内村鑑三全集17、岩波書店、459頁、4500円、1982.2.24
 
目次
凡例
1909年(明治42年)11月―12月
粛殺の秋 他………………………………… 3
粛殺の秋
愛の要求
愛の勢力
我が慾望
永存の希望
交友の根拠
イエスに復へれよ
宗教を棄てよ
唯一の宗教
精神と制度
真理の説言
単独の勢力
信仰と行為
彼等と我等
パラクレートス……………………………… 9
希望と前進……………………………………14
平安獲得の途…………………………………15
恩恵と云ふことに就て………………………18
余輩を縛る縄…………………………………21
米国に於ける教会の大攻撃…………………26
宗教の素質 他………………………………28
宗教の素質…………………………………28
我が信ずる福音……………………………28
Christianity in Japan.―A Response. …29
『歓喜と希望』〔序文、目次と短文二篇のみ本巻収録〕……31
はしがき……………………………………32
惟一の友……………………………………33
確信…………………………………………33
凋落の希望 他………………………………34
凋落の希望
歳末の歓喜
万全の地位
知らず、知る
平和の途
友と敵
彼我の宗教
宗教の改進
宗派建設の危険
聖誕節の教訓…………………………………38
司提革瑪………………………………………43
幸不幸 他……………………………………47
幸不幸
二種の生涯
不完全の感謝 他……………………………49
不完全の感謝
主義と歓喜
救済の瞻望
報償の理 附、増大の理……………………51
基督教の二大前提 神と永生………………58
友誼の譎計 天長節の話……………………64
朝鮮国と日本国 東洋平和の夢……………68
年を終るの記…………………………………72
1910年(明治43年)1月―10月
〔『六合雑誌』〕回顧三十年………………79
近代に於ける科学的思想の変遷 喜的宇宙観に傾く……84
救はるゝとは何ぞや…………………………98
「北海道鱈漁業の実況(旧稿)」への付言……99
自由の尊厳………………………………… 100
神に関する思想 無神論と有神論、自然神教と万有神教と唯一神教との区別…… 101
新旧の我れ………………………………… 109
以賽亜書改訳……………………………… 110
  第一章(一一〇)
  第二章(一一六)
  第三章(一二〇)
  第四章(一二四)
  第五章(一二五)
  第六章(一三一)
  第七章(一三三)
  第八章(一三七)
  第九章(一四〇)
神の努力 天然と聖書の証明…………… 143
真のバプテスマ…………………………… 152
ユダヤ人としてのイエス(馬太伝第一章の所示)…… 153
神に事ふべき時期………………………… 156
福音の活殺力(哥林多後書三章十二―十七節まで)…… 157
研究誌の自今……………………………… 161
或る婦人に語りし所……………………… 162
『近代に於ける科学的思想の変遷 一名、新科学の福音』〔序文、目次のみ収録〕…… 164
はしがき………………………………… 165
ユニテリアン主義の特長………………… 166
春の到来 他……………………………… 170
春の到来
世々の磐
信者不信者
イエスキリストの心
救済………………………………………… 177
姦淫罪に対するイエスの態度…………… 178
教権の所在………………………………… 189
失敗の恩恵………………………………… 190
無教会主義の利害………………………… 191
奮闘の必要………………………………… 192
感化の功績 他…………………………… 194
感化の功績
此彼勝敗の理
最後の一円(旧稿)……………………… 196
A Missionary Question.………………… 197
如何にしてキリストの如く成るを得ん乎 他…… 199
如何にしてキリストの如く成るを得ん乎
我が信仰
事業の完成者=死
餓死の決心
福音の反証
神は光なり
神を識るの二途
智識の渋滞
伝道の明確
唯一の善行
エクレージヤ(教会と訳せられし原語)…… 204
無教会主義の証明者 他………………… 213
無教会主義の証明者
無教会信者の勃興
基督教と法律問題………………………… 215
我等の敵=全世界………………………… 225
坊主根性 他……………………………… 226
坊主根性
注文の謝絶
教会信者…………………………………… 227
汽車中の談………………………………… 228
生命と伝道 他…………………………… 231
生命と伝道
米国人の総攻撃
伝道の新紀元
日本国の救済
神人=キリスト 他……………………… 234
神人=キリスト
パウロとイエス
我は我たり
イエスに来よ
イエスと共に起たん
理想の実行
日本国の祈求
イエスと基督教
基督教研究法に就て……………………… 241
「我に来れよ」…………………………… 246
人生の目的………………………………… 250
嬰児の死…………………………………… 251
貪婪の弁明………………………………… 255
事業と恩恵………………………………… 261
脱会諌止の書翰…………………………… 262
我が同志 他……………………………… 264
我が同志
援助の秘訣
労働と報酬
愛の奇蹟 他……………………………… 266
愛の奇蹟
智識の終極
我と福音
伝道の強行
永久の信者
失敗と成功
成功の期
平静の生涯
罪とは何ぞや……………………………… 270
聖書とキリスト…………………………… 275
初代の教会は如何なる者なりし乎……… 276
贖罪の弁証………………………………… 281
安息日の聖守……………………………… 287
聖書と黙示 他…………………………… 295
聖書と黙示
批評家を恐れず
故郷と人格………………………………… 297
教育方針…………………………………… 299
信仰と希望 他…………………………… 301
信仰と希望
成功の期待
研究者の注意
簡択の実証
日本国と基督教
二人の我
希望の泉
宣伝の幸福
幸福の一日
信仰の成熟
与ふるの幸福
イエスの愛国心…………………………… 306
イエスの如くす…………………………… 311
スチーブン・ジラードの話……………… 312
信仰=直示 他…………………………… 328
信仰=直示
天国の正門
霊肉の充足………………………………… 330
旧き福音 他……………………………… 332
旧き福音
領土と霊魂
信仰と失敗
我が教へ得ること
キリストに到るの二途
行為と信仰
愛の会合
愛の至高
教会と家庭
信仰と愛
諸聖と教会
我が所選
天下悠々
水と人
世と神
霊魂不滅に就て…………………………… 338
幸不幸……………………………………… 343
加拉太書の精神…………………………… 344
吾人の馬可伝……………………………… 347
救済の事実………………………………… 361
イエスの先生……………………………… 362
落第生を慰むるの辞……………………… 364
〔葛巻星淵著『信仰余賦 野の声』〕推薦の辞…… 367
十年一日 他……………………………… 368
十年一日
十年の恩恵
種と泉
信望愛
キリストと人生
神の沈黙
神を愛するの愛
神の愛
棄教と友誼
キリストと交友
信仰と愛国
理性の真価
聖ヨハネの観たる神……………………… 373
人の三性…………………………………… 375
ルーテル伝講話…………………………… 383
  旧教国と新教国(三八三)
ルーテル以前の改革者(三八九)
  ルーテルの出生(三九八)
  ルーテルの改信濃(四〇四)
  ルーテルの平和時代(四〇九)
戦闘の開始(四一七)
ライプチッヒ宗論(四二三)
  付 ルーテル年代記(四二七)
今昔の感…………………………………… 429
余輩の伝道方針…………………………… 431
別篇
付言………………………………………… 433
社告・通知………………………………… 435
 
一九〇九年(明治四二年)一一月−一二月 四九歳
 
(3)     〔粛殺の秋 他〕
                     明治42年11月10日
                     『聖書之研究』114号「所感」
                     署名なし
 
    粛殺の秋
 
 夫れ人はすべて草の如く、其栄えはすべての草の花の如し、草は枯れ、其花は落つ、然れど主の道は窮りなく存するなり、秋風吹起て草木枯れ、偉人逝く、然れど地は窮りなく大能の聖手に存して、恩寵に恩寵を加へらるべし、我等、彼を信じて秋声を聴て望を失はざるべし。彼得前書一章廿四、廿五節。
 
    愛の要求
 
 我は我が知識の足らざるを悲まず、又我が取る方法の拙なるを悲まず、我が愛の足らざるを悲む、我が知識は或ひは普通以上なるべし、我が方法は能く時勢に合ふ者なるべし、然れども我は能く我が愛の深き者にあらざるを知る、我は此上尚ほ新たらしき多くの知識を加へられんことを欲せず、又更らに慧き方法を授けられんことを欲せず、我は我が愛の益々深くせられんことを欲す、愛、愛、愛、我が唯一の要求は是れのみ、我は愛に於て富み且つ豊かなる者とならんと欲す。
 
(4)    愛の勢力
 
 我は我が知識の該博を以て人を圧するを得べし、然れども我が愛を以てのみ能く彼を化するを得るなり、我は我が信仰の鞏固を以て能く人を伏するを得べし、然れども我が愛を以てのみ能く彼を我が友となすを得るなり、知識も信仰も外よりの勢力たるに過ぎず、唯愛のみ衷よりの勢力たるなり、愛に欠乏してソロモンの知識もエリヤの信仰も以て一人のクリスチャンを作る能はざるなり。
 
    我が慾望
 
 余輩は基督信者にあらざるべし、又基督信者たらんと欲せず、余輩は唯キリストの如く愛せんと欲す、彼の如く謙遜ならんと欲す、彼の如く人の悪を謀らずして其善を思はんと欲す、余輩は唯此意味に於てのみ基督信者たらんと欲す、其他の意味に於ては余輩は異端、又は不信者、又は無神論者たるを辞せず、余輩が聖書を講ずる理由も亦イエスの如くならんと欲するより他にあらざる也。
 
    永存の希望
 
 我は我が思想を以て後世に存《のこ》らんと欲せず、又は我が政策、又は軍功、又は芸術を以て我が名を後世に伝へんと欲せず、我は我が愛を以て永く人の心に留まらんと欲す、我が著書は悉く忘らるゝも可なり、我が事業はすべて失敗に帰するも可なり、願くは我が愛の永久的ならんことを、願くは真の愛を似て冷水一杯にても与ふるを得(5)て小さき一人の心になりと愛の紀年として存らんことを。馬太伝十章四十二節。
 
    交友の根拠
 
 我は特別に信者を愛せず、又特別に不信者を憎まず、我はすべて人を愛する人を愛す、人を愛する人ならんか、彼は信者なるも可なり、不信者なるも可なり、我は彼を愛せんと欲し、又彼に愛せられんと欲す、我は信者を求めず、人を愛する人を求む、我は又人が我が信者なるの故を以て我を愛せんことを欲せず、我が多少人を愛するの故を以て愛を以て我に臨まんことを欲す。
 
    イエスに復へれよ
 
 イエスに復へれよ、ルーテルを以て止まる勿れ、アウガスチンを以て止まる勿れ、パウロを以て止まる勿れ、然り、教会の作りしキリストを以て止まる勿れ、ナザレのイエスに復へれよ、人類の友にして悲哀の人なりしイエスに復へれよ、聖書の中に於て彼を探れよ、而して彼を探求《さぐりもと》めて彼の如くなれよ、彼の如く柔和にして謙遜になれよ、彼の如く真実にして勇敢になれよ、彼の如く独り立て義に斃れよ、彼れ以外の者を彼れと誤認する勿れ、彼れ以外の者の弟子となる勿れ、然りイエスに復へれよ、すべての仲介者を排してイエスに複へれよ。
 
    宗教を棄てよ
 
 余輩は人に宗教を変へよと言はず、宗教を棄てよと勧む、儀式と規則と信仰箇条とを以て普通道徳に代へんと(6)する、かの憎むべき宗教てふ制度を棄てよと勧む、仏教を去て基督教に入るは一の悪事を去て他の悪事に入るに過ぎず、米国の思想家エリシヤ・ムルフホード曾て曰へるあり「キリストの宗教のみ惟り宗教に非ず」と、誠にイエスの貴きは彼が宗教を建てしが故にあらず、宗教を壊ちしが故なり、故に能くイエスの心を知る者は能くすべての宗教に反対す、人は先づすべての宗教(基督教をも含む)を棄つるにあらざればイエスの善き弟子たる能はざる也。
 
    唯一の宗教
 
 若し世に宗教てふ者ありとせん乎、そは教職てふ僧侶的階級の手を藉りて神を拝する事にあらず、敬虔以て日常の業を執る事なり、神聖に地を耕す事なり、神聖に物を商ふ事なり、神聖に物を作る事なり、人はすべて祭司にして全地は神の聖殿なり、此ほか別に宗教あることなし、若し有りとせん乎、そは迷信なり、悪魔崇拝なり、何の惜気なくして廃棄して不可なき者なり。
 
    精神と制度
 
 精神、制度と化して死す、是れ歴史の法則なり、モーセの精神は猶太教と化して死し、キリストの精神は基督教と化して死し、ルーテルの構神はルーテル教会と化して死し、ウェスレーの精神はメソヂスト教会と化して死せり、其他すべて斯の如し、依て知る、モーセの敵はエジプト人、アマレク人、カナン人等にあらずして、彼の国人にして彼を崇拝せしユダヤ人なりしことを、又キリストを殺せし者はパリサイの人又は羅馬人にあらずして、(7)彼を主よ主よと呼びまつりし基督信者なりしことを、制度は精神の屍体なり、イエスを教会の首長として仰ぐ者こそ真に彼を十字架に釘けし者なれ。
 
    真理の説言
 
 余輩は必しも基督教を説かず、余輩が真理と信ずる事を説く、余輩は聖書が示す故に真理なりと言はず、真理なるが故に真理なりと言ふ、余輩は聖書を研究す、聖書に盲従せず、余輩は神の愛を信ず、故に僭越を恐れずして余輩の確信を語る。
 
    単独の勢力
 
 カーライル一人は英民族の中に在りて英国全聖公会にまさるの勢力なり、トルスストイ一人は露国并に全世界に於て露国全正教会に勝さるの勢力なり、依て知る、人を善に化せんとするに方て教会又は其他の団体に頼るの必要更らに無きことを、人は何人も神を信じ、自己に頼り、人を愛して、独り立て広く同胞を善化し得るなり。
 
    信仰と行為
 
 信仰なきを悲む信者多し、然れども信仰なきは敢て悲むに足らず、行為あれば足る、人は何人も常に深く神を感ずる能はず、然れども努めて其|誡命《いましめ》を行ふを得るなり、愛を行ふは神を感ずると感ぜざるとに関せず、之を行はんと欲して常に之を行ふを得るなり、信仰は行為に伴ふ神の恩賜なり、善事実行の必要状態にあらざる也。
(8)       ――――――――――
 
    彼等と我等
 
       彼我の優劣
 彼等は集まる時に強し、我等は独り在る時に強し、彼等は数と量とに依り、我等は単一《ひとり》のヱホバに頼む、彼等の勢力に侮るべからざるあり、然れども我等の能力にも亦賤むべからざる者あらむ、時をして我等の審判官《アムパヤー》たらしめよ、百年の後、我等或ひは彼等の前《さき》に立たむ。
       我等の希望
 若し幹より根に及ぶ者ならん乎、我等の事業は失敗なるべし、然れども若し根より幹に及ぶ者ならん乎、我等の事業にも亦多少の希望あり、我等は根を涵養しつゝあり、細根を涵養しつゝあり、而して時期《とき》到りて春水の潤
霑《うるほひ》の臨むあれば木は芽を吹き枝を出さん、我等は今は地下に働く者なり、而して繁栄を将来に期する者なり。約百記十四章、七、八、九節。
       我等の交友
 我等に外面の交際尠し、然れども内裡の友情厚し、我等は敵を呼んで友と称せず、偽はりの笑《えみ》を呈して人の手を握らず、我等は狭き丈け深し、少き丈け篤し、我等は質の純美を以て量の寡少を補はんと欲す、我等の関係はすべて「我と汝と」なり、「吾人と諸君と」にあらざる也。
 
(9)     バラクレートス
        PALAKLETOS
                     明治42年11月10日
                     『聖書之研究』114号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
 パラクレートスとは希臘語である、約翰伝十四章廿六節其他に於ては「訓慰師《なぐさむるもの》」と訳され、約翰第壱書二章一節に於ては「保恵師」と訳されてある言辞である、意味の甚だ深い、慰藉の甚だ多い言辞である。
 パラクレートスの元の意味は「側に招く者」又は「側に招かるゝ者」である、すべて困難の場合に於て慰藉のため、又援助のために側に召び寄する者を斯く称したのである、故に法廷に於ける弁護士のことをパラクレートスと云ふた、彼は裁判官の前に於て罪人の側に立て彼に法律上の援助を供する者であるからである、「側に立つ者」と云ふ意味から「慰むる者」と云ふ意味が出て来たのである、終生の侶伴、困難《なやめ》る時の最と近き助援《たすけ》(詩篇四十六篇一節)、それがパラクレートスである。
 而してキリストは我等のパラクレートスたり給はんことを約束し給ふたのである、彼の曰ひ給ひし
  夫れ我は世の末《おはり》まで常に汝等と偕に在るなり
とは此事である(馬太伝末章末節)、彼は又我等の弁護士又は代言人たらんことを約束して曰ひ給ふた、
  人、汝等を(裁判所に)曳解《ひきわた》さば以前《まへかた》より何を言はんと慮《はか》り又は思ひ煩ふ勿れ、唯汝等其時賜ふ所の言を曰ふ(10)べし、そは言ふ者は汝等に非ず、聖霊なれば也、
と(馬可伝十三章十一節)、而してキリストは聖霊として常に我等に伴ひ給ふとのことである、
  父、必ずパラクレートスを汝等に賜ひて窮りなく汝等と偕に在らしむべし(約翰伝十四章十六節)。
  我が名に託りて父の遣さんとするパラクレートス即ち聖霊はすべての理を汝等に教へ、亦我がすべて汝等に言ひしことを汝等に憶起さしむべし(仝二十六節)。
  我れ真を汝等に告げん、我が往くは汝等の益なり、若し往かずばパラクレートス汝等に来らじ、若し往かば彼を汝等に遣《おく》らん、彼れ来らん時、罪に就き、義に就き、審判に就き、世をして罪ありと暁らしめん(仝十六章七、八節)。
 キリストは茲にパラクレートスを「彼」と云ひて第三人称を以て称んで居る、然し、余輩の曾て本誌に於て論ぜし如く、聖霊とはキリストの霊より他の者ではない、キリストが霊として吾人の心に臨む者、それが聖霊である、即ち、肉と霊との存在の形状が変るまでゞあつて、肉なるナザレのイエスが、彼の死後は霊なるキリストとなりて窮りなく我等と偕に在り給ふとのことである(本誌第百十号「聖霊とは誰ぞ」の一篇を見るべし)。
 而して是れ単にキリストの約束の言たるに止らず、我等彼を愛する者の親しく実験する所である、我等が基督信者となりたりと云ふは洗礼を受けて基督教会に入りたりと云ふことではない、又は吾等の智能を以てして基督教の教理を理解したといふことでもない、我等がクリスチャンと成りたりといふことは我等が或る『聖者』を友とし持つに至つたといふ事である、而かも単に或る旧き記録に於て或る理想の人物を発見したと云ふのではない、今活くる或は聖き友人を発見して其伴ふ所となつたと云ふことである、即ち我等は大なるパラクレートス即ち(11)「側に在る者」を得たと云ふことである、寂漠の世に在て孤独の生涯を送るを廃めて、大なる訓慰師を平常の友として持つに至つたと云ふことである、詩人ホヰットマンの所謂る大なる侶伴(Great Camerado)を既に此世に於て得たと云ふ事である、而して未だ此伴侶を得ない者は基督信者と称してクリスチヤンではない、単に信者の群に加はりたればとて、又単に教理を闘はせばとて、此聖き交友が無くして人は決してクリスチヤンで無い。
 而して彼と我との交際は実に親密なる者である、
  汝、我に在り、我れ汝に在り
と云ふ次第であつて、刎頸の友と云ひ、膠漆も啻ならずと云ふとも之には及ばない交はりである、彼れ我に代て死にたれば我も亦彼に対して死するのである、即ち、パウロの曰ひしが如く、
  最早我れ生けるに非ず、キリスト我に在りて生けるなり
と云ふに至るのである(加拉太事二章二十節)、茲に於てか同伴は同化となるのである、彼は我が新郎、我は彼が新婦、二ツの霊が一ツに成つて、我は基督者即ち小なるキリストと成るのである。
 バラクレートス即ち斯かる聖友を我は得たれば、我は何処に至るも、亦如何なる場合に処するも恐れないのである、昔しはヨブ、神の義しきと己れの義しからざるとを自覚して微かに彼の弁護者の天に在るを認めて曰ふた、
  視よ、今にても我が証明となる者天に在り、我が真実を表明す者高き処に在り……願くは彼れ人のために神と弁論し、人が其友のために弁ずるが如くに弁ぜんことを
と(約百記十六章十九、廿一節)、然るに今の我等にはヨブの望みし斯かる弁護者が顕明《あらは》に供せられたのである、
  若し人、罪を犯せば我等がために父の前にパラクレートス(保恵師)あり、即ち義なるイエスキリストなり、
(12)と(約翰第壱書二章一節)、ヨブの望んで止まざりし弁護者は我等のパラクレートスなる義なるイエスキリストである、彼れ我に伴ひ給ふが故に我は我罪を以て聖き神の前に立つも恐れないのである、彼は我がために最も有力なる弁護士である、単に言葉を以て我が無罪を乞ふに止まらない、我が身代となりて立ち、彼の義を以て我不義を蔽ひ、而して我を汚れなき瑾なき者として神の前に立たしめ給ふのである、故に我に永久の平和があるのである、斯かる友人が我と偕に歩み、我と偕に死の河を渡り、我と偕に神の裁判の前に立つと識るが故に、恐怖は全く我より脱するのである、我がパラクレートスなるイエスキリストの我と偕にあるを知つて、昔時の詩人の言は寔に誠に我が言となるのである、
   我れ汝の聖霊を離れて何処に行かんや、
   我れ汝の聖前を逃れて何処に往かんや、
   我れ天に昇るとも汝、彼処《かしこ》に在し、
   我れ我が榻《とこ》を陰府《よみ》に設くるとも視よ汝、彼処に在す、
   我れ曙の翼を借りて海の端《はて》に住むとも、
   彼処にて汝の聖手、我を導き、
   汝の右の手、我を保ち給はん、
   暗は必ず我を蔽ひ、
   我を囲める光は夜とならんと我れ言ふも、
   汝の聖前には暗も物を隠すことなく、
(13)   夜も昼の如くに輝くなり、
   汝には暗も光も異なることなし。
         (詩篇百十三節七−十二節)
 然らば来れよ困難、来れよ孤独、来れよ死、来れよ最後の裁判である、我に我がパラクレートスの有るあれば我は何をも恐れない、我は単独であつて単独でない、我が側に「能力の強き者」が在る、而して宇宙何物も我を彼に託《よ》れる神の愛より絶《はな》らすることが出来ない(羅馬書八章三十八節以下)。
 
(14)     希望と前進
                     明治42年11月10日
                     『聖書之研究』114号「研究」
                     署名なし
 
 人は希望的動物なり、彼れに在りては前を望むは自然にして後を顧るは不自然なり、希望は健全にして回顧は不健然なり、後に在るものを忘れ、前に在るものを望みと、罪を忘れ、疾病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、神と、生命と、成効と愛とに向て進まんのみ。腓立比書三章十三節。
 
(15)     平安獲得の途
                     明治42年11月10日
                     『聖書之研究」114号「講演」
                     署名 内村鑑三
 
  十月十三日東京青山なる監督ハリス氏宅に於て故ハリス夫人紀念のために開かれたる美以教会信徒組会に臨み其席上に於て述べし者の大略なり。
 
  凡て疲れたる者、又は重きを負へる者は我に来れ、我れ汝等を息ません、我は心、柔和にして謙遜る者なれば我軛を負ひて我に学べ、汝等心に平安を得べし、そは我が軛は易く我荷は輕ければ也。馬太伝十一章廿八−三十節。
 茲に言ふ「凡て疲れたる者、又は重きを負へる者」とは必しも「凡て患難《なやみ》に在る者」と云ふ事ではない、前後の関係より推して見て或る特別の疲労を感じ或る特別の重荷を負へる者を指して云ふたものである事が判明る、それは即ち其当時のユダヤ人の中に行はれし神学上并に宗教上の疑問并に煩悶を指して云ふたものである、其時に於ても今の時に於ての如く宗教家の間に多くの議論が闘はされた、聖書は如何に解釈されべきものである乎、何れの教会が真正の教会である乎、其他種々雑多の問題が正直なる信者の頭脳を悩ましたのである、而して之を解釈せんとして多くの人は疲れ、又之を重荷に感じ、或時は信仰が嫌になつたのである、宗教は元々人の本性に(16)在る者であつて、之を健全に発達すれば多くの利益を彼に供する者であるが、然し、一朝其途を誤れば宗教ほど世に害を為す者は無いのである、而して其当時のユダヤ人も此誤謬に陥つて居つたのであつた故に、イエスは茲に彼等に対して此教訓を叙べ給ふたのである、即ち彼は曰ひ給ふたのである、
  凡て神学問題を以て心を労し、教会問題を以て身に苦痛を感ずる者よ、汝等之を去て我に来れ、我れ汝等を息ません云々
と、彼は茲に世の所謂宗教問題解決の秘訣を伝へ給ふたのである、而して其秘訣とは外ではない、是れは哲学の研究に於て在るのでもなければ、亦教会の選択に於て在るのでも無い、単に心の持様に於て在るのである、即ち柔和にして謙遜なるに於て在るのである、宗教問題の解決に苦むとは云ふものゝ、其|源《もと》は智識の不足に於てあるのではなくして心の傲慢なるに於て在るのである、故に若しイエスに傚らひ、彼の如くに柔和に、彼の如くに謙遜になれば、問題は自づから解けて了ふとのことである。
 而して是れ誠に簡単なる教であつて、別に語るの必要はないやうに見ゆるなれども、然し実際此難問題に接した者はイイエスの此教訓の如何に深い、如何に力ある者である乎を能く知ることが出来る、実は宗教問題の研究程益の尠い者は無いのである、其範囲の余りに広いが故に、又其終極点の余りに遠いが故に、之に従事するは恰かもサハラの沙漠に迷込みたると同然であつて、殆んど際涯《はてし》のない事である、茲に於てか多くの無益の問題は簇出し、之に嫉妬、忿恚等の劣情の伴ふありて、神聖なるべき此問題は時には陋劣の極を演ずるに至るのである、教会問題も亦同じである、人世を悩ます者にして実は此問題ほど険悪なる者はないのである、教会問題を解決せんがために多くの大戦争は闘はれた、此問題あるが故に、信者の間に犬猿も啻ならざる憎悪と反目とが行はれ、愛(17)の標目たるべき基督教会は終に今日の如く紛争、結党、兇殺の府と化したのである、如何にして神学思想を統一せん乎、如何にして基督教会を結合せん乎とは常に起て常に結ばれざる問題である、而して此等の二大問題を解決するに足る大神学者も大牧師も未だ世に出でないのである。
 然るにイエスは既に業に其解決法を供し置き給ふたのである、即ち此等の大問題を放棄して彼の柔和と謙遜を学び、彼の命じ給ひし愛の軛を頸に懸けよとのことである、然らば是等の大問題は倏にして解け、其れより来る煩悶と心労とは直に去るべしとのことである、人が己れを知らず、有ることなくして自ら有りとして己を欺きつゝあるが故に此煩悶と心労とがあるのである(加拉太書六章三節)、柔和と謙遜と愛の軛、是れがすべての神学問題解決の秘訣、教会問題解釈の根本であるとの事である。
 然らば我等はイエスの如くに謙遜るべきである、心に低くなりて我等は頭を無用の問題に触れざるに至る、而して深く己の衷を探ぐるを得て其処に真理と神とを発見し得るに至る、又イエスの如くに柔和になりて我等は人と衝突せざるに至る、而して友を深く己が衷に迎へて其処に彼等と共に見えざる霊の教会を作り得るに至る、柔和にして謙遜なるイエスに在りては今日の所謂る神学問題もなければ教会問題もない、彼に在りてはすべてが平安である、世に無益の問題と無益の要求とを以て我等を煩はす者の多き今日、我等は再びイエスに復へりて彼の与ふる休息と平安とを我有となすべきである。
 
(18)     恩恵と云ふことに就て
        (九月十九日今井館に於て)
                     明治42年11月10日
                     『聖書之研究』114号「講演」
                     署名なし
 
  律法はモーセに由りて伝はり、恩寵と真理はイエスキリストに由りて来れり(約翰伝一章十七節)。
  兄弟よ、願くば我等の主イエスキリストの恩汝等の霊と偕ならんことを アメン(加拉太書末章末節)。
 聖書に「恩恵」と云ふことがある、或は単に「恩」と云ひ又「恵」と云ふ(共に「めぐみ」と訓す)、又恩寵とも云ふ、其文字から察すれば、いかにも神に特別に寵愛されて賜ふ恩賜《たまもの》であるやうに見へる、而して多くの人は、然り、多くの基督信者は斯る浅き賤しき意味に於て此尊むべき言葉を解する、乍然、其実際如何なる者なる乎は之を表はすために用ゐられたる文字に由ては解らないのである、聖書の他の言葉に於けるが如く此言葉に於ても文字は其真義の表号にほか過ぎない、我等は別に善き文字を発見する能はざるが故に、単に此文字を用ゐて文字以上の意味を通うぜんとするのである、即ち愛と云ふが如き、信仰と云ふが如き、皆な爾うである、キリストの弟子が云ふ愛や信仰は、是等の文字を以て表はされたる者とは全く別物である、恩恵とても同じである、先づ恩恵の何たる乎を知らずして、恩恵の字義を知りたればとて其真に何たる乎は解らない。
 然らば恩恵とは何んである乎と云ふに、其文字の示すが如く、人が己に於て有つ者ではなくして神より出て人(19)に賜ふ者であることは明かである、即ち愛の賜物であることは確かである、然し賜と云ふて勿論「物」ではない、然ればとて恩寵と云ひて単に愛せらるゝことではない、神が賜ふ或るものである、而して其何たる乎は之を受けた人でなければ知らない。
 英語で此事を grace と云ふ、而してグレースと云へば風雅と云ふが如き、しとやかと云ふが如き意味がある、即ち王公貴族の如く裕福の家に育ちし者には自づと緩やかなる気高き所がある、然しながら風雅、優長にては基督者の称する恩恵は尽きない、恩恵は勿論、人を緩やかにする、温かくする、優さしくする、然し是れ其結果たるに過ぎない、恩恵其物ではない、恩恵はものである、性質ではない。
 然らば恩恵とは何である乎と云ふに、是れはキリストを以て神より人の霊に賜ふ愛の能《ちから》である、短かく言へば聖霊である、然し※[火+毀]尽す聖霊の火ではなくして、罪を赦し、之を打消し、之に代へて善意《よきこゝろ》を与ふる霊の能である、之を「キリストの恩」と云ふはキリストを以てのみ与へらるゝ者であるからである、恩恵はキリストに於て豊かに宿つた、
  其子(即ちイエス)成長して精神強健に、智慧充ち、神の恩寵其上に臨《を》れり
とあるは此事である(路加伝二章四十節)、イエスの全生涯が恩恵に充つる生涯であつた、故に彼に聴きし者は
  其口より出づる恩恵の言を奇《あやし》み
たりと云ふ(仝四章廿二節)、彼の温雅なる風采、柔和なる挙動、触るれば徳の流れ出る愛心はすべて彼の衷に充溢れし恩恵の結果である、愛の電流と云はんか、和光の蓄貯と称せんか、何れにしろ其強き、効力ある、霊能である事は確かである。
(20) 而して凡てキリストに救はれたる者は多少此能を受けたのである、之を受けて罪は何処となく消え去つたのである、之に由て生れつきの忿怒《いかり》の性は失せて、其代りに宥恕《ゆるし》の性が臨んだのである、之に由て、教育に由てゞはなく、又境遇の変化に由てゞはなく、キリストの恩恵に由て、我等は真正の意味に於ての紳士又は淑女となつたのである、即ちパウロの曰ひしが如き、
  軽々しく怒らず、人の悪を念はず、不義を喜ばず、真理を喜ぶ者
と幾分なりと成り得たのである、誠にキリストの恩恵の如き能は他には無い、此世の王公貴族は此能を知らない、如何なる道徳を以てするも此能は得られない、キリストのみ此奇異なる能力《》の貯蓄所である、故に人はすべて彼に至りて 此、人を心の根底より善化する絶大の能力の恩賜に与かるべきである。
 
(21)     余輩を縛る縄
                     明治42牛11月10日
                     『聖書之研究』114号「講演」
                     署名なし
 
 
 余輩に余輩の属する教会なく、又余輩の署名せる信仰箇条なく、余輩の戴く先輩なく、余輩の服従する監督なきが故に、人は余輩に就て言ふ、彼は如何なる束縛にも堪え得ざる我儘者なり、彼は教界の無政府党員なり、秩序を乱し平和を破る者なりと、然れども是れ余輩に対する大なる誣告であると思ふ、余輩は我儘勝手の者では無いと信ずる、余輩にも亦余輩を縛る強き縄がある、余輩も亦或る意味に於ては束縛の人である、今其事に就て少しく弁じやうと欲ふ。 余輩を縛る第一の縄は普通道徳である、是れ余輩を縛る頗る強い縄である、即ち正直なる事である、約束を守る事である、神と人と自己とに対して誠実なる事である、其他余輩が普通の人として守るべき道徳である、而して之を普通道徳と称するが故に多くの人は此は簡易道徳であると思ふが、然し、之を守らんと努むる人はすべて知る、是れ決して簡易道徳でないことを、単に約束を守るの一事に就て見るも之を能く守るは随分の難事である、約束の時を違へざること、約束の義務を果たすこと、之を完全に守らんと欲せば、多くの困難を排し、多くの情実を退け、多くの犠牲を為さなければならない、実に約束するは易くして行ふことは難くある、約束履行を道徳の中に算へない者は道徳の初歩だに未だ知らない者である。
(22) 而して又正直なる事の如何に難きよ、正直なるとは単に嘘を吐かないと言ふことではない、正直なるとはすべての事に於て詐らざる事である、信ずるを信ずと做し、信ぜざるを信ぜずと做すことである、即ち、然り、然り、否な、否なと言ふより他の事を言はざる事である、正直ならんが為めに生命を棄た者は沢山ある、ソクラテスは其れがために殺された、ブルノーは其れがために焼かれた、別に宗教を信じたと云ふではなくして単に正直ならんがために多くの迫害に遭ひ多くの苦痛を忍んだ者は沢山ある、実に正直は諸徳の基である、是れなくしては宗教も神学も風の吹去る粃糠《もみがら》である、而して神に対し、人に対し、自己に対して正直ならんと欲して余輩は気儘勝手の人たらんと欲して得ない。
 其他、余輩は普通の人として他人の権利を重じなければならない、其自由を尊ばなければならない、又国民として、又市民として、為すべきの事を為さなければならない、斯くて余輩と雖も亦自由の人にして自由の人でない、余輩が人として生れ来りし以上は余輩も亦普通道徳の羈絆より脱する事は出来ない。 余輩を縛る第二の縄は余輩に与へられし事業である、余輩は之に対して忠実でなければならない、余輩は努めて其すべての要求に応じなければならない、全力を捧げて之を為さなければならない、其成功を計らなければならない、余輩に若し人なる主人なしとするも、余輩に与へられし事業は主人の権能を以て余輩に臨む者である、縦令余輩の事業であるとするも、余輩は勝手に之を措置することは出来ない、是れ余輩の事業であつて又神の事業である、余輩が之を怠るに由て神の聖業が妨げらるゝのである、其小なるは余輩が之を怠るの理由とはならない、万里の長堤も蟻の一穴に由て決潰するが如くに、神の聖業も亦余輩の怠慢に由て崩れる乎も知れない、神は余輩を信任し給ひて此事業を余輩に委ね給ふたのである、之を善く為すのは余輩に取り至大の責任である、而し(23)て此責任を負はせられたる余輩は決しで自由勝手の人ではない、余輩の事業は余輩の時間のすべてを要求し、又余輩の精力のすべてを消費する、余輩は此重き鎖に縛られて欲するがまゝに天然を楽むことは出来ない、又欲するがまゝに他人の事業を援くることが出来ない、労働は勿論快楽であるが、然し責任の伴はない快楽ではない、責任を以て之に当らんとして事業は実に厳格なる監督者である、彼を頭《かしら》に戴いて余輩は気儘ならんと欲するも得ない。 余輩を縛る第三の縄は愛の法則である、愛は外より余輩を縛らない、然し内より強く余輩を督促する、余輩は欲《この》んで其命を拒むことが出来る、然し其結果として彼女は直に余輩の心を去る、而して彼女に去られて余輩は生命の興味を感ぜざるに至るが故に、余輩は其命に服従して復たび彼女を余輩の心に迎へんとする、誠に事業若し厳格なる主人であるならば、愛は気むづかしき女主人である、彼女の感情を害ふことは甚だ易くある、愛は優さしき丈けそれ丈け其要求は懇切である、
  キリストの愛我を余義なくす
とパウロは言ふて居る(哥林多後書五章十四節)、実に其通りである、愛は命令を以てするよりも寧ろ懇願を以て余輩を余義なくする、余輩を慫慂して其命に服はざるを得ざらしむ。
 愛の法則に従て余輩は人に要求せられざるに余輩より進んで彼等に善を為さなければならない、愛の法則に従て余輩は自己一人の平安に満足して居る事は出来ない、愛の法則に従て余輩は他人の苦痛を自身の苦痛として感じなければならない、愛の法則に従て余輩は強いられざる責任を自から進んで己に負はなければならない、愛は誠に自縄自縛の縄である、而かも強き太き縄であつて之を絶つは鉄鏈を絶つよりも難い、而して此強き縄を以て(24)縛らるゝ余輩は決して自由気儘の人ではない、誠に余輩は喜ばしくも愛の奴隷となつた者である。
 余輩を縛る第四の縄は弱者の声である、是は第三の縄に似て之と異なる、愛は中より慫《すす》め、弱者は外より迫る、二者情を以て縛るに於ては一ツであるが、然し余輩の情に訴ふる其方向は全く別である、弱者は勿論貧者に限らない、信仰の弱き者も弱者である、無学の者も弱者である、婦人も弱者である、小児も弱者である、罪人も弱者である、動物も弱者である、彼等は皆余輩の同情と援助とを要求する者である、余輩とても勿論強者ではない、去りとて余輩は又最も弱き者ではない、世には余輩よりもより弱き者が沢山有る、而して余輩も亦弱者として強者の援助を仰ぐ資格がある如く、亦強者として弱者の懇求に応ずるの義務責任がある、詩人シルレルは言ふた
  強者は弱者に阻まれずして独り立つ時に強し
と、誠に強者は強者に対しては強くあるが弱者に対しては弱くある、圧制の鎖は之を断つの勇気があるが、憐愍の絆は之を截るの力がない、而して余輩も亦強者としては憐愍の絆を以て自から己を縛る者である、弱者の声が余輩の耳朶に達する間は余輩は自由の人ではない、我に両眼の開くあるに、盲目の人の我に指導を乞ふあれば、我は我が志望を放棄しても彼が求むる所に従はなければならない、世に疾病と、貧困と、迷信と、無学と、圧制と、掠奪とのある間は我は自由の人であつて、実は未だ束縛の人である、誠に聖書の示すが如く、
  我等の中、己れのために生き、己れのために死ぬる者なし(羅馬書十四章七節)。
  キリストすら尚ほ己れを悦ばす事をせざりき(仝十五章三節)。
 死と涙のある此世に生存して人は何人も己が欲する儘を為すことは出来ない。
(25) 斯く数へ来れば余輩を縛る縄の数は多くしで其の質は強くある、余輩の決して自由気儘の人でなきことは何よりも明かである、普通道徳は外より余輩を縛り、天与の事業は上より余輩を圧し、愛は内より余輩を促し、弱者は下より余輩に迫る、義務は六合より余輩を囲み、余輩をして徹頭徹尾不自由束縛の人たらしむ、而して人として余輩の身に纏ふ鎖の如何に重くあるかを知つて、余輩は此上更らに新たに鎖を求めて余輩の身を縛らんとしない、余輩は信じ難き信仰箇条に名を記して偽善の行為を増さんとしない、又人類の社会以外に更らに信者の社会を作て、責任の上に更らに責任を重ねんとしない。
 余輩が教会に属せざるは是れが為めである、成るべく余計の煩累を避けて成るべく完全に人たるの義務を尽さんがためである。
 
(26)     米国に於ける教会の大攻撃
                     明治42年11月10日
                     『聖書之研究』114号「雑録」
                     署名なし
 
 我国に於ては無教会主義を嘲ける先生方が甚だ多い、彼等は曰ふ、是れ奇人の脳裡に浮びたる一時的幻想なり、其の、後世に及ぼす勢力は皆無なるべしと、然るに今や米国紐育に於ては有名なる社会事項の観察者R、S、ベーカー氏に由て激烈なる教会攻撃は『米国雑誌《アメリカンマガジン》』紙上に於て開始され、其六月号に於ては(本紙前号に「五月号」とせしは誤りなり)『紐育市の不信』と題し教会の衰退、無教会信者の増加を述べ、又其九月号に於ては其続篇として『無教会者の信仰』と題し、信仰、慈善、教育等の漸々教会以外に移りつゝある状態を細記された、其結果として米国識者間に大議論起り、記者に同情を寄する者甚だ多く、其或る者の如きは(彼は神学校の卒業生にして一時は教会の牧師たりし者なり)憚らずして左の如く断言するに至つた、
  教会は今や死につゝあり、之をして死なしめよ、余は敬虔を以て言ふ、キリストの為めに之をして死なしめよと。
 教会に対し斯かる大胆なる声の米国に於て挙りし事は余輩の記憶に存せざる所である、而かも是れ無神論者の声ではない、熱心なる基督信者の声である、教会が今や危急存亡の秋に迫りつゝあるは之れにても察することが出来る。
(27) 余輩が前号に於て述べしが如く、無教会主義は今や世界の主義となりつゝある、欧洲大陸に於ては Die Unkirchlichen(無教会者)の名は既に早くより知られ、今や又米国に於て The Unchurched なる新名称の鋳造せらるゝに至つた、而して是れ決して無宗教者の意味ではない、否な、其正反対である、真正のクリスチヤンの多数は今や世に媚び権に阿り、霊魂を化するの能力を失ひたる教会に全然堪ふる能はざるに至つたのである、現に近頃ジヨセフ・ヘンリー・クルッカー氏なる人が『今日の教会』と題する一書を著はし、其中に『内(教会の)なる罪人と外なる聖徒』と云ふ一章を設けしを見て、米国に於て教会自身が既に其腐敗を自認するに至りしことを知ることが出来る、而して問題は単に教会改善のそれではない、其改築問題にあらざれば其存廃問題である、人類の進歩せる思想と信仰とは教会なる制度の中に之を抱括し得るや否やの問題である、事は頗る大問題である、原文を以て之を攻究せんとする人のために余輩は左に其題目と出所とを掲ぐ、余輩は教会の諸先生方が余輩の無教会主義を嘲けらるゝを止めて、茲に世界の此公論に眼と耳とを傾けられんことを希望する、
  The Godlessness of New York:By Ray Stannrd Baker.The American Magazine,June,1909.
  The Faith of the Uncchurched:By the Same.The Same,September,1909.
 読者諸君の中に之を一読せんと欲せらるゝ方は余輩の許を訪はるべし、余輩は悦んで貴覧に供すべし。
 
 
(28)     〔宗教の素質 他〕
                     明治42年11月10日
                     『聖書之研究』114号「雑録」
                     署名なし
 
    宗教の素質
 
 宗教は量に非ず、質なり、形にあらず、心なり、広にあらず、深なり、一人の人の心に深く神を知らしむれば宗教の目的は達するなり、之を為さずして、又為す能はずして徒らに数の多と形の美と広の大とに誇らんとする今の宗教は宗教に非ず、其正反対なり。
 
    我が信ずる福音
 
 我が信ずる福音は是れなり、即ち、神は我に代て我が為すべき事を悉く成就げ給へり、我は今恩恵の下賜を待てば足る、我が罪は事を為さゞるに非ず、我が神を信ぜざるにあり、我は純乎たる恩恵の待望者となりて子たる我が本分を尽すを得るなりと。
 世は之を称して懶惰の福音と言はん、然れども我は識る、我等をして世に勝たしむる者は我等の此信なることを。約翰第一書五章四節。
 
(31)     『歓喜と希望』
                         明治42年11月30日
                         単行本
                         署名 内村鑑三 著
〔画像略〕初版表紙150×110mm
 
(32)    はしがき
 
 歓喜は天然に於て在り、交友に於て在り、伝道に於て在り、希望は神の無辺の愛に於て在り、而して此小篇は此歓喜と希望とに関する余の所感を述べし者なり、人生素是れ善なり、是れ楽むべき者にして憂ふべき者にあらず、而して余も亦尠からず其甘味を味ふを得たれば茲に之を録して余の同胞に頒たんと欲す、希ふ、此小節又此世に歓喜と希望とを供する一助たらんことを。
  明治四十二年十一月十六日  東京市外柏木村に於て 内村鑑三
 
〔目次〕
  天然の歓喜
余の好む花
花の見方
春は来りつゝある
  交友の歓喜
新年の珍客
勿釆関を訪ふの記
基督信徒の交際
  伝道の歓喜
天使の降臨
余の耐えられぬ事
陸中花巻の十二月廿日
  救済の希望
戦場ケ涼に友人と語る
(33)余の信仰の真髄
天国を臨む
 
    惟一の友
 
 多くの友を得て尚ほ寂寥を歎ずる人あり、一人の友を得ずして常に嬉々快々たる人あり、友に無常なると久遠なるとあり、而して久遠の友のみ能く寂寥の憂を絶つを得るなり、キリストのみ惟り久遠の友なり、彼を友として人は一人の友を得ずとも独り常に嬉々快々たるを得るなり。
 
    確信
 
 人は一人も之を信ぜざるも我福音は真理なり、人は悉く之を棄却するも我福音は真理なり、人は挙てそのために我を排斥するも我福音は真理なり、我福音は人の福音に非ず、神の福音なり、故に我は彼に拠り独り終りまで之を維持せんと欲す。
 
(34)    〔凋落の希望 他〕
                     明治42年12月10日
                     『聖書之研究』115号「所感」
                     署名なし
 
    凋落の希望
 
 葉落て枝空し、然れども知る芽成らずして葉落ちざることを、木を割りて見よ、厳冬の梢の既に其皮下に春陽の花を蔵《かく》すを見ん、凋落は復興の兆なり、世の日に日に朽《くち》り行くは革新の準備既に成りたるに因る。
 
    歳末の歓喜
 
 歳将さに暮れんとす、而して我心甚だ楽し、喜楽は我の天性にあらず、富貴は我の有にあらず、我は又多くの友を有せず、而かも我心は甚だ楽し、我は何故に其斯くも楽しきやを知らず、只知る彼の我心に与へ給ひし歓喜の、彼等の穀物と葡萄との豊かなる時に優さることを。詩篇第四篇第七節。
 
    万全の地位
 
 春良し、夏良し、秋良し、冬亦良し。安寧良し、奮闘良し、成功良し、失敗良し。友良し、敵良し 生良し、(35)死又良し。神我と偕に在して万事万物一として我に良からぎるはなし、我はすべての時を楽み、すべての境遇を喜ぶ、実に準縄は我がために楽しき地に落ちたり、宜《う》べ我れ良き嗣業《ゆづり》を得たるかな。詩篇第十六篇六節。
 
    知らず、知る
 
 我は如何にして我が事業を継続し得るやを知らず、我は如何にして我が子女を教育し得るやを知らず、我は如何にして我が老後を養ひ得るやを知らず、我ほ勿論何時如何にして死するやを知らず、又我が子孫の如何に成行くやを知らず、然れども、我は知る我が全生涯の彼の恩恵の中にあることを、万物悉く働らきて我がために益をなすことを、我と我が愛する者との永久へに彼の記憶に存することを、而して我は斯く知るが故に我が将来に就て知らずと雖も悲しまず、万事を彼に委ねまつりて福祉《さいはひ》をのみ期待しつゝ働らくなり。
 
    平和の途
 
 神に背かん乎、我は万人の敵にして万人は我が敵なり、神に向はん乎、我は万人の味方にして万人は我が味方なり、人に対する我が態度は神に対する我が嚮背に由て定まる、愛の生涯に入るや易し、唯一の神に自己を捧げまつりて我は万人を我友となすを得るなり。
 
    友と敵
 
 友とは何ぞ、我が美点を認むる者なり、敵とは何ぞ、我が欠点を指す者なり、友は我が善を励まし、敵は我が(36)悪を矯む、我が向上を助くるに於ては敵は友と何の異なる所なし、我は我友を愛する如く我敵をも愛すべきなり。
 
    彼我の宗教
 
 彼は言ふ宗教は神を拝することなりと、我は言ふ宗教は人を助くることなりと、彼は言ふ神は皇帝の如き者なりと、我は言ふ神は父の如き者なりと、故に彼の宗教に法衣、祈祷文、聖餐器等の要あり、我の宗教に其要なし、彼我の宗教は其名を共にす、然れども其根底を異にす、彼の我を納けざるは宜なり、我も亦彼を我が同志と呼ぶ能はざるなり。
 
    宗教の改進
 
 宗教、政治より離れて政治は改まり、宗教も亦革りたり、宗教、教育より離れて教育は進み、宗教も亦前みたり、宗教、教会より離れて又大に益する所なからざらんや、宗教元是れ無形の者なり、故に形を減ずれば減ずる程其本性に還る者なり、宗教全く無形なるに至て其絶大の効現はるべし、宗教のために計るに之を無制度の者たらしむるに若かざるなり。
 
    宗派建設の危険
 
 人は余輩に就て言ふ「彼れ無宗派を唱ふと雖も実は新たに一宗派を建てつゝあり」と、余輩も亦之を恐るゝこと甚だし、カーライルは宗派を建てざりし、故に余輩はカーライルに傚はんと欲す、ホヰツトマンは宗派を建て(37)ざりし、故に余輩はホヰツトマンに傚はんと欲す、トルストイも亦宗派を建てず、故に余はトルストイに傚はんと欲す、余輩はカルビンに傚はず、又ウエスレーに傚はず、又其他の所謂宗教大家に傚はず、世の宗教家は余輩の宗派建設に就て安心して可なり。
 
(38)     聖誕節の教訓
                     明治42年12月10日
                     『聖書之研究』115号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
  一、ダビデの裔より生る。羅馬書一章三節。馬太伝一章。路加伝三章二十三節以下。
 イエスはユダヤ人の理想を身に体して生れたりとの意である、父祖の希望も、預言者の理想も、詩人の祈願もすべて彼に在りて成就されたりとのことである、彼は誠に聖民の精華であつたのである、真正の意味に於て「ユダヤ人の王」であつたのである、其血統に於て、其人格に於て、其理想に於て、彼は純潔無垢のユダヤ人であつたのである。
  二、処女マリヤに由りて生る。馬太伝一章廿三節。路加伝一章廿六節以下。
 イエスは特別に神によりて遺されたる者なりとの意である、即ち約翰伝記者の日ひしが如く
  斯かる人は血脈に由るに非ず、情慾に由るに非ず、人の意に由るに非ず、唯神に由りて生れし也
との意に適ひたる者である、イエスはヨセフに由つて生れたのではない、又マリヤに由て生れたのではない、聖霊に由て生れたのである、即ち直に神に由て世に遣られたのである、イエスに限らない、すべての偉人は斯の如くにして世に遣らるゝ者である、其父と母とは単に出世の機械として使はるゝに過ぎない、偉人の出世は遺伝の法則を似てして之を説明することは出来ない、カーライルが屡々唱へしが如く、偉人はすべて神の特産物である、(39)而してイエスの如き偉人に於て我等は特に其然るを見るのである、イエスが後日其母に向て
  婦よ、汝と我と何の干与あらんや
と言はれしは、其中に深き意味がある事である(約翰伝二章四節)、イエスはマリヤの子であつて、又彼女の子でなかつたのである、彼は神の聖旨を成すために直に神より遣られたる者である、イエスにも亦パウロと均しく、
  血肉と謀ることをせず、
神の命に従ふの機会があつたのである(加拉太書一章十六節)、処女の懐胎と聞いて我等は奇異の感を起さゞるを得ないが、然し之を神人特遺の途と解して、其奥義を覚るに難くない。
  三、イエス、べツレヘムなる客舍の槽《うまぶね》の中に生る。路加伝二章七節。
 神に由つて生れし人は神に由て起たざるべからず、彼は境遇の寵児たるべからず、万民の救主は貧者の一人たらざるべからず、神は其愛子を槽の中に送りて先づ第一に家畜と貧者とを祝し給ふたのである、美服を衣る人、錦繍を纏ふて奢れる者は王の宮に在り、然れども神は特に草盧の純撲を愛し給ふ、神の子は其呱々の声を槽の中に揚げて永久に貧を祝して富を詛ひ給ふたのである、イエスを以て大なる革命は此世に臨んだ、彼の降世を以て貴賎は其位地を転倒したのである、而して其革命運動は今も尚ほ静かに行はれつゝある、神の子が槽の中に生れたりと聞いて王者は震へ、貧者は歓呼したのである。
  四、天軍牧者に現はる。路加伝二章八節以下。
 万民救済の歓喜《よろこび》の音《おとづれ》は先づ純樸の民に伝へられたりとのことである、エルサレムの神殿に多くの祭司の神事を司るありしに、又多くの学者等は日々に聖書を繙きてメシヤの到来を待つゝありしに、神は彼等に聖子降世の(40)喜信を告げ給はずして、野に在りて羊を牧ひし者に先づ之を伝へ給へりと云ふ、実に貧しき者は福ひである、彼等はすべての人に先だちて天国の福音を聞かせらる、ヒレル何者ぞ、ガマリエル何人ぞ、神は智者を愧かしめんとて世の愚かなる人を選び給ふにあらずや、然り、学者何者ぞ、博士何者ぞ、神の事に関しては農夫と牧者と職工と商人とは彼等に優さりて遥かに慧き者である、天の万軍は今も尚ほ牧者と其同階級の者とに現はれて救済の福音を伝へつゝある、学者は嘲けり、智者は詈り、教職と称する今の祭司等は聖書を繙きて古き伝説を弁証せんと努めつゝある間に、天使は其清き声を以て労働の子等に天の福音を唱へつゝある、天使が牧者に現はれてメシヤの降臨を告げしと聞いて神学者等は其講堂に在て甚だしく憤懣したのである、基督教は其始めより平信徒の宗教である、教職と称する宗教専門家を忌嫌ふ宗教である。
  五、新星ベツレヘムの上に現はる 馬太伝二章二、七、九、十節。
 嬰児は槽中に生れ、天使は牧者に現はれ、瑞星は天に現はれた、貧と労働と天然とは期せずして同時にイエスを迎へた、イエスの降誕は人類にのみ関係のある事ではない、是は亦天然にも深き関係のある事である、
  それ受造物《つくられしもの》の切なる望は神の子等《こたち》の顕はれんことなり
といふ(羅馬書八章十九節)、人は万物の長であつて、イエスは人の首である、造化はイエスに達して其終極に達したのである、若し造化に声あらん乎、彼も亦此時声を揚げて叫びしならん、天地の始めて成りし時に
  晨星《あけのほし》相共に歌ひ、神の子等皆な歓びて呼はりぬ
と云ふ(約百記三十八章七節)、今や造化の最美の産たる神の独子の出現に際して造化は復たぴ歓び喜ばざらんや、宇宙は元是れ一体である、人事と天然とは深く相関聯して居る、天の時を待て人の和《くわ》は臨《きた》る、星現はれて聖子生(41)れし乎、聖子生れしが故に星現はれし乎、否《しか》らざりしならん、星と聖子とは同時に現はれしならん、栄光天に輝きし時に地に平和は臨みしならん、イエスは神の聖旨に従ひ、人類の要求に応じ、天の時を得て、ベツレヘムの客舎に生れ給ふたのである。
  六、博士、東方より訪来る。馬太伝二章一節以下。
 国の中に在りては家畜と牧者とはイエスを迎へた、国の外よりは異邦の博士等は彼を訪来た、実に預言者は其|家郷《ふるさと》にては敬はるゝ者に非ず、ユダヤに多くの博士は居りしも其一人だもイエスの生るゝを知らなかつた、灯台下暗し、大なる光輝は遠を照らして近を眩ます。
  光は暗《くらき》に照り、暗は之を暁らざりき。
  彼れ己れの国に来りしに其民、彼を受けざりき。
  多くの人々東より西より来りてアブラハム、イサク、ヤコブと偕に天国に坐し、国の子等は外の幽暗に逐出《おひいだ》され、其処にて哀哭切歯《かなしみはがみ》することあらん。
 イエスを受けざりし者は彼の国人と貴族と教会とであつた、牧者は彼を拝せしも王者は彼を殺さんとした、外の博士等は彼を訪来りしも内の博士等は彼を無視した、実にイエスの全生涯は上の排斥と下の歓迎と、内の迫害と外の優遇とのそれであつた、而して彼が生れし時にさうであつて、今も尚ほさうである、彼にして今再たび生れ給はん乎、彼を第一に排斥する者は今の所謂る基督教会であらふ、其監督と長老と牧師と伝道師とであらふ、而して彼等は貴族と相結びて彼を社交的に殺して了うであらふ、而かも彼は多くの「不信者」の接《う》くる所となるであらふ、無神論者と猶太人と社会主義者とは反て彼を迎ふるであらふ、而して真理は教会の手より奪はれて異(42)信の徒に与へられるであらふ。
       *     *     *     *
 以上はイエスの誕生に関する聖書の記事が我等に伝ふる永久の真理である、其中に歴史的事実として疑はしき節はありもしやう、乍然、其伝ふる心霊的真理は永久に変はるものでない、歴史的に正確なればとて記事は必しも実際的に価値のあるものではない、多くの歴史的事実は多くの心霊的虚偽を教ふるものである、真理は歴史に由てのみならず、又詩歌に由て、又神話に由て伝へらる、最大の事実は有つた事ではない、有るべき事である、歴史は有つた事の記録であつて詩歌は有るべき事の預言である、理想のみが唯一の永久不変の事実である、我等は理想を学ばんと欲て歴史家にのみ頼つてはならない。
 成るべき事は必ず成る、有るべき事は必ず有る、然り、有るべきことは既に有つた乎も知れない、理想の人が生れし時に理想の事は有つた乎も知れない、イエスは誰か、人の子か、若し然らんには彼の誕生に関する記事は妄譚であらふ、果して神の子なる乎、若し然らんには彼が永久の真理を示すべき多くの具象に伴はれて世に生れ出で給ひしとは信じ難いことではない、旧記を否定するは至て易くある、然し、深慮は否定に先だつべきである、教会の破門を恐れてにあらず(余輩は之を恐れず反て之を歓迎す)、真理に忠実ならんために、余輩は今猶イエスの寄蹟的出生の記事を単に「実はしき神話」としてのみ受取ることの出来ない者である。
 
(43)     司提革瑪《ステグマ》
        STIGMA(英語の Stigma,Stigmatize を参照せよ)
                     明治42年12月10日
                     『聖書之研究』115号「研究」
                     署名 内村鑑三
 
 ステグマも亦希臘語である、聖書に於てはたゞの一回、加拉太書六章十七節に於て用ゐられてある詞である、即ち
   今より後誰も我を擾《わづら》はす勿れ、そは我れ身にイエスの印記《しるし》を佩びたれば也
とある、其「印記」と訳されてあるのが此詞である。
 ステグマの元の意味は「刺す」である、それよりして刺文《ほりもの》又は烙印《やきいん》の意味が出て来たのである、奴隷が其持主の名を其身に刺《ほ》りしが如き、兵卒が其大将の名を其身に烙付けしが如き、之を称して誰々のステグマを身に佩ぶと云ふたのである、而して身に持主の名を印すは恥辱の事であるが故に、ステグマは終に「耻辱」の意味を通ずるに至つた、又印されし者は人に指点《ゆびさ》さるゝ者であるが故に、ステグマは弾指《つまはじき》の意味をも有するに至つた、即ち「刺す」より転じて「刺文」、「烙印」となり、それより化して汚辱、悪名と成つたのである。
 次にパウロが呱々に「身にイエスの印記を佩ぶ」と云ふたのは、自己はイエスの奴隷であると云ふたのと同じである、即ち彼が羅馬書の始めに於て「イエスキリストの僕パゥロ」と云ひしは此意味である、而してパウロの場(44)合に於てはイエスの奴隷たるの証拠は歴々と彼の身に現はれてあつたのである、それは彼がイエスの名の故を以て彼の身に受けし多くの傷の痕であつた、彼が五たびユダヤ人に四十に一を減じたる鞭を受けし其癒痕(哥林多後書十一章廿四節)、又三たび条《えだ》にて撲たれし其傷の痕(同廿五節)、其他河の難、盗賊の難、同族の難、異邦人の難、海中の難、偽はりの兄弟の難より受けし労苦と飢渇と凍裸との痕跡(同廿六、廿七節)、是れ皆な彼が彼の身に佩びしイエスのステグマ即ち印記であつた、彼は是等の癒痕に由て明かにイエスの奴隷たることを表はした、彼は殊更らに針を以て彼の膚にイエスの名を刺らなかつた、又殊更らに烙印を以て之を彼の肉に焼附けなかつた然し彼の敵は彼がイエスの忠実なる僕でありしが故に、彼を傷けて彼に刮除すべからざる瘢痕を存した、彼がイエスの属《もの》たるは疑ふべくもなかつた、彼の額に於て、彼の脊に於て、彼の手と足とに於て、彼はイエスの奴僕たるの誤られぬ証拠を有つて居つた。
 然しパウロに取りては彼が身に佩びしイエスの印記は彼の身に残りし瘢痕に止まらなかつた、彼がイエスの名の故を以て身に負はせられしすべての恥辱と汚名、是れ又彼に取り明白なるイエスの印記であつた、彼は此名の故に到る所に人に嫌はれた、異邦人に嫌はれ、猶太人に嫌はれ、彼が自から言ひしが如く、彼は終りまで
  世の汚穢《あくた》また万の物の塵垢《あか》の如く
に人に扱はれた(哥林多前書四章章十二節)、今日でこそ聖パウロと称せられて万人に崇めらるゝなれ、在世当時のパウロは鰥寡孤独、最も憐れむべき者であつた、世のステグマ(弾指)は彼の上に集つた、彼は「ナザレ宗の首《かしら》」として疫病の如くに人に嫌はれた(使徒行伝廿四章五節)。
 乍然、此汚辱、此汚名、是れ亦彼に取りては彼がイエスの属たるの確証であつたのである、世のステグマ(45)(弾指)は彼に取りては名誉のステグマ(印記)であつたのである、彼は世に嫌はれて、其嫌悪に於て彼がイエスの属たるの確証を認めたのである、彼は彼の心に於てのみ彼がイエスの僕たるの確信を懐いて居つたのではない彼の身に於て瘢痕を佩び、世に在りて汚名を被りて、彼は確かに主の属たりしを知つたのである、パウロに取りてはステグマは「烙印」の意味に於ても、亦「汚名」の意味に於ても彼が身に佩びしイエスの印記《しるし》であつたのである。
 斯かる明白なる意味の有るにも関はらず、後世に至り、此詞に就て大なる迷信が起つたのである、それは茲に謂ふ所のステグマなる者はイエスが十字架に釘けられし時に其身に受けし傷の痕を謂ふのであつて、パウロがイエスを信ずること深厚なりし結果、自然と彼の腋の下にイエスの負はせられし傷の痕と同じ痕が現はれたのであるとのことである、即ち彼の精神状態が彼の肉体に於て現はれたのであつて、彼は彼のイエスに於ける信仰を彼の腋下に現はれし痕跡を指して示すことが出来たとのことである、而してパウロに此印記が現はれて後、久しく此奇蹟は止みしと雖も、紀元千二百廿四年に至り伊太利国の聖人《ひじり》アシシのフランシスに於て復た此印記を見るに至つたとのことである、其後天主教徒の理想とする所は此印記を其身に於て現出せんことであつた、而して今日に至るまで厚き信仰の報賞として此の印記の奇蹟的現出の恩恵に与かりし者は八十人を算するとのことである、而て最近に此の恩恵に与かりし者は千八百八十三年に世を去りたる白耳義国のルイザ・ラトーなる尼でありしとのことである、或ひは心理的現象として斯かる事は実際に有る事であるやも計られない、乍然、パウロが身に佩びしと云ふイエスの印記なるものゝ斯る奇蹟的のものであらざりしことは、彼に関する聖書の他の記事を見て明かである、且又印記の価値より評するも、迫害の結果として受けし瘢痕は冥想の結果として自然に現はれし斑点(46)よりも遥かに貴くある、余輩はステグマに関する天主教徒の信念を迷信として排斥せざるを得ない。
 而してパウロの佩びしイエスの印記は今日の我等も亦之を佩ぶることが出来る、然り、我等も亦之を佩ぶべきである、勿論開明進歩の今の世に在ては身に迫害の瘢痕を佩ぶることはないであらふ、乍然、世の嫌悪、嘲弄、弾指としては我等も亦パウロと均しく身にイエスの印記を佩ぶることが出来る、然り、佩ぷべきである、然り、真実にイエスを信じて我等は今の世に在りても之を佩びざるを得ない。
 世は永久にイエスを憎む者である、彼は即ち「世の創始《はじめ》より殺されし羔」である(黙示録十三章八節)、彼は今尚ほ不信者にのみならず信者にも、俗世界にのみならず教会にも憎まるゝ者である、彼にして今世に現はれ給はん乎、彼を第一に逐ひやる者は彼の名を唱へて世に立つ所の基督教会である、而して斯かる世に在て篤く彼を信じて我等は到る所に嘲笑、罵辱を以て迎へられざるを得ない、汚名は真個の基督信者の必然的附随物である、是れが彼が今の世に在て彼の身に佩ぶるイエスのステグマ即ち印記である、是れなくして彼はキリストの属でない、是れなくして彼は此世の属である、「教会信者」である、信者の真偽を見分くるは至て易い、彼は身にイエスの印記を佩ぶるや、彼は世に憎まるゝや、教会に嫌はるゝや、嫌はるゝ者は真の信者である、嫌はれざる者は偽はりの信者である、此世と此世の教会とにステグマ(汚辱の表号)を附せられざる者はキリストの奴僕ではない、我等は希伯来書記者の言に従ひ
  イエスの詭※[言+卒]《そしり》を負ひて営外《かこひのそと》に出で 其処に喜んで彼と共に苦を受くべきである(同書十三章十三節)。
 
(47)     〔幸不幸 他〕
                     明治42年12月10日
                     『聖書之研究』115号「寄書」
                     署名なし
 
    幸不幸
                                    此世に在りて最も幸福なる事は善を為して栄えざる事なり、英次ぎに幸福なる事は善を為して栄ゆる事なり、第三に幸福なる事は悪を為して栄えざる事なり、而して最も不幸なる事は悪を為して栄ゆる事なり、第一の場合に於ては人は天国を譲り受くるの希望あり、第二の場合に於ては彼は現世を楽むを得べし、第三の場合に於ては彼は過去の罪を償ふを得べし、而して最後の場合に於ては彼は地獄に堕るの危険あり、何れにしろ困窮は安全にして繁栄は危険なり、吾人は前者を忌みて後者を羨むべからざるなり。
 
    二種の生涯
                                    広き生涯あり、又強き生涯あり、而して広き生涯必しも強き生涯にあらざるなり、人は何人も自から好んで広き生涯に入る能はず、然れども努めて強き生涯に達するを得るなり、万巻の書を読む能はずと雖も、亦広く世界と交はる能はずと雖も、其狭き地位に在て、又狭き知識を以て強き人と成るを得るなり、其山間の村に在りて、(48)其海辺の里に住みて深く神と交はり強く彼の愛を感じて、強き聖き高き生涯を送るを得るなり、若し教育と交際我有たらずんば、我は信仰の人と成るを得るなり。
 
(49)     〔不完全の感謝 他〕
                     明治42年12月10日
                     『聖書之研究』115号「寄書」
                     署名なし
 
    不完全の感謝
 
 此世に完全なる事あるなし、完全なる人あるなし、然れども是れ人が此世に頼らざらんがためなり、希望を来世に繋がんがためなり、此世の不完全は感謝すべし、そは之れあるが故に我等は遠く望み、耐え忍び、鍛え、磨き、以て天国を譲り受くるの準備を為すを得ればなり。
 
    主義と歓喜
 
 余輩に今や殊死して守るべきの主義あるなし、感謝して伝ふべきの歓喜あるのみ、主義は人を選む、歓喜は人を択まず、主義は冷かにして鋭し、歓喜は温かにして楽し、主義は人を我に化せんとし、歓喜は我を人に伝へんとす、余輩は今や人の悪しきを憤らず、其、神を離れて常に人生を果敢むを悲む、余輩は義の太陽より熱気を受けて之を人に頒たんと欲す、余輩は単に福《よ》き音《おとづ》れの伝達者たらんと欲す。
 
(50)    救済の瞻望
 
 神は必ず我国を救ひ給ふべし、而かも其政府を以てにあらず、其役人を以てにあらず、其教師又は宗教家を以てにあらず、彼が択み給ひし人を以てして、彼が定め給ひし方法に由つて之を救ひ給ふべし、彼は如斯くにして他の国を救へり、彼は亦如斯くにして我国を救ひ給はん、周囲の腐敗日々に甚だしくして、余輩は下を瞰ずして上を望み、人に頼まずして神を仰ぐ。
 
(51)     報償の理
         附、増大の理
                     明治42年12月10日
                     『聖書之研究』115号「思想」
                     署名 内村鑑三
 
 此宇宙は神の造り給ひし宇宙であつて完全なる宇宙である、故に其中に在て永久の損失なる者は決して無い、此完全なる宇宙に在ては物には必ず其報償がある、宇宙は巧妙なる機械の如き者である、之に原因を供して結果は現はれざるを得ない、宇宙は又整頓せる銀行の如き者である、之に資金を注入して利益は挙らざるを得ない、此完全なる宇宙に在ては徒労なる者、損失なる者は絶対的に無いのである。
 但し宇宙は無限大である、而して無限大であるが故に原因は其結果を生ずるに無限の時間を要するのである、又善業が其報償に与かるに一定の場所を択まないのである、今日労力を供して其結果を千百年の後に見ることがあり、此国に善業を施して其報償に他国に於て接することがある、唯、労力と善業とは分釐までも失はれないことは確かである、無限大なる此宇宙は、其精巧なること密封せる金匣の如く、其中に投ぜられし労力と善行との其分釐たりとも消失する事を許さないのである。
 事は茲に止まらない、完全なる此宇宙に報償の理があると同時に又増大の理が行はれる、善業は元の善業として存らない、更らに他の善業を生じて歳と共に益々繁栄する、完全なる此宇宙は驚くべき宇宙である、完全なる(52)機械たるに止まらない、又完全なる生体《オルガニズム》である、完全に物を保存するに止まらない、又永久に其増大を計る、斯かる宇宙に生れ出しは幸福の極である、恰かも確実なる富豪の家に生れ出しと同然である、我等の善事はすべて保存され、又歳と共に益々増大せらる、「我等は王の子なり」と云ふは此事を云ふのである。
 而して斯く言ふは決して単に理想を語るのではない、人生の事実を語るのである、短かき現世の事実を以てするも報償の理は充分に立つのである、我れ誠実を以て我友に対するも彼れ我に背きて我敵となる時に、我は我が誠実の無限の空間に消失せしが如くに感ずることがある、然れども完全なる宇宙は斯かる消失を許さない、彼は我に報いんために我が失ひし友に優さるの友を我に与へて彼をして充分に我が損失を償はしむ、我は唯友の交代を目撃せしに止まり、我が友誼は充分に報いらる、我が誠実は宇宙の中に在て消えない、若し一人の之を斥くるあれば他の人は彼に代て之を我に報いる、友の人員《ペルソネル》が変るまでゞある、宇宙と人類とは決して我が誠実を斥けない。
 其の他の事に於ても同一である、真実に国を愛して愛国の衷情の報いられない事はない、或ひは後世の敬崇を以て報いらるゝか、或ひは他邦又は万国の尊敬を以て報いらる、ルイ・コスートは其故国洪牙利を逐はれて全世界を其家とし有つに至つた、逆賊として其屍体を曝されしコロムウエルは三百年の後、銅像に彫まれて自由の保護神として英国々会議事堂の前に立つに至つた、悪人の恚怒と讒誣と譎計とを以てしても永久に善人を埋没することは出来ない、神は慢《あなど》るべからずである、預言者イザヤの言ひしが如く、地は終に亡霊《なきたま》を吐出するに至る(以賽亜書廿六章十九節)。
 然し、此地と此世とは全宇宙の一小部分たるに過ぎない、地球以外に又地球あり、穹蒼に輝く億万の星は各自(53)又幾多の地球を其周囲に有す、而して宇宙は一体であるが故にこの球とかの球とは無関係の者でない、精巧なる大機械は此球のみを以て成るものではない、すべての遊星とすべての恒星とが相集まり相関聯して大宇宙は成るのである、密封せられたる構巧の金匣は無限大である、随て原因が結果として現はるゝ区域も亦無限大である、故国を逐はれて万国に迎へられし愛国者の有りしが如く、此世に拒まれて宇宙に納けらるる志士仁人も無いとは限らない、然り、必ず有るに相違ない、国に世界的偉人のあるあれば、世に宇宙的偉人の無い理は無い、此地に棄られて全宇宙に迎へらるゝ宇宙大の人の無い理はない。
 而して報償の理は宇宙の理であるが故に茲に永生の希望が生じ来るのである、恰かも物理界に於て「力の不滅」の原則が行はるゝが如く、心霊界に於て報償の理は宇宙永遠を通じて働らくのである、誠実の正義と憐憫と慈悲とは若し狭き家族の中に於て報いられざれば広き社会に於て報いられ、若し一国に於て報いられざれば万国に於て報いられ、此地に於て報いられざれば宇宙に於て報いらる、而かも誠実は拒絶せらるゝ毎に其報償の区域を拡められ、強度を加へらるゝのである、家に拒まれて国に納けられ、国に斥けられて世界に迎へられ、此世に棄てられて未来永劫全宇宙に拾上げらる、又今報いられずして後に増大して報いられ、今世に報いられずして来世に加倍して報いらる、是れ皆な増大の理に因て然るのである、一人の友を失て他により良き友を与へらるゝと同然、同じ法則は全宇宙を通じ、永遠に渉りて行はるゝのである。
 斯の如くに報償の理に加へて増大の理を解してイエスの山上の垂訓は明白になるのである。
  貧しき者は福ひなり、天国は其人の有なれば也(馬太伝五章三節)
と、路加伝六章廿節に循ひ「心の」を除いて読むのが当然である、懶惰の結果としての貧ではない、之に何の福《さいは》(54)ひなることはない、然れども我れ正直にして勤勉なるに関はらず、或ひは為政家の不公平なるに因り、或ひは社会の不完全なるに由りて、労働の報酬は我|掌《たなごころ》に落ることなくして、他人の奪ふ所となり、我は貧しき者として日を送らん乎、其時我は福ひなりとのことである、其故は此世に於てにあらず、天国に於て、今の時に於てにあらず、後の日に於て我が正直なる労働は増大せられて充分に我に報いらるべければ也とのことである、世には所謂る割の書き仕事と割の悪き仕事とがありて、人は何人も前者を求めて後者を避くるなれども、イエスは茲に後者の却て福ひなるを述べられたのである、割の善き仕事は既に今、此所に於て報償を受けたのであつて、之に何の希望も伴はない、然れども割の悪き仕事は其報償を将来に移したのであつて、之に其増大加倍せられて報いらるゝの希望がある。
 如斯くにして貧困の報償として天国があり、悲哀の報償として安慰があり、饑渇の報償として飽足があり、矜恤の報償として恩恵があり、清浄の報償として見神があり、而して最後に迫害の報償として歓喜と楽天とがあるのである。 義のために責めらるゝ者は福ひなり、天国は即ち其人の有なれば也、我がために人、汝等を※[言+后]※[言+卒]り又迫害し、詐はりて各様《さま/”\》の悪言《あしきこと》を言はん、其時汝等は福ひなり、喜び楽しめ、天に於て汝等の報賞多ければ也。義を為して義の当然の報を得ざることさへ福ひなるに、況して義を為してそのために責めらるゝに於てをや、此場合に於ては正義は阻礙せられて其報償は加倍せらるべしとのことである、故に「喜び楽しめ」と云ふ、歓喜雀躍せよとの意である、之に優さるの幸福は無いからである、後日に至り使徒ペテロはイエスの此言を思出し之を敷衍して彼の同志を慰めて言ふた、
(55)  愛する者よ、汝等を試むる火の如き苦を汝等異常の事と思ひて之を異《あやし》とする勿れ、反てキリストの苦に与かるを以て歓楽《よろこび》とすべし、然れば其栄光の顕はれん時、亦汝等も喜び躍らん、若し汝等キリストの名の為に謗《そしら》れなば福なり、そは栄の霊即ち神の霊汝等の上に止まればなり、キリストは彼等に※[言+賣+言]《けが》され汝等に崇めらるゝ也(彼得前書四章十二−十四節)。
 天国に於ける歓楽は斯世に於ける迫害の報償である、是れ何にも神の気儘の意志に因るのではない、宇宙に行はるゝ報償増大の理に因るのである、義を為して世に義人と呼ばれ、其尊崇を受け、其称讃に与かりて何の希望も之に伴はないのである、「彼等は既に其報償を得たり」とイエスは斯かる者に就て言ひ給ふた、義を為して義の報を受けず、更らに進んで其のために迫害せられて永生は其報償として我等に与へらるゝのである、永生を得ると云ふは至て漠然たることのやうに思はるれど、然し永生は決して曖昧模糊たる者ではない、永生は確実なる者である、現世に於て報いられざる正義が無限の宇宙と未来に於て増大せられ且つ精練せられて現はるゝ者、それが永生である、永生は之を得るに不可能でない、人に隠れて善を為し、世の反抗を冒して正義を行て我等は確かに永生を獲得することが出来る。
 キリストが人類の首として崇めらるゝに至りしも全く此理に基くのである、彼の場合に在りても栄光は先天的に彼に存したのではない、彼も亦苦んで之を獲たのである、即ちパウロの言ひしが如し、
  彼(キリスト)は神の質にて在はせしかども自から其神と匹《ひとし》く在ることを棄難きことに意はず、反て己れを虚うし、僕の貌を取りて人の如くなれり、既に人の如き形状《ありさま》にて現はれ己れを卑くし、死に至るまで順ひ、十字架の死をさへ受くるに至れり、是故に神は甚だしく彼を崇めて諸の名に超《まさ》る名を彼に与へ給へり、此は天に(56)在るもの地に在るもの及び地の下に在るものをして悉くイエスの名に由りて膝を屈めしめ、且つ諸の舌をして悉くイエスキリストは主なりと称揚して父なる神に栄《さかえ》を帰せしめん為なり(腓立比書二章五−十一節)。
 キリストの頌栄は彼が受けし苦難、凌辱、迫害の結果即ち報償なりしとのことである、最も聖き者が最も痛ましき屈辱を受けて最も高き頌栄があつたとのことである、イエスの場合に於て報償の理は最も著しく行はれたのである、彼は謙遜ること最も甚だしく、純正純美の生涯を送りて、而かも迫害せらるゝこと最も甚だしく、最も悲惨なる死を遂げ給ふた、故に神は甚しく彼を崇め給へりとのことである、イエスの場合に於て正義は極端にまで阻礙せられ、誠実は極端にまで蹂躙せられしが故に、報償は無限に増大せられたのである、イエスが人類の首として世界万民に仰がるゝに至りし理由は之を探ぐるに決して難くない、彼は彼の国人に棄てられしが故に万国の民に納けられたのである、彼は今の世に在て羞辱《はづかしめ》を受けしが故に後の世に於て崇めらるゝのである、即ち彼れ自身が度々人に教へ給へしが如く彼は
  其生命を惜む者は之を喪ひ、其生命を惜まざる者は之を存ちて永生に至るべし
との教訓を其身に於て実行し給ひて其結果を己に収め給ふたのである(約翰伝十二章廿五節)。然れば我等も亦善を為し義を行ひて倦むべからずである、我が正直なる労働と譎詐なき誠実とが今、此世に於て報いられざるこそ幸ひなれ、宇宙に報償の理の働くあれば、我は安心して我が勤労の結果を之に委ね置くべきである、我が肉に於て受けざるものは霊に於て之を受くべし、今の世に於て受けざるものは次の世に於て之を受くべし、華厳の滝も滝として見る時は一の美景たるに過ぎず、然れども其動力を電気と化して遠く之を都会の地に引き来れば暗夜を照らし、運搬を助く、其如く、勤労も直に之を報酬として用ゐれば一の快楽たるに過ぎない、然れども之を報い(57)られざる愛の行為と化しで永遠に保存すれば
  其中にて泉となり湧出で永生に至るべし
とのことである(約翰伝四章十四節)、イエスの曰ひ給ひし
  蠹《しみ》くひ銹くさり盗うがちて窃む所の地に財を蓄ふること勿れ、蠹くひ銹くさり盗うがちて窃まざる所の天に財を蓄ふべし
とは此事である(馬太伝六章十九、廿節)、宇宙と永遠とを期して事を為せよとの事である、我が勤労が此世に於て報いられずとて歎げき、我が誠実が人に認められずとて憤る者の如きは、宇宙の完全にして広き事と、時の永遠無窮なる事とを識らざる短見者流の人である。
 
(58)     基督教の二大前提
         神と永生
                     明治42年12月10日
                     『聖書之研究』115号「思想」
                     署名なし
 
 基督教に二大前提がある、此前提あるが故に基督教は在るのである、此前提なくして基督教はないのである、基督教の確立は此二大前提の確立に由て定まるのである。
 二大前提とは何である乎。
 其第一は神の存在である、其第二は来世の存在である、神と来世とが在て基督教は在るのである、之が無くして、或ひは輕るくせられて、基督教は無くなるか、或ひは軽くなるのである。神は在る、而して神は在ると云ふは単に神は存在すると云ふに止まらない、神は在ると云ふは神は存在の最上位を占め給ふと云ふ事である、神が在て彼が人の下位に立ち給ふ筈はない、又神が在て宇宙が彼を支配する筈はない、斯かる者は神ではない、神は人類の父であつて其君主である、万物の造主であつて其統治者である、故に人類全体よりも全宇宙よりも大且つ能力ある者である。
 故に神の存在を信ずると云ふは容易の事ではない、是は人以上の権能を認むることである、天然以上の勢力を信ずることである、神の存在を信じて奇蹟を信ずるが如きは勿論の事である、神を信ずると称して人を恐るゝが(59)如きは偽善の庵である、神は
  独一の権威ある者、諸の王の王、諸の主の主
である(提摩太前書六章十五節)、故に彼は慢るべからざる者(加拉太書六章七節)、永久に忠信《まこと》なる者である、斯かる神が在つてこそ聖書も成つたのであり、奇蹟も行はれたのであり、キリストも人の罪を贖はんために世に降り給ふたのである、神の存在を確かめて是等の事はすべて勿論の事となるのである、乍然、神の存在を疑て、或ひは微かに之を信じて、是等の事を解するは甚だ難い、神の存在さへ確かになれば聖書に記してある大抵の事は何の註解書にも依らずして明らかに解《わ》かるのである。
 第二の前提たる来世の存在に就いても同じ事である、来世の存在を疑て聖書は少しも解らない、キリストも使徒等も来世は確かに在るものと信じて其教を説いたのである、
  心の貧しき者は福ひなり、天国は即ち其人の者なれば也。
  掩はれて露はれざる者なく、隠れて知られざる者なし。
  人の種く所の者は亦其穫る所となるなり、己が肉のために種く者は肉より敗壊《くつ》る者を穫り霊のために種く者は霊より窮りなき生命を穫取《かりと》るべし、善を行ふに臆する勿れ、そは若し倦むことなくば我等時に至りて穫取るべければ也。
 是れ皆な来世の存在を信じてより出たる言葉である、人の生命が此世を以て終る者であるならば是等の言葉はすべて無意味である、生命が死後永遠にまで連続する者であると見るからこそ、聖書の言葉は貴くあるのである。
 然るに実際は如何である乎、神と来世とは今の基督信者に由て実際に固く且つ確かに信じられてある乎、彼等(60)は果して基督教の此二大前提を信仰の基礎となして立つ者である乎、余輩は甚だ其事を疑ふのである。
 今の基督信者は此世に傚ふて、又此世に媚びんと欲して、神に就てよりも多く人に就て語る、彼等は基督教は人類の宗教なりと云ひ、基督教の目的は社会の改良、国家の救済にあると云ふ、彼等は成るべく神の名を隠くして之に代ふる人類、社会、国家等の名を以てせんとする、彼等は人を離れて神の在ることを信じない、彼等は此世の事業に成効して神に恵まれたりと云ひ、人に賞められて神に納けられたりと云ふ、彼等の神は人にあらざれば人と偕なる者である、預言者イザヤの見たりしと云ふ
  高くあがれる御座《みくら》に坐し給ふヱホバ
は彼等の全く知らざる所の者である、神が人に在て顕はれ給ふは勿論の事である、然し、神と人とは全然区別すべき者である、神は素より外在し給ふ者であつて、後内在し給ふたる者である、人は神の像に象られて造られたる者であるが、神其者ではない、人の神聖を説くの極、人を神と同視するに至るは大なる誤謬である、神は何処までも神である、人が無くなりても神は在し給ふ、人は悉く偽はりても神は真実である、
  凡の人を偽はりとするも神を真とすべし
である(羅馬書三章四節)、神があつての人であつて人が在つての神ではない、人は悉く無くなつて了つても神が在し給へば、我が信仰も希望も愛も悉く存するのである、誠に我等基督信者は神惟り在て人は無きが如くに思ふて此世を渡るべき者である、世の批評の如きは何んでもない、其名誉の如は糞土である、隠れたるに視たまふ神にさへ好しとせらるれば此世の人には如何に思はれても可いのである、小説家ジユリヤン・ホーソンの曰ひしが如く、
(61)  人が実に神を信ずるに至らば、彼は新聞紙、雑誌、評論等、人が人に就て語る所の此世の文学を読まんとするの欲をも資質をも失ふに至るであらう
とは実に其通りである、神に較べて見て人は影である、露である、草である、ナポレオンと称する偉人でも、英国と称する大国でも、聖公会と称する大教会でも、空の空、虚の虚、鴻毛よりも軽き、草の花よりも脆き、何の価値《ねうち》も無い者である。
 神が爾うである、来世も亦爾うである、我等は単に一時此地に幕を張て居るに過ぎない、我等の永久の第宅《すまひ》は
  神の賜ふ所の屋《いへ》天にあり、手にて造らざる窮りなく保つ所の屋
である(哥林多後書五章一節)、我等は此世に在て旅人たるに過ぎない、而して
  我等の最も希ふ所は身を離れて主と偕に居らんこと
である(同八節)、我等は死は万事の終局であるとは信じない、我等は死はより良き世界に入るの門であると信ずる、我等は来年の必ず在るを信ずるが如くに来世の必ず在るを信ずる、我等は現世は存在のたゞの一部分であると信ずる、我等は神の恩恵を狭き此地と短かき此生涯とに限らない、我等は神は我等に更に広き、更に美はしき世を賜ふと信ずる、而して此確信なくして、我等は他に何を信ずるとも基督信者では無いのである。
 而して此信仰あるが故に現世は比較的に価値なき者となるのである、其金も銀も宝石も王冠も位階も勲章も瓦礫と多く異なる所なき者となるのである、此信仰あるが故に、我等は成功を急がなくなるのである、永遠を期して事を為すのであるが故に善を為して倦まなくなるのである、
  是政に我等身に居りても身を灘れても破の心に適はんことを勉む、そは我等必ず皆なキリストの台前に出て(62)善にもあれ悪にもあれ各自身に居りて為しゝ所のことに循ひ其報を受くべければ也(哥林多後書五章九、十節)。
 我等が悪を恐るゝのは是れがためである、善を悦ぶのも亦是れがためである、之に其報(結果)がなくしては止まないからである、旅行《たび》の耻はかき棄てと云ふ事があるが、世路の耻はかき棄てにはならない、其結末に於て必ず報いらる、正邪は単に抽象的にのみ正邪ではない、事実的に亦正邪である、  善樹は善果を結び、悪樹は悪果を結ぶ
とは比喩ではない、事実である、キリストは
  凡て躓礙《つまづき》となる者、又悪を為す人は炉の火に投げ入れられん、而して義しき人は其父の国に於て日の如く輝かん
と言ひ給ひて事実を誇大して人を威嚇《おどか》し給ふたのではない(馬太伝十三章四十一、四十二節)、其中には言語以上の大なる事実が籠つて居るのである。
       *     *     *     *
 神と永生、此二大信念なくして偉大なることとてはない、大なる悲歎もなければ大なる歓喜もない、大なる煩悶もなければ大なる平和もない 大なる悲鳴も揚らなければ、大なる讃美も起らない、神と永生とに関する深き確実なる信念なくして大なる文学も起らなければ大なる改革も行はれない、此二大信仰なくして人世は平々坦々、実に味のない者である、アウガスチンの神学と云ひ、ダンテの神曲と云ひ、ルーテルの宗教革命と云ひ、コロムウエルの自由政治と云ひ、皆な此二大信仰ありて始めて起つた者である、偉人とは他の者ではない、人を恐れず(63)して神を畏るゝ者である、希望を現世に繋がずして来世に繋ぐ者である、単に世界的たるは真の偉人ではない、神人的、永久的たるに至て人は始めて真の偉人となるのである。
 故に人たる者の究むべき最大問題は、昔も今も変ることはない、此二大問題である、此二大問題が定まらずして、他の問題は定つても猶ほ未だ定らないのである、生活問題が定つても、社会問題が定つても、教会問題が定つても、神と永生とが暗黒であつて、或ひは不明であつて、人生は又暗黒又不明であるのである、否な、此二大問題が定まらずして他の問題は永久に定らないのである、神に至上権を帰し奉るまでは世に永久の平和は臨まないのである、随て戦争は止まず貧困は除かれず、世は完全なる憲法と善美なる制度とを以てして相も変らず飢餓争闘の街《ちまた》として存るのである、死後の裁判を確かめずして人は罪の罪たるを聞くも永久に悔改めないのである、随て隠密の罪は除かれずして、風儀は改まるも、社会は改良さるゝも人は元と変らざる憎むべき偽善の子供として存るのである、神と永生とは宗教の二大前提にして又人生の二大要義である、是れがあつて道徳も確立し、社会も成立するのである、然し是れが無くして、或ひは軽くせられて、宗教と道徳とは其根底に於て壊れ、社会は其根本に於て乱れるのである、余輩が今の教会の基督教に慊らず、又今の国家と社会とに信を置かざる所以は之に此の二つの確信と基礎とが無いからである。
 
(64)     友誼の譎計
         天長節の話
                     明治42年12月10日
                     『聖書之研究』115号「雑録」
                     署名 内村生
 
  此は題から云へば十一月号に掲ぐべき者である、然し友誼のことを記した者であるが故に殊更らにクリスマス号に載することにした、諸君之を諒せられよ。
 去る明治三十七年、故ハリス夫人が最後に日本に来られし時の事であつた、余は彼女より到着の報知に接して直に彼女を青山学院内の彼女の家に訪ふた、久振りの面会に相互の健在を祝した後に、話頭は直に日露戦争の事に転じた、日本贔屓の彼女の事であれば、勿論熱心に此戦争の義たり可たる所以を弁ぜられた、然るに其時は既にトルストイ主義に化せられてありし余は如何なる場合に於ても戦争の不可なる所以を述べた、茲に於て議論に花が咲き、相方負けず劣らず、其真理と信ずる所を執て動かなかつた、余の旧時の愛国心を知りし彼女は余の此態度を見て甚く驚いた、
  内村さん、貴君《あなた》は大層変りました
と彼女は曰ふた、
  然うです、実に変りました
(65)と余は答へた、
  然し貴君は日清戦争の時には自からペンを取て日本の義を世界に訴へられたではありません乎
と彼女は斫込《きりこ》んだ、
  然うです、然し私は今は其事を悔ひます、私は今は悔改めました、今は既にかの論文は取消しました
と余は言ひ切つた、茲に於て久振りの面会は不興の中に終らんとした、依て余は語を継けて曰ふた
  ハリスさん、私は戦争論に就ては貴女に譲ることは出来ません、然し若し貴女の此国に於ける伝道か慈善事業に於て何にか私が貴女を授け得る事がありますなちば其時は私を呼び出して下さい、私は悦んで貴女の命令に従ひます
と、斯くて其日は彼女と別れた、然し余は心の中に甚だ悲しく思ふた、余は余の旧き此友人と説を異にするに至つたことを思ひ、心を重くして家に還つた。 其後余は彼女を訪はなかつた、勝気なる彼女は必ず又余と戦争論を様はすであらうと思ふたから、余は自から之を避けんとした、すると其年の天長節の前であつた、彼女より手紙が到来した、其文面は大略左の如き者であつた、
  内村さん、今度の天長節に於て私は近所の貧乏人を呼んで天長節の御馳走を致さうと欲ひます、爾うして其後で貴君に彼等に向つて一場の演説をして戴きたいのです、どうぞ来て私を助けて下さい、云々
と、余は此手紙を見て直に思ふた、余は如何にしても此依頼を斥くることは出来ない、余は往て余の旧友の慈善事業を授けんと、依て余は承諾を与へ、天長節当日に時間通りに彼女を訪ふた、彼女は殊の外喜び、客間に於て(66)久しく余を待《もてな》して呉れた、然るに何時まで待つても貧乏人らしき者は見えないのである、余は幾回となく演説を彼女に催促した、然れども彼女は笑つて答へないのである、余は殆んど待ちくたびれて少しく不愉快の色を顕はせし頃、彼女は余を招いてコツク部屋に伴れ行いた、依て彼女に尾いて行いて見れば、此は如何に、貧乏人と云ふは全く虚偽で、近所の長屋に住む人達と覚しき男女六七名が居つて赤飯に煮〆で御馳走に成つて居つた、而してハリス夫人は余を彼等の前に連れ行き
  サア此人等に何にか話して下さい
と云ふた、余は心に思ふた、人を馬鹿にするにも程がある、貧乏人の一団に向て演説を為ろと云ふから出て来たのである、然るに是れは貧乏人ではない、チヨン曲の爺さんに其家族六七人、是等の人に話を為るのであるならば余を呼出すにも及ぶまいにと、余は心の中に呟いた、然し今となりては致方がない、その儘帰る訳に行かない、故に余は止むを得ず、是等の人に向ひ、何にか詰らない無意味のことを述べた、するとハリス夫人は大機嫌でそれで宜しう厶います、有難う厶います、さあ此所へと曰ひて再び余を客間に連れて行いた、然るに余は不審に堪へず、彼女に問ふて曰ふた
  何んです、ハリスさん、貴女は今日私に貧乏人に演説を為ろと云ふて私を召んで置きながら貧乏人は居らないではありませんか乎
と、然うすると彼女は大声に笑ふて曰ふた、
  内村さん貴君は騙されました、私は今日貴君を天長節の御馳走に召んだのであります
と、それから食堂の戸が開かれ、茲に彼女と夫君の監督と余と三人で天長節の夕飯を共にしたのである、食終り(67)て後に祈祷を共にし、歓喜を尽して余は家に還つた。
 嗚呼、深き愛よ、誠実の友誼よ、彼女は能く余の弱点を知つて居つた、彼女は余は彼女と説を異にするが故に他の事を以て余を彼女の家に招くとも余の之に応じない事を知つた、故に此日、此小なる計略を設けて余を呼出したのである、真実であるか偽善であるか余自身の事は余の自から知らざる所であるが、然し貧乏人のためとあらば、如何なる偏執を棄ても余は招きに応ずるならんと彼女は知つて居つた故に、余の此弱点を捕へて、彼女は其日余を天長節の夕飯に招いて呉れたのである、余は後にて此事を想出し、胸が一ばいになる程有難く感じた、余は思ふた「是れが真正の友人である」と、欺騙《いつはり》も斯くの如くに用ゐられて最大の誠実となるのである、
  内村さん貴君は騙されました、
と、此声を発せし彼女は今や青山の墓地に永久の沈黙を守つて居る、而して今やまた天長節に会して余は此友の既に此世に亡きを悲む、人は多し、然れども我を識る友は尠し、然し、一人なりとも斯かる友を与へられしことを余は深く神に感謝する。
 
(68)     朝鮮国と日本国
         東洋平和の夢
                     明治42年12月10日
                     『聖書之研究』115号「雑録」
                     署名 柏木生
 
〇近頃、余輩の旧友にして朝鮮国京城在留の米国宣教師某君より余輩の許に書翰を贈り、其中に左の一節があつた
  我等当国在留外国宣教師全体の輿論に従へば朝鮮国は多分日本国に先きだちて基督教国たるべしとのことである
と、余輩は此事を聞きて一たびは甚だ喜び、又一たびは甚だ悲み、終には心を平かにして余輩の神に感謝した。
〇余輩は朝鮮国のために此事あるを喜んだ、彼国は今や実際的に国土を失ひ、政府を失ひ、独立を失ひ、最も憐むべき状態に於てある、而して恩恵ある神が地上に於ける彼等朝鮮人の此損失に対し霊の財《たから》を以て彼等に報い給ふとは然もあるべきことである、日本人の神は又朝鮮人の神である、彼は我に厚くして彼に薄き筈はない、神は必ず何物かを以て朝鮮人の地上の損失を償ひ給ふに相違ない、而して彼等が地に於いて詛はれしが故に、天に於て恵まるべしとは最も当然のことである、余輩は朝鮮国が斯く恩恵の父に恵まれんことを切に祈らざるを得ない。
〇次ぎに余輩は日本国のために此事あるを悲んだ、日本国は過去十数年間に於て地上に於て多くの物を獲た、台(69)湾を獲た、樺太を獲た、満州を獲た、亦実際的に朝鮮をも獲た、然し、物に於て獲し日本国は霊に於て多くを失なつた、其士気は日々に衰へつゝある、其道徳は日々に堕ちつゝある、其社会は日々に壊れつゝある、其新聞記者さへ今や公然と絶望の声を放つに至つた、彼等は日本国今日の社会的道徳的欠陥を痛論して
  国民としての存在に対し未だ曾て斯の如き死敵あらざるなり
と曰ひ、又
  社会は根本より覆没せられざるを得ざる径路に至る
と歎じ、又
  吾人は現時の教育が之を救ふに何等の力なきものなるを感じつゝあるなりと自白し、終りに
  時弊を拯ふの道、願くは之を洽ねく天下有道の士に請ひ求む
と曰ひて策の出づべきなきを示して居る(十一月二十四日『報知新聞』論説欄を見よ)、実《まこと》に霊に於ての日本国の損失は物に於ての朝鮮国の損失丈けそれ丈け大である、憐れむべきは朝鮮国に限らない、今日の日本国も亦甚だ憐むべき国である、余輩は此事を思ふて耐えられぬ程の苦痛を心に感ずる。〇茲に於て余輩は思ふた、神は反て朝鮮国を拯ふて日本国を棄て給ふのではあるまい乎と、
  心の驕れる者を散し、権威ある者を位より下し、卑賤き者を挙げ、飢ゑたる者を美食に飽かせ給ふ
との処女マリヤの讃美の詞は日本国と朝鮮国との今後の運命に於て事実となりて現はるゝのではあるまい乎と、余輩は朝鮮国が日本国に先んじてキリストを納《う》くるに至らんと聞いて、心に耐え難き憂慮を感ずるのである、余(70)輩は此事を思ふて精神的に暗黒なる日本を去て伝道的に希望漫々たる朝鮮に行いて、自からも外国宣教師の一人となりて、其教化を扶けんかとも思ふた。
〇乍然、余輩は退いて再たぴ考へた、朝鮮国は強ち羨むに足りない、又日本国とて強ち見限るに及ばないと、朝鮮国は或は日本国に先んじて基督教国と成るのであらう、然ども日本国とても亦終にキリストを受くるに至るに相違ない、而して時間に於ては朝鮮国に先きだゝるゝも、方法に於ては矢張り日本国が優さるであらうと思ふ、朝鮮国は或ひは日本国に先だちて外国宣教師に依て基督教国と成るであらう、然しながら日本国は其自国の民に由て自から基督教国と成るであらう、我等日本人は或ひは先達の名誉は之を朝鮮人に譲らざるを得ない乎も知れない 然れども自助自動の栄誉は之を己れに収むるであらう、我等は朝鮮人に後れてキリストの弟子と成るならんも、彼等よりもより好き方法に由て其栄光に入るであらふ、朝鮮国は或ひは欧米宣教師の最大の獲物として神に献げられるであらう、乍然、日本国は自から己を神に献げるであらう、我等は少くとも此名誉を我等の肩に負はなければならない、我等は東洋に於てのみならず全世界に於て、「人よりに非ず又人に由らず、イエスキリストと彼を死より甦らしゝ父なる神に由りて立てられたる」唯一の新基督教国として立たせらるゝのであると思ふ。
〇斯く思ふて余輩は矢張り余輩の愛する此日本国に踏止まるに決心した、余輩は伝道地としてはより難き此日本国を余輩の終生の戦場として択ぶに定めた、余輩は朝鮮国に後るゝも此日本国を聖き瑾なき国として聖き天の神に献ぐるに決心した、而して斯く決心して大なる平和は余輩の心に臨んだ。
〇乍然、余輩の此希望の事実となるは遠き未来の事であらう、余輩は日本国がキリストを受くるに至るまでに猶ほ未だ多くの難関と嶮岨とを経ざるを得ざることを認めざるを得ない、此国民的虚栄心、此腕力に頼むの心、此(71)政略を貴ぶの習ひ、惟り政治家と軍人とのみならず、其宗教家と称する者までが、此世に大なるを以て真に大なることであると思ふ間は柔和にして謙遜なるイエスキリストは此国に臨み給はない、然し、神は人よりも大である、神は人の如何に関はらず、其択み給ひし人を起し、其定め給ひし途に従ひ、必ず此国をも救ひ給ふ、而して朝鮮国も救はれ、日本国も亦救はれて、両国救拯の神に由りて相和し、平和は富士山の頂きより長白山のそれにまで渉り、彼も歓び我も喜びて、共に声を合せて讃美の歌を唱ふるであらふ。
 
(72)     年を終るの記
                     明治42年12月10日
                     『聖書之研究』115号「雑録」
                     署名 主筆
 
〇一日は短かき一生であり、一年は稍々長き一生である、而して人の一生は此短かき一生と稍々長き一生とを重ねたる者たるに過ぎない、故に年を終るの感は一生を終るの感であるに相違ない、一年を悲しく終る者は一生を悲しく終り、一年を喜ばしく終る者は一生を喜ばしく終るのであらう、死と云ふて別に他のことではない、一ツの時期より他の時期に移ることである、越年は死の一種である、旧き時期を去つて新らしき時期に入ることである。
〇今や復たび両時期の間に立て余は過去を悔ひず、未来を恐れざるを感謝する、斯く日ひて余は清浄潔白、心に何の恥づる所のない者であると曰ふのではない、余は他人が余の欠点を知るよりも遥かに多く自己の過失を知つて居ると思ふ、然れども其れあるに関はらず、余は希望と歓喜とを以て年を終り得るを感謝するのである。
〇先づ普通の事より言へば余は今年も亦人に愛の外、何物をも負ふことなくして年を終り得るを感謝する、世に恐るべき者にして借金の如きはない、彼は実に債鬼と称せられて悪魔の子である、彼に縛ばらるゝは悪魔に擒にせらるゝのである、我等財を積む能はずと雖も、債鬼の束縛丈けは之を免かるべきである、カーライル曰く、「金銭は俗人の束縛より自由ならんために必要なり」と、金銭は俗人に縛られざる丈け有れば足りるのである、(73)而して神に依て働いてそれ丈けのものは必ず与へられるであらうと思ふ、自由の神は必ず其子供を債鬼の手に附し給はないと信ずる、而して余も亦余り割の良からざる事業に従事すること茲に十年、しかも幸にして未だ曾て一回も此悪魔の手に附された事はない 而して今年も亦此自由を与へられて年を終り得るを感謝する。
〇「為すべき事を為さず、為すべからざる事を為せり」とは我等の日毎の懺悔である、余も余の今年の事業に多くの欠陥のありしことを白状する、乍然、弱き人間の事業として余に与へられし事業の悔ひなきの事業であることを認めざるを得ない、若し財を積むための事業なりしならん乎、或ひは勢力を扶植し名を揚ぐるための事業ならん乎、縦令成功に終ると雖も之を満足なる事業と称することは出来ない、余は余の目的を達して反て心に大なる空虚を感ずるであらふ 乍然、神の福音を宣べ伝ふる業に従事して失敗は悲痛の種とはならない、縦し余の全力を注いで、其結果たる一人の貧しき者に天の慰藉を供するを得しに止まるとするも、然れども其れ丈けにて余の労力はすべて充分に償はれるのである、世に若し損失の伴はない業があるとすれば其業は福音宣伝の業である、是れ程安全にして是れ程割の良い事業は実は他に無いのである、而して今年も亦此福ひなる業に従事して余は歓喜と満足と満腔の感謝とを以て年を終り得るのである。
〇然し最大の感謝は自由と事業とに於てあらない、事業は我等に取りては道楽の一種に過ぎない、我等は縦し全世界の人を救ひ得るとするも、其功に依て天国を譲り受くることは出来ない、我等に事業以外、何物か我等を満足さする者がある、之を称して神の恩恵と云ふ、我等は事業を為したことに就て感謝しない、之を為さしめられし事に就て感謝する、事業は喜ぶべく又楽しむべくあるが、神の恩恵は更らに更らに感謝すべくある、
  我が恩恵汝に足れり
(74)と主は曰ひ給ふた、而して恩恵丈けにて余の心は足りるのである、余の父は天に在り給ふと、彼は余が彼を愛するよりもより深く余を愛し給ふと、余の要する物は余が之を求むる前に彼は既に余のために之を備え置き給ふと、斯かる事を教へられ又信ぜしめられし余は他に何の恩恵が加はらずとも、それ丈けにて喜び且つ感謝するのである、而して此歓喜は年の終りに於てばかりではない、一生の終りに於ても余を離れざる歓喜であると思ふ、余は之を楯に取て聖き神の前に立て憚らないのである、余は如何なる善を為したる乎、又如何なる不善を為したる乎、是れ余の関せざる所である、余は只「誰」を信じたる乎を知つて居る、余は赦免と恩恵と愛との神を信じたのである、而して其信仰が如何なる場合に臨んでも余に平和と歓喜とを与ふるのである。
〇余に又他に大なる歓喜の理由がある、それは来世の存在が愈々明かに成つて来たことである、余は人の不滅は今や証明されたる事実であると思ふ、若し進化論が学術的に証明されたる真理であるとならば、来世存在説は進化論よりも遥かに固く証明されたる真理であると思ふ、人は死んで消ゆるのではない、又死んで幾万年となく最後の※[竹/孤]の鳴るまで墓の中に眠て居るのではない、彼れは死んで直に他の存在の状態に入るのである、恰かも胎児が母の胎内を去て自由の空気を吸ふやうに、人は肉体を去て霊の自由に入るのである、死は過渡に過ぎない、人は死して其儘新らしき境遇の中に其存在を継くるのである、故に我等は死を恐るべきでないのみならず、又死別を悲むべきでない、余は今年も二三の貴き友人を失つたが、余は彼等と離れたりとは思はない、否な、余は彼等は死して反て余により近き者となりたりと信ずる、彼等は今は余の霊に宿り、神の聖霊即ちイエスキリストが余に宿り給ふやうに余の友人も亦其の霊を以て余に宿ると信ずる、余は神の殿《みや》であつて又余の逝きにし友人の第宅《すまひ》である、彼等は彼等の力相応に余を霊導《インスパヤ》する、彼等は余の衷に在りて余を以て今尚ほ此世に働らきつゝある、又(75)余と雖も同じである、余は死して此世を去らない、余は在天の父の懐に帰りて同時に又此世に残る余の友人の衷に在りて働らく、余の生命は永くある、天に在りて永くある、地に在りて永くある、此事を思ふて余は歓喜に堪えない。
〇実に詩人テニソンの言の如く
   旧きを鳴らし去れよ
   新らしきを鳴らし迎へよ
である、我等は前へ前へと恐れなく進むべきである、世に「臍《へそ》を噛む」と云ふことがあるが、然し之にまさりて愚かなることはないと思ふ、臍は噛むに及ばない、見るにも及ばない、天を仰ぎ直立して立つべきである、過去は過去をして葬らしめ、常に未来に在て生くべきである、人は社会の一分子ではない、神の子である、故に父の庭園に遊ぶが如くに自由に働らくべき者である、年が去ても去らざるが如く、友が逝ても逝かざるが如く、万一世界が失せても失せざるが如く、
  我生くれば汝等も亦生く
とのキリストの言葉を深く信じ、生あるを知て死あるを知らず、永遠あるを知て時あるを知らず、無辺あるを知て所あるを知らず、不死不滅、永久の実在者なる神の子として、無限的拡張を期して喜びつゝ望みつゝ生活すべきである。
 
 一九一〇年(明治四三年)一月−一〇月 五〇歳
 
(79)     〔『六合雑誌』〕回顧三十年
                          明治43年1月1日
                          『六合雑誌』349号
                          署名 内村鑑三
 
 六合雑誌が三十年期に達したと云ふことは、非常に祝すべきことゝ思ふ。此雑誌は日本に於ける基督教の雑誌としては、一番古いものであつて、それが今日まで続いたと云ふことは、単に今之を所持して居るユニテリアン協会の、名誉とする所であるばかりでなく、基督教全鉢、又或点から云へば、日本宗教界の名誉と云ふても宜からうと思ふ。其後これに類したる雑誌が、沢山に出ましたけれども、併し其多くは消へてしまつて、今六合雑誌が其中の最旧のものとして残つて居る。
 私の如きも、今基督教の雑誌を出して居る者でありますけれども、私の「聖書の研究」の如きは、六合雑誌と較べて見れば、極くの末の弟であるのである。六合雑誌の年齢に達するのには、まだ二十年も経たなければならぬ。
 今六合雑誌の三十年に達したと云ふことを聞きまして想起しますことは、其の初て発行になつた当時である、幸に私は此雑誌の第一号の発行になります時に、其相談に与つた者の一人である。時日は忘れましたけれども、或夏の日でありまして、私が恰度札幌から東京に帰省して居る時であつた。其時私は平岩愃保君を、小石川大塚町の住居に訪問して居た、所が恰も其時が、六合雑誌発行の相談会が、同氏の家に開かれる時であつて、私も図(80)らず其席に列つたのである。今考へますと、其時に列席された方は、植村正久君と小崎弘道君、其他にもう一人あつたと思ひますが、それは忘れました、それに私と平岩君と、たしか五人で会合したのであつた。当時まだ斯る雑誌の経験を有した者は、一人も無いのでありますからして、種々の相談がありましたけれども、併し実際上如何にして、斯る雑誌を発行し、且又継続して行つて宜いか、具躰的の考を持つた者は誰も無かつた。唯だ其時に会合した者一同の心に起つたことは、此雑誌をして、世界各国に於て発行されつゝある基督教の雑誌に一歩も譲らない物にしやうと云ふ考であつた、実に当時吾々の意気の盛んであつたことは、今でも忘れることは出来ない。恰度其時分は、私共札幌農学校の生徒にして基督教を信じた者は、学術的の方面より、基督教を弁証しやうと云ふ望を持つて居たものでありますから、私并に私の学友は、其方面から大いに基督教思想の進歩に、貢献しやうと思ふて居た、またさう云ふ依頼を受けた。扨其日の会合はそれで済んでしまひまして、あとで此雑誌が発行になつて見た所が、今から考へますと至つて粗末なる雑誌であつた。私の記臆して居ります所では、此事に最も尽力された人は小崎弘道君であつた、同君は全力を是に注がれ、又仄かに承る所に拠りますれば、先祖伝来の僅の資産までを、全くこれに投ぜらたと云ふことである。小崎君の事業に付ては、何人の事業にもありますやうに、種々の失策もありましたらうし、又欠点もありましたらうけれども。併し小崎君が此日本に於ける基督教文学の濫觴の時に際して、其全身を捧げたと云ふことは、此一事は六合雑誌三十年期に際して、特に同君の為めに吾々が記念しなければならぬと思ふ。説の如何又各自の執る事業の方針如何に拘らず、私は此際特に小崎弘道君に向つて、深き尊敬の意を表さなければならないのである。
 扨、雑誌が出て見ますれば、誠に其形こそ微々たるものでありまして、又其中に現はれたる考も、甚だ粗雑の(81)ものではありますけれども、併ながら今其当時のことを回顧しますれば、其意気に至ては、迚も今日の青年輩の及ぶ所ではなかつたらうと思ふのである。吾々は大胆に其当時の最も進歩せる思想によつて、基督教を弁護せんとしたのである、小崎君、植村君、高橋五郎君、其他の人々は、其当時の最も高い哲学思想によつて、基督教の真理を弁護せんとせられたのである。故に其発兌部数の如きは、僅か一千内外でありましたけれども、併し六合雑誌の勢力たるや、実に今日幾万部を発行する雑誌も及ばない所の勢力を持つて居た、即ち宗教界の一大オーソリチーであつたのである、所謂重鎮であつた。
 私は六合雑誌が発行になるや否や、直きに洋行しまして、之れとの関係は極く薄いものとなつた、又帰朝した後と雖も、別に是に深く関係したことはない。併し横井時雄君がまた之を手にせられて、尚ほ旧時の精神を継続されて居つたのである。
 所が初の中は主《おも》にオルソドツクス主義の人が之を維持して行かれたのであるけれども、種々の変遷によつて、遂にユニテリアン主義の人に之れが渡つてしまつた。其当時は吾々ヲルソドツクス主義に傾いて居る者は、六合雑誌を失つたことを非常に悲んで、どうかして之を再び元の同主義者の手に得たいものである、と云ふやうな考を起さないでもなかつたのである。何やら或時は六合雑誌が敵の手にでも渡つたやうな感を起したことがある、併し今日に至つて考へて見れば、これはやはり神の摂理によつて成つたことでありまして、六合雑誌の為にも、亦日本の思想界の為にも、此雑誌がユニテリアン協会の手に渡つたと云ふことは、大いに喜ぶべき事であると思ふ。若し是がユニテリアン協会の手に渡らなかつたならば、多分今日は廃刊になつて居るのであつて、此三十年期を祝することは、多分出来なかつたらうと思ふのである、オルソドツクス主義に於て多くの美点はないではな(82)いけれども、其先輩内には多くの異論異説が行はれて、主義こそ立派であるが、実際上協同一致して、平和的に事業を継続することが出来ないのである。現に六合雑誌と同時に発行になりました、基督教新聞と云ふものは、遂に組合教会の機関新聞となつてしまつて、今は東京を去つて大阪に移つて、基督教世界と云ふ碓誌になつて発行して居る。是に対して植村君の福音新報が出て、又六合雑誌が未だユニテリアンの手に渡らない時にも、植村君は明治評論と云ふ雑誌を出されて、其宗教意見を発表されたのである。究《つま》り六合雑誌がユニテリアン協会の手に渡つたと云ふのも、其理由とする所は、全くオルソドツクス主義者の中にある平和の欠乏に出でたのであつて、斯る情態の下にありたる六合雑誌が、ユニテリアン協会の手に渡つたと云ふことは、最も当然の事であると思ふ。
 何れにせよ、此雑誌が今日まで維持されたと云ふことは、祝すべきことであつて、今後と雖も益々此雑誌の勢力が、日本国に於て増大せんことを祈るのである。而して初め六合雑誌が出た時には、前に述べた通り、是が日本に於ける哲学的並に宗教的のオーソリチーでありし如く、今後と雖も益々此オーソリチーの増して来ることを希望せざるを得ない。
 又、思想の傾向から云ふて見ましても、今のオルソドツクスは昔時のオルソドツクスでないのみならず、また今のユニテリアンは昔時のユニテリアンでないのである。以前はユニテリアンとオルソドツクスと云ふと、誠に真理の両極端に立つたものゝやうに考へて居た、而してオルソドツクスはユニテリアンを容るゝ能はず、ユニテリアンはオルソドツクスを容るゝ能はずと考へて居た、併し思想の進歩の結果として、両方が段々と接近して来た。究る所、オルソドツクスとユニテリアンとの相違する所は、目的が違ふのでなくして、唯だ研究の方法が違ふのであると云ふに帰して来た、故に深くオルソドツクス主義を信ずる者と、深くユニテリアン主義を執る者と(83)は、如何にしても亦握手しないではならぬ場合に達したと思ふのである。故に六合雑誌が今ユニテリアン協会手に存して居ると雖も、どうぞ之を単に同協会の機関としてのみ残して置かず、総ての進歩せる思想を発表する其器械として使用されんことを望むのである。吾々耶※[魚+禾]基督を人類の、道徳並に宗教の、最上並に最大の模範として仰ぐ者に取ては、其研究の方法は如何であれ、それは少しも意に介するに足らない。どうぞ此六合雑誌をして、斯る人士が相寄つて以て、其思想を社会に発表するアリーナとしたい、それが私の希望である。聊か六合雑誌発行当時のことを回顧致しまして、祝辞を述べると同時に希望を陳べる次第である。
 
(84)     近代に於ける科学的思想の変遷
         喜的宇宙観に傾く
                        明治43年1月10日
                         『聖書之研究』116号
                        署名 内村鑑三
 
 今より凡そ三十年前、余輩が始めて科学を教へられし頃には、科学と云へば宗教に反対の者と定つて居つた、其頃の科学の泰斗と云へば、ダーウヰン、スペンサー、ハツクスレーの三人であつて、科学者として彼等に反対するは、宗教家としてアウガスチン、ルーテル等に反対するが如くに思はれて居つた、故に若し科学者として宗教を信ぜんとすれば、科学に対しては密かに之を信ずるより他に途はなかつた、神の存在は科学的に証明することは出来ない、故に科学者の眼には神は無い者であると、来世の存在は科学的に証明することは出来ない、故に来世を望むは科学者としては為す能はざる所であると、斯くて科学と宗教とは全く関係の無い者のやうに思はれ、同一の人にして同時に二者を信ずるは、二人の主に事ふるが如くに思はれ、善き科学者にもあらざれば、亦忠実なる宗教家にもあらざるが如くに思はれた。
 其頃と雖も勿論大なる科学者にして熱心に宗教を信ずる者の無いでは無かつた、其中に生理学者として有名なるサー・ハムフレー・デビーがあつた、又彼の弟子にして彼よりも有名なる化学者フハラデーがあつた、当時の心理学者として有名なるカーペンターがあつた、動物学者としてはルイ・アガシがあつた、植物学者としてはア(85)サ・グレーがあった、又宇宙科学者としてはジヨン・フイスクがあった、彼等は孰れも第一流の科学者であつて、同時に熱心なる基督信者であつた、而して彼等が科学、宗教分離の時代に在つて、大胆に二者の調和を計りし其功労は後世の忘るべからざる者である、然れども科学界に於ける彼等の勢力は強大なる者ではなかつた、彼等の声は少数者の声に過ぎなかつた、科学の大勢は宗教に反対にあらざれば無頓着であつた、仏国の天文学者ラランドは曰ふた、
  余は終生、望遠鏡を以て天を探りしと雖も未だ曾て其処に神を見しことなし
と、又独逸国の生理学者モーレショートは曰ふた、
  思想何物ぞ、脳の分泌する燐素にあらずや
と、而して人は斯かる言を聞いて怪しまなかつた、彼等は科学的に証明せられざる事とては識者の信ずべからざる事であると思ふた。
 然れども斯かる科学偏重の時代は既に過去つた、今や科学は復たび宗教と握手して、共に人類の進歩を助くるに至つた、人類は二者の力を慰りずして円満に生長することは出来ない、過去五十年問、科学の旺盛に酔ひし人類は今や復たび宗教の端厳に帰りつゝある、今や科学者として宗教を談ずるも矛盾の業として目せられざるに至つた、今や第一流の科学者が科学の方面より宗教の原理を攻究するに至つた、サー・オリバー・ロツジ氏は理学の方面より、サー・ウイリヤム・クルツクス氏は化学の方面より、オスラー氏とジエームス氏とは生理の方面より、又ワレス氏、ヴハイズマン氏等は進化論の立場より、宗教を攻究し、或ひは其原理を弁明するに至つた。
 
(86)     (一) 神に関する思想
 
 神は超然として宇宙の外に立ち、帝王が国家を治むるが如くに、其気儘なる意志を以て宇宙を統治し給ふとの思想は近世科学に由て全然破壊されて了つた、ラランドが其望遠鏡を以て天体の中に探ぐる能はざりし神は斯かる宇宙の圧制者《デスポツト》である、其口の気息《いき》を以て僅々六日の間に全宇宙を造りしと云ふ魔法家の如き神の存在は近世科学の全然否定する所となつた、神、若し天の高きに在すとならば科学は未だ其宝座の所在を発見しない、神、若し其聖旨を以て万事を為し給ふとならば、科学は未だ天然以外、他に特種の勢力の有るを認めない、若し神は宇宙を離れて在る者であるならば、人は彼を識るの手段を有たない、神を遠く宇宙の外に探らんとせしが故に、科学は神は無しと云ひ、又は彼を識らずと云ふたのである。
 乍然科学は神を宇宙の外に発見する能はざりしと雖も、其内に彼を認めざるを得ない、此無限的に大なる宇宙、此無限的に精細なる宇宙、星と塵とは相関聯し、人と艸とは相繋がる、宇宙は一体である、身体が一体であるが如くに一体である、四肢相関聯し、同一の活液は全体を循環する、而して之を統一するに霊魂がある、宇宙が若し有機体《オルガニズム》でないならば止む、然れども有機体である以上は(而して科学は有機体であると云ふ)之を統一するに其霊魂がなくてはならない、神は宇宙の霊魂である、恰かも人の霊魂が其身体を支配し、之に透徹するが如く、神は宇宙を支配し、之に透徹する、神は宇宙の外には見当らないが、宇宙の内には充在する、而して旧き科学は彼を見る能はざる所に探りて彼を看出し得なかつた、然るに新らしき科学は宇宙の完全なる有機体なるを見認めて、神の存在を否定し能はざるに至つた。
(87) 旧き神学は云ふた、神の存在の証拠は彼の行《な》し給ひし奇蹟にありと、然るに新らしき科学は法則の遍行を認めて奇蹟の絶無を唱へる、斯くして奇蹟を行ふ者としての神の存在は否定されて、それと同時に法則を以て宇宙を支配する者としての神は紹介された、即ち政治学の言辞を以て言へば、専制的の神は失せて、法治的の神は紹介されたのである、即ちより低き神は失せて、より高き神は紹介されたのである、前者の消え失せし時に高ぶれる科学は言ふた、宇宙は今や神の痕迹をだも留めずと、後者の顕はれ給ひし時に謙遜りたる科学は言ふた、宇宙は其片隅に至るまで神を以て充溢すと、新科学は神を遠くより駆逐して、近くに於て彼を発見した、奇蹟の行はるゝ所に神は無い、そは神は淆乱の神でないからである(哥林多前書十四章三十三節)、神は道理《ことば》である(約翰伝一章一節)、故に創始《はじめ》より法則を以て働らく者である、而して科学者は宇宙到る所に法則の行はるゝを見て、宇宙到る所に神を発見した。(奇蹟の事に就ては更めて後に語る)。
 宇宙の元始的本原、其因て成る本体、其各部が由て以て相関聯する所の者、宇宙の精神にして其霊魂、是れが近世科学の認むる神である、斯かる神の存在を否定して宇宙を説明することは出来ない、科学其物の存在が斯かる神の実在を要求する、之を神と称すると否なとは各自の択ぶ所に任する、然れども宇宙に之を統一するの精神なくして、宇宙は宇宙(整体)でなくして淆乱《ケオス》である、新科学は宇宙を一全体として見るに至つて、独一の神を認めざるを得ざるに至つた。
 
     (二) 宇宙に関する思想
 
 宇宙天然を機械と見做して旧科学は神の存在の必要を認めざるに至つた、そは完全なる機械は或ひは他の力を(88)藉りずして永く其運動を継け得ないとも限らないからである、然るに科学は今や宇宙を機械として見ずして有機体として見るに至つた、而して有機体は細胞としても亦は身体としても時と共に生長する者である、宇宙は死物ではない、生物である、而して活ける神は其霊魂である、近世科学は宇宙を有機体と見て其中に透徹する神の遍在を疑ふ能はざるに至つた。
 
     (三) 力に関する思想
 
 宇宙を機械と見し旧科学は力(エネルギー)は有限の者であると思ふた、其唱へし所に依れば、力は変移するも増加することなし、大字宙たる天然に在ても、亦小字宙たる人に在ても其有する力に限りあり、宇宙は其大小を問はず、完全なる自動機たるに過ぎずと、然れども新科学は力の無尽を唱道する、太陽は幾億年の間虚空に向て其光と熱とを放ちしと雖も今日尚ほ之を放て止まず、人は少量の食を取りて能く万世を化するの業を為す、宇宙は歳と共に衰退の兆を示さない、益々完全に向て進む、進化は其法則である、新たる力は益々加はりて、新たる美は益々顕はれつゝある、此宇宙は如何に之を見るも絶望の宇宙ではない、永久に進化する希望の宇宙である、若し此地にして消え失せん乎、更らに善き地は顕はるゝであらふ、若し此太陽にして冷へ却《さ》らん乎、更らに善き太陽は起るであらふ、宇宙は其広さに於て無限である計りでない、其発生する力に於ても亦無限である、而して斯かる宇宙に存在するが故に、我等人類にも亦永久の発達と永久の生存の希望があるのである。
 
     (四) 進化に関する思想
 
(89) 進化と云へば宇宙万物の叙々たる機械的進歩であるやうに思はれて居つた、即ち万物は境遇に制せられて独り自から向上する者のやうに思はれて居つた、然れども今や進化は爾うは解せられない、進化は機械的進行ではなくして生長である、故に前以て予め計算し得らるゝ事ではない、同一の境遇があつて、同一の進化があるのではない、万物は境遇に制せらるると雖も、同時に又境遇を制し、時には又之に打勝つ、進化は万物が其定められたる方向に向て進む道筋である、境遇が天才を造るのではない、天才が有て境遇に由て其本性を発揮するのである、進化は生命の推進である、之に境遇の妨害がある、又其幇助と掣肘とがある、然れども進化の原動力は境遇ではない、生命である、万物が或る既定の方向に向て推進しつゝあるが故に進化はあるのである、進化に意外の事の多いのは是れがためである、生命は機械力の如くに計算し得らるゝ者でないからである、進化の法則といふて引力の法則といふが如き者ではない、進化は或る理想に向ての進歩である、之に一定の方式のあるのは勿論である、然れども生命の進歩なるが故に必しも方式に拘泥せられない、生命は自由の人の如くに或時は方式を破り、其目的とする所に向て突進する、神は玩具師の如くに宇宙の万物を一つ一つに造り給はなかつた、彼は生命の父であるが故に、自己の生命を分別して、之をして其開発の途に就かしめた、進化とは此原始的生命の開発の順序である、自然的といへば自然的である、然れども、機械的、無意識的の自然ではない、宇宙は或る目的に向て進む者である、故に原始より或る意匠に由て成つた者である。
 
     (五) 天然に関する思想
 
 優勝劣敗は天然進化唯一の法則であるとは吾人が今日まで絶えず聞かせられたる所である、進化論者の唱ふる(90)所に従へば世界は広き戦場であつて、戦争は勝利の唯一の方法である、此所に慈悲もなければ憐愍もない、強き筋肉を有する者、強き牙を具ふる者、迅く走る者、欺騙《きへん》の術に長ける者が、最後の勝利を獲る者であるとのことであつた、旧科学に由て唱へられし天然観の如き殺伐なる者は無かつた、之に由て宇宙は一の蛮界と化し、天然は詐欺の衢と成つた。
 然しながら今や科学は天然を他の方面より見るに至つた、天然は戦争のみではない、又調和である、勝利は強者の手にのみ落ちない、弱者も亦勝利を獲るの場合がある、道徳は聖人にのみ限らない、蛮人にもある、亦下等動物にもある、慈悲と憐愍とは必ずしも敗滅を招かない、愛心も亦大なる進化の勢力であると、新科学は斯の如くにして天然を観るに至つた、今や宇宙道徳と称せらるゝ新道徳は科学の方面より人類に提供せられつゝある。
 視よ、共済の理の天然到る所に行はるゝを、人は猫を飼ひ、猫は人のために鼠を狩る、是れ共済にあらずや、鱈の稚魚は水母の外膜の下に隠れて其寄生虫を食へば、水母は其鋭き螫毛《はり》を以て稚魚の害敵を駆逐す、是れ共済にあらずや、バクテリヤの一種は豆科植物の根に附着し、此所に叢生の便宜を得れば、之に報ゆるに気中の窒素を保留し、以て植生の肥料に供す、是れ共済にあらずや、天然は深く之を観察すれば競争ではない、共済である、動物は植物のために炭酸を吐出し、植物は之を摂取して動物のために空気を潔む、生物にすべて雌雄ありて、両性相授けて種の繁殖を計る、天然に於ても人世に於けるが如く、争闘は争闘のための争闘ではない、平和のための争闘である、平和は常態であつて、争闘は違例である、若し爾うでないならば天然は夙く既に破滅して了つたに相違ない、天然に断えざる進歩のあるは其建設的動作が破壊的動作よりも遥かに強且つ大であるからである、人類が競争を以て天然界に於ける至大の勢力と見做すのは、罪に沈める己の心を以て天然を観察するからである、(91)天然其物は大なる調和である、而して之に猶ほ多少の争闘の存するのは天然が今猶ほ完全に向て進みつゝある其途中に於て在るからである、争闘は未完の兆である、進化の主動力ではない。
 強者必ず主権者なりとは罪に由て其本性を失ひたる人類に於てのみ爾うである、近頃博物学者ウイリヤム・J・ロング氏の研究に由て狼族に於てすら強者が狼群の統率者でない事が判明つた、彼の観察に由れば狼群を率ふる者は筋骨逞ましく、猛威全群を圧する雄狼ではなくして、狼仔を其身辺に集め、柔和を以て之を保育する雌狼であるとのことである、全群は彼女の指揮に由て動き、彼女を中心に囲んで進退すと、ロング氏は曰ふ、
  貪婪飽くことを知らざる人を呼んで狼と称するは狼に取り大なる冤罪なり、狼は相互に対して人の如くに無慈悲ならず、又人の如くに英雄を崇拝せず
と、誠に人類は今日まで狼を誤解し来りしが如くに天然を誤解し来つたのである、自己が争闘の子供であるが故に、天然を自己の如くに解して之を争闘の衢と見做したのである、然し天然は人の如き者ではない、人は天然の中に在りて惟り其天性を失つた者である、而して新科学は旧神学と旧科学とを排して天然を其儘に観て真正に之を解釈しつゝある。
 
     (六) 人類に関する思想
 
 人類は神の像に象りて造られし者であつて、他の生物とは何の関係なく、惟り自から一階級を作る者であるとは旧神学の唱へたる所である、人は動物の一種である、故に特別に貴い者ではない、猿猴の進化して成りし人類は獣類と部門を共にすべき者であるとは旧科学の唱へたる所である、然れども新科学は此等両極端の孰れにも走(92)らず、能く人類の位置を明かにした、人類は動物の進化した者ではない、動物に由て進化した者である、故に彼は動物と連続して居るが、乍然、動物の上に更らに貴き能力を加へられたる者である、人類は動物に連続して居るが故に賤しくない、然り、進化を授けて人類に到らしめし動物は其、此任を尽せし功績の故に貴くある、人類は彼れ自身の故に貴くある、彼が如何にして成りし乎に由て其貴賤を定むべきでない、彼に良心がある、無限的発展の可能性がある、愛の故に己を棄つる神の如き心がある、是れが有る故に、彼は動物を経て進化し来りし者なりとするも無限的に貴くある、物の貴さは其産する最後の結果に由て判明る、宇宙と其中に有る万物の貴さは、終に其中よりイエスキリストの如き者を産せしに由て判明る、万物が賤しくして人のみが貴くあるのではない、人が貴くあるが如く、彼をして今日あるに至らしめし万物は彼の故に貴くあるのである、聖人、家に生れて其家が拳て貴くなるが如くに、人類が宇宙に顕はれて、万物は悉く貴くなつたのである、進化論は人の価値《ねうち》を貶《おと》さない、否な、彼の真箇の価値を定めて、彼の向上の階段となりし万物の価値を高めた、新科学の見たる人類は万物を神にまで牽上ぐる者である。
 
     (七) 奇蹟に関する思想
 
 法則の行はるゝ天然に奇蹟無しと旧科学は言ふた、誠に旧神学が唱へしが如き、神の威権を示さんがために濫りに天然の法則を破りて人の耳目を驚かせし底の奇蹟なる者は無いに相違ない、然しながら他の意味に於ての奇蹟は有る、即ち未だ曾て有らざりし者が今在る者の中に顕はるゝ其意味に於ての奇蹟は有る、斯かる奇蹟の有ることは進化の宇宙に取つて必要である、是なくして宇宙は進化の宇宙でない、物質力の中に生命が始めて顕はれ(93)し時に奇蹟があつた、植生の中に動物の始めて出し時に奇蹟があつた、動物の中に人類が始めて現せし時に奇蹟があつた、人類の中にキリストが生れし時に奇蹟があつた、常に推進する宇宙は常に新勢力を現出しつゝある、是れ自己の起したる勢力ではない、新たに加へられたる勢力である、宇宙は量に於ても亦質に於ても常に生長する者である、而して生長は単に貯蔵力の放散ではない、新勢力の注入である、而して新たに勢力の加はるたび毎に奇蹟は行はるゝのである、誠にカーライルの言ひし如く
  吾人は未だ曾て死者の甦りしを見しことなし、然りと雖も、幾回か嬰児の生まるゝを見たり
との事である、誠に嬰児の生まるゝは真正の意味に於ての奇蹟である、茲に新勢力が世に顕はれたのである、深く天然を解して、奇蹟は稀れにあることではない、常にあることである、生々として止まざる宇宙天然は奇蹟の連続に外ならない、宇宙の推進、是れ奇蹟である、新勢力の発顕、是れ亦奇蹟である、宇宙は永久に拡大する者である、故に永久に奇蹟に由て維持せらるゝ者である。
 
     (八) 宗教に関する思想
 
 宗教は迷信である、其高きも低きもすべて悉く迷信である、故に未開の民には必要であるが、開明の人には何の用もない者であるとは旧科学が臆面もなく唱へたる所である、誠に寺院の宗教、教会の宗教は斯かる迷信である、而して科学が真理のために貢献したる最大事業の一は教会の宗教を破壊し去りたることである、古人伝来の説を疑ふことなく其儘信ずる事は科学の主義と精神とに反す、此意味に於て科学は確かに宗教の敵である、教会の宗教と科学とは到底両立し得べからざる者である。
(94) 然れども旧き宗教を埋没し去りし科学は新らしき宗教を発掘し来らざるを得なかつた、科学は人に無限性の有るを認めて、茲に新宗教の基礎を発見した、人は其意識の根底に於て、滾々として湧て止まざる意識の本源のあるを知覚する、彼は茲に万有と連らなり、永遠と接触する、此意識が如何にして起りし乎は吾人の問ふ所ではない、其処に其の実在するは確かである、而して此意識ありて人は宗教的たらざらんと欲するも得ない。
 神は二千年前に人に顕はれて、今は僅かに其行為を旧き記録に留むる者ではない、彼は人と偕なるに止まらず、人の衷に在る者である、即ち人の実在の根底として存する者である、神を天の高きに探り、又は時の始めに求めて、之を看出すことは出来ない、教会の宗教は神の在まさゞる所に彼を探りて迷信に陥つたのである、神の宝座は人の良心に於てある、其処に神は人と語り、彼を導き、彼を慰む、人に取りて神ほど近い者はない、誠に神は人の自己の一部分である、人は神に在りて人と交はり、神に在りて天然に接するのである、宗教は無いことを想像することではない、最も確かなることを実験意識することである、直接に実在に接することである、故に智識としても最も確実なるものである。イエスキリストは己れを棄去らんとする弟子に告げて曰ふた
  我れ独り在るに非ず、父、我と偕に在るなり
と(約翰伝十六章卅二節)、「偕に在る」とは「真に在る」との意である、「側に立つ」と云ふが如き意にあらずして、「衷に内在する」との義である、而してキリストに於てのみならず、すべての人に於て、父は誠に其衷に内在する者である、衷に内在する父なる神に較べて見て最も親しき友も他人である、我と偕なるに止まらず我を抱く者、我を抱くに止まらず、我と連続する者、彼は我を「汝」と呼掛くると雖も、其此声を発する者は我衷に在て有る者である、それが父なる神である、アブラハムの神であつて、又我が神である、天地の造主であつて、又我(95)が自我の根底である、科学は斯かる神の存在と行動とを否定することは出来ない、人の最深の実験として宗教は科学よりも確実なる者である、科学は旧き宗教を壊ちて後に、今や再たび新らしき宗教の侍女《ハンドメード》と成りつゝある。
 
     (九) キリストに関する思想
 
 キリストは神の独子にして人にあらずして神であると旧き神学は言ふた、否な、キリストは人にして吾人と何の異なる所なき者であると旧き科学は言ふた、然れども新科学の生みたる新思想は言ふ、キリストは誠に人である、然れども最も完全なる人である、故に人にして最も近く神に似たる者である、宇宙万物は神より出で、キリストに在りて再び神に帰つたのである、キリストは神と人とを繋ぐ者であるのみならず、又神と全字宙とを繋ぐ者である、神がキリストに在りて万物を贖ひ給へりと云ふは此事を云ふのである、神は宇宙を以てキリストを生み給ふたのである、キリストは宇宙最大最善最美の産であるが故に、其意味に於て神の独子である、全宇宙に彼に匹対すべき者は無いからである、キリストのみ惟り神聖であつて、人類と万物は悉く汚穢であると云ふのではない、宇宙万物はキリストに在りて其瑾なき完全に達したのである、故にキリストの故に神聖であるのである、神はキリストに在りて万物を聖め給へりと云ふは此事である、物の真価は其最善の結果に由りて定まるとは前にも述べた通りである、宇宙の真価は其最善の産たるキリストに由て定まるのである、キリストを産みたる宇宙と人類とは神聖でなくてはならない、其神聖に欠くる所のあるのはキリスト自身にあらずして彼を生みし母であるからである、宇宙は大なる処女マリヤである、彼女の聖き胎内に神の独子は孕まれたのであると。
 公平にして神聖なる科学の立場より見て、キリストは今も昔と異なることなく、神の独子にして人類の首であ(96)る、彼は科学的尊崇をも捧げまつるの価値ある者である。
 
     (十) 永生に関する思想
 
 宇宙に顕はれたるすべての現象を観じて来世の存在を信ぜざるを得ない、生々たる此宇宙に終焉ありとは如何にしても信ずることは出来ない、宇宙は成つてより以来無限の時を経過せしと雖も、未だ曾て衰退の状を示したことはない、否な、之に反して益々進化発達して止まない、而して進化の宇宙の終る所は死滅であると云ふは、之を背理の極と云ふより外はない、吾人は何事を信じ得るとするも、此事を信ずることは出来ない、無限に生長する者、是れが宇宙である、終に生長を止めて死滅に帰する者は宇宙ではない、淆沌《ケオス》である、吾人の自覚性は斯かる背理の仮定をだも許さない。
 宇宙は永久に生長する者である、然らば何に由て其生長を続くる乎と云ふに、其最上の産たる人を以て続くるのである、恰かも樹は其果を以て其生長を続くるが如くに、宇宙は其最善最後の産たる人類を以て其生長を続くるのである、而して人類の中、誰が此永生の任に当るであらふ乎と云ふに、勿論最も聖き最も高き、最も完全に人類の職責を充たす者が此名誉を担ふのであるに相違ない、而して誰が最も完全に人類の特性を発揮した乎と云ふに、イエスキリスト其人であるとは万人の認めて否まざる所である、宇宙はキリストに由て其生長を続くべしとは吾人の常識に訴へて見て明かである、而して人類の中に、此キリストの心を心とする者があれば、其人も亦彼と偕に生長連続の特権に与かることの出来る者である、キリストは曰ひ給ふた、
  生ける父我を遣はす、父に由りて我れ生く
(97)と(約翰伝六章五十七節)、科学は之に和して曰ふ、
  生ける父の生みし生ける此宇宙は汝を生めり、宇宙に由りて汝は窮りなく生くべし
と、永生は神の方面より見るも亦宇宙の方面より見るも確かである、此生ける宇宙の在らん限りは(而して其消え失する時の在らんことは、吾人之を想像せんとするも得ない)永生は義者と善者とに取りては何よりも確かである、余輩は澄み渡りたる冬の天空にオライオン星が不等四辺形をなして粛々として穹蒼を歩むを見て、又|夕陽《ゆうひ》舂《うすづ》く西の空天《そら》に富士の峯が純白のシヨールを肩に掛けて其巓より黄金の光を放つを眺めて、余輩のために備へられたる光の国を思はざるを得ない、要は余輩が宇宙最善最上の産たる人たるの職責を完全に充たすと否なとにある、而してキリストに在りて能く其職責を尽して余輩の未来永存は山の聳ゆるが如くに確かである、星の輝くが如くに明かである。
 
(98)     救はるゝとは何ぞや
                         明治43年1月10日
                         『聖書之研究』116号
                         署名なし
 
 救はるゝとは救はれしと想ふことに非ず、亦救はれたりと信ずることにも非ず、誠に実に救はるゝことなり、キリストの如くに成ることなり、少くとも彼に達するの途に就くことなり、生命を失ふて之を獲ることなり、万物を棄て之に主たることなり、此ほか別に救ある事なし、若し有りと信じ之に依頼まば必ず愧恥《はぢ》を取るべし。約百記六章廿節。
 
(99)     〔「北海道鱈漁業の実況(旧稿)」への付言〕
                         明治43年1月10日
                         『聖書之研究』116号
                         署名 内村鑑三
 
 編者曰ふ、此篇今や科学的に何の用あるなし、然れども歴史的に多少の用なき能はず、是れ我国に於ける組織的水産調査の嚆矢たりしなり、是れ又筆者の真理探究の方法たりしなり、彼は如斯くにして神と人と天然とに就て学びしなり、回顧す、彼が此調査に従事しつゝありし間に、或る日曜日の朝、独り深雪を冒して祝津《しくづし》村の西方、赤岩山の巓に登り北方日本海に面して声高らかに神に祈りしことを、彼は其時面と面とを合して海と山との造主なる彼の霊魂の父に接したりき。
 
(100)     自由の尊儼
                         明治43年1月10日
                         『聖書之研究』116号
                         署名なし
 
 自由は気儘勝手を行ふの意にあらず、自由は自から己を治むるの意なり、自由は己を神に委ぬ、然れども強いられて委ぬるに非ず、自から求めて委ぬるなり、自由は自から択んで人の僕たるも、而かも終まで自主たるを失はず、神学も教会も、政府も国家も、然り神御自身も、自由の尊儼を犯して吾人の上に何事をも為す能はざるなり。
 
(101)     神に関する思想
         無神論と有神論、自然神教と万有神教と唯一神教との区別                              明治43年2月10日
                         『聖書之研究』117号
                         署名 内村鑑三
 
 神に関する思想に数限りない、然れども之を左の二種に大別することが出来る、
  一、無神論
  二、有神論
 (一) 無神論とは読んで字の如く神は無いと云ふ説である、即ち万物の起原と其持続とを神(霊)以外の力に帰せんとする説である、或ひは物質の無限存在説を唱へ、或ひは力の無窮行動説を道ふ、或ひは更らに進んで宇宙偶然形成説となり、或ひは極端の不可識説に走る、然りと雖も畢《つま》る所、無神論は物を先にして霊を後にするより起る説である、而して人自身が霊的実在者であるが故に、彼に由て絶対的無神論の唱へられんことは不可能である、世に無神論を唱へて憚らない人があるが、然し大抵の場合に於ては、彼等は自から之を確信して唱ふるにあらずして、世の浅薄なる、而して時には傲慢にして不道徳なる、所謂「有神論」に対して之を唱ふるのである、吾人は人が神は無しと唱ふるを聞いて、直に彼を目して無神論者と見做してはならない、吾人は先づ彼は如何なる神を無しと云ふ乎、其事を究むべきである、今の教会の唱ふる神を無しと云ふも吾人は決して無神論者ではない、(102)パリサイ宗の立場より見てイエスキリストは無神論者であつた、羅馬天主教会の立場より見てルーテル、カルビンは同じく無神論者であつた、英国聖公会は一時は其離反者たるウエスレーを無神論者と認めた、カルビン主義を奉ずる長老教会すら、哲人ノーバリスが「神を以て酔ふたる人なり」と言ひて弁護せし哲学者スピノーザを無神論者なりと称して彼を追窮して止まなかつた、近世に至り人道の大戦士たりしトマス・ペインは無神論者の名を以て印記せられ、漸く彼の死後百年の今日に至り彼は此汚名より脱することが出来た、天然学者ハムボールトは第十八世紀に於ける第一流の学者であつて、博愛、敬虔、共に群を抜くの人でありしにも関はらず、彼が当時の教会の信仰に冷淡なりしが故に、無神論者の汚名は亦此名士の上にも冠せられた、然るに彼れ死して後、或人は曾て彼を弁護して曰ふた、
  神の名を口に唱へざるも、宇宙に法則の行はるゝを認むる人は無神論者にあらず、ハムボルトは宇宙を法則的に解して自から有神論者なるを証せり
と、誠に世には無神論よりも更らに悪しき無神論が行はるゝのである、即ち口に有神を唱へて身に無神を行ふ無神論である、イエスが無神論者であつたのではない、彼を殺したる神学者とパリサイ宗の人等が真実の無神論者であつたのである、余輩は未だ曾て正直なる学者にして絶対的無神論者である者の世に在りし事を知らないのである。
 (二) 神は無しと云ふ説に対して神は有ると云ふ説がある、宇宙は自から成り又自から己を維持するにあらずして、或る他の力に由て成り又己を維持する者であると云ふ、即ち宇宙は全能にあらずして、全能なる者は宇宙以外に有ると云ふ、是れが有神論である、然し神は如何にして在る乎、此問題の解決如何に由て有神論は又数派に(103)別れるのである、之を左の三派に大別することが出来る、
  A、自然神教《デイズム》
  B、万有神教《バンシーズム》
  C、唯一神教《ゼノセイズム》
 (A) 自然神教の唱ふる所に由れば、神は有る、宇宙は彼に由て造られたに相違ない、然し神の造りし宇宙は完全であるが故に彼が今之に干渉するの必要はない、恰かも大機械師に由て作られたる機城の如く、宇宙は神の手を離れて以来自働的に運転する者である、神は之を造化の発端に於て認めることが出来る、然れども其継続と維持とに於て、随て又人類の万事に於て、神の行動を認めることは出来ない、神は主として造物主である、摂理者ではない、神は崇むべきである、然れども其援助を仰ぐも無益である、天然は法則に従て進み、人類は道理に由て歩む、宇宙は玩具ではない、人類は小児ではない、二者共に神の間断なき干渉を要する者でない、神は今は宇宙と人世とを離れて其外に立ち給ふ、而して天然と人類とは独り自から其賦与せられし法則に従ひ、其定められし目的に向て進む者であると。
 (B) 神を宇宙の外に置て自然神教がある、神を宇宙の中に留めて万有神教がある、前者は言ふ、神は機械師であつて宇宙は完全なる機械であると、後者は言ふ、神は霊魂であつて宇宙は其身体であると、前者は言ふ、完全なる自働的宇宙は其神より賦与せられし能力に由りて、今や彼に頼らずして独り自から開発進化することが出来ると、後者は言ふ、宇宙は神と同体にして彼を離れて寸時も存在し得る者にあらず、誠に使徒パウロの曰ひしが如く我等は彼に頼りて生き、又動き、又|存《あ》ることを得る者であると(行伝十七章廿八節)、神を余りに遠く離《はな》らし(104)たのが自然神教である、余りに近くに引寄せたのが万有神教である、前者が神は星界の彼方、宇宙の外に在し給ふと言ふに対して、後者は神は天上天下地上到る所にまで存在し給ふと云ふのである、自然神教に神を敬して遠けるの危険があり、万有神教に神に狎れて之を軽んずるの傾向がある、神を草に於て見、虫に於て見、世の悪人に於てすら見て、彼は終に崇むべからざる者となるのである。
 (C) 唯一神教は自然神教と万有神教との間に立て、二者の真理を綜合する者である、宇宙は神の造りたる者である、而して神は今猶ほ宇宙の中に在りて造化の活動を継け給ふ、宇宙は完成されたる者でない、故に神の手を離れて独り自から発達することの出来る者でない、又未成の宇宙は以て完全に神を表顕《あら》はすに足りない、神は宇宙の中に在りて働らき給ふ、然し宇宙を以て尽きる者ではない、宇宙は大なりと雖も神は宇宙よりも大である、宇宙は常に神より力の注入を受けて其生長発達を継くる者である、我等は草と虫とに於て神の力を見る、然し神御自身を観ない、神は宇宙を綜合したる者ではない、彼は其れ以上である、神は人類の友であると同時に又其父である、故に親むべくして又崇むべき者である、自然神教の誤謬は神を厳父として見て、之を遠くるにある、万有神教の誤謬は彼を兄弟として見て之に狎るゝにある、然れども唯一神教の長所は彼を父とし見、又友とし見て、彼を完全に解するにある。
       *    *    *    *
 無神論は吾人の耐え得らるゝ所でない、神なし、霊魂なし、愛なし、唯盲目の力と無感の物質あるのみと云ふ、若し宇宙と人生とが斯かる者であるならば、哲人セネカの曰ひしが如く
  最も幸福なることは生れざりしことなり、其次に幸福なることは一日も早く死することなり
(105)である、無神論は意味なき宇宙と目的なき人生とを吾人に提供する者である、吾人は之を信じて(若し信じ得るとして)絶望の人と成り了らざるを得ない。
 然らば自然神教は如何である乎と言ふに、是れ又実際的に多く無神論と異らない者である、神は在ると雖も達すべからざる者であると聞いて、彼は吾人に取りては無いと同然の者となるのである、
  我袖のなみだにとまる影とだに
    知らで雲井の月やすむらん
天上の高きに在して下界の惨事悲事を見て、降て之を援けんとせざる神は我神として仰ぐに足りない、単に吾人の崇拝物たるに過ぎざる神は木石を以て刻まれたる偶像と何の異なる所はない、然り、斯かる神は偶像にも劣るのである、偶像は耳無きが故に聴かないのである、然るに自然神教の供する神は耳有て聴かないのである、無情是れよりも大なるはない、自然神教は到底吾人の心霊的要求を充たすに足りない。
 然らば万有神教は如何と云ふに、其中に多くの愛すべき、慕ふべき、麗美的真理の存することは明かである、神は風に於て在り、水に於て在り、彼は花に在りて咲き、星に於て輝くと聞て、何人も其誘引力を感ぜざるを得ない、神は無いのではない、勿論在る、神は天の高きに在すのではない、地の低きに在して吾人を繞囲し、吾人を保育し、母が其子を手に取りて育むが如くに、吾人を其|大聖手《おほpみて》なる地の上に置て愛撫し給ふと、万有神教は科学と衝突しない、又詩歌美術を供するに足る、万有神教に理があつて又情がある、宜べなり、スピノーザの如き理性とゲーテの如き情性とが斉しく喜んで之を受けしや、余輩も亦時には其麗美に惹かされ、厳正冷酷なる唯一神教を去て、寛容温柔なる万有神教に行きたく思ふことがある。
(106) 然しながら万有神教の麗美は表面的である、少しく深く之を探り見て、其中に多くの失望の種子の潜匿しあるを認めざるを得ない、万有が若し神であるならば、或ひは若し神の完全なる自顕であるならば、何故に其中に罪なる者がある乎、何故に万有は相互を毀損し、互に相争ひ、相闘ふのである乎、又万有は果して神の如くに無窮なる乎、之に依頼性のあるは如何、万有は我が霊魂の声を聞くか、我は万有を与へらるゝも之を以て満足することが出来る乎、
  人、若し全世界を(全宇宙を)得るとも其生命(霊魂)を失はゞ何の益あらん乎
とのイエスの言は我が全身全霊に響き渉る声ならずや、宇宙は美である、然れども其美は我の全性を満足さする美ではない、我には尚ほ宇宙以上の美の要求がある、即ち神の聖顔《みかほ》の美を拝せんとするの要求がある、而して其の美たるや桜花が旭日に香ふ美ではない、夕陽が富士の巓を照らす美ではない、十字架の上に首を低れ
  事竟りぬ
と叫びしキリストの美である、我が衷には万有神教を以てするも充たす能はざるの空虚がある。
 而して其理由は明白である、人自身が神の性を佩びて無限的であつて宇宙以上であるからである、神の理想は措て問はずとして、人の理想も亦宇宙以上である、人は其の理想を宇宙より受けたのではない、直に神より受けたのである、故に彼は宇宙に同化《コンフホーム》すべき者にあらずして、宇宙は彼(人)に同化すべき者である、宇宙は未だ完全なる者ではない、之を完成するの職分を神は人に委ね給ふたのである、故に人が宇宙を以て神と同視するは自己以下の者を以て神と見做すと同然である、神を宇宙大に解するのも、亦宇宙性に解するのも、彼を人以下に解するのと等しくある。
(107) 万有神教に尚ほ一つの大なる欠点がある、其れは明白に善悪を区別することが出来ない事である、若し方有が神の完全なる自顕であるならば、其悪事も亦神の行為である、而して万事を天然より学ぶに至て、人は必然的に天然まで堕落するのである、昔時に於ける希臘人の堕落、文学復興時代に於ける伊太利人の堕落、又所謂『自然主義』を唱へて耻とせざる日本人現時の堕落は皆な茲に基くのである、天然は神の作である、然れども未だ神の理想に達したる者ではない、人は神の子である、故に天然よりも遥かに神の理想に近き者である、故に人は直に神に学ぶべき者であつて、天然に学ぶべき者ではない、神の生み給へる一子に於て神を瞻んとせずして、天然に於て彼を見んとして、人の倫理的感覚は鈍らざるを得ない。
 茲に至て余輩はモーセ、イザヤ、ヱレミヤ、イエス、パウロ等に由て唱へられし古き旧き唯一神教に帰らざるを得ないのである、之に元始《はじめ》に天地と其中にある万物を造り給ひし神がある、之に又インマヌエルと称へられて人類と共に在し給ふ神がある、而して二者は二つの神ではない、同一の神である、宇宙を作り、其上に在り、其中に降りて之を保育し給ふ神である、此神は自然神教の供するが如き高きに居りて宇宙と人生とに干与《たづさ》はらざる無情無感の神ではない、然ればとて宇宙の中に閉籠められて、天然以外に何事をも為し得ざる神でもない、彼は宇宙を造て宇宙よりも大なる神である、宇宙を以て叙々として自己を顕はし給ふ神である、彼の意旨が人の道である、人は宇宙に由て大に神に就て知る所があるも、彼の意旨は之を直に彼に就てのみ識ることが出来る、
  夫れ人の情は其中にある霊の外に誰か之を知らんや、此の如く神の情は神の霊の外に知る者なし
と(哥林多前書二章十一節)、基督者が此世に在て此世の属でなきが如くに、人は此宇宙に在て此宇宙の属ではない、彼は神の属である、故に宇宙を通してのみならず、又直に、然り、特に直に、神と交通する者である。
(108) 万有神教のみ能く科学と和合して、唯一神教は之と衝突する者であると言ふは大なる誤謬である、宇宙は宇宙を以て解釈することは出来ない、又宇宙以外に出ざる神を以て解釈することは出来ない、宇宙は宇宙よりも大なる、且つより完全なる神を以てのみ解釈することが出来る、若し宇宙以外に神がないならば、宇宙も人生も失望である、二者共に依頼的実在物である、故に独り自から発達上進することの出来る者でない、宇宙以外により大なる且つより完全なる神が在て、完全の理想に向て之を導きつゝあり給ふと知ればこそ、宇宙にも人生にも無限の希望が存するのである。
 
(109)     新旧の我れ
                         明治43年2月10日
                         『聖書之研究』117号
                         署名なし
 
 我れ我が有として存して、我は旧き我れなり、我れ神の有となりて、我は新らしき我れなり、我は同じ我れなり、然れども神の我れなると我れの我れなるとに新旧生死の別あり、我は新年と共に新たに生れんがために、更らに再たび我に死せんと欲す。
 
(110)     以賽亜書改訳
        (『新希望』第六拾八号参照)
                      明治43年2月10日−7月10日
                      『聖書之研究』117−121号
                      署名 内村鑑三
 
  第一章
 
一、是はユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時にユダとエルサレムに関しアモツの子イザヤに示されし黙示なり。
二、天よ聴け、地よ耳を傾けよ、其はヱホバは語り給はく、
  我れ子を養ひ育てしに、
  彼等は我に逆《そむ》けり。
三、牛は其持主を識り、
  驢馬は其主人の槽を知る、
  然れどイスラエルは識らず、
  我民は悟らざるなり。
(111)四、あゝ罪を犯せる国、不義を以て充たされたる民、
  悪を行ふ者の裔、道を乱す種族《やから》、
  彼等はヱホバを棄てたり、
  彼等はイスラエルの聖者《きよきもの》を侮慢り、
  彼と絶ち彼より離れたり。
五、汝等何ぞ猶ほ鞭撻《むちうた》れんとする乎、
  汝等何ぞ重ねて悖り逆くや、
  全頭は病み、全心は疲る、
六、足の跖《うら》より首《かうべ》の頂に至るまで健全なる所なく、
  唯創痍と打傷と腫物と而已、
  而して之を合はす者なく、包む者なく、亦
  膏にて軟ぐる者なし。
七、汝等の国土は荒癈《あれすた》れ、
  汝等の諸邑《むら/\》は火にて焚かれ、
  汝等の田畑は敵人、汝等の目前にて之を貪り、
  其荒癈、恰かもソドムの顛覆に似たり。
八、シオンの女《むすめ》は葡萄園の廬の如く、
(112)  瓜田《うりばたけ》の仮舎の如く、
  また包囲《かこみ》を受けたる城の如く唯独り存せり。
九、万軍のヱホバ若し我等の中に少数の余裔を遺し給はざりせば、
  我等はソドムの如くなりしならん、
  我等はゴモラに同じかりしならん。
十、汝等ソドムの有司《つかさびと》よ、ヱホバの語を聴け、
  汝等ゴモラの民よ、我等の神の律法に耳を傾けよ。
十一、ヱホバ言ひ給はく、汝等が献ぐる多くの犠牲は何の為ぞ、
  我は牡羊の燔祭と肥えたる畜《けもの》の膏とに厭けり、
  我は又牡犢或は小羊或は牡山羊の血を悦ばず。
十二、汝等は我に見えんとて来る、
  このことを誰が汝等に要めしや、
  汝等は徒らに我が聖殿の庭を蹈むのみ。
十三、虚き祭物《そなへもの》を復たび携ふる毋れ、
  我は其|燻《かほり》を憎む、
  新月及び安息日……会衆の召集……
(113) 聖会と断食……我は之に耐ゆる能はず
十四、我が心は汝等の新月と節会《せつえ》とを嫌う、
  是れ我には重荷たり、
  我れ之を負《にな》ふに倦みたり、
十五、我れ汝等が手を舒るとき我が目を掩ひ、
  然り、汝等が多くの祈祷を為す時も我は聞くことをせじ、
  汝等の手は血にて充つ。
十六、汝等己を洗ひ、己を潔くせよ、
  我が目前《めのまへ》より汝等の悪業《あしきわざ》を去れ、
十七、悪を行ふことを癈め、善を行すことを学び、
  公義を求めて虐《しえた》げらるゝ者を扶け、
  公平に孤児を鞫き、寡婦《やもめ》のために弁護せよ。
十八、ヱホバ言ひ給はく、率我等共に争論はん、縦令汝等の罪は緋の如くなるも雪の如く白くならん、
  縦令亦|紅《べに》の如く赤くとも羊の如くにならん。
十九、若し汝等好んで順はゞ地の美産《よきもの》を食ふを得べし、
二十、然れども若し汝等拒んで逆かば、
(114)  汝等は剣の滅す所とならん。
 
廿一、如何なれば忠実なる市は妓女《うかれめ》とはなれる、
  往昔は義判にて充ち公義其中に宿りしに、
  今は人を殺す者ばかりとなりぬ。
廿二、汝等の白銀《しろかね》は滓となり、
  汝等の清酒は水を雑へ、
廿三、汝等の長輩《をさたち》は反きて盗人の伴侶《かたうど》となり、
  人各賄賂を喜び、臓財《おくりもの》を追ひ索め、
  孤児に公平の裁判を行はず、
  寡婦の訴訟は彼等の前に出でず。
 
廿四、此故に主なる万軍のヱホバ、イスラエルの全能者宣ふ、
  噫我れ我が仇に向ひて我か念を晴らし、
  我が敵《あだ》に向ひて我が讐を復さん。
廿五、我また我が手を汝の上に加へ、
  悉く汝の滓を洗ひ去り、
(115)  総て汝の鉛を取り去り、
廿六、汝の裁判官を旧の如くに、
  汝の議官を始の如くに復さん、
  然る後に汝は公義の市、
  忠実なる市と称へられん。
 
廿七、シオンは義判を以て、
  其|帰来《かへりきたる》者は公義を以て贖はれん、
廿八、然れども悖逆《そむく》者と罪人とは同時《とも》に壊《やぶ》れ、
  ヱホバを棄つる者は亡び失せん、
廿九、汝等の慕ひたる橿樹に就て汝等は恥ん、
  汝等の撰びたる園に就て汝等は赤面せん、
三十、汝等は葉の枯るゝ橿樹の如く、
  亦水なき園の如くならん。
卅一、而して強き者は麻の如く、
  其|工《わざ》は火花の如くなりて、
  二者同時に燃えて之を撲滅する者なけん。
 
(116)  第二章
 
一、 ユダとヱルサレムに関しアモツの子イザヤが見し所の言は是なり。
二、末の日至らん時には是事あらん、即ち
  ヱホバの家の山は諸の山の巓に堅く立ち、
  諸の嶺に越えて高く聳へ、
  而して万国は河の如く之に流れ帰せん。
三、衆多の民は来り言はん、
  去来我等ヱホバの山に登り、
  ヤコプの神の家に行かん、
  ヱホバ其道を我等に教へ給はん、
  我等その道に歩むべしと。
  そは律法《おきて》はシオンより出で、
  ヱホバの言はヱルサレムより出づべければなり。
四、ヱホバは諸の国の間を鞫き、
  多くの民の間を和らげん、
  斯くて彼等はその剣を鋤に打ちかへ、
(117)  その鎗を鎌に打ちかへん
  国と国とは剣を挙て相攻めず、
  また重ねて戦争を習はじ。
五、あゝヤコプの家よ、来れ、
  我儕ヱホバの光に歩まん。
 
六、主よ、汝はその民ヤコブを棄て給へり、
  そは東方の妖術は彼等の中に行はれ、
  彼等は皆ペリシテ人に傚ひて魔術師となり、
  異邦人の輩と盟を結びたればなり、
七、彼等の国はまた黄金と白銀とにて充ち、
  其財宝に際限あるなし、
  彼等の国は亦馬にて充ち、
  其戎車の数限りなし、
八、彼等の国は亦偶像にて充ち、
  彼等は己が手にて作りし者を崇め、
  己が指にて作りし者を拝す。
(118)九、賤夫之れが為めに屈められ、.
  貴人之れが為めに卑くせらる、
  汝は彼等を容し給はざるべし。
十、岩間に入り、又土に隠れ、
  以てヱホバの震怒と其威稜の光輝とを避けよ、
十一、其日には高ぶる者は卑くせられ、
  驕る人は屈められ、
  唯ヱホバのみ高く挙げられ給はん。
 
十二、そは万軍のヱホバに其定めの日あり、
  凡て高ぶる者、驕る者、
  凡て自身《みづから》を崇むる者、
十三、レバノンの高く聳えたる凡ての香柏、
  バシヤンの岡の凡ての橿樹、
十四、凡ての高き山、饗えたる嶺、
十五、凡ての高き櫓、堅固なる石垣と、
十六、及びタルシヽの凡ての舟と、
(119)  又凡ての美はしきものと……
  是等は皆其日に卑くせられん。
十七、其日には高ぶる者は屈められ、
  驕る者は卑くせられ、
  唯ヱホバのみ高く挙げられ給はん、
十八、斯くて偶像は全く亡び失すべし。
十九、ヱホバ起て地を震動《ふるひうごか》し給ふ時、
  人々其|震怒《いかり》と威稜の光輝を避けて、
  巌の洞と地の穴とに入らん。
二十、其日人々は其銀の像と金の像とを、
  即ち彼等が拝せんとて自から造りし像を
  ※[鼠+晏]鼠《もぐらもち》と蝙蝠《かはほり》とに投げ与へ、
廿一、ヱホバが起て地を震動し給ふ時
  彼等は岩の隙《はざま》に行き、
  又は峻き山峡《やまあひ》に入りて、
  其震怒と威稜の光輝を避けん。
(120)廿二、汝等人に倚るを廃よ、彼は鼻にて気息《いき》する者、
 彼れ何ぞ算ふるに足らんや。
 
  第三章
 
一、看よ、主なる万軍のヱホバは、
  ヱルサレムとユダより其杖と柱とを除去り給はん、
  其頼む所の凡ての糧と、其頼む所の凡ての水と、
二、其勇者と戦闘の人と、
  其裁判人と預言者と卜筮者と長老と
三、其五十人の首と貴顕と、
  其芸に長けたる者と言語たくみなる者とを、
  ヱホバは皆な除き去り給はん。
四、我れ童子をもて彼等の君とし、
  嬰児に彼等を治めしめん。
五、民は互に相虐げ、隣人互に相圧し、
  幼者は長者を侮り、
  賤夫は貴人を辱しめん。
(121)六、其時、人、家主たる兄弟に縋りて言はん、
  汝なほ外服《うはぎ》あり、我等の有司《つかさ》となりて、
  汝の手にて此荒敗を理めよと。
七、共日彼れ声を揚げて言はん、
  我れ汝等を癒す者とならじ、
  我家にも亦糧又衣あるなし、
  我を立てゝ民の有司とすること莫れと、
八、是れ彼等が其舌と行を以てヱホバに逆ひ
  其栄光の眼を涜せしに因る、
  そはヱルサレムは滅びユダは仆れたればなり.
九、彼等の顔色は其悪事を証す、
  彼等はソドムの如くに其罪を示して隠さず。
  禍なる哉彼等、彼等は害を己れに招けり。
十、汝等義人に就て言へ、彼に善事ありと、
  そは彼等は其行為の結果を食ふべければなり。
十一、禍なる哉悪人、彼に悪事来らん、
  其手の報は彼に与へらるべし。
(122)十二、あゝ我民よ、童子は彼等を虐げ、
  婦人は彼等の上に権を揮ふ、
  あゝ我民よ、汝を導く者は汝をして愆《あやま》らしむ、
  彼等は汝の行くべき道を絶つ。
 
十三、ヱホバ争論はんために立上り給へり、
  其民を審判んために起ち給へり、
十四、ヱホバ其民の長老輩と君等とを鞫き給はん、
  汝等なり、然り、葡萄園を食ひ荒らせし者は汝等なり、
  貧しき者より掠め取りたる物は汝等の家にあり、
十五、如何なれば汝等我が民を蹂躙り、
  貧き者の面を磨砕くやと、
  これ主万軍のヱホバの言なり。
 
十六、ヱホバまた言ひ給はく、
  シオンの女輩《むすめら》は高ぶり、
  項を伸ばして歩き、眼にて媚を送り、
(123)  小股に歩み、足にて玲玲《リンリン》の音を揚ぐ、
十七、此故に主、シオンの女輩の頭を禿にし、
  ヱホバ彼等の醜所を露はし給はん。
十八、当時《そのとき》主、彼等が足に飾れる美はしき釧を取り、
  瑤珞と半月《つきかた》の飾とを取り去り給はん、
十九、其耳環と手釧《うでわ》と面※[巾+白]《かほおほひ》と、
二十、華冠《かんむり》と脛飾と紳《おび》、香盒《かうがう》、符嚢《まもりぶくろ》と、
廿一、指環と鼻環と
廿二、公服、上衣、外※[巾+皮]《おほひぎぬ》、金嚢《かねぶくろ》、
廿三、鏡、細布の衣、首※[巾+白]《かしらぎぬ》、被衣などを取除き給はん、
廿四、而して馨《かぐ》はしき香は変はりて悪臭《あしきにほひ》となり、
  紳は変はりて縄となり、
  美はしく編みたる髪は禿となり」
  華《はなやか》なる衣は変りて麁布の衣となり、
  麗顔《みめよきかほ》は変りて烙鉄《やきがね》にて焼れたる痕とならん、
廿五、汝の男は剣に斃れ、
  汝の勇士は戦に仆るべし、
(124)廿六、其門は欺き悲み、
  シオンは荒廃れて地に坐らん。
 
  第四章
 
一、当日《そのとき》七人《なゝたり》の女は一人の男に縋りて云はん、
  我儕己の糧を食ひ、己の衣を着るべし、
  たゞ我儕に汝の名を称ふることを許して、
  我儕の恥を取除けと。
二、其日ヱホバの枝は栄え輝き、
  地の実《みのり》は勝れ且つ美はしくして、
  イスラエルの免がれし者は之を楽まん、
三、其時シオンに遺れる者と、
  ヱルサレムに留まれる者と、
  総てヱルサレムに於て存《ながら》ふる者の中に録されたる者とは
  聖と称へられん。
四、ヱホバ一度び其審判の霊を以て
  又燼滅の霊を以て、
(125)  シオンの女輩の汚辱を洗ひ、
  ヱルサレムの血を其中より除き給ふ時……
五、其時ヱホバは遍くシオンの山の住所《すまひ》と
  諸の衆会の上に
  昼は雲と烟とを造り
  夜は火焔《ほのほ》の光を造り給はん、
  而して凡ての栄の上に覆庇《おほひ》あるべし、
六、また一つの仮廬《かりいほ》ありて昼は熱《あつき》を防ぐための陰となり、
  暴風《はやち》と雨とを避くるための蓋《おほひ》となるべし。 〔以上、2・10〕
 
  第五章
 
一、我れ我が愛する者のために歌を作り、
  我が愛する者の葡萄園《ぶどうぞの》の事に就て歌はん、
  我が愛する者は一つの葡萄園を有てり、
  土肥たる丘の上に。
二、彼れその園を※[耜の旁が巨]《すきかへ》し、石を除き、
(126)  之に嘉き葡萄を植え、
  其中に望楼《ものみやぐら》を設け、
  然り、酒搾《さかぶね》をさへ堀りて、
  嘉き葡萄の結ぶを俟てり、
  然るに結びたるものは野葡萄なりき。
三、然ればヱルサレムに住める者よ、ユダの人々よ、
  請ふ汝等、我と我が葡萄園との間を鞫け。
四、我が葡萄園に我の作《な》したる事の外、何の作すべきことありや、
  我は善き葡萄の結ぶを俟ち望みしに何なれば野葡萄を結びしや、
五、然れば我れ我が葡萄園になさんとすることを汝等に告げん、
  我は即ち葡萄園の籬笆《まがき》を取去りて其食ひ荒さるゝに任かせ、
  其垣を毀ちてその践荒《ふみあら》さるゝに任かせん。
六、我れ之を荒廃に委ね、
  再び剪《か》らるゝこと耕さるゝことなからしめ
  棘《おどろ》と荊《いばら》とを生出《はえいで》しめん、
  また雲に命じて其上に雨降ることなからしめん。
七、万軍のヱホバの葡萄園はイスラエルの家なり、
(127)  其嘉し給ふ植物はユダの人なり、
  彼れ義鞫《ミシユバート》を望み給ひしに流血《ミスバート》あり、
  公義《ツエデカー》を俟ち給ひしに叫号《ツエエカー》あり。
八、禍ひなるかな、彼等は家に家を建聯ね、
  田圃《たはた》に田圃を増加へて余地を存せず、
  己れ独り国の中に住まんとす。
九、万軍のヱホバは我が耳に告げて宣はく、
  実《げ》に多くの家は荒れ廃れ、
  荘宏美麗の家は住人なきに至らん、
  十段の葡萄園は僅に一バテを産し、
  一ホメルの穀種《たね》は僅に一エパを実るべし。
十、禍哉彼等は朝夙に起きて濃酒《こきさけ》を求め、
  夜の更るまで止まりて飲み酒に其身を焼かるゝなり、
十二、彼等の酒宴には琴あり、瑟あり、
  鼓あり、笛あり、葡萄酒あり、
(128)  然れども彼等はヱホバの作為《みわざ》を顧みず、
  其手の作し給ふ所に目を留めず。
十三、斯るが故に我が民は無知の故に虜にせられ、
  其貴顕者は饑によりて疲れ、
  其諸民は渇によりて枯れん、
十四、陰府は其欲望を広くし
  其|度《はか》られざる口を張る、
  彼等の栄華、彼等の群衆、彼等の饒富《にぎはひ》、
  及び彼等の喜び楽める者は皆其中に落つべし、
十五、而して卑しき者は屈められ、
  貴き者は卑くせられ、
  高ぶる者の眼は卑くせらるべし。
一六、然れど万軍のヱホバは義鞫の中に崇められ、
  聖なる神は公義の中に聖とせられ給ふべし。
十七、而して小羊己が牧場に在りて草を食むが如くに、
  豊かなる者の癈れたる田圃《はたけ》は漂流人の食ふ所とならん。
十八、禍ひなるかな、虚偽を撚りて縄となして不義を引き附け、
(129)  索《つな》にて車を引く如くに罪を引き寄する者よ、
十九、彼等は曰ふ、彼をして其成さんとする事を急速《すみやか》になさしめよ、
  我儕これを見ん、
  イスラエルの聖者《せいしや》の決定めしことを逼り来らせよ、
  我儕之を知らんと。
 
二十、禍哉、彼等は悪を呼びて善と做し、善を呼びて悪と做し、
  暗を光と做し、光を暗と做し、
  苦《にがき》を甘《あまし》と做し、甘を苦と做す。
 
廿一、禍哉、彼等は己を視て智者となし、
  自から顧みて謀士となす。
廿二、禍哉、彼等は葡萄酒を飲むに丈夫《ますらを》なり、
  濃酒を和合《あわ》するに勇者なり、
廿三、彼等は賄賂に由りて悪人を義とし、
  義人より其義を奪ふ。
廿四、此故に火の舌の刈株を食ひ尽すが如く、
(130)  また枯草の火焔に沈むが如く、
  其根は朽果て、
  其花は塵の如くに飛び散らん、
  そは彼等は万軍のヱホバの律法を捨て、
  イスラエルの聖者の言を蔑したれば也。
廿五、此故にヱホバの怒は其民に対《むかひ》て燃え、
  其手を伸べて彼等を撃ち給へり、
  山は震ひ動けり、彼等の屍は衢の中にて腐肉の如くなれり。
  然かはあれどヱホバの怒は歇まず、
  その手は更に張り伸ばさる。
廿六、斯くて彼れ旗を樹てゝ遠方《とほく》より或る国民《くにたみ》を招き、
  地の極より彼を呼び給はん、
  看よ、彼れ趨りて速かに来るべし。
廿七、其中には疲れ仆るゝ者なく、
  眠《ねぶ》りまた寝《いぬ》る者なし、
  其腰の帯は解けず、
  其履の紐は切れず、
(131)廿八、其矢は鋭く其弓は悉く張り、
  其馬の蹄は堅きこと燧石の如し、
  其戎車の輪は疾風《はやち》の如し、
廿九、其|吼《ほゆ》ること獅子の吼るが如し、
  彼等は小獅子の如くに咆るなり、
  咆哮《ほえうな》りつゝ其獲物を攫み、
  彼れ之を掠め去れども之を救ふ者なし、
三十、其日彼れ海の嘯響《なりどよめ》く如くに彼等に迫り来らん、
  若し地を望めば黒暗《くらき》と患難《なやみ》とあり、
  光は之を蔽ふ雲の黒きが故に暗かるべし。 〔以上、4・10〕
 
  第六章
 
 《1》、ウジャ王の死たる年我れヱホバの高く上に挙げられたる御座《みくら》に坐し給ふを見しに其|衣裾《もすそ》は殿に満つるを見たり、 《2》セラピム其週囲に立てり、各六ッの翼あり、その二ッをもて面を蔽ひ、その二ッをもて足を蔽ひ、その二ッをもて※[皐+羽]翔《とびかけ》り、 《3》互に相呼び曰ひけるは、
   聖哉、聖哉、聖哉、万軍のヱホバ、
(132)   全地は其栄光を以て充満り
と 《4》斯く呼はる者の声に因りて閾《しきゐ》の基《もとゐ》揺動《ゆりうご》き、家の内に煙《けぶり》満ちたり、 《5》此時我れ曰へり、禍なるかな、我亡びなん、我は穢れたる唇の民の中に居りて穢れたる唇の者なるに我が眼は万軍のヱホバなる王を見たりと、《6》爰にかのセラピムの一人、鉗《ひばし》をもて祭壇の上より取りたる熱炭を手に携へて我に飛び来り、 《7》我が口に触れて日ひけるは、視よ、此火汝の唇に触れたれば汝の悪は既に消え、汝の罪は贖はれたりと、 《8》亦ヱホバの声を聞く、曰く、
   我れ誰を遺さん、
   誰が我等のために往かん
と、其時、我れ曰ひけるは
   我れ此にあり、我を遣はし給へ
と、 《9》ヱホバ曰ひ給はく、往きて此民に斯の如く告げよ、即ち
   汝等聞て聴けよ、然れども悟る勿れ、
   汝等見て視よ、然れど識る勿れ、
   汝、此民の心を鈍くせよ、
  《10》其耳を盪《とろ》くせよ、其眼を閉ぢよ、
   恐くは彼等其眼にて見、其耳にて聞き、
   其心にて悟り、翻へりて※[醫の西が巫]《いや》さるゝことあらん、
 爰に我れ言ひけるは、主よ何時まで斯くあらん乎と、主答へ給はく、
(133)   邑《まち》は荒廃れて住む者なく、
   家には人なく、
   国は寂寞の極に達し、
 《12》ヱホバ人々を遠き国に徙し、
   国の中央《まなか》に空漠の地多きに至るまでと。
 《13》若し其中に十分の一の存者《のこるもの》あらば
   彼等も亦鍛錬えられざるを得ず、
  恰かもテレビントの樹又は橿樹が、
  伐らるゝことあるも其根の存るが如くに、
  聖裔《きよきたね》は存りて此地の根となるべし。 〔以上、5・10〕
 
  第七章
 
 《1》ウジヤの子ヨタムの子なるユダヤの王アハズの時、アラムの王レヂンとレマリヤの子なるイスラエルの王ペカと上り来りてヱルサレムを攻めしが終に勝つこと能はざりき、 《2》茲にアラムとエフライムとの結合なりたりとダビデの家に告る者ありければ王の心と民の心とは林の木の風に動くが如くに動きたり、 《3》其時ヱホバ、イザヤに言ひ給ひけるは今汝の子シヤルシュブと共に出て布を晒らす野の大路の傍《ほとり》なる上の池の樋口に往きてアハズを(134)迎へ、之に斯く告ぐべし、即ち
 《4》汝|注意《こゝろ》して静かなれ、
  懼るゝ勿れ、又心を弱くする勿れ、
  アラムのレヂンとレマリヤの子の烈しき怒は
  煙れる炬火《たいまつ》の二つの燼余《もえのこり》のみ、
 《5》アラム、エフライム、及びレマリヤの子は
  汝に対ひて悪事を謀りて云ふ、
 《6》我等ユダヤに上りて之を脅迫《おびやか》し、
  我等のために之を破り、
  タビエルの子を其中に立て王となさんと。
 《7》主ヱホバ斯く云ひ給ふ、
  此事は成立たざるべし、また行はれざるべし、
 《8》アラムの首はダマスコなり、
  ダマスコの首はレヂンなり、
  (六十五年の中にエフライムは敗れて国たらざるべし)
 《9》エフライムの首はサマリヤなり、
  サマリヤの首はレマリヤの子なり、
(135)  汝若し信ぜずば汝は必ず立つこと能はざるべし。
 《10》ヱホバ更にアハズに告げて言ひ給はく、
 《11》汝の神ヱホバに一の予兆《しるし》を求めよ、
  或は深き所に或は高き所に之を求めよ、
 《12》アハズ言ひけるは我れ之を求めじ、我はヱホバを試むることをせざるべしと、 《13》イザヤ言ひけるは
  ダビデの家よ、請ふ汝等聞け、
  汝等人を厭《あぐ》ますを以て足らずして更らに神をも厭まさんとする乎、
 《14》此故に主自から一の予兆を汝等に賜ふべし、
  視よ処女孕みて子を生まん、
  彼女《かれ》其名をインマヌエルと称ふべし、
 《15》彼は乳酥と蜂蜜とを食はん、
  是れ悪を捨て善を択むことを知らんためなり、
 《16》蓋は此子未だ悪を棄て善を択ぶことを知らざる前に、
  汝が忌み嫌ふ両《ふたり》の王の地は棄てらるべし、
 《17》ヱホバは汝と汝の民と
  汝の父の家との上に
  エフライムがユダと離れし時より以来《このかた》
(136)  未だ曾て臨みしことなき日を臨ませ給はん、
 《18》其日ヱホバ、エジプトなる河々の奥の蠅を招き、
  アツスリヤの地の蜂を呼び給はん、
 《19》彼等は来り、皆な来りて、
  峻しき谷と巌窟《いはのあな》と
  凡ての荊棘《いばら》、凡ての牧場の上に止まるべし。
 《20》其日主は河の外《むかふ》より雇へる剃刀を以て、
  即ちアツシリヤの王を以て、
  首と足の毛とを剃り給はん、
  亦髯をも除き給はん、
 《21》其日人、牝犢《めうし》一つと羊二つとを飼居らん、
 《22》出す所の乳多きに因りて乳酥を食ふを得ん
  凡て国の中に遺れるものは乳酥と蜂蜜とを食ふべし。
 《23》其日干株に銀一千を得たる葡萄園にも
  悉く荊《いばら》と棘《おどろ》と生え出づべし、
 《24》荊と棘と地に普きが故に
  人々矢と弓とを以て彼処に行くなり、
(137) 《25》鋤を以て掘耕《ほりたがへ》したる山々も
  荊と棘とのために人恐れて其中に行くことを得じ、
  其地はたゞ牛を放ち羊に践ましむる処とならん。 〔以上、6・10〕
 
    第八章
 
 ヱホバ我に曰ひ給ひけるは一の大なる書板《かきばん》を取り、其上に平常の文字を以てマヘル、シヤラル、ハシ、バズと録すべし、 《2》我信実の証者《あかしびと》なる祭司クリヤ及びヱベレキアの子ゼカリヤを以て其証明をなさしめん、 《3》我れ預言者の妻に近づきしに、彼女《かれ》孕みて子を生みたり、其時ヱホバ我に曰ひ給はく、その名をマヘル、シヤラル、ハシ、パズと称ふべし、 《4》そは此子いまだ我が父、我が母と呼ぶことを知らざる中にダマスコの富とアツシリヤの財宝《たから》とは奪去られてアツスリヤ王の前に到るべければなりと。
 《5》ヱホバまた重ねて我に告げ給へり、曰く
  《6》此民は緩《ゆるやか》に流るゝシロアの水を棄てレヂンとレマリヤの子を喜ぶ、
  《7》故に今視よ、主は勢猛くして漲り渉る
   大河の水を彼等の上に堰き入れ給はん。
   是は即ちアツシリノヤの王と其諸の威勢《ちから》とにして、
   諸の支流《えだがは》に瀰漫《はびこ》り、
(138)  諸の岸を越え、
 《8》ユダに向て侵入し、
  溢れ漲りて項《うなじ》にまで及ばん、
  而して嗚呼インマヌエルよ其翼は伸びて、
  汝の全地に※[行人偏+扁]からん。
 
 《9》諸の民等よ、汝等怒り騒げ、汝等摧かるべし、
  遠き国々の者等よ、耳を傾けよ、
  腰に帯せよ、汝等摧かるべし、
 《10》汝等互に相|計議《はか」》れ 終に徒労とならん、
  汝等言を出せ、遂に行はれじ、
  蓋《そは》神我等と偕に在せばなり。
 《11》蓋ヱホバ強き手を以て如此《かく》我に示し、
  此民の路に歩まざらんことを我に諭して言ひ給はく、
 《12》此民の凡て「同盟」と称ふる所の者を
  汝等「同盟」と称ふる勿れ、
  彼等の畏るゝ所を汝等畏るゝ勿れ又|慴《をのゝ》く勿れ、
(139) 《13》汝等はたゞ万軍のヱホバを聖とし崇め、
  これを畏みこれを恐るべし、
 《14》然らばヱホバは聖き避所《さけどころ》となり給はん、
  然れどイスラエルの両の家には躓礙《つまづき》の石となり妨害の盤《いは》とならん、
  又エルサレムの民には網罟《あみ》となり機檻《わな》とならん、
 《15》彼等の中多くの人々は之に依りて蹶《つまづ》き且つ仆れ且つ破れ、
  網せられまた捕へらるべし。
 《16》証詞《あかし》を束ね法律《おきて》を我が弟子の中に封づべし
 《17》ヤコブの家より面を蔽ひ隠し給ふヱホバを
  我は待たん
  我は彼に在て望まん。
 《18》視よ、我とヱホバが我に賜ひし子輩《こら》とは
  イスラエルの中に在て、シオンの山に在す万軍のヱホバの示し給ふ
  預兆となり、異象とならん、
 《19》若し人汝等に告げて、
  巫者《みこ》及び魔術者の鳥の囀ずるが如く又細語くが如き者に求めよと言はん乎
(140)  民は己の神に求むべきにあらずや、
  いかで活者《いけるもの》のために死者に求むることを為んと言へ、
 《20》たゞ律法と証詞とに往かん、
  彼等の言ふところ此言に適はずば、
  彼等のために晨光《しのゝめ》臨《きた》らじ、
 《21》彼等地を通行して苦しみ饑えん、
  その飢る時怒を放ち、
  己が王と己が神とを詛ひ其面を上に向けん、
 《22》また地を視れば艱難《なやみ》と幽暗《くらき》と苦悶《くるしみ》の闇とあらん、
  彼等は昏黒《まくらやみ》に逐ひやられん。
 
    第九章
 
 《1》然れども苦悶の中にありし者には闇なかるべし、
  前にはゼブルンの地、ナフタリの地を辱しめ給ひしも、
  後には海の道とヨルダンの向ふの地と、
  異邦のガリラヤとに栄を得さしめ給へり。
 《2》幽暗を歩める民は大なる光を視たり、
(141)  死蔭《しかげ》の地に住める者の上に光は輝けり、
 《3》汝、民を殖し、其|歓喜《よろこび》を増し給ひたれば、
  彼等は収穫時《かりいれどき》に歓ぶが如くに、
  又|掠物《えもの》を分つ時に喜ぶが如くに汝の前に歓べり、
 《4》そは汝、彼等の負へる軛と其肩の笞《しもと》と
  虐《しへた》ぐる者の杖とをミデアンの日に於けるが如くに折り給ひたればなり、
 《5》凡て乱れ戦ふ兵士の軍装《よろひ》と血に染みたる衣とは
  皆な火の燃料《もえくさ》となりて焚るべし。
 《6》我等のために一人の嬰児は生れたり、
  我等のために独りの子は与へられたり、
  政事は其肩にあり、
  其名は「驚嘆くべき評定官」「大能の神」、
  「永久《とこしへ》の父」「平和の君」と称へらるべし、
 《7》其権威と平和とはいや増して窮《かぎり》なし、
  ダビデの位と其国とを嗣ぎ、
  之を治め公道と正義とを以て之を堅して、
  世々窮りなからん、
(142)  万軍のヱホバの熱心此事を就し給ふべし。
       ――――――――――
 内村生曰ふ、以賽亜書第九章は余の最も好愛する聖書の一節である、余は幾回之を複読した乎を知らない、而して常に慰められ、常に新たなる能を加へらる、此一章の中にキリストの降臨が善く記されてある、前《さき》にはゼブルンの地、ナフタリの地なるナザレの村に、後には幽暗に歩める、我心に彼の臨み給ひしことが記されてある、是は聖誕節の歌であつて、同時に又我再生の歌である、余は全章を余の実験として読むことが出来る、余に取りては実に是れ福音以前の福音である。 〔以上、7・10〕
 
(143)     神の努力
         天然と聖書の証明
                         明治43年2月10日
                         『聖書之研究』117号
                         署名 内村鑑三
 
 碑は全能全智である、彼に力の不足はない、彼が欲んで為し能はざる事はない、努力と云ふが如き、苦心と云ふが如き、又之に伴ふ失望と云ふが如きは人にあることであつて、神にあることではない、無限の力を具備し給ふ神に取りては何事も易々たる業である、彼の一命に由て宇宙は成り、彼の一言に由て国民は興る、神は人の心を以て量るべからざる者であるとは、大抵の人が神に就て信ずる所である。
 然しながら是れ果して爾うである乎、神は果して努力し給はざる乎、神に果して失望はなき乎、造化は果して易々たる業でありし乎、是れ事実の問題である、単に信仰の問題でない、神は全能であればとて何事をも容易に為し能ふとは限らない、我等は如何なる問題を攻究するに方ても、自己の推定を以て之に臨んではならない、先づ委しく事実の如何を究め、然る後に確実なる結論に達すべきである。
 神の何たる乎を知るに二ツの途がある、其第一は天然である、其第二は聖書である、而して二者は果して労せざる、劬《くるし》まざる、而して時には失望せざる神を吾人に伝ふるや、是れ余輩が茲に特に攻究せんとする問題である。
(144) 宇宙万物が神の一気呵成に由て戌つた者でない事は近世科学の充分に証明する所である、万物は誠に使徒パウロの言ひしが如く今に至るまで歎き且つ労苦《くるし』む者である(羅馬書八章廿二節)、天然其物が之を其一面より見れば苦闘である、一粒の種子が地に落ちて、夫れが生長して再たび実を結ぶに至るは容易の事でない、之に寒熱の妨害がある、虫害の危険がある、他の植物との生存競争がある、是等の障害に悉く打勝ちて、茲に始めて種子が幼芽となりて地上に萌え出づるのである、斯かる次第であるが故に天然は種の継続を計るがために饒多《あまた》の種子を備ふるのである、或る植物学者の計算に依れば蓼の一種なる Polygonum lapathifolium は平均三千百十九粒の種子を産して、其中生長して再たび実を結ぶに至る者は僅かに十六乃至三十六に過ぎないとのことである、雑草の一なる蓼に於てすら爾うである、高等植物なる桃李梅桜の類に至ては其更らに甚だしきを見るのである、紅葩枝に盈ち、万顆梢に叢りて、幼樹の地上に生ずる者は実に寥々たるのである、天然は一茎の艸を作らんために千粒の種子を産し、一本の樹を出さんために万顆の実を結ぶ、茲に確かに努力がある、力の浪費がある、流産の失望がある、一茎の艸と雖も容易に出来るものではない、故に軽忽《ゆるがせ》にすべき者でない、能く天然の労力を解する者は天然物なればとて濫りに之を毀損しない、志士が山林を貴び、仁者が狩猟を忌むは是れが為めである、之を造り給ひし神の眼より見て天然物はすべて甚だ貴くある、彼の許しなくして一羽の雀も地に隕ること無しと云ふは此事を云ふのである(馬太伝十章廿九節)。
 今地上を離れて地其物の形成の由来を尋るに、其実に容易の業にあらざりしことを視るのである、其大さより云ひて地球は天体中決して最大の者ではない、之を大陽に較べて見て二者の体積は一と百三十万の比例である、地球は天王星の六十四分の一、土星の七百四十分の一、木星の一千三百分の一である、火星と稍や同積にして、(145)金星水星よりも少しく大なりと雖も、然かも大陽系中に在て決して大を以て誇ることの出来る者でない、然れども大陽を中心として海王星まで二十七億九千二百万哩の広さに渉る虚空の大洋の中に漂ひて、直径八千哩に足らざる此地球のみが能く生物の発達に適し、他は火星を除くの外は、少くとも今の状態を以てしては、其用を為さないやうに見える、想ひ見る、神が始めて人類を置くに適するの地を造らんと欲し給ひて其聖業に就き給ひしや、彼れ先づ星雲を凝結せしめて大陽系の原質を造り給ひ、更らに進んで先づ第一に海王星を空間に生み給ふたのであらふ、然りと雖も、其、太陽を距る余りに遠きに因り、且つ其、密度の余りに低くして、稍々水のそれに等しきが故に、人類居住の地としては全く不適当なるを認め給ひたれば、彼は之を棄て給ひて更らに他の者を試み給ふたのであらふ、故に彼は更らに造化の聖業を継け給ひて、天王星を造り給ひしと雖も、是れ又海王星に似たる欠点あるがために終に又彼の放棄する所となつたのであらふ、土星は其次に造られ、之に伴ふに十箇の月あり、之を繞るに三重の環ありて、其夜の美はしさは地球のそれの及ぶ所にあらずと雖も、而かもその余りに大に過ぎて冷却の速度甚だ遅く、今尚ほ水よりも稀薄なる密度に於てあるが故に、是れ又以て人類の住所となすに足らず、徒らに空間に遺されて、今は僅かに望遠鏡裡に映りて学者の賞讃を博するに過ぎないのであらふ、次ぎに産出されたのが木星である、遊星中の巨人と称せられ、地球よりも大なること一千三百倍、八箇の月を有し、赤黄色の光を放ち、金星と相対して穹蒼の双璧である、其余りに美しきが故にスヰーデンボルグは木星は天使の住処なりと唱へ、カントは霊魂未来の第宅の在る所であると云ふた、然れども厳密なる科学は斯かる想像を許さない、木星の比重は水のそれより少しく多い丈けである、木星は未だ流動体の状態に在る者である、即ち今尚ほ未熟の遊星であつて、山、未だ現はれず、海未だ成らざるの状態に於て在る者である、遊星中の巨人なる木星は人(146)類の住所としては何の価値もない者である、億万年の後はいざ知らず、今、其処に理性の発達、霊性の向上を目撃せんことは望んで益なき事である、木星の次ぎに成りしは火星である、是れ或ひは人類の住所たるに適した乎も知れない、故に火星に至て稍々造化の大主眼たる心霊発顕の目的は達せられたのである乎も知れない、然れども、此目的は其次ぎに成りたる地球に於て始めて完全に達せられたのである、之よりも大なる四箇の遊星と、之れと稍々相等しき一箇の遊星と、而して火星と木星との間に散在する六百有余の所謂小遊星が成りて後に、茲に始めて人類の住所に適する此地球が成つたのである、其後之よりも小なる金星と水星とが成つた、然れども其、大陽に接する余りに近きが故に、是れ又生物発育のためには適しなかつた、斯の如くにして、大陽系中に在りて小なる地球のみ惟り造化の目的を完全に達したのである、他は悉く失敗と云へば失敗であつた、失望と云へば失望であつた、目的に達せんとして達し得なかつた者である、余輩は大陽系を概観して、大彫刻師の仕事場を見るが如きの感を起さゞるを得ない、其中に多くの未成品がある、半ば天才の理想を現はすに止て、全く之を現はさゞる者がある、聞くミケル・アンゼロが鑿を以て大理石の大塊に対するや、槌撃数回にして彼の理想を其上に現出し得ざれば、直に取て之を棄て、更らに他の巨塊を試みたりと云ふ、宇宙の大彫刻師なる神が世界を造り給ふに方て、之に類する苦心経営がありしやうに見える、其聖旨を先づ海王星の上に試み給ひ、之に慊らずして天王星を試み、尚ほ之を以て足り給はずして土星を試み、更らに木星を造り、火星を造り、終に地球を造り給ひて其聖意を充たし給ひしやうに見える、創世記一章に所謂
  神、之を善《よし》と観たまへり
とは神の其時の聖感を述べたものであらふ、神は吾人の住所なる此地球の成りしを見て「善し」と歓呼し給ふた(147)のである、実に大なる苦心であつた、億々万年を経過し、多くの失望を重ね、多くの世界の屑を出し、終に成つたのが此小なる地球である、地の貴いのは之れがためである、神が之を瞳の如くに愛し給ふのは理由の無い事ではない、彼の努力に由て成つた者であるからである、彼が終に其上に彼の像に象りて造り給ひし人類を置き、彼等の上に彼の無限の愛を注ぎ給ひしにも関はらず、彼等が彼に反きまつりて悪の奴隷となり了るや、彼は特に彼の一子をして、特に此小なる地球に降らしめ、人類の救済と同時に万物の復興を計り給へりとのことは、地球形成の由来に照らし見て信ずるに決して難い事でない、人は容易に苦心経営の結果を棄てない、真正の美術家は生命を棄ても自己の作品を保存せんとする、神が全地と人類とを保存せんとて其独子をさへ惜み給はざりしと云ふは此理に基づくのであると思ふ。
 
 神の工作《みわざ》なる天然が彼に就て示す所は以上の通りである、神の意旨を伝ふる聖書が彼に就て語る所も亦之と異ならない、聖書は神の努力と熱心と歓喜と失望とに就て語る、聖書が吾人に示す所の神は余裕綽々として、安座して宇宙を案出するが如き気楽なる神ではない、彼に熱心がある、
  ヱホバの熱心之を成し給ふべし
とある(以賽亜書九章七節)、彼は又工夫が辣腕を振て事を為すが如く、努力して正義を行ひ給ふ、
  其臂の力を発はして心の驕れる者を散らし
とある(路加伝一章五十一節)、彼に熱涙がある、憤慨がある、堪え難きの苦痛がある、聖書が吾人に示す所の神は確かに人に似たる神である、彼が特別に吾人の注意を惹く所以は茲にある、天の高きに在して哲学的安静を以(148)て下界を瞰視し、其愚を憐れみて之に干渉《たずさ》はらざるが如きは、聖書が吾人に示す所の神の為し給ふ所ではない。
 聖書は造化に関する神の苦心を伝へない、造化に関しては聖書は単に
  ヱホバ言ひ給へば成れり
と言ふて居る(詩篇三十三篇九節)、即ち宇宙は神の一言の下に成りしやうに伝へて居る、基督信者全体が宇宙天然の事に関して神を全然誤解するに至りしは、聖書の斯かる言辞に基因して居るのである乎も知れない、然しながら、天然の事を去て、人の事に至れば、聖書は始めより終に至るまで神の努力と心労とを伝へて居る。
 神は己の像に象りて人を造り給ふた、而して之に彼が造り給ひしすべての物を与へ給ひ、之を祝福して繁栄発達の途に就かしめ給ふた、然るに人は造らるゝや否や直に神に反き、悪魔の声に聴きて自から択んで神の敵となつた、此時に神に大なる失望があつた、聖書は此時に於ける神の心情を伝へて曰ふ、
  是に於てヱホバ地の上に人を造りしことを悔いて心に憂へ給へり
と(創世記六章六節)、一挙して自己に似たる人を造らんとの神の計画は失敗に終つた、アダムと其妻エバは神を識るの智識よりも此世の智識を好んで神の前より逐はれた、又其子カインは嫉妬に駆られて其弟アベルを殺した、其他も亦すべて之に類する行為に出たれば、神は人類の此悲むべき状態を臠《みそな》はし給ひて失望の声を揚げて宣ふた、
  我霊永く人と争はじ、其は彼も亦肉なればなり
と(創世記六章三節)、我は此上、我霊を以て人を導かんとて努力せじ、彼も亦下等動物と何の異なる所なければなりとのことであつた、神はアダムと其の子孫とに就て甚く失望し給ふたのである、エデンの園に地上の天国を見んと欲し給ひし神の計画は全く失敗に終りたるのである。
(149) 而して其後の人類の経歴は神の側より看て失望の連続であつたと云ふより外はない、神が地上に万国を起し給ひしは、彼等が彼を探り求めんがためであつた、
  神はすべの民を一つの血より造り、悉く地の全面に住ませ、預じめ其時と住所《すむところ》の界とを定め給へり、此は人をして神を求めしめ、彼等が或ひは探り当る事あらんためなり
とのパウロがアテン人に語りし言辞は能く神の此聖旨を言ひ尽したる者である、然るに事実は如何であつた乎と云ふに、其正反対であつた、万国は挙つて彼を棄た、彼等は挙つて彼を忘れた、否な、事は茲に止まらない、彼等は彼を棄てゝ、自己よりも低き物を取て神として之に事へた、
  彼等は神の真《まこと》を易へて偽となし、造物主よりも受造物を崇め奉りて之に事ふ
と(羅馬書一章廿五節)、或ひは天体を拝し、或は動物を拝し、或ひは彼等の中の一人を拝して、其前に跪座して言ふ、
  神聖なる者よ、我等を助け給へ
と、人類の此状態を臠はし給ふ神の心情《みこゝろ》は如何であらふ乎、神が預言者イザヤを以てイスラエルに対して語り給ひし言辞《ことば》は又彼が万国の民に対して語らんと欲し給ふ所であるに相違ない、
  天よ聴け、地よ耳を傾けよ、ヱホバの語り給ふ言あり、曰く、我れ子を養ひ育しに彼等は我に反けり、牛は其主を知り、驢馬は其主人の厩を知る、然れどイスラエルは識らず、我民は悟らざるなり(以賽亜書一章二、三節)。
 斯くて神の側より見て万国の興起は其目的を達しなかつた、「神に反き去る」の一事に於ては万国は其歩調を(150)一にした、アツシリ人は其武を以て錯り、ギリシヤ人は其智を以て錯り、エジプト人は其理を以て錯り、支那人、印度人、日本人等も亦各自其長所を以て錯つた、彼等は斉しく彼等を造りし父なる真の神を忘れた、彼等は斉しく不孝の子である、神に悖るの一事に於ては彼等は皆な類を同じくする者である。
 人を造て人の中に人らしき人を得ず、国を造て国の中に国らしき国を得ず、故に国の中に一国を択らんで、之に其聖旨を伝へんと努め給ひ、人の中に少数の人を簡んで、彼等を彼に似せんと努め給ふた、聖書に所謂る予定とは此事である、即ち理想の者を獲んとする神の努力の事実の上に現はれたる事である、多く国を造つて、其中に理想の一国を獲んとしてイスラエルの予定があつたのである、多く人を造つて其中に少数の義人を獲んとして預言者と使徒と聖徒との予定があつたのである、誠に神に於ても人に於ての如く生むは易くして育つるは難いのである、国としては万国の中、小なるイスラエルのみ能く少しく神を識り、人としては少数の彼に択まれたる者のみ、能く少しく其聖旨を窺ひ得たのである。
 斯くの如くにして聖書は始めより終に至るまで神の努力と選択と、之に伴ふ失望と歓喜との記録である、人類全体を去てイスラエルにのみ望を嘱し給ひし時に神に大なる失望があつた、イスラエル全体を去て、其中の少数者にのみ望を繋ぎ給ひし時に彼に大なる失望があつた、又其聖子の下に聖められたる者の一団を集め、之をして聖旨を地上に成さしめんとし給ひしに、其目的も亦敗れて、基督教会今日の状態を見るに至て、彼に又大なる失望があるに相違ない、万人の救はれて真理《まこと》を暁るに至らんことは神の望み給ふ所なるには相違ないが(提摩太前書二章四節)、然し事実は神の此希望に叶はず、召さるゝ者は多くして救はるゝ者は尠ないのである、実に一国の神の聖旨を根底として興らんことは容易の事ではない、又一人の救はれて神の子とならんことは容易の事では(151)ない、努力して宇宙を造り給ひし神は又努力して人を救ひ給ふ、人類の歴史は人の側より見て罪悪の歴史である、然し神の側より見て努力の歴史である、如何にして其理想を人の中に見ん乎とて神は元始より努力し給ふのである。
       *     *     *     *
 神が努力して成つたる信者である、故に彼は永久に之を棄て給はないのである、彼は彼の手の作《わざ》を打棄て給はない(約百記十章三節) 彼の丹精に由て生みたる子である、故に彼は宣ふたのである
  婦、其|乳児《ちのみご》を忘れ、己が腹の子を憐まざる事あらんや、
  縦ひ彼等忘るゝことありとも我は汝等を忘るゝことなし
と(以賽亜書四十九章十五節)、努力の無い所に愛はない、愛は努力し、又努力して自から増進する者である、神が其子を育つるに努力し給ふは、彼に力が不足するからではない、彼は愛であるからである、神に在りても彼は努力して愛を顕はし給ふのである。
 
(152)     真のバプテスマ
                         明治43年2月10日
                         『聖書之研究』117号
                         署名なし
 
 バプテスマは洗礼に非ず、葬式なり、肉と我れとを葬りて、霊と神とに生まるゝの式なり、此意義に於てバプテスマは日に日に必要なり、特に年の始めに於て必要なり、我等は教会に於て、水を以て、教師の手より之を授からずして、心の内殿に於て、聖霊を以て、神より直に之を施さるべきなり。羅馬書六章三節以下。
 
(153)     ユダヤ人としてのイエス
         (馬太伝第一章の所示)
                         明治43年2月10日
                         『聖書之研究』117号
                         署名 内村鑑三
 
 イエスはユダヤ人である、我等は其事を忘れてはならない。
 世に民族の数は多くありと雖もユダヤ人ほど驚くべき民族は無い、今は其数は千三百有余万であつて、世界各国至る所に散在して居る、彼等は限られたる国土を有たない、然れども孰れの国に在りても有力なる地位を占めて居る、数多き民族の中でユダヤ人のみが全世界を国として有つ者である、誠に真正の意味に於ての世界的民族とてはユダヤ人を除いて他にない。
 ユダヤ人は最も古い民族である、アブラハムの体より出たる者と称せられ、尠くとも四千年間の歴史を有つて居る、ユダヤ人が歴史の舞台に現はれし時には未だ羅馬もなかつた、希臘も無つた、アツシリヤは未だ起らず、エジプトとカルデヤが其古き文明を継けて居つた頃であつた、すべての国民に興亡があつたが、ユダヤ人のみには是れがなかつた、彼等のみ時代の変遷と共に遷らず、綿々として今日に至つた、而して彼等は今日尚ほ少しも衰退の兆を示さない、文明の諸方面に立て益々生長発達しつゝある。
 此最も広き、最も旧き民族は又其人口の比例に最も多くの偉大人物を産した、単に宗教的人物として見ずして、(154)世界的人物として見て、何人かモーセ、イザヤ、ヱレミヤ、パウロ等の上に出ることが出来る乎、然れどもユダヤ人の活動は宗教界に限られない、人生何れの方面に於ても彼等は第一流の地位を占めて居る、単に近世歴史を通覧して、余輩は彼等の中に幾多の世界的偉人(而かも平和的偉人)を発見するのである、哲学者としてはスピノーザがある、音楽家としてはメンデルゾーンがある、社会改良家としてはラサル、カール・マルクスがある、政治家としてはヂスレールがある、新聞記者としてはド ブローヴイツがある、理財家としてはロートシルト一家がある、非戦論は組織的に最も精密に始めてユダヤ人なるド ブロツホに由て唱へられた、又すべての宗派的嫌悪を去りて倫理的に万国の民を結合せんとの遠大なる目的を以て起されたる所謂「倫理運動」なる者も是れ亦同じユダヤ人なるアドレル博士の主道に由て始りたる者である、ユダヤ人は其祖先より革命的民族である、モーゼを以て始まり、イザヤ、ヱレミヤ、パウロ等を経て、スピノーザ、ブロツホに至るまで大志を懐き、偉想を唱へ、以て人類を根本的に革正せんと計りたる者である、彼等は武を以て鳴らない、馬と戎車《いくさぐるま》とは彼等に取り昔時《むかし》よりの禁物である、然しながら音楽を以てして、哲学を以てして、理財を以てして、而して最近に至りては非戦論と社会主義と倫理運動とを以てして彼等は誤謬に沈む社会を其根本より救はんとしつゝある、
  人はその剣を鋤に打ちかへ、その鎗を鎌に打ちかへん、国と国とは剣を挙げて相攻めず、又戦争を習はざるべし
との預言者イザヤの理想は、今のユダヤ人に由ても真摯に信ぜられ、彼等に由て其実現は努められつゝある。
 而してキリストと称へられしナザレのイエスも亦此偉大なるユダヤ民族の一人であつた、彼も亦理想の人であつた、彼の血脉にも亦革命の血が流れて居つた、彼も亦平和の福音の宣伝者であつた、ユダヤ人であつた故に彼(155)も亦四海兄弟主義者であつた、イエスは誠に世界最大最旧の民族たるユダヤ人の産であつた、哲学者スピノーザと質を共にし、貧に居り、迫害せられつゝ其所信を貫いたる者であつた。
 勿論、執れの民族も多少の偉人を産した、然れども若し世に人類の救主が生るゝとするならば、何れの民族が之を生むに最も適して居る乎と問ふならば、公平なる歴史家は躇躇せずして答ふるであらふ
  ユダヤ民族である
と、英民族は広しと雖も未だ人類的であると称することは出来ない、露西亜より人類の救主が出づると聞いて他の国民は決して之を信じない、ユダヤ人を除くの外、すべての民族は国家的である、即ち護るべきの国土を有し、奉ずべきの政体を戴く者である、英国より英国の救主は出づるであらう、露国より露国の救主は出づるであらう、米国より米国の教主は出づるであらう、然しながらユダヤ民族のみ能く人類の救主を産するに適して居ると思ふ、此一寸の国土を有せざる民、此一台の大砲と一艘の軍艦とを有せざる民、此民が誠に世界平和の唱道者、愛なる神の実現者、即ち人類の救主を産するの特権に与つたのであると思ふ。
 
(156)     神に事ふべき時期
                         明治43年2月10日
                         『聖書之研究』117号
                         署名なし
 
 神に献ぐるに最善最美の物を以てせよ、生涯の最も善き部分を以てせよ、老衰用に耐えざる残躯を以てする勿れ、失敗後の余命を以てする勿れ、彼は勿論、何時たりとも彼の子供が彼に帰り来らんことを欲し給ふ、然れども彼は彼等の生気旺盛の時代を要求し給ふ、青年時代は之を肉慾放縦のために消費し、壮年時代は之を野心遂行のために濫用し、而して老朽為すなきに至りて神に帰り来るも彼は多く喜び給はざるなり。伝道之書十二章一、二節。
 
(157)     福音の活殺力
        (哥林多後書三章十ニ−十七節まで)
                         明治43年2月10日
                         『聖書之研究』117号
                         署名なし
 
 大抵の人は思ふ、福音は人を救ふための者であつて、必ず人を活かす者であると、誠に爾うである、然し人を活かす者であるが故に場合に依りては人を殺す者である、甚だ歎かはしき次第であるが、然し止むを得ない次第である、蝋を溶くの大陽の光線は粘土は之を固くする、大陽の悪いのではない、之を受くる者の悪いのである、神の恩恵は名薬と同じである、其功験の著大である丈け其害毒も亦随て激甚である。
 故にパウロは言ふたのである、
  沈淪者《ほろぶるもの》の為めには死の香《にほひ》にして彼等を死に至らしむ、救はるゝ者のためには生《いのち》の香にして彼等を生に至らしむ
と、同じ福音は生の因ともなり亦死の因ともなるとのことである、同じ事を老ひたるシメオンは嬰児イエスに就て其母マリヤに語りて曰ふた、
  此|嬰児《おさなご》はイスラエルの多くの人の頽《ほろ》びて且つ興らん事と、誹駁《いひさからひ》を受けん其|号《しるし》に立てらる
と(路加伝二章卅四節)、イエスは多くの人の頽の基《もとゐ》となつたのである、此意味に於て彼は人の教主ではない、其(158)頽亡者である、誠に悪鬼は彼に面と対ひて曰ふた、
  噫ナザレのイエスよ、汝来りて我を喪《ほろぼ》すか
と(路加伝四章卅四節)、而してイエスは今猶ほ多くの人を頽しつゝあるのである。
 誠に福音は必しも人を救ふための者ではない、是れは神の証明である、神の何たる乎を証する者である、故に之を提供せられて人の運命は定まるのである、之を受けん乎、其人は救はるゝのである、之を斥けん乎其人は頽さるゝのである、誠に福音に接するのは何人に取りても其人の危機である、頽ると興るとは之に対する彼の態度に由て定まるのである。
 世に悪人は多い、然し未だ福音に接したことのない人の中に極悪の人はない、福音は写真術に於ける顕像剤の如き者であつて、人の心の念《おもひ》を露はす者である、善人の善をも露はし、同時に悪人の悪をも露はす者である、而して福音に由て悪を露はされて、之を取除かれずして其儘福音を棄つる者は実に禍ひなる哉である、其人は此事を為すに由て極悪の人と化するのである、非基督教国に於て想像することだも出来ざる悪人が基督教国に於て多く存するは全く之れがためである、恐るべきことであつて、同時に又避くること能はざる事である。
 茲に於て余輩は知るのである、余輩福音宣伝を職とする者は必しも人の救済を目的とする者にあらざることを、余輩が最も忠実に、欠くる所なく、福音を宣伝するとするも、其結果として必しも余輩に聴きし者は悉く救はるるとは限らないのである、否な、事実は其反対であるべきである、若し余輩の福音宣伝にして欠くる所なくば其結果として多くの堕落信者を出すべきである、人の罪を露はし得ざるやうな福音は偽はりの福音である、若し活かすにあらざれば殺す底の福音でなければ其福音はキリストの福音ではない。
(159) 故にパウロは曰ふて居るのである。
  我等多くの人の如く神の道を混乱せず、誠により、神に由りて神の前にキリストに在りて言ふなり
と、「混乱する」とは「偽和する」の意である、牛乳に米汁を混じ、砂糖に白堊を和するが如きを云ふ、神の道を「偽和する」とは、其儘を説かずして、之を飾り又は之を緩和して聴く者の望に適するやうにすることである、斯く為して或ひはすべての人を「救ふ」ことが出来る乎も知れない、即ち彼等を教会の会員となし、救はれたり、救はれたり、平安《やす》かれ、平安かれと称して、彼等の心を宥《なだ》むることが出来る乎も知れない、乍然、是れ神が我等に要め給ふ所ではない、愛の神は慈悲の神であると同時に又正義の神である、神は我等が彼の道《ことば》其儘を伝へんことを要め給ふ、茲に至て我等は人を喜ばせんとせず、又必しも彼等を救はんとせず、
  誠実を以て、神に由り、神の前にキリストに在りて
語らざるを得ないのである、誠に辛らい職分である、然し止むを得ないのである、神の忠実なる僕として我等は人に対し此厳正の態度に出ざるを得ないのである。
 我等は勿論すべての人の救はれんことを欲する、是れ又神の心であることは聖書の明かに示す所である(提摩太前書二堊四節)、然し神の僕としての我等は人の友としての我等と異なる、我等が聖書を手にして立つ時は人の私友でなくして神の公僕である、我等は人を歓ばせんために神の道を曲げることは出来ない、両刃《もろば》の剣よりも鋭き此道は人を活かしもし、亦殺しもする、意志の自由を賦与せられたる人は此危機に際して殺されざるやう努むべきである、然し此時に際し彼が如何に振舞ふ乎は我等は勿論、神と雖も干渉することの出来ないことである、人の最大の栄誉は其意志の自由に於てある、彼が天国に昇り得るの特権に伴ふて彼が地獄に堕るの危険がある、(160)すべての善事に其反対の悪事が伴ふ、而して福音は恩恵と共に其中に呪咀を蔵《かく》す者である。
 然れば人よ、心して福音を聴けよ、古談《むかしばなし》を聴くの心を以て濫りに之に来る勿れ、軽率に之を聴き、耐え得ずして之を棄て、深き堕落の淵に沈みし多くの人に鑑みよ、福音を聴て活きよ、之を棄て其殺す所なる勿れ。
 
(161)     研究誌の自今
                         明治43年2月10日
                         『聖書之研究』117号
                         署名なし
 
 自今研究誌は誠に研究誌たらんと欲す、即ち感情を動かすための雑誌たらずして、思考を促がすための雑誌たらんと欲す、熱烈なる主張を唱ふる者にあらずして、冷静なる研究の結果を供する者たらんと欲す、而かも時に詩情の動くありて、抑へんと欲して抑へ難き時は勿論此限りにあらざるなり。
 
(162)     或る婦人に語りし所
                         明治43年2月10日
                         『聖書之研究』117号
                         署名 柏木生
 
〇神を愛して神に愛せらるゝのではありません、神に愛せられて、即ち神をして自己《おのれ》を愛せしめまつりて神を愛し得るに至るのであります、神は此世の君主とは違ひます、彼は私供が彼のために何か功績を立てなければ私供を誉めて下さらないやうな、そんな者ではありません、彼は私供の父であります、故に私供が彼を愛するよりも、より深く、より強く私供を愛する者であります、私供は或る主義を押し通して彼の賞讃に与からんと欲してはなりません、彼をして私供に代て、私供が彼のために為すべき事を、私供に在りて彼れ自から為さしめまつらなければなりません、彼が私供に就て最も喜び給ふ事は此事であります、即ち私供が彼の前に立て純然たる彼の子供と成ることであります、奮闘々々と称して、自から勇者となりて、天晴れ基督信者たるに恥ぢざる者とならんと欲するも、是れ私供の為し得る事でもなく、亦縦し為し得るとするも信仰の立場から見て決して立派なる事ではありません、神に私供に代て闘つて戴くこと、其事が私供基督信者に取り最大最高の功績であります。
〇人と争ふに全般的問題を以てすべきでありません、具体的問題を以てすべきであり吏す、彼は儒教主義に依り、我は基督教を把持すと申しますものゝ、先づ第一に定むべき問題は儒教とは何ぞや、基督教とは何ぞやの問題であります、而して多くの場合に於きましては、儒教と云ふも、基督教と云ふも全く同じ事を謂ふのでありまして、(163)唯名が異なる丈けで実は少しも異なりません、私供は単に名のために人と争ふの愚を演じてはなりません、然し具体的の問題は全く之と性質を異にします、而して争闘を具体的問題に限りて争闘の区域は非常に減じます、私供の争ふべきは明白なる善悪問題であります 而して私供は悪を避けて善を為さんためには生命を賭しても争ふべきであります、誰が見ても明白なる善のために堅く立つのが、それがキリストのために立つのであります。
 
(164)     『近代に於ける科学的思想の変遷 一名、新科学の福音』
                           明治43年3月30日
                           単行本
                           署名 内村鑑三者
 
〔画像略〕初版表紙185x125mm
 
(165)     はしがき
 
 近世科学の立場より福音的信仰を維持し得る乎、是れ此小篇の証明せんと努むる所の問題なり、此篇載せて『聖書之研究』第百十六号にあり、特に読者の注意を惹きし故にや、発行後|倏《たちまち》にして其全部を売尽したれば、茲に之を再版に附して再び江湖に提供することゝ做せり、余は此篇を草するに方て、C・B・アブトン氏著『宗教的信仰の基礎《ベーシス、オブ、レリジャス、ベリーフ》』并にW・L・ウォルカー氏著『聖霊と受肉《スピリツト・エンド、インカーネーシヨン》』に負ふ所甚だ多し、余は英語を解し得る読者の是等二著に裁て更らに其研究を継けられんことを望む。
  千九百十三年三月十五日             著者
 
  近代に於ける科学的思想の変遷
  附録 天使とは何ぞや
 
(166)     ユニテリアン主義の特長
                         明治43年4月1日
                         『六合雑誌』352号
                         署名 内村鑑三
 
 ユニテリアン主義と云へば、之を唯一主義と訳し、トリニテリアン主義、即ち三位一体主義に対するものと、一般に信ぜらるれども、予の考ふる所に依れば、必しも然らずと思ふ。ユニテリアン主義は元来教理上より出たる主義ではない、是は道徳的観念より湧出でたる主義である。
 即ち神は三つあるにあらずして、一つなりと云ふに出でし主義にあらずして、教理に拘泥して、簡単にして明瞭なる道徳を行はざることが、基督教の明白なる本義に反することであると云ふ、実際的道徳問題より出でたるものが、即ちユニテリアン主義であると思ふ。
 此事は少しく、ユニテリアン主義の歴史に照して見れば明かである。
 勿論其主遺著は、ユテアリアン主義の唱ふる教理の、トリニテリアン主義の教理よりも、簡明にして、深遠なるを、唱へて止まずと雖も、併しユニテリアン主義が、識者の歓迎する所となり、社会に勢力を持つに至りし理由は、決して其教理の長短に因るのではないのである。
 トリニテリアン主義と雖も、単に之を迷信と見て、排斥することは出来ない、其中に深き真理の存するありて、聖アウガスチン以来、多くの正直なる学者の、之を唱道せしに鑑れば、決して或るユニテリアン主義者が唱ふる(167)が如き、背理的迷信と見做すことは出来ない。
 三位一体主義とは、神は三つあると云ふことではない。神は勿論一つである、唯だ其一たるや、単独の神と云ふの意ではない。神は彼自身にありて、完全なるものであると云ふことを示さんが為に出でたのが、此三位一体の教義である。故にトリニテリアン主義の根底は、神は愛なりと云ふ、約翰書の言より出でたのであつて、決して或論者の言ふが如き、東洋諸邦の迷信を、基督教に移植して出来たものでない。
 論の可否は別として、此の如くにして、トリニテリアン主義とて、其中に深き真理のないことはない。故に若し教理の上より論ずれば、強ちユニテリアン主義は、トリニテリアン主義に優ると云ふことは出来ない、後者にありても「其言ふべき事は十分にあるのである。併ながら、ユニテリアン主義の、特に他の主義に優る所以は、其明白なる倫理思想にあるのである。即ち教義を闘はすの結果、我等の同胞を愛せず、明白なる義務を尽さゞることを嘆ずるの余り、三位一体の教義、其他の教義の無用を唱へて、茲に神は一つ、人類は兄弟なりとの、簡単なる主義を唱へたのが、即ちユニテリアン主義である。
 此深き倫理思想より、其簡単なる教理が出でたのであつて、教理が前きにして、倫理が後とであつたのではない。倫理が前きにして、教義が後とであつたのである。
 是は勿論ユニテリアン主義に於てのみ、然るにあらずして、何れの主義に於てもさうである、けれども殊にユニテリアン主義に於て、さうであると思ふ。 故に、他の国のことは、能く知らないけれども、予の知る所に依れば、米国に於ては、ユニテリアン主義が、殊に貴ばるゝ理由は、其大胆にして、勇敢なる、ヒユーマニチー的事業に於てあるのである。ドロテア・ヂック(168)ス女史の瘋癲病院設立事業に於けるが如き、ゼームス・ビー・リッチヤード氏の白痴教育に於けるが如き、ロイド・ガリソン氏の奴隷廃止運動に於けるが如き、其他、教育事業に、文学事業に、ユニテリアン主義者が、米国に、人道的並に思想的進歩に、貢献したる所は、実に多いのである。而して此等の偉大なる事業があるが故に、ユニテリアン教が歓迎されるのであつて、特に其数義が、他の教義に優るとて、歓迎されるのではないと思ふ。故にユニテリアン主義に於ても、若し其教理に重きを置いて、其人道的事業を軽んずるに至れば、忽ちに同主義者の中より、大なる反対論者が起つて、大いに、其不信、無道を、攻撃するに至るのである。
 ユニテリアン主義者の中にも、常にオルソドックス派と、リベラル派の二つがあつて、前者は、其教理に依らんと欲し、後者は、其行為に依らんと欲するのである。
 トリニテリアン主義の、信仰的根本とも称すべきものは、人の救はれるは、其信仰にあつて、行ひに於てあらずと云ふのである。是に対して、ユニテリアン主義者は言ふたのである。人の救はれるは、其行ひにあつて、信仰に依るにあらずと。同様に、ユニテリアン主義者が、教理を重んじて、行ひを軽んずるに至る時には、同主義者の中より、教義を軽んじて、行ひを重んずる人が起つて、此主義の刷新を図るのである。
 此の如き次第であれば、要は日本に於けるユニテリアン主義者が、其主義の根本に立戻り、徒らに、トリニテリアン主義者の教理を攻撃するを止めて、ユニテリアン主義者の特長たる人道的事業に、盛んに従事せられんことを望むのである。即ち人の救はれるは、信仰に依るにあらずして、行ひに依るのであると云ふことを、実行を以て示されんことである。此の如くにすれば、ユニテリアン主義の繁盛は、期して待つべきであつて、且又トリニテリアン主義者と、無益の論争を闘はすの必要もなくなるのである。
(169) 日本に於ては、欧米諸国に於けると違ひ、我等基督を信ずる者は、教理の差別のために、無益の争闘を敢てしてはならない、我等は各自に委ねられし天職を重んじ、其特質を発揮して、以て相互を助くべきである。而してヂックス女史、ガリソン、リッチヤード氏等の精神が、我国に於て勃興さるゝを見て、日本人は、真にユニテリアン主義を重んずるに至り、又トリニテリアン主義者も、大いにユニテリアン主義者に学ぶ所あるに至り、茲に於てか、社会も一般教会も、同じくユニテリアン主義に負ふ所あるに至つて、彼我共に神に感謝するに至るのであると思ふ。
 一言常に信ずる所を述べて、六合雑誌記者の嘱託に応ずることゝなせり。
 
(170)     〔春の到来 他〕
                         明治43年4月10日
                         『聖書之研究』118号
                         署名なし
 
    春の到来 待望の福音
 
 春は来れり、花は咲けり、春は待て来れり、花は強ひずして咲けり、春は人の力を藉りずして、天然の法則に循ひ、神の命じ給ひし期《とき》に至りて来れり、
   今更らに春を忘るゝ花もあらじ
     やすく待ちつゝ今日も暮さん
 我等は歌人の言を藉りて斯く吟咏《くちずさ》みつゝありし間に春は我等の待望に応じて温然として天地に臨めり。
 誠に待つことは善事なり、すべての善事は待て来る、春は待て来る、自由は待て来る、平和は待て来る、天国も亦待て来る、期到ればすべての悪事は去て、之に代りてすべての善事は来る、故に善事を為さんとするに方て、我等は必しも自から進んで強ひて之を為すを要せず、静かに待て之を為すを得べし、活ける神の治め給ふ此宇宙に在て、待望は休止にあらず、誠に詩人ミルトンの云へりしが如く待つ者も亦勤むる者なり。
 其然る所以は之を探るに難からず、神は活ける神にして独り自から働らき給へば也、神は勿論人を以て働らき(171)給ふ、然れども亦人を離れて働らき給ふ、然り、人の彼の命を拒むあれば人に逆らひて働らき給ふ、彼は人に依らざれば事を為す能はざるが如き無為無能の神に非ず、彼は人を以てして、或ひは人を以てせずして彼の聖旨を遂行し給ふ、神は人を以てせずして天地を造り給ひ、人を以てせずして其上に日を照らし雨を降らし給ひ、人を以てせずして其中に万物を造り、人を以てせずして之をして進化せしめて今日に至らしめ給へり、而して人も亦己に依らずして地上に遣《おく》られ、己に依らずして邪を排し正を行ひ、己に依らずして今日の進歩あるに至れり、人よりに非ず、又人に由らずとは惟り使徒パウロの言のみにあらざるなり、すべて大事を為せし人は、其使徒たりしと、預言者たりしと、詩人たりしと、哲学たりしと、政治家たりしとの別なく、凡て広く人世を益し、深く人類を化せし人にして此感を懐かざる者は未だ曾てあらざるなり、深く天然と人生との事を究めて、人は何人も神の全能に対する人の無能を認めずんばあらず、イエス曰ひ給はく、
  我父は今に至るまで働らき給ふ、我も亦働らくなり、
と(約翰伝五章十七節)、人の活動ありて神の活動あるにあらず、神の活動に伴れて人の活動あるなり、人の活動は神の活動の余波たるに過ぎず、恰かも陽春の天地に臨むありて窓外の一枝の綻ぶが如し。
 「我父は今に至るまで働らき給ふ」、故に万物に進化あるなり、人類に進歩あるなり、世に革新あるなり、God is marching on 神は日に日に其大義を進め給ふ、此事あるが故に期到れば永久と称へられし圧制の羅馬帝国は滅びたり、此事あるが故に期到れば当然と信ぜられし奴隷制度は止みたり、而して此事あるが故に人類に完全の域に達するの希望あるなり、神にして働き給はざらん乎、神にして人の如くに他の者の働くを待ち給はん乎、世は永久に革まらざるべし。
(172) 期到れば春来る、期来れば自由行はる、期来れば平和遍し、神は自顕の神にして其予め定め給ひし時に方て其聖旨を示し給ふ、彼れ光あれと言ひ給ひし時に光ありたり、彼れ自由あれと言ひ給ひし時に自由ありたり、彼れ平和あれと言ひ給ふ時に、平和あらん、而して彼は此最後の詔命を発せずして止み給はざるべし。
 然れば我は待たんと欲す、我は特に世界平和到来の時を待たんと欲す、諸の国民は騒ぎたち、諸の王等は立ちかまへ、群伯は共に議り、僧侶と牧師とは之に和し、剣を磨き、砲を鋳り、争て大艦を造り、文明の恩恵を施すと同時に、無辜を塗炭に苦しめつゝあるも、我は我希望を失はざるべし、我は今叫びて、此惨禍を除く能はず、今や国家は武力の上に立ち、愛国は戦争の事として信ぜらる、若し平和の到来を人に待たん乎、我は絶望せざらんと欲するも得ざる也。
 然れども今は猶ほ黒暗の時なり、冬の最中なり、溟※[さんずい+幸]にして芽を含める時なり、神が未だ其方面に向て著しく動き給はざる時なり、故に其声は今猶ほ人の嘲ける所となる、然れども神は終に起き給ふべし、ヱホバはジオンより其声を放ち給ふべし、其時万国の民は震へ、其心は一時に平和に傾き、平和は輿論となりて戦争は耽辱となるべし、其時誠に予言者の言は事実となりて現はるべし、
   ヱホバは諸の国の間を鞫き
   多くの民の間を和らげん、
   斯くて彼等はその剣を鋤に打ちかへ、
   その鎗を鎌に打ちかへん、
   国と国とは剣を挙て相攻めず、
(173)   また重ねて戦争を習はじ。
 神は日に月に其大義を進めつゝあり給へば期到らば悪事は終に悉く除かれ、善事は終に悉く遂げらるべし、此世が化してキリストの国と成るは単に時日の問題なり、春は期に到りて必ず来るが如くに神の国は時に到らば必ず来るべし、人は或ひは少しく其到来を早め得べし、然れども万邦挙て之を妨げんとするが如きは到底為す能はざる事なり。
 然らば我等は信仰なき此世の人の如くに暗黒の勢を見て恐れざるべし、我等は心を静かにして平和の春の到来を待つべし、但し安臥して待たざるべし、主の帰るを待つが如くに腰に帶して待つべし、主の来るの遅きを嘆かざるべし、希望の成就を期して待つべし。
       ――――――――――
 
    世々の磐
 
 若し救はるゝは我が行作又は我が信仰に由るならん歟、我は今猶ほ危地に立つ者なり、そは我は何時罪を犯し、我が信仰は何時冷却し、又何時変移するや、期すべからざれば也、我は我が変り易き行作と信仰の上に我が永久の希望を築く能はざる也。
 然れども我は聖書に由て我が救拯の我が行作又は信仰に由るに非ずして、変りなき神の変りなき聖旨に基づくを知て、我に始めて真個の平安あるなり、其時我は我が行作の不全を意とせず、我が信仰の冷却を恐れず、※[螢の虫が糸]《まと》へる罪の重荷を脱して憚らずして神の至聖所《いときよきところ》に入るを得るなり、(希伯来書十章十九節)、神若し我が味方たらば誰(174)か我に敵せんや、我れ我が神が其無限の愛を以て我を予め其救拯に定め給へりと識りて、我は世の反対を恐れず、教会の非認を恐れず、我が罪と不信とを恐れず、唯「我は信ず」と言ひて一直線に進むなり。
  キリストは我等の猶ほ罪人たりし時に我等のために死にたまへり、神は之に由て其愛を彰はし給ふ(羅馬書五章八節)。
 神より進んで罪人なる我等と和らぎを求め給ふと、是れ福音の真髄たるなり、
  汝等視よ、我等|称《とな》へられて神の子たることを得、是れ父の我等に賜ふいかばかりの愛ぞ(約翰第一書三章一節)、
 神にして此愛なからざらん乎、彼の義にして我が罪に勝つに足る者ならざらん乎、彼の聖意にして我が意を以て動かし得る者ならん乎、我が救はるゝの機会は永久に来らざるべし、然れども神は無限の愛にして、其愛は単に赦す消極の愛に非ずして、恵み且つ義とする積極の愛なるが故に、我が救はるゝの希望は確実に存するなり。
 人の救はるゝは行作に由るに非ず信仰に由るなり、信じ難き神の絶大の愛を信ずるに由るなり、神が義人を救ひ給ふとは何人も信ずるに難しとせざる所なり、然れども彼れが自から進んで罪人と和らぎ、其罪を除き、之を彼の子と為し給へりと聞きて、我等は其愛の人のすべて思ふ所に過ぎて信ずるに最も難きを覚ゆるなり、誠に信じ難きは水を酒と化し、死者を甦らする物理的の奇蹟に非ず、罪人の罪を除き、之を罪として認め給はず、之に代へて聖き心を与へ給ふとの愛の奇蹟……信じ難きは誠に此奇蹟なり、而かも神の愛とは斯かる愛なり、而して此愛を信じて我等は救はるゝなり、福音は此愛を伝ふる者なり、信者は此愛を信ずる者なり、我が平安は茲に在るなり、我が安全は茲に存するなり、我は世が評して以て厚かましと称するまでに神の愛を信じて神の子たるの(175)資格を我に獲得せんとする也。
 然らば我れ何をか恐れん、外なる他人の非難も内なる良心の詰責も以て我をキリストに在る神の愛より絶《はな》らすること能はざるなり、我に我が頼るべき世々の磐あり、イエスキリスト是れなり、彼は神の愛の表顕にして、人以上、我れ以上、律法以上、然り我が信仰以上の者なり、我れ彼れに頼りて愧羞《はぢ》を取ることなし、彼を信じて今も後も恐れざる也。
  愛に恐怖《おそれ》あることなし、全き愛は恐怖を除く(約翰第一書三章一節)
       ――――――――――
 
    信者不信者
 
 信者とは誰であるか、不信者とは誰である乎。信者とは水の洗礼を受け、教会に入り、其の会員となり、我は基督信者なりと称して己を世に吹聴する者である乎、而して不信者とは教師の勧誘を斥け、洗礼を拒み、教会に入るを肯ぜざる者である乎。
 否な、否な、然らざる也。
 然らば信者とは誰で、不信者とは誰である乎。然り、信者とはキリストの心を以て心となす者不信者とはキリストの心を以て心となさゞる者である。
 キリストの心とは何んである乎。
 パウロの曰へるが如し、即ち
(176)  汝等各自己が事のみを顧みず、亦他の事をも顧みよ、汝等キリストにありし此心を以て又汝等の心とすべし。
と(腓立比書二章三、四節)、此心の有る者が信者であつて、此心の無い者が不信者である。
 己が事のみを顧み、他人の迷惑を想はず、其の苦痛を察せず、権利の有る丈けを主張し、要求し得らるゝ丈けを要求し、而して他人の義務とあれば少しも之を己に負はんとせず、他人の労苦とあれば少しも之を己に頒たんとせざる者、是れが真個の不信者である、斯かる不信者は教会の内に有る、又其外にある、基督信者の中に有る、又其外にある、此世は誠に不信者の世である、冷酷、無慈悲は其の常習である。
 然し信者は之に異なる、彼等は己が事のみを顧みず、亦他人の事をも顧みる、彼等は相互の労を任《お》ひ、斯くしてキリストの律法《おきて》を全うせんとする(加拉太書六章二節)、彼等は彼等に属する権利のすべてを要求しない、彼等は多くの事に於て他人の僕たるを肯ずる、彼等は他のために自ら進んで身を不利益の位地に置く、彼等はキリストに傚ひ、己れは十字架に釘けらるゝも、他に生命を頒たんとする、信者とは是れである 不信者とは是れである、我等は名に於ては不信者たるも実に於ては信者たるべきである。
       ――――――――――
 
    イエスキリストの心
 
 イエスキリストの心とは人に善を為し、善を為すが故に人に憎まれ、憎まれながら自在に人を赦し、死に至るまで彼等を愛するの心である、世に貴き者とて斯心の如きはない、而して斯心さへ我有であれば、我等は此世に於て何を有たずとも、又人に何んと言はれやうとも、王公貴族にも優さる幸福満足の人である。
 
(177)    救済
                         明治43年4月10日
                         『聖書之研究』118号
                         署名なし
 
 我れ善く行ひて救はるゝにあらず、又篤く信じて救はるゝにあらず、神に救はれて救はるゝなり、救はれて信ずるを得、信ずるを得て善く行ふを得るなり、救済は我に在りては徹頭徹尾神の業なり、我の干与する所にあらざるなり。  斯る人は血脈に由るに非ず、情慾に由るに非ず、人の意に由るに非ず、唯神に由りて生れし也(約、一の十三)。
 救済は惟り神の聖意に基因す、人の如何に由らざるなり。
 
(178)     姦淫罪に対するイエスの態度
                         明治43年4月10日
                         『聖書之研究』118号
                         署名 内村鑑三
 
  「太」は馬太伝、「可」は馬可伝、「路」は路加伝、「約」は約翰伝の略なり。
 
 少しく注意して福音書を読む者は姦淫罪に対するイエスの態度に就て奇異の感を起さゞるを得ない、イエス程姦淫を嫌ひたる人はない、此罪に対する彼の詰責は実に峻厳を極めたる者である。
  凡て婦人を見て色情を起す者は中心すでに姦淫したる也、故に若し汝の右の眼汝を此罪に陥《おと》さば抉出《ぬきいだ》して之を棄てよ、そは五体の一を失ふは全身を地獄に投入れらるゝよりも勝ればなり、又若し汝の右の手汝を此罪に陥さば之を断りて棄てよ、そは五体の一を失ふは全身を地獄に投入れらるゝよりも勝れば也(太、五の廿八−三十)。
 此は姦淫罪を其根本に於て誡めたる言葉である、此警誡に接して我は清浄なり、我は姦淫を犯せしことなしと言ひ得る者は一人もない、イエスの姦淫の定義より見て、人は何人も凡て悉く姦夫淫婦である、ウリヤの妻バテセバを辱かしめしダビデ王ばかりではない、又其兄弟ピリロの妻ヘロデヤを娶りて妻となせし分封《わけもち》の君ヘロデばかりではない、人と云ふ人、賢人と云ふ賢人、聖人と云ふ聖人はイエスの前に出てはすべて悉く姦淫の人である、(179)イエスが此世を称して
  姦淫の世
と云ひ給ひしは理由《いはれ》なき事ではない(太、十二の卅九、「奸悪なる世」と訳せられしは「悪くして姦淫を犯す世」との意である)、人類の堕落は最も明かに其姦淫の傾向に於て顕はるゝ者であつて、此点に於て清浄であつて、人は其中心に於て清浄であるのである、而してイエスは其敵に対して
  汝等の中誰か我を罪に定むる者ありや
と問ひかけ給ひて彼には汚穢の痕迹だも存せざることを示し給ふたのである、而して之に反して聖ペテロと称せらるゝシモンペテロさへも始めてイエスの誰たる乎を識りし時には彼の足下に俯して
  主よ我を離れ給へ、我は罪人なり
と叫ばざるを得なかつたのである(路五の八)、聖パウロの言として伝へらるゝ者の中にも、彼が未だイエスを識らざりし時の状態《ありさま》を述べて
  我等も前には……諸般《さま/”\》の慾と楽の奴隷と為れる者なり
との言のあるを見て(提多書三章三節)、彼れパウロにも亦此不浄不潔の自覚の強烈に起りし時のありしことが判明《わか》る、誠にイエスの言行と其功績とを録せる新約聖書を総称して之を「純清の書」と称することが出来る、誠に世界万巻の書の中に在て惟り新約聖書のみ汚穢の痕迹だも留めずと言ふことが出来る、此点に於ては古事記も不潔である、哥蘭経も不浄である、イエスキリストの在し給ふ所のみ姦淫の痕迹だも留めないのである。
 然るに茲に最も奇異《ふしぎ》なる事は、斯くも汚穢猥褻の微塵をさへ容赦し給はざりしイエスが実際の姦淫者に向ては(180)非常に寛大でありしことである、清浄の化身たりし彼が汚穢に接したらん場合には之を峻拒、厳責して止み給はざりしならんとは誰しも想ふ所なるに、事実は予想の正反対であつて、イエスは姦淫罪に接して容易く之を赦し給ふたのである、此事たる今日の吾人をして奇異の感を起さしむるのみならず、又甚たく彼れ在世当時の彼の観察者を惑はしめたのである 彼が曾てパリサイの人なる富豪シモンの家に客たりし時に、彼の背後に立ちて彼の足に注ぐに貴き香油を以てし、其頭髪を以て頻りに之を拭ふ一人の婦人があつた、而して主人シモンは能く彼女の素性を知りしが故に、彼女に対するイエスの態度を怪しみ独り密かに心の中に言ふた
  此人若し預言者ならば※[手偏+門]《さは》りし者は誰なる乎又如何なる婦なる乎を知らん
と、そは此婦人こそ其邑に住める有名の醜業婦であつたからである、然るに此疑問のシモンの心の中に起りしを知り給ひしイエスは少しも婦人を責め給ふことなく、返て斯かる疑問を起せしシモンを責め給ふた、醜業婦の彼の身に※[手偏+門]りし事はイエスの咎め給ひし所ではない、自己の義を頼みて悔改の必要を感ぜざりしパリサイの人シモンこそ、彼の警告を蒙りし者である、婦人に対しては彼に唯慈愛の一言があつたのみである、
  汝の信仰汝を救へり、安然にして往け
と(路、八の三十七以下を見よ)、伝説の伝ふる所に由れば此婦人こそ有名なるマグダリヤのマリヤであつて、爾後終りまで忠実にイエスに従ひし者であるとのことである。
 イエスに近づきし第二の淫婦はサマリヤの婦《をんな》である、イエスが疲れてヤコブの井《ゐど》の傍《かたはら》に座し給ひし時に、彼に近づきて談話を交はせし一人の婦人があつた、彼より
  汝往きて汝の夫を呼び来れ
(181)との痛き命令を受けしも、彼女の之を拒みたれば、イエスは
  汝に夫なしと言へるは理《ことはり》なり、そは汝に曩に五人の夫ありて今ある者は汝の夫に非ず、汝の言ひしは真なり
と言ひて彼女の真相を看破し給ふた、然るに厚かましき彼女は痛き此一撃を意に介せざるが如くに見せかけて、更らに談話を継けんとしたれば、イエスは特に彼女を追窮せんと為し給はず、彼女の質問に応じて諄々として深玄の真理を彼女に説き給ふた、茲に清浄の化身と相対して淫猥の塊土《かたまり》が座したのである、然るに清浄なる者は恚《いかり》て不浄なる者を斥け給はず、其不浄を摘指して之を非認し給ひしと雖も、而かも罪人は其罪の故を以て之を憎み給はず、反て之を愛し給ひて、之をしも神の子供となさんとして努め給ふた、茲にイエスの清浄は対照に由りて一層明かに顕はれたのである、純清は不浄を憎まずして反て之を赦す、囂然として不潔を憤るは不純の証である、サマリヤの婦を相手にヤコブの井の傍に座し給ひし時にイエスは特に神の聖子として我等の前に顕はれ給ふたのである。
 イエスは一時《あるとき》以上の二つよりも更らに醜悪なる姦淫の実例に接し給ふた、彼の教敵はある時一人の現行犯の淫婦を彼の許に曳来りて彼に其処分を乞ふた、彼等は曰ふた、
  師よ、此婦は姦淫を為し居る時其儘執へられし者なり、モーセは其の律法の中に此の如き者は石にて之を撃殺すべしと命じたり、汝は如何に言ふや
と、清浄無垢なるイエスは此汚れたる婦人を如何に処分すならんや上周囲の人々は眸を凝らして窺ふたであらふ、然かも其中に立てイエスは婦人に対して何をも語らず、何をも為し給はなかつた、唯身を屈めて指にて地に画《ものか》き、事の自然の成行を待ち給ふた、然るに彼等が尚も切りに彼に問ひて迫りたればイエスは起て静かに曰ひ給ふた、
(182)  汝等の中罪なき者、即ち曾て姦淫の罪を犯せし事なき者は、先づ石にて彼女を撃つべし
と、斯く曰ひて彼は再び身を屈めて地に画き給ふた、而して此意味深き威厳ある一言に由て万事は決せられたのである、淫婦をイエスに訴へし者の中に自身姦淫の罪の汚染より全然離脱せる者は一人も居なかつた、故に一人去り二人去りて終にはイエスと婦人とのみ残つた、茲に於てイエスは婦人に向て曰ひ給ふた、
  婦よ、汝を訟へし者は何処へ往きしや、汝の罪を定むる者はなき乎
と、而して「主よ一人もなし」との彼女の答に対して彼は彼女に曰ひ給ふた、  我も亦汝の罪を定めず、往きて再たび罪を犯す勿れ
と、実に著るしき活画である、未だ此人の如く言ひし人あらず(約、七の四十六)、此人の一言に由て淫婦は其罪を赦され、彼女を訟へし者は其罪を定められたのである、余輩の知る範囲内に於てソクラテスも孔子も釈迦も斯くは語らなかつた。
 事実は以上の如くである、姦淫を憎みしこと激烈にして深刻なりしイエスは驚くべき寛仁を以て姦淫を行ふ者を赦し給ふた、一見して姦淫罪に対するイエスの態度に大なる矛盾があるやうに見える、イエスは姦淫の事に関しては其所信を実行し給はざりしやうに見える、其理由は那辺に存するや、是れ何人も知らんと欲する所であると思ふ。
 其理由の第一はイエスの罪の救済力に存するのであると思ふ、イエスは自在に姦淫罪を赦して彼は如何なる罪をも赦し得るの権能を聖父より授けられし者なる事を示し給ふたのであると思ふ、罪の中に在りて最も醜悪なる此罪を自在に赦し得る者は其他のすべての罪を赦し得る者であるに相違ない、マグダリヤのマリヤや、サマリヤ(183)の婦や、姦淫を為し居る時に其儘執へられし婦が斯くも容易くイエスに赦されたりと聞きてすべての罪人は其犯せし罪の赦免に裁て失望しないのである、我れ如何に大なる罪人であればとて未だ幸にして斯くまで身を汚せしことなし、而かも主は寛仁もて彼等をさへ赦し給ひたりと聞いて我は我が救拯に就て失望せざるに至るのである。
  夫れ人の子地にて罪を赦すの権あることを汝等に知らせんとて
と曰ひ給ひてイエスは衆人凝視の中に※[病垂/難]※[病垂/風]《ちゆうぶ》を病む者を癒し給ふた、彼は同じことを彼の心の中に唱へ給ふて姦淫の婦を赦し給ふたのであると思ふ、
  人の行ふすべての罪は身の外にあり、然れど姦淫を行ふ者は己が身を犯すなり
とパウロの曰ひし其姦淫の罪をすらイエスは容易く赦し給ふと聞いて、茲に彼の赦し得ない罪とては此世の中に一つも無きことを明かに示されたのであると思ふ。
 然しながら其他にもまだ理由があると思ふ、而して其|主《おも》なる者は姦淫罪の性質に於てあると思ふ、人の犯す凡《すべて》の罪の中に姦淫は最も犯し易き罪である、其重大の罪なるに関はらず、姦淫程犯すに易く、又犯す機会の多い罪は無いのである、是れは一人にて犯す罪にあらずして二人にて犯す罪である、又犯すに苦痛なくして反て快楽の伴ふ罪である、又隠すに易くして又弁疏の理由を附するに易き罪である、故に人類の罪にして最も多く行はるゝは此罪であつて、文明の今日と雖も絶つに最も難きは又此罪である、故に神は深き憐愍を以て此罪に陥り易き人類を臠《みそな》はし給ふのである、ノアの洪水ありて後に
  人、地の面に繁衍はじまりて女子之に生るゝに及べる時、神の子等人の女子《むすめ》の美はしきを見て其好む所の者を取りて妻となせり、ヱホバ曰ひ給ひけるは我霊永く人と争はじ、そは彼も亦肉なればなりと(創世記六章(184)一−三節)
 是れ神に取り其子に関する失望の声でありしと同時に又憐愍の声であつた、彼も亦肉なれば也」と、憐むべし彼も亦下等動物の性を享けて、霊なる神の霊的訓戒を直に其霊に受くること能はざれば也とのことであつた、而して神の此憐愍を覚りし詩人は彼に己が罪の赦免を乞ふに方て曰ふた、
  ヱホバの己を畏るゝ者を憐み給ふことは
  父が其子を憐むが如し、
  ヱホバは我等の造られし状《さま》を知り、
  我等の塵なることを念ひ給ふ
と(詩篇百三篇十三、十四節)、姦淫は性慾濫用の罪であつて肉に属ける罪である、人が塵なるが故に陥る罪であつて、霊なる天使には無き罪である、故に神の側より見て憎むべきと同時に又憐むべき罪である、神が之に対して寛仁の態度を取り給ふはそれが為めであると思ふ。
 又人の側より見て姦淫は犯し易き罪なるが故に、同時に又悔ひ易き罪である、罪にも種々の種類がある、使徒ヨハネの曰ひしが如く死に至る罪あり、然れど亦死に至らざる罪あり(約翰第一書五章十六、十七節)、而して姦淫は重大の罪たるに関はらず、癒し難きの罪ではない、即ち必しも「死に至る」罪ではない、人の陥る罪の中に姦淫よりも遥かに危険なる罪は他に幾個《いくつ》もある、即ち傲慢の如き、讒害の如き、妬忌の如き詭譎の如きは是れである、是等は皆な肉の罪であるよりは寧ろ霊の罪である、意志の邪悪なるより起る罪であつて、肉の荏弱なるより生ずる罪でない、随て神の側に在ても亦人の側に在ても赦すにも除くにも甚だ難き罪である、傲慢は姦淫と異(185)なり、肉を有たざる天使も亦陥り易き罪である、閨門の事に関しては些《すこし》の咎むべき所なき人にして神を畏れず、人を敬はず、傲慢、不礼、不情、不慈、巌石の塊の如き人のあることは入の能く知る所である。
 茲に於て我等はイエスが何故に姦淫を犯せし者よりも学者パリサイの徒を嫌ひ給ひし乎、其理由を少しく窺ひ知ることが出来るのである、パリサイの人シモンの場合に於ても、亦現行犯の淫婦を石にて撃たんとせしパリサイの人の場合に於ても、イエスは淫婦の味方に立てパリサイの人に抗し給ふた、イエスには姦淫を犯せる婦よりも遥かに憎むべき者があつた、学者とパリサイの人、神学者と自称宗教家、己が目にある梁木《うついばり》を知らずして他の目にある物屑《ちり》を除かんとする者、我は他の人の如くに強奪、不義、姦淫せずと曰ひて神の前に己を義とする者、……イエスが其聖き心の根底より憎み給ひし者は斯の人等である、彼は淫婦よりも是等の人を嫌ひ給ふた、彼は満腔の恚怒《いかり》を籠めて幾回となく彼等を詛ふて曰ひ給ふた、
  噫、汝等禍ひなるか偽善なる学者とパリサイの人よ、
と、而して彼等に対して憚らずして曰ひ給ふた、
  我れ誠に汝等に告げん、税吏《みつぎとり》及び娼妓《あそびめ》は汝等よりも先きに神の国に入るべし
と(太廿一の三十一)、イエスの眼より見て「死に至る罪」は学者とパリサイの人の犯す罪であつて、税吏と娼妓の犯す罪ではない、己を義とするの罪は身を汚すの罪よりも遥かに大である。
 福音書に録されたるイエスの庇保《かば》ひ給ひし姦淫罪の犯人が主として婦人でありしことは我等の注意すべき事である、彼が姦淫の男子を庇保ひ給ひし実例は一ツも載せて無い、是れ或ひは彼の在世当時に在ては、今の東洋諸邦に於けるが如く、女子は男子よりも特に罪業深き者として見做され、男子の犯せる罪の其源因は女子に在りと(186)信ぜられたからであるかも知れない、現に使徒パウロの言として伝へらるゝ者の中にもアダムとエバの罪を較べて
  アダムは惑はされざりしなり、婦に惑はされて罪に陥いれり
とあるを見て(提摩多前書二章十四節)当時の思想の一斑を窺ふことが出来る、而して此時に方てイエスが特に淫婦を赦し給ひしは、彼が姦淫の罪を其根本に於て除き給ふの実証を挙げんがためであつた乎も知れない。
 然しながらイエスは婦人なればとて特に其荏弱を憐れみて其姦淫の罪を赦し給ふたのではない 彼が述べられし放蕩子の譬話に於て、彼れ放蕩子が其産を尽く集め遠国へ旅行し其処にて其|分資《もちもの》を妓《あそびめ》のために耗《つひや》したりしも、悔ひて父の許に還り来れば父は喜んで之を迎へ、悉く其罪を赦し、犢を宰《ほふ》りて其帰還を祝したりとあるを見て、イエスは姦淫罪の赦免を女子にのみ限り給はざりしことが判明る、殊に新約を去て旧約に至れば、ダビデ王の実例に由て最悪の姦淫罪たりと雖も悔いて赦されざる者なく、又一たびは此罪に陥りたりと雖も、悔ひて復たび神に還れば彼は
  我が心に適ふ王ダビデ
と宜ひて其恩寵を之に継げ給ひしとの事が明かに示されてあるのである、ヱホバの神は姦淫を憎み給ふと同時に又之を赦し給ふとの事は旧新両約聖書を通うして明かに示されたる神の聖旨である。
 余輩は斯く述べて勿論姦淫を軽視し又は之を弁護せんとするのではない、姦淫は犯し易き罪である、故に危険なる罪である、是れはサタンが思慮なき者の為めに設くる陥穽《おとしあな》である、之に陥る者は多く、陥りて復たび上り得ずして其中に死する者も尠くない、(箴言第七章を見よ)、然れども危険なればとて回復の見込なき罪ではない、是(187)は必しも死に至るの罪ではない、其性質より言ひて偽善、傲慢、讒害の如き罪ではない、是は主の憐み給ふ罪である、肉の弱きより起る罪である、故に自身に在りては非常に慎むべき罪であるが他人に在りては寛容を以て赦すべき罪である、姦淫は特に同情すべき罪である、癲狂が同情すべき病であると同然である、普通の人が癲狂を嫌ふが如くに普通の義人と宗教家とは姦淫の罪を嫌ふ、然れども二者共に不治の病ではない、イエスは能く※[病垂/風]癲を癒し給ひ、又能く姦淫を赦し給ふた。
 然るに自から基督信者と称する者にしてイエスの此心を知る者が尠ない、彼等は姦淫の罪に対して殊に厳格にして其他の罪に対しては甚だ寛大である、彼等は容易に偽善を容す、争闘と詭譎と讒害と毀謗とは盛んに彼等の間に行はれる、然れども彼等は之を措て問はない、然れども若し彼等の中の弱き兄弟又は姉妹の或者にして姦淫の罪を犯す者があれば、或ひは犯したりとの風評の立つ事があれば、彼等は怒て一斉に起ち上り、石を以て之に対し、其名を毀ち、其霊魂を殺さゞれば止まない、然し是れイエスの為し給ふたる所ではない、イエスは神学者と自称宗教家とに対しては厳であつたが姦淫を犯せし者に対しては甚だ寛であつた、イエスは姦淫を憐んで偽善を詛ひ給ふた。
イエスの此心を善く弁へしパウロは曰ふた、
  兄弟よ、若し図らずも過に陥る者あらば、汝等の中霊に充つる者は柔和なる心を以て之を規正すべし、亦自からをも顧みよ、恐らくは汝も亦誘はるゝことあらん
と(加拉太書六章一節)、而して使徒の此|勧言《すゝめ》は殊に人が姦淫の罪を審判かんとする場合に於て適切である、
  亦自からをも顧みよ、恐らくは汝も亦誘はるゝことあらん
(188)と、詩人ゲーテの名作フハウスト劇に於て潔白の少女マーガレットが近隣の女子某の堕落の淵に沈みしを聞き、甚く之を憤りし後、遠からずして自身それ以上の堕落に陥りしことが書いてある、姦淫の罪は他人に於て之を責むるよりも寧ろ自身に於て慎むべき罪である。
       *     *     *     *
  汝姦淫する勿れ
とはシナイ山の巓より火と煙と大なる声に伴はれてモーセに降りし神の誡である、
  汝の信仰汝を救へり、安全にして往け。
  我も亦汝を罪に定めず、往きて再び罪を犯す勿れ。
とは夕陽煌めくガリラヤの海の辺に、又は清き涼しきシロアムの池の端《はた》に於てイエスに由て伝へられし福音である、而して我等はモーセの律法よりもイエスキリストの福音により多く耳を傾くべきである。
 
(189)     教権の所在
                         明治43年4月10日
                         『聖書之研究』118号
                         署名なし
 
 教権は教会に於て在らず、聖書に於てあらず、勿論我れ自身に於てあらず、活けるキリストに於てあり、教権は「彼」に於てあり、制度又は書籍等「物」に於て在らざる也。
 
(190)     失敗の恩恵
                         明治43年4月10日
                         『聖書之研究』118号
                         署名なし
 
 教会の基督教は成功に於て神の恩恵を認む、之に反してキリストの福音は失敗に於て神の愛を示す、最大の恩恵はキリストを識るにあり、而して失敗の十字架を味ふてのみ能く十字架のキリストを識るを得るなり。
 
(191)     無教会主義の利害
                         明治43年4月10日
                         『聖書之研究』118号
                         署名なし
 
 余輩の無教会主義は害ありと云ふ者あり、又利ありと云ふ者あり、然れども余輩は害ありと云ふ者のために之を唱へず、利ありと云ふ者のために之を道ふ、故に害ありと云ふ者は之に耳を傾くるを要せず、利ありと云ふ者のみ之に聴く可し、人は悉く一様ならず、彼は自己を模範として他を審判く能はず、無教会信者をして無教会信者たらしめよ、彼等は又教会信者の教会信者たるを妨げざるべし、教会は信仰上の細事なり、此事に関して人は各自其選む所に従て可なり。
 
(192)     奮闘の必要
                         明治43年4月10日
                         『聖書之研究』118号
                         署名 柏木生
 
 我等キリストの福音を以て此世に立つ以上は、戦闘は全然之を避けんと欲するも得ない、我等は勿論他を苦しめんために闘はない、又我が怨恨を霽さんために闘はない、又我が領土を拡めんために闘はない、又戦闘の奮激を好んで其為めに戦はない、然れども我が裡にある光をして世に輝かしめんと欲して我等は世と戦はざらんと欲するも得ない、我等は勿論何よりも静粛を愛する、若し我が好愛を言はんには我等は勿論終生聖書と天然とを友として、讃美と詩歌の生涯を送りたく欲ふ者である、然れども是れ自身十字架を負ひて我等を罪より救出し給ひし所の主が我等に免し給はざる所である、我等は己が救を全うせんとする点より見ても悪魔と激闘せざるを得ない、而して其悪魔は単に裡なる霊の悪魔ではない、外なる肉の悪魔である、佞入である、奸物である、酒である、賄賂である、淫猥である、残忍である、我等は時には彼等の怒れる顔を恐れずして「主は汝を憎み給ふ」と言ひて彼等を詰責しなければならない、斯く言ふに多くの勇気を要する、然れども言はざるを得ない、之を言ひ得ずして我等は主の忠実なる僕ではない。
 今や罪悪は何れの処にも跋扈する、村にも町にも郡にも市にも国にも、到る所に愧悪の罪悪は横行する、而して之を不問に附して其改まるべき時は永久に来らない、主は或時何人かを以てして之を責ふ給ふに定つて居る、(193)我等は勿論言ふべきの時機の到来を待つ、然れども其時機たるや我等が何の苦痛をも感ぜずして罪悪の除かるべき時機でない事を我等は能く心に留めて置かなければならない、斯かる無痛の時機は永久に待つとも決して来らない、罪悪の刈除は必然的に苦痛の業である、我等は無痛の時機の到来を待つと称して、目前に熟しつゝある時機を逸してはならない。
 血を流すことなくして罪の赦免あることなし(希伯来書九章廿三節)、苦痛と奮闘となくして罪悪と暗黒との除かるゝことなし、我等は身に多くの痛傷《いたきず》を負ふことなくして神にも同胞にも永久的善事を為す事は出来ない、而して幸福なる人とは沢山に此痛傷を負はせらるゝ人である、之れに反して臆する者は火と硫礦の燃ゆる池にて其報を受くべしとの事である(黙示録廿一章八節)。
 故に我等の祈祷は左の如くにあるべきである、即ち
  主よ、我等に汝の命を待望む所の従順の心を与へ給へ、其れと同時に危険を敢てする勇敢の心を与へ給へ、我等が平和と静粛とを愛する其心が人の面を恐るゝ怯懦と成り了らざるやう我等を助け給へ、我等がキリストの戦士として一生を終らんとする其覚悟を我等に与へ給へ。アーメン
 
(194)     〔感化の功績 他〕
                         明治43年4月10日
                         『聖書之研究』118号
                         署名なし
 
    感化の功績
 
 先生に教を受けしが故に斯んな目に遭ひたりと言ひて余輩を恨む人もある、先生に道を聴きしが故に斯かる境遇に陥りしと雖も能く之に堪ゆることが出来ると言ひて余輩に感謝して呉れる人もある、余輩は所謂先生なる者の実際世に役に立つ者なるや否やを知らない、然しながら若し役に立つ者であるとすれば、それは先生の如何に由るよりも寧ろ弟子たる者の如何に由るのであると思ふ、キリストさへも
  汝の信仰汝を救へり
と言ひ給ひて救済の功を常に其弟子に帰し給ふた、況して余輩に於てをやである、余輩の欠点多きを以てして到底人を感化するなどといふことは出来ない、然れども若し人ありて余輩を利用し、余輩に学ばずして余輩の伝ふる神に学ぶならば、或ひは余輩と雖も多少人生を益することが出来るであらうと思ふ、余輩は人に余輩の感化力を唱へらるゝ時に、慚汗背を潤して身は地下に入りたく思ふを常とする。
 
(195)    此彼勝敗の理
 
 此世の勝敗は競争に由て決し、天国の優劣は恩恵に由て定まる、此世に在りては強き者は勝ち弱き者は敗れ、智き者は優り、愚かなる者は劣る、然れども天国に在りては
  欲《ねが》ふ者にも趨《はし》る者にも由らず、唯恵む所の神に由る(羅馬書九章十二節)
 此世の法則は天国の法則に非ず、我等此世に於て敗るゝとも敢て悲むに足らず、蓋し此世に於て敗るゝ其理由は天国に於て勝つ其理由たるべければ也。
 
(196)     最後の一円(旧稿)
                         明治43年4月10日
                         『聖書之研究』118号
                         署名なし
 
 我に神より賜はりし少許の所有あり、我れ之を将て救世の陣頭に臨む、我に人よりの後援あるなし、唯天よりのマナの日に日に供せらるゝあるのみ、我が敵は強くして我が糧は少し、我れ時には降旗を挙げんことを思ふ、時に声あり我を励まして曰ふ
  最後の一円を投ぜよ、而して後に休むべし
と、我れ此声を聞て再び起つ、之に答へて曰ふ我れ汝の恩恵によりて爾かなさん、と。
 
(199)     〔如何にしてキリストの如く成るを得ん乎 他〕
                         明治43年5月10日
                         『聖書之研究』119号
                         署名なし
 
    如何にしてキリストの如く成るを得ん乎
 
 我等はキリストの如く成らんと欲す、然れどもキリストに習ひて彼の如く成る能はず、キリストに服ひて姶めて稍々彼の如く成るを得るなり、我等は善行を以てキリストと競ふ能はず、彼を我等の心に迎へまつりて、彼をして我等の裡に在りて善果を結ばしめまつるを得るなり、我等は繰返して曰ふ、キリストは我等の教師に非ず、我等の救主なりと。
 
    我が信仰
 
 我が信仰は単純にして簡単なり、即ちイエスキリスト我罪を救はんために十字架の死を遂げ給へりとの事是なり、其説明は我の能くする所に非ず、我は何故に罪人なるやを知らず、我は唯我の罪人なるを知る、我は又何故にキリストの死が我罪を救ふやを知らず、我は唯その我罪を救ふの唯一の能力なるを知る、我は罪の事実を知る、又救拯の事実を知る、然れども罪の原因と救拯の哲理とは我の能く知る所にあらず、誠に我が信仰は事実の信仰(200)なり、教理の説明又は信条の奉体にあらざるなり。
 
    事業の完成者=死
 
 キリストの事業は彼の死を以て完成せり、其如く、「余輩彼の小なる弟子の事業も亦余輩の死を以て完成するなり、死は最大の事業なり、生涯の高極なり、人は死せずして未だ其業は就れりと言ふを得ず、誠に基督者に生前の成功なる者あることなし、彼の事業は死を以て始まるなり、彼は肉眼を以て己が事業の成功を見る能はず、其生命を世の罪の供物となすを得て、其事業の永へに神の手に在りて栄ゆるを見るなり。以賽亜書五十三章十節。
 
    餓死の決心
 
 昔時の武士に切腹の覚悟ありたり、今の基督者に餓死の決心なかるべからず、死すとも盗泉の水を飲まず、饑ゆとも不義のパンを食はず、事の成らざるを悲まず、志の低きを恥づ、何ぞ勢力の扶殖を計らんや、一人の罪人をして悔改めしむれば足る。
 
    福音の反証
 
 処世の方便として福音を信じ、而して其目的を達すれば直に之を廃棄す、而して独り心の中に言ふ、我れ最早福音を要せず、独り成功の途を歩むを得べしと、然れども神は慢るべき者に非ず、福音は之に頼れば救拯の巌たるべく、之に反けば躓礙の石たるべし、福音は背反者を粉砕して其真理たるを証明す、而して余輩は福音反証の(201)実験に供せらるゝ者の尠少ならざるを見て基だ悲むなり。
       ――――――――――
 
    神は光なり
 
 神は光なり、彼は河にあらず、彼は一定の河身に由て世界を潤す者にあらず、八方普く人類を照らす者なり、神は教会に由て人を恵まず、直に人の霊魂に臨み給ふ、世の歴史的教会又は継承的監督の必要を説く者は歴史的太陽又は継承的日光の必要を唱へて可なり。約翰第一書一章五節。
 
    神を識るの二途
 
 神を識るに二途あり、聖書を学ぶ其一なり、聖旨を行ふ其二なり、二途其一を欠て深く且つ完全に彼を識る能はず、而して人は何人も望んで聖書学者たる能はず、然れども何人も意を決して勇敢なる愛の行為に出づるを得べし、而して実行の方面よりして深く且つ確実に神を識るを得るなり。
 
    智識の渋滞
 
 智識は霊魂の食物なり、実行に由て消化さる、而して消化されざる智識は渋滞して毒素と化して霊魂を害す、研究茲に十年、何の実行の挙るなくして聖書智識は反て我霊を殺すの危険あり、今や春雷将さに動かんとし、蟄虫萌蘇する時なり、願ふ同士と共に蹶起して他を助くると同時に自らも亦助けられんことを。
 
(202)    伝道の明確
 
 伝道他なし、イエスキリストを紹介すること是なり、彼の人格を紹介することなり、彼の事業を紹介することなり、人をして彼を其すべての方面に於て知らしむることなり、福音宣伝とは単に道を伝ふるといふが如き漠然たる事にあらず、勿論教勢拡張と称するが如き政治家めきたる事にあらず、イエスキリストと称する明確なる人格の明確なる紹介なり、余輩は伝道に従事すると称して空を撃つが如き業に従事するにあらざるなり。
 
    唯一の善行
 
 余輩が処世の方法を教へ、其れに依て生涯の成功を遂げた人がある、然し斯かる人は大抵は夙く既に余輩を忘れ、書を寄せて余輩の安否を問はず、甚だしきに至ては余輩の門前を過ぐるも余輩を訪れない者さへもある。
 余輩がキリストを紹介し、彼を信ずるに由て霊魂の救済を得た人がある、斯かる人は歳を経るも余輩を忘れず、書を寄せて余輩の安否を問ふは勿論、余輩より此世に属する何の善き物をも受けざりしに、幾回か物を送りて余輩の欠乏を補ひ、余輩を愛して今に至りて止まない。
 余輩は勿論報恩を目的として善を為さない積りである、乍然、報恩の一事より考ふるもキリストを紹介する善行の遥かに他の善行に優ることを認めざるを得ない、余輩は金品の慈善を為して悔ひたことは幾回もある、然しキリストを人に紹介して悔ひたることは未だ曾て一回もない、福音を伝ふるは、為すに愉快にして、永遠にまで(203)酬ゐらるゝ天下唯一の善行である。
 
(204)     エクレージヤ
        (教会と訳せられし原語)
                         明治43年5月10日
                         『聖書之研究』119号
                         著名 内村鑑三
 
 エクレージャは教会と訳せられし希臘語である、ek「外に」kaleo《カレオー》「呼ぶ」と云ふ二つの詞より成りたる詞であつて、「外に呼び出されし者の集合体」と云ふ意義である、元来政治上の意味を以て用ゐられたる詞であつて、国会と云ふが如き又は市会と云ふが如き場合に於て用ゐられたのである、聖書に於てもエクレージャは所々に於て此政治上の意味を以て用ゐられて居る、例へば使徒行伝十九章三十二節に於て
  そは会衆(エクレージヤ)乱れて大半は何のために集まれるかを知らざれば也
とあるはエペソ市会の混乱の状態を述べて曰ふたのである、同じく三十九節に  律法に合ふ会《あつまり》(エクレージヤ)
とあるは希臘民族の憲法に循《よ》るエペソ市の定期議会を指したのであつて、律法と云ふも勿論モーセの律法ではなく、会と云ふも勿論教会のことではない。
 希臘民族の間に行はれし政治上の集会をエクレージヤと称した、又猶太人の間に在りし半政治半宗教的の集会も亦希臘語に訳せられし場合に於ては此詞を以て称ばれたのである、列王記略上の八章六十五節に
(205)  イスラエルの大なる会衆(エクレージヤ)彼(ソロモン)と偕に在りき
とあるは其一例である、又尼希米亜記五章七節に
  而して我れ彼等のために大会を開らき
とある「会」の字も亦エクレージヤと訳してある。
 如斯くにしてエクレージヤは英語の church と云ふが如き、又は独逸語の kirche と云ふが如き詞とは全然語源を異にして居る、後者は二つとも希臘語の kuriakon 即ち「主(神)の家」より出し詞であつて、是れは神殿と云ふが如き又は礼拝堂と云ふが如き純然たる宗教的の意味を有つたる詞である、エクレージヤは元々平民の会合であつた、初代の基督信者が其会合を称するに方て此詞を採りて他の詞を用ゐざりしは其中に深き理由が存して居つたのである。
 之をキリストの言葉に徴するに、キリストは滅多に教会と訳せられし此詞を用ゐ給はなかつた、彼の言行を伝ふる四福音書は馬太伝を除くの外は、唯の一回も此詞を載せて居らない、而して馬太伝に於てすら唯の二回、即ち其十六章十八節と十八章十七節に於て用ゐられてあるのみである、即ちエクレージヤなる詞は極く稀れにキリストの口より出でし者であつて、それが変じて制度的教会を指すに至りしまでには幾年月に渉る思想の変遷のあつたことが判明る、馬可伝と路加伝とが唯の一回も此詞を載せざるはまだしものことゝして、教会制度の最初の制定者なりと称ばるゝ聖ヨハネが著はしたりと伝へらる1約翰伝并に約翰書が(短かき第三書を除くの外は)唯の一回も教会のことに説き及んで居らないのを見て、教会の起源をキリスト御自身の思想の中に求むることの如何に困難なる乎が判明る。
(206) キリストが教会のことに就て語られしと伝へらるゝ其言葉の第一は是れである、即ち
  若し兄弟汝に罪を犯さばその独り在る時に往きて諌めよ、若し汝の言を聴かばその兄弟を獲べし、若し聴ずぱ 一人又は二人を伴ひ往け、若し彼等にも聴かずば教会(エクレージヤ)に告げよ、若し教会に聴かずば之を異邦人又は税吏の如き者とすべし
と(馬太伝十八章十五−十七節)、此場合に於てエクレージヤは必しも教会と訳すべき者にあらざることは之を前後の関係より見て明かである、若し一人の言に聴かずば二三人を以て試みよ、若し二三人の言をも斥けなば之を集会に告げよと云ふのである、単に多数の意見に糺せよと云ふのであつて、教会裁判に訴へよと云ふのでない事は誰が見ても明かである、キリストは茲に普通の意味に於てエクレージヤなる詞を用ゐられたのである、所謂「教会の首長」として之を使ひ給ふたのではない。
 其第二は馬太伝十六章十八節に於て録されたる言葉である、即ち
  汝はペテロなり、我れ我が教会(エクレージヤ)を此磐の上に建つべし
と、キリストは其説教に於て希臘語を用ゐられざりしことは確かである、故に希臘語を以て録されたる新約聖書の中に在る此言とても勿論弟子の翻訳に由て成つた者であることは明かである、故にキリストが発せられし如何なる詞をエクレージヤと訳したのである乎、其事は今に至りて詮索するも益の無いことであるが、然し若し弟子の翻訳が正確であると仮定して、それが必しも今日の所謂教会を指した者でない事は此一節の読方如何に由て判明る、此一節に於て高調して読むべき詞は「教会」ではない、「我れ我が」である、キリストは曰ひ給ふたのである、
(207)  ペテロよ、汝は我はキリスト、活ける神の子なりと曰へり、誠に然り、我は彼れなり、我れ汝に告げん、我は汝の名ペテロに準じ、汝の此表白の磐(ペテラ)の上に我が会衆を築くべし
と、即ち猶大人の会衆はモーセの律法の上に建てられしが如くに、又希臘人の議会は其憲法の上に立つが如くに、キリストは彼の独特の会衆をペテロの此表白の基礎の上に築き給ふべしとのことを曰はれたのである、
  我れ我がエクレージヤを建つべし
と、我も亦我が団体を作るべし、規則に拠るにあらず、法律に依るにあらず、イエスをキリストと認むる自由意志の発動的認識より出づる愛の信仰を基礎としてキリスト独特の霊的会衆を作るべしとのことである、殊に「建つべし」と訳せられし原語 oikodomeso は建設の意を通ずる詞であつて「制定」を意味する詞ではない、即ち家屋造営の意味より転じて家庭建設の意味に移りし者であつて、キリストが茲に特に此詞を用ゐられて、政府に擬したる教会の制定を避けられ、家庭に類したる兄弟的団体の建設を目的とせられしことが判明る、制度的教会が拠て以て其根底と見做すキリストの此聖語も之を精しく究むれば返て之を破壊するに足る者であることが判明る。
  我れ我がエクレージヤを家庭として建てん
と、何んと麗はしい言葉ではないか乎、若しキリストの教会なる者があるとするならば斯の如き者でなくてはならない、家庭に類したる教会は何人も之に属せんと欲する者である、法王あり、監督あり、規則あり、信条ある者は政府である、家庭でない、キリストは斯かる冷めたき石の如き者を建てんと欲し給ふたのではない、温かき家庭の如きエクレージヤ……其建設がキリストの目的であつたのである。
 以上は教会の事に関してキリストが述べられし唯二つの言葉である、若し聖書が教会の事に関して是れ以上を(208)伝へざりしならば後世のために実に幸福であつたであらふ、然し事実は之に反し、キリストの弟子等は其師と異なりて重きを教会の事に置いた、而して其結果とし 教会は終に今日の如き者と成つた、而して此悪結果を将来すに与つて最も力ありし者は使徒パウロである、彼は誠に今日の教会の俑を作りし者である、使徒パウロに由て教会と神学なる双子が世に生れ出たのである。
 然しパウロと雖も勿論教会今日の変態を予期して之に関する彼の思想を述べたのではない、教会に関するパウロの思想は深玄にして高荘である、彼の過失は唯教会に重きを置き過ぎた事に於てある、彼にして若しキリストに就て述ぶることより多くしてキリストに関する教義に就て述ぶることより尠くせしならば、彼は教会に就て多く述ぶるの必要を感じなかつたであらふ、然し、キリストの死と復活とに就ての外は多く語るを好まざりしパウロは勢、止むを得ず教義の保蔵所なる教会に就て多く述べたのである。
 パウロに取りてはエクレージヤは其辞義の通りに召し出されし者の形成する団体であつた、彼れ自身が「召されて使徒となりし者」であつて、信者は「イエスキリストの召を受けし者」であつた、彼に取りては基督信者はすべて kletos 即ち「召されし者」であつて、彼等の相集つて成りし者が ekklesia 即ち教会であつた、故にパウロに取りては教会とは元々人の作つた者ではない、又人に由て作られ得べき性質の者ではない、是れは神に簡《えら》まれ、其|聖召《めし》を受けし者が、自づと互に相惹かされて組織する者であつて、其発起も制定も完成も全然神に在てのみ存すべき者である、
  主は救はるゝ者を日々教会に加へ給へり
とありて(行伝二章四十七節)、教会は己を潔うして主に事へし者の依て以て作りし団体ではなくして、主の選択(209)を受けて其救ふ所となりし者が、同一の恩恵の主に引かれて互に相連結して成つた団体である、故にパウロはエペソの長老に告げて曰ふた
  主の己が血を以て贖ひ給ひし所の教会を牧すべし
と(仝二十章廿八節)、故に教会は何処までも「神の教会」である、人の制定し、又は支配し、又は統御し得べき性質の者ではない。
 悪しき此世より召し出されし者の集合体なる教会は言ふまでもなく霊的にして世界的にして人類的である、其中に人種的又は国家的の区別のありやう筈はない、
  斯かる者の中にはユダヤ人又ギリシャ人、或ひは奴隷或ひは自主、或ひは男、或ひは女の別なし、そは汝等皆なキリストイエスに在りて一なれば也(加拉太書三章廿八節)、
 主は霊であれば、人は霊に由てのみ彼と偕なるを得、又彼と偕なるを得て、すべて彼と偕なる者と偕なるを得るのである、故にパウロは曰ふたのである、
  教会は彼(キリスト)の身体にして彼は其|首《かしら》なり
と(哥羅西書一章十八節)、又
  我等は彼の身の肢《えだ》なり、彼が肉より出で、彼が骨より出たり
と(以弗所書五章三十節)、而して身と云ひ体と云ひ、肉と云ひ骨と云ひたればとて、キリストは教会の霊魂であって教会は彼の肉体であると云ふたのではない、キリストも教会も全然霊的のものであつて、二者の相関聯すること恰かも身体各部の相関聯するが如しと云ふたのである、即ち今日の科学的術語を以て言へば教会は霊的|有機(210)体《オルガニスム》であると云ふたのである、
  教会は彼の身体なり、万物を以て万物に満たしむる者の満てる所なり
と(以弗所書一章廿三草)、即ちキリストの霊の満ち溢るゝ所なりとの意である、即ちキリストの教会なる者は在るには相違ないが、是れは神の国と同じく此に視よ彼に視よと人の言ふべき者でない、其首が既に天に昇りて父の右に座する者であつて、其身体も亦彼と共に死して甦りし者である、深くパウロの教会観を究めて彼の唱へし教会の全然地を離れたる者であることが判明る、以弗所書又は哥羅西書に現はれたるパウロの教会観を以て今日世に行はるゝ地上の教会の弁護となすことは出来ない。
 然しながらパウロの教会観は容易に誤解され又俗化せられざるを得なかつた、彼の死後数年ならずして、或ひは既に彼の在世中に、彼に由て成りしエクレージヤは純然たる此世の教会と化した、其中に多くの弊害は現はれた、監督又は執事にして酒を嗜み、人を撃ち、財を貪る者あるに至つた、(提摩太前書三章を見よ)、又其中にデオテレペスの如き、自らも兄弟を接《う》けず又之を接けんとする者をも妨げて教会より黜《しりぞ》くる者があるに至つた(約翰第三書を見よ)、ヨハネの黙示録が著はされし時には既にアジアの七教会にして一として完全なる者なく、或ひは世と親しみ、或ひは異教に降り、或ひは偽善者を納れて激烈なる咎責《きうせき》を老ひたる使徒より招く者あるに至つた、霊的たるべきエクレージヤを教会として外に現はさんとして此悲むべき結果に終らざるを得ない、使徒等はキリストに学ばずして、教会に就て余りに多くを語りて、其迅速なる堕落と腐敗とを招いたのである。
 然れば我等は教会の事に関しても亦使徒を離れて単純なるキリストに還るべきである、キリストが「我がエクレージヤ」と称し給ひし者は腐敗の危険の少しも無い者である、是れは単に愛を以て法則となす家庭的団体であ(211)る、
  我が名に由りて二人又は三人共に相集まる処には我も亦其中に在るなり
と(馬太伝十八章廿節)キリストの言はれし其教会の中に争闘、嫉妬、陥※[手偏+齊]等の行はるべき余地はない、又
  汝等はラビ(教師)の称を受くること勿れ、そは汝等の師は一人即ちキリストなり、汝等は皆な兄弟なり、又地に在る者を父(師父)と称ふる勿れ、汝等の父は一人即ち天に在す者なり
と(馬太伝廿三章八、九節)、キリストの此明訓あるに関はらず、或ひは法皇を呼んでパパ(父)と称し、牧師に授くるに尊者《レベレンド》の敬称を以てし、愛のエクレージヤを化して権能の教会と為したるが故に、基督教会千九百年問に渉る悲惨の歴史は演ぜられたのである、ルーテルの親友にして宗教革命の先導者の一人なるメランクトンは死に臨んで叫んで曰く、
  神よ願くは我を神学者の手より救ひ給へ
と、実に恐るべき者にして教会の産たる神学者の如きはない、カルビンはルーテルを攻め、ルーテルはカルビンを攻め、而して二者相合して一面には羅馬天主教会に当り、他面には非洗礼者《アナバプチスト》と称へられし当時の独立信者の撲滅を計つた、是れ皆なキリストの理想を離れて地上の教会を制定せんとしたからである、エクレージヤをしてキリストの唱へられし「我がエクレージヤ」として止めて、此は愛すべくして慕ふべき者たらざるを得ない、余輩は斯かるエクレージヤに入らんと欲する、然れども此世の教会に属せんとしない、前者は誠に
  聖き城なる新らしきヱルサレム、備へ整ひて神の許より出て天より降りたる者
である(黙示録廿一章二節)、後者は
(212)  ※[言+荒]言《いつはり》をいふサタンの会
である(仝三章九節)、信者は何人も前者に納けられんことを望むべきである、後者は此世の一部分であれば、此世を去ると同時に別るべき者である。
 
(213)     〔無教会主義の証明者 他〕
                         明治43年5月10日
                         『聖書之研究』119号
                         署名なし
 
    無教会主義の証明者 教会其物
 
 無教会主義の理由を知らんと欲する乎、之を余輩に問ふを要せず、直に教会其物に就て視るを得べし、其教師の嫉妬と反目と排※[手偏+齊]とを見よ、其信者の奪合《とりあひ》を視よ、其教会員の不義と不正と不実と不信とを視よ、然らば余輩に問ふことなくして無教会主義の理由は自づから明かなるべし、教会其物が無教会主義の最も力ある証明者なり、余輩の全力を以てするも之に勝さりて有力なる証明を供する能はざるなり。
 
    無教会信者の勃興
 
 宣教師と教会信者とは曰ふ、余輩が無教会主義を唱へしが故に日本国に無教会信者起りたりと、否らざるなり、日本国に無教会信者が勃々として起りつゝあるが故に余輩の唱ふる無教会主義が聴かるゝなり、神は無教会信者を起し給ひつゝあり、而して又余輩をして無教会主義を唱へしめ給ふ、故に余輩にして若し此主義を唱へざらんか、路傍の石は起て号呼《さけ》ぶべし、教会は今や総掛りとなりて此主義を抑圧せんとするも能はざるなり。路加伝十(214)九章四十節
 
(215)     基督教と法律問題
                         明治43年5月10日
                         『聖書之研究』119号
                         署名 内村鑑三
 
  柏木聖書研究会に出席する法科大学生諸氏に語らんとして草せしものなり。
 
 余は法律には全くの門外漢である、故に余は法律に就て語るの何の資格をも有たない者である、乍然、法律は人間必要物の一である、而して余も亦人間である以上は、法律に全く関係せざらんと欲するも得ないのである、余の日常の生活に於て、社会との交際に於て、余の読書に於て、余の歴史、哲学、宗教等の研究に於て、余は法律問題に接触せざらんと欲するも得ないのである、故に余は未だ曾て特別に法律を究めし事はないが、然りと雖も法律に就て少しも知らないと云ふ事は出来ない、余と雖も法律に就て少しは知て居る、然し極めて少しである、而して余は今此極く少しに就て諸君の前に述べやうと欲ふ。
 
    其一、法律の神聖
 
 法典に顕はれたる法律は余は之を知らない、然し法律其物の何んである乎は知つて居ると思ふ、即ち法律の人に由て作られた者でない事を知つて居る、政府には法制局あり、議会は立法部と称ばるゝより世間の人は良もす(216)れば法律とは人に由て如何にでも制定する事の出来るものゝやうに思ふなれども、是れ根本的の大誤謬である、法律は素々議員の多数決に由て成る者ではない、是れは天然の法則と同じく、業に既に定まつたる者である、故に若し議員の多数決に由て法律が製出《でき》る者であるならば、ニユートンの発見せし引力の天則も亦同じ方法に由て製出るに相違ない、乍然、如何に傲慢無智の議員と雖も天然の法則を議会の討議に附して、之を制定せんとする者はない、人と人との関係、人と物との関係、権理の区域、其功力、是れ皆な既に定まつたる問題である、人は唯研究して之を発見すべきである、鳩首して案出すべきではない。
 此事を知つて始めて法律の神聖なる事が判明るのである、若し法律が人に由て成る者であるならば其神聖なる理由はない筈である、人は法律の神聖を口にして知らず識らずの間に其神より出づる者なることを承認するのである、往昔は聖人、祈祷を以て神に乞ひ、其黙示を蒙りて、之を律法として民に伝へたのである、故に法律は実に誠に神聖であつたのである、然し今日は全く之と異なる、法律を定むる人は神の人モーゼの如き者ではなくして、聖書に所謂「ベリアルの子等」即ち「邪僻なる人々」である(申命記十三章十三節、士師記十九章廿二節等を見よ)、即ち酒を飲むに勇ましく、濃酒《こきさけ》を飲むに丈夫たる人々である、是等の人々が祈祷をも捧げず、聖書をも探らず、唯大言壮言、杯盤狼藉たる間に決する法律であれば、其神聖たる理由は何処にもないのである、何にも必しも法律は億兆の体戚に関することであるが故に慎重の密議を要すと云ふに止まらない、是れは宇宙万物を主宰する至聖者の聖意であるが故に、之を伝ふる者は敬虔以て事に当るべきであると云ふのである、法律の何たる乎を知つて議会は実に教会と化し、議場は聖殿と化するのである、法律の神聖を知らざるより、或ひは神聖の何たる乎を解せざるより、所謂政治運動なる者が行はれ、茲に人の勢力を以て宇宙の法則を変へんとする褻涜罪が犯(217)さるゝのである、余は思ふ法律の此根本問題が解らずして、他の問題が悉く解るも、法律に関する知識は皆無に等しき者であると、
  夫れ律法《おきて》は聖し、誡(法令)も亦聖し
との使徒パウロの言はモーゼ律の場合に於てのみにあらず、すべての法律の場合に於て適用すべき者である(羅馬書七章十二節)、信仰の立場より言へば法律は法文に現はれたる神の聖旨《みこゝろ》である、若し科学の語を以て言ふならば法律は人と人との間に成立する天然の法則である、二者孰れの立脚地より見るも、法律の便宜的製作物でない事は確かである、茲に於て法律の数学の如き厳密なる科学であることが判明る、同時に又神学の如き神聖なる研究である事が判明る、法律は世の軽薄才子が面白半分に学ぶべき事でない、国を憂ひ、民を思ふの士が誠意、敬虔、以て探るべき学科である。
 
    其二、法律の目的
 
 法律は神聖である、乍然、法律は自己を目的とする者でない、法律の目的は法律以外に於てある、道徳に於てある、宗教に於てある、法律の目的は法律なきの社会、法律を要せざる国家を造るに在る、法律はバプテスマのヨハネである、是は主の道を備へ、その路筋を直くせよと野に呼べる人の声である、是は善果《よきみ》を結ばざる樹は之を折りて火に投入れんとて樹の根に置かれたる斧である(馬太伝三章)、法律は鞫く儀文である、殺す剣である、※[火+毀]《や》き尽す火である、赦す福音ではない、活かす恩恵ではない、注ぐ聖霊の膏雨《あめ》ではない、法律は福音の先駆である、而かも必要、欠くべからざる先駆である、法律は福音を世に紹介するために必要である、其目的は廓清的で(218)ある、建徳的でない、自己を荊棘掃攘の謙遜の地位に置て、済世の大業を賛くる者である。
 此準備的、先駆的の目的を過《あやま》りて法律は自から其貴尊を傷くるに至るのである、兵備が其獲得すべき平和を目的とせずして、自己を目的とするに方て、国は之がために亡ぶるに至るが如く、法律も亦其齎らすべき福音を目的とせずして、自己を目的とするに方て、民は之に由て害せられ、社会は之に由て毒せらるゝのである、世に厭ふべき者にして法のためにする法の如きはない、自由は之に由て縛られ、進歩は之に由て阻めらる、圧制と称して、世が挙て以て何よりも嫌悪する所の者は自己の目的を忘れたる法律の励行より他の者でない。
 法律は斯かる性質の者であれば、是れは其れ自身をのみ究めて解かる者でない、法律は其目的とする公道、公義、仁愛、和楽の何たるを知て、始めて瞭然たるを得る者である、而して余の知る範囲に於て大法律家と称せられし人はすべて高き道徳と深き信仰との人であつた、即ち殆んど法律の範囲を脱して、説教師に類するの地位に立つた人であつた、道を目的とし、法を手段とした人であつた、法廷に立て、法文に依るよりは寧ろ良心に訴へた人であつた、而して斯かる人が最も能く法律を解し、之を行ふ人である、彼の法以外に法あるを知らず、法のみを以て法を行はんと欲する者は法に最も暗き者である。
 曾て聞く、米国有名の法律家ルーフハス・シヨートは其法律事務所に於て希臘文新約聖書の外に何の法律書をも備へざりしと、而して一日彼の友人某、彼を事務所に訪ひ、彼の机上、聖書の外、何の法律書なきを見て、驚いて曰く、  法律家の事務所に希臘文聖書の外に何の書籍なしとは!
 時にシヨートは静かに答へて曰く
(219)  君は知らざる乎、英米両国の法律は悉く此一書の中に存することを
と、宜べなり、此法律家ありて、彼の弁護の前には裁判官泣き、陪審官動き、法廷は恰かも教会の如き者となりて、全廷挙て滅罪と赦免とに傾きしとは。
 誠に冷かなる頭脳のみが善き法律家を作らない、彼にも亦た血と涙との必要がある、法律は元々良心問題である、而して良心は人の心に響く神の声である、法律は宗教の光を受けずして、解せられ又行はれ得べき者でないと思ふ。
 
    其三、法律の美
 
 法律の目的は福音の紹介、人道の進歩に於て在る、而して此目的を有する法律は自身其理想とする所に向て進むべきである、福音の主張する所は公平である、
  神は人を偏視ず各人の行に由りて鞫き給ふ(彼得前書一章十七節)、
 故に法律も亦之に準じて定められ、之に従て行はるべきである。福音は残忍を憎み仁慈を愛す、
  ヱホバの汝に要め給ふ事は唯正義を行ひ、憐憫を愛し謙遜りて汝の神と偕に歩む事ならずや(米迦書六章八節)。
 故に法律も亦之に則り、強暴を挫き、荏弱を援け、此世を化して強者が悪を行ふに難く、弱者が善を行ふに易き所とならしむべきである。福音は争闘を忌み、平和を好む、
  平和を求むる者は福なり、其人は神の子と称へらるべければ也、
(220) 故に法律も亦努めて争闘の禍根を絶ち、平和の福祉を増進すべきである、法律も亦其方面よりして此世を化してキリストの国と為すことが出来る、即ち神の聖意をして人の法律となすことが出来る、誠に法律の美は茲に在ると思ふ、法律にも亦其積極的方面がある、法律は単に裁判ではない、又和親である、争闘の除去《エリミネーシヨン》と同時に又平和の誘入《イントロダクシヨン》である、法律を学んで単に法廷に於ける訴訟の勝利をのみ目的とする者は未だ法律の善美を知らない者であると思ふ。
 其建設的方面より見て法律は誠に大なる慈善事業である、世が進歩して今日あるに至りし其大原因の一は確かに愛人の精神に励まされし法律である、斯かる仁愛的法律に由て多くの非人類的常習は取去られたのである、一時は羅馬に於て盛に行はれし獣類との決闘の蛮習は如斯くにして廃止せられたのである、奴隷制度も亦如斯くにして廃止せられたのである、欧米諸国に於ける公娼の悪風も亦如斯くにして廃止せられたのである、誠に人類の進歩は其一面に於ては法律の進歩である、進歩が法律を以て制定せらるゝまでは確定せられたる進歩ではない、法律は進歩を催し、又之を確定する、武を以てに非ず法を以て正義が勝ちし時に、正義は最後の勝利を得たのである。
 故に大立法家と大法理学者とはすべて人類の大恩人である、ギリシヤに在てはリキルグス、ユダヤに在てはモーゼ、羅馬に在てはジヤスチニアン、英国に在てはアルフレット大王、和蘭に在てはグローシヤス、仏国に在りてはモンテスキア……彼等は皆な法律家であつて同時に又人道の大主道者である、彼等の功績は遥かに大軍人のそれの上に在て又遥かに永久的の者である、世に軍人のために建てられたる銅像は多くして法律家のために築かれたる石碑は尠しと雖も、而かも建国保安の功は寧ろ後者に帰すべき者であつて、前者に譲るべき者でない。
 
(221)    其四、モーセ律
 
 余は諸君が法律を研究するに方てモーセ律を不問に附せざらんことを望む、モーセ律は法律の中、最も古き者の一であつて、同時に又完全に最も近き者である、リキルグスがスバータ人に憲法を与へし前五百年、ロムラスが羅馬に王たりし前四百年、猶太人はモーセに由て既に最も人道的の法律を有つたのである、今の法律家の眼より見てモーセ律の中に多くの欠点を見るならんも、而かも今より三千五百年前に斯かる人道的の法律の既に世に出しを見て、二十世紀の文明と雖も余りに多く其進歩を誇ることの出来ない事が判明る、旧約聖書中の申命記に録されたるモーセ律を見て、其如何に人道の本義に基き、仁愛の真理に拠て立つ者である乎が判明る、試に其二三の例を挙げんに、
  汝等其兄弟の中の訴訟を聴き、此人と彼人との間を正く審判くべし、他国の人に於ても然り、汝等人を見て審判きすべからず、小さき者にも大いなる者にも聴くべし、人の面を懼るべからず、審判は神の事なれば也(申命記一章十六、十七節)。
 裁判官たる者の職分を示したる言にして之に勝りたる者はない、殊に「審判は神の事なれば也」と云ひて、裁判の真に何たる乎が示されたのである、裁判は単に社会国家の事でない、生命財産の保護に止まらない、神の事である、公道の維持である、是れが廃れて社会は其根底より壊れて了ふのである、裁判官は予言者と等しき重大の職分を神より授けられたる者である。
  父は其子の故によりて殺さるべからず、子は其父の故に由りて殺さるべからず、各人己れの罪に由りて殺さ(222)るべきなり(二十四章十六節)。
 是れ今日の法律として見れば平凡極まる者である、然れども今より三千五百年前の法律として見て、実に驚くべき者であることが判明る、我国に在ても族誅は徳川時代まで行はれた、罪は犯人自身に限る者であるとは猶太人を除いては極く近来の発見である。
  汝鳥の巣の路の傍、又は樹の上、又は土の上に在るを見んに、雛又は卵其中にありて母鳥其雛又は卵の上に伏し居らば、其母鳥を雛と共に取るべからず、必ず其母鳥を去らしめ、唯其雛のみを取るべし、然かせば汝福祉を獲、且汝の日を永うするを得ん(二十二章六、七節)。
 鳥類保護の法律である、蓋し此類の法律の嚆矢であると思ふ、鳥類を其巣に於て掠むべからず、若し止むなくば母鳥を逐ひやり雛のみを取りて繁殖の途を存すべしとの事である、情に於て厚く、智に於て深く、能く人情天然両つながらを解したる法律である。
  人、新たに妻を娶りたる時は之を軍《いくさ》に出すべからず、又何の職務をも之に任《おは》すべからず、其人は一年家に閑居して其娶れる妻を慰むべし(二十四章五節)。
 柔弱と云へば柔弱である、然し大立法家の定めし律法として其中に温情の掬すべき者がある、家庭は国家の基礎である、之を固め、之を暖むるは国家建設上の要事である、新婦を慰めんために一年の閑暇を新郎に与へとの法律である、如斯くにして彼は真の勇者となり、彼女は真の賢婦となるのであらふ、新婦を奴隷に等しき地位に置き、之を慰むるを惰弱の行為と見做す国に於て家庭の幸福は見るべからず、循て国力は其根底に於て枯渇せざるを得ないのである。
(223)  穀物を碾《こな》す牛に口籠をかく可らず(二十五章四節)。
 権利を家畜に於てまで認めたる法律である、動物優待は動物のためにのみ必要でない、之を飼ふ人のために必要である、人は動物を愛して自から互に相愛するに至るのである、権利を牛に於て認むる者は勿論之を人に於て犯さない、モーセ律の此条目に深き人道的の意味がある。
 其他之に類する法令を列挙するに遑がない、諸君は自身申命記を読んで其処に人道的律法の淵源を探るべきである。
 
    其五、最大問題
 
 茲に猶ほ法律上の最大問題の解決が残つて居る、それは国際的戦争廃止の問題である、法律は既に個人間の私闘を禁じた、国内の戦争を廃した、然れども未だ国家間の戦争を廃止することが出来ない、然し是れとても決して為し難い事ではない、法律が此事を成就るまでは其最大目的を達したと云ふことは出来ない、而して今や世界各国の大法律家は此大問題の決解に熱注して居る、海牙万国平和会議は主として法律家の会合である、其外に万国々際法協会なる者がある、又万国々会協同会なる者がある、共に戦争廃止平和普及を目的とする会であつて、歳々に其勢力範囲を拡張しつゝある、戦争廃止は決して痴人の夢ではない、始めに預言者イザヤに由て唱へられ、爾後二千七百年、常に世界第一流の思想家と実際家との賛成を博し来りし理想である、法理学者としてはグローシアスとベンダム、哲学者としてはライブニッツとカント、文士としてはルッソー、実行家としてはウィリヤム・ペン等は特に其錚々たる者である、法律最後の勝利は戦争廃止に於てある、余は諸君が茲に大なる聖望を起(224)し、此大事業を諸君の力量以外の事と思はず、之に諸君相応の努力を貢献し、世界の志士仁人と協同して、平和の君なる主イエスキリストの聖旨を此世に実現せんとする壮図に出でられんことを望む。
 
(225)     我等の敵=全世界
                         明治43年5月10日
                         『聖書之研究』119号
                         署名なし
 
 此世に罪人あるに非ず、此世が罪の世たるなり、即ち其すべての組織が自己を中心とする者なり、故に自己を虚うする神の国とは其根本を異にする者なり、而して我等此罪の世に在りて我等の敵とする所は少数の罪人にあらず、此世全体なり、而してキリストが此世に勝ち給ひしが如く、我等も亦彼に依りて此世に勝たんとするなり。
 
(226)     〔坊主根性 他〕
                         明治43年5月10日
                         『聖書之研究』119号
                         署名なし
 
    坊主根性
 
 富者よりは金を貰はんと欲し、権者よりは権を藉らんと欲し、識者よりは知識を貰はんと欲し、信仰家よりは信仰を貰はんと欲す、貰はんと欲す、貰はんと欲す、坊主根性は乞食根性なり、忌むべく、避くべく、斥くべきは誠に此坊主根性なり。
       ――――――――――
 
    注文の謝絶
 
 本誌に対し多くの注文あり、余輩にも亦余輩自身の注文あり、然れども余輩は自他孰れの注文にも応ずる能はざるなり、神に使はるゝ者はすべて知らん、人は望んで其欲する所を為す能はざることを、小なりと雖も本誌も亦神の業なり、故に神の命に応じて成る者にして、人の注文に応じて就る者にあらざるなり、我が書しゝ所すでに書したりとのピラトの言はすべて神聖なるべき記者の言たらざるべからざるなり。約翰伝十九章廿二節。
 
(227)    教会信者
                         明治43年5月10曰
                         『聖書之研究』119号
                         署名なし
 
 彼等はキリストのために熱心を起さず、自己の教会のために著るしく之を起す、彼等は人が罪を去てキリストに来りしを聞て喜ばず、自己の教会の会員の増殖せしを聞て喜ぶ、彼等は純然たる党人なり、共に福音を語るに足らざる者なり。
 
(228)     ※[さんずい+氣]車中の談
                         明治43年5月10日
                         『聖書之研究』119号
                         署名 柏木生
 
 余は近頃東北に旅行し、汽車中フト旧き同級生の一人農学士某君に遭ふた、互に久闊を述べし後、相互の運命を問合はせしに、君は先づ口を開いて曰ふた、
  僕は北海道に在りて東京で言へば麹町区全体に神田区半分を加へしに等しき地面を有し、其中に牛百余頭を牧し、而して今や益々其繁殖を計りつゝある、僕の所より程遠からずして同窓某君は凡そ三百余万坪を有し、牛馬合せて三百余頭を飼育しつゝある、尚ほ某君は水田何百町歩を有し、又某君は今は大地主となりて安楽に生涯しつゝあり云々、
 余は尠からざる興味を以て此談を聞き、直にラムネ一本を命じ、之を抜いて二人の間に分ち、汽車の進行中、遥かに旧友諸氏の繁栄を祝した、サテ汽車は余の目的地に達したれば余は君に暇を告げて下車し、出迎ひの友人に伴はれて停車場を出で、春の光を浴びながら広き野中を辿りつゝある間に、独り心の中に思ふて言ふた、
  サテモ運命は奇なる者なるかな、同じ学窓に学びし者も三十年を経過すれば斯くも異りたる者となるかな、旧友諸氏の所有に較べ余の所有の如何に少きよ、余の有する土地とては父母を葬りし墓地六尺四方に過ず、余の飼育する家畜とては猫一疋のみ、之を麹町区全体と牛馬数百頭に較べて、余の運命や実に憐れむべきも(229)のなり、然れども飜て思ふ、余は果して貧なるか、余にも亦所有の田畑なきか。嗚呼然り、余にも有るなり、東京より青森に至るまで、又青森より秋田を経て東京に帰るまで、主なる停車場の在る所には一人又は数人の同志あらざるなく、而して彼等の或者は果園を有し、或者は製造所を有し、又或る他の者は山林を有す、若し友人の所有は余の所有なりとするならば(而して余は彼等のものは余のものであると思ふ)余も亦広き東北の山野に渉りて、山と牧場と家畜とを有するものである、麹町区全体は愚か、一郡又は数郡に渉る土地田畑を有するものであらふ、唯、余の手に存しないのみである、余は之を悉く友人の手に委ねて置く、而して余が余の神のために之を要する場合には彼等に命じて余をして之を使用せしむ、何をも有たざるに似たれどもすべての物を有すとのパウロの言は余の此境遇を云ふのであらふ(哥林多後書六章十節)。
  然し余の所有は之に止まらない、東北の山野、松島の風景、北上の岸、阿武隈の畔《ほとり》が悉く余の所有であるばかりではない、余には又人が求めて獲る能はざる者がある、それは土地でもない、亦家畜でもない、然ればとて無形の財産と称すべき者でもない、それは「或者」である、名の附けやうなき、価値の定めやうなき、人間の言葉を以てして形容しやうなき「或者」である、是れが余の宝物であつて又余の財産である、是れは日本全国よりも貴い者である、是れは又土地や家畜と異なり余が死ぬる時此世に置去る者でない、是れは余の霊魂に宿る者であつて永遠に余と偕に在る者である、是れを有つたことのある人はすべて曰ふ、世に之に優るの財貨《たから》はないと、是れは確かに一の値高き真珠であつて、人、看出さば之を秘《かく》し、其所有を悉く売りて之を買ふの価値ある者である(馬太伝十三章四十六節)、而して此宝を求めんために、余は余の生涯の全部を(230)消費し、土地と家畜とを獲るの機会を悉く失ひたりとて敢て少しも悲むに足りない、此宝を有て余は余の旧き友人に勝さりて遥に富みたる人である、誠に余の最大の富は北海道に於てない、又東北地方に於てない、余の実在の中心に於てある、余は是れあるが故に余の神に感謝する云々。
 斯く独語しながら東北某地の余の友人の家に到り、茲に二日を過し、信仰を語り、伝道を勧め、後数日、平泉、北滿、石巻、野蒜、松島、仙台と所々を引廻され、多くの喜ばしき印象を心に刻みて又元の柏木の巣に還り来つた。
 
(231)     〔生命と伝道 他〕
                         明治43年5月10日
                         『聖書之研究』119号
                         署名なし
 
    生命と伝道
 
 伝道は義務である、己れ一人救はれて他人の救済を努めざる者は人たるの責任を尽さゞる者である、誠に救はるるとは己れ一人救はるゝ事ではない、万人と共に救はるゝことである、己れ一人救はれて救済は全き者でない、万人と共に救はれて我は始めて全く救はれるのである、伝道を努めざる者は己れ自身も未だ全く救はれざる者である。
 伝道は快楽である、神と人との平和を求むるのである、人と人との平和を計るのである、伝道は平和回復を目的とする平和の業である、天下之に優さるの快楽のあるべき筈はない。
 伝道は慰藉である、他人の慰藉であるのみに非ず、同時に又自己の慰藉である、心労と苦痛とは黙想を以てして除き得らるゝ者ではない、真個の慰藉は他を慰むるより来る、他人に歓喜を供して我が苦痛は始めて取去らるゝのである、我は他を神の子となして自身新たに神の子となるのである、我等は自己の生命を維持せんがために日に日に新たに生まるゝの必要がある、伝道は自己の更生である、キリストに在りて福音を以て子を生むに由て(232)我等の霊的生命は持続せらるゝのである。
 根を張り、枝を拡げ実を結ばざる樹は死んだ樹である、自己の生命を他に伝へざる信者は死んだ信者である、伝道は生長の兆候である、而して生長せざる者は生命でない、余輩は独り隠れて自己を他に伝へざる生命と信仰とのあるを知らないのである。
       ――――――――――
 
    米国人の総攻撃
 
 五月五日の『万朝報』は其言論欄に於て「外人宣教師問題」と題し、左の記事を載せたり、
  内村鑑三氏が両三月前の米国一雑誌に於て、今や日本の基督教は日本人自から伝道すべき時代に在り、と論じたる以来、同国諸宗派の機関雑誌は固より、諸新聞に至るまで、日本は未だ此の如き時代に達せずと称して盛んに内村氏の説を攻撃しつゝあり
  日本が既に斯の如き時代に達せるや否やは日本人にして始めて之を判知し得べきことにして、米国の宗教家が強て之を否定せんとするは解し難し、真に尊敬に値する宣教師は吾人と雖も之を歓迎すべきも、日本人の伝道師に劣り、日本を痛罵するを事とするが如き外人伝道師は寧ろ其来らざらんことを望まざるを得ず
 余輩は之を読んで一層深く余輩の責任を感ずると同時に、誌友諸君が此際特に熱誠を以て余輩のために祈られんことを切望せざるを得ず。
 
(233)    伝道の新紀元
 
 伝道の新紀元は将さに開かれんとす、今や外国宣教師の勧誘と慈善とに由らずして、日本人自身が直に起てキリストを迎へつゝあり、今や料理人《コツク》と召使《ボーイ》と寄食者と出入商人とにあらずして自主独立有為達識の日本人が自から進んで遜謙りてキリストを求めつゝあり、キリストの福音は今や日本国の柱石たるべき人士の心を襲ひゝあり、誠に今日までの伝道は伝道の真似事なりし、今日よりの伝道が真に日本国をキリストに導く真の伝道事業たるなり。
 
    日本国の救済
 
 神は日本人を以て日本国を救ひ給ふべし、神は日本国の救済を日本人以外の者に委ね給はざるべし、神は日本人の中より日本国の救者《すくひて》を起し給ふべし、神は日本人の信仰と智識と財力とを以て日本国を救ひ給ふべし、神は日本人の愛国心を以て日本国を化して神の国と為し給ふべし、日本国は外国宣教師の憐憫に由て救はれざるべし、日本人自身の聖化されたる高貴なる愛国心に由て救はるべし。
 
(234)     〔神人=キリスト 他〕
                         明治43年6月10日
                         『聖書之研究』120号
                         署名なし
 
    神人=キリスト
 
 我は神を解せず、又人を解せず、然れども能くキリストを解す、神は我がためには余りに貴し、人は我が為めには余りに卑し、神の高きは達すべからず、人の低きは堪ゆべからず、然れどもキリストは我が最近き神なり、彼は又我が最も親しき友なり、キリストは我が神なり、同時に又我が同志なり、彼は完全に我が全性の要求を充たす者なり、我は彼を神とし崇めまつらん、又彼を人とし愛しまつらん。
       ――――――――――
 
    パウロとイエス
 
 パウロはイエスの一面なり、其重要なる一面なり、然れども其全面にあらざるなり、パウロを知らずしてイエスを知る能はず、然れどもパウロのみに由てイエスを知る能はず、パウロに由らずしてイエスを知らんと欲する者は誤れり、同時に又パウロに由てのみイエスを悉く知らんと欲する者も亦誤れり、全体は部分よりも大なり、(235)イエスを完全に知らんと欲せば、彼のすべての弟子等に由り、殊に又彼れ自身に就て学ばざるべからざる也。
 
    我は我たり
 
 パウロはパウロたり、我は我たり、ペテロはべテロたり、我は我たり、ヨハネはヨハネたり、我は我たり、ルーテルはルーテルたり、我は我たり、カルビンはカルビンたり、我は我たり、ウエスレーはウエスレーたり、我は我たり、我は我主イエスキリストの弟子なり彼の弟子の弟子にあらざるなり、我は他の弟子に由りて多く学ぶ所あらん、然れども我は主に就ては直に主より学ぶなり、我に主が直に我に示し給ひし我のキリスト観あり、
 我は我の立場より我主を仰ぐなり、而して我は斯くなして高ぶる者にあらざるなり、そは斯くなすは主に由て自由を与へられしすべての者の特権にして又義務なればなり。
 
    イエスに来よ
 
 来よ、来よ、イエスに来よ、教会に由るを要せず、監督、牧師、伝道師等、教会の傭人《やとひびと》に由るを要せず、ルーテル、カルビン、ウエスレー等教会の建設者に由るを要せず、パウロ、ヨハネ、ペテロ等使徒と称ばれし者に由るを要せず、直に主イエスに来よ、謙遜にして柔和にして勇敢にして誠実なりしナザレのイエスに来よ、然らば汝等心に平安を獲ん、彼の軛は易く、其荷は輕し、教会の課するそれの如くならず。
 来よ、来よ、直にイエスに来よ、汝等すべて労《つかれ》たる者又重荷を負へる者よ。馬太伝十一章二十八節以下。
 
(236)    イエスと共に起たん
 
 余輩はイエスと共に立たん、此世の凡に対してのみならず、亦彼の信者を以て自から任ずる者に対しても余輩は余輩の主なるイエスと共に立たん、彼の友を以て余輩の友とせん、彼の敵を以て余輩の敵とせん、而して彼の友は娼婦税吏等罪人の中にあり、彼の敵は監督、長老、牧師、伝道師等教権に頼る者の中に在り、余輩はイエスと共に前者と親しみ、後者と闘はん。
 然り余輩はイエスと共に起たん、彼と共に愛し又彼と共に憎まん。
 
    理想の実行
 
 我等は欲《この》んで我等の理想を此世に於て行ふを得るなり、我等は我等の生命を我等の理想のために犠牲に供して之を此世に於て行ふを得るなり、我等は我等が此世に在る間に我等の理想を行ふ能はず、然れども我等の理想のために斃れて、我等の亡き後に於て我等の理想を此世に於て行ひ得るなり、神より理想を授けられし者は禍ひなり、然れども理想を授けられて之を行はざる者は更らに禍ひなり、我等は主イエスキリストに傚ひ、我等の理想のために死して之を此世に於て行はんことを祈求《ねが》ふ。
       ――――――――――
 
    日本国の祈求
 
(237) 我れ曾て異郷に在り、緑陰樹下に独り跪て神に祈りて言へり
  神よ、我に日本国を与へ給へ、日本全国を与へ給へ、我は之より小なる者を爾に乞はず、又之より小なる者を以て満足せざるなり
と、時に声あり、我に応へて曰く
  汝が乞ふ如く爾にあらん
と、然るに我れ故国に帰りてより茲に二十有余年、我が祈祷は少しも聴かれず、我は依然として故《もと》の我れなり、小にして勢力《ちから》なき故の我れなり、我れ故に心の中に意ふて言へり
  我は迷ひし乎、神の声と想ひしは夢なりし乎
と、時に又声あり、我懐疑を打消して言ふ、
  然らざるなり、我は真に汝の祈祷を聴けり、我は実に日本国を汝に与へんと欲す、汝の生命を其ために献げよ、然らば日本国は汝の有たるべし
と、我れ其声に応へて曰く
  誠に然り、我は誤れり、我は未だ日本国を我に要求するの資格なし、神よ、願くは我を助け給ひて、我をして終りまで之を愛し、之がために我全生命を献ぐるを得て、之を我が有となすを得しめ給へ
と、而して後、我は我が心の中に大なる平和を感じたり。
 
(238)    イエスと基督教
        我はイエスの弟子なり 基督教信者にあらざるなり
 
 ナザレのイエスを猶太的メシヤ即ちキリストと解した者、それが基督教である、而して此解釈は使徒等を以て始まり、欧米人に由て持続せられ、以て今日に至りたのである。
 然しイエスは基督教を以て尽きない、イエスは基督教よりも広く又深く又高くある、彼は歴史的には基督教に由て世に伝へられしと雖も、然かも基督教の起源であつて、之と同体の者ではない、イエスは猶太的メシヤ即ちキリストでありしのみならず又人の子である、故に基督教以外に超越して、直に人類の模範、其|首長《かしら》として仰がるべき者である、基督教は勿論イエスを識る上に於て大なる参考となる、誠に彼を人類に伝へし功績は其担ふ所である、乍然、運搬器は乗者より大なる能はずである、基督教はイエスより大なる者でない、而して我等直にイエスに到りて基督教以外又其れ以上に超越するのである。
 イエスは人の子である、人類の理想である、故に又日本人の理想である、彼は又日本人の立場より解することの出来る者である、而して斯かる解釈は必しも彼を猶太的メシヤ即ちキリストと解したる基督教と寸分異ならない者でない、之を便利のために基督教と称するも敢て差閊なしと雖も、而かも其実質に於て大に之と異なる者であると思ふ、勿論其本尊たるイエスを除いた者でない、乍然、日本人の理想が猶太人の理想と異なるは最も睹易い道理である。
 人類は各自、己の立場より人の子を解するの特権を与へられたのであると思ふ、各自、己の基督教を作るの特(239)権を有すと言へば語弊があるが、然し之に類したる特権を与へられたのであると思ふ、恰かもかの名づくべからざる至大至高の者に或ひは「カミ」と云ひ、或ひは「天」と云ひ、或ひは「ゴツト」と云ひ、或ひは「アラー」と云ふが如き種々なる名を附することを許されしと同然である、猶太人たりし使徒等がイエスを猶太的に解し其結果として基督教を出せしは彼等の有する正当の権利に由つたのである、乍然、我等東洋の日本人が猶太人の解釈を其儘に受くる義務はない、我等は勿論人の子イエスを我等に伝へ呉れし其労を深く彼等に感謝する、乍然、彼れイエスの解釈に至ては我等には又我等に賦与せられし我等の特権に由る我等独特の解釈がある、是れ止むを得ざる次第である、神が斯く各国民に命じ給ふたのである。
 斯く言ひて我等は勿論気儘勝手にイエスを解釈せんとすると云ふのではない、イエスは何処までもイエスである、彼の人の子たるの人格は明かに聖書に示されてある、我等は福音書に示されたるイエスを離れて(是れに多少の歴史的修正を施すは勿論である)我等のイエス観を作らんとは為ない、乍然、如斯くにして我等の観たるイエスは必しも悉く猶太人の観たる彼と符合しない、即ち語を替へて言へば我等のイエス観は必しも基督教ではない、イエスを仰ぐ点に於ては一つであるが、然し、必しも猶太的メシヤとして仰がない、我が模範、我が理想、我が主我が神として仰ぐ、即ち日本人の救主として仰ぐ、是れ止むを得ざる次第である。
 故に我は基督教信者なりと称して我は己を人に甚だ誤解され易き地位に置くのである、我は実は基督教信者ではないのである、日本人にしてイエスの弟子である、我は憚らずしてイエスの弟子なりといふことが出来る、然し多くの説明を附するにあらざれば基督教信者なりと称することは出来ない。
 茲に直にイエスに到り、彼の直弟子となりて、我等は全然欧米の基督諸数会の羈絆より脱し、自由にして謙遜(240)なる生涯に入ることが出来るのである、教会の作りし所謂「基督教」に附随して我等は全然教会の束縛より脱せんと欲するも得ない。
 「子若し汝等に自由を賜へなば汝等誠に自由を得べし」とのイエスの言は此大なる真理を我等に伝ふる者であると思ふ。約翰伝八章卅六節。
 
(241)     基督教研究法に就て                                           明治43年6月10日
                         『聖書之研究』120号
                         署名 内村鑑三
 
  五月九日開会のかしは会々合の席上に於て述べし所なり、因に云ふ、かしは会は帝国大学并に高等学校生の組織する聖書研究会なり。
 基督教を研究せんとする勿れ。キリストと称せられしナザレのイエスを研究せんとせよ、基督教を知るは難くある、即ち神の存在、キリストの神性、三位一体、贖罪、昇天、永生等の教義を知るは甚だ難くある、而して若し之を知り得たとするも、斯かる知識は又甚だ破壊され易き者である、又斯の如くにして信仰を得た者は自己の信仰に就いて誇り易くある、又斯かる信仰は万人其趣を共にする者で無きが故に、信者の間に不和を生じ易く、是れがために信者は分裂し、宗派は起り、之に伴ふすべての非キリスト的の行為は行はれ易くある、基督教を研究せんと欲して、即ちキリストの福音を其数義の方面より学ばんと欲して、吾等は信仰、智識、実行、三つながらに於て多くの誤謬に陥り易くある。
 然しながら是れ普通の基督教研究法である、而して其、多くの好ましからざる結果に終りしことは吾等各自の目撃する所である、是れがために教会が起り、嫉妬が生じ、異端が起り、異端征伐が始まり、平和の君なる主イエスキリストが争闘の中心となるの奇怪極まる状態が実現するのである。
(242) 乍然、基督教を研究せんとせずしてナザレのイエスを研究せんとして是等の嫌ふべきすべての結果は避けられ得るのである、イエスの研究とは言ふ迄もなく四福音書に示されたる彼の人格の研究である、殊に共観三福音書に示されたる彼の品性の研究である、而して之を研究して直に福音の真髄に達することが出来るのである、神の存在の問題の如きも、是れ始めに先づ哲学的に研究して解かることではない、是はイエスを識て始めて解かることである、
  我を見し者は父を見しなり
とのイエスがピリポに告げし言は文字通りに真理である、其他贖罪の事、永生の事等に就ても、是れ亦理論的に研究して解ることではない、イエスを識て解ることである、イエスは誠に義であつて同時に又生命であるのである、彼を識らずして義とせらるゝことは何んである乎、限りなき生命とは何であるか、少しも解らない、故に教義を究むる点より見るもイエスを識るのが最上の捷径《ちかみち》であるのである。
 余が先づイエスの人格を知れと云ふに対して宣教師と神学者とは云ふのである、是れキリストを始めより人と見たる立場であつて、如斯くにして到底彼を知ることは出来ないと、然し是れ謬見の最も甚だしき者である、普通の研究法としても、是れは是れ、彼れは彼れと先づ始めに定説を設けて置いて然る後に研究に就くのは決して正当なる研究法ではない、イエスは果して人である乎、或ひは神である乎、其事それ自身が研究の題目であるのである、若し彼が始めより神であると定まつて居るならば其問題に就て別に研究するの必要はないのである、研究とはそんな者ではない、之を研究と称するのは誤称である、而して余は恐る、普通基督教研究と称せらるゝ者は大抵は此研究ならざる研究であることを。
(243) 而して深くイエスの人格を研究して彼れが人以上の者であることが解かるのである、而して如斯くにして得たるキリスト神性観のみが永久に吾等を離れざる者である、教義として神学的に獲たるキリスト神性観は維持するに甚だ困難にして、輙《やゝ》もすれば其正反対の懐疑を招き易き者である、イエスの品性を識てより得たる彼の神性観は深く吾等の人格に透徹し、吾等の生命の中心となりて、死すとも吾等を離れざる者である、吾等はイエスの人格と聞て恐れてはならない、吾等は始めに先づ彼を人として研究すべきである、而して吾等の研究が正直にして深玄であるならば、吾等は終に彼の神性を認めざるを得ざるに至るであらふ。
 基督教を研究せんとせずして、イエスを研究せんとして、吾等は説の異同のために党を樹て宗派を起すの危険に陥るまいと思ふ、吾等の研究の目的物は死せる教義ではない、活ける人物である、而して人物は之を如何に解するも彼を悪しく解せざる以上は人を相互より分離せしめやう筈はない、解者各自の特性に由り、或ひは智識的に之を解する者もあらふ、或ひは信仰的に解する者もあらふ、或ひは実際的に解する者もあらふ、然し同じ人物を異りたる方面より解したのであつて、其人物に対する尊崇に変る所はない、或ひは又解者の智識、信仰、実験の程度に循ひ、或ひは浅く解する者もあらふ、或ひは深く解する者もあらふ、然し各自有る丈けの力量を注いでの解釈であれば、之に対して各人孰れも尊敬を払はなければならない、殊にイエスの人格の如き道徳的人格を研究するに方ては其畢る所は理論と学説とにあらずして愛と尊崇とであるが故に、其間に分離と争闘との起りやう筈はない、余は未だ曾て人格の尊崇者の間に宗教家の間に行はるるが如き娼嫉、悪匿、讒害、毀謗の盛んに行はるゝを知らない、世にダーウヰン会、ヲルヅヲス会、カーライル会等があるが、是等は何れも調和一致の会合であつて、同一のキリストを主と仰ぐと称しながら六百有余派に分れ、相互を謗り斥くる所の基督教会の迚も及ぶ(244)所でない。
 イエスの研究、之より生ずる彼に対する尊崇……之を吾等の目的として吾等は基督教会が今日まで陥りし弊害を悉く避くることが出来ると思ふ、而して余は諸君が自今此目的を以て茲に相会せんことを望む、札幌農学校の創設者故ウイリヤム・クラーク氏が彼地に起りし最初のクリスチャンの団体に与へし名は基督教信者ではなくして「イエスの弟子」であつた、而して之れが亦今日吾等が択むべき名であると思ふ、吾等は或る一定の信仰個条を奉体する宗教的団体であるべきでない、吾等は単純にして崇高なりしナザレのイエスを慕ひまつる尊愛的結合であるべきである、吾等相互を繋ぐ者は教義ではない、愛すべき、敬すべき、然り、崇むべき、拝すべき人物である、彼が吾等の中に起ち、吾等を教へ、吾等を導き給ふのである。
 基督教を研究せんとせずして、イエスを研究せんとして、基督教(縦し此名を存するとするも)は全く別の者となると思ふ、之は解するに易く、且つ甚だ興味ある、又何人と雖もすべて誠実を以てする者は、喜んで之を学ばんと欲する者となるであらふと思ふ、イエスの人格を学ばんと欲して、基督教研究に於ける妨害物の多分は前以て既に取除かるゝのである。
 勿論此研究法に一二の危険の伴はないではない、其一はイエスを浅薄に解するの危険である、彼を悉く解せざるに、其少しを解して、既にすべてを解し了せりと想ふことである、其二は之に類して何人も自からイエスの弟子なりと称して、反て其聖き名を涜すに至ることである、然れども是等は避くるに難い危険ではないと思ふ イエスの如き人格は、誠実を以て之に接して、之を深く解せずして止むことの出来る者でない、人格とは称するも実は人格以上の人格であつて、之に接すれば接する程、吾等の眼界は広くなり、思想は深くなるのである、敬虔(245)以てイエスの人格を究めて吾等は希伯来書記者と共に
  彼は神の栄の光輝《ひかり》、その質の真像なり
と言はざるを得ないと思ふ(同書一章三節)、又哲学的に彼を思惟して、吾等は以弗所書の記者と共に
  (神は)或ひは天に在り、或ひは地に在る万物をキリストに帰一せしめ給へり
と言はざるを得ざるに至るであらうと思ふ(仝書一章十節)、而して此研究の畢る所は吾等をしてトマスと共にイエスの前に跪きて
  我主よ我神よ
と言ひて彼を崇めしむるに至るのであると思ふ(約翰伝二十章廿八節)。
 
(246)     「我に来れよ」
                         明治43年6月10日
                         『聖書之研究』120号
                         署名なし
 
  我に来れよ、すべて労する者又重荷を負ふ者よ、我れ汝等を息ません、汝等己れに我が軛を取れよ、而して我に学べよ、我は柔和にして心に謙遜る者なり、然らば汝等安息を獲べし、そは我が軛は易く我が荷は軽ければなり。馬太伝十一章廿八−三十節、自訳。
 「我に来れよ」 人に往く勿れ、パリサイの人と学者に往く勿れ、教会と神学者に往く勿れ、我れに来れよと主イエスは曰ひ給ふ。
 「すべて労する者又重荷を負ふ者よ」 すべて煩悶する者よ、すべて益なきことのために労して倦み疲かるゝ者よ、神学問題を以て苦む者よ、教会問題に心を悩ます者よ、而して其明白なる解決を得ざるが故に、自から身を束縛の地位に置て、儀式と規則と慣例と信じ難き信仰箇条との重き荷物を担ふ者よ。
 「我れ汝等を息ません」 我は誠に汝等を息ません、我れ神の子イエスは教会、神学者と異なり、休息を約束して之を与へざる者にあらず、我れに来れよ、我れ必ず汝を息ません、汝の煩悶をして無からしめん、汝の重荷を取除かん、汝に汝の欲する難問題の解決を供せん。
 「息ません」 憂苦に暇を告げしめん、同時に新なる力を加へん、鷲の如く翼を張りて昇らしめん、走れども疲(247)れず、歩めども倦まざらしめん、「息ません」と云ふは神気を回復せんと云ふに同じ、休息のための休息に非ず、活動のための休息なり、煩雑極まる宗教問題と、不快極まる教会問題とを去りて、快活有為の神の子供たらしめん。以賽亜書四十一章卅一節。
 「汝等己れに我軛を取れよ」 汝等我が命令に聴けよ、我に服従せよ、我が弟子と成れよ。
 「而して我に学べ」 直に我に学べよ、直に教訓を我より受けよ、人を顧る勿れ、神学者の説に心を労する勿れ、教会の命令に耳を傾くるを要せず、我に学べよ、我を汝等の模範として受けよ、我れのみを汝等のオーソリチーとせよ。
 「我は柔和にして心に謙遜る者なり」 我は威を以て人に対せず、和を以て之に臨む、我は我が権能を自己のために振はず、我は悪に抵抗せず、敵を愛す、我は強しと雖も優さし、父は万物を我に予へ給へりと雖も、我は人の僕となりて之に仕ふ。
 「心に謙遜る者なり」 心より謙遜なる者なり、神の聖旨を行はんと欲するより他に何の野心をも懐かざる者なり、自己のために何の要求をも為さゞる者なり、神の前に平伏して其命維れ従はんと欲する者なり、「心に於て低き者」なり、僕の位地を以て満足する者なり。
 「然れば汝等心に安息を獲べし」 如斯き我に学びて汝は休まざらんと欲するも得ず、如斯き我に学びて汝の宗教問題は自づと決解せらるゝなり、先づ道徳的に我に学べよ、然らば智識的に明瞭なるを得ん、我の如く柔和に我の如く謙遜にして汝は真に自由の人となるべし、教会も神学者も汝の上に何の重荷をも課する能はざるに至るべし。
(248) 「然れば汝等、汝等の心に安息を獲べし」 心(心臓《ハート》)に於て謙遜れよ、然らば心(心意《マインド》)に於て安息を獲(発見す)べし、煩悶は去るべし、難問題は解決せらるべし、脳髄は無益の労働を廃めて、心身自づから爽快を感ずべし、心臓は鎮まるべし、脳髄は休むべし、而して平静にして効力《ちから》ある活動は始まるべし、所謂「内部の分裂《インターナルシズム》」は去り自己は一団体となりて、難事に当て挫けざるの勢力となるべし。
 「そは我が軛は易く、我が荷は軽ければ也」 我は軛を置かざるに非ず、然れども其軛は運ぶに易し、我は重荷を課せざるにあらず、然れども其荷は担ふに軽し、我にも亦我弟子に課するの義務と責任とあり、然れども我に学びて之を負へば難しと雖も易し、重しと雖も輕し、義務は或ひは世のそれよりも難かるべし、然れども我と偕に之を負ふなれば、之を易く感ずるなり、責任は或ひは世のそれよりも重かるべし、然れども我と偕に之を担ふなれば之を軽く感ずるなり、我に学びて事に当れば難事も易し、重荷も軽し、我は大なる義務と重き責任とを充たすの秘訣を知る、而して汝等我に学びて此秘訣を汝等の有《もの》となすを得べし。
       *     *     *     *
 然らば主イエスよ、我等汝に到らんと欲す、神学を去り、教会を去り、人を去り、制度を去り、教義を去り、教則を去り、直に汝に到らんと欲す、我等汝に到らんと欲して、直に汝に到らずして長き間迷へり、我等は平和を哲学、宗教、教理、教会等に求めて、之を獲る能はずして労したり、然れども今や新たに汝の聖召《みまねき》の声を聞て茲に直に汝に到るなり、主イエスよ我等を納け給へ、我等を汝の直弟子となし給へ、教会の会員に非ず、又教理の奉体者に非ず、使徒の弟子に非ず、汝の弟子たらしめ給へ、汝に在りて分裂なし、汝に在りて懐疑なし、谷の百合花にして峯の桜なる汝は美にして深し、優にして厳なり、我等汝の弟子たれば足る、然れば汝の信ずるが如く(249)信じ、汝の行ふが如く行ふ、故に教義の要なし、教則の用なし、汝と偕に在りて我は自由にして準《のり》を踰へず、誠に汝は人の理想なり、我れ汝に到りて我が辛労は悉く止み、茲に我が生涯に新紀元の開かるゝを感ずるなり。
 
(250)     人生の目的
                         明治43年6月10日
                         『聖書之研究』120号
                         署名なし
 
 人生の目的は神を識るにあり、一度神に愛せらるゝは百度帝王に寵せられ、千度公衆の人望を博するに勝る、一度神の聖顔を拝せんがために終生を悲痛の中に過すも可なり、天国の一瞥は以て百歳の疾苦を拭ふに足る。
 
(251)     嬰児の死
                         明治43年6月10日
                         『聖書之研究』120号
                         署名 内村鑑三
 
  五月十一日、生後十ケ月の小女の葬儀に臨みて述べし所なり、時に暴風屋外に荒れ、内に集ひし者、其両親を合せて僅かに十人なりき。
 
  汝等慎みて是等の小さき者の一人を軽視《かろしむ》る勿れ、そは我れ汝等に告げん、彼等の天の使者《つかひ》は天に在りて天に在す我が父の面を常に見詰むれば也。馬太伝十八章十節、自訳。
 イエスが小児の事に就て言はれし言葉は幾個もありますが、是れは其中で最も美しい、又意味の最も深い者であると思ひます、「汝等慎みて小さき者(小児)の一人を軽視る勿れ」と言はれ、後に「我れ汝等に告げん」と言はれて事の至て重大なるを示し、「彼等の天の使者云々」と述べられたのであります、即ちイエスの偉大と権能とを以てして、小児の事は重大事件であると言はれたのでありります。
 小児に天の使者が附いて居て、天に在りて、地上の彼等を代表して常に在天の父様の聖面《みかほ》を見詰めて居るとは多分此事に関するイエス在世当時のユダヤ人の思考を述べたものでありまして、真《まこと》の事実では無からうと思ひます、それは人には各自、彼を護るの星があつて、彼の運命は其星を見て判明ると思ひし中古時代の思想に類した(252)る者であると思ひます、イエスが茲に述べられたのは小児と天使との関係に就てゞはありません、神と小児との関係に就てゞあります、若し神を国王に譬へ、天国を彼の朝廷に喩へますならば、小児は其朝廷に於て彼の公使を有ちまして、其公使は彼を代表し彼に代りて常に国王の前に侍り、国王と彼との間に親しき交通を計つて居るとのことであります、即ち神は小児に対しても世の国王が他国の王に対するが如き態度に出でられ、親しく之と交はり給ふとのことであります、此事たる実にイエスを待て始めて人類に示されたる事でありまして、実に驚くべき福音と云はざるを得ません、神が国家を護り給ふとか、国王と親しみ給ふとか、特に偉人を顧み給ふとか云ふことは、信ずるに難い事ではありませんが、然し彼が小児を守り、之と親み、之に対して偉人帝王に対すると同じインテレストを取り給ふとは実に人のすべて思ふ所に過ぎて驚くべく又喜ぶべき事であります、然し此事は真理であるのであります、神に取りては人は其老若大小を問はず、すべて甚だ貴くあるのであります、其点に於ては今や英国ウエストミンスター寺院の内に盛装されて横たはる故エドワード第七世陛下も、亦今此処に我等の前の此小さき柩の中に眠むる此小さき女子も神の眼の前には一様に貴くあるのであります。
 実に世人の眼から見まして一人の人の死は何んでもありません、殊に一人の小女の死とあれば一顧の価値もない事のやうに思はれます、唯社会の一員が消えたのであります、未だ何の事業をも為さず、何の責任をも負はない者が去つたのであります、是れ別に注意すべきことではありません、然しイエスキリストの御父なる神に取ては爾うではないのであります、彼に取りては是は大詩人又は大政治家又は大軍人が死んだのと同じ事件であります、五羽の雀は一銭にて售るに非ずや、然るに神は其一をも忘れ給はず、汝等は多くの雀より優れりとイエスは他の時に曰ひ給ひました、人の死と云ふ大事件に就ては帝王の死も小女の死も同じく「恐怖の王」と称せらるる(253)「死」でありまして、其我等に与ふる大教訓に至ては少しも異なる所はありません。
 人の生命は斯くも貴重の者でありますが故に、我等は今日復たび茲に生命の貴重なることを学ばなければなりません、今、此愛らしき小女を失ひし親御の心に成つて御覧なさい、是れ単に損失と称すべき者ではありません、若し是れが他の者でありますならば、価を払ふて再び之を取り換へることが出来ます、若し価の高き獅子が死にましたならば、或は麒麟が死にましたならば、別に之に代ふるの者を獲ることが出来ます、然し人は生後十ケ月の小女でも爾うは成りません、是れは永久の損失であります、此世の財貨《たから》を以てして到底計算することの出来ない損失であります、昔しダビデ王の曰ひました通り
  彼れ最早復び我に還らず、我れ彼に往かんのみ
であります、死の恐しさは茲にあります、生命の貴さは之れで判明ります、此大教訓を与ふるに於ては此小女の死は今や一身に全世界の哀悼を惹きつゝある英国前皇帝の死と何の異なる所はありません。
 夫れでありますから我等は今日此小さき者に教へられまして今より後一層生命を貴ばなければなりません、一日に何万人が戦死したと聞き歓喜するが如き無情に出てはなりません、街頭《ちまた》に遊ぶ貧乏人の小児を見て、之を度外視してはなりません、彼等の天使も亦天にありて天の父様の聖顔を見詰めつゝありと知りて、茲に大に彼等の救済をも講じなければなりません、而して斯の如くに此小さき者の死より学んで我等は彼女をして無益に死なしめないのであります、人が犬死すると否とは後に残りし彼の骨肉友人の行為如何に由て決定《さだ》まるのであります、彼の死に由て書き教訓を得、之に由て善き事を為して彼は誠に地下に瞑するのであります、人は死んで其霊は天に往くのみではありません、彼は又地に止まります、其の骨肉友人の心に止まります、而して彼等に由て地上に(254)働らきます、両して如斯くにして彼は亦地上に於ても永久に生きるのであります。
 此|嬰児《おさなご》は生後十ケ月にして此世を逝りました、彼女をして五十年六十年の生命を保たしめんものをとは両親の心であります、然し其事叶はずして彼女は失せて両親の心に無限の悲哀があります、然しながら今と雖も彼女をして長き生命を保たしむることが出来ます、即ち彼女の死に由て学び、彼女の名のために多くの善き事を為して、彼女の父と母とは彼女をして永久に地上に存らへしむることが出来ます、ドウゾ此愛憐《いと》しき、蕾の如き嬰児が永久に我等の中に在て働くやう努めて下さい。
 
(255)     貪婪の弁明
                        明治43年6月10日
                         『聖書之研究』120号
                        署名 内村生
 
 最も無慈悲なる人は余輩が多く財産を作りて安楽に暮らしつゝありと言ひて其事を世に言触らす人である、余輩は勿論特更らに余輩の貧を世に訴へて其同情を求めんとしない、然れども余輩が財産を作りたりと称して貪婪の罪を余輩に負はせんとする者は是れ余輩の事業を其根底に於て毀たんとする者であつて、斯かる者は余輩を害するよりも寧ろ余輩の益せんとする人々を害する者である、是れ余輩が茲に余輩の志望に反いて弁明の労を取る所以である。
 余輩がキリストを世に紹介しながら多くの財産を作りたりと云ふ、背理是れより大なるはない、斯かる背理を唱ふる人は未だキリストの何人なるか、其福音の何たる乎を深く究めたことの無い人であるに相違ない、キリストは単に聖書を読んで識ることの出来る人物ではない、彼に親まんと欲すれば多少彼の生涯に類したる生涯を送らなければならない、貧の苦痛を識らない者はキリストの心を識ることは出来ない、彼が曾て教へしが如く、人は二人の主に事ふること能はず、彼は同時に神と財とに事ふること能はずである、伝道と蓄財とは正反対の事業である、其一つに於て成功せん乎、其二に於て失敗せんことは必然である、而して余輩は多少伝道に於て成功したと思ふ(神の恩恵に由て)、而して其事其れ自身が余輩が蓄財に於て失敗したる何よりも善き証拠である、若し(256)余輩の誹謗者が余輩の如く十年一日の如く本誌の如き雑誌の編輯発行に従事したらんには、彼等の声言の如何に背理的なる乎を悟るであらう。
 縦し万一蓄財は伝道に伴ふて不可能事でないと仮定して、余輩が前者に於て成功したりといふ其噂さの無根なるは余輩の事業の経歴に照らして見て明かである、『聖書之研究』毎号発行部数は平均二千を超へず(若し之を疑はば秀英舎に就て聞け)、而して其の収入の以て富を余輩に持来すに足らざるは余輩が茲に弁明するまでもない、又余輩に二十余種の著述ありと雖も、其中版を重ぬること最も多き者と雖も発兌七千部以上に達せし者なし、而して余輩の著述全部の定価を合するも金五円を越えざるを見て、余輩の著述が余輩に高利を供する者にあらざることは是れ又何人が見ても明かである、欧米諸国に於ける余輩の著書の配布の甚だ広きを唱へて余輩の獲利を羨む人あるを聞きしと雖も、是れ又無用の心配なりと云はざるを得ず、米国に於ては「余は如何にして基督信徒となりし乎」は僅かに五百部を売りしに止まり、余輩の手許に達せし印税僅かに三十余円に過ぎず、独逸国に於てはやゝ成功し数千部を売尽すを得て其発行者より三回に分ちて余輩の許に四百余円を送来りしは事実なり、而して是れ筆硯業の報酬として余輩が受けし最大額にして、余輩をして感謝措く能はざらしめし者は実に此思掛けなき天よりのマナにてありき、他に丁瑪国は余輩の英文二著の丁瑪訳に対し二何の寄贈を為したり(凡そ金百円)、其他芽蘭土と瑞典と和蘭とは一銭一厘をも送らざりき、和蘭訳の如きは余輩は其成りしを聞きしのみにて未だ曾て之れを手にせしことなき程なり。
 斯かる次第であれば余輩が余輩の雑誌并に著述より多くの財産を作りたりとの流言の全く根拠なきものであることが判明る、余輩は著述家として世間的に成功したる者にあらず。
(257) 然らば富める友人の豊かに余輩に貢ぎし乎といふに、是れ又決して事実でない、余輩に富める友人のないではない、而して彼等が時に此世の物を以て余輩の欠を補ひし事は事実である(今諸氏の姓名は憚りて茲に載せない)、彼等は余輩をして住むに家あらしめ、集まるに場所あらしめた、然りと雖も諸氏が有り余る程多くの物を余輩に送らざりしことは諸氏の証明する所である、余輩が諸氏より要求する所の物は友情であつて、金銭でない、若し諸氏が余輩に与ふるに前者を以てするならば、後者は余輩は之を諸氏の手に存して余輩は自から富と貴きとを感ずるのである、若し余輩に富める友人が有るが故に余輩は富むと云ふならば、其事は事実である、然し余輩が友人の富を余輩の手に受取りて、それに由て余輩自身が富める者となれりと云ふならば其事は虚偽である。
 然し論より証拠である、余輩の富貴を想像する者は直に余輩に就て事実を調査すべきである、余輩の有する土地ありや、余輩の有する証券ありや、余輩の有する家屋は如何、余輩の銀行帳簿は如何、是れ何人も知らんと欲して容易に知ることの出来ることである、余輩は責任ある人にして余輩に就て之れを調べんと欲する者あらば、喜んで其要求に応ぜんと欲す。
 憐むべき此世の人は財を蓄ふるより他に人生の目的あるを知らない、故に彼等は人の少しく事業に成功するを見れば、其事業の何たるに関はらず、必ず蓄財に於て成功したりと思惟す、斯く思惟して彼等は勿論自己の理想を表白するのである、彼等は先づ第一に何よりも財を欲するが故に、他人も亦同一の慾望に励まされて事を為すのであると思惟す、余輩は彼等が他人を揣《はか》る其の心を以てやゝ彼等自身を揣ることが出来る。
 蓄財の事たる我等真理の伝播と実現とに従事して居る者に取ては之を言ふだにも愧づべき事である(以弗所書五章十二節)、自己に此事なき人は他人に就ても此事を語らない筈である、貪婪は淫猥だけ夫れだけ愧づべきこと(258)である、之を事々しく語る者はクリスチヤンでないのみならず、ゼントルメンでない、余輩は此事に関し余輩の批評家が少しく己れを慎まれんことを望む。
 然れども彼等が若し余輩に於て確かに此罪あるを認むるとならば、余輩は彼等が公然と彼等の姓名を署し責任を負ひて余輩を責められんことを望む、然らば余輩は弁ずべきは弁ずべし、伏すべきは伏すべし、或ひは又要求すべうは要求すべし、然るに之を為さずして名を匿くし責任を避けて※[言+毀]謗讒害を事とするが如き、余輩は之を日本男子の行為として認むる能はざるなり。昔しは使徒パウロ、同じ誹謗を蒙り、之に対して答へて曰へり
  人、宜しく我等をキリストの役者の如く、神の奥義を司る家宰《いへつかさ》の如く意ふべし、此世に在りても人の家宰に求むる所は其忠信ならんこと也、我れ汝等に審判れ或ひは人に審判かるゝことを最も小さき事となす、我も亦自己を審判かず、我れ自ら省るに(此事に関し我は)過《あやまち》あるを覚えず、然れども之に由りて我は義とせられず、我を審判く者は主なり、然れば主の来らん時まで、時未だ至らざる間は審判《さばき》する勿れ、主は幽暗にある隠れたる惰《こと》を照らし、心の謀計《はかりごと》を顕はさん、其時各自神より誉《ほまれ》を得べし
と(哥林多前書四章一−五節)、余輩を審判くに此世の批評家よりも更に更に恐べき者がある、彼等は余輩を彼に委ね置きて可なり、余輩に若し貪婪の罰すべきあらば、彼はかの恐るべき日に於て熄《きえ》ざる火の中に永く余輩を苦め給はん。
 
     附言
 
 貪婪が若し余輩の特性であるならば余輩は曾て之を現はすに善き機会を与へられた、余輩が米国在留中余輩は(259)幾回か安楽の生涯を送り得るの便宜を供せられた、然し余輩は余輩の責任の在る所を思ひて神の恩恵に由て之を斥けた、殊に余輩が帰朝の途にありし時に、蓄財の最も善き機会は余輩に供せられた、余輩一日カリフルニヤ大学に博士ジヨルダンの採集に成る魚類標本を参観して宿に帰るや、一人の米国紳士の刺を通じて余輩に面会を求むる者があつた、余輩出て彼に会すれば彼は曰く
  余は今日君が大学に魚類標本を参観せられしを其監理者より聞き、以て君の日本国に在て水産事業に関係せらるゝを知れり、依て余が今茲に君に提供すべき一事業あり、そは他なし、クリーブランド氏大統領に選れて民主党勢力を得てより、魚油輸入税規則の改正ありて、茲に一新事業の当米国に於て成立し得るに至れり、君、何ぞ余等と協同し、日本国に在りて余等を代表し、今や廃棄物と同然たる状態に於てある其多額の魚油を買占め之を余等米国に在る者に送りては如何、然らば余等は余等の特許所有にかゝる新製造法に由て之を精製し、之を販売して以て相互に大に益する所あるべし、君は一銭を投ずるを要せず、君は唯日本に在りて余等の代理人たれば足る
と、余輩は一目して其紳士の誠実の人なりしを知つた、余輩は又米国在留中、東方グロースター市に於て魚油製造法を目撃し、其確かに有利の業なるを知つた、若し蓄財が余輩の終生の目的でありしならば茲に此目的を達するために千載一遇の機会が余輩に供せられたのである、然し余輩は断然之を斥けた、余輩は他に事業の余輩に天より託せられしを其時既に知つたからである、而して慇懃以て余輩の辞意を彼の紳士に伝ふるや、彼は甚だ失望せるの状を示し、倉皇余輩を辞し去つた、後にて聞けば同一の事業は日本に於ても亦米国に於ても盛に起り、之に従事せし者は尠からざる利益を収めたりとのことである。
(260) 嗚呼、運命よ、余輩は何故に彼の提案を納れざりしぞ、是れ確かに罪悪にはあらざりし也、之を納れ、之に従事し、国産を興し、自己を富まし、而して後に福音の宣伝に従事したりとて敢て遅からざりしなり、而已ならず、之に由て多くの無益の労苦と配慮とを省くを得て、余輩の事業は如何に敏速に運ばれしよ、幸運を貪婪と解せしは余輩の大なる誤謬にてありき、然れども機会は去て復た還らず、而して二十二年後の今日、余輩は依然として旧の余輩なり。
   皆な人を渡しはてんとせしほどに
        我身は旧の問々のつぎ橋
 
(261)     事業と恩恵
                         明治43年6月10日
                         『聖書之研究』120号
                         署名なし
 
 我事業は多くは失敗なりき、然れども神は我を恵み給ひにき、我に成効の歓喜あるなし、然れども恩恵の感謝あり、事業は我を神に近づくるために必要なりき、我は失敗を歎くべきにあらざるなり。
 
(262)     脱会諌止の書翰
         (東京附近の或る教会を牧する牧師某に贈りし者なり)
                         明治43年6月10日
                         『聖書之研究』120号
                         署名 内村鑑三
 
  拝啓、先日は失礼仕儀、御近信に対し左に簡短に申上候。
  一、小生は君の確信なる者の君の教会に対する不平と君の血気とを混へたる者にあらざらんことを希望致し候。
  一、小生は君が教会を去らるゝとするも、普通の義理と人情とは之を尽されんことを望み候、如何に確信のためとは言へ、永らく世話になりし個人並に団体に対し、尽すべきの義務を尽さず、還すべきの負債を還さずして之を去るは普通のゼントルマンとして為すべからざることゝ存候。
  一、小生は君が独立伝道の真義を充分に解せられんことを願上候、是れ決して局外者の見るが如き「勇ましき花々しき奮闘」には無之、至て詰らなき辛棒に御座候。
  一、君が今小生の処に来らるゝも小生は君に供すべき地位を有せず候、又若し之を有すとするも、其所属の教会を去てより平信徒は一年、教師は三年を経過せざれば之を受けずとの小生の規定を君の場合に於ても適用することを御許し被下たく候。
(263)  一、小生が君に就て望む所は君が現在の地位に在りて君の最善《ベスト》を試みられんことに御座候、而して之に対して教会が若し君を放逐するに至らば、其時出て独立せられんことに御座候、若し君の所属の教会の許すあらば、小生は喜んで君を君の現在の地位に於て助け可申候。
  一、何れにしろ小生は君が此際直に貴地を去らるゝことは大不同意に御座候、小生は君に師と呼ばるゝを好まず、然れども若し君が強ひて小生を師と仰がんと欲するならば、小生は君が小生の此勧告に従はれんことを願ひ候、宣教師学校に学ばれし君の場合は小生のそれとは大に異なる所有之候、其辺篤と御注意有之度候。
 右申上度、草々。
                      内村鑑三
〇〇君
 
(264)     〔我が同志 他〕
                         明治43年6月10日
                         『聖書之研究』120号
                         署名なし
 
    我が同志
 
 我が同志は我が許に来りて我と共に働く人に非ず、我が同志は我の如く独り神に頼りて働く者なり、政府又は教会に頼らざるは勿論、如何なる人にも頼らざる者なり、独立の人のみ互に相敬し相愛す、真個の聖徒の交際は独立人の交際なり、我等互と固く相結ばんと欲せば、相互に頼るを廃めて、各自神に頼りて独り立つべきなり。
 
    援助の秘訣
 
 人を助けんとするに方て外より之を助くる勿れ、衷より助けよ、彼れ自身となりて助けよ、即ち彼に人に助けらるゝの感を起さしめずして彼を助けよ、是れ真正の虚心たるなり、キリストが己を虚うし給へりと云ふは此事を云ふなり、彼は聖霊として人を助け給ふ、即ち彼を愛する者の意志となりて彼等を助け給ふ、我等は彼に助けらるゝ時に彼の我等を助けつゝあり給ふを知らず、我等自身己を助けつゝありと思ひ、後に至り、回顧して彼の我等を助け給ひしを覚るなり、渠の援助を口にし之を齎らして人に臨む者は真に助くる人にあらず、先づ自己を(265)人に与ふるにあらざれば真正に彼を助くる能はざるなり。
 
    労働と報酬
 
 働けよ、働けよ、報酬を得る能はずと雖も働けよ、若し報酬を得る能はずば働て報酬を得るの権利を得よ、然らば報酬は終に与へらるべし、又憚らずして報酬を要求し得るに至るべし、報酬の約束せらるゝまで待て事は成らざるべし、報酬は得られざるべし、報酬は労働に伴ふ者なり、其、何時、何人に由て与へらるゝ乎は、我等の千与する所にあらざるなり。
 
(266)    〔愛の奇蹟 他〕
                         明治43年7月10日
                         『聖書之研究』121号
                         署名なし
 
    愛の奇蹟
 
 神は愛なり、愛なるが故に彼は奇蹟を行ひ給ふ、愛なるが故に彼は此驚くべき宇宙を造り給へり、愛なるが故に彼は死者を甦へらし給ふ、愛の為す能はざる事あるなし、神を愛と解して彼に就て信じ難き事一もあるなし、愛は超自然なり、愛なる神に関する記事と知て聖書は解するに何の難き所なき書たるに至る。
 
    智識の終極
 
 神を知るは小事なり、我等は神に知られざるべからず、而して我等彼を愛して彼に知らるゝを得るなり、
  人、若し能くものを知ると思はゞ彼は未だ知るべき丈けをも知らざるなり、然れども人、若し神を愛せば、其人は彼に知らるゝ也、
 愛は智識の終極なり、而して愛は知らんと欲せずして知られんと欲す、而して我等は神に知られてのみ能く完全に彼を知るを得るなり。哥林多前書九章二、三節。
 
(267)    我と福音
 
 我は我なり、福音は福音なり、我れ卑しきが故に福音卑しからず、福音貴きが故に我は貴からず、神は時には貴き宝を卑しき器に託し給ふ、我はたゞ他人を教へて自から棄られざらんことを努むべき也。哥林多前書九章二十七節。
 
    伝道の強行
 
 国のために伝道する能はず、又人のために伝道する能はず、又神のために伝道する能はず、神に強ひられて止むを得ずして伝道するを得るなり、
  我れ若し福音を宣伝へずば禍ひなるかな、已むを得ざるなり、我れ好むも好まざるも我は其任務を負はせられたり、
 パウロは如斯くにして伝道に従事せり、我等も亦福音の為めに捕へられ、其囚人となるにあらざれば能く忍んで終まで此業に堪ゆる能はざるなり。哥林多前書九章十六、十七節。
 
    永久の信者
 
 自から択んで成りし基督信者あり、神に簡まれて成りし基督信者あり、前者はキリストを棄つることあるべし、後者は彼を棄んと欲するも能はざるなり、神に強ひられて信ぜし者にあらざれば永久にキリストの信者たる能は(268)ざる也。路加伝十四章廿三節。
 
    失敗と成功
 
 失敗は失敗にあらず、失敗は成功に達するの階段なり、花落ちて実結ぶが如く、種死して芽出るが如く、失敗を重ねて成功は来るなり、失敗は成功の順路に他ならず、全き者来らんがために全からざる者廃るなり、然れば失敗せりとて何をか悲まん、成功の一歩近きしを喜び、感謝して働くべきなり。
 
    成功の期
 
 伝道の成功は之を一生の中に望むべからず、死して後に期すべし、キリストすら曰ひ給へり
  我れ、我れ若し地より挙げられなば万民を引きて我に就《きた》らせん
と、一生は播種《はんしゆ》の期《とき》たるに過ぎず、成熟と収穫とは其後に来る、然れば我等種子を地の上に投げんかな、多くの日の後に我等復び之を獲べければなり。約翰伝十二章卅二節、伝道之書十一章一節。
 
    平静の生涯
 
 人に賛《たす》けられんとせずして神に賛けられんとし、物に励されんとせずして霊に励されんとし、今尚は肉に在るも肉を脱《はな》れたる霊の如くに働く、斯の如くにして人に欺かるるの患なく、誘惑に襲はるゝの懼なし、地に在りて天に在るが如く、清潔にして平和なる生涯を送り得るなり、苦痛は野心と慾心とより来る、之を去りて人生は湖(269)面に舟を行るが如く安し。
 
(270)     罪とは何ぞや
                         明治43年7月10日
                         『聖書之研究』121号
                         著名 内村鑑三
 
 聖書に謂ふ所の罪とは何である乎、其事が解らずして聖書は解らない。
 罪とは普通に盗むこと、殺すこと、姦淫すること、偽の証拠を立つることゝ思はれて居る、而して是れ皆な罪であることは何人も疑はない所である、然しながら是れ諸の罪(sins)であつて、罪其物(the sin)ではない、聖書は前者を称して違法と云ひ(加拉太書三章十九節、希伯来書九章十五節等に「罪」と訳してあるは誤訳である)、後者を称して特に罪と云ふ、罪は多くではない、一つである、罪の罪があつて、其結果として多くの罪があるのである。
 而して此罪とは何である乎と云ふに、夫れは反逆であるのである、即ち人が神に対して犯したる反逆の罪であるのである、是れが罪の罪であつて、すべての罪の本であるのである、而して聖書が排議して止まざる罪は常に此罪である、神がキリストに在りて除かんと欲し給ひしは人類の此罪である、茲にすべての背徳、すべての苦痛の本原が存するのである。
 アダムとエバとが犯したりと云ふ罪は此罪である、禁制の果物を食ひし事、其事は小なる罪である、神はそれがために彼等と其|裔《すえ》を呪ひ給ふたのではない、彼等が悪魔の教唆に従ひ、神より離れて独り立たんとし、神に対(271)する彼等の反逆の意を表せんために、此禁を破りしが故に、彼等は神の楽園より逐はれ、世の漂流人《さすらひびと》となつたのである、反逆は前にして破戒は後であつたのである、即ち罪は前にして違法は後であつたのである、彼等は心に反逆を蓄へ、之を発表せんとして、神に対して面当に此違法を敢てしたのである。
 斯くして始祖の行為に由て神と人との親子的関係は絶えたのである、而して此悲むべき絶縁を称して「人類の堕落」と云ふのである、人類は此時すべての善性を失ひたりと云ふのではない 彼等の智能は其儘に存し、彼等の徳性も亦全く失はれなかつた、然しながら彼等は此時彼等の父なる神を失つた、神と彼等との間に存せし最も親密なるべき関係が此時に絶えた、彼等は此時使徒パウロの所謂「希望なき又世に在りて神なき者」と成つたのである。
 罪とは反逆である、而して預言者等が責めて止まざりしは此罪である、
  背けるイスラエルよ帰れ
と(耶利米亜記三章十二節)、又
  其罪は多く其|背違《そむき》(反逆)は甚だし
と(仝五章六節)、又
  我民はともすれば我より離れんとする(反き去らんとする)心あり
と(何西阿書十一章七節)、又
  我れ彼等の反逆《そむき》を医《いや》さん
と(仝十四章四節)、神と民との調和が預言者等唯一の目的であつた、此事にして成らんか、民は救はれたのであ(272)る、民の「反逆を医さん」事が預言者の熱望であつたのである。
 而して預言者の此絶叫ありしに関はらず、イスラエルの民は罪の罪たる此反逆を犯して止まなかつた、
  イスラエルの子孫ヱホバの前に悪を為してバアリムに事へ、其先祖の神ヱホバを棄て他の神に事へたり
と(土師記二章十一、十二節)、又
 斯くてイスラエルの子孫《ひと/”\》ヱホバの前に悪を行ひ、己の神なるヱホバを忘れてバアリム及びアシラに事へたり
と(仝三章七節)、又
  エホデの死たる後イスラエルの子孫ヱホバの目前に悪を行ひしかば云々(即ちヱホバに反き彼を忘れて神ならぬ己の想像に成りし偶像に事へしかば云々)
と(仝四章一節)、忘恩に次ぐに忘恩、反逆に次ぐに反逆、撰民の歴史は神に対する其反逆の歴史である、聖書が他《ほか》の書と全く異なる点は茲に在る、即ち単に民の罪悪を責むるに止まらずして、特に其神に対する反逆を責むるにある、単に不義を矯めんとせずして、不義の根元なる反逆を医さんとするにある、預言者が屡々言へるが如く、罪は実に姦淫である、人が神に対して貞操を破ることである、此罪にして除かれん乎、他のすべての罪は除かるゝのである。
 聖書の所謂「罪」とは反逆である、故に其所謂「義」とは何んである乎が解かる、罪とは反逆であるが故に義とは帰順である、諸《すべて》の罪は反逆より来り、諸の徳は帰順より生ず、義とせらるゝとは単に義と宣告せらるゝことではない、子とせらるゝことである、復たび子として神に受納らるることである、而して之に仁愛、喜楽、平和、忍耐、慈悲、良善等の諸徳の伴ふは言ふまでもない、人は神に反いてすべての不義に陥りしが如くに、神に帰り(273)てすべての徳に復するのである、聖書の示す所に由れば罪も徳も神に対せずして在る者ではない、神を離れて罪があり、神に帰りて徳がある、此意味に於て宗教は本にして道徳は末である、人類は罪を犯せしが故に神を離れたのではない、神を離れしが故に罪を犯すのである、其如く、徳を建て神に帰るのではない、神に帰りて徳を建つることが出来るのである、パウロの所謂「人は行為に由て救はるるにあらず、信仰に由て救はる」とは此事を意《い》ふのである。
 罪とは神を離るゝことであり、義とは神に帰ることである事が解つて、救済《すくひ》とは何んである乎が解る、救済とは単に罪を去て義人となることではない、斯かる事は又実際に人の為し得る事でない、救済とは神の側より見て人を己に取反す事である、人の側より見て反きし神に帰る事である、而して神と人との中保者なるキリストの立場より見て、二者の調和を計ることである、而して神と人との場合に於ては譲るべきは神に於て在らずして人に於てのみ存するが故に、救済とは人をして神に和らがしむることである、人を神に対する其元始の関係に引直す事である、預言者の言を以て曰へば「民の反逆を医す」ことである、斯くて救済とは単に苦痛を去ることではない、又単に不義を除くことではない、人を神に携還《つれかへ》ることである、神に対する其関係を正しくすることである、単に罪を去ると云ひ、心を清むると云ひ、義を慕ふと云ひ、正を践むと云ひて救済の何たる乎は解らない、起《たち》て父に還ると云ひ、神と和らぐと云ひ、子とせらるゝと云ひて其何たる乎が明白になるのである。
 反逆、帰順、救済、――聖書の示す所、語る所、説く所は是である、聖書は所謂純道徳を語らない、又抽象的真理を説かない、神と人との関係を説く、其唱ふる所は道義ではない、福音である、神が人を己に携還らんとて設け給ひし救済の手段と方法とである、其宣伝を伝道と称するは大なる誤称である、伝道ではない、福音宣伝であ(274)る、嘉信の伝達である、福音一名之を「和らぎの言」といふ(哥林多後書五章十九節)、而して之を宣伝ふるのが所謂伝道者の職分である、彼を伝道師と称して道徳の教師の如くに思ふは大なる誤謬である、彼は神がキリストに在りて世をして己と和がしめ給ひし其|聖業《みわざ》を宣伝ふる者たるに過ぎない、
  我等キリストに代りて汝等に求《ねが》ふ 汝等神に和げよ
と(仝廿節)、我等が福音の宣伝者として人に告ぐる所は是に過ぎない、人がキリストに由りて神に対する其反逆(罪)を認め、悔ひて彼に帰り(義とせられ)、復たび元の如くに彼の子と成るに及んで(救済はれて)伝道即ち福音宣伝の目的は達せられるのである。
 
(275)     聖書とキリスト
                         明治43年7月10日
                         『聖書之研究』121号
                         署名なし
 
 聖書は道徳の書ではない、神の恩恵の福音である、キリストは道徳の先生ではない、人類の救主である、此事は幾回となく繰返して言ふの必要がある、そは此事が解らずして聖書もキリストも全く解らないからである。
 
(276)     初代の教会は如何なる者なりし乎
                         明治43年7月10日
                         『聖書之研究』121号
                         署名 内村鑑三
 
  ラウシエンブツシュ氏近著『基督教と社会の危機』を読んで感ぜし所の一節。
 
 初代に教会の有つたことは余輩と雖も否まない 乍然、其、今日の教会の如き者でなかつたことは余輩の信じて疑はない所である、名は同じく教会である、然し其実に於ては二者の間に雲泥の差があつた。
 而して二者の相違は清濁の相違でない、其拠て立つ根本の相違である、初代の教会と今代《いま》の教会とは其主義、精神、性質を異にして居る。
 今の教会と云へば主として神を礼拝する所である、会堂は之を礼拝堂と称し、其教師は主として祭司である、祈祷あり、洗礼式あり、聖餐式あり、之に伴ふに聖書の誦読がある、今の教会より礼拝的分子を取除いて残る所は零砕である 語を換へて曰へば今の教会は信者の宗教心を主る所である、彼等は世に在りては世の人の如くに世の事業に従事し、教会に来りては世の人と異なり、神を拝して之に事ふ、彼等が信者たるの証拠は主として彼等が教会に属するに在る、教会を離れて彼等が信者たるの徴候は殆んど見当らないのである。
 然し初代の教会は斯かる者でなかつた、初代の教会は神を礼拝する所であるよりは寧ろ神を信ずる者の作つた(277)社会であつた、是は信者がキリストの唱へ給ひし所の天国又は神の国を地上に実現せんと試みし所であつた、故に之を称して聖徒の社会(Community of saints)と云ふた、其内に礼拝の行はれしは言ふまでもない、然れども、礼拝のみが其能事でなかつた、教会は信者の作りし社会であつたから其内に在りて信者に関はるすべての事が行はれたのである、即ち其身に関する事、其智に関すること、衣食、労働、救済、教育等、信者に関はる人事の万般は悉く其内に行はれたのである、其事に関し、聖書は委しくは之を示して居らないが、乍然、其内に散在する此事に関する記事を綜合して見て、此結論の決して誤でないことが判明る。
  信者は皆な偕に在り、すべての物を共にし、其産業と所有とを鬻りて必要に応じて之を分与へぬ(行伝二章四十四、四十五節)。
 茲に一つの共産的社会が起つたのである、キリストの愛に励されて財産所有の観念は消え、歓喜と希望を共にする初代の信者は茲に此世の物までを共にするに至つたのである、
  日々心を合せて殿《みや》に在り、又家に在りてはパンを割き、歓喜《よろこび》と誠心《まごゝろ》を以て食を共にせり(仝四十六節)。
 産を共にし食を共にしたりと云ふ、親密之より深きはない、「パンを割き」とは或る註解者の言ふが如く「聖餐式を行へり」と云ふことではない、普通の食を共にせりと云ふことである、晩餐式ではない、晩餐会であつた、イエスが常に其弟子等と食を共にし給ひしが如く、彼の死後、彼の弟子等は彼に習ひ、食を共にして心を共にしたのである、イエスは日常の食事を祝し之をして真に聖餐たらしめ給ふた、今日教会に於て行はるゝ所の聖餐式なる者は元々聖徒の聖なる会食であつたことは疑ふべくもない、儀式は愛心の冷却より来るものである、愉快なる信者の会食が其愛心の冷却と同時に厳めしき教会の聖餐式と化したのである。
(278) 斯かる共産的生涯に多くの弊害の伴はないではない、共産が信者の上に強ひらるゝに方て一面にはアナニアとサツピラの場合の如き偽善を生じ(行伝五章)、又他の一面には多くの依頼信者を起し、「工《わざ》を作《なさ》ずして専ら余事を努め妄《みだり》なる事を行ふ者ある」に至つた(テサロニケ後書三章十一節)、共産的生涯はたとへキリストの弟子たりと雖も之を実際に行ひ得るや否やは未決の問題である、而して初代の信者が之を行つて遠からずして失敗に終つたことは確かである、然しながら、斯かる生涯が彼等の理想でありしこと、而して今日と雖も又人類の理想であることは是れ又疑なき所である、近世に於ける最も健穏なる社会主義が英人ロバート・オーエンを以て始まりしこと、而して彼の終生の理想が完全なる共産的社会を作るにありて、彼は幾回か失敗せしも、幾回か試み、以て後世に多くの貴き教訓を遺せしことは人の善く知る所である、失敗は理想を毀《こぼつ》に足りない、共産的社会の如き高貴なる理想は幾回か失敗して而して後に終に光栄ある成功に達する者である、而して初代の基督信者は大胆に此大試験を試みたのである、彼等は今の基督信者の如くに、失敗を恐れて理想の実行を避けんとは為さなかつた、彼等は直に地上に神の国を建設せんとした、而して此目的を以て彼等の作りし者が即ち初代の教会である。
 信者のために生活の道を設け、食膳を共にして親密を計り、更らに進んで子弟に教育を施した、路加伝を受取りしテヨピロの場合の如きが善く此事を示す者である、
  汝が教へられし所の確実《まこと》を暁《さとら》せんと欲《おも》へりとは路加伝が書かれし目的であつた(一章四節)其他貧者の救済《きうざい》に就て、寡婦の処置に就て、教会は深慮熟考を施し、特に長老の職を設けて此重任に当らしめた(使徒行伝六章)。
(279) 斯の如くにして初代の教会は今の教会とは全く其性質を異にし、神殿の性を帯びずして、社会の質を具へて居つた、其時、信者は単に神を拝し、道を説くに止まらずして、キリストの精神を以て注入されたる社会を作り、之を以て世に臨み、世をキリストに化せんとした、是れ実にパウロの所謂「キリストの体《からだ》」であつて、今日の言葉を以て言へば「基督的社交団」であつた、其、世を化するに方て非常に力ありし理由は茲に在つたのであると思ふ。
  信者は皆な偕に在り、すべての物を共にし、其産業と所有を鬻《う》りて必要に従ひて之を分与へぬ、彼等は日々心を合せて殿にあり、又家に在りてはパンを割き、歓喜と誠心を以て食を共にし、神を讃美し、すべての民に悦ばる、主、救はるゝ者を日々教会に加へ給へり、
と、単に使徒等の説教に由てゞはない、信者全体の一致和合の生涯に由て、キリストの福音は最も明白に世に示され、民は之を悦び、争つて自から進んで教会に加はりたるのである、
  視よ、兄弟相睦みて偕に居るは如何に善く如何に楽しきかな(詩篇第百三十三篇一節)。
  汝等若し互に相愛せば之に由りて人々汝等の我弟子なることを知るべし(約翰伝十三章三十五節)。
  世に愛に優さる有力なる説教はない、初代の教会が一日に二千三千の新たなる信者を其中に加へしと云ふは其上に愛の聖霊が降つて、夥しく愛の果を結んだからである。
       *     *     *     *
 然らば誰か試みん此試験を、或ひは那須野ケ原に於て、或ひは十勝の平原に於て。小なりと雖も天国の建設を地上に試みて、縦し其《そ》は必ず失敗に終るとも、其伝道上の効果は千百の教会を建つるに勝さることは言はずして(280)明かである。
 
(281)     贖罪の弁証
         五月二十九日、柏木自宅に於て述べし所なり。
                         明治43年7月10日
                         『聖書之研究』121号
                         署名 内村鑑三
 
  イエス彼等を召びて曰ひけるは、異邦の領主は其民を主り大なる者は彼等の上に権を操る、然れど汝等の中にては然かすべからず、汝等の中にては大ならんと欲する者は汝等の給仕たるべし、又汝等の中首たらんと欲する者は汝等の僕たるべし、此の如く人の子の来るも人に奉仕せられんためにあらず、反て人に仕へ、多くの人に代りて生命を与へ、その贖とならんためなり。馬太伝二十草廿五−廿八節。
 今や贖罪を信じない基督信者が多くある、彼等は公然と「我は贖罪を信ぜず」と言ひて憚らない、彼等は恰かも贖罪は一の迷信であるかのやうに思ふて居る、彼等はキリストを信じ聖書を尊ぶと雖も其中に幾回となく記してある贖罪は之を排斥するも何の差支も無いことのやうに思ふて居る。
 余輩と雖も勿論或種の贖罪を信じない、普通宣教師と教会とに由て唱へらるゝ贖罪を信じない、即ちキリストは既に我等のために死に給ひたれば、我等は今や窃んでも殺して欺いても、其他いかなる悪事を為しても救はるゝに定つて居ると云ふが如き贖罪を信じない、而して之に類する贖罪説が実際に唱へられつゝあるは事実である、(282)「是故にイエスキリストに在る者は罪せらるゝ事なし」とのパウロの言を楯として多くの明白なる悪事が憚からずして基督信者(教会信者)に由て行はれつゝあるは掩ふべからざる事実である、而して若し斯かる贖罪説が基督教の根本的教義であるとならば、基督教は誠に不義不徳を教ふる者であつて、是は我等の全身全力を尽して排斥撲滅すべき者である。
 然しながら贖罪とは爾ういふ事ではない、是は深い道義の其中に存することであつて、是れあるが故にキリストの福音は無上の価値を有するのである。
 茲に掲げし聖書の言葉が最も明かに贖罪の何たる乎を示す者であると思ふ、  人の子の来るも人に奉仕せられんためにあらず、反て人に仕へ、多くの人に代りて生命を与へ、その贖とならんためなり。
 贖罪とは人に仕ふる事である、人のために善を為すことである、他人のために瘁尽することである、即ち自己を他人に予ふることである、兄弟の負債に苦むを見て、之を己の関せざる事として見ることなく、自から進んで彼を負債の束縛より救はんとすることである、而して罪は最大の負債であれば、神はキリストに在りて人類の此負債を除かんと為し給ふたのである、神にして若し此心を懐き給はざらん乎、彼は神と称するに足りない者である、此心は是れ我等罪に沈める人類にすら多少存する者である、況して神に於てをやである、神若し神たらば彼は贖主《あながひぬし》でなければならない、彼は進んで人の負債を己に負ひ、之を其苦痛より免かれしめんと為し給ふ者であるに相違ない、而してキリストは神の此心を体して世に降り給ふた者であつて、我等は彼に由て神は実に我等の理想に違はず、我等の贖主であることを知るのである。
(283) 贖罪に関する誤謬は多くは之を贖はるゝことゝ解して、贖ふことゝ解せざるより起るのであると思ふ、即ち贖罪を受動的に解して発動的に解せざるより起るのであると思ふ、贖罪は強き者が弱き者のために、富める者が貧しき者のために取る行動である、是れは神が人の為に為し給ひしことであつて、人が神に要求し、己が権利として享受すべきものではない、贖罪は神に在りては美徳である、人に在りては恥辱である、人が罪を犯したればこそ、神に贖罪の必要が生じて来たのである、愛の神の行為たる贖罪を人に属する当然の権利と見做すが故に此貴き教義より来るすべての弊害が生ずるのである。
 而して贖罪を発動的に解して我等神に罪を贖はれし者も亦、贖はるゝや否や直に自から贖ふ者となるのである、我等は神のみを贖主として措《おい》てはならない、我等自身も亦進んで贖主とならなければならない、即ち我等も亦我等よりもより弱き、より貧しき者のために其贖主とならなければならない、即ち彼等に代りて我等の生命を与へ、その贖とならなければならない、贖罪を単に神の事とのみ解するが故に、我等は彼の恩恵《めぐみ》に慣れ、之を濫用し、反て更らに彼の怒を我等の身に招くに至るのである、実に贖罪は惟り神のことではない、亦人の事である、より強き者がより弱き者に対する時に神と人との別なく何人も贖主たるべきである、即ち他の弱きを助け、貧しきを補ひ、暗きを照らし、悪しきを正し、罪を贖ふべきである、然るに自からも亦贖主とならんと欲せずして、たゞ神に贖はるゝを以て足れりと為すが故に、贖罪の恩恵は益を為さずして反て害を為し、其教義は人の嘲笑を招くに至るのである、
 主は我等のために生命《いのち》を捐て給へり、是に由りて愛といふ事を知りたり、我等も亦兄弟のために生命を捐つべきなり(約翰第一書三章十六節)、
(284) 贖罪を斯の如くに解して、其中にキリストの福音のすべてが含まれてあることを覚るのである。
 贖罪誤解の第二の原因は之を消極的に見て積極的に見ない事である、贖罪とは単に罪を消すと云ふ事ではない、罪は無代価で贖はれる者ではない、之を贖ふに代価が要る、「汝等は価を以て買はれたる者なり」とパウロは曰ふた(哥林多後書六章廿節)、而して其価とは勿論|汚《くつ》るべき金や銀ではない、罪の反対なる徳である、義である、愛である、罪は義と愛とを以てしてのみ贖はるゝ者である、故に買ふと云ひ、贖ふと云ふは単に引出すと云ふこ
とではない、是は買取ると云ふことである、貴き代価を払ふて買取ることである、苦しき労働を以て救出すことである、愛を以て憎《にくみ》に打勝つことである、恩を以て恨に報ゆることである、義を行て罪を打消すことである、而して金銭の価値を知らざる者は物の真価を知らざるが如く、労働の辛苦を知らざる者は事業の貴尊を知らざるが如く、愛の苦痛と辛惨とを知らない者は贖罪の恩と恵とを知らない、世の贖罪を嘲ける者は多くは自から其責に当つたことのない者である、即ち、贖罪を単に教義と見て、之を書斎に在て考究し、高壇に立て弁ずる者である、然れども贖罪は空事《からごと》ではない、単に教義ではない、確かなる事実である、痛き経験である、義の敢行である、愛の実現である、罪は容易に消すことの出来る者ではない、贖罪は此世に於て行はるゝ難中の難事である、若し之を贖罪と称せずして、勇行敢為と称するならば憚からずして「我は贖罪を信ぜず」と言ひ得る者は一人もないのである、乍然、贖罪は仁者の勇行敢為に外ならないのである、贖罪を之を行ふために必要なる善行より見て、其美と其徳とが認めらるゝのである。
 贖罪の積極的方面を示すに方て最も有益なる証明は以賽亜書第六章に由て供せらるゝのである、
  爰にかのセラピム(天使)の一人鉗《ひばし》をもて祭壇の上より取りたる熱炭を手に携へて我(イザヤ)に飛び来り、我(285)が口に触れて曰ひけるは、視よ、此火汝の唇に触れたれば汝の悪は既に消え、汝の罪は贖はれたりと。
 茲に火と云ひ炭と云ふのは比喩的に解すべきであることは言ふまでもない、但し注意すべきは神の言葉(真理)の預言者に臨みて其悪は消え、其罪の贖はれしことである、即ち贖罪の事たる真理実現の結果たることを示すことである、罪を贖ふと云ふも、罪を駆逐ると云ふも同じ事である、光明臨んで暗黒去り、正義現はれて罪悪消ゆ、贖罪はキリストの愛の行為の必然的結果に外ならない、之を彼の感化と称するも少しも差閊はないのである、唯「感化」の文字たる普通、外面の感化を云ふに止まつて、内部の変化改造を示さゞるが故に、我等は贖罪はキリストの道徳的感化なりと称して甚だ慊なく感ずるのである、乍然、贖罪の道徳と離れたる或る不可解の秘密でない事は明白である、贖罪は明白なる道徳的行為の明白なる結果である、真と美と善との行はるゝ所には何処にも贖罪は行るゝのである、善行はすべて贖罪的特性を具ふる者である、キリストは人類の贖主であると云ふと、彼は神の子、理想の人であると云ふと其根底に於て何の異なる所はないのである、彼は最上の善を行ひ給ひしが故に完全に人類の罪を贖ひ給ふたのである。
 かゝるが故に此意味よりしても亦我等各自も亦我等に賦与せられし力量相応に世の贖主となることが出来るのである、我等がキリストに贖はれし丈けそれ丈け又世の罪を贖ふ事が出来るのである、我等が誠心を以て福音を伝ふる時我等は世の罪を贖ひつゝあるのである、我等が心を尽し意《こゝろばせ》を尽して主の名に由りて人に善を為しつつある時に我等は彼等の贖主たるの職務を果しつゝあるのである、我等が光明を以て世に臨む時、正義を以て世と闘ふ時、愛を以て世を愛する時、我等は其罪を贖ひつゝあるのである。
 贖罪は如斯き者であれば、我等は之を唱へて決して耻とすべきでない、我等は「我は贖罪を信ぜず」と公言し(286)て、之を否定せんとするよりは寧ろ其真義を探り、之を信じ、之を行ひ、以て自己と他との救済を計るべきである、畢竟するに贖罪は犠牲である、愛の行為である、自己を他に与ふることである、他の罪を贖はざる者は神にして神でない、基督者にして基督者でない、我等は各自キリストに罪を贖はるゝと同時に又他の罪を贖ふべきである、即ちキリストと共に世の贖主たるべきである。
 
(287)     安息日の聖守
                         明治43年7月10日
                         『聖書之研究』121号
                         署名 内村鑑三
 
  安息日を憶えて之を聖くすべし、六日の間働きて汝の一切の業を為すべし、第七日は汝の神ヱホバの安息なれば何の業務をも為すべからず、汝も、汝の男子《むすこ》女子《むすめ》も、汝の僕|婢《しもめ》も、汝の家畜も、汝の門の中に居る他国《よそくに》の人も然り。出埃及記二十章八−十節。
  イエス又彼等に曰ひけるは、安息日は人のために在り、人は安息日のためにあらざるなり、然れば人の子は又安息日の主たる也。馬可伝二章丁廿七、廿八節。
 安息日の聖守は十誡の一箇条である、是れは神に対し人に対し、人の守るべき重要なる義務の一である、之を破るは人を殺し、又人の所有を盗む丈けの罪であるとのことである、
  凡て安息日を涜す者は必ず殺さるべし
とまで聖書は示して居るのである(出埃及記三十一章十四節)、安息日の聖守が昔時のイスラエルの民に取りて如何ばかり大切の事でありし乎は今の人の予想だもする事の出来ないことである。
 我等は人は何故に偶像に神として事へてはならぬ乎を知る、我等は又人は何故に其父母を敬はねばならぬ乎、何故に人を殺してはならぬ乎、何故に姦淫してはならぬ乎、何故に盗んではならぬ乎、能く其理由を知る、然れ(288)ども何故に安息日を守らなければならぬ乎、其事は能く解らない、夫れ故に今の基督信者にして、信仰の篤い者、行為の正しい者は尠くないが、然し安息日を聖く守る者は甚だ稀である、彼等は思ふ、安息日の聖守は是れイスラエルの民のために特別に設けられし制度であつて、人類全体に及さるべき者ではない、十誡の中、此一箇条丈けは一般に適用さるべき者でなく、循つて旧約の廃棄と同時に其効力を失つた者であると、斯く唱へて彼等は安息日を見ること他の日の如く、此日に此世の業務に従事し、此日を遊戯のために費して心に何の悔恨をも感じないのである。
 乍然、十誡は斯の如くにして其完全を毀たるべき者でない、十誡は人の守るべき最も重要なる義務の十箇条を示した者であつて、其一を破るは其全部を破るに等しくある、而して安息日の聖守が其中に算へられしは、其中に深き意味の在ることであつて、其事を深く究めずして、此箇条を等閑にするは信仰上又は道徳上甚だ危険なることであると思ふ。
 「安息日を憶えて之を聖くすべし」と云ふ、「聖くすべし」とは「神に属する者として之を使用すべし」との事であつて、勿論、一週問孰の日も神聖なる者であつて、第七日のみが特に神に属する者でない、然し、人の此世に在る間は其業務の大部分は(多くの人に取りては、殆んど其すべてが)自己のためであることを知つて、七日に一日を特に神のために使用すべしとの訓戒の最も善く実際に適合したる者であることが解る、人が一週七日を悉く聖日となさんことは最も望ましき所なれども、然れど第七日を憶えざる者は大抵は此日をして他の日の如く成らしむる者である、安息日の聖守はすべての日を聖くなすために必要である、而して此箇条が十誡の中に加へられし其目的の一は人の全生涯の聖化に在ることは確かである。
(289) 然し「聖守」と云ふは単に「神の礼拝のために供す」と云ふことではない、此辞を斯く解するが故に、多くの人は安息日聖守の訓誡を軽く視るのである、「安息日を憶えて之を聖くすべし」とは此日を自己のためにあらず、神のために使用すべしとのことである、而して神のために使用すべしとは自己以外の者のために、即ち神と他人とのために使用すべしとのことである、而してイエスが安息日問題に就てパリサイの人と争はれし時に旧約聖書の言を引て、
  我れ衿恤《あはれみ》を欲《この》みて祭祀《まつり》を欲まずとは如何なることか、之を知らば罪なき者を罪せざるべし
と曰はれし彼の言に徴して見て、「神を拝す」とは其真正の意味に於て如何なる事である乎が明かに解るのである、「礼拝」とは英一面に於ては確かに神を祭祀ることである、然し其他の方面に於ては、人に衿恤を施すことである、
衿恤は祭祀の内容であるのである、礼拝は信仰の主観的状態であつて、衿恤は其客観的実現である、故に衿恤を離れて真正の礼拝はない、神に事へんとすれば人に役へなければならない、而して安息日を聖く守ると云ふ事は其大切なる一面に於ては人に衿恤を施すことである、而して我等は安息日聖守の訓誡が特に十誡の中に加へられし其主なる目的の衿恤《きようじゆつ》施行にありしことを忘れてはならない。
 故に聖守の説明として左の言葉が加へられたのである。
  汝も、汝の男子女子も、汝の僕婢も汝の家畜も、汝の門の中に居る他国の人も然り
と、即ち安息日は特に是れ労働者に安息を与ふべき日であるとのことである、安息日は是れ自身休息のための日ではない、我が下に働らく者の休息のための日である、此日は是れ特に神に献ぐべき日であつて、神の聖名に由りて我が下に立つ者に衿恤《あはれみ》を施すための日である、此日に我は特に神に近きまつり、己が神の僕なるを知りて、(290)我が僕婢の又我が兄弟姉妹なるを覚ゆるのである、而して我も休み、彼等も我と偕に休みて、我は彼等と共に神の前に集ひ、共に喜び、共に楽み、以て新たに我彼の同体なるを覚ゆべきである、安息日制度は人類的観念養成のために設けられたのである、傭主と傭人とが互に相分離せざらんがために、今日に在りては資本家と労働者とが兄弟的関係を保たんがために、即ち社会平和のために、上下共同一致のために此制度は設けられたのである。斯の如くに解して安息日に関する主イエスの曰はれし言葉の意味が解るのである、
  安息日は人のために在り、人は安息日のためにあるにあらず、人の子は又安息日にも主たる也
と、此言葉は勿論、イエスを信ずる者は安息日を守るの必要なしと云ふことではない、斯の如くにイエスの此聖語を解するのは大なる誤解と云はざるを得ない、イエスは旧約の律法を毀たんために世に来り給ふたのではない、之を成就せんために臨り給ふたのである、安息日の制度に就ても爾うである、イエスは安息日を廃せんために来り給ふたのではない、人をして之を其真正の意味に於て守らしめんために臨り給ふたのである。
 「安息日は人のために在り」とは安息日は特に人を恵まんために設けられたりとのことである、即ち人が互に相睦まんがために、上下の隔絶なからんがために、社会に平和の行はれんがために設けられたりとのことである、然るに人は此事を忘れて、人は安息日のためにある乎の如くに思ひ、之を神の愛より出たる恩恵の制度とせずして、彼の威権より出たる束縛の律法として解するが故に、或ひは或る理由の下に之を廃棄せんと欲し、或ひはパリサイの人の為せしが如く、之を民の上に強ひて、楽しかるべき此日を大なる束縛として感ぜしむるのである、「安息日は人のために在り」とありて、十誡十条中此箇条のみが特に恩恵垂賜の性質を帯びたる者であることが解る、此日は是れ神が神御自身に取りては彼が特に彼の造り給ひし人と獣《けもの》とを恵まんがために設け給ひし日、又(291)人に取りては彼が神に習ひて自己より低き又弱き者を恵み且つ援けんために備へ給ひし日である、神が第七日に休息み給へりと云ふは、特に恩恵垂賜の時期に入り給へりと云ふことである、疲労の結果無為の休息に入り給へりと云ふことではない、真正の安息は衿恤施行の快楽である、神に取り又人に取りて之に優るの安息はない、安息日は平和の日である、此日に競争は止みて愛憐は行はれ、尊卑の区別は絶へて人は神の前に出で等しく皆な彼の子供となる、安息日は彼の定め給ひし平和日である、而かも一年僅かに一回の平和日でない 七日に一回の平和日である、人類の平和は斯くまで繁く之を記憶するの必要がある、人生の苦痛の百分の九十九までは人は皆な兄弟姉妹であるとのことを忘るゝより来る者である。
 「安息日を憶えて之を聖くすべし」と、語を換へて言へば、七日に一回地上に於て天国に於けるが如き生涯を試むべしとのことである、即ち
   聖国を臨らせ給へ、
   聖旨の天に成る如く地にも成らせ給へ
との日々の祈祷を七日に一回実際的に地上に試みよとのことである、而して其我等各自に取り如何に重要なる訓誡《いましめ》である乎は問はずして明かである、平和はすべての成功の基であることを知る者は、神が安息日聖守の訓誡を十誡の中に加へ給ひし、其深き聖旨の幾分を推知することが出来る、一家の平和を計らんとする者、事業の成功を望む者は此恩恵の訓誡を軽く視ない、
  ヱホバ安息日を祝ひて聖日と為し給ふ
とありて、彼が人生を祝福し給ひしことが解る、又其反対に
(292)  凡て安息日を涜す者は殺さるべし
とあるは神の気儘なる意旨より出たる威嚇の言でない事が解る、是は之れ天然の法則であると言ふて差閊はない、「殺さるべし」とは「自づと亡ぶべし」とも解することが出来る、安息日を守らずして、人の神に対する信仰は甚だ消滅し易くある、安息日を憶えずして、彼は利欲一方に走り易く、循つて彼の事業は甚だ壊れ易くある、故に神は安息日聖守を以て彼の撰民たる者の徴候《しるし》となし給ふたのである、
  ヱホバ、モーセに告げて曰ひ給ひけるは、汝、イスラエルの子孫に告げて言ふべし、汝等必ず我安息日を守るべし、是は我と汝等の間の代々の徴にして、汝等に我の汝等を聖からしむるヱホバなるを知らしむるための者なればなり(出埃及記三十一章十二、十三節)。
 而して我等がイエスの弟子たるの徴も亦我等が彼に倣ひて安息日を守るに於て在るのである、四福音書はイエスが如何にして此聖日を守り給ひし乎に就て委しく記して居る、即ち左の如くである。
  (1)イエス弟子と共に安息日に穂を摘み、以て彼等の飢を癒す。太十二ノ一−九。可二ノ廿三−廿八。路六ノ一−五。
  (2)イエス安息日に片手萎へたる者を癒す。太十二ノ十−十三。可三ノ一−六。路六ノ六−十一。
  (3)イエス安息日にベテスダの池にて三十八年病みたる者を癒す。約五ノ一−十六。
  (4)イエス安息日にシロアムの池にて生来の瞽を癒す。約九。
  (5)イエス安息日に会堂にて偏僂《かゞまり》たる婦女を癒す。路十三ノ十以下。
  (6)イエス安息日に腹脹《すゐき》を患ひたる人を癒す。路十四ノ一−六。
(293) 斯の如くにしてイエスは安息日に会堂に集ひて神を礼拝し給ひしと同時に、其日に人を助け給ひて、安息日聖守の実例を示し給ふた、イエスの弟子たる者は彼に傚ひて、礼拝と善行とを以て此聖日を祝すべきである。
       ――――――――――
   汝若し安息日に汝の行働を止め、
   我聖日に汝の業を行はず、
   安息日を称へて喜楽《よろこび》の日となし、
   ヱホバの聖日を称へて尊むべき日となし、
   之を崇めて己が道を行はず、
   己が好む事を為さず己が言を語らずば、
   然らば汝はヱホバに在りて喜ぶべし、
   我れ汝をして地の高き所を歩ましめ、
   汝の先祖ヤコブの産業を以て汝を養はん、と、
   是《こ》はヱホバ其口を以て語り給へる所なり。
            以賽亜書五十八章十三、十四節。
       ――――――――――
 七日に一月業を休みたればとて此世の競争に負ける憂は少しもない、否な、其正反対が事実である、断えず働く者は悪しく働く者である、休むべきは善く休みてのみ人は善く働くことが出来るのである、余輩は未だ曾て安(294)息日の休業を断行して此世の事業に於て失敗した者のあるを知らない、七日に一日心を洗ひ身を休めてこそ人は常に其心身の新鮮を保つことが出来るのである、安息日の聖守は信仰のためにのみ必要でない、衛生のために又事業のために必要である、英国大政治家ビーコンスフイールド公が曰ふたことがある、即ち「神が人類に賜ひし恩恵の中に安息日制度の如きはない」と、誠に能く之を解して能く之を行へば彼の曰ひしが如くであると思ふ。
 
(295)     〔聖書と黙示 他〕
                         明治43年7月10日
                         『聖書之研究』121号
                         署名なし
 
    聖書と黙示
 
 聖書は神の黙示にあらざるべし、然れども、其、神の黙示に接せし人の書きし書なるは明かなり、黙示其物にあらざるが故に、其中に欠点なきに非ず、然れども黙示に接せし人の書きし書なるが故に之に由て神の聖意を知るを得るなり、聖書は神よりの書翰にあらず、神の声を聴きし者が之を吾人に伝へんとして成りし書なり、聖書の真価と其不全とは斯の如くにして解明し得べしと信ず。
       ――――――――――
 
    批評家を恐れず
 
 曰くホルツマン、曰くプフライデレル、曰くフホンゾーデン、曰く※[ワに濁点]イツツェーケル、其名の如何に高くして其オーソリチーの如何に大なる、我等無学の徒、争で彼等碩学の論究を拒むを得んや、然れども聖書は云ふ
   人の衷には霊魂の在るあり
(296)   全能者の気息之に聡明《さとり》を与ふ
と、神は最大のオーソリチーなり、彼れ其声を放ち給ひて如何なる批評家も其声を潜めざるを得ず、神の直示は過去の事にあらず、博識の論証敢て恐るゝに足らざるなり。約百記三十二章八節
 
(297)     故郷と人格
                           明治43年7月15日
                           『読売新聞』
                           署名 角筈隠士
 
◎私には故郷に対する特別な情緒といふ者はない 私の生れた所は上州の高崎であるが あの辺へ行つてもいつも※[さんずい+氣]車で乗過して了ふ 私には故郷に対するなつかしみよりは故郷を離れたさびしみの方が強いのである。生れた国ではない 青年が情の動く時代をそこで費しただけまだしも北海道の方に故郷らしい情味を感ずる
◎それに主義としても私は世界を郷土とする世界の人《コスモポリタン》だ 特に一国一郷に執する必要を覚えぬ
◎併しさうはいふものゝ私に限らず一般に日本人が郷土といふ観念の薄いのは必しも喜ぶ可き現象とはいはれぬ私の近所にゐる独逸人はいつも来て日本人の郷土を念ふ心の冷淡なのを不思議がつてゐる 而して熱心に自分の郷土を語るのである
◎これはどういふ訳であらう 独逸人が故郷を誇るのは決して山が美しいとか川が清いとか郷土の自然に対する憧憬ではないのである 只祖先にゲーテとかシルレルとか郷土的でない世界的の人物をもつた 其悦びを郷国の自然に結付けてその一草一木にも直ちに大人物の人格の影を認め 之れに止み難い憧憬の念を寄せてゐるのである
◎大人物を生まない故郷天然はいかに美しくとも吾等の心を惹く力はない 之に反して大人物の追憶に伴ふ天然(298)はいかなる荒村僻邑と雖も強く吾等の心を惹く ダンテの詩に歌はれた故郷の霊的な憧憬は全然人格に対する憧憬ではないか 天然が人格を化するのではなく人格が天然を化するといふ事を忘れてはならぬ
◎所で日本には不幸にして郷土といふものに大人格の匂がない、従来は知らず世界的思想の普及した今日では秀吉や信長といふ様な郷土的な人物では到底郷土といふ者に霊的な憧憬を呼ぶ力はない 今後どうしても全人類的の人物の感化でなければ吾等の心を繋いで行く力はないのである 之を思ふと日本人が郷土に対して冷淡なのも無理はない
◎それには又故郷の人が他郷へ出てゐる同郷人に対し一向同情がない むしろ冷酷無情といつてもいゝ程な態度をとるのが吾等の心を郷土から引離す理由にもなる 今日多年他郷に放浪した人で再び故郷へ帰つて異郷−と言ても丸での異郷ではない 妙に昔の交《まじはり》の冷めた友に対する様な荒んだ寂しい心を覚えぬ者は幾人あらう
◎前にもいつた様に私は青年の心の最も動く時代を北海道に過したから北海道丈には今も心の故郷といふ快い感じがある その頃私が日夕北海道の天然に親しんで得た霊的の感化は殆ど私の人格を作つた 私の宗教は北海道の森林の中に出来たといつてもいゝ位である
◎北海道を出てからは何処へ行つても一日も落着いた心にはなれぬ もう東京にも彼是二十年近く居るが未だに爰はホームではない 戦場だ 外国にでも俘囚になつてゐる様な心持がする 私が此頃東京の郊外に住んでゐるので競争に負けて田舎へ引込んだといふ様にいふ人もあるさうだが 負るも何もない 私は時と金さへあれば郊外所か北海道も奥深い森林の中へ家を造つて住たいと思つてゐるのである
 
(299)     教育方針
                    明治43年7月付
                    昭和七年版『内村鑑三全集』19
                    著名 内村鑑三
 
〇何者よりも宇宙万物の造主にして人類の父なる神と其遣はし給ひし主イエスキリストを愛さしむることを努むる事。
〇国民義務教育を卒へてより年齢二十歳に至るまでに高等普通教育を授け、其期に至りて神と自己とに頼り、独立の生涯に入るを得るの力量を養成するを努むる事。
〇活動の区域を全世界に於て求めしめんために、英語、独逸語等世界的言語の訓錬に主力を注ぐ事。
〇同時に科学研鑽、常識修養の基礎を作らんために数学の研究に重きを置く事。
〇成るべく円満に且つ厳正に情性を発達せしめんために、生徒をして職員と共に家庭的生涯を送らしめ、外なる誘惑を避け、内なる徳性の発達を援くるやう努むる事。
〇政府顕官より何の保護をも乞はず、又何の特権をも請求せず、唯日本憲法が賦与する権利に依り、其賦課する義務を守り、以て自己独立の市民を養成することを期す。
〇予科を三年とし、其間に主として外国語と数学とを授け、本科を四年とし、其間に成るべく外国語を以て高等普通学を授くべし。
(300)〇第一期募集生を二十五名と定め、之を寄宿舎に収容すべし。
〇学資は予科に於て一ケ年百二十円、本科に於て百八十円あらば足るべし、但し被服料書籍代は別たるべし。
 
       附記
〇若し開校一ケ有年の後に於て第二期生徒募集の成案立たざる場合に於ては第一期生の薫陶を以て事業を継続すべし、斯くて七年間に僅かに唯の一級を卒業せしめ得るも満足すべし。
〇余は余の一人の男子にして本年十三歳になる者を第二期入学生の中に加へ、以て研か余の責任を明かにし、余の決心のある所を示すべし。
  一九一〇、七月                  内村鑑三
 
(301)     〔信仰と希望 他〕
                         明治43年8月10日
                         『聖書之研究』122号
                         署名なし
 
    信仰と希望
 
 全能の神に失望あることなし、彼を信ずる者に亦是れあるべからず、失望は不信なり、信仰は無限の希望を意味す、我等神を信じて自己に就ても亦他人に就ても永久に失望すべからざる也。
 
    成功の期待
 
 成功を期して進めよ、失敗を期する勿れ、万事を其最善に於て解せよ、最悪に灯て解する勿れ、神の治め給ふ此世に在りて神を信じて事を成す、永久の失敗あるべき理なし、失敗は一時の現象なり、永久の事実にあらざるなり、誠に善を行ふに弛むこと勿れ、事実其は若し倦むことなくば我等時に至りて穫取るべければ也。加拉太書六章丸節。
 
(302)    研究者の注意
 
 基督教化されんと欲してキリストに来りし者は必ず彼を棄るに至るべし、新らしき思想を得んと欲し、又広き交際に入らんと欲して彼に来りし者も亦彼を棄るに至るべし、其罪を贖はれ其霊魂を救はんと欲して彼に来りし者のみ能く永久に彼と偕に止まるを得べし、或ひは審美的に、或ひは哲学的に或ひは交際的にキリストを求むる者は終に彼と離れざるを得ず、世の所謂求道者なる者は深く此点に注意するを要す。
 
    簡択の実証
 
 何を以て乎我は我が実に神に簡まれしを知らん、然り此事を以てなり、即ち、我れ深き興味を以て聖書を読み得るに至つて我は実に神に簡まれしを知るなり、基督教文学にあらず、又聖書の解釈にあらず、聖書其物が実に我書たるに至て我は我が信仰の確実なるを知るなり、聖書は神の書なり、此書に結附られて我は実に神の属となりしを知るなり、福なるは実に聖書の人と成ることなり。
 
    日本国と基督教
 
 日本国は文明国たるに相違なし、然れども其が基督教国にあらざるは明かなり、日本国の社会は其中心に於てキリストの福音を嫌ひ、誠に之を信ずるものあれば之を排斥して止まず、劇烈なる基督教の迫害は今尚ほ此国に於て行はれつゝあり、其明白なる社会的現象として現はれざるは国民が寛容なるに因るにあらず、誠実に之を信(303)ずる者の稀なるに由るなり、誠にキリストに忠実なる者あらん乎、日本国の社会は之を窮迫して止まざるなり、日本国に於ける信仰維持の困難は今も昔と何の異る所あるなし。
 
    二人の我
 
 能く余輩を知ると称する者あり、然り、彼等は誠に能く余輩を知らん、然れども余輩は二人の余輩にあらず、時に『或者』の余輩に臨み給ふあり、彼等能く『彼』を知らずして能く余輩を知ると云ふ能はざるなり、余輩は−人ならず、二人なり、而して余輩の大なる侶伴を知らざる者は余輩の深且高なる所を知る能はざるなり。
 
    希望の泉
 
 時に失望の我生涯に荒廃を来さゞるにあらず、其時草は枯れ花は落ち、四面唯茫々たる沙漠と化するを見る、然るに視よ、我が深き処に水の動くあるを、而して其潤霑に遭ふて我霊は復た芽を吹き枝を出す、今に至て我は知る我に永遠尽きざるの泉あるを、而して此世の何物も之を乾涸《ほしから》すこと能はずして、其、我衷にありて湧出て我をして永生に至らしむることを。約百記十四章七−九節。約翰伝四章十四節。
 
    宣伝の幸福
 
 此世の人は、殊に此国の人は、福音宣伝を忌むこと甚だし、其は自身神の道を唱へて気儘の生涯を送るを得ず、又世評の的標たるの虞多ければなり、然れども余輩福音を宣伝へて茲に三十年、之に勝さりて福《さいはひ》なる事業を他に(304)発見する能はず、其自由なる、其安固なる、其深遠なる、其無窮なる、何者か之に較ぶべき者あらんや、余輩は之に従事して、惟り余輩を以て之を廃せんとせず、余輩の子をして又孫をして、子の子をして、又孫の孫をして、此福なる業に就かしめんと欲す、誠に七度に七十倍して此世に生れ出んも尚ほ従事すべきは福音宣伝の事業なり。
 
    幸福の一日
 
 希望を以て一日を迎へ有り余る事業に着手す、敢て有利の業と云ふにあらず、然れども悉く是れ有楽の業たるなり、為すべきの善事は積んで山をなし、探るべきの真理は湛えて海の如し、之に触れ、之を汲みて甘きこと密の如し、善は善を呼び、美は美に応へ、春野を彷徨ひて百花を摘取るが如し、誰か曰ふ、人生は苦痛なりと、神と偕に歩むの一日は是れ既に幸福の一生涯ならずや。
 
    信仰の成熟
 
 其何故なる乎を知らず、唯心底深き所に大なる平安の宿るを認む、他人の幸福を羨まず、過去の不幸を悲まず、唯今日あるを感謝す、前に希望の横はるあり、後に恩恵の存るあり、救済は確かめられて日々故郷に近づくの感あり、此を思ひ、彼を想ひて、双眼の感涙に漂ふを党ゆ。
 
(305)    与ふるの幸福
 
 我は智者を教ふる能はず、又権者を慰むる能はず、然れども我にも亦、我の教へ得る又慰め得る人あるを感謝す、我が智識は浅くして我が権力は少し、然れども我も亦受くるのみにあらずして、与へ得る者なるを感謝す、我に来る者を我は禁《とゞ》むべからず、そは我れ彼等を拒みて与ふるの機会を失し、以て人生最大の幸福を自己《おのれ》より奪ふに至るべければ也。
 
(306)     イエスの愛国心
         (六月五日柏木自宅に於て述べし所なり)
                         明治43年8月10日
                         『聖書之研究』122号
                         署名 内村鑑三
 
  イエス此十二人を造さんとして命じて曰ひけるは異邦の途に往く勿れ、又サマリヤ人の邑にも入る勿れ、惟イスラエルの家の迷へる羊に往け(馬太伝十章五、六節)。
  噫エルサレムよヱルサレムよ、預言者を殺し汝に遣さるゝ者を石にて撃つ者よ、母鶏《めんどり》の雛を其翼の下に集むる如く我れ汝の赤子を集めんとせしこと幾回《いくたび》ぞや、然れど汝等は欲せざりき、視よ汝等の家は荒地となりて遺れん、我れ汝等に告げん、主の名に託《よ》りて来る者は福なりと汝等の曰はん時至るまでは今より後汝等我を見ざるべし(仝廿三章卅七節以下)。
  若し我が兄弟我が骨肉のためならんには我れ或ひはキリストより絶《はな》れ沈淪《ほろび》に至らんも亦我が願なり(羅馬書九章三節)。
  兄弟よ、我れ心に願ふ所、祈る所はイスラエルの救はれんことなり(仝十章一節)。
 基督教に愛国心なしとは余輩が度々耳にする声である、実に基督教に世に謂ふ所の愛国心はない、即ち国を誇(307)り、敵を憎み、国家のためとならば正義も人道も措て問はざる世人の謂ふ所の愛国心はない、基督教は斯かる愛国心を罪悪の中に算ふるに※[足+厨]躇しない、是は私欲を国家に移した者に過ぎない、愛国心と云へば立派であるが、自己中心の一種と知つて決して尊むべき者でない。
 然らば其督教に愛国心なし乎と云ふに決して商うでない、基督教に愛国心がある、イエスには確かに是れがあつた、亦彼の心を善く知りし彼の弟子等にも是れがあつた、其事は聖書の明かに示す所である、聖書に愛国心の文字が掲げて無いと云ふて愛国心の不存を唱ふるは浅薄極まる観察である、聖書に愛国の文字はない、然し愛国の事実はある、沢山にある、充ち溢るゝほどある。
 イエスは勿論彼の故国を愛した、アブラハムの国、モーセの国、預言者|等《たち》の国なるイスラエルの国を愛した、然し彼は世の人が之を愛するが如くには愛さなかつた、彼は彼の在世当時の彼の国人の例に習つて、政治的に彼の故国を救はんとは為さなかつた、彼は彼等に組して当時《そのとき》主権を猶太国の上に揮ひし羅馬人に叛き、之を排し、之を攘ひて故国の独立を計らんとは為さなかつた、彼は政治に就ては冷淡にあらざれば無頓着であつた、彼は之がために彼の国人に嫌はれた、彼が終に彼等に由て十字架に釘けられし其理由の一は、彼が彼の国人の要求に応じて政治的に又は軍事的に彼の国に尽さなかつたからである。
 イエスは国の外なる敵を攘はんと為なかつた、然しながら、それよりも更らに恐るべき内なる敵は之を殲さんとして全心全力を尽した、彼は政治的独立は之を計らんとしなかつた、然し神に依る心霊的独立は之を民に供せんとして彼の生命を捧げた、イエスに愛国心がなかつたのではない、充ち溢るゝほどあつた、但彼は之を世の人とは全く異りたる方面に向て注いだのである、外敵を斃さんとせずして内敵を滅さんとした、政治的に独立せん(308)とせずして心霊的に独立せんとした、愛国心有無の問題ではない、其使用法の問題である、イエスの愛国心は世の人の夫れとは全く其使用法を異にしたのである。
 而して彼の死後千九百年後の今日より見て彼は彼の愛国心を誤用したのであらふ乎、彼は彼の国人史家ヨセフハスに傚ひ、軍を率ひ、砦に拠り、以て羅馬人に抗して、能く彼の国のために尽したであらふ乎、或ひはイエスが時の独立軍に加はりしが故に、勝利は終に猶太国に帰して、其国威は宇内に揚りしやも未だ以て知るべからずである、然し、若し爾うあつたとして如何、猶太国は国家として千九百年後の今日まで其存在を続けたであらふ乎、甚だ疑はしき次第である、埃及も滅び、羅馬も滅び、希臘も滅び其他の諸邦も亦起ては又滅びし後の今日、猶太国のみが今猶ほ存在せんことは信ずるに最も難い事である、然しながら猶太人が千九百年後の今日猶ほ世界の大勢力として存し、他の国民は悉く滅びしも彼等のみ猶ほ其人種的存在を続け居る其理由は、彼等は幸にしてイエスの如き愛国者を幾人となく有つたからであるに相違ない、実に義は国を高くし罪は民を辱しむであつて(箴言十四章卅四節)、愛国心を外に向て注がずして内に向て注ぎ、外敵を攘はんとするよりも寧ろ内敵を滅さんとして、人は己が国を永久に保存することが出来るのである、国家の保存上より見てイエスの愛国心は最優等のものであつたと言はざるを得ない、イエスは外国人の罪を責めず、自国の民の罪を責めて、其民を永久に保つたのである、猶太人の今日あるはイエスと彼の前後に現はれし猶太国特産の平和的大愛国者の功に帰せざるを得ない。
 イエスに高き深き強き愛国心があつた、故に我等彼の弟子にも亦是れがなくてはならない、我等も亦我等の国を愛さなくてはならない、而かもイエスの如くに之を愛さなくてはならない、即ち其外敵よりも内敵を憎まなけ(309)ればならない、我等の中にも亦多く存在する学者とパリサイの人の類を彼等の面む懼れずして、偽書者よ、蛇蝮《まむし》の類《たぐひ》よと呼ぶの勇気を持たなければならない、即ち剣を以てせずして義を以てして国を救ふの行為に出でなければならない、斯の如くに我等の愛国心を使用して我等も亦イエスが其国人に憎まれしが如くに我等の国人に憎まるゝに相違ない、斯くなして或る種の十字架は我等の上にも亦置かるゝに相違ない、然しながら国に斯の如きの愛国者が出ずして其国は永く存つことは出来ない、我等若し誠に我等の国を愛するならば、我等は十字架に釘けらるゝもイエスの如くに我等の国を愛さなければならない。
 今や基督信者は一般に愛国心を軽ずる、彼等は基督教は世界的人類的の宗教であるとの理由の下に愛国心と云へば偏狭固執の者であると思ふて居る、而して彼等の此態度が基督教は非国家的なりとの世の非難を招くに至りし一つの理由であると思ふ、乍然、預言者もイエスも彼の弟子等も決して非国家的ではなかつた、彼等は実に激烈に国家的であつた、唯前に述べた通り、彼等は世人と全く異りたる方面に向て其国家的観念を発表したのである、神が各人に其国を与へ給ひしは彼が之を愛し之と共に発達せんためである、人は誠に其国を愛して己を愛するのである、国は自己の一部分であつて、国を疎じて彼は自己を疎ぜざるを得ない、人は一人としては実《まこと》に価値《ねうち》尠なき者である、彼が国家大に拡大してのみ彼は実に自己の真個の重量《おもみ》を感ずるのである、愛国心は国のためにのみ必要でない、又自己のために必要である、「我は国家なり」との仏王路易第十四世の言葉は其聖き高き意味に於て亦我等各自にも適用すべき者である。
 イエスの弟子となりて愛国心は之を去るべきでない、之を聖むべきである、世の人は威を以て宇内を圧伏せんとするが故に、我等は愛を以て之を導化せんとすべきである、剣は強きが如くに見えて甚だ弱い者である、之に(310)反して愛は弱きが如くに見えて最も強い者である、全地は終に柔和なる者の手に帰すべしと云ふ、愛を以て身を※[手偏+鐶の旁]甲《よろ》ふ愛国者が立つにあらざれば、其国の運命は実に覚束なき者である。
 
(311)     イエスの如くす
                         明治43年8月10日
                         『聖書之研究』122号
                         署名なし
 
 我が信仰はイエスの信仰である、我はイエスが信ぜしが如くに信ずる、神に就て、宇宙に就て、来世に就て、我はイエスが信ぜしが如くに信ずる、我は別に信仰箇条を作り、之に署名し、之を奉体するの要はない、我はイエスの弟子であれば我は彼が信ぜしが如くに信ずれば足りるのである。
 我が規則はイエスの規則である、我はイエスが行ひしが如くに行はんとする、イエスの為しゝ事を我も亦為さんとする、イエスの避けし事を我も亦避けんとする、我はイエスの愛せし人と事とを愛し、彼の憎みし人と事とを憎む、我は別に規則を作りて之を以て己れを縛るの要はない、我はイエスの弟子であれば彼と行為愛憎を共にすれば、それで足りるのである。
 斯くてイエスの弟子となりて我に教会の必要は全く無くなるのである、若し之れありとすればイエスは我が教会である、我は彼に頼りて生き又動き又存ることを得るのである。
 
(312)     スチープン・ジラードの話
         STEPHEN GIRARD
                         明治43年8月10日
                         『聖書之研究』122号
                         署名 内村鑑三
 
      米国最初の富豪、無神論者と称へられし孤児の友、愛国者にして人道の偉人、海員、商人実業家の好模範
 
  去る六月四日故今井樟太郎氏永眠四週年期に際し柏木今井館に於て述べし所なり。
 
 世に不幸なる人は沢山にありました、然し私が今晩お話し致さうとする所のスチーブン・ジラードの如くに不幸なる人はありません、世に誤解された人は沢山にあります、然し彼れジラードの如くに誤解された人は無いと思ひます、ジラードの伝を読みまして私供は世の批評なる者の何の当にもならない事を知るのであります。
 スチーブン・ジラードと云ひますれば、其人の誰なる乎をさへ知らない人が多くあります、若し孤児の友と云へば何人もジ∃ージ・ミラーを語ります、然しながら茲にミラーに勝るも劣らざる孤児の友のありしにも関はらず、大抵の人は、殊に大抵の基督信者は、其何人なる乎を知らないのであります、何人も北米合衆国の建設者としてはワシントン、フランクリンの名を口にします、然し茲に彼等の友人にして彼等にも劣らざる米国の愛国者(313)がありしに関はらず、大抵の人は其何人なりしかを知らないのであります、若し普通の人名字書を引いてスチーブン・ジラードの条を見ますれば大略左のやうな事が書いてあります、
  スチープン・ジラード 守銭奴にして慈善家なり、ボルドー附近に生る、船長の給仕より昇進して、運転士、船長となり、終に米国沿岸航行船の共同持主たるに至れり、一七六九年貿易商人としてヒラデルヒヤに土着し、此処に一銀行を設立し、一八一二年より一八一四年に渉る戦争中(英国に対して開かれし者)財政的に合衆国政府を扶て功あり、ジラードは宗教に於ては無神論者、個人的習性に於ては守銭奴なりき、云々(チエムバー人名字典)。
 守銭奴にして無神論者、斯の如くにして彼は一般に知らるるのであります、然かも今日に至り公平なる歴史の研究に由て彼の稀有《きゆう》の愛国者にして慈善家なりし事が判明つて来たのであります。
 而して彼が彼の死後殆んど八十年間(彼は一八三一年に死ました)世人に斯くも誤辞され来りしには深き訳があったのであります、それは彼が不幸にして世にも最も稀なる悪しき伝記者を有つた事であります、彼が曾て彼の銀行に使ひし一人の事務員がありました、其者が何にか不都合の廉があつて主人に解雇されましたが其事を非常に怨恨に思ひ、何時か之を報ひんと思ひ居りましたが、ジラードの死するや彼の思附きし事は彼が旧の主人の伝記を著はして、彼の名誉を彼の死後に於て傷けんとする事でありました、而して此悪しき事務員に由て書かれし『ジラード伝』なる者が米国の社会の受くる所となり、ツイ此頃まで此書が此人に関はる唯一の拠典《オーソロチー》であつたのであります、而して誹毀を目的とし書いた此書が其主人公に就て善き事を伝へやう筈はありません、殊に彼れジラードが当時の基督教会に反対し、教会の牧師伝道師等たる者は何人と雖も彼の設立にかゝる孤児院の門を潜る(314)を許さずとの遺言をさへ彼は遺せし程でありましたから、教会は喜んで彼の誹毀者の言を聴き、彼れジラードは孤児のために其全財産を抛ちしと雖も、其心の中に於ては大なる悪人であつて、其隠れたる生涯に於ては憎むべき守銭奴であつたと信じて今日に至つたのであります、西洋諸国に於て基督教会に反対することは非常の事であります、此事を敢てして生涯に多大の損害を被つた者はジラード一人に限りません、彼の親友にして彼と共に人道と国事とのために尽力したトマス・ペイン其人の如きも同じ不幸なる運命に遭遇した者であります、彼れペインもツイ此頃まで「無神論者のトム・ペイン」として英米両国の社会に知られ、基督教証拠論を唱ふる者は彼等の想像に成る此人の死状《しにざま》を画くを以て常例とし来つたのであります、然るにモノキユア・コンウェーなる学者が出でまして、恰度カーライルが『コロムウェル伝』を著はして彼れ無冠王の冤を雪ぎしやうに、『トマス・ペイン伝』を著して彼れ「無神論者」の真実を世に示しましてより、此神の敵、真理の破壊者と思はれし人の第十八世紀第一流の志士仁人でありしことが明白に成つたのであります、昔時の猶太数会の後を継ぎし今の基督教会が今尚ほ預言者を殺し、其死後の名までを傷けつゝあるは実に歎ずべき事実であります、然しながら如何に有力なる教会と錐も終まで真理を掩ひ隠す事は出来ません、神は公平なる歴史家を送りて死者を甦し、隠密《かくれたる》を顕明《あきらか》になし給ひます、而して斯くの如くにして近世に至り永き年月に渉りし誤解を解かれ、汚名を雪がれ、再び世界の偉人の中に仲間入をする事の出来し人の一人が私が今晩此処に皆様に談らんとするスチーブン・ジラードであります。
 スチーブン・ジラードは、千七百五十年を以て仏国ボルドーに生れ、千八百三十一年、七十一意の齢を以て米国ヒラデルヒヤに於て死にました 彼は如此にして仏蘭西生れの亜米利加人であります、人は其生国にあらざれば之を愛する能はずとの通言は亦ジラードの場合に於ても破れました、
(315)   人が自由のために戦ふ所
   其所に我が本国はあり
との詩人ローエルの言はジラードの場合に於ても亦事実となりて顕はれました、彼は仏蘭西に生れ、仏蘭西人の情性と智識とを具へながら、其全生命を大西洋の彼方なる新自由国のために献じました、而して斯く為して彼は彼の本国の名を一層高く世界に揚げたのであります。
 彼の家は貧しき漁師《ぎよし》でありました、無学で、迷信で、粗野で、何の長所もない者等でありました 随て家に愛情のあるでなく、子供はたゞ天然に生育ちし外に、何の教養をも其父母より受けませんでした、スチーブンは長子でありまして、教会附属の小学に通ひ、僅かに読書を学びし外は何の教育をも受けませんでした、搗《かて》て加へて彼は早く其実母を失ひ、継母に事へねばならぬ状態となり、其脛と股とは少数《すくな》からぬ彼女の笞の的となつたとの事であります、若し誠に幼時の境遇が人を作るものでありますならば、ジラードは確かに残忍酷薄の人となつた筈であります、世界第一の孤児の友が、両親の愛とては何も知らざりし此不幸児より起りしを知りまして、私供は人は境遇の玩弄物でないことを知るのであります。
 ジラードは家にありて立身の途を看出すことができませんでした、故に彼は当時ボルドー港に碇泊中の西印度通ひの或る帆船に投じ、茲に彼の運命を試みんとしました、彼は心の中に思ひました、「我れ隠れて船に乗り、発見されて後に海に投入らるゝも、是れ我に取りて最も悪しき運命にあらず」と、憐むべし、眇たる一青年、家に在るの苦痛に堪えずして、生命を賭して夜に乗じて船に忍入り、身を貨物の間に匿して、翌朝船の陸を離れしを待て、匍出《はひいで》て船長の憐憫を乞ふたのであります、然るに何ぞ計らん、残忍と思ひし船長はいとも優さしき人であ(316)りました、彼は未だ年若き青年でありましたが、ジラードを見て、親切に彼を撫恤《いた》はり、直に彼を船室給仕《kビンボイ》として使ふ事に致しました、ジラードは生れて茲に始めて友人を発見しました、船長窒に入りて見れば、茲に当時の思想家ヴォルテヤの著書が表装|厳《いかめ》しく並んで居ました、彼は之を読むの特権を与へられました、此処に彼の高等教育は始まりました、広き海と、親切なる船長と、博き自由の思想とがありて、此処に屈みたる、縮みたるジラードの霊は其発育を始めました、彼の才能は速《ぢき》に認められました、給仕は水夫となり、水夫は士官となり、士官は終に船長となりました、彼は歳二十二にして船長の免許を得ました、太西洋は彼の家となりました、西印度、ニューオリエンス、ボルチモア、費府紐育と、彼の船は其間を駛《はせ》て、彼は自身船を行ると同時に又貿易に従事しました。
 彼は本拠を費府に据へました、而して此処で或るフトした事より或る婦人を娶て妻とする事となりました、然るに家庭に於ては元来不幸なりしジラードには又幸福なる家庭は来りませんでした、彼の妻は結婚の翌年より不治の憂欝症に罹りました、彼女は精神病院に送られました、而して茲に三十八年の間、夢の生涯を送りました、シカモ忠実なるジラードは彼女を見棄ず、毎月一回必ず彼女を病院に見舞ひ、死に至るまで彼女を慰めて止みませんでした、斯くて母の愛を知らざし彼は又妻の愛をも知りませんでした、摂理は此|情《なさけ》深き人に対して甚だ無情でありました、然かも彼は厭世家とはなりませんでした、彼は茲に彼れ自身が得る能はざりし愛を彼と等しき境遇に在る者に与へんとの決心を起しました、彼は己も苦しめられたれば人をも苦しめんとの卑しき根性を有ちませんでした、彼の家は貧しくあり、彼の成育は低くありましたが、彼は其心の底に於て紳士でありました、彼は教会にも属せず、世の信者には無神論者として認められましたが、心は確かにナザレのイエスのそれでありまし(317)た。
 彼が費府に土着するや否や米国の独立戦争が始まりました、而して船員にして商人なりし彼は戦場に出て功を立つることは出来ませんでした、彼は又ヴォルテヤの弟子でありましたから大の非戦論者でありました、商売は出来ず、戦争には出られず、彼は唯彼の店に潜んで戦争の終るを待て居ました、而して千七百八十三年に平和成るや茲に彼の大活動は始まりました、彼は戦争最中、船価の下落するに乗じて更らに新たに船舶を買入れました、彼は彼の船に彼の理想の人物の名を附けました、其一をヴオルテヤ号と称しました、其第二をルツソー号と云ひました、其第三をモンテスキア号と呼びました、執れも仏国当時第一流の思想家でありまして、自由を唱へ、人道を鼓吹した人等であります、其所有の商船に文豪、哲人、法学者の名を附せし彼れジラードの人物は是にても稍や察することが出来ます。
 戦争止むや否や、彼は二艘の船に満載するに米国特産の綿並に穀類を以てし、其船長に命じて曰ひました(彼は今|船主《ふなぬし》となりて陸に在りて船長を指揮する身となりました)、
  先づボルドーに到り、米国積の貨物を売却し、其代価を以て直に葡萄酒と果物とを買ひ、之を積みて聖彼得堡《セントペテルスボルグ》に到るべし、此処にて又之を売却し、其代価を以て麻と鉄とを買ひ、アムステルダムに到りて之を売るべし、而して又此処に新たに雑貨を買入れ、遠く印度カルカツタに到るべし、而して此処に又之を売り、絹と茶と珈琲《こひー》とを買入れて米国に帰るべし
と、実に其当時に在りては大胆なる商売でありました、米国より仏国へ、仏国より露国へ、露固より和蘭へ、和蘭より遠く希望峰を廻りて印度カルカツタに到り、而して後に米国に帰り来れとの命令でありました、而して此(318)命令は文字通りに果たされまして、ジラードは之に由て莫大の利益を占めたさうであります。
 斯の如くにして富は富の上に累積《かさな》りました、而して千八百十二年、英米第二回の戦争の始まる頃には彼の富は積んで百万弗以上に達しました、彼は米国が作りし最始の大富豪《ミリオネヤー》でありました、政府に頼るでなく、官権を利用するでなく、唯大胆なる行動と、正直と節倹とに由て、彼は船室給仕《カビンボイ》よりして終に此地位に達したのであります。
 ジラードは商人でありました、而して商人としての彼の目的は利得にありました、而して歳々積り行く彼の財産を見て彼の隣人は曰ひました、彼は吝嗇漢である、守銭奴であると、彼はワシントンの如き軍人ではありません、又フランクリンの如き学者ではありません、又ジェフヮソンの如き政治家ではありません、錙銖《ししゆ》を争ふ普通の商人であります、彼の矮き体躯《からだ》と眇《すがめ》の一眼とを見まして、彼に敬畏すべき所は一ツもありませんでした、然し此醜き体躯の中に如何な崇高い霊魂が宿て居つたか、其事は平常は分りませんでした、然し適当の機会に遭ふて、此「吝嗇漢」、「無神論者」は彼の本質を顕はしました、或る年の事でありました、ヒラデルヒヤに疫病が流行しました、発黄熟は全市を襲ひました、全家挙て死するもありました、死体は積んで山を為しました、夜な夜な荷馬車は市街を廻り、「死骸をお出しなさい」との凄き叫号《さけび》が聞えました、此時市民は恐怖に襲はれ、誰れ一人他を助けんとするの心を起しませんでした、而して此時に吝嗇漢と云はれしジラードは毅然として起ちました、平生は曾て歌ひしことなき此人は今は歌ひました、舞踏《おどり》しことなき彼は舞踏りました、彼は市民に告げて曰ひました、
  恐るゝ勿れ、恐怖が唯一の悪魔なり
と、彼は率先して避病院を組織し、自身の馬車を駆て病家を訪ひ、自身死体を担ぎて之を病院に運びました、平常《ふだん》は利益の外、何をも思はざるが如くに見えし彼に、今は無慾の外に何も認められませんでした、彼が彼の事へし(319)船長の室に於て学びしヴォルテヤの人道哲学は今や実行となりて彼に於て現はれました、彼は他人を死より救はんとして自身の死を忘れました、彼は其時戯れて曰ひました、
  若し死が余に追附くならば、彼は其時余の多忙なるを見るならん
と、彼は他人のために忙殺されて自己を忘れました、故に死は彼に追附きませんでした、多くの死体を手にしながら彼は疫病《やまひ》に取附かれませんでした。
 費府の市民は彼に駭かされました、然し更らに驚くべきことが彼に於て現はれました、守銭奴と云はれし彼の義侠は単に地方的でない事が分りました、千八百十年に恐慌は米国の経済界を襲はんとしました、合衆国の信用は将さに地に墜んとしました、此時に当り、ジラードは彼が英国倫敦なるバーリング兄弟に預け置きし百万弗を引出し、之を資金の欠乏せし合衆国銀行に預け換へました、彼の大胆なる此行動に由りて信用は快復し、恐慌は其猛威を挫かれました、今でこそ世界第一の富国なる米国の財界も今より百年前に在りてはジラードの百万弗に由て救はれたのであります。
 千八百十三年、第二回の英国との戦争の終らんとする頃、合衆国政府は大に資金の欠乏を感じ、五百万弗の公債を発行して之を補はんとしました、然し戦争最中の公債募集に応ずる者は甚だ少くありました、五百万弗の募集に対して応募額は僅かに二十五万弗、之を見し米国人は曰ひました、米国は今や再たび英国の属国とならんとす、と、此時に当り又眇のジラードは起ちました、彼は言ひました、.
  余は自由に於て、公道に於て、教育に於て、米国合衆国が世界第一等の国たるを見んと欲す
と、而して若し金を以て此国を救ひ得るならば彼は彼の全生涯を以て作りし全財産を棄つるも敢て吝みませんで(320)した、彼は合衆国政府に申込んで言ひました、
  余は五百万弗の全額を引受くべし
と、而してジラードの此決心を見し米国人は又心を翻へして曰ひました、
  利を見るに慧《さが》しき老ひたるジラードの応ずる公債に危険あるべからず
と、斯くて我も我もと云ひて之に応じたれば、公債募集は大成功を以て終りました。
 今でこそ僅かに五百万弗であります、然し百年前の五百万弗はカーネギーの今の五億弗に劣りません、ジラードは之を悉く投棄て国を救はんとしたのであります、商人が国を救ふの途は茲に在ります、軍人斗りが愛国者ではありません、国は軍人に由てのみ救はれません、商人も亦愛国者であります、彼は時には彼の生命よりも尊き彼の全財産を投出さなければなりません、而してジラードは此事を決行したのであります、而してワシントンが剣を以て、フランクリンが外交を以て、ジェフハソン、ハミルトン、ジヨン・アダムス等が政治を以て合衆国を救ひしやうに、彼れスチーブン・ジラードは金を以て之を其初期に在りて最も危険なる時に救ふたのであります。
 彼の生涯は其|終焉《おはり》に近づきました、彼は作り得る丈けの財産を作りました、彼は|数々《しば/\》之を彼の国のために投出しました、乍然、是《こ》は失はれずして、反て増殖して彼の手に帰りました、此より彼は其使用の途に就て考へました、彼は之を譲るべき子孫を有ちませんでした、然らばとて彼がヴォルテヤより学びし人生観は彼をして之を己が身の上に費すことを許しませんでした、此点に於てジラードは我国の紀伊国屋文左衛門と全く違ひます、両者とも百万の富を積んで之を一生涯の間に消費はんと決心しました、而して両者とも其目的を達し、紀伊国屋は之を遊廓に於て消費し、再び元の貧者となりて世を終りました、然しジラードには紀伊国屋に無い人生哲学があり(321)ました、彼は所謂「基督信者」ではありませんでした、彼は世の所謂宗教家を嫌ひました、彼は仏国当時の哲学者ヴォルテヤ、ルッソー、モンテスキアを師として仰ぎました、而して彼等より受けし理想を此世に於て実行せんとしました、而して其理想とは人類の向上でありました、神と宗教とを多く口にせざりし彼は人類に対しては非常の熱心を懐きました、故に彼は彼の同国人アウグスト・コムテのやうに彼の所有のすべてを人類の祭壇の上に献げました。
 彼の富は此時三百万弗以上に達しました、而して此富の大部分を以て彼は彼の理想の学校を建つるに決しました、彼れ自身は学校に学びし人でありませんでしたが、彼は非常に子弟の教育を重じました、前にも述べましたやうに彼の愛する米国合衆国を教育に於て世界第一等の国となさんとは彼の理想でありました、彼の友人の中にフランクリンが有ました、彼は既にペンシルバニヤ大学を起して茲に学理|穿攻《せんこう》の途を設けました、然しジラードの理想は他にありました、彼は学者を作らんよりは寧ろ善き平民を作らんとしました、彼の友人の中に又トマス・ジェフハソンがありました、彼は非常の平民主義の人でありまして、今やビルジニヤ洲の彼の庵廬に在りて著述に従事して居りました、ジラードは彼に教を乞はんために、一時彼の業を放棄し、二週日の間彼れジェフハソンの側にありて平民教育の奥義を学びました、有つ物を与ふるは易し、然れども能く其途を講ぜずして之を与ふる者は与へて反て害を世に遺す者であります、ジラードは理想的の慈善家であります、彼は得し時と同じやうに思考を凝らして之を与へました、彼は永き将来を慮《おもひばか》り、最善の途を見止めて而して後に其全財産を喜捨しました。
 彼は彼の全財産を左の如くに分配しました、
  ヒラデルヒヤ病院へ               三〇、〇〇〇弗
(322)  ペンシルバニヤ聾唖学校へ          二〇、〇〇〇弗
  ヒラデルヒヤ孤児院へ              一〇、〇〇〇弗
  ヒラデルヒヤ公立学校へ             一〇、〇〇〇弗
  貧者へ薪炭補給費としてヒラデルヒヤ市へ     一〇、〇〇〇弗
  メソニツタ貸金協会へ              二〇、〇〇〇弗
  市街改良費としてヒラデルヒヤ市へ       五〇〇、〇〇〇弗
  ヒラデルヒヤ市立図書館へ            四〇、〇〇〇弗
  ペンシルバニヤ洲運河改良費として       三〇〇、〇〇〇弗
  ジラード高等学校《カレツジ》設立費として 二、〇〇〇、〇〇〇弗
   総計                  二、九四〇、〇〇〇弗
 斯て彼の遺産の大部分を受けし者はジラード高等学校でありました、是れが彼の理想を施さんがために成りし平民の学校であります、然し名は普通の学校でありますが、実は大なる孤児院であります、彼れジラードが孤児に等しき者でありました、故に彼は彼の平民教育を特に寄方《よるべ》なき孤児の上に施さんとしました、而して之に収容されし孤児は十八歳まで普通教育を受けます、然し其数育の大部分は読書ではなくして手工であります、学究の設備は充分でありますが、それよりも完全なるは手工の設備であります、ジラード高等学校は一大職工場と見て差閊ありません、此処に普通の米国人が貴尊にして独立なる生涯に入るための設備は悉く具つて居ります、而して現今此校に在りて其恩恵に与かる児童は凡そ三千人、乳児《ちのみご》より青年男女に至るまで、其体育、智育、徳育が、最も進歩したる学説に従ひ、最も有効なる方法を以て無代価にて施されつゝあります。
 ジラード高等学校のために遺されし資金は二百万弗でありました、而して之にジラード所有の土地家屋等を加(323)へて悉く之を其使用に供しましたが故に今日に至りては其所有財産は積りて二千万弗余(四千万円余)の巨額に達し、此種の学校として其基金の豊富なる世界第一たるに至りました、世界の孤児院中ジラード高等学校のみは未だ曾て一回も資金の欠乏を感じたことはありません、此孤児院のみは未だ曾て一回も此世の慈善家に寄附を哀願した事はありません、ジラードカレッジのみは資金常に有り余りて時には其使用に苦むことがあります、曾て私がその参観に行きました時に、私の案内者が、私を中央なる博物室の屋根にまで携行《つれゆ》き、巨大なる純白の大理石の瓦の代りに用ひらるゝを指して私に告げて曰ひました、
  此等の大理石は曾て本校の資金に剰余を生じ其使用に苦みし時に、管理人等が買求めて屋根を葺かしめた者であります、世界広しと雖も純白の大理石を以て屋根を葺いた学枚とては此学校を除いて他にはありますまい
と、実に盛なりと謂はざるを得ません、世には祈祷を以て維持せらるゝ孤児院はあります、又間断なき哀求と孤児自身の労働とに由て僅かに維持を継くる孤児院は尠くありません、然るに茲に常識と先見とに由て成りし殆んど千古不易と称しても可いやうな孤児の学校があるのであります、スチープン・ジラードは孤児教育に於て新紀元を開いた者であります、若し世の孤児の友が悉く彼の如くに其心情と理性とを用ひますならば、孤児院をして常に起つか倒るゝかの墳に立て僅かに其憐むべき存在を継くるやうなる状態に陥らしむることはないと思ひます。
 前にも述べましたやうに、ジラードは基督教に対しては至て冷淡でありました、実にジラード学校の特質の一ツとして常に世人の注意を惹きますことは、建設者の遺言に基き、基督教会の教師たる者は、其何派に属するを問はず、何人も其内に入るを許さずとの堅き定規であります、斯くしてジラード学校は平民教育のために建てら(324)れし学校でありまして、人は何人も自由に之を参観することが出来ますが、然し監督とか、長老とか、牧師とか、伝道師とか称する者は何人も其門を潜る事が出来ないのであります、彼等教会の教役者が其門に近づきますれば、門衛は直に彼等を誰何します、而して彼等が教職に在る者であることを見止めますれば彼れ門衛は無遠慮にも声を励まして言ひます、
  足下《あなた》は此内に入ることは出来ません、此所は教会の教師の参観を許しません、
と、而して山高帽子を戴き、フロツクコートを着、白き襟飾《ネツクタイ》に其聖職を示す宗教家は一歩も其中に入ることが出来ないのであります、世界広しと雖も牧師伝道師入るべからずとの禁制を設けし学校は多分之を除いて他にありますまい。
 然らばジラードは果して教会の人が言ひしやうに無神論者であつたのでありませう乎、私は爾うは思ひません、彼の先生のヴォルテヤも爾う呼ばれました、然しヴォルテヤの無神論者でなかつたことは今日は善く分りました、米国の進化哲学者として有名なるジヨン・フイスク氏の如きは断言して居ります、
  ヴォルテヤは仏国当時の唯一の敬神家なり
と、ジラードの親友なりしトマス・ペインも永の年の間「無神論者のトム・ペイン」の綽号《あだな》を受けました、然るに彼が基督教を転覆せんとて書きしと云はるゝ『道理の世』なる書は其発端に於て左の言辞を載せて居ります、  余は一個《ひとり》の神を信ず、其余を信ぜず、余は今世の後に来る幸福を希望す、余は人類の平等を信ず、余は又人の宗教上の義務の、正義を行ひ、慈悲を愛し、我等の同胞を幸福になすべく努むるにあるを信ず
と、是は無神論者の言としては如何しても受取れません、然るに基督教会は彼の死後百年の今日に至るまで無神(325)論者として彼を追窮して止まなかつたのであります、同じやうにジラードも数々《しば/\》「摂理の教導」なる語を用ひて居ます、彼が神の聖名を呪ひし事ありとは私の曾て聞かない所であります、私の信じますのに彼はヴォルテヤ、ペイン等と均しく彼の在世当時の教会の基督教に反対したまでゞあります、而して此意味に於てカーライルも無神論者であります、トルストイも無神論者であります、其他多くの貴い人は無神論者でありました、而して今猶ほ無神論者であります。
 誠に西洋諸国に於て無神論者と称せらるゝ者は我国の無神論者とは全く違ひます、我国に於ては無神論者とは神の存在を否み、神なし霊魂なしと唱へて肉慾と野心とに駆られて其生涯を送るものであります、然し西洋諸国に在りては無神論者とは所謂「有神論」に反対する者であります、現実的に言へば基督教会に反対する者であります、故に西洋にありては無神論者は大抵は其実際的道徳に於て教会信者に劣らない者であります、米国に於てロバート・インガーソルの如き、英国に於てチヤーレス・ブラツドローの如きは実に無神論者と呼ばれながら模範的の紳士でありました、彼等の正直なりしこと、彼等の所信を実行するに当て勇なりしこと、彼等が平和を愛して戦争を憎みしこと、常に貧者と弱者の友たりしことに於ては彼等は多くの点に於て所謂「基督信者」に勝りました、彼等は誠に基督信者以上の人と成らんと努めた人でありました、故に教会を嫌ひ、信者を避けたのであります。
 然し告白よりも実行であります、彼等無神論者と称へられし人々は基督教を口には唱へませんでしたが、之を身に実行致しました、ジラードの如きは確かに其一人であります、若し彼がキリストの聖旨《みこころ》に合《かな》はない者でありますならば誰が合ふ者であります乎私は知りません、彼の如き者の世に在るを知り給ひたればこそキリストは其(326)弟子等に教へて曰ひ給ふたのでありませう、
  我を呼びて主よ主よと曰ふ者尽く天国に入るに非ず、唯之に入る者は我が天に在す父の旨に遵ふ者のみなり
と、斯くて最後の裁判の日に於て有神論者と無神論者とが主の台前に立ちます時に聖書の左の言辞は事実となりて現はるゝのでありませう、
  人の子其栄光を以て臨《きた》り、諸の天使《てんのつかひ》彼と共に在る時、彼は其栄光の位に坐せん、其時万国の民は其前に集められ、彼は牧者が綿羊と山羊とを別つが如くに彼等を別たん、彼は其右に綿羊を置き、左に山羊を置かん、斯くて王其右に居る者に曰はん、
   来れ、汝等我父に恵まるゝ者よ、宇宙の石礎《いしづえ》を据へられし以来《このかた》汝等の為に備へられし国を嗣げよ、其は我れ飢し時に汝等我に食せ、我れ渇きし時に汝等我に飲ませ、我れ旅せし時に汝等我を宿らせ、裸なりし時に我に衣せ、我れ病みし時に汝等我を見舞ひ、我れ獄《ひとや》に在りし時に汝等我に就《きた》りたればなり
  と、其時義者は彼に答へて曰はん、
   主よ何時《いつ》我等は汝の飢えたるを以て汝に食はせ、渇きしを見て汝に飲ませしや、何時汝の旅せしを見て汝を宿らせ、裸なるを見て汝に衣せし乎、何時我等汝の病めるを見て汝を見舞ひ、獄に在るを見て汝に就りしや
  と、王答へて彼等に曰はん、
   誠に我れ汝等に曰はん、汝等是等の我兄弟の最も微《ちいさ》き者の一人に之を為せしは是れ我に為せしなり
(327)  と、遂に彼れ又其左に居る者に曰はん、
   我を離れよ、呪はるゝ者よ、悪魔と其使者とのために備へられし熄《きえ》ざる火に入れよ、其は我れ飢えし時に汝等我に食はせず、我れ渇きし時に汝等我に飲ませず、我れ旅せし時に汝等我を宿らせず、裸なりし時に我に衣せず、病みし時、又獄に在りし時に汝等我を見舞はざりき
  と、斯くて彼等又答へて曰はん、
   主よ、何時我等汝の飢え又渇き又旅し又裸に又病み又獄に在りしを見て、汝に事へざりしぞ
  と、時に彼れ彼等に答へて曰はん
   汝等是等の最も微き者の一人に之を為さゞりしは是れ我に為さゞりしなりと、斯くて是等の者は限なき刑罰に入るべし 而して義者は限なき生命に入るべし。
                     馬太伝廿五章卅一節以下。
 
(328)     〔信仰=直示 他〕
                         明治43年8月10日
                         『聖書之研究』122号
                         署名なし
 
    信仰=直示
 
 信仰、若し神よりの直示にあらずんば信仰は信仰にして信仰にあらず、信仰は最大の蓋然性《がいねんせい》にあらず、故に研究的に獲得し得べき者にあらず、然ればとて明白なる道理に由らずして自発的に起る世の所謂確信にあらず、上より来る恩恵の確認なり、而して此確認なくして人は何人も神を識る能はず、又聖書を解する能はず、近世の宗教研究なる者の多くは無効の業たるは此確認の闕如するに原因せずんばあらず、神よりの直示を闕《かき》て宗教は全然無き者なり、其智識は如何に博くして、其研究は如何に深きにもせよ。
 
    天国の正門
 
 イエス曰ひ給ひけるは
  誠に実に汝等に告げん、羊牢《ひつじのをり》に入るに門よりせずして他より踰る者は窃盗なり強盗なり ……我は門なり、若し人我より入らば救はるべし
(329)と、イエスより入らずして彼に関する教義よりし、又彼の名を藉りて立てられし教会よりし、其他イエス御自身以外の人又は物、又は説、又は制度よりして父の国に入らんとする者はすべて窃盗なり又は強盗なり、彼等は皆な正門よりせずして垣を踰へ、塀を破りて入らんとする者にして、外の幽暗に逐出《おひいだ》さるべき者なり、恨む、余輩も亦無智の結果、屡々此不法の行為に出て、父の家に入る能はずして、長く外界の幽暗に彷徨ひしことを。約翰伝十章一、九節。
 
(330)     霊肉の充足
                         明治43年8月10日
                         『聖書之研究』122号
                         署名なし
 
 肉に於て不足する時に霊に於て充足する、肉に於て充足する時に霊に於て不足する、恩恵ある神は霊肉両つながらに於て同時に不足せしめ給はない、又智慧に富み給ふ彼は二者両つながらに於て同時に充足せしめ給はない、而して霊肉孰れの充足を求むるやと問ふならば信者は無理にも答ふるであらう、霊の充足を求むと、誠に霊は肉よりも貴くある、我等何人も肉の生命を賭しても霊の繁栄を計るべきである。
 然れども肉の充足も亦時には求《ねが》はざるを得ない、我等に日用のパンを与へ給へとは主の祈祷の一節である、肉は霊に比しては卑しくあるが、然し霊の器《うつは》としては貴くある、霊が肉の窮乏のために飢ゆる場合がある、肉の事は全く霊に関係のない事ではない、悪魔が霊を誘ふ時は肉を以てして霊を以てしない、故に我等は必しも恒に霊に於て充足せんがために肉の窮乏を祈らない、聖なる貧と結婚したりと云ひし聖フランシスの宣言は情に適ひ理に合ふたる者ではない、「我等を試誘《こゝろみ》に遇はせず悪より救ひ出し給へ」との主の祈祷が神の聖旨に適ひたる者である。
 若し聖旨に適はゞ時には肉に於ても足ることあらしめ給へとは我等が祈て差閊ないことであると思ふ、而して恩恵ある神は時には此祈祷に応へ給ふのである、彼は時には我等の緊縮を緩め、身に充足の春を感ぜしめて、口(331)に感謝を囀づるの機会を与へ給ふのである、貧は其度を過ぐれば霊をして峻酷ならしむるの危険がある、而して我等の弱きを知り給ふ天の父は時には充足の春風を送りて厳しき霊を和らげ給ふのである。
 然れども言ふまでもなく肉の充足の危険は遥かに霊の充足の危険に勝さる、永久の春は霊肉両つながらを※[潺の旁]弱ならしむ、寒きに失するは暖きに失するよりも健全である、貧に失するは富に失するよりも安全である、唯願くは我等の霊の峻厳に陥らざらんことを、充足は霊魂の安全弁である、霊が衷に在りて充足を以て破裂せんことを懼るるが故に、我等は時には肉の充足を賜はりて、其放散を計らんとするのである。
 
(332)     〔旧き福音 他〕
                         明治43年9月10日
                         『聖書之研究』123号
                         署名なし
 
    旧き福音
 
 秋は来れり、我は旧き福音に帰らん、すべての善事を人と天然とを離れて主イエスキリストに於て見る善き旧き福音に帰らん、之を最高道徳として見ることなく、進化の終局として考ふることなく、神の特殊の啓示として認むる我が旧き信仰に帰らん、我は之を以て此世に勝つを得たり、我は之に依て永生の希望を獲たり、我がすべての歓喜は之より来れり、我は再たび之に帰りて我が疲れし霊を息めん。
 
    領土と霊魂
 
 国を獲たりとて喜ぶ民あり、国を失ひたりとて悲む民あり、然れども喜ぶ者は一時にして悲む者も亦一時なり、久しからずして二者同じく主の台前に立たん、而して其身に在りて為せし所に循《よ》りて鞫かれん、人、若し全世界を獲るとも其霊魂を喪はゞ何の益あらんや、若し我領土膨脹して全世界を含有するに至るも我が霊魂を失はゞ我は奈何にせん、嗚呼我は奈何にせん。
 
(333)    信仰と失敗
 
 キリストを嫌ふ此世に於て成功して人はキリストの忠実なる僕にあらず、彼はキリストに反かずして此世に於て成功する能はざるなり、真実にキリストを信ずる者が此世に於て失敗するは当然なり、我等は身にキリストの※[言+后]※[言+卒]《そしり》を負ひて此世に在りて彼の証人として立つべきなり。希伯来書十三章十三節。
 
    我が教へ得ること
 
 我は社会の改良を説かず、国家の隆興を語らず、個人の栄進を教へず、家庭の快楽を伝へず、天国の栄光を説く、キリストに由て得らるべき永生を伝ふ、之を得んと欲する者は我に来るべし、之れ以外のものを得んと欲する者は我に来るべからざる也。
 
    キリストに到るの二途
 
 キリストに到るに二途あり、イエスに由る其一なり、バウロに由る其二なり、前者は柔和なる行為を以てし、後者は勇敢なる信仰に依る、前者は青野を辿るが如し、後者は高嶽を攀るが如し、前者に途に珠玉を拾《ひら》ふの利あり、後者に直に巓《いたゞき》に達するの益あり、我等キリストに到らんと欲して二途執れを取るも可なり、唯前者の快に過ぎて道を逸するの誘惑あるに対して後者の嶮に過ぎて墜落の危険あるに注意せざるべからず。
 
(334)    行為と信仰
 
 イエスに傚はんと欲して彼を信ぜざるを得ず、イエスを信ぜずして克く彼に傚ふ能はず、イエスは到底師としてのみ事へ得る者にあらず、亦主として仰ぐべき者なり、イエスを模範とする行為は真に彼を救主として拝する信仰に達せざるべからず、人なるイエスは実に神なるキリストなり。
 
    愛の会合
 
 余輩に同志の会合あり、又聖書の研究あり、故に人は言ふ、余輩にも亦教会ありと、夫れ或ひは然らん、然れども余輩を繋ぐに愛のほか何者もあるなし、故に余輩の会合にして教会ならん乎、世の教会は教会にあらざるべし、世の教会にして教会ならん乎、余輩の会合は教会にあらざるなり、二者の間に根本の差あり、余輩の克く知る所に由れば世の教会なる者は愛のみを以て成立する者にあらざるなり。
 
    愛の至高
 
 愛に恐怖なし、最上の道徳なればなり。
 愛に疑惑なし、最大の真理なればなり。
 愛に束縛なし、真箇の自由なればなり。
 愛に由て立て抵抗の要なし、弁争の要なし、又教会の要なきなり。
 
(335)    教会と家庭
 
 若し信仰に由て成りし団体を教会と称すべくんば愛に由て結ばれし団合を家庭と称すべきなり、而してキリストの宣べ給ひし神の国なる者は教会に似たる者にあらずして家庭に類したる者なるは明かなり、神の国に監督と長老と会員とあるべからず、父と母と兄弟と姉妹とあるべきなり、余輩は教会に入籍せんことを欲せず、愛の家庭に迎へられんことを望む。
 
    信仰と愛
 
 使徒パウロ、信仰と愛とを比較して曰く
  全き者来る時は全からざる者廃るべし
と、信仰の前に律法の廃りしが如く愛の前に信仰は廃らざるべからず、信仰が律法に代りし時に基督教第一の革命ありたり、愛が信仰に代る時に其第二の革命なかるべからず。哥林多前書十三章十節。
 
    諸聖と教会
 
 聖ヤコプは曰へり、人は善行に由て救はると、聖パウロは曰へり、人は信仰に由て救はると、聖ヨハネは曰へり、人は兄弟を愛するに由て救はると、ヤコプに循ひて羅馬天主教会ありたり、パウロに循ひてプロテスタント諸教会ありたり、而してヨハネに循ひて教会の必要なきに至らん、ヨハネの福音書并に書翰の(短き疑はしき第(336)三書を除きて)唯の一回も教会なる文字を用ひざるは特に注意すべきことなり。
       ――――――――――
 
    我が所選
 
 人は悉く福音を信ぜざらんか、我は惟り之を信ぜんのみ、信者は悉く福音を棄てんか、我は惟り之を棄てざらんのみ、信ぜざらんと欲する者は信ずる勿れ、棄てんと欲する者は棄てよ、然れども我は彼等に傚はざるべし、我が決心はヨシユアのそれなり、彼はイスラエルの民に告げて曰く
  汝等若しヱホバに事ふることを悪しとせば汝等の先祖が河の彼辺《かなた》にて事へし神々にもあれ、又は汝等が今居る地のアモリ人の神々にもあれ、汝等の事ふべき者を今日選べ、然れど我と我家とは共にヱホバに事へん
と(約書亜記廿四章十五節)、名誉の偶像にもあれ、安逸の偶像にもあれ、智識の偶像にもあれ交際の偶像にもあれ、我れ汝の選む所に任せん、然れど我と我家とは共にイエスキリストの父なる真の神に事へん。
 
    天下悠々
 
 一人の人若し我と我福音とを棄んか、我は他の人に往かんのみ、一地方の人、若し我と我福音とを棄んか、我は他の地方に往かんのみ、人は多し天下は広し、而して我福音は万民に関はる福音なり、我れ何ぞ是の人、彼の地方に納れられざるを悲まんや、イエス其弟子等に告げて宣はく
  此邑にて人、若し汝等を責めなば他の邑に逃れよ、我れ誠に汝等に告げん、汝等イスラエルの諸邑を廻り尽(337)ざる間に人の子は来るべし
と(馬太伝十章廿三節)、我は知る我れ日本国の全土を廻り尽さざる間に人の子は来りて我を其栄光の家に召し給ふことを。
 
    水と人
 
 我れ人に向て福音を説くや、時に川に向て之を説くの感なくんばあらず、川は川として存す、然れども、其水は去て復た帰らず、我に聴くの会は会として存す、然れども其人は多くは去て復た帰らず、川は美なり、会も亦美ならざるにあらず、然れども其水と人との転々として去て復た帰らざるを見て我に悲痛の感なき能はず、然れども我は人に招かれて語るに非ず、又自から進んで説くにもあらず、神に遣されて告ぐる者なるが故に、我が言は水となりて流れ去ると雖も敢て失望せざるなり。
 
    世と神
 
 世は其全力を尽して我等を其方に引きつゝあり、其社会と教会を以て、其制度と習慣を以て其金力と権力を以て、其血肉のすべての関係を以て我等を其方に引きつゝあり、而して之に対して唯聖霊の我等を神の方に引附るあるのみ、然れども聖霊一たび我等の霊に臨むや、世の何者も我等を神の愛より絶《はな》らすること能はざるなり、此世は強し、然れどもキリストに由れる神の愛は此世のすべてよりも強し、彼れ我と偕に在《いま》して人は悉く世に降るも、我れ一人神の属として存するを得るなり。
 
(338)     霊魂不滅に就て
                         明治43年9月10日
                         『聖書之研究』123号
                         署名 内村鑑三.
 
 霊魂不滅は基督教の根本的教義であると云ふ、故に基督教を説く者は必ず先づ神を説くと同時に霊魂不滅を説くを常とする、彼等は思ふ、先づ霊魂の不滅を解するにあらざれば基督教を解する能はずと。
 然しながら奇異《ふしぎ》なる事には聖書には霊魂不滅なる熟語はないのである、霊魂なる語はある、又不滅なる語はないではない、然しながら霊魂不滅と云ふが如き、霊魂は其物自体にて不滅であると云ふことを通ずる語はない、羅馬書二章七節に
  耐え忍びて善を行ひ栄光と貴尊と不朽とを求むる者には永生を以て報い給はん
とあり、又哥林多前書十五章五十三節に
  此朽る者は必ず朽ざる者を衣、死ぬる者は必ず死なざる者を衣るべし
とあり、又提摩太後書一章十節に
  キリスト死を滅し、福音を以て生命と朽ざる事とを明らかにせり
とある、以上は新約聖書に於て不朽なる語が用ゐられてある著明の場合である、然し以上の場合に於て不朽は霊魂不滅を意ふのではない、善を行ひ福音を信ずる者に賦与せらるべき不朽(復活体の)を云ふのである、即ち不朽(339)は霊魂の有特性として録されてあるのではない、神の恩賜《たまもの》として示されてあるのである。
 然らば霊魂不滅の思想は何処から来たのである乎と云ふに、之は聖書より出たのではない、希臘哲学より来たのである、ピサゴラス、プラトーなど云ふギリシャの哲学者より出たのである、而して此思想が中古時代の神学者に由て基督教に輸入され、其れよりして霊魂不滅が基督教の根本的教義である乎のやうに思はるゝに至つたのである、勿論基督教に之に似なる教示《おしへ》のないではない、乍然、基督教は明白に霊魂不滅と云ひて霊魂性来の不滅を伝へない、霊魂は不滅である乎も知れない、或は不滅でない乎も知れない、是れ基督教の特に伝へんと欲する所ではない、基督教は人を不滅たらしむるの道を伝へる、即ち実際的の不滅を伝へる、形而上学的の不滅を伝へない、霊魂不滅は埃及人の思想、印度人の思想、希臘人の思想であると云ふことは出来る、然れども猶太人の思想であると云ふことは出来ない、而して猶太人の思想を継承《うけ》たる基督教は霊魂不滅を以て其根本的教義と為さない、循つて基督教を説くに方て先づ霊魂の不滅を証明するの必要はないのである。
 然らば基督教は霊魂不滅に代りて何を教ゆる乎と云ふに、其れよりも更らに確実なる更らに肝要なることを教ゆるのである、基督教は預言者エゼキエルを以て曰ふ
  罪を犯せる霊魂は死ぬべし
と(以西結書第十八章四節)、又使徒パウロを以て曰ふ
  罪の価は死なり
と(羅馬書六章廿三節)、霊魂は元来不死の者である乎否や、是れ基督教の論ずる所ではない、基督教はたゞ罪を犯せる霊魂の死たる者である事を伝へる、彼れ若し元来不死の者なりしとするも彼は今は罪を犯せるに由て死た(340)る者である、彼れ若し生れながらにしては不朽の性を具へざる者であるとするも、彼は罪を避くるに由て不死の者たるの特権を有する者である、問題は滅、不滅の問題ではない、滅びんと欲する乎滅びざらんと欲する乎の問題である、本然性の問題ではない、可能性の問題である、基督教が哲学と異なる点は茲に在る、哲学が人を究めんとするに対して基督教は彼を救はんとする、哲学者に取りては研究の材料たる人類は基督教に取ては「衿恤《めぐみ》の器」であるのである(羅馬書九章廿三節)。
 基督教は更らに伝へて云ふ、不朽は惟りイエスキリストに於てありと、
  彼は独り不死を有す
と(提摩太前書六章十六節、ラゲ氏訳)、又
  神の子を有つ者は生命《いのち》を有ち、子を有たざる者は生命を有たずと(約翰第一書五章十二節)、又
  イエス曰ひけるは我は復活《よみがへり》なり、生命なり、我を信ずる者は死ぬるとも生くべし
と(約翰伝十一章廿五節)、不死と生命とは人に於てあるのではない、キリストに於てあるのである、人は彼より之を受けずして他に不滅となるの途はないのである、不滅は神がキリストを以て世に賜ひたる大なる恩賜である、不滅は人に生れながらにして有る者ではない、或ひは一時はありしならんも彼は今は之を失ふたのである、確実なる不滅は今やイエスキリストに於てのみあるのである、故に言ふ
  キリスト死を滅し、福音を以て生命と不朽とを著明にせり
と(提摩太後書一章十節)、又
(341)  彼を除いて別に救あることなし、
と(行伝四章十二節)。
 而して基督教は如斯くに説て独断説を唱ふるのではない、実にキリストを除いて他に不朽の生命はないのである、不朽は元是れ論理的に立証し得べき者ではない、実験的に確認し得べき者である、恰かも健康の何たる乎は学理的に立証し得らるゝ者にあらずして、実験的に感得し得らるゝ者であると同然である、我等は永生の何たる乎を知る、即ち聖書の示すが如し、
  我等兄弟を愛するに因りて既に死を出て生に入りしことを自から知る、兄弟を愛せざる者は(今尚ほ)死の中に居る
と(約翰第一書三章十四節)、聖書の此言に由りて死の何たる乎、生の何たる乎、滅亡の何たる乎、不滅の何たる乎は最も明白に解るのである、死と云ひ、不死と云ふは哲学上の事ではない、実験上の事である、我等は人を愛し得るに至て不滅を自から知るのである、哲学者に証明せらるゝにあらずして独り自から覚るのである。
 永生何者ぞ? 愛である、キリストの愛である、此愛を獲て我等は自から死を出て生に入りしことを知るのである、生命は真理の如く自証者である、人は之を受けて「我れ死すとも生く」と曰ひて自証するのである、不死と云ひ、永生と云ひ、之を遠く蓬莱に探るの要はない、不滅は今此処に之を獲得することが出来る、キリストの愛を以て神と人とを愛するを得て我等は今日彼と偕に楽園《パラダイス》に在ることが出来るのである。路加伝廿三章四十三節。
 茲に於て不滅の冥想すべき者にあらずして努力して獲得すべき者であることが判明るのである、
  窄き門に入るために力を尽すべし
(342)と(路加伝十三章廿四節)、又
  その生命を惜む者は之を失ひ、其生命を惜まざる者は之を保ちて永生に至るべし
と(約翰伝十二章廿五節)、永生は神の恩賜であると同時に又多くの血と涙とを流して我有となすべき者である。
 永生とは唯是れなり、即ち真の神なる爾と其遣はしゝイエスキリストを識る事なり(約翰伝十七章三節)、
 神とキリストとを其すべての方面に於て識ること、是れが永生である、如何にして克く之を識るを得ん乎、是れ聖書の提出する問題であつて又其克く解決する問題である、先づ霊魂不滅を説いて然る後に人をキリストに導くことは出来ない、彼にキリストを示すは彼をして不朽の生命を感得せしむる唯一の途である。
 
(343)     幸不幸
                         明治43年9月10日
                         『聖書之研究』123号
                         署名なし
 
 永生の希望なくして最も幸福なる生涯も憐むべき生涯なり、永生の希望ありて最も不幸なる生涯も羨むべき生涯なり、生涯の幸不幸は此希望の有無に由て定まる、其他のものゝ有無に就ては敢て言を費すの要なきなり。
 
(344)     加拉太書の精神
                         明治43年9月10日
                         『聖書之研究』123号
                         署名 内村鑑三
 
 加拉太書を通うして響き渡る声は自由である。
 其第一に論ずる所は自由の伝道師である、彼は人に由て任命されたる者でない、人よりにあらず、又人に由らず、イエスキリストと彼を死より甦らしゝ父なる神に由りて立てられたる者である(一痾一節)、循つて彼は彼の唱ふる福音を人より受けない、亦人に教へられない、唯イエスキリストの黙示に由りて之を受けるのである(仝十二節) 設令《たとへ》キリストに接近せし十二使徒たりと雖も人を伝道師として任命することは出来ない、パウロは彼の使徒の職を教会の柱石と称へられしヤコブ、ペテロ、ヨハネの輩より受けなかつた、否な、ペテロが誤謬に陥りし時には彼れパウロは彼れペテロをさへ詰責したる場合がある(二章)、人は神の前に立てすべて同等である、我れ神に召さるゝに方て、使徒たれ、法王たれ、監督たれ、彼等何なる人なるにもせよ我に於て与る所なしである(二章六節)、我は特に神に召されたる者である、其事に於て我は自由である、気儘勝手を為し得ると云ふその意味に於て自由であるのではない、伝道の使命を受くるに方て人に何の負ふ所なしと云ふ其意味に於て自由であるのである、我は教会の按手札を受けて伝道師となつたのでない、監督の免許を受けて福音の宣伝に従事するのでない、此事に関しては我は全く人より自由であるのである、我は神に対してのみ直接の責任を有し、人に対して(345)は何の責任をも担はざる者である。
 加拉太書の第二に唱ふる所は自由の福音である、律法《おきて》と其業とより全く絶《はな》れたる福音である、即ち儀式の要なき、善業の要なき、唯神の恩恵をのみ是れ仰ぐ福音である、故に此福音を信じて尚ほ割礼の儀式に与かる者の如きは神の恩恵を虚しくする者である、実にキリストイエスに在りては割礼を受くるも益なく、亦受けざるも益なく、惟愛に由りて働らく信仰のみ益ありである(四章六節)、我等に福音を授けながら尚ほ規則と儀式とを以て我等を縛る者は我等を再たび奴隷の軛に繋ぐ者である(五章一節)、キリストの福音に愛の外、何の束縛もない、神は与へ、我は受く、彼に父の慈愛あり、我に子の信実ありて我は救はるゝのである、之を自由の福音と云ふは愛の自由の福音と云ふことである、愛は最大の自由である、而して信仰は神の愛に対する人の愛の応答である、此愛の応答即ち信仰があつて人は神に救はるゝのである。
 加拉太書の第三に唱道する所は自由の生涯である、イエスキリスト我等を釈て自由を得させたりと(五章一節)、而して彼は其霊を我等に賜ふて我等を自由に成し給ふたのである、単に釈放の自由ではない、新生の自由である、命令に従て歩む生涯に替へて愛に励まされて行ふ生涯を賜ふたのである、放肆放縦の自由の生涯でない、善事実行の自由の生涯である、自由の境遇を賜ふたのではない、自由の能力を賜ふたのである、誠にキリストの曰ひ給ひしが如く悪を行ふ者は悪の奴隷である(約翰伝八章卅四節)、而して彼は彼の霊なる聖霊を賜ふて、我等の意志と思念とを望め我等をして悪を念はざらしめて、自から善を為し得るに至らしめ給ふたのである、是れが真正の自由の生涯である、此自由なくして法律の自由は何の用にも立たない、此自由なくして所謂自由の民は悪の奴隷である、キリストはコロムウエルも、ワシントンも、リンコルンも与ふることの出来ない自由を我等に賜ふたの(346)である、故にパウロは曰ふたのである、
  汝等(聖)霊に由りて行《あゆ》むべし、然らば肉の慾を成すこと莫らんと(五章十六節)、我等キリストを我等の心に迎へ、之を我が親しき友とし、然り、更らに進んで彼を我が自我となし我れ死して彼れ我に代りて我に在りて生くるに及んで(二章廿節)、仁愛、喜楽、平和、忍耐、慈悲、良善等の慕はしき諸徳は、道義に由て強ひらるゝ行為として我より出るにあらずして、聖霊《みたま》の結ぶ所の果《み》として自づと我に於て現はるゝに至るのである(五章廿三節)。
 自由の伝道と、自由の福音、之に加ふるに自由の生涯、特に之を唱ふる者が使徒パウロの加拉太書である、此吾が聖書の中に保存せられて、完全の自由は竟に人類の所有たらざるを得ない、此吾が此世に存する間は政府も教会も永く其圧制を続くることは出来ない、此書は是れルーテルが彼の鉄壁として拠りし所の者、此書ありしが故に十六世紀の宗教改革は成つたのである、而して此書があるが故に我等の自由も亦確実である、此書を称して基督者の自由の大意章《マグナカルタ》といふ、嗚呼感謝すべきかな、加拉太書!
 
(347)     吾人の馬可伝
                         明治43年9月10日
                         『聖書之研究』123号
                         署名 内村鑑三
 
 敢て新改訳を世に供せんとして成りし者にあらず、日々の課業として己がために作りし者なり、誌友諸氏の研究の参考とならば幸なり。(転載謝絶)
 
     福音の始
 
 第一章
 1神の子イエスキリストの福音の始めは左の如し
 2預言者の書《ふみ》に録《しる》して、
  視よ我れ汝の面前に我が使者を遣さん、
  彼れ汝の前に其道を設くべし。
 3曠野《あれの》に叫べる人の声あり、曰く
  汝等主の道を備へ
  其|径《こみち》を直くせよと
と有るに合《かな》ひ、4パブテスマのヨハネ曠野に現はれ、罪の赦を得んための悔改のバプテスマを宣伝へたり 5ユ(348)ダヤの全国及ぴエルサレムの全市民彼に来り、其罪を表白してヨルダン河にてバプテスマを行はれたり 6ヨハネは駱駝の毛衣を着、腰に皮帯を束ね、蝗虫《いなご》と野蜜を食へり
 7彼れ宣伝へけるは、
  我より勝れる者我が後に来らん、
  我は屈みて其履の紐を解くにも足らず、
 8我は水を以て汝等にバプテスマを行ひたり
  然れど彼は聖霊を以てバプテスマを行はん。と。
 
     バプテスマ
 
 9当時イエス、ガリラヤのナザレより来り、ヨルダンに入りてヨハネに由てバプテスマを行はれたり、10直に水より上りければ天開き霊鴿の如く其上に降るを見たり、11天より声あり曰く汝は我が愛子なり、我が悦び来りし所のものなり。と。
 
     野の試誘《こころみ》
 
 12而して又霊直に彼を野に駆逐れり、13彼れ四十日サタナに誘はれながら野に在りたり、彼れ獣と共にありたり、而して天使等彼に事へたり。
 
(349)     伝道の開始
 
 14ヨハネの囚はれし後イエス、ガリラヤに往き、神の福音を宣伝へて曰ひけるは、
  15期《とき》は到れり、
    神の国は近づけり、
    悔改めよ、
    而して福音を信ぜよ。と。
 
     ペテロ兄弟の聖召
 
 16彼れガリラヤの海に沿ふて歩みし時に、シモンとシモンの兄弟アンデレの海に網を投ずるを見たり(彼等は漁夫たりしなり) 17イエス彼等に曰ひけるは、
  我に従へ、我れ汝等を人を漁る者となさん、と、
 18彼等直に其網を棄て彼に従へり 19尚ほ此より少し進行きしに、彼れゼベダイの子ヤコブと其兄弟ヨハネの亦舟に在りて網を繕ふを見たり、20彼れ直に彼等を召びしかば、彼等其父ゼベダイを傭人と共に舟に遺して彼の後に従へり。
 
(350)     最初の奇績
 
 21彼等カペルナウムに入る、彼れ直に安息日に会堂にて教へたりしが、22人々其数に駭きたり そは学者の如くならず権威を有つ者の如く教へたればなり、23其会堂に不潔の霊にて充てる人ありけるが 24彼れ叫びて曰へり、
  我等汝と何の関係あらんや、ナザレのイエスよ、汝、我等を減さんために来りし乎、我は汝の誰なるを知る、神の聖者なり、と、
 25イエス之を叱責して曰ひけるは
  黙せよ、而して彼を出よ、と、
 26不潔の霊彼を拘攣《ひきつ》け、大声に叫びて彼を出たり、27人々皆な驚き相問ふて曰ひけるは
  是れ何事ぞ、権威を以てする新らしき教!
  彼れ不潔の霊に命ずれば彼に従ふ!、と、
 28茲に於て彼の声名直に※[行人偏+扁]くガリラヤの四方に播がりぬ。
 
     注意の喚起
 
 29彼等直に会堂を出で、ヤコブ及びヨハネと共にシモンとアンデレの家に入れり、30シモンの岳母《しうとめ》熱を病みて臥ゐければ彼等直に之を彼に告ぐ、31彼れ往きて其手を握り彼女を起しければ、熱彼女を去りぬ、斯くて其婦彼(351)等に仕へぬ 32日暮になり日既に入りければ人々すべての病を患へる者又鬼に憑れたる者を彼に携へ来り、33其邑挙りて戸口に集れり 34彼れ様々の病を患へる多くの人を医し、又多くの鬼を逐出したり、彼れ鬼等をして語るを許さざりき、そは彼等彼を識りたれば也。
 
     人望の回避
 
 35昧早《あさまだき》に彼れ起きて出で、人なき所に往きて其処にて祈りつゝありしが、36シモン及び彼と共に在りし者等彼の迹を逐ひ 37彼を看出して曰ひけるは、人々皆な汝を尋ぬ、と、38彼れ彼等に曰ひけるは
  我等をして他の所に、附近の邑々に往かしめよ、我れ亦彼処にても宣伝へんがためなり、我れ是れがために出で来りしなり、と、
 39斯くて彼れガリラヤの全土を行《めぐ》り、其会堂にて宣伝へ又鬼を逐出せり。
 
     沈黙の厳命
 
 40癩病の者彼に来り、願ひ且つ飽きて曰ひけるは、汝若し意に適はゞ我を潔め得べし、と、41彼れ憐憫の情を以て動かされ、其手を伸て彼に按《つ》け、彼に曰ひけるは、
  我が意に適ふ、汝潔められよ、と、
 42而して癩病直に彼を去り、彼は潔められたり
 43彼れ厳しく彼に命じて彼を逐攘ひて曰ひけるは
(352) 44注意して何人にも何事をも語る勿れ、但往きて己が身を祭司に示し、汝が潔められしことに就て彼等に証明せんがためにモーゼが命ぜし所の物を献げよ、と、
 45然るに彼れ出往きて盛に此事を言触らし且つ言広め始めければ、イエスは此後顕はに城市《まち》に入る能はずして、人なき所に其外に居たり、而し人々四方より彼の許に来れり。
 
     褻涜の非難
 
 第二章
 1数日の後彼れ復たカペルナウムに入りければ彼の家に在ること聞えたり 2多くの人々集ひ来り、戸口の外にてさへも立つべき所なきにまで至れり、彼れ彼等に教を宜べつゝありたり、3時に中風を病む者四人に舁がれ彼に来る、4彼等群集の故に彼に近づく能はざるを見て取りければ、彼が在りし処の屋根を剥ぎ之を破りて中風患者を担架のまゝ釣下げたり 5イエス彼等の信仰を見て中風患者に曰ひけるは、
  汝の罪は赦されたり、と、
 6学者の或者此処に坐し在りしが、其心の中に思惟して曰ひけるは、7此人何故に斯く言ふや 彼は神を涜すなり、唯一人即ち神を除いて誰か罪を赦し得んや、と 8イエス直に其心に於て彼等が其心の中に斯く思惟するを識りて彼等に曰ひけるは、汝等何故に汝等の心の中に斯かる事を思惟するや、9中風患者に汝の罪は赦されたりと言ふと起て汝の担架を取上て往けと言ふと孰れか易きや、10然れど汝等が人の子の地にて罪を赦すの権能を有することを知らんがために、とて、彼れ中風患者に向て曰く
  11起てよ、汝の担架を取上げよ、而して汝の家に往け、と、
(353) 12彼れ起ち、直に担架を取上げ、人々すべての前に出往けり、恁《かか》りしかば人々皆な駭き神を崇めて曰へり、我等未だ斯くありしを見ず、と。
 
     不規律の非難
 
 13彼れ復た海辺に往けり、群衆挙て彼に来りければ、彼れ彼等を教へたり、4彼れ道を歩みつゝありし時にアルパヨの子レビの収税所に座するを見たり、彼に曰ひけるは、我に従へ、と、彼れ起て彼に従へり、15斯くて彼れ其家にて坐して食しつゝありしが、多くの税吏并に罪人も亦イエス並に其弟子等と偕に坐せり、16パリサイの人の学者等彼が税吏並に罪人と偕に食するを見て、彼の弟子に日ひけるは、何事ぞ税吏並に罪人と偕に食するとは、と、17イエス之を聞き彼等に曰ひけるは、
  強健なる者は医者を要せず、
  たゞ病者のみ之を需む、
  我は義人を招かんために来らず、
  ただ罪人を招かんために来れり、と。
 
     断食不行の非難
 
 18時にヨハネの弟子とパリサイの人は断食しつつありたり、彼等来り彼に曰ひけるは、ヨハネの弟子とパリサイの弟子とは断食するに、汝の弟子は何故に断食せざる乎、と、19イエス彼等に曰ひけるは、新郎《はなむこ》の友は新郎が(354)彼等と偕に在る間に断食するを得んや、彼等新郎と偕に在る間は断食する能はざるなり、20然れど新郎の彼等より取去らるゝ日来るべし、其日に至らば彼等断食すべし、21何人も旧き衣の上に未だ曾て晒さゞる布の断片《きれ》を綴《つ》がじ、若し然かせば新らしき補綴は旧きを収縮《ちゞ》め更らに悪しき破綻《ほころび》を生ずべし、22又何人も旧き革嚢に新らしき葡萄酒を盛らじ、若し然かせば新らしき葡萄酒は旧き革嚢を破裂せしめ、葡萄酒と革嚢とは共に廃《すた》るべし。と。
 
     安息律違犯の非難 其一
 
 23彼れ曾て安息日に麦の畑に添ふて行きし時其弟子等歩みながら穂を摘《つま》みはじめたり、24時にパリサイの人彼に曰ひけるは、視よ、彼等何故に安息日に為すまじき事を為す乎、25彼れ彼等に日けるは、
  汝等未だ曾て読まざる乎、ダビデが自身及び己に徒ひし者が乏しくして飢えし時に為せし事を 26即ちアビヤタルが祭司の長たりし時に彼が神の宮に入り、祭司の外は食ふべからざりし所の聖前のパンを食ひ而して又之を彼と偕に在りし所の者に与へし事を、と、
 斯くて彼等に曰ひけるは
  安息日は人のために在り、人は安息日のために在らざるなり、28然れば人の子は又安息日の主たる也、と。
 
     安息律違犯の非難 其二
 
 第三章
 1彼また会堂に入れり、其処に片手萎へたる人ありたり、2彼等彼が安息日に此人を医すならんかと、彼に注目せり、是れ彼を罪に訟へんためなり、3彼れ手の萎へたる人に曰ひけるは、中に立てよ、と、4而して彼等に(355)曰ひけるは、安息日に善を為すと悪を為すと、生命を救ふと、之を殺すと何れか正しきか、と、然るに彼等黙然たり、5彼れ憤怒《いかり》を以て彼等を見廻し、彼等の心の頑硬《かたくな》なるを歎き、其人に曰ひけるは、汝の手を伸べよ、と、彼れ伸べければ其手元の如く成れり、茲に於てパリサイの人々直にヘロデ党の人々と共に出行き、如何にして彼を除かんかとて共に譲りたり。
 
     名望の注集
 
 7イエス其弟子と共に海の方に退きしに、多数《あまた》の人々ガリラヤより彼の後に従へり、又ユダヤより、8ヱルサレムより、イドマヤより、ヨルダンの彼方より、ツロとシドンの辺より、多数の人々、彼の為しつゝありしことを聞きて彼に来れり、9彼れ其弟子に命じ、群衆の彼を圧倒《おしたほ》さざらんがために彼のために小舟を備へ置かしめたり、10そは彼れ多くの人を癒したればなり 疾病を有てるほどの者は彼に触れんとて彼の上に落重なる程なりき、11不潔の霊も亦彼を見るや彼の前に平伏し叫びて曰へり、汝は誠に神の子なり、と、彼れ厳しく彼等を禁《いまし》め、彼を世に顕はさざらしめたり。
     十二人の撰定
 
 13彼れ山に登り、彼の意に適ふ者を己に招きければ、彼等来りて彼に就けり、14彼れ十二人を作れり、彼等が彼と偕に在り、又彼が宣伝のために彼等を遣はし、15又彼等が鬼を逐出すの権能《ちから》を得んがためなり、16彼れシモンにペテロの名を附したり、17ゼベダイの子ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼れ彼等にボアネルゲスの名を附し(356)たり、即ち「雷の子」なり、18アンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、アルパヨの子ヤコブ、ダウタイ、カナン党のシモン、19及び彼を敵に付せし者なるイスカリオテのユダ是れなり。
 
     学者の反対
 
 20彼れ家に入れり、群衆復たぴ集ひ来り、其れがために彼等食することさへ為し得ざりき、21彼の家族の者此事を聞き、彼を抑へんとて出で来れり、そは彼等言ひたればなり、彼は狂気せりと、22又ヱルサレムより下り来りし学者等は言へり、彼はベルゼベルを宿すなりと、又言へり、彼は鬼の首長《かしら》に由りて鬼を逐ひ出すなりと、23彼れ彼等を己に招き比喩を以て彼等に語りけるは、
  サタン何《いか》でサタンを逐ひ出し得んや、24国若し内に相分れなば其国は立つこと能はず、25又家若し内に相分れなば其家は立つこと能はず、26サタン若し己に対して起たば彼は分れて立つこと能はず、反て亡ぶべし、27誰にても勇者の家に入りて先づ彼れ勇者を縛るにあらざれば其器具を奪ふ能はず、然る後に其家を掠むるならん、28誠に我れ汝等に告げん、人の子等のすべての罪は赦さるべし、又彼等が誹る其|誹謗《そしり》は何れも赦さるべし、29然れども聖霊を誹る者は限りなく赦されず、反て限りなき罪に当るなり、と、
 30斯く言ひしは彼等が、彼は不潔の霊を宿すと言ひたるに由る。
 
     骨肉の反対
 
 31斯くありし所に彼の兄弟と母とは来り、外に立ち人を遣して彼を呼べり、32群衆は彼を繞りて座せり、彼等、(357)彼に言ひけるは、汝の母と汝の兄弟とは外に在りて汝を尋ぬと、33彼れ彼等に答へて曰ひけるは
  我が母とは誰ぞ、我が兄弟とは誰ぞ
と、34而して彼を繞りて坐せる者等を数回視廻はし、曰く
  視よ我が母と我が兄弟とを、35そは何人にても神の聖意を行ふ者は、其者は即ち我が兄弟又我が姉妹又我が母なればなり。と。
 
     比喩教育
 
 第四章
 1彼れ又海の辺《ほとり》にて教へ始めたり、最も大なる群衆彼に集ひ来りければ彼れ舟に入りて海の上に坐したり、而して群衆は海に対して陸の上に立てり、2彼れ多くの比喩を以て彼等を教へたり、彼等を教へて曰く
  3聴けよ、播種者種を播かんとて出行けり、4播くに方て或種は径の傍に落ちたり、而して鳥来りて之を啄めり、5又或種は土多からざる巌の上に落ちたり、而して、土多からざるが故に直に萌出たり、6然れど日出るや焼け、根なきが故に枯れたり、7又或種は棘《いばら》の中に落ちたり、而して棘長じて之を圧したれば実を結ばざりき、8又或種は善き土の上に落ちたり、而して伸び又拡がりて実を結べり、而して結びて三十に達するもあり、亦六十に達するもあり、亦一百に達するもありたり。
 9彼れ又彼等に曰ひけるは、
  聴くための耳を有する者は聴くべし。と。
 10彼れ一人になりし時、十二人と共に彼の周囲に在りし者、比喩に就て彼に尋ねたり、11彼れ彼等に曰ひけるは
(358)  汝等には神の国の奥義は授けられたり、然れども彼等外に立つ者には万事は此喩を以て臨むなり、12是れ
   彼等見て見れども認めず、
   聞て聞けども悟らず、
   恐くは彼等飜へりて赦さるゝことあらん、と、
  あるが如し、
 13又彼等に曰ひけるは
  汝等此比喩を知らざる乎、然らば何ですべての比喩を知らんや、14播種者は言を播くなり 15言の播かるゝ径の傍の者とは是れなり、即ち彼等聞くや直にサタン来りて彼等の衷に播かれし言を奪去《とりさ》るなり、16之と等しく巌地《いはち》の上の者とは是れなり、即ち彼等言を聴くや 17直に歓喜を以て之を受く、然れども己に根なきが故に唯暫時のみ、後、言のために患難又は迫害の起るや直に躓くなり、18又林の中に播かるゝ他の者とは是れなり、19彼等は即ち言を聞く者なり、然れども此世の配慮と富の誘惑と其他の事に関する執念とは入り来りて言を圧し、之をして実を結ばざらしむ、20而して又善き土の上に播かれし者とは是れなり、彼等は即ち言を聞き、之を受けて実を結ぶなり、或ひは三十、或ひは六十、或ひは百。と。
 21彼れ又彼等に曰ひけるは、灯火《ともしび》の点さるゝは何のためなる乎、枡の下に置かれんためなる乎、又は床の下に置かれんためなる乎、燭台の上に置かれんためならずや、22そは顕はれんがためならずして隠くるゝ者なく、又顕されんがためならずして隠さるる者なければなり、23人若し聴くための耳有らば聴くべし。と。
 24破れ又彼等に曰ひけるは、汝等が聴くことに注意せよ、汝等が度《はか》る其|度量《はかり》を以て汝等に度らるべし、又加へ(359)らるべし、25そは有てる者は尚ほ与へられ、有たぬ者は、其有てるものをも取上げらるべければ也。
 26彼れ又曰ひけるは、神の国は此の如き者なり 即ち恰かも人、種を地に下せしが如し、27彼れ夜昼寝ね又起きつつありし間に種は生え又伸びるなり、何故か彼は知らず、28地は自づから実を結ぶなり、初めに茎、次ぎに穂、然る後に穂の中に熟したる穀を結ぶなり、29而して実の許すや、彼は直に鎌を遣るなり、収穫時《とりいれどき》の既に到りしに由てなり。
 30彼れ又曰ひけるは、我等神の国を何に比《なぞら》へ、又何なる比喩を以て之を示さんや、31芥種の一粒の如し、其地に播かるゝや、地上のすべての種よりも小なりと雖も、32播かるるや生え出で、而してすべての野菜よりも大となり、大なる枝を出し、空の鳥来りて其蔭に棲むに至るなり。と。
 33彼れ又多くの斯かる比喩を以て彼等に道を語りたり、彼等之を聴くに堪えしに由る、34比喩を以てせずしては彼れ彼等に語らざりき、然れども衆を離れて己の弟子等に対しては彼れ万事を説明したり。
 
     暴風の鎮静
 
 35其日、日暮になりければ彼れ彼等に曰ひけるは、我等をして対岸に済らしめよ、と、36彼等群衆を去り、彼が舟に在りしまゝに彼に伴へり、又他の舟も彼と共にありき、37時に大なる暴風起り、浪、舟に打入り、舟既に満てり、38彼れ艫にあり枕して寝たりしが、彼等彼を起し彼に曰ひけるは、
  師よ、汝、我等の死するに気附かざるか
と、39彼れ起き上り、風を責《いまし》め、
(360)  静まれ、黙《だ》まれ
と海に曰ひければ、風止みて大に凪ぎたり、40彼れ彼等に
  汝等何故に懼るゝや、汝等尚ほ信ぜざる乎
と曰ひければ、41彼等大に恐れ、相互に曰ひけるは
  此人はそも誰なる乎、風と海とも亦彼に服《したが》ふとは!
 
(361)     救済の事実
                         明治43年9月10日
                         『聖書之研究』123号
                         署名なし
 
 救済《すくひ》は徹頭徹尾神の聖業なり、人の与る所にあらざるなり
  恩恵を以て信仰に由りて汝等は救はるゝなり、是れ己に由るに非ず、神の賜なり
 神は臨むに恩恵を以てし給ひ、而して、我等は単に信仰を以て之を受けしに由て救はれしなり、救済は自己に由るに非ず、すべて神の賜なりとなり、救済の実験を有する者は何人も皆なパウロの此言の一言一句悉く争ふべからざる事実なるを知るなり。以弗所書二章八節。
 
(362)     イエスの先生
                         明治43年9月10日
                         『聖書之研究』123号
                         署名なし
 
 イエスに弟子のあつた事は何人も知つて居る、然し彼に先生のあつたことを多くの人は知らない、然しイエスにも亦先生があつたのである、路加伝記者が彼の幼時を記して
  彼れ智慧も齢《よはひ》もいや増り神と人とに益々愛せられたり
とあるを見て彼にも亦彼を教へし先生の有つたことが判明る。
 然し其先生たる此世の先生ではなかつた、イエスはパウロの如くに当時の碩学ガマリエルやヒレルの如き人に就て学ばなかつた、彼は学校教育を受けたる人でない、其点から見て彼に先生は無かつたと云ふことが出来る、然れども彼も亦或人に教へられずして成長した者でない、彼の父ヨセフは確かに彼の善き教師であつた、彼の母マリヤも亦多く彼に教ふる所があつたらふ、乍然、彼を最も多く教へた者は当時の人ではなくして昔時《むかし》の人であつた、彼の唯一の教課吾が旧約聖書であつたことは疑ない所である。
 而して旧約人物の中で彼が最も親灸した者は預言者であつたことは是れ亦疑ない所である、其事は彼の取りし生涯の方針を見ても判明る、亦彼が彼の説教に於て数々引用せし旧約の言辞を見ても判明る、彼は喜んで旧約聖書全体を読まれしと雖も、特に注意して預言者の書を読まれしことは確である、イザヤ、ヱレミヤ、ホゼヤ、ミ(363)カ、ダニエル等は彼の特愛の預言者であつたらしく見える、彼は彼等の言に由て神の聖旨《みこころ》を知り、己の天職を認めたのである、旧約の預言者等よりイエスを離して見て彼は解らない、預言者を知るはイエスを知る上に於て最も肝要である。
 余輩は思ふ、今日までの世のキリスト観なる者の多く完全を欠きし理由は、彼を彼の弟子の方面よりのみ見て、彼の先生の方面より見ざりしにあると、然し人は何人と雖も其弟子のみを見て解る者でない、必ず其先生をも見なければならない、人の弟子は其正面であつて其先生は其裏面である、人は先生より出て弟子を以て外に現はるゝ者である、而してイエスの場合に於ても此通則は破れない、イエスも亦其弟子に由てのみならず其先生を以て知らるべき者である、イエスを主として拝し、教会の首長として仰ぎ、霊魂の監督として戴きしは弟子の立場から見ての事である、乍然、イエスの先生なりし預言者の立場から見て、彼は斯かる宗教的崇拝物でない、預言者が人でありし如くにイエスも亦人である、預言者が革命者でありしが如くにイエスも亦革命者である、預言者の立場より見たるイエスはイスラエルの最も大なる者で、其理想を宇内に魔さんとした者である。
 余輩は勿論茲にイエスは預言者の弟子であると云ひて預言者以下の者であると云ふのではない 弟子は其師より大なる能はずとイエスが其弟子に告げしは弟子は先生以上に達する能はずと云ふたのではない、先生が受けしより以上の待遇に与かること能はずと云ふたのである、而してイエスが預言者以上の人であつたことは何人も疑はない所である、師に就て師以上に達する者が能く其師に学んだ者である、イエスは預言者に学び、能く其精神を汲み、終に預言者中の最大預言者となつたのである。改行
 
(364)     落第生を慰むるの辞
                         明治43年9月10日
                         『聖書之研究』123号
                         署名 内村生
 
 余は君が又々入学試験に落第したりと聞き君に対し深き同情に堪えない、余は君が又々勇気を鼓し、更らに再び試みられんことを望む。
 然れども余の茲に一言の君に告ぐべきがある、其れは君が入学試験の失敗を以て人生の失敗と見做さゞらんことである、学校は成功に達するの唯一の途ではない、人生は広くある、成功に達するの途は多くある、世には学校を通らずして人生の成功を遂げた人が沢山にある、然るを此事を忘れて、学校を通らずしては有為の人と成る能はずと想ひ、入学試験に落第せしが故に人生に於て落第せしが如くに思ふ、誤謬之より大なるはない、学校は勿論成功に達するの一の途であるに相違ない、余は勿論学校を軽く視ない、余自身が学校出の人である、乍然、人の大多数の学校を通過したことの無い者であるを知て、我等は学校教育必しも人生に必要ならずとのことを知るのである、偉人リンコルンが言ふたことがある、
  神は最も多く平凡の人を愛し給ふ、然らざれば彼は斯くも多く平凡の人を造り給はざりしならん、
と、誠に平凡の人たるは決して小なる事でない、是は億兆と運命を共にすることであつて、循て又神の特殊の恩恵を味ふことである、然るを此事を忘れて、唯単らに非凡の人たらんと欲し、いやが上にも智者となり、才子と(365)ならんと欲し、競争又競争、世界第一の人とならんと欲するが故に我等は無益に心を労するのである。
 見給へ、今の所謂る学士又は博士なる者を、彼等は果して羨むべき者なる乎、余の見る所を以てすれば彼等は高等の奴隷たるに過ぎない、彼等は高等教育を受けしが故に独り立つことの出来ない人となつた、彼等は政府か又は教会か又は会社か富豪に頼らざれば単独で此世に立つことが出来ない、彼等の学問は彼等を縛る強き縄である、彼等は之れあるが故に、信ずる事をも語る能はず、思ふことをも為す能はず、黙し忍びて其地位を保つのである、余の見し所の人の中で最も憐むべき人は是等の人士である、其学位こそ立派であれ、其心根の憐れさよ、余は思ふ若し学問が余を縛るの縄となり、学位が余の自由を奪ふの敵となるならば、余は直に之を斫て棄んと、然るに之を無上の善と見做し、之を獲ざれば人生の冠冕《かんむり》を失ひしが如くに思ふ、世に迷信は多しと雖も、学問過信の迷信の如くに憐むべき者は無いと思ふ。
 誠に若し人生の最善は自由と独立とであるとならば(而して余は爾か信ずる者の一人である)、かの街《ちまた》に行商《かうしやう》する商人は眼鏡の下より学理を切売する博士先生に勝さるの人である、彼等行商は自己の脛に頼るを知て他人の脛を齧るを知らない、彼等は地位を探すの必要を認めない 彼等は独り立て独り生く、詩人ヲルヅヲスの歌ひし水蛭取《ひるとり》者の如き者であつて返て文士をして慙死せしむるに足る者である。
   此の老衰せる人に斯かる決心のあるを見て、
   我は自己を嘲笑せざるを得ざりき、
   神よと、我は言ひし、願くは我を援け且つ支え給へ、
   我は常に寂しき沼沢《さわ》に於て見し水蛭取者を思はん。
(366) 是れ詩人が憂悶の時に際し、沼地に水蛭を採集して自立自活せる老人を見て、自己の意気地なさを慙て発せし有名なる言である、多くの場合に於て水蛭を集る者は詩を作る者よりも幸福にして尊敬すべき人物である。
 世界は広くある、日本のみが世界ではない、若し日本に於て失敗せば更らに運命を世界に於て試むべきである、ブラジルの平野は君を待ちつゝある、メキシコの高原は君を迎へつゝある、何ぞ文筆を以てのみ世に立たんと欲して苦悶するや、何ぞ犂を試みざる、何ぞ馬鈴薯王《しやがたらいもわう》又は玉萄黍王たるの野心を起さゞる、六大洲は手を拡げて君を迎ふるに、君は何故に雑沓を極むる学校の関門を通過せんとして腐心するや、余は君に勧む、小さき脳裡に宇宙を映さんとする君の欲望を去て、広き世界に新帝国を建設せんとする勇敢なる企図に出よと。
 知識は勢力なりと云ふ、誠に然り、然れども勇気と誠実とは更らに大なる勢力である、不信の世は未だ誠実の勢力を知らない、誠実を以て臨んで世界孰れの国か君を排斥する者あらんや、君は米人の日人排斥を憂ふるを要せず、余の知る所に依れば、神を畏れ人を敬ふ日本人にして未だ曾て米人の排斥に遭ひし者なし、我等武威を以てせず、謙遜と誠実とを以て臨んで世界万国は悉く我国である、我若し智識を於て競争に勝つ能はずんば、紳士的行為を以て勝つを得べし、君は屡々学校の試験を以て落第せり、然らば今人道の試験を試みよ、政府に依らんとせず教会に頼らんとせずして、人生は思ひしより易し、独立の生涯に入るの門は依頼の生涯に入るのそれの如くに狭からず。
 
(367)     〔葛巻星淵著『【信仰余賦】野の声』〕推薦の辞
                   明治43年9月28日
                   葛巻星淵著『【信仰余賦】野の声』                   署名 内村鑑三
 
 詩若し文ならば葛巻君は善き詩人にあらざるべし、然れども諸若し想なり、誠なり、又情ならば君は確かに真個の詩人なり、君の特長は解し易き平人の言を以て平人の真情を歌ふにあり、米国詩人ホヰッチヤーと共に、君は平民詩人の階級に属する者なり、此集、前集『小星』と較べて、君の人生の実験の更らに沈且痛なるを表す、今日猶ほ此国に残留する少数の清士は歓んで之を誦むなるべし、余は茲に之を諸士に勧むるの栄誉を有す。
  千九百十年九月三十日
             東京市外柏木に於て 内村鑑三
 
(368)     〔十年一日 他〕
                         明治43年10月10日
                         『聖書之研究』124号
                         署名なし
 
    十年一日
 
 明治三十三年九月三十日初めて本誌第壱号を発行せり、明治四十三年十月十日茲に其第百二十四号を発行す、余輩は初めにイエスキリストを唱へたり、余輩は今尚ほイエスキリストを伝ふ、余輩の題目は唯|一《ひとつ》なり、主イエスキリスト彼れなり、真にイエスキリストは昨日も今日も永遠までも変らざる也。希伯来書十三章八節。
 
    十年の恩恵
 
 我れ何を以てか十年の恩恵を感謝せん、讃美の歌を以てか、否らず、感謝の祭を以てか、否らず、我は我が渾身の努力を以て之を感謝せん、此事業の国人に歓ばれざるに関はらず、其の常に教会の嫌ふ所たるに関はらず、又、其の眼に見えざる事業なるが故に、我れ自身が度々倦怠を感じ、之を廃して他に転ぜんとするの心を起すことあるに関はらず、我は奮然、茲に復たび素の決心に帰り、之を持続し、以て主の十年の恩恵に酬ゐん、願ふ、猶も能力《ちから》の我に加はるありて、我が世に在らん限り、此幸福なる事業の我が事業として存せんことを。
 
(369)    種と泉
 
 十年道を伝ふるの特権に与り、而して一個の教会を起さず、又一人の門下を作らず、名誉何ぞ之に過ぎん、願ふ、次ぎの十年も、亦其次ぎの十年も、余輩の事業の固結して団体又は教会となることなく、恒に湧て尽きざる泉として存し、又播て止ざる種として散じ、以て其生長と収穫とは偏に之を神にのみ任かし奉らんことを。
 
    信望愛
 
 信は贖罪の信仰なり、望は復活の希望なり、而して愛は此信此望より来る神と人とに対する深き広き愛なり、此特別の信と此特別の望とありて基督者の特別の愛あるなり、我等が信、望、愛を唱ふるは単に漠然たる一般的の信、望、愛を唱ふるにあらざる也。
 
    キリストと人生
 
 若し神なく霊魂なく、来世なく裁判なくば、キリストを信ぜざるも差したる不幸にあらざるべし、然れども若し実に神あり霊魂あり、又誠に来世あり罪の裁判ありとすればキリストを信ぜざるは最大不幸なりと謂はざるべからず、科学と哲学と、美術と文学とは人生の悲痛を悉く除き去るに足らん、然れども裸体の霊魂が底なき永遠の深淵に臨み、其罪を担ひて独り神と相対して立つ時に、キリストの十字架のみ克くその信頼の磐たるなり、蓋し人生一度はキリストを信ずるにあらざれば経過する能はざる時期あるべければ也。
 
(370)    神の沈黙
 
 今や人の神を棄るあるも神は之を咎め給はざるが如し、人の罪を犯すあるも神は之を罰し給はざるが如し、故に人は言ふ、神は無き者なりと、然れども余輩は然か信ぜざるなり、今は神の沈黙の時なり、世の罪の甚しきが故に彼が人をして其欲するが儘に罪を犯せしめ給ふ期なり、真に恐るべき時にして今の時の如きはあらざるなり、人は今や己れのために神の怒を積みつゝあるなり、而して神の豊厚《ゆたか》なる仁慈と寛容《ゆるやか》と恒忍《しのび》と尽きて震怒《いかり》の日の莅む時に世に大なる哀哭《かなしみ》と切歯《はがみ》とあるべし、颶風の土を捲て臨《きた》る前に大なる静謐あり、今の時の神の沈黙は将さに来らんとする恐るべき審判の前兆にあらずして何ぞや。羅馬書二章四、五節。
 
    神を愛するの愛
 
 汝、心を尽し、精神を尽し、力を尽し、意を尽して主なる汝の神を愛すべしと云ふ、即ち全心全力を尽して万事万物に優りて主なる真の神を愛すべしとの謂なり、己の職業に優り、専門に優り、地位に優り、恩人に優り、主なるヱホバの神を愛すべしとの意なり、神は之を心中第一位に於て愛するにあらざれば、愛すること能はざる者なり、彼は其意味に於て誠に嫉妬の神なり、神以上に愛する者ありて神に対して懐く愛はすべて虚偽なり偽善なり、神を愛せんと欲する者に此了解なかるべからず。路加伝十章廿七節。
 
    神の愛
 
(371) 今や神の愛とし謂へば之を溺愛とし解する者多し、曰ふ、神は愛なれば彼は如何なる罪と雖も容易く之を赦し給ふと、然れども神の愛は溺愛に非ず聖愛なり、彼は義に由るにあらざれば人の罪を赦し給はざるなり、神の愛は義に由て行はる、彼がキリストに由るにあらざれば人の罪を赦し給はざるは、彼の愛は義の愛にして、情の愛にあらざるに因るなり。
 
    棄教と友誼
 
 我は今はキリストを信ずる能はず、然れども友誼は故の如くならんと欲すと言ふ者あり、然れどもキリストを信ずるに由て成りし友誼、我れ如何でか彼を離れて之を継くるを得んや、人はキリストを離れて彼に在りて作りし友人をも亦離れざるを得ず、恰かも樹の幹を離れて其枝をも離れざるを得ざるが如し、我等は人がキリストを離れたればとて彼を憎まず、我等は人として彼を敬し又愛す、然れどもキリストに在りて結びし友誼は彼を離れしと同時に絶えし者なり 友誼の故の如くならざるは是れ我等の罪にあらず、キリストを離れし者の自から招きし損失と謂はざるべからず。
 
    キリストと交友
 
 我に由りてキリストに来りし者は竟に我を去り又キリストを去る、キリストに由りて我に来りし者は永久にキリストを去らず、又我を去らず、我はキリストに在りて人に連なる、人もし我に居らざれば離れたる枝の如し、外に棄られて枯るなりとキリストは曰ひ給へり、而して人もしキリストに居らざれば我も亦彼に連らならんと欲(372)するも能はざるなり。約翰伝十五章六節。
 
    信仰と愛国
 
 信仰は神のために自己を棄ることなり、愛国は国のために自己を棄ることなり、自己を棄るの点に於ては信仰、愛国、其揆を一にす、余輩は未だ嘗て神を信ずる者にして国を愛せざる者あるを見ず、又真に国を愛する者にして神を信ぜざる者あるを知らず、人の愛国は其信仰を以て知るを得べし、神の敵、国の賊は自己を中心とする者なり。
       ――――――――――
 
    理性の真価
 
 我は理性を貴ぶ、然れども我は理性を以てイエスは主なりと信ずる能はず、我は理性を以て聖書は特に神の言なりと信ずる能はず、我は理性を以て罪の贖を信ずる能はず、我は理性を以てキリストの再顕と肉体の復活とを信ずる能はず、理性は我に我が需むる最も善き事を伝へず、我は之を聖霊の直示に待たざるべからず、理性は貴し、然れども神より理性以上の恩賜に与からずして、我は歓喜の人、満足の人、霊明の人、と成る能はざるなり。
 
(373)    聖ヨハネの観たる神
                         明治43年10月10日
                         『聖書之研究』124号
                         署名 内村鑑三
 
  「伝」は約翰伝、「書」は約翰第一書なり。
 
 神は霊である(伝四の廿四)、故に人の眼には見えざる者である(仝一の十八)、循て此所彼所と所を定めて在す者でない、彼は特にヱルサレムに在さない、又サマリヤの山に在さない(仝四の廿一)、彼は又人の手をもて造りたる宮殿や会堂に在さない、神は霊であれば、彼は普く宇宙に遍在する者である。 神は霊である、同時に又光である(書一の五)、霊にして光る者である、彼は己に足りて独り静かに存在する霊でない、進んで世を照らす光である(仝一の九)、世を化して己の如く為さんとする者である、己を世に示す者である、黙示の神である。
 神は光である、然れども単に輝く光ではない、彼は「乾燥せる光」ではない、彼は又生命である(伝五の廿六)、光る生命である、彼は物理学的の光でない、生理学的の光である、世に類なき光である、故に彼を称して「生命《いのち》の光」といふ(伝八の十二)。
 神は生命である、然れども単に生くる生命ではない、彼は愛である(書四の八)、自己を他に与へんと欲する者(374)である、彼は犠牲の神である、生命を己に有して惜気なく之を他に与へ給ふ者である(書四の九)。
       *    *    *    *
 在さゞる所なき神、暗《くらき》を照らし給ふ神、活ける神、愛の神、是れが聖ヨハネの観たる神である、高いかな此神、深いかな此神、而して万事万物にまさりて貴いかな此神!
 
(375)     人の三性
         (九月十一日柏木ルーテル館に於て)
                         明治43年10月10日
                         『聖書之研究』124号
                         署名 内村鑑三
 
 パリサイの人の一人にしてユダヤ人の宰《つかさ》なるニコデモといへる人ありたり、彼れ夜間《よる》イエスに来りて彼に曰ひけるは、ラビ、我等は汝の神より来りし師なるを知る、そは神若し彼と共にあらずば、汝が行す此奇蹟は彼れ之を為す能はざればなりと、イエス答へて彼に曰ひけるは、実に誠に我れ汝に曰ふ、何人も新たに(上より)生るゝにあらざれば神の国を視ること能はず、と、ニコデモ彼に曰ひけるは、人、はや老ひぬれば如何で生まるゝことを得んや、復たぴ母の胎に入りて生れ得んやと、イエス答へけるは、実に誠に我れ汝に告ぐ、何人も水と霊とによりて生れずば神の国に入ること能はず、肉によりて生れし者は肉なり、霊に由りて生れし者は霊なり、我れ汝に「汝等新たに(上より)生れざるべからず」と言ひたればとて怪む勿れ、夫れ風は吹かんと欲する所に吹く、汝其声を聞く、然れども其、何処より来り、何処に往くを知らず、霊に由て生まるゝ者はすべて斯の如し、と。(約翰伝三章一−八節、自訳なり anothen は「新たに」とも又は「上より」とも訳するを得べし)。
(376)  神は霊なれば彼を拝する者は霊と実とに於てせざるべからず。仝四章廿四節。
  我れ曰ふ、汝等霊に由て歩むべし、然らば肉の慾を成すこと莫らん。加拉太書五章十六節。
 聖書に従へば人に三つの性がある。帖撒羅尼迦前書五章廿三節。
 其第一は肉(Flesh)である、人は肉に由て物質的宇宙と繋がる、彼は肉に在て食ひ、飲み、育ち、殖える、肉に在て彼は禽獣と運命を共にする、肉なる彼は塵より出て塵に還り、獣と共に地に降る。伝道之書三章廿、廿一節。
 其第二は霊(Spirit)である、人は霊に由て神と繋がる、彼は其処に神に接し、彼と交はる、霊に在て彼は時間空間の制限を脱し、其処に死あらず哀み哭《なげ》き痛み有ることなし、霊に在りて彼は全く禽獣と異なり、天に在る天使の如く、娶らず、嫁がず、循つて嫉み、※[女+昌]《そね》み、争ひ、闘ふことなし、霊なる彼は実《まこと》に神に象られて造られし者である。馬可伝十二章廿五、廿六節。
 其第三は自我(Self)である、或ひは之を霊魂(Soul)と称す、人が自己を自覚する所である、彼の意志の所在であつて、善悪上下の定まる所である、自我の上に霊が有り、其下に肉がある、人の自我に於て霊界は物界と接し、二者の連結と調和とは之に依て司どらる。
 如斯くにして人も亦神に似て三位一体である、彼の中に三性がある、肉があり、霊があり、自我がある、彼は肉である、然れども肉のみでない、霊である、然れども霊のみでない、自我である、然れども単独の自我でない、人は小宇宙であつて、三性の一体となりて実在する者である。
 而して人の運命は以上三性の相互の関係如何に依て定まるのである、自我は単独にして在ることの出来る者でない、其れは霊肉孰れかに其本拠を定めなければならない者である、霊に於て在らん乎、肉に於てあらん乎、是(377)れが自我の前に提出さるゝ恒久の問題である、而して自我が其本拠を霊に於て定むる時に向上があり、肉に於て定むる時に堕落があるのである、向上と云ひ、堕落と云ひ、問題は至て重大であるが、然し事は至て簡単であるのである、向上と云ひて天の高きに昇るのではない、我と自から我が自我を我が内なる霊の内に置くことである、堕落と云ひて地の低きに降ることではない、我と自から我が自我を我が内なる肉の内に置くことである、昇ると降ると生くると死ぬるとは我が内に於て定《きま》ることである、人なる小字宙の内に三層の天もあれば亦地下の陰府もあるのである。
 而して人類の始祖がエデンの園に於て悲むべき堕落を遂げたと云ふは全く此事である、即ち人が其自我を肉に移したと云ふことである、茲に彼は特に肉と成つたのである、
  ヱホバ曰ひ給ひけるは我霊永く人と争はじ、そは彼も亦肉なればなり、彼の日は百二十年なるべし、
と(創世記六章三節)、是れ堕落後の人に対して神の懐かれし思想であつた、人類は始祖の堕落に由て肉と化し去つたのである、即ち彼の霊は顧みられずして、彼は自から択んで其自我の本拠を彼の肉に移し、其結果彼は野の獣と空の烏と性を同《とも》にする者となつたのである、即ち彼も亦彼等の如くに肉となつたのである、茲に於て神が其霊を以て人と争ふも無益と成つたのである、人は堕落に由て肉塊と化した、彼の霊は全く疎ぜられ、彼の意嚮《インテレスト》は全く彼の肉に注集せらるゝに至つた、茲に於て彼は向上、発開、永存の特権を失ひ、永久なるべき彼の生命は僅々百二十年に減ぜられたのである、自我の本拠を肉に移して、人は単に動物の最も進化したる者となつた、彼の文明は如何に進歩するも、彼は唯
   亡び失する獣の如し
(378)である(詩篇四十九篇十二節)、肉なるが故に
   過去れば再び帰り来ぬ風
に等しき者となつた(仝七十八第三十九節)、而して一たび肉を其本拠と定めて以来、人は之を離るること能はず、時に不朽の霊の猶ほ彼の有として存するを思出し、
   我が霊魂(自我)は塵に着きぬ
   汝の言《ことば》に循ひて我を活し給へ
と叫びて、神に離脱を懇求《もと》むると雖も(仝百十九篇二十五節)、肉は其慾を以て彼を縛り、彼を※[手偏+虜]《とりこ》にして、彼が欲する所を行はざらしむ、誠に肉となりし人は「困苦《なやめ》る人」である、人にして人に非ず、昇り得るの資格を具へながら、常に蛇の如くに腹行ひて一生の間塵を食ふ(創世記三章十四節)、人類の歴史に底なき矛盾の存するあるは人が肉となりて己れに矛盾したる者となつたからである。
 然しながら人は永久に斯くあるべき者でない、
   人の衷には霊あるあり
   全能者の気息彼に了解を与ふ
とある(約百記三十二章八節)、人は始めに土の塵を以て造られ、後、神、其鼻に生気(霊)を嘘入《ふきい》れ給ひたれば人は即ち生霊となりぬとある(創世記二章七節)、人は堕落に由りて肉と成れりと云ふも彼は霊を失つたのではない、唯、彼が之を去りしが故に、神も亦之を離れ給ひて、霊は今や彼に在りて永き間の廃棄の結果、無きに等しき者となつたのである、茲に於て彼に新たに、又は上より、霊に由て生まるゝの必要があるのである、肉の勢力が挫(379)かれ、神の霊は新たなる力を以て人の霊に降り、之を其睡眠的状態より起し、以て茲に人の再生を催す必要があるのである、或ひは之を再生と称するは文字通りに事実でないかも知れない、そは霊は人の衷に在りて堕落と共に全く消滅に帰しなかつたからである、乍然、人が実際に感ずる点に於ては此は確かに再生である、彼は彼の失ひし霊を復び挽回したのであつて、彼は此処に彼の失ひし霊なる父に会ひ、アバ父と呼びて彼と交はることが出来たのである。
 而して此再生たるや人が欲んで起すことの出来るものでない、肉に由りて生まれし者はドコまでも肉である、彼は庶民の上に立ち、階級を異にし位を高くするも、肉に由て生まれし者は自己を肉以外の者となすことは出来ない、彼は又俗を避け、哲学の冥想に一生を送るも肉に由て生れし彼は自己を肉以上の者と成すことは出来ない、彼れ又世を去て宗教に入り、監督となり、牧師となりて、伝道説教に日も亦足らずと雖も、肉に由て生れし彼は自から欲んで己を肉以上の者となすことが出来ない、肉の区域は広くある、淫縦も肉である、酔酒も肉である、傲慢も肉である、詭譎も肉である、而して位階も、学識も、修養も、宗教も、肉に由て生れし人を肉以上の者と成すことが出来ない、実にイエスの眼より見て、ユダヤ人の宰にしてイスラエルの師なりし、パリサイのニコデモですら肉の人でありしことを知りて、人の階級も宗教も彼をして肉以上の者たらしむることの出来ないことが判明る。
 斯くあるが故に人は新たに上よりの霊に由りて彼の霊に於て生るゝの必要があるのである、而して今日まで肉に置きし自我を今は之を霊に移し、此処に霊なる神と繋りて、自身も亦霊なる者、即ち神の子となるの必要があるのである、而して人は「水と霊とに由て生れざれば天の国を視る能はず」と云ふ、「水」とは教会の唱ふるが如(380)く洗礼ではない、教会が洗礼を以て表はさんとする肉の死である、身を水に浸すが如く、肉を地に葬ることである、即ちパウロの言ひしが如く、肉を其すべての慾と共にキリストと偕に十字架に釘けることである、「水」は肉の埋没の表号である、而して是れが再生の一面であるのである。
 而して再生の他の一面は「霊」である、神の霊が人の霊に臨みて之を活かすことである、神は霊であるから直に人の霊に於て働らき給ふ、前にも述べた通り人の霊は神の霊との接触点である、此処に神は人に臨み人は神を迎へ奉るのである、
  神は重なれば彼を拝する者は霊と実《じつ》とを以てせざるべからず
とは此事である、人に在りては肉に死して霊に活んとし、神にありてはキリストの死を以て肉の勢力を挫き、其聖霊を以て人の霊に臨み給ひて茲に人の再生は行はるゝのである、即ち茲に旧き人は死し新らしき人は生まるゝのである、語を換へて曰へば其自我は茲に始めて肉を去て霊に移るのである、茲に真正の向上が行はるゝのである、単に思想上の向上ではない、又単に向上の決心ではない、事実上の向上である、茲に人は上より新たに生まるゝのである、事実に於て霊の人、新らしき人と成るのである。
 斯の如くにして事は人の衷に於ける自我の本拠の移動である、而して其区域の狭小なるを見て、人は之を小事と見做すのである、然しながら是れ決して小事でない、人に関はる事にして之に優りて大なる事はないのである、キリストの曰ひ給ひしが如く
  人、若し全世界を得るとも其霊魂(自我)を喪はゞ何の益あらんや
である、人の永遠の運命は彼が其霊魂(自我)を肉に於て置く乎、霊に於て置く乎に由て定まるのである、之を肉(381)に置て全世界を彼の有となすとも彼は死んだ者である、而して之を霊に置て神と繋りて彼は永遠に生くるのである、而して偉人と云ひ、聖人と云ふは他の者ではない、肉に死して霊に生くる者である、之に反して霊に死して肉に生くる者は富者も権者も智者も勇者も神の眼より見てすべて憐むべき小人である。
 而して此世は誠に肉の世である、其日々の新聞紙の報ずる所はすべて悉く肉の事である、其政治は肉の事である、其外交は肉の事である、其経済は肉の事である、其実業は肉の事である、其科学は肉に関する科学である、其哲学は主として肉情肉慾に関する研究である、而して其宗教すらも多くは肉の勢力を張り、肉の救済を講じ、心の修養と称して実は肉の状態を改むる事である、誠に今に至るも人は純然たる肉である、其語る所、思ふ所、計る所、争ふ所、望む所はすべて悉く肉である、人の衷に霊ありと雖も、彼は肉ありて霊なきが如くに働く者である。
 而して此肉の世に在てキリストの福音のみは霊の事である、之れのみは肉に関係無きことである、肉に関係なきのみならず、肉に逆ふことである、
  肉の欲は霊に逆らひ、霊の欲は肉に逆らひ、此二つのもの互に相|敵《もと》る
と(加拉太書五章十七節)、又
  汝等世を友とするは神に敵するなるを知らざる乎、世の友とならん事を欲ふ者は神の敵なり
と(雅各書四章四節)、神はキリストに在りて福音を以て我等を生み給ふ、人を霊に於て活かすに於て福音は宇宙唯一の能力である、之を除いて他に人に霊の生涯を供する者はない、キリストを知らずして人は霊の何たるかをさへ知らない、誠に主イエスキリストは霊の宇宙である、漠たる精神界ではない、確たる霊の世界である、之を(382)語るに止むを得ず肉の言を以てするなれども、然し事は肉の事ではなくして霊の事である、キリストは誠に霊の食物であり又其|飲料《のみもの》である、イエスがユダヤ人に向つて
  誠に実に汝等に告げん、若し人の子の肉を食はず、其血を飲まざれば汝等に生命なし
と曰はれしと聞て我等誠に彼を食ひ且つ飲みし者は少しも其言を怪まないのである。
 而して福音を以て霊に於て生くるを得て、人は始めて人らしき人となるのである、斯くして彼の自我と霊とが救はるゝに止まらない、彼の肉までが救はるゝのである、人は神に似て霊たるべき者であれば、彼は霊に生れて始めて完全なる者となるのである、其時彼の肉は彼の主たらずして彼の僕となるのである、肉を服《したがへ》へるの点より見るも人は霊に在りて生くるより他に善き途はないのである。
 故にパウロは曰ふ
  汝等笠に由て歩むべし、然らば肉の慾を成すこと莫らん
と、道徳を以て肉の慾を抑ふることは出来ない、霊に於て霊なる神に接し、此処に新たなる霊の宇宙に霊の生涯を始むるに方て、肉は自づと其勢力を挫かれ、霊は自づと其善き果を結ぶに至るのである。
       *     *     *     *
 人は霊、我、肉の三性である、我を肉に置て彼は無限地獄に陥るの危険がある、之を霊に置て彼は三階の天に昇るの希望がある、悪魔は肉に拠りて彼を下に誘はんと努めつゝあり、神は霊に宿りて彼を上に召さんと為し給ふ、危機一髪とは実に人の生涯である、彼の小なる胸の中に人類の運命に関はる最大戦争は常に闘はれつゝあるのである。
 
(383)     ルーテル伝講話
         旧教国と新教国(九月二十五日夜柏木ルーテル館に於て)                    明治43年10月10日−44年6月10日
                    『聖書之研究』124−131号
                    署名 内村鑑三
 
 今晩よりルーテル伝に就てお話し致さうと思ひます、而して今晩は先づ旧教新教の別に就てお話し致さうと思ひます。
 基督教国ならぬ日本に於きましては旧教新教に就て多くの間違つたる思考が行はれて居ます、曾て或る知名の文学士が此事に就て述べたことがありますが、彼の言に依りますすれば、旧教新教とは基督教の二大教派であつて、旧教とは聖書の中の旧約聖書を経典として奉ずる者であり、新教とは其中の新約聖書に依て立つ者であるとの事でありました、若し此文学士が此事を巴理か倫敦に於て述べましたならば、彼は再び文壇に立つことを許されまいと思ひます、然し日本では斯かる事を唱へましても彼は別に無智無学の譏を受けないのであります、基督教の事に関しては日本人の智識はまだ至て浅いと言はざるを得ません。
 言ふまでもなく旧教とは羅馬天主教のことをいふのであります、而して新教とは所謂プロテスタント教のことをいふのであります、而して其の他に露国に於て行はるゝ所謂希臘教がありまして、其創設の時代より言ひます(384)れば、是れ又旧教と称すべき者でありますが、然し、普通旧教と云ひますれば所謂「西方教会」即ち羅馬天主教会の奉ずる基督教を指して云ふのであります。而して之に反対して立つた者がプロテスタント教即ち新教であります、前に在つたが故に之を旧教と云ひ、後に起つたが故に之れを新教と云ふのであります、旧教、新教の名称は基督教国に於て有る者ではありません、誰が始めた訳語であるか判明りませんが、然し日本に在ては今や一般に用ひらるゝ名称となつたのであります。
 扨、旧教とは何を主として立つ宗教である乎、而して新教とは之に対して如何なる事を主張する宗教である乎、其事は至て難い問題でありますから、後日にお話致すことと致しまして、今日は誰にも克く判明る地理学上の旧教国并びに新教国の区別並に状態に就て申上げやうとおもひます。
 諸君の克く知らるゝ通り世界は之を基督教国と非基督教国との二区に分つことが出来ます、而して日本と土耳古とを除くの外は文明国と称する国はすべて悉く基督教国に属するのであります、土耳古を除いたる欧洲大陸、南北両米大陸、並びに濠斯太刺利亜大陸は悉く基督教国に属するのであります、故に文明世界是れ基督教国と云ふも敢て過言でないのであります、基督教国勿論キリストの福音の完全に行はるゝ所ではありません、然しながら、何れにしろ此罪悪の世界に在て比較的に善良なる其最大部分は是れ基督教国であるのであります。
 而して基督教国も亦之を明白に二分することが出来るのであります、其一部分が旧教国、其他の一部分が新教国であります、之を二者の地位より云ひますれば、旧教国は南方に位し、新教国は北方に在ります、伊太利、墺地利、仏蘭西、白耳義、西班牙、葡萄牙、是等は旧教国であります、独逸、和蘭、丁瑪、那威、瑞典、英吉利、是等は新教国であります、而して欧羅巴以外に於きましては、加奈太、北米合衆国並に濠洲諸邦は英国人の支配を受け、又は始めに英民族に由て植民されし者でありますから新教国であります、墨其西哥、中央亜米利加並に南米諸邦は西班牙人並に葡萄牙人の植民を以て始まりし者でありますから旧教国であります、其他に霧国並にバルカン半島諸邦の希臘教を奉ずる者がありますが、然し、是れはルーテル伝を講ずるに方ては直接の関係の有る国でありませんから茲には述べません、又今や阿弗利加大陸の南部が有力なる新教国として勃興しつゝあることを我等は忘れてはなりません。
 今、単に数の上より言ひますれば世界に於ける基督信者の数は四億余であり、其中、二億が旧教徒であり、一億二千万が新教徒であるとのことであります、単に此世の勢力として見ましても、旧新両教国は絶大の勢力であります。
 地理学上、斯くも明白に区分されたる旧新両教国は其目下の状態に於ても又明白に之を両分することが出来ます、旧教国必しも悪しき国にあらず、新教国必しも善き国にあらずでありますれども、然し二者の間に明白なる差別のあることは何人も認むる所であります、其面積と人口とに於て略々相似たる和蘭と白耳義とを較べて見まして、二者の間に其文明の性質に於て現然たる相違のあることが判明ります、殊に国相|遠《とうざか》り、民相異なりたる西班牙、蘇蘭土の如き例を取て見ますれば、旧新両国の民が其の過去現在に於て如何に経歴を異にして居るかゞ最も明白に解ります、西班牙は過去四百年間に渉り旧教の最も忠実なる戦士でありました、之に反して蘇蘭土は新教の生みし子と称しても可い程であります、而して二者今昔の状態を較べて見まして其間に霄壌も啻ならざる差異《ちがひ》のあることを見るのであります。
 四百年前の西班牙は世界の最大強国でありました、其領土は文明世界の半ばを占め、循て其国威は全欧洲を圧(386)し、今日の英国と雖も当時の西班牙に及ばざること遥かに遠しと謂はざるを得ません、而して単に其兵力と権力とを以てのみならず、其美術と文学とを以て当時の西班牙は世界の教道者でありました、美術家としてはヴエラスケー(Velasquez)あり、ムリロー(Murillo)あり、文学者としては有名なる「ドンキホテー」の著者セルバンテース(Cervantes)あり、ローペ・デ・ヴエーガ(Lope de Vega)あり、カルデロン(Calderon)ありて一時は全世界に轟いた者であります、今でこそ西班牙人と云へば人は殆んど之を顧みませんが、然し今より三百年前に於きましては西班牙人は世界の恐怖と尊敬とを惹いた者であります、其精力に於て、才能に於て、現に宗教的熱心に於て世界に第一位を占めし此国民が僅か二三百年の間に殆んど見る影もなきまでに衰退したのを見まして是には何か深い原因がなくてはならないことを我等は思はざるを得ないのであります。
 西班牙に較べて蘇蘭土を見て御覧なさい、四百年前の蘇蘭土は未開国でありました、其富と文明の程度に於て蘇蘭土は西班牙に比較ぶべくもありませんでした、然るに今日に於ける此北方の不毛の国と其民との状態は如何であります乎、其耕地と云へば僅に七千五百方哩に過ぎず、其人口と云へば僅かに五百万に足らずして、此国と民とは「世界の教師」の地位に立つのであります、単に此国が近世に於て産せし世界的人物を算へて見ましても、其如何に偉大なる国柄である乎が解ります、過去二百年間に於て哲学者としてはヒユームを産じ、詩人としてはバーンスを生み、経済学者としてはアダム スミスを供し、探険家としてはリビングストンを出し、思想家としてはカーライルを産じ、科学者としてはウイリヤム・トムソンを生み、其他思想界に、科学界に、宗教界に、蘇蘭土が産せし世界的人物は実に夥多《おびたゞし》い者であります。
 西班牙と蘇蘭土とを較べて斯の通りであります、伊太利と独逸とを較べて又其通りであります、仏蘭西と英吉(387)利とが其通りであります、墨其西哥と合衆国とが其通りであります、南米諸邦と濠洲諸邦とが又其通りであります、新教国は進歩を代表し、自由を代表し、振興を代表します、之に反して旧教国は退歩にあらざれば渋滞を代表し、圧制にあらざれば拘束を代表し、不振にあらざれば沈静を代表します、基督教国を二分して旧新両教国の相違は実に判然たる者であります。
 何にが斯くあらしめたのでありませう乎、人種でありませう乎、気候でありませう乎、歴史家バツクルの如きは歴史はすべて気象学的に解釈することが出来ると言ひます、然し其原因の人種や気候に於て無いことは歴史の研究に由て克く解ると思ひます、私は其原因は民の宗教に於てあると思ひます、而して宗教と云ひて儀式や宗義を謂ふのではありません、其人生観を謂ふのであります、人生に対して民が如何なる思考を懐く乎、是れに由て其運命が定まるのであります。
 而して基督教国に此二大差別をあらしめし其最大勢力はマルチン・ルーテル其人であつたのであります、若し人類の歴史は偉人の伝記であると云ひますならば、基督教国過去四百年間の歴史は実にルーテルの伝記であります、ルーテルを離れて世界近世史を論ずることは出来ません、ルーテルの事業は経となり緯となりて人類の歴史の中に織込まれてあります、新教はルーテルを以て始まつた者であります、彼の霊魂の中に始まつた者であります、ルーテルの霊魂の中に大変化の起りし時に、人類の歴史に新紀元が開かれたのであります、歴史上の大事件とは他の事ではありません、一人の人が光明を認めた事であります、其時に大国家は起り、大思想は胚まれ、大事業は始まつたのであります、我等はルーテル伝を研究して我等各自の偉大なることを悟るのであります。
 而して又ルーテル伝の研究は今日の日本に何の関係もないことではありません、我国維新の開国の元々内より(388)始まりし者にあらずして外より促されて成りし者であることを知る者は、其遠き原因を欧洲の宗教改革に於て発見せざるを得ません、若し改革の結果として和蘭が起らず、又改革の余波として北亜米利加に大共和国が起らざりしならば如何でありましたらふ、若し西より希望峰、印度を経て和蘭が来らず、東よりカリホルニヤを経て亜米利加が訪ひませんでしたならば、日本国は果して独り自ら立て其門を開いて世界の人を迎へたでありませう乎、縦し又日本国は独り自から其国を開いたとして其自由思想と進歩科学とを欧米の自由国に負ふ所なくして独自から剏むる事が出来ましたらふ乎、若し日本国は英国に負ふ所があり、米国に負ふ所があり、和蘭に負ふ所があり、独逸に負ふ所がありと言ひますならば(而して日本国は是等の新教国に負ふ所なしとは如何しても言へまん)、日本国はルーテルに負ふ所なしとは如何しても言ふことは出来ません、世界の偉人たりしルーテルは独逸人の有《もの》のみでありません、又日本人の有であります、ルーテルは今日既に日本人と浅からぬ関係を有つ者であります、而して今日以後、日本人が世界の文明を消化すればする程、彼と我等との関係は一層深くなるのであります。
 然し日本人全体の事は今は措て問はざる事と致しまして、我等日本の基督信者とルーテルとの関係は実に深い者であります、我等の信ぜし基督教は主としてプロテスタント教でありまして、是はルーテルを以て始まつた者であります、勿論所謂新教は悉くルーテル教ではありません、英米の基督教はルーテルよりも寧ろカルビンに近い者であります、殊に英国監督教会(所謂聖公会)の如きは自身ルーテルには何の関係も無き者であると称して、却て彼に反対します、然しながら新教の発起者のルーテルでありしことは何人と雖も否むことは出来ません、ルーテルの欠点を摘指して、彼より新教|創剏《さうじん》の名誉を奪はんと欲する者は真理に対して甚だ不忠なる者であります。
(389) 殊に私自身に取りましては、ルーテルは深い直接の関係のある者であります、私に取りましてはルーテルは歴史的人物ではありません、個人的友人であります、主イエスキリストを除て、私の心に最も近い者は使徒パウロと聖アウガスチンとルーテルとであります、是等の三人が無くして私は今日あるを得ませんでした、私の霊の生涯は彼等に傚つて始つた者であります、殊に三人の中でルーテルは時代的に最も近い者でありますが故に、私は彼に対し特別の親密を感ずるのであります、
  義人は信仰に由て生くべしとなり、福音に由りて神の前に立て我等に有効なる義は示されたり、即ち神は恩恵と単純の慈悲よりして、信仰に託りて我等を義とし給ふとなり、
 ルーテルより斯かる言を聞いて私も亦罪の重荷を脱し憚らずして恩恵《めぐみ》の座に近づくことが出来たのであります、勿論神学上の瑣細の点に於ては私はルーテルに服従することは出来ません、然しながら福音の真髄に就ては私は全然之を彼より学ばざるを得ません、クリスチヤンとしての私はルーテルの友であり、其弟子であり、又其兄弟であります、私は心の奥底に於て彼と実験を共にする者であります、故に私に取りましては、ルーテルに就て語るは多くは私自身に就て語ることであります、彼と私との間に大小の差はあります、乍然、生命の泉をイエスキリストの十字架に於て求むる要点に於きましては彼と私とは全然一致します、私も亦二十世紀の今日、東洋の日本に於て小なるルーテルたらんと欲する者であります。 〔以上、10・10〕
 
     ルーテル以前の改革者 (十一月二日夜柏木ルーテル館に於て)
 
 ルーテルの時に於きましても今の時に於きますが如く教会と云ふ厄介物がありました、如何にして教会を改革(390)せん乎とは、彼の時に於きましても、今の時に於きますが如く、志士の心と識者の脳を悩せる大問題でありました、世に腐れ易き者にして教会の如きはありません、之れは生魚の如き者でありまして、其新鮮なるは只の束間であります、教会は成れば直ぐ腐る者であります、教会が在て其腐らない時は未だ曾て無いのであります、基督教会の起らざりし前、ユダヤ人の教会は既に腐敗を極めたのであります、神は予言者を以て其当時の教会信者を責めて曰ひ給ひました、
  汝、盗人を見れば之を可《よし》とし
  姦淫を行ふ者の伴侶《かたうど》となれり
と(詩篇五十篇十八節)、而して基督教会の現はるゝや否や、アナニヤ、サツピラの如き偽善男女は直に其中に起り(行伝五章)、監督制度の設けらるゝや否や、酒を嗜み、人を撃ち、財を貪る監督と執事とが其中に現はるゝに至りました(テモテ前書三章)、今の信者は初代の教会と云ひますれば実《まこと》に愛心充ち、正義溢るゝ所でありし乎のやうに思ひまするが、然し事実は其正反対でありました、近頃歴史の研究に由て、初代の教会の相も変らざる腐敗の巣であつた事が明瞭に成つて来たのであります、アムブロースとか、クレメントとか、クリソストムとか云ふ所謂教会の祖父《パトリアークス》が教職に在りし頃に基督教会は業に已に非常に腐敗して居りました、其中に賄賂は盛に行はれました、教職は公けに売買されました、教会の勢力は俗人の手に帰しましてクリソストムの如き名士ですら二度まで其数職を奪はれ、終に追放の身となりて流人の死を遂げました、教会は最初其草創の時より義人を殺す者であります、其れが基督教会と成りたればとて其本来の性を変へませんでした、使徒の時既に然り、使徒の継承者たりし教父の時既に甚しく然り、ルーテルの時に至りて更らに甚だしく然り、而して今の時に至りて尚ほ然り(391)であります、曾て英国々教会の監督ウエストコットが曰ふたことがあります、
  基督教会はコンスタンチン帝の時に(紀元三一二年)一たび世と結びてより以来今日に至るも尚ほ未だ之と絶つ能はず
と、まことに教会は世を改むるための者であると称れますが実は世に改められるための者であるやうに思はれます、教会は人を改むるのではなくして、人は教会を改めんとし、其憎む処となり、時には其殺す所となりて、自
己の救済《すくひ》を完うするのであると思ひます、言を更へて云ひますれば、教会は救済の機関ではなくして迫害の機関であります、縦し人を救ふと致しましても、救はんと欲して救ふのではありません、殺さんと欲して救ふのであります、人の怒は神の義を行ひませんが、然し、多くの場合に於ては神は人の怒を以て己が義を行ひ給ひます、神は教会の存在を許し給ひて、之を以て己が愛子の信仰を磨き、苦難の中に彼等を天の栄光に導き給ひます、教会の用は全く茲に在るのであると思ひます。
 ルーテルの時代に於ける教会の腐敗と云ふものは実に言語同断でありました、其頃地上に於けるキリストの名代として羅馬の法位に坐りし者は多くは敗徳乱倫の人でありました、其代表的人物とも称すべき者は有名なるアレキサンドル第六世でありました、彼は独身生活を標榜せる僧侶階級の首長でありながら、自身四人の男子と一人の女子とを設け、之に高位を授け、高禄を与へ、一家挙りて此世の栄華に耽りました、彼の寵児をシーザー・ボルジヤと云ひました、佞奸極まる人でありまして悪と云ふ悪は一つとして行はざることなしと云はれた人であります、然るに彼は彼の父の教権の下に立てバレンザの大僧正の聖職に就き、又法王廷内閣員の首席に坐して、父と共に教権を擅にしました、父子共謀して一僧正を毒殺せんとし、誤ちて自から其毒を飲み、父は死し、子(392)は纔に死を免かるゝことを得たとの事であります、然も斯かる人がキリストを代表して教会を治め、教会も亦彼等を戴いて敢て自から改めんとしなかつたのであります、以て其の腐敗の程度を推量ることが出来ます、其他ヨハネ第廿三世の如き、シツクスタス第四世の如き、イノセント第八世の如き、ジユリウス第二世の如き、パウロ第三世の如き、何れも似たり寄たりの法王でありました、彼等は其実子を甥と称しました、而して甥を庇保《かば》ふと称して其の実子に高き教職を授けました、nepotibm なる辞は之より起りました、即ち甥贔屓の意でありまして、今は「親戚推薦」を意味する辞であります、ルーテル時代の法王大僧正等が其私生児を甥なりと称して之を顕位に即かしめしより起りし辞であります。
 此時に又|赦罪券《インダルゼンス》なる者が盛に販売されました、赦罪券は羅馬法王庁の発行にかゝる者でありまして、之を購ふ者は教会の課する懲罰を免かるゝを得、更らに進んでは来世に於て受くべき刑罰を免かるゝを得べしとのことでありました、而して迷信に沈める当時の欧洲人は争つて之を購ふたのであります、故に羅馬法王庁に於て何にか募金の必要を感じまする時には必ず此赦罪券を発行したのであります、甚しきに至つては或る法王の如きは其私生児の嫁入仕度の費用に当んために此赦罪券を発行したとのことであります、後日ルーテルをして終に黙する能はざらしめし者は実に此赦罪券発行の悪事でありました。
 法王監督が斯の如くでありました故に其余の事は推して知るべきであります、而して如何にして教会と云ふ此暗らき団魂《かたまり》を改めん乎、是れが聖徒と識者との心を悩ます問題であつたのであります、今日の日本に在ては基督教会の腐敗は社会全体の上より見て至て小事であります、之に由て直接の害毒を蒙る者は十万足らずの所謂信者に過ぎません、又数百万の信徒を有すると云ふ仏教の真宗又は曹洞宗が腐敗を極むると雖も是れ又国民全体に取(393)りて深く痛痒を感ずることではありません、日本には未だ国民的宗教なる者は無いのであります、然るにルーテル時代に於ける欧羅巴に於ては宗教と云へば唯一つの外に無かつたのであります、それは即ち基督教でありました、教会と云へば唯一つの外に無つたのであります、それは即ち羅馬天主教会でありました、是は又単に独逸、伊太利、仏蘭西と云ふやうな国民の宗教であつたに止まりません、全欧洲の宗教であつたのであります、露西亜と土耳古とを除きまして波蘭土以西葡萄牙に至るまで、伊太利以北那威瑞典に至るまで、其当時の文明世界は斉しく此宗教を奉じ、此教会に属したのであります、若し外面の一致が基督教の理想でありますならば其時此理想は此世に実現したのであります、其時実に全欧洲を通して
  信仰一つ バプテスマ一つ
であつたので有ります、其時英国人も、仏国人も、独逸人も、西班牙人も、伊太利人も、墺地利人も、皆な同一の法王を戴き、同一の教会条例の下に彼等の信仰的生涯を送つたのであります、其時、欧羅巴人は挙て羅馬天主教会の信者であつたのであります、故に其時に於ける基督教会の腐敗は害毒を全欧洲に流す者でありました、欧洲人の宗教的信仰は勿論、其政治、経済、文学、芸術までが腐敗の影響を蒙つたのであります、故に問題は単に教会改革ではなかつたのであります、欧洲改革であつたのであります、如何にして全欧洲の社会を其根底に於て改めん乎、是れが問題であつたのであります。
 茲に於てか多くの改革案が講ぜられました、或ひは内よりせんとするもあり、或ひは外よりせんとするもありました、而して其中最も際立て見えし者は外よりする教会の攻撃でありました、ペトラーク、ポツカチオ、ダンテ、エラスマスなど云ふ文豪は筆を揃へて僧侶の腐敗を攻撃しました、又ルーテルに先づる百五十年前、英国に(394)於てはジヨン・ウィクリフは羅馬教会に対し公けに叛旗を翻へし、其迷信堕落を曝露して憚かりませんでした、又ボヘミヤ国に於てはジヨン・ハツス起り、改革を主張して終に焚かるゝために其身を予へ、新教最初の殉教者として大いに後進の奮起を促しました、独逸国に於てはジヨン・ヴェツセル起り、ルーテルに先じ彼の唱へしと殆んど同一の教義を唱へ、以て彼国に於ける改革の地盤を作りました、又伊太利に於てはサボナローラ起り、彼れ又殉教の火に其身を焚かれて其霊を幾多後進の徒に頒ちました、斯の如くにして筆を以てし又口を以てして、教会攻撃は欧洲各地に於て行はれました、然れども死せる教会の屍《かばね》は復活すべくもありませんでした、醜漢は依然として其教権を握り、暗黒は依然として欧洲全体を蔽ひました。
 外よりせんとせし改革に対し内よりせんとする改革がありました、悪魔は終に教会を占領し、深き暗黒は全地を蔽ひ、其廓清は終に望むべからずとするも、其中にありて独り心の清浄を保ち、神と交り、人を愛するを得べしとは其当時の人の多くが懐きし観念でありました、茲に於てか多くの神秘家が現はれました、神秘家とは直接に神と交はらんと欲する者であります、教会や監督の媒介を経ずして、直に神に到らんと欲する者であります、敢て教会の廃止を計るにあらざれども実際的に教会を無用ならしめんと欲する者であります、教会が腐敗して其用を為さざるに至つて、斯かる輩の現はるゝは怪むに足りません、宗教の目的は神と交際するにあります、而して教会の目的は此聖なる交際を助くるにあります、而して教会が此交際を助けざるのみならず却て之を妨ぐるに至つて、茲に教会に由らずして直に神に達せんと欲する者が出づるのであります、而して神秘家は儀式、神学等を全く離れて、教会が少しも干渉する能はざる所に於て、即ち霊の奥殿に於て、独り静かに神の霊に接せんと欲するのであります、而してルーテル在世当時、又其以前に於て教会の腐敗に堪え得ずして、斯かる輩が続々とし(395)て現はれたのであります、其中、最も広く世に知れ渡りたる者は有名なる『基督の模範』の著者なるトーマス・アー・ケムピスであります、彼は独逸国デッセルドルフ市附近ケムペンに於て生れ、長じて和蘭人ゲラード・グロートなる人の設立にかゝる「共同生活団」に入り、其忠実なる一員として静粛の生涯を送りました、彼の著書に由て当時の神秘的思想の如何なる者なりし乎を覗ふことが出来ます、
  汝の心にして義しからん乎、然らば万物は汝に取り生命の鏡たるべし、又聖き教訓の書たるべし。
  万物は神の愛に関してのみ意味あり、神の愛にして心に宿らざらん乎、聖書も哲学も何の益する所なし。
 『基督の模範』は斯かる言を以て充ちます、此書よりして改革者ルーテルも、文豪ジヨンソンも、哲学者ライブニツツも、科学者ラゴーチンも、将軍ゴルドンも大に得る所がありました、世に聖書を除いて此書ほど多く読まるゝ書はありません、幸にして日本語を以てしても一二の翻訳があります、諸君は之に由て、ルーテルの改革以前、欧洲人の心に清きキリストの心をつぎ込みし神秘教の泰斗ケムペンのトマスの心を窺ふべきであります。
 トマス・ア・ケムピスの外にヨハン・タウレルがありました、彼は有名なる Theologia Germanica の著者としてルーテルが世に紹介した者であります、タウレルが此書の著者でないことは後で分明りました、然し此書がタウレルの属せし「神の友」なる神秘的団体の思想を表はす者であることは確実であります、ルーテル自身が此書に就て言ひました、
  聖書と聖アウガスチンの書に次で此書ほど神に就き、キリストに就き、人類に就き、万物に就き、余に教へし書はあらず、
と、以てルーテル自身が如何に其当時の神秘家に負ふ所がありし乎を察することが出来ます、タウレルの外に彼(396)の先導者なるエックハルトがありました、又「神の友」の設立者なるバーゼル市のニコラスがありました、又和蘭人にして有名なるヨハン・ルイスブレークがありました、其他に又種々の神秘的団体がありまして、其当時の教会と名義上は関係を絶たずして、実際上は之と全く離れて信仰的生涯を送りました。
 一方に神秘家の起るありて教会に依らずして直接に神と交はり、其信仰的生涯を送らんとするあれば、又他の一方には教会の教義に耳を傾けずして、直に神の言なる聖書に就き、茲に法王、監督、僧侶の輩の口を経ずして直に神の教示に接せんとせし聖書的信者とも称すべき者がありました、是れ又確かに教会の腐敗に伴ふ現象の一と云はざるを得ません、教会は真理を伝へず、故に直に真理の源たる聖書に到り、茲に其清き流に飲まんとは何人にも起る思想《かんがへ》であります、而して斯る思想より起つた者が有名なるワルデンス派でありました、仏国リオンの市《まち》の商人ペテロ・ワルドーなる人を以て始つた一派でありまして、終には伊仏両国に拡り、到る処に聖書の研究を奨励し、改革の土台を据へました、教会の神学に頼らずして聖書に頼りて人は自由たらざらんと欲するも得ません、ワルデンス派の人々は聖書に学びて自づと教権を信者各自に於て認むるに至りました、後日に至りルーテル、ツウィングリ等が唱へし自由主義は十二世紀の末つ頃、既にペテロ・ワルドーの唱へし所でありました、前に述べましたウィクリフ、ハッス、ウェツセル等も直接に系統をワルデンス派より引かないと致しまして、其唱へし所は矢張り聖書に頼つたのでありまして、彼等も亦聖書的信者の階級に属する者であります。
 ルナサンス即ち文学復興が宗教改革の先駆として力ありしことは人の能く知る所であります、英国に在りてはコレーとモアー、大陸に在りてはロイクリンとエラスマス、彼等は此新運動の知名の代表者でありました、トマス・モアーは有名なる「ユートピア」即ち「理想国」の著者であります、彼は此著を以て社会万般の改革を唱へ(397)しと同時に、特に新社会に於ける宗教の何たるべき乎に就て述べました。
 斯の如くにして教会の改革はすべての方面より唱へられました、文学の方面より、信仰の方面より、聖書の方面より、社会組織の方面より、同一の問題は攻究せられました、然しながら人が欲望して止まざりし改革其物は挙りませんでした、教会は改めざるべからずとは何人も唱へし所でありました、乍然何人も之を改め得ませんでした、事は余りに重大でありました、志士の絶叫も識者の論難も、聖徒の祈祷も、学者の研究も、教会なる病人の治癒には何の効験《きゝめ》もありませんでした、之には何にか人間以上の能力が要るやうに見えました、改革の必要は既に充分に認められ、改革の途は既に充分に講ぜられ、改革の時機は既に充分に熟したるやうに見えましたが、然し改革の実は挙りませんでした、茲に於てか改革の決して人間の業でない事が分明ります、才能あり、熱心あり、智識あり、然り道徳ありて、未だ改革を行ふに足りません、之に上よりの何かゞ加はらなければなりません、
  ゼルバベルにヱホバの告げ給ふ言は是の如し、即ち万軍のヱホバ宣ふ、是は権勢に由らず、能力に由らず、我霊に由るなり、ゼルバベルの前に当たれる大山よ、汝は平地とならん(撒加利亜書四章六、七節)、
 私はルーテル伝を読むたび毎に旧約聖書の此言を想出します、ルーテル以前の改革者は改革の能力を人間の中に求めて、之を行ひ得ませんでした、然るにルーテルは改革をすら思はず、唯単へに神に事へんと欲して、己れは欲せざるに終に改革の任に当らざるを得ざるに至りました、ルーテルにヱラスマスの学問がありました、タウレルの信仰がありました、ウイクリフの聖書智識がありました、然しながら、彼に此準備ありて彼は未だ改革者と成るに足りませんでした、彼は神に由りて再び生れました、彼は世を改むるに先立ちて己を改めました、然り、己を改むるにあらずして、髪に己を改められました、ルーテルが他の改革者に異りて力ありし理由は全く此一点(398)に於てあります、神はルーテルの心に降り給ひて欧洲に降り給ふたのであります、故にルーテルの前に当れる困難の大山は何の苦もなく平地と化したのであります、人類の歴史は英雄の伝記であると言ひます、然し、深く之を究めますれば人類の歴史は神の行為の記録であります、ダンテの『神曲』も、モアーの『理想国』も、トマス・アー・ケムピスの 『基督の模範』も改革の予言たるに止まりました、改革其物は理想や著述や運動に由ては来りませんでした、即ち人の方面よりは来りませんでした、神の方面より来りました、トマス・カライルが度々曰ひました通り
  歴史は深く之を究むれば聖書なり
であります、而して此事を最も能く説明する者が十六世紀に於ける欧洲宗教改革史であると思ひます。 〔以上、11・10〕
 
     ルーテルの出生 (十一月廿二夜柏木ルーテル館に於て)
 
 前回に申上げました通り宗教改革は世界的大事業でありました、爾うして多くの偉い人が之を成さんと欲して成し得ませんでした、教会は勿論自から己れを改め得ませんでした、其法王も監督も此事に当ては全く無能力でありました、ジヨン・ハツスは此事を成さんと欲して中途にして斃れました、サボナローラ又此事に当りて終に其敵の殺す所となりました、文学者の教会攻撃も実際に何の巧果もありませんでした、欧洲全体は唯改革を望むばかりでありまして、之を実行するの力を備へませんでした、此時に方て実に聖書の言の如く
  智者安にある、学者安くにある、此世の論者安くにある、
(399)であります、教会は会議を重ね、神学者は首《かうべ》を鳩め、多く改革の案は出でましたが、然し改革の実は挙りませんでした、茲に於てか改革運動は中止せざるを得ざるに至りました、随て改革談も茲に一時中止せざるを得ません、私供は今茲に改革談を去て個人の談に移らなければならないので有ます、然かも其個人たる教会には何の関係もない、名もない位もない、極く詰まらない平民の談に転らなければならないのであります。
 マルチン・ルーテルは千四百八十三年十一月十日を以て独逸国アイスレーベンに於て生れました、彼の父をハンス・ルーテルと称ひまして、鉱山業者でありました、而かも至て貧い人でありまして、彼の勤勉の功に由て僅かに坑夫の境遇を脱するを得たばかりの人でありました、母をマーガレテといひ、是れ亦誇るべき何の家系をも有たない人でありました、ルーテルは後日屡々彼の家系に就て言ひました、
  余の父も田夫なり、余の祖父も田夫なり、余の曾祖父も亦田夫なり、
と、如斯くにして彼は全く「労働の子」であつたのであります、彼は遺伝として教会の宗教を受けず、学者の才能を受けず、貴族の高風を受けませんでした、彼の弟子クラナツハに由て画《えが》かれたる有名なる彼の肖像を見まして、彼の容貌の純然たる百姓のそれであることが判明ります、私供は彼の眼に於て彼の非凡を認むるの外、彼に於て何の貴き所を見ません、此人が終に欧洲の社会を其根底より改造した人であうとは彼の家系と肖像を見ては解りません。
 乍然、是れが斯かる場合に於て神の常に取り給ふ道であります、
   我が意は汝等の意と異なり
   我が道は汝等の道と異なる
(400)と彼は言ひ給ひました(以賽亜書五十五章八節) 宗教改革は常に教会以外より始まります、聖書に示めされたる最初《はじめて》の宗教改革も亦如斯くにして始まりました、神は祭司エルの家を棄て給ひてエルカナと其妻ハンナの子サムエルを簡み給ひ、彼を以て新たなる信仰をイスラエルの中に起し給ひました(撒母耳前書一章)、而して神が其聖子を世に降し給ふや、彼をヱルサレムなる司祭の長の家に降し給はずして
  ガリラヤより何の善き者出んや
と言はれし其ガリラヤなるナザレの木匠の家に降し給ひました、人類の宗教歴史は決して其教会歴史ではありません、教会は屡々宗教欠乏の故に絶えんとしました、而て之に真の宗教を注入し、再度之をして蘇生せしめし者は常に教会以外の者であります、十五世紀の欧洲宗教改革も亦歴史の此法則に違ひませんでした、牛津大学《オクスフホルド》の教授ウィクリフに非ず、伊国名族の子弟サボナローラに非ず、勿論法王の「甥」に非ず、独逸ツーリンギヤの山中森深き所に貧しき正直なる生涯を送りし鉱夫ハンス・ルーテルの長子、彼を以て欧洲の宗教改革の功は挙つたのであります、
   アヽ真理よ、アヽ自由よ、
    汝は昔も今も尚ほ、
    馬槽《まぶね》の床にはごくまる
   暗夜《よる》の関《くわん》の木砕く手は
    賤《しづ》の伏屋に人と成る。
(401) ハンス・ルーテルは極めて厳格なる人でありました、彼は神を畏れ、虚偽を憎み、殊に教会と僧侶とを嫌ひました、
  偽信と偽善とにて充つる者
とは彼が屡々教職に在る者に就て発せし罵言でありました、彼は平信徒の生涯を以て神の聖意を行ふに最も適したる者であると信じました、彼は又た事に反対する力を有ちました、彼はただ然り、然りとのみ曰ひて何事にも服従する人ではありませんでした、彼は時には否《ナイン》と曰ひて全世界に反対しても己れの意見を通うさんとする気慨を有ちました、すべて是等の点に於てルーテルは善く其父に似て居りました、彼の強い所、堅い所、勇ましい所は、彼は之を彼の父より受けました。
 然しルーテルは単に粗野剛毅の人ではありませんでした、彼に又優さしい、風雅の所がありました、彼は能く笛を吹きました、彼は曰ひました悪魔は笛の音を聞て去ると、彼は涙脆い人でありました、而して是等の女性的の性質を彼は彼の母より譲受けたのであります、Margarethe《マーガレーテ》 Ziegker は其家柄に於てハンス・ルーテル以上でありました、随て彼女の趣好は彼女の夫以上でありました、ルーテルの優美なる半面は遺伝的には彼の母より来た者であります。
 如斯にして彼の父よりするも亦母よりするもルーテレは純粋の平民でありました、彼に在在りて独逸の平民は起て其腐敗せる教会を仆し、其社会を根底より改めたのであります、改革とは何の改革でも常に平民の業であります、国の常識は常に其平民に於て在ります、而して貴きは学者の学問ではありません、政治家の改革ではありません、平民の常識であります、是れが政治に入りて政治の改革があり、宗教に入りて宗教の改革があるのであ(402)ります、欧洲の宗教はルーテルに由つて成つたと云ひますが、実は彼に由て欧洲の平民が其宗教を改めたのであります、ルーテル対羅馬教会であつたのではありません、平民の宗教対教会の宗教であつたのであります、ルーテルは新たに信仰を発見したのではありません、彼の唱へし信仰は教会を離れて当時の平民の間に懐かれてあつたのであります、ルーテルは唯平民を代表して教会に当つたまでゞあります、而して之に当つて教会の神学と儀礼と迷信とは微塵に壊れて了つたのであります。
 今少しルーテルの生れし時と場所とに就て考へて見ませう、年は紀元の千四百八十三年でありました、之れより先き三十年、即ち千四百五十三年に東羅馬帝国の首府コンスタンチノープルは陥落《おち》て土耳其人の手に渡りました、之に由て教会は外形的に大打撃を蒙りしと同時に、又文士の西方移転に由て文芸復興は更らに振興の度を進めました、之より後十五年、即ち千四百九十八年にサボナローラは急激の改革を唱へて法王庁の忌諱に触れ伊国フローレンスに於て焚殺《やきころ》されました、ルーテルが呱々の声を揚げし頃にはコロムブスは世界周航の企図を懐いて西班牙に往いて其君主の賛助を求めつゝありました、千四百五十年には印刷術はグーテンベルグに由つて発明され、後六年を経て、拉典語の聖書全部は始めて印刷に附せられました、如斯くにして十五世紀の後半期は人運発展の時期でありました、新大陸は将さに人類の領土に加へられんとし、新光明は将さに其心裡に臨まんとして居りました、此時に方て此の人が生れたのであります、歴史は目的なき出来事の混流ではありません、神の摂理の実現であります、ルーテルも亦彼の霊魂の救主と等しく時充ちて生れたのであります、グーテンベルグとサボナローラと、コロムブスとロイクリンと、時を同うして世に出しが故に、彼は大事を成就げたのであります、恰かも名将の定めし軍略の如くに、彼も亦起るべき時に起つたのであります、ルーテルとコロムブスとは生国を異に(403)し、事業を異にし、宗教を異にしました、然し大能の神の聖図《せいと》の中に在りては彼等は同一の目的を以て世に遣された者であります、ルーテルは衷に霊魂の束縛を釈いて信仰の自由を供へました、コロムブスは外に活動の区域を広めて自由実現の舞台を給《あた》へました、二者其一を欠いて其事業は成りませんでした、独逸ツーリンギヤの林中アイスレーベンの茅屋にマーガレーテ・ルーテルが産の苦痛を為しつゝありし頃には大胆なるゼノアの航海者は西班牙の朝廷に於て彼の探検に対する女王イサベラの援助を乞ひつゝありました、神は無益に人を造り給ひません、ルーテルが産れし時には、神は既にコロムブスを以て彼の唱ふべき主義の実行の地を備へつゝあり給ひました、ルーテルの宗教改革とコロムブスの新大陸発見とは相待て攻究すべき歴史的題目であります。
 ルーテルの生国は独逸であります、彼の家はマンスフェルトに在り、生れし所はアイスレーベン、学びし所はアイゼナツハとマッヂブルグとエルフルト、事業の本拠はヴイテンベルグでありました、独逸帝国の中央に当つて後日ゲーテとシルレルとが其文名を挙げしヴアイマルより程遠からぬ処でありました、ローマの法王庁とアルプス山脈を離てゝ相対し、而かも英国、瑞典と云ふが如く其手の達せざる処ではありませんでした、サボナローラはローマに余りに近くして斃れ、ウイクリフは余りに遠くして、改革の功を奏し得ませんでした、之に反してルーテルは程よき「攻撃の距離」に立ちました、ローマ教会の転覆は中央独過より始まるべき者でありました。
 如斯くにしてルーテルは天の時と地の理を得て生れました、時運は彼の業を助け、地勢は彼の身を護りました、彼は自身偉大でありました、然し彼の時代と国とは亦彼を援けて偉大でありました、偉人は単独の人ではありません、時代と周囲との共産物であります、而かも天然の産ではありません、神の生み給ひし子であります、十五世紀の気運とツーリンギヤの森林とが聖霊に感じて生んだ者、それがマルチン・ルーテルでありました。(404) 〔以上、12・10〕
 
     ルーテルの改信
 
 前にも述べた通り宗教改革は欧洲全体の要求であつた、然かも何人も此事を行ふことが出来なかつた、法王も監督も、政府も教会も之を行はんと欲して行ふ事が出来なかつた、然るに一人の寒僧マルチン・ルーテルが終に之を行ふことが出来たのである、斯く云へばルーテルが如何にも絶大の人物であつた乎のやうに聞える。
 ルーテルは誠に偉大の人物であつた、乍然、彼の偉大は此世の偉大ではなかつた、彼は彼の人格を以て彼の偉業を遂げたので化ない、学者としては彼の友人メランクトンは彼よりも遥かに勝つて居つた、信仰の人としては彼の師父スタウピッツは彼の長者でもあり又先達者であつた、人としてのルーテルに特に著しい所はなかつた、彼が欧洲を一変した其理由は彼の学問や人格に於て在つたのではない、彼に「或者」が入つたからである、而して其結果として彼が神に就き人生に就て見る所が一変したからである。
 ルーテルはエルフルト大学の卒業生であつた、然し彼は所謂学問の人ではなかつた、彼は鋭い良心の人であつた、「如何にして楽しく此一生を送らん乎」とか、又は「如何にして満足に宇宙を解釈せん乎」とは彼の頭脳を悩ました問題ではなかつた、如何にして清き良心を以て神の前に立たん乎、是れが幼時より彼を苦しめた問題であつた、而して此問題が彼が長ずるに循つて益々強く彼を苦しめたのである、彼は大学に入つて此問題を解決せんとした、彼の父は彼を善き法律家と成さんと欲して貧しき中より彼に学資を続けつゝありし間に、彼は如何にして己れの霊魂を救はん乎との問題に彼の思考を傾注しつゝあつたのである。
(405) 彼は千五百五年に文学士の学位を得た、而して今や将さに法科大学に入り、法律の研究に取掛らんとするに方て、其年の七月十七日に彼は突然大学を去つて、アウグスチン派の寺院に入つて僧と成つた、彼の此動作にルーテルのルーテルたる所が善く現はれて居る、其当時の独逸に於ても、今日の日本に於けるが如く、青年の眼に映ずる法律は遥かに宗教よりも貴き者であつた、宗教を棄て法律に入る青年は幾干もあるが、法律を棄て宗教に入る青年は滅多に無い、殊にルーテルの場合に於ては法律を棄て宗教に入る何等の必要もなかつたのである、彼が学資の不足を感じたからではない、又学力の他に劣りて彼が法律に於て名誉の成功を博するの希望を有たなかつたからではない、学問に於ては彼は常に優等生であつた、彼は十七人の級の中に第二席を以て彼の文学科を卒へたとのことである、彼に取りては今や希望の生涯は彼の目前に横たはつたのである、彼に関はる彼の父の希望は将さに充実されんとして居つたのである、然るに彼は独り断然意を決して大学を去て寺院に入つたのである、無謀なる哉ルーテルよ、無智なる哉ルーテルよ、市長となりて市民の尊敬を受け得るの希望を去り、又は王侯の側《かたはら》に座して其顧問たり得るの預望を棄て寺院に入りて僧と成りしとは! 彼の父は之を聞いて怒つた、彼の友は之を見て歎いた、彼等は彼の真意を解することが出来なかつた、彼は発狂したのではあるまい乎、或は彼の心の中に人の知らない秘密があつて、其れがために彼は世を棄てたのではあるまい乎、失意か、失恋か、彼の隠遁は大なる疑問を彼の親戚と友人とに与へた。
 然しルーテル彼れ自身に在りては人の知らない大問題があつたのである、其れは彼の霊魂問題であつた、救済問題であつた 来世問題であつた、
  人は如何にして神の審判の前に立ちて無罪なるを得るか
(406) 是れが彼を苦しめた大問題であつた、此問題に駆迫《おひやら》れて彼は法律を去つて宗教に入つたのである、彼に取りては宗教は如何でも可い問題ではなかつた、彼は宗教を真面目に解した、世の監督、牧師、又は彼等に由て導かるゝ信者が解するやうに解しなかつた、神は彼に取りては影像《かげ》ではなかつた、実物であつた、霊魂は彼に取りては空想ではなかつた、彼自身の本体であつた、活ける神に対する活ける霊魂の関係、此関係が明らかになり、此関係が正しく成るまでは彼は満足することが出来なかつた、如斯くにしてルーテルは宗教改革者と成る前に既に真面目なる人であつた、勿論彼の真面目丈けが彼を改革者となしたのではない、然し真面目ならずして人は何人も永久に人世を益する事は出来ない、然り、真面目ならずして人は何人も宗教を解することは出来ない、更らに然り、真面目ならずして人は何人もキリストの僕となることは出来ない、神の前に義とせられんが為めには地位も名誉も学問も之を抛ちて惜まざる者でなければ神を其栄光に於て仰ぐことが出来ない、ルーテルが二十二歳の壮《わか》さを以て大学と法律とに暇《いとま》を告げ、父の意志に反き、友人の勧告を斥けて独りアウグスチン派の寺院に入りし時に、茲に一人の真面目なる人が独逸国に起り、茲に其根本的改革が始まり、独逸民族の勃興と独逸帝国の今日とが萌したのである、嗚呼慕はしきかなルーテル、我は汝の如き者の今日我国に於て幾人も起らんことを望むや切である。
 ルーテルは彼が廿二歳の時にエルフルト大学を去りて同じ市なるアウグスチン派の寺院に入つた、然し寺院に入つたればとて彼の宗教上の疑問は解けなかつた、否な、彼の心中の戦闘は其時より更らに一層激甚を加へ来つたのである、彼は善く寺院の規則を守つた、祈祷した、断食した、或る時の如きは三日間|続《つづい》て断食した、彼は細かに彼の罪を彼の懺悔僧の前に告白した、彼は謹んで能く彼等の課する難行を履行した、彼は実に模範的僧侶と(407)して朋輩の間に迎へられた、然し彼の心には少しも平和は来らなかつた、彼に取りては神は恐るべき裁判人であつた、而して福音は厳密なる律法であつた、彼は神の義に適ふ者と成らんと欲して日日刻々己れに鞭撻を加へた、然かも神は少しも彼に近寄り給はず、彼は却て心の中に神より遠くなるやうに感じた、彼は勿論当時の神学書を読んだ、オツカムを読んだ、ビールを読んだ、スコータスを読んだ、然かも神学も亦少しも彼に光明を与へなかつた、彼は失望した、或日の如きは失望の余り気絶して彼の僧房の中に倒れた、神の義と己れの罪を較べて彼は屡々耐えられなくなつた、彼は幾回かパウロの如くに叫んで曰ふた、
  噫我れ困苦《なや》める人なる哉、此死の体より我を救はん者は誰ぞや
と、而かも寺院も神学も彼を救ふことが出来なかつた。
 然し彼の懺悔僧のスタウピッツは慈悲深き人であつた、彼は能くルーテルの苦痛を解した、彼は又神と霊魂との事に就て深き経験のある人であつた、彼はルーテルに告げて曰ふた、
  聖書に神は罪を憎み給ふとあるが、同時に又罪を赦し給ふともある、ヱホバの神は正義の神であると同時に又罪の赦しの神である、
と、スタウピッツは又ルーテルを諭して曰ふた、
  神の義は人に逆らひての義ではない、人の為めにする義である、我等は神の義を恐れてはならない、彼を信じて彼の義を我が有となすべきである、
と、彼は又彼に勧めて聖書を読ました、又タウレルの著書を紹介した、而して如斯くにして段々とルーテルを福音の平和に導いた、此時よりしてルーテルは特に注意して羅馬書の研究を始めた、彼は一日更らにこの書を読み(408)終つて曰ふた、
  余は日夜パウロの意味を解らんとして努めた、而して終に余は斯の如くに之を了解するに至つた、即ち福音に由りて神に対して有効なる義が我等に示されたのであると、即ち神が其恩恵と慈悲とに由りて我等を義とし給ふ義が示されたのであると、義者は信仰に由て生くべ心と録されてある、其時余は新たに生れし乎の如くに感じた、今や余は全然新たなる光明を以て聖書を見た、余は余の記憶に存する限りの聖語の全部を喚起して之を対照して此義のまことに神が我等を義とし給ふ義であることを覚つた、何となれば聖書に於けるすべての他の記事が此事に一致するからである、前には余が甚だ恐れし神の義なる言辞は今は慕はしき尊き者となつた、余の愛すべき慰めの言辞となつた、パウロのかの一言は余に取りては楽園《パラダイス》に入るための真《まこと》の門である。
 斯くて奮闘数年の後に彼は終に彼の待望みし心の平和を得た、彼は信じて救はるゝの単純にして然かも深淵なる奥義を知つた、神を其約束の言辞の儘に信じて裕かに其恩恵に与かるの秘訣を学んだ、噫愚かなるは人である、彼は神に近づかんと欲して彼を信ずることの外は、他のすべての方法を試みて止まない、彼は教会を作る、神学を作る、規則を作る、教義を作る、儀式を作る、然し容易に神を信じない、人は遠まはりに神に達せんとして、信仰を以て直に彼の懐に入らんとしない、ルーテル時代の羅馬天主教会も亦人が信仰に由らずして他の途に由りて神に達せんとして工夫、案出せし制度であつた、而して時代の子なるルーテルも亦此の迂回の途に由て神に達せんとしたのである、然し、神は自から人をして己れに達せしむるの途を備へ給ふた、其れは即ち彼を信ずるの途である、而してルーテルは此直道を発見して之を彼の時代の人に紹介したれば、人の工夫したる大教会は全然(409)無用に帰したのである、単純は真理の証拠である、ルーテルの発見したる単純の真理は複雑なる羅馬天主教会を其土台より覆へした、法王何者ぞ、監督何者ぞ、神学何者ぞ、信仰箇条何者ぞ、神は機械ではない、法律ではない、込入りたる哲学組織ではない、彼は愛である、故に信ずべき者である、信ずればそれで解かる者である、ルーテルは此事を信じて其時既に天主教会を脱したのである、彼は今は自由の人と成つた、世に恐るべき者は何もなくなつた、平和は彼の心に復《かへ》つた、彼は歓喜の人と成つた、イエスキリストに由りて父なる神を信じて彼は生涯の目的を達した、彼は今は何を成しても可い、又何を成さないでも可い、イエス、イエス、十字架、十字架と彼は日夜心に繰返して曰ふた、宗教改革は勿論彼の真理探究の目的ではなかつた、彼は信仰に由りて彼の霊魂を救はれた、独逸国の運命、欧洲の前途、ソンナ事は彼の問題ではなかつた、彼は彼の霊魂の救済を得た、是れで彼の最大の事業は了つたのである。
 然し神は彼のために他に事業を具へ給ふた、而して彼れは自身求めざるに時の要求に余義なくせられて欧洲の改革者と成つた、実に自己の霊魂を救ふことは決して小事ではない、是れはやがて国家を救ひ、人類を救ふことである、自己の霊魂の安全は之を不問に附し、常に社会改良国家救済を口にする者は、己れをも救ひ得ず亦他をも救ひ得ない者である、ルーテルが終に宇宙的人物となりしは彼が彼の心の中に神と霊魂との関係を明かにしたからである。 〔以上、明治44・2・10〕
 
     ルーテルの平和時代
 
 ルーテルは寺院に入りて後に心の平和を得た、然し寺院が之を彼に供したのではない、彼は信仰に由て之を得(410)たのである、彼は寺院に入らずとも之を得ることが出来たのである、彼は平和を得て後に暁つた、彼は之を得るために世を棄て寺院に入るの必要がなかつたことを、彼は平信徒として又法律学者として之を得ることが出来たのである、寺院と寺院の課する修養とに由らずして単に神の約束を信ずるに由て、彼の待望みし心の平康《やすき》を得て、彼は今寺院に止まるの必要は無かつた、故に彼が若し浮薄の青年であつたならば、彼は其時直に寺院と縁を断ちて再び大学の課業に返つたであらう、然しルーテルのルーテルたる所は又茲に現はれた、彼は正直であつた、彼は一たび心に誓つたことを自分の便宜のために変へなかつた、彼は僧侶として一生を送るに決した、故に一年の見習の後に公然と僧職を授けられて一人前の僧侶となつた、而して彼れは僧侶となりしことを悔ひなかつた、彼は彼の僧職授与式に臨みし彼の父に告げて曰ふた、
  父様、ナゼ大人《あなた》は私に反対し給ひし乎、ナゼ大人は怒り給ひし乎、ナゼ大人は今日と雖も尚ほ私の僧侶となるを見て不快に感じ給ふ乎、是は実に平康くして、楽しき聖き生涯であります、
と、而して彼に対する父の忿怒《いかり》の尚ほ解けざりしに関はらず、彼は全力を傾けて彼の択みし新生涯に入つた、彼は僧侶の職を授けられて今は弥撒祭《みささい》を司るの特権を与へられた、即ち彼の献ぐる祈祷に由てパンは化して実《まこと》にキリストの肉となり、葡萄酒は化して誠にキリストの血と成るとの事であつた、彼は又人の罪を赦すの特権を授けられた、新教の牧師のそれとは違ひ、旧教の僧侶の職務は遥かに荘重である、但、肉を具へたる罪の人が 身は縦令僧職に就くと雖も斯かる重任に当り得る乎、其れは大問題である、乍然、斯かる疑問は其時ルーテルの心に起りしとするも、彼は強く之に悩まされなかつた、彼は新たに心の平和を得て、歓喜に充たされて、他を顧みるの暇《いとま》がなかつた。
(411) 乍然、彼の熱心と天才とを具へて、彼は長く普通の僧侶として止まるべきでなかつた、彼は自ら択らんで寺院の静粛に入つた、然し運命は彼の長く此静粛を楽しむことを許さなかつた、而して此時に方て復た彼を援けてより広き活動の地位に彼を引き出した者は彼の指導者にして善き友人なるスタウピッツであつた、之より前六年、サクセン撰侯は彼の領内なるヴイテンベルヒに於て、新たに一つの大学を起した、而して其設立の相談に与り、其経営の任に当りし者の一人は此アウガスチン寺院の取締役にしてルーテルの無二の益友なるスタウピッツであった、彼は撰侯にルーテルを推薦し、エルフルトより彼を呼寄せて大学教授の任に当らしめた、神は人を召すに人を以てし給ふ、パウロをタルソの沈黙より呼出して世界の伝道者となした者はバルナバである、又カルビンをバーズルの隠退より呼出して、彼をしてゼネバに来りて宗教改革の任に当らしめた者はウイリヤム・フハレルである、故に言ふ、
  フハレルはゼネバを改革に引附け、又カルビンをゼネバに引附けたり、
と、其如く、ルーテルをエルフルトの寺院より引出し、彼をして欧洲改造の原動力たらしめし者は実に此のスタウピッツであつた、紹介者の任も亦大なる哉である、彼れスタウピッツは始めにルーテルを懐疑の闇黒より助出《たすけいだ》し、今又寺院の埋没より彼を引出した、彼れ微りせばルーテルは無かつたのである、彼は一生を旧教の僧侶として終つた、然し彼は改革の産婆であつた、彼に由てルーテルは光明に出で、又た世に出でたのである。
 千五百〇八年、ルーテルは歳二十五にしてエルフルトの寺院を去つてヴイテンベルヒに来り、其大学の教授となつた、彼はフイロソヒーを教ゆべくあつた、而してフイロソヒーと云へば今は之れを哲学と訳するなれど、其の時のフイロソヒーは哲学に止まらなかつた、其の時に欧洲の学問に唯だ二つあつたのみである、其一はテオロ(412)ギーであつて、其の二はフイロソヒーであつた、テオロギーは神に関する智識であつて、フイロソヒーは人に関する智識であつた、前者を若し神学と訳すべくむば後者は人間学と訳すべき者であつた、而してアウグスチン派の僧侶なるルーテルは神学を授くべくはなくして人間学を教ゆべくあつた、彼はアリストートルの論理と物理を教ゆべくあつた、神学に就いて彼れは知らないではなかつた、然し神学は彼の好む所でなかつた、彼は生命を賭して心の平和を求めたが、然し、自から世の所謂宗教家と成らんと欲しなかつた、彼の父ハンス・ルーテルは実務家であつて、僧侶と神学者とは大嫌ひであつた、而してマルチンも亦たハンスに似て、信仰は之を求めたけれども神学は之れを斥けた、彼は神の福音を愛した、然し神学者の神学は心より之を嫌ふた、故に彼は神学よりも人間学を愛した(希臘拉典の古典を愛した、殊にヴアージルを愛した、田園生活の美と快とを歌ふたる其 Bucolics と Georgics とは彼れの特愛の書であつた、聖書とヴアージル、キリストと花、此の二者に対して彼は終生興味を失はなかつた、ルーテルのルーテルたる所を知らんと欲する者は、人間学の教授として彼れを知らなければならない。
 乍然、大学の教授と成つても彼れは寺院との関係を絶たなかつた、彼は依然として元の僧侶であつた、而してヴイテンベルヒに来りてより三年、又又スタウピッツの周旋に由り、或る寺用を弁ぜんために、彼は或る他の一人の僧侶と共にローマにまで派遣された、是れ彼れの生活に取り新紀元を劃すべき出来事であつた、彼等二人は徒歩にて独逸より伊太利まで往いた、各自僅かに十フローリンの旅費を懐にし、聖都を指して出発した、瑞西《スヰツツル》に入り、アルプス山を越へ、ポー河の平原を横ぎり、フローレンスを過ぎて終にローマの聖都に達した、彼等は北欧の蛮界を去つて南欧の楽土に其耳目を楽しました、而してルーテルの眼に止まりし者はアルプス、アペニン両(413)山の風景であつた、又ポー平原の農事であつた、彼は其美くしき葡萄と橄欖と無花果と柑橘との果園を見て、心より之を歎美した、然れどもフローレンスに入りて、其有名なる絵画と彫刻とを見ても、彼は之には別に眼を留めなかつた、彼は到る所に寺院の待遇を受けて、深く其の内状を探つた、風景と果園と信仰、彼の注意を払ふた者は之れであつた、美術は之を問はず、政治は之れに眼を留めなかつた。
 而してローマの聖都が始めて彼の眼に入つた時は如何に! 彼は双手を上げ、遥に之に向つて叫んで曰ふた、
  我れ汝を祝す、汝、聖なるローマよ
と、彼は今は地上の天国に達したのである、使徒ペテロとパウロとが其の殉教の血を以て教会の基礎を定めし所、キリストの代理者が地上に教権を握る所、若し神聖を地上に於て見るを得べくんば此処を除いて他に在るべからずである、ルーテルと其の侶伴《とも》の足は今は此聖地を践んだのである、遥々ツーリンギヤの僻陬を去りて、此処に「聖ペテロ」の大寺院に接せし彼等の感想は如何なりしぞ。
 然れども、嗚呼然れども、事実は如何なりしぞ、神聖は実にローマに於てありし乎、信仰は誠に此地に於て燃えし乎、否な、否な、法王は信仰家であるよりは寧ろ美術品の鑑定者であつた、監督はキリストの僕であるよりは寧ろ此世の政治家であつた、其他の僧侶輩に至つては実に言語同断であつた、信仰はたゞ名のみであつた、華侈、豪奢、姪猥、酔狂、之に加ふるに陥※[手偏+齊]、※[言+毀]謗、讒害、……嗚呼、之れが聖きローマであらうとは僻地のルーテルには如何しても思はれなかつた、然し之は夢ではない、事実である、ローマとはまことに斯かる処である、諺に曰ふ、
  若し地上に地獄ありとすればローマは其上に建てらる、
(414)と、又
  ローマに近づく丈けキリストに遠かる、
と、ルーテルは自ら此事を実見した、教会の本山の彼の独逸の故郷よりも遥に悪い所であることを視た、彼が命ぜられし寺用は容易に落着した、而して翌年の夏に彼はヴイテンベルヒに帰つた、彼に取りては此旅行は悲しき旅行であつた、然し甚だ有益なる旅行であつた、教会の神聖に関する彼の夢は此時に覚めた、此時よりして教会は彼に取り恐ろしくなくなつた。
 彼は首尾よく彼の使命を果してヴイテンベルヒに帰つた、而して彼の師父スタウピッツは更らに彼のために昇進の途を講じた、彼は彼に勧むるに神学博士の学位を得て彼に代て神学教授とならんことを以てした、然しルーテルは容易に此勧誘に応じなかつた、神学は彼の好む学科でなかつた、彼は何時までも希臘哲学の講座に拠て教授の任を果たさんとした、然しスタウピッツは其事を許さなかつた、而してルーテルの彼の勧誘に応ぜざるを見て取るや彼は命令を以て彼に迫つた、而して長者の命令に服従するを以て規定の一条と定むる寺院に在ては、ルーテルは之を避けんと欲するも能はなかつた、彼は嫌々ながら彼の恩師の命令に服した、而して神学研究に従事した、彼は其時まで既に多くの神学書を読んだ、而してローマ滞在中、猶太人に就てヒブライ語を学び、ギリシヤ人に就てギリシャ語を学んだ、故に今は故《もと》のエルフルト寺院に退き、一年間の準備の後、博士号を授かれば、夫れで事は足りたのである、後年彼は此時に於ける彼の心の煩悶に就て語て曰ふた、
  如何なる善事と雖も吾人自身の計劃に由て来る者にあらず、吾人は必要に逼まられて止むを得ず之に取掛るなり、余は余の事業にまで駆逐《おいやら》れしなり、余にして若し其時、今日あるを知りしならん乎、十頭の荒馬を以(415)てするも余を之に引入るゝこと能はざりしならん
と、斯の如くにしてルーテルは長者の命令に強いられて、止むを得ずして、嫌々ながら神学研究に入つたのである、今日でこそ新教神学の始祖として仰がるゝルーテルは元々神学は大嫌ひであつたのである、誠に自から進んで神学者と成らんと欲せし者にして未だ曾て大神学者となつた者はない、モーゼが民の教導を辞し、ヱレミヤが預言職を辞したやうに、ルーテルも亦神学者たるを辞した、而して十頭の荒馬よりもより強き或る力に強いられて止むを得ず此研究に入つて、彼は斯《この》学の奥義に達することが出来たのである、彼日彼が斯学を称して
  神学は音楽の一種なり
と曰ふに至りしは、彼が神学者となりし前に博く深く神学の事実を彼の心の中に探つたからである、ルーテルは神学者ならざる神学者である、人世に害を為さずして益を為す神学者である。彼は千五百十二年の十月十九日、齢二十九歳にして神学のドクトルと成つた、而して直にスタウピッツに代りてウイテンベルヒ大学の神学教授の職に就いた、強いて神学を学ばしめられし彼は神学に於て新機軸を開いた、彼は聖書の講義を姶めた、先ず詩篇を講じた、彼は之を称して「聖書中の聖書なり」と云ふた、次ぎに彼は羅馬書を講じた、而して之に由て彼の特愛の教義なる信仰に由て義とせらるゝことを述べた、其次に彼は加拉太書を講じた、是れは彼が後に「我れ自身の書翰」と称んだ者である、彼の講義は勿論大学々生のためであつた、然るに其嶄新にして剴切なるよりして、多くの年老ひたる市民は自から聴講生となりてルーテルの教場に出席した、彼の名は今や独逸全国に響き渡つた、而して此の青年教授の聖書講義を聴かんと欲して、学生は全国よりして、此新設の大学に集ひ来つた、サクセン撰侯は善き教授を得しを悦んだ、而して彼を推薦せしスタウピッツは人に向て彼に就て誇つた、是れ蓋しルーテ(416)ルに取て一生涯の最大幸福の時であつたらう。
 而して教場の中に在て斯くも人望を博せし彼は終に市中に引出されて市民に福音を伝へざるを得ざるに至つた、彼は茲に普通の独逸人に接した、無学にして而かも誠実なる当時の彼の国人に接した、而して彼の信仰は市民に取ても亦解し易き者であつた、彼は神学者である前にクリスチヤンであつた、彼は実験に由て罪の赦しの何んである乎を知つた、故に平易なる言辞を以て能く信仰の奥義を平民に伝ふることが出来た、斯くて彼の人望は大学の内より終に其外にまで拡がつた、彼は市民の説教者となつた、彼は能く当時の独逸国民の心を解した、故に両者の心は互に相投合して、茲に新運動の気運は開かれた。千五百六年、彼が信仰の戦闘に勝て心に大なる平和を得てより、千五百十七年、彼が赦罪券の事に就て羅馬教会と戦闘を開かざるを得ざるに至つたまでの十年間が、彼に取り最も幸福なる時代であつたらう、此時、彼は真に歓喜を以て溢れ、外には争ふべき敵がなかつた、彼の学識は年と共に進み、彼の声名は隆々として揚つた、是れ誠に彼に取りて聖書に謂ふ所の
  智慧も齢も弥増り神と人とに益々愛せられたり
との時代であつた(路加伝二章末節)、彼れ自身が此時に於ける己れの状態に就て曰ふた、
  余は熱くして福ひなる神の言の鋳造所より新たに鋳出されたる若きドクトルである
と、然し斯かる幸福なる時代は竟に終結を告げざるを得なかつた、彼は遥かに大風の彼の静かなる庵に近くを聞いた、ヨハン・テッツエルは法王レオ第十世の命令の下に辜《つみ》なき独逸の信者の中に赦罪券を売りつゝあるではない乎、若し此狼が彼に托されし羊の群に近づいたらば如何、彼は狼の来るを見て羊を棄て逃げ去るべきではない、善き牧羊者《ひつじかひ》は羊のために命を捐《す》つる、彼も亦彼の霊魂の牧者に傚ひ、彼の羊のために命を捐つべきである、(417)彼は自己のためにあらず、自己に托せられし神の子供のために、止むを得ず戦闘の人となつた、余輩は茲に平和のルーテルに暇を告げて、戦闘のルーテルと親しまなければならない。 〔以上、明治44・3・10〕
 
     戦闘の開始
 
 ルーテレは今は改革者として人に知られる、而て改革者とあれば必ず性来《うまれつき》の破壊者であるかの如くに思はれる、然ながらルーテルを性来の破壊者と解するは彼を誤解するの最も甚だしき者である、其正反対が事実である、ルーテルは性来の破壊者ではない、性来の保守家である、其事は彼の生涯に渉る事績に就て見れば瞭かである、保守家にあらざれば文芸復興時代に生れし彼は文学と法律とを棄て寺院に入つて僧侶と成らない、保守家にあらざればアリストートルの哲学を去て聖書に縋らない、保守家にあらざれば彼の如く旧き信仰を改むるに躊躇しない、而して性来の保守家でありしが故に、彼は一つの教会を壊て之に代へて他の教会を建てた、所謂ルーテル神学なる者は彼の壊ちし旧教神学丈けそれ丈け頑固である、然り、或る場合に於てはそれよりも更らに頑固である、ルーテルは性来頑固であつた、狭くあつた、迷信に傾く程保守であつた、ルーテルは何《ど》の点より見るも急進破壊の人では無かつた。 而してルーテル許りではない、余の知る範囲に於て、すべての大改革者は性来の保守家である、ルーテルよりも更らに大なる中古思想の改革者は彼の先達者なる詩人ダンテであつた、此詩人なかりせばルーテル出るとも改革の実は挙らなかつたに相違ない、然るにダンテは何う云ふ人であつた乎と云ふに、彼は大々的保守家であつた、彼は当時の信仰に対して何の疑をも挟まなかつた、彼は中古時代の思想を其儘に受けた、彼は曾てカーライルが(418)彼に就て曰ひしが如く「中古千百年間の弁護者」であつた、然るに中古思想は此人を以て其終焉を告げ、近世思想は此人を以て生れたのである、何に由て然りし乎と云ふに、其説明は探るに難くない、ダンテは中古思想の根本に達したからである、物は其真髄に達すれば其外形は自づと壊るゝのである、能く形骸を保存せんと欲すれば其精神を闡明せざるに若くはない、余りに深く其精神を探ぐれば其物は自づと壊るゝのである、詩人ダンテは中古思想に余りに忠実であつたが故に終に彼が保存せんと欲せし者を毀つた、斯くて彼は中古時代の忠僕であつて、同時に又其逆臣である、彼は余りに真面目なる保守家であつたが故に、終に知らず識らずして進歩の急先鋒となつた。
 而してダンテばかりでない、コロムウエルでも、ワシントンでも、近くはビスマークでも、グラツドストンでも、改革者と云ふ改革者は皆な性来の保守家であつた、破壊者の破壊は実は少しも恐るゝに足りない、彼は始めより破壊せんとして事に従ふのである、故に自《おのづ》から浅薄で自づから冷淡である、然し、保守家は之と異なる、彼は保存せんとする、故に熱き同情を以て旧を探り、深く其真理を究めんとする、而して深き温かき考察の結果、終に壊たざるを得ざるに至るや、彼は自づから旧を其根柢より覆へすのである、単に新を愛して旧を嫌ふ者は旧を廃するの能力を有たない、能く旧を廃する者は能く旧を愛する者である、故に善き保守家たるにあらざれば善き改革者たることが出来ない、此理を弁へずして改革者の言行を究めんとして我等は彼を誤解せざらんと欲するも得ない、最大の国賊は性来の愛国者である、最大の破壊者は性来の保守家である、改革者であるが故に性来の破壊者であると云ふ者の如きは歴史をも伝記をも共に語るに足りない。
 ルーテルは性来の保守家であつた、同時に又学問の人であつた、同時に又良心の人であつた、学問の人であり(419)しが故に彼は明白の背理には耐えられなかつた、良心の人でありしが故に彼は明白の虚偽には服従することが出来なかつた、若し当時の教会が明白の背理と明白の虚偽とを以て彼に迫らなかつたならば、彼は永久に沈黙を守ったに相違ない、然るに当時の羅馬天主教会は独逸に一人の彼の如き者の在るのを知らなかつた、教会は独逸人を慢《あなど》り教会の命であれば彼等は何んでも従服する者であると信じた、故に時の法王レオ第十世がローマに『聖ペテロ』の大会堂を建築せんとするや彼は独逸人の信仰心を利用し、彼等の間に赦罪券を販売し、以て大に資金を募らんとした、而して独逸に在りてはマインツの大監督アルベルトは大に此挙を賛成し、又一つには自身其利益に与らんとして、広く之を彼の監督管内に於て行はんとした、而して直接販売の任に当りし者はヨハン・テッツェルと称するドミニカ派の一僧侶であつて、其成功を計らんがためには手段をも方法をも択まない人であつた、而して此法王あり、此監督あり、此手代ありて、此忌はしき商売は始つたのである。
 赦罪券とは抑々何である乎と云ふは、赦罪券とは羅馬法王庁に由て発行されたる券であつて、之に多くの宗教的|利益《りやく》が附いて居つた、監督アルベルトの説明に由れば其利益の主なる者は左の如くであつた、
  此券を購ふ者は罪の完全なる赦免を獲、神の恩恵に与り、煉獄より赦免せらるゝを得べし 而して人は自身是等の恩恵に与かるを得るのみならず、或は彼の友人或は親戚にして、今や死して煉獄に鍛煉の苦痛を嘗むる者と雖も若し地上に在りて彼等に代りて之を購ふ者ある時は、彼等は直に試煉の火を去りて天堂の安息に入るを得べし
と、而して大監督の此の布達に加へて手代のテッツェルは述べて曰ふた、
  代金の匡底に響くと同時に霊魂は煉獄の外に飛去るべし。
(420)  赦罪券の功徳はキリストの十字架のそれに等し。
  此券を購ふ者は縦令聖母マリヤを辱かしむるの罪を犯すことありと雖も、其罪より免かるゝを得べし。
と 褻涜も茲に至て甚だしと云はざるを得ない、而かも憐むべき無智の民は喜んで之を購ひ、之に由て自己と死者との罪の赦免を得んとした、而して当時の独逸国に於て一人の勇者の起つありて之を批難する者が無つた、恐るべきは迷信である、而して迷信に乗じて起る腐敗である、中古時代の暗黒は終に茲にまで達した、何人か立つて鷺は鷺なりと云ひ、鴉は鴉なりと言ふの必要があつた。
 此忌はしき商売の独逸国内に行はるを聞しと雖もルーテルは敢て起て之を矯めんとしなかつた 彼は其赦すべからざる罪悪であることを知つた 然れども罪悪は此他にも尚ほ多くある、事の自己に関はらざる限りは敢て自から進んで之に関渉すべきでない、然れどもテッツェルは徐々とウイテンベルヒに近いて来た、ルーテルの牧する羊の或者は既に耻づべき売品を購ふて来て之を彼に示した、而して事は茲に止まらない、彼等は彼に要求するに赦罪券が其購買者に約束せる権利を彼等に附与せんことを以てした、ルーテルは教会の教職であつた、又民の牧者であつた、而して教職として彼は長者の命令に従はなければならない、又牧者として彼は民の霊魂を守らなければならない、赦罪券は教会の首長たる法王の発行したる者であるが故に、職を教会に奉ずるルーテルは其条件を実行しなければならない、然し霊魂は神より委ねられたる者であれば、彼は神の忠実なる僕として又民の牧者として、之を虚偽と背理とに委ぬることは出来ない、是を為さん乎、彼を為さん乎、人に従はん乎、神に従はん乎、法王に事へん乎、キリストに事へん乎、鋭き良心を有ちたるルーテルに茲に大問題は提出されたのである、彼は彼の信仰に反き聖書の明教に逆つて、金銭を以て購はれたる赦罪券に由て罪の赦免を民に宣告することは出(421)来ない、然ればとて赦罪券の功力を否むは教会の教権を拒み法王の神聖を否むことである、嗚呼禍いなるは鋭き良心を有つたる人である、ルーテルならざる当時の教職輩には此難問題は起らなかつた、彼等は善い加減に此問題を解釈し、教会にも逆らはず、法王をも怒らせず、而して自己の良心の声は之を圧迫して、平和の日を送つたのである、而して若し二十世紀の今日、同じ問題が起るとするも多数の牧師と伝道師と、監督と神学博士とは同じ平和の途を取るに定つて居る、教会の決議と良心の命令と二者孰れか重きやと問はるれば大抵の教役者は勿論前者を重しとなすのである、此点に於ては十六世紀の独逸と二十世紀の英国又は米国又は日本と多く異なる所はない、我等は今、殊更らに法王レオや監督アルベルトや手代のテッツェルを責むべきでない、彼等の頬は今日と雖も沢山居る、而して何時の世に在ても稀れなるは良心の人なるルーテルである。
 斯くて.今やルーテルに取りては赦罪券問題は教会問題でもなく、亦国家問題でもなく、亦神学問題でもなく、亦社会問題でもなかつた、彼に取りては此問題は今は個人問題であつた、彼は良心の許可を得て赦罪券の条件を其購売者の上に実行することは出来ない、然ればとて今教職を退くは神に対して不忠である、人に対して卑怯である、進まん乎、教会と法王と監督と、而して彼等を通うして、当時の全欧洲とを敵として有たなければならない、退かん乎、彼の神と良心との彼を責むるあり、余は信ず、此窮境に立ちてルーテルは法律を去て宗教に入りしことを甚く悔いたであらうと、彼がキリストを発見して心に平和を得し其代価を払はねばならぬ時が今は彼に来つたのである、彼は今は世界を相手にしてキリストのために立たなければならない 彼は今は一人である、ウイテンベルヒの大学にも、其所属の教会にも、今や彼と共に良心の声に従つて羅馬に対して批難の声を揚げんと欲する者は一人もなかつた、偉人は実に単独である、而してルーテルの波瀾多き生涯の間に、此時ほど彼が孤独(422)であつたことはない、随て此時ほど彼の偉かつた時はない、齢は正さに三十四歳、キリストが十字架に釘けられし時と同年、大学の教授にして教会の牧者、今は止むを得ず世界に対つて彼の良心の声を放たんと欲す、偉大なる哉ルーテル!。
 然し彼は常識の人であつた、故に彼は演劇的に教会反対の旗を揚げんとしなかつた、彼は又他人を引入れて彼等をして彼の必然蒙るべき禍を彼と共に頒たしめんと為さなかつた、彼は反対の責任は彼れ自身に悉く之を負ふやうに計画した、故に彼は独り計り独り行つた、彼の親友すらも、事の発表されしまでは彼の大胆なる挙動に就て何の知る所がなかつた、彼は又事の遂行を決したれば人の之を妨ぐること能はざるやうに注意した、当時の世界の大勢力たる羅馬天主教会に対して独り戦闘を挑むに方て、ルーテルは名将が大戦争を計画するが如くに、用意周到、一点の欠くる所なく準備した。
 時は紀元の一千五百十七年十月の三十一日正午の十二時、ウイテンベルヒ城内、教会堂入口の扉にドクトル・マルチン・ルーテルの提出にかゝる赦罪券に関はる九十五ケ条の質問は拉典文を以て掲載されたのである、是は此問題に関する教会に対しての攻撃ではなかつた、是は単に此問題に関する質問であつた、ルーテルは質問を提出して識者の解答を仰いだのである、然し、斯かる明白の背理に対しては問ふことは攻むることである、解答は何人も容易に之に与ふることが出来る、何人も其背理であり、虚偽であり、明白なる妄誕であることを知つて居った、虚偽は問はるれば自づから斃るゝのである、恰かも雪達磨の如き者である、日光に遭へば独り自づから消えて了うのである。
 然し驚いたのは公衆である、此質問を発するの大胆さよと彼等は曰ふた、而してルーテルに問はれて見て、彼(423)等は赦罪券を購ふて如何に大なる陋愚を演じた乎を覚つた、教会も亦ルーテルに問はれて見て、如何に大なる迷信に陥りし乎を覚つた、ルーテルは九十五箇条の質問を羅馬教会に提出して教会は其根本より揺ぎ出したのである、偉大なる哉真理の力、誠実の功、一人のルーテルが一本のペンを以て全欧洲を震ふたのである、誠に真理は神の造り給ひし此宇宙に在て今も尚ほ最大の勢力である。 〔以上、明治44・5・10〕
 
     ライプチッヒ宗論
 
 ルーテルは終に羅馬教会に向て公然と戦争を宣告した、其大胆さ加減は今日之を想像することは出来ない、羅馬天主教会は当時の世界最大勢力であつた、政府以上の政府、皇帝以上の皇帝であつた、此勢力に反対して災害を免かれた者はなかつた、ルーテルに先んずる百年、ヨハン・フツスはボヘミヤ国に改革の声を揚げて法王庁の命令の下に焼殺された(千四百十五年七月六日)、フツスの友人にして同主義の主張者なるプラーグのゼロームも、翌年五月三十日にフツスと同じ運命に終つた、教義の改革を唱へしにはあらざりしと雖も、教会の腐敗を攻撃せしの故を以て伊太利のサボナローラはルーテルの戦争宣告に先んずる十九年、同じ法王庁の手に由てフローレンス市に於て絞殺されて、其体躯は火にて焼かれた、世に残忍なる者にして教会の如きはない、教会は己に反対する者に対しては、其力のあらん限りに反対する、殺し得る時には殺す、殺す能はざるに至れば逐放する、逐放するも甲斐なきに至れば彼に種々の醜名を負はして彼をして世に立つこと能はざらしむ、而して何の詰責も功を奏せざるを見て取るや、異端を迎へ、彼をカノナイズし(聖列に加へ)、彼をして声を揚ぐるも無効ならしむ、而して十六世紀の始めに方て羅馬天主教会は尚ほ未だ其反対者を殺し得るの充分の権能を有した、而してルーテルは(424)此権能に対して独り反対の声を揚げたのである。
 教会は始めの間はルーテルの反対を以て差したる大事であると思はなかつた、独逸の一寒僧が帝王の帝王なる羅馬の法王に向て反対の声を揚げたのである、蟷螂斧に当るとは此事である、羅馬教会のルーテルを見しは、今日の英国監督教会が余輩無教会主義者を見る程にも無かつた、教会は言ふた、彼れ何者ぞ、教会に対して反対の声を揚ぐるとは、来つて大監督を見よ、大僧正を見よ、其帝王の宮殿に等しき第宅を見よ、国家の給する厚き俸禄に其威厳を維持する数多の教職を見よ、神学博士を見よ、旧き歴史を見よ、之に逆らつて立つは巌《いは》に逆らつて立つが如し、宗教は瞬間にして生《うま》る者に非ず、一人の確信は以て万民の所信を覆へすに足らず、使徒時代より連綿として継続する神の教会を離れて独り立たんとす、無謀之より大なるは無し、唯改心せよ改心せよ、無条件に改心して再たび母教会の懐に帰り来り、其恩愛と撫育とを受けよと。
 ルーテルの場合に於ても此通りであつた、而して破門の威嚇は改心の説諭と相共に来つた、彼の九十五箇条出てより彼に対して所謂護法の鉾を執て立つた者は幾人もあつた、世に容易なる事にして異端攻撃の如きはない、此罪のせに在りては異端と云ひ正義と云ふは正理過謬の差に由て云ふのではない、強き者が正義であつて、弱き者が異端である、天主教国の西班牙に在ては今日と雖も旧教が正義であつて新教は異端である、之に反して新教国の英国に在ては其所謂聖公会の外はすべて悉く異派《セクト》である、基督教国に於ては正義派之をオルソドツクスと称し、異端派之をヘテロドックスと云ふ、オルソドツクスは教会の主張であつて、其背後には強き政府がある、ヘテロドックスは確信ある少数平民の主張であつて、其拠る所はたゞに神と自己の良心とである、而してルーテルは今や異端の魁首《くわいしゆ》として立つたのである、故に彼を斃すは容易であつて、又彼を斃して政府と教会との賞に与(425)かるの希望があつた、茲に於てか多くのルーテル反対が此所彼所に起つたのである、彼等は弱き孤立のルーテルを斃して、教会の忠僕として法王に賞められ、護法の勇者として世に囃されんと欲した。
 ルーテル反対の一人は勿論マインツ大監督の手代、赦罪券売捌きの当人、ヨハン・テッツェル其人であつた、乍然、彼れテッツェルはルーテルの論敵としては取るに足りない者であつた、次ぎに起つたのがヨハン・エツクであつた、彼は前にはルーテルの友人でありし者、神学博士であり、弁論家であつた、彼は此時より終生ルーテルの教敵であつた、又ローマに於てはシルヴエステル・マツォリニ、一名プリエリアスが起つた、彼はドミニカ派の僧侶であり、異端抑圧には長き経験を有つた、彼は議論よりも寧ろ政略を以てルーテルをサクセン侯領以外に呼出《よびいだ》し其処に彼を挫《ひし》がんとした、斯の如くにして俗人起り、学者起り、策士起りて、忠誠を衒ひ、護教を競ふて若き教会の反逆人を斃さんとした、余輩は茲にアウグスブルグに於ける彼と法王の使節カニータンとの会合に就て語らない、ルーテルは今は自から求めずして国家的、否な、世界的人物となつた、彼の招喚を強ふる法王あれば、之を拒む皇帝があつた、彼の運命は独逸全国民のそれに密接の関係ある者となつた、憐むべしルーテルは彼の志願に反いて勤学の士たるを廃して戦闘の人たるべく余義なくせられた、彼は終生此事を歎いた、然し止むを得ない、彼は此ために此世に遣られたのである、彼は今より後は彼れ一人の彼ではなくして、独逸国の、然り、全欧羅巴の彼となつた、彼の生涯に矛盾の多かりしは是れがためであつた、彼は今よりは羅馬教会に対して独逸民族に代つて語らずばならなくなつた。
 ルーテルの生涯中、大事件の一ツは有名なるライブチッヒ宗論である、千五百二十年六月廿六日、彼は彼の教敵ヨハン・エツクの挑戦に応じ、彼の同僚カールスタート、メランクトンの二人と、外に学生二百余人に擁護せ(426)られて、ライプチッヒ市に到つた、其処にゲオルグ大公の居城プライセンブルグ城々内の大講堂に於てルーテル対エツクの大宗論は闘はれたのである、宗論は十日に渉りて続いた、始めにカールスタートはエツクに当り、五日を過ぎてルーテルとエツクと、当時の宗教界の竜虎は面と面と相対して同一の壇上に現はれたのである、竜なるルーテルは衷に信ずる所あり、虎なるエツクは外に頼む所があつた、城の主人公ゲオルグ大公は大々的旧教信者であつた、山を越えて遥か南に羅馬の大教会はエツクの後援として立つた、之に反してルーテルの保護者なるフレデリツク賢君は其席に居らず、独逸国民はルーテルに頼む所ありしも、未だルーテルが頼むに足りなかつた、此世の勢力を以てしてはエツクは確かに優勢であつた、故に彼の論鋒も自然と此世の論鋒であつた、ルーテルは自己の主張を護るに聖書と確信とを以てせしに対して、エツクは彼を追窮するに教会の遺伝と権能とを以てした、エツクはルーテルをして彼れ自身の口よりして彼は真に羅馬教会の反逆人であることを表白せしめんとした、而して五日に渉る激論の後に、正直なるルーテルがエツクの論法《ロジツク》に余義なくせられて聴衆の面前に於て
  然りハツス党の主張は悉く誤謬に非ず、
と明言するや、彼の論敵は一同挙つて勝利を叫んだのである、茲にルーテルは彼の口よりして公然と異端の友にして教会の敵なることを表白したのである、彼の主張の真理なると否なとは他の問題である、ルーテルが異端の徒たるは今や明白に成つた、而して国には異端を罰するの法律がある、今やエツクと彼の味方とは此事を法王に奏し、其勅許を得て之を公司に通し、公司をしてルーテルを適当の刑に処せしむれば、それで事は終るのであると彼等は思ふた。
 ルーテルは彼の敵の設けし係蹄《わな》に陥つた、彼は今や公然の罪人と認められてヴイテンベルグに帰つた、然しな(427)がら信仰の事に於ては人に罪を定められたのは未だ神に罪を定められたのではない、而して真理が果して彼の味方であるならば、彼は返て彼の教敵の罪を定むることが出来る、彼が宗論に於て負けたのは、真理を以て負けたのではない、世の輿論に負けたのである、而して多くの場合に於ては輿論必しも真理でない、彼は未だ失望すべきでない、大能の神は帝王の帝王なる法王の手より彼を救ふの途を知り給ふ、彼は今は彼の確信其儘を更らに大胆に述ぶべきである、神と偕にありて彼れ一人は全欧羅巴よりも強くあると、斯く念じてライプチッヒ宗論以後のルーテルは以前に優さるの勇者となつた、彼を説服せしと思ひしエツクは彼を以て羅馬教会に対する独逸全国民の反対を招いたのである、竜は傷を負ふてウイテンベルグに帰つた、而して帰て両刃の剣と化した、竜に雨を与へ、虎を野に放つとは此事である、今より後、ルーテルの筆鋒に罹るは天使の利剣に触るゝが如くであつた。
 エツク、勢力の弁護者なるエツク、弁論に勝つて事実に負けしエツク、嗚呼、彼の類は何時もある、何処にも在る、十六世紀の始めに在つた、二十世紀の今日も在る、西洋に在つた、東洋にもある、然り、我等の愛する此日本国に於ても居る。 〔以上、明治44・6・10〕
 
       ――――――――――
 
     ルーテル年代記
 
  ルーテル生る、一四八三年十一月十日、我文明十五年、銀閣寺成る、之より前二年、僧一体死す。
  エルフルト大学に入る、一五〇一年、一五〇五年文学部卒業、同年七月十七日断然意を決してアウガスチン(428)派の僧庵に入る、時に歳二十一。
  ヴィテンベルグ大学教授と成る、一五〇八年。
  神学博士の学位を授けらる、一五一二年十月十九日、時に歳二十九。
  羅馬教会に対して始めて論戦を挑む、一五一七年十月三十一日。
  羅馬教会より破門状を受く、一五二〇年六月十五日。
  同破門状を焼棄て羅馬教会と絶つ、同年十二月十日。
  ヴォルムス会議に召喚さる、一五二一年四月。
  ヴハルトブルグ城内に在り聖書翻訳に従事す、一五二二年。
  カテリン・ポーラを娶る、一五二五年六月十三日、時に歳三十二。
  マールブルグに於てツウィングリと会す、一五二八年十月一日。 〔以上、明治43・10・10〕
  アウグスブルグ会議 一五三〇年六月十五日より十一月十九日まで。
  新教徒のシュマルカルド同盟成る 一五三一年。
  ネルンベルグ会議 一五三二年。
  デンマルク国ルーテル主義に化す 一五三六年。 〔以上、明治43・11・10〕
 
(429)     今昔の感
                         明治43年10月10日
                         『聖書之研究』124号
                         署名 内村生
 
〇此誌が始めて世に出し時に余輩に多くの反対があつた、余輩を偽書者なりと唱へて余輩を世に紹介せし余輩の前《さき》の同志があつた、余輩を不孝の子なりと称して余輩を世に訴へし余輩の骨肉の兄弟があつた、其他、余輩を※[言+肖]《そし》り且つ嘲ける多くの雑誌と新聞紙とがあつた、実に其時に方て小なる余輩の此小なる事業は孤立の状態に於て在つた、或る教会信者の如きは余輩の友人の集会の前に立つて余輩を罵りて言ふた、
  彼の偽善者なるは彼の発行する雑誌の運命に由て卜するを得べし、
と、以て此誌の数月ならずして廃刊するに至るを預言した。
〇其時余輩は誠に孤独であつた、余輩に頼るべきものとては神と少数の友人の外、何人もなかつた、余輩も亦心窃かに思ふた、此誌は遠からずして廃刊の運命に遭遇するであらうと、余輩は廃刊を決して起つた、唯間断なき神に対しての絶叫があつたのみである。
〇然るに聖き詩人の歌ひしが如く
   此苦しむ者叫びたればヱホバ彼に聴き、
   そのすべての患難より救出《すくひいだ》し給へり
(430)であつた、余輩に関する余輩の反対者の預言は当らなかつた、此不人望なる雑誌は容易に亡びなかつた、一年支え、五年支え、終に十年を経て今日に至つた、余輩は教会や、宣教師等よりは一銭一厘の補助をも受けなかつた、余輩は名士に寄書を乞はなかつた、商人に広告を頼まなかつた、世に購読をさへ勧めなかつた、然るに神はすべて無くてならぬ物を余輩に賜ふた、発行十年後の今日、余輩は愛のほか人に何の負ふ所が無い。
〇若し此誌が此国に於て何にか永久的の善事を為したとすれば、夫れは此事である、即ち、日本国に於てキリストの福音を伝ふるに、教会や外国宣教師に頼るの何の必要も無いと云ふ事である、我等は神にのみ頼りて福音を伝て之を日本人固有のものとなす事が出来る、キリストの福音は外より移植されたる者にあらずして、内より生れたる者ならざるべからずとは余輩の持論である、而して此誌は最も小さき者なりと雖も純粋なる日本の産である、之に教会と宣教師とは何の与かる所は無つた、此誌に依てキリストに導かれし者は神が直接に日本人の手を以て己れに導き給ひし者である、而して此誌を以て余は外国宣教師に何の頼る所なくしてキリストの福音を日本国に伝へんとの余輩が三十三年前、北海道札幌に於て懐きし希望の一部分が達せられたのである。
 
(431)     余輩の伝道方針
                         明治43年10月10日
                         『聖書之研究』124号
                         署名なし
 
 余輩は自ら進んで人に余輩の信仰を勧めない、余輩は人が自から進んで余輩に到るを待つ、余輩は又余輩に到るすべての人を納《う》けない、余輩は先づ其人等にキリストを信ずるの困難を説く、殊に余輩を慕ふて来る者あれば、余輩は彼等に先づ余輩の敵に就て委しく余輩に就て穿鑿せんことを勧む、余輩は真実に霊の要求に強ひられて来る者にあらざれば之に余輩の信仰を語らんと為ない。
 余輩は人が如何ほど手段を尽しても人、一人をクリスチヤンと為すこと能はずと信ず、余輩は又神が自から招き給ひし者は如何なる障碍に遇ふも必ずキリストに来りて永久に彼を離れざるを信ず、余輩は神の霊は人の手段に優さりて遥かに有効なるを信ず、故に常に祈りて神の聖業に幾分なりと携はらんことを願ふと雖も、手段方法を尽して世に教勢を張らんとしない。
 
(432)別篇
 
  〔付言〕
 
  原田嘉次郎「人類の友としての山羊」への付言
          明治42年11月10日『聖書之研究』114号
 内村生曰ふ、聖書に於ては山羊は常に悪意に解せらる、曰く
  人の子己れの栄光を以て諸の聖使を率ゐ来る時は其栄光の位に坐し、万国の民を其前に集め、羊を牧ふ者の綿羊と山羊とを別つが如く彼等を別ち、綿羊を其右に山羊を其左に置くべし云々(馬太伝廿五の卅一−卅三)。
此の場合に於ては悪人は山羊に譬へられてある、又旧約時代に在りては山羊は常に罪祭の供物として献げられた、所謂アザゼルの山羊なる者は国民の罪を負はせられて曠野に逐ひやられし者であつて、最も気の毒なる動物である(利末記十六章を見よ)、然るに今や友人原田君に由て此可憐なる人類の友を紹介さる、余輩は今より読者諸君と共に山羊を愛し、原田君に学びて其親しき友たらんと欲す。
 
  別所梅之助「さぴしみ」への付言
          明治42年12月10日『聖書之研究』115号
 (編者曰ふ、茲に我声に似たる声あり、謹んで之を此欄に掲ぐ。)
 
  理学士大賀一郎「菫の生涯」への付言
          明治43年1月10日『聖書之研究』116号
 編者曰ふ、董の花は美なり、然れども菫の生涯は更らに美なり、之に忍耐あり、共済あり、隠れたる美徳あり、読者よ、(434)此篇を精読して春陽の来復に備へよ、而して今年よりは批評家の眼を以て単に百花の外貌を評価するを廃めて、学者の如く、基督者の如く、物を其中心に於て識別する者と成れよ。
 
  宍戸元平「余が見たる日本の湖水」への付言
          明治43年1月10日『聖書之研究』116号
 編者曰ふ、余の知人にして余は未だ曾て宍戸君の如くに湖水を愛するの人を知らざるなり、君は広く欧米諸国に其湖水を見舞ひ、故国に帰てよりも、亦其湖水を尋ねて止まず、常に久しく其|辺《ほとり》に宿り、其精神を解せんと努めらる、今や幸にして君に乞ふて此篇を得たり、余は読者諸氏と共に冬の間に君に学びて、夏の到るを待て、君の指導の下に親しく此等山間の美形を訪づれんと欲す。
 
  原田嘉二郎「私は山羊である」への付言
          明治43年1月10日『聖書之研究』116号
 編者曰ふ、山羊君万歳! 君は人より潔く、君を牧するは教会を牧するよりも善し、我等は以後君を牧して、君の濃厚なる乳汁を以て養はれつゝ、濃厚の真理を君の友人なるお百姓方に頒つであらう。
 
  畔上賢造「無教理主義の思想家」への付言
          明治43年10月10日『聖書之研究』124号
 内村生曰ふ、余は未だフオガツアロの書を読まず、然れども畔上君の此紹介に由りて彼の純然たる伊太利人たるを認めざるを得ない、彼に聞くはサボナロラに聞くが如くである、焔ゆるが如き熱誠、雪をも欺く清浄、是れ伊太利の宗教家に於て貴むべき所である、然れども彼等にルーテルの明察がない、彼等は教会の弊害をのみ矯めんとして、其弊害の由て来りし源因を探らない、教会其物が誤謬であることを認めない、教会は之を改むるも益なき者である、キリストの構神は教会の在ることを許さない、余は本誌の読者が此号より順を逐ふて掲載せらるべき「ルーテル伝」に由て十六世紀宗教改革の棉神の茲に在りしことを知られんことを望む。
 
(435)  〔社告・通知〕
 
 【明治42年12月10日『聖書之研究』115号】
   謹告
 来る一月櫟林集第弐輯発行致すべき筈の所 致労力、入費、配布の諸点より見るも、例月の通り本誌を発行するの遥かに優されるを認め候に付き一月号は特に之を天然号となし、本誌同様の代価を以て発行致し、洽ねく読者諸君に向て発送致し候に付き、諸君に於て左様御承知被下やう願上候。
 本誌今年分合本十二月廿五日までには製本出来致すべく候、代価は郵送料当方持にて一冊に付き壱円参拾五銭に御座候。
  明治四十二年十二月        聖書研究社
       ――――――――――
 
   祝詞
 
 茲に本誌発刊以来第十回の聖誕節を迎ふるを得て、深く神と誌友諸君とに感謝致し候、願くは恩恵裕かに諸君の上に宿り、生等と同じく楽しきクリスマスと喜ばしき新年とを迎へられんことを祈上候。
  千九百〇九年型誕節            内村鑑三
                       家族一同
 
 【明治43年1月10日『聖書之研究』116号】
   謹言
 
 拝啓、今年は殊に多数の読者諸君より歳末歳始の祝詞を賜はり、御厚誼の程、茲に謹みて厚く御礼申上候。
  明治四十三年一月             内村鑑三
                       家族一同
 
 【明治43年2月10日『聖書之研究』117号】
   休刊予告
 少しく休養の必要有之、且つ編輯上の都合有之候に付き、来る三月本誌休刊致し候間左様御承知被下度候、尚ほ来る四月十日桜花爛※[火+曼]の時を以て更らに読者諸君と相見え申すべく候、此段謹告仕候也。
  千九百十年二月
                       内村鑑三
 
(436) 【明治43年4月10日『聖書之研究』118号】
   謹告
 
 去る三月は予告通り本誌休刊致し候。
 
 【明治43年5月10日『聖書之研究』119号】
   伝道金募集に付き謹告
 
 本誌読者諸君にして金銭を以て福音宣伝を助けんと欲せらるゝ方々に其機会を供せんために、茲に伝道金募集を開姶致し候間、有志の諸君は下名孰れへなりと御寄送被下たく願上候、尚ほ其使用の途に就ては雑誌『教友』を以て、又委員より直接に寄附者諸君に御報告仕るべく候、敬具。
  明治四十三年五月
東京府豊多摩郡淀橋町柏木九一九聖書研究社内 内村鑑三
              同所 今井館内 田中竜夫
字都宮市大工町五番地宝積寺銀行宇都宮支店内 青木義雄
 
 【明治43年6月10日『聖書之研究』120号】
   伝道金募集に就て
 
 前号本誌を以て伝道金募集開始を広告致し候処、多数の読者諸君より続々と御送金の栄誉に与かり、応募高今日までに既に二百七十五円に達し、実に謝するに言葉なき次第に御座候、或ひは伝道旅費として、或ひは配布冊子出版費として、或ひは独立伝道者補助費として既に其一部分を消費し多くの便宜を感じ申候、猶ほ御寄送の高に循ひ種々と事業を計画可仕候間、神が諸君を恵み給ひし、程度に循ひ、諸君各自が善しと思はるゝ丈け御寄附被下度願上候、左に同情者諸君が寄附金と共に送られし書翰中の数節を掲げ申候、
 在横浜同志数名より金弐拾円に添へて
  前略、今度先生が先生の多年の伝道歴史中未だ嘗て寄附金抔を云々せられたる事なき前例未聞の聖拳に出られたるは愈特別なる使命の先生の上に降り云々……右は甚だ小額の金子に候得共当地貧乏同志が以前より神に納めたるレプタの堆積して銀行に保管しあるを福音宣伝の特使に神の召し賜ふたる先生等の御手許に神の物を御渡し申す迄に御座候間左様御承知被下度候
(437) 在東京下谷某君より金五円に添へて
  一粒も多かれかしと芥子種
       末祈りつゝ播くぞうれしき
 栃木県宇都宮市某君より金弐百円に添へられ
  謹啓、陳《のぶれ》ば今回キリストの福音宣伝に金銭を以てこの特権に与らんとするものゝ為に伝道金募集御開始の御企画はこれ小生等年来の渇望を充たすものに有之候云々
 北海道北見某君より金壱円に添へられ
  親しき先生始め教友諸兄の御主イエスキリストにより主の御意旨に基き吾等同志の希望を祈りの内に開始被遊るゝ由五月号によりて承り誠に神の御前に慎で奉感謝候、就而小生自身の今日心は張擘くばかり、熱涙胸に満つ、財を以て主の前に尽すは毎月一円づゝに過ぐる不能、然れど私の身分主知り給ふ、何卒御諒察を乞ふ、啻だ一つの賜はりし霊と身とを以て主の前に祈り感謝し希ふのみ、先生始め委員諸兄の霊肉共に健全なれ、云々
其他は略す、斯かる神聖なる金銭を神聖に使用し得らるやう生等のため御祈り被下度候、匆々
                    内村鑑三
                    他委員
 
   謹告
 
 本誌今後従前の通り一年十二冊発行と致し候間左様御承知被下度候。
                    聖書研究社
 
 【明治43年7月10日『聖書之研究』121号】
   社告
 
 本誌儀来八月は休刊仕らず例月の通り発行仕るべく候間左様御承知被下度候。
 読者諸君より御寄附に相成候伝道金は六月三十日までにて金三百十二円四十五銭に相達し申候 茲に重ねて諸君の御厚意を謝し候。
 隣家友人グンデルト氏今般越後村松に転住せられ、其住宅を簡易なる条件の下に我等に貸与せられ候に付き、少しく之に改築を加へ、ルーテル館と命名し、同志の信仰的会合のために使用致し候、是れ全く神と友人諸氏との賜物なりと信じ(438)深く感謝致候。
  一九一〇年七月             聖書研究社
 
 【明治43年9月10日『聖書之研究』123号】
   謹告
 
 東京府下大出水に際し多数の読者諸君より御見舞の御書面に接し、御親切の程厚く御礼申上候、幸にして市外高台に住居致し候事とて何の損害をも受け不申候間御安心被下たく候。
敬具
  九月               内村鑑三
 
   伝道金受取并に支払報告(九月一日調)
 受納総額  金四百〇七円十九銭
 支払総額  金百七十三円七十四銭
   差引残額  金弐百参拾参円四拾五銭
  追て委細は寄附者諸君へ直接に御通知可申上候
   明治四十三年九月          委員
 
     〔2022年7月10日(日)午前11時35分、入力終了〕