内村鑑三全集2、505頁、4500円、1980.10.24
 
(v)  目次
 
 凡例
 
一八九三年(明治二六年)
『基督信徒の慰』…………………………………………………………三
   自序…………………………………………………………………四
   基督信徒の慰………………………………………………………五
    第一章 愛するものゝ失せし時
    第二章 国人に捨てられし時
    第三章 基督教会に捨てられし時
    第四章 事業に失敗せし時
    第五章 貧に迫りし時
    第六章 不治の病に罷りし時
  第弐版に附する自序…………………………………………………七二
  改版に附する序………………………………………………………七三
  回顧三十年……………………………………………………………七四
『【紀念論文】コロムブス功績』………………………………………七六
  前書……………………………………………………………………七七
(E)コロムブス年代記……………………………………………………七九
コロムブス伝………………………………………………………………八二
 第一章 緒言
 第二章 家系及幼時
 第三章 結婚及発見事業の発端
 第四章 発見の三大理由
 第五章 助成者の捜索
 第六幸 第一航=発見
 第七章 発見諸地の状態
 第八章 帰航=復命
 第九章 第二航
 第十章 第三航=南米発見
 第十一章 暗黒の時期
 第十二章 第四航=最後の航
 第十三幸 晩年
コロムブスの功績
附録 米国発見事業の事務官ビンゾン兄弟
再版に附する序……………………………………………………………一二五
文学博士井上哲次郎君に呈する公開状…………………………………一二六
『求安録』…………………………………………………………………一三四
  自序に代ふ……………………………………………………………一三五
  求安録上の部…………………………………………………………一三七
   悲嘆
   内心の分離
   脱罪術 其一 リバイバル
   脱罪術 其二 学問
(vii)   脱罪術 其三自然の研究
   脱罪術 其四慈善事業
   脱罪術 其五神学研究
   忘罪術 其一 「ホーム」
   忘罪術 其二 利慾主義
   忘罪術 其三 オプチミスム(楽天教)
  求安録下の部…………………………………………………………一八五
   罪の原理
   喜の音
   信仰の解
   楽園の回復
   贖罪の哲理
   最終問題
六合雑誌記者に申す………………………………………………………二五〇
『【貞操美談】路得記』……………………………………………………二五六
   自序…………………………………………………………………二五七
   緒言…………………………………………………………………二五九
   【貞操美談】路得記………………………………………………二六四
    第一段 不幸の連続 姑娘の苦別
    第二段 悲哀の極点 寡婦の帰郷
    第三段 摂理の教導 貞女の謙退
    第四段 貧者の孝養 援助の到来
    第五段 老婦の訓命 禾場の哀訴
    第六段 古代の相続 新婚の証認
    第七段 喜楽の回復 感謝の寡婦
    末段  大王の血統 賤婦の栄誉
(G)一八九四年(明治二七年)一月−五月
『伝道之精神』……………………………………………………………三〇七
  緒言……………………………………………………………………三〇八
  伝道の精神……………………………………………………………三〇九
   其一 衣食の為にする伝道
   其二 名誉の為めにする伝道
   其三 教会の為めにする伝道
   其四 国の為めにする伝道
   其五 神の為めにする伝道
   其六 人の為めにする伝道
  理想的伝道師
  如何にして宗教界今日の乱麻に処せん乎…………………………三四〇
  再版に附する序………………………………………………………三五一
『地理学考』………………………………………………………………三五二
  自序……………………………………………………………………三五三
  参考書目………………………………………………………………三五三
  地理学考………………………………………………………………三五六
   第一章 地理学研究の目的
   第二章 地理学と歴史 其一
   第三章 地理学と歴史 其二
   第四章 地理学と摂理
   第五章 亜細亜論
   第六章 欧羅巴論
(ix)   第七章 亜米利加論
   第八章 東洋論
   第九章 日本の地理と其天職
   第十章 南三大陸
  第二版に附する自序…………………………………………………四八〇
別篇…………………………………………………………………………四八一
 〔『アマスト大学一八八七年クラス五カ年記録』収録文〕
 〔転居広告〕
解題…………………………………………………………………………四八三
 
(3)     『基督信徒の慰』
        明治26年2月25日 単行本 署名 内村鑑三 著
 
(4)     自序
 
 心に慰めを要する苦痛あるなく、身に艱難の迫るなく、平易安逸に世を渡る人にして、神聖なる心霊上の記事を見るも、唯人物批評又は文字解剖の材料を探るにとゞまるものは至少の利益をも此書より得ることなかるべし。
 然れども信仰と人情とに於ける兄弟姉妹にして、記者と共に心霊の奥殿に於て霊なる神と交はり、悲哀に沈む人霊と同情推察の交換を為さんとするものは、此書より多少の利益を得る事ならんと信ず。
 此書は著者の自伝にあらず、著者は苦しめる基督信徒を代表し、身を不幸の極点に置き、基督教の原理を以て自ら慰さめん事を勉めたるなり。
 書中引用せる欧文は必要と認むるものにして原意を害なはずして翻訳し得るものは著者の意訳〔二字右○〕を附せり、然れども訳し得ざるもの又は訳するの必要なきものは其儘に存し置けり、故に欧文を解し得ざる人と雖も此書を読むに於て少しも不利益を感ぜざる事と信ず。
  明治二十六年一月廿八日    摂津中津川の辺に於て 内村鑑三
 
     目次
 
第一章 愛するものゝ失せし時…………………………………… 五
(5)第二章 国人に捨てられし時………………………………………一六
第三章 基督教会に捨てられし時…………………………………二二
第四章 事業に失敗せし時…………………………………………三七
第五章 貧に迫りし時………………………………………………五〇
第六章 不治の病に罹りし時………………………………………六〇
 
    基督信徒の慰〔以下総振り仮名ではないが、簡単なものは略した、また、傍線、傍点類は、すべて略した、入力者〕
 
     第一事 愛するものゝ失せし時
 
 我は死に就ては生理学より学べり、之を詩人の哀歌に読めり、之を伝記者の記録に見たり、時には死躰を動物学実  検室に解剖し、生死の理由を研究せり、時には死と死後の有様に就て高壇より公衆に向て余の思想を演べたり、人の死するを聞くや、或は聖経の章句を引用し、或は英雄の死に際する時の状を語て、死者を悲む者を慰めんとし、若し余の言に依て気力を回復せざるものある時は余は心竊かに其人の信仰薄きを歎じ理解の鈍きを責たり、余は知れり死は生を有するものゝ避くべからざる事にして、生物界連続の必要なるを、且つ思へらく古昔《いにしへ》の英雄或は勇み或は感謝しつゝ世を去れり、余も何ぞ均しく為し能はざらんやと、殊に宗教の助あり、復活の望あ(6)り、若し余の愛するものゝ死する時には余は其枕辺に立ち、讃美の歌を唱へ、聖書を朗読、曾て彼をしてその父母の安否を問はんが為め一時郷里に帰省せしむる時讃美と祈?とを以て彼の旅出を送りし時、暫時の離別も苦しけれ共又遭ふ時の悦を楽み、涙を隠し愁懼を包み、潔よく彼の門出を送りし如く彼の遠逝を送らんのみと。
 嗚呼余は死の学理を知り、又心霊上其価値を了《さと》れり、然れ共其深さ、痛さ、悲さ、苦さは其寒冷なる手が余の愛するものゝ身に来り、余の連夜熱血を灌ぎて捧げし祈  蒔をも省みず、余の全心全力を擲ち余の命を捨てゝも彼を救はんとする誠心《まごゝろ》をも省みず、無慙にも無慈悲も余の生命より貴きものを余の手よりモギ取り去りし時始めて予察するを得たり。
 生命《いのち》は愛なれば愛するものゝ失せしは余自身の失せしなり、此完全最美なる造化、其|幾回《いくたび》となく余の心をして絶大無限の思想界に逍遥せしめし千万の不滅燈を以て照されたる蒼穹も、其春来る毎に余に永遠希望の雅歌を歌ひくれし比翼を有する森林の親友も、其菊花|香《かんば》しき頃巍々として千秋に聳へ常に余に愛国の情を喚起せし芙蓉の山も、余が愛するものゝ失せてより、星は光を失て夜暗く、鶯は哀歌を弾じて心を傷ましむ、富嶽も今は余のものならで、曾て異郷に在りし時、モナドナツクの倒扇形を見、コトパキシの高きを望みし時、我故郷ならざりしが故にその美と厳とは反て孤独悲哀の情を喚起せし如く、此世は今は異郷と変じ、余は尚ほ今世《こんせい》の人なれ共已に此世に属せざるものとなれり。
 愛せしものゝ死せしより来る苦痛は僅かに此世を失なひしに止まらざりしなり、此世は何時か去るべきものなれば今之を失ふも三十年の後に失ふも大差なかるべし、然れ共余の誠心の貫かざるより、余の満腔の願として溢(7)出《あふれいだ》せし祈?の聴かれざるより(人間の眼より評すれば)余は懐疑の悪鬼に襲はれ、信仰の立つべき土台を失ひ、之を地に求めて得ず、之を空に探《さぐつ》て当らず、無限の空間余の身も心も置くべき処なきに至れり。之ぞ真実の無限地獄にして永遠の刑罰とは是事を云ふならんと思へり、余は基督教を信ぜしを悔ひたり、若し余に愛なる神てう思想なかりせば此苦痛はなかりしものを、余は人間と生れしを歎ぜり、若し愛情てうものゝ余に存せざりしならば余に此落胆なかりしものを、嗚呼如何して此傷を愈すを得んや。
 医師余の容体を見て奮興剤と催眠薬《すいみんやく》とを勧む、然れ共何物か傷める心を治《ぢ》せんや、友人は転地と旅行とを勧む、然れ共山川今は余の敵なり、哲理的の冷眼を以て死を学び思考を転ぜんとするも得ず、牧師の慰言も親友の勧告《すゝめ》も今は怨恨《うらみ》を起すのみにして、余は荒熊《あれくま》の如くになり「愛するものを余に帰せよ」と云ふより外はなきに至れり。
 嗚呼余を医する薬はなきや、宇宙間余を復活せしむる力は存せざる乎、万物《ばんもつ》悉く希望あり、余のみ失望を以て終るべき乎。
 時に声あり胸中に聞ゆ、細くして殆ど区別し難し、尚ほ能く聞かんと欲して心を沈むれば其声なし、然れ共悪霊懐疑と失望とを以て余を挫かんとする時其声又聞ゆ、曰く「生は死より強し、生は無生の土と空気とを変じアマゾンの森となすが如く、生は無霊の動物体を取り汝の愛せし真実と貞操の現象となせし如く、生は人より天使を造るものなり、汝の信仰と学術とは未だ斯に達せざるか、此地球が未だ他の惑星と共に星雲として存せし時、又は凝結少しく度を進め一つの溶解球たりし時、是ぞ億万年の後シヤロンの薔薇《しやうび》を生じレバノンの常盤樹を繁茂せしむる神の楽園とならんとは誰か量り知るを得しや。最始《さいしよ》の博物学者は??の変じて蛹《まゆ》と成りしときは生虫の(8)死せしと思ひしならん、他日美翼を翻へし日光に逍遥する蛾《てう》は曾て地上に匍匐せし見悪くかりしものなりとは信ずる事の難かりしならん。
 暗黒時代より信仰自由と代議政体生れ、三十年戦争の劇場として殆ど砂漠と成りし独逸こそ今は中央欧羅巴の最強国となりしにあらずや、地球と人類が年を越ゆる程生は死に勝ちつゝあるにあらずや、然らば望と徳とを有し神と人とに事へんと己を忘れし汝の愛するものが今は死体となりしとて何ぞ失望すべけんや、理学も歴史も哲学も皆希望を説教しつゝあるに何ぞ汝独り失望教を信ずるや。」
                 “Life mocks the idle hate
   Of his arch-enemy Death,−yea sits himself
   Upon the tyrant's throne,the sepulchre,
   And of the triumphs of his ghostly foe
   Makes his own nourishment.”−Bryant.
 然り余は信ず余の救主《すくひぬし》は死より復活し玉ひしを、義人を殺して其人死せりと信ぜし猶太人《ゆだやびと》の浅猿《あさはか》さよ、何ぞヒマラヤ山を敲ひて山崩れしと信ぜざる、余が愛するものは死せざりしなり、自然は自己の造化を捨てず、神は己の造りしものを輕ずべけんや、彼の躰《たい》は朽しならん、彼の死体を包みし麻の衣《ころも》は土と化せしならん、然れども彼の心、彼の愛、彼の勇、彼の節――嗚呼若し是等も肉と共に消ゆるならば、万有は我等に誤謬を説き、聖人は世を欺けり、余は如何にして如何なる体《たい》を以て如何なる処に再び彼を見るやを知らず、唯
(9)   “Love does dream,Faith does trust
   Somehow,somewhere meet we must.”−Whittier.
 然れども彼は死せざるものにして余は何時か彼と相会する事を得ると雖ども彼の死は余に取ては最大不幸なりしに相違なし、神若し神なれば何故《なにゆゑ》に余の祈?を聴かざりしや、神は自然の法則に勝つ能はざるか、或は祈?は無益なるものなるか、或は余の祈?に熱心足らざりしか、或は余の罪深きが故に聞かれざりしか、或は余を罰せんが為めに此不幸を余に降だせしか、是れ余の聞かんと欲せし所なり。
 細き声又曰く、「自然の法則とは神の意なり、雷は彼の声にして嵐は彼の口笛なり、然り、死も亦彼の天使にして彼が彼の愛するものを彼の膝下に呼ばんとする時遺し賜ふ救使《きうし》なり」と。
 嗚呼誰か神意と自然の法則とを区別し得るものあらんや、神若し余の愛するものを活かさんと欲せば自然の法則に由て活かせしのみ、余輩神を信ずるものは之に依て神に謝す、然れども神を信ぜざるものは或は之を医薬の効に帰し、或は衛生の力に帰し、治癒の元なる神を讃美せざるなり、神の何たるを知り、自然の法則の何たるやを知れば「神は自然に負けたり」との言《げん》は決して出づべきものにあらず。
 然らば祈る何の要かある、神は祈 帝に応じて雨を賜はず、又聖者の祈?に反して種々の難苦を下せり、祈らずして神命に従ふに若かず、祈?の要は何処《いづこ》にあるや。
 是難問なり、余は余の愛するものゝ失せしより数月間祈?を廃したり、祈?なしには箸を取らじ、祈?なしには枕に就かじと堅く誓ひし余さへも今は神なき人となり、恨を以て膳に向ひ、涙を以て寝所《ねどこ》に就き、祈らぬ人と(10)なるに至れり。
 嗚呼神よ恕《いよ》し賜へ、爾は爾の子供を傷けたり、彼は痛の故に爾に近づく事能はざりしなり、爾は彼が祈らざる故に彼を捨てざりしなり、否な、彼が祈りし時に勝りて爾は彼を恵みたり、彼祈り得る時は爾の特別の恵と慰とを要せず、彼祈り能はざる時彼は爾の擁護を要する最も切なり、余は慈母がその子の病める時に言語《ことば》に礼を失し易く、小言がましき時に当て慈愛の情の平常《つね》に勝り病子《びやうじ》を看護するを見たり、爾無限の慈母も余の痛める時に余を愛する余が平常無事の時の比にあらざるなり、余の愛するもの失して後、余が宇宙の漂流者となりし時、其時こそ爾が爾の無限の愛を余に示し得る時にして、余が爾を捨んとする時爾は余の迹を逐ひ余をして爾を離れ得ざらしむ。
 然り祈?は無益ならざりしなり、十数年間一日の如く朝も夕も爾に祈りつゝありしが故に今日此思はざるの喜と慰とを爾より受くるを得るなり。
 嗚呼父よ、余は爾に感謝す、爾は余の祈りを聴賜へり、汝曾て余に教へて曰く、肉の為めに祈る勿れ霊の為めに祈れよと、而して余は余の愛するものと共に爾に祈るに此世の幸福を以てせざりしなり、若しその為めに祈りし時は必ず「若し御意に叶はば」の語を付せり、自己の願事《ねぎごと》を聴かば信じ、聴ずば恨むは之れ偶像に願を掛けるものゝ為す所にして、基督信者の為すべき事にあらざるなり、嗚呼余は祈?を廃すべけんや、余は今夕《こんせき》より以前に勝る熱心を以て同じ祈?を爾に捧ぐべし。
 時に悪霊余に告て曰く、「汝祈?の熱心を以て不治の病者を救ひし例を知らざるか、汝の祈?の聴かれざりし(11)は汝の熱心足らざりしが故なり」と、若し然らば余の愛するものゝ死せしは余の熱心の足らざりしが故か、然らば彼を死に至らしめし罪は余にあり、余は実に余の愛せしものを殺せしものなり、若し熱心が病者を救ひ得ば其熱心を有せざる人こそ憐むべきかな、余は余の信仰の足らざるを知る、然れ共余は余の熱心のあらん限り祈りたり、而して聴かれざりしなり、若し尚ほ余の熱心の足らざるを以て余を責むるものあらば、余は余の運命に安ずるより他《た》に途なきなり。
 嗚呼神よ、爾は我等の有せざるものを請求せざるなり、余は余の有する丈けの熱心を以て祈れり、而して爾は余の愛するものを取去れり、父よ、余は信ず、我等の願ふ事を聴かれしに依りて爾を信ずるは易し、聴かれざるに依て尚ほ一層爾に近づくは難し、後者は前者に勝りて爾より特別の恩恵《めぐみ》を受けしものなるを、若し我の熱心にして爾の聴かざるが故に挫けむものならば爾必ず我の祈?を聴かれしならん。
  嗚呼感謝す、嗚呼感謝す爾は余の此大試錬に堪ゆべきを知りたればこそ余の願を聴賜はざりしなり、余の熱心の足らざるが故にあらずして反て余の熱心(蘭の恵に因て得ば)の足るが故に此苦痛ありしなり、嗚呼余は幸福なるものならずや。
 愛なる父よ、余は信ず爾は我等を罰せん為めに艱難を下し腸はざる事を、罰なる語は爾の如何なるものなる乎を知るものゝ字典に存すべき語にあらざるなり、罰は法律上の語にして基督教てふ律《おきて》以上の範囲に於て要もなき意味もなき名詞なり、若し強て此語を存せんとならば「暗く見ゆる神の恵」なる定義を附して存すべきなり、刑罰なる語を以て爾に愛せらるゝものを屡々威嚇する爾の教役者《けうえきしや》をして再び爾の聖者を探らしめ、彼等の誤謬を改(12)めしめよ。
 然れども余に一事忍ぶべからざるあり、彼何故に不幸にして短命なりしや、彼の如き純白なる心霊を有しながら、彼の如く全く自己を忘れて彼の愛するものゝ為めに尽しながら、彼に一日も心痛なきの日なく、此世に眼|開《ひらひ》てより眼を閉しまで、不幸艱難打続き、而して後彼自身は非常の苦痛を以て終れり、此解すべからざる事実の中に如何なる深意の存するや余は知らんと欲するなり。
 聖書に云はずや地は神を敬するものゝ為に造られたりと(約百《よぶ》十五章十九節)。然るに此最も神を慕ひしものは最《もつとも》少《せう》に此世を楽んで去れり、ブラジル国の砂中《しやちう》に埋もる大金剛石は誰の為めに造られしや、無辜を虐げ真理を蔑視する女帝女王の頭を飾る為めにか、或は安逸以て貴重なる生命を消費し、春は花に秋は月に此の神聖なる神の職工場(God's Task-garden)を以て一つの遊戯場と見做す懶惰男女の指頭《ゆびさき》と襟とに光沢を加へむ為にか、東台の桜、亀井戸の藤は黄土《くわうど》の為めに身を汚し天使の形に悪鬼の霊を注入せし妖怪物の特有なるか、誰が為めに富嶽《ふうがく》は年々壮厳《そうげん》なる白冠を戴くや、誰が為めに富士川の銀線は其麓を縫ふや、最も清きもの最も愛すべきものには朝より夕《ゆう》まで、月満てより月欠るまで、彼の視線は一小屋の壁に限られ、聴くべきものとては彼の援助《たすけ》を乞ふ痛めるものゝ声あるのみ、嗚呼造化は此最良最美の地球を悪魔と其子供に讓与せしか。
 此深遠なる疑問に対し答ふる所二個あるのみ、即ち神なるものは存在せざるなり、此地球に勝る世界の義人の為めに備へらるゝあり。
 而して若し神なしとせば真理なし、真理なしとせば宇宙を支ゆる法則なし、法則なしとせば我も宇宙も存在す(13)べきの理なし、故に我自身の存在する限りは、此天此地の我|目前《めのまへ》に存する限りは、余は神なしと信ずる能はず、故に理論は余をして不得止未来存在を信ぜざるを得ざらしむ、若し神はブラジルの金剛石、ボゴタの青玉、オフルの金を以て懶惰貪欲不義をも粧ひ玉ふなれば、勤勉無私貞節を飾る其石其金は如何なるものぞ、コーイノル、オルロー(共に大金剛石の名)の宝石を以て冠《くわん》を編み、『ペルシヤの真珠千百を以て襟飾となし、ウラルの白銀、オルマツヅの金を打て腕輪となして彼を飾るも神は尚ほ足らずとなし、別に我等の知らざる結晶体を造り、金に優る鉱物を製し、彼を粧ひつゝあるならん、然り此地は美にして其富は大なり、然れ共佞人も之を手にするを得べきものなれば決して無窮の価値を有するものにあらず、我の欲する所のものは悪人の得る能はざるもの、楽しみ得ざるものなり、義人の妝飾は「髪《はつ》を辮《あみ》金を掛また衣《き》るが如き外面の妝飾に非ず、たゞ心の内の隠たる人すなはち壊ることなき柔和|恬静《おだやか》なる霊」なり。
 余は了解せり宇宙の此隠語を、此美麗なる造化は我等が之を得ん為めに造られしにあらずして、之を捨てんが為めに造られしなり、否な、人若し之を得んと欲せば先づ之を捨てざるべからず(馬太伝十六○廿五節)誠に実に此世は試錬の場所なり、我等意志の深底《しんてい》より世と世の総を捨去て後始めて我等の心霊も独立し世も我等のものとなるなり、死て活き、捨て得る、基督教の「パラドックス」(逆説)とは此事を云ふなり、余の愛するものは生涯の目的を達せしものなり、彼の宇宙は少《せう》なりし、然れども其小宇宙は彼を霊化し、彼を最大宇宙に導くの階段となれり、然り神は此地を神を敬するものゝ為めに造り玉へり。
 余は余の失ひしものを思ふ毎に余をして常に断腸後悔殆ど堪ゆる能はざるあり、彼が世に存せし間余は彼の(14)愛に慣れ、時には不興を以て彼の微笑に報い、彼の真意を解せずして彼の余に対する苦慮を増加し、時には彼を呵嘖《かせき》し、甚しきに至りては彼の病中余の援助を乞ふに当て――仮令《たとひ》数月間《すげつかん》の看護の為めに余の身も精神も疲れたるにもせよ――荒らかなる言語《ことば》を以て之に応ぜざりし事ありたり、彼は渾て柔和に渾て忠実なるに我は幾度か厳酷にして不実なりしや、之を思へば余は地に耻ぢ天に耻ぢ、報ゆべきの彼は失せ、免を乞ふの人はなく、余は悔ひ能はざるの後悔に困《くるし》められ、無限地獄の火の中に我身で我身を責め立てたり。
 一日余は彼の墓に至り、塵を払ひ花を手向け、最《いと》高きものに祈らんとするや、細き声あり――天よりの声か彼の声か余は知らず――余に語《かたつ》て曰く「汝何故に、汝の愛するものゝ為めに泣くや、汝尚ほ彼に報ゆるの時をも機《をり》をも有せり、彼の汝に尽せしは汝より報を得んが為めにあらず、汝をして内に顧みざらしめ汝の全心全力を以て汝の神と国とに尽さしめんが為めなり、汝若し我に報ひんとならば此国此民に事へよ、渠《か》の家なく路頭に迷ふ老婦は我なり、我に尽さんと欲せば彼女に尽せ、渠《か》の貧に迫められて身を耻辱の中《うち》に沈むる可憐の少女は我なり、我に報ひんとならば彼女を救へ、渠《か》の我の如く早く父母に別れ憂苦頼るべきなき児女は我なり、汝彼女を慰むるは我を慰むるなり、汝の悲歎後悔は無益なり、早く汝の家に皈り、心思を磨き信仰に進み、愛と善との業を為し、霊の王国に来る時は夥多《あまた》の勝利の分捕物を以て我主と我とを悦ばせよ」と。
 嗚呼如何なる声ぞ、曾てパマカスなる人が妻ポーリナを失ひし時、聖ジエロームが彼を慰めん為めに「他の良人は彼等の妻の墓を飾るに菫菜草《すみれそう》と薔薇花《ばらのはな》とを以てするなれど我がパマカはポーリナの聖なる遺骨を湿すに慈善の香乳を以てすべし」と書送りしは蓋し余が余の愛するものゝ墓に於て心に聞きし声と均しきものならん、よ(15)し今日《こんにち》よりは以前に勝る愛心を以て世の憐むべきものを助けん、余の愛するものは肉身に於ても失せざりしなり、余は尚ほ彼を看護し彼に報得べきなり、斯国斯民は余の愛するものゝ為めに余に取ては一層愛すべきものとなれり。
 一婦人の為めに心思を奪はれ残余の生を無益の悲哀の中《うち》に送るは情は情なるべけれ共是真正の勇気にあらず、基督教は情性を過敏ならしむるが故に悲哀を感ぜしむる亦従て強し、然れ共真理は過敏の情性を錬《ね》り無限の苦痛の中《うち》より無限の勇気を生ずるものなり、アナ、ハセルトン婦の死は宣教師ジヤドソンをして益々猛勇忠実ならしめたり、メリー、モフハト婦の死は探  検家《たんさくか》リビングストンをして暗黒大陸に進入する事益々深からしめたり。詩人シルレルの所謂
   Der starke ist machtigsten allein,
           〔sic〕
  (勇者は独り立つ時最も強し)
の言《ことば》は蓋し此意に外ならじ、若し愛なる神の在まして勇者を一層勇ならしめんとならば其愛するものをモギ取るに勝れる法はなかるべし。
 余は余の愛するものゝ失せしに因て国も宇宙も――時には殆ど神をも――失ひたり、然れ共再び之を回復するや、国は一層愛を増し、宇宙は一層美と壮宏とを加へ、神には一層近きを覚へたり、余の愛するものゝ肉体は失せて彼の心は余の心と合せり、何ぞ思きや真正の配合は却て彼が失せし後にありしとは。
 然り余は万を得て一つを失はず、神も存せり、彼も存せり、国も存せり、自然も存せり、万有は余に取りては(16)彼の失せしが故に改造せられたり。
 余の得し所之に止まらず、余は天国と縁を結べり、余は天国てふ親戚を得たり、余も亦|何日《いつ》か此涙の里を去り、余の勤務《つとめ》を終へて後永き眠に就かむ時、余は無知の異郷に赴くにあらざれば、彼が曾て此世に存せし時彼に会して余の労苦を語り終日の疲労《つかれ》を忘れむと、業務も其苦と辛とを失ひ、喜悦《よろこび》を以て家に急ぎし如く、残余の此世の戦ひも相見《あひみ》む時を楽みに能く戦ひ終へし後心嬉しく逝かむのみ。
 
     第二章 国人に捨てられし時
 
 愛国は人性の至誠なり、我の父母妻子を愛する強ひられて之を為すにあらず、愛せざるを得ざればなり、普通の感能を供へしものにして誰か己に生を与へし国土を愛せざるものあらんや、鳥獣且つ其棲家を認む況んや人に於てをや、曾てユダヤの愛国者がバビロン河の辺りに坐し、故国のジオンを思ひいでて、涙を流して弾じて曰く、
   エルサレムよ、もし我汝をわすれなば、
   わが右の手にその巧をわすれしめたまへ、
   もし我汝をおもひいでず、
   もし我エルサレムをわがすべての歓喜《よろこび》の極となさずば、
   わが舌を?《あご》につかしめたまへ、  (詩篇第百三十七篇)
(17)と、是れ愛国なり、他にあるなし、此の真情は我が霊に附着するもの、否な、霊の一部分にして、外より学び得たるものにあらざるなり、
 「如何にして愛国心を養成すべきや」とは余輩が暫々耳にする問題なり、曰く国民的の文学を教ゆべしと、曰く国歌《こくか》を唱へしむべしと、然れども人若し普通の発達を為せば彼に心情の発達するが如く、彼の躰?《からだ》の成長するが如く、愛国心も自然に発達すべきものなり、義務として愛国を呼称するの国民は愛国心を失ひつゝある国民なり、孝を称する子は孝子にあらざるなり、愛国の空言|喧《かまびす》しくして愛国の実跡を絶つに至る、余は国を愛する人となりて、愛国を論ずるものとならざらんことを望むものなり。
 故に余は余の日本国《にほんこく》を愛すと云ふは是決して余の徳を賞讃するにあらずして一人並の人間として余の真情を表するなり、余は米国が日本に勝りて富を有し技芸の盛なるを知る、然れ共余は富と技芸との故を以て余が日本に与へし愛心を米国に与《あと》ふる能はざるなり、英国の政治、伊国の美術、独逸の学術、仏蘭西の法律は余をして日本人たるを嫌悪せしめし事は未だ曾てあらざるなり、コトパキシの高きは芙蓉の高きに勝ると雖も後者が余の胸中に喚起する感情の百分の一だも余は前者の為に発する能はざるなり、否な、コトパクシを見て却て芙蓉を思ひ、ミシシピを渡て石狩利根を想ふ、是真情なり、決して余一人の感覚にあらず、普通一人並の大和男子にして此感なきものは一人もあるべからざるなり。
 然れ共若し愛国も真情なれば真理と真理の神を愛するも亦真情なり、而して完全なる社会に於ては二者決して瞠着すべきものにあらず、国の為めに神を愛し神の為めに国を愛し、国民挙て神聖なる愛国者となるべきなり、(18)如斯社会に於て人若し国に捨てられしならば即ち神に捨てられしなり、其時こそ実に人民の声は神の声にして、(Vox populi est vox dei)、国に捨てられしとて天にも地にも訴べき人も神も存せざるなり。
 然れども世には真正の愛国者にして国人に捨てられしもの其人に乏しからず、耶蘇基督其一なり、ソクラトス其二なり、シビオ、アフリカナス其三なり、ダンテ、アリギエーリ其四なり、而して公平なる歴史家が判決を下すに当て、是等人士の場合に於ては罪を国民に帰して捨てられしものゝ無罪を宣告せり。
 余は現在の此余自身を以て不完全なるものと認むると同時に亦今日の社会を以て完全なるものと認むる能はざるなり、而して余の国人に捨てられし、罪或は余にあらん、余の不注意なりし其一なり、余の過劇なりしは其二ならん、余の心中名誉心の尚ほ未だ跡を絶たざるあり、慾心も時に威を逞ふするあり、余の此《かく》不幸に陥りしは或は是等の為めならむ乎…………………………………………………………………………………………………
 アヽ今之を謂て何をかせん、斯く記するさへも余が陰然と余自身を弁護しつゝありと余の愚を笑ふものもあらん、今は余の口を閉づべき時なり、而して感謝すべきは余は黙止し居るを得べければなり、勿論普通の情として忍ぶべきにあらざるなり、余は余の国人を後楯となし力めて友を外国人に求めざりき、余は日本狂《にほんぐるひ》と称せられて却て大に喜悦せり、然るに今や此頼みに頼みし国人に捨てられて、余は皈るに故山なく、需むるに朋友なきに至れり、如斯《かく》ありしと知りしならば友を外国に需め置きしものを、如斯《かく》ありしと知りしならば余の国を高めんが為めに強く外国を譏《そし》らざりしものを、余の位置は可憐の婦女子がその頼みに頼みし良人に貞操《みさを》を立てむが為め頻りに良人を頌揚《ほめあげ》たる後或る差少の誤解より此最愛の良人に離縁されし時の如く、天の下《した》には身を隠すに家なく、他(19)人に顔を会はし得ず、孤独淋しさ言はん方なきに至れり。
 此時に当て嗚呼神よ、爾は余の隠家となれり、余に枕する場所なきに至て余は爾の懐に入れり、地に足の立つべき処なきに至て我全心は天に逍遥するに至れり、周囲の暗黒は天体を窺ふに当て必要なるが如く、三階の天に登り、永遠の慈悲に接せんと欲せば、下界の交際より遮断さるゝに若かず、国人は余を捨て余は霊界に受けられたり。
 斯《この》土《ど》の善美は今日迄余の眼を  摘ませり、如何にして其富源を開かん乎、如何なる国民教育の方針を取らん乎、如何なる政略を以て海外に当らん乎、其世界に負ふ義務と天職とは如何《いかん》、ペリクリス時代の雅典《アテン》、メヂチのフロレンス、エリザベス女王《によわう》の英国、フレデリツク大王の普魯士《プロシヤ》は交々余の眼に浮び、我国をして之に為さんか彼に為さんかと、寐ても醒ても余の思想は斯国土より離れざりしなり、真にや古昔のギリシヤ人は現世を以て最上の楽園と信じ、彼等の思想は現世外《げんせいぐわい》に出しこと実《じつ》に希れなりしとは、余も余の国を以て満足し、此世に勝る世界とては詩人の夢想に読みしかど、又牧師の説教に聞きしかど、余が心中には実在せざりしなり。
 余の国人に捨てられしよりは然らず、余の実業論は何《なに》の用かある、誰か奸賊の富国策を聴かむや、余の教育上の主義並に経験は何《なに》かある、誰か子弟を不忠の臣に委ぬるものあらんや、余は斯土に在て斯土のものにあらず、斯土に関する余の意見は地中に埋没せられて、余は目もなき口もなき無用人間となりたり。
 地に属するものが余の眼より隠されし時始めて天のものが見へ始まりぬ、人生終局の目的とは如何、罪人《つみびと》は罪を洗去るの途あるや、如何にして純清に達しべきか、是等の問題は今は余の全心を奪ひ去れり、而して眼を挙て(20)天上を望めば、栄光の王は神の右に坐するありて、ソクラツト、保羅《パウロ》、コロンウエルの輩数知れぬ程|御位《みくらゐ》の周囲に坐するあり、荊棘《いばら》の冠《かんむり》を頂きながら十字に登りし耶蘇基督《いえすきりすと》、未来を論じつゝ矢鳩答毒《しきうたふどく》を飲みしソクラツト、異郷ラベナに放逐されしダンテ、其他|夥多《あまた》の英霊は今は余の親友となり、詩人リヒテルと共に天の使《つかひ》に導びかれつゝ、球《きう》より球まで、星より星まで、心霊界の広大を探り、此地に決して咲かざる花、此土に未だ見ざる玉、聞かざる音楽、味はざる香味、余は実に思はぬ国に入りたりけり。
 実に此経験は余に取《とり》ては世界文学の註解書となれり、エレミヤの慨歌は今は註解書に依らずして明白に了知するを得たり、放逐の作と見做してのみデイビナ、コメヂヤは解し得るなり、殊に基督彼自身の言行録《げんかうろく》は国人に捨てられざるものゝ如何で其広其|深《ふかさ》を探り得べけむや、然り余は余の国人に捨てられてより世界人(Weltmann)と成りたり、曾てホリヨーク山頂に於て宇宙学者ハムボルトが自筆にて名を記せるを見たり、曰く、
    Alexander von Humboldt,
   In Deutschland geboren,
   Ein Burger der Welt.
     〔Sic〕
   独逸国に生れたる世界の市民
    アレキサンデル、フホン、ハムボルト
 嗚呼余も今は世界の市民なり、生を斯土に得しにより、斯土の外に国なしと思ひし狭隘なる思想は、今は全く消失せて、小さきながらも世界の市民、宇宙の人と成るを得しは、余の国人に捨てられしめで度《たき》結果の一にぞあ(21)る。
 然らば宇宙人となりしに由り余は余の国を忘れしか、嗚呼神よ、若しわれ日本国を忘れなば、わが右の手にその巧みを忘れしめよ、若し子たるものがその母を忘れ得るなれば余は余の国を忘れ得るなり、無理に離縁状を渡されし婦は益々其|夫《ふ》を慕ふが如く、捨てられし後は国を慕ふは益々切なり、朝は送るに良人《りやうじん》なく、夕は向ふるに恋人なく、今は孤独の身となりて、斉ふべきの家もなく、閑暇勝にて余所事に心を使ひ得るにもせよ、朝な夕なに他の女子が其|良人《をつと》を労るを見て、我独り旧時の快を忘るべけんや、嗚呼神よ我が良人《をつと》をして恙なからしめよ、彼の行路をして安からしめよ、今我は彼に着き纏ひ心を尽す能はずとも、若し我が祈?だにして彼を保護するに力あらば、此賤婦の祈?を受けて彼の歩行を導きたまへ、尚又此身にして彼の為めに要せらるゝならば何時なりとも爾の御意《みこゝろ》に委せ彼の為めに使用し賜へ、此身は爾のものにして爾の為めに彼に与へしものなり、我に属せざる此命は彼の為めには何時なりとも捧ぐべしとは已に爾の前に誓ひし処なり。
 然れども神よ、若し御意ならば我をして再び我|夫《をつと》の家に帰らしめよ、勿論我は爾を捨てゝ我夫に帰る能はざるなり、是爾に対して罪なるのみならず我夫に対して不貞なればなり、爾のしろしめす如く我夫に天地の正気|鍾《あつま》るあり、その壮宏たる富嶽《ふがく》のごとく、其|香《かんば》しきこと万朶の桜の如く、其秀其芳万国与に儔《たぐひ》し難し、我如何にして斯夫を欺くべけんや、彼の正気は時に鬱屈すると雖も、明徳再び光を放つ時は、宇宙に存する渾《すべ》ての善なるもの渾ての美なるものは彼の認むる所となるなり、偽善諂媚《ぎぜんてんび》は彼の最も嫌悪する所なり、我は彼の威厳を立てむが為めに我の良心に従はざるを得ず、唯願ふ神よ、若し彼に誤解あれば爾の聖霊の力に依て之を氷解せよ、若し彼に迷(22)信の存するあれば爾の光を以て之を排除せよ、而して余再び彼に皈《き》し、彼再び我に和し、旧時の団欒を回復し、我も彼の一|臂《ぴ》となり、彼をして旭日《あさひ》の登るが如く、勇者の眠より醒めしが如く、此歴史上厄急の時に当て世界最大国民たるの一助たらしめよ、余は知る誤解の為めに離別せし夫妻が再び旧の縁に復するや其情愛の濃かなる前日の比にあらざる事を、余も亦此国に入れられ、此国も亦其誤解を認むるに至らば、其時こそ余の国を思ふの情は実に昔日に百倍する時ならん。
 嗚呼余は良人《りやうじん》を捨てざるべし、孤独彼を思ふの切なるより余の身も心も消へ行けど此操をば破るまじ、よし余は和解の来る迄此浮世にはながらへずとも、何時か良人が余の心の深底を悟らむ時もありぬべし、貞婦の心の一念よりして彼の改むる時もやあらむ、最終迄忍ぶものは幸なり、余も余の神の助にて何をか忍び得ざらんや。
 
     第三章 基督教会に捨てられし時
 
  (注意)茲に用ゆる基督教並に基督信者なる語は普通世に称する教会並に信者を謂ふものにして何れか真何れか偽は全能なる神のみ知り玉ふなり
 人は集合する動物なり(Gregarious animal)、単独は彼の性にあらず、白鷺《しろさぎ》の如く独り曠野《くわうげん》に巣を結び、痛切なる悲声、聞くものをして戦慄せしむる動物あり、翻魚《まんぼう》の如く大洋中箇々に棲息し唯寂寥を破らん為めにか空に向て飛揚を試むる奇性魚あり、又は狸の如く好で日光を避け、古木の下或は陰鬱たる岩石の間に小穴を穿ち、生れて、生んで、死する、動物あり、然れども人は水産上国家の大富源《たいふうげん》なる鰊、鱈、鯖魚の如く、南米の糞山《ふんざん》を(23)作る海鳥《かいちやう》の如く、ロツキー山を攀じ登る山羊の如く、集合動物にして、古人の言ひし如く単独を歓ぶ人は神にあらざれば野獣なり。
 余は斯未信教国に生れ余の父母兄弟国人が嫌悪したる耶蘇教に入れり、余の始めて此|教《をしへ》を聴し頃は全国の信徒二千に満たず、殊に教会は互に相離れ遠かりければ此新来の宗教を信ずるものは実に寥々|寂々《せき/\》たりき、然れども一たびその大道《たいだう》を耳《みゝ》にしてより、これを以て自己を救ひ国を救ふ唯《たゞ》一の道と信じたれば、社会に嫌悪せらるゝにも関せず、余の親戚の反対するをも意とせず、幾多の旧時の習慣と情実を破りて新宗教に入りし事なれば、寂漠の情は以前に倍せしと共に仝宗教に於ける親愛の情は実に骨肉も啻ならざりき、当時余は思へらく基督教会なるものは地上の天国にして其内に猜疑憎悪《せいぎぞうあく》の少しも存する事なく、未信者社会に於ては万事に懸念し、心に存せざる事を云ひ、存する事を云はざるも、此新社会に於ては全教会員皆心霊に於ける兄弟姉妹なれば骨肉にも語り得ぬ事も自由に語るを得、若し余に失策あるとも誰も余の本心を疑ふものはなきもと確信し、其安心喜楽は実に筆にも紙にも書き尽されぬ程にありき。
 嗚呼なつかしきかな余の生れ生し北地僻郷の教会よ、朝に夕に信徒相会し、木曜日の夜半の祈?会、土曜日の山上の集会、日曜終日の談話、祈?、聖書研究、偶々会員病むものあれば信徒交々不眠の看護をなし、旅立を送る時、送らるゝ時、祈?と讃美と聖書とは我等の口と心とを離れし暇は殆どなかりき、偶々外より基督信徒の来るあれば我等は旧友に会せしが如く、敵地に在て味方に会せしが如く、打悦びて之を迎へたり、基督信徒にして悪人ありとは我等の思はんとするも思ふ事能はざりき。
(24) 然れども此小児的の感念は遠からずして破砕せられたり、余は基督教会は善人のみの巣窟にあらざるを悟らざるを得ざるに至れり、余は教会内に於ても気を許すべからざるを知るに至れり、加之余の最も秘蔵の意見も、高潔の思想も、勇壮の行績も、余をして基督教会に嫌悪せしむるに至れり。
 余は基督教の必要なる基本として左の大個条を信ぜり
  主たる爾の神を拝し惟之にのみ事ふべし
         (出埃及二十○三、四、五、申命記十○二十、馬太伝四○十)
 而して神と真理とを知る惟一の途としては使徒保羅の語にしてルーテルが彼の信仰の城壁と頼み「プロテスタント」教の基石となりし左の題字を以てせり。
  兄弟よ我なんぢらに示す我が曾て爾等に伝へし所の福音は人より出づるにあらず、蓋しわれ之を人より受けず亦教へられず、惟イエス、キリストの黙示《もくし》に由て受たれば也   (加拉太書第一章十一、十二、)
 此等の確信が余の心中に定まりたればこそ余は意を決して余の祖先伝来の習慣と宗教とを脱し新宗教に入りしなり、余は心霊の自由を得んが為に基督教に皈依せり、僧侶神官を捨てしは他種の僧侶輩に束縛せられんが為めにあらざりしなり。
 宇宙の神を以て余の父の父と尊み、彼自身よりの黙示を以て真理の標準と信じ、己の一身を処するに於ても、余の国に尽さんとするに於ても、基督教会に対する余の位置に於ても、余は悉く此標準に依て行はん事を勤めたり、然るに余の智能の発達するに従ひ、余の経験の積むと共に、余の信仰の進むと仝時《どうじ》に、余の思想並に行蹟に(25)於て屡々彼の基督教|先達者《せんたつしや》、此の神学博士と意見全く相合《あひがつ》するを得ざるに至れり、或《あるひ》は余の一身を処するに於て忠実なる一信徒より忠告を蒙るあり、曰く、「君の行蹟は聖典の明白なる教訓に反せり君宜しく改むべし」と、親愛なる友人の忠告として余は再び三度己を省みたり、然れども沈思黙考に加ふるに祈  癖と聖典研究の結果を以て而《しかして》後《のち》友人の忠告必しも真理なりと信ぜざる時は不得止自己の意志に従ふたり、友人は余を信ずるを以て敢て余の彼が言《ことば》に従はざるを忿《いか》らずと雖も、余を愛せざる兄弟姉妹(?)の眼よりは余は聖典の教訓に逆らひしもの、基督より後戻りせしもの、特種の天恵を放棄せしものと見做さるゝに至れり。
 余の神学上の思想に就ても、余の伝道上の方針に就ても、余の教育上の主義に就ても、余は余の真理と信ずる所を堅守するが為めに或は有名博識なる神学者に遠けられ、或は基督教会一般より非常の人望を有する高徳者より無神論者《むしんろんしや》として擯斥せられ、終には教会全体より危険なる異端論者《いたんろんしや》、聖書を蔑にする不敬人、ユニテリアン(悪しき意味にて)、ヒクサイト、狂人、名誉の跡を逐ふ野望家、教会の狼、等の名称を付せられ、余の信仰行蹟を責むるに止まらずして余の意見も本心も悉く過酷の批評を蒙むるに至れり。
 嗚呼余は大悪人にあらずや、余は人も我も博識と見認めたる神学者に異端論者と定められたり、余は実に異端論者にあらざるか、余に先ずる十数年以前より基督教を信じ而も欧米大家の信用を有し全教会の頭梁として仰がるゝ某高徳家は余を無神論者なりと云へり、余は実に無神論者にあらざるか、名を宗教社会に轟かし、印度に支那に日本に福音を伝ふる事十数年、而も博士の號二三を有する老練なる某宣教師は余はユニテリアンなりと云へり、余は実に救主《きうしゆ》の贖罪を信ぜず自己の善行にのみ頼むユニテリアンならざるか、伝道医師として有力なる某教(26)師は余を狂人なりとの診断を下せり、余は実に知覚を失ひしものなるや、教会全体は危険物として余を遠けたり、
余は実に惡鬼《あくき》の使者として綿羊の皮を蒙りながら神の教会を荒す為めに世に産出《うみいだ》されし有害物なるか、余を悪人視するものは万人《まんにん》にして弁護するものは己一|人《にん》なり、万人の証拠と一人の確信と何れが重きや、然らば余は基督信者にはあらざりしなり、余は自己を欺きつゝありしものにして余の真性は惡鬼なりしなり、何ぞ今日《こんにち》よりは基督信徒たるの名を全く脱し普通世人の世涯《せいがい》に帰らざる、否な、斯に留らずして余の今日迄基督教の為めに尽せし心実と熱心とを以て余を敵視する基督教会を攻撃せざる、何ぞ余の敵《あだ》の神に祈るを得むや、何ぞ余の敵の聖書を尊敬し研究するを得むや、余はユニテリアンなり、無神論者なり、偽善者なり、神の教会に属すべからざるものなり、狼なり、狂人なり、よし今より後はユーム、ボーリンブローク、ギボン、インガーソルの輩《はい》を学び一刀を基督教の上に試みばや。
 此時に当て余の信仰は実に風前の燈火《とうくわ》の如くなりし、余は信仰堕落の最終点に達せんとせり、憤怨は余をして信仰上の自殺を行はしめんとせり、余の仝情は今は無神論者の上にありき、ジヨン、スチワート、ミルの死を聞て神に感謝せし某監督の無情を怒れり、トマス、ペーンの臨終の状態を摘要して意気揚々たる神学者の粗暴を歎ぜり、嗚呼幾干の無神論者は基督教信徒自身の製造に罹るや、余は曾て聞けり、無病の人をして清潔なる寐床の上に置き而して彼は危険なる病に罹れる患者なれば今は病床の上にありと側より絶へず彼に告ぐれば無病健全なる人も直に真正の病人となると、人を神より遠《とほざ》からしめ神の教会を攻撃せしむるものは必しも悪鬼と其子供にあらざるなり。
(27) 然れ共神よ、我が救主よ、爾は此危険より余を救ひ玉ひたり、人聖書を以て余を責むる時之が防禦に足るの武器は聖書なり、教会と神学者は余を捨つるも余の未だ聖書を捨つる能はざるは余は未だ爾に捨てられざるの一徴候なり、余は爾の下僕《しもべ》ルーテルが我の福音なりとて縋りし加拉太書に行かむ、而して彼の平易なる独逸語を以て著述せし其註解書を読まん、「今よりのち誰も我を擾《わづらは》す勿れ、蓋《そ》はわれ身にイエスの印記《しるし》を佩たれば也」(六章拾七節)、嗚呼《なに》たる快ぞ、余も不足ながらもイエスの名を世人の前に表白《ひやうはく》せしにあらずや、余も余の罪より遁ん為めに「イエス」の十字架にすがるにあらずや、余の信者なると不信者なるとは他人の批評|如何《いか》に由るにあらずして、余にイエスの印記《しるし》あるとなきとに由る也、「義人は信仰に依て生くべし」(三章十一節)と、然り余は今は自己の善行に憑らずして十字架上に現はれたる神の小芋の贖罪に頼《たの》めり、是の信仰こそ余が神の子供たるの証拠なり、キリストを十字に附けしものは悉皆悪人無神論者なりしか、彼の弟子を迫害しながら神に尽くしつゝありしと信ぜしものもありしにあらずや、約百《ジヨブ》の友は彼の不幸艱難を以て彼の悪人たるの証となせり、然れども神は彼の三人の友に勝りて約百を愛し賜ひしにあらずや、衆人の誹毀に対し自己の尊厳と独立とを維持せしむるに於て無比の力を有するものは聖書なり、聖書は孤独者の楯、弱者の城壁、誤解人物の休所なり、之れに依てのみ余は法王にも大監督にも神学博士にも牧師にも宣教師にも抗する事を得るなり、余は聖書を捨てざるべし、他の人は彼等に抗せん為めに聖書を捨て聖書を攻撃せり、余は余の弱きを知れば聖書なる鉄壁の後《うしろ》に隠れ、余を無神者と呼ぶもの、余を狼と称するものと戦はんのみ、何ぞ此堅城を彼等に讓り野外防禦なきの地に立《たち》彼等の無情浅薄狭量固執の矢に此身を露すぺけんや、
(28)   With one voice,O world,though thou deniest,
   Stand thou on that side――for on this I am !
 時に悪霊余に告て曰く、汝未だ若年、経験積まず、学《がく》修まらず、自己の言行《げんかう》を以て最良なるものと見做すは平凡人のなす処にして、何ぞ汝の身を先達《せんたつ》老練家の指揮に任ぜざる、
汝が他人の言《げん》を容れざるは是れ汝が高慢不遜なるの証なり、汝は自己を以て最も才智ある最も学識ある最も経験あるものと致すや。
 余は余の無学無智なるを知る、又大監督神学博士の声名決して輕ずべからざるを知る、然れども余の無学なるが故に余は余の身も信仰も働も是等|高名《かうめい》の人の手に任《まか》すとならば余は未だ自己を支配する能はざるものなり、余にして是と彼とを分別するの力なきならば余は誰に由て身を処せんや、見よ彼等余の不遜を責むるものも相互《あひたがひ》に説を異にするにあらずや、監督教会は自己の教会を称して(The Church)と云ひ、一方には羅馬教会の擅行《だんかう》を批難しながら他方には他の新教徒に附するに(Dissenters)分離者とか(Nonconfomists)不合者とかの聞き悪き名称を以てするに非ずや、余は組合派の教師が余が最も信任するメソヂスト派の教師を罵詈するを耳にせり、ユニテリアンはオルソドツクスの迷信を笑ひ、後者は前者の不遜異端を責むるにあらずや、其他長老派の固執なる、浸礼派の独尊なる、或は「クリスチセン」派とか、新エルサレム派とか、プラダレン派とか、各々其特種の教義を揚言し、自派を賞讃して他派を蔑視するにあらずや、博識才能あるもの何ぞ一派の特有物ならんや、余にして自己の信仰を定むる能はざれば余は果して何れの派に己を投ずべきか、カルヂナル、マニングが天主教会の高僧なりしが故に余は法王の命に従ふべきか、監督ヒーバー、ヂーン、スタンレーが英国監督派なりしが故に余は監督(29)教会に属すべきか、ジヤドソンが浸礼教会の人なりしが故に余は「バプチスト」たるべきか、「リビングストン」が長老教会の人なりしが故に余も亦彼と教派を仝ふすべきか、若し人物を以て余の教会上の位置を定むべしとなれば余はユニテリアンたるべきなり、何となれば余の最も尊敬するチヤニング、ガリソン、ローエルの如きはユニテリヤン教に属したればなり、余はクエークルたるべきなり、何となればジヨージ、フホクス、ウヰリヤム、ペン、スチーベン、クレヽツト、ウヰスター、モリスの輩《はい》は友会派の人たりしなればなり、余は普通基督教徒が目して論ずるに足らざるものと見做す小教派の中にも靄然たる君子、貞淑の貴婦人を目撃したり、悪魔よ汝の説教を休めよ、若し余にして善悪を区別し、之を撰び彼を捨つるの力を有せざれば、余は他人の奴隷となるべきものなり、心霊の貴重なるはその自立の性にあり、我|最《い》と少きものと雖も苟も全能者と直接の交通を為し得べきものなり、神は法王監督牧師神学者|輩《はい》の手を経ずして直接に余を教へ賜ふなり。
  嗚呼真理なる神よ、願くは余をして永久の愛に於て爾と一ならしめよ、余は時々多くの事物に関して読み且つ聞くに倦めり、余の欲する処望む処は悉く爾に於て存するなり、総ての博士|等《たち》をして黙せしめよ、万物は爾の前に静かならしめよ、而して爾のみ余に語れよ。     トマス、アー、ケムピス
 他人の忠告決して軽ずべきものにあらず、人は自身の面《かほ》を見る能はざるが如く社会に於ける己の位置をも能く見る事能はざるべし、一切万事|我《わが》意《こゝろ》を押通さんとするは傲慢頑愚の徴にして我等の宜しく注意すべき事なり。
 然《さ》ればとて自己の意見を以て悉く信憑すべからざるものと断念するも亦弱志病意の徴候なり、茲に博士モヅレーの言《げん》を聞け
(30)   “It is not partiality to self alone upon which the idea is founded that you see your own cause best. There is an element of reason in this idea;your judgement even appeals to you,that you must grasp most completely yourself what is so near to you,What so intimately relates to you;What by your situation,you have had a power of searching into”.−Mozley's Sermon on “War”.
  人は殊更に能くその申分を判別し得べしとの観念は必しも自己に対する偏頗心にのみ依るにあらずして公平なる理由の其|中《うち》に存するあり、吾人の理達に訴ふるも吾人は吾人に接近する、吾人に緻密なる関係を有する、吾人の位置よりして自由に探究し得る事物に就ては、吾人自ら最も充分に是れを会得し得べきは明らかなり。
                  「戦争」と題する説教中博士モヅレーの語
 余は日本人なり、故に日本国と日本人民に関しては余は英国の碩学よりも、米国の博士よりも完全なる思想を有すべきものにして、此国と此民とを教化せんとするに於ては余は彼等に勝りて確実なる観念を有する事は当然たるべきなり、余はアイヌ人の国に到れば余のアイヌ人に勝る学識を有するの故を以てアイヌ人に関するアイヌ人の思想を軽ぜざるなり、余は小径を山中に求むる時は余の地理天文に達し居るが故に樵夫《せうふ》の指揮を見貶《みくだ》さゞるなり、余の国と国人とに関して余が外国人の説を悉く容れざるは必しも余の傲慢なるが故にあらざるなり、日本は余の生国《せうこく》にして余の全身は此国土に繋がるゝものなれば余の此国に対する感情の他国人に勝るは当然なり、利害の大関係ある余の自国に関しては自身を賞揚するの甚しきものと云ふべからざるなり、又余の一身の所分に就ても余は余自身の事に関しては(31)最大最良なる専門学者なり、神の霊ならでは神のことを知るものなし、余の霊のみ余のことを知るなり、余の神に対する信仰また然り、余に最も近く且余の最も知り易きものは神なり。
   God is the only immediate and outward object of the soul,−external objects of sense are but mediately and directly known.−Leibnitz
 余は余の神を知るに於てはプロテスタント教徒全体が羅馬《ろま》法王の取次を要せざるが如く監督又は「デヤコ」又は牧師又は執事又は勧士の取次をも要せざるなり。
 反対論者曰く、若し君の説の如くならば教会の用|何処《いづこ》にか存する、人は一箇人として立つ能はざればこそ教会の必要あるにあらずやと。
 浅薄《あさはか》なる議論なり、視ずや同様なる議論を以て天主教会は千五百年来他の基督教徒を責めつゝあるなり、同様なる議論を以てアリビゼンス教徒は殺戮せられ、セルビタスは焼殺せられたり、教会なるものは神の子供の集合体にして無私公平和愛慈悲の凝結なり、真正の信徒ありて教会あるなり、教会ありて信徒あるにあらず、信徒は自然に教会を造るものなり、恰も仝じ幹より養汁を吸収しつゝある枝葉は一植物たるが如し、人は真理を知るの力を有し、直に神の「インスピレーシヨン」に接するを得るものなりとは余が基督教基本の原理と信ずる処なり、真理は真理の証なり、教会必しも真理の証にあらざるなり、教会は真理を学ぶに於て善良なる扶助なるぺけれ共、真理は教会外に於ても学び得べきものなり。
   “The destruction of the theory of the infallibility of the Bible has been one of the means by which(32) we have been prevented from resting in the external and mechanical,and driven to what terrifies us at first as the intangibility and vagueness of the Spirit.”−Rev.J.Llewellyn Davies,in the Fortnightly Review,reprinted in the Library Magazine of March,1888.
  聖書無誤謬説の破壊は我等をして外形的並に器械的の基礎を捨てしめ、手にて触るゝ能はざるもの、定義を付する能はざるものとして我等の始め恐怖せし霊の土台に頼《よ》らざるを得ざらしむるものなり。
          リエーウエリン、デビス教師の語
 教会無誤謬説も聖書無誤謬説と同時に中古時代の陳腐に付せる遺物として二十世期の人心より棄却すべきものなり。
 是理論なり、然れ共世は未だ理論の世にはあらざるなり、憎愛は理論的にあらず、人は服従を愛して抵抗を悪むものなり、仮令《たとひ》余は理論上確実なるにもせよ余の先輩と説を仝ふせず其指揮に従はざれば余は其保護の下《した》に置かれざるは決して怪むべきにあらざるなり、余は教会に捨てられたり、余は余の現世の楽園と頼みし教会より勘当せられたり。
 嗚呼神よ、此試錬にして余の未だ充分に爾を知らざる時に来りしならば余は全く爾の手より離れしならん、然れども爾は余に堪ゆ能はざるの試錬を降さず、教会は余が自立し得る時に当て余を捨てたり、教会我を捨し時に爾は我を取り挙げたり、余の愛するもの去て余は益々爾に近く、国人に捨てられて余は爾の懐にあり、教会に捨てられて余は爾の心を知れり。
(33) 教会が余を捨てざりし前は余は教会外の人を見る実に不公平なりき、余は思へらく基督教外に善人あるなしと、余は未信徒を以て神の子供と称すべからざるものと思へり、然るに教会が余を冷遇し、其教師信徒が余の本心さへも疑ふ時、教会外の人にして反て余の真意を諒察するものあるを見て、余は天父《てんぷ》の慈悲は尚ほ多量に未信徒社会に存するを了れり、又教会外に立て局外よりこれを見る時は今日迄は神意の教導に由て歩む仁人君子の集合躰と思ひしものも亦其内に猜疑《せいき》、偽善、妄奸の存するなきにあらざるを知れり、尖塔天を指して高く、風琴楽を和して幽なる処のみ神の教会ならざるを知れり、孝子家計の貧を補はんが為めに寒夜に物を鬻ぐ処是神の教会ならずや、貞婦|良人《をつと》の病を苦慮し東天未だ白まざる前に社壇に願《ぐわん》を込むる処是神の教会ならずや、余世の誤解する所となり攻撃四方に起る時友人あり独り立《たつ》て余を弁ずる時是神の教会ならずや、嗚呼神の教会を以て白壁又は赤瓦《せきぐわ》の内に存するものと思ひし余の拙なさよ、神の教会は宇宙の広きが如く広く、善人の多きが如く多し、余は教会に捨てられたり而して余は宇宙の教会に入会せり。
 余は教会に捨てられて始めて寛容寛宥の美徳を了知するを得たり、余が小心翼々神と国とに事へんとする時に当て、余の神学上の説の異なるより教会は余の本心と意志とに疑念を懐き終に或は余を悪人と見るに至れり。
 嗚呼余は余が佗人をさばきし如くさばかれたり(馬太七章一、二)、余も教会にありし間は余の教会外の人を議するに当てかくありしなり、基督教を信ぜざるが故に未信者は皆信用すべからざるものなり、法王に頼むが故に天主教徒は汚穢《をくわい》なる豕児《ぶたご》(Foul swine,ルーテルの語)なり、魯国宣教師に教化されし希臘教徒は国賊なり、監督教会は英国が世界を掠奪せんが為の機関にして其信徒は黄白の為めに使役せらるゝ探偵なり、長老教会は野望人(34)士の集合所なり、メソヂスト教会は不用人物の巣窟なり、クエークル派は偽善なり、ユニテリアン派は偶像教に勝る異端なりと、若し某氏の宗教事業の盛なるを聞けば曰く、彼世人に諂ふが故に彼の教会に聴衆多しと、某氏の学校の隆盛を聞けば曰く彼高貴に媚《こぶ》るが故に成功したりと、余は思へらく真正の善人にして余と説を仝ふせざるの理由なしと、天主教徒たり、ユニテリアンたり、メソヂストたり、プレスビテリヤンたり、皆各々肉慾の充たすべきものあればこそ然るなれと、然れども教会に捨てられてより余の眼《め》は開き、余の推察の情は頓に増加せり、学説を異にしても本心は善人たるを得べしとの大真理は余は此時に於て始て学び得たり、真理は余一人の有にあらずして宇宙に存在する凡ての善人の有たる事を知れり、心の奥底より天主教徒たる人を余は想像し得るに至れり、充分なる良心の許可を得てユニテリヤンたる事を余は疑はざるに至れり、余は始めて世界に宗教の多き理由と同宗教内に宗派の多く存在する理由とを解せり、真理は富士山の壮大なるが如く大なり、一方より其全体を見る能はざるなり、駿河より見る人は云ふ富士山の形はかくなりと、甲斐より見る人は云ふかくなりと、相模より見る人は云ふかくなりと、駿河の人は甲斐の人に向て汝の富士は偽りの富士なりと云ふべけんや、若し自ら甲斐に行《ゆい》て之を望めば甲州人の言無理ならざるを知るべし、人間の力なきことと真理の無限無窮なる事とを知る人は思想の為めに他人を迫害せざるなり、全能の神のみ真理の全体を会得し得るものなり、他人を議する人は自己を神と仝視するものにして傲慢てふ悪霊の擒となりしものなり、己れ人に施されんとする事を亦人にも其如く施よ、余は無神論者にあらざれど余は無神論者視せられたり、余はユニテリヤンならざるにユニテリヤンとして遠ざけられたり、余を迫害せしものは余の境遇と教育と遺伝とを知らざるが故に余の思想を解する能はずし(35)て、余が彼等と仝説を維持せざるが故に余を異端となし悪人となせり、余は今より後余と説を異にする人を見るに然せざるべし、欧米人が日本人の思想を悉く解し能はざるが如く日本人も欧米人の思想を全く解すること難かるべし、然り寛容は基督教の美徳なり、寛容ならざるものは基督教徒にあらざるなり。
 教会に捨てられしものは余一人にあらざるなり、
  会堂にありしもの是を聞て大に憤り、起てイエスを邑《まち》の外に出し投下さんとて、其邑の建ちたる崖にまで曳き往けり。       (路加伝第四章廿八、廿九)
 基督に依て眼を開かれしものも教会より放逐せられたり、
  彼等答へて曰けるは、爾は尽く罪?《つみ》に生し者なるに反つて我儕を教ふるか、遂に彼を逐出《おひいだ》せり、彼等が逐ひ出しゝ事を聞き、イエス尋ねて之に遇ひいひけるは、爾神の子を信ずる乎、答へて曰ひけるは主よ彼として我が信ずべき者は誰なるや、イエス曰けるは、爾すでに彼をみる今なんぢと言《ものいふ》者はそれなり、主よ我信ずといひて彼を拝せり          (約翰伝九章、卅四−卅八)
 ルーテルも放逐せられたり、ロージヤ、ウヰルリヤムスも放逐せられたり、リビングストンが直接伝道を止めて地理学探?に従事せしが故に英国伝道会社の宣教師たるを辞せざるを得ざるに至りし如く、又|彼《か》の支那に於ける米国宣教師クロセツト氏が普通宣教師と異なる方法を採り北京の窮民救助に従事せしに依て終に本国よりの補給を絶たれ支那海に於て貧困の中に下等船|客室《かくしつ》内に死せしが如く、或は師父ダミエンが生命を抛つてモロカイ島(36)の癩病患者を救助し死して後彼の声名天下に轟きしや或る米国の宣教師にして神学博士なる某が一書を著《あらは》して此殉教者生前の名誉を破毀せんとせしが如く、教会に捨てられ信者に讒謗され悪人視せらるゝは決して余のみにあらざるなり
  世ににくまるゝは われのみならず、
  イエスはわれよりも いたくせめらる、
 然れども嗚呼神よ、余は直《ちよく》は全く余に存して曲は悉く余を捨てし教会にありとは断じて信ぜざるなり、余に欠点の多きは爾のしろしめす如くにして余の言行《げうかう》の不完全なるは余の充分爾の前に白状する所なり、故に余は余を捨てし教会を恨まざるなり、其内に仁人君子の存するありてその爾の為めに尽せし功績は決して少々ならざることは余の充分に識認する所なり、其内に偽善圧制卑陋の多少横行するにもせよ、之れ爾の御名を奉ずる教会なれば我何ぞ之を敵視するを得んや、余の心余の祈?は常に其上にあるなり、余は世に「リベラル」(寛大)なりと称する人が自己の如く「リベラル」ならざる人を目して迷信と呼び狭隘と称して批難するを見たり、願くは神よ余に真正の「リベラル」なる心を与へて余を放逐せし教会をも寛宥するを得せしめよ。
 余は無教会となりたり、人の手にて造られし教会今は余は有するなし、余を慰むる讃美の声なし、余の為めに祝福を祈る牧師なし、然らば余は神を拝し神に近く為めの礼拝堂《れいはいだう》を有せざる乎。
 彼の西山に登り、広原沃野を眼下に望み、俗界の上に立つ事千仞、独り無限と交通する時、軟風背後の松樹に讃歌を弾じ、頭上の鷲鷹《しうよう》比翼を伸して天上の祝福を垂るゝあり、夕陽已に没せんとし、東山の紫、西雲の紅、共(37)に流水鏡面に映ずる時、独り堤上を歩みながら失せにし聖者と霊交を結ぶに際し、ベサイダの岩頭、「サン、マルコ」の高壇、余に無声の説教を聴かしむるあり、激浪岸を打て高く、砂礫白泡《しやれきはくほう》と共に往来する所、ベスホレンの凱歌、ダムバーの砲声、共に余の勇気を鼓舞するあり、然り余は無教会にはあらざるなり。
 然れども余も社交的の人間として時には人為の礼拝堂に集ひ衆と共に神を讃め共に祈るの快を欲せざるにあらず、教会の危険物たる余は起《たつ》て余の感情を述べ他を勧むるの特権《とくけん》なければ、余は竊かに坐せ会堂の一隅燈光暗き処に占め、心に衆と共に歌ひ、心に衆と共に祈らん、異端の巨魁たる余は公然高壇の上に立ち粛然福音を演べ伝ふるの許可を有せぜれば、余は鰥寡孤独憂に沈むもの、或は貧困縷衣にして人目を憚るもの、或は罪に恥て暗処に神の免《ゆるし》を求むるものゝ許を問ひ、ナザレの耶蘇《いえす》の貧と孤独と恵とを語らん、嗚呼神よ余は教会を去《さつ》ても爾を去る能はざるなり、教会に捨てらるゝ不幸は不幸なるべけれ共爾に捨てられざれば足れり、願【は教会に捨てられしの故を以て余をして雨を離れざらしめよ。
 
     第四章 事業に失敗せし時
 
 基督教は人を真面目になすものなり、青年之に由《より》て已に老成人の思想あり、少女之に由て已に老媼の注意あり、そは基督数は物の実を求めしめてその影を輕ぜしむるものなればなり、小説の玩読芝居の見物は変じて歴史の攻究社会の観察となり、野望的の高名心は変じて沈着なる事業の計画となり、自己尊大の念は公益増進の希望と変じ、「如何にして斯国と斯神とに事へん乎」との問題に付て日も夜も沈思するに至る。
(38)   “WhenI was yet a child,no childish play
   To me was pleasing;all my mind was set
   Serious to learn and know,and thence to do
   What might be public good;myself I thought
   Born to that end,”−Milton,Paradise Regained.
 宗教にして事業心を喚起せしむるものは基督教なり、事業と宗教とは自ら其性質を異にするものなりとの観念は普通人間の抱懐する所なり、事業とは活  覇なる運動を意味するものにして、宗教とは清粛隠遁を云ふものたるが如し、余輩未だ仏教の熱心家にして教理の為めに大事業を企てし人あるを聞かず、釈氏の理想上の人物は決して事業家にはあらざりしなり、然れども基督教の特徴として世の事業を重ずるのみならず之を信ずるものをして能く大事業家たるの聖望を起さしむ、カーライルの所謂 Peasant-saint(農聖人)、即ち手に鋤を取りながら心に宇宙の大真理を貯ふる人、是基智の理想的人物にして、基督彼自身も亦僻村ナザレの一小工なりし。
 余も基督信徒となりしより芝居も寄席も競馬も弄花も悉く旧来の玩味を去り、独り事業てふ念は頻に胸中に勃興して殆んど禁ずる能はざるに至れり、或は蘇のリビングストンを学び、「利慾の為めに商人の通過し得る処何ぞ基智の愛に励まさるゝ宣教師の通過し得ざるの理あらんや」と云ひつゝ亜弗利加大陸を横断せしに傚ひ、我も又新宗教の感動の下《した》に南洋又は北海無人の邦土を探求せんか、或は独のシユワーツ(Christian Friedrich Schwartz)を学び、未開国の教導師となり、仁愛の基礎の上に其国是を定めん乎、或は英のウヰリヤム、ペンを(39)学び、荒撫を開き蛮民と和し、純然たる君子国を深森広野の中に建立せん乎、或は米のピーボデーを学び、貧より起《おこつ》て百万の富を積み、孤を養ひ寡を慰め、大慈善の功績を挙げん乎、休言《いふをやめ》よ、基督教に世の快楽なしと、此希望此計画――嗚呼実に余は余の生涯の短きを歎ぜり、事業、事業、国の為めの事業、神の為めの事業、――嗚呼世に快と称するものゝ中何物か此快楽に勝るものあらんや。
 余は曾て思へらく、自己の為めに富貴たらん事を祈るは罪なり、神必ず如斯祈?は受け賜はざるべしと、名誉を得んが為めの祈?も又然り、然れども他を益せんが為めに祈る事は神の最も悦び賜ふ所にして、かゝる祈?は必ず聴かれ、余の事業は必ず成功に至らんと、依て万事を打捨てゝ余の神聖なる希望を充たさん事を勉めたり、勿論基督信徒として余は世に媚び高貴に諂《おもね》り以て余の目的を達すべきにあらず、余の頼むべきは神なり、正義なり、「或は車を頼み或は馬を頼みとする者あり、されど我等はわが神エホバの名をとなへん(詩篇二十○七)。
 此時こそ実に余に取りては最も多望なる最も愉快なる時なりき、余の前途防害なるものなく、余の心中に失敗なる字の存するなし、余は宇宙の神を信じ万人《ばんじん》の為めに大事業を遂げんと欲す、成功必然なり、神|在《いま】す間は余の事業の成功せざる理由あるなし、見よ世の事業家の失敗するは自利の為めに計り栄光の神を信ぜざればなり、余は然らず、余の事業は公益の為め神の為めなり、若し余にして失敗するならば神は存せざるなり、正理は誤謬なり。ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ(40)ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
 然るに余の愛する読者よ余は失敗せり、数年間の企図と祈  癖とは画餅に属せり、而して余の失敗より来りし害は余一人の身に止まらずして余の庇保の下《もと》にある忠実なる妻勤勉なる母の上にも来れり、余は世間の嘲弄を蒙れり、友人は余の不注意を責め、余の敵は余の不幸を快とせり、悪霊《あくれい》此機に乗じ余に耳語《じご》して曰く「汝無智のものよ、方便は事業成功の秘訣なるを知らざる乎、精神のみを以て事業を為し遂げ得べしと一づに思ひし稚な心の憐あれさよ、某大事業家を見よ、彼は学校を起すに当て広く世の賛成を仰ぎ、少々は良心に耻づる所あるとも数万《すまん》の後進を益する事と思へば意を曲げ膝を屈し以て莫大の資金を募り得しにあらずや、「摂理は常に強大なる軍隊と共にあり」とのナポレオン第一世の語は実に事業家の標語たるべきものなり、見よ某牧師は常に正義公道の利益を説くと雖も、彼自ら会堂を新築し教理を伝播せんとするや必ず世の方法を取るにあらずや、正義公道とは天使の国に於ては実際に行はるぺけれ共此人間世界に於ては多少の法略と混合するにあらざれば決して行はるべきものにあらず、
汝今日より少しく大人気なれ、真理だとか愛国だとか云ふ事は好加減《よいかげん》にせよ、然らざれば汝自身失敗に失敗を重ぬるのみならず、罪なき汝の妻子父母も汝と共に悲哀の中に一生を送らざるを得ず、且又汝の益せんとすうる公衆も汝の方法を改むるにあらざれば汝より益を得る事なし、汝何ぞ国の為め汝の愛する妻子の為めに忍ばざる、神は汝より無理の請求を為さず、法略は今世《こんせい》の必要物なり、法略と虚言とは自《みzづか》ら異る処あり、汝解せしや否や」と。
 嗚呼誰か此巧みなる論鋒に敵するものあらんや、事実は確実なる結論者なり、余は経験に依て正義公道の無功(41)力なるを知れり、悪霊の説論之れ天よりの声ならずや、我等は経験に依てのみ事物の真想を知るを得るなり、而して経験は余の希望に反せり、過而勿憚改《あやまつてあらたむるにはゞかるなかれ》、何ぞ公平なる学者として、勇気ある男子として、今日迄の迷信を脱し、国の為め神の為め少しく法略を利用して前日の失敗を贖はざる。
 時に声あり内より聞ゆ、其調子の深遠なる永遠より響き来るが如し、其威力ある宇宙の主宰の声なるが如し、余の全身を震動せしめて曰く、「正義は正義なり」と、而して後粛然たり。
  嗚呼如何すべきや、誰か此声に抗するものあらんや、然らば倒るゝとも正義を守れとの謂かヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ嗚呼余は悟れり余の神よ、正義は事業より大なるものなり、否な正義は大事業にして正義を守るに勝る大事業のあるなし、人世の目的は事業にあらざるなり、事業は正義に達するの途にして正義は事業の侍女《こしもと》(Hand maid)にあらざるなり、教会も学校も政事も殖産も正義を学び之に達する為めの道具なり、現世に於ける事業の目的は事業其物のの為めにあらずして是に従事するものゝ之に由て得る経験鍛錬堪忍愛心にあるなり、基督教は事業よりも精神を尊ぶものなり、そは精神は死後永遠迄存するものにして事業は現世と共に消滅するものなればなり、支那宣教師某四十年間伝道に従事し一人の信徒を得ず、然れども喜悦以て今世を逝れり、彼は得し処なかりしや、否な、師父ザビエーは東洋に於て百万人以上に洗礼を施したりと雖も恐くは現世より得し真結果に於ては此無名の一宣教師に及ばざりしならん、嗚呼事業よ事業よ幾千の偽善と卑劣手段と嫉妬と争とは汝の名に依て惹起《ひきおこ》されしや。
(42) 嗚呼然るか、然らば余の失敗せしは必しも余の罪にあらず、又神の余を見拾賜ひし証拠にあらず、又余の奮励祈  痔の無益なるを示すにあらざるなり、然り若し正義が事業の目的ならば正義を発表するに於て正義を維持するに於て最も力ありし事業こそ最も成功ありし事業なり、基督教の主義より云へば正義之を成功と云ふ、正義を守る是れ成功せしなり、正義より戻《もと》る又正義より脱する(仮令少しなりとも)之を失敗と云ふ、大廈空に聳へて高く、千百の青年其内に集り隆盛を極むるの学校事業必しも成功事業にあらざるなり、其資金の性質、其設立者の精神は其成功不成功の標準なり、仁政之を成功なる政事と云ふ、所謂政治家の術を学び、是と和し彼と戦ひ、是に媚び彼と絶ち、如何に外面上の国威を装ふにもせよ之れ失敗せる政治なり、義人は信仰に依て生くべし、兵器軍艦増加せし故に成功せりと信ずる政治家、教場美麗にして生徒多きが故に成功せりと信ずる教育家、壮宏なる教会の建築|竣《をへ》て成功せると信ずる牧師、帳面上洗礼を受けしものゝ増加せしを以て伝道事業の成功せしと信ずる宣教師、――是等は皆肉眼を以て歩むものにして信仰に依て生くるものにあらざるなり、玩弄物を玩ぶ小児なり、木石を拝する偶像信者なり、黄土《くわうど》の堆積を楽む守銭奴なり、而して基督信者にはあらざるなり、聖アウガスチン曰く「大人《たいじん》の遊戯之を事業と云ふ」と、嗚呼余も余の事業を見る事小児の玩弄物を見るが如くなりし、余は是に於て始めて基督の野の試《こゝろみ》の註解を得たり、馬太伝四草に曰く、
  偖イエス聖霊に導かれ悪魔に試られん為に野に往けり、四十日四十夜食ふ事をせず後うゑたり、試むるものかれに来りて曰けるは爾もし神の子ならば命じて此石をパンと為よ、イエス答けるは人はパンのみにて生るものにあらず唯神の口より出《いづ》る凡の言《ことば》に因ると録《しる》されたり、是《これ》に於て悪魔彼を聖き京《みやこ》に携へゆき殿《みや》の頂上《いたゞき》に(43)立たせて曰けるは爾もし神の子ならば己が身を下へ投よ蓋《そは》なんぢが為に神その使等《つかひたち》に命ぜん彼等手にて支へ爾が足の石に触れざるようすべしと録されたり、イエス彼に曰けるは主たる爾の神を試むべからずと亦録せり、悪魔また彼を最《いと》高き山に携へゆき世界の諸国とその栄華とを見せて爾もし俯伏《ひれふし》て我を拝せば此等を悉くなんぢに与ふべしと曰ふ、イエス彼に曰けるはサタンよ退け主たる爾の神を拝し惟之にのみ事ふべしと録されたり、終に悪魔かれを離れ天使《てんのつかひ》たち来り事ふ、        (一節より十一節まで)
 基智已に歳三十に達し内に省み外に学び終に世の大救主たるを自覚するに至れり、彼の再従兄バプテスマのヨハネも彼に此天職あるを認め神の小羊として彼を公衆に紹介せり、皇天も彼の自覚とヨハネの見解とを確かめん為めに聖霊を鳩の如く降して彼の上にやどらせり、然れども如何にして此世を救はん乎是基督を野に往かしめし問題なり、(馬可伝一章十二節「往かしめし」は英語の Driveth 希臘語の Ekballei「無理に逐ひやる」の意なり)。
 彼餓たり、而后世界億千万の食足らずして饑餓に苦しむを推察せり、(醍醐天皇寒夜に衣を脱して民の疾苦を思ひし例を参考せよ)、基督思へらく「我は慈善家となりて貧民を救はん、我に土石を変じて「パン」となすの力あり、億万の空腹立所ろに充すべし」と、然れ共聖霊彼に告て曰く「饑餓を救ふは一時の慈善なり、爾の救世の事業は永遠にまで達すべきものなれば億万斤の「パン」と雖も決して為し得べきものにあらず、神の口より出づる凡ての言こそ真正の「パン」なり、爾の天職は世の所謂慈善事業にあらざるなり」と。
 慈善家たるの念を断ち、彼一日聖殿の頂上に登り、眼下に万人の群集するを見し時、悪霊再び彼に耳語して曰(44)く「爾は爾の思想を是等の民に伝へんと欲す、然れども爾はナザレの一平民にして誰も爾の才力と真価直《しんかちよく》とを知るものなし、故に爾先づ己が身を下に投よ然らば衆人爾の技倆に驚き爾に注目するに至らん、民の名望一たび爾の有に帰せば彼等を感化する掌を反すより易し」と、然れ共天よりの声は曰く「真理は虚喝手段を以て伝へ得べきものにあらず、民の名望に頼《より》て彼等を教化せんとす是れ神を試み己を欺くなり、法便は救世術としては価値なきものなり」と。
 基督は慈善家たらざるべし、彼は法便を使用し民の耳目を驚かして世を救はざるべし、然れ共彼一日高き山に登り、眼下に都府村落の散布せるを見、国土を神の楽園と為し得べきを思ひしや、彼の胸中に浮びし救世の大方策《たいはうさく》は彼大政治家となりて社会改良を遂んとするにありき、彼思へらく、我に世界を統御するの才能あり、我一挙して羅馬人《ろまじん》を放逐し、神の特種の撰択にかゝる猶太人民を率ひ世界を化して一大共和国となし、仁を施し民を撫育し、真正の地上の王国を建立《けんりつ》せんと、然るに彼の良心は此高尚なる希望をも彼に許さず、社会改良事業は正義堂々主義一歩を讓らざるものゝ為し遂げべきものにあらず、必ず彼に伏し是を拝し、円滑《えんこつ》完満の政略を取らざるを得ず、然り我は主義にのみ頼《よ》り救世の事業を実行せんのみ、サタンよ退け、汝の巧言を以て我を擾す勿れ、我は目前の救助は為し得ずとも、我は国人の知る所ろとならず幽陰以て世を終るとも、我の事業は事物の上に現はれずと雖も、我は我の神を拝し惟之にのみ事ふべしと、基督の決心茲に於て定まり、生涯の行路彼に指示《しし》されたれば、悪魔は彼を説服《ときふく》するに由なく、終に彼を去りたれば天使来りて彼に事へたり。
 基督の方向こゝに定まりて彼の生涯は実にこの決定の如くなりし、彼は衆人の饑餓を充たし得ざりしのみなら(45)ず彼の死せんとするや彼の母さえも彼の弟子に依頼せざるを得ざるに至れり、天下の名望は一として彼に存するなく、彼は悪人として、神を?すものとして、刑罰に処せられたり、彼は一つの教会一つの学校をも建つる事なく、事業として見るべきものは僅に十二三人の弟子養成のみなりき、然れども斯人こそ世界の救主にして神の独子《ひとりご》人類の王にあらずや、実に然り、霊魂を有する人類には事業に勝る事業あるなり、世の事業を以て汲々たる信者は宜しく事業上基督の失敗に注目せざるべからず。
 若し基督にして慈善家たりしならば如何、ジヨージ、ピーボデー(George Peabody)に勝り、スチブン、ジラード(Stephen Girard)に勝り、百千万の貧民孤児は彼の施餓鬼に与かりしならん、然れ共「ヤコブの井戸の清水を飲むものはまた渇かむ」と、彼が曾てサマリヤの婦人に教へし如く、彼が曾て五千人を一時に養ひし時多くの人は「パン」を得んが為めに彼の跡に附き従ひし如く、永遠かわく事なき水、永遠餓する事なき「パン」を彼は此世に与へ得ざりしならん、世には貧民に衣食を給するに勝る大慈善あり、エモルソン氏曰く、
  人もし我に衣食を給するも我は何時か之に充分なる報を為ざるべからず、(直接間接に)、我受けて後之に依て富まず貧ならず、只智識上並に道徳上の補助は十全の利益なり。
 加之《しかのみならず》若し基督にして慈善家たりしならば彼の慈善は彼一代に止て万世に至らざりしならん、視ずや彼の愛に励まされて幾多の慈善家が彼の信徒の内に起りしを、ジヨンハワード、サラマーチン、エリザベスフライ、の監獄改良事業は全く彼等が基督に対する報恩心より発せしものにあらずや、ウヰルリヤム、ウヰルバフホース(William Wilberforce)並にシヤフツベリー侯の慈善事業も亦然り、記者永く米国に在りて基督教国に於る慈善事(46)業の盛なる実に東洋仏教国に於て予想だもする能はざるを見たり、
すに最も力ありしものは基督教なり、比較上|現世《げんせい》は殆んど顧みるに足らざるものと見做して現世を救ひ進歩せしめしに於て最とも功ありしものは基督教なり、基督若し慈善家たりしならば彼の慈善事業は知るべきのみ。
 基督若し名望法便を利用して民を教化せしならば如何、基督教は永遠迄人霊を救ふの潜勢力を有する宗教にあらずして、仏教の今日あるが如く早や已に衰退時代に至りしならん、法便必しも明白なる虚言にあらず、然れ共基督の「否な否な然り然り」の大教理は法便てうものゝ功用を全く否定したり、基督信者にして高貴名望家に依て教理を伝へんとするもの、学識爵位を以て下民《かみん》の尊敬を基督教に索がんとするもの、会堂の壮大を以て信徒を増加せんとするものは皆基督の第二の誘惑に陥りしものにして、法便を利用する浅薄なる仏教信徒と大差ある事なし、基督は法便を退けて彼の信者たるものに単純|正直《せいちよく》の真価直《しんかちよく》を示せり、然るに彼の信者にしてその事業の速成を願ひ塔の頂上より身を授ずる愚と不敬とを学ぶものあるは実に歎ずべきにあらずや。
 基督若し大政治家たりしならば如何、彼はシーザルに勝りシヤーレマンに勝り、時の羅馬《ろま》帝国を一統し、奴隷を廃し、税則を定め、堯舜の世アウガスタスの黄金時代に勝る楽園国を地上に建てしならん、然れどもこれ彼の「否な否な然り然り」の直道を以て実行し得べきものにあらず、是と和し彼と戦ひ、軍略政策|《ふたつ》ながら其宜しきを得ざれば到底為し能はざりしならん、彼のピートル大帝は巨人なり、然れども誰か彼を以て君子仁人となすものあらんや、フレデリツク大王も亦絶世の建国者なり、然れども誰か彼を以て人類の摸範と見上《みあぐ》るものあらんや、基督は万世に至る迄此世を救ふべきものなれば彼は政治家たるべからざりしなり。
(47) 想ひ見る十八世紀の終に当て仏蘭西に内乱の起るや、王室は人民の多数と共に天主教を奉じ、加ふるにギース家の挙て之を賛助するあるを以て新教徒即ちヒユーゲノ党の苦戦止む時なく、前者に富と権力あり、後者に精神と熱心あり、此時に当てヒユーゲノー党の依て以て頼《たのみ》となせし唯一の人物はナバールの大公ヘンリーなりき、彼年若くして武勇に富み、而も仏王ルイ九世の正胤にして王位を践むべき充分の権利と資格とを有せり、然れ共彼プロテスタント教徒たるが故に此栄誉に達するを得ず、僅かに微弱なる反対党の将となり、屡々忠実なる彼の小軍隊を以て敵の大軍を苦しめたり、彼は彼の党を愛し、彼又彼の党に愛せられたり、然るに一日彼は心中に思ひらく、「我此党を率ひて全国に抗し戦乱止む時なく、国民塗炭に苦しむ茲に十数年、我の忠実なる兵卒にして我の為めに屍を戦場に曝せしもの其幾千なるを知らず、我何ぞ永く此悲劇を見るに忍びんや、我若し一歩を讓れば我の血統我の名望必ず我をして仏国を統一せしむに至らん、其時こそ我はヒユーゲノー党に信仰の自由を与へ、旧新両教徒を和合し、仏国をして強富幸福《きやうふうかうふく》なる国民となし得べし、我何ぞ我国の為め、我忠愛なる士卒の為めに忍ばざらんや」と、歴史家は謂ふ仏国百年の計は実にヘンリーのこの決断にかゝれりと。
 而してナバールの大公は此誘惑に打負けたり、彼は仏国の為め士卒の為めに一歩を譲り、天主教徒の請求を容れ、ヒユーゲノー党を脱し、羅馬法王に対し罪の懺悔を呈し、終に仏王として承認せらるゝに至れり、彼の讓退は彼の胸算に違はざる結果を生じ、彼の王位は強固となり、国内平穏に帰し民皆堵に就けり、彼は忠実なるヒユーゲノー党を忘れず、ナントの布令(Edict of Nantes)に依て信仰自由を天下に合し新教徒をして政治上殆ど旧教徒と異なる処なからしめたり、彼の治世《ぢせい》は仏国の中興として見るべきものなり、殖産事業の進歩、財政の整頓、(48)外国に対する仏国の輝栄、共にヘンリー王の事跡として文明諸国の賞讃する処となれり、然れ共彼の仏国の為めに尽せしは惟一時の治安策なりき、彼死するやリシユリヤ、マザリンの下に仏国は光威を欧洲に輝かせしも是皆外貌の虚飾にして内に留むべからざる腐敗の醸しつゝありしなり、ルイ十四世に至て此虚勢其極に達し、ルイ十五世は黄金珠玉に包まれながら不快淫風に沈みつゝ世を終れり、ルイ十六世に至り仏国革命起り次でナポレオンの世となり其惨憺たる光景は人の皆知る所なり、ヘンリーは一時を救はんとして毒を千|載《さい》に流せり、嗚呼若し彼にして基督の如く悪魔の巧言を退けしならば仏国二百年間の争闘流血を避けしものを。ヘンリーは仏国を愛して之を愛せざりしなり。
 仏の大王《だいわう》ヘンリーに対して英の無冠王コロンウエルあり、彼も権力精神と相争ふの時に生れ、身を民党自由に委ね、英国民の全世界に対する天職を認め、十七世紀の始めに当て基督の王国を地上に来らさんとの大理想を実行せんとせり、百難|起《たち》て彼の進路を妨ぐると雖も彼の確信は毫も動く事なく、終に麁粗ながらも英国をして公義と平等とに基《き》する共和国となすに至れり、然れ共英国民は未だ悉く無冠王の大理想を有せず、彼の心霊的の政治は肉慾的の普通社会を歓ばさず、反対終に四方に起り彼は単独|白殿《ホワイトホール》に無限の神をのみ友とするに至れり、然れ共彼の理想と信仰とは確固として動かず、彼は彼の事業の永続すべからざるを知ると雖も尚ほ彼の最初の理想に向《むかつ》て進み、内乱再起の徴あるをも顧みず、彼の勝算全く絶へしにも関せず、終生一主義を貫徹して死せり、彼が世を去るや彼の政府は直《たゞち》に転覆され、彼の屍《かばね》は発《あば》かれ、彼の名は賤《いやし》められ、彼の事業は一つとして跡を留めざるが如きに至れり、世はチヤレス第二世の柔弱淫縦腐敗の世となり、バトラル、ドライデン、クラレンドンの如(49)き狐狸の輩《はい》寵遇を受け、ハムプデンもペーンも無冠王も曾て地上の空気を呼吸せし事なきやの感を起さしめたり、小人は皆云へり清党《ピユリタン》の事業は全く失敗なりしと、然れ共無冠王死して三十年、彼の石碑に未だ青苔《せいたい》だも生ぜざる時に、スチユアート家は全く跡を絶つに至り、爾来真理と自由とが地球運転の度数と共に増進するや、無冠王の理想は徐々に実成《じつせい》しつゝあるなり、コロムウエルありしが故に英国に十八世期の革命なかりしなり、仏王ヘンリーの讓退は仏国民一百年間の堕落と流血とを招き、コロムウエルありしが故に英国民は他欧洲国民に先つ百年已に健全なる憲法的自由を有せり、コロムウエルは実に英国を愛せし人なり。
 楠正成の湊川に於ける戦死は決して権助の縊死《いつし》にあらざりしなり(福沢先生明治初年頃の批評)、南朝は彼の戦死に由て再び起つぺからざるに至れり、彼の事業は失敗せり、然れども碧血|跟化《こんくわ》五百歳の後、徳川時代の末期に至て、蒲生君平高山彦九郎の輩《はい》をして皇室の衰頽を歎ぜしめ勤王の大義を天下に唱へしむるに於て最も力ありしものは嗚呼夫れ忠臣|楠氏《なんし》の事跡にあらずして何ぞや、ボヘミヤのハツス将に焼殺せられんとするや大声《たいせい》呼で曰く「我死する後千百のハツス起らん」と、一楠氏死して慶応明治の維新に百千の楠公起れり、楠公実に七度人間に生れて国賊を滅せり、楠公は失敗せざりしなり。
 基督の十字架上の耻辱は実に永遠に迄亙る基督教凱陣の原動力なり、基督の失敗は実に基督教の成功なりしなり。
 然らば余も失敗せしとて何ぞ落胆すべき、何ぞ失敗せしを感謝せざる、義の為めに失敗せしものは義の王国の土台石となりしものなり、後進者成功の為めに貯へられたる潜勢力なり、我等は后世の為めに善力(Power for (50)Good)を貯蓄しつゝあるなり、余は先祖の功に依り安逸衣食する貴族とならんよりは功を子孫に遺す殉義者とならん事を欲す。
 然らば余は余の事業に失敗せしにより絶望家となり、事業家たるの念を断ちしや。
 否な然らざるなり、余は今は真正の事業家となりしなり、事業とは形体的のものなりとの迷信全く排除せられてより余は動くべからざる土台の上に余の事業を建設し始めたり、余の事業の敗られしは敗るべからざる事業に余の着手せんが為めなり(希伯来書十二章廿七節) 事業は精神の花なり果なり、精神より自然に発生せざる事業は事業にして事業にあらざるなり、爾曹まづ神の国と其義とを求めよ然らば事業も自然に爾曹より来るべし。
 
     第五章 貧に迫りし時
 
 四百四病のその中に貧程つらきものはなし、心は花であらばあれ、深山がくれのやつれ衣《き》に誰か思を起すべき、人間万事金の世の中、金は力なり威力なり、金のみは我等に市民権を与ふ、金なければ学も徳も人をして一市民となすを得ず、此賞讃せらるゝ十九世紀に於ては金なき人は人にして人にあらざるなり。
 我栄誉の時に友人ありしも我貧に迫りてより我は無友となれり、我窮せざりし時に我に信用ありしも我が嚢《のう》の空しくなると同時に我が言《ことば》は信ぜられざるに至れり、われ友を訪ふも彼れ我を見るを好まず、我れ彼に援助《たすけ》を乞へば嫌悪以て我に答ふ、我と共に祈りしもの、我と共に神と国とに事へんと誓ひしもの、我を兄弟と呼びしもの、今は我の貧なるが故に我とは別世界の人となれり、
(51)   落ぶれて袖になみだのかゝる時
      人の心の奥ぞしらるゝ
 友を信ずる勿れ汝貧に迫りし迄、世の友人は我等の影の如し、彼等は我等日光に歩む間は我等と共なれども暗所に至れば我等を離るゝものなり、貧より来《きた》る苦痛の中《うち》に世の友人に冷遇さるゝ是悲歎の第一とす。
 我の貧我独り忍ぶを得ん、然れども我に依食する我の母我の妻も我が貧なるが故に貧を感ぜり、我は我と境遇を同ふせる古人の伝を読み以て我が貧を慰め得るとも、彼等は如何にして此鬱を散ずるを得むや、貧より来る苦痛の中《うち》に我父母妻子の貧困を見る是れ悲歎の第二とす。
 我は食を求めざるべからず、彼処《かしこ》に到り此処を訪ひ、業にあり就かんと欲する時、我貧なるが故に彼より要求さるゝ条件多くして我の受くべき報酬は少く、我は売人にして彼は買入《かひて》なれば直段を定むるは全く彼にあり、我不平を唱へて彼の要求を拒めば我は唯我が父母妻子と共に餓死するのみ、若し餓死するものは我一人ならば我は我が意を張り我が膝を屈せざるものを、然れども今の我は一人の我にあらず、我を生みしものゝ為め、我に淑徳《しくとく》を立つるものゝ為め、我は我の尊敬せざる人にも服従せざるを得ず、貧より来る苦痛の中に食の為めに他人に腰《ひざ》をかゞめざるを得ず是悲歎の第三なり。
 富足て徳足るとは真理にはあらざるべけれども確実なる経験なり、奢侈は勿論不徳なり、我富たればとて驕らざるべし、然れども滋養ある食物、清潔なる衣服は自尊の精神を維持するに於て少なからざる勢力を有するものなり、我の最も嫌悪する卑陋《ひれつ》なる思想は貧と共に我が胸中を攻撃し、我をして外部の敵と戦ふと同時に内患に備(52)ふるが為めに常に多端ならしむ、貧より来る苦痛の中に心に卑陋なる思想の湧出する是悲歎の第四なり。
 貧は我をして他人を羨ましめ、我を卑屈ならしむると仝時に我を無愛相《むあいそ》なる者(Misanthropist)となすものなり、我は集会の場所を忌み、我は交際を避けんと欲す、我が心は益々寒冷頑固となり、靄然たる君子の風、温雅なる淑女《しくぢよ》の様は我得んと欲して得る能はず、貧は我を社会より放逐せしむるものなり、貧より来る苦痛の中に寒固孤独の念是悲歎の第五なり。
 貧は貧を生ずるものなり、持つものには加へられ持たざるものよりは已に持つものをも取去らる、俗に所謂貧すれば鈍するとの言は心理学上の事実にして経済学上の原理なり、富者益々富めば貧者は愈々貧なり、貧より来る苦痛の中にこの絶望に沈む事、この無限の堕落を感ずる事是悲歎の第六なり。
 嗚呼我如何にして此内外の攻撃に当らんか、貧は此身に附くものなれば此身を殺さば貧は絶ゆべし、自殺は羅馬の賢人カトー、シセロ等の許せし所、貧てふ無限無終の苦痛より遁れんが為めには自殺は惟一の方法ならずや、“He that dieth payeth all his debts.”(死者は悉く負財を返還す)、我の社会に負ふ処、我の他人に負ふ所、我は之を返却するの目的一つとしてあるなし、我は死してのみ此借財より脱するを得るにあらずや、言を休めよ汝美食美服に飽くものよ、彼《か》の一円に満たざる借銭の為めに身を水中に投ぜし小婦は痴愚にして発狂せしなりと、彼《かの》婦は世に己れの貧を訴ふるの無益なるを知り、彼の純白なる小心は他人に義理を欠くに忍びず終に茲に至りしなり。
   “In she plunged boldly,
(53)   No matter how coldly,
    The roughr iver ran−
   Picture it−think of it
   Dissollute Man!”−Thomas Hood.
 然り若し宇宙の大真理として自殺は神に対し己に対し大罪《だいざい》なりとの教訓の存せざりしならば貧の病を療治する為めに我も我身に此法を施さんものを、然れども嗚呼我神よ爾の恵は我死せずして我を此苦痛より免れ得せしむ、爾に依てのみ貧者《ひんしや》も自尊を維持し得べく、卑陋ならずして高尚なるを得るなり。
 基督教は貧者を慰さむるに仏教の所謂「万物《ばんもつ》皆空」なる魔睡的の教義を以てせず、基督教は世をあきらめしめずして世に勝たしむるものなり、富めると貧なるとは前世の定にあらずして今世に於ける個人的の境遇なり、貧は身体の疾病と同く之を治する能はずんば喜で忍ぶべきものなり、我の貧なる若し我の怠惰放蕩より出しものなれば我は今より勤勉廉節を事とし投費せし富を回復すべきなり、天は自己を助くるものを助く、如何なる放蕩《はうたうじん》と雖も、如何なるなまけ者と雖も、一度翻りて宇宙の大道《たいだう》に従ひ、手足を労し額に汗せば、天は彼をも見捨てざるなり、貧は運命にあらざれば我等手を束て決して之に甘ずべきにあらず、働けよ、働けよ、世界に存する貧の十分の九は懶惰より来る事を記臆せよ、又正直なる仕事は如何に下等なる仕事と雖も決して輕ずる勿れ、何をも為さゞるは罪をなしつゝあるなり(Doing nothing is doing ill)、人を欺き人を殺すのみが罪にあらざるなり、懶惰も罪なり、時を殺すも罪なり、富は祈?のみに依て来らず、働くは祈るなり(Laborare est orare)、身と心(54)とを神に任せ精々《せい/\》以て働きて見よ、神も宇宙も汝を助け汝の労力は実るぞかし。
 然れども世には「正義の為めの貧」なるものなきにあらず、ロバード、サウジー曰く「一人の邪魔者の常に我身に附き纏ふあり、其名を称して正直《せいちよく》と云ふ」と、永久の富は正直に由らざるべからずと雖も正直は富に導くの捷径にはあらざるなり、世に清貧ある事は疑ふべからざる事実なり、或は良心の命を重じ世俗に従はざるが故に時の社会より遮断さるゝあり、或は直言直行《ちよくげんちよくかう》我の傭主《やうしゆ》を怒らし我の業を奪ひ取らるゝあり、或は我の思想の普通観念と齟齬するが故に我に衣食を得るの途《みち》塞がるあり、或は貧家に生れて貧なるあり、或は不時の商業上の失敗に遭ひ、或は天災に罹りて貧に陥るあり、則ち自己以外に源因する貧ありて黽勉も注意も之を取り去る能はざるの場合あり、如斯にして貧の我身に迫るあれば我は勇気を以て信仰を以て之を忍ばんのみ、而して基督教は此耐忍を我れに与ふるに於て無上の力を有するものなり。
 一、汝貧する時に先づ世に貧者の多きを思ふべし、日本国民四千万人中壱ケ年三百円以上の収入あるものは僅に十三万人余なり、則ち戸数百毎に壱ケ月廿五円以上の収入ある家は僅に壱戸半を数ふ、百軒の中九十八軒は壱ケ月二十五円以下の収入あるのみ、而して来年の計を為し貯蓄を有するもの幾干かある、来月に備ふる貯蓄を有せざる家何ぞ多きや、人類の過半数は軒端に餌を求むる雀の如く、山野に食を探る熊の如く、今日は今日を以て足れりとなし、今日得しものは今日消費し、明日は明日に任し、日に日に世渡りするものなり、汝の運命は人類大多数の運命なり、肥馬に跨る貴公子を以て普通人間と思ふ勿れ、彼一人安閑として世を渡り綺羅を被り美味に飽ん為めには数《す》千の貧人は汗滴労働しっゝあるなり、貧は常にして富は稀なり、汝は普通の人にして彼貴公子は(55)例外の人なり、一人にして忍び能はざるの困難も万人《ばんじん》共に之を忍べば忍び易し、汝は人類の大多数と共に饑餓を感じつゝあるなり。
 二、古代の英雄にして智に於ても徳に於ても遙かに汝に勝りしものが汝の貧に勝る貧苦を受けし事を思へ、哲学上神学上信仰上功績上人類の頭と承認せらるゝ使徒保羅は四十年間無私の労働の後に彼の所有に属するものとては外衣一枚と古書|数巻《すくわん》とのみなりしを思へ(提摩太後書四章十三節)、古哲ソクラトスは日々《ひゞ》に二斤のパンと雅典城《あてんすじやう》の背后に湧出する清水《せいすゐ》とを以て満足したりしを思へ、「之を文天祥の土窖《どこく》に比すれば我が舎は則ち玉堂金屋なり、塵垢の爪に盈つる蟻虱《ぎしつ》の膚を侵すも未だ我|正気《せいき》に敵するに足らず」と勇みつゝ幽廬の中に沈吟せし藤田東湖を思へ、「道義肝を貫《つらぬ》き、忠義骨髄に?《み》ち、直《たゞち》に須く死生の間に談笑すべし」と悠然として饑?に対せし蘇軾を思へ、エレミヤを思へ、ダニエルを思へ、和漢洋の歴史何れなりとも汝の意に任せて渉猟し見よ、貧苦に於ける汝の友人は多き事蒼天の星の数の如し。
 三、耶蘇基督の貧を思へ、彼は貧家に生れ、口碑の伝ふる所に依れば彼は十八歳にして父を失ひ、爾后死に至る迄大工職を業とし父の一家を支へしとなり、狐は穴あり空の鳥は巣あり左れど人の子は枕する処だもなしとは基督地上の生涯なりき、僕《しもべ》はその主人に優る能はず、汝の貧困基智の貧困に勝るや、彼は貧者の友なりし、貧しきものは幸なり(路加六章廿節)との非常の言は彼の口より出でしなり、貧ならざれば基督を悟り難し、
   “Christ was hungry,Christ was poor,
   He will feed me from his store.”−Luther's Song.
(56) 四、富必しも富ならざるを知れ、富とは心の満足を云ふなり、百万円の慾を有する人には五拾万円の富は貧なり、拾円の慾を有する人には二十円は富なり、當むに二途あり、富を増すにあり、慾を減ずるにあり、汝今は富を増す能はず、然らば汝の慾を減ぜよ、カーライル謂へるあり曰く、「単数も零にて除すれば無限なり(0/1=∞)故に汝の慾心を引下げて世界の王となれ」と、余は五拾万弗の富を有する貴婦人が貧を懼れて縊死《いつし》せるを聞けり、金満家の内幕《ないまく》は必しも平和と喜悦《よろこび》とにはあらざるなり、神の子の如き義侠、天使の如き淑徳《しくとく》は寧ろ貧家に多くして富家《ふうか》に尠し、我等は貧にして巨人たるを得るなり、神が汝に与へし貧てう好機械を利用して汝の徳を高め汝の家を清めよ、快楽なる「ホーム」を造るに風琴の備附下婢下男の雇人を要せず、若し富を得るの目的は快楽にありとならば快楽は富なしにも得らるゝなり、“My mind to me a kingdom is.”(心ぞ我の王国なり)、我は貧にして富む事を得るなり。
 五、汝今衣食を得るに困しむ、然らば汝も空の鳥、野の百合花《ゆり》の如くなりて汝の運命を天に任せよ、
  是故に我なんぢらに告ん、生命の為めに何を食ひ何を飲みまた身体の為めに何を衣んと憂慮《おもひわづら》ふこと勿れ、生命は糧より優り身体は衣《ころも》よりも優れる者ならずや、なんぢら天空《そら》の鳥を見よ稼《まく》ことなく穡《かる》ことを為さず倉に蓄ふることなし然るに爾曹《なんぢら》の天の父は之を養ひ賜へり、爾曹之れよりも大いに勝《すぐ》るゝものならずや、爾曹のうち誰か能くおもひ煩ひて其生命を寸陰も延べ得んや、また何故に衣のことを思ひわづらふや、野の百合花は如何にして長《そだ》つかを思へ、労めず紡がざる也、われ爾曹に告んソロモンの栄華の極《きわみ》の時だにも其|装《よそほ》ひこの花の一に及ばざりき、神は今日野に在て明日炉に投入れらるゝ艸をも如此よそはせ給へば況て爾等を(57)や嗚呼信仰うすき者よ、然《さら》ば何を食ひ何を飲みなにを衣んと思ひわづらふ勿れ、此みな異邦人の求むる者なり、爾曹の天の父は凡て此等のものゝ必需《なくてならぬ》ことを知りたまへり、爾曹先づ神の国と其|義《たゞしき》とを求めよ然らば此等のものは皆なんぢらに加へらるべし、是故に明日の事を憂慮《おもひわづら》ふなかれ、明日は明日の事を思ひわづらへ一日の苦労は一日にて足れり、                (馬太伝六章従廿五節至卅四節)
 或仏教家此章句を評して曰く基督教は人を怠惰になさしむるものなりと、然り基督教は多くの仏教徒の今日為すが如く済世を怠りつゝ自己の蓄財に汲々たるを奨励せざるなり、基督教は雀の朝より夕迄忙がしきが如く人をして忙がしからしむるものなり、基督教は富の為めに人の思慮するを許さず、勿論世に称する基督信徒必しも皆空の鳥野の百合花の如くにあらず、或者は蟻の如く取《とつ》ても取《とつ》ても溜めつゝあるなり、或者は狐の如く取りしものは皆隠し置き、何時用ふるとも知らず、唯取るを以て快楽となしつゝあるなり、然れども是基督教にはあらざるなり、汝若し温屋玻璃の内にナザレの耶蘇《イエス》の弟子ありと聞とも汝の心を傷ましむる勿れ。
 哲学者カント云へるあり曰く「宇宙の法則を以て汝の言行《げんかう》とせよ」と 空の鳥野の百合花は此法則に従ひ居ればこそ何を食ひ何を飲み何を衣んとて思ひわづらはざるなり、社会は生存《せいそん》競争のみを以て維持するものにあらざるなり、人は食《くら》ふ為めにのみ此世に来りしにあらざるなり、此地球は神の職工場《しよくこうじやう》なれば働くものには衣食あるは当然なり、職工場の職人は衣食の事のみを思ひ煩ひてその職を尽し得ざるなり、我も此宇宙に生を有し宇宙の一小部分なれば我若し天与の位置を守らば宇宙は我を養ふなり、エモルソン曰く
   “lf the single man plant himself indomitably on his instincts,and there abide,the huge world will(38) come round to him.”−The American Scholar.
 衣食の為めに思考の殆ど全量を消費する十九世紀の社会も人も決して基督の理想にあらざるなり。
 六、故に汝餓死せんと心配する勿れ、餓死の恐怖は人生快楽の大部分を消滅しつゝあるなり、ナポレオン大帝云へるあり「食ひ過すぎて死するものは食足らずして死するものよりも多し」と、人口稠密なる我国に於てすら餓死するものとては実に寥々たるにあらずや、天の人を恵む実に大なり、毎年《まいねん》八百万石余の米穀は無益有害なる酒《しゆ》類と変化さるゝにも関せず、労力の大部分は宴会とやら装飾とやら小児遊戯的の事物に消費せらるゝに関せず、人類の食糧は尚は足り過ぎて毎年夥多の胃病患者を出すにあらずや、世に最も有難きものは餓死なり、明治廿二年の統計表に依れば全国に於て途上発病又は饑餓にて死せしものは僅々千四百七十二人なり(消化器病にて死せしものは二十万五千余人なり)、汝真理の神を拝しその命令に従はんと勤むるものが如何でか餓死し得べけんや、ダビデ歌《うたふ》て曰く、
  われむかし年わかくして今おいたれど義者のすてられ或はその裔《すゑ》の糧《かて》こひあるくを見しことなし             (詩篇三十七の二十五)
 余は善人の貧するを聞けり然れ共未だ神を恐れしものゝ餓死せしを聞かず、餓死するの恐怖を捨てよ汝信仰薄きものよ。
 七、汝心を静《きよ》めて良き日の来《きた》るを待て、変り易きは世の習なり、而して幸福なるものに取ては千代も八千代も変らぬ世こそ望ましけれども不幸なるものに取ては変り行く世の中程楽しきものはあらざるなり、我の貧は永久(59)迄続くべきにあらず、世の風潮の変り来《きたり》て「我等の時代」とならん時は我の飢?より脱する時なり、神は此世の富に勝る心の富を我に賜ふが故に我終生貧なるとも忍び得べし、地は善人の為めに造られしものなれば我善と義とを慕ふ事切なれば神は我に地の善き物をも賜ふべし、我の今日貧なるは我の心の為めにして我が世の物に優りて神と神の真理とを愛せんが為めなり、信仰の鍛錬已に足《たれ》り、肉慾已に減磨せられ、我已に富貴に負ける慮《うれひ》なきに至て神は世の宝を以て我に授け玉ふなるべし、世に最も憫察すべきものは富を有して之を使用し能はざる人なり、富は神聖なり故に神聖なる人のみ之を使用し得る也、我貧して「人不惟以餅生《ひとはただべいをもつていきず》」を知れり、若し富我に来《きた》るあれば我は富を以て得る能はざる宝を得ん為めに之を使用すべし、我の貧なる是れ我の富んとするの前徴にあらずや。
 八、我に世の知らざる食物あり(約翰伝四章三十二節)、我に永遠《かぎりなく》かわく事なき水あり(仝十四節)、人霊の栄誉として最《いと》高《たか》きもの即ち神ならでは彼は満足し得べからざるなり(ビクトル、ヒユーゴの語)、而して我は此最上の食と飲物とを有す、我実に足れるものにあらずや、如何なる珍味と雖も純白なる良心に勝るものあらんや、罪より免されし安心、神を友と持ちし快楽、永遠《えいゑん》の希望、聖徒の交り1、我は世の富めるものに問はん、君の錦衣君の壮屋君の膳の物君の「ホーム」(若し「ホーム」なるものを君も有するならば)は此高尚無害健全なる快楽を君に与へるや否や、医師は云はずや快楽を以て食すれば麁食も躰《たい》を養ふべけれ共心痛は消化を害し滋養品も其功を奏する少しと、真理は心の食物なるのみならず亦身躰の食物なり、我の滋養は天より来るなり、浩然の気は誠に実に不死の薬なり、貧しきものよ悦べ天国は汝のものなればなり。
 
(60)     第六章 不治の病に罹りし時
 
 身躰髪膚我之を父母に受け、鉄石の心臓鋼鉄の筋骨我は神の像と精とを以て世に出でたり、我にアダムの無死の躰格なかりしにもせよ、我にアポロの完全均斉なる身躰なかりしにもせよ、我の父母より授かりし躰《たい》は今日我の有する躰にあらざりしなり、我に永生にまで至るべきの肉躰なかりしも、我能く百年の労働と快楽とに堪ゆる霊の器を有せり、仰では千仞の谷を攀登るべし、伏しては隻手を以て蒼海を渡るべし、鷲の如きの視力能く天涯を洞察し得べし、虎の如きの聴神経能く小枝を払ふ軟風を判別し得べし、我の胃は消化し能はざるの食物あるなく、我の肺は万丈の頂巓にあるも我に疲労を感ぜしめず、我醒むる時は英気我に溢れて快を絶呼】せしめ、我の床に就くや熟睡直に来て無感覚なる事丸太の如し、山を抜くの力、世を蓋ふの気、我之を有せり、而して今之を有せざるなり。
 此快楽世界も病める我に取りては一の用あるなし、存在は苦痛の種にして我の死を望む労働人夫の夜《よ》の来るを待つが如し、梅花は香を放つも我に益なし、鶯は恋歌《れんか》を奏するも我に感なし、身を立て道を行ひ名を後世に遺すの希望は今は全く我にあるなく、心を尽し力を尽し国と人とを救ふの快楽も今は我の有に帰せず、詩人ゲーテ曰く Unnütz sein ist Todt sein(不用にあるは死せるなり)と、我いま世に不用なるのみならず我の存在は反つて世を悩ますものなり、我若し他を救ひ得ずば我は他人を煩らはさゞるべし、嗚呼恵ある神よ、一日も早く我をして今世を終らしめよ、我今爾より望む他にあるなし、死は我に取りては最上の賜物なり、
(61)   如何なれば艱難にをる者に光を賜ひ、
   心苦む者に生命を賜ひしや、
   斯かるものは死を望むなれども来らず、
   これをもとむるは蔵《かく》れたる宝を掘るよりも甚はだし、
   もし墳墓を尋ねて獲ば
   大ひに喜び楽しむなり、
   其道かくれ神に取籠られをる人に
   如何なれば明光《ひかり》を賜ふや、
 顧れば過にし年の我の生涯、我の失敗、我之を思へば後悔殆んど堪ゆべからざるものあり、嗚呼|夜《よ》の来らざりし前に我は我の仕事を終へざりしを悔ゆ、我の過去は砂漠なり、無益に浪費せし年月、思慮なく放棄せし機会、犯せし罪、為さゞりし善、――我の痛みは肉躰のみに止まらざるなり。
 ジオンの戦は酣なるに我は用なき兵《つはもの》なれば独り内に坐して汗馬の東西に走るを見、矢叫《やさけび》の声、大鼓の音をたゞ遠方に聞くに過ず、我は世に立つの望み絶へたり、又未来に持ち行くべき善行なし、神は如斯不用人間を要し賜はず、嗚呼実につまらなき一生にあらずや。
 我絶望に沈まんとする時、永遠の希望は又我を力づくるあり、基督は希望の無尽蔵なるが如し、彼に依てのみ(62)枯木《こぼく》も再び芽を出すぺく、砂漠も花を生じ得べし、預言者エゼキエルの見し枯れたる骨の蘇生せしは我等の目撃する事実なり(以西結第三十七章)
 不治《ふぢ》の病に罹りし時の失望は二個なり、即ち我再び快復する能はざるべし、我は今は癈人なれば世に用なきものとなれりと、
 一、汝如何にして汝の病は不治なるを知るや、名医已に汝に不治の宣告を申渡したるが故に汝は不治と決せしか、然《され》ども汝は不治と称せし病の全癒せし例の多くあるを知らざる也、汝は十九世紀の医学は人間と謂ふ奇蹟的の小天地を悉く究め尽せしものと思ふや、近来医学の進歩は実に驚くべきなり、然れども医者は造物主にあらざるなり、時計師のみが悉く時計の構造を知る、神のみが悉く汝の躰《たい》を知るなり、殊に此診断麁陋の時代に当て我等は容易に失望すべきにあらざるなり、生気は天地に充ち満て常に腐敗と分解とを留めつゝあるなり、医師悉く我を捨てなば我は医師の医師なる天地の造主《つくりぬし》に行《ゆ》かん、彼に人智の及ぼざる治療法と薬品あるべし、生命は彼より来るものなれば我は真に生命の泉に至て飲まん、医学の進歩と同時に人類が医学を専信するに至り、医学の及ばざるを以て人力も神力《しんりよく》も及ばざる処と見做すに至りしは実に人類の大損耗と云はざるべからず、我等勿論旧記に載する奇蹟的の治療今日尚存するとは信ぜず、屋根より落て骨を挫きし時医師に行かずして祈?に頼るは愚なり、不信仰なり、神は熱病を癒さんが為めに「キナイン」剤を我等に与へ賜へり、人これあるを知て之を用ひざるは罪なり、局部切断の時に当り「コロヽホルム」剤は天賜の魔睡剤なれば感謝して受くべきなり、然れども我等病める時に悉く医者と薬品とに頼るは我等の為す可らざる事なり、我等病重くして庸医を去《さり》て名医に行くが(63)如く、名医も尚我等を治する能ざる時は神なる最上の医師に至る也、庸医が我の病は不治なりと診断する時は我は絶望に沈べきや、否然らず、名医の診断は庸医の診断の全く誤謬なるを示す事あるが如く、全能の神より見賜ふ時は不治と称する汝の病も又治し難《がたき》の病にあらざるぺし。
 世に信仰治療法なるものあり、即ち医薬を用ひず全く衛生と祈?とに由り病を治する法を云ふ、我等は或る一派の信仰治療者の云ふが如く、医師は悪鬼の使者にして薬品は悪魔の供する毒物なりと云はず、然れども信仰は難病治療法として莫大の実功ある事を疑はず、勿論我等の称する信仰治療法なるものはかの偶像崇拝者が医薬を軽《かろん》じて神仏に祈願し、或は霊水を飲むの類を云ふにあらず、信仰治療法は身躰を自然の造主とその法則とに任し、怡然《たいぜん》として心に安じ宇宙に存在する霊気をして我の身体を平常躰に復さしむるにあり、是迷信にあらずして学術的の真理なり、殊に医師の称する不治の病に於ては唯此治療の頼るべきあるのみ、我は我が病を治せんが為めに法便として信仰せず、是真正の信仰にあらざればなり、如斯の信仰治療法は無益なり、然れども我信ぜざるを得ざれば信ずるなり、
 見よ下等動物の傷痍《きづ》を癒すに於て自然法の速かにして実功多きを、清浄なる空気に勝る強壮剤のあるなく、水晶の如き清水に勝る下熱剤のあるなし、殊に平安なる精神は最上の回復剤なるを知るべし、博識に依る信仰治療法は病体を試験物視する治療法に優る数等なるを知れ。
 二、汝癈人となりたればとて絶望せんとす、嗚呼然らば汝の宗教も夥多の基督信徒並に異教信徒の宗教と同じく事業教なり、汝も未だ人類の大多数と共に事業を以て汝の最大目的となすものなり、事業は人間の最大快楽な(64)り、然れども此快楽を得《う》る能はずとて落胆失望に沈むは汝の未だ事業に優る快楽あるを知ざれば也、基督教は他の宗教に勝りて事業を奨励すると雖も基督教の目的は事業にあらざるなり、基督は汝が大事業家たらんが為めに十字架上に汝の為めに生命を捨てざりしなり、基智の目的は汝の心霊を救はんとするにあり、若し世の快楽が汝を神に帰らしむるの妨害となるなれば神は此快楽を汝より取り去り賜ふべし、神は汝の身躰《からだ》と事業とに勝りて汝の霊魂を愛し賜ふなり、汝の事業若し汝の心を神より遠ざくるあれば神は此事業てふ誘惑を汝より取除け賜ふなり、人は偶像を崇拝《しうはい》するのみならず亦自己の事業をも崇拝《しうはい》するものなり、
   なんぢは祭物《さいもつ》をこのみ賜はず、
   若し然らずば我これをさゝげん、
   なんぢまた燔祭《はんさい》をも悦びたまはず、
   神のもとめたまふ祭物はくだけたる霊魂なり、
   神よなんぢは砕けたる悔しこゝろを藐《かろ》しめたまふまじ。
 事業とは我等が神にさゝぐる感謝のさゝげ物なり、然れども神は事業に勝るさゝげ物を我等より要し賜ふなり、即ち砕けたる心、小児の如き心、有の儘の心なり、汝今事業を神にさゝぐる能はず、故に汝の心をさゝげよ、神の汝を病ましむる多分此為めならん、汝はベタニヤのマルタの心を以て基督に事へんと欲し「供給のこと多くして心いりみだれ」(路加伝十章四十節)たるなるべし、故に神は汝にマリヤの心を与へんが為めに汝をして働らき得ざらしめたり、
(65)   手にものもたで、十字架にすがる、
とは汝の常に歌ひし処にして、其蘊奥なる意義を知らんが為め汝は今働く事能はざるものとなれり。
   我のこの世につかわされしは、
   わが意を世にはる為めならで、
   神の恵をうけんため、
   そのみむねをばとげん為めなり。
 
   なみだの谷や笑の園、
   かなしみは来んよろこびと、
   よろこび受けんふたつとも、
   神のみこゝろならばこそ。
 
   勇者《ゆうしや》のたけき力をも、
   教師のもゆる雄弁も、
   われ望まぬにあらねども、
   みむねのまゝにあるにはしかじ。
 
(66)   弱き此身はいかにして、
   そのつとめをばはつべきや、
   われは知らねど神はしる、
   神に頼《よ》る身は無益《むやく》ならぬを。
 
   小なるつとめ小ならず、
   よを蓋《を》ふとても大ならず、
   小はわが意をなすにあり、
   大はみむねによるにあり。
 
   わが手を取れよわが神よ、
   我行くみちを導けよ、
   われの目的《めあて》は御意《みむね》をば、
   為すか忍ぶにあるなれば。
 汝|手足《しゆそく》を労するを得ず故に世に為す事なしと言ふや、汝高壇に立て説教し得ず故に福音を他に伝ふるを得ずと(67)言ふや、汝筆を採て汝の意見を発表するを得ず故に汝世を感化するの力を有せずと言ふや、汝病床にあるが故に汝の此世に存するは無用なりと言ふや、嗚呼、然らば汝は戦場に出でざる兵卒は無用なりと言ふなり、山奥に咲く蘭は無用なりと言ふなり、海底に生茂る珊瑚は無用なりと言ふなり、渠《か》の岩間に咲く蓮馨花《さくらそう》は人に見ゑざるがゆゑに彼女は紅衣を以て装はざるか、年々歳々人知れずして香を砂漠の風に加へ、色を無覚の岩石に呈する花何ぞ多きや、神は人目《じんもく》の達せざる病床の中に神に依て霊化されたる天使の形を隠し置き賜ふなり、静寂なる汝の温顔に忍耐より来る汝の微笑は千百の説教に勝て力あるものなり、凹みたる汝の眼中に浮ぶ推察の涙一滴は万人の同情に勝る刺激なり、痩尖りたる汝の手を以て握手さるゝ時は天使の愛を我等が感受する時なり、我未だ我が眼を以て天使を見し事なし、然れども我の愛せしものが病床にありし時大理石の如き容貌、鈴虫の音の如き声、朝露の如き涙、――彼若し天使にあらざれば何を以て天使を描かんや、我は如斯ものが終生病より起つ能はずして我が傍にあるとも、決して苦痛を感ぜざるべし、彼は日々我の慰藉《ゐせき》なり、我を清め、我を高め、我をして天使が我を守るの感情あらしむるものなり、汝若し天使を拝せんとならば、行《ゆい》て病に臥する淑徳《しくとく》の婦人を見よ、彼は今世に於て已に霊化して天使となりしものなり。
 汝又快楽を有せずと言ふ勿れ、汝の愛するもの汝と共にあり、是大なる快楽ならずや、汝の軟弱なると忍耐なるとは、汝の強壮なる時に勝りて汝を愛らしきものとなせり、愛せらるゝは今汝の特権なり、汝力なきものとして愛せられよ、愛せらるゝを拒むは汝他を悩ますなり、汝の愛するものは汝の愛せられんことを望むなり、世に病者の存する理由は世に愛せらるゝものゝあらんが為めならん、我等弱きものを愛して自己の高尚なるを感ずる(68)ものなり、我は愛せらるゝよりも愛する事を欲す、汝我の為めに我に愛せられよ、而して我の汝を愛するに依て汝より受くる喜悦《よろこび》と感謝とを以て汝の快楽とせよ。
 汝若し尚ほ普通の感覚を有するあれば無限の快楽未だ汝と共に存するなり、山野にさまよひ自然と交通して自然の神と交はるは今汝の能はざる所、淑女《しくぢよ》巨人と一堂に集ひ思想を交換し事業を画《くわく》するは今汝の及ばざる所、然れども若し汝にして四十八|文字《もんじ》を解するを得ば、聖書なる世界文学の汝と共にあるなり、以て汝を励し汝を泣しむべし、以て汝の為めに恋歌《れんか》を供し(ソロモンの雅歌)汝の為めに軍談を述ぶ可し(約書亜記土師》記)、貞操美談あり(路得記)、慷慨歌あり(耶利米亜記)、汝の渾《すべ》ての感情に訴へ喜怒哀楽の情かわる/”\起り汝をして少しも倦怠なからしむ、汝聖書を楽読せよ。
 然れども若し読書は汝の堪ゆる所にあらざれば、他の快楽尚ほ汝の為めに備へらるゝあり、即ち心を静めて神の摂理を思ひ見よ、神は人を造り彼に罪を犯すの自由を与へて又彼を救ふの術を設けられたり、救済の目的として此世界と汝の一生とを考へ見よ、如何なる芝居の脚本か之に勝るの悲劇歓劇を載するあるや、摂理の戯曲(Romance of Providence)を読むものは保羅と共に絶呼せざるを得ず、
  あゝ神の智と識の當は深いかな、其|法度《さだめ》は測り難く、其|踪跡《みち》は索《たづ》ね難し。孰か主の心を知りし、孰か彼と共に議ることを為せしや。孰か先づかれに施《あた》へて其報を受んや。そは万物《よろづのもの》は彼より出、かれに倚《よ》り、かれに帰ればなり。願くは世々|栄《ほまれ》神にあれ。アーメン。    (羅馬書十一章三十三節より卅六節迄)
 僧アンソニー曾て書を盲人|某《ばう》に送《おくつ》て曰く、
(69)  君肉眼欠乏の故を以て君の心を苦しむる勿れ、之れ蠅《はい》も蚊も有するものなればなり。たゞ喜べよ、君は天使の有する眼《め》を有するが故に神を視るを得、神の光を受くべければなり。
 動物的の汝は病めり、然れども天使的の汝は健全なるを得るなり、汝動物的の快楽を去り天使的の快楽を取れ。亦病むものは汝一人ならざるを知れ、一秒時間に一人づゝ人類は呼吸を引き取りつゝあるを思へ、一ケ年に八十万人宛日本人は墓に葬らるゝを知れ、全国にある四万人以上の医師は平均一日五人以上の患者を診察しつゝあるを覚へよ、しかのみならず少しも病を感ぜざるの人とては千人中一人もあるなきを知れ、実に人類全躰は病みつゝあるなり、人類はアダムの罪に由て死刑を宣告されしものなり、(如何なる神学上の学説より論ずるも)、而して第二のアダムより霊の賜物を得しものゝみ真正の生命を有するものなり、汝は人類全体と共に病みつゝあるなり、汝の苦痛に依て心霊を有する世界人民十六億万人の苦痛を想ひ見よ。
 汝を哺育せし汝の母も汝の如き苦痛を忍んで眠れり、汝より妙齢なる汝の妹《いもと》も能くその両親の言《ことば》を聞き分けてつぶやく事なくして眼を閉ぢたり、汝独り忍び得ざるの理あらんや、神はその独子《どくし》をして人間の受くべき最大苦痛を感ぜしめ玉へり、神は愛する程その子を苦しめ賜ふが如し、汝の苦しめらるゝは汝神に愛せらるゝの証なり、忍びて試誘《こゝろみ》を受る者は福《さいはひ》なり、蓋《そ》はこゝろみを経て善とせらるゝ時は生命の冕《かんむり》を受くべければなり、この冕は主己を愛するものに約束し給ひし所のもの也(雅各書一章十二節)。
 来らんとする未来の観念は汝を慰むるや否やを知らず、今之を汝に説く反て汝を傷ましむるを恐る、然れども世界の大英雄大聖人の希望と慰は多くは未来存在の信仰にありき、ソクラトスは霊魂不滅に就て論究しつゝ死せ(70)り、老牧師ロビンソン医師より危急の報を聞くや彼の友人に告て曰く「死とは斯く平易なるものなるや」と、スウヰーデンボルク将に死せんとするや友人彼の心中の様を問ふ、彼答て曰く「幼時老母の家を訪はんとするの喜悦《よろこび》あり」と、ビクトル ヒユーゴは仏国の詩人にして小説家なり、彼の著述は欧洲を震動せしめ彼の筆誅に罹りし高慢なる宗教家と政事家は彼を虚无党と称し無神論者と見做したり、彼れ歳八十にして尚ほ壮年の希望あり、一日彼の未来存在に関する信仰を表白《ひやうはく》して曰く、
  余は余に未来生命の存するを感ず、余は切り倒されたる林の木の如し、新鮮なる萌芽は愈々強く愈々活?に断株より発生するを見る、余は天上に向て登りつゝあるを知る、日光は余の頭上を輝せり、地は尚ほ其養汁を以て余を養へども、天は余の未だ識らざる世界(天国)の光線を以て余を輝らせり、人は言ふ霊魂とは存せざるものにして唯躰力の結果なりと、然らば何故に余の躰力の衰ふると同時に余の霊魂の益々光沢を加ふるや、厳冬余の頭上に宿るに余の心は永久の春の如し。ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ我生涯の終りに近づくに及んで他界の美音益々明瞭に余の耳に達するを覚ゆ、其声驚くべくして又単純なり、雅歌の如くにして歴史様の事実なり、余は半百年間散文に詩文に歴史に哲学に戯曲に落首に余の思想を発表したり、而して尚ほ余の心に存する千分の一だも言ひ尽さゞりしを知る、余は墓に入る時余は一日の業を終へたりと言ふと雖ども、余の一生を終へたりと言ふ能はず、余の仕事は明朝又再び始まらんとす、墓とは道路の行詰りにあらずして、他界に達する通り道なり、暁に至る昧爽《あけぐれ》なり。
(71)  余は此世に存する間は働くなり、此世は余の本国なればなり、余の事業は始めかけたり、余の築かんとする塔は漸く土台石《どだいいし》の据附を終へたり、其竣工は永久の仕事なり、余の長久を渇望するは余の永久の生を有する証なり。
と此人にして此言あり、霊魂不滅は基督教の教義のみにあらざるなり。
 メソヂスト派の始祖ジヨン、ウエスレー死するの前日、彼れ友人に向ひ数回《すくわい》重複《ぢうふく》して曰く、「何よりも善き事は神我等と共に在す事なり」と、神は万物の霊たる人間の有するものゝ中《うち》に最も善《ぜん》なる最も貴きものなり、神は財産に勝り、人躰の健康に勝り、妻子に勝りたる我等の所有物なり、富は盗まるゝの懼《おそれ》と浪費さるゝの心配あり、国も教会も友人も我を捨てん、事業は我をたかぶらしめ、此肉躰も我失はざるを得ず、然れども永遠より永遠に至る迄我の所有し得べきものは神なり、人霊の価値は最と高き神より以下のものを以て満足し能はざるにあり、而して
  そは或は死、或は生、或は天使、あるひは執政、あるひは有能《ちからあるもの》、あるひは今ある者、あるひは後あらん者、或は高き或は深き、また他の受造者は我儕《われら》を我主イエスキリストに頼《よ》れる神の愛より絶《はな》らすこと能はざる者なるを我は信ぜり。
         (羅馬書第八章三十八、卅九節)
 汝神を有す又何をか要せん。
 不治の病怖るゝに足らず、快復の望尚ほ存するあり、之に耐ゆるの慰と快楽あり、生命に勝る宝と希望とを汝の有するあり、又病中の天職あるなり、汝は絶望すべきにあらざるなり。
 
(72) 〔『基督信徒の慰』再版明治26年8月14日刊〕
 
   第弐版に附する自序
 
 此書世に生れ出てより五ケ月今や第二版を請求せらるゝに至れり 未だ需要の多からざる純粋基督教書籍にして此に至りしは満足なる結果と称して可ならむ 第弐版は初版と異なる処甚だ少し、誤植を訂正し引用欧文の訳解を増補せしのみ
 著者の拠る所は人性深底の経?なり、故に教派的の嫌悪文字的の貶評は彼の辞せざる処なり 若し此「絹介奇僻」の著にしてなほ同胞を慰むるの具たるを得ば著者は感謝して止まざるなり。
  明治廿六年七月十八日    鉄拐山の麓に於て 内村鑑三
〔『基督信徒の慰』増訂第十版明治43年7月28日刊〕
(73)〔中屏〕 明治二十四年四月十九日所謂『第一高等中学校不敬事件』の後に、余のために其生命を捨し余の先愛内村加寿子に謹んで此著を献ず、願くは彼女の霊天に在りて主と偕に安かれ。   鑑三
 
   改版に附する序
 
 此書始めて成るや余は勿論先づ第一に之を余の父に送れり(彼は今は主に在りて雄司ケ谷の墓地に眠る)、彼れ一読して涙を流して余に告げて曰く、此書成りて今や汝は死すとも可なり、後世、或ひは汝の精神を知る者あらんと、余は又其一本を余の旧友M・C・ハリス氏に贈りたり(彼は今や美以教会の監督として朝鮮国に在り)、彼れ一読して余に書送して曰く、此書蓋しペンが君の手より落て後にまで存せんと、斯くて余の父と友とに祝福せられて世に出し此小著は彼等の予期に違はず、版を磨滅すること二回に及びて更らに又茲に改版を見るに至れり、其文の拙なる、其想の粗なる、取るに足らざる書なりと雖も、然かも其発刊以来十八年後の今日猶ほ需要の絶えざるを見て、余は暫時的ならざる小著を世に供せしの特権に与りしを深く神に感謝せざるを得ず、願ふ、余の慈父と師友との祈?空しからずして、此著の更らに世の憂苦を除き去るの一助として存せんことを。
  一九一〇年六月廿三日     東京市外柏木に於て 内村鑑三
 
(74) 〔『基督信徒の慰』発行満三十年紀念版大正12年2月25日刊〕
 
     回顧三十年
 
 此書今年を以て発刊満三十年に達す。大なる光栄である。感謝に堪へない。
 今より三十年前に日本に於て日本人の基督教文学なる者はなかつたと思ふ。若しあつたとすれば、それは欧米基督教文学の翻訳であつた。日本人自身が基督教の事に就て独創の意見を述べんと欲するが如き、僭越の行為である乎の如くに思はれ、敢て此事を為す者はなかつた。丁度其頃の事であつた、米国の学校に於て余と同級生たりし米国人某氏が余を京都の寓居に訪うた。彼は余に問ふて曰うた 「君は今何を為しつゝある乎」と。余は彼に答へて曰うた「著述に従事しつゝある」と。彼は更に問ふて曰うた「何を翻訳〔二字右△〕しつゝある乎」と。余は答へて曰うた「余は自分の思想を著はしつゝある」と。此答に対して彼は「本当に《インデイード》!」と曰ふより他に辞がなかつた。誠に当時の米国人(今も猶然り)の日本の基督信者に対する態度は大抵如斯きものであつた。そして如斯き時に方て、欧米の教師に依らずして、直に日本人自身の信仰的実験又は思想を述べんと欲するが如きは大胆極まる企図《くはだて》であつた。然るに余は神の佑助《たすけ》に由り恐る々々此事を行《や》って見た。殊に何よりも文学を嫌ひし余のことであれば、美文として何の取るべき所なきは勿論であつた。余はたゞ心の中に燃《もゆ》る思念《おもひ》に強いられ止むを得ず筆を執(75)つたのである。
 此書初めて出て第一に之を歓迎して呉れた者は当時の『護教』記者故山路愛山君であつた。君は感興の余り鉄道馬車の内に在りて之を通読したりと云ふ。然し其他に基督教界の名士又は文士にして之を歓迎して呉れた者はなかつた。或ひは「困難《こんなん》の問屋《とひや》である」と云ひて冷笑する者もあり、或は「国人に拾《すて》られし時」などゝ唱へて自分を国家的人物に擬するは片腹痛《かたはらいた》しと嘲ける者もあつた。然し余は教会と教職とに問はずして直に人の霊魂に訴へた。而して数万の霊魂は余の霊魂の叫《さけび》に応《こた》へて呉れた。余の執筆の業は此小著述を以て始つた。余は此著を以て独り基督教文壇に登つた。而して教会並に教職の同情援助は余の身に伴《ともな》はざりしと雖も、神の恩恵と平信徒の同情との余に加はりしが故に、余は今日に至るを得たのである。教会の援助同情の信仰的事業の成功に何等の必要なき事は此一事を以ても知らるゝのである。神は日本人を以て日本国を救ひ給ふと信ずる。神は日本に日本特有の基督教文学を起し給ひし事を感謝する。此書小なりと雖も、外国宣教師の手を離れ、教会の力を藉《から》ずして、直に神に聴《きゝ》つゝ其御言を伝ふる率先者の一たりし事を以て光栄とする。余はまた茲にエベネゼル(助けの石)を立て、サムエルと共に之に記《しる》して曰ふ「エホバ茲まで我を助け給へり」と。(撒母耳《サムエル》前書七章十二節)。
  大正十二年(一九二三年)二月七日   東京市外柏木に於て 内村鑑三
 
(76)     『【紀念論文】コロムブス功績』
        明治26年2月27日 単行本 署名 内村鑑三著
 
(77)     前書
 
 此書は著者が曾て六合雑誌に寄投せし論文に加ふるに著者が友人渡辺秋造 高田増平両氏の助力に依て編纂せしコロムブス伝を以てせしものにして之れに鄭重なる訂正と数千万語を増加して此に一書となせしものなり
 昨年来コロムブス並に彼の偉業に関し欧米歴史家の著述にかゝりし書は実に数十種の多きに至れり 而してその見点の異るより探見家の特性並に発意《モチーブ》に就て異説紛々其何れか真なるを知るに苦しむ 加之余輩文明世界の一隅にあり その著述だも悉く手にするを得ざりしが故に此書の記事或は已に陳腐に属せしものあらむこと(78)を恐る 然れども余輩は出来得る丈けの研究を尽しアービング、ライス、カステラの著述は勿論余輩の目に留まりし簡要なる記事は自由に摘用せり 而して伝記の骨子は「サイクロピヂヤ、ブリタニカ」に依り発見地の状態は重にカステラ氏の雄健なる記事に依れり
 伝記に伴ふコロムブス年代記並に三枚の略図と地名人名に拉丁字の原名を加へしは読者に少なからざる便益を与ふことゝ信ずるなり
 此拙劣なる編著にしてコロムブスなる世界人物と彼の偉業とを我国人に紹介するの一助となるを得ば著者の目的は達せしなり
  明治廿六年二月十七日    大阪泰西学館に於て 内村鑑三
 
 目録
 
コロムブスの肖像…………………………………………………七七
コロムブス年代記…………………………………………………七九
コロムブス発見地略図……………………………………………八一
コロムブス伝図面二枚入 ………………………………………八二
コロムブスの功績
附録ビンゾン兄弟
 
(79)  コロムブス年代記
[以下の表省略]
(81)  コロムブス発見地略図 [省略]
 
(82)     コロムブス伝[小見出し、固有名詞の原語表記等の頭注はすべて省略する、入力者]
                内村鑑三 編纂
 
     第一章 緒言
 
 試に眼を近々数ケ月間欧米に行はるゝ新聞雑誌上に放ち見よ 其|間《あひだ》必らず一二の市俄高博覧会に就ける記事を見ん 又試に想を美士観湖南の一岸に馳せ見よ 危楼傑閣上宵漢に接し白壁黝堊《はくへきりうあ》下《しも》湖面に映ず 嗚呼市俄高の市声俄かに高く美士観の湖観層一の美を加ふ 此大観美景を顕さしむるもの抑《そ》も誰れが為ぞや嗚呼夫れ誰れが為ぞや
 茲に於てか吾人は実に四百余年の古《いにしへ》に復りて大胆勇為の一|丈夫《じやうふ》を地中海の一浜に想起せずんばあらざるなり 誰れか知らんゼノア一毛工の子他日新世界の発見者たらんとは 又誰れか図らん此の発見こそ世界の全面に一大|富国《ふうこく》と一大自由の郷《きやう》を紹介し来らんとは 世には偉人と称する者多し 而して其偉人と称せらるゝ者豈唯|歴山王《アレキサンドル》、奈法翁《ナポレオン》、格朗?《コロムウエル》、華聖頓《ワシントン》のみに止らんや 吾人は此等侵略的革命的英雄の外《ほか》而して又愛国博愛の傑士の外冒険的実業的偉人あつて存することを疑はざるなり 今予が茲に紹介せんとする大探験家大発見者クリストフワー、コロムブスの如き其一人なり 今や彼が西|大陸《だいりく》発見の四百年に際し天下は之が為めに動き吾人は彼を思ふこと(83)切なり 是に於てか筆を採りて彼れの性行を叙し以て彼を追憶せんとす 蓋し彼を知るは彼を追憶する所以なればなり
 
     第二章 家系及幼時
 
 「英雄起所地形好」然《しかる》か否《しか》らざるか我得て之を悉《つく》さず されども其人物は其地形の如く而して其性行多くは其地形に似たることを信ぜんとす 見よ宗教改革者ルーテルは森林幽蔭の日耳曼《ゼルマン》より出で英国革命の張本者クロンウエルは沈々鬱々たるハンチングトンより出で而して天偉大の探験家発見者を生むに水浜湾頭水|游《およ》ぐべく船|掉《さをさ》すべきの処を以てす コロムブスは実に千四百四十六年(或は四十七年とも云ふ 月日素より不祥)新地発見の競争時代に於て以太利のゼノアに生る 当時以太利は航海遠征の企図大に進み其羅針盤と云ひ其海図と云ひ常に葡、西等の嚮導者たりしなり 此時に当《あたり》て天コロムブスを此地に生む 豈夫れ偶然ならんや 而して又実に偶然ならざりしなり
 コロムブスが家系に就ては多く知る由なしと雖ども十五世紀以来ゼノア及サボナの書籍館に保存せらるゝ当時の著述原本によりて考ふるに其、決して貴族名門に属せざるや明かなり 彼れは実に一市人階級に属せるものにて羊毛の賤工ドミニコ、コロンボの長子なり 元来此羊毛工の重なる住所はゼノアの東方リガリアン、アペンニースの山間なりしも祖父ギヲバニ、コロンボはゼ(84)ノア市《し》東《とう》殆んど六英里なる海岸のクイントに住せしが父ドミニコに至り初めてゼノアに移れり 後ビサグノ村《そん》のスザンナ、フヲンタナロサと結婚し四男一助を挙げしが長子は即ちクリストフハーなり 父ドミニコは羊毛工の外土地売買をなし酒店を開き乾酪を鬻ぎ為めに幾許《いくばく》の財産を獲ゼノア市郭に二|家《か》を建築するに至れり
 コロムブスが幼時の歴史多くは朦朧として知ることを得ずと雖ども普通史家の伝る処に依れば彼れは豊かならざる家計の中よりパビア大学に送られて数学及理学を研究し殊に意を航海用天文学に注ぎ居ること三年にしてゼノアに帰り暫時父の業《げふ》を助け居りしが十五歳に及んで自ら生活を選びて水夫と為りたり 後年彼が自記に曰く「苟くも船舶の至る処予も亦赴けり」と 就中彼は常に愛士蘭《アイスランド》畿内亜《ギニヤ》の沿岸及び希臘の間を往復せり 彼が暫くプロバンスのレニー氏に仕るベニスの船舶を妨げ且之を捕へしなど大胆活?の働き見るべきものあり 彼が子息の言に依れば豪勇なる船長コロンポ、エル、モゾーに従ひ其私有軍艦に乗じて葡萄牙に赴き水戦をなせしことありと云ふ 後アリヤコーの世界記マーコポロ、マンデビルの旅行記及びトレシーナーチヤス等の著書を読みて大に覚悟する所あり 後日《こうじつ》の成効を図らんが為め必要なる学理を修め海図を製し地球儀を作り斯くて遂に円満なる航海者たるの資格を得るに至れり
 
     第三章 結婚及発見事業の発端
 
(85) 羊毛工の子変じて水夫となる 天意既に此時に顕る コロムブス水夫となりしより種々の難局を経て豪胆を練りしが千四百七十年セントビンセント岬の近傍にて水戦を開き大に敗れ僅かに逃れて上陸せんとし命を一片の板に委して漂流せしが遂にリスボンの海浜に着せり 以後彼が葡萄牙に止まるの際彼のヘンリー王の幕下に在りて大航海者大殖民者として其名を知られポルトサントーに殖民して其知事となりし亡《ばう》船長バートロメヲ、モニス、デ、ペレストロの遺女フエリパと相親しみ遂に婚儀を結ぶに至れり フエリパは亡父の非常なる補助者にして其旅行記を書き地図海図を製し其他彼の航海に関せる種々有益なる書は冊悉く彼女が手に成れり 然《され》ばバートロミヲの死後此等の書籍海図等は其意匠企図と共に彼女に伝はれり 結婚の後コロムブスは新婦と共に移りて義父が旧領地ポートサント島に住して安静なる生涯を送るの間亡義父が行事《かうじ》企図其友人及友人の企図等に就き詳さにフエリパより学ぶ所あり 且老水夫の航海談及び西海《せいかい》の奇話等を聞きて世界の過半は未だ発見せられざること、西航《せいかう》して印度に達し得べきことなど悟れり 是れ蓋し他年亜米利加発見てう大事業の宿因にして而して其如斯なりしもの一に其妻フエリパの奨励に基きしや疑なし
 千四百七十四年初めて此の説をフロレンスの理学者にして且宇宙学者なるトスカネリー氏に告げて大に其称賛を得たり 爾後其説の世に承認せられんことを求むれども敢て之に応ずるものなかりしかば彼も亦逡巡躊躇の憂を免れずと雖も幸に彼れの妻フエリパの在るありて常に彼れを(86)奨め彼れを励まし幾多世笑人馬の間に立ちて其説を確守し以て動かすべからざるの基礎を置きしなり 凡そ事は其始に在り 仮令一旦確信を得たりと雖も蹉跌の為めに其心|沮《はゞ》み其気弛むに至らば忽ちにして其所信を翻へすに至るべし 若しコロムブスが発見思想幼稚の時に当て之を育て之に培ふのフエリパなかりせば偶々彼が得たる発見志想も唯一夜の夢想にて終りしならん 其是なからしめし者は実にフエリパの力なりと云ふも敢て過言《くわげん》に非ざるべし 然りフエリパはコロムブスが発見志想の培養者なりしなり 然るに悲哉其後十余年を経て発見の桂冠コロムブスの頭上に加へられたる時はフエリパは既に逝《さり》て久しきの年となれり 惟《おも》ふにコロムブス幾多の感慨を冷々たる墓辺《ぼへん》に寄せしなるべし
 
     第四章 発見の三大理由
 
 コロムブスが発見志想は重もに三個の理由に基くものにして
 第一自然の理 彼謂へらく地球は球躰なれば東より西に回航し得るものなりと 故にトレミーの説に従ひ赤道を以て東西距離の測線となし之を一時間十五度の割合を以て二十四時即ち三百六十度に分劃し而してトレミーの地球儀とマリナスの地図を参考してジブラルタルの海峡若くはカナリー島より古人が世界の東極端となせし亜細亜のテネー府に至るの間を十五時間即ち二百廿五度となしたるなり 然るに其後葡国人がアゾア及ケープ、デ、バード島を発見せしを以て更に(87)十五度即ち一時間を減じたれば今や八時間即ち地球周囲の三分一は不知にして残れり されば此間こそ亜細亜の横る所にて広く地球の西部を占め近く欧洲及亜弗利加に接近せるものと推考ぜしなり 故を以て之より西航せば遂に亜細亜の極端に達し得べく然らば即ち世人未知の地を発見するを得ぺしと
 第二当時の地理学説 中古時代の主要なる学問は天文学と地理学にてありしが天文学はポトレミー以来著しき進歩なかりしと雖も地理学に至ては大に世人の注意する所なりしが十五世紀々末に及んで地球円形説をして殆んど識者間の定説となすに至れり 此説たるや古代希臘の哲学者等略々認めて以て真理となせしも中古時代宗教思想の為めに拘束せられて殆んど消滅し地盤平坦説再び地理学上の定説となるに至れり 然るに十五世紀の終に至て再び此説回復し来り之を疑ふもの漸く減少するに至れり イタリヤの学者ポーロ、トスカネリー此時代の地理学志想を悉く採集して創めて地球儀を造れり 而して之が事実の材料は重にヴエニスの商人にして東洋に旅行せしマーコポロの旅行記を採用せしものなり 然るにマーコポロの記事は原と甚だ疎漏なるものにして学術上の実?を欠ぎしを以てトスカネリーの地球儀中誤謬少なからざるや明けし 就中《なかんづく》其著明なるものは亜細亜大陸を以て非常に広大なるものとなし随て日本と欧羅巴間(未だ米大陸の存在を知らず)の距離をして近々なるものと想像せしなり コロムブスが書をトスカネリーに寄せて其意見を敲きしとき左の答《たふ》を得たり
(88)  リスボンより直線西に向て六千五百|西里《ミリアレ》進めばキンセイ(今の杭州)の大市に至らん 此距離は地球周囲の殆ど三分一なり キンセイは南方支那の一州にある市街にして支那帝王の居住地を去る遠からず 又アンチラ島より著明なる召ジパングー(我日本)島に至る迄二千五百西里あり 此日本島は黄金真珠宝石等に富み寺院及び宮殿等純金を以て装飾せり、而して此の中間の海岸は未だ曾て過ぎしものなし
 是に因て之を観ればトスカネリーは欧亜間に横はる大洋の広闊は現在の大西洋よりも狭きものゝ如く考へしなるべし 若し尚此時貞個の巨離を知りしならばコロムブスの雄胆も之を横断するの気力は出でざりしならん 今左に載する地図は千四百九十年頃の旧図にして独逸国ニユレンブルク府の地理学者ベバイム氏の製図に係るものにて多分トスカネリーの図を其儘採用せしものならん若し果して然らんにはコロムブスの航海用に供せし地図も亦此図に大差なきや知るべし 載せて以て参考に供す
 第三 航海者の報告及口碑既に二個の理由によりて殆んど確信を得たれば当時航海者の報告及び其他の口碑一として彼が信念に力を加へざるはなし 就中《なかんづく》亜非利加沿岸及ポートサントに往来する老水夫の奇談に耳を傾けたり 彼の葡萄牙の水夫マルチン、ビセンテーのビンセント岬西《かうせい》殆んど千二百|英里《えいり》の処にて数日間《すじつかん》西方の強風に逢ひたる後鉄器に非らざる器械にて彫刻せる一箇の木片《ぼくへん》を発見したるが如き、彼の義兄弟《ぎけいてい》ペドロー コーリヤのポートサントーにて其関節間に四
(89)〔地図省略〕
(90)「クォート」(二|舛《しやう》五合)の水を盛るに足るべき大なる竹杖《ちくじやう》及び二人の広顔異容の人物が波浪の為めに海岸に漂着せしを見しが如き、其他アゾーア西方の奇島、カナリー島西二百|海里《リーグ》にある七都会の滅亡島等に関する談自己が北方旅行中聞き得たるバイヲルン及リーフの航海談及西方に当《あたり》てヘルランド及ビンランドの蒼々たる海岸を望見し得可しなど云へる漠然無痕の風説さへ皆走れ彼が西航《さいかう》を促せる一原因にして遂に其決心を確定せしむるに至りしなり
 
     第五章 助成者の捜索
 
 古來思想界の進歩を妨げしものは多くは是《これ》其思想を伸べしむる器械を得るに困じたるが為めなり偶策士ありて良図《りやうと》妙計を出すと雖も之を助くるの志士なく空しく智者の智を没し策士の策を徒らならしむ コロムブス今や確乎《かくこ》たる思想を得たり 其説を容れて彼を助くる者は果して誰ぞや 実に彼が事業の最大難局は此|助成者《ぢよせいしや・パトロン》捜索にてありしなり 而して彼先づ謂《おもへ》らく此大事業を企つ先づ一国の君主及び国民の賛同を得ること必要なりと 即ちゼノア共和政府の元老院に至り其説を具陳せしに忽ち排斥せられたれば去て葡萄牙王ジヨン二世に会して其意を解けり 恰も好し王は已に亜非利加海岸にて発見的事業に着手中なりしを以て喜んで彼の説を容れ先づ之を地理局委員会議に付せり 然るに委員は之を非決したれば王シユーターの大僧正と議し密かに舟を装して其計画を実行せしめたり 然れども事固より冒険至難の業《げふ》なれば水夫|等《ら》は落胆恐怖久しから(91)ずして帰り来れり 彼|微《ひそ》かに之を聞き大に憤激し共に事を為すに足らざるを覚り曾て己れの計画を告げ置きたる英王ヘンリー七世に訴へしめんとて一書を認め実弟バアトロミウを英国に遣はし彼は其愛母を失ふたる可憐の一子デイエゴーを携へて密かにリスボンを去て西班牙に赴けり 世人は此密行を以て或は負債を逃れんが為なりと云ひ或は葡王の手を脱せんが為なりと云ひ巷説区々たりと雖も思ふに此|間《あひだ》は最も苦心の時たりしなるべし 後《のち》三年を経て葡王は如何なる事情あるも彼を保護して安全なる位地に置かしむべき旨を以て彼を招きしも時已に去て又た如何ともする能はざりし
 彼の西班牙に赴くや先づメデナシドニア公に其意を告げて反対せられ去てメデナセリー公に就きしに反つて大に賛成を得二年間賓札を以て厚遇せられ遂に三四艘の遠征艦を給ひて其希図を成らしめんとせしも事到底一臣下の成し能ふ所に非ずとして西班牙女王イサベラに謀らしめんが為照会状を給ひたれば彼即ち其希図せし仏国行《ふつこくかう》を止めて自らコルドバの朝廷に赴けり 然るに此時西班牙に於てはカステール及びレヲンの両族兵を合してムーア人を攻め数回《すくわい》の大戦争後国事多端なるの時なりしかばフエルデナンド及びイサベラの意向一にグラナダの攻取に急なりしかば彼の説を聞くの暇なく彼をして無為に足を留めしむるの止むを得ざるに至りたり 然れども女王は深く彼に同情を表し多くの便利と薄からざる待遇を与へアロンソー、デ、クインタニラの宅に預けたれば彼即ち好機失ふべからずとなし熱心クインタニラに説き遂に其賛助を得るに至れり 以(92)後|漸《ぜん》に朋友を得て彼に同感を表するもの多くかの後年彼が第二子フアーナンドの母となりしビートリツズ、エンリクエツズと交際せしも亦此|間《あひだ》にてありしなり
 他日イサベラ女王の彼が業《げふ》を助成するに至りしも実に此|間《かん》に於ける彼が交通上の賜たるや知るべきなり 彼其|後《のち》女王に従《したがつ》てサラマンカーに赴き後「班国第三の王」と称せられしペドロー、ゴンザロ公に面晤するを得たり 公曾てコロムブスの所説異教的の原理に基けるものとして是認せざりしも今や直接に彼を見て其説を聞き釈然解する所あり彼の為めに喜んで国王に照会の労を取れり 国王彼に聞くや直に之を女王の懺悔僧《さんげそう》なるハアナンド、デ、タラベラに托して調査せしめたり 千四百八十七年タラベラ各天文学者及宇宙学者|等《ら》を集めて彼と弁難討議せしめたるに彼の高僧マルドナドが提出したる聖書的問題を除くの外明弁快答人をして歎賞せしめたる程なりき 此聖書的問題とは即ち地球円形の理に反対するてうものにして曰く「今若し地球の反面に人類の住地ありとせんか両陸の間茫々往復すべからざる大洋あるを以て其各人類の始祖自ら別ならざるべからず是即人類の始祖をアダム一とする能はざる異教的の説なり 詩篇に曰く天の幕の如しと 註解者曰く之れ牧畜者の用ゆる獣皮より造れる天幕なりと ポーロ又希伯来《ヘブル》人に告げて天は天幕の如く地球を掩ふと謂へり 此等の意を解するときは地球は必らず平面ならざる可からず」と 是れ彼に取て一時の難問にてありしかど其|後《ご》彼が孜々たる聖書研究は彼をして明に此等の事を弁解せしめたり 加之《しかのみならず》聖書探究の結果は彼れをして其西航事業は神の特撰に係り聖書中(93)又極西の住民を指示したるの語あれば即ち聖書に合《かな》ふものにして神意|早《とく》にエルサレム聖地回復の為め彼が航海を黙示したる者なりとの確信を懐かしむるに至れり 惟ふに彼が他日十字軍を起さんと欲せし遠因実に此|間《あひだ》に於て胚胎し来りたる者と云ふべし
 コロムブスの事理如斯明かに其確信如斯堅なるに拘はらずタラベラ及マルドナド等は直に其意見を抛棄するを好まず一先会議を中止せり 而して彼を攻撃する者如此多しと雖も彼を保護する者も亦た甚だ少しとせず アントニヲ、デ、マアケナ、デアゴ、デ、デザ専其重なる者にてありき 彼は此間に於て王の照会を得て各地を巡遊し到る処貴賓として待遇せられ且其費用等も悉く王の支弁を忝なふせり 四百八十九年彼のバザーを囲むの時彼亦|往《ゆき》て之を援助せしが一日二使あり土其古王の書翰を齎して直に国王に面せんことを求めたり 其書に曰く「若しグラナダを攻取せば我領地内の基督信徒を悉く誅戮し教会及墓地を破壊せん」と 王は決して此強迫に怖れず遂にバザー府を陥《おちゐ》れたりしが当時女王は使者の労を謝し聖廟に献ずる為め自製の幕一張を贈り且爾来墓地管理者に年々金貨一千「ジユーカツト」(一ジユーカツトは我国一円余に当る)を与ふるの旨を告げて帰らしめたり 士卒|等《ら》皆使者に就て迫害の様を問ひ且土其古王が非礼の書を見て大に激し再び十字軍を挙げんことを主張するに至れり コロムブス素より熱心至愛の信徒たれぱ其|同胞《どうばう》が被害の様を聞て焉んぞ慨然たらざらんや 彼が終生念頭に在りし十字軍挙起の近因は実に茲に存せしものにて彼をして「余若し発見の事業を成効せば余は其所得を以て自から十字軍(94)を起さん」と云はしめし者夫れ豈偶然ならんや
 翌年彼は其計画の空論にして実行し難き旨議会よりの報告に接したれば大に失望して直ちに舟に搭じて仏国に赴かんと先づコルドバよりセビルにセビルよりマルケナに到る処其旧知を訪ふて彼が失望と不成効の様を語り更にマルケナよりヒユーエルバなる義兄弟《ぎけいてい》の住所に至り彼が訪歴奔走の間《あひだ》其養育を依托し置きたる長子デアゴーに面せり 此時こそ彼が失望落胆の極みにて躰《たい》疲れ神又倦み最早人生に望みなく静かに半生を隠所に送らんと心竊かに其の所を求めたりき 然り彼がラ、ラビダの寺院を見出せし時は恰も暴海怒濤の暗夜に一点の警火を認《したゝ》めたる船夫の如くにてありしなり
 コロムブス、ラ、ラビダ院裡|松影《せうえい》暗き処に静坐七て沈思黙想する毎に彼が事業の幻影眼前に顕れ際涯なき欧西の海、雲翳なき西海《せいかい》の天彼が心を誘ふ者屡々なりと雖も而かも今は地上の望絶へ道念高く天に帰り彼が身辺に在る凡ての者も彼が霊魂に対しては唯浮雲に値するのみ 世界の発見と永遠の国と孰れぞや 噫ラ、ラビダ院裡のコロムブスはコルドバ廷中のコロムブスに非ざりしや知るべきなり 尚《もし》此時寺院の監守人ジユアン、ベレツズ、デ、マーケナと相知ることなかりせば彼が多年の大望《たいもう》も空しく彼が遺骨と共に地下に葬られしも未だ知るべからず 然るに幸にペレツズの在るありて彼を助け彼を励ませり 彼が他日の成効を得しもの実に此一僧が濃厚なる友情に由ると云ふも敢て過言《くわげん》に非ざるなり 彼は又ペレズの照会に由りて医師且地理学者なるガ(95)ーシ、フアナンデズと知るを得たり 二人は彼の為めに一書を女王に呈し更にペレズ自ら往て女王に勧め再び彼を召し且若干|金《きん》を恵与するに至らしめたり 是に於て彼直ちにグラナダに赴き女王に謁して説く所あり ペレズも亦留りて王の良答を得んことを待ちたりき 恰も是グラナダの降下せしにより之を再建せんとするの時なりしが幾多協議の未遂に王と談判を開くに至れり 彼素より其意見の確実なるを自信せしかば宛然《えんぜん》新発見地の大王の如く其制度内政等を議し而して三箇の請求をなせり 曰く余に水師提督の官を与へよ、余をして発見地の副王たらしめよ、商業若くば戦勝より得たる利益の十分一を与へよと 茲に於てタラベラ等又大に反対し如斯《かくのごとく》多慾私心の者王廷に留むべからずと揚言しフアデナンド王其人も内地に於て全力を以て打破したる封建制度の再び大西洋の彼岸に起らんことを恐れ嘱望の談判も直に破れたれば彼も、はや西班牙王に頼みなく彼が最後の依頼者と定めし仏国に向て出立せんと決意せり 蓋し彼れが初より仏国に訴へざりしものは希くは彼が所望の印度に最近なる欧洲西端の地を発船の地となさんと思ひしが為なり 然るに今や西欧の諸王誰あつて彼を助くる者なければ仏国に赴くの止を得ざるに至りしなり 恰《あたかも》好《よし》サンタンゼロ之を聞て直に王延に至り勧めてコロムブスを呼還さしむ 王当時彼に給するの財政に窮したるも幸にサンタンゼロの策に因りて其法を得たれば事一決コロムブスを呼返すこととなり直に急使を馳せて彼を尾《び》せしむ 使グラナダを去る六里にして彼に追及し伴ひてサンタフエーの営に帰れり 彼即ち王と談判合議の上交互捺印契約書を交換するに至れり 之をサ(96)ンタフエーの条約と云ふ 実に一千四百九十二年四月十七日なりき
 嗚呼誰れか此時コロムブスが喜を想像し得るものぞ 想ひ来れば実に千折方挫を経て此結果を得しなり 見よ初め葡王の助けを得て出航せしも中途にして帰り班王に会するや国難の時に当りて遽かに果されず偶々其緒に就かんとして又退けられ仏国に赴かんとして途に失望落胆の谷に陥り最早雄志を制して余生をラ、ラビダ院裡に過さんとせしにペレズ、フアーナンデスの助くるあつて又思を回し二人の助けに因て王と最終の局を結ぶ迄に及んで又破れ再び仏国に至らんと出立せしにサンタンゼロの策によりて又王と議するの機を得茲に初めて条約を取交はして事を決するに至りしなり 吾人は当に其辛苦を知て其喜びを察せずんばあらざるなり
 
     第六章 第一航=発見
 
 彼は実に幾多の困難を経多年の忍耐を積み経営辛酸万骨を枯らして今や漸く志望を果さんとするの機を得たれば一日も早く其途に上らんとするは蓋し人情の然らしむる所なり 然れども百般の準備は彼をして尚四ケ月を遅れしめたり 彼が目的はジパンゴー(我日本)の奇国を発見し且印度大王を基督教化せんとするにありしかば国王に請ふて一通の照会状を受けたり 国王は更に命をパロー府に下して彼に二艦を与へしめ其他の準備は絶て彼の自由に放任せり 彼は水兵を暮らんが為め罪人破産者失敗家等を誘ふも敢て之に応ずるものなかりし 思ふに若しペレズが奨励に(97)由りてマーチン、アロンソー ピンゾン及ビセンテイ、ヤネス、ピンゾン等を得ることなかりせば彼が出帆は大に延引せしなるべし 然るに此ピンゾンは老年なるにも拘はらず熱心斯事に従ひ数多《あまた》冷淡なる者を励しければ彼を得てより準備非常に整ひ且彼自ら費金として五十万金を出《いだ》せり 斯くて八月三日に至り準備全く整ひ人員船舶食糧悉く給せしかば彼はジユアン、コサ医師マ(98)エスツルアロンソ、コルドバの保安官初め諸官員視察官等を載せて茲に初めて遠征の錨を抜けり 此艦隊総て三|艘《ぞう》にしてサンタマリナ号は五十名の水夫にて彼自ら之を督しピンター号は三十名にしてピンゾン之を督しニーナ号は十四名にしてヤネズ之が督たり 此日は実に金曜日なりしかば彼は少なからぬ希望と祝意《しくい》を此出立の日に懐けり 想ひ見よ古来金曜日は如何なる日ぞ 第一十字軍はゴツドフレーに導かれてエルサレムを取りしに非ずや、天主教の王|等《ら》がグラナダに勝ちしも亦此日に非ざりしか 況んや此日は偶然にもフランシスカン派が熱心に守りし祭祀の当日に会せしおや コロムブスの胸中希望の烈火?々たりしや知るべきなり
 出帆後三日にしてピンタ号舵を失ひしかばコロムブス大に驚きたるも素より敏達多智のピンゾン氏之が督たれば唯彼が所為に任したり 遂に之が修復の為めキヤナリー島のテネリフに碇泊し止ること一ケ月一夜天空晴朗なるの時テネリフの火山破裂して石片落下すること隕石の降るが如く烟雲を通じて虹色《こうしよく》の光を放つこと恰も新太陽の出でしが如し 是を以て水夫等大に驚怖し謂らく之れ未知大陸の行路を妨げんとする神の所為なりと コロムブス此迷信を破らんと伊太利《イタリヤ》シヽリー希臘海岸の先例を語り漸く其愚を解けり 既にして東風《とうふう》一|来《らい》船は大速力を以て進行を初めたり 九月十三日に至て始めて磁針の変化を見十五日に於て驚くべき流星十三四哩を隔てゝ海上に墜落せるを見翌日は「サーガソー」と名くる海草充満せる蒼海に達せり 彼の自記に由れば是れより常に軟風を受け朝夕の冷昧実に掬す可き者あり 宛もアンダルーシアの四月の天と均しく唯(99)鶯声を聞かざるのみと 十七日更に磁針の変化を現はしたれば水夫等大に驚き最早西すべからざるを唱せり 然れども彼が学理上懇切なる説明によりて漸く之を制するを得たり 十八日|数羽《すは》の鳥を見且水面低く浮ぶ雲を見て陸地に近づけるとなし廿日ペリカン鳥二羽を見て愈々陸の近きを信じたり 然るに是皆誤認誤想にして更に其徴なく日又日茫々たる蒼海の外何の見る所なかりしかば水夫等大に落胆し不平の声と罵詈の語は各水夫間に洽ねく一人として進行を望む者なかりし 而してコロムブスを罵て曰く真なる哉曾て此ゼノア人を狂人と呼びしことやと 彼れ深慮して眠らざれば其眠らざるは是れ狂人なるが故となし彼れ熱心の余食はざれば即ち之を狂人の致す所となす 凡そ是等の言語挙動は全水夫の間に伝はれり コロムブスも是《こゝ》に至て大に窮し進まんか水夫の激怒を如何せん退かんか国王の譴責を如何せん進退維れ谷て為す所を知らず独り上帝に向て哀求せり 然るに幸にもピンゾンの在るあつてコロムブスの力及ばざる所は巧に之を説服し且つピンゾン自己の勇気と精神は水夫をして翻然大悟せしめたりき 故を以てコロムブス ピンゾンに謝して曰く「願くば幸運爾に在れよ」と 且つ告て日く「我儕《われら》をして尚|数日間《すじつかん》の航海を続けしめよ 而して尚陸影を見ざれは其際更に行路に就て議せしめよ」と 然るにピンゾンは大喝一声之を打消して曰く進行せよ、進行せよ進行せよと 此再三の叫声《きうせい》は大に全艦員を励まし意を決して進行せしめたり 我會て之を聞けり以色列《イスラエル》人が亜刺比亜《アラビヤ》の野に?《さすら》ひしとコロムブスの艦隊が大西洋に漂ひしと何ぞ其能く相似たる 彼は紀元前千四百九十二年の頃にして是は紀元後千四百(100)九十二年なり 彼れは砂漠中に於てし是は大洋中に於てすと 然り予は今に於て更に其然るを知る 彼等水夫は恰も以色列《イスラエル》人がモーゼの下に在りしが如く忽ちにして怒り忽ちにして解け前言を忘れては又帰心を催すが如く其心中確固たる信念なかりしや知るべきなり
 廿五日ピンゾンが叫びし陸!の一声は此等水夫の上に復活の鈴声の如く最早此蒼海中の藻屑と化するの外なしと思惟せし水夫等を甦らしめたり コロムブス又此嬉声を聞くや直に甲板上に跪き合掌挙目「栄光神に在れ」と叫びたり 然るに之れ全たく無益なりき 其の陸と見へし者は近づくに随ひて虚影となり又一物の目に触る者なかりき 如此誤報をなせし者二度十月十一日に至り漸々信拠すべき証物を獲るに至れり サンタマリナ号は鳩の飛来するを見又葉ある葦の流れ来るを認めピンタ号は鉄にて彫刻せる杖及|竹杖《ちくぢやう》と一個の板を拾上げたり 而してニーナ号は更に良好の証物を得たり 即ち野生の薔薇を以て囲繞《ゐぎやう》せる一個の円柱にして巧に彫刻せるものなしかば以て人類住地あるの証となすべし 爰に於て衆心初めて安く怡然《たいぜん》勇気を恢復せり 此等の報コロムブスの耳に達するや彼は最早陸の接近せるを確信して静かに経倫を回らさんと自室に入り先づ神に祈れり 事態如此なりしかばコロムブス祈?を終へて後又甲板に上り独り西天を凝視せり 彼は固より一眠だも取らず船夫も亦各々其位置を変ぜず只管西望を凝らし居たり 彼れは実に夕陽《せきやう》水平線下に没してより半宵を甲板上に費し一念凝て木偶の如く動かず 夜気身に徹して殆ど彼を冷殺せんとし斯くて全艦悉く眼を西天の水平に注ぎしが終に発見の運はピンタ号(101)の占むる所となり十月十二日午前二時天辺の衆星と海中燐光の間に認められて慧眼活達のセビル人なる一水夫の口より陸!と叫び出せり 此声と共にマアチン アロンソ ピンゾンが発したる祝砲《しくほう》は全艦の水夫等に一大慰声を伝へたり 此発見の地は印度人が「グワーナハニ」と名くる一島にしてコロムブスは之を「サンサルバドル」(神我を助けて之を与ふの意)と名けたりと云ふ 嗚呼コロムブスが一念の信仰終に此結果を得ぬ
 
     第七草 発見諸地の状態
 
 多年の経営は茲に報はれたり 多日の希望は百難千苦の後遂に果されたり 彼は既に陸を発見す 如何ぞ速に上陸を欲せざる 則ち正装美服し自ら西班牙王旗を採り且ピンゾン兄弟をして彼の工夫に成れる緑《りよく》十字の旗を採らしめ多数の水夫を率ゐて上陸せり 彼等は先づ地に跪き其享受せる深き恩恵と厚き擁護に向て満腔《まんくう》の感謝を神に捧げ彼我を顧みて喜悦の涙に咽びたり 是に至て曾て彼を呼で狂となし彼を疑ひ彼を苦しめし水夫等皆悉く悔悟流涕彼の足下《そくか》に来りて其罪を謝せりと云ふ 彼は此島に名称を附しカステル及レヲンの王名に因りて所領となす旨を布告せり
 今発見地の状態を概言すれば其気候は温和にして至る処深林多く花実又能く成熟し就中《なかんづく》「バナヽ」「コヽア」等は其特産物にして土人の多くは之に依て生活せり 地味又豊饒なり 土人は大率《おほむ》ね裸躰にして(綿に富みたるを以て間々綿を纏ふ者もあれども)銅色《どうしよく》を帯び頭髪長く垂れて耳辺又(102)は背部に至り且身躰を彩色したれば一見人をして恐怖せしむ 躰?強壮にして能く労役に堪ゆると雖ども而かも気候暖和天産物に富めるを以て別に身を労して生計を営まず 時々諸島の間に戦争を起すことあるが其武器は通常魚骨 燧石《ついせき》 梶棒等にして時には魚鳥の嘴又は歯を用ふることありと されども又奇妙にも鸚鵡を愛して之を飼養す 其性質温和質朴にして大に親み易し 而して此野蛮人中にも宗教は亦自然に行はれ土人は皆偶像を礼拝せり 是を以てコロムブスは力めて彼等を基督教に化せんとせり
 今又更に発見の順序に從ひて詳説すればコロムブスは三日間サンサルバドルに滞在して仝地の事情を探索せしに全島は発見諸島中尤も野蛮なる者の一にして土人等裸躰にして決して恥ぢず 而して眼前に顕れたる異様の珍客《ちんかく》に対して恰も小児の如く不思議の面貌を以て眺め互に相呼んで「此天降りし人を見よ」と云ふが如し 彼が上陸の地にては一少女の外婦人を見ず男子も皆未だ三十歳を超へざる青年にして老人及幼児は一も見ざりしと云ふ 土人|等《ら》一度は恐怖したりしも既にして慣れては艦隊に来ることを好み或は舟にして或は游泳して恰も貝殻の附着するが如く船辺に群集し来れり 彼等は貿易の智浅くして破壺《はこ》硝子盃《せうしはい》の破片さへ買はんことを欲ひ而して己が綿を売るや西貸半「マラベデ」(一「マラベデ」は我三厘)に対し十六|包《つゝみ》(二十五磅余)の多量を与るの類なり 然れども其性温厚にして好んで清水《せいすゐ》、甘果等を贈り若し当方より物を与ふることあらば先づ彼等の土産を持来るにあらざれば之を受けずと云ふ 如斯|贈遣《そうけん》頻《んひん》なるに拘はらず誰あつ(103)て黄金を持来る者なければコロムブス謂《おもへ》らく此希望を充たすものは唯夫れジパングー(日本)のみならんと、斯くて漸々探?を拡《ひろ》めて島より島に移り至る処彼が聯想に従て其名を命じたり
 十五日一島を発見し之をサンタ、マリア、デ、ラ、コンセプシヨンと名けたり 此島の景況概ね前島に同じければ敢て記せず 十七日に着せし島には王名に縁りてフワーナンデナと名けしが此島は前二島より稍々進歩したるが如く粗末なりと雖も土人の労力に成れる生産物を見たり 次はイサベラ(女王の名に因し)島にして全島香気に充ち空気清鮮水又純粋花実成熟して天然の美を顕はし探?家の疲憊《ひゞ》せる身心に活気を与へたり 殊に其夥しき動植物中|大蜥《たいてい》と沈香樹《ちんかうじゆ》は皆是東方|亜細亜《アジヤ》の生産物と考へしめて一層の注意を惹けり 前島の土人告げらく此島は黄金に富み且其島王の衣服は金を以て飾れりと 故を以てコロムブスは大に望を嘱《ぞく》せしも何の得る所なく且王の出現を待ちて二夜を過せしも是亦無益なりし
 コロムブスは既に四島を経たるも彼が惟一の希望なる黄金を見出すに由なかりしかば早く彼のジパングー(日本)の奇国に達せんことを希ひたり 四日の夜半イサベラを出帆して土人がキユバと称する島に向ひしが四日を経て島中の一河口に達するを得たり
 キユバは天然の美土にして島は熱帯海に囲まれて大西洋面を水天彷彿の間に望み河岸には大茎の蘆葦《ろうゐ》叢生して浮園を形造り岩礁には各種の貝殻《かいがく》附着して光沢を顕す 而して「コヽア」中天に聳立し羊歯広大の森門《しんもん》を作す 其他密柑石榴の園あり 「マホガニー」烏木の森あり 緑頭に鳥飛(104)べば紅辺に蝶舞ふ 凡て此種説明すべからざる豊饒の様は恰も未だ乱されざる「エデン」の園が罪なきアダムを感動せしめしが如く此疲労したる一航夫の心を感動せしめしなるべし
 キユバは発見島中尤も開化したる島にしてコロムブスは之を不運なる王ドン、シヨンの記臆に因りてイスラ、ジユアナと名けたり 土人の風采は頭髪|馬鬣《ばりやう》の如く厚くして長く肩辺《けんぺん》に垂れ体容常にして顔色|美《うるは》しく各種の色に塗彩せり 其固有の顔色はカナリー人に似たりといふ 彼等のコロムブスが一隊を見るや他島人の如く天降《てんかう》の珍客として称賛せず却て遁逃《とんそう》其形を隠せり さればコロムブス自ら上陸して留心土地の状態を捜索せり 其家屋は皆前諸島の如く棕梠葉《しうろば》を束《つか》ねたる天幕様のものなりし 而して各家皆漁網及び骨《こつ》にて造れる釣針等総て魚猟の為めに要する器具を蓄へ居れり コロムブスは曩きに土人の言《げん》を信じ少からざる期望を以て此島に来りしに何の獲《う》る所なく唯見る山川草木自然の美景のみ されども此等の美景奇観は偶々以て彼れが黄金を見出し能はざる失望心を増すの媒介たるのみなりし されば了解し難き土人の語を種々主観的に判断して或は黄金国の名称となし或は黄金国は隣島に在りとなすなど彼の慾望心よりして少からざる過ちに陥りたりと云ふ
 十一月十九日|纜《ともづな》を解き海岸に沿ふて島辺を巡航しハイチ島の西岸に赴かんとせしに偶々逆風に会ふて危険なる浅洲に乗上げ海上に漂ふの止を得ざるに至れり 而して彼が航海中の最も不幸なる出来事は実に此|間《あひだ》に於て起れり 即ち彼が事業の半身として彼を奨励保護し遂に其完成に(105)迄至らしめし剛勇なる水夫着実なる事務家マーチン、アロンソ、ピンゾンと袂を分たざるべからざるに至れり 嗚呼是何が為ぞや又何の故ぞや 西班牙人固有の名誉心、自己の特性を恃む自負心、黄金国の発見に於てコロムブスに先駆し以て今日彼が独得の名誉を削がんとする一大誘惑是等は遂にピンゾンを導ひて以後|可言《いふべからざる》慘状《さんじやう》の下に呻吟せしむるに至れり コロムブス固より彼を失ふに忍びざりし 而かも如何《いかん》せんコロムブスと雖も其|功名心《こうめいしん》を棄つるも尚此老練なる艦長を失ははざらんとするに至らず 遂に三艦二と一に分れピンゾンは自己の意に従《したがつ》て進航しコロムブスは依然其航路を続けたり 既にしてキユバの最東端に達し前面糢糊の間《あひだ》一島の横はるを見出したれば希望の中に十六「リーグ」を馳せ十二月五日其陸に達せり 之れ即ちハイチにして此島の魚類草木及家屋の形造等能く西班牙に似たるの故を以て彼は之を本国の記臆としてエスパノラ(ヒスパニヲラ)と名けたり 此地の土人は前諸島人より皮膚美麗に其性朴直なり されば一度びは逃隠せしも招《まねく》に応じて又帰り来れり コロムブス此地にて多少の金を見出せしも多くは婦人用の鼻飾にて薄片小容の物にてありき
 彼は探見の為め一ケ月をエスパノラ及びトルチユガ島の間《あひだ》に送れり 初めて上陸せし地を其聖日に因てセント、ニコラスと名け第二をコンセプシヨンと云ひ第三をセント、トマスと称したり 彼又エスパノラに於てグアケナガリと称する一人の酋長《ゆうちやう》に会せり 此者島中にて最も新来者を厚遇する誉あるものにて或は腆物《てんもつ》を贈り或は使者を遣り来るなど種々の慰《なぐさめ》を受けたり
(106) 廿四日早暁纜を解きて進行を始めしが日間《につかん》僅かの進行をなせしのみにて夜《よ》に入れり 同夜は「クリスマス」の前宵《まへよひ》なりしかばコロムブスは止《とゞま》りて其日を祝《しく》し且其身体の疲労をも休ませんとせり 彼れは実に多日の疲躰を休めて一夜を送りしが過去の回想将来の希望交々起り此等の島が何《なん》の時文明と基督教の風《ふう》に靡くやなど思ひ回らして転た感慨に堪へざるものありき 此夜天清く波静に水夫又心を安じて能く眠る。遽然《きよぜん》一声本船暗礁に衝突す コロムブス直に此危機を知り甲版上に馳せ命じて柱を折り荷物を船外に放出せしむ されども此周旋は無益なりし 船は遂に全く破船し終れり 思へば曩きにピンタ号と分れ今又サンタ、マリアの破船を見る 残るは最小なるニーナ号のみ コロムブス茲に於て直に使を馳せて酋長《ゆうちやう》グアケナガリの許に遣はし該状を報じて助けを乞へり 酋長直に之を諾し非常の手段を行ひて此難時に要する凡ての救助と且将来の為めにと食糧用品を与へ破船の救荷物《すくひにもつ》は陸に揚げ土人をして厳重に之を守らしめたり 一日を隔てゝ酋長コロムブスを訪来し慰藉《ゐせき》を与へ且将来の補助を約せり コロムブスも亦其厚意を受けて所要の保護を乞へり 是実に以後親情を密にし以て新探険の基礎を置きし一因にてありしなり
 彼曾て此酋長と会食し酋長が談話中シバヲと称する地を聞き直に之をジパングーと断了して身ははや印度辺に在るものゝ如く思惟したりと 実にコロムブスが心黄金を求むるに急なる一日も早く日本に達せんと欲せしや事々処々に於て瞭々見ることを得べきなり
 彼は如斯酋長と親交せしかば質朴無邪気の土人|等《ら》も亦彼を尊崇《そんしう》して己れが主人の如く奉ぜん(107)とせり 彼茲に於て謂《おもへ》らく本国政度の摸形として茲に城寨を築き以て彼等の信用を証せんと 即ち破船の材木を集めて城寨を作らしめしに土人等皆来りて之を助け城寨立処に成りたれば彼は破船の当日を記臆せんが為め之をナビダドの城寨と名け四十三人の水夫を止めて守らしめたり 以後コロムブスは酋長の兄弟等《けいていら》より招かれて盛宴を張られ或は酋長より黄金の装飾物を与へられ或は旗下の者より厚き待遇と黄金の賜物を受けたるが如き共にコロムブスに取ては無上の喜びにして其状殆んど説明する能はざる所なり 是に於てか彼は仮令ひ印度に達せず又ジパングーに着せずと雖も今は最早復命すべき好時機なりと思ひ一先其成効の佳報を齎して帰航せんと決心せり
 
     第八章 帰航=復命
 
 コロムブス是《これ》迄帰航を急がざりしに非ずと雖も彼の切望の一物を得ざる間は敢て其意を制したりしなり 今や黄金幾許を手にしたれば最早帰航の機至れり 則ち其殖民地と帰航船の為め食糧兵器其他必用なる物品を備へ且其新殖民者に命じて曰く「能く主長に服従し力めて印度人に厚情を表すぺし 決して腕力などを以て圧制するが如きことあるべからず」と 而して是迄漠たる水天の間、靉たる異雲の下《した》相提携せし船員二となりて東西に別る、さなきだに離別を惜むの人情豈涙なきを得んや されどもコロムブスは気を励して水夫等に諭し将来に於ける新希望を与へて別を告げたり
(108) 出帆の日は千四百九十三年一月四日にして翌日寺院の如き巨巌を海面に認《したゝ》め之をモント、クリストと名く。六日・マーチン ピンゾンの船と相会《あひくわい》す 先是《これよりさき》コロムブスのピンゾンに別るや久しからずして印度人の報告により彼れがハイチ湾に在ることを知り書を寄せて他意なきを示せしに不幸にしてピンゾンの手に入らざりしにや今両船の相会するに至るも敢て接近せず故らに是風波の為めなるが如くしたりき、之を聞くピンゾン各地に出入して多額の黄金を獲其三分の二は之を船員に頒てりと さればコロムブスは之を以て悪魔の所為となし憤怒《ふんど》する所なきにあらざりしも途中如何ともする能はざれば帰着の上罰を請はんと思ひ共に帰国の途に上れり
 一月十七日発見地の陸影を失ひてより二月十一日迄は平穏なる航路にてありしが十二日に至りて暴風遽かに至り彼等が會てなき危険に遭遇せり 彼等は一たびパロス港頭を離れてよりハイチ海の暗礁にて旗艦を失ふたるの外又何の難所にも出遇はざりしなり 然るに十四日に至りて風更に暴《あら/\》しく一天晦冥|黒雲《こくうん》海を掩ひ怒濤|舳艫《じくろ》を衝く、颶風の下《した》、激浪の中《うち》隠現出没今にも沈没し去らんとす 水夫等何のなす所なく空しく裸柱の下に拱手せるのみ 今や実に死は水夫の前面に立ち彼等の待つ者も亦唯此死あるのみ 既にしてピンタ号は再び影を失し今は最小艦ニーナ号のみ波上にたゞよいたり コロムブス今は施すに術《じゆつ》なく只管神助を求むるに切にして若し神怒を避くるを得ば「シヤツ」を着し膝頭《しつとう》以て着船地の聖堂に拝礼《れいはい》せんことを誓願せり 如此当時彼が心中実に憐むべきものあり 発見の報未だ西班牙に達せずして茲に魚腹に葬れんか誰あつて此非常な(109)る成効を知る者あらんや 然らんには此大発見も一つの夢想に属し班王の補助も亦水泡に帰せん 名誉|富有《ふうゆう》も皆悉く無益のみ 嗚呼是何等の不幸ぞや又何等の不運ぞや 彼茲に於て怒濤中ペンを採りて発見の始末を叙し之を?布《ろうふ》にて纏ひ一|匡《はこ》に収めて水中に投せり 蓋し若し此匡にして陸辺に流着し具眼者《ぐがんしや》の手に入らば彼在らずと雖も其事蹟の顕はるべければなり 然るに十五日に至りて何処とも弁ぜず一の陸影を水雲の間に認《したゝ》め漸々《ぜん/\》近づくに随ひ是アゾア群島の一サンタ、マリアなること知られたり 水夫等此時断食、不眠、曝露《ぼうろ》等によつて痩瘠《しうせき》し僅かに胸中の熱情に支へられて体形を存するの様なりしかば直に上陸する能はず 三日を経て初めて上陸し発見の始末発見地の状態等を島民に告げしに彼等は大に喜びて彼等を歓待せり されども島知事は其起因を詳にせざれば帯命の如何を疑ひ水夫を誘ふて上陸せしめ之を禁錮し更にコロムブスに迫りしが彼は一難過ぎて又一難最早堪へ得べきに非ざれは残る二三の水夫を介し出でゝ難を他島に避けんとせしも能はず仕方なくも再びマリア島に帰りしに二人の法教師一人の書記兵士五名に守られてコロムブスの船に来り国王の書翰及委任状を見んことを求む彼初めは彼等の風怪しむべき者ありとして之を拒みしも既にして其他意なきを知り之を示し以て水夫の放釈を請求せしに事遂に成りて彼等は茲に晴天白日を見るに至れり 二十四日仝地を出発したるに数日間天候定らず再び暴風に逢ひて雄志を苦しめしも幸に一二日を経て暴風|漸《やうやく》に止み一天又晴明となりしに、思ひきや船はリスボンの沖に在りタガスの河口、キヤスケースの奇港シンツラの奇巌眼前に顕れ海岸に乾せる(110)漁網の数さへ見へぬ
 此時コロムブスの喜び如何ぞや 二度の暴風正に海底の鬼と化せんとしたりしに天此大発見家を棄てず再び此|土《ど》を見せしむ 思ふにコロムブスが熱心なる深き感謝を神に捧げしなるべし 然り彼此土に着せしを喜ばざるに非ざれども而かも人情の然らしむる処寧ろ早く「カステル」王旗の翻る所に帰着せんことを欲《ねが》へり されども如何せん暴風未だ全く収まらざれば即ちタガスの河口に投錨せり
 コロムブス帰着の報一たびリスボン市中に伝はるや市民争て来り彼を歓迎せり既にして葡王ドンジヨン使を遣はして彼を朝廷に曳き盛に宴会を張りて歓迎慰労し且非常なる名誉と尊敬を以て発見地の状態を謹聴せり 或はコロムブスの共に連帰りし印度人を招き小石を並べて島の存在大小を形《かたど》らしめ徐ろに其地の状態を探りしがさても人情の脆き、王は聞くに随《したがつ》て其嫉妬心を増し如此《かくのごとく》富裕《ふうゆう》に如此広大なる版図の新にカステル王家に属せしことを嫉みコロムブスを殺して此報を西班牙朝廷に知らざらしめ己れ新に船を艤して発見地に赴き葡国の旗を翻へさんかと迄思ひたれども而かも彼が良心と道念之を免さず其去るに当てやカステル王家の幸運とコロムブスの名誉を祝賀し握手の中に相別れたり
 既にしてコロムブスはパロスに着せり パロス! パロス! 今日のパロスは依然|半年前《はんねんぜん》のパロスにして別に変異あるなし されども今日のコロムブスは又当時のコロムブスに非ざれば彼が心
(111)頭には幾多異様の感あるを覚へたり 然り彼は秋にして去り春にして帰る 天然の光景自ら異ならざるを得ず 愁眉を以て去り笑顔《せうがん》を以て帰る コロムブスが心中又自ら異なるものあるべきなり 吁《あゝ》今にして当時を念へば転た今昔《こんせき》の感に堪へざるべし 而して彼が追想する所は百破千綻の後辛ふじて其補助者を西班牙朝廷に見出したる得意の時に非ずして寧ろ窮乏|困蹙《こんそく》前途暗憺たりし失意の当時にてありつるなり、真や人は其成効の時に及んでは其至苦至難の日を追憶するの快に過ぎたるものなければなり、想ひ見よ彼の卑しき一水夫、流浪せるゼノア人、憫むべき海村の寄寓者《あさりびと》、名なき家門の一平民、心ならずも其愛児を人手に托したる不幸の父、而して医師フエルナンデスの深智と懺悔僧《さんかいそう》ペレヅが仝情心の外天下誰あつて覚り得ざりし怪男児 此者今は名誉の頂点に達し提督、副王の位号さへ得たることを、而して此提督副王の位号は尋常一様にして得たる者に非らず 今の提督副王の何者たるを知らんとせば先づゼノア湾頭の一水夫よりラ、ラビダ院裡の失意者迄を解せざるべからず 夫れ然り発見者コロムブスを知らんとする者ゼノア毛工の子コロムブスを知らざるべからず 西班牙朝廷副王の冠《くわん》を見るものラ、ラビダ寺辺《じへん》憫みを乞ふの様を想はざるべからず 之を是知らず而してコロムブスを知ると云ふもの末だ以て其真人物を解したる者に非ざるなり
 夫《か》のヒユールバ原頭《げんとう》天を仰で歎息せし時とパロス港上凱旋の旗を翻《ひらめ》かせし時を比較し見よ 昔は落々たる一不平者今は揚々たる大発見者、出で行く前は望を失ふたる怨天者の如く帰り来れ(112)ば戦に勝ちたる兵士の如く 然り、嗚呼曩きにはカルバリ山頭の人の子の如く今は復活したる神の子の如し
 されども此の中に在て独り悲むべきは彼のピンゾンなり 彼はコロムブスと別れて後西班牙の北方に漂流し後故国に帰るや国人挙て彼の非行を責め彼をして其年絶望を以て憂苦の内に死に至らしめたり 其|行《ゆ》くやコロムブスの半身として行き其帰るや彼の反動者として帰る 実にアロンソー、ピンゾンはコロムブスの企業に与りて力多かりしを証せんとして遂に其身を失策の犠牲となしたるなり ピンゾンがコロムブス慾念深きを洞見せしは賢なりと謂つべきも其中途にして相離れ以て別に慾望の一旗幟を建てんとせしや抑も愚なりと云はざるべからず 若し此時にして共に帰来らば誰れか又ピンゾンの効を没するものあらんや噫
 コロムブスは十五日パロスに帰着せしより直に書を飛ばして其旨を班国政府(時にバーセロナに在り)に報じ而後自ら発足《はつそく》しセビールを経てバーセロナに赴けり 途中彼れが足跡《そくせき》の至る処賞賛の声揚らざるはなく祝砲、視鐘各所に響き老幼男女を問はず貴賤貧富の別なく出でゝ彼を歓迎せざるはなかりき 彼は水夫と印度人を先にして其位記勲章を胸に飾り恰も戦時の勲爵士の如く凱旋の儀式に因りて都府に入れり バーセロナに於ては固より然り 市中群る人《ひと》雲を為し歓呼天地に震ひ数日間はバーセロナ市中の人心一にコロムブスの歓迎に向ひたりき
 彼は王廷に召され両王に謁見せしに女王は恭なくも自ら壇を下りて彼に握手せられ而して彼を(113)聴堂に曳《ひき》ひて航海の摸様発見の状態を語らしめたり 彼は即ち航路の順序より帰航に至る迄の出来事を詳《つぶ》さに述べ而して黄金、綿、鸚鵡、奇怪なる武器珍奇なる植物未知の鳥獣其他発見地の珍貴怪異なる産物を呈し連れ来りし九人の印度人を示せり 茲に於て彼は高大なる名誉と特権を得ドン(公爵)の称号を与へられ宮中用の馬車を以て送迎せられ且つ西班牙の豪族大臣として厚待せられたり 尚彼が名誉とすべきは彼が用来の記章四ツ錨にカステルレヲン家の記章を混じて西班牙の軍旗となす旨を布告されたることにてありき
 時の法王|歴山《アレキサンドル》六世は宛も彼の葡国が亜弗利加沿岸の殖民地を発見したる前例に慣《なら》ひ西班牙が発見し且将来発見する陸地は凡て皆カステルレヲン家に下附する旨を通知し来れり 此に於てコロムブスは全力を尽くして大軍を募り既発見地を安全に保護し且|倍《ます/\》発見事業を拡張せんとせり
 
     第九章 第二航
 
 コロムブス一たび発見の特権を彼が手に握りしとはいへ希望の黄金国には未だ達せず 印度の大陸も未だ見る能はず 剰さへ幼稚なる殖民者さへ遺し置きたれば希望と憂慮交々至り速に第二回の航海をなし以て更に版図を拡め黄金を手にせんと日夜之が準備に汲々たりしも種々の事情に由りて大に延引し漸く同年九月廿五日に至りて出帆するの運に及べり 此艦隊は三大艦十四|快(114)走船にて成立し総員千五百人にして植民に要する器具及び動物等悉く之を積載せり 且十二名の宣教師同行せりと云 是より先国王彼に命じて曰く「能く土人を愛して之を心服《しんふく》せしめ彼等欲する者は与へ静に彼等をして基督教を奉ぜしむべし 且土人を寛大温和に待遇すべき旨部下の兵士に厳命す可し」と 其鋭意教化の計を定めしや明けし十月十三日全艦カナリー島を発して西向せり 途中一大暴風に会せしも幸に提督の指揮其宜しきを得しにより漸く危難を免かるゝことを得十一月三日陸地を望見するに至れり 此地は彼が初め発見せし地と異にして彼は之をドミニカーと名けたり 其れより西北マリヤ、ガランテ、ゴーダロプ、モントセラト、サン、ジユアン(今のポルトリコ)等の諸島を発見し更に西行して彼植民地ナビダツドに至りしに憐むべし住家寨柵悉く焼失し剰さへ住民散乱して其跡を求むるに由なし 依て第二の城寨を造らんと欲しカープヘーテエンの東方四十哩海岸に沿ふて帆航し漸く一所を発見したれば市街を建て植民地を造り之をイサベラ府と名けたり 翌年一月書を国王に呈して土人移送のことを云々せしが之れ彼が後年奴隷売買の創起者と称せられし原因なり 彼は此地を黄金産出国とせしかばサン、トマソーなる採礦所《さいくわうじよ》を設立せり 同年四月其|弟《てい》を立法会議長となしマーガライトを陸軍総督とし而して自ら発見の途に就けり 数日間《すじつかん》キユバの南岸に沿ふて航海しジヤマイカを発見して之をサンテアゴーと名け又モラント、カイス群島を迂廻し之を名けて「女王の園」と呼びたり 遂にキユバを以て亜細亜大陸に連続する陸地と想像するに至り又南東に向ひ遙にエバシリタ島を望見せしも逆風に(115)会して数日間漂流したる後彼がラモーナと名けたる一島を発見し尚|東向《とうかう》カリビアン多島海を測量せんと欲せしも心身共に大に疲労し催眠病に掛り感覚記臆を失《しつ》し生命又|殆《あや》うきに至りしかば船を回《めぐら》して帰航し九月末彼が全艦イサベラに投錨せし以後五ケ月間の長き病床に臥せり 始め彼が発見の途に上るや卅三日間一眠だもなさゞりしと云ふ 其疲労も亦故あるかな
 翻て殖民地の景況を伺ふに気候不順にして食物欠乏を告げ加之《しかのみならず》悪疫流行し可憐の情譬へん方なく日々不満不平を増すのみなりし 当時マーガライト知事の職権《しよくけん》を乱用して大に土人を苦しめたるを以て土人等又大に奮激し相合して復讎を計れり 彼は弟《てい》バーソロミユーと共に之が鎮定に力を尽し遂に土人の酋長《ゆうちやう》を擒捕《きんぽ》し以て他を降服せしめ其乗組みし五艘の船舶は其儘奴隷として売らん為セヴイルに送れり
 此時西班牙政府は種々の風聞誹謗に因りて稍々コロムブスを嫌忌するに至りジユアン、アグアドーをイサベラ島に派遣して彼の行政を吟味調査せしめたり 彼は使者と大に議論せしも到底本国に帰りて自ら国王に訴ふるに非ざれば事理を明にする能はざるを知り弟バーソロミユーを島司と為して千四百九十六年三月「ニーナ」号に搭してヒスパニヲラを出帆し途中種々の困難を経て同年六月カデイズに達せり 依て彼は「フランシスカン」僧服を着し愁傷の躰を以て上陸し国王に面して具に其状を語れり 国王意解け再び彼を寛待したれば彼は更に二艘の食糧船と六艘の戦艦を請求し以て発見の途に上らんとせり 然れども此時班国の蔵帑《ぞうど》欠乏の時なりしかば国王直ち(116)に之を許さず因て女王は其私産を投じコロムブスに船舶を給することを約せり 王又彼にヒスパニヲラの地九千万里を下賜せり 思ふに此時彼にして若し爵位附帯の領地を望まば侯爵若くは伯爵の領地を得しならん 蓋し彼は三年間航海毎に商業上の利益八分の一、産物の十分の一を受くるの契約あり 且世襲財産を認可するの権は女王にありたれば之を得ること又難きに非ざりしを以てなり
 
     第十章 第三航=南米発見
 
 千四百九十八年五月卅日はコロムブスが第三回の航海を初めたるの日にてありき 彼は先づサン、ルカよりゴメラーに向ひ此処より三|艘《ぞう》を分《わかち》てサン、ドミンゴーに送り而してケープバード島に赴き超て七月末に至り飲水の需用に迫られ且つ初め予想せし群島さへ見ることを得ざれば行路を転じて北に向へり 此時ヒルバの航海者アロンソー、ペレズは其南西殆んど四十五哩を距てゝ三山を有せる一島を発見し之をトリニダツドと名付け其名今尚依然たり 八月一日コロムブスが見て以て不毛の地となし之をゼータと名付けしは彼が南米大陸を発明したるの時なりしも彼は之を知らず其海岸に沿て航海せるの間見出したる大陸の岬角を以て皆是れ多島海中の小島《せうたう》と誤認して種々の名称を附せしがヲリノコの河口に至りしとき淡水滾々海に注入するを見て始めて其大陸なることを覚れり
(117) 彼は船中にて関節病及び眼病に掛り且つ久しく見ざりし幼稚の植民地を一見せんとするの念切なるを以てイサベラに向ひて急ぎ帰れり 該地は彼が不在中更らに発達することなく唯知事の勇気活  醤なる、全島をして能く西班牙の制馭を受くるに至らしめたり 然れども之れがため大いに植民中より費用を徴収したれば冒険無主義の部長|等《ら》は一揆を起して大いに植民地を騒がせしも幸ひコロムブスの尽力により漸く平和に帰し部長は依然其職を保つを得且つ旗下の士《し》にして該島に留在せんとするものには土地《とち》を有し労役に従事するの自由を与へ又た本国に帰らんとする十五名の者には奴隷を附与して帰国せしめたり
 是より先本国に送附せし奴隷船五艘西班牙に達するや女王は之を見て悲慟して曰く「嗚呼|予《われ》は予の臣民を如此売買するの権を何人にも附与せざりしに」と 依て令を発してセヴイルグラナダ其他各所の奴隷を放《はなつ》て帰国せしめたり 此期を好機としてコロムブスを讒する者多く哀願書、改革案等を奉れり 王之を憐み其処置をなさんと「アルハンブラ」の前庭に出御せしとき彼等は王を囲みて叫声|大呼《たいこ》しコロムブスを讒謗誹議して大に辱しめたり 王は元来彼を鍾愛すと云ふに非ざれば此等の事を聞て彼を疑ふは敢て驚くべきことに非ず 則ちボバデルラを遣して之を実見せしめ且以後該島の政治を同人に托せんと武器城塞等を讓渡《ゆづりわた》さしむる為めの令書、コロムブスの免官状又ボバデルラに服事すべき命令書を授けて任地に渡航せしめたり 是れ則ち千五百年七月なりき
 
(118)     第十一章 暗黒の時期
 
 偉人当世に疑はれ義者|無辜《むこ》の鎖に繋る古今其例少からず、効あれば之を嫉み名成らんとせば之を妨ぐ、人情の弱き吾人は其例に遇ふ毎に未だ曾て歎ぜずんばあらざるなり 今や発見の王なるコロムブス亦此情網に漏るゝ能はず 暗黒の時代は彼が眼前開かれんとせり
 彼が植民地に於ける政治上の功績実に一にして足らず 部長を撰び、秩序を定め、一揆暴動の輩《はい》を平定し土人を集めて基督教を説き以て之れが心服を計り採礦所を起して黄金の採掘を盛んにし三年の後には歳入六千万「リール」(一リールは我十三銭)に至るの預定さへありしなり 然るに万里の彼岸に在て彼の心事を是非するものあり 国王をして彼を嫌疑せしめ遂に新知事としてボバデルラなる者を送れり ボバデルラ固より発見地に対して何の効もなければ又何の同情もなし 唯王命に託して残忍暴行至らざるなく彼が在任中は植民地をして暗澹たる雲霧の中に囲ましめたり 彼れ任地に到着するや先づコロムブス等の家屋を没収し彼等兄弟を面前に引致し残酷、不正、貪婪《たんらん》の三条件を言立て鉄鎖を以て拘繋し之を本国政府に送らしめたり 当此時《このときにあたつて》誰れか其|無辜《ぶこ》を証せざる者あらん 誰か此真率なる知事の為め憫然たらざる者あらん、かの船長ビンジヨーの如きは尤も力を尽してコロムブスの為めに冤を訴へ其縛を解かんとせり 然れども彼は却て之を肯ぜずして曰く「国王彼に命じて予を縛せしむ 王命に非ざるよりは焉んぞ之を脱するを得(119)んや」と 且曰く「此鉄鎖は発見事業に対する予が労力の報酬なり 予は之を紀念物として永久に保存せんことを欲す」と 而して彼は実に此言の如く他日解縛の後も常に其鎖を室内に掛けしと云ふ 曾て第二子フアーナンドが其故を問ひしとき彼は之に答へ且|謂《いつ》て曰く「予が死する時此鉄鎖をも併せて埋葬せよ」と 以て当時の心事憐むべきものありしを知るべし
 彼は故なくも新知事の為めに捕縛せられたれば一篇の哀告書を認めて幼君ドンジュアンの女傅ターリーに宛てゝ発し置きしが恰もボバデルラが報告書に先ちて西班牙朝廷に達したれば女王は之を見て其状を詳にし大に彼を痛はり居りしに忽ちにして又船長ビンジヨー及カデズ判事の報告を得て朝議忽ち一変し国王始め諸有司皆彼が行為の非ならざるを知り彼を愛思すること旧の如し されば彼が帰着するや直にその鉄鎖を解かしめ費用支弁の為め夥多の金を賜はり彼が朝廷に至りし時は鉄鎖及其他不名誉の物は一として彼が身辺に止らず只美服に纏はれ親友に囲繞《ゐげう》せられ名誉と尊敬は彼が一身に集れり 彼れ植民地に於ける行事《かうじ》と困難を語りしかば女王は感動遉涕泣し国王又大に悟る所ありてボバデルラを非難し其誣告の罪を詰り彼が損害は之を弁償し其受けたる困難に対してはボバデルラを罰し以て彼に報ひんと約せり 茲に於て国王は彼に休養を命じニコラス、デ、ヲバンドを新知事として派遣し以てボバデルラに代らしめ且托するに彼を弾劾して本国に帰送しコロムブスの財産を恢復し大に植民事業を改良せんことを以てせりと云ふ改行
 
(120)     第十二章 第四航=最後の航
 
 彼は休養を命ぜられたり されども其熱心と愛国心は未だ彼をして晏然休養せしめず 更に葡領亜細亜に直達し得べき西航路《せいかうろ》を開かんと欲し其出帆を請へり 国王一時は大に躊躇したるも遂に之を許容し千五百二年五月四艦百五十人を率ひてカデスを出発するに至れり 是れ彼が第四航にして又最後の航海なりしなり 此時に当てムーア人葡領アージルラの城塞を囲みしかば往《ゆき》て之を救はんと欲し故《ことさ》らに舟を同所に寄せしも已に其圍を解て去れりと聞き則ち西航してマーテニツク島を発見せり 是より先彼は決してヒスパニヲラに立寄る可らざるの旨を受けしも今や其最大船破壊して修覆を加へざれば船を捨てゝ進航せざるべからざるに至りたれば止なくも使を知事ヲバンドの許に遣はして新船を請求し且暴風の兆《ちやう》あるを以て入港の許可を請へども其請求皆拒絶せられたれば即ち岸に沿ふて風下《かぜした》に駛《は》せ漸く一《いつ》避所を見出して碇泊せしに又暴風に逢ふて船舶皆四散するに至れり 彼の本国に帰航する堅牢なる艦隊の大害を被り破船に至りしも亦此時にして当時船中に在りしラルドン ボバデルラ及其党人等皆是が為め死せり されば此時父に従て船中にありしフエルナンド、コロンボ後年此事を記して曰く「予は神が此等の悪人を罰し玉ひしを喜ばざるを得ず 彼等にして若し本国に生還せんか或は適当の罪を受けずして却て寵遇を被るに至るやも又測られざればなり」と 是れ或は然りしならん
(121) 斯くてコロムブスは其艦隊をアズヤに集めジヤキーモに至りて之を修覆し爾後ジヤマイカに向て出帆し「女王園」の浅瀬にて九週間漂流の後漸く東風《とうふう》に逢ふて出立するを得たり 此行中彼等が初めて発見せしはホンジユラス岬東《かうとう》四十哩に在るグアナジヤー島なりしが彼は此《この》処《ところ》にて一老印度人より広漠富強の一大国此|東部《とうぶ》にあるを聞き欣然思へらく是れ予が焦思熱望せる東洋の黄金国ならんと 則ちホンヂユラスの海岸に沿て航行し非常の困難を凌で進航せしも漸く九月十二日に至りグラシアウ、ア、ダイアス岬を発見せしのみにて更に其素志を遂ぐるに至らざれば船夫等大に謐《つぶや》き喧呼して命に従はず されども彼が意発見に切にして十二月五日に至りて初めて帰途に就くの念起りしと云ふ 想ふべし彼が如何に此発見に熱意せしかを、惟ふに彼が此行非常の望を嘱《ぞく》したるも三ケ月余を経て尚其徴候なかりしかば遂に其慾心を絶ちしなるべし
 彼は又ベラグア河畔に殖民せんと欲せしも八日間暴風の為め船舶皆破損して遂に果さず 「エピフアニー」の聖日漸く一所を見出して上陸し之をベツレヘムと名けしが此地黄金に富めるを以て此|処《ところ》に植民せんと欲し小屋《せうおく》を結び知事を撰び而して自ら殖民者及必用品送来の目的を以て本国に帰航せんとせしも忽ちにして殖民は土人と争端を開き知事は酋長を捕へんとして却て撃殺さるゝに至りしかば彼は止を得ず此事業を中止し東向してポートベルローに一船を止め又|北方《ほくはう》キユバに赴きて土人より供給を得次でジヤマイカに赴きサンタグロリヤ港(現今のセント、アンネル)に投錨し此処にて先きに救助請求の為めヲバンドーの許に遣はせし副将デイゴーの帰るを待たんと(122)殆んど半ケ年余を費せり 這回《このたび》の航海は尤も危険なるものなりしが彼は自己の病気と部下水夫の無法乱暴なるが為め一層の困難を感じたり 此地に滞在するの間さへ水夫等土人を苦しめ為めに供給の途《みち》絶へんとせしかば彼は痛く之を憂ひ日蝕を利用して彼等を説き再び之を心服せしめ以て其供給を求めたり 既にしてデーゴー救助船二艘を得て帰り来れり 之れ実に旱天の雲霓にして彼等は既に半ケ年余も諸事不如意の他境に在り今や帰心勃々たりしとき一時も猶予すべきにあらず直に舟を?して西班牙に向ひ帰航の途に上れり 此帰途甚だ平穏なりしが正に帰着せんとするの時暴風に逢ひたれば錨をセビールに投ぜり
 
     第十三章 晩年
 
 彼既に四回の航海をなし今は帰養すべきの時となれり されども彼にして若し強壮なる身躰と活?なる精神を有せしならば未だ自得せざりしならんも悲哉多年の困苦と憂慮殊に最後の航海の如きは尤も彼を悩まし今は身病魔に襲はれて起たず神又大に疲れ殆んど為す無きの身となれりされば帰着後の参朝さへ自らなし難く其子ダイゴーをして代勤せしめ以て万事を陳上処理せしめ若し事の彼を煩はさゞる可からざるあらば書翰を以て応答処理したり 朝廷彼を憐み騾馬《ろば》に乗《の》するの名誉を許さる 其後朝廷セゴビヤに移るに当り彼も亦共に移り後又バラドリツドに移れり此処《こゝ》ぞ是彼が大望の生涯に終を告げし所にして彼は暫らく老躰を休め静に保養せしが既にして病(123)重り最早長き生存は覚束なしと見ゆるの時、自ら期する所やありけん就眠《じゆみん》の前日彼が嘗て不慮を思ふて書置きし遺言状を補ふて一書を認め之に調印せり 此遺言書は後事《こうじ》を指示せるものにて其の主要なるものは「家督を長子デイゴーに讓り続て其子孫に及ぼすべきこと、デイゴーの後若し男子なきときは第二子フエルナンド及び其子孫に継がしめフエルナンド男子なきときは之を彼が弟《てい》バーソロミウの男子に継がしむ 若し又男子なくば止を得ず女子に相続せしむべし 而して財産相続者は注意留心之が増殖を計り家長は自ら総督《アドミラル》と記名す可く歳入十分の一は毎歳《まいさい》貧窮なる親戚に分与すべし等のことにて丁寧注意能く後憂《こうゆう》なからしめたり 而して尤も怪むべきは里斯本府《リスボンふ》猶太街に住する一ユダヤ人に半マークを送与することにてありき 其他福音の為めに一寺院を創立しその後妻《こうさい》ビートリツズ、エンクエツツの監督保護を長子に命ずる等用意周到至らざるなし 斯く遺言をなしたる翌日即千五百六年五月廿日|溘焉《こうえん》逝去せり 嗟呼新世界の発見者も死を避くるの道は発見するに由ななく大名《たいめい》と大功《たいこう》を天下万世に遺してバラドリツドの露と化せり
 遺骸は当時バラドリツドに埋葬せしも後故ありてセビールのラスキユバス寺院に改葬せり 此《この》処《ところ》は後年彼が長子デイゴーを葬りし処にて後又千五百三十六年に至り両人の遺骸を採掘し之を其発見地サンドミンゴに送り彼地の寺院に改葬せしも千七百九十五年該島を仏国に讓与するに至りて又更に彼等の遺骸を掘出《ほりいだ》して厳正なる儀式に依りハヾナーの一寺院に葬られたり 而して今を去る十年|前《ぜん》千八百八十二年七月二日再び之を採掘し伊国軍艦に投載せられ彼の故郷なる伊国ゼ(124)ノアに運ばれ壮大なる式を以て改葬せられたり 彼の家族は第三代目に至りて男子なきの故を以て財産及称号ともブラガンザ家に移れりと云ふ
 今筆を擱《さしお》くに当て聊か彼が風采と性質を記せんに彼は躰  躯長大顔又長く頭髪茶褐色を帯びて面貌秀美なり 而して飲食衣服を節し其宗教に熱心なるは能く他人をして僧務に従事せしかと疑はしむ 彼は又其子息の言の如く熱心なる慈善家にして其意常に言語と行為に顕はる 又常に羅甸語を以て祈?せりと云ふ 要するに彼が事業は黙示と天然が合体して彼れの高尚なる道義心と彼の下卑なる慾念を惹き茲に初めて其発端を開きしものにて彼は実に敬神の念と黄金慾望の念とを有せしが為め幾多道路に横る妨害、困難、反対、軽蔑等の石を除きて遂に発見事業の基を置けり 彼は実に新発見の競争時代に生れ最大の功績を天下に遺し而して自ら又最大の名誉を負ふて死せり 然り彼自身は其功績の如何に大なりしか其名誉の如何に高きかは知らざりならん されども歴史は之を証し文明は之を告ぐ 彼死して殆んど四百年彼が曾て夢裡に認めし東洋の黄金国世界の楽園ジパングー(我日本)は彼が名誉の一部を乗せて文明の域に進入しつゝあるなり 嗚呼呼彼が発見の四百年を紀念するもの豈唯|米国人《べいこくじん》のみならんや豈唯西班牙人のみならんや
 
(125)   再版に附する序
 
 本書は六年前即ち市俄高博覧会の時に作りしものなり。今より之を見れば多くの補欠すべきの点を癸見せざるにあらず。
 然れども此種の著書の我国今日の読書社会に多く供せられざるを知るが故に余は爰に其再版の承諾を発行者に与へしなり。
 書中コロムブス伝は重もに友人高田増平氏の筆に成れるものなり。其文の陸離燦爛たるは全く是れが為めなり。読者之を諒せよ。
  明治三十二年十二月十四日   城西角筈村に於で 内村鑑三
 
(126)     文学博士井上哲次郎君に呈する公開状
                  明治26年3月15日『教育時論』285号 署名 内村鑑三
 
 足下
 余は未だ足下と相識るの栄を有せず、只東洋の一大哲学者として常に足下の雷名を耳にせしのみ、然るに近頃足下が「教育と宗教の衝突」と題して長論文を教育時論に投ぜられ、基督教の非国家的なるを弁ぜらるゝに際し、余に関する事柄を多く引用せられしに依り余は不得止此公開状を足下に呈せざるを得ざるに至れり。
 余は如斯論文が足下の手より出でしを喜ぶなり、若し凡僧寒生の作たらしめんか、余は之れに答ふるに術なかるべし、然れども哲学的の眼光を有する足下なれば余は事物の研究に於て公平なる学術的論法を足下より請求し得ればなり。
 然れども余は今足下の如き長論文を綴る閑暇もなし、又その必要もなかるべし、基督教非国家論に就ては已に公論のあるあれば、今茲に余の重複を要せず、基督教は欧米諸国に於て衰退しつゝありとの御説は万々一、事実なりとするも是亦余の弁解するの必要なし、何となれば余は欧米を真似せんとするものにあらざればなり、彼は彼なり、我は我なり、此点に就ては余は足下に傚ふて欧米の糟糠を嘗めざらん事を勉むるものなり。
 然れども足下の論法并に論旨に就て余は少しく足下の再考を要求せざるを得ず、足下願くは哲学者の公平を(127)以て余の注意を観過する勿れ。
 足下は哲学者として堅固なる事実の上にその論旨を建てられたり、足下は空想虚談に依らずして耳目を以て証し得べき歴史的の材料を以て足下の論城を築かれたり、誰か足下の注意深き皈納法に服せざらんや、然れども其事実の撰択法に至りては足下甚だ疎漏ならざりしか〔其〜傍点〕、余が足下に申す迄もなけれ共、反対党の記事のみを以て歴史上の批評をなすべからざるは史学の大綱なり〔反〜右◎〕、天主教徒の記事にのみ依りし独逸三十年戦争史は不公平なる歴史なり、北部合衆党の記事にのみ依りたる米国南北戦争史は史学上の価値を有せず、然るに足下が余輩基督教徒の行跡を評せらるゝや多くは余輩の正反対党の記事に依らるゝは如何、余の高等中学校に於ける勅語礼拝事件に関して足下の引用せらるゝ記事は実に基督教に対して常に劇烈なる憎悪の念を有する真宗派の機関雑誌なる令智会雑誌なり、或は天則なり、或は日本新聞なり、或は九州日々新聞なり、或は「仏教」雑誌なり、皆基督教に対して敵意を挾むにあらざれば常に之を貶見賤視する新聞雑誌なり、憑るべからざるは新聞紙上の記事なり、況んや反対者に関する記事に於てをや〔憑〜傍点〕、若し後来足下の言行記を編纂する者あって足下と主義を異にせる新聞雑誌が足下に関し登載せる所のものを以てせば足下以て如何となす。
 余は他の記事に就ては真偽を保証する能はざれども、令智会雑誌の余の第一高等中学校礼拝事件に関する報知は誣ゆるの甚しきものと言はざるを得ず、余が尊影に対し奉り敬礼せざりしとは全く虚説に過ぎず〔余〜右○〕、拝戴式当日には生徒教員とも尊影に対し奉ての礼拝を命ぜられし事なし、只教頭久原氏は余輩に命じて一人づゝ御親筆の前に進みて礼拝せしめしなり、而して其記事中「斯かる偶像〔五字右○〕や文書に向て礼拝せず」云々の語は余の発せし語にあらざるなり、又「前非を悔て」との言は時の事実を云ふにあらず、余は礼拝とは崇拝〔二字右○〕の意ならずして敬礼〔二字右○〕の意た(128)るを校長より聞きしにより喜んで〔三字右○〕之をなせしなり、又爾来もこれをなすべきなり〔爾〜右○〕、故に「決して真心にあらざるの」云々の語は余の真意を云ふものにあらず、其「免職」云々に関しては最も讒謗の甚しきものと云はざるを得ず、木下校長の余に対するや常に同僚の礼を以てせられ、余も亦同氏に対し決して悪感情を有せしことなし、余は奸賊として放逐せられざりしなり〔余〜右○〕。
 然れども是れ余一個人に関する事実なり、余は茲に彼の第一高等中学校事件に就て余を弁護せんとするものにあらず、余の茲に之を言ふは足下が事実の探究に甚だ疎漏なりしを示さんが為めなり、哲理的歴史は如斯不公平不完全の材料を以て建設し得べからざるは足下の能く知る所なり〔哲〜傍点〕。
 足下の基督教徒が我国に対し不忠にして勅語に対し不敬なるを証明せんとするや、該教徒が儀式上足下の注文に従はざるを以てせられたり、然れども茲に儀式に勝る敬礼の存するあり、即ち勅語の実行是なり〔即〜右◎〕、勅語に向て低頭せざると勅語を実行せざると不敬何れか大なる、我聖明なる 天皇陛下は儀式上の拝戴に勝りて実行上の拝戴を嘉し賜ふは余が万々信じて疑はざる所なり〔勅語に〜右○〕。
 畏れ多くも我 天皇陛下が勅語を下し賜はりしは真意を推察し奉るに
 天皇陛下は我等臣民に対し之に礼拝せよとて賜はりしにあらずして、是を服膺し即ち実行せよとの御意なりしや疑ふべからず、而して足下の哲学的公平なる眼光は余輩基督教信徒を以て仏教徒よりも、儒者、神道家、無宗教家よりも、我国社会一般公衆よりも、勅語の深意に戻り、国に忠ならず(実行上)、兄弟に友ならず、父母に孝ならず、朋友に信ならず、夫婦相和せず、謙遜ならざるものとなすか、不忠不孝不信不悌不和不遜は基督信徒の特徴とするか、
(129) 足下は余が勅語を礼拝せざるが故に余を以て日本国に対して不忠なるものとなせり、然れども店頭御尊影を他の汚穢なる絵画と共に鬻ぐものは如何、朝に御真影に厳粛なる礼拝を呈し夕に野蛮風の宴会に列する者は如何〔朝〜傍点〕、加之ならず粛々として勅語に礼拝するものが盃を取て互に相談するや余輩聞くものをして嘔吐の感を生ぜしむるものあるは未だ足下の目にも耳にも留まらざるや〔加〜右○〕、若し余をして足下の如く新聞雑誌の記録を以て余の論城を築かしめば、余は教育の本原たる我文部省に就ても、足下の職を奉ぜらるゝ我帝国大学に関しても、若しくは足下の賞賛せらるゝ仏教各派現時の実況に就ても、余は足下をして二三日も打続きて尚ほ通読するを得ざる程の非国家的反勅語的なる醜聞怪説をして足下の前に陳列し得るなり。否な若し余をして少しく復讎の念を生ぜしめ、新聞雑誌より足下自身に関する記事を摘用せんとならば、余は文学博士井上哲次郎君を以て至誠国に尽し、恭謙己を持し、勅語の精神を以て貫徹せられたる東洋の君子として画くことに甚だ困しむなり〔余〜傍点〕。
 勅語発布以来我国教育上の成績に如何なるものあるや、日本国の教育社会は勅語発布以来その不敬者を責むるに喧噪なる割合に道徳上の進歩ありしや、学生の勤勉恭謙は発布以前に比較して今日は著しき進歩ありしや教員の真率倹節、その学生に対する愛情、犠牲の精神は前日に比して幾何の進歩かある〔日本〜右○〕、若し新聞紙の報ずる所を以て十の二三は真に近き者とするとも尚ほ余輩民間にある者より之れを見る時は日本帝国現時の教育界は勅語の理想と相離るゝ甚だ遠し、学生が教師に対する不平、教師が学生に対する不信切、理事者の不仕末等余輩の耳朶に接する反勅語的の事何ぞ如斯く多きや、不敬事件よ、不敬事件よ、汝は第一高等中学校の倫理室に於てのみ演ぜられざるなり〔前の不〜傍点〕。
 足下曰く「耶蘇教徒は多く外国宣教師の庇蔭を得て生長せしもの故甚だ愛国心に乏しきなり」と、是足下の観(130)察にして余は是に悉く同意を表する得ず、然れども其事実問題は他日に譲る事となし、余は茲に余の観察を足下の前に開陳せざるを得ず、即ち「足下の如き尊王愛国論を維持する人士は多く政府の庇蔭を得て生長せしもの故甚だ平民的思想に乏しきなり〔足〜右○〕」との事なり、広く目を宇宙の形勢に注ぎ、人権の重きを知り、独立思想の発達を希望するの士にして足下の如く重きを儀式上の敬礼に置き実行上の意志如何を問はざるの人は何処にあるや、足下は余輩の不敬を貴むるに当て足下の材料を重に仏教の機関雑誌より得るの理由も蓋し茲に存せずんばあらず、足下の尊王愛国論は政府の庇蔭の下に学を修め今尚ほ官禄に衣食するものにあらざれば、或は神官諸氏の如く、或は僧侶諸君の如く、其消長は大に足下の称する尊王愛国論の盛衰如何に関するものを除て他に多く見ざる所以のものは抑も何ぞや、勿論普通感念を有する日本臣民にして誰か日本国と其皇室に対し愛情と尊敬の念を抱かざるものあらんや、然るを愛国心は己の専有物の如くに見做し余輩の行跡を摘発して愛国者の風を装はんとするが如きは、阿世媚俗の徒も喜んで為す所なり、足下の如き博識の士は勿論不偏公平真理を愛する念より余輩を攻撃せらるゝなれども、足下の如き論法を使用し、足下の如き言語を吐かるゝの士は多くは、爵位官禄に与かる人に多きを見れば、余輩民間にあるものをして所謂尊王愛国論なる者も又自己の為めにする所ありてなすにあらざる乎の疑念を生ぜしむるは決して理由なきにあらざるなり〔ある〜傍点〕、足下願くは余の疑察《サスピシヨン》を恕せよ、余は唯足下が余輩に加へられし疑察を足下に加へしのみ、而して若し足下の称する尊王愛国論は必しも阿世媚俗の結果にあらずとならば(而して余はその必しも然らざるを知る)其同一の推理法を以て余輩基督信徒も外人の庇蔭に依るが故に基督教を信ずるにあらざるを知れ〔而して若〜右○〕。
 足下は基督教の教義を以て勅語の精神と并立し能はざるものと論定せられたり、若し足下の論結にして、確実(131)なるものなれば基督教は日本国に於て厳禁せらるべきものにして、耶蘇宗門禁制の表札は再び日本橋端に掲げらるゝに至らん、帝国大学に職を奉ずる基督教徒を始めとし我帝国政府部内にある基督教徒は直に免官すべきなり〔帝〜傍点〕、足下已に足下の持論を世に公にせられたり、而して誠実なる日本国民として、真理を重ずる学者として、足下は輿論のクルセードを起し、基督教撲滅策を講ぜざるべからず、足下の責任も亦大なる哉。
 然ども余は又足下に一の注意を与へざるを得ず、茲に基督教に勝る大害物の我国に輸入せられしあり、即ち無神論不可思議論是れなり、足下の論文に依て見れば足下は.ハーバート、スペンサーに対し多分の尊敬と信用を置くが如し、ミル、スペンサー、バツクル、ベジヨウ等は我国洋学者の夙くより嗜読せしものにして、今日の日本を造り出すに所《つき》て是等英国碩学の著書与て大勢力ありしは蓋し疑なき事実なり、而して足下の公平なる哲学的の眼光は不可思議論と勅語とは并立し得るものと信ぜらるゝや〔而〜右○〕、余は試に茲に一二の実例を挙げて足下の教訓を乞はんと欲す。
 スペンサー氏の代議政体論は我国英語研究者の教科書として広く用ひらるゝ書なり、その需要の大なるや数種の翻刻を市上に見るに至れり、我国幾万の子弟は此書を読みつゝあるなり、而して其独裁政治を論ずるや左の語あり。
  ……It(the instinct of subordination)has been the parent of countress crimes.It is answerable for the torturing and murder of the nobleminded who would not submit−forthe horrors of Bastiles and Siberias. It has ever been the represser of knowledge,Of free thought,of true progress. In all times it has fostered the vices of courts,and made those vices fashionable throughout nations……………(132)Whether you read the annals of the far past−Whether you look at the various uncivilized races dispersed over the globe−or whether you contrast the existing nations of Europe;you equally find the submission to authority decrease as morality and intlligence increase. From ancient worrior−worship down to modern flunkeyism,the sentiment has ever been strongest where human nature has been vilest.
   余は茲に余の拙劣なる翻訳を附し此公開状の読者にして英語を解せざる人の為めにす
  服従の性(即ち君主政体をあらしむるもの)は無数罪悪の原因となり、高潔の士にして服従を肯ぜざるものを拷問殺戮し、バスチル、シベリヤの惨状を演ぜしめしものなり、之れ智識、思想の自由、真正の進歩の圧抗者なり、之れ何れの時代に於ても王室の弊害を醸し此弊害をして国内に流行せしめしものなり、………過去の記載に依るも、地球面上に散布せる未開人種を見るも、欧州今日各国の状態を比対するも、主権に対する服従は道徳と智識の増進すると同時に退減するを見る、昔時の武勇崇拝より今日の「オベッカ主義」(Flunkeyism)に至る迄此服従の精神は人性の最も鄙劣なる所に最も強し。
 而して之れその最も甚だしきものにあらざるなり、その前后二三ページに渉る記事を見よ、而し如何にして「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」との勅語と并行し得るかを余輩に弁明せられよ。
 余に若し時と余白とあらしめば余はウオーター、ベジヨウの究理政治論より、ミルの代議政体論、其他バックル、ペイン、ボルテヤ、モンテスキウ輩の著作より、我国の尊王心を全然破壊するに足るべき章句を引用し得べきなり、宜なるかな我文部省は一時官立諸学校に令して前述のスペンサー氏代議政体論を教科書として使用する(133)を禁ぜられたる事や。
 我国仏学者の中に最も愛読さるゝルソーの民約論(Contrat Social)は皇室の尊栄を維持するが為めには害なきものと信ぜらるゝや、欧米の学者にして基督教を攻撃せし記者は王政を攻撃せしものなるは足下の知る所なり、然るに基督教を以て我国体を転覆するものとして嫌悪する我国の教育者がベジヨウ、スペンサー 等を尊拝するは余の未だ了解し  はざる所なり。〔等〜傍点〕
 昔時羅馬の虐帝ニーロは手づるから火を羅馬の市街に放ち其?煙天に漲るを見て一夜の快を得たり、然るに後公衆の疑念と憤慨がその身に鍾るや直に基督教徒を捕へ罪を彼等に皈し彼等を殺戮せりと〔昔〜傍点〕、今日我国の洋学者も亦ニーロ帝を学ばんとするものにあらざるか、世の軽薄に進み礼義真率の地を払ふに至て其罪を基督教徒に科せんとするものは誰ぞ〔今〜右○〕。
 日本は足下の国にして又余の国なり、偽善と諂媚とは何処に存するとも共に力を合せて排除すべきなり、然れども軽率と疑察とは志士の共同を計るに於て用なきなり、我等恭倹なる日本国民として、注意深き学者として、公平なる観察者として、他を評するに寛大なるべく、事実を探るに精密なるべく、結論に達するに徐かなるべきなり、足下此公開状を以て足下の所謂「一々答弁を為すほどの価直あるものにあらず」と為さず、余に教訓を垂るゝあらは豈余一人の幸福のみならんや、不備。
  明治廿六年二月           大坂に於て 内村鑑三
 
(134)     『求安録』
             明治26年8月8日単行本 署名 内村鑑三
 
        〔写真有り〕初版表紙188×127mm
 
(135)  Dante has been here;as neither I nor any of the Brothers recognized him.I asked him what he wished. He made no answer,but gazed silently upon the columns and galleries of the cloister. AgainI asked him what he wished and whom he sought;and slowly turning his head,and looking around upon the Brothers and me,he answered,“Peace!”−Hilary.
 
     自序に代ふ
 
 口あひて腸みせる柘榴《じやくろ》かな。
                           芭蕉翁
 爾(正に)帰ん時其兄弟を堅せよ。
          基督(路可伝二十二章三十二節)
 我これらの望を既に得たりと言に非ず、亦すでに全《まつたう》せられたりと言に非ず、或は取ことあらんとて我たゞ之を追求む、キリスト之を得させんと我を執へ給へる也。兄弟よ我みづから之を取りと意《おも》はず、惟この一事を務む、即ち後《うしろ》に在ものを忘れ前に在るものを望み、神キリストイエスに由て上へ召て賜ふ所の褒美を得んと標準《めあて》に向ひて進なり。
          保羅(腓立比書三章十二、十三、十四節)
 
 明治二十六年六月七日   東肥託摩ケ原流寓に於て 内村鑑三
 
(136)     求安録目次
 
      上の部
 
  悲嘆………………………………………………………一三七
  内心の分離………………………………………………一三九
  脱罪術 其一 リバイバル……………………………一四八
  脱罪術 其二 学問……………………………………一五三
  脱罪術 其三 自然の研究……………………………一五五
  脱罪術 其四 慈善事業………………………………一五七
  脱罪術 其五 神学研究并に伝道……………………一六五
  忘罪術 其一 「ホーム」……………………………一七二
  忘罪術 其二 主楽説…………………………………一七三
  忘罪術 其三 楽天主義………………………………一七八
      下の部
 
  罪の原理…………………………………………………一八五
  喜の音《おとづれ》……………………………………一九七
(137)  信仰の解……………………………………………二〇二
  楽園の回復………………………………………………二〇九
  贖罪の哲理………………………………………………二二八
  最終問題…………………………………………………二四八
 
     求安録 上の部
 
      悲嘆
 
 人は罪を犯すべからざるものにして罪を犯すものなり、彼は清浄たるべき義務と力とを有しながら清浄ならざるものなり、彼は天使となり得るの資格を供へながら屡こ禽獣と迄下落するものなり、登ては天上の人となり得べく、降つては地極の餓鬼たるべし、無限の栄光、無限の堕落、共に彼の達し得る境遇にして、彼は彼の棲息する地球と同じく絶頂 Zenith 絶下 Nadir 南極点の中間に存在するものなり。
 降るは易くして登るは難く、降れば良心《りやうじん》の責むるあり、登るに肉慾の妨ぐるあり、我が願ふ所のもの我これを行《な》さず、我が悪む所のもの我これを行し、我は二個の我より成立するものにして、一個の我は他の我と常に戦ひつゝあるものなり、誠に実《まこと》に此一生は戦争の一|世《せい》なり。
 セネカ曾て親友ルシラスに書き送て曰く、
(138)  Vivere, mi Lucilii, militare est.
  (我がルシラスよ我に取りては生るは戦ふなり)
と、人生を以て快楽と言ふものは誰ぞ、我に一日の虚日あるなし、関ケ原ウオータルーは日々我わが心中に目撃する処なり。
 曾て聞くジヨン=バンヤンは屡々|犬猫《けんべう》の境遇を羨みて止まざりき、そは犬猫は人の戦ふべき戦を有せざればなりと、人各々不満あり、彼は思へらく、我に富あらしめば我足らんと、而して富彼に来りて彼尚ほ平安《やすき》を得ず、我に善良なる妻ありせば我足らんと、彼に幸福なる家族あるありて彼尚ほ足らず、人は内部の欠亡を認めずして之を外部に認め、内を満たさんとせずして外《ほか》に得んとす、我の敵は我なる事を知らずして、内に存する苦痛は外に漏らさんとす、爾曹《なんぢら》の中の戦闘《たゝかひ》と争競《あらそひ》は何より来りしや、爾曹の百体の中に戦ふ所の慾より来りしに非ずや(雅各書第四章一節)、然り世の始めより今に到る迄渾ての戦、渾ての争の原因を究め見よ、皆悉く慾の戦争《たゝかひ》にして、自己の不満を他人の上に洩せしものなり。
 博士《はくし》ムンゲル氏言へるあり。
  “The unrest of this weary world is its unvoiced cry after God,”−Munger.
  人世の不満は神を求むる無言《むげん》の声なり、
 我等神を得て始めて安し、世は最大幸福を求めつゝありて未だその最大幸福なるものは何たるを知らず、我等をして再びウエスレーの言を重複《じゆうふく》せしめよ、
  何よりもよき事は神我等と共に在す事なり。
 
(139)     内心の分離 Internal Schism.
 
 余の始めて基督教に接するや、余は其道徳の高潔なると威厳あるに服したり、余は余の不潔不完全を悟りたり、余の言行《げんかう》は聖書の理想を以て裁判さるれば実に汚穢《をくわいい》云ふに忍びざるものなる事を発見せり、余は泥中に沈み居りしを悟れり、余は故意を以《も》て人を欺きながら余の罪人なるを知らざりし、余は虚言を吐くを以て意に介せざりき、余は他人の失策を見て喜び、他を倒しても自己《おのれ》の成功を願へり、余の目的は高名富貴にありき、余は国を愛すると揚言しながら余の野望を充たさんとせり、余は他人の薄情卑屈を責めながら自分も常に他人の不利益を望めり、余は君子振りて実は野人なりき、余の目的は卑陋なりし、余の思想は汚穢なりし、是を思ひ彼を思へば余は実に自身に恥て若し穴あれば身を隠し神にも人にも見へざらん事を欲せり。
 然《さ》れども後悔先に立ず、今日より改めて善人となるべきのみ、「天に在《いま》す爾曹の父の完全《まつたき》が如く爾曹も完全《まつたふ》すべし」(馬太伝第五章四拾八節)、余は大いに心に決して曰く、「余は今より全く余の言行を改むべし、余は再び決して虚言を吐かざるべし、余は決して他人を評し他人を悪口《あくこう》せざるべし、余は情慾を慎むべし、余は懶惰《らいだ》ならざるべし、余は徳を以て恨に報ゆべし、余は功名心を根より断つべし、余は謙遜なるべし、余は酒も煙艸も芝居も廃すべし、余は驕らざるべし、余は日曜日を清く守るべし」と、余は実に全然たる改革を宣告せり、而して独り心に決するを以て足れりとせず、余の友人に向て余の決心を宣告し、天地に誓ひ、会衆に約し、完全無欠の生涯を送らん事を断決せり、教師之を聞《きゝ》て喜び、友人は余の改心を祝《しく》せり、余は思へらく余は復生せりと。
   ひとたび堅く定めしのちは(140)動きはせじと我は思へり
 余は一二ケ月間余の決心を実行せり、余は実に新らしき人となりたり、余の改心は非常なるものなりと人も思へり、我も思へり、余は神の余に近きを感ぜり、余の朝夕の祈?は長くして熱心なりき、余の言語は少くして重味ありき、余の謹慎は余の友人の厭ふ程なりき、昨日《さくじつ》迄の「オシヤベリ」は今日《こんにち》の沈黙家たり、語るに涙あり聖書の引用あり、絶間なく祈り絶間なく讃美し、余は実に純然たる聖人となり、エノクの如く神と歩めり。
 然れども此製造的の神聖は長くは続かざりき、忽ちにして余の言行は後戻りし始めぬ、余の謹慎は余の友人の忌みしのみならず、余も黽勉を以て暫時《しばし》持続《もちつゞ》けしものなれば、数日《すじつ》にして余は不自由《ふじいう》と苦痛を感ぜり、少小の豪遊何ぞ信仰の妨害たるべけんや、沈黙は気鬱病を導くの恐れあり、余は常に石像の如くにあるべからざるなり、警備一方に緩みはじめて全部|壊《やぶ》れたり、三ケ月を経ずして余は決心以前の余に復せり、今は余の基督信徒たるの徴候は冷淡ながらも日曜日毎に信徒の集会に列すると、イヤ/\ながらも朝夕頭を伏て意味なき祈?をなすに止まりたり。
 然れども永遠の生《いのち》を有する心霊は聖経《せいけい》の刺詞《しじ》を感ぜざるを得ず、「人の罪を定むること勿れ、恐くは爾曹も亦罪に定められん」(馬太伝七章第一節)、――嗚呼之れ他を悪口《あくこう》すべからずとの教訓ならずや、余が友人と会する時、蔭ながら人を批評するを以て第一の快楽となし、特に彼の牧師、是の信徒の欠点を摘発して談話の好材料となすは、之れ聖書の大訓に戻り、明瞭なる普通道徳に反するの行状にあらずや、多弁に対する聖書の誡は左の如し。
  わが兄弟よ爾等多く師となるべからず蓋《そは》われら師たる者の罰を受くること尤も重しと知ればなり、われらは(141)皆しば/\愆《あやまち》を為せる者なり人もし言《ことば》に愆なくば是|全《まつたき》人にして全躰に轡を置き得るなり、夫れ我等馬を己に馴はせんとして其口に轡を置くときは其全躰を馭《まは》すべし、舟も亦その形は大きく且狂風に追はるゝとも小《ちいさき》舵《かぢ》を以て舵子《かぢとり》の意《こゝろ》の随に之を運ばすなり、此の如く舌も亦小きものにして誇ること大なり視よ微火《わづかのひ》いかに大いなる林を燃すを、舌は則ち火すなはち惡の世界なり舌は百体の中《うち》に備はりありて全躰を汚《けが》し又全世界を燃すなり舌の火は地獄より燃へ出づ、それ各類《さま/”\》の獣《けもの》禽《とり》昆虫《はふもの》海にあるもの皆制を受くまた既に人に制せられたり然れど人たれも舌を制し能はず乃ち抑へがたき悪にして死悪《しのあく》の充てるもの也、我儕《われら》之れを以て主なる父を祝ひまた之を以て神の形に像りて造られたる人を詛ふ、祝と詛一つの口より出づわが兄弟よ此《かく》の如きことはあるべきにあらず。          (雅各書第三章従一節至十節)
 余は之を読む毎に鑿を以て余が良心を穿たるゝ心地せり、Speech is silvern, Silence is golden.(若し雄弁は銀なれば沈黙は金なり)、人は二個の耳を有し一箇の口を有するは二度|聞《きゝ》て一度語れとの謂なりと、Think twice、speak once(二度考へて一度語れ)、楠正成曰く「衆愚の愕々たるは一賢の唯々に如かず」と、余の不完全なる余の頑愚なるは余が余の口を支配する能はざるに依て明かなり、余にして余の多弁を制する能はざれば余の基督教は何の用かある、余は神は唯《たゞ》一《いつ》なりと信ず、如此《かく》信ずるは善し悪鬼も又信じて戦愕《おのゝ》けり(雅各書二章十九節)、余にして此明白なる基督教の訓誡を犯しながら世人に向て罪の懺悔を勧め神の裁判を説教するとは余の鉄面皮もこゝに至て其極に達せりと云つべし、然り余は大偽善者たるを感ぜり、余は余の行を改むる迄は何の面目《めんもく》ありて他人に基督教を説くを得んや。
 聖書は曰へり、凡そ兄弟を憎むものは即ち人を殺す者なり、凡そ人を殺すものは窮《かぎ》りなき生命その衷《うち》にをるこ(142)となし此は爾曹の知るところ也(約翰書第一書三草拾五節)、余始めて之を読むや酷に過たる言と思へり、然れども能く其意を探ぐるに於て最も当を得たる言なるを知れり、カインは其弟アベルを憎て彼を殺せり、殺人罪は憎悪《ぞうあく》の結果なることは歴史と事実の証明する処なり、而して天道は人を罰するに当て罪の結果を以てせずして之に至らしめし意志を以てするなれば、神より人を見給ふ時は意志を決行するもせざるも差異あるべきにあらず、憎悪の情を発表して殺害に至らしむるも然らざるとは其人の教育境遇祖先より受けし遺伝等に由るものなり、昔時の虐王の如く彼を支配するの法律《おきて》と社界の制裁なく、彼を威赫するの宗教なきときは、彼の憎む人は彼は殺せしなり、ジヨン=バンヤン曾て刑場に引き行かるゝ罪人《つみびと》を指て曰く、「若し神の恵に依らざりしならば彼の罪人はジヨン=バンヤンなり」と、憎悪の念余に存すれば余に殺人罪を決行するの危険あり、而して神の裁判に引渡さるゝ時は殺人罪の宣告を受くるとも余は何を以て余を弁護せんとするや、而して余の霊《たましひ》よ、汝は人を憎みし事なきや、汝は人を憎みつゝあるにあらずや、「凡そ兄弟を憎む者は即ち人を殺すものなり」、汝人殺よ如何にして汝は汝の罪より免かれんと欲するや。
 聖書は言へり「凡そ婦を見て色情を起す者は中心《こゝろのうち》すでに姦淫したる也」と、而して此標準を以て判決せらるゝ時は丁年以上の男子にして何人か能く姦淫罪より免かるゝを得んや、「我より退け汝姦淫を犯すものよ」とのエホバの宣告は誰の受くべきものなるや、他人の淫行を摘発すると雖も自己の中心已に姦淫病の骨からみとして存するを如何せん、人は他人の病重きを見て自己を無病と信ぜんと勉むるものなり、見よや世に社会風俗の壊乱を発くに於て最も熱心なるものは多くは自身敗徳の人なる事を、我は税吏《みつぎとり》の如く民を虐げずと言て自己の無罪を神の前に建てんとするパリサイ人の心は普通人間の心なり、他人の罪あるは自身の罪なき証にあらず、自身已に(143)梅毒を心に醸《かも》しながら他の梅毒患者を罵りその醜躰を摘揚して意気揚々たるの愚者は誰なるぞ。
 汝盗む勿れとの誡も能く聖書の原理に基ひて探究するならば我の破らざる誡にはあらざるなり、盗とは竊盗強盗をのみ云ふにあらずして総て天より我に賦与せられざるものを我物とするを云ふなり、我万人に秀づる才と学とを有せざるに、或は友人の保庇に依り、或は諂媚《てんび》の方便を以て、我の保つべからざる官職を保つに至れば我は其官と其給とを盗むものなり、神我を伝道師として造られざりしに我自ら伝道の職を取り、其尊厳と威力とを使用すれば我はエリの子供と均しく伝道職と之に伴ふ栄誉とを盗みしものなり、(撤母耳前書二章二十二より二十五迄を見よ)、神を崇め国家《こくか》に尽さんが為めに我に与へられし此貴重なる生命と時間とを己が快楽の為めに消費するものも亦|盗人《たうじん》にあらずして何ぞや。
 貧苦に責められ、饑餓に迫りし老母と愛児とを救はんが為めに心ならずも隣人の単衣一枚を盗みしものも社界は法律てうものを設けて罰すると雖も、白昼に公然と法律の保護の下に貧者《ひんしや》を虐げ国家の富を掠奪しつゝある無数の盗人は措て問はざるなり、国家の犯罪人中十中の八九は盗人なりと、然れども人類が未来の裁判を受くるに及では竊盗罪を犯さゞるものとては実に寥々たるならん。
 余は偽善者なり、人を殺すものなり、姦淫を犯すものなり、盗人なり、而して聖書なる電気燈を以て尚も余の心中を探るならば余は神を?《けが》すものならん、人を欺くものならん、――嗚呼聖書の言をして誤謬ならしめよ、余は如斯光輝に堪ゆる能はざるなり。
 余は罪の罪たるを知らざりし以前は罪を犯すも左程の苦痛を感ぜざりしが、罪の悪むべき事、罪の懼るべき事、罪の罪たる事を知りし後は罪を犯せし時は名状すべからざる不快を感ずるに至れり、而して罪の特性たるや、我(144)等に懼怖を与ふると雖も我等をして之を避くるの力を与へず、我等は罪を犯して歎じ、歎じて怖れ、怖れて失望し、失望して又同じき罪を犯すものなり、米国産ラットルスネーク(毒蛇の名)の木鼠を獲んとするや、その尾を振り、其口を開き、木上《ぼくじやう》にある木鼠をして危険の念を以て震動さしめ、終に自ら下て毒蛇の口中に投ぜしむると云ふ、我等の罪に於ける亦同じ、罪の怖るべきを知て反て益々其罪を犯すに至る、恰《あだか》も絶壁の上に立つ時は身を千仞の下に投ぜんとする念の起るが如し、此経験を有せざる無慈悲の教役者は弱き信徒の罪を敲くのみを以て彼等を救はんと思へり、余も此心霊の薮医師の為めには懼るべき危険に陥りし事|数度《すたび》なりき。
 余をして罪を犯さしむるものは余に存する罪のみにあらざるなり、余は罪に沈める此世界に来り、未だ神を信ぜざる此国に生れ、余の境遇余の社会は余を罪に導くものなり、虚言を吐かざれば事務を弁じ能はざるの場合あり、余にして真正直《ませうぢき》を言はんか、余一人の不利益なるのみならず他人に迷惑を感ぜしむることあり、如斯時に当て虚言を吐かんと欲すれば良心の責むるあり、欲せざれば事の弁ぜざるあり、行て教導師に意見を問へば、彼等は云ふ君如斯社会を去れよと、然れども基督信徒は悉く牧師伝道師たるべきにあらず、教役社会に身を投じて行を清ふするより易きはなし、然れども我の天職にして学術殖産商業等にありと信ずる時は我は今日の位置を去るべきにあらず、罪を犯して天職を全ふせんか、或は身を清くするのみを以て我一生の目的とせんか、嗚呼未信徒社会の中に在て基督数的の生涯を送らんとするものゝ苦と涙は、彼の聖書を小脇に挾み祈?会と演説会と説教会を主《つかさ》どるを以て永遠より定められし天職と信ずる羨むべき人士の迚も推察する能はざる処なり。
 我若し仁道を以て世に対せんとすれば世は詐欺を以て我を向へ、彼我に裏衣《したぎ》を求むるに依て我が外衣《うはぎ》を彼にとらすれば彼は尚ほ我の靴をも帽をも求む、彼我に対するに不正なるが故に我彼に報ゆるに不正を以てすれば彼我(145)を責むるに我が信徒たるが故に正なるべきを以てす、彼は不信者なるが故に不正を為すを以て正当なりと云ひ、我は信者なるが故に不正を為すべからずと思へり、我の基督を信ずるは我をして不信者社会に於て最も預り易きものとせり、我の正直は我をして彼等の便具《うつわ》となし、我の良心の命を重ずる事は我をして偽善者の好敵手となせり、我若し彼の不正を責むれば、彼は云ふ汝の愛心を以て之を恕せよと、彼我を欺きて我に約を結ばしめ、而して后基督信徒たるの義務として此約を履行せしめんとす、我若し約を破れば彼は神と人とを欺きしものとして我を訴へ、我は詐欺者として、姦淫をなせしものとして、教会の裁判に渡さる、世に助けなきものゝ中に自己の罪を感ずる基督信徒の如きものはあらじ、而して世に力強きものゝ中に罪を感ぜざる基督信徒(所謂)に勝るものなし、前者は戦々兢々何事をも為し能はず、後者は大胆不敵何事をも為し得べし、罪より救はれんとするものも基督教会に来れ、正義と神聖との後楯を以て罪を犯さんとするものも基督教会に来れ。
 如新社会如斯教会に於ては我儕罪を犯さゞらんと欲して犯さゞるを得ず、恰も戦国の世に生れし人は戦争は罪なりと信ずると雖も戦はざるを得ざるが如し、我は罪を犯すものにして罪を犯さしめらるゝもの(Sinning and sinned against)なり、我は神と争ふものにして神と争はざるを得ざるものなり、若し罪を犯さゞるもののみが天国《てんこく》に入るを得るとならば地球は人を天国に送り出す処にあらざるが如し。
 悪を為すの罪に加ふるに善を為さゞるの罪あり、即ち Sin of Commission and Sin of Omission なり、監督教会祈?文|懺悔《さんげ》の語に曰く「我等は為すべき事を為さず為すべからざる事を為せり」と、基督教の道徳は悪を避くるを以て満足せずして進で善を行はしむ、「汝所不欲勿施人」と言ずして「凡て人に為られんと欲することは爾曹また人にも其ごとく為せ」と言へり、我等は退《しりぞひ》て己を守るべきのみにあらずして進で人を救ふべきなり、(146)基督教の教義に由れば自己《おのれ》のみを救はんと勉むるものは滅亡《ほろび》に至るの人なり、懶惰《らいだ》は罪中の罪なり、何事をも為さゞるは悪事をなすなり、時を殺すも人を殺すが如く同じく罪なり、功なきの一生は罪の一生なり、フランクリンは言へり時は金なりと、基督教は言ふ時は永遠の一部分にして億万心霊安否を決するの機なりと、(Ton Kairon, 以弗所書第五章十六節参考)我が憎悪の念を充たさんが為めに人を死に至らしむるも殺人罪なり、人の永遠の滅亡に至るを手を束ねて傍観するものも亦殺人罪に与からずと言ふを得ず、神予言者|以西結《いぜける》に告て曰く、
  人の子よ我なんぢを立てゝイスラエルの家のために守望者《まもるもの》となす、汝わが口より言《ことば》を聴き我にかはりてこれを警《いまし》むべし。我悪人に汝かならず死ぬべしと言はんに、汝かれを警しめず、彼をいましめ語りその悪《あし》き道を離れしめて之れが生命を救はずば、その悪人はおのが悪の為めに死なん、なれど其血をば我れなんぢの手に要《もと》むべし。然ど汝悪人を警めんに彼その悪とその悪しき道を離れずば彼はその悪の為めに死なん、汝はおのれの霊魂を救ふなり、又義人その義《たゞしき》事をすてゝ悪を行なはんに我れ躓礙《つまづくもの》をその前におかば彼は死ぬべし、汝かれを警しめざれば彼はその罪の為めに死てそのおこなひし義しき事を記《おぼ》ゆる者なきにいたらん、然れば我れその血を汝の手に要むべし。然れど汝もし義しき人をいましめ義しき人に罪ををかさしめずして彼罪を犯すことをせずば彼は警誡《いましめ》を受けたるが為めにかならずその生命《いのち》をたもたん、汝はおのれの霊魂を救ふなり。
               以西結第三章拾七節より二十一節迄
 我は我たり爾は爾たりとの無情なる世界の精神は基督教の許さゞる所なり、神は我等の手より悪人の血を要め給ふなり、兄弟の罪を犯すは我等の罪を犯すなり、人類責任連帯論は基督教の教義にして近世社会学の結論なり。
 汝は汝の責任を尽せしや、又尽しつゝあるや、「我知らず我あに我弟の守者《まもりて》ならんや」とのカインの答《こたへ》をし(147)て汝の答たらしむる勿れ、汝日曜日を守りたるとて、汝は他人を苦しめずとて、汝の責任を尽したりと云ふべからざるなり、懶惰《らいだ》の罪、無情の罪、不注意の罪、――積極的《せきゝよくてき》の罪と消極的の罪、為すべからざる事を為して為すべき事をなさず、汝如何にして来らんとする刑罰より免かれんとするや。
 如斯にして神の霊を以て我が心を詮議さるゝ時は我は隠るゝに所なきなり、我が人の前に表白し能はざるの罪も神の前には顕明なり、我の汚穢なる感情、我の卑陋なる思想、人知れずして犯せし罪、未だ人の知らざる我が心中の欠点、――嗚呼我は之を如何《いかに》せん
   たとひ我れわが愁を忘れ面色を改めて笑ひ居らんと思ふとも、
   尚ほこの諸の苦痛の為めに戦慄《おのゝ》くなり、
   我れ思ふに汝我れを釈《ゆる》し放ちたまはざらん
   我れは罪ありとせらるゝなれば何ぞ徒然《いたづら》に労すべけんや、
   われ雪水《せつすゐ》をもて身を洗ひ
   灰汁《くわいじう》を以て手を潔むるとも、
   汝われを汚《けがら》はしき穴の中に陥しいれたまはん、
   而して我が衣も我を厭ふにいたらん。
       (約百《ヨツブ》九章二十七節より三十一節迄)
 われ我罪に耻て神より遁がれんとするも神は我を遁し給はず、我はエホバの的となり、彼の矢われにあたり、彼の手わがうへを圧へたり、(詩篇三十八〇二)我東に行くも彼はあり、西に行くも亦彼を見る、神は裁判の神にして宥恕の神にはあらざりき。
(148) 罪に責られて余は全く生涯の快楽を失へり、食事進まず、夜眠《ねむり》は妨げられ、事を為す気力なく、唯恐怖を以て震へながら日を送りたり、苦痛の余り余は一日教師の許を訪《おとな》ひ、幸ひ二三の有名なる教導師の居合せたれば耻を忍びて余の心中《こゝろ》の苦痛を吐露し彼等の援助《たすけ》を乞はんことを求めたり、然るに全く余の希望に反し彼等の内一人も余の要求に応ずるものなく、三人均しく答て曰く、余輩如斯経験を有せずと、而して少しも余を省みざりき、余は心中の煩悶を表白せしを耻じ、余の思慮なきを歎じ、失望に沈みて家に帰れり。
 天路歴程の記者ジヨ=バンヤン未だ宗教上の事に関して雲霧の中に彷徨するや、一日懐疑止む能ずして近隣の一牧師を訪ひ彼の心事を吐露して牧師の慰めを得んとせり、バンヤン曰く「余の心中《しんちう》に悪念かぎりなく湧出するは正しく余が神に捨てられ悪魔の奴隷となりし徴候ならん」と、牧師之を聞て嘆じて曰く「多分然らん」と、過敏なるバンヤンは失望の上に尚ほ一層の失望を加へ、殆ど立つ能はざるの位置に至れりと、彼年を経て基督に於ける平和を得し後彼の友人に告て曰く、彼の牧師は神学には委しき人なりしなれども未だ悪魔との経験に於ては乏しかりし人なりしと。
 爰に於て罪なる大問題の解折に就ては余は何人にも頼るべからざるを了《さと》れり、余は独り此解訳を試みんと決せり、人は罪より免かれ得べきや、免れ得るとならば其途何処にあるや、この心中の苦痛より免かるゝにあらざれは余は何事もなし能はざるなり。
 
     脱罪術 其一 リバイバル
 
 時に報あり余に告て曰く、某教会に聖霊の降臨ありて数多《あまた》の信徒は罪の赦を得、歓喜満ちみちて恵の神を讃美(149)すと、実に昔時《むかし》のペンテコステ我国に顕はれ、小女は非常の雄弁と才能とを以て福音を老成人に伝へ、頑老は罪を悔て赤子《あかご》の如しと、非常の力あり、非常の感動あり、非常の改宗あり、非常の歓喜あり、何事も非常ならざるはなしと。
 余は此報に接して懐疑の念頻りに起れり、余の生理学と心理学とは是等の顕象《げんしやう》を以て神経作用に帰したり、余は或る寺院に於て一《ある》尼が猫を真似してより全衆挙て此尼に傚ひしを聞けり、而して交感神経過敏の時には我等予想外の出来事を目撃するは決して怪むに足らざるを知れり、故に余は学者の精神を以てリバイバルの席に至れり、而してこれを目撃するに当て余の理性は益々余をして冷淡ならしめたり、リバイバル家の謂ふ所に依れば、聖霊火?の如くに来り、何時《なんどき》来《きた》るとなく、何処より来るとなく、信徒の心中に一種異様の変動を生じ、忽にして苦痛死に至らしめんとするが如く、彼為めに叫号して神の援助《たすけ》を乞ふに至る、かく病む事或は一夜或は二三昼夜或は一週間、天上より声あるが如くにして、罪人の罪は赦され、苦痛は散じ、歓喜一時に来て手の舞足の踏む所を知らざるに至ると。  
 余の会堂に至るや二三の兄弟余を取巻き速に聖霊を受くべきを勧む、彼等は熱涙を流して余の為めに祈り呉れたり、而して彼等の言語《ことば》は真情より出づるが如く、余をして知らず/\もらひ泣をなさしめたり、彼等の謂ふ所余の実験に的中せし事多し、罪の罪たる事、罪人に永遠の刑罰ある事、悔改の必要等は悉く余の衷心を打てり、殊にリバイバルを主張し或は之を賛成する人は時の有名なる学識才能を有する教師なりければ、余は益々その輕《かろん》ずべからざるを了れり、余の生理学上の反対は段々と薄らぎたり、余は沙翁の言《ことば》を思ひ出せり、
   There are more things in heaven and earth, Horatio,
(150)   Than are dreamed of in your Philosophy.――Hamlet, l, 5.
 カーペンター、ハックスレー、ゲゲンバウル必しも宇宙の全真理を有せざるなり、余の心中の苦痛を癒すの途は一にリバイバルにあるならん、他の兄弟の得し恩沢何ぞ余も得る能はざらんや、彼等は言ふ「祈れよさらば聞かれん、門を叩けよさらば開かれん」と、余も全心全力を尽し神に縋り付て祈らば此特別の恩化余の上に来り、心中の罪は飛散し、憂雲は霽れ、忽にして無辜快楽の身とならん。
 余は祈り始めたり、而して一日待てども恩化余に降らず、二日祈れども心中別に異状なし、行て教師に問へば曰ふ、君の熱心の足らざる故なりと、依て余は無理に泣き無理に叫び恩沢に浴せんとせり、然るに好果少しもあるなし、余は歌へり、
   主 よ 主 よ 聞きたまへ
   ほかびとすくふに なぜわれも
 余は終に失望せり、余は余の罪の普通人の罪に勝りて多ければ神の余に聴かれざると思へり、他の兄弟姉妹は天よりの特別の御恵に就て互に喜び共に神に感謝しつゝあるに、余一人は孤児の如く、拾児の如く、感謝すべきの恩恵なく、表白すべきの歓喜なく、神に捨てられし如く思ひ憂鬱の上に憂鬱を加へ、懐疑前日に十倍せり、而して時の教勢たるリバイバルを受けざるものは信徒にして信徒にあらざるが如くなりし故、余は自然と信徒社会を避け、教会は余を厭ふに至れり。
 此時に当て余を信仰上の大失敗より救ひしものは余の有せし至少の科学上の智識なりき。
 余は曾てリバイバルに就て論じて曰く
(151) 昔時《むかし》朱だ科学の進歩せざる時に当ては宇宙万物の進化変動を了解せんとするにの悉く急変的の顕象《げんしやう》を以てせり、其地球創造を講ずるや学者は悉く Catastrophism 説即ち急変説を維持せり、該説の論ずる所に依れば人類の棲息する此地球は僅々六日間に神の非常の力に依りて造られたりと、又或は此六日を以て各々二十四時間づゝの日と見做さゞる人に於ても一期毎に大急劇変動ありしを説き、或は大地震《だいぢしん》の為め、或は大洪水の為め、短時日間に人の衣服を変ずるが如く地球の表面に大変動を来せし事を説けり。
 然るに今世紀の中頃に当て英国の碩学ライエル氏は地質学上急変説の信ずべからざるの理由を論じ、地球は僅少年間の急造物にあらずして其今日に至りし迄の来歴は略ぼ今日人類の目撃しつゝある自然現象の作用に依て進化せし者なることを説明せり、後ダーウヰン氏をして動植物進化論を思ひ起さしめしものは実にライエル氏著述地質学の原理(Principles of Geology)なる書なりと云ふ、而して進化論は実に思想界を一変し、延て神学界に及び、彼のバウル氏の一派即ちチユービンゲン派の神学の如きは進化説を神学上に応用せし極端と称するものなり。
 地質学上生物学上急変説は排撃せられたり、急変説は社会学よりも歴史学よりも退けられたり、而して余輩は思考の結果として、観察の結果として、心霊上実験の結果として、宗教上に於ても急変説に価値を置かざるものなり。
 ヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ基督の「初には苗つぎに穂いで穂の中に熟したる穀を結ぶ」(馬可四〇二十八)なる語は心霊の発達を以て植(152)物発生の順序に比べたるものにして全く急劇的の変動に反せり、馬太十三章三十一節以下|芥種《からしだね》の譬并に麪酵《ぱんだね》の譬は共に進化的の発達《はつだつ》を示すものにして急変的の意の存するなし、基督は彼の教会の建設并に勝利を以て数《す》千年の後に期せり、熟思以て四福音書を研究する人は基督自身の語より心霊并に教会の進歩に関して、菌類の一夜に生ずかが如き、富士山の一夜に突出せしが如き、一時速急の生長を示せる意を解する能はざるなり。
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ真理は余輩の呼吸する空気の如く、余輩の日常飲用する水の如く、其効果は確固なると同時に其働らきは静かにして遅きものなり、真理は劇薬にあらざるなり、ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ真理は芥種《からしだね》の如くにして永遠に迄生長するものなり、基督の救なる事は真理なり、ルーテル之を聞て起ち、バンヤン之を聞て始めて安し、然れども.ルーテルしてルーテルたらしめたるは単に師父スタウビッツの一言に由るにあらずして尚ほ三四年間寺院内に於ける単独の思考と祈?とを要せり、感情的のバンヤンに於てすら彼救罪の大真理を悟りしより尚ほ十二年間ベツトホルド監獄内の鍛錬を要せり、大真理を得しときは之を感ずると感ぜざるとに関せず余輩の一大進歩せし時なり、之に反して如何程感情を起すとも、如何程涙を流すとも、余輩の理性を動かさゞるの変動は遠からずして消て跡なきに至らん、聞く十六世紀のプロテスタント革命の成功ありし理由は合理的の革命にして、感情的の革命にあらざりし故なりと、而して之に反し、(153)カラフハ〔二字小字〕及びロヨラ等の天主教会内に起せし革命は感情的の革命なりしを以て百年を出でずして消絶《きえ》たりと、感情的リバイバルを賛賞する人は常にウエスレー、ホヰツトフイルドの功績を以てせり、然れ共余輩の見る所を以てすればメソヂスト派の祖先は今日人の称するリバイバル家にあらざりしなり、ウエスレーは寧ろ冷淡なる建設的の政治家と称するとも熱頭なる感情的の説教家と称すべき人にあらざりしなり、氏の説教は寧ろ議論にして説教にあらざりしなり、以てメソヂスト教会の今日あるを徴するに足る、沈思熟考より生ずる感情の外は頼むべからざる感情と知て可ならん。
 
     脱罪術其二 学問
 
 急劇的奇跡的変化の希望全く絶へて余は普通理達の示す法に依て罪の苦痛より免かれんとせり、而して余の以て頼むべき途と信ぜしものは専心以て学術研究に従事し罪てう念より脱せんとするにありき。
 罪より免かるゝの一策は罪に就て思はざる事なり、毒蛇を見詰る木鼠は終に自らその呑まるゝ所となるが如く、人も罪より逃れんと欲すれば眼を罪より転ずるに如かず、自己の罪を見認むるはよし、之を見詰るはよろしからず、罪を摘発し常に刑罰の念を示し置かば人は罪を犯さゞるべしとの観念は法律家並に宗教家の屡々陥る誤謬なり、安息日毎に信徒の薄信を責めその欠点を算立つるならば信徒は自ら罪を悔い之を改むるに至るべしとは経験なき若牧師の常に取る方針なり、罪とは悪むべきものにして慕はしきものなり、怖るべきものにして心を奪ふものなり(創世記三章六節)罪の苦痛より免かれんとすれば罪を見ざるにしかず。
 学に罪なし、我学ぶ時に罪を覚へず、我書籍の中に埋まる時、我古人の深意を探らんとする時、二更夜静かに(154)して洋燈の石油《あぶら》将に尽きんとする時、我に悪念なし、卑想なし。
   Ach,wenn in unsrer engen Zelle
   Die Lampe freundlich wieder brennt,
   Dann wird's in unserm Busen helle,
   Im Herzen,das sich selber kennt.
   Vernunft fangt wieder an zu sprechen,
   Und Hoffnung wieder an zu blühn;
   Man sehnt sich nach des Lebens Bachen,
   Ach,nach das Lebens Quelle hin,−Goethe's Faust.
 ダンテと共に三|界《かい》に遊び、沙翁《しやおう》に由て人情に達し、ゲーテに導かれて思想界の宇宙を跋渉する時、我は下界の人ならず、我は我より解脱して真聖人となりし感あり。
 然れども之れ一時の感なり、以て我が永久の苦痛を医するに足らず、学は我に新世界を開き之と共に新快楽を与ふると雖も又我に際限なき世の憂苦を示すものなり、我は学に由て苦痛の上に苦痛を重ねたり、ゲーテは近世文学界の王なり、世は飽き足らぬ程名誉を斯人の頭上に積めり、然るに彼は表白《ひやうはく》して曰ふ、「余の一世中快楽と思ひし時は僅々四週日なり」と、彼の著述に係《かゝは》る Werther's Leiden(ベルテルの悲)なる書は幾多の失意家をして自殺を行はしめたり、誰かシセローの博識雄弁なるを知て彼の絶望的の生涯を読むに忍びんや、「世に生れざるこそ最も大ひなる幸運なれ、其次位の幸福は成るべく速に之れを離れ去らんことなり」との希臘の悲劇家ソフ(155)ホクリスの語《ことば》は我を愁殺せしむるに足る、統計学者は曰ふ独逸国に於て自殺を以て命を終るものは下婢は千人に対する四人にして学者は千人に対する六十人の割合なりと、即ち後者は前者の四倍にして厭世失意は多くは有識《いうしき》の人にあり、最も危険なる異端、最も恐るべき懐疑は学なき農夫職工等に存せざるなり、幸福なるは無学なり、知らぬこそ仏なり、学は罪よりの隠場所にあらずして反て之を顕明ならしむるものなり。
 
     脱罪術 其三 自然の研究
 
 学は人為なり故に我を癒すに足らず、我は人の造らざる自然に行かん、
   “Pride often guides the author's pen;
   Books as afEected are as men:
   But he who studies Nature's laws,
   From certain truth his maxims draws,
   And those without our schooIs suface
   To make man moral,good and wise.”−John Gay.
 誰か鳥類学者オージユボンの伝記を読て彼の無?《むてん》純白なる生涯を賞嘆せざるものあらんや、アルプス山の眺望の中に養育されしルーイ=アガシこそ罪なき自然の子供にして彼の一生は幸福の一連鎖たるが如し、身躰虚弱なダーウヰンは博物学の研究の中に静粛有益なる一生を送れり、五百倍の目的鏡の下に細菌の発生を探研する時誰か人生永遠の堕落を意に留むるものあらんや、罪、未来の刑罰、皆不平人間の妄想《ばうさう》なり、来て美麗なる自然と(156)交れよ、鬱は散じ疑は解けん。
 余は罪の観念を以て責めらるゝの苦しさに一時は全く身を自然物の研究に委ねたり、而して詐りなき自然物は虚飾的偽善的の人造物と異り余を教へ余を慰むるに於て不尠功力を有せり、学者の未だ曾て知らざる新動物を発見せし時の?しさ、煩困なる事実を単純なる一つの規律の中に包括せし時の快楽、万物は順序なり、規律なり、和合なり、自然と交はるものは宇宙の運行と共に静粛平和ならざるを得ず。
 然れども自然の人霊に及ぼす感化力は受動的にして主動的にあらず、自然は喜ぶものには喜ばしく見へ、悲しむものには悲しく見ゆるものなり、東台の桜花は万人の歓喜を助くると同時に又無限の怨恨を写すものなり、物は霊の婢僕にしてその主たる事能はざるなり、歓喜と悲哀とは我の心にあり、シナイ半島の茫漠たるも勝ち勇めるミリヤムには高尚優美の讃歌を与へ、アルプス山の壮厳なるも詩人バイロンの炎熱を冷却する能はず、瑞西国の山嶽ありてルイ=アガシありしにあらず、天アガシを降してアルプス山の岩石は識化(intellectualiZe)せられたるなり、南米の地質、ガルパゴス島の動植物はチヤレース=ダーウキンを造らず、天ダーウヰンを送て進化論世界に普し、霊は物を霊化し得るも物は霊を化するを得ず、自然物は我心中の病を治する能はざるなり、そは自然は生命の境遇にして其源因ならざればなり、勿論周囲の有様は生命の発達に大関係なきにあらず、然れども病若し生命其物に存する時は周囲如何程善良なるも之れを癒す事能はざるなり、自然は病める霊魂を医する上に於て大助力たるに相違なし、恰《あだか》も清浄温暖なる空気は結核病患者を治する為には大効力を有するが如し、然れど腔内の黴毒は外用剤の達し得べきにあらず、罪てうもの若し心霊の病なれば之を癒すものは心霊的の力ならざるべからず。
 
(157)     脱罪術 其四 慈善事業
 
 此時に当て余は自己以外に援助の存せざるを悟れり、教師も教会も学問も自然も余の心中の痛を治する能はざるを知れり、余は自ら勉めて畏懼戦慄《おそれをのゝき》て己が救を全ふせむと覚悟せり(腓立比書二章十二節)、罪の位置は余の意志に存すれば余は意志を以て之に打勝つべきなり、余の罪に責めらるゝは余は余の為めにのみ余の思考を消費しつゝあればなり、今よりは「我れ」なる念を全く去り、世の憐れなるもの貧しきものを救はんにはなどか余をして無私完全なるものとなし得べからざらんや、完全は安逸の中に求むべからず、学海に棹すも墨水に舟を浮ぶるも快を求むるの精神に於ては一なり、狐を狩り出すも真理を探り出すも探究の楽を目的とするに至ては一なり、罪は私慾なり、私慾を離るゝは罪を離るゝなり、聖書は曰はずや
  全からん事を欲はゞ往《ゆい》て爾の所有《もちもの》を售て貧者《まづしきもの》に施せ然らば天に財《たから》あらん  (馬太十九〇二十一)
  神なる父の前に潔くして穢なく事ることは孤子《みなしご》と寡婦《やもめ》を其|患難《なやみ》の中に眷顧《みまひ》また自ら守て世に汚れざる事なり       (雅各書一〇二十七)
 慈善は他人の為めにのみにあらざるなり、完からんとするもの潔からん事を願ふものは自を慈善事業に投ずべきなり、我等は物を与へて霊の賜を受くべきなり、然り宗教とは慈善を云ふなり、貧しきものに尽すは神に尽すなり、而して余に此観念を注入せしものは詩人ローエルの作に係る「ラウンフホール公の夢」(Sir Launfal`s Dream)なる詩篇なりき、(158)ラウンフホール公は中古時代の名士にして一城の君主なりき、彼は熱心の基督信者なりければ常に神と教会の為めに大功を奏し以て忠実なる天主教徒の本分を尽さんと思ひ居れり、時に彼の心中に浮び出し一策は、曾て基督が彼の弟子|等《たち》と共に晩餐の式を守られし時用ひられし金の盃にして今はその行衛を失ひたるものを探り出さんとするにありき、ラ公思へらく此事実に救主に対し天主教会に対しての大事業なり、昔時《むかし》より其探究に従事せし人尠からずと雖も一つも功を奏せしものなし、よし、我は今日より万事を放棄し身命を捨てゝも此|重宝《ぢゆうはう》の所在を尋ねんと、因て心を決し、別を故郷の人に告げ、甲《よろひ》を環《くわん》し肥馬に跨り、勇気勃々として彼の城門を出でたり、時に癩病を患《うれふ》るものあり、来て公の傍《かたはら》に伏しナザレの耶蘇《いゑす》の名に依て差少の施与《ほどこし》を乞へり、ラ公|音声《おんじやう》を荒らげて曰く「余は皇天の命に由り救主の金盃を探り出さん為めに旅出するものなり、爾|汚穢物《けがれたるもの》何ぞ我を煩はすや」と、病者は尚ほ袖に鎚て施与《めぐみ》を乞ふ、ラ公大に恚り懐中より金貨一個を取り出し之れを地上に投じて曰く「爾之を取れ我は爾を顧みるの暇なし」と、依て鞭を鞍馬に加へ顧みずして去る、是より数《す》十年間ラ公欧亜の諸国を経巡り危難を犯し丹精を尽し救主の金盃を探り求むるも得ず、終には貧困城主の身に迫り来り、彼又霜を頭上に戴くに至る、公青年時代の希望終に達すべからざるを悟り故国に皈り余命を父母の墳墓の土に終らんと決せり、公の再び城門に近くや身に襴縷《らんる》を穿ち手に一杖を曳き、冬寒くして霜雪《さうせつ》小川《こがは》の水を氷結せし頃なりき、時に又癩病患者あり、其相を窺へば数十年前公の尚ほ壮なりし頃|大望《たいもう》を抱ひて探究の途に就きし時彼の馬前に跪きし貧人なりき、艱苦困難は今や公の心を和げ、推察《おもひやり》の情頻りに公の胸中に起れり、公今与ふるに金銀なし、依て携へし所の一個のパンを取出し之を半折して貧人に向て曰く「余は今君に予ふるに只此パンあるのみ、今其半を君に呈す、ナザレの耶蘇の名に依て之を受けられ(159)よ」と、又腰に挾みし手杓を取り、路傍に流れつゝありし小川に下り、自ら堅氷を砕て一杯の冷水をくみ、癩病患者に与へて曰く「恵ある余の救主の名に依て之を飲め」と、乞食《こつじき》の患者は丁重なるラ公の親切にあづかりつゝありしが、忽にして彼の形を変じ、栄光ある基督となりてラ公の前に立ち、手を伸して祝福を彼に与へ、清粛温雅言はんかたなく、感慨を以て襲はれたるラウンフホール公に謂《いつ》て曰く、
 Lo,it is l,be not afraid!
 In many climes without avail
 Thou hast spent thy life for the Holy Grail;
 Behold,it is here−this cup which thou
 Didst fill at the stream let for me but now;
 This crust is my body broken for thee,
 This water His blood that died on the tree;
 The Holy Supper is kept,indeed,
 In whatso we share with another`s need;
     *      *      *      *
  見よ、われなるぞ懼《おそ》るゝな、
  聖き盃《さかづき》求めんと
  諸国を巡るも益ぞなし、
(160)   見よ、さかづきはそこにあり
   小川にくみし手杓なり、
   さきて与へし其パンは
   さかれし我の躰なり、
   その冷水は十字架の
   上より流れし我血なり、
   貧き人とともにする
   食こそ実にや聖餐なり。
 ラ公驚き醒むれば之れ一場の夢なりき、公大ひに悟れり、神に尽し教会に尽すは天下を経巡り目覚ましき大功を奏するにあらず、世の貧しきものは基督なり、貧者《ひんしや》を救恤するは基督に事ふるなりと、因て爾来城門を開き倉庫を放て城下の窮民を養ひ以て公の一世の快楽となしたれば、国栄え民安んじ、公自らも平安と喜悦とを以て世を終へしと云ふ。
 読でこゝに至て余は歓喜を以て充たされたり、余は完全に達する途を得たり、余は真正の基督教を会得したり、余は慈善事業を以て一世の目的と定めたり。
 爰に於て余は解剖書顕微鏡を打捨てジョン=ハワード、エリザベス=フライ、スチブン=グレヽット等の伝記を読めり、サラ=マーチンの功績は余をして微力ながらも慈善家たり得るの奨励を与へたり、ブレース氏の基督|行績論《ぎやうせきろん》(Gesta Christi)は慈善事業に顕はるゝ基督の勢力を示すものとして余の坐右を離れざる書となれり。
(161) 余の志を決して慈善病院に入りしや余は実に無常の快楽を感ぜり、鶏鳴未だ暁を告げざる前に起て病者の為めに衣食を整へ、その靴を取りその足を洗ひ、その僕となりその給仕人となり、発せんとする余の短気を圧へ、熾《もえ》んとする余の慢心を静め、以て偏に基督の温順と謙遜とに傚はんとせり、患者に靴をもて蹴らるゝ時、面部に唾せらるゝ時、余は之れぞ救主の忍耐を学ぶべきの機と思ひ、温顔を以て彼に対し、微笑を以て彼に報いたり、余は伊国の愛国者サボナロラの言を思ひ出せり、
  余の寺院に入りしは忍ばん事を学ばん為なり、艱難我に迫りし時は我は学者の眼光を以て之を学び、之をして常に愛し常に恕すべき事を我に教へしめたり。
 看護人となりて余は始めて短気の無益にして有害なるを悟れり、余は温良の至大なる勢力を有する事を学べり、無限の忍耐のみが慈善家たり得るなり、白痴教育者として有名なるジエームス、ビー、リチヤード氏曾て余輩に告て曰く、
  汝一|度《たび》試みて成功せずんば二度試みよ、二度にて足らずんば百|度《ど》試みよ、而して尚ほ汝の目的を達するを得ずんば二百度三百度四百度五百度試みよ、寛大なれよ、一千一度試みよ。
 基督の言はるゝ七十度を七倍する寛容とは此事を言ふならん、実に忍耐なきものは慈善家たるべからざるなり、慈善病院は基督信徒の最好|試煉所《しれんじよ》なり、之に堪ゆるもののみがナザレの耶蘇の弟子たるなり、説教壇講義室共に信徒の真偽を判分する所にあらざるなり。
 慈善は天使の職たるに相違なし、慈善なきの宗教も遺徳も真正なるものにあらざるなり、慈善は宗教の花なり菓《み》なり、其国の慈善に依てその道義心の程度を察するを得べし、神社仏閣如何程壮厳なるも孤児をして饑に泣か(162)しむる国民は君子国の名称に与かるべからざるなり。
 然れども慈善は善人を造るものにあらざるなり、慈善は愛心の結果にしてその原因にあらず、慈善事業に従事すれば自ら慈善家となり得べしとの観念は事実らしく見へて事実にあらざるなり、心中已に慈善心の存する時悲哀に沈めるものを見て終に大慈善家となりし人尠からず、ジ∃ン=ハワードが仏国《ふつこく》の獄屋に繋がれし時その惨状を見て終に監獄改良者となりし如く、ムーン氏がアルプス山中に盲目の小女《むすめ》が「アベ、マリヤ」の祈?を唱へつゝあるを見て終に盲人教育の先導者となりし如く、慈善は我等の心中に存する慈善心を鼓舞するものに相違なし、然れども噴水は水源の平面より高く登る事能はざるが如く慈善も我心中に存する愛心に越ゆる事能はざるなり、若し愛心に越ゆる慈善を実行せんとすれば慈善は変じて偽善となり、慈善の快楽全く去て不平傲慢功名心等の悪霊来て再び我を悪魔に引渡すに至る、信仰不相応の慈善程危険なるものはあらざるなり、慈善は幾多基督信徒の躓石となりし事は悲しむべき事実なり。
  パリサイの人たちて自ら如此《かく》いのれり、神よ我は他の人の如く強索《うばひ》不義《ふぎ》姦淫《かんいん》せず亦この税吏《みつぎとり》の如くにもあらざるを謝す、われ七日間に二|次《ど》断食し又すべて獲るものゝ十分の一を献げたり。
              (路加伝十八章十一、十二)
 我をして自己《みづから》を高ぶらしむるに至れば我の善行は我が敵なり、堕落は高き程強し。人若し慈善てう高き所より落つる時は殆ど再び回復すべからざるに至る。
 慎《いま》しめよ汝孤児院を設立して神と人とに事へんと欲するものよ、汝の慈悲心已に世人の承認する所となり、汝は無私なる慈愛家として世に賞揚さるゝ時、是ぞ汝の無限地獄に堕落せんとする危急の場合たるを知れ、殊に此(163)物質的の時世に於て事業は精神より持囃さるゝ時此危険最も大なり、エリサベス=フライ夫人は彼女の声名天下に轟き渡り国王彼女に謁を賜はらんとせしや恐懼遁れて跡を隠せしとかや、ハワードの遺言《ゐごん》は只二ありしのみ、則ち彼の子息《むすこ》にして狂を病みしものゝ快復せんことゝ彼の為めに石碑を建てざらんことなりき、我に敵あるこそ幸なれ、我が名の知れざるこそ安全なれ、慈善家たるの名に対し誰か神聖なる敬慕を呈せざらんや、若し世に非常に功名を求むるものありて最も平易に公衆の尊敬を受けんと欲さば慈善事業に従事すべきなり、説教家として平々凡々なるものも、政治家として名なきものも、慈善家としては世の注意を惹き得べきなり、余は心に此危険を感じてより慈善事業に従事する人を傍より覚め立つる事を止めたり、斯人若し巨人なれば賞讃さるゝを以て迷惑を感ずるのみ、小人なれば之れが為めに誇り危難を彼の霊魂に導くなり、基督曰く
  汝等人に見せん為めに其義を人の前に行《な》すことを慎め、もし然ずば天に在す爾等の父より報賞《むくい》を得じ、是故に施済《ほどこし》を行《なす》とき人の栄《さかえ》を得ん為めに会堂や街衢《ちまた》にて偽善者の如く?《らつぱ》を己《おの》が前に吹かしむる勿れ、我まことに爾等に告ん彼等は既にその報賞を得たり、なんぢ施済をなすとき右の手の為すことを左の手に知らする勿れ、かくするは其施済の隠れんが為めなり、然らば隠れたるに鑒《み》たまふ爾の父は明顕《あらは》に報ひたまふべし。
              (馬太伝六章一節より四節迄)
 嗚呼之れ今日我国の慈善と称するものなるか、慈善音楽会、慈善舞暗会、――一慈善は百新聞の登録する所となり、百弁士の口頭に上る、今や人類は善行の飢饉を感じつゝあるなり、一|行《かう》は万言《まんげん》を以て天下に吹聴さる、恐るべきは慈善家の名なり。
 余は安心術として慈善事業の無益なるを悟れり、否な無功なるのみならず余は一層余の欠点を摘示《てきし》せられ、尚(164)一層の懼怖《おそれ》を抱き、前日に勝りて心霊未来の危険を感ずるに至れり。
   Where wouldst thou fly? To works−to empty forms
    With thy dove wlngs?
   Will these give shelter from eternal storms−
    These poor dead things?
   And “working”answers with a voice severe,
   “Turn back,mistaken soul! Restis not here!”
                      Henry Burton,in Sunday Magazine.
   羽翼《はね》あらば何処《いづこ》に飛ばんわが魂《たま》よ、
   事業へ乎、心よりせぬ事業へ乎。
   永久《とこしへ》のあらしはこゝに吹かぬかや、
   事業には、死せるうはべの事業には。
   恐るべき声もて事業答へける、
   こゝになし、まどへる魂《たま》よこゝを去れ。
                         ヘンリー、バートンの歌
 
(165)     脱罪術 其五 神学研究
 
 平安《やすき》を慈善事業に於て得る能はずして余は終に極端手段を取らざるを得ざるに至れり、余は事|終に茲に至らんことを懼るゝや久し、然れども今は唯一|途《と》余の方向として存するのみ、即ち身を伝道界に投じて神の祝福《しくふく》を需めんとするにありき。
 凡そ世に嫌ふべきもの多しと雖も僧侶の如きものはなし、余の基督教に入るや第一の煩慮として存せし事は余も終には牧師伝道師(基督教の僧侶)とならざるを得ざるに至らん乎にありき、余は神に祈れり如何なる卑しき職に就け玉ふも余を伝道師となし玉はざらん事を、余は勿論如何なる位置にあるとも福音を宜べ伝ふる事は怠らざるべし、基督信徒たるものは一人として伝道の義務を避くるを得ず、然れども自ら伝道の職を取り、按手礼を受け、洗礼結婚の式を主り、Rev.(教師)の名称を以て余の名を冠せらるゝに至るは余は考へても戦慄《みぶるひ》する程なりき、よし余は車夫にまで下落するとも伝道師にはならじ、神の栄光を顕はさんが為には他に途なきにあらず、――伝道師、伝道師、――嗚呼若し神余に命じて伝道師たれと言はゞ余は如何すべき。
 故に余は可成丈け伝道師仲間と交際を避けたり、而して若し人ありて余に伝道師たるべきを勧むるものあれば余は荒言を以て彼に答へ、此職に対する余の満腔の嫌悪を吐露せり、彼等は聖書の語を引用して言へり、曰く「田《はた》は熟《いろづき》て穫時《かりいれどき》になれり収稼《かりいれもの》は多く工人《はたらくひと》は少し」、我国今日の急務として伝道に勝るものはなし、我等信徒たるものは何事を捨てゝも伝道師たるべきなりと、余も伝道の急務なるを知れり、然れども彼等の所謂職業的の伝道に至ては余は少しも其急務たるを見る能はざりしのみならず、反て彼等の見解の狭隘なるを歎ぜり、殊に(166)壮年の男子にして学未だ修まらず経験未だ積まざるものが早く已に衆人の伝道師となり、妻を娶り子を挙げ老成人に類する生涯を送るを見て余は益々伝道師てう人士の卑しむべきを知れり。
 余の伝道師たるを厭ふは此に止まらざりしなり、余の観る所によれば是等人士の多くは外国伝道会社又は欧米宣教師に依て衣食するものにして彼等の風采も亦自ら非日本的なり、よし金銀は万国の共有物なれば彼より之を受くるも不徳にはあらざるべけれ共、我国固有の習慣と感情とを放棄して西洋人を真似んとするに至ては余の堪ゆる能はざる所なりき、その夫婦の関係たるや傍人をして夫の妻たるか妻の夫たるかを判別し能はざらしむ、その子は父をパパーと呼び母をママーと云ふ、其他余輩大和男子の目より以てすれば実に忍ぶぺからざるの状態を目撃せり、さなきだに基督教は外教なりとの故を以て我邦人の厭ふ所たるに、今や基督教伝道師日常の有様は余輩をして基督教とは実に亜米利加教を云ふにはあらざるかの疑念を起さしむ、余は基督教の原理に服せしのみにして其今日欧米に行はるゝ外形上の組織に感ぜしにあらざれば伝道師てうものを見るに多少攘夷的の観念を以てし、時に或は国賊視する事もなきにはあらざりしなり。
 然れども余の心中又理想的の伝道師を存せり、余は或る意味より言へば保羅もルーテル》もリビングストンも伝道師なりしを知れり、故に若し伝道師たれとの天命降るとも余は逃げ避くべき口実を有せざりしなり、然れども世間より見れば伝道師は伝道師なり、而して最多数の伝道師が余の非理想的の伝道師たれば余もその臭味を以て世に待遇せられ又終には之に感化さるゝの恐あり、神に対して避くるに口実なく、余の全身全情は之に反し、余は実に正反対の主義を有する二人の主に苦しめられたり。
 余は思へらく余の平安を得ざるは余が伝道師たるの決心を為し得ざればなりと、神は私慾の痕跡だも余の心中(167)に存するを許し給はず、而して余の全く神を見る能はざるは余に尚「伝道師たるまじ」との慾心存すれば也、此最終の捧物を神に捧げ、此最大の刑罰(Penance)を余の身に受くるに至らば神は必ず余に賜ふに平和の賜物を以てせらるべしと、「皮をもて皮に換《かゆ》るなれば人はその一切の所有物《もちもの》を以て己の生命に換ふべし」(約百二章四節)、われ我が霊魂を救はんが為めには伝道師たるも辞せざるべし、たゞ我に給ふに平和を以てせよ、我は我の望と意志とに反し、此身は死せしものと思ひ、伝道師たるべければなり、余の此時の決心は実に世を捨て耶蘇《いえす》に来る罪人《つみびと》の決心なりき、
   主よわれは いまぞゆく
   十字架の血にて あらひたまへ
 余は終に意を決し慈善病院を去て神学校に入れり。
 
     神学校
 
 今は俗界を後に置き、世に属する希望と功名心《こうめいしん》とを断ち、余の魂を救はんが為めに、神の恵にあづからんが為め、余は神学校の一室に閉籠り、祈?と断食とに依りて単に人生の最大幸福を得ん事を勉めたり、勿論今日の神学校は中古時代の寺院にあらず、躰操場あり、浴場あり、文明世界の快楽にして害なきものは一つとしてその生徒の達し得べからざるものはなし、故に余はサボナローラがボログナ府「ドミニカ」派の寺院に於ける如き、又はルーテルがエヤフルトの「アウガスタン」寺院に於けるが如き辛苦は一つも受けしことなし、否な余が慈善病院に於ける生涯と比較するときは安心快楽なるものなりき、実に神学校に入てより先づ第一に余の注意を惹きし(168)事は其生徒の楽すぎる事なりき、実業学校に於ける一週三十四時間の授業時間は神学校に於ける二十時間以下となり、慈善病院に於ける一ケ月間の夏休業《なつやすみ》は神学校に於ける五ケ月間の夏期閉校となり、其他学資支給の点に於ても、又は業を終へて後職にあり就く点に於ても、余は神学生たるを以て非常の献身的の事と信ずる能はず、余にして若し最少の生存《せいそん》競争を以て一生を終るを目的となすならば余は神学生となり、後、伝道師となりて世を渡るに若くものなからん。
 然れども身の安楽にあらずして余は尠からざる霊の快楽を神学校の壁内に得たり、毎朝《まいてう》の祈?会、閑静なる図書館《づしよかん》、名士大家の説教演説、老実なる教師の薫陶は実に余の思想を発達せしむるに於て大勢力を有せり、殊に希猟希伯来両語《の研究は余をして直接に聖書記者の思考に接せしめ、直に摩西《モーセ》に接するの感あらしめ、直に保羅に聴くの快あらしめたり、此感と此快とは余の茲に至る迄に受し苦痛の大部分を償へり、余は思へり若し神学教育の区域をこれに止めなば其学生に及ぼす功力は現在の組織に百倍するならんと。
 然れども悲ひかな聖書研究はその一部分なりき、曰く聖書歴史、曰く教会歴史、曰く弁護学《アポロゼチツク》、曰く聖書神学、曰く実験神学、曰く組織神学、曰く聖歌学、曰く聖音楽、曰く雄弁学、曰く説教学、曰く牧会学、――余は其他を記臆せず、――救霊術何又煩雑の甚だしきや。
 嗚呼神聖なる神学校の空気も余をして余の罪より解脱せしむる能はざりき、余は二重三重の瓦壁も悪魔の侵入を拒ぐ能はざるを知れり、朝夕の祈?会、絶間なき讃美の声も心中の魔力を滅滅するに於ては無功なるを悟れり、習慣は物の功力を減ずるものなり、名薬《めうやく》も常に用ゆれば終に其功を失するなり、聖書祈?音楽も之を日常の業務として従事研究するに至れば終に其神聖を失ひ、我の心も自らその感応《かんおう》を受けざるに至る、朝起きてより夜(169)眠る迄、談ずる事は聖書なり、説教の批評なり、聖楽の優劣なり、時には神学上の議論起り、尊崇の念なくしては口にすべからざる聖き名さへ博物学者が木石を論ずる時の如く濫用さるゝあり、時には聖楽の評論となりハイデン メンデルゾーンをして至誠鬼神を泣かしめし極美の傑作も瓦礫の如くに破砕さるゝあり、こゝに於てか余の心中未だ曾て経験せしことなき一危険の醸しつゝあるを発見せり、即ち褻?の罪是なり。
 「汝の神エホバの名《み》を妄に口にあぐべからず、エホバはおのれの名を妄りに口にあぐる者を罰せでは置かざるぺし」との誡《いましめ》は余をして此危難より免がれしめんが為めなり、聖名を?すの罪は教役者の罪にして彼の大危険は実にこゝに存するなり。
  是故に爾等に告ぐ人々の凡て犯す所の罪と神を?すことは赦されん然ど人々の聖霊を?すことは赦さるべからず           (馬太伝十二○三十一)
 罪悪論の泰斗ジユリヤス=ムラル此種の罪に就て論じて曰く
   Unthinking recklessness,as such,is perfectly secure from the sin against the Holy Ghost. Before a man can possibly commit this sin,evil must thoroughly have taken possession of him by a penetrating and spiritualizing process,Whereby its prlnciple is deliberately understood and adopted.…… But according to the conditions of man's earthly development,eVil as the antithesis of good can attain this intensity where the inner life has previously been in very close contact with moral goodness.
――Urwick's Transl.Vol.U p.421.
 褻?罪《せつとくざい》の罰は我等が罪の罪たるを感じ得べからざるに至るにあり、而してその極たるや如何なる聖語も祝福も(170)我等の罪霊《さいれい》を癒すが為めには功を奏せざるに至り、救済の望全く絶ゆるに及ぶ、恰《あだか》も最良剤を用ゆるも癒へざる疾病《やまひ》は癒すに手術なきが如し、普通の摂生術として可成丈医薬を用ひざるこそ必要なれ、然るに日常身に奇薬を取り之を習慣性と為すに至れば病魔の侵すあるも之を拒ぐの術を得ざらしむ、余は之を思ひし時恐怖身に襲ひ来て何事もなす能はざるに至れり、余は身を最大危険の中に投ぜり、余は救を得んが為めに神学校に入れり、而して永遠絶望の域に堕落する門戸を神学校内に発見せり、――危険、危険。
 歴史家ネアンデル曰く神学の中心は心なりと、伝道は精神にして技術にあらず、牧師の説教は俳優の演戯にあらず、精神的事業に入らんが為めに技術的の鍛錬を受くるの害は前者をして演戯的摸擬的たらしむるにあり、自己の感ぜざる事を感ずる様に言ひ、自己の確信せざる事を信ずる様に語らしむるは能弁術の弊害なり、是れ聖アウガスチンをして能弁学を目して虚言術と謂はしめし所以なり、聞く独逸国に於ては無神論|者《しや》にして神学研究の後伝道師となるものありと、若し職業を目的として神学者たらんと欲する者あるも決して為し得べからざるにあらず、哲学の一科として神学は特殊の玩味を有せり、古典学の参考として聖書の研究は有益なり、殊に人心を左右する術として伝道は野望人士の功名心《こうめいしん》を誘《いざな》はざるにあらず、故に特殊の天啓に由らざる人も、天の召に与からざる人も、愛憐《あいれん》の情に動かされざる人も、同じく神学生となり得べく、伝道事業に従事し得べきなり、是れ神学研究の大誘惑なり、其弊や博愛|捨己《しやき》の泉源《みなもと》なる宗教をして自説拡張の一機関たらしめ、名簿上信徒の増加するを称して伝教の成功と云ひ、社交上勢力を得るを以て教勢振張の兆となすに至る、曾て聞く某僧侶がその説教の感動より来る善男善女の喜捨金を賭して一夜の汚穢《をくわい》なる快楽を同寮僧侶に供したりと、是勿論極端の所業なりと雖も又以て宗教界危険の一斑を知るに足る、説教は製造すべきものにあらず、基督の言《げん》保羅の書は文法的に解剖す(171)べきものにあらず、我保羅となりて始めて保羅を解し得べきなり、強て保羅の思想を組立てんとするものは粘土を以て生人間《いきにんげん》を摸造せんとすると同一轍迂遠の業《げふ》なり、詩人は生《うま》る(Poet is born)と、伝道師養成は造物主にあらざれば為し能はざるなり。
 さればにや世の大宗教家と称するものにして反て神学校出身の人に多くあらざるを見る、神の人テシベ人エリヤはギレアデの野人なり、而して此人その天職と精神とを他に授けんとするや十二|?《くびき》の牛を御しつゝありしシヤパテの子エリシヤを撰べり、ダニエルは官人なり、アモスはテコアの農夫なり、而して神が其子を降して世を救はんとするや彼をしてヒレル、ガマリエルの門に学ばしめず反て彼をナザレの僻村に置き、レバノンの白頂キシヨンの清流をして彼を教へしめたり、一乾物|店《みせ》の番頭たりしムーデー氏こそ実に十九世紀今日の宗教界最大勢力ならずや、神学校は天性の伝道師を発育するも之を造るものにあらず、神学校製造に係る伝道師こそ世の不用物にして危険物なり。
 余は農学を以て余の職業となし得べし、余は史学を講じて余の衣食の途《みち》を立てんとするも余の良心は余を責めざるなり、然れども神学を以て余の業《げふ》となさんとするに至ては余の全く忍ぶ能はざる処なり、勿論労力交換の主義より論ずる時は徳義上不都合なかるべけれども、その弊害と危険とは之を為さゞるに若かざらしむ、此害を認めたればこそ保羅は教役者《けうえきしや》は適宜の報酬を受くべき権利あるを承認せしと雖も自身は幕屋製作を以て業となせり、クエークル宗に於ける教導師たるものは俸給を受くべからずとの制は深き理由の其内に存するなり。
 然り神学校も罪よりの逃れ場所にあらざるなり、若し個人的の悪魔の存在するありて人類を悩まさんと欲せばその善性の源なる神学校を濁《にご》すに若かず、而して教導師養生|所《しよ》たる神学校は悪魔攻撃の焼点たるの徴は一にして(172)足らざるなり、学生中最も不品行なるものは神学生なりとの批評は余の勿論信ぜざる所なり、然れども彼等が清浄徳義を講ずる割合に思想の卑陋にして品性の高潔ならざる事は批難すべからざる事実と信ずるなり。
 
     忘罪術 其一 「ホーム」
 
 若し神学校にして余を罪より隠さず、伝道師たるの決心にして余を罪より解脱すること能はざれば、平安を得るの場所と方法とは余に取りては尽きたりと謂つべきなり。
 苦痛若し免かるゝに途なければ之を忘るゝにしかず、而して忘罪術として常に余輩の注意に登るものは幸福なる家族の建設にあり、人性は男女相合して始めて完全たるものなり、我の平安を得ざる其源因求むべからざるにあらず、我の自然性は補遺的の友を求めつゝあるなり、平穏は消積両局の電気相合して後にあり、我の安からざるは我に充たされざる自然性の存すればなり。
  “Thou fair-hair`d youth:these tones so sad and stern,
   Become not life`s gay-sprlng.‥‥…‥‥‥‥‥‥……
   But thou the black-eyed,sweet voiced maiden take,
   Forget thy griefs,thy gloomy thoughts forsake;
   Round her thy children and thy home shall bloom,
   For all the world is love and virtue`s home.”
(173) 詩人ゲーテ言はずや、人生は其物自身にて完全なりと、即ち若は老に供するに希望を以てし、老の若に与ふるに成熟を以てす、男は女に於て美と柔とを認め、女は男に於て剛と勇とを求む、完全なる家族は完全なる人性なり、人は一家団欒和合の内にのみ其性の完全と理想とに達し得べし。
 美しき詩人的の夢想なり、然れども考ふべくして得べからざるものはこの「ホーム」なり、不満なき家族、悲歎なき家族、煩慮なき家族、――嗚呼これ何処《いづこ》に実在するや、若し実在するとも如何にして余は之を得んや、金銀積で山をなすとも之を得る能はず、我独り之を欲するも之を得る能はず、完全なる「ホーム」を作るは完全なる人を造るが如く難し、我先づ完全ならざれば我「ホーム」の完全なる理由の存するあるなし、身修而后家斉《みをさまつてのちいへとゝなふ》、「ホーム」は我の平安を求むる所にあらずして平安を与ふる処なり、「ホーム」は幸福の貯蓄所にしてその採掘所にあらず、求めんとして成れる「ホーム」は必ず壊れん、与へんとして成れる「ホーム」のみ幸福なる「ホーム」なり、「ホーム」、「ホーム」、幾多の青年男女がその幻象《まぼろし》に欺むかれ失望島岸に破船せしや、詩人「バージル」の牧者は「愛」と相識て其岩石たるを知れりと、世に理想的の「ホーム」を作り得ずして失望するもの多きは「ホーム」を以て客観的《かくゝわんてき》の楽園と見做すもの多ければなり。
 
     忘罪術 其二 利慾主義 Hedonism.
 
 平安を得るの術尽きて狂乱の極余が危険なる境遇に迫りしや、智者あり余に告げて曰く、汝|何故《なにゆゑ》に罪の為めに苦慮するや、汝が以て罪とする処のものは汝の自然性にして汝之を脱せんと欲して脱すべからざるものなり、汝は慾心の為めに汝の心を悩すと雖も、慾とは汝の生命を保存する為め此社会を組製せし慈仁《じんじ》なる自然が汝に与へ(174)し有益なる性なる事を知らざるか、慾とは社会組織の土台石なり、愛と云ひ仁と云ひ恵と云ひ義と云ひ皆慾てふ最大|原動力《プリンシプル》の変幻なり、我の竊《ぬす》まざるは罪なるが故に竊まざるにあらずして、竊むは我に不利益なればなり、社会が殺人罪を罰するは罪なるが故に罰するにあらずして社会組織を維持せんが為めに罰するなり、汝我に問て「然らば自己と社会とに害なき時は竊むや」と云ふ勿れ、我竊て社会が我を罰せざれはその社会は破壊すべし、而して我の生命を保持し我に快楽を供する社会を破壊せしむるは我自身を破壊するなり、故に我は我自身(慾)の為めに竊まざるなり、畢竟ずるに汝の称して道徳問題となすものは実に方便問題なり、善悪とは利害てふ語の同義語《シノニム》なり、慾を脱せんとするは生命を終へんとするなり、汝慾心の為めに悲むは愚なり、迷信なり、唯勉めて社会学の法則に従ひ汝の慾心を満たさしめよと。
 実際的の哲理として軽んずべからざる議論なり、生存競争の理は生物発達の解明として最も満足なるものなり、此理を社会的現象の研究に通用してより社会学てふもの世に出たり、ニユートンの重力説は錯雑なる天躰の運行を単純明瞭なる一紀律の中に抱括せし如く、慾心説は社界万般煩混なる事実を組織的科学の中に配列し得るに到れり、単純は真理の一徴候なり、慾なる一語下に政治も慈善も宗教も合同聯結するを得るは此哲理の真理なるの証にあらずや。
 而して之れ理論なるのみならず、又事実ならずや、人類の歴史は慾の歴史にあらずして何ぞや、戦争とは慾の衝突なり、政治とは慾の折合なり、マコーレーの所謂「生活の境遇を安楽ならしむるの慾」こそ人類進歩の最大原動力ならずや、四百年を出でずして両米大陸を開明人種の幸福なる住処と変ぜしものは慾なり、英国に最も強固なる憲法政治の起りしも慾の結果なり、野蛮の民は小児《せうに》と同じく慾なき民なり、慾の増進は開明の前兆にして(175)慾なくして進歩のあるなし。
 如斯哲学今は白昼に識者の唱ふる処となれり、而して利慾哲学のアポストロー(使徒)なる英のベンタム并にスペンサーは忠孝を以て世界に誇称する我日本国民の非常に尊崇畏敬する人なり、「斯氏の言なり」との一言は九鼎の重きを有する証拠なり、さらぬだに猜疑の念に富める我日本国民のことなれば、その尊崇する哲学者にして学理的に利慾の神聖(?)と主位と教ゆるあれば、我等は満腔の同意と賛成とを以て彼の説に和し、彼の実行的の信者と化せんとするに至れり。
 然り若し我をしてスペンサー氏の声名に嚇《おど》され、彼の博識に捲席せられて、真面目《しんめんもく》に彼の仮説を信じ、利慾主義を以て我の主義となし、之を我の行為《ぎやうゐ》に応用せんか、我は之に依て我の苦痛より免かれざるなり、否な社界は之を組織するものより無私の従役を要求するものなれば我若し自利を以て我の主義となさば社界は総掛りにて我を攻むるなり、スペンサー主義は罪悪の念と戦ふ我の良心に取ては一時の鎮痛剤の用を為すと雖も我が蒙るべき実際の苦痛を減ぜざるなり、無情残忍なる世の中は尚ほ現然と我の前に屹立するありて其宥むべからざる法則と運命とを以て我に逼るあり、求むべき平和を有せざる人は斯氏《スし》の学説の斬新奇抜なるが故に之れを玩味して思惟|作用《さくよう》の錬磨を試るも亦一興なりと雖も、饑渇義を慕ふの人に取りては彼の哲学は医師が神経的患者に服用せしむる気休薬《きやすめぐすり》たるに過ぎず、之に多少の香味と甘味なきにあらずと雖も我之を服して我の病躰は旧態を脱せず、内痛外疼共に我に存して我の病は癒えざるなり。
 抑も主楽主義なるものは之を厳粛なる清党的《ピユーリタンてき》の教理を以て鍛錬されたる英米国民の中に伝布さるゝも国民は其害を感ずる事至て小少なるべし、否、反て国民の思惟力を磨し迷信頑愚を排除するが為に多少の功力《こうりよく》あるな(176)らん、恰《あだか》も強健なる身躰を有する人に取ては「アルコホル」飲料其他の刺激物は少しも害を感ぜざるのみならず時には反て多少の利益するが如し、然れども固有の動物慾を支那或は印度の微弱なる道徳律を以て僅に圧抑し来りし我国の如きに於て主楽主義を其儘輸入するに於ては其危険害毒は実に名状すべからざるなり。
 余輩をして主楽主義を主張する学者の為人を探らしむるに彼等の品性情性両ながら彼等の哲学の如くならざるを知る、ダーウヰン氏が南米の蛮人を教化せんが為に時々金を伝道会社に寄附せしが如く、ハクスレー氏が基督教の聖書を以て児童徳育の最大教科書なりと公言するが如く、インガソル氏が鰥寡孤独を法廷に弁護するを以て無上の快楽となすが如く、彼等は主楽説を説くも自ら之を実行せざるなり。
 詩人シレル曾ド、ステール夫人を評して曰く「彼女の性質は彼女の哲学に越へて善良なり」と、哲学とは一原理の中に宇宙の幻像を抱括するものにして、或は此原理を物質に求め、或は動力に、或は愛に、或は慾に求むるものなり、而して慾を以て宇宙を一括する亦哲学上の一機軸として見るに足るべきなり、然れども人の哲学は哲学にして品性は品性なり、人はその思惟するが如し(as a man thinketh, so is he)(箴言第廿三章七節参考)とは必しも事実ならず、哲学的の思惟は意志より独立するものなれば理性を満足せんが為めには意志の嗜好に従ふ得ず、余は慾心説を固守する人にしてその自他に対する観念が甚だ優にして甚だ愛すべき人を知れり、彼の心情は彼の理性に勝って美なり、彼は心霊上の君子にして哲理上の蛮人なり、慾心説は哲学上の行為《ぎやうゐ》として見るべきも事際に行はるべきもの(Practical possibility)にあらず、善の善たる悪の悪たるは善悪の解析如何に依て変ぜざるなり、“Rose is sweet by whatever name we caull it”(薔薇《せうび》の香《かぐ》はしきは其名称の如何に依らず)、勇気なり献身なり愛国なり余の達すべき思想は如何なる学説より見るも異なる事なし、スペンサー氏が以て人類(177)進歩の最終目的となすものも亦利他主義(altruism)にあらずや、然れども慾の為めの愛は愛にあらず、愛は己の利を求めず、慾心が進化して愛とならんとは死が進化して生とならんと云ふが如き、罪が進化して徳とならんと云ふが如き、思惟し得べからざる背理なり、唯物的《ゐぶつてき》進化論てふ錬金術の秘密は無限の時間にあり、此時限内には石も人となり得べし、非も是たるべし、慾も愛たるべしと、哲学よ哲学よ汝は凡俗人種の洞察し得ざる蘊奥の裡に於て汝の「アレムビック」を以て罪より徳を造化せんとす、可驚《おどろくべし》、可驚《/\》。!!!
 主楽説(Hedonism)の粗暴なる強く余の自然性を変ずるの力を有せざりし、余は之を深く研究するの必要を感ぜざりしなり、唯物論者《ゐぶつろんしや》の材料中に基督信徒の称する心霊上の経験てふものゝ存するあるなし、ジエームス、コッター、モリソンは英国不可思議論者中錚々たるものなり、然るに彼が歴史家ギボンを評するや左の語あり、
  ギボンは自身心霊上の志望を有せざりしが故に之を他人に認むる事能はざりしなり、霊界と其中真なる神とに依て起り来る感情は彼の解せざりし処なり、故に歴史編纂に際して此等事実に会するや彼は其原因結果を解明するに彼の了解し得る性情を以てせり、幽玄家《ミスチツク》の渉猟する神妙界は彼の窺ふべからざる所にして、彼はその版図外に立ち、その奇異の報に接するや彼は之を写すに嘲弄滑稽的の文字《もんじ》を以てせり、
と、哲学海に掉さゞるものは其奥義を知るに由なしとならば心霊海に浮沈せざるものにして霊の苦楽を洞察し得るの理なし、余がペイン、スペンサーの有せざる心霊上の経験を有せりと云ふは少しく自負に似たれども、これ余が是等学者は大和魂の何たるかを充分に解する能はずと云ふと少しも異なる事なし、余の心霊上の経験は余の情性と境遇との然らしむる所にして余が彼等に勝りて徳を有するが故にあらず、物質的社界の観察に於ては余はスペンサーを師として仰ぐと雖も彼の哲学は余の心霊上の実験を入るに場所なく又之を解明するに足らざるなり。
 
(178)     忘罪術 其三 オプチミスム(楽天教) 附ユニテリヤン教并に「新神学」
 
 主楽説不可思議説は基督教の正反対主義なり、前者の後者と相離るゝの遠きや余は一躍して心霊の志望を棄却し拝すべきの神を有せず永遠の希望を与へざる所謂|豚慾哲学《とんよくてつがく》(Pig philosopFy)を抱持するの胆力を有せざりしなり、エホバの恩恵ふかきを嘗《あじは》ひしものにして純粋不可思儀説を抱持するに至りしものは余は未だ曾て聞かざるなり、唯物論《ゐぶつろん》に接して容易に宗教感念を去りし人は未だ宗教を感ぜざりし人なり、宗教は大事実なり、斯大事実を識認抱括せざる哲学は偏頗哲学なり。
 然れども此処に唯物論の如く粗暴ならず、又基督教の如く厳格ならず、而かも宗教的の希望と理想とを供し、物と云はず霊と云はず、万有が神なるか神が万有なるか之を判別せざるのみならず判別せざるを以て却て高尚優美なりと自称する学説(?)あり、此学派或ひは「オプチミスム」と云ひ、或はエモルソン主義と云ひ、或は変遷して「新神学」と称することあり、其罪悪問題を解明するや単純にして簡易なり、曰く善は洽くして悪は局部なり、否な悪なるものは善の変現にして悪てふものゝ存する事なし、見よや腐骨も肥料として草樹に施せば百合花《ゆり》となり無花果なりて目と口とを歓ばすにあらずや、悪あればこそ善あるなり、根の幹に於けるが如く、悪とは善の本にして善ある限りは悪なかるべからず、故に悪を悪と思ふ勿れ然らば直ちに悪より脱するを得ん、ノバリス曰く
  人若し直ちに意を決して己は善(moral)なりと心を定むれば彼は実に善たるを得るなり
と、罪悪とは人の妄想《まうざう》にして罪悪を断つは之に関する思惟を変ずれば足れり。
(179) 結論或は此に至らざるも悪を脱するの道として唯善のみに注意するの法あり、曰く善なれ然らば悪ならざるべし、曰く神は愛なれば汝の罪を責め玉ふの理なし、人霊の堕落未来の刑罰共に中古時代迷信家の妄想にして十九世紀の学術は已に之を排除せり、汝の称する罪なるものは尚ほ進化の中途にある人類の不完全を云ふものなり、汝に未だ下等動物の情性存するあり、汝の之を脱するを得るに至るはほ数《す》千万年の後人類が進化の極度に達する時にあり、汝が完全ならんと欲する慾望は蛙が空中に飛翔せんと欲するが如き、馬が後足のみにて歩まんとするが如き、馬鹿らしき希望なり、過つは人なり、薄弱なる之を女と云ふ、若し不完全なるを以て罪なりと云はゞ全能者を除くの外は罪なきものゝ存する理なしと、楽天教と云ひ、ユニテリヤン教と云ひ、又は一派の「新神学」と云ひ、其説く処稍や相異なる事なきにはあらざれ共其類似する処は一なり、即ち罪てふ感念を輕過するに非ざれば之を処置するに於て純粋基督教の如く厳重ならざるにあり。
 悪は悪と思はざれば悪ならざるべしとの想像は或る一種の信仰治療家が病を病と思はざれば直ちに癒ゆべしと主張するが如し、然《され》ども此種の治療の至難とする処は病を病と思はざらしむるにあり、我の血熱《けつねつ》四十度に達し、眼《まなこと》閉ぢ口腫れ手足|麻痿《まゐ》する時何物か我は病まざるものなりと信ぜしむる者あらんや、我の病むは事実なり、然るに我は病まずと信ぜんとす、我若し癒ゆるが為めにかく信ずるならば是偽信にして信仰ならざるなり、勿論世には神経病なる者ありて其苦痛の原因は単に誤想に存するあり、此場合に於ては思考を癒すは病を癒すなり、若し罪てふ観念は単に病意の夢想に止って確実なる事実ならざれば之を意に介せざれば之より免かるゝを得るなれども、罪は事実の事実にして我若し之を思はざれば我は之が為めに亡ぼさるゝなり、聞く駝鳥が猟師に追跡せらるゝやその終に免るゝ能はざるを知れば其|頭部《かうべ》を砂中に?《うづ》め以て全身を隠せしことゝ自信し容易く捕獲さるゝに至(180)ると、思想の中より罪なる観念を脱して全身已に罪より脱せりと考ふる人は実に此駝鳥の愚を学ぶものなり、世の称して以て罪となすものゝ中に罪ならざるものありとするも罪てふ観念を生ずるに至らしめしは身に罪ありて后《のち》しからしめしにあらずや、罪より脱して後始めて罪を思はざるに至る、罪を思はずして罪より脱するにあらず。
 善のみを慕へば自然と悪より脱すべしとの想像は幾分かの真理を包合せざるにあらず、其子を呵嘖するを知て讃誉する事を知らざる父母は無智無情の父母なり、怠るなかれと責むるより学べば賞ありと励ますにしかず、信徒の欠点を算へ上げてその信仰薄きを責め立つれば信徒は復活すべしと信ずる牧師は未だ心霊の組織を知らざる人なり、律《おきて》は殺し霊は活《いか》す、悪を避けしむるには善を知らしむるにしかず。
 然れども世には姑息なる父母ありて幼児の発育を誤るもの尠しとせず、ルーテル謂へるあり曰く、育児法の秘訣は一手に美果を持ち他手に鞭を持つにありと、賞誉のみを以て子を教んとする父母は其子を愛せざる父母なり、ソロモン曰く「鞭をくはへざる者はその子を憎むなり、子を愛する者はしきりに之をいましむ」と、フヰリップ=プルックス謂へるあり曰く、三度神の慈悲を説いて一度神の厳《きびしさ》を説くことを怠る勿れと、恩恵のみを説いて刑罰を説かざる牧師は真実に教会を愛せざる牧師なり、鞭と共ならざる美果、刑罰と合せざる慈悲は賞誉にして賞誉ならず、恩恵にして恩恵ならず、暗《くらき》を知らざる光、貧を知らざる富、死を知らざる生は我その何物たるかを知る能はざるなり。
 然らば善、善たらんが為めに悪悪たるか、悪の存するなくして善は存する能》はざるか。
 然り、然らず、善は善にして悪は悪なり、然れども善の善たるを知覚せんが為には先づ悪と接せざるべからず、生命の樹のみを以て植へ付けられたる園は人類を鍛錬進歩せしむるに足らず、善悪を知るの樹は自由の意志を有(181)する人霊発達上の必要なり(創世記二章九節)、哲学者ライプニッツの「人類の堕落は人類を進歩せしめしに於て最大の効力を有せり」との言《げん》は蓋し此意を謂ひしならん。
 或人云はん悪にして善を善たらしむるものなれば悪も亦善ならずやと、汝愚かなるものよ、悪、悪たればこそ善をして善たらしむるなり、悪若し善なれば善は善ならずして止みぬ、然り罪の罪たるを知って始めて恵の恵たるを知るなり、悪を避けずして善を慕ふ能はず、悪の悪たるを知る是れ善なり、罪悪問題を正面より攻究せざる哲学も神学も共に頼むに足らざるなり。
 罪とは不完全(lmperfection)を云ふには非ざるなり、我が良心が我を責むるは我が神の如き智と力とを有せざるが故にあらず、聖書に謂《いは》ゆる天に在す爾曹の父の完全《まつたき》が如く爾曹も完全《まつたふ》すべし(馬太》伝五章四十八節)とは神の絶対的の完全に達し得べしと謂ふにあらずして、神が神として完全が如く人も人として完全かるべしと謂ふなり、完全なる馬とは人の如く物言ひ人の如く思惟する馬を云ふにあらずして馬の馬たる用を完全になすものを謂ふなり、故に人に罪ありと謂ふは人が人たるべきの完全を欠《か》ぐと謂ふにあり、基督教が義人一人もあるなしと謂ふはこの事を謂ふなり、神が我を責むるは我が雨を降し得ず日を輝かし得ざるが故にあらずして我れ人を愛すべきに人を憎めばなり、我怒るべからざるに怒ればなり、而して神は我が働くべき時に働かざるを責め玉ふのみならず我休むべきときに休まざれば又我を責め玉ふなり。
 憤怒《ふんど》は我の有する情性の一なり、我此性を有するは我は人にして天使たらざるの証なり、然らば怒るは我に取りては罪ならざるか、人あり故なくして我の権利を犯す時我怒らざるを得んや、此|憤怒《ふんど》の情我に起る我之を罪と云はざるなり、然れども此情延ひて復讐の念となり害を以て害に報いんとするに至れば我は罪を犯せしなり、(182)保羅曰く
  怒りて罪を犯すこと勿れ怒て日の入までに至ること勿れ   (以弗所書第四章二十六節)
然り我は容易に我の不完全と罪とを判別し得るなり。
 不完全は罪ならざるのみならず不完全を認めざるは却て罪なり、人その完全に達するやその不完全なるを以て憂慮せざるに至る、達し得べからざる完全に達せんとして思慮を労する人は未だ完全ならざる人なり。
 罪とは無学を謂にあらず、無学若し罪なれば何故に医師は不養生を以て有名なるや、何故に代言人社会に国事犯の多きや、何故に牧師伝道師は嫉妬と悪口に富むや、智識なき小児こそ哲学者の羨む善良の性を有するものにあらずや、野に耕し海に漁するものこそ都人の遠く及ばざる信義と誠実とを具るにあらずや、智育の普及にして罪を滅し得るならば何故に僅々四百万の人口を有するニユーヨルク州に於て四千万の人口を有する日本国にまさる多数の殺人罪を生ずるや、世に有害なるものゝ中に教育を有する野蛮人の如きはあらじ、聞く米国銅色土人の中に最も堕落するものは白哲人種の智識を有して其道徳と宗教とを有せざるものなりと、希臘語を以てホーマーの著作を読み、拉典語に依てバージルの牧羊歌を謡ひしものが、その蛮族に帰りし後は淫行放埒遙に山羊水牛と共に生長せし土人の及ばざる処なりと云ふ。
 ダーウヰン氏の世界週航記中南米テラデル=フユエゴの土人にして英国ロンドンに於て文明国の教育を受しものが故郷に帰りし後五年を出ずして他の蛮人と異なる事なきに至りしを載せり、遺徳の復活は文学の隆興と共に来らざるは十四世|伊国《いたりいこく》の歴史を以て、ゲーテ、シエークスピヤの言行録《げんかうろく》を以て徴すべきなり、人の意志を動かすものは乾燥冷淡なる学理にあらずして新鮮温暖なる感情なり、教場的の教訓にあらずして愛情的の感化なり、(183)竊むべからずとの倫理学上の学理にあらずして竊盗罪の嫌悪すべきものたる事の宗教的の感念なり、若し倫理学的の教育にして徳義を養成し得ると雖も之消極的の感化に止り、僅かに自己を清くし害を他に加へざるに止り、博愛他に及ぼし、己を捨て他を救ふの積極的の徳義を養ふを得ず、儒教の授くる徳義スペンサー主義の徳義の冷々淡々皆然らざるはなし、然り罪は倫理学的の智識欠乏にあらざるなり。
 神の慈悲のみに意を留めて彼の刑罰を説かざる是ユニテリヤン教ユニバーサリスト教(宇宙神教)の特徴なり、
  “There is wideness in God's mercy
   Like the wideness of the sea.”
   神のなさけの はかりなや
   海のひろきが ごとくなり
とは宇宙神教主義の柱石なり、而して神を見る事閻魔王の如く唯刑罰を人類に配布するを以て常任とするものゝ如くに思惟する人に向ては宇宙神教の教義は多量の慰藉《ゐせき》を与ふる事は疑ふべからざるなり、然れども正義ならざる神の愛は愛にして愛ならざるなり、愛とは慈悲のみを云ふにあらず、われ罪を犯すとも我を罰せざる政府は我の信任すべき政府にあらざるなり、赦すべき理由なくして罪人に赦免を降せば主権者《しゆけんじや》の威力全く行はれざるに至る。
 チヤールス=ダーウヰンの祖父エラスマス=ダーウヰン常に語て曰く「ユニチリヤン教とは落ち来《きた》る信徒を受け入る為の柔毛を以て充たしたる蒲団なり」と、是ユ教の欠点のみを摘示《てきし》せし語なりと雖又能く其一斑を観破せし語なり、ユ教徒の称するジヨナサン=エドワードの野蛮教義(Savage Doctrines)なるもの勿論嫌ふべき処な(184)きにはあらず、然れどもユ教の寛に過ぎるの甚だしき其教義を以て人霊深奥の希望を満足し、甚だ厳にして甚だ優なる基督的の君子を養成し能はざるは普通観察の徴する所ならむ。
 
 是等は皆偽の預言なり、彼等は浅く民の女の傷を医し平康からざる時に平康平康といふものなり(耶利米亜第六章十四節) 彼等は望を充たさゞる渓川なり、テマの隊客旅シバの旅客これを望みて耻愧を取り、彼処に至りて面を赧くす(約百記第六章十五節より二十節まで) 我霊の希望は我が過去の罪を赦され、我が未来を安全ならしめ、我の心に全然たる平和を得せしめ、我勉めずして神と人とを愛し得べく、善行は自然に我より流れ出で、我働きて疲れず、死して死せず、失望せず、衰へず、――即ち完全なる人となるにあり、博士ハクスレー氏曰く
   “I protest that if some great Power would agree to make me always think what is true and do what is right on condition of being turned into a sort of clock and wound up every mornlng,I should instantly close with the offer.”
  若しある大力者ありて余を変じて時計の如きものとなし、毎朝《まいてう》発条《ぜんまい》を巻き置けば余をして勉めずして常に真を思ひ正を為すを得せしむべしとならば余は直に余の身を彼に委ぬべし
と、而して余の解する所に依れば基督教は人を善の器となすものにして、先哲が以て詩人の夢想と認めし最大希望を我等に充たすべしと宣言するものなり、われ基督教に由て未だ此完全に達する道を得ざればわれは未だ基督教を解せざるものなり、基督信徒は大慾を抱かざる可らず、印度宜教師ウヰリヤム=ケリー日く、Attempt great things for God, expect great things from God.(神の為めに大事を計画し、神より大事を望め)と、我は人力の(185)及ばざる大変動を我身に来たさんと欲するものなり。
 
   求安録 下の部
 
     罪の原理
 
 「リバイバル」にあらず、学問にあらず、慈善事業にあらず、伝道にあらず、又世の称する忘罪術は一として功力を有するものなし、余は平安は得る能はざるものとして之を放棄せんか、我が心霊の空虚を充実すべきものは此宇宙間に存せざるか、慾あれば之に応ずる物あるは宇宙の恒則なるが如し、慾とは充実の預言ならずや、然るに我に世の充す能はざるの慾あり、人のみは満足し能はざる動物なるか、
    “O Spirit,that dost prefer
   Before all temples the upright heart and pure,
   Instruct me,for thou know'st;……………………
   …………… Whatin meis dark
   IIlumine;what is low,raise and support;
   That to the height of this great argument
   I may assert eternal Providence,
(186)   And justify the ways of God to men,”−Milton.
   噫聖霊よ、爾は諸《すべ》ての宮殿《みや》に勝り浄くして正しき心を受納し賜ふ、
   真理は爾に存す、願くは我を教へよ、
   …………………………………………
   我の暗きを輝し、我の低きを高め、
   此間題の広遠なるに憶せず、
   我をして永久の摂理を講じ、
   天道の是なることを弁ぜしめよ。
 罪とは何ぞや、我の怒る我の竊む是罪なるに相違なし、然れども何故に我は怒り我は竊むや、我は如何なれば我が願ふ所の善は之を行はず反て願はざる所の悪は之を行ふや、悪とは苟合《かうごふ》、汚穢《おくわい》、好色、巫術、仇恨、争闘、?忌、分怒《ふんど》、分争《ぶんさう》、結党、異端、?嫉《ばうしつ》、兇殺、酔酒、放蕩(加拉太書五章十九、二十、二十一)を謂ふか、或は所謂肉の行《おこなひ》なるものは心霊に存する病の徴候にして病其者にはあらざるか、我は箇々に我が肉慾と戦ふの無益なるを知れり、然らば我が敵の本陣は何処《いづこ》にあるや、我にして其病根の存する所を知るを得ば我は之を除滅するを得ん。
 若し悪其物は悪行《あくかう》にあらずとならば善其物も善行にはあらざるべし、物を施こす必しも善にあらざるなり、名広めの為めの慈善交際上の寄附金は慈善の如くにして慈善にあらず、福音を世に伝ふる必しも善にあらざるなり、(187)野望家の伝道師、佞奸人の宗教家ほど憎むべきものは世に存せざるなり、善は精神にして行にあらず、仮令われ我がすべての所有《もちもの》を施し又|焚《やか》る、為めに我が身を予るとも若し愛なくば我に益なし(保羅)、我救はれんが為に何をなすべき乎の問題は決して簡易なる問題にあらざるなり。
 愛国は善なり、然れども誰か愛国の美徳を養成するに於て最も成功ありしものなるや、国史の研究必しも愛国者を造らず、彼の狭隘にして宇内の形勢に達せざるが故に国家百年の計《はかりごと》を誤まらしむるものは自国を以て中華と見做し五大洲は貢を皇国に奉らんが為めに造られし如くに信ずる狂信家にあらずや、爵位恩給を以て繋ぐ愛国者は一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼するの徒にあらざるなり、愛国者は詩人の如く天生なり、国史に通ぜざるも愛国者は愛国者なり、官禄を受けざるも愛国者は国の為めに死するなり、国人に捨てらるゝも愛国者は国を捨てざるなり、愛国は精神にして行にあらざれば之を外部より敲き込むこと能はざるなり、愛国の何たるは愛国者のみ知るなり、世間ありふれの愛国者、礼拝的《れいはいてき》の愛国者、表誠的の愛国者は博士《はくし》ジヨンソンの所謂愛国者にして愛国てふものゝ背後に隠るゝ奸人なり。
 愛国者を造る難し、善人を造るは難《なん》の難なるものなり、巧利主義(Utilitarianism)を以て養成したる善人は利益の為めの善人にして実に頼むべからざる善人なり、純粋倫理学を以て養成したる善人は消極的の善人にして「ストイック」派の善人の如く自己を守るを知ると雖も他を利するに疎き善人あり、古人の善行を暗記して成りたる善人は自己の特性を発達せざる鸚鵡的の善人なり、而して真正の善人とは己の利を求めざる人(哥林多前書十三章五節)、己が事のみを顧みず人の事をも顧みる人(腓立比書二章四節)、天より賜ひし所の賜を忽略《ゆるがせ》にせざる人(提摩太前書四章十四節)なり、自己を害なはずして他を利し、己を潔くすると同時に公衆の幸福と社会の清(188)浄とを計り、古人を学ぶと同時に自己の特性を開発する理想的の善人たらんとするの道は何処にあるや。
 或人きたりて基督に曰けるは、善師《よきし》よ、我かぎりなき生《いのち》を得んが為には何の善事《よきこと》を行《なす》べきかと(馬太伝十九章十六節)、即ち完全に達せんとならば如何なる善事を行すべきかとなり、而して基督の之に対する答弁は実に彼の教義の真意を穿ちしものなりき、基督答て曰く、
  Ti me er賢tas peri tou agathou;eis estin ho agathos.
  何故善事に就て我に問ふや善なるものは一つのみ(即ち神なり)……「自訳」(馬太伝十九章十七節)
  (註)此緊要なる一節は近来聖書学者の注意する処となり、余輩の自訳はゲリースバッヒ、ラクマン、チシェンドールフ氏等の撰定に係《かゝは》る希臘語の本文に依るものにして日本訳の「何故われを善《よき》と称《いふ》や一人の外に善者《よきもの》はなし即ち神なり」とは自《おのづか》ら趣意を異にす(改正英訳 Why askest thou me concerning that which is good? One there is who is good. を参考せよ。)
  馬可伝十章十八節並に路加伝十八章十九節が同一の記事を載するに当て旧来の本文と同一の文字《もんじ》を用ゆるを見れば爰に引用せる改正本文の反つて誤謬ならんかと疑ふものもあらんかなれども、本文研究学は馬可、路加両伝の記事を以て写字師の思惟より出し誤訂より成りしものとなせり、殊に十六節に於ける「善師《よきし》よ」Didaskale agathe よりラクマン、チシェンドルフ、トレゲルス等の学者は「善」agathe なる形容詞を除きしを見れば改正本文の益々真に近きを見るべし。
  ユニテリヤン教が基督の神ならずして人たるを証《あかし》せんとするや常に此本文に憑れり、曰く基菅の明言は彼自身を以て善なるものと称せずして神のみを善者と教へ賜ひしを見れば基督の普通人間たりしは明瞭なり(189)と。
  然れども余輩の見る処を以てすれば仮令旧来の本文にして基督の語なりとするもユニテリヤン教の註解は牽強附会の説と云はざるを得ず、基督はこゝに自己の特性を弁明しつゝあるにあらずして只一般の真理を説明しつゝあるなり、語勢を「われ」に置かずして「何故に」に置て見よ、然らば此本文は基督神性論に対する一の妨害たらざるを知るべし。
 何を善と云ふとの問題に対して基智は「善とは神なり」と答へ賜へり、孝も喜なり、仁も善なり、然れども孝も仁も善の結果にして善其物は神なり、神を知るは善人となるなり、善を学ぶは神に近づくなり、善を求めずして神を知る能はず、神を知らずして善なる能はず、宗教と道徳、行《おこなひ》と信仰とは同一物の両面にして一を去て他を知る能はざるなり、聖書は善人を以て「神と共に歩むもの」(創世記五章廿二節)となせり、神を離れて偶像に仕ふるは善を去て悪を行ふなり、即ち悪を行ふは真正の偶像崇拝なり、基督教徒にあれ仏教徒にあれ義を重んじ正を求むるものは神の子供にして「イスラヘル」の世嗣なり。
 若し善とは神なりとせば悪とは勿論神を離るゝを云ふなり、竊む、殺す姦淫するは神を離れし結果にして罪其物にあらざるなり、我れ人を殺す時に国法我を罰するは我の犯せし殺人罪其物の為めにあらずして我が我の神を捨てしが故なり、神我と共にあり我神と共にある時は我罪を犯さんとするも犯し能はざるのみならず罪てふ念は我に存するなし、我の不完全なる、我の他人を悪口する、我の慾情の為に使役せらるゝ、我の傲慢なる、我の人を愛せざるは、皆悉く我が神を離れし故なり、故に我にして神に帰するを得ば我は善人となり得るなり、罪より免かるゝの法只此一途あるのみ。
(190) 斯く論究し来て余は始めて創世記に載する人類堕落に関する記事の深遠なる意味を悟るを得たり、哲学者ライプニッツ曰く
  創世記に記する人類の始祖堕落の記事は人類の歴史を攻究するに当て最も著しき最も信用すべき説なり
と、その口碑様譬喩的の記事の内に人情の深奥を穿ち人性《じんせい》の妙所を写すに於ては余輩読者をして愈々之を味《あぢはひ》て愈々之を賞嘆せしむ。
 堕落以前の人は実に小児《せうに》なりし、彼等に智識なく衣服なく家屋なくその外形の状《さま》に至つては今の南洋諸島の蛮人と多く異なる処なかりしならん、然れども今日の開明の人種と雖も全く堕落以前の人類に及ばざりし一点あり、即ちアダム エバは赤子《せきし》の慈母に縋るが如く神に憑り頼みしなり、然れども今の人は哲学者も政治家も宗教家も多分は自己の智識に頼て歩み、若し神を知るものありと雖全く神に身を委ぬることなし。
 狡猾なる蛇の誘《いざなひ》とは人類をして神より独立せしめ神に頼《よ》らずして歩行せしめんとなり、「善悪を知るの樹」とは実に分別の樹にして人その果《み》を食し自ら是は善彼は悪と分別し得るに至らば神なくして独り世を渡り得べしと考へたり、蛇|婦《をんな》に言けるは「汝等その樹の果実《み》を食するも必ず死する事あらじ神汝等が之を食《くら》ふ日には汝等の目開け汝等神の如くなりて善悪を知に至るを知りたまふなり」と、全然たる服従は人類の好まざる所、仮令神命なりと雖ども少しも我意を張らずして世渡りする事の味なさよ、我も少しく神の如くになり、我の欲する所をなし、此完美なる世界を乞《こふ》我の領地となさんものをと、是れ堕落を来たせし原意にして実に人類を不窮の艱苦に導き終に死に至らしめし原因なり。
  婦《をんな》樹を見ば食《くらふ》に善く目に美麗《うるは》しく且|智慧《さと》からんが為に慕はしき樹なるによりて遂に其果実を取て食ひ亦之(191)を己と偕《とも》なる夫に与へければ彼食へり、是に於て彼等の目倶に開て彼等其|裸体《はだか》なるを知り乃ち無花果樹《いちじく》の葉を綴《つゞり》て裳を作れり。  (創世記三章六、七節)
 恰も小児の生長するや長く厳父《ちゝ》の支配する所たるを悪み、独り家産を自由にして恣に生涯を送らんものと思ひ、未だ経済の道を知らざるに、未だ世事に詳かならざるに、夙く已に父より離れて無限の艱苦を嘗め失敗に失敗を重ねしが如し。
 人類が一度神より離れしや彼等に責任の念起り来れり、自ら衣《ころも》を紡ぎ面《おもて》に汗して地を耕やさゞるを得ざるに至れり、斯くして人類の歴史は全く新方向を取れり、彼は自ら学ばざるべからず、彼は自ら戦はざるぺからず、彼は自ら責任を負はざるべからず、優《いう》は勝ち劣は破る、人は諸《すべ》ての家畜諸ての獣《けもの》と同じく生存《せいそん》競争が場裡に入れり、人類六千年間の歴史、そソフオクリスをして我等の涙嚢を絞らしめし悲戯を草せしめしも、そのセルベンチスの「ドンキホテー」の豪遊談をして余輩を激笑せしむると同時に無言の憂恨を胸中に起さしむるも、そのゲーテをして(Was sollen alle die Schmerz und Freude!)「我に是等の悲と歓のあるは何の為めなるぞや」の悲声を発せしめしものも、実に実に人類が活る水の源なる神を捨て壊れたる水溜なる己に憑り頼みしに依るにあらずして何ぞや(耶利米亜第二章十三節)
 人類がその造主《ざうしゆ》を離れてより彼の霊肉ともに平衡を失ひ、霊は肉を支配し得ず、肉は霊に順ひ得ず、霊の許さゞる事を肉は欲し、肉の及ばざる事を霊は望み、歴史家ネアンデルの称する人心内部の分離(lnternal Schism)之より始まり、人彼自身が修羅の街《ちまた》と変じたり、此に於て肉は其自然性を守るを得ず、望むべからざることを望み、為すべからざることを為し、数多《あまた》の疾病を惹起《ひきおこ》すに至れり、苦痛のあまり彼は薬品なるものを発明して病を(192)癒さんとすと雖も、一局部に対する薬品は他の局部に対する毒品なれば、薬剤を施は僅かに強壮なる局部を害して病弱したる局部を助くるに過ぎず、よし又医学の進歩に由て一病症に対する特治法の発見あれば人の未だ曾て知らざる病症の起るありて人類を悩ますあり、病種の増加は医学の進歩に伴ひ今や衛生治療の方法は著しき進歩を為せしに関せず人類の平均生活年限は僅かに一二年を加へしのみ、會て革命以前の仏国の哲学者等が遠からずして医術の進歩に依り人の生涯を永遠迄維持するに至るべしと妄想《ばうさう》せしも、尚ほ人類全躰は病の魔鬼の生贄として一秒時間に一人づゝ死刑の罰を受けつゝあるなり、躰の病のその本は心のくるひにある事を知らずして医師に貢を絶たざる人の世に多きこそ実に歎ずべきにあらずや。
 自己を支配し得ざる人類がいかで隣人の権利と自由とを害せずして止むべけむや、神を失ひてより人各々心中に空虚を生じ、自ら此空虚を充たさんとして充たす能はず、依て他人をして之を充たさしめんとし、他人の富を貪ぼり、他人の妻を慕ひ、他人の名誉を猜み、いかでかして心中無限の不平を満足せんと欲せり、然れども慾てふ餓鬼は養へば養ふ程猛烈を極め、得て益々貧しく、取て益々足らず、悪は悪を胚《はら》み、罪は罪を生み、全身亡びて后|素《はじ》めて他を害せざるに至る、此に至て社会は法律てふものを設け之を組織するものゝ行為に制裁を加ふると雖も、一方に之を妨げば他方に破れ、土堤《どてい》を以て漲流を堰くが如く、土堤益々高くして水層益々嵩み、年々歳々法律の数を増加し、今や社会の平安を維持せんが為め我国に於てすら六法四千六百二十九条を要するに至れり、而して法律を実行せんが為めには三万の警察官と年々五百万の警察費を要し、八千人の裁判官と一千人の代言人は之が為めに衣食し、十万の陸軍二万の海軍は我の権利を侵害せられざらんが為めに設けらる、カーライル曰く「人生の最終問題は人その隣人の胸ぐらを?み汝我を殺すか或は我汝を殺さんか」と言ふにありと、無限の神を(193)以てのみ充たさるべき人霊が神ならざるものを以て充たされんとするは能はざる事なり、モンゴルの王チモールが欧亜両大陸各半部を掠奪し、壮厳を極めたる宮廷をサマルカンド府に開き、列国の王をして此処に朝せしむるに当て、一日歎声を発して彼の侍臣に告げて曰く、「此世界は予の有するが如き欲望を充たす能はず」と、時に老錬なる顧問官某進で曰く、「陛下よ神のみが人の霊を充たし得るなり」と、チモール此言を解するを得ず、尚も進で支那帝国をも彼の領土となさんと欲し遠征の途に就くや、ヤクサルテス河辺に於て砂漠の露と消へ失せたり、匹夫より起りし大関秀吉が日本全国を己が有となし、尚も朝鮮三道を合し、威海外に加はつて尚ほ其心情は憐むべきありて、「露とたち露と消えぬる我身なり難波のことは夢の世の中」の悲声を以て世を去りしを見れば、神を有せざる人は巨人にして小人なり、富貴にして赤貧なり、人類の頑愚なる六千年の歴史が世の以て頼むべからざるを教ると雖も尚も兵備或は法律にのみ由て安心と満足とを得んと欲す、博士《はくし》ムンゲル曰く、此労れ果てたる世の安からざるは神を求むる無声の叫号《さけび》なりと、人類は暗夜に叫ぶ赤子の如く神よ神よと呼びつゝあるなり。
 平安を外に求めて得ず、富も名誉も無限の饑渇を充たすが為めに無効なるを知りたれば、人類は宗教なるものを考出《かんがへいだ》し、石婦《うまずめ》が人形を装《よそほふ》て母たるの情《なさけ》を無覚の木石に表はすが如く、心霊の父を失ひてより偶像と称する神の人形を造り、之を拝し之を崇め以て真正の神に呈すべき自然性を外に洩さんとす、而るに耳ありて聴かず目ありて見へざる木石像の心霊を満足し得べきにあらざれば、或は苦業と称して身を極寒極熱にさらし、以て皇天の嘉納にあづからんとし、或は坐禅と称して自然の感覚を殺して平安の秘訣に達せんとす、又自ら此修業《しうげふ》に堪えざるものは頻りに之に堪ゆるものを尊崇《そんそう》し、宇宙の神に達し得ずとも是等の聖者に縋り付て以て神の恩沢にあづからんとす、此に於て教主政治なるもの起りて最も憎むべき最も厭ふべき圧制が世に行はるゝに至る、民の迷信は(194)夥多《あまた》の野望家を刺激し、政権を専にする能はざるものも、戦場に功を争ひ得ざるものも、宗教界てふ柔弱社会に於ては無量の権力を有するを得るに至る、而して教法師相互の嫉?軋轢は宗派間の競争確執となり、愛を説き慈悲を勧むる宗教家が互に相争ふの状は犬猿《いぬさる》も啻ならざるあり、教会は天国に最も近くして最も遠き処なり、悪鬼已に聖殿を奪へり、人生の荒漠実に察すべきなり。
 如此にして人は人の敵となり、己は己の敵となり、不平不満やるかたなく、此完備せる宇宙に生れながら人類程憐れむべき動物はなきに至れり。
 詩人ゲーテのメフィストー(悪魔)が神に訴へし語に曰く
   月日と星の巧造《こうぞう》に 我の批難すべきはなし
   たゞはかなきは人の子が    己と己が身を攻むる
   よろづの物の頭なる      人こそもとのすがたにて
   今も昔も変りなき       驚き入たる奇物なり
   天の光が彼の身に       宿りし事のなかりせば
   彼の命は今よりも       堪へ易かりしものならめ
   道理と称へて道理をば     己を責むる器具となし
   獣に劣る獣まで        下落するこそ憐れなれ
   神の許可にて我は謂ふ     人てふものは夏の日に
   草叢に棲むばつた虫      長き後のすね足に
(195)   飛んで跳たりはねてとび   古きあだ言くりかへす
   心静かに草叢の        中に落付き居りかねて
   糞《ふん》の塊ある毎に    その鼻端《はなさき》を突入れる
 或人云はん艱難と競争とは実に人類進歩の大原動力なり、若し堕落が艱苦と競争とを来らせしならば堕落は進歩の始動力ならずやと。
 我之を知らず、然れども人類が流血と饑餓と無量の涙とを以て得し今日の開明進歩は彼が反逆に依て失ひし心霊の独立と完全とを償ふに足るや、蒸気、電信、シヤムペーン酒、クルップ砲、水雷火船は平和、安心、愛憐、満足に勝りて善良なるものなるか、文明、文明、――文明とは欧洲の平和を保たむが為に二百五十万人の常備兵と、之を維持せんが為に毎年《まいねん》六十億万弗の支出を要し、虚無党を製出し、瘋癲患者を増加し、社会を益々錯雑ならしめ、人をして無限の慾と望の内に無限の愁苦を感ぜしむるものか。
 競争とは実に進歩の原動力なるか、西諺に謂ゆる必要は発見の母なりとの言は必しも歴史上の事実なるか、万物の霊たる人類は眼前の必要に逼まるにあらざれば造化の微妙を探らざるか、他人と優劣を決せんとするの野望心が人類進歩の最大原動力なるか、ミルトンの「失楽園」は貧に迫りての作なるか、ルーテルの宗教改革は天主教徒の揚言するが如くドミニカ派の僧侶に対する嫉?心より出しか、コロムブスの米大陸発見は欧洲列国競争の結果なるか、競争は或る種の進歩の始動力なりしに相違なし、甲鉄艦の如き、アームストロング砲ノルデンフエルト銃の如き、無煙火薬の如き、或は燻製巻煙草の如き香鼠葡萄酒の如き、皆現然たる競争の結果と云はざるを(196)得ず、然れども人類をして愈々高尚ならしめしもの、此地をして益々美麗ならしめしもの、人を和合せしもの貧を減少せしものは、競争てふ利益心に刺激されて此世に顕はれしものにあらざるなり、我に怡然たる余裕ありて素めて大思想の我より出づるなり、俗世界の名誉を博せんと欲する野望にあらずして宇宙の大真理を探らんと欲するの聖望がコペルニカスの天躰観察となり終に彼の大法則を生めり、黄金と象牙とを求めんとする葡萄牙国商人の冒険にあらずして黒人に天父の愛を示さんとするリビングストンの慈善心が闇黒大陸を開きコンゴ自由国の建設を促がせり、競争に依る進歩は一利あるも百害あり、一鉄道王が億万の富を積まんが為には彼の四人の親友は自殺し数多の家産は倒れたり、一ナポレオンが帝冠を戴き仏国が暫時の栄光に誇らんが為めには二百万の生霊は戦場の露と消へ億万の寡婦《やもめ》と孤子《みなしご》は  磯餓に叫べり、競争的の進歩は人類一般の損害にして利益にあらず、進歩の如く見えて退歩せり、真正の進歩は愛憐の結果なり、歴史は然か云へり、我等の経験も然か云へり。
 嗚呼然らば我をして我と和合せしめ、我が理想とする処我之を行《な》し、我の悪む処我之を行さゞるに至らしむる道は何処《いづこ》にあるや、利慾に依らず、必要に逼まるに非ずして、靄然《あいぜん》たる貴公子の余裕を以て他を愛するの念慮より我は自己を忘るゝに至り、勝て誇らず、敗れて絶望せず、働らきつゝ休み、休みつゝ働らき、生涯を楽みつゝ之を神と国との為に消費する我が理想的の人物と我をなさしむる這は此広き宇宙間に存在せざるか、嗚呼我の一生は苦痛の一生にして、彼のアラビヤ物語にある、世の中てふ絶壁の中間に命てふ一茎《いつけい》の根に縋がりつき、下に死てふ大蛇が口を開きて我の落来るを待ち居れば、年月てふ鼠が細き危き命てふ茎の根元を?みつゝあり、此危険なる境遇にたゞ妻子てふ草の茂るありて恐怖の中に些少の甘味《かんみ》を呈すると云ふ有様は永遠の希望を有する我の享くべきものなるか、嗚呼若し人心無声の叫号《きうがう》を集合し得る細音器(Microphone)ありて吾人をして其声を聞く(197)を得せしめば悲哀の声は天を裂き地を動かすもなほ足らざらん、嗚呼我を救ふものあらざるか、嗚呼メシヤは未だ降らざるか、宇宙は絶望の上に立てられしか、神は存せざるか、人は捨てられしか。
 
     喜《よろこび》の音《おとづれ》
 
 失望暗夜に此声あり、
  なんぢらの神いひたまはく、なぐさめよ、汝等わが民をなぐさめよ、懇ろにエルサレムに語り之によばゝり告よ、その服役の期すでに終り、その咎すでに赦されたり、そのもろ/\の罪によりてエホバの手よりうけしところは倍したりと。             (以賽亜四十章一、二節)
  婦《をんな》その乳児をわすれて己がはらの子をあはれまざることあらんや、縦ひかれら忘るゝことありとも我はなんぢを忘るゝことなし、われ掌《たなごゝろ》になんぢを彫刻《きざ》めり、なんぢの石垣はつねにわが前にあり。                (同四十九草十五、十六節)
  我名を恐るゝ汝らには義の日いでゝ昇らん、その翼には医《いや》す能《ちから》をそなへん、汝等は牢《をり》より出でし犢《こうし》の如く躍跳《をど》らん。
 あまつ使のつぐるを聞けよ、
  “Christ ist erstanden!
  “Freude dem Sterblihen,
  “Den die verderblichen,
                  (馬拉基四章二節)
(198)  “Schleichenden, erblichen
  “Mängel umwanden!”
   キリストは甦《よ》みがへれり、
   壊《く》つべきものよよろこべ、
   世々死にまとはれて
   そのとりこたりしものよ。
 嗚呼如何なる音《おとづれ》ぞ、余り善《よき》に過ぎて我は之を信ずる能はず。
   Die Botschaft hör' ich wol,allein nur fehlt der Glaube.! −Goethe's Faust, 765
  (音信《おとづれ》を我は聞く、然れども信仰我に乏し)
 此|救主《きうしゆ》とは誰ぞ
  “The rord who all our foes o'ercame,
   World, sin and death, and hell o'erthrow
   And Jesus is the Conqueror's naame”−C.Wesley.
   諸《すべ》て我等の敵に勝ち、
   陰府《よみ》と世と死と罪とをば
   きり従へしものにして
   その名を耶蘇《イエス》と称ふなり。
(199) 彼は如何なる生涯に依て此世と我を救ひしや、
   われらが宜《のぶ》るところを信ぜしものは誰ぞや、エホバの手はたれにあらはれしや。
   かれは主のまへに芽《めばえ》の如く、燥《かわ》きたる土よりいづる樹株《きかぶ》の如くそだちたり、
   われらが見るべきうるはしき容《すがた》なく、うつくしき貌《かたち》はなく、われらがしたふべき艶色《つや》なし。
   かれは侮られて人にすてられ、悲哀《かなしみ》の人にして病患《やまひ》を知れり、また面《かほ》をおほひて避《さく》ることをせらるゝ者のごとく侮られたり、われらも彼をたふとまざりき。
   まことに彼はわれらの病患をおひ、我儕のかなしみを担へり、然るにわれら思へらく、彼はせめられ、神にうたれ苦しめらるゝなりと。
   彼はわれらの愆《とが》のために傷けられ、われらの不義のために砕かれ、みづから懲罰《こらしめ》をうけてわれらに平安をあたふ、
   そのうたれし痍《きづ》によりてわれらは癒されたり。
   われらはみな羊のごとく迷ひておの/\己が道にむかひゆけり、然るにエホバはわれら凡てのものゝ不義をかれのうへに置たまへり。
(200)   彼はくるしめらるれどもみづから謙《へりくだ》りて口をひらかず、
   屠場《ほふりば》にひかるゝ羊羔《ひつじ》のごとく、毛をきる者のまへにもだす羊のごとくしてその口をひらかざりき。
   かれは虐待と審判《さばき》とによりて取去れたり、
   その代《よ》の人のうち誰かかれが活るものゝ地より絶れしことを思ひたりしや、
   彼は我民のとがの為にうたれしなり。
 
   その墓はあしき者とともに設けられたれど、死《しぬ》るときは富めるものとともになれり、
   かれは暴《あらび》を行はず、その口には虚偽《いつはり》なかりき。
 
   されどエホバはかれを砕くことをよろこぴて之をなやましたまへり、
   斯てかれの霊魂とがの献物をなすにいたらば、彼その末を見るを得、その日は永からん、
   かつエホバの悦びたまふことはかれの手によりて栄ゆべし。
   かれは己《おの》がたましひの煩労をみて心たらはん、わが義しき僕《しもべ》はその知識によりておほくの人を義とし、又かれらの不義をおはん。
(201)   このゆゑに我かれをして大なるものとともに物をわかち取らしめん、
   かれは強きものとともに掠物《かすめもの》をわかちとるべし、
   彼はおのが霊魂をかたぶけて死にいたらしめ、愆《とが》あるものとともに数へられたればなり、
   彼はおほくの人の罪をおひ、愆ある者の為にとりなしをなせり。 
                           (以賽亜五十三章)
 我此救に預からんと欲せば何をなすべきか
  主イエス、キリストを信ぜよ然らば爾および爾の家族も救はるべし。
                     (使徒行伝十六章三十一節)
 何故に然るか、
   それ神はその生たまへる独子《ひとりご》を賜ほどに世の人を愛し給へり此は凡て彼を信ずるものに亡《ほろぶ》ること無して永生《かぎりなきいのち》を受けしめんが為なり。                   (約翰伝三章十六節)
 然り人は信仰に依てのみ義とせらるゝなり、儀式に依るにあらず、血肉に依るにあらず、位によるにあらず、学識に依るにあらず、行《おこなひ》に依るにあらず、只十字架の辱《はづかしめ》を受けしナザレの耶蘇を信ずるに依るのみ。
 
 之れ迷信の如くに聞へて真理中の真理なり、人の経験中の最も確実なるものなり、我の此の福音を信ずるは聖書が斯く云ふが故にあらずして我の全性が之に応答すればなり、我の経験が之を証明すればなり、歴史が之を確《たしか》むればなり、自然が之を教ゆればなり、――然り信仰――信仰に依らずして人の救はるべき理由あるなし。
 
(202)     信仰の解                            
 信仰とは信ずべがらざることを信ずるにあらざるなり。二と二を合すれば五なりとは宇宙が消へ失するとも我は信ずる能はざるなり、虚言を吐くは善なりとは水火の責に遇ふとも我は信ずる能はざるなり而して信ずべからざるなり、人は虚喝手段を以て善道に導き得べしとは如何なる証明ありと雖我は信ぜざるなり、信仰は信ずべき事を懼れず躊躇せずして信ずるを言ふなり。
 信仰とは了得し得ざる事を信ぜよと云ふにあらざるなり、旧約聖書の五書は摩西の作なるや否やを信ずると信ぜざるとは救霊上一つの関係を有せざるなり、以賽亜の預言書は一人の作なるや二人の作なるやは批評学上の問題にして道徳上宗教上の問題にあらざるなり、約翰伝は使徒約翰の作ならずと信ずるに依て我は地極《ぢごく》の刑罰を受くべきとならば我は甘じて之を受くべきなり、基督教の称する信仰なるものは智能上の准許《じゆんきよ》にあらずして心霊上の応諾なり、心霊は道徳上の善悪を判別するものなれども事実上の真偽を鑑定するものにあらず、故に我が霊を救ふの信仰は道徳的にして智識的にあらず。勿論人は信ずる如く思ふものなれば思惟の結果=殊に哲学上の思惟の――は信仰の如何を示すに足るべけれども、思惟――特に科学上の思惟――は必しも信仰の反射像《レフレクシヨン》にあらざるなり、人の信仰如何を察せんとなればその道徳上の行為を見るべきなり。
 人我に問ふて曰く信ずべき事を信ぜざる人何処にあるやと、嗚呼無智の者よ汝は世は信ずべき事を信ぜず信ずべがらざる事を信ずるに依て斯くは罪悪の世なる事を知らざる乎、姦淫する事盗む事虚妄《いつはり》の証拠をたつることの悪しきことなるを知らざるものはなきなれども之を信ずるものは幾干ぞある、真理を知ると之を信ずるとは大差《だいさ》(203)別あり。鹿は鹿なり馬は馬なりと知ると雖若し政権の諂ぶべきあれば鹿を見て馬と呼ぶにあらずや、二と二と合すれば四なりと知ると雖も自己を利せんが為めには弐円づゝの価値を有するもの二個を五円なりと偽はりて人に売るにあらずや、真理は最後の戦勝者なりと唱ふるものは如何なる平凡の新聞記者も無節操の説教師も云ふと雖も幾人か之を信じ此信仰に依て実行するや、正義の神の存在を信ずと揚言する基督信者にして真に此大真理を信じ身を立て道を行ふものは幾干ぞある、宜なるかな基督の言や
  人の子きたらんとき信を世に見んや   (路加伝十八章八節)
 ソクラテスとは別人にあらず、彼は普通希臘人が人間普通の真理と知りし事を信じて実行せしのみ、猶太国の預言者とは別に特種の秘密を包蔵せしものにあらず、彼等は何れの猶太人も暗誦し居りし十誡を信じ自ら之を実行し又民に実行せしめんと勉めしのみ、ワシントンなりコロムウェルなりルーテルなりウェスレーなり彼等の偉大なりし最大理由は彼等が真面目に普通道理を信ぜし故なり。若し我国人にして彼等が今日已に知る処の真理を信ずるに至らば彼等の教化は已に九分通り実行せられしなり。
 宗教上の信仰なるものを以て信ずべがらざること信じ難きことを信ずる事と見做すものは未だ信仰の何たるを知らざる人なり。是れ信仰の真正の意義なることは聖書の充分に証明する処にして亦言語学上の事実なり。
 希伯来語《ヘブルご》の「ヘエミン」He'min「信ずる」なる語は(創世記十五章六節)「アーマン」’aman(「支ゆる」の意味なり「オムナー」(柱)なる語を作る)なる根詞 《こんし》より来るものにして「依り築く」又は「依り頼む」の意なり、「オーメン」'omen即ち誠実真実(英語のverity)なる語も亦同根詞より来る、新約書のアーメンamen「実に然かあれ」なる語も実に「アーマン」の変語にして「アーメン」の神(以賽亜六十五章十六節)は真実の神と訳す、(204)故にアブラハムが信じて(ヘエミン)以て義と廿られしとの意は真実の神に真実を以て依り頼みしとの事なり、建築物が柱に凭《もた》る々如くアブラハムは神に倚掛りしなり、真理は宇宙を支ゆる「オムナー」(柱)にして之に依り頼む行ものは霊と真《まこと》とを以て廿ざるべからず(約翰伝四章二十四節)、旧約書が不孝の子を称して「アーメン」(真実)の存せざる子等(真実を有せざる子等と訳す――申命記三十二章二十節)と云ふは能く不孝者の心を穿ちし言なり。
 希臘語のピスチユーオー(Pisteuõ)「信ずる」なる動詞(創世記十五章六節に対し羅馬書四章三節を見よ)并に「信」ピスチス(Pistis)なる名詞は前述の希伯来語の訳字として用ひらるゝものなり、共にパイソー(Peithõ)「縛る」又は「結ぶ」なる語の変語にして広大なる意義を有するに至れり、(英語の bind「繋ぐ」「約束する」と対照せ
よ)而して新約聖書の記者はその各種の意義に依て之を使用したれば原文の「ピスチユーオー」并に「ピスチス」なる語を解するが為めには吾人は重もに文の連続に依らざるべからず。
 此語の単純なる意味は信任なり、路加伝十六章十一節の「誰か真の財を爾曹に託んや」は「任せんや」の意なり(約翰伝二章二十四節参考)、信任は任せらるゝものゝ正直《せいちよく》なるを要す、故に「ピスチス」亦|真率《しんりつ》の意を含む、加拉太書五章二十二節に於ては之を忠信と訳す、馬太伝二十三章二十三節の「義と仁と信」とは真実を云ふなり、或は確信の義なり即ち希伯来書十一章一節に於けるが如し、亦確証の意あり(使徒行伝十七章三十一節)。その最も浅薄なる意味に於ては僅かに知識的の説服を云ふに過ぎず即ち雅各書二章十九節に於けるが如し。
 英語の Believe 独逸話の Glauben は共にサクソン語の lyfan(許す)なる語より来りしものにして leave(捨てる、任せる)live(生《いけ》る)love(愛する)の三語は Believe(信ずる)と根原を共にす、(独逸語の Glauben, bkeiben, leiben, lieben を対照廿よ)、信ずるは他に許すなり、即ち己を捨て他に任かすなり、而して我は我の愛する人に我を任(205)かすなり、我を許し我を任かす人即ち我の愛するものは我の生を繋ぐものなり、即ち愛は生命の精にして生命は実に愛なり。
 支那語の信は我の国音之を「マコ卜」と訓す即ち誠実を云ふなり、(伊川程氏曰以v実之謂v信)、忠信と云ひ信任と云ひ信頼と云ひ一として真実の意を含まざるはなし、希伯来語の「アーメン」、希臘語の「ピスチス」、英語の「ベリーブ」、皆同一の意を含有す、言語は人類が未だその単純と真率とを失はざる前に発達せしものにしてその真意を発表せしものなり、東西所を異にし風俗感情を異にせるに関せず「信」なる詞の原因は皆相似たり。
 故に信仰の基礎は真実なり、真実なくして信仰のあるなし、信仰の反対は詐偽なり、虚妄なり、無情なり、不親切なり、虚飾なり、空言なり、不忠なり、不孝なり、不義なり、権謀なり、術数なり、信仰なる語に反道理的の意を附せしに至りしは人情軽薄に進むに及んで正直は頑愚視せられ学は以て媚俗阿世の器具となりし時にありにき。
 信仰は実なり、故に信仰せらるゝもの(Object of faith)も、信仰するもの(Subject of faith)も実ならざるべからず、実ならざるものは信ずべからず、実ならざる人は信ぜざるなり、不実の人の信ずる人も物も世に存するなし、彼は友人親戚を悉く疑ふのみならず亦宇宙の大原則をも疑ふなり、自然は真実なる慈母にして疑を懐ける子供には何をも給せず。
 我は三角形内の三角度を合すれば二直角なるを知る故に我は此幾何学上の原理を信じ、家屋の建築に於ても、橋梁の構造に於ても、此原理に依らんと欲す、我は正直は最良の政略なるを知る故に、我の身を処するに於ても、我の社会の義務を尽すに於ても、我の目前の不利益を顧みず、世の我を嘲けるを意とせず、我は此法に則ら(206)んとす、而して我の全性は此宇宙は偽物《ぎぶつ》にあらずして真正物なるを知れば、我は人生の最終目的は正義と慈悲と仁愛なるを知れば、時には佞人権を擅にし、明徳|輝《き》を失ふに至ると雖、時には利慾は成巧し無私は失敗すると雖、我は我の目的を変幻極なき世の盛衰に依で定めず、万古不易万世不動の法則の上に築かんと欲寸、即ち我は「有《あり》て在る者」(I am that I am)アーメンたる者、忠信なる真実の証者(黙示録三章十四節)、即ち宇宙の造主にして保維者なる霊なる神を信ぜんと欲す。
 基督サマリヤの婦《をんな》に告げて曰く、「神は霊なれば拝するものもまた霊と真《まこと》を以て之を拝すべき也」と、之を今日の語に換て言へば「神は精神なれば拝する者もまた精神と真実とをもて之を拝すべき也」と読むなり、神は宇宙の精神にして誠実なり「精神誠実共に「ペルソナ」の特性なることを記臆せよ)、即ちカーライルの称する Eternal Verity(永遠の誠実)なり、黙示録記者のアーメンたる者(The Amen)なり、而して我の信ずる処によれば我の救はるゝは我が誠実を以て誠実の神を信ずるに依るなり。
 然らば我が慈善事業に従事し神と人とに事へんとせし時我は誠実ならざりしか、我が伝道師とまでなりても神意を充たさんとせし時我は神を信ぜざりしか。
 然り汝は誠実なりし、而して又神を信ぜざりしにあらず、汝の信仰は全然ならざりし、汝の信仰は汝を救ふに足る信仰にあらざりしなり。
 誠実なる汝の神は宇宙の主宰にして無限の愛なるを知れ、此神に対する汝の位置は君に対する臣の位置にあらずして慈母に対する赤子《せきし》の位置なるを記臆せよ、我等は神より万《まん》を受て一を返上する能はず、我等の誠実其物さへも神の賜物なるを如何せん、我等の財《たから》も身も霊も神に捧げるとも神は只神のものを受けしのみ、神は与ふる者
(207)にして我は受くるものなり、神は恵むものにして我は恵まるゝものなり、神は愛するものにして我は愛せらるゝものなり、無限の愛は愛せんことを要して愛せらるゝことを要せず、神を愛せんと欲するものは神に愛せられざるべからず。
 然り我は神の義と正とを信ぜり、又幾分か神の愛を知れり、然ども我は神の全愛を知らざりし、而して今之を知ると雖殆んど信ずる能はず、我は責任を以て委ねられたる神の僕《しもべ》なるを知り元金に利を附して厳格なる我の主人を満足せと勉めたり(路加伝十五章)、我は神の愛は我の善行を以て交換し得べきらのと思惟せり、我は先づ我の行為を以て我の義を以て神の友人となり然る後に彼と対等条約を結ばんと試みたり、我は自己の権限を知らざる高慢なるものなりき、我は受造者にありながら造物者の真似を為したり、我は神の赤子なるに彼の兄弟の如き挙動をなせり、我が神の愛を充分に受けざるが故に神は我を困《くるし》めしなり、嗚呼我の愚も亦甚しからずや、永遠の慈母(Eternal Mother)が恵まれよ愛せられよと我を責めつゝありしのに我を恵めよ愛せよと叫びて我より神に迫りしとは。
   天ようたへ、地よよろこべ、
   もろ/\の山よ声をはなちてうたへ、
   エホバはその民をなぐさめ、
   その苦しむものを憐みたまへばなり。
 
   然どシオンは云へりエホバ我をすて
(208)   主われをわすれたまへりと。
   婦その乳児をわすれて己がはらの子をあはれまざることあらんや。
   縦ひかれら忘るゝことありとも我はなんぢを忘るゝことなし。
            (以賽亜四十九章十三、十四、十五節)
 此無限の愛に対して我の為すべきことは我を全くその手に托す(Leave)のみ、魚が水中に游泳する如く我等も神の愛の中に浸さるゝものなり、我等の誤謬は心の戸を開ひて充分に此愛を受納せざるにあり、受けざりしが我等の罪なりしなり。
 然れどら汝は言はんとす「我の如き罪人如何で無限の愛を受べけんや我先づ己を清くして而后神の愛を以て充さるべき也」と、嗚呼誰か汝を清くし得んや、汝は己を清めんとして清め能はざりし、汝を清め得るものは唯神のみ、汝の清まるを待て神に来らんとならば永遠迄待つも汝は神に来らざるべし、母の手より離れて泥中に陥りし小児は己を洗浄する迄は母の許に帰らざる乎、泥衣《でいい》の儘泣て母に来るにあらずや、而して母はその子が早く来らざりしを怒り直に新衣を取て無智の小児を装ふにあらずや、永遠の慈母も亦然かせざらんや。
 然れどら我は此懐疑と疑察の世に生れ、我を任すべきの人とては曾てありし事なし、偶々ありと信じて我を委すれば彼は我を利用して我が為めに計らず、我に欠乏するものは他を信任するの性《せい》なり、何んとなれば此罪悪世界に於ては信任の性を発達するの機会なければなり、神は無限の慈愛ならん、然れども其|証《あかし》何処にあるや、自然も人も我を欺くに神のみに我を欺かざるとの確証を我に与へよ、我に此確信の起らんが為めには我は非常の事(209)実に接せざるべからず、懐疑は我の習慣性なり、我信せんと欲して我の情性は我の信ずるを許さず、『我儕に父を示せよ、然らば足れり」、是れ人生の叫号の声なり、人類は父を求めつゝあるなり、空天に懸る星、郊野に咲く百合花《ゆり》共に造主の愛を示さゞるにはあらざれども、その颶風その地震その肉食獣その毒草は我が積年の疑心を破砕し、我をして安然として神に帰り、満腔の信仰を以て我を彼に委するに至らしむるものにあらず、人類六千年の歴史は摂理の之を貫徹する事を示さゞるにあらず、然れども世界幾子回の大戦争の如き、黒奴売買事跡の如き、劣等人種虐待掠奪の如き、皆以て人は人の敵にして神は人類の塗炭に困しむを見て以て快楽となし給はざるやの感を起さしむ、我は我が罪の確かに赦されし証拠を要す、我は真に神の愛するものたるの証拠を要す、我はこの是なるか非なるか判然せざる世の中も実に誠に是なるものにして正義の神が之を導き給ふとの確実なる証拠を要す、然らざれば我信ぜんと欲して信ずる能はざるなり、然り若し宇宙に神の存するありて人類に神を求むるの熱望ありとすれば、宇宙は此儘にて不完全なる宇宙なり、之れ悲哀の戯場《ぎじやう》なり、之れ一つの瘋癲病院なり、西班牙の皇太子アルフホンソー曰く「神が劍めて宇宙を造り給ひし時、我若しその相談に預かるを得しならば、我は少しく神に注意を呈して如斯世界を造らしめざりしものを」と、造化は悉く完備なるが如くなれども人のみは永久の難問なるが如し、宇宙は一点を欠ける完全物なるが如し。
 
     楽園の回復 Paradise Regained.
 
 博士マーカス=ドッド曰く「基督が降らざりしものとして此世界を考究する勿れ」と、然り基督なる実在は此失望世界の必要物なり、基督は此宇宙をして完全ならしめしもの也、基督に依てのみ人世は堪ゆべきものとなれ(210)り、基督に依てのみ造化は失敗ならざりしを知るなり。
  なんぢら我をあふぎのぞめ然らばすくはれん。               (以賽亜四十五章せ二節)
  モーセ野に蛇を挙げし如く人の子も挙げらるべし。凡て之を信ずる者に亡ること無して永生を受しめんが為なり。                (約翰伝三章十四、十五節)
 逆説の如く見へて真理中の真理たることは人は自ら勉めて善人たる事能はざる事是なり、罪に依て孕まれ、罪の中に生長せし人が自己の黽勉にのみ依て罪より脱せんとするは、泉が水源より高く昇らんとするが如き、水夫が風に頼らずして意志の動作にのみ依て船を行らんとするが如き、望むべがらざる事なり。エモルソンが処身の術として青年に勧めて言へる Hitch your wheel to the star(汝の車を星に繋げ)の語は基督の言へる「爾曹われを離るゝ時は何事をも行《なし》能ず」の語と同意義を言ふものなり、我等の救は基督に於て神と繋がるゝより来るものなり、而して如何なる理由の其内に存するにもせよ、福音的基督教会の確信として動かすべからざる事は、即ち基督の生涯と死とは救霊の必要にして基督に依らざれば人は神と一躰たる事能はず又彼が神に対して犯せし罪の赦さるゝことなしとの事是なり。此信仰たる実に基督教会の基礎なり。
  実に誠に此ほか別に救ある事なし、蓋《そは》天下の人の中に我儕の依頼て救はるべき他の名を賜ざれば也。
         (使徒行伝四章十二節)
 此大事実たる我等は推理に依て会得するにあらずして観察と実験とに依て確かに知認する処なり、薬品の効用は其病理学上の作用の知らるゝ前にもあるが如く基督の救霊力は其理を充分に解せざる前に著明なり、罪の重荷に圧せらるゝもの、良心の譴責に困しむものゝ唯一の特効薬は基督の十字架なり。
(211) 摩西《モーセ》の律を身に纏ひ、厳格清廉なるパリサイ宗の中に錚々の名を以て聞へ、時の猶太人として我も人も許して完全なる人なりと思ひしタルソの保羅も、其の心中の苦《くるしみ》より脱せんが為めには、その心霊を三|階《かい》の天上にまで引き登せ、無量の自由と拡張とを得むが為めには彼の才能を見ること糞土の如くし、彼の脩錬を迷愚|妄信《ばうしん》と見做し、麻衣《まい》して塵を頭《かうべ》に?《ふりかけ》ナザレの耶蘇の十字架の前に慚悔免《ざんくわいゆるし》を乞ふに至て素《はじ》めて心に安を得たり。
 ニユミデヤの一青年が粗大の慾望を抱ひて羅馬に来り、彼の文才と雄弁とは彼未だ三十歳に達せざるに彼をして時の大家として名を伊太利の文学界に轟かしめたり、然れども彼の学と才とは彼をして煩悩犬の支配より救ふ能はず、妾《せふ》を換ること三度、非正の床に児を儲け痴愚と知りながら尚ほ色慾の奴隷たるを好みしが、彼一朝聖書を繙ひて左の語に接せしや、基督教会は聖アウガスチンを得、情慾世界は一大酔漢を失ひたり、
  行を端《たゞしく》して昼あゆむ如くすべし、饕餮《たうてつ》、酔酒また奸淫、好色また争闘、嫉妬に歩むこと勿れ、惟なんじら主イエスキリストを衣《き》よ、肉躰の慾を行はんが為に其備をなすこと勿れ、 (羅馬書十三章十三、十四)
 独逸ツウリンギヤ森林中の一健児、長ずるに及びて聖霊|創《はや》く其心を擾動し、不安の余まり彼は父の命に叛きて一寺院に入り、断食祈?の脩業を積み以て偏に天怒を宥めんとせり、然れども如何せん彼外を改むれば悪念内に湧出して止まず、外患内冦共に彼の小心を砕尽せんとする時、師父スタウピッツの一声は不可謂の生命力を彼の心に吹入れたり、義人は信仰に依て生く、神はルーテルの罪を赦せり、宇宙はその捨児を拾ひ上げたり、是ぞ他年ライン河辺に於て世界の王侯綺羅を纏ひ、欧土を迷信僕従の旧態に保存せむと議する時、羅馬の三層冠に対し信仰自由の嚆矢を放ちし偉男子なり。
 唯《ゐ》物論者は曰ふ、是れルーテルの迷信の為さしめし所にして恰も野猪は危険を知らざるが如しと、道義学者は(212)曰ふ、是ルーテルの好義心の然らしめし処なりと、然るにルーテル自身は如斯答へらく、
    われ若し我の力を頼まば
    つとむるとても益ぞなし、
   神のゑらみにし人にして
   我につきそひ給はずば。
    彼何人をたづぬるか、
   イエス キリスト其人なり、
   万軍の主と叫び奉りて、
   世々永久かはることなし。
 英国ベツドフホド村に一|錫工《しやくこう》あり、彼の無学はその多問性の要求に応じて天地の大道を彼に解明する能はず、然るに彼の胸中に純白過敏なる心霊の宿るありて、彼れ一|度《ど》神聖なる人生の貴重なるを認めしや、心を尽し精神を尽し心中の魔力を滅せんとせり、悔改《くいあらため》の涙は流れて止む時なく、免を乞ふの号叫は聞くものをして彼を憫憐せしめたり、仰で天を睹れば太陽はその光線を彼が如き罪人の上に輝すことを惜むが如し、伏て地を臨めば草木は彼に衣食を供することを耻づるが如し、彼は良心を有せざる禽獣の境遇を羨みたり、聴かずや魔軍は彼が永遠の刑罰を受くるを見て暴笑するの声を。
 然るに此重荷を負へる旅行者も基督の十字架の前に於ては知らずして脊上《せきじやう》の荷担の落るを感ぜり、彼後日此経験を記して曰く、
(213)  嗚呼、基督、基督――余の眼中基督を除て他に一物なきに至れり、余は今は基督の血、埋葬、復活等の貴重なる事実を彼是と個々に余の心に留めずして、耶蘇を以て完全充分なる教主として見るに至れり、余の已に受けし恩恵は恰も富貴の人が財布の内に持ちあるく鐚銭小銭の如きものにして彼の金銀宝玉は家に於て革苞の中に沢山貯へあるが如し、嗚呼余の金銀も余の主余の救主なる基督に於て貯へあるなり、主は神の独子と合躰の奥義《おくぎ》に余を導けり、余は彼に連りて余は彼の肉の肉なり、若し彼と余とは一躰なりとならば彼の義、彼の功、彼の勝利皆余のものなり、余は今は同時に天と地とに棲息するものなるを知れり、即ち余は余の基督に於て天に在るものにして余の肉躰を以て地に留まれり、……我等は基督に依て義を完《まつたう》せり、彼に依て死し、彼に依て死より甦り、彼に依て罪と死と悪魔と陰府とに打勝てり、余は叫べり、「主を讃美せよ彼の聖殿に於て神を讃美せよ」と
 是ぞ天路歴程の著者として最も純粋なる英語を世界の文学史上に遺し、スチユアト家末世の時代に当て英国民に単純有力なる福音を与へしジヨン=バンヤンなり。
 われ更に何を言はんや、銃を肩にし、夕陽《せきやう》に向て家に帰る途中、「神は其独子を世に降し賜ふ程世を愛し賜へり」との天声に感殺せられ、銃を地に擲《なげうち》て感謝の涙と共に身を天命に委ねしビーチヤル氏。暴風雨を犯し、クエクル派の礼拝堂《れいはいだう》に臨み、「青年よ自己を見ずして十字架を見よ」と教師にアテコスリ説教をせられて行性品性共に大変動を来せしスポルジヨン氏。多年完全なる道徳を実行して神と人との前に己を義とせんと勉めしも終に能はずして
   Just as I am without one plea,
(214)   But that thy blood was shed for me, ……
   われをばたのまじ 十字架にのぼりし
   耶蘇よびたまへば 我キリストにゆく
の歌を以て始めて歓喜を以て神を讃美せしエリオツト婦人、――嗚呼余は余の筆の鈍きを歎ず。基督の十字架てふ歴史上の大奇跡、其哲理は何であれ、共事実を疑ふものは電光暗夜を輝す時電気の存在を疑て可なり、怒濤船を覆す時颶風は吹かずと信じて可ならむ。
 罪人の長《かしら》なる余も終に此歴史上の大事実を忽がせにする能はざるに至れり、洗礼を受けて後十数年、種々の馬鹿らしき経験と失敗の後、天賦の躰力と脳力とを物にもあらぬものゝ為めに消費せし後、余は余の罪の有の儘にて、父の慈悲のみを頼《たのみ》にて父の家に帰り来り、理屈を述べず義を立てず、唯余の神が余の為めに世の始めより備へにし、神の小羊の贖に らざるを得ざるに至れり。嗚呼神よ余は信ぜざるを得ざれば信ずるなり、耶蘇基督の十字架の為めに余の赦すべからざる罪を赦せよ、余は今爾に捧ぐるに一の善行のあるなし、余は今余を義とする為めに一の善性の誇るべきなし、余の捧物は此疲れ果たる身と精神なり、此砕けたる心なり、
   あゝ神よねがはくはなんぢの仁慈《いつくしみ》によりて我をあはれみ、
   なんぢの憐憫《あはれみ》のおほきによりてわがもろ/\の愆《あやまち》をけしたまへ。
   わが不義をことごとくあらひさり、
   我をわが罪よりきよめたまへ。
   われはわが愆《とが》を知る、
(215)   わが罪は常にわが前にあり。
   我はなんぢにむかひて独なんぢに罪ををかし、
   されば汝ものいふときは義とせられ、
   なんぢ鞫《さば》くときは咎めなしとせられ給ふ。
   視よわれ邪曲《よこしま》のなかにうまれ、
   罪にありてわが母われをはらみたりき。
   なんぢ真実を心の衷にまでのぞみ、
   わが隠れたるところに智慧をしらしめ給はん。
   なんぢヒソプをもて我れをきよめたまへ、
   さらばわれ浄まらん、
   我をあらひ給へ、
   さればわれ雪よりも白からん。
   なんぢわれによろこびと快楽《たのしみ》とをきかせ、
   なんぢ砕きし骨をよろこばせたまへ。
   ねがはくは望顔《みかほ》をわがすべての罪よりそむけ、
   わがすべての不義をけしたまへ。
   あゝ神よわがために清き心をつくり、
   聖前《みまへ》にあしきことを行へり。
(216)   わが衷《うち》になほき霊をあらたにをこしたまへ。
   われを聖前《みまへ》より棄てたまふなかれ、
   汝の清き霊をわれより取りたまふなかれ。
   なんぢの救のよろこびを我にかへし、
   自由の霊をあたへて我をたもちたまへ。
   さればわれ愆ををかせる者になんぢの途ををしへん、
   罪人《つみびと》はなんぢに帰りきたるべし。
   ………………………………………………………………
   なんぢは祭物《そなへもの》をこのみたまはず、
   もし然らずば我これをさゝげん、
   なんぢまた燔祭《はんさい》をも悦びたまはず、
   神のもとめたまふ祭物はくだけたる霊魂《たましひ》なり、
   神よなんぢは砕けたる悔《くい》しこゝろを藐《かろし》めたまふまじ。         (詩篇第五十一篇)
 時に声あり余の全身に染渡りて曰く、汝の捧物は受納せられたり、汝旧衣を脱して我が汝の為めに備へし義の衣を着よと、われ答て曰く、爾の僕此処にあり爾の聖意《みこゝろ》に依りてわれを恵めよと、時に余は徳流の基督より我身(217)に注入するを感ぜり(馬可伝五章三節)、而して歓喜平和感謝の情は交々来て余の心を満たし、余をして席に堪へざらしめたり、余は直に林中里離れたる所に至り、鵯枝に巣を結び、羊鳴遠く聞へて声微かなる処、独り清流の辺に跪き、感謝の祈?を捧げたりき、余の祈?今は一の願事の存するなく、たゞ基督なる言尽されぬ神の賜物に就て神に感謝するのみなりき。
 余の此時の安心は我国維新の際国司諸侯が邦土を天皇陛下に返上せし時の感なりしと考ふるなり、彼に支配すべき領土のあるあれば彼に養ふべきの臣下あり、朝廷に納むべきの貢あり、彼の収入は何十万石の多額なりしと雖も、彼の勢権は彼の国内に普かりしと雖も、彼が己の領土を外敵より保護するの心配、彼の臣下に平和と家禄とを与ふるの責任は、彼をして栄誉と権力との内に憂愁日月を送らしめたり、然るに邦土奉還となりて聖明天子は彼の領地を受納し給ふと同時に之に附着する責任を悉く引受け給ひければ、国司は今は純然たる朝廷の臣下となり、只命を朝廷に待ち、以てその恩《めぐみ》に沐浴するに至れり、而して慈恵に富む我天皇陛下は特別の御思召を以て元高十分の一を彼に賜はり、加ふるに高位勲爵の恩典を以て待遇せらる、邦土奉還は我国正統なる皇室の威権を増し、諸侯を無益の責任と苦労とより脱せしめ、天下一統に帰して庶民太平を謳ふに至らしめたり。
 余も余の身と霊とを神に捧げざりし時は「自身」てふ小天地を支配する一小君主なりき、此小国其丈け五尺に充たざれ共種々の義務と責任との附着するありて能く之を治め能く其本分を尽さんが為めには余は全心全力を尽したり、其隣人に対する外交は実に混雑を極めたるものにして、一を利せんとすれば他を害するあり、諸《すべ》ての人に満足を与んとすれば誰も満足せざるあり、全く消極的の政略を取らんとすれば天道てふ大法令のあるありて余の冷淡と怯弱《きよじやく》とを求むるあり、退て身を隠す能はず、進んで義務を果す能はず、実に此世を憂世とは能くも言ひ(218)しものなりと思へり、而して其対隣策の未だ局を結ばざるに、宇宙の中央権を握る天帝は来て頻りに余より貢を促すあり、命あり日く「我は汝に銀五千を預け置けり、我にその利を払へ」と、而して若し余にして之に応ぜざれば余は無益なる僕として外の幽暗《くらき》に逐やられ其処にて哀哭《かなしみ》切歯《はがみ》せざるべからず(馬太伝二十五章)余は王命に順ふの利と快とを知ると雖も、如何せん国事多端なると王命の厳にして犯すべからざるとより余の貢は年々未納の高を増加し、戦々兢々として薄氷を践《ふむ》の思をなし、此不愉快なる生涯を以て避くべからざる運命と見做し、不快憂鬱の中に貴重なる時間を消費したりき。
 然《され》ども余の全身を神に奉還せよとの命あるや、余は以為らく、余にして今悉く余の持物と身と霊《たましひ》とを神に還さんか、神は余をして乏《ともし》からしむるも知れず、掌《たなごゝろ》にある一羽の雀は枝上にある二羽に勝る、物は可成丈《なるべくたけ》手ばなさぬが宜し、余は余の収入の十分の一を捧ぐべし、余は忠誠を以て神に主として臣事すべし、余は余の行為《ぎやうゐ》に大改革を実行し神の僕たるに耻ざる挙動をなすべし、然れども余の全身を神に上げ渡すに至ては余は容易に肯ずる能はず、而して亦道義学者「新神学者」の輩《はい》も傍より余に賛して曰く「汝憶病者よ、汝は汝の義務を果す能はざるか、神が汝に道徳上の律を与へしは汝が之を実行するの力を有すればなり、西郷隆盛言はずや、聖賢にならんと欲する志想古人の事蹟を見て迚ても及ばぬと云ふ様なる心は戦に臨んで逃ぐるより卑怯と、基督教の贖罪論なるものは人を怠惰|怯弱《きよじやく》ならしむるものにして博学勇敢の士の以て意に介すべきものにあらず、汝基督を模範として学べよ、精神一発何事不成、汝の意志を硬固にし、万障を排除し、完全なる生涯の見本を世に示せよ」と。
 是を思ひ彼を思ひて余は尚ほ数年間神より独立を維持せり、余は尚ほ余の領土を保ち応分の貢を納めて余の君(219)主たるの権力を保存せり、然れども窮迫は終に余をして邦土奉還の策を講ぜざるを得ざるに至らしめたり、余の自負心に逆ひ、道義学者の嘲弄を省みず、余は余一人の決心を以て余の身も霊《れい》も慾も望も愛も意志も悉く神に引渡せり、而して見よ余は始めて富めるものとなれり、生命は得んと欲して失ひ失て而して得らる、余は余を捨て余を得たり、全身奉還の結果は旧禄十分の一の下賜にあらずして神と宇宙と永遠とはその報として余に賜はれたり。
 奉還後の余の生涯は実に愉快安心なるものなり、余の義務は啻に神命を待つにあり、諸《すべ》ての善き物は今は余の労働の報酬として余の受くるものにあらずして、余の信仰に対する神の賞与として余に賜はるものなれば、余は莫大なる請求を神より為し得べく、又神は余の労働に百倍する賜物を余に下し給ふなり、衣食を得るの心配今は全く余の心より絶へたり、「己の子を惜《おしま》ずして我儕|衆《すべて》の為に之を付《わた》せる者は豈かれに併て万物をも我儕に賜はざらん乎」(羅馬書八章三十二節)
  エホバはわが牧者なり、我|乏《とも》しきことあらじ、エホバ我をみどりの野にふさせ、いこひの水浜《みぎは》にともなひたまふ、エホバはわが霊魂《たましひ》をいかし、名《みな》のゆゑを以て我をたゞしき路にみちびき給ふ、たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも禍害《わざはひ》をおそれじ、なんぢ我とともに在《いま》せばなり、なんぢの笞《しもと》なんぢの杖われを慰む、なんぢわが仇のまへに我がために筵《えん》をまうけ、わが首《かうべ》にあぶらをそゝぎたまふ、わが酒杯《さかづき》はあふるゝなり、わが世にあらん限りはかならず恩恵《めぐみ》と憐憫《あはれみ》とわれにそひきたらん、我はとこしへにエホバの宮にすまん。    (詩篇第二十三篇)
 余は今は義務として善を為さゞるに至れり、伝道にまれ慈善にまれ余は余の快楽として是に従事し得るに至れ(220)り、ジヨン=ハワードは監獄改良事業を以て彼の道楽(Hobby)なりと云へり、基督信徒の事業は実に彼等の遊戯なり、リビングストンの紀行を読む者は誰か彼の語調に笑談《せうだん》戯言の多きに驚かざる、将に獅子に囓殺されんとし僅かに彼の従僕の援助に依て救はれし時、彼は笑《わらつ》て独言《どくげん》して曰く、「我等は天職を終るまでは不滅なるが如し」(We seem immortal till our work is done.)千八百七十二年七月十日彼は二年間の探検を終《をはつ》て海浜に達するや、彼の手帳に左の如く記せり、
  特別なる目的なくして祈?断食するは無益に時を消費するなり、之一種の贅沢と見做して可なり、他人に一の利益を与へざればなり、之病中に苦痛の為に叫号《きうがう》するが如きものなり、――実に或人は病める時は絶間なく呻くことを以て楽《たのしみ》となすが如し、――余の考ふるに断食日(Lent)四十日間は毎年《まいねん》亜非利加内地の蛮族を見舞ふ為めに消費するこそ最も利益あることならん、是実に避くべからざる饑渇を感謝しつゝ忍ぶの道なり、達すべき目的の遠大なるを知れば人は砂糖も茶も  伽俳《コーヒ》もなくして忍び得るものなり、余は千八百六十六年九月より六十八年十二月まで是等の食用品何れも味ひし事なかりき。
 是ぞ獅子の哮《ほゆ》るも、大蛇の蟠かまるも、熱病の犯すあるも、土人に攻撃さるゝも、蠅に悩まさるゝも、少しも意に介する事なく、歓喜と讃美とを以て三十年間一日の如く、闇黒大陸を縦横|截断《さいだん》し、終に「噫神よ余は再び余の全身をを悉して爾に捧げまつる、願くは余をして亜非利加大陸なる人類の此|大患《たいくわん》を癒すが為め一人前の職を尽さしめよ」の語を以て赤道直下バングウエロー湖辺に於て永眠の枕に就きし偉人リビングストンなり。
 義務よ、義務よと叫ぶものは能く義務を果す人にあらざるなり、義務の念は荷担となり、心志《しんし》を圧してその活動力を減殺《げんさつ》するものなり、如何に面白き学科も学校の課目となりて強ひらるゝ時はその甘味返て苦味と変ずるが(221)如く如何に高尚なろ事業も義務として之に当る時は乾燥無味の奴隷的事業と変ずるなり、基督信者の大事業家たり得るの大原因は彼は已に事業を遂げしものなればなり、神の前に己を義とし人の前に名誉を博するの必要なければなり、恰も億万の富を有して金銭を得るの必要なきものは常に商業界に於て勝利を得るものなるが如し、名将は已勝《きしよう》の戦《たゝかひ》に非ざれば戦はずとかや、故に彼が戦場に臨むや快活自由、楽戦して敵を追窮す。聞く大石内蔵之助が吉良上野介の邸を襲ふや、彼れ先づ竊に勇士二人を遣し、兼て内応として吉良邸に遣し置し婦人某と計り、上野介が厠に至るの際、彼の白頭を切断したりと、而して目的物已に掌中に入り、積年の憤忿《ふんぷん》已に霽れてより、義士の心中に一の懸念《けんねん》の存するなく、今は死するも何かせん、思は晴れつ身は捨つる、浮世の月にかゝる雲なし、いざ一戦して慰さまん、兼て磨きしこの剣、岩をも透す桑の弓、受けて知れかし、武士の胆、身を惜まぬは君が為め、思ぞ積る白雪を、散すは今朝の峰の春風、嗚呼誰か此|思煩《おもひわづらひ》のなき義士の鋒前《ほこさき》に抗するものあらむや。
 基督曰く「懼るゝ勿れ我すでに世に勝り」と(nenek?ka have conquerd, 已成動詞《きせいどうし》なり)、道義学者並にユニテリヤンは何と云ふとも福音的基督信者の安心勇気の大泉源は実に基督に於ける已成《きせい》の勝利に存するなり、我の為すべき事は基督已に我が為めに為し遂げたり、我の義は基督に於て已に天にあり、我は已に彼れの血を以て買はれたり、我の得べきものは我已に之を得たり、いざ残余の生涯は報恩の戦して楽まんものをと、是実に真正の基督信徒は常に泰然として余裕あるの理由なり、彼が老て益々|壮《さかん》なるの解明なり。無冠王コロムウエルが未だイリーの農夫たりし頃彼の従妹《いとこ》セント=ジヨン夫人に送りし書簡として保存せられたるものゝ中に左の語あり、
  前略…………余の霊《れい》は長者ともの教会にあり、余の身は希望の平安に居る、而して若し此世に於て余の神の為めに働らき又は忍ぶを得、以て彼の栄光を顕すを得ば、余の幸之より大なるはなし、実に神の味方となり(222)て身を捧ぐべき人の中に、この卑しき余の如きものはあらじ、余は已に前以て多分の給料を受けたり、………………………嗚呼神の恵は大なるかな、願ふ余の為めに神を讃美せよ、願ふ余の心の中に善工《よきわざ》を始めし者これをキリストの日に完ふせられんことを余の為めに祈れよ云々、
 カーライル此書簡を評して曰く、
  嗚呼近世の読者よ、此書簡解し難く見ゆるなれども余は汝が其意を解せんがために勉めん事を汝に勧む、万金の価値ある人魂存在の確証其内にあり、………………………是実に英雄の起り得べき時代ならざりしや、実に英雄たるは難からざりしなり
と、英国を改造し欧洲を洗浄せし彼の功績も彼の救主が彼を罪より救はんが為め十字架上に流せし宝血の報恩として見る時は彼に取りては糞土の価値もあらざりしなり、「主よ、仮令余は凄惨卑賤なる罪人なりと雖も恩恵に依て爾と契約の裡にあり」とは彼の最終の祈?なりき、仏のラマーチン英のフレデリツク=ハリソンの輩《はい》がコロムウエルを解し得ざるの理由は単に彼等が無冠王の宗教を解せざるに依るなり。
 基督の救に与かりてより義務を尽すは快楽と変ずると同時に罪を犯すは苦痛と変ずるなり、善を愛し悪を悪むの念は始めて此時に起るなり、即ち善悪に対する余の好憎《すきゝらひ》は転倒せしなり、善を為すは荷担ならず、悪を避くるに労力を要せず、昔時の虐王が自由気儘に自己の意向に従ひて事を為せしが如く、基督の救に預かりしものは己の意の儘に何事をも為し得るなり、善人を縛るの法律あるなし、悪我の忌嫌ふ処となり、善我の恋慕ふ処となりて我は始めて自由の人となるなり、基督の言給ひし「夷理は爾曹に自由を得さすべし」、又「子(神の子)もし爾曹に自由を賜《あたへ》なば爾曹誠に自由を得べし」(約翰伝八章卅二卅六節)との人霊放免の宣告は実に此様を指すなるを(223)知れり。
 我の罪は免されたり、我如何でか隣人の罪を免さゞるを得んや、神我を愛せり、神の愛我が心に溢れて我は我の隣人を愛せざるを得ず、人は神より赦されざる迄は心よりして他を赦さゞるなり、富|足《たつ》て徳足るの理由は蓋し此に存するなるぺし、有限なる人霊が無限の博愛を以て衆に及ぼさんとする事は望むべくして行はるべきことにあらず、我の盃溢れて後我は隣人に我の歓喜の湿気《をんき》を伝へ得るなり、愛の泉源は神なり、我神に接して後、愛我を充たし而后又我より流れ出るなり。
 此主義に反対して常に引用さるゝ語は実に約翰伝十四章の十五節なり、「イエス曰けるは……若し汝曹我を愛するならば我|誡《いましめ》を守れ(命令なり)」と、即ち基督を愛せんと欲するものは先づ彼の誡を守れとなり、誡を守るは先きにして愛するは後なり、是即ち余輩の唱ふる救霊の道と撞着するものなるが如し、勿論聖書はその全躰を貫徹する精神を以て解すべきものなれば仮令二三節句の之に反対の趣意を示すことありとするも余輩の信仰は変ぜざるなり、然れども此節を解するに前後の連結よりすれば基督は完全なる行を以て彼を愛するが為の必要なる条件となしゝにあらざりしは明なり、基督の請求は彼の弟子たるものは感謝の捧物として彼の誡を守るべしとなり、如斯は恩恵を以て救世の基礎とする基督教の教理として最も見易き真理と云はざるを得ず、況んや近世の節句批評学は余輩の援助として来るありて此難句を明瞭に余輩の為に解するあるに於てをや、「守れ」(T?r?sate)は「守るならん」T?r?sete なり、前者は旧来の本文なりしも、後者は最近の批評学者の採用する処にして英文改正翻訳は之に依て旧来の Keep my comnandments をYe Will keep my Commandments と変更せり、即ち全節の意は基督の誡を守るに至るは彼を愛する自然の結果(224)なり、彼を愛すれば必ず彼の律に従ふに至るべしとなり。
第二の難句として余輩の前に常に引証せらるゝものは約翰第一書四章二十節の半節「既に見ところの兄弟を愛せずして未だ見ざる神を何《いか》で愛せん乎」なり、余輩の信仰に反対するものは曰く、是れ実に愛隣を愛神の前に置くものにして神を愛せんとするものは先づ人を愛すべしとの教訓なりと。
  余輩は云ふ、此半節を以て恩恵説(Doctrine of Free Grace)に反対するものは詩篇の「愚《おろか》なるものは心のうちに神なしといへり」の語より「神なし」の片句を取りて聖書は無神論を教ゆるものなりと述べし人と比せざるべからず、読者は只此節の前後両三節を一見すれば使徒約翰の意を最も明白に解するを得べし、「我儕神を愛するは彼先づ我儕を愛するに因る」、「もし我は神を愛すと言て其兄弟を憎む者は是  読者《いつはりびと》なり」何となれば眼に見へざる神を愛するものが眼に見ゆる兄弟を愛せざるの理由なければなり、
 基督信者善行の本源は保羅の言へる「キリストは我儕のなほ罪人なる時われらの為に死たまへり、神は之によりて英愛を彰《あらは》し給ふ」との意に存するなり、余輩はもはや道徳上の義務として悪を避け善を為すにあらずして基督の愛に励(Sunechei Constraineth「強ひられて」)されてなすなり、即ち我が心足りて余裕あれば我は世に与へざるを得ざるに至ればなり、「我福音を宣伝へずば実に禍なり」我善事業に従事せざれば実に禍なり、我の心中に存する此溢るゝばかりの恩恵、我若し是を他に漏すにあらざれば、我は歓喜を以て破裂せんとす、我は実に「愛によりて疾わづらふ」(雅歌五章八節)ものなり
 われ神と和合してより我に平和を与へ得ざりし学問も今は再び無限の快楽と慰藉《いせき》とを我に給するに至れり、宇宙は真に壮厳《そうげん》なる大美術となりたり、
(225)   l fear mo more.The clouded face
    Of Nature smiles;through all her things
   Of time and space and sense I trace
    The moving of the Spirit's wings,
    And hear the song of hope he sings.――Whittier
   我もはや懼れず、
   曇りし自然の面かげも
   今は笑《わらひ》を含みけり、
   限りあるもの、朽ちるもの、
   感じ得るものすべて皆、
   触《ふる》る聖霊《みたま》の羽音して
   希望の讃美唱へける。
 歴史は大戯曲として味《あぢは》ふべく、地球は大花園《だいくわゑん》として眺むべし、憂鬱の中に沈澱せし余の生涯、今は春蕾と共に動き、蟄虫と共に萌蘇《はうそ》し、生命は重荷にあらずして快の快たるものとなれり、今は見るもの聞くもの一として余の注意を惹かざるはなし、
   Christianus sum;nihil in rerum natura a me alienum puto.
   我は基督信徒なり、人と自然に関する事にして我が心実《しんじつ》なる攻究を要せざるものなし、
(226)  何となれば是みな我儕の属《もの》にして、我儕はキリストの属、キリストは神の属なればなり(哥林多前書三章二十一、二十二節)
  義務其苦味を失ひてより仕事は苦痛ならざるに至る、額に汗して食を求めざるべからざる罪人も今は安心喜楽の中に神の賜物を受くるに至る、経済学者の称する「労働は荷担なり」(Labor is onerous)との言は変じて 「労働は快楽なり」と云ふに至る、此十九世の繁忙社会に於て誰か永久の休息を永久の労働の中に欲せざるものあらんや、今の人は休息、休息と絶叫するものなり、過労は彼等の最も懼るゝものなり、職工は労働時間を一日八時悶に縮めんが為めに同盟罷工をなしつゝあり、学者は疲労を怖れて鴻雁《かりがね》の春秋と共に南北に移転するが如く寒熱に追はれながら年中逃廻りつゝあり、而して労働の主なる其督の僕にして然も牧者の任を辱ふするものも疲労てふ悪魔に強迫せられて、悪疫、羊を犯すにも拘らず、神の聖殿は寂寞として人なきに至るに関せず、疲労せりとの一言は九鼎の重きを有する理由となり、世の怠惰|憶病者《おくびやうしや》の真似を為して山に走り込む海浜に惰眠を貪るに至りしは十九世末期の現象なり、今世の人は労働の為めに疲労しつゝあるのみならず亦た疲労せんとの心配より疲労しつゝあるなり。
  疲労は筋肉及び神経の過度使用より来るは少くして精神の過労より来るは多し、筋肉も神経も使用せざれば共に衰弱するものなり、「銹るよりは磨消せよ」(Better to wear out than to rust out)使用せざる躰力は銹朽《さびくつ》るなり、労働するに勝る摂生法《せつせいほふ》のあるなし、心配は毒物の長にして疲労は病の大源因なり、ソロモン王曰く
   心のたのしみは良薬なり
   霊魂のうれひは骨を枯す           (箴言十七章廿一節)
(227)  而して心配の原因は充たざる責任の念なり、若し借財は人物伸長の最大妨害なりとならば、罪の念(即ち神に対する借財)は無限の生を有する人霊の活動に及ぼす最大障礙たるや明かなり。
  罪より赦されて我等は労働するも疲労せざるに至る、ヘルキユレスの如き活動力は我等が主耶蘇基督を信じてより来る、
   疲れたるものには力をあたへ、勢力《ちから》なきものには強きをまし加へたまふ、年少きものもつかれてうみ、壮《さかん》なるものも衰へおとろふ、然はあれどエホバを俟望むものは新なる力をえん、また鷲のごとく翼をはりてのぼらん、走れどもつかれず歩めども倦ざるべし、  (以賽亜四十章廿九、、三章、卅一節)
 両肺|朽去《くちさつ》て尚ほ意気自若として救世に従事せし故沢山保羅、過敏神経を印度の熱風に暴《さら》しながらペルシヤ語に聖書を翻訳せしヘンリー=マーチン、英国の汚穢《けがれ》を排除せんが為に山の如くなる外患内寇に打勝ちつゝ猶ほ八旬の健康を維持せしジヨン=ウエスレー、――然り、詩人ゲーテの所謂「休むな急ぐな」の生涯は基督の救に与かりて后始めて達し得べきなり。
 然り天道は非ならざるなり、我に死の懼怖《おそれ》あり、而して世に此懼怖を取去るの道あり、我に神と共ならんとするの希望あり、而して我の神に至る道のあるあり、世に不満と不幸とあり、而して之に勝るの歓喜と満足とあるあり、世に苦痛あり、而して之を医するに足るの力あり、我は歓楽を以て此地球に棲息し得るなり、我は静粛安然に天与の智能を磨き得るなり、我は偽善|褻?《せつどく》の危険なくして慈善伝道に従事し得るなり、教導補育せんとする我の妻は快楽なる「ホーム」を我に供するあり、基督の愛神主義は利他利己両主義の上に超越して最も多く他を利して最も多く己を利するの道を我に教へり、我は罪を自覚して之を避くるを得べし、我は我に附与されし赦免(228)は神の公義に戻らざるものなるを知るが故に我が全性の応諾を以て之に与かるを得べし、我の求めんと欲する処のものにして天の我に附与せられざるはなし、造化は実に失敗ならざりしなり、エムマヌエル、神我等と共に在り、人世は一度通過するの価値あり。
 
     贖罪の哲理
 
 宗教は事実なり経験なり、我儕は聞また見、懇切《ねんごろ》に観、わが手|捫《さわ》りし所のものを曰ひ、且つ信ずるなれば、其哲理の如何は我儕の信仰を動かすべきにあらず、幾尼涅の作用に関する病理学上の学説如何は其下熱剤たるの効用を少しも減少せざるが如く、救罪力として福音の効果は哲学上の解析如何に拠らざるなり、我儕の信仰は背理的たるべからず、然れども神は直感を以て感じ得べきものにして推理的思考の結果として得らるべきものにあらず、一見百聞に若かず、宗教を了得するには「第六感」の作用と発達とを要す。
 故に余は茲に贖罪の哲理を攻究するに当て先づ読者の注意を乞はんと欲する事は余の解析如何に依て事実其物を判断せられざらん事是なり、事実は事実にして解釈は解釈なり、事実は自然にして神のものなり、解釈は余の解釈にして人のものなり、前者は万世に渉る万人の実験に依て証すべく、後者は時と思考者の脳形とに依て変ずべし、さればにや贖罪の哲理(Rationale)に就ては古来より今日に至るまで幾多の仮定説(教理と称せらる)が提出せられたり、或は曰く人類は悪魔の擒となりたれば神は其子を贖代として悪魔の手に渡し、人類を己が手に取戻せりと、曰く神と人との間に調和を失ひたれば、神人両性を備へたる基督は両間の中保人《ちうほにん》となりて平和を回復せしなりと。曰く神の公義は罪人が罰せられずして赦さるゝことを許さず、故に神は自ら人類の罪を負ふて彼を(229)信ずるものゝ罪を赦すの途を開けりと、曰く人類は神の愛と慈悲とを忘れ、自ら悔改《くいあらため》の途を塞ぎたれば神は基督に於て顕れ給ひて吾人の信仰を助け、神に帰るの途を開けりと、実に基督贖罪論は三位一躰論と共に神学上議論の焼点にして今日に至るも未だ何人をも満足し得る定説あるを開かず。然れどもその背理ならざるの証はその是を何れの方面より攻究するも之を合理的に考究し得るにあり、而して今日迄提出せられし贖罪の解析にして一も満足なるものなしとするも、亦幾分の真理を含有せざるものは稀なり、贖罪若し神愛の絶頂なりとせば能く之を了会し得るものは宇宙の広きが如き博き智と、神愛の深きが如き深き愛とを有するものならざるべからず、我等の智識は全からず、余は救罪の奥義《おくぎ》は何処に存するやを知らずと雖、若し余にして此奥義を窺ひ知り得るに至らば、これ使徒保羅が彼の奇跡的の智能を以て羅馬人に書き送りし書簡の中に彼の註解を試みし以来、基督教二千年問の史上に於て幾多の聖者の脳漿に上りし解析を総合(Sum total)せしものならむと信ず。
 余が十字架上の耶蘇を見し時始めて罪の荷担を脱するを得しは抑々何の理由に依るや、余は茲に簡短明瞭にして救霊の奥義を一括する哲理を述ぶること能はずと雖も、余は余の大傷《たいしやう》の癒されし理由を考へ見んと欲す。然れども読者よ、同一の薬品が異種の病に適することあるもその作用に至りては病に依て異るが如く、我の病を有せざる人が我が如く感ぜざるは理の最も見易きものなり、我の理由必しも汝の理由ならざるべし、余は前以て斯く述べ置くなり。
 此問題を攻究するに当て先づ余輩の注意すべきは真理探究の途として信仰なる能性の欠くべからざる事是なり、聖アウガスチン曰く「信仰とは吾人の未だ見る能はざることを信ずるにあり、而して此信仰の果報たる吾人の信ぜしことを見るにあり」と、余は見ずして信じたれども信じてより見るを得るに至れり、余の十字架を信じ能は(230)ざりしは其理由を解せざりしに依れり、余は思へり若し十字架の代贖《だいしよく》にして充分に理解し能はざるものならば余は如何にして之を神経病的の「リバイバル」より区別し得るや、余は合理的の宗教を求むるものなれば理を解せざる事実を信ずる能はず、余は寧ろ真理を信じて困しむも迷信を信じて安逸を求めざるべし、Better one year of Europe than a cycle of Cathay,(欧洲動揺の一年はカセイ千年の無事に勝る)、余は真理を犠牲に供して平安を求めざるべし」と。
 然り然れども余は此宇宙間には信仰を以てのみ知り得る真理の存在する事を忘れたり、而して諸《すべ》ての智識の土台なる物の自然(the nature of things)は信仰に依てのみ知り得るなり。何故に薔薇《ばら》は香ばしきや、其|花蕊《はなびら》に香油《かうゆう》の存すればなり、何故に香油は香ばしきや、是推理の終局なり。蘂緑《クロヽフヰル》の青きは其成分を知ればとて解し得べきにあらず、葉緑は青ければ青しと言《いつ》て止まるのみ、然《しかれ》ども一度葉緑の青きを知てより植物界の現像《げんざう》を思ひ見れば、松の鬱蒼たるも解し得べし、楓《もみぢ》の血紅《けつこう》たるも解し得べし、アルプスの深緑《しんりよく》、アンデスの薄藍《はくらん」》、皆な単純なる葉緑粒の変幻なるを知るに至る。
 造化を見《みる》も又如斯、神を神と信じてのみ宇宙は一中心の周囲に回転する一大機関たるを知るを得るなり、真理は真理其物の証《しよう》なり、神の神たるを証するものは神を除て他に存するなし、神に向て汝の存在の証を与よと言へば我は我なり(I ama that I am)と答へ賜ふより外なし、物の自然を信じて素《はじ》めて其物に関する智識あり、宇宙存在の始大原因なる神を信ぜずして宇宙を解し得るの理あらんや。哲学者ライプニッツ曰く
  心霊以外のものにして直接に知認し得るものは神のみ、感触を以て探るべき外物は皆悉く間接にのみ知り得べし、
(231) 然らば迷信(Superstition)と信仰(Faith)との別何処に存するや、理を究めずして信ずればこそ鰮の頭を崇めらるゝにあらずや、神てふ感念は迷信家の熱頭中に描かれたる妄想ならざるの証は何処にあるや。
信じて而して真理益々明瞭なるを得る之を信仰と云ひ、益々闇黒を加ふるに至る之を迷信と云ふ、真理は我の自然性と調和するものなるを以て之を信ずれば我が全性の歓喜と賛成あり、誤認は我自身の和合を破るものなれば我が善性の全部或は幾分かを圧せざるべからず、充分なる満足は真理を了得せし時の徴候なり、われ真理を会得する時、我の理性も情性心もアーメンと応へ、山と岡とは声を放て前に歌ひ、野にある樹はみな手をうたん(以賽亜五十五章十二節)アルキメデス比重量の標準を求め得て裸躰躍り出て衆に告げ、シヤムポリオン仮説を設けて「ロゼツタ」石を訳解せしよりパロの木乃伊再び物を語る、我の真理に達せんとする時。我の心に存する真理は叫て言ふ「彼女は我の姉妹なり」と、霊、霊に応じ、真理、真理と婚す、天の許せし夫妻は人の以て離別し得べきにあらず、真理、真理を恋《した》ひし後は合せざれば止まず。
 for deep love unsatisfied is the hell of noble hearts and a portion for the accursed「, but love that is mirrored back more perfect from the soul of our desired doth fashion wings to lift us above ourselves and make us what we ought be. ―― Rider Hagard.
〔sic〕
 迷信信仰の別此の如し、然り我は我が牧者の声を知るなり。
 福音書の記載する基督の言行録《げんかうろく》が特種の引力を以て罪に困しむ人霊を彼に引き附《つけ》る所以は全く此に存すること
と信ずるなり、基督は心霊の新郎《はなむこ》にして新婦の「インスチンクト」は直《たゞち》に問はずして彼の真夫たるを知る、真理を探るに至つて此種の能性は決して軽ず可らざるなり。
(232)   “Whose(man`s)halting Wisdom after knows,
  What her(woman`s)diviner virtue fore discerns.”
われ我が罪を悔ゆると雖も我を赦すの神なかりせば如何せん、放蕩子悔いて家に帰るとも彼を見て憫《あはれ》み趨《はし》り往き其頸を抱《いだき》て接吻する父のなかりせば彼は何の面目《めんもく》と勇気ありて父の許に来らんや、我は我の罪に耻て神に帰る能はず、我の心に存する罪は我を遮て我の神に帰するを許さず、人類は已に神の面前より逐はれしものにして旋転《まわ》る?の剣《つるぎ》は生命の樹《き》の途を守れり(創世記四十三章廿四節)、神若し我を救はんと欲せば彼より我に来らざるべからず、われ罪を犯さゞりし前は正義の神は我の友にして我は直に彼と交はるを得たり、然れども已に罪もて汚《けが》されし我は今は正義の神の光輝《かゞやき》に堪へざるなり。純白の衣裳を着けたるものゝみ神の国に入るを得るなり、泥だらけなる我、傷だらけなる我、如何で彼の前に立つを得むや。
 此に至て我は贖罪の必要を感ずるなり、即ち我|罪人《つみびと》が神に達し得るの途を欲するなり、罪人なる我が神と平和《やはらぎ》を結ばん為には神は正義の神としてのみ我に現はれずして、慈悲の神、救の神として現はれざるべからず、彼の子供なる人類は自ら好んで罪悪の奴隷となりたれば、彼の愛をして此迷へる子供に普及せんが為めには、神は救主として自顕《じげん》せざるべからず。
 基督が非常の引力を以て人を彼に引寄するは全く彼が此人性の大慾望を充たせばなり。
 彼の道徳の完全なりしは勿論彼が尊崇《そんそう》せらるゝ一大理由なるに相違なし、神の独子なりとしては彼を嘲りしストラウスすら彼の行性を評して曰く「ソクラトスは人の如く死せり、基督は神の如く死せり」と 詩人ゲーテの(233)如く基督教を論ずるや常に皮想の見を以てし、惟美術的にのみ人世を解せし人すら基督の品性に就てはかく表白せり、
  理性の発育は如何程進歩するとも、学術の研究は如何程?奥を極むるとも、人智の開発は其極に達するとも、福音書中に輝く基督教の高尚なる道徳が超越さるゝことは決してあるべからざるなり、
 基督の神性と奇跡とを批難する人も彼の高潔無垢の品性に就いて狂信家にあらざるよりは之を否むものあるを聞かず、宜《むべ》なるかなユニテリヤン教徒の如く基督が教主《きうしゆ》たるの理由は単に彼の完全無欠の品性にありと信ずるものありとは。
 高潔なる品性が救罪上の力を有する事は論を俟ずして明かなり、英雄に一種の電気力あり、われ彼に近けば彼の英気我に感染す、倫理学を講ずるにあらずして活ける倫理に接する時は真理の清流我に注入するを覚ゆ、ソクラトス最後の状を読む毎に釘もて机に打付けられし如く沈思黙考石像の如く静粛なりしベーコンあり、護良親王吉野籠城の記事を誦読して常に土気を鼓舞せし藤田東湖あり、万巻の書を以て教訓し能はざる粗暴男子も一度「ラグビー」校のアーノルド氏に接すれば終生離るべからざる温雅の風を受くるあり、君子は実に活仏にして歴史は活ける哲学なり。
 品性の摸範として基督は最も完全なるものなり、人若し絶間なく基督の品性を見詰め彼に模《なら》はんと欲せば終に彼の完全なるが如く完全なるを得べしとは或種の宗教家が熱く唱ふる処なり、(ヘンリー=ドラモンド氏演説集中The Changed Life の編を読め)、基督の如くならんと欲すとの慾念こそ基督信徒の最大目的なり、而して基督を思ひ基督を学び以て益々基督に似るに至る事は疑ふべからざる事実なり。
(234) 然れども余に基督の如くなり能はざる大原因のあるあり、即ち余には罪てふものゝ存するありて如何なる感化力も之を消滅し能はざるあり、余にして先づ罪より免からるゝにあらざれば余は基督の如く思ひ且つ行ふ事能はざるなり、基督の心を以て余の心となさんと欲せば先づ余の心に一大変化(性質上の)を来たさゞるべからず、基督の贖罪なくして人は基督の如くなり得べしと謂ふは石鹸と磨擦の作用に依て黒人も白皙人種となり得べしと謂ふが如し。
 基督救世の業《げふ》は二様なりし、一は人類に完全なる生涯を教へんが為なり、二は人類の罪を彼の身に負て之を消滅せんが為なり、前者は救世の最終目的にして、後者は前者に導くの必要手段なり、(彼得前書二章十二節)、完全なる人を作らんと欲せば先づ人を不完全ならしむる罪を除かざるべからず、何となれば人その罪より脱せざれば罪を犯さゞるに至らざればなり。
 然れば何故に基督の死と苦痛とは彼を信ずるものゝ罪を滅するや、世に称する贖罪なるものゝ哲理は何処に存するや、人は他人の苦痛に依て自己の犯せし罪より免かるゝを得るや。
 此問題を攻考せんとするに当て余輩は先づ諸ての善人は贖罪的の性を有するものなることを認めざるべからず、人類は聯帯責任を以て共に繋がるゝものなり、一人の罪は人類挙て之を感じ、一国の失政は万国の損害となる、我の兄弟が罪を犯して我は責任なしと謂ふを得ず、我が同胞若し損害を他国民に加ふれば国民は挙て其|責《せめ》に当らざるべからず、罪なきものが罪あるものゝ罪を負ふにあらざれば其罪は消滅せざるべしとは天下普通の道理なり、米人利慾の奴隷となり、人倫の大綱を破り、売奴の制を実行せしや、義人ジヨン=ブラウンはハリス渡口《とこう》の絞罪台に於て罪祭の捧物《さゝげもの》として供へられたり、つゞひて五十万の生霊は硝煙鼓譟の中に贖罪の血を注ぎ、而して二千(235)万の聖民の祈?と克己勉励との結果として漸く千戈を収るに至りしや、震怒の神は最終の罪の値として国父アブラハム=リンコルンの生血を要め玉へり、然るに内乱の余弊は未だ是等義人の流血を以て洗浄する能はず、南北未だ怨恨の念を絶たず、兄弟墻に相鬩《さうげい》する時剛直の愛国者ジエームス=ビー=ガーフヒールドが正義の犠牲と成りて狂人の毒手に斃《たふ》るゝや、国民始めて同胞相争の非を悟り、半百年問の紛争は全く跡を絶つに至り、公平なる共和政治はアレガニー山脈の全長に添て洽く、ミシシピの清流は安らかに海に入るに至れり。
 オレンジ公ウヰルヘルムの宝血は実に和蘭共和国を狂王フヰリップ第二世の手より救ひしものにして和蘭国三百年の隆盛は実に彼の殉死の功《いさをし》の然らしむる処と謂はざるを得ず。是を小にしては一家に放蕩子《はうたうむすこ》あらんか、父は彼が為めに憂愁|腸《はらわた》を断ち、弟と妹とは漸恨寝食を忘れ、而して母は煩悶遣る方なく、心痛いや増して病を醸《かも》し、苦慮の極終に愛児の名を唇にして命を終るや、岩石の如き愚子の心も始めて解け、闊然として悔悟し、天父の免《ゆるし》を乞ふに至る。
 無限の慈悲なる神が何故に人の血を人より要め給ふかは深遠なる秘密として存すべけれども、人を人と聯結し、人類を以て推察的の組織躰となさんが為めには此聯帯責任こそ人類の最大必要なる事は日を見るよりも明かなり、若しユニテリヤン教の唱ふる如く人はおの/\其荷を負ふべきものにして他人が彼の罪を負ふべきの理《り》なしとの教義にして真理ならしめば何故に無辜の黒奴は熱情なるガリソンの辛労を要せしや、何故に可憐の瘋癲病者はドロテヤ=デイックス(共にユニテリヤン教信者)の天使様なる推察と勤勉とを要せしや、然り我は他人の罪を負ふべくして、他人は我の労を任《にな》ひくれるなり(加拉太書第六章二節)、我は之に依て我は我一人の我にあらずして我身に人類全躰の責任を負ふことを知る、我は我が隣人の受くべき笞を我が身に受け、隣人の痛《いたみ》を減じ得るを以て(236)我は人たるの無上の栄光を有するなり。
 人類社会は実に義士仁人の功徳に依て成立するものなるが如し、義人の適宜なる比例は社会の存在に必要なるが如し、邦家の滅亡は策士の欠乏より来らずして正義者の数足らざるより来るなり、神アブラハムに告て曰く「我若しソドムに於て邑《まち》の中に五十人の義者を看ば英人々のために其処を尽く恕さん」と、古昔《むかし》より今日に至るまで徳盛に正義行はるゝ邦国にして敗亡に帰せしものあるは余輩の未だ曾て聞かざる処なり。
 生命《いのち》の父なる神は人類の全滅に至るを好み給はざるを以て絶へず高潔の人を世に降し其腐朽を癒し其不浄を排ひ給へり、人類社会の生存は実に絶間なき精気の注入を要す、義人アベルが兄カインの毒手に斃れてより以来社会の腐蝕は啻に義人の宝血を以てのみ止められたり、而して神が人類全躰の大傷を癒し、地球と之に棲息する人とをして全能の意志に定め置き給ひし幸運の位置にまで引上げんと期し給ふや、神自ら肉躰を取て此濁世に降り、無窮の徳源を此所に開き給ひしとの音は、愛なる神の存在と、人と神との関係とを了知する者に取ては決して信じ難き音にはあらざるなり、曾て希臘の古哲が彼の時代の腐敗を看て「天の神自ら来て世を救ふにあらざれば此世は決して救はれざるなり」と歎ぜし言は人性自然の発言と云はざるを得ず、世を救はんが為には神の降世《かうせい》を要せずして義人英雄の輩出にて足るべしと信ずる人は国賊猖獗を極め、天兵《てんへい》威を振はざるに際し、猶も天子の御親征を不必要なりと云ふものなり、奸佞の国土に幡るあり、聖天子の民を愛するあり、御親征は民の渇望する処にして亦聖意の存する処なり、節刀錦旗已に賊胆を寒からしめたり、竜躰親しく陣に臨み給ふ、寇敵の鏖滅日を待たずして期すべし。
  神昔は多の区別《わかち》をなし多の方をもて預言者により列祖《せんぞたち》に告給ひしが、この末日には其子に託《より》て我儕に告た(237)まへり、神は彼を立て万物の嗣《よつぎ》とし且つかれを以て諸《もろ/\》の世界を造りたり、彼は神の栄《さかえ》の光輝《かゞやき》その質の真像《かた》にて己が権能《ちから》の言をもて万物を扶持《たもち》われらの罪の浄《きよめ》をなして上天《たかきところ》に在す威光の右に坐しぬ、彼が受し名の天の使者《つかひたち》の名よりも愈《まさ》れる如く彼等よりは愈れり、   (希伯来書一章一−四節)
 無限の仁愛世に臨めり、其徳流流れて永遠に至り、此世が化して天国となるの基は神の子耶蘇基督の降世に依て開かれたり。
 人の贖罪力の多寡厚薄は彼の品性の高卑と並に彼の身に引受くる苦痛の厳寛とに正比例なり、罪人若しその犯せし罪の罰として適当なる刑に行はるれば彼の苦痛は一の贖罪的の功を有せず、何人も彼の所刑に依て積極的の利益を得ることなし、然れども爰に竊盗罪を犯せしものありて裁判官の不正よりしてか或は弁護人の不親切よりして強盗罪の罰を受けしとせんか、彼の所刑は衆人の憐む処となり、その影響は終に判官或は弁護人の身に及び、彼等をして不正不実を後悔せしめ、後来を慎み再び前轍を踏まざらしむ、此に於てか不当の所刑は他の罪人を不当の刑罰より救ひたり。
 今例を変じて全く無罪のものが強盗罪の刑に処せられしとせん、彼が裁判人と社会一般に及ぼす感化力は前例の比にあらず、而して一歩を進めて此刑罰に処せられしものは罪なき人なりしのみならず義人なりとせんか、彼の贖罪力は彼の善行の著しかりしと彼の受けし刑の重かりし比例に増加するものなり、無辜の賤民誅戮せられて小吏掠奪を止め、義農宗五郎磔せられて佐倉の郷民虐政を免かる、会藩の帰順は三老の切腹を要し、維新事業の実成は甲束参議の血を以て封せらる、ラチマー(Hugh Latimer)焼殺せられて残忍なるマリヤの勢力頓に衰へ、ハムプデン戦場に斃れてスチユアート家の衰運已に定まれり、義人の死に勝る勢力の世に存するなし、死せる孔(238)明生ける仲達を走らす、万軍の以て斃す能はざる虐王奸臣も義人の死に依て斃れざるはなし、罪は苦痛を以てのみ消滅し得べし、血を流すこと有ざれば赦さるゝ事なし。(希伯来書九章二十二節)
 或人曰はむ「神は無限の愛なり、神我儕の罪を赦さむとならば贖罪の途を経ざればとて彼の特権を以て我儕を赦し得るなり、我儕父母たるものは其子が罪を悔い来て免を乞ふ時直に其咎を赦すにあらずや、況んや神に於てをや、贖罪の事たる亜細亜的専政君主が其下民を罰せんとするに当て或る嬖臣の仲裁と哀訴とに依て其罪を赦すに類する処置にして神に関する最も野蛮的の思想と謂はざるを得ず、単純高尚なる神の思想は贖罪の迷愚を棄却せざるべからず」と。
 実に然るか、我儕父母たるものは実に理由なくして我儕の子供の咎を赦すか、勿論未だ左右《さいう》を弁へざるものゝ罪は未だ罪と称すべきものにあらず、然れども已に罪の罪たるを知る子にして罪を犯す時は適当なる理由なくして彼の罪は赦すべからざるなり、而して厳父は決して然かせざるなり、是父たるものゝ威厳を存するが為に必要なるのみならず、亦子たるものゝ意志の自由を重ずればなり、理由なくして其子の罪を赦す父は其子を愛せざる父なり、彼若し父たるの特権を以て子を赦せば其結果は一家の不取締となり、其子の公義心を鈍《にぶ》からしむ、真正の愛は慈悲と正義との結合なり、吾人法律的の感念が基督の十字架の死を以て人類の罪を赦さんが為に神の公義を満足せしものと見做すに至りし事は決して理由なきにあらざるなり。
 贖罪の通例として常に挙げらるゝ事実は羅馬の歴史家バレリウス=マキシムス(Valelius Maximus)の記事に係る希臘王ザリユーカス(Zaleucus)の事跡にして天道|溯《さく》原著者の筆に成るものは左の如し、
  昔希臘王有2新例1作姦者無v論2貴賤1必刺2其双目1成v瞽以為v罰不v料定v例後皇子偶犯2淫行1、王聞v之不(239)v勝2憂慮1、若不2按v例加1v罰既恐d民有2※[目+匿]v親廃v法之論1而民心u不v服、若按v例加v罰、則已盲2其目1、不v能v臨2理天下1而社稷無v主、事在2両難1、不v得v已以2己之一目1、易2其子之一目1、上以循v例、下以全v情、夫皇子不v得2苟免2於刑1、王猶為v之共受2痛楚1、既仁義之両全、民自感2其徳1、而服2其教1、
 人類的を以て誇称する近来の或神学者は此種の実例を以て已に時世後れのものとなし、法律的の贖罪論は背理逆説として受けざるに至れり、余輩は茲に古説の弁護を試むるの余白を有せずと雖も、一事読者の注意を乞ふべきあり、即ち所謂人類的思想の進歩は延て法律的思想の緩慢を生じ、愛と慈悲とを混同し、愛をして愛たらしめざるに至りしこと是なり、悪を憫むと称して悪を憎まず、苦痛を見るに堪へざる肉慾的の感情に支配せられて正義を実行することに躊躇するは此十九世紀文明の婦女的の弱点たるは識者の已に識認する処なり、一世紀以前に於ける貴族の猟場内《りやうじやうない》に於て兎一疋を殺すものは死刑に処せられし不情不義に反して今は公然たる詐欺も白昼の盗賊も証拠不充分の一言の下に無瑕の人と成るを得るに至れり、是を今世人の法律的感念の痴鈍と謂はずして何ぞや。
 真正なる悔改《くわいかい》は厳格なる法律の下にのみ起り得るなり、罪の罰より免かれんとするは真正の悔改にあらず、法律的の償贖《しやうしよく》を示さるゝにあらざれば赦免の宣告に接するとも之を信ぜざりしルーテル、バンヤン輩の直実なることは放緩と寛容とを混同する軟神学者の推量し能はざる処なるべし、是ヘンリー=マーチンの称する「寛大なるべけれども基督教的ならざる精神」(Liberal but not Christian spirit)にして神愛の深さと広さとを了知するものと謂ふべからず。
 「罪の赦」とは赦すものと赦さるゝものとの相互の働作より来るものなり、赦さるゝものは只に後悔の感念を(240)以てすべきのみならず悔改《くいあらため》に符《かな》ふ果《み》(馬太伝三章八節)を以てせざるべからず、而して赦す者も亦只に心に赦すのみならず放赦の実(贖罪)を以てせざるべからず、悔改の実と放赦の実と両ながら挙て素めて罪は赦さるゝなり、神は悔改の果を結ばざる罪は赦し給はざるが如く、我等も放赦の証明なき赦免は信じて受くる能はず、之我等の信仰の足らざるに依て然るにあらずして我等に存する天与の理性が請求する処なり、新約聖書が重きを神の契約に置くも此に存するなり。
 而して基督の生涯並に十字架上の死は神が人類の罪を赦し玉ふの証明なり、即ち基督の贖罪とは神に於ける罪の赦の実なり。
 夫れ贖罪の原理たるや自然界普通の理なり、礦物界に於ては之を動力の平均(Equilibration of Forces)と云ひ、生物界に於ては治癒の作為となりて顕はれ、心霊界に於ては贖罪となるなり、空気中に気圧の稀薄を生ずる所あれば四面の空気は平衡を得むが為に此所に向て進入し、気圧全く平均を得て気躰の流動素めて止む、即ち厚濃なる部分は稀薄なる部分の為めに空気の幾分を供したり。
 樹木其一枝を失へば全木之が為めに苦しみ、各枝各葉《かくしかくよう》其養汁の幾分を放捨し、損所を癒さむことを勉む、而して自覚の性を有する心霊界に於ては援助推察は道徳的義務として存す、故に我等の中に一人の苦痛を感ずるものあれば社会全躰は彼と共に苦しみ、我等の快楽の幾分を殺《そい》で被難者を救はざるべからず、社界一局部の損害は全部之を負担せざるべからず、健康部の犠牲に依てのみ疾病部を治療し得るなり、人類は肉躰を以て物質界と聯続すると雖も霊魂を以て心霊界の一部分を形造るものなり、神と天使《てんのつかひ》と人類とは霊界組織の機関(Members of spiritual kingdom)なり、故に人類の堕落と罪悪とは神と天使とに影響せざるを得ず、人類は救はざるべからず、(241)而して之を救ふものは絶対無限の霊なる神自ら人の為めに苦まざるべからず。
  まことに彼はわれらの病患《なやみ》をおひ、我儕のかなしみを担へり。 我若し腕に大傷《たいしやう》を負へば我の心臓と胃と肺とは異常の働作をなして之を癒すが如く、地球表面億万の人霊が死せんとするに当ては霊なる神は異常の働作を以て罪を贖はざるべからず、是奇跡なるが如くして自然なり、異例なるが如くして普通なり。驚くべくして当然なり。
 勿論基督の肉躰上の苦痛は彼の心霊上の苦痛を表せしのみ、赦罪の恩恵は彼の神経的の疼痛によりて来るにあらずして心霊的の憂愁によりて来るなり、カルバリー山にあらずしてゲスセマネ園こそ人類の罪の贖はれし所なり、基督に棘《いばら》の冕《かんむり》を被《かむ》らしめしものは我の罪なり、彼に苦き盃を飲まさしめしものは我の罪なり、彼を十字架に釘《くぎう》たせしものは我の罪なり、天主教徒が常に十字架形を身に纏ひて基督を思ひ、誠実なる新教徒某が常に十字架上の耶蘇の像を机上に置き「汝の罪が基督に此苦痛を与へたり」と独語して己の罪を責めたりとは迷信邪説として悉く排すべからざるなり。
 汝尚ほ余に問て曰はんか「何故に神は自ら苦しまざれば人を救ふこと能はざるか」と、余は汝に問はん何故にハワードは彼の英国の居寓に安居して欧洲の監獄を改良し能はざりしか、何故にリビングトンは彼の故国に於て黒人の為めに熱心なる祈?を捧ぐるのみにて亜非利加を救ひ得ざりしか、罪を贖はずして罪を救はんとするものは貧者に食と衣とを与へずして汝安然なれと云ふものなり(雅各書二章十五、十六節)、行なき信仰は死せる信仰なるが如く贖はざる罪の赦は虚言なり、基督の十字架は神愛の実証なり。
 基督の死に依て神は身を神に托する(Be-lieve,leave)即ち信ずるものを赦すを得るに至れり、神は赦し度きも(242)のを赦し得《う》るに至れり、(神は何事をも為し得べしと雖も正義に合はざる事は為し能はず)、故に基督は人の為めにのみ生命《いのち》を捨てずして神の為めにも死し給ひしなり、基督は血の流るゝ手をひろげて人類に悔改《くいあらため》を勧め給ふと同時に、神をして人類の悔改を納めて彼等を赦すの途を開きたり、基督の十字架は実に恩恵の新泉源を開きたり、神は基督に依て尚一層の神愛を自現し給へり、基督曰く
  我もし地より挙《あげら》れなば万民を引て我に就《きたら》せん若(我)ゆかずば訓慰師《なぐさむるもの》なんぢらに来らじ
と、人類が神に来らんとするも神が彼に来るものを受納んとするも、先づ神の子は十字架の死を受けざるべからず、之れ聖経《せいけい》の明白なる教義にして吾人の理性と情性とが共に請求する処なり。
 ユニテリヤン教并に「新神学」が贖罪論に反対するの大理由は贖罪論は意志の自由を否定し、個人的責任を取り去ると云ふにあり。
 然れども余輩は意志の自由を否定せざるなり、我を基督に託すると託せざるとは全く我の自由にあり、我の基督てふ不可謂《いふべからざる》神の賜物を受くると受けざるとは全く我の撰択に依るなり、我は我の自由其物をさへ全く神に捧げまつるも之亦我の自由なり、Our will is ours to make it thine 我の義を以て神の前に立つか或は全く我を殺して(Selbstt dtung)神の義を以て義とせらるゝか之亦我意志の自由を以て撰ぶなり、我若し歩行して東海道を上るにあらざれば我の意志に依て上京せしと云ふ能はざるか、我れ文明の恩沢に預かり、我が身を機関師の鉄槌《てこ》に任かし、快楽と平安の中に短時間内に我の旅行を終りたればとて我は我の意志の自由を失はず、亦怠惰怯弱を以て我を嘲るものはあらざるなり、我は意志の決断に依て脆き我の意志と行為とに憑らずして我が全身を挙げて基督に任かせしなり、我を我が旅行先迄送り届けしものは機関師なり、我を機関師に委ねしものは我なり、我を救ひ(243)我を天国に送り届くるものは基督なり、我を基督に托せしものは我なり、是れ聖経に所謂信仰(依頼)を以て救はるゝとの意なるべし、故に贖罪の教義は之を信ずるものをして無責任たらしむとの批評は全く拠る所なき評なり。
 亦贖罪の教義は道徳観念を排除すべしと云ふ人は未だ贖罪の目的を解せざる人なり、伊太利の山賊がアペナイン山中に旅人《りよじん》を殺して其財貨を奪ひ、然る後国法に処せられん事を怖れ、羅馬に到り彼が強取せし宝貨の一|分《ぶん》を寺院に寄附し、法王の捺印ある免罪状を受くれば警官は彼に手を触るゝことを得ざりしとは中古時代の昔話なり、基督の贖罪若し如斯ものなれば実に治世の大害物にして一日も社界に存すべきものにあらず、基督は我が罪を死を以て贖ひ置き賜ひたれば我は善事を為すに及ばず、又悪を行ふも危険なしと信ずる人は未だ基督の贖罪に与からざる人なり、
 然《さ》れば我濟何を言んや、恩《めぐみ》の増ん為に罪に居《をる》べき乎、非ず、我濟罪に於て死し者なるに何《いか》でなほ其中に於て生んや  (羅馬書六章一、二節)
 贖罪の目的は我を完全なる人となすにあり、而して我が基督の贖罪に与かるに至りしは我は親ら勉めて完全なること能はざればなり、故に贖罪は道徳の終局なり、道徳の終る所是れ宗教の始まる所なり、宗教は道徳の上に建てり、道徳の粋是を宗教と云ふなり、創めに摩西の律《おきて》ありて後に基督の恩恵《めぐみ》あり、未だ律の厳格なる綱を以て己を縛りし事なき人は某督なる放免者の恩恵に与かり得ざる人なり。
 世に贖罪の教義を以て自己の不徳を蔽はんとするものあるは実に歎ずべき事なり、然れども是れ教義其物の罪ならざることは余輩の弁を待ずして明なり。
 高尚なる真理は盲者《もうしや》の玩弄する処となるは何人も知る処なり、自由思想は仏国革命てふ悲戯を演ぜしめしとの(244)故を以て排すべからず、プロテスタント主義は三十年戦争の源因たりしとの故を以て輕ずべからず、基督の贖罪は義を慕ふものゝ休所にして悪人の隠遁所にあらず、先づ旧約的の厳重なる道徳を教へずして直に新約的の柔和なる恩恵を説くものゝ自活の道を践まざる子供に莫大の遺産を譲る愚父を学ぶものなり、如斯子供にして懶惰《らいだ》柔弱無気力なる者の多きは決して怪むに足らざるなり、然りと雖も謹直恭謙なる子供にして誠意以て父の志を継がむと渇望するものに厳父が与ふるに億万の財産を以てすればとて吾人は父の不正を唱へず、又子の怠慢を慮からざるなり。
 世には天性の善人なるものあり、即ち生れながらにして円満なる性を有し勉めずして善良たり得る人を云ふ、或人曾てエモルソンを評して曰く「彼は生れながらの聖人にして天啓教の助を借らずして完全に最も近く達せし人なり」と、或は神聖なるプラトー(divine Plato)の如きあり、或は正直《せいちよく》の現像なる孔子の如きあり、是れ人は基督の贖罪に与からずして完全に達し得るの証にあらずや。
 此問題を充分に考究せんとするは此小著述の能く為す能はざる処なり、然れども余は茲に二個の注意を読者に促がさんと欲す、即ち、一、基督教的の善人に一種異様の特性の存するありて其温其雅は希臘哲学も堯舜の遺訓も決して養生《やうせい》し能はざる事、二、当時基督教国にありて基督教の恩沢に与らずして善人たり得ると誇る人は大概熱信なる基督信徒の子孫にして、其人彼自身は直接福音の恩化に与からずと雖も其父其祖父其曾祖父に於て充分に基督教の感化を蒙りしものなる事是なり。
 エモルソンの父ウヰリヤム、祖父ウヰリヤム、曾祖父ジヨセフ、五代目の祖ジヨセフは皆悉く牧会説教の職を主《つかさ》どりし人なり、ウエンデル=ホルムスそのエモルソン伝に曰く「エマソン家の血統に教法師の多きは著しき(245)事実なり」と、如斯祖先を有するエモルソンにしてプラトー、シエークスピヤを尊崇する事或は基督に勝しと雖も余輩は彼に基督教的の君子の風采ありしを決して怪まざるなり、若しエモルソンにして印度支那に生れん乎、彼の教育と思惟の傾向は彼をして決して「新英国の聖人」たらしめざりしや疑ふべからざるなり、エモルソンが福音的基督教の庇陰に依らずして基督教的の君子たるを得しが故に何人も福音に依らずして彼の如く成り得べしと信ずる人は今日の米人は戦はずして独立自由の幸遇に居るが故に何れの国民も改革時期を経過せずして自由独立の国民たり得べしと妄想するものなり、合衆国民今日の自由は「モントフホルト」侯サイモンがイーブスハムの戦場に斃れしより以来、ハムプデン、チヤタム、ワシントン等無数の英霊が血を注ひで買ひ取し「サクソン」民族の自由なり、ユニテリヤン教が下瞰して以て迷信|妄説《ばうせつ》と見做す贖罪の教義も亦彼等の祖先を罪戻《ざいれい》の苦より脱せしめ心霊上無限の自由を給与せし秘訣なりし事を忘るべからざるなり、エモルソン嘗て曰るあり、
  余は曾て余の肉躰を以て余の霊魂の敵と思ひし事なし、余は実に自然の子供にして西瓜が夏の日に太陽の光線に暴されて膨脹するが如く余も善良なる自然の擁護の下に心楽しく生長するものなり、と、
 保羅は曰く、
  善なる者は我すなはち我肉に居らざるを知る、そは願ふ所われに在とも善を行ふことを得ざればなり、われ願ふ所の善は之を行はず反て願はざる所の悪は之を行へり、若しわれ願ざる所を行ふときは之を行ふ者は我に非ず我に居るところの罪なり、是故に我善を行はんと欲ふ時に悪の我にをる此一の法あるを覚ゆ、蓋《そは》われ内なる人に就ては神の律法《おきて》を楽めどもわが肢躰に他の法ありて我心の法と戦ひ我を  揚《とりこ》にして我が肢躰の中にをる罪の法に従はするを悟れり、噫我困苦人なる哉、この死の躰より我を救はん者は誰ぞや(羅馬書七章十(246)八−二十四節迄)と、
 医師の熟練を最も強く感ずるものは病者なり、特治薬《とくぢやく》の為めに最も熱心に叫び求むるものは危篤患者なり、余の不完全極まれる性は余をして救罪を渇望せしめたり、――噫神の奥義《おくぎ》は深《ふかい》かな、神は遺伝と境遇と天性と幸運との作用に依て神の善人を造り得べく、亦遺伝に反し境遇に逆ひ天性を枉げ不運を転じ罪人をも彼の子供となし得るなり、或人マホメツトに問《とふ》て曰く、
   何が有《う》にして何が無なるや、
    答《こたへ》、神なり、世なり。
   誰《たれ》が人にして誰が禽獣にも劣るものなるや、
    答、信者なり、偽信者なり。
   何が最も醜にして何が最も美なるや、
    答、信者の後悖なり、罪人の悔改なり。
 若し哲学者ライプニッツの日へる如く「人類の堕落ほど人類を高めしものなし」とせば、罪を犯せしものほど神の愛を感ずるものはなかるべし、然れば罪を感ぜざるものは基督の愛の深《ふかさ》と高《たかさ》と広《ひろさ》とを感じ得ざるか、読者自ら此問に答へよ、聖霊は直に汝に教へん。
 
 読者は余に問て言はん、「基督の十字架てふものは推理法に依て知るべからざるものなりとならば汝の之を信ずるに至りしことの何ぞ遅きや、之|小児《せうに》も信じ得る真理なり、十数年前の昔汝が洗礼を授かりし時此単元なる真(247)理を信じ能はざりしか」と。
 然り読者よ、然れども君は未だ人類は最も単純なる真理を最も後に知るものなる事を認めざる可らず、万物《ばんもつ》は単元より繁雑に向つて進むと雖も人の思惟のみは繁雑より単元に向つて進むもの也、罪に沈める人間は外貌の虚飾を好むものなり、先づ外を改て而後内に及ぼさんとするは普通人の常態なり、余は社界風紀の改良に先じて国家経済の増進に注目せり、真率なる信徒の養生に先じて理想的基督教会の設立を計画せり、余の霊魂の救はれざる先に聖人の行をなさんと勉めたり、然るに自然の順序に戻《もと》れる方法の一ツとして成功すぺき理《り》なければ、余の方策は悉く失敗なりし、而して失敗に失敗を重ね、失望に失望を加へし後、刀折れ矢尽きて如何ともする能はざるに至りしや、「この苦しむもの叫びたればエホバこれをきゝ、そのすべての患難《なやみ》より救ひいだし賜へり」(詩篇卅四篇六節)、噫人は窮せざれば真理に来らざるが如し、余は曾て米国に於て或る武器製造所に至りしや、其支配人なる退職陸軍士官某余に近世の改良に係る大砲小銃を説明しくれし際、余は彼に問て曰く、「君に聞かん君は人類は何時戦争を止むるに至ると思ふや」と、彼真面目に余に答て曰く、「さればなり武器の改良充分に進歩して戦争場に出るものは敵も味方も一人も残らず打殺さるゝの怖懼を抱くに至らざれば人類は戦争を止めざるぺし」と、吾人が神に帰るも亦|然《しか》あるに非ずや、(路加伝十五章を読め)、金のある人、智慧のある人、然り徳のある人は容易に十字架の耶蘇に来らざるなり、貧乏人《まづしきひと》、無智のもの、罪人《つみびと》、噫窮せざれば基督の酒宴《ふるまひ》に侍るものはなきが如し、
  イエス彼に曰けるは、或人おほいなる筵《ふるまひ》を設て多賓《おほぜい》を請《まね》けり、筵のとき僕を其請ひたる者に遺して百物はや備たれば来るべしと言せけるに、彼等皆同く辞《ことはり》ぬ、其始の者彼に曰けるは我田地を買たれば往て視ざるを(248)得ず、願くは我を允《ゆる》し給へ、又一人の者いひけるは我|五?《いつくびき》の牛を買たれば之を試むる為に往《ゆか》ん願くは我を允し給へ、又一人の者いひけるは我妻を娶たり是故に往ことを得ざる也、其僕かへりて此事を主人に告ければ主人怒りて其僕に曰けるは速かに邑《まち》に衢巷《ちまた》に往て貧者《まづしきもの》、癈疾《かたは》、跛者《あしなへ》、瞽者《めしひ》などを此に引来れ、僕いひけるは主よ命の如く行《なせ》り、然ど尚あまりの座あり、主人僕に曰けるは道路《みち》や藩籬《まがき》の辺にゆき強て人々を引来り我家に盈しめよ我なんぢらに告ん彼まねきたる人々は一人だに我|餐《ふるまひ》を嘗《あぢは》ふ者なし
                (路加伝十四章十六節−廿四節迄)
 然れども嗚呼神よ爾は何故に余が爾を求めつゝありしに門を開て余を迎へざりしや、余の路頭に迷ひし様は爾の憐憫《あはれみ》を惹かざりしか、余が真理を見る能はざるより苦痛に苦痛を加へつゝありしを見て爾は手を束て傍観するに堪へしや。
 恵ある声は答て曰く、神の忍耐は偉大なるかな、彼は彼の子供が苦しむを見て忍び得るなり、神が汝を救はざりしは汝を救はんと欲すればなり、半生間の汝の漂泊煩悶は汝をして自己の念より解脱せしめ全く我に頼らしめんが為なり、汝を苦しめしものは汝自身なり、我に凭《も》たれよわれ汝の罪を贖ひ善より善に汝を導き、汝をして我の為に世を救ふの力となさんと。
 余答て曰く、
  父よ然り、それ此の如きは聖旨《みこゝろ》に適へるなり
                 (馬太伝十一章廿六節)
 
     最終問題
 
(249) 余は平安を得る途を知れり、然れども途を知るは必しも途に入るにあらず、基督に於ける信仰は余を罪より救ふものなり、然れども信仰も亦神の賜物なり(以弗所二章八節)、余は信じて救はるゝのみならず亦信ぜしめられて救はるゝもの也、此に於てか余は全く余を救ふの力なきものなるを悟れり、然れば余は何をなさんか、余は余の信仰をも神より求むるのみ、基督信徒は絶間なく祈るべきなり、然り彼の生命は祈?なり、彼尚ほ不完全なれば祈るべきなり、彼尚ほ信足らざれば祈るべきなり、彼能く祈り能はざれば祈るべきなり、恵まるゝも祈るべし、呪はるゝも祈るべし、天の高きに上げらるゝも、陰府《よみ》の低きに下げらるゝも我は祈らむ、力なき我、わが能ふことは祈ることのみ。
     “But What am I
   An infant crying in the nighy:
   An infant crying for tbe light:
   And no language but a cry.”
   然らば我は何なるか、
   夜暗くして泣く赤児《あかご》、
   光ほしさに泣く赤児、
   泣くよりほかに言語《ことば》なし。
 
(250)     六合雑誌記者に申す
      (併せて近来の(批評)と称するものに就て大に訴ふる所あり)               明治26年10月15日『六合雑誌』154号 署名「求安録」著者
 
 拙著に向て批評的の批評を与へられしを謝す。
 君の能く知る如く、此十九世期文明の時に際して、心中の実見を世間に向て吐露するが如き馬鹿野郎は広き日本国中生を除ては他に一人もあらざるなり、生にして新説の世に呈すべきあれば生も「基督教新論」でも著はして大に世の惑を解きしならん、或は若し少しく十九世期今日の実際に通じしならば生も「日本の花嫁」的の著述を試みて教会入費の一部を補ひしならん、或は若し筆力の自由を感ずるならば、生も昔の詩人の批評でも書き立て、当らず捫らず他人を喜ばせると同時に自己も楽み、其余は匿名で他人の著述の悪口でもして基督教文学の泰斗と仰がるゝも甚だ気楽の事ならん、然れども生の如き頑固駑才不文のものは何を以てか此国と此民とに尽さんや、之を思ひ彼を思ふ時は生は度々失望の淵に身を沈めたく思ふなり。
 「新論」も書けず、「花嫁」も書けず、「道真論」も書けざれば生は生の愛師トマス、カーライルに行き「我何を為すべきや」と問ひしに、彼は生に答へて曰く、
  Velacity、true simplicity of heart, how valuable are tbese always!He that speaks what is really in(251) him, will find men to listen, though under never such impediments. Even gossip, springing free and cheery from a human heart, this too is a kind of veracity and speeCh;――much preferable to pedantry and imane gray haze!――Past and Present, Book U, Chapter U.
 因て生は意を決せり、生は生の鈍筆を以て生の有の儘を写し、以て此国此民に報ゆる所あらんと、何となれば生は之を除て他に為すべき事を知らざればなり。
 然るに此の進歩せる十九世期の日本に於ける、しかも心霊的を以て誇称する我国の基督教主義の新聞雑誌は種々の批評を以て生の自白を迎へられたり、曰く不平を天下に訴ふるものにして屈原の楚辞の類なりと、曰く極端の言なりと、曰く著者の「インデイビジユアリチー」なりと、曰く奇人の言なりと、生是等の評を見て心竊かに真珠を家の前に投げ与へしを悔ひたり、生の著述其物は勿論真珠にあらず、否是瓦礫の類のみ、然れども如何なる馬鹿野郎と雖も彼の心は神の前には真珠の貴きあり、ダビデ曰く「神は砕けたる悔し心を藐しめたまはず」と、然るをかくも践みこなされ噬付かれて生は実に真正の馬鹿野郎なることを発覚せり、(甚だ遅播きながら)。
 之に就て生は思付きたる事あり、記して以て君に知らせん、明治十六年頃の事なりき、生は久振にて北海道より東京に来りしとき、生の知人にして或教会の牧師某君は生の許に来りて頻りに彼の会堂に於て一座の説教をなさんことを求めたり、生は職を伝道に取らざるを以て固く辞したれども聞かず、依て終に或る安息日の夕彼の会堂に行けり、(たしか下谷辺にありしと覚ゆ、今は番町へ転ぜしとかや)、而して生は別に新説も神学もなき事故何時もの如く心の有の儘を述べ漸くにして壇を下りたり、然るに彼牧師先生は直に生に向て曰く、
  キヽヽヽ君のセヽヽ説教にはシヽヽヽ「して」と云ふコヽヽヽ言葉が沢山はいるねへ、ボヽヽヽ僕は「し(252)て」と云ふ字を三十七カヽヽヽ勘定したよ
と、生は彼に問て曰く、之生の満腔を吐露するの際君のなせし処なるかと、爾来生は意を決して彼の会堂にては説教も演説もせざることゝせり嗚呼今の批評と称するものも多くは皆此類なるか。
 生聞く近来の基督教会に真実甚だ乏しと、無理ならぬ事なり、祈?会は心霊の交感所なりとは曾て君の御説なれども、何人も真面目に己の心中を語るものなく、偶々語るものあれば不平だとか、奇言だとか後にて評を附するが習慣なれば、如何で心霊の交感を実行するを得んや、生は今日の基督教会に活気なきの理由を充分に解し得るなり。
 抑も近来の批評なるものは如何なるものぞ、批評に従事するものは批評の何物たるかを解し居るや、批評とは我の好憎を云ふにあらず、是を万有の正摸範に照し其合不合を学者的に論ずるものなり、生は近来我国に於ける批評なるものゝ粗漏にして間々反倫理的なるを歎ずるものなり、而して基督教文学者と称するものは之に優る所あるや、生曾て近世の批評なるものを詠じて曰く、
   涙にてものせし文はのぼりけり、
     懶惰《なまけ》書生の筆のすさみに。
然るに君の批評に至ては全く然らざるを見る、是批評家の批評らしき批評にして、其褒貶如何に関せず、生は貴評の如きを以て大に満足するものなり、殊に「国民の友」に於ける高橋五郎氏が著者が慈善家伝道師等を讒誣せしとて世に告るに対し、君は生の真意に誣ゆるの意なきを弁明せられしが如きは、従来の御親密がらとは申しながら深く君に謝せざるを得ず。
(253) さて御批評其物に付ては亦々爰に久来の議論を持出すとも水掛論として終らんと信ず、そは是れ過る五年間君と生と相会する時は、膳に向て共に食する時、杖を曳て上野に散歩する時、寄れば障れば討議し、喧嘩せし一点なればなり、若し生にして君の新神学に服従することが出来、君にして生の教育独立論を執行することが出来れば、日本には二人の横井と二人の内村があるならむ(君に取ては甚だ迷惑ならむが)、然れども真理は友人よりも貴ければ今尚ほ横井と内村とは別人なり、是実に君が君たるの謂にして又君が生の駑才を捨てざるの一点と信ずるなり。
 故に君に向ては生は云ふ、君の新神学を以て真面目にやり玉へ、生は天国に於て君と相会せんことを望むなりと、尤も明白に君に白状せば、生、君の神学論を聞く毎に、渠のマーガレツトがフハウストの凡神論を聞きし後に、其論鋒には抗し得ざりしも、彼女の単純なる本性が彼女に謂はしめし語を、生の心に思出さゞるを得ざるなり、
    Wenn man`s so hört,mö6cht`s leidlich scheinen;
    Steht aber doch immer schief darum,
    Denn du hast kein Christenthum,   Goethes Faust,3467−3469.
 然れども生は神学上の横井君を敬慕するにあらざれば、君が人を殺さゞる間は、人の物を盗まざる間は、生は今世未来に於て君の友人となりて存せんことを切に願ふものなり。
 然れども君に対しては無益の議論も六合雑誌読者に対しては全く無益ならざるべし、故に生が爰に一言の労を取るは君の為めにはあらざるを知るぺし。
(254)一、生の贖罪論は如何なる論説(Theoryに拠りしものなるか、生は幸に神学の泥中に深く足を踏入れし事なければ知るに由なし、是れは多分君が曾て授かりし神学の講義録を探らるゝならば判然と書載しあることならんと信ず、生の説にして古説とならば生は其古説を守るのみ、生の暗愚なる「基督教新論」を著はすの学識と勇気とを有せず、生の贖罪論多分平々凡々の古き古き説にして、彼のハムプデンをして戦場に倒れしめ、バンヤンをして再生の思ひあらしめし古説なるかも知れず、生の臆病なる、生は未だ一のアムブロース、一のコロムウエルを生ぜし事なき新神学に身を委ねることを甚だ危ぶむものなり。二、贖罪哲理の一編は君が評するが如く拙著中の最肝要部にあらざるなり、生若し充分に此事に就て明言し置かざりしならば(重複し々々明言し置きしとは思へども)生をして再び爰に明言せしめよ、最肝要部は贖罪其物なり、その哲理は生の木片的の頭脳が宇宙の已定原理と符合せしめんと勉めて解析を試みし迄の事なれば、君の均斉数理的(?)の脳漿を以て見破られんには数多の軟弱点を発見せられしならん、恰も「基督教新論」に於て生の不斉均非数理的の頭脳ですら多くの曖昧なる点を発見し得るが如し。
三、曖昧ならざらんが為めに生は茲に君と異同の点を明記すべし、是一は生が君の友人なるが故に世人が生を目して君と共に異端の階級に列するならんと思惟せんことを心配すればなり、(君は正統派《・オルソドクツス》組合教会のRev.(教師)にして生は無宿無教会の一漂流者なれども!!)
君と同意の点 基督は善人の長にして、彼の死は他の義人善人の死と性質上異なることなし。
君と異なる点 渾ての善人の死は代贖的(Vicalious)の価値を有す、而して基督の死のみが充分なる罪霊の救ひなり、そは人(社界)に対するの罪(社交上の罪)は人に依て救はるべけれども、神に対するの罪(心聖上の罪)(255)は神のみ救ひ能ふなり、故に生は云ふ基督は神の神(The Very God of Very God)なりと。
 斯く云はば君は復た言はん、新神学必ずしも是等の点に就て異論を唱へずと 然れども君よ、生は新神学の蛞蝓の如く取留なきには呆れはてたり、生は常に思へり、君にして若し関東人の脳あらしめしならば君は新神学を唱へざりしものをと、そは熊本人は悉く詩人にあらざれば大政治家にして数学は大嫌ひなればなり、是生が自身熊本に於て実験せし所なり、生曾て新神学に就て左の如く詠じたり、
   何れをか尻か頭と分つらむ
     さわりて軟き沙?《なまこ》神学
 然れども君よ、我等をして神学上の議論を休めしめよ、そは共益甚だ尠なければなり、我等の国人は今は神聖なる宗教を弄ぶ傾きあり、日本国は真面目の人間を要しつゝあるなり、仏教でも無神論でも新神学でも何でも宜しければ其奉ずる主義の為めに生命を捨る程の確信ある人を要するなり、真面目ならずして真理の解せらるべき理由あるなし、基督教何物ぞ真面目の人の存するなければ是無用の長物ならずや、Das Leben ist ernst 君よ今は実に真面目の時代なり。
 今や年将に寒からんとす、エール学窓の下に此答弁君の眼に触るゝ事ならんと信ず、今や国家多事。我等の愛する日本国は我等の代贖的の血と涙とを要するなり、学海に棹す快は快なりと雖も君は其地に永居すべからざるなり、ニューヘブンの地沼沢多し、雪螢苦学するの際君それ自愛せよや。    京都寓宅に於て
 
(256)     『【貞操美談】』路得記』
             明治26年12月15日 単行本 署名 内村鑑三著
 
(257)     自序
 
 此著は余が家族と共に聖書を講読するの際に談ぜし所のものを蒐集して一書に纏めしものなり。
 余は此書を編纂するに当て多くの註解書に頼《よ》らざりき、これ余の浅識と境遇との許さゞりし所なりしのみならず、世に呈するに鸚鵡的直訳様の註解書を以てせんことを恐れたれば也。聖書は其物自身にて甚だ解し易きもの(258)也、故に註解者の主眼は可成丈《なるべくだ》け僅少の助言を以て本文を読者に解せしむるにあり、読者は宜しく簡単明晰なる本文と常に誤認なき神霊の訓示とに依頼して、註訳者の言は単に参考としてのみ採用すべき也。本文の註訳に加ふるに「精神」を以てせり、之れ路得記に関する著者の所感を述べしものにして、其当を得たると然らざるとは勿論此優美なる古文の価直《かちよく》を加減せざるなり。
 余は爰に友人大島正健氏の此書に与へられし鄭重なる検閲を謝す。
  明治二十六年十月              京都に於て 内村鑑三
 附記 此書脱稿は本年七月下旬にありたり。  
     目次
緒言 ……………………………………………………………二五九
第一段 不幸の連続・姑?《こそく》之苦別 ……………二六四
第二段 悲哀の極端・寡婦《やもめ》の帰郷 ……………二七二
第三段 摂理の教導・貞女の謙退 …………………………二七三
(259)第四段 貧者《ひんしや》の孝養・援助の到来 ……二七八
第五段 老婦の訓命・禾場《うちば》の哀訴 ……………二八一
第六段 古代の相続・新婚の承認 …………………………二八六
第七段 喜楽の回復・感謝の寡婦 …………………………二九〇
末段  大王の血統・賤婦の栄誉 …………………………二九一
 
  緒言
 
 有名なるベンジャミン、フランクリン曾て使臣として仏国の朝廷にありしや、革命時期の前に当つて無神論無宗教の最も流行する時なりき、フ氏彼自身も時の基督教に対しては余り熱心なる人にあらずして、彼の本国にありし時は彼は常に無宗教家として見做されし人なりき、然るに仏国に到りて時の学者と称する者の猥りに基督教を嘲弄するを聞きて、時に或は彼等の浅薄不敬を歎じ措く能はざりし事ありしと云ふ、一日此種の学者(彼等は自ら「フヰロソーフ」哲学者と称せり)数名とある旅館に相会せしや、哲学者は口を極めて「バイブル」の野卑にして文学的の趣味に乏しきを嘲けり、高言罵倒実に人をして聞くに堪へざらしめたり、フランクリンの基督教(260)に冷淡なるも今は彼の父母の宗教の為に一の弁護を試みざるを得ざるに至れり、依て直に同宿《どうしく》の女優某を乞ひて是等哲学者の前に旧約聖書中路得記を読ましめたり、然れども先づ其著の何たるを明言せず、只学者輩に告げて曰く「余は近頃東洋の旧記より一佳話を得たり、今女優某君の親切に依つて之を諸君の前に朗読せんとす」と、満座|粛然《しくぜん》たり、女優は精神と感情とを込めて路得記を読めり、哲学者等は其文意の高妙なると其趣向の単純清廉なるとを賞嘆して止まざりき、読み終りて満場の学者|等《たち》は深くフランクリンの厚意を謝し、且つ問うて曰く、「如斯佳話君は何処より得しや、其美其妙未だ曾て余輩の味はゝざる所なり」と、フ氏は賞嘆の止むを待つて粛然として起つて告げて曰く、「是実に貴公等の貶視嘲罵して止まざりし古き古き聖書中に記載ある路得の記なり」と、而して後黙然たり、哲学者輩今は赤面語るに言《ことば》なく、一|人《にん》去り二|人《にん》退き、暫時にして室内フ氏と女優を除くの外は人なきに至れりと。
 フランクリンの頓智、「哲学者」の無学、路得記の絶妙、共に此一小話に載せて間然たる事なし、聖書を批難する人は聖書を読まざる人なり、聖書を以て啻に厳格なる倫理のみを教ふるものと信ずる人は未だ聖書を知らざる人なり、摩西律の下《した》に生長せし国民は、啻に厳粛《げんしく》なるエホバの命のみを知つて、温雅なる家族の風、優美なる待客《たいかく》の習を輕ずる者なりと考ふる人は未だ猶太国民の内部を知らざる人なり、惨憺たる戦史の中《うち》に、滔々たる預言と共に、優雅なる此記事の挿入せらるゝあり、是実に猶太国民下層の状態にして、其詩人ダビデを養生《やうせい》せしもの、其預言者サムエルを人とならしめし者、又時満ちて世界の大光《たいくわう》世に臨まんとするや、ナザレの僻村一小工の茅屋内に於てシヤロンの薔薇花《ばら》の如き雄霊を像造《かたちづく》りしものは実に路得記に載する家庭生涯の然らしめしものにあらずして何ぞや。
(261) 此記に載する所は僅かに猶太人民家族の状態ぬ止《とゞ》まらざるなり、之を教理学上より論ずれば、摂理に関する問題、?《よめ》たるものがその舅姑《しうこ》に対する義務、信徒未信徒間結婚問題、――殊に神愛神択の不偏不党を教ふるに至りては、恐くは聖書中此記事の如く最も明晰《めいせつ》にして最も美妙なるはあらざるべし、其文に虚飾あるなく、其記事に隠蔽の痕跡だもなし、余輩之を疑はんとするも能はざるなり、若しカーライルの言《げん》の如く「歴史は実例を以て教ふる哲学なり」とせば、路得記の如きは僅々数千字の内に無量の深意を抱含する哲学と云はざるを得ず、其記事の明瞭淡白なる、最少量の常識を有する人も之を解するを得べく、其教訓の深遠なる、以て国民の良心を刺戟するに足る、無飾簡短に記載せられし事実に勝る戯曲のあるなし、天の高節貞操を導く其道は平易にして猶奇跡の如く、自然にして猶|詩歌《しか》の如し。
 此|記《き》元《もと》は師士記の一部として存せしかども後に一書として之に附せらるゝに至れり、余輩此記の始めて成りし年月を判然と定むるに由なし、又其記者の如きもたゞに憶測に留まるのみ、其ダビデ王の血統に関するを見れば或は頚言者サムエルの手に成りしものとせんか、然れども数多の世界文学と共に、此書の秀逸なる文学上の価値を有することは、之を嗜読するに当つて其年代と著者の詳かなるを要せざるなり。
 然れども文学上の秀逸なるにあらず、又教理学上の功用あるにあらずして、其我国今日の実際問題に大関係を有するが故に余輩は此書に無上の価値を置くものにして、茲に之を世に紹介するの労を取りしなり、余が此著を半ば終りし頃、耕雲翁なる人あり「貞操」と題して一篇を基督教新聞に投ぜり、其幽麗なる文字《もんじ》の中に能く余の云はんと欲する所を記《しる》したれば余は、左《さ》に其全文を掲げぬ、
  貞操は婦の最も欠ぐべからざるものにて人の妻たるもの、夫が茶屋狂をすればとて自分もまけぬ気になり、(262)そば屋に飛込み芝居や寄席に夜をふかし、男が遊女に耽ればとて、そを諌めんともせず自分も買喰したり男を引入れ、夫が一口云へば妻も一口云ひ返し、頭を打てば打返し活?など云へばよき様なれども、一休が面白く詠れたる「さるといふ夫に妻はいぬといふ、猿と犬との喧嘩なりけり」、男尊女卑は元より野蛮国の特有物なれども、つまり婦《をんな》は順性のもの故あまり出すぎたより「ふまれても咲たんぼゝの笑顔かな」の風情こそしほらしけれ、日本にて貞操《みさほ》ある婦といへば偖は袈裟御前、或は誰彼《たれかれ》といふ、併し「我《わが》男げに大切に思ひなばなど姑のみにくかるべき」、とはいへ?と姑とは何処にても中の悪いものと見え、六ケ敷文字を姑字という諺の出来るに至れり、此は?悪いといふ意なりとか、また「さなきだに重きが上のさよ衣、わがつまならぬつまなかさねそ」とは当世に叶はぬとて立派な夫《つま》のある上にも二重三重に重ぬるものあり、「若し夫《をつと》死なば人に適とも淫婦にはあらず」(ロマ七章三節)とて夫の葬式の夕、再婚の相談せられて前約あればとて断りしといふもあまり早きにあらずや、聖書にも貞操《みさほ》ある婦人《をんな》の談話《はなし》を記せり、むかしエリメレクと云ふ人ありしが、死《しに》て其妻ナオミと二人の男子《むすこ》マロンとキリオン残り居る、二人の男子はおの/\モアブの婦人《をんな》を妻にめとる一人の名はオルバ一人はルトなり、かくて十余年間共に住居りしにマロンとキリオンも死《しに》しナオミは先に夫に死別れ今又二人の男子に死後れ、失望の極《きはみ》、?人《ふたり》の?を呼びて其元の家に帰ることを命ず、オルバは帰り行きしがルトは如何に云ふとも.ナオミの傍を離れず、「我は汝の行く所に行き、汝の死ぬる所に我も死て其処に葬らるべし」、と云ひて、其|後《ゝち》ながく忠実《まめやか》に姑ナオミに仕へたり、詳敷事は旧約聖書の路得記を読で知らるべし、斯く貞操ありしかば異邦の婦人でありながら教主《すくひぬし》の先祖たるを得しなれ、唯四章の短き談話なれば御婦人方読み味ひたまへ、
(263) 路得記は実に聖書の女大学と称すぺき者なり、著者の十余年間の聖書の攻究は未だ今日世に称する基督教婦人なるものゝ思想と行とを以て聖書の勧誘する道とは信ずる能はざるなり、今日世に称する女権なるものは聖書の基督教に助けられて発達せしや否やは未だ識者間の大問題にして、現に有名なる女権拡張者エリザベス、スタトン婦人の如く、教会歴史の泰斗フランシス、ニユーマン氏の如く、基督教を以て女権伸張の大妨害物と見做す者尠からず、男女同権論を維持せんが為め保羅彼得の言《げん》より聖語を引用せんとするは為し得べからざる事なり、(聖書を以て女権拡張の大妨害物とする議論の一斑を知らんと欲する者は“Has Christianity Benefitted Women?”by Elizabeth C.Stanton、North Amerian Review, May 1886.を見よ)
 聖書の理想的婦人は従順の婦人なり、即ち権利を争はざる婦人なり、而して余輩の見る所を以てすれば東洋の理想的婦人は反て聖書の理想と相符合するものにして、今日欧米に流行し稍や已に我国に輸入せられし西洋婦人の理想は明瞭なる聖書の教訓と矛楯する所多きが如し。
 余輩之を云ふは強ち基督教の主義を曲げて我国在来の習慣と投合せしめんと勉むるにあらず、今日世に偏僻なる忠孝論者ありて国人を欺くことは掩ふべからざる事実なり、余輩は是等|論者《ろんしや》と和解せんことを勉むる者にあらず、然れども事実は事実にして人力の動かし得べきにあらず、欧米の風習必しも聖書の理想にあらず、我国の古俗必しも反聖書的にあらず、我等は事実と真理のある所を探つて時世の流説に漂ふべからざるなり。
 
(264)  【貞操美談】路得記
 
   第一段 不幸の連続・姑?の苦別
 
第一章 士師の世ををさむるときに当りて国に饑饉ありければ一個の人その妻と二|人《にん》の男子《だんし》をひきつれてベツレヘムユダを去りモアブの地にゆきて寄寓《やど》る、(二)その人の名はエリメレク、その妻の名はナオミ、その二人の男子の名はマロン及びキリオン。といふ、ベツレヘムユダの「エフラテ」人《ひと》なり、彼等モアブの地にいたりて其処にをりしが、(三)ナオミの夫エリメレク死《しゝ》てナオミとその二人《ふたり》の男子《をとこ》のこさる、(四)彼等おの/\モアブの婦人を妻にめとる、その一人の名はオルパといひ、一人の名はルツといふ、彼処《かしこ》にすむこと十年計にして、マロンとキリオンの二人も亦|死《しせ》り。
 斯くナオミは二人の男子《をとこ》と夫に後れしが、(六)モアブの地にて彼エホバその民を眷みて食物を之にたまふと聞ければ、その?とゝもに起《たつ》てモアブの地より帰らんとし、(七)その在るところを出たり、その二人の?これとゝもにあり、彼等ユダの地にかへらんと途にすゝむ、(八)爰にナオミその二人の?にいひけるは、
  汝らはゆきておの/\母の家にかへれ、汝らが彼|死《しに》たる者と我とを善く待《あしら》ひしごとくに願はくはエホバまたなんぢらを善くあつかひたまへ、ねがはくはエホバなんぢらをして各々その夫の家にて安身処《おちつきどころ》をえせしめたまへ(265)と、乃ち彼らに接吻《くちつけ》しければ彼ら声をあげて哭《なげ》き、(十)之にいひけるは「我ら汝とゝもに汝の民にかへらん」と、
 (十一)ナオミいひけるは、
  女子《むすめ》よ返れ、汝らなんぞ我とともにゆくべけんや 汝らの夫となるべき子猶ほわが胎《はら》にあらんや、(十二)女子よかへりゆけ、我は老いたれば夫をもつをえざるなり、仮説《よしや》われ指望《のぞみ》ありといふとも、今夜《こよひ》夫をもつとも、而してまた子を生むとも、(十三)汝らこれがために其子の生成《ひとゝなる》までまちをるべけんや、之がために夫をもたずしてひきこもりをるべけんや、女子よ然すべきにあらず、我はエホバの手ののぞみてわれを攻めしことを汝らのために痛くうれふるなり、
 (十四)彼らまた声をあげて哭《な》く、而してオルパはその姑に接吻せしが、ルツは之を離れず、(十五)是によりてナオミまたいひけるは、
  視よ汝の??《あひよめ》はその民とその神にかへり往く、汝も??にしたがひてかへるべし、
 (十六)ルツいひけるは、
  汝をすで汝をはなれて帰ることを我に促すなかれ、我は汝のゆくところに往き、汝の宿るところにやどらん、汝の民はわが民なんぢの神はわが神なり (十七)汝の死するところに我は死にて其処に葬らるべし、若し死別《しにわかれ》にあらずしてわれなんぢとわかれなばエホバわれにかくなし又かさねてかくなしたまへ、
 (十八)彼?が固く心をさだめて己とゝもに来らんとするを見しかば之に言ふことを止めたり。
解釈、「士師の世ををさむる時」即ちヨシヤよりサムエル迄の間を云ふなり、俗に猶大国の英雄時代と称す、ボアズはサルモンの子なるを以て此書に記する所は多分師士サムソンが世を治めし頃のことならんか、故に紀元前(266)千三百年頃と見て大差なかるべし、即ち我国の歴史以前なり。
 「国に饑饉あり」猶太国に饑饉多きことはヤコブ、ヨセフの話等にて明かなり、然れども此に所謂饑饉なるものは必ずしも五穀の不熟を謂ふにあらずして、隣国よりの入寇に依りて田畑《でんばた》を荒され、衣食の道を絶たるゝことをもいふなり、如斯|掠奪《りやうだつ》の屡々ありしことは土師記のしるす所なり。
 「マロン」は「病者」の謂なり、「キリオン」は「羸弱」の意なり、人名としては忌はしき名なれども猶太国の習慣たる子を挙げし時の父母の境遇、感情等に依りて之に名を附せしものなれば、父エリメレックは常に病身なりしにより此名を二子に附せしものゝ如し、是れ父子《ふし》三人の相継いで死失せしを以て知るを得べし、(創世記三十五章十八節を参考せよ)。
 「エリメレック」即ち「我が神は王なり」との意なり、讃美の語なり、彼の父彼を挙げしときの感情ならん、「ナオミ」は「我の喜び」の意なり、以て父母の愛児たりしを知るべし、ナバルの妻アビガイル(撒母耳前二五〇三)とは「父の喜」の意なり、猶太人名《ゆだやじんめい》の何ぞ優美にして情を込むるの深きや。
 「オルパ」は小鹿の謂ひ、「ルツ」は「善き友」の意なり、共に婦人の名としては最も適当なる者なり。
 「ベツレヘムユダ」はユダ州のベツレヘムにして、ダビデ大王の生れし処、耶蘇基督の降誕の地なり、エルサレムより南二里にあり、今尚ほ人口三千を有する一市街なり、其多分は已に廃頽に属す、以て古代の隆盛を察するに足る、猶太高原の中部に位し、沃饒とは称すべからざるも農業を以て昔時より有名の地なり、「エフラテ」はベツレヘム近辺の総称なりしが如し、預言者|米迦《めか》の語に「エフラテのベツレヘム」(五章二節)あり。
 「モアブの地」とは「死海」東岸に浜し、ロトの子モアブの子孫の住居せし処なり、其全盛の時代に当つては(267)北はヤポック川より南はザレドの渓流に至るまで悉くモアブ人の領地たりしが、猶太民族の加南侵入|前《ぜん》にアモリ人の寇する所となり、終にその領地をしぼめられて僅かに「死海」東岸の南半《なんぱん》を保持するに至れり、是即ちモアブの地と称する処にしてエリメレックの家族の移住せし処なり、是より北をモアブの国と称し(申命記一章五節、同じく地と訳せり)、ヨルダン川に浜せし部分をモアブの平野と呼べり(民数記略二十二章第一節) 「エホパその民を眷みて云々」即ち饑饉去りて豊年再び来りしをいふなり、豊富は勿論紙の恵なり。
 「各々その夫の家にて安身処《おちつきどころ》をえせしめたまへ」汝等再嫁して新夫《しんぷ》の家に落付かんことをとの意なり、未だ年若き寡婦《やもめ》に対しては最も至極なる勧めなり。
 「接吻《くちつけ》」は離別の時の挨拶なり。
 「汝らの夫となるべき子猶わが胎《はら》にあらんや云々」摩西律は、人死すれば彼の最近の縁戚たるものがその妻を娶り子を挙げて其家系を絶たざらしめたり、(申命記廿五章五より十節まで、馬太伝廿二章廿四節)、若し縁戚たるもの未だ齢に達せざれば婦《つま》は亡夫の家に留まりて弟の長づるを待つぺきなり、(創世記卅八章参考)聞く我国石見国津和野に於て此習慣ありと。
 「エホバわれにかくなし又かさねてかくなしたまへ」誓の詞なり、多分手真似と共に言ひし語ならん、其意は我若し此誓を破らば神は我に災難の上に災難を加へ玉へとなり。
精神、出所|去就《きよじゆ》は人生の大事なり、軽々しく決行すぺからず、我等一難を避けんとして反つて百難を招く事あり、我等は目前の艱難を見ると雖も遠方の困苦を察せざる者なり、巍々たる山嶽も距離を隔てゝ望めば円満円滑なるが如し、我等思へらく此地に存する渋苦は彼地になからんと、行いて彼地に到れば矢張り同じ世の中にし(268)て彼地には彼地の困苦あり、故郷に於ける難より免れんとして反て骨を異境に埋むるに至りしは豈に独りエリメレックのみならんや、艱難は堪ふるを以て第一とす、逃《にぐ》るは危険多し。
〇基督信者は異教信者と婚ずべからざるか、エリメレックの二子はモアブの婦《をんな》と婚す、是猶太国に於ては異例なるが如し、昔時神の子が人(世)の娘と婚じてより神の震怒《いかり》を招きしとかや(創世記六章六節)、異教人と結婚すべからずとの教訓は摩西律の緊要なる条項たるが如し、申命記七章三節に曰く、
  また彼等と婚姻をなすべからず、汝の女子《むすめ》を彼の男子《むすこ》に与ふべからず、彼の女子を汝の男子に娶るべからず、
 之に対照して約書亜二十三章十二節、以士喇九章十二節を見よ
 獄太の慣例として、摩西の訓命として、異教人との結婚は禁ぜらるゝにあらずや。
 基督教会が其信徒たる者が異教信者と結婚することに対し常に不同意を表せし理由は哥林多後書六章十四節に於る保羅の言に依るといふ、其言に曰く、
  なんぢら不信者と?《そ》ふなかれ、蓋《そは》義と不義と何の侶《とも》なることかあらん、光と暗《くらき》と何の交ることか有ん、
 故に若し聖書の訓命より論ずる時は信徒未信徒間の結婚は禁ぜらるゝものゝ如し。
 然るに同じ聖書中に全く此教訓に反する記事を記載すること尠からず、摩西彼自身の妻チッポラはミデアン人エテロの女《むすめ》なり、加南の遊女ラカブは約書亜の佐官たる忠直豪邁なるサルモンの娶る所となりしのみならず、猶太歴史に於て最も誠実なる最も信仰に富める婦女として数へらるゝにあらずや、(馬太伝一章五節を参考せよ)、而して福音記者が救世主の血統を記さんとするや、幾多の賢婦|淑女《しくぢよ》のあるに関せず、此加南の遊女とモアブの婦人路得の名を挙げて万世に迄彼等の名を伝へしめたり、(馬太伝一章基督の系図中、女子《ぢよし》は只三名を記すのみ)、(269)これその内に無言《むげん》の説教の存するにあらずや、猶太婦人の最大希望は救世主の母たらんとするにありき、子なくして死せし婦女を悲むの理由は重に此に存したり、(師士記十一章卅九、四十節を見よ)、然らばこの栄誉の地位が遊女のラハブとモアブの婦《をんな》ルツに与へられしの理由は蓋し基督教の教理に存する深遠なる奥義《おくぎ》ならずや、余は此書の終に於て此点に関する余の説明を試みんと欲す。
〇誰か云ふ聖書は姑?《こそく》の関係を輕ずる者なりと、誰か云ふ?は姑に対して一の義務を有せずと、敬畏と注意とを以て聖書を研究せずして支那日本に於ける姑  娘の関係を冷笑する浮薄女子は何物ぞ、姑と?との関係は東洋に於る女子道徳の緊要なる条件なり、女大学、女今川、姫鑑、夜の鶴等女子徳育の教科書として我国に用ひ来しものは皆重きを此関係に置けり、女子たるものは其最愛の良夫の為に良夫の父母に子事すべきは理の最も見易き者にして、良夫|逝《ゆけ》るの後は彼に替つて彼の老父母を看護するは是実に美徳といはざるを得ず、勿論?と姑とは一つの血統上の関係あるにあらず、若し法律上の義務より論ずるときは良夫逝くの後は妻たる者は彼の家を去るも可なり、然れども徳は律の附与する権利を放棄する処に於て最も著し、余は緒言《ちよげん》に於て路得記を聖書中の女大学と称せり、聖書の此章と女大学の左《さ》の教訓とを照合せよ、
  一 女子は我家《わがいへ》にありては我父母に専ら孝を行ふ理なり、されども夫の家に行いては専ら?《しうとしうとめ》を我親よりも重んじて厚く愛しみ敬ひ孝行を尽すべし、親の方を重んじ舅のかたを軽んずることなかれ、?の方の朝夕の見廻を闕くべからず、?の方の勤むべき業《わざ》を怠るべかちず、若し?の命あらば慎み行いてそむくべからず、万づのこと舅姑《しうとしうとめ》に問ふて其教に任すべし、舅姑もし我を憎み誹《そし》るとも怒り恨ることなかれ、孝を尽して誠を以てつかふれば後《あと》はかならず中よくなる者也。
(270)〇姑ナオミは二人の?にその家に帰りて他家に縁付ん事を勧む、是姑たるものゝ為すぺき事なり、姑と?との関係は素より情誼の関係なり、然るを情誼を以て妙齢の女子《ぢよし》を縛らんとするは姑たるものゝなすぺからざる事なり、?の姑に事へんとするもせざるも全く?の自由に存せり、ナオミは一家の不幸を己一人に負ひ其?をして平安を他に求めしむ、愛すぺきかなナオミの心底よ、世に姑?間に真情の欠乏するの理由は一は?たるものゝ我儘に存するなるべけれども(殊に近世に於ては)、亦大に姑たるものゝ心得違より生ずることは逆ふべからざる事実なり、此姑ありて何ぞ此?なからんや。
 支那日本の倫理の最大欠点は長者が少者に対するの義務を明かにせざるにあり、女大学は?が姑に対するの義務は叙して遺すことなしと雖も姑が?に対する義務と教訓とを載せず、聖書は姑たるものに対して特別なる教訓を載せざれども、其精神より推すときは左の如く諭すならんと信ず、
  汝姑たるものよ、汝の?を労はれよ、渠女《かのぢよ》は神が子として汝に与へしものなり、汝の実子に勝る愛を以て渠女を導けよ、渠女は未だ無経験なり、是渠女は汝の特別なる教訓を要する理由にして、汝より欠点を摘示《てきし》さるゝの理由にあらず、汝も一度は渠女の如く汝の父母を去つて他人の家に嫁せし人なりし、汝の受けし苦痛と心配とをして汝の?にあらしむる勿れ、汝已に?たるの情を知れり、汝は今は推察に富める姑たり得るなり、汝も女子を有するならん、而して不遠して汝の女子も人手に渡さゞるを得ず、「わけてそだつる程もなく人手に渡す女郎花」、汝が汝の女子がその姑たるものに待遇されんことを欲するが如く汝も汝の?を待遇せよ、矜恤《あはれみ》あるものは福なり、其人は衿恤を得べければなり。
〇?オルパは一度は拒しと雖も終に姑の言《ことば》を容て去る、余輩は彼女を批難せず、彼女も「死《しに》たる者と我(姑)と(271)を善《よく》待《あしら》ひ」たり、今や良夫はなき人の数に入《いれ》り、彼女は母の家に帰て可なり、彼女は一人前の女子たるの義務を尽せり、願くはエホバの恩恵《めぐみ》彼女の上にあれ。
 然れどもルツはオルパに勝りて美なり、彼女は終生姑と共にせんとす、
ナオミの懇切なる説諭は彼女の決心を動かす能はず、女子たるもの一度其夫の家に嫁す、何ぞ再び父母の家に帰るべけんや、夫の家は我の家なり、夫の母は我の母なり、夫の国は我の国にして夫の神は我の神なり、我は最早モアブの婦《をんな》にあらずしてイスラエルの族《やから》に属するものなり、我はエルメレックの姓を犯して死なん、我はマロンの妻として葬られん、我に帰家を勧むるものは誰ぞ、若し死にあらずして我を我が夫の家より離《はなす》ものあればエホバの呪詛《のろひ》我とあれかしと、女大学に曰く、
  一、婦人は夫の家を己が家とする故に唐土には嫁を帰るといふ、我家にかへるといふこと也、たとい夫の家貧賤なりとも夫《それ》を怨むべからず、天より我にあたへたる家の貧は我仕合の悪しき故なりとおもひ、一度嫁しては其家を出でざるを女の道とすること古へ聖人の教へなり、
 嗚呼「死海」の東岸に添ひ、亜拉此亜国の北部に接し、砂礫茫漠たる処に「ケモシ」の偶像の前に俯伏《ひれふ》し、常に異教迷信の名を以てイスラエル人に貶視されしモアブ人中此婦ありとは、誠に実《まこと》に神は偏《かたよ》らざる者にして何れの国民にても神を敬ひ義を行ふ者はその聖意に適ふ者なり(使徒行伝十章三十四、三十五節)、如是の美徳或は神の特別の撰択を蒙りしイスラエル人中又見ざる所ならん(馬太伝八章十節を見よ)、宜なる哉神はこの異教信者を取り、彼女に世の救主《すくひぬし》の祖母たるの栄光を与へられしとは。
 
(272)     第二段 悲哀の極点・寡婦《やもめ》の帰郷
 
 (十九)かくて彼等二人ゆきて終にベツレヘムにいたりしが、ベツレヘムにいたれるとき邑《まち》こぞりて之がためにさわぎたち、婦女等《をんなども》「是はナオミなるや」といふ、(二十)ナオミ彼等にいひけるは、
  我をナオミ(楽し)と呼ぶなかれ、マラ(苦し)とよぶべし、エホバ痛く我を蕾めたまひたればなり、(二十一)我盈足りて出たるにエホバ我をして空しくなりて帰らしめたまふ、エホバ我を攻め、全能者われをなやましたまふに汝等なんぞ我をナオミと呼ぶや、
 (二十二)斯くナオミそのモアブの地より帰れる?モアブの女ルツとともに帰り来れり、即ち彼ら大麦刈の初にベツレヘムに至る。
解釈、「ナオミ(楽し)……マラ(苦し)」猶大人普通の詞使《ことばつか》ひなり、英語にて之を onomatopeia といふ、即ち意より名を造るをいふ、「お楽」の名今は我に適せず、「お苦《にが》」といふべしとなり。
〇「エホバ痛く我を苦め云々」普通ユダヤ人の観念に依れば事業の戌効家運の隆盛みな之れをエホバ我と共にあると称し、失敗困難は皆な神が我を攻め苦め玉ふとなせり、深き宗教的の観念を有せし証なり。
〇「大麦刈の初」四月上旬なり、小麦刈に先つ事二ケ月。
精神、人の一生中栄誉の極と称すべき時は錦衣を纏ひて故郷に帰るときなり、之れに反して恥辱零落の極とは縷衣を纏ひ悽然として故人に面するときなり、而してナオミの境遇は実にこの悲歎の極なりき、思へば曩に十年|前《ぜん》の昔、愛する夫に導かれ、強壮なる二子に伴はれて、心強くも去りにし故郷、今は一人となりはてゝ、憑《よ》るべ(273)き者は異国の、賤《しづ》の寡婦のルツひとり、曾てありにし財産も、今は人手に渡されて、明日の煙《けぶり》も如何にして、立て過ぎなむ頼なき、浮世は人の恵にて、渡らん事のつれなさよ、アヽ如斯《かく》なると知りしならば、我もモアブの仮屋にて、砂漠の露と消えにしものを。
 然れども神は終極迄其子を追窮せざるなり、暗黒その極に達する時東天の将に白まんとする時にあらずや、彼女の貞節なる?ルツは明朝将に食を乞はんが為めに近隣の田畑に至らんと欲す、而して慈悲に富める摂理は此貞婦孝女の心を憐み、天使を遣はして此零落に沈む老若の寡婦を救はんとす、漢土の昔譚は必ずしも悉く妄談《ばうだん》にあらざるなり、エホバの神は天の神にして孝子は彼の特別なる保護の下《した》にあり。
 
     第三段 摂理の教導。貞女の謙退
 
第二章、ナオミにその夫の知己《しるひと》あり、即ちエリメレクの族《やから》にして大なる力の人なり、その名をボアズといふ、(二)茲にモアブの婦《をんな》ルツ ナオミにいひけるは「請ふわれをして畑に行かしめよ、我何人かの目のまへに恩《めぐみ》をうることあらばその人の後《あと》にしたがひて穂を拾はん」と、ナオミ彼に「女子《むすめ》よ往くぺし」といひければ(三)乃ち往き遂に至りて刈者の後にしたがひ田《はたけ》にて穂を拾ふ彼思はずもエリメレクの族なるボアズの田の中にいたれり、(四)時にボアズ ベツレヘムより来り、その刈者等に言ふ「ねがはくはエホバ汝等とともに在《いま》せ」と、彼等すなはち答へて「ねがはくはエホバ汝を祝《しく》したまへ」といふ、(五)ボアズその刈者を督《みまは》る僕にいひけるは、「此は誰の女なるや」、(六)刈者を督る人こたへて言ふ「是はモアブの女にしてモアブの地よりナオミとゝもに還りし者なるが、(七)いふ『請ふ我をして刈者の後《うしろ》にしたがひて禾束《たば》の間に穂をひろひあつめしめよ』と、而して来りて朝(274)より今にいたるまで此にあり、其家にやすみし間《ま》は暫時《しばし》のみ」、(八)ボアズルツにいひけるは、
  女子よ聴け、他《ほか》の田《はたけ》に穂をひろひにゆくなかれ、又此よりいづるなかれ、わが婢等《しもめら》に離れずして此にをるべし、(九)人々の刈るところの田に目をとめてその後《うしろ》にしたがひゆけ、我|少者等《わかきものら》に汝にさはるなかれと命ぜしにあらずや、汝渇く時は器の所にゆきて少者《わかもの》の汲めるを飲め
と、(十)彼すなはち伏して地に拝して之にいひけるは、
  我如何にして汝の目の前に恩恵を得たるか、なんぢ異邦人なる我を顧みるとは
と。(十一)ボアズこたへて彼にいひけるは、
  汝が夫の死したるより己来《このかた》姑に尽したる事、汝がその父母および生れたる国を離れて見ず識ずの民に来りし事、皆われに聞えたり、ねがはくはエホバ汝の行為《わざ》に報いたまへ、(十二)ねがはくはイスラエルの神エホバ、即ち汝がその翅の下に身を寄せんとて来れる者、汝に十分の報施《むくい》をたまはんことを
 (十三)彼いひけるは、
  主よ、我をして汝の目の前に恩《めぐみ》をえさしめたまへ 我は汝の仕女の一入にも及ばざるに汝かく我を慰め、斯く仕女に懇切《ねんごろ》に語りたまふ、
 (十四)ポアズかれにいひけるは、
  食事の時は此にきたりてこのパンを食ひ、且つ汝の食物《しよくもつ》をこの醋《す》に濡らせよ
と、彼すなはち刈者の傍に坐しければボアズ  焼麦《やきむぎ》をかれに与ふ、彼くらひて飽き其|余《のこり》を懐《おさ》む、
 (十五)かくて彼また穂をひろはんとて起きあがりければボアズその少者に命じていふ、「彼をして禾束《たば》の間にて(275)も穂をひろはしめよ、かれを羞《はづか》しむるなかれ、(十六)且手の穂を故《ことさら》に彼がために抽落しおきて彼に拾はしめよ、叱るなかれ。」
解釈、「知己《しるひと》あり」ボアズはエリメレックの知人なりしのみならず又彼の親戚なりしは後に明かなり。
〇「ボアズ」は「活  撥なるもの」の意なり、「大なる力の人」とは豪家《がうか》を云ふ
〇「穂を拾はん云々」利未記十九章九節に曰く、
  汝らの地の穀物を穫《う》るときには汝等その田野の隅々までを尽く穫《か》る可からず、亦汝の穀物の遺穂《おちほ》を拾ふべからず、
 又申命記二十四章十九節に曰く
  汝田野にて穀物を刈る時もしその一束を田野に忘れおきたらば返りてこれを取るべからず、他国の人と孤子《みなしご》と寡婦《やもめ》とにこれを取らすぺし、然せば汝の神エホバ凡て汝が手に作すところの事に祝福《しくふく》を降したまはん、
 貧者《ひんしや》は畑に行いて穂の摘遺《つみのこり》を拾ひて食に充てしなり、国法に此制を設く、摩西法律の慈善的なる察すぺし。
〇「願くはエホバ汝等と共に在《いま》せ」又は「汝を祝《しく》したまへ」皆猶太人挨拶の語なり、その深実にして敬神的なる察すぺし、近時の猶太人も日常の挨拶に Salom aleychem「さろ−む、あれいへむ」の語を用ゆ、即ち平和(神の)汝にあれの謂なり、是使徒がその書翰に婁々《しば/\》用ゐし語調にして猶太人特有の語調なり、各国各々その挨拶の語ありと雖も如斯《かくのごとき》信実にして敬畏に富めるものはあらず。
〇「なんぢ異邦人なる我を顧みる」とはルツは異邦人として己の賤しめらるゝを知れり、是れ実に劣等国の民が優等国に至りし時の感なり。
(276)精神、天の恩恵《めぐみ》は坐して待つべからず、希望は労働にのみ存す、悲歎に沈みて只不幸を歎ずるものは神の教導に与かるを得ず、黽勉なるルツは殆んど乞食《こつじき》に均しき業なりと雖も彼女の姑の為めに喜んで之に従事せり、而して見よ皇天は孝女をその往くべき所に導き給へり、汝不幸の内に呻吟するものよ、憂苦を後にして働に行け、神は汝の為めに道を開き、終に汝の涙を拭ひ給はん。
〇異国の人にして来《きたつ》て「イスラエル」の中《うち》にあるもの(殊に貧困流浪のもの)は懇切と慈愛を以て接すぺしとは摩西律の緊要なり朱項なり、利未記十九章三十三、三十四節に曰く
  他国の人汝らの国に寄留りて汝とゝもに在らばこれを虐ぐるなかれ、汝等とゝもに居《を》る他国の人をば汝らの中に生れたるものゝ如くし、己の如くに之を愛すべし、汝等もエジプトの国に客たりし事あり、我は汝らの神エホバなり、
 又申命記十章十八、十九節に曰く、
  (エホバは)孤児《みなしご》と寡婦《やもめ》のために審判《さばき》を行ひ、また旅客《たびゝと》を愛してこれに食物と衣服とを与へたまふ、汝ら旅客《たびゞと》を愛すぺし、そは汝らもエジプトの国に客たりし事あればなり、
 其他枚挙するに遑あらず、之を其時の諾隣国《しよりんこく》に於ける異邦の人は直ちに擒にして奴隷となし、又は東洋諸国に於けるが如く常に傲慢苛酷を以て外人(特に劣等国民)に対せしに比すれば三千年前の猶太国民の風俗の遙に君子的にして優美なるを知るべし。
〇富豪《ふうごうボアズは一|賤婦《せんふ》が己が畑《はた》に穂を拾《ひら》ふを咎めず、反つて柔和を以て彼|女《をんな》を労はる、父なる神の実在を知るものに取りては、貧富貴賤の区分の存するなし、見よ雇人《やとひゞと》がその雇主に対する何ぞ親愛にして、雇主が雇人に対す(277)るも亦何ぞ慇懃なるを(四節)、雇主雇人の関係をして買人売人の関係の如くならしめ、後者は前者の奴隷にして、前者益々傲慢なれば後者をして益々卑屈ならしむることは真実に一神教を信ずる国に於ては決してあるべからざるなり、こゝに於てか近世経済学上の大問題たる資本家と労働人との軋轢は現然たる道徳の欠乏より来《きた》るを知るを得べし、富は遜《へりくだつ》て貧《まづしき》に接し、貴《たふとき》が賤《いやしき》に対するに礼と真実《まこと》とを以てせば、社界上経済上の難問にして氷解せざるもの幾何かある。
〇ポアズの謙遜に対してルツの謙退に注目せよ、ルツは四海|兄弟《けいてい》、男女同権を利用してボアズより保護と親切とを要求せざりしなり、天与の特権を利用して自己の利慾を充たし快楽と安然を得んと欲するものは此特権に与かるの資格を有せざるものなり、基督教が夫たるものに命じて妻たるものを労り見よと云ふを以て、妻たるものがその夫の慈愛に与かるを以て当然の事と思ひ、反て不遜を以て夫に迫り、親切の足らざるを以て彼を責むるが如きは、此種の無識を示すものにして、如斯妻は基督信徒たるの待遇を受くるの資格なきもの也、下婢たるものがボアズの行《おこなひ》を以てその主に迫り、ルツの受けし待遇を己に与へよと要求する時は、全然之を拒んで可なり、ルツは身分不相応の接待としてボアズの親切に与りたり(十節并に十三節)、即ち彼女は此接待に価値するものゝみならず、終には豪家の婦たり得る真価値を有せしものなり、ソロモン箴言十六章十八節に曰く
  驕傲《がうまん》は滅亡にさきだち、誇る心は傾跌《けいしつ》にさきだつ。
〇ルツの貞節已にホアズの耳に達せり(十一、十二節)、天に口なし人をして言はしむ、天に耳なし人をして聞かしむ、天使とは特種の霊を云ふにあらずして、神の心を有する普通人間を云ふなり、ボアズの如き是真正の天使《てんのつかひ》ならずや、英語の Missionary(宣教師)Minister(教法師、牧師)等の語は皆遣はさるゝもの〔七字傍点〕ゝ義なり、即ち人を(278)救ひ助くる為に遺はさるゝ人を云ふなり、而して心を尽し意を尽し神に事ふるものは何人も宣教師なり、牧師なり、即ち天の使なり、善人とは義務として特別に善を為す人を云ふにあらず、職業的の慈善と職業的の伝道とは吾人の最も忌嫌ふ所のものなり、真善人《しんぜんにん》の善は彼の常性として何人に対しても時と処とに関せず発表するものなり、見よボアズの善行は如何に自然にして如何に単純なるを、「是故に若し機会あらば衆《すべて》の人に善を行《なす》べし、信仰の徒には別《わけ》て之を行《なす》べし」(加拉太書六章十節)、善を行すに時と人と場所とを択ぶなかれ。
〇衿恤《あはれみ》あるものは福なり、其人は衿恤を得べければなり、(馬太伝五章七節)能く夫に事へて真《まこと》に、能く姑に事へて順なるもの如何でか衿恤を得ずしてやまんや。
 
     第四段 貧者《ひんしや》の孝養・援助の到来
 
 (十七)彼かく薄暮《よひ》まで田に穂をひろひてその拾《ひろ》ひしものを撲《う》ちしに大麦一斗許ありき、(十八)彼すなはち之を携へて邑《まち》にいり、姑にその拾ひし者を見せ、且その飽きたる後に懐めおきたる者を取出《とりいだ》して之にあたふ、(十九)姑かれにいひけるは、
  汝今日何処にて穂を拾ひしや、何《いづれ》の処にて工作《はたら》きしや、願くは汝を眷顧みたる者に福祉《さいはひ》あれ、
 彼すなはち姑にその誰の所にて工作きしか之を告げていふ、
  今日われに工作をなさしめたる人の名はボアズといふ、
 (二十)ナオミ?にいひけるは、
  願くはエホバの恩《めぐみ》かれにいたれ、彼は生ける者死ぬる者とを棄てずして恩をほどこす、
(279) ナオミ亦彼にいひけるは、
  其人は我儕に縁《ちなみ》ある者にして我儕の贖業者《あがなひゞと》の一人なり、
 (二十一)モアブの女ルツいひけるは、
  彼また我にかたりて「汝わが穫刈《かりいれ》の尽く終るまでわが少者《わかもの》の傍《かたはら》をはなるゝなかれ」といへり
と、(二十二)ナオミその?ルツにいひけるは、
  女子《むすめ》よ、汝かれの婢等《しもめら》とゝもに出るは善し、然《さす》れば他の田にて人に見らるゝことを免かれん、
 (二十三)是によりて彼ボアズの婢等の傍を離れずして穂をひろひ、大麦刈と小麦刈の終にまでおよぶ、彼その姑とともにをる。
解釈、「生ける者死ぬる者」、真正《まこと》の友人はその友の生けると死せるとに関せずその為めに尽すなり、ボアズは死せる親戚の為めに生ける遺族を助けしなり。
〇「他の田にて人に見らるゝことを免かれん」女子たるもの如何に零落すると雖も此知覚なかるべからず、以てルツの苦さを察せよ。
〇「小麦刈の終り」六月の未なり。
精神、姫鑑は左の記事を載せり、
  漢の陳孝婦は陳の国人《こくじん》の娘なり、年十六にてをとこあり、いまだ子なかりけるに、そのをとこおほやけ事によりて、遠きさかひに差遣《さしやり》ける、家を出でける時妻にむかひて、「我とほく出づれば生死さだめがたし、老いたる母ひとりあれどもこれを養ふべきはらからもなし、我もし帰らずばおことよくやしなはめや」といひ(280)ければ、やすくことうけして出だしやりぬ、然るにあのごとくをとこはかなくなりてかへらず、妻あけくれうみ紡ぎしてしうとめを養なひ、身をかたくまもりけり、をとこの為めに三とせの服はてぬるに及びて、さとの父母かれが年わかくて子もなくやもめとなりぬるを憐みて二たびこと人にあはせんとす、妻なげきていふやう、「ぬしわかるゝときに母の養ひをたのみおき、我これをうけたるに侍り、しかるに母をすて、養ひはてざるは義にそむけり、人といひつる事たがふるは信をうしなへり、義もなく信もなくてはいきて世にあるべき道なし」とて、みづから死なんとするもよひを見て、ちゝ母おそれて止みにけり、斯くてのち猶おこたりなくしうとめを養ひ、三十年をへて年八十あまりといふにしうとめはをはりぬ、その国の守《つかさ》より此事を奏しければ、孝文皇帝きこしめしてやがて勅使をたてられて、金をおほくたび、身ををふるまで公役をゆるされ、名を孝婦と給はりにけり、それ人のよめとなりて、しうと、しうとめに孝あること、をとこあり子ありてなさけふかきがゆゑなりと世のつねには思ふべけれど、さにはあらざるなり、一たびをとこに身をまかせぬる時より、ながく義をたて信をまぼりて、しうと、しうとめ、をば正しきわが親と見る故なり、をとこと子とのあるもなきもその道つゆたがふ事あらんや、孝婦此ことわりを明かに知るべし、をとことわかるゝとき、ともにいひつる事たがへじのために信義をたつべしといふは、たゞ父母にこたふる詞にて信義此ときより始まるにはあらざるぺし、
 東西無二理、誰か云ふ文明国の因て立つ聖書は自由の権利を女子に附与すると同時に支那的日本風の姑?の関係を打破するものなりと。
〇  “O brother,fainting on your road!
(281)  “Poor Sister whom the righteous shun!
  “There comes for you,ere life and strength be done,
  “An arm to bear your load.”――The Ode of Life.
  途に疲かるゝ我兄弟よ、
  義人の賤しむ我の姉妹よ、
  生命と力の尽きざる前《さき》に、
  荷重《おもに》を取去る援助《たすけ》来《きた》るぞ。
 
     第五段 老婦の訓命。禾場《うちば》の哀訴
 
第三章、爰に姑ナオミ彼にいひけるは、
  女子《むすめ》よ、我汝の安身所《おちつきどころ》を求めて汝を幸ならしむるにあらずや、(二)夫《それ》汝が偕にありし婢等を有てる彼ボアズは我儕の知己《しるひと》なるにあらずや、視よ彼は今夜禾場にて大麦を簸《ひ》る、(三)然《さ》れば汝の身を洗ひて膏をぬり、衣服《ころも》をまとひて禾場に下り、汝をその人にしらせずしてその食飲《くひのみ》を終《をふ》るを待て、而して彼が臥す時に汝その臥す所を見とめおき、入りてその脚を掀開《まく》りて其処に臥せよ、彼なんぢの為すぺきことを汝につげん
と、ルツ姑にいひける、
  汝がわれに言ふところは我皆なすべし
と、(六)すなはち禾湯に下り、凡てその姑の命ぜしごとくなせり。
(282) (七)偖ボアズは食飲《くひのみ》をなしてその心をたのしませ、往いて麦を積める所の傍に臥す、是に於て彼潜にゆき、その足を  撤開りて其処に臥す、(八)夜半《よなか》におよびて其人|畏懼《おそれ》をおこし起きかへりて見るに、一人の婦その足の方に臥しゐたれば、(九)「汝は誰なるや」といふに、婦こたへて「我は汝の婢ルツなり、汝の裾をもて婢を覆ひたまへ、汝は贖業者《あがなひびと》なればなり」と、(十)ボアズいひけるは、
  女子よ。ねがはくはエホバの恩典なんぢにいたれ、汝の後の誠実《まこと》は前《さき》のよりも勝る、其は汝貧きと富むとを論ぜず、少《わか》き人に従ふことをせざればなり (十一)されば女子よ懼るゝなかれ、汝が言ふところの事は皆われ汝のためになすべし、其はわが邑の人皆なんぢの賢き女なるをしればなり、我はまことに贖業者なりと雖も我よりも近き贖業者あり (十三)今夜《こよひ》は此に住宿《やど》れ、朝におよびて彼もし汝のために贖ふなれば善し、彼に贖はしめよ、然《さ》れど彼もし汝のために贖ふことを好まずば、エホバは活く 我汝のために贖はん、朝まで此に臥せよ
と、(十四)ルツ朝までその足の方に臥して誰彼の弁じがたき頃に起きあがる、ボアズ此女の禾場に来りしことを人にしらしむべからずといへり、(十五)而していひけるは「汝の着る袿衣《うはぎ》を将ちきたりて其を開けよ」
と、即ち開《ひろ》げければ大麦六升を量りて之に負はせたり、斯くして彼邑にいたりぬ。
 (十六)爰にルツその姑の許に至るに、姑いふ、
  女子よ如何ありしや
と、彼すなはち其人の己になしたる事をことぐく之につげて (十七)而していひけるは、
  彼|空手《むなしで》にて汝の姑の許に往くなかれといひて此六升の大麦を我にあたへたり、
(283) (十八)姑いひけるは、
  女子よ坐して待ち事の如何になりゆくかを見よ、彼人今日その事を為終《なしを》へずば安んぜざるべければなり。
解釈、「エホバは活く」誓の語なり、神我を見給へば我偽はらじとの意なり。〇「大麦六升は六|桝《せき》なり」殆んど我の二斗三|升《じよう》程なり。
精神、此章に対して起る第一の非難は、是醜行猥褻の記事なりと云ふにあらむ、余は聖書の記事なりとて醜を枉げて美をなさゞるべし、余は必ずしも高らかに此章を妙齢女子の前に読む事を勤めざるべし。
 然れども読者よ、汝は此記事を以て穢汚淫逸《くわいをいんいつ》の記事となすか、然らば再三之を熟読し見よ、而して汝が以て日本文学の経書と思ふ源氏物語、伊勢物語等の記事と比較し見よ、前者は憚らずして事実有の儘を記するも、後者は艶文麗詞を以て言ふに忍びざるの穢汚を掩はんとするが如し、汝知らずや、潔き人には凡の物のきよきことを、此装飾なき記事を見て淫念を起すが如きものは自己の無罪を疑ひて可なり。
 是或は時の風習なりしならん、(今より三千八百|年前《ねんぜん》の我国の風俗は如何なりしや)、或は法律上夫妻たるべきの資格を有せりとてルツの所置を恕《ぢよ》するも可ならむ、或はナオミの教唆にして倫理に外れしものなりと云ふも妨げなし、我等の注目すべき点は他《た》にあるなり、即ちルツがその姑の命を重ぜしにあり、ボアズの所謂少き人に従ふことをせざるにあり、男女の交際必しも禽獣慾の為めのみにあらざるなり、卑陋なる汝の標準を以て潔白男女の行為を評する勿れ。
〇ナオミは老練の婦人なり、彼女は配合の秘密を知れり、彼女の処置は道徳的にはあらざれども亦不道徳と称すべからず、如何なる母にして其娘子を新郎《はなむこ》に紹介せんとするに当て化粧装飾を勧めざるものやある、これ普通の(284)人情なり、聖書を読むに常に神学者的又は倫理学者的の眼《まなこ》を以てのみすべからず。
〇異教国の女子未だ自由結婚の奥義《おくぎ》に明かならず、只姑の命之れ重んず、女権拡張者の憫察する所なるべし。
〇小婦哀訴を為してより男女の間一礼を欠かず、ボアズの驚愕(八節)祝福(十節)教訓(十一、十二、十三)悉く厳にして悉く優なり、彼は近郷《きんきやう》の豪族にして齢已に高く、彼婦は異国の賤婦にして年はなほ少し、彼は彼女を呼ぶに「むすめこ」を以てし、彼女は彼を崇むるに(主《しゆ》)を以て称す、彼等をして終に夫妻《ふうさい》たらしめしものは義務にして情慾にあらず、義務的の結婚亦時には天の命ずる所ならざるを得んや。
〇ルツの哀訴、ボアズの承諾共に潔白なる良心よりす、然れども喃々《なん/\》たる世評或は汚名を以て貞操義?の名を穢さんことを懼る、如斯時に際しては秘密は分別《ぶんべつ》の命ずる所なり(十四節)、保羅曰く爾曹の善を以て人に謗らるゝことを為すなかれと(羅馬書十四草十六節)、ボアズの注意は当然なり。
 然らば良心潔白なる時は如何なる交際も之を避くるの必要なきか、余は此問に答へて曰ふ、
 一、義務を?《つ》くさんとするに当つては世評の喃々勿論顧るに足らず、然れども名誉は無益に放棄すぺきものにあらず、不注意なる男女の交際は誹謗を招くの危険最も多し、(殊に我国の如きに於ては)、出来得る丈けは避くるに若かず。
 二、自由を得るを機会として肉に循ふ勿れ、(加拉太書五章十三節)、心は万物《すべてのもの》よりも偽る者なり(耶利米亜記十七草九節)、我等は肉の欲する所に理を附会し易きものなり、聖書を懐《ふところ》にすればとて注意なき男女の交際は危険なしと云ふを得ず、暗夜に独り歩行する時、溺れんとする小女を救ひ、彼女を家に伴ひ行くは義務なり、驚怖《おそれ》戦粟《おのゝき》なく実行して可なり、然れども義務の要求せざる男女の交際に義務の名を附すべからず、快楽を目的とする(285)男女の交際を謹めよ。
〇豪富の人ボアズは貧者《ひんしや》の渋苦を忘れず、彼女の母に贈るに大麦六斗を以てせり、貧者は慰めの言《ことば》のみを以て送返すべからず、必ず之と共に実物〔二字右○〕を以てすべし(雅各書二章十五、十六)、猶太人《ゆだやじん》理想的の富んで善なる人の資格は左《さ》の如し、
   我もし貧き者にその願ふところを獲しめず、
   寡婦《やもめ》をしてその目おとろへしめし事あるか、
   または我独みづから食物を啖ひて、
   孤子《みなしご》にこれを啖はしめざりしこと有るか、
   ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
   われ衣服なくして死せんとする者、
   あるひは身を覆ふ物なくして居《を》る人を見し時に、
   その腰もし我を祝せず、
   また彼もしわが羊の毛にて温まらざりし事あるか、
   われを助くる者の門にをるを見て、
   我みなしごに向ひて手を上げし事あるか、
   然ありしならば肩骨よりしてわが肩おち、
   骨とはなれてわが腕折よ。  (約百記三十一章十六、十七、十九、二十、二十一、廿二節)
(286) 世に富めるものは多し、又善なるものに乏しからず、然れども「富んで善なるもの」これ世の最も要する所にして、最も得難きものなり、人の慈悲嚢は金嚢の膨脹すると同時に収縮するものなるが如し、二者正比例に膨脹するものは神の特別の恩恵《おんけい》に与りしものにあらざれば能はず。
 
     第六段 古代の相続・新婚の証認
 
第四章、爰にボアズ門の所にのぼ往いて其処に坐しけるに、前にボアズの言ひたる贖業人過りければ、之に言ふ「《なにがし》某よ来りて此に坐せよ」と、即ち来りて坐す、(二)ボアズまた邑の長老《としより》十人を招き「汝等此に坐せよ」といひければ即ち坐す、(三)時に彼その贖業人にいひけるは、
  モアブの地より還りしナオミ我儕の兄弟エリメレクの地を売る、(四)我汝につげしらせて此に坐する人々の前、わが民の長老の前にて之を買へと言はんと想へり、汝もし之を贖はんとおもはゞ贖ふべし、然《さ》れどもし之を贖はずば吾にしらしめよ、汝の外に贖ふ者なければなり、我はなんぢの次なり
と、彼「我これを贖はん」といひければ、(五)ボアズいふ、
  汝ナオミの手よりその地を買ふ日には死せる者の妻なりしモアブの女ルツをも買ひて死せる者の名をその産業に存すべきなり、
 (六)贖業人いひけるは、
  我はみづから贖ふあたはず、恐くはわが産業を壊《そこな》はん、汝みづから我にかはりてあがなへ、我あがなふことあたはざればなり。
(287) (七)昔イスラエルにて物を贖ひ或は交易《かへ》んとする事につきて万事を定めたる慣例《ならはし》は斯くのごとし、即ち此人鞋《くつ》を脱ぎて彼人にわたせり、是イスラエルの中《うち》の証《あかし》なりき、(八)是によりてその贖業人ボアズにむかひ「汝みづから買ふべし」といひてその鞋を脱ぎたり、(九)ボアズ長老および諸《すべて》の民にいひけるは、
  汝等今日|見証《あかし》をなす、我エリメレクの凡ての所有《もちもの》およびキリオンとマロンの凡ての所有をナオミの手より買ひたり、(十)我またマロンの妻なりしモアブの女ルツを買ひて妻となし彼《かの》死せる者の名をその産業に存《のこ》すべし、是かの名をその兄弟の中《なか》とその処の門に絶たざらしめんためなり、汝等今日証をなす、
 (十一)門にをる人々およぴ長老等いひけるは、
  われら証《あかし》をなす、願くばエホバ汝の家にいるところの婦をして彼《か》のイスラエルの家を造りなしたるラケルとレアの二人のごとくならしめたまはんことを、願くは汝エフラタにて能《ちから》を得、ベツレヘムにて名をあげよ(十二)、ねがはくはエホバが此若き婦よりして汝にたまはんところの子に由つて汝の家かのタマルがユダに生みたるペレズの家のごとくなるにいたれ。
解釈、「門の所にのぼり」、東方国の村落多くは石垣を以て繞りたる城邑《まち》なりし、而して城門は人民の集合所にして渾《すべ》ての公判を要する取引は此《この》処《ところ》に於て行はれしなり。
〇摩西律、民法、財産編、土地売買並に相続法は大概左の如し、
 地を売るには限なく売るべからず、地は我(神)の有《もの》なればなり、汝らは旅客《たびゝと》また寄寓者《やどれるもの》にして我とゝもに在るなり、汝らの産業の地に於ては凡てその地を贖ふことを許すべし、汝の兄弟もし零落てその産業を売しことあらばその贖業人たる親戚来りてその兄弟の売りたるものを贖ふべし、若しまた人の之を贖ふ者あらずし(288)て己みづから之を贖ふことを得るにいたらば、その売りてよりの年を数へて之が余《のこり》の分をその買主に償ふべし、然せばその産業にかへることを得ん、然《さ》れど若これをその人に償ふことを得ずばその売りたる者は買主の手に「ヨベル」の年まで在りて「ヨベル」に及びてもどさるべし、彼すなはちその産業にかへることを得ん、(「ヨベル」の年とは五十年毎に来るものと知るべし)。 (利未記第二十五章自廿三節至廿八節)
 故に土地は一種の世襲財産なりしを知るぺし、相続権を有するものゝ順序は左の如し、
  第一男子、第二女子、第三兄弟、第四父方の伯父、第五其他の親戚。
 相談人は勿論已に売却せし土地を買戻す(贖ふ)義務を有せり、エリメレクの場合に於ては子なく兄弟なく伯父なくして此責任は彼の遠き親戚なるボアズに及びしなり、「ナオミ地を売る」とは勿論人手に渡り居りし地を親近の相続人に贖はしめんとすとの謂なり、「モアブの女ルツを買《かひ》」は勿論エリメレックの世襲財産と共に彼女を引取るぺしとの意なり。
〇「鞋を脱いで彼人にわたせり」権利放棄の証なり、(申命記十五章九節参考)
〇「ラケルとレア」ヤコブの妻なりし事、創世記に明なり。
〇「タマルとユダとペレズ」(創世記三十八章を見よ)
精神、習慣と法律とが要求する相当の手続は必ず履行するを善《よし》とす、懇親友誼の故を以て之を怠るは後に危険多きのみならず、反て親密を破るの懼れあり、真正なる懇誼は律と礼の下にのみ存す、礼あるが為めに冷却する懇誼は放棄するも損耗《そんもう》なし。
〇エリメレックの縁家某はボアズの注意に依て亡族の遺産を贖はん事を約せしと雖も、之と共に異教国の賤婦ル(289)ツを娶らざるを得ずとの条件あるに依りて終にボアズに譲りたり、遺産を贖ふは善し、亡族の妻に子を挙ぐるは迷惑千万なり、依つて託言を造りて責を免かる(四、五、六節)、抑も彼をして此処に出でしめしものは如何なる理由に依るや。
 一、縁家の寡婦を娶り之に子を挙げて其家を続がしむるの制は普通|猶太人《ゆだやじん》の甚だ厭ひし処たりしが如し、故に摩西律は厳令を設けて此義務を果たさゞるものを誡めたり、(申命記二十五章五節より十節迄)、而して之を肯ぜざるものには厳罰あるの例を示せり(創世記三十五章六節より十節迄)、余輩は爰に此制の善悪を論ぜず、然れども義理を重んずる猶太人《ゆだやびと》は神聖なる義務として此律に循ひたり、然るに某は猶太人たるの責任を免がれんと勉めしなり。
 二、彼或は思へらく、亡族の妻に子を拳ぐるの責我之を忍ぶを得ん、然れども貶《いや》しむべき異教国の賤婦を娶るに至つては我の全く堪ふること能はざる所なりと、ルツの異教信者なりし事は彼の浅薄狭隘なる宗教心に取りては解除すべからざる妨害なりしならむ、或は外形の虚飾に止る彼の猶太教は彼が異教信者を娶りしとて世の批難せん事を恐れしならん、彼は多くの猿猴的《ゑんこうてき》の宗教家と均しく異教信徒の中に潜伏する道徳力を貫視するの眼《まなこ》を有せざりしならむ、彼は衣服又は面皮の上に現はるゝ美を推測し得るも隠徳の美を賞讃し得るの心霊的の技能を有せざりし人ありしならむ、即ち彼はルツの如き貞婦の夫たるの資格を有せざるものなれば、彼は平々凡々世と好憎を共にし、怜悧に甘《うま》く此世を渡るべし、然れども摂理は如斯平凡人間よりして世の救主《きうしゆ》を生まざるなり。
〇古人の祝詞に注意せよ(十一、十二)、何ぞ簡単にして意味深遠なる、是当世|人《ひと》の社交的挨拶にあらざるなり、(290)是|一《いつ》の虚飾に止まる祝文朗読にあらざるなり、是祝福にして祈  頑なり、之同情にして願望《ぐわんもう》なり、虚飾、虚言、虚礼、は婚姻の席を以て最も甚だしとなす、仏教徒|回々《ふい/\》教徒、基督教徒、無宗教徒皆然らざるはなし――悲夫。
 
     第七段 喜楽の回復・感謝の寡婦
 
 (十三)斯くてボアズ ルツを娶りて妻となし、彼の所にいりければ、エホバ彼を孕ましめたまひて彼|男子《なんし》を生り、
 (十四)婦女|等《ども》ナオミにいひけるは、
  エホバは讃むべきかな、汝を遺《わす》れずして今日汝に贖業人あらしめたまふ、その名イスラエルに揚れ (十五)彼は汝の心をなぐさむるもの汝の老を養ふものとならん、汝を愛する汝の  始、即ち七人の子よりも汝に善きもの、之をうみたり。
 (十六)ナオミその子をとりて之を懐に置き之が養育者《もり》となる、その隣人《となりびと》なる婦女|等《たち》之に名をつけて云ふ「ナオミに男子《をのこ》うまれたりと」其名をオベデと称《よべ》り、彼はダビデの父なるヱサイの父なり。
精神、「七代の子よりも汝に善き  娘」、嗚呼如何なる  鮎なりしぞや。〇女子の身に取りては子を挙ぐるに勝る名誉のあるなし、石婦は人類中の最も憐むべきものなり、詩篇百二十七篇に曰く、
  みよ子供はエホバの与へ給ふゆづりにして、胎の実はその報のたまものなり。
 聖書の著しき特徴として懐妊出産の事を記するに当つて少しも隠蔽する所なく、常に歓喜感謝の念を以て之を記載せり、世界文学中最も高遠なる最も優美なる讃歌は懐胎を以て恵まれし婦人の口より出でたり、即ちサムエルの母ハンナの歌(撒母耳前書二章一節より十節迄)、と、基督の生母マリヤの讃美にして世に讃美歌の王と称せられ、天主教会井に監督教会に於て Magnificat《マグニフイカート》と題せられてうたはるゝものなり、(路加伝一章四十六節より五十五節迄)、胎の実を以て恵まるゝを猶太婦人は称して「主わが耻を人の中《うち》に灑がせん為に眷顧みたまふ時」と云ふ、(路加伝一章廿五節、創世記三十章廿三節を参考せよ)、此恩恵に与かりし婦女子を見るに常に嘲弄的の語を以てし、妊婦自身もこれを耻《はづ》るに至りしは反つて世の淫風に進みしの徴候ならずして何ぞや。
〇全村挙りて寡婦《くわふ》の幸運を賀す、ナオミの名はマラと変更すべからざるなり(一章二十一節を見よ)、驚くべき摂理は「苦し」を変じて「楽し」となせり、神は驚愕を以て彼の子供を恵まんことを喜ぶ、闇黒をして払暁の先達《せんたつ》者たらしむる造物主は辛酸をして甘楽の先告たらしむ、美は反対の中《うち》に存すと、最醜最美と最辛最甘、最難と最楽とは共に相連続するが如し、是自然の法則にして人世の常道なるが如し、地質学を研究する人にして誰か破壊時期に続くに生物繁茂の現象に驚かざるものあらんや、国民の歴史を学ぶに当つて誰か大困雜は大隆盛の前兆たることを認めざるものあらんや、暗黒時代は開明時代に先つべき必要なり、而して神は我等の如き軟弱なる子供を導き給ふに、亦流星を空間に運転し、国民を塗炭の中より起し賜ふと同一の法則を以て為し給ふなり、小婦ルツ、ナオミの伝記は各人の伝記にして亦国民の歴史なり、宇宙の大法《たいほふ》なり、汝暗夜に独り涙に沈むものよ、汝の救は遠からざるなり。
 
     末段 大王の血統・賤婦の栄誉
 
 (十八)偖ベレヅの系図は左の如し、
(292)   ペレヅ   ヘヅロン を生み、
   (十九)ヘヅロン  ラム  を生み、
   ラム    アミナダブを生み、
   (二十)アミナダブ ナシヨン を生み、
   ナシヨン  サルモン を生み、
   (二十一)サルモン ボアズ を生み、
   ボアズ  オベデ   を生み
   (二十二)オベデ エサイ を生み、
   エサイ  ダビデ  を生り。
解釈、馬太伝第一章キリストの系図を参照すべし
精神、余は曾て聞けり、英国の貴族某は馬太伝壱章キリストの系図を読んで悔改《くいあらため》をなして神に帰れりと、そは彼は之に依て人生の果敢なきを悟りたればなりと。
 余は渠《か》の系図は道徳的何の用あるやを知らず、多分血統を重んずる猶太|人《びと》に向つてはキリストは国父アブラハム并に大王ダビデの正統なる血縁ありと証拠立つるの必要ありしならむ。
 然れども能く心を留《と》めて此系図を読むに於ては、我等は之を以て乾燥無味なる人名詞の連続とのみ見ざるに至るならむ、其内に真情の浮ぶあり、深遠なる意味を含む福音主義の説教の存するあり、若し余に少しく過大の言を許さるゝならば余は言はんと欲す、馬太伝壱章キリスト系図中に一大福音は胚珠として存すなりと、其第五節(293)に曰く、
  サルモン、ラハブに由つてボアズを生む、ボアズ、ルツに由つてオベデを生《うみ》、オベデ、エツサイを生、エツサイ、ダビデ王を生《うむ》、
 全系図中女子の名を挙ぐる僅かに三名、即ちタマルなり、ラハブなり、ルツなり、而してソロモンの母バテシパは故《わざ》と名を記せずしてたゞウリヤの妻と記す、蓋しかのダビデ大王の大瑕として存する彼の恥辱を有の儘に記するを少く憚かりたるものゝ如し(撒母耳後書第二章を見よ)、而して亦婦人タマルに関する記事も吾人の道徳的感情に訴ふべきものにあらず、(創世記卅八章を見よ、猶太|人《じん》の道徳観念より評する時はタマルの行為は正当なるものと見做せしが如し)、然れどもラハブとルツに関しては少しも遠慮憚る処なくして福音記者の筆に上りし如く見ゆ、信仰貞節の模範として彼等は猶太婦人中最も有名なりしものなり、彼等はサラ、レベカ、ミリアム、デボラ等《ら》と均しく歴史的の婦人として国民の讃誉する所なりし、而して福音記者が斯くも大胆に明白に此両婦人の名を此著しき系図中に記入せしは一つの大理由ありて然るにあらずや。
 ラハブとは誰ぞ、異郷国カナンの一婦人にして而も吾人が常に目して禽獣視する遊女たりしなり、然れども彼女の勇と真実とは師士ヨシユアの佐官サルモンの見る所となり、撰択を蒙《かふむ》りし神の国民がヨルダンの彼岸に住所を定めし後ち彼女は此勇将の妻となりたり、彼女はカナンの賤婦なりしも神の最恵国民中錚々の名あるに至れり、保羅は彼女の信仰を賞せり、雅各は彼女の行をたゝへたり、神は外形的の聖浄を求め玉はず、彼女の異教徒なりし事、彼女の遊女たりし事(読者熟慮せよ)は彼女が神に受納せられ、アブラハムの真正なる子女として算へらるゝに一の妨害たらざりしなり、誰か云ふ我儕の先祖にアブラハムありと、神は能く汝等が以て神に呪はれしもの
 
       (294)と見做せしカナン国の婦人、しかも遊女を取りてアブラハムの子と為《な》らしむべし、誰か云ふ、我儕は使徒彼得より連続する正統の監督又は牧師より洗礼を受けたれば真正の基督信徒なりと、神は汝等が常に蔑視する偶像信者を取り、神自身より聖霊を注ぎて監督も教会も要せざる実の基督信徒を造り玉ふなり。
 遊女ラハブと共にダビデ王の祖母として列せられ、「救世主の母」たるの栄誉に与かりしものは此モアブの婦人ルツなり、此異教国の賤婦にして特種の撰択にかゝり、終にダビデ大王の曾祖母たるに至りしは、エホバは心徳を顧み玉ふ神にして、人種宗教等の区別は彼の前には至少の価値をも有せざるものなることを世に示せしにあらずして何ぞや。
 吾人福音書を読むに、基督の攻撃の焼点たりしものは「パリサイ」の人なりしを見る、放埒なるサマリヤの婦人に対し、現行犯を以て引致せられし淫婦に対し、カナンの婦人に対し、常に温良にして寛恕なりし基督も、外面の行為に於ては厳格に、エホバの聖き名を尊崇《そんそう》するに於ては最も熱心なりし「パリサイ」人に対《むかつ》ては常に敵対の位置を採られ、彼等を責め、彼等を誹り、彼等を怒り、彼等を呪ひ、寸毫も彼等に仮借する所あらざりき、彼偽善者の例を挙げんとするや「パリサイ」人を摘示《てきし》せり、彼は「パリサイの人の義」なる片句を作り、彼の弟子達をして之を蛇蝎視せしめたり、学者と祭司と「パリサイ」の人と罪人とは常に相連続して基督の心中に存せしが如し、而して此罵詈を蒙りし「パリサイ」の人いかで基督を恕《ぢよ》すべきや、彼等は彼の終生の敵となれり、彼等は彼を倒さでは止まざりき、而して終に彼を倒せり、注意せよ、基督を十字架に釘《つ》けしものは基督と人種宗教を異にせしものにあらずして、彼の同国人にして然かも彼が彼の父と呼びしエホバの神の名誉の為めには最も熱心なりし「パリサイ」の人なりしことに。
(295) 基督をしてかくも「パリサイ」の人と敵対たらしめし理由は如何、同一の神を求め、同一の国を愛する基督と「パリサイ」の人は何が故に宥むぺからざる敵となりしや。
 「パリサイ」主義とは他にあらず、彼等は神の特撰に与かりしものと自信し、彼等以外のものは劣等人種と見做し、彼等が父としてアブラハムを有するが故に、彼等の祖父が神の啓示《けいし》に与かりしが故に、彼等は真理の専有権を有するが如く思ひ、終に自ら一個の心霊的階級を作り、宗教的貴族を編成するに至れり、而して基督をして彼の鋭鋒を単に「パリサイ」主義に向けしめしものは彼等に此貴族的の宗教観念ありしが故なり、神は万人の神にして一種族一国民一階叔の神にあらず、神は直接に我等の神にして神と我との間を何人も隔絶すべからざるなり、アブラハムの子たるものは彼の血統の子にあらずしてアブラハムの行《おこなひ》と心とを有するものなり、神の大道《たいだう》に秘伝のあるなし、霊と真《まこと》を以て真理を求むる人には神は直ちに彼自身を顕はし玉ふなりと、是基督の福音の原意にしで「パリサイ」教の土台を破砕するものなり、是即ち釈迦をして時の波羅門宗に反対せしめし理由なり、是即ちルーテルをして羅馬《ろま》の三層冠に対し呵責《かせき》の弾丸を注がしめし故なり.是実にシオド、バーカーをして自称正統派教師連の心胆を寒からしめし真理なり、「パリサイ」主義とは習慣と伝説を宇宙の真理の上に置くものにして、貴族的階級様の藩屏を作りて天帝を専用せんと試むるもの也、而して此偽善的|褻?《せつどく》的の主義は人類の歴史と共に始まり、ルツの時代に於ても、基督 保羅の時代に於ても、ルーテルの時代、パーカルの時代、今の時代教会に於ても、偽善者と権謀者と虚を好むものとが存する処には「パリサイ」主義の存せざるはなく、是此世が常に基督とソクラトスと釈迦とルーテルとレツシングとカーライルとを要する大理由なり。
 故に聖書中創世記より黙示録に至るまで直接に間接に「パリサイ」主義を攻撃せざるはなし、サレムの王メル(296)キセデックは其人と成を審にせざるに聖父アブラハムより尊従と貢とを受けたり、聖律の編纂家、聖民の最大政治家摩西は偶像国の一妃の養育する所となり、彼が国人の為めに難を避くるや、彼を流浪の地に擁護し、彼に婚せしむるにその女《ぢよ》を以てし、後又彼が彼の救ひ出せし猶太人の為めに苦めらるゝや、常に彼の顧問となり援助となりて彼を補佐せしものは、アブラハムの子孫にあらずして亜拉此亜の遊牧者エテロなりき、常に預言者に迫害せしものは猶太|人《びと》なり、常に彼等を庇保せしものは異邦人なりし(ダビデ、エリヤ等の例を考へよ)、故に預言者は熱心なる愛国者たるに関せず常に異邦人の弁護者の位置に立ちて猶太人民を誹謗せり、基督は実に平民貧民異教人種の特別なる友人として現はれたり、彼は曰く、
  われ爾曹に告げん、多の人々東より西より来りてアブラハム、イサク、ヤコブと偕《とも》に天国に坐し、国の諸子《こども》は外の幽暗《くらき》に逐出《おひい》だされ其所にて哀哭切歯《かなしみはがみ》することあらん、    (馬太伝八章十一、十二節)
 而して彼は終に彼の国人の殺す所となれり、降《くだつ》て使徒保羅に至《いたつ》ては、タルソの学者は異教国伝道を以て自ら任じ、異教人を弁護するを以て彼の栄誉となし、此職の為めに消費せられて異国の鬼となりて失せり、「パリサイ」主義反対は左の簡短にして有力なる保羅の語に於て其頂点に達せりと称《いい》つべし、
  神は独ユダヤ人のみの神なる乎、また異邦人の神ならずや、然《しかり》また異邦人の神なりと、        (羅馬書三章二十九節)
 余は云ふルツの記事は小は小なりと雖も是又猶太人民の心霊的驕傲を圧抑せんが為めの事実的教訓なりと、異邦人も猶太人たり得べし、異教信徒も神の特種の恩恵に与かり得べしとの教義は最も明瞭に路得記の訓ふる所なり、而して福音記者が特に遊女ラハブ異教徒ルツの名を基督の系図中に掲載せしものは又深遠なる此奥義を其中(297に存せんが為めにあらずして何ぞや。
 「パリサイ」主義は其出づる処は一なりと雖も其取る所の形は種々なり、其宗教的貴族として世に跋扈するや、基督ありソクラテスありて平民的の生涯と教理とに依つて彼等を打破せり、其儀式的僧侶階級として世を欺くや、クロムエル、フホクツスありて之を砕けり、而して世には又ラハブとルツの現出を要する「パリサイ」主義の存するあるあり。
 正式の按手礼を受けし教師より洗礼を受けしの故を以て自ら正統派基督信徒なりと称し、女権拡張を談じ、社会改良を以て任じ、洋琴を弾ずるを知ると雖も其|良夫《をつと》を慰むるを知らず、三位一躰論を口ずさみすると雖も如何にして飯を炊ぐか其法を識らず、孤児の養育法を論ずるも己の子供の襤褸を繕ひ得ず、親睦会の席を好んで家政の整理に注目せず、世人に愛の道を説いて舅と姑を慰むるを好まず、聖書の語を引用して新夫婦別居論を唱へ、而して常に憐憫を以て未信者社界の婦人を見、女大学主義を以て野蛮人種の教誡なりと嘲ける一種異様の婦人が代表する「パリサイ」主義に対しては路得記は最も功験ある解毒剤なり。
 路得記は明々白々に此種の「パリサイ」の婦人に教へて言ふ、宗教学校に学ばざるも、牧師の教訓に与からざるも、洗礼を受けざるも、親睦会に臨まざるも、英語を解せざるも、洋琴を弾じ得ざるも、否な、未だ聖書に手を触れし事なきも、謙遜誠実に女大学主義を履行するものゝ中《うち》に反て神意に叶ふものありて、木石像に願を込むるものゝ中に「アーメン」を唱ふる婦人に勝る真正の基督教婦人のあるを証するものなり。
 慰めよ汝貧家の女王にして台所の総督者たるものよ、汝の仕事の小なるは其高尚ならざるの証にあらず、汝が汝の姑と舅とに仕ふるに依つて社交的婦人たるを得ざるが故に汝は世に大事を為し遂げ得ずと思ふ勿れ、天の(298)与へし位置、是我等が世界を動かし得るの位置なり、エプウォルスの勤勉なる母は世界にウエスレー兄弟を与へたり、良夫の父と母とを護り、彼をして内に顧みる所あらざらしめ、以て彼れに偉業を成し遂げしめし賢婦良妻何ぞ多きや、女子は国会議員の当票権を有せずとて実力を有せざる民にあらず、慈母の推察、淑婦の微笑、是英雄を左右し得るの力ならずや、社会の裏面に在て之を支配し得る汝の位置は実に天使の羨む位置也。
 トマス、カーライル曾て小説の著述に従事せんと欲して彼の意見を問ひし婦人某に書を送つて曰く、
  余は未だ御身の事に関して甚だ不案内なれば如何なる助言をなして可なるや之を知らず、然れども唯一の言ふべき事あり、若き婦人の重なる職任と目的は敢て小説を書くに非ずして(其未だ世事に通暁せざる時は殊に然り、否飽まで之を熟知するに及んでも尚然らん)、却て一家の女王となりて女王の如く婦人の如く家事を経営するにあるなり、希くは其全心全力を以て此方向に向けよ、自己の小説は暫時若くは永久に之を推放《おしや》るを可とす、加之《しかのみならず》他の小説を読む事といへども亦之を避くるに若かず云々。
 詩人ホウヰチヤルの詩に「充たされし希望」と題して左の極美なる一編あり(翻訳は美ならず)
 
   学校|帰《かへ》りのふたりの女子《むすめこ》、
   たがひの目的問ひ合せしに、
   彼女は云へり、妾は女王となりて治めん、
   是女は云へり、妾は広く世界を見んと。
 
(299)   年経て後に復た会ひし時、
   たがひの位置を問ひ合せしに、
   彼女は云へり、妾は実に女王となれり、
   貧しき人の妻にはあれど、
 
   楽しき家族は妾の民なり、
   実なる夫は妾の王なり、
   愛の勤は妾の律なり、
   そなたは如何に成行きにしや。
 
   是女は云へり、広き世界は昔も今も
   未だ見ぬ国となりてのこりぬ、
   愛と義務との境《さかえ》を越えて、
   妾の足は出《いで》しことなし。
 
   広き世界のその音信《おとづれ》に
   妾は耳を傾けもせず、
(300)   妾の母の病の寝間は
   妾の世界にあるぞかし。
 
   両人《ふたり》互に手を取り合せ、
   喜び涙にむせびて泣けり、
   神は幼時の願を聞けり、
   我等の望み充たされたりと。
 
 言ふ勿れ東洋的の姑舅《こきう》の圧制は我の忍ぶべからざる所なりと、爰に使徒彼得の言を聞け、
  僕《しもべ》(?と読め)なる者よ、畏懼《おそれ》を以て主人(舅姑《きうこ》と読め)に服ふべし、只|善良者《よきもの》柔和なる者にのみならず苛刻者《なさけなきもの》にも服ふべし、人もし受くべからざる苦難《くるしみ》を受け神を敬ひて之に忍ばゞ嘉《ほむ》べき事なり、爾曹もし過をなし撻《うた》れて之を忍ぶとも何の嘉むぺき事ならんや、されど若し善をなし苦められて此を忍ばゞ神に嘉称《ほまれ》を得べし、爾曹の召されたるは之が為めなり、蓋《そ》はキリスト爾曹の為めに苦をうけ、爾曹をして己の跡に随はせしめんとて爾曹に式《かた》を遺し給へばなり、かれ罪を犯さず、又その口に詭譎《いつはり》なかりき、かれ詬《ののし》られて詬らず、苦められて詞セ《はげしきことば》を出《いだ》さず、只義を以て鞫《さば》く者に之を託《まかせ》たり、かれ木の上に懸かりて我儕の罪を自ら己が身に負ひ給へり、是我儕をして罪に死《しに》て義に生《いか》しめん為めなり、彼の鞭?《むちうた》れしに因て爾曹|医《いや》されたり、それ爾曹はもと羊の如く迷ひたりしが今なんぢらの霊魂《たましひお》の牧者監督に帰れり。  (彼得前書二章十八節より廿五節)
(301) 基督教が家族制度を改良するは其奴隷制度を廃止せしと同一なる方法に因らざるべからず、即ち先づ長者《ちやうしや》をして少者に対する義務を悟らしめ、終に上《かみ》に立つものをして自ら其下に立つものゝ束縛を解かしむるにあり、言《げん》あり曰く、基督教は奴隷持主を教化して奴隷を放免せりと、最も穏当なる改革は上より実行するにあり、下より強ひて之を要求するに至るは実に非常の手段にして、其害たるや上下《じやうか》隔絶して再び元に復すぺからざるに至る、是欧洲諸国に於ける社会改革と称するものが大に社会を益せしと同時に亦害を千載に遺せし理由なり。
 然らば長者の教化する迄は少者は何時迄も忍ぶべきやといふものあらん、余輩必ずしも然りと云はず、只余輩の記臆すぺき事あり、即ち情誼の上に立つ家族制度を以て権利の上に立つ国家制度の改良と同視すぺからず、国家改良|耐忍《にんたい》と従順を要する多し、況んや家族の改良に於てをや、縦令《たとひ》基督教が現今の我国家族制度を以て人情に戻るものなりと教ふるにもせよ、(而して余輩は未だ其然る所謂《ゆえん》を知らず)、直《たゞち》に従来の習慣と感情とに逆ひ、女権子権を主張して欧米の制度に倣はんとするが如きは最も非基督教的の所置なりと謂はざるを得ず。
 或人は汝に告げて曰はんか、聖書は明白に姑舅より別居することを教ふるなれば、汝は汝の夫に請求して汝の為に新屋《しんをく》を構へしめよと、而して創世記二章二十四節を引いて曰はん「是故に人は其父母を離れて其妻に好合《あ》ひ二人一躰となるべし」と、然れども余は汝に告げんと欲す、此一節は如斯教訓を我等に伝ふるものにあらざるなり、「なるべし」とは「せよ」との命令にはあらざるなり、漢学先生に行いて問ふて見よ、可の字は命令詞にあらざるを汝に告ぐべし、洋学者に行いて問ふて見よ、彼は汝に告げて曰はん、英語の Shall leave の Shall は聖書が英語に訳せられし時は命令的助動詞として用ゐられざりしなり、(彼はウエブストル大字典を開ひて汝に示すべし)故にルーテルの独逸訳には Wird verlassen と訳して少しも命令の意を存せざるなり、保羅の使用せし(302)希臘訳(以弗所書五章三十一節)は「離べし」を Katalepsei と訳せり、是希臘文法にて倫理的未来動詞(Ethical future)と称するものにして、物の事実を意味して訓命を謂ものにあらず、若し「離れて一躰となるべし」が汝を躓かするならば汝之を「離れても一体となるべし」と読べし、然らば此一節は汝に取て最も慰め多き一節とし存するを知るに至らん
 即ち汝の愛する汝の夫は彼の心情に於ては父母を離れても汝と共ならんと思ふ程に汝を愛するものなり、汝は今は彼に取つては最も親密最も親愛なるものなり、然れども彼に其父母に対するの義務と情誼あり、彼は汝が彼を援けて彼の老父母を擁護せんことを要むるなり、汝の最愛の夫を保育せし父母是実に汝自身の父母にあらずや、汝の夫の愛の為めに汝は喜んで此責に当るべきなり、嗚呼ルツの淑徳をして汝の亀鑑たらしめよ、彼女は猶太人の理想的婦人にして亦我日本国の理想たり、彼女の如く真実に、彼女の如く従順に、彼女の如く勤勉に、彼女の如く謙遜に、汝の生涯をあらしめよ、彼女の如きが真正のアブラハムの孫女なり、彼女の如きが真正の基督教婦人なり、而して彼女の如きが真正の基督教的貴婦人なり、そは彼女は使徒彼得の貴婦人の定義に適ひたればなり、彼は曰く、
  爾曹の妝飾《かざり》は髪を辮《くみ》、金《きん》を掛けまた衣を着るが如き外面《そと》の妝飾にあらず、たゞ心の内の隠れたる人すなはち壊《やぶ》ることなき柔和|恬静《おだやか》なる霊を以《も》て妝飾とすべし、此霊の妝飾は神の前にて価|貴《たか》ものなり、        (彼得前書三章三節四節)
 然りボアズはモアブの婦人ルツを娶つて摩西律を犯さざりしなり、否エリメレックの親戚某は彼女を避けて反つて摩西律を犯せしなり、異教信徒と婚を結ぶ勿れとの精神は勿論心の異教信徒を謂ふものなるは余の弁明を待(303)たずして明かなり。
 我等は保羅の言に順ひ不義とは侶《とも》ならざるぺし(仮令その不義なるものは正式の洗礼を受けたる者なるにもせよ)、不信者とは心に割礼を受けざるものを言ひ、信者とは神の聖旨に従ふものを言ふなり、我等の判決をして常に倫理的たらしめよ、然らば我等は誤まらざるべし。
 
(307)     『伝道之精神』
                 明治27年2月10日
                 単行本
                 署名 内村鑑三 著
 
(308)   〔中屏〕 我かさねてエホバの事を宜ず又その名をもてかたらじといへり 然どエホパのことば我心にありて火のわが骨の中に閉こもりて然《もゆ》るがごとくなれば忍耐《しのぶ》につかれて堪難し
              (耶利米亜記第二十章九節)
 
   緒言
 
 余輩俗界の者、屬々筆を弄して啄を神聖なる伝道事業に容る、若し之をなすの必要あるにあらざれば余輩の罪実に大なり、然れども余輩も自ら称して基督信者となすもの、今や教勢衰退の声を耳にするに当て全く黙し難きあり、且亦書を寄せられ或は寓居を訪はれて余輩の愚考を促がさるゝの向も尠なからず、是れ余輩をして再び爰に一言するの鉄面皮に至らしめし理由なり、世の批評を以て任ずる人士にして余輩に帰するに悪意を以てせらるゝ事なくば幸甚。
  明治廿七年一月廿七日         京都に於て 著者識
 
   目次
 
一、伝道の精神……………………………………………三〇九
  其一、衣食の為にする伝道…………………………三〇九
(309)  其二、名誉の為にする伝道……………………三一二
  其三、教会の為にする伝道…………………………三一六
  其四、国の為にする伝道……………………………三一八
  其五、神の為にする伝道……………………………三二四
  其六、人の為にする伝道……………………………三二六
一、理想的伝道師〔1巻に収録〕
一、如何にして宗教界今日の乱麻に処せん乎…………三四〇
 
   伝道の精神
 
     其一 衣食の為にする伝道
 
 同じく之れ伝道なり、然れども之に従事するものゝ精神は一にして足らざるなり、最下等の精神あり、最高尚の精神あり、伝道の成否単に之に従事するものゝ精神にあり。
 伝道の精神として最下等なるものは職業として之れに従事するにあり、即ち衣食を得るの策として此の聖職に就くにあり、余輩此種の伝道に就て言を費すの必要なきが如し、然れども其実際世に行はるゝを如何せん、余輩の之を弁ずる実に止を得ざるに出るなり。
(310) 職業の念勿論全く排除すべきにあらず、此実際的社会に生れ来りて職なきものは世に存するの権利を有せざるものなり、全く排除すべきものは懶惰《らいだ》なり、無職なり、余輩は無為に時日を消費するよりは寧ろ職業を伝道に求むることを撰ぶものなり、職業的伝道たりと雖も無業無職に優る万々なりとす。
 然れども伝道は職業として最も不適当なるものなり、其報酬の常に少くして之に従事するものゝ労力を償ふに足らざる其一なり、其精神的事業として之に従事するに報酬の念を以てすれば直にその本性を失ふに至る其の二なり、此二大理由は伝道事業をして衣食を得るの途としては之を余輩の思想外に撤去せしむるに足る。
 然れども之を実際に徴するに職業として伝道は世に行はれつゝあるなり、欧洲天主教国に於ける監督領地の世襲《せいしゆう》財産として存するが如き、英国に於ける教会附属の常歳入ありて之を売買に附するが如き、普魯士国に於ける国立教会の牧師の任は官吏登用法に等しき撰抜法を以て適任者に附与せらるゝが如き、是れ全く伝道の聖職を職業の用に供せしむるものなり、故に往々にして宗教観念に乏しきものが之に従事する事あり、或は賄賂の使用に依て監督領地を法王に乞ひ乳臭の幼児をして名義上の監督となして之を領せしむるあり、或は教会附属の不動産を買収し、己れ自らは牧会事業に従事せずして、他に薄給なる教師を雇ひ、僅かに名義上の儀式を掌らしむるあり、或は甚だしきに至りては無神論者彼自身が神学研究の後牧師採用試験に及第し、後は日曜日毎に古代有名なる宗教家の説教文を朗読し以て其職に甘ずるあり、是等は純然たる職業的伝道にして余輩は之に伝道の名を附するを惜むものなり。
 事爰に至らずとも伝道を以て家計を立つるものは決して尠なからざるなり、而して余輩は全く之を非難せず、保羅曰はずや「労者《はたらくもの》は其値を受くべき也」と、然れども人あり若し職業の念を以て伝道に徒事せんとするもの(311)あれば、余輩は太《いた》く彼の非を唱へざるべからず、如何となれば彼は彼の目的を達し得ざればなり、公衆も彼も彼の事業に就て失望すべければなり。
 何故に彼は彼の目的を達し得ずと云ふや、余輩は云ふ、彼にして若し活路を得るの目的あらば、彼の伝道の為めに消費すべき労力と思考とを他の事業に消費せよ、然らば彼は必ず幾層倍の報酬を得ること難からざるなりと、職業としては伝道は最も終始相償はざるものなり、数年問の神学攻究を科学又は工学の攻究に向けよ、其硬堅なる貨幣として汝の勉学を償ふに至つては汝を満足すること実に十数倍の多きや論を待たざるなり、汝世の安逸を得んが為めに神学を研究するの愚を学ぶ勿れ。
 何故に彼の事業は失望なりと云ふや、余輩は云ふ、公衆と彼の教会とは直に彼の精神を洞察し、彼の訓誡と教導とに全く信を置かざるに至るべければなりと、職業的の観念は社会一般を支配すれども社界は其教誡師に此観念の存するを許さず、社界は金銭を欲せざる教師に之を給するを好んで之を欲するものに給するを好まず、汝の欲する金銭は社会が汝に給するを好まざる所のものにして、社界が汝より欲することは汝が彼等より之を欲せざらんことなり、故に報酬を目的とする伝道は社界の請求に反する事業なれば、汝は社界に於て失望し、社界は汝に於て失望するや必せり。
 見よ伝道事業の失敗困難は多分は金銭問題より来るを、教師は位置を維持せざるべからず、然らざれば彼の妻子は明日より饑餓に泣かざるを得ず、彼は他に職を求むるの術を知らず、伝道を辞するは実に彼と彼の家族とが世の路頭に迷ふなり、進んで彼の良心の命を重んじ、大胆に教会の弊を矯めんとせんか、彼の保ち得べき惟一の位置の危きを如何せん、退ひて之を黙許に附すべきか、正義の人の攻撃を如何せん、正義は常に貧者に存して富(312)者《ふうしや》に存せず、彼の使命は前者を保護するにあり、然れども彼の職業的の観念は彼をして後者を弁護せんことを要す、彼は何方へか組せざるを得ず、彼は終に富者と組す、貧者は彼の不義を唱へて止まず、富者も心中彼の卑陋を貶視し、彼を師として信ぜざるに至る、此に於てか彼の目的両ながら敗れ、道を伝へ得ず、活を得る能はず、彼は終に天と人とを恨み、回復すべからざる失望に身を沈むるに至る、是れ職業を目的として伝道に従事するものゝ常道なり、余輩は云ふ、活路を伝道事業に得んとするものは自己の身を最大危険に置くものにして、社界に大障害を来すものなりと、伝道は職業として従事すべからざるなり。
 
     其二 名誉の為めにする伝道
 
 名誉心又た伝道の精神として全く存せざるにあらず、男子各々青雲の志あり、人生五十|耻無功《こうなきをはづ》、我何ぞ一事をなして名を後世に伝へざらんや、或は武を以て世界を震動せしむるも可なり、或は文を以て天下に覇たるも可なり、百万の富を積んで豪家を以て轟くも可なり、然れども我に甲鉄を挫くの武力あるなく、我の才名天下を風靡するに足らず、我の蓄財力は我をして鉄道王たらしめずば、我に尚ほ一事業の我の功名心を充たすべきものとして存するあり、即ち一大宗教家となり、大教会を起し、普く天下を遊説し、大に民の心を収攬し以て天下を指揮するに至れば、我の成効反つて大政治家大軍人の上に出づるにあらずや、語あり曰く「宗教家は帝王の帝王なり」と、人心を左右し得る宗教事業、是れ実に大人物の従事すべき業なり、彼小心なる者よ、政治界に奔走し費す処多くして得る処少なし、燐むべきは実に彼ならずや、彼慾望なき者よ、全身を投じて宇宙の一隅を覗き、以て学術家を以て自ら任ず、賤むべきは実に彼ならずや、貧すると雖ども我の如き高尚なる職に在るものはなし、(313)雷名未だ天下に轟かざると雖も我の如く実権を握る人はあらじ、我は宗教家にして尤も勢力あるものなり、我はキング(王)なり、彼等奴輩何ぞ共に語るを得んやと。
 是又弱からざる精神なり、所謂パリサイ人なるものは此精神を以て宗教事業に従事せし人なり、羅馬法皇多くは此種の人物なりしと、仏のリシエリヤ、マザリンの輩は疑もなき此種の僧官なりし、反対者は云ふ、ルーテル、ノツクス等の宗教改革事業は素と此精神なりしと、日蓮聖人は全く政治上の失望家なりしと、モハメツト教は此精神に出しに因り終に剣を弄して伝布さるゝに至れりと、宗教と名誉心とは素性元より天地の別ありと雖も、実際上甚だ配合し易きものにして余輩時には之を判別するに甚だ困しむなり。
 功名心実に人生の大主動力なり、人その為めに生命を捨てし事決して尠なからず、真理にあらざれば人は其命を犠牲に供せざるべしとは決して歴史上の事実にあらず、生命を捨ること必ずしも真理の証明にあらざるなり、然らば如何にして愛に励まされし宗教と功名心に励まされし宗教とを判別し得るや、之時には実際的の大問題なり。
 人生の事勿論百年の後を待たざれば曲直を定むる難し、コロムウエルの如きあり、二百五十年を経て始めて彼の心事を世界に弁護するものあるに至れり、誤解せらるゝは真英雄の特徴なるが如し、存命中に持囃さるゝ人にして百年の後に聖人として仰がるゝものは至つて少きが如し、然れども樹は其|菓実《み》を以て知らる、羊は其牧者の声を識別す、我等若し誠実の人ならんか、我等誠実の人を識認して誤らざるべし、否な佞者も佞人の佞を知る、佞者に仰がるゝ、是れ彼佞入たるの大徴候なり。
 功名心は謀略先見に富む、然れども誠実直視の明瞭なるに如かず、彼は弁を弄して彼の自説を維持せんとし、(314)是は直言直行只確信の証すべきあり、彼は利に因て事物を判決し、是は義に因て価値を定む、彼に冷算的の計画あり、是に丹心の自ら天意に任すあり、彼は他人に面するに先づ能く其性を探て而して後に語る、是は耿々たる一片の精神万人の前に吐露するあるのみ、彼若し他人の難にあるを聞けば一片の助言を投じて後寝食常に異ならず、是は憫憐の情交々起て難者の救に与かる迄は不安禁ずる能はず、彼は喜んで富者を訪問し義務として貧者を見舞ふ、是は貧者に会するを楽んで富者に接するを厭ふ、彼は競争者の零落を悦び、是は反対者の失敗に落涙す、彼は己に伏するものを好んで狷介独立の性を忌み、是は服従を憎んで剛直を愛す、彼は方法なり、是は精神なり、彼は弁舌なり、是は感情なり、彼は技術なり、是は自然なり、功名心に起りし宗教事業は複雄混乱なるものにして、之を維持するに絶世の才力を要し、数多の教則契約の類に依らざるべからず、複は偽を証し、単は真を証す「是是《しかり/\》、否否」此より過るは悪より出るなり。
 功名心を伝道事業に逞ふせんと欲す、褻?罪《せつとくざい》之より大なるはなし、故に自然は劇烈なる淘汰法を設け、此種の慾望をして地上に成効せざらしむ、即ち宗教家の嫉妬心是なり、世に怨敵の最も甚だしきものを宗敵と云ふ、之に勝るの嫉妬心なければなり、弓矢取るものに強敵を敬するの念あり、上杉謙信が武田信玄の死を聞て箸を投じて痛哭之を久ふせりとは此敬意を表せしなり、政敵亦恕するに大量を以てするあり、然れども宗敵に至ては全く然らず、之を地の極まで追窮して尚ほ飽き足らず、之を恥辱の淵に沈めて少しく慰愉の感あり、仏人メネンデー(Menendey)彼の国人リボー(Ribaut)を米国に於ける仏国植民地に擁し、後者が新教徒なるの故を以て彼と彼の従者とを虐殺し、彼の皮を剥ぎ、之を数片に断ちて故国の親戚友人に贈り以て異教徒滅亡の紀念に存せりと、人情なり、愛国心なり、普通道徳なり、宗敵を困めるの術に於ては全く亡却せらるゝが如し、社会的罪人は免すべ(315)し、宗敵は免すぺからず、国事犯罪人は減刑すべし、宗敵は増刑するも可なり、他教徒は恕すべし、宗敵は恕すべからず 無神論者に対する寛容論は維持するとも我の宗敵、ヽヽヽヽヽ彼は我と宗教を同ふするが故に我彼を悪む益々切なりヽヽヽヽ我の宗敵に対する寛容は寸毫も我の胸中に存せざるなり、我は彼の咀呪《のろひ》を祈るものなり、我は彼の成功を厭ふものなり、彼の風彩何ぞ醜なる、彼の説教何ぞ無味なる、彼の事業は野望的なり、彼の宗教に政略多し、我は実に彼の存在を忍ぶ能はざるものなりと、神聖なる宗教界に此殺気の存するあり、余輩は事の奇怪に驚く、然れども歴史と視察とは此怪事の空想ならざるを示す。
 故に宗教界に起たんと欲するものは此殺気に触るゝの覚悟なからざるべからず、モハメツトが難をメヂナに避けしが如く、ソクラトスが矢鳩答毒を飲ざるを得ざるに至りしが如く、基督が十字架の死刑を受けしが如く、宗教家として実効あるものは他の宗教家の迫害追究する処となるは歴史の常例なり、是れ過敏の清士が宗教界を忌むの大理由なり、預言者エレミヤ曰く「噫主エホバよ視よわれは幼少により語ることを知らず」と、然るにエホバは彼に告て曰く、
  なんぢ彼等の面を畏るゝ勿れ、蓋《そ》はわれ汝と偕にありて汝を救ふべければなり (耶利米亜記一章八節)
 大宗教家は好んで宗教事業に従事せず、ルーテルなり、ノツクスなり、彼等の世に出でしは止を得ざるに出でしなり、誰か宗教界の喧争罵詈に堪ゆべけんや、我をして平安に神命に歩ましめよ、神我を愛す、我の望みは足れり、我は公見を懼る、宗教事業の如き決して我の欲する処にあらざるなりと、是真宗教家の真精神なりし、是摩西の精神なりし、是コロムウエルの精神なりし、宗教界を以て功名を博する場所なりと信ずる人は未だ宗教の何物たるを味はざる人なり。(318)自己を愛する人なり。
 故に教会の為めにする伝道は自己の為めにする伝道にして、即ち余輩の論ぜし第二種の精神……功名心《こうめいしん》……と同一の主義に基きし伝道なり、如斯伝道は直に争論を惹起すに至るは理の最も睹易きものなり、或は伝道地の競争となり、或は信徒の取合となり、而して信徒を増加するの念甚だ切なるより、未だ教義を解せざるものを引て我教会員たらしめ、為めに教紀を紊し、教会は常に法廷の状を呈し、彼を裁き、是を正し、批評論判絶ゆる間なく、目的とする人霊の救済、善事の施行は措て問はざるに至る、是教会拡張を主眼とする伝道の避くべからざる常路なり、雅各曰く
  爾曹の中の戦闘《たゝかひ》と争競《あらそひ》は何より来しや、爾曹の百体の中に戦ふ所の慾より来しに非ずや、爾曹貪れども得ず、殺すことをし嫉ことを為ども得こと能はず、爾曹争競と戦闘《いくさ》せり、爾曹は求めざるに因て得ざる也         (雅各四章一、二、)
 教会の為めにする伝道は愛と平和を此世に来す伝道にはあらざる也。
 
     其四 国の為めにする伝道
 
 利慾|功名《こうめい》の為めにあらず、又狭隘なる宗派心の為めにあらずして、国の為めにする伝道あり、爰に至て伝道は私慾名利の下界を脱して大義公益の性を帯るに至る。
 愛国の情是吾人の至誠なり、此一種の感情、我之を分析する能はずと雖も、我の心思を奪ひ、我の生命を縛し、我をして之が為めに生き、之が為めに死するも尚ほ之に報ゆるの足らざるを感ぜしむ、我の我が国に対するは人(319)のその母に対するの情なり、我は思はずして之を愛し、之に目口ありて我を労はるを聞かずと雖も、我を繞囲する山川に生霊の充満するが如きありて、無声微妙の中に我に応へ我に勧むるの感あらしむ、誰か云ふ物質に生命なしと、我の身体髪膚その細微の分子に至る迄我の国土の変化して我となりしものならずや、我は我が国土の一部分にして、我の此土に附着するは我は此土の化現なればなり、国を愛せざるものは自己を愛せざるものなり、我の此土の為めに尽すは我が存在の自然の理由にして、我若し我国を忘るに至らば我は我の自然を失ひ、我は宇宙と分離せしなり、米国の愛国者某曰く「我若し百の生命を有せば我は悉く之を我国の為めに捧げん」と、我此生を此土に受けり、今之を此国土に還す、是我の為すべき当然の捧物なり。
 嗚呼此国を如何せん、今や徳義は全地を攘へり、信義は僅かに経済上の価値あるものとして信ぜらる、教導者を以て自任するものも金力の実権あるを固信し、己れ先づ家計千代の策を立つるにあらざれば進んで大義明分を天下に唱ふるものなし、人は国家を利用して国家に尽さず、利慾の大勢の抗すべからざるを知り己も其大勢に徇て趨る、我知る国家の滅亡は策士の乏亡より来らずして義士仁人の不足より来るを、我にして今一臂を我国土に貸すにあらずんば千載の後人我を称して何と言はん、武を以てするものは武を以てせよ、智を以てするものは智を以てせよ、我に一片の精神エホバの大道の我に示されしあり、我は我の最善を以て国土に供せんと欲す、我は我の宗教を以て我国に尽さん、我は此民を済度して斯国を振起せん、我が国家に尽す処此一途あるのみと。
 矮小瘠痩の一僧侶、天威彼の上に襲ひ来り、過敏なる彼の心臓一たび動き、彼をして聖馬可堂の高壇に立ち、伊国の尊厳に対する仏国の無礼を唱へしめば、フロレンスの全市為めに動き、軍鐘忽ち兵馬を呼集し、将さに侵入せんとする仏の大王をして低頭閑かに市門を避け、兵を加ふるを得ざらしむ、サボナローラの一声はガリヤ(320)ニの政略、ガリバルヂの武勇に勝りて伊国の威名を欧洲に轟かすに足れり。独逸聯邦をして今日あらしめし者はモルトケ、ビスマーク等の功労のみにあらずして、曾て三百年の昔し羅馬の三層冠に対し、大胆にも褻?罪《せつどくざい》を宣告せし剛漢マーチン、ルーテルの遺跡実に大に与かりて力あるにあらずや、故に真正の独逸人たるものは彼の宗教政治の如何に関せず、国を思ふものにして此宗教改革者に対し無限の敬虔の念を懐かざるはなし、ルーテルの名は独逸国と共に存し、独逸国あらん限りはドクトル、ルーテルの功績は消滅せざるべし。
 合衆国南北戦争の時に当て国家を塗炭の中より救ひ出せしものゝ中に一牧師なるヘンリー、ワード、ビーチヤー氏に勝りしものはなし、リンコルン、ミード、グランド等の偉功勿論余輩の嘆賞して止まざる所なり、然れども僅かに一高壇の持主にして能く全国民の精気を鼓舞し、欧洲諸大国が将さに反逆者の独立を承認せんとするに当て、之を一席の演説に挫折し、以て叛人《はんじん》をして拠る所なからしめしものは是実に宗教家として国家に尽せし一大功績ならずや、人に生霊の存する間は宗教は社界の大勢力なるべし、愛国者宜しく其技を高壇の上に試みて可なり、三軍を叱咤し、舌を議場に弄するの外は汝の国に尽すべき途なしと信ずる勿れ。
 宗教家は愛国者ならざるべからず、博愛主義に則ると称して国家の箇立すべき理由を解せず、国家の威厳を犠牲に供して外国宣教師の使命に惟之従ふが如きは是未だ宗教の大義を解せざるものなり、真正の宗教家は皆悉く愛国者なりき、国の為めにせざる宗教の如きは是邪教として排して可なり、若し天使の形を装ふもの降りて我に一宗教を授けんとし、我に告て曰はんか、「余は汝に宗教を授与せんとす、汝の国家観念を去て之を受けよ」と、我は彼に対て曰はん「余は汝の宗教を要せず、我は寧ろ我国を守て無宗教家として死せん、我胸中に燃ゆる一片の愛国心、我は之の換ふべきものあるを知らず、汝余に用なし、去て再び我に来る勿れ」と、時に霊あり我に告(321)て曰はん「彼は妖物なり、汝所蔵の一片の精神、是実に真宗教の一面にして之を消滅するが如きものは汝は排して可なり、見よ真宗教は此にあり、猶太人たりし耶蘇基督、彼は汝に日本人たるを教へん」と。
 国の為めにする伝道は自利を顧みざるなり、重きを功名に置かざるなり、教理の為めに宗派争ひをせざるなり、伝道若し悉く国家の為めに従事さるゝに至らば今日の教勢は直に一変すべきや明かなり。
 然れども宗教は宇宙に亙るものにして其性は無限なり、国家は時と所の性を有して有限なり、無限を圧抑して有限の中に窄入せんと欲すれば無限は其|素性《そせい》を失して其自然の用をなさゞるに至る、吾人に無限の性あり、有限の性あり、無限有限斉しく養生せられて始めて完全の人たり得るなり、国家観念をして吾人の宇宙観念を圧抑せしめんか、吾人の宇宙観念の消滅すると同時に国家観念も損傷消滅せられざるを得ず、宗教直接の用は国家保存にあらず、宗教は人の霊性を主るものにして人と神(宇宙)との関係を明かにするものなれば、政治法律の如く人と人との関係を直接に論究せず、宗教若し愛国を論ずれば神に対する義務として之を論ずるのみ、宗教にして若し直に国家問題に干渉せんか、これ教政を混同せしものにして国家の災害之より大なるはなし、宗教は政治にあらざるなり、或は専王奉仏と云ひ、或は政教一致と称するが如きものは、未だ宗教の本性を悟らざるものなり、政治は人の事なり、宗教は神の事なり、人に神性を負はすべからず、神を人事に利用すべからず、而して国家を主眼として伝道するものは無限を有限に短縮し、神を人事に利用するの危険に陥るものなり。
 国家を主眼とする宗教は狭隘たるを免れざるは理の最も睹易きものなり、是れ国教と称するものゝ常に宇宙大ならざるの理由なり、人の理性に訴へしプロテスタント教もルセラン派として普魯士璃典の国教として採用されし後は、其改革時代に於ける活気と精神を失ひ、旧を習ひ、古を慕ひて一定の規矩の中に人霊を束縛するに至れ(322)り、アウガスチン、アムブロースの天主教も墺太利《アウスタリヤ》、西班牙の国教となりてより其厳と粛とは僅かに外面の威力として存し、メテルニツヒ伯の如き政治家の出るあれば圧制政治の好機関として使用さるゝのみ、宗教の為めに計るに国教として政府に採用さるゝに優る不幸のあるなし、フランクリン曾て云へるあり、曰く、
  余の考ふるに善良なる宗教は自立するを得べし、若し自立する能はず、又神も之を保存するを欲し賜はざるが故にその信徒たるものが政権の援助を乞はざるを得ざるに至りしは是其宗教の不良なる証なり。
 国教となして教権を維持せんとするものも、宗教を以て国威を張らんとするものも、両つながら宗教の適用を誤るものにして、教勢是が為めに萎靡し、国権之が為めに伸ず、十九世紀の今日に処せんとするものは宜しく国教の念を絶つぺし。
 事こゝに至らざるも国家を主眼とする伝道は常に社交的に流れ易くして確固不抜の精神を養ふが為めには甚だ微弱なるものなり、曰く我国は君主国なれば英国監督教会に則るべしと、日く国家は自治の精神に富んことを要すれば宜しく米国組合主義に倣ふべしと、曰く日本人民に単純を好むの性あれば儀式を疎んずるクエーカー主義を採用すべしと、曰く国家独立の躰面を世界に発表せんが為めには吾人宜しく純粋なる日本的教会を建設すべしと、而して人々国家問題に関する彼の意見は政治思想の異なるが如く相異るものなれば之に適する宗教の取捨に付ても大に意見を異にし、為めに激烈なる確執となり、彼を呼んで国賊と称し、是を名けて売国奴と云ふに至る、而して宗教の主眼なる神に対する責任、万国民に対する寛容博愛の精神は国家的宗教より全く忘却さるゝことあり、是国家を目的とする伝道の取る常路なり。
 世に社交的基督教なるものあり、其揚言する所によれば社界改良、国家革新を以て任ずと、日く吾人は未来の(323)済度に与からんとして宗教を信ぜしにあらず、宗教は現世的ならざるべからず、其目的は人間社界を改造して君子国となすにあり、風紀を改良し、国運を進め、天国を此土に像作るにあり、禁酒運動なり、廃娼運動なり、貧民救助なり、慈善事業なり、是宗教の大主眼なり、未来存在論何かある、之を迷信家の夢想に任かして可なり、贖罪論何かある、十九世期の吾人豈に中古時代の教義に堪ゆべけんや、一宗教とは国家を救ふにあり、横井小楠の如き、吉田松蔭の如き、身を以て国家に任せしもの是真正の宗教家なりしなりと、依て説教は変じて演説となり、信徒養生は変じて青年薫陶となり、祈?会は変じて論談会となり、以て自ら改進を以て称するものあり。
 余輩は彼等の全く誤らざるを信ず、然れども彼等が宗教の根本を捨てその枝葉《しえう》に着眼するを嘆ず、その理由は余輩の此に論ずるを要せず、只其結果を見て、其目的を達せざるを見て、其精神の宇宙の大道に根拠を据へざるを知る。
 社交的宗教の結果は名論奇説なり、慈善事業の賞讃なり、教会政治の討論なり、音楽会なり、婦人慈善会なり、国会建白なり、而して其事業の最大成効と称すぺきものは僅かに法律文の改正なり、然れども其目的とする社会其物は僅かに外面の装衣を変ぜし迄にして、その実体は少しも旧態を脱せず、所謂慾心の開化せし迄にして、永遠に亙る心中の平和、世界を抱括する聖徒の交際は如斯宗教より来らざるなり、宗教は実の実なり、政治家の職は現在の社界に其適宜の程度に応じて之に適宜の社界組織を附与するにあり、国民の徳義的真価値を増進する是宗教の特職なり、社交的宗教家なるものは自ら政治家を真似するものにして彼等は伝道師の名を冒すべからざるものなり。
 社界改良若し汝の主眼ならば汝は政治家となるべきなり、宗教的の政治家是汝の理想ならずや、然れども宗教(324)の本領は汝が思惟するが如きものにあらざるなり、汝は国運の増進、社界の改良を宗教に因てせんとせり、汝の本能は誤らざりし、然れども汝は誤謬《ごべう》の道を歩めり、宗教の目的は国家社界にあらざるなり。
 
     其五 神の為めにする伝道
 
 神の為めにするに及んで伝道は始めて純粋宗教的事業となるなり、是ダビデの所謂「爾(神)の家を思ふ熱心我を食ふ」との精神なり、是「基督の愛我を勉《はげま》せり」と云ひし保羅の伝道の精神なり、是「爾曹主の為に凡て人の立る所の者に服へ」とて国法に服膺せんことを教へし彼得の精神なり、是「万軍の主の名に因てかゝれ」との号令を以て敵の堅固《かため》を衝きしコロムウエルの精神なりき、宗教家の精神は何事をなすにも神の為めに為すにあり、況んや伝道に於てをや、神を信ずる事目前の君父を信ずるが如く、神を愛する事人その慈母を愛するが如きに及んで、彼の伝道は始めて浮虚の業たらざるに至る、神愛以下の精神より発する伝道事業は浮虚のみ、遊戯のみ、以て宗教事業と称すべからざるなり。
 汝は云はん「何人か神の為めに伝道せざるものあらんや」と、噫然り、神の名を用ゐざる伝道は未だ曾てあらざりしなり、然れども神の為めにする伝道、我の生命は塵埃の軽きに置き、我の功名は糞土の賤しきに此し、神の使命を全うせんが為めには我の血肉と謀ることなく、単心天よりの声を信じ、意を社界の障害に留めず、望を事物の成効に置かず、天命之従ふの一精神を以て伝道に従事するもの幾干かある。
 神の為めにする先づ自己に死せざるべからず、党派心なり、愛国心なり、未だ自己心の其内に混合して存するあり、自己に死し世に死して我は神に生き、神に生きて我に懼怖《けうふ》なし、懼怖去て我に明通あり、神の為めにする(325)伝道に憂慮、政略、方法(自然の常道を除ひて)の我の事業を混乱するなし、世界は我に化すべきものにして、我は世界に屈折投合すべきものにあらず、世は同音一斉に彼方に立つも、我は決意断然独り此方に立つぺし、我に松柏の霜雪に凋《しほ》れざるあり、我に大嶽の巌とし動かざるあり、我の存在は万人を利し、我の一声は波濤を静む。
 よろこびの音信《おとづれ》をつたへ、平和をつげ、書きおとづれをつたへ、救をつげ、シオンに向ひて、「なんぢの神はすぺ治めたまふ」といふものゝ足は山上にありていかに美《うるは》しきかな、  (以賽亜書五十二章七節)
神の為めにするありて伝道は甫めて人世を益するに至る、時勢に抗する確信なり、人面を怖れざる勇気なり、至難を意に介せざる冒険なり、千古を凌駕する理想なり、是人ならざる主に事ふるものゝみが世に供し得るものにして、天壌無窮にまで社界の進歩を促すものは独り神の為めにする伝道師あるのみ。
 神は重なり、誠実《まこと》なり、而して神に事ふるものは霊と誠実とを以てせざるべからず、人に若し霊能の明晰無曇《めいせつむどん》なるありて、万有の霊と交るに事物の援助を要するなければ、彼は神のみを友とし持ち、神と霊交を結ぶのみを以て彼の完全に達し得べく、又彼の事業に間然する処なかるべし、然れども人は霊のみにあらざるなり、彼の肉情亦彼の大部分なり、彼の完全は霊界に於てのみ求むべからず、彼の肉眼亦神を見るを要す、霊としてのみ神に事ふる時は神は抽象的の神となり、吾人は自身の想像を以て神の声と誤認し易く、神に対する熱心時には我意の崇拝に止まらざる事あり、爰に於てか神の為めにすると称して人為に係かる伝説教義の為にし、心霊的の熱信を以て我意の確信を実行するが故に、所謂宗教的不寛容となりて、神の聖名に依て我意と附合せざるものを責め、善男善女の破門となり、宗旨糺問となり、「三十年戦争」となり、仏国革命となり、以て惨憺たる景状を人類の歴史に呈したり、或は十字軍として異教徒を殺戮し以て天恩に与らんとし、或はオートダフエー(Auto da fe 信(326)仰の行為)と称して新教徒を焼殺するを以て神に対する報恩と信じ、或は神経病者を目して魔鬼の化現となし、之を水中に沈むるを以て信徒たるものゝ義務と信ぜし等、皆な抽象的にのみ神を認めし結果と謂はざるべからず、教会の分離信徒間の憎悪喧争は功名心のみより来らず、神に対する熱心よりして、真理を重んずる衷心よりして、信徒の争闘教会の軋轢を来たせし事は余輩の充分に承認する処なり、神の為めにする伝道に消滅すべからざるの熱心あり、敬愛すべきの誠実あり、永久に亙るの耐忍あり、然れども寛容なり、慈悲なり、柔和なり、是神の為めのみにする伝道に於て大に欠乏する処なり。
 
     其六 人の為めにする伝道
 
 爰に至て余輩は伝道の精神を抽象的の神以外に求めざるを得ざるに至る、余輩の所謂人の為めにするとは勿論人の嗜好に投ぜんとするを謂ふにあらず、已に神の為めにするもの、如何で人の鼻息《びそく》を窺ひその甘心を買はんとするものあらんや、所謂人情的宗教なるものが常に此軟弱に陥り易く、肉情的の愛と憫憐《あはれみ》とに溺れ、正義と正罰とを以て世の罪悪を処するを怠るに至るは吾人の最も注意すべきことなり、真正の人情的観念は厳粛なる敬神的観念を通過して後に起るべきものなり。
 然れど吾人は人を離れて神に事ふる能はず、又人に因らずして神を見る能はず、世に偶像教なるものあり、其理論とする処は人類は直に抽象的の神に接する事能はざれば有形物を造りて彼の信仰の目的となし、神に寄するの敬愛を此目的物に呈し、以て彼の衷心に存する崇拝の性を満足するにありと、而して其弊害たるや余輩の弁論を待ずして明かなりと雖も、其内に一大真理の含まるゝあるは又抗すべからざる事実なり、若し偶像崇拝家に(327)霊性無形の神を拝するものゝ如き熱心と高尚なる観念なしとすれば、亦た後者の陥りし弊害、即ち劇烈なる迫害の事跡は前者の免がれし所なり、吾人の信仰若し物体上に顕はるゝにあらざれば心中に凝積して悪鬼的の霊と化し、以て吾人の隣人を焼壊するに至るが如し、偶像的の観念は人類の本性より論ずる時は吾人の必要なるが如し。
 然らば何に因て吾人は吾人の神を拝せんか、蒼空に掛る日月は造主の技工なりと雖も以て吾人の心情を寄するに足らず、目ありて見ず耳ありて聞かざる木石像、之を神とし事ふるも皇天の我の敬意に応ずるなく、我の衷心亦霊なる神を之に認むる能はず、神は我の理想に存して我眼は神を見る能はず、我心に神を敬して我の捧物《ほうぶつ》を呈すぺき神あるなし、神は此世に彼の形を存せざりし耶。
 然り神の形は吾人の目前にあり、神は吾人の捧物を受くべき神の代表人を此世に存せり、吾人の崇拝すべき神は全く無形の神にあらず、吾人の信仰の目的物あり、之に事へて神に事ふるを得べく、之を敬して神を敬するを得べく、吾人満腔の心情を之に呈して吾人は直接に神と交るの感あり、神之に依て我に応答し、我は之に依て我肉眼を以て神を視るを得べし、此偶像教は神と真理の許す偶像教にして此の偶像教は世に称する一神教なるものに優りて善美なり。
 我の物を献ぐべき此偶像とは如何なるものぞ、我の黄金、乳香、没薬こゝにあり、我に我の拝すぺき神を顕はさしめよ、我は宝の盒《はこ》を開ひて我が神に奉らん。
 聖クリソストム曰く「真正なる神殿は人なり」と、北斗、参宿、昴宿の密室、是神の宿り玉ふ所にあらず、雷霆鳴山河揺撼する時、是神が吾人に語る時にあらず、嬰児槽に臥する処、是真神が世に臨みしなり、神は人にあり、彼は人に於て吾人の敬愛と尊従とを要求す、人に事ふるは神に事ふるにして、人を離れて神に事ふる能(328)はず、爰にラウンフホール公の話を聞け。
  ラウンフホール公は中古時代の名士にして一城の君主なりき、彼は熱心の基督信者なりければ常に神と教会の為め大功を奏し以て忠実なる天主教徒の本分を尽さんと思ひ居れり、時に彼の心中に浮び出し一策は、曾て基督が彼の弟子等と共に晩餐の式を守られし時用ひられし金の盃にして今はその行衛を失ひたるものを探り出さんとするにありき、ラ公思へらく此事実に救主に対し天主教会に対しての大事業なり、昔時より其探究に従事せし人尠なからずと雖も一つも功を奏せしものなし、よし我は今日より万事を放棄し身命を捨てゝも此|重宝《ぢゆうほう》の所在を尋ねんと、因て心を決し、別れを故郷の人に告げ、甲を環し肥馬に跨り、勇気勃々として彼の城門を出でたり、時に癩病を患《うれ》ふるものあり、来て公の傍に伏しナザレの耶蘇の名に依て差少の施与を乞へり、ラ公音声を荒らげて曰く「余は皇天の命に由り教主の金盃を探り出さん為めに旅出するものなり、爾|汚穢物《けがれたるもの》何ぞ我を煩はすや」と、病者は尚ほ袖に縋て施与を乞ふ、ラ公大に恚り懐中より金貨一個を取り出し之れを地上に投じて曰く「爾之を取れ我は爾を顧みるの暇なし」と、依て鞭を鞍馬に加へ顧みずして去る、是より数十年間ラ公欧亜の諸国を経巡り危難を犯し丹精を尽し教主の金盃を探り求むるも得ず、終には貧困城主の身に迫り来り、彼又霜を頭上に戴くに至る、公青年時代の希望終に達すべからざるを悟り故国に皈り余命を父母の墳墓の土に終らんと決せり、公の再び城門に近くや身に※[糸+闌]縷を穿ち手に一杖を曳き、冬寒くして霜雪小川の水を氷結せし頃なりき、時に又癩病患者あり、其相を窺へば数十年前公の尚ほ壮《さかん》なりし頃大望を抱ひて探究の途に就きし時彼の馬前に跪きし貧人なりき、艱苦困難は今や公の心を和げ、推察《おもひやり》の情頻りに公の胸中に起れり、公今与ふるに金銀なし、依て携へし所の一個のパンを取出し之を半折して貧人に向(329)て曰く「余は今君に予ふるに只此パンあるのみ 今其半を君に呈す、ナザレの耶蘇の名に依て之を受けられよ」と 又腰に挾みし手杓を取り、路傍に流れつゝありし小川に下り、自ら堅氷を砕て一杯の冷水をくみ、癩病患者に与へて曰く「恵ある余の救主の名に依て之れを飲め」と、乞食の患者は丁重なるラ公の親切にあづかりつゝありしが、忽にして彼の形を変じ、栄光ある基督となりてラ公の前に立ち、手を伸して祝福を彼に与へ、清粛温雅言はんかたなく、感慨を以て襲はれたるラウンフホール公に謂て曰く、
 Lo,it is I,be not afraid!
 In many climes without avail
 Thou hast spent thy life for the Holy Grail;
 Bebold,it is here−this cup which thou
 Didst fill at the streamlet for me but now;
 This crust is my body broken for thee,
 This water His blood that died on the tree;
 The Holy Supper is kept,indeed,
 In whatso we share witn anotber's need;
    *     *     *     *
 見よ、われなるぞ懼るゝな、聖き盃求めんと
(330) 諸国を巡るも益ぞなし、
 見よ、さかづきはそこにあり
 小川にくみし手杓なり、
 さきて与へし其パンは
 さかれし我の躰なり、
 その冷水は十字架の
 上より流れし我血なり、
 貧き人ともにする
 食こそ実にや聖餐なり
ラ公驚き醒むれば之れ一場の夢なりき、公大に悟れり、神に尽し教会に尽すは天下を経巡り目覚ましき大功を奏するにあらず、世の貧しきものは基督なり、貧者を救恤するは基督に事ふるなりと、因て爾来城門を開き倉庫を放て城下の窮民を養ひ以て公の一世の快楽となしたれば、国栄え民安んじ、公自らも平安と喜悦とを以て世を終へしと云ふ。
 
  (著者申す、余は此佳話を前著求安録に掲げ以て慈善事業が余の衷心の渇望を充たす能はざるを叙述せり、是余の実※[手偏+僉]の有のまゝを記せしなれども読者或は之に依て此美談の真味を失ふを怖る、「ラウンフホール公の夢」なる韻文の作者ラツセル、ローエル氏が之をものせし原意は全く余の今此に論ずる人性的宗教を奨励せんが為にせしなり、然るに之を以て儀式外形的慈善を以て足れりと教へし如きに解せしは全く著者の誤解に基きしものなり、歴史的の事実として之を求安録に(331)記載せしは余の読者に向て恥ずる処なしと雖も、之に依て此絶作の真価値を害し、人に依て神に事ふるてふ大教理を損毀するが如きに至ては著者が公衆に対する罪実に大なり、依て今再び之を爰に引用し、以て其真意味を世に紹介し、並せて著者の思慮の浅かりしを表白す)
 
 神は人にあり、特別に貧しき人にあり、彼の錦?を纏ひ、王冠を戴くものは反て神の形にあらずして、縷衣粗食、饑餓に叫ぶもの、是れ神の真躰に最も近きものなり、吾人は人類に於て神を求め、貧者に於て神に接す、基督曰く「此兄弟の最微者《いとちいさきもの》の一人に行へるは即ち我に行しなり」(馬太伝廿五章四十節)と、英人某あり、毎年キリスマスの宴《えん》に一席を上座に設け、出来得る丈けの装飾を極め、最甘最味を其前に供へ、以て耶蘇基督の座と称す、客《かく》皆其席に即くに及んで一子を近隣に走らせ、最貧の児童一人を呼び来り、耶蘇基督の座を占めしめ、而《しかして》後一同感謝して食に即くと云ふ、其意蓋し前述の基督の教訓を有の儘に実行せしものにして実に美行と称せざるを得ず。
 昔より今日に至る迄真正の宗教復興は常に貧人に対する教会の行為に於て顕はれたり、パプテスマのヨハネ使者を遺して基督に問はしめて曰く「来るべきものは爾なるか」と、即ち爾は真に神の子人の救主なるか、若し然らば其証を与へよと、而して基督は彼の基督たるを証せんが為めに、今の神学者が為す如く一つの議論を用ゐず、実証を彼の行為に取り、ヨハネに告げしめて曰く、
  瞽者はみ、跛者はあゆみ、癩病人は潔まり、聾者はきゝ、死たる者は復活《よみがへ》され、貧者は福音を聞かせらる
と、貧者は福音を聞く、是我の神より来りしの証ならずや、神より来らざる偽預言者は意を貧者に用ゐず、彼等は高貴に阿り、富者《ふうしや》を求め、権威に頼《よ》り、金力を重《おも》んず、彼等は上流社界の教化を祈り、社界の感化力を称して(332)官吏豪商の教会員たるを渇望す、然れども我の使命は貧者を救ふにあり、我の貧者を重んじ富者を軽んずる、之我の基督たるの証なり、世の貧者が我を慕ふは神我に在せばなり、我の天職は預言者以賽亜書が書き伝へし如し
  主エホバの霊われに臨めり、こはエホバ我に膏をそゝぎて貧きものに福音をのべ伝ふることをゆだね、我をつかはして心の傷めるものをいやし、俘囚にゆるしをつげ、縛められたるものに解放をつげ、エホバのめぐみの年とわれらの神の刑罰の日とを告しめ、又すべて哀むものをなぐさめ、灰にかへ冠をたまひてシオンの中のかなしむ者にあたへ、悲哀にかへて歓喜のあぶらを予へ、うれひの心にかへて讃美の衣をあたへしめたまふなり、かれらは義の樹エホバの植たまふ者その栄光をあらはす者ととなへられん、
我の行為にして此語に符合せずんば我を基督として信ずる勿れと。
 是基督教の特質なり、而して基督教のみならず、宇宙の真理に基ける宗教にして此特質を帯びざるはなし、富者権力を得て貧者|頭《かしら》を没するに至りしは常に教会の衰微を示せり、是実に宗教的生命の試験石なり、教勢振興策、教会独立問題、……噫之を捨て他に教勢を復興するの法あらざるなり。
 貧者勿論必ずしも金銭上の貧者を言はず、心の貧しきもの是又吾人の推察を要すぺき人なり、人に霊性の世の富貴を以て充すべからざるあり、憂愁|慰藉《いせき》なくして辛日月を送るものは縷衣《つゞれ》を纏ふもののみにあらざるなり、錦衣壮屋の中に美食に飽くものゝ中に亦欠乏の憐むべきあり、何を以てか我愛子の早世を慰めんや、我の心中に大空の虚なるが如きあり、我が百万の富、此貧を医するに何の功かあらん。何に依てか世の我に対する不実|諂媚《てんび》を忍ぷを得む、我の高位にあるは我をして推察の友を得るに難からしむ、我の権力此寂寞を償ふに足らずと。人若し人たらば貧ならざるの人あるべき筈なし、人其本性を失ひたればこそ世の朽る宝貸を以て足れりとするに至(333)りしなり、然れども貧を感ずるものゝみ神霊の富の恵に与かり得べし、而して宗教家の職とする処は富者の心霊の貧きを癒し、貧者の肉躰上の貧を慰むるにあり。
 故に伝道は心霊的慈善事業なり、我に神恩の足るゝあるが故に、我の神に対する報恩として、我の同胞に対する推察よりして、我は我心中の無限の慰霊を他人に分与せんと欲す、我に若し財貨の分与すべきあれば我は勿論喜んで之を神に献げて孤独を慰めん、然れども金銀今は我にあるなし、我の有するもの、即ちナザレの耶蘇の救世力、我は之を世に供して世の貧苦を医せざるべからず、故に伝道師たらんと欲するものには先づ此|富裕《ふうゆう》、歓喜、平和の充満抑圧し得べからざるの量なかるべからず、彼に先づ歓喜の此無尽蔵あるに及んで彼は世の貧者を充し得べし、彼の伝道事業は永遠に至る迄の活ける水の泉となり、濁世之が為めに冽《きよ》く、衆生之が為めに歓呼するに至る、真正なる伝道師の資格は実に左の如きものなり、
  憂るに似たれども常に喜び貧きに似たれども多の人を富し何も有ざるに似たれども凡の物を有り   (哥林多後書六章十節)
 伝道慈善事業たるに及んで之に至難なる布教問題の存するなし、誰か自由に金銭を施与するに当て難題に接するものあらんや、慈善事業の秘訣と称すべきものは只欠乏の比例に徇つて物品金銭を貧者に分与するにあるのみ、而して普通の慈善事業に於ては施与すべき財貨に限りありて施与を乞ふ人に限りなきが故に正当の分配法に就て時々困難を来すと雖も、心霊的慈善事業に於ては施与すべき心霊の賜物に永遠の限なきあれば、吾人は自由に与へられしものを自由に貧者に施与するのみ、(馬太伝十章八節)、吾人は之が為めに価を受くるを要せず、与ふるは吾人の快楽とする処なればなり、伝道問題が困難を告るに至るは分与すべきの霊の欠乏に因る、恰《あだ》かも千万の(334)餓鬼を養ふに当て僅かに数石の米麦あるのみの場合に於ては之に無味淡々たる水を加し、一椀の粥も平等に分与するの難を感ずるが如し、世に快楽の業と称するものにして有り余るの財を貧者に施与するに勝る快のあるなし、而して伝道若し霊の分与ならば何物か此快に勝るべきものあらんや、伝道の難を訴ふる者宜しく一省して可なり。
 慈善主義の伝道に功名心の蔓延し来るべきなし、若し野望心の其中に存するあれば只他人に勝りて慈善事業をなさんとするの野望心あるのみ、而して如斯の野望心は何人も有して可なり、慈善は名誉の為めにするも益あり、只心霊上の慈善は名利の為めに之を施すに及んでは何人も之より益を得ざるに至る、是実に両種慈善の異なる所なり。
 余輩未だ慈善事業に党派的競争あるを聞かず、若し之ありとすれば慶賀之より大なるはなし、人若し隣人に優りて多く人に施さんとするに至て黄金時代は到達《とうだる》せしなり、人は得る為めに争ふて与ふる為めに争はず、伝道地の競争、嗚呼之如何なる言語なるぞ、汝は掠奪《れうだつ》せんとするなり、故に汝の兄弟と争ふなり、世人は汝の伝道を称して利慾的事業なりと云ふ、汝何を以て之に答へんとするか。
 慈善事業に迫害的精神の存するを聞かず、我の目的は世の渋苦を救はんとするにあり、我如何にして自ら渋苦を人に加ふるを得んや、我未だ慈善家が彼の施与を受けざるとて人を譴責糺問せしを聞かず、与ふるものは我にあり、我何を好んで受けざるものを追窮迫害すべけんや、又若し人ありて我の施与を妨ぐるものありとも、我は意に介せざるなり、何となれば貧者は自ら来て我の施与を乞ふべく、我又物を路に遺して彼等をして之に気儘に拾はしむるを得べければなり、財貨我にありて施与甚だ易し、困難は我自ら貧する時にあり、伝道の困難、我は如斯語を解する能はず、余輩未だ豪富が施与の困難を訴ふるを聞かず。
(335) 此罪悪世界勿論志士仁人を泣かしめざるにあらず、世には利慾の為めの伝道あり、又功名心に因る布教あるありて、真正の隣愛主義に則る伝道が世に現はるゝあれば、之に附するに偽善野望の名を以てし、以て彼の事業に妨害を加ふるあり、又人心の頑愚なる至善に接して其至善たるを弁ずる能はず、反て之を瓦礫視し、以て旧来の迷霧に安ぜんとす、若し人の嗜好撰定にのみ因る時は少しも彼を利する事能はざることあり、然れども是等の艱難に会して吾人をして常に歓喜の中に勇進せしめ、強ひずして他を善道に導き得せしむるものは吾人心中に実存《じつそん》する快楽と、吾人の目的に一の私利観念の存するなきに因るのみ、慈善的伝道に二三の憂慮なきにはあらねど千百の歓喜すぺきあり、勝利は歓喜なくして得る能はず、低頭常に困苦を訴ふるものゝ事業は知るべきのみ、保羅曰く「爾曹常に主にありて喜べ、我また云ふ、爾曹喜ぶぺし」と、吾人は保羅の艱難を知る、然れども彼は歓喜《よろこび》を知て艱難を知らざりしが如し、伝道に従事するもの保羅の歓喜なくして可ならんや。
 慈善主義に則る伝道に耻ることなし、耻の念は吾人の行為が理想に反する時に起る、利慾の為めの伝道、功名主義の伝道には耻なきを得ず、而して世が常に伝道を賤しむるの理由は全く之を目して私利的事業と見做せばなり、保羅曰く
  我は福音を耻とせず、此福音はユダヤ人を始め、ギリシヤ人凡て信ずるものを救はんとの神の大能たれば也  (羅馬書一章十六節)
 余輩此語を読む毎に未だ曾て保羅の心情を追想せざるはなし、彼神の忠僕、彼も曾て伝道師たるを恥しことありしや、彼もカーライルの称する英雄の一人にして、浮虚の上に立つ能はざりし人(Men of such magnitude that they could not live on unrealities)の一人なりし、衣食の為めに福音を伝へんとするが如き卑陋念は彼の(336)純白なる胸中に曾て浮び出し事なかりしならむ、功名の為めの伝道、若し時には彼の妄想界《もうぞうかい》に出没せしことありしならば、彼は之を画きし魔霊を叱咤し、憤然彼の心中に如斯野心の存するなきを誓ひしならん、彼の偉大にして抱世界的なる、彼は猶太一国の為めに彼の全身を捧ぐるに吝なりしならん、彼の志望の拡遠《くわうゑん》なる、彼は渠《か》のエドモンド、ボルクの轍を践《ふ》み、宇宙に供すべき彼の心思を狭縮し、以て一党派の為めに之を消費するを肯ぜざりしならむ、彼の実際的思惟に富める、彼は抽象的の神を以て足れりとなさず、哲理的に之を講じ以て神学界に??する如き、腐儒的の生涯を以て大に心に恥ぢしならむ、彼をして伝道師たるを恥とせざりし理由は彼の伝布せんとする福音に真価値ありと信じたればなり、之功名の為めに供すべき機関にあらず、之一種の国家主義にあらず、之彼の秘蔵の専門哲理にあらず、若し如斯きものならば彼は心に恥て伝道師たるを得ざりしならむ、然れども之万民を救はんとの神の大能と知りたれば、彼は奮然蹶起、以て天下に之を宣告するを憚からざりしなり、孟子曰く「耻之於人大、為機変之功者無v所v用v恥」と、未だ伝道師たることを恥ぢしことなき人は未だ伝道の何たるかを知らざる人なり。
 慈善的の伝道ならざれば真正の熱心の其内に存するあるなし、利慾 功名、愛国等吾人を刺激する大主動力たるには相違なし、然れども是れ吾人の人情の如き実功力を有するものにあらず、モハメツト常に其弟子に告て曰く「汝等に相憐《あひれん》の情を賜ひし神を讃美せよ」と、実に吾人の所有に帰するものにして相憐の情の如く貴重なるはなし、之吾人の生命を維ぐものなり、之吾人の詩歌の泉源なり、之に因て忠孝仁義の道あり、之に因て恋愛犠牲の美あり、之人性の最強本能なり、其牽曳力の大なる、人はその父母を離れてもその妻に縋ることあり、神を捨てもその愛慕の目的物と和せんとするあり、我の伝道若し健全なる相憐の情に動かされしものなれば、何事か我の(337)為し能はざることあらんや、此情によらずして犠牲あるなし、犠牲なくして成効多き伝道ありしを聞かず。
 世の大宗教家と称する人は皆非常に相憐の情に富みし人なりき、吾人は大慈大悲なる釈尊が出家せし時の状を知る、彼その時に際し、馬丁|車匿《しやのく》に告て曰く、「汝知らずや無常の穀鬼攻来る事速かなり、我一切衆生の為に是を降伏せんとす」と。
 余輩又耶蘇基督の伝道の精神も実に此深遠量るべからざる憐憫の情より出しを知る(「基督信徒のなぐさめ」再版第七十七頁以下を見よ)、彼はエルサレム城を瞰《ながめ》て流涕長嘆息して曰く、
 嗚呼エルサレムよエルサレムよ、預言者を殺し爾に遣はさるゝものを石にて撃つものよ、母鶏《めんどり》の雛を翼の下に集むるごとく我なんぢの赤児《こども》を集めんとせしこと幾次《いくたび》ぞや、然れど爾曹は好まざりき、  (馬太伝二十三章三十七節)
 彼はラザロの墓に抵《いた》り、その姉妹二人の哭するを見て、「心を痛ましめ身ふるひて曰けるは爾曹何処に彼を置きしや」と、而して「涕を流したまへり」と、英雄心動くとも容易く涕《なんだ》を流さず、然るに今や一滴の感慟此推察眼中に浮ぶ、傍人誰か彼の聖哀に感ぜざらんや、爰に於て「ユダヤ人日けるは、見よ如何ばかり彼を愛するものぞ」と、
 福音記者は基督の伝道の様を記して曰く、
  イエス遍く都邑《むらざと》を廻りその会堂にて教をなし天国の福音を宣伝へ民の中なる諸《すべて》の病すべての疾《わづら》ひを癒せり、牧者なき羊の如く衆人なやみまた流離《ちり/”\》になりし故に之を見て憫み給ふ、
 是同胞推察の情にあらずして何ぞや、而して余輩は基督に他の精神ありしを知る能はざるなり、吾人或者の信《しん》(338)ずる所によればイエス基督は神の独子にして人類を憫む大神の聖意に因て此|穢濁《けがれし》世界に降りしなりと、新神学、ユニテリアン教、基督神聖論に付ては各々その抗弁する所あらん、然れども大神が人類に対する憐憫の結果として基督の降世を解し見よ、宇宙に関する吾人の観念、吾人自身に関する思量、基督教の世に存するの理由、愈々深くして愈々重し、無限の憫憐、是神の特性ならずや、之基督教ならずや、爰に於てか余輩は甫めて基督教の何たるかを了り、之を伝布するの秘訣の何所に存するを知るなり。
 余輩の尚ほ一言すぺきあり、慈善的の伝道に冷熱変動のあるなし、所謂神に対する信仰と称するものは時に焼燃の熱度を加ふることありと雖も亦氷結の寒冷に下ることあり、「リバイバル」的の熱心と凡俗的の冷淡とは抽象的の神のみに意を留める宗教の免るべからざる情態なり、然れども吾人の心情聖化せられ、此聖情延びて伝道事業となるに及んでは、吾人は永遠に迄湧出る生命の泉となり、妻が夫を愛するが如く、慈母のその子に於けるが如く、吾人の信仰に増進するありて、減却することなきに至らむ。
 人の為にする伝道、是れ何人も従事し得る伝道なり、是れ伝道免許を要せざる伝道なり、教権なるもの今は全く我に用あるなし、真理其物が我の証人なり、我が頭上に千百の手の載せらるゝありて、我の姓名を冠するに教師博士等壮厳なる称号有り余る在を以てするも貧者《ひんしや》若し我に依て天の慰藉《いせき》に与かるを得ずば我の授かりし按手札は空式のみ、虚礼のみ、以て厘毫の価直《かちよく》を我に加ふるを得ず、愛に法律あるなし、伝道の自由は我に他人に与ふべき真善の存する時にあり。
 余輩をして誤解せられざらしめよ、余輩は人を先にして神を後にする伝道を弁護しつゝあるにあらざるなり、余輩は人に於て神を拝し、人に事へて神に事んとする伝道を主張しつゝあるなり。汝利慾の為めに伝道せんとす(339)るか、余輩は直ちに之を停止せんことを勧む、何となれば之れ汝自身に取りて甚だ不利益なればなり、(世の汝に依て益せられざるは言を要せず)。汝名誉を伝道界に求めんとするか、然かせざるなかれ、是を硝煙弾雨の下に求めよ、之を議会の高壇上に求めよ、(兵馬、政治また全く功名の為にのみすべからざるも)。汝の伝道は汝の属する教会の為めなるか、憂ふる勿れ汝の宗教は困苦失望を多量に汝に供して歓喜成功は汝のものならざることを。国の為めの伝道、嗚呼退ひて政治家となれよ、汝の天職彼処にあり。神の為めの伝道、嗚呼汝が神を汝の同胞に於て発見する迄之を見合せよ、汝は神に尽さんと欲して反つて神に逆はんことあるを恐る。人の為めに伝道せよ、彼に肉情的の快楽を与へんが為めならずして彼の霊を救はんが為めに、汝が神に恵まれし如く彼も神に恵まれんが為めに、彼に神霊の宿るあれば神に捧ぐぺきものは彼に捧げよ、之迷信ならざる偶像崇拝なり、之人情的の一神教なり、此伝道に歓喜と熱情あり、此伝道に迫害と争乱あるなし、之余輩の称して真正なる伝道の精神となすものなり。
 人に尽すは神に尽すなり、而うして人の為にする伝道のみが国の為にする伝道なり、国に供するに真善人を以てす、国家に尽す是より大なるはなし。
 人の為にする是れ教会の為にするなり、人の為にする教会は栄へ、教会の為にする教会は衰ふ、そは教会は人の為にして人は教会の為にあらざればなり。 伝道師の名誉亦た彼が人の為に消費せられて来る、彼は自己を捨て素《はじ》めて自己を得るものなり、彼の名誉の為に計るも、彼の衣食の為に計るも、彼は全く自己を忘れて彼の隣人の為に尽すを可とす。
 
(340)     如何にして宗教界今日の乱麻に処せん乎
 
 余輩は今日我国の宗教界に附するに乱麻の名を以てす、是れ失望に基ひする余輩の厭世的観念にあらざるなり、是識者の輿論なり、是確実を求むるものゝ実験なり、吾人の思想界、徳義界、宗教界、今や吾人を導くものあるなし、故に吾人は昔時の猶太人に倣ひ「王なきが故に人々己の目に是とみゆる事を行へり」(士師記)。
 旧は去りぬ、回復し得べからざる過去へ去りぬ、新は来りしと称して未だ来らず、老は吾人より旧を求め、若は吾人より新を望んで止まず、身を尽して老に従はんとせんか、時勢の潮流吾人を置て去るを如何せん、身を全く新に委ねんか、老は吾人を目するに不情不義を以てするを如何せん、余輩は常に思へり身を処するに難なる十九世期今日の我等日本人の如きはあらじと、我等は実に暗黒を歩みつゝあるなり、我等の武歩を導くに老者の経験と教導あるなし、彼等未だ曾て此行路に会せず、如何して我等を導き得んや、未だ大光の出でゝ我等の行くべき道を指南するなし、世の先進者と称するものも未だ進路を探りつゝあるものにして、我等の教導者たるの資格を有せず、嗚呼我等は人々僅かに一歩を探りつゝ怖懼戦《おのれおのゝ》きつゝ世を渡るものならずや。
 然り我等は先導者の出るを待てり、両して尚ほ待ちつゝあり、我等は叫べり
   “Sound, thou trumpet of God! come forth、
(341)    Great cause, to array us!
   king and leader, appear! thy soldiers
    Sorrowing seek tbee.”−A.Clough.
 然れども未だ我等の要求に応ずるものなし、時には教導者として顕はれしものなきにあらず、我等は喜んで彼等を迎へたり、然れども彼等は皆な失望なりし、「彼等は望を充たさゞる渓川なり、テマの隊《くみ》客旅《たびびと》シバの旅客之を望みて耻愧《はぢ》を取り、彼処に至りて面を赧くす」(約百記)、彼等の主唱する処は空砲なりし……我等は実に牧者なき羊なり、暗瞑に我等を導く我等の船長は未だ出でざるなり。
 教導者なきに加へて我等日本人の特性として一致の念に乏く、兄弟墻に鬩ぎ、猜疑《せいぎ》至らざる所なし、ジヨン、スチユアート、ミル曾て東洋人を論じて日く「人類中最も嫉妬深きものは東洋人なり」と、亦た西班牙人を東洋人に比して曰く「彼等は嫉妬を以て英雄巨人を追跡し、その生涯に辛酸を加へ、その成功の進路を妨害するを事とせり」と、余輩我国人の欠点を摘示さるゝを好まず、然りと雖も如斯批評を加へられて余輩の弁護し得べきなきを如何せん、商業家は曰へり、我の貿易家が常に市場に於て失敗を取ること多きは彼等に結合心なきに依れりと、渠《か》の余輩の賤視して止まざる支那人が全国能く相結托して外商に当るが如きは未だ我等の中に見る能はざる所なり、某外国人は云へり、日本人は自己の国人を信ぜざるのみならず又骨肉の兄弟にも信を置く能はずと、国は党派に分裂し、党派は首領に依て各々旗号を異にし、一旗の下に亦|和《なだ》むぺからざるの怨恨敵意あるあり、我等は利に因て合し、利に因て分れ、一大主義の我等を総括し、我等を勝利の戦場に導くが如きものは我等の中に存せざるなり、我等に懐疑ありて確信なし、我等に不平の訴ふるぺきありて歓喜満望の世に表《へう》すべきなし。
(342) 我等は已に渾てを否定せり、曰く仏法頼むに足らずと、曰く儒道は已に陳腐に属せりと、曰く基督教は国家に害ありと、否定の声は空気に充ちて確固たる定義の我等に与へらるゝなし、我等の思意にして一として否定せられざるはなく、我等の永久の希望は一として満さるゝはなし、我等は風を以て養はれつゝあり、我等の意見と称すべきものは悉く消極的なり、我等の敬虔を惹くべき人も事業も殆んどあるなし、我等の崇拝《しうはい》すべき英雄のあるなし、我等は海面に散布する孤島の如し、深淵怒濤我等を繞囲し、心情の交通殆んど絶へて我等は相互ひより全く遮断せられたり。
 今や革新の声は聞へぬ、人は建設を渇望して止まず、古代の英雄伝は我等に読み聞かされぬ、我等も彼等の如く英雄たるべきとなり、改良事業来らざるべからず、然れども誰か其先登者たるものぞ、人各々其隣人を勧めて先登者の危険に当らしむ、而して彼が勇進せざるを以て彼を譏り怠慢の責を以て悉く彼に帰す、又革新方法に関する意見も一にして足らず、然れども其提出者たるものは自ら是を実行するを好まず、他をして先づ其難に当らんことを促すが如し、独立なり、犠牲なり、何ぞ其声の勇壮にして其実に乏しきや。
 此混沌たる時代に在て、此浮虚空想の中に身を処せんと欲す、我等は如何にして実に英雄となり得べきや、我等は如何にして実に建設し得べきや、我等は如何にして実に改革者たり得べきや、是今日の実際問題なり、余輩此難問に対して完全なる解説を与へ得べしと信ぜず、唯余輩の熟考を陳て世と共に実行の佳境に進まんことを望むのみ。
 一、革新は自己より素まらざるべからず、万斛の流動体中其内に結晶体の溶解しあるにもせよ、若し一国形体の其内に投入さるゝにあらざれば凝結の素まるべきなし、之に命ずるも水液の変体すべきなし、之を叱咤するも(343)何の益かある、先づ凝結の基礎たらしめよ、然らば我より凝結は素まるべし、我をして万有の土台の上に屹立せしめよ、然らば周囲は自ら来て我より整列するに至るべし、是革新事業の大秘訣なり、古より今日に至る迄革新事業を計画して是を実行せし人あるを聞かず、改革家の特徴は彼等の沈黙なり、英雄は常に世に求められて自ら進んで世を求めず、エマルソン云へるあり
  “If the single man plant himself indomitably on his instincts,
  and there abide, the huge world will come round to him.”
  若し単独の人断固として彼の本能の上に樹立して
  動くことなくば世界は自ら来て彼に帰すべし
彼の革新を世に向つて絶叫広告する人の如きは革新を委ぬべき人にあらざるなり。
 二、先づ己を以て足れるを知れよ、「足v乎v己無v待v於v外之謂v徳」と、君子先づ怡然たる余裕なかるべからず、人は彼自身にて充分なるものなり、心ぞ我の王国なり、我先づ自己の主人たらんか、我は大国の領主にして他に及ぼすの必要あるなし、ソロモン曰く「己の心を治むる者は城を攻取る者に愈る」と、身を修めずして如何ぞ国を治め得んや、自己を平定せし人のみが国も社界も教会も平定するの技倆ある人なり、カーライル方丈サムソンを評して曰く、
  方丈サムソンは統御術の経験を有せざりし、彼は政治商估に徒弟たりし事なし、彼は唯従順の術に熟せしのみ、……彼は渾ての年期奉公に勝る習練を経たり、彼の人物其物に統御の模範の具へられたるあり、彼に煩混、懦弱、不実を忌諱するの執念あり、此種の人は治めざらんと欲するも得んや、(344)馬術の秘訣は先づ己に胆《たん》を定むるにありと、況んや人を御するに於ておや、ルーテル常に拉典語の聖句を誦して曰く ln silentio et spe erit fortitudo vestra(静にせば救を得、平穏にして依り頼まば力を得ぺし)、(以賽亜書三十章十五節)社界的運動と称し、争喧の中に奔走周到するにあらずんば心に安ずる能はざる人は未だ革新家の性を具へざる人なり、一先づ運動の念を断てよ、静粛より来る力を味へよ、然らざれば汝の革新事業は混沌紛擾に止て整理と建設とは汝より来らざるなり、英雄の真似をなすを休めよ、自己の英雄なるを感ぜざる是英雄の特質なり、先づ無限と交り宇宙に学べよ、天の精気汝に注入さるゝ時は汝英雄たらざんと欲するも得ざるなり。
 三、自己の懐疑を世に向て表白する勿れ、懐疑は智識の先達なり、然れども懐疑は智識其物にあらざるなり、吾人は懐疑の結果なる智識其物を世に供すべきなり、懐疑を憚らずして世に表白するものは病苦を人に訴ふる病者の類にして壮者と君子の耻となす処なり、
  縦令普通の事物に関する事たりとも吾人の疑問は之を心に留めて其可否稍や確定するまでは口外せざるを義務とするにあらずや、況んや口を以て言ふべからざる最《いと》高きものに関する疑問に於ておや、然るに人その懐疑を並べ立て、討論争議するを以て彼の有する智能の上達と見做すに至ては、噫、如斯は樹木を転倒し、吾人に示すに青緑《せいりよく》なる枝、葉、実を以てするにあらずして、醜悪《しうを》見るに忍びざる複根を空気に曝露するの類ならずや、一の活働の其中に存するなくして只死と災禍あるのみ。 (英雄崇拝論)
 世は已に有り余る程の疑問を有せり、新に汝の疑問を以て之を増加するを要せず、若し汝にして古説の否定すぺきあれば、先づ汝の心中に之に勝るの確説あるを見認《みと》めて而て後に之を駁せよ、宇宙に「破壊すべからず」との訓命の存するなし、然れども建設の途を具へずして破壊すべからざるは宇宙の大道なり、若し破壊せんと欲せ(345)ば汝身命を賭して之に従事せよ、試験の為めに破壊する、是不徳義の最も甚だしきものなり。
 四、汝の今日の業に安ぜよ、先づ大事業をなすの念を放棄せよ、耶利米亜その弟子バルクを誡めて日く「汝己の為めに大なる事を求るか、之を求むる勿れ」と、我等各々社界の教導者たらん事を欲するが故に我等の革新事業は挙らざるなり、我等各々に革新すべき区域の供せられしにあらずや、汝已に安心立命の位置に立ちしとせんか.、然らば先づ汝の家族に及ぼし汝の友人を教化せよ、汝の隣人に慰藉《なぐさめ》の冷水一杯を与へよ、汝に至る貧人は汝より善を施されずして汝の門前を通過せざらしめよ、我に勤めんとするの精神あらん乎、我の今日の位置に在て為すべきの業は積で山をなせり、革新を世に向て絶叫するものは先づ彼の隣人より革新を要求せられざらん事を勉めよ、英雄なり、大慈善家なり、彼等は先づ善良なる夫たり、父たり、友人たり、隣人たりし、而後に社界的人物たりしなり、今日を以て安ずる能はざるもの、目下目前の弊を矯めるを以て多端ならざるものが社界改革に従事し得るの理由あるなし。
 五、批評を止めよ、批評は社界を喧争ならしむ、事業の成効は静粛を要す、汝若し自ら業を取る能はざれば汝の批評を加へて汝の兄弟の事業を妨ぐる勿れ、汝局外の眼より彼に矯正すべき事ありと信ずるならば行て直接に彼に告げよ、或は親展を以て深切に彼に忠告せよ、真面目に一事業に従事するものは真面目なる忠告は喜んで受くるなり、然れども公衆に向て彼と彼の事業を評し、称して批評文学となすが如きは汝の決して為すべからざる事なり、汝の矯正せんとする彼と彼の事業とは之に依て少しも利益を得ざるなり、汝は火事場に到りし事ありや、而して一人の消防夫に対するに千人の傍観人ありて炎火の中に生死を賭して消防に従事するものを彼是批評して喧しきを見しや、汝は彼等傍観人は無益有害、不惰不慈なるものと見做せしにあらずや、彼等は寧ろ各々そ(346)の家に在て此処に来らざるを可とす、彼等は実に妨害物なり、革新勿論少しも彼等より来るなし、彼等は口を閉づべきなり、彼等は筆を弄すぺからざるなり、消火の業は彼等の評するが如き遊戯的事業にあらざるなり、若し消防夫の働作に不平あるならば汝行て自ら火中に投ずべきなり、己れ先づ実行的の消防夫たるまでは叨りに他の消防夫を批評する勿れ、或人近来の批評家を評して墻後に隠れて狙打をする卑怯者となせり、革新を望む汝は若かすぺからざるなり、汝の批評を好むは汝の揚言する革新は汝の真実より出でしにあらざるを証するに足る、汝偽善をなして天と人とに罪を犯す勿れ。
 五、我等は確信と真実とは何処に存するとも之を重ずべきなり、そは我等の革新を要するの理由は我等の中に真実欠乏すればなり、其政治思想の如何に関せず、其宗教帰依の如何に依らず、真実の人は永久の価値を有する人なれば、我等は彼に尊敬を表し、彼の弱を嘲り、彼の愚を笑ふが如きは決して為すべからざるなり、保羅曰く「兄弟よ終に我之を言はん、凡そ真実なること、凡そ敬ふぺき事、およそ公義《たゞしき》こと、凡そ清潔《いさぎよき》こと、凡そ愛すべき事、およそ善称《よきゝこえ》ある事、すべて何なる徳いかなる誉にても爾曹これを念ふべし」(俳立比書四章八節)と、革新は善行の奨励より来りて欠点の摘示より来らず、我等は不完全なるものなり、然れども未だ全く不完全なるものにあらざるなり、我等に未だ神性の存するあり、是我等の最も貴重なる所有物なり、革新の業は此神性を復活煽動するにあり、古人の所謂「善を進むれば悪自から滅す」との語は革新家の一大秘訣たるぺきなり、然るに我等は善を掩はんとし悪を挙げんとす、人若し慈善をなせば我等は言ふ彼は名誉の為めに之をなせりと、彼若し熱心に他を導かんとするあれば我等は言ふ彼は徒らに弁を弄するものなりと、彼若し書を著はして意見を世に呈すれば我等は言ふ彼は不平を世に訴へて自己の弟子を作らんと欲すと、我等の胸中に利慾と功名心を除て他に活動を(347)促がすの主動力なきが如し、我等は他人の悪事を見留る力を有して善事を探る力を有せざるが如し、人は自己に存するものゝみを他に認むるを得べし、我等が人の悪事のみを認むるは我等に善事の存せざる一大証拠ならずや、歴史家は言はずや米のリンコルンの唯一の欠点は彼に人の欠点を認るの力なかりしにありと、是実に羨むべきの欠点ならずや、博士ジヨンソンは言ふ、「人の善事のみを認め得る人は大財産を有する人なり」と、我等の貧なるは我等は人の欠点を摘示するの力に富むが故にあらずや。
 七、無実の名義を廃せよ、我等をして有の儘ならしめよ、虚名は相互の不信を招き確信確定をして難からしむ、先づ独立の名義を立て然る後に独立の実を致さんとするが如き、先づ虚勢を張りて然る後に実権を得んとするが如きは革新根定の途にあらざるなり、実権は実力に越ゆるを得ず、名は実を代表するを要す、一方より力を借り他方に向て独立を誇るが如き、外国人に給を仰ぎながら名義上之が長となり主となるが如き、是れ軟弱懦腐の大原因なり、我等の最も弱き時は虚権を握り虚勢を張る時にあり、我等は外見の破壊を懼れざるべし、倒るぺきものは倒れざるべからず、健屋は岩石の上にのみ建つを得べし、事実を明白にし、名実を正すを以て崩るべきものは崩るを可とす、革新の第一着歩は名実を明にするにあり、是をなさずして改良進歩を唱ふ、何ぞ老屋朽ちんとするものゝ上に大厦の建築を試みざる。
 乱麻の功益蓋し虚名と虚権とを排除淘汰するにあらむ、然り乱麻は浮虚の子なり、今や暗黒咫尺を弁じ能はざるは我等の中に虚人あればなり、我先づ虚を去て実に就き我の隣人亦我に倣ひ、而して我の家、我の党、我の教会に及ばゞ是れ我の為し得る革新事業なり、我先づ我の真素に戻りて真正の進歩我にムる、アルキメデス曰く「余に不動点一つを与へよ、余は世界を動かすべし」と、道徳力の不動点我之を我に求め得べし、革新の基礎我(348)の真素にあり他にあらず。
 
 今や乱麻の時なり、今や思想界の闇黒時代なり、然れども暗黒時代亦其用あるにあらずや、自然は昼を与へて亦夜を給せり、盛夏に植生の繁茂するありて厳冬に草木の凋《しほ》れるあり、暗黒と厳冬とは休養の為めなり、我等が外に伸る能はざる時は内に強固なるを得ぺし、暗黒宇宙を掩ひ鳥獣巣に就きし時、孤燈の下、媛炉の辺、一家の団欒、友人の対座あるにあらずや、働くのみが生涯にはあらざるなり、厳凰梢を払ひ、霜雪寒深き時、疎林凋零して紅花緑葉眼を歓ばさゞる時、是れ植生の根を深ふする時ならずや、冬なくして春の来るなし、偶々初冬暖を催すことあれば園林の狂花《かへりざき》は誤謬の春を示し吾人の戯笑を招くにあらずや、欧洲歴史の一千年間を暗黒時代と云ふ、事物の停滞、社界の煩混此時より甚しきはなかりき、然れども欧洲は此時に潜勢力を貯へつゝありしなり、渠の十五世紀の中頃より文運忽ち復興し、春雷一度動ひて蟄虫萌蘇するが如く、百年を出ずして全世界を改造せしものは欧人一千年間の沈黙より来れりと謂はざるを得ず、暗夜に白日の業を営まんとするものは蹉跌せざるを得ず、夜と冬とは勉学の時なり、沈考の時なり、休養の時なり、夜中全軍を進めんと欲す、紛擾内訌起らざるを得んや。
 古哲プラトー云へるあり、「世時には大風塵を捲くが故に吾人は墻下に息ひて疾風の吹き尽すを待つ時あり」と、余輩は此語を誤用して晴快の時にも墻下《せうか》に眠らざるべし、然れども社界の風塵強くして秩序の法を呈するとも全く無益なる時代なきにあらず、余輩勿論尽瘁鞠窮国に徇《とな》ふるの覚悟なかるぺからず、皇命一度下て我等の出陣を要求さるゝ時は我等は託言を造りて責を免かれざるべし、然れども天与の生命我等是を社界の為めに自愛せ(349)ざるべからず、我等之を捨るは我等が最大効績を建て得る時になすべし、乱軍の内に身を投じて犬死するが如きは我等の為すぺからざることなり。
 博士ジヨン、ホール云へるあり、「余に若し尚ほ十年の生命あらしめば余は九年学んで一年働ん」と、大器は晩成を要す、「今は時なり今は時なり」と絶叫して乳臭の青年を使役し政治又は伝道に従事せしむる人は天の造りし宝玉を瓦礫の如くに破砕する人なり、時は何れの時代にも存するなり、杵臼《ききう》曰く「死は一心の義に向ふ所に定まり、生は百慮の智を尽す中に全し」と、死は難けれども有益なる生よりも易し、今や懐疑、不情、冷評の時代頻りに犠牲、美?を唱導して世の正直朴穆の士を冒険に誘導するを以て事とす、我等は此等演劇的の英雄となりて笑を千載に遺さゞるべし、不信の時代は休徴《しるし》を求む、彼等は真善の何たるかを知らざればなり、真善時には火となり水となり、コロムウエルとなり、リンコルンとならざるにあらず、然れども真善の常性は静粛なり、平穏なり、無声なり、我等は行て此無声の深淵に飲まんのみ、無声の善をなさんのみ、無声の涙を流さんのみ、無声の恵に浴せんのみ。
 然り乱麻は皮相のみ、心霊の深底今尚ほ太古の静かなるあり、其処に永遠の平和あり、其処に永遠の歓喜あり、永遠の満足あり、永遠の友誼あり、時には歴史の表面に現はれ、電光となりて閃き、霹靂として轟き以て社界人の耳目を驚かせしものは是此心底無限の生活力が時と処に感激せられて発揚せし余光のみ余声のみ。
   Calm Soul of all things! make it mine
    To feel, amid the city's jar,
   That there abides a Peace of Thine
(350)    Man did not make and cannot mar.”
   静粛なる万有の神よ
   我をして市人喧囂の中《うち》に、
   彼等の毀ち能はざる、
   爾の平和を感ぜしめよ、
 
(351) 〔『伝道之精神』再版明治36年5月1日刊〕
 
     再版に附する序
 
 此書は是れ余の十年前の作なり、今日に至りて始めて其再版を見る、其題目の我国に於て如何に不人望なる乎は以て知るぺきのみ。
 此書作りて以来、多くの伝道師は伝道の聖職を去りて、或は商人となりしあり、或は官吏となりしあり、或は政治家となりしあり、而して今尚ほ此職に在る者は今の世に「不向き」と称せらるゝ迂人のみ、日本国は到底伝道を歓迎する国にはあらざるなり。
 然りと雖も伝道の業は此才子国に於ても未だ廃れたりと言ふべからず、否な、是れなかりしが故に才子国は今日の堕落国とはなりしなり、我国有為の青年が続々として此業に就くに至るにあらざれば日本国の救済は期して待つぺからざるなり、余は謹んで再び此著を我国憂国の青年諸士に献ぜんと欲す。
  明治三十六年四月十三日    東京市外角筈村に於て 内村鑑
 
     〔352頁以下の『地理学考』は、別ファイルとして収録済み。〕
     〔2020年4月13日(月)午前10時入力終了〕