの熱愛家となれり、昨年八月東京をさりて帰来故山に帰臥してより殊にかの自然詩人の面影を偲び暮らす身となり候、(410)アヽ先生よ今後生等後進が先生に訴ふるところ愈々多かるべし、希くは愈々自重自愛して道の為めにつくされよ。云々
                            〇〇生
  内村先生 侍史
 
(411)     香のなき国
        之を補ふの必要あり
                          明治41年3月5日
                          『かほりの園』2号
                          署名 内村鑑三
 
 其風景の明媚なる事に於て、其草木の珍奇なる事に於て、其鳥類、魚類、介類の豊富なる事に於て、世界第一とも称すべき我日本国は、甚だ残念ながら其香の乏しき事に於ても亦世界第一であると称はなければならないと思ひます、今より三四百年前、西洋人が始めて此国に来りました時に、彼等の甚く驚いた事の一つは此事でありました、即ち此美はしい国に於て佳香を発つ草木の甚だ尠い事でありました、彼等は云ひました、「日本は匂はざる花と、囀らざる鳥の国である」と、日本国の草木に香の乏しい事と其鳥類に歌の少い事とは著しい事実であります。
 勿論、馨香《にほひ》が全く無いといふのではありません、言ふまでもなく日本国に梅があります、朝日に匂ふ山桜があります、国香《こくかう》を擅にすると云ふ蘭があります、晩節の香と称せらるゝ菊があります、秋の園を匂はす木犀があります、其他数へ来れば日本産の草木にして香を発つ者は決して尠くありません、然しながら其植生の豊富なるに比べまして、又之を他国の産に較べまして「日本は匂はざる花の国である」といはれましても、強ち抗言する事が出来ないのであります。
(412) 梅の香は清くして鋭くありますが、梅の樹を特に香の樹と称する事は出来ません、桜の匂は若しあるとすれば、其花に於てより量ろ其葉に在るのであります、其他蘭と云ひ、菊と云ひ、香は色に伴ふ艶でありまして、是等の花は特に其色のために賞美されるのではありません、日本産の草木にして特に其香のために珍重せらるゝものは瑞香《ぢんちやうげ》、木犀等の数種に止まります。然し外国に於ては決して爾うではありません、其庭園は色の庭であると同時に又香の園であります、之に清き幽《ゆか》しき香《にほひ》のヘリオトロープがあります、濃き優しき香のハヤシンスがあります、其他薔薇と云ひ、百合花《ゆり》と云ひ、皆な見る花であるよりは寧ろ嗅ぐ花であります、我国に在ては春を告ぐる者は君子の花なる梅であります、米国《べいこく》に在ては平民の花なるアーブユータスであります、アーブユータスは梅の如くに幹を高うし、枝を広げて、其清香に誇りません、彼女は地を匍ふ植物であります、岩の間に隠れ、樹の蔭に潜み、尋ねざれば得難き小灌木であります、然しながら其放つ香に至ては彼女は遙かに梅以上であります、其小なる一束は広き一室を薫らすに足ります、其一房を胸に挟んで美人は天使の装を呈はします、アービユータスは特に香の花であります、縦し其徹さき紫の花は全く無いとするも其香丈けにて春の女《をんな》預言者として尊愛するに足ります、私は我国の梅と桜とを以て誇る者でありますが、然し米国のアービユータスを羨んで止まない者であります、私はアービユータスの濃き優しき香を愛します、殊に其隠れて放つ香を愛します、彼女は誠に私の理想の花であります。
 其他、仏国のジヤスミンに就て、英国のラベンダーに就ては他日語ることに致しませう、只、今日は我国の香に乏しきことを述べて、此誌の読者諸君と共に之を補ふの途を講ぜんと欲します、本誌の発行の目的も亦茲に在ります、日本国をして、其色に於てのみならず、亦其香に於ても世界第一等の国となさんこと、是れが「かほり(413)の園」の目的であります、私共は号を逐ふに循て、此目的に通ふ記事を諸君の前に掲げんと欲します。
 
(414)     〔楽しき生涯 他〕
                     明治41年3月10日
                     『聖書之研究』97号「所感」
                     署名なし
 
    楽しき生涯
 
 現世既に楽し、来世は更らに楽しからんとす、我等は現世を楽む、又来世を楽まんとす、幸福なるはキリストに在りて生くる我等なり。
 
    現世の楽しき所以
 
 現世其物は楽しからず、来世の希望あるが故に楽し、恰かも富の獲得の希望ありて貧は苦しからざるが如し、現世は修羅の街《ちまた》なり、然れども自我を平和の来世に移して現世の苦闘は却て歓楽たるに至る、我等は希望に由て救はるゝなり、即ち来世の希望の快感に由つて現世の苦痛より免かるゝを得るなり。羅馬書八章二十四節。
 
    来世と向上
 
 来世の希望は迷信にあらず、又妄慾にあらず、来世の希望は無窮発達の希望なり、不滅なるべき人類の懐くべ(415)き正当の希望なり、此希望にして無からん乎、人は禽獣と何の異なる所なき者なり、人の魂は上に昇り、獣の魂は地に降る、人に永久の向上性あるが故に彼は永生を望んで息まざるなり、彼に来世なしと説くは彼に自殺を勧むるに等し、来世の希望を懐きて而已人は人らしき者と成るを得るなり。伝道之書三章廿一節。
 
    来世を説かざる宗教家
 
 今や来世を説かざる宗教家多し、彼等は言ふ、天国は清められたる現世に外ならずと、然るに事実は彼等の言に反し、現世の汚濁は日々に益々甚だし、来世の希望を供せずして現世は之を清むる能はず、宗教家にして来世を説かざらん乎、彼等は何に由て現世を清めんとする乎、来世の確信なき宗教家は鹹味《あぢ》を失ひたる塩なり、後は用なし、外に棄られて人に践まれん而已。馬太伝第五章十三節
 
    我が信ずる福音
 
 クリスト我が犯せし罪をすべて贖ひ給へり、クリスト我が為すべき善を我に代てすべて為し給へり、クリスト我がために永生を供へ我を聖父の国に迎へ給ふ、我は唯クリストを信ずれば足ると、我が信ずる福音は是なり、其信じ難きは余りに善《よき》に過るが故なり 然れども神の福音は是れ以下の者たるべからず、誠にヱホバを畏るゝ者にヱホバの賜ふ其|衿恤《あはれみ》は大にして天の地よりも高きが如し。詩篇百三篇十一節
 
(416)    我が希願
 
 我れ若し全世界を獲るとも我生命を失はゞ何の益あらん乎、我れ若し世の所謂成功者となり、学に秀で、産を作り、位階に誇るも我が霊魂を失はゞ何の益あらん乎、兎にも角にも死たる者の甦に与からんことをとはパウロの希願なりし 我も亦斯世に於て何を得ずとも、又何を失ふとも、兎にも角にも来らんとするキリストの国に入るを得て其一員たらんことを求ふ。鳥太伝十六章二十六節。腓立比書三章十一節
 
    宗教と教会
 
 福音は自由なり、故に教会を作らず、福音、宗教と化して始めて教会顕はる、教会は宗教の産なり、故に宗教廃れて福音の再たび世に臨む時に教会も亦廃たる、教会衰微は福音復興の兆なり、賀すべき哉。
 
    神意と人意
 
 人は止まらんとし、神は動かんとし給ふ、人は固結せんとし、神は溶解せんとし給ふ、人は制定せんとし、神は産出せんとし給ふ、神、自由の福音を賜へば、人は之を化して制度の宗教となし、神、愛の兄弟を生み給へば、人は之を収容して規則の教会を作る、人の為す所は常に神の為し給ふ所に戻る、曾てバベルの塔を築きて神の震怒を招きし人は今尚ほ条規の教会を設けて同じく聖意に戻りつゝあり、慎まざるべけんや。
 
(417)    墓地たる此地
 
 地は人類の住処《すみか》なりと云ふ、否らざる也、地は人類の墓地なり、彼の住処は他に在り、手にて造らざる窮りなく存つ所の屋なり、地の花は彼の墓を飾るに善し、其山は彼の遺骸を託するに適す、然れども地其物は彼の住所となすに足らず、地に就て争ふ者は誰ぞや、政治は墓地の整理ならずや、戦争は墓地の争奪ならずや、永久の住所を有する我等は喜んで地は之を他人に譲るべきなり。哥林多後書五章一節。
 
    不滅の獲得
 
 我は人の霊魂は何人のそれも不滅なるや否やを知らず、然れどもキリストに在る霊魂の必ず不滅なるを知る、霊魂不滅は学理的に説明する能はず、信仰的に実験するを得べし、我等は苦んで、闘て、自己に死して、不滅を我が有となすべき也。
 
    不朽の我等
 
 我等は既に永生を有す、故に歳と共に老ひず、我等の外なる人は壊るとも内なる人は日々に新たなり、我等が死して死せざるは是れが故なり、我等はキリストに在りて既に死より生に移されたればなり、春は来り、春は去る、然れども我等の霊は永久の春なり、縦し天は去り、地は焚尽きんも、キリストに在る我等は不朽の神と共に存すべし。哥林多後書四章十六節。
 
(418)    感謝の回想
 
 我は曾てヱレミヤと共に歎じて言へり、嗚呼我は禍ひなる哉、人皆な我と争ひ、我を攻む、皆な我を詛ふなりと、然れども今に至りて我は感謝して曰ふ、嗚呼我は福ひなる哉、人皆な我と争ひ、我を攻め、我を詛ひたれば我は神に結ばれて其救済に与かるを得たりと、人に捨らるゝは神に拾はるゝなりき、人に憎まるゝは神に愛せらるゝなりき、人に絶たるゝは神に結ばるゝなりき、今に至りて思ふ、我が生涯に有りし事にして最も幸福なりし事は世に侮られ、嫌はれ、辱められ、斥けられし事にてありしことを。耶利米亜記十五章十節。
 
(419)     クリスチヤンとクリスト
                     明治41年3月10日
                     『聖書之研究』97号「所感」
                     署名 蜀江生
 
 クリスチヤンはクリストである、クリストの信者ではない、彼の弟子ではない、彼の僕ではない、クリスト御自身である、自己《おのれ》は死してクリストが代て生き給ふ者である、故にクリスチヤンはすべての点に於てクリストの如き者である、彼の如く上より生れ、彼の如く神に導かれ、彼の如く世に憎まれ、彼の如く十字架を担ひ、彼の如く死して、彼の如く昇天する者である、四福音書に録してあるクリストの一代記は写して以てクリスチヤンの一代記となすことが出来る。
 クリスチヤンが神の子であるはクリストが神の子であるからである、クリスチヤンが甦るはクリストが甦り給ふたからである、クリスチヤンに永生が有るはクリストにそれがあるからである、クリストに有るものはすべてクリスチヤンに有る、クリストに有り又有つたものでクリスチヤンに無いものはない。
 クリストであるクリスチヤンは又クリストの為し給ふたことはすべて之を為すことが出来る、然り、出来得べきである、出来ないのは彼がまだ充分に自己に死ないからである、クリストが真に彼に宿り給ふて、彼は山を動かすことが出来る、桑樹《くはのき》に命じて之を海に移すことが出来る、彼は斯かる能力の彼に加へられんことを待望む者である。
 
(420)     義とし給ふとは何ぞや
                     明治41年3月10日
                     『聖書之研究』97号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
 神は自己を信ずる者を義とし給ふと云ふ、それは抑々何う云ふ事であらふ乎。
 義とし給ふとは義人として宣告し給ふと云ふことではない、神は単に裁判官ではないから、彼は罪人に無罪を宣告し之を放免して以て足れりとは為し給はない、神に在りては義とし給ふとは遙かに意味の深い事である。
 義とし給ふとは一には義と成し給ふとのことである、即ち義しき心を罪人の衷に造り給ふと云ふことである、是れ人には出来ないことであるが、神には出来る、彼は悔ひたる罪人のために聖き心を造り、その衷に直き霊を新たに起し給ふ(詩篇五十一篇十節)、神に在りては罪の赦免は単に法律的の赦免ではない、事実的の赦免である、神は罪人を赦して彼を事実的に義人と成し給ふにあらざれば満足し給はない。
 義とし給ふとは又義として顕はし給ふと云ふことである、即ち衷なる義に適ふ外なる装を以てし給ふと云ふことである、神に在りては人の救済は彼の全性の救済である、即ち彼の霊と体との救済である、神は人を衷に義と成し給ふに加へて亦彼を外に義とし給ふ、即ち彼に義人相当の境遇を供し人と天使とをして彼を義人として認めしめ給ふ、彼に義人相当の地位を与へ給ふ、義人相当の衣を以て彼を装ひ、彼に冠らすに義の冕を以てし給ふ、義人は何時までも神の前にのみ隠れたる心の義人として立つべき者ではない、彼は終に人の前にも義人として立(421)てられべき者である、神が彼を義とし給ふと云ふ事の中には彼の終局の栄達も含まれて在るのである。
 衷に義と為られ、外に義とせらる、義の心を与へられ、義人相当の境遇に置かる、神に義とせらるとは此事である、勿論、衷に義とせらるゝは先きであつて、外に義とせらるゝは後である、神は人と異なり、善き境遇を供して善き人を造らんとは為し給はない、神は境遇に反して善き人を造り給ふ、神に在りては境遇の結果たる心ではない、心の結果たる境遇である、義人は始め義のために責められて、後に義の冕を着せらるるのである。
 義者の甦り(路加伝十四章十四節)と云ふは此事である、即ち義人が再び体を以て顕はれ、其外形上の報賞《むくひ》に与かると云ふことである、肉の世に在りては単に衷なる義人として神に而已其義を認められし者が霊の世に甦りて人と天使との前に其義を発表せらるゝと云ふことである、義人栄達の時期、是れが復活である。
 神は来らんとする世に於てすべての義人を義とし給ふ、即ち義人を義人として顕はし給ふ、然れども此世に於ても亦彼は或る範囲に於て義人に義の報賞を下し給ふ、謙遜とヱホバを畏るゝ事との報は富と尊貴と生命となりと(箴言二十二章四節)、縦し多くの場合に於て義の報賞は義人其者の上に来らないとするも、彼の子孫か又は彼の国の上には必ず来るやうに見える、此罪悪の世に於ても確実の富貴と称すべきものはすべて義の結果である、義人が血を流して守つたる正義の終に富貴となりて顕はれたるものである。
 神は予め定めたる所の者は之を召き、召きたる者は之を義とし、義としたる者は之に栄を賜へり(羅馬書八章三十節)。
 是れが完全なる救済である、其始めと終りとである、義とせられたる者が栄を賜はりて救済は完全うせらるゝのである、我等は神を裁判人とのみ見てはならない、彼は愛なる父である、全能の神である、言へば為し給ふ神(422)である、義を宣告して止み給ふ者ではない、其宣告を事実にし給ふ者である、然り、事実にし給はざる事は之を宣告し給はない者である、故にパウロは言ふた、
  汝等の中に善業《よきわざ》を始め給ひし者、之を主イエスキリストの日までに全うすべしと我れ深く信ず(腓立比書一章六節)
と、神の宣告は実成の証明である、彼は完全に義とせんと欲し給ふまでは義を宣告し給はない、ヱホバは誓を立て其聖意を変へさせ給ふことなしと云ふ(詩篇百十篇四節)、我等一たび彼の赦免の声を耳にしたらんか、我等の救済は確実である、人は我等に就て何んと言ふとも、神は我等を人と天使との前に義人として立てしめ給ふまでは其聖き業《みしごと》を止め給はない。
 
(423)     国は基督教なくして立つを得る乎
        独り演説なり、久振りにて新聞紙を手にして述べしものなり。
                     明治41年3月10日
                     『聖書之研究』97号「演説」
                     署名 内村生
 
 是れは極めて古い問題である、然かし未だ結論に達した問題でない。
 単に論理の上より言へば基督教なくして国が立たないと云ふ理由はない、国は正義に拠て立つ者である、爾うして正義は必しも基督教に限らない、正義は儒教にもある、仏教にもある、宗教と云ふ宗教にして正義に依て立たない者はない、基督教に依らざれば国は立たないと云ふは独断の最も甚しいものであるやうに聞える。
 事は茲に止まらない、所謂基督教国に於て多くの不義の行はれることは最も明白なる事実である、最も醜悪なる習慣、最も残忍なる圧制は基督教を奉ずる国に於て行はれる、之に反して多くの美徳、多くの善行は非基督教国に於て行はれる、実際道徳の立場より見たる非基督教国は多くの場合に於ては遙かに基督教国の上である。
 然るに基督教に由らざれば国は立たぬと云ふ、妄説も亦甚だしいではない乎。
 然しながら奇《ふし》ぎなるは茲に掩ふべからざる一つの事実がある、それは歴史上基督教国として絶対的に亡びた国の曾て無いことである、基督教亡国史といふものは書かんとするも書くことが出来ない、国は基督教を信じて不滅となるやうに見える。
(424) 基督教国にして亡国の悲運に陥りし者として常に波蘭土《ポランド》国が挙げられる。成程波蘭土は三回の分割に由て紀元千七百九十四年に国として其存在を失つたやうに見える、然しながら所謂滅亡後の波蘭土人を知る者は波蘭土国の滅亡を認めない、波蘭土人は其支配人を更へたまでゞある、波蘭土人自身は今尚ほ独立の民である、彼等は国語を存し、文学を存し、世界の文明場裡に立て他国の民に一歩を譲らない、若し波蘭土が亡国であると云ふならば蘇蘭土《スコツトランド》も亡国である、洪牙利《ハンガリー》も亡国である、自治の国に移りて自治の権利を有する民は亡国の民ではない。
 同じ悲運に会ひし国は南阿のトランスバールである、彼は英国の併呑する所となりて其独立を失つたやうに見える、然しながら今日のトランスバールは前日に異ならない自由国である、之に議会がある、国務大臣がある、爾うして曾ては英国に対して剣を抜いた者が今は実際に其国務を司りつゝある、英国は南阿共和国の名を廃することが出来た、然し其自由を奪ふことは出来なかつた、否な、名義上英国の配下に属してよりトランスバールの自由は一層強固なる者となつた。
 其他、那威の如き、丁瑪《デンマルク》の如き、瑞西《スヰツツル》の如き、希臘の如き、幾たびか亡びんとしたが今に尚ほ亡びない、印度は亡び、緬甸《ビルマ》は亡び、土耳古は亡びんとしつゝあるも、基督教国は其最も微弱なる者と雖も其存在を維持して居る、中央亜米利加、南亜米利加の数多の小弱国と雖も其独立丈けは維持して居る、是れ確かに注意すべき事実である。
 之に反して土耳古の如き、其民は武にして、其宗教は卑しからざるに関はらず、其国運の日々に非なるは何人も知る所である、所謂「東欧の病人」が遠からずして其|気息《いき》を絶つに至るべしとは識者の信じて疑はない所である、波斯の如き、近頃憲法政治を採用せしと雖も、憲法が果して波斯国を救ひ得るや否やは大なる疑問である、(425)埃及国は名義上の独立国であつて、実際上英国の属国である、摩路哥《モロツコ》国は其民の勇悍なるに関はらず、今や滅亡の途に就きつゝある。
 以上は歴史上の事実である、議論ではない、其説明は何であるとするも、事実は掩ふべからずである。
 是れ抑々何に原因するのであらふ乎、或ひは所謂基督教国なる者はすべて学術進歩の国であるが故に、彼等は近世科学に由て其存在を維持して居るのであらふ乎、或ひは国も人と同じく同類相食むことを嫌ふが故に同類相憐むの情よりして基督教国は相互を絶滅に附さないのであらふ乎、其説明は幾干《いくら》もあらふ、然し事実は掩ふべからずである。
 国は学術に由て立つ者でない事は学術に秀でたる国の亡びたる例のあるに由て判明る、昔時のムール人は回々数信者ではあつたが、其智識は遙かに当時の欧洲人以上であつた、彼等は四百年間今の葡萄牙、西域牙《エスパニヤ》を占領した、今日の代数学をアルゼブラと云ふはムーア人の語より出たのである、化学をケミストリーと云ふも同じである、東はバグダツドより西はコルドバまで跨りてムーア人は一時は学術を以て世界に轟いた、然るに此民が終に西域牙人の逐ふ所となつたのである、爾うして逐はれて後は再び起つ能はざるに至つたのである、ムーア人は其優秀の学術を以てして其独立を維持することが出来なかつた。
 印度人は高尚なる哲学と宗教とを以て今尚ほ世界に鳴る民である、然るに此民にして国を成すことが出来ないとは実に奇怪と云はざるを得ない、哲学若し国を成すものならば、何故に印度人は斯くまで国家的に無能である乎。
 若し又国を立つるは武力に在りと云ふ者があるならば、土耳古国の衰退は説明し難き事実である、未だ曾て土(426)耳古人に勝さる武勇の民の歴史の舞台に現はれたる事はない、剣を以てしては欧洲人は決して土耳古人の敵でなかつた、若し武が世界を征服するの唯一の勢力であるならば、土耳古人は早く既に世界の主人公となつて居つたであらふ。
 茲に於てか立国の原動力を、学術以外、武力以外に求めなければならなくなるのである、国は正義に由て立つ者である、其事は明白である、然し正義は又之を養ふに或る他のものを要求するやうに見える、所謂純正義なるものは強いやうで実は弱いものである、正義は単に主義ではない、是れは活きたる精神の活動である、爾うして活きたる精神とは活きたる人であつて、活きたる人とは其中に在る活きたる霊魂である、活きたる霊魂なくして正義は強く働かない、道義上の正義、哲学上の正義は甚だ微弱なる正義である。
 爾うして基督教が国を維持すると云ふのは此勢力を国民に供するからではあるまい乎、即ち正義をして何時までも活如たらしむるからではあるまい乎、国は衰へて、世は腐るも此勢力にして存する限りは民の復興の希望がある、圧制は如何に強くとも、腐敗は如何に甚だしくとも、正義が活きたる神より来る以上は、国に正義の絶ゆることはない、斯かる場合に於ては正義は限りなく自体を復興し、常に回春の勢力を以て腐敗せる国家に臨むのである、是れが基督教が国家を永久に保存する理由ではあるまい乎。
 余輩基督教の無い文明国を見るに、其風は美にして、其俗は雅なるに関はらず、其正義は常に甚だ微弱である、或ひは利慾に駆られて、或ひは政権に怕《おぢ》て、或ひは正義以外の或る一種の道徳に支配されて、正義は其声を潜め、不義をして其欲する所を行はしむ、国家存立上の危険にして是よりも大なる者はない、国民挙て偽善者となる時、馬と知りつゝ之を鹿なりと唱へ、馬を称して馬と言ふ者に乱臣国賊の名を被せる時に国は亡びて了ふのである。
(427) 然し世には例外がないとも限らない、基督教なくして立ち且つ永久に栄ゆる国は今後或ひは世に現はれないとも限らない、其時には余輩の此主張の如きはたゞの一笑に附せられるまでの事である。
 
(428)     〔自然主義 他〕
                     明治41年4月10日
                     『聖書之研究』98号「所感」
                     署名なし
 
    自然主義
 
 自然の自然は自然なり、人の自然は不自然なり、自然の自然を描くは美なり、人の自然を写すは醜なり、余輩は自然の自然主義を唱ふ、人の自然主義を唱へず、人は神に反きて其自然性を失ひたる者なればなり。
 
    進歩と苦痛
 
 世は永久に進歩すべし、然れども永久に苦痛の世なるべし、人は永久に争ふべし、死は永久に存すべし、幸福は此世より望むべからず、縦し進歩は其極に達するとも。
 
    聖《み》国の到来
 
 世は進みつゝあるや我は知らず、退きつゝあるや我は知らず、平和は来りつゝあるや我は知らず、戦争は起りつゝあるや我は知らず、我は唯一事を知る、神の聖国の日々刻々近づきつゝあることを、而してその政治家、軍(429)人、宗教家等、人の運動に由て来る者にあらざる事を。馬太伝二十四章六節参考。
    不用問題
 
 福音は世を改むべし、或ひは世を改めざるべし、然れども是れ福音の真価を定めんとするに方て全く不用問題なり、福音の真価は福音其物に存す、福音は平和を来たすべし、或ひは争闘を来たすべし、然れども福音は霊魂を活かすの能力《ちから》たるを失はず、余輩は福音が世に及す効果を述立て其真価を弁ぜんとは為さゞる也。
 
    福音の勢力
 
 福音は政治に非ず、然れども国家を潔む、福音は美術にあらず、然れども美感を喚起す、福音は哲学に非ず、然れども思惟を刺激す、福音は産業に非ず、然れども富を増進す、福音は此世の事にあらず、然れども人を其中心に於て活かすが故に、活動のすべての方面に於て此世を啓発す、此世以外の福音こそ此世を救ふ唯一の勢力なれ。
 
    無抵抗主義の威力
 
 我等は無抵抗主義を採る、然れども神は無抵抗主義を採り給はず、彼は我等に代りて抵抗し給ふ、万事を神に任かし奉る我等に逆ふ者は禍なり、そは彼は我等に代りて彼等を砕き、彼等を恤まず、惜まず、憐まずして滅し給ふべければ也。耶利米亜記十三章十四節。
 
(430)    近世の聖書研究
 
 近世の聖書研究は主として外よりする研究なり、言語学と考古学と比較宗教とに由る研究なり、故に聖書の真義に達する難し、聖書は歴史にあらず、美文にあらず、信仰の書なり、故に信仰に由らずして其真意を探る能はず、材料は積で山を作し、観察は博く海を蓋ふも、僅かに聖書の外装を窺ふに過ぎず、労多くして功尠しとは近世の聖書研究を謂ふなるべし。
 
    公平なる批評
 
 人をして神を評せしむる勿れ、神をして人を評せしめよ、哲学を以て聖書を評する勿れ、聖書を以て哲学を評すべし、神は人よりも高し、聖書は哲学よりも深し、聖書に拠り、神の立場に立て、我等は最も公平に人と万物とを評するを得るなり。
 
    交友と信仰
 
 我は不信者なるやも知れず、そは我は今の所謂基督信者なる者と交はること甚だ稀なれば也、我交友は寧ろ不信者の中に在り、偏理論者の中に在り、我れ時には思ふ、斯かる社交的境遇に在る我は神に詛はれし者にあらざる乎と。
 然れども何ぞ恐れん、イエスは祭司、学者、パリサイの人等と交はり給はずして反て税吏罪人等を友とし給へ(431)り、我が交友はイエスのそれに類似す、我は「基督信者」にはあらざるべし、然れどもイエスの友に非ずとは未だ断定するを得ざるべし。
 
    宇宙の無要物
 
 第一に貴きものは信仰なり、第二に貴きものは智識なり、第三に貴きものは労働なり、若し信仰なくんば智識なかるべからず、若し智識なくんば労働なかるべからず 信仰なく、智識なく、労働なくして、人は宇宙の無用物なり、而して世の所謂宗教家なる者は多くは此類にあらざる乎、彼等に労働なし、彼等は他人をして己を養はしむ 彼等に智識なし、彼等は弁舌を弄するに過ず、彼等に信仰なし、彼等は教権を揮ふ而已、主は彼等に就て言ひ給はん、之を斫去れ、何ぞ徒らに地を塞ぐやと。路加伝十三章七節。
 
    武士道と宣教師
 
 聞く真の武士道は敵に勝つの這に非ず、人に対し自己を持するの道なりと、清廉、潔白、寛忍、宥恕、勝つも立派に勝ち、負けるも立派に負くるの道なりと云ふ、若し然らんには武士道の外国宣教師に由て伝へられし我国今日の基督教に優るや万々なり、宣教師的基督教は何よりも先づ成功を欲望す、多数に信徒を作らんとし、大なる会堂を建てんとし、社会に勢力を植えんとす、聖く失敗する祝福の如きは其全然解し得ざる所なり、余輩はナザレのイエスの弟子として又日本武士として、外国宣教師と其伝ふる宗教とに反対する者なり。
 
(432)    父の一周期に際して
 
 父の一周期は周来《めぐりきた》れり、我に涙なき能はず。
 彼れ今何処に在る乎、彼は消滅せし辛、我は爾か信ずる能はず、彼は彼の墓に眠る乎 我は爾か信ずる能はず、然らば彼れ今何処に在る乎。
 彼は我と共に在り、我が側に在り、我が衷に在り、我は我が五感を以て彼を感ずる能はざる而已、我に第六感、又は第七感の供せられん時、我は明かに再たび彼を感ずるを得ん、彼は今尚ほ我と共に在り、我を励まし、我を慰め、我と苦楽を頒ちつゝあり。想望す、復活の曙、此壊つる者壊ちざる者を衣、死ぬる者死なざる者を衣ん時、我等は面と面とを合はして人生の苦闘と勝利とを語らん。
 我れ天より声ありて我に言ふを聞けり、曰く、今より後、主に在りて死ぬる人は福いなりと(黙示録十四章十三節)。
 
    今より後
 
〇国を救はんとす、国を救はんとすと、然るに国は終に救はれざらんとす、故に我は今より後、国の救ひを思はざらんと欲す、而してキリストの福音をのみ是れ説かんと欲す、然らば国は自づから救はれて我等は神に感謝するに至らん。
〇我は政治家の執る我国の方針の是なる者なるや非なる者なるやを知らず、我は唯一事を知る、即ち国民の誠実(433)の日々に益々失せつゝあることを、故に我は今より後、国是に就て論ずる事を廃めて唯ひたすらに民の誠実を増さんことを而已是れ努めんと欲す。
〇新説又新説、而かも一つも我を満足せしむるに足らず、唯古き福音のみ能く我を満足せしめて余りあり、イエスキリストの血すべての罪より我を救ふと、是よりも深き真理に我は未だ曾て接せしことなし、故に我は今より後、新説に注意を奪はるゝことなくして、一意専心我が古き旧き福音を唱へんと欲す。
 
    人を救ふの力
 
 人を救はんと欲して人を救ふ能はず、真理を闡明して人は自から救はるゝなり、真理を除いて他に人を救ふの力あるなし、救世者の模範はカントなり、パスカルなり、ブラウニングなり、ウエスレーに非ず、ムーデーに非ず、ブース大将に非ず、我等は前者に傚て深く、永く、普く世を救ふの道を講ずべきなり。
 
(434)     常識と信仰
                     明治41年4月10日
                     『聖書之研究』98号「所感」
                     署名 柏木生
 
 余輩は常識を貴ぶ、然し信仰に代はる常識を貴ばない、信仰は神の智慧である、常識は人の智慧である、二者の価値は較ぶべくもない。
 信仰は勿論迷信に陥り易い、然れども腐つても鯛の骨、信仰は何処までも信仰である、信仰は迷つても誠実である、故に其一たび覚むるや、元の神の智慧である、神の宝位《みくら》に近づき、之を動かし得る能力である。
 常識の腐たる者は世才である、爾うして世才は死んだる犬と同然、何の用もない者である、世才は不実である、彼は真理を嘲弄する、彼に覚醒の機会は容易に来らない、彼は何時までも自己を智《さとし》とし、又自己を理とする、恐るべきは迷信ではなくして世才である。
 
(435)     基督教と進化
                     明治41年4月10日
                     『聖書之研究』98号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
 基督教は進化する者である乎、是れ甚だ興味ある問題である、或人は勿論進化する者であると云ひ、或人は既に完全に達した者で此上進化すべき者ではないと云ふ、二者孰れが真理である乎。
 此問題を研究するに方て二つの先決問題がある、(一)基督教とは何である乎、(二)進化とは何である乎、二者各々大問題である、勿論、茲に詳はしく之を論ずることは出来ない、唯左の要点を掲ぐる、
  一、基督教とは基督教会ではない、又其奉ずる信仰箇条ではない、基督教とは新約聖書に示されたる根本的真理である。
  二、進化とは単に進歩ではない、開発である、中に隠れたる者が外に顕はれることである、是れが Evolution の辞義であつて、又其原理である。
 基督教が是れであり、進化が是れであるとすれば、基督教に進化のあることは勿論である、初めには苗、次ぎに穂出で、穂の中に熟したる穀を結ぶとのキリストの言葉は確に進化の理と途とを示した者である(馬可伝四章二十八節)、基督教は一時に人類に与へられたる者ではない、アダムを以て始まり、ノア、アブラハム、モーゼを経て、終にナザレのイエスを以て其、今日まで伝はりし形に於て世に供せられたる者である、進化に由て成りし(436)斯教が更らに進化すべしとは信じ難きことではない、栄光は更らに顕はるべき者である(羅馬書八章十八節、彼得前書五章一節等参考)、基督者が懐く来世の希望の如きも亦基督教進化の理に基く者である。
 然しながら斯く言ひたればとて、余輩は基督教の変化を信ずる者ではない、或る意味に於ては使徒ユダの言は真である、彼は聖徒に一たび伝へられし信仰の道に就て述べて居る(猶太書第四節) 一たびとは英語を以て言へば once for all である、即ち最後の一たびである、信仰の道、即ち基督教は其最善最美の形に於て聖徒に伝へられしとのことである、希伯来書の記者も亦同じ事を語て居る、
  神、昔は多くの区別をなし、多くの方法を以て、預言者により、列祖に告げ給ひしが、この末日には其子に託りて我儕に告げ給へり(希伯来書一章一、二節)、
と、是れ即ちパウロの所謂世の創始より隠れて終に使徒等に示されし奥義である、是れは福音の真理であつて、世々変るべき者ではない。
 去らば福音の真理とは何である乎、神は愛なりと云ふ事である乎、勿論それに相違ない、然し単に神は愛なりと云ふことである乎、若しそれ丈けのことであるならば、基督教以前に既に其事は能く判明つて居つた、神は如何に愛である乎、其愛の事実は如何、是れが基督教に由て始めて人類に示されたことである、爾うして其|示顕《しめし》に由れば、
  神は英生み給へる独子を賜ふほどに世の人を愛し給へり
とのことである、是れは独特の示顕である、基督教以前に此示顕はなかつた、基督教以後に此示顕はない、是れは人の知らない事実である、人は「神は人を愛す」とは朦朧《おぼろ》に知つて居つた、然かし其生み給へる独子を賜ふほ(437)どに世の人を愛し給へりとは彼がキリストに由て始めて聞き且つ見たる事実である、是れは確かに福音である、人の最も聞かんと欲し、又聞いて最も悦ぶことである。然しながら福音は告知に止まらない、ウオルヅオスの詩にある杜鵑の声の如き者ではない、福音は事実の示威である、神は言葉を以て其愛を人類に告げ給ふに止まらない、事実を以て是を示し給ふた、是れが福音の福音たる所以である、其生み給へる独子を示し給ふた、彼を世に遣り給ふた、彼をして神の子たるの生涯を人の中に送らしめ給ふた、彼をして神の如くに死なしめ給ふた、言ふまでもなく、基督教は抽象的真理ではない、歴史的事実である、真理を示す事実であるが、事実を離れたる真理ではない、単に神は愛なりと云ひて基督教の真理は尽きない、神はナザレのイエスが其生と死とに由て示し給しが如き愛なりと、是れが基督教である、若し基督教がこれ以外の者であると云ふならば、余輩は其、何である乎を知らない、少くとも余輩は是れ以外の者として基督教を学んだのではない、亦之を信じたのでもない、新約聖書に示されたるキリストの生涯を離れて余輩は基督教の何なる乎を知らない。
 そうしてキリストの生涯とは単に仁慈の生涯、正義の生涯、聖父に対する孝道の生涯ではなかつた、其れは能力の生涯であつた、無限の可能性を帯びたる生涯であつた、万物を自己に服従はせ得る生涯であつた、若し爾うでなかつたならば彼の生涯は神の独子の生涯ではなかつた、詩人テニソンの所謂  
  Strong Son of God, thou lmmortal love(能力ある神の子、汝、無窮の愛よ)
とは実に彼のことであつた、爾うして斯かる者の生涯は普通の人間の眼より見て異様の生涯であつたに相違ない。
 処女懐胎、奇蹟、変貌、復活、昇天、是等を単に基督教会の奉持する信仰箇条と見て、太古時代の旧套と見做すより他に途はない、然れども能力ある神の独子の生涯の事蹟と見て、決して信じ難い事ではない、否な、若し(438)是等の事蹟がなかりしならば、我等は神の独子が世に顕はれたことを信ずる事は出来ない、随て神が其独子を賜ふほどに世の人を愛し給へりとの基督教の根本的教義を信ずることは出来ない、奇蹟其物は勿論、有つても無くつても可い事である、然れどもキリストに奇蹟が無かつたと云ふことは基督教を信ずる上に於て大なる関係のある問題である。
 「神は愛である」是れ一般の真理である、「神は其生み給へる独子を賜ふほどに世の人を愛し給へり」、是れ独特の真理であつて、基督教の根本的真理である、若し此真理がないならば基督教は無いのである、基督教は哲学ではないから一般の真理を教ふる者ではない、是れは、其信者の信仰に従へば、真理の絶頂であつて、真理が神と接触する其最上最高の一点を示す者である。
 基督教が是れであるとすれば――爾うして余輩は是より他の者として基督教を考ふる事は出来ない――是れに変化も進歩もありやう筈はない、真理の終局は愛である、爾うして愛の極致は神の人に対する愛である、爾うして其愛が歴史的に顕はれたる者が基督教である、是れに進歩も改善もありやう筈はない。 進化は衷に隠れたる者が外に顕はれることである、故に進化は原理其物に適用さるべき言辞《ことば》ではない、二と二を合すれば四なりとは永久の真理である、此真理其物に進化のあるべき筈はない、汝、殺す勿れと云ふも亦永久の真理である、是れにも亦進化のあるべき筈はない、然しながら永久の真理は其発顕の形と方法とに於て永久に進化する者である、ニユートンの数理学も元は二と二を合すれば四となると云ふが如き単純なる真理より進化した者である、今日の非戦論も、其、今日の基督教会全体に由て嘲弄され、反対さるゝに関はらず、やはり汝、殺す勿れと云ふ単純なる真理より進化した者である、其如く、神は其生み給へる独子云々の単純なる真理も進化し(439)ては世界の平和ともならふ、新ヱルサレムともならふ、然しながら福音の真理其物は永久に渉るも依然として旧き古き福音である、進化を真理其物に於て求めて、我等は真理を壊つか、然らざれば之を見失ふに至る、能く進化の何物たる乎を知つて、我等は其適用を誤らない。
 要するに今の世に在て、進化の辞ほど多く濫用さるゝものはない、すべての進歩は進化と見做され、真理の闡明までが其進化であるやうに考へられる、進化の辞たる元々宗教や社会学に於て姶つた者ではない、生物学に於て始つた者である、進化論の経典とも称すべき者はドルネルの神学書や、マツクスの社会学書ではない、ダルウイン、ワルレス等の著書である、此等の経典に拠らずして進化論の何なる乎は判明らない、爾うしてダルウインの大著「種の起源」を精読した者は直に以て奇蹟を嘲らない、否な、ダルウイン自身は進化を以て更らに大なる奇蹟と見做して彼の深遠なる研究の結果を世に提供したのである、余輩は世の基督教の進化を論ずる者が少くとも一回、敬虔以て「種の起種」を精読せんことを切望する者である。
 四福音書の歴史的価値に就ては別に論じやうと欲ふ。
 
(440)     パリサイの人と税吏の譬
        路加伝十八章九−十四節 三月二十九日柏木今井館に於て
                     明治41年4月10日
                     『聖書之研究』98号「講義」
                     署名 内村鑑三
 
  九 又みづから義と意ひ人を軽ろしむる或人にイエス此譬を語れり。
 「意ひ」は「信じ」と訳すべきであります、「みづから義と意ひ」は「自己一人義人なりと信じ」との謂であります、「人」では足りません、「すべて他の人」であります、「軽ろしむる」とは強い言辞でありまして、「甚だしく軽蔑せし」とでも訳しませう乎、即ち自己一人義人なりと信じ、すべて他の人を蔑視せし人に対してイエスは次の如き譬を語られたとのことであります。
  十 二人祈らんとて殿に登りしが其一人はパリサイの人、一人は税吏《みつぎとり》なりき。
 「殿」とはヱルサレムの神殿であります、山の上に建られて在りましたから「登り」とあるのであります、「パリサイの人」は所謂宗教家であります、信仰の高きと道徳の潔きを以て自から任じた者であります、「税吏」は俗人であります、信仰上、道徳上、何の資格をも有しない者であります、人の眼より見て「パリサイの人」は正義高徳の士、「税吏」は不義劣等の人でありました。  十一 パリサイの人たちて自から如此《かく》祈れり、神よ我は他の人の如く強索《うばひ》、不義、姦淫せず、亦此税吏の如(441)くにもあらざるを謝す。
 「たちて」は「傲然として起立して」の意であります、十三節にある「遙かに立て」とある言辞とは達ひます、「自から」は原語の儘に「自己に」と訳するのが当然であると思ひます、此パリサイの人は神に祈るやうで実は自己に祈つたのであります、偽善者の祈祷はすべて如此き祈祷であります、即ち神に対しての祈願ではなくして、自己に対しての自賞自讃であります、彼は「神よ云々」と言ひます、然し実は自己に語て居るのであります、「他の人」は九節に於けるが如く「すべて他の人」と訳すべきであります、彼は其祈祷に於て自己一人の正義を称へつゝあります、以下は左の如く改訳すべきであらふと思ひます、
  神よ我は汝に感謝す、我はすべて他の人の如くにあらざるを、強奪者、不義の人、姦淫を行ふ者にあらざるを、又此税吏の如くにあらざるを。
 此パリサイの人は自己一人を除くの外はすべて強奪者、不義の人、姦淫を行ふ者であると思ひました、彼は又特に彼の傍に立ちし税吏を指して言ひました、我は此税吏の如くにあらざるを感謝すと、実に失敬なる申分であります。
  十二 我れ七日間に二次《ふたゝび》断食し、又すべて獲るものゝ十分の一を献げたり。
 パリサイ人は先づ自己の潔白を唱へました、次に自己の高徳を列べました、他の人の如く悪を為さず、加之、他の人に優さりて善を為せりと、モーゼの律法に依れば猶太人たる者は年に一回、即ち贖罪の日に断食すれば可いのでありました、然るに此人は一週に二回断食したとのことであります、又同じ律法に依りますれば、人は何物に限らず其獲し物の十分の一を献げずとも宜かつたのであります、然るに此パリサイの人は薄荷《はくか》、茴香、馬芹《まきん》(442)など瑣細の蔬菜までの十分の一を献げて其信仰厚きを誇つたとのことであります(馬太伝二十三章二十三節)、斯くて彼は神に対して(実は自己に対して)自己の信仰と道徳を誇りました、彼は密かに心の中に意ふたでありませう、我は実に立派な信者である、神はさぞかし我に就て満足し給ふであらふ、我れが神に謝するよりは神が寧ろ我に謝すべきであると。
  十三 税吏は遙かに立て天を仰ぎ見ず、其胸を拊《うち》て神よ罪人なる我を憐み給へと曰へり。
 パリサイの人は祈りました、実は自己に対して自己の潔白と高徳とを述べたてました、然るに税吏は祈ることさへ出来ませんでした、彼はたゞ「曰ふ」た而已であります、此節は「然るに」を以て始むべきであります、「遙かに」は自称義人パリサイ人より遙かに離れてとの意であります、卑しき税吏は高きパリサイ人に近づく事が出来ませんでした、「立て」は「佇立」でありませう、パリサイ人の傲然たる起立ではありません、「天を仰ぎ見ず」は原文の通り「天に向て眼をさへ揚げ得ず」と訳すべきであります、「胸を拊て」は「胸を撃つゞけて」であます、彼の悲痛の状が察せられます、「神よ、罪人なる我を憐み給へ」「唯一の罪人なる我を云々」と、此税吏は自己こそ世界唯一の罪人であると信じました、パリサイ人が唯一の義人であると信じたと正反対であります、彼は又「我を恵み給へ」とは曰ひませんでした、「憐み給へ」と曰ひました、彼は自己は神の憐愍を乞ふの外、神に近寄る何の資格も無い者であると感じました、全節を左の如く改訳します、
  然るに税吏は遙かに離れて立ち、天に向て眼をさへ揚げ得ず、其胸を打ちつゞけて曰へり、神よ、唯一の罪人なる我を憐み給へと。
(443)  十四 我れ汝等に告げん、此人は彼人よりは義とせられて家に帰りたり、夫すべて自己を高《たかぶ》る者は卑《さげ》られ、自己を卑《へりくだ》す者は高らるべし、
 始めに先づ私の改訳を申上げます、
  我れ汝等に告げん、此者は彼人よりは義とせられて家に下りたり、夫れすべて自己を低くする者は高くせらるべし、然れども自己を高くする者は低くせらるべし。
 是れ此譬に対するキリストの教訓であります、「此者」 パリサイの人は無礼千万にも税吏を指して此税吏と曰ひました、依て主イエスはパリサイの人の言其儘を以て曰はれました、此者は……(「此奴《このやつ》」と訳したら更らに適当でありませう)………パリサイ人の指した此奴は彼れ「正義の士」よりは義とせられて山を下て家に帰りたりと、爾うして此事たるイエスが度々繰返されし「自己を低くする者は高くせらる云々」なる教訓の例証であります。(十四章十一節、馬太伝二十三章十二節を参考なさい)。
 以上数節は基督者の謙遜の何たる乎を教ふる者であります、是れは儒教などで云ふ謙徳とか謙譲とか云ふものとは全く其趣きを異にします、基督者の謙遜は礼節ではありません、是れは謙虚でありまして心の事であります、自己の真価を認むることであります、自己が唯一の罪人、罪人の首であることを認むる事であります、此覚認なくして神がキリストに由て下し給ふすべての恩恵に接することは出来ません、最も低くせられて最も高くせらるゝのであります、自己を打砕かれて新たに自己を賜はるのであります、我等は飽くまで低くせられて飽くまで高くせらるべきであります。
 
(444)     〔向上 他〕
                     明治41年5月10日
                     『聖書之研究』99号「所感」
                     署名なし
 
    向上
 
 上へ、上へ、上へと、昇るは救済なり、降るは滅亡なり、我等は永久に昇て永久に救はれんのみ、道の難きを意とせず、我れ汝を支へんと主曰ひ給へばなり、手段を講じて然る後に進まず、主の命を確かめて懼れなく進むなり、より高き、より難き、より聖き業へと進むなり。
 
    謙遜と祈祷
 
 或ひは出て野を耕し、或ひは入て筆を執る、我が為す所小にして人に知られず、然れども我に若し謙遜りたる祈祷の心あらん乎、我は神と偕に働らきつゝあるなり、其時我は宇宙と偕に運転し、万物と共に進化す、其時諸の星は其軌道に在りて我敵を攻め、山と岡とは声を放ちて我に味方す、我は独り神と偕に在りて大軍を指揮して世に勝ちつゝあり。土師記五章二十節。
 
(445)    樹と其果
 
 事業の結果に就て意はず、其性質に就て意ふ、是れ独立の事業なるか、是れ信仰の事業なるか、是れ神が我に在りて為し給ふ事業なるかと、其性質にして聖からん乎、其結果は必ず善且つ大なるべし、或ひは樹を善くせよ其果も亦善かるべし、或ひは樹を悪くせよ、其果も亦悪しかるべし、人に依頼し、智慧を以て計画み、大事を為したればとて大事は成らず、人は己を潔めて徳を万世に施すを得るなり。馬太伝十二章三十三節。
 
    信仰の告白
 
 信仰の動揺は又始まれり、我は又我が信仰を告白するの必要あり、我が信仰は所謂使徒信経是れなり、即ち左の如し、
  我は全能なる父なる神を信ず、我は其独子なるキリストイエスを信ず、彼は我等の主にして、聖霊によりて処女マリヤ上り生れ、ボンテオ・ビラトの時十字架に釘けられ、葬られ、第三日に死し者の中より復活り、天に昇り、父の右に座し、彼処より生者と死者とを鞫くために来り給ふ。
  我は聖霊を信ず、聖教会を信ず、罪の赦免を信ず、身体の復活を信ず。
 我は今より三十年前、斯く信じたれば基督信者となりたり、而して今尚ほ斯く信ずるが故に基督信者たるなり、過去三十年間に於ける科学の進歩は我をして我が此信仰を更へしむるに足らず、我は今に至るも尚ほ斯く信じ得るを神に謝す。
 
(446)    信仰の理由
 
 我は人を歓ばせんがために斯く信ぜざるなり、我は我が常識に反いて斯く信ぜざるなり、我は我が実験に由て斯く信ずるなり、斯く信ぜざるを得ざるが故に斯く信ずる也、是れ我が信仰なり、我党の信仰にあらざるなり、是れ我が信仰なり、我が神学にあらざるなり、我が感ずる所、我が直覚する所、悉く理由を附する能はざるも、事実として我が承認せざるを得ざる所なり、我は我が現在の実験に照らして過去并に未来の事実の斯くあらざるべからざるを確信する者なり。
 
    科学と宗教
 
 科学は天然界に於ける事実の観察なり、宗教は心霊界に於ける事実の観察なり、二者同じく事実の観察なり、唯観察の領域を異にするのみ、二者目的を共にし、方法を共にす、事実を知らんと欲す、精確ならんと欲す、科学の敵は宗教に非ず、思弁なり、宗教の敵は科学に非ず、神学なり、科学と宗教とは善き兄弟なり、彼等は手に手を採て二者共有の敵なる思弁と神学とに抗すべきなり。
 
    パリサイ派とサドカイ派
 
 パリサイ派とは復活を信ぜし保守派なり、サドカイ派とは復活を否みし進歩派なり、前者は厳格なる信条の維持を主張し、後者は自由思想を標榜せり、二者全く其主張を異にせり、然れども相合して我等の主イエス・キリ(447)ストを殺したり、キリストは両派孰れにも与みし給はざりしが故なり、而して余輩キリストと偕に歩まんと欲するが故に、パリサイの保守派にも与せざるべし、サドカイの進歩派にも与せざるべし、余輩はキリストの如く狭く(深く)、又キリストの如く広からんと欲す、余輩は復活を教義として主張せざるべし、然れども事実として之を信ぜんと欲す、信仰に於ては保守にして智識に於ては自由ならんと欲す、余輩は「保守」「進歩」両つながらに反対する者なり。
       ――――――――――
 
    罪とは何ぞ
 
 罪とは何であらふ、罪とは教会に出席しない事ではない、洗礼を受けないことではない、此教義、彼教義を信じないことではない、罪とは人に害を加ふることである、人の感情を害し、名誉を傷け、権利を犯し、すべての形に於て苦痛を人に与ふることである、是れが罪である、罪とは祭儀の事ではない、又信仰の事ではない、社交の事である、実行の事である、人に害を加へて、如何ほど祈るも、何を信ずるも、人は神の恚怒《いかり》に触れざるを得ない。
 誠にキリストは言ひ給ふた、我れ衿恤を欲《この》みて祭祀を欲まずと(馬太伝九章十三節) 衿恤に欠けて、即ち人を愛する心に欠けて、如何なる祭祀も如何なる神学も神を歓ばし奉るに足りない。
 
    天国とは何ぞ
 
 天国とは何処の事でもない、人が人を愛する所である、人が人を愛しない所は、其他の事は如何であらふが、(448)其所は天国ではない、音楽があらふが、説教があらふが、熱信があらふが、慈善が行はれやうが、其処は天国ではない、天国を作るのは誠に易い、自己を棄て人を愛すればそれで天国は即坐に成就《でき》るのである、何にも特別に教会を組織するの必要はない、何にも特別に神学論を闘はすの必要はない、人がキリストに傚て人を愛すれば、夫れで天国は成就るのである、斯くも易きことを為さないで、論じたり、計図んだり、奔走したりする人々の愚かさよ、聖国を臨《きた》らせ給へ、然り、我等をして人を愛さしめ給へ、而して今日、直に、此罪の世に在て、天国を出現せしめ給へ、
 
    現在のキリスト
 
 キリストは神である、キリストは人である、彼は一人の人であつて又すべての人である、彼は人類の首であつて、又人類を綜合した者である、彼は今天に在て聖父と栄光を共にし給ふ、又地に在て十二億余の人と共に苦痛を頒ち給ふ、我等は天に行て後は讃美を以て彼を称へたまつるであらふ、然し地に在る間は善行を以て彼を慰めまつるべきである、彼の僕たる我等の職務は明白である、彼は確かに今我等の眼前《めのまへ》に人類《ヒユーマニチー》として現在し給ふ。馬太伝二十五章三十一節以下。
 
    昔の神と今の神
 
 昔は神は神であつた、今は神は人である、昔は神に事ふるに神に事へた、今は神に事ふるに人に事へる、キリストに由りて神は人となり給ふた、我等は今は人に事へて神に事へるのである。
 
(449)    誰か之に堪んや
 
 余輩の伝道は余輩が為したのではない、神が余輩を以て為し給ふたのである、伝道は特別に神の事業である、余輩は何を為し能ふとも伝道は之を為し能はない。
 誰か之に堪んや(哥林多後書二章十六節) 誰か伝道の責任に堪んや、誰か伝道師相互の嫉妬、陥※[手偏+齊]、讒誣に堪んや、伝道に此世の報酬が無いのみならず、すべての危害と不愉快とがある、伝道は神の聖霊に逐立てられなければ為すことの出来ない事業である、我れ若し福音を宣べ得ずば禍ひなるかなとパウロは言ふた、然り、福音を宣べ得ざるに至りし我は禍ひなる哉と我れは言ふ、然かし止むを得ない、キリスト我を捕へ給へる也(腓立比書三章十二節)、彼れ我を束《くゝ》り、我意に適はざる所に我を曳行き給ふ、無慈悲なる彼よ。
 
    豪らい人
 
 或人は我は豪らいと云ひ、或人は我は豪らくないと云ふ、然れども我れ若し豪らくあるならば我は豪らくないからである、豪らい者は神のみである、人は躬から豪らくなくなつて始めて神に豪らくせられるのである、
 
(450)     使徒信経略註
        本文は原文よりの自訳に由る
                     明治41年5月10日
                     『聖書之研究』99号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
  我は全能なる父なる神を信ず
 「我は」 他人は如何に信ずるとも我は 〇「全能なる」 超自然的なる、即ち所謂天然の法則に由て其動作を限られざる 〇「父なる」 力以上に情を具へたる、即ち愛の父なる 〇「神を」 霊的実在物を 〇「信ず」 我が全性を挙げて其存在の事実なるを確認す。
  我は其独子なるキリストイエスを信ず
 「独子」 唯一の子、完全に父を顕はす者、其質の実像(希伯来書一章三節) 〇「キリストイエス」 受膏者イエス、人類の首長として特定されしイエスを信ず。
  彼は我等の主にして
 「我等の」 基督者の 〇「主にして」 崇拝物にして(原語のKyrios《ケーリオス》)。
  聖霊に由りて処女マリヤより生れ
 「聖霊に由りて」 人の情慾に由らず、神の聖霊に由りて、神御自身の降臨に由りて(其奥義は測り知るべから(45)ず、然れども彼の為し給へる、又今為し給ふ行に由て其然るを知る(約翰伝十四章十一節) 〇「処女」 肉を以て顕はれんがために女に由りて、肉に於ても亦最も完全ならんがために処女に由りて 〇「マリヤより」 ダビデの裔なるマリヤより、そは救はユダヤ人より出るが故なり(約翰伝四章二十二節)、遺伝に於ても亦欠くる所なからんがためなり。
  ポンテオ・ピラトの時十字架に釘けられ、葬られ
 「ピラト云々」 明記すべき或る時期に於て羅馬律に由て鞫かれ、其指定する刑に処せられ 〇「葬られ」 確かに死し、死者として扱はれ 〇イエスは確実なる歴史的人物なり。
  第三日に死し者の中より復活り
 「第三日に」 墓に止まること三日にして 〇「死し者の中より」 死者として数へられしも、其中に止まらずして 〇「復活り」 起き、生を以て死に勝ち、死せる肉体を revitalize し(之に生気を吹入し)、同時に之を spiritualize(霊化)し。
  天に昇り
 地的存在を脱して天的存在に入り、即ち時間と空間とに制限せらるゝ現象的存在を脱して、水久普遍の霊的生涯に入り。
  父の右に坐し
 全能なる父なる神と栄光権威を共にし、即ち人の斥くる所となりて神の受くる所となり。
  生者と死者とを鞫くために来り給ふ
(452) 「生者と死者と」 曾て在りしすべての人 〇「鞫くために」 其善悪を表顕せんために 〇「来り給ふ」 再び地に臨み給ふ 〇人に鞫かれしイエスは終に人を鞫く者なり。
  我は又聖霊を信ず
 父より出で、キリストの霊として基督者の霊に臨む聖潔《きよめ》と慰藉の霊を信ず。
  聖教会を信ず
 聖霊に由て繋がるゝ基督者の霊的結合と交際とを信ず、是れ勿論時と所とに由て限らるゝ者にあらず、天に昇りしキリストと共に永久普遍なる者なり。
  罪の赦免を信ず
 思弁的に之を信ぜず、実験的に之を信ず、之を教会の信条として維持せず、生命の事実として確認す、罪の赦免は基督者にありては罪の根絶なり、汝の罪は赦されたりとの神の声に止まらずして、起て歩めとの彼の命なり、而して聖霊を信ずる者のみ能く此意味に於ける罪の赦免を信ずるを得るなり。
  身体の復活を信ず
 身体の救ひを信ずと云ふに同じ(羅馬書八章二十三節)、我は聖霊の能力の我が霊を化して終に我が肉にまで及ぶを信ず、即ち我が全霊全体の聖化と救活とを信ず。
 
(453)     詩人
                     明治41年5月10日
                     『聖書之研究』99号「研究」
                     署名なし
 
 詩人はポエテースなり、ポエテースは為人なり、事を為す人、是れ詩人たるなり、詩は風景を眺めて成らず、文を練て成らず、禅を信じ、己に克ち、世に勝て成るなり、小説家を賤めよ、然れども詩人を賤むる勿れ、そは彼は夢《ゆめみ》る者に非ずして、闘て勝つ者なればなり。
 
(454)     仏法の無抵抗主義
                     明治41年5月10日
                     『聖書之研究』99号「寄書」
                     署名なし
 
   何故に斯くなりしぞと己が身の
     姿に耻ぢよ墨染の袖
 是れ法衣の下に鉈を隠くして師の身を護らんとせし熊谷蓮生坊直実を誡しめんとて法然上人の詠ぜし歌なりと云ふ、以て七百年前の仏教の今日の基督教に優さる万々なるを知るべし。
 
(455)     善きサマリヤ人の話
         (路加伝十章二十五節より三十七節まで。四月五日柏木今井館に於て)
                     明治41年5月10日
                     『聖書之研究』99号「講義」
                     署名 内村鑑三
 
  25爰に一人の教法師あり、起て彼(イエス)を試み曰ひけるは、師よ、我れ何を為さば永生《かぎりなきいのち》を受くべき乎、
 「教法師」とは法学者であります、爾うして当時の猶太国の法律と云へば旧約聖書に保存されたる摩西の律法でありましたから、法学者と云へば勿論聖書学者でありました、摩西律の研究并に適用に身を委ねた者であります、「学者」と云ふのとは少し違ひます、学者は主として文字の研究者でありました、然し実際に於ては二者の相違は至て僅かでありました 〇「起て」 会衆の中に立て、此の質問は多分会堂に於てなされたのでありませう 〇「試みて」 イエスの学力を試んとて此の質問を掛けたのであらふと思ひます、彼を罪に陥れんとの奸策ではなかつたらふと思ひます、イエスの答弁が其事を示します 〇「師よ」 先生よ 〇「我れ何を為さば」 何を為したらんには、我が為して之に由て永生を受くるに足るの事業ありや、慈善か、伝道か、教育か 世に何にか之を為して永久の報賞に与かり得るの事業ありや、「為さば」 は為し了つて其報ひとしての意であります 〇「永生」 来らんとするメシヤの国に於ける幸福、当時の猶太人が神の下し給ふ最上最大の恩恵と信ぜしもの 〇「受くべきや」 継承すべきや、権利として享有すべきや。
(456)  26イエス答へて曰ひけるは律法に録されしは何ぞ、汝如何に読むか、
 イエス答へて曰ひ給ひけるは、我れ汝に答ふるまでもなし、汝は法学者なり、汝が専門とする摩西の律法は此事に就て汝に何と教ふるや、汝は聖書に於て此事に就て如何に読むや 〇「汝、如何に読むか」とは聖書の言辞如何と云ふに同じであります、昔時の猶太人は今の或種の基督信者のやうに如何なる問題に会しまするも、必ず之を証明する聖書の語を引用しました、故に「汝、如何に読むか」とは彼等が議論を闘はす時に相互に対して常に発した言葉であつたとのことであります。
  27答へて曰ひけるは、汝心を尽し、精神を尽し、力を尽し、意を尽して主なる汝の神を愛すべし、又己の如く隣を愛すべし。
 法学者は直に聖書の語を引いて答へました、その第一は之を申命記六章五節并に仝十一章十三節より、第二は之を利未記十九章十八節より引きました、聖書に精しき法学者は聖語の引用は掌を反すが如く容易でありました、汝、全身全力を尽して主なる汝の神を愛すべし、是が第一の訓誡でありました、「己の如く隣人を愛すべし」是が第二の訓誡でありました。
  28イエス曰ひけるは、汝の答然り、之を行はゞ生くべし。
 「汝の答へ然り」 汝は正当に答へたり 〇「之を行はゞ生くべし」 之を行ふべし、然らば汝は生くべしと、法学者の問に対するイエスの答は是でありました、汝が唱へつゝある律法の訓誡を行ふべし、単に之を口に唱ふるに止まらず、単に之を人に教ふるに止まらず、之を行ふべし、常に続いて之を行ふべし(原語は現在動詞でありまして、此意味があります)、然らば汝は今直に生くべしとのことでありました、学者は来らんとするメシヤの国(457)に於て幸福を受くるの資格に就て問ひました、然しイエスは来世を俟たずして、現世に於て今時《いま》より生くるの道を伝へられました、イエスの教訓に従へば永生は死して後に未来の世界に於て与へられるものではない、今世に於て今直に之を受くることの出来るものであります 〇法学者は如何なる大事業を為したらんには其|報賞《むくひ》として永生を受くべきやと問ひました、イエスは之に対して「愛神愛人の普通道徳を行へ、然らば今より直に生くべし」と答へられました、イエスに取りては永生を承継ぐに足るべき特別の大事業とてはなかつたのであります、神を愛し、人を愛すること、それが生命であつたのであります、世が普通道徳と称して蔑視《さげし》みしもの、それがイエスに取りては最大道徳でありました、人は永生を来世に於て望みましたに代へてイエスは今に始まる生命を説れました、法学者は学者でありながら永生の何たる、之を承継ぐ途の何たるを少しも知りませんでした、彼はイエスに質問を掛けて意外の答に接しました、然しながら意外ではありましたが、其真なることを否むことは出来ませんでした。
  29彼れ自身を罪なき者になさんとてイエスに曰ひけるは、我が隣とは誰なる乎、
 法学者はイエスの答への簡単にして透明なるにあつけにとられました、彼は斯かる分り切つたる事を問ふたと思ふて自分ながら甚だ間が悪く感じました、然し彼も学者を以て自から任ずる者であります、是れなりにイエスに屈伏して其前を退くことは出来ません、依て尚ほ更らに一問を試みました 〇「自身を罪なき者に為さんとて」は多分誤訳であらふと思ひます、彼は茲に自身の罪を蔽はんとしたのではないと思ひます、彼は学者であります、イエスの如き平信徒に説伏されて甚だもどかしく感じたのであります、故に「自身を正しき者とせんとて」、即ち斯かる単純なる質問を提出せし自己の浅薄を蔽はんがために、更らに質問を続けたのであります 〇「我隣とは(458)誰なる乎」と、彼は此問を掛けて更らにイエスの学力を試ると同時に衆人の前に於ける学者たる自己の面目を維持せんとしました。
  30イエス答へて曰ひけるは或人ヱルサレムよりヱリコに下る時強盗に遇へり、強盗その衣服を剥取りて之を打擲き死ぬばかりになして去りぬ。
 イエスは此質問に接して前のやうに聖書の語に訴へて答へられませんでした、彼は之に代つて一つの事実談を語られました、之れが即ち有名なる「善きサマリヤ人の話」であります、是は譬話ではないと思ひます、描写が余りに写実的でありまして作話とは思はれません、是れは多分其当時に有つた事実でありまして、イエスは之を聞かれて説教の善き材料として蔵ひ置かれたものでありませう 〇「或人」 或るユダヤ人 〇「エルサレムよりヱリコ」 距離は僅かに二十哩なるも、道は断崖絶壁の間を縫ひ、強盗の巣窟に適し、其出没に便利なる所であります、故に今日に至るも尚ほ同じ此辺に於て強盗、迫剥の難に遭ふ者は絶えません、千八百二十年に英国の貴族F、ヘンニッカーなる人も亦此道に於て強盗の殺す所となりました。
  31斯る時に或祭司この路より下りしが之を見過《みすぐ》しにして行けり。
 「斯る時に」 此時恰かも 〇「或祭司」 同国人にして而かも宗教の職を司る祭司 〇「之を見過しにして行けり」 彼を見ながら過行けり、心に多少同情の念を懐きしならんも、実際に援けんとは為さずして彼を避けて過行けり、而して注意せよ、彼は祭司たりしなりと。
  32又レビの人も此に至り、進見て同じく過行けり。
 「レビの人」 祭司の下に附て神殿に奉仕する入神殿の下役人とでもいひませう乎 〇「進見て」 同情に索か(459)れてか又は好奇心に駆られてか遭難者に近寄て見ました、然かし面倒と入費と、特に同じ危険の己が身に及ばんことを気遣ひて祭司同様過行きました。
  3334或るサマリヤの人旅して此に来り、之を見て憫み、近よりて油と酒を其傷に注ぎて之を裹み、己が驢馬に乗せ、旅邸に携往《つれゆ》きて介抱せり。
 「サマリヤの人」 ユダヤ人が賤んで止まざるサマリヤの人、彼等は常時《ふだん》は相互と交際を為ませんでした(約翰伝四章九節) 〇「旅して此に来り」 祭司とレビの人とはヱルサレムの神殿に奉仕《つか》へ、其帰路に此所に来合したのでありましたが、此サマリヤ人は別に宗教上の職務を帯びてゞはなく、唯の旅行中偶然にも此所を通りかゝつたのであります、彼は多分商人であつて、商用を帯びてヱリコよりヱルサレムに上らんとする旅程に在つたのでありませう 〇「之を見て憐み」 心動き、惻隠の情を発し、常時の人種的怨恨を忘れて 〇「近より」 祭司とレビの人とが過行きたるに反して 〇「油と酒」 橄欖油と葡萄酒、当時|有触《ありふれ》の緩和剤でありました 〇「沃ぎて裹み」 薬を沃ぎ傷を裹み 〇己が驢馬に助け乗せ、旅館に携往きて介抱しました。
  34次の日出る時、銀二枚を出し、館主に与へて此人を介抱せよ、費若し増さば我れ還りの時汝に償ふべしと曰へり。
 「銀二枚」 我国今日の二円余り 〇「我れ汝に償ふべし」 入費を病人より請求する勿れ、我れ彼に代て汝に償ふべしと、実に深切の極であります。
  35然らば此三人の中誰か強盗に遇ひし者の隣なると汝意ふや。
 「此三人」 宗教家の祭司と、殿守《みやもり》のレビ人と、異邦人のサマリヤ人と 〇「隣なる」 では足りません、隣と(460)なりしであります、イエスの教訓は此一語に存して居るのであります、斯かる場合に於ける訳字の不完全は殆んど免せません 〇隣とは誰なる乎との学者の問に対して、イヱスは隣となりしは誰なる乎と反問されました、隣家に住つて居る者必しも隣人ではない、又国を同うし、郷を同うする者、必しも隣人ではない、隣人とは我より進んで善を為して成る者であると、是れがイエスの隣人の定義でありました、彼より我に接近する者は隣人ではない、我より彼に近より援助を供して彼の隣人となるべきであるとのことでありました、実に稀態なる隣人の定義であります、然し実に深い定義であります、世の人は隣人を求めます、然かし基督者は我より進んで人の隣人となるべきであります 〇「然らば此三人の中、誰か自から進んで強盗に遇ひし者の隣人となりしと汝意ふや」と、イエスの此反問に会ふて学者は更らに己が無学を感じたでありませう。
  36彼れ曰ひけるは其人を衿恤みたる者なりと、イエス曰ひけるは汝も往て其如く為よと。
 「其人を衿恤みたる者」 衿恤を為したる者、衿恤の業を為したる者 〇彼れ学者は己に耻ぢてか、或ひは今尚ほサマリヤ人の名を口にするを厭ふてか、「サマリヤ人なり」とは言はずして「其人に衿恤を為したる者」と遠廻りに答へました、彼は議論に負けても己の偏執を棄て得ませんでした 〇「汝も往て云々」 往て汝も人の隣人となれよ、隣人の誰なる乎に就て論ずる勿れ、汝は苦む者に援助を与へて其の隣人となるを得べしと。
 世の学者の考へとイエスの考へとは斯も全く違ひます、「何を為して永生を受くべき乎」との学者の問に対して、イエスは「神を敬し人を愛して今より生くべし」と答へられました、「隣人とは誰ぞ」との問に対して「汝より進ん苦む人の隣人となれよ」と答へられました、意外と云ひませう乎、深遠と云ひませう乎、敬嘆するの外はありません。
 
(461)     不義なる番頭の譬
         路加伝第十六章一−十一節(三月十日天満教会に於て)
                    明治41年5月10日
                     『聖書之研究』99号「講義」
                    署名 内村鑑三
 
 此の譬にあつて先づ注意すべきは、基督教の財産観であります。即ち個人の富は所有にして所有にあらず。之れを自分の金庫に収め、自分の帳簿に録すれども、実は一時の預りものに過ぎないといふ事であります。仮令ば己が生み子の如きものであります。我がものでありますけれど、実は神からの依托物なのであります。此の意味に於て考へますと、我れ等は皆主人の財産を司る番頭であるといふことが出来ます。而して、此の譬にある不義の番頭の所為は、巧みにも主人の富を利用して、己が為によき友を作つたのであります。基督が此の譬を語り給ひましたお心も、つまり此の預りものゝ利用といふ点にあります。不義にならへといふのではありません。その巧みを学べと教へ給ふたのであります。
 富は預りもので、又一時のものであります。如何に百万の富を貯へた人も、一と度死を以て此世を去る刹那には、只そのまゝに捨てゝ逝くのみであります。又如何ともすることは出来ません。更に又、仮令之れを持つて逝いた処で、此の世の富は彼の世の富ではありません。何の通用もしないのであります。而して此の死、即ち此の世から番頭の役を解雇される日限が、明日とも計り知れないはかなさであることを思ふ時には、富は愈々一時の(462)預りものと知ることが出来ます。
 併し、基督教の財産観は茲では止まりません。只一時のものと軽しめた丈けで終りません。却つて此のはかない小さいものを以て、尚ほ大いなる真の宝を購へと教えます。他の例をとつて申しますれば、丁度他国へ旅行せんとする前の準備の如きものであります。此の世限りの富を換貸して、彼の世の通貨にして置けと教えるのであるのであります。又之れを商業上の放資にもたとへることが出来ます。機を見ては惜しむことなく此小資本を放資して、更に後の大いなる利得を準備して置けと教えるのであります。即ち財産は小事でありますけれども、之れを善用すれば大いなる誠の富を得ることの出来る具であります。 不義なる番頭は巧みに主人の預りものを利用して多くの友を造りました。我等も之れにならひ、友を造つて置かねばなりません。第九節に日く「我れ汝等に告げん、不義の財を以て己が友を得よ。之れ乏しからん時、彼等爾曹を永久の天幕に迎えんが為なり」と。茲に「彼等」といふのは誰れでありましよう。一人の孤児でもよろしい。貧婦でもよろしい。只我等が死んで永久の天幕に入る時に、之れ等の友が一人でも迎え出でゝ呉れて、相互に歓ぶことが出来るやうにし度ひのであります。先づ今の中から其友を作つて置かねばなりません。
(463)     富者と貧者
        路加伝第十六章十九−卅一節(三月二十二日今井氏宅に於て)
                     明治41年5月10日
                     『聖書之研究』99号「講義」
                     署名 内村鑑三
 
 先づ目を閉ぢて心に此数節の光景を描いて見ましよう。紫袍《むらさき》と細布《ほそきぬ》とを着て誇れる富者と、肌はたゞれて腫物になやみ犬が来て舐めるといふ貧者。美味佳肴に奢り楽む富者と、其の案より落つる余屑《くづ》にて養はれんとする貧者。其の対照が実に著しいのであります。而して此の富者の氏名をあげないで、却つて貧者ラザロの名を署し給ひました基督の御態度こそ、先づ注意すべき一事であります。更に此の両者の死状を説かるゝに至りまして、言簡にして意味深長、文章の妙を極めて居ります。曰く(二十二節)貧者は死して其霊を直にアブラハムの懐へ送られ、富者は死して其の遺骸の前に壮麗なる葬儀の式を供せられたりと。只此一聯句に既に万斛の味があるといふべきであります。
 次に活画は一転します。只一枚の黒幕の前後でありますけれども、此世と来世とはよくも/\総てのものゝ位置が転倒して居ります。此処には貧者慰められ、富者苦しみ、其の間には巨いなる淵があつて、渡ることさへ出来ぬといふのであります。現世と来世との別は著しくも描かれて居りまして、光景の急転、誠に人の心を驚かすのであります。而して来世は普通に考へられて居る様に、無差別平等の世界ではありません 只その差別のよつ(464)て分けらるゝ標準が異なるのであります、即ち人の目から見る階級は富と位とにより、神の目によつて分たるゝ階級は純道徳的価値によるのであります。
 斯くて此の世の大いなるもの、富めるもの、権あるものが、必ずしも真に大いなるもの、富めるもの、権あるもので燕くなるのであります。真に之れを定むるものは来世でありまして、富者も陰府の苦には只一滴の水にさへ渇し、犬にだに侮どられしラザロは却つて安泰の懐に憩ふて居ります。主人、主人にあらず、奴僕、奴僕にあらず。心すべき事どもであります。
 更に二つの注意すべきことがあります。それは二十五節及二十九節にあるアブラハムの言であります。第一に曰く、「子よ爾は生きたりし時に爾の福を受け、またラザロは苦みを受けしを憶へ」と。日本訳にある「其の苦」といふのは誤訳であります。除いた方がよろしい。即ち此の意味は、富人は彼れ自らが福と信ずる処の福、(神より見たまへる福でなく)をほしいまゝにし、ラザロは彼れ自らは欲せざる併し神から与へられた苦みの生涯を送つたといふ意味であります。「其の」といふ一字の有無によつて大いなる違ひが起るのであります。即ち聖書の説は、富者必ず悪にして来世に苦み、貧人必ず善にして慰めらるゝとは断定致しません。富と貧とは其もの自身が来世の幸不幸を定めるものではないのでありまして、只現世に於て、己が欲する福をのみ貪りつくしたものと、己が欲せざる不遇の一生も柔順に送り通したものと、来世に於いて違が起るといふのであります。
 第二に曰く、「彼等にはモーセと予言者あれば之れに聴くべし。……若しモーセと予言者とに聴かずば縦ひ死より甦るものありとも其の勧めを受けざるべし」と、之れ又我等の最も注意すべきことであります。往々にして人はいひます、奇蹟を以て証し給はゞ信ぜんと。併し聖書によつて信ぜないものが、何の方法によつたとて信(465)ずるに至りましよう。且つ又た、先づ聖書によつて信ぜざる程のものには、奇蹟を与へても之れを奇蹟として受けられないのであります。今仮りに、死せるラザロを甦らして富人の家に送つたとせよ。五人の兄弟等は之れを何の彼のと解釈し去りまして、真に神の遣し給ひたる甦りの使者として受くるものは一人もありますまい。而して此のことは此富者の兄弟等のみではありません。世上日常のことでありますして、また我々も陥り易い謬想であります。
 
(466)     〔都会か田舎か 他〕
                     明治41年5月10日
                     『聖書之研究』99号「雑録」                          署名なし
 
    〇都会か田舎か
 
 余輩は都会に勢力を失ひたりとて余輩を嘲ける者がある、然し是れ無益の批評である、余輩は都会に勢力を得んとしない、又地方に之を得んとしない、余輩はたゞ余輩の救主なるイエスキリストに事へんとする、勢力を云々する者の如きは余輩を批評するの資格を有たない者である 先づ勢力の野心より脱するにあらざればキリストの事を語ることは出来ない。
       *     *     *     *
 都会は主として学生の巣窟である、変じ易き、叛き易き学生の巣窟である、故に此処に勢力を失ひたればとて何の損も害もない、日本国民の最も善き部分は都会には居らない、若し日本国を取らんと欲せば、都会を去て田舎に行くべきである、小なる野心家は都会に留て其砂の上に紙の城を築くべきである、然しキリストのために磐の上に石の城を築かんと欲する者は都会を去て田舎に働くべきである。
(467) 何事も鋤と共ならなければ永久に栄えない、自由も爾うである、福音も爾うである、鋤と共に人の心に鑿込《ほりこ》まれて、福音は国の生命となるのである、故に最も注目すべきは都会に於ける学生伝道ではない、田舎に於ける百姓伝道である、爾うして余輩は前者にまさりて後者を撰む者である。
       ――――――――――
 
    四十の数
 
 地の数なる四に不定数なる十を乗じたる四十の数は聖書に於ては地上に於ける患難を示す数として用ゐられてゐる、モーセはホレブ山に登り四十日四十夜パンを食はず水を飲まず、即ち断食してヱホバの命を待てりと云ひ(申命記九章九節)、予言者ヱリヤは四十日四十夜食せずして同じホレブの山に到りしと云ひ(列王紀略上十九章八節)、ノアの洪水は四十日間継けりと云ひ(創世記七章十七節)、イスラエルの民は四十年間|曠野《あれの》に流蕩《さまよ》ひたりと云ひ(民数紀略十四章十三節)、エジプトは四十年間空漠の地として存すべしと云ひ(以西結書二十九章十二節)、予言者エゼキエルは四十日問ユダの罪を負ひて臥すべしと云ひ(同四章六節)、悪人は刑罰として鞭四十を受くべしと云ひ(申命記二十五章三節)、産婦は産後四十日を経ざれば聖所に入るべからずと云ふ(利未記十二章一−四節)、イエスは四十日四十夜曠野にありて断食せりと云ふも(馬太伝四章一節)此例に傚ひてである、即ち困難又は劬労《くるしみ》と云へば四十と云ふたのであつて、必しも四十の正数を云ふたのではない、故にイエスが四十日間食を断ち給へりと録してあるを見て、直に其事実を生理学的に説明せんと焦心る必要はない、前にも述べた通りモーセもエリヤも同じく四十日間食を断ちしとのことである、四十は困難を示す数である、故にイエスは四十日間断食し(468)給へりと云ふたのである。
       ――――――――――
 
    生計難と聖書の慰藉
 
 我れ昔し年若く今老ひたり、然れど義者の捨られ、其|裔《すゑ》の糧を乞ひ歩くを見しことなし(詩篇三十七篇二十五節)。
 汝等の年老ゆるまで我は渝らず、白髪となるまで我れ汝を負はん、我れ造りたれば擡《もた》ぐべし、我れ又負ひ且つ救はん(以賽亜書四十六章四節)。 千人は汝の左に仆れ、万人は汝の右に斃る、然れど其災害は汝に近くことなからん(詩篇九十一篇七節)。
 己の子を悼まずして我等すべてのために之を付せる者はなどか彼に併《そへ》てよろづの物を我等に賜はざらん乎(羅馬書八章三十二節)。
 汝等世を渡るに貪ることをせず、有る所を以て足れりとすべし、そは我れ汝を去らず、汝を棄じと言ひ給ひたれば也 然れば我等毅然として曰ふべし、主我を助くる者なれば畏れなし、人、我に何をか為さんと(希伯来書十三章五、六節)。
 
(469)     『よろづ短言』
                          明治41年6月3日
                          単行本
                          署名 内村鑑三 著〔画像略〕初版表紙 150×103mm
 
(470)       此書は是れ明治三十三年秋より同三十六年秋まで、即ち日露戦争以前満三箇年に渉り、余が朝報社客員として万朝報に寄送せし論文の中より選抜集蒐して之を一書となしたる者なり、而して余は茲に余に此事を為すの特権を与へられし朝報社々長黒岩涙香君の厚意を深謝す。   著者
 
     自序第二
 
 余も一時は生意気にも愛国者たりし也、故に昔時の予言者を真似て故国と同胞とを責めもし、罵りもし、嘲けりもしたり、此書収むる所の短文の如きも多くは其類なり。
 然れども余は今は愛国者に非ず、故に甚《いた》く斯かる文字を綴りしことを悔ゆ、故に屡々其出版を勧められしも躊躇して今日に至れり、余は思へり、是を永久に葬り去ることこそ余の利益なれと。
 然れども曾てピラトの言ひし如く我が書きし所すでに書きたり、今や是を抹殺せんとするも能はざるなり、若かず、自ら進んで之を編纂して再び世に公にせんには、此の事若し余の恥辱とならば余は喜んで之を受けん、然れども若し万一にも余の名誉となるの機会到来せば、余は余の愛する日本国のために泣かん。
 日露戦争終て茲に三年、世界の輿論壇に於て天の高きにまで引上げられし日本国は今や陰府《よみ》の低きにまでに引下げられつゝあり、僅かに満洲と樺太とに膨脹するを得し大和民族は今や世界各国何れの所に於ても其入来を拒(471)絶されつ1あり、其同盟国の英国に於てすら其論者の一人は曰へり、(而して之に類する言を放つ者は彼れ一人に止まらざる也)、
  『彼等日本人は意馬心猿冷酷残忍の民にして仮令錦繍を以て身を纏ふも其所作は之を蔽ふ能はざる也』
  『日本人はジェスートと同一なる狡猾耐忍のすべての性格を有し、其飾りなき外観の内には常に或る秘密を蔵せり』
  『英国が黄色人種との同盟は何等誇尊に値いすべき事項の一にあらず、英国は徒らに日本が強大の国たらんとするを助けて却て其本来の精神を没却し、加ふるに自から叛抗を招くの危険を冒す者なり』
  『欧州の列強は必ずや他日相互の嫉妬紛擾を忘れ、協同一致以て、野蛮なる東洋の勃興に備へ、半開半野の種族の覇権に対して大に闘はざるべからざるの日来らん』
と(五月十三日『時事新報』参考)、余は予言者にあらず、又予言者の子に非ず、然れども予言に類する余の言の稍々適中しつゝあるを見て、余の故国のために甚だ悲むなり。
 願ふ、余の愛する同胞よ、此書に載する所の余の痛罵の言を赦せよ、而して日本の将釆をして全然余の言に反する者たらしめ、此小著をして、永く余の恥辱として存せしめよ。
  明治四十一年五月十七日       東京市外柏木聖書研究社に於て 内村鑑三
 
(472)    自序第一
 
 余は此書に収むる所のものゝ余の書くべきものなりしや、書くべからざりし者なりしや、今に至るも未だよく知る能はず、然れども成りし者は成れり、而して余は其散乱を懼れて今茲に之を一書に纏めてせに公にすることゝなせり。 現世の事、何事か悲憤の種ならざらんや、世は其終末に至るまで正義を追求する者の嫌悪して止まざる所のものなるべし、世に義人あるなし、一人もあるなし、腐敗せるは日本人のみに限らず、全人類総て然り、世に謂ふ忠君なるもの、愛国なるもの、一つとして偽善ならざるはなし、吾等斯世に在て偽善国に在るなり、人は皆な生れながらにして鬼なり、蝮の裔なり、誰か眼を開て人世を透察せし者にして其中に善きものを発見せし者あらんや。
 然れども吾等に亦理想郷のあるあり、其は日本に非ず、勿論米国英国に非ず、国旗を有し、軍隊を備ふる国の中に吾等の国と称するに足るの国あるなし、吾等の国は天に在り、歓喜の国、平和の郷、吾等の眼の涙の凡て拭はるゝ所、吾等の籍を斯かる理想郷に置きて吾等は心に満足して悪鬼の組織する現世の社会に在るを得るなり。
 暗きは明きを証す、憤怒は歓喜の反証なり、来世を楽む者のみ現世を憤るの権利を有す、此書に顕はれたる余の悲憤の如きも亦此書以外に顕はれたる余の大歓喜大満足の他の一面と称すべきのみ。
  明治三十六年十月                 著者
 
(473)余の従事しつゝある社会改良事業
  其一、今日の日本に生れ来りしを悔ひたり
  其二、憎むべきは明治政府と其奴僕
  其三、何を為して此国に尽さん乎
  其四、夙に政治を断念す
  其五、日本国の役人と実業家に呆れ果つ
  其六、日本の教育界より逐はる
  其七、口を噤まれて筆に走る
  其八、文学上の失錯と失望
  其九、終に余の天職に入る
  其十、伝道の効果
余の学びし二大政治書
  緒言、政治とは何ぞや
  其一、聖書
  其二、カーライルのコロムウエル伝
余の聖書
日英同盟と英杜戦争
  日英同盟に関する所感
  杜軍の大勝利
  ボーア人を慰む
  日本国の犯せし大罪悪
旅行記
  大井川上り
  入信日記
  北上録
  香取の杉の樹
小善録
  其一、善に大小なし
  其二、小善の快楽
  善人の養成
  金を要せざる慈善
(474)  何んぞ責任を思はざる
宗教論
  坊主の必要
  貧乏人と宗教
  『無神無霊魂論』
  日本人の注文
  宗教の大敵
満足と希望
  隠士の新年
  埋葬の辞
  希望の区域
  奮励
  生活の快楽
  平民の銷夏法
  秋の用意
  大望巻
  我等の所有物
  歌に就て
政治家排斥論
  政治家を賤む
  二個の動物園
  再び政治を排斥す
  政治家微りせば
天然と人
  春は来れり
  梅花と別る
  山桜かな
  天然と人
  寒中の快楽
  天然詩人出でよ
鉱毒事件
  鉱毒地巡遊記
  田中正造翁の入獄
  悪に抗する勿れ
社会小観
  日本人と金銭問題
  米国人の友誼
(475)  現世の地獄=日本
  国家と家庭と個人
  義理
  新聞紙の無勢力
  沈黙国
  怕るべき者
  高野事件
  日本人の敵
  正義は日本に於て行はれ得る乎
  日本現時の道徳
  幸徳秋水君著『帝国主義』に序す
  不可能事
  友人論
  我が理想の日本
  勢力論
  茶代廃止に就て
  理想談
  社会改良の最良策
  憂慮
  困つた国
  乞食国
  時感三則
  日本貴族の心事
  飢饉
非戦論
  戦争廃止論
  露国と日本
  満洲問題解決の精神
  平和の実益
  豊年と平和
  非戦雑感
  朝報社退社に際し涙香兄に贈りし覚書
 
(476)     〔第百号 他〕
                     明治41年6月10日
                     『聖書之研究』100号「所感」
                     署名なし
 
    第百号
 
 本誌幸にして茲に其第百号に達す、余輩はために己を祝せず、神に感謝す、詩人の言を藉りて曰ふ、
  ヱホバよ、栄光を我等に帰する勿れ、我等に帰する勿れ、汝の矜恤《あはれみ》と真実《まこと》の故によりてたゞ聖名にのみ之を帰し給へ、
と。詩篇第百十五篇一節。
 
    恩恵の数々
 
 十年の長き、愛のほか他人に何の負ふ所なく、たゞ一回のほか編輯を他人の手に委ねしことなく、広告は三年一回之を用ひしに過ず、寄書を名士に求めず、購読を人に勧めず、以て今日に至れり、而かも友人は広く海の内外に渉りて存し、必要なるものは悉く与へられて、余輩は未だ曾て一回も飢餓を感ぜしことなし、新著は常に机上に横はり、小児は常に遊具に富めり、是を恩恵と称せずして何とか称せん、余輩は言ふ、余輩は斯世に在て(477)最も幸福なる者なりと、十年、斯非基督教国に在りて神にのみ依頼してキリストの福音を宣ぶるを得て、余輩は神の実在を疑はんと欲するも能はざるなり。
       ――――――――――
 
    信仰の途
 
 信仰は第一に誠実なり、第二に信頼なり、第三に実行なり、三者其一を欠て信仰は信仰にあらざるなり、人は信仰に由て救はるといふは斯かる信仰に由て救はると云ふなり、此ほか別に信仰あることなし、又救あることなし、信仰の途たる蒼天に輝く太陽の如くに燎《あきら》かなり。
 
    キリストと基督教
 
 基督教はキリストなり、キリストは十字架なり、パウロを知り、ペテロを知り、ヨハネを知り、ヤコブを知りて未だ基督を知れりと云ふ能はざるなり、奇跡を知り、復活を知り、昇天を知りて未だキリストを知れりと云ふ能はざるなり、キリストを知りて基督教を知るを得べし、十字架を知りて、然り、之を担ひてキリストを知るを得べし、基督教の実体はキリストなり、キリストの精神は十字架なり、若しキリストと基督教を知らんと欲せば日々十字架を負ひて彼に従ふべきなり。
 
(478)    救はるゝ者
 
 イエスの如き者はすべて救はるべし、その彼の名を聞きしと聞かざりしとに関はらず、その彼の前に生れしと後に生れしとに関はらず、勿論、教会の内にあると其外にあるとに関はらず、すべてイエスの如き者は救はるべし、イエスの如くならずして、基督教国の民も、基督教会の教師会員も、神学者も聖書学者もすべて永久に滅ぶべし、イエスは人類の救主なると同時に又救はるゝ者の模範なり、此人を観よ、而して救はるゝ者と救はれざる者との別を鑑定《みさだ》めよ。約翰伝十九章五節。
 
    十字架の教
 
 悪に抗せざる事なり、敵の罪を赦す事なり、死に至るまで愛する事なり、是れ十字架の教なり、之を信じ之を行はゞ生くべし、勝利と栄光とは其結果なり、復活と永生とは其報賞なり、キリストは特に此事を教へんために世に降り給ひしなり、人は威力に由て勝たんと欲するが故に、智識に由て生きんと欲するが故に、神は其子を降し彼を敵人の手に附して勝利と生命との途を示し給へり、嗚呼、貴い哉十字架の教!
 
    外国伝道
 
 ペテロ剣を抜きてイエスの身を護らんとせり、イエス、彼を誡めて曰く、汝の剣を鞘に納めよ、凡て剣を取る者は剣にて亡ぶべしと、英国と米国と、独国と露国と、其他すべての所謂基督教国は大軍を備へ、大艦を浮べて(479)基督教的文明を護ると称す、而して基督教会なるものありて、軍旗を祝福し、勝利を祈り、其保護の下にキリストの福音を異教の民に伝へんと欲す、世に奇怪の事多しと雖も、今の所謂基督教国の外国伝道の如きはあらざるなり。
 
    十字架の濫用
 
 十字架を軍旗に織り、其下に進む基督教国の軍隊あり、十字架を信仰箇条に編み、之を旗幟として其後に従ふ基督教会の信徒あり、而して己を棄てその十字架を負ひてキリストに従ふクリスチャンあるなし、十字架は表号としては迎へられ、事実としては斥けらる、十字架を護持する者は多し、之を荷担する者は少し、今や十字架は魔除の一種と化して其真義は全く忘却せられたるが如し。
       ――――――――――
 
    我が理想
 
 我が理想はモーゼではない、イザヤ、ヱレミヤ、アモスではない、将た又パウロ、ペテロ ヨハネではない、勿論コロムウエル、カーライル、ヲルヅヲスではない、尊徳、鷹山、南洲ではない、我が理想はナザレ人イエスである、彼の如く貧の中に生育ち、彼の如く労働き、彼の如く懼れずして所信を唱へ、彼の如く宗教家と政治家とに憎まれ、而して彼の如く敵の罪を赦しながら死に就く、斯かる生涯を送り得ば我は死後に如何なりても宜い、地獄に落ちても宜い、霊魂が滅びても宜い、斯かる生涯を送り得し事が最上の幸福であつて、最上の栄光である、(480)我はイエスを理想と仰いで、現世も苦しくなければ来世も怕くない。
 
    イエスに於ける友人
 
 イエスに於ける友人とは世に所謂基督信者ではない、彼等の中には党人もあれば獰人もあれば、奸物もある、イエスに於ける友人とはイエスに似たる生涯を送り、又送つた者である、佐倉惣五郎の如き者もさうである、哲学者スペンサーの如き者も爾うである、すべて義のために闘ひ、愛のために苦しみ、真理のために努めし者はイエスに於ける友人である、そのイエスの名を知りしと知らざりしと、之を口に唱へしと唱へざりしとは余輩の問ふ所ではない、すべてイエスの如き生涯を送つた者は彼に在りて余輩の友人であつて、又余輩の兄弟又は姉妹である。馬太伝十二章五十節。
 
    教会と自由
 
 曰く天が下に基督教会と称すべき者はただ三箇あるのみ、三箇以上あるなし、曰く羅馬天主教会、曰く露国希臘教会、曰く英国監督教会是れなり、三者共に系統を聖使徒より引く者、故に正教会なりと。
 或ひは然らん、然らば余輩の如きは聖使徒に何の関係なき者、故に小羊の群に属せざる者、霊界の山羊、終に外の幽暗に追出されて、哀哭切歯《かなしみはがみ》する者ならん。
 然れども何を恨みん、パウロ何人ぞ、ペテロ何人ぞ、パウロ自身の言に依るも彼等は我等をして信ぜしめんとて勤むる者なるの外なし、余輩は系統を聖使徒より引かざればとて悲まず、余輩は直にキリストに行けばなり、(481)逝けよ、正教会、退けよ、聖使徒 聖子は自由を余輩に賜へり、而して聖使徒たりと雖も此自由を余輩より奪ふ能はざるなり。哥林多前書三章五節。約翰伝八章二十六節。
 
    真理と独立
 
 真理は自己を支持すと云ふ(Truth supports itself)、故に真理は自《おの》づから独立なり、之に反して虚偽は自己を支持する能はず、故に自づから依頼するなり、独立は真理を証し、依頼は虚偽を証す、事物の真偽を験す標準にして之に優りて確実なるはなし。
 夫の外国宣教師に依て伝へられし基督教なる者を見よ、其帰依者は教会と宣教師とに依頼せずして一雑誌を起す能はず、一教会を建つる能はず、而かも彼等は真理を伝ふると称す、然れども彼等の依頼は彼等の伝ふる真理の真理ならざるを証す、彼等は意力の欠乏を歎くを要せず、そは彼等と雖も若し真理を受けしならば、独り立て道を伝ふるを得べければなり、人をして独立ならしめざる宣教師の基督教は真の基督教ならざるを自証して余りあり。
 
    聖書人物の真価
 
 聖書は悉く無誤謬ならず、キリストのみ惟り無誤謬なり、キリスト以前に誤謬ありたり、キリスト以後に誤謬ありたり、モーセに誤謬ありたり、ダビデに誤謬ありたり、イザヤに誤謬ありたり、ヱレミヤに誤謬ありたり、すべての士師とすべての預言者に誤誤ありたり、又たパウロに誤謬ありたり、ペテロに誤謬ありたり、ヨハネに(482)誤謬ありりたり、ヤコブに誤謬ありたり、すべての使徒とすべての聖徒に誤謬ありたり、イエスキリストにのみ誤謬なかりし、我等は彼を模範となすべきなり、其他の聖書人物に至ては彼等がキリストに似る丈けそれ丈け彼等を我等の師表として仰ぐべきなり、然れどもそれ以外に於て彼等に傚ふべからざるなり。
 
    信条と救済
 
 信条ありて後の救ひにあらず、救はれて後の信条なり、信条は救済の事実の表白に過ぎず、然るに信条を信ぜしめて然る後に救はんと欲す、今の伝道なるものが効を奏せざるは是れが為なり、先づキリストを紹介し、彼を師として仰がしめ、彼に傚ひて生涯せしめん乎、人は何人もキリストの何たる乎を知るに至るべし、信条は救はれし者が各自案出すべきものなり、救はれざるものが他より注入さるべきものにあらざるなり。
 
    儀式の単純
 
 儀式は単純なるを宜とす、儀式は単純なる丈けそれ丈け荘厳なり、聖書はキリストの葬式に就て録す所なし、我等は又使徒等は如何にして葬られし乎を知らず、神の人モーセ死して「ヱホバ、ベテペオルに対するモアブの地の谷に之を葬り給へり、今日まで其墓を知る人なし」と云ふ(申命記三十四章六節)。 葬式然り、結婚式然り、若し必要あらんには洗礼式亦然り、証人は神と天然と少数の友人にて足れり、俗衆の注目を惹いて荘厳を装ふの要絶えて無きなり。
 
(483)     誤解されし教義
         パウロの贖罪論
                     明治41年6月10日
                     『聖書之研究』100号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
 今日世に誤解され且つ濫用される教義にしてパウロの贖罪論の如きはない、今や之を否認し、排斥し、甚しきに至ては之を嘲弄するのが、識者を以て自から任ずる者の中に流行となりつゝある、一時は基督教を解する上に於て唯一の憑典として仰がれしパウロの書翰は今や殆んど聖書以外に放逐されんとする状態である。
 是れは抑々どう云ふ理由である乎、パウロの贖罪論は果して背理背倫の説である乎、是れ果して信仰上並に道徳上、何の価値もない説である乎、是れ大に考究すべき問題である。
 成程、パウロの言にして之を其前後の関係より離して見て、不合理のやうに見える節のないではない、今其三四の例を挙げんに、
  イエスは我等が罪のために解《わた》され又我等が義とせられんがために甦へらされたり、是故に我等信仰に由て義とせられたれば神と和ぐことを得たり、此は我主イエスキリストに頼りてなり(羅馬書四章末節より五章一節まで)。
  キリスト我等の猶は罪人たる時、我等のために死に給へり、神は之によりて其愛を彰はし給ふ、今、其血に(484)頼りて、我等義とせられたれば況して彼に由りて怒より救はるゝ事なからん乎(同五章八、九節)。
  又キリストの代りて死に給ひし弱き兄弟云々(哥林多前者八章十一節)。
  神と人との問に一位《ひとり》の中保あり、即ち人なるキリストイエスなり、彼れ万人に代り己を棄て贖ひとなせり(提摩太前書二章五、六節)。
 以上は三四の例に過ぎない、爾うして之に類したるパウロの言は決して尠くない。
 爾うしてパウロの是等の言葉を其儘に解して今日基督教会に於て唱へらるゝ贖罪説なる者が出たのである、今之を簡約めて云へば大略左の如き者である、
  人は生れながらにして罪人である、故に彼はいくら励みても己を神の前に義とすることは出来ない、故に神は憐愍の余り其独子を降し給ひ、彼を十字架に釘けて人に代りて其受くべきの罰を受けしめ給ふた、キリストの十字架は一方に於ては聖なる神の怒を宥め、他の一方に於ては悪なる人の罪を潔めた、斯くて彼は二者の間に立て中保となつた、人は今や自己の善行に由ることなくして、唯信仰を以てキリストの功績を己がものとして受け、之に由て神に近づくことが出来る。
 然し斯かる教義に対して強き反対は起らざるを得ない、今、贖罪論に対するすべての反対説を茲に述べることは出来ない、唯其中最も強硬なる者二つを挙げんに、即ち左の通りである、
  其一、贖罪論は論理的に不合理なり、そは人は各自、己の罪を担ふべき者にして、神と雖も彼に代て之を担ふ能はざれば也。
  其二、贖罪論は実際的に甚だ有害なり、そは若し善行以外に義とせらるゝの途ありとすれば、人は善行を怠(485)り、神を信ずると称しながら悪を行ふに至るべければ也。
 爾うして贖罪論は此反対論に対して容易く己を弁護することが出来ないのである、意志自由説は倫理学上の本義とも称すべき者である、爾うして贖罪論は此本義に牴触する、又極端なる贖罪論の道徳的害毒は人の一般に認むる所である、所謂「神学者の憎悪」と称し、宗教家が宗教論を闘はしながら、仇恨、争闘、※[女+戸]忌、結党等のすべての不義背徳を行ふて恥とせざるの醜態は我等の屡々目撃する所であつて、是れ主として贖罪と云ふが如き、善行以外に人を義とすると称する教義が彼等に由て懐かるゝからである、贖罪論は論理的に不合理《アブサード》であつて、実際的に不道徳《イムモーラル》であると云ふ者が有ても強ち之を排斥することは出来ない。
 然しながらタルソのパウロは果して斯かる不合理、不道徳を唱へたのであらふ乎、今日世に称するパウロの贖罪論なる者は果して彼れパウロの所信であつたであらふ乎、パウロは意志の自由を拒み、神を信ずると称しながら罪を犯すの機会を後世に供したのであらふ乎、余輩は斯く信ずることは出来ない、余輩は今日基督教会に由て唱へらるるパウロの贖罪論なる者に就てパウロ自身は責任を有たないと思ふ、是れ全くパウロの誤解より出たる者であると思ふ、即ち多くの他の事に於て教会が使徒の名を濫用し、使徒をして教会の犯せしすべての罪悪を担はしめしと同じく、此贖罪論に於ても、教会はパウロをして、己の陥りし誤謬の責任を負はしめたのである、余輩はキリストの弟子であつて、パウロの弟子ではないから、何事に関はらずパウロに推服する者ではない、然しながらパウロの贖罪論を不合理的に、又不道徳的に解せしめしの責任は教会に有てパウロには無いと思ふ。
 パウロは純正のユダヤ人である、我は第八日に割礼を受けたる者にしてイスラエルの族ベニヤミンの支派ヘブル人より生れたるヘブル人なりとは彼の自白である(腓立比書三章五節)、爾うして此遺伝を承けたる彼は哲学者(486)ではなかつたとするも、峻厳なる道徳家であつた事は確かである、故に彼は彼の伝へし教の中に論理の法則に適はない者があると聞いても別に意に留めなかつた乎も知れないが、然し道徳に反く者があつたと聞いたら、彼は堪えられぬほど驚いたであらふ、実に彼はキリストの贖罪に就て述ぶるに方て、彼の反対論者が斯かる駁論を彼に向て放たんことを慮り、予め之に答へて曰ふた、
  然らば我等何を言はんや、恩《めぐみ》の増さんために罪に居るべき乎、非《しから》ず(羅馬書六章一節)
と、茲に「非らず」と訳されし其原語は激甚なる言辞である、me genoito「堪え難し」とか、「否な決して否らず」とか、「思ひも寄らず」とか訳すべき者である、少しく言辞を更へて曰へばパウロは左の如く言ふたのであらふ、
  キリストが罪を贖ひたれば我等は罪を犯すも問はれずとよ、堪え難き哉、斯言や
と、キリストの贖罪が善行怠慢の機会として用ひられるとはパウロに取ては堪え難きことであつた、そは是れパウロが狙つた目的の正反対であつたからである。
 然らばパウロの贖罪論は如何に解すべき者である乎。
 第一に我等はパウロの受けし厳格なるユダヤ的教育を忘れてはならない、
贖罪はユダヤ人の思想を占領せし主なる題目であつた、旧約聖書、殊に其中の出埃及記、利未記、民数紀略を読んだ者で、其中に贖罪の文字の如何に多きかに気の附かない者はない、
  汝日々に罪祭の牡牛一頭を献げて贖ひをなすべし、又壇のために贖罪をなして之を潔め、之に膏を灌ぎ、之を聖別むべし(出埃及記二十九章三十六節)。
(487)  即ちアロン己のためなるその罪祭の牡牛を牽き来りて自己と其家族のために贖罪をなし、云々(利未記十六章十一節。全章に渉り贖罪の文字甚だ多し)。
 是れ其一二の例である、爾うして旧約聖書全体に渉り、贖罪の文字と思想とは充ち満ちて居る、実に旧約教、之を贖罪教と称しても可い程である。
 爾うして斯かる思想の中に生育せしパウロが其キリストに由る救済観を組織するに方て之に贖罪の文字と思想とを編入したのは決して無理ならぬことである、旧約聖書に現はれたる贖罪其物の意義は余輩の今茲に索《たづ》ねんと欲する所ではない、乍然、パウロの地位に在りし者が新らしき人生観を編出すに方て、自己と周囲の人との贖罪的観念を満足せしむるの必要を感じたのは止むを得ない事であつた、恰かも今日の吾人に取り、進化論に論及せずして如何なる思想をも世に提出することが出来ないと同然である、パウロは二千年前のユダヤ人であることを心に留めて、我等は贖罪論の不合理を以て彼を責めない、頗罪は当時の定説であつた、之れとの調和を講ぜずしてキリトの福音を説くも無益であつた、パウロは曰ふたのである、贖罪は罪人が神に近づくに必要である、然し罪は牛や羊の血を以て贖はるべき者ではない、人の血を以てのみ贖はるべき者である、真正の罪祭は神の羔なるイエスキリトを以て供物とすると。 第二、パウロに取りては彼が贖罪論を唱ふるに明白なる道徳的理由があつた、それは彼の謙遜である。彼は自己の善行に由て彼が神に納《う》けられやうとは如何しても思へなかつた、然ればとて彼の如き現実的観念を以て養成されし者は神は何の条件をも附せずして自由に人の罪を赦し給ふと聞ても容易に之を信ずることは出来なかつた、茲に於てか彼に取りては罪の赦免の実証が必要であつたのである、爾うして彼は此実証をキリストの苦難と死に(488)於て発見したのである、神の聖きと自己の穢れたるとを比べて見て彼は何かキリストの十字架のやうなるものを要求して止まなかつたのである、彼は今日の多くの自称善人のやうに、神は人の罪を赦すべき筈の者であるとか、人は神の子であるから懼れなく神の膝下に近づくべきであるとか言ひて己を慰めんと欲するも慰め得なかつたのである、彼は神を見ることあまりに高く、自己を見ることあまりに低くありしが故に、二者の間に渡りを附くる仲裁人を要求したのである、即ち贖罪の犠牲を携へて聖所に入りて神の前に人を執成す所の祭司の長を要求したのである、パウロの如く神を高く見ると同時に自己を低く見る者にあらざれば贖罪の必要は感ぜられないのである、自己の皆無なるを信じ、自己の為し得る善行の等しく皆無なるを信じて茲に始めて贖罪の必要が起るのである、若し贖罪其物が不合理であるとするも、その之を喚起せし動機は実に貴いものである、贖罪を標榜して神学論を闘はすのは最も嫌ふべきことであるが、然し贖罪を要求して止まざるの心は最も貴むべき者である、パウロの謙徳の表彰《しるし》として彼の贖罪論は最も貴重なる者である。
 第三、贖罪は人生の事実である、故に実験すべきものである、実験を離れて理解し得らるべき者ではない、其内容は門外漢の探り得べき者ではない、之を不合理なりと称するは之を単に外より観察するからである、之に道徳的危険の伴ふはその実験が浅いからである、贖罪を深く心に味ひて、その道理の頂上、道徳の極処であることが判明るのである、故に是れは何人にも判明る教義ではない、パウロを待て始めて陳述せられ、パウロに達して始めて了解し得らるゝ教義である、実験は学問ではない、実視である、直感である、哲学者が之を解し得なないのは敢て怪むに足りない、又浅薄なる今の教会信者が之を濫用して返て危害を己が身に招くも敢て怪むに足りない、事実は事実である、贖罪は贖罪である、之を解し得ないとて之を排斥するは、太陽の熱を以て己が煙管に火(489)を点じ得ないとて之を譏るの類である、パウロは彼の信仰的実験を語つたのである、彼の霊魂の聖所に入て、彼が見、又聞き、又|捫《さわ》りしことを語つたのである、爾うして外に立て遙かに幕内の聖事を覗《うか》がふ者は之を疑ひもし、否みもするであらう、然れども挈《たづさ》へられて第三の天に至り、言ふべからざる言、即ち人の語るまじき言を聞きし者は又人の説明すべからざる深き聖き事を知るのである、パウロの贖罪論は不合理なりとて又不道徳なりとて直に之を排斥すべきではない。
       *     *     *     *
 身をパウロの境遇に置き、同情を以て彼の思想の径路を稽へ、パウロの謙遜を以て彼の如くに高く神を見、低く自己を見、終りに、贖罪を哲学上の命題として見ずして人生の実験として見て、我等は今の人の如くにパウロの贖罪論を否認もせず、排斥もせず、勿論嘲弄もしない、縦し又時には不合理的に見ゆることがあるとするも、その偉人の唱へし大教義なるを知るが故に充分の尊敬を以て之を迎へ、自身パウロの如き者となりて之を道理的に解釈し得るに至る其時期の一日も早く到来せんことを祈る。
 
(490)     最大の異端
                     明治41年6月10日
                     『聖書之研究』100号「研究」
                     署名なし
 
 最大の異端はキリストの神性を拒み、贖罪、復活、昇天を否むことではない、最大の異端は兄弟を憎むことである、聖書は明白に言ふて居る、愛なき者は神を識らず、神は即ち愛なれば也と、信仰の正邪は行為の善悪に由て定むべきである、其表白の文字に由て断ずべきではない。
 
(491)     予と研究誌
                     明治41年6月10日
                     『聖書之研究』100号「雄録」
                     署名 東京 内村鑑三
 
 私は本誌の主筆であり、編輯人であり、発行人であります、故に本誌は私の肉又骨又血であります、故に私と本誌との関係を語るは私と私自身との関係を語るやうなものであります、然し、少し語らずには居られません。
 私の本誌に就て語らんと欲することは第一に本誌は私の作つた者ではないことであります、私は其主筆であり、編輯人であると云ひますが、それは人と此世の言葉を以て爾う云ふのであります、然し神と天国の言葉を以て云
ひまするならば、此誌の主筆は私ではないのであります、本誌の主筆は神であります、キリストであります、聖霊であります、上よりの能力が私なる機関を使つて作つたものが本誌であります、故に其名誉はすべて彼に属します、爾うして其失敗のみが私に属します。
 第二に私は此業に使役されて無限の快楽を感じたと云ふことを語りたく欲ひます。成程、其経営、編纂等に多くの苦痛を感じたことは確かであります、然しながら其快楽は其の苦痛を償ふて優に余りがあります、月毎に机に対して筆を執る時、私は神と共に語るやうにも感じ、又友と相対して語るやうにも感じます、爾うして印刷成つて之を送出した後には、数千本の親展を友人に送つたやうに感じ、其、友人の心を慰めんことを祈り、祈祷を以て其後に従ひます、爾うして果して神は私の祈祷を聞上げ給ひまして、毎月感謝の返書は私の手許に達するの(492)であります、斯んな愉快なことは世に他に無いと思ひます。
 本誌が何時まで続かふか、それは勿論私には判明りません、然し、読者が減つたからとて止めまいと思ひます、又資金が尽きたからとて止めまいと思ひます、然し、神様が世に伝ふべき真理を私に下し給はなくなつた其時には、いつ何時なりとも之を廃刊しなければなりません、私は斯かる時の当分到来しないことを祈ります、どうぞ神様が常に新鮮にして、常に革命的の思想を私に供し給ひまして、私が最後の気息を引取るまで、自由の戦士として、熱誠の点火者として、永く神様の御用を務めるやう、読者諸君が私のために御祈り下さらんことを願ひます。
 
       ――――――――――
 我等の望み又た喜び又誇りの冕は何ぞや、我等の主イエスキリストの臨らん時其前に於ける汝等ならずや、汝等は洵に我等の栄え又喜びたるなり。テサロニカ前書二章十九、二十節。
 
(493)     本誌の為さゞること
                     明治41年6月10日
                     『聖書之研究』100号「雑録」
                     署名なし
 
〇商売人に広告を依頼しない。
〇名士に寄書を頻まない。
〇人に寄附金を乞はない。
〇人の著書を批評しない。
〇人物評を掲げない。
〇主筆の精読を経ざる文章を掲げない。
〇人に購読を勧めない。
〇誠実の存するあれば文章を構はない。
〇他人の批評に目を留めない。
〇確信にあらざれば一切語らない。
 
(501)     別篇
 
  〔付言〕
 
  河南生 纂訳
  「猶太人の家庭並に家業(一)」への付言
       明治40年5月10日『聖書之研究』87号「史壇」
 内村生曰ふ、聖書は之を内より学ばざるべからず、又外より学ばざるべからず、其構神を識らざるべからず、其外形を知らざるべからず、之に現はれたる猶太人の風俗習慣等は決して軽忽にすべからざる事なり、茲に河面君に依て其一節を訳出せらるゝホワイトハウス氏著『猶太風俗小史』は余も曾て精読して大に利益を得し者なれば、今其一部分を読者諸氏に紹介して諸氏の参考に供せんと欲す、余は諸氏が之を清読して、其労の後に至りて充分に償はるべきを信ず。
 
  千曲生「恩恵の鉄槌」への付言
        明治40年9月10日『聖書之研究』91号「雑録」
 内村生曰ふ、此貴重なる書翰は既に余を慰め、又余の或る友人の家族を慰めたり、而して尚も広く慰藉を世に供せん、余は大なる事を為し給ふヱホバの神に感謝す。
 
  勤勉舎の広告への付言
        明治40年9月10日『聖書之研究』91号「広告」
 勤勉舎々主山岸壬五氏は小生方へ二十年来出入せし者に有之、充分信任するに足る者と存候に付き茲に証明致し候也。
                   内村鑑三
 
(502)  普賢寺法律事務所の広告への付言
       明治40年11月10日『聖書之研究』93号「広告」
 内村生曰ふ、余は信仰上の善き友人として、又処世上の善き相談人として常に普賢寺君を信頼す。
 
  那須利三郎の広告への付言
      明治40年11月10日『聖書之研究』93号「広告」
 内村生白す、那須君は此等の事に就き永き経験を有し、余の今回の小建築并に移転はすべて君の深切なる設計并に監督に依るもの也。
 
  住谷天来「窮思録」への付言
       明治40年12月10日『聖書之研究』94号「寄書」
 内村生白す、余は恒に天来君に向て深き同情を有す、君の此文を読んで余の心臓を切らるるの感あり、而して余は君並に君と境遇を同うする人に向て曰はんと欲す、諸君は少しく異なりたる方面よりキリストを見られては如何、彼をゲーテ的又はカーライル的に見ずして、ヨハネ的に見られては如何と、キリストは聖者、苦痛の忍耐者、艱める者の同情者たるに止まらず、又生命の供給者なり、然り、生命其物なり、健康は彼に在りて充満して存す 基督者はキリストを歴史的に見るに止まらず又神秘的に見ざるべからず、キリストに由りて霊をも体をも癒されんと欲するは決して迷信にあらざる也。
 余の信仰の友某にして永く脊髄結核を病みし者あり、医師は已に匙を投じ、彼は永く苦痛の中に癈人として存在せり、然るに何ぞ計らん彼の疾病は近頃に至り奇ぎにも癒えたり、医者は驚けり、彼等は相共に語りて曰へり、是れ果して真の治癒なる乎と、然るに癒えし者自身は曰へり、我は如何にして癒されし乎を知らず、唯能力の新たに我に加へられしを知るのみ、我は歩むを得べくなりたり、我は働らくを得べくなりたり、我は唯癒えたり、其他を知らずと。
 彼は今は往て韓国にあり、韓人の中にキリストの福音を証明せんとてなり、余は現時の医術を嘆称する者の一人なり、然れども同時に又医術以上に尚ほ医術あるを知る者なり、ル(503)ーテルの愛句として知らるゝ預言者イザヤの言は其最も広き意味に於て深き真理なりと信ず、余は今謹んで之を天来君並に君と境遇を同うする多くの艱める友に献ず、君等之を念じて楽しきクリスマスを迎へられんことを祈る、即ち左の如し
  汝等立かへりて静かにせば救を得、平穏にして依頼まば力を得べし(以賽亜書三十痾十五節)。
 
  左近義弼「山上の垂訓改訳」への付言
        明治41年3月10日『聖書之研究』97号「研究」
 編者曰ふ、訳者並に発行者の許諾を得て『マタイの伝へし福音書』より抜粋転載す、本書の性質に就ては広告欄を見るべし、聖書研究者必携の書たるを疑はず。
 
  宇都宮 青木義雄「前号所感」への付言
        明治41年3月10日『聖書之研究』97号「演説」
 編輯生曰ふ、毎号読者諸君より此題目にて寄書あらんことを望む、但しハガキ一枚に書き得る者に限る、原稿〆切毎月末日の事。
 
  倉橋生「随行記」への付言
       明治41年4月10日『聖書之研究』98号「雑録」
 内村生曰ふ、何やら旧き上人伝を読むの感あり、然かし敢て咎めず、病は食あたりなりき、熊本にて知合ひし老婦人某訪ね来りて曰く、先生又いやしんばうをなされし故に腹を痛められたるなり、お慎みなさいと、実に面目なし、然し帰宅後直に癒えたれば誌友諸君に於て御安心を乞ふ、多分是れが演説旅行の最終なるべし。
 
  「予と研究誌」への付言
       明治41年6月10日『聖書之研究』100号「雑録」
〔「後志松本大平」の寄稿文の末尾に〕
  内村生曰ふ、君の謙遜、返て余を赤面せしむ。
〔「相模 寺島望海」の寄稿文の末尾に〕
 内村生曰ふ、明白に本誌の欠点を指摘せられしを謝す、余(504)輩は壊ちしのみならず建てしと思ふ、神の義のみならず其愛を説きしと信ず、余輩は自身義人として神の前に立つ者に非ず、赦されし罪人として単へに其恩恵を仰ぐものなり、余輩は斯く己を君に紹介する能はざりしを悲む。
〔「陸中 長南米之助」の寄稿文の末尾に〕
 内村生曰ふ、讃辞当らず、余は主に使役せられて僅かに小事を為すを得しのみ、願くは益々余のために祈れ。
〔「相模 佐藤※[立心偏+旬]次郎」の寄稿文の末尾に〕
 内村生曰ふ、身に余るの名誉とは斯かる感謝の辞に接することなり、余も亦君に何と謝して宜しきやを知らざる也。
〔「日本人浸礼教会幹事 在米シヤトル市 平川喜八」の寄稿文の末尾に〕   内村生曰ふ、無教会主義を採る余輩にして君の如き忠実なる教会の役者を作るの一助となるを得しは余輩の感謝して止まざる所なり。
       ――――――――――
 以上の外、左の諸君より所感文を送られたり、厚く諸君の好意を謝す、紙数に限りあり、之を悉く掲ぐる能はず、諸君の高恕を仰ぐ。     編者
美濃 佐久間国三郎君 〇信濃 水野市次郎君 〇海上にて 太田十三男君 〇石狩 長崎渉君 〇信濃 三井国助君 ○陸中 菊池玉三郎君 〇相模 荒井隆君 〇信濃 犬飼覚君 〇東京 小野一君 〇筑前 石原永愛君 〇丹波 志賀真太郎君 〇上総 池田淳君 〇常陸 小川達君 〇石狩 鈴木限三君 〇越後 品田喜作君 〇丹波 清水喜一郎君 〇東京 佐藤星湖君 〇岩代 菅野東介君 〇石狩 末光信三君 〇遠江 中村初蔵君 〇大阪 伊佐綱夫君 〇越後 木村孝三郎君 〇信濃 望月直弥君 〇京都 千葉生 〇米国 小葉竹次郎君 〇米国 渡辺寿君 〇信濃 片山よし姉 ○遠江 平野定六君
 今井樟太郎「大阪より」再録に際しての付言
       明治41年6月10日『聖書之研究』100号「雑録」
 内村生曰ふ、君、今、大阪市外永良の墓地に眠る、而して本誌は今尚存在して君の紀念館は本誌の用に供せられたり、本誌が君に負ふ所甚だ多し、感慨何ぞ堪えん。
(505)  佐々城豊寿「札幌より」再録に際しての付言
       明治41年6月10日『聖書之研究』100号「雑録」
 内村生曰ふ、姉は今、東京市外染井墓地に眠る、姉も亦此世に於ける誤解人物の一人なり、余輩に熱き同情を寄せられ、余輩の斯業をして今日あるを得せしめたり。願くは姉の霊、主に在りて安かれ。
 
(506)   〔社告・通知〕
 【明治40年6月10日『聖書之研究』88号】
    謹謝
 老父永眠に就きては多数の読者諸君より厚き御同情を御表し被下御深惰の程幾回にも有難奉存候、茲に謹んで誌上を以て御厚礼申上候。           内村鑑三
 
 【明治40年10月10日『聖書之研究』92号】
    謹告
 少しく事業の拡張を計らんため、且つは更らに静かなる、更らに自由なる所を求めんため、今般本社并に小生義、当角筈より程遠からざる左の所に移転致し候間読者諸君に於て左様御承知被下度候、
  東京府下豊多摩郡淀橋町
  字柏木九百拾九番地(九一九)
 就ては来る十一月一日以後本社并に小生に達すべき郵便物は新住所へ向け御発送被下度右謹で広告仕儀也。
                   聖書研究社
                    内村鑑三
 新住所は小字を蜀江山と申し、旧甲武鉄道大久保停車場より西へ四丁余の所に御座侯、鎧神社附近と御尋ねに相成り候はゞ判かり申すべく候。
 
 【明治40年12月10日『聖書之研究』94号】
    祝賀
 今年も亦楽しきクリスマスと喜ばしき新年と読者諸君の上にあらんことを祈る。
 .明治四十年十二月
       東京府下淀橋町柏木九一九 内村鑑三
                    家族一同
 
(507) 【明治41年1月10日『聖書之研究』95号】
    謝辞
 本誌の読者二百六十四君より歳末歳姶の祝福の辞を送られたり、茲に厚く諸君の好意を謝す、尚ほ今年も亦諸君と共に善き信仰の戦争を闘はんと欲す。
  千九百八年一月           内村鑑三
 
 【明治41年4月10日『聖書之研究』98号】
    謹告
  聖書講演会に就て
 本誌の読者にして一ケ年以上購読を継続せられし方は毎日曜日午前十時より本社に於て開会する聖書講演会へ出席せらるゝも差支なし、但し左の件々に注意せられたし、
 一、出席せんとせらるゝ方は御自身本社を御来訪せられ、予め許諾を得られたし。
 一、出席すべき教会を有せらるゝ方は特別の場合を除くの外は本講演会への出席を差控へられたし。
 一、伝染病に罹らるゝ方は出席御控へありたし。
                 聖書研究社
 
       ――――――――――
 
    第百号感謝会に就て
〇神若し許し給はゞ来る六月を以て本誌は其第百号に達し申すべく候、又本年は小生が雑誌執筆に従事してより第十年に当り申候、就ては聊か感謝の意を表したく、切に年来の読者諸君の援助を仰ぎ度候。
〇内地及海外の読者諸君より左の課題に対して簡単なる答文を賜はり度候
   『余と研究誌』
但し原稿〆切五月二十日の事
〇本誌第一号よりの読者諸君は其宿所御姓名を御通知被下たく願上候。
〇六月五日を以て故今井樟太郎氏遺族に由り同氏紀念のために本社の使用に供せられし今井舘の開舘式を行ひ申候。
〇同六日には本社邸内に於て読者の懇親会を催すべく候、殊(508)に地方読者諸君の御来会を望み候、本誌第一号よりの読者に限り御申越の順序に従ひ二十人までは本社に於て宿泊御引受申すべく候。
〇同七日を以て同志講演会を開き申候。
。一年以上の読者にあらざる方は出席御断はり申上候。
〇尚ほ此感謝会の上に恩恵の裕かならんことを御祈り被下たく候。
  四月
                  聖書研究社
                   内村鑑三
 読者御君各位
 
 【明治41年6月10日『聖書之研究』100号】
    謹告
〇少しく休養仕度、就ては来る七、八両月本誌休刊仕候。
〇来る九月十日を以て第101号を発行仕るべく侯、倍旧の御同情を願上候。
〇甚だ申上憎く候得共印刷費其他の騰貴のため、来る九月より本誌一冊代価金拾弐銭に値上げ致候間左様御承知被下度候。
〇今後は毎年一、八両月休刊し、(本年に限り七、八両月)一箇年発行度数を十回とし購読料従前の通り一箇年金壱円と相定め候間右又御承知被下度候。
。二箇月間の休養の後、新たなる霊と想とを以て再び諸君に見え申すべく候。〇永年に渉る諸君の厚き友誼を謝す、今後とも主にありて益々御親密を加へたく望み候。
  明治四十一年六月
                   内村鑑三
                   聖書研究社
(509)  〔参考〕
 
  主の死の半面(五月廿六日)
      馬可伝十五章一節より三十九節まで
                     明治40年6月20日
                     『教友』2号
                     署名なし
 
〇神の子クリストは何故に十字架に上り給ひしか、これ実に重大なる問題である、或人はクリストの人格クリストの教訓は、大切なるも十字架の死は余り重大なる問題ではないといふ、然し死は人の一生の括りである、近い例がかの競馬である、初めよく馳けても最後に倒れる馬は駄目である、勝敗は最後の一秒時に決するのである、人の生涯は如何に立派であるとも死の最後の時に堕ちてはつまらない、如何に死したるか、これが人の一生を評価すべく提出さるゝ最後の問ひである。
〇かくて考へてクリストの死は其生涯を一括するものでなくてはならぬ、彼の死を取除いては彼の生涯は考へ得られない、然らば彼の死は如何、彼の死は勿論吾等が信ずる如くに神の子の死である、これは吾等の贖ひの死である、こは吾等の心に徹する平和の源である、吾等人類が皆神を離れし罪人であることを知つて厳密なる意味に於て罪なき一点の汚れなきイエスの死は吾等を贖ひ吾等を救はんための神の子の流血であることを拒むことは出来ない。
〇然しクリストの死は神の子贖主の死であると同時に又一面に於てはソクラテスの死と同一の性を帯びたるものである、即ち義人の死である、霊界の勇者の死である、此点を考へなければ吾等は彼の死を充分に解したとはいへない、吾等は義人教師としてのイエスを見て彼に傚はんと努むる時は動もすれば彼の仰ぐべき神の子、救主なることを忘れるものである、彼を神の子救主として仰ぎ拝する時は吾等は又彼の傚ふべき義人なることを忘れ易いものである、故に彼の死に就て考ふる時に当りては彼の死が神の子の死であると同時に又義人の死であることを忘れてはならない、今日は義人としての彼の死に就て考へて見やうと思ふ。
〇クリストは第一、卅三歳の人生の青春に於て死に給ふた、最も愉快なる時、最も生存の喜びを覚ゆる時、彼は十字架に上り給ふたのである、換言すれば彼は最もよき最も大切なる(510)生命を捐て給ふたのである、次にクリストは若し死を免れんとすれば容易に免れ得たのである、即ち彼は少しく婉曲なる態度をとりて世と調和すれば敢て十字架に上ることを要せなかつたのである、彼若し爾は神の子なるかと問はれし時、答へてそうである、然し爾等も亦神の子ではないかと云ひ給ひしならばどうであつたらうか、彼ピラトの前に立て爾はユダヤの王なるかと問はれし時、さうである、我は王である、然し爾等の思ふが如き意味に於ての王ではないと云ひ給ひしとすれば如何、今日の基督信者の多くが斯る利口婉曲なる態度をとりて多くの迫害を免れて居るではないか、クリストは少しの調和弁解によりて十字架を逃れ得給ふたであらう、次に彼は又神の子の権威と力とを用ひて死を逃れ得たのである、彼は剣を抜きしペテロを戒めていひ給ふた、我いま十二軍余の天使を我が父に請ふて受ること能はざらんや(馬太廿章五三節)と。
〇彼は口を以て能はざれば手を以て其死を逃れ得給ふたのである、然れども彼は婉曲なる語を用ひ給はなかつた、彼の語は直截簡明であつた、否な否な然り然りであつた、彼は威力を用ひ給はなかつた、彼は屠場に牽かるゝ羊の如く全く無力者の態度をとつた、故に彼は世の意味に於て死なざるを得ざるの死に屈服し給ふたのではない、彼は実に死せざるを得ざる彼自身の理由を有して居給ふたのである。
〇身体の弱い人は少しの食物気候の異動にも直ぐ病気を惹起すも、身体の壮健な人は少しは無理をしても平気である、良心の鋭敏な人と然らざる人との差も同様である、良心の鈍き人は良心の鋭敏なる人の心を察することすら出来ない、泥棒にも三分の理があるといふが、泥棒とても或る程度迄の良心の同意なくしては盗みをすることは出来ないであらう。
〇クリストは吾等の想像も及ばぬ程の敏なる良心を有して居給ふたのである、故に彼は力を有し居給ふたけれどもこれを自己を救ふために用ゆるに忍びなかつたのである、然し彼が威力を用ひ給はざりし最大理由はこれである、即ち彼の教が相手の衷心の同意を得て伝へらるべき自由の真理であつて、如何なる場合にも威圧と恐怖の間道を用ひて人に強制することを許さなかつたからである、威を以ておどして悪を止めさすのはクリストの道徳ではない、悪の悪たることを自覚せしめて止めさすのがクリストの教の性質である。
〇仮りに彼が威力を用ひ給ふたとすれば如何であろうか、世(511)は彼に威服し彼の王国は形に於て建設されたであらう、然し万代に伝ふる罪を贖ふ自由の真理は残らなかつたであらう、彼は恐怖を以て人心に突撃し威と権とを以て人に迫り給はなかつた、彼の救は吾等が自ら味ひて受くることを得る自由の賜である、彼は口の語《ことば》を以て自らの王なることの大事実を人に解せしむること能はざりし時に十字架に上つてその真理を主張し給ふたのである、而して彼の死は遂に彼が王なる事を明かに証したのである。
〇故に基督者がイエスに傚ふて日々とる十字架はこれである、即ち世に在りてクリストの真理の上に立ち否な否な然り然りを以て一歩も譲らず曲げざるにあり、基督者の勝利は十字架上の勝利である、即ち窘められ打たれ罵られ殺されて勝つのである、方便を用ひず威力を用ひず一条の福音によりて進むのである。
〇クリストの死はかく考へて一面瞻仰すべき神の子の死であると共に、又吾等が学ぷべき大義人の死であることが判別る、此の点を暁らなければ吾等は婉曲又婉曲、譲歩又譲歩、世の方便により、世の勢力にたのみ、神の福音を以て人世を照さしむるにあらずして、これを人の為めに利用するに至るであらう 若しプロテスタント教がカトリツク教に迫害されし時、剣を以て立ち流血多年これと争はなかつたなら如何、プロテスタント教今日の腐敗はなかつたであろう、プロテスタント教は剣を抜いたが為めに、暴力を用ひたが為めに、第二のカトリツク教を生んだのである。
〇故に吾等は婉曲方便を用ひず、権威勢力に由らず否な否な然り然りの福音を握りて直截簡明なる態度をとりて世に立つべきである。
             〔2022年3月31日(木)午前11時30分、入力終了〕