内村鑑三全集19、岩波書店、543頁、4600円、1982.3.24
 
一九一二年(明治四五年)一月より一九一三年(大正二年)五月まで
目次
凡例………………………………………… 1
一九一二年(明治四五年・大正元年)
最も偉大なる事 他…………………………3
最も偉大なる事
最大幸福
彼此の希望
讃美すべき死
叫号の声
唯生あるのみ
不治の病
医学と信仰
我等の希望…………………………………… 7
戦闘の人にあらず 平和の人なり…………14
基督教道徳……………………………………18
高橋ツサ子……………………………………21
如何許の愛ぞ 他……………………………26
如何許の愛ぞ
神は愛なり
患難と誘惑
死の歓迎
生命の貴重
健康以上の幸福
ことはり
祝すべき哉疾病
最後の一言
生涯の決勝点
謝辞……………………………………………33
幸福なる彼女…………………………………35
慰むべき者慰めらる…………………………36
艱難と刑罰……………………………………37
宗派なき宗教…………………………………44
我等は四人である……………………………46
俗人の宗教観 他……………………………48
俗人の宗教観
福音の代価
悲歎
信仰は個人的関係
人生の詩
死の慰藉 帖撒羅尼迦前書第四章…………52
重々の不幸……………………………………58
ルツ子の性格…………………………………59
喪中所感 他…………………………………67
喪中所感
死因
最大幸福
二ツの神………………………………………70
真理の証明者=時……………………………72
博さと深さ 同情と確信……………………76
祝すべき死……………………………………79
悲歎と歓喜……………………………………86
無教会主義を棄てず…………………………90
基督教と其信仰 イエスを友とするに外ならず……94
家庭と宗教……………………………………98
如何したら平和に死ねるか……………… 104
地上の教会に関するイエスの比喩的予言 馬太伝第十三章の研究…… 110
今や教会に何でもある…………………… 121
日本の基督教界に於ける故本多庸一君の位置…… 122
世に勝つとは何ぞや……………………… 129
救世軍克己週間寄附金勧誘に付き山室軍平君に贈りし書翰…… 131
聴かれざりし祈祷 他…………………… 132
聴かれざりし祈祷
キリストと我れ
我等の完成
人なるキリスト
来世問題
三角形として見たる福音
キリストの死の貴き所以………………… 136
信仰の生涯………………………………… 139
士師ヱフタの話 少女の犠牲…………… 140
イエスに依る我等………………………… 148
四福音書に就て…………………………… 149
緑蔭独語…………………………………… 151
福なる者 他……………………………… 153
福なる者
イエスにて足る
『其日其時』……………………………… 155
未来の裁判………………………………… 157
自己の引渡し……………………………… 166
現時の宗教信者…………………………… 167
馬太伝と路加伝…………………………… 168
『独立短言』〔序文・目次のみ収録〕… 176
序文……………………………………… 177
ItとHe 他 ………………………………… 186
ItとHe
父子の関係
同志と兄弟
イエスの本性
基督信者
復活と甦り
誤訳正解 馬太伝五章二十八節………… 190
サバチールの信仰………………………… 195
祈求と成就………………………………… 196
真理と智識と自由………………………… 197
マコーレーの信仰………………………… 200
闇中の消息………………………………… 201
愛の法則 他……………………………… 203
愛の法則
神と天然
恩恵の内外
誤解の幸福
忌避乎通過乎 EKとAPOの区別 ………… 207
バプテスマと聖餐………………………… 212
腓立比書の通読…………………………… 219
希望の伴ふ死……………………………… 229
単独の勢力 他…………………………… 231
単独の勢力
自由の偉大
事業と信仰
柿の教訓
義者と患難………………………………… 235
基督者……………………………………… 238
自殺の可否………………………………… 239
ロマ書の大意……………………………… 243
新約聖書の組成(暗誦すべき事)……… 251
万物悉く可なり…………………………… 254
ヤソの流行………………………………… 255
明治と大正………………………………… 260
神の日本国 他…………………………… 261
神の日本国
人の欠乏
我等の倚頼
勝利の途
個人の救済
聖書を教へよ
三位の神
自殺の非認
自殺を禁ずる聖書の言
変らざるキリスト………………………… 266
艦隊として見たる新約聖書……………… 270
今年の秋…………………………………… 273
宗教と農業………………………………… 274
人の善悪…………………………………… 281
北海の秋…………………………………… 282
口絵の説明 他…………………………… 288
口絵の説明
世評を排す
福音を恥とせず…………………………… 290
『商売成功の秘訣』〔表紙〕…………… 291
イエスを思ふて 他……………………… 292
イエスを思ふて
二種の神学
最大の恩恵
基督者の心
寛容大度
「之に生あり」ヨハネ伝一章四節
我が教会
官吏と宣教師
生命の所有者
キリスト降世の意義……………………… 298
パウロの救拯観…………………………… 306
我心はりまが灘や………………………… 315
今年のクリスマス………………………… 316
マリヤの讃美歌…………………………… 318
一九一三年(大正二年)一月―五月
基督者の新年 他………………………… 323
基督者の新年
神の恩恵の福音
基督教の説明
同情の意義
カルビンの肖像に題す
不信国の欠乏 詩と詩人
伝道と伝道
福音の恩恵的解釈………………………… 330
主イエスキリスト 他…………………… 334
主イエスキリスト
旗幟鮮明
生活の質素
破門の権能
人類の救拯………………………………… 336
質問の数々 知らず知らずの記………… 345
『所感十年』〔序文・目次のみ収録〕… 348
自序……………………………………… 350
人の道と神の道 他……………………… 380
人の道と神の道
福音の大要
儀式と福音
自由と独立
信者と不信者
ゴーデー先生を紹介す
時の問題 疑問の解決
無限と希望
輿論と真理
余の愛するパウロ………………………… 387
援助の拒絶
行為の矛盾
初代教会の実例 羅馬書第十六章の研究…… 392
棄教の理由 求道者に忠告す…………… 402
『デンマルク国の話 信仰と樹木とを以て国を救ひし話』〔表紙〕…… 404
Need of the Cross.……………………… 405
人を愛するの愛 他……………………… 406
人を愛するの愛
人を赦すの途
死者の活働
イエスは神なり
雑誌成つて感あり………………………… 409
教会者と預言者…………………………… 411
塩と平和 馬可伝九章四十九、五十節の研究…… 414
自由の我れ………………………………… 420
真正の無教会信者………………………… 421
世を救ふ唯一の力 キリストと其十字架…… 422
立憲政治と基督教………………………… 426
会堂落成を祝するの辞…………………… 430
自他の事業………………………………… 433
Independence.独立 ……………………… 434
伝道と十字架 他………………………… 436
伝道と十字架
神の無限の愛
信者の能力
真理の戯弄
教会対無教会
二種の質問
余の旧き信仰……………………………… 441
義とせらるゝの途 羅馬書初めの四章の大意…… 444
ダビデの話………………………………… 446
 
畔上君訳、カーライル『クロムウエル伝』に就て…… 460
The Passing of America. ……………… 461
死の歓喜 他……………………………… 463
死の歓喜3
権利の放棄
サムエルの話……………………………… 465
 
成功と滅亡 他…………………………… 476
成功と滅亡
偽はりの預言者
イエスの過激
預言の実現 以西結書十二章廿一―廿五節
信仰の目的 満足と平和
再び旧き信仰に就て……………………… 481
八丈島に渡るの記………………………… 485
別篇
付言………………………………………… 487
社告・通知………………………………… 492
参考………………………………………… 495
柏木通信 復活
聖書の力と廃娼の事実
ロバート・オーウェン伝
 
一九一二年(明治四五年・大正元年) 五二歳
 
(3)     〔最も偉大なる事 他〕
                         明治45年1月15日
                         『聖書之研究』138号
                         署名なし
 
    最も偉大なる事
 
 最も偉大なる事は人に勝つ事に非ず、人に負る事なり、彼に我が場所を譲る事なり、其下に立つ事なり、歓んで其の侮辱を受くる事なり、唾《つばき》せられて十字架に釘けらるゝ事なり、斯く為し斯く為されて我は始めて神の心を知るを得るなり、実《まこと》に高き者は低くせられ、低き者は高くせらる、我等神に高くせられんと欲すれば人に低くせられざるべからざる也。
 
    最大幸福
 
 最大幸福は金を有つ事にあらず、之を棄る事なり、富は権力に非ず、束縛なり、真正の自由は富を放棄して来る、世に神に頼る無一物の如く幸福なるはなし、怪む世の最大多数の.此最大幸福を求めずして、其正反対の迹を追ふて止まざる事を。提摩太前書六章六節。
 
(4)    彼此《ひし》の希望
 
 希望は墓の彼方にあり、又此方にあり、彼方には復活、再会、永生の希望あり、此方には全治 同棲、活動の希望あり、イエスと共にありて失望なる者我等にあるなし、我等は永へに光明の中に住む者なり。
 
    讃美すべき死
 
 イエスを信ずる我等に在りては死は極めて小事なり、是れ生命の一の状態より他の状態に移さるゝことなり、我等が之を死と称するは此世の通言に傚ふてなり、小女《むすめ》は死るに非ず寝たるのみと彼は言ひ給へり、彼に信《まか》し奉りて死はまことに睡眠なり、復活の曙にすべて彼を愛する者と共に覚めて起きんまでの睡眠なり、讃美すべきかな。馬太伝九章二十四節。
       ――――――――――
 
    叫号の声
 
 父よ聴き給へ、我が熱信のために非ず、我が善行のために非ず、我が潔白のために非ず、イエスのために聴き給へ、彼の流せし血のために聴き給へ、彼が十字架の上に発せしエリ、エリ、ラマ、サバクタニの声のために聴き給へ、我は彼の執成《とりなし》に由て汝の聖座《みくら》に近づくなり、嗚呼、十字架に挙げられし者のために我が叫号《さけび》の声に耳を傾け給へ、嗚呼父よ、彼のために、然り、彼のために我が祈祷を聴き給へ、我は我が祈祷の爾に受納らるゝの資(5)格を有せず、我が故に求めて我は爾より何物をも求め得ざるなり、然れども、彼の故に求めて、屠られし羔の故に求めて我は爾より何物をも求め得るなり、人は我に爾に求め得るの資格を作れと勧む、罪を洗へと言ふ、バプテスマを受けよと言ふ、然れども父よ我は知る、我は焚かるゝために我身を予ふるも我は尚ほ爾に聴かるゝに足るの資格を作る能はざるを、我に若し爾に我が祈祷を聴かるゝの資格ありとすれば、其は砕けたる悔ゆる我が心なり、父よ然り、我は爾の前に立て全然無資格なり、然れども爾の聖子イエスに爾に聴かるゝの完全なる資格在て存す、故に我は彼の資格を以て爾の前に立つなり、而して彼の聖名に由て爾に求むるなり、アヽ父よ、聴き給へ、彼のために聴き給へ、彼の完全無欠の資格に適合ふ恩恵を以て我を恵み給へ、アヽ父よ、父よ、彼のために、然り、彼のために、アーメン。
 
    唯生あるのみ
 
 イエスに信《まか》す我等に今世来世の二世あるなし、唯永生の一世あるのみ、我れ生くれば汝等も生んと彼は言ひ給へり、死はもはや我等に無き者なり、我等に唯生あるのみ、イエスと偕にする我等に唯生あるのみ、讃美すべきかな。
 
(6)    不治の病
 
 世に不治の病多し、然れども是れ医学の立場より見ての不治なり、神の立場より見ての不治にあらず、全能の神に勿論不治の病あるなし、結核、胃癌、※[病垂/難]瘋《ちゆうぶ》……彼は容易く之を癒すを得べし、我等は唯聖旨の成らんことを欲するのみ、病の難治の如き、敢て之を意に介せざるなり。
 
    医学と信仰
 
 死体の解剖を基礎として立つ近世の医学は言ふ 死、死、死、と、生命の君を主として仰ぐ我等は言ふ、生、生、生と、生命は天に充ち又地に溢る、霊に盈ち又体に迸る、我が来るは羊(信者)をして豊かに生を得しめんがためなりと彼は言ひ給へり、イエスに在りて死は生に呑まれたり、而して我等彼を信じて死を語らずして生を語るなり、然り、いやが上にも生を語るなり。約翰伝十章十節。
 
(7)     我等の希望
                         明治45年1月15日
                         『聖書之研究』138号
                         署名 内村生
 
 我等キリストを信ずる者の希望は死して此世を去りて直に天国に行く事ではない、其事は善き事であらうかも知らない、然し最も善き事ではない、我等の希望は死して復たび甦り、聖められたる此地に於てキリストと共に義の生涯を楽まん事である、此地は元より汚れたる所ではない、人類の犯したる罪の故に呪れたる所たるに止まる、其罪にして除かれん乎、此地はまことに神の造り給ひし楽園である、悲惨とは楽園たるべき此地が涙の谷と化したる事である、故に希望とは此地が元の楽園に化し、聖徒が其中に聖き義しき生涯を送らんことである、而して基督信者の希望とは此希望であるのである、
  聖国《みくに》を臨《きた》らせ給へ
との彼の日々の祈祷は此希望を述るのである、「天国《みくに》に往かしめ給へ」ではない、「天国を此地に臨らせ給へ」である、即ち此地を天国と化し給へとの祈求《ねがひ》である、此美はしき、完全なる、宇宙の中華とも称すべき此地を、今日の如く悪人、佞人、奸物、偽善者の手に委ね置き給ふことなく、之を謙遜なる者、柔和なる者、饑渇く如く義を慕ふ者の有《もの》たらしめ給へとの祈求である。
 而して実現せらるべき天国の天にあるのでなくして地にあることはキリストの言に照らして見て明かである。
(8)  心の貧しき者は福ひなり、天国は即ち其人の有なれば也
  柔和なる者は福ひなり、其人は地を嗣ぐことを得べければ也
と、天国を有つと云ふ事と地を嗣ぐと云ふ事とは同じである、我等の待望む天国は天に於て在るに非ずして天に化せられたる地に於て在ることは明かである。
 イエスの昇天の時に天使は弟子等に告げて曰ふた、
  ガリラヤ人よ、何故に天を仰ぎて立つや、汝等を離れて天に挙げられし此イエスは汝等が彼の天に昇るを見たる其如く又|臨《きた》らん
と(行伝一章十一節)、如斯くにして我等の主イエスは天に昇り了つたのではない、彼は再たび其所より此地に来り給ふのである、彼は不浄はしき所として此地を棄去り給ふたのではない、彼は父の側に在りて聖霊を以て此地を聖め給ひつゝあるのである、而して聖化の業の成りし暁には父の所を出て再たび此地に臨み、聖徒と共に之を治め給ふのである、基督信者の希望とは此事である、地の聖化である、イエスの再臨である、信者の復活である、而して之に伴ふ万物の復興である、美はしき此地が神と其受膏者の有となり、聖徒が其中にありて義の冕を戴くことである。
  受造物《つくられしもの》の切なる望は神の子等《こたち》の顕はれんことなり
と云ふ(羅馬書第八章十九節)、即ち、信者の希望のみならず、宇宙万物の希望も亦茲に在るのである、即ち悪魔の子等が失すると同時に神の子等が顕はれ、此地が聖められたる彼等の手に渡らんことである、今や此地と其すべての宝貸《たから》とは悪魔の子等に濫用されつつあるのである、彼等は曰ふ「権力即ち権利」なりと、強き者跋扈して(9)義き者は窘迫す、光る金と輝く金剛石とは義の冕を飾るために用ゐられずして、不義の権能の表号として使用せらる、故に謂ふ
  万の受造物は今に至るまで共に歎き共に苦しむを我等は知る
と(羅馬書八章廿二節)、金も歎くのである、銀も歎くのである、玉も歎くのである、石も歎くのである、花も歎くのである、鳥も歎くのである、山も歎くのである、野も歎くのである、神と其子等に由て使用せられずして、悪魔と其子等に由て濫用せらるゝを歎くのである、富士山に悲哀の貌がある、罪が盛んに其麓に於て行はるるからである、琵琶湖に痛哭の涙がある、其岸に悪鬼が横行するからである、悲歎之より大なるはない、而して我等の希望も天然の希望も神の子等の顕はれて、彼等が此の地の主《ぬし》たらんことである、天国は此地以外に求むるに及ばない、其中より罪を除いて此地は天国であるのである、而してキリストの再来と云ひ、信者の復活と云ひ、万物の復興と云ひ、皆な地上に於ける天国の建設に伴ふ事柄であるのである、此の至美極麗なる地球は一たび完全なる聖徒の住所《すみか》となるまでは消失せないのである。
  我れ新らしき天と新らしき地とを見たり、先きの天と先きの地とは既に過ぎ去り、(混乱の)海も亦有ることなし、我れ聖き城《まち》なるヱルサレムの備へ整ひて神の所を出て天より降るを見たり、其の状《さま》は新婦《はなよめ》その新郎《はなむこ》を迎へんために修飾りたるが如し
と(黙示録廿一章一、二節)、然り、聖き城なるヱルサレムは上なる天に在るのでない、備へ整ひて、新婦が新郎を迎ふるが如くに神の所を出て天より地に降り来るのである、而して其時
  神の幕屋人の間にあり、神、人と共に住み、人、髪の民となり、神彼等の目の涙を悉く拭いとり、復た死(10)あらず苦痛《いたみ》あることなし
に至るのである(仝三、四節)、其の時地は始めて其の受造の目的を達するのである、預言者イザヤの言に由れば
  ヱホバ起ちて地を震動《ふるいうごか》し給ふ時、人々(悪人等)その畏るべき容貌《かたち》とその稜威《みいづ》の光輝《かゞやき》とを避けて巖の洞と地の穴とに入らん、其日人々(悪人等)己が拝せんとて造れる白銀の偶像と黄金の偶像とを※[鼠+偃の旁]鼠《うころもち》の穴、蝙蝠《かはほり》の穴に投げて岩々の隙《はざま》、嶮しき山峡《やまあひ》に入り、ヱホバの起て地を震動し給ふ、其いるべき容貌と稜威の光輝とを避けん
との事である(以賽亜書二章十九節以下)而して之に反して
  此時義者は其父の国に於て大陽の如く輝かん
との事である(馬太伝十三章四十三節)、実に福祉《さいはい》なるは此時である、此時に最上の幸福があるのである、地が聖化せられし時、此世がキリストの国と成りし時、神の羔に贖はれし者が、すべて悉く白き義の衣を着けて、王キリストと共に地を統治《すべおさむ》る時、天使の国、讃美の里……嗚呼然り、我等の待ち望む者は是れである、我等は天に昇らんと欲しない、或は天に昇る前に、一たび我等の切愛する此地に我等の理想の行はるゝを見んと欲する、而して是れ単に我等の理想ではない、神がキリストを以て結び給ひし固き約束である、神は此事の成就《なしとげ》らるゝまでは休み給はないのである。
 言ふまでもなく、此事は此世の政治家や宗教家を以て行はるゝのではない、又世が進化の極に達して茲に到るのではない、是れは神御自身が最後にキリストを以て行ひ給ふことである、其事は聖書の明かに示す所である、而して我等は其事の神に由て行はるゝを待ち望む者である、我等の希望は待望である、我等は此世に在て此事を(11)望み、又墓に眠て此事を望むのである。
  それ主、号令と天使の長の声と神の※[竹/孤]を以て自ら天より降らん、其時キリストに在りて死し者先づ甦り、後に活て存る我等彼等と偕に雲に携へられ空中に於て主に遇ふべし、斯くて我等何時までも主と偕に居らん
と(テサロニケ前書四章十六節以下)、然り、空中に於て主に遇ひ(主を迎へ)、彼と偕に地に降り来り之を治めん、而して其後永久彼と離るゝ事あらじとの事である、我等は終には天に昇り行くのである乎も知らない、然れども先づ此地に於て其美、其真を味ふにあらざれば之を永久に去らないのである、地は此儘にして消去る者ではない、我等も亦此儘にして地を去るのではない、是非一度は地上に於て天国を目撃するのである、而して聖書は明白に此希望を我等に供ふるのである。
  嗚呼、福ひなる哉我等、我等に此|美《よ》き希望があるのである、我等は死して直に此地を去て天に行くのではない、我等は復たび甦りて此地に帰り来るのである、嗚呼、然らば我が愛する山よ 愛する川よ、愛する国よ、愛する家よ、我等は死して永久に汝と別るるのではない、我等は再び汝と相会するのである、而して其時は今の時の如くにあらず、其の時に復た死あらず、哀み哭き痛み有ることなしである、涕を拭はれて山を見て山は如何に美くしくあるであらふ、痛みなき心を以て眺めて海は如何に靂はしくあるであらふ、而して其時の我国は如何に美《よ》くあるであらう、真個の愛国者のみ其中に在るであらふ、其時に於てこそ始めて真個の神国を此国に於て見るのであらう。
 然れども是等のすべての歓喜は愛する者との再会に及ばないであらふ、嗚呼川の畔に語りし友、森の小蔭に囁きし者、我等は其時聖められて彼等と再会するのである、其時の談話は如何に楽しくあるであらう、其時に涕は(12)全く無いでは無からふ、戦闘の苦痛の談話、勝利の歓喜の物語、それを継けて我等に感謝と歓喜の涕の絶ゆる時はないであらふ、
   つみかさなれる雲間を過ぎて
   キリスト信徒の心の空に
   彼方の光は潮《うしほ》の如く
   喜ばしくも心を充たす
   多数《あまた》群がる清き友の
   絶えず奏《かなづ》る響の音《おと》は
   はや我等の耳に触れぬ
    川の彼方の岸辺に立ちて
    我等は会ふてまた離れじ
    四時変らぬ涼しき夏の
    光り輝く讃美の里に。
   旅路の終くるまでの
   なほ暫時《しばらく》の疲れ足
   夕影暗くなるまでの
   なほ暫時の憂き仕事
(13)   暮るれば床に息ひねて
   眠れば夜は直《ぢき》あけて
   光り輝く讃美の里に
   我等は起きてまた眠らじ
    川の彼方の岸辺に立ちて
    我等は遇うてまた離れじ
    四時かはらぬすゞしき夏の
    光り輝く讃美の里に。
              (数回死を宣告せられし病女の救護を計りつ〜ある間に草す)。
 
(14)     戦闘の人にあらず
         平和の人なり
                         明治45年1月15日
                         『聖書之研究』138号
                         署名なし
 
 余輩を以て奮闘の人なりと云ふ者がある、然り、余輩は奮闘の人である、乍然、攻撃の人ではない積りである、余輩は他を壊たんがために闘はない、自己を守らんがために戦ふ、自己の人権と、意思の自由と、霊魂の尊厳とを守らんがために戦ふ。
 政府の官吏あり、余輩に臨むに明白なる非理と迷信とを以てすれば、余輩は良心の命を重じ、神と自己と人とを欺かざらんがために「否な《ノー》」と言ひて其要求を拒むのである、余輩は自から進んで彼れ官吏を攻むるのではない、余輩は人たるの神聖を守らんがために止むを得ず、多くの苦痛を忍んで「否な」を以て彼に答ふるのである、彼と彼の同僚とが其時余輩を責むるに不遜を以てし、傲倨を以てし、頑迷を以てするも、余輩は彼等の詰責を恐れて余輩の「否な」を取返さないのである、其場合に於て戦闘は彼を以て始つたのであつて余輩を以て始つたのではない、余輩の衷に神の余輩に賜ひし良心の城がある故に、余輩は之を守らんがために止むを得ず余輩に臨みし非理の脅迫を撃退せんと努めたのである、彼にして若し余輩の人権を重んじ自由を尊びしならば戦闘は決して余輩より始まらなかつたのである。
(15) 教会の役員あり、余輩に臨むに余輩の信じ難き信条を以てし、余輩を駆て其一員と成さんとせし時に、余輩は止むを得ず、神が余輩に賜ひし信仰自由の神権を守らんがために、又「否な」と曰つて彼れ監督、又は牧師、又は長老又は宣教師の言を斥けたのである、余輩は信じ難き事を「信ず」と云ふことは出来ない、然り、余輩は縦令地獄に落さるゝとも余輩の信仰に反きて信ずることは出来ない、羅馬法王は使徒ペテロの継承者なりと聞いて余輩は之を受取ることは出来ない、英国聖公会は神の定め給ひし地上唯一のキリストの教会なりと聞いて余輩は其説を信ずることは出来ない、而して斯かる信条を以て余輩に臨む者があれば余輩は大胆に彼等に対て言ふのである、
  法王何者ぞ、監督何者ぞ、然り、ペテロ何者ぞ、パウロ何者ぞ、彼等は皆な罪の人にしてキリストの救に与りし又は与かるべき者にあらずや、彼も人なり我も人なり、神は彼等に由らずして直に余輩を救ひ給ふなり、余輩は人として彼等を尊敬す、然れども彼等は己が信仰を以て教権を装ふて、余輩に臨むべからざるなり、
と、而して斯く大胆に彼等の勧誘を斥くるが故に、彼等が余輩を称して「大悪《オーフル》」なりと云ひ、「可憎《ホリブル》」なりと云ひ、異端と云ひ、狼と云ふも余輩は敢て意に留めないのである、余輩は敢て戦闘を挑んだのではない、彼等は招かざるに余輩に臨み、余輩の自由を妨げしが故に余輩は止むを得ず、大胆に明白に彼等の要求を拒んだのである、此場合に於て戦闘開始は彼等の為したる事である、余輩より進んで彼等を攻めたのではない、彼等より来りて余輩をして防衛を余儀なくせしめたのである、彼等にして若し余輩の人たるの自由を尊重し、余輩に強ゆるに彼等の信仰を以てせざりしならば此戦闘は始まらなかつたのである。(16)イエスを信ずる余輩は平和の愛好者たらざらんと欲するも得ないのである、戦闘は其すべての形に於て余輩の忌み嫌ふ所の者である、余輩も亦パウロと同じく
  為し得べき限りは力を竭してすべての人と睦み親まんと欲する者である(羅馬書十二章十八節)、戦闘は決して快事ではない、悲事である、痛事である、余輩は切に之を避けんと欲する、然しながら或る場合に於ては止むを得ない、「為し得べき限りは」である、戦闘は如何なる場合に於ても避くべしとの事ではない、遅くべからざる場合がある、教権を盾に取りて人の定めたる信条を神の真理として余輩に其の受領を迫る者があれば止むを得ない、余輩は福音の真理のために、霊魂の自由のために断然之を斥けざるを得ない、余輩は平和の撹乱を恐れて沈黙を守ることは出来ない。
 而して余輩の信仰自由は常に此脅迫を免かれないのである、今は昔と異なり教会は火と剣とを手にして其の信仰を以て余輩に迫らないが、然し彼等はすべての手段を弄して、余輩の自由を妨げんとするのである、曰く斯く信ずるは神の聖旨に反すと、曰く教会を離るゝはキリストを去るに等しと、曰く、教職より水の洗礼を受けざる者は基督信者に非ずと、曰く何、曰く何と、茲に於てか余輩は止むを得ず余輩の防衛を続けざるを得ないのである、基督信者と称はるると否なとは余輩の関する所ではない、乍然信仰の唯我独尊を以て居る教会に対しては余輩は常に「否な」の声を発せざるを得ないのである、少くとも彼等が再たび其の不遜の要求を以て余輩に近づかざるやう余輩は彼等に対して常に反抗的態度に立たなければならないのである。
 余輩は重ねて言ふ余輩は戦闘を愛する者ではないと、神は愛である、故に平和である、彼を信じて凡て人の意《おもひ》に過ぐる平和が余輩の心に臨むのである、余輩は神を信ずるを得て野の獣《けもの》と和らぐことが出来、林の小禽《ことり》を友と(17)するに至つた、若し為し得べくんば余輩はすべての人と和らがんと欲する者である、
  至高所には栄光神にあれ、地には平和 人には恩恵《めぐみ》あれ、
 人が若し自己を以て足れりとなし、己が所信を以て人に迫らず、唯人を援くるを知て、之を我宗又は我党に引入れんとするの念を断つならば、茲に戦闘の根は断たれて、平和は全地に臨むであらふ。
 
(18)     基督教道徳
                         明治45年1月15日
                         『聖書之研究』138号
                         署名なし
 
 基督教は道徳ではない、福音である、道徳ではないが然し其中に単純にして確乎たる道徳がある、其れは是れである、即ち
  汝、心を尽し、精神を尽し、意を尽し、主なる汝の神を愛すべし、又己の如く汝の隣を愛すべし、
 基督教道徳は是れで尽きて居るのである、故にイエスは曰ひ給ふた、
  凡ての律法《おきて》と預言者とは此二つの誡《いましめ》に因れり
と(馬太廿二の三十七−四十)、即ち旧約の総体新約の総体は是れにて尽きて居るとのことである。
 「神を愛すべし、人を愛すべし」、基督教道徳を約めて言へば是れ丈けである、簡単是れに勝さるはない、然し同時に又高遠是れに勝さるはない、深淵是れに勝さるはない、是れは道徳の両極である、凡の道徳は此間に介在するのである。
 基督教は此世の道徳の如くに単に人を愛すべしと云はない、謂ゆる人道と基督教と異なる点は茲にある、人は人として愛することの出来る者ではない、人には多くの愛し難き点がある、人は神に叛きたる罪人である、故に人を人として愛せんと欲して我等は失望せざるを得ない、人道教の弱点は茲に在る、人を愛すべしと唱へて、実(19)際人を愛し得ざるにある、乍然、神を愛して人を愛することが出来る、然り神を愛して敵なる人をさへ愛することが出来る、神は永久に愛すべき者である、彼の愛に励まされて愛するに最も難き人をも愛することが出来る、故に基督教は神を愛すべし、又人を愛すべしと教へて人を愛する真の道を伝へるのである、人は神を離れて克く愛することの出来る者でない、愛神は愛人の基礎である、基督教のみ真《まこと》正しき人道、即ち愛人の道である。
 基督教は又他の宗教の如くに単に神を愛すべしと教へない、神は霊である、眼に見えざる者である、故に彼を愛せんと欲して愛するに途が無いのである、彼を黙想すればとて彼は喜び給はない、彼を祭りたればとて彼は嘉し給はない、全宇宙に神の本尊なる者はない、神は愛すべきであるが、人は神御自身を愛せんと欲して其の途を知らない。
 乍然、神を愛すべし又人を愛すべしと教へられて、茲に神を愛するの真の道が示されたのである、即ち人を以て神を愛すべしとの意である、キリストの言ひ給ひしが如く、
  汝等もし我を愛するならば我が誠を守るべし
と(約翰十四の十五)、而してキリストの誡とは人を愛することである、見えざるキリストを愛するならば見ゆる兄弟を愛すべしとの意である、神を愛すべし、人を愛して神を愛すべしとの意である、茲に於て神を愛するの途が判然と示されたのである、キリストは神を愛するの途として別に祭事を教へ給はなかつた、彼の在世中彼が宗教の儀式に携はり給ひしことは一回も記されてない、彼は儀式に甚だ冷淡なる人であつた、彼は頚言者ホゼヤの言を引いて言ひたまふた
  我れ衿恤《あはれみ》を欲《この》みて祭祀《まつり》を欲まず
(20)と(馬太九の十三)、衿恤とは人を愛することである、祭祀とは礼拝儀式の類である、而して神の欲み給ふことは人を愛することであつて、礼拝や儀式でないとのことである。
 茲に於てか宗教が人道化されたのである、神を祭るの途は人を愛するにありとの貴き教訓が伝へられたのである、儀式は茲に無用視せられ、愛の行為が宗教的義務として認められたのである、我等は茲に神を喜ばし奉る真の途を示されたのである、「汝等若し我を愛するならば汝等の同胞を愛すべし」との事である、茲に於て宗教は実際的の者となつたのである、此大教訓の出てより宗教家たる者は世を離れ人を去り、神と交はると称して、沈思黙考の中に一生を終るべき者でなくなつたのである、人を助くること、それが宗教である、人を愛すること、其れが基督教である、キリストの御父なる真の神を愛せんと欲して是れより外に途はない、余輩は前に全宇宙に神の本尊は無いと言ふたが、事実は決してさうでない、世界十二億の同胞、是れ皆な悉く神の本尊である、我等是れに事へて神に事ふることが出来る、神の聖殿は何処にも在る、必しもロ一マ又はヱルサレムに往くに及ばない、神に像られて造られし人の居る所に其処に神の聖殿は在る、我等は其の人に冷水一杯を与へて神を喜ばし奉ることが出来る。
 神を愛すべし又人を愛すべし、神のために人を愛すべし、人を以て神を愛すべしと、是れ基督教道徳であつて完全の道徳である、宗教の粋、道徳の醇は茲に在る、宗教も道徳も是れより以上に達することは出来ない。
 
(21)     高橋ツサ子
                         明治45年1月15日
                         『聖書之研究』138号
                         署名 内村鑑三
 
 余に余を愛して呉れる多くの婦人がある、(余は最も清き意味に於て爾か言ふ)、而して其中に在りて余を最も深く愛し呉れ、又最も善く余を解し呉れた者の一人は高橋ツサ子である、而して今や此人亡し、余は悲哀《かなしみ》に堪えないのである。
 高橋ツサ子は岩手県稗貫郡花巻町の産であつて、其地の屋号|今酉《いまとり》の長女である、明治十七年に生れ、去年十一月末日二十七歳を一期として此世を逝つた、十七歳の時、彼女の小学教師より正義の何物よりも貴きを学び、奮然立て之を己が身と家と郷とに行はんとした、其年独り上京し余を角筈の家に訪ふた、然るに余は妙齢の女子の父兄の依頼を齎らさずして余の所に来るを許さゞるが故に涙を揮つて彼女を花巻の家に逐帰した、余は其時に思ふた、之を以て彼女と余の関係は絶ゆるであらふと、然し余の推測は当らなかつた、彼女は尚ほ余を慕ふて呉れた、而して其後一年を経ざるに再たび母の添書を齎らさずして我の家を訪ふた、余は彼女を叱つた、而して無慈悲にも前回同様彼女を陸中の家に逐返した、その時の余は彼女よりも遙かに辛かつた、彼女は彼女の家を聖《きよ》めんとして余の許を訪ふたのである、然るに余は日本国の家庭を重んずる点よりして、父兄の保護の下に在る者は、其承諾を受けずしては余の家に受けないのである、茲に主義の衝突があつた、余は前回に勝さるの熱き涙を揮つ(22)て彼女を彼女の母の許に送り還した、其時の余は鬼であつた、然し止むを得ない、余は能く其不完全を知ると雖も日本の旧き家庭は之を重んぜざるを得ない、余は其時思ふた、ツサ子は深く余を怨んだであらふ、彼女は余に就て失望したであらふ、彼女は正義実行の志望を断つたであらふ、惜む可き小女の志を挫きしよと。
 然し余の推測は又外れた、彼女は再度の送還に甚く失望した、然しながら余に就て失望しなかつた、彼女は余の許に留まり得るの好き機会の到来するを待つた、而して斯かる機会は余の提供に由て終に来つたのである、明治三十九年彼女は三たび余の角筈の家を訪ふた、余の要求に応じ彼女の母の允許を得て来つた、余と余の家族とは喜んで彼女を受けた、彼女は茲に余の家族の一人となつた、家に留まる事一年有半、彼女は甘んじて下女の職務を取り、讃美歌を口すさびながら余の家の厨房に働らいた、気品卑しからず厳粛なる彼女は下女としては余りに貴くあつた、然し彼女は喜んで其地位に立つた、而して其の地位に在りて勝手口より入来らんとする悪魔を幾回か余のために斥けた、其の時に方り多事多端なりし余の家は其方面に在ては最も安全であつた、浮虚の徒は彼女に近づき得なかつた、若し清潔の婦女があるとすれば彼女は実に其模範であつた、彼女に接するは聖童に接するが如くであつた、婬と云ひ、猥といふがごときは微塵だも彼女に於て認むることが出来なかつた。
 ツサ子は今西家の長女であつた、而して早く父を失ひし彼女は家を継がざるを得なかつた、是れ彼女の身の振方に就て彼女と彼女の友人とが甚しく心を悩ましたる原因であつた、若し彼女に此責任なかりしならば余は彼女を養女に貰受け彼女の身の始末を附けたであらふ、而して彼女も亦此事を望んだであらふ、然れども是れ彼女と余等とが望んで叶はざる希望であつた、彼女は終に家に帰らざるを得ざるに至つた、彼女が余の家に在りて受けし物は僅少《わづか》ばかりの聖書智識であつた、之に対して彼女が与へし物は一年有半の誠実なる労働と熱烈なる愛心で(23)あつた、余は今に至り此事を思ふて余の彼女に対する負債の償はれざりしを悲しむのである。
 其後彼女は更らに二回余の家に来つた、而して前後五回の出入に由て彼女は余の家の者となつた、家の長女たり其後継者たる彼女に取り大問題は婿取問題であつた、而して彼女の主義と確信とを以てして是れ至難の問題であつた、彼女は婿取を拒まなかつた、然し彼女と人生の目的を共にする者にあらざれば之を夫として迎ふるを拒んだ、而して人心の萎靡せる今日の日本に於て、殊に東北地方に於て、之を看出すは難中の難事であつた、彼女に又茲に公表する能はざる多くの苦痛があつた、彼女は今の日本に在りては余りに潔き婦人であつた、他の人には罪と見えざる事も彼女に取りては罪であつた、他の人には軽き罪も彼女に取りては重き罪であつた、姦淫と飲酒、是れ彼女が憎んで止まざるものであつた、彼女は全心を傾けて之を排斥した、而して姦淫と飲酒とに少しも触れざる男子とては今日の日本には甚だ稀れであるのである、彼女は彼女の懐きし主義の故を以て、今日の日本国に於ては自づと聖童《ホーレーバージン》と成たのである。
 然らば如何にして彼女の家を支えん乎、是れ彼女の考ふべき最後の問題であつた、世の謂ゆる才媛たり閨秀文学者たるには彼女は余りに真面目であつた、然らば伝道会社に雇はれてバイブルウーメンたり、又女生徒監督たらんには彼女は余りに峻厳であつた、彼女の高潔に近づき難き所があつた、彼女は意に適はざればメツタに微笑をすら洩らさなかつた、斯く言ひて彼女は勿論冷淡なる婦人ではなかつた、彼女の心の深き所には世に稀れに見る所の温情があつた、最も女らしき彼女は彼女の信仰と之に対する世の軽薄との故を以て大理石の如き白き冷たき表面《うはべ》を作るべく余義なくせられた。
 斯くて彼女は終に田舎の小学教師を以て彼女の一生を終らんと決した、而して裁縫術研究のために去年三月彼(24)女は最後の上京を為した、然し時は既に遅くあつた、彼女の蒲柳の質は既に壊頽の兆を示した、重き心臓病は上京と殆んど同時に始まつた、三ケ月を経て彼女は故郷花巻に帰つた、而して五ケ月の久しき苦しき病に悩んだ、余に関する彼女の最終の言葉は是れであつた、即ち「をら(方言)が死ねば先生は屹度東京から来る」と、十一月三十日、クリスマス号の原稿の纏りし日に花巻の友人より「ツサコメサル」との電報が達した、之を読んで慟哭の声は余の家に揚つた、余は其夜、余の娘の重病に臥するを措いて、直に岩手県指して発した、余は※[さんずい+氣]車の中で彼女の葬儀の席に於て語るべき事を種々と考へた、然れども実際其席に臨み、彼女の柩を前に置いて会葬者に対して語らんと欲して、余は涙に咽びて何事をも語り得なかつた、余は唯低声もて大略左の如く語り得たのみであつた、
  皆様は此女を以てたゞ耶蘇教を信ずる頑固なるツマラナイ女であつたと思はるゝ乎も知れません、然し、私は思ひます、若し世が世ならば高橋ツサ子は実にエライ女であると云はれて世に尊まれたのであります、彼女は今の日本人に解せらるゝには余りにエラクありました、彼女の理想は欧米人に聞かしても決して耻かしくない者であります、私は信じます、今より百年の後、日本人の思想が今日よりも遙かに進歩した暁には、この花巻の人等《ひとたち》は「我等の中に高橋ツサ子なる高潔なる女傑ありたり」と云ひて天下に誇るでありませうと、ツサ子はまことに是れぞと云ふ社会的大事業を成しませんでした、然し彼女は社会を其根底より改めんとしました、彼女は先づ自己を改めました、而して後に家を、而して後に花巻の町を、而して後に日本をと彼女は計画したのであります、彼女は彼女の理想の余りに高きが故に早く仆れたのであります、彼女の失敗は彼女の無能の故でありません、彼女の生存せし社会の不完全なる故であります、彼女は此社会を救はんとて、(25)之と闘つて、不撓不屈、終に彼女の主義のために仆れたのであります、
と、斯くて簡単なる葬儀は終り、柩は其前後を友人に守られて北上河々畔の墓地に向て運ばれたのである、余は独り腕車を与へられ、彼女の柩の前に曳かれた、時に暮雲低く北上の河流を圧し、昏鴉悲鳴を発して鳥栖《ねぐら》に帰る頃、余は彼女の亡躯《なきがら》に対し哥林多前書十五章五十一節以下を読み、茲に余が彼女の師たるの最後の義務を果たしたのである。
 嗚呼難い哉人の師たる事よ、ツサ子の如き者に師として仰がれたるは余の大なる名誉である、然れども此名誉に伴ふ義務! 余は果して能く之を尽したであらふ乎、余は此事を思ふて胸が張り裂くるやうに感じた、余はツサ子の亡躯に対して言はざるを得なかつた、
  ツサ子よ赦せ、余は汝の困難なる地位に於て克く汝を慰むる能はざりし、余は汝を教ゆる事甚だ拙なりし、余は汝の先生としては実に価値なき者なりしと、斯く感に打たれて柏木の家に帰れば余の病女は余の不在を訝《あや》しみ、今や遅しと余の帰るを待ちつゝあつた、霊の娘を葬り帰て肉の娘の看護を続けた、此世はまことに涙の谷である、神なくキリストなくしては居るに堪えない所である、然れども、嗚呼、然れども、嗚呼福ひなる哉我等!!!
 
(26)     〔如何許の愛ぞ 他〕
                         明治45年2月10日
                         『聖書之研究』139号
                         署名なし
 
    如何許の愛ぞ
 
 子を持て知る親の恩を、然り、子を失ふて識る神の愛を、
  夫れ神は其生み給へる独子を賜ふほどに世の人を愛し給へり、此はすべて彼を信ずる者に亡《ほろぶ》ること無くして永生《かぎりなきいのち》を受けしめんため也(約翰伝三章十六節)、
  汝等視よ、我等|称《とな》へられて神の子たることを得、是れ父の我等に賜ふ如何許の愛ぞ(約翰第一書三章一節)、
 嗚呼然り、是れ如何ばかりの愛ぞ!!!
 
    神は愛なり
 
 人生に悲痛多し、然れども神は愛なり、すべての生命は死を以て終る、然れども神は愛なり、神は小女の綻びんとする蕾の生命をさへ取去り給ふ、然れども彼は愛なり、神は愛なり、然り、神は愛なり、世は廃れ、地は壊れ、愛する者は悉く失するとも神は愛なり。
 
(27)    患難と誘惑
 
 「我友よ我を憐めよ、我を憐めよ、神の手我を撃《うて》り」(約百記十九章二十一節)、患難の堪え難きは患難其物の故に非ず、悪魔の誘惑の之に伴ふが故なり、患難に遭遇して信者に不信者の知らざる苦痛在りて存す、患難に遭遇して神の愛を疑はざらんがために我等に大なる苦闘あるなり 希ふ患難の我等を神より引離すことなくして更らに固く我等を彼に結附けんことを。
 
    死の歓迎
 
 死は信者にも来り不信者にも来る、義者にも臨み悪者にも臨む、然れども義者に臨みて死は彼を完成し、悪者に臨みて彼を破滅す、詛ふべきは死にあらず、罪なり、罪を除かれし者の上に死は何事をも施す能はず、否な、却て彼を潔め、彼を磨き、彼をして神の前に完全き者たらしむ、神を信じ罪を赦されて我等は死をさへ歓迎するを得るなり。
 
    生命の貴重
 
 生命は生命のために貴からず、聖霊のために貴し、聖霊が肉体に在りて霊魂を完成せんがために貴し、健康の回復は我等の強て求むる所にあらず、我等は聖霊が肉体に在りて其中に宿る霊魂を完成せん事を欲す、我等が生命の一刻も長からんと欲するは是れがためなり、人の肉体はまことに聖霊の殿《みや》なり、禽獣のそれと異なり、単に(28)営養の機関として目すべからざる者なり。
 
    健康以上の幸福
 
 生命と健康とは大なる恩恵なり、然れども死に勝つの能力《ちから》は更らに大なる恩恵なり、我等祈りて健康を回復し能はざらむ、然れども神は我等の祈願にまさりて死に勝つの能力を我等に賜ふべし、我等何人も一たびは必ず死せざるべからず、而して必然死すべき我等に取りて死に勝つの能力は神が我等に賜ふ最大の恩恵ならざるべからず、幸福なるはキリストに依りて死に勝つことなり。
       ――――――――――
 
    ことはり
 
 此号自づからルツ子号となりぬ、是れ敢て余輩の私情を読者に訴へて諸君の同情を求めんがために非ず、此機会を利用して死に対する余輩の態度を明かにし、以て聊か世を慰めんと欲するに外ならず、キリストの恩恵は最も著く死に際して顕はる、死する者、死者を送る者、死を慰むる者、皆な彼よりの特殊の恩恵に与かる、天より声あり曰く、今より後主に在りて死ぬる者は福ひなりと(黙示録十四章十三節)、死の恐怖を除き、其苦痛を癒す者にしてキリストの福音の如き他に有るなし、神は余輩の愛子の死を以て余輩をして更らに此福音を宣伝へしめ給ふ、余輩に他意あるなし、読者之を諒せよ。
 
(29)    祝すべき哉疾病
 
 ルツ子の罹りし疾病は不明なり、或ひは局処不明の結核症なりと云ひ、或ひは混合黴菌性の発熱なりと云ひ、或ひは慢性脚気併発なりと云ふ医師の診断区々にして定かならず、唯頑固なる高熱の降らずして衰弱の結果、終に斃れしは事実なり。
 病症の果して何なりし乎は医学上の問題として存するなるべし、然れども彼女を死に至らしめし疾病が彼女の霊魂を完成するに於て偉大の効力ありし事は疑ふべからざる事実なり、彼女の肉体を焼燼しつゝありし疾病は同時に彼女の霊魂を完成しつゝありしなり、無邪気なりし彼女は六ケ月間の病苦に由りて成熟せる信仰的婦人と成れり、疾病は彼女の肉を滅して彼女の霊を救へり、故に余輩は言ふ、「祝すべき哉疾病」と。
 殊に医師より死の宣告の下りし後のルツ子は信仰的に立派なりき、神とキリストの名を聴て彼女の眼球は涙にて浸されたりき、彼女は己の罪を悔ひ、之を神の前に認《いひあらは》はして其|赦免《ゆるし》を得たりき、彼女は又悉く彼女の敵を赦したりき、彼女は曰へりき「我が心中今や一点の怨恨を留めず」と、病床に在りて彼女は瞑目して感謝するにあらざれば食を取らず薬を飲まざりき、平素信仰の表彰には至て無頓着なるが如くに見えし彼女は終焉に近づくに循いて篤信の婦人となれり。
 殊に臨終の前三時間、彼女が其父母と共に聖餐式に与りし時の如き、是れ彼女に取り生れて始めての聖餐式なりしに拘はらず、彼女は能く其深き意義を解せるが如く、自から其細りし手を以て杯を採りて主の血を飲み了りしや、死に瀕せる彼女の顔面に歓喜の光顕はれ、彼女は鮮かなる声を以て
(30)  感謝、感謝
と繰返せり、誠に死を宣告せられてより死に至るまでの五週間は彼女に取りては全然信仰の生涯なりき、彼女の平生を知る我等は之を観て異様の感なきを得ざりき。
 人命の貴きは健康の故にあらず、聖霊の故なり、人の体は聖霊の殿なり、聖霊は人の体に在《いま》して其霊魂を完成し給ひつゝあるなり、生命は必しも之を保留するを要せず、然れども聖霊は必ず其業を了へざるべからず、而して聖霊の聖業成りて人は何時死するも可なり、そは彼は是れがために世に生れ来りたれば也。
 基督的医師《クリスチヤンドクトル》とは誰ぞ? 聖書の言に合《かな》ひ、身体を聖霊の殿《みや》として神聖に取扱ふ者なり、生命保留、健康回復の途絶えたればとて、決して之を放棄せざる者なり、医師も亦伝道者と同じく神と共に働らく者ならざるべからず、身体なる聖殿に於て聖霊をして其聖業を成就《とげ》しめまつる者ならざるべからず、余輩はルツ子の場合に於て疾病を利用して霊魂を完成し給ふ聖霊の奇しき聖事を拝見せり、誠に神を愛する者に取りては恐るべき疾病《やまひ》も亦働らて益を為すを目撃せり、驚くべく又感謝すべきにあらずや。
       ――――――――――
 
    最後の一言
 
 「モー往きます」とはルツ子最後の一言なりき、彼女は此言を発して後、十二分にして気息《いき》絶たり。
 「モー往きます」、言簡短にして意味深遠!
 「往きます」なり、「死にます」に非ず、又は「滅《き》えます」に非ず、彼女の生命は終止せしに非ず、延長せし(31)なり、彼女の場合に於て霊魂不滅は事実的に証明せられしなり。
 「モー往きます」と、何処へ?、悪しき処へ往きしには非ざるべし、彼女の死顔が其口元に微笑を留めしを見て、以て彼女の善き処へ往きしを知るなり、其時、彼女に先立しツサ子イチ子等は彼女を迎へ、天使は既に彼女を抱きて光輝の国へと彼女を携へしにはあらざる乎、我等は爾かく信ぜざらんと欲するも能はず。
 「モー往きます」と、何故の「モー」か、最早既に此世に於て為すべき事を為し了りしが故に往くとの意なりし乎、或ひは受くべきの苦痛を受け尽し、飲むべきの苦がき杯を飲み乾せしが故に往くとの意なりし乎、更らに或ひは光輝《かゞやき》の国は既に彼女の眼に映ぜしが故に、最早此汚濁の世に居るに堪えずして往くとの意なりし乎、言簡短にして其意を解し難し、然れども解し難しと雖も察するに難からず、ルツ子の此最後の一言に主の
  事竟りぬ
の音色を認めざらんと欲するも能はず。
 熟れにしろルツ子の此最後の一言の、死の河の此方より発せられし者にあらざりしは明かなり、是れ彼女が既に
  河の彼方の岸辺に立ちて
彼女の枕辺に彼女を送りつゝありし彼女の父と母とに向て発せし言ならざるべからず、我等は茲に墓の彼方よりの明白なる音信に接せしなり。
 「モー往きます」、脉搏絶えてより殆んど四十五分、一時間に余る死との大苦闘を続けし後に、ルツ子の唇より発せし此貴き一言、而かも苦痛の調子を帯びず、小女らしき自然の声、嗚呼年は来り、年は去り、世は移り、(32)物は変るとも、我等は此一言を忘れざるべし、願ふ我等も亦此世の業を終へて、聖父の国に往かんとする時、
  モー往きます
の言を発して彼女の往きし処に往かんことを。
       ――――――――――
 
     生涯の決勝点
 
 生は美しくある、然し死は生よりも美しくある、生のための死ではない、死のための生である、美しく死んだ者が生を全うしたのである、恰かも競走場裡に於けるが如く生涯の勝敗も亦最後の一分間に於て決せられるのである、此一分間に後れを取て生涯は失敗に終るのである、生涯の此決勝点に於て神より特別の力を賜はり、馳《はし》るべき途程《みちのり》を尽した者は福である。
(33)     謝辞
                         明治45年2月10日
                         『聖書之研究』139号
                         署名 鑑三
 
 今日は別に多くも御通知申上げませんに拘はらず、斯くも御大勢様の御出席を忝ふしまして感謝の至りに堪えません、顧みますれば今より十八年前、明治二十七年三月十九日、日清戦争開戦の当年、ルツ子が京都の借宅に於て生れました時には、私供の此世の境遇が其絶下に達したる時でありまして、彼女の誕生を祝ふて呉れました者は彼女の祖父と祖母との外には誠に少数でありました、然るに彼女の眠りました今日は、それとは全く違いまして、斯くも多数の友人諸君に送られます事は彼女の大なる名誉であります、彼女は既に此世に於て為すべき事を為し終りて父の国に帰つたのであります、彼女は最も幸福なる婦人であります、私供は彼女のために喜びます。
 故に今日の此式を私供は葬式と見做さないのであります、今日の此式は是れルツ子の結婚式であります、私供彼女の両親は今日私供の愛する娘を天国に嫁入さするのであります、今日は是れ黙示録に示してある所の羔の婚姻の筵《むしろ》であります、ルツ子は今日潔くして光ある細布《ほそきぬの》即ち聖徒の義を衣《き》せられましてキリストの所に嫁入りするのであります、故に私共は彼女の棺を蔽ひまするに彼女の有する最上の衣類を以てしました、今日は是れルツ子の晴れの祝儀《いはひ》の日であります。
(34) 世には良縁を得たりとて喜ぶ親達があります、然しながら孰れの良縁か天国に勝さる者がありませう、娘をキリストの処に嫁して彼女の両親は最も安心であります、私供は今よりルツ子の身の上に就て何も心配する必要がないのであります、斯かる次第でありますれば皆様もドーゾ私供に就て御心配被下ぬやう、又眠りしルツ子の事に就て御歎き被下ぬやう偏へに願ひます。
 
(35)     幸福なる彼女
                         明治45年2月10日
                         『聖書之研究』139号
                         署名なし
 
 キリストは死をもて死に勝ち給ひました(ヒブライ書二章十四節)、彼は死を避けて死に勝ち給ひませんでした、生きて此世に存《のこ》るは大なる恩恵であります、然し死に勝つて此世を去るは更らに大なる恩恵であります、ルツ子は幸にして此最大の恩恵に浴しました、私供は神を讃美せざるを得ません。
 
(36)     慰むべき者慰めらる
                         明治45年2月10日
                         『聖書之研究』139号
                         署名なし
 
 人を慰むべき余輩は今は人に慰めらるべき者となれり、テマン人エリパズ、困難《なやめ》るヨブを戒めて曰く
  先きに汝は多くの人を誨《をし》へ諭《さと》せり、
  手の垂たる者をば強くし、
  躓く者をば言《ことば》をもて扶け起し、
  膝の弱りたる者を強くせり、
  然るに今此事汝に臨めば汝悶え、
  此事汝に加はれば汝|怖惑《おぢまど》ふ、
と(約百記四章三節以下)、然り、神の手、余輩に加はりて、余輩の髀《もゝ》の枢骨《つがひ》挫け、余輩は歩行《あゆ》むこと能はざるに至れり、然れども希ふ、此挫折たるや、軈て新たなる振起を促し、余輩の名も亦改まり、旧きヤコブは新らしきイスラエルとなりて、新たなる福音の更らに余輩に由て世に伝へられんことを。(創世記三十二章)。
 
(37)     艱難と刑罰
                         明治45年2月10日
                         『聖書之研究』139号
                         署名 内村鑑三
 
 余輩が艱難に遭遇する度毎に悪魔と此世の人とは余輩に告げて曰ふ、
  汝は神と人とに対して大なる罪を犯したるが故に此艱難は汝に臨みしなりと、而して余輩と雖も亦自身艱難の渦中に在る間は其|苦痛《くるしみ》に堪えずして、同じ思念に駆られ、己に省み、罪を探り、之を除きて余輩に臨みし艱難より脱せんとする、然しながら大抵の場合に於て艱難は如斯くにして脱することの出来る者でなく、罪を悔ゆるも、悔ゐざるも、艱難は余輩を苦しむる丈け苦しむるにあらざれば余輩を去らないのである。
 茲に於てか大問題は余輩に提供せらるゝのである、艱難は果して神の刑罰である乎と、而して聖書を探りて見て艱難は刑罰であるかのやうに書いてある所は無いではない、
  災禍の起るはヱホバの之を降し給ふならずや
と預言者アモスは思ひ切つて曰ふて居る(亜麼士書三章六節)、彼は又曰ふ
  主ヱホバ曰ひ給ふ、我れ雨を止めて……田圃は雨を得ずして枯れたり、然るに汝等は我に帰らず……我れ枯死殻《しひなせ》と朽腐穂《くさりほ》とをもて汝等を撃ちなやませり、汝等の多くの園と葡萄|園《ばたけ》と無花果樹《いちゞくのき》と橄欖樹《かんらんのき》とは蝗これを(38)食へり、然るに汝等は我に帰らず……我れ汝等の中に疫病を起し、剣をもて汝等の壮年《わかきもの》を殺したり……然るに汝等我に帰らずとヱホバ言ひ給ふ、
と(同四章七節以下)、之に由て観れば旱魃も凋萎病も虫害も疫病も戦争も神の起し給ふ事であつて、民の罪悪を懲さんがための刑罰であるとのことである。
 ユダヤ王ヘゼキヤ病んで死なんとせし時、彼れ神に祈りて
  嗚呼ヱホバよ、願くは我が真実と一心をもて汝の前に歩み、汝の目に適ふことを行ひしを記憶へ給へ
と言ひて痛く泣きたれば、神は王の病を癒し、其齢を十五年増したりと云ふ(列王紀略下二十章)、之に由て観れば病気も亦神が人の罪を怒りて降し給ふ刑罰であつて、是は悔改を以て取除かるゝ者であるとの事である。
 旧約時代全体に渉り、神の選民がすべての災禍に関して抱きし観念はヨブの友人の一人なるテマン人ユリパズに由て言はれた、
   悪しき人はその生ける日の間常に悶え苦しむ、
   強暴の人の年は数へられて定めおかる、
   其耳には常に怖ろしき音聞こえ、
   平安の時にも滅す者之に臨む、
   ……………………………
   患難《なやみ》と苦痛《くるしみ》とは彼を懼れしむ、
   是政に彼は富まず、其|貨物《たから》は永く保たず、
(39)   その所有物は地に蔓延《ひろが》らず、
   又|自己《おのれ》は黒暗《くらやみ》を出るに至らず、
   火焔その枝葉(子孫)を枯さん、
   而して其身は神の口の気吹によりて亡び往ん、
と(約百記十五章二十節以下)、而して是れ旧約時代のイスラエル人の抱きし観念でありしのみならず、人類全体の懐く観念である、即ち幸福は神の恩恵の兆であつて災禍は神の恚怒の候《しるし》である、故に幸福は善人に臨み、災禍は悪人に来る、人の善悪は彼に臨む禍と福とに由て判別《みわく》ることが出来ると、而して是れ旧約時代のイスラエル人に止まらない、又真の神を識らざる異教の民に止まらない、自から基督信者なりと称する者も亦大抵は同じ観念を懐いて居る、彼等も亦異邦人と等しく人の善悪を糺明すに彼に臨みし禍福を以てする。
 然しながらユダヤ人ギリシャ人、信者不信者の別なく人は全体に禍福に就て斯かる観念を抱くに関はらず、キリストのみは是れとは正反対の観念を抱き給ふたのである、光の主にして正義の体得者なるイエス・キリストは世の謂ゆる災禍を以て神の悪の兆と認め給はなかつたのである、身の禍福にかゝはるキリストの観念は此世の人のそれとは全く異つて居つたのである。
 当時《そのころ》集りたる者の中にビラトがガリラヤ人の血を其供物に混《まぜ》し事をイエスに告ぐる者ありたり、イエス答へて彼等に曰ひけるは、汝等此ガリラヤ人は是の如く迫害《せめ》られしが故にすべてのガリラヤ人よりも勝りて罪ある者と思ふや、我れ汝等に告げん、然らず、汝等も若し悔改めずば皆同じく亡さるべし、又シロアムの塔倒れて圧死《おしころ》されし十八人はエルサレムに住めるすべての人々よりもまさりて罪ある者と思ふや、我れ汝等に告(40)げん、然らず、汝等も若し悔改めずば皆同じく亡さるべし(路加伝十三章一節以下)。
 イエスは茲に言ひ給ふたのである、人に臨む災害は其人の殊更らに罪人である兆候ではない、若し人の罪を言ふならばすべての人は罪人である、悔改めずば彼等は終に悉く亡さるべき者である、幸福なる人も不幸なる人も富める人も貧しき人も、健康なる人も病める人も神の前に別はない、彼等若し悔改めずば彼等は皆な悉く滅さるべき者であると、実《まこと》に義しきイエスの眼前には「義人なし一人もあるなし」であつた、彼は人に臨む禍福を以て其義、不義を定め給はなかつた。
 然しイエスは茲に止まり給はなかつた、彼の愛の眼中には災禍なる者はなかつた、天の父の心を以て心となし給ひし彼は災禍をも福祉《さいはひ》として見たまふた、
  イエス道を行く時生来なる瞽を見しが、其弟子彼に問ふて曰ひけるは、ラビ此人の瞽に生れしは誰の罪なるか、己れに由るか、又両親に由るか、イエス答へけるは、此人の罪に非ず、又其両親の罪にも非ず、彼に由りて神の行為《わざ》の顕はれんためなり(約翰伝九章一節以下)、
 茲に災禍が全然恩恵の立場より解釈されたのである、盲目と云へば何れの国に於ても特別の天罰として認めらるゝに関はらず、イエスは茲に断然と盲目は天罰にあらず、恩恵の顕はるゝための機会なりと云ひ給ふたのである、実に大胆なる言にして如斯きは無い、是は神の子を待たずしては言ふ事の出来ない事である、イエスの此言に由て災禍に対する人類の思考は一変したのである、然り、一変すべきである。
 災禍は災禍ではない、天罰ではない、神の恚怒の表現ではない、其反対である、災禍は神の行為《みわざ》の顕はれんがための機会である、故に若し人が之を其目的を以て用ひれば、恩恵である、イエスの立場より見て、又イエスに(41)救はれし者の立場より見て、身の艱難《なやみ》は凡て神の我等に降し給ふ恩恵であると、是れイエスが特別に人に伝へ給ひし大福音であつて、基督信者なる者はすべて此福音に循つて人生を解釈すべきである。
 キリスト以前、既に旧約時代に於て人生の此解釈があつたのである、約百記は如斯くにして艱難を解釈した書である、ヨブは何故に悩まされし乎と云ふ問題に対して、彼の三人の友人は当時の教会と神学とを代表して、彼は或る、人に知られざる大罪悪を犯したるが故に、彼に異例の大艱難が臨んだのであると曰ふた、而して彼等は親切の心よりしてヨブをして此罪悪を表白《いひあら》はさしめて、彼より災害を除かんとした、然るにヨブは彼に臨みし災禍に適当する自己の罪を思出すことが出来なかつたのである、彼は神の前に罪人であることを認めた、然し神の恚怒の標的《まと》となる程の罪を犯したりとは認むることが出来なかつた、彼の友人は彼に臨みし災禍に於て彼れヨブが罪人であることの確証を握つたと思ふた、故に彼に迫るに罪の表白と悔改とを以てし、如斯くにして彼を救はんとした、彼等の友誼たるや貴むべしであつた、然し彼等は神の心を知らなかつた、彼等の艱難哲学は甚だ浅薄であつた、彼等は此事に関しては時代の子供であつた、教会信者であつた。
 艱難はヨブを罰するために彼に臨んだのではない、神が御自身を彼に示さんがために臨んだのである、而して艱難がヨプの身に加はれば加はる程、神はより深く自己を彼に顕はし給ふたのである、約百記は艱難を以てする神の自顕の記録である、是れ人類に与へられたる最も美麗なる、且又最も深遠なる艱難哲学の教科書である、而してヨブが終に神に向つて、
  我れ(今日まで)汝の事を耳にて聞ゐたりしが今は目をもて汝を見たてまつる、是をもて我れ自から恨み、塵と灰の中にて悔ゆ(42)と曰ひて神が彼に艱難を送り給ひし目的が完全に達せられたのである。
 人生の目的は神を識るにある、
  唯一《ただひとり》の真神《まことのかみ》なる爾と其遣しゝイエス・キリストを識ること、是れ永生《かぎりなきいのち》なり
とイエスは曰ひ給ふた(約翰伝十七章三節)、而して艱難にして若し此目的を達するために必要であるとならば、艱難は決して災禍ではない、恩恵である、而してヨブの場合に於て艱難は此祝すべき目的を達したのである、而
して我等の場合に於ても亦、艱難に由らずして此目的は達せられないのである、イエス御自身が「苦艱《くるしみ》を以て完《また》くせられ」たのである(希伯来書二章十節)、我等も亦イエスの苦艱を受けずしては彼の如くに成ることが出来ないのである。
 イエスに由て神の人に対する態度が一変した、循つて人の神に対する態度が一変した、
  彼れ木の上に懸りて我等の罪を自から己が身に負ひ給へり
と(彼得前書二章二十四節)、茲にすべての呪詛《のろひ》、すべての刑罰は取除かれたのである、イエスが「木の上に懸り」てより災禍《わざはひ》は災禍でなくなり、天罰は天罰でなくなつたのである、而して神は既に恩恵の態度を以て世に対し給ふなれども、未だイエスを知らざる者は今尚ほ旧時の恐怖の態度を以て神に対し、世のすべての艱難に於て神の恚怒と呪詛とを認むるのである、然しイエスを知る者は此世の人の如くに人生を解しない イエスを知る者に取りては天罰とか災禍とか云ふ者は一つもないのである、すべてが皆な恩恵であるのである、饑饉も豊稔も、成功も失敗も、健康も疾病も、生も死もすべてが悉く恩恵であるのである、パウロの曰へるが如く
  すべての事は神の旨に依りて召かれたる神を愛する者のために悉く働らきて益をなすを我等は知れり
(43)である(羅馬書八章廿八節)。
 余輩は愛の神に刑罰なる者は無いと言ふた、然し若し刑罰なる者があるとすれば、それは事業の失敗ではない、生活の困難ではない、肉体の疾病ではない、家庭の不和ではない、然り、死其物でもない、是等は皆な艱難不幸天刑の中に算へらるべき者ではない、若し神の刑罰なる者があるとすれば、それは神を識ることの出来ない事である、未来と天国とが見えない事である、聖書を読んでも其意味が解らない事である、感謝の心の無い事である、俗人の如くに万事万物を見る事である、是れが真の災難である、最も重い刑罰である、余輩の常に祈る所は、如何なる艱難に遭遇するとも、神を忘れ、キリストより遠かり、俗眼を以て人生を見るに至る其災害を蒙らざらん事である、而して之に反して、益々明かに神とキリストとを識るを得て、益々深く人生を恩恵的に解釈するを得て、益々鮮かに来世を認むるを得て、余輩の身にヨブに降りし七倍の艱難が降り来るとも、余輩は喜び且つ感謝するのである、恩恵とは身の幸福ではない、霊の光明である、財貨とは全世界ではない、眼に見えざる真の神である、唯一の真の神と其遣し給ひしキリストを識ること、是れが永生である、最大幸福である、最大の賚賜《たまもの》である、而して此至大至高の恩恵に与からんがためには、貧も可なりである、世と友人とに棄てらるゝも可なりである、疾病も可なりである、然り、死其物も可なりである、余輩はイエスに在りて死其物に於てすら神の笑顔を拝し奉るのである。
 
(44)     宗派なき宗教
                         明治45年2月10日
                         『聖書之研究』139号
                         署名なし
 
 宗派なき宗教とは人の死に対する時の宗教である、此時教派もなければ神学もない、保守派もなければ進歩派もない、近世主義もなければ無教会主義もない、此時神は神であつて、キリストはキリストである、此時来世は無いと云ひ、キリストは救主でないと云ふ信者は一人もない、此時信者はすべて神と人情とに於て一つである、此時宗教は完全無欠である。
 何故に我等は常に斯く有り能はざる乎、何故に我等は死に対する時にのみ一致する乎、死は極く稀れに人の中に臨むことである乎、我等の中に死なざる者が一人たりとも有るのである乎、世に死ほど普通なる者は無いではない乎、然れば我等は何故に常に死と相対して在ることが出来ないの乎。
 哲人シセロは言ふた、「世に死ほど普通なる者はない、然るに人はすべて死は無い者と見做して日を送つて居る」と、人に近い者とて死の如きはないのである、彼は常に我等の側に立つて居るのである、然るに我等は彼を認めずして、彼は無きかの如くに、日々振舞ひつゝあるのである。
 願ふ我等の日々神の擁護の下に在るが如く死の蔭に在らんことを、而して相互を宥し、相互を愛し、相互を憐み、相互を扶け、我等は来世の継承者であると同時に又塵の子供であつて死の標的《まと》であることを知り、安らかに(45)此短かき一生を終らんことを。
 我れ死者のために何を為さん乎、死者に宗派なし、国家なし、人種なし、死者は人類的にして宇宙的なり、故に我は死者のために万人と平和を結ばん、是れ死者を紀念するための最も善き途なり。
 
(46)     我等は四人である
                         明治45年2月10日
                         『聖書之研究』139号
                         署名 鑑三
 
  我等は四人であつた、
  而して今尚ほ四人である、
  戸籍帳簿に一人の名は消え、
  四角の食台の一方は空しく、
  四部合奏の一部は欠けて、
  讃美の調子は乱されしと雖も、
  而かも我等は今尚ほ四人である。
  我等は今尚ほ四人である、
  地の帳簿に一人の名は消えて、
  天の記録に一人の名は殖えた、
  三度の食時に空席は出来たが、
(47)  残る三人はより親しく成つた、
  彼女は今は我等の衷に居る、
  一人は三人を縛る愛の絆となつた。
  然し我等は何時までも斯くあるのではない、
  我等は後に又前の如く四人に成るのである、
  神の※[竹/孤]の鳴り響く時、
  寝《ねぶ》れる者が皆な起き上る時、
  主が再たび此地に臨《きた》り給ふ時、
  新らしきヱルサレムが天より降る時、
  我等は再たび四人に成るのである。
 
(48)   〔俗人の宗教観 他〕
                         明治45年3月10日
                         『聖書之研究』140号
                         署名なし
 
    俗人の宗教観
 
 始めに宗教は不用なりと言ひ、次ぎに宗教を利用すべしと言ひ、終りに基督教を採用すべしと言ふ、俗人の宗教観は常に此の如し、古今東西変ることなし、我等は彼等と何の干与する所あるべからざる也。
 
    福音の代価
 
 キリストの福音に世を感化する絶大の力ありと云ふ、真に然り、而して其理由は之を知るに難からず、神は之れがために絶大の代価を払ひ給ひたればなり、彼は其生み給へる独子をば犠牲に供し給ひたればなり、犠牲あり、感化あり、犠牲なし、感化なし、感化の大小は犠牲の有無多寡に由て決せらるゝなり。 我等の唱ふる福音も亦然り、我等も亦高き代価を払ふて我等の福音を伝へざるべからず、福音は之を神学校に学ぶ能はず、之を神学書に獲る能はず、苦んで高き犠牲を払ふて之を我有となすを得るなり、パウロ曰く「死は我等に働らき生は汝等に働らくなり」と、我等死の苦痛を嘗むるにあらざれば生は他人に及ばざるなり、辛らい(49)哉伝道、貴ぶべき哉伝道!(哥林多後書四章十二節)。
 
    悲歎
 
 死は歎ずべし、然れども死にまさるの悲歎あり、信仰堕落是れなり、死に復活の希望あり、然れども堕落に再興の希望尠し、ヱレミヤ曰く
   死者のために泣く勿れ
   之れがために嗟く勿れ
   ※[手偏+虜]はれて往く者のために甚《いた》く嗟くべし
   そは彼は再び帰りて其|故園《ふるさと》を見ざるべければなり
と(耶利米亜記廿二章十節)、然り、死者のために泣く勿れ、彼のために欺く勿れ、誘惑者《いざなふもの》に※[手偏+虜]はれて神とキリストとより離れ往く者のために甚く歎くべし、そは彼等は再たび帰りて主に依る愛と誠実との故園を見ざるべければ也。
 
    信仰は個人的関係
 
 或人は言ふ、基督教は余輩の信仰であれば、彼等は余輩に盲従するを好まざるが故に之を棄るなりと。
 又或人は言ふ、基督教は教会の編纂せし教義であれば、彼等は理性に逆らひ之を迷信的に信ずるを好まざるが故に之を去るなりと。
(50) 然れども基督教は余輩の信仰ではない、又教会の作りし教義でもない、基督教はキリストである、基督教を信ずるとは余輩に盲従することでないのは勿論、此の宇宙観、又は彼の人生観を採用することではない、基督教を信ずるとはナザレのイエスを信ずることである、彼に主として事ふることである、彼を人類の模範として仰ぎ、彼と深き霊的関係に入ることである、余輩は「我に従へよ」と言ひて人に迫らない、余輩は又或る特種の教義を齎らして之を人に強ひない、余輩は唯人をイエスに導かんとする、之を伝道と称するが故に多くの誤解が起る、伝道ではない、人物紹介である、キリストと称せられしナザレのイエスの紹介である、余輩は此事に従事するのである、人を駆て余輩の弟子となさんとしない、又彼等を余輩の教会に引入れんとしない。
 「汝はイエスを信ずる乎」とは余輩が何人にも問はんと欲する所である、而してイエスを信ずる者が信者であつて彼を信ぜざる者が不信者である、人の信仰如何はイエスと彼との個人的関係如何に由て定まるのである。
 而してイエスを信ずるとは密かに彼を信ずることではない、信は忠信である、独り密かに心の中に信じて之を口に認《いひあら》はし得ざるは不忠である、イエスを信ずる者はイエスの名を恥とせざる者である、イエスのために人に嫌はれ、世に憎まるゝを以て反て歓喜となす者である、ニコデモの如く夜蔭に乗じてイエスを訪ひ、密かに其説に敬服し、或る程度まで彼に従はんと欲する者の如きはイエスの忠実なる弟子ではない、「凡そ人の前に我を識らずと言はん者を我も亦天に在す我父の前に之を識らずと言ふべし」とイエスは曰ひ給ふた(馬太十の三十三)。
 
    人生の詩
 
   我に告ぐる勿れ悲しき調子を以て、
(51 )  そは霊魂《たましひ》は寝《ねぶ》りて死せず
   万物眼に見ゆるが如くにあらざればなり。
  人生は真実《まこと》なり人生は真面目なり
   而して墓は其終局にあらざるなり
  汝は塵なるが故に塵に帰るべしとは
   霊魂に就て言はれしにあらざるなり。
           (ロングフエローより訳す)
 
(52)     死の慰藉
        帖撒羅尼迦前書第四章
                         明治45年3月10日
                         『聖書之研究』140号
                         署名 内村鑑三
 
     第十三節
 
  我等汝等の知らざるを好まず、兄弟よ、寝れる者に就て、是れ汝等が憂愁《なげ》かざらんがためなり、希望を有たざる他の人々の如くに、「我等」 パウロとシルワノとテモテ、此書を贈れる人々、キリスト信者を代表して云ふ 〇「汝等」 此書を受取りし人々、テサロニケに於けるキリスト信者 〇「知らざるを好まず」 此重要なる事を知らざるを好まず、(羅馬書十−章廿五節参照)、復活再来はキリスト信者に取りて重要事項なり、之を除き去りて健全なる信仰あるなし 〇「兄弟」 主イエスに有りて希望を共にする人々「他の人」と相対して云ふ 〇「寝れる者」 死にたる者、信者に取りては死は寝寐なり、ヤイロの死せる少女に就てイエスは曰ひ給へり「少女は死にたるに非ず寝ねたる耳」と(路加伝八の五二)、又死せるラザロに就て曰ひ給へり「我等の友ラザロは寝ねたり」と(約翰伝十一の十一)、生ける霊と成るを得し信者に取りては死は休息なり、英語に墓地を cemetery と称ふは寝室の意なり、(53)信者は死して墓の中に寝ね、茲所に元気を回復し、復たび興きて新たなる生命に入るなり 〇「汝等が憂愁かざらんがためなり」 死の何たる乎に就て知るは汝等が不信者(他の人々)の如くに憂愁かざらんがためなり、憂愁くこと悪しきにあらず、是れ人たる者の自然の情なればなり、然れども希望なき者の如くに憂愁くこと、是れ信者たる者の為すべからざる事なり、憂愁に聖なると聖ならざるとあり、信者も亦不信者の如く死を憂愁く也、然れども絶望的に憂愁かざるなり、パウロは人情に反きて「汝等死を憂愁く勿れ」とは言はざるなり、憂愁くべし、泣くべし、然れども復活再会の希望ある者の如く憂愁くべしと言ふなり 〇「他の人々」 第十二節に於ける 「外人《そとのひと》」といふに同じ、信者の立場より見て信仰上の他人なり、以弗所書二章十二節に謂ふ所の「希望なく又世に在りて神なき者」なり、所謂不信者なり、常に我等の信仰を嘲けり、我等を迫害《せむ》るを以て喜楽となすと雖も、一朝死に遭遇すれば自己を慰むるに途なき者なり、「他人」なりと称して我等は彼等を疎遠せず、我等は彼等を愛し、彼等に我等の希望を伝へんと欲す、然れども我等は彼等と同じく死に遭遇して希望なき憂愁に沈まんことを好まず、我等は自から信者なりと称して高ぶらんとは欲せず、然れども我等は死に遭遇して信者の懐く希望を以て我等の希望となさんと欲す、我等は死後の希望の有無を以て自他の境界となさんと欲す。
 
     第十四節
 
  そは我等若しイエスの死して又甦へりし事を信ずるならば、其如く又神、既に寝れる者をイエスを以て彼と偕に携へ来り給へばなり。
 「そは」 我等信者は希望を有せざる不信者の如くに憂愁くべからず、其故如何となれば 〇「イエスの死し(54)て又甦りし事」 是れ初代信者の最も重要なる信仰箇条なりしなり、此事を信ぜずして人は基督者として認められざりしなり、「汝、若し口にて主イエスを認《いひあら》はし心にて神の彼を死より甦らしゝことを信ぜば救はるべし」と使徒パウロは言へり(羅馬書十の九)、使徒とは特にイエスの復活の証明者たりし也(行伝一の廿二)、初代に於ては今日の如くイエスの復活を否定する基督信者なる者はあらざりしなり、故に「我等若しイエスの死して又甦へりし事を信ずるならば」と云ふは「我等若し基督者ならば」と云ふに等しかりしなり、パウロは茲に基督信者通有の信仰に訴へて死の慰藉を供しつゝあるなり 〇「其如く」神がイエスを甦らし給ひし其如く 〇「神……イエスを以て」 寝れる者は甦らさるべし、然れども独り自から甦るにあらず、神がイエスを以て彼等を甦らし給ふなり、復活は神の聖業《みわざ》なり、自然の動作《はたらき》にあらず、神の奇蹟なり、神がイエスを以て信者の上に行ひ給ふ奇蹟なり 〇「彼と偕に携へ来り給へばなり」 寝りし者を甦らし、イエスと偕に彼等を携へ来り給ふ、イエスの再たび来り給ふ時、彼に在りて寝りし者を彼と偕に携《つ》れ来り給ふ、イエスは「死の中より首《はじめ》に生れし者なり」(哥羅西書一の十八)、彼は又「多くの兄弟の中に嫡子たる者なり」(羅馬書八の廿九)、信者はイエスの如き者なり、然り、イエスの兄弟なり、故に彼と死を共にし又生を共にする者なり、「我れ生くれば汝等も生きん」と彼は言ひ給へり、(約翰伝十四の十九)、イエスと利害を共にし、哀楽を共にし、生死を共にする信者は終に彼(イエス)の如く甦らされ、又彼と共に臨るべしとの事なり 〇信者の復活、再顕の希望はイエスに在り、イエスと運命を共にする信者はイエスの如く苦しめられ又イエスの如く崇めらる、又イエスの如くに死してイエスの如くに甦へらさる、此希望あるが故に、信者は不信者の如く死者に就て憂愁かざる也。
 
(55)     第十五節
 
  我等主の言を以て汝等に此事を告げん、即ち、我等生きて主の臨るまで存《》ながらふ者は既に寝れる者に先たじ。「主の言を以て」 死後の事に関して人の言を以て語るも無益なり、人は実験的にも亦推理的にも死後の状態に就て知る能はず、生命の主キリストのみ能く未来に就て知り給ふ、我等は今、此事に就て我等の言を語らず、主が我等に示し給ひし所の事を汝等に伝ふと 〇「我等生きて云々」 主は再び此地に臨り給ふ、其時此世は化してキリストの国となり、地上に天国を視るに至るべし、而して其時其栄光に与かる者は其時生存する信者に止まらず、すべての信者は其栄光に与かるべし、天国の民は地上の人と異なり、最終の者最善ならず、彼等は進化最終の結果として彼等のみ地上の天国を継承するに非ず、我等生きて主の臨るまで存ふ者のみ入て天国の民となるに非ず、否な、我等先きに入て既に寝れる者後に入り来るに非ず、天国入国の順序は地上逝去の順序に従ふと。
 
    第十六節
 
 主御自身、号令を以て、天使の長《をさ》の声を以て、神の※[竹/孤]を以て、天より降り給はん、而して主に在りて死し者先づ甦らん。
 「主御自身」 其最後の時に方て主は其|聖業《みしごと》を其僕に委ね給はず、自から天の聖座を離れ、神の子たるの権威を以て天上より降り給はん 〇「号令」 其時勧誘あるなし号令あり、寛容あるなし権能あり、そは宥恕の時期己に過ぎて審判の時到りたればなり 〇「天使の長の声」 天使の長の発するが如き声、宇宙に響き、天地を動(56)かすが如き声、ベツレヘムの客舍の槽に発せられしが如き呱々の声にあらず、多くの水の音の如き、大なる雷《いかづち》の声の如き声なり 〇「神の※[竹/孤」 ※[竹/孤」は号令を伝ふるための器具なり、「神の※[竹/孤」」とは「神の川」と云ふが如く、人の間に其類を見る能はざる※[竹/孤」を云ふ、主は号令を以て、其号令の声は天使の長の声の如く、之を伝ふるに絶大無比の※[竹/孤」を以て、自から天より降り給ふとなり、〇「主に在りて死し者甦らん」 此時権能の異常なる表顕あり、天地は改造せられ死者は復活せん、而して復活の力は先づキリストに在りて死し者に加へられ、先づ彼等の廷甦るを見ん。
 
     第十七節
 
 而して後に生きて存ふ我等は彼等と共に雲に囲まれ空中に於て主に遇ふべし、斯くて我等いつまでも主と偕に居らん。
 死者先づ甦り、而して後に生者化せられ、二者共に雲に囲まれ空中に於て主に遇ふべしと、「雲」は水蒸気の凝結せしものにあらざるべし、「空」は空気にあらざるべし、地の事を以て天の事を語るに方て比喩転義は免かるべからず、変貌山上に「輝ける雲彼等を蔽ひたり」と云ひ(馬太伝十七の五)、又イエス昇天の時に「雲彼を受けて見えざらしめたり」とあり(行伝一の九)、雲は「輝きの雲」にして聖徒を囲む微光なるべし、「空」は天と地との中間にして二者の接触点なるべし、イエスの甦へれる死者を携へて天より降り給へるあり、生者の化せられて地より昇るあり、而して二者天と地との間に相会して、茲処に希望の再会は成就《とげ》られ、後、再たび死別あるなく、先だちし者も後れし者も、いつまでも主と偕に居るべしとの事なり。
 
(57)     第十八節
 
  是故に汝等此等の言を以て互に相慰むべし。
 主キリストの此言あるあれば汝等死に遭遇する時之を以て互に相慰むべし、信者の希望なる者は単《たゞ》に空漠たる未来の希望にあらず、確乎たる事実の期待なり、主キリストは明かに此事を示し給へり、我等信者は彼の言を信じ、自身死する時、又死者を送る時、之を以て相互を慰むべきなり。
 
(58)     重々の不幸
                         明治45年3月10日
                         『聖書之研究』140号
                         署名なし
 
 内村生曰ふ、初冬以来重ね/”\の不幸は我等同志の間に臨みたり、十一月三十日に高橋ツサ子眠り、十二月二十八日に石川一子逝き、越えて一月十二日に我ルツ子彼等の迹を逐ふて去れり、ツサ子は二十七歳、イチ子は二十一歳、ルツ子は十九歳なり、地上の花一時に散り失せて寂寞の惰耐へ難きものあり、我が苦痛《いたみ》は実に大なり、我は一時に三人の子を失ひしなり。
 然れども我は失ひて却て得しなり、我は奪はれて却て富まされしなり、我は今や天上に援助者を有す、彼等三人心を合して我がために祈る時、何者か我に抗するを得んや、我は今や今来両界に渉りて我子と弟子とを有す、而して弟子は今や拙なき我に教へられずして、却て我を教へ我を導く、三聖女は今や我を護る天使なり、願くは我れ自身彼等の聖き群に加はるまで父の恩恵豊かに彼等と共にあれ。
 
(59)     ルツ子の性格
                         明治45年3月10日
                         『聖書之研究』140号
                         署名 彼女の父語る
 
 死んだ我子に就て語るは甚だ愚痴つぼく聞えまして余り誉むべき事ではありませんが、然し我子に就て語るは半ば自己に就て語ることでありますから、茲に重ねて亡児ルツ子に就て語ることを免して戴きたい。
 ルツ子は純粋の内村家の女でありました、彼女の容 は全然内村的でありました、彼女の父を識つて未だ彼女を識らざりし者が始めて彼女に会ひました時には、直に彼女の「父の子」であることを認めました、而して「父の子」でありし彼女に美くしき貌《かたち》なく、慕ふべき艶色《みばえ》なかりしことは言ふまでもありません。
 内村家の女《むすめ》なりし彼女には全人類は唯二つの階級に分れて居りました、即ち好きな人と嫌ひな人と此の二階級に分れて居りました、彼女は好きな人を非常に好みました、而して嫌ひな人を非常に嫌ひました、彼子も亦ドクトル・ジヨンソンの謂ゆる「能く憎む者」の一人でありました、而して彼女は男らしき男を愛し、女らしき女を愛しました、之に反して女らしき男と男らしき女とを彼女は非常に嫌ひました、殊に女らしき男に至ては、彼女は之に対する彼女の嫌悪の念を表するに足るの言辞《ことば》を有ちませんでした。
 彼女は自信の強い女でありました、日曜学校に在りて教師が彼女に祈祷を強ひました時には彼女は同盟を作り全然之を排斥しました、然し小学校に在りて人の彼女の信仰を問ふ者がありますれば彼女は断乎として答へて曰(60)ひました、
  私の家は耶蘇教であります、さうして私は基督信者であります
と、彼女の朋輩は幾度となく「ヤソ味噌、テッカ味噌」と云ひて彼女を虐《いぢ》めました、而して此嘲弄に対し彼女は時には弁じ時には怒りました、彼女は彼女相応にキリストの十字架を負はされました、而して彼女は之を担ふて辞しませんでした、高等小学三年に渉り、彼女が信仰のために蒙りし迫害は彼女の小さき心に取りて決して軽い者ではありませんでした、然し彼女は能く之に耐えました、彼女はイエスを人の前に認《いひあらは》はして恥と致しませんでした。
 高等女学校に入りて後は、迫害めきたる事は無いやうでありましたが、然し信仰の表白は彼女は依然として之を続けました、彼女の教師と朋輩とは明かに彼女の基督信者であることを認めました、彼女の教師が
  貴女は何に依て身を立てやうと思ひます乎、
と問へば彼女は明白に答へて日ひました、
  キリストの教に依て、
と、斯くて家に在ては信仰には至て無頓着のやうに見えました彼女は、人に自己の信仰を問はれますれば臆せず恐れず之を人の前に表白して憚りませんでした。
 彼女は謂ゆる恐い物知らずの女でありました、幼時より独りで暗い所へ行き、又独りで離れた座敷に寝ることを少しも恐れませんでした、彼女は単独を愛しました、彼女は屡々独りで家の留守を命ぜられんことを申し出でました、病中と雖も彼女は屡々独りで病室を守り、彼女の母をして独り彼女を残して家事を弁ぜしめました、彼(61)女の好むことにして独り静粛を守るにまさりたる事は無いやうでありました。
 物を恐れず、苦痛に耐えました、忍耐は彼女の特性でありました、此点に於てルツ子は彼女の父に似ずして彼女の祖父に似ました、彼女はメツタに彼女の苦痛を人に訴へませんでした、而して殆んど度に過ぎたる彼女の忍耐が終に彼女の敵《あだ》となつたのであります、彼女は苦痛を父母に告げずして、終に疾病《やまい》をして私供が知らざる間に癒すべからざる程度にまで進ましめたのであります、而して彼女が疾病に罹つて以来の忍耐は実に驚くべき者でありました、彼女は曾て戯れて曰ひました、
  若しお父さんがコンナ病気に罹つたならばドンナに騒ぐであらふ、
と、誠に其通りであります、医師も看護婦も彼女の落附いて居るには驚きました、彼女の脉搏と体温とは益々高まりしも彼女の呼吸は常に低くありました、彼女は忍耐丈けで病気は終に治るやうに思つて居りました。
 単独を愛したルツ子に勿論多くの親友とてはありませんでした、世の謂ゆる「ハイカラ婦人」は彼女を避けました、彼女も亦彼等と交はらんと致しませんでした、然し彼女には彼女相応の友人がありました、而して彼等は孰れも一種独特の人物でありました、世の謂ゆる「変物」でありました、多くは不遇の人でありました、一人の少女の母に死別れ父に棄てられ、今や其叔母の家に身を寄する者の如きは特にルツ子の友愛を惹きました、彼女の死を殊に歎いた者は此少女であります、彼女は私共に泣きながら告げて曰ひました、
  私は今は叔母の家に在りて毎日内村さんが私を見て居らつしやると思ふて働らいて居ります、内村さんが誉めて下さる事を善い事と思ひ反対さるゝ事を悪い事と思つて働らいて居ます、
と、ルツ子此少女の事を思ふこと甚だ切に、自身病より起つ能はざるを知るや、母に乞ふて彼女の衣服の二三を(62)此少女に頒たん事を以てしました、ルツ子の最も美くしき心は此少女に向て発せられました。
 ルツ子は特に小児を愛しました、彼女に小児を自己に馴《なつ》くるの非常の力がありした、隣家の小児が我家を訪ひまする時には、其男子なるに係はらず、彼が門外より声を懸けて呼ぶ名はルツ子の名でありました、田舎に行けば「東京姉ちやん」の名小児の間に高く、彼等は母の膝を離れてルツ子の下に集ひました、私供は思ひました、ルツ子は性来の幼稚園教師である、彼女は嬰児《をさなご》 の友として善且つ大なる事を為さんと。
 ルツ子は又動物を愛しました、特に猫と犬とを愛しました、我家に一匹の猫が居ります、其名をタマと称します、角筈在住時代に隣家の福田牧師の家より貰受けた者であります、ルツ子タマを愛すること甚だしく、時には狂せしかと思ふ程でありました、近来に至りタマ老いて用を為さず、鼠族狼藉を極むるも敢て之を征伐せんとせず、唯|餌食《えじき》と睡眠《ねぶり》とを貪るのみ、故に時々家内にタマ撲殺論の起る事あり、ルツ子之を聞くや熱心以て夕マ猫のために弁じて曰ふ、
  タマは既に猫の尽すべき天職を尽し了りたり、今に至りて之を除くは人情に反す、斯かる無情を敢てする者は之を動物虐待妨止会に告知すべし、タマは終生我家に愛育すべし、
と、斯くて老猫を彼女の膝に抱き上げ、之を愛撫して止みませんでした、故に家人は戯れに彼女を呼んで「タマ狂《きちがひ》」と云ひました、而して彼女は甘んじて此名を受けました、而して今や彼女は逝いて猫は残りました、而して彼女逝いて老猫撲殺論は我家に絶えました、タマは今や廃棄せらるゝの危険全く去りて安心して家中を彷徨《うろつ》いて居ります、私供はルツ子の切なる希願に従ひ、彼を飼殺にする積りであります、而して彼れ天寿を全うして死する時には其死骸は之をルツ子の墓の側に葬るつもりであります。
(63) 人の中に在りてルツ子が最も深い愛を注いだ者は彼女の母方の祖父と祖母とでありました、(父方の祖父と祖母とは早く既に世を去りました)、「京都のお祖父さんとお祖母さん」と聞けば彼女は耐え切れぬばかりの情に沈みました、現世に於ける彼女の最大快楽は彼等の側に在ることでありました、彼女が友と相会して最大の熱心を以て語りし話しの題目は「京都のお祖父さんとお祖母さん」とに就てでありました、彼等は彼女が好きな中にも最も好きな人でありました、昨年六月或る医学博士が彼女の身体を診察し、彼女の体格を以てしては結婚は之を断念せざるべからずと言渡しますや、彼女は之を聞いて少しも悲まず、
  夫れならば私は京都に行いてお祖父さんとお祖母さんを当分慰さめて上げるわ
と言ひて、反て幸福なる運命の彼女のために開かれしやうに感じました、彼女の夢は常に京都に通つて居りました、彼女が病気の全快を望みし第一の動機は弟と共に京都に彼女の祖父と祖母とを訪はんことでありました、此事を果たさずして世を終りしことは彼女に取り最大の遺憾でありましたらふ。
 然し、申すまでもなくルツ子の心中に第一位を占めて居つた者は彼女の父と母とでありました、彼女に是れ以上の権能はありませんでした、父母の命とあれば彼女は浪の風に従ふが如くに服従しました、肉体の事に就ては母の命、霊魂の事に就ては父の命、彼女に取りては是れ以上のオーソリチーはありませんでした、或時、父と母と何れが恐るべきやと問はれました時に、彼女は答へて曰ひました、
  お父さんの叱る時は声は高く語は激しくあるけれども、其恐さは暫時に済んで仕舞ふ、然し、お母さんの叱かる時には静かで優さしくあるけれども、心の底に響いていつもでも苦しい、
と、ルツ子の心の天地には彼女の父と母とより以上の者は無かつたのであります、此母の下に此父の業を扶けん(64)こと、是れが彼女の生涯の唯一の目的であつたのであります。
 斯く申しまして、彼女は謂ゆる東洋流の二十四孝的の孝子ではありませんでした、其点に於ては彼女に多くの欠点がありました、然し父の主義より外に主義を認めず、母の道より外に婦道を求めざりし彼女は最も高き意味に於て孝子であつたと思ひます、狭いと言へば勿論狭くあります、然し狭いだけ其れだけ強くあります、彼女は彼女の父母以外に理想も主義も之を求めんと致しませんでした。
 故に昨年三月女学校を卒業しまして後に彼女は直に研究社の事務員となりました、茲に親子三人同じ事業に就いたのであります、父は筆を執り、母は会計を主り、娘は事務を執つたのであります、私共は彼女に月給三円を与ふることに定めました、而して昨年の四月と五月に雑紙の発送紙に読者の住所姓名を書いた者は彼女でありまた、其時の彼女の得意は喩ふるに物なく、三円の月給を溜めて置いて之を旅費にして京都に行くんだと云ひて彼女は熱心に働らきました、然るに憐むべし死病は此時既に深く彼女の肉体に侵入し、彼女は二ケ月にして此父母の業を廃せざるを得ざるに至つたのであります。
 ルツ子は死を恐れませんでした、唯、今の時に、彼女の父と母とに対して何の報恩をも為さずして世を逝ることを甚く悲みました、「十九歳まで養育て貰つて」とは彼女が病中蔑回か発せし言でありました、彼女は今や父母の従事せし戦闘に加はりしのみにして、何の戦功をも立てずして世を逝ることを非常に痛みました。
 ルツ子に生命よりも大切なる者がありました、其れは彼女の家の奉ずる主義信仰でありました、曾て病中の事でありました、彼女の罹りし難病に対し多くの治療法が提供せられ、其中には半信仰的のものもありまして、我家の信仰と抵触するものもありました、其時私は彼女の枕辺に行いて曰ひました、
(65)  おルツさん、内村家の信仰に抵触るやうな療法に依つて治るよりも死んだ方が勝《まし》だねえ、
と、其時ルツ子は声を励げまして答へて曰ひました、
  さうさ、勿論さ、
と、斯くて私供が彼女に施した多くの療法の中で祈祷を以て神に委ねまつる療法が最も多く彼女を満足さしたのであります、「今日よりは医者を廃し、薬を廃し、神様に依つてのみ全癒を待つ」と私が彼女に言渡しました時に彼女は大々的大満足を表しました、七ケ月間に渉る長き間に彼女が最も幸福なりしは此信仰的状態に在りし終りの十二日間でありました。
 ルツ子の信仰的生涯は彼女の臥床を以て始まりました、此時までの彼女は純粋なる内村家の女でありました、然し此時よりして彼女は漸々と天国の民となりました、私供彼女の両親が彼女に就て最も深く心配したる事は、無邪気にして常に子供らしくありし彼女が如何にして心にキリストを自覚するに至るであらふ乎、其事でありました、而して私供の祈祷は常に神が必ず御自身を私供の子供の心に顕はし給はんことでありました、而してルツ子の場合に於ては思掛けなくも彼女の病床に於て私供の此切なる祈祷が聴かれたのであります、ルツ子は七ケ月にして彼女の病床に在りて信仰の速成学校を卒業したのであります、信仰の小児として病の床に就きし彼女は七ケ月の後に信仰の成人として天の御園に往いたのであります、勿論彼女は其時までに既に信仰の種を受けて居つたのであります、然し真理の種の成長と其結実とは、彼女は之を病床に於て遂げたのであります、結核は恐ろしい疾病《やまい》であります、然し、人の霊魂を磨き上ぐるためには多分之にまさりて効果の多い疾病はないと思ひます、ルツ子の霊魂を救つた者は愛の神の無限の恩恵の外に、世にも恐るべき結核菌であつたと思ひます、誠に神を信(66)ずる者にはすべての事悉く働らきて益をなすなりとは此事であると思ひます。
 ルツ子の性格に多くの欠点がありました、私供は勿論之を以て誇ることは出来ません、然し神は其聖霊を以て彼女を聖め給ひました、ルツ子は内村家の女として生れ来りしが故に救はれたのではありません、キリストを信ずるを得しが故に救はれたのであります、彼女も亦多くの聖徒と等しく羔の血を以て彼女の衣を白く洗つたのであります、今や天国に在る彼女に我家の美点もなければ又欠点もありません、彼女は今やキリストに由りて疵なき汚《しみ》なき者と成るを得たのであります、永久に讃美すべきは惟り主イエスキリストであります。
 
(67)     〔喪中所感 他〕
                         明治45年3月10日
                         『聖書之研究』140号
                         署名なし
 
    喪中所感
 
 我は伝道をして居るのではない、神が我を以て伝道を為し給ひつゝあるのである、我が言辞を以てゞはない、我が行為を以て、然り、我が生涯を以て、我れ自身支配することの出来ない我が生涯を以て、神はその聖き福音を世に伝へ給ひつゝあるのである、我が苦痛を以て、我が歓喜を以て、歓喜よりもより多く苦痛を以て、彼はその愛を人に示し給ひつゝあるのである、彼は我を以て世に実物的教育を施し給ひつゝあるのである、禍ひなる哉我れ、讃美すべき哉神、多分神に択まれたる者とは我が如き者を云ふのであらふ。
       *     *     *     *
  自から懲罰《こらしめ》を受けて我等に平安《やすき》を与ふ、その撃たれし痍によりて我等は癒されたり(以賽亜書五十三章五節)。
  斯くて死は我等に働らき生は汝等に働らくなり(哥林多後書四章十二節)。
 如斯くにして旧約も新約も犠牲である、他に代はりて苦しむ事である、基督教は是れである、実に「感謝感謝」である。
(68)       *     *     *     *
 而して若し爾うであるならば我等は呟かない、我等は一人のみならず全家族が犠牲となりて神の祭壇の上に献げられたい、此不信者国に生れ来り、福音の恩恵に与かりしことであれば、我等が其ために苦難を受けしめらるゝは当然である、我等の祈願は又パウロのそれである、
  我等弱くせられて汝等強くせらるゝ時に我等は喜ぶなり、我等の祈願ふ所は汝等の完全にならんことなり(哥林多後書十三章九節)。
 
    死因
 
 或は体質が弱かつたからであると言ひ、或は父母の注意が足りなかつたからであると言ひ、或は医師の選択を誤りたからであると言ひ、或は本人が不摂生を為したからであると言ふ、死因は之を以上の四者又は其他にも探る事が出来る、然しながら死は其れ丈けで説明することは出来ない、最大の死因は神の命である、神が生命を要求し給ふたが故に死んだのである、一羽の雀も神の許なくして地に隕ることなき此世界に在りて神の命に由らずして一人の人の死にやう筈はない、曾てリビングストンの言ひしやうに、「人は其仕事の終るまでは不滅である」、而して彼の死しは彼の此地に於ける仕事の終りし証拠である、斯く言へばとて我等は勿論摂生治療を怠らないのである、其故は我等人間には事実として現はるゝまでは神の命が明かに解らないからである、然しながら死が事実となりし以上は、神の命を信じて疑はないのである、殊に祈祷を以て神の命を待ちし場合に於ては死は確かに聖召《めし》である、神は肉体の死を最も善き事と見做し給ふた故に之を要求し給ふたのである、茲に真正の「諦め」が(69)ある、死因を斯く覚りてのみ死は悲しくなくなるのである。
 
    最大幸福
 
 最も福《さいはひ》なる事は神より善き物を戴くことではない、神に善き物を献ぐる事である、与ふるは受くるよりも福なりとの言は神に対しても真理である、我等は我等の所有物のすべてのみならず我等の生命までを献げて最も福なるのである、神が我等に下し給ふ最大の恩恵は我等が自己を彼に献げまつらんと欲する其心である、我等に我有たる者一つも無きに至て我等は最大幸福に達するのである。
 
(70)     二ツの神
                          明治45年4月10日
                         『聖書之研究』141号
                          署名なし
 
 神は一ツではない、二ツである、天然の神がある、黙示の神がある、二者は同じ神であつて又別の神である。
 天然の神は残酷の神である、無慈悲の神である、優勝劣敗の神である、競争の神である、戦争の神である、教会の神である、不義と権力とに与みして正義と貧弱とを圧する神である。
 之に反して黙示の神は恩恵の神である、慈愛の神である、イエスキリストの御父である、退譲の神である、平和の神である、平民の神である、平信徒の神である、常に義者と貧者とを助けて最後の勝利を彼等に与へ給ふ神である。
 如何にして二者の調和を計らん乎、人生最大の問題は是れである、神は果して二ツである乎、イエスキリストの御父は果して万物の造主にして其統治者である乎、我等其事に就て知らんと欲するや切である。
 而して此事を明かに示し給ふたのが救主イエスキリストである、彼が救主たる所以は彼が其身を以て人生の此謎を解き給ふたからである、眼に見ゆる天然の神は是れ真の神ではない、天然は神の顔貌《かほ》である、而して其心ではないのである、神は偉人である、其の顔貌は醜くある、然し其心は其顔貌とは正反対に優さしくある、神を解するは偉人を解するが如く難くある、其心と顔とが正反対であるからである、而して其醜き顔に於て其美はしき(71)心を認むる、是を信仰と称するのである、故に言ふ
  そは我等見る所に憑らず信仰に憑りて歩めば也
と(哥林多後書五の七)、又
  そは見ゆる所のものは暫時にして見えざる所の者は永遠ければ也
と(仝四章十八節)、天然の神を真の神と思ふ、其れが迷信である、人生すべての誤謬と之に伴ふすべての不幸とは此迷信より来るのである、而して見ゆる天然を排して見えざる真の神を認め得て、我等は真理に達し得たのである、神は天然といふ醜き顔を以て現はれ給ひて人の心を試し給ふのである、而して、人は見ゆる所に憑らず見えざる所に憑りて神を認めて、己が信仰を確実にし、其霊魂の救拯を全成うすることが出来るのである、二ツの神はやはり一ツである、深き矛盾を以て深き自己を顕はし給ふ讃むべき尊むべき一ツの神である。
 
(72)     真理の証明者=時
                         明治45年4月10日
                         『聖書之研究』141号
                         署名なし
 
 真理の証明者は理論ではない、亦必しも経験でもない、如何なる主張も理論を以て之を弁証することが出来る、又如何なる教理も或る程度までは経験を以て之を立証することが出来る、若し理論と経験とより以外に真理の証明者は無いと云ふならば真理は之を決定するに不可能であると言はざるを得ない。
 然れども真理には理論以上、又経験以上、更らに確かなる証明者がある、其れは時である、真理は其永存に由てその真理なるを証明せらるゝのである、永く続く者、それが神の真理である、人の真理、其主義と主張、其宗教と道徳とは永続の性を欠くが故に、神の真理に及ばないのである。
 キリストの福音が始めて世に唱へられてより茲に一千と九百年、其問に幾多の哲学、幾多の主義、幾多の道義は唱へられたが、然し今日尚ほ其活動的存在を見る者は殆どないのである、若し理論の上より見るならばキリストの福音に多くの欠点が有る乎も知れない、然し其の千九百年間の大苦闘を経て今日尚ほ絶大の勢力を以て人類の良心を支配する事は火を視るよりも瞭かである、キリストの福音は其永続的生命を以て其の神の真理たるの主張を維持しつゝあるのである。
 世界に於て爾うでありしが故に、勿論我国に於ても爾うである、開国以来五十年問、種々の宗教と道徳とは試(73)みられしも、今日尚ほ希望満々たる将来を有し、撃て消えざるの生活力を有する者はキリストの福音を除いて他に無いと云ふも之を拒むの識者は無いと思ふ、近くは政府の威力を以て二宮宗は唱へられしと雖も僅々三年を経ざる今日既に其迹を認め難きまでに衰退した、国粋保存主義又暫時にして消え、理学宗消え、自然主義消え、社会主義又揚らず、而してキリストの福音のみ、其主唱者の微力なるに関はらず、其の常に愛国者の誹謗、学者政治家の嘲笑する所たるに係はらず、今日尚ほ前と変ることなく、然り、前よりもより強き活力を以て徐々として国民の心に侵入しつゝあるのである、基督教は既に死に瀕せる宗教なりとは我国の識者に由て幾回か唱へられし言なり雖も、而かも基督教丈けの活力を有する宗教も道徳も今日の我国の社会に於て之を他に看出すことが出来ないのである。
 今より千九百年前、キリストの福音が始めてユダヤに於て唱へられし時、民の長老学者等は之を厭ひ、其宣伝者を執らへ之を殺さんと謀つた、其時パリサイ宗の人にして民の中に名望高きガマリエルといふ人、立て彼等を諭して言ふた、
  イスラエルの人々よ、汝等此人等に就きて汝等が為さんとする事を自から慎むべし、曩にチウダなる者起り、自から人物なりと称し、彼に従へる者凡そ四百人ありしが、彼は殺され、彼に従ひし者は皆な散らされて跡なきに至れり、此人の後に又ガリラヤのユダなる者戸籍調査の時に起りて民を誘ひ己に従はしめしが、彼も亦亡び、彼に従ひし者も悉く散らされたり、今我れ汝等に告げん、此人々に干与《かかは》る勿れ、彼等を釈《ゆる》せ、其謀る所、為す所人より出づるものならば必ず亡ぶべし、然れども若し神より出づるものならば、汝等、彼等を亡すこと能はざるなり、恐らくは汝等神に逆らふ者とならん、
(74)と(使徒行伝五章三十五節以下)、而して慧《かしこ》きガマリエルの言は基督教千九百年間に渉る歴史を通うして真理であつた、而して今日尚ほ真理である、今日の日本に於て真理である、キリストの福音が神の永久の真理である事は、我等其宣伝に従事する者の弁証に由て証明せらるゝのではない、又必しも其信者の短かき経験が之を証明するのではない、時《タイム》が終に之を証明するのである、キリストの福音は決して日本国に於て滅びない、縦し外国宣教師が今日直に日本を引払つて其本国に帰るとするもキリストの福音は日本国より消えない、キリストの福音は日本に来て既に永久的住所を定めたのである、既に数多の日本人の良心に侵入し、其処に其鞏固なる城砦を築いたのである、日本人の或る者は既に其慰藉に由て死の苦痛に打勝ち、活きたる霊として天に昇つた、而して彼等の聖められたる霊は今や天に在りて此国を護り、之を恩恵の国となさんとして祈りつゝあるのである、基督教は今や既に「外教」ではない、仏教儒教と等しく日本人の宗教である、而して三者何れが最優等の宗教である乎は是れ又|誤謬《あやまり》なき時《タイム》が証明する所である。
 特に時《タイム》を以て証明せらるゝ宗教である、故に基督教は其真理たるを解し得るまでに長き時と多くの忍耐とを要するのである、キリストの福音の真理の尊さは一年や二年之を信じた丈けでは解らない、是は十年又は二十年、然り、生涯に渉り、多くの迫害に遭ひ、多くの艱難《くるしみ》を経て、始めて解ることである、我等キリストの福音に接して永久的真理に接したのである、キリストの福音は一時流行の謂ゆる「新思想」ではない、二宮宗の如くに三年を経ずして消ゆるが如き宗教ではない、他の主義と信仰と「術」と「法」とが悉く人に忘れらるゝ後まで栄え、然り是等が悉く忘却に附せられて後に光を放つ宗教である、然り、時である、忍耐である、故に我等は時を得るも、時を得ざるも、世に迎へらるゝも斥けらるゝも、罵らるゝも嘲けらるゝも、唯黙して働いて待つべきである、(75)然らば確実なる時《タイム》は福音を義とすると同時に又我等を義とし、
  彼を信ずる者は辱しめられじ
とある聖書の言が我等に在りて実現せらるゝであらふ(羅馬書十章十一節)。
 
(76)     博さと深さ
        同情と確信
                         明治45年4月10日
                         『聖書之研究』141号
                         署名なし
 
 人は博くなければならない、同時に又深くなければならない、博くして又深くして彼は完全の人であるのである。
 而して博くあるとは同情に於て博くあることである、而して深くあるとは確信に於て深くあることである、同情に於て博く確信に於て深くして彼は完全に近き基督者《クリスチヤン》であるのである。
 同情に於て博きが故に彼は善は之を何人に於ても、亦何主義に於ても、亦何宗教に於ても認むる、縦令佞奸の悪人なりと雖も、彼に在る善は善として之を認むる、縦令其人が我身の顛覆を計る敵であるとするも、彼に在る善は善として喜んで之を認むる、而して又主義に於て爾うである、宗教に於て爾うである、如何なる主義、如何なる宗教に於ても善は善として正直に且つ公平に之を認むる、彼は特に己が主義を愛するのではない、善を愛するのである、己が宗教に忠なるのではない、善に忠なるのである、故に彼は善の存在する範囲に於ては人類だけ其れ丈け博くある、宇宙丈け其れ丈け広くある。
 然し我等は我等の博きを以て我等の深きを没せられてはならない、我等は深く堅く我等の確信を維持しなけれ(77)ばならない、我等は我等の確信を人のために譲つてはならない、我等は我等の確信の堅き城砦《とりで》に拠て博く人類を愛さなくてはならない、確信の無い者は底の無い水と同然である、是れ広いばかりであつて堅い所の無い者である、故に風と共に漂ひ世と共に流れざるを得ない、自己に何の拠る所の無い者は世の潮流に弄ばるゝ萍草である。
 而して我等の救主なるイエスは如斯き人であつた、彼は博くして同時に又深くあつた、彼はパリサイの人なればとて其主義のために之を棄て給はなかつた、彼はユダヤ人の宰《つかさ》にてパリサイのニコデモを愛し給ふた、又彼を詰らんとする学者にして少しく福音の真理を解する者があれば「汝は神の国より遠からず」と言ひ給ひて彼に在りても真理は真理として之を認め給ふた(馬可伝十二章三十二節以下)、彼の勧言を納るゝ能はざりし薄志弱行の青年と雖も、其志は深く之を愛し給ふた(仝十章廿一節)、パリサイの人を攻撃して止まざりし彼は喜んで其一人の客となり給ふた(路加伝十一章三十七節)、イエスは人を人として憎み給はなかつた、其罪を憎み給ふた、主義を主義として嫌ひ給はなかつた、其中に在る不義を嫌ひ給ふた、パリサイの人でも、サドカイの人でも、将た又ヘロデ党の人でもイエスの前に立てば其善は必ず之を認められざるを得なかつた、イエスは特に善の承認者であつた、彼は必ず彼を敵に売りしイスカリオテのユダに於てさへ、其善は喜んで之を認め給ふたに相違ない。
 然しイエスが同情のみの人でなかつた事は余輩が茲に言ふまでもない、イエスは博い同情の人でありしと同時に又深い確信の人であつた、「ヱホバの家のための熱心其身を蝕《くら》ふ」とは実に彼のことを言ふたのである(約翰伝二章十七節)、神のためとならば彼を縛るに足るの情実は無かつた、ピラト公庁に於て「汝はユダヤ人の王なるや」と問へば彼は憚らずして答へて言ひ給ふた「汝の言ふ所の如し」と(仝十八章三十三節以下)、実に世に自信の強き人にしてイエスの如きは無かつた、イエスは自己の確信を守るがために其身を亡し給ふたのである。
(78) 我等が博くあるべき事に就て使徒パウロは教へて曰ふ、
  兄弟よ、凡そ異なる事、凡そ敬ふべき事、凡そ義しき事、凡そ潔き事、凡そ愛すべき事、凡そ善き聞えある事、すべて如何なる徳、如何なる誉にても汝等之を念ふべし、
と(腓立比書四章八節以下)、即ち真と善と美とは如何なる人に由て唱へられ、如何なる主義を以て代表され、如何なる宗教を以て伝へらるゝも之を敬ひ之を尊むべしとの事である。
 其れと同時に又彼れパウロは基督者たる者は福音の真理の上に堅く立て動くべからざることを教へて曰ふた、
  我等にもせよ天よりの使者にもせよ、若し我等が曾て汝等に伝へし所に逆らふ福音を汝等に伝ふる者あらば、其人は詛はるべし、
と(加拉太書一章八節)、即ちキリストの福音は絶対的真理なれば是は生命を賭して守るべき者であるとのことである。
 斯くてイエスもパウロも博くして深い人、深くして博い人であつた、博きを欠いて深きは狭くなる、又深きを欠いて博きは浅くなる、同情のみの人は浅い人である、確信のみの人は狭い人である、而して我等は同情と確信とを併せて有たなければならないのである、是れ容易の事ではない、然しイエスを信じて彼の如く成る事が出来る、基督者《クリスチヤン》は博くして深い真正の紳士である、世の立場より見て彼は或時は浅く見え、又或時は狭く見える、然し彼は浅くあるのではない、亦狭くあるのでもない、彼は神の性を接《う》けて博くして深い立体的小宇宙と成るを得た者である。
 
(79)     祝すべき死
                         明治45年4月10日
                         『聖書之研究』141号
                         署名 内村鑑三
 
 此世の人の立場より見て死は単に凶事である、不幸中の最大不幸、凶事中の最大凶事である、此世の人の立場より見て死に吉きことは一ツもない、死は恐怖の王である、而かも此死が万事の終極であると云ふのである、
  一たぴ死《しぬ》る事と死て後に審判を受くる事とは人に定まれる事なり、
とある(希伯来書九章廿七節)、故に人は、
  死を怖れて生涯繋がるゝ
のである、(仝二章十五節)、死を以て万事の終極と見る此世の、真黒の棺衣《くわんい》を以て蔽はるゝの観あるは決して無理ならぬ事である。
 然し基督者《クリスチヤン》の立場より見て死は単に凶事ではない、之に多くの吉事が伴ふて居る、然り、深く死の何たる乎を究めて、其、人生最大の吉事であることを覚るのである、基督者と此世の人とは死に関する両者の観念に由て判然と区別せらるゝのである。
 基督者《クリスチヤン》に取りても死は勿論苦痛の極である、彼と雖も勿論死を喜ぶと云ふことは出来ない、死を恐れ之を避けんとするは人の天然性である、基督者と雖も勿論自から択んで死んとはしない、然しながら神より死を命ぜられ(80)て彼は感謝して之を受くるのである、彼に取りては死は苦痛の極であると同時に又真の自由に入るの門であるからである。
 死は苦痛の終りである、罪の巣窟なる肉体が絶えて其結果たる苦痛は絶対に絶るのである、人の苦痛は単に肉体の苦痛に止まらない、血縁の苦痛がある、社交の苦痛がある、心霊の苦痛がある、然かも是れ皆な肉体ありてより起る苦痛である、此世の義務なる者はすべて肉体に関する義務である、兵役の義務、納税の義務、給養の義務、労役の義務、是れ皆な肉体を以て此国此土に繋がるゝより生ずる義務である、而して肉体消えて後に之に伴ふ義務消滅す、我は義務を厭ふに非ずと雖も而かも之に多くの苦痛の伴ふは否むべからざる事実である、而して我が能力は我が責任に堪ゆる能はずして我は屡々嗟くのである、我は度々ヨブと共に叫びて曰ふのである、
   如何なれば艱難に居る者に光を賜ひ、
   心苦しむ者に生命を賜ふや、
   斯かる者は死を望むなれども来らず、
   之を索むること蔵れたる宝を掘るよりも甚だし、
   若し墳墓を尋ねて獲ば、
   彼は大に喜ぶなり、然り、踊り歓ぶなり、
と(約百記三章二十節以下)、人生は快楽なりと言ふ者は未だ人生を知らざる者である、人生を真面目に送らんと欲する者にして其大なる悲痛を感ぜざる者はない、而して死は人生の終りであつて、同時に又苦痛の終息であるを知て、其、決して凶事でない事を知るのである。
(81) 肉体は一種の牢獄である、其中に寄寓るは一種の禁錮である、霊は軽き者であつて自由なる者であるに替へて、肉は重き者であつて不自由なる者である、此軽快なる者が此重苦しき者の中に寄寓る、茲に大なる束縛があるのである、パウロの謂ゆる、
  我れ願ふ所の善は之を行はず反りて願はざる所の悪は之を行へり、
との苦悶の言は自由の霊が束縛の肉に寄寓るが故に発する言である、此霊肉の不権衡《ふつりあひ》なる結合あるが故に人はすべて「困苦《なや》める人」であるのである、而して此困苦を感ずる時に何人にも、
  此死の体より我を救はん者は誰《たれ》ぞや、
との叫号《さけび》の声が出るのである(羅馬書七章十五節以下)、而して死に由て霊は肉の束縛より脱するを得て其禁錮を解かるゝのである、肉に寄寓る間に人に完全なる自由はない、如何なる憲法の保障を以てしても彼に完全なる自由を供する事は出来ない、束縛は肉ありての故の束縛である、肉を離るゝまでは霊に完全なる自由はないのである、故に謂ふ、
  生は桎梏にして死は解脱なり、
と、死は最大の解放者である、肉の奴隷は彼に由て始めて自由の天地に出るのである、故に真個の自由を愛する者はワシントン、マツチニ、リンコルン等を迎ふるの心を以て死を歓迎するのである。
 如斯くにして死は死ではない、新生である、死を以て新生命は始まるのである、肉に在りて障礙《しやうげ》なき霊的生命なる者はない、
  肉は霊に逆らひ霊は肉に逆らふ、此二つのもの互に相|敵《もと》る、
(82)と言ふ(加拉太書五の十七)、霊が完全に霊的ならんと欲せば其敵なる肉の消滅を期せざるを得ない、而して死は霊の障害を除いて茲に其自由の発達を遂げしむるのである、肉を離れて霊は自から成長し、其活動を旺んにする、霊は肉に寄寓りて一人の霊である、然れども肉を離れて多くの霊と偕になることが出来る、
  我れ若し地より挙げられなば万民を引きて我に就《きた》らせん、
とイエスが言ひ給ひしは此事である(約翰伝十二の卅二)、イエスと雖も肉を離れて地より挙げらるゝまでは万民を引きて自己に化することが出来なかつたのである、彼は又曰ひ給ふた、
  我が往くは汝等の益なり、若し往かずば慰藉者《なぐさむるもの》汝等に来らじ、若し往かば彼を汝等に遣《おく》らん、
と(仝十六の七)、此場合に於て慰藉者とはイエス御自身である、彼れ往かずば、即ち死なずば、自から慰藉者となりて弟子の霊に臨むこと能はずとの事である、故に彼は又曰ひ給ふた、
 誠に実に汝等に告げん、一粒の麦若し地に落ちて死なずば唯一つにて存《のこ》らん、然れども若し死なば多くの実を結ぶべし、
と(仝十二の廿四)、肉の死は霊の蕃殖のために必要である、霊的事業なる者は之に従事する者の死を待て始まる者である、ペンテコステの聖霊の降臨はイエスの在生中には無かつた、イエスは孔子や釈迦の如くに七十の長寿を保つて其業を遂げ給はなかつた、彼は三十歳の盛に其生命を棄て、其霊を以て世に臨み、之を自己に化し給ふたのである。
 而してイエスに限らない、すべて永久に深く世を化した人は死を以て化したのである、殉教者の死に由て起らない教会はすべて偽りの教会である、教師の雄弁は以てキリストの教会を興すに足りない、信仰を以て死し者が(83)続々と教会の中に起り、其霊を以て其信徒の霊に宿り、彼等の事業を扶くるに至るまでは尊敬すべき信頼すべきキリストの教会は起らない、牧師の人物に由て立つ教会、策士の策略を以て栄ふる教会、儀式の荘厳を以て誇る教会、是れ皆な砂の上に立てる教会である、真の教会信者の殉教の死に由て立つ教会である、斯かる教会こそ陰府の門と雖ども之に勝つ能はざる教会である、キリストの教会は元来彼の十字架上の死を以て起つた者である、故に死の苦痛を以てするにあらざれば持続することの出来ない者である、教会は此世の政府とは異なり肉を有ちたる者の組織する団体ではない、謂ゆる聖徒の交際とは聖められたる霊の交際である、故に教会の本部は霊の国なる天国に於て在る、肉の国なる此世に於て無い、教会とは元々眼に見えざる者である、霊なるキリストが之を主どり、彼に在りて生くる霊が其の正会員たる者である、余輩と雖も斯かる教会の存在を否まない、余輩の無教会論なる者は斯かる教会に対して唱へらるゝものではない、
  シオンの山、又活ける神の城なるヱルサレム、又千万の衆、即ち天使の聚集《あつまり》、天に録《しる》されたる長子等の教会、又すべての人を鞫く神、及び完成せられたる義人の霊魂《たましい》、
と(希伯来書十二章廿二、廿三節)、キリストの教会とは如斯き者である、而し我等は死して肉を離れて此教会に入ることが出来るのである、而して上なる此教会に入るを得て、下なる今猶ほ肉に寄寓る兄弟姉妹を援くることが出来るのである、斯くて死は損失ではない、利益である、自己がために利益である、他人のために利益である、実に「我が往くは汝等のために益あり」である。
 死は犠牲である、同時に又贖罪である、何人と雖ども己れ一人のために生き、又己れ一人のために死する者はない、人は死して幾分か世の罪を贖ひ、其犠牲となりて神の祭壇の上に捧げらるゝのである、是れ実に感謝すべ(84)き事である、死の苦痛は決して無益の苦痛ではない、之に由て己が罪が洗はるゝのみならず、又世の罪が幾分なりとも除かるゝのである、而して言ふまでもなく死の贖罪力は死者の品性如何に由て増減するのである、義者の死は多くの罪を贖ひ悪者の死は自己の罪の外、贖ふ所は甚だ僅かである、人は聖くあれば聖くある程其死を以て此世の罪を贖ふことが出来るのである、或ひは家の罪を或ひは社会の罪を、或ひは国の罪を、或ひは世界の罪を、人は彼の品位如何に由て担ひ且つ贖ふことが出来るのである、死は実に大事業である、人が此世に於て為すを得る最大事業である、キリストが其死を以て全世界を救ひ給へりと言ふは決して形容的の言ではない、事実中の最大事実である、キリストは実に其死を以て世の罪を負ひ之を除き給ふたのである、而して我等彼の弟子たる者も亦我等相応に我等の死を以て世の罪を負ひて之を除くことが出来るのである、是れ実に感謝すべきことである、我等生きて何事をも為すを得ずと雖も、信仰を以て主に在りて死して幾分なりとも世を永久に益することが出来るのである、即ちパウロの曰ひしが如く、
  我が肉体(の苦痛《くるしみ》)を以てキリストの体即ち教会のために、其の(キリストの)患難《なやみ》の欠けたる所を補ふ
ことが出来るのである(コロサイ書一の廿四)、人類の救済と云ふも是れキリスト一人の苦痛丈けで成就《とげ》らるゝ事ではない、我等彼の弟子たる者が彼と共に死の苦痛を嘗めて成就らるゝことである、死は天の恩恵の神が善事遂行のために我等各自に賜ふ最も好き機会である、我等は感謝して之を受け、善く之を利用して自他の救拯を完成《まつとう》すべきである。
 斯かる祝福の死に伴ふあれば我等イエスの弟子たる者は死を以て悪事と見做さないのである、死は基督者に取りては栄光に入るの途、又栄光を顕はすの好機会である、此故に我等は死に遭遇して泣くことは泣くが、然し希(85)望なき此世の人の如くに嗟き悲まないのである、我等は死の価値《ねうち》を知る、その自己を潔むる機会、世の罪を贖ふの能力《ちから》、永生に入るの準備なるを知る、祝すべき哉死! 感謝すべき哉死!
 
(86)     悲歎と歓喜
                         明治45年4月10日
                         『聖書之研究』141号
                         署名 内村鑑三
 
  是れは三月廿三日、京橋教会員藤田寛太郎氏夫妻が催されし其一子久太郎君永眠の五週年記念会に於て述べんとして腹案せしものなるが、都合ありて出席する能はざりしが故に、之を筆に記して茲に掲ぐることゝ為せしものなり。 親が其子の死を痛む理由は数多ありますが、其中の一つは確かに、親の手を離れて幼き者が知らぬ未来の国に往きて如何して居るであらふ乎、サゾ不自由ではあるまい乎、淋しくはあるまい乎、独りで知らぬ国に往きて途に迷ひはすまい乎、他人に虐待されはしまい乎など云ふ心配であります、是れまことに無益の心配であるやうでありますが、然し、親の情として無理ならぬ心配であると思ひます。
 是れ勿論未来の事を明かにせざるより、未来を現世の如き所と想ふてより起る心配であります、勿論我等は未来の状態に就ては少しも知ることが出来ませんから、斯かる心配は根拠のある者である乎無い乎を判断することは出来ません、乍然、未来も亦神の支配の下に在る宇宙の一部分であること丈けは明かでありますから、是れは此世と全く異なりたる所でないこと丈けは明かであります、其れ故に私共は此世の事に較べて見て稍や未来の事を判斬することが出来ると思ひます。
(87) 而して此世に於きまして赤子の始めて世に臨る時の状を見ますると、実に一人で他人の間に生れて来るのを見るのであります、若し或る学者輩の唱へますやうに(而して斯かる説を唱へる学者は有名なるユリウス・ミレル氏其他に沢山在ります)人の此世に生れまするのは他の世界から此世に転生するのであると致しまするならば、其他界を去て始めて此世に出でまする時はサゾかし淋しく感ずることであらふと思ひます、縦し当人に斯かる感じは無いと致しまするも、其父母兄弟等は、私供此世の者が私供の愛する者を喪ひし時と少しも変らない感を懐くのであらふと思ひます、乍然、事実は何であります乎、赤子は一人で此世に生れて来て果して孤独|寄方《よるべ》なくあります乎、決して爾うではありません、母あり之に乳を与へ、父あり之を膝に上げ、兄弟あり之を歓呼して迎へ、父母の友人あり其出世を祝するではありません乎、此世にありて出生ほど人に喜ばるゝことは無いではありません乎、新らしき人が世に出たりと言ひて歓喜は一家に溢るゝではありません乎、之を他界に於ける憂愁に較べて見て天地雲泥の差があるではありません乎。
 私は此世に於ける人の死も同じ事であると思ひます、死を悲しむの悲歎は人を送るの悲歎であります、私供の間より愛する者の一人が消え失せし事を悲しむの悲歎であります、然しながら送らるゝ者は又迎へらるゝ者であります、而して迎へる者は送る者とは全く異なり大に歓ぶのであります、私供は嘗ては新らしき人を迎へて大に歓んだのであります、然し、今は送る者となりて悲しむのであります、然し私供が此世に於て歓びし時に他界に於て悲しむ者があつたのであると致しますれば、今日私供が現世に於て悲しみまする時に彼世に於て又歓ぶ者があるに相違ありません、私供の愛する者は私供の手を離れて一人で知らぬ未来に往きましたが、然し其処には又多くの彼の歓迎者がありまして、彼は少しも孤独を感ぜず、不自由、危険等は少しも無いのであると思ひます、(88)同じく神の造り給ふたる宇宙であります、肉の世界も霊の世界も同じく神の法則の行はるゝ世界であります、此の世界に行はるゝことが彼の世界に於て行はれない理由はありません、此の世の誕生の祝のある時に前の世に葬式の悲がありしと致しまするならば、同じく又此世に葬式の行はるゝと同時に後の世に又誕生の祝賀《いはひ》が挙げらるゝのであると思ひます、勿論前の世に就ても亦後の世に就ても確かに知ることの出来ない私供に委しい事は判明りませんが、然し私供の能く知つて居る此世の事実に照らして見まして、私が今茲に述べました推測の当らずと雖も遠からざる事を疑はないのであります。
 尚又之に類することを他の事に就ても見るのであります、親が其女を他家に嫁する時にも同じ事が行はるゝのであります、女を遣る家と貰ふ家とは其感情に於ては天地雲泥の差があるのであります、遣る里方に取りては悲雲全家を蔽ひ園の庭木の一本が根より抜かれて他家に移さるゝやうな感がするのであります、翻《ひるがへり》て貰ふ新郎《にいむこ》の家を見ますれば家庭に新たに花が咲き出でまして、歓喜全家を圧すると云ふ状態であります 悲しむ家があり、歓ぶ家があり、生みの親は我が女を奪はれたやうに感ずると同時に、義理の親は新たに女を得たりと云ふて歓ぶのであります、無慈悲と云へば無慈悲であります、然し是れが世の中であります、結婚祝儀と云へば歓ばしい事ばかりであると思ひまするが、然し、其裏には生みの家を去る女の涙があります、彼女を送る両親の悲があります、此涙、此悲しみがありて新郎新家の歓喜《よろこび》があるのであります。
 同じ事が死の場合に於ても行はるゝのではありますまい乎、死は結婚の一種ではありますまい乎、葬式の悲歎《かなしみ》と云ふは里方の親が其の女を嫁に遣る時の悲歎ではありますまい乎、若し爾うでありますならば、死は悲歎のみの事ではありません、悲歎は僅かに其半面であります、泣く生みの親がありますれば歓ぶ新郎があるのでありま(89)す、此世に於て葬式の鐘の鳴ります時に、彼世に於ては祝儀の鐘が響いて居るのであります、女《むすめ》は旧《ふる》き家を去りて寄方なき孤独者となつたのではありません、彼女は真正の家に入つたのであります、一喜一憂は人生の免かるべからざる所であると云ひます、而して憂の無い喜は無いやうに喜の無い憂は無い筈であります、私供は此世に於ける私供の実験に照らして見まして、死の悲歎の悲歎ばかりで無いことを知るのであります、私供の喪ひし私供の愛する者は其旧き私供の家を去りて新らしき新郎即ちキリストの家に往いたのであります、悲歎が私供の方にあると同時に歓喜は新郎の方にあるのであると思ひます。
 斯く考へますれば私供が幼き者の死を悲しむ其理由の一ツは取除かるゝのであると思ひます、私供は生きても死んでも神と其造り給ひし宇宙とより外に出ることは出来ません、而して愛の法則の到る所に行はるゝ此世の事より推して見まして、死の決して悲しむべきことでなく、又来世の決して恐るべき所でない事を知るのであります。
 
(90)     無教会主義を棄てず
                         明治45年4月10日
                         『聖書之研究』141号
                         署名 内村鑑三
 
 私の家に大なる悲痛が臨みました、乍然、私は或る人々が言触しますやうに、其れがために無教会主義を棄てません、無教会主義とは言ふまでもなく聖徒の交際を絶つことではありません、宗教の名を以て立つ所の此世の制度の不要有害を唱ふる主義であります、而して謂ゆる基督教会なる者の中より此世の精神が全く絶たるゝまでは此主義を唱ふるの必要があるのであります、或る明白なる意味に於て昔時の預言者等は無教会主義者であつたのであります、イエスは当時の無教会主義者であり給ひし故にパリサイの人、サドカイの人など云ふ時の教会信者等に十字架に釘けられ給ふたのであります、革命当初のルーテルは確かに激烈なる無教会主義者でありました、彼は周囲の事情に逼られて終に羅馬天主教会に劣らざる教条的教会を作らざるを得ざるに至て茲に悲しむべくも彼の当初の革命の精神は消えて了つたのであります、ウエスレーは終生自分は英国聖公会の正会員であると言ひましたが、然し聖公会は今に至るも彼を其謀叛人と認め、地上唯一の歴史的正教会を無視した者であると唱へて居ります、近世に至りて稀有の哲学者にして熱誠の基督信者なりしデンマルク国のゼーレン・クリーケゴードが彼の鉄槌を北欧のルーテル教会に加へてより、無教会主義は古代の預言者の熱烈を以て信者の迷夢を醒ましたのであります、私は重ねて茲に白します、無教会主義は不肖私が始めて此国に於て唱へた主義ではありません、(91)是れはイザヤ、ヱレミヤ等を以て始まり、今に猶ほ多くの正直なる基督信者等に依て懐かれ且又唱へらるゝ主義であります。
 斯く白して私は今の基督教会の中に一人の善人、一人の真正《ほんとう》の信者が居らないと云ふのではありません、多くの書き人、多くの義しき人の其中に居ることは私の充分に認むる所であります、而して又其中の尠なからざる人々を私の友人と称することの出来るのを、私は喜び又感謝する者であります、乍然、主義は主義であります、是れは私交の故を以て変ゆることの出来る者ではありません、私がルーテルやクリーケゴードに従ひ教会制度を攻撃しますことは是れ教籍を教会に置く人々に人身攻撃を加へることではありません、私は今の謂ゆる教会なる者に制度《システム》として反対するのであります、而して私の此反対に同情せらるゝ者の教会の中にも在ることは否むべからざる事実であります、其事は常に無教会主義を唱へて変らざる此『聖書之研究』が其発刊当時より諸教会の多くの信者教師たちに由て尠なからざる同情を以て読まれ来りしことに由て解ります。
 勿論悪き制度《システム》は悪き人を生みます、而して今の教会なる者が多くの悪人の隠匿場《かくれば》となりて居ることは私ならで教会内の有識者の充分に認むる所であります、而して彼等と私と説を異にする点は私は
  鼠族の跋扈する納屋は之を※[火+毀]き払ふに若かず
と云ふに対して、彼等は
  否なよ、爾かなすべからず、鼠族は之を除けば足る、然れども納屋は其儘之を保存すべし
と言ふのであります、問題は畢《つま》る所は洗清実行の問題であります、信仰の根本に係はる問題ではありません、頗る重要なる問題ではありますが、然し、福音の死活に係はる問題ではありません。
(92) 斯く言ひて私は此際媚を教会に送りて其同情を求めんと欲するのではありません、私は私が今日有する以上に友人も同情者も要りません、若し教会が無教会主義の故に私を嫌ひますならば私は喜んで彼等に嫌はれます、私は今日までの経験に由り教会と交はることの決して私の利益でない事を知ります、教会は幾回か私を使ひましたが、然し未だ曾て一回も私を助けて呉れたことはありません、私は信じます、縦令私がキリストの聖名の故を以て私の国人に十字架に挙げらるゝことがありますとも、教会は其指一本を挙げて私を援けやうとは為ないことを、教会は常に此世と主義方針を共にします、此世が戦争を唱へます時には熱心に戦争を唱へます、此世の輿論は常に教会の輿論であります、教会は此世の政治家、実業家、学者等の名を藉りて其事業を成さんと致します、而して私はイエスの弟子として教会と歩調を共にすることは出来ません、私は自から欲するも教会に入りてキリストに於ける私の信仰を維持することは出来ません 私は此事あるを甚だ悲しみます、然し止むを得ません、私に取りては良心の声は教会の命よりも重くあります。
 私は此事に就て尚ほ一言曰つて置きます、即ち曾て本誌に於て唱へました如く、若し万一私が教会に入るべく余義なくせられますならば、私は羅馬天主教会に入ります、私の知ります所では、是れが地上唯一の矛盾のなき教会であります、若し地上の眼に見ゆる教会が信者各自に必要であるとならば、羅馬天主教会こそ最も完全に其必要に応ずる者であると思ひます、殊に今時の羅馬天主教会が昔時《むかし》のそれとは異なり、其布教に此世の方法を用ゐず、此世の権勢に依らざることは注目すべき事実であります、私の見る所に依りますれば羅馬天主教会はすべての教会中最も非俗的の教会であります、最も敬虔の念に富み、最も高貴なる教会であります、唯其教義に多くの解し難い所があります故に私は今日之に入ることが出来ないのであります、乍然、制度完全の点より言ひまし(93)て、之に優さるの教会は地上、他に無いと思ひます。
 多くの点に於て羅馬天主教会は最も寛大なる、最も善く人情に合ひたる教会であります、今日の天主教会に於てカルビン主義の新教諸教会に於て見るが如き残忍冷酷なる事を見ることはありません。
 無教会にあらざれば羅馬天主教会、私の撰択は唯此二ツを以て限られてあるのであります、而して私は今は前者を撰むのであります、後日の事は知りません、今日は猶ほ私は無教会信者を以て満足するより他に善き途を発見する能はざる者であります。
 
(94)     基督教と其信仰
        イエスを友とするに外ならず(三月七日大森に於て)
                         明治45年4月10日
                         『聖書之研究』141号
                         署名 内村鑑三
 
  約翰伝一章四十三節以下
 基督教は何んである乎とは不信者のみならず信者にも度々起る問題である。 基督教はキリストと唱へられしナザレのイエスである、而して基督教を信ずるとはイエスを友とすることである、至て単純である、別に困難い事ではない、教会に入るとか教義を探るとか云ふことは基督教に入るための必要条件ではない。
 イエスを友として基督教に関するすべての事は判明るのである、イエスさへ判明れば其れで基督教は悉く判明るのである。
 イエスを友とする前に勿論彼に就て知る必要がある、而してイエスに就て詳しく我等に告ぐる者は聖書である、茲に於てか聖書研究の必要が起るのである、聖書、殊に新約聖書はイエスの伝記である、彼をすべての方面より伝へんとした者、其れが新約聖書である、故に聖書を読まずしてイエスは解らない、循て基督教は解らない、聖書の研究を等閑《なほざり》にして基督教を語るは天を仰がずして天文を語ると同然である、而かも斯かる事は無い事では(95)ない。
 勿論既にイエスを友としたる者に接するは直接彼に捜するに至るまでの階段として有益である、或る場合に於て教会に入るの必要があるのは是れがためである、然し目的はイエス御自身に直接に接するにある、教界の人物に接して其感化を受くるのではない。
 イエスを友として始めて神の何たる乎が解るのである、神の存在は哲学を以て証明することは出来ない、世に神学なる者があるが故に、之を究むれば必ず神が解るだらうと思ふ人もあるならんも、事実は決して爾うではない、
  未だ神を見し人あらず、惟り彼の生み給へる独子、即ち父の懐《ふところ》に在る者のみ、彼れ之を彰《あらは》せり
とある(約翰一の十八)、神はイエスを見て始めて解るのである、イエスを友とするまでは神は決して解らない、先づ神の存在を認めて然る後にキリストを信ぜんと欲する者は神をもキリストをも到底信ずることの出来ない者である、神を識るの捷径《ちかみち》、然り唯一の途はイエスを知りて彼を友とするにある、真の神は其独子として顕はれ給ひしイエスに由てのみ識ることの出来る者である。
 イエスを友として始めて人の何たる乎が解かる、人は何人も自己を識るの必要がある、然るに憐むべし、彼は自身で自身をさへ識ることが出来ない、人の如何に貴き者である乎、人生の如何に意味深き者である乎、我が此世に生れ来りし理由、患難の説明、死の解釈、是れ皆なイエスが明白に我等に告げ給ふ事である、人はイエスを識ると同時に自己《おのれ》を識るのである、イエスを識るに由て衷なる新字宙が我等各自に示さるゝのである。
 イエスを友として我等の計画するすべての善事が実行せらるゝのである、我れ我心の汚穢《けがれ》を攘《はら》はんと欲する乎、(96)道徳修養の工夫を凝らすも其効果は甚だ尠くある、心を其根柢より潔むる唯一の方法は御自身は罪を識り給はざりしイエスを我が友として心中の奥座敷に請じ奉ることである、彼の降臨に由りて悪魔は其光輝に堪え得ずして我を去り、我は自《おの》づから聖霊の聖殿《きよきみや》となることが出来るのである、此世の道徳と教会の神学とが人心清洗の途として悉く失敗に終るに反して、イエスのみは彼を友として迎ふる者を潔めて今日尚ほ錯り給はないのである、世の道徳問題はすべてイエスを以て決定るのである、青年男女に新約聖書の示すイエスを紹介し、彼を彼等の友として有たしめて、彼等は此危険極まる社会にありて安全なるのである、若し家庭を潔めんと欲せばイエスを迎へよ、イエスを主人公となして其家庭は潔からざるを得ない、イエスを嘲けり、彼と何等の関係を有たざる今時《いま》の政治家と彼等を以て成立する議会等に、汚穢と腐敗との充ち盈ち居るは敢て怪むに足りない、イエスの臨み給はざる所に未だ曾て清浄なる政治の有つたことはない、殊に清潔なる自治政治の有つたことは無い。
 イエスを友としてのみ人は歓喜と希望とを以て死ぬことが出来るのである、死は小事ではない、大事である、死は少数の不幸者にのみ臨む事ではない、何人にも来る事である、人は何人も平安を以て死を迎ふるの準備を為すの必要がある、彼は単独《ひとり》で死の河を渡らなければならない、其時医師も牧師も彼に何の用をも為さない、又哲学も宗教も彼の援助とは成らない、死の河を渡る時の唯一の伴侶、唯一の慰藉者《なぐさめて》はイエスである、彼に携《つ》れられて死の旅行《たび》は寂寥《さびしく》ないのである、イエスのみが現世と来世とに跨る友人である、此人のみが無限の大海に乗出す時の唯一の水先案内である。
 実に人の生涯に取りイエスを識り彼を友とする程大切なることはない、而して是れ難いやうで至て易い事である、基督教を信じ基督教会に入ると云へば至て困難いやうであるが、然しイエスを友とすることは何人にも為し(97)得ることである、而して彼と友誼を続くれば続くるほど彼に就て深い事が段々と解つて来り、別に宗教や神学を研究すると云ふにあらずと雖も、人生の奥義が段々と彼に由て示さるゝのである、即ち彼がナタナエルに向ひて
  天開けて神の使者等《つかひたち》人の子の上に陟《のぼ》り降りするを見ん
と曰ひ給ひしが如く、我等はイエスと聖父《ちゝ》との間に霊的交通の繁くして、彼に在りて洵に天が地に接し、神が人の間に現はれ、現世と来世との間に鞏固なる懸橋《かけはし》の架せられて、人が之に由て此所より彼所《かしこ》に達し得るの途の開けしことを見るのである。
 イエスを識り彼を友とすること、是れが基督教である、信仰である、又永 生と云ふも是を除いて他に在るのではない、即ち
  永生《かぎりなきいのち》とは唯一の真の神なる爾と、共遣ししイエスキリストを識ること是れなり
とイエス御自身が曰ひ給ひしが如くである(約翰伝十七章三節)。
 
(98)     家庭と宗教
              明治45年4月13日
              『家庭と宗教 如何したら平和に死ねるか』
              署名 内村鑑三先生口述 加納久朗 筆記
 
  (明治四十五年三月十七日午後二時一宮町婦人会に於ける先生の講演なり)
 私は「家庭と宗教」と云ふ演題の下に御話しを致します、先づ第一に吾れ/\は宗教とは何であるかと云ふことを考へなければなりませぬ、近頃は宗教と云ふことに付て多くの人々が考へる様になり、内務省辺でも宗教家会同などを行つて宗教と云ふことに注意し始めましたことは大に喜ぶべきことであります、
 人間に宗教が必要であることは御米が人間に必要であると同じことであります、殊によりましては御米よりも必要であります、或人は宗教は愚夫愚婦には必要であるけれど智識のある人には必要ではないと云ふ人があります、然し、これは大なる誤りであります、私は今宗教がドーしても人間に必要である其理由を三つ御話ししようと思ひます、
 第一の理由は何人にも魂があるからであります、魂がなければ宗教は必要はありませぬ、諸君《みなさん》の中で身体《からだ》だけで魂などゝ云ふ様な目に見えぬものはないと云ふ人があるならば、それは甚だつまらない人であります、何故とならば魂があるから年老いて身体が衰へて居るにもかゝわらず、身を忘れて国の為め世の為めに働らかうと云ふ気になるのであります、どんなに貧乏してもどんなに飢えても他人の物は盗むことをせぬと云ふのは身体の
(99)外に魂が存在して居る証拠ではありませぬか、魂が無くなるのが即ち堕落であります、魂が身体よりも大切であることは誰れでも知つて居ります、魂に付て明らかに知り、魂を確《しつ》かりと有たせる様にするのが宗教であります、もし魂が人に在つて、それが人として存在するのに一番大切なものであるならば宗教はどうしても必要であると云はねばなりませぬ、
 第二の理由は宇宙には神様が存在るからであります、此事は何人でも少しづゝは知つて居る、神様の在ることは明瞭《はつきり》とは知らぬ人でも此世に人間以上のものが在ることは認めない訳には行かない、人間以上の力を有つて居るものを神様となづける人もありますし、仏とか、如来とか申す人もあります、名前はどうでもよい、此人間以上の力を認めて居ります これが宗教の起こる第二の理由であります、世界の何れの処に行つても宗教の無い所はありませぬ、即ち如何なる人間でも人以上の力を認めないわけには行かぬ証拠であります、此人間以上のものを拝するのが宗教であります、世に人間以上、国家以上、政府以上の力の存在することは明白であります、此力の存在することを認めて人間は高尚になり得るのであります、人間の目や国家の目の届かぬ処まで神様が見て居て下さることに気が付けば悪いことは出来ない、よし人が見て居らぬ所で悪い事をしても神様が見て居るから恐ろしい、善い事をして人が見まいが国家が表彰しまいが、或は世から誤解されて憎まれようが神様が見て居て下さることに気が付けば常に心を安らかにして居ることが出来ます、誠実を守るには人に対してだけでなくつて人以上の神様なり仏様なりを信じて始めて其全きを得るのであります、今の日本の人に誠実と云ふことが欠けて居るのは宗教を信じないからであると思います、人間を立派な者にするには神様を信ずる様にするより外はありませぬ、人間を蔭、日向なき誠の人間とするには神を信ずる様にするより外に途はありませぬ 此神様と云ふことは(100)何人《たれ》でも少しは知つて居るがこれを明瞭と教へるのが宗教であります、もし人以上の力が宇宙に無いなら宗教は要りませぬこれがあるなら宗教が要るのであります、これが宗教の必要なる第二の理由であります、
 第三の宗教の必要なる理由は人は死んで死なゝいものであるからであります、これは人が他の動物と異なる点であります、死んだ後に来世があるものであることは何人でも少しは知つて居ります、肉体が死んでしまふと魂もそれつきりで死んでしまうものであるとは何人も思はぬ様である、其証拠には日本でもお盆には死んだ人の霊魂《たましい》が降つて来ることを信じて居ります、此処に居る我れ/\の内幾人が七十年八十年後まで生きて居《お》るでありませうか、恐らく皆んな死《し》してしまふでせう 世の中に何が確だとて我等に死が来ると云ふ程確なことはありませぬ、我れ等が死んで死なゝいものならば此来世の観念を明らかにして置く必要があります 此の事を明瞭とさせるのが宗教であります、
 世界の偉い人は皆んな来世を知つて死んで居ります 来世を信じない人は真《まこと》につまらない人であります、
 此三つのこと、魂のあること、神様のこと、来世のことを知つて、これ等を認めようと思つて宗教の必要があります、宗教とは此三つの事を明かにするものを云ふのであります、多くの只今の日本人は宗教と云へば御寺で経を読んで貰ふこと、死んだ時葬つて貰ふことを申します、けれどもそんなことは宗教ではありませぬ、又或人は木か金かで作られた像を拝むのを宗教だと云つて居ります、けれどもそんな事も宗教ではありませぬ、御寺の坊さんに開いて御覧なさい、あの像は只印なのです、あれを拝むのではない、あれは拝むものを型《かたぢ》つたにすぎぬのであります、宗教とは三つの事を明らかにするものを云ふのであります、道徳は単に魂の外に表はれた道であります、宗教があつて初めて道徳が立派に行はれるのであります、道徳だけでは人は心の奥底から改まると云ふ(101)わけには行きませぬ、それでありますから如何なる人でも宗教の不必要だと云ふ人はありませぬ、宗教が無ければ人間の存在がありませぬ、従つて宗教がなければ、町村もありませぬ、国家も存在しませぬ、犬や馬の国でない以上、金があり教育があつても国家は成り立ちませぬ、
 扨ていよ/\本問題に入りませう、先づ第一に家庭とは何であるかを考へて見ませう、
 家庭とは系統の同じ人々が一つ屋根の下で一つ釜の飯を食つて居ると云ふだけの所ではない、又たゞの休息所《やすみば》ではない、世に家庭程美はしいものはありませぬ、其美くしさは私は形容に困みます、
 家庭とは「天国の出張|所《しよ》」とでも申したらよかろう、天国とは愛を以て結び付いて居る処を申すのであります、親子、兄弟、姉妹が互に相愛《あい/\》し互の間に遠慮なく喜びは打明けて共に相喜び悲しみも打明けて共に同情し合ふ所、それが即はち家庭であります、それ故家庭には金が必要ではありませぬ、立派な家や美くしい着物は要りませぬ、楽な暮しも必要ではありませぬ、日本には家庭雑誌、婦人雑誌として善き物はありませぬ、家庭雑誌にさも幸福なる家庭らしく書いてありますのは華族の家庭とか金持の家庭に付てゞあります、其口絵は何爵夫人の盛装せる様子が出て居ります、そんなものは家庭には必要でありませぬ、愛と愛とを以て結び付いて互の間に遠慮のない処が家庭であります、日本に真の家庭の少ないのは宗教が家庭に無いからであります、
 我国の家庭に於て常に在るのは嫁と姑との争ひであります、私はこれが外国にもあることゝ思つて外国《あちら》に行つた時二三度人に尋ねて恥をかいたことがあります、嫁と姑とが仲が悪いと云ふのは日本ばかりであります もし日本に善き宗教が在つたならかゝることは決してありませぬ、成る程嫁と姑との間の関係は身体の上より云へば他人であります、然しながら人間に大切なのは魂であります、魂は身体以上のものであります、魂を説いて魂を(102)近かよらせれば必らず円満になります、世の多くの人は利害を説いて此円満を計ろうとします、例へば姑に対つて「御前さんの死ぬ時は嫁さんの世話になるのだから辛棒なさい」とか嫁に対つて「姑さんはもう将来が短かいのだから御前さんも僅かの間辛棒すれば楽が来るから御待ちなさい」などゝ云つて忠告しますけれどもそんな忠告で永遠の円満が計られようとは思はれませぬ、嫁も姑も魂を一にし、一つの神様を信じ二人共に一つの神様の子となり、二人共に一人の基督と云ふ様な模範人物を師《せんせい》として仕へたならどうして両者の間に距《へだて》がありませうか、仲が善くならずには居られませぬ、宗教のある家庭に争ひの無きはこれでもわかりませう、又た来世を信じたなら家は如何程楽しいでせう 死んだ家の者は常に忘れられないで此世に残こつて居る家族と魂の上に於て交りを続けて居るとして御覧なさい、如何に美はしいことでありませう、伸の悪るかつた家族の一人が此世を去つた為めに残こつて居《お》る家族が魂を一つにして伸が善くなつた例は少くありませぬ、これ等は宗教によつて来世の念を明かにして初めて得る幸福であります、
 家庭を善くするには宗教の力によるより外はありませぬ、宗教の力によつて家庭が善くなることが、町村や国家が善くなる根本であります、
 町村民が正しき誠実の民となるには人の目に見えぬ処を常に見て居る神様を信ずるより外に途はありませぬ、一宮|町《まち》は日本中で第一のよき町長を得たけれども町長の目の届く処は実に僅かであります、いくらよい町長を有つたとて町民の一人/\の心の中に神が現はれ心の底から改まらなければ真のよき町は出来ない、一宮町の真《まこと》の幸福を得るは町民の一人/\が宗教を信ずるより外に途はない、
 私は詔君《みなさん》が自己の為め家庭の為め町の為め国の為め人の為めによき宗教を選ばれてそれを信じ真の幸福《さいはい》を得(103)られんことを希望致します、
 
(104)     如何《どー》したら平和に死ねるか
               明治45年4月13曰
               『家庭と宗教如何したら平和に死ねるか』
               署名 内村鑑三先生口述 加納久朗筆記
  明治四十五年三月十七日の夜、一宮町浅野金五郎氏宅に於ける先生の説教なり
 私は基督教を信じましてから三十五年になります此教を信じました為めに世の中から度々|迫害《いぢめ》られました、種々《さま/”\》な苦労に出遇ひました、然し私は此教を去りませぬ、それは私が意地|張《ば》つたのではない、此教を信じないでは自分で満足しきれなかつたからであります、
 農業に付て学ばんとするには基督に来《きた》る必要はありませぬ、商業に付て学ばんとするにも基督に来る必要はありませぬ、其他の生業に付て学ばんとするには基督に行く必要はありませぬ、又た人に見られて忠臣だの孝子だのと曰はれるだけなら基督に行く必要はありませぬ、けれども霊魂こと、罪のこと、私《わ》れ等の犯した罪が他日裁かれると云ふことに付て知らんとせば基督によるより外はありませぬ。
 私は今晩人間の一生中の最大事件たる死を平和を以て迎へ喜びを以て望むことが出来るには基督に頼るより外天下に何物もないと云ふことを述べようと思ひます、
 それ諸子《こども》は偕に肉と血とを具れば彼も同く之を具ふ、是れ死をもて死の権威を有《もて》るもの即ち悪魔を滅ぼし、かつ死を畏れて生涯つながるゝ者を放たん為めなり(ヘブライ書第二章十四節)
(105) 人として死を恐れないと云ふ人はありませぬ、何人《だれ》だつて死を恐ろしがつて居ます、空元気は何人でもあります、下らぬ敵愾心はあります、戦場で千軍万馬が相対し、喇叭の声が響きわたり、大砲の音が耳を劈くばかりであります時に夢中になつて死を忘れてわッと敵陣に突進することは、それはいと易いことであります、何人にだつて出来ます、多くの戦争の勇者は此類であります、
 私の此処に云ふ真の勇者とは今此処に死の来た時に安心して死ねる人を云ふのであります、世に我等の死が来ると云ふ程明白なものはありませぬ、耶蘇教の奴はぢきに死、死、と云つて人を威嚇《おど》すと云つて、いやがる人があります、又たシと云ふ音が縁起が悪るいと云つて四と読む所をヨンと読ませなどして力めて死と云ふことを考へない様死と云ふことを打消そうとする人があります、然し死が縁起が悪るかろうが悪るくなかろうが、考へまいが、打消そうが、嫌がろうが、我等が何時か出会はなけれぼならないものは死である、諸君の事業がこれから成効するかどうか、諸君《みなさん》が大金持になるかどうか、諸君が立身出世をするかどうか、それは不確実なことである、しかし、此処に居る我れ等が今から百年経たぬ内に死んでしもうと云ふことは何人も否むことの出来ない確実《たしか》なことであります 晩かれ早かれ我れ/\は死に出会はねばならない、其時に真の勇者になれるかどうか、我れ/\が死にます時に或る者が来て我れ/\を責めるにちがいありませぬ、借りた者は必らず取りに来るに相違ありませぬ、我れ等の犯した罪は必らず問はれるに相違ありませぬ、これは事実であります、其時|何誰《だれ》が暗黒界《くらやみ》に行く我れ/\を導きますか、妻子兄弟朋友は附いて行つてくれませぬ、今夜の様な真暗な夜に一宮|川《かわ》を下つて九十九里の浜から大海へと小舟で乗り出す時に河口の処までは家族だけは或は附いて行つてくれるかも知れませぬ、しかし河口から先きは誰れが附いて行きませう、実に考へて見れば心細くもあり恐ろしくもある、此時力強(106)よい舟頭が附いて居つてくれたならどんなに心強よいでせう、神様は此時の為めに一人の船頭を与へて下さいました、それが基督であります、
 諸君、諸君の中、誰れかゞ今夜の中に死ぬかも知れませぬ、諸君は死を恐それるでせう、流行病《はやりやまい》でもあると、それは人々は大騒をやつてこれを防せがうとします、何故死が恐ろしいのですか、我れ等の犯した罪に付て裁判されるのが恐ろしいからでありませう、此時に水先案内となつてくれるのが基督であります、何故如何して基督が水先案内であるかは今夜は申し上げませぬ、又た申上げる機会があるでせう、
 然し私は今晩事実を語りませう、基督を信じた為めに少しも恐れないで死んだ実例を御話ししませう、諸君の中で基督を信じない人で死を喜こんで感謝して一人で暗黒な死の海へ乗り出した人を御存知でありますか、私は基督を信ぜぬ人で死を喜んだ人を知りませぬ、私は今晩は如何にして死を書こぶことが出来るかと云ふ理屈《わけ》を語りませぬ、信仰は理屈《りくつ》ではありませぬから実例の二三を語りませう、
 日本に基督の教が入りましてから丁度五十年程になりますが、私が信じ始めました頃明治六、七、年のことゝ思ひます、弘前の人で某氏《なにがし》と云ふ人で米国に留学して彼地の大学を優等な成績で卒業して来た人がありました、其頃の洋行帰りと云へばそれは大したもので日本の何れの方面からも歓迎されます、どんなよき地位にもあり付けた程でした、だから此人は非常な希望を有つて横浜に着いたのです 其頃は青森まで汽車がありませぬから横浜から出る便船を待つ為めに旅館に居りましたが、不幸にして肺病が出まして一時に悪るくなり、とう/\郷里《くに》には帰られぬのみならず到底助からぬ様になつてしまいました、其人の友人《ともだち》の珍田捨巳君や、本多庸一君等が介抱しましたが、これは到底助からぬ、然し本人がかたく希望を抱いて日本に帰つて来たのに兎ても助らぬなどと(107)云つたならさぞ落胆することであろうと思ふと実に介抱する人々は辛らかつたそうです、然るに彼れは幸ひにして米国に在つた時基督教を聞いて信仰を得て居りましたが故に少しも煩悶がありませぬ、いよ/\命もこれまでと思ひましたか、三日間水も飲まない、いよ/\死が近くなりまして友人《ともだち》達が病床の傍《そば》に泣いて居るのを見てすつと立ち上り手を打ち振つてそんなに悲んではいけないと云ふ意を示しまして天を仰いで三つ手を叩いて死にました、本多庸一君などは成程これが基督を信ずるものゝ死であるなと云ふことをつく/”\知りまして一層信仰を強めたそうです かゝる平和な死はもし我れ/\にして基督を知り基督を信じますれば、我れ/\も同じ人として出来ないことではありませぬ、
 今一つの例は伊豆に花島と云ふ牛乳屋の老母がありました、平素基督を信ずること厚くありましたが死にます時は至つて平和があつたばかりでありませぬ、非常に感謝しまして、自分はこれから天国へ嫁入りするのだから黒い衣などで葬式をしないでくれ、赤い着物を著せて大に祝つてくれと遺言して笑つて死んだそうであります、
 今一つの例として私の先達て死んだ娘のことを話すことを許して下さい、私の娘は平素は宗教にはむしろ無頓着の様ではありましたが自然と信仰を得まして病床にありましても一言も不平を言はなかつたのみならず実に喜こんで基督に引かれて行きました、彼の女の医者も看護婦も「どうして貴君の娘さんは心が平和でありませう、あの位の病気《やまい》になればだれでも、いら立つのでありますのに」と云つて怪しみました、
 最後に近く薨《あゝな》つたニコライさんの話しをしませう、ニコライさんが日本に来たのは今から五十年前、文久年間でありました、どうして彼の人が日本に来る様になつたかと云ひますと、露西亜の正教会の本山で日本へ伝道する志ある人を募集しました、其時に廿五歳のニコライは「私でも御役に立つなら日本に行かして下さい 但し(108)今私は許嫁があるから、日本に行くことになれば断ります そうすれば日本を自分の妻として愛します 二人の妻を有つことは出来ませぬからどつちかに定めなくてはならないから早く決定て下さい」と申出でました、廿五歳の青年の言葉として誠に気持のよいことであります、遂に日本に来ることゝなりまして初めて函館に着きました、五十年前の日本ですから基督教などに耳を傾けるものはありませぬ、ニコライは「花嫁はまだ寝て居《お》る、これから起こそう」と云ふ報告を本山にしたそうです、以来今日迄五十年間全く日本の為めに生命を献げて伝道しました、其生活の簡易なことは驚くばかりであります、露西亜で大主教と云へば日本の本願寺の大谷さんと云ふ様な訳で貴族であります、宮殿に住居して、大勢の臣を有ち出入には立派な馬車を用ひます、然るにニコライさんはこれが出来得るにもかゝわらず致しませぬ、実に貿素な暮しを致しました、彼れの書斎には机と椅子と寝台《ねだい》がありまする外何もありませぬ、寝台が厚い練瓦の壁に着いて居ますので七十余歳の老人《としより》の身体がそれに着いてさぞ冷えるであろうとて信者の婦人の方が二枚の絹布団を贈りました、然るにニコライさんはそれを一晩用ひたきりで棚に上げてしまいました、翌日従僕が見まして御敷きなすつたよかろうと注意しました処が、「勿体ない」と云つて死ぬまでとう/\寝床には用ひませんでした、日露戦争の当時彼れの処に何回となく、殺すぞ、火を付けるぞと云ふ様な威嚇《おどし》状がまいりました、度々|墺太利《おーすたりー》公使館から逃げて来る様にと注意を受けましたが、彼れは信仰の勇士であります、曰はく、「もし神様の命でありますなら鉄の箱に逃げて居つても殺されます、神の命でない以上は如何なる危険な処に居つたとて殺されることはない」と殊更に往来の人の目に付く窓際又は玄関先きで仕事をして居りました、死に対して恐れないこと敬服の至りであります、
 ニコライさんが病気になりまして死の近きを知りまして一層勉強して仕掛けてあつた祈祷文の翻訳を病院で了(109)へてしまいました、築地の聖路加病院に青山|博士《はくし》の来診がありました時「私の命はもう後|何日《いッか》間ですか、どうか偽りのなきことを語つて下さい」と申しました、博士は脈を見ながら「左様永くて三週間、短かくて二週間であります」と答へました、ニコライさんは非常に喜びまして直ちに自宅へ帰りまして人の忠告も聞かないで風呂に入り身体を清浄にし何時でも棺《くわん》に入れられる様に自分で始末を致しました、それから本山に出すべき会計報告日本に残こすべき決算に従事ましてそれは非常な勉強でありました、そして最後の数字の8と書くべきを5と書いたのに気が付いてそれを書き直ほすと共に後ろに仆れて魂は天国に行きました、此世に於ての仕事で残こつたことは些ともなかつたそうです、此偉大なる大主教の遺産は古着物が三枚あつたきりだそうです、何と清き偉大
なる死状《しにざま》ではありませぬか、
 以上の例の様な死に方を我れ/\も、したいならば基督の弟子となるに勝る方法はありませぬ、勿論宗教は死ぬ為めにのみあるのではありませぬ、けれども私は今晩此事だけを語りました、
 我れ/\は必らず何時か来るべき死に付て平和に死ねる此力を得たなら如何に幸福なことでありませう、此力を得るには私は基督によるより外に途はないと思ひます、此事に付て予め備へを為して置くことは御互の生涯に最も必要なることであります、
 
(110)     地上の教会に関するイエスの比喩的予言
         馬太伝第十三章の研究(四月廿八日東京数寄屋橋教会に於て)                         明治45年5月10日
                         『聖書之研究』142号
                         署名 内村鑑三
 
 福音の真理を講ずるに方て、何にも必しも聖句と称して聖書の一節又は数節に依るの必要はない、其一章に依るも可なりである、其一書に依るも可なりである、聖書は豊富なる金鉱の如き者である、鉱山として貴くある、又鉱脉として貴くある、又金塊として貴くある、聖書の言は一言一句 悉く純金である、   是を黄金に較ぶるも、
   多くの純精《まじりなき》金に較ぶるも、
   いや優りて慕ふべし
である(詩篇十九の十)、然し金塊は相連りて鉱脉を成して居るのである、或ひは一章を成し、或ひは数章に渉りて金言玉語は相繋がりて真理の頸飾を成して居るのである、而して鉱脉は相集つて真理の鉱山を成して居るのである、馬太伝と云ひ、路加伝と云ひ、羅馬書と云ひ、哥林多前書と云ひ、約翰書と云ひ、黙示録と云ひ、夫々真理の鉱山である、我等は其採掘に従事して真理の無尽蔵に接せざるを得ない。
 今茲に研究せんとする馬太伝第十三章の如きも亦|価値《あたへ》貴き真理の鉱脉の一つである、茲に地上の教会に関す(111)るイエスの教訓が順をなして示されてあるのである、言ふまでもなく其五十三節が悉く金科玉条である、乍然、全章に渉りて一大教訓が伝へられてあるのである、全章が一大説教である、余は今茲に字句の詳細に入りて之を説明せんと為ない、全章の意義を瞭かにせんと欲する。
 イエスは彼の名に因て建てられんとせし天国、即ち此場合に於ては地上の教会の建設、組織、成長、変体、復興、貴尊、終局等に就て如何に観ぜられし乎、是れ此章の伝ふる所である、而してイエスは此重大なる事項《ことがら》を伝ふるに方て比喩を以てせられたのである、堂々たる議論を以てせずして卑近の比喩談《たとへばなし》を以てせられたのである、馬太伝第十三章に基督教会過去二千年間の歴史が洩れなく予言されてあると言ふことが出来る、又未来終末に到るまでの成行が悉く示されてあると云ふことが出来る。
 教会建設は如何にして成る乎とは播種《たねまき》の比喩《たとへ》の示す所である、此比喩の示す所に従へば、人は悉く福音を聴いて之を信ずる者ではない、或る人は、然り、多数の人は、福音を耳にするも之を受けず、或る人は受くるも直に之を棄て、或る他の人は信ずるも実を結ぶに至らずして枯る、而して極めて少数のみ信じて百倍或ひは六十倍或ひは三十倍の実を結ぶに至ると、即ち世を駆て悉く信者に成さんことは是れ望むべからざる事である、召さるゝ者は多くして択まるゝ者は尠くある、一国を挙げて基督信者と成さんとするが如きは無謀の企画《くわだて》である、伝道如何に善く功を奏するも社会を挙つてキリストに従はしむることは出来ない、光は暗に照り暗は之を暁らざりきとは古今東西に亘りて変らざる真理である、基督者が国民の多数を占むるに至るが如きは是れ未来永劫に至るも望むべからざる事である、予言者イザヤの言ひしが如く「唯少数者のみ救はるべし」である、我等は何故に然る乎を知らない、イエスは爾う言ひ給ふた、而して今日までの事実が爾うである、神はすべての人の救はれんこと(112)を欲し給ふと雖も、事実はたゞ少数者のみ救はるゝことを示すのである。
 然らば世より択まれし少数者を以て組立られし教会は義人聖徒のみを以て成る団体である乎、此事を説明せし者が次ぎに来る稗子《からすむぎ》の比喩である、詳しき事は曾て之を『聖書之研究』第百三十一号「毒麦の比喩」に於て述べて置いた、之に就て読まれんことを望む、稗子の比喩は教会の不純を示す者である、即ち其純潔無垢の者で無いことを示す者である、其中に真の信者がある、同時に又似而非なる信者がある、而して真の信者と偽の信者は今の期に方ては之を判別する能はずとの事である、稗子は其実の熟するまでは之を真正の麦と区別することが出来ない、真偽混合は此世に於て免かれざる所である、而して基督教会も亦其数に洩れない、多くの狼は羊の皮を被りて主の群羊《むれ》の中に居る、而して其神学を以つて、忠実らしき正統派の信仰を以つて、単純にして正直なる信者を欺く、教会は偽善者の巣窟なりとは余輩が始めて言ふたことではない、主イエスキリストが 予め、然かも、明かに唱へ給ふたる事である、稗子の比喩に由て地上の教会の決してキリストの花嫁でない事を知るのである、以弗所書五章二十七節に謂ふ所の
  汚点《しみ》なく皺なく聖にして瑕なき教会
は未だ曾て地上に在つたことはない、又在り得べからざる者である、地上の教会はすべて悉く玉石混合である、而してキリストは始めより明かに此事を示し給ふたのである。
 而して此玉石混合、偽善者潜伏の教会は此世に於て如何に発達するのであらふ乎、是れ第三の比喩、即ち芥種《からしたね》の比喩《たとへ》の示す所である、此比喩に従へば教会は此世に在りて急速に成長する、芥種の成長する如くに成長する、芥は草本《くさ》である、然し一年にして樹の高さに迄達する、而して其枝は拡りて天空《そら》の鳥来りて其中に宿るに至(113)る、其如く教会も亦始めは極く微々たる者であるが、然し数十年又は数百年ならずして(歴史的短時期に於て)大制度となり、終に王侯貴族をして其中に宿らしむるに至ると、此比喩に「天空の鳥」とあるは鶯、駒鳥等の羽毛《はけ》美くして声麗はしき鳥類を指して言ふのではない、聖書に於ては鳥は大抵の場合に於ては悪しき意味に於て用ゐられて居る、此章の四節に於て「天空の鳥来りて啄み尽せり」とある、而して真理の種を食ひ尽す所の此鳥の悪魔を示す者であることは第十九節に於けるキリストの説明に由て明かである、又以弗所書二章二節に「空中にある諸権を宰る者」なる言がある、而して前後の言に照らして見て其、また悪魔を指す者であることは明かである、故に「天空の鳥」といへば、鷲、ミサゴ、兀鷹の如き猛禽を指して云ふのである、人に益を為す烏に非ずして害を為す鳥を指して云ふのである、而して教会が成長して終に天空の鳥の宿る所となると云ふのは、終に此世の権者、富者、政治家等下民を圧する者の住所と成ると云ふことである、黙示録記者の言を藉りて言へば、教会は終に
  悪魔の住処、又種々の汚れたる霊、及び穢れたる憎むべき鳥の巣となる、とのことである(十八章二節)、芥種の比喩は教会の急速なる成長に伴ふ其俗化を示したる者である、此世の権者、政治家、新聞記者輩の侮蔑嘲弄を以て始まりし基督教会は遠からずして彼等の住処、隠匿《かくれ》場所と化り了らんとのイエスの予言である、而して此比喩的予言は到る所に於て適中したのである、羅馬に在りては大帝コンスタンチンは自から基督信者となり、教会を其保護の下に置いて彼の圧制を施したのである、新教が独逸に於て起れば、是れ又遠からずして政府の機関となつたのである、英国に於ける聖公会、露国に於ける正教会、孰れも天空の鳥の宿る所となりて真理と自由との圧制機関と成らざりしはない、而して若し歴史は其れ自身を繰返す者であるな(114)らば、同じ事が日本に於ても行はれないとは限らない、曾ては賤しめられし基督教会が社会の尊敬を惹くに至り、政治家宗教の必要を唱へ、新聞紙之に和するに至て、基督教会は一転して世の謂ゆる上流社会の慕ひ求むる所となり、終に彼等群をなして其中に巣を作るに至る、是れ最も恐るべき時である、而して余は既に斯かる徴候を今日の我国の基督教会に於て見るのである、「我教会に勅任官あり」と云ひて誇る者、「我教会に陸海軍将官の家族出席す」と云ひて得々たる者、是れ皆な知らず識らずの間にキリストの芥種の比喩を実現しつゝある者である、微々たる基督教会、社会の歓迎する所となりて急速に成長し、貴顧紳士等天空の鳥の住む処とならんと、是れ芥種の比喩が明白に伝へし所の予言である。
 基督教会は外に成長して此世の権者の宿る所となるべしとは芥種の比喩の教ふる所である、而して同じ教会が内に腐敗し、其腐敗全身に及ぶべしとは第四の比喩、即ち麪酵《ぱんだね》の比喩の示す所である。
  イエス又此喩を彼等に語りて曰ひけるは天国は麪酵の如し、婦《をんな》之を取り三セアの粉の中に蔵《かく》せば悉く脹れるなり(第卅三節)
 麪酵は聖書に於ては常に悪しき意味に於て用ゐらる、イエスは弟子等を戒しめて曰ひ給ふた、
  汝等パリサイとサドカイの人の麪酵を慎めよ
と(馬太伝十六の六)、而して彼等に麪酵の何たる乎を問はれて、彼は其のパリサイとサドカイの人の教であることを以て答へ給ふた、路加伝に依れば
  汝等パリサイの人の麪酵を慎めよ、是れ偽善なり
とある(十二章一節)、又パウロはコリント人に書送つて曰ふた
(115)  汝等の誇るは宜しからず、少許《すこし》の麪酵|全団《かたまり》を膨発《ふくらま》すを知らざる乎、汝等は麪酵なき者なれば旧き麪酵を除きて新らしき団塊《かたまり》となるべし
と(哥林多前書五の六、七)、又同じ事が加拉太書五章九節に書いてある、悪しき精神、悪しき主義、偽善、傲慢、誤謬、是れ皆な麪酵である、故に麪酵の比喩は天国、即ち此場に於ては地上の教会の悪しき方面を示す所の比喩であることは明かである。
 麪酵の比喩は教会の腐敗を示す者である、麪酵は教会を腐らする者で此世の精神である、芥種の比喩に由て此世の精神の既に教会に入りしことが示された、而して麪酵の比喩は更らに明白に此腐敗の普及を示す者である、教会は俗化するであらふ、此世の精神を以て其精神となし、此世の方法を以て伝道に従事し、此世の理想を以て其理想となし、而して牧者も羊も、導く者も導かるゝ者も終に之を意とせざるに至り、教会は俗了して此世と何の異なる所なきに至るであらふとは麪酵の比喩の示す所である。
  婦之を取り三セアの粉の中に投ずれば悉く脹れるなり
と、「婦」は教会である、麦粉三セアは其二斗二升五合余であつて婦人の手にて捏ね得る適宜の量である、其中に麪酵一匙を投ずれば、全団《かたまり》は之に化せられて※[酉+發]酵すると云ふ、洵に少許の麪酵全団を脹らすである、教会の俗化するは車の坂を下るが如くに易くある、信仰は努力を要し、間断なき警戒を要する、而して一朝警戒の弛む時に俗気入り来る、富に頼む、権に阿る、学識を衒ふ、策略を弄ぶ、信、愛、望以外のすべての権能を用ゐんとする、是れが俗化である、※[酉+發]酵である、腐敗である、堕落である、聖書の明白なる教訓は
  此世に効ふ勿れ、汝等神の全く且つ善にして悦ぶべき旨を知らんがために心を化へて新たにせよ
(116)とあり(羅馬書十二の二)、又
  此世或ひは此世に在る物を愛する勿れ、人もし此世を愛せば父を愛するの愛その衷に在るなし
とある(約翰第一書二の十五)、然るに其精神に於て、其手段に於て、全然此世に効ふに至て教会は全然此世の麪酵に化せられたのである。
 教会は腐敗するであらふ、真理は俗気の隠蔽する所となりて、真正の信仰は教会の中に在りてさへ嘲けらるゝに至るであらふ、然らば福音の真理は終に此世より失する乎と云ふに決して爾うではない、而して俗了せる教会の中に真理の新発見あることを示したる者が第五の比喩、即ち蔵れたる宝の比喩である、  又天国は畑に蔵れたる宝の如し、人、看出さば之を秘し喜び帰り其|所有《もちもの》を尽く売りてその畑を買ふなり(第四十四節)、
 神の畑たる教会は今は俗人の践荒す所となり、真理は其上に繁茂する能はずして土中に埋没せらるゝに至らむ、真《もこと》の福音は今や教会に在りても蔵れたる宝と成らむ、然れども匿たるにして顕はれざるは無しである、燈火《ともしび》は永久に斗《ます》の下に置かるべきではない、或人は終に之を看出すであらふ、而して看出さば喜びの余り之を秘し、其所有のすべてを投じても之を己が有となさんとするであらふと、教会に於ける真理の新発見、エルフルトの寺院に於てルーテルが蔵れたる聖書を発見せし時、其時に教会内に於て蔵れたる真理の新発見があつたのである、而して彼れルーテルが千五百年来在来りし聖書を抱きて、「是れ我が書なり」と言ひて新たに宝を獲しが如くに喜びし時に、其時にキリストの此比喩は文字通りに成就されたのである、而してルーテルの聖書発見に類する事は其後と雖も幾回《いくたび》もあつた 聖公会の腐敗が其極に達せし時に、ウェスレー兄弟の聖書の研究に由て福音は新たに英(117)国に起つた、教会が此世の哲学と社会改良と儀式と交際とに心酔してキリストの福音を其下に埋没する時に、神は或人を起し、彼をして新たに之を発見せしめ給ふのである、禍ひなる哉荒果てたる教会、貴ぶべき哉蔵れたる福音、而して福ひなる哉其の新発見の栄誉に与りし人、蔵れたる宝の比喩は暗黒の裡に光明を認め、絶望の裡に希望を伝へし激励慰藉の言葉である、予言者イザヤの曰へるが如く(以賽亜書廿一章十一、十二節)、
  人あり我を呼びて曰ふ、斥候《ものみ》よ、夜は今何時ぞと、答へて曰ふ朝来ると、
 イエスは此比喩を以てイザヤの此心を宜べ給ふたのである、教会の俗化其極に達する時に福音の新発見がある、朝は夜に次いで来ると、パウロも亦此感を述べて曰ふた
  夜すでに央《ふ》けて日近けり、故に我等|暗昧《くらき》の行《わざ》を去りて光明《ひかり》の甲《よろひ》を衣るべし
と(羅馬書十三章十二節)、教会の腐敗は歎ずべしとするも、神は腐敗を以て其|聖業《みしごと》を終り給はない、信仰の復興は必ず来る、而して真理は埋れて腐敗の下に在る、其発見の特権に与かる者は誰ぞ?
 蔵れたる真理の発掘がある、而して其真理は優れて貴き者である、すべての他の宝に勝さりて貴き者である、而して福音の真理の貴さを示したる者、是れが第六の比喩、即ち真珠の比喩である、
  又天国は好き真珠を求めんとする商人《あきうど》の如し、一つの価値《あやひ》高き真珠を看出さばその所有を尽く売りて之を買ふなり(第四十五、四十六節)、
 真珠に大なるがある、小なるがある、純なるがある、不純なるがある、一個の好き真珠は千百の尋常《よのつね》の真珠よりも貴くある、其如く真理に又大なるがある、小なるがある、絶好なるがある尋常なるがある、哲学がある、詩歌がある、科学がある、美術がある、真理は一にして足りない、然れどもキリストの福音の真理に較べて見て他(118)の真理はすべて悉く平凡の真理である、地上の真理である、此世の真理である、肉と共に消失する真理である、福音の真理のみ惟り天国の真理である、永久の真理である、霊と共に不滅なる真理である、此世のすべての智識、すべての技術を合はして、其価値は福音のそれに当るに足りない、宇宙唯一の真理とは是れである 神が人の罪を赦し、彼を再たび子として扱ひ給ふとの真理である、之を看出して何人も之に全注意を払ひ、全身全力を献げて其理解会得を計らざる者は無い、世に研究の種類多しと雖も福音即ち聖書の研究の如く深くして広き者はない、人は神学の研究と称して笑ふならんも、而かも神学は今に至るも尚ほ「智識の女王」である、世界最大の智識は神学の上に注がれた、人類最大の問題は宗教問題である、而して宗教問題は畢《つま》る所基督教問題である、世に神学が疎ぜらるゝ時がないではない、今の時の如きは其一つである、今や科学と社会学と、政治学と理財学とは神学を圧倒しつゝある、然れども此状態は永く続くべきではない、
  人はパンのみにて生くる者に非ず、唯神の口より出るすべての言に因る
との真理は今も尚ほ変らない、キリストの福音は遠からずして復たび文明世界の研究の最大題目となるに定つて居る、アウガスチン、アンセルム、トーマス・デ・アクイナス等の如き謂ゆる智的巨人が再たび其巨大なる頭脳を絞りて基督教の諸問題を研究するに至る其時の到来は決して遠くは無い、視よ、今や既に独逸に於てはルードルフ・オイケンの如き、仏国に於てはヘンリ・ベルグソンの如き碩学の出るありてキリストの福音は再たび其根柢より攻究せられつゝあるに非ずや、世界唯一の価値高き真珠は今も尚ほキリストの福音である、而して真理と自由と永生とを愛する者は今も尚ほ其所有を尽く売りて之を買はんとしつゝある、教会の腐敗の如き敢て之を眼中に置くに足らない。
(119) 失望を以て姶まりし主イエスの此予言は希望を以て終つた、世は容易に耳を福音に傾けざるべし、唯其少数者のみ信者たるべしとは第一の予言であつた、此少数者に由て成りし教会は終りまで偽善者の巣窟として存するならんとは第二の予言であつた、此教会は急速に成長して此世の権者富者等、雲上の鷲、鷹、梟等の棲む所となるべしとは第三の予言であつた、内の腐敗は外の成長に伴ひ、教会全体が俗了し世間化すべしとは第四の予言であつた、然し腐敗は永久に真理を隠蔽する能はず、俗気に埋《うづも》れる福音の真理は終に再たぴ発掘せられて世に光明を放つに至るべしとは第五の予言であつた、而して回復されたる福音の真理は宇宙唯一の真理として尊重せられ又攻究せらるべしとは第六の予言であつた、然らば事の終局は何んである乎、是れ第七の比喩、即ち引網の比喩の示す所である、
  又天国は海に打て各様《さま/”\》の魚を漁る網の如し、既に盈れば岸に引上げ坐りて其書き者は之を器に入れ、悪しき者は之を棄るなり、世の終末に於ても此の如くならん、天使等来りて義者の中より悪者を取別け之を炉の火に投入るべし、其処にて哀哭切歯《かなしみはがみ》する事あらん(四十七−五十節)。
 『天国即ち地上に於ける教会は是れ理想の天のホームではない、各様の魚を漁る網の如き者である、其中に善き者も入れば悪しき者も入る、而して悪しき者は終に焼かれて善き者は保存さる、理想の天国は善悪の分別を経て後に臨《きた》る、今は忍耐の時である、試練の期《とき》である、霊魂研磨の期である、今の期に完全を望んで我等は失望せざるを得ない、「終末まで忍ぶ者は福ひなり」、収穫は播種の期に望むべからず、成長の期に雑草の妨害は免かるべからず、終末、復活、裁判、新らしきヱルサレム……信者の希望は茲に在る、彼の忍耐は之に基づく、慰めよ汝等小なる群《むれ》よ』とは主が特に其弟子等に向て語り給ひし此比喩の意義である、使徒ヤコブの言を以て言へば
(120)  兄弟よ忍びて主の臨るを待つべし、視よ農夫地の貴き産を得るを望みて前と後との雨を得るまで久しく忍びて之を待てり、汝等も亦忍べ、汝等の心を堅くせよ、そは主の臨り給ふこと近づけば也
となるのである(雅各書五章七、八節)、引網の比喩は信者慰藉のための比喩である、不信者に其永久的刑罰を知らするための比喩ではない、我等は第三十六節に「遂にイエス衆人を帰へして家に入り云々」とあるに由り第五以下の比喩の弟子に向て語られし者なることを忘れてはならない、主イエスは不信者を嚇《おど》して悦び給ふやうなる教師ではない、彼は茲に弟子等に来らんとする教会の困難と危険と堕落と腐敗とを予め告げ給ひて、彼等が之を以て失望落胆せざらんがために更らに此奨励の比喩を語り給ふたのである。
 驚くべきかな此予言、七つの比喩は黙示録に於ける七つの巻物又は七つの※[竹/孤]又は七つの金椀《かなまり》の異象《しるし》の如き者である、地上に於ける教会の進路を七段に分ちて観察したる者である、而して我等は過去の歴史に由て其第七段を除くの外は悉く文字通りに実現されたのを見た、又我国に於けるが如く教会建設の日尚ほ浅き所に於ては、其、徐々として実現されつゝあるのを見るのである、イエスは所謂|楽観家《オプチミスト》ではない、彼は始めより彼が地上に植え給ひし福音が遭遇すべき困難を知り給ふた、彼は其最後の勝利を信じて疑ひ給はなかつた、然し勝利は輒《たやす》く得らるゝ者でないことを知り給ふた、始めに不信者に擯斥せられ、次ぎに信者に誤表せられ、更らに不信者に利用せられ、信者に埋没せられ、然る後に再たび甦へりて天上天下の最大勢力たるべきことを前知せられた、之に類したる予言は聖書の他の所にも有る、黙示録の如きは其始めより終りまで同一の予言を詳細に述べたる者であると言ひても差支は無い、深く聖書を探りて我等は福音の真理のために如何なる困難に遭遇するも敢て失望しないのである。
 
(121)     〔今や教会に何でもある…〕
                         明治鵬年5月10日
                         『聖書之研究』142号
                         署名なし
 
 今や教会に何でもある、音楽もある、交際もある、慈善事業もある、社会改良もある、戦争後の平和論もある、然し唯一ツない者がある、それはキリストの福音である、今日の教会の基督教は基督教ではない、文明教である。
 
(122)     日本の基督教界に於ける故本多庸一君の位置
         (四月十二日東京青山学院に於て催されし同君追悼会に於て)
                         明治45年5月10日
                         『聖書之研究』142号
                         署名 内村鑑三
 
  私は本多君の友人であつたと曰ふことは出来ません、又無教会主義者なる私が日本美以教会の監督なる君と事業を共に為ざりしは言ふまでもありません、然し私も又君と同時代に此同じ日本国に生れ来りて同じ救主イエスキリストを信じたる者の一人であります、且つ常々君に対し厚き尊敬を懐いて居りました故に、今夕茲に聊か君に対し私の哀悼の意を表する次第であります。
       ――――――――――
  城の石垣に十二の基址《もとゐ》あり 其上に羔の十二使徒の名あり(黙示録廿二章十四節)。
 若しキリストが日本に於て彼の新ヱルサレムを築き給はんために十二使徒を有ち給ひしとならば、其一人が本多君でありしことは何人も疑ひません、然らば其他の十一人は誰である乎、其事は今茲に之を問ふの必要はありません、又本多君は十二使徒中の誰に当る乎、其事も確と定むる事は出来ません、我等は使徒等の為人に就て多くを知りません、ペテロ、ヨハネ、ヤコプに就て稍々多くを知り、ピリポ、トマス、マタイ、ナタナエルに就て少しを知りますが、其他のアンデレ、アルパイの子なるヤコブ、ヤコブの兄弟なるダツタイと名けられしユダ、(123)カナンのシモン等に就ては唯其名を知る丈けでありまして、其|行為《おこない》に就ては殆んど何をも知らないと云ふて宜しいのであります、然し彼等の中に本多君のやうなる人物の一人あつたこと丈けは明かであります、十二使徒は十二の代表的人物であります、キリストは其家を建て給ふに方て之をペテロとかヨハネとか云ふ一人又は二人の大人物の上に建て給はずして、十二の代表的人物の上に建て給ふたのであります、新ヱルサレムは十二|基《だい》の土台|石《いし》の上に築かれたのであります、爾うして其上に羔の十二使徒の名が彫刻れたのであります。
 然らば本多君は日本に於ける新エルサレムの土台石の一基として如何なる精神、如何なる方面を代表されたのであります乎、十二使徒は様々でありました、ペテロは動かざる巌の如き確信を代表しました、ヨハネは深き神秘的の聡慧《さとり》を代表しました、若しパウロを十二使徒の一人として数へますならば、(而して私は爾うなすべきであると思ひます)、彼は熱誠に加ふるにギリシヤ的の分析的の理性を代表しました、其他|税吏《みつぎとり》たりしマタイは実務的才能を代表したでありませう、カナンのシモンは愛国的熱誠を代表したでありませう、其他各自夫れ/”\貴ぶべき構神の一面を代表したでありませう、而して今本多君を十二使徒の一人に当箝めんとして、君は如何なる精神を代表したる者として見るべきでありませう乎、君が日本初代の基督教界に於ける神学者のパウロで無かりしことは葬儀の際に於ける井深君の言に照らして見ても明かであります、然らば本多君は神秘的のヨハネでありし乎と云ふに、是れ又君の友人の凡てが肯ずる能はざる所であると思ひます、然らば熱情に駆られて時には前後を忘れしペテロでありし乎と云ふに、本多君はペテロたるには余りに冷静でありしと思ひます、君は愛国者でありましたが、然し攘夷のシモンではありませんでした、事務の才を有たれましたが、税吏のマタイの其れとは違つて居つたと思ひます、然らば、本多君は如何なる才能、如何なる徳望、如何なる品性を以て日本基督教界の十二使(124)徒の一人として立たれたのであります乎。
 前にも申上げました通り私は名を指して十二使徒中の一人を本多君に当箝めることは出来ません、乍然、本多君の特性の何んでありし乎、其事は君の公的生涯に就て少しく知る者の何人も能く知る所であると思ひます、本多君の特性は平和であります、「やわらぎ」であります、Reconciliation であります、其事は先日君の葬儀の時に山田寅之助君が読まれし君の履歴に由て見て能く分ります、本多君は日本国に曾て在りし所の最良の県会議長でありました、君に由て犬猿も啻ならざる南部と津軽とは平和の間に青森県の県事を議することが出来たのであります、君にして若し政治的野心を棄てざりしならば君が日本国最良の衆議院議長となられしことは何人も疑ひません、君に由てメソヂスト三派は結合したのであります、君に由て基督教の諸教派は一致せんとしつゝあつたのであります、君に由て外国人は内国人と和合し、君に由て信者は未信者と融和し、然り、君に由て日本国は尠からず全世界と融和したのであります、本多君は到る所に平和の春を持運びました、君に接して我等は怒らんと欲するも怒り得ませんでした、平和は君の天然性でありました、爾うして君に在りては此天然性は平和の主なるイエスキリストに接して著しく発達したのであると思ひます、爾うして日本国初代の基督教界に在りて本多君の必要でありしことは私が茲に申述るまでもありません、四十何派と云ふ多くの宗派が外国宣教師に由て日本国に輸入されたのであります、而して封県制度の下に地方的精神が殆んど其の極端にまで達した日本人が之を受けたのであります、火に油を注いだとは此事であります、宗派心は日本人の中に注入されて一層激烈になつたのであります、宗派心は外国の基督信者間にありても盛であります、乍然、私の見る所に由りますれば日本の基督信者の間に在て宗派心は其最も忌むべき形を以て現はれたのであると思ひます、外国宣教師は日本国に宗派を輸入し(125)て如何なる害毒を流した乎を知りません、彼等が我等の前に置いた躓の石は我等を深く傷けたのであります、彼等は此事に就て深く神の前に懺悔するの必要があります。
 乍然、人の失錯《あやまち》は神、之を償ひ給ふのであります、爾うして神は本多君を送つて外国宣教師の此失錯を償ひ給ふたのであります、本多君は政治界を去り基督教界に入り、君の平和の特性を以て教派分立の害を除かんとして努められたのであります、而して此貴むべき事業に於て君は或る程度まで成功されたのであります、私は曾て松村介石君と話したことがあります、若し私供日本国初代の基督信者が何にかの事情に強いられましてメキシコかブラジルに移住したと仮定め、爾うして周囲の境遇に余儀なくせられて相互の間に共和国を建設せねばならぬやうになつたならば我等は其時我等の中より誰を撰らんで大統領と為すであらふ乎との私の問に答へて、紘村君は例の調子で答へて曰ひました、
  其れは本多さ、本多さ
と、爾うして其事に就て私は勿論松村君に同意せざるを得ませんでした、メソヂスト三流が合同して一教会と成りし時に、其最初の監督の本多君たるべきことは実に先決問題でありました、而して若し更らに進んで日本の諸教会が其の理想通りに一団体とならん時には其最初の大監督の、本多君たるべき事は是れ亦先決問題であります、本多君は特に平和の構神を齎らして我等の間に在りし者、君は洵に我等を繋ぐ平和の綱でありました。
 而して最初の十二使徒の間に在りて本多君が日本初代の基督信者の間に在りて執られし職務を取りし者は誰でありし乎との問題に対して、私は其使徒の名を指して答ふることは出来ません、然しながら是れペテロの為した事でない事は確かであります、彼は此任に当るには余りに感情的でありました、彼は使徒等の先鋒として適任者(126)でありました、然し其統治者としては不適任であつたと思ひます、然らば愛を説きしヨハネこそ能く此任に堪えし乎と云ふに私は爾うではないと思ひます、雷《かみなり》の子と呼ばれ、烈火の如き黙示録を書きし彼は謂ゆる平和の人ではなくして激烈の人であつたのであります、彼も亦各自其主張を採て動かざりし十二使徒の統一者たるには不適当の人であつたらふと思ひます、パウロは遊軍の将でありました、彼は坐して他人の平和を計る底の人物ではありませんでした、彼は福音のチヤムピオンでありました、特に戦闘場裡に於て光彩を放つ人でありました、然らばイエスの昇天の後に誰が使徒等の平和統一を計つたのでありませう乎、其事に就て新約聖書は明かに私共に示しません、随て私は本多君の相方《カウンターパート》を使徒等の中に指明するに苦しむのであります。
 先日の井深君の演説の中に、本多君は武士的クリスチヤンであつたとの言がありました、其事から想起《おもひおこ》しまして、私は本多君はバルトルマイと呼ばれしナタナエルではなかつた乎と思ひました、イエスは初めて彼を見たまひし時に
  視よ、真のイスラエルの人にして其心|詭譎《いつはり》なき者ぞ
と言ひ給ひました、(ヨハネ一の四七)、本多君も亦ナタナエルの如くに
  真の日本人にして其心に詭譎なき者
でありました、君はキリストの弟子と成る前に真の日本武士であつたのであります、其点に於て本多君を日本基督教界のナタナエルと称ふことが出来ると思ひます、乍然、惜むべし、私共はナタナエルに就て是れ以上を知らないのであります、彼が果して使徒等の間に在て本多君が日本初代の基督信者の間に在りて為されたやうな事を為した乎否やは聖書が私供に告げない所であります。
(127) 今、聖者の告ぐる所に由りますれば、使徒等の間に立ちて能く彼等の衝突を遅け、其和合を計り、共同を促した者は「主の兄弟」と称ばれし使徒ヤコブでありし事を見るのであります、彼は十二使徒の一人ではありませんでしたが、然し、後には其一人として崇められ、彼等の長者として尊まれたのであります、さうして此人がヱルサレムに在りて使徒の間の調和を計り、初代の信者の統一を促した事は使徒行伝の示す所であります、私は今茲に雅各書に示されたる精神信仰と本多君のそれとの比較に就て述べたくありますが、然し之を為すの時間を持ちません、両者共に保守的信仰の人でありし事、実際的であつて弁論的であらざりし事、等しく常識に於て富みし事、ヤコブはナタナエルの如くに真のイスラエルの人でありしやうに本多君も亦真の日本武士でありし事、是等は注意すべき要点であります、私は本多君を以て日本初代の基督信者中の使徒ヤコブと称するも多く間違はないと思ひます。
 乍然、是れ私の自説に過ぎません、諸君は之を採用するに及びません、歴史上の比較は如何でも宜いのであります、私供は事実をさへ明かにすれば、其れで事は足りるのであります、本多君は平和の人でありました、「やわらぎ」の人でありました、其事は明かであります、さうして君は日本国に基督教の有らん限り、(さうして日本国に基督教が無くなる時は決してありません)、君は日本国の平和の使徒として記憶せらるゝのであらうと思ひます。
 故に若し本多君の御遺族から、私に、君の墓石の上に刻むべき聖書の言葉を撰めとの御依頼がありますならば、私は馬太伝五章九節を撰むのであります、即ち
  和平を求むる者は福ひなり、其人は神の子と称へらるべければ也
(128)と、私は本多君の特性は此言を以て尽きて居ると思ひます、君は和平を以て偉大であつたのであります、さうして基督信者の立場より見て和平の偉大は神学の偉大、策略の偉大、雄弁の偉大よりも遙かに偉大なるのであります。 Bishop Honda the Peacemaker、君は此名を以て永く我等の間に知らるゝのであらふと思ひます、爾うして君の霊は今や争闘《あらそひ》の此世を去て平和の主と共に在るのであります、君は最早やメソヂスト教会の監督ではありません、君は今は
  シオンの山、又活ける神の城なるヱルサレム 又千万の衆、即ち天使の聚集《あつまり》、天に録されたる長子等の教会、又すべての人を鞫く神、及び完成《まつたう》せられたる義人の霊魂《たましい》の一つと成られたのであります(希伯来書十二章廿二、三節)、四十有余の教派を一致せしめんとするが如き有難くない仕事は今は君に有りません、君は今は平和の中に在りて争闘不和の何たる乎をさへ忘れんとし給ひつゝあります。
 君の平和の業は終りました、乍然、私供、後に残りし者の平和の業は終りません、爾うして私共が若し真に本多君を愛し、君を尊敬しますならば、君の平和の精神を受けて兄弟相互に和らぐべきであります、爾うして本多君は肉に於て死して霊に於てより強く私供の此和らぎを援け給ふのであると思ひます、今より後の本多君は平和の霊を以て私供の間に臨み、永へにキリストの愛を以て私供の心を結附け給ふのであると思ひます。
 
(129)     世に勝つとは何ぞや
                         明治45年5月10日
                         『聖書之研究』142号
                         署名なし
 
  汝等世に在りて患難《なやみ》あらん、然れど心安かれ、我れ既に世に勝てり(約翰十六の三十三)。
 世に勝つとは権力を以て世を威圧することではない、又金銭を以て之を買収することではない、又名望を以て之を風靡することではない、寛《ひろ》き温き心を以て之を容受することである、即ち愛を以て之に勝つことせある、世の我に加ふる侮蔑、憎悪、迫害を怒らざるのみならず、却て之を喜ぶことである、即ち我心に怨恨の苦きは絶えて宥恕の甘きのみ存し、尽きざる愛の甘泉の其中より湧出て永生に至ることである、是れが真正の勝利である、斯の如くにして世に打勝ちて世は再たび我に勝つことが出来ないのである。
 身は十字架に釘けられ、戈もて脅《あばら》を刺され、面前《まのあたり》嘲弄を逞うせられし時に、
  父よ彼等を赦し給へ、彼等は其為す所を知らざるなり
との祈祷を口にしながら気息絶えしイエスは其時正さに人類の首《かしら》、世界の王と成り給ふたのである、此愛に勝つ権力《ちから》は全宇宙に無い、悪魔はイエスを殺さんとして終にイエスに殺されたのである。
 而してイエスに依りて我等も亦此勝利の冠冕を我等の頭に戴くことが出来るのである、我等も亦心に怨恨の跡を絶ち、之を愛の泉となすことが出来るのである、此世は実に悪い世である、敵意、憎怨、※[女+冒]嫉を以て満溢れ、(130)之を避けんと欲して避くることは出来ない、我等此世に生れ来りて之に勝たざれば其呑む所となる、恰かも毒蛇と巣を共にするが如きであつて、我れ彼に勝たずんば彼れ我れを呑まんとする状態に於て在るのである、而して我等彼の毒牙を避けんと欲して縦し曙の翼を借りて地の極《はて》にまで到るも彼は我等の迹を逐ふて、世界何れの処に到るも我等に平和を得させないのである、而して又此毒蛇たる、素戔嗚尊が退治せしと云ふ八尾妖蛇《やをおろち》とは異り、如何なる利剣を以てしても斬殺すことが出来ないのである、此世の主なる悪蛇を除くに唯一つの武器、一つの方法があるのみである、愛の武器、宥恕の途、是れである、是を以てして我等は完全に彼に勝つことが出来るのである、愛はまことに悪の解毒剤である、其注射を受けて我等は悪魔の毒矢を身に受けて其毒に感染しないのである。
 愛に恐怖《おそれ》なしと云ふは此事である、寛き温かき愛を心に懐きて我等は人の誹謗、侮蔑、嘲弄に遭ふて心を乱され、之を穢さるゝの恐怖がないのである、愛の鎧を身に纏ふて我等は悪しき此世に在りて、何処に到るも平安であり得るのである、我等は此文明国に在りて実は盗賊の巣に在るのである、此世は到る所、蛇と蠍との住所《すみか》である、斯かる世に在りて我等強き愛の注入を身に受けずして危険極まるのである、我等は先づ我が衷に愛を以て世に勝ちて、而して後に世は我が欲ふが儘になるのである、
  イエス曰ひけるは我れ電《いなづま》の如くサタンの天より隕るを見たり、我れ汝等に蛇蠍を践み又敵のすべての権《ちから》を制《おさ》ふる権威を授けたり、必ず汝等を害ふ者なしと(路加伝十章十八、十九節)、
 而して此奇績的の権威たるや、柔和なる心、寛き温かき愛より他の者ではないのである。
 
(131)     救世軍克己週間寄附金勧誘に付き山室軍平君に贈りし書翰
                         明治45年5月10日
                         『聖書之研究』142号
                         署名 内村鑑三
 
 拝啓、申上ぐるまでも無之、小生は貴兄御自身に対しては厚き尊敬を表し申條、然しながら此世の政治家、実業家、学者等の名を藉りて為さるゝ救世軍の御事業には残念ながら参加致し兼ね候、若しキリストの御聖名にのみよりて為さるゝ御事業有之候節は何時なりとも御用御申附け被下たく候、小生は必ず応分の御寄附致したく存候、小生は救世軍が新約聖書が明白に示す所の手段方法を以て其事業を行はれんことを切望に不堪候、草々。
  千九百十二年三月廿三日             内村鑑三
  救世軍書記長宮 山室軍平様
 
(132)     〔聴かれざりし祈祷 他〕
                         明治45年6月10日
                         『聖書之研究』143号
                         署名なし
 
    聴かれざりし祈祷
 
 我れに多くの聴かれざりし祈祷ありたり、我は之れがために数次神を疑へり、然れども今に至りて知る、我が祈祷の聴かれざりしにあらず、我が祈祷以上に聴かれしことを、我れ肉のために祈りし時に霊のために聴かれたり、我れ現世のために祈りし時に来世のために聴かれたり、然り、我が祈祷はすべて聴かれしなり、唯其れ丈けに聴かれしと、其れ以上に聴かれしとの別あるのみ、感謝すべきかな。
 
    キリストと我れ
 
 キリストは我が義なり、彼れ我に在して我は神の前に義きを得るなり(哥林多前書一章三十節)。キリストは我が復活なり、彼れ我に在して我は彼と同じく復活するを得なり、(約翰伝十一章廿五節)。
 キリストは我が生命なり、彼れ我に在して我は窮りなく彼と偕に生くるを得るなり、(哥羅西書三章四節)。
 キリストは我が希望なり、彼れ我に在して我に今既に彼の栄光に与かるの確実なる希望あり、(提摩太前書一章(133)一節)。
 キリストは我がすべてなり、我は彼を離れて何事をも為す能はざるなり、(約翰伝十五章五節)。
 
    我等の完成
 
 イエス曰ひ給はく天に在す汝等の父の完全きが如く汝等も亦完全く成るべしと。馬太伝五章四十節。
 然れども罪に生れし我れ、我れ如何で天父の完全きが如く完全く成るを得んや、是れ我に対し不可能の要求ならずや。
 然り、我は完全く成る能はず、然れどもイエスは完全く成るを得たまひたり、而して彼れは我に在りて我をしも完全く成し給ふなり、我れ信仰を以て彼に往けば、彼は聖霊を以て我に臨み、我を化して終に彼の完全きが如く完全く成らしめ給ふ、斯くて完成は我に取りても不可能事にあらず、彼は万物を己れに服はせ得る能に由りて我等の卑しき体を化して共栄光の体に象らしめ給ふべし。腓立比書三章廿一節。
 
    人なるキリスト
 
 人類全体が正体《せいたい》であつてキリストが惟り変体であるのではない、キリスト惟りが正体であつて人類全体が変体であるのである、キリストは人類に由て批判さるべき者ではない、却て人類はキリストに由て審判さるべき者である、標準はキリストであつて人類ではない、キリストのみ洵に「人」である、「義人あるなし、一人もあるなし」である、キリストを除いて他に神の前に人と称せらるべき人は未だ曾て一人も在つたことは無いのである。
 
(134)    来世問題
 
 来世は有る耶無き耶と問ふ、然り、キリストに救はれて来世の有ることが判明る、彼に救はれずして来世の有ることは判明らない、キリスト死を廃《ほろぼ》し福音を以て生命と朽ざる事を明著《あきらか》にせりと云ふ、キリストが復活であり、窮りなき生命であるのである、彼を離れて復活も永生もある者ではない、我等彼より生命を受けて永生に入りしことを識るのである、来世問題は信仰問題である、キリストが判明りしと同時に来世は明白になるのである。提摩太後書一章十節、約翰伝十一章廿五節。
 
    三角形として見たる福音
 
 愛は一直線ではない、二直線である、直角を以て繋がれたる二直線である、即ち図の如くである、
 
              隣人
              |
   神――――――――――我  〔神から、隣人に棒線あり〕
 
 神と我との関係である、又我れと隣人との関係である、神と我れとの関係、是を称して宗教と謂ふ、我れと隣人との関係、是を称して道徳と謂ふ、神と我れと隣人との関係、是を称して基督教と謂ふ、基督教は宗教ではない、亦道徳でもない、基督教は宗教に道徳を加へたる者である、故に謂ふ、
  爾、心を尽し、精神を尽し、意を尽して主なる爾の神を愛すべし、又己れの如く爾の隣人を愛すべし
(135)と(馬太伝廿二章卅七、八節)、基督教は単《たゞ》に人道ではない、然ればとて又単に神道ではない、キリスト御自身が神人(God-Manでありしが如くに、彼の福音は神人道である、神を愛して其愛を人に及ぼす道である、天の道にして又地の道である、誠実にキリストの福音を信じて我等は隠士ならんと欲するも得ないのである、我等は直立的に神と交はり、地平的に同胞に接し、而して彼等をして我等を経由せずして直に神に到らしめて、福音は我等に在りて其実効を奏したのである。
 
(136)     キリストの死の貴き所以
                         明治45年6月10日
                         『聖書之研究』143号
                         署名 内村鑑三
 
 天父《ちゝ》の聖旨に循ひ完全き生涯を成就《とげ》たまひしイエスは普通の人間の如くに死すべき者ではなかつた、彼は死の苦痛を経ずしてエノクの如くに天に移さるべき者であつた、死は罪の価である、故に罪を知らざる者に死は無い筈である、イエスは試誘《こゝみ》みられしも罪を犯さなかつた、故に彼は死すべからざる者であつた。
 謂ゆる変貌山上のイエスは生きながらにして昇天の域に達した者である、
  其容貌は変り、其衣輝き、白きこと甚だしくして雪の如く、世上の漂布者《ぬのさらし》も斯く白くは為し能はざるべし
とある(馬可伝九章三節)、是れイエスの聖化が其極に達した時の状態である、彼は此状態にて最後に昇天し給ふたのである、イエスの変貌は弟子等の迷想に成れる幻景《まぼろし》ではない、イエスの取るべき当然の形体である、イエスは彼の成就たまひし罪なき聖き生涯の褒美として変貌の山より直に昇天すべくあつたのである。
 然れどもイエスは自から択んで此時昇天し給はなかつたのである、彼は死に定められたる人類の事を思ひ給ふたのである、彼は彼等と死を共にして彼等を慰めんため、而して自から死に勝つて人類のために死を滅さんために、自から択らんで死に就き給ふたのである、死はイエスに取つては避け難き運命ではなかつた、イエスに取ては死は全く任意的撰択であつたのである。
(137) 故に謂ふ、
  キリスト我等の罪のために死たり
と(哥林多前書十五章三節)、又謂ふ、
  彼れ我等のために死たり、是れ我等をして彼と偕に生かしめんとて也
と(テサロニケ前書五章十節)、又謂ふ、
  (イエスの死に給へるは)是れ死をもて死の権威を有てる者即ち悪魔を滅し、且つ死を恐れて生涯繋がるゝ者を放たんためなり
と(希伯来書二章十四、十五節)、洵にイエスに取りては死は犠牲であつたのである、
  己を卑うし、死に至るまで順ひ、十字架の死をさへ受くるに至れり
とは彼の自捐の極を謂ふたる言辞である(腓立比書二章八節)、曾ては己れ悔改むべき罪なきに罪人と班を共にせんために悔改のバプテスマを受け給ひし彼は、彼の生涯の終りに於て自己のためには受くるの何の必要もなき死の苦痛を受け、我等の荏弱《よわき》を体恤《おもひや》るの資格を作り、合せて我等を死の※[手偏+國]握《くわくあく》より救出《すくひいだ》し給ふたのである、我等に対するキリストの愛は茲に顕はれたのである、
  夫れ義人のためにさへ死する者は殆んど稀れなり、仁者のためには死ぬることを厭はざる者無しとも限らず、然れどもキリストは我等の尚ほ罪人たりし時に我等のために死に給へり、神は之によりて其愛を彰し給ふ
とある(羅馬書五章七、八節)、洵に
  人、其友のために己の生命を捐る、之れより大なる愛はなし
(138)である(約翰伝十五章十三節)、イエスは捐つるの必要なき生命を我等のために捐て、通過《とう》るの必要なき死を我等のために通過り姶ひて、我等罪人に対する彼の絶大の愛を示し給ふたのである。
 如斯くにしてイエスの死は此世の愛国者又は殉教者の死と共に談じ得べき者ではない、彼等は他日《いつか》必ず死すべき者なるに、国のため又は真理のために天寿の終るを待たずして死たるに過ぎない、然るにイエスは死ぬべからざる者なりしに自から択らんで、然かも罪人のために、死に給ふたのである、実に、
  神は此事によりて其愛を彰はし給ふ
たのである、世の如何なる愛国者も、如何なる殉教者も、未だ曾てイエスの死の如き貴き犠牲の死を遂げた者はない、イエスの死に於て愛は其極に達したのである。
 此事が解つてパウロのキリストの愛の讃美の言辞の意味が善く解るのである、
  キリストの愛より我等を絶《はな》らせん者は誰ぞや、患難なるか、困苦なるか、迫害なるか、飢餓なるか、裸※[衣偏+呈]《はだか》なるか、危難なるか、刀剣《つるぎ》なるか、……そは或ひは死、或るひは生、或ひは天使、或ひは執政、或ひは権能、或ひは今在る者、或ひは後あらん者、或ひは高き、或ひは深き、亦其他|受造《つくられ》し何者も、我等を我主イエスキリストに由れる神の愛より絶らすること能はざる者なることを我は信ぜざるを得ざれば也
と(羅馬書八章三十五節以下)、貴きかなキリストの死、深かきかな神の愛。
 
(139)     信仰の生涯
                         明治45年6月10日
                         『聖書之研究』143号
                         署名なし
 
 信仰の生涯は安心の生涯である、然し安楽の生涯ではない、信仰の与ふる安心は努力奮闘せずして得らるゝ者ではない、信仰は肉情の要求ではない、意志の決行である、奮励して獲んと欲するにあらざれば得ることの出来るものでない、故にイエスは言ひ給ふた、
  窄き門に入るために努力せよ(路加十三の廿四)。
  若し汝の一手汝を礙さば之を断《きり》て棄てよ、両手ありて地獄、即ち滅《きえ》ざる火に往かんよりは不具にて永生《いのち》に入るは汝のために善し(馬可九の四十三)。
 万人若し汝等を誉なば汝等禍ひなる哉(路加六の廿六)。
と、永生と之に伴ふ歓喜と安心とは世の人望を博しながら、何の欲をも断つことなく、易々として得ることの出来る者でない。
 
(140)     士師ヱフタの話
         少女の犠牲(此篇を能く解せんと欲する者は先づ士師記第十一章を精読するを要す)
                         明治45年6月10日
                         『聖書之研究』143号
                         署名 内村鑑三
 
  我れ更らに何を言はんや、若しギデオン、バラク又サムソン、ヱフタ、ダビデ又サムエル及び預言者等の事を言はんには時足らざる也。希伯来書十一章三十二節。
 ヱフタの話は旧約聖書士師記第十一章に載せてあります、彼はギレアデ人で猛き勇者でありました、私生児であるとの故を以て、本妻の子等の逐ふ所となり、家郷を去りて他国に流浪し、トブと云ふ所に往いて、其処に土地の無瀬漢等を集め、アラビヤ地方に時々行はるゝ所の旅客の掠奪に従事しました、時に彼の本国はアンモン人の侵掠に遭ひ、十八年の間其暴虐に困しみました、茲に於てかギレアデの長老等トブの地に到り、ヱフタに乞ふに其生国に帰り、民を率ひてアンモン人に当り、民国を侵掠者の手より拯出《すくひだ》さんことを以てしました、時にヱフタは長老等に答へて曰ひました、
  汝等は我を悪みて我父の家より我を逐出したるに非ずや、然るに今汝等|困難《なや》める時に至りて何ぞ我に来るや
と(七節)、私生児も亦人であります、一度び世に生れて来た以上は、神に召されて生れて来た者であります、然るに私生児なるとの故を以て之を嫌悪ひ、之を虐待し、之を逐放して、ギレアデ人は人の前に自己の清浄を衒ふ(141)
たのであります、然るに神は智者の智を愧しめ、賢者の賢を愧かしめんために、茲に私生児ヱフタを撰みて彼に異常の能《ちから》を与へ給ふたのであります、今や国難に際し、救済の衝に当る者なきに至りて、民の長老等は頭を低れ、彼等が曾て侮辱し、逐放せし不幸児の援助を藉らざるを得ざるに至りました、ヱフタの得意実に想ふべしであります、時に長老等ヱフタに答へて曰ひました、
  其事ありしが故に我等今礼を厚うして汝に来りしなり、乞ふ、汝今我等と共に往きてアンモン人と闘へ、然らば我等汝を戴きてギレアデ人の首領と《かしら》なすべし
と(八節)、此懺悔と懇願とに対し、勇者は之を斥くるを得ませんでした、長老等をしてヱホバの前に誓約を立てしめ、終に彼等の首領となり、大将となり、ギレアデ人を率ひて敵人アンモンを撃攘すべきことを承諾しました。
 ヱフタはギレアデ人の首領となりて、アンモン人に対して直に戦闘を開始しませんでした、彼は先づ平和手段を以て争闘の根を絶たんとしました、彼は使者をアンモン人の王に遣りて其要求の非を糺し、彼をして譲るべきを譲らしめんとしました、本章第十二節より第二十八節までは、当時の外交談判を記す者であります、ギレアデ人の立場より見て正当なる要求であつたのでありませう、外交など云ふ者は其時其場合に臨んでのみ興味ある者であります、然し時と所とを異にして何の興味も無い者であります、其当時に於てこそ日露外交談判と云へば世界の耳目を惹きましたが、然し今より四千年の後に至りて之を見れば、丁度私共が今ヱフタ対アンモン王の外交談判を読むやうな感が致しまして、誠に詰らない事でありませう、然しヱフタが戦ふ前に先づ平和的手段を取りしこと、其事は文明的であつて賞讃すべき事であります、彼れ私生児の浮浪人も之に責任の地位を与ふれば紳士となります、神を識りしヱフタは其素姓如何に関はらず、性来《うまれつき》の紳士でありました、之に軍国の指揮を委ぬれば(142)直に陣頭に立て、勇敢以て敵の胆を挫ぐならんと思ひの外、ヱフタに優しき女らしき所がありました、私供がヱフタを愛する理由は主として茲にあります。
 ヱフタは平和の方法を試みました、然しながらギレアデ人の力を侮りしアンモン人の王は不作法にも之を斥けました、
  茲に至りてヱホバの霊ヱフタに臨みたり
とあります(二十九節)、戦闘の力は平和の手段の尽きる時に降ります、ヱフタは今は闘はざるを得ませんでした、然れども彼は戦場に臨むに先だちて神に誓を立てざるを得ませんでした、彼の担ひし責任は余りに重大でありました、彼は自己の力に頼るを得ず、然ればとて未だ全く神の援助を信ずることが出来ませんでした、誓願は人の至情より出る者でありますが、然し全く神に頼む人は誓願を立つるの必要を感じません、天父《ちゝ》の聖旨《みこゝろ》を完全に了解《さと》り給ひしイエスは曾て一回も誓願を立て給ひませんでした、彼は其弟子等に教へて曰ひ給ひました、
  我れ汝等に告げん、更らに誓ふこと勿れ、天を指して誓ふこと勿れ、是れ神の座位《みくらゐ》なれば也、地を指して警ふこと勿れ、是れ神の足※[登/几]《あしだい》なれば也、ヱルサレムを指して誓ふこと勿れ、是れ大王の京城《みやこ》なれば也、汝の首《かしら》を指して誓ふこと勿れ、そは一糸《ひとすぢ》の髪だに白く又黒くすること能はざれば也、汝等たゞ然り、然り、否な、否なと言へ、此より過《すぐ》るは悪より出るなり
と(馬太伝五章三十四節以下)、此は神を信ずること深きの余り誓願の必要を認めざるのみならず、却て其罪悪なるを認むる聖者《きよきもの》の言であります、然れども神の子ならぬヱフタには此深き完全《まつた》き信仰がありませんでした、彼は多くの人の子の例に傚ひ、戦闘に臨むに際して神の前に誓を立てました、此場合に在りしヱフタに対し、私は其(143)行為を讃むる能はざると同時に、又深く彼に同情を表せぎるを得ません。
 ヱフタがヱホバに立てし誓は是れでありました、即ち
  汝若し誠にアンモン人を我が手に附し給はば、我がアンモン人の所より安らかに帰らん時に、我家の戸より出で来りて我を迎ふる者は必ずヱホバの所有《もの》となるべし、而して我れ之を燔祭となして献げん
と(卅、卅一節)、誠に前後を顧みざる無謀の誓でありました、然しヱフタは時の必要に逼まられ、自己の弱きを感ずるの余り此言を発したのであると思ひます、私供はヱフタの軽率を責むる前に先づ自己を彼の地位に置いて見なければなりません、彼に取り今や彼の私事を慮るの時ではありませんでした、国の為め、神の為め、然かも自己は一個の浪士、娼妓の子なりとして人に賤められし者、彼れ争でか此大任に堪ゆるを得んや、彼れ若し一歩を錯れば国家は滅亡の淵に沈まざるを得ず、此事を思ふて、彼は如何なる犠牲を払ふも此戦争に勝たざるべからずと思ふたのであらふと思ひます、私は此時に於ける彼れヱフタの心情を推量りて同情の涙に堪えません。
 上よりの力は彼の身に加へられました、警顧《ちかひ》はヱホバの前に立てられました、今やヱフタの勇気平日に百倍し、彼は猛然としてアンモン人の陣を襲ひました、
  ヱフタ即ちアンモン人の所に進み行きて之と戦ひしに、ヱホバ、彼等を其手に附し給ひしかば、アロエルよりミンニテにまで至り、彼等の二十の邑を打敗りてアベルケラミムに至り、甚だ多くの人を殺せり、斯くて アンモン人はイスラエル人に征伏せられたり
とあります(卅二、卅三節)、殺伐の記事を好まざる聖書記者は此場合に於ても是れ以上を書き記しませんでした、戦争の記事は是れで足ります、斬つたとか、突いたとか、喊《おめ》いたとか、叫んだとか云ふ血腥き事は之を読むの必(144)要はありません、士師記の如き戦争に就て多くを記す書に於てすら聖書は戦争其物に就ては成るべく沈黙を守つて必要以上を語りません、是れ聖書の聖書たる所以であると思ひます。
 戦争は大勝利を以て終りました、強敵は征伏せられました、民の自由は回復せられました、而して勇者は凱旋の栄光を担ふて其家に帰りました、
   越王勾践呉を破て帰る、
   義士家に還て尽く錦衣、
 此世の栄誉にして凱旋の栄誉に優さる者はありません、ヱフタは今やアンモン人の王を破て錦衣を纏ふてミヅパなる其家に還て来ました、然るに視よ、何事ぞ、先づ第一に彼の家を出て彼を迎へし者は彼の一人の女《むすめ》でありました、彼女は嬉しさの余り手に鼓を執り舞ひ踊りながら彼女の凱旋の父を迎へました、而して彼女はヱフタの独子で独娘であつたのであります、嗚呼運命! 之を見しヱフタの心は倏忽《たちまち》にして歓喜の天より悲哀の地に隕ました、彼は彼の衣を裂きました、
  我が女よ
と彼は叫びました、
  汝は実に我を仆せり、汝は我が殃災《わざはひ》の源《もと》となれり
と彼は続いて音ひました、嗚呼如何せん、誓願《ちかひ》の言は既に発せられたり、今は之を撤回すべくもあらず、彼は彼の一人の娘を燔祭としてヱホバの前に献げざるを得ず、嗚呼高価なる勝利、敵を破り国を救ふて其代価として一人の女を捧げざるを得ずと、此時のヱフタの心は乱れて糸の如くでありましたらふ。
(145) 然し有繋《さすが》にイスラエルの国士の女でありました、彼女は其父に此誓願のありしことを聞いて少しも驚きませんでした、彼女は曰ひました、
  お父さん、驚きなさるな、貴父《あなた》がヱホバに向ひて其誓を立てられしならば、共通り私に為さい、神様は貴父を援けて貴父の敵なるアンモン人に勝たしめ給ひました、
と(卅六節)、健気なる彼女は彼女の父の敵に勝ちしと、彼女の国の救はれしとを聞きて、彼女の身に臨みし大なる殃災を感じませんでした、彼女は喜んで父と国との犠牲となりて神の祭壇の上に捧げられんことを求めました、彼女に唯一つの願がありました、それは彼女が死の準備を為さんことでありました、彼女は父に向て曰ひました、
  お父さん、ドウゾ此事を私に允して下さい、ドウゾ二ケ月の間私に暇を下さい、私は其間に私の友等《ともだち》と共に山に往きて、私が処女として身を終ることを歎かふと欲ひます
と(三十七節)、さうして父の許可を得て山に往き、二ケ月満て後に彼女の家に帰り来りたれば
  父其誓ひし誓願の如くに之を行へり
とあります(三十九節)、多分誓の言葉通りにヱフタは彼の女を捧げたのであらふとの事であれます。
 残酷と云へば残酷であります、往昔はアブラハム、其一子イサクを燔祭として神に捧げんとせし其刹那に、神は一頭の羊を下して、之をしてイサクに代らしめたとの事であります(創世記第廿二章)、神は何故に同じ手段を以て茲にヱフタの女を救ひ給はなかつたのでありませう乎、人身御供は聖書の堅く禁ずる所であります、ヱフタが若し茲に此事を為したとすれば、是れ神の律法に反いたのであります、故に或る聖書の註解者は言ひます、ヱフタは茲に文字通りに彼の女を燔祭として神に供へたのではない、往昔のアブラハムの例に倣ひ、羔か犢を以て(146)彼女に代らしめ、彼女の生命は之を保存し、彼女をして終生聖童として神の聖殿に事へしめたのであると、或ひはさうであつた乎も知れません、然し第三十九節を其まゝに解釈して之を文字以外に解釈することは出来ません、多分ヱフタは彼の誓願通りに彼の女の身を処分したのであらふと思はれます、前にも述べましたやうに、誓願其物が既に間違であつたのであります、其成就は敢て怪むに足りません、私共はヱフタの迷信を憐みませう、彼の浅慮を責めませう、然しながら彼の誠実を貴び、彼の志を愛せざるを得ません。
 然し燔祭の事実は如何でありしとするも、犠牲の事実は之を顧ふことは出来ません、ヱフタは茲に凱旋の帰途に於て彼の一人の女を失つたのであります、此事に由て彼の昂りし心は低くせられ、誇らんとせし心は遜だらされたのでありませう、ヱフタは此時真の栄誉なる者の此世に無いことを覚つたのでありませう、此世に於て曇りなき歓喜、欠けなき成功、涙なき名誉なる者は無いのであります、ヱフタは流浪の身より一躍して一国の首領と成りし時に、償はんと欲して償ふ能はざる損害に遭遇したのであります、彼は此後六年間イスラエルとギレアデを審いたとあります(十二章七節)、然し六年の栄華は彼に取り決して悲哀なき栄華では無かつたのであります、彼は終生凱旋当日の悲劇を忘れなかつたに相違ありません、アンモン人の王を睨みし勇者の眼は度々悲しき犠牲の事を想出して熱き涙に浸されたに相違ありません、彼は度々ギレアデの首領とならずして、トブの地に彼の一人の女《むすめ》と共に匿れて幸福《さいはひ》なる日を終生送らんことを希ふたであらふと思ひます。
 然し幸福は人生最大の得有《えもの》ではありません、義務は幸福に優さりて更らに貴くあります、義務の故に私供は度々幸福を棄てざるを得ません、而して義務のために私供の蒙る損失は決して損失でないのであります、ヱフタは彼の幸福を犠牲に供して彼の国を救ひました、而してヱフタの女は彼女の生命を犠牲に供して彼女の父の心を(147)聖《きよ》めました、犠牲に犠牲、人生は犠牲であります、犠牲なくして人生は無意味であります、幸福は人生の目的ではありません、犠牲こそ人生の華であります、若しイスラエルを救はんがためにヱフタの苦痛が必要であり、而してヱフタ自身を救はんがために彼の女の死が必要でありしとならば(而して私は必要でありしと信じます)、神の聖名《みな》は讃美すべきであります、ヱフタは無益に苦しまず、彼の女《むすめ》は無益に死にませんでした、神は斯くの如くにして人と国とを救ひ給ふのであります。
  是れより後年々にイスラエルの女子等は往きて年に四日ギレアデ人ヱフタの女のために哀哭《なげ》くことをなせり、是れイスラエルの規定となれり
とあります(四十節)、単に哀哭の表彰と見て此規定は無意味であります、然し是れ単に感情のみの哀哭ではありません、貴き主義の籠る哀哭であります、ヱフタの女は国のために、又国のために戦ひし彼女の父のために其処女の身を神の祭壇の上に捧げたのであります、さうして年毎に彼女の死を記憶してイスラエルの女子等は貴き犠牲の精神を養ふたのであります、聖書の載する多くの佳話の中にヱフタと其一人の女の話は無量の感慨を私供に与ふる話《もの》であります。
 
(148)     イエスに依る我等
                         明治45年6月10日
                         『聖書之研究』143号
                         署名なし
 
 我等は死んで死ぬべき者でない、イエスに依る我等は我等の衷に死ぬべからざる者の在るを知る、我等は死ぬべきために造られたのではない、不死不滅は人たる者の特性である、而して永生と壊《くち》ざる事とはイエスに由て明著《あきらか》にせられたのである。提摩太後書一章十節。
 
(149)     四福音書に就て
        (五月廿六日東京数寄屋橋会堂に於ける講演の梗概)
                         明治45年6月10日
                         『聖書之研究』143号
                         署名 内村鑑三
 
 イエスを四ツの方面より見た者が四福音書である。
 イエスをイスラエルの理想、撰民のメシヤと見た者が馬太伝である、故に其の第一章第一節に言ふ 「アブラハムの裔なるダビデの裔なるイエスキリスト」と、旧約の理想を身に体して顕はれたる者、それがイエスである、彼の為したる事はすべて「預言者に託《よ》りて主の曰ひ給ひし言に応《かな》はせん為め」であつた、馬太伝に循へばイエスは旧約の律法と預言者を廃《すつ》るために来たのではない、之を廃るために非ず、成就せんために来たのである(五章十七節)、イエスを古人の理想の実現として見た者、それが馬太伝である、馬太伝は殊更らにイエスを猶太人に紹介せんために書かれし彼の言行録である。
 イエスを能《ちから》ある神の子として見た者が馬可伝である、故に其第一章丁第一節に言ふ「是れ神の子イエスキリストの福音の始なり」と、馬可伝に循へばイエスの生涯は奇蹟の連続である、其第一章に於て既に彼がカペナウムの会堂に於て鬼に憑《つか》れたる人を癒し、次ぎにシモンの岳母《しうとめ》の熱病を癒し、終りに癩病患者を潔めし事等、其他、幾多の奇蹟が書記《かきしる》してある、馬可伝に従へばイエスの生涯に勇者が無人の地を行くが如くに敵地を過ぐるの観があ(150)る、馬可伝は殊更らにイエスを能の実現なる羅馬人に紹介せんために書かれし彼の言行録である。
 イエスを人の子、人類の理想と見た者が路加伝である、故にイエスの祖先を究むるに方て、路加伝は馬太伝の如くにアブラハムを以て止まらずして更らに進んでノアに至り、更らに進んでアダムに至る、曰く、「其父はエノス、其父はセツ、其父はアダム、アダムは即ち神の子なり」と(三章卅七節)、イエスはアブラハムの子なるに止まらずアダムの子なり、故にユダヤ人の救主たるに止まらず亦異邦人の救主なりとは路加伝の伝へんとした所である、路加伝は情と愛と憐憫とを重んぜしギリシア人にイエスを紹介せんとして書かれし彼の言行録である。
 イエスを宇宙の元理、人の良心として見た者が約翰伝である、故に其第一章に言ふ「太初《はじめ》に道(元理)あり……之れに生命あり、此生命は人の光(良心)なり」と、宇宙の元理として働らき、人の良心として照る者が人として現はれし者、それがイエスキリストであるとは約翰伝の唱ふる所である、約翰伝に従へばイエスは宇宙的実在者である、馬太伝が伝ふるが如きユダヤ人のメシヤたるに止まらず、又ロマ人の理想たる能力《ちから》の実現者たるに止まらず、更らに又ギリシア人の要求に応ふ人類の友たるに止まらず、宇宙の太初より其造化の元理として働らきし者、良心の光として万民各自の心に宿る者であるとのことである、約翰伝を以てイエスは万国の民と宇宙万物とに紹介されたのである。
 斯くてイエスは四大伝記を以て世界と其代表的三大国民とに紹介されたのである、回顧的のユダヤ人と、現実的のロマ人と、前進的のギリシア人と、而して永存的の全人類とは各自適応のイエスの言行録を供給されたのである、此の四大伝記が在つて、イエスは永久に人類の中より忘れられないのである、四福音書は終に此世を化してキリストの国となさゞれば止まない。
 
(151)     緑蔭独語
                         明治45年6月10日
                         『聖書之研究』143号
                         署名 柏木生
 
 余を指して「彼は基督信者にあらず」と言ふ宣教師がある、余は洵に基督信者でない乎も知れない、余は強いて基督信者であると言はない、余は基督信者でない事を虞るゝが故に基督教会に入て其利益に与らんとしない、余は教会や宣教師の飯は一粒も之を食らはない、余は基督信者たることの此世の利益は一つも之を受けて居らない積りである、宣教師と教会信者とは此の事に関して余に就いて安心して可なりである、余は縦し基督信者でないとするも、尠くとも、正直であり、ノーブルであり、男らしくありたくある。
       *     *     *     *
 余は基督信者でない乎も知れない、然れども余は聖書の研究者である、余は勿論教会の書として聖書を研究しない、若し聖書は特に教会の書であつて、人類の書ではないと云ふ明確なる証拠が提供せらるゝならば、余は今日と雖ども直に聖書の研究を廃める、然し余は未だ曾て斯かる証拠の提供せられしことを知らないのである、余は今の基督教会なる者とは何の関係も無き書として聖書を研究するのである、余が聖書を研究することは余が一人の人間であると云ふ証拠にはなる、然し基督信者であると云ふ証拠にはならない、正統教会が擯斥して止まざるルナン、ストラクス、バウル、ハールナツク等が最も忠実なる聖書の研究者である間は余と雖ども自ら好んで(152)聖書の研究者たる事が出来ると思ふ、教会と宣教師とは余が聖書を研究すればとて余を基督信者と見做すに及ばない、彼等は宜しく疑の眼を以て余を見るべきである、余は茲に明白に余の彼等の一人にあらざる事を表白する。
       *     *     *     *
 曾て正統教会先輩の一人は余等無教会者を呼ぶに「基督教会獅子身中の虫」の名を以てしたとの事である、然し其名称は当らないと思ふ、彼の眼より見て余等は洵に「虫」である乎も知れない、然し「身中の虫」ではない、
余等は教会の中には居らない、其外に居る、余等は明白に無教会者なりと言ふ、余等は狼である乎も知れない、然しながら羊の皮を被りたる狼ではない、故に彼は余等を「虫」と称するも、身中の虫と称せずして身外の虫と称すべきである、余等は教会に近よらない、之に遠ざかる、教会は少しく注意を払へば余等より何の害をも被らずして済むのである。
       *     *     *     *
 イエスは自己を「人の子」と称び給ふた、是れ誠に感謝すべきことである、人の子と云ふは「人」と云ふと同じである、イエスは自己を単に「人」と称び給ふたのである、基督信者なる名称はイエスが附け給ふたものではない、イエスは人であつた、而してすべての人はイエスの弟子であるのである、必しもメソヂスト教会、バプチスト教会、組合教会、聖公会、正教会、長老教会、「日本基督教会」等に入つて所謂基督信者と成るに及ばない、人が若し人らしき人となれば、それで彼は人の子なるイエスの弟子と成ることが出来るのである、聖書には又余の如き者をすら慰め且つ強むるに足る多くの言辞がある。
 
(153)     〔福なる者 他〕
                         明治45年6月10日
                         『聖書之研究』143号
                         署名なし
 
    福《さいはひ》なる者
 
 キリストあるを知て基督教会あるを知らず、聖書あるを知て神学あるを知らず、神なる牧者あるを知て人なる牧師あるを知らず、単純なる福音あるを知て複雑なる教義あるを知らず、洗礼式あるを知らず、聖晩餐式あるを知らず、監督あるを知らず、長老あるを知らず、執事あるを知らず、唯キリストと彼の福音とのみあるを知る者は福なり、斯かる者は真理の清水をのみ汲んで、教義の汚濁を飲まず、福音の利益をのみ受けて、教会の害毒を蒙らず、教職の仲介を経ずして直に神の懐に入るを得べし、不幸にして余輩に此「幸福なる無学」なかりき、余輩は余輩の後進をして神のことにのみ智くして、教会のことに関しては全然無学ならしめんと欲す。
 
    イエスにて足る
 
 我に基督教なし、キリストと称へられしナザレのイエスあり、我に教会なし、イエスの弟子の兄弟的団体あり、我に我が信奉する教義なし、イエスの教訓と模範とあり、イエスは我が宗教にして教会にして教義なり、我は彼(154)れ以外に何者をも求めざるなり。
 
(155)     『其日其時』
                         明治45年6月10日
                         『聖書之研究』143号
                         署名 待望生    
  其日其時を知る者は唯我父のみ、天の使者も誰も知る者なし。馬太伝廿四章卅六節。
 
   其日其時を我は知らず、
   然れども知る必ず或る時、
   我は面と面を合して彼を見、
   我が知らるゝ如く彼を知らん事を。
 
   其日其時を我は知らず、
   然れども知る必ず或る時、
   我は再たび我が愛する者と会ひ、
   而して復た死あらず哀哭悲痛《なげきかなしみ》あらざる事を。
 
(156)   其日其時を我は知らず、
   然れども知る必ず或る時、
   我が希望《のぞみ》は悉く充たされ、
   我が涙は尽く拭はれんことを。
 
   其日其時を我は知らず、
   我は又之を知らんと欲せず、
   我は聖父《ちゝ》の約束を信ず、
   我は安静《しづか》に其日の到るを待つ.
 
(157)     未来の裁判
                         明治45年7月10日
                         『聖書之研究』144号
                         署名 内村鑑三
 
 何れの宗教も未来に裁判のある事を教ふる、仏教も回々教も猶太教も婆羅門教も此事を教ふる 宗教と云ふ宗教で此事を教へない者はない、而して基督教も亦勿論此事を教ふる、未来の裁判が無くして宗教は無い、万事が現世を以て終るならば宗教の必要は無いのである、此世の不完全を補はんがために未来の信仰を以てすればこそ宗教の必要があるのである、此世の裁判の恃《あて》にならない事を知て、我等は未来の裁判を待望むに至るのである、若し未来に公平なる裁判が無いとするならば此宇宙は不完全極まる宇宙である、未来の裁判を思考《かんがへ》の外に徹して我等は完全なる宇宙に就て考ふることが出来ないのである。
 基督数は明白に未来の裁判のある事を教へる、
  悪者は審判に堪えず、罪人《つみびと》は義人《たゞしきひと》の会合《つどひ》に立つことを得ず。ヱホバは義者の途を知り給ふ、然れど悪者の途は滅びん、
とある(詩篇第一篇)、是れは単《たゞ》に現世に於ける裁判をのみ謂ふのではない、一般の裁判を謂ふのであつて、未来の裁判も亦其内に含まれてあるのある、聖者は又言ふて居る、
  蓋《そは》、我等必ず皆なキリスナの台前に出て善にもあれ、悪にもあれ、各自身に居りて為しゝ所のことに循ひ其(158)報を受くべければ也、
と(コリン†後書五の十)、其他未来の裁判に関する聖書の言葉は之を列挙するの遑がない。
 然し、未来の裁判に関する基督教の特殊の教義とも称すべき事は、神が之を行ひ給ふに方て之をキリストに委ね給ふたと云ふことである、キリストは曰ひ給ふた、
  夫れ父は誰をも鞫かず、審判は凡て之を子に委ねたり、
と(約翰伝五の廿二)、故に言ふ、
  人の子己れの栄光をもて諸の聖き使者《つかひ》を率来《ひきひきた》る時は其栄光の位に坐し、万国の民をその前に集め、羊を牧ふ者の綿羊と山羊とを別つが如く彼等を別つべし云々、
と(馬太伝廿五章三十一節以下)、パウロも亦アデンスの人に告げて言ふた、  神、已に其立し所の人に託《よ》りて義をもてせを鞫くべき日を定め給へり、
と(使徒行伝十七の三十一)、彼は又言ふた、
  夫れ審判は我が福音に曰へるが如く、神、イエスキリストをもて人の隠微《かくれ》たる事を鞫かん日に成るべし、
と(羅馬書二の十六)、其他新約聖書全体に渉りて審判とあればキリストの行《な》し給ふ事として記してある。
 是れは抑も何麼いふ事である乎、キリストは果して未来の裁判に於ける全人類の裁判人である乎。
一、神がキリストを以て世を鞫き給ふとはキリストを標準として鞫き給ふと云ふ事である、神は人を鞫くに方て特別に法律を設け給はない、若し斯かる法律があるとすれば、其れは裁判人彼れ自身である、彼の教訓、彼の行為、人類は未来の裁判に於て之を以て鞫かるゝのである、羅馬法を以てゞない、英法又は独逸法を以てゞない、
(160)   願くは人あり我がために神と論弁し、
   我がために彼が其友のために弁ずるが如く弁ぜんことを、
とのヨプの祈願《ねがひ》が叶ふたのである(約百記十六章廿一節)、神がキリストを以て我等を鞫き給ふに至て審判は我等が想ひしが如く怖るべき者でなくなりたのである、審判と聞けば甚だ恐ろしく感ずるなれども、キリストが審判き給ふと聞いて恐怖は去つて感謝が来るのである、キリストは誰ぞ、神と人との間に立つ一位《ひとり》の中保者、人を神に執成し給ふ者、人の罪の軽減と赦免とを希ふ者、柔和なる救主、罪人の友、……神はキリストに審判を委ね給ふて罪の軽減と赦免とを期し給ふたのである、此事を知らざるが故に、人は神がキリストを以て世を鞫き給ふと聞きて戦慄《おのゝ》き、キリストを以て唯公義一方の裁判人である乎のやうに思ひ、彼を恐れ、彼より遠ざかるのである、然し、是れ誤謬の最も甚だしき者である、我等は約翰伝に
  夫れ父は誰をも鞫かず、審判は凡て之を子に委ねたり
とある言を聞て雀躍《こをどり》して喜ぶべきである、父は御自身我等を鞫き給はず、キリストをして代つて鞫かしめ給ふとのことである、茲に於て我等が多くの罪を犯せしに拘はらず、我等に無罪放免の希望が提供せられたのである、恐るべき未来の裁判は聖書の此言に由て畏懼《おそ》るべき者でなくなりたのである、我等は今は我等を鞫く者の何人であるかを知るが故に、臆せずして彼の台前に立つことが出来るのである。
 キリストが我等を鞫き給ふのである、而して我等は彼が此世に在りし時に行《な》し給ひし事に由て、彼が終末《おはり》の日に於て如何に我等を鞫き給ふ乎を知るのである、キリストの裁判の善き判決例は約翰伝第八章に記るされたる姦淫を犯したる婦《をんな》の処分である。
(161)  茲に姦淫を為せる時捕へられし婦ありけるが、学者とパリサイの人、之をイエスの許に曳き来り、群集の中に置て言ひけるは、師よ、此婦は姦淫を為せる時、其まゝ捕へられし者なり、此の如き者を石にて撃殺すべしとモーセ其の律法の中に命じたり、汝は如何に言ふや、……イエス彼等に言ひけるは、汝等の中罪なき者先づ彼女を石にて撃つべしと、斯く言ひて身を屈めて地に画《ものかけ》り、彼等之を聞て其良心に責められ、老人を始め少者《わかもの》まで一々|出往《いでゆ》きてたゞイエス一人残る、イエス起て婦に曰ひけるは、婦よ汝を訟へし者は何処へ往きしや、汝の罪を定むる者なき乎、婦曰ひけるは一人もなし、イエス彼女に曰ひけるは我も亦汝の罪を定めず、往きて再び罪を犯す勿れ。
 イエスは如斯くにして姦淫を犯したる婦を鞫き給ふた、彼の審判は神学者并に教会信者の審判とは全く違つて居つた、彼等は法を以て鞫かんとしたるに対して彼は愛を以て鞫き給ふた、彼は婦の悔改の故を以て其罪を問ひ給はなかつた、
  我も亦汝の罪を定めず、往て再び罪を犯す勿れ、
是れがイエスの判決である、誠に詩人の曰へるか如く、
  主よ汝は恵深く赦を好み給ふ、
  汝に※[龠+頁]《よば》ふ凡ての者を豊かに憐み給ふ、
(詩算八十六篇五節)、「未だ曾て此人の如く言ひし人なし」、未だ曾て此人の如く鞫きし人なし、誠に未来の裁判に於て赦さるゝ者は学者とパリサイの人、即ち神学者と監督、宣教師、牧師、長老、伝道師など云ふ教会の役人にあらずして、娼婦よ妓婦よと称ばれて教会の「義人」等に賤しめらるゝ者であらふ、此事を予め知り給ひた(162)ればこそイエスは彼を詰らんとせし祭司の長及び民の長老等に告げて曰ひ給ふたのであらふ、
  我れ誠に汝等に告げん、税吏及び娼妓《あそびめ》は汝等より先きに神の国に入るべし、
と(馬太伝廿一章三十一節)、愛の神の代表者なるイエスに鞫かるゝことは此世の裁判官や教会の監督等に鞫かるゝが如く怖ろしくない、イエスは恩恵を以て鞫き給ふ、律法を以てにあらず、福音を以て鞫き給ふ、彼は現行犯の姦淫の婦を鞫き給ひし其筆法を以てすべての人を鞫き給ふのであれば、我等は重き罪人なりと雖も、悔改の涙をもて、臆せずして彼の恩恵の座に近づくべきである。
 神は愛の神であつてキリストは矜恤の救主である、故にキリストは人を鞫き給ふに方て衿恤を標準として鞫き給ふのである、彼は伝道の首途に於て教へて曰ひ給ふた、
  矜恤ある者は福なり、其人は矜恤を受くべければ也、
と(馬太伝五の七)、彼は又幾回か旧約聖書の言辞を引いて教へて曰ひ給ふた、
  我れ衿恤を欲《この》みて祭祀《まつり》を欲まず、
と(馬太伝九の十三、仝十二の七)、而して使徒ヤコプはイエスの此心を受けて曰ふた、
  衿恤は鞫に勝つなり
と(雅各書二の十三)、衿恤である、衿恤である、キリストは衿恤を以て鞫き給ふのである、是れが天国の刑法である(若し刑法なる者が天国にも在るとすれば)、是れを標準にすべての人は鞫かるゝのである、有名なる馬太伝第二十五草、キリスト審判《さばき》の坐の一段は此事を能く心に留めて置て判明るのである、
  人の子己れの栄光をもて諸の聖き使者を率来る時、其栄光の位に坐し、万国の民を其前に集め、羊を牧ふ(163)者が綿羊と山羊とを別つが如く彼等を別し、綿羊を其右に、山羊を其左に置くべし、
  斯くて王その右に居る者に曰はん、我父に恵まるゝ者よ、来りて世の創始《はじめ》より以来汝等のために備へられたる国を嗣ぐべし、蓋、汝等我が飢し時に我に食はせ、渇きし時に我に飲ませ、旅せし時に我を宿らせ、裸なりし時に我に衣せ、病みし時に我を見舞ひ、獄《ひとや》に在りし時に我に就《きた》りたればなりと、茲に於て、義者等彼に答へて曰はん、主よ、我等何時汝の飢たるを見て食はせ、又渇きたるに飲せし乎、何時主の旅したるを見て宿らせ、又裸なるを見て衣せしや、何時主の病み又獄に在るを見て汝に至りしや、王答へて彼等に日はん、
  我れ誠に汝等に告げん、汝等我が此兄弟の最徴者《いとちいさきもの》の一人に為せしは是れ即ち我に為しゝなりと。
  斯くて又左に居る者に曰はん、我を離れて悪魔と其使者のために備へられたる熄《き》えざる火に入れよ、蓋、汝等我が飢し時我に食はせず渇きし時我に飲ませず、旅せし時我を宿らせず、裸なりし時我に衣せず、病み又獄に在りし時我を見舞はざれば也と、茲に於て彼等又彼に答へて曰はん、主よ、我等何時汝の飢え又渇き又旅し又裸又病み又獄に在るを見て汝に事へざりし乎、と、其時主答へて彼等に曰はん、我れ誠に汝等に告げん、此最徹さき者の一人に為さゞりしは即ち我に行さゞりし也と。是等の者は限りなき刑罰に入り、義者は限りなき生命に入るべし。
 実に驚くべき、不思議なる裁判の光景である、此裁判に於て貴むべき「義者」の名称を附せられ限りなき生命に入るの特権に与るを得し者は、抑々如何なる人である乎、能く教会の課せし儀式を守り、其提供せる教義を信じ、伝道に熱心に、主の聖名のためとあれば焚かるゝために身を予へて惜まざりし人である乎、否な、否な、爾うではない、然らば清浄潔白、己れに省みて一点の疚ましき所なき人である乎と云ふに、亦爾うでもない、キリ(164)ストの前に立て、義者といへば衿恤ある人である、衿恤を以て人に対し、衿恤を以て人を評し、衿恤を以て人に施す者である、同情の人、柔和の人、憐愍の人、キリストが愛し給ふ、彼が義とし給ふ人は此種の人である、未来の裁判に於て義の冠冕を被せられて、父の栄光に入る者は衿恤ある人であるとのことである。
 之に反して罰せらるべき者、悪魔と其使者のために備へられたる熄えざる火の中に投入れらるべき者とは誰である乎、多分品行方正、高位高官、博士と学士、社会と教会とに模範的人物を以て目せらるゝ者、儀式を守るに厳格に、信仰は正統的にして其熱心に何の欠くる所なく、教理の造詣深く、指導の才に長け、社会の明星、教会の誇負《ほこり》として称揚敬慕せらるゝ人である乎も知れない、然し彼に矜恤の優さしき心なきが故に、彼は限りなき刑罰に入れらるゝのであると云ふ、限りなき刑罰と云へば実に怖ろしく聞ゆれども、而かも之に入る者は教会の所謂不信者又は異端論者ではない、基督は洗礼を受けざる者は限りなき刑罰に入るべしとは言ひ給はない、又三位一体の教義を信ぜざる者は熄えざる火に投入れらるべしとは告げ給はない、キリストの台前に立ちては大罪人と云へば衿恤の無い人をいふのである、衿恤なき人、他を鞫くに衿恤を以てせざる者、衿恤を以てすべての人に対せざる者、キリストの嫌ひ給ふ者は斯人である、衿恤なき人に対しては、彼の社会上の地位は如何に高くあるとも、彼の信仰の立場は如何に固くあるとも、キリストは其人に向つて、
  罰せらるべき者よ、我を離れて悪魔と其使者とのために備へられたる熄えざる火に入れよ。
と言ふより外に言辞を有ち給はないのである。
       *     *     *     *
 未来に於て神の裁判はある、必然《きつと》在る、燃し愛の神は御自身人を鞫き給はずして審判はすべて之を子に委ね給(165)ふた、而して恵深くして赦を好み給ふキリストに鞫かれて、我等は最も恩恵的に鞫かるゝのである、而して御自身衿恤を欲みて祭祀を欲み給はざるキリストは人を鞫き給ふに方て、重きを其人の矜恤に置き給ふのである、衿恤はキリストが人を鞫き給ふ時の標準である 所謂正義と称へて清浄潔白なる事ではない、或ひは信仰と称へて教義と儀式と伝道の事に於て欠くる所なき事ではない、矜恤である、憐愍である、赦す心である、恵む質《たち》である、愛の行為である、人の永遠の運命は主として之に由て決せらるゝのである、最後の裁判は愛の裁判である、愛せし乎、愛せざりし乎、是れに由て限りなき刑罰か、限りない生命かの別が定まるのである。
 
(166)     自己の引渡し
                         明治45年7月10日
                         『聖書之研究』144号
                         署名なし
 
 イエスに自己を引渡せし我は何をも為さずとも可いのである、然り、何をも為し得ないのである、我は自分では死んだ者である、今は「我れ」なる者さへ我には無いのである、然しながら不忠義なる事には、我れが自己に死する時に、其時に我は直に生き回へるのである、其時、我れならざる者が我が衷に起り、我を活かし、我を働らかするのである、其時我が思想は新らしくなり、我が心の眼は開らき、我が霊魂は活気附きて、我が疲れし肉体までが復活するの感《かんじ》がするのである。
 
(167)     現時の宗教信者
                         明治45年7月10日
                         『聖書之研究』144号
                         署名なし
 
 境遇悪しき時に宗教を信じ境遇改まれば何んとか勝手の理窟を附けて之を棄つ、是れが日本今日の多数の宗教信者の為すことである、彼等は昔のイスラエル人の如く
   我が霊魂は渇ける如くに神を慕ふ
   活ける碑をぞ慕ふ
と言ひて霊魂の渇求を癒さんがために宗教を信ずるのではない、彼等はたゞ境遇の苦しさに堪えずして一時慰安を宗教に求むるのである、頼み甲斐なき者にして日本今日の求道者又は宗教信者の如きはない、彼等は体裁の善き利己主義者《エゴイスト》である、十字架を負ふことなくして福音の恩恵に与からんと欲する者である、主は彼等を其口より吐出し給ふであらう(黙示録三の十五)
 
(168)     馬太伝と路加伝
        (六月廿三日東京数寄屋橋会堂に於て)
                         明治45年7月10日
                         『聖書之研究』144号
                         署名 内村鑑三
 
 聖書を読む者は先づ始めに馬太伝を読むを恒例とする、而して始めに馬太伝を読むが故に終りまで之を読み続ける、馬太伝は彼れが基督教に入るの門であつて、又彼の基督教である、彼は終生馬太伝に由て得し最初の印象を去らない、彼の信仰は自然と馬太式になる、彼は最も屡々馬太伝を読む、彼のキリストは馬太伝のキリストである、彼は終には基督教とは馬太伝である乎のやうに思ふに至る。
 是れ決して悪い事ではない、馬太伝は偉大なる書である、有名なる聖書学者ルナンは日ふた、
  馬太伝は基督教が産せし最も重要なる書である
と、而して此書に由て基督教を学んで、誤謬に陥るの虞はない、馬太伝は能くキリストの精神を伝へ、彼の教旨を明かにする、人に基督教を紹介するに方て多分之に優さりて貴い書は無いであらふ、馬太伝が新約聖書の首に置かれしは決して意味の無い事ではない、乍然言ふまでもなく馬太伝は聖書の全体ではない、其大切なる部分であるが、而かも其一部分たるに過ぎない、馬太伝は或る方面より観たるキリスト観である、故に其方面は善く尽して居るが、然し他の方面よりする観察に於て欠けて居る、キリストを完全に観んと欲すれば馬太伝丈けでは(169)足らない、我等は他の方面よりせし観察を以て馬太伝の観察を補はなければならない、主として馬太伝に由て成りし基督教の信仰は偏頗ならざらんと欲するも得ない、而して大抵の場合に於て見る所の基督教の信仰は馬太伝的の偏頗を免かれないと思ふ。
 其理由は之を知るに難くない、馬太伝はイエスをユダヤ人に紹介せんために著はされたる書である、而して其著者は使徒マタイであつて、彼は使徒ヤコブと同じくユダヤ的傾向の人であつた、ユダヤ的傾向の著者に由てユダヤ人のために著はされし此書がユダヤ的色彩を帯びて居ることは敢て怪むに足りない、馬太伝に由るイエスはユダヤ人の受膏者《メシヤ》である、彼はアブラハムの裔であつて又ダビデの裔である(一章一節)、即ちユダヤ人の理想を身に体して世に生れ来りし者である、循てイエスの唱へし福音は律法と預言とを離れたるものではない、其連続である、其頂点に達したるものである、イエスは別に新らしき教を伝へんとして世に来たのではない、旧き教を完成ふせんために来たのである、
  我れ律法と預言者を廃《すつ》るために来れりと意ふ勿れ、我が来りしは之を廃るために非ず成就せんためなり
とある(五章十七節)、所謂山上の垂訓なるものは是れ新らしき教訓ではない、旧き教訓の新註解である、馬太伝に由るイエスは新宗教の創設者ではない、旧宗教の改革者である、彼は那辺までもユダヤ人である、ヨセフの子として認められしイエスである、教会の基礎を純粋のユダヤ人なるシモン・ペテロの上に置いた者である(十六章十八節)。
 馬太伝のイエスは律法の完成者である、故に其福音は律法の更らに完全なる者である、使徒ヤコブの所謂「自由なる全き律法」である(雅各書一の廿五)、キリストの福音は律法ではない、律法以上であつて恩恵である信仰(170)であるとのパウロの立場はマタイとヤコブとの斉しく肯《うけが》はなかつた所であるに相違ない、マタイの解したる所に従へば、福音は律法の更らに高き、更らに深き、更らに聖き者である、而かも猶ほ律法である、肉の律法たるに止まらずして又霊の律法である、行為を支配するに止まらずして又意志を主どる律法である、モーセの律法の霊化せし者、それがキリストの福音であるとは山上の垂訓の要旨である。
  古の人に告げて姦淫する勿れとあるは汝等が聞きし所なり、然れど我れ汝等に告げん、凡そ色情を起さんために婦を見る者は心中既に姦淫したる也。五章廿七、廿八節。
 如斯くにしてイエスに由て律法は一層精細に、一層厳密に、一層鋭敏になつたのである、使徒ヤコブの言を以てすれば、
  人、律法を悉く守るとも若し其一に躓かば是れ其全部を犯すなり
と云ふことになるのである(雅各書二の十)、若し律法は殺す者なりとのパウロの言にして真理であるとすれば、馬太伝に由て伝へられたるイエスの教訓は古きモーセの律法に優さりて、
  両刃の剣よりも利く、霊と魂また関節《ふし/”\》と骨髄まで刺し剖《わか》ち、心の意《おもひ》と志とを鑒察《みわく》るものであるのである(希伯来書四章十二節)。
 茲に於て主に馬太伝を以て養はれたる信仰の如何なる者である乎、其事を知るに難くないのである、馬太伝はより高きモーゼの律法を伝ふる者であるが故に、之に由て養はれし信者は律法の厳守者たるを免かれないのである、
  汝等の義にして学者とパリサイの人の義に勝れずば汝等は必ず天国に入ること能はず、
(171)とあるが故に(五章廿節)、信者はパリサイの人以上の義人とならんと欲して、聖き全き律法の実行を勉むるのである、是れ誠に賞むべきこと、奨励すべきことであるは言ふまでもない、信者は正義の実行に於てパリサイの徒の背後に落ちてはならない。
 然しながら律法は如何に高き者と雖も律法である、而して律法はパウロの言ひしが如く「肉の故に弱く」ある(羅馬書八の三)、律法は弱き人が守らんと欲して守り通うせる者でない、然り、律法は聖くあればある程之を守るに難いものである、而してモーゼの律法ですら之を守るに難い者が、之に優さるの律法を完全に守り得やう筈は無いのである、我等は救はれんがためには律法以外の或物を要するのである、若しイエスがより高き律法を宣布するに止まりしならば、我等の救拯は前よりも更らに一層困難になつたのである、而してイエスの福音を馬太伝丈けに解して我等は此困難に陥るのである、即ち我等はパリサイの人以上のパリサイの人と成り易くあるのである、自己を責むるに更らに厳格に、随て他人を鞫くにも更らに唆酷に、身に於て欠くる所なからんと欲するのみならず、心に於て一点の汚穢を留めざらんと勉めて、我等は自他を潔うせんために孜々黽勉日も亦足らざるの状態に陥るのである、茲に於てか自由の福音は束縛の律法として存し、我等はイエスの弟子と成るも身に快活を感ずること尠なく、心に寛容の念乏しくして、福音の恩恵を僅かに消極的にのみ感じて、之を積極的に味ひ得ないのである、主に馬太伝を以て養はれて我等の信仰は畏縮し易くある、基督信者と称せらるゝ人の中に戦々競々として薄氷を践むが如きの感を以て僅かに其微かなる信仰を維持する者の多きは、其原因を馬太伝多読の害に帰せざるを得ない。
 然しながら馬太伝のみが唯一の福音ではない、神は之を補ふために他に福音を備へ給ふた、馬可伝がある、路(172)加伝がある、約翰伝がある、羅馬書がある、哥林多前後書がある、是れ皆な馬太伝又は其れと同種類の書なる雅各書とは全く別の方面よりイエスと其教旨を観たる書である、我等は聖書全体の立場よりイエスを観なければならない、然らざれば彼を誤解するの虞がある、而してイエスを誤解して我等は自己を誤解し、長く誤謬の迷路に彷徨して無益の苦悶を継続するの愚を演ずるのである。
 而して馬太伝の欠を補ふに最も力ある者は路加伝であると思ふ、路加伝は馬太伝とは全く違つたる方面よりイエスを観察したる書である、馬太伝がイエスをユダヤ人に紹介せんとしたに対して、路加伝は同じ事をギリシヤ人に為さんとした、随て馬太伝は回顧的であるに対して路加伝は前進的である、馬太伝は律法的であるに対して路加伝は預言的である、馬太伝は国家的であるに対して路加伝は世界的人類的である、ルカ自身が異邦人でありしが故に彼はマタイとは全く違つたる眼を以てイエスと其事業とを観たのである、路加伝に現はれたるイエスは馬太伝に現はれたる彼れとは別人の感がする、随て路加伝に由て養はれて我等は、馬太伝に由て養はれたるとは、全く別種の信者と成るのである。
 一、路加伝は詩的である、其第一章にマリヤの讃美歌がある、之に次いでザカリヤの頌歌がある、天使は歌を以て聖子の誕生を牧羊者《ひつじかひ》に告げ、シメオンは歌を以て彼を聖殿に迎へた、其文体に於て路加伝は遙かに馬太伝以上である、然り、ルナンは曰ふた「路加伝は人に由て記《か》かれし書の中で最も美くしき書である」と。
 二、路加伝は女性的である、馬太伝がヨセフに重きを置くに対して路加伝はマリヤに重きを置いて居る、馬太伝に在りては聖子降証の告知を蒙りたる者はヨセフである(一章二十節以下)、路加伝に在りては天使は直にマリヤに臨んで彼女に此慶事を伝へた、男系を重んぜしユダヤ人のために書かれたる馬太伝はヨセフの系統を掲げ、(173)女性を重んぜしギリシヤ人のために書かれたる路加伝はマリヤの系統を明らかにせんとしたらしくある、茲処に此事に就て詳細を語ることは出来ない、然し路加伝の馬太伝に此して全体に女性的なることは聖書研究者の斉しく認むる所である。
 三、路加伝は福音的である、此点に於て路加伝は著るしく馬太伝と違ふ、路加伝に馬太伝の律法的なる所は甚だ尠ない、路加伝の示すイエスはモーセ律の革新を目的として世に現はれたる者ではない、彼はモーセの齎し得ざりしものを齎らして世に臨んだる者である、
 我れ万民にかゝはりたる大なる喜《よろこび》の音《おとづれ》を汝等に告ぐべし、夫れ今日ダビデの村に於て汝等のために救主生れ給へり、是れ主なるキリストなり、
とは天使が牧羊者に告げし言辞である、茲に神の摂理に於て新事業が創始つたのである、人類は茲に新たに始祖を得たのである、第二のアダムが生れたのである、パウロの言を以て曰へば茲に「旧は去りて万物皆な新らしく作《な》」つたのである、(哥林多後書五の十七)、路加伝の伝ふる所に従へば基督教は猶太数の後を受けて之を完成せんために出た者ではない、基督教は猶太数に代るべき者である、基督教が出て猶太数は不用に成つたのである。
 路加伝の精神を最も善く伝ふる者は其第十五章である、有名なる放蕩子《はうたうむすこ》の比喩は路加伝の真髄と称すべきものである、茲に神と人間との関係が能く示してある、同時に又神の如何なる者である乎が明かに示してある、而して又人は如何にして神に救はるゝ乎、其事も亦瞭かに教へられてある、放蕩子は其行為に由て救はるゝのではない、単に父の愛を信ずるに由て救はるゝのである、放蕩子は罪の身其儘を父の許に持来りて其の信頼心に由て救はるゝのである、而して又父に在りては其子が斯く為さんことを望んで止まないのである、父が其子の救はれ(174)んことを望む其情は子が自から救はれんと欲する情よりも逢かに切なるのである、
  其父、彼を見て憫み趨り往き其頸を抱きて接吻し云々。
とある(二十節)、是れが父が其迷へる子に対する情である、而して是れが又神が迷へる人類に対する情であると路加伝のイエスは教へ給ふたのである、路加伝は神の無条件の、全然恩恵的の赦免を伝へる、路加伝の伝ふる神は厳格なる立法者ではない、又刻薄なる裁判人ではない、慈愛の父である、寛大なる君である、親しむべき、近寄り易き人類の友である。
 言ふまでもなく路加伝の伝ふるキリストは使徒パウロのキリストである、パウロが其書翰に於て三度「我が福音」と言ひしは路加伝を指して言ふたのであるとは古代より註解者の唱へ来りし所である(羅馬書二の十六、仝十六の廿五、提摩太後二の八)、パウロの路加伝に於けるはヤコプの馬太伝に於けるが如くである、若し路加伝をパウロの福音書と称ふことが出来るならば馬太伝をヤコブの福音書と称ふことが出来る、信仰の称讃者と行為の称揚者、福音の唱道者と律法の宣伝者、二者は全然其資貿を異にして各自能くイエスの半面を代表したのである。
 故に信者が馬太伝を読むが如くに路加伝を読むとせん乎、其情性、其信仰が全く一変することは言ふまでもない、路加伝を以て養はれて我等は端厳一方の信者と成る虞はない、路加伝は我等を優しくする、自由にする、寛大にする、自己に省みて其汚穢を歎くに止めずして、神を仰ぎて其愛を楽ましむ、路加伝は我等を畏縮せしめない、我等を伸張する、我等をして己れに足らしめて他を鞫くに寛大ならしむ、路加伝を以て養はれて今日の基督教会の如き冷淡、刻薄、殆んど小地獄の観あらしむる制度の起りやう筈はない。
 勿論馬太伝多読の害があるやうに路加伝多読の害もあらふ、聖愛は愛情と変じ易く、寛容は放縦と化し易くあ(175)る、我等に路加伝と共に馬太伝を読むの必要がある、然しながら最も大なる者は愛であるが故に、愛を基礎とする路加伝は義を根本とする馬太伝よりも大なる書であると思ふ、キリストの福音の真髄はより明白に路加伝に於て示されてある、基督教と言へば馬太伝であるよりは寧ろ路加伝である、若し或る非常の場合に処して聖書中唯一の書を択ぶべく余儀なくせらるゝならば、余輩は勿論馬太伝を措て路加伝を択ぶ者である。
 殊に我等日本人に取りて路加伝は最も解し易き書である、其史譚的なると、詩歌的なると、人情的なるとは強く我等の特性に訴へて我等をして之を感賞するに甚だ易からしむ、余は特に日本人の福音書として路加伝を余の邦人に推薦せざるを得ない者である。
 
(176)     『独立短言』
                           明治45年7月15日
                           単行本
                           署名 内村鑑三
〔画像略〕初版表紙 150×108mm
 
(177)〔中扉〕 陸中花巻、北上河の畔に彼女の骨を埋めし故高橋ツサ子の霊に告ぐ。
   汝、余と主義を共にし、之を実行せんと欲して苦闘以て汝の短かき一生を終はれり、余は汝を憶ふ切なり、茲に此書を汝に寄せ、汝に代て汝の志を天下に述べんと欲す、汝、願くは余の此小なる贈物を受け、復た逢ふ日まで汝の心を安んぜよ。
                      鑑三
 
     序文
 
 此書は是れ明治三十年より同三十三年に渉りて旧『東京独立碓誌』に掲げられし短文を集めて一書となした者である。
 余は其編纂に従事して独り自から叫ばざるを得なかつた「余は果して斯かる者を書きし乎、斯かる者を書きし余は狂気《マツド》であつた、愚頑《フールハーデイー》であつた」と。
 然し翻て思ふ、是れ余の当時の確信有の儘を綴つた者である、而して確信は狂人のそれと雖も全く棄てた者でないと、野猪の暴に時には家猪の及ばざる所がある、「エリヤは先に来るべし」である、野人の声が主の道を備へたのである、余の今日の拙き伝道も亦十五年前の曠野《あれの》に於ける野人の言を以て備へられたのである、而して此書は即ち此言を集めて成つたものである。
(178) 文の解し難きを改め、刺の無用なるを除いた、此点に於て此小集は旧篇の改正であると思ふ、希ふ、読者の此書に由て時代と現世との吾人の希望を充たすに足らざるを知り、平静の幸福をキリストの福音に於て求むるに至らんことを。
  明治四十五年六月二十日    伊香保蓬來館の一室に於て 校正を了へて後に記す 内村鑑三
 
   出俗界              全体の絶望
   死活の岐             道徳心の蘊蓄
   不能               ユーモルとサタヤ
   誤解の恐怖            超国家的文学
   常に脳中に一大問題を蓄ふべし   希望なき不平
   恥かしき政治と恥かしからざる政治 悪意なき悪口
   再び吾人の目的に就て       宗教と科学
   宗教と政治            二種の忠愛
   世界化さるゝの意         秋風到る
   自由の神             自由の生涯
   饑渇の恐怖            政治家の信仰物
(179)   外よりする改革          独逸帝国真正の建設者
   日本国の大恥辱          大著述と小著述
   日本と亜細亜           批評家
   清明の域             秋の歌
   非愛国的愛国心          初冬独語
   初秋黙想             雑詠雑感
   完全なる小人           進め
   失望中の希望           人類の愛
   決心               革新第一着
   国を救ふの道           革新の術
   政治を作るもの          何をか画せん
   頼むべからざるもの        今年の生涯
   秋夜雑感             誠実の奨励
   国民思想の改革          歓喜の生産
   老物               貴重なる時間
   宗旨ちがひ            寛大の性
   弛む勿れ             諸の悪事の根
   社会の征服            労働
   国に尽すの途           独立
(180)   信仰             『国家』=想像
   日本に欠乏するもの       『謀叛人』
   人と人             日本の美術
   人物崇拝の害          大詩人の心事
   英国人の偉大なる理由      改革の始まる所
   先師シーリー先生を懐ふ     我の責任
   懐慨家             改革の難易
   仏教復興の方法         吾人活動の区域
   義務的道徳           カーライルの言
   二種の道徳           東洋的英雄
   東洋的社会組織         原因と結果
   過去と未来           希望一点
   悪魔              愛国心の抑圧
   神               我が叫号の声
   人               貧者の為めの政治
   単独と友誼           ソクラテスの遺志
   団体と個人           余輩の求むる読者
   憲法の濫用           愛顧の要なし
   国家対個人           新勢力の製出
(181)   積極的事業の半面        清浄潔白
   義憤              我の日本
   今の憂世家           政治の真似事
   救済の途            宗教の目的
   我を亡すもの          伝ふべきの真理
   観花の感             日本を救ふの基督教
   インスピレーシヨンの絶ゆる時  民を済ふの二途
   歎はしき世の中         無事の時  
   慰むる者             不満と不足
   人生の旨趣           我が救主
   報酬              進歩と退歩
   心霊の自由           倫理の区域
   国を強うするの途        芝居を観るの害
   我意と天意           腐敗の徴候
   吾人の責任           恥かしき名称
   文楽者と文学者         学問の快楽
   宥恕の美            著者の慰藉
   金銭問題            独立の価値 
(182)   学問と精神          罪悪の種類
   恥づべきこと          詩人の事業
   記者の祈祷           英雄の心事を知るの特権
   真理を識るの法         我の恩人
   今の新聞紙           神を信ずる事
   新聞記者の自省         腐敗せるもの
   警告と建徳           改善の途
   帝国主義            日本人の特性
   基督教と虚言          実権と責任
   信神と普通道徳         政略的民族
   名誉乎不名誉乎         日本の政治家
   政治と遺徳           人望を得るの方法
   日本人の宗教観         偽人
   ブルータークの言        支那の衰頽と日本の将来
   西洋の物質主義と東洋の現実主義 支那道徳の性質
   婦人を遇するの途        言行一致
   此の世             眼の善悪
   不幸の極            真埋は劇薬なり
   予言せんのみ          労苦と責任 
(183)   ボスエーとフエネロン    支那主義
   金銭を獲るの方法        人の質問に答へて
   奇異なる言語          休養の在る所
   道徳と精神との区別       希望の在る所
   真理の感化力          感謝すべき事
   我師耶※[魚+禾]基督     信仰と愛国心
   ノーブルなれ          益なき宗教と教育
   完全なる慈善          事業の大小
   依顧的独立           「耶[魚+禾]」
   日本に於て慈善事業の揚らざる理由 人に依るの愚
   我が信仰            「運動」
   出来得る事           金銭を要せざる事業
   三省の意義           俗人の勢力
   下劣なる国家主義        自由競争
   誰をか友とせむ         麦藁帽子
   仁               死教
   慈恵と独立           金と神
   交際と共同           語るべき事なし
   宗教を信ずる理由        第二の善
(184)   自存            辛酸流浪の生涯
   真理と其実行          余輩の目的
   自身の改革者          党人と義人
   文と文学者           積極的道徳
   寧ろ憫察すべき者        勇者の道徳
   日本人の倫理          政治学上の二大説
   義理と義務           沈黙の説教
   孰れか君子国なる        希望の秋
   読むべきもの          神の事業
   終に平和なし          待命
   偉大なる時代          東洋の社会組織
   事業の大小           余輩の恥づべき事
   最も看出し難きもの       憫むべき事多し
   基督の神なる理由        政党の性質
   演劇的社会           日本国を救ひ得る者
   志士の為すべき事        悪友
   望むべからざるもの       怕るべき委托
   拡張と改良           帝都の悲観
   余輩の秋            単純なる真理 
(185)   日本人の欲するもの      成功と失敗
   学界の盲            雑感雑憤
   交際の道            思想と実行
   交友を求む           祈祷の勢力
   破廉恥             クリスマスの感
   余輩の目的           新年の感
   我の大なる理由         道
   失敗の文字           救はれざる人の心中
   天意のまゝ           救はれし者の心中
   神と人             神の愛するもの
   秋の好友            平民の定義
   平静              平民主義の真相
   義人と党人(再び)       破壊者
   真理と亡国          
   日雇人と政治家        
   日本国と日本人        
   日曜日の夕          
 
(186)     〔ItとHe 他〕
                         大正元年8月10日
                         『聖書之研究』145号
                         署名なし
 
    ItとHe
 Itに非ずHeなり、物に非ず人なり、主義にあらず、活ける神なり、至誠に非ず、忠信また誠実と称へらるゝ彼なり、正義に非ず、義なるイエスキリストなり、平和に非ず、平安の主なり、我等は活ける神を信じ、彼の独子にして今は彼の右に坐する人なるキリストイエスを信ず、宗教は哲学に非ず、又倫理に非ず、故に原理又は主義の上に立たず、宗教は人と人との関係なり、而して彼れに由りて宇宙を説明し、善を為さんと欲する者なり。
 然り、Itに非ず、Heなり。黙示録十九の十一。約翰第一書二の一。テサロニケ後三の十六。提摩太前二の五。
 
    父子の関係
 
 神は人類の父なりと云ふ、然り、神は人類を造り給へり、其意味に於て彼は彼等の父なり、然れども人類は神に反きたり、而して子たるの其権利を失へり、其意味に於て神は今は人類の父にあらざるなり、真正の意味に於て神の子は唯一人ありしのみ、イエスキリスト是れなり、而して彼に由りて人は再たび神の子たるを得るなり、
(187)故に謂ふ彼を受け其名を信ぜし者に権《ちから》を賜ひて之を神の子と為せりと。
 神はキリストの父なり、而して人はキリストに由りて神を再たぴアバ父よと呼ぶを得るなり。約翰伝一の十二。羅馬書八の十五。
 
    同志と兄弟
 
 主義を共にする者は同志なり、然れども兄弟と称するを得ず、父を共にしてのみ兄弟姉妹たるを得るなり、彼れ己の旨に循ひ真道《まことのことば》を以て我等を生めりと謂ふ、我等は神の子たるを得て同時に又相互の兄弟姉妹たるを得るなり、同志の関係は深し、然れども兄弟の関係の深きに及ばず、我等はキリストに由りて神の子となるを得て、骨肉も啻ならざる親且密なる関係に入るを得るなり。雅各書一の十八。
 
    イエスの本性
 
 イエスは神に非ず、キリストなり、イエスは人に非ず、キリストなり、イエスは神に非ず人に非ずキリストなり、彼はキリストにして独得の者(unique being)なり、神なる人なり、神と人とを繋ぐ者なり、神は彼にありて人に降臨し給ひ、人は彼にありて神に接近す、神人の合一はまことに彼にありて成れり、余輩はオルソドックス派に与してイエスは神なりと曰はず、又ユニテリアン派に傚ひてイエスは人なりと曰はず、余輩はペテロと共に彼に就て表白して曰ふ、
  汝はキリスト活ける神の子なり
(188)と、イエスは神と人との間に介在して独り自ら一階級を造る者なり。馬太伝十六章十六節。
 
    基督信者
 
 基督信者なり、故に万民の友なり、仏教徒の友なり、回教徒の友なり、猶太人の友なり、土耳古人の友なり、無神論者の友なり、すべて義を愛し正を貴ぶ者の友なり、故に基督教会員にあらざるなり、若し我れ斯の如くに愛するが故に基督信者にあらずと云ふ者あらば、我は基督信者にあらざるなり、我に在りては基督信者たるは「人」たるの意なり、最も高き、最も勇ましき、最も優しき意味に於て人たるの意なり。
 
    復活と甦り
 
 復活は「甦り」ではありません、復活のことを「甦り」と云ふは誤称《あやまり》であります、「甦り」は黄泉より帰ると云ふことでありまして、死んだ人が其儘生き回て来ることであります、約翰伝十一章に有る所のラザロは甦つたのであります、彼の肉体は四日の間墓に在りしが、キリストに召ばれて其儘生き回つて来たのであります、然し聖書に云ふ復活は全く是れと違ひます、復活とは肉体の聖化であります、肉体が純化して更らに貴き聖きものと成ることであります、キリストの復活はラザロの甦りとは全く違つた事であります、キリストは復活して窮りなく生き、ヲザロは甦りて再たぴ死んだのであります、末の日に於てキリストが我等を復活し給ふと云ふは彼がラザロに為し給ひしが如くに、我等の肉体を旧のまゝにて地上に召び給ふと云ふことではありません、腓立比書三章廿一節に謂ふが如くに、彼は万物を己れに服はせ得る能《ちから》に由りて我等が卑しき体を化《か》へて其栄光の体に象らしめ(189)給ふことであります。
 
(190)     誤訳正解
         馬太伝五章二十八節
                         大正元年8月10日
                         『聖書之研究』145号
                         署名 内村鑑三
 
 性慾の罪に就て語るは決して快き事ではない、之に大なる危険がある、罪を語て却て罪を想起さしむるの危険がある、我等は深き注意を以て此種の研究を為さなければならない。
 乍然、性慾の罪に関する研究は全然之を避くることは出来ない、之は此世に最も有勝なる罪である、人は此罪に於て潔白であつて始めてすべてに於て潔白であるのである、姦淫は最も隠微なる罪である、之を排除するに深き思慮と慧き手練とを要する。
 何をか姦淫と云ふとの問題に対してイエスは斯う答へ給ふたと馬太伝は伝へて居る、即ち
  凡そ婦を見て色情を起す者は中心已に姦淫したるなり
と(五章二十八節)、若し此の訳文にして誤りなくんば、世に姦淫を犯さざる者とては一人も無きに至るのである、而して多くの誠実なる信者はイエスの此言を以て己れを責め、己れの神の前に立て姦淫の罪人たるを免かる能はざるを知り、苦悶、叫号、以て偏へに彼の赦免に与らんと欲するのである。
 然し、イエスは果して斯かる言を発し給ふたのである乎、我等は茲に其事を明瞭《あきらか》にしたく欲ふのである、我等(191)は勿論姦淫の罪を軽く視んとするのではない、然し、イエスの言を誤解して、罪の軽重を誤るの虞がある、罪に勝つの途は其罪を明かにするにある、罪を罪以上に見て、或ひは罪以下に見て、我等は一層強く之に悩まさるゝのである。
  是れ我等サタンに勝たれざらん為なり、我等彼の詭計《はかりごと》を知らざるに非ず
とパウロは言ふて居る(哥林多後二の十一)、聖書の誤訳は多くの場合に於て悪魔の詭計に力を貸す者である。
 婦を見て色情を起すは善き事でないのは勿論である、然し、是れ姦淫である乎、其事が問題であるのである、イエスは普通の日本訳の聖書が示すが如くに教へ給ふたのである乎。
 余は爾うでないと思ふ、馬太伝五章廿八節は爾う訳すべきものでは無いと思ふ、之を正確に訳すれば左の如くに成るべき者であると思ふ。
  凡そ色慾を遂げんとて婦を見る者は中心己に姦淫したるなり
と、希臘語の pros to epithumesai を婦を見ての結果となし、「色情を起す者」と訳せしは大なる誤訳であると思ふ、婦を見ての結果ではない、婦を見るの原因即ち動機である、若し「色情」の文字を保存せんとならばラゲ氏の訳の如くに
  総て色情を起さんとて婦を見る人は云々
と訳すべきである、然し「色情を起さんとて婦を見る」とは奇異なる心理状態である、epithumeo は慾を起すに止まらない、慾を遂げんとする念を起すことである、故に更らに一歩を進め余の訳せしが如くに訳すれば意味は一層明瞭になるのである、
(192)  凡て色慾を遂げんと欲して婦を見る者は中心己に姦淫したるなり。
 而してイエスの此言の正当なるは何人も拒む能はざる所である、罪は単に行為ではない、又意志である、真に罪を企てゝ罪は已に熟したのである、其遂行と否とは単に境遇の問題である、イエスは罪はすべて之を人の意志に帰し給ふたのである、外に現はれたる其の動作に由て定め給はなかつたのである、此の場合に於ては色慾を遂げんとした其動機が已に姦淫罪を構成すると教へ給ふたのである。
 斯く解して(而して文法上斯く解せざるを得ないと思ふ)、イエスの此訓誠の決して至難を要求する者でない事が判明るのである、婦を見て色情を起すことが果して姦淫である乎否やは此一節の教ふる所ではない、此節の明白に教ふる事は惰慾遂行の動機を以て婦を見る者は其時已に心の中に姦淫の罪を犯したのであると云ふ事である、イエスの此言を以て婦人の一瞥より来る情慾の聯想を以て姦淫罪と認むる事は出来ない、斯く為して自他を責むるのは此聖語の濫用である、少くとも誤用である。
 ルーテルが曰ふたことがある、「余は鳥が余の頭の上を飛ぶことを妨ぐることは出来ない、然し余は彼をして余の頂に巣を作らしめない」と、謂ふ意は是れである、即ち聯想に因る罪念の喚起は之を妨ぐるの途はない、然れども之を我が意志となし、其実行となりて現はれんことは余の堅く誡めて許さない所であると、色情を喚起せらるゝ事は避け難いかも知れない、乍然、其の我が意志と成りて我に実行を促さん事は我の許さゞる所である、我は此意味に於て婦を見るも姦淫を犯さずして済むのである。
 更らに又此節に於て注意すべきものは「婦」と訳せられし原語である、希臘語の gune は単に女性をいふの詞ではない、哥林多前書七章二節に
(193)  人は各自其妻を有ち、女も各々其夫を有つべし
とある「妻」と訳せられし原語は此 gune である、又以弗所書五章廿二節に
  婦(妻)なる者よ、主に服《したが》ふが如く己が夫に服ふべし
とある「婦」と訳せられし原語も亦同じく此 gune である、而して同じ馬太伝の第五章に於て我等が今茲処に研究しつゝある一節の直ぐ後にある
  凡そ人その妻を出さんとせば云々
とある其「妻」なる詞も亦此 gune である、故に「婦を見る」とは「妻を見る」と訳する事が出来る、而して此場合に於ては他人の妻を見る事であるは言ふまでもない、而して斯く解して此節の意味は更らに一層明かに現はれて来るのである、
  凡そ色情遂行の動機よりして他人の妻を見る者は云々、
と、是れ確かに姦淫である、十誡第七条の「汝姦淫する勿れ」に加へて其第十条「汝その隣人の……妻を貪る勿れ」を破る事である、「悪しき眼を以て他人の妻を見る事」、是れ明白なる姦淫の罪である。
 イエスが茲に誡め給ひし罪の実例は之をヘテ人ウリヤの妻なるバテシバに対せしダビデの行為に於て見るのである、事は撒母耳後書第十一章に於て明かである、読者の之に就て読まれんことを望む。
 余は茲に此一節を斯の如くに改訳して色情の聯想を無害視せんとするのではない、使徒ヤコブの日ひしが如く
  慾已に孕みて罪を生み、罪已に熟して死を生む
ものなるが故に(雅各一の十五)、罪は其胚胎の前に之を除くべきである、罪の想起は其胚胎である、未だ罪とな(194)りて生れずと雖も、然かも罪の種子として其排除を努むべきである、最も安全なる事は罪の思念さへも起さないことである、イエスは此清浄の状態に於て在り給ふたのである、我等も亦彼と同じく此状態に達せんことを期すべきである。
 然しながら我等は聖書の言を其意義以上に解して自己に無益の苦悶を招いてはならない、
  ヱホバは我等の造られし状を知り
  我等の塵なることを念ひ給ふ
とある(詩篇百三の十四)、神は我等より不可能を要求し給はない、防ぎ難き慾念の聯想を以て之を罪とは認め給はない、罪は想の更らに一歩進んだ者である、此事を知て我等は無益の苦悶より免かるゝことが出来る、而して同時に又悪魔の詭計に対して有力なる作戦計画を立つることが出来る、余は再たぴパウロの言を繰返して曰ふ、
  是れ我等サタンに勝たれざらんが為なり、我等彼の詭計を知らざるに非ず、と。
 
(195)     サバチールの信仰
                         大正元年8月10日
                         『聖書之研究』145号
                         署名なし
 
 故オーガスト・サバチールは学者であつた、神学者であつた、しかし其著「宗教哲学概論」を読んで吾人は彼が唯の学者でなかつたことを見る、彼に深い霊的実験があつた、其霊的生命に彼は宗教哲学てふ衣服を着けて世に公にしたのである、彼は宗教の基礎を「有神論」に置かずして「敬虔の念」「霊的苦悶」に置いて居る、彼は曰
  他の凡百《すべて》の欠乏を補ふに足ると雖も他の凡百を以ても欠乏を補はれざる或物=霊中に実在する或内的要素=これ我等の知らんと願ふ所なり、一言にして云へば我等は宗教的実験を得んと欲す。
  余にとりてはイエスキリストのみ唯一真正の師又主なり、何となれば彼にのみ輕浮を伴はざる楽天あり、失望を伴はざる真摯あり。
 宗教論をするならば彼の如き霊的根柢のある論をしたいものである。
 
(196)     祈求と成就
                         大正元年8月10日
                         『聖書之研究』145号
                         署名なし
 
 我はイエスの如く成らんと欲す、然れども成らんと欲して成る能はず、我は之れがために歎く。
 我は欲《ねが》ふてイエスの如く成る能はず、然れどもイエスは我が祈求《ねがひ》に応じて我をして彼の如く成るを得しめ給ふ、祈求ふ所は我に在りて成就《な》す所は彼に在り、感謝すべきかな。
 
(197)     真理と智識と自由
                         大正元年8月10日
                         『聖書之研究』145号
                         署名 内村鑑三
 
  且つ汝等真理を識らん、而して真理は汝等に自由を得さすべし(約翰伝八章三十二節)。
 此一節の中に三つの大なる詞があります、其第一は「真理」であります、第二は「識る」であります、第三は「自由」であります、何れも大なる詞でありまして、深き研究を要する者であります。
 普通、「真理」と云ひますれば学問上の詞であります、理学上の真理であるとか、哲学上の真理であるとか云ひまして、学者が研磨の結果実得する者と思はれて居ます、然し茲に云ふ真理とはさう云ふ意味の真理ではありません、之を真理と訳したのが抑々誤解の始めであります、学問上の真理ではありません、信仰上の実体であります、空虚に対するの実物であります、真の理ではありません、実の者であります、黙示録十九章十一節に謂ふ所の忠信又誠実と称へらるゝ彼であります、イエスが己を指して
  我は真理なり
と曰はれた其意味に於ての真理であります(約翰伝十四章六節)、生命であり又光でありしイエスは同時に又真理であつたのであります、人を離れたる理論上の真理ではありません、真理が人として現はれたる者であります、イエスキリストであります。
(198) 「真理」は学問上の真理でなく、真理の実現者なるイエスでありまするが故に「識る」とは智識的に識ることではありません、人を識るは物を識るとは違ひます、人を識るとは彼の心を識ることであります、彼に接近し、彼の友人となることであります、彼と最も深い関係に入ることであります、故に
  永生とは唯一の真の神なる爾と其遣はしゝイエスキリストを識る是れなりとあります(約翰伝十七の三)、此事を他の言辞を以て言ひますれば
  我れ(イエス)彼等に在り、爾(神)我に在る、蓋、彼等をして一に全《まつたか》らしめんためなり
となるのであります(仝廿三節)、「識る」とは「在る」ことであります、我を彼の衷《うち》に置くことであります、彼れと我れと一になることであります、即ち夫婦の関係の如きものであります、一体になることであります、一心になることであります。
 「真理を識る」こと、即ちイエスと一体に成ること、其結果が「自由」であるとの事であります、故に茲に謂ふ所の自由なるものは思想上の自由ではありません、その、政治上の自由でないことは言ふまでもありません、「自由」は罪を犯さない自由であります、イエスは自由の反対なる奴隷の何んである乎を説明して曰ひ給ひました、
  誠に実に汝等に告げん、凡て悪を行ふ者は悪の奴隷なり
と(八章三十四節)、悪を行はざるに至ること、悪者即ち悪魔の羈絆より脱すること、其事が茲に言ふ所の自由であります、容易く善を行《な》し得るの自由、自由の最も高尚なる、最も確実なる者であります、イエスを識るの結果は此自由であります、彼を信じ、彼と一体となりて私供は彼の聖きが如く彗くなることが出来るのであります、(199)イエスのみが真正の意味に於ての自由の人でありました、而して彼に在り彼と偕になつて、私供も亦彼の如き自由の人となることが出来るのであります。
 約翰伝の此一節を斯の如くに解して、其意味が明白になるのであります、然るにユダヤ人にしてクリスチヤンなりし記者の立場よりせずして、私供、現代の人の立場より之を解せんとして、私供は全然之を謬解せざるを得ないのであります、今や「真理」と云へば思想上の真理であります、「識る」と云へば智識的に識ることであります、「自由」と云へば思想上にあらざれば政治上の自由であります、故にイエスが
  汝等真理を識らん、而して真理は汝等に自由を得さすべし
と曰ひしと聞けば、私供はイエスはプラトーの如き哲学者でありしか、然らざればロックのやうな政治学者でありしやうに思ふのであります、然しイエスは哲学者でもなく、亦政治学者でもなく、人の霊魂の救主であつたのであります、故に彼の説き給ひし真理も智識も自由も人の霊魂に直接に関係のある者でなくてはなりません、イエスの此言を引用してユニテリヤン主義の弁護となすは其誤用と云はざるを得ません、ユニテリヤン主義はユニテリヤン主義として貴くあります、乍然、イエスの此言に拠て立つことの出来る者ではありまん、此言はユニテリヤン主義とは全く別の事を教ふる者であります、ユニテリヤン主義の及ばない所を教ふる者であります、私は一概にユニテリヤン主義を排斥する者ではありません、乍然、約翰伝の此一節を以てする同主義の弁護に反対せざるを得ない者であります。
  七月二日東京惟一館に於ける博士エリオツト氏のユニテリヤン主義鼓吹の演説を聴き、後、或人に語りし所を誌す。
 
(200)     マコーレーの信仰
                         大正元年8月10日
                         『聖書之研究』145号
                         署名なし
 
 英国の史家マコーレーは必ずしも純信仰に立つた人ではないやうに思はれる、其生涯と著述より見る時は彼は所謂ユニテリアン風の紳士であつた、善き思想を抱いた善人であつて、信仰を第一にした人ではないやうに見える、しかし彼は大凡次の如きことを言ふた。
  論理学者は抽象的に論ずるけれども、人類の多数はかゝる抽象的思想には利害を感じないのである、人類は物を有たねば承知せぬ、理解も出来ぬし感ずることも出来ぬ神を有神論で証明して喜んで居るのは少数の「頭の人」である、されど大多数の人は唯の抽象の詞を以て満足せぬ、それ故肉体を有して人の形体を備へ馬槽に眠り人の中に住み、人の弱きを助け、人の墓にて涙を流し十字架の上にて血を流した人――それが万人の拝する神なのである。
 
(201)     闇中の消息
                         大正元年8月10日
                         『聖書之研究』145号
                         署名 内村生
 
〇申すまでもなく明治天皇陛下の崩御は譬へやうなき悲痛であります、私共は之に由て天地が覆へりしやうに感じます、聖書に謂ふ所の
  日も月も暗くなり、星その光明《ひかり》を失ふ
とは斯かる状を云ふのであらふと思ひます(約耳書三の十五)、私共は今更らながらに此世の頼みなきを感じます。
〇此悲痛に蔽はれて休暇も休暇になりません、唯夢を辿るが如き心地が致しまして、海も山も私共に平康《やすき》を与へません、唯此上は死も敗壊《やぶれ》も何の関係《かゝはり》なき永久の真理を追求するまでのことであります。
〇「独立短言」出でゝ旧友諸君より多くの追懐の情に与りました、信州東穂高の井口喜源治君は書を寄せて曰はれました、
  其頃の雑誌(東京独立雑誌)は余りに此世を驚醒する鉄鞭に過ぎたり、近頃の雑誌(聖書之研究)は余りに此世離れせる点あるには無之候や、時には矢張国家の前途に対して獅子吼的の白熱せる予言を注下なされては如何に候や
と、嗚呼、如何しませう、私には既に予言が絶へたのであります、私は既に朽《くつ》る此世の望は之を断つたのであり(202)ます、キリスト、天国、復活、永生、之を除いて私には他に語るべき事は無いのであります。
〇神若し許し給はゞ今年の末までには「所感十年」を発行する積りであります、私が満足を以て此世に於て為し得る事はたゞ筆硯の業のみであります、而して是れ決して詰らない業では無いと信じます。
 
(203)     〔愛の法則 他〕
                         大正元年9月10日
                         『聖書之研究』146号
                         署名なし
 
    愛の法則
 
 天然の法則あり、社会の法則あり、倫理の法則あり、而して又愛の法則あり、而して神は人を救ふに愛の法則を以てし給ふ、天然又は社会又は倫理の法則を以てし給はず。
 天然の法則に循へば優者は勝ち劣者は敗れ、強者は存り弱者は亡ぶ、然れども愛の法則は之に反す、愛は弱者を扶け、強者を拉ぐ、
  其臂の力を現はし、心の驕れる者を散《ちら》し、権柄《ちから》ある者を位より下し、卑賤者《いやしきもの》を挙げ、飢たる者を美食《よきもの》に飽せ、富める者を空しく返らせ給ふ
とあるが如し。路加伝一章五二節以下。
 社会の法則に循へば輿論と称して多数の意見は行はれ、少数者は常に失意の地位に居らざるべからず、然れども愛の法則は之に反す、愛は少数を顧み、多数を斥く、曰ふ、
  イスラエルの子の数は海の沙の如くなれども救はるゝ者はたゞ僅少ならん
(204)と。羅馬書九章廿七節。以賽亜書十章廿二節。
 倫理の法則に循へば徳行は賞せられ、罪悪は罰せらる、罪を天に得て訴ふるに所なし、然れども愛の法則は之に反す、愛は罪を赦すの途を設く、愛は公義よりも悔改を愛す、故に曰ふ、
  衿恤は鞫に勝つなり、
と(雅各書二章十三節)、又
  人の義とせらるゝは信仰に由る、律法(道義)の行に由らず
と(羅馬書三章廿八節)。
 斯くて天然の法則に循へば亡ぶべき者も、亦社会の法則に循へば無能なる者も、亦倫理の法則に循へば詛はるべき者も、愛の法則に循て救はるゝなり、愛はすべての法則に反し、其要求を排して曰ふ、
  我れ衿恤まんと欲ふ者を衿恤み、我れ憐憫まんと欲ふ者を憐憫む
と、世の劣敗者は決して失望すべからざるなり。羅馬書九章十五節。
       ――――――――――
 
    神と天然
 
天然は自治体なり、神の配下に在ると雖も非常特別の場合を除くの外は神を離れて独り自から働く者なり、天然は其日を善者《よきもの》にも悪者《あしきもの》にも照し、其雨を義者にも不義者にも降らし、雷霆を以て同時に劇場と教会堂とを壊ち、氷塊を巨船の前に横へて同時に牧師と博徒とを水底に葬る、天然は人を択まず、同一の黴菌は信者を冒し不(205)信者を冒す、善人にして不運の人あり、悪人にして好運の人あり、天然の前に善悪正邪の別なし、而して死は万人に対する其の最後の宣告なり。
 天然は神を離れて自動す、而して神は天然を離れて人を恵み給ふ、人の肉体は之を天然に委ね、彼の霊魂は自から之を宰り給ふ、不運の人に聖き心を賜ひ、好運の人を其欲するが儘に任し給ふ、貧者に心の満足を賜ひ、富者は欠乏を感ずる益々甚だし、死は恩恵として信者に臨み、刑罰として不信者を襲ふ、天然は神より独立して僅かに浅き物界を主るに過ず、深遠極なき霊界と、之に伴ふ生命の泉とは今猶ほ神の直轄の下にあり。
 然らば何をか恐れん、神は雷霆を以て轟き給はず、如き声を以て囁き給ふ、洪水を以て罰し給はず、彼を憎む者より其|聖顔《みかほ》を背け給ふ、肉体を癒し給はず、霊魂を活かし給ふ、彼を愛する者を死に附し給ふ、而して死に由りて生命に導き給ふ、神は天然に干渉し給はず(非常特別の場合を除くの外は)、而して天然以外に立ちて彼の恩恵を施し給ふ、天然の神は霊魂の神に非ず、然り、旧約の神は新約の神に非ず、イエスキリストの御父なる真の神は今や疫病を以て其敵を撃ち給はず、天より火を降して己に逆ふ者を滅し給はず、今や神の恩恵は人の霊魂に降り、其刑罰も亦其霊魂に臨む、今や天然は神無きが如くに働らくなり、故に之を称して信仰の時とは云ふなり。
 
    恩恵の内外
 
 身の幸運悉く我身に麕集《あつま》り、我が肉体は健全にして長命、我が家は栄えて一人の死者の其中より出るなく、我が事業は成功し、我が名は揚り、貴尊と光栄我身を纏ふも、我は必しも恵まれたる者ではない、我にして若し髪の聖顔を拝するを得ず、キリストに於て顧れたる彼の心を識るを得ずば、我は憐むべき幸薄き者である。
 
(207)     忌避乎通過乎
         EK《エツク》とAPO《アポー》の区別
                         大正元年9月10日
                         『聖書之研究』146号
                         署名 内村鑑三
 
 ekとapoとは希臘語に於ける二ツの前置詞である、二者共に英語の from 又は日本語のからとか或ひはよりとか訳すべき詞であつて、其大体の意味に於ては同じであるが、然し其間に又相違の点がある、apo は単にからとの意味であつて ek は其中からと訳すべき者である、而して此相違を認むる結果として聖書の解釈上大なる相違が生じて来るのである。
 イエスの最後の祈祷の一節として左の首が伝へられて居る、
  今、我心憂へ悼めり、我れ何を言はんや、父よ此時より我を救ひ給へと言はんか、否な、是れがために我は此時に至れるなり
と(約翰伝十二章廿七節)、若し此一節を日本訳の通りに解すればイエスは此場合に於て死を免かれんことを祈つたのである、「父よ此時より我を救ひ給へ」と、即ち今、此時に我に臨まんとする苦難より救ひ給へと祈つたのである、然しイエスは果して爾う祈つたのであらふ乎、イエスは果して死を恐れたのであらふ乎、イエスは果して十字架を避けんとしたのであらふ乎、
(208)  父よ、若し聖意に適はゞ此杯を我より離ち給へ
と祈りたりとあれば、或ひは爾うであつた乎も知れない、(馬太伝廿六章三十九節)、然しながら約翰伝の此一節に現はれたる死に対するイエスの態度は「より」なる一語の意味に由て決せらるゝのである、此所に於て「より」はekであるか、apoであるか、研究者は其事を弁へるの必要があるのである。
 而して此所に於てはapoにあらずしてekが用ひられてあるのである、故にイエスは此時単に苦難より救ひ給へ、即ち苦痛より免れしめ給へと祈つたのではない、此時の中より我を救ひ給へと祈つたのである、即ち十字架の苦痛に我を導き給ふと雖も、我をして其勝つ所とならしむることなく、我をして父の命に服し然る後に美事に之に勝つことを得しめ給へと祈つたのである、十字架を除け給へと祈つたのではない、十字架に当り、其苦痛に入り、之を通過して、死と墓との彼方に於て我を活かしめ(救ひ)給へと祈つたのである、ekは中からである、苦痛の中からである、苦痛を通過してからである、「此時より救ひ給へ」とあるは「此時に臨みし苦痛を通過して然る後に其中より我を救ひ給へ」と意《い》ふ義《こと》である。
 而して斯く解してイエスの此祈祷が最も勇ましくなるのである、イエスは此場合に放て女々しくも彼に臨みし苦痛より免かれんことを祈求《ねが》つたのではない、彼は之に当るの覚悟を定めた、彼は只十字架が耻辱として終らざらんことを祈つたのである、死に遇ふて死の呑む所となることなく、死に由て終に死に勝たんことを祈つたのである、而して是れイエスたる者に取つて適当の祈祷である、実に希伯来書記者の日ひしが如くである、
  是れ死をもて死の権威を有てる者即ち悪魔を滅し、死を畏れて終生繋がるゝ者を放たんためなり
と(希伯来書二の十四、十五)、イエスにして若し此湯合に於て死を免かるゝを得しならん乎、我等肉と血とを具(209)へ、一度は必ず死すべき者は如何にしてイエスに由て慰められ、且つ救はるるを得んや、然し、イエスは勿論此場合に死を免がれんと欲し給ふたのではない、彼は「父よ此時より我を救ひ給へ」と祈つたのではない、「此時を通過して後に、其中より我を救ひ給へ」と祈つたのである、而してイエスの此祈祷に対する父の応答は復活であつたのである、イエスは死して葬られ、第三日に復活して完全に死より救はれたのである。
 斯の如くにしてイエスの死は死ではなかつた、死の通過であつた、故に之を称して死(thanatos)とは云はない、脱出(exodus)と云ふ、路加伝九章に記されたる変貌の山に於けるモーセとエリヤとの対話に於て彼等
  栄光の中に現はれてイエスのエルサレムに於て既《もは》や世を逝らんとする事を語る
とある其中の「世を逝らんとする」とあるは確かに誤訳である、モーセとエリヤとは此所にヱルサレムに於けるイエスの死に就て語り合ふたのではない、彼の脱出(ek-odus)に就て語つたのである、即ちイエスの死に合せて復活に就て語つたのである、恰かも昔時のイスラエルの子孫がモーセの指導の下にエヂプトを出で紅海を通過《すぎ》たと同然である、イエスの場合に於て出埃及(exodus)は真正の意味に於て行はれたのである、変貌の山に於てモーセとエリヤとはイエスと相対して彼の出埃及に就て語つたのである、故に路加伝第九章三十一節は左の如くに訳すべき者であると思ふ、
  モーセとエリヤ栄光の中に現はれ、ヱルサレムに於てイエスに臨まんとする脱出に就て語 り。
 即ち死を此世よりの脱出と見ての言である、此場合に於てもekであつてapoではない、死の忌避ではない、其通過である。
 死に関するekの意義は更らに明白に希伯来書第五章七節に於て現はれて居る、
(210)  彼れ肉体に在りし時哀み哭《なげ》き涕を流して死より己を救ひ得る者に祈れり云々。
 神を指して「死より己を救ひ得る者」と称せしは「死を免がれしむる者」との意義ではない、此所に於ても「より」はekであつてapoではない、神は人を「死の中より救ひ得る者」である、死を彼に降して而して後に其中より彼を救出す者である、即ち復活の恩恵を以て信仰の死に報い給ふ者である、神にして若し単に死より救ひ給ふ者、即ち、死を免かれしめ給ふ者であるとせん乎、彼の独子なるイエスさへも此恩恵に与かることが出来なかつたのである、聖書に「エノクは居らずなりき」とあり(創世記五章廿四節)、「火の車と火の馬現はれ、エリヤ大風に乗りて天に昇れり」とありと雖も(列王紀略下二章十一節)、其他に人が死に遇はずして此世を逝りたりとの例は無いのである。
  一たぴ死ぬる事は人に定まれる事なり
とある(希伯来書九章廿七節)、死は免かるべき事ではない、然し死の中より救はるゝ事は出来得ることである、而して神は斯くしてイエスを救ひ給ふた、而して又我等イエスに恃む者を救ひ給ふのである。
 ekとapo、「より」と「中より」、詞は短くあるが、其間に天地の別がある、死と之に伴ふすべての苦痛を免かれんとするが此世の宗教の目的である、死は単に之を凶事と認め、苦痛はすべて神の刑罰であると思ひ、之を免るゝを以て祈祷の第一の目的となす者はすべて異教の信者である、彼等は真実流涕懇求して言ふ「願ふ死より救へよ」と、然れども基督者は、然り、真正の基督者は爾うは祈らないのである、彼等は彼等の主に傚ひ
  父よ死を下し給ふも可なり、唯願ふ、其中より救出し給へ、我をして死に勝たしめ給へ、死を通過して不死の生命に達せしめ給へ、
(211)と祈るのである、又死に限らない、すべての艱難に対しても爾うである、真の基督者は艱難より救われんとしない、艱難の中より救はれんとする、火を避けんとしない、火の中に投ぜられて其中に在りて潔められんとする、死とすべての艱難に対しては我等はekを以て祈るべきである、apoを以て祈るべきではない、神癒と称して肉体の疾病の治癒を以て神の特別の恩恵と見做す者は基督教の此精神を解せざる者であると思ふ、最大の恩恵は死より救はるゝ事ではない、死に遇ふて其中より救はるゝ事である、ラザロは死より救はれて再たぴ死んだ、然りと雖もキリストによりて死の中より救出さるゝ者は再た再たび死なざるの生命に入るのである、斯かる者に就て黙示録記者は曰ふた、
  此輩の上に第二の死は権を執ること能はず
と(二十章十六節)。
 ekなる哉、然り、ekなる哉!
         (博士ウイリヤム・ミリガン著『主の復活』に依る)
 
(212)     パブテスマと聖餐
                         大正元年9月10日
                         『聖書之研究』146号
                         署名 内村鑑三
 
 余は教会の儀式としてのバプテスマと聖餐とを信じない、儀式は如何に荘厳なりと雖も人の霊魂を救ふの能を有たない、バプテスマの水は何処までも水である、之に罪を洗ふの能はない、聖餐のパンと葡萄酒とは何処までもパンと酒である、之に永生を供するの能はない、神の恩恵は儀式に由て降る者ではない、其証拠にはバプテスマを受けし悪人もあれば亦之を受けざる善人もある、月毎に聖餐のパンと葡萄酒の分配に与りつゝも、すべての悪事を行ひながら少しも意に介せざる所謂る「基督信者」もある、教会に於て行はるゝバプテスマと聖餐との儀式は人の霊魂の救済には何の干与《かゝはり》なき者である。
 乍然余は基督者《クリスチヤン》の信仰の表号としてのバプテスマと聖餐を信ずる、二者を称して Sacrament《サクラメント》と云ふ、而してサクラメントは「聖事」又は「神秘」の意であつて、後には「聖事の表号」を意味するに至つた、聖アウガスチンは曰ふた、
  神の事に関する表号をサクラメントと云ふ
と、彼は又サクラメントなる詞に定義を下して曰ふた、
  見えざる恩恵の見ゆる形
(213)と、斯く解してサクラメントはバプテスマと聖餐とに限らないのである。
サクラメントであるのである、而してパウロは如斯くに天然を解したのである、
  夫れ見ることを得ざる神の無限の能力《ちから》と神性とは造られたる物に由り世の創始《はじめ》より以来《このかた》覚り得て明かに見るべし
と(羅馬書一章廿節)、父子の関係、是れ亦サクラメントである、夫婦の関係、是れ亦明かに「神の事に関する表号」である、眼に見えざる霊の国に其籍を移せし基督者に取りては此世の万事は悉くサクラメントであるのである。
 然らばバプテスマは何の表号である乎、基督者の如何なる信仰が此サクラメントを以て表現せらるゝのである乎。
 余は此問に答へて曰ふ、バプテスマはキリストの死と復活とに関する信者の信仰の表号であると、「彼は死して葬られ、第三日に復活り」との信仰はバプテスマを以て表号せらるるのである 故にバプテスマは「洗礼」ではない、若し之を礼式として見るならば之は是れ「潜札」と称せらるべき者である、バプテスマは潜《しづ》める事である、而して「潜」は死の表号である、墓に下る事である、旧き我に死する事である、而して水より上がる事は復活の表号である、墓より出る事である、新らしき我を以て生くる事である、如斯くにして簡単なるバプテスマの形式を以て深遠なる基督者の信仰が表号せらるるのである、バプテスマは罪の洗滌式ではない、又世に対する信者の信仰発表式ではない、更らに又彼が教会に入らんとする時、教会が彼に課する入会式ではない、バプテスマは信者の心に臨みし深遠なる、革命的の大信仰の表号である、彼は之に由て、
(214)  イエスは我等が罪のために附され、又我等が義とせらんが為めに復活へらされたり
との基督者独特の信仰を言表はすのである(羅馬書四章廿五章)、キリストの復活を信ぜざる者のバプテスマは無意味である、斯かる者に之を施すは其濫用である、復活の真偽は別問題としてバプテスマの復活の信仰の表号たるは疑ふべくもない、使徒パウロの左の言の如きはバプテスマを斯く解してのみ解することの出来る者である、
  汝等知らざる乎、キリストイエスに合はんとてバプテスマせられし者はすべて彼の死に合はんとてバプテスマせられし事を、我等は実に死に合はんとするバプテスマに由りて彼と共に葬られしなり、是れキリストが父の栄に由りて死者の中より復活せられしが如く、我等も亦新らしき生命に歩まんがためなり、我等若し彼の死の状に循ひて彼と偕なるを得ば我等は又彼と復活を偕にするを得べし云々
      (羅馬書六章三節以下)。
 復活の信仰、我等の主イエスキリストの復活の信仰、彼を信ずるを得し我等彼の属《もの》たる者の復活の信仰、是れがバプテスマの意味である、而して余は水のバプテスマを受くるも受けざるも霊の事実たるバプテスマを信ぜざるを得ない、バプテスマは能く余の信仰を表現する者である、若し余の言語を以てせずして、而も言語以上の印象力を以て、死と復活とに関する余の信仰を表明せんと欲するならば、余はバプテスマの形式に由るより他に善き途を知らないのである。バプテスマはキリスト併に基督者の死と復活とに関する信仰の表号である、然らば聖餐は何の表号である乎、是れ余の更らに陳述せんと欲する所である。
 聖餐の何たる乎は之を馬太伝廿六章廿六−廿九節、馬可伝十四章廿三−廿五節、路加伝廿二章十五−二十節、哥林多前書十一章廿三−廿五節に於て見ることが出来る、即ち、イエスを憶えんがためにパンを食ひ葡萄酒を飲(215)む事である。
 バンはキリストの肉を代表し、葡萄酒は彼の血を代表する、パンを食ひ葡萄酒を飲みて信者はキリストの死を記憶するのである、即ちパウロの言の如し、
  汝等此パンを食ひ此杯を飲む毎に主の死を表して其来る時までに及ぶなり
と(哥前十一の廿六)、如斯くにして聖餐はキリストの受難の記念会である、即ち、ユダヤ人の逾越節《すぎこしのいはひ》に代るべき者である。
 乍然、夫れ丈けではない、聖餐に更らに深い意味がある、聖餐は単《たゞ》に記念会ではない、同時に又感謝会である、聖餐は聖筵である、主の肉を食ひ、其血を飲みて我霊魂を養ふことである、イエスは曰ひ給ふた、
  誠に実に汝等に告げん、若し人の子の肉を食はず其血を飲まざれは汝等に生命なし、我が肉を食ひ我血を飲む者は永生あり、我れ未の日に之を甦へらすべし、我肉は真の食物、又我血は真の飲物なり
と(約翰伝六章五三−五五節)、信者の生命はイエスである、彼に日毎にイエスの生命を摂取するの必要がある、
  汝等若し我を離るゝ時は何事をも行す能はず
とある(仝十五章五節)、而してイエスの肉を食ひ其血を飲むとは、イエスを我有となすの意である、獣の血を飲み其肉を食ひて、我肉体を養ふが如くに、イエスの生命を摂取して信者は其日毎の霊的生命を繋ぐのである、而して此霊的生命の摂取、之を表現する者が聖餐であるのである、勿論パンと葡萄酒に霊的生命の在りやう筈はない、パンは何処までもパンであつて、葡萄酒は何処までも葡萄酒である、而已ならず、縦し、キリスト御自体の血を飲み其肉を食ひたればとて、其れが我等の霊魂を養ひやう道理はない、彼れ御自身が曰ひ給ふた、
(216)  生命を賜はる者は霊なり、肉は益なし、我が汝等に語りし言、是れ霊たるなり、生命たるなり
と(仝六章六十三節)、「肉は益なし」筋《きん》と脂肪と靭帯とより成る肉は、縦令キリストの肉と雖も霊魂を養ふには「益なし」である、況してパンをや、葡萄酒をや、信者が聖餐のパンと葡萄酒より彼の霊魂の生命を求めて彼は失望せざるを得ない、信者の霊的生命は型餐の儀式を以て繋ぎ得る者ではない、其事は日を睹るよりも瞭かである。
 乍然、キリストに在りて充溢する霊の生命の摂取の表号として聖餐は実に美はしき且つ意味深き形式である、而して我等は此簡単なる形式を以て表はされたる霊の事実を日毎に実行すべきである、実に我等キリストの僕は此深き意味に於て日毎に神の聖筵に与かる者である、誠に実に我等は日に日にキリストの肉を食ひ其血を飲む者である、教会は月に一回聖餐の儀式を挙げて信者の此日々の実験を表現するに過ぎない、而して信者の霊魂を養ふものは月毎に臨む聖餐の儀式ではなくして、日々刻々と彼が行ふイエスの生命の摂取である、我等は前者に与からずとも可い、然し後者を怠りて我等に生命は絶ゆるのである。 パンは肉を表現し、葡萄酒は血を表現する、而して肉と言ひ血と言ふは生命と言ふと同じである、而して神の生命の真の表現はキリストの肉と血とに非ずして彼が語り給ひし言辞である、
  我が汝等に語りし言辞、是れ霊たるなり、生命《いのち》たるなり
と、而して此言辞を伝ふる者は聖書である、故にイエスの生命に与からんと欲して其肉を食ひ其血を飲むと云ふ事は取りも直さず聖書を霊読することである、敬虔を以てする聖書の研究、是れが真の聖餐であるのである、預言者ヱレミヤ曰く
(217)  我れ汝(ヱホバ)の言《ことば》を得て之を食へり、汝の言は我心の歓喜快楽なり、万軍の神ヱホバよ、我は汝の聖名を以て称《とな》へらるるなり
と(耶利米亜記十五章十六節)、人の言を咀嚼すると云ふ事はあるが、ヱレミヤは神の言を食ひたりと云ふ、我等も亦聖書を咀嚼するに止まらず、更らに進んでヱレミヤの如くに之を食ひ之を消化し其生命を摂取しなければならない、我等は生命摂取を目的として日毎に聖書の研究に従事して、日毎に豊かなる神の聖筵に与かるのである。
 バプテスマと聖餐、罪に死して新たに生まるる事と、新生命の供給を得て終にキリストの完全にまで達する事、信者の生涯に此二つの進歩の階段があるのである、バプテスマは再生であつて、聖餐は成長である、故にバプテスマは一度で済む事であつて、聖餐は終りまで続くべき事である、信者はパプテスマを以て罪に死し、義に甦り、此世に別を告げて天国の民となるのである、而して聖餐を以て彼の新らしき生命を続け、「彼に充満《みち》たる其中より受けて恩寵に恩寵を加へられ」、義に於て強くなり愛に於て成長し、而して終に「完全き人、即ちキリストの満足《みちたれ》るほどと成るまでに至る」のである。約翰伝一章十六節。以弗所書四章十三節。
 如斯くにして教会に属せず其儀式に与からざる余にも亦バプテスマと聖餐とはあるのである、余は之を監督、牧師、伝導師等、教会の役人の手よりは受けずと雖も、余の霊魂に於て神より直に之を受けずしては余も亦キリストの僕たることが出来ないのである、然り単に余の霊魂に於て之を受くるばかりではない、或特別の場合に於ては之を余の身に於ても受くるのである、余の愛する者に此世に於ける最後の訣別を告ぐる時に、余は此簡単なる形式を行つて、余の言語を以てするも通ずる能はざる信仰と希望と愛とを余の愛する者に通ずるのである、而(218)して余も亦キリストの言に傚ひ
  今より後汝と共に新らしき物を我父の国に於て飲まん日までは再たぴ此葡萄にて造れる物を飲まじ
と言ひて、余の愛する者を父の国に送り、余は猶ほ此涙の谷に止まり、復た逢ふ日を楽みて、余の勤労を継続くるのである、余は教会の儀式としてのバプテスマと聖餐とを嫌ふ、余は之に与かりて反て余の信仰の冷却するを感ずる、然しながら
  二人三人我名に由りて集まる処に我も亦其中に在り
とのイエスの言に頼り、二三の信仰の友と共に、或ひは清き流水の辺に於て、或ひは涼しき森の蔭に於て、或ひは生命の将さに絶えんとする死の床の側に於て、パンを割き、葡萄の露を啜りて言ひ尽されぬ歓喜と慰藉とを覚ゆるのである。
 
(219)     腓立比書の通読
                         大正元年9月10日
                         『聖書之研究』146号
                         署名 内村鑑三
 
 腓立比書の通読であります、其註解ではありません、其一言一句に註解を加へんとするのではありません、之を通読して如何なる感が起る乎、其事に就て語りたく欲ふのであります。
 腓立比書は僅に四章百四節に句分されたる書翰であります、之を通読するのは容易の事であります、而して聖書は又之を通読して其意味を味ふべきであります、必しも其一節又は数節に於てのみ神の真理を探るに及びません、馬太伝全体を主題《テキスト》となして説教することが出来ます、羅馬書全体が一回の講話の善き題目となります、腓立比書全体の主意を知る事は使徒パウロの福音を覚る上に於て甚だ肝要であります。
 腓立比書を通読しまして私が第一に感じますことは其徹頭徹尾個人的の書翰であることであります、之はパウロがピリピに於ける彼の教友に送りし彼の親展であります、其中に何の公文的の所はありません、此点に於て腓立比書の正反対は加拉太書であります、前者の親展なるに対して後者は公開状であります、其事は二者の発端の言辞に照らして見て分ります、
  キリストイエスの僕パウロとテモテ云々
と云ひて腓立比書は始まつて居ります、
(220)  人よりに非ず、又人に由らず、イエスキリストを死より甦らしゝ父なる神に由て立られたる使徒パウロ云々
と云ひて加拉太書は姶つて居ります、己を指して僕と云ひ、又使徒と云ひます、「僕」は謙遜親愛を示す詞でありまして、「使徒」は使命威権を表する語であります、腓立比書は一人の信者が他の信者に書贈つた書簡であります、加拉太書はキリストの代表者が訓誡詰責を目的として教会に送つた公文であります、故に二者に現はれたるパウロは自から二つの異つたるパウロであります、僕パウロと使徒パウロ、愛すべきパウロと畏るべきパウロ、而してパウロに此二つの方面があつたのであります、優しきパウロと剛《つよ》きパウロ、而して腓立比書は此愛すべき、優さしきパウロを伝へた者であります。
 而して此事は書翰全体を通じて現はれて居ります、
  我れキリストイエスの優さしき心(英語の tender mercies)を以て汝等を恋慕ふ
と(一章八節)、何んと深い愛ではありません乎、ダビデが己を愛せしヨナタンの愛を歌ひし言辞の中に
  汝の我を愛《いつくし》める愛は尋常《よのつね》ならず、婦人の愛にも勝りたり
とありますが(撒母耳後書一章廿六節)、パウロがピリピに於ける彼の教友を愛した愛も亦此種の愛であつたのであります、
  我が愛する所、慕ふ所の兄弟、我の喜、我の冕たる我が愛する者よ
と(四章一節)、何と深い濃い愛ではありません乎、パウロは彼の愛を言表はさんと欲して彼が有する言辞の有る丈けを使ふて尚は不足を感じたやうに思はれます、思想に於ては深遠無量、勇気に於ては剛猛鬼をも拉ぐパウロに此蜜の如き濃き甘き愛があつたのであります、パウロの伝道成功の秘訣を此に於て見ずして他に於て見る者は(221)未だ彼を知らない者であります。
 腓立比書の他の特徴は歓喜であります、パウロの書いた物の中で此書の如くに歓喜に満ちたる者はありません、パウロは今、此書簡をロウマに於ける牢屋の中に在て書いて居るのであります、身は鎖に繋がれ、番兵|側《かたはら》に在るの状態に居るのであります、然るに彼はピリピに在る彼の友人の事を思ふて歓喜に溢れざるを得なかつたのであります、
  又恒に汝等すべてのために祈求《ねが》ふ毎に喜びて祈求ふ(一章四節)。
  我れ之を喜ぶ且つ恒に喜ばん(仝十八節)。
  我れ之を喜ばん、汝等すべても共に喜ばん、汝等も之がために喜べ、我と共に喜べ(二章十七、十八節)。
  我が兄弟よ汝等主に在りて喜べ(三章一節)。
  汝等恒に主に在りて喜べ、我れ又言ふ、汝等喜ぶべし(四章四節)、
 歓喜、歓喜、又歓喜、以上の外、此短かき書簡の中に「喜ぶ」なる語が十五回の多き迄に用ひられて居ります、パウロが始めてピリピの市に福音を伝へし時に、彼と彼の同伴者なるシラスとは異教を伝ふるの故を以て市の有司に獄舎に投ぜらました、而して二人共に桎《あしかせ》をかけられ、奥の獄《ひとや》に入れられしにも関らず、歓喜は彼等の心を盈し、
  斯くて夜半ごろパウロとシラス祈祷をなし、且つ神を讃美す
と記してあります(行伝十六章)、斯くてパウロに取りてはピリピは始めより歓喜の場所であつたやうに思はれます、彼はピリピを想出す毎に歓喜の胸に湧出づるを禁じ得なかつたのであらふと思ひます、幸ひなるは実にピ(222)リピであります、其市は今は廃れて殆んど跡形ない程でありますが、然し偉人パウロに歓喜を供した其報として今や殆んど歓喜の代名詞として全世界に轟いて居ります。
 歓喜の書簡なる腓立比書は又和合一致の書簡であります、
  汝等精神を一にして堅く立ち、福音の道のために心を同うして力を協せ
と勧め(一章廿七節)、又
  汝等思念《おもひ》を同うし、愛を同うし、意を合はせて思ふことを一にし
と言ひ(二章二節)、又ピリビに於ける教友の間にありて二人の婦人が少しく和合を欠くを聞き、特に彼等に就て書送つて言ひました、
  我れユウオデヤに勧む、又スントケに勧む、彼等が主に在りて心を同うせんことを
と(四章二節)、パウロの如き愛情の人に取りては不和仲違ほど耐え難き事はなかつたに相違ありません、信者は元々協同一致すべき者であります、愛は彼等の特徴である可きであります、
  汝等若し相愛せば之に由りて人々汝等の我弟子なることを知るべし
とキリストは言はれました(約翰伝十三章三十五節)愛せざる者は実は基督信者ではないのであります、然るに事実は必しも爾うでは無いのであります、信者相反目し、相排し、相陥れると云ふことは決して無い事では無いのであります、パウロの心を痛めた事で此事の如きは無かつたのであります、コリントに於ける彼の教友は此悲むべき状態に於て在つたのであります、哥林多前後書が多くの貴き教訓を伝ふるに関はらず腓立比書と比べて歓喜と感謝と希望とに於て欠くる所あるは全く之が為であります。
(223) 腓立比書の勧むる信者の一致に就て尚ほ注意すべき事があります、其れはパウロが儀式又は教義の一致を説く事によつて信者の一致を勧めなかつた事であります、以弗所書に在りて彼は言ひました、
  主一つ信仰一つバプテスマ一つ
と(其著四章十五節)、又テモテに勧めて「異なる教義を伝ふることなく」、以て彼をして信者の間に信仰の一致を計らしめました(提摩太前書一章三節)、是れ時と場合に由りては止むを得ない事でありませう、乍然、腓立比書に於て彼が勧むる信者の一致は愛の一致であります、而して是れ又キリスト御自身が勧め給ひし一致でありまして最も貴き且又最も堅き一致であります
  汝等愛を同うし、意《こころ》を合はせて思ふことを一にし
とあります、而して愛に於て一致せずして真個の一致は無いのであります、教会を一にし、儀式を一にし、信仰箇条を一にし、伝道教育社会事業等を一にしても愛を一にせずして堅い破れざる一致は無いのであります、腓立比書に於てパウロは一致の精神と其根本とを述べて居ります、我等は一致の事に就ては主に之を此書に由て学ぶべきであります。
 腓立比書を読んで私供の注意に留まる一つの詞があります、其れは日本訳聖書に於て「与る」とか、「交際」とか、「助けし」とか云ふ詞を以て訳されてある詞であります、英訳聖書に在りては此詞は原語に倣ひすべて同じ詞を以て訳してあります、即ち fellowship は其詞であります、腓立比書の独特語とも称すべき此詞に種々異なりたる訳字を附けたることは日本訳聖書の大欠点であります、原の希臘語は koinonia であります、而して「コイノーニヤ」は意味の深い詞であります、之を「協力」とも、「翼賛」とも、「同心」とも、「干与」とも、「分担」(224)とも訳することが出来ます、一章三節に
  汝等が始の日より今に至るまで偕に福音に与るにより……我神に謝す
とありまする「偕に……与る」とは此詞であります、是れは偕に福音の恩恵に与かると云ふ事ではありません、福音伝播に協力し、其勤労を分担したと云ふ事であります、即ち福音に心を投じて之と栄辱を共にしたと云ふ事であります、故に此一節を直訳すれば左の如くになるのであると思ひます、
  始の日より今に至るまで福音に寄せし汝等の同心に就て我神に謝す
と、koinonia 然らざれば fellowship 私は此詞は原語なりに存して置きたく欲ひます、即ち前に本誌に於て述べましたスチグマタとかカタラゲーとか云ふ詞と同様にパウロが使つた其詞を其れなりに我言語に移し、其意味を心に解して其音を其れ儘に存して置きたく欲ひます。
  福音のコイノーニヤ(一章五節)、
  霊のコイノーニヤ(二章一節)、
  彼(キリスト)の苦痛《くるしみ》のコイノーニヤ(三章十節)、
  我が艱難のコイノーニヤ(四章十四節)、
 何と美はしいコイノーニヤではありません乎、福音伝播の責任に与り、其費用を分担し、其成敗を我が事業のそれの如くに感ず、其事が福音のコイノーニヤであります、キリストと共に苦しみ、彼の聖名の故に世に譏られ、世より絶たれ、彼が苦しみ給ひしが如くに苦しむ、其事がキリストの苦痛のコイノーニヤであります、同一の霊《みたま》の分与にあづかり、其喜びを偕にし、其生命と能力とを共感す、其事が霊のコイノーニヤであります、キリスト(225)の僕にしてピリピの信者に取りては福音の使者なる彼れパウロと艱苦を共にする、其事が彼の艱苦のコイノーニヤであります、何れも美はしい、貴いコイノーニヤ即ち協力、分担、親交、享有であります、此一語は以て基督信者の標語となすに足ります、然れども今日の事実は如何であります乎、信者の間に果して此貴いコイノーニヤが有ります乎、嗚呼、福音の美を讃立る信者は沢山ありまするが、其コイノーニヤを行ふ者は尠ないのであります、福音の恩恵に与からんと欲する者は幾多でもあります、然しながら其伝播の責任を分ち、単に金銭労力を以てするのみならず、福音のためには耻を忍び、其ためには地位をも名誉をも犠牲に供せんとする者は実に甚だ尠ないのであります、福音のために立てられたる者が常に感ずるのは此淋しみであります、而して艱難のコイノーニヤに至ては是れ又更らに寥々たる者であります、世に伝道者は少くありません、外国より遣《おくら》れし宣教師、邦人の中より起りし伝道師彼等は決して少数ではありません、乍然、艱難共受の一事に至ては彼等は頼るに至るの共働者ではありません、彼等は世の責むる時に責め、世の誉むる時に誉めます、彼等の眼は欠点を視るに鋭くあります、彼等は喜んで信仰の表白を共にしまするが然し信仰のためにする艱難を共にしません、曰く「極端なり」、曰く「時勢に伴はず」とは彼等の発する套語であります、私共は今の時に方りても、少しくキリストのために艱難を受くるの栄光に与りまする時に、世に所謂る教役者なる者に艱難のコイノーニヤを決して望んではならない事を悟るのであります。
 而してパウロも亦彼の時代に於て痛く此さびしみを感じたのであらふと思ひます、ガラテヤに於ける彼の教友、コリントに於ける彼の同志、彼等は彼より受くるを知つて彼を扶くる事を知らなかつたのであります、彼等の或者(彼等はコリントの教友でありました)は彼を評して曰ひました、
(226)  彼の書は重く且つ厳し、然れども彼と会する時は其|容《かたち》懦《よわ》くして其言は鄙《いや》し
と(哥後十の十)、実に失敬なる申分ではありません乎、故にパウロはコリントの信者よりは何の餽贈《おくりもの》をも受けなかつたのであります、此冷遇に対する彼の返答は左の言でありました、
  我れ三たび汝等に至らんとす、又汝等を累はせざらんとす(汝等の厄介にならざらんと欲す)、そは我れ汝等の所有《もの》を求めず汝等を求むれば也
と(哥後十二の十四)、此処にパウロとコリントに於ける信者との間に愛のコイノーニヤは無かつたのであります、パウロはコリント人を助けてコリント人はパウロを助けなかつたのであります。
 然しながらピリピの信者は全く之と違つて居つたのであります、彼等は始終パウロに同情を寄せ、彼の伝道を助け、彼と栄辱を共にし、彼より受て又彼に与へ、彼の心を以て彼等の心となし恒に彼と愛のコイノーニヤに於て在つたのであります、故にパウロの心も恒にピリピの信者に向つて開らき、彼は彼等より物を受けて少しも気遣はなかつたのであります、彼は彼等に書贈つて曰ひました、
  汝等も亦知るピリピ人よ、我れ福音を伝ふる始めに方りマケドニヤを去りし時、(物品の)授受《やりとり》をなして我を助けし者(我が事業に協力せし者)は唯汝等のみにして他の教会は此事なかりし事を、又我がテサロニケに在りし時、一度ならず二度までも人を遣はして我が乏しきを助けしを、我れ餽贈を求むるに非ず、唯汝等の益になる果の繁からんことを求むるなり
と(四章十五節以下)、聖書の示す所に由ればパウロと始終此親密の関係に於て在つた者はピリピの信者を除いては他に無つたのであります、腓立比書が愛情を以て溢るゝは敢て故なきに非ずであります、パウロの多くの労働(227)の中に、彼がピリピの信者の上に施したものほど此世よりして彼に報ゐられたものは無かつたのであります。
 腓立比書を通読して尚ほ私供の注意に止まりますことは其中にキリストの名が許多度《あまたたび》使はれてあることであります、私は其中に四十三回の多きイエスの聖名を算へました、或ひはキリストイエスと云ひ、或ひはイエスキリストと云ひ、或ひは主イエスキリストと云ひ、又は主なるイエスキリストと云ひ、或は単にキリストと云ひイエスと云ひ、主と云ひ、主イエスと云ひます、キリストイエスと云ひしが十一回、イエスキリストと云ひしが四回、主イエスキリストと云ひしが十七回であります、以て此書簡を認むるに方てパウロの心がキリストを以て満溢れて居つたことが分ります、パウロは何にも茲にキリストの名を繰返して異邦人の如く重複語《くりかへしごと》を言ふたのでありません(馬太伝六章七節)、彼はキリストに在りて生き又動き又在ることを得たからであります、キリストを離れて彼は何事をも語り得なかつたのであります、曾て哲学者スピノーザを評して「彼は神に酔ふたる人である」と言ふた人がありましたが、パウロは誠にキリストに浸つた人であつたのであります、而も盲信的にではありません、自覚的に浸つて居つたのであります、パウロとキリストとの関係は実に二人一体の関係でありました、パウロが書いて居るのであるか又はキリストがパウロを以て書いて居るのである乎、腓立比書を読んで二者孰れが其記者である乎、之を見分くるに苦しむのであります。
  キリストイエスの僕パウロとテモテ、ピリピに居る所のイエスキリストに在る所のすべての聖徒、及び監督執事等に書を送る、願くは汝等我等の父なる神及び主イエスキリストより恩寵と平康《やすき》を受けよ
 是れが発端の言辞であります、
  願くは我等の主イエスキリストの恩寵汝等すべての人と共にあらんことをアーメン
(228) 是れが終結の文字であります、キリストイエスよりの恩寵を祈つて始まり、彼よりの恩寵を祈つて終る、是れが腓立比書であります、キリストと其恩寵を述べ伝へし書簡であります。
 尚は此他にも此書に就て述ぶべきことは沢山にあります、其事は又他日を期して述ぷる事に致しませう。
 
(229)     希望の伴ふ死
                         大正元年9月10日
                         『聖者之研究』146号
                         署名なし
 
 余輩の信仰の友なる陸中花巻の斉藤宗二郎君は近頃君の令閨スエ子を失はれた、君が此事を余輩に通ぜし電報は左の如くであつた
  スエコイマイノリツツネムル
と、之に対する余輩の返電は次の如くであつた、
  ハレルヤ カミノミサカエイマヨリマタキミニヨリテアガラン ウゴクナと、二日を経て君より又電信があつた
  ソウシキイマスム オンチヨウカギリナシ
と、而して其後の君よりの書簡に由りて彼女の死も亦希望なき此世の人の死ではなくして、祈祷と讃美の中の旅立であつたことを知つた。
 繰返すまでもなく死は我等に取りても最大の苦痛である、我等は勿論死を歓迎しない、然れども死は我等に悲痛のみを以て臨まない、死は我等に取りては真暗黒ではない、其中に光明が混《まじ》つて居る、而して光明はやがて暗黒を駆逐し、比較的短時日の間に死の悲歎的半面は失せて希望的歓喜的半面は存るのである、死は我等に取りて(230)は癒す能はざる傷ではない、否な、我等に取りては死の悲痛は癒されて其傷の痕より甘き希望の露が滴りて我等の渇を癒すのである、我等の愛する者の死を思ふて我等の涕は流れて止まない、而かも是れ悲歎絶望哀哭の涕ではない、再会を楽しむ希望の涕である、我等は希望を有たざる者の如くに泣かない、我等が今流す処の涙は後の日に再会の時に流す歓喜の涕の先駆である。
 嗚呼、人は皆な一度は死なくてはならない、
  一度死ぬる事と死して審判を受くる事とは人に定まれる事なり
とある(希伯来書九章二十七節)、神も天然も公平である、死は貴賤貧富を問はずして来る、人は何人も裸体《はだか》にて来り裸体にて去る、人は死して土地をも家屋をも勲章をも勢力をも持て往くことは出来ない、彼の霊魂は唯其れ自身の価値を以て神の前に出でなければならない、此事を知りて人の此世に在りて、第一に求むべきものゝ何である乎が判明るのである、彼は死して彼と共に持往くことの出来るものを求むべきである、実に
  人若し全世界を獲るとも其霊魂を喪はゞ何の益あらんや
である、最も幸福なる人はキリストの福音に接するを得て希望の讃美を唱へながら天使の翼に乗せられて永への故郷《ふるさと》へと昇り往くことの出来る者である。
 
(231)     〔単独の勢力 他〕
                         大正元年10月10日
                         『聖書之研究』147号
                         署名なし
 
    単独の勢力
 
 団体、団体と云ふ、団体に入るにあらざれば善且つ大なる事を為す能はずと云ふ。
 果して然る乎、聖書は此事に関して何を教ふる乎。
 モーセは団体の人なりし乎、彼は独りメデアンの地に漂流し、其処に面と面を合《あは》してヱホバと談言《ものい》ひ、其命を齎らして民の間に下り、彼等を導きて約束の地に至りしにあらずや。
 エリヤは如何に、彼は所謂「預言者の中」の一人なりし乎、彼はギレアデの野人にして、王に嫌はれ、預言者等に疎まれ、「惟我れ一人存りてヱホバの預言者たり」と言ひて、独り立ちてバアル崇拝の迷信を排し、イスラエルの間にヱホバの聖名を復興せしにあらずや。
 アモスは如何に、彼は彼れ自身の言に循へば預言者(職業的)にあらず、亦預言者の子にもあらず、テコアの農夫にして桑の樹を作る者なりしと云ふ、而かも彼と同時代の人にして誰か能く彼の如くに聖教の純正を守りし者ありや、反て彼の教敵ベテルの祭司アマジヤこそ、純粋なる教会の人にてありしに非ずや。亜麼士書七章を見よ。
(232) ヱレミヤは如何に、彼は祭司の子なりしも、自身は祭司の職を執らず、常に貴族と教職の敵となり、政教両つながらの腐敗を唱へ、独りヱホバに代りて立ち、国家壊頽の時に方り、国は亡ぶるも亡びざるヱホバの契約を固守して死に至りしに非ずや。
 エゼキエルは如何に、ダニエルは如何に、ホゼヤは如何に、マラキは如何に、ギデオンは如何に、サムソンは如何に、然り、我等の主イエスキリストは如何に、彼は狐は穴あり、天空《そら》の烏は巣あり、然れど人の子は枕する所なしと言ひて彼の単独を示し給ひしにあらずや、実に聖書は団体の人に由て書かれし書にあらざるなり、聖書の記者と其主人公とは教会の人にあらずして神の人たりしなり、彼等は団体の勢力を借りて事を為せし人にあらず、預言者ゼカリヤの唱へしが如く、
  権力に依らず、能力に依らず、我が(神の)霊に依りて
至上者《いとたかきもの》の命に服せし者なり(撤加利亜書四章六節)、教会、教会と唱へて、団体の勢力に依りてのみ事を為さんと欲する者は聖書の構神を知らざる者なり、神の人は今日と雖も団体に頼まず独り神と交はり、其命に聴き、其能力を得て、独り立て書且つ大なる事を為すなり。
 
    自由の偉大
 
 偉大なるものは何ぞ、偉大なる人は誰ぞ?
 偉大なるものは自由である、偉大なる人は自由の戦士である、自由を人に供する事、其事が最大の事業である。
 英国政府の圧制を挫き米国人に自由を供せしジヨージ・ワシントンは偉大なる軍人であり又偉大なる政治家で(233)あつた。
 羅馬教会の束縛を断ち、欧洲人に信仰の自由を供せしマルチン・ルーテルは偉大なる宗教家であつた。
 ロツク、ヒユーム等に由て唱へられし知識論の誤謬を糺し、意志の自由を確認し、神と霊魂と来世との実在を弁明して祖父の信仰を擁護せしエムマヌエル・カントは偉大なる哲学者であつた。
 民に自由を供せずして、如何に幸多き物質的文明を供するも、政治家は偉大なる政治家でない。
 信者に荘麗なる儀式と円満なる神学とを供するも、信仰の自由を供せずして宗教家は偉大なる宗教家でない。
 学問は如何に博くあるとも、研究は如何に深くあるとも、意志の自由を明かにせざる学者は偉大なる学者でない。
 自由である、自由である、自由は人の生命である、願ふ、人として此世に生れ出し以上は、若し政治家とならば民に生活の自由を供し、宗教家とならば信仰の自由を供し、学者とならば意志と思想との自由を供せんことを。
 
    事業と信仰
 
 偉大なるは事業に非ず信仰なり、事業は疲労らしむ、信仰は休息《やす》ましむ、事業は高慢《たか》ぶらしむ信仰は謙下《へりくだ》らしむ、事業は人に迎へらる、信仰は神に悦ばる、信仰なくして神を悦ばすこと能はず、神が人に下し給ふ最大の恩賜は信仰に由て来る、平和と満足と、天国と永生とは信仰の報賞として賜はる、偉大なる哉信仰!
 
(234)    柿の教訓(若かき妻を喪ひて悲しむ若かき紳士に語りし所)
 
 汝青年にして苦しむ者よ、柿に就て学べよ、柿は善き教訓を汝に与へん。
 柿は青い間は渋い果物である、乍然、赤くなれば甘き事他に比類なき果物である、而して同じ柿の中でも、青い間に渋の多い者程、赤くなれば甘くなるのである、依て知る渋は甘味の素であることを、柿は渋くあるに非れば甘くなることが出来ないのである。
 人も亦其の通りである、人も亦其青年時代に於て苦しむにあらざれば大人となりて人生の味を充分に味ふことが出来ないのである、苦は楽の素である、神の恩恵が生涯の辛らき経験を糖化する時に人生の真の味は現はれて来るのである、苦痛の無い生涯は味の無い生涯である、従て意味の無い生涯である、我等は青年時代に苦しめられて人生の味の素を醸造《つく》りつゝあるのである、故に聖書は言ふ
  人若かき時に軛を負ふは善し
と(哀歌三章廿七節)、若かき時は二度は無いと云へば、人は若き時に充分に苦しむべきである、誤解の軛、虐待の軛、背棄の軛貧困の軛、失敗の軛、死別の軛、重き軛と云ふ軛を何れも担ふべきである、而して忍耐其果を結び、人に由らずして神に由りて自己に勝つを得て彼は貴むべき神の子の自由に入ることが出来るのである。秋の野を飾る赤き甘き柿を見よ、而して汝の今日の不幸不運に耐えよ。
 
(235)     義者と患難
                         大正元年10月10日
                         『聖書之研究』147号
                         署名 内村鑑三
 
   義者ほ患難多し
   然れどヱホバは皆な其中より救出し給ふ。
               (詩篇第三十四篇十九節)
 義者 此世の謂ゆる義人ではない、聖人又は忠臣又は愛国者と謂はるゝ者ではない、彼等は自身の修養と努力とに由て義人たるを得し者である、聖書に所謂義者は全く之と異なる、義者とは神と義しき関係に於て在る者である、即ち謙遜なる者である、心の砕けたる者である、霊の悔頽《くひくづほ》れたる者である(十八節)、信仰を以て神の恩恵に浴する者である、必しもこ高潔の士ではない 忠烈の臣ではない、人の眼に見ゆる義人ではない、神に義とせられたる者である、信者である、世の汚穢《あくた》又万の物の塵垢《ちり》の如き者である、然れども神に愛せられ、其眼の前に貴き者である。
 患難多し 患難は何人にもある、然し神に義とせられし者即ち信者に殊に多くある、信者に世の人の知らざる患難がある、悪魔の誘惑がある、骨肉の坂逆がある、人として彼に臨むすべての患難の外に、信者として彼に臨む種々《いろ/\》様々の患難がある、彼に在りては患難は単に患難として臨まない、悪魔の強き誘惑として臨む、彼は之に(236)依て神を疑はんとする、摂理を悪意的に解せんとする、信者に在りては患難は単に身の苦痛ではない、心の苦煩《くるしみ》である、彼に患難は多くして又其|苦痛《いたみ》は強くある。
 然れど 患難は患難として終らない、患難は信者の生涯の終極ではない、信者に患難多し、然れど、英語に But is a big word と云ふ諺がある、「然れど」は意味深長の詞であると、患難多し、然れど、夜は暗し然れど凌晨《しのゝめ》は近し、聖書を解釈するに方て「然れど」なる単語に深き注意を払ふを要す。
 ヱホバは 信者に患雑多し、「然れどヱホバは」、茲に救助者の顕はれ来るを見る、我が意志を以て之に勝つにあらず、他人の援助を仰ぎて之を除くにあらず、ヱホバに依頼《よりたの》む信者に臨む患難はヱホバ御自身之に打勝ち給ふと。
 皆な 「悉く」、「一つをも漏さず」、敵は一人も剰さず之を平らげ給ふ、患難は一つも漏さず之に打勝ち、之を恩恵の機関と化し給ふ、恩恵に無益なる者がないやうに、患難にも亦無益なる者がない、実に患難は恩恵である。
 集中より 患難に遭はしめて其中より。患難を避けしめ給はない、之に陥《おちいら》しめ給ふ、而して其中より救出し給ふ、患難をして充分に働らかしめ給ふ、火をして※[火+毀]尽す丈けを※[火+毀]尽さしめ給ふ、而して其中より救出し給ふ、患難を遅くるは之に勝つの途ではない、患難は之に当り、一たび其呑む所となりてのみ終に能く之に勝つ事が出来る、是れが真正の救済である、患難に遭ふて之に勝つの能力を供給せられ、而して再たぴ之に遭ふも之に呑まれざるに至る、是れが真正の救済である、死は死に由てのみ之を滅すことが出来る(ヘブライ書二の十四)、患難は患難の中を通らずして之に勝つことが出来ない、神は信者を患難の中より救出し給ふ、而して完全に彼を救ひ給ふ。
(237) 救出し給ふ 啻に救ひ給ふに止まらない、更らに進んで救出し給ふ、救出は救済の更らに切実なる者である。神は天の高きに在して啻に命令を下して下界の人類を救ひ給はない、自から地上に降り給ひて罪の束縛より彼等を釈放ち給ふ、救出は救者自身の出動を要する、人を患難の中に訪ひ、彼に同情し彼と協力して彼を其中より救ふ、是を称して救出と云ふ、而してヱホバは斯の如くにして信者を多くの患難の中より救ひ給ふのである、啻に救ひ給ふのではない、救出し給ふのである、我等の手を携り我等の足を支え、御自身を我等の境遇に置いて我等を患難の中より救出し給ふのである、救出は親が其子を救ふ時の救済法である、而してヱホパは此切実なる方法を以て信者を彼に臨む多くの患難の中より救ひ給ふとの事である。
 斯くて義者即ち神に義とせられし者は患雑多き此世に在りて安全なるのである、彼に多くの患難臨み、世は神に詛はれし者として彼を見んも、ヱホバは彼と偕に在まして御自身、彼を皆な其中より救出し給ふのである、
   ヱホバは彼がすべての骨を護り給ふ、
   其一つだに折らるゝことなし
とある(二十節)、ヱホパの施し給ふ救済は完全である、洵にパウロの言へるが如し、
  夫れ神は予じめ定めたる所の者は之を召き、召きたる者は之を義とし、義としたる者は之に栄を賜へり、然らば此等の事に就て我等何をか言はん、若し神我等を守り給はゞ誰か我等に敵せん乎、己の子を惜まずして我等すべての為に附せる者は、などか之に併《そへ》て万物をも我等に賜はざらん乎
と(ロマ書八の三十−卅一)。
 
(238)     基督者
                         大正元年10月10日
                         『聖書之研究』147号
                         署名なし
 
 余は基督者としては内村氏に非ず、日本人に非ず、亜細亜人種に非ず、此世の者に非ず、神の子なり、キリストの属なり、天国の民なり、基督者としての余は此世と肉とには何の干関《かゝはり》なき者なり。
 
(239)     自殺の可否
                         大正元年10月10日
                         『聖書之研究』147号
                         署名 内村鑑三
 
 聖書に自殺は禁じてない、故に或る場合に於ては之を行ふも可なりと言ふ者がある、洵に聖書に自殺は禁じてない、「汝、殺す勿れ」とはあるが「汝自から殺す勿れ」とはない、唯イスカリオテのユダが自殺した事を伝へて、自殺の美事でない事を示して居る(馬太伝廿七章五節、并に使徒行伝一章十八節を見よ)。
 聖書に自殺は禁じてない、同じやうに戦争も禁じてない、多妻も禁じてない、聖書が明白に文字を以て禁じてない事にして、今の人が見て以て悪事と做すものは決して尠くない。
 自殺にも勿論幾多の種類がある、人生を儚んでの自殺がある、死を以て生に優さるの義務と見做しての自殺がある、故に自殺はすべて不徳であると云ふことは出来ない、或る自殺は高潔である、武士道の立場より見て自殺は之を絶対的に非難することは出来ない。
 然しながら基督者《クリスチヤン》の立場より見て、余輩は自殺の必要なる場合を看出す事が出来ないのである 何にも聖書に自殺が訓誡として禁じて有る又無いの問題ではない、基督者の何たる乎を知て余輩は彼の自殺すべからざる者であることを識るのである。
 或る意味から云へば基督者《クリスチヤン》は既に自殺したる者である、
(240)  我れキリストと偕に十字架に釘けられたり、最早我れ生けるに非ず、キリスト我に在りて生けるなり
とある(ガラタヤ書二の廿)、又
  汝等は死にし者にて其生命はキリストと偕に神の中に蔵《かく》れ在るなり
とある(コロサイ書三の三)、基督者は既に肉に死し慾に死し、此世に死したる者である、彼は今は
  其身を神の聖旨に適ふ聖き活ける祭物《そなへもの》となして神に献
げんと欲する者である(ロマ書十二の一)、彼の身は今は己が有ではない、故に己が自由に之を処分することは出来ない、パウロは左の言を以て死生に対する基督者《クリスチヤン》の態度を明かにした、
  我等の中、己れのために生き、又己れのために死ぬる者なし、蓋、我等生くるも主のために生き、死ぬるも主のために死ぬればなり、此故に或ひは生くるも、或ひは死ぬるも我等は皆な主の有なり
と(ロマ書十四の七、八)。
 基督者は主の所有である、キリストの属である、故に彼は自から生きんと欲して生くる事は出来ない、又自から死なんと欲して死ぬることは出来ない、故に彼に取りては自殺は他殺と共に禁物である、同じく他人の属を殺すことである、「殺す勿れ」の誡は自他の差別なく適用すべき者である、其故如何となれば、他も我も同じく神の像に象《かたどら》れて造られ、我が有にあらずして神の有であるからである、我は自己を殺して勝手に他人(神)の有を害《そこの》ふのである。
 人世に矛盾がある、苦痛が多い、斯かる世に在りて我等が時に墓を思ひ死を欲《ねが》ふは免かれ難い事である、生は必しも求むべき者でない、死は必しも避くべき者でない、我等時に人の無情と世の冷酷と身の不幸とを想ひてヨ(241)ブの言を以て呟かざるを得ない、
   如何なれば艱難に居る者に光を賜ひ、
   心苦しむ者に生命を賜ふや、
   斯る者は死を望むなれども来らず、
   之を求むる事蔵れたる宝を堀るよりも甚し、
   若し墳墓《はか》を尋ねて獲ば
   彼は大に喜ぶなり、然り、躍り歓ぶなり、
   其道匿れ神に取籠られ居る人に
   如何なれば光を賜ふや、
と(約百記三章二十−廿三節)、死は時には慕ふべき者、優しき者である、而して斯る時に方て生を棄て死を撰むは決して難い事ではない、故にパウロはピリビ人に書贈つて言ふたのである、
  我に取りては生くるはキリストの為なり、死ぬるは益なり、然れど肉体に在りて生くること若し我が勤労《はたらき》の果《み》を結ぶ因となるべくば何を撰ぶべきか我れ之を知らず、我れ此二の間に介まれたり、我が願望は世を逝りてキリストと偕に在らん事なり、是れ最も優れたる事なり、然れど我が肉体に居るは汝等のために更らに必要なり、我れ深く此事を信ずるが故に生存へて汝等一同と共に世に在らんと欲す
と(ピリピ書一章廿一−廿五節)、パウロは死を望んだ、死は彼に取りては損ではなくして反て益であつた、彼の願望《ねがひ》は世を逝りてキリストと偕に在らんことであつた、「是れ最も優れたる事なり」と彼は言ふた、然し彼は死(242)なんとは為なかつた、彼は自から死してキリストの所へ往かんとは為なかつた、彼には此世に在りてまだ為すべき事があつた、彼に慰むべき友があつた、援くべき信仰の兄弟姉妹があつた、而して彼等に事ふるはキリストに事ふることであつた、自身の意志に従はん乎、彼は死にたく欲ふた、然しキリストの意志に従はん乎、彼は生存へて同胞のために尽さゞるを得なかつた、「我れ此二の間に介《はさま》れたり」と彼は言ふた、然し彼は死を断念して生を択んだ、生命が欲いからではない、之に伴ふ貴任が重いからである、彼は責任の軽重を量りて其重い方を択んだ、誠に彼に取りては死は易くして生は難くあつた、而して彼はキリストと同胞とのために難くして辛らき生を択んだ、「我れ深く此事を信ずるが故に生存へて汝等一同と共に世に在らんと欲す」と彼は言ふた。洵に我等は生を楽まんとて此世に送られたのではない、我等各自は或る特殊の任務を負はせられて之を果たさんがために此世に遣はされたのである、故に主が我等を召還し給ふまでは我より進んで此責任の地を去ることは出来ないのである。
 
(243)     ロマ書の大意
                         大正元年10月10日
                         『聖書之研究』147号
                         署名 内村鑑三
 
 ロマ書は解するに甚だ難い書であると一般に信じられて居ます、ロマ書は洵に解するに甚だ難い書であります、詩人コレリツヂは言ひました、ロマ書は曾て書かれたる書の中で最大の書であると、洵にロマ書を解し得る人は世界最大の書を解し得るのであります、ミルトンの『失楽園』ダンテの『神曲』共にロマ書ほど大なる書ではありません、ロマ書を解し得る者は基督教を解し得る者であります、基督教の生粋はロマ書に於てあります、ロマ書を我書として読み得るに至て我等は福音の奥義に達し得たのであります。
 ロマ書は斯くも偉大なる、斯く難解い書であります、然らば是れ普通の信者には到底解することの出来ない書である乎と云ふに、私は決して爾うは信じません、ロマ書の解し難い所以は其文字に於て在りません、其哲学に於て在りません、ロマ書はパウロがロマに於ける信者に書贈つた書翰であります、而して書翰は其受取人の解し得ない者でありやう筈はありません、而して又パウロ自身が文学者でもなければ亦哲学者でもなかつたのであります、パウロは伝道師でありました、而して伝道師として彼は普通の人に接し、彼等が善く解し得るやうにキリストの福音を伝へたのであります、彼れ自身が此書の中に言ひました、
  未だ聞かざる事を如何で信ずる事を得んや、未だ宣《のぶ》る者あらざるに如何で聞くことを得んや
(244)と(十章十四節)、聞かるゝのが伝道師の目的であります、而して解かられずして聞かれやう筈はありません、ロマ書の目的がロマに於ける信者の信仰を堅固《かたう》せんが為めでありました(一章十一節)、而して此目的を達せんと欲してパウロは成るべく解し易く此書を書いたに相違ありません、ロマ書は何れの方面より見ても解し難い書ではないと思ひます。
 故にロマ書の解し難い理由は文字以外、神学以外、何か他に無くてはなりません、而して其理由は之を知るに難くないのであります、ロマ書を解するの困難はパウロの信仰を解するの困難なるに由ります、パウロの信仰を解し自己を其立場に置いて見て、ロマ書は解するに至て容易《やす》い事と成るのであります。
 パウロの信仰如何は最も組織的にロマ書に於て現はれて居ります、然しロマ書に限りません、彼の手に成りし者として新約聖書に伝へられたる彼の書翰十三通の中に明かに示されて居ります、所謂「パウロ主義」なる者は一種特別の信仰であります、之を解し、之を握り、之を鑰《かぎ》としてロマ書に臨んで其難解と称せらるゝ奥義を探出すことは難くないと思ひます。
 ロマ書は十六章に渉る比較的長篇であります、之を大略左の如くに区分することが出来ます、
  緒言 第一章第一節より十七節まで。
  本論 第一章十八節より第十五章第十三節まで。
  用事並に挨拶 第十五章十四節より第十六章終りまで。
 緒言は此書の性質と目的とを示し、言辞は簡短でありますが、パウロの信仰は其中に溢れて居ります、始めの七節の如き、読みやうに由れば決して解するに難い言辞ではありません。
(245)  パウロ、イエスキリストの僕、聖召《めし》に由て使徒たる者、神の福音のために撰ばる、
  此福音は彼が聖書に於て其預言者等を以て預め誓ひ給へる者にして、其子に関する者なり、
  彼(子)は肉体に由ればダビデの裔より生れ、聖書の霊に由れば死より復活せし事に由りて権能ある神の子として表明されたり、
  即ち我等の主イエスキリストに関してなり、我等彼に由りて恩寵と使徒の職とを受けたり、是れ万国の民をして其名の故に信仰の服従に入らしめんため也、
  汝等も亦其中に在り、イエスキリストの属として召されたる者なり、
  ロマに在りてすべて神に愛せられ、召されて聖徒となりし者に此書翰を贈る、
  汝等に恩恵あれかし、我等の父なる神並に主イエスキリストより平康あれかし。
 此発端の言辞を解するに難い理由は、日本語の組織が欧羅巴語の組織と全く違うからであります、所謂関係代名詞(relative pronoun)なる者を欠く所の日本語を以てしては簡潔なる原文を紆説《とうまはし》に言ふより他に途が無いのであります、然しパウロの意味は之を解するに難くありません、彼は茲に書翰を認むるに方て当時の書翰文に傚ひ其発端に於て
  我れパウロ……ロマに在る兄弟に書を呈す
と言ふたのであります、然し信仰と愛心を以て充ち溢れたるパウロは其れ丈けでは満足が出来なかつたのであります、彼は先づ自己の何たる乎に就て述べたのであります、
  我れパウロ、我はイエスキリストの僕なり、自から択んでにあらず、神に召されて使徒となりし者なり、特(246)に預め福音宣伝のために選ばれたる者なり
と、而して斯くも自己を紹介するに方て、一言の福音に及ぶや、彼は其福音に就て一言せざるを得なかつたのであります、
  此福音は今姶まりし者に非ず、古き聖書に於て神が預め其預言者等を以て誓ひ給へる者なり、而して是れ(此福音は)其子に関する福音なり
と、而して斯くも福音を説明するに方て一言の神の子イエスキリストに及ぷや、彼は又其聖子に就て一言せざるを得なかつたのであります、
  其子は肉体に由ればダビデの裔として生れ、聖善なる事の本源なる聖霊に由れば死より復活せる事に由りて権能ある神の子として明かに世に示されたりと、而して自己と共に福音を紹介し、福音の主人公なる聖子を紹介して、パウロは前に戻りて聖子と自己との関係を述べて言ふたのであります、
  我れが「子」と称ひしは言ふまでもなく我等の主イエスキリストを指して称ひしなり、而して福音は彼に関する福音なり、我等は彼れ主イエスキリストより恩寵と使徒の職とを受けたり、イエスキリスト、彼が福音の主人公にして我が主人なり、
と、而して斯くもキリストと自己との関係を述ぶるに方て一言の使徒の職に及ぶや、彼は又其職に就て一言せざるを得なかつたのであります、
  使徒の職とは他なし、万国の民をしてイエスの名の故に信仰の服従に就かしめんための者なり、
(247) 而して一言の万国の民即ち異邦人に及ぶや、パウロはロマに在る信者の其一部分、而かも重要なる一部分なる事に就て一言せざるを得なかつたのであります、
  我れ万国の民(異邦人)と言へり、両して汝等も亦其中に含まるゝ者なり、今や召されてキリストに属する者と成りし者なり
と、而して茲に自己と福音とキリストと使徒の職との紹介を終り、書翰の宛名なるロマに於ける信者に及んだのであります、乍然、多血多情なるパウロは啻に「ロマに於ける信者に書を贈る」と云ふては物足りなく感じたのであります、故に彼は自己に就て陳べしやうに彼等に就て述べたのであります、
  ロマに在りてすべて神に愛せられ、召されて聖徒となりし者
と、言辞は甚だ簡短であります、然し尊敬と祝福とに富める言辞であります、パウロは自己に就てはキリストの僕、恩寵に由り使徒の職を授けられし者なりと言ひました、然しロマの信者を称ぷに方ては神に愛せられ、召されて聖徒となりし者なりと言ひました、
  僕パウロ、ロマの聖徒に書を贈る
と云ふたのであります、乍然、僕たるも自から好んで僕たりしにあらず、神に召されてなり、聖徒たるも自己の修養の結果聖徒たりしにあらず、神に愛せられ其召を蒙りてなりと、パウロがコリント前書其他の書翰に於て
  神の聖意に由り召されて使徒となりしパウロ
と言ひし「神の聖意に由り」との彼の確信は自己に関しても他人に関しても動かなかつたのであります、而して此確信はロマ書全体を通うして動かないのであります、
(248)  神の聖意に由り
 若し世に「パウロ神学」なる者があると致しますれば、此信仰の上に築かれたる者であります、自己の救はるゝのも、他人の救はるゝのも、国民の救はるゝのも、人類の救はるゝのも皆な悉く「神の聖意に由る」のであります、ロマ書が論ずる所の信者の義とせらるゝ事、潔めらるゝ事 栄に入る事は、すべて神の聖意に基くのであります、此事を深く心に留めずしてパウロは解りません、
  Annihilation of self and exaltation of God.
  自己を無にして栄光《さかえ》を神に帰する事
是れがパウロ主義であります、此主義の上に立て見てロマ書は解するに大分容易き書となるのであります。
 緒言の終りに「恩恵あれかし平康あれかし」との祈願を添へました、恩恵の何たる乎はロマ書の特に述べんと欲する所であります、而して平康を祈るに方てパウロは之を神とキリストとより祈求《もと》めたのであります、茲に既にパウロのキリスト観が暗示されてあります、平康は父なる神より来る者、又主なるイエスキリストより来る者として記されてあります、パウロに取りては神とキリストとは同等の者であります。
 私はロマ書の大意を述べんとするに方て其発端の言に対して註解らしき者を加へました、是れ何にも註解を以て略説に代へんと欲するからではありません、ロマ書の精神と文体とが既に明かに其中に示されてあるからであります、パウロ主義と言へば甚だ困難いやうでありますが、然し至て簡短明瞭なる者であります、而してパウロの文体は或る時は甚だ煩褥《くだ/”\》しく感ぜられますが、然し是れ又秩序あり、規律正だしき者であります、
   パウロ、神の福音のために撰ばれたる者、
(249)   此福音は神の子に関する事なり、
   此子はダビデの裔《すえ》にして又神の子なり、
   我は彼より使徒の職を受けたる者なり、
   使徒の職は汝等異邦人をして信仰の道に入らしめんがための者なり、
 前の一言を受けて之を後に説明す、或ひは後に縷述せんと欲する事を予め前に暗示す、恰かも春に就て語るに先だち梅花を示して百花を予想せしむるの類であります、パウロの立論は常に此順序に従ひます、此事を心に留めて彼の文書を解することは更らに容易くなるのであります。
 緒言即ち始めの挨拶は一章十七節を以て終ります、パウロは述べて言ひました、
  神の義は此福音に顕はれて信仰より信仰に至れり、録《しる》して義人は信仰に由りて生くべしと有るが如し
と、是れが緒言の終りであります、而して又此後に来る議論の題目であります、パウロは茲に旧約聖書哈巴谷書二章四節より此言を引いて巧に緒言に終結を告げて新たなる議論に取掛るのであります、而かも少しも其事を明示することなく、識らぬ振りして新たなる論題に入るのであります、然し私供は彼を見逃してはなりません、私供は既に彼の論法を探り当ました、彼は斯くの如くにして読者を賺し、後に至て彼等を驚かすのであります、第十八節に於て彼は言ひます、
  夫れ神の怒は不義をもて真理を抑ふる人々の不虔不義に向ひて天より顕はる、
と、此と彼とは何の関係も無いやうに見えます、然し実は大に有るのであります、第四章の終りに至てパウロは自己の真性を現はして、彼は人は信仰に由て義とせらるゝ事に就て語つて居つた事を告白するのであります。
(250) ロマ書の問題は人類の救済であります、人は如何にして救はるゝ乎、救ひとは何ぞや、其事に就て最も深刻に論じたのが此書であります。
 
(251)     新約聖書の組成
         (暗誦すべき事)
                         大正元年10月10日
                         『聖書之研究』147号
                         署名なし
 
 新約聖書は二十七書より成る。
  二十七は神の数なる三の三乗である(3×3×3=27) 三位の神の名を三度唱へたる数である、「聖なる哉聖なる哉聖なる哉万軍のヱホパ」とあるに合ふ(イザヤ書六章三節)。
 二十七書の中、十三書がパウロの書翰である、残りの十四書がパウロ以外の記者に由て記かれたる文書である、依て知る新約聖書の殆ど半分はパウロの筆(又は口授)に成るものなる事を。
 聖書に在りては三は天の数であつて四は地の数である、而して三と四とを合したる七は完全の数である、パウロの十三書翰を左の如くに区別する事が出来る、
  四大書翰。ロマ書、コリント前書、コリント後書、ガラタヤ書。
  獄中書簡三通。エペソ書、ピリピ書、コロサイ書。
  牧会書簡三通。テモテ前書、仝後書、テトス書。
  伝道書簡二通。テサロニケ前書、仝後書。
(252)  紹介状一通。ピレモン書。
  4+3+3+3(2+1)=13
 パウロの書翰以外に十四書がある、即ち完全の数の二倍である、(7×2=14)。
 其中公会書翰と称せらるゝ者が七通ある、左の如し。
  ヤコプ書、ペテロ前書、仝後書、ヨハネ第一書、仝第二書、仝第三書、ユダ書。
 之を公会書翰と称するはロマ書、ガラタヤ書等の如く或る特別の教会に宛て贈られたる者にあらずして、是等の書翰は全体の教会に宛て贈られたる者であるからである。
 公会書翰を除きて他に長篇の七書がある、左の如し、
  マタイ伝、マカ伝、ルカ伝、ヨハネ伝、使徒行伝、ヒブライ書、黙示録。 更らに概括すれば左の如し、
  新約聖書=二十七書(3×3×3)
    其内
  バウロの書翰=十三通(4+3+3+3)
  其他=十四書(7×2)
    其内
   公会書翰=七通
   其他(長篇)=七書
(253) 四福音書あり、パウロの四大書翰あり、獄中書翰三通、牧会書翰三通、公会書翰七通あり、凡てが三と四との数より成るに注意せよ。
 
(254)     万物悉く可なり
                         大正元年10月10日
                         『聖書之研究』147号
                         署名なし
 
   年は春なり、
   日は朝なり、
   朝は七時なり、
   山側は霧に輝き、
   雲雀は空に舞ひ、
   蛸牛は叢林《くさむら》に戯る、
   神は天に在り、
   此世の万物可なり、
         (ロバート・プラウニング)
 
(255)     ヤソの流行
                         大正元年10月10日
                         『聖書之研究』147号
                         署名 柏木生
 
 近頃我家は税吏の見舞を受けた、恰度其時家族の者は悉く出払つて、我家に長く忠実に務めし下婢が一人留守をして居つた、スルと税吏は例の荒らかなる調子を以て彼の女に向つて曰ふた、
  全体此家の職業は何んである乎
と、下婢は静かに答へて日ふた、
  基督教の伝道であります、
と、税吏は更らに言辞を継けて曰ふた、
  爾うか、ヤソか、近頃はヤソは大分流行るさうだから沢山収入が有るだらふ、
と、下婢は其決して然らざるを述べた、基督教の伝道の決して有利的事業にあらざる理由を述べた、之を聞いたる税吏先生は敢て誅求することなく、渋々として我家を去つた。
 然し彼れ税吏の一言は強く我等の心に響いた、
  近頃は大分ヤソは流行るから
と、実に爾うである乎と、我等は自分に問ふた、而して実に爾うであると、自分で自分に答へざるを得なかつた、(256)有繋《さすが》に日本人も今や宗教を求めざるを得ざるに至つた、戦争には勝ち、生産力は増し、世界の第一等国の中に算へらるゝに至て、日本に未だ一つ大切なる者の欠けて居ることを日本人は感ぜざるを得ざるに至つた、曰く信仰、曰く安心、曰く温かき家庭、曰く潔き社会と、彼等は今は叫ばざるを得ざるに至つた、然し何処に之を得ん乎、旧き儒教に於て乎、疑はし、復活せる仏教に於て乎、未だ試みられず、武士道は? 軍人には善し、然れども農工商の平民には適せず、然らば何に由てか心の空虚を充さむ、何に由てか生涯の寂寥を癒さん、何に由てか平和を得ん、何に由てか家庭を潔めん、何に由てか確実なる希望を永遠の未来に繋ぐを得ん、嗚呼ヤソを試みんかな、ヤソを探らんかな、ヤソは西洋の宗教なりと聞いて、今日まで西洋の制度文物は悉く之を採用せしも、其宗教丈けは之を蛇蝎視して斥けたり、然れども今は其宗教をも試みんかなとは今や日本人の多数の声となつた、我国に於ける今日のヤソの流行は邦人の霊魂の切なる要求に基くのである、日本人もまた人間である、而して人間である以上は霊魂の要求を充たさずしては居られない、人の霊魂は憲法や議会や殖産や工業や国威や領土を以て充たすことの出来る者ではない、霊魂を養ふには霊魂の食物が要る、人類の永久の叫号《さけび》は古き詩人のそれである、
   鹿の渓水を慕ひ喘ぐが如く、
   我が霊魂は汝を慕ひ喘ぐなり、
   我が霊魂は渇ける如くに神を慕ふ、
   活ける神をぞ慕ふ、
と(詩篇四十二篇一、二節)、是れ人類の叫号の声である、而して日本人とても遅かれ早かれ此声を発せざるを得ないのである、而して彼等は今や彼等の心の中に大なる寂寥を感じ、人知れず此声を発するに至つたのである、(257)我草は之れ、がために荏弱《よわき》を以て彼等を責めない、彼等は今や人生の真面目に還りつゝあるのである、平安と満足とを物質的文明に求めて得ず、国威伸張に求めて得ず、国粋保存に求めて得ず、終に之を霊魂の父に求むるに至つたのである、
  我等に父を示せよ、然らば足れり
と(ヨハネ伝十四章八節)、人として其の真性に立還つて此声を発せざる者は無い、我等何人も父を要求するのである、人は我を棄つるとも永久に我を棄てざる我父を要求するのである、独り死の河を渡る時に我を導きて河の彼方に到る霊魂の侶伴を要求するのである、而して人類の此切なる要求に応じて尚は余りある者は「ヤソ」を除いて他に無いのである。
 言ふまでもなく基督教は西洋の宗教ではない、若し其起源の地を以て称するならば基督教は仏教と同じく亜細亜の宗教であつて東洋の宗教である、然しながら霊魂の父を紹介する基督教に東洋西洋の区別は無いのである、人種も国家も肉体に関する事である、霊魂に西洋もなければ欧米もない、霊魂はコスモポリタン(世界を一家と見る者)である、然り、ユニバーサリスト(宇宙を居住の所と定むる者)である、欧米が基督教を呑んだのではない、基督教が欧米を呑んだのである、キリストの福音の同化する所となりて欧米人は稍々人間らしき者となつたのである、キリストの福音は日光の如き、空気の如き者である、何人が之を利用(善意に解す)しても可いのである、而して之を利用せずして個人も国家も深き高き博き潔き生命に入ることが出来ないのである、何にも東洋西洋の問題ではない、霊魂の問題である、故に世界の問題である、宇宙の問題である、永遠の問題である、キリストは自己を称して「人の子」と云ひ給ふた、全人類の友であるとの謂である、故に我等日本人は「人の子」を欧米人(258)にのみ譲つてはならない、我等も亦進んで其恩寵友誼に与らなくてはならない、「人の子」は之を亦日本の有とも為すことが出来る、全人類の有を西洋人にのみ委ねて我は其の利益に与からずと言ふは愚の極であると言はざるを得ない。
 若し強いて西洋が嫌であると云ふならば、何にも必しも西洋人に関はるに及ばない、我等は西洋人に頼らずしてキリストの福音を信じ其恩恵に与ることが出来る、基督教の神は特別に西洋人の神ではない、使徒パウロは言ふた、
  神は惟りユダヤ人のみの神なる乎、又異邦人の神ならずや、然り、又異邦人の神なり、
と(ロマ書三の廿九)、我等は少しく語を替へて言ふことが出来る、
  神は惟り西洋人のみの神なる乎、又東洋人の神ならずや、然り又東洋人の神なり、
と、我等は神を我等の父として仰がんと欲して何にも西洋人に阿《こ》び従ふに及ばない、我等は我等の父に行かんと欲するのである、他人の父に行かんとするのではない、我等は何の憚る所なく、我等の父の恩寵の懐に入るべきである。
 「ヤソは流行る」と、我等は此事を聞て我国人のためには喜ぶと雖も我等自身のためには喜ばない、流行らないヤソを今日まで信じ来りしことは我等に取り大なる幸福であつた、
  禍ひなる哉|衆人《すべてのひと》汝に就て善く語る時は、
とイエスは教へて言ふた(ルカ伝六章廿六節)、我等の信仰の「流行る」時は我等の最も禍ひなる時である、世に(259)迎へらるゝ我等は神より離るゝの危険が有るのである、世に迎へらるゝ時に多くの偽善者が我等の許に集ひ来るの危険がある、世に迎へられて「ヤソ」は甚だ腐り易くある、仏教は斯の如くにして我国に於て腐つた、儒教は斯の如くにして支那朝鮮に於て腐つた、基督教は斯の如くにして欧米諸国に於て腐つた、基督教のためを思ふて流行らないに若くはない、我等の自身のためを思ふて、我等は今日までの如く此世の忠臣愛国者等に何時までも蛇蝎視せられんことを望む、然し止むを得ない、我等のためのみの福音ではない、万民のための福音である、若し其「流行」に由て一人なりと多くの人が父の愛を知るに至るならば我等は喜ばざるを得ない、故に我等は「ヤソの流行」を聞いて用心の臍《ほそ》を固めて進むであらふ、而して  時を得るも時を得ざるも励みて道を宣伝ふる
であらふ(テモテ後書四章二節)、税吏の口より、
  近頃ヤソは大に流行る、
と聞いて万感交々起て我胸に迫るを覚ゆ、兎にも角にも日本国も亦一度は基督教国と成るであらふ、然し、之に多くの危険の伴ふは我等が今より覚悟して置くべき事である。
 
(260)     明治と大正
                         大正元年10月10日
                         『聖書之研究』147号
                         署名なし
 
 明治の後に大正が来た、是れ当然の順序である。
 明治、之を釈《と》けば文明の治世である、而して我国の場合に放ては文明は泰西の文明であつた、主として其物質的文明であつた、物質的に日本を欧化することが明治の事業であつた、而して日本は著しく其事業に於て成功した。 然し物質的文明丈けでは国は立たない、、殖産と工業と、軍備と法律との下には強き道義が無くてはならない、大正、之を釈けば大なる正義である、而して明治の後に来りし大正の時代に於て日本人は正義の建設に従事すべきである、日本国が此新たなる時代に於て要求する人物は伊藤博文公のやうなる大なる政治家又は古河市兵衛氏のやうなる大なる工業家ではない、ルーテルのやうなる大なる信仰家、カントのやうなる大なる倫理学者である、日本人は大正年間に於て宗教的并に道徳的に偉大たるべきである、英国に於てエリザベス女王の開明時代の後にミルトン、パンヤン等の清党時代の来りしやうに、日本に於ても明治の開明時代の後に大正の大義時代が来るべきである。
 
(261)     〔神の日本国 他〕
                         大正元年11月10日
                         『聖書之研究』148号
                         署名なし
 
    神の日本国
 
 日本国は神の所有《もの》なり、神は今や日本国を自己の所有として要求し給ふ、日本国は日本人の所有に非ず、勿論其政府又は貴族の所有に非ず、日本国は宇宙万物を造り給ひし神の所有なり、日本国は自己に関はる神の所有権を自覚して始めて独り堅く立つを得べし、日本国の覚醒は其造主の識認を以て始まらざるべからず。
 
    人の欠乏
 
 今日の日本に政治家あり、然れども人あるなし、実業家あり、然れども人あるなし、教育家あり、然れども人あるなし、学者あり、然れども人あるなし、芸術家あり、然れども人あるなし、すべての人物と才能とあり、然れども神と交はり永遠に生き、隣人を愛し真理を喜ぶ神の子たるの資格を供へたる人あるなし、日本国の大欠乏は人なり、其大危険は此欠乏なり、我等は今や日本国に人の起らんことを祈らざるべからず。
 
(262)    我等の倚頼
 
 我等は神に倚頼《たよ》る、政府に倚頼らず、我等は神に倚頼る、教会に倚頼らず、我等は神に倚頼る、監督、牧師、宣教師等教会の役人に倚頼らず、我等は神に倚頼る、人と制度とに倚頼らず、我等は神に倚頼る、故に人の面を懼れず、我等は神に倚頼る、故に政府は仆れ、教会は壊《くづ》れ、政権教権 悉く消え失するも我等の心は動かざるべし。
 
    勝利の途
 
 自から進んで神の聖業を援けまつるを要せず、退て静かに彼の命令の降るを待つべし、神は宇宙第一の名将なり、彼の作戦計画に一の違算あるなし、彼は時を定め、機会を作り、我等をして之に応じて戦はしめ給ふ、我等は唯我等に配附せられし武器の銹ざらんことを努むべし、火薬の湿らざらんことに注意すべし、而して神命一たぴ下るや直に出て陣頭に立つべし、其時我等の鉾を以てして破る能はざるの敵あるなし、勝利は勝利に次で我等に臨るべし、其時我等の五人は百人を逐ひ、我等の百人は万人を逐ふべし、(利未記二十六章八節)、実《まこと》に使徒ヨハネの言の如し、曰く、
  誰か能く世に勝たん、我等をして世に勝たしむる者は我等の信なり
と(ヨハネ第一書五章四節)。
 
(263)    個人の救済
 
 一人の霊魂を救ふを得て然る後に教会を建つるを得べし、社会を改むるを得べし、国家を済ふを得べし、個人は教会の根柢にして国家の基礎なり、神は教会に宿る前に先づ個人の霊魂に宿り給ふ、国家に臨む前に先づ個人の霊魂に臨み給ふ、個人なる哉、個人なる哉、個人を以て始まらざる事業にして偉大なる事業あるなし、一人の少女を其霊魂の奥深き所に於て動かすの力こそ軈て社会を其根柢より改め、国家人類を其本源より聖むるの力なれ。
 
    聖書を教へよ
 
 聖書を教へよ、聖書を学べよ、聖書を教へて独立の信者を作ることが出来る、聖書を学びて教会は仆るゝも独り立て倒れざる固き信仰を養ふことが出来る、聖書は信仰の根本である、其生命である、聖書を中心とせざる宗教的事業は何時《なんどき》壊《くづ》るゝ乎知り難い者である、聖書と親しみて信者は神を離れんとするも能はない、深く根柢を聖書の中に据えて、雨降り、大水出で、風吹きて其家を撞《う》てども彼の信仰は仆れない。
 教会を以て信者を繋がんとするも益なし、教師の人格も亦以て彼の信仰を永久に維持する能はず、聖書を教へよ、神の言辞なる聖書を教へよ。
 
    三位の神
 
(264) 神は一位なりと云ひ、或ひは三位なりと云ふは是れ煩瑣哲学の無益の問題ではない、是れ信仰上重大なる実際的問題である、神は一位なりと言ふ者は主として神を自己以外に求め、宇宙の造主、万物の主宰、摂理の神として彼を拝する者である、之れに対して神は三位なりと言ふ者は彼を己が衷に認め、霊魂の贖主、其|聖潔者《きよめて》、聖霊の神として彼を拝する者である、神は三位なりと信じて
  神は其生み給へる独子を与へ給ふ程世の人を愛し給へり
と云ふ其深き神の愛を覚ることが出来る(約翰伝三章十六節)、又神は三位なりと識りて
  我等は祈るべき所を知らず、然れども聖霊自から言ひ難きの慨歎《なげき》を以て我等のために祈る
と云ふ其厚き神の同情を推量ることが出来る(羅馬書八章廿六節)、神は三位なりと云ふは思弁的には解するに甚だ難い事である、乍然、信仰的には是非共爾うなくてはならない事である、神は一位なりとは哲学者の結論である、然れども神は三位なりとは信者の実験である、而して余輩は論理よりも実験を貴ぶが故に神は三位であると信ずる者である。
 
    自殺の非認
 
 自殺は不可なり、断然不可なり、基督者の立場より見て自殺は如何なる場合に於ても之を是認する能はず、聖書に自殺を禁ずる明言なしとせん、然れども聖書の全体の精神は自殺に反対す、縦し全国民は起て自殺を称揚することあるも、我等は聖書に拠り断然之を非認す。
 
(265)    自殺を禁ずる聖書の言
 
 聖書に自殺を非認するの言なしと云ふ、然り、在り、左の如し、
  汝等は神の殿《みや》にして神の霊汝等の中に在《いま》すことを知らざる乎、人もし神の殿を毀たば神、彼を毀たん、そは神の殿は聖きものなれば也、此殿は即ち汝等なり
と(コリント前書三章十六、十七節)、自殺を禁ずるの言にして之に優さりて明白なるは無し。
 
(266)    変らざるキリスト
                         大正元年11月10日
                         『聖書之研究』148号
                         署名 内村鑑三
 
 イエスキリストは昨日も今日も永遠までも変らざる也と(希伯来書十三章八節)、実に其通りである、世に永遠までも変らざる人とては唯イエスキリスト一人あるのみである。ナポレオンも一時は神の如き人として誉め囃された、然し、彼は今は大山師として世に知られて居る、ヂスレエルやビスマークが人類の大恩人として尊まれし時代もあつた、人の評判は唯暫時である、昨日の善人は今日の悪人である、昨年の偉人は今年の凡人である、世に変らざる人とてはない、然り、唯一人ある、イエスキリスト其人である。
 曾ては二宮尊徳が政府の威力を以て日本国の大聖人として世に紹介された、一年を経ざるに報徳宗なる者が我国に起つた、世は挙つて之を迎へた、基督教の教師にして報徳宗の宣教師に化した者さへあつた、尊徳翁に関する著書とあれば其何たるを問はず盛んに売れた、津々浦々に至るまで報徳教会は起された、日本国は翕然《きふぜん》として報徳宗に走つた、茲に日本人に由て起されし新宗教が日本国を其根柢より改めんとする乎の如き観があつた、其時に方て我等キリストの福音を唱ふる者の如きは顔色が無かつた、聴衆は悉く我等を去て尊徳翁に走つた、日本人は其内務省を以て言ふた、我等に二宮尊徳あり、我等は外来のキリストを要せずと。
 然れども今は如何、内閣の変りしと同時に二宮尊徳は廃れた、今や二宮文学は書店の持余す所となつた、報徳(267)宗の宣教師は其声を潜めた、今や其勢力は前の如くに僅かに駿遠地方に限らるるに至つた、二宮崇拝の盛大は三年を経ずして止んだ、尊徳翁も亦昨日あつて今日なき者である、彼の人望も亦董花一朝の栄《はえ》であつた。
 報徳宗の後に起つた者が三教合同であつた、茲に日本国に於て孔雀と鶴と鸚鵡との羽が綴合《つぎあ》はされて新たに麗鳥が世に現はれし乎の如き観があつた、其時に方て我等キリストの福音に縋る者の如きは狭隘の故を以て嗤はれた、耶に非ず仏に非ず神道の固陋を破て世界に向て膨脹せし者、是れが政治家の手腕に由て日本人に提供せられし新宗教であつた。
 然れども其運命は如何、一年後の今日、何人が三教合同を口にする乎、三教合同は一時の遊戯に過ぎなかつた、麗鳥と思はれしは実は怪鳥であつた、鵺族の一種であつた、蜉蝣の如き者であつた、今日生れて今日消えて了つた。
 久しく崇拝物の欠乏に苦みし日本人は今又之を乃木大将夫妻に於て発見した、彼等を人と思ひしは誤謬、彼等は人として生れし神であると彼等は言ふ、彼等は又言ふ乃木大将夫妻の自殺はキリストの十字架上の死にも此ぶべきものであると。
 余輩と雖も勿論大将夫妻に対して深き同情を表する、武士道の立場より見て彼等は確に偉大なる人物である、然しながら問題は乃木大将夫妻が永く日本人の宗教的敬崇を繋ぎ得るや否やである、過去の実例に照らして見て彼等も亦三年を出ずして彼等の同胞に忘れらるゝのではあるまい乎、乃木大将夫妻も亦昨日あり、今日あり、又永遠ある者であるとは思はれない、所謂乃木崇拝なる者の冷却《さめ》る時は遠からずして来る、変り易き大和民族は其崇拝物を換ふるに速かである、彼等は三年を出ずして乃木大将を忘れて他に彼等の崇拝物を探るであらふ、余輩(268)は今日此事を予言するに躊躇しない。
 然るに変遷恒ならざる此世に在て唯一人変らない人が在る、イエスキリストは、然り、彼れのみ、昨日も今日も永遠までも変らざる也である、而して此人は始めより人望を博する人ではない 彼が始めて世に現はるゝや、時の政府と教会とは相共に謀つて彼を十字架に礫《つ》けた、而して其の後と雖も、彼の名の始めて唱へらるゝや、社会として又国家として之を嫌悪せざるはない、日本国の如きも此例に漏ない、「ヤソ」の名は久しき間日本国の禁物であつた、西洋の文物とあれば悉く之を受けし日本人は「ヤソ」のみは断然之を斥けた、彼等は「ヤソ」を除きたる西洋文明を要求した、西洋文明を其儘採用せし日本人は「ヤソ」のみは自国の産を以て之に代へんと試みた、彼等は二宮尊徳を試みた、新宗教を作りて基督教に代らしめんとした、而して今や又乃木大将の殉死を以てキリストの十字架上の死に代へんとして居る、然かも如何せん、人は自から己れの崇拝物を作ることは出来ない、天より賜はりたる宗教にあらざれば宗教の用を為さない、大政府の威力を以てするも新たに宗教を作ることは出来ない、人は如何に偉大なる人と雖も神の代理を務むることは出来ない、茲に於てか日本人も亦嫌々ながらもイエスキリストを主として仰がざるを得ないのである、彼に於てのみ真正の救拯はあるのである、
  此ほか別に救拯あることなし、そは我等が依て救はるべき名を之を除て他に天が下に人の中に未だ曾て賜はざれば也、
との使徒ペテロの言は今日も猶ほ動かすべからざる真理である(行伝四章十二節)。
 イエスキリストの名は二宮尊徳のそれの如くに三年を出ずして人に忘れられない、イエスキリストの名は始めは嫌らはれて後に尊ばれる、
(269)   義者の途は旭日の如し、
   愈々|光輝《かゞやき》を増して昼の正午《まなか》に至る
とは実に彼に就ての言である(箴言四章十八節) 天地の秋に遭ふて此世の仁者又は智者、又は聖賢又は忠臣烈婦が悉く忘れ去らるゝ時に、イエスキリストの名のみは
  愈々光輝を増して昼の正午に至る
のである、然らば我等誰にか頼らん、誰をか信ぜん、我等は咋日ありて今日あらざる此世の聖賢君子に頼るまい、彼等を信じまい、
  視よ我れ躓石《つまづくいし》また礙磐《さまたぐるいは》をシオンに置かん、凡て之を信ずる者は辱しめられじ
と聖書に録してある(羅馬書九章卅三節)、イエスは彼を信ぜざる国民に取りては躓石又は礙磐である、然れども信ずる我等に取りては屋《いへ》の隅の首石《をやいし》である、彼を信じて我等は年を経て失望に沈むの虞がない、
   時代の敗壊の中に卓立する
   主の十字架を以て我は誇る、
 転々として遷り行く此世の中に在りて我等は永遠までも変らざるイエスキリストに倚頼るのである。
 
(270)     艦隊として見たる新約聖書
         (札幌講演の一節)
                         大正元年11月10日
                         『聖書之研究』148号
                         署名なし
 
 新約聖書は之を一個の艦隊として見ることが出来る、其中に戦闘艦がある、巡洋艦がある、駆逐艦がある、水雷艇がある、之を統一して敵に当り、彼を殺すにあらずして、キリストの愛を以て彼を虜にし、以て永久に彼を活かすことが出来る。
 戦闘艦は四福音書である、使徒行伝である、黙示録である、是等の六艘が聖書艦隊の中堅である、其中約翰伝が旗艦であらふ、キリストは之に坐乗して全艦隊を指揮し給ふのであらふ、而して我等は彼の側《かたはら》に侍りて艦隊の統率を輔佐けまつるであらふ。
 戦闘艦を囲繞して巡洋艦がある、其大なる者が羅馬書である、哥林多前書と後書とである、加拉太書である、希伯来書である、以上を称して新約聖書の第一等巡洋艦と云ふことが出来やう 其噸数は多くして速力は大である、堅牢無比の攻撃的武器である。
 之に次いで第二等巡洋艦と称すべき者がある、それは以弗所書である、腓立比書である、哥羅西書である、而して艦種を別にして雅各書がある、彼得前書と後書とがある、殊に約翰第一書の如きは噸数に於ては劣ると雖も(271)実力に於ては戦闘艦にも等しき戦闘力を有する者である、攻撃并に防禦の特別任務に就かんがために各艦其設備に於て欠くる所がない。
 駆逐艦としてはテサロニカ前書と後書とがある テモテ前書と後書とがある、テトス書がある、或ひは之を海防艦として用ゐる事が出来る、浅瀬を乗廻し、小艇を駆逐するには届竟の武器である。
 最後に小艇隊がある、ピレモン書、ヨハネ第二書と第三書、并にユダ書より成る、取るに足らざるが如き軽舟なりと雖も、巧に之を運用すれば又以て敵の全艦隊をも撃沈することが出来る。
 実に此世の罪悪と不信と戦ふに方ては新約艦隊は有効無比の武器である、我等は之に由て
  国々を服し、義を行ひ、約束の物を得、獅の口を箝《つぐ》み、火の勢を滅《け》し、剣《やいば》の刃を避れ、弱きよりして強くせられ、戦争に於て勇ましく、異邦人の陣を退ぞかすることが出来る(希伯来書十一章三十三、三十四節)、新約艦隊を適宜に利用して征服し得ない敵は無いと思ふ、若し敵にして保守主義の道徳一点張りの人ならん乎、我等は先づ彼に向つて馬太伝と雅各書とを遣《おく》り、旧思想の充実者としてイエスキリストを紹介し、然る後に羅馬書と加拉太書とを放つて、彼の頑強を挫き、彼をして終に謙遜の主なるイエスの前に彼の全霊全生全身を献げしむべきである、若し敵にして権能を重んずる政治趣味の人ならん乎、我等は彼に向けて先づ馬可伝を遣り権能の把持者なる神の子を紹介し、然る後に又羅馬書を遣り彼の良心を突撃し、終に彼を神の愛の捕虜となして恩恵の主なるイエスキリストの前に携来《つれきた》るべきである、若し敵にして文学趣味の人ならん乎、或ひは心優さしくして慈恵を慕ふ人ならん乎、路加伝こそ彼をしてキリストに降参せしむるための屈竟の軍使である、其他敵に循《よ》り、彼れ相応の艦種を撰み、或ひは攻め、或ひは説ひて、彼を救(272)ふに難くないと思ふ。
 聖書は斯の如くにして用ゆべき者である、軍師が艦隊を操縦するが如くにして用ゆべき者である、艦艇各自其特長がある、能く之を知り之を用ゐて主のために大功を奏することが出来る、聖書は単に金言玉条の鉱山ではない、是れは完備せる艦隊である、故に馬太伝は馬太伝として、路加伝は路加伝として、羅馬書は羅馬書として用ゆべき者である、之を知り之を用ゆるの途を知るのが聖書研究の目的である、決して容易なる研究ではない、然れども人をして永生に至らしむるための研究である、我等渾身の努力に値する研究である。
 
(273)     今年の秋
                         大正元年11月10日
                         『聖書之研究』148号
                         署名なし
 
   我家の庭の白百合花散りてより
          一層《ひとしほ》淋し秋の夕暮
 
(274)     宗教と農業
                         大正元年11月10曰
                         『聖書之研究』148号
                         署名 内村鑑三
 
  十月十八日、帝国東北大学農科大学農政学講堂に於て教授生徒諸氏の前に於て述べし演説の大意なり。
 私は当農科大学の前身なる旧札幌農学校の卒業生でありまして、矢張り農学士の学位を授かつた者の一人であります、其私が今は農学に係はることなく、専ら宗教の伝播に従事して居るとは何やら済まない事のやうに思はれます、曾て同窓の一人なる志賀重昂君が言はれた事があるさうであります、
  札幌農学校の出身者の中で学校で授かつた学科以外の学問を以て世に立つて居る者は僕と内村君との二人丈けである、
と、洵に其通りであります、乍然、志賀君の専門は地理学であります、而して地理学は此地に関する学問でありまして農学と全く関係の無い学問ではありません、然るに私の専門に至りましては是れ農学とは何の関係も無い者のやうに思はれます、宗教の本領は地ではありません、天であります、肉体ではありません、霊魂であります、若し世に正反対の者があると致しますれば其れは農業と宗教とであるやうに思はれます、故に旧農学校に在りて私と同級同室の好誼ある宮部博士は曾て私に向つて言はれました、
  君は我が農学校の副産物《バイプロダクト》である、
(275)と、洵に私に取り情ない次第であります、私の母校が生んだ正産物ではなくして副産物であるとのことであります、実は生れずとも宜かつた者であるとの事であります、然し止むを得ません、既に生れた者を今に至つて如何する事も出来ません、今は副産物は副産物として成るべく多く国家のために尽すまでの事であります。
 乍然、私は茲に少しく諸君に考へて戴きたいのであります、宗教と農業とは果して関係の無い者でありませう乎と、農業の何たる乎は私が茲に述るの必要はありません、穀物を作り、家畜を飼ひ、蚕を養ひ、魚を漁《すなど》り、以て肉体の発達と快楽とを計るの材料を供するの業であります、一言以て之を述べますれば農業は実物を作り之を世に供するの業であります、農業の貴ぶ所は実物であります、随て其排斥する所は空理空論であります、馬鈴薯《じやがたらいも》であります、甜菜《さとうだいこん》であります、南瓜《かぼちや》であります、牛であります、馬であります、豚であります、肉を養ひ、心を喜ばせ、手を以て握り、舌を以て味ふことの出来る物であります。
 而して宗教とは何んであります乎、私は茲に予め申上げて置きます、私が宗教と云へば私の信ずるキリストの福音であります、即ち世に所謂基督教であります、私は他の宗教に対して深き尊敬を表します、私は基督教以外に真理は無いとは言ひません、私はすべての宗教は各自存在の理由があつて世に出たものであると信じます、乍然、私は私の信ずる宗教以外に就て多くを知りません、故に之に就て語るの資格を有ちません、諸君は其お心算《つもり》で私の宗教談を聴いて戴きたくあります。
 扨、基督教とは何んであります乎、是は理論ではありません、形而上学《メタフイジツクス》ではありません、世に所謂哲学ではありません、宗教と云へばすべて理論である、幽邃なる哲学であると思ふのは大なる誤謬であります、勿論世には神学なる者がありまして、宗教を哲学的に論じます、然し神学は宗教ではありません、宗教は実験であります、其材(276)料は農業のそれと等しく実物であります、人の霊魂を養ふことであります、霊魂の食物を供することであります、霊に於て生長し、其健全を計り、終に神の完全きが如くに完全くなることであります、キリストは言はれました、  誠に実に汝等に告げん、若し人の子の肉を食はず其血を飲まざれば汝等に生命なし、我が肉を食ひ我血を飲む者に永生あり、我れ末の日に之を甦へらすべし、夫れ我が肉は実の食物、又我血は実の飲料《のみもの》なれば也
と(ヨハネ伝六章五三−五五節)、キリストを以て与へられたる生命を受けて霊に於て生きて永生に至ること、是れが基督教であります、是れは何にも理論ではありません、哲学ではありません、実験であります、キリストなる実物の摂取であります、其消化であります、世に確実なる者にして基督信者の実験の如きはありません。
 茲に於て宗教と農業との関係が判明ります、二者共に実験であります、実物の供給と其利用であります、農業の反対は決して宗教ではありません、農業の反対は形而上学《メタフィジツクス》であります、煩瑣哲学《スコラスチツクフイロソフイー》であります、今日世に称せらるゝ文学であります、小説であります、空想《フアンシイ》であります、思弁《スペキユレーシヨン》であります、実を脱し物を離れて無益の理屈を捏ることであります、農家の諱むものにして空理空論の如きはありません、米一粒は空論の山よりも貴くあります、鶏一羽は空想の海よりも価値があります、農家の耐え得ないものは実物を離れたる法律又は経済論又は小説又は詩文の類であります。
 而して宗教の反対も亦同じであります、真正の宗教は農業と均しく空理空想を嫌います、使徒パウロは言ひました、
  我が語りし所又我宣べし所は人の智慧の婉《うる》はしき言《ことば》を用ゐず
と(コリント前書二章四節)、理論と美文とは宗教の輔佐ではなくして其妨害であります、信仰は言辞ではなくし(277)て能力であります、霊を活かすの能力、宗教は是れであります、故に宗教の敵は又農業の敵であります、空理空論、幻想美文、……宗教と農業とが極力反対する者は風の如き言辞と影の如き文字であります。
 二者|等《ひとしく》して実物の供給であります、然し言ふまでもなく二者は其供給する実物の貿を異にします、農業が肉体の食物を供給するに対して宗教は霊魂の食物を供給します、而して能く宗教の何たる乎を知らない者は其の果して実物の供給なるや否やを疑ひます、然し是れ其人の経験の乏しきに因ります、宗教の空幻なるに因りません、古き約百記は録《しる》して言ひました、
   人の衷には霊魂のあるあり、
   全能者の気息之に了解《さとり》を与ふ
と(三十三章八節)、人の衷には霊魂があります、而して之を養ふに霊魂の糧が要ります、霊魂の健全を計り、之に必要なる糧を供することが宗教の本分であります。
 如斯くにして宗教は農業の反対ではありません、其|補足《コムブリメント》であります、農業が肉体を養ふに対して宗教は霊魂を養ひます、二者共に実験でありまして又実物の供給であります、故に農学校出身の私が宗教伝播に従事すればとて何にも必しも農業と全く関係の無い事業に従事して居るのではありません、副産物の名を私に附するのは甚だ不当であると思ひます、私は政治家になつたのではありません、又文学者になつたのでもありません、農業の兄弟なる宗教の研究者と成つたのであります、諸君が以来此事を御承知置きあらんことを願ひます。
 然し事は茲に止まりません、農業は宗教を離れて完全に行ふことの出来るものではあません、農業も亦人間の従事する業であります、故に単に農事其物丈けの改良を以て改良することの出来る者ではありません、若し農業(278)が馬族や豚族の従事する業でありまするならば之に宗教の必要は毫もありません、乍然、万物の霊長たる人間の従事する業である以上は、是れ又宗教に依らずして行ふ事の出来る業ではありません、苗種の改良、肥料の改良、将た又農具の改良丈けで農事の改良は行はれません、農業に法律の必要があります、政治の必要があります、而して又更らに進んで宗教の必要があるのであります、其理由は人間の構成を能く研究すれば判明ります、人間は単性でありません、複性であります、彼に肉体があります、又悟性があります、又霊性があります、所謂人間の三分性(Tripartite nature of man)とは是れであります、而して是等の三性が悉く満足され且つ調和されて彼に真正の幸福があるのであります、人間は食ふ動物でありまして、同時に又思惟ふ動物でありまして、同時に又神を拝する動物であります、彼は彼の胃の腑が充たされた丈けでは満足しません、彼は物の理を探り宇宙万有を解せんと欲します、而して彼の食慾が充たされ、理性が足りまして彼は猶ほ満足しません、彼は更らに進んで彼の餓えたる霊魂を充たされんとします、彼は昔時《むかし》の詩人と共に叫んで言ひます、
   鹿の渓水を慕ひ喘ぐが如く
   我が霊魂は汝を慕ひ喘ぐなり、
   我が霊魂は渇ける如くに神を慕ふ、
   活ける神をぞ慕ふ
と(詩篇四十二篇一、二節)、而して彼の此絶叫の声に応じて天よりの糧《かて》の彼の霊魂に降りて、彼が其処に充実を感ずるに至て彼は始めて真個に幸福なる人となるのであります、
  人はパンのみにて生くるに非ず、神の口より出る凡ての言に因る
(279)との聖書の言は何人にも解る言であります、人は彼の全霊全生全身が満足を感ずるまでは真個の満足を感ずることの出来ない者であります。
 而して農家も亦此法則に洩れません、彼の倉庫は禾殺を以て充ち、彼の檻には牛豚群がると雖も、若し彼の霊魂に其糧が乏しければ彼は幸福なる農家ではありません、彼は調和を欠ける人でありまして、彼の為す事に統一なく、彼の目的は明確を欠きます、農家も亦彼の業に従ふに方て理想を要します、而して彼の霊に於て瞭かならずして彼は理想の人たらんと欲するも得ません、農業の改良を単に農具又は土壌、苗種又は肥料に於てのみ求めて、農家彼れ自身に於て求めない者は未だ農業を知らない者であります。
 茲に至て農業に於ける宗教の必要は甚だ明瞭になるのであります、多くの農業上の問題は宗教を以てするにあらざれば解けまん、宗教を度外視し来りし我国今日までの農業教育は之を不完全なる教育と称せざるを得ません。
 今之を植民に就て論じて見まするならば事は一層明瞭に成るであらふと思ひます、植民は目下我国に於て農業上の大問題であります、如何にして我国の充溢せる人口を放散せん乎とは国家的大問題であります、而して此重大問題を解決せんとするに当て、我等は其解決を外務当局者にのみ待つことは出来ません、我国植民政策の失敗は之を外交官の無能にのみ帰することは出来ません、之には日本人の国民性が亦与つて力あるのであります、言を換へて言ひますれば日本人の宗教が植民膨脹に適さないのであります、宇宙万物の造主を神として認めず、其援助と守護とを仰がざる民が遠く本国を離れて異国に新ホームを作らんとするの希望を起しやう筈はありません、縦し又異邦に至りしとするも「世界到る所に我神在り、我は敢て恐るゝに足らず」との信念に励まされずして、彼は其処に骨を埋むるの地を定むることは出来ません、異郷に在りて日夜本国の神を遙拝する者の如きは永(280)く其地に蹈留まることは出来ません、
   神は我等の避所《さけどころ》又力なり
   艱難《なやめ》る時の最《いと》近き助けなり
と信じて、メキシコの高原に在るも、ブラジルの森林に在るも、援助の神を最近く感ずる者にあらざれば其処に永住の地を定むることは出来ません、余りに多く愛国的なる日本人は世界膨脹の資格を供へません、日本人は其狭隘なる宗教を改むるにあらざれば植民事業に於て永久の成功を見ることは出来ません。  茲にメキシコ国チヤパズ州エスクイントラに於ける教友布施常松氏夫妻の事業に就て述ぶる所あり、次いで茨城県新治郡恋瀬村に於ける友部重太郎氏兄弟の農村改良に就て、終りに福島県某地に於ける教友某氏の地方銀行改革に就て語る所ありしも、事長篇を成すを以て之を略す。
 キリストの福音が我国に伝へられてより以来未だ六十年に満ちません、此短年月に於て未だ社会の耳目を惹くに足るの大効果を奏するに至らざるは敢て怪しむに足りません、然し効果は既に小規模を以て現はれたのであります、而して一村を救ひし其精神は一郡又は一県、而して延びては終に一国を救ふに足るの精神であります、一家族を海外に植附けし精神は軈ては新日本を世界到る所に建設するに足るの精神であります、而して地方の一小銀行を根本的に改めて一郡の農民に経済的慰安を与へし精神は又以て天下の金融機関を泰山の安きに置くに足るの精神であります、宗教の農業に及ぼす感化は深且つ遠であります、私は宗教を説いて農業と縁を絶つたとは思ひません、否な農業の最も深き所に於て之を助けつゝあると信じます、私は母校を出でゝより茲に三十年、此処に此事を述ぶるの特権を与へられし事を諸君に謝します。
 
(281)     人の善悪
                         大正元年11月10日
                         『聖書之研究』148号
                         署名なし
 
 善人の事業は彼れ死して益々栄え、悪人の事業は彼の死すると共に滅ぷ、人の善悪は彼の事業の存否を以て現はる、裁判は天に於て在り又地に於て在り、驚くべくして畏るべきは神の造り給ひし此宇宙なる哉。
 
(282)     北海の秋
                         大正元年11月10日
                         『聖書之研究』148号
                         署名 内村鑑三
 
 神許し給ひければ余は十月九日、余の信仰の故郷なる北海道札幌指して余の柏木の家を発したり、森本慶三君の岡山県津山より途上既に余の家に宿るあり、余は君と共に午前九時八分新宿停車場を発したり、宇都宮に至れば青木義雄君の我等の一行に加はるあり、本宮駅に於て原瀬半二郎君の我等を迎へて梨果一籠を車中に投ずるあり、黄昏《たそがれ》頃仙台駅に達すれば木村任蔵君又我等の群に入る、夜十時を過ぐる二十分一同水沢駅に下車し、駅前池田屋旅館に投宿す、旅館は昨年貸座敷を廃業して新たに開業せし者、其女主人と彼女の妹とは今やキリストに於ける我等の愛する姉妹なり、我等一夜を此家に過してベタニヤに休息するの感ありたり。
 翌十日天晴れ、北上河の沿岸、田は熟《いろづ》きて収穫を待つの間を走る、花巻に到れば斎藤宗二郎君と小田代老姉と一人の少女を伴ふて我等の一行に加はるあり、一行今や七人、汽車の一室は悉く我等の占領に帰せり、盛岡に到れば教友数名我等の北行を送るあり、中に歌人「賤が女」女史あり、後に当時の感を伝へて曰く
   あはれ汽車汝が速かに運び去る
        貴き人を知るや知らずや
と、霊の友に肉の友の知らざる深き聖き交際あり、我等相会して沈黙の外に為す所を知らざりき。
(283) 車中思はずして旧友平岩愃保君に会す、人の善く知る如く君は今は日本メソヂスト教会の監督なり、今や北海道巡視の途上にあり、無教会主義者なる余は監督の職に対しては異義を挿《さしはさ》まざるを得ず、然れども旧友平岩君に対して余は今も昔と異ならざる深き厚き尊敬を払はざるを得ず、我等相会して三十年前の我等に還り、今を忘れて旧事を談じ、尻内、野辺地、浅虫と汽車の進むを忘れたりき。
 此日|馬淵川《うまぶちがは》沿岸の秋色殊に愛《めで》たかりき、末の松山浪越せし昔しも之に優さらざりけむ、日暮れて風寒く、北海の寒気已に身に浸みて早や既に故山に眠るの感ありき、六時半青森に達す、比羅夫丸船室に到れば淀橋教会の笹尾鉄三郎君の一行の又北海道伝道の途上に在るに会す、平岩君又同船にて渡航す、二等室の寝台悉く基督信者の占領する所となる、津軽海峡波静かにして和平の福音を齎らす者の睡眠《ねぶり》安し。
 十一日午前一時函館桟橋に上れば教友|虎渡《とらわたり》乙松君の橋上に余を待つに会す、君は眼科医にして頃者秋田県より此地に転ぜられし人、角筈以来の友人なり、君の接待に半夜を停車場待合室に過し、黎明五時君に送られて北海道鉄道に由り札幌に向て発す、大沼の湖水は駒ケ岳の雄姿を映し、錦繍其島嶼を彩りて北海の秋色実に全国無此なるを覚えたり、森駅に達すれば火山湾の水懐しく、遙かに室蘭港を望みて三十年前の昔偲ばれて耐え難し、長万部に於て海を離れ、黒松内に到るの途上、明治初年の石狩原野の状態を思はしむ、後志河沿岸の楓樹今や当さに血紅を漲らし、河流の碧潭と相対して、茲に一幅の理想画を現出せり、マクカリヌブリの富士形、或ひは匿れ或ひは現はれ、倶知安に到りて其影を失す、小沢駅に達すれば岩内の昔し懐しく、稲穂《いなぼ》峠の隧道《すゐだう》を過ぎて余市川の沿岸に出れば余の青年時代の祈祷の山なる忍路高島の海角已に眸中に入りて心は躍り脉は早し、小樽駅に到れば札幌石狩よりの友人三人来りて余を此処に迎ふるあり、快談に注意を奪はれ、朝里《あさり》、張碓《はりうす》の旧時の風景を見(284)失ひしは残念なりき、汽車は愈々札幌に近づきぬ、嗚呼、手稲よ、藻巌よ、石山よ、汝等恙なき乎、我れ汝等を見ざること年久し、我れ思ふ、我れ齢既に半百を過ぎたりと雖も我心は今猶ほトヾ松の如く青きを、我れ今感謝に満ちて再たび汝等と相会す、懐かしかな旧時の霊交、汝等の森の下に跪き、汝等の鳥の声を聞きし時……永久に恵まれよ、我が愛する諸山よ、自由と独立の声をして永久に汝等の巓より響かしめよ。
 終に札幌停車場に着きぬ、友人の一団はプラットホームに余を迎へぬ、数多《あまた》の手は握られぬ、歓喜は胸に溢れぬ、熱き涙は眼に浮びぬ、然れども嗚呼如何、一人の居るべき友は居らざりき、其故如何?、彼は病めるとよ!然し重くはあらずと、一たびは驚きて後少しく安じ、終に彼の家に至りぬ、三十五年前の同級同室の友、同時に神を信じキリストに身を献げし者、余は今より十日間彼の客たるなり、嗚呼短かき十日間、講演は為さずもがな、彼と語り、彼と遊ばん、
  ハロー来たか
と言ひて彼は迎へぬ、
  終に来たよ
と余は答へぬ、談話の火蓋は茲に切られぬ、是れより三四日が程は昼も夜も口は閑ぢざりき、真面目なる談話、可笑き談話、笑ひ怒り沈み昂《あが》る、友は彼の病を忘れぬ、我等は友誼の佳境に入りぬ。
 十二日晴れ、土曜日なり、前半日は之を談話に費し、後半日は有志の催しに係る歓迎親睦会に臨みたり、開場は中島公園、元山鼻村に属す、其昔し我等が呼んで六人組と称せし者、大島、黒岩、伊藤、柳本等の餓鬼大将連が隊を組んで家を成せし所、我等屡々襲撃を試み論戦戯闘に彼等と雌雄を争ひし所なり、今や化して立派なる公(285)圍となる、酒舗あり、茶亭ありて少しも昔時の跡を留めず、過去を顧み、現在を思ひ感慨措く能はず、茲に札幌所感を詠じぬ。
   年を経て我が故郷に来て見れば
     昔しの跡は消え去りにけり。
   年を経て我が故郷に来て見れば
     友の心は変らざりけり。
   年を経て我が故郷に来て見れば
     恩恵のほどは量られにけり。
 此日小菅幸之助君埼玉県和戸より来り会す。
 十三日晴れ、日曜日なり、午前十時より旧き札幌独立基督教会に於て説教会あり、余は久振りにて其講壇に上る、牧師竹崎八十雄君余を援けらる、羅馬書一章十六節「我は福音を恥とせず」なるパウロの言に就て説教す、余が始めて独立教会の講壇に上りしは今より三十二年前余が十九歳の時なりき、余に取りて「余の講壇」と称すべき者は唯一此処に在るのみ、故に其上に立て余の心は自から動き、余は言ひ難き自由を感じぬ、説教の大意は後日之を本誌に掲ぐべし、又別項中田君の記事を参照せられたし。
 十四日曇り又雨降る、月曜日なり、余の当時の休日なり、独り出て郊外に遊ぶ、豊平橋を渡り、豊平川に沿ふて上る、旧時の叢林今や化して果園となり、苹果紅く熟して重く枝に垂る、曾て祈祷会を其下に催せし桜樹の大木今や跡方もなし、然れども豊平の水は流れて止まず、鮭魚は今尚ほ溯りて放卵するや否や余は知らず、余は(286)曾て此川に鮭魚の番人を務めし者、然れども文明は今や彼等を逐ひやりて其蕃殖を許さず、惜むべし今日の札幌は神の造りし村落たらずして悪魔の作りし都会たらんとす、河原を践み水に沿ふて上ること一里余にして帰る、但し礫上独り立て黙祷せずしては此所を去る能はざりき。
 午後は友人の家に憩ひたり、夜大役あり、教育会々堂に於て余を弁士として演説会は開かれたり、会堂は元の農学校演武堂、六百人を容るを得べし、傍聴料として一人に付き金拾銭を徴せりと聞く、蓋し札幌開闢以来宗教道徳の演説会に於て傍聴料を徴せしは此会を以て嚆矢となすと云ふ、題は「基督教は如何にして始めて札幌に伝へられしや」なり、札幌以外に住する者が来て札幌の歴史の一端を語るにてありき、大胆と云ふべし、然れども幾分かの新材料の余の記臆に存するあり、余は此機会を利用して之を札幌人に伝へざるを得ず、事は主として農学校創立者米国人故ウイリヤム・エス・クラーク氏に関す、余は氏の永眠当時氏の居住の地なる米国マツサチユーセツト洲アマストに滞在せり、故に氏の最後の有様に就て少しく知るを得たり、氏は死に際して札幌を忘れざりき、殊に札幌に於ける八ケ月間のキリストの福音の宣伝を忘れざりき、氏は曰へり「余の生涯の事業にして余を死の床に慰むる者は日本札幌に於て余の学生に聖書を教へし事なり」と、斯くて偉人は札幌に於ける福音の播種を念じて瞑目せり、敢て問ふ札幌人士は此事を知るや否や、彼等はクラーク氏が念ぜしが如くに聖書とキリストを念ずるや否や、基督教は始めて札幌に於て教会に由て遣られし宣教師に由て伝へられざりしなり、日本政府の雇入れし大教育家に由て伝へられしなり、循つて初て札幌に伝はりし基督教は教会又は宣教師の基督教にあらざりしなり、自由なる米国の平信徒より直に自由なる日本の青年に伝へられし基督教なり、余は幸にして其伝播に与りし者の一人なり、而して札幌の地に在て之を継承して今日に至りし者は札幌独立教会なり、宣教師の或(287)者は云ふ、札幌独立教会はキリストの教会に非ずと、真に然り、宜教師に由て立てられたる教会に非ず、故に彼等の立場より見て真個の教会にあらざるべし、然れども是れ此教会の特に貴き所以なり、宣教師的教会に非ず、故に真の教会なりと余等は信ず、教会ならざる教会、日本に於ける唯一の独立教会、創始より直接間接に宣教師の手より何の補助をも受けざりし教会、最も恵まれたる教会、最も名誉ある歴史を有する教会……余は知らず札幌独立教会は常に此事を自覺し断えず其最初の理想に拠て立しや否やを、然れども余は其の創立に与りし者の一人なり、而して余は其建設の精神の此にありしを証明す、余は此事を当夜の演説に於ては述べざりき、而かも事のクラーク氏に関するが故に茲に序に之を記し、以て後日の参考に供す。
 聴衆堂に満ち、聴く者語る者の熱心は終に至るまで弛まざりき、余は余の背後にクラーク氏と氏の友人にして余の恩師なるシーリー先生の霊の立つありて余を励し、余をして彼等に代て語らしめつゝあるを感じたり、其は余は彼等に就て語りしも実は彼等に就て語りしに非ず、彼等の救主にして又余の救主なるイエスキリストに就て語りつゝありたればなり、真に余に取りては当夜の演説は米国帰朝以来の大演説なりき、余は余に此理想と精力との今尚ほ存するを神に感謝せり。
 
(288)     〔口絵の説明 他〕
                         大正元年11月10日
                         『聖書之研究』148号
                         署名なし
 
    口絵の説明
 
 下段より第二列の中央に座する者が本誌の主筆である、彼の右に座する者が彼の同級同室の友なる理学博士宮部金吾氏である、左に座する者が農学校第一期の出身者にして今や十勝直別に私設牧場を営まるゝ黒岩四方之進君である、以上の三人が独立教会創立当時よりの信者にして今回の会合に参会するを得し者である、実に「恩恵《めぐみ》のほどは量られにけり」である。
 上段より第二列の中央に立つ者が牧師竹崎八十雄君である、其右に立つ者が農学士森本厚吉君である、左に立つ者が同じく森広君である、共に新進の鋭土にして教会の将来を担はるべき者の代表者である。
 会堂は二十有五年前の建築にして故農学士藤田九三郎氏の設計に成りし者である、今や氏を我等の中に見る能はずして、我等は懐旧の念に堪えなかつた、会堂の再築は今回議決された、事は次号に明かである。
 下段より第三列の左の端に立つのが二十年一日の如く当教会執事の任に当り以て今日に至りし武林写真館主人三島常磐君である、其他紹介するに暇がない、『聖書之研究』は札幌独立教会の別宅であつて、今や茲に本宅別宅(289)が一団となりて撮影したる次第である。
 
    世評を排す
 
 世には今回の札幌会合に於て余輩が新教会の設立を計画したとの噂を立つる者があると聞く、然しそれは全く誤聞である、余輩は新教会の設立を計画しない、余輩は既に出来たる(神の恩恵に由り)信仰の兄弟姉妹と共に更らに深き親しき愛的関係に入らんことを計つたまでゞある、而して若し此愛的関係が終に化して今日世に所謂教会と成了らんには、余輩の中に在る無教主義者は断然之を壊して了ふであらふ、世の所謂制度は余輩の大禁物である、余輩は自由なる愛の信仰的家庭より他の者を作らんとしない、而して是れ即ち教会なりと曰ふ者があるならば余輩は批評家の言に一任する、余輩は言辞の喧嘩をする事を好まない。
 
(290)     福音を恥とせず
                         大正元年11月10日
                         『聖書之研究』148号
                         署名なし
 
 小生はキリストの福音を恥と致し不申候、是れ力にて候、神の力にて候、其のユダヤ人なるとギリシヤ人なるとを問はず、すべて信ずる者を救に至らしめんための神の力にて候。羅馬書一章十六節意訳。札幌講演の主題
 
(291)     『商売成功の秘訣』
                         大正元年11月13日
                         単行本
                         署名 内村鑑三 述
 
〔画像略〕初版表紙128×94mm
 
(292)     〔イエスを思ふて 他〕
                         大正元年12月10日
                         『聖書之研究』149号
                         署名なし
 
    イエスを思ふて
 
   イエスを思ふて我は
   我が貧しきも悲しからず
   他人の富めるも羨しからず
   イエスを思ふて我は
   唯感謝に溢るゝのみ。
 
   イエスを思ふて我は
   身の患難《わづらひ》も苦しからず
   其の幸福も慕はしからず
   イエスを思ふて我に
(293)   唯|平康《やすき》と満足とのみ有り。
 
   イエスを思ふて我は
   事の失敗に失望せず
   其の成功に雀躍せず
   イエスを思ふて我は
   永久の勝利者たるなり。
 
    二種の神学
 
 頭脳を以て聖書を解釈せんとする時に「新神学」あり、心霊を以て之を実験せんとする時に「旧神学」あり、「新神学」の新なるは其新なるが故に非ず、其変遷窮なきが故なり、「旧神学」の旧なるは其旧なるが故に非ず、其万世不易なるが故なり、思索は易変し、実験は不易なり、余輩は新を追ふて「新神学」に往かざるべし、又旧を諱みて「旧神学」を去らざるべし。
 
    最大の恩恵
 
 最大の恩恵は我が欲《おも》ふ所を成就《なしとぐ》る事に非ず、又社会または教会より美名を受くる事に非ず、又政府または大学より高位高官の贈与にあづかる事に非ず、最大の恩恵は神を知ることなり、キリストを以て顕はれたる神の奥義(294)を識ることなり、知識を以て之を了解し、又霊魂の深き所に於て之を実得する事なり、人生の恩恵にして之に優さりて貴き者あるなし、此恩恵に与かるを得て、我等は他のすべての恩恵に与らざるも可なり、人生最大の恩恵はイエスキリストを識る事、是れなり。
 
    基督者の心
 
 余は仏教信者ではない、然し仏教を援くることを好む、余はユニテリヤンではない、然しユニテリヤン教を援くることを好む、余は教会信者ではない、然し教会を援くることを好む、余は基督者《クリスチヤン》である、故にすべての人をすべての場合に援くることを好む、余の此心を解らない者はキリストの心を解らない者であると思ふ、余は仏教信者でない故に仏教に反対すべき者、無教会信者である故に教会に反対すべき者であると思ふ者は未だ基督者とは何んな者である乎を知らない者である。
 
    寛容大度
 
 使徒パウロ曰く、ユダヤ人には我れユダヤ人の如くなれり、是れユダヤ人を得んためなり、又|律法《おきて》の下に在る者には我れ律法の下に在る者の如くなれり、是れ律法の下に在る者を得んためなり、律法なき者には我れ律法なき者の如くなれり、是れ律法なき者を得んためなり、弱者には我れ弱者の如くなれり、是れ弱者を得んためなり、又すべての人には我れ其すべての人の状《さま》に循へり、是れ如何にもして彼等数人を救はんためなり、我れ福音のために此く行ふは人と共に福音の恩恵に与らんためなり、と(コリント前書九章二十−廿三節)。
(295) 然り、仏教信者には我れ仏教信者の如くなれり、是れ仏教信者を得んためなり、教会信者には我れ教会信者の如くなれり、是れ教会信者を得んためなり、無神論者には我れ無神論者の如くなれり、是れ無神論者を得んためなり、農家には農家の如く、商家には商家の如く、官吏には官吏の如く、其他すべての人には我れ其すべての人の状と理想とする所に循へり、是れいかにもして彼等を我主イエスキリストに導かんためなり、我れ此く行ふは彼等すべての人の歓心を買はんがために非ず、彼等と共にキリストの福音の恩恵に与らんためなり。
 
    「之に生あり」ヨハネ伝一章四節
 
 生命と称すべき生命は唯イエスに於てのみ在る、個人の生命も社会の生命も国家の生命も唯イエスに於てのみ在る。
 イエスを離れて鞏固なる道徳はない、イエスに拠らざる道徳は方便又は慣例と化し易くある、道徳が至上の権能を揮はんがためには人はイエスに服従するの必要がある。
 イエスを離れて深遠なる思想はない、不朽の美術は無い、安如2泰山1の産業は無い、イエスに根差《ねざゝ》ずして思想は浅薄である、美術は芸術に過ぎない、産業は不安である、イエスは哲学者ではない、然れども思想の生命である、イエスは美術家ではない、然れども美術の真髄である、イエスは実業家ではない、然れども産業の基礎である、イエスに拠らずして永久不朽の文明は無い。
 イエスを離れて聖潔なる政治は無い、健全なる社会はない、真正の意味に於て幸福なる家庭は無い、イエスに拠らずして政治は理想の実行に非ずして政略の遂行である、社会は活きたる制体に非ずして民の集合である、家(296)庭は地上の天国に非ずして地上の寝室たるに過ぎない、神聖なる政治と威権ある社会と幸福なる家庭とはイエスの臨在を得てのみ之を実見することが出来る。
 
    我が教会
 
 我にも亦教会あり、手を以て作りたる地上の教会あり、然れども是れ木と石とを以て作り、教壇と座席とを備へたる教会ならず、我教会は黒と白とを以て作れる紙上の教会なり、其教師は著者にして、会員は読者なり、最も簡単にして最も廉価なる教会なり、而かも最も鞏固なる教会なり、木と石と神学と信仰箇条とが壊《くづ》れて後に尚ほ存る教会なり、紙の上の教会なりと雖も花崗石を以て作りたりよりも優《はる》かに耐久的の教会なり。
 基督教会は素より斯かる教会なりし、基督教会は天主教会又は聖公会又はルーテル教会たる前に一巻の聖書なりし、而して人の作りし是等の教会が悉く仆れて後に、紙の上の教会なる聖書として存るべし、神は永久的の教会を石と煉瓦とを以て作り給はずして、之を朽ち易き紙の上に築き給へり。
 然れば我も亦我教会を紙の上に築かんかな、而して木と石とを以て作りし教会が悉く朽果てん後にまで存らんかな。
 
    官吏と宣教師
 
 恒に政府の俸給に由て衣食する官吏は自己の労働に由て生活する平民の心を知らず、恒に教会の補助金に由て衣食する外国宣教師は此国に生存競争を営む我等日本人の心を知らず、我等は官吏より慰めらるゝこと尠し、宣(297)教師より教へらるゝこと稀れなり、感謝す、我等の救主イエスキリストは労働の子にましまして、政府の役人または教会の役者にましまさざりしことを。
 
    生命の所有者
 
 世の無神道徳は言ふ、我生命は我有なれば我は自から之を処分するの権利を有すと。
 然れども紳の言なる聖書は言ふ、
  汝等は価《あたひ》を以て買はれたる者なり、是故に神の有なる汝等は身に於ても霊魂に於ても神の栄を顕はすべしと(コリント前書六章二十節)、我有なりと言ひ、又神の有なりと言ふ、生命の所有者を異にするが故に倫理の根柢を異にす、自殺を可とすると否とするとは此根柢の差違より生ず。
 
(298)     キリスト降世の意義
                         大正元年12月10日
                         『聖書之研究』149号
                         署名 内村鑑三
 
 キリストが世に降り給ひしと云ふ事は単に一人の偉い人が世に現はれたと云ふ事ではありません、世には孔孟釈基と唱へてキリストを孔子孟子釈迦などと同日に談ずる人がありますが然し我等基督信者はキリストを爾うは観ないのであります、随つてキリストの降誕を単に一人の嬰児《みどりご》の誕生として観ないのであります、キリストの誰なる乎、其事に関する聖書の啓示は明白であります、而して私供は聖霊の啓示に由て聖書の其啓示の真理である事を知るのであります。
 預言者イザヤは曾て預言して曰ひました、
  一人の嬰児我等のために生れたり、我等は一人の子を与へられたり、政事は其肩にあり、其名は奇妙また議士また大能の神、永久の父平和の君と称へられんかな
と(以賽亜書九章六節)、而してキリストは此預言に応《かな》ふて生るべき者であります、「奇妙」「義士」の説明は之を他日に譲る事に致しまして、此一人の嬰児が「大能の神、永久の父、平和の君」の名を担ふべき者である事は預言者の此言が明かに示す所であります、神は終に自己を人に顕示《あらは》し給ふべし、而して自己を顕示し給ふに方て御自身肉体を取りて人の間《うち》に降り給ふべしとはイスラエル人全体の信念であつて又其希望でありました、而して(299)神は此希望に応《かなは》せんが為に其独子を世に遺り給ふたのであります、而して斯の如くにして生れ給ひし者がキリストと称へられしナザレのイエスであります、勿論世の人は斯る事を聞て笑ひます、又近頃は自から基督信者なりと称ふる人の中にも此事を否認する人が尠くありません、然し人の批評は如何でも可いのであります、聖書の啓示《しめし》は明白であります、信者の確信も亦動きません、若しキリストが祇《たゞ》の人でありますならば基督教は倒れて了ふのであります、人類は其最大の希望を失ふのであります、救拯とか永生とか云ふ事は全く意味の無い事に成るのであります。
  言《ことば》肉体となりて、我等の間に寄《やど》り給へり、我等其栄を見るに実に父の生み給へる独子の栄にして恩寵《めぐみ》と真理《まこと》にて充《みて》り
とあります(約翰伝一章十四節)、此に言ふ言とは道理ではありません、又宇宙の原理といふが如き漠然たる者ではありません、言とは自己を顕示し給ふ神であります、太初に神と偕に在り、万物之に由りて造られ、造られたる者にして一として之に由らで造られしは無き神であります、其言、其造化の神、人の生命にして其光が肉体となりて我等の間に降り給へりと云ふ事であります、実に驚くべき事であります、信じ難い事であります、然し事実であります、事実でなくてはなりません、事実であつて欲しくあります、若し人類の父なる真の神が実に在るとしますれば斯かる事は在るべき筈であります
  我等に父を示し給へ然らば足れり
とのピリボの言は人類全体の心の奥底より発する言であります、我等各自は父を識りたく欲ふのであります、而して人は何人も完全に父を我等に示すことが出来ないのであります、又人は何人も死と敗壊《やぶれ》より救はれたく欲《おも》ふ(300)のであります、然し人は何人も我等に不朽の生命を与ふることが出来ないのであります、神のみが神を完全に人に示すことが出来るのであります、活ける神のみが我等の衷に在りて死に勝つことが出来るのであります、若し神が人と成りて世に降り給はないならば神は永久に我等の疑問として存るのであります、又人は永久に死の絏紲《なはめ》より脱《まぬ》かるゝことが出来ないのであります、神が人と成りて我等人類の間に降り給ひたればこそ、茲に始めて神と人との間に真実の交通が始まり、神は真実に人の父となり、人は真実に神の子と成り得る其途が開けたのであります、愛が為し得ない事は無いのであります、神の愛が為し得ない事はありません、神の愛が宇宙と其中に在る万物を造つたのであります、神の愛が之を支へて今日に至つたのであります、而して其同じ神の愛が終に神御自身をして天に在る其|栄光《さかえ》を脱《ぬい》で卑しき人の肉体を取り我等の一人として我等の間に寄《やど》らしめたのであります、是れ勿論奇跡であります、最大の奇跡であります、然し奇跡なればとて否定することは出来ません、愛は奇跡を行ひます、神の愛は終に神御自身をして人として世に降らしめ給ふに至つたのであります、驚くべき愛、而して此愛に伴ふ驚くべき奇跡、其愛を信じて其奇跡を信ずるに難くありません。  夫れ神は其生み給へる独子を賜ふほどに世の人を愛し給へり(ヨハネ伝三章十六節)。
  汝等我等の主イエスキリストの恩恵を知るべし、彼は富める者なりしが汝等のために貧しき者となれり、是れ汝等が彼の窮乏《とぼしき》に由りて富める者とならんためなり(コリント後書八章九節)。
  彼(キリスト)は神の(本)体にて在せしかども自ら其神と匹《ひとし》く在る所の事を棄難き事と意はず反て己を虚うし僕の貌を取りて人の状になれり(ピリピ書二章六、七節)。
  神、昔は多くの区別をなし多くの方法をもて預言者等により列祖《せんぞたち》に告げ給ひしが、この末日《すゑのひ》には其子により(301)て我等に告げ給へり(ヒブライ書一章一、二節)。
 キリストの降世は神が人類を愛し給ふ其愛が因《もと》となつて有つた事であります、キリストは此事を為すに方て万物を己に有し給ふ其富を去て我等のために貧生涯に入り給ふたのであります、キリストは素々神の本体にましまして神と等しき者であつたのであります、然るに我等を罪と其結果たる死より救はんために天の栄光を棄て僕の貌を取りて我等の間に寄り給ふたのであります、彼は同時に又完全に神を我等に示す者であります、神の遣り給ひし最後の預言者でありまして、預言者以上の者であります、彼は即ち子であります、
  神の栄の光輝、其質の真像《かた》なり
とヒブライ書の記者は続いて言ふて居ります、聖書は斯くの如くにキリストと其降世とを説いて居ります、而して私供も亦斯の如くに彼と彼の降誕とを解すべきであります。
 斯かる絶大の奇跡が此世に於て行はれたのであります、而して其結果として世に大変動の来つたのは言ふまでもありません、之に由て歴史は一変したのであります、マリヤの讃美歌にも有りますやうに、神は之に由て
   権柄ある者を位より下し
   卑賤しき者を挙げ姶ふ
たのであります、貴賤上下が転倒したのであります、大革命が此世全体に臨んだのであります 而して事は茲に止まりません、宇宙の改造が始まつたのであります、敗壊《やぶれ》の奴《しもべ》たりし受造物が神の諸子《こたち》の栄《さかえ》なる自由に入るの途が開けたのであります(ロマ書八章廿一節)、事は更に茲に止まりません、神御自身の構成に変化が来たのであります(私は敬畏《おそれ》を似て斯かる言辞を使ひます)、三位の一なる聖子が此時其神たるの性を去て人と成り給ふたので(302)あります、今より後子はもはや神ではなくして人であり給ふのであります、此時天の聖家庭は罪に沈める人類を救はんがために破壊されて了ふたのであります、聖天子は憐れむべき臣民を救はんがために其一人の皇太子を庶民となして之を彼等の中に送り給ふたのであります、聖子が人となりて人類の間に降りてより後は天には子なる神は無くなつたのであります、今在る者は神ではありません人なるキリストイエスであります(テモテ前書二章五節)、彼が肉体と成りて我等の間に寄り給ひしは僅かに三十三年の短年月を以て止んだのでありません、彼は此時より永久に人と成り給ふたのであります、故に彼は言ひ給ひました、
  神の我に予へ給へる諸子《こども》を視よ
と、又
  此故に彼は彼等を兄弟と称ふるを恥とし給はず
と、又
  我れ汝(父)の名を我が兄弟に示さん、汝を(彼等と共に)会衆の中に讃めん
と(ヒブライ書二章十一節以下)、受肉後の聖子は神たるを止めて人と成り給ふたのであります 而して彼れは今猶ほ我等の兄弟であり給ふのであります、父に取りての犠牲に此上はありません、子に取りての謙遜に又此上はありません、実に
  我等|称《とな》へられて神の子たることを得たり、是れ父の我等に賜ふ如何ばかりの愛ぞ(ヨハネ第一書三章一節)、
 嗚呼実に如何ばかりの愛ぞ、我等は此事を識りて神の此最大最美の賜物の無限に貴い理由が解るのであります、パウロは曾て曰ひました、
(303)  其言尽されぬ神の賜物に因りて我れ神に感謝する也
と(コリント後書九章十四節)、キリストは実に「言尽されぬ神の賜物」であります、其|価値《ねうち》を言表すに言辞はありません、全宇宙を賜ふよりも大なる賜物であります、最愛の独子を賜ふたのであります、アブラハムが其敵のために彼の独子イサクを与へたと見て宜いのであります、我々人間に取りても我子を与ふるは我れ自身を与ふるよりも辛くあります、然るに神は其の独子を我等のために、而かも我等罪人のために与へ給ふたのであります、一時ではありません、僅か三十三年の間人と成し給ふたのでありません、永久に、世々|窮《かぎ》りなく、人と成し給ふたのである、我等罪人のために世々窮りなく天の聖家庭を破壊して了ひ給ふたのであります、是れ如何ばかりの愛ぞ、然し宇宙万物を造り給ひし神には斯かる愛があるのであります、此事を我等に告知すのがキリストの福音であります。
 而して斯かる愛がキリストを以て我等に示されしことを知るが故に我等の恐怖は全く消去るのであります、
  己れの子を惜まずして我等すべてのために之を付せる者はなどか彼に併せて万物をも我等に賜はざらん乎
とのパウロの言を聞いて我等は其深い意味が能く解るのであります(ロマ書八章卅二節)、キリストを我等に賜ひし神は彼に併せて業に已に万物を我等に賜ふたのであります、パウロは又曾て基督信者の財産を算へて曰ひました、
  或ひはパウロ、或ひはアポロ、或ひはケパ、或ひは世界、或ひは生、或ひは死、或ひは今あるもの、或ひは後にある者、是れ皆な汝等の所有なり、而して汝等はキリストの所有、キリストは神の所有なり
と(コリント前書三章廿二、廿三節)、然り、死其物さへも我等の所有であるとの事であります 実にキリストに(304)由りて我等は死の所有たらずして死が我等の所有となつたのであります、死までが我等の利用すべき者、我等に感謝を供する者、我等を導きて父の所に至らしむる者となつたのであります、実に神がキリストを我等に賜ひし其主なる目的の一つは
  死を恐れて生涯繋るゝ者を放たん為
であります(ヒブライ書二章十五節)、雨して此目的はキリストの降世と彼の十字架上の死とに由て美事に達せられたのであります。
 キリスト降世の意味は斯くも深長なる者であります、単に一偉人が生れたのではありません、単に一光明が世に輝いたのではありません、単に優れたる道徳が説かれたのではありません、神が人と成り給ふたのであります、人の光が世に臨んだのであります、神の愛が事実的に行はれたのであります、世に之に優るの大事件はありません、百のシーザーが生れやうが、千のソクラテスが世に出でやうが神の独子が天の其聖座を棄て人と成り給ふた而かも永久に人と成り給ふたと云ふ此事に優る事件ではありません、文明世界が今や其暦を作るに方て紀元をキリストの降世に取るのは決して怪しむに足りません 歴史の中心点はユダヤの山地なるベツレヘムに於てあります、今を去る千九百十五年前(西洋暦に三年の違算があります)処女《おとめ》マリヤがベツレヘムの槽《うまぶね》の中に聖き冢子《うひご》を生みし時に、人類の歴史は其新紀元に入り、宇宙の改造は始まり、神御自身にまで大変化が来たのであります、其事を知りて其時|衆多《おほく》の天軍現はれ天使と共に神を讃美《ほめ》て
   最《いと》高き所には栄光神にあれ
   地には平康、人には恩恵あれ
(305)と歌ひたりと開いて我等は怪しまないのであります、天地が成つた時にさへ
   晨星《あけのほし》相共に歌ひ
   神の子等皆な歓びて呼はりぬ
とあります(ヨブ記三十八章七節)、況して神の独子が第二のアダムとして世に現はれ給ひし時に於てをや、天軍天使が此時ユダヤの山地の静粛を破て神を讃へて歌ひしと云ふはさもある可きであります。
 然れば我等も亦歓ぶべきであります、我等も亦讃美すべきであります、我等も亦すべての恐怖を脱して神の子たるの栄えなる自由の生涯に入るべきであります、而して斯かる絶大無比の賜物に対しては我等も亦
  その身を神の聖意に合ふ聖き活ける祭物《そなへもの》となし之を神に献ぐべき
であります(ロマ書十二章一節)、是れ当然の祭であります、殊に此時に際して当然の祭であります、神は其独子をさへ惜まずして之を我等に賜ひました、我等は之に酬ゐんがために何を神に献げましたか、クリスマスは単《たゞ》に嬉しい嬉しいと云ひて遊ぶべき時ではありません、深く考へ、深く決心し、深く感謝して神とキリストと同胞とのために蹶然起て働らくべき時であります。       ――――――――――
 神が人間と成り給ふたと聞いては、貴族は平民と成るべきである、富者は貧者と成るべきである、智者は愚者と成るべきである、謙遜は神の性であつて宇宙の原理である、遜だらざる者は神の子ではない
 
(306)     パウロの救拯《きうじよう》観
        (札幌講演第二回)
                         大正元年12月10日
                         『聖書之研究』149号
                         署名 内村鑑三
 
 救拯《すくひ》とは何ぞや、人は如何にして救はるゝ乎との問題に対しパウロの答ふる所は明白である。
 パウロの教ふる所に従へば救拯に三つの階段がある、即ち左の如し、
  第一、義とせらるゝ事、
  第二、聖くせらるゝ事、
  第三、栄を衣せらるゝ事、
 此事を一言に約めて述べた者がコリント前書一章三十節である、即ち
  イエスは神に立られて汝等の智慧また義また聖また贖となり給へり
とある、「智慧」に就ては他日之を述ぶることゝして、義、聖、贖は以上の三階段を指して言ふたのである、信者の救拯はイエスに於てある、而してイエスは彼等の義また聖また贖であるとの事である。
 救拯の第一は義とせらるゝ事である、而して義とせらるゝとは世の謂ふ所の義人と成ると云ふ事ではない、即ち俯仰天地に恥ぢずと云ふやうな人と成ると云ふ事ではない、義とせらるゝとは神と義しき関係に入ると云ふ事(307)である、即ち父子の関係に入ると云ふ事である、今までは叛逆の子でありし者が従順の子となることである、他の言辞を以て言へば、今までは叛逆の結果、子たるの権利を失ひし者が、イエスに由りて復たび之を附与せられて子として取扱はるゝに至ると云ふ事である、
  彼を受け其名を信ぜし者には権《ちから》を賜ひて之を神の子となせり
とある(ヨハネ伝一章十二節)、人は皆な神に対しては坂逆の子である、故に神は預言者を以て言ひ給ふた
  背ける諸子《こどもら》よ、我に帰れ、我れ汝の叛逆を癒さん
と(耶利米亜記三章廿二節)、彼は又言ひ給へり
  我れ彼等の叛逆《そむき》を医し悦びて之を愛せん
と(何西阿書十四章四節)、人はすべて先づ神に対する其飯逆を医されなくてはならない、否ざれば彼の救拯は始まらないのである、彼は先づ起て其父に往き、
  父よ我れ天と汝の前に罪を犯したれば汝の子と称ふるに足らざる者なり
と言ふべきである(ルカ伝十五章十八節)、是れが救拯の第一歩である、而して人は悔改を以て神に往き、碑は悦んで之を迎へ之を愛し給ふて茲に彼の救拯は始まるのである、義とせらるゝことは救はるゝと云ふ事ではない、爾う解するのは大なる誤謬《あやまり》である、救拯は単に神に帰ることではない、悔改は救拯の第一歩である、而かも必要なる第一歩である、悔改に由て人は神の救拯に入るのである。
 義とせられて然る後に聖くせらるゝのである、救拯の第二は聖くせらるゝ事である、神と義しき関係に入つた丈けでは人は多く固の彼と異らない、彼は罪を赦されたが、然し罪の結果は今猶ほ依然として彼に存つて居る、(308)恰かも窒扶斯患者の熱の去つた後の状態と同じである、疾病は去つたが然しまだ疾病の結果は去らない、彼はまだ前の如く弱くある、彼は固き食物に耐え得ない、彼は歩み得ない、働らき得ない、彼は疾病を医されて今猶ほ元の病人である、然し彼は快復期に入つたのである、病勢は既に挫かれ、病根は既に絶たれたのである、其如く義とせられたる人は罪の羈絆《ほだす》より脱するを得て、今や聖浄の域に向て進みつゝあるのである、然し彼は瞬間に奇跡的に聖くせられないのである、彼の霊魂の健康は徐々として彼に帰りつゝあるのである、実に預言者の言ひしが如く
  誡命《いましめ》に誡命を加へ、度《のり》に度を加へ、此《こゝ》にも少しく、彼《かしこ》にも少しく教へ
らるゝのである(以賽亜書二十八章十節)、霊魂の健康は肉体の健康と等しく一時には帰らない、窒扶斯患者は熱が去て直に素の健康の人となることが出来ないやうに、基督者も亦罪の根を絶たれて直に聖人となることは出来ない、先づ義とせられ、叛逆を医され、神と義しき関係に入り、然る後に彼の霊魂の健康の快復が姶まるのである、而して此事を称して聖くせらるゝ事と云ふのである、義とせらるゝ事は罪の芟除《さんじよ》であつて、聖くせるゝ事は徳の注入である、先づ罪の駆除があつて然る後に徳の扶植が始まるのである、先づ刑棘《いばら》が除かれて然る後に善樹《よきき》が植附けらるゝのである、刑棘の除かるゝ事、其事が義とせらるゝ事である、善樹が植附けられて徐々と善果《よきみ》を結ぶに至ること、其事が聖くせらるゝ事である。
 乍然、聖くせられて救拯は未だ完成せられない、神がキリストを以て供へ給ひし救拯は霊魂の完成を以て尽きない、完成されたる霊魂が己に応はしき体を衣せられて、茲に始めて救拯は全うせらるゝのである、救拯が体にまで及んで其終極に達するのである、而して此事を称して栄を衣せらるゝ事(又は受くる事)と云ふのである、(309)我等の身体の救はるゝ事(羅馬書八章廿三)其事が救拯の完成であつて同時に又其終極である、我等の霊魂が救はれた丈けで我等は未だ全く救はれたのでない、我等の霊魂と共に我等の身体が救はれ、霊魂の新婦《はなよめ》が汚点《しみ》なく皺なく聖くして栄ある者となり、永遠朽ざる復活体を以て修飾られて其新郎なるキリストを迎ふるに至て茲に始めて神が彼の上に施し給ひし救拯が完全うせらるゝのである。
 以上を繰返して言へば、人の救拯は三段の順程を経て行はるゝのである、其第一が義とせらるゝ事である、英語の justification である、神と義しき関係に入る事である、彼に子として扱はるゝに至る事である、是れが救拯の第一歩である、之に次いで聖くせらる事が来る、英語の sanctification である、神より聖霊を受けて聖書の諸徳を我霊に植附けらるゝ事である、是れが救拯の第二歩である、然し救拯は霊魂の聖化を以て尽きない、之に加ふるに身体の救拯を以てせられなければならない、而して聖められたる霊魂が死なざる壊《くち》ざる体を衣せられ、茲に再たび体を具へたる完全なる人となるに及んで、救拯は完全に遂行せらるゝのである、是れが栄を衣せらるゝ事である、英語の redemption 又は glorification である、義とせられ、聖くせられ、栄を衣せらる、罪を赦され、徳を植えられ、霊の体を附与せられて永生に入る、パウロの救拯観にすべて此三階段がある、此事を心に留めて彼の文書を解することが至て容易《やさし》くなる、例へば
  汝の心中に善業《よきわざ》を始めし者、之を主イエスキリストの日までに全うすべしと我れ深く信ず
とある(ピリピ書一章六節)、此場合に於て「善業を始めし者」とあるは勿論神であつて、彼が救拯の第一歩として信者を召き、之を義とし給ひし事である、「イエスキリストの日までに全うすべし」とあるは、義とし給ひし者の上に其|聖業《みわざ》を継け、之を聖めてキリスト再顕の時にまで及び、終に彼に約束の体を賜ふて、救拯を全うし給ふ(310)べしとの事である、パウロの此一言の中に彼の救拯観が明かに顕はれて居る。
 又羅馬書八章三十節に依て見るに
  又予め定めたる所の者は之を召き、召きたる者は之を義とし、義としたる者には之に栄を賜へり
とある、此場合に於ては義とせらるゝ事が三段に分ちて示されてあり、聖くせらるゝ事が略してあり、栄を賜はる事を以て結ばれてある、予定と聖召とは義とせらるゝ事の前提である、而して義とせらるゝ事の結果は栄を賜はる事である、故に此場合に於ても亦パウロの三段的救拯観は紛ふべくもなく顕はれて居る。
 而してパウロの此救拯観を心に留めて置いて見て、常に難解不明を以て目せらるゝ羅馬書が解するに難からざる書と化するのである、羅馬書を解するの主なる困難はパウロの救拯観を明かにせざるに因る、之を明かにして是を解するは決して困難で無いと信ずる。
 羅馬書第一章十八節より第八章の終り迄がパウロの救拯観を記した者である、人は如何にして救はるゝ乎とはパウロが茲に論究せんとしたる問題である、而して彼は先づ人は如何にして義とせらるゝ乎と云ふ問題に就て論じたのである、而して異邦人に在りては其倫理道徳に由てにあらず、ユダヤ人に在りては其律法の行為に由てにあらず、異邦人に在りても亦ユダヤ人に在りても人の義とせらるゝは其信仰に由ると結論したのである(三章廿八節)、パウロの結論の可なると否なるとは別問題である、彼が人の救拯に就て論ずるに方て先づ彼が義とせらるゝ其途に就て論じて居る事は明確である。
 第一睾の半より第七章の終に渉りてパウロは人は如何にして義とせらるゝ乎に就て論じた、彼はアブラハムの例を引き、又自己の実験に訴へて彼の論拠を明かにした、彼は自己に何の善きことなきことを表白した、彼は叫(311)んで曰ふた
  噫我れ困苦める人なる哉、此の死の体より我を救はん者は誰ぞや
と、而して
  是れ我等の主イエスキリストなるが故に神に感謝す
と曰ひて彼の救拯論の第一段に完結《おはり》を告げた。
 神の前に義とせらるゝは信仰に因る、然らば如何にして実質的に神の子たるを得ん乎、是れ第八章の上半部の論ずる所である、パウロは此問題に答へて曰ふた、
  聖霊に依りてなり
と、第八章の一節より十七節までに「霊」なる辞が十七回も用ゐられてある、  活かす霊(一節)
  キリストの霊(十節)
  イエスを死より甦らしゝ者の霊(十一節)
  神の霊(十四節)
  アバ父よと呼ぶ子たる者の霊(十五節)
 神に義とせられし者、即ち神と義しき関係に入りし者は其|報償《むくい》として斯かる霊を受くるのである、而して之を受けて恩恵より恩恵へと、聖書より聖書へと進行くのである、
  若しキリスト(の霊)汝等の中に在らば体は罪の故に死すと雖も霊魂は義の故に生くべし、而已ならず、若し(312)イエスを死より甦らしゝ者の霊汝等の中に住まば、其霊によりて汝等が死ぬべき体までも生くるに至るべし
とパウロは論じて居る、彼は茲に霊魂の聖化に就て述べて居るのである、即ち救拯の第二歩、即ち聖くせらるゝ事に就て述べて居るのである、人は先づ義とせられて神に納けられ、然る後に子たる者の霊を受け其霊性を聖められて終に「キリストと偕に後嗣たる」の資格に達するのである、故に言ふ
  若し(聖)霊に由りて身体(肉)の行為《はたらき》を殺さば活くべし
と(十三節)、努力奮闘以て肉慾に勝たば活くべしとは言はない、是れ此世の道徳の教ゆる所である、聖霊に由り其能に託りて身体の行為を殺さば活くべしと言ふ、神の聖霊を受け、之をして我霊を占領せしめ、我霊を活かして終に我肉をも征服せしむべしとの事である、如斯くにして信者は聖くせらるゝのである、聖霊を受け、之に由て聖くせらるゝのである。
 而して聖くせられて後如何、パウロは第八章十八節以下に於て救拯の窮極、即ち栄を受くる事に就て述べて居る、
  我れ意ふに今の時の苦は我等に顕はれんとする栄に此ぶべきに非ず
と、聖くせらるゝ事の窮極は是れである、即ち
  神の諸子《こたち》の栄なる自由に入らんこと
である、他の言辞を以て言へば
  我等の身体の贖はれんこと
である(二十三節)、望められたる霊魂が
(313)  天に在り手にて造られざる窮なく存《たも》つ所の屋《いへ》
なる永久|壊《やぶ》れざる身体を衣せらるゝ時に我等の救拯は完成うせらるゝのである(コリント後書五章一節以下参考)、
パウロの観る所に由れば救拯とは斯くも遠大なるものである、単に品性の改まる事ではない、霊魂の救拯に止まらない、身体の贖はるゝ事である、死に由て失ひし身体を再たび死なざる状態に於て取返す事である、品性の救拯、霊魂の救拯、身体の救拯、之を合はして救拯と称ふのである、而して神がキリストを以て我等に施し給はんとする救拯は斯かる宏大無辺、人のすべての思意《おもひ》に過ぎて世に比較るに物なき救拯であるのである、パウロは此事を思ふて感謝讃美頌揚絶叫せざるを得なかつたのである、
  キリストの愛より我等を離絶《はな》らせん者は誰ぞや、患難なる乎、困苦なる乎、迫害《せめ》か飢餓か裸※[衣偏+呈]《はだか》か危険《あやうき》か刀剣《つるぎ》なる乎、…………そは或ひは死、或ひは生、或ひは天使、或ひは執政、天地万物何物も我等を我主イエスキリストに由れる神の愛より離絶する事能はざる也
と(三十五節以下)。
 依て知る羅馬書の大半を占むるパウロの救拯論も亦義、聖、贖の三段的救拯観の敷衍詳説に過ぎざる事を、パウロは決して茫漠雲を攫むが如き論者ではなかつた、神に関し、宇宙に関し、人生に関し、未来に関し、彼は確実なる見解を懐いて居つたのである。
       *     *     *     *
 義とせらるゝ事。人は悔改のバプテスマ(教会の洗礼式に非ず)に由て祝すべき此状態に入るのである。
 聖くせらるゝ事。信者は聖霊の降臨を蒙りて此恩恵に与かるのである。
(314) 栄を受くる事。キリスト再臨の時を待て信者の上に行はるゝのである。
 而して三者等しく神の恩恵に因るのである、我等の努力又は修養又は善行に因るのではない、衿恤《あはれみ》に富める神が我等を愛し給ふ其大なる愛に由りて是等の事を我等の上に行ひ給ふのである、愛、愛、愛、パウロの救拯観も亦畢竟するに愛の一字に帰するのである、故に彼は彼の救拯論を結んで曰ふ  宇宙万物何物も我等を我主イエスキリストに由れる神の愛より離絶すること能はざる也
と(羅馬書八章末節)、愛を少しく論理的に述べたる者、それが羅馬書である、解するに困難なるが如くに見ゆるは僅に其表面である、其中心は聖書の他の部分と異ならない、キリストを以て顕はれたる神の愛の宣言である、斯く解して羅馬書も亦蜜の如き甘き書と成るのである。
 
(315)     〔我心はりまが灘や…〕
                         大正元年12月10日
                         『聖書之研究』149号
                         署名なし
 
 津山よりの帰途明石なる人丸神社の丘上より海を隔てゝ淡路島を眺めて詠める
   我心はりまが灘や茅渟の海
          めぐみに光る淡路しま山
 
(316)     今年のクリスマス
                         大正元年12月10日
                         『聖書之研究』149号
                         署名 柏木生
 
   クリスマス、クリスマス、
   クリスマスは又来りけり、
   而も今年《こんねん》のクリスマスは、
   去年のそれの如くならず。
 
   クリスマス、クリスマス、
   クリスマスは又来りけり、
   楽かりし一群《ひとむれ》の小羊は、
   今は別れて二所に在り。
 
   クリスマス、クリスマス、
   クリスマスは又来りけり、
(317)   我等は此所に之を守り、
   彼女は彼所《かしこ》に之を祝ふ。
 
   クリスマス、クリスマス、
   クリスマスは又来りけり、
   我等に耐え難き悲痛《かなしみ》あり、
   又言尽されぬ歓喜《よろこび》あり.
 
(318)     マリヤの讃美歌
                         大正元年12月10日
                         『聖書之研究』149号
                         署名なし
 
   我心は主を崇めて広し、
   我|霊《たましい》は我救主なる神に在りて喜べり、
   彼れ其|婢《しもめ》の卑賤を顧み給ひたれば也。
 
   視よ今より後世々の人々我を恵まれたる者と称へん、
   権能ある者我に大なる事を為し給へり、聖なる哉其|名《みな》、
   其衿恤は世々彼を畏るゝ者に及ばん。
 
   彼れ其腕の力を現して心の驕れる者を散し給へり、
   権柄ある者を位より下し卑賤き者を挙げ給へり、
   飢たる者を美食《よきもの》に飽せ富める者を空しく去らしめ給へり。
(319)   彼れ其衿恤を憶えんがために其僕イスラエルを扶け給へり、
   アブラハムと其の子孫とに世々限りなく之を及し給はん、
   実に我等の先祖|等《たち》に告げ給ひしが如し。
          (路加伝一章四十六−五十五節、自訳)
 
一九一三年(大正二年)一月―五月
 
(323)     〔基督者の新年 他〕
                         大正2年1月15日
                         『聖書之研究』150号
                         署名なし
 
    基督者の新年
 
 基督者の新年は年が改まりて来らず、彼の新年は彼がキリストを信ぜし時に已に来れり、其れ以前はすべて旧年なりき、其れ以後はすべて新年なり、
  是故に人、キリストに在る時は新たに造られたる者なり、旧きは去て皆な新らしくなるなり(哥後五の十七)、汝等已に旧人《ふるきひと》と其|行為《おこなひ》を脱ぎて新人を衣たり……此新人は愈々新たになり、人を造りし者の像《かたち》に従ひて(真の)知識に至るなり(コロサイ書三の九、十)、
 我等は此世の人に傚ひ年が改まりたればとて敢て殊更に新たになれりと思はず、常にキリストの新生に浴して日々元旦を祝しつゝあり。
 
    神の恩恵の福音
 
 我は我主イエスより受けし職務《つとめ》即ち神の恩恵の福音を証《あかし》する事を遂げんためには我生命をも重んぜざる也。(324)(行伝二十章廿四節)。
 神の恩恵の福音なり、荘厳なる儀式に非ず、厳格なる道徳に非ず、厳正なる哲学に非ず、神の恩恵の福音なり、神我等の罪を除き、神我等を義とし、神我等を聖め、神我等に栄を賜ふと説く神の恩恵の福音なり、罪人に関はる神の善き聖意を伝ふる福音なり、我は時を得るも時を得ざるも、今年も亦励みて此喜ばしき神の恩恵の福音を宣伝へんと欲す。
 
    基督教の説明
 
 余輩は基督教を説明せんとせず、基督教を以て人生を説明せんとす、神の啓示として見たる基督教は信ずべき者にして説明すべき者にあらず、基督教に関する説明が悉く無意味に終るは是れがためなり、余輩は不可能を企図し、説明すべからざる者を説明せんとして、博士ジョンソンの言へるが如く、牡牛に就て乳を搾らんとするが如き無益の業に従事せざらんと欲す。
 
    同情の意義
 
 同情とは自己を他の地位に置き、彼の如く感じ、彼の如く思ひ、彼の如く苦しむ事である、即ち自己を虚うして他人の如くに成る事である、自己を他人に与ふる事である、故に最も辛らい事である、犠牲の最も大なる者である、本当に他人に同情して我は我が精力の尽くるのを感ずるのである、同情とは他人が活きんがために自己が死ぬる事である。
(325) キリストが己れを虚うし僕の貌を取りて人の如く成れりとは此事である(ピリピ書二の七)、彼は人を愛するの余り神たる自己を虚うして人の如く成り給ふたのである、神が人と成りたりと云へば如何にも不思議な事のやうであるが、然し神が人に対する同情の余り神たる其性を去りて人と成り給へりと云ふ事は決して信じ難い事ではない、罪に沈める我等でさへ時には自己を忘れ、自己を去り、自己を無有《なきもの》となして他人の如くなるのである、霊なる人に斯かる事を為すの力が在る、況して神に於てをや、本当の同情の何たる乎を知る者は神が肉体となりて人と成りしと聞いて怪まない。
       ――――――――――
 
    カルビンの肖像に題す
 
 此人ありしが故に地球の表面は一変せり、此人ありしが故に弱き和蘭《ホランド》は起りて強き西班牙を挫き、平民政治の模範を世界に提供せり、此人ありしが故に征服されし蘇格蘭《スコツトランド》は信仰を以て其征服者なる英吉蘭《イングランド》を征服せり、此人ありしが故に英国に清党起り、西半球に平民国の連続を見るに至れり、此人ありしが故に聖書は世界的大勢力となれり、此人ありしが故に美術は平民を画くに至り、政治は平民に由て平民のために施さるゝに至れり、偉大なる哉カルビン、余は彼の偉貌に対して畏敬、欽仰の念を禁ずる能はず。
 
    不信国の欠乏 詩と詩人
 
 不信国に進歩せる文明がある、強固なる政府がある、強大なる陸海軍がある、完備せる警察がある、複雑なる(326)法律がある、憲法がある、教育がある、善き交通機関がある、銀行がある、保険がある、有ゆる会社がある、新聞がある、雑誌がある、美はしき文学がある、之に循じて大政治家が居る、大軍人が居る、大法律家が居る、大経済学者が居る、実業家が居る、批評家が居る、小説家が居る、才能と智識の方面に於て多くの敬ふべき人が居る、劇がある、劇場がある、劇作者が居る、又理学、文学、法学、工学の方面に於て多くの大家が居る、斯く算へ来て不信国に無きものは一つも無いやうに見える、其国民の多数が之れ以外に何をも要めないのは敢て怪しむに足りない。
 然し不信国に一ツ無いものがある、高遠なる詩歌がない、循て偉大なる詩人が居らない、理想を供し、未来を示す預言的詩人が居らない、此欠乏は不信国の特徴である、不信は此世のすべての事に於ては成功するが、此世以上の事に於ては失敗である、不信国より預言者は起らない、詩人は出ない、其れは其筈である、神を認めず、キリストを斥け、福音を蔑視み、来世を嘲ける国民の中より永生と天国と窮りなき栄光とを歌ふ詩人の出でやう筈はない、不信国は大詩人の欠乏、寧ろ其皆無に由て不信の罪を宣告せらるゝのである。
 然し深く考へて見て世に詩に勝さるの宝はないのである、詩人に勝さるの人物は無いのである、一人のミルトンを得んがためには百千人の政治家又は経済学者又は法律家を失ふても可い、国に一人のヱレミヤを有つは大軍隊を有つに勝るの勢力である、而してすべての強大国は之を有つたのである、英国よりチヨーサー、ミルトン、シェークスピヤ、ヲルヅヲス、ブラウニング、テニソンを除きて何にが永久に貴い者が残る乎、独逸、伊太利、那威、丁抹、然り、露西亜、西班牙、葡萄牙さへもせ界的大詩人を有つたのである、大なる詩歌と偉大なる詩人が欠けて国に其存立上肝要なる者が欠けて居るのである、国の生命は其詩歌である、其先導者は其詩人である、(327)詩歌と詩人と無くして国民は盲人である、彼等は幽暗に歩むが故に終に溝の中に落て泥水の中に沈まざるを得ない。
 然れば我等は祈らんかな大詩人の出んことを、而して大詩人を得んがために、其準備として天国の福音を説かんかな。
 
    伝道と伝道
 
 伝道がある又伝道がある、善い伝道がある又悪い伝道がある、為すべき伝道がある又為すべからざる伝道がある、我等は善い為すべき伝道に従事すべきである、然れども悪い為すべからざる伝道には断然従事すべからずである。
 先づ悪い伝道に就て言はんに、悪い伝道とは所謂教勢拡張のための伝道である、弟子を作るための伝道である、教会員を殖すための伝道である、是れ悪い伝道である、キリストが固く禁め給ひし伝道である。
  あゝ禍ひなる哉偽善なる学者とパリサイの人よ、そは汝等※[行人偏+扁]く水陸を歴巡り一人をも己が宗旨に引入れんとす、既に引入るれば之を汝等よりも倍したる地獄の子と為せり
と(マタイ伝廿三章十五節)、是れ悪い伝道の模範である、而かも学者とパリサイの人に限らない、自から基督信者と称する者が屡々従事する伝道である、名は伝道である、実に立派である、然し実は伝道ではない、自己の拡張である、名を伝道に藉りて悪魔の如くに全世界を己が有となさんとする事である、忌むべく憎むべき者にして此種の「伝道」の如きは無い。
(328) 悪い伝道に対して善き伝道がある、是れはキリスト御自身が従事し給ふた伝道である、天国建設のための伝道である、霊魂を救ふための伝道である、慈悲と愛とより出て自己を殺して従事する伝道である、斯かる伝道をキリストは我等に命じ給ふのである、
 汝等往きて父と子と聖霊の名にバプテスマして(「洗礼を施して」に非ず)万国の民を弟子とせよ(マタイ伝廿八章十九節)、
  父の我を遣しゝ如く我も汝等を遣さん(ヨハネ伝二十章廿一節)、
  若し我れ福音を宣伝へずば実に禍ひなり(コリント前書九章十六節)、
 伝道は基督信者の義務である、伝道は基督信者の特権である、誠にキリストを信じて我等は伝道者たらざらんと欲するも得ないのである、キリストの福音は哲学ではない、故に独り楽しむことの出来る者ではない、是は生命である、而して生命は蕃殖せざれば止まない、生命が伝播を廃めた時は其死んだ時である、我れ独り信じて我れ独り之を楽しみ得るやうな者は生命の道なるキリストの福音ではない、「已むを得ざる也」である、真の基督信者の伝道は已むを得ざる事業である。
 然れども彼は自己を説かない、
  我等自己の事を宣るに非ず、唯キリストイエスの主たる事、又我等イエスに由りて汝等の僕たることを宣るなり
とパウロは曰ふた(コリント後書四章五節)、是れは「一人をも己が宗旨に引入れんとす」る学者パリサイの人の伝道とは正反対である、此精神を以て伝道に従事したからこそパウロは自から水のバプテスマを授くることをさ(329)へ避けたのである、
  此は我名に託りてバプテスマを施すと人に言はれんことを懼れたれば也
と彼は言ふて居る(仝前書一章十五節)、キリストの霊に導かれて伝道に従事して教会員増殖に従事せんと欲するも能はずである、福音は自己を殺す者である、故に自己を中心とし我教会と云ひて憚からざる今の所謂教会とは全然相容れざる者である、キリストの伝道と教会の伝道とは其根本の精神を異にする。 然れば我等キリストの弟子たる者はキリストの命に従ひ彼の心を以て伝道すべきである、教会の伝道が学者パリサイの人の伝道であればとて我等は伝道を避けてはならない、然り、之を怠りてはならない、教会は教会である、我等は我等である、我等に我等の「作り」し「信者」を収容するの教会が無しとて我等は愛の福音の宣伝と霊魂の救拯とを怠つてはならない、
  我等神の撰択《えらび》を得て福音を伝ふることを委ねられたるに由りて語るなり、此は人を悦ばするに非ず、我心を察し給ふ神を悦ばする也
と(テサロニカ前書二章四節)、パウロの此心を以て伝道に従事して伝道は決して恥づべき忌むべき嫌ふべき事業ではない、反て誇るべき讃むべき、貴むべき事業である。
 
(330)     福音の恩恵的解釈
                         大正2年1月15日
                         『聖書之研究』150号
                         署名 内村鑑三
 
 福音は固と是れ神の恩恵の福音であれば、是れは恩恵的に解釈すべき者であつて律法的に解釈すべき者でない、福音を律法的に解釈して福音は福音でなくなるのである、パウロの言を以てすれば、斯く為してキリストの死は徒然《いたづら》なる業となるのである(ガラタ書二章末節)。
 然るに事実は如何である乎と云ふに、大抵の人は、然り、大抵の基督信者までが、福音を律法的に解釈せんとするのである、今、試に馬太伝五章八章に就て見るに、
  心の清き者は福なり、其人は神を見ることを得べければ也
とある、キリストの此言に対する大抵の人の見解は全然律法的である、彼等は山上の垂訓と云へばモーセの律法に対するキリストの律法であると思ふ、モーセがシナイ山の巓に於て神より授かりし十誡の更らに厳正なる者がキリストの山上の垂訓であると思ふ、故に彼等は恩恵に富めるイエスの是等の言に接しても感謝を感ぜずして反て恐怖を感ずるのである、
  汝、心を清くせよ、然らば汝、神を見るを得べし
と、彼等は斯くの如くに垂訓の此一条を解するのである、然るに心を清くせんと欲して清くする能はず、却て其(331)反対なる汚濁のみ之を認むるを得て、彼等は己れに失望し、神を見るの資格なき者として終に福音より遠かるに至るのである。
 乍然、キリストは決して斯かる事を教へ給ふたのではない、彼は
  先づ汝の心を清くせよ
と言ひ給ふたのではない、
  心の清き者は福ひなり
と言ひ給ふたのである、我等は先づ第一に「福」なる言辞の意味を探つて見なければならない、「福」とは福祉を神より受くるの意である、故に是れは「恵まる」と訓んで差支の無い言辞である、福祉《さいはひ》は恩恵の結果である、今、原因を結果に代へて読んで意味は一層明白になるのである、
  心の清き者は恵まれたる者なり
と、斯く読んでキリストの此言辞が明かに恩恵の調子を帯びて来るのである。 次ぎに究むべきは「心の清き」と云ふ言辞である、是れは清浄潔白一点の汚穢を留めずと云ふ事であらふ乎、若し爾うであるならば何人も斯かる状態に達することは出来ない、循つて何人も神を見る事は出来ないと云ふ事になるのである、然し爾うでありやう筈はない、神は人より無きものを要求し給はない、誠にヨブが言ひし如くである、
  誰か清き物を汚れたる物の中より出し得る者ありや、一人も無し
と(ヨプ記十四章四節)、汚れたる人が神を見ることが出来る丈けに清く成り得やう筈はない、神は能く此事を知(332)り給ふ。
 故に「心の清き」とは「清きを求むる」の意であるに相違ない、即ち「饑え渇く如く義を慕ふ」と云ふと殆んど同意義の言辞であるに相違ない、既に清く成りたる心ではない、心の清浄を求めて悶え苦しむ状態である、普通の言辞を以て言へば「鋭き良心」である、ジヨン・バンヤンが有ちしやうな自己の汚穢に堪えずして常に泣叫びし心の状態である、実現的の清浄ではない、預望的の清浄である、罪に生れし人間の清浄は是れ以上に達することは出来ない。
 キリストは言ひ給ふのである、
  鋭き良心を以て己が衷を索り、其汚穢に堪えずして泣悲しむ者は神に恵まれたる者なり
と、而して是れ事実であるのである、罪を悲しむの心は是れ確かに神の大なる恩賜である、世には此悲歎を感ぜざる者が多いのである、他人の汚穢は能く之を見ることが出来るが、自己の汚穢は之を見るの眼の無い者が多いのである、特別に神に恵まるゝに非れば心の此清浄を持つことが出来ないのである。
 然し恩恵は茲に止まらないのである、汚穢を認むるの心の眼を賜はりしは、是れ軈て之を取除かれて神を其清浄に於て仰ぎ奉るに至るの預兆であるのである、
  其人は神を見ることを得べければ也
とある、己の汚穢に堪えずして清浄を望んで止まざる者は終に赦罪の福音を齎して世に降りし神の子に由りて父なる神を仰瞻るに至るのである、イエスキリストの御父なる真の神は罪人は之を己れに近づけ給はざる峻厳義罰の神ではない、彼は罪を赦し給ふ神である、衿恤の神である、慈愛の神である、清浄を追求して罪に泣く者は終(333)に斯かる神を見るに至るべしとの事である。
 神は自己《おのれ》を罪人に示さんと欲し給ふのである、而して罪人を自己に引附けんがために彼に汚穢に堪えざるの心、即ち清き心を賜ふのである、罪に苦しむの心、是れ神よりの恩賜である、此恩賜を授かりし者は実に恵まれたる者である、其故は彼は特別に神に招かれたる者であるからである、彼は軈て天の筵に侍《はん》べり、霊の饗応《ふるまい》に与かるのである、其れ故に彼は恵まれたる者である、キリストは山上の垂訓の発端に於て恵まれたる者の目録を示されたのである、新たなる律法 布かれたのではない。
  心に清浄を追求むる者は神に恵まれたる者なり、其人はイエスキリストの御父なる愛の御神を終に見ることを得べければ也。
 山上の垂訓はすべて此例に傚つて解釈すべき者であると思ふ、新約聖書全体も亦斯の如くに解釈すべき者であると思ふ。
 
(334)     〔主イエスキリスト 他〕
                         大正2年1月15日
                         『聖書之研究』150号
                         署名なし
 
    主イエスキリスト
 
 活働ではない、主イエスキリストである、修養ではない、主イエスキリストである、祈祷ではない、主イエスキリストである、キリストである、キリストである、基督者《クリスチヤン》の全部《すべて》は彼れである、此事を知らない者は基督教を知らない、我等基督者に人の知らない平和と満足と歓喜とあるは此事あるが故である。
 
    旗幟鮮明
 
 罪の此世に対して.は基督信者なり、制度と規則と信仰箇条と情実纏綿との教会に対しては無教会信者なり、余輩は今年も亦愈々益々余輩の此態度を鮮明になさんと欲す。
 
    生活の質素
 
 弟子は其師の如く僕は其主の如くならば足りぬべし。我等の食物、我等の衣服、我等の居住にして若しイエスのそれ(335)の如くならは足りぬべし 其れ以上を望むべからず、若しイエスの生活状態を以て我等の模範となすならんには我等に何の不幸もなかるべし、我れ貧しと雖も未だイエスの如く貧しからず、我れ乏しと雖も未だイエスの如く乏しからず、然り、弟子は其師の如く僕は其主の如くならば足れり、ナザレのイエスを主として仰て我等は質素ならざらんと欲するも能はず。馬太伝十章廿五節。
 
    破門の権能
 
 何れの教会を問はず教会と称する教会はすべて破門の権能を保有す、希臘正教会は羅馬天主教会を破門し、天主教会は新教《プロテスタント》諸数会を破門し、ルーテル教会はカルビン教会を破門し、而して又新教会は相互を破門す、若かず始めより教会に入らずして他をも破門せず自身も亦破門せられざらんには。
 
(336)     人類の救拯
        (札幌講演第三回)
                         大正2年1月15日
                         『聖書之研究』150号
                         署名 内村鑑三
 
 救拯に三段がある、其第一は義とせらるゝこと、第二は聖くせらるゝこと、第三は栄を賜はること、而して是れ皆な神の恩恵に出て彼に由て信者の上に施さるゝことであるとは羅馬書第一章十七節より第八章の終りに至るまでのパウロの論旨である、人の救拯は今世を以て終らない、来世に於て継続せらる、救拯は永遠に渉る神の御事業であるとは余が前回の講演に於て述べた所である。 然し是れ皆な個人の救拯に就て言ふたのである、パウロは羅馬書の半分を個人の救拯論に与へたのである、然し救拯は勿論個人にのみ限らるゝ者ではない、神は少数の個人を救ふて其れで満足し給ふが如き者ではない、
  万人の救拯を受け真理《まこと》を暁《さと》るに至らんことは神の欲し給ふ所なり
とある(テモテ前二の四)、神が施し給ふ救拯であれば是れ永遠に渉ると同時に又全人類を懐抱する救拯でなくてはならない、故にパウロは個人の救拯に就て論じ悉して彼の救拯論を結ばなかつた、彼は全人類の救拯に就て一言せざるを得なかつた、是れ羅馬書の第九章以下三章に渉り彼が為す所である。
 神は驚くべき手段と方法とを以て個人を救ひ給ふ、パウロ自身も亦斯の如くにして救はれたのである、然し神(337)の救拯に与りし彼れバウロは利己主義者ではなかつた、彼は己れ一人救はれさへすれば其れで満足するが如き者ではなかつた、彼は己の霊魂を重んじた、故に、神の恩恵に由て、己が霊魂の永遠の救拯に与りしを知るや、
  宇宙万物何物にても我等を我主イエスキリストに頼れる神の愛より絶らすること能はざるなり
と絶叫したのである(八章末節)、然しながら彼れパウロには己が霊魂よりも更らに貴い者があつたのである、其れは彼の同胞であつた、彼の国であつた、神の造り給ひし全人類であつた、彼は是等の救拯を望んで止まなかつたのである、故に彼は又彼の心の奥底の切願《ねがひ》を述べて言ふた、
  我はキリストに属ける者なれば我が言は真にして偽なし、且つ我が良心は聖霊に在りて我に大なる憂愁《うれひ》ある事と心に耐へざる苦痛《いたみ》のある事とを証《あか》す、若し我が兄弟、我が骨肉の為めならんには我はキリストより絶れ沈淪《ほろび》に至らんも亦我が願なり
と(九章一−三節)、宇宙万物何物にても我を我主イエスキリストより絶らすること能はざるなりと言ひて後、直に又「キリストより絶れんも亦我が願なり」と言ふ、パウロは茲に虚偽を語りて居るが如くに見ゆれども決して爾うではない、彼は彼の実験有の儘を語つて居るのである、己の救拯に就て思はんか、彼は感謝、歓喜、讃美に耐へなかつたのである、彼の国人の状態に就て思はんか、彼は憂愁、悲歎、苦痛に耐へなかつたのである、自己に就ては天にも昇りたき程嬉しく感じた、同胞イスラエルに就ては彼等に代て死にたき程悲しく感じた、パウロは基督者《クリスチヤン》であつて同時に又愛国者であつた、然り、真の基督者であつて熱烈なる愛国者たらざらんと欲するも能はずである。
 イスラエルは救はるべき筈の者である、
(538)  神の子とせらるゝ事、また栄光、また契約、また律法、また祭儀、また約束、是れ皆な彼等のものなり、列祖は彼等のものなり、又肉体に由りて言へばキリストは彼等より出たり(四、五節)、
 イスラエルは斯かる資格を有する者である、然るに事実は如何にと言ふに、彼等はキリストの救拯に与らざるのみならず、反て栄光の主を十字架に釘け其僕を迫害して止まないのである、パウロは此事を思ふて怪訝に堪えなかつたのである、彼は時に己の心に問ふて曰ふた
  神は其民を棄たまひし乎
と(十一章一節)、然し彼は爾か信ずることは出来なかつた、故に彼は断乎として此問に答へて曰ふた
  決して然らず
と(仝)、神がイスラエルを棄て給ひしが如くに見ゆる其中に、深き意味が無くてはならない、神は理由《わけ》なくして暫時たりとも其民を棄て給ふ筈はない、而して※[譚の旁]思沈究の結果、彼は其理由に思ひ当つたのである、其れは救拯が異邦人に臨まんがためであると彼は覚つた、
  是れ彼等の墜落に由り救拯の異邦人に臨み彼等に羨妬を起さんためなり
と(十一章十一節)、イスラエルが福音を斥けし其理由は福音が異邦人に臨まんがためであつた、
  (ステパノ死して後)ヱルサレムの教会に大なる迫害起り、使徒等の外は皆なユダヤとサマリヤの地に散らされたり……是に於て散らされたる者等|※[行人偏+扁]く往きて福音を宣伝へたり
とある(行伝八章一節、四節)、イスラエルが福音を斥けたのは実は之を異邦に送らんがためであつた、人の怒は時には神の義を行ふ者である、イスラエルの福音排斥は慧き神の摂理の下に人類救拯の一手段となつたのであ(339)る、故にパウロは羅馬に於ける彼の信仰の兄弟に告げて言ふたのである、
  兄弟よ、我れ汝等が自己を智《かしこし》とすることなからんために此奥義を知らざるを欲《この》まず、即ち一部分のイスラエルの頑硬《かた》くせられしは異邦人全体の入来らん時までなり、而して後イスラエルの全体は救はるゝを得ん
と(廿五、廿六節)、即ち、パウロは言ふたのである、
  異邦人の中より撰まれてクリスチャンたるを得しロマに於ける我が愛する信仰の兄弟は、汝等がイスラエルに先んじてキリストの救拯に入りたればとて、自から己を貴とし、己を智としてはならない、其事なからんがために我は此奥義を汝等に示すべし、即ち一部分のイスラエルが其心を剛愎《かたく》なにし、神の福音を斥け其使者を逐ひしは其中に深き摂理が存するのである、是れ救拯が先づ異邦人に臨み、彼等全体が之に入来らんがためである、而して此事の成就せし暁にはイスラエルの全体も亦救はるゝのである、即ち歴史の此順序たる異邦人をも救ひ、亦イスラエルをも救はんとの神の大智に出たのである
と、パウロは又同じ事を他の言を以て言ふた、
  今、彼等(イスラエル)の背けるは汝等(異邦の信者)の矜恤を受くるに因りて(彼等も)亦矜恤を受けんため也
と(三十一節)、神は偏視《かたよりみ》る者に非ず、彼は特に異邦人を愛してイスラエルを憎み給はず、神は等しく異邦人とイスラエルとを愛し給ふ、彼は世界万民を愛し給ふ、一人の亡ぶることをも欲み給はず、すべての人の悔改《くひあらため》に至らんことを欲み給ふ(ペテロ後三の九)、神の愛は之を全般的にのみ解することが出来る、部分的に解することは出来ない、全人類を救はんとするが彼の最後の目的である、彼がパロの心を剛愎にし給ひしも是れがためであつた(九章十七節)、
(340)  神は矜恤まんと欲ふ者を矜恤み、剛愎にせんと欲ふ者を剛愎にせり
と文字の儘に読んで(十八節)、我等は神の愛を疑はざるを得ずと雖も、而かも是れ
  我が権能《ちから》を顕はし、又我名(其名は愛なり)を※[行人偏+扁]く世界に伝へんためなり
と知りて、神に若し気儘勝手があるとするも、是れ至愛より出る気儘勝手であることを知るのである、人を剛愎にするは神に取りては唯一時の手段に過ぎない、其の最後の目的は衿恤である、故にパウロは九章以下三章に渉る彼の人類救拯論を結んで言ふた、
  夫れ神は万人を衿恤まんがために万人を不信に閉籠め給へり
と(十一章三十二節)、大胆なる隠喩とはパウロの此言である、矜恤まんための閉籠である、恵まんための鞭である、永久に納《う》けんための暫時的勘当である、万人を矜恤まんとするのが神の聖意であつて、造化の目的、歴史の趨勢、宇宙万物の帰着点である、イスラエル人も、異邦人も、欧羅巴人も亜細亜人も、日本人も支那人も人と云ふ人、国民と云ふ国民、彼等すべてに愛なる彼の聖名を伝へ、彼等をして同一の父を認め、相互に兄弟姉妹たらしめん事、其事が人類全体の歴史を貰いて働く所の神の善き聖意である、此事を思ふて、パウロは彼の胸中に湧出《わきいで》し、抑えんと欲して抑ゆる能はざる讃美、感謝、敬嘆の念を茲に吐露したのである、
  嗚呼神の智と識とは深い哉、其判断は測り難く、其途は索《たづ》ね難し、誰か主の心を知りし、誰か彼と共に議りし、誰か先づ彼に与へて其報を受けんや、そは万物は彼より出で、彼に倚り、彼に帰ればなり、願くは栄光世々神にあれ、アーメン
と(十一章三十三節以下)。
(341)       *     *     *     *
 パウロは人類を二種に分類した、其第一がイスラエル人で第二が異邦人である、イスラエル人は一名ユダヤ人であつて今日の猶太人である、異邦人とはユダヤ人以外の当時の文明人種であつて、主として希臘人並に羅馬人であつた、人類学的に言へば是れ甚だ不完全なる人類の分類法である、乍然、パウロは宗教家であつて人類学者ではなかつた、故に彼は宗教的に人類を分類したのである、ユダヤ人は神の黙示に与かり律法を授かり、特種の指導を受けた民である、異邦人は良心と智識の指示に由りて神に近づかんとした民である、神の臨在に与かりし民、神に接近せんとせし民、宗教的に人類を分類すれば是れ以外に無いのである、黙示を受けし民、哲学を有する民、神の光に歩むの民、人の智識に倚るの民、ユダヤ人は前者であつて、異邦人は後者であつた、宗教的に考へてパウロは人類の分類法を誤らなかつた。
 而して宗教的に観察してユダヤ人は確かに人類の半分である、其総数今や全世界を通うして一千三百万に充たずと雖も、然かもユダヤ人は今日と雖も猶ほ世界の大勢力である、世界の金力は猶太人の手に把握せらる、欧洲大陸の新聞紙は多くは猶太人の経営に成る者である、人口に比例して猶太人ほど世界的大人物を産出した民はない、楽譜家としてはメンデルゾーン、神学者としてはネアンデル、政治家としてはヂスレーリ、新聞通信員として大国の宰相にも劣らざる大勢力を揮ひしゾローヰッツ、其他活動の諸方面に於て猶太人が産出せし偉人大家は挙げて算ふべからずである、近頃完成せし『猶太百科全書』なる者の有名なる『大英百科全書』に勝さるの大冊であるを知て、猶太人の人類進歩に貢献せし事如何に多き乎を予想することが出来る、而して猶太人は世界に在て最も古い民である、アブラハムがカルデヤを出し時に始まり連綿として五千年後の今日に至りし民である、旧(342)約聖書を作り、新約聖書を作り、世界最大の文学と称せらるゝ聖書を作つた民である、其れ丈けを以てしても彼等は一大民族として世界に闊歩する資格を有する民である、猶太人は実に強烈なる民である、悪にも強ければ又善にも強き民である、若し此民にして終にキリストの福音を受くるに至らん乎、是れ確かに福音の復興、万民の覚醒、地上に於ける黄金時代の到来を告ぐる事件である、実にパウロの言ひしが如し、
  若し彼等の墜落が世界の富となり、其衰退が異邦人の富となりしならば、況して彼等の栄《さかん》なるに於てをや
と(十一章十二節)、又
  若し彼等の棄らるゝこと世の和らぎとならば其納けらるゝは死たる者の中より生くるに同じからずや
と(仝十五節)、猶太人の栄ふることは世界の栄ふることである、彼等の神に納けらるゝことは人類の復活することである、人類が待望する事にして猶太人の覚醒の如きはない、猶太人が彼等が曾て十字架に釘し所のナザレのイエスを神の子、人類の救主として認むる時は世界に道徳的大革命の起る時である。
 而して斯かる時は終に至るのである、聖書は明かに此事を予言して居る、神は其約束を忘れ給はない、而して五千年間に渉り其撰民を保護りて今日に至り給ふた、異邦人が悉く福音に入来らん後に猶太人が入来るのであると言ふ、
   救者《すくひて》はジオンより出来らん
   彼れヤコデの不虔を取除かん
   我れ彼等に立ん所の誓は是れなり
   我れ其時彼等の罪を除かん
(343)とある(十一章廿六節)、猶太人が其罪を取除かれて神と和らぐ時は必ず来る、斯くの如くにして全人類は其最後の救拯に近づくのである。
       *     *     *     *
 神は斯くの如くにして人類を救ひ給ひつゝある、一たびはイスラエルを棄て異邦人を救ひ、而して異邦人を救ふて再びイスラエルを救ひ給ふ、人類の歴史は其救拯の過程として見ることが出来る、国の興亡、民の盛衰、是れ皆な人類の救拯の進行に外ならないのである、神は是を恵んで彼を詛ひ給ふのではない、是をも彼をも万民を救はんとして居たまふのである。
 然れば我等召されて神の子とせられし者は彼の此心を以て我等の心となし、万民救拯のために我等の身を委ぬべきである、世には勿論国家救済、社会改良と唱へて己が霊魂の救を省みざる者がある、信仰は固々個人的である、神と我との関係である、個人的ならざる信仰は根拠の無き信仰である。
  噫、我れ困苦める人なる哉、此の死の体より我を救はん者は誰ぞや
と言ひてパウロと偕に叫んだ事の無い人は神を其最も深き所に於て知る事の出来ない者である(七章二十四節)、己が霊魂の深き所に根拠を据えざる信仰は、以て社会をも、国家をも救ふことは出来ない。
 乍然、我が救拯は我れ一人の救拯を以て成るものではない、我が救拯の中に人類全体の救拯が含まれて居るのである、我の完全に救はるゝ時は我と共に人類全体が救はるゝ時である、人類は一体である、我は其一肢に過ぎない、神の目的は人類全体を救はんとするにある、彼が我を救ひ給ひしは彼の此の目的を達せんがためである。
 宗教を公的にのみ見るの危険があると同時に又之を私的にのみ解するの危険がある、乍然、宗教は私的に始つ(344)て公的に終るべき者である、完全なる信仰は円形ではない、楕円形である、自と他との二点を中心として画かれたるものである、自己を中心と為さなければならない、然し自己のみでは足りない、他をも亦中心と為さなければならない、キリストに由て救はれし自己が同情的にせ界的に拡大して我は始めてキリストの救拯を実得することが出来るのである。
 茲に於て伝道の必要が起るのである、伝道は義務ではない、我が霊魂の救済上の必要である、人類の救拯は神の目的である、而して神の子と成るを得し我等に又父の此目的が無くてはならない、然らざれば我等は子ではないのである、
  我父は今に至るまで働らき給ふ、我も亦働くなり
とイエスは言ひ給ふた(ヨハネ伝五の十七)、父の働らき給ふが如く我等も亦働かざるを得ない、人類の救拯は父の事業である、我等も亦、此事業を以て我等の事業と為さゞるを得ない。
 人類の救拯、日本人の救拯、支那人の救拯、暹羅人の救拯、印度人の救拯、土耳古人の救拯、嗚呼我等の一生も亦多事なる哉である、我等の事業は水の大洋を掩ふが如くにヱホバの栄光が全世界を蓋ふまでは終了らないのである、是れが基智者たるの特権である、信者はキリストと偕に万国を治むると云ふ事は此事である、万国の上に権威を揮ふと云ふ事ではない、万国に愛の福音を宣伝へて、彼等と偕に窮りなく神の恩恵に洛することである、パウロの勧告の言として伝へられてあるテモテ前書二章一節は基督者各自に取て最も適切なる言である、
  我れ殊に勧む、汝等万人のために※[龠+頁]告《ねが》ひ祈祷り、懇求《もと》め、感謝せよ。
と。
 
(345)     質問の数々
         知らず知らずの記
                         大正2年1月15日
                         『聖書之研究』150号
                         署名 内村生
 
 地方に伝道して余輩が牧師又は伝道師又は神学生の諸氏より受くる質問は大抵左の如き者也。
問 中央に於ける教勢如何。
答 余輩は知らず、余輩は所謂宗教界に出ず、随て宗教家と交はること甚だ稀れなり、余輩は中央に限らず全国到る所に福音の渇求あることを知る、余輩は又今の基督教会なる者の此渇求に応ずる能はざる事を知る、余輩は其他を知らず、余輩自身は常に多忙を極む。
問 近時思想界の基督教に対する傾向如何。
答 余輩は知らず、思想界の傾向とは蓋し雑誌新聞紙の論調を指して云ふなるべし、而して是れ世に所謂る文士なる者の思想を謂ふに過ぎざれば、之を知りたればとて伝道上稗益する所甚だ尠し、文士は文士にして労働の子に非ず、随て彼等の多数は真面目なる人に非ず、霊魂の饑渇を感じ砕けたる心を以て救はれんためにキリストに来らんとする人に非ず、彼等は平民の心を知らず、労働者の苦痛を語らず、文士は余輩と縁の最も遠き者なり、余輩に彼等の思想を知るの必要なし、余輩は彼等に聴かんと欲せず、神に聴かんと欲す、彼(346)等の思想を知らんと欲せず、多数民衆の霊魂の欲求を知らんと欲す、思想界近時の傾向如何の如き余輩の全然度外視する問題なり。
問 社会の各階級に接触し、之をして基督教に入らしむるの途如何。
答 余輩は知らず、余輩がキリストの福音を宣伝ふるに方て余輩の眼中に階級あるなし、富者あるなし、貧者あるなし、智者あるなし、愚者あるなし、貴人あるなし、賤夫あるなし、学者あるなし、無学者あるなし、余輩はすべての人に向て同じ事を説く、曰く悔改めよ、十字架を仰瞻よ、而して救はれよ、汝自身が罪人の首なるを覚れよ、而して人に誉められずして神に誉めらるゝ者と成れよと、然り、余輩は社会に接触せんと努めず、余輩は唯聖書其儘を宣伝ふ、而して聖霊御自身が聖書の言を以て彼等の或者を救ひ給ふを待つ、余輩の眼中に神とキリストとあり、彼の簡み給ひし霊魂あり、其他県知事あるなし、郡長あるなし、有力者あるなし、有志者あるなし、聖書は明白に教へて言ふ
  我兄弟よ、汝等栄の主なる我等の主イエスキリストの信仰の道を守らんと欲せば人を偏視《かたよりみ》ること勿れ
と(雅各書二章一節)、社会各階級に接触せんと努むるが如き、是れ人を偏視るに非ずして何ぞや、単純の福音は之を単純に説くべきなり、社会各階級に順ひ手段と方法とを異にするが如き、是れキリストの福音を説くの途にあらざるなり。
問 信仰に徹底するの途如何。
答 余輩は知らず、徹底云々の如き禅宗臭味の言辞を解せず、何故に「余は救はれんがために何を為すべき乎」と問はざる、何故に自己を質問の題目とせざる、何故に哲学者を気取りて信仰を知識的に解せんとする、此(347)傲慢、此無責任、此自己を匿くして真理を獲得せんとする狡獪、是れありて真の信仰に入る能はず、信仰に徹底せんとする乎、哲学者を気取るを止めよ、神学者たらんとするに先だちて基督者となれよ、謙遜れよ、真面目なる人と成れよ、而して汝の欲するが如く「信仰に徹底」せよ。
問 自己に死したる自我とは如何なる者ぞ。
答 余輩は知らず、何人か能く之を知るを得ん、縦し知ると雖も何を以てか之を説明するを得ん、画家は之を画く能はず、文士は之を叙述する能はず、「自己に死したる自我」、是れ如何なる者ぞ、汝は斯かる問題を設けて余輩を苦しめんとするのみ。
 「死したる自我」とよ?、嗚呼然り、十字架上のイエスを視よ、彼処に死したる自我はあり、かしこに汝の自我は釘《くぎつ》けられたり、かしこに余の自我は釘けられたり、之を仰瞻よ、然らば我等は我等の自我に死するを得ん、之を除きて他に自我に死するの途あるなし、汝は基督教の教師なるに未だ此事を知らざる乎。
       *     *     *     *
 畢竟するに地方の教役者諸氏が余輩に懸けらるゝ質問の中に信仰の真髄に関する者殆どなし、余輩は此事を見て甚だ悲しむ。
 
     (348)     『所感十年』
                            大正2年2月5日
                            単行本
                            署名 内村鑑三
〔画像略〕   初版表紙192×135mm
 
(349) DEDICATION
 〔英文略〕
 
       (直訳)
   奮闘の最中を経て十八年間の侶伴たりし余の愛するルツ子に多分は彼女の認められざりし感化の下に筆せられし是等の文字は彼女の友にして父なる著者に因て切切の愛心を以て題寄せらる
 
(350)     自序
 
 所感なり、真理の直覚なり、天国の瞥見なり、信者の朝の夢なり、故に簡短なり、随筆的なり、非研究的なり、然れども浅薄ならざらんと欲す、研究の順路を示さずと雖も其熟したる果実ならんことを期す、所感なればとて必しも感情の発作に非ず、真正の所感は神の霊が人の霊に触るゝ時に生ず、惟憾む楽器の不完全なる以て天の美曲を完全に伝ふる能はざることを。
   一九一三年一月十九日   東京市外柏木に於て 内村鑑三
 
    附言
 
一、本書は明治三十三年(一九〇〇年)より仝四十三年(一九一〇年)に渉り『聖書之研究』に掲載せられし短文の主なる者を蒐集して一書と成せし者なり。
一、本書の編纂は畔上賢造君専ら余に代て其任に当られたり、茲に君の多大の労を深謝す。
一、各所感の最後に記せる数字は其掲載の年月を示すものなり、例へば「我が希望」の最後に(三三、一一)と記せるは此所感が明治三十三年十一月のものなることを示す。
(351)             著者誌
  〔目次〕〔以下、原文は二段組だが、煩雑なので一段組にした、入力者〕
   神
 我の祈願
 真理
 罪人の神
 我と神
 有と無
 神のことば
 福音の必要
 我のたすけ
 憤怨の所以
 我が神
 偉業
 忍耐
 神の有無
 有神論の証明
 神を識るの途
 神は如何なる者ぞ
 聖意の実成
 赦免の神
 我が武器
 大誤謬
 無識の結果
 無きもの
 争闘の真因
 神の教示
 神と悪魔
 絶対的満足
 三位の神
 有利なる取引
(352) 神は愛なり
 我を識る者
 敵を愛する理由
 最大の賜物
 責任軽し
 勝利の秘訣
 天意の遂行
 五月の感
 イエスキリストの御父
 正義の信仰
 神を見る方法
 神の独立
 恐るべき者
 クリスマスの教訓
 神は愛なり
 友人としての神
 奇蹟と摂理
 神の無限の愛
 我のすべて
 神の言辞
 神の不偏
 父の顔
 親心と神心
 音の神と今の神
 豪らい人
 休養
 キリストの神
 神の器具
 神に忿怒のなき確証
 我を護る者
 雷霆の神
 活ける神
 神の確実の愛
 我の称讃
 我は信ず
 起て我父に往かん
 神は光なり
 神を識るの二途
(353) 人生の目的
 愛の奇蹟
 智識の終極
 神の沈黙
 神の愛
   基督
 日々の生涯
 表白
 基督と沙翁
 春色と復活
 信仰の試験石
 誰にか往ん
 日本国と基督
 日本人と基督
 恥ぢざれ
 恥ぢよ
 基督と保羅
 三個の福音
 絶対的真理
 信仰の目的物
 キリストの愛
 万善の基礎
 クリスマスの声
 余と余の救主
 勇進
 我の忠孝
 歓楽の樋
 招待
 キリストと愛国心
 損失と利得
 余の休息
 キリストの奇跡力
 裁判の神
 キリストの勝利
 聖誕節
 我の新宇宙
 独立とキリスト
(354) 歓喜の由来
 活けるキリスト
 甦りしキリスト
 慕はしきキリスト
 余の見たるイエスキリスト
 那翁と基督
 万事の始め
 生けるキリスト
 ベツレヘムの夕
 智者安くにある
 霊肉二様の世界
 基督教の解釈
 キリストと聖書(一)
 キリストと聖書(二)
 キリストの再来
 キリストに到るの途
 基督信者の本性
 神人合体の事実
 正邪の岐
 我が事業と正義
 単純なる福音
 ヒユーマニチーと基督教
 福音と人道
 我とキリスト
 死と生と
 我の救
 キリストたれ
 キリストに在りて
 基督教とキリスト
 我が義イエスキリスト
 聖誕節
 村里の祝福
 永遠の磐
 有効なる祈祷
 キリストの復活
 善且つ弱きキリスト
 我とキリスト
 我れかキリストか
(355) 基督伝の研究
 救主キリスト
 合離のキリスト
 キリストの批評
 クリスマスの朝
 宇宙の祝日
 我が教会
 基督教の極致
 実験のキリスト
 我が信ずる福音
 現在のキリスト
 キリストと基督教
 我が理想
 キリストの所在
 我が所得
 自己の示威
 既成の事業
 クリスマスの祈祷
 キリストの神性
 人なるキリスト
 利己主義の信仰
 キリストの奇跡
 我がキリスト
 宇宙の精神
 我が潔き時
 我が慾望
 イエスに復へれよ
 イエスキリストの心
 如何にしてキリストの如く成るを得ん乎
 神人=キリスト
 パウロとイエス
 イエスに来よ
 イエスと共に起たん
 イエスの如くす
 キリストに到るの二途
 キリストと人生
 キりストと交友
(356)   聖霊
 神の器具
 激戦
 智識の霊
 聖霊の恩賜
 聖霊降臨の準備
 弁と文
 神の霊
 神んい愛せらるゝ者
 不信者に劣る
 神の不公平
 浩然の気
 救霊の奇跡
 信仰復興の希望
 最大の賜物
 天才と聖霊
 我が唯一の武器
 光明の一閃
 我の信頼
 基督信者の善行
 釈放の霊
 聖霊を汚すこと勿れ
 聖書と聖霊
 救済の三階段
 憐むべき迷信
 批評家を恐れず
 世と神
 理性の真価
   聖書
 聖書の性質
 最も善き聖書の註解
 聖書の力
 安全の策
 聖書を学べよ
 聖書其物
 教会と聖書
(357) 信仰の書
 不朽の花
 聖書とキリスト
 聖書研究会の設立を促す
 先づ聖書を学べよ
 聖書と活けるキリスト
 聖書と科学の調和
 平民の書としての聖書
 神の歴史
 聖書の研究
 福音書と書翰
 福音書の研究
 聖書の主人公
 聖書の解釈
 聖書の自証
 聖書の真価
 近世の聖書研究
 公平なる批評
 聖書人物の真価
 新約聖書の供する二大真理
 聖書と他の書
 聖書の理解
 歴史と聖書
 秋と聖書
 簡択の実証
   信仰
 万全の策
 偉行
 死生の別
 我等の意志
 ルーテル特愛の聖句
 信顆の益
 信仰と勘当
 神を信ぜんのみ
 所有
 懐疑の解
 何を信ずる乎
(358) 懐疑の精神
 吾等の基督教
 天才と信仰
 信仰の解
 神命を俟つのみ
 大なるクリスチヤン
 信と学
 信仰と偏執
 信仰と無学
 信仰と実力
 無益の悲歎
 善を為すの途
 恥辱の原因
 成功の秘訣.
 過慮の愚
 信仰の鼎足
 最大の能力
 正義実行の信仰
 信仰の綱
 最も幸福なる時
 乱中の静謐
 外を看よ
 智悪に勝るの勢力
 信仰の試験右
 擾乱に処するの道
 信仰の基礎
 時と心
 仰望の秘術
 事実の信仰
 懐疑の所在
 信の一字
 信仰と智識と健康
 信仰と労働
 信仰の鑑識
 静かなる信仰
 信仰又信仰
 大野心
 内と外と
(359) 聖旨に応ふ祈祷
 自省と仰瞻
 信仰の道
 基督者たるの資格
 無私の祈祷
 我が信仰の途
 単一の信仰
 失敗と成功
 信仰の性質
 自捐の秘訣
 新年と決心
 信仰の告白
 信仰の理由
 信仰の途
 信仰と感情
 交際と信仰
 信仰難
 寥々たる信者
 教会を要せざる信仰
 信仰の自然淘汰
 信者と不信者
 脳と心
 「凡そ事信じ」
 祈祷の普及
 信仰の進歩
 信仰の秘訣
 懐疑と破壊
 洗礼の省略
 新旧の我れ
 我が信仰
 永久の信者
 二人の我
 信仰=直示
 信仰の成熟
 旧き福音
 行為と信仰
 我が所選
 信仰と愛国
(360)   希望
 救済の希望
 希望の新年
 万民救済の希望
 新年と新希望
 革命の希望
 我の大希望
 我が救拯の希望
 我が救済の希望
 不公平と来世の希望
 新年の希望
 愛すべき三姉妹
 信と望
 病中の慰藉
 内外の我
 悲痛消散の途
 父死して感あり
 我が祈願
 希望の今日
 腐敗と希望
 希望の人生
 希望と前進
 凋落の希望
 信仰と希望
 成功の期待
 希望の泉
   愛
 愛の宣言
 最も大なる慈善
 敵人に対する基督教徒の態度
 神の愛と人の愛
 純粋なる愛
 悪に勝つの法
 善の景慕
 最高のオルソドキシー
 最も貴きもの
(361) 愛と信仰
 至言
 信、望、愛.
 愛の利殖
 愛の行為
 嗚呼神の愛!
 一致の索縄
 聖誕節の意味
 自他の愛
 神の愛
 人道と福音
 愛の波動
 愛の長短
 信仰と愛
 パリサイ人とは誰ぞや
 世界最大の者
 見ざる愛
 孤児を顧よ
 四大使徒の信仰
 名実の差別
 愛情の充実
 狭き広き愛
 信者と不信者
 我が宗教
 友愛の刺戟
 愛の安全
 真の聖公会
 完全の標準
 愛の要求
 愛の勢力
 永存の希望
 交友の根拠
 愛の会合
 愛の至高
 教会と家庭
 信仰と愛
 信、望、愛
 神を愛するの愛
(362)   罪及宥免
 義人と罪人
 救拯の水
 信不信の判別
 無用の批評
 無辺の愛
 福音の真髄
 罪の発見
 罪を犯さゞる途
 自己に勝つの法
 歳末の希望
 福音とは何ぞ
 罪人の首
 苦痛と刑罰
 福音の性質
 預言者と基督者
 自然主義
 罪とは何ぞ
 何よりも確かなる事
 罪人と悪人
 批評家に答ふ
 研究者の注意
   救済
 救済
 自救の難
 新決断
 救済の真意
 招待
 余の社会改善策
 勇気と責任
 日本国の将来
 悲むべき実験
 余の救ひ
 風雲急なり
 ベツレヘムの夕
 愛国心と救霊
(363) 救拯の実
 我が唯一の宝
 窮境を謝す
 愛の十字軍
 改心と変質
 理想の発見
 更に可なり
 神の救済法
 意志の刷新
 善心の恩賜
 希望の理由
 漸々の進歩
 行為と信仰
 信仰と救
 天国の宗教
 境遇と意志
 十字架の仰瞻
 助けの石
 国と人
 教と力
 今の救済
 神学と福音
 日本人の救済
 我が愛国心
 不用問題
 福音の勢力
 向上
 救はるゝ者
 信条と救済
 十字架の教
 完成せる救済
 パリサイ主義
 予定の信仰
 既成の救拯
 信じ難き理由
 忿怒と救拯
 新福音と旧福音
 救はるゝとは何ぞや
(364) 真のバプテスマ
 救済
 日本国の救済
 救済の事実
   伝道
 罪人の伝道
 新伝道
 一種の八方美人主義
 真理の実力
 語るべき時
 福音の宣伝
 伝道の精神
 真理の自存
 破壊者.
 伝道唯一の方法
 『聖書之研究』の目的
 記者の職権
 福音の宣伝
 勇気
 福音の器具
 一大事業
 世を救ふの途
 真正の教育者
 福音を説くべし
 福音宣伝の方法
 日本国の最大要求物
 基督と社会改良
 苦業と快事
 我の要求
 我の改革法
 原稿日
 『気焔』
 薄信の表白
 伝道師たること
 我の大野心
 槽中の嬰児
 我の幸運
(365) 意志と境遇
 殺人と活人
 信仰と伝道
 出陣の召命
 金力を要せざる事業
 教師に非ず
 文字の欠乏
 誰がためにか書かん
 忍耐の業=伝道
 新伝道
 田舎伝道
 遠大の事業
 伝道の真義
 汚財に注意せよ
 真の苦痛
 真正の伝道
 幸福なる伝道者
 電気と電線
 教会建設の難易
 神の途と人の途
 最大事業
 伝道の真意
 福音の商賈
 聖職と職業
 伝道と自由
 人を救ふの力
 誰か之に堪んや
 伝道の真相
 我が生涯の事業
 主義と政略
 説と精神
 独立伝道の効果
 我が悲歎
 木と人
 労働の讃美
 教師と教壇
 青年に告ぐ
 真理の説言
(366) 主義と歓喜
 伝道の明確
 唯一の善行
 生命と伝道
 伝道の新紀元
 伝道の強行
 成功の期
 福音宣伝の幸福
 与ふるの幸福
 天下悠々
 水と人
 十年一日
 種と泉
   事業
 神と事業
 指導の証
 事業
 決心
 聖望
 成る事(一)
 成る事(二)
 健全なる思念
 事業と成功
 基督教的政治
 我儕の事業
 大なる事業
 唯一の事業
 完全なる職業
 最終最善の事業
 面白い仕事
 事業の成敗
 新生命と新事業
 事業の撰択
 事業と慰藉
 樹と其果
 様々の事業
 一生の事業
(367) 計画の愚
 平信者の祈祷
 成功の秘訣
 事業の完成者=死
 事業と恩恵
   生涯
 聖き捧物
 隠退の快楽
 人の途
 平靖
 善を為さんがため
 成功の秘訣
 内外の別
 快楽の生涯
 刺激物
 美はしき名二つ
 行路難
 説と志
 同情推察の人
 不幸の極
 聖望
 独特の生涯
 天人の生涯
 事の先後
 聖旨に近き生涯
 王公の態度
 万事の要求
 直進
 幸福なる老境
 信仰と境遇
 神の子たるの特徴
 キリスト信徒の生涯
 最も悲むべき孤独
 満足なる地位
 意地と主義
 声と人
 基督信者の生涯
(368) 静寂の歓喜
 内か外か
 不自由の身
 キリスト教の真意
 聖徒の交際
 最上の快楽
 活ける聖書
 幸福なる家庭
 クリスチヤンとは誰ぞ
 クリスチヤンの無能
 平民と平信者
 我が友
 基督信徒の交友
 キリストの如くなれ
 成功の秘訣
 友人の定義
 勝利の生涯
 進歩の子たれよ
 永久の小児
 基督信徒の歳暮
 疲労と歓喜
 幸福なる生涯
 隠遁者に非ず
 悲痛の極
 労働の特権
 燈前の快楽
 幸福なる家庭
 幸福に入るの途
 生命の消耗
 中和の人
 我が生涯
 世の批評と基督者の実状
 我の舞台
 楽しき生涯
 交友と信仰
 謙遜と祈祷
 イエスに於ける友人
 名誉の死
(369) 狭き直き賂
 我等の教会
 生涯の実験
 人生の四期
 幸福なる生涯
 財産としての意志
 処世の途
 平和の態度
 内と外
 無礙の生涯
 顔と心
 歳未の歓喜
 万全の地位
 平和の途
 二種の生涯
 神に事ふべき時期
 餓死の決心
 労働と報酬
 平静の生涯
 幸福の一日
 棄教と友誼
   独立
 単独の我れ
 扶助なき我れ
 福音の応用
 奨励の声
 神の事業
 幸福の泉
 嬰児を護れよ
 我儕のプロテスタント主義
 信仰の独立
 我儕の充実
 磐に頼らん
 独立教会の建設
 彼我の優劣
 今猶ほ隷属の民たり
 獣力崇拝の民
(370) 雑誌記者の覚悟
 神政の特質
 依頼と嫉妬
 同盟の危険
 寂寥の快楽
 孤立の種類
 詩人と俗人
 軟弱信者に告ぐ
 荏弱の自覚
 内外の自由
 単独の歓喜
 一人となりて立つの覚悟
 神の忠僕
 教会と自由
 真理と独立
 国家の危殆
 伝道の妨害
 悪しき口癖
 人を援くるの途
 我の祈願
 鳥と人
 満全の幸福
 谷の百合花
 資格の作成
 我が理想の人
 自由の衰退
 プロテスタント主義
 世界に於ける無教会主義
 前進の声
 単独の勢力
 自由の尊厳
 我は我なり
 我が同志
 我と福音
   諸徳
 無感覚
 目前の義務
(371) 人の善を念ふの益
 クリスチヤンの勇気
 新祈願
 必勝の確信
 善悪の鑑別
 犠牲
 信任
 謙遜と意気地無
 敵を愛するの結果
 完全の解
 忿怒と久耐
 聖徒の完全
 宥恕
 神聖なる同情
 有利なる取引
 クリスチヤンたるの確証
 読書の目的
 善行の忍耐
 与ふるの福祉
 反応の理
 基督信徒の寛大
 効果ある禁酒禁煙
 歳を忘るゝの法
 思想の所在
 キリストの道
 信仰と品性
 最も難き事
 犠牲の意義
 俗人と魚
 聖書の読方二三
 善悪の差別
 神のための善
 負けるは勝つ
 最大の異端
 我が祈願
 儀式と憐憫
 想像と実験
 犠牲と善行
(372) 祭事と同情
 善人たるの途
 信仰と行為
 友と敵
 理想の実行
 援助の秘訣
   患難
 主義と主我
 恥辱と栄光
 余の敵人に謝す
 天恩
 辛らき事三つ
 基督信徒の敵
 棄てられたる石
 愛の世界
 懲治的患難
 基督信徒の徽章
 最大幸福
 患難と栄光
 歌の供給者
 勝利の生涯
 神力の試験
 我の欣び
 恩恵と困難
 難問題の解釈
 幸福の秘訣
 真個の基督信者
 窄き路
 迫害の益
 小なる救主
 犠牲の栄光
 患難の解釈
 恩恵としての患難
 損失の利益
 基督信者の真偽
 戦友となれよ
 事業としての苦痛
(373) 十字架の教
 感謝の回想
 苦痛は事業
 回顧の涙
 逆境の感謝
 不遇の慰藉
 最大感謝
 損失の利益
 困難の歓迎
 読書と苦痛
 忍耐と勝利
 幸不幸
 失敗の恩恵
 失敗と成功
 信仰と失敗
   天国及来世
 永生
 至大の恩賜
 天国の一瞥
 天国の法律
 我儕の問題
 天国の希望
 天国は近づけり
 昼夜の別
 永久
 希望の満足
 宗教の領分
 永生の尊貴
 人生の最大事
 最大事件
 永生の解
 地上の天国
 無為の五週間
 新教全
 数会と天国
 天国の建設
 新教会の出顕
(374) 初夢
 天国の自設
 理と情
 夏の午後
 キリストの王国
 現世の楽しき所以
 来世と向上
 来世を説かざる宗教家
 不滅の獲得
 不朽の我等
 聖国の到来
 父の一周期に際して
 天国とは何ぞ
 教会と神の国
 幸福なる生涯
 来世の信仰
 此彼勝敗の理
 天国の正門
 幸不幸
 我が教へ得ること
   恩恵
 感謝の念
 感謝
 至高の愛
 希望の土台
 神助
 幸福なる我れ
 患難と恩恵
 無理の要求
 手段と目的
 歳末の感謝
 我の富
 慰藉と奨励
 絶対的従順
 公然の秘密
 クリスチヤンたる事
 体養の目的
(375) 神恩
 神の教育法
 余の求むるもの
 悲痛と歓喜
 我の新年
 新年の歓喜
 敵の前の筵
 半百号の感謝
 安息日
 驚くべき平凡の理
 幸福なる基督信者
 第五年期に入る
 恩寵の徴
 実歴の福音
 恩恵と責任
 新年の誓
 我意と神意の衝突
 限りなき恵み
 必要物の供給
 恩恵の代価
 何の得し所ぞ
 感謝と祈祷
 神の助
 恩恵の受器
 神に感謝す
 『聖書之研究』第百号
 恩恵の数々
 生涯の実験
 信者の名実
 無勢力の感謝
 我が信ずる福音
 知らず、知る
 十年の恩恵
   宗教
 宗教と政治
 殺人の宗教
 基督教の女性
(376) 宗教雑誌
 強健なる宗教
 死せる宗教
 平人の宗教
 国家的宗教
 人の道と神の道
 晩春の黙考
 完全なる宗教
 絶対的宗教
 興亡の因果
 宗論の無益
 宗教と哲学
 実験の宗教
 玄妙ならざる宗教
 特別なる宗教
 地的ならざる基督教
 新生物学
 宗教又宗教
 神学を厭ふ
 美術と宗教
 科学と神学
 我が基督数
 日本人の宗教心
 世界最大の旧教国
 第二の宗教改革
 宗教の所在
 学識と信仰
 神学の要
 義の宗教
 様々の基督教
 科学と宗教
 パリサイ派とサドカイ派
 儀式の単純
 真理と基督教
 脆き証拠論
 第二の宗教革命
 宗教を棄てよ
 唯一の宗教
(377) 彼我の宗教
 宗教の改進
 宗派建設の危険
   平和
 平和の宗教
 戦争の止む時
 戦争を好む理由
 出征軍を送りて感あり
 無抵抗主義の真意
 平和の宣伝者
 戦争の止む時
 戦時の事業
 吾人の非戦論
 剣と鋤
 無抵抗主義の勝利
 最も無慈悲なる者
 惟キリストに聴かんのみ
 平和現実の手段
 平和の所在
 平和の長短
 戦時のクリスマス
 平和主義者の日
 平和の基
 平和の完成
 微なる非戦論
 寡婦の声
 平和の勝利
 最後の勝利
 残忍酷薄の極
 日露永久の平和
 平和克復の困難
 主戦論者の論理
 教育と平和
 愛の順序
 孤児の敵
 戦争の善悪
 戦勝と飢饉
(378) 戦捷の結果
 基督教の特長
 戦争廃止の歌
 戦争の結果
 神の論証
 無抵抗主義の威力
 仏法の無抵抗主義
 近時の教訓
 国を亡す者=敵愾心
 無抵抗主義
 人類の王
   天然
 山と祈祷
 花を見て感あり
 基督信者の春
 探梅
 春と霊
 今年の春
 静謐の所在
 果樹を見て感あり
 収穫月
 宇宙の精算
 希望の宇宙
 幸福のある所
 秋酣なり
 我が愛する者
 晩秋の感
 夏と天然
 宇宙の占領
 夏の夕
 秋を迎ふ
 秋と河
 秋の黙示
 万物悉く可なり
 地上の楽園
 秋酣なり
 春を迎ふ
(379) 春風到る
 エデンの園
 天然の愛
 社鵑花
 庭園の奇蹟
 雑草
 光明の宇宙
 宇宙生命充実説
 秋郊の福音
 
(380)     〔人の道と神の道 他〕
                        大正2年2月10日
                        『聖書之研究』151号
                        署名なし
 
    人の道と神の道
 
 人の道あり又神の道あり、人が神に達せんとする、是れ人の道なり、神が人に臨まんとする、是れ神の道なり、修養と謂ひ、道徳と謂ひ、宗教と謂ひ、哲学と謂ひ、是れ皆な人が神に傚はんとするにあらざれば神を識らんする道にして人の道なり、キリストの福音のみ惟り神の道なり、是れ神が人を救はんとする道なればなり、インマヌエル、神我等と偕に在す、我等は地より天に攀昇らんとする人の道を去て、地を天に引上げんとする神の道なるキリストの福音に往かむ。
 
    福音の大要
 
 神は既に我に代て我が為すべきことを為し給へり、我は今や救はれんが為めに自から努力するを要せず、唯信仰を以て彼の義を我が義と為せば足る。
 神の我を愛し給ふ、遙かに我の彼を愛するに勝さる、彼は我れが彼を求めし先きに我を求め給へり、而して彼(381)は永遠無窮に我を彼の愛の懐に蔵《かく》し給ふ。
 神の義は我が罪より大なり、我は我が罪を以て神の義を打消す能はず、神は我に在りても亦万物に在るが如くに彼の善き聖旨を成就げざれば止み給はざるなり。
 
    儀式と福音
 
 洗礼を施さず、福音を説く、聖餐式を挙げず、福音を説く、葬式を司らず、福音を説く、結婚式を行はず、福音を説く。福音を説く、然り、福音を説く。儀式は之を他人に委ぬ、余輩は唯福音を説く。
 
    自由と独立
 
 自由とは人より何の束縛をも受くることなくして我が身を神の自由に委ぬることなり、独立とは人に由らずして直に神と相対して立つことなり、神に使役せらんための自由なり、神と面と面を合はして談らんための独立なり、基督者の自由独立とは如斯き者なり。
 
    信者と不信者
 
 神は有りと言ふ者必しも信者に非ず、神は無しと言ふ者必しも不信者に非ず、常に事物の光明的半面に着眼する者、是れ信者なり、其暗黒的半面に注目する者、是れ不信者なり、常に疾病を語る者、常に失敗を歎く者、常に罪悪を憤る者是れ不信者なり、常に健康を祝する者、常に成功を讃ふる者、常に聖徳を悦ぶ者、是れ信者なり、(382)パウロ曰く「すべて神の約束は彼の中に是となり又彼の中にアーメンとなる」と、神は是なり又アーメンなり、彼は万事に於て積極的なり、而して人は神を信じて希望の人、歓喜の人、満足の人、即ち全然積極的人物たらざらんと欲するも能はざる也。コリント後書一の二十。
       ――――――――――
 
    ゴーデー先生を紹介す
 
 ゴーデー先生は瑞西《スヰツツル》国ネーシャテルの学者なり、千八百十二年十月廿五日同所に生れ、千九百年十月廿九日八十八歳の高齢を以て同所に永眠さる、神学を、猶太人にして基督教に改信せし有名なる独遠国神学者ネアンデルに学び、其衣鉢を継承し、師に傚ひて博学にして敬虔なりき、欧洲神学の造詣至らざるなく、然かも極端に走らず常に穏健なりき、「神学の真髄は心《ハート》に在り」とのネアンデル師の格言を遵奉し、深き実験的信仰の上に博くして高き神学を築きたりき 先生に著書多し、註解としては『約翰伝』あり、『路加伝』あり、『羅馬書』あり、『哥林多前書』あり、悉く著名なり、外に旧約聖書論、新約聖書論、基督教弁証論等あり、而して先生が最後の作として其完成を期せられし者を『新約聖書総論』となす、然かも惜むべし、保羅書翰論の大冊を終り、福音書論に着手し、馬太伝論を終へてペンは先生の手より落ちて先生はキリストの国に移されたり、今や基督教書類の刊行、汗牛充棟も啻ならざる時に際し、堅き信仰の巌の上に築き上げられし先生の博識に接するを得て余輩の意を強うするや大なり、余輩は茲に先生を本誌の読者諸士に紹介し、諸士が余輩を通うして直接間接に先生より学びつゝあることを表明せんと欲す。
 
(383)    時の問題 疑問の解決
 
 世に多くの惨事がある、多くの悪事が行はれる 我等其事を思ふて時々神を疑ふ、思ふ神は無いのではあるまい乎、或は有るも人の祈祷を聴かないのではあるまい乎、或ひは聴くも人を援くるの能力を有たないのではあるまい乎と。 然し爾うではないのである、神は確に在るのである、在て人の祈祷を聴き給ふのである、又人を援くるの能力を有ち給ふのである、彼は唯人の如き者でないのである、百年に満たざる生命を有する果なき人の如き者でないのである、彼は永遠の神である、事を成すに無限の時を有ち給ふ者である、故に彼は急ぎ給はないのである 故に短命なる人間の眼より見て時には無いやうに思はれるのである、神に在りては千年も一日の如しであると云ふ、朝に生れて夕に死する蜉蝣の如き人の眼に彼が時には無有《なきもの》の如くに見ゆるは決して怪むに足りない、人の促々たるに対して神の悠々たるのが人の不信の原因となるのである。
 神は急ぎ給はない、然し眠り給ふのではない、
  今暫時ありて来るべき者来らん、必ず遅からじ
とある(ヒブライ書十の三七)、西洋の諺に言ふ
  神の磨臼は廻転ること遅慢《おそ》し、然れども砕くこと細かなり
と、神は不義を看逃し給ふのではない、之を粉砕し給ひつゝあるのである、
而して粉砕絶滅は比較的に長い時間(384)を要するのである、此事を知らざる不信の徒輩は言ふ、我は神に反て罰せられし者あるを見ず、我れ焉んぞ彼の束縛に堪えんや、我れ我が欲するが儘を為して何の危険あることなしと、斯くて彼等は神を慢りて憚らないのである。
 乍然、活ける神の手に陥るは恐るべき事である、彼の義鞫《さばき》の磨臼は廻転て止まないのである、不義と叛逆とは粉砕せられて竟に無有となるのである、其時|哀哭《かなしみ》と切歯《はがみ》とがあるのである。
 神の刑罰が爾うである、彼の恩恵も亦爾うである、神の恩恵も亦、祈求《もと》めて直に下る者ではない、永遠に生き給ふ神は時を定めて恩恵を其子に下し給ふ、或る恩恵は直に下る、或る恩恵は年を経て下る、又或る恩恵は来世に至て下る、我等の祈求が聴かれないのではない、聴かるゝまでに時が要るのである、信者の祈求はすべて聴かるゝのである、
  汝等若し我に居り又我が語りし言汝等に居らば凡て欲ふ所、祈求に従ひて予へらるべし
とある(ヨハネ伝十五章七節)、「凡て」である、「何事に由らず」である、信仰より出し信者の祈求は何事に由らず凡て悉く聴かるゝのである、唯祈求に今聴かるゝのと後に聴かるゝのとの別があるのみである、聴かるゝ事は確である、然し時は父の聖意に存して居るのである、父は其定め給ひし最も善き時に於て我等の祈求を悉く聴き給ふのである。
 然れば我等の祈求が今聴かれざればとて決して神を疑ふべきではない、神は其善き聖意を成就げ給ふに無限の時を有ち給ふのである、彼に在りては千年は一日の如くである、今日我等の祈求に応へ給ふも、千年の後に応へ給ふも彼に取りては同然である、縦し我等が生を祈求めた時に死が我等に臨みたればとて我等は彼を疑ふべきで(385)はない、無限の時を有ち給ふ生命の主は千年、万年の後に、我等の今時の祈求に応へて豊かに生命を賜ふであらふ、然り、賜ふに相違ない、活ける真実の神に対つて発せられし祈求が虚空に失せて了ひやう筈はない、
   我れ知る我を贖ふ者は生く、
   後の日に彼れ必ず地の上に立たん、
   我が此皮、此身の朽はてん時、
   我れ肉を離れて神を見ん、
である(ヨブ記十九章廿五、廿六節)、故に我等は又彼れヨプに傚ふて言ふべきである、
  縦令彼れ我を殺すとも我は彼に依頼《よりたの》まん
と(同十三章十五節)。
       *     *     *     *
 然れば我等は恐るべきでない、悪人が盛ふるも恐るべきでない、善人が衰ふるも恐るべきでない、イエスキリストは昨日も今日も永遠までも変らざるなりとある(ヒブライ書十三の八)、又
  蓋、彼れすべての敵を其|足下《あしのした》に置き給ふ時までは王たらざるを得ざれば也
とある(コリント前書十五の廿五)、神がキリストを以て世を統治《すべおさ》め給ふからには、万事万物終に可ならざるを得ずである、待望、常に待望の態度に立て、如何なる悪事が世に行はるゝとも、如何なる困難が身に臨むとも、我等は神を疑はずして済むのである。
 
(386)    無限と希望
 
 神の愛は無限なり、彼の時も亦無限なり、無限の愛を行ふに、無限の時を以てす、如何なる善事をか為し得ざらん乎、我等は我等の救拯に就て失望すべからざる也。
 
    輿論と真理
 
 世が当時善人と見る者は大抵は悪人である、世が当時悪人と見る者は大抵は善人である、神に叛きし此世の輿論は大抵の場合に於ては神の真理と正反対である、我等は此心を以て人の批評を聞き、日々の新聞紙を読むべきである。
 
(387)     余の愛するパウロ
                      大正2年2月10日・3月10日
                      『聖書之研究』151・152号
                      署名 柏木生
 
    援助の拒絶
 
 余はパウロを愛する、彼は欠点の多い人であつた、其点に於て彼と余との間に共通の処がある、余が殊更に彼を愛するのは其のためである。
 余は彼がコリント教会が彼に与へんとした補助を拒絶した言辞を愛する、
  蓋、我が誇る所の人に空しくせられんよりは寧ろ死ぬるは我に取りては善き事なれば也
と(哥林多前者九章十五節)、是は決して謙遜の言辞ではない、独立の名誉を毀損せられんよりは死ぬるが遙かに勝《ま》しであるとのことである、基督信者の言としては余りに粗暴である、然かもパウロは斯かる言を放つて憚らなかつたのである。
 パウロは謙遜の人であつた、然し軟弱ではなかつたのである、彼は自己の尊厳を無視する程には柔和でなかつた、彼は独立を重んじた、而して独立の名誉を毀損せられんよりは寧ろ死ぬ事を好んだ、彼は奴隷的根性を以てしてもキリストの福音を伝へんとは為さなかつた、福音はソンナ卑しいものではない、福音は高貴なる精神を以(388)てのみ宣伝ふることの出来る者である、福音の真価は其宣伝者の性格如何に由て異ならずと謂ふが如きはパウロの全然反対した所であるに相違ない、福音は空言ではない、活きたる言辞である、故に活きたる人に由てのみ伝へらるべき者である、伝道師は自己を殺して神に委ねられし福音までを殺すのである、教会の補助、友人の援助……然り是れ我等の自由と独立とを毀損せられざる範囲に於てのみ受くべき者である、若し我等に何等かの条件の課せらるゝあらん乎、若し我等の自由にして少しなりとも制限せられん乎、我等は断然之を拒絶すべきである、伝道師に関はる問題は彼に委ねられし福音に関はる問題である、伝道師は自己を卑下して彼の生命たる福音を卑下するのである。
 故に拒絶せよ拒絶せよである、不遜、無礼、頑硬、唆酷の譏を省ずして拒絶せよである、愛と尊敬と感謝より出ざる援助と補助とは、其何人の手より出づるに関はらず、断然之を拒絶せよである、多くの場合に於ては福昔は生存に由てよりは餓死に由てより有効的に宣伝せらる、コリント教会に限らない、米国教会、又は英国教会、又は日本教会、その孰れの教会たるを問はず、些少なりとも我等の自由を妨げ我等の独立を害はんとする者があらば、我等はパウロの行為に傚ひ断然其援助を拒絶すべきである、
  蓋、我が誇る所の人に空しくせられんよりは寧ろ死ぬるは我に取りて善き事なればなり
と、タルソのパウロに日本武士の剛毅なる所があつた、彼は受くるを知て拒むを知らざる商賈《あきうど》気質の軟骨漢ではなかつた、彼に衛るべきの自尊の心があつた、彼は場合に由ては伝道を継続するよりも寧ろ死ぬる方を択らんだ、余は彼に此気慨ありしが故に殊に彼を愛する、彼は余の意中の伝道師である、日本武士が伝道師と成つた者である。 〔以上、2・10〕
 
(389)    行為の矛盾
 
 パウロは矛盾の人であつた、彼は律法を罵り、割礼を嘲けり、
  若し義とせらるゝ事律法に由るならばキリストの死は徒然《いたづら》なる業なり
とまで言放ちながら(加拉太書二章廿一節)自分は時と場合に依ては律法を守り、割礼を施した、使徒行伝の記事に依れば
  彼れケンクレアに在りし時誓願に因りて髪を剪《それ》り
とあり(十八章十八節)、又彼れヱルサレムに到りし時、他の使徒等の勧諭《すゝめ》に由りモーセの律法に循ひ潔事《きよめごと》をなし供物を献げたりとある(廿一章廿六節)、彼は又ルステラに到りし時、ユダヤ人の反対を慮り、彼が新たに得し弟子テモテに割礼を行へりとある(十六章三節)、律法を罵りし者が律法を守り、割礼を嘲けりし者が其弟子に割礼を施したりと云ふは矛盾の極ではない乎、若し言行一致、首尾貫徹が人の完全の標準であるならばパウロは完全の人ではなかつた、此事に於ても、他の事に於ても、パウロの行為に自家撞着の譏を免かるゝこと能はざる点が尠くない。
 然り、パウロは矛盾の人であつた、然し彼の矛盾は表面の矛盾であつた、内心の矛盾ではなかつた、彼の為すことに矛盾があつたのみであつて、彼の意ふ所にあつたのではない、彼の意志は首尾貫徴して居つた、而して矛盾せる此世に在て彼が彼の一貫せる主義を実行せんとして彼の行為に矛盾あるが如くに見えたのである、彼の主義とは何んであつた乎、言ふまでもなく愛であつた、キリストの意《こゝろ》であつた、彼はすべての事を此意を以て為(390)さんとしたのである。
  ユダヤ人には我れユダヤ人の如くなれり、是れユダヤ人を得んためなり、又律法の下に在る者には我れ自身は律法の下に在らざれども律法の下に在る者の如くなれり、是れ律法の下に在る者を得んためなり、律法なき者には我れ律法なき者の如くなれり、是れ律法なき者を得んためなり、……弱き者には我れ弱き者の如くなれり、是れ弱き者を得んためなり、又すべての人には我れ其のすべての人の状に循へり、是れいかにもして彼等数人を救はんためなり、我れ福音のために此く行ふは人と共に福音に与らんためなり(哥前九の廿−廿三)。
 是れがパウロの主義であつた、悪るく解すれば八方美人主義である、然し善く解すれば愛の途であつてキリストの意である、而して彼の生涯の矛盾なる者は此主義の実行より来た者である。
 愛を行はんと欲する者は矛盾を懼れない、愛は完全を装ふて人に誉められんと欲しない、完全でも可い、不完全でも可い、矛盾しても可い、矛盾せずとも可い、円満可なりである、多角可なりである、唯人を援け人を救ふを得ば足りるのである、「是れいかにもして彼等数人を救はんためなり」と、其れがために少しく自個の主張に背き祭事に従事したりとて何かあらんである、其れがために一人の弟子に割礼を施したりとて何にかあらんである、儀式は細事である、実は如何でも可いものである、之を以て人を救ひ得べくば之を行ふべきである、若し救ひ得べからずば之を廃するも可なりである、キリストの愛に化せられたるパウロは儀式に対しては全然無頓着であつた、彼は唯儀式を強ひらるゝを拒んだ、儀式を以て救拯の必要的条件となすことに反対した。
 広いかなパウロ、偉いかなパウロ、余も彼に傚ひ自身は無教会信者なるも時には教会を援けるであらふ、洗礼(391)聖餐の式を救霊の必要的条件とは見做さゞるも時には之を施すであらふ、余も亦力めて愛を以て余の意《こゝろ》となし、愛を行はんがためには敢て行為の矛盾を懼れないであらふ、余は此世の聖人君子の如くに円満無謬を以て余の生涯の目的と為さぬであらふ、矛盾の人たるも愛の人たらんとし、以てキリストの聖意に応ふ者となるであらふ。 〔以上、3・10〕
 
(392)     初代教会の実例
        羅馬書第十六章の研究(札幌講演第四回)
                         大正2年2月10日
                         『聖書之研究』151号
                         署名 内村鑑三
 
 日本語を以て教会と訳せられしエクレジヤの何である乎は其神学的定義に依ては解らない、教会はキリストの体である(コロサイ書一の十八) 又万物を以て万物に満たしむる者の満てる所なり(エペソ書一の廿三)と聞くも其何んである乎は能く解らない、教会の何んである乎は其如何なる者でありし乎を知るに由て解る、即ち之を歴史的に攻究して解かる、単《たゞ》に之を神学的に論究して一定の結論に達することは出来ない。
 加拉太書三章二十六節以下に臼く
  汝等は皆なキリストイエスに在りて信仰に由りて禅の子たり……其中にユダヤ人又はギリシヤ人あるべからず、其中に奴隷又は主人あるべからず、其中に男又は女あるべからず、そは汝等はすべてキリストイエスにありて一なればなり
と、是れ教会の何たる乎を事実的に示したる言辞である、キリストに在りて信仰に由りて神の子と成れる者の団体、故に其中に人種の差別あるべからず、主従の差別あるべからず、然り、男女の差別すらあるべからずとの事である、教会はキリストイエスに在る霊の一致に由て肉の差別を取除かれし者の一団である、即ち人種と階級と(393)性別とを超越しての団体である。
 パウロの此言辞を更に個人的に実証したる者が羅馬書第十六章一節より十六節までゞある、茲に使徒時代の教会の組織と精神とが遺憾なく示されてある、初代の教会の如何なる者なりし乎を知らんと欲する者は聖書の斯かる箇所《ところ》に注目すべきである、単に固有名詞の連続なればとて之を軽々しく看逃すべきでない、固有名詞は史的事実の証拠である、パウロは夢想家ではなかつた、彼は単に理想の教会を夢みて、其実現を試みざるが如き者ではなかつた。
  我れ汝等に我等の姉妹なるフイベを推薦す、彼女はケンクレアに於ける教会の(女)執事なり、我れ汝等に勧む、汝等が聖徒たるに応《ふさは》しき道を以て主に在りて彼女を迎へ、彼女が汝等より需むる所に循ひ、何事によらず彼女を授けんことを、そは彼女自身も亦今日まで多くの人を援け、我れ自身も亦彼女の援助《やすけ》を受けたればなり。
  キリストイエスに在りて我と共に働らく者なるプリスキラとアクラに平安《やすき》を問へ、彼等は或時は我が生命のために彼等の頸を(剣の下に)置けり、其れがために、惟り我れのみならず、異邦人のすべての教会も亦彼等に感謝す、又彼等の家に在る教会に其平安を問へ。
  我が愛するエパイネトに其平安を間へ、彼はアジヤがキリストに献げし初穂なり。
  汝等のために多く尽瘁せしマリヤに其平安を問へ。
  我が血縁の者にして我と同囚の徒なるアンデロニコとジユニヤに其平安を問へ、彼等は使徒等の中に名声《きこえ》ある者なり、彼等は又我より先きにキリストを信ぜし者なり。
(394)  主にありて我の愛するアムピリアテに其平安を問へ。
  キリストに在りて我と共に働くウルバノに其平安を問へ、又我が愛するスタクにも爾かせよ。
  キリストに在りて鍛錬へられたるアペレに其平安を問へ。
  アリストプロの家の属に其平安を問へ。
  我が血縁の者なるヘロデオナに其平安を問へ。
  ナルキソの家の属にしてキリストに在る者に其平安を問へ。
  主に在りて尽瘁せし所のテルパイナとテルポーサに其平安を問へ。
  愛せらるゝペルシーに彼女の平安を問へ、彼女は主に在りて多く尽瘁せり。
  主に在りて選ばれしルポと其母とに平安を問へ、彼の母は即ち我が母なり。
  アスキキリトとピリゴンとヘレマとパトロバとヘレメと、又彼等と共に在る兄弟等に其平安を間へ。
 ピロロコとジユリヤ、及びネリオと其妹、及びオリムパ、及び彼等と共に在るすべての聖徒に其平安を問へ。
  汝等聖き接吻を以て相互に其平安を問へ。
  キリストのすべての教会汝等に平安を問ふ。
 茲に二十七の固有名詞がある、即ち二十七人の信者が其名を以て称ばれて居る、彼等は羅馬に於ける基督信者であつた、其中九人が女であつて、十八人が男である、即ち「男あるなし、女あるなし」である、今日の日本に於けるが如く男尊女卑の昔時の羅馬に於て女が男と駢び称せらるゝは既に異例である、ケンクレア教会の女執事なるフイベ、アクラの妻なるブリスキラ、ブリスキラとアクラとありて、此場合に於てのみ女の名が男のそれの(395)前に記してある、聖徒のために多く尽瘁せしマリヤ、主に在りて信仰の戦闘を続けしテルパイナとテルポーサ、ルポの母にしてパウロが「彼の母は即ち我が母」なりと呼びし老婦人、ピロロコの妻なるジユリヤ、ネリオの妹、……羅馬教会に多くの尊敬すべき婦人が居つた、彼等は皆な柔和なる霊魂にキリストの霊を宿し、接待、慰藉の労を取り、以て内を温め、外を和らげた。
 若し英人程より言へばプリスキラとアクラは猶太人であつた、(使徒行伝第十八章一節以下を見よ)、アンデロニコとジユニヤ及びヘロデオナはパウロの血縁の者であると記してあれば彼等も多分パウロと同じく猶太人であつたのであらふ 然し「血縁の者」なる言辞は果して字義なりに解釈すべき者である乎否やは疑問である、パウロの親戚の中に彼より先きにキリストを信ぜし者ありたりとは受取り難い事実である、若し名称の語原に由て彼等の人種を区別するならば猶太人なるはマリヤ一人である、アンデロニコは拉典人(羅馬人)であつて、其妻(?)ジユニヤは希臘人である、アムプリアト、ウルバノ、ルポは拉典人であつて、スタキス、アペレ、ヘロデオナ、テルパイナとテルポーサ、其他十四人は希臘人である、然し羅馬帝国の如き混合人種の国に在ては人の属する人種は彼の名に由ては判明らない、現に我等はアクラの猶太人でありしことを知ると雖も、彼の名は拉典語である、猶太人たりしタルソのサウロが羅馬人として自からパウロと称びしが如くに、当時の多くの猶太人は希臘語か又は拉典語の名を有つたのである。
 然し人の名称に依て確然と彼の人種を定むることは出来ないとするも、羅馬に於ける基督信者にしてパウロが茲に指名せし者の中に希伯来《ひぶらい》語の名を帯ぶる者あり、希臘語の名を帯ぶる者あり、拉典語の名を帯ぶる者ありしを見て、異人種の信者がありしと同時に、また彼等の間に人種の区別の無かつたことが判明る、羅馬に於けるパ(396)ウロの教友の名簿に依るも、「其中にユダヤ又はギリシャ人あるべからず」とのパウロの理想の事実として現はれて居つた事が判明る、イエスキリストの御父なる実の神は世界万民の神であつて、彼に在りて人種も其区別を失ひ、国家も其差別を去るに至るべしとはパウロの屡々唱へし所である、彼は同じ羅馬書に於て言ふた、
  神は惟りユダヤ人のみの神なる乎、又異邦人の神ならずや、然り、又異邦人の神なり
と(三章二十九節)、我等は羅馬教会の組織に由て、千九百年前の昔時に於て異人種が相猜疑し相反目する弊のキリストの福音に於て全然取去られしことを見るのである。
 初代の教会に於て階級的差別の無つたことは信者の此名簿に依ては能くは判明らない、然し其事は腓利門書に依て判明る、其処に奴隷オネシモの、主人ピレモンと信仰的には兄弟でありし事が明かに示されてある、多分羅馬書十六章が記載する信者の中に富者もあつたらふ、又貧者もあつたらふ、我等はアクラとブリスキラの中産以上の天幕製造業者でありしを知る、私用のためにギリシヤのケンクレヤより遙々羅馬に往きしフイベは貧しき婦人でありし筈はない、之に反しでアリストプロの「家の属」とあり、ナルキソの「家の属」とあるを見て、彼等が富家の従属にあらざればオネシモの如き奴隷でありしことを察するに難くない、故に茲に富者あり又貧者あり、奴隷あり又主人ありである、然かもパウロは彼等を呼びて「我が愛する者」又は「主に選ばれたる者」と云ふて居るのである、キリストの教会に於て貧富上下の差別は無い筈である 此処に於てのみ人は皆な天父の前に於て兄弟姉妹である、其事が「キリストの体」たる所以である、遠来の貴婦人フイベを羅馬の信者の一同がプリスキラとアクラの家に在る教会に迎へし時に、其処に真個のエクレジヤがあつたのである。 殊に注意すべきは教会の所在である、
(397)  又其家に在る教会に其平安を問へ
とある、今や教会と云へば必ず教会堂に在るものと思はれて居る、会堂なくして教会ありとは今の信者には解らない事である、然し羅馬帝国の首府にして人口四百万ありしと云ふ羅馬の市に於て基督教会は一人の天幕製造業者の家に在つたのである、普通の家である、高壇ありしに非ず、牧師館ありしに非ず、然かも教会はあつたのである、其処にパウロの親友なるプリスキラとアクラとは安息日毎に兄弟姉妹を招き、キリストに在りて鍛練《きたへ》られたるアペレも其処に来り、ルポは其老ひたる母の手を牽いて至り、ピロロコは其妻ジユリヤと共に、ネリオは其妹と共に、テルパイナとテルポーサの姉妹は共に手を携へ、アリストプロの婢僕とナルキソの奴隷とは何の憚る所なくして名家の士女と共に一室に集ひし時に、キリストは彼等の中に在ましてブリスキラとアクラの家は地上の天国と化したのである、而して信者の家に教会のありし例は之に止まらない、使徒行伝十二章十二節に依れば、
  彼れ(ペテロ)ヨハネ、名をマコといふ人の母なるマリヤの家に至りしに多くの人此処に集りて祈りゐたり
とありて、ヱルサレムに於ける最初の教会が馬可伝の著者の母の家に於てありしことが記されてある、又哥羅西書四章十五節に依れば
  汝等ラオデキヤの兄弟等とヌンパス及び其家に在る教会に平安を問へ
とありて、此処にも亦教会が信者の家に在りしことが録されてある、又婢利門書の二節にも
  アルキポ及び其家の内の教会に書を贈る
とありて此処にも亦一信徒の家庭が一教会を為して居つたことが示されてある、其他聖書に記載せられざりし多くの此種の教会があつたに相違ない、言ふまでもなく教会は教会堂ではない、二人三人主の名に依て集まる所に、(398)其所にエクレジヤはあるのである、其意味に於て初代の教会は純乎たるキリストの教会であつた、今日露国や英国に於て見るやうな宮殿に等しき教会堂は初代の基督信者の夢想だもしなかつた所である。
 教会堂がなかつた、又教職がなかつた、ケンクレアの教会に女執事があつたと書いてあるけれども是れ今日聖公会でいふが如きデアコ職ではなかつた、デアコは固《もと》は単に世話人であつた、之を今日執事と訳して誤解し易い、フイベはケンクレアに於ける教会の世話人なりと訳して何の差支もないのである、殊にパウロが茲に指名せる二十六人の羅馬の基督信者の中に一人の教職を帯びたる者の無きことは注目すべき事実である、プリスキラとアクラとは到る所に彼等の家を教会の用に供した(哥林多前書十六章十九節参考)、然し彼等は何の教職をも執らなかつた 彼等は普通の信者であつた、純然たる平信徒であつた、天幕製造を以て稼業とし、パウロを其家に迎へて彼が同業者たるの故を以て「彼と偕に工《わざ》を作しぬ」とある(行伝十八章三節)、其他マリヤは婦人の身を以て羅馬に於ける信者のために多く尽瘁したりとある、キリストに在りてパウロと同じく福音のために働らくウルバノも亦平信徒であつた、又信仰堅固を以て聞えしアペレとても別に牧師又は伝道師と云ふではなかつた、主に在りて尽瘁せし所のテルパイナとテルポーサの両人も亦今日所謂女伝道師又は聖書婦人《バイブルウーメン》ではなかつた、主に在りて選ばれしルポとても信者として選ばれしに止まり、監督又は宣教師として選ばれたのではなかつた、使徒パウロが羅馬に在る基督信者の.団体に向けて書簡を贈るに方て其中に一人の教職らしき者を指名しなかつた事は斯かる者の其中に一人も無かつた事を証明するに足ると言ひて差支は無い、後日に至てはいざ知らず、パウロが羅馬書を認めし時に羅馬の教会に監督もなく、長老もなく、その純然たる平信徒の教会であつたことは羅馬書の此記事に依て見て疑ふべくもない。
(399) 会堂なし、教職なし、循て教条なし、教戒なし、然し愛は溢るゝぱかりにあつた、
  汝等聖き接吻を以て相互に其平安を問へ
と、是れ愛に充ちたる家族の状態である、パウロは信者各自に問安の挨拶を述ぷるに方て、何にか一言、親愛の辞を加へざるを得なかつた、単にエパイネトの名を称ばなかつた、「我が愛するエパイネト」と云ひ、「彼はアジヤがキリストに献げし初穂なり」と云ふ、数言以て彼れエパイネトの性格と名誉とを表はし得て余りありである、単にアペレと云はずして「主に在りて鍛練へられたるアペレ」と云ふ、信仰堅固を以て名声あるもの、老錬なる信仰的戦士の意である、ルポは「主に在りて選ばれし者」殊に「彼の母は即ち我が母なり」と云ふ、パウロは曾て一回も自個の生みの母に就て語らず、然かも茲にルポの母を称んで「我が母」なりと云ふ、
  我が母我が兄弟は誰ぞや……それ神の旨に従ふ者は是れ我が兄弟、我が姉妹、我が母なり
とのイエスの言を思起さしむ(馬可伝三章三十三節以下)、其他ピロロコを其妻ジユリヤと共に称び、ネリオを其妹と共に唱へ、テルパイナの名をテルポーサの名と聯ねて、夫婦、兄妹、朋友の愛の緊密を援くる所、実に用意周到と称する外はない、殊に男子を呼ぶに「我が愛する誰々」と云ふに対し、婦人のペルシーを呼ぶに方ては「愛せらるゝペルシー」と云ひしが如き、偉人パウロの言として、巨巌の狭間に石竹花の一茎を見るが如くに感ぜらる、実に愛は繊美《デリケート》である、能く愛を解する者は深き注意を以て之を語る、個人の救済、人類の救拯に就て語り、福音の奥義に徹底せし使徒パウロは同じ書簡の中に於て一婦人の感情を害はざるらんことを努めた、パウロの偉大なるは茲に在る、彼は大事に当て大にして又小事に当て大であつた、彼の伝道成功の秘訣は茲に在つた、彼は信仰と思弁とに於て大なりしが如くに又愛に於て大であつた、彼に一婦人の感情を重ずる真の紳士の注意が(400)あつた、彼は到る処に此温かき優さしき愛を放ち、到る所に堅き愛の果《み》を結んだ、斯かる愛に触れて初代の教会は起つたのである、而して深き厚き愛を基礎として起つた是等の教会は教職儀式の制度なくして栄えたのである、余輩は羅馬書の末章に初代の教会の実例を示されて、今日の我国に於て其再興を見んと欲するの熱き希望を起さゞるを得ないのである。
       ――――――――――
 初代の教会と云へば一般に使徒行伝二章以下に於て其起原と行動とを記述されてあるヱルサレム教会を指して謂ふ者なるかの如くに思はれて居る、乍然、ヱルサレム教会のみが使徒時代の教会ではなかつた、而して又エルサレム教会は理想の教会ではなかつた、其中にアナニヤとサツピラの如き信者が居つた、ヱルサレム教会の中に行はれし愛は偽のない愛ではなかつた、其中に一種の圧制が行はれた、信仰的虚栄とも称すべき者があつた、アナニヤ夫妻は心にも無き慈善を行はんとして使徒等の詰責する所となり終に其生命を失ふに至つた、ヱルサレム教会に就て我等の学ぶべき所は信者の熱心である、其忍耐、平和、兄弟の愛ではない、「使徒等の言を聴き之を信ぜし者其数凡そ五千人なり」とあり(四章四節)、「使徒等大なる能力をもて主イエスの甦りし事を証《あかし》す」とあり(同三十三節)、又
  信者は皆な一処に集り、すべての物を共にし、産業と其所有を鬻《う》りて各自の用に従ひて之を分与へぬ、日々心を合はせて殿《みや》に在り、又家に於てパンを擘《さ》き、歓喜《よろこび》と誠心《まごゝろ》をもて食を共にし、神を讃美し、すべての民に悦ばる、主救はるゝ者を日々教会に加へ給へり
とある(二章四十四節以下)、ヱルサレム教会はペンテコステの日に於ける焔の舌を以て起つた者である、故に其(401)万事が激越である、熱烈である、非常識である、余輩は其貴き所以を知ると雖も又其大なる欠点を認めざるを得ない。
 
(402)     棄教の理由
         求道者に忠告す
                         大正2年2月10日
                         『聖書之研究』151号
                         署名なし
 
 日本人が基督教を信ずるのは、其大抵の場合に於てはキリストを使はんがためであつて、キリストに使はれんがためではない、彼等の或者は教会と宣教師とより金を得んとし、或者は教育と知識を得んとし、或者は善き思想を得んとし或者は心の慰藉《なぐさめ》を得んとし、或者は幸福なる家庭を得んとする、而して彼等各自其得んと欲する所の者を得れば、何とか理屈を附けてキリストと彼の福音を棄去るを常とする、我国の学者にして宣教師の援助に由りて高等教育を受け、海外の大学に学び、学成り業卒つて後に、キリストを棄て元の不信者と成つた者は尠くない、或ひは聖書の研究に高尚なる思想を得、文学の料に資し、教育の秘訣に達し、社会の尊敬と承認を得て、而して後にキリストを離れ、彼の名を人の前に恥るに至つた博士学士も亦尠くない 斯かる人々は皆なキリストを利用し、利用する丈け利用して後に彼を棄去つた者である、堕落信者として甚だ卑しむべき者であるは勿論のこと、普通の人間としても決して誉むべき者ではない、而かも斯かる信仰の背義者は日本の社会には、而かも其上流社会には決して尠くないのである。
 然し彼等が斯かる憐むべき状態に陥りしは決して怪しむに足りないのである、彼等は始めよりキリストを使は(403)んとして彼に来つたのであつて彼に使はれんとして来つたのではない、彼等は始めよりキリストの福音を誤解したのである、彼等は福音の人を神の奴《しもべ》となす者である事を認めなかつたのである、キリストは彼等より彼等のすべてを要求し給ふ者であつて、人間最大の幸福はすべての幸福を彼の足下に献げて然る後に始まる者である事を覚らなかつたのである、智識、思想、幸福は彼等がキリストより得ることの出来る最小の恩賜である、然るに憐むべき彼等は是等の小なる恩賜を以て満足し、すべてを献ぐるの恩恵、己を虚うするの恩恵、己に死して神に生くるの恩恵に与からんとしないのである、畢竟するに彼等は大慾の如くに見えて実は小慾の人等である、彼等はキリストを棄去て恩恵の源を絶つたのである。
 キリストを使はんとする乎、キリストに使はれんとする乎、求道者よ、初めより汝の求道の動機を探れよ、キリストを使はんとして汝は遂に彼を棄去るに至るべし、彼に使はれんと欲してのみ汝は永久に彼の愛に浴するを得るなり、我国に於ける多くの堕落信者に省よ、彼等に就て彼等の棄教に至りし経路を尋ね見よ、彼等も亦一時は熱心に基督教の真理を探りし者なり、而かも今や再び世の俗人と何の異なる所なきに至れり、汝、彼等に傚ひて、使徒ペテロの曰ひしが如く
  彼等(一たぴ)義の道を識りて尚ほ之を棄んよりは寧ろ(始めより)之を識らざるを可《よし》とす、犬返り来りて其吐きたる物を食ひ、豚洗ひ潔められて復た泥の中に臥すと云へる諺は真にして彼等に応へり
とある其一人となる勿れ(ペテロ後書二章廿一、廿二節)。
 
(404)     『デンマルク国の話 信仰と樹木とを以て国を救ひし話』
                           大正2年2月21日
                           単行本
                           署名 内村鑑三述
〔画像略〕初版表紙150×106mm
 
(405)     NEED OF THE CROSS.
                         大正2年3月10日
                         『聖書之研究』152号
                         署名 kanzo Uchimura
 
If my Christianity is not evangelical,it is nothing.If the Cross saves me not,I am not saved.I know not how it is with others;but with me,the Cross is everything.My righteousness is in it,my sanctification and my salvation as well.I know Iam not a member of any“orthodox” church.but orthodox or heterodox,I cannot let go from me the Cross of Jesus Christ.I have deep ethical need for it,and peace I have not without it.
 
(406)     〔人を愛するの愛 他〕
                         大正2年3月10日
                         『聖書之研究』152号
                         署名なし
 
    人を愛するの愛
 
 俄は人を愛すべき也、愛せざるべからざる也、然れども我に真誠《まこと》の愛なきを如何せん、我は人を愛せざるべからざるに我は彼を愛する能はず 噫、我れ困苦《なやめ》る人なる哉。
 然れどもキリストに人を愛する真誠の愛在りて存す、而して彼れ我に在りて我を以て真に人を愛し給ふ、我は我が全身をキリストに引渡して、彼の聖き愛を以て人を愛するを得るなり、我は人を愛せんと欲して愛する能はず(然れどもキリストをして我が衷に在りて我に代りて人を愛せしめて我は容易く真誠に人を愛するを得る也 噫、我れ祝福《さいはひ》なる人なる哉。
 
    人を赦すの途
 
 人を赦して神に赦されるのではない、神に赦されて人を赦すことが出来るのである、人を赦せ然らば汝等も赦さるべしとあるはキリストの律法である、然れどもキリストの律法も亦モーセの律法と等しく我等の意力を以て行《な》(407)すことの出来る者ではない、律法はすべて我等を神に追やる者である、赦すべき人を赦し得ずして我等赦さるべからざる者として神の許に到りで彼の赦免《ゆるし》に与るを得て終に人を赦し得るに至るのである、律法はすべて一時は人を殺す者である、我等は其威権に惧れず、一たびは其殺す所となりて真に之に生くるの途を取るべきである。路加伝六章三十七節。羅馬書七章九節。
 
    死者の活働
 
 我は今は死んだ者である、故にキリストを離れて何事をも為すことの出来ない者である、我はキリストに殺された事を神に感謝する、我は死んだ者である、其代りにキリストが我に在りて働らき給ふ時には我には人の為すことの出来ない事を為すことが出来る、其時我は異能の人と成る、我に由て奇蹟は行はれる、然し勿論死んだ我れが為すのではない、我に宿り給ふ活たるキリストが為し給ふのである、故に我れ若し大事を為さんと欲するならば益々自己に死すべきである、而してキリストをして益々有効的に我に在りて働らかしめまつるべきである。
 
    イエスは神なり
 
 イエスは神なり。彼が奇跡を行ひ給ひしが故に非ず、彼が奇跡的に生れ給ひしが故に非ず、彼が肉体を以て復活し又昇天し給ひしが故にあらず、彼が神の如くに権威を以て教へ給ひしが故に、彼が神の如くに聖く行ひしが故に、彼が神の如くに美はしく死に就き給ひしが故に。
 余輩はイエスを人と心て見て彼の人にあらずして神なるを識る、而して彼の神なるを識て、彼が行ひ給へりと(408)称せらるゝ奇跡の信じ難き事にあらざるを識る。
 
(409)     雑誌成つて感あり
                         大正2年3月10日
                         『聖書之研究』152号
                         署名 主筆
 
 雑誌が復た出来た、然し余が作つたのではない、何者か余以外の者が余を以て作つたのである、余に精神を供し、思想を供し、言辞を供し 文字を供して茲に又新号を見るに至つたのである、余の思想は涸れた、文字は固より余に有るなし、余は生れながらにして筆の人ではない、余は神学の教師ではない、聖書は余が専門的に学んだ書でない、然るに此余が復又此雑誌を作つたのである、何んと不思議ではない乎、余の業ではない、余以外の者の業である、此不信者国に在て、一平信徒が、教会や宣教師の何の援助をも藉りずして、十有三年間に亘りて純然たる宗教雑誌を継続けたのである、不思議ではない乎、批評家は言ふ、余の天才が之を為したのであると、天才? 天才は文学雑誌を作ることが出来るであらふ、天才は芸術雑誌を継続けることが出来るであらふ、然し天才は宗教雑誌即ち信仰雑誌を継続けることは出来ない、信仰のみ信仰雑誌を継続けることが出来るのである、而して信仰は天才で無いのは勿論のこと、自力ではない、勉強ではない、其反対である、他力である、仰望である、我れ己を虚うして上よりの力を待望んで其力に由て事を為すのである、然り、事を為さしめらるゝのである、故に事が為つても何の誇る所がないのである、唯、器械として便はれたまでの事である、若し何にか自己の功労があるとすれば自己を彼に任かし奉つたことである、其他に何の功労あるなしである、記者である、主筆である(410)と謂ふのは単に法律上の名義に過ぎない、実際の主筆は他に在るのである、而して其何者なる乎は知る者ぞ知るである。
 故に余輩は謂ふ、無能なる者は福ひなりと、美文なき者は福ひなりと、神学なき者は福ひなりと、蓋其人は或る他の者に使役せらるべければなりである。
 
(411)     教会者と預言者
                        大正2年3月10日
                        『聖書之研究』152号
                        署名 内村鑑三
 
 教会者、之を英語で ecclesiastic《エクレジヤスチツク》と謂ふ、余輩が此世に在りて何より嫌ふ者は是れである。
 信者は神を信ずる者である、教会者は信者を治めんと欲する者である、信者は信仰家である、教会者は政治家である、信者は謙遜なる羊である、教会者は傲慢なる狼である、信者の衣を被りたる政治家、是れが即ち教会者である。
 然し孰れの世にも教会者があつた、堂々たる政治の大海に出て其政治的手腕を揮ふ能はずして柔和なる信者の群に入り、之を率ゐ之を馭して其政治的野心を満足せんとせし賤しむべき小政治家があつた、彼等は神の名を以て信者を威嚇《おど》し其の不義の権能を揮はんとした、恩恵の聖書は彼等の手に在りて苛刻なる律法と化した、神に代て世を治むると称して彼等は時には帝王以上の権力を握つた。
 斯くあるが故に教会者の嫌ふ者にして神に遣されたる預言者の如きはない、猿が犬を嫌ふが如くに教会者は神の預言者を嫌ふ、蓋、預言者の熱烈に遭ふて教会者は其|仮偽《かぎ》の権能を維持する事が出来ないからである。
 預言者アモスに対して教会者アマジヤがあつた、アマジヤはベテルの祭司であつて今日で謂へば監督とか長老とか称すべき者であつた、彼れアモスを王に訴へて曰ふた、
(412)  イスラエルの真中《たゞなか》にてアモス汝に叛けり、彼の諸の言には此地も堪《たふ》る能はざるなり、
と、即ち教会者アマジヤの見地より見て預言者アモスは乱臣賊子、平和の撹乱者、速かに国外に放逐すべき者であつた、故に彼は彼の教権を利用して面前《まのあたり》アモスを詰責《せめ》て曰ふた、
  汝往きて(南方)ユダの地に逃れ彼処にて預言すべし、而して汝の食物を得よ、然れども(王城の地なる)ベテルに於ては重ねて預言すべからず、是は王の聖所、王宮の在る所なればなり、
と、之に対してアモスは曰ふた、
  我は預言者に非ず、亦預言者の子にもあらず、我は牧者なり、桑の樹を作る者なり、然るにヱホバ羊を牧ふ所より我を取り、「往きて我民イスラエルに預言せよ」とヱホバ我に宣へり
と、教会者アマジヤは王の名を以て語りしに対して預言者アモスは神の名を以て答へた、教会者が勤王を衒ひ、忠君を装《よそ》ふに対して預言者に唯神命の頼るべきがあつた、俗人の眼より見て両者同じく宗教家であつた、然れども神の眼より見て両者の間に天壌の差があつた、教会者アマジヤは此世の人でありしに対して預言者アモスは神の人であつた、アマジヤより其僧衣を褫《はぎ》て彼は完全《まつたく》の俗人であつた、之に対して農夫アモスの纏ひし襤衣《らんい》の中には真個の宗教家が包まれてあつた、アマジヤとアモスとは教会者と預言者との善き対照である。(亜麼士書七章十節以下を見よ)。
 預言者ヱレミヤに対して祭司イムメルの子なるヱホバの家の宰《つかさ》の長なるパシユルがあつた、茲にも亦預言者と教会者との劇烈なる衝突があつた、二者の間に平和の行はれやう道理がない。(耶利米亜記二十章一節以下を見よ)。
 古代を去つて近世歴史に入れば伊太利フローレンス市の愛国的預言者サボナローラに対して、当時の羅馬天主(413)教会の法王アレキサンドル第六世があつた、ルーテルに対しては法王レオ第十世があつた、クロムウエルとミルトンに対しては英国聖公会の監督ウイリヤム・ロードがあつた、トルストイに対しては霧国正教会の大監督ポビエドノステフがあつた、預言者の出る時と所とには必ず教会者が現はれる、悪魔は必ず神の聖業に妨害を加へずしては止まないのである。
 而して主イエスキリストを殺した者も亦サドカイ宗の人等であつて、即ち当時の教会者であつた、彼等の代表者が祭司の長カヤパであつた、
  祭司の長等及び長老、すべての議員と共にイエスを殺さんとして妄証《いつはりのあかし》を求むれども得ず云々
とある(馬太伝廿六章五十九節)、ベテルの祭司アマジヤが預言者アモスを詰つたのも、ヱホバの家の宰の長なるパシユルが預言者ヱレミヤを桎梏《あしがせ》に繋いだのも、法王アレキサンドル第六世が愛国者サボナローラの焼殺を命じたのも、監督ロードが英国の清教徒を迫害したのも、畢《つま》る所は教会者が其数権を維持せんと欲して神の人を除かんと欲したのに帰着するのである、真《まこと》の信仰の光明《しかり》が世に臨んで虚偽の信仰家即ち教会者が騒ぎだしたのである。
 信仰の敵は異端ではない、又異教ではない、信仰の敵は教会者である、信者の中に在りて教権を揮ふて彼等を治めんと欲する者である、信仰の法衣を着けたる政治家である、信仰を毒し、信者を害する者にして教会者の如きはない、教会は彼等が拠て籠る城砦である、カインがアベルを殺して以来、幾千万の聖徒は彼等の屠る所となつた、以弗所書六章丁十二節にある、
  我儕は血肉と戦ふに非ず、政事また権威また此世の幽暗《くらき》を宰る者、また天の処に在る惑の霊と戦ふなり、
との言は教会者に対する信者の態度を指していふた言《もの》ではあるまい乎。
 
(414)     塩と平和
         馬可伝九章四十九、五十節の研究(二月十六日静岡市富士青年会に於て講ず)
                         大正2年3月10日
                         『聖書之研究』152号
                         署名 内村鑑三
 
  すべての人は火を以て塩つけらる
 「火」は艱難である、「塩」は厳正なる正義の道である、「塩つけらる」とは正義を尊重し之に遵ひて歩まざるを得ざるに至ることである、すべての人は生れながらにして我儘である、甘くある 明白なる正義の道に由らずして気儘勝手に行はんとする、而して艱難の辛らき経験に由て我意の到底之を遂行する能はざるを知り、終に已むを得ず正義に服従するに至るのである、艱難の火は人を厳格にする、彼に正義の鹹味《かんみ》を加へ、彼をして味のある人たらしむ、艱難の火に鍛へられて彼の曲れる質は直くせられ、緊縮《しまり》なき心は固くせられ、彼は涙ある人となりて自己を責むるに厳にして他人を鞫くに寛なる者となる、実にすべての人は火を以て塩つけらるゝのである。
  塩は善き者なり、然れど塩もし其味を失はゞ何をもて之に味を加んや
 「善き者なり」 健康に宜しき者なり、塩は食物に味を加へ、其消化を促し、健康を助く、然れども塩にして若し其鹹味を失はゞ何をもて之に鹹味を加へんや、昔時の簡単なる庖厨に塩の代用物とては無かつた、故に塩もし塩たらざるに至ては料理の方面に於ては万事休せりであつた、其如く、艱難の火に由て加へられし正義の念にし(415)て失するに至ては策の施すべきなしである、曾て詩人の歌ひしが如く
   基礎もし壊《やぶ》れんには
   義者は何に依て立たんや
である(詩篇十一の三)、凡ての廃物に利用の途あらんも、廃れたる塩に利用の途はない、「後は用なし、外に棄られて人に践まるゝのみ」と馬太伝は謂ふ、信仰の失せたるは復たび之を挽回することが出来る、愛の冷めたるは復たび之を温めることが出来る、然れども正義の念の失するに至つては之を回復するの途はない、正義、公道、明々白々の道理、是れが失せて万事が休するのである、故に預言者イザヤは叫んで言ふた、
  禍ひなる哉悪を称びて善と做し、善を称びて悪となし、暗を称びて光となし、光を称びて暗となし、苦きを甘《あまし》となし、甘をよぴて苦きと做す者よ
と(以賽亜書五の二十)、明白なる正義を正義と認むる能はずして却て之を不義と認め、権勢に阿りて其悪事なるを認めず、策略を弄して却て大功を奏せるが如くに信ず、正道は之を極端と称し、義憤は之を不遜と称び、因循にして固陋にして、馴良にして従順なるを称して是れ篤信なり、忠実なりと謂ふ、実に「禍ひなる哉悪を称びて善と做し、善を称びて悪と做す者よ」である、彼等は正義の鹹味を去て信仰伝道を語る者である、彼等に鹹き所が無い、彼等は悉く甘くある、万事が円滑にさへ行けば、其れで彼等は満足するのである、彼等に在りて塩は其鹹味を失ふたのである、義憤の火は彼等の衷より消去つたのである、彼等の唱ふる愛は憤怒の伴はざる愛である、鹹味を加へざる甘味である、故に食ふに堪へざる者である。
 正義は低い道徳であつて、愛は高い道徳であると謂ふ、或ひは然らん、然れども巌《いは》の堅い基礎の上に立たざる(416)高山は何処に在る乎、富士山は空中に淨かんで居る者である乎、其如く堅き正義の上に立たずして愛も信仰も浮雲の山である、一陣の風之を吹払へば消えて跡なき者である、正義の念の熾盛《さかん》なる所に於てのみ愛も信仰も繁栄《さかゆ》るのである、正義は健全なる空気である、其乾きたる冷たき気圏の中に在りてのみ信仰は其健全なる発達を遂げ得るのである。
 塩若し其味を失はゞ何をもて之に味を附けんや、空気若し腐敗せば何をもて之を清潔めんや、正義若し正義として認められざるに至らば何を以て正義の正義たるを証明せんや、自明理を疑ふて数学は其根柢より壊《やぶ》る、大義名分を輕じて宗教も道徳も其根柢より崩るゝのである、而かも斯かる事は決して無い事ではない、公道の欠けたる所に宗教は説かれ信仰は薦めらるゝのである、イエスの此言たる簡短にして意味深長である。
  汝等己が衷に塩を有つべし、而して相互に睦み和らぐべし
 公道を以て自から持すべし、而して相互に睦み和ぐべしとのことである、平和の途は之を除いて他に無いのである、即ち各自が己が衷に塩を有つことである、即ち各自が公道の示す所に遵つて歩むことである、他人の権利を侵さない事である、自己の人権を恪守することである、自個を守るに厳格なる事である、所謂元始的公義を厳粛に実行することである、永久の平和は如斯くにして臨《きた》るのである、平和は公義の黙過《もくくわ》に由て臨ると思ふは大なる誤謬《あやまり》である、平和は妥協ではない、平和は神の平和であつて、永久の平和である、平和は又必しも戦はない事ではない、平和は公義の実現である、故に人々各自が己が衷に塩即ち公義を懐《いだ》くまでは世に完全なる平和は臨らない、イエスの此一言に平和実現の秘訣が遺憾なく示されてある。 公義の抱懐、其実行、之を以て己を責め、之を以て他を諭し、公平ならんことを努め、偏頗ならんことを避け、(417)熙々《きゝ》たる神の光明の下に万事を行はんとして永久の平和は吾人の間に臨み来るのである、平和は隠密の間に来らない、光明の間に臨む、平和は砂糖を以て来らない、塩を以て臨む、世の所謂平和策なる者は皆な平和破壊策である、曰く妥協、曰く譲歩、日く和談、曰く内済と、是れ皆な甘味を以てする平和策であつて悪魔の平和である、
  汝等唯然り、然り、否な、否なと言へ、之より過ぐるは悪魔より出るなりとイエスは曰ひ給ふた(馬太伝五章三十七節)、善は善、悪は悪、光は光、暗は暗、甘は甘、苦は苦、是れ皆な鹹味を以てする平和策であつて神の平和策である、俗人の眼より見て平和攪乱策の如くに見ゆるなれども、然かも永久の平和は斯かる「乾燥せる光の下」に於てのみ結ばるゝものである。
 塩と平和、鹹き公義と潔き交際、厳格なる家庭と深き愛情、情実の纏綿を許さゞる教会と常に衰へざる熾盛なる信仰、閥族の跋扈を許さず、民の権利を保護して渝らざる国家とその隆々たる国運の進歩、然り、平和と富強と貴尊とは塩を以て自から持するに因りて臨む、人生に公義の鹹味が欠けて、争闘紛乱永久に竭きずである、惑謝す、平和の主なるイエスは此世の政治家又は宗教家の如くに婉言敏腕の主にて在はしまさざりしことを、彼は平和の途として甘き蜜を主張し給はずして鹹き塩を主張し給へり、借問す、彼の名に依て立つ監督よ、牧師よ、伝道師よ、汝等は塩を以てする平和の確立を計りしことありや。
       ――――――――――
 
    附言
 如上の叙述を為すに方て余輩は日本訳聖書の本文に依らずして自個の訳文に拠つた、第四十九節
(418) すべての人は塩をつくる如く火を以せられ
は確かに誤訳である、此れは原文の通りに
  すべての人は火を以て塩つけらる
と訳して其意味は明瞭である、又
  すべて祭物は塩をもて塩つけらる
の一句は多くの古代の写本に循ひ、之を除くを可とする、現に改正英訳聖書の如きは之を除いて居る、解釈者の傍証が終に本文に記入せらるるに至つたものであらふとの事である、此一句を除いてイエスの言は一層簡潔になり、随て其意味が強くなると思ふ。
 第五十節の下半部
  汝等心の中に塩を有て、又互に睦み和ぐべし
は甚だ弱くなる、原文に「心の中」なる文字は無い、唯単に「自身に」とある、又原文に依れば、「有て」又「和ぐべし」と二個の命令があるのではない、「有つて和ぐべし」との一個の命令があるのみである、イエスは茲に塩の必要に就て語り給ふ序に平和実現の秘訣に就て教へ給ふたのである、
  汝等自身の中に塩を有つべし而して互に睦み和らぐべし
と、斯の如くに改訳して冗漫なる日本訳聖書の本文は簡潔にして気勢強き者と成ると覚ゆ、左に余輩の訳文の全部を掲ぐ、
  すべての人は火を以て塩つけらる、塩は善きものなり、然れども塩もし其味を失はゞ何をもて之に味を附けんや、汝等自(419)身に塩を有つべし、而して相互に睦み和らぐべし
 宗教哲学者エ※[ワに濁点]ルト曰く、イエスの言は悉く宗教的意識の源泉より直に湧出る清水なりと、余輩が茲に小釈を試みし彼の言の如きも亦其れである、簡単にして透明、清澄にして深淵、註釈を加へて却て其清浄を濁すの虞れがある、但、余りに透明に過ぎて人の其深義を看逃すの虞れあるが故に、茲に彼等の注意を惹かんまでに少しく余輩の考察を述べた次第である。
 
(420)     自由の我れ
                         大正2年3月10日
                         『聖書之研究』152号
                         署名なし
 
 我は万人を敵として有たん哉、而してキリスト一人を味方として有たん哉、貴族を敵として有たん哉、平民を敵として有たん哉、富者を敵として有たん哉、貧者を敵として有たん哉、而してキリスト一人を我主として崇めん哉、我はキリストの僕なり、何人にも左右せらるべき者に非ず、去れよ人よ、我は自由の主なるキリストの自由の僕なり、人は何等の束縛をも我が上に加ふる能はざる也。
 
(421)     真正の無教会信者
                         大正2年3月10日
                         『聖書之研究』152号
                         署名なし
 
 教会を出づるも可なり、然れども教会以上に出づべし、教会以下に出づべからず、教会に在りし時よりも於《より》謙遜にして、於多く兄弟を愛して、然り、於多く教会を援けて我等は真正の無教会信者たるを得るなり。
 
(422)     世を救ふ唯一の力
         キリストと其十字架
                     大正2年3月10日
                     『聖書之研究』152号
                     署名 内村鑑三途 中田信蔵記
      二月十六日朝静岡市富士青年会館に於ける説教の大意
 凡そ新約聖書を通読して二つの事を知り得、其一は基督の福音は極めて簡単明瞭なるものにて現今多くの人によつて考へらるゝ如く文学哲学の深淵なるものに非る事也。保羅の伝道せし年数は二十五年乃至三十年に過ぎざるに、バルカン半島より羅馬に至る当時の文明国を殆んど巡回し、基督の福音をして天下に普からしめたり。其間或はエペソには三年間、コリントには一年半の如く長く滞在伝道せし個所なきに非ずと雖ども、ガラタヤ、テサロニカの如く只一二週間の滞在にて殆んど通過せしと言ふに止まる所多し。而も斯くも広く伝へ深く徹底せしめしは如何に精力絶倫信仰強烈の保羅と雖ども単に精力と信仰とのみに由りてなし得る所に非ず。彼の伝へし福音の極めて簡単にして数日を以て説き尽し得可きものたるを知得可し。
 次に吾人は聖書中に二種の基督教ある事を発見し得。一は十二使徒等によつて伝へられし基督の教訓を伝ふるものにして馬太雅各等の系統に属するものにて山上の垂訓の如きこれ也。これ容易に説き尽し得可きものに非ずして、短時日を以て伝へ得べきものにあらず。他の一は則ち保羅の伝へしものにして簡単明瞭一言以て尽し得可(423)きもの也、他の使徒等はイエスの教訓を伝へしに対して、保羅は一言にして直ちに肺腑に入るの福音を伝へたり。
  蓋われイエスキリストと彼の十字架に釘られし事の外は汝等の中に在て何をも知るまじと意を定めたれば也。(哥林多前書二章二節)
 保羅の祝く所はこれにて尽く。これぞ簡単にして而も深遠なる基督教の全部と言ひ得可く、此中に吾等の慰藉と希望の総てが含まるゝ也。如何にして救はるゝか、道理を研究せば極めて多様ならんも、吾等自身の実験を以てせば、何等の道理なく、実に救ひはイエスキリストと彼の十字架に在りて存する也。無学不文の翁媼も少しく学を修めし吾等も毫も異る事なく、等しく主の十字架を仰ぐ事に因てのみ救はる可し。基督教を一言にして全部言へと言へば又此外になし。吾信仰は世界の書を読破せしによると言ふを得ず、良書は吾等の信仰を補ふ事多しと雖ども、これによりて基督教の真理を知り尽したりと思ふは不可にして、斯の如きは又再び他の良書によりて根拠なく破壊され、今日の人生観は明日のそれに非ず、今日の持説は明年変ぜんも計られず。然らば吾道徳の完全なるによりて諸君の前に師たるか、蓋し五分間諸君の前に起つに堪へじ。道徳を以て信仰を保たんとせんか、恰も流るゝ河川を堰ぐ如く何れかより破壊されずんば止まず。吾を道徳の模範として来るものは須臾《しばらく》にして吾敵となるもの也。博学高徳は伝道に必須のものに非ず、唯主キリストは吾等人類の罪を負ふて十字架に就かれ以て救を完うされし事を明瞭に知り強く感ずるを以て足れり。吾今日罪を犯さば主の十字架を仰がん、明日又罪を犯さば明日又十字架を仰がん、幾度如何なる罪を犯すとも又斯くせんのみ。罪の故に主より離れず、主の愛は無限にして罪によりて吾等を棄て給ふ事は決してなし。信仰強きとは主の十字架を強く感ずる事にして、微弱に感ずる人は信仰弱き也。此外に基督教あるなく、これ実に人を救ひ世を救ふ唯一の道たる也。其何故かは知らず、(424)恰も日光の人の健康に必要なるは知れども其何故たるかは一部分の説明はあれども全体の理は分明ならざるが如し。「十字架を見て云々」の如きは当今何となく学者に対して恥かしき様の感を抱くものあれども決して然らず、神は飽くまで公平無私にして此世の智慧をして愚かならしめ、人を救ふに高遠なる哲学を以てし給はず何人も為し得る十字架を仰ぐ事を以てせらる。実に人は十字架を仰ぐ事によりてのみ救はる。二宮尊徳翁を尊敬するは差支なし、去れどこれを以て日本国を救はん杯とは以ての外と言ふ可し。斯く考へて吾等の伝道は極めて簡単容易なる事となり何人もなし得、又なさゞる可らざる所たる也。真の大伝道は常に非教役者たる信徒の語る実験によるものにして学説哲理の関する所に非ず、各自此実験を有せば宣教師を要せず大教会を要せず、諸君各自を以て福音宣伝の大業は成さるゝ也。十二使徒等によりて伝へられし道徳的福音は僅にエルサレム附近に止まり、保羅の伝へし十字架の福音は全世界に拡まり永遠に亘りて力あり。教会の基督教の衰へ行くは道徳を期待するに因るなり、吾等如何なる失敗を幾度繰り返すともイエスと彼の十字架さへあれば猶基督信者たるを失はず、誠に哲学者某の言へる如くキリストの釘に刺されたる掌の上に全宇宙の全道徳を載す。身を救ひ世を救ふ道は此簡単にして深遠窮りなきイエスキリストと彼の十字架の外になし。保羅は福音宣伝に言辞と智慧の美《すぐれ》たるを以てせずして、実によき標語を撰みたり。これに無限の力あり無限の真理あり。世にこれに勝りて簡単にして意味深速なる語あらんや。彼の伝道の驚く可き効を奏せし所以茲に在り。凡そ世を動かすの語は須く簡短なるを要す、自然淘汰の語はダーウヰンの進化論を代表し、スペンサーの哲学は分化統一にあり、ベンダムの経済学は最大多数に最大幸福を与ふるにあり、而して保羅の福音はイエスキリストと彼の十字架を以て輝く。抑も人間真の苦痛は所謂逆境と云ふが如き不遇と云ふが如き処世難と云ふが如き劣等浅薄なるものに非ず、只一人神の前に引出されて「汝は(425)如何に」と鞫《たゞ》されん時を想像するの苦痛ならざる可らず、而して是を癒すものは唯主の十字架の贖罪の確信のみ。実に万事尽く破壊されし後に残るは唯一の十字架也。十字架の輝く家庭は救はれ、十字架村に輝けば村、国に輝けば国救はる。使徒保羅に輝きて彼の偉大は何人も比す可らず、彼は渺たる自己一人を以て大羅馬帝国を引受けて綽々として余りあるの確信を以て起てり。イエスキリストと彼の十字架、これぞ吾等の標語にして、身を救ひ、日本国を救ひ世を救ふ唯一の力にして又基督教の全部たる也。
 
(426)     立憲政治と基督教
                         大正2年3月10日
                         『聖書之研究』152号
                         署名 中田信蔵 記
 
     二月十六日夜静岡市富士青年会館に於ける内村先生演説の大要
 本日此所に立憲政治と基督教に就いて所見を述べんとす。今や恰も憲法擁護の声盛んなるの時に当ると雖ども余の語らんとする所は時局に毛頭関係なし。立憲政治の何たるやはこれ政治学者に問ふ可きものにして、余の如きは政治には素人なれば唯立憲政治と基督教との関係に就て少しく語りて諸君の参考に供せんとするのみ。
 立憲政治とは法律を以てする政治にして仮令帝王と雖ども其間に独自一個の吾儘を行ふを許さゞるもの也。而して其根柢は自治にありて先づ己を治め家を治め得るものゝ集りて村を治め郡県を治め国を治むるの政治也。茲に注意すべきは立憲国は極めて少数を除くの外は尽く基督教国たる事なり、是れ基督教の善と悪とに係はらず明瞭なる事実にして拒む可らざる事也。元より基督教以前に於ても立憲政治なきにあらざりしも其永続的効果を奏するに至りしは基督教伝播以来の事にして、而して亦新教国に於て最も完全なる憲法政治の行はれつゝあるも事実也。基督教が憲法政治の原因となりしや否は疑問とするも基督教新教の起りしと立憲政治の起りしは同時たりし也。元より基督教ありて立憲政治を行はざるの国なきに非ず、霹国の如きは日本より後れて立憲国たるに至りし者なり。立憲政治は法律政治なるが故にこれを知らんとせば先づ法律の観念の由つて来る所を知るを要す、(427)こは聖書よりに非ずして希臘人羅馬人より学びたる所にして立憲政治は基督教より生じたりとは言ひたくとも学者としては言ふ能はず、而も瑞西国のゼネバに於てカルビン起りて所謂カルビン主義の基督教を唱へてより、其結果として和蘭に第一に近世的自由政治は行はれ、漸次英に米に独に仏に立憲政治建てられたり。基督教なくば立憲政治出ずとは言ひ得ざるも立憲政治と基督教との間に何等かの関係なかる可らず。或は基督教は立憲政治の妨げとなりしと云ふものもあらんがこれ腐敗せる教会が基督教の名によりてなせし所にして新約聖書の伝へし基督教のなせし所に非ず。新約聖書全体の精神は自由を奨励するは瞭かなる所也。茲に立憲政治と基督教との深き関係は発見さる。
 立憲政治は一面より言へば自治の政治なるが故に自身にて自身を治むる能はざるものは立憲政治に与るの資格なきもの也。村の問題に非ず郡県の問題に非ずして先づ第一に自身の問題たる也。以て問題は直ちに宗教に至る。自身を以て自身を支配するこれ実に一大事にして英雄豪傑の難しとする所、智者学者の猶及ばず屡見苦しき失敗を招く所也。而して此自身を支配するの大なる力唯一あり、他なしイエスキリストの十字架の福音これ也。道徳に非ず哲理に非ず唯これ也。已に自身を治め得ば同じ力を以て家を治め得、隣を治め得、之を国に及ぼして国を治め得ざらんや。賞罰を以て治むるは圧制にして自治に非ず。吾自治の力を家族に及ぼして家庭に自治行はれ、国に及ぼして一国の自治行はる。
 今や吾国に憲政擁護閥族打破の声は甚だ高けれども内に其準備や皆無也。啻に己を潔くすると称する消極的君子たるに止まらず深く憲政の歴史に心を注ぎて学ぶ所なかる可らず。和蘭の歴史に精通せるもの幾人かある、蘇国の歴史はよく憲政擁護論者に究め尽されしや否や。立憲政治当の主人たる平民が一向に其準備を整へず何を以(428)てか国に立憲政治行はれんや。試に議員候補者に問ふに君は先立憲的に身を治むるや家を治むるやを以てせよ、然りと答へ得るもの果して何人なる可き。吾国憲政のため寒心に堪へず。欧米諸国の中に純なる基督教の行はるゝ所には立憲教治よく行はる、立憲政治の完全に行はれんには先づ其人民に己を治むるの力臨まざる可らず。敢て仏教に此力なしとは言はざるもイエスの十字架に著しき此力ある事は幾多の実験に由り断乎として言ひ得る也。
 次に立憲政治は法律を重んずるの精神を要す、これなくしては立憲政治の完全に行はれん事は望む可らず。近き例は千八百七十六年に於ける北米合衆国の大統領選挙に見るを得可し、当時民主、共和両党勢力相半し優劣容易に判ず可らず、競争の激甚未だ曾て見ざる所、天下の人何れも手に汗を握りて其運命を危み僅少の差を以て反対派に屈するは忍ぶ可らざる所、恐く血を見ずんば止まじとし、再び同国の惨憺たる混乱の状を想像せりき。開票の結果は最後の一票を以て遂にレパブリカン党のヘース氏の勝に帰せりき、此時此際米国人の美点は遺憾なく発揮されたり。米人は曰く「吾等の国は吾等の定めし法律を以て治むるの国也」とて僅かに一票の差に由てヘース氏の治に服して微動をだにせざりき。これ実にリンコルンの奴隷戦争に勝るの事にして米国の基礎は茲に強固となり宇内に万斤の重を加へたり。此法律を重んずるの精神は苟も非立憲的の事は帝王と雖ども許さず小僧丁稚と雖ども許さず。凡そ法律を尊敬するには二の事を要す、一は神を怖るゝ事にして、他の一は人の人格を重んずる事也。人格を有せざるものは百万の財を有するも投票権なき筈にて、納税額を以て撰挙権を定むる如きは不道理千万と言ふ可し。苟も己を治め得るものは一票を有して可なる可き筈也。己を治むるの観念、法律を重んずるの観念、隣人を尊敬するの観念、これ立憲政治に欠く可らざるものにして之を養ふには基督教に顕著なる力あり、斯く観じ来りて実に立憲政治と基督教とは深き倫理上の関係ありて存す。吾日本国に基督教なくして真の立(429)憲政治の行はる可きや否やは吾人には疑問なれども、基督教を以てして始めて立憲的に身を治め家を治め国を治め得可き事は吾人の確信する所也。
 
(430)     会堂落成を祝するの辞
                         大正2年3月10日
                         『聖書之研究』152号
                         署名 内村生
 
 愛する〇〇君、余は君の教会堂の落成を聞いて甚だ喜ぷ、然し君の能く知るが如く木と石とを以てする教会の建築は至て容易くある、困難いのは霊魂の教会の建設である、君の事業は終つたのではない、今、始まつたのである、苦戦奮闘は今からである。
 如何にして健全なる霊魂の教会を建設せん乎、其目的を達せんがためには種々の手段方法がある、然し其内で最も大切なる事は常に乾燥せる空気を以て教会を充たす事である、腐敗は湿潤せる空気より始まる、身体の健康に最も必要なる者は乾操せる空気であるが如くに、霊魂の発達に最も必要なる者も亦乾焼せる気圏《アトモスフイヤ》である、而して乾燥せる気圏とは正義励行の境遇である 湿潤せる空気とは情実纏綿の状態である、教会は愛を行ふ所であると称して情実の瀰漫を黙許するならば教会の空気は湿潤つて腐敗|立《たちどころ》に生じ、其れがために取返しのつかぬ衰退に陥るのである。
 乾焼せる空気、預言者アモスの所謂
  公道を水の如くに、正義を竭きざる河の如くに流れしめよ(亜麼士書六章二十四節)
と、是れが教会をして健全に発達せしむる必要的状態である、乾燥せる公義を以て溢れずして国家も教会も忽地《たちまち》(431)にして亡びて了ふのである。
 然し斯くは云ふものゝ日本国は情実国である、随て其教会は情実の巣窟である、此国で最も好まるゝ人は「優《やさ》しい人」と称へられて明白なる不義背徳を見逃す人である、之に反して最も嫌はるゝ人は「無慈悲の人」と称へられて正道は如何なる情実をも排して勇敢に之を実行する人である、日本人は其信者なると不信者なるとを問はず、すべて湿つたる人を愛して乾いたる人を嫌ふ、彼等の理想は臥《ね》たる容姿《すがた》の東山である、彼等はアルプスの峻厳なる巒峰に堪え得ない。
 然しながらヱホバの神は聖なる神である、彼の愛は聖愛である、彼は光の中に宿り給ふ、永へに彼を迎へまつらんとすれば彼のために聖座を供へまつらなければならない、而して言ふまでもなく聖は正である、
  天使竿を以て聖城《しろ》を測りしに長さ、闊《は》ば、高さ共に相等しとある(黙示録二十一章十六節)、即ち神の殿は方正であるとのことである。放縦を許さない、気儘を許さない、情実を許さない、厳格である、正確である、公平である、斯くありてこそ神は永へに其中に臨在し給ふのである。
 教会の隆盛を欲ひて其清潔を怠る者は却て其衰退を招く者であると思ふ、発展と称へて外の拡張を求めて中の清浄を計らざる者は内の腐敗と同時に外の縮少を致す者である、余は此点に於て君の教会が他の教会と異ならんことを欲ふ、教会の成功は一身の成功と斉しく其秘訣は一つであると思ふ、即ち
  先づ第一に神の国と其正義とを求めよ、然らば是等のもの皆な汝等に加へらるべし
であると思ふ、信者の数も、社会に於ける教会の勢力も、其他今時の宗教者が望んで止まざるすべての佳物は
  儼然たる正義の実行
(432)に依て求めずして加へられるのであると思ふ、斯くの如くにして君は堅牢なる木の教会の中に牢乎として抜くべからざる霊の教会を作ることが出来、雨降り、大水出で、風吹きて之を撞《う》つとも其の倒れざるを見て、人は君に依て神を讃美し、福音の真理は窮りなく、君の教会より普く世に輝き亘るであらふ。
 聊か所感を述べて祝詞に代ふ。
 
(433)     自他の事業
                         大正2年3月10日
                         『聖書之研究』152号
                         署名なし
 
 我が事業がある、又他人の事業がある、我は我が事業を為さゞるべからず、而して又他人の事業を助けざるべからず、我が事業は勿論我が主義に反く者たるべからず、然れども我が助くべき他人の事業は必しも我が主義に合ふを要せず、我は彼の立場より見て善且つ美なる事業は喜んで之を助くべきである、我は無教会主義者である、我は終生教会を建てないであらふ、然れども我は他人が教会を建んとするに方て我に援助を乞ふ者あれば喜んで之に応ずるのである、凡て信仰に由りて為ざる事は罪なり(ロマ書十四章二十三節)、教会信者の教会建設は当然にして且つ賛成すべき事である。
 
(434)     〔INDEPENDENCE.独立〕
                         大正2年4月10日
                         『聖書之研究』153号
                         署名 K.U.
 
   INDEPENDENCE.
 
 More tban gold,
 More tban honour,
 More than knowledge,
 More than life,
 O Independence!
 
 O ye kings,
 O ye princes,
 O ye bishops,
 O ye doctors,
 Ye are tyrants!
 
(436) Alone with Truth,
 Alone with Conscience,
 Alone with God,
 Alone with Christ,
 I am free!
〔『英和独語集』(大正11年4月15日刊)より〕
 
     独立
   金にも優り、名誉にも優り、.知識にも優り、 生命にも優る、嗚呼汝独立よ!
   噫王等よ、噫|公《きみ》等よ、噫監督等よ、噫博士等よ、汝等は圧制家である。
   独り真理と偕に在り、独り良心と偕に在り、 独り神と偕に在り、独りキリストと偕に在りて、我は目由である。
 
(436)     〔伝道と十字架 他〕
                         大正2年4月10日
                         『聖書之研究』153号
                         署名なし
    伝道と十字架
 
 伝道は救済である、救済は犠牲である、犠牲がなくして救済はない、救済でない伝道は伝道でない、伝道は説教ではない、又著述ではない、伝道は他のために、或ひは他に代て苦しむことである、十字架を負ふてキリストの後に従ふとは単に自己に臨みし艱難に耐る事ではない、他に代て其罪を担ふことである、伝道は十字架である、犠牲を以て他を救ふことである。
 
    神の無限の愛
 
 我が罪の問題ではない、神の恩恵の問題である、我れが如何程神を愛する乎の問題ではない、神が如何程我を愛し給ふ乎の問題である、我れが先づ己に悔ひて神と和らぐのではない、神が罪人と和らぎ得る態度に己を置き給ふに因て我は彼と和らぐことが出来るのである。
 一切《すべて》のもの神より出づ、彼れキリストに由り我等をして己れと和らがしめ給ふ
(437)とある、実に一切は神より出るのである、我が悔改も、信仰も、謙遜も、而して其結果として我に臨む平和も希望も終極の救済もすべて神より出るのである、斯くて我は益々我が罪の深きを知り、之に対する神の愛の限りなきを覚るのである。可林多後書五章十八節。
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    信者の能力
 
  信者の能力は自己に於て在らず、神に於て在り、神、彼と偕に在して彼に能力あるなり。
  神、アブラハムと偕に在せり。
   神、汝と偕に在す(創世記二十一事二十二節)。
  神、ヤコブと偕に在せり。
   我れ汝と偕に在りて云々(仝廿八章十五節)。
  神、ヨセフと偕に在せり。
   ヱホバ、ヨセフと偕に在す(仝三十九章二節)。
  神、モーセと偕に在せり。
   我れ必ず汝と偕にあるべし(出埃及記三章十二節)。
  神、ヨシユアと偕に在せり。
   我れモーセと偕に在りしが如く汝と偕にあらん(約書亜記一章五節)。
(438)  神、ギデオンと偕に在せり。
   我かならず汝と偕に在らん(土師記六章十六節)。
  神、サムエルと偕に在せり。
   ヱホバ彼れと偕に在せり(撒母耳前書三章十九節)。
  神、ダビデと偕に在せり。
   ヱホバ彼と偕に在せり(仝十八章十四節)。
 
    真理の戯弄
 
 曰くオイケン研究、曰くベルグソン研究と、真に好し、然らばイエス研究は既に終了《すん》だのである乎、パウロ研究ヨハネ研究は既に終了だのである乎、馬太伝は既に解つたのである乎、約翰伝は既に解つたのである乎、羅馬書は既に解つたのである乎、聖書は未だ解らず、福音の根底義すら未だ解らざをに、オイケン哲学、ベルグソン哲学を云為するとは何事ぞ、今の人は、然り今の基督信者はキリストを識らんと欲する者ではない、キリストに就て知らんと欲する者である、而かも自からキリストに就て究めんと欲する者ではない、他の人がキリストに就て如何に思ふか、其事に就て聞かんと欲する者である、彼等は自個を哲学者又は社会学者の立場に置いてキリストに関し其批評を試みんと欲する者である、神が彼等如き者に御自身を顕はし給はざるは勿論である、彼等は饑え渇く如くに義を慕ふ者に非ずして、神の福音を弄ばんと欲する者である。
  常に学べども真理を識るに至ること能はず、
(439)との聖書の言は能く彼等に応ふ言であると思ふ(捉摩太後書三草七節)。
       ――――――――――
 
    教会対無教会
        人類の神
 神は教会を以て世を救ひ給ふと云ふ、然り、神は又政府を以て世を救ひ給ふ、学校を以て世を救ひ給ふ、著述を以て世を救ひ給ふ、美術を以て世を救ひ給ふ、神が世を救ひ給ふ途は一にして足りない、神が世の救済を教会にのみ委ね給ひしとは余輩には如何しても信じ得られないのである、神は人類の神であれば普く人類に臨み給ふに相違ない、聖職と称へらるゝ或る階級の人を経るにあらざれば我等に臨まざるやうな神を我等は信ぜんと欲するも能はないのである。
        無教会の必要
 教会の必要もあらふ、亦無教会の必要もある、教会に入て救るゝ人もあらふ、亦教会を出て救はるゝ人もある、目的は人を救ふにある、若し教会なくして人が救はれ得るならば無教会も亦必要である、教会は人のためであつて、人は教会のためでない、余輩は教会の不必要を唱へない、同時に亦無教会の必要を認むる。
        イエスと教会者
 信者とは誰ぞ?
 教会の提供する教義を信じ、洗礼を受けて教会に入り、其会員と成りし者なりと教会者は言ふ。
(440) 我母は誰ぞ、我兄弟は誰ぞ、すべて天に在す我父の旨を行ふ者は是れ我兄弟、我姉妹、我母なりと主イエスは言ひ給へり。
 感謝すイエスは教会者の如くに語り給はざりしことを、余輩は教会の称する基督信者にあらざるべし、然れど祈求《もと》めて父の旨を行ふてイエスの兄弟又は姉妹たり得るを感謝す。馬太伝十二章四十八節以下。
 
    二種の質問
 
 イエスを蔑視《さげしみ》しピラトは問ふて言へり「真理とは何ぞや」と、イエスに救はれんと欲せしピリピの獄吏は問ふて言へり「我れ救はれんために何を為すべき乎」と、ピラトの質問は自己を離れて一般的なりき、獄吏の質問は自己に関して個人的なりき、救拯に到る質問は常に個人的にして実行的なり、滅亡《ほろび》に到るの質問は常に一般的にして思弁的なり、真理は何ぞやと繹《たづね》て真理は解らず、「我れ救はれんがために何を為すべき乎」と求めて真理は明かに上より示さる、今時《いま》の神学生又は求道者にして真理に達する者の尠きは、彼等の多くはピラトの質問を試むる者なるが故ならざるべからず。(ヨハネ十八章卅八節。行伝十六章三十節)
 
(441)     余の旧き信仰
                         大正2年4月10日
                         『聖書之研究』153号
                         署名 柏木生
 
 余の信仰は旧くあると云ふ者がある、然り、甚だ旧くある、五十年や百年旧くあるのではない、数千年旧くあるのである、余は其事を承認して憚らない。 余の信仰はアベルがカインより愈《まさ》れる祭物《そなへもの》を神に献げた時に始まつた者である、ノアは此信仰を懐いて彼の家族と共に方舟に入つた、此信仰に奨まされてアブラハムはカルデヤを去てカナンの地に向ふた、此信仰に由りてモーセはエジプトを離れイスラエルの民を率ゐて陸《をか》の如くに紅海を渉り約束の地を指して進んだ、此信仰に由りてヱレミナは民の憤怒を冒して、自国の滅亡を預言した、余は余の信仰をイザヤに於て見ることが出来る、ホゼヤは今より二千七百前の昔に之を唱へた、余は殊に余の信仰を使徒パウロより学んだ、彼の羅馬書は余の信仰の経典である、而して主イエスキリストの心を解した人で未だ曾てパウロの如き人はなかつた、余は余の信仰を教会より受けなかつた、又之を外国宣教師に学ばなかつた、余は之を直に聖書に学んだ、神が直に之を余に授け給ふたのであると信ずる。
 然り、余の信仰は旧くある、旧くある故に甚だ尊くある、新神学と称へられて今年栄えて明年廃るが如き者ではない、然り、信仰である、学説ではない、余の霊魂の依て立つ希望の基礎《いしずえ》である、余の組立た思想ではない、(442)神に証《あかし》せられたる余の実験である、余が学者として持つことの出来る学説ではない、人として、然り、罪を悲む人として懐くことの出来る信仰である。
 敢て問ふ新らしき信仰とは如何なる者である乎、独逸派の信仰か、和蘭派の信仰か、英国流の信仰か、米国流の信仰か、或ひは又た心理学者の信仰か、生物学者の信仰か、社会学者の信仰か、経済学者の信仰か、男爵フホン・ゾーデンの信仰か、教授※[ワに濁点]ン・マーネンの信仰か、キリストの歴史的存在を否定するスミス、ユンセン、トレーヴス等の信仰か、新らしき信仰は常に変る信仰である、主として学者の信仰である、書斎に籠て積塵の中より古人の思想を発掘せんとする者の信仰である、故に信仰ではなくして学説である、頭脳《あたま》に興味を感ぜしむるものであつて、心霊に満足を給《あた》ふるものではない、学者の意見である、其仮説である、聖書に所謂、心を欣ばしめ、愚者《おろかなるもの》を智からしめ、霊魂《たましひ》を活き復へらしむる底の神の真理の啓示ではない、新らしき信仰は社会の注意を惹くに宜い、然し罪人の霊魂を救ふに足りない。
 旧き信仰、勿論教会の信仰の謂ではない、教会の信仰は旧き信仰ではない、死せる信仰である、我等はアブラハム、イサク、ヤコブの懐しき旧き活きたる信仰を懐くべきである。
 余の信仰はアブラハム、モーセ、ヱレミヤの信仰であると言ひて余は彼等と儔《たぐ》ひすべき人物であると言ふのではない、信仰は神に対する態度である、余がアブラハムと信仰を共にすると言ふは余はアブラハムが神に対して取つた其態度を取らんと欲する者であると言ふに過ぎない、余は其意味に於てパウロの信仰の兄弟である、余はパウロの眼を以て神とキリストと永生とを見ることが出来る、又彼の心を以て罪と赦免《ゆるし》と救済《すくひ》とを解することの出来るを神に感謝する。
(443)
 余の信仰は旧くある、然り甚だ旧くある、使徒と預言者の基《もとゐ》の上に建られ、イエスキリスト自から其隅の首石《をやいし》となれる古き旧き信仰である。(以弗所書二章二十節)。
 
(444)     義とせらるゝの途
         羅馬書初めの四章の大意
                         大正2年4月10日
                         『聖書之研究』153号
                         署名 内村鑑三
 
 人は如何にして神の前に義とせらるゝ乎、而して第一に異邦人は如何、物質文明を誇り、倫理、道徳、哲学を口にして、宗教を軽視《なみ》し、福音を嘲ける者は如何、彼等自称文明人士は果して神の前に立て義《たゞ》しかることを得る乎、彼等の学問なる者を視よ、彼等は神は無しと唱へながら神ならざる者を崇《あが》めて神として祭るにあらずや、彼等の行為を視よ、彼等が倫理、道徳、哲学を口にしつゝある間に妬忌、争闘、詭譎、讒害、毀謗、傲慢、背約、不情の諸悪は絶えず盛んに彼等の間に行はるゝにあらずや、文明の名は美なり、哲学の声は高し、然れども実行は如何、曲学阿世、不義不徳、誰か彼等を神の義人として認むる者あらんや、否《しか》らず、神は彼等を義人として認め給はざるに止まらず、彼の怒は彼等の不虔不義に向ひて天より顕はる。(一章十八節より三十三節まで)
 異邦人は斯くの如し、然らばユダヤ人は如何、彼等は恒に異邦人を責め、其罪を鳴らして自己の清浄を唱ふる者なり、然れども敢て問ふ、神の選民と称はるゝユダヤ人は果して神の前に立て義人たるを得る乎、
 汝若しユダヤ人の名を担ひ、律法を恃み、神を誇り、其旨を知り、律法に習ひて事物の是非を弁へ、自から瞽者《めしひ》の案内、暗黒《くらき》に居る者の光、愚者の師、童蒙《わらべ》の傅《かしつき》、律法に於て智識と真理の式《かた》を得たる者なりと意《おも》ふ、(445)
  然らば汝、他を教ふる者よ、汝、何故に自己《おのれ》を教へざる乎、
と(二章十七節以下)、ユダヤ人は神より律法を授かりて之を守らない、文明が異邦人を救はないやうに、律法はユダヤ人を救はない、単に律法を有つことは其人を義とするに足りない。
  律法を聞く者の神の前に義と為らるゝに非ず、義とせらるゝは律法を守る者なり(十三節)
 事は茲に止まらない、律法は反て科《とが》を増す者である、律法の無い所に科はない、ユダヤ人は完全なる律法を有して却て之を破るの危険に居る者である、律法は却てユダヤ人を罪に定むる者である。
 然らば如何、異邦人も罪人、ユダヤ人も罪人、倫理道徳は人を義とせず、律法も亦人を義とせず、ユダヤ人もギリシヤ人も皆な罪の下に在り(三章九節)、然らば義とせらるゝの途は無き乎、然り、在り、倫理以外、律法以外、神の供へ給ひしキリストに於て在り、
  今、律法の外に神の義は顕はれたり、イエスキリストを信ずるに由る神の義是れなり(三章廿一、廿二節)
 アブラハムが義とせられたるも亦此道に由りてゞある、即ち信仰の道に由りてゞある(第四章)、我等は信仰に由りてアブラハムの真実の子孫となるのである。
 以上が第一章十八節以下第四章の終りに至るまでのパウロの議論の大意である、即ち「義人は信仰に由て生くべし」との聖語の解説である。
  (札幌講演の一節なり、第百四十九号所載「パウロの救拯観」と併せ読むべし)
 
(446)     ダビデの話
         (一月二十六日以後、四回の安息日に亘りて柏木今井館に於て講ぜらる)
                    大正2年4月10日
                    『聖書之研究』153号
                    署名 内村鑑三述 中田信蔵記
 
  記者曰ふ、ダビデに付ての先生の講話を記載するに当りて読者諸君に予め撒母耳前後書を通読されん事を乞ふ。此物語の全部を委しく掲ぐる事は非常の興味ある事なれども又非常の長篇となるに付き已に読者は其大体に通ぜらるゝものとして、先生の説かれし精神を伝ふるに勉めたれば単に此記事のみにては前後を転倒したるもあり、連絡を欠きしもありて、其伝へんと勉めし精神を酌むに困難なれば、先づ此物語の大体に通じ而して後に此記事に対せられん事を切望する次第である、
 
     ダビデの受膏 (撒母耳前書第十六章)
 
 イスラエル全地を治めて其民に公道《おほやけ》と正義《たゞしき》を行ひし理想王ダビデは如何なる人であつたであらふか、彼はベテレヘム人なるエサイと言へる人の八人の子供の中の季子《すゑのこ》で其父の為に羊を牧《》かつて居つたものである。而して季子ダビデは兄弟中に最も価値なきものとして何等の注意も払はれず、野外の羊の番人をさせられて置かれたものである。其如何に一家の中に軽視されて居つたかは予言者サムエルがエホバの命により膏を注がんとてヱサイの家に(447)行き、其子供を犠牲《いけにへ》の場に呼びし時、エリアブ、アビナダブ、シヤンマ、と七人の兄弟を出せしも彼をば出さず、サムエルが汝の男子は皆此所にをるやと問ひし時に始めて「尚季子のこれり彼は羊を牧をるなり」と言ひしにても知られて、思ふに「彼の小僧が」と一家のものゝ眼中になかつた事であらふ。而も神はイスラエルの王として此価値なき小僧を撰み給ふたのである。実に「家匠《いへつくり》の棄てたる石は隅の首石となる」にて神の撰択は常に意外である、驚く可きである。
 イスラエル王サウルはヱホバの命に背きしによりてヱホバは彼を棄てゝ外に王を尋ね給ひ予言者サムエルを遣はして膏を注がしめ給ふた。サムエルはヱホバの命によりベテレヘムに至りヱサイの子供等を呼びて点検した、先づ第一にヱリアブの立派なる容貌体格を見てサムエルは心の中に此人こそ必ずヱホバの膏そゝぐものならんと思ふた、しかるにヱホバは、其|容貌《かたち》と身長《みのたけ》を観てはならぬ我観る所は人に異なり人は外の貌を見、ヱホバは心を見る也と言ひ給ふた、次にアビナダブ、次にはシヤンマと、順次七人の兄弟は呼び出され、何れも立派な人物ではあつたがヱホバは其孰れをも択み給はなんだ。而して遂に兄弟中に卑められて居つた季子ダビデを野外の牧場より携来《つれきた》りしに、ヱホバは意外にも総ての人の予想に反してサムエルに曰ひ給ふた、「起ちて膏を沃げ、是れ其人なり」と。これぞ真に福音である。而して其撰択の誤らなかつた事は撒母耳前後書を始め列王紀略、歴代志略其他歴史の証明する所である。人を視るには須く斯くあらねばならぬ。吾等動もすれば人品体格気品乃至門地学績等によりて望を嘱するがこれは大なる誤である。
 已にダビデはヱホバに択まれ膏を沃がれた。而して此サムエルに膏沃がれし事と、琴に巧であつてサウル王に召されたる事と、ゴリアテを殺せし事との三つの記事の連絡は古来碩学鴻儒の苦みし問題であつた、然し此問題(448)の解釈は信者の心的状態を知て明かにすることの出来る者であると思ふ、元々基督者は世に知らる可きものではなく、唯或者に認められて非常の力を得るので、ダビデのサムエルに認められたる事は任命式でもなく宣誓式でもなく唯ダビデとサムエルの二人に於て相知つた計りで他の何人も与り知る所でなかつたらふ、これが此難問題解釈の鑰であると思ふ。サムエルの膏沃ぎし事の如きは人々の何の注意にも上らなかつた事であらふ。若しこれが大に人の注意を促す程の事であつたならばサウルに知られて彼等は直ちに害されはせずやとは当然に起る疑問である。唯サムエルはサウルが王の資格を失ひし事により非常の憂慮を抱き居りしも此所に代るものを見出して大に安心せしなる可く、ダビデにはサムエルより膏そゝがれた事が非常の力であつて此後の彼の行動は実に目覚ましきものであつた。斯の如き経験は大小の差こそあれ吾等にも亦有る事である。
 ダビデの琴鼓《ことひ》く技は奥妙の域に達せしものと見へ、サウル王の耳に達し遂に召されて琴を弾じて、王を悩す所の悪鬼を逐ひ出し大に寵遇を得るに至つた。茲に所謂悪鬼とは如何なるものかは知らざれども真の音楽の趣味あるものが悪鬼を逐出すの力ある事は事実であつて、西班牙王フイリップ第五世の狂暴を有名なる音楽家フハリネリの音楽を以て癒せし等は人口に膾炙せる名高き話である。ダビデが神に択まるゝ事はサムエルの受膏にてすみ、琴の堪能なる事を以て現世立身の端緒を得て王に用ゐらるゝに至つた。これ世間普通にある立身談の類であつてダビデ現世立身の端緒は亦現世的であつた。
 
     ダビデ対ゴリアテ (撒母耳前書第十七章)
 
 ダビデとゴリアテの物語はよく人口に膾炙さるゝ所であつて頗る興味深きものである。ダビデ対ゴリアテは信(449)仰対腕力であつて又信者対此世である。吾等はこれによりて多くの教訓を恵まるゝ事を感謝するのである。
 さてペリシテ人とイスラエル人との両軍はパスダミムとエラの谷に陣を取りペリシテ人は彼方の山にイスラエル人は此方の山にたちて相対す。ペリシテ人の勇士ゴリアテの軍装は実に勇ましくも堅固な者であつた、其身の長《たけ》一丈(六キユビト半)に近く、首《かうべ》には銅《あかゞね》の※[灰/皿]《かぶと》を戴き、身に鱗綴《うろことぢ》の鎧甲《よろひ》を着、其の鎧甲の銅の重さ二十二貫目(五千シケル、丁ソケルを四、三六匁と算す)と言ひ、銅の脛当を着け、銅の矛戟《ほこ》を負ひ、携ふる所の槍の柄は機《はた》の梁《はり》の如く、其|鋒刃《ほ》の鉄は二貫五百匁余(六百シケル)であつて楯を執る者其前に行くとあれば威風四辺を払ふ勇猛の様も思ひやられて、味方のためには如何に心強くイスラエル人には如何に怖ろしきものであつたであらふ。此|壮《さか》んなる勇士ゴリアテは毎日陣頭に現はれ詈り呼ばつて戦を挑むのである。曾ては千軍万馬の間を往来して凡て向ふ所にて勝利を得たるサウル王始めイスラエル人皆驚きて大に懼れたりと言ふも、尤もの次第である。実に四十日の間此|辱《はづかしめ》を忍んだのである。此時ヱサイの季子ダビデは其父の羊を牧つて居つたが父の命によりサウルに従つて軍中にある三人の兄の安否を視んために※[火+共]麦《やきむぎ》とパンと乾酪を携へて軍営に行つた、時に恰も両軍陣列をたてゝ行伍と行伍と相対してペリシテ人の陣頭には例の怖ろしきゴリアテ現はれて詈り叫んで居つた。イスラエル人は只管に戦《おのゝ》き怖れて誰も之に抗《むか》はんとするものはなく、誰か彼を殺して王の大なる賞に与るものはあるまいかと相語るのみであつた。ダビデは是を聞いて言ふた「割礼なき則ち神を信ぜざるペリシテ人は誰なれば斯く活ける神の軍を挑む」と、サムエルに膏そゝがれたる牧羊少年ダビデの眼中にはゴリアテなく猛々しき武装もなく、唯神の援なきものゝ怖るゝに足らざる事と、吾は活ける神の軍なりとの確信がある計である。而して此確信こそ百万軍の援助に勝る力であつて、これさへあればペリシテ人何かあらん、ゴリアテ何かあらん、此世の権勢武力何(450)かあらんやである。ダビデは已に戦はざるに勝つたものである。今や此霊の消息に通ぜざるサウルは、汝は少年にて彼は百戦錬磨の勇士なればと現世の力の比較を以て戦ふに堪えまじと差し止めた、而るに之に答へしダビデの言ぞ記憶す可きものである、曰く
  僕《しもべ》さきに父の羊を牧へるに獅子と熊と来りて其群の羔を取たれば其後をおひて之を搏ち羔を其口より援ひいだせり、しかして其獣我に猛りかゝりければ其髯をとらへて之れを撃ちころせり、僕は既に獅子と熊とを穀せり、此割礼なきペリシテ人、活る神の軍をいどみたれば亦かの獣の一のごとくなるべし、ヱホバ我を獅子の爪と熊の爪より援ひ出したまひければ此ペリシテ人の手よりも援ひいだしたまはん(三四節より三七節まで)
と、ダビデの眼中には神の軍を挑む勇士ゴリアテや群《むらが》るペリシテの軍勢は神の援によつて撃ち殺したる獅子と熊とに少しも変る事はないのである。憫れ勇士も大軍も神に択まれし少年ダビデには獣畜と同視せられて居る。優秀を誇る武器や獣の爪牙のみ。滑稽にも今の世に同じ獣畜の誇に驕る文明国はなきか。サウル王は此少年の壮んなる言に動かされ之を戦線に送らんとして己の戎衣《いくさころも》を衣せ銅の※[灰/皿]《かぶと》をかむらせ鱗綴の鎧をきせた。ダビデは未だ曾て斯る軍装を験《ため》せし事なければ戎衣の上に剣を帯びて往かんと試みしも、斯る装しては往く能はずとてこれを脱ぎすて、手に杖をとり、渓間より五つの光滑《なめらか》なる石を拾ひて牧羊者の具なる袋に容れ、手に投石索《いしなげ》を執りてペリシテ人の陣に近いた、何たる大胆ぞや、驚く可きは彼の確信である。軍装いかめしきゴリアテと、単に一条の杖を手にし牧羊者の具なる袋を持ちたる音楽に堪能《たんのう》なる美少年、誠に好個の対照である。一は飽くまで此世の力により堅固なる武器と腕力とを頼《たのみ》とし、一はヱホバの援に依頼する根本的の謙遜である。此明白なる区別は其軍装(451)に現れて相対した。現世の力は薄信の徒を恐怖せしむるには充分である。実にゴリアテの四十日間の挑み嘲りに対してイスラエル軍は唯戦慄の外はなかつたのである。
 此物語の中に多くの教訓がある。今日も猶種々なる形に於て絶へず繰り返されつゝあるのである。当時の誇は堅固なる甲甲剣戟の類であつてイスラヱル人も四十日間其嘲笑を忍んだ。此書書かれて以来幾人これを繰り返せし事ぞ、今の基督教排斥者の如きも亦これである。曰く政府の権力、曰く博士の学説教授の言と、学と金と権とは何ものより力あるものとして傲然として「汝等何者ぞ、笑ふ可き渺たる基督信者よ」と言ふ。然り吾等基督者、不学にしてスペンサーを知らず、ヘーゲルを知らず、金なく権力なし、唯基督あるのみ、神の援助の実験があるのみである。これありて吾等決して永久の敗者ではないのである。吾等西洋歴史を研究して慰めらるゝはこれである。繰り返さるゝ歴史の痕を尋ぬれば実に智者安くにある学者安くにあるにて、最后の勝利は常に現世的に観ては意外の辺に帰するのである。ダビデがゴリアテに対する態度これ又幾度か史上に演ぜられた所である。ルーテルの羅馬天主教に於ける、ウエスレーの英国聖公会に於ける、何れもこれである。今も猶斯の如き対抗は到る所にありてエラの谷を隔てゝペリシテ人は彼方にイスラエル人は此方にと相対して居るのである。知らず大正今日のゴリアテは誰ぞ、ダビデはあるか。是を一の作話とするも猶永久に価値あるものであるが、而し作話としては余りに実写的であつて斯る作話の有り得る事は想像するに困難である。これ数千年来続き来りし歴史であつて又永遠に続く可き真理である。今の人は動もすれば曰く政権、曰く民心、曰く政党と、唯神に依頼する者のなきは誠に悲む可き事である。此物語の精神がダビデを立たしめし精神であつて又基督信者総ての精神である。タルソの保羅が厖大の大羅馬に抗して起ち世界の歴史を一変せしめしもこれである。誠に神の力の加へらるゝ時(452)に小石五つは以てイスラエルを救ふに足るのである。此世の道を以て此世のものに捷つに非ずして神の力によりてなすのであれば世を動かすに大著述を要せずパムフレツト一冊にて可なる可く、大雄弁を以て天下を遊説せずとも唯一回而も五六人に対する演説にても充分である。今一層学問浅くとも徳足らずともよい。神の択み給ひし時に吾等は小石一つを以て何人に対しても勝を制し得、此時此世の権者何かあらん、所謂元勲大政党唯児戯の類である。神は一度は吾等と神との関係を付け給ひ而して後に吾等を世に現し給ふのである。
 斯くして少年ダビデは戦線に出た、ペリシテ人は如何なる勇士や現れたると環視《みまわ》せしに赤くして美はしき貌《かたち》の少年一条の杖と牧羊者の具なる袋を手にして立つ。藐視《あなどら》ざるを得ない。其杖を手にせるを見て「吾豈犬ならんや」と罵り、「汝の肉を空の鳥と野の獣に与えん」と侮り叫んだ。ダビデは之に答へて
  汝は剣と槍と矛戟をもて我に来る、然ど我は万軍のヱホバの名、即ち汝が挑みたるイスラエルの軍の神の名をもて汝にゆく、今日ヱホバ汝を我が手に付《わた》し給はん、我れ汝を撃て汝の首級を取りペリシテ人の軍勢の尸体《しかばね》を今日空の鳥と地の野獣《けもの》にあたへて全地をしてイスラヱルに神ある事を知しめん、且又この群衆みなヱホバは救ふに剣と槍を用ゐたまはざる事を識るに至らん云々(四五節より四七節まで)
と、神の援助の確信に立つ彼は陣頭の問答に於ても決して譲る所はなかつた。立派な言分である。即ち袋の中より石をとり出してペリシテ人を撃ち殺し其剣を取りて敵の勇士の首級を斬りしかば形勢忽ち一変してイスラエルの人々は勢を得て起り、喊呼をあげて逃ぐるペリシテ人を逐ふてガテの入口及びエクロンの門口まで至り大捷を得て凌ぎに凌ぎし屈辱を雪《そゝ》いだ。ダビデはサウル王に寵用され、これより所々の戦に功を現はし国民の感謝彼に集りイスラエルの婦人をして
(453)  サウルは千人を打殺しダビデは万人を打ち殺せり
と踊躍《おど》り歌ひて其凱旋を迎えしむるに至つた。ダビデの功名赫々、盛名サウルを凌ぐに至つて彼は甚しくサウルの憎みを受け、サウルは種々非道の手段を以て執念く彼を迫害し殺さんとしたが、ダビデは一にはヱホバの膏沃ぎしサウルなれば、又一にはダビデ自身がヱホバより膏沃がれたものであれば決して害さるゝ事なく最后の勝は己に来る可き事を知るが故に敢て敵対せず、不思議なる機会により幾度かサウルは彼の手中のものとなりしも之を害せんとせず、只管に避け逃れ、あらゆる善良柔順の手段を以て其怒を宥めんと勉めた。誠に見上げた心掛である。神の援助を確信するものでなければ出来ない事で、此信仰ありて人は始めて敵を愛するの雅量に達し得るのである。其後サウルはペリシテ人との戦に討死し、サウルの家とダビデの家の間の戦争久しかりしがダビデは益強くなりサウルの家は益弱くなれりとは撒母耳後書に記す所である。斯くして輿望全くダビデの一身に集り彼は王位を求めざるも遂に神に択まれ人に推されて王となつた。ダビデは実に完全に近き人であつた、イスラエルは茲に理想の王を得たのである。
 
     ダビデの堕落 (撤母耳後書第十一章)
 
 ヱサイの子羊牧のダビデは今や目的以上の目的を達して王位に上り其民に公道と正義を行ふ理想王となつた。辺境皆其威徳に服し民は其治を悦び、欲ふ所にして成されざるはなく人生栄華の極に達した。
 然し乍ら茲に大なる誘惑は彼に臨んだ、而も誠に些細の動機によつて臨んだ。栄華に伴ふ誘惑何れの世にも免れ難き事と見える。委しくは撒母耳後書十一章に細記されたれば読者は之を精読すべきである。彼の臣僕并(454)にイスラエルの全軍は王のために生命を賭して戦場に出てラバを攻囲中である。此時ダビデ王は或夕暮|屋蓋《やね》の上を散歩して、出陣中の勇士クリヤの美しき妻が体を洗ふを見、心不義に乱れて遂に言ふに忍びざる醜陋なる罪悪を犯した。彼は其妻を奪はんがため忠臣クリヤを殺すに世にも残酷なる手段を取つた。彼はクリヤを戦場より呼びよせて殺さんとしたが其企が成就せなんだので遂に其将ヨアブに書を遣はしてクリヤを烈しき戦の先鋒に出して彼をして戦死せしめよと命じた。而も此手紙を人もあらふにクリヤ自身に持せて遣したのである。痛ましくも憫む可き哉忠義一徹の勇士クリヤ己が妻を奪はるゝために殺さるゝ手紙とも知らで、王に召されて都に皈りはせしも陣営に在る戦士の労苦を思ふて吾家に入りて憩ふ事だになさず戦場さして引返し吾身の殺さるゝ手紙を其将ヨアブに渡した。老獪獰猛慈悲も涙もなき将軍彼れヨアブは王の心を知り抜き乍ら諌言一つ進むる事だにせず勇士クリヤを惜気もなく敵刃に斃れしめた、而して戦況報告の使者に王若し其忠臣を失ひしに怒を発さば汝の僕ヘテ人ウリヤもまた死ねりと言へと旨を含めて遣せし心事の狡獪唾棄す可きである。案の如く王は使に命じてヨアブを励ますべしとて「刀剣は此をも彼をも同じく殺すなり、強く城邑を攻めて戦ひ之を陥るべし」と言はしめた。世に之に勝りて残忍酷薄の所業があらふか、憎む可き大罪悪にしてダビデの犯せし此罪に比す可きものがあらふか、若しゲーテ或はシルレルをして書かしめばこれだけにても長篇の大悲劇が出来るであらふ。実に彼は僅かの心の迷よりして人間の犯す罪の最大にして最も醜陋なるものを最も残酷なる手段を以て犯したのである、誠に浅間しき限りである。而して吾等の感謝す可きは権威を怖れず世に阿らざる大歴史家ありて此理想王の大失敗大罪悪を記すに斯くも明細を極た事である。吾国に於ては想像も出来ぬ事で歴史家の偉大と尊厳は茲にある。これ今日猶太あり基督あり、保羅出で約翰出でカルビン出でルーテル出たる所以である。ダビデは既に此大罪悪(455)を犯し、クリヤの妻を納れて己が妻となし男子を生んだとある。而して恐る可きは「但しダビデの為したる此事はヱホバの目に悪かりき」のの一句である。実に怖る可き哉ヱホバの目に悪かりしがためにこれより後ダビデの生涯は困難悲惨の連続であつて予言者ナタンの王を責めて言ひたる如く「剣《つるぎ》何時までも其家を離」るゝ事がなかつたのである。子は子と相殺し、親の刃は最愛の子に加へらる悲惨の極を尽したのである。而も又之に伴ふてダビデの罪を悔い神を怖るゝ態度も亦具さに示されてある。ダビデは犯したる罪によりて神を離れしものでなく、罪の報を身に負ふて神に陳謝し愈神に縋つたのである。此状況が罪と共に明細に記されてある。これ此聞くにも堪えざる醜悪なる罪悪を記したる書たりと雖ども聖書たる所以である。此大極悪罪を犯せし者の赦さるゝの道が宇宙にあるならば何人の罪か赦されないものがあらふ。これ罪の吾等に蘇生の福音である。世に最も醜悪なる姦淫罪に最も醜悪なる殺人罪を併せ犯したるダビデを神が殊に択み給ひ、聖書には理想王として記し、「吾撰みしダビデ」と言ひ、或は「わが僕ダビデを得て之にわが聖《きよき》膏をそゝげり」と言ひ給ひ旧約聖書中の人物とさる。これが若し大真理を伝ふるものではなければ大異端である。然りこれによりて吾等は神と人との関係に付て大真理を訓へらるゝのである。茲に特記す可きは預言者ナタンがヱホバの命を受けて王の前に出で譬喩《たとへ》を以て憎む可き罪を犯せし人に付て語り、ダビデ王が其人の事を大に怒り此をなしたる人は死ぬべき也と言ひし時に厳然として
  汝は其人なり
と寸毫仮借する所なく其罪悪を詰責して憚らざりし態度の立派さ神々しさである。壮なる哉偉なる哉彼ナタン、真に予言者たるに恥ぢぬ堂々たるイスラエル男子である。老獪将軍ヨアブと比して其差天淵も啻ならずである。(456)王の前にこれを言ひ得るものは実に国宝である、彼は実にダビデ以上であつた。此人あつてイスラエルは永遠に救はれたのである。
 
     アブサロムの叛逆 (撒母耳後書第十三章より第十八章まで)
 
 撒母耳後書并に歴代史略の記す所に由ればダビデには八人の妻と猶他に多くの妾があつたので基督教主義より言へば許す可らざる事ではある なれ共印度や土耳古や支那日本等に於けると同じく是れ時代の弊であつて強ちダビデ一人を責むるは酷である。新約聖書中にも人は何人も必ず一夫一婦に限るとは明白に教へてなきも多妻の如何に怖る可きものであるかは知り得らるゝのである。アブサロムの話の如きは其一の説明であつて、多妻の罪悪閨門の紊乱の怖る可き例世に多しと雖どもダビデの場合の如く激しきは類例のない事である。日本に於ても千代田城奥を始め各大名の家庭に於ては類似の事は数多くあつたのであるが唯聖書に於ける如く些の隠蔽修飾する所なく有の儘を赤裸々に記さないのに止まつて居るのである。アブサロムの母はマカルと言つてタルマイ王の娘にてダビデの多くの妻妾中最も秀でたるものであつた。他の妻妾は神官若しくは豪族の娘たるに止まつて居つたが独りマカルのみは王の娘であつて気品自ら高く女王の品位を有つて居り、従つて其子アブサロムも品格備り其貌も美しかつた事であらふ。撒母耳後書十四章には記して「イスラエルの中にアブサロムの如く其|美貌《うつくしさ》のために讃められたる人はなかりき、其足の跖《うら》より頭の頂に至るまで彼には瑕疵あることなし、アブサロム其頭を剪《か》る時其頭の髪を衡るに王の権衡《はかり》の二百シケルあり、毎年の終に其頭を剪れり、是は己の重《おもき》によりて剪たるなり」とある、其房なす美髪容貌の優秀気高き品位も思はれ母子共に嶄然頭角を抜いて居り、これが又アブサロムをし(457)て叛意を生ぜしむる基にもなつたであらふ。而して此美髪が後には吾身を橡樹《かしのき》に繋《か》け生命を敵に渡すに至つた事は偶然か神意の配剤か対照頗る妙ではないか。さてアブサロムは己の妹のタマルが王の子アムノンに辱められたるを憤り彼を殺し王をして非常に悲ましめた。暫時逃れてゲシユルに居つたが其後王の心は死たるアムノンをあきらめてアブサロムを思ひ煩ふ程になりしによりて、王の将ヨアブは彼をヱルサレムに携れ帰つた。猛き一面に極めて優しき女性的の愛情細かなるダビデはアブサロムを愛するの情深くアムノンを殺してより五年にして始て会ひたる愛児アブサロムに接吻した。さてダビデ王は次第に老衰して其欠点も国民に知られ、衆望は漸くアブサロムに傾いて来た。アブサロムは謙遜りて民に対し恩を垂れ有らゆる機会を利用して先イスラエル人の心を取るに勉め、一方己のために戦備を整へ四年の後ヘブロンにて叛旗を揚げ父の王位を奪はんとした。王の元老アヒトペルの之に従ふあり、徒党強くして民次第にアブサロムに加はりければ、あはれダビデ王は吾愛子アブサロムの為に先には同じ子を失ふの悲みを嘗め今復|急遽《きふげき》都落の止むなきに至つた。其|首《かしら》を蒙《つゝ》み跣足《はだし》にて哭きつゝ橄欖山《かんらんざん》の路を陟り行く様の痛ましさよ、平家一族の都落にも似て哀れにも又浅間しき限りである。唯ダビデ王の一の幸福なりしは智慮ある臣のアルキ人ホシヤイなるもの佯りてアブサロムに従ひ巧にアヒトペルの建策を妨げて遂にダビデ王の軍に勝利あらしめた事である。智慮深からぬアブサロムはおぞくも新来のホシヤイの言を容れ老臣の謀を卻けて敗を取つた。吾国の戦記にも数ある例にて武田勝顆の長篠に於ける如き之である。ダビデ王の軍は幸にして勝つた、而し乍ら又不幸であつた。已にしてアブサロムの謀臣アヒトペルは事のなす可らざるを知り其家に帰り自殺を遂げアブサロムの軍は勢を削られた。斯る中にダビデ王の下に集るものも次第に増し王は其軍を整へて吾子アブサロム征伐に差向けた。王は民の望によりて止まつて戦線には出でず門の傍に立ちて民の出陣を(458)送つた。其時王は其将ヨアブ、アビシヤイ及イツタイに命じて「我がために少年アブサロムを寛《ゆるやか》に待《あつか》へよ」と言つた。何たる切なき命であらふ、斯くまで可愛き吾子征伐の軍を出さねばならぬ王の心の苦しさ思ひ遣らるゝのである。これ各所に発露するダビデの美はしき人情的の所であつて又同時に弱点であつたでもあらふ。已にして軍の捷利を報ずる使者は来た、王は先第一に戦況をば聞かんとせずして「少年アブサロムは平安なるや」と問ふた。怜例なる第一の使者アヒマアズは単に捷利のみを報じて大なる噪《さわぎ》を見たれども何をも知らずと巧に逃れた、心許なき王は次のクシ人なる使者にも同じく少年アブサロムの安否を問ふた、王の心を知らぬ正直なるクシ人は有の儘にアブサロムの死を報じて彼を罵つた。之を聞いた王は今は坐に堪えず大に※[戚/心]《いた》み門の楼《にかい》にのぼりて哭いた。彼は行ながら悲の余り斯く言つたとの事である、
  「我が子アブサロムよ、我が子アブサロムよ、我が子我が子アブサロムよ、嗚呼我れ汝に代りて死たらんものを、アブサロム、我が子よ、我が子よ」
と、これ聖書中有名の章であつて親の心の最も深き所がアブサロムに向つて現はれたものである。誠に剣其家を離るゝ事なきダビデの家は悲惨なものである。如何に神に愛せらるゝとも其犯したる罪悪は尽く拭はるゝ事は出来ぬ、罪の報は何人も其身に負はねばならぬ。吾択みしダビデと言ひ給ひし神も猶其罪悪をば見逃し給はないのである。ダビデに臨みし罪の報の如何に惨憺たるものであつたかを思へ。子に注ぐ愛の別けても深きダビデは其第一の子アムノンは第三の子アブサロムの殺す所となり、其アブサロムは更に悲惨の最後を遂げ、第四のアドニヤ亦ダビデの生涯の終を最も苦めたのである(列王紀略上第一章を見よ)。ダビデは牧羊者より王位に迄登りて栄華の極を尽せしも而も最も不幸の人であつた。誰か彼の如きつらき経験を嘗めたものがあらふか。ダビデの神(459)に愛されし印は王位に非ず栄華に非ずして、苦しき災厄連続の中にありて罪を悔い身を責め一段一層深く神を認めし事にある。ダビデは辛惨極りなき生涯の中に愈々神に近づくを得て依然神に恵まれたるものであつたのである。
 
(460)     畔上君訳、カーライル『クロムウエル伝』に就て
                         大正2年4月10日
                         『聖書之研究』153号
                         署名 内村生
 
 曾て幾回《いくたび》か述べたやうにカーライル著『クロムウエル伝』は余に取りては実に第二の聖書である、聖書を除いて此書の如くに余を感化したものは他にない、若し余が此書に接しなかつたならば余の生涯は全く別のものであつたらふ、カーライルが神を信ずるに篤き彼の母の慫慂に因て著《か》いたと云ふ此書は余に取りては実に祝福すべき書《もの》である。
 故に余は常に此書の日本訳の出んことを願ふた、而して今や余の若き友人畔上君の手に由て其一部分の訳出せられしを見て歓喜の念に堪えないのである、筆の質《たち》より謂ふも、思想の傾向より謂ふも、余は此事を為すがために畔上君以上の適任者を我国に於て見ることは出来ない、余は遠からずして君の訳文が完成し、余をしてカーライルとクロムウエルとに就て語るに際して拠るに証典《オーソリチー》あるに至らしむることを待つ。
 
(461)     THE PASSING OF AMERICA.
                        大正2年5月7日                                  『万朝報』
                        署名 Kanzo Uchimura.
 America is,and is not.The Mississippi flows undisturbed to the sea,and the Rockies rear their heights serenely to tbe sky;in that sense,America still is.But the voice of Lowell and Bryant and Whittier is heard no more in the land,and the spirit of Lincoln,and Sumner and Garrison rules it no more;in that sense,America is no more.Sixty years ago,America sent one of her noblest sons,a Commodore and a man of peace,and knocking at our doors,opened our land to the wide world;and only nine years ago,when we engaged in life-and-death struggle with a giant power,She stood up as one man,and cheered us,as one cheers his closest friend in time of distress.And now comes this Alien Land Law,and she is helpless to suppress it! Let the Perry monument in Rhode Island be demolished,for it now betokens America's shame;and let her sympathy for Japan be cancelled,as it betrays her hypocrisy.America is committing one of the great democratic mistakes in that she believes it to be majority which makes law.The greatest of her thinkers did not think so,and her own greatness is due to the fact that she as a nation once recognized the Law which was and is above all other laws.
 It may be a small thing that America succeeds in disinheriting 60,000 Japanese in California;it (462)is a great thing that she makes a friendly nation of 50,000,000 people to distrust her;and it is the greatest possible thing that her justice and humanity become laughing-stocks to the world.The State of Californla,and through it,the United States of America,by this Alien Land Law,mayhave succeeded in eradicating what it and she think the great evil of Oriental Immigration;but are they sure that they have not called in other and graver evils thereby? Is our friendly fear about our friendly neighhour without foundation that in this law,enacted by the majority votes of state politicians,is contained a germ,which by itself will be strong enough to undermine the whole strength of the great republic in course of time? Legality above profit,and love(friendship)above legality.Jurists may decide as to the legality of this law;but plain common sense fails to find love in it;and we know that America's relation to Japan has always been that of love.The Alien Land Law is an offence against the law of love;and we are more sorrowful about it than we are indignant about it.
               Kashiwagi,(near)Tokyo,May 6,1913.
 
(463)     〔死の歓喜 他〕
                        大正2年5月10日
                        『聖書之研究』154号
                        署名なし
 
    死の歓喜
 
 我等は死してキリストの許に行くのである、即ちパウロの曰ひしが如し、
  我が願は世を去りてキリストと共に在らんこと也、是れ最も書き事なり、と(腓立比書一の廿三) 又
  我等今は硝子を通うして見る如く見る所|朦朧《おぼろ》なり、然れど彼の時には面を合せて相見ん、
とある(哥林多前書十三の十二)、我等は今肉に在りて彼を理想しまつるのみである、
  然れども彼の時には我が知らるゝ如くに我れ彼を識らん、
とある(仝)、我等の切なる希望は主を其の聖美に於て拝しまつらん事である、而して此希望が死して後に応ふとの事である、歓喜何んぞ之に若かんやである、而して此歓喜を前に控へて死の苦痛は其大部分を殺がるゝのである、基督者に取りては死は彼の主の許に行く事である、之に恐怖が無いは勿論、歓喜がある、肉に在りては見えざるに信仰をもて仕へし主に今は肉を離れて面前《まのあた》り見《まみ》えまつらんとするのである、死に故郷に還るの感があるは(464)是れがためである、喜ばしくも亦感謝すべきである。
 而して主と相見ゆるは愛する者と再び相会することである、我等は各自死して独り知らざる所に往くのではない、友の国に往くのである、其処に最も親密なる交際がある、其処に誤解もなければ疑察もない、其処に佯なき愛の交換がある、而して死の河一筋を渡れば彼方の岸には此愛の楽園があるのである。
       ――――――――――
 
    権利の放棄
 
 余に余の有《もの》とては一つもない、余の有はすべて悉く神の有である、余の妻は神の有である、余の子は神の有である、余の家は神の有である、余の所有品は悉く神の有である、然り、余自身が神の有である、余の知識、余の能力、余の時間、余の生命其物までが、尽く神の有である、之を余の有であるかの如くに思ふたのが抑々|誤謬《あやまり》の始である、人は人に対するが如くに神に対して人権又は所有権を唱ふることが出来ない、神の有であるが故之に対する我が権利を放棄して神の権利を認むべきである、而して斯くなして我に真正の平和が臨るのである、総の苦痛は他(神)の有を我有なりと思ふより来る、実に誠に我れ無一物の者となりて我は始めて真正の富者となるのである。
 
(465)     サムエルの話
                    大正2年5月10日
                    『聖書之研究』154号
                    署名 内村鑑三講 中田信蔵記
 
     ハンナの信仰 婦人の福音(撒母耳前書第一章より第二章第十一節まで)
 
 凡そ信仰には家柄もなく学閥もなく職権もなく飽くまで信仰本位である。これは聖書を一貫せし思想であつて撒母耳前書一章一節も亦た単に乾燥無味なる人名の驢列ではなくして能く此意を伝へて居るのである。
 エフライムの山地のラマタイムゾビムのエフライテ人、エルカナと言へる人の系統には決して祭司アロンの血統なき事を示して居る(歴代志略上六章廿七、廿八節参考) 当時イスラエルにては祭司の勤はアロンの家に伝はり家柄となり代々継続為し来たなれども、今や祭司は腐敗堕落を極め民の捧ぐる祭物を掠めて己を肥し、英子は邪なるものにてヱホバを知らず、道ならぬ所業の日に日に増長するも制する事は出来ぬ有様にて到底神の殿《みや》を任せ得ないので神は之に代る人としてサムエルを択み給ふたのである。然らばサムエルの祖先は如何と言ふに祭司家たるアロンの家には少しも関係はないので実に予想外の事であつた。其冒頭に於て此精神を伝へんとする撒母耳書は明白に革命の書である。聖書は幾度となく繰り返して此事を記せども人は又幾度か之を忘れるのである。神は何時も国を救ふに当ては思ひ掛けなき所より其人を択み給ふのである。今や国の予言者祭司の長となる(466)可きサムエルを択むに何等の家柄も特色もなきエフライムの山地よりせられたのである。実に思ひ設けぬ事である。さてサムエルに付て語る前に先其母ハンナに付て語らねばならぬ。これ単に一人の婦人の話に非ずしてイスラエルの話であつて又婦人の福音である。ハンナはダビデと同じヱフラテ人なるエルカナと言へる人の妻であつた。其時代の風習としてエルカナにも二人の妻があつて、一人の名はベニンナと言つて、これには子供があつたがハンナには子供がなかつた為にベニンナから常に侮辱を受けた。其頃イスラエルにては子供のないのは婦人の非常の恥辱《はぢ》とされて居つたのでハンナは是を悲み泣いて飲食せなんだと言ふ。夫エルカナの親切なる慰諭《なぐさめ》によつて漸く飲食してたちあがりヱホバの殿に至り笑いて誓をなし、吾に男子を与へ給ふならば之を一生の間ヱホバに捧げて剃髪刀を其|首《かうべ》にあてまじと熱心罩めて長く祷り祭司のエリをして酒に酔いたるものと思はしめた程である。ハンナは已に吾祈祷の聴かれた事を確信して宮を去つた。先には笑いてもの食はなんだと言ふ彼女が祷り終つて殿を去る時には其の顔は晴れて再び哀しげならざりきとある。彼女には深き美しき宗教心があつた。誠に祷は聴かれて男子を得た。喜悦と感謝に充ちたる彼女は其子の名をサムエル(ヱホバ聴かるの意)と名けて養育に一心を傾け尽した。斯くて其子の乳ばなれするのを待ちてシロなるヱホバの殿にいたり曩きに誓ひし如く之をヱホバに捧げんとて祭司エリに托した。此時の彼女の祷(撒母耳前書二章一−一〇)は実にマリアの讃美と共に美しき婦人《おんな》の心を歌ひしものである。其満足思ふ可く、其感謝美はしと言ふ可しである。ハンナは一子に全心全力を注ぎて養育し之を神に捧げた。此児ヱホバの恩寵豊かに成人しサウルを択みダビデを択みてイスラエルを救ひし予言者サムエルとなつたのである。ハンナの念願や達したりと言ふ可しである。延いては基督出で保羅出で吾等亦時代の相去る遠しと雖ども近き救を受けつゝあるのである。三千年前に於けるエフライムの山地なる名もな(467)き家の繊《かよわ》き一婦人は男子サムエルを生んで永遠に亘つて普ねく神を信ずるものより感謝さる。実にこれ婦は子供一人を神に恵まれたる事によつて世界を動かし得る明白なる実例にて婦の大福音である。世の婦たるものは此大福音に接して宜しく奮ひ起つ可きである。
 サムエルは殿にあつて幼《いとけな》けれどもヱホバにつかへて忠実であつた。其母ハンナは小さき明衣《うはぎ》をつくり毎年夫と共に年の祭物をさゝげに上る時に其児のために携へ行きしといふ、如何に楽みな事であつたであらう(一章十八−廿節)。三千年の昔も今も母子の愛情に変りはないのである。斯くして生れ、斯くして育てられたサムエルの向上進歩の著しきも理りである。是に反して祭司長《さいしのをさ》ユリ家の代々伝承の聖職を汚せし報として衰退する様は教訓多き対照である。凡そ宗教家が此世に栄達を得れば必ず腐敗し堕落する事は古今を通じての定則である。サムエルはヱホバに恵まれて成長し神の櫃《はこ》の置かられし其殿に起居した。或夜ヱホバは彼を呼び給ふたが、当時ヱホバの言は稀で黙示が滅多になかつた事故サムエルは同じ殿に寝《ゐね》居る祭司長エリの呼ぶ声と心得て三度まで起きてエリの許に趨《はせ》ゆきければエリはさてこそヱホバの言ならんとてサムエルに答ふ可き言を教へた。ヱホバはサムエルを呼び給ふてエリの家の腐敗堕落を責め軈て加へらる可き災厄を示し給ふた。斯の如き事は今の心理学者には種々の説もあらう事で、或は霊に響きしか耳に響きしかは知らないが、保羅曰く、ルーテル曰く、曰く何と古言の引用を以て宗教家の能事となし居る今日、誰か神曰くと言ふならば普く宗教家は笑ひ、世は挙つて詈る事であらうけれども、斯の如き事は元より歴史的証明をなす事は出来ないが信仰的意識を以てすれば容易に解し得る事である。今日と雖ども或は予想外の人に神の言の降る事あるやも計られない。此時は実にサムエルに降つたのである。教会以外に神の霊降らん杯とは今の何人も考ふまじけれども、こは神の力の革命的である事を知らないに由(468)るのである。斯も明白なる聖書の記事と繰り返され又繰り返されたる歴史の事実に眼を閉ぢて、徒らに死せる系統に依頼する教会の如きはエリの家の様に倒れるより外に途はないのである。実に神がサムエルを択み給ひし事は万世を訓へ照す革命であつたのである。而してサムエルには毫《すこし》も家柄の系統こそないが彼は信仰の系統に由つて生れたものである事は前に述べた通である。信仰の家に信仰家起る事はルーテルの如きも其最もよき適例だ、父母共に稀なる篤信家であつた事は人の知る所である。斯くてこそルーテルは出たのである。何人にも解る平易なる話を以て深き真理を伝ふるは旧約聖書全体の精神であつて、おもしろきハンナの話も貴き真理を以て充たされて居るのである。
 
     エリ家の滅亡 (撒母耳前書二章十二節より四章末節まで)
 
 イスラエル人とペリシテ人とは代々の仇敵であつて常に其間に戦が絶えなんだ。茲にイスラエル人はエベネゼルの辺に陣をとりペリシテ人はアベクに陣を取つて又も戦闘が開始された。其結果イスラエル方の敗北となり、其民が敗れて陣営に至りし時に其国の長老たちは、ヱホバの櫃《はこ》を陣営に携へ来らなんだ事を敗軍の原因となし、人をシロに遣はしてヱホバの櫃を携へ来らしむる事とした。此ヱホバの契約の櫃と言ふは申命記によるモーセがシナイ山にて神より直接に受けたる十誡を刻せし石の板二枚を納れたるものと言ふものか、或は御幣の如きものを納れたるものか何れにしてもイスラエル人の非常に崇拝せしものにて、之を奉じてヱリコの市を七回して之を陥落れし話もありて、此契約の櫃が陣営に着いた時イスラエル人の呼ばり叫んだ声に地なりひゞき、敵のペリシテ人をして甚く怖れしめ「嗚呼我等禍なる哉」と繰返し嘆声を発せしめたと言へば其如何に之を迎へたるイス(469)ラエル人が勇み立つたかも思はれる、これによつて必捷を期したのである。此所に注意す可きはペリシテ人はイスラエル人と言はずしてヘブル人と言ふた事である。イスラエルとは「神の兵卒」の意であつて彼等自身の言ふ所であつて、ペリシテ人は彼等をヘブル人則ち「渡りもの」の称号を以て卑下したのである、吾国にもよくある例で薩摩人が他国の人を「ヨソモノ」と言ふが如きである。さて契約の櫃の到着によつてイスラエル人は勇気正に百倍し、ペリシテ人は恐れて而して大に決心の臍を堅め「男子の如く為して雄々しく戦へよ」と相励まし「ヘブル人が曾て汝等に事へし如く汝等これに事ふる勿れ」と相戒めて戦は又も開かれた。而もイスラエル人は又も敗れた。契約の櫃を奉じて必捷を期し喊呼の叫に地を鳴り響かせしイスラエル人はおぞくも敗れ、剰へ頼みに頼みし神の櫃まで敵に奪はれ、櫃を護りてありしエリの二人の子ホフニとピネハスまで殺されて了まつた。嗚呼実に止んぬる哉である。普通戦記であるならば此所にイスラエル人大に捷ち斬獲幾万とある可きなれども、聖書は常に意外の結果を記するのである。これは果して何を意味するものであらう。祭司堕落し民腐敗して如何に神の櫃を担ぐともヱホバは疾《とく》に彼等を去り給ふたのである。吾等如何に神を拝するとも吾等の行為にして神に背かば何の効かあらん。本願寺の僧侶輩に於ける如く「吾に宗祖の墓あり、歴代法師に偉人を出せり」など言ふも毫も彼等が不品行の弁疏《いひわけ》とはならぬ。聖書は憚りなく之を示すのである。櫃の如きに依頼する時は神は少しも之を顧み給はないのみでなく其櫃までも奪はれて終う、茲に至りて聖書は古より常識の書である事が瞭かに知らるゝのである。保羅、ルーテル、ウエスレーの信条を奉ずと言ふとも、此点に於ては仮令基督吾に在りと言ふとも何の効もないのであつて、「来りて吾を視よ」と言ひ得るに非れば神の援は得られないのである。今の基督教を伝ふるもの亦これであつて、これがために多くの書は書かれ、説教はされ、演説はさると雖ども翻つて其(470)行為は如何、基督の愛はよく彼等の間に実行さるゝか、誠に寒心に堪えぬのである。教理の良、歴史の誇の如きは毫も吾等を援くる事なく、これ等は吾等の行為を蔽ふには何の力もないのである。
 イスラエルの悲劇は猶も続く。高齢九十八歳憂国の情抑へ難く道の傍の壇に坐して神の匱《はこ》の事を思ひ煩ひ戦況如何にと観望《うかがひ》居たる祭司長《さいしのをさ》エリは戦敗れ、吾子殺されたりと聞き、猶も神の匱奪はれたりと聞くに及んで遂に壇より仰《あふの》けに落ち頸骨折れて果なく死んだ。而して其娘則ちピネハスの妻は妊娠中にて産期も已に近かづいたが神の匱の奪はれた事と舅と夫の死にしとの伝言を聞き驚きと悲みとにて驟《には》かに産気付きて男子を産んだが、看護の婦人が「懼るゝ勿れ汝は男子を生めり」と励ませしも、答へず又顧みず、只「栄光イスラエルを去りぬ」といひて其子をイカボテ(栄なし)と名け敢なく死んだ。幸多かれと祈る可き吾子にイカボテと名けて死せしとは誠に悲くも哀れ極まる物語である。後年北米合衆国に於てダニエル・ウエブスターが中途に奴隷廃止に反対せし時、其変節を慨して詩人ホイッチヤーは彼の抑え難き悲憤の情を訴ふる詩題に「イカボテ」を以てして一入時人の血を沸かさしめた。イスラエル人の名を学ぶは興味深き事にて、或は祈聴かれて生める子をサムエル(ヱホバに聴かる)と名け、或はダビデ(ヱホバの愛するもの)と名け、ヨシユア又はイエス(救主)と唱ふる等信仰の助けとなる事が多いのである。茲に猶も注意す可きは此大切なる聖書に一婦人の産褥の事まで明細に記されてある事である。之を東洋流に考へたならば、イスラエル人とペリシテ人との戦の状況を記して詳細を極むるはよし、祭司長エリの身の上を記すはよし、其勇士名族の物語は聞かんとする所なれども、一婦人の出産の話を事細かに記す必要はないと思ふであらうが、これが又聖書たる所以であつて、神の前には王公貴族も一婦人も何の差別もなく同等であれば、王の事を記すと同様に一婦人の出来事に付ても明細なる記事を掲ぐる事を辞せぬのである。
(471) さて堕落せる祭司長エリの家并に腐敗せるイスラエル人に臨みし神の刑罰は実に痛ましき者であつた。然し乍らまたこれ神の恵である。刑罰と言へば何人も怖れ厭へども飽くまで神の恵であつて、イスラエル人は刑罰によつて救はれたのである。吾等も亦身に臨む刑罰により自ら省みて遠《とをざ》からんとする神を慕ひ彼に縋りまつる事は度々である。恵なくば刑罰も臨まないのである。吾等と雖ども人の不義堕落を怒る間は猶其人に望を属するによるにて愈絶望すれば敢て干渉せず頓着せないのである。神の刑罰ある間は神は吾等を記憶し給ふのであつて、罪を罰して再び父子の関係に入らしめ給ふのである。永久に許されざるの罪は聖霊を罵る事の唯一であつて他は悉く赦さるゝの道を神は具へ給ふのである、吾等愚かなるものは容易に神を棄つると雖ども、神は容易に吾等を棄て給はないのである。最後の最も怖る可き刑罰は神吾等の犯罪に干渉し給はずして刑罰の終に吾等に臨まざるに至るの刑罰である。これこそ真に怖るべき事である。神と父子の関係に入る事が最後の目的であれば、如何なる災厄の吾等に来るとも、吾等が神を認むる間はこれ恩恵である、怒の刑罰でなくて愛の刑罰である。吾等は愛の刑罰によつて次第/\に神に近けらるゝのである。刑罰は実に神の愛の鞭である。
 
     エベネゼル(助けの石) (撒母耳前書第七章)
 
 ペリシテ人はイスラエル人との戦に大捷し、彼等の唯一の頼とせし神の櫃まで奪ひ取つた、痛快此上もなき事であつた。其櫃を彼等の神なるダゴンの殿に持ち来りて其傍に置き多分祝捷会も催された事であらう。然し乍らこれより恐ろしき禍は其櫃の至る所に起つた。先ダゴンの像は俯伏《うつむき》に地に倒れ、其両手は断切られ其安置の地なるアシドドの人に腫物生じた。ペリシテの諸君主《きみたち》相議して之をエクロンに移せば其|邑中《まちぢう》に恐ろしき滅亡《ほろび》おこ(472)り死なざるものは腫物にくるしめられ邑の号呼《さけび》天に達せりと言ふ、惨憺の状察するに余りありである。ペリシテ人は戦には捷つたが櫃の処置には殆んど窮した。悩まさるる事七ケ月今は如何とも致し方なく、祭司と卜筮師《うらなひし》の教を乞ふて滑稽なる過祭《とがのそなへもの》(撒母耳前書六章参照)なるものをなし、二頭の牛に牽かせてベテシメシに送りしに
禍は此所にも起つた。最後にキリアテヤリムの人これを携へのぼりてアビナダブの家に持来り其子エレアザルを聖《きよめ》て守らしめたれば此所には別段の禍もなく二十年を経過した。これ誠に笑ふ可き迷信談に似たりと雖ども亦其中に深き真理ありて吾等は是によつて学ぶ所が沢山ある。凡て迷信の起る前には深き真理のある事を忘れてはならぬ。強ち迷信なればとて只一笑に附し去る可きではない。此物語の教ゆる真理は何であらふか。聖きものを穢れに置けば禍となるとの事である。神の教は之を信ずる人には大なる力となれども信ぜざる人には大なる禍となる。試に聖書中より二三の語を揚げんに、先づ往きて父を葬らんとせし弟子の一人に対して「我に従へ死たる者に其死し者を葬らせよ」と言ひ(馬太伝八章廿一、廿二節)又「我来るは人を其父に背かせ女を其母に背かせ※[女+息]《よめ》を其姑に背かせんが為なり」と言ひ(仝十章三十五節)、或は母と兄弟とは会はんとて外に立つと報ぜしに対して「我母は誰ぞ我兄弟は誰ぞや」と言はれし事の如き(仝十二章四十八節)神を信ぜざる者には容易ならざる事にて大害となるであらう。信者には貴き教であつて不信者には危険極まる語と言はねばならぬ。或人が「基督教の中には一ケ月にして全社会を破壊し去るに足るの真理あり」と言つたのも理りである。良薬は良医が是を用ふれば人を助くるも庸医一度之を誤り用ふれば人を殺す。世の文明に貢献多大なる電気の如きも光力に動力に通信に驚く可く利用され世を益しつゝあるも亦危険之に過ぎたるものはないのである。神の教も亦斯の如く信者には大幸であつても不信者には大禍を来すのである。神の櫃は至《いと》聖きものにて神の択みしイスラエルに置く可きであつて、(473)之を不信者の手に渡して大なる災害となる。これ吾等が福音宣伝に当り、今の伝道法に傚ふて大衆を招く事をなさで、厳密なる制限を加ふる理由である。確かに信ずる人を撰みて真の福音を伝ふれば凡ての人に適する如き説教をなすの要はないのである。実に基督の福音は信ぜざるもの或は半ば信ずるものには大なる禍であるのである。基督教信者の或人の家を見てよしとし、之を直ちに吾家に移さんとするも或は却つて家を乱すの基となるであらう。
 神の櫃はキリアテヤリムに何事もなく止る事二十年、此間多分サムエルは国民に絶ず悔改を説いた事であらう。偶像信者と成り下りしイスラエル人も漸く覚醒して今はヱホバを慕ひ嘆くに至つた。此時サムエルは宗教の大革命を宣告し、偶像を棄て、一心罩めてヱホバに事ふ可き事を勧めた。全国民サムエルの警告に従ひペリシテ人ピニケ人の神なるバアルとアシタロテを棄ててヱホバにのみ事へミヅパに集つて大祈祷会を催した。サムエルは此所にてイスラエル人をよく教へ導いた。(撒母耳前書七章六節中「水を汲みて之をヱホバの前に注ぎ云々」は心を汲みて云々の誤記ならん)。イスラエル人がミヅパに集りて一団となつたのを聞きてペリシテ人は又も攻めのぼつた。四十年間其圧迫の下にあつたイスラエル人の怖れたと言ふも無理はない。然し乍ら彼等は今やヱホバに信頼する心が堅固であつた。彼等は祈祷を止めて戦備に取りかゝる事をせなんだ。彼等はサムエルに言つた、「ヱホバに祈る事をやむる勿れ、然らばヱホバ我らをペリシテ人の手より救ひ出さん」と、サムエルは燔祭をヱホバに捧げてイスラエルのために熱心こめて祈つた。其未だ終らざるにペリシテ人の軍は勢猛く攻め近いた。あはれ何等の戦備なきイスラエル人は忽ちにして粉砕されんと思ひきや、ヱホバは此時大雷をくだして、ペリシテ人をうちて之を乱し給ひければ捷は意外にもイスラエル人に帰し、ミヅパをいでてペリシテ人を逐ひ打ちてべ(474)テカルの下まで至つた。此時サムエルは戦捷の神の援助《たすけ》による事を永く紀念せんが為めミヅパとセンの間に一の石を建てゝ其名をヱベネゼル(助けの石)と呼んだ。ペリシテ人は攻伏られて再びイスラエルの境にいらず、曾て占領されたりし地は悉く取り返し、アモリ人とも好を結び、外には威厳を張り内には平和ありてイスラエルは、今や実に万歳であつた。而して此記事の大意は常に聖書に記されたるものであつて、腐敗に次で悔改あり、而して栄光臨む。これ啻に国の事ではなく又一身生涯の事であつてイスラエルに於ては一国斯くして救はれたのである。元より古き時代の物語ではあるけれども今日吾等の福音の根本も亦茲にあるのである。世の嘲罵あり、家には平和なし、如何にせば救はる可きか、他なし偶像を斥けて神を迎ふる事の一あるのみである。人各纏綿の事情ありて之れに苦めらるゝや各人特別の事情として解決の道なきに悶ゆれども其根本は極めて簡単であり、明白な事である。其は偶像を迎へて神を斥くるに因するのである。両して今日のバアルとアシタロテは多くの場合に於て金である、又権勢である、又名誉である。今日と雖も総ての禍の基は偶像崇拝である。此等の偶像を斥けて真の神を迎ふるに非ざれば国も人も永久に救はるゝの道はないのである。イスラエル人は其国をペリシテ人の手より救ふためにミヅパに集りて懺悔して相祈つた。これが最良の道である。敵に対抗の準備は要らぬ、戦はヱホバに在つては只逃ぐるを逐ふ計りの事である。吾日本人にして誰か大黒天や聖天の偶像の前に立て吾を義しくせよと祈るものがあらう。一身一家の繁栄乃至相場に勝つ事、不義の成功を祈り得る地蔵菩薩や不動尊の流行る吾日本国の救はるゝは果して何時のことであらうか。唯謙遜りてミヅパに集まりて静かに祈らんのみである。世に言ふ人生の戦と聖書の戦と違ふ所はこれである。啻に日本在来の古きものゝみに非ずして西洋の新らしき思想にも注意せねばならぬ、近頃頻りに持噺さるゝ人生奮闘主義を鼓吹するスカンデナビヤ文学の如きも亦畢竟するに(475)多興の文学たるに過ぎないのである、稀れには之に由て成功するものもあらんも其大部分は失敗に終るが普通であつて、其害たるや実に著しきものである。実に「誰かよく世に勝たん、吾等をして世に勝たしむる者は吾等が信なり」であつて、吾等は只神によりて勝たせて貰ふのみである。敵来るに女々しく泣いて祈る、何ぞ勇ましく起つて奮闘せざると雄々しく言ふものもあるであらうが、戦はヱホバに在りて吾等にはなく、若し吾等に勝つ可きものがあるならば吾自身に勝たんのみである。カーライルのクロムエル伝を読みたるものは、其中の祈祷会の一事を記憶するであらふ 民軍不利にして勢窮まるやクロムエルは已に評定を要せずとし、将士を集めてウィンザー城内に大祈祷会を開き各不信を表白して英国民を救へと神に祈つた。カーライルは之に評を下して言ふた「今の人よくこれを解し得るか、誠に狂気の沙汰である、然し乍ら此狂気じみたる事によりて英国民は救はれて彼等の間に永く自由ある所以である」と、若しも今の政治家が其陋劣なる小策と駄弁とを棄て祈祷をなす事が出来たならば吾国は其時よりして改まるであらふ。これ又吾等各自の事であつて新生涯は其所に姶まり各自紀念のエベネゼル(助けの石)を建て得るのである。吾等の凡ての善事と革命はミヅパに始るのである。同じ事の様なれども聖書を研究すれば是を繰り返すの外はなく、旧き祈祷が常に生きたる意味を有するのである。
 
(476)     〔成功と滅亡 他〕
                         大正2年5月10日
                         『聖書之研究』154号
                         署名なし
 
    成功と滅亡
 
 神が罪悪を此世より永久に絶たんとし給ふや、彼は先づ之をして思ふ存分に成功せしめ、世をして之を称揚せしめ、貴族富豪をして之に帰依せしめ、之をして天の高きにまで登らしめ、然る後に忽然滅亡を降して之を地上より拭ひ去り給ふ、神を敬はざる者の場合に於ては成功は滅亡の前徴なり、政府然り、教会然り、国家然り 個人然り、成功を以て誇る者は屠《ほふ》らるゝ前の肥えたる羊の如し、遠らずして世は彼を尋ねんも彼を見ざるべし、神、彼を取去り給ひたればなり。
  樊籠《かご》に烏の盈るが如く不義の財彼等の家に充つ、此故に彼等は大なる者となり富める者となる、彼等は肥えて光沢あり、其悪しき行為は甚だし………………ヱホバ言ひ給ふ、我れ此くの如きことを罰せざらんや、我
心は此くの如き民に仇を復へさゞらんや(耶利米亜記五章廿七、廿八節)。
 
    偽はりの預言者
 
(477) 偽はりの預言者とは誰ぞ?
 偽はりの預言者とは神の正義よりも人の平和を愛する者である、人の面を懼れて明白の事実を語り得ざる者である、平和なき時に平和平和と叫ぶ者である、キリストの平和の福音を誤解して、刃(殺人に非ず)なくして地に奉平《おだやか》を出さんと欲する者である、信仰上の懦夫である、実行上の老婆である、救世上の庸医である、深く愛せざるが故に強く罵る能はざる者である、神の福音を託せられながら唯平穏をのみ維れ求めて明々白々の真理と事実とを語り得ざる者はすべて偽はりの預言者である。
 
    イエスの過激
 
 イエスは過激であつた、彼は伝道の姶に方て縄を以て鞭を作り、神の聖殿に在りて売買する者を其中より逐ひ給ふた、彼は又屡過激の言を発し給ふた、曰く、凡そ我に来りてその父母妻子兄弟姉妹また己の生命をも憎む者に非ざれば我が弟子と為ることを得ずと、又曰く地に泰平を出さんために我れ来れりと思ふ勿れ、泰平を出さんとに非ず刃を出さんために来れりと、彼は又幾回となく彼の敵人を罵りて曰ひ給ふた、噫汝等禍なるかな偽善なる学者、とパリサイの人よと、彼は彼の弟子を教ふるに過激であつた、彼の敵を責むるに過激であつた、此世の政治家又は宗教家の眼より見て彼の短かき全生涯が過激であつた。 イエスは過激であつた、而して彼の忠実なる弟子はすべて過激であつた、黙示録に現はれたるヨハネは過激であつた、雅各書に現はれたるヤコブは過激であつた、加拉太書に現はれたるパウロは過激であつた、サボナローラは過激であつた、ルーテルは過激であつた、カルビンは過激であつた、ノツクスは過激であつた、セオド・(478)パーカーは過激であつた、ロイド・ガリソンは過激であつた、此罪悪の世を少しなりと永久に良くなしたる者は総て過激であつた、「ヱホバの熱心之を為せり」と謂ひ、「爾の家のための熱心我を蝕《くら》はん」と録《しる》さる、身を燬尽《やきつく》すほどなる熱心を以てせずして此世に在りて神の聖旨を為すことは出来ない、我等は過激の譏は敢て之を意に介することなく、イエスに傚ひて熱心、以て我等の職分を尽すべきである。
 
    預言の実現 以西結書十二章廿一−廿五節
 
 ヱホバの言我に臨みて言ふ、人の子よ、イスラエルの国の中に諺あり、曰く、
  日は延び黙示は悉く空しくなれり
と、是れ何の謂ぞや、是故に汝彼等に言ふべし、主ヱホバ斯く言ひ給ふ、我れ此諺を廃めしめ、彼等をして再びイスラエルの中に言ふことなからしめん、即ち汝彼等に言ふべし、
  其日と其諸の黙示の実現は近けり
と、イスラエルの家には此後重ねて空しき黙示と偽はりの前見はあらざるべし、夫れ我はヱホバなり、我れ我言を発せん、我言は必ず成るべし、重ねて延《のび》ることあらざるべし、背叛ける家よ、汝等が世に在る日に我れ言を発して之を成すべし。
 主ヱホバ之を言ふ。
     略注
 「人の子」は預言者エゼキエルを指して曰ふ。「日」は審判《さばき》の時である。「延び」は延引して終に到らざるべし(479)とのことである。「黙示」は黙示を以て預言者に臨みし預言である。「空しくなれり」とは預言は当らざるべし、義罰は臨まざるべしとのことである、預言を嘲けるの言である、預言実現の時期は待つも到らず、是れ蓋し空言と成りて終るべしとのことである。
 然れども斯かる諺はイスラエルの中より廃たるべし、預言実現の時は近けり、自今実現せざる預言と先見とては無かるべし、ヱホバは其言を発して猶予することなく之を実行し給ふべし、預言の実現せざりしは其の空虚《むな》しきが故に非ず ヱホバが民を憐みて刑の執行を猶予し給ひしに因る、ヱホバの忍耐を彼の無能と解するに及んで刑罰は終に延引せられざるべし、今より後、ヱホバ其言を発し給へば直に成るべし、義罰は直に民の上に臨むべし、ヱホバは事実を以て預言者の言を証明し給ふべし、ヱホバと其預言者を侮る者に刑執行猶予の特典は行はれざるべし。
 
    信仰の目的 満足と平和
 
 信仰の要は満足と平和に在る、心の平和と満足とありて信仰の目的は達せられたのである、然れども是なくして如何に進歩せる信仰と雖も其目的を達したと云ふ事は出来ない、余輩の旧き信仰が余輩に平和と満足とを与ふる時に余輩は他に之を求めんとしない、又若し所謂「新らしき信仰」が他の人に平和と満足とを与ふるとならば余輩は之を妨げんとしない、信仰は個人的である、余輩が余輩の信仰を述ぶるは一人なりと多く余輩の同志を募らんがためではない、既に余輩と信仰を同じくする者の信仰を強めんがためである、余輩は世に余輩と信仰を共にする者の多く居らない事を知る、同時に又余輩の同志の求めずして遅かれ早かれ必ず余輩と共になることを知(480)る、余輩は神の誘導を信ずる、故に所謂運動を嫌ふ。
 人は自己《おのれ》に平和と満足とがあれば他人の信仰に立入りて之を非議しない、彼は今は盈ち溢るゝ人であれば他の人も亦自己の如くに盈ち溢れんことを欲する、然れども必しも同じ信仰の方式に由らんことを願はない、旧き信仰は或る器を盈たすであらふ、新らしき信仰は或る他の器を盈たすであらふ、盈たされさへすれば、其れで事は足りるのである、余輩の僅かばりの知識と、余輩の懐くを得し辛宙観と、余輩の短かき生涯に於て覚り得し人生観とが旧き信仰に由て満足に調和さるゝならば余輩は其れ以上の信仰を求めないのである。
 人は各自己れに次ぎの問題を提出して其解決を求むべきである、即ち、我は聖き義しき神の前に立て恐怖なきを得る乎、我は歓喜と希望とを以て死を迎へ得る乎、此の二つの質問に対して明白に「然り」と答ふるを得て彼は彼の信仰の目的を達したのである、他人の信仰の事ではない、我が信仰の事である、此大なる「然り《イエース》」がありて我が信仰を以て満足し、敢て他人の信仰に対して質問を試むるが如きことを為さないのである。
 
(481)     再び旧き信仰に就て
                         大正2年5月10日
                         『聖書之研究』154号
                         署名 柏木生
 
 宗教は政治ではない、又哲学ではない、又道徳ではない、宗教は宗教である、国と其主権者があつて政治があり、宇宙万物があつて科学と哲学とがあり、人と社会とがあつて道徳があるやうに、神と人とがあつて宗教があるのである、宗教は神と人との関係である、故に若し神がないとすれば宗教はないのである、而して又神が在る以上は人には宗教は無からざるを得ないのである。
 宗教は人と神との関係である、故に超自然的超人間的たらざるを得ないのである、即ち奇蹟的たらざるを得ないのである、奇蹟的でない者は宗教でない、政治の下に立て其上に立つ能はざる者は宗教ではない、哲学と科学とを以て悉く説明し得る者は宗教でない、単《たゞ》に道徳の用をなすに止まる者は宗教でない、宗教が宗教である以上は政治を凌駕し、哲学を超越し、道徳を支配する者でなくてはならない、此世の政治と衝突しない、哲学と全然符合し、何人にも道徳的煩悶の資料を供せざるが如き者は宗教の名称を値ひせざる者である。
 キリストの奇蹟的出生は科学的に説明する能はず、故に之を拒否すべしと云ひ、贖罪の教義は今人の倫理的思想に反す故に之を排斥すべしと云ふ、併し乍ら是れ皆な宗教を天然の事又は人間の事と見るより起る問題である、宗教を宗教と見て、即ち神の事と見て斯かる問題は起らないのである、神の事に超自然的の事あるは勿論である、(482)神と人との調和を計るための途と見て贖罪は信ずるに難くないのである、天然と人事とを以て神の事を説明せんと欲するが故に多くの無益の難問題が起るのである。
 宗教上の先決問題は奇蹟ではない、又教義ではない、宗教其物である、神の存在である、彼れの義である、人の罪である、彼の宗教性である、是等の根本問題が解つて、他は自から解かるのである、パウロは羅馬書に於て此順序に由て彼の福音を説明して居る、先づ奇蹟を説かずして罪を説き、罪のある所に赦免(義とせらるゝ事)の必要あるを説き、赦免の必要ありてキリストの出現ありしを説いて居る、所謂「宗教問題の解決」と称して先づ奇蹟の科学的説明を聞いて然る後に信仰に入らんと欲する者は永久に之に入るを得ないのである、信仰に入るの資格は透明なる脳髄にあらずして饑え渇く如くに義を慕ふの心である、此心ありて終に義の太陽を仰ぐを得べく、随て彼に関はる奇蹟的事実をも自から解し得るに至るのである。
 依て知る、宗教の、殊に基督教の何人にも解し得らるゝ者にあらざることを、聖書に「水の海を蔽へるが如く、ヱホバを知るの智識全地に充つべし」とはあるが、神の言が人の輿論となるべしとは何処にも書いてない、否な、聖書は所々に其反対を言ふて居る、
  イスラエルの子の数は砂の如くなれども救はるゝ者はたゞ僅かならん、
と、(羅馬書九章廿七節)、又
  夫れ召るゝ者は多しと雖も選ばるゝ者は少し
と(馬太伝二十章孝十六節)、又
  イエス答へて曰ひけるは……我を遣はしゝ父もし導かざれば人能く我に就《きた》るなし、
(483)と(約翰伝六章四十四節) 基督教は宇宙の真理であるが故に普通の常識を以てして何人も能く之を解するを得べしとは余輩も亦言ひたく欲へ共事実は余輩の此欲求に応ぜざるを如何せん、人は特別に神に助けられずしてキリストの福音を信ずる能はずとは聖書の明白に告ぐる所である、而して斯かる福音は狭き福音であつて神の道として認むる能はずと言ふ者あらんも、事実は蔽ふべからずであつて、人は之を如何ともする事が出来ないのである、神に罪を贖はれ眼を開かれて人は聖書の伝ふる福音を其儘|受理《アクセプト》し得るに至るのである、而して人あり、余輩に向てユダヤ人がイエスに向て言ひしが如くに
  然らば我儕も亦瞽なる乎
と問ふならば、余輩はイエスに傚ふて
  汝等若し瞽ならば罪なかるべし、然れど今我儕見ると言ひしに由りて汝等の罪は存《のこ》れり
と答へざるを得ないのである(約翰伝九章四十四十一節)。
 余輩は斯く弁じて勿論教会や宣教師の歓心を買はんと欲するのではない、教会は教会である、余輩は余輩である、余輩は教会の弁護者ではない、否な、多くの場合に於て余輩は其反対者である、然し乍ら事実は蔽ふべからずである、局外者の眼より視て、信ずるも、信ずると称するも同じやうに見るであらうふ、然しながら信ずると称するは実は信じないのである、余輩は教会と其大体に於ては信仰を同にすると雖、其の之を信ずる方法を異にしたく欲《ねが》ふ者である、余輩は今尚ほ旧き福音を信ずる、勿論旧きが故に無理に之を信ずるのではない、其旧き福音が霊魂の旧き問題を最も満足に解釈し、此世の哲学も道徳も給《あた》ふる能はざる、神より出てすべて人の意《おも》ふる所に過ぐる永久の平康《やすき》を余輩の心に与ふるからである。
(484) 余輩の信仰の理由に就ては、余輩は屡々之を本誌に於て述べた、又之を余輩の著書に於て論じた、質問者の之に就て読まれんことを望む。
 
(485)     八丈島に渡るの記
                         大正2年5月10日
                         『聖書之研究』154号
                         署名 内村生
 
 去る四月七日教友福田藤楠君と共に八丈島に渡り、同二十三日まで十五日間彼地に流竄的生涯を送つた、源為朝、浮田秀家の事など追想し、感慨の念に堪えなかつた、長さ五里、幅二里の大洋中の孤島、其中に一万の生霊が棲息して居るのである、人口稠密、気候湿潤、物産豊富、天然偉観、然し信仰は殆んど無きに等しく、飲酒は盛に、人情また貿樸ならず、神の造り給ひし此東海の仙島も亦福音欠乏の故を以て道徳的には何等の意味なくして存在して居るのである、誰か此島の霊魂開拓のために一生を神に献ぐる人はあるまい乎、而して此島を根拠として青ケ島、小笠原島、南北鳥島、南北硫黄島と、碁石の如くに洋中に羅列する是等佳麗の島嶼を覆ふに、水が大洋を覆ふが如くにヱホバを知るの知識を以てする者はあるまい乎、曾ては英国宣教師ジョン・ペートン、福音宣伝の為に南洋ニュー・ヘブリデース島に渡り、其食人人種の間に神の愛を説くこと数十年、彼れ年老いて彼の故国に帰休するや、人、彼の伝道事業に就て唱へて曰く、
  彼れ来りし時に島中一人の信者を見ざりき、而して彼れ去りし時に島中一人の不信者を見ざりき
と、島伝道の快楽は茲に在ると思ふ、之を悉く教化し得るに在ると思ふ、今や南津に冒険的事業を試み遽に巨万の富を作りし者我国人中に幾人かある時に際して、我等の中より一人のペートンの出るありて冒険的伝道を我が(486)南洋の島嶼に試みて天国に宝を積む者はあるまい乎、三原の山は森を以て茂り、八丈富士は其姿|優《やさ》しく、而して怒濤其麓に砕けて、白浪帯をなして全島を繞る、之を天の高きより瞰て海女の洋中に漂ふが如くならん、嗚呼誰か彼女を救ふ者ぞ、椿油の香《にほひ》芳《かうば》しく大島桜の花白くして、彼女に特種の艶麗なきにあらずと雖も、而かも福音の真理を供せずして美色は呼吸《いき》の如くに消えん、嗚呼誰か彼女を救はんと欲する者はなき乎。
 
(487)     別篇
 
   〔付言〕
  福田錠二「主の用也」への付言
          明治45年2月10日『聖書之研究』139号
 内村生曰ふ、福田君は角筈レバノン教会の牧師にして我等の角筈時代の隣人なり、ルツ子は君の指導の下に同教会の日曜学校に学び、死に到るまで君の全家族と最も親しき関係を継続せり、彼女の葬儀に際して君の此言を聞くを得しは我等一同の感謝に堪えざる所なり。
 
  東京牛込教会牧師田島進「弔詞」への付言
          明治45年2月10日『聖書之研究』139号
 内村生日ふ、田島君は角筈時代よりのルツ子の友人なり、此日特に彼女の葬儀を司らる、我等は一同、此日主が此適任者を我等に賜はりしを感謝せり。
 
  「同情録」への付言
          明治45年2月10日『聖書之研究』139号
 
 〔冒頭に〕
 内村生白す、此世に於て最も貴い者は友人であります、殊にキリストに繋がるゝ友人であります、そうして其貴さは最も著るしく憂愁《なげき》の時に表はれます、残に死の憂愁の時に表はれます、此たぴ私供に臨みました憂愁に由て私供は今更らの如くに友人の如何に貴き者である乎を知りました、或る友は私供の不幸を聞いて私供を慰めんために、雪を冒し寒さを忘れて百里の途を遠しとせずして、私供を訪づれて呉れました、(488)殊に又平素は殆んど音信不通の状態に於てあり、彼我の関係既に絶えたりと思ひし人にして、此の際衷心よりの同情を表せらるゝ者ありしに至ては、私供は憂愁は却て歓喜《よろこび》の産出者であることを知りました、電車の車掌を務めらるゝ人にして故人の旧友某が「心中の愛」と記して五円札一枚を霊前に供へられしを見て、私供は感涙に咽ばざるを得ませんでした、私供を慰めんとて友人諸君より送られし同情の書簡は数百通に達します、何れも貴き愛の表彰でありまして之に由て私供の慰められしことは如何許りでありし乎、私共は茲に述ることは出来ません、是れ愛の紀念として私供が終生保存すべき者であります、勿論今茲に其すべてを載することは出来ません、唯其中の代表的の八通を掲げまして、我等キリストに在りて相愛する者の如何に相互を愛する乎を本誌の読者に示さんと欲《おも》ひます、古き讃美歌に歌はれしやうに
   キリストの愛を以て我等の心を
   繋ぐ其|羈絆《きづな》は祝すべきかな
   相親しめる者の交際は
   天のそれにも似たるかな
 私供の憂愁を慰むるに来世に於ては復活再会の希望があります、而して今世に於ては愛の友人の同情があります、是れありて私供は如何なる憂愁にも耐ゆることが出来ます、感謝すべきではありません乎。
〔「少女の同情」の末尾に〕
 内村生白す、伊藤恵子さんは、私の信仰の兄弟であつて札幌時代の同窓の友なる伊藤一隆君の娘子《むすめこ》であります、故にルツ子とは従妹同志のやうな関係に於て在る者であります、今此の愛に溢れたる御慰問の御書面に接しまして、我子が未だ此世に生きて居るやうに感じます、実に有難く存じます。
  大森 村山元子「雑司ヶ谷の里に静に眠り給ふ内村ルツ子嬢の御上を思ひまつりて」への付言
          明治45年2月10日『聖書之研究』139号
 内村生白す、此はまことに同情の言なり、感涙に堪えず、今より後生等の懐を述る者にして之よりも麗はしき文の成ることあらん、然れども之よりも深き同情の言の出ることはなかるべし、生等は茲に神が生等を慰めんために此深き優さしき婦人の心を備へ給ひしを感謝す。
 
(489)  「二月号反響」への付言
          明治45年3月10日・4月10日・5月10日
          『聖書之研究』140・141・142号
〔柴田博陽「大連より」の末尾に〕
 ルツ子の父白す、斯くてこそルツ子は無益に死に不申候、誠に感謝の至りに御座候 〔以上、3・10〕
〔在米国羅府山崎正光「米国より」の末尾に〕
 内村生白す、ルツ子の死は君が曰ふが如くに高価なる者にはあらざるべし、然し之に由り余自身に取り天国の門が広く明かに開かれしは事実なり、余は今や正さに前に優さるの興味と熱心とを以て黙示録を研究中なり、之を読者諸君に頒たん時の遠きにあらざるを祈る、特に君の此注意ありしを謝す。 〔以上、4・10〕
〔古庄弘の寄稿文の末尾に〕
 内村生白す、斯くてルツ子の死は今も尚ほ美《よ》き実を結びつゝあり、感謝すべき哉。 〔以上、5・10〕
 
  浦口文治「ベタニヤ物語(上)」への付言
          明治45年7月10日『聖書之研究』144号
 内村生白す、浦口君は台湾総督府中学校の英文学の教師であります、君は公務の余暇に此研究を為され、之を或所に於て話されたるものを筆に記るされて本誌に寄せられたのであります、教会の牧師にあらず、又専門の神学者にあらざる君の如き人士が続々と聖書の研究に従事せられ、世を教へ導かれることは私供の望んで止まざる所であります。
 
  故内村ルツ子「友人の死を傷むの文」への付言
          大正元年8月10日『聖書之研究』145号
 是れは私共がルツ子の永眠の後に彼女の文匣の中に発見したものであります、今より四年前、即ち彼女が十四歳の時の作であります、勿論人に示さんために書綴つた者ではありません、然し彼女が友人に対し非常に厚かつたことは此文で判明ります、文中の圏点は私共が附けたものであります、読者(490)諸君の御諒読を願ひます。両親。
 
  浅野猶三郎「十字架上の七言」への付言
          大正元年12月10日『聖書之研究』149号
 編者曰ふ、浅野君は十有二年来の余輩の教友にして目下専ら自給独立伝道に従事せらる、余輩は歓んで茲に君の研究の結果を本誌の読者に紹介す.
 
  中田信蔵「札幌伝道旅行記(二)」への付言
          大正元年12月10日『聖書之研究』149号
 編者白す、同じく中田君の筆に成る津山伝道旅行記は紙面なき故に之を次号に掲ぐべし。
 
  石川鉄雄「誤訳正解(英二)」への付言
          大正2年2月10日『聖書之研究』151号
 内村生曰ふ、曩には台湾総督府中学校英文学教諭浦口文治君「ベタニヤ物語」を本誌に寄せられ我国平信徒間に於ける聖書研究の実例を示されたり(第百四十四号、並に第百四十五号)、而して今又金沢第八高等学校独逸文学教授石川鉄雄君の此稿を寄せられしあり、聖書は平民の書なり、其研究は監督、牧師、伝道師等、所謂教職の手にのみ委ねらるべき者に非ず、余輩は我国の普通の学者にして此研究に従事する者の益々多からんことを切望して止まず。
 
  「邑里の光明」への付言
          大正2年2月10日『聖書之研究』151号
 内村生曰ふ、茨城県稲敷郡高田村根本益次郎君は余の十年来の信仰の友なり、君、頃者最愛の一子を失はれ、彼の永眠の状に就て余に書贈らる、余は之を読んで君と君の家庭と君の郷里とに大なる恩恵の臨みしことを感謝せずんばあらず、死は重大事なり、人は死に際して平静にして彼の存在の根柢より平静たるなり、茲に根本君の家庭に於て基督信徒の特権たる死の勝利は明白に目撃せられたり、神は茲に教会の伝道師に勝さる生きたる真の伝道師を彼の村に遣り給ひて彼をし(491)て福音の力強き証明を為さしめ給へり、神は今や日本国を己がものとして要求し給ひつゝあり、然かも之を為し給ふに方て政府又は教会の舞台の上に於て為し給はず、平民の家庭に於て、其の聖き死の床に於て為し給ふ、斯くて日本国は其社会の根柢より救はれつゝあり、余は信じて疑はず、根本四郎君のキリストに在る死に由て福音の光明は著るしく彼の地方に挙らんことを、ハレルーヤ。
 
(492)  〔社告・通知〕
 
 【明治45年1月15日『聖書之研究』138号】
 謹啓、兼て多数読者諸君の御厚誼に与り候処の小生娘ルツ事久しく病気に有之候所、養生不相叶本月十二日午前零時十三分終に主に在りて永眠致し候に付き茲に誌上を以て御通知申上候、併せて又病中御見舞並に御同情を深謝仕候、敬具。
  一月               内村鑑三
 
 【明治45年2月10日『聖書之研究』139号】
 謹啓、今回娘ルツ永眠に就ては多数読者諸君より御懇切なる御同情の御見舞并に御書面に与り感謝の至りに奉存候、茲に謹で御厚誼を深謝し、併せてキリストの恵と神の愛と聖霊の聖交《まじはり》との諸君と共に在らんことを祈上條。
  千九百十二年二月         内村鑑三
                   同 シヅ
 
 【明治45年3月10日『聖書之研究』140号】
   謹告
 小生の元気未だ本に復らず、執筆意の如くならず、為めに此号例月のそれに比して更らに一層不完全なるを覚え候、特に読者詔君の御宥恕を願上候。
  三月              内村鑑三
 
 【明治45年6月10日『聖書之研究』143号】
   近状
 別に変りはありません、先月来二三度|市《まち》に出て講演を為ました、然し口の仕事は筆の仕事の邪魔になります、故に今月限り止めに致さうと思ひます、来月は警醒社より『独立短言』が出ます、研究社からも新約聖書の研究に関する短篇を纏めて出す積りであります、英国のバートンと云ふ人が曰ひました、「神を信じて多忙なれ、而して汝の悲哀を忘れよ」と、悲哀を忘るゝの方法は他にありません。 主筆
 
(493) 【大正元年8月10日『聖書之研究』145号】
 謹んで明治天皇陛下の崩御を哀悼し奉る
 
 【大正元年9月10日『聖書之研究』146号】
   読者諸君に告ぐ
 神若し許し給はゞ小生義来る十月中旬を期して北海道札幌独立教会に於て一週間に渉り聖書の講演会を開き可申候、就ては本誌年来の読者諸君にして御都合相叶ふ方々は成るべく多数同時に彼地に於て御会合相成るやう切望仕候、時将さに秋酣にして果園に林檎と葡萄熟し、河流に鮭魚の溯るありて石狩平原の秋色真に全国無比に有之るべく候、此時に際し諸君と共に我国に於ける独立信仰濫觴の事跡を彼地に探り、過去に稽へ、将来を計るは他に得難きの清興なるべくと存じ候、依て会合志望の諸君は来る九月廿五日までには宿所姓名を小生方まで御通知相成りたく候、左すれば小生より直接に諸君へ宛開会期日其他に関し御報知仕るべく候。 敬具
  大正元年九月           内村鑑三
 
 【大正元年10月10日『聖書之研究』147号】
   中国方面の読者諸君に告ぐ
 神若し許し給はゞ小生義来る十一月中旬三日間に渉り岡山県美作津山町に於て聖書講演会相開き可申候に付き本誌年来の読者諸君には成るべく多数御参会相成度候、参会御志望の諸君は十一月五日までに其趣き津山町森本慶三氏まで御通知相成度候、開会期日其他に関しては同氏より直接に諸君に御通告可仕候。   敬具
  大正元年十月
                    内村鑑三
 
 【大正元年12月10日『聖書之研究』149号】
   祝詞
 今年も亦読者諸君の楽しきクリスマスと喜ばしき新年とを迎へられんことを祈上候
  大正元年(一九一二年)十二月    内村鑑三
                    家族一同
                    畔上賢造
                    山岸壬五
(494)   年賀状省略に就き
 本誌を接受せらるゝ友人諸君へは別に年賀状を差上げ申さず候間左様御承知被下度候。
                    内村鑑三
 
 【大正2年1月15日『聖書之研究』150号】
   謹謝
 去年の今月今日に於て多くの読者諸君が我等に寄せられし厚き御同情を深謝仕候。
  一九一三年一月十二日        内村一同
 
 【大正2年2月10日『聖書之研究』151号】
 神若し許し給はゞ小生儀来る二月十六日静岡市北番丁富士会社内青年会に滞在講演仕るべく候、附近読者諸君の御来会を切望致し候。
                    内村鑑三
 
 【大正2年3月10日『聖書之研究』152号】
   ◎緊要広告◎
 小生義少しく休養の必要有之候に付きこゝ二三ケ月の間本誌の編輯並に執筆に就き友人の援助に依ること多かるべく候間読者諸君に於て左様御承知被下度候。    敬具
  一九一三年三月           内村鑑三
 
 【大正2年5月10日『聖書之研究』154号】
   謹謝
 小生休養に付き多数の読者諸君より御慰問に与り感謝の至りに奉存候、御蔭を以て元気大に回復致し、此分にては遠からずして従前の通り執筆致し得るに至る事と存じ候間御放心被下度願上候、敬具。
  一九一三年五月           内村鑑三
 
(495)  〔参考〕
  柏木通信
   復活
                         明治45年7月10日
                         『聖書之研究』144号
                         署名 中田信蔵
 
  (六月二日今井館に於ける内村先生の講演大要)
  本春来東京に仮住する事と相成り内村先生の講演に侍し得るを幸、之を地方に於ける読者諸賢に頒たんとて其大要を記し申候、筆拙く想は低く、先生講演の真意を伝ふる能はざるを怨み候、演題のみを報ずるに少しく勝る所あれば可なりと禿筆を呵し申候、願くは諸賢各自に於てこれを端緒として更に深き研究を積まれん事を望み申候。
 復活は基督教の根本にして理解するに困難なりとて避く可きものに非ず。是を余所にして基督教を説かんとするものあるは奇怪の事と言ふ可し、復活を退けんとするは直ちに基督教を棄つるものと見て可也。基督を信ずるは同時に復活を信ずる事たらざる可らず。基督の存在を信ずる能はずと言へばこれ別問題なれども苟も基督の存在を信ずるものにして復活の否認は出来得可き事に非ず。抑も人に死あるは罪の結果にして、人類にして罪を犯す事なかりせばエノクの如く、変貌の山に於ける基督の如く死の苦痛を経ずして霊化昇天す可かりしも、一度罪に陥つてより死は免れ難き事となれり。然るに神は人類救拯のために基督を此世に降し給ひ、彼れ我等の罪のために死て人類に復活の道を備え給へり、実に此時以来人は死より救はれ、最大の悲哀を免れたる也。而して復活は蘇生と異なりて此肉体が現状のまゝ再び生くるに非ずして、基督の変貌の如く、霊化されたる体則ち霊体となりて無窮に活くるものなり。復活の時期に就ては或は一定の時を待ちて後なる可きか、或は又死に連続して直ちに来る可きか、明瞭に知るは困難にして保羅も亦確認せざるも
  われらが地にある幕屋もし壊れなば神の賜ふ所の屋にあり(哥林多後書五章一節)
とありて死と復活との結合を信ぜしものゝ如く現今に於てもこれと同じ信仰を持つもの増加しつゝあり。而し乍ら其時期の如きは吾等に於て大なる問題に非ず、そは是を現世的に考へて長き年月を待たさるゝは堪え難き苦痛なれども神に在りては千年も猶一刻の如く、万年も一日の如き也、恰も吾等が(496)快眠の時間は一時問なるも十時間なるも何等の長きを感ぜざると等しく、神に在りての休息の時の長短は何れにてもよし、拯はれたるものが此世を辞する最後の状態を見るに其希望に輝く顔容より推して見るも死と同時に復活は恵まるゝものゝ如し。
 復活はあり得る事として其実証は何れにありや、基督イエスこれ也。基督の復活は已に疑ふの余地なき史上の事実にして四つの福音書是を伝へて動かすべからず。世人動もすれば此四福音書の記する所に小異の点あるを以て此明瞭なる大事実を疑ひ若しくは否認せんとするあり、事の真相を解せざる言と称す可し。凡そ世に何の記事にしてか、之を異なる人が各別の立場に於て記して寸分も違はざるを得んや。路上通過の人の様を等しく見たるものが相語るさえ一様ならず、況んや遠き過去千載真に一遇の事実を伝ふる筆の趣に乃至其観察の点に多少の異なる点なき道理あらんや。旅順に玉砕して芳名喧しき広瀬中佐の最後の状況さえ、今日一般世上に伝へらるゝ所と其血を浴びて危く生き残れる某兵の語る所とは大なる径庭あり、金州丸常陸丸の最後亦然り、而も此異なるが故に広瀬中佐の死を疑ふものはなし、常陸丸の撃沈されしを否認するものはなからん。其他日常伝ふる新聞紙の記事に就て見よ、各紙寸分違はざるの記事はこれ各社同一の通信社よりの報道を其儘記載せしものにして若し其通信社に於て一の誤を伝ふれば各種新聞紙の伝ふる所尽く誤に陥る也。新聞社もし記事に忠実ならんとして各探訪員を派し明細なる調査の結果を掲ぐるならば其観察の微、其筆の細なる程記事に差違を生ずるに非ずや、読者は此記事によりて其大体を確認し得る也、故に記事に多少の相違あるは偶ま以て其事実たるを一層よく証明するものにして、些の異点なきは反つて疑を存ず可きものと見る可し。基督の復活は已に史上の確乎たる事実にして仮令科学の証明を得ざるも、哲学の否認する所となるとも事実は遙かに科学の上にあり、哲学に勝りて力あるを如何せんや。
 素養深く経験に富む史学の大家は、記事を一見して果して其事実を伝ふるものなりや、将た想像架空のものなるかを識別し得るの眼光を有するもの、福音記者の基督復活記の如きは世界一流の史家の棄つ可らざる所にして、是が裁決を輿論に乞ふよりも先づ史家に乞ふの簡にして確かなるに如かず、評家は先づ尊き歴史的本能を養ふを要する也。世人は尋常普(497)通事の記事に対しては容易に信じ乍ら斯くまで確かなる記事に対し偶ま其事実が唯一回の外なかりしとの単なる理由によりて之を信ずるに多大の労を費すは愚の至りなり、復活外の記事にして斯の如く確かなるもの世に幾何ありや、虚心以て記事に対するを要す。
 已に復活はあり、これ肉にある可きか霊にある可きか、先づ保羅の復活観を尋ぬるに
  若し基督爾曹に在らば体は罪に縁りて死し霊魂は義に縁りて生きん(羅馬書八章十節)
とありて救は霊に来るものにして、肉体は罪の故に死を免る能はず。世に伝へらるゝ神癒説の誤りは茲に在り、信仰によりて病に善き変化を生ずる例ありと雖も、救は必しも肉の病を癒すものに非ず、現に確乎たる信仰を持して病めるもの夭するものゝ実例は夥多にして、信仰は到抵肉体の病と死とを免れしむる能はず、救は先づ霊に及ぶ也。而して又
  若し耶蘇を死より甦らしゝ者の霊爾曹に住まば基督を死より甦らしゝ者は其の爾曹に住む所の霊を以て爾曹が死ぬべき身体をも生かす可し(羅馬書八章十一節)
にて体は罪に縁りて死す可きものなれども已に霊を救はれたる以上更にこの休も救はれて復活す可しとは保羅の信仰にして、又吾等の考へ得可き事也。而して霊とは単に心若しくは精神の謂に非ずして肉を離れて存在す可らず。肉と霊と合して始めて我を成すものにして、霊は肉体によりて其霊能を発揮し得、実に肉体は霊の実行機関として欠く可らざるものたり。若し吾に体なくば溢るゝ想も発意するに由なく、抱ける愛も実行す可らず、
  我儕此の幕屋に居りて歎き天より賜ふ我儕が屋を衣の如く着んことを深く欲へり。誠に着ることを得ば裸になること無からん(哥林多後書五章二、三、節)
 霊魂の裸になるは如何に怖る可く、苦しき事なる可き、人に肉の必要なるは猶音楽者に楽器の必要なるが如し、音楽者より其楽器を奪ひ取らば何を以て其燃ゆる想を現はす可き、技熟し神至れども之を奏する楽器なき苦や如何、吾等もし霊のみ救はれて肉の救はるゝ事なくば其苦や亦斯の如きのみ、已に霊を救ひ給ひし基督にして肉を恵まざるの無慈悲をなし給ふの理あらんや、而して復活体は現在の肉体の如き不完全のものに非ずして霊を容るゝに応はしき霊体たる可し、自由自在に霊能を発揮し得可き完全のものたる可し。大音楽者は(498)先天才を発揮し尽くして完全なる楽器を恵まれ其無限の妙味高潮せる情緒を之に訴へて絶世の音楽成る。吾等拯はれて理想向上するも此肉は是を発表するに甚だ不完全にして思ふに任せずと雖ども、復活の霊体は斯る不自由なく、高き理想の発表、神の愛の実行に於て遺憾なきを得可し。霊性の発現に不自由極まる現在の肉体を擁して長生するは吾等に於て寧ろ苦痛也。神若し犬猫の類に人の思想を恵みたりとせば是を発表するに由なき彼等は如何に苦しかる可き、復活の吾等に此苦痛あるなく、大音楽者が最良の楽器を擁して歌ひ耽る如く、吾等霊体を恵まれて自由自在神の聖旨の実行者たる、何等の大希望、大歓喜ぞや、基督者とは斯る希望を有するものゝ謂にして、短かき現世区々たる誘惑の何等効を奏せざる所以たり。現在吾等の卑き思想の発表に於てさへ現在の肉体を以てしては不自由を感ずる事多きに、更に潔く更に高き思想を恵まれ如何にして是を実行す可き、其苦痛は猶ほ人の思想を恵まれたる犬猫の如きものならん。神豈斯る無慈悲の所業をなし給はんや。吾等は先づ霊を恵まれ茲に理想の発達を遂げ、肉体は此発達せる思想の実行機関たるに伴はざるに至り、茲に肉死して完全の霊体恵まるゝ也。而して此現在の肉は軈て恵まるゝ復活体の材料として用ゐらる可きか、これ又考へ得られざるに非ずと雖ども、霊を恵み給へる神は更に新しき霊体を他に準備して是を与へ給ふ事は一層考ふるに易き也。小児の衣を脱せしむるに際し慈母は温かき新衣を準備して待つ如く、神は吾等が此世を辞する時其聖手に新しき霊体を準備して待ち給ふならん。
 去れば屍体は吾等に於て脱ぎ棄てたる古衣也、之を北※[亡+こざと]の荼毘に附するも、不幸タイタニツク号の沈没と共に新見国《ニューフワンドランド》の沖の鱈の腹中に葬らるとも復活に何の障りとならず。仮令復活体の材料に用ゐらるゝともこれがために死体保存に苦心するの要はなし、何となれば肉体の分子が形を変じて分散すとも消滅することはなし、神之を用ゐ給ふ事自在なる可ければ也。然り死の幕一重を隔てゝ復活はあり、死豈一般者の思惟する如く忌む可く怖る可きものならんや。基督は十字架上に同じ刑に就く罪人の一人が「爾国《みくに》に来らん時我を憶ひたまへ」と請ひしに答へて「今日、爾は我と偕に楽園に在るべし」と言ひ給へり。誠に愁傷悲哀の極みなる死の彼方は真に楽園也と。歓ばしい哉基督の福音。
 人生の万事吾等の憂ふるよりは易く神掌り給ふ、然るに(499)独り死のみが之に反して人の心配通りの忌む可く厭ふ可き苦しき事たるの道理あらんや。セルベンテスの有名なる『ドンキホーテ』の話に曰く、ドンキホーテ一条の細き綱に辛く縋りて吾身を保つ、人あり、利剣を抜いて是を断たんとす、吁真にこれ命の綱、これを断たれなば千仞の渓底に堕ちて巌角に粉砕されんと苦悶襖悩救助を乞へども容赦なく、利剣一過綱は断たる、落つれば何ぞ料らん、身は僅か四尺下の軟かき蓐の上に在り。人間万事がこれにして死も亦これならざらんや。
 
  聖書の力と廃娼の事実
                          明治45年8月1日
                          『開拓者』7巻8号
                          署名 内村鑑三氏
 
   七月八日午後六時から廓清会の研究会がある、内村さんが御話しに成りますと云ふ案内を受けたので、外の用事を差し繰つて出席する事にした。極めて少数者の会で島田氏夫婦、安部磯雄、内ケ崎作三郎、山室軍平、益富政助其他二三の婦人方で研究会の名に相応した会合であつた。早速内村氏の話が始まる。例に由つて聖書研究者としての態度――聖書の言葉を現今の事実でもつて証明せんとする態度で左の如き興味ある二個の実例に就て口を開かれた。             ――提携生
 
 自分は過去十二年間専ら聖書研究の事に当つて居るのであるが、段々と社会上の事業や問題に接触する必要が生じて来た、家族の問題とか資本主対労働者の問題とか存外に複雑した面倒な問題があつて理想と現実との懸隔が益々甚しく成つて来るのに思ひ到るのである。之れ福音宣伝を事とする我等の等閑に附すべからざる事件であつて、廓清会あたりが是非相当の仕事を為す可き方面であらうと思ふ、自分も青年時代には廃娼運動に参加したいと思うたが其機を逸したので、(500)今は遠廻りしてゞも幾分此事の為めに力を尽す事の出来るやうに成つたのは喜ばしい事である 自分の出逢うた二個の実例に就き之れより少しく話して見たいと思ふのである。
 其一、水戸に某氏と云ふ十二年間引き続き「聖書の研究」を購読して居る人がある、毎月其名を記臆する故如何なる人物かと云ふ不審の念が起つて来た、処が先き頃其子を伴ひて我家を訪れ面会を求めた、処が年輩は四十四五で雑貨商を営んで居るとの事である、彼徐ろに「自分は三十年以前茨城県磯浜にて先祖代々営み来つた貸座敷業の廃業を敢てした」と云ふのを冒頭に語り続て曰ふには「当時磯浜に遊廓あり六軒の妓楼を有し其収益に由つて本願寺別院を維持するとの事で可なり金額を献じ来つたのである、然るに後に至り基督教が入り来るに及び本願寺の方にては大恐慌を来し、為めに東京より弁士を招いて耶蘇教攻撃の演説を試み悪口雑言至らざるはなかつた、彼は素栃木県の藩士にて書物も読める人なるが其一楼の養子と成つたのである、然るに間もなく病気に罹り上州の磯辺に保養の為転地した、其間に何でも一つ書物を読んで見やう、此間来から非難の中心と成つて居る耶蘇教の書物を調べて見やうと云ふ気に成り、三十銭を投じて新約全書を購ひ之を再三翻読した、而して覚るところあり基督教は決して悪い教でない、今迄の自分が悪かつたのだと自己をいたく責め立てた果は、兎も角も現業は廃止せねばならぬ、何うしても廃業すると一心をこゝに集中して其時の至るを待つて居た、彼れには義理ある養母がある、又家附の娘なる我妻がある、かゝる事を云ひ出せば大反対をするに相違ない、併し何うしても打ち明け話しをせねばならぬと両人に語つた処、案に相違し自分と同意見で一日も早く廃業しやうと曰ふに力を得、さて其意志を世間に発表すると第一同業者連は中々聴かない、又之に由つて生計を営んで居る茶屋達の反対も劇しい 併し決心した事は断行せねばならぬと頑張り、夜出る時などは妻と二人はピストルを懐中にして歩くと云ふ有様であつた。此堅固なる決心には同業者達も辟易して然らば廃業の事は詮方ないが此迄の娼妓丈は譲り渡して呉れと云ふ、否々廃業の眼目は一に娼妓を苦境より救ひ出さんが為めであるから承知が出来ぬと云へば、然らば屋号丈は残して被下いと云ふ かくては先祖の汚名を後の世迄も流す事であるから相成らぬと云ふて応じなかつた。唯だ残念に思ふは或狡商が我家を壊わすと云ふ条件にて買ひ入れ、遂に破壊せず残し置いた(501)一事である、併し之れとても其後間も無く二三の妓楼が建てられたからよし壊わしたりとも全体より見れば格別の事がなかりし事と察せられる。右廃業の娼妓二十人の一人丈は復元の機業に返へつたが残りの十九人は皆堅気の生涯を送つて居る、或は医者の女房と成り或は肴屋と成つて真黒に成り毎日水戸迄売りに来るのもある、夫れで今では十九人の娘を持つて居ると同じ事である」と云ふた。
 以上は本人の口から聞いた実話であるが、本人は打ち見るところ年齢の割には老衰して見える、本人も云ふ如く彼の勢力と根気とは廃娼の一件で殆んど蕩尽し去つたのである、依て自分は彼を慰励して君は唯此一事即ち廃娼の事業を成さんが為めに日本国に生れ出でたものと云ふも可なりである、君は確かに価値ある事業を成就したのであると云ふた。因みに彼の息は目下歯科医学専門学校に入つて学びつゝあるのである。
 如上の事実は興味深き問題ではないか、社会上の勢力に強ゐられてにあらず道徳上の制裁を恐れてにあらず、唯だ己の罪悪の苛責に堪えず宗教の力で以て決意断行を敢てするに至つたのである、聖書一巻の効力も亦偉ならずやと云ひたいのである。
 もう一の事業は陸中水沢と云ふ停車場のある小都会の出来事である、そこに十七年以来盲目の生活を送りつゝある老婦がある、昔は妖婦と呼れて土地の男子を騒がせた女で、大抵な政治家とか実業家とかは彼と関係なかりしはないと云ふ程の魔物である、彼は新平民の家に生れ頗る美人にして其二妹と共に娼妓として名声を博したのである。其失明の源因は妹と情夫を争ひ半狂気の有様と成り遂に盲人となつた次第である、彼は此世に生存する意味も必要もなしと嘆ちつゝあつたが唯だ好な煙草を呑たい一心で生きて居るのだと云ふ、さて妹と争ひこをした情夫と云ふは花巻の鳶の親方であるとか、彼には子がなく、誰れも呉れる人もないので禅宗坊主の私生児を養子にした、彼れは今有力なる基督教徒であるが其神を知れる点は慥かに自分等の上に在るのである、彼は即ち失明老媼の甥になる訳であるが、此甥の感化教導はさしもに悪性の婦人をも悔い改めしめて立派なる基督教徒と為すに至つたのである、摂理も亦妙なる力あるかなと云ひたいのである。
 尤も高橋牧師の熱心なる伝道も大に与つて力あるは云ふまでもないが信者に成るに至つた径路は次の如くである、或(502)日老媼は甥に対して是非花巻に伴れて行けと云ふ、即ち汽車にて同行して花巻に至るや自分には唯一の頼みがある神様の話をして呉れと云ふ、甥は少々驚いたが喜んで之を語り聞かせたるに、彼女は中に見識のある女なれば然り々々共通りなりと首肯し、夫れより悔改めて救の道に入る事と成つたのである、彼女元来「いろは」すら稽古した事がなく書物などは到底読める女ではないが、盲人と成つてから横浜より点字の聖書を取り寄せ、いろはより始めて遂に聖書全体を読み学ぶに至つたのである、彼女は今や云ふ可からざる喜悦を湛えて世の人は夜は読む事が出来ぬが、自分は夜ふと目を覚ました時分でも之を手に取り読む事が出来ると云ふ、それで聖書一巻読破し去つて何章何節に何が書いてあるか殆んど暗んじて居る始末 其一例は、予去年十一月其地の女の信者の会葬式に臨み説教せんとする時、生憎コンコルダンスがない、引用の聖句は何処にあつたか何うしても思ひ出せない、傍らの人に尋ぬるも誰れも知らぬ、時間が切迫せるので急に件んの盲人に聞けば一寸考へて何書の何章何節にありますと明答して呉れたので分る。
 一家八人の口を糊する為めには教会に通ふ身なるも、尚ほ依然として娼妓二人を置いて貸座敷業を営んで居た、故に二階では淫を売らしめ階下ではさんびかを歌ひ聖書を読み祈祷をすると云ふ始末、予は廃業せぬ中は一歩も其家に踏み入らず又先方も招きはしない、自分は二年間何うかして東京辺からでも金を募つて一家を救ひたいと思ふたが夫れは出来ぬ。或は信者で醜業婦を置くは善くないから早速廃業せよと迫るものもあれども糊口の途が就かぬので長引いて来た。所が「聖書の研究」紙上或時忍耐と云ふ事に就き書いた中に忍耐と云ふは右も左も顧みず断然たる実行を成し遂ぐる者であると云ふ事を書いた、妹がそれを見て姉に読み聞かせたところ再三再四復読せしめ手を拍つて翻然覚る処ろあり、意を決して旅館を開業する事と成つたのである、是に於て二年来の難問が氷解し、妹が女主人として女計りの世態で大丈夫生計の途が立ち行くとの事である、併しこゝに大に掛念に堪えないのは之れが後戻りをせぬかと云ふ事である、素より彼の甥や高橋牧師の如きあつて後援を与へて居るものゝ女郎時代に関係した連中が今更此等姉妹に正業に立ち返へられては大変だ、旧悪乍ちに曝露して其立場も危まれるので百方邪魔をして彼等を旧来のまゝの堕落商売をやらせるやうに骨を折る。咋(503)年末の事未だ満期にも成らぬ借金の催促に来た者があり廿七日一杯には必ず返却せよと迫まる、何の事やら一向分らぬけれどは一文も無く未だ返済の日も来ぬ故用意もせずに居たところ故大に困却し、兎も角もと花巻の甥の処迄独り杖に頼りて尋ね来り慫慂として一つ共に祈りませう、明日中に返金の心配をせねばならぬと云ふて少も切る処がない、幸ひ其時甥は或処より金を借りて融通したれば電報にて明日必ず返却すと云ふ旨を通じ安心して一泊して帰ると云ふ事であるが、何しろ周囲には彼等を狙ひ居るもの多き故決して油断がならぬ、廓清会あたりで何とかしてやつて呉ればよいと思ふのである。
 其後旅店の方は具合よくなり禁酒を押し通して居るが、旅の疲れの為め酒を命ずる客に限り之を出すやうに常識から割り出して事をする、或時鉄道の駅夫が来つて酒を出せと云ふたに拘らず断じて出さず追ひ返へした事がある、が併し彼等の為め早く悔い改めるやうに計り彼等を憐んで居る、隣家の男が故意に放火して自分の家を焼かんとして成らず入牢させられたのに対しても応分の事をしてやつた、と云ふたやうな風に万事常規を逸せぬやうの遣り方を為して居るから何う見ても曾て醜業婦であつたと云ふやうな事が分らない、東京の貴婦人あたりでも彼女に及ばぬものが多からうと思ふ。
 
  以上は内村氏の談話の要点である 氏は彼等の信仰の為めに其名を公にする事を遠慮せられたから故らに之を書かぬ、氏は最後に聖書の一句を読み上げられた。
 
 誠に爾曹に告げん、税吏及娼妓は爾曹より先きに神の国に入るべし(太二十章三十一節)
 
(504)     ロバート・オーウェン伝
         (内村先生講話大要)
                         大正元年8月10日
                         『聖書之研究』145号
                         署名 中田信蔵
 
 読者諸賢、故今井樟太郎氏は実に模範的実業家と称す可く六月五日は正に其第六回忌日に相当し、遺族の建設寄贈に係る今井館に於て例年の通り内村先生の世界に於ける模範的実業家伝の講演開かれ、本年は社会主義の祖ロバート・オーウェンの伝を講ぜられ候、故人を偲ぶ絶好の紀念と存候。
 社会主義てふ語は近年吾国に於ては、嫌悪、悪徳、戦慄の代名詞かの如くに用ゐられ、危険思想を以て目され、甚しきに至りては社会主義者と称すれば直に犯罪者の如く做さるゝに至り候。社会主義果して斯くの如く忌む可く厭ふ可きものか、先づ其祖オウエンの生涯に就いて知るは極めて必要且つ興味ある事と存候、余亦社会主義に注意し吾国の社会主義者と称するものが真の社会主義を誤るの甚しきを慨する事多年今先生の講演に侍し、偉人の生涯により真正社会主義に就いて学ぶを得快感禁ぜず、地方読者諸賢中同感のものも可有と存じ拙き筆に托して其大要を報ず可く候、而し乍ら吾等は茲に社会主義を研究せんとするものには無之、此偉人の生涯を知らんとするものに候。
 
 ロバート・オウエンは千七百七十一年英国ウェールスの山中ニュートンの貧家に生る、現英国大蔵大臣ジヨージ・ロイド氏と同国、共にウェールス人中のウェールス人にして平民の友たるは生涯の望也。殊に興味ある事はジヨージ・ロイド氏はオウエンの説を最も近世的に且常識的に実行しつゝある者にして、ロイド氏の事業は以てオウエンを思ふ可く、オウエンは以てロイド氏の事業を思ふ可く二者離る可らざるものたり、共に自成の人、孜々※[石+乞]々として漸次に向上発展したるものにして僥倖の徒に非ず。オウエンは十歳にして馬具師の丁稚となり、十四歳にして小間物商の売子となり抜群の商才を発揮し数年間に千円程を蓄ふるを得たり。十八歳の時綿糸紡績用蒸汽機関発明の事を聞き直に一基を購求し好成績を揚げ、初年に三千円を贏ち得たり。当時マンチエスターに於けるドリンクウォターと言へる人其所有の紡績工場の管理人を年俸四千円の報酬を以て募るあり。オウエン期する所あり(505)即ち応じて至れば主人は之に会し此大胆なる小童に意外の思をなし、「余は小童を要せず、四千円の報酬を以て成人の管理者を求むるもの也」と拒絶せしに、オウエンは冷然、「貴下小童を要せざる可し、然れど余の如き小量は要するならん」と答ふ、何ぞ其自ら信ずるの厚き、遂に此工場に聘せられ僅か十九歳の小童は五百人の職工を有する工場管理者となれり。而して彼は何をなせしか、職工連私かに小童何をかなすと嘲りつつあり。彼は工場管理者として半歳の間唯黙して傍観せしのみ、一の施設なく発案なし。蜚ばず鳴かざる事六ケ月にして第一に為せし事は職工の労働時間の十二時間を減じて十時間となしたり。第二に労働者の健康に深く注意し、当時重き窓戸税のために窓を狭くし健康を犠牲にするを歎き負担を辞せずして窓戸を増し空気の流通を計りたり。彼が管理者として始めて為せし事は実にこれにして全然利益を後にし職工のために計りし也。而も其結果は如何、職工は歓喜して励精足らざるを維れ怖れ、工場内に不平の声は絶へて器械は感謝を以て運転せられ事業は自ら揚れり、これ実に社会主義の実地に行はれし始めにて元より何等危険の含まる可き筈なく是に勝れる安全なし。オウエンは斯の如くして先づ工場の生産力を増し、又よく社会の要求を知りて之に応じたる製品を出せしため、前年までは五分の利益に過ぎざりしもの一躍して二割の利を揚げ工場主を驚かしたり、小童の技量驚く可らずや。後数年にして彼は報酬の事よりして同工場を去りしも此時已にオウエンの名は全欧に響き渡り仝氏の監視の下に紡がれし綿糸は市場に特別の価を有するに至り、諸会社の特約により彼の監視の証印を押す事により一年二万円を得るに至れり。
 時に同業の競争者デビッド・デールなるものあり、事業の上に於て激しく競争せり。其娘某熱心なる社会改良家にして、一日途上父の敵手オウエンに会し、一問一答不思議に意気の投合を見、翌日は早くも婚約を結ぶに至れり。オウエンは其勧により敵手デビッド・デールに交渉しニュー・ラナークの工場を二十ケ年々賦六十万円を以て買受け、茲に二十八歳にして二千人を使用する大工場の持主となり彼の理想はこれより着々実現されんとす。労働時間の十二時間は十時間とされ、諸般の衛生殿備をなし、更に六万円の費を投じて職工並に其家族教育のために学校を建設し、托児所を設け幼児を安全に預り、子を持つ親をして心を安んじて職に従ふを得せしめ、(506)庭園を造り花卉を植へ、曾ては監獄の如く思はれし工場は化して楽園の観を呈せり。或時米国の航路絶え原料杜絶のため四ケ月間休業せし事あり、此間彼は職工をして毎日二時間宛学校に入りて教育を受けしめ、二時間宛植樹をなさしめ七万円の給料を支払ひ以て一人の職工をも職を失はしめざりき、斯くして単に慈善的の方面に熱心なるのみならず事業熱亦熾烈にして二十万円を投じて新器械を据付け猶ほ組織を改めて株式会社となせり、利益の五分を配当し五分を積立て其余は尽く労働者改良のために用ゆる定にて、ヂヨン・ラスカー、ウィリヤム・アレン、ジエレミー・ベンダム等は有力なる賛成者なりき。該工場を経営する事十四年間、其所に疫病なく、不平なく、雇主と雇人との衝突あるなし。音楽あり、学校あり、書箱館あり、庭園あり、花卉あり、花笑ひ鳥謡ふ、正に地上の天国也。此美はしき工場は各国に伝えられて好評嘖々、参観者日々百人に上れり、就中露国皇太子ニコラス殿下の如きは二ケ月間オウエンの宅に宿りて視察の結果深く心酔され、驚く可き報酬を以てオウエンを其国に招聘せんとされき。恰も当時マルタスの人口論出で、人間の過剰を如何にす可きの問題が英人の心を苦めし際なりしかば、ニコラス殿下はオウエンにして其招聘に応ずるならば二百万人の英人を伴ふて露国に移住を許すの条件を以てせられたり。これ蓋し一個人の報酬として最大のものならん。而も事情のために遂に応ぜざりき、見よ社会主義者の祖は君主専政国の儲君に斯くも心酔され、熱望されし也。彼は已に理想の小社会を造り以為斯の如くして全英国より犯罪と貧困と疫病と其他有らゆる不善を去り得可しと。
 高き理想を有し社会改良の熱情燃ゆるオウエンは時の教会と貴族の矛盾と無為無能とを黙視する能はざりき、見よ金色燦爛たる十字架聳ゆる教会の周囲には幾多の不善罪悪は行はれ、大なる富と権力とを擁する貴族は社会改善のために其の一指を動かすの労をだもなさんとせず、而も彼オウエンを詈るに卑む可き無宗教者を以てするに対して彼は叫ばざるを得ざりき、「来りて吾造りし社会を見よ、爾曹は果して何をかなせし」と、英国に於て教会と貴族の攻撃はこれ非常のことにして、其反対と圧迫は頗る激烈なるものなりき。オウヱンはこれを以て英国に於て為し得るものゝ限りとなし、故国を去つて自由の新天地北米合衆国に渡れり、時に千八百二十五年にして彼五十五歳、米国官民の歓迎盛なりき。独人ゲ(507)オルグ・ラツプと言へる人インディアナ州ハーモニーに共産村を設立して経営しつゝあり オウエン此村落に心を惹かれ遂に三十万円を以てこれを買ひ此所に理想の村落を建設せんとて英国に帰り同志三百人を募りて米国に送れり、此同志の多くは意外にも文学者宗教家詩人音楽者等にして実に奇観を極めたり。牧師家を飼ひ令嬢パンを焼き音楽者鍬を執る等一同嬉々として業に就く、オウエン大に安心し長子を残して帰英したり、而も計らざりき数ケ月にして此新労働者は各自己の前途を悲観し始め遂に一ケ年にして、さしも望を嘱したりし、ハーモニーの共産村は喜劇的悲劇を以て四十余万円の損失を遺し失敗に終れり。
 オウエンは猶之に失望する人に非ず、英国に帰りて更に共同販売店を開きて各人に適するの職を備へ、原料と一時間拾弐銭宛の労働賃を計算し、之に対するの労働券を与へ此の券を以て全店の売品を買ひ得る事とせり、始めは成績極めてよく、政府に建白して之を以て全英を拯はんとせしも惜む可し三年の後に同券非常に下落し又も大なる損失を以て失敗に終れり、而して意外且遺憾とす可きは同券過半の所有者は近所の酒鋪にあてありし事にて失敗の原因も思ひ知らる可き也。
 彼は猶も屈せずクインスウードに労働者所有の工場を試みて十年間経営せり。此事業は又失敗に終れり、然れども学界の恩人ジヨン・チンダルは実に此中に在りし也。オーウェンの社会事業は悉く失敗に終り、彼れこれより故国ウエールスのニュートンに引退し有益なる著述をなし、千八百五十八年八十七歳の高齢を以て逝けり。
 嗚呼八十七年の彼の生涯は斯くして終れり、貧困より起りて粒々心苦の蓄財を労働者改善のために擲ちて毫も吝まず、不幸其事業は悉く失敗に帰せしも彼によりて点ぜられし労働者改善の燈火は永遠に滅せず、真理の証明者たる歳月は徐々として之を成功せしめつゝあり、世は彼によつて多くの善事を学べり、彼以て瞑す可き也。而して其事業の失敗せし大原因に付て思ふに、彼は其人生観に於て誤りを抱けり、オーウェンは現今日本人の多くが考ふる如く、人は全然境遇によりて造らるゝものとなし、境遇の改善は直ちに人の改善也と信じたり。これ亦一の真理にして、境遇の改善元より必要なりと雖も、此人生観は甚だ深からずして、基督、保羅の信ぜし所に非ず、人心の改善は神を信ずるに非ざれば到底不可能にして真正の愛は神ありて始めてある也。宗教的元素によらざ(508)る共産村の曾て永続せし事なき事実は瞭かに之を証して余あり。オーウエンの高潔なる心事と熱心と力量を以てして遂に失敗に終るの止むを得ざりしもの亦実に此処にあり。彼は宗教を軽視し其施設余りに現世的なりしにより失敗せり、オーウェンのために誠に惜む可きも吾等は彼によつて此教訓を恵まれしを感謝す、彼の事業は宗教を除外して成就せしめんには余りに大に且つ高かりし也。然りこれ大なる欠点なりしと雖ども、今や宗教を与ふれば可なりとして其境遇の改善に尽す事をなさゞる教壇宗教家の多きに苦むの時其反動としてオーウェンの如き又誠に必要也。彼に愧づるなき宗教家幾人かある。事業は神聖也てふ語はあれども其実現を見る事稀にして、人動もすれば己が事業を俗事と卑下し、利を得るために暫く忍び他日以て神聖なる事業をなさんと言ふあれどもこれ大なる誤にて、各自の事業は夫自身神聖ならざる可らず、利して慈善をなすに非ずして、利しつゝ慈善をなす可き也、オーウエンの全生涯の如きは実に其理想的のものと言ふ可し。彼の工場に工場役人と労働者との別あるなし、職工を本位として施設さる、全精力全財産を労働者改善のために傾け尽して怨みず、美はしき哉彼の生涯、今や哲学繁瑣に流れて「カントに復れ」の語あり、自由の弊に苦みて「ジェファソンに復れ」の語あると共に、社会主義悪性に変じて亦「オーウェンに復れ」の語ある宜也。嗚呼気の毒なる社会主義吾日本に入りて蛇蝎の如く忌み嫌はるゝも仝主義の唱導者深く其真髄を研め、幸にして其誤りより醒め「オーウェンに復る」を得ば国を益し人を救ふ事多大にして呪詛は変じて感謝と化せん、之を冀ふの情切なるものあり、此処に内村先生講話の大要を紹介致せし所以に候、敬具。
〔2022年9月5日(月)午前9時10分、入力終了〕