内村鑑三全集20、岩波書店、522頁、4500円、1982.4.23
 
一九一三年(大正二年)六月より一九一四年(大正三年)六月まで
目次
凡例………………………………………… 1
一九一三年(大正二年)六月―一二月
天国の天気 他……………………………… 3
天国の天気
死と罪
我れとイエスキリスト
イエスと共に在りて
イエスを思ふ
事業と信仰
善人と悪人
日米問題
人は人
人世の諸問題
信者の生涯
クリスチャンたるの途
イエスの事業
宗教家としての米国人………………………12
東洋道徳と西洋道徳…………………………18
余輩の伝道方針 他…………………………20
余輩の伝道方針
余輩と教会
貧富の差別 他………………………………22
貧富の差別
処世の困難
断りて棄てよ
越後伝道
欧亜の領分
信仰に由る孤立
米国が日本に蒙らせし精神的害毒
矛盾せる米国人
本多君の米人観
読書所感………………………………………30
約翰伝三章十六節……………………………33
馬太伝六章三十三節…………………………35
北越講演大要…………………………………38
米国人の金 他………………………………44
米国人の金
全体の孤独
エスペランザ…………………………………47
Love and Faith.愛と信仰 …………………49
救済の公平 他………………………………51
救済の公平
安心立命
我が予へ得るもの
失望と希望
人の価値
小なる救済と大なる救済
人と神
道の異同
幸不幸
人の了解と神の裁判…………………………59
神の慈愛に関する聖書の言辞………………61
去己則ち利己…………………………………67
平々凡々の記 信仰の実益…………………68
恵比寿…………………………………………75
神に献げよ 他………………………………77
神に献げよ
犠牲の生涯
愛の実行
理解と信仰
様々のイエス
罪の洗滌
目的の進歩……………………………………85
来世獲得の必要 哥林多後四章廿七節より仝五章十節まで……86
少数者…………………………………………93
聴かれざる祈祷………………………………94
祈祷の目的物……………………………… 104
故岡田透…………………………………… 105
真実の教会 他…………………………… 106
真実の教会
聖書本位
惟一の書
山と聖書
天職発見の途
教会問題の解決
死に勝つの力
イエスキリスト
二個の愛
永久に棄られず
アブラハムの信仰 希伯来書第十一章の研究…… 113
猶太の祭事 利未記の研究……………… 142
秋日曳杖…………………………………… 152
Influences and the Spirit.感化力と聖霊…… 153
聴かるゝ祈祷と聴かれざる祈祷 他…… 155
聴かるゝ祈祷と聴かれざる祈祷
キリストを信ぜずとも
我の拠所
教師の祈祷
真理の証明
基督教は権利の放棄
彼を信ずる理由
普通道徳
聖書に所謂自由
人を見ざれ神を見よ
宗教大会
物としての信仰
猶太の祭事(再び) 要点の覆説……… 166
人生 他…………………………………… 172
人生
沈黙
市外生活…………………………………… 174
晩秋日光山中の探勝……………………… 176
Christ and Friendship.キリストと友誼…… 177
二団の友 他……………………………… 179
二団の友
凶作
広くして狭し多くして少し
パウロの信仰 哥林多前書研究の発端… 182
関東平原の小春…………………………… 192
東方博士の訪来 馬太伝二章一―十二節…… 193
年末の感謝………………………………… 196
『研究十年』〔序文、目次のみ収録〕… 198
自序……………………………………… 199
一九一四年(大正三年)一月―六月
Am I a Christian? 余は果してクリスチヤンなる乎?…… 207
経済上の独立 他………………………… 209
経済上の独立
我事に非ず
孤独と少数
米国人の信仰は
自覚
謎の聖書
信者の娯楽………………………………… 218
信仰の信仰………………………………… 223
イエスの系図 系図を以てする福音…… 224
神の声……………………………………… 237
超然又超然 他…………………………… 238
超然又超然
近代人
利巧者
東北救済策………………………………… 242
年賀状……………………………………… 244
建碑………………………………………… 245
Life and Light and Love.生命と光と愛…… 247
百年の後 他……………………………… 249
百年の後
智識と信仰と愛
造化の教訓 創世紀第一章の精神……… 250
自由信仰…………………………………… 259
智識と信仰………………………………… 260
信仰の単純………………………………… 261
神の声……………………………………… 269
死すべき時………………………………… 270
攻撃の歓喜………………………………… 273
Mystics! 神秘家! …………………… 274
日本人とキリスト 他…………………… 276
日本人とキリスト
呪詛と恩恵
愛の標号
何のための艱難乎
平民の書としての聖書
山上の垂訓に就て 取除くべき三個の誤解…… 283
最大幸福 心霊の貧……………………… 290
イエスの栄誉……………………………… 297
平和の祝福………………………………… 298
桜の歌 其一……………………………… 303
『平民詩人』〔目次のみ収録〕………… 304
Occidentals and Orientals.西洋人と東洋人…… 308
朝の祈祷 他……………………………… 310
朝の祈祷
単純なる福音
暗黒と光明
顕栄
聖書研究と根本的改革…………………… 313
邦人の年毎に其崇拝的人物を変へるを歎きて…… 317
死の慰藉…………………………………… 318
信者と現世 馬太伝五章十三―十六節の研究…… 324
無教会主義の利益………………………… 331
神の進行…………………………………… 332
桶職………………………………………… 333
『宗教と農業』〔表紙〕………………… 335
天国の律法 馬太伝五章十七節以下の研究…… 336
天国の宗教 馬太伝六章自一節至十八節…… 343
信者と蓄財………………………………… 348
悪の処分 馬太伝六章三十四節より七章六節までの研究…… 352
祈祷の効力 馬太伝七章七―十二節の研究…… 359
真のイエス………………………………… 366
西行法師が春の歌………………………… 369
桜の歌 其二……………………………… 374
Story or Fact.作話か事実か…………… 376
武士道と仏教……………………………… 378
人生の謎…………………………………… 379
六月二日 他……………………………… 385
六月二日
昔の夢
前進せんのみ
恩恵の解…………………………………… 387
誰をか基督者と称ふ……………………… 392
目の善悪 馬太伝六章廿二―廿四節…… 393
加賀の金沢………………………………… 401
余輩と教会………………………………… 403
別篇
付言………………………………………… 405
社告・通知………………………………… 409
参考………………………………………… 412
宗教問題として見たる日米問題
『内村先生講演集』
 一 如何にして基督教は初めて札幌に伝はりしや
 二 我は福音を恥とせず
 三 農業と基督教
 四 キリスト今我と共に在り
 五 是れ凡て信ずる者を救ひに至らしめん為めの神の力にて候(ロマ書講義第一回)
 六 パウロの救拯観(ロマ書講義第二回)
 七 国人の救ひ(ロマ書講義第三回)
 八 愛の別辞(ロマ書講義第四回)
 九 逝きにし人々
 十 ハレルヤ
聖書講堂献堂式(四九〇)
永遠に在す基督(四九二)
 
一九一三年(大正二年)六月−一二月 五三歳
 
(3)     〔天国の天気 他〕
                         大正2年6月10日
                         『聖書之研究』155号
                         署名なし
 
    天国の天気
 
 時は五月の未つ頃、春既に過ぎて夏猶ほ早し、森の新裳成り、庭園の樹蔭暗らし、薔薇と菖蒲とは競ひ咲き、杜鵑花又開らく、昨夜雨霽れて朝陽琥珀の色を放つ、我れ曰く是れ天国の天気なり、天国は常に斯くの如くあらん、而して清流涼しき辺《ほとり》に我が愛する者は日々讃美を唱ふるならんと。
 然らば吹けよ夜の風、降れよ涙の雨、永久の清涼の亦我をも俟つあれば、我は喜んで憂苦に耐え、風塵を冒して進まん。
 
    死と罪
 
 死は大事である、併し最大事でない、死は取返しのつかぬ災厄ではない、死は肉体の死である、霊魂の死ではない、形体の消失である、生命の湮滅ではない、我等は死して永久に別れるのではない、我等は後に又復び会ふのである、人生の大事は死ではない、罪である、天地の主なる神に背き生命の泉より離るゝ事である、故に神(4)は人を死より免がれしめんとて其途を取り給はなかつた、併しながら彼等を罪より救はんとて其独子を遣《おく》り給ふた、死の刺《はり》は罪である、罪が除かれて死は死でなくなるのである。
 死は之を避けんと欲して避くることが出来ない、併し罪は之を去らんと欲して去ることが出来る、故に死を免がれし者が必しも神に恵まれたる者でない、罪を除かれたる者、其者が特に神に恵まれたる者である、疾病《やまひ》を癒されたるの恩恵は最大の恩恵ではない、罪を赦されたるの恩恵、其れが最大の恩恵である。
 我等は死を思ふて熱き涙を禁じ得ない、然れども罪の束縛を釈かれしを思ふて感謝の涙を禁じ得ない、神は我等をして最大の災厄《わざはい》より免がれしめ給ひてより小なる災厄に遭はしめ給ふのである、而しで信仰を以て能く此小なる災厄に耐へて、我等は後の日に於て、再たび死することのなき体を以て恵まるゝのである。
 嗚呼、死よ、汝の刺は安くに在るや、陰府《よみ》よ、汝の勝は安くに在るや。哥林多前書十五章五十五節。
       ――――――――――
 
    我れとイエスキリスト
 
 我に教会がある、其れはイエスキリストである。
 我に監督がある、其れはイエスキリストである。
 我に聖餐がある、其れはイエスキリストである。
 我に祭物がある、其れはイエスキリストである。
 我に善行がある、其れはイエスキリストである。
(5) 我に復活がある、其れはイエスキリストである。
 我に永生がある、其れはイエスキリストである。
 イエスキリストである、イエスキリストである、彼は我がすべてゞある、彼れあるが故に我は基督信者である、後れ無くして我に何があるとも、縦し焼かるゝために我身を供ふるの信仰ありと雖も我は基督信者でないのである。
 
    イエスと共に在りて
 
 イエスと共に在りて余は何んな家にも甘じて住むことが出来る、イエスと共に在りて余は何んな衣を着けても耻ることなくして人の前に立つことが出来る、イエスと共に在りて余は何んな困難にも耐ゆることが出来る、イエスと共に在りて逆境の極も亦祝福の天国である、イエスと共に在らん哉、イエスと共に在らん哉、若し実にイエスと共に在ることを得ば、それで人生のすべての問題は解けたのである。
 
    イエスを思ふ
 
 我れ事業を思ふ時に事業は成らず、我れ徳義を思ふ時に徳義を為さず、我れイエスを思ふ時に事業は成り、徳義を為す、事業に追はるゝ時、義務に責めらるゝ時、我はイエスを思はんかな、然り、唯イエスを思はん哉。
 我は我に力を予ふるキリストに由りて諸《すべて》の事を為し得るなり(腓立比書四章十三節)。
 
(6)    事業と信仰
 
 事業ではない、信仰である、事業を為すための信仰ではない、信仰の自然の結果として成る事業である、然り、信者の事業は信仰である。
  人々イエスに曰ひけるは我等神の事業を為さんがために何を為すべき乎と、イエス答へて彼等に曰ひけるは、神の遣はし給へる者を信ずる事、是れ神の事業なり、と(約翰伝六章廿八、廿九節)
 イエスを侶ずる事、其事が信者の唯一の事業である、而して若し彼に由て大事業が成るならば、為さんと欲して成るにあらずして、信仰の結ぶ自からなる結果として成るのである、信仰の生涯はイエスを目的《めあて》に生くるのであつて、事業は之を眼中に措かないのである。
 
    善人と悪人
 
 世に善人も悪人もあつたものではない、キリストのみ惟り善人であつて、他は尽く悪人である、然り、人はキリストの霊を受けてのみ神の前に義人たるを得るのである、生れながらにして世に義人あるなし、一人もあるなしである、此意味に於て孔子も罪人である、釈迦も罪人である、ソクラテスも罪人である、悔改の必要なかりし者とては古今東西惟りイエスキリストありしのみである、キリストは罪人の群を脱して惟り神の子である、而して彼に頼らずして人は何人も神の子となることは出来ない。約翰伝一章十二節。
 
(7)    日米問題
 
 米国は米国人の有たるべし、日本人の有たるべからずと米国人は言ふ。
 彼等は又言ふ、米国は白人種の有たるべし、黄色人種の有たるべからずと。 然れども聖書は明白に我等に示して言ふ、全地は神の有なり、而して米国も亦米国人の有に非ず、日本人の有に非ず、白人種の有に非ず、黄色人種の有に非ず、天地万物の造主なる神の有なりと、曰く、
  地とそれに充るもの、世界と其中に棲むものとは皆なヱホバのものなり
と(詩第二十四篇一節)、又曰く
  銀も我が有なり、金も我が有なりと万軍のヱホバ言ひ給ふ
と(哈基書二章八節)、而して又曰く
  柔和なる者は福なり、其人は地を嗣ぐことを得べければ也
と(馬太伝五章五節)、依て知る、米国と其中に在るすべての物と、コロラドの金とネバダの銀と、すべて皆な米国人の有にあらずして神の有なることを、而して最後に之を承継する者は柔和なる者、即ち神の羔に由りて彼の子と成りし者なることを、米国人は其議会の議決を以て神の此権利せ毀つことは出来ない、地を嗣ぐ者は白人種でもなければ亦黄色人種でもない、欧羅巴人でもなければ亦亜細亜人でもない、
  万物は汝等の有なり……汝等はキリストの有、キリストは神のものなり
とパウロは曰ふた(哥林多前書三章廿一、廿二節)、米国も亦キリストの有であつて亦神の有であるが故に終に亦(8)彼の真正の子等の有に帰する者である、此事を知るが故に我等彼の子たる者は「排日案」の通過を聞いて悲まない、
  イエス其弟子に曰ひけるは……小さき群よ懼るゝ勿れ、汝等の父は喜びて国を汝等に予へ給はんと(路加伝十二章三十二節)、
イエスは今日も猶ほ同じ事を其弟子等に告げ給ひつゝある、我等は今も猶ほ「小さき群」である 然しながらイエスを主と仰いで我等は人の圧迫を懼るべきでない、我等はたゞイエスの如くに柔和であるべきである、爾《しか》すれば我等は神の定め給ひし時に於て地を嗣ぐことが出来る、人の怒は神の義を行ふこと能はずである、我等は唯、謙遜をもて神が我等を以て世界を治め給ふ其時を俟つべきである。
 
    人は人
 
 人は人である、彼は白人でない、亦黒人でない、彼は黄色人種でない、亦銅色人種でない、彼は欧羅巴人でない、亦阿弗利加入でない、日本人でない、亦米国人でない、我は日本人であつて彼は外国人であると云ひて彼を差別する者は、我は欧羅巴人であつて彼は亜細亜人であると云はれて彼の排斥する所となる、人は人であつて神の子である、皮膚の下に、国籍の上に人たるの価値と尊厳とを認め得ずして人類を友として世界に拡がることは出来ない。
 
(9)    人世の諸問題
 
 人世に種々の問題がある、処世問題がある、家庭問題がある、社会問題がある、国家間題がある、外交問題がある、皆な孰れも大切なる問題である、が、併し神人間題即ち宗教問題の如くに大切でない、宗教問題は問題中の最大問題である、此問題が解決せられてすべての他の問題が解決せらるゝのである、而して又此問題が解決せられずしてすべての他の問題の根本的解決を見ることは出来ないのである、然るに此世の人は、殊に今日の日本人は、宗教を見ること至て軽く、彼等の間に在りて宗教家は死者を葬る死者たるに過ぎない、彼等は外交を重んじ、政治を重んじ、軍事を重んず、彼等の才子は悉く之に走り、之を以て国家民衆を救はんと欲す、然れども霊魂の永久の救済は措いて問はない、国家も、社会も、家庭も、一身も、真の宗教を措いて他に之を救ふの途なきを知らない、彼等は巴爾幹問題も其根元を糺せば宗教問題であることを知らない、亦所謂排日問題なるものも深き宗教問題の表顕たるに過ぎないことを知らない、彼等はイエスは其釘打れし掌の中に世界問題解決の鑰を握るとの言を聞いて、痴人の夢として之を排斥する、然れども神は此世の智者よりも慧くある、彼等が多くの難解の問題に遭遇して困窮の余り
  誰か此巻を開らき封印を解くに堪ふる乎
と叫ぶ時に、天よりの声ありて
  ユダの支派《わかれ》より出たる獅子、ダビデの根、既に勝を得たれば此巻を開らき、此七つの封印を解くを得るなり
(10)と曰ひて彼等の叫びに応ふるであらふ(黙示録五章一−五節)、然れども今や猶ほ此声の彼等に取り大なる謎として存《のこ》るを如何せん。
       ――――――――――
 
    信者の生涯
 
 信者を作らずとも宜い、教会を建ずとも宜い、著述を為さずとも宜い、慈善を行はずとも宜い、唯イエスを信ずれば其れで宜い、爾うすれば我に由て救はるべき霊魂は救はれ、起るべき教会は起り、成るべき著述は成り、行はるべき慈善は行はる、事業は之を念頭に置かず、イエスをのみ維れ仰ぎ瞻るべきである、誠に人の義とせらるゝは信仰に因る、行為に因らない。
 
    クリスチヤンたるの途
 
 衣食足りて礼節を知ると云ふ事がある、其事は真理である、乍然衣食が足りたればとてクリスチヤンと成ることは出来ない、神の紳士と称へらるゝクリスチヤンと成るに美き第宅《すまひ》も要らない、位階勲爵等の人の名誉も要らない、其身と所有とを挙げて之を神に献げて人は何人もクリスチヤンと成ることが出来るのである、物を獲てゞはない、物を棄て、彼は人類の精華たるクリスチヤンと成ることが出来て、其無上の栄誉を担ふことが出来るのである。
(11) 然らば棄てんかな棄てんかなである、棄てゝ王《キング》となりてキリストと偕に宇宙を支配し、永遠に朽ちざる冕を戴きて彼と栄光を頒たんかなである。
 
    イエスの事業
 
 我が事業はイエスのそれである、人の霊魂を救ふことである、人の肉体を養ふ慈善事業でない、彼の境遇を善くする社会事業でない、財政の整理でない、政界の廓清でない、人と神との関係を義しくして、彼を永生に導くことである、而して此事業たる人をすべての点に於て救ふの事業である、人は神に由て其霊魂を救はれて、其肉体も社会も境遇も完全に且つ根本的に救はるゝのである、イエスの事業は人の霊魂を救ふの事業であつて、誠に実に人を全体に救ふの事業である。
 
(12)     宗教家としての米国人
                         大正2年6月108
                         『聖書之研究』155号
                         署名 内村鑑三
 
 米国人は偉大なる国民である、彼等は世界最大の共和国を作つた、彼等は最も平和的に大陸を征服した、而して今猶ほ征服しつゝある、余輩は自由の戦士として米国人を頌讃する、天然の征服者として米国人に敬服する、余輩は米国人より多くを教へられた、余輩が米国人に負ふ処は甚だ多くある。
 併しながら世に完全なる人がないやうに、米国人も亦完全なる民ではない、米国人にも亦多くの欠点がある、而して其事を知るは、殊に今日の場合に於て彼等に取りても亦我等に取りても甚だ肝要である。
 米国人は強烈の民である、彼等は事を図て之を遂ざれば止まない、彼等は大事を企て大事を就す、彼等は物に懼れない、彼等の鑿は大山を貫き、彼等の鋤は曠野を砕く、彼等は南北南米大陸を田園と化せざれば止まない。
 米国人は又自由の民である、自由を得んがためには彼等は其血を大河の如くに流して惜まない、彼等は叫んで曰ふ「我等に自由を与へよ、然らざれば死を与へよ」と、彼等の理想の政府は王の無い政府である、彼等の理想の教会は監督の無い教会である、彼等の男子は父兄に依るを好まず、彼等の女子は男子に雷るを潔しとしない、彼等は各自独り立て宇宙に自適せんと欲する。
 米国人は又意志の民である、自から志して自から為さんと欲する、彼等は自由を愛すると同時に他を化して己れの如くに為さんと欲する、王を嫌ふ彼等は各自王である、彼等は大陸を化して己がホームと為をんと欲するが如くに又、全国を化して己が従者と為さんと欲する、彼等の成功者は彼等を統治する大統領である、大会社の社長も大財団の首領も斉しく一部の大統領である。
 斯くも強烈なる、自由の熱愛者なる米国人は言ふまでもなく地上の活動者である、事を為すのが彼等の特色である、彼等は空論者を嫌ふ、形体《かたち》を以て現はれない事業を事業と認めない、統計表は彼等を説服するための最も有力なる議論である、彼等の目的は思想《ソート》ではない、事業《ワーク》である、体積《ボルーム》と延長《エキステンシヨン》、と数と量とを示さずして彼等の注意を惹くことは出来ない。
 米国に未だ曾て一人の大哲学者の起りしことなきは注意すべき事実である、米国は其の大を以てして未だ曾て一人のカント又はスビノーザ又はライプニッツを産まない、彼女が産せし最大の哲学者は故ウイリヤム・ジエームス氏であつて、彼は哲学者であるよりは寧ろ心理学者である、実用主義《プラグマチズム》の唱道者である、米国に宇宙を理智的に又は心霊的に解釈せんと試むる底の大胆にして深遠なる哲学者の出やうとは如何しても思はれない。
 米国は未だ曾て一人の大美術家又は一人の大音楽家を産まない、其点に於て強大なる米国は狭小なるデンマルク又はスウェーデンに及ばない 米国は今や多くの大なる絵画を有する、然しながら是れ何れも米国の画家が画いた者ではない 其富豪が大金を投じて他国より購入したる者である、米国はアストル、グールド、モルガン等の如き富豪を産んだが、フェレスチャギン(露国)、ミレー(仏国)、ムンカチー(洪牙利)等の如き美術家を産まない、米国人は他国の美術の享楽者である、美術の創作者ではない。
 大哲学なく又大美術なき米国に大宗教のありやう筈はない、米国は未だ曾つて一人の大神学者を産まない、唯(14)一人のジヨナサン・エドワードありしと雖も、米国人の多数は今日に至るも未だ彼の偉大を認めない、米国の宗教家と云へば大抵は社会の覚醒者である、所謂リバイバリストである、ユニテリヤン主義のセオド・パーカーも、福音主義のムーデー、サム・ジヨーンスも実用主義の一点に於ては相互に何の異なる所はない、米国人は統計表を以て現はすこと能はざる宗教的事業の価値を認めない、米国人の宗教は其本体に於て現世的である、彼等は基督教の真理を説くに方ても重きを真理其物に置かずして、真理が政治又は社会に及ぽす勢力に置く、彼等の論法は常に a prosteriori(後天的)であつて、a priori(先天的)でない、彼等は彼等の政治家をして基督教の真理を証明せしめて大なる証明を得たるが如くに信ずる、ルーヅヴェルト、タフト、ウイルソン、ブライアン氏等は米国人の中に在りては宗教上の大なるオーソリチーである、米国人の中に在りては此世の成功者の証明に勝さりて有力なる議論はない.
 故に米国人は到底神秘的宗教を解し得ない、米国人はルーテルを讃するに方ても彼の遂げし事業を以てして、彼の深き濃かなる信仰を以てしない、彼等は改革者ルーテルを解し得るも基督者ルーテルを解し得ない、ルーテルの涙多き、女らしき、唯心的《アイデアリスチツク》宗教は米国人の了解以上にあると思ふ、米国人の立場より見てチンチェンドルフ伯は決して第一流の宗教家でない、随て彼等が我国の法然、親鸞等の信仰的偉大を認むる能はざるは勿論である、地と肉とを離れての神との交通の如き、米国の宗教家は之を夢と称し、無用と叫ぶ、デンマルク国にキールケゴード出て教会制度を要せざる基督教を唱へしも、米国人は唯「行ふべからず」の一言の下に之に一顧の注意をさへ払はない、「神は霊なり」とは聖書の明白に示す所なれども米国人は形体《かたち》と制度と統計表とに現はれざる神の実力を信じない、米国人は余輩に遭ふも、「君は何を信ずるや」とは問はない、「君は何教会に属するや、(15)君の雑誌の発行部数は幾干《いくら》、君は幾人の後従者《フホロワース》を持つや」と尋ぬ、余輩は小森の蔭に又は小川の辺に余輩の神と偕に交はると云ふならば、米国の宗教家は very poetical,eh(まことに詩人的よ)と曰ひて余輩を冷笑する。
 実に敬虔性の欠乏は米国人の特性である、彼等は他人の信仰を毀つことを至て易きことゝ思ひ人をして父祖の宗教を棄てしめて大なる勝利を得たるかの如くに感ず、彼等はすべての宗教の甚だ神聖なるを知らない、故に旧き宗教を棄ることは旧き履《はきもの》を棄るが如くに易しと思ふ、故に彼等の外国伝道なる者は彼等の内国政治に異ならず彼等の意志を他人の上に課するにある、彼等は他人をして己れの如くに信ずるを得せしめしを伝道上の成功と称ふ、自由を熱愛する彼等は他人が彼等の如くに自由ならざれば満足しない、彼等は寛容を政治的に解するに止まる、信仰的に之を行はない、寛容の精粋は他人の信仰を尊敬するにある、而して米国人は此高貴なる意味に於ての寛容を知らない、彼等は己れと信仰を異にする者を真実に尊敬するの心を有たない、彼等は信仰の事に於ては自分は少しも譲ることなくして他人をして全く己の如く信ぜしめんとする、彼等は此事を称して改信《コンボルシヨン》と云ふ、斯くて米国人は自由を標榜するも信仰のことに於ては大なる圧制家である、彼等は信仰の故に異教信徒を火灸には為ない、併しながら異教徒の信仰を軽視《かろし》めて、之を蹂躙りて憚らない。
 而して信仰の事に於て常に浅薄にして不虔なる米国人は世界各国に自己の宗教を伝へて、未だ曾て根本的に成功したる事は無い、彼等は布哇国を教化し了りて終に之を己が領分となした、彼等は印度に支那に日本に朝鮮に盛んに彼等の基督教を伝へて、唯徒らに旧き宗教と習慣とを毀つに止まり、霊性革新の実を挙げない、米国人の外国伝道は全体に失敗である、而して其理由は之を知るに難くない、敬虔の性に乏しき米国人は異教徒の心に達するの途を知らない、又信仰の事に浅き彼等は異教徒の要求を充たすに足るの信念を有たない、殊に東洋人に(16)取て爾うである、東洋人は来世的であるのに米国人は現世的である、東洋人は黙想的であるのに米国人は表白的である、東洋人は優さしくあるのに米人は荒らくある、米国人は他人の信仰の密室に乱入して之を蹂躙しながら敢て大なる無礼を犯したとは思はない、人は何人も己の有たざる者を他に与ふることは出来ない、米国人は深き来世観を有たない、故に明確なる天国の福音を伝ふることは出来ない、米国人は実際的であつて詩歌的でない、故に霊魂の高き言語を解しない、霊界は決して米国人適応の世界ではない。
 何れの国民もすべての事に於て偉大なることは出来ない、地の事に於て偉大なる米国人は天の事に於て偉大なる事は出来ない、政治の事に於て偉大なる米国人は宗教の事に於て偉大なる事は出来ない、哲学、詩歌、美術の事に於て万国の後に従はざるを得ない米国人は信仰の事に於ても亦自己の適当の地位を自覚すべきである、我等日本人は石油採掘の事、自動車製造の事、水力使用の事に就て米国人を教師として仰ぐやうに信仰の事に就て彼等を教師として仰ぐことは出来ない、信仰の事に就ては神は我等日本人に、米国人に与へ給ひしよりも深くして美はしき性を給ひしと信ずる、米国人の信念は到底以て日本人のそれに到達することは出来ない、日本人が頑固であるからではない、米国人が信仰の事に於ては浅薄であるが故に、日本人は米国人に教化されないのである、余輩は信じて疑はない、今より後、百年二百年と米国人が日本人の教化に努むるとも日本人は依然として米国人の弟子と成らざることを。
 斯く言ひて余輩は多くの好意を以て余輩を迎へし米国人に対して反抗を試むるのではない、余輩は唯明白なる事実を述ぷるのである、余輩は米国人の好意を疑はない、余輩は唯孰れの国民性にもある米国人の国民性の欠点を述ぶるのである、余輩が今茲に述ぶる所は米国人自身が屡ば自己に就て述べた所である、ヤンキー(米国人)は(17)決して思想又は美術又は宗教の民でないとは米国の識者が繰返して言ふ所である。
 然らば如何せんである、我等日本人は米国人に依らず神に依り自己の救済を全うすべきである、日本人は米国人に依らず独逸人に依りて其医学を学びしやうに、米国人に依らず仏蘭西人に依りて其陸軍を学びしやうに、米国人に依らず英国人に依りて其海軍を学びしやうに、日本人は亦米国人に依らずして其宗教をも学ぶべきである、米国人は宗教の教師ではない、宗教に関する米国人の知識と実験とは極めて浅くある、宗教を米国人より授かりて我等も亦彼等の如くに浅薄ならざらんと欲するも得ない。
 願ふ神が此際我等の間に再たび大なる宗教家を起し給はんことを、法然、親鸞、日蓮等が仏陀の心を解せしが如くにキリストの心を解する者の続々と我等の中より起らんことを、願ふ敬虔の念に乏しき米国人の手を経ずして聖霊の直に我等の心に降らんことを、神の恩恵に依り日本人は信仰の事に於て決して劣等の民ではない、神は深き宗教心を日本人に賜ふた、今日まで多くの偉大なる宗教家を我等の中より起し給ふた、ルーテル、サボナローラ、フランシス等は我等の間に見る能はざるの人物ではない、信仰を外国人より授かるは我等の大なる恥辱である、殊に之を宗教心に乏しき米国人より授かるべきではない、宗教の教師として米国人以上の者を仰ぐにあらざれば信仰の大復興を我等の間に見ることは出来ないと思ふ。
 
(18)     東洋道徳と西洋道徳
         四月十六日、八丈島大賀郷村高等小学校に於ける講演の大意
                        大正2年6月10日
                        『聖書之研究』155号
                        署名 内村鑑三
 
 東洋道徳は言ふ、「己の欲せざる所人に施す勿れ」と、西洋道徳は言ふ「己れ人に施《せ》られんとする事は亦人にも其如く施よ」と、二者は相互に能く似て居る、併しながら其間に大なる相違がある、前者は消極的道徳であつて、後者は積極的道徳である、前者に従へば他人に害を加へさへ為なければ、それで事は済むのである、後者に従へば己れの善と認むることは進んで之を他人に施さなければならないのである、前者に従へば山に退いて独り己れを潔くするも、それで悪くは無いのである、併しながら後者に従へば隠遁は罪悪である、人に為すべきの善を為さずして、我は徳義に背くのである。
 東洋西洋の別は地理でもなければ、人種でもない、此道徳上の根本的相違である、悪を為す勿れと教へられて人は隠退的になり、善を為すべしと教へられて進取的となる、人に害を加へざれば其他は我れ措いて問はずと言ひて、人は強ひらるゝにあらざれば世の公事に携はらざるに至る、村政為めに緩み、郡政紊れ、県治挙らず、国政振はざるに至る、我は進んで他人に善を為さゞるべからずと言ひて、人は自ら進んで公事に携はり、国政に参与し、県政、郡政、村故に尽瘁するのである、独裁政治が東洋に栄へて、自治政体が西洋に起りし理由は東西二(19)種の道徳の此根本的相違にあるのである.
 余は東洋道徳と言ひ又西洋道徳と言ふた、併しながら道徳は宇宙的であつて之に東西の別のありやう筈はない、東洋人が所謂東洋道徳則ち消極的道徳を作つたのではない、又西洋人が所謂西洋道徳則ち積極的道徳を作つたのではない、東洋人は不幸にして消極的道徳を受け、西洋人は幸ひにして積極的道徳を受けたに止まるのである、故に東洋人にして若し今日積極的道徳を採用すれば彼等も遠からずして西洋人の如き進取的の民となることが出来、西洋人にして若し今日消極的道徳に従ふに至らば、彼等も亦支那人印度人と其運命を共にするに至るのである、道徳は衣の如き者であつて、毛髪や皮膚のやうに身に附いた者にあらざるが故に、今日直に之を改め、劣りたる者を去て優りたる者を採用することが出来る。
 余は東洋西洋の別を述べた、而して日本は東洋でもなければ西洋でもない、地理学上より言ふも日本は東西両洋の間に立つ国であつて其孰れにも属すべき者でない、故に東洋道徳と言ひて余は日本道徳と言ふのではない、又西洋道徳と言ひて外国道徳と言ふのではない、日本は東洋西洋の別なく、其最も優れたる者を採用すべきである、日本は今日まで東洋文明を採用して其益をも受け、害をも蒙つた、今より進んで西洋文明の最善を採り、之を己が有となして最善最実の国となるべきである。
       *     *     *     *
 「己れの欲せざる所、之を人に施す勿れ」、是れが東洋道徳である、.「己れ人に施られんとする事は亦人にも其如く施よ」、是れが西洋道徳である、退歩と進歩、冷淡と熱心、圧制と自由、衰微と繁栄……二者の岐るゝ所は茲に在る、我等は勿論後者を択ぶべきである。
 
(20)     〔余輩の伝道方針 他〕
                         大正2年6月10日
                         『聖書之研究』155号
                         署名なし
 
    余輩の伝道方針
 
 余輩は自ら進んで人に余輩の信仰を勧めない、余輩は人が自から進んで余輩に到るを待つ、余輩は又余輩に到るすべての人を納けない、余輩は先づ其人等にキリストを信ずるの困難を説く 殊に余輩を慕ふて来る者あらば、余輩は彼等に先づ余撃の敵に就て委しく余輩に就て穿鑿せんことを勧む、余輩は真実に霊の要求に強ひられて来る者にあらざれば之に余輩の信仰を語らんと為ない。 余輩は人が如何ほど手段を尽しても人一人をクリスチヤンと為すこと能はずと信ず、余輩は又神が自から招き給ひし者は如何なる障碍に遇ふも必ずキリストに来りて永久に彼を離れざるを信ず、余輩は神の霊は人の手段に優さりて遙かに有力なるを信ず、故に常に祈りて神の聖業に裝分なりと携はらんことを願ふと雖も、手段方法を尽してまでも世に教勢を張らんとしない。
 
    余輩と教会
 
(21) 余輩は無教会信者である、併し余輩は未だ曾て一回も教会信者に向て「汝の教会より出で来れ」と勧めた事はない積りである、其反対に余輩は神が余輩を以て御自身に導き給ひし信者に向て幾回《いくたび》か其択らみし教会に入る事を勧めた積りである、斯くなすは「己れ人に施られんとする事は亦人にも其如く施よ」との主の誡に従はんがためである、余輩は教会信者も亦余輩に対して主の此誡を実行せられん事を望むのである。
 
(22)     〔實富の差別 他〕
                         大正2年7月10日
                         『聖書之研究』156号
                         署名なし
 
    貧富の差別
 
 富者とは誰ぞ、多く神に託せられし者なり、貧者とは誰ぞ、少く神に託せられし者なり、己が有とては一物なきの点に於ては富者貧者其分を一にす、唯貧者の富者に勝るは其責任の軽きにあり、多く予へらるゝ者は多く求めらるべし、多く託《あづ》くれば之れより多く求むべし(路加伝十二章四十八節)、富者は多く託けられし者なり、故に多く求めらるゝ者なり、富者を羨む者は誰ぞ、人は何人も責任の軽くして活動の自由多きを欲ふにあらずや。
 
    処世の困難
 
 処世の困難を唱ふるを要せず、処世は至て容易なり、我が身と所有とを挙げて尽く神に献げまつれば足る、斯くなして素の無一物となりて我は処世の困難より脱するを得るなり、我を困しむるものは我が慾なり、我有ならざるものを我有と認むるが故に言ひ尽されぬ夥多の困難は我身に臨むなり、神の有を神に返納して我は素の我となりて、処世の困難の如き之を過去の夢として一笑に附し得るに至るなり。
 
(23)    断りて棄てよ
 
 若し汝の右の眼汝を罪に陥さば抉出《ぬきいだ》して之を棄よ、そは五体の一を失ふは全身を地獄に投入らるゝよりは勝ればなり(馬太伝五章廿九節)。 若し汝の右の手汝を罪に陥さば之を断て棄よ、そは五体の一を失ふは全身を地獄に投入れらるゝに勝ればなり(仝三十節)。
 若し汝の財産汝が神を視るの妨害とならば取て之を棄よ、※[妍の旁]《そ》は財産全部を失ふは神を離れて全身|幽暗《くらき》に入るに勝ればなり。 若し汝の事業、汝が神に近づくの妨害とならば断りて之を棄よ、※[妍の旁]は事業なくして天国に入るは全身地獄に投入れらるゝに遙かに勝されば也。 断りて棄よ、然り断りて棄てよ、神に達するの途を遮る諸《すべて》の重負《おもに》と※[螢の虫が糸]《まと》へる罪とは惜むことなく之を断りて棄てよ。希伯来書十二章一、二節。
       ――――――――――
 
    越後伝道 入越所感
 
 越後人は甚だ頑固である、彼等は容易に基督教を信じない、併しながら一たび之を信ずれば容易に之を棄てない、越後伝道の困難は茲に在る、其快楽も亦茲に在る。
(24) 越後人の来世慾は甚だ強くある、彼等に取りては後生は今生よりも遙かに大切である、彼等が仏教に熱心なるは是れがためである、彼等は明白に来世を説かない宗教を顧みない、社会の改良と云ふが如き、家庭の幸福と云ふが如きは彼等の深く問はんと欲する所でない、死して後如何とは越後人の最大問題である。
 此事を知らないで、越後人に近世流の現世的基督教を伝へんと欲して今日までの教会伝道が不結果に終つたのは敢て怪むに足りない、越後人の来世観は英米宣教師のそれよりも遙かに深くある、来世の事に就ては宣教師は越後人より学ぷべくあつて、越後人に教ゆべくない、現世の事に熟達せる英米宣教師は越後人の宗教の教師としては甚だ不適任者であると思ふ。
 併しながら言ふまでもなく聖書は深玄にして鮮明なる来世観を伝ふる、而して越後人が一たぴ之を覚得すれば、彼等は死を以て之を守る、彼等は復活を信ずる、昇天を信ずる、永生を信ずる、ヨハネの黙示録は彼等が絶大の興味を以て熟読する書である、彼等は未来永劫に尽きざるの生命を得るの途として感謝してキリストの福音を信ずる、現世の如何は彼等の深く問ふ所ではない、
  兎にも角にも死たる者の甦ることを得んことを
とはパウロの希望であつて、又越後人の切なる希望である(ピリピ書三章十一節)。
 故に越後人が誠にキリストを信ずるに至る時は日本国に基督教が勃興する時であると思ふ、越後は日本の独逸である、越後人に独逸人の気風がある、幽鬱にして深遠、幽暗を歩んで光明を求めて止まず、而して一たび之を認むるや其ために全身を献げて惜まない、若し日本にルーテルが起るならば彼は多分越後より起るであらふ、猶太人が救はれて後に全世界が救はるゝやうに越後人が救はれて後に日本全国が救はれるのであると思ふ。
(25) 然れば勉むべきは越後伝道である、頑固なる、遅鈍なる、愛らしからざる越後人にキリストの福音を注入するは日本国を福音化するの途である、越後人が今日法華宗や浄土真宗に忠実なるが如くにキリストの福音に忠実なるに至て、天下何物も日本国の教化を妨ぐるものなきに至るのである、越後人は生来の宗教的人種である、日本国をキリストに獲んと欲する者は先づ越後人を獲べきである、而して自己に深き宗教的実験ある者のみ能く此任に耐ゆるのである。
       ――――――――――
 
    欧亜の領分
 
 物界は欧洲人に属し霊界は亜細亜人に属す、欧洲は勿論、南北両米大陸の全部、濠洲の全部、阿弗利加大陸の殆んど全部、亜細亜大陸の大半は今や悉く欧洲人に属す、欧洲人は実に此世の大王なり、全地は今や将さに彼等の属たらんとす。
 然れども世界の宗教は悉く亜細亜人の宗教なり、基督教はイエスより出て彼は猶太人にして亜細亜人なりし、回々教はモハメツトより出て彼は亜拉比亜人にして亦亜細亜人なりし、仏教は釈迦より出て彼は印度人にして亦亜細亜人なりし、欧洲人が物界に王たるが如く亜細亜人は霊界に王たり、此世が化して終にキリストの国と成るべしと云ふは終に亜細亜人の霊的感化に服すべしとの謂なり。
 亜細亜は原始的大陸なり、而して宗教は人生の原始的解決なり、宗教の亜細亜に発原すべきは二者の共有性の然らしむる所なり、若し科学は宗教の侍女《ハンドメイド》なりと云ふならば欧洲は亜細亜の侍女ならざるべからず、霊魂が肉(26)体以上たる間は欧洲は亜細亜以上たる能はず、縦し欧洲人は地の監理者として存《のこ》らんも亜細亜人は天の聖職者として生《いき》ん、亜細亜人が宗教を欧洲人より学ぷは逆なり、地の事に就ては彼等をして我等の教師たらしめよ、然れども天の事に就ては我等をして彼等に教ゆる所あらしめよ、是れ神の定め給ひし順序なり、我等は欧人又は米人の宣教の恩恵に与かりて神の聖旨に背きつゝあるなり。
 
    信仰に由る孤立
 
 権勢に由らず能力《ちから》に由らず我霊に由るなりと万軍のヱホバ宣ふ(撒加利亜書四章六節)。
 海軍に由らず陸軍に由らず、商業に由らず工業に由らず、財政に由らず外交に由らず信仰に由るなりと平和の主なるイエスキリスト宣ふ。
 真の信仰に由りて万国を敵として立つも可なり、米国何者ぞ、英国何者ぞ、露国何者ぞ、仏国何者ぞ、若し神我等と偕に在さば誰か我等に敵せん乎。
 ゼルバベルの前に当れる大山よ、汝は何者ぞ、汝は平地とならん(仝七節)、信仰の前に当れる困難の大山よ、汝は何者ぞ、汝は平地とならん、願ふ日本国も亦た一たびは惟ヱホバの神にのみ依頻み、万国を敵として立つの覚悟あらんことを。
 
    米国が日本に蒙らせし精神的害毒
 
 米国は日本に対し善のほか何にも為さなかつたとは日本人が米国に就て懐く普通一般の考察である、併し事実(27)は決して爾うではない、米国は日本に対し多くの善を為した、余輩と雖も勿論其事を疑はない、然れども其れと同時に又多くの悪を為した、日本人は其事を忘れてはならない。
 日本人を今日の如くに拝金に為したのは多くは米国人の感化に由るのである、日本人は固より精神的の民であつた、彼等に金銭は寧ろ之を蔑視《いやし》むるの傾向があつた、日本人に取り義務は金銭よりも遙かに大切であつた、彼等は餓死するも不義の財に接触らなかつた、金銭のために士道を涜すが如きは彼等に取り大耻辱であつた、彼等は金銭の事は之を口にするさへ快く感じなかつた。
 併し斯かる事は今や過去に属する事である、日本人は今や金銭を愛して止まない、其政治家も宗教家も、文士も軍人も自己の生命を愛するが如くに金銭を愛するに至つた、今や日本人に取り利益を語ることは耻づべきことではない、然り其反対が事実である、今日の日本人に取りては利益を語らざることが却つて愚であり時世後れである、事業の計画、権利の獲得、株券の売買、是れ君子国の民が日夜談ずる所である、真面目なる信仰は彼等に由て嘲けられ、経済的に価値なき真理は彼等に全く無用視せらる。
 而して斯かる憐むべき状態に日本人を陥れし者は抑も何人である乎、其人は主として東隣の米国人ではない乎、米国人は日常の生活に於て「弗の全能」を唱へて耻ぢない、彼等は曰ふ Money is Power(金銭は実に勢力なり)と、金銭は世界各国何処に到るも勢力たりと雖も、然れども、米国に於けるが如き金銭の勢力は之を他に於て見ることが出来ない、普天の下、米国に於てのみ金なきことは真実の地獄である、此所に黄金は白昼公然大路を闊歩し、公衆の畏敬尊崇を博するのである、此所に教会の教師は高壇の上より「我が教会は何千万弗の富を代表す」と唱へて敢て憚らないのである、此所にすべての物は代価を以て称へらる、曰く何千弗の家、何千弗の地位、(28)何万弗の教会、何十万弗の学校と、物の善悪ではない、其代価である、米国人は物の貴尊《ワース》を定むるに弗を以て計算せらるゝ其代価を以てす、米国に在ては成功せる人は多く金を得し人、故に大学の教授にして、然かも倫理宗教を講ずる人が株券売買に従事して富を作りたればとて米国に在りては羞恥《はぢ》ではない、説教と講演とは代価を附して広告せられ、新聞と雑誌とは商業として計営せられ、詩人ゴルドスミスの言ひしが如くに
  此所には道徳すらも売買せらる、
米国人は近世のアムモン人である、彼等はモレクの金像を拝し、神と之とに兼ね事ふ。
 而してアムモン人を東隣として有ちしイスラエルの民がモレク窮拝に引込まれしやうに米国人を東隣として有ちし日本人は黄金崇拝に引込まれたのである、日本人は知らず識らずの間に米国人の感化を受けて、今や米国人に勝さるも劣らざる拝金の民と化したのである、此大なる堕落に対して米国宣教師の伝道事業の如き、全市を延焼する大火に対し桶一杯の水に過ぎないのである、米国人が殺した日本人の霊魂は彼等が活したそれよりも遙かに多いのである。
 黄金崇拝と之に伴ふ思想の浅薄、教育を物質化し、宗教を物質化し、数と量とに現はれざるものとては其真価を認めざるの傾向、自から世界最大の平民国なりと唱へながら貴族を尊崇し、位階を喜ぷの偽善、……米国が日本に蒙らせし精神的害毒を算へ来れば猶ほ之を以て尽きないのである、神が米国人を以て我等に福音を伝へ給ひしと同時に悪魔は彼等を以て我等を多くの罪悪に導いた、我等は神の器としての米国人を敬ふ、然しながら悪魔の手先としての米国人を厭ふ、頌むべきは神であつて米国人ではない、米国人も日本人も米国が日本に加へし害毒を自覚すべきである、而して誘ひし者も誘はれし者も神の前に懺悔し、彼の赦免《ゆるし》に与り、然る後に聖き新らし(29)き交際《まじはり》に入るべきである.
       ――――――――――
 
    矛盾せる米国人
 
 米国は基督教国であると云ひ而して亦米国人は亜細亜入種を排斥すると云ふ、矛盾せる米国人よ、汝等が神の子として崇拝するキリストと称へられしナザレのイエスは亜細亜人に非ずや、汝等は救主として亜細亜人を仰ぎながら亜細亜人を排斥すると云ふ、之に勝るの矛盾が何処に在る乎、然れども汝等は今日まで之れ以上の矛盾を犯し来れり、欧洲に於ける汝等の同類は猶太人なるイエスと其母マリヤとを拝み来りながら千九百年間に渉り猶太人種を迫害し来れり、猶太人種を迫害しながら猶太人を救主として仰ぐ汝等が今や猶太人を含む亜細亜人を排斥するは敢て怪むに足らざるなり。
       ――――――――――
 
    本多君の米人観
 
 聞く故本多庸一君常に曰へるあり、曰く、「世に米国人にまさる気儘勝手の民あるなし、故に彼等との衝突は終に免がるべからず、吾人は恒に之に備へざるべからず」と、米国人の友人を以て自から任ぜし日本メソヂスト教会監督本多君の言として意味深長なりと謂ふべし、米国人たる者は其の内に在る者と外に在る者とに関せず深く故人の此言に鑑み、自から其気儘を矯め、神の前に謙遜りて其の友人との和合を謀るべき也。
 
(30)     読書所感
                        大正2年7月10日
                        『聖書之研究』156号
                        署名 内村鑑三
 
 余は初めに天然学を愛した、地文、天文、動物、植物、地質、鉱物と手当り次第に読んだ、魚類、鳥類、生理、解剖は特に余の注意を惹いた、日本国のルイ・アガシ又はアーノルド・ギヨーたらんことは余の初めの野心であつた。
 余は次ぎに歴史を愛した、殊に世界歴史を愛した、太古史と中古史と近世史、文芸復興史と地理的発見史と宗教改革史、エジプト史とアツシリヤ史とパビロン史、人類起原論と人種分布論……余は人類を一個人として見、其発達進歩に就て攻究するを好んだ、其時代の余の野心は東洋史に於てはセイス氏の如き学者と成り、世界歴史に於てはフホン・ランケの迹を践まんとするにあつた。 其次ぎに余は文学を愛した、ジョンソンとゴールドスミス、ギボンとギゾー、エマソンとカーライル、ダンテとミルトン、ワヅワスとプライアント、ローエルとホヰッチヤー、余は順序もなく組織もなく、謂ゆる雑食的乱読《オムニボラスリーデイング》を継けた、其時代の余の野心は偏へに善き思想を得て之を我国人に供給せんとするにあつた。
 其次ぎに余は宗教研究に移つた、余は哲学と神学とを避けなかつた、ダーウヰンの進化論を以て基督教を説明し見ばやと欲ふた、少しく此較宗教を窺つた、霊魂不滅の科学的立証を試みた、謂ゆる宗教道楽の一人となつた、(31)宗教を哲学的に又は審美的に究め且つ楽まんとした。
 其次ぎに余は聖書研究に入つた、註解書と云ふ註解書は余の財布の許す限りは之を購ひ、之を読破して聖書の深き意味を探らんとした、マイエルとヴアイス、ゴーデーとサバチエー、バイシュラーグとプフライデレル、ライトフートとスヰート、……余の小なるライブラリー(書斎)は彼等の著書を以て充つるに至つた、余は聖書の文字より神の真理を抽引《ぬきいだ》さんとした、余は第一流の註解者と成りて聖書を同胞に説明せんとした。
 然し今や此時代も亦過ぎつゝある、余は今や謂ゆる「唯一書の人」と成りつゝある、聖書其儘、註解なしの聖書を嗜む者と成りつゝある、成るべくば原語の聖書に依り、止むを得ずば完全に最も近き訳文に由り、偏らざる虚しき心を以て之に臨み、直に神の啓示に与からんとする嬰児《をさなご》の態度に還りつゝある、博物も歴史も文学も宗教も、然り聖書の註解までが悉く放棄せられて、神の書にして人類の書なる『唯一書』が余の手に存る時が来りつゝあるやうに感ずる。
 然し事は茲に止まらないであらふと思ふ、聖書も亦余の手より離るゝ時が来るであらふと思ふ、文字は殺し霊は生かすと云ふ(哥林多後書三章六節)、而して聖書と雖も亦文字たるを失はない、聖書と雖も其文字は是れ入を殺す者である、而して今日まで聖書に依て殺されたる者は決して尠くないのである、
  主は霊《みたま》なり、主の霊ある所には自由あり
とある(仝十七節)、完全の自由は文字を離れて主の霊のみある所に在る、而して余にして若し完全に救はるゝ者であるならば余も亦完全の域にまで進められざるを得ないのである。
       *     *     *     *
 
(32)  多く書を作くるも竟《はてし》なし、多く学べば体疲る
とある(伝道之書第十二章第十二節)、而して書を作ることばかりでない、書を読むことも亦其如くである、余は初めに天然(科学)に就て、次ぎに人類(歴史)に就て、次ぎに思想(文学)に就て、次ぎに信仰(宗教)に就て、終りに黙示(聖書)に就て学ばんとした、然し伝道者の言へるが如く「多く書を読むも竟なし、多く学べば体疲る」である、然ればとて読書は全然之を廃することは出来ない、不完全なる人類が神の知識に達する途として読書は之を忽がせにすることは出来ない、人世の小学に於て科学は我等の学ぷべき第一読本である、歴史は第二読本、文学は第三読本、哲学と宗教とは第四読本、聖書は第五読本である、而して総《すべて》を読了つて後に名誉の卒業を遂ぐるのである、我等はキリストに在りて直に神の霊に接するを得て、茲にすべての読本は不用になるのである、我等は屑紙籠(之を「書斎」と称す)の内に在りて幽暗の中に光明を探る者である、実に憐むべき者である。
 
(33)     約翰伝三章十六節
                        大正2年7月10日
                        『聖書之研究』156号
                        署名 内村鑑三
 
 神は 光を衣の如くに纏ひ、義と公平とを其|宝座《みくら》の基と為し給ふ神は。詩篇九十七篇二節、仝百四篇二節。
 愛し給へり 鞫き給はずして愛し給へり。
 世を 己れに背き、暗《くらき》を愛して光を憎む世を。
 其生み拾へる一子 アブラハムに一子ありしが如くに神にも亦一子ありたり、彼は聖父《ちゝ》の栄の光輝《かゞやき》にして其質の実像《かた》なりき。希伯来書一章三節。
 賜ふほどに 其一子を賜ふほどに罪の世を愛し給へり、単《たゞ》に彼を遣《おく》り給ひしに止まらず、彼を与へ給へり、彼を世に賜へり、彼をして其神と匹しく在る所の事を棄て、己を虚うし、僕の貌《かたち》をとりて人の如くになり、十字架の死をさへ受くるに至らしめ給へり、宇宙の大帝は英一人の皇子を庶民に下し、彼等を救ふの途を開き給へり、是れ如何ばかりの愛ぞ、人は是れ以上の愛を想像する能はず、子を棄るは自己を棄るよりも難し、況《ま》して一子をや、然るに神は此為し難きを為し給へり、而かも自己に背きし世のために、嗚呼是れ如何ばかりの愛ぞ。腓立比書二章丁六、七、八節。
 此は 斯る絶大の愛を顕はし給ひし其理由は。
(34) 凡て 何人たるに拘はらず、そのユダヤ人なるとギリシヤ人なるとに拘はらず、その義人なると罪人なるとに拘はらず、教会信者なると無教会信者なるとに拘はらず、学者なると無学者なるとに拘はらず、凡て、然り、人と云ふ人は凡て、然り、凡て、凡て。
 彼を信ずる者に 彼を知識的に理解する者に非ず、道義的に彼に傚ふ者に非ず、彼を信ずる者に、嬰児《をさなご》の如くに彼に依頼する者に、大人も小児も、男子も女子も、智者も愚者も、義人も罪人も、何人も容易に為し得る信頼の途に由る者に。
 亡ることなくして 人間最大の不幸なる霊魂の滅亡に遭ふことなくして。
 永生を受けしめん為なり 人間最大の幸福なる霊魂の永生を受けしめんためなり、目的は人生最大の幸福なる永生の授与、之に達するの途は人に在りては最も容易なる信頼の途、神に在りては最も最も困難なる一子の下賜、人を無限に恵まんがために神に在ては無限の犠牲、人に在ては最も簡易なる方法、是れ何人も其恩恵に洩れざらんがためなり、すべて信ずる者の救はれん為なりと云ふ、愛の極、恵の極、神は如斯き者なり、神の愛とは如斯き愛なり、而してキリストの福音とは如斯き神の如斯き愛を伝ふる者なり。
  それ神は、愛し給へり、世を、其生み給へる一子を賜ふほどに、
  此は彼を信ずる者に亡ぶることなくして永生を受けしめんが為なり。
 神、愛、世、一子、賜ふ、ほどに、信、亡、永生、孰れも重き言辞なり、天の高きも地の低きも、以て之を納る能はざるなり。
 
(35)     馬太伝六章三十三節
                         大正2年710日
                         『聖書之研究』156号
                         署名 内村鑑三
 
 汝ら先づ神の国と其|義《ただしき》とを求めよ、然らば此らのものは皆な汝らに加へらるべし。
 先づ 先づ第一に、何よりも先きに、主として。
 神の頭 神の治め給ふ国、彼の聖旨の行はるゝ所、神との和平成りて彼の怒の宿らざる所、国と称ふるも必しも国土を要せず、霊魂の平和の状態、其れが神の国の特徴である、今始まりて後に完成せらるゝ事、神の国は(今)汝等の衷にありと云ふ(路加伝十七章廿一節)、後、彼れ諸の政事《まつりごと》及び諸の権威と能力を滅して国を父の神に付さん、是れ終なりとある(哥林多前書十五章廿四節)、神の国は人を離れて神の事である、地を離れて天の事である、肉を離れて霊の事である、我等の霊が霊なる神に接する所である。
 其義 神の国の義にあらず神の義なり、故に「彼の義」と読む方が意味が明白である、神の義は人の義と異なる、其如何なる義であるかはパウロの左の言に由て見て明かである、
  今|律法《おきて》を離れて神の義は顕はれたり……即ちイエスキリストを信ずるに由る神の義にして、すべて信ずる者に及ぶ義なり(羅馬書三章廿一、廿二節直訳)。
  是れ信仰に託り神より出る義、即ち律法に由る己が義に非ず、キリストを信仰するに由る所の義なり(腓立(36)比書三章九節)。
 神が人に求め給ふ義は斯の如き義である、己が作りし義の資格ではない、信仰に由りて神に被《き》せられし義である、自から義とするの義ではない、神に義とせらるゝの義である、倫理道徳の義とは全く質《たち》を異にする義である、十字架上のキリストを仰瞻て義とせらるゝの義である、キリストの福音独特の義である、神の義、一名信仰の義、謙遜と信頼と自捐とを以てのみ得らるゝ義である。
 求めよ 飢え渇く如くに求めよ、祈り求めよ、之(神の義)を祈祷の主なる題目とせよ、信者が物を獲るの途は祈祷を除いて他にない、故に「求めよ」といふは「祈れよ」といふと同じである。
 然らば 神の国と彼(神)の義を主なる目的物として祈るならば。
 是らの物 衣、食、住、肉に関するすべての物、健康長寿も多分其中に含まるゝならん、此身のすべての幸福、必要の知識と、相応の地位、妻と子と家庭と交際、此世の人々が千辛万苦して求むるすべての物。
 加へらるべし 汝が求めざるも神より汝に加へらるべし、是れ皆な祈り求むるの必要なき物である、先づ神の義なる第一のものを求めんには第二以下のものは求めずして汝に加へらるべし、神より汝に押附けらるべし、食ふための食物や、着るための衣類や、住ふための家屋やは汝が殊更らに求めざるに汝に加へらるべし、此意味に於て信者に生存競争なる者はない、彼は唯一を求むれば、他は神より彼に加へらるべしとの事である。
 驚くべき哉主イエスの此言、簡短にして深玄、之を読む者をして不信に耻ぢて堪ゆる能はざらしむ。
       *     *     *     *
 此事たる惟り個人に限らない、国家に取りても爾うである、国家も亦先づ第一に神の国と彼の義を求めて其他(37)のものは求めずして之に加へらるゝのである、先づ第一に純粋なる福音の義を求めて国の隆盛は求めずして来るのである、宗教改革後の英国并に和蘭は其善き実例である、彼等は比較的に純粋なる福音を求め得て一躍して欧洲第一流の富強に達したのである、其反対に仏国と西班牙とは福音を斥けて終に今日の衰退を招くに至つた、此事に就て歴史家カーライルは彼の『フレデリック大王伝』第壱巻に於て、宗教哲学者プフライデレルは彼の『基督教発達論』に於て同じ事を述べて居る、余輩は読者の注意までに茲に一言して置く。
 
(38)     北越講演大要
                   大正2年7月10日
                   『聖書之研究』156号
                   署名 内村鑑三講述 中田信蔵記
 
     善を行ふの力 (五月十三日夜村松町聖書社に於て)
 
 基督教を越後に伝ふるためには随分力を尽せし人が多く、其宣教師の中には世界的偉人もあつたが越後の人は特に基督教に対して深き疑の目を以て見、容易に之を信ぜんとはせない、越後に伝道するの困難なる事は伝道界の輿論であつて 吾等が此所に又同じ事を繰り返すも何の効もない事であらうが信ずる所を述べておかねばならぬ。
 宗教論は誠におもしろい事ではあるがこれは実際の宗教問題には触れない事で、宗教問題は理論ではなくて善をなし悪を避くるの力を得る事である。元来日本人はよく道徳を解し善を冀《ねが》ふの心は盛んであつて学校にてはよく道徳を説き、一般のものはよく善の為す可きを知り、悪の避く可き事を熟知して居る。而も事実が常に其反対なる奇態なる現象あるは何故であらう。
 先づ代議士を視られよ、個人としては選良たらんも議会に於て問題起る毎に利益と情実のために動き、正と不正との如きは曾て顧みられない。新聞記者はよく之を攻撃するも自身代義士となれば亦同じ悪事をなし変節もす(39)れば賄賂も取る。而も彼等は善悪を知らないのではない、善の為す可きを知りてこれを為さず、悪の為す可らざるを知りて之を為すのである。政治界の事はさておき日本の普通の家庭は如何であるか、正義の其中に行はれ難き痛ましき経験談を常に聞くのである。されば吾等は道徳を聞き又|唱《との》ふるのみにては到底駄目である事を知るのである。結局道徳てふ事は善い事ではあるけれども行はれぬと言ふ事になつて居る。善事の善なる、悪事の悪なるを認むるは容易なれども行ふは難いのであつて茲に宗教問題が生ずるのである。善事と信ずれば仮令何人の反対あり如何なる困難ありとも是を実行し得るの道はあるまじきか、これなくしては或は無事安穏の生涯は送り得んも愉快と言ふ事はないのである。此力若し仏教にあらば誠に結構、儒教にあらば亦甚だ結構の事であるが儒仏の教ありて正義の行はれない国を見るのは悲む可き事である。
 基督教の訓ゆる所は簡短である。善を行ふの力を神より受くる事である。試に先づ思へ吾等日本国民には皇室に対する義務がある、国に対する義務がある、町村に対する義務があり、家に対し兄弟に対し同族に対するの義務がある。其一を欠かんか吾等の生涯は誠に憐む可きものであつて常に是等の義務を欠かない事に心を用ふるのである。然らば是等の義務を満足に果したりとせんか、是にて人は満足す可きであらうか、否な決して然うでない。これだけにて満足は出来ぬ。是は猶ほ外に尽さない義務があるからではあるまいか、然り霊魂の造主なる神に対する最も大なる義務を尽さゞるに由るのである。これ人生不幸の根本である。神に対する義務を尽さんために起ちたる人の幸福は羨む可きものである。これがために生れ変つた人を吾等は多く見るのである。神が吾等の後楯となる時に善をなすに易く悪を却くるに勇敢となるのである。斯くして始めて人は誘惑多き此世に起ち正義を行ひて愉快なる生涯を送り得るのである。其他子弟を都会に送るに彼等に仁義忠孝を教へたりとて安心は出来(40)ぬ、神と親しき関係に置く事が最も安全なる道である。幾多有為の青年が神を知らざるにより自《おのづか》ら品性下劣となり、ために失敗するは誠に痛ましき事にて、単に此点に於てのみにても人に神を知らしむる事が如何に必要であるかゞ知り得らるゝのである。
 吾等が基督教を諸君に勤むるは其中に必しも仏教に勝れる教理があるからではない、仏教家の宗教論に巧みなるは驚く可く、而も彼等が善を為し悪を責むるに勇敢でない事も亦驚く可きである。吾等の求むる所は宗教論ではなくして善を行ふの力である。其力は神より受く可きものであつて此事を記したる書物は聖書である。聖書は全世界に亘りて千九百年来此力を与へて来たのであれば越後の地ばかりが独り此力を此書より得られない理はないであらう。
       ――――――――――
 
     帖撒羅尼迦後書一章一節より八節まで (五月十七日夜新津在大鹿教友会席上に於て)
 
 使徒保羅がテサロニケ人の教会に送つた此言は私が今大鹿の信者諸君に言はんとする所である。此地の信者が困難の中に立派な信仰を持つて居る事は私が日本国中到る所に誇るのである、誠に諸君は神の義鞠《たゞしきさばき》の表《しるし》であるのである。凡そ今の日本の社会に於て基督を信ずれば迫害と艱難《なやみ》とあるは当然の事であつて、これのないのは正しく信ぜない証拠とも言はれるのである。而して神を信ずるものに患難《なやみ》を加ふるものには神が之に酬ゆるに患難を以てし、患難を受くるものには平安を以て報い給ふとの事であれば、今患難の中にある吾等は誠に喜ぶ可きであれど吾等に患難を加ふるものは実に憫む可きものであつて、吾等は是等のものゝために切に其|宥恕《ゆるし》を神に祈(41)らなければならぬ。
 聖名のために大に苦み得るは大なる恵みであつて感謝す可きである。さればこそ信者は患難を受けつゝも常に喜悦に溢れて居るのである、私共の知れる信者の中で最も大なる患難に会いたるものが最も喜悦に充ちつゝあるは事実である。意外にして驚く可きは神の恵みであつて吾等は如何なる窘迫《せめ》にも患難にも唯神の御力に頼り忍耐と信仰とを以て感謝して其|慈恩《あはれみ》のある所を知る可きである。
       ――――――――――
 
     羅馬書十二章一節 五月十八日朝仝所に於て
 
 神の慈恩は実に驚く可きものであつて其恵みには限りがない、人は皆罪人であつて義人一人だになき時に神は其一人子キリストの犠牲を以て人類の救拯を全うされたのである。神はかくも大なる慈悲を以て恩恵を賜ひたる事なれば吾等も亦此身を神の意に適ふ聖き活ける祭物《そなへもの》となして神に献げなければならぬ。これ当然の祭であるとは保羅の述ぶる所である。普通神を拝するの方法は供物をなして願事をなすのであるが、基督教の神を拝するは全く是に相違し、吾等未だ神を知らざる先に神は種々なる方法手段を以て吾等を救ひ給ふたる其大なる恵に対して神に献物を為すは当然の事と心得てなすのである。神の諸の慈悲の如何程大なるものであるかを知る時に神に祭物を献げずには居られなくなるのである。此心が生ぜないものは信仰がないのである。されば神に物を献ぐるには剰余物を以てしてはならぬ。神は人類救拯のために其独子をさえ与え給ふたのであれば、是に対するの祭物は言ふまでもなく最良のものを似てす可きである。神社仏閣の賽銭に見る如く普通に使用せない鐚銭《びたせん》を以てする(42)が如きは神に対する心得ではない、吾所有物の中の最良のものをするも猶足らぬ、其全部を献ぐ可きである。子を持つ親は知る事なれども子の死を見るは自身の死に勝りて苦しき事なるに神は其独子を十字架に釘けて実に神御自身以上のものを与へ給ふた。人と人との間に於ける日常の贈答に於ても亦各自相応のものを以てするにあらざれば真の親しき関係に入ることは出来ない、神と人との関係に於ても亦仝様であつて吾等は神の下されしものに対して吾等自身を献げねば相当せないのである。而して又心得可き事は活ける祭物とせねばならぬ事である。吾等動もすれば死物を献げんとする虞がある、血気の時代は放埒を極め老後を寺参りに暮す等仏教信者に往々見る所であるが独り仏教信者に止らず基督信者にも亦是に類するものがあるのである、壮時は盛に活動を要すと称して欲する儘の振舞をなし其失敗するや始めて宗教に来る如きは到底神の大慈悲に答ふるの道ではない、用に堪えざる老後の身を献げても神は受け給ふではあらうけれどもこれでは相済まぬ事である。神は吾等に最良のものを賜はりたれば吾等も亦分別盛り活動盛りを神に献げ、吾子を献ぐるにも最優良なるものを以てし、末子か或は役にも立たぬものを寺院に送りて僧侶となす等の如き態度に出でゝはならぬ。
 而して又活ける祭物となすに当りて之を「聖きもの」として則ち惜みなく全く神の有として献げねばならぬ。人或は全部を神に献ぐる事は出来難き犠牲であるとの考が生ずるであらうけれども元々神のものを神に献ぐるなれば当然の事である。単に当然である計りでなく吾等が世に処する最良の方法である。世に種々の放資の方法あれども神に献ぐるに勝りて良き方法はない。人は富なくして生存する事は出来ないが而かも又其富なるものが如何に多くの苦痛を人に与ふるかを思ふたならば孰れも寒心に堪えぬ事があるであらう。大富豪の家庭に地獄の状を見るの例は随分多い事である。人は多く富を最大の目的として奮闘するも豈計らんやこれが苦痛の種となるの(43)である。而も之を神に献げて難問題は直ちに解決するのである。或は一家の処理について、或は子女の教養に付いて、其他各種の事に付いての困難なる問題は之を神のものとせざるによりて生ずるのであれば其全部を神に献げて処分は甚だ容易となるのである。神のものを吾ものとして見る間何時までも難問題は生ずるのである。恰も吾等他人の物を預りて後に返却を要求さるるに当りて之に応ぜざれば難問題は之がために絶えず生ずると同じ理である。
 然れどもこれ財産を悉く教会に寄附せよ、人は皆牧師伝道師となれとの意味ではない。然らば実際問題として如何にして神のものとなす可きかとの疑問が起るのである、旧約聖書には収入の十分の一を献ぐ可しとあれども今日に於ては必ずしも十分の一に限らず、其一部を献げて全く神の用途に当て其余を神より聖められて賜はる証とするのである。斯くして吾等のものは全部神のものであつて又神より賜はりたる吾ものであればこれが不正の道に用ゐられ様筈がなく又不幸の原因となる如き事はないのである。
 世の人はよく犠牲と言ふ語を用ゆれども、世に犠牲の人となるには先づ須く神に対して犠牲とならなければ能はざる事である。而して吾等は吾所有物全部と吾自身とを神に献げてこれにて完全なる犠牲となり得るであらうか、否吾等は完全の犠牲を神より要求されて是に応ずる事の出来ないものである、茲に完全の犠牲は吾等人類に代りて犠牲となられしイエスキリスト御自身を以て献げられたのである。キリストを吾等人類を代表する完全なる犠牲として神を祭り、キリストを献ぐると同時に吾等の身を聖めて吾等も亦完全の祭物となるのである。誠にキリストが基智者の完全なる祭物である。吾等の生涯は犠牲であつて、完全の犠牲は神の援けを借りキリストを以て献げ之と同時に我全身を聖き祭物となすのである。
 
(44)     〔米国人の金 他〕
                         大正2年7月10日
                         『聖書之研究』156号
                         署名なし
 
    米国人の金
 
 余輩が今日まで米国宣教師の意見に従はざるや彼等は屡次余輩に告げて曰く  斯くなすは君に取り甚だ不利益なるべし
と、即ち彼等に従はざるは余輩に取り物質的に甚だ不利益であるとの事であつた、余輩は此言を聞くたび毎に常に甚だ心地悪しく感じた、苟も宗教道徳の教師たる者が余輩を説服せんとするに方て此世の利害問題を以て余輩に迫るが如きは、日本武士の家に生れし余輩には如何しても解らない、余輩は勿論不利益に甘んじて彼等に従はなかつた、余輩は縦し伝道事業を廃止することあるも彼等米国宣教師の補助を受けざるべしと決心した、而して其決心を実行して今日に至つた、余輩は屡次使徒ペテロが魔術師シモンに向て発せし言を思出した、  汝の金は汝と偕に亡びよかし
と(行伝八草二十節)、米国宣教師は其金に頼ること余りに多くして其伝道を妨げられしこと幾干なるを知らずと思ふ、若し彼等に豊富なる伝道金があらざりしならば彼等の伝道事業は幾倍の効果を奏したであらふと思ふ、(45)米国人は富みて甚だ不幸なる民である、彼等の霊魂の祝福《さいはい》を思ふて「彼等の金は彼等と偕に亡びよかし」である、而して我等も亦、彼等の金に頼りて甚だ禍ひなる者である、我等は我等の霊魂の永遠の幸福を謀りて米国宣教師の金は断然之を斥くべきである。
  It will be ver disadvantatgeous to you.
  君のために甚だ不利益なるべし、と
嗚呼米国宣教師はキリストの福音の何たる乎を知らない、我等は教会も要らない、学校も要らない、青年会も要らない、カーネギーの金、ロックフェラーの金を以てして何事をも為さんことを欲《ねが》はない、
  汝の金汝と偕に亡びよかし
である、若し日本人の霊魂が是等不虔の米国人の金を以てするにあらざれば救はれざる者であるならば我等は寧ろ救はれざらんことを希ふ者である。
       ――――――――――
 
    全体の孤独
 
 余輩は「ヤソ」なりとて不信者に厭がられる、無教会信者なりとて教会信者に厭がられる、而して又「旧い」とて新神学者又はユニテリヤン又は道学者の人等に厭がられる、斯くて余輩は前と異ならず、諸種の人たちに厩がられて今猶ほ孤独である。
 然らば余輩を厭がる人たちは相互を厭がらない乎と云ふに決して爾うではない、不信者は余輩を厭がると同じ(46)やうに教会信者其他の基督信者を厭がる、而して又教会信者は相互を厭がり、旧信者と新信者とが相互を厭がる事は彼等が余輩を厭がるに異ならない、恁くて余輩を厭がる者は又相互を厭がり又相互に厭がられる、恁くて余輩のみではない、余輩を厭がる人たちも亦余輩と同じく孤独である。
 人は相互を厭がり又相互に厭がられる、然し神のみ惟り人を愛し給ふ、而して人は皆な孤独であつて、神を侶伴《とも》とし有つて始めて孤独でなくなるのである、
  我れ独り在るに非ず、父、我と偕に在るなり
とはイエス一人に限らない、凡て深く人生を味ふ者の斉しく発する言である、而して独り此「大なる侶伴」と偕に在るに至て人は何人も他を厭がることなく、却てすべての人を愛するに至るのである。
 然れば人は何人も先づ実に一人となるべきである、「真正の無教会信者」となるべきである、而して独り神と偕に在るを得て、すべての人を愛して神の宇宙の教会に入るべきである。
 孤独! 余輩に限らない、人はすべて孤独である、而して孤独は神に達するの恩恵の途である、人は団体を為して神に達することは出来ない、神に到るの途は個々別々である、人は個々別々、独り死して神の国に到るやうに、個々別々、人と離れて独り神を意識し、彼と深き愛的関係に入るのである。
 
(47)     エスペランザ
                        大正2年7月10日
                        『聖書之研究』156号
                        署名 内村生
 
 在墨其西哥国エスクイントラ高田政助氏よりの書面の一節に曰く「最上の土地三百町歩貰ひ受け候……農場の名を Esperanza《エスペランザ》(希望)と名附け申候、先年先生の『研究』誌が『新希望』と改題になりし時、小生は同志に向ひ、もし未来に於て農場を建る時には『希望農場』と名附けんと申居り候処、幸にも愈々此度其運びに向ひ大に喜び居候」云々と。
 
 一、エスペランザ、希望の野、
   墨其西哥の南方に在り、
   ソコヌスコの峰高く、
   大平洋の水闊し。
 
 二、エスペランザ、希望の野、.
   護謨樹の汁|滴《したゝ》れ、
(48)   珈琲豆の芳香《にほひ》鋭く、
   玉蜀黍《もろこし》の黄金輝く。
 
 三、エスペランザ、希望の野、
   我が教友《とも》の集まる所、
   我が理想の行はるゝ所、
   自由と独立の郷。
 
 四、エスベランザ、希望の野、
   新大陸の新日本、
   聖書は鋤を助けて、
   天は地と接吻す。
 
(49)     〔LOVE AND FAITH.愛と信仰〕
                         大正2年8月10日
                         『聖書之研究』157号
                         署名 K.U.
 
     LOVE AND FAITH.
 
 The greatest thing in the world,−the greatest thing in God,−is Love,−is His Love.The greatest thing in man is Faith,−his faith in God.God coming down with His greatest thing,Love,and man responding with his greatest thing,Faith,−therein is Reconciliation,−God's joy and man's salvation.Love and Faith,−these are the two greatest things in the world.Theology that does not come up to these two,church that does not cling to these two,and Christian mission that is not conjucted upon these two,are not worth having,here or anywhere.
 
(50)     〔『英和独語集』(大正11年4月15日刊)より〕
 
    愛と信仰
 
 世界最大のもの−神に在りて最大のもの−それは愛である、神の愛である。 人に在りて最大のもの−それは信仰である、−神に於ける信仰である。
 神が其最大の者たる愛を以て人に臨み給ひ、人が其最大の者たる信仰を以て之に応へまつりて、茲に平和がある、神の歓びと人の救拯がある。
 愛と信仰−是は世界最大の二ッの者である。此二ッに達せざる神学、此二ッに縋らざる教会、此二ッの上に行はれざる伝道、是等は在るの必要なき者である、此所にも亦他の何れの所にも在るの必要なき者である。
 
(51)     〔救済の公平 他〕
                        大正2年8月10日
                        『聖書之研究』157号
                        署名なし
 
    救済の公平
 
 若し人の救はるゝは聖書智識に由るならば神学者と聖書学者とは救はれて、学問を修むるに必要なる金と時間と能力との無い者は救はれないのである。
 若し人の救はるゝは世の所謂信仰、則ち熱心に由るならば、神経質の、過敏性の、感情的の人のみ救はれて、冷静なる、寡黙なる、理性的の人の救はるゝ希望は甚だ尠ないのである。
 若し人の救はるゝは行為、則ち事業に由るならば、活動の人、智慧の人、敏腕の人のみ救はれて、思想の人、信仰の人、祈祷の人は救済に洩るの虞があるのである。
 若し人の救はるゝは修養に由るならば、隠退の人、密室の人、書斎の人の救はるゝ機会は多くして、圃《はたけ》の人、店の人、工場の人等、多事多忙、喧囂の中に日を送る多数の人の救はるゝ希望とては甚だ尠ないのである。
 若し又人の救はるゝは品性に由るならば、善き遺伝を受け、善き境遇の中に生育ち、善き教養に与かりし者のみ救はれて、罪に由て孕まれ、罪の中に生長し、品位養成の恩恵とては之を受けしことなき天下多数可憐の民の(52)救はるゝ希望は殆んど無いのである。
 然し神は公平である、彼は人に救済の恩恵を施し給ふに方て共有し難き資格に由り給はない、彼は人の智識のためにも、熱心のためにも、事業のためにも、修養のためにも、はた又品性のためにも彼を救ひ給はない、神の定め給ひし救済の条件は信仰である、神の愛を信ずる信仰である、単に信仰である、単純なる信仰である、故に神は公平であるのである、信仰が救済の唯一の条件であるが故に、無学の徒も博識の学者と共に救はれ、理性の人も感情の人と共に救はれ、思想の人も活動の人と共に救はれ、閭井の人も寺院の人と共に救はれ、賤夫も貴人と共に救はるゝのである、
  人の救はるゝは信仰に由る
との言が世に臨んで神の声が人の間に響いたのである、是は実に福音である、神の公平、人類の無差別、万民救済の希望の福音が暗らき此世に鳴響いたのである。
       ――――――――――
 
    安心立命
 
 罪が判明り之を滅すの途が判明り、神が判明り彼と和らぐの途が判明り、永生が判明り之に達するの途が判明つて茲に始めて安心立命があるのである、而して罪を滅すの途は信仰である、神と和らぐの途は信仰である、而して亦永生に達するの途は信仰である、此事を知て我等は安心立命の途たる全く信仰にあることを覚るのである、信仰に始まつて信仰に終る、易き事此上なし、然れども易きが故に之に依る人尠し。
(53)       ――――――――――
 
    我が予へ得るもの
 
  金と銀とは我に有るなし、惟我に有るものを汝に予ふ(行伝三章六節)。  政権と教権とは我に有るなし、惟我に有るものを汝に予ふ。
  才と徳とは我に有るなし、惟我に有るものを汝に予ふ。
  我にまた跛者を起すの信仰あるなし、病者を癒すの祈祷あるなし、惟我に有るものを汝に予ふ。
  我に有るものは惟信なり、神に依頼むの心なり、貧其まゝ、無能其まゝ、菲才其まゝ、不徳其まゝ、然り、薄信其まゝ彼に依頼むの心なり、我に有るものは惟是れのみ、我が予へ得るものも亦是れのみ。
       ――――――――――
 
    失望と希望
 
 失望は希望を生む、人に失望して神を望むに至り、自己に失望してキリストを望むに至り、地に失望して天を望むに至り、今世に失望して来世を望むに至る、他と自己とに満足する者は神とキリストとを仰ぐに至らず、地と現世とに満足する者は天と来世とを望むに至らない、失望なる哉、失望なる哉、失望は希望に達する途である、失望して絶望すべきでない、失望して希望すべきである。
  生命を保たん望をも失ふに至りたれば、己を恃まずして死し者を甦らする神を頼めり
(54)とパウロは曰へり(哥後一の八、九)、失望は我等を希望に追やるための神の恩恵である。
 
    人の価値
 
 人の価値は彼の今の価値である、彼の過去の価値でない、彼が過去に於て善人でありしとするも、彼が若し今悪人であるならば彼は悪人である、それと同じく、彼が過去に於て悪人でありしとするも、彼が若し今善人であるならば彼は善人である、永久の現在なる神を信ずる我等は人の過去を尋ねて彼の現在の価値を定めない、彼の価値《ねうち》は彼の今の価値である、我等は彼の過去に由て彼の価値を定めない。
       ――――――――――
 
    小なる救済と大なる救済
 
 小なる救済は飢餓を癒す事である、地位を周旋する事である、財産を整理する事である、慈善を施す事である、社会を改良する事である、政治を刷新する事である、此世の状態を改むる事である、道徳を教へて品行を善くする事である。
 之に対して大なる救済は罪を除く事である、真の神を人に紹介して二者の間に平和を来らす事である、罪と禍患と困窮と苦痛とを其根本に於て除く事である、而して此世の仁者と慈善家と、政治家と社会改良家と、道徳家と宗教家とは尽く小なる救済を施しつゝありし間にイエスのみは大なる救済を施し給ふた、彼は人の罪を除き給ふた、人が神と和らぐの途を開き給ふた、而して惟り大なる救済を施し給ひしイエスは言ふまでも無く世界最大(55)の慈善家である、彼は此意味に於て人類唯一の救主である、而して又人の罪を除き給ひしイエスは人をすべての方面に於て救ひ給ふ者である、而して余輩彼の忠実なる僕は宜しく彼に傚ひ、先づ第一に大なる救済事業(真正の意味に於ての伝道)に従事して然る後に小なる救済を行ふべきである。
       ――――――――――
 
    人と神 詩篇第九十篇小釈
 
 人は皆な草である、朝に生え出て栄え、夕には刈《から》れて枯るゝ青草である、庶民が爾うである、王侯が爾うである、小人が爾うである、偉人が爾うである、社会が爾うである、国家が爾うである、人類全体が爾うである、人の作りし制度が爾うである、政府が爾うである、教会が爾うである、哲学が爾うである、神学が爾うである、美術が爾うである、科学が爾うである、人類が誇る文明総体が爾うである、人は決して偉らい者ではない、人と其事業はすべて夢である、青草である、永久の価値とては何もなき者である。
 人は皆な草である、塵である、幻である、唯神のみ永遠より永遠まで在す者である、山いまだ生りいでず、彼れ未だ地と世界とを造り給はざりし時、永遠より永遠まで彼は神である、人は失せて神は失せ給はない、国は滅びて神は亡び給はない、政府は仆れ、教会は腐り、哲学は古び神学は錆びる、然れども神は永遠より永遠まで変り給はない、輿論は誤り、国論は遷り、咋日の友邦は今日の敵国となり、戦争は平和と同時に唱へらる、然れども神は永遠より永遠まで同一の神である、彼と其言は永遠に変らない.
 然れば人を去りて神に帰るべきである、人の輿論に依るべきでない、神の言に頼るべきである、哲学と神学と(56)を信ずべきでない、単純なる神の福音を信ずべきである、政府と教会とを恐るべきでない、神と其受膏者とを怖るべきである、人は皆な盲人である、其智者も亦盲人である、其政治家、教育家、文学者と新聞記者、彼等は皆な悉く盲人である、彼等に導かれて我等は彼等と共に溝に陥らざるを得ない、我等は彼等に従ふべきでない、神に従ふべきである、我等は盲人の群を脱して神に眼を開かれし真の智者(世の所謂「愚人」)の仲間に入るべきである。
 人の大と神の小とを唱ふるが此世の哲学と宗教とである、之に反して人の小と神の大とを唱ふるがキリストの福音である、唯一の神は人類全体よりも偉らくある、然り、神は有であつて人は無である、神は無限であつて人は零《ぜろ》である、人は決して頼るべき者でない。
       ――――――――――
 
    道の異同
 
 「道同じからざれば相共に語らず」と云ふ、「語らず」とは「言語を交へず」と云ふことではない、「談合《かたら》はず」と云ふことであつて、語り合ひて相共に契らないことである、即ち、霊魂の最も深き所に於て兄弟姉妹の関係に入らないことである。
 「道同じからず」とは必しも宗教を異にすると云ふことではない、彼は仏教を奉じ、我は基督教に依ると云ふことではない、宗教は異なつても道の同じき場合は少くない、道は心の傾向である、崇拝物に対して取る霊魂の態度である、故に宗教を同じくしても道を異にする場合が多くあるのである、キリストを如何に思ふや、福音(57)如何に解するやに由て、各自の道は定まるのである。
 我はキリストの福音を深玄なる哲理と解する者と語り合ふことは出来ない、我に取りては福音は哲理以上である、霊魂の実験である、罪の赦免である、贖罪である、福音の秘密は宗教哲学の鑰を以て開かれ得べき者でない。
 我は基督教を荘厳なる儀式と見る者と語り合ふことは出来ない、儀式は儀礼である、而して神に対して儀礼の守るべきあるは言ふまでもない、併しながら神は帝王ではなくして父である、直立して遠くより拝すべき者ではなくして近く縋りて頼むべき者である、我は謙遜りて神と親まんと欲する者であるが故に宗教界の所謂る崇礼家《リチユアリスト》と道を同じくして相共に語ることは出来ない。
 我は基督教を崇高にして厳格なる道徳と見る者と語り合ふことは出来ない、我に取りてはキリストは道徳の教師ではなくして我罪の教主である、随て彼の教は「為すべし」、「為すべからず」の訓誡ではなくして、我をして再び神との義しき関係に入らしめんとする恩恵の手段である、我に取りてはキリストは懼るべき主ではなく、基督教は人を鞫くための律法ではない。
 我と道を同じくする者は誰ぞ、福音を文字通りに福音として受取る者である、罪人に臨みし放免状として之を拝受する者である、キリストに在りて何人をも赦し得る者である、其黙示に接して恐怖を感ぜずして歓喜を感ずる者である、感謝の人である、歌の人である、心の底に於て温柔の人である、恩恵の福音として基督教を解する人である、理智の人、政治の人、儀礼の人、道義の人は我と道を同じくする者でない、我はキリストに在りて其罪を赦されたる人と深き兄弟姉妹の関係に入らんと欲する、我が名は是れである、即ち赦されたる罪人である、故に我と契り合ふ人も亦是れでなくてはならない。
 
(58)    幸不幸
 
 男も幸福である、女も幸福である、婚者も幸福である、未婚者も幸福である、主人も幸福である、従者も幸福である、富者も幸福である、貧者も幸福である、貴族も幸福である、平民も幸福である、キリストを信じて総ての人は尽く幸福である、然れども彼を信ぜずして総ての人は尽く不幸である、身の幸不幸は其人の境遇に因らない、地位に因らない、所有に因らない、信仰に因る、神の遣はし給ひし其独子に対して彼が取る態度に因る、世の幸福を求むる者は此に之を探るべきである。
 
(59)     人の了解と神の裁判
                        大正2年8月10日
                        『聖書之研究』157号
                        署名 柏木生
 
 人は余を了解するに及ばない、余は又人に了解せられんことを欲はない、余は生れながらにして罪人である、故に人は如何に善意的に余を了解するも余を罪人以上に了解することは出来ない。
 余は人に了解せられんことを欲はない、併しながら人は何人もキリストを了解せんことを欲ふ、キリストを了解して人は自己を了解することが出来、而して又最も正当に他人を了解することが出来る、キリストを了解せざる者は実は他人を了解(批評)するの資格なき者である、キリストを了解する者のみ亦能く余をも了解することが出来る、余は又彼に了解せられんことを欲ふ、そは彼の了解は正当にして又最も慈悲深くあるからである。
       *     *     *     *
 神はイエスキリストに託り我が福音を以て人の隠れたる事を鞫き給はんとパウロは言ふ(羅二の十六)、誠に感謝すべきことである、神は鞫き給ふと聞いて我等は戦慄せざるを得ない、併し何を以て何人に託りて鞫き給ふ乎を知りて我等は感謝して止まないのである、神は我等を鞫き給ふ、罪人の救主なるイエスキリストに託り、パウロの伝へし恩恵の福音を以て鞫き給ふとのことである、然らば鞫は恐るべきことではなくして望むべきことである、キリストが恩恵の福音を以て鞫き給ふ時に苛刻なる無慈悲なる判決のありやう筈はない、モーセの律法(60)を以てゞはない、罪の赦免の福音を以て鞫き給ふのである、故に我等の行為に由てゞはない、我等の信仰に由て鞫き給ふのである、故に妓婦ラハブも、マグダリヤのマリヤも、キリストの側《かたはら》に磔《たく》せられし罪人の一人も、義人として認められて天国に入ることが出来るのである、恩恵何ものか之に若かんやである、世に歓迎すべき者多しと雖も、神がキリストに託り福音を以て行ひ給ふ裁判(若し之をしも裁判と称するを得べくんば)の如くに待望すべく又歓迎すべき者はないのである。
 
(61)     神の慈愛に関する聖書の言辞
                         大正2年8月10日
                         『聖書之研究』157号
                         署名 内村鑑三
 
     其一、ヱホバの名
 
  ヱホバ雲の中に在りて降りてモーセと共に其処に立ちてヱホバの名を宣たまふ、ヱホバ即ち彼の前を過ぎて宣たまはく、ヱホバ、ヱホバは憐憫あり恩恵ある神、怒ること遅く、慈愛と真実とに富み、慈愛を千代に施し、悪と愆と罪とを赦す者、必ず罰すべきを罰して容赦せず、父の罪を子に報い、子々孫々に及ぼして三四代に及ぼす者なり(出埃及記三十四章五、六、七節)。
       略註
 旧約の神、ヱホバの神と云へば唯厳格一方の神であると思ふ人が多い、然し事実は決して爾うではない、茲にヱホバはモーセの前を過ぎて其名(性格)の何たる乎を示し給ふた、曰くヱホバは憐憫あり、恩恵ある神、云々と、即ち憐憫と慈愛と真実とがヱホパの特性であるとのことである、忍耐深くして怒ること遅く、罪を永久に憶えずして之を赦し給ふ、然ればとて慈悲一方の神にあらず、彼は罰すべきは罰して容赦せず、父の罪を子に報いて子孫三四代に及ぼし給ふ、然れども慈愛を千代に施すに此して罪は之を三四代に及ぼすに過ず、則ち詩人の曰へる(62)が如し(詩篇三十篇五節)、
   その怒はたゞ暫時《しばし》にして、
   その恵は生命と共に永し。
 怒らざる神は義しき神に非ず、義しからざる神の慈愛は慈愛の如くに見えて実は慈愛に非ず、一握の塩を投じてこそ甘味は真の甘味を発揮するなれ、ヱホバに正義の冒すべからざる者あるが故に其慈愛は実に慈愛たるなり、斯くて正義は之を慈愛の一面として見るを得べし、正義はまことに慈愛の欠くべからざる要素なり。
       ――――――――――
 
    其二、ヱホバの憐憫
 
   ヱホバは憐憫と恩恵に充ち、
   怒ること遅く慈愛に富み給ふ。
   恒に咎め給はず、
   永久に怒を懐き給はず。
   ヱホバは我らの罪に循ひて我らを扱ひ給はず、
   我らの不義に循ひて我らに報ひ給はざりき。
   天の地よりも高きが如く、
   彼を畏るゝ者に対する彼の慈愛《いつくしみ》は大なり。
(63)   西の東より遠きが如く、
   彼は我らの愆を遠ざけ給へり。
   父が其子を憐むが如く、
   ヱホバは己を畏るゝ者を憫み給ふ。(詩篇百三篇八十三節)
       略註
 別に注すべき程の難句はない、詩人の言は多分前項に述べしヱホバがモーセに下し給ひし其名の宣言に基ゐて成つた者であらふ、終りの三節が殊に美くしいのである、天の地よりも高きが如く、則ち、天と地との比較ぶべくもあらざるが如く、ヱホバの慈愛は大なりと云ふ、我らの愆に就て言はん乎、ヱホバは之を遠けて西の東より遠きが如くに至らしめ給へりと云ふ、西と東とは宇宙の両極端である、両々相距る其距離たるや無限である、ヱホバは己に依る者の愆は全然之を拭去り給ふとの意である。
 高い者は地の上に聳ゆる山ではない、遙かに之を包む天である、深い者は地の窪に湛まる海ではない、父が其子を憐む其憐憫である、ヱホバの慈愛をヒマラヤ山に較べて足りない、天に較ぶべきである、其憐憫を海に較べて足りない、父の心に較ぶべきである、父が其子を憐むの心、世に最も深い者は是れである、而して其心がヱホバの心であると云ふ、詩人は能く親の心を知り又イスラエルの神なるヱホパの心を識つて居つた、後年に至りキリストが神が罪人を愛し給ふ其愛を示さんとするに方て放蕩|子《むすこ》の比喩を設け給ひしも亦此理由に基くのである、
  父が其子を憐むが如く
  ヱホバは己を畏るゝ者を憫み給ふ
(64)と云ひて神の慈愛を言表すための人の言辞は尽きたのである、神の愛は勿論是れ以上である、然し人間の最上は是れである、ピリボの言ひしが如く「我らに父を示し給へ、然らば足れり」である、神は父の慈愛を以て我等を愛し給ふを知りて我等に是れ以上何の求むる所なきに至るのである、而してキリストは最も明白に斯かる神を我等に紹介し給ふたのである、歓ぶべく又感謝すべきではない乎。
       ――――――――――
 
    其三、婦人の愛
 
 婦《をんな》その乳児《ちのみご》を忘れ、己が胎の子を憐まざることあらんや、縦ひ彼等忘るゝことありとも我は汝を忘るゝことなし(以賽亜書四十九章十五節)。
       略註
 父の愛は深くある、母の愛は強くある、故に神の愛の深度に就ては之を父の愛に此べて語るべく、其強度に就ては之を母の愛に較べて伝ふべきである、神は人の父であり又母である、彼は父の如く深く愛し又母の如く強く愛し給ふ、「ヱホバは嫉妬む神なれば」とあるは彼の愛の女性的半面を称ふたのである、ダビデがヨナタンを惜みて歌ひし辞に
  汝の我を愛《いつくし》める愛は尋常ならず、婦人の愛にも勝りたり
とあるは此種の愛を指して言ふたのである、実にヱホバは父として頼むを得べく、又母として親しむを得べし、父が其子を憐むが如くなるのみならず亦母が其乳児を憐むが如くヱホバは我等を憐み給ふと云ふ、聖書の示す神(65)は正義の神であつて慈恩の神でないと云ふ者の如きは未だ聖書を知らない者である。聖書の示す神は強い神であつて同時に又優さしい神である、
  噫ヱルサレムよ、ヱルサレムよ、預言者を殺し、汝に遣はさるゝ者を石にて撃つ者よ、母鶏《めんどり》の其雛を翼の下に集むるが如く我れ汝の赤子《こども》を集めんとせしこと幾次《いくたび》ぞや、然れど汝等は服はざりきとは是れたしかに婦人の声である、神の代表者として預言者ヱレミヤを見よ、預言者ホゼアを見よ、彼等は女性的預言者であつて、能く神の女性的半面を表はす者である、然りヱホバは婦人の熱情を以て我等を愛し給ふ、婦人《をんな》が其胎の子を愛する愛も神の愛には及ばないのである、而して斯かる神が如何で人の滅亡を好み給ふの理あらんや、人なる母に問ふて見よ、其心を痛むること最も甚だしき場合の何たる乎を、其子の病む時である、其子の死に瀕する時である、其子の堕落の淵に沈みて救済の希望絶えんとする時である、悲歎の極、痛恨の極とは斯かる場合である、而して神は是れ以上の悲痛を以て人の堕落を※[巒の山が肉]《みそな》はし給ひつゝあるのである、噫、人は神の心を知らない、父なる神の心を知らない、母なる神の心を知らない、彼は恒に声を揚げて叫び給ふ、
   我子よ、還れ、還れ
と、而して其声の中には男声のベースが轟くと共に女声のソプラノーが響くのである、而して謹んでヱホバが示し給ひし彼の性格(名)を鮮剖して見て、彼にありては女性は優かに男性に勝つのを見るのである、
 ヱホバは憐憫あり恩恵ある神(女性である)、怒ること遅く(稍々男性である)、慈愛と真実とに富み(女性である)、慈愛を千代に施し(女性である)、悪と愆と罪とを赦す者(女性である)、罰すべきを罰して容赦せず(始めて男性である)云々
(66) 若し聖書全体が示す神の性格に由り彼に名を附しまつるべしとならば、彼を※[龠+頁]《よ》びまつるに方て「天に在す我等の母よ」と云ふが「父よ」と云ふよりも遙かに真理に近くあると思ふ。
 
(67)     去己則ち利己
                        大正2年8月10日
                        『聖書之研究』157号
                        署名なし
 
 疎石禅師の言に曰く「我身を忘れて衆生を利益する心を起せば、大悲内に薫し、仏心と冥合す、故に一身の為めとて修せずと雖も、無辺の善根自ら円満す、みづからの為めとて仏道を求めざれども、仏道速かに成就す」と、以て直に之を基督教に適用するを得べし。
 
(68)     平々凡々の記
        信仰の実益 (夏期の読物として多少の値あらん)
                         大正2年8月10日
                         『聖書之研究』157号
                         署名 内村鑑三
 
 基督信者の生涯は犠牲の生涯であると云ふ、実に其通りである、十字架は彼の附随物である、彼は多くの艱難を歴て神の国に至るべきものである、併しながら彼の生涯は唯単に辛い、希望と歓喜との伴はない、窮乏のみの生涯ではない、否な、其正反対が事実である、基督信者に人の知らない多くの歓喜がある、彼は生命の中心に於て活ける真の神を宿す者である、故に彼は歓ばざらんと欲するも得ないのである、世の人は此事を知らない、而して又悪魔は人の基督信者とならざらんがために、此事を蔽ひ隠して、唯、信者の生涯の辛らい方面をのみ挙げて之を唱道して止まないのである。
 成程、キリストを信じて大厦高楼に住むことは出来まい、山海の珍味を擅にすることは出来まい、帝王の殊恩に与り、国民の輿望を博することは出来まい、併しそれがために信者の生涯に幸福がないと云ふことは出来ない、キリストの曰はれしが如く「我に汝等の知らざる食物あり」であつて、信者を養ふの真の食物は圃《はた》や丘の産することの出来る物ではない、而して其聖き真の食物は神の供へ給ひし聖き羔であると聞て世の人は何の事である乎勿論解らない、併し之に全世界の富を以てするも購ふ能はざる生命の能力の存することは一たび之を食ひし(69)者の忘れんと欲して忘れ能はざる所である。神との平和成り、之(羔)に由て我が義は完うせられ、今は唯小児のそれの如き信頼の生涯を続くれば足るとの確信が起つて、此世の供する何物も以て之に代るに足らずとの観念が起り来るのである、キリストを信じて我等に人の称する煩悶なる者は消えて其跡を絶つに至るのである、我等は今は我慢して静粛満足を装ふのではない、我等は実に誠に存在の根柢より幸福の人と為《せ》られたのである。
 而して此歓喜と満足とを供せられて、我等の霊魂ばかりではない、我等の肉体までが奮起活動の境に入るのである、我等の心身を通じて大調和の臨むありて、我等は朽る此肉に在りて既に一種の復活を感ずるのである、我等の摂取する食物は善く消化し、我等の睡眠は安く、飢餓と失敗との恐怖は絶えて、我等は醒めて楽園に遊ぶが如くに感ずるのである、単に肉体の医師の立場より見るも、之に勝さりて健全なる衛生状態はないのである、信仰は素々霊魂の事であつて肉体の事ではないが、然し、信仰の肉体に及ぼす感化は決して居住食物の比《たぐひ》ではない、信仰は生命を其根柢に於て養ふ者である、故に信仰なくして真正の健康はない、而して又、信仰があつて糧と衣《ころも》と住《すまひ》との欠乏は補はれて猶ほ余りあるのである。
 諺に曰ふ、生命は食にありと、実に其通りである、併しながら食のみが食でない、食は肉と穀類と野菜に限らない、空気も食であれば日光も食である、而して又平和なる心は最善最良の食である、而してキリストが我等に賜ふ「人のすべて思ふ所に過ぐる平安」は実に百薬の長である、而して常に此霊薬を服して我等の肉体は健かならざらんと欲するも得ない、「我が血は真の飲料《のみもの》、我が肉は真の食物」なりとキリストは曰ひ給ひしが、実に其通りである。
 而して又霊の食物に止まらない、神は我等の信仰に報ゆるに肉の食物をも以てし給ふのである、「信仰の生涯の(70)畢る所は餓死なり」と謂ふは大なる誤謬である、余は未だ曾て信仰の故を以て餓死した者のあるを聞かない、此点に於て余の実験は昔時の聖詩人のそれと異ならない、
  我れ昔し若くして今老ひたれども、義者(神に依頼む者)の棄てられ、其|裔《すゑ》の糧を乞ひあるくを見しことなし
とある(詩篇三十七篇二十五節)、神は驚くべき方法を以て彼に依頼む者の肉体を養ひ給ふ、曠野に於けるマナと鶉の奇跡は今も尚ほ信者の間に絶えない、信仰、時には餓死の決心を以て之を守らざるを得ずと雖も、然れども信仰の故に餓死することは滅多に無い、縦し又万一餓死することがあるとするも、歓んで餓死することが出来る、世には君王の寵に与からんと欲して却て餓死した者がある、富貴を目的に営利事業に従事して窮乏に終つた者は挙げて算ふべからずである、然るに神を信ずるが故に時に窮乏に困しむ者あるを見て、信仰の必然的結果は餓死なりと道ふは、是れ信仰を避けんがために設けらるゝ口実たるに過ぎない、沙翁劇に於ける宰相ウルシーは彼の老年に於て歎じて曰ふた、
  我れ若し我が王に事へし半分の熱心を以て我が神に事へしならば、神は我が老年に於て我を此悲境に置き給はざりしならん
と、而して惟りウルシーに限らない、此世の才子佳人にして老年に於ける悲境を慮り、神に事ふるの熱心を以て此世の君に事へてウルシーの痛恨を繰返す者は甚だ多いのである、餓死の危険は不信の生涯に多くして、信仰の生涯に尠ない、此世を平安に送る途としても信仰の生涯は最も安全なる生涯である。
 殊に信仰の生涯の其終焉に近づくに循つて光輝の益々加はるの生涯であることを忘れてはならない、信仰の生涯のみ真の悔恨なきの生涯である、世に生れ出し甲斐あるを感じ、意味ある生涯を送りしを感謝し、永生の希望(71)を懐て逝く、最も成功せる政治家の生涯も、芸術家の生涯も、学者の生涯も、富豪の生涯も、之に較べて見て児戯である、夢である、年は老ひ、学は古び、芸は衰へ、富は消ゆ、唯ヱホパに依頼む心のみ夜の到ると同時に愈々|光輝《かゞやき》を増す、此世の才子は信仰の生涯の危険を唱へて中途にして之を棄去る、彼等は己が才に欺かれて航海の途中に於て、巨船《おほぶね》を棄去て小舟に乗移るのである。
 
 世には又信仰の生涯は孤独の生涯であると云ひて之を避くる者がある、実に信仰の生涯は交際の生涯でない、信仰の生涯は独り神と偕に歩むの生涯である、故に静粛の生涯である、多くは無言の生涯である、信仰は自から進んで交際を求めない、世人の交際を求めないのみならず信者の交際をも求めない、信仰は惟り神を以て満足する、故に真の信仰は自から無教会主義である、教会に入るを称して信仰に入るといふは大なる間違である、信仰は集会的に之を養ふことは出来ない、神の恩恵は多数の勢力を以て之を奪取することは出来ない、多くの場合に於て人は教会に入て却て神より遠かるのである、教会は信仰修養の場所ではない、信者の交際場裡たる今日の教会は信仰の抹殺所である。
 併しながら信仰の生涯は孤独の生涯でない、独り神と偕に歩むの生涯であるが故に、同じく神と偕に歩む者と深き霊交に入るの生涯である、園の中に日の清涼き時分《ころ》、独りヱホバと偕に歩むに方て、信者は同じ聖き逍遥を楽しむ他の聖き友に会合せざるを得ない(創世記三章八節)、而して茲に聖き深き交際が始まるのである、美はしき清涼きエデンの園に於て神に在りて結ばれし友好《まじはり》、……交際の種類は多くあると雖も、之に優さりて美はしき楽しき交際はないのである、人は友誼を口にすれども信仰の友誼を知らずして未だ友誼の何たる乎を知らないの(72)である、
  ヨナタンの心ダビデの心に結びつきてヨナタン己れの生命の如くダビデを愛せり
とある其友誼は神と偕に歩むにあらでは結ぶ能はざる友誼である(撒母耳前書十八章一節)、
   我儕の心をキリストの愛に
    繋ぐ其|索《つな》は祝すべきかな、
   斯く繋がれし者の交際《まじはり》は、
    天のそれにさも似たり。
 斯かる友人を一人持つは千万人の此世の友を持つに勝さる、境遇の友ではない、趣味の友でもない、政友、党員、教会貝と称するが如き只の外面の友ではない、信仰の友である、祈祷の友である、霊魂の最も深き所に於て相愛し相敬ふの友である、此身が死んで止むの友誼ではない、此世が失せて消ゆる友誼ではない、地に始まつて天に終はる友誼である、骨肉の関係よりも深き、夫婦の関係よりも聖き、霊と霊との関係である、世に貴きものは多しと雖もクリスチヤンフレンドの如くに貴きものはないのである。
 而して斯かる友誼を我国に於てのみならず、世界万国、到る処に於て結び得るを知て、信仰の生涯の最も広き交際の生涯であることを知るのである、キリストの愛に人種国籍の差別はない、キリストの愛に由てのみ白人は黒人の友と成り得べく、東西相化して一体と成ることが出来る、キリストを離れての世界合同万国和親は夢見る人の夢である、霊を霊と繋ぐの能力はキリスト特有の能力である。
 斯くて信仰の生涯は決して孤独寂寥の生涯でない、却て不信の生涯こそ最も淋しき生涯である、神を離れて(73)真個の交際はない、不信者の交際は単に「突合」である、偶然の接触である、或ひは酒を以て結ばれ、或ひは地位を以て結ばれ、或ひは趣味を以て結ばれ、或ひは惰性を以て結ばるゝ暫時的の交際である、而して人が人である以上は彼は霊魂の友を要求して止まざるが故に、不信の人は仮令身を交際場裡に埋めて世界を友とするが如くに見ゆるなれども、実は広き宇宙に独り立て癒し難きの寂寥を歎ずる最も憐むべき孤独者である、孤独を怖れて信仰の生涯を避くる者は餓死を怖れて豊肴を避くる過慮の人と称せざるを得ない。
 
 世には又信仰の生涯を以て迷信の生涯なりと思ふ人がある、実に信仰は理窟一方の事でない、信仰は詩歌的であつて超天然的である、智識を以て悉く説明し得るものは信仰ではない、併しながら信仰は迷信ではない、信仰と迷信との間には大なる差別がある、原因に添はざる結果を信ずることは迷信である、併し原因相応の結果を信ずることは迷信でない、パウロはアグリツパ王に告げて曰ふた、
  神、死者を甦らせ給へりと云ふとも汝等何ぞ信じ難しとする乎
と(行伝廿六章九節)、人が死者を甦へらしたりと云ふならば迷信であらふ、然れども天地の造主にして生命の主なる神が死者を甦へらせ給へりと信ずるは決して迷信でない、神に為し能はざる事はない、神の行《わざ》と見て奇蹟は奇蹟でなくなるのである、世に信仰を迷信視する者あるは神を度外視するからである。
 而已ならず信仰は道徳的であるに反して迷信は不道徳にあらざれば無道徳である、理由の無い奇蹟を信ずるは迷信である、併しながら理由のある奇蹟は之を信ずるも決して迷信でない、単に天然の現象として見て所謂「処女出生」を信ずることは大なる迷信である、併しながら人類の救済上、其必要ありしを覚つて、之を信ずること(74)は決して迷信でない、理のなき奇蹟、用のなき奇蹟、之を信ずるは迷信である、理由あり必要ありし奇蹟を信ずるは信仰である、迷信と信仰との間に明白なる差別がある。
 而して事実上、信仰の人は決して迷信の人でない、信仰の人は常識の人であつて、多くの場合に於ては又博識深慮の人である、今日まで大哲学者又は大科学者にして信仰の人たりし者は決して尠くない、ニユートンの信仰は最も誠実なるものであつた、カント、ライプニッツも亦敬虔なる信仰家であつた、実に迷信を排除する者にして真の信仰の如きはない、迷信を根本的に排除する者は科学でもなく又哲学でもない、真の神と其不思議なる聖業を信ずる者こそ実に迷信を其根本に於て絶つことの出来る者である。
 
(75)     恵比寿
                         大正2年8月10日
                         『聖書之研究』157号
                         署名 柏木生
 
 恵比寿は七福神の一として大黒天と共に殊に日本の商家に祀らるゝ神である、余は勿論彼を神として認めない、乍然余は漢字に現はされたる彼の名を愛する、恵比寿は「恵寿《めぐみよはい》(年齢)に比《したが》ふ」である、即ち慰藉多き聖書の一句を能く一言に収めたる名である、申命記卅三章二十五節に神の人モーゼがアセルを祝したる言に曰く
  アセルは他の子弟よりも福なり、其兄弟等に超て恵れん……汝の能力は汝の日の数に循はんとある、As thy days,so shall thy strength be.
 神より汝に臨む能力の恩恵は汝の日の数、即ち寿《よはひ》に循ふべしとの事である、即ち汝の年齢多ければ多きほど恩恵が汝の身に加はるべしとの事である、此事は昔時《むかし》の支那人の悲歎とは正反対である、
  堯日く男子多ければ則ち懼多く、富めば則ち事多し、寿《ひさし》ければ則ち辱《はぢ》多し
と、長寿は望ましくあるが、然し能力の伴はざる長寿は望ましくない、長寿に能力が比《したが》ふてこそ長寿は恩恵であるのである。
 恵比寿、恵寿に比ふべし、汝の能力は汝の日の数に循はんと、偶像の名も茲に至て恩恵の表号となる、余は到る処に神の福音に接するを感謝する。(76)横浜に至らんとて山手線恵比寿駅を過ぎし時、駅名の太々と駅標に記しあるに眼を触れて此感想を得たれば録して以て読者に示す。
 
(77)     〔神に献げよ 他〕
                         大正2年9月10日
                         『聖書之研究』158号
                         署名なし
 
    神に献げよ
 
 汝の財産を神に献げよ、然らば神は己が有として之を守り、如何に紊乱せるものなりと雖も能く之を整理し、再び之を汝に委ねて己が(神の)ものとして之を使用し給ふべし。
 汝の身体を神に献げよ、然らば神は己がものとして之を養ひ、疾病《やまひ》の重きに拘はらず能く之を癒し、再び之を汝に与へて己が(神の)ものとして之を使用し給ふべし.
 汐の霊魂を神に献げよ、然らば神は己がものとして之を聖め、汝の罪は緋の如くなるも雪の如く白くなし、再び之を汝に還して己が(神の)ものとして之を使用し給ふべし。
 神に献げよ、神の有とせよ、神をして自由に其能力を施さしめよ、然らば困難として免がれざるはなし、疾病として癒されざるはなし、神として潔められざるはなし。
 乱れし其儘、病みし其儘、汚れし其儘、今之を神に献げよ、而して神をして其大能を以て汝に代りて整理、治癒、救済の任に当らしめよ。
 
(78)    犠牲の生涯
 
 基督信者の生涯は犠牲の生涯である、
  汝等の身を神の聖意に適ふ聖き活ける祭物となして神に献げよ、是れ当然の祭なり、
とある(羅馬書十二章一節)、而して犠牲は之を「イケニヘ」と訓みて、生けながらに猷を贄として神に献ぐるの意である、「活ける祭物」とは此事である、即ち犠牲の生涯とは人に対する生涯でなくして神に対する生涯である、人を眼中に措かずして、我は全然神の所有であれば、我身と我所有とを尽く神に献ぐるは是れ当然の祭なりと信じて喜んで此事を決行するのが、それが即ち真正の意味に於ての犠牲の生涯である、神を眼中に措かずして唯他人のためにのみ尽す生涯は之を称して犠牲の生涯といふ事は出来ない、而して先づ自身を神の前に献げざる者に他人に対して美はしき犠牲の生涯を送れやう筈がない、犠牲は字義の通りに生贄を以て始まるべきものである、先づ神を祭り自身を聖き生ける祭物として彼の祭壇の上に献げて、然る後に容易く之を同胞のために捧げ得るに至るのである。
 斯くの如くにして神事《デヴイニチー》は先にして人事《ヒユーマニチー》は後である、即ち信仰は先にして道徳は後である、先づ神と和らがずして深く清く人を愛し得やう筈はない、宗教の必要は茲に在る、真の宗教は神と人との関係を明かにし、人を神の前に義しき者となして、其結果として人をして人と相和らぐを得さしむ、誠心《まごゝろ》を以て神を祭らざる生涯に真《まこと》の犠牲の有りやう筈がない。
 
(79)    愛の実行
 
 愛を頌讃するは容易《やす》くある、乍併、愛を実行するは困難くある、我が内なる人は愛の諸《すべて》のものに勝りて貴きを知る、併しながら我は又神の要求し給ふ愛の我れ則ち我肉に居らざるを知る、我は勿論或種の愛の我に在るを知る、我が家族を愛するの愛、貧者を憐み、弱者を労るの愛、則ち肉と情とに伴ふ愛の我にあるを知る、併しながら敵を愛するの愛、万物にまさりて神を愛するの愛、我身を十字架に釘けても人を救はんと欲するの愛の我が衷に在らざるを認む、我に在る愛は人の愛であつて神の愛でない、禽獣にも在る愛であつてキリストに於て在つた愛ではない、我はキリストの愛を頌讃することは出来るが、之を実行することは出来ない。
 併しながら我は信じてキリストを我が衷に迎へまつることが出来る、而して彼れ我が衷に宿り給ひて我を以て彼の愛を顕はし給ふ、我は自から愛を行ふことは出来ない、併しながら信じて愛の器となることが出来る、而して其意味に於て我も亦愛の実行者と成ることが出来る、我が愛の実行者ではない、神の愛の表顕者《へんげんしや》である、自分が愛するのではない、神が自分を以て愛し給ふのである、而かも神は其愛を自分の愛として認め給ふのである、雨して人も亦其愛を我より出し愛として受取るのである、我が為すべき事は神の遣はし給ひし其独子を信ずることである、爾すれば聖霊に由りて神の愛我が心に灌漑《そゝが》れ、我はキリストの愛を以て神をも人をも愛し得るに至るのである。羅馬書五章五節
 
(80)    理解と信仰
 
 基督教を理解つた人がある、基督教を信ずる人がある、基督教を理解つた人、必しも之を信ずる人ではない、基督教を信ずる人、必しも之を理解つた人ではない、基督教を頭脳《あたま》に納《いれ》ることの出来た人、其人が之を理解つた人である、基督教を心に受けた人、其人が之を信ずる人である、基督教を理解つた人は理解つて後に之を棄ることがある、基督教を信ずる人は死すとも之を棄てない、我等伝道者は基督教を人に理解らしむることが出来る、併しながら神のみ惟り基督教を人に信ぜしむることが出来る、人の心に信仰を起すことは神の事であつて人の業でない、信仰の理解よりも貴きは之れがためである。
 神学と哲学、比較宗教と宗教哲学、是れ皆な人に基督教を理解らしめんとする手段である、是等は甚だ貴きものである、併しながら神の聖霊が直に人の心に起す信仰の如くに貴い者ではない、
  其時イエス答へて曰ひけるは、天地の主なる父よ、此事を智者達者に隠して嬰児《をさなご》に顕はし給ふを謝す、然り、それ此くの如きは聖旨《みこゝろ》に適へるなり。馬太伝十二章廿五、廿六節
       ――――――――――
 
    様々のイエス
 
 我らが未だ宣べざる外のイエスを宣べんに、或ひは未だ受けざる外の霊を受けんに、或ひは未だ受けざる外の福音を受くる時は云々 哥林多後書十一章四節
(81) イエスは一個《ひとつ》ではない、種々《いろ/\》である、天主教会のイエスは新教諸教会のイエスと異なり、聖公会のイエスは組合教会のイエスと異なり、長老教会のイエスはユニテリアン教会のイエスと異なる、其他浸礼教会のイエスがある、メソヂスト教会のイエスがある、福音教会のイエスがある、同胞教会のイエスがある、基督教に六百有余の教会があり、随て六百有余のイエスがある、パウロの時に彼が宣べざりし「外のイエス」がありしやうに、今の時に余輩が宣べざる「外のイエス」がある、名がイエスであるが故に、基督教会の奉ずるイエスは皆な同じ一個のイエスであると思ふのは大なる間違である、イエスを信ずると称する人の中に南極が北極と異なるが如くに異なる人がある。
 余輩が姶めてイエスを信ずるや、余輩は思ふた、余輩はイエスを信ずるが故にイエスを信ずる者は皆な悉く余輩を信ずるならんと、然るに余輩は多くの辛らき経験に由て其決して然らざるを知るに至つた、聖公会は余輩が聖公会のイエスを信ずるまでは余輩を信じない、組合教会、メソヂスト教会、長老教会、浸礼教会、其他のすべての教会が皆な爾うである、余輩が教会の立場より見て「外のイエス」を信ずる間は余輩は信頼すべき信者として彼等に認められないのである。
 茲に於てか余輩は知る、余輩にも亦余輩のイエスのあることを、而して此イエスたる教会のイエスと同じ者にあらざることを、イエスは一個ではない、様々である、而して余輩が余輩のイエスを信ずればとて教会は之を拒むことは出来ない、そは教会は各自其独特のイエスを信ずるからである。
 「外のイエス」がある、「外の霊」がある、「外の福音」がある、人は名に由て集まることは出来ない、同じイエスを信じ、同じ霊を受け、同じ福音を奉ずる者が同志であつて同信の輩《ともがら》である、名は実を現はす者ではない、(82)イエスを信ずると称する者必しも我が兄弟姉妹ではない、然り余輩はイエスを信ずる者の中に余輩と全く信仰を異にし、我を厭ひ我を憎む者の在ることを忘れてはならない、是れ誠に悲しむべき事実である、乍然、疑ひなき事実である、而して此事実を知るに由て信者は多くの失望より免がるゝ事が出来、又寛容を以てすべての信者に接する事が出来る。
 一個のイエス!而かも様々のイエス!大なる逆説!而かも此逆説が解らずしてイエスの寛容を我有となすことが出来ない。
       ――――――――――
 
    罪の洗滌
 
  ヱホバ宣はく、率来れ我等|争論《あげつら》はん、汝等の罪は緋の如くなるも雪の如く白くなり、紅《くれなひ》の如く赤くとも羊の毛の如くにならんと(以賽亜書一章十八節)。
 ヱホバは我等を争論に招き給ふ、彼は威力を以て其聖旨を我等の上に強ひ給はず、我等の道理に訴へて我等を真理に導き給ふ。
  汝等の罪は緋の如くなるも雪の如く白くなり、紅の如く赤くあるも羊の毛の如くにならんと。
  嗚呼、如何にして? 嗚呼如何にして?
  ヱホバは宣たまはず、汝等の罪は緋の如くなるも努力奮闘の結果、自ら清浄潔白、雪の白きが如く白くなるを得べしと、彼は宣たまへり、汝は雪の如く白くなり、晒されたる羊の毛の如くならんと「ならん」、「せられん」(83)と、白くせられん、羊の毛の如くにせられんと、而して又如何にして?
 彼を仰瞻てなり、モーセが蛇を野に挙げしが如くに、人の子は十字架に挙げられて、彼を仰瞻る者の罪を癒し、其緋の如き罪をも雪の如くに白く為し給ふ。
 而して此事たる、決して迷信ではない、魔術ではない、事実である、最も確実なる実験である、我等は「滌罪の化学」を知らない、十字架の力学的《ダイナミツク》説明を有たない、然れども罪の重荷を取除き、其汚辱を取去る者にしてキリストの十字架の如きは他に無いのである。
 然り、神の側に在りては罪は既に取除かれたのである、彼がキリストを通うして世を瞰たまふ時に、彼は其中に罪なる者を見留め給はないのである、紅の如きキリストの血によりて我等の緋の如き罪は既に雪の如く白くせられたのである、我等は今は翻つてキリストを通うして神を仰ぎまつれば其時我等の罪の既に彼(キリスト)に在りて拭去《ぬぐひさ》られしことを発見するのである、贖罪は未成の事ではない、既成の事である、惟残るは人の神に対する態度の転向である、神に対して其|背《うしろ》を向けずして、キリストを通うして其顔を向けて、我等は神の眼中既に我等の罪の無きことを知るのである。
 ヱホバ宣たまはく率来れ、我等(神と我等)争論はんと、而して我等は争論の結果、我等の罪の重きこと、自から努めて之を除く能はざること、其、既にキリストに在りて除かれしこと、而して我等キリストに在りて今日直ちに、潔く汚《しみ》なくして神の前に立つことの出来ることを悟るのである。
 罪、罪…罪の知覚のない者は其れまでゞある、健者《すこやかなるもの》に医師の必要なきが如くに斯かる者に贖罪の必要はない、然し罪の知覚が起つて、其洗滌の要求が起り、「世の罪を任《お》ふ神の羔」の要求が起るのである、而して聖き神と(84)争論ひて我等に此知覚と要求とが起らざるを得ないのである。
  長老の一人我に曰ひけるは、此|白衣《しろきころも》を着たる者は誰か、且つ何処《いづこ》より来りし乎、我れ答へけるは、汝之を知るべし、彼れ我に曰ひけるは彼等は大なる艱難を経て来れり、曾て羔の血にて其衣を滌ひ之を白くなせる者なり(黙示録七章十三、十四節)。
 
(85)     目的の進歩
                        大正2年9月10日
                        『聖書之研究』158号
                        署名 内村生
 
 余は始めに地理学者とならんと欲した、札幌農学校に入りし時の余はそれであつた。
 余は其次ぎに水産学者とならんと欲した、札幌農学校を出し時の余はそれであつた。
 余は其次ぎに慈善家とならんと欲した、米国に渡りし時の余はそれであつた。
 余は其次ぎに教育家とならんと欲した、米国より帰りし時の余はそれであつた。
 余は其次ぎに社会改良家とならんと欲した、朝報社に入りし時の余はそれであつた。
 余は其次ぎに聖書学者とならんと欲した、ルツ子を葬りしまでの余はそれであつた。
 余は今は何者にもならんと欲しない、又何事をも為さんと欲しない、唯神の遣はし給ひし其独子を信ぜんと欲する、余が今日為さんと欲する事はイエスが人の為すべき事として示し給ひし業である、
  人々イエスに曰ひけるは我等如何なる事を行さば神の業になるべき乎と、イエス答へて彼等に曰ひけるは神の遣はしゝ者を信ずること、是れ即ち其業なりと(約翰伝六章廿四、廿五節)、
 余は神に導かれて終に余の為すべき業に達したと思ふ、実にイエスを信ずること其事が最大の事業であつて、又すべての事業であると思ふ。
 
(86)     来世獲得の必要
        哥林多後書四章廿七節より仝五章十節まで (六月廿九日柏木今井館に於ける講演の大要)
                         大正2年9月10日
                         『聖書之研究』158号
                         署名 内村鑑三
 
〇パウロの伝道の偉大なりしを知る人は大抵は彼は性来《うまれながら》にして剛毅の人である乎のやうに想像する、然し事実は其正反対であると思ふ、パウロは生れながらにして臆病者であつたと思ふ、其事は彼の書いた書翰を見て能く解る、殊に哥林多後書を読んで見て能く解る、哥林多後書はパウロの書いた書翰の中で最も善く彼の情性を示す者である、而して此書の示すパウロは決して剛毅勇敢の人ではない、彼は孰《いづれ》かと云へば女らしき神経過敏の人であつた、彼は友人を失はんことを懼れた、彼は友人の愛を繋がんがためには総の方法手段を尽した、彼は泣いた、怒つた、恨んだ、訴へた、彼は彼の友人が彼の敵の術中に陥り彼に就て誤解を懐くに至りし其誤解を解かんとして、縷々彼の心情を彼等の前に披瀝して止まなかつた、若し儒者の謂ゆる「君子重からざれば則ち威あらず」との標準を以て衡《はか》るならば哥林多後書に現はれたるパウロは決して君子ではないのである。
〇パウロは死を怖れた、其点に於て彼は決して勇者ではなかつた、死を軽んじた点に於ては旅順攻撃に際して其山野に骨を曝せし無数の日本兵士は遙かにパウロ以上の勇者であつた。
 我ら此幕屋に居りて歎き、天より賜ふ我らが屋《いへ》を衣の如く着んことを深く欲《ねが》へり、まことに着ることを得ば(87)裸になることなからん、我等此幕屋に居り重を負ふて歎げくなり、之を衣の如く脱んことを欲まず、彼を衣の如く着んことを欲ふ、是れ生命《いのち》に死ぬべき者の呑れんが為なり(五章二−四節)、
是れ確かに死を怖れ之を忌嫌ひし者の発せし言である、パウロは死の苦痛を経過せずして神の国に生れんことを切望したのである、肉の生命は之を忌んだが(「此幕屋に在りて歎く」といふ)然し霊の体(天より賜ふ屋)を着せられずして肉の体を脱がんことを忌んだ、恰かも冬の寒き朝、小児が寝衣《ねまき》を脱がしめられんことを嫌ふが如くである、寝衣《しんい》は之を脱がんも脱ぐと同時に温袍の直に彼に着せられんことを欲ふ、其如くパウロも亦肉の衣を脱ぐと同時に霊の衣を着せられんことを欲ふた、彼は死の苦しき経験を経ずして神の国に生れんことを欲ふた、殆んど無理の要求であるといふても可い程である。
〇然し彼は多くの実験に由て彼の此要求の充たされざるを悟つた、彼は彼も亦すべての人と同く死の辛らき経験を通らざるを得ざる事を覚つた、然し彼は斯く知覚して失望しなかつた、彼は言ふた、
  我等此事を知る、我等が地に在る幕屋(肉体)もし壊《やぶれ》なば神の賜ふ屋《いへ》(霊体)天に在り云々
と(五章一節)、此一節に於て注意して読むべきは「もし」なる短かき辞である、「縦し我が望むが如くに成らずして、若し万一普通一般の人の如くに肉体敗壊の経験を経ざるべからずとするも、其場合に於ても神の賜ふ屋則ち霊体は我等のために備へられて天に在り」とのことであつた、斯くてパウロは死を忌んだ、忌みしが故に之を避けんとした、而して彼の在世中に起るべきキリストの再来に由て死の苦痛を免がれんとした、然れども其の終に免がる能はざるを知りしや、彼は墓の彼方に再生復活を認めたのである。
  彼れ(神)霊《みたま》を質《かた》となして我等に賜へり
(88)と言ふた(五節)、則ち神は今既に我等が肉体に在る間に聖霊の貿(証拠金)を我等に賜ひたれば、我等が肉体を去りて後に其の全部を賜ふ事は敢て疑ふべきにあらずと云ふた、パウロの来世慾は非常に強くあつた、彼は自己《おのれ》に死後の生命を確かめ得るまでは満足するを得なかつた。
〇パゥロの来世観が果して真理であるや否やは別問題として、性来《うまれつき》臆病なりし彼が世に儔なき勇者となりし其理由の全く彼がキリストに在りて来世存在を確かめ得し事に存するは疑なき所である、パウロはキリストに由て来世存在と共栄光を確かめられて怯懦を去つて剛毅になつたのである、
  是故に我等の心恒に剛毅《つよ》し
といふた(六節)、此確信が生じてより彼に恐いものとては全く無くなつたのである、彼は危険多き此世に在て、剛毅勇敢の人となつた、彼が好んで幾回《いくたび》となく用ひし希臘話の parresia《パルレージヤ》は能く彼の此心の状態を表はすものである、「パルレージヤ」は「侃々《はゞからず》して言ふ」とも訳せられ(哥林多後書三章十二節)、「勇気」とも訳せられ(捉摩太前書三章十三節)、「憚かる所なく」とも訳せらる(腓利門書八節)、此世の譏誉褒貶に無頓着になるの謂である、全く自由になること、肩幅を広くして大路を闊歩するの意、自由自在に障害多き此世を無人の地を行くが如くに歩むの状を示す詞である、而してパウロはキリストを知るに由て此羨むべる状態に入るを得たのである。
〇今の人は宗教の来世的ならんことを恐る、故に彼等は現世的宗教を唱へて宗教をして現世に於て実益ある者たらしめんと努むる、勿論希望を来世にのみ繋いで其の弊たるや決して尠くない、然れども宗教を現世的たらしむるに較べて其害たるや数ふるに足りない、人は生れながらにして現世的である、彼は来世の事は之を思はざらんことを好む、彼に現世的たるを勧むるの必要は少しも無い、水の低きに就くが如くに人は地に就く者である、而(89)して宗教は人を地より天に向つて引上ぐるために必要である。宗教にして明白に来世的ならざらんには、世に来世を示す者は他に何者も無いのである、言ふまでもなく宗教の本領は来世である、政治、経済の本領の現世であるが如くに宗教の本領は来世である、来世を明白に示さず、之に入るの途を明白に教へない宗教は宗教と称するに足らざる者である、仏教然り、回々教然り、基督教然りである、イエスの福音、パウロの福音、ペテロの福音、ヨハネの福音は皆な明かに来世と之を譲受くるの途を示す、来世を明かにせずして宗教は現世を救ふことは出来ない、宗教は政治経済とは違ひ現世を以て現世を救はない、宗教は人を現世の外に導き、彼に来世《らいせい》獲得の途を供して、間接に而かも確実に現世を救ふのである。
〇今の教会信者の基督教は名は宗教であつて、実は文明教である、曰く教育、曰く慈善、曰く倫理、曰く道徳と、彼等は来世に就て知ること甚だ少くある、彼等は来世に就て深く知らんと欲しない、彼等は来世を説くも是れ死者を慰むるに方て止むを得ず説くのである、彼等は来世を認め之に入るの特権に与りて歓喜措く所を知らざる者ではない、彼等の志望は世人のそれと等しく現世の進歩改良にある、今や基督教といへば慈善を意味し、家庭を聯想す、彼等は天国其物を求めずして唯偏へに地上に天国を見んと欲する、而して此くの如くに宗教を誤解して彼等は天国をも示す能はず亦彼等の目的たる地上に天国を見ることも出来ない、世に不器用なる者とて所謂現世的宗教の如きはない。
〇キリストの復活に由り永生と其栄光に与かるの途を確かめ得て性来臆病なりしパウロは剛毅儔なき者となつた、而して惟りパウロに止まらない、宗教家と云ふ宗教家にして、信仰を以て世を導き、最も確実なる意味に於て之を救ひし者は先づ現世より離脱して、籍を来世に移した者である、
(90)  我等の国は天に在り、
と言ひ得しパウロが地に在りて最も剛毅き者であつた、我国の法然上人の如きも亦其一人である、彼の如き性来柔和の人も極楽往生の確信を得てより欣躍自在の人と成つた、人は来生を認むるまでは未だ歓喜の何物たる乎を知らない、此に真個の歓喜があるのである、天は焚毀《やけくづ》れ地は焚尽き、諸のものは鎔《とか》されんも、
  我らは其(神の)約束に因りて新らしき天と新らしき地を望み待《まて》り、義其中に在り
と知りて茲に大宇宙は我有となり、天上天下我が自由を妨ぐるものなきを感ずるに至るのである、(彼得後書三章十三節)、義其中にあり、歓喜其中にあり、自由其中に在り、すべての善きものは其中にあるのである、此歓喜と此自由とが無くなつて我等は此世に在りて剛毅くなることは出来ない、讃美と栄光、詩と歌とは窮りなく此感謝の泉より湧出るのである。
〇神に在りて最も深い者は愛である、人に在りて最も深い者は信である、神は愛を以て人に臨み給ひ、人は信を以て之に応へまつる、茲に神と人との真個の和合が行はる、神の喜び、人の救ひ、天地の調和、神人の合一とは此事である、神は永生を人に賜はんと欲し給ふ、而して人は信仰を以て之を受く、賜はんと欲するの愛、受けんと欲するの信、……宗教と云ひ、永生と云ひ、決して解するに難い事ではない、神の愛と人の信、律法《おきて》も預言も、福音も神学も之を以て尽きて居るのである、
  小さき群よ懼るゝ勿れ、汝等の父は喜びて(天)国を汝等に予へ給はん
とある(路加伝十二章三十二節)、而して彼はキリストを以て国を我等に予へ給ふたのである、我等は今唯感謝して、父の好意を信じて、之を受くれば其国は我等の有となるのである。
(91)〇羅馬書一章十七節に
  神の義は之(福音)に顕はれて信仰より信仰に至れり
とある、「信仰より信仰に至る」とは有名なる神学者フレデリック・C・バウルの解釈に依れば「信仰を以て始まり信仰を以て終る」とのことであると云ふ、パウロの此言の最も完全なる解釈であると思ふ、キリストの福音に顕はれたる神の義は徹頭徹尾信仰を以て拝受すべき者である、信仰に由て義とせられ、信仰に由て潔められ、信仰に由て永生の恩賜に与かる、罪を解脱するも信仰に由る、聖徳に進むも信仰に由る、最後に天国《みくに》の栄光《さかえ》に入るも信仰に由る、信仰より信仰に至る、信仰を以て始まり信仰を以て終る、研究を以てにあらず、徳行を以てにあらず、勿論難行苦行、修養錬達を以てにあらず、単に信仰を以て、単純なる信仰を以て、永生獲得の恩恵に与かることが出来るのである、来世は望んで詮なき事ではない、永生は求めて得られない事ではない、神の愛に応へまつるに人の信を以てして、来世も永生も之を我有となすことが出来るのである。
〇仏国有名の聖者フェネロン曰く、
  汝、世に対する時、橋上に立て足下に流水を眺《み》るの態度に出づべし、水をして欲《おも》ふが儘に流れしめよ、然れども之をして汝の身心に触れしむる勿れ、
と、此世の批評と其嫉妬、誹謗と讒害、排※[手偏+齊]と凶穀、二十世紀の今日と雖も此世は今猶ほ罪の世である、穢土である、我等之と運命を共にして之と共に滅びざるを得ない、我等は此世以上に立なければならない、橋上に立て足下に世の濁水の流るるを瞰るの態度に出でなければならない、而して謗らるゝも、害はるゝも、排けらるゝも、縦し又殺さるゝも、我等の霊魂を涜《けが》されざるの地位に身を置かなければならない、則ち世に在て世の属《もの》ならざる(92)の態度、世を助くるも世に汚《けが》されざるの地位に身を置かなければならない、而して「橋上」とは何ぞ、天の高きにあらずや、神とキリストとの在し給ふ所、其処に我霊魂の居住を定めて我等は橋上に立て地上の擾乱に処することが出来るのである、然り、我等をして橋上の人たらしめよ、天上の人たらしめよ、二十世紀の今日に在ると雖も、一世紀のパウロの如く、十二世紀の法然の如く、現世の人にあらずして来世在住の人たらしめよ。
 
(93)     少数者
                        大正2年9月10日
                        『聖書之研究』158号
                        署名なし
 
 キリストは少数である、福音は少数の意見である 此の世が続く限りキリストが多数となり福音が多数の輿論となるときは来ない、「今は汝等の時、暗黒の勢力なり」とイエスは己を捕へんとて来りし者どもに曰ひ給ふた、(路加伝廿二章五三節)、而して二十世紀の今日も猶ほキリストの敵の時代である、彼等が勢力を揮ふ時代である、故にキリストの福音の証明者として立つ我等は単独と寂寥とを歎じてはならない、我等も亦彼に傚ひ、彼の※[言+后]※[言+卒]《そしり》を負ひて営《かこひ》(社会と教会)の外に往き、其処に彼と共に苦《くるしみ》を受くべきである。(希伯来書十三章十二、十三節)。
 
(94)     聴かれざる祈祷
        (七月六日今井館に於て)
                        大正2年9月10日
                        『聖書之研究』158号
                        署名 内村鑑三
 
 信者が神に捧ぐる祈祷は悉く聴かるゝと聖書の或る所には書いてある、約翰伝十四章十三、十四節の如きは其最も著しき者である、イエスは其弟子等に告げて言ひ給ふた、
  汝等すべて我名に託《よ》りて求《ねが》ふ所のことはすべて之を行さん、父の栄《さかえ》の子に因りて顕はれんためなり、若し汝等何事にても我名に託りて求はゞ我れ之を行さん
と、而して之に類したる聖書の言葉は尚ほ他にも沢山ある、馬太伝七章七節より十一節まで、羅馬書八章三十二節、雅各書五章十七、十八節の如きは聖書を読む者の誰人も善く知る所である、祈れば「何事」にても聴かるゝとの事である、「己が子を惜まずして我等すべてのために之を付せる者は豈《などか》彼に併《そへ》て万物をも我等に賜はざらんや」とある、神の此約束あれば我等は憚らずして恩恵の座に近づき、我等が欲するすべての事物を求めて必ず之を得ることが出来るに相違ない。
 然るに聖書の他の所には聴かれざる祈祷の例《ためし》が幾個《いくつ》も掲げてある、使徒ヤコブに従へばエリヤは切に祈りて三年六ケ月の間、天より雨の降ることを禁《とゞ》め、又祈りて雨を降して地の産を潤したりとある、乍然、聖書には又(95)信仰に於てエリヤに優る所ありしも劣る所なかりしモーセの切なる祈祷は聴かれざりしと記してある、パウロにも亦一の聴かれざりし祈祷があつたと書いてある、而して主イエスキリストの最後の祈祷も亦聴かれなかつたと明かに示してある、故に「何事」も聴かるゝと書いてあるが、然し、何事も我が求ふが儘に聴かれざる事は確である、信者の祈祷の悉く聴かれざる事、信者が神に捧ぐる祈祷の中に彼に受納られない者のある事を知るは、我等の信仰を維持する上に於て極めて大切である。
 先づモーセに就て語らん乎、モーセの生涯に彼の畢生の祈願とも称すべきものがあつた、それは彼が彼の足を以て約束の地を践まんことであつた、彼は之を目標にイスラエルの民を率ひてエジプトを出で、四十年間|曠野《あれの》に彷復ひ、負ひ難きの責任を負ひ、堪え難きの患難に堪えたのである、彼れ今や齢百二十歳に達し、此世の希望とて他に何にもなかつた、彼は曾て人生の儚きを歎じて曰ふた、
   我等が年を経る日は七十歳《なゝそぢ》に過ぎず、
   或ひは壮《すこや》かにして八十歳《やそぢ》に至らん、
   されど其誇る所は勤労と悲痛とのみ、
   その去りゆくこと速《すみやか》にして我等も亦飛去る、
と(詩篇九十篇十節)、而して彼れ今や勤労と悲痛との生涯の終りに方て彼に唯一つの祈願《ねがひ》があつたのである、而して此祈願たる決して無理なる祈願でなかつた、又悪い祈願でなかつた、彼は彼の四十年間の永い勤労に報いられんために神より何の報賞に与からなかつた、柔和なる彼は又何の報賞をも要求めなかつた、彼は唯死ぬる前に、足|自《みづ》からヨルダンの流水《ながれ》を渡り、目自からカナンの土地を見んことを欲ふた、彼の一生の祈願とは唯是れ丈夫けで(96)あつた、老ひたる忠僕の祈願として拒むに余地なきものであつた、彼は神に祈りて言ふた、
  主ヱホバよ、汝は汝の大なる事と汝の強き手を僕《しもべ》に示すことを始め給へり、天にても地にても何れの神か能く汝の如き事業《わざ》を為し、汝の如き能力を有んや、願くは我をして渉り往かしめよ、ヨルダンの彼方なる美地《よきち》美山《よきやま》及びレバノンを見ることを得させ給へ
と(申命記四章二十四、二十五節)、何んと謙遜なる何んと寡欲なる祈祷ではない乎、其子がパンを求めんに石を予へず、魚を求めんに蛇を予へざる天に在す彼の父は此|祈祷《いのり》に聴き給はざるの理あらんや、然るにヱホバはモーセの此祈祷に対して何んと答へ給ひし乎、ヱホバはモーセに答へて言ひ給ふた、
  既に足れり、重ねて此事を我に言ふ勿れ、汝、ピスガの巓に登り目を挙げて東西南北を望み汝の目をもて其地を観よ、汝はヨルダンを済ることを得ざればなり
と(仝二十六、二十七節)、其子の切なる祈願に対して何んと簡短にして情ない答ではない乎、茲にモーセの畢生の祈願は断然拒絶されたのである、
  汝はヨルダンを済ることを得ざればなり
と、ヱホバは曾て已れの如何なる者なる乎をモーセに示して言ひ給ふた、
  ヱホバ、ヱホバは憐憫あり、恩恵あり、怒ること遅く、恩恵と真実の大なる神云々
と(出埃及記三十四章六節)、然るにモーセの祈願に対するヱホバの仕打は決して憐憫あり、恩恵あるものであると云ふ事は出来ない、モーセがヱホパに対して甚だ忠実なりしに対してヱホバは甚だ冷酷であり無慈悲であつたと云はざるを得ない、モーセの祈祷は情《すげ》なくも拒絶されたのである。
(97) 神は旧約の忠僕なるモーセの祈祷を斥け給ふた、彼は亦新約の忠僕なるパウロの祈祷をも斥け給ふた、パウロにも亦一つの切なる祈願があつた、彼は一つの刺の彼の肉体より除かれんことを祈求ふた、彼は単に彼の肉体の苦痛としてのみ之を感じたのでないと思ふ、彼が伝道に従事するに方て彼は大なる妨害として之を感じたのであらふ、彼は幾回《いくたび》となく之がために敵の侮辱を受けたであらふ、彼の福音は幾回となく之れがために人に嘲けられたであらふ、彼は自分の健康のためばかりではない、福音のために、神の栄えのために、此痛き刺の彼の身より除かれんことを祈つた、
  我れ是れがために三次《みたび》主に之を我より離《さら》んことを求めたり
とある(コリント後書十二章八節)、「三次」とあるは多分一度を三度繰返した三次ではあるまい、数次、屡次《しば/\》と云ふことであらふ、パウロは幾回か此事に就て主キリストに祈つたのであらふ、然るに主の此忠僕の祈求に対する答は何んであつた乎、是れ亦ヱホバのモーセの祈求に対して発せられし言葉に似て簡短であつて無情《すげな》くあつた、
  我が恩恵汝に足れり、
と云ふにあつた(仝九節)、汝の痛き刺は除かるゝに及ばず、我が恩恵は之を補ひ得て足れりと云ふことであつた、パウロの切なる祈求も亦モーセのそれと等しく聴かれなかつた、新旧両約の信仰の代表者は其厚き信仰を以てするも其祈祷の応験を見ることが出来なかつたのである。
 而して神の忠僕ばかりでない、彼の愛子も亦其最後の祈求を受納れられなかつたのである、神の子イエスキリストにも亦聴かれざる祈祷があつた、
  イエス少し進み行きて地に俯し祈り言ひけるは、若し(聖意に)適はゞ此時を去らしめ給へ、また言ひけるは、
(98)  アバ父よ、爾に於ては凡の事能はざるなし、此杯を我より取りたまへと(馬可伝十四章三十五、三十六節)、
然かも血の滴るが如くに汗を流して祈り給ひしイエスの此切なる祈祷も亦聖父の聴納る所とならなかつた、彼は彼の敵の手に附されて其|磔殺《たくさつ》する所となつた、イエスの祈祷は無益であつた、神は其眼を閉ぢ、其耳を蓋ふて其愛子の祈求を斥け給ふた。
 イエスは「若し汝等何事にても我名に託りて求はば我れ之を行さん」と宜べ給ひしに対して、茲に聴かれざる祈祷の著しき例が三つあるのである、モーセの祈祷が聴かれず、パウロも聴かれず、イエス御自身も亦聴かれなかつたのである、依て知る祈祷の聴かれないのも亦決して悪い事でない事を、憐憫あり恩恵ある神は時には其忠僕愛子の祈祷を斥け給ふことを、即ち知る、祈祷を聴かるゝ事、必しも恩恵にあらざることを、祈求を斥けらるゝこと、決して詛はれしことにあらざる事を。
 然り、祈祷の聴かれない事がその真に聴かれたる事である、神が人に下し給ふ最大の恩賜は神御自身である、彼を識る事が永生《かぎりなきいのち》である、造主は被造物よりも貴くある、宇宙と其内にある万物を獲《う》るとも若し神を我有とすることが出来ないならば我等は真に貧しき者である、而して神は恒に此最大の恩賜を其子に予へんとなし給ひつゝあるのである、而して此恩賜は苦痛と共に予へられつゝあるのである、而して信者の最大の苦痛は聴かれざる祈祷である、而して能く此苦痛に堪え得る者に神は御自身なる彼の最大の恩賜を下し給ふのである、モーセは其畢生の祈求なるカナンに入ることを聴されずして、一時は非常に失望したであらふが、然し終には彼の信仰の眼を開かれ、生涯の終りに方て最も明白に憐憫あり恩恵あるヱホバを認むるを得て、感謝に溢れてネボの山上に永き眠に就いたのである、パウロと雖も同じである、彼は彼の祈求を斥けられし時に言ふた、
(99)  我は寧ろ欣びて自己の弱きに誇らん、是れキリストの能我に寓らんためなり、之に因りて我れキリストのために懦弱《よわき》と凌辱《はづかしめ》と空乏《ともしき》と迫害《せめ》と患難《なやみ》に遭ふを楽しみとせり、そは我れ弱き時に強ければ也
と(コリント後書十二章九、十節)、モーセもパウロも、然り、ダビデもヱレミヤも、バプテスマのヨハネもヨハネの兄弟ヤコブも、然りイエス御自身も、聴かれし祈祷に由てにあらず、聴かれざりし祈祷に由て神に近づき神に関する最も深き事を知ることが出来たのである、神に捧げし祈祷が聴かれたればとて欣ぶ信者は浅い信者である、深い信者は返て祈祷の聴かれないことを欣ぶのである、神は一たび其顔を匿し給ひて再びより美はしき其聖顔を我等に向け給ふのである、愛なる神は時々其愛子を欺き給ふのである、而して彼等の終に欺かれざるを見て取て更らに大なる愛を彼等の上に注ぎ給ふのである。
 神の愛の此秘訣を知て我等は我等に聴かれざる祈求の常に存するを知て感謝するのである、充たされざる希望が神に達するの途である、我等の希望にして悉く充たされん乎、肉なる我等は神を要求せざるに至るのである、
   嗚呼神よ、悲惨の道は
   余が爾に到るの径路なりき
とは惟り詩人ジエームス・バッカムの言ではない、すべての信者の実験である、涙の谷を通うらずして神の懐に達するの途はない、失望、落胆、聴かれざる祈祷、之れありて神が判明るのである、
  救済を施し給ふイスラエルの神よ、実に爾は隠れ給ふ神なり
との預言者イザヤの言は能く神の特性を語つたものである、(以賽亜書四十五章十五節)、神は時々己れを隠し給ふのである、彼は我等が捧ぐる熱き祈祷を聴流しに為し給ふのである、然れども隠れて再たび顕はれ給ふや、(100)目眩きばかりの光を以て我等に顕はれ給ふのである。
 然れば神に恵まれたる者にして或る聴かれざる祈祷を有たない者はない、而して其祈祷たる彼に取り最も聴かれて欲しきものである、モーセのそれの如き彼れ畢生の祈求である、是非とも聴かれて欲しき祈求である、然かも神は意地悪るくも其聴かれて欲しき祈求を聴き給はないのである、而して斯くの如くにして其人を徐々と御自身に導き給ふのである、彼に聴かれざる祈祷を存して、終に最大の恩恵を彼に施し給ふのである、信仰の此実験を心に留めて使徒ヤコブの左の言葉の意味が能く解るのである、
  我が兄弟よ、汝等もし様々の試誘《こゝろみ》に遇はゞ之を喜ぶべき事とすべし、そは汝等の受くる信仰の試錬は忍耐を生ぜしむるを知ればなり……………………………忍びて試誘を受くる者は福ひなり、そは試誘を経て善とせらるゝ時は生命の冕を受くべければなり、此冕は主が己れを愛する者に約束し給ひし所のもの也(雅各書一章二、三節并に十二節)。
       *     *     *     *
 諸君の知らるゝが如く余も亦近き頃聴かれざる祈祷の辛らき喜ばしき経験を有つた、余は余の一人の女《むすめ》の疾病の癒されんことを祈つた、信者の祈祷の効力ある事に関する聖書の言葉を繰返して読んで、余は余の消えんとする祈祷の熱心を励ました、余は又幾回となく繰返してヤイロの女の全治《なをり》し事に関する聖書の言葉を読んだ(路加伝八章四十節以下)、余は
  懼るゝ勿れたゞ信ぜよ女は※[病垂/全]べし
とのイエスの言を余に語られし言として受けた、余は医師の言に反して余の祈祷に由て余の女は必ず癒さるゝ事(101)と信じた。余は彼女の気息が絶ゆるまで此事を疑はなかつた、余は余の生涯の中に此時必ず奇蹟を目撃することであると思ふた。
 然るに嗚呼、ヤイロの女は※[病垂/全]れたが余の女は※[病垂/全]されなかつた、ヤイロの祈祷は聴かれたが余の祈祷は聴かれなかつた、余が目撃せんことを望みし奇跡は行はれなかつた、余の愛する女は天然の法則通りに死んだ、余は失望した、余は祈祷の効力を疑つた、人は言ふた、神は余の罪を罰したのであると、又或る他の人は言ふた、余に真正の信仰が無い故に余の祈祷は聴かれなかつたのであると、斯かる場合に於ける信者の立場は実に憐むべき者である、此時我等はヨブの言を以て神と人とに訴ふるのである、
  我が朋友は我を嘲ける、
  然れども我が眼は神に向ひて涙を注ぐ、
と(約百記十六章二十節)、神に棄てられし観念は我が切々の祈祷の聴かれざる時に起るのである、
  我父よ、爾、何故に我を棄たまふ乎
との十字架上のイエスの叫びは斯る場合に信者の唇に上るものである。
 然しながら
   夜はよもすがら泣き悲むと雖も、
   朝《あした》には喜び歌はん、
であつた(詩篇三十篇五節)、余の懐疑の夜も亦短くあつた、朝は直《ぢき》に来て余は涙ながらに喜び歌ふた、神は余の祈求を斥け給ふて余と余の愛する者を恵み給ふたことが判明た、死せし余の女は復活した、彼女の生存は前より(102)も更らに確実なるものとなつた、天国の門は余のために開かれた、彼女の形体《かたち》が見えなくなつて、余は彼女の霊を余の霊に懐《いだ》くやうになつた、今や彼女は永久に余の女《むすめ》である、何人も彼女を余より奪去《とりさ》ることは出来ない、余は彼女を失はんことを恐れた、而して彼女を失つて永久に且つ確実に彼女を余の女となすことが出来た、神は余の祈祷を斥けて更らに深き意味に於て余の祈求《ねがひ》を取上げ給ふた、余は今は神が此事に関し余の祈祷を聴き給はざりしことを感謝する、余の女の死を以て余に臨みし神の刑罰なりと言ふ者は基督信徒の此歓喜を知らない者である、而して斯かる憐むべき者の不信者社会に於てのみならず、所謂信者社会の中に数多あることを知て余は彼等のために歎かざるを得ないのである。
 此ほか余に猶は聴かれざる祈祷が存つて居る、然し余は今やその聴かれんことを以て神に迫らない、余はその彼が余を御自身に引附けんとて設け給ひし恩恵の手段であることを知る、故に聖父の此「愛の欺術」に欺むかれずして、之に由てより大なる恩恵に与らんとする、余に聴かれざる祈祷のあるは神が特に余を愛し給ふ最も確かなる証拠である、福ひなる者とは神に悉く其祈祷を聴かれたる者ではない、其最も祈求ふ所のことを聴かれない者である、モーセは斯かる者であつた、ヱレミヤも斯かる者であつた、パウロも斯かる者であつた、イエス御自身が斯かる者であり給ふた。
 然らば我れ何をか恐れん、我が祈祷の聴かれざるがために神を恨まず、又彼の恩恵を疑はない 曾て英国の貴婦人某一年の間に相次いで五人の子女を失ひ、苦闘悪戦の後、終に懐疑の悪魔に打勝ち、凱旋の声を挙げて言ふ
た、
  神はやはり愛なり
(103)と、我等も亦彼女に傚ひ、我等の祈祷の聴かれざるたび毎に愈々深く神の愛なることを識るべきである。
 
(104)     祈祷の目的物
                         大正2年9月10日
                         『聖書之研究』158号
                         署名なし
 
 足利尊氏が師として仰ぎし疎石禅師の言として左の如きものがある、
  仏神に今世の事をいのり求るは例へば国主に紙一枚を所望するが如し、何ぞ、所領を望まざるや、何ぞ仏神に無上菩提を望まざるや
と、実に深い貴い言《ことば》である、仏教の僧侶にさへ此信念があつた、基督信者が神に「此世の事をいのり求めて」可からふか、肉に拘はる事に於てのみ神の恩恵を求めんとする多くの基督信者は彼れ禅僧の前に漸死すべきではない乎。
 
(105)     故岡田|透《とうる》
                         大正2年9月10日
                         『聖書之研究』158号
                         署名 鑑三
 
 余の妻の父なる岡田透は八月一日を以て此世を去つた、彼は三河人であつた、模範的の古武士であつた、彼は日本第一の弓術家であつた、弓の術よりも其精神を知つた者であつた、彼は「信者」ではなかつた、然し単純にして潔白なる人であつた、彼は曾て彼の女を余に与へし理由を述べて言ふた、
  余は内村に多くの敵があると聞いた、故に余は余の女を彼に与へたのである
と、此簡単なる理由の下に彼は彼の愛女の一生の運命を余に委ねたのである、余が逆境にありし日に斯かる理由のために余と緑を結びし彼は又余の知己なりと言はざるを得ない、今や此人亡し、余に涙なき能はずである。
 
(106)     (真実の教会 他〕
                        大正2年10月10日
                        『聖書之研究』159号
                        署名なし
 
    真実《まこと》の教会
 
 教会はある、確にある、然し天主教会ではない、聖公会ではない、ルーテル教会ではない、メソヂスト教会ではない、長老教会ではない、組合教会ではない、主イエスキリスト彼れである、彼は一人であつて同時に又多数である、彼は首であつて我等は手足である、彼は幹であつて我等は枝である、彼は主《しゆ》であつて我等は僕である、然かも我等は彼に在りて一体であり、又一本の葡萄樹であるのである、教会は寔に彼の実体である、万物を以て万物に満たしむる者の満つる所である。(以弗所書一章二十三節参照、希臘語の「ソーマ」は有機体《オルガニズム》の義なり、之を邦訳聖書に於けるが如く「身体」と訳して誤解の虞なしとせず)。
 
    聖書本位
 
 余は基督教を解らんとしない、聖書を解らんとする、其馬太伝を解らんとする、其路加伝を解らんとする、其約翰伝を解らんとする、其羅馬書を解らんとする、其哥林多前書と後書とを解らんとする、加拉太書を解らんと(107)する、希伯来書を解らんとする、黙示録を解らんとする、先づ基督教が解つて聖書が解るのではない、聖書が解つて基督教が解かるのである、余の基督教研究は聖書本位である、其の始めが聖書であつて、其の中が聖書である、而して又其の終りが聖書であるのである、聖書である、聖書である、余は聖書以外に基督数を求めないのである。
 
    惟一の書
 
 聖書の一書を解するは一大哲学を解するよりも益あり、聖書の一章を解するは一大著述を解するよりも益あり、聖書の一節を解するは一大論文を解するよりも益あり、吾人の精力と時間とを悉く聖書了解のために費して吾人は益する所ありて損する所あるなし、汗牛充棟も啻ならざる人の哲学と人の著書と人の議論とは之を塵埃の下に葬り終生之に眼を触れざるも吾人の失ふ所は多からず、学ぶべく、究むべきは惟り神の聖書なりとす。
 
    山と聖書 箱根山中に遊びて感あり
 
 山に入らずして山を識る能はず、之を遙かに遠方より眺めて其風景を賞し得べしと雖も、山其物を識る能はず、其如く、聖書に入らずして聖書を識る能はず、之を遙かに批評の立場より望見て其荘美を賞するを得べし、然れども聖書其物を識る能はず、聖書に入て聖書を見ん乎、金鉱銀鉱到る処に存し、巌《いは》は宝玉を以て鏤められ、丘は錦繍を以て彩色らる、生命の河あり其中を流れ、希望の海あり、其岸を洗ふ、正義の市《まち》あり、其道は直し、真理の園あり、其花は馨《かぐ》はし、正さに是れ神の造経《つくりいとな》み給ひし宇宙の大公園なり、其中に逍※[行人偏+羊]して百年の生命も長から(108)ず、単独の生涯も淋しからず、聖書に入り、之と親むを得て、現世ながらにして既に天堂に遊ぶの感あり。
       ――――――――――
 
    天職発見の途
 
 己が天職を知らんと欲する者多し、言ふ、我にして若し我が天職を知るを得ん乎、我は我が全力を注ぎて之に当らんと。
 人よ、汝は汝の天職を知るを得るなり、汝は容易に之を発見するを得べし。 汝の全力を注ぎて汝が今日従事しつゝある仕事に当るべし、然らば遠からずして汝は汝の天職に到達するを得べし、汝の天職は天よりの声ありて汝に示されず、汝は又思考を凝らして之れを発見する能はず、汝の天職は汝が今日従事しつゝある職業に由つて汝に示さるゝなり、汝は今や汝の天職に達せんとして其途中に在るなり、何ぞ勇気を鼓舞して進まざる、何ぞ惰想に耽りて天職発見の時期を遅滞せしむるや、智者あり、曰く
  凡て汝の手に堪《たふ》ることは力を尽して之を為すべし
と(伝道之書九章十節)、此外別に天職発見の途あるなし、平々坦々たる途なりと雖も其終点は希望の邑《まち》なり、感謝と歓喜との京城《みやこ》なり。
 
    教会問題の解決
 
 教会問題に就て苦慮する者多し、曰く、我れ何れの教会に属して完全なる満足を得ん乎と。
(109) 完全なる教会は全世界にあるなし、人を以て成る教会は人の不完全なるが如くすべて不完全なり、天主教会も完全ならず、聖公会も完全ならず、メソヂスト教会、バプテスト教会、ルーテル教会、カルビン教会一つとして完全なるはなし、完全なる満足を教会に求めて人は何人も失望せざるを得ず。
 然れども完全なる満足は之を得るに難からず、主イエスキリストに於て在り、彼に我が霊魂を委ね、彼の僕となり、肢《えだ》となりて我は今日直に完全なる満足を有するを得るなり、完全なる満足は彼に在りて他に在るなし、彼の名に由りて成る凡ての教会も一として之を与ふる能はず。主イエスに在りて完全なる満足を得て、人は何れの教会に属するも可なり、属せざるも可なり、霊なるキリストは其存在を教会に限り給はず、彼は謙下りたる心を以て彼に依頼むすべての人の霊魂に宿り給ふ。
 教会問題の解決は易し、直にイエスに来よ、而して彼の中に在りて完全なる自由と満足とを得て、自由に汝の教会問題を解決せよ。
 
    死に勝つの力
 
 我は時々、夜半独り静かに双手を我が胸に当《あて》て言ふ、我れ若し今死するならば我は平和に死に就くを得べき乎
と、而して斯く独り己に問ふて我は未だ曾て一回も満足なる答を得る能はざりき。
 然れども主は我に教へて言ひ給ふ、何故に死に就て憂慮《おもひわずら》ふや、汝は.今死するにあらず、故に死に勝つの力は未だ汝に与へられざるなり、明日の事を憂慮ふ勿れ、明日は明日の事を憂慮へ、一日の苦労は一日にて足れり、汝の力は汝の日の数に循はん、汝が死する時に方て死に勝つの力は汝に加へらるべしと。
(110) 俵て知る、死に就くの準備の、忠実に今日の職に従事することなるを、我は死を懼るゝを要せず、我も亦主の恩恵に由りて平和を以て死に就くを得べし。
 仮令我れ死の影の谷を歩むとも禍害《わざはひ》を懼れじ、爾、我と偕に在せばなり(詩篇二十三篇四節)。
 
    イエスキリスト
 
 イエスキリストと云ふ、基督教の総体《すべて》は其中にあり。
 「イエスキリスト」は固有名詞にあらず、イエスは人名にしてキリストは職名なり、ナザレのイエスはキリスト即ち受膏者なりとの意なり。
 ユダヤ人は言へり、キリストは後の日に世に臨み給ふべし、然れどもイエスはキリストに非ずと、而してイエスは自からキリストなりと称へ給ひしが故に、彼等は彼を捕へ、終に彼を十字架に釘けたり。
 ユダヤ人に対してイエスの弟子等は言へり、イエスは実にキリストなりと、彼等は斯く唱へて彼等の国人の迫害する所となり、或者は馘られ、或者は石にて撃たれたり。
 今やイエスキリストと唱へて何人も我等を責むるなし、恰かもコロムウエルと唱ふるが如く、ナポレオンと道ふが如く、我等は単に過去の人物を指して称《い》ふが如くに思はる。
 然れども初代の信者に取りては決して然らざりしなり、彼等は生命を賭してイエスキリストと唱へしなり、是れ彼等の信仰の標語なりしなり、彼等は其故に此世より離絶せられたり、イエスはキリストなりと唱へしが故に彼等はイエスの如くに人に嫌はれ、其逐ふ所、其攻むる所、其殺す所となりたり。
(111) イエスキリスト、イエスはキリストなり、ヨセフの子なりしナザレのイエスは神の受膏者にしてユダヤ人の王なり、神の子にして万物は彼に由て造られたり、人類の首にして其最後の審判人《さばきびと》なり、今日自から基督信者なりと称する者はイエスキリストと口に唱へて、果してイエスはキリストなりと信ずる乎。
 イエスキリストと謂ふ、基督教のすべては其中に存す、而してイエスはキリストなりと解して人生も宇宙も一変せざるを得ず、人類に臨みしすべての真理の中に、イエスキリスト、即ちイエスはキリストなりと云ふ一言の中に含まれたる真理の如くに遠大にして革命的なる者あるなし。
       ――――――――――
 
    二個の愛
 
 愛に二ツある、愛せられんと欲して愛する愛がある、愛せんと欲して愛する愛がある、即ち受働的の愛がある、発働的の愛がある、さうして肉に因る此世の愛はすべて前の愛である、情愛といひ、恋愛といひ、友愛といひ、皆な相互的の愛であつて、愛せらるゝにあらざれば喜ばず又継かざる愛である、愛せられんと欲して愛し、愛せられて喜び、愛せられずして終に冷却するの愛、……是れは肉の愛であつて、又人の愛である。
 人の愛に対して神の愛がある、是は愛せんと欲して愛するの愛である、愛其物に歓喜と満足とを有する愛である、愛せざれば歇まざるの愛である、愛の返報を要求せざる愛である、愛せられざるも冷却せざる愛である、活きたる発働的の愛であつて、憎悪を以て殺すことの出来ない愛である、即ち愛するを以て生命とする愛である、愛して、愛して、愛して、終に悪をして存《あ》る能はざるに至らしむる愛である。
(112) キリストの愛は神の愛である、さうして基督者が心に懐くべき愛も亦此愛である、永遠|涸《つく》ることなき愛の泉となることである、神に愛せられんと欲して信者となるに非ず、人に愛せられんと欲して教会に入るに非ず、愛せられざるに愛し得るの能力を賜はらんためにイエスの弟子となり、キリストの僕とならんと欲するのである、神はキリストを以て斯かる愛を我等に賜ふのである、実に人のすべて思ふ所に過《すぐ》る愛である、世は斯かる愛のあることをすら知らない、然かもキリストを以て世に臨み、今も猶ほ人の中に働らく所の愛である。
       ――――――――――
 
    永久に棄られず
 
 ヱホバ斯く言ひ給ふ、彼は日を与へて昼の光となし、月と星とを定めて夜の光となし、海を激してその濤を鳴らしむる者なり、……彼れヱホバ斯く言ひ給ふ、若し上の天を量る事を得、下の地の基を探ることを得ば我は又イスラエルのすべての子孫を其|諸《すべて》の行為《おこない》のために棄つべし。(耶利米亜記三十一章三十五、三十七節。)
 註、天の高さは量るべからず、地の深さは探るべからず、故に神を愛する者の棄てらるゝ時は永久に来らず。
 
(113)     アブラハムの信仰
          希伯来書第十一章の研究
                      大正2年10月10日−12月10日
                      『聖書之研究』159−161号
                      署名 内村鑑三
 
     (上)
 
 人の救はるゝは信仰に由る、行為《おこない》に由らない、其意味に於ての信仰は信頼である、嬰児《をさなご》の心を以て神に信頼し、疑はずして其恩恵に与かる事である。
 乍然、信仰の意味は信顧を以て尽きない、信仰は又確信である、耐忍である、パウロは主に信頼の意味に於ての信仰を唱へた、而して新約聖書の他の記者に由て信頼以外の意味に於ての信仰が唱へられたのである。
 希伯来書記者の唱へし信仰はパウロの唱へしそれとは少しく趣きを異にする、彼は言ふた、
  一、夫れ信仰は望む所を疑はず、未だ見ざる所を憑拠《まこと》とするものなり
と(一節)、是は頗る難解の一節である、「疑はず」とあるは「基礎《もとゐ》とす」とも訳する事が出来る、「憑拠とす」とあるは「証拠」の意である、故にバプテスト教会訳の新約聖書に傚ひ
  夫れ信仰は望む所の物の基礎にして未だ見ざる所の物の証拠《あかし》なり
(114)と訳することが出来る、若し今日の言辞を以てするならば
  信仰は希望の基礎、霊界の確認
と簡約するも差支はあるまいと思ふ、然しながら斯く訳した所が希伯来書記者の称する信仰の何たる乎を審にする事は出来ない、第十一章全体が此一節の註釈であるのである。
 
  二、古の人之に由りて美称《ほまれ》を得たり
 「古の人」 古老の意である、アベル、エノク、ノア、アブラハム等を指して言ふ、列祖と云ふと同じである。「美称を得たり」とあるは第四節に於けるが如くに「証せられたり」と訳せらるべきである、義者として証せられたのである、加拉太書三章六節に「アブラハム神を信じ其信仰を(に由て)義とせられたり」とあるは此事である、義者として認められたり、義者たるの美称を得たりと解することが出来る、然し「美称」は承認の結果である、承認(証明)其ものではない。
 イスラエルの列祖《せんぞたち》が神に其義を認められしは彼等の信仰に由るのである、武勇に由てにあらず、才智に由てにあらず、其他の偉勲功績に由てにあらず、信仰に由てである、イスラエルは信仰を以て偉大なる国民である、イスラエルより其信仰を除いて彼等は取るに足らざる国民である、イスラエルの功績を称《たゝ》へんとすれば其信仰を称ふるより他に途はない、イスラエルは人類に信仰の大家を供して、今、猶ほ其精神的指導者の地位に在るのである。
(115)  三、我等信仰に由りて諸の世界は神の言にて造られ、如此見ゆる所のものは見るべき物に由て造られざることを知る、
 「諸の世界」 宇宙万物。
 「神の言に由て造らる」 創世記第一章、詩篇第三十三篇六節九節、彼得後書三章五節等を見よ、「言」は言語に限らない、すべて内より外に現はるゝものは言である、神は御自身の中に無限に保有し給ふ力を外に現はし給ひて天地と其中にある万物とを造り給ふたと云ふことである。
 「見ゆる所の物」「見えざる所のもの」 哲学の辞を以て言へば現象(phenomenon)と実体(nooumenon)とである、宇宙万物は実体の外に現はれたる物であつて、現象の上に、或ひは其中に感官を以てしては感ずる能はざる所の実体があるとは希臘哲学の唱へし所である、而して非哲学的なりしイスラエル人は現象実体と言はずして、見ゆる所の物、見えざ名所のものと言ふた、見ゆる所の物は「諸の世界」であつた、パウロの所謂「受造物《つくられたるもの》」であつた、眼を以て見、手を以て※[手偏+門]《さは》ることの出来るものであつた、而して之に対して「見えざる所のもの」があつた、それは即ち神であつた、霊であつた、生命であつた、霊の世界なる来世であつた、パウロは二者を対照して言ふた、
  そは見ゆる所の者は暫時《しばらく》にして見えざる所の者は無窮《かぎりな》ければなり
と(哥林多後書四章十八節)。
 見ゆる所のものは見ゆる所のものに由て造られしにあらず、見えざる所のものに由て造られたりとは我等が信仰に由て知る事である、我等は其事に関し証明を供することは出来ない、然し我等は本能的に其事を知る、我等(116)は人の個人性の見ゆる彼の肉体に於てにあらずして、見えざる彼の霊に於て在ることを知る、見ゆる万物は見えざる神に由て造られたりとは我等が学者の証明を待たずして信ずる所である、斯の如くにして信仰はイスラエルの民に限られたる能力《ちから》ではなくして人類通有の本能性である、希伯来書記者は茲に信仰の美を称《たゝ》へて特にイスラエル人の特性を称ふるのではない、人類通有の本能性たる信仰の美に就て語らんとして居るのである、彼は第一節に於て「信仰は見ざる所のものゝ証明なり」と言ふた、而して此事たる人類全体の認むる所であると彼は第三節に於て言ふて居るのである。
 人、或ひは言はん、昔の人は斯く信ぜしならんも今の人は然らず、今の人は物質の原因を物質以外に於て求めず、物質は物質存在の最も確実なる証明なりと、然れども大哲学者は今日と雖も爾うは信じないのである、カントを始めとしてスペンサーに至るまで物質の究局的原因は之を物質以上の力に於て求めざるを得なかつた、或ひは神と云ひ、或ひは第一原因と云ふも、其物質|而上《いじやう》的なる点に於ては違はない、或ひは原子《アトム》と云ひ、或ひは電子《エレクトロン》と云ふも、其見えざる点に於ては一つである、近世の最も進歩せる学説に依るも、千九百年前の昔、希伯来書の記者に由て提出されし「如此《かく》見ゆる所の物は見るべき(見るを得べき)物に由て造られしに非ず」との命題は動かすことは出来ないのである。
 記者は第一に信仰の何たる乎に就て言ふた、曰く、
  信仰は希望の基礎、見えざる所の物の証明
と、彼は第二に信仰のイスラエル国建国の精神なることを述べた、曰く、
  イスラエルの古老(列祖)は信仰に由て義者として証《あかし》せられたり
(117)と、彼は第三に信仰の人類の通有性なることを陳べた、曰く、
  我等(イスラエル人に限らず、希臘人も、埃及人も、人類全体は)信仰に由て宇宙万物の神の力に依て造られ云々
と、斯くて彼は信仰概論を述べ終つた、彼は今よりイスラエルの歴史に現はれたる信仰の実例、並に其語方面に就て語らんとして居るのである。
 イスラエル人の信仰史に於て多くの信仰的英雄が在つた、アベルがあつた、エノクがあつた、ノアがあつた、アブラハムがあつた、イサクがあつた、ヤコプがあつた、ヨセフがあつた、モーセがあつた、ヨシユアがあつた、ギデオンがあつた、サムソンがあつた、サムエルがあつた、ダビデがあつた、アモスがあつた、ホゼアがあつた、イザヤがあつた、ヱレミヤがあつた、エゼキエルがあつた、ダニエルがあつた、其他枚挙するに遑あらずである、実に信仰的英雄の星羅とも称すべきである、信仰を其すべての方面に於て代表し、イスラエルの歴史を飾る、人類の信仰歴史にしてイスラエルのそれの如くに豊富なるはない。
 イスラエルの信仰は最も均斉的にアブラハムに於て現れた、アブラハムは最も円満なる信仰家である、故に彼を称して「凡て信ずる者の父」といふ(羅馬書四章十一節)、彼は即ち模範的信者である、而して彼より前に三人の信仰的偉人があつた、アベル、エノク、ノア、是れである、彼等三人は信仰の三方面を代表し、各自其方面に於て優秀であつた、アベルは其愈れたる祭物を以て、エノクは其平静なる信仰的生涯を以て、ノアは其信仰的果断を以て能く信仰の三方面を代表した、而してアブラハムに至て是等三方面は彼れ一人に在て現はれたのである、(118)恰かも天然物の進化に於て、異なりたる能力は異なりたる生物に於て発達し、終に或る優れたる生物に於てすべての能力が同時に又は相次いで現はるゝが如くであつた、故にアブラハムの信仰に就て学ぶに方て我等はアベル、エノク、ノアと三人各自の信仰に就て学ぶの必要がある、キリストにバプテスマのヨハネがあつて彼の先駆となりしが如くに、アブラハムに三人の先駆があつて、彼のために信仰の途を備へたのである。
 若し年代より言へばアベルが第一にして、其次ぎがエノク、終りがノアである、乍然若し信仰の性質より言ふならばノアの信仰が最も単純であつて、エノクの信仰が之に次ぎ、アベルの信仰が最後、即ち最上に位ゐするのである、我等は又同じ事を天然界に於て見るのである、天然界に於ても最初に現はるゝものは最下等の物ではない、所謂|類型《タイプ》は比較的上等植物又は動物を以て現はれ、之に次いで劣等の物が現はれ、然る後に更らに進化の程度を進むるのである、斯くて信仰発達の順序も亦進化の常道に違《たが》はなかつた、聖書記者は今日の所謂進化論者にあらざりしも、彼等は忠実に事実其儘を録《しる》せしが故に其記事は自づから天然的であつた、聖書と科学との親密なる関係は此辺に於て求むべきであると思ふ。
 事実斯くの如くであれば我等はアブラハムの信仰に就て学ばんと欲するに方てノアを前きにしてエノクとアベルとを後にしなければならない、即ち第七節を前きにして四節以下六節までを後にしなければならない、其|理由《わけ》はアブラハムに在りては信仰は最初に其最も単純なる状態即ちノアを以て現はれし状態《かたち》に於て現はれたからである。
  七、信仰に由りてノアは未だ見ざる事の示《しめし》を蒙り、敬みて其家族を救はんために舟を設けたり、之に由りて世の人の罪を定め、又信仰に由れる義を受くべき嗣子《よつぎ》となれり。
(119) 「未だ見ざる事」 見えざる事である、未来に臨《きた》るべき神の裁判である、ノアの場合に於ては洪水である。
 「示を蒙り」 黙示に与かりたる事である、神言《しんげん》彼に臨みたりと云ふ事である、ノアに信仰ありたれば黙示は彼に臨んだのである、或ひは又彼に若し信仰なかりせば、彼は彼に臨みし黙示を解し得なかつたであらふ、信仰は神より黙示を招く者であつて、同時に又黙示を解する者である。
 「敬みて」 敬喪の念に動かされてとの意である、彼に信仰ありしが故に此念が起つたのである、彼の周囲の人等は彼に黙示の臨みしを聞いて嘲笑を以て彼を待《あしら》つた(彼得前書三章二十節を見よ)。
 「其家族を救はんために」 愛情に絆されて己が家族をのみ救はんとしたのではない、神の聖意に從ひ聖裔を後世に遺さんためである、彼の家族に由て、滅されし世界の中に聖き新しき社会を造らんがためである、普通の場合に於て家族を愛するの心は単に自己を愛するの心である、先づ自己と己が家族とを救はんとするは至情とはいふものゝ低き自我の心である、家族は之を神のために、又人類のために救ふべきである。
 「舟を設けたり」 方舟を準備せりとの意である、不信の人々が彼を嘲けり謗りつゝありし間に、救済の機関を備へたりとのことである、ノアは其間に甚く彼の信仰を試みられたのである。(馬太伝廿四章三十八節を見よ)。
 「之に由りて世の人の罪を定め云々」 洪水の来りしまでは世の人々は智者であつてノア惟《ひと》り狂人であつた、かの厖大なる方舟是れ何の為めなる乎と彼等は嘲けりて言ふた、然れども洪水に由てノアは義者として証せられ、世の入は其罪を確定せられたのである、洪水に由りてノアの信仰は事実となりて現はれたのである、ノアの場合に於ても亦、
  信仰は希望の基礎、未見物の証明
(120)であつた、洪水の来りしまでノアは惟だ信仰を以て彼の希望を支え、信仰を以て未来に備えた、国人拳て平安を楽しみ、安逸に耽りつゝありし間に彼れ一人(勿論彼の家族と共に)信仰を以て将さに来らんとせし大異変に備へた。
 「信仰に由れる義を受くべき云々」 ノアは素より義人であつた(創世記六章九節を見よ)、彼は正義の宣伝者であつた(彼得後書二章五節)、然るに大洪水に際し彼が断行せし信仰的行為に由て彼は更らに「信仰に由れる義」を受くる者となつたとの事である。
 「信仰に由れる義」 信仰に合《かな》ふ義、信仰の結果として生ずる義、信仰実行の結果として自身に感ずる正義の自覚である、パウロの所謂「信仰の義」とは少しく趣きを異にする、前者は義の自覚であるに対して後者は義の賚賜《たまもの》である、二者勿論同じく神より賜はる者たるに相違なしと雖も、之を己が贏ち得し獲物として感ずるのと、神より賜はりし賚賜として感ずるのと其間に明白なる差違がある、「信仰に由れる義」は信仰的生涯の初期に於て感ずる所であつて、「信仰の義」は其更らに歩を進めたる後に実験する所である。
 「受くべき嗣子となり」 冗語なり、単に「受くる者となれり」と訳すべし、信仰を実行して其結果たる正義を感得する者となれりとの意である。
 
 ノアは確かに信仰的偉人である、乍然、彼の信仰は洪水の減退と同時に衰へた、洪水以後のノアの生涯は実に憐むべき者であつた、事は創世記九章二十節以下に於て審かである。
 ノアの信仰は一時的であつた、彼はバラク、ギデオン、サムソン等に似て或る特別の場合に臨んでのみ偉大であつた、恰かも勇士が強敵に遭ふて其勇気のすべてを注出するが如くである、彼の一生の功績は洪水来襲の時に(121)際して成つたのである、洪水以前のノアの信仰に見るに足るべきものなし、以後の彼は堕落の彼れである、然れども洪水当時の彼の功績は永遠に蔽ふべからずである、当時に於ける彼の勇敢的行為に由りて彼の名は永久に朽ちざる者となつた。
 世の嘲笑の面前《おもて》に立て独り神の正義を採りて立ちしこと、人の誹謗に遭ふて彼の信仰を曲げざりしこと、世は一斉に神に逆ひて立しに、彼れ惟り神と偕に立ちし事、……人類の信仰史上に於けるノアの行績は偉大である、勇敢である、人は何人も其一生の間に一度はノアに傚ひ独り正義を採りて起ち、輿論に抗し、全国を相手に信仰の善き戦を闘ふべきである。
 而してアブラハムにも亦此信仰があつたのである、「すべて信ずる者の父」なる彼は彼の信仰の生涯を始むるに方て、ノアの信仰を以て始めたのである、勇行、果断、情実の排斥、此世との絶縁、神を友として有たんがためにすべての人を敵として有つの覚悟、神の命に従ひ、隣人の誹謗を冒し、断然旧故を去て砂漠の彼方に新ホームを求めし事、……アブラハムは信仰の生涯の首途に於てノアに傚つて旧きを去て新らしきに就いたのである。
  八、信仰に由りてアブラハムはその承継ぐべき地に往けとの命を蒙り之に遵ひ、その往く所を知らずして出たり。
 事は創世記第十二章に於て審かである、アブラハムは齢七十五歳にして其妻サライ、其甥ロトを携へ、ハランの地を去てカナンの地に向へりとある、彼は此時行先を示されざるに神の命を信じて一家を挙りて故郷を去て異郷に向て旅立たのである、是は確かに信仰である、唯「往け」との命であつた、此腐敗の地を去れとの言《こと》であつた、去て何処へ往かんか、其事は示されなかつた、ヱホバの言に之を証明するの憑拠はなかつた、然かもアブラ(122)ハムは疑はずして之を信じたのである、信ずるの理由なきに信じたるが故に迷信であるといふならば其れまでゞある、乍然、信仰と迷信とは外部より之を区別することは出来ない、信仰は人に循《よつ》ては迷信の如くに見える、信仰は確かに一種の冒険である、之に従つて或ひは失敗に終る乎も知れない、乍然、信ずる者は信仰の迷信でない事を知る、信仰は心に響く神の声に対する信者の応諾である、彼は形体《かたち》を見ない、又証明を有たない、乍然、彼は確かに信ずるのである、然り、信ぜしめらるゝのである、彼に取りては信仰其物が見ざる所の物の証拠となるのである、彼は言ふのである、我に信仰起れり、故に之に応ずるの実物なかるべからずと、実物を以て信仰を証明するのではない、信仰を以て実物を証明するのである、是が信仰の力である、此力なくして信仰は之を信仰と称するに足りない、実に、
  信仰は未だ見ざる所の物の証拠
である、而して斯かるものであるが故に信仰の在る所には必ず希望があるのである、希望は信仰に応ずる事物の実現を待つことである、故に謂ふ希望は信仰の姉妹なりと、又言ふ、
  信仰は望む所を疑はず
と、語を替へて言へば
  信仰は希望の基礎なり
と、アブラハムは彼の属せし旧き腐敗せる社会を脱出せよとのヱホバの命を蒙りて、茲に大なる希望を懐いて、行先の目的《めあて》なきに断然意を決してハランの土地を去つたのである、彼の旧故は彼に向つて言ふたであらふ、
  汝去つて安くに往かんとする耶、達すべき目的なきに故郷を去るは冒険の極にあらずや、先づ行先を究めて(123)然る後に出でよ、汝の称するヱホバの命なるものは汝自身の妄想にあらざるなき乎
と、アブラハムは之に答へて言ふたであらふ、
  我は信ずヱホバの言の確かに我心に臨みしことを、我は汝等に供するに証拠を以てする能はず、然れども我に取りては信仰其物が最も確かなる証拠なり、我は汝等の嘲笑を厭はず、我はもはや汝等の不信腐敗の社会に耐ゆる能はず、我は今より新たなる郷土を求め、其処に新たなる心を以て我がヱホバの神に事へんと欲す
と、アブラハムの場合に在てはノアの場合に於けるが如く信仰は果断であつた、勇敢的行為であつた、而して、今日と雖も信仰に此行為がなくてはならない、信仰は信頼であると謂いて唯頼るを知て断じて行ふを知らざる者は未だ信仰の何たる乎を知らない者である、アブラハムに強き信頼の心があつた、然れども彼は生涯の首途に於て信仰を其最も単純なる意味に於て実行した、信仰にも亦其初歩と奥義とがある、而して多くの信者は信仰の初歩を学ばずして直に其奥義に達せんとする、アブラハムの信仰の完全なりしは彼が信仰の初歩に於て錯らなかつたからである、勇行、果断、確信の実行、宗教は道徳に非ずと称して普通道徳をさへ実行する能はざる者は到底《とて》も宗教を解することは出来ない。 〔以上、10・10〕
 
     (中)
 
 信仰の一面は勇行である、果断である、人の情実を排して神の命令に遵ふことである、ノアの信仰は是れであつた、而してアブラハムも亦ノアに傚ひ、信仰を此方面に於て発揮した、彼も亦パウロと均しく神の聖召《めし》を蒙りて血肉と謀ることを為さなかつた、彼は神と偕に在らんがために、始めに其父テラと共にカルデヤのウルを出で、(124)後に又父と離れてハランの地を去つた、信仰の発端は脱出である、先づ此世と絶つにあらざれば信仰は始まらない。
 アブラハムは故郷を去り、旧故を離れて信仰の生涯に入つた、而して信仰の前途は人生のそれと均しく遼遠である、信仰の目的は自己に死して神に活くるにある、故に之を成就するに長時間を要する、決意、断行、以て信仰の生涯に入る事は出来るが、然し入て之を完成するまでに長き鍛錬と撓まざる忍耐とを要する、茲に於てか信仰は其第二期に入るのである、即ちエノクの信仰を以て代表されたる神と偕に歩むの時期に入るのである。
  エノク三百年神と偕に歩み男子女子を生めり……エノク神と偕に歩みしが、神、彼を取り給ひければ彼れ居らずなりき
とある(創世記五章廿二、廿四節)、「歩む」とは「静かに歩む」の意である、飛ぶにあらず、走るに非ず、歩むのである、雄飛と云ふが如き、疾走と云ふが如き、絶叫と云ふが如き事を為さずして忍耐を以て神に依頼《よりたの》み、其命に遵つて静かに日々の生涯を送る事である、敢て大事業を成さんとせず、大伝道を試みんとせず、大奇蹟を行はんとせず、唯神の命維れ重んじ、彼の言維れ従ひ、神を信ずる是れ事業なりと信じて、無為に類する生涯を送る事である、信仰の生涯の大部分は忍耐である、静粛である、待望である、故に花々しき飛躍を愛する此世と此世の教会とには誉められざる生涯である、而かも是れ神と偕に歩むの生涯である、此世と教会とには誉められざるも神に誉めらるゝの生涯である、神の深きが如く深き生涯である、彼の静かなるが如き静かなる生涯である、神に在りて自己に足るの生涯である、何等の事業を挙ぐる事なきも敢て不満を感ぜざるの生涯である、又神より何物をも受くることなきも、彼れ御自身を賜はりしが故に、其余を要求せざる生涯である。
(125) 而してエノタは斯かる生涯を送りしが故に「神彼を取り給ひければ彼れ居らずなりき」とある、希伯来書記者の言に依れば、
  信仰に由りてエノクは死ざるやうに(死ざらんがために)移されたり、神、之を移しゝに由り、人、見出すことを得ざりき、彼れ未だ移されざる前に神に悦ばるゝ者と証せられし也
とある(五節)、「取り給ひければ」とは勿論「死ければ」といふことである、信者の死は神に抱き去らるゝことである、「居らずなりき」とは「見えずなりき」といふことであつて、「人、見出すことを得ざりき」といふと同じである、即ち「人は何人も彼の死を知らざりき」と云ふことである、エノクの生涯の平静にして無礙《むげ》なりしや、彼に死の苦痛のなかりしは勿論のこと、彼は恰かも地より天に移されしが如くに安らけく此世を去つた、死の河を徒渉ることなくして翼を張りて其上を飛越へた、信仰に由りてエノクは吾人の所謂死なるものを免がれた、死は彼に取りては移さるゝことであつた、人に知られずして生きし彼は人に知られずして死に就いた、彼れ死して後に彼の隣人は彼を尋ねしに彼は既に居らなかつた、彼等は彼を見出す事を得なかつた、彼の生涯が余りに静粛であつて、彼の死が余りに無痛であつたが故に。
 エノクは此世と教会とに誉められなかつた、若し人の価値が世の批評に由て定まるものであるならば、エノクは無為無能、何の価値なき者であつた、彼は彼の死をさへ人に知られずして忘却の墓に葬られたのである、乍然、神は彼の価値を認め給ふた、
  彼れ未だ移されざりし前に神に悦ばるゝ者と証せられし也
とある、エノクは無為に類する孤独平静の生涯を送りつゝありし間に、人は無能を以て彼を称びしも彼は心に神(126)に悦ばるゝ者として証しせられたのである、エノクの生涯は真に人を離れての生涯であつた、人と交はるの必要なく、人に誉めらるゝの必要なく、人と接触して其感化を蒙るの必要なき自給自足の生涯であつた、然かも信仰の生涯は実に斯かる生涯であるのである 神と偕に歩むが故に人と歩調を共するの必要なき生涯である、エノクは太古時代に於ける模範的信者であつた、彼にして若し今在らん乎、彼は社会より教会より「非社交的」の謗を蒙りて止まないであらふ、然かも彼は断然彼の択みし途を取て動かないであらふ、而して彼は神に悦ばれて悦んで忘却の墓に降るであらふ、尊むべきかなエノク、慕ふべきかな彼れ! 余輩は今日も猶ほエノクの裔の多くあらんことを欲ふ、而して又此世と教会との知らざる所に神が多くのエノクを隠し給ふことを信ず。
 而して「凡て信ずる者の父」なるアブラハムにも亦エノクの此信仰があつた、彼に勇行果断、神のためには血肉と絶つの信仰があつたばかりではない、亦、神の約束の実行を待望み、聴かれざるも動かず与へられざるも変らず、見えざる神を見るが如くに永く耐忍ぶの信仰があつた、アブラハムに戦闘的の信仰がありしと共に又平和的の信仰があつた、即ち、ノアの信仰に加ふるにエノクの信仰があつた。
  九、信仰に由りて彼は異邦に在るが如く約束の地に寓り、同じ約束を相嗣げるイサク、ヤコブと共に幕屋に居れり。
 アブラハムは齢七十五歳にしてカナンの地に来つた、ヱホバは茲処に彼に顕現れて「我れ汝の苗裔《すゑ》に此地を与へん」と誓ひ給ふた、全能者の此誓約ありてカナンの地は既にアブラハム家の所属である、然るに事実は如何《どう》でありし乎と云ふに、カナンは依然としてカナン人の所属であつた、アブラハムは約束の地に来りしも、神は其約束を実行し給はずして、アブラハムと其家族とは異邦に在るが如くに約束の地に寄寓したのである、而して彼れ(127)一人に止まらない、彼の後を嗣ぎしイサクとヤコプも亦神の約束の実行を見ずして其長き生涯を天幕の中に過し、浮萍の如き流浪的生活を続けた、然し乍ら、彼等はそれが為にヱホバと其約束を疑はなかつた、アブラハムは七十五歳にして約束の地に来り百七十五歳にして其地に死し、マクペラの洞穴《ほらあな》に葬られた(創世記二十五章七−九節)、斯くて彼は百年の間、約束の地に在りながら寄寓者の生涯を続けた、彼は銀四百シケルを投じてマクペラに在るエフロンの野と其中に在る洞穴を購ひ、之を己が所有の墓地と定めた、其ほか、広きカナンの中に彼の所有と称すべき土地は一寸もなかつた、百年の生涯を約束の地に過して、彼が獲し所は一箇の墓地に過ぎなかつた(創世記二十三章)。
 然し乍ら、アブラハムはヱホバと其約束を疑はなかつた、彼は「約束の者を受けざりしが、遙かに之を望みて喜び地に在ては賓旅《たびびと》なり寄寓者《やどれるもの》なりと言」ひて敢て神に迫るに其約束の実行を以てしなかつた、彼は百年の間、待望忍耐の生涯を続けた、而して約束の者を受けずして死んだ、信仰を以て始まりし彼の生涯は終まで信仰の継続であつた、彼は唯信じたのである、唯望んだのである、而して唯信じ唯望んで、約束の者を得ずして死んだのである。
  十、そは神の造営《つくりいとなめ》る所の基ある京城を望みたればなり。
 アブラハムは百年の間、約束の地に在りながら一定の住所を得ずして、転変常なき天幕的生涯を続けた、然し彼の忍耐は無益でなかつた、神は報賞《むくひ》を施さずして其子を試み給はない、アブラハムと其子孫とは地上に神の約束の実行を見る能はずして眼を天上に転ずるに至つた、地上に天幕的生涯を続けし彼等は天上に基ある京城を望むに至つた、人の張りし所の天幕ではない、神が経営し建造し給へる京城である、栓もて随所に張らるゝ天幕で(128)はない、堅き基礎《いしづえ》の上に築かれたる城である、神はアブラハムに地上の約束を実行し給はずして、天上に更らに優れたる者を約束し給ふた、信仰の報賞は希望である、
  忍耐は練達を生じ、練達は希望を生じ、希望は羞を来らせず
とパウロは曰ふた(羅馬書五章四、五節)、アブラハムは百年の長きに渉る神の試練に耐えて希望を与へられた、地の物に関する彼の失望は天の物に関する希望を生じた、神が其約束の実行を遅滞し給ひしに深き理由があつた、彼は之に由てアブラハムの心に天の希望を起さんとし給ふたのである、而して彼れアブラハムは能く神の此目的に合ひ、忍耐其効を奏して希望を生ずるに至つた、彼は天上に神の造営める基ある京城を望むに至て、地上に約束の地を要めざるに至つた、カナン何物ぞ、ベテル何物ぞ、消えざる壊《くち》ざる京城の天上に我がために供へらるゝを知りて、我はカナンの所有者なるヘテ人ヱブス人等を少しも羨まざるに至る、アブラハムと其子孫とは神の造営める所の基ある天の京城を望みしが故に約束の地に在りながら天幕に住ひしも敢て不幸と思はなかつたのである。
  十一、十二、信仰に由りてサラさへも孕《たね》を寓さるゝの能を得、年|邁《すゝ》みしかども子を生めり 是れ約束せし者は誠信《まこと》なりとしたれば也、是故に死たる者の如き一人より天の星の多きと海辺の砂の数へ難きが如く多く生れ出たり。
 「サラさへも」 信仰弱きサラさへも。汝男子を生むべしとの天使の宣告《つげ》を蒙りし時に天幕の入口に在て哂《わら》ひしサラさへも(創世記十八章十二節)。茲に「信仰に由りて」とあるは、アブラハムの信仰に由りてとの事であらう、夫の信仰妻に及べりとの事であらう。
(129) 信仰は天上の希望を供し、地上の幸福を来たす 信仰は霊眼の視力を増し、肉体の能力を進む、趨《はし》れども疲れず、老ゆれども衰へざるの能力は信仰の結果として信者に加へられる。
  十三、是等は皆な信仰を懐きて死ねり、未だ約束の物を受けざりしが遙かに之を望みて喜び、地に在りては自ら旅人なり寄寓者なりと表白せり。
 「是等は」 イスラエルの列祖、即ちアブラハム、イサク、ヤコブ等は。
 「信仰を懐きて死ねり」 信仰の中に死ねりと訳すべし、信仰の実現を見ずして死ねり、約束の物を受けずして死ねりと言ふと同じである。
 「遙かに之を望みて喜び」 信仰の目的物に到達せずして遠方より之を望み、既に之を獲たるが如くに感じて喜びたりとの意である、目的物に勿論二つあつた、一は天上の京城である、二は地上のカナンである、彼等は二者孰れをも獲得せずして死んだ、然れ共遙かに之を望み見て既に獲たりと信じて死んだ、信仰は真に希望の基礎である、信仰に由りて希望は現実と化し、未だ得ざる者も既に得し者として感ぜられるのである
 「地に在ては旅人なり云々」 信者は読で字の如く信ずる者である、未だ見ざる者を見、未だ得ざる者を得たりと信ずる者である、故に信者は世人の立場より見て迷想家である、神秘家《ミスチツク》である、空を掴む者である、然ども信者にして若し信ぜざれば彼は信者でない、此世の勢力を握りたりとて喜ぶ教会は信者と称するに足りない、既に得し者を得たりと信ずるの必要は無い、
  既に見る所の者を何《いか》で尚ほ之を望まんや
である(羅馬書八章廿四節)、アブラハム、イサク、ヤコブ等の古老は約束の物を受けずして信仰の中に死んだ、(130)故に彼等は約束の地に住ひしと雖も旅人であり、寄寓者であつた、ダンよりベエルシバまで、ギレアデの丘より地中海の浜まで土地は彼等に約束せられしと雖も彼等の所有に属する土地とてはアブラハムがヘテ人エフロンより買ひしマクペラの墓地を除いて他に一寸もなかつた、彼等は常に信じつゝ、常に望みつゝ生涯を終つた、寔に若し信仰が実物でないならば世に信者ほど憐むべきものはない。
  十四、此く言ふは家郷《ふるさと》を尋ぬる事を表はす也。
 地に在りては寸地を有せず、天を望んで未だ之を得ず、終生漂流の生涯を継くる者はホーム(家郷)を望んで止まない、
  ホーム、ホーム、慕はしき、慕はしきホーム
と彼は常に歌ふのである、旅人は目的なくして旅行するのではない、寄寓者は定まれる住所を尋ねて止まない、アブラハムと其子孫とは或る所に達せんとして地上に漂流《さまよ》ふたのである、彼等はホーム(家郷)を尋ねたのである、而して之を看出したのである、然し之に達したのではない、遙かに之を望んで喜んだのである。
   王キリストの美はしき宝座《みざ》、
   天使の歌ふ美はしき歌、
   漂流止んで美はしき休、
   平和の充つる美はしき家、
   我眼は其処にイエスを見ん、
   我は教主《きうしゆ》の家に急がん、
(131)   ジオンよ、美はしきジオンよ、
   神の城なる美はしきジオンよ。
              『愛吟』より
我は旅人なりと言ふは我は此地の者にあらずとの謂なり、我は寄寓者なりと言ふは我が家郷は他に在りとの意なり、約束の地に在りながら旅人なり、寄寓者なりと言ひて彼等は天の家郷を求めつゝありしことを表明したのである。
  十五、十六、彼等若しその出し地を懐いしならば帰るべき櫻会《をり》ありしならん、然れども彼等更らに愈《まさ》れる所、即ち天に在る所を慕へり、是故に神は其神と称ふることを耻とせざりき、そは彼等のために京城を備へ給ひたれば也。
 彼等はホーム(家郷)を尋ねた、然れどもその出し地なる偶像崇拝のカルデヤのウルを慕ふたのではない、若し彼等にして地上の故郷に帰らんと欲したならば、帰るの機会は度々あつたのである、然れども彼等は信仰に由つて生くる義人である、故に退いて神に悦ばれざる者ではない(十章三十八節)、彼等は故郷を尋ねた、然し之を天に求めて地に求めなかつた、天のホームは此世の故郷に較べて更らに愈れる所である、勿論之に達するは肉の故郷に帰るが如く容易ではない、然し乍ら、一たび意を決して去りにしカルデヤ、血肉の関係情実の故郷、我等は死すとも之に帰るべきではない、我等は多くの艱難を歴て我等の神の国に至る可きである。
 斯かる決心を有せしが故に、地上の故郷に帰らんとせずして、天に在る所を慕ひしが故に、神は彼等の神と称へられる事を耻とし給はざりしとの事である、人、人たらば神、神たらざらんやである、人、神を慕へば神も亦(132)人を重んじ給ふ、神は自からアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と称して耻とし給はなかつた、神が人に在りて最も喜び給ふことは信仰である、神は人の信仰に対して其愛を現はし給ふ、寔に信仰なくして神を悦ばすこと能はずである、アブラハム神を信じたれば神は自からアブラハムの神と称し給ひ、彼と栄辱を共にし給ふた、驚くべきかな彼の愛と其謙遜!
 「そは彼等のために京城を備へ給ひたれば也」 アブラハム神を信じたれば神は彼の信仰に報ゆるに彼(神)の愛を以てし給ふた、彼は後にモーセに顕はれて言ひ給ふた、
  我は汝の父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神なり
と(出埃及記三章六節)、斯く称《とな》へらるゝ事を許し給ひしは彼が彼等と特別の関係に入り給ひしことを表はすのである、アブラハムの神といふは、アブラハムの保護者、其愛育者といふと同じである、一言以て之を言へばアブラハムの父といふと同じである、アブラハムは信仰に由りてヱホバに対して子たるの態度に出でたれば、ヱホバは彼に対して父たるの態度に出たまふたとの事である、
  我れ彼のために父とならん、彼は我がために子とならん
とあるは此事である(一章五節)、而して神は自から人の神と称し給ひて、父たるの事実的証明を供せずしては止み給はない、単《たゞ》に名に於て父となり給ふたのではない、実に於て父となり給ふたのである、
  そは彼等のために京城を備へ給ひたれば也
と言ふ、神がアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と自から称して耻とし給はざりし其事実的証明は茲に在つたのである、彼等のために京城を備へ給ひて彼が彼等の神即ち父なることを証明し給ふた、彼はカナンの地を(133)約束して彼等の在世中に之を充たし給はざりしと雖も更らに愈りたる天に在る所の京城を彼等のために備へ給ひて彼等に約束以上の物を与へ給ふたのである、斯くて彼は父たるの実を挙げ給ふたのである、彼等の信仰に報ゆる此|恩賜《たまもの》を以てして彼は彼等の父と称して耻かしく思ひ給はなかつたのである、実に神も亦耻を知り給ふ、彼は人の信仰に報ゆるに相当の恩賜を以てし給ふにあらざれば耻かしく思ひ給ふとのことである、如何ばかりの愛ぞ、如何ばかりの誠実ぞ、如何ばかりの謙遜ぞ。
 「京城」 移し易き天幕ではない、基礎の上に立つ城である、曠野に孤独を守るのではない、都市《みやこ》に多くの聖徒と共に彼を讃美し奉るのである 京城は神の国である、天のヱルサレムである、完全なる社会である、神を首長《かしら》に戴いて聖徒が組織する大家庭である、京城は村落に対する都会ではない、polisである、組織の立ちたる社会である、之を「京城」と訳して其意味を誤り易い、其何なる乎は之を黙示録第二十一章以下に於て見るべきである。
       *     *     *     *
 言ふまでもなく信仰の生涯は隠れたる生涯である、新聞記者と歴史家との眼には留まらざる生涯である、外面には無事平穏の生涯である、然し神の注意を惹き、彼に悦ばるゝの生涯である 外面の無事平穏なるに対して内部は多事動揺の生涯である、神を信じ、彼の黙示に接し、彼の約束に与り、然かも其約束の速かに実行せられざるより或時は彼を疑ひ、時に或ひは全く彼と離絶せんとする、茲に忍耐の必要が起り、信じ難きを信じ、望み難きを望む、時には聴かれざる祈祷に信仰の根柢を挫かれ、時には懐疑の雲に希望の空を蔽はる、独り泣き、独り叫び、独り祈る、世は我が内心に大戦争の闘はれつゝあるを知らずして、我が憂愁を怪しみ我が煩悶を訝かる、(134)斯くして我は数年又は十数年、又は数十年を経過せざるを得ず、世は進みつゝあるに我は独り元の所に止まる乎の如くに感ず、世人は多くの物を獲しに我は何物をも獲ざりしが如くに感ず、我は或時は神を恨み、彼に捉はれし我身の不幸を歎ず、然れども見よ、時到れば天開け、我眼は其処に我が家郷《ふるさと》を見るに至る、神は我父となりて我は彼の子と称せらる、人生の最大幸福は我が信仰の報賞として我に与へらる、永年に渉りし無為に似たる我が生涯の決して無為ならざりし事が判明る、世は外に拡張しつゝありし間に我は内に穿ちつゝあつたのである、我は終に生命の水に掘当た、流れて永生に至るの泉は我が衷より噴出するに至つたのである。
 エノクの生涯、アブラハムの生涯の大部分は此種の生涯であつた、深き静かなる、社交的に無為無能なる、対神的に多事有効なる、外に遅滞して内に向上する、基督信者の生涯であつた、此世と此世の教会とが斯かる生涯を重んぜざるは彼等がアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神の如何なる神なる乎を知らないからである。 〔以上、11・10〕
 
     (下) イサクの献上
 
 信仰に勇行果断、世と絶ち、罪悪と断ち、神と正義とに与するのがある、ノアの信仰は此信仰であつた、而してアブラハムにも亦此信仰があつた。
 信仰に永き待望に耐え、無為に類する生涯を送りながら、敢へて急がず、約束の執行を以て神に迫らず、静かに彼と偕に歩みて天の黙示に与かるのがある、エノクの信仰は此信仰であつた、而してアブラハムにも亦此信仰があつた。(135) 然し乍ら、信仰は果断静粛に止まらない、更らに進んで最善を神に献げんとする、信仰の終極は犠牲である、アベルの信仰は此信仰であつた、而してすべて信ずる者の父なるアブラハムは此信仰に於て完全に近き模範を後世に貽した。
  信仰に由りてアベルはカインよりも愈れる祭物を神に献げたれば義者たるの証を受けたり、そは神その祭物に就て証し給へば也、之に由りて彼れ死ぬれども今猶ほ言《ものい》へり(四節)。
 事は創世記第四章に於て詳かである、アベルは能く犠牲の意義を解し、神の義しき要求に応じ、義しき心を以て之を献げた、祭物を献ぐるの点に於ては兄のカインと少しも異なる所あらざりしも、其動機に至ては二者の間に天地の差があつた、カインは神の忿恚《いかり》を除けんがために、恐怖の心より献げしに対して、アベルは神の義を認め、従順の心より此事を為した、故に「神その祭物に就て証《あかし》し給へり」とある、之を嘉納し給へりとの事である、而して心に神を憎みしカインは神に義とせられしアベルをも憎み、終に彼を殺したれば、彼れアベルは死して今も猶ほ神の義と犠牲の義務とを唱へて止まずとの事である。
 然し乍ら、アブラハムに至て犠牲はアベルのそれよりも遙かに高き且つ遙かに優れたる形態を以て現はれた、アブラハムはアベルに傚ひ其信仰を犠牲を以て現はしたりと雖も、而かも其犠牲たるやアベルのそれよりも遙かに貴きものであつた、信仰をすべての方面に於て著しく発揮したるアブラハムは犠牲の信仰に於て彼の信仰の頂上に達した。
  十七、信仰に由りてアブラハムは試みられし時イサクを献げたり。
 「信仰に由りて」然り、信仰に由らずして彼は此事を為し得なかつた、信仰に由りたればこそ彼は此事を為(136)し得たのである、若し人の思考《かんがへ》を以てしたならば、若し常識に由りて利害得失を考へたならば、然り、若し単に倫理思想に支配せられて、彼の良心の声に耳を傾けたならば、縦令アブラハムと雖も此事は之を為し得なかつたに相違ない、信仰に由りて、然り、信仰に由りて彼は人として為すに最も難き此事を為したのである。
 「試みられし時」 彼の信仰を試みられし時、其果して真の信仰なるや否や、彼は果して己が子よりも主なる神を愛するや否やを試みられし時、彼れアブラハムは此信仰の試験に落第せずして及第したのである、神は実《まこと》に人の信仰を試み給ふ、是れ彼が人の心を識り給はないからではない、人の信仰を強めんが為めである、彼に信仰の試練を供して、彼を更らに高き信仰に導かんが為めである、信仰の試練である、試誘ではない、悪魔は信者を誘ふに反して神は彼を練り給ふ、神は終りまで其愛子を試み給ひて彼をして自己《おのれ》に近づかしめ給ふ。
 「イサクを献げたり」 彼の一子イサクを献げたり、献げ切りに為せり、prosenenochen,hath offered up、過去完了動詞である、献げ了れりとの意である、惜まずして献げ、後に再び我有として認めざりしとの意である、アブラハムは神に彼の一子を要求されて、断然意を決して(如何に辛らかりしよ!!)献げ切りに彼を献げたりとの意である、アブラハムのイサクの献上は半信半疑の間に行はれし行為ではなかつた、彼は其時其処に彼を献げて了つたのである。
  十七っゞき、彼は喜んで約束を受けし者なるが、其一子を献げたり。
 此犠牲を献げし者は誰ぞ、アブラハムである、彼は百年祈りて約束の者を得し其者を献げたのである、即ち其一子を献げたのである、世に子に優さりて貴き物はない、然かも祈祷に由り老年に至りて得し子である、然かも一子である、貴きが上にも貴き者である、金よりも、銀よりも、宝玉よりも、全世界よりも、然り、我れ自身よ(137)りも、貴き者である、然かもアブラハムは神に要求されて是れをしも惜まずして献げたのである、如何なる犠牲ぞ、如何なる献身ぞ、如何なる信仰ぞ、人間が献げ得る犠牲にして是れ以上の者はない、然かもアブラハムは信仰に由りて試みられし時之をしも献げたのである、偉大なるかな、信祖アブラハムの信仰!!
  十八、此子に就ては曾て言はれたりき「爾の裔はイサクに由りて称《とな》へらるべし」と。
 事は創世記十七章十九節、同二十一章十二節の記事に循《よ》る、アブラハムは其一子イサクを献げたりと云ふ、然し彼に猶ほ他に数人の子があつた、ハガルの生みしイシマエルがあつた(同十六章十五節)、ケトラの生みし五人の子があつた(同二十五章一節)、然し乍ら、イサク一人が約束の子であつた、彼に由てアブラハムの裔は称へらるべしとの事であつた、即ち選民はアブラハムの裔又イサクの裔と称へらるべしとの事であつた、空天《そら》の星の如くに、浜の砂《まさご》の如くに、繁殖すべきアブラハムの子孫はイサクに由らずしては生れざるべしとの事であつた、此約束の籠りし此子であつた、而して此子を献げよとの命令が下つたのである、約束重き乎、命令重き乎、約束と命令と其軽重如何、約束は廃《すた》るべからず、命令は拒むべからず、憐むべしアブラハムは茲に神より大なる謎を持掛けられたのである、彼は如何にして此謎を解くべき乎、彼は此時、心に思ふたであらふ、信仰の生涯は難いかな、信仰の生涯に入らずして、斯かる問題に遭遇することなし、世の人は斯かる問題のあることをすら知らない、神は無益に人を苦しむるに非ずや、神は信者が信仰問題に悶へ苦しむを見て喜び給ふにあらずや、アブラハムは此時ヨブと共に叫んで曰ふたであらふ
  我れ生命を厭ふ、我は永く生ることを願はず、我を捨置き給へ、我日は気息《いき》の如くなり、汝、人を如何なる者と見て朝ごとに彼を監視し、時わかず之を試み給ふや
(138)と(約百記七章十六節以下)、紙に心を留めらるゝ者は幸福であつて又不幸である、彼に世人《ひと》の知らざる歓喜《よろこび》がある、同時に又世人の知らざる悲歎がある、信者が解釈に悩む問題は世人の想像以外である。  十九、彼れ以為らく神は死より之を復活《いきかへ》し得べしと。
 謎は解するに難くあつた、然し神は目的なくして此難題をアブラハムに持掛け給ふたのでない 謎は其中に大なる真理を蔵《かく》して居つた、此の謎を通うしてアブラハムは大なる黙示に接すべくあつた、彼は復活の真理を教へられつゝあつたのである、曩には約束の地を待望んで得ず、終生流浪の生涯を続けて天に京城の備へあるを知りしが如くに、今は又茲に約束の子を献げよとの解し難き命に接して、復活の真理を示されたのである、「彼れ以為く」と、彼は問題に責められて止むなく此結論に達したのである、神の黙示は外より来らずして衷より生ず、神は其真理を人の思想として伝へ給ふ、アブラハムは苦闘煩悶の極、終に此結論に達したのである。
  彼は以為らく神は死より之を復活し得べしと。
 斯く解釈せずして此謎は解けなかつたのである、此解釈に由て約束と命令とは一致したのである、イサクに由りて選民は起るべし、是れ約束である、犠牲としてイサクを献げよ、是れ命令である、而して約束も命令も同一の神より出たる者であれば、其問に調和一致がなくてはならない、而して復活の信仰に於てのみ此調和を見ることが出来るのである、貴い哉此発見、信仰は斯くの如くにして獲らるゝ者である、書斎に籠り書籍の裡に埋まりて獲らるゝ者ではない、教師の説教を聞いて獲らるゝ者ではない、人生の実際問題に遭遇して、血と涙とを以て其解釈を求めて終に獲らるゝ者である、「復活の信仰」、アブラハムは其一子イサクを献げて此信仰を獲た、神学者に就てゞはない、哲学書を繙《ひもどい》てゞはない、其一子を献ぐるの辛らき実験に由て人生最大の奥義なる復活の信仰(139)に達したのである、貴い哉患難、貴い哉試練、貴い哉試練を経て我に臨む大なる光明、寔に使徒ヤコブの言へるが如し、
  我が兄弟よ、若し汝等|各様《さま/”\》の試練《こゝろみ》に遇はゞ之を喜ぶべき事とすべし
と(雅各書一章二節)、又使徒ペテロの言へるが如し、
  汝等の信仰を試みらるゝ事は壊《くつ》る金の火に試みらるゝよりも宝《たふと》し
と(彼得前書一章七節)、アブラハムは身を焼かるゝよりも辛らき信仰の試練に由りて金よりも宝き復活の信仰を確得したのである。
  十九続、即ち死より彼を受けしが如くなりき。
 是れ日本訳聖書の訳詞である、然し原語の意義を通ずるに甚だ不完全である、希臘語の en parabole(英語の in a parable《バラブル》)は単《たゞ》に日本語の「如くなり」を以て通ずることは出来ない、バラブルは福音書に在りては比喩と訳せられし詞である、パラブルは比喩でもあり、亦模型でもあり、亦比擬でもある、同じ希伯来書の九章九節に
  此幕屋は当時《そのとき》のために設けられたる表式《かた》なり
とある其「表式」とある詞が其場合に於けるパラブルの訳詞である、即ち曠野に設けられし幕屋は神殿《みや》の至聖所《いときよきところ》の表式即ち模型なりしとのことである、而して第十一章十九節の此場合に於てもパラブルは之に類したる意義に於て解釈せられなければならない、
 即ち表式として、或ひは比擬《なぞら》へて、死より彼を受けたり
と、然し乍ら、何の表式として、何に比擬へてアブラハムはイサクを死より受けたのである乎、是れ更らに研究(140)を要する問題である、茲に「受けたり」とあるは「取戻せり」との意である、アブラハムは或る者の表式として、或ひは或る事に比擬へてイサクを死より取戻したのである。
 而して言ふまでもなくアブラハムはキリストの表式としてイサクを死より取戻したのである、茲にキリストの復活に擬らへてイサクはアブラハムの手に取戻されたのである、アブラハムは信仰に由りてキリスト降世を距《さ》る二千年前に其子の生還を以てキリストの復活を示されたのである、其事はキリストがユダヤ人に対してアブラハムに就て証《あかし》せられし言に由て判明る
  汝等の先祖アブラハムは我日(世に在る日)を見んことを喜び、且つ之を見て楽しめり
と(約翰伝八章五十六節)、即ちアブラハムは彼れがモレアの丘に其一子イサクを神に献げし時に、彼の裔より生まれ出づべきキリストの生と死と復活とに就て神より黙示を受けたのである、彼に取りてはイサクの生還はキリストの復活の表式であつた、其預兆であつた、彼は此最大の犠牲に由りて神が終に人類のために供へ給ふ最大の犠牲に就て示されたのである。
       *     *     *     *
 人の愛は神の愛の表式である、人の苦痛は神の苦痛の表式である、而して又人の犠牲は神の犠牲の表式である、アブラハムは試みられて其一子を神に献げて少しく神の愛と其苦痛と其犠牲との価値《ねうち》を知ることが出来た、人生の目的は神を識るにある、而してアブラハムは長き信仰の生涯に由りて他人《ひと》よりも深く神を識ることが出来た、情実と絶ちて故郷カルデヤのウルを出て神の正義を識ることが出来た、長く独り静かに神と偕に歩みて神の造り営める基礎《もとゐ》ある天の京城を望むことが出来た、而して最後に其一子イサクを神に献げて神の愛、即ち一子キリス(141)トの犠牲に就て識ることが出来た、斯くてアブラハムの場合に於ても、使徒パウロの言ひしが如くに
  神の義は顕はれて信仰より信仰に至れり
であつた(羅馬書一章十七節)、百七十五年に渉りしアブラハムの生涯は信仰に由り光明より光明に向ひて進む恩恵の生涯であつた、すべて信ずる者の父たるの特権に与かりし彼れアブラハムは人の子の中に在りて最も幸福《さいはひ》なる者である。
 終りに一事注意すべきがある、アブラハムは死よりイサクを取戻して再び我子を取戻したのではない、彼は既にイサクを献げて了つたのである(第十七節)、其時既に彼はイサクの父たるの権利を放棄したのである、イサクは最早アブラハムの子ではないのである、故に再び之を取戻したればとて我子を我に取戻したのではない、祭物は既に完全に神に献げられたのである、爾後のイサクは神の所属であつて、アブラハムの所属ではない、イサクをアブラハムに還し給ひて神は之を彼に委ね給ふたのである、憐むべし アブラハムは依然して子なき者であつた、然し彼は己が子を失つて「すべて信ずる者の父」となつた、一人の子を失つて未来永遠に至るまで、すべて信ずる者の父となつた。
       *     *     *     *
 嗚呼我父アブラハムよ、我も亦恩恵に由り少しく爾の心を識るを得て神に感謝す。 〔以上、12・10〕
 
(142)     猶太の祭事
         利未記の研究
                  大正2年10月10日
                  『聖書之研究』159号
                  署名 内村鑑三口述 中田信蔵筆記
 
     去る五月六月に渉り柏木今井館に於て述べられたる講演の大要を筆記したる者なり。
 旧約聖書は能く神の深き事を解し得ざるものに種々の方法を以て之を知らしめんとして書かれたるものであつて、恰も幼稚園の生徒に玩具を以て幾何学の初歩を教ふると同じである。新約は純理であつて旧約は其説明であると云ふことが出来る。勿論多くの欠点あり多くの足らざる所ありと雖ども旧約に通じて始めてよく新約を解する事が出来るのである。羅馬書は基督教の生粋であつて、而かも聖書中の難解の書である なれども旧約に通じて其困難はなくなるのである。而してモーセの五書は旧約の基礎《もとゐ》であつて利未記は五書の中堅とも言ふ可き者である。而かも往々世の基督信者より此書は無用の者の如く視られて深く注意されないのであるが、然しこれが解らずして基督教を解する事は出来ないのである。聖書は利未記に精通せしものによりて書かれたものであれば、これを解せなければ聖書を解する事が出来ないのである。或は贖罪と言ひ、或は犠牲と言ふ如き、其他聖書中に在る重要なる文字にして利未記より出たものは実に夥多しくある、殊に希伯来書の如きはキリストを以て利未記を説明したものと言ふ可きである。難解と言はるゝ黙示録も亦利未記、但以理書に通じて始めて解る可きもので(143)ある。
 
     燔祭 利未記第一章
 
 利未記は神を祭るの方法を委しく記したる書である。イスラエル人が神を祭るに種々の方法があつた、則ち燔祭、素祭、罪祭、愆祭、酬恩祭の五つである、而して其第一は燔祭であつて、其祭物として牛、羊、禽の三種が示されてあるのである。これ其人の貧富に応じて為す可きであるとの事を教えたものである。当時イスラエル人の財産は家畜であつて、貧しき者の中には一頭の牛は勿論、一頭の羊さへも持たないものがあつたのである、斯るものは鴿を以てしても可いとの事であつた。然し乍ら何人と雖ども燔祭なくしては済まないのであつて、仮令如何に貧しき者と雖も神に燔祭を捧げねばならなかつた。そして之を献ぐるには勿論最良のものを以てす可きであつた。則ち牛に於ては全き牡牛、羊或は山羊に於ても全き牡を供ふ可しであつた。これ神に対する当然の事であつて祭物を献ぐるに疵者や残物を以てしてはならない事は明かである。而して之を献ぐる時に其|頭《かしら》に手を按《お》く可しとある。これは吾は罪人であつて吾が罪の贖はるゝために罪を牲《いけにへ》に移すの意である。猶ほ燔祭に於ては全部残りなく焼き尽すと言ふ点に注意す可きである。蓋し、燔祭の意は神に全く献げて余す所あるべからずと言ふにある。これ今の基督者の先づ第一に学ぶ可き所である。
 燔祭は己を全部神に献ぐる事である、而も吾等は完全に自己を神に献ぐる事の出来るものでない故に、完全なる献物をなすに是非とも己れ以外の或る他のものを要するのである、而してイエスキリストこそ実に唯一の疵なき汚なき完全なる献物であるのである。吾等は基督を献げて始めて完全に神を祭る事を得るのである、此外に神(144)を祭る完全の方法はないのである。吾等或ひは身を火に焼きて神に献ぐるを得んも、罪に染みたる吾等は到底自分を聖き献物となす事は出来ない、
これぞ基督を要する所以である。信仰深きイスラエル人は愛飼せし吾が家畜に己が罪を移して己が身代りに之を神に猷げて罪の怖しさを見て泣きもし懼れもした事であらう。而して吾等は身に一点の罪なき純潔無垢のキリストを犠牲《いけにへ》に献げて此想ひは更らに痛切であるのである。今や「犠牲」の語は世間普通の語となりたれども犠牲は素より人が人に為したものではなくして人が神に対して為して始まつたものである。人が神の前に献ぐるに生物《いきもの》を以てせねばならぬ事は古来何れの国民にもあつた観念であつて、ギリシヤ、ローマ、支那印度等の古き国民の間にも行はれたのである。真の犠牲は元来人が神に献げたものであつて、同胞相互に献げたものではない、故に人は人に対して犠牲を為す前に先づ神に対して之を為さなければならない、而して先づ自己を神に献げて然る後に真の愛国者となり志士となり得るのである。然れども人は己を完全に神に献ぐる事は出来ないのである、而してキリストが最も完全なる献物であれば、吾等は彼の額に吾等の手を按きて彼を献げ奉りて吾等の罪の贖と為なければならない事、これが新約の教であつて之を解り易く説いたのが利未記である。数千年間斯くして教へられ斯かる思想に養はれたるイスラエル人は遂に完全無欠の燔祭をキリストに於て見るを得、何の疑なくして之を信ずる事が出来たのである。
 
     素祭 利未記第二章
 
 燔祭は猶太《ゆ だ》の祭事《まつり》の総てを代表するものであつて己が生命を献ぐる事であれば是にてすべてが已に充分であるが如くなれども、猶ほ更らに四つの祭事あるは更らに明細に万物尽く神の有である事を示すためである、勿論今(145)の時に此の通りの事をなせと言ふのではない、併し人が神に対する心掛は常に斯くなければならない事を示すのである。素祭は全然《まつたく》燔祭と性質を異にする、燔祭は祭物が生物であつて神に生命を献げるを意味し、素祭の祭物は穀類に限られて労働を神のものとして献ぐるの意を示すのである。
 人は普通吾労働こそは吾物であると思ひ其権利を社会に向て主張するがために、動もすれば神に対しても亦此考を生ずるの危険に陥るのである。当時イスラエルに於て労働の結果として最も大切なるものは小麦で、其の次ぎはオレプ油であつた、故に素祭には此二つを用ゐたのである。啻にこれのみではなく、更らに之に労力を加へて菓子となして献げたのである。而して祭物を献ぐるに種々の条件があつた0先づ麦粉の上に油を注ぎ其上に乳香《にうかう》を加ふる事であつた。
 香は祈祷の意を表はすものであつて則ち祭事は義務的でなく感謝の祈祷を以てせねばならぬとの意を教ゆるものであつた。次ぎに其祭物には酵素《ぱんだね》を加へてはならぬと言ふ事であつて、之は神を祭るに方て此世の精神を以てしてはならぬとの戒であつた。家内安全や商売繁昌のためにするの祭事ではない。世の多くの偶像に供ふる祭物の中に此世の精神を含まないものはない、併しヱホバの神を祭るには此世の精神は堅く禁じられたのである。酵素は又常に聖書に於ては腐敗堕落の表号《しるし》として用ゐられて居る、日常生活に必須《ひつしゆ》のものであり乍ら厳禁されたる事は考ふ可きである。これと同時に神の契約の塩を加ふ可しとある。塩は酵素の反対に防腐の表号として用ゐらるゝものであつて、永久変らざる誠実を表はしたのである。而して契約の塩とは今もアラビヤ人の風俗に塩を嘗めて契約する事あるにても知らるゝ如く、当時のイスラエル人は神に対して契約を違《たが》へざるを誓ふために塩を供へたのであらう。斯くして感謝と永久変らざる誠実とを以て労働の結果を神に献ぐるに方て露聊かも吾がもの(146)であるとの考を持つてはならぬとの事であつた。労働を吾物と考ふるの危険は、宗教家に多くある危険である、吾が事業とか汝の事業とかいふ言葉は普通語として彼等の間に用ゐられて居る、誠に保羅の言ひし如く「汝は何の受領《もらは》ざる物を有つや」であつて、是を吾が事業、汝の事業と言ふは神に対して盗賊《ぬすびと》の所業《しわざ》である。神の所有権は世界万人之を認めざるに吾一人之を認むるは不利であると説くものあれども、世に盗賊の栄ゆる事なきは何人も知る所である、神に対して盗賊の所業をなす事が此世に於ても決して栄ゆる道でない事は多くの事実の証明によりて知らるゝのである。素祭の意味は斯くも深遠にして其中に多くの教訓を含むものであれば、深く之を研究して聖意《みこゝろ》の在る所を探らねばならぬ。
 
     酬恩祭 利未記三章。同二十二章二十一−二十五節。申命記十二章十七、十八節
 
 酬恩祭は他の語を以て言へば感謝祭と言ふ可く、我国にて行はるゝ「願返《がんがえ》し」の祭に類したる者であつて英訳聖書に循ひ平和祭《ピースオツフアリング》と言へば一層其意味は明かである、即ち神と和《やわら》ぐための祭である。然れば燔祭に於ては所有の最良のもの即ち牡犢《おうし》を献げねばならぬが、酬恩祭の祭物は必ずしも最良のものたるを要せず、牝《め》にても可いとの事である。猶ほ一層平たく言へば此祭りは神と吾等と相近づく友誼の交換であつて献ぐるではなくして相和ぎ相共に親しみ神の宴《えん》に侍るのである。神と人との間に遠き距離ありて相互に近づく可らずとの普通の考を却け、神と吾等とは其聖きと汚穢《けがれ》とは到底相比す可らざるも神は己を卑うし給ひて人と相交はり給ふ事を知らしめんための祭事《まつり》である。而して祭物には勿論純良のものを要するも、必しも最良のものたらざるも可なり、牝なるも可なりとの事であつた、神は吾等をして彼の前に心置なく打寛ぎて私宴を張る事を許し給ひ、家族一同を伴ひ来り(147)て我前に喜び食へと言はるゝのであつた、酬恩祭は実に祭事の中で最も美はしいものである。吾等が尊敬する珍客を迎へて食を共にするは喜ばしき事なるに神は吾等を饗して吾等と食を共にし給ふのである。教会の晩餐式の如き実は神と此楽しき友誼の関係に入るの標徴であるべきである。モーセの律法《りつぱふ》と言へば直ちに峻厳犯す可らざるものゝ如くに思はるれども其中には斯る優しき事があるのである。「山羊を煮るに其母の乳を以てす可らず」、とか「穀物を碾《こな》す牛に口籠《くつご》をかく可らず」とある如きと同じ柔《やさ》しき慈悲に充ちたる事柄である。猶ほ殊《とく》に脂をヱホバに皈す可き事に付て反覆丁寧に記されたるは宜しく牧畜に従事する民の心を以て読む可きである、就中「其尾を脊骨より全く断きり云々」とするが如き如何にも奇異の感あれども、現今にてもシリヤ、アルメニヤ地方に於て上客の饗応に供へねばならぬものは羊の尾であるとの事である、其理由は此羊の種類に在ては最良の脂は其尾に在るからである。総て脂は牧畜者には最も貴重とされるものである、故に脂を尽く神に皈する其意味は最良を尽く彼に献ぐ可きを教へんためであつた。是れ祭神の原理であつて又永久の真理である。若し神の此要求を過当と思ふならば吾等は宜しく之を誰より受けたるかを思ふ可きである、而して神に献ぐれば又必ず報ゐらるゝのであれば吾等は飽くまで脂(物の最良《ベスト》)を猷ぐる事を忘れてはならぬ。イスラエル人は毎年親子兄弟相携へてヱホバの殿に至りて此実はしき酬恩祭をなしたのである。神が人間の饗応に与かるのではなく、神が人を饗せらるゝのである、饗応の主人公は神であつて吾等は彼の招きに応じたる客である、恰《あだか》も臣下が王の開筵に与るが如きものである。吾等が献ぐると言ふは元々神のものを神に献ぐるので吾等が之を以て神を饗するのではない。人の救はるゝは行為に由るに非ずして信仰に由るとの保羅の思想の根本は茲にあるのである。吾等は正義そのものさへも吾がものとして之を神の御前に献ぐる事は出来ない、唯神より信仰を賜はり之に由りて救はるゝのである、(148)此点に於て吾等は又イスラエル人の後嗣である。神は遂にキリストを下され、人は之を神に献げて救はれるのである。世の人は言ふ、基督者の生涯は全然犠牲の生涯であつて誠につまらない生涯であると、然し神は決して人の献げし犠牲を取り放しには為し給はないのである、吾等が或ひは他の人より或ひは吾が子より贈物を受けて是に必ず返報るが如くに、神も亦必ず吾等の祭物を受け、再び之を吾等に下され、我れ若し彼に商店を献ぐれば後に彼と我との共同の商店となり、事業を献ぐれば彼と我と共同の事業を営むに至るのである、吾等は一旦吾所有の全部を神に献げて茲に或は神と共にする商業あり、或は神と共にする工業あり、神の番頭となり、神の理事者となるのである。吾等吾家を神に献ぐるも神は之を受け給ひて「是は吾家なり汝等は遠く出で去れ」と言ひ給ひて吾等を逐ひ出す事は為し給はない、彼は吾等と同居し給ふのであつて実に光栄ある住居となるのである、神と同居の生涯、世に是に勝さるの光栄はない。而して神と人生と万物とに対し此態度に吾等を置かんとするのが酬恩祭の設けられし理由である。
 
     罪祭 利未記四章。同五章四−十七節
 
 罪祭は前述の三つの祭事と全く性質を異にする、前者は何れも犠であつて献ぐるなれども罪祭は献ぐるではなくして人間の言語を以てすれば神を宥めるための祭である。前者は他の宗教に於ても類例あれども基督教に於ける意味の罪祭なるものは他の宗教には見当らない。神は父であつて人は其子である可きに其関係に齟齬を生じた時に之を元に回復せんとするのが罪祭の主意である。罪祭は実に利未記の中心であつて最も精密に記されてある。人生問題の最深の所は此所に在るが故に罪祭の説明は頗る困難である。祭物と之を献ぐる方法とは人によりて異(149)なり、祭司并に全会衆の罪祭には祭物に牡犢を要し、牧伯《つかさ》は牡山羊を要し、平民は牝山羊或は鳩或は麦粉にて足るとの事である。
 罪を問はるゝに当りて指導の任に在る祭司最も重く、循つて最も複雑なる祭りを要し、平民の場合には麦粉一握を燔いて之を献ぐれば済むと言ふ、之に由て古代の蒙昧の民に罪の軽重を教へたのである。次には全会衆 則ち団体の罪である、神は団体の罪をも問ひ又之に恩恵《おんけい》をも垂れ給ふとの事である、吾れ独りキリストを信ずるも、若し日本国民全体が信ぜざれば国民は国民としての罪を負はねばならない、故に吾等は国家の救済に就ても充分努力せねばならぬ。第三は牧伯則ち行政官の罪であつて、これ又重くはあるが然し祭司会衆の罪程重くはない。凡そ政治家の過失は単に国民に対して謝罪するを以て足れりとす可きでなく亦神に対して謝罪するを要するのである、而かも今や世上一般のものが政治家の過失は単に之を人に対する過失とのみ心得、神に対する罪を思はざるは嘆ず可き事である、今日文明諸国の政治の腐敗して止まないのは其原因が此辺にあるのではあるまいか。而して神が人類の罪に対するの態度に就て多くの人々が疑問を起す点は、此世の法律に於てさへ過失の罪は問はざるに神は果して人さへ宥す罪を宥さゞる超に残酷であるかとの事である、然し神が過失の罪を問ひ給ふは、これ人の罪の基因する所の頗る深きを示すためではあるまい乎、試に天然の法則に就て思ふに吾等仮令過つて不養生するも故意に為せしと同様の結果を以て報ゐらるゝのである。忠実なる番頭にして若し彼と主人との関係が純正ならんには多分彼に過失なるものはないであらふ、親が真実の子に対して為す事に殆んど過失なきが如く、神と吾等と常に正しき関係に於てあらば我等の為すことに過失なきに至るであらう、過失を生ずるに至りし事、其事が已に罪である、過失を看過し給はざる神は人の罪をその深き所に於て探り給ふのではあるまいか。猶ほ又罪(150)の赦免に血を要求し給ふ冷酷無慈悲の神を何が故に愛と言ふであらうかとの疑問が起るのである、勿論此事に就て種々の解釈もあらんが、然し神は罪に対して犠牲の血を要求し給ひしと雖も、罪は犢《うし》、羊、鴿等の血を以て贖はる可きでなく、神は人の罪を贖はんがために最後に御自身の血を流し給ふたのである。親となり主人となりて思ふに番頭子弟の罪に対して充分の同情は持つも是を容易く赦す事は出来ない、人、其罪を悔いて来るや、彼も宥されたく、吾も宥したく思へども、何となく物足らぬ感ありて宥す事の出来ない場合がある、人の罪を赦すに方て神が血を要求し給ひ、最後にそれが為めに御自身の血を流し給ふたと云ふ深遠なる真理の意味の幾分は、此辺の消息に由り窺ひ知らる可きであらうと思はれる。
 
     愆祭 利未記五章十四節より六章七節まで
 
 神御自身に対するの罪の場合には罪祭を行ひ、神の所有物に対する罪の場合には愆祭を行ひて償《つぐのひ》をなさねばならぬのである。神は勿論万物を所有し給ふ、然れども猶ほ特別に御自身の所有を定め給ふた、人の収入の十分の一、初生の男子、家畜の初子等は神のものとして定められたのである、吾等は万物 悉く神のものなりと言へる如き広き意味に於てのみでなく、狭き意味に於ける神の所有を盗む場合があるのである。
  人、神のものをぬすむことをせんや、されど汝らはわがものを盗めり、汝らは又何において汝のものを盗みしやといへり、十分の一および献物に於てなり。馬拉基書三章八節。
 愆祭には全き牡羊を以てし其牡羊は自ら撰択する事は出来ない、猶ほ其|估価《ねづもり》の銀は「聖所のシケル」に従ふ可しと殊に指示《さししめ》してある、斯くして愆祭をなし聖物を干して獲たる罪のために償をなし、之に元物の五分の一を加(151)へて祭司に付し祭司彼がために贖罪《あがなひ》をなして彼は赦さるゝのである。而してヱホバの誡命《いましめ》の一を犯したる時も猶ほ罪を任《お》ふ可しと言ふは今日を以て考ふれば人の名誉毀損の場合の如きであつて、名誉の毀損は其人の事業を妨げ収入を減じ、結局《つまり》所有権の侵害となるのである。神に対して其誡命を犯したるは又彼の所有権を犯したるに当る、故に罪祭のみを以ては済まず愆祭をも要するのである。現今普通法律に問はるゝは六章二節以下に示してある罪である。世の不信者に取りては神のものを干すとも紳士たり淑女たるに毫も差支はないのであるが、信者に取りてはこれ重大の罪であるのである。信者たるものゝ犯罪は人に対しての罪たるに止らず又不信の罪になるのである、然れば先づ第一に神に対して愆祭を要し而して後に原物に五分の一を加へて之を人に還さねばならないのである、而して其数へ上げたる罪の種類に就ても学ぶ可き事多く、之を今日の社会の状態に照して見て反省を促す可き事が多くある。斯く罪を数へられて吾等は到底吾等が神より盗みし物の百分一をも返納する事は出来ないのである、嗚呼吾等は如何にして神の御前に立つ可きか、何を献げて犯したる罪の赦免を受く可きか。アブラハムが彼の愛する独子イサクを携へモリアの山に至りて之を献げんとせし時に神は特に一頭の羔を備へ給ふて之に代らしめ給ふた、其如くに彼は完全なる献物としてキリストを吾等に下し給ふたのである、人は贖罪の事に就て種々の疑を懐くなれども、数千年来旧約聖書に由りて養はれ来たれるイスラエル人は之を直覚して信ずるに毫も難くなかつたのである。利未記の伝ふる祭神の記事はキリストを信ずる上に最も重要なるものであつて、吾等は之を解し得て始めて真のキリストを解し得るのである。
  内村生曰ふ、中田君の筆記に由り余の講演の大意を知るに難からずと雖も、尚ほ此重要問題に関し、物足らず思ふ点多きが故に、次号に於て更らに自身の筆を以て其要点を覆説しやうと欲ふ。
 
(152)     秋日曳杖
                         大正2年10月10日
                         『聖書之研究』159号
                         署名 柏木生
 
     杖を曳き垂る穂の圃《はた》の畔道に
       天国《みくに》を偲ぶ秋の夕暮
 
(153)     〔INFLUENCES AND THE SPIRIT.感化力と聖霊〕
                        大正2年11月10日
                         『聖書之研究』160号
                        署名なし
 
     INFLUENCES AND THE SPIRIT.
 
 Not infhences,but the Spirit o fGod.Influences are circumstantials,outside influences,atmospheres both material and moral,social surroundings,Church-connections,and are of earth,earthy.But the Spirit is an essential,a will-power that works from within,revelational,individualistic,and is of heaven,heavenly.Men are not converted by influences,be they American or British,French or Russian,social or ecclesiastical;but tbey are converted by the all-powerful Spirit of God.Paul was an apostle,not by Jerusalemic or Antiochan influences,but by the will of God,.aCcording to his own confession.Let us cease to speak of influences,as do pagans and materialists,but of the Spirit of God,as all true Christians ought to do.
 
(154) 〔『英和独語集』(大正11年4月15日刊)より〕
 
     感化力と聖霊
 
 必要なる者は感化力ではない、神の霊である。感化力は境遇である、外界の感化力である、雰囲気である。物質的又は道徳的外気である、社交的境遇である、教会関係である。故に地に属ける者であつて地的である。然れども霊は精気である。衷より働く所の意力である。啓示的である。個人的である。天より来る者であつて天的でぁる。人は感化力に由て化せらるゝ者でない。米国人又は英国人、仏国人又は露国人、社会又は教会の感化力に由て化せらるゝ者でない。人の化せらるゝは全能の神の霊に由る。パウロの使徒となりしはヱルサレム教会又はアンテオケ教会の感化力に由つたのではない、彼の告白に由れば神の聖意に由つたのである。我等は偶像信者か物質主義者が為すが如くに感化力に就て語るを休めて、すべての基督者が為す可きが如くに神の霊を唱ふべきである。
 
(155)     〔聴かるゝ祈祷と聴かれざる祈祷 他〕
                         大正2年11月10日
                         『聖書之研究』160号
                         署名なし
 
    聴かるゝ祈祷と聴かれざる祈祷
 
 必ず聴かるゝ祈祷《いのり》がある、必しも聴かれざる祈祷がある。
 我に幸福来れかし、不幸来らざれかしと祈るも其祈祷は必ず聴かるゝと限らない、多くの場合に於て信者の此種の祈祷は神の斥くる所となるのである。
 然れども我に潔き心を与へ給へ、我に患難に耐ゆるの能力を下し給へ、我に我敵のために祈るの愛を与へ給へと祈りて、其祈祷は必ず聴かるゝのである。  汝等悪しき者なるに善き賜物を汝等の児輩《こら》に予ふるを知る、況して天に在す汝等の父は求むる者に聖霊を予へざらん〔乎〕
とある(路加伝十一章十三節)、聖父は他の物は其子の祈祷に応じて予へ給はない場合がある、乍然、聖霊を祈る者には必ず之を与へ給ふといふ、聖霊、神の心、イエスキリストの精神、敵を赦すの心、患難に耐ゆるの能力、神を看るに足るの潔き心、……我等は祈て必ず此優れたる賜物を得ることが出来るといふ。
(156) 神は寔に愛である、神は必ず我等の祈祷に応じて最善《もつともよきもの》を予へ給ふ、彼が時に或ひは我等に拒絶し給ふものは最善ではなくして、第二、又は第三、又は第四の善物である、即ち我等に予へ給はずとも其れがために我等が永久の損失を感ぜざる物である。
 
    キリストを信ぜずとも
 
 キリストを信ぜずとも善き学者となる事が出来る、善き専門家となる事が出来る、善き政治家と成る事が出来る、交際社会に称揚《もてはや》さるゝ紳士淑女と成ることが出来る、然り、キリストを.信ぜずとも道徳家と成ることが出来る、慈善家と成ることが出来る、世に敬はるゝ聖人君子となることが出来る、更らに然り、或る場合に於てはキリストを信ぜずとも基督教会の監督となることが出来る、其牧師、伝道師、神学者となる事が出来る、此世の成功立身を計るためにキリストを信ずるの必要はない。
 然しながらキリストを信ぜずして神に喜ばるゝ者と成る事は出来ない、真《まこと》正《たゞ》しき意味に於ての基督信者となる事は出来ない、即ちキリストが建設し給ひし天国の民となる事は出来ない、神の子となりてキリストと共に聖父《ちゝ》の栄《さかえ》を承継ぎ得る者となることは出来ない、基督者《クリスチヤン》は特別の人間である、義人にして義人ならず、聖徒にして聖徒ならず、神の奥儀を解するも必ずしも神学者又は聖書学者ならず、世人の立場より見て到底《とて》も解することの出来ない者である。
 キリストを信じ得るは大学者となるよりも、大政治家となるよりも、社会の寵児となるよりも教会の監督又は長老又は神学者となるよりも、遙かに幸福であつて又遙かに大なる名誉である 我は何者に成り得ずとも真実に(157)キリストを信じ得る者と成りたくある。
 
    我の拠所
 
 彼は我に財貨を賜はざりし、彼は我に権力を賜はざりし、彼は我に学術と芸術とを賜はざりし、美はしき風※[蚌の旁]《ふうばう》と巧なる言辞を賜はざりし、高き道徳と潔き行為とを賜はざりし、然れども彼は我に信仰を賜へりと信ず、彼に依頼むの信仰を賜へりと信ず、而して信仰を賜はりて彼は我に最善《ベスト》を賜へりと信ず、故に我は我が貧しきを顧みず、弱きを顧みず、無学と無芸とを顧みず、不徳と不潔とを顧みず、信仰を以て単《ひとへ》に彼の恩恵に信頼して以て我が終末の救拯を完全うせんと欲す。
 
    教師の祈祷
 
 オヽ聖父よ、時には善き雑誌の出来ざらんことを、時には善き説教を為し得ざらんことを、而して他《ひと》を教へ得ずして自己《おのれ》を教へんことを、善き文字を聯ね得ず、美はしき言辞を語り得ずと雖ども自ら善き行為を就し得んことを、オヽ聖父よ、人の教師たるの危険は人を教へ得て自己を教へ得ず、言辞の人となりて行為の人とならず、聖書に所謂「他の人に教へて自から棄らるゝの人とならん」ことなり、希ふ、我が伝道の事業は挙らざるも我名の天の帳簿より削らるゝに至らざらんことを。哥林多前書九章二十節。
 
(158)    真理の証明
 
 真理を見る、真理の結果を見ない、真理の結果は之を受けし人に由て異なる、真理は必しも人を善くしない、或人は真理に接して却て前よりも悪くなる、恰かも蝋は日光に接して鎔け、粘土《ねばつち》は却て堅くなると同然である、キリストの福音は国を救はずして却て之を滅すかも知れない、乍然、夫れ故に福音は真理でないと云ふことは出来ない、福音が世界多数の人に受けられないとて、夫れ故に福音は神の真理に非ずと云ふ事は出来ない、是に反して縦し一人も之を受くる者なしとするも其の真理たるは依然として明かである、信者の増えし事は信仰の真理たるの証拠には成らない、多くの場合に於て誤謬こそ社会多数の帰依賛成を博する者である、真理は其結果の如何に由らずして真理である、真理の真価は社会学者の観察を以ては解らない、智慧は智慧の子に義しとせらる、真理は真理の子に由てのみ真理なるを証明せらるゝのである。
 
    基督教は権利の放棄
 
 自己の権利を主張するのが基督教でない、之を放棄するのが基督教である、基督教の真髄は犠牲である、キリストの犠牲が解らずして基督教は解らない、
  汝等我等の主イエスキリストの恩《めぐみ》を知るべし 彼は富める者なりしが汝等のために貧者《まづしきもの》となり給へり、是れ汝等が彼の窮乏《まづしき》によりて富者《とめるもの》とならん為めなり(哥林多後書八章九節)
此清神が解らずして基督教は解らない、他《ひと》のために我身を奴隷となすの意《こゝろ》が解らずして、仮令基督教的文学に精(159)通し、基督教的音楽に熟達し、すべての方面に於て基督教的文明の感化を蒙ると雖も、我等は未だキリストの弟子と成つたのではない。
 
    彼を信ずる理由
 
 基督教的感化を受け我身と我事業とが利益せられんために彼を信ずるのではない、我身と之に属けるすべての物を彼に献げまつり、彼の弟子となり、奴僕となりて全然服従的生涯を送らんために彼を信ずるのである、キリストを信ずるの利益は獲るにあらずして失ふにある、充つるに非ずして虚しくせらるゝにある、人の上に立つにあらずして、人の下に置かるゝにある、キリストを信ずるの利益は唯一つ彼と共に十字架に釘けらるゝにある、此事以外に利益を求めて彼を信ぜんとする者は最も愚かなる者と称はざるを得ない。
 
    普通道徳
 
 普通道徳とは他《ほか》ではない、人を人として敬ふことである、其人の何たる乎は問ふ所でない、彼が乞食《こつじき》であらふが、凶徒であらふが、彼は人であるが故に貴くある、彼は神の像《かたち》に象《かたど》られて造られたる者である、故に人たるの尊敬を要求する者である、彼を賤《いやし》むのは神を賤むのである、彼を欺くのは神を欺くのである、我は神に対する誠実を以て何人にも対さなければならない。
 斯く解して普通道徳を行ふは容易でない、単《たゞ》に盗まず、奪はず、虐げずと言つて普通道徳を行ふたとは言ひ得ない、人を軽く視、低く視、彼の霊魂の真価を認めずして、彼に対して普通の道穂を行ふことは出来ない、普通(160)道徳とは此罪の世に於て普通に行はるゝ道徳を謂ふのではない、人を人として取扱ふ道を謂ふのである、而して己れが利益を主眼として人に対する者、人の裏に在る永遠の価値を認めざる者、神は人類の父であつて、人類は相互の兄弟姉妹であることを明白に識認せざる者は、彼の外面の挙動《ふるまひ》は如何に立派であるとも、其人は普通道徳をさへも行ふことの出来ない者である。
       ――――――――――
 
    聖書に所謂自由
 
 聖書に所謂自由とは気儘勝手を謂ふのでない事は勿論、政治的自由又は智識的自由を謂ふのでもない、聖書の書かれし時代に於て今日我等が唱ふるが如き自由なる者は無かつた、人は何人も己が欲する儘に神を拝するの自由を有すと謂ふが如きは近世に於て始まつた事であつて、パウロやヨハネの時代に於て在つた事ではない、彼等が唱へし自由は我等が今日唱ふる自由とは全く其性質を異にして居つた。
 使徒ヤコブはキリストの福音を指して「自由なる全き律法《おきて》」といふた、自由なる律法とは円満なる四角といふが如き不釣合の言辞であるが、然し其中に深い意味が籠つて居るのである、ヤコブに取ては自由とは自由に善を為すを得るの自由であつた、罪の奴隷たらざる事であつた、神よりの智慧を受けて道徳的に自由になり、すべての誘惑に勝つを得て自由に神の律法を守り得るに至る其自由であつた、即ち病者の不自由に対する壮者の自由であつた、精力、内に溢れて自由に且つ容易《たやす》く善を実行し得るの自由であつた、而してキリストの福音は斯かる律法であるのである、自由に入るの途を示すが故に律法なるには相違なしと雖ども、然れども一たび自由に入り(161)し以上は律法の制裁を要せざる自由である、自由に善を為し得るの道である、而してキリストの福音は斯かる道、即ち律法であるのである。雅各書一章廿五節。
 使徒パウロはキリストの再顕と同時に信者に臨む自由を称して「神の子等《こたち》の栄《さかえ》の自由」といふて居る、是は「敗壊《やぶれ》の奴《しもべ》たること」即ち束縛に対していふた自由であつて、不滅の自由又は永生の自由とも称することが出来る、死は大なる束縛である、人は生れながらにして死を恐れて生涯繋がるゝ者である(希伯来書二章十五節)、而してキリストの世に臨《きた》り給ひしは死の権威を有てる者即ち悪魔を滅すためであつたと云ふ(仝十四節)、最後《いやはて》に滅さるゝ敵は死なりと云ふ、我等は死の権威より全く脱するを得て完全なる真正《まこと》の自由に入るのである。羅馬書八章廿一節。
 使徒ヨハネはキリストの言として伝へていふた
  子若し汝等に自由を与へなば汝等実に自由なるべし
と(約翰伝八章三十六節)、子は神の子であつてキリストである、キリストの与ふる自由は真実《まこと》の自由であると云ふ、而して子の与ふる自由は子たるの自由である、アバ父と※[龠+頁]《よ》びまつりて父なる神に近づき得る自由である、希伯来書に謂ゆる「憚らずして恩寵の座に来る」の自由である(四章十六節)、全能至聖の神と父子の関係に入るを得て、すべての祈祷と懇求《ねがひ》とを以て彼の膝下に近づき得るの自由である、律法の供する自由ではない、聖子が其霊を灑《そゝ》ぎて与ふるの自由である、故に真実の自由である、実質的の自由である、臣民が憲法に申て得たる自由ではない、皇子が生れながらにして有つ自由である、身に属いたる自由である、故に何者も奪ふ能はざる自由である。
(162) キリストの福音は斯る自由を人に与へんとしつゝあるのである、最大の自由、最高の自由、最も確実にして最も勢力《ちから》ある自由、宇宙万物の造主の心を動かし得るの自由、彼の子たるの自由、万有の主たるの自由……神は福音を以て斯かる自由を人に与へんとし給ひつゝあるのである、福音の福音たるは人に斯かる自由を与ふるからである、而して斯かる自由を賦与せられて我等は此世の不自由又は束縛又は圧制を意とせざるに至るのである、我等が政治的圧制又は社会的束縛に就て至て無頓着《むとんぢやく》なるは全く是れがためである、我等は大なる永遠の自由を得たれば小なる現世の束縛に意を留めないのである、肉に勝ち、罪に勝ち、死に勝ち、世と天然とに勝つを得て我等は、
  我等を愛《いつくし》める者に頼《よ》り、すべて此等に勝ち得て余りあり
である(羅馬書八章三十七節)。
       ――――――――――
 
    人を見ざれ神を見よ
 
 今や基督教国に於ても非基督教国に於ても、英国に於ても米国に於ても、日本に於ても支那に於ても、問題は人であつて神でない、彼人《かれ》は如何なる人なる乎、此人《これ》は如何なる人なる乎、ルーテルは如何なる人なりし乎、パゥロは如何なる人なりし乎、然り、イエスキリストも亦如何なる人なりし乎と、今の人は先づ人の価値を定め、然る後に其人の唱へし真理の価値を定めんとする、而して彼等が望むやうなる満足なる人に見当らずして彼等は失望し、終に如何なる真理をも信ぜざるに至る、然れども全世界に完全なる人は唯一人を除いては一人も無かつ(163)た、昔し無かつた、今も無い、後にも無いであらう、故に若し人の価値を定めざれば真理の価値を定むる能はずと言ふならば彼等は到底真理を発見する能はざるのである。
 乍然、聖書は瞭《あきら》かに我等に示して言ふ、人を見ずして神を見よと、聖書が人に就て語るは神に就て語らんがためである、聖書は成るべく人を無視せんとし、神のみを有者《あるもの》と為さんとして居る、偉人モーセに就てさへ其死所に就てすら知らせない、唯一言
  ヱホバ彼を葬り給へり
と言ひて其他を語らない(申命記三十四章)、エリヤの終りも判明らない、イザヤの終りも判明らない、ヱレミヤの終りも判明らない、パウロの終りも判明らない、ヨハネの終りも判明らない、ベテロの終りも判明らない、又馬太伝を何人《だれ》が書いた乎、其事も判明らない、希伯来書の著者に就ても、黙示録の著者に就ても我等は確かに何事をも知らない、我等はモーセ、ヱレミヤ、パウロ、ペテロ、ヨハネ等其他の所謂聖書人物の欠点に於て許多《おほく》を知らせられた、乍然、完全の人として仰ぐべき人は、唯一人を除いては一人をも示されないのである。
 而して完全なる其一人とは人では無いと示して居るのである、「神の子」、「神の状《かたち》」、「神の栄《さかえ》の光輝《かゞやき》、その質の真像《かた》」と、即ち完全なる人は人ではないと言ふて居るのである、
  汝等の師は一人、即ちキリストなり
と(馬太伝廿三章八節)、其他はすべて師として仰ぐに足らずとの事である。 然《さ》らば人に就て語るも無益である、パウロとバルナバとはルステラの人々に告げて言ふた
  我等も亦汝等と同じ心情の人なり
(164)と(行伝十四章十五節)、即ち使徒等も亦我等と異ならず神の前には罪人であつて民の敬崇を仰ぐの価値《ねうち》なき者であるとの事である、パウロすら然り、況して其他の者に於てをや、ルーテルの欠点を挙げて彼を以て起りし新教諸数会を非難する天主教徒も、法王等の罪悪を数へて天主教徒の不法を唱ふる新教徒も同じく聖書の精神の何たるかを解せざる者である、問題は人ではない、神である、人は皆な其最善の者と雖も罪人である、人を弁護するも無益である、人を批難するも無益である、人は総体に悪であると可定して唯神をさへ弁護すれば宜いのである。
 故に英人学ぶべからずである、米人学ぶべからずである、英国の教会、又は米国の教会、又は独逸の教会、又は仏国の教会、又模範と為す可からずである、我等は神を学ぶべきである、聖書に従ふべきである、而して聖書に従つて人に就て問はずして神に就て尋ぬべきである、人は如何《どう》でも宜い、ルーテルは如何であつたらうが、ウェスレーが如何であつたらうが、又我等の中の誰彼《たれかれ》が如何であらうが、其事は探るも無益である、知るべきは唯一つである、神である、神の聖旨《みこゝろ》である、神が解つて人は解らずとも可い 而して神が真正《ほんとう》に解つて人は解らざらんと欲するも解るのである。
 我等は此点に裁ても英米其他の宣教師等に学ばずして直に主イエスに学ぶべきである。
       ――――――――――
 
    宗教大会
 
 宗教家則ち「宗教家」、政治的宗教家、宗教的政治家、国家と社会と現世とのために宗教を研究し之を伝播する(165)者、キリストと阿弥陀とを利用する者、人間本位の宗教信者、然り現世に於ては是れでも宗教家である、故に仏教に言ふ「厭離穢土、欣求浄土」と、基督教に言ふ、「此世或ひは此世に在るものを愛する勿れ、人、もし此世を愛せば父を愛するの愛その衷に在るなし」と。
 
    物としての信仰
 
 信仰は信ずる物である、信ずる事ではない、実物《もの》である、動作《はたらき》ではない、人が之に由て信ずる物である、信ずること其事ではない、故に謂ふ「信仰は希望の基礎なり」と(希伯来書十一章一節)、又謂ふ「愛に由て働く所の信仰」と(加拉太書五章六節)、信仰は岩である、生命である、故に巌《いはほ》となりて苔の生すまでに生長すべき者である、生命の依て立つ基《もとゐ》である、故に肉体が失せて後に猶ほ存《のこ》る者である、信仰が思想としてに非ず、信念としてに非ず、実物として、永遠の巌として感ぜらるゝに至て我等は稍々我等の救拯に近づいたのでぁる。
 
(166)     猶太の祭事(再び)
         要点の覆説
                         大正2年11月10日
                         『聖書之研究』160号
                         署名なし
 
 昔時の猶太人が神を祭るに五個《いつゝ》の儀法《おきて》があつた 即ち、燔祭、素祭、酬恩祭、罪祭、愆祭、是れである(利未記七章卅七節)、外に任職祭といふがあつた、然し是れは祭司に係はる儀礼であつて、国民全体に直接の関係のあつた事でないから茲には之に就て語らない。
 燔祭は全身を神に献ぐるための祭典である(利未記第一章)、故に他の凡ての祭典を総括するものである、祭物《そなへもの》は全き牡牛《をうし》を以てし、而して「祭司は一切を壇の上にて焼くべし」とある(一章九節) 全身をヱホバに献げて自己に何の余す所あるべからずとの意である、而して斯く行ひたる燔祭は「ヱホバに馨《かんばし》き香《にほひ》たるなり」とある、後にパウロが羅馬書十二章一節に於て
  汝等|己《おの》が身を神の聖意に適ふ聖き活ける祭物として彼に献げよ、是れ当然の祭なり
と言ひしは燔祭に就て言ふたのである、汝の全身全霊を燔祭となして残る所なく神の祭壇の上に献げよとの意である、人は先づ自己を神に献げて然る後に己が所有物を献げ得るのである、即ちパウロがマケドニヤ人を讃めてコリント人に書贈りて言ひしが如し
(167) 彼等は神の聖意に循ひ先づ己を主に饋《あた》へ然る後に我等に饋へたり(託せり)
と(哥林多後書八章五節)、燔祭は祭の総括《すべて》であつて同時に其|首始《はじめ》である、真正《まこと》の信仰は「先づ己を主に饋」ふるにある。
 燔祭の次ぎが素祭である(利未記第二章)、燔祭は膰祭即ち肉祭であつて生命を神に献ぐる祭である、之に対して素祭は麦粉、橄欖油、乳香を供へ以て我が労働の結果を神に献ぐる祭である 即ち燔祭は生命の献饋なるに対して素祭は財産の献饋である、昔時《むかし》の猶太人《ゆだじん》に取りては麦は圃《》の産であつて、橄欖は丘の産であつた、農国民たりし彼等に取りては彼等の労働の結果と言へば主として麦と橄欖とであつた、而して彼等は之をヱホバに献げて彼等の労働も亦彼のために為すことであるを表したのである。
 生命を献ぐるための燔祭があつた、財産を献ぐる為の素祭があつた、然し祭典は単に人が神に対して為すべきの義務ではない、臣下が帝王に納むべき貢物《みつぎもの》の如きものではない、祭典は感謝の表号である、而して特に此意を表はしたるものが酬恩祭である、酬恩祭、一名之を感謝祭と称す(第三章)、特にヱホバの恩恵を記念するための祭である、酬恩祭に於てヱホバは彼の礼拝者のために筵を設け、茲に彼等と飲食を共にし給ふのである、詩篇第二十三筒に
   爾、我が敵《あだ》の前に酒筵《むしろ》を設け、
   我が首《かうべ》に油を注ぎ給ふ、
   我が酒杯は溢るゝなり
とあるは此喜ばしき聖筵に侍《はんべ》りし者の感を述べたる言である、又馬太伝廿二章に載せられたるイエスの婚筵の(168)比譬《たとへ》も酬恩祭の意義を適用して成つた者であると思ふ、敬虔《つゝしみ》ある猶太人に取りてはヱホバを祭ることは楽しき事である、真《まこと》の祭典は神を利用して人が楽しむ事ではない、人が神と共に楽しむ事である、神は人と共に楽しむ事を好み給ふ、主キリストは其僕ヨハネを以てラオデキアの信者に告げて言ひ給ふた、
  視よ、我れ戸の外に立ちて叩く、若し我声を聞きて戸を開く者あらば、我れその人の所《もと》に就《いた》らん、而して我はその人と偕に、その人は我と偕に食せん
と(黙示録三章二十節)、前には燔祭と素祭とありて生命財産を神に献げ、後には罪祭と愆祭とありて、罪の赦免《ゆるし》を神に求むるに対し、其|中央《なか》に酬恩祭即ち感謝祭ありて、神人親交の途を備へられる、モーセ律は決して苛酷なる律法《おきて》ではない、情に充ち、愛に溢るゝ律法である。 人は自己(生命)と所有物《もちもの》(財産)とである、而して自己を神に献ぐるのが燔祭であつて、所有《もの》を献ぐるのが素祭である、神にも亦人と同じく御自身と其所有物(聖物)とがある、而して人が神御自身に対して犯す罪を「罪」と謂ひ、聖物に対して犯す罪を「愆《とが》」と謂ふ 罪は神の尊厳を冒す不敬罪である、「愆」は神の聖物を涜す褻涜罪である、神に対して此二種の罪がある故に、之れを贖ふために罪祭 愆祭の二典が示されたのである。
 罪祭(利未記第四章) 人の階級に循《よ》りて軽重があつたのである、祭司最も重く、団体としての国民(会衆)之に次ぎ、牧伯(政治家)其の次ぎに来り、而して民に及ぶ、而して罪はすべて人に対する罪であるよりは先づ第一に神に対する罪であれば、祭司が信者に対して犯したる罪も牧伯が民に対して犯したる罪も斉しく是れ神に対して犯したる罪として問はるゝのである、人は何人も罪を自覚してダビデと共に神に向つて叫ぶのである、
  我は爾に対ひて、然り、惟り爾に対ひて罪を犯し、聖前に悪事《あしきこと》を行へり
(169)と(詩篇五十一篇四節)、罪は其何たるを問はず神御自身を辱かしめ、其尊厳を冒しまつる事であつて不敬罪である、而して其罪の赦されんがために献げられたのが罪祭の礼物《そなへもの》である。
 愆祭(利未記第五章) 万物は神の所有である、故に之を悉く聖物として見ることが出来る、然れども人が神の所有権を認めんがために、彼は或る特別の物を選みて特に之を彼の聖物と定め給ふたのである、故にヱホバはモーセに告げて言ひ給ふたのである、
  人と畜《けもの》とを論ぜず、凡てイスラエルの子孫《ひとびと》の中の始めて生れたる首生《うひご》をば皆な聖別《きよめ》て我れに帰せしむべし、是れ我が所属なればなり
と(出埃及記十三章二節)、神の聖殿あり、聖殿の器具あり、民の中の首生あり、神の要求し給ふ什一税《じふいちぜい》あり、是れ皆な聖物であつて之を私用して、愆となるのである、而して愆の赦免を得んがために愆祭の儀礼が定められたのである。
 愆は神の所有権を侵すことのみに限らない、人の所有権を侵すことも亦神に対して犯したる愆である、
  ヱホバまたモーセに告げて言ひ給はく、人もしヱホバに向ひて不信をなして罪を獲ることあり、即ち人の所属を預り又は質に取り或ひは奪ひ置きて然る事あらずと言ひ云々
と(利未記六章七節以下)、即ちヱホバは人が人に対して犯したる愆をヱホバ御自身に対して犯したる愆と見傚し、御自身に対して愆祭を要求し給ふと同時に、又被害人に対し、原物に其五分の一を加へて其返還を命じ給ふたのである。
(170) 以上は昔時《むかし》の猶太人の祭事《まつり》の大略である、他の国民の祭事と比べて見て至て簡短で其意義は明瞭である、乍然、祭事は祭事にして複雅なるを免がれない、循つて之を文字通りに実行するは甚だ困難である、祭物の選択をなすに方ても其困難たるや決して容易でない、燔祭の礼物は全き牡牛でなくてはならない、即ち疵なく汚《しみ》なき者でなくてはならない、而して斯かる家畜の得難きは昔時も今と少しも異ならない、而して犠牲を壇の上に献ぐる方法に至ては是れ其道に熟したる者にあらざれば到底、行《な》すことの出来ないことである、
  臓腑を裹む所の脂と臓腑の上のすべての脂、及び二箇の腎と其上の脂の腰の両旁《りやうはう》にある者並に肝《かん》の上の網膜の腎の上《ほとり》に達《いた》る者を取るべし云々
と謂ふが如きは祭事専門家を待て始めて執行することの出来る儀礼である、比較的に簡易なる猶太の祭事と雖も誤謬なく之を行ふことは至難の業と言はざるを得ない。
 茲に至て神が人に代つて供へ給ひし完全なる犠牲の必要が起つて来るのである、群の中より択び来りし全き牡羊に非ずして、神が供へ給ひし「疵なき汚なき羔」が要求せらるゝのである、神の子イエスキリストのみが完全なる祭物である、彼れのみが寔に
  世の罪を任《お》ふ神の羔
である(約翰伝一章二十九節)、彼は又完全に己れを聖父に献げ給ふた、而して人は信仰を以て彼の犠牲を己が犠牲として神に対し完全なる犠牲を献ぐることが出来るのである、イエスキリストは我等の完全なる燔祭、完全なる素祭、完全なる酬恩祭、完全なる罪祭、完全なる愆祭である、カルバリー山上に彼が完全に自己を聖父に献げ給ひてより茲に牛や羊や鳩や小麦や橄欖油や乳香を以てする祭事の必要は全く絶えたのである、我等今彼を信ず(171)る者に礼典の必要は全く無いのである、イエスキリストは犠牲であり給ひしと同時に祭司であつた、彼は完全き祭物を完全に献げ給ふた、我等今や祭物を携へアロンの子孫なる祭司の所に到て我等のために祭典(礼拝)を行ふて貰ふ必要はない、我等は直に我等の祭司の長なるキリストの所に至り彼に託りて直に神に近づくことが出来る、モーセ律の廃棄と之に伴ふ基督者の信仰並に礼拝の自由を詳述した者が新約聖書中の希伯来書である、新約の希伯来書は旧約の利未記と相照らして読むべき書である。
 
(172)     〔人生 他〕
                         大正2年11月10日
                         『聖書之研究』160号
                         署名なし
 
    人生
 
 人生は楽しくある、甚だ楽しくある、然り、然れども人生は短かくある、甚だ短かくある、而して短かき此人生は死を以て終る、而して其中に死に類したる、而して死よりも更らに苦しき多くの苦痛がある。
 斯くも短かき且つ苦るしき人生の後に楽しくして窮りなく生命《いのち》が獲られないならば楽しき人生は決して楽しきものではない、永生に終らざる人生は実に享くるの価値《ねうち》なきものである。
       ――――――――――
 
    沈黙
 
 沈黙、然り、沈黙、沈黙は慧《かしこ》き処世の方法であるからではない、神の深い事を語るに言葉がないからである、殊に之を此世の人々に語るに言葉がないからである、
  イエス何をも答へざりき……方伯《つかさ》等のいと奇《あや》しとするまでイエス一言も答へざりき
(173)と(馬太伝二十七章十二節以下)、ピラト、カヤパ等を以て代表せられし此世の政治家又は宗教家等に対して基督者の採るべき途に唯沈黙あるのみである。
 沈黙、然り、沈黙、此世の人々に対しては我等は沈黙を守るか、然らざれば謎を語るのみである。
 
(174)     市外生活
                         大正2年11月10日
                         『聖書之研究』160号
                         署名 柏木生
 
 余は東京に居る、市外に居る、市内に居らない、余の家に接して畑がある、一町以内に幽《く》らき森がある、森を越ゆれば稲田の谷がある、丘がある、小川がある、富士は西に筑波は東に高く見へる。
 一時問以内に東京の中央に出ることが出来る、然し余は滅多に東京に行かない、もし書店と印刷所とが市外に在るならば余が「東京に行く」の必要は更らに無いのである、然し余は毎日森に入る、田畑の間を歩く、橋の上より流水《なが れ》を瞰る、富士山の巓に大陽の舂《うすづ》くを眺むる、余は市中に近世文明を賞するの必要を感じない、然し毎日青き天然と接せずしては余の霊的生命を継けることは出来ない。
 余は市中に行かない、市中に行て預言者ヨナの如くに余の福音を絶叫ばない、然し簡まれたる少数の霊魂は余の福音を聞かんために静かなる余の所に来る、斯くて我等はコスモスとダーリヤが咲く所に聖書を開いて共に語る。
 文明は二ツの書き物を産んだ、印刷機械と郵便制度とである、是れあるが故に我等は座して全国と、然り、全世界と相共に語ることが出来る、余輩は数千人を入るに足るの大会堂を余輩の狭き机の上に持つのである、使徒パウロの時代に若し是の二つの利器があつたならば、彼は世界的伝道旅行を試みなかつたであらふ、彼はキリキ(175)ヤのタルソに留つて居て、全羅馬帝国に彼の福音を撒布《ふりまい》たであらふ、其点に於て余輩はパウロよりも遙かに幸福である。
 東京は今は東洋のバビロンである、夜々《よなよな》其|空天《そた》に映る瓦斯電気の光はバビロン王ネブカドネゼルが彼の祭りし金の偶像のために夜々|焼《た》きし炬火《たいまつ》の燿《かがやき》のごとくである、今や諸民諸族諸音悉く此所に集り来りて其喧囂の声たる耳に障はりて不快である(但以理書三章を見よ)、バビロンはバベルであつて其意味は「淆乱《みだれ》」である(創世記十一章九節)、東洋のバビロンも亦今や諸政諸宗諸派の衝突軋轢に由て淆乱を極めて居る、余輩は幸にバビロンの外に在りて、其利を利用することあるも其害を避くるを得て感謝する。
 
(176)     晩秋日光山中の探勝
                         大正2年11月10日
                         『聖書之研究』160号
                         署名 曳杖生
 
       其一
   霜枯に錦繍《にしき》は消えて男体山《をとこやま》
   常葉《ときは》に添ふて積る初雪
 
       其二
   仰《あほ》ぎ見る裏見が滝の川下に
   天より落《おつ》る白雪の滝
 
(177)     〔CHRIST AND FRIENDSHIP.キリストと友誼〕
                         大正2年12月10日
                         『聖書之研究』161号
                         署名なし
 
     CHRIST AND FRIENDSHIP.
 
 Christis the centre and core of friendship.Apart from Him,there is no true deep,enduring friendship.What He said is very true:He that gathereth not with Me scattereth. Friends that gather not with Him must scatter,sooner or later.So it was that when Christ was born in Bethlehem,true friendship came into this world.So angels sang on that Holy Night:
    Glory to God in the highest,
    And on earth,peace among men;
that is,friendship,neighborliness,and enduring fellowship among them.Luke,U,14;]T,23.
 
(178) 〔『英和独語集』(大正11年4月15日刊)より〕
 
     キリストと友誼
 
 キリストは友誼の中心又其真髄である、彼を離れて真の深い永久に継続する友誼はない。「我と偕に斂《あつ》めざる者は散らすなり」と彼が曰ひ給ひし其言は深い真理である(路加伝十一章二十三節)。彼と偕に集まらざる友は早かれ遅かれ散ずるのである。斯の如くにしてキリストがベツレヘムに生れ給ひし時に真の友誼が世に出でたのである。故にかの聖き夜に天使は歌つて言ふた、
   最《いと》高き所には栄光神にあれ、
   地には平安人の間にあれ。
 即ち友誼、隣交、永久に絶えざる交際彼等の間にあれとの事である(同二章十四節)。
 
(179)     〔二団の友 他〕
                         大正2年12月10日
                         『聖書之研究』161号
                         署名なし
 
    二団の友
 
 我に友あり二団に分かる、其一団は地に存して我と共に又茲に聖節を迎ふ、他の一団は天に在りて彼等の笑顔は我眼に映らず、彼等の歓声は我耳に達せず。
 然れども地なる者必しも近からず、天なる者必しも遠からず、見ゆる者は我外に在りて我を祝し、見えざる者は我衷に宿りて我を慰む。
 然り、我は我友に由りて囲繞《ゐげう》せらる、地に友群の我を祝ふあれば、天に友群の我を待つあり、我れ此事を思ふてパウロの言を以て叫ばざるを得ず、
  我れ二者の間に介《はさ》まれり、何《いづれ》を撰ぶべきか我れ之を知らず
と(腓立比書一章廿二、廿三節)。
 
(180)    凶作 東北并に北海道の兄弟に代て言ふ
 
 一年の労働無益に帰して茲に歳寒うして凶年を迎ふ、無慈悲なる哉天然、無慈悲なる哉神。
 然り、若し人生の目的にして喰ひ、飲み、衣《き》、繁殖するにあるならば凶作は無意義なり、無慈悲なり、大損害なり、然れども若し人生の目的にして他にあるならば、凶作は必しも損失としてのみ解すべからざる也。
 人生の目的は性格を完成するにあり、自己を覚るにあり、無窮の霊と接触して衷《うち》に無窮なるにあり、神を識るにあり、霊魂を救はるゝにあり、死して死せざるの或者を獲るにあり、而して此人生最大最終の目的に達せんが為めには凶作却て慶事ならずんばあらず、肉肥えて霊飢え、倉廩充ちて心裏空し、断食時に修養に必要なるが如く、凶作時には覚醒のために益あらん、我が存在の理由を解して我は凶作の故に泣かざるべし、然り、泣くべからざるなり。
  其時には無花果《いちぢく》の花咲かず、葡萄の樹には果《み》ならず、橄欖の樹の産は空しくなり、田圃《たはた》は食料《くひもの》を出さず、圏《をり》には羊絶え、小屋には牛なかるべし、然り乍ら我はヱホバに由りて楽しみ、我が救拯の神に由りて喜ばん、主ヱホバは我力なり、彼れ我足を鹿の如くならしめ、我をして我が高き処を歩ましめ給ふ(吟巴谷書三章)。
 信者は斯くの如くにして凶年を迎ふ、彼は唯此慰藉と感謝と歓喜とを懐き得ざる者を憐むのみ。
 
    広くして狭し多くして少し
 
(181) 世界の陸面は五千二百二十五万平方哩、其内我国の面積は十五万平方哩、我家の面積は或ひは千坪、或ひは百坪、或ひは十坪、或ひは一坪も無き者あり、而して最後に我有に帰するは青草の下《もと》の半坪に過ぎず、世界は実《まこと》に広くして狭し。
 世界の人口は十五億を算す、其内我国人と称する者は五千万人、我友は或ひは百人、或ひは十人、或ひは三人、而して我は最後に独り死の河を渡らざるべからず。
 世界の基督信徒は凡そ四億人、其内旧教徒三億七千万、新教徒一億三千万、而かも我が同信の兄弟姉妹と称すべき者は或ひは千人、或ひは百人、或ひは十人、或ひは五人、而して我は最後に鞫かれんがために独りキリストの台前に立たざるべからず。
 広きかな此世界、狭きかな此世界、多きかな人間、尠きかな我友、然れども我はキリストを信じて万物は我有なり、曰く
  万物は汝等の所属なり……汝等はキリストの所属なり、キリストは神の所属なり
と(哥林多前書三章廿一節以下)。
 
(182)     パウロの信仰
         哥林多前書研究の発端 (十一月二日柏木聖書講堂に於て)
                         大正2年12月10日
                         『聖書之研究』161号
                         署名 内村鑑三
 
 パウロの信仰は余輩の信仰である、余輩は茲処にパウロの信仰を説くのである。
 哥林多前書一章一節より三節までに端なくもパウロの信仰が露はれて居る。  一、神の聖旨に由り召されて使徒となれるパウロ及び兄弟ソステネ。
 パウロは使徒であつた、然し自から進んで使徒となつたのではない、彼は自から択み自から努めて此聖職に就いたのではない、彼は召されて使徒となつたのである、併し其召たるや神の聖旨より出たのである、彼は何故に基督者《クリスチヤン》となり使徒となりし乎其理由を知らなかつた、彼は唯測るべからざる神の聖旨が彼をして爾ならしめしを知つた、使徒たるは恩恵の極である、人の希求《ねがひ》も努力も以て此恩恵を其身に招くに足りない、「我れ今斯くなるを得しは神の恩恵に由るなり」と彼は曰ふた(十五章十節)、寔に使徒となるも信者となるも神の恩恵に由るのである、人は自から希求ふて信者となる事は出来ない、測るべからざる彼の聖旨より出たる貴き聖召《めし》に由てのみ人は基督者《クリスチヤン》となる事が出来るのである、予定と云ひ、聖召《》せいせうと云ひ、旧き神学説の如くに聞ゆるなれども、然れども是れまたパウロの信仰であつた事は彼の此言に由るも明かである、彼は劈頭第一に此言を発して彼が実験せし信(183)仰的大事実を開陳したのである。
 「兄弟ソステネ」行伝十八章十七節参照。
  二、書をコリントに在る神の教会に贈る。
 「神の教会」 神のエクレージヤ、エクレージヤは単に会合である、又は会衆である、市会と云ふが如き又は村会と云ふが如き、すべて之をエクレージヤと称した、故に是れは元々教会と訳すべき詞ではない、単に会と訳すが当然である、神の会である、政治を論じ事業を営むための会に非ずして、神を求め、彼を拝し、彼の聖業《みわざ》をなすための会である、人の会に非ずして神の会である、彼の聖意を為さんと欲する者の会合である、聖なる社会である、神の国の一部分である、今の謂ゆる教会ではない、単に宗教的会合ではない、愛の法則を実行して、地上に神の国を実現せんとして成りし信者の社会である。 「コリントに在る神のエクレージヤ」 コリントは当時の殷盛《さかん》なる商業地であつた、上海とか横浜とか云ふが如き貨物集散の地であつた、故に自から物質的であつた、其理想は低くあつた、其通徳は紊れて居つた、故に当時の諺に放逸に流るゝ事を称して「コリントする」と云ふた、而かも福音は此地に根ざしたのである、学問の地なるアテンスに於て一人の信者を獲る能はざりしパウロは商業の地なるコリントに於て多くの有力なる兄弟を得たのである、ソステネの如き其一人である、其他クリスポの如き、ユストの如き、ステパナの如き、ガヨスの如き、市の庫司《くらつかさ》(会計主任)エラストの如き(羅馬書十六章二十三節)、孰れも所謂上流社会の人等が茲処にパウロを迎へ、彼の福音を信じたのである、依て知る学問の地の善き伝道地にあらざることを、之に反して商業地の福音播種の田圃として遙かに有望なることを、求道者として最も希望尠き者は学生である、彼等は僅かばかりの自己《おのれ》(184)の智識に頼りて、全身を活ける犠牲として神に献げんとしない、求道者として商人は遙かに学者以上である、福音は実物を扱ふ商人に受られ易くして、論理に捉はるゝ学者に納られ難くある、福音は大なる事実である、故に先づ第一に実験すべき者であつて然る後に学究すべき者である、アテンスがパウロを斥けてコリントが彼を接《う》けしは当然の順序である。
 「コリントに在る神のエクレージヤ」 俗地に於ける碑の会、「神は智者を愧しめんとて世の愚なる者を選び給ふ」とある、神は俗人の集合地なるコリントに彼の聖会を起し給ひて、アテンスと其の代表せる此世の智識を愧かしめ給ふたのである(使徒行伝十七、十八章を見よ)。
  二つゞき、キリストイエスに在りて潔められ召されて聖徒となれる者。
 神の会の会員は是れである、潔められたる者、而かもキリストイエスに在りて潔められたる者である、単《たゞ》に潔められたる者ではない、単に道徳を聞きて潔められたる者ではない、キリストイエスに在りて潔められたる者である、世の所謂善人又は義人は神の会の会員たるの資格を有たない、彼はキリストイエスに在りて潔められたる者でなければならない。又キリストイエスに由りてゞはない、彼に在りてゞある、キリストの感化に接してゞはない、彼れ我れに在り、我れ彼に在りて、即ち彼と我と一体になりて、我は神の会の一員となる事が出来るのである、神の会は単忙イエスの弟子の会合ではない、キリストの肢《えだ》が相聯りて成る体《からだ》である、会であつて生体である、教権と規則とを以て作り上げたる制度ではない、信者各自がキリストに聯なるより自《おのづ》から成る社会である、キリストイエスに在りて潔められたる者のみ能く神の会の会員たる事が出来るのである。
 「潔められたる」 道徳的に潔くせられたるとも解することが出来る、然し乍ら根本《もと》の意味は聖別である、聖《きよ》く(185)せらるゝ事である、神の所有物(聖物)として甄別《けんべつ》せらるゝ事である、信者は神の所有物として此世より甄別せられたる者である、斯かる者が終に道穂的に潔めらるゝ事は言ふまでも無い、然し乍ら聖別は前《さき》にして聖潔は後である、先づ潔められて然る後に神の所属となるのではない、先づ神の所属として撰定せられて然る後に徐々として潔めらるゝのである、故に「潔められたる者」とは「完全に成りたる者」との謂ではない、神は人の道徳的完成を待たずして彼を神の会の会員として撰定し給ふのである、茲に救拯の奥義がある、理解するに難くある、然れども信者の実験として最も明白なる事実である。
 「召されて聖徒となれる者」 召されて使徒となり、召されて聖徒となる、召されてゞある、自ら欲《この》みてゞはない、婚筵に招かれて客となるを得たのである、自から客たるの資格を兵へて居つたのではない(馬太伝二十二章)。
 「聖徒」 世の所謂「聖人」ではない、聖徳を具して世の模範として人に仰がるゝ者ではない、「潔められたる者」と云ふと同じく、神に聖別されたる者との意である、選ばれたる者と云ふと同じである(羅馬書一章一節)、此意味に於て信者は悉く聖徒である、聖パウロ、聖ヨハネ、聖ペテロに限らない、総ての信者は聖徒である、聖き者ではない、聖き御用のために召されたる者である、使徒ペテロの曰へる
  選ばれたる族《やから》、王なる祭司、聖民《きよきたみ》、神に属《つけ》る者である(彼得前書二章九節)、故に終には聖められて聖者と成るの資格を賜《あた》へられたるものである、信者は自から聖徒と称して高ぶるのではない、彼は自から己を聖むる能はずして、神に己を聖めらるゝと称して、其謙遜を表はすのである、聖書の称ふる「聖徒」なる辞は高慢の辞に非ずして謙遜の辞である、信者は憚らずして自己《おのれ》を称ぶに此辞を以てすべきである。
(186)  二つゞく、我等の主イエスキリストの名を※[龠+頁]ぶ者。
 信者は又是れである、主イエスキリストの名を※[龠+頁]ぶ者である、「名を※[龠+頁]ぶ」とは希伯来語法であつて、「崇拝」の意である、神として祭るの意である、創世記四章二十六節に
  此時人々ヱホバの名を呼(※[龠+頁])ぶことを始めたり
とあるは「ヱホバを祭り始めたり」との意である、亦仝十三章四節に
  彼処《かしこ》にアブラハム壇を築きヱホバの名を※[龠+頁]べり
とあるも同じ意味である、壇を築きて犠牲を供へヱホバを祭りたりとの意《こと》である、故に茲処に「イエスキリストの名を※[龠+頁]ぶ者」とあるは彼を神として崇むる者との意であることは明かである、キリスト崇拝は迷信であると云ふ者あれば夫れまでゞある、然し乍ら、初代の信者がイエスを神として崇めたことはパウロの此言に依るも明確《たしか》である、信者はキリストイエスに在りて潔められたる者、召されて聖徒となれる者、更らに進んで主イエスキリストの名を※[龠+頁]ぶ者、即ち彼を神として崇めた者である、斯くてパウロ及び初代の信者に取りてはキリストの神性は勿論の事であつた、彼等は特別にキリスト神性論を唱へなかつた、然し乍ら、主イエスキリストの名を※[龠+頁]んで彼等は神に事ふるの心を以てキリストに事へたのである、ステパノは死に臨んで天を仰いで曰ふた、
  主イエスよ我が霊魂《たましひ》を納け給へ
と(行伝七章五十九節)、新約聖書を読むに方てキリストの神性を否認して我等に解し難い事が多くあるのである。
   主イエスキリスト
 意味の深い称号である、三称相|聯《つらな》りて救主の性格に関する信者の信仰は遺漏なく其中に示されてある、「イエ(187)ス」は歴史的人物である、ヨセフの子としてマリヤの胎より生れ、ポンテオ・ピラトの時に罪人として十字架に釘けられて死んだ人である。
 「キリスト」はイスラエルの理想の人、ユダヤ人の王にしてダビデの裔《すえ》より生まるべき者、アブラハムが其日を見んと欲したる者、預言者が待望みし神の子である、イエスはキリストなりとは彼の弟子の唱へし所、而してユダヤ人が今日に至るも否《いな》んで止まざる所である、イエスは預言者の一人であるとはユダヤ人と雖も肯ふ所である、然れども彼がキリスト即ちメシヤであるとは彼等が熱烈に反対する所である、初代の信者がユダヤ人の劇烈なる迫害を蒙りし所以は彼等が判然とイエスはキリストなりと唱道したからである、イエスキリストとは信者がユダヤ人に対して発した信仰的戦争の宣告であつた。
 「主」は復活せるキリストの称号である、イエスはダビデの裔なるヨセフの子であり、キリストはユダヤ人の王(首長《かしら》)にして其|救者《すくひて》であるに対して「主」は人類の王にして其救主である、イエスは一人の人である、キリストは一国の王である、主は人類の首である、「主イエスキリスト」と唱へて信者はイエスを選民の理想、万民の救主として認むるのである、歴史的のイエスは普通の人と異ならずして人より生れて人の如くに死んだ、理想のキリストはユダヤ人の理想であつて世界万民の光ではなかつた、雨して霊なる主は今在りてすべての人を照らす「世の光」である、故に謂ふ
   主は霊なり
と(哥林多後書三章十七節)、又謂ふ
  今在り、昔あり、後ある全能の者
(188)と(黙示録一章八節)、昔ありしイエスキリストは今在り、永遠の後まである全能の者である、主は復活せるイエス、今は聖父の右に座し、世界万民のために執成し、彼等を照らし、彼等に真の生命を供し、終に彼等を鞫き給ふ者である、斯くしてイエスはキリストであるに止まらず人類の活ける教主である、パウロは爾か信じた、我等今日の信者も爾《し》か信ずべきである、単に歴史的のイエスを信ずるのではない、又はユダヤ人の理想を我等の理想として仰ぐのではない、死より甦へり、今猶ほ生きて人の間に働らき給ふ霊なる彼を信ずるのである。
  Living universal Lord、
  活きて万民を統治《すべをさ》め給ふ主
彼は是れである、基督信者とは
   イエスキリストは主なり
と称揚《いひあらは》す者である(腓立比書二章十一節)、我等は仏教徒が南無阿弥陀仏と唱ふるが如くに無意味に「主イエスキリス上と唱へてはならない、其中に在る永遠無量の意義を解し、之を我が信仰として口に言表はすべきである。
 信者とは何ぞ、神の会の会員たる者は何ぞとの問に答へて使徒パウロは曰ふたのである、
  信者とはキリストイエスに在りて潔められし者、召されて聖徒となれる者、主イエスキリストの名を※[龠+頁]ぶ者、即ち彼に対して、神に対して奉る崇拝を奉る者
であると、斯かる者が相集つて成つたものが神のエクレージヤであつた、今日の基督教会なる者は果して斯かる者である乎、曰く道徳、曰く慈善、曰くイエスの人格、曰く人類の進歩と、余輩は深く聖書を研究して、神がパ(189)ウロを以てコリントに於て起し給ひし「神の会」を以て今日世に無数に存在する所謂基督教会なる者の如き者でありしとは如何して思ふ事が出来ない。
  二つゞく、彼等の処にも我等の処にも諸《すべて》の処に於て。
 「諸の処に於て」とは世界万国、福音の伝はりし諸の処に於てとの意である、パウロ伝道の当時は信者と云ふ信者は世界孰れの処に在るも主イエスキリストの名を※[龠+頁]んだ者である、即ちイエスを活ける霊なる神と唱へて之を崇め奉つた者である、今日の如く「イエス崇拝」を嘲ける者の如きは其当時に在りては信者としては認められなかつたのである。
 「彼等……我等……」 の言辞は「主」に係はる言辞であつて「処」に係はる言辞ではあるまいと思ふ、即ち改正英訳聖書に傚ひ左の如くに訳すべき者であると思ふ、
  諸処《すべてのところ》に於て我等の主イエスキリストの名を※[龠+頁]ぶ者にまで書を贈る、彼は彼等の主にして亦我等の主に在《まし》ませり
と、即ちパウロは此書簡をコリントの信者にのみ贈つたのではない、同時に又万国の信者に贈つたのであるとの事である、而して「我等の主」と言ひてイエスを独占せんことを虞れて「彼は彼等の主にして亦我等の主」云々の言を書き加へたのであると思ふ、「主」は万民の救主なりとの信仰が茲に又重複されたのである。
 「※[龠+頁]ぶ者にまで」とあるは「※[龠+頁]ぶ者と共に」とも訳することが出来る、其場合に於てはパウロは世界万国の信者を代表して此書翰をコリントに於ける信者に書贈たのであると解すべきである、二者孰れに解するも全体の意義に於て違ふ所はない。
(190)  三、願くは我等の父なる神及び主イエスキリストよりの恩恵と平康《やすき》、汝等に有らんことを。
 「恩恵」は神の愛より出る信者不相当の賚賜《たまもの》である、「平康」は此賚賜を受くる結果として心に生《おこ》る安心である、神よりの恩恵に対して信者の心に平康生ず、「人のすべて思ふ所に過る平康」とは此平康である。
 「我等の父なる神及び主イエスキリストより」 恩恵と其結果たる平康とは父より来り又主イエスキリストより来る、恩恵の源として父なる神と主イエスキリストとは同体である、神より出る物は又イエスより出づと云ふ、同一の賚賜を給与する者としてイエスは神の地位に立ち給ふのである、信者は主イエスキリストの名を※[龠+頁]ぶ者であると云ひ、又主イエスは神と共に恩恵を下し給ふと云ふ、斯くて初代の信者のイエス崇拝は疑ふべくもない、今人が彼等を迷信家と称ぶは勝手である、然し乍ら、新約聖書の録す所の初代の基督教なる者の、イエス崇拝の上に立ちたる者でありしことは公平なる研究者の否定せんと欲するも能はざる所である、Jesus-Cult(イエス崇拝)はパウロの基督教であつた、此事を度外視して彼の書翰は解らない。
 イエスキリスト、キリストイエス、主イエスキリストと四回まで三節の間にイエスの称号が形を変へて繰返されて居るのである、九節の終りまでに九回、殆んど煩しき程までに此名が重複されて居る、殊に其内五回まで「主イエスキリスト」なる全称号が繰返されてあるのは意味のある事でなくてはならない、イエスは単に過去に在りし歴史的人物に非ず、又単にキリスト即ちユダヤ人の王に非ず、異邦人並に世界万民の救主であるとはパウロが繰返し繰返し、高調に高調を加へて、言はんと欲した所であると思ふ、寔にパウロの信仰を一言に約めて言へば此称号に帰したのである、恰かも法然の信仰は南無阿弥陀仏を以て尽き、日蓮の信仰は南無妙法蓮華経に帰した如き者であると思ふ。
(191)   主イエスキリスト
と、イエスの神性を唱へ、同時に又キリストの人性を唱ふ、イエスの神性を否むは異端である 故にパウロは曰ふた、
  人、聖霊に縁るにあらざればイエスを主と謂ふ能はず
と(十二章四節)、即ち神の霊はイエスを主、即ち今生くる遍在の主として人に示すとのことである、パウロの此言と相対して使徒ヨハネは曰ふた、
  凡そイエスキリストの肉体となりて臨り給へることを言表はす霊は神より出づ……凡そイエスキリスト(の肉体となりて臨り給へること)を言表はさゞる霊は神より出るに非ず、即ちキリストに敵する者の霊なり
と(約翰第一書四章二、三節)、即ち神の霊はイエスは主即ち神なりと証《あかし》し又彼は人なりと証するとの事である、イエスは主に非ずと云ふは異教である、同時に亦イエスは人に非ずと云ふも異教である、真の信仰はイエスは神なりと云ひ亦人なりと云ふ、イエスは神人である、「主イエスキリスト」である、福音の真髄は茲に在る、ペテロがイエスに対して
   爾はキリスト、活ける神の子なり
と曰ひし時に福音の基礎《もとゐ》は置かれたのである(馬太伝十六章十六節以下)、神のエクレージヤは此信仰の巌の上に建られたのである、此事は解かるに難い奥義である、然れども基督教は終に此に帰着せざるを得ない者である、
   主イエスキリスト
我等が依て以て救はるべき名は天上、天下之を除いて他に無いのである(行伝四章十二節)。
 
(192)     関東平原の小春
                         大正2年12月10日
                         『聖書之研究』161号
                         署名 柏木生
 
 十一月十三日講堂の工事竣り、十一月分の雑誌出で、天気麗らかにして心静かなりければ詠める
 
  彩れる榎、椋《むくのき》、楢、楓、
   かぎりなき野を覆ふ蒼穹《あをぞら》
 
(193)     東方博士の訪来
         馬太伝二章一−十二節
                         大正2年12月10日
                         『聖書之研究』161号
                         署名なし
 
 朋有り遠方より来る亦楽しからず乎、イエス、ユダヤのベツレヘムに生れて、猶太数会の祭司と学者等、今で云へば監督と神学者等は、暴虐の君主ヘロデと共に之を聞いて甚《いた》く痛みしに反して博士等の東方より来り、彼等を導きイエスの所に到らしめし星を見て甚だ喜び、嬰児《をさなご》を見て拝し、宝の盒《はこ》を開きて黄金乳香没薬等の礼物《れいもつ》(祭物)を献げて其国に帰りたりと云ふ。
 ベツレヘムの東に方る東方とは何処ぞ、博士とは誰ぞ、東方之を訳すれば日之出国の謂なり、然れども此場合に於ては黄金乳香没薬を産したる国とあれば亜拉此亜砂漠の北方に方り、ヨブの三人の友が来りしと云ふテマン、シユヒ、ナアマ等の地方を指して云ふならん乎、ハビラの金は善しと云ひ(創世記二章十二節)、ギレアデは其乳香を以て名あり没薬又熱地の産なれば、茲に云ふ東方とは西はヨルダンの渓谷より東はペルシヤ湾頭に到るまでの地を指して云ふなるべし、文化の盛なりし地とは称すべからず、当時の神学即ち猶太教神学の行はれざる地方なりしは勿論なり、選民の郷土より見て異邦なり、而かもイエスを求むるの心は此地に存せり。
 「博士」は今日我等の称する博士にあらず、ドクトルに非ず、magos《マゴス》と称し当時の識者なり、天文に通じ、時(194)勢を解し、王を輔けて民を導く者なりき、政治家にあらず、然ればとて哲学者にも非ず、天に問ふて地に答ふる異邦の預言者とも称すべき者なりき、霊感鋭くして常識に富み学説に拘泥せずして能く真理を弁別するの明を有せり、異邦の智識と敬虔とを具備せし者なりき。
 猶太教会の神学者等、大光明の己が間《うち》に顕はれしを知らざるに先だちて東方の先覚者来りて之に宝物を献げたりと云ふ、イエスは如斯くにして毎年我等の間に生れ給ふ、彼は教会の内に生れ給ふと雖も監督と神学者とは彼の彼たるを認むる能はず、唯、旧き聖書を開き、其章節を引きて所論基督論を闘はすに過ぎず、活ける真のイエスは神学論の闘はさるゝ教会に認められずして、教会以外の識者の迎ふる所となる、イエスは今や西洋に忘れられて、東洋に崇められんとしつゝあり、イエスの朋友《とも》は近所《ちかき》にあらず遠方《とほき》に在り、教会にあらず、教会以外に在り、欧米にあらず、亜細亜に在り、モーセを学びパウロを講ずる者の間にあらずして、直ちに天然に接し、星を見て其霊気に触るゝ者の間に在り、祭司の長《をさ》と民の学者とは聖書を繙きて嬰児イエスの所在を知れり、然れども都城に止まりて往て之を訪はんとせざりき、東方の博士は然らず、遠方遙かに駱駝に乗じて来り、嬰児を其産室に求め、祭物を献げて之を拝したり。
 時に瑞星天に露はれ、異邦の識者を導きてイエスの許に至れりと云ふ、古来学者にして其説明を求むる者尠からず、或ひは謂ふ、此時二星或ひは三星相合して茲に燦々の光を放てるなりと、然れども星は西方に現はれしに止まらず、博士等に先だちてヱルサレムよりベツレヘムに至り嬰児の居る所に止まりぬと云ふ、依て知る此星の天体の星にあらざりしことを、博士《マゴス》は星を見る者なりしも、ベツレヘムの星は恒星又は遊星の一ツにあらざりしは明かなり。
(195) 然らば何乎、天に現はれし大なる異象か、(黙示録十二章一節を見よ)、或ひは其時現はれて直ちに消えし新星か、(一時的新星の現出は星学上実例なき事に非ず)、偉人の生るゝ時に大星天に現はると云ふ古人の迷信に基く者なる乎、我等今に至りて其実体如何を究むる能はず、我は輝く曙《あけ》の明星なりとはイエス自身が自己に就て言ひ給ひし所なりとあれば(黙示録二十二章十六節)、ベツレヘムの星はイエスの霊なりと解するも敢て不当にあらざるべし、博士《マゴス》は当時の星学者なり、星学者を導くに星を以てす、道は人の光なりと云へば(約翰伝一章四節)、イエスの霊又星学の精神に非ずと云ふを得んや、ベツレヘムの星の現象たる、是れ星学と心理学と信仰と三者相俟て解釈すべき者に非ずや。
 猶太教会の神学者等は旧き聖書を繙きてイエスの所在を知りしと雖も往て之に事へんとはせざりしに、東方の博士即ち日之出国の識者は天の光明に導かれて彼を尋ね、彼を看出して甚《いた》く喜び、宝の盒を開き礼物を献げて之を拝したりと云ふ、預言か、黙示か、比喩か、希望か、耳ありて聴く者は聴くべし。
 
(196)     年末の感謝
                         大正2年12月10日
                         『聖書之研究』161号
                         署名 主筆
 
 年末に際し余が神に対ひて感謝したい事は沢山に有る、然し其内で余が最も切に感謝したい事は余の今日までの生涯が余が欲求《ねが》ひし通りでなかつた事である、若し余の生涯が余が欲求ひし通りであつたならば余は決して今日在るが如き者でなかつた事は何よりも明かである、若し余の生涯が余が欲求ひし通りであつたならば、余は今頃は物質的には遙かに富み、社交的には遙かに高くあつたであらふ、多分博士の号をも有し、高等官とか、或ひは運好くば勅任官とか云ふ肩書をもつて多少世間に幅を利して居つたであらふ、然し其反対に余は今日在るが如く神と親くなかつたであらふ、又キリストの心を知ること至て浅く、聖書は解らず、唯経済であるとか、殖産であるとか、外交であるとか、膨脹であるとか云ふことのみを考へ且つ語りて、有耶無耶の間に極く詰《つまら》なく日を送つて居つたであらふ、社交的に高く且つ広くありしが故に真の友人とては殆んどあるなく、一見して寔に賑かなる生涯を送るやうであつて、実は極く寂寥《さびし》い孤独の生涯を送つて居つたであらふ、若し今日までの余の生涯が余が企図《たくら》んだ通りの者であつたならば、余の享くる幸福は世人の羨む幸福であつて、決して不幸の人を歓ばするやうなる幸福ではなかつたであらふ、若し神が悉く余の気儘勝手なる祈祷を聴納れ給ひしならば、余は高ぶりたる、衿恤《いたはり》の心なき嫌ふべき憎むべき者であつたであらふ、而已ならず半百歳を越へし今日今頃は人生に関し既に倦厭《あき》が来て、(197)余は頻りに隠退を欲《おも》ひ、詩歌天然を友として静かに一生を終らばやなどと云ふ意気地なき思念《かんがへ》に襲はれて居つたであらふ。
 然れども感謝すべき哉、嗚呼実に感謝すべき哉、神は悉く余の欲求を斥け、余の企図を壊ち給ふた、彼は余の欲《ねが》はざる道に余を伴行《つれゆ》き、余の求めざる仕事を余に授け給ふた、余は幾回《いくたび》となく失望に沈んだ、永の年月、独り涙の谷を辿つた、然し恩恵の父は余を導きて今日あるに至らしめ給ふた、
  ヱホバは我を青緑《みどり》の野に臥させ、憩息《いこひ》の水浜《みぎは》に伴ひ給ふ
とは余の今日を歌ふ言葉である、余の聖なる牧者は鞭を以て逐立《おひたて》つゝ無理やりに余を此青き牧場に追込み給ふた、余は此事を思ふて感謝身に溢れて之を言表はすの言葉の無きに苦しむ。
 今日までが斯うであつた、今後とも同じであらふ、余の衷に善き業《わざ》を始め給ひし彼はイエスキリストの日に之を完成うするまでは止み給はないであらふ、彼は今後猶ほ幾回となく余の反逆を医《いや》し給ふであらふ、彼は余の罪人たるに関はらず、其恩恵の故を以て余を終に救ひ給ふであらふ、余の欲求《ねがひ》に反し、余の敵と批評家との余に関はる欲求に反し、余を善き所に伴行《つれゆ》き給ひて、其処に人のすべて思ふ所に過ぐる平和を下して余の心を歓ばし給ふであらふ。
 
(198)     『研究十年』
                           大正2年12月18日
                           単行本
                           署名 内村鑑三
 
〔画像略〕初版表紙194×128mm
 
(199)    自序
 
 『所感十年』に次で茲に『研究十年』を発行す、研究は学究なり又祈求なり又賜給なり、真理は究めてのみ得べからず、祈りてのみ与へられず、賜はりてのみ我有とならず、学究と祈祷と恩恵と三者相俟て之を我有となすを得べし、茲に蒐集せる論文、取るに足らざる者なりと雖も、亦著者相当の読書と思索と熱求と又之を愛《めで》たまふ神の啓示との結果たらずんばあらず、切に乞ふ読者の之を繙くに方て相当の忍耐と祈祷の精神とを以てせられんことを。
  一九一三年十二月三日    東京市外柏木に於て 内村鑑三
 
    附言
 
一、此書は明治三十三年(一九〇〇年)より仝四十三年(一九一〇年)に到るまでの間に於て雑誌『聖書之研究』に掲げられし研究的論文の内より比較的に価値ありと信ずる者を択みて之を一書となせし者なり。
一、論文発表の年月並に掲載の雑誌号数は目次に於て之を録《しる》したり、例へば「神は愛なり【一九〇七、六、八八号】」とあるは該論文は千九百〇七年(明治四十年)六月発行第八十八号より転載せりとの意なり。
                           著者誌
(200)神に関する研究
 神に関する思想(一九一〇、二、一一七号)
 神の単一(一九〇九、九、一一二号)
 神の努力(一九一〇、二、一一七号)
 神は愛なり(一九〇七、六、八八号)
 神の忿怒に就て(一九〇八、一二、一〇五号)
キリストに関する研究
 処女の懐胎は果して信じ難き乎(一九〇七、一二、九四号)
 キリストは何の為に世に降りし乎(一九〇五、一〇、六八号)
 キリストは如何なる意味に於て万物の造主なる乎(一九〇九、七、一一一号)
 バウロのキトスト観(一九〇八、一一、一〇四号)
 キリストの来世観(一九〇八、一二、一〇五号)
 イエスの矛盾(一九〇六、八、七八号)
 イエスは何故に人に憎まられし乎(一九〇九、四、一〇八号)
 姦淫罪に対するイエスの態度(一九一〇、四、二八号)
 イエスと善行(一九〇七、五、八七号)
 イエスの先生(一九一〇、九、一二三号)
 イエスの容貌に就て(一九〇八、一、九五号)
聖霊に関する研究
 聖霊とは何ぞや(一九〇八、九、一〇二号)
 如何にして聖霊を受けん乎(一九〇八、一〇、一〇三号)
 聖霊の進化(一九〇九、五、一〇九号)
 聖霊とは誰ぞ(一九〇九、六、二〇号)
 パラクレートス(一九〇九、二、一一四号)
(201)聖書に関する研究
 聖書は如何なる意味に於て神の言辞なる乎(一九〇二、四、二〇号)
 申命記に就て(一九〇七、八、九、九〇、九二号)
 加拉太書の棉神(一九一〇、九、一二三号)
 疑はしき書翰「牧会書翰」の研究(一九〇九、九、一〇、一一、二二、三、四号)
 約翰書に就て(一九〇七、一〇、九二号)
 黙示録は如何なる書なる乎(一九〇八、こ九五号)
 聖書に所謂る希望(一九〇四、七、五四号)
 聖書に於ける人(一九〇四、六、五三号)
 高等批評に就て(一九〇八、九、一〇二号)
罪と救とに関する研究
 罪とは何ぞや(一九一〇、七、一二一号)
 罪の目録(一九〇九、五、六、七、一〇九、一一〇、一一一号)
 天災と刑罰(一九〇六、五、七五号)
 キリストの死(一九〇九、三、一〇七号)
 キリストの血に就て(一九〇九、二、一〇六号)
 パウロの贖罪論(一九〇八、六、一〇〇号)
 贖罪の真義と其事実(一九〇九、三、一〇七号)
 パウロ微りせば(一九〇六、九、七九号)
 義とし給ふとは何ぞや(一九〇八、三、九七号)
 誰の功績か(一九〇七、一〇、九二号)
予言に関する研究
 天然詩人としての預言者 ヱレミヤ(一九〇九、四、一〇八号)
 偽予言者とは何ぞや(一九〇七、六、八八号)
永生に関する研究
 霊魂実在の真義(一九〇八、八、一〇一号)
 基督教の来世観に関する明白なる事実(一九〇五、九、六七号)
(202) 霊魂不滅に就て(一九一〇、九、一二三号)
 人命は何故に貴重なる乎(一九〇六、一二、八二号)
 基督者は何故に善を為す可き乎(一九〇六、一〇、八〇号)
 
(203)〔フランス語版『余は如何にして基督信徒となりし乎』(表紙)〕
〔画像略〕1913年刊 初版表紙186×120mm
 
 一九一四年(大正三年)一月−六月 五四歳
 
(207)     〔AM I A CHRISTIAN? 余は果してクリスチヤンなる乎?〕
                         大正3年1月10日
                         『聖書之研究』162号
                         署名 Kanzo Uchimura.
 
     AM I A CHRISTIAN?
 
I am a Christian only in the sense that I am a chief of sinners,and am what I am by the grace of God.In any other sense,I am not a Christian.Iam not a memher of any church.Iam not a Catholic;neither am I a Protestant.I have not set my name to any set of dogmas formulated by theologlans.I am not supported hy any one of innumerahle Christian institutions.If I am a Christian at all,I am a Christian only in myinmost soul.Outwardly,I am as unrelated and unpriviledged as any heathen. Ecclesiastically,I pass for "the Gentile and the publican.”
 
(208) 〔『英和独語集』(大正11年4月15日刊)より〕
 
    余は果してクリスチャンなる乎?
 
余はクリスチヤンなりと云ふは余は罪人の首であり、而して余が今日あるは神の恩意に依ると云ふ其意味に於てのみ然るのである。其他の意味に於て余はクリスチヤンではない。余は何れの教会の会員でもない。余は天主教信者でもない、亦プロテスタント教信者でもない。余は教会の神学者等に由て規定せられし何れの信仰箇条にも署名した事はない。余は又数限りなき基督教々派の何れよりも補給を受けない。余が若しクリスチヤンであるならば、余は余の衷心に於てのみ然るのである。外形的には余は不信者同様、教会とは何の関係もなく、亦何の特権をも有たない。教会の信者の間には余は「異邦人又は税吏」として通うる者である。
 
(209)     〔経済上の独立 他〕
                         大正3年1月10日
                         『聖書之研究』162号
                         署名なし
 
    経済上の独立
 
 経済上の独立は最上の独立ではない、其上に思想上の独立がある、信仰上の独立がある、我等は経済上の独立に達したればとて、敢て安心すべきでない、勿論誇るべきでない。
 然れども経済上の独立はすべての独立の始めであつて、其基礎である、先づ経済的に独立ならずして、思想的にも信仰的にも真正《ほんとう》の意味に於ての独立に達することは出来ない、経済は肉に関する事であるが、然し霊に及ぼす其感化は甚だ強大である、人が肉である間は彼は経済的に自由ならずして、其他の事に於て自由なることは出来ない。
 故にすべて自由を愛する者は先づ第一に己が経済的独立を計つた、哲学者としてはスピノーザとシヨペンハウエル、文学者としてはエマソンとカーライル、美術家としてはレムブラント、彼等は自由を愛したるが故に経済的に独立であつた、哲学者カントの如きですら普露西《プロシヤ》政府より俸給を仰ぎし結果、幾回《いくたび》か彼の自由唱道を妨げられし事は人の能く知る所である、独立の無い所に自由は無い、而してすべての独立は経済的独立を以て始まるの(210)である。
 自由基督教の元祖は使徒パウロである、而して彼が如何に経済的独立を重んぜし乎は聖書の明かに示す所である、
  彼れ(パウロ)その業を同じくするに由りて之(アクラとブリスキラ)と偕に止まりて工《わざ》を作《な》しぬ、彼等の職業は天幕を製《つく》る事なり
とある(行伝十八章三節)、パウロは又エペソの信者に対し告別の辞として述べて曰ふた、
  我が此手は(己が手を挙げて曰ふたのであらふ)……我が此手は我れ及び我と偕に在りし者の需用《もとめ》に供へし事は汝等が知る所なり
と(同二十章三十四節)、即ち彼は彼の手の業を以て彼れ並に彼と偕に在りし者の衣食の料をかせぎつゝ彼の伝道に従事したとのことである、
  何物をも人に負ふ勿れ
とは彼の主義であつた(羅馬書十三章八節)、彼はテサロニケの信者に書贈つて曰ふた、
  我等汝等の中に在りて……他人のパンを価《あたへ》なしに食することなく、人を累はさゞらんために労苦して昼夜工を作せり
と(テサロニケ後書三章八章)、以て彼の伝道法の一斑を窺ふことが出来る、パウロは信仰に於て優《すぐれ》て居つたばかりではない、又常識に於ても優れて居つた、彼は価なしに他人のパンを食ふて自由の福音を伝ふることの実際的に不可能事である事を知つた、故に多くの不便を忍びつゝ終生経済的独立を守つたのである。
(211) 而して惟りバウロに止まらない、今の伝道師と雖も経済的に独立ならずして自由の主なるイエスキリストの福音に忠実なることは出来ない、天主教会のパンを食ふ者は自《おのづ》から我意を曲げても天主教会の命に従はんとする、聖公会のパンを食ふ者は自から聖公会の教義に拠て立たんとする、メソヂスト教会のパンを食ふ者はメソヂスト主義に傾き、バプチスト教会のパンを食ふ者はバプチスト主義を弁護する、是れ人情の然らしむる所であつて実に止むを得ない次第である、殊に黄金に最高の価値を置く米国人の補給を受けて我等は彼等の束縛を受けざらんと欲するも能はずである。
 勿論貰ふのであつて盗むのではない、貰ふのは決して罪ではない、我等は米国又は英国、仏国又は露国の宣教師の補給を受くればとて決して神に対して罪を犯すのではない、彼等は喜んで与へんとするのであれば(大抵の場合に於ては)我等も亦喜んで之を受けて道徳的に何の差支も無いのである、故に問題は罪である罪でないの問題ではない、利害の問題である、福音宣伝のためを計つての利害の問題である、
  凡ての物我に可からざるなし、然れど凡ての物益あるに非ず、凡ての物我に可らざるなし 然れど凡ての物徳を建つるに非ず
とパウロは言ふた(コリント前書十章廿三節)、経済上の依頼は我が自由の思想と信仰とに害あり、又他に信仰を勧むるに害あり、故に我は之を避くべきであると言ふのである。
 単に経済上の独立であると言ひて之を実行せざる者は此問題の及ぼす所の如何に深甚なる乎を知らない者である、所謂宗派の害なる者は詮じつむれば経済的依瀬の害に帰着するのである、若し伝道師が各自教会より補給を仰がざるに至れば其時に宗派の害の大部分は全く取除かるゝのである、教師が異なりたる教義を唱ふるのではな(212)い、教会の金が彼等をして之を唱へしむるのである、是れ明白なる事実である、人若し余輩の此言を疑はゞ大胆に経済的独立を実行して其真偽を実験すべきである。
 今や教義を闘はすの必要はない、教義を闘はす前に先づ経済的独立を断行すべきである、天主教会のパンを食ふ天主教会の教師より天主教会の教義に就て聴くの必要はない、聖公会のパンを食ふ者の聖公会の弁護は一顧の価値なきものと見て差支は無いと思ふ、其他の教会の教義亦悉く然りである、縦令自由攻究を標榜するユニテリヤン教会の主張と雖も、其パンを食ふ者より之を聴くも全く無益である。
 故に余輩は曰ふ、先づ経済的に独立せよ、而して後に真理と自由とに就て語る所あれと、甚だ野卑なる言の如くに聞ゆれども、胃の腑の独立は頭脳と霊魂との独立に先だつべきである、胃の腑にして独立せん乎、頭脳と霊魂とは自から独立すべし、避くべく忌むべきは胃の腑の束縛である。
 凡て独立の人は一致す、経済的に独立して、茲に始めて信徒の真の一致和合を見ることが出来るのである、然し乍ら、其事を行はずして百年千年協議を継くるとも真の一致は決して来らない、求むべく、慕ふべきは経済上の独立である。
       ――――――――――
 
    我事に非ず
 
 加特利教と云ひ、プロテスタント教と云ひ、監督教会と云ひ、メソヂスト教会と云ひ、組合教会と云ひ、ユニテリヤン教会と云ふ、是れ皆な外国人の事であつて我事ではない、我等は彼等の論争を輸入して我等の論争とな(213)すべきではない、我等は日本人であり、キリストの弟子である、故にすべて外国の教派を脱却して一体となるべきである。
 
    孤独と少数
 
 聖書之研究である、故に不信者に受けられない無教会主義である、故に宣教師と教会とに納れられない、右にも受けられない、左にも受けられない、然し楽しみ其中に在りである、主イエスは言ひ給ふた、
  二人《ふたり》三人《さんにん》我が名に由りて集れる処には我も亦其中に在り
と(馬太伝十八章二十節)、彼は又言ひ給ふた、
  小さき群よ懼るゝ勿れ、汝等の父は喜びて国を汝等に予へ給ふ
と(路加伝十二章卅二節)、「二人三人」と言ひ給ひ、「小さき群」と言ひ給ふて、社会と言ひ給はない、天下を三分すると称する何教会と言ひ給はない、預言者イザヤは未来の希望を少数の残党《レムナント》の上に置いた、キリストの聖旨は此世に於ては決して多数を以て現はれない、此世に於ては多数は必ず世俗の意である、故に多数を誇るは自から世俗的なるを証明するに等しくなる、徳孤ならずと言ふとも徳多数なりとは言はない 「二人三人」あれば足る、カーライルは常に言ふた「読者よ、我と汝と」と、Thou《ザウ》である、Du《ヅー》である、天下の同志よではない、満堂の諸君よではない、大教会ではない、「小さき群」である、主イエスは其中に在まし給ふのである。
 然れば何をか懼れんである、孤独寔に結構である、少数寔に楽しくある、天下は之を三大教派の三分に任せん、(214)然れども静かなる冬の夕に聖書を読み終りて後に、一人一人《ひとりびとり》と其名を指して我が教友《とも》のために祈らむ。
       ――――――――――
 
    〔米国人の信仰は…〕
 
 米国人の信仰は制度的である、政治的である、其意味に於て米国は今や世界第一の天主教国である。
 
    自覚
 
 自覚は自己の発見である、而して普通の場合に於て自己の発見と云へば自己の価値なきことの発見である、
  善なる者は我れ即ち我肉(肉慾的自我)に在らざるを知る
とはハウロの自己の発見の結果であつた(羅馬書七の十八)、人は何人も自己を発見して其空乏に驚かざるを得ない、才なし、智なし、能力《ちから》なし、善なる者我に在るなしとは彼が自己に就て言はざらんと欲するも能はざる所である、斯くして彼は神に頼らざるを得ざるに至るのである、斯くして彼は寔に謙遜になるのである、自己発見の必然的結果は信仰と謙遜とである。
 然し乍ら、自覚は茲に止まらない、茲に止まるべきでない、自覚は我れ無一物の発見に止まるべきでない、而して大抵の場合に於ては自覚が是れ以上に達せざるが故に謙遜は却て自棄となり自信欠乏に終るのである、自己の無智無能を認めて夫れ以上に達せざれば人は他人の奴隷とならざらんと欲するも得ない、而して彼が此状態に(215)在る時に彼は教会の僧侶の乗ずる所となるのである、汝何事をも知らず、故に神に遣されたる我に聴くべしと言はれて、自己空乏の発見者は之に答ふるの言がないのである、茲に於てか彼は止むを得ず新たに光明を得んがために僧侶に聴き其言ふが儘を信じ、而して謙遜(実は卑屈)の故を以て神の救拯に与りたりと云ひて独り自から喜ぶのである、危い哉自覚、自己の発見、我が荏弱を覚り、無智と無能とを悟りし時に我は教会の僧侶てふ霊界の兀鷹の掴み去る所となる、警めざるべけんやである。
 然し乍ら、自覚は自己空乏の発見に止まらない 人は自己を発見して其処に神の自顕《じげん》に与かるのである、自己空乏の発見は神霊充実のために必要なるのである、天然は空虚を嫌ふと云ふ、而して神も亦天然と等く空虚の存在を許し給はないのである、神が人に謙虚を以て迫り給ふは人が神を以て充たされんがためである、汚水の排除を以て迫り給ふは清水を以て之に代へんがためである、排水されたる池は永久に乾燥の状態に於て在るべきではない、直に清水の注入を受けて池水澄々たるの景況を呈すべきである。
 自己発見は天賦天職の自覚に終るべきである、我に何の善き者あるなしと、我は其事を知るを得て神に感謝す、然れども我に神より授けられし才能あり、我れ亦我ならでは為す能はざる一の事業の我に委ねられしを信ず、神は空無として我を造り給はず、我は個人として彼に造られたり、自覚以前の我は我を我有と解して誤れり 我有としての我は空無なり、無意義なり、罪なり、然れども神の所属としての我は決して価値なき者に非ず、然り、神の所属としての我に永久の価値在て存す、神の所属たるの我は人の奴隷たるべからざる者なり、神の僕たる我は僧侶の誘導に与かるの要なし、我は我主なる神に頼りて人に対しては絶対的に独立なりと、自覚は終に此確信に達すべきである。
(216) 如斯くにして神に頼る自覚は謙遜であつて同時に又独立である、自から己れを卑ふすると同時に又神によりて高く揚げらる、我は万事を知ると言はない、然り、我等の知識は全からずであつて、我が知識は宇宙の一小隅に限らる、然れども我が知るを得し丈けの知識は是れ神が我に示し給ひし所にして我の確知する所である、我は又万事を為し得るとは言はない、然れども我に有る丈けの能力は是れ神が我に賦与へ給ひし所にして我の確有する所である、我は神に対しては荏弱き能力なき嬰児《をさなご》であるが、然し物と人に対しては一人の成人である、我は或事を神に示され、或事を為すべく或力を与へられたる者である、我は真理と事業に対して絶対的に嬰児《あかご》ではない、我は信じて疑はない、我は教会の赤子にあらざることを。
 如斯くにして我は僧侶の誘導と脅喝とを排斥する事が出来る、彼等が若し使徒ペテロの言として
  今生まれし嬰児《をさなご》の乳を慕ふ如く汝等心を養ふ真の乳を慕ふべし、之に由りて汝等|生長《そだち》て救に至らん
と言ひて我に臨むならば(彼得前書二の二)、我は以弗所書記者の言を以て之に答ふるであらう
  今より後嬰児ならず、人の詭譎《いつはり》の術《てだて》の誘惑《まどはし》の巧に蕩漾《たゞよは》さるゝことなく、各様《さま/”\》の教の風に揺動《うごか》されず、愛を以て真理を行ひ、長《そだち》てすべての事|首《かしら》なるキリストに効《なら》ふべし
と(以弗所書四の十四、十五)、自覚が確信に終つて我は数限りなき信仰箇条又は神学説に蕩漾はさるゝことなく、愛と謙遜とを以て真理を行ひ、徐々と生長してすべての事に於いて主なるイエスキリストに効ふ者となることが出来るのである。
 
(217)    謎の聖書
 
 世に聖書ほど広く知れ渡りたる書はない、同時に又聖書ほど人に知られない書はない、世に聖書ほど人に称揚《もてはや》さるゝ書はない、同時に又聖書ほど等閑《なほざり》にせらるゝ書はない、聖書は最も普通なる書である、路傍《みちばた》の雑艸の如くに又河端の礫《こいし》の如くに普通である、然し乍ら、雑艸と礫とを解する者の尠いやうに、聖書を解する者は尠い、世人と教会とはベルグソン研究、オイケン研究、ニーチエ研究、マウパサン研究には至つて熱心であるが、聖書研究には甚だ冷淡である、彼等は「教会の書」として之を看、「お経」として之を崇め、而して自身は其中に蔵れたる深き真理に触れんとしない、彼等は聖書聖書と謂ひて之を頌讃する、然し乍ら、之を学びて其数訓に服従せんとしない。
 実に公然の秘密とは聖書のことを謂ふのである、何人も之を手にするを得て、唯僅かに極くの少数者のみ其教示に与かることが出来る、聖書は浅く観られて実は奥の知れない書である、凡庸視せられて智識の本源である、聖書は其主人公なるキリストと等しく匠人《いへつくり》の棄たる石にして屋《いへ》の隅の首石《おやいし》となれる者である。(路加伝二十章廿七節)
 
(218)     信者の娯楽
         去年十一月十四日東京府下大森加納家に於て開かれしモアブ婦人会の席上に於て述べし所
                         大正3年1月10日
                         『聖書之研究』162号
                         署名 内村鑑三
 
 人には何人《たれ》にも娯楽がなくてはならない、信者は何を娯楽となすべきである乎。
 不信者には多くの娯楽がある、観劇の娯楽がある、寄席の娯楽がある、飲酒の娯楽がある、狩猟の娯楽がある、其他数へ尽せぬ程の娯楽がある、然るに信者は不信者と全く趣味を異にするが故に、不信者の娯楽は信者の娯楽とはならないのである、害のない娯楽としては読書の娯楽あり、美術の娯楽あり、天然を楽しむの娯楽ありと雖も、然れども是れ何人にも楽しむことの出来る娯楽ではない、時と金と学問とを要する娯楽は是は信者何人にも適する娯楽ではない。然らば信者は何を娯楽として其生涯を楽むべきであらう乎。
 信者は神の子である、故に彼は万事に於て神に傚ふべき者である、
  汝等愛せらるゝ児女《こども》の如く神に傚ふべし
とパウロは言ふた(以弗所書四章一節)、故に娯楽の事に於ても信者は神に傚ふべきである、神は何を娯楽《たのしみ》となし給ふ乎、其事が解つて信者の楽しむべき娯楽の何たる乎が判明るのである。
 而して神の愉楽とは他ではない、造化である、物を造ることである、造物主なる彼は造化を以て最上の愉楽と(219)なし給ふ、普通世に称する娯楽なる者と神の愉楽とは正反対である、娯楽と云へば消費することである、自己が一生を費して造りし物を消費すること、或ひは他人が苦労して造りし物を消費すること、其事が世人《ひと》の所謂娯楽である、狩猟の娯楽、飲酒の娯楽、観劇の娯楽、皆な殺伐にあらざれば消費の快楽である 他者に造らしめて、自分は単に壊ち又は費すの快楽である、是れ破壊者の父なる悪魔の楽しむ娯楽であつて、神の楽しみ給ふ所の者とは正反対の娯楽である。
 神は造物主である、造者《つくるもの》である、彼の最大の快楽は造る事である、産む事である、彼は宇宙と其の中に在る万物を造りて喜び且つ楽しみ給ふた、彼は人を造りて喜び給ふた、而して今猶ほ義者と信者とを造りて楽しみ給ひつゝある、創世記第一章を見るに、
  神、陸と海とを造り給ひければ神之を善しと観たまへり、彼れ革と樹とを造り給ひければ神之を善と観たまへり、彼れ日と月と星とを造り之を天の蒼穹《あをぞら》に置いて地を照らさしめ給ひければ神之を善と観たまへり、彼れ魚と鳥とを造り給ひければ神之を善と観たまへり、彼れ家畜と昆虫《はふもの》と獣《けもの》を造り給ひければ神之を善と観たまへり、禅、終に其|像《かたち》の如くに人を造り給ひければ神彼等を祝し給へり、而して最後に神其造りたる諸《すべて》の物を視たまひけるに甚だ善かりき
とある、茲に幾回《いくたび》となく繰返して「善と観たまへり」とあるは「満足に感じ給へり」とか、「喜び楽しみ給へり」とか云ふ意味に解すべき言である、即ち神は造化が一段落を告げし度毎に満足を感じ歓声を揚げ給ひたりとのことである、而して最後に造化の大業を竣へ給ひしや「甚だ善し」と宣ひて大満足を表し、歓喜の大声を揚げ給ふたとのことである。
(220) 而して神は単《たゞ》に物を造るを以て足れりと為し給はない、神は彼の像《かたち》に象《かたど》りて人を造りて最上の満足を感じ給ふのである、故に始めて人の成りしや彼等を祝し給へりとある、「祝す」は祝されし者の幸福であつて祝す者の歓喜《よろこび》である、神が其像の如くに人を造り給ひし時の歓喜満足は他の物を造り給ひし時のそれに比較ぶべくもなかつた。 然し乍ら、神には猶ほ肉なる人を造る以上の快楽があつた、彼は其一子キリストを世に遣り給ひて霊なる人の造化を始め給ふた、信者は神の最上最美の工《みわざ》である、今や宇宙と万物との創造は竣《をは》つて、キリストに似たる霊なる人の創造が行はれつゝある、活ける神は永遠に造り給ふ神である、彼が造り給はざる時とてはない、造化は彼の生命である、彼は造つて歓び、其生命を顕はし給ひつゝある、
  是故に人キリストに在るときは新たに造られたる者なり
と(哥林多後書五章十七節)、又
  我等(信者)は神の造り給へる者なり、即ち彼れ我等をして善事《よきわざ》を行はしめんためにキリストイエスの中に在りて造り給へり
とある(以弗所書二章十節)、神が今信者にありて其造化を続けつゝあり給ふことは驚くべき事実である、而して
  小さき群よ懼るゝ勿れ、汝等の父は喜びて(天)国を汝等に与へ給ふ(汝等に天国を賜ふを以て喜びとし給ふ)
とありて(路加伝十二章三十二節)、神は天国建設と其市民の養成とを以て歓喜となし給ひつゝあるのである。
 神の愉楽は造ることである、故に神の子たる信者の愉楽も亦造ることでなくてはならない、造る事である、造る事である、信者の事業は造る事であつて、其娯楽も亦造ることである、カーライルは屡々叫んで言ふた、
  座すべし、産すべし、たとへ小なる物なりと雖も之を産すべし
(221)と、生産は造化である、人は造て神に似るのである、而して神の霊を心に受けて造らざらんと欲するも能はず、又造るが最上最大の快楽となるのである。
 経済学者は曰ふ、生産は労苦なりと、然れども基督信者は曰ふ、労働は快楽なりと、世に造るに優さるの快楽はない。米を作るの快楽、麦を作るの快楽、野菜を作るの快楽、真正の農夫は知つて居る、農業は大なる快楽であることを 機械を作るの快楽、衣服を作るの快楽、家屋を作るの快楽、真正の工人は知つて居る、工事は大なる快楽である事を、文を作るの快楽、書を著はすの快楽、雑誌を編輯するの快楽、真正の文士は知つて居る、執筆は大なる快楽であることを、教授の快楽、説教の快楽、伝道の快楽、天下何物か、人物養成、霊魂救済に優さるの快楽あらんやである、造ることは総て快楽である、無上の快楽である、此快楽を知らない者は人生を知らない、造つて、造つて、造り続けて人生の窮りなき快楽を覚ることが出来るのである。
 神の快楽たる造ることの快楽、是れが信者の快楽である、物を作ること、思想を産むこと、霊魂を救ふ事、是れが信者の娯楽である、此娯楽がありて他の娯楽は要らない、観劇の娯楽も要らない、旅行の娯楽も要らない、世人の謂ふ娯楽にして物を作るに優るの娯楽は無い、
  人生は娯楽なり
との言は労働製作の快楽を知つて始めて味ふことの出来る言である。
 然らば作らん哉、働かん哉、産せん哉である、或は台所に於て、或は工場に於て、或は机に対して働かん哉、或は手を以てして、或は口を以てして、或は脳を以てして作らん哉である。
  汝等愛せらるゝ児女《こども》の如く神に傚ふべし
(222)造物主の児女は物を造るを以て愉楽《たのしみ》とする、物の大小、尊卑を問はない、造るのが名誉であつて又快楽である、造らん哉、然り、造らん哉!!!
 
(223)     信仰の信仰
                         大正3年1月10日
                         『聖書之研究』162号
                         署名なし
 
 我は神を信じ又信仰を信ず、我は神に在りて信仰の甚だ力強きを信ず、我は我が信仰を以て神に捧ぐる祈祷の必ず聴かるゝを信ず、其の時に聴かれざるが如くに見ゆるは決して聴かれざるにあらざるを信ず、我は神を信ずるに方て休徴《しるし》と異能《ことなるわざ》とを見るを要せず、必ず聴かるべき我が信仰の祈祷は直に奇跡を以て応へらるゝを要せず、我は神を信ず彼の愛を信ず、我は愛なる神が我が信仰の祈祷を斥け給はざるを信ず。
 
(224)     イエスの系図
         系図を以てする福音  去年十二月七日柏木聖書講堂に於て
                         大正3年1月10日
                         『聖書之研究』162号
                         署名 内村鑑三
 
 聖書、殊に新約聖書は世界唯一の書であると云ふ、有益なること第一、興味多きこと第一の書であると云ふ、然るに之を開いて見れば劈頭第一に記てある事は乾燥無味の系図である、論語は「学而時に之を習ふ、亦説ばしからず乎」を以て始まり、法華経は「諸漏已に尽くして復煩悩無く、己利を逮得し、諸の有結《うけつ》を尽くして、心自在を得たり」とありて阿羅漢の頌徳を以て始まる、然るに新約聖書は無愛相にも
  アブラハムの裔《こ》なるダビデの裔《こ》イエスキリストの系図
と云ひて人名の聯続を以て始つて居るのである、書史の意、載せて巻頭の一詞に在りと云へば、論語は時に之を習ふべく、法華経は常に之を称歎すべしと雖も、聖書は味ふべきに非ずと云ひて閉ぢて再び之に目を触れざるに至りし者ありとは余輩の曾て耳にした所である、読者を牽附《ひきつく》る方便として聖書は拙の最も拙なる者である、イエスの系図を巻頭第一に置いて聖書は自分より読者を駆逐《おひや》るのである、何故に山上の垂訓を以て始めざる、何故に愛の頌讃を以て起さゞる、若し今日或人に由て唱へらるゝが如く、聖書の改作が必要であるならば、而して若し其改作が彼等の指名に由て成る聖書改作委員の手に委ねらるゝならば、彼等委員は彼等の新らしき新約聖書を始(225)むるに決してイエスの系図を以て始めない事は何よりも明かである、神の聖書は人の聖書と異り審美的でない、牽引的でない 厳格に事実的である、歴史的である、面白くはない、然し乍ら、路傍の雑艸又は砂礫の如くに意味深長である。
  一、アブラハムの裔なるダビデの裔イエスキリストの系図。
 少しく改訳の必要がある、アブラハムの子にしてダビデの子なるイエスキリストの系図と訳すべきであると思ふ、「裔」と云ふに及ばない、原語の文字通りに「子」と訳すべきである、又「アブラハムの子なるダビデの子イエス」と云ひてイエスとアブラハムとの関係を間接に為すべきでない、イエスはアブラハムの子であつて又ダビデの子であつたのである、即ちイエスは其身に於てアブラハムの信仰とダビデの王威とを代表して居つたのでる、キリスト即ち完全なる救主はアブラハムとダビデの合体したる者である、即ち信仰と権威とを一身に体得したる者である、而してイエスは斯人《このひと》であつたのである、アブラハムの子にしてダビデの子、信仰の長子にして人類の王、
  イエス即ち信仰の先導《みちびき》となりて之を完成《まつたう》する者とある、此の意味に於て彼はアブラハムの子である(希伯来書十二章二節)、  諸の王の王、諸の主の主
と、此意味に於て彼はダビデの子である(提摩太前書六章十五節)、アブラハムの子にしてダビデの子なるイエスキリストと云ひて、イエスに関はる過去と現在と未来とが悉く示されてあるのである、故に是は決して乾燥無(226)味の言葉ではない、歴史的事実を以て言表はされたる最も意味深き言葉である、人の名は其人の性格を示し、事蹟を示し、理想を示す、ナポレオンと云ひ、コロムウエルと云ひ、ワシントンと云ひ、単に固有名詞ではない、ナポレオンの名が若し暴威を示すならば、コロムウエルの名は敬虔を示し、ワシントンの名は自由を示す、聖書に在りてはアブラハムの名は神に喜ばるゝ信仰を示す名であつて、固有名詞ではなくして、普通名詞である、ダビデの名と雖も同じである、聖書知識の間《ぅち》に生育《そだち》しユダヤ人はアブラハムの子にしてダビデの子なるイエスキリストと聞いて、其中に深遠量るべからざる意味を認めたのである、之を乾燥なりと云ひ、無味なりと云ふは爾う云ふ人の無識に因るのである、アブラハムの何人なる乎、ダビデの何人なる乎を知りて、是等の二人を父と有ちし(単に祖先と云ふのではない、父である)……アブラハムとダビデとを父と称びしイエスの何人なりし乎、其深い深い意味が解かるのである。
 
  二、アブラハム  イサクを生み
    イサク    ヤコプを生み
    ヤコブ    ユダと其兄弟を生み
  三、ユダ    タマルに由りてパレスとザラを生み
    パレス    エスロンを生み
    エスロン   アラムを生み
  四、アラム    アミナダブを生み
(227)    アミナダブ  ナアソンを生み
    ナアソン   サルモンを生み
  五、サルモン   ラハブに由りてボアヅを生み
    ボアヅ   ルツに由りてオベデを生み
    オベデ   エツサイを生み
  六、エツサイ   ダビデ王を生み
    ダビデ王   ウリヤの妻に由りてソロモンを生み
信仰のアブラハム静粛のイサクを生み、静粛のイサク感情のヤコプを生み、感情のヤコプ剛毅のユダを生み、斯くて各様《さま/”\》の性格を具へたる父子孫十四代を経てダビデ王に至つた、彼等各自に就て語るべき事は多くある、然れども、茲処に之を語るの必要はない、唯遊牧の民たりしアブラハムと其子孫とがダビデに至りて終にユダヤ国の王たるに至りしことを記憶して置けば足りるのである。
 然し乍ら、猶ほ其他に一つ注意すべき事がある、其れはアブラハムよりソロモンに至るまでの系図の中に婦人の名が四つ記されてある事である 其一がタマル、其二がラハブ、其三がルツ、其四がウリヤの妻とありてバテシバである、其他イエスの系図全部に渉りて婦人の名とては彼の生母たりしマリヤの名を除いては他に一つも録《しる》してないのである、然らば以上五人のほかに旧約聖書はアブラハム家の婦人として記録《しる》す所がない乎と云ふに決して爾うではない、先づ第一にアブラハムの妻サラがある、何故彼女の名を掲げないのであるか、イサクの妻レベカがある、何故怜悧なりし彼女の名を掲げないのである乎、ヤコブは其妻レアに由りてユダを生んだのではない乎(228)(創世記二十九章三十五節)、何故《なぜ》彼女の名を掲げないのである乎、何故に馬太伝の記者は是等有名の婦人を省いて特にタマル外三人の婦人を掲げたのである乎、是れ少しく注意して此系図を読む者に何人にも起らざるを得ない問題である。
 而して是には深い理由があるのである、而して其理由たるや、以て此系図の精神を明指するに足るものである、此系図は是れ決して乾燥無味なる唯の系図ではない、是れまた福音であつて喜ばしき音信《おとづれ》である、乾いたる砂ではあるが、然し金の粒を混へたる砂である、砂金である、豊かに慰藉の金言を混へたる貴き福音である。
 タマルは誰ぞ、彼女は如何なる婦人でありし乎、事は創世記第三十八章に詳かである、彼女は決して名誉ある婦人でなかつた、彼女は其身を娼妓《あそびめ》に装《よそ》ふて彼女の舅なるユダを罪に陥れた、彼女の素情《すじやう》は多分娼妓であつたのであらう、舅が其嫁に対して為せし背倫的行為に由て出来たる二人の子がパレスとザラとである、而してイエスの祖先の中に斯かる者があつたと云ふのである、記者は殊更らに斯かる記事を掲げたのである、祖先の恥辱であつて又子孫の恥辱である、而かも明白に此記事を掲げたのである、其目的|如何《いかに》?
 ラハブは誰ぞ、彼女は如何なる婦人でありし乎 事は約書亜記第二章に詳かである、就て読むべしである、ラハブはタマルと違ひ純粋の娼妓であつた、
 彼等(ヱリコに)往きて娼妓ラハブと名くる者の家に入り云々
とある(二節)、此婦人が後にヨシユア配下の一人なる勇将サルモンに嫁し、彼等の間に儲けし子がルツの夫たりしボアヅでありしとの事である、タマルとラハブ、二人共に娼妓、英一人は多分、其他の一人は確実《たしか》に、而して彼等よりしてイエスが終に世に生れたりと云ふ、驚くべき記事、大胆なる記事、而かも是れ新約聖書の劈頭に於(229)ける明白なる記事である。
 世人《ひと》の立場より見て、パリサイ人の立場より見て、サドカイ人の立場より見て、教会信者の立場より見て、娼妓を祖先に有つことは確に恥辱である、然し乍ら、イエスキリストの立場より見て此事は決して恥辱でなかつた、然り、彼は反つて此事を誇り給ふたのである、彼は曾て自己《おのれ》の清浄を誇りし祭司の長及び民の長老等に告げて曰ひ給ふた、
  実に誠に汝等に告げん、税吏《みつぎとり》(俗吏)及び娼妓は汝等より先きに神の国に入るべし
と(馬太伝廿一章三十一節)、彼はパリサイの人シモンの家に客たりし時に、邑《まち》の中にて悪行《あしき》を為せる或る婦人をして(今日で謂へば醜業婦)香油をもて己が足を濡《うるほ》さしめ、其|頭髪《かみのけ》をもて之を拭はしめ、而して人の彼と彼女とを咎むるあれば大に彼女のために弁じ、終に彼女を顧て言ひ給ふた、
  汝の信仰汝を救へり、安然にして往け
と(路加伝七章三十六節以下)、斯くてイエスに取りては婦人の娼妓たりしことは彼が彼等を愛するに些少《すこし》の妨害《さまたげ》にもならなかつた、彼は神の眼を以て人を視たまふた、即ち人を視るに其の表面《うはべ》(境遇をも含む)を視ずして其|衷心《こゝろ》を視たまふた、娼妓も亦神の女童《こども》である、彼等と雖も神に対する其心の態度如何に由りてはイエスの姉妹たることが出来るのである、而して神は娼妓をイエスの祖先の中に加へて堕落婦人の救済を確かめ給ふたのである、廃娼運動の本原は茲に在るのである、イエスが代りて死たまひし可憐の女子を救はんためである、
  我等は姦淫に由りて生れし者に非ず、我等に一人の父あり即ち神なり
と言ひて自身の清浄を誇りしユダヤ人に対し、彼は汚れし婦人を弁護し、人の子は地に在りて亦姦淫の罪をも赦(230)し且つ之を潔《きよ》むるの権能《ちから》あることを証し給ふた(約翰伝八章四十一節)。
 然らばルツは如何? ルツは異邦モアブの婦人であつた、其民はヱホバの神を拝せずしてケモシの偶像に事へ、所謂「イスラエルの籍に非る異邦人にして、夫《か》の約束を以て結び給ひし契約に与りなき者」であつた(以弗所書二章十二節)、
  モアブ人はヱホバの会に入るべからず、彼等は十代までも何時《いつ》までもヱホバの会に入る可らざる也
とはモーセの律法《おきて》の規定であつた(申命記二十三章三節)、娩に異邦の婦人を娶りて妻となす事はモーセ律の厳禁する所であつた、
  汝、彼等(異邦の民)と婚姻を為すべからず、汝の女子《むすめ》を彼の男子《むすこ》に与ふべからず、彼の女子を汝の男子に娶るべからず
と(申命記七章三節)、今日の言葉を以て言へば、信者は不信者を娶るべからず、又不信者に嫁すべからずとの事であつた。
 然るに見よ、茲に明白なるモーセ律違犯の実例が示されてあるのである、ボアヅ、ルツに由りてオベデを生みとある、真のイスラエル人なるボアヅはモーセの律法の明文に叛きて異邦モアブの婦人を娶りて其妻となしたのである、而してヱホバは其結婚を祝福し給ひて、之に由りてオベデ生れ、両してオべデの孫としてダビデ王は生れたりとの事である、茲に明白なる歴史的事実を以て律法は其根柢より覆へされたのである、
  ポアヅ ルツに由りてオベデを生み。
  人の義とせらるゝは信仰に因る、律法《おきて》の行為《おこなひ》に因るにあらず(羅馬書三章二十八節)。
(231)  イエス曰ひけるは……我れ汝等に告げん、多くの人々東より西より来りてアブラハム、ヤコプと共に天国に坐し、国の諸子《こども》(自称選民、教会信者)は外の幽暗《くらき》に逐出《おひいだ》されて其処にて哀悲切歯《かなしみはがみ》することあらん(馬太伝八章十一、十二節)、
斯くて乾燥無味と称せらるゝイエスの系図の中に大なる福音が蔵れて居る、ボアヅ、ルツに由りてオベデを生めりと云ふ、喜べよ不信者、慰めよ無教会信者、神の選択は寧ろ汝等に在りて聖別を以て誇る所謂信者に在らず、信者は不信者と婚姻すべからずと云ふ乎、馬太伝第一章に曰く、
  ボアヅ ルツに由りてオベデを生み
と、黙せよ監督と牧師と伝道師、我等は明白なる聖書の指示に従ひ、汝等の声に聞かざるべし。
 而してウリヤの妻とは誰ぞ、事は撒母耳後書十一章に詳かである、人が犯せし罪の中で最醜最悪の罪はダビデに由りて此婦人に対して犯されたのである、  ダビデ王ウリヤの妻に由りてソロモンを生み
とある、簡単なる記事其物が姦淫罪の宣告である、他人の妻に由りて子を生めりと云ふ、大王ソロモンはユダヤ人がイエスに対して言ひしが如くに
  我は姦淫に由りて生れし者に非ず
と言ひて自己の清浄を誇る事の出来ない者である、彼は彼の父が他人の妻に由りて生みたる子である、姦淫の子である、而かも彼は「ソロモンの栄華の極《きはみ》の時だにも其|装《よそほひ》この花の一に及ばざりき」と謳はれし其ソロモン大王である、父の恥辱、母の恥辱、子の恥辱、然るに人類の救主はダビデの子と称へられて、此父と此母と此子と(232)を其祖先として有つた者である、
  期《とき》至るに及びて神其子を遣し給へり、彼は女より生れ、律法の下に生れたり、是れ律法の下に在る者を贖ひ、我等をして子たる事を得せしめんがためなり
とある(加拉太書四章四、五節)、ダビデの子と称へられしはイエスに取ては名誉でなくして却て恥辱であつた、然かも彼は能く此恥辱を忍びダビデの罪を己が罪と做し、之を十字架に釘けてダビデの罪を贖ふと同時に、すべてダビデに傚ひて悪むべき姦淫の罪を犯せし者の罪を贖ひ給ふたのである、ダビデの罪を遺伝に受けしイエスは自身罪を犯さゞりしと雖も罪を感ぜざる者ではなかつた、故に謂ふ
  彼れ自から誘《いざな》はれて艱難《くるしみ》を受けたれば誘はるゝ者を助け得るなり
と(希伯来書二章十八節)、イエスの完全をのみ認めて彼の不完全に及ばざる者は救主としての彼の能力《ちから》を充分に享くることの出来ない者である。
 タマルとラハブとルツとパテシバ、姦淫の婦《をんな》と異邦の婦、特に彼等の名をイエスの系図の中に掲げて馬太伝の記者は系図を以て大なる福音を説いたのである、耳ありて聴ゆる者は聴くべしである、神に由らずして何人も斯かる系図を書くことは出来ない、乾燥砂を噛むが如き系図も茲に一篇の詩歌となりて罪に苦しむ人の子を慰め且つ癒すのである。
 
 ソロモンよりヱホヤキンに至るまで十四代に渉りてイエスの祖先は悉くユダヤの王であつた、其内に善き王があつた、又悪き王があつた、アビヤとアサと、ヨサパテとウツズヤと、ヨタムとヘゼキヤとヨシアとは善き王(233)であつた、其他は悉く悪しき王であつた、ヨシアに就て聖書は云ふて居る、
  ヨシアはヱホバの目に適ふ事を為し、其父ダビデの道に歩み、右にも左にも転《まが》らざりき
と(列王紀略下二十二章二節)、之に反して悪しき王なるマナセに就ては云ふて居る、
  マナセはヱホバの前に悪を為し、ヱホバがイスラエルの子孫《ひと/”\》の前より逐払ひ給ひし国々の人が為す所の憎むべき事に傚へり
と(仝二十一章一節)、国王としてのダビデ家の歴史も亦甚だ誇るべき者ではなかつた、而して積悪其極に達して国は亡び民は徙されて七十年の間バビロンの河の畔に懺悔の涙を灑ぐべく余儀なくせられた。
 
 ユダヤ王国の滅亡と同時にダビデの後裔は王位を失ひて再び旧の庶民に化した、ヱホヤキン囚はれてバビロンに※[手偏+(山/〓)]行《つれゆ》かれバビロン王の隷属と成りてより、栄華に誇りしダビデの末葉は社会の地平線下に降り、名も無き聞《きこえ》もなき者と成つた、ヱホヤキン王より十四代の孫に方りしヨセフは「ナザレより何の善者《よきもの》出ん乎」と謂はれし其ガリラヤのナザレに於ける一人の貧しき大工職であつた、家門の零落も茲に至て其極に達せりと謂ふべきである、然し乍ら神の契約は廃《すた》るべきに非ず、聖書は明かにダビデの座位《くらゐ》の再興を預言して言ふた、曰く
  我れダビデに虚偽《いつはり》をいはじ、其裔は永久《とこしなへ》に継続《つゞ》き、共座位は日の如く恒に我が前にあらん
と(詩篇八十九篇三十五、六節)、又曰く
  一人の嬰児《みどりご》我等のために生れたり……彼れダビデの座位に座《すわ》りて其国を治め、今より後|永遠《とこしへ》に公平と正義とを以て之を立て、之を保たん
(234)と(以賽亜書九章六節以下)、ダビデの後裔《すゑ》はヱホヤキンを以て尽くべくなかつた、ダビデよりも大なる者出て彼の後を嗣ぐべくあつた、然し乍ら、布衣六有年、艸は枯れ其花は落ちた、然れどエツサイの根は絶えなかつた、
  ヱホヤキン  シアテルを生み
  シアテル   ゼルバベルを生み
  ゼルバベル  アビウデを生み
  アビウデ   エリアキンを生み云々
と(十二節以下)、シアテルは誰なりし乎、ゼルバベルは誰なりし乎、其他ヨセフの父ヤコブに至るまで、我等は彼等の如何なる人なりし乎を知らない、歴史も亦彼等に就て何の録す所が無い、彼等は僅かに各自其名を一家の系図に留めて無名の墓に葬られたのである、然らば彼等は此世に在りて何等の為す所がなかつた乎、彼等は唯生れて成長《しだ》ちて生んで死んだのである乎、即ち生き甲斐の無き生涯を送つたのである乎、彼等の祖先はアブラハムと云ひ、イサクと云ひ、ヤコブと云ひて信仰の父として謳はれ、或ひはダビデと云ひソロモンと云ひて英名を青史に垂れしと雖も、彼等は無為無能の生涯を送りて草として生え花として消へて了つたのである乎、否な、否な、決して爾うではない、彼等も亦能く大なる天職を完うした、彼等はアブラハム家の家伝を守り、祖先の信仰を維持して之を子孫に伝へた、彼等各自が洵にアブラハムの子であつて又ダビデの子であつた、名を歴史に留むる事、必しも誉むべき事ではない、人は何人も歴史的人物たるべきでない、総て侶ずる者の父なるアブラハムは唯一人あれば足りるのである、野の百合花の如くに装ひしソロモンも亦一人あれば足りるのである、余は悉く平凡の人である、雨して神は特に凡人を愛し給ふのである、世に知られず、又知られんと欲せず、静かに生れて静かに逝
(235)く、エノクの如く神と偕に歩み、父より受けしものを子に伝へ、家訓の中継《なかつぎ》者たるを以て終る、
  エリアキン  アゾルを生み
  アゾル  ザドクを生み
  ザドク  アキムを生み
  アキム  エリウデを生み
  エリウデ  エリアザルを生み
  エリアザル  マツタンを生み
  マツタン  ヤコブを生み
  ヤコプ  マリヤの夫ヨセフを生めり
と(十三−十六節)、アブラハムの信仰とダビデの権威とは如斯くにしてイエスにまで伝へられたのである、偉人英雄は容易に世に出る者でない、之を産するに長き間の準備が要る、イエスはマリヤ一人に由て世に生れ給ふたのでない、家運衰頽の長き年月、能くアブラハム家の信仰を維持し、エツサイの根を絶たざりし彼等無名の聖徒も亦、神子出顕の栄誉に与かつたものである。
 然らば我等も亦、世に知られず名は揚らずとも何をか欺かん、我等も亦、アゾルたりザドクたりエリウデたるを得べし、我等も亦、地平線下に能くアブラハムの信仰を維持し、神が我等の子孫をして、我等が密室に於て彼等に告げしことを、屋根の上より宜播《のべひろ》めしめ給はん其時を俟つべきである(馬太伝十章廿七節)。
(236) 此驚くべき系図に就て猶ほ語るべき事は多くある、又問題となるべき事も尠くない、然し之は他日に譲ることゝなし、其決して乾燥無味の人名の序列にあらざる事丈けは明かである、四福音が伝記を以てしたる福音であるとならば、是れは系図を以てしたる福音である、我等は路傍の礫に宇宙の構造を悉く読むことが出来るやうに、馬太伝記者の編纂に成りしイエスの系図の中に神の愛に関し、人類の救済に関する宏遠量るべからざる貴き真理を探ることが出来るのである。
 
(237)     神の声
                         大正3年1月10日
                         『聖書之研究』162号
                         署名なし
 
 神の声は神の声なり、神より出て直に我が心に響く声なり、国民の輿論必しも神の声にあらず、教会の決議必しも神の声にあらず、法王の声、監督の声、宣教師の声の必しも神の声にあらざるは言ふまでも無し、我等をして心を静かににし神の声を聞かしめよ、而して謙遜に之に服従して、大胆に之を唱へしめよ。
 
(238)     〔超然又超然 他〕
                         大正3年1月10日
                         『聖書之研究』162号
                         署名なし
 
    超然又超然
 
 超然又超然。
 人を憎むからではない、世を嫌ふからではない、人も世も神を離れては空の空であるからである、時の面《おも》に現はれたる泡沫であつて時を経《へ》れば自づから消失《きへう》する者であるからである、如斯くにして政治も空である、外交も空である、実業も空である、芸術も空である、世の所謂宗教も空である、唯神とキリストと実に彼を信ずる者のみ実物《シング》である、故に実物たらんと欲し、実物を握らんと欲して我等は泡沫の世に在て超然たらざらんと欲するも能はないのである。
 超然又超然、詩と歌と聖霊に感じて作れる賦を以て互に相教へ相勧め、(哥羅西書三章十六節)、世人に語るには謎を以てし、謎にあらざれば語らず(馬太伝十三章三十四節)、以て静かに真面目に神の命じ給ひし己が事業に従事するのである、今|暫時《しばらく》せば臨る者必ず臨るべし(希伯来書十一章三十七節)、我等永遠の実《じつ》を逐ふ者は狂人を真似て痴戯を演ずることは出来ない、故に止むを得ず、熱き涙を抑へながらキリストと偕に超然たらんと欲する(239)のである。
――――――――――
 
    近代人
 
 彼に多少の智識はある(主《おも》に狭き専門的智識である)、多少の理想はある、彼は芸術を愛し、現世を尊ぶ、彼は所謂「尊むべき紳士」である、然し彼の中心は自己である、近代人は自己中心の人である、自己の発達、自己の修養、自己の実現と、自己、自己、自己、何事も自己である、故に近代人は実は初代人である、原始の人である 猿猴が始めて人と成りし者である、自我が発達して今日に至つた者である、故に基督者ではない、自我を十字架に釘けて己れに死んだ者ではない、キリストの立場より見て所謂「近代人」は純粋の野蛮人である、唯自己発達の方面が違つたまでゞある、近代人とは絹帽《シルクハツト》を戴き、フロツクコートを着け、哲学と芸術と社会進歩とを説く原始的野蛮人と見て多く間違はないのである。
       *     *     *     *
 彼は自己の慾望を去て神の聖業に参与せんと為ない、却て神をして自己の事業を賛成せしめんとする、近代人はキリストの下僕《しもべ》ではない、其|庇保者《ペトロン》である、彼は彼の哲学と芸術と社会政策とを以てキリストを擁立《もりたて》んとする、即ち彼はキリストに救はれんとせずしてキリストを救はんとする、彼は想ふ、キリストは彼の弁護なくして現代に於ける其神聖を維持する能はずと、所謂「近代人」は自己をキリスト以上に置て彼を批評する、曰ふ「我れ若しキリストの下僕となるならば我は研究の自由を失ひ、我が哲学は滅び我が芸術は死す」と、近代人は堕落せる(240)アダムと同じく、自身神とならざれば止まないのである、寔に彼はアダムの裔である、善悪を識るの樹の実を食ひて目開らけて神の如く成りし者である(創世記二章を見よ)。
       *     *     *     *
 自からキリストの下僕たる事を廃めて而かも基督信者の名を負はんと欲す、曰く我も亦基督信者なりと、キリストの十字架は之を避けんと欲す、而かも基督信者の名誉と利益とは之を受けんと欲す、余輩は曰へり、近代人は自己中心の野蛮人なりと、彼は自己を中心としてキリストに従はずして基督信者たるの利益に与からんと欲する者である。
       ――――――――――
 
    利巧者
 
 余輩は多くの此世の利巧者を見た、彼等は責任の地位を避くる、彼等は決して責任の矢面に立たない、彼等は必ず楯の後に隠れて弓を引く、彼等は決して確信を語らない、又確信を有たんとしない、然り、確信を有たない、有つことが出来ない、彼等は能く時に従ひ、すべての機会と境遇とを利用して此世の競争場裡に立て能く勝を制する。
 然し利巧者は永久の勝を制することは出来ない、時に従ひし彼等は終に時の呑む所となる、確信なき彼等は輿論と同時に世の忘るゝ所となる、彼等は平安に一生を送りて永生を見逃した 彼等は勿論永生を求めなかつた、或ひは之に達するの希望を放棄した、故に永生に達し得ずとも彼等は恨まないであらふ、彼等は奮闘以て永生を(241)贏ち得んよりも安らかにして円満なる一生を択らんだのである。
 利巧者は天国に入ることは出来ない、イエスとパウロとは彼等に要らない、彼等は俗人たるを以て満足する、彼等は天国に攀登らんとしない、彼等は旨く此世を渡らんと欲して其後の事を考へない、而して大抵の場合に於ては彼等は彼等の目的に成功する。
 羨むべきかな利巧者! 羨むべからざるかな利巧者!!
 
(242)     東北救済策
                         大正3年1月10日
                         『聖書之研究』162号
                         署名なし
 
 東北を救ふとは東北人を救ふことである、東北人を救ふとは東北人一人一人を救ふことである、而して人を救ふとは彼を神に導くことである 人を其造主にして父なる神に結附けて其人は完全に救はるゝのである、其時彼は独立の人となるのである、生活問題の彼を悩ますなく、他人の圧迫を被るなきに至るのである、宇宙は広し、天恵限りなしである、神は己に頼る者を助け得て余りあるのである、政府に頼り、政党に頼り、社会に頼りて人は何時までも依頼の人である、東北人各自が神に頼るに至るまでは日本国が総掛りになりて東北を救はんと欲するも、之を救ふことが出来ないのである、東北を根本的に救ふに政党や輿論の力を借るに及ばない、東北に若し幾人かのパウロとルーテルとウエスレーとが起り、而して東北人が是等神の人の言を聴くならば、それで東北は其根低から救はるゝのである、蘇格蘭《スコツトヲンド》は我東北よりも沃饒なる国でない、然るに蘇格蘭人の多数が霊的に救はれて蘇格蘭は今や世界屈指の富国となつたのである、和蘭も爾うである、瑞典《スエデン》も爾うである、丁瑪《デンマルク》も爾うである、国の富は其土地に於てあらずして其民の心に於てあるのである、国の救済を単に経済的方面より看るほど浅薄にして愚かなることはない。
 東北救済? 然り至て容易である、聖書一冊あれば足る、之を手にして其任に当る者は誰なる乎、名士と政治家(243)と新聞記者とに頼るを廃めて直に万物の造主なる神に頼り、東北を完全に救はんと欲する者はなき乎。
 
(244)     年賀状
                         大正3年1月10日
                         『聖書之研究』162号
                         署名なし
 
 「謹賀新年」と、而かもハガキ一枚で、而かも活版摺で、「併せて平素の疎遠を謝し、尚ほ将来の友誼を祈る」と、洵に平素は同じ市に住んで居りながら年中曾て一回も訪問しないで、甚だしきに至ては屡々門前を過ぐるも、曾て一回も立寄りもしないで、年の始めに方て活字摺の葉書で「謹賀新年」を言贈れば其れで「尚ほ将来の友誼」を獲得することが出来ると思ふのは、友誼をあまりに安価く見積つた思考ではあるまいか、年賀ハガキと雖も送るは送らざるに優さると云ふならば其れまでゞあるが、然し送るにしても少しく意味のある誠実を書贈ることゝしたらば如何であらふ乎、殊に誠実を貴ぶ基督信者たる者は世俗の習慣に傚ひ無意味に類したる年賀は之を改めたらば如何であらふ乎(年賀を廃めよとは言はない)、友誼は葉書一枚で持続することの出来る者ではない、友誼の持続は努力と忍耐と犠牲とを要する、日本今日の年賀の習慣は却て友誼の神聖を涜すに至る者ではあるまい乎。
 
(245)     建碑
                         大正3年1月10日
                         『聖書之研究』162号
                         署名なし
 
 ルツ子の墓碑成る、友人の寄贈にかゝる、我家不相応の墓石なり、本間俊平君、其所有の石山より最良の大理石を採掘し入費と労力とを惜まず、之に加工せられし者なり、「再た会ふ日まで」の碑と称す、逝きし者の栄光、残りし者の慰藉、多数の友人の同情を記《とゞ》めて、永へに信、愛、望の記念として存すべし、去年十二月十一日、遺族三人其前に於て簡単なる建碑の式を行ふ。
 武蔵野の真中《まなか》、
 女郎花の咲く所、
 雑司ケ谷の森に、
 我がルツ子は眠る.
 
 大理石の三塊《みかたまり》、
 長門秋吉の産、
(246) 友人《とも》の愛に刻まる、
 再た会ふ日までの碑。
 
 日は富士の巓に入り、
 月は欅の枝に懸る、
 椋鳥は鳥栖《ねぐら》に帰りて、
 夕暮の霞低し。
 
 残るは父母《ふたおや》と弟、
 静かに眠る地下の彼女、
 祈る天上の祝福、
 望む再会の歓喜《よろこび》。
 
(247)     〔LIFE AND LIGHT AND LOVE.生命と光と愛〕
                         大正3年2月10日
                         『聖書之研究』163号
                         署名なし
 
     LIFE AND LIGHT AND LOVE.
 
 Godis Life and He is Light;and because He is Life and Light at the same time,He is Love.Life is vitality,and Light is that which freely gives itself out;and Love is that vitality which freely gives itself for and to others. The Love of Christ is such alove,――light and life at the same time;――the life that rots not hecause it is light,and the light that consumes not hecause it is life.When the Angel of the Lord appeared unto Moses in a flame of fire out of the midst of a bush,and the bush burned with fire,but the bush was not consumed,he saw Christ in love in front of him.The fire burned,but it consumed not the bush,because the fire(light)in that case was life.
 
(248) 〔『英和独語集』(大正11年4月15日刊)より〕
 
     生命と光と愛
 
 神は生命である。彼は又光である。而して同時に生命であり又光であるが故に彼は愛である。生命は活力である。而して光は四方に放散し惜しげもなく自己を他に与ふる者である。而して愛は他人の為に自己を与へて惜まざる活力である。キリストの愛は斯かる愛である、即ち同時に光であり又生命である所の愛である。光であるが故に朽ちざる生命である、生命であるが故に焼き尽さゞる光である。ヱホバの使者が棘《しば》の裏《なか》の火焔《ほのほ》の中にてモーセに現はれし時に、棘は火にて燃えたれどもその棘は燬《やけ》なかつた。モーセは其時に彼の面前に於て愛のキリストを見たのである。火は燃えたれども棘は焼き尽されなかつた、如何となれば其場合に於ては火(光)は生命であつたからである。(出埃及記三章二、三節)
 
(Z49)     〔百年の後 他〕
                         大正3年2月10日
                         『聖書之研究』163号
                         署名なし
 
    百年の後
 
 日本人が宗教の必要を認むるまでに五十年|経過《かゝ》つた、彼等が基督教の必要を認むるまでに更らに五十年経過るであらふ、而して外国宣教師の伝ふる基督教にあらずして日本国自生の基督教の必要を認むるまでには猶ほ更らに五十年経過るであらふ、斯くて余輩の主張の認めらるゝは早くとも今より猶ほ百年の後である、余輩の骨が墓の中に朽《くち》る頃、余輩は余輩が望むやうなる日本人の覚醒を見るのであらう。
 
    智識と信仰と愛
 
 智識は光明なり、信仰は生命なり、而して智識と信仰と相合して輝く生命なる愛は有るなり、智識なき信仰は光なき生命なり、信仰なき智識は煌々として堪へ難し、輝く知識と温かき生命と相合して茲に始めて柔かき光なる愛はあるなり、愛は螢の放つ光の如し、慈光なり、燬尽《やきつく》す火に非らざる也
 
(250)     造化の教訓
         創世記第一章の精神 (一月十八日柏木聖書講堂に於て為せる講演の大意)
                         大正3年2月10日
                         『聖書之研究』163号
                         署名 内村鑑三
 
  一、太初《はじめ》に神、天地を造り給へり。
 聖書は人類救済の歴史である、神が人を造り、之を完成《まつとう》し、之を己が子と成し給ふまでの順序過程を記したる書である、聖書は人を離れて天地を論じない、天然のために為《す》る天然研究は聖書の関与する所でない、人の完成である、人の救済である、天の使等《つかひたち》も知らんと欲する事は斯事である(彼得前書一章十二節)、故に聖書の初巻である創世記の示さんと欲することも亦斯事に外ならない、創世記第一章は猶太《ユダ》人の宇宙創造説を載せるものではない、是は又万物の起源に関する科学的事実を叙述するものでない事は言ふまでもない、是れは人類の救済の立場より見たる宇宙観である、創世記第一章が伝へんと欲する事は斯事である、故に敢て此章を科学的に研究するの必要は無いのである、天文学又は地質学又は考古学を引証して之を説明せんとするに及ばないのである、創世記は聖書の一部分であれば是れ亦聖書的に解釈すべき書《もの》である、即ち人類救済の立場より解釈すべき書《もの》である。
 故に「太初」とは万物の太初を云ふのではない 人類救済の太初である、神の聖業《みわざ》にすべて始初があり又終末がある、「我は姶なり又終なり」と彼は言ひ給ふた(黙示録一章八節)、而して神の聖業の終末は人類の完成である、(251)新らしきヱルサレム備整《そなへとゝのひ》ひて天より降り、復た死あらず哀み哭き痛み有ること無きに至て神の聖業は其終結を告ぐるのである、而して此祝すべき終末に対する太初であるのである、人類の救済は天地の創造を以て始まれりと云ふことである、山未だ生出《なりいで》ず、神、未だ地と世界とを創造《つく》り給はざりし時より、人類救済の聖図は神の聖意の中に存し、彼は其実行の第一着として天と地とを創造り給へりと云ふことである。
 人類が救はれんがためには、然り、我れがキリストの救済に与らんがためには、日月星晨は天空《そら》に懸けられ、山は高く地の上に挙げられ、海は深く其下に掘下げらるゝの必要があつたのである、我が救済は容易の事ではなかつた、是れは我が短かき一生を以て成就げらるゝことではなかつた、我が救済は宇宙の創造を以て始つたのである、此事を思ふて、朝暾《てうどん》水を離れて東天漸く明かなる時、又は夕陽西山に舂《うすづ》きて暮雲地を覆ふ時、又は星光万点螢火の如くに蒼穹に燦爛《きらめ》く時に、我は我が救済の神を頌め、彼に感謝の讃美を献ぐべきである。
  二、地は定形《かたち》なく曠空《むなし》くして暗黒《やみ》淵《わだ》の面《おもて》にあり、神の霊水の面を覆ひたりき。
 天地創造の目的は人類の完成にある、而して地は人類の住所《すみか》として造られたのである、神は人を造り給ふ前に先づ地を造り給ふたのである。然るに其地たるや始めは定形なく曠空くして混沌たる状態に於て在つたのである、淵と云ひ、水と云ふ、勿論未だ水があつたのではない、随つて海も河もなかつた、故に我等が今日称ふ淵の無かつたのは言ふまでもない、「水」は流動体を称ふ、故に瓦斯をもエーテルをも斯く称ふたのである、瓦斯の淵である、際限《かぎり》なく虚空に拡がりし瓦斯の大洋である、而して暗黒が此瓦斯の大洋を覆ふたとの事である、凄愴此上なし、荒涼言語に絶へたりといふ状態である、形状なし又光明なし、故に希望其中に有ることなし 実に造化は失望を以て始まつたのである。
(252) 然し乍ら神の霊水の面を覆ひたりきと云ふ、希望は茲に在つたのである、霊は活気である、働らかんとする生気である、黒暗淵の面にありしと雖も神の霊之を覆ふて黒暗は永久に黒暗として存すべくなかつた、淵(混沌)は永久に淵として存すべくなかつた、「覆ふ」は抱擁の意である 母鶏《めんどり》が卵子《やまご》を翼の下に抱《いだ》くの意である、地は混沌たること鶏子の如くなりしと雖も、愛の翼の之を覆ふありて其中より善き宇宙は生るべくあつた。
 豈惟り太初の地のみならん耶、万物皆な悉く無形に始つて美形に終り、暗黒に始て光明に終り、混乱に始て秩序に終るのである、創世記第一章に曰ふ、地は定形なく曠空しく、黒暗淵の面にありと、黙示録の末章に曰ふ、
  我れ聖き城なる新らしきヱルサレム備整ひて神の所を出て天より降るを見る……城《まち》は日月の照らすことを需めず、そは神の栄光之を照らし、且つ羔、城の月燈《ともしび》なれば也
と、神を識らざる人の霊も、神を離れし人の社会も「黒暗淵の面にあり」と云ひて、其混乱の状を言悉して余す所がないのである、人にして若し其儘に放任せられん乎、彼は永久に混乱の状態より脱出することが出来ないのである、然し乍ら神の霊之を覆ふ(抱《つゝ》む)が故に、光明中に輝き、秩序其中に顕はるゝのである、「神の霊水の面を覆ふ」と、是れ既に大なる福音である、福音は福音書を以て始まるのではない、創世記第一章を以て始まるのである、人の心と世の状態とに就て言はん乎、
  地は定形なくして曠空しく、黒暗淵の面にあり
と言ふより他《ほか》に言葉は無いのである、而して暗黒の方面にのみ注意して我等は世と人とに就て失望せざらんと欲するも得ないのである、而して神を識らざる世と人とは光明の方面を見る能はずして、唯暗黒を見て歎じ、混乱を見て憤るのである、然し乍ら、聖書は之に附加へて言ふ
(253)  神の霊水の面を覆ひたりき
と、茲に光明の半面があるのである、働かんとする愛の神の生気が底なき淵の黒暗の面を抱むと聞て失望落胆の要なきに至るのである、而して太初に無形空漠の地を覆ひし神の霊は今猶ほ地と其上に棲むすべての物を覆ひ抱むのである 故に希望は永久に神を信ずる者の心より絶えないのである、社会の淆乱其極に達するとも、人心の堕落其底を知らずとも、神の霊水の面を覆ふと知るが故に最後の釐革《りかく》を望んで止まないのである。
 
 神は六日の間に天と地とを造り給へりと云ふ、即ち之を六期に分ちて造り給へりと云ふ、即ち大略左の如くである、
  光をして有らしめ、光と暗とを分ち給へり、第一日。
  蒼窄《おほぞら》を作り、上下の水を分ち給へり、第二日。
  下の水は一処に集まり乾ける土顕はる、地(陸《くが》)と海とを分ち給へり、陸は植物を生ぜり 第三日。
  天体を作り之を蒼穹に箝め給へり、第四日。
  初めて生物(動物)を作り給へり、水には魚、空中には鳥を作り給へり、第五日。
  獣類を作り給へり、最後に御自身の像に象りて人を造り給へり、第六日。 始めの三日は準備であつて、後の三日は遂行であつた、第一日に光を有らしめ、第四日に光の貯蔵所たる天体を作り給ふた、第二日に空気と水と(穹蒼の下の水)をあらしめ、第五日に空中に飛ぶ鳥と水中に泳ぐ魚とを作り給ふた、而て第三日に陸と其上に生ずる草木を作り、第六日に陸の上に蕃殖する獣《けもの》と人とを造り給ふた、神の聖(254)業《みわざ》に必ず順序がある、先づ準備があつて然る後に遂行がある、神は御自身の能力に任せて気儘に奇蹟を行ひ給はない、事を為すに方て必ず順序を守り給ふ、而て始めの五日は悉く最後の第六日に備ふるためであつた、御自身の像に象りて人を造るのが造化の目的であつた、天と地とは其れがために造られたのである、造化の最後の目的は霊的実在者の出顕と其完成とであつた、人は実に万物の霊長である、星の作られしも、山の築かれしも、河の穿たれしも、地が森に掩はれしも、森が獣を宿せしも、皆な人が顕はれ、彼が完成うせられて神の子と成らんがためであつた、
  彼を受け其名を信ぜし者には権《ちから》を賜ひて之を神の子と為し給へりとありて、茲に造化の最後の目的は達せられたのである(約翰伝一章十二節)。
 然れども準備は甚だ永くあつた、勿論一日二十四時間の六日ではなかつた、幾百万年又は幾千万年の一日を六回重ねた者であつた、人は永劫に渉る神の労働の結果である、神が特に人を愛し給ふは是れがためである、
  万人救済を受けて真理《まこと》を暁るに至らんことは神の望み給ふ所なり
とある其理由は茲に在るのである(テモテ前書二の四)、人は神の丹精の作であるからである、彼が億万年を費して作り給ふたる者であるからである。
 
 造化の第一着は光の出顕であつた、光にして現はれざらん乎、何事も始まらないのである、
  神光あれと言ひ給ひければ光ありき
と云ふ、光は暗黒の地より発したのではない、神の意識的努力に由て顕はれたのである、神は光である(約翰第一(255)書一の五)、故に光は神より発して地に伝はるものである、神が御自身より光を放ち給ふまでは天にも地にも光はないのである。
 光が顕はれて暗が分明《ぶんみやう》したのである、故に謂ふ
  神、光と暗《やみ》とを分ち給へり
と、光明出顕前の黒暗は黒暗と称せんよりは寧ろ晦冥と称すべき者である、朦朧として判別し難き者である、真の黒暗は光明の反対である、光がありて始めて真の暗があるのである。
 何事に於ても爾うである、先づ光が顕はれて、暗黒が判然と認められて、
然る後に釐革と進歩とは始まるのである、所謂不信の状態は曖昧の状態である、何が然である乎、何が悪である乎判別すること能はざる状態である、
而して光を認めざる多数の人は此曖昧糢糊の状態に於てあるのである、善必しも善ならず、悪必ずしも悪ならずと彼等は謂ふ、彼等はすべて判然なることを諱み、朦朧なるを称して美的なりと云ひ、其蔭に蔵れて不得要領の意味なき生涯を送るのである。
 然れども一日《あるとき》神彼等の心に臨み、光あれと言ひ給ひて光あるや、彼等は始めて光を認むると同時に又暗をも認むるのである、其時彼等の心の中にありて神、光と暗とを分ち給ふのである、神の光に接して人は始めて罪の罪たるを認むるのである、言ふ莫れ人は生れながらにして能く善悪の差別を知ると、然り、朦朧として之を知らん、然れども判然として之を知らざるなり、彼等は多くの悪事を善事として行ひつゝあり、
  光に命じて暗《くらき》より照出でしめたる神、我等をしてイエスキリストの面《かほ》にある神の栄光を知るの光を顕はさしめんために我等の心を照らし給へり
(256)とある此光明接受の実験に与かるを得て始めて判然と善悪の差別を明かにする事が出来るのである。
 故に先づ第一に光をして有らしめよ、然り、光をしてあらしめよ。
 
 明暗の判別、是れ造化第一日の事業であつた、是れに次いて上下の判別があつた、
  神、言ひ給ひけるは水の中に穹蒼《おほぞら》ありて水と水とを分つべし、神、穹蒼を作りて穹蒼の下の水と穹蒼の上の水とを分ち給へり、即ち斯くなりぬ
とある、穹蒼は天蓋であつて、地を蓋ふ円天井である、神は之れを以て上下の水を分ち給へりと云ふ、実に幼稚なる宇宙観である、然しながら、明暗の判別ありて後に天地の判別ありたりとの観察は決して過誤ではない、若し科学の言辞を以て言ふならば、天体地体の分化茲に始まれりと言ふのである、無涯の宇宙に上下なしと言ふを得るならんも、然し乍ら天を上と称し地を下と呼ぶは常識の然らしむる所である、天地の区別、上下の判別は必ず無かるべからざる事である。
 而して此事たる単に現象的宇宙に限らない、すべての事に於て進歩の過程として必然起るべき事である、事物の上下の差別は其価値の差別である、何にが貴くして何が賤しき耶、何が天に属すべき者であつて何が地に属すべきものである耶、其事を判別するは救済の必要条件である、而して神を識らざる多数の人は事物の此評価を明かにせずして幽暗の間に彷徨ふのである、或ひは賤しき人を貴族として仰いで其前に脆き貴き人を国賊と見做して彼を磔殺す、砂礫に類する黄金を財宝として重んじ、金剛石よりも尊き正直の心を塵埃汚穢の如くに扱ふ、神の光明に接せず、其霊的造化に与からざる者の事物の評価は斯くも上下を顛倒して居るのである、茲に於てか彼(257)の心霊の虚空に穹蒼成り、上の水と下の水とを判別するの必要があるのである、天は天、地は地、天に属けるものと地に属けるもの、永久的のものと暫時的のもの、神の属と人の属と、此区別が明瞭にならずして霊魂の救済は行はれないのである、明暗の判別に次ぐに上下の判別がありて、茲に造化は第二日の工《わざ》を竣へたのである。
 
 光顧はれて明暗の判別あり、穹蒼成りて上下の判別あり、次ぎに来るべきは水陸の区別である 動、不動の判別である、
  神言ひ給ひけるは、天の下の水は一処に集りて乾ける土顕はるべし、即ち斯くなりぬ、神乾ける土を地と名づけ、水の集まれる所を海と名づけ給へり。 動く海と動かざる陸、漂流常なき水と万古変らざる山、造化第三段の進歩は此判別である、進歩は分化である、判別である、光と暗との判別、上と下との判別、之に次いで海と陸との判別、斯くして定形なき者は定形ある者となり、造化は徐々として完成に近づいたのである。
 海は変動窮なき状態である、不安不定、移り易き有様である、預言者イザヤは神に叛きし民の状態に就て述べて曰ふた、
  彼等が嘯響《なりどよ》めくは海の嘯響めくが如し、若し地を望まば黒暗と患難あり
と(以賽亜書五章三十節)、又使徒ヤコブは信仰の定まらざる人の有様を叙して
  疑ふ者は風に撼《うごか》されて翻へる海の浪の如し
と言ふた(雅各書一章六節)、之に反して人の救済は完成せられ、地には平康、人には恩恵充るの状態を述ぶるに(258)方て黙示録記者は曰ふた、
  海も亦有ることなし
と(二十一章一節)、騒乱の状態、不安の状態、懐疑の状態、煩悶の状態、之を海と言ふたのである、海は地上の混乱である、其淵である、天地の差別が立て後に猶ほ黒暗は地上の淵の面にあつたのである。
  而して始めに「光あれ」
と言ひ給ひし神は又「乾ける土顕はるべし」と言ひ給ふたのである、怒涛澎湃たる海の中より堅岩洪波を砕く陸《くが》顕はるべしと言ひ給ふたのである、而して神の言に応じて堅くして乾きたる土は顕はれたのである、其如く我動揺せる霊の海の中より神の言に応じて堅き動かざる信仰の巌《いは》は顕はれたのである、我は其時詩人の言を藉りて言ふたのである、
  ヱホバよ爾恩恵を以て我山を堅く立て給へり
と(詩篇三十篇七節)、キリストは我が霊魂の巌である、而して彼を中枢として我が信仰の山は懐疑の海の上に立つのである、
  ヱホバよ爾の真実は万世《よろづよ》におよぶ、爾地を堅く立てたまへば地は恒に在り
とある(仝百十九篇九十節)、暗黒の中に光明あらしめ、曠空の中に上下の区別あらしめ給ひし神は、又海の中より陸を起し給ひて其恩恵の聖業を続け給ふたのである。
 先づ光あり、次に空気と水とあり、其次に青草を以て掩はれたる陸現はる、斯くて生物発生の準備成り、魚と鳥と現はれ、次に獣現はれ、最後に造化の目的物たる人が造られたのである。
 
(259)     自由信仰
                         大正3年2月10日
                         『聖書之研究』163号
                         署名なし
 
 自由信仰と謂ふ、自由勝手に何事をも信ずるの謂に非ず、教会の教権と社会の威圧とを排して信ずべき事を自由に信ずるを謂ふなり、神を畏れ、真理を貴ぶが故に教会の伝説と社会の俗習とに拘泥せずして大胆に神の真理を信ずるを謂ふなり、自由信仰は光明の信仰なり、独立の信仰なり、神を畏れて人の面を恐れざるの信仰なり、世に貴きものにして自由信仰の如きはあらざるなり。
 
(260)     智識と信仰
                         大正3年2月10日
                         『聖書之研究』163号
                         署名なし
 
 智識なくして信仰は迷信に移り易し、信仰なくして智識は冷淡に終り易し、生命は智識と信仰とが相接触するの点に在り、其領域や狭くして、其存在や危し、而かも其価値たるや其れが故に大なり、真生命の黄金《こがね》よりも貴く、純精金《まじりなきこがね》よりも尊きは、万城の玉の如くに、唯稀にのみ地上に存在する者なるが故なり。
 
(261)     信仰の単純
         (一月廿五日柏木聖書講堂に於て)
                         大正3年2月10日
                         『聖書之研究』163号
                         署名 内村鑑三
 
  イエスは神に立られて汝等の智慧又義又聖又贖となり給へり。コリント後書一章三十節。
 信仰は単純なるを要す、単純ならざれば明瞭ならず、又単純ならざれば熱心なる事能はず、幾多の問題に思惟《おもひ》を奪はれ、多数《あまた》の教義に注意を分たれて信仰は熱心ならんと欲するも能はないのである、自己を完うする上から見ても、又他人を済ふ点から考へても、信仰の単純は最も探求《もと》むべき事である、法然上人に由りて仏教が南無阿弥陀仏の六字に簡約せられし時に日本に於ける仏教の普遍的感化が始まつたのである、日蓮上人も亦能く此事を解し、彼の信仰を南無妙法蓮華経の七字に縮約《つづ》めて導化《だうげ》の大功を奏したのである、世に冗漫なる信仰の如く無能なる者は無い、一言以て我信仰を悉《つく》し得るに至るまでは我は我が衷に於て平らかなる能はず、又外に向つて明瞭に我が信仰を述ぶることが出来ない。
 基督教の信仰も亦之を単純に言ひ現はすの必要がある、然らざれば基督教は救霊の大勢力たることが出来ない、曰く基督教哲学、曰く基督教人生観、曰く基督教倫理、曰く基督教社会観と、斯く云ひて基督教は終に言語となりて蒸発し、何の残物をも留めざるに至るのである、今や何が基督教なりやと問ふて簡短にして明瞭なる答を得(262)るに困しむのである、今や東の西より遠きが如く、相距る甚だ遠き教理が同じく基督教の名の下に唱へらるゝのである、而して若し基督教が今日の如く漠然たる者であるならば、その終に寂滅の悲運に遭遇するに至るは決して遠き未来の事でないのである、基督教は之を煎詰《につ》めることは出来ない乎、基督教の純精《エツセンス》なる者は無い乎、基督教は法然上人の仏教の如くに之を僅少の文字に短縮することは出来ない乎、多岐多面が何時までも基督教の特性であるべき乎。
 我等は爾う信じないのである、我等は基督教に其精髄を認むるのである、我等は基督教は甚だ単純なる宗教であると信ずるのである、之を法然の仏教の如くに短かく、然り、之よりも更らに短かく、縮むることが出来ると思ふのである。
 而して初代の信者に信仰の簡短なる表明があつたのである、約翰第一書三章二十三節に於ける神子イエスキリストと云ふが如きは多分此類であつたらふとの事である(ウエストコツト氏註解書第百二十頁参照)、彼等は希臘語の〓〓〓(魚の意)を以て此信仰を言ひ現はしたとの事である、後世に至て魚が教会の表号となりて其紋形として用ひらるゝ至りしは之に基くのであると言はれて居る、即ち〓はイエスの頭文字Xはキリストのそれ、〓は神、〓と〓とは子の略字である、斯くて〓〓〓(魚)の一語の中に彼等の信仰のすべてが包含《つゝま》れてあつたのである、彼等は相互の信仰を表白するに方て常にイクスス(魚)と言ふたのである、イクスス(魚)、イエスはキリストにして神の子なりと、初代の信仰は剰す所なく此簡短なる一語の中に短縮されたのである。
 而して第二十世紀の今日と雖も、基督信者の信仰は初代の彼等のそれと少しも異ならないのである、研究の方面は増し、英領分は拡張せられしと雖も、信仰の清純《エツセンス》は少しも異ならないのである、今日と雖も基督教は何ぞや(263)と問はれん乎、信者は
  基督教はキリストなり
と答ふるより他に簡短にして明瞭なる言葉はないのである。
       *     *     *     *
 基督教の了得はキリストの獲得に在る、基督教はキリストの人格を離れて在る者ではない、基督教はキリストの伝へし教訓ではない、キリスト御自身である、其点に於て基督教は他の宗教と違うのである、仏教は釈迦を離れて在ることが出来やう、儒教は孔子を離れて猶ほ勢力ある教であらふ、然れどもキリストを離れて基督教は無い者である、キリストの歴史的存在を伊奈認して、然り、彼の永久的実在を伊奈定して、基督教は無き者となるのである。
 基督教的哲学と云ひ、基督教的倫理と云ひ、基督教的修養と云ひ、基督教的救済と云ふ、若し斯かる者があるとすれば、是れ他教の哲学又は倫理又は修養に対して比較的に云ふに過ぎないのである、基督教其物に在りては基督教はキリストに帰着するのである、深いも浅いもあつたものではない、広いも狭いも言ふに及ばない、基督教はキリストである、故にキリストを識つた者が基督教を知つたのであつて、キリストを識らない者は、其人が大哲学者であらふが、大神学者であらふが、其人はキリストを知らないのである。
  イエスは神に由りて汝等の智慧また義また聖また贖となり給へり,
と、語は至て簡短である、然し乍ら基督教の真義を言尽した言にして之よりも明瞭にして且つ総括的なる者は無いのである、カルビンが曾て言ふた事がある、全聖書を通して哥林多前書第一章三十節の如くにキリストの聖業《みしごと》(264)の各方面に就て明瞭に言ひ現はしたる言辞を看出すこと難しと、実に其通りである。
 茲に云ふ「智慧」とは今で云ふ哲学である、殊に人生哲学即ち人生観である、而してイエスは信者の人生哲学であるとのことである、実に基督信者に取りてはイエスキリストを離れて別に人生観又は人生哲学は無いのである、「斯人を看よ」である、イエス若し人生を説明し給はずば、人生を説明するの途他にあるなしと信者は言ふのである、イエスに学び、イエスの心を識り、信仰を以てイエスに同化して、宇宙と人生とを其中心に於て窺ふことが出来るのである、故にイエスが信者の哲学であると云ひて我等は謎を語るのではない、夫れ神性の充足は悉く形体をなしてキリストに住めりとある(哥羅西書二章九節)、神を識らんと欲して、而して又彼より出し宇宙と人類とに就て知らんと欲して、神性の充足せるキリストを措いて他に途が無いのである。
 キリストは信者の哲学であると云ひ、同時に又義であると云ふ、此場合に於て「義」と云ふは正義又は仁道又は道徳と云ふと同じである、キリストは基督信者の道徳であるとのことである、一聞して不可解の言のやうに聞える、然し乍ら、事実は言《ことば》通りである、信者の道徳はキリストを措いて他にないのである、主は我等の義と称へらるべしとある(耶利米亜記二十三章六節)、キリスト御自身が信者の義であり給ふと云ふのである、信者の義はキリストに対する彼の個人的関係に於て在るのである、キリストの訓誡を守ると称して、単に倫理学的に福音書に記されたるキリストの教訓を実行せんと欲して人は之を実行する能はざるのみならず、キリストの要求し給ふ心裡の浄潔は努力奮闘に由ては到底達し得られないのである、所謂基督教的倫理なるものはキリストを信ずるに由てのみ、即ちキリストの義を我が義として受けてのみ、之を実行することの出来る者である、孔子の道は孔子を離れて実行することが出来やう、然れどもキリストの道のみはキリストを離れては何人も実行し得ないのである、(265)他の宗教に在ては実行が先きにして信仰が後である、然し乍ら惟り基督教に在ては信仰が先きにして実行が後であるのである 是れ多くの人が基督教に就て躓く主なる理由である、然し乍ら事実は否むべからずである、基督教はキリストである、キリスト御自身の内に彼の義を発見し、之を獲得するに至るまでは信者は信者たるの義を実現することが出来ないのである。
 「聖」は聖成である、聖くなることである、聖めらるゝ事である、汝等を召し給ふ聖者《きよきもの》に効ひすべての行を潔くすべしとある其|訓誡《いましめ》を身に実現する事である(彼得前書一の十五)、信者の品性の完成である、天に在す彼の父の完全きが如く完全くなる事である、名に於てのみならず亦実に於ても聖徒となる事である、而して信者の聖成はキリストであると云ふのである、克己奮励に由るにあらず、斎戒沐浴を事とするにあらずして、キリスト御自身が信者の潔斎であると云ふのである、而して事実は洵に其通りであるのである、基督信者に別に清斎《きよめ》の礼なる者は無いのである、彼は又修養と称して自身修養のために特別の手段方法を取らないのである、彼の清斎は既に行はれたのである、キリストは我等の罪の浄《きよめ》をなして上天《たかきところ》に在す威光の右に坐し給ふのである(希伯来書一の三)、我れ若し人に我が清浄を問はれん乎、我は我が潔白を以て答へないのである、我れ神の台前に立ちて我が完全を要めらるゝ時、我は我が主が我に代りて担ひ給ひし十字架を指して、彼の聖なる要求に応ずるのである、キリストは我が義であるが如くに又我が聖であるのである、我は自己を義とせざるが如くに又自己を聖くせんと為ないのである、而して信仰を以てキリストの聖を我が聖と為さんと欲して我は徐々として彼が聖くあるが如くに聖くなることが出来るのである、義とするは神に在りて聖くなるは自己に在りと云ふは恭謙の言の如くに聞えて、実は信者の聖成の秘訣を知らない者の言である、キリストに由りて信者は神に義とせられ又神に聖くせらるゝ者である (266)神の充足《みちた》れる徳は形体《かたち》をなしてキリストに宿れりと云ふ、而して信者は彼の聖徳を自己に求めずして、之を聖徳の貯蔵所とも称すべきキリストに於て求むるのである、キリストは実に信者の聖である。
 「贖」は贖はるゝ事であつて、罪より釈放たるゝ事である、故に最後の完全の救済である、故に義と聖との終局である、栄《さかへ》を賜はる事である(羅馬書八の三十)、信者に関はる神の聖業《みわざ》の完結である、而して其事がキリストに由て成ることは謂ふまでもない、然し乍らイエスは汝等(信者)の贖《しよく》となり給へりと云ひて、其事が更らに適切に示されたのである、信者の最後の完成は既にキリストに在りて実行されたのである、キリストは信者に代りて罪を滅し給ひしと同時に又彼に代りて栄光に入り給ふたのである、キリストは信者の代人である、信者は信仰に由りてキリストの徳の頒与《ふんよ》にあづかり、又其栄光の享有にあづかるのである、故に謂ふイエスは信者の贖《しよく》なりと、イエス在り給ひしが故に信者の救済は確証せられたのである、信者は今や最後の栄光を待望む者ではない、イエスに在りて既に栄光に浴する者である、イエスが彼の完成、彼の栄光、彼の貴尊である、彼は今猶ほ罪に悩むもイエスに在りて既に完全に罪より贖はれたる者である。
 イエスは神に立られて汝等の智慧(哲学)また義また聖また贖となり給へりと云ふ、深いかな此言や、信者の実験と特権とを言ひ現はしたる言《げん》にして之に優さりて深且つ遠なるものはない、此言の解つた者が基督教を解つた者である、智も徳も望《ばう》も悉く之をイエスキリストに於て有つに至て人は地上に於ける幸福の頂上に達したのである。
       *     *     *     *
 曾て英国聖公会の宣教師の一人が我等の一人に言ふた事がある、
  君等日本人が如何に努むるとも到底基督教を解することは出来ない、日本人は基督教を受けてより茲に僅か(267)に五十年を過ぎたばかりである、然るに我等英国人は之を受けてより既に千数百年、随て其研究も自づから深くある 君等日本人は猶ほ当分の間、基督教は之を我等英国人に学ばざるべからず
と、英国人の自尊心を言ひ現はして実に適切なる言である、而して基督教が若し学問の事であり制度の事であり、研究の事であるならば此宣教師の此言は柔順以て服膺すべきである。
 然し乍ら我等は基督教を爾う解釈しないのである、基督教は学究の事ではないと我等は固く信ずるのである、基督教は信仰の事である、然りパウロの言に循へば基督教はキリストであるとの事である、故に基督教を学ぶに牛津《オクスフホード》又は剣橋《ケムブリツヂ》に学ぶの必要は無いのである、又ヨーク又はカンタベリーの大僧正に就て之を質すの必要は無いのである、イエスは神に立られて汝等の智慧(神学)また義また聖また贖となり給へりと使徒パウロは言ふた、信者の神学はイエスである、彼の倫理はイエスである、彼の清斎《きよめ》(洗礼)はイエスである、彼の完成はイエスである、イエスである、然り、イエスである、教会ではない、監督ではない、長老ではない、又彼等が唱道する神学又は教義ではない、イエスを信じて我等日本人も亦今日直に基督教の奥義に達することが出来るのである、五十年にて充分である、然り、一年にて充分である、然り或る場合に於ては一瞬間にて充分である、
  汝等我を仰ぎ瞻よ、然《さ》らば救はれん
と主は言ひ給ふのである、我等救はれんが為めには、而して基督教の奥義に徴底せんがためには、英国人に学ぶの必要は更らに無いのである 我等は外国宣教師の手を経ずして直に神に至り彼の完全なる救済に与かることが出来るのである。
 基督教は神の子イエスキリストである、教会でなく、神学でないのは勿論のこと、倫理でもなく又修養でも無(268)いのである、又基督教はイエスキリストであつて、キリストの弟子の誰彼《たれかれ》に於て在るのでは無いのである、人が直接にキリストに往き、彼に在りて万事を発見するまでは其人は斯教を解つたのではないのである、キリストの教訓を透《と》うして彼れ御自身に達して我等は始めて円満に斯教を解することが出来るのである、故に言ふ
  イエスに往け、イエスに往け、と。
 
(269)     神の声
                         大正3年2月10日
                         『聖書之研究』163号
                         署名なし
 
 神の声は神の声である、勿論教会の命令ではない、社会の要求ではない、国民の輿論ではない、神の声である、細き而かも確かなる神の声である、此声が心の耳に響けば起つ、響かざれば大山が崩れても起たない、信者は神の僕である、故に教会の決議や社会の動揺に由て動くべきでない。
 
(270)     死すべき時
                         大正3年2月10日
                         『聖書之研究』163号
                         署名 主筆
 
 天《あま》が下の万の事に時あり、生まるゝに時あり、死るに時ありと云ふ(伝道之書二章一、二節)、然らば信者の死すべき時とは如何なる時である乎。
 信者は必しも長寿を保つべきではない、死は彼に取りては神の呪詛《のろひ》ではない、彼に死すべき時がある、其時が来れば彼は感謝して死すべきである。
 信者は神の僕である、主人より特殊の要務を委ねられたる者である、故に彼は此要務を果たすまでは死すべきでない、而して彼は其時までは決して死ないのである、リビングストンの言ひし
  我等は天職を終るまでは不滅なるが如し
との言は信者の確信である、彼の罹りし疾病の輕重を問ふに及ばない、彼に猶ほ天職の完成せざるものがあれば彼は死ないのである、然れども彼が若し既に果たすべきの事を果たし了りしならば彼は死ぬるのである、彼は長寿の祈求《ねがひ》を以て神に迫りてはならない、既に用なき者は此世に存《ながら》へるの必要はないのである、何ぞ徒《いたづら》に地を塞がんやである(路加伝十三章七節)、僕は主人の用を果せば夫れで去つて可いのである 彼は心に言ふべきである、我は長く生きんことを欲せず、我は唯我主の用を為さんと欲すと。
(271) 信者は神の僕であると同時に又神の愛子である 故に神は彼が成熟して天国の市民たるの資格を具ふるまでは彼を此世より召し給はないのである、信者の此世に在るは疵なき汚《しみ》なき者となりて主の台前に立たんとする其準備を為すがためである、而して此準備の成るまでは彼は世を去らんことを欲せず、而して又神は彼をして世を去らしめ給はないのである、然れども準備既に成り、彼の新郎《はなむこ》なる羔を迎ふるの修飾《かざり》整ひし暁には彼は何時此世を去りても可いのである 問題は長寿短命のそれではない、完備不備のそれである、新郎を迎ふるの準備なりて新嫁《はなよめ》は一刻も早く彼の懐に赴きたく欲《おも》ふのである。
 然りと雖も信者は自身で劃然と彼の死期を定むることは出来ない、彼は果して彼の天職を成就《なしとげ》しや否なや、又彼は果して天国に入るの準備を完成せしや否やを確定することは出来ない、然し乍ら彼は神は愛なりと信ずる、彼は今日までの彼の実験に於て、彼の生涯の全く愛なる神の摂理に由て型成せられし者なるを信ず、故に彼は彼の生涯の結末に於て神が彼を運命の潮流に委棄し給はざるを信ず、即ち、彼は彼の神が死すべき時に彼をして死なしめ給ふ事を信ず、即ち恩恵の手の裡に導かれ来りし彼は死すべき時ならでは死せず、又彼の死する時は彼の死すべき時であることを信ず、神に依顧《よりたのむ》む彼は万事を彼に任かし奉るのである、況して人生の最大事なる死に於てをや、彼の生涯の指導に就て誤り給はざりし彼の神は、彼の生涯の最大事件なる死の時期を択ぶに於て決して誤り給はないのである。
 故に信者は安心して死に対すべきである、必しも生を求めず又必しも死を願はず、生くるも主のため、死するも主のためである、死すべき時に死するは大なる恩恵である、若し徒らに生を希ふて死すべき時に死なざれば不幸是より大なるはない、死すべき時に遇ふの死は光明に入るの門である、死は最大の不幸なりと謂ふは信者の謂(272)ふべき事ではない、彼は唯死すべき時に死なんことを求ふのである、其時よりも早からず其時よりも遅からず。
 
(273)     攻撃の歓喜
                         大正3年2月10日
                         『聖書之研究』163号
                         署名 柏木生
 
 余を撃つ人がある、其人は自身は余よりもより善き人であると信じ又余が為すよりもより善き事業を為し得ると信ずるが故に余を撃つのである、撃たるゝは勿論苦痛であるが、然し余が為すよりもより善き事業が彼等に由て為さるゝと思へば是又大なる歓喜である、余は余を撃つ人等が単に言葉を以て撃つに止まらず、撃つ其褒むべき動機を事業の上に顕はし、以て世を益し、神の栄を顕はさんことを祈る。
 
(274)     〔MYSTICS! 神秘家!〕
                         大正3年3月10日
                         『聖書之研究』164号
                         署名なし
 
     MYSTICS!
 
 They call us mystics because We do not walk with them,and work like them;because we trst in the invisible Spirit,and not invisible institutions,organizations,“Christian movements,”and those things.Mystics? Yes,We rather like the name.Was not Luther a mystic,and Paul the greatest of all mystics?“And it shall come to pass in the last days,saith God,I will pour out of my Spirit upon all flesh;and your sons and your daughters shall prophesy,and your young men shall see visions,and your old men shall dream dreams;”i.e.they shll all be mystics.Why then sholld we not attempt to b emystics ourselves,and be unlike unmystical,practical,political,worldserving modern Christians?
 
(275) 〔『英和独語集』(大正11年4月15日刊)より〕
 
     神秘家!
 
 彼等は余輩を呼んで神秘家と称す、其故如何となれば余輩は彼等と偕に歩まず、又彼等の如くに働かず、見えざる霊に頼りて見ゆる制度、組織、所謂基督教運動、又は是等に類する事に加はらないからである。神秘家とよ? 然り余輩は寧ろ斯く呼ばれんことを好む。ルーテルは神秘家であつたではない乎、而してパウロは最大の神秘家であつたではないか。聖書に言はずや「神言ひ給はく、末の世に至りて我れ我が霊をもてすべての人に注がん、汝等の子女も予言すべし、又汝等の幼者は異象《まぼろし》を見、老人は夢を見るべし」と、即ち彼等は神秘家たるべしとの事である。若し然りとすれば余輩は神秘家たらんと欲し、而して又非神秘的にして、実際的にして、政略的にして現世的なる現代的基督教信者に傚はざらんと欲して努めずして可ならんやである。(使徒行伝二章十七節)
 
(276)     〔日本人とキリスト 他〕
                         大正3年3月10日
                         『聖書之研究』164号
                         署名なし
    日本人とキリスト
 
 日本人は言ひ来つた、我等は西洋人の文物は何んでも要る、其鉄道も要る、電信も要る、電話も要る、其憲法も要る、法律も要る、経済も要る、銀行制度も要る、其工学も要る、鉱山学も要る、水理術も要る、英文学も要る、美術も要る、哲学も要る、皆んな要る、然し乍ら、茲に唯一つ要らない者がある、其れは西洋の宗教である、耶蘇は要らない、基督教は要らない、道徳は日本道徳で充分である、耶蘇は国を売り、忠孝に逆ふ宗教である、故に是れは全然排斥すべき者である、物質的文明は之を西洋より学べよ、然れども精神的文明は之を西洋に教へよ、精神の一事に於ては日本は遙かに西洋の上に居る、故に何者に成るとも耶蘇坊主に成る勿れ、官吏、鉱山師、政法学者、農学者悉く可なり、然れども汝等日本国の有望の青年よ、汝等は耶蘇坊主に成るべからず、否な断じて成るべからずと、日本人は今日まで斯く言ひ来つたのである、而して彼等の政治家は此方針に由りて国を治め、彼等の教育は此主義に則りて施されたのである。
 然しながら今日に至りては如何、耶蘇は果して要らない乎、道徳は果して忠孝丈で充分である乎、日本国は国(277)家として又国民としてキリストの福音を嫌ひ、すべての機会を利用して之を排斥し来つて大なる損害を感ぜざる乎。 日本人今日の家庭は如何に、其法律を重んずるの心は如何に、其隣人を敬ふの精神は如何に、其国民の憧憬する理想は如何に、其美術家文学者等の独創力に乏しきは如何に、其会社組織に固着力薄きは如何に、其大詩人の出ざるは如何に、其忠孝道徳すら歳毎に廃たれ行くは如何に、其他数へ来れば国家的并に社会的主要問題にして日本人の解決に困しむ者何ぞ多きや、西洋文明の精神的根柢のキリストの福音にあるは世界の輿論である、然るに日本人は西洋文明の外殻《から》を採用するに汲々として其|核実《たね》は全然之を斥けたのである、蒔かぬ種は生えぬ、日本人は国家として又国民として生命の主なるイエスキリストを嫌悪排斥して自己に大なる損害を招いたのである。
 如斯くにして日本人は神と彼の遣はし給ひしキリストを斥けた、然し乍ら、神は日本人を棄て給はなかつた、神は自から彼等の中の或者を招き給ひて彼等の中に在りて彼の証人《あかしびと》として立たしめ給ふた、神の恩恵に由り日本人は今や全くキリストを識らない国民ではない、其牧伯と民の学者等が公然神の子を誹謗しつゝありし間に、貧者《まづしきもの》は福音を聞き、瞽者《めしい》は其|心霊《こゝろ》の眼を開かれた。
 今や大なる試練は斯国に臨みつゝある、生命の主を抜去りし西洋文明は果して斯国を救ふに足る乎、来らんとする事実は此問題を解決すべくある、此は恐るべき主の審判《さばき》の日である、其日に日本国の智者と権者とは世界凝視の中に神に鞫かるゝのである、而して其日に至りて彼等が今日まで無用物として視、国賊として窘迫《くるし》め、世の汚穢《あくた》また万物《よろづのもの》の塵垢《あか》として擯斥せし者が、実に国家が拠りて立つ所の基礎《いしづえ》、社会の生命、善中の至善である事に初めて気が附くであらふ、而して其日に至りて
(278)  工匠《いへつくり》の棄たる石は家の隅の首石となれり
との聖書の言葉が文字の通りに実現するであらふ。馬太伝廿一章四十二節。二月十四日世問が騒擾を極むる日に記す。
       ――――――――――
 
    呪詛と恩恵
 
 余はイエスを余の救主として認めてより茲に三十六年、今日まで教会の教師と信者等に呪詛はれしこと其の幾回《いくたび》なるを知らず、曰く君は教会に入らざるが故に滅ぶべしと、曰く君は贖罪の教義(彼等が唱ふるが如き)を信ぜざるが故に滅ぶべしと、曰く汝は神癒の奇跡を信ぜざるが故に滅ぶべしと、曰く汝は独立を唱へて世を欺瞞するが故に滅ぶべしと、曰く滅ぶべし、滅ぶべし、滅ぶべしと、余が今日まで教会の人等に滅亡を宣告せられしこと其幾回なるを知らず。
 余は神の前に立て洵に罪人なり、故に滅亡を宣告せられて余は之を拒否する能はず、然り、余は既に罪に定められし者にして神に滅亡を宣告せられし者なり、余は此事を自覚せしが故に救はれんと欲してキリストの許に走りし者なり、余は教会の呪詛を聞く前に既に業に自己《みづから》の呪詛の子なる事を発見するを得せしめられし者なり。
 然かも恩恵の神は今日まで余を滅し給はざりし、彼は恩寵に恩寵を加へて今日まで余を導き給へり、余は勿論自己の将来を知らず、然れども過去より推て将来を量りて余は神が終に余を滅し給ふとは信ぜんと欲するも信ずる能はず、余に罪多きは余の自ら知る所なり、人、何人か罪の子ならざらんや、若し余の罪の故に神が余を滅し給ふとせん乎、余は今日までに既に滅さるべかりしなり、然かも神は人が鞫くが如きに鞫き給はざるなり、彼は(279)余が最も遠く彼より離れし時に最も強く余を愛し給へり、神の愛に虚偽《いつはり》あるべけんや、彼は余を欺かんがために余を愛し給はざるなり、過去に於ける彼の愛は余をして最後に於ける彼の衿恤《あはれみ》を信ぜざらんと欲するも能はざらしむ。
  我等の滅びざるはヱホバの仁慈《いつくしみ》に因る、
  その憐憫《あはれみ》の尽きざるに因る。
 余の滅びざるも余の信仰の正しきが故にあらず、余の品性の完全なるが故にあらず、ヱホバの仁慈に因るなり、その憐憫の尽きざるに因るなり。(耶利米亜哀歌三章廿二節)。
 故に余は人の呪ふ所となるも恐れざるなり、余は余の信《たよ》る者の誰なる乎を知る、而して彼は呪詛ふ者に非ずして恩恵む者なり、活かす者にして、滅す者にあらざる也。
       ――――――――――
 
    愛の標号
 
 ヱホバの使者棘の裏の火焔の中にてモーセに現はる、彼れ見るに棘は火に燃れどもその棘※[火+毀]ずと(出埃及記三章二節)、茲にヱホバの愛は標号を以てモーセに現はれたり、愛は火焔(光)なり、棘之に由りて燃ゆ、然れども愛は熱火に非ず、チゲ之に由りて※[火+毀]ず、愛は輝くも熱せず、光《てら》すも※[火+毀]かず、愛は暗夜に人を導く「親切なる光」なり、正午の太陽に非ず、輝く《あけ》曙の明星なり(黙示録廿二章十六節)、汝の神ヱホバは※[火+毀]尽す火なりと云ふと同時に、又我等の滅びざるはヱホバの愛に因り其憐憫の尽ざるに因ると謂ふ(哀歌三章廿二節)、棘は火に燃れどもその(280)棘※[火+毀]けずと云ふ、愛の標号にして之に優さりて美且つ完なるはなし、キリストの御父なる真の神の愛を点ぜられて、我霊は燃れども焼けず、人も亦我に接して義の太陽の和照《あたゝまり》を受くるも、其熱火の打つ所とならざるべし(詩篇百二十一篇六節)。
       ――――――――――
 
    何のための艱難乎
 
 何のための艱難である乎。
 罪を罰せらるゝための艱難ではない、愛なる神は人の罪を罰するために艱難を下し給はない、然らば何のための艱難である乎。
 自分の罪を贖ふための艱難ではない、若し艱難の目的が茲に在りとすれば、自分は終生艱難を継続くるも其目的を達し得ないのである。
 亦他人の罪を贖ふための艱難ではない、我は焼かるゝために我身を与ふるとも他人の罪を贖ふことは可能ないのである。
 然らば何のための艱難である乎。
 イエスを識るための艱難である、彼と共に艱難みて、彼の生命の頒与にあづからんための艱難である、パウロの言葉を以て言ふならば
  是れ彼れ及び彼の復活の能力を識り、彼の死の状に循ひて彼の苦難に与り、如何にもして死者の間《うち》より復活(281)することを得んが為めなち
である(腓立比書三章十、十一節)、是故に我はイエスが其身に受け給ひし艱難を悉く我身に受くる必要があるのである、イエスは国人に棄てられ給ふた、我も亦国人に棄られて彼のその苦難に与かることが可能るのである、イエスは友人の売る所となり給ふた、我も亦友の売る所となりて彼とその艱難を頒つことが可能るのである、イエスには世人の知らない種々の艱難が臨んだ、而して神の恩恵に由り我にも亦同じ艱難の順序を逐ふて臨むありて我は益々深く彼を識り、同時に又彼の復活の能力(真生命)を識ることが可能るのである、実にイエスを識るは疆なき生命である(約翰伝十七章三節)、而してイエスを識るために必要なる艱難を受くることは彼の生命を受くるために必要である、艱難をイエスを識るための必要と解して艱難の意味は明白になるのである。
 故に艱難の多きことは決して歎くべきではない、
  蓋キリストの苦難我等に多くあるが如く、我等の慰藉も亦キリストに由りて多くあれば也
とある(哥林多後書一章五節)、世には艱難の多きの故を以て「艱難の問屋」なりとて嘲ける教会信者がある、然し乍ら、斯く言ふ人は未だ艱難の意義をも価値をも知らないのである、イエス御自身が「艱難の大問屋」であり給ふたのである、而して我等は艱難を多く受くれば受くる程、それ丈け近くイエスに近寄り、彼に似ることが出来るのである、艱難を識らない者はイエスを識らない者である、故にパウロは曰ふた、
  我はキリストのために荏弱と凌辱と空乏と迫害と患難とに遭ふを楽とせりと(哥林多後書十二章十節)、実に朽ちる金よりも貴く、光る金剛石よりも値いと貴き者は我等に臨む様々の艱難である。
(282)       ――――――――――
 
    平民の書としての聖書
 
 聖書はキリストの書なり、而してキリストは平民なりし、故に聖書は平民の書なり、聖書は平民が大平民に就て平民のために記きし書なり、然るに僧侶階級なる者起りて聖書を平民の手より奪ひ、之に自己に便利なる註解を加へ、之を以て平民の上に強ひんと為せしが故に、ルーテル、カルビンの如き大改革者起りて、聖書を僧侶(教会)の手より取戻し、之を其正当の持主なる平民に渡したり、而して今に至るも僧侶階級は其跡を絶たず、ルーテル、カルビンの後継者の中にすら其跋扈を見るが故に、神はバウル、リツチュル、プフライデレル、ホルツマン等の碩学を送り、其犀利なる頭脳を以て新たに聖書を研究せしめ、全然之を僧侶(教会)の手より奪ひ、再たび之を平民に下し給へり、第十九世紀の最大発見の一は実に平民の書としての聖書なりき、今や大平民ナザレのイエスは其聖書を以て直に平民に語り給ひつゝあり、吾等何を苦んで再たび僧侶の声に開かんや、今や実に僧侶(教会)の羈絆より脱すべきの時なり。(ハーバード大学聖書学教授ヘンリー・S・ナツシユ氏近著『高等批評の歴史』を読んで感ずる所を記す)。
 
(283)     山上の垂訓に就て
         取除くべき三個の誤解  二月一日柏木聖書講堂に於て為せる講演の大意
                         大正3年3月10日
                         『聖書之研究』164号
                         署名 内村鑑三
 
 山上の垂訓を能く理解するために三個の誤解を取除くの必要がある。
 其第一は名称である、之を「山上の垂訓」と称するのは抑々何から姶つたのである乎、其事を知るの必要がある、是れは聖書が附けた名ではない、是れは多分英語の Sermon on the Mount を漢訳したものを其儘和訳したものであらふ、Sermon は普通之を説教と和訳する、故に之を「山上の説教」と訳するが更に適当であるであらふ、然し乍ら「垂訓」と云ふも「説教」と云ふも馬太伝五章以下七章の終に至るまでのイエスの言辞を総称するに足りないのである、今日説教と云へば或る聖語を主題として教師が語る信仰奨励の言辞である、而して所謂「山上の垂訓」が単に今日吾人の称する説教でない事は之を熟読せし者の何人も能く知る所である、然らば之を「垂訓」と称して足れりやと云ふに、是れ亦爾うで無い事は明かである、「垂訓」と云へば道徳上又は処世上の訓誡を垂れるものであつて、主として道徳の教師の為すことである、而して「山上の垂訓」の中に斯かる垂訓のあることは何人も否まない所である、然し「山上の垂訓」は単に垂訓を以て※[磬の石が缶]《つ》きない、其中に多くの垂訓以外の事がある、之を垂訓と称して唯其一面を称ふるに過ぎない、「山上の垂訓」は更らに広い、更らに深い者である。
(284) 然らば之を何と称すべきであらふ乎、之に人が作つた名を附くるに及ばない、之に聖書自身が附けた称号がある、
  イエス、※[行人偏+扁]くガリラヤを巡り、其会堂にて教を為し、天国の福音を宣伝へぬ、
とある(四章二十三節)、天国の福音、第五章以下三章に渉りて馬太伝記者が記して居る者はイエスが※[行人偏+扁]くガリラヤを歴巡りて其会堂にて宣べ給ひし天国の福音の概要である、イエスは到る所に斯かる福音を宜べ給ふたのである、或ひは其一部分を、或ひは其全部を、機に臨み変に応じて宣べ給ふたのであらふ、何れにしろ所謂「山上の垂訓」はイエスの宣伝し給ひし福音の模範《モデル》である、馬太伝記者は、此時イエスがガリラヤ湖畔の或る小山の頂上《いただき》に於て彼の弟子等に対つて宣べ給ひし福音が最も完全なる者なりしが故に殊更に茲に之を詳述して、読者をしてイエスの宜べ給ひし天国の福音の全般を窺はしめんと為したのであると思ふ。
 「山上の垂訓」と称せずして、聖書に循ひ「天国の福音」と称し、其中に示されたるイエスの言葉の深き意味と其|相互《あひたがひ》の関係を能く理解することが出来る、物の性質は其名称に顕はるゝものである、誤称は誤解の因《もと》である、之を「垂訓」と称するが故に、単にイエスの道徳律とのみ解し易く、為に其中に含まれたる美はしき福音を看逃し易くある、大抵の信者が「山上の垂訓」と云へばイエスの倫理なりと思ひ、罪人の罪を赦すための福音は之を聖書の他の所に覓めんとするは、是れ確に「山上の垂訓」なる誤称の然らしむる所であると思ふ、「垂訓」ではない、天国の福音である、厳格なると同時に恩恵に充ち溢れたるイエスの宣べ給ひし喜ばしき福音である。
 取除くべき第二の誤解は之をイエスの宣べ給ひし最初の教示《おしへ》と見ることである、馬太伝は新約聖書の首の巻であり、所謂「山上の垂訓」は其載せたる初の説教であるが故に、之をイエスが宣べ給ひし最初の説教であると思ふ(285)のは無理ならぬ事であるが、然し少しく注意して四福音書を読むならば、此誤解は容易に之を正すことが出来るのである、「共観福音書」と称はるゝ馬太、馬可、路加の三福音は之を読むに約翰伝と対照して読むの必要がある、前者はガリラヤ伝道を主として伝へ、後者はヱルサレム伝道に重きを置いて居る、共観福音書はイエスの最初のヱルサレム伝道は全然之を省いて直にガリラヤ伝道に説及んで居る、其理由は那辺《どこ》に在る乎、今に至て能く知ることは出来ないが、然し其爾うである事は事実である、そしてガリラヤ伝道は最初のヱルサレム伝道に次いで姶まつたことは確である、イエスはヨハネの説教を聞かんためにガリラヤよりヨルダンに来り、其処にてシモンと其兄弟アンデレに会ひ、ピリポと其友ナタナエルを招き、後、一たび ガリラヤに帰りしも再たぴ逾越節《すぎこしのいはひ》にヱルサレムに上り、其処にて公然伝道を開始し給ひ、神殿を潔め、ニコデモと語り、自己をユダヤ人に顕はし給ひ、ユダヤを去てガリラヤに往かんとし給ひし途中に、ヤコブの井《ゐど》の傍らにてサマリヤの婦に語り、ナザレに帰り給ひしも予言者は故郷にて尊ばるゝ事なしと言ひ給ひて、茲処を去りてカペナウンに往きて其処に住み給ふた(以
上約翰伝一章二十九節以下四章末節に至るまでの概略)、共観福音書のイエスのガリラヤ伝道の記事は茲に始まるのであつて、所謂「山上の垂訓」なる者は彼が此時に説かれし者である、即ち彼が南方ユダヤに下り給ひしこと二回、ヱルサレムにパリサイ人とサドカイ人と、学者と祭司等とに会合し、其宗儀と信仰とを視察し給ひし後の事であつたのである、此事を心に留めずして、「我汝等に告げん、汝等の義にして学者とパリサイの人の義に勝ることなくば必ず天国に入ること能はず」との彼の言葉は理解らないわである(五章二十節)、所謂「山上の垂訓」は伝道の新参者の言葉としては余りに用意周到である、縦令神の子イエスの言葉であるとするも、深く世人《ひと》に接触せずして斯かる慎慮に富める言を発することは出来ないと思ふ。
(286)  イエス自己を彼等に托せず、蓋彼れすべての人を知り、又人の心の中を知るが故に、人に就て証を立つる者を求めざれば也
とある(約翰伝二章末節)、イエスは此智慧を彼が逾越節にヱルサレムに在りし時、多くの人に接触して学んだのであると思ふ。
 而して注意して馬太伝を読む者は如上の事実を亦其中に見るのである、其第四章十二節以下に曰く
  イエス、ヨハネの囚はれし事を聞きければ(ユダヤを去りて)ガリラヤに往けり、而してナザレを去りてゼブルンとナフタリとの界なる海辺(湖畔)のカペナウンに至りて此処に居れり
と、ヨハネの囚はれし事はイエスのユダヤ伝道の第一期の終結であつた、彼は此時に都会に於て天国の福音を宣伝ふるの無効を覚り給ふたのである、是れより後彼は田舎伝道に身を委ぬべく決心し給ふたのである、彼は一先づ故郷ナザレに帰り給ふた、然るに郷人挙つて彼を排斥せしかば彼は同じガリラヤの中にて湖畔のカペナウムの邑を彼の伝道地として選み給ふたのである(路加伝四章十六節以下)、イエスは此時既に伝道失敗の辛らき経験を嘗めて能く其味を知り給ふたのである、
  犬に聖物を与ふる勿れ、又豚の前に汝等の真珠を投与ふる勿れ、恐らくは彼等足にて之を践み、振返りて汝等を噬まん
とあるは伝道失敗の辛らき経験を土台として語られし彼の智慧の言葉として見るべきである(七章六節)、所謂「山上の垂訓」を単に大教師の訓誡とのみ看て解し難い節が多くある、訓誡に止まらない、実験の言葉である、イエスが都会の教会に於て多くの綿羊の姿にて来れる残《あらき》狼に会合して幾回か其噬む所となり給ひし辛らき実験(287)より出たる貴き言葉である。
 取除くべき第三の誤解は所謂「山上の垂訓」はイエスが公衆に対つて為されし大説教であるとの事である、然し其事は注意して五章一節を読めば直に解かるのである、
  イエス許多の人を見て山に登り坐し給ひければ弟子等其下に来れり
とある、「許多の人を見て山に登り」とある、「見て」は「見しが故に之れを避けて」の意である、俗衆の彼に押寄せ来りければ彼は之を避けて山に登り給ふたのである、日本訳に「弟子等も」とある其「も」は原文には無いのである、イエス山に登り給ひければ弟子等其|下《もと》に来り彼と相対して坐したのである、如斯くにして、イエスが茲処に述べられし言葉は、是れ特に弟子等に対して述べられし言葉である、其中に少数の所謂不信者も混合《まじ》つて居りしやも計られずと雖も、然かも主なる聴聞者は弟子等であつたのである、路加伝には明白に「イエス目を挙げ弟子を見て曰ひけるは」と記してある(六章十二節)、其事を知るはイエスの此嘉言を解する上に於て甚だ肝要である、イエスは茲に公衆に向つて彼の主義綱領を発表し給ふたのではない、彼は此事を首府のヱルサレムに於て為し給ふた、然し茲処は湖畔のカペナウムである、山高くして水清き処である、而して彼の足下に集いし者は彼の信頼せる弟子等である、彼は茲に彼等の前に天国の福音を披瀝して彼等を慰め且つ教へ給ふたのである、故に曰ふ「汝等は地の塩なり」、「汝等は世の光なり」と、是れ皆弟子等に対して言はれたのである、所謂「山上の垂訓」を以て神がイエスを以て人に伝へ給ひし人の道であると解して甚だ之を誤解し易くある、イエスは茲に彼の弟子(信者)の倫理道徳を教へ給ふたのである、彼を識らざる現世の人等の守るべき、又は守り得べき道を説き給ふたのではない、
(288)  目にて目を償ひ歯にて歯を償へと言へることあるは汝等が聞きし所なり、是れ現世の道徳にして汝等が今日まで教へられし所なり、然れども我れ天国の市民にして我が弟子なる汝等に告げん、汝等の社会に在りては悪に敵すること勿れ、人若し汝の右の頬を批《う》たば亦他の頬をも転《めぐ》らして之に向けよ、云々、
茲処に於けるイエスの言葉は大略斯くの如くにして解すべき者であると思ふ、是は一般道徳ではない、信者道徳である、現世の道徳ではない、天国の道徳である、信者の国(社会)なる天国に於てのみ行はるゝ道徳である、所謂「山上の垂訓」をイエスの宜べ給ひし人類の一般道穂と見て其不可能事たるは何人が見ても明かである、此事を心に留めずして、山上の垂訓はイエスの宣べし道徳なるが故に、人は何人も之を実行すべしと言ふは無理を言ふのである、トルストイ伯の基督教に非常識の点多きは彼が此明白なる事実を看落したからである、所謂「山上の垂訓」は靂国英国などいふ非基督教国(而して彼等は確かに非基督教国である)に於て行はれ得べき者ではない、是はキリストの血に由て其罪を贖はれたる、清くして心の虚しき、謙下りたる信者の間にのみ行はれ得べき道徳である、イエスは国家道徳として又は社会道徳として此天国の福音を宜べ給ふたのではない、彼の弟子等に、俗衆を離れて山の上に於て、天国の道徳として之を伝へられたのである。
       *     *     *    *
 所謂「山上の垂訓」は説教又は垂訓と称すべき貿の者ではない、是は天国の福音である、厳格の言であると同時に又慰藉の言である、主の嘉言である、実に天よりの喜ばしき音信《おとづれ》である、是は又イエスの最初の福音宣伝ではなかつた、彼は此前に既に自己《おのれ》を世に顕はし給ふた、イエスの福音宣伝は首府ヱルサレムに於て始まつた、而して都人士の之を受納れざるを看取り給ひて彼は僻陬ガリラヤの地に退きて茲処に純樸なる田舎人士の間に田舎(289)伝道を開始し給ふたのである、所謂「山上の垂訓」なる者はイエスの田舎伝道首途の大説教と見て多く間違がないと思ふ、之をユダヤ人の宰《つかさ》ニコデモに宣べられし彼の言葉と比較て見て其間に歴然たる都鄙の区別のあることを見るのである。
 所謂「山上の垂訓」は又公衆一般のために説かれたる者ではない、是れは特に弟子|等《たち》のために説かれたる者である、天国の福音であるから特に天国の市民のために説かれたる者である、是は所謂イエスの倫理観《エシツクス》ではない、天国の憲法である、信者の道徳である、神の子と成るを得て天国に入るの特権を与へられし者の守るべき、又守り得べき憲法である、此心を以て之を読まずして其中に解し難い事が沢山にある。
 天国の福音、其市民の資格と義務、其律法、之に入らんと欲する者の覚悟、是等の事を順序正しく述べた者が所謂「山上の垂訓」である、全福音の手引とも称すべき者であつて、能く之を学んで基督教の全豹《ぜんべう》を窺ふことが出来る。
 
(290)     最大幸福
         心霊の貧
                         大正3年3月10日
                         『聖書之研究』164号
                         署名 内村鑑三
 
  二月八日柏木聖書講堂に於て為せる講演の一部分
 
  心の貧しき者は福ひなり、天国は即ち其人の有なれば也。馬太伝五章三節 是を原語の通りに直訳すれば左の如くに成る、
  福ひなり、貧しき者は、心(霊)に於て、其人の有である、天の国は、が故なり.
 「福ひなり」所謂「山上の垂訓」は祝福の辞を以て始まつて居る、之をイエスの道徳の発表とのみ思ふの誤謬《あやまり》は之に由て観ても明かである、福音は道徳ではない、祝福である、恩恵の宣下である、而して道徳は祝福の後に来る者である、此世の宗教道徳に在りては道徳が前にして天恵が後である、天恵は道徳の結果として人に臨む者である、然し乍ら、神の道に於ては其反対が事実である、初に恩恵が下りて其結果として道徳が要求せらるゝのである、神が初にアブラハムを召し給ふに方て彼は先づアブラハムより道徳を要求し給はなかつた、彼は言ひ給ふた、
(291)  我れ汝を祝《めぐ》み汝の名を大ならしめん、汝は祉福《さいはひ》の基《もと》となるべし、……天下の諸の宗族《やから》汝により祝福を獲ん、
と(創世記十二章二、三節)、而して彼が多くの恩恵に与かりて久しき後に至て
  汝、我前に歩みて完全かれよ
との聖語《みことば》が彼に臨んだのである、即ちアブラハムの場合に於ても恩恵の下賜は前《さき》にして道徳の要求は後《のち》であつたのである、又イスラエルの歴史に於ても契約(恩恵)は前にして律法(道徳)は後に臨んだのである(加拉太書三章十七、十八節参考)、神が其愛子に対つて為し給ふことは総て此順序に循《よ》るのである、先づ祝福の宣下があつて、然る後に之に応ずるための道徳の要求があるのである。
 「福ひなり」 幸福なりとも、神に祝まれたる者なりとも、解することが出来る、其当時に在りても世間普通の言葉であつたに相違ない、多分今日の日本人の言葉を以て云ふならば「仕合せなり」と言ふのが最も能く此言葉に適合するのであらふ、「仕合せなり」と、善き妻を迎へたる者は仕合せなり、華族の家に生れたる者は仕合せなり、富豪を姻戚に有つ者は仕合せなりと、仕合せとは天に恵まれたること、又は運の好きことである、而して普通の場合に於ては「仕合せ」はすべて此世の所有《もちもの》又は境遇に係はるのである、世の好運児を称して仕合者といふは此意味に於ていふのである。
 而してイエスの眼にも亦仕合者即ち好運児があつたのである、而して彼は今之を列挙し給ひつゝあるのである、我が好運児は誰ぞとの題目を設けて彼は今其特性を宣べ給ひつゝあるのである。
 「貧しき者は」 好運児は誰ぞ、神に祝まれたる者は誰ぞ、此問に対へてイエスは第一に言ひ給ふた、「貧しき者なり」と、貧しき者は仕合せなりと、逆説か、妄誕《ばうたん》か、而かもイエスは爾か曰ひ給ふたのである。
(292)  汝等貧者は福なり、神の国は汝等の所有なれば也
とはイエスの此場合に於ける言葉であつたと聖ルカは伝へて居る(路加伝六章二十節)、福者《ふくしや》は富者《ふうしや》であるとは世の定見である、然るにイエスは之に反して曰ひ給ふたのである、福者は貧者なりと、此冒頭の一言は以て聴者を驚倒したであらふ。
 貧者とは物を有たぬ者である、金銀を有たぬ者財貨を有たぬ者、土地、家屋、衣類等、此地に属ける物を有たぬ者である、而してイエスの立場より看て貧者は福ひなるのである、而して其理由として「神の国は汝等の所有なれば也」とある、此世に在りて何物をも有たぬ者に来世は与へらるべしとの事である、勿論貧其物は來世獲得の必然的理由とはならない、然し乍ら、貧者《ひんしや》の富者よりも天国に入り易きは何人も能く知る所である、イエス御自身が言ひ給ふた、
  富者の神の国に入るは如何に難いかな
と(路加伝十八章二十四節)、而して此意味に於て貧者は正に福ひなるのである、貧は人が天国に入るの刺戟となることがある、又其妨害とならない、天国に入らんと欲する者に取りては貧は富よりも遙かに良き境遇である。然し乍ら、費にも深浅がある、より深い貧とより浅い貧とがある、而して物に乏しき貧はより浅い貧である、世には物資の欠乏に勝さるの貧があるのである、即ち徳性欠乏の貧がある、自己に顧みて何の善をも発見する能はざる貧がある、而してイエスが茲に言ひ給ふ
 「心の貧しき者」とは此種の貧者を指して称ふのである、心は此場合に於ては「心霊」と訳すが当然である、心の最も深い処、人が神に接触する所、其所が彼の霊(pneuma、spirit)である、而して心霊に於て貧しき者とは(293)其の奥底に於て貧しき者との謂である、此世の所謂貧者は身の貧者である、身に属ける物に乏しき者である、然し乍ら、イエスが茲に福者なりとて挙げ給ふ貧者は心霊《こゝろ》の貧者である、身に属ける物に乏しきは勿論、更らに其上に心霊に属けるものに於ても乏しき者である、而して心霊の富と云へば勿論無形の富であつて、或ひは知識である、或ひは智慧である、殊に徳である、故に心霊の貧者と謂へば智徳両つながらに於て乏しき者を謂ふのである、心霊の貧者、自己の非学を自覚し、罪徳を是認する者、自己に省みて其衷に何の善をも発見する能はざる者、斯かる者は福ひなり、仕合せなり、神に祝まれたる者なりとイエスは茲に言ひ給ふたのである。
 驚くべきは実にイエスの此言葉である、彼の立場より見て身の貧は福ひなりと言ひ給ひたればとて、其《そ》は解し難い言葉ではない、然し乍ら、心霊の貧が福ひであるとは謎語も殆んど其極に達して居るやうに思はれる。
 実に深遠は謎語の如くに聞える、天の高きに昇らんと欲する者は地の低きにまで降らざるべからず、降りし者は即ち諸の天の上に昇りし者なりとある(以弗所書四章十節)、天国の富者ならんと欲する者は地上に赤貧者たらざるべからず 而して貧の極は身の貧に非ずして心霊の貧である、赤貧洗ふが如しと言ふ者も時には俯仰天地に恥ずと言ふ、斯く言ふ者は身は貧すれども心霊は甚だ富める者である、貧に内なると外なるとが有る、心霊の貧者は内に何物をも有たない者である、其実例は使徒パウロである、彼は曰ふた、
  善なる者は我れ、即ち我肉に居らざるを知る、そは願ふ所我に在れども善を行ふことを得ざればなり、……嗚呼我れ困苦める入なる哉
と(羅馬書七章十八、十九、……廿四節)、パウロは世の所謂義人と異なり、俯仰天地に恥ざるの人ではなかつた、彼は己れに省みて衷に何の善き者をも見なかつた、彼は心霊の貧しき者であつた、誇るべきの智慧なく、倚るべ(294)きの徳なく、彼の自白せるが如く彼は「罪人の首」であつた、而して神の前に立て謙虚の底にまで引下げられし彼はキリストに在りて其の諸徳を認むるを得て栄光の天にまで引上げられたのである、故に言ふ「心霊の貧しき者は福ひなり、天国は即ち其人の有なれば也」と、清貧の故を以て誇る世の所謂潔士、品性の高潔を以て自から足れりとする所謂基督教紳士、信仰の正しきを以て神に特別に近き者なりと信ずる教会信者、彼等は皆な心霊の富める者である、身に一物を有たずと雖も心に許多《おほく》の物を有つ者である、而してイエスが神に祝まれたる者と認め給ふ者は其心霊に於て一物をも有たざる者である。
 イエスは曾て心霊の貧富を対照し、譬を設けて語り給ふた、
  茲に二人の人あり、祈らんとて神殿《みや》に登りしが、其一人はパリサイの人、一人は税吏なりき、パリサイの人起立て自から如斯祈れり、曰く、神よ、我は他人《ひと》の如く強奪、不義、姦淫を行はず、亦此税吏の如くにも有らざるを感謝すと、税吏は然らず、遙かに立ちて天をも仰ぎ見ず、其胸を打て神よ罪人なる我を憐み給へと言へり、我れ汝等に告げん、此人は彼人よりも義とせられて家に帰りたり、夫れ自己《みづから》を高くする者は低くせられ、自己を低くする者は高くせらるべし、
と(路加伝十八章九節以下)、茲にイエス御自身の言葉として馬太伝五章三節の最も善き註解が与へられたのである、我等は実に之れ以外に我等の註解を試むるの必要は無いのである、心霊の富めるパリサイ人と其貧しき税吏、而して所謂清廉潔白のパリサイ人は斥けられて、胸を打ちて己が罪人なるを自白せし税吏は納けられたのである、聖人、義人、潔士、烈婦の徒が天国に入ると云ふは誤認《あやまり》である、彼等ではない、マタイのやうなる税吏、ラハブのやうなる娼妓《あそびめ》、天国に入る者は彼等である、驚くべきかな、イエスの此言葉、彼の福音の世に説かるゝこと茲(295)に千九百年、教会は無数に存し、基督教文明の世に※[行人偏+扁]き今日、ガリラヤ湖畔に於て始めて唱へられし単純なるイエスの天国の福音は今猶ほ不可解の言葉として存するのではあるまい乎、今日の所謂基督信者も亦強奪、不義、姦淫を行はずと言ひて神の前に立つパリサイの人の類であつて、若し罪人なるを自認して教界の公見を憚り単独の隠密を求むる者があれば、斯かる者は奇矯なり偏屈なりと称へられて彼等の間に嘲けらるるではない乎、我は神に感謝す、ガリラヤ伝道に於けるイエスの開口第一番の言葉のパリサイの人、民の祭司、長老、学者等を批難すると同時に、自己の不義不徳に泣く罪人を庇護する言葉なることを。
 「其人の有である、天国は」 言葉の順序に注意して読むべきである、「其人」が前にして「天国」が後である、僅少《わづか》の差違《ちがひ》ではあるが、然し、イエスの此一言に於ける主要問題の何たる乎が、言葉の前後に由て判明るのである、イエスは茲に心霊の貧者の祝福に就て宣べ給ひつゝあるのである、而して其人の如何に福ひなる乎、其事は彼の与かる報賞《むくひ》の如何なる乎に由て判明るのである、天国は当時の人の何人も入らんと欲せし所であつた、而して誰が之に入るを得ん乎とは当時の学者宗教家の間に討議せられし大問題であつた、誰が、誰が天国の市民たるを得る乎、とは当時の緊急問題であつた、而してイエスは大胆に此問題に答へて言ひ給ふた、心霊の貧者、彼が天国に入るのである、他の者ではない、祭司ではない、神学者ではない、宗教家ではない、勿論富者ではない、アブラハムよりの血統を誇るユダヤ人ではない、俯仰天地に耻ざる義人ではない、自己の罪を認むる者、自己の衷心に何の善をも認めざる者、自己が欠点の多きを耻ぢて頭を撞げ得ざる者、天をも仰ぎ見ずして其胸を打て神よ罪人なる我を憐み給へと言ふ者、其者、其人が天国に入るのであると、罪人の弁護の言葉にして之よりも有力なるものは無いのである、イエスは茲に此世の君子、義人、高士等を悉く掃除《はきの》けて、其場所に罪人の首《かしら》を立た(296)せ給ふたのである。
 「其人の有である」 「ある」である、「あらん」ではない、天国は今既に心霊の貧者の有であるとのことである、来世に於て彼の有たらんと言ふのではない、今日、今、茲に其人の有であるとの事である、而してイエスの此言葉は事実であるのである、心霊の貧者は今、茲に天国に在るのである、人のすべて思ふ所に過ぐる平安は彼の有である、彼はイエスを友として有ち、其義、其聖、其贖を己が有として有ち、天国をして天国たらしむる其事実、其実体、其光明、其生命、彼は今茲にすべて是等のものを有つのである、彼に勿論今猶ほ哀哭《なげき》がある、熱き涙がある、罪の悔改の苦痛がある、而して彼の前には渡るべき死の河が横たはる、然し乍ら、其れあるに係はらず天国は今既に彼の有である、彼は未だ天国を其完成されたる形態に於て有たない、然し乍ら、天国に入るの鍵は既に業に彼の手に附された、彼は最も確実なる意味に於て、今日既に天国の所有者である。
 沈思黙考、汲んで益々※[聲の耳が缶]《つ》きざるはイエスの言葉の意味である、是れまことに神ならでは語る能はざる言葉である、
  祝福なるかな、貧しき者は、心霊に於て。其人の有である、天国は。
と、此一言を以て此世の倫理も道徳も悉く顛覆せられて、之に代りて天国の福音が人の子の間《うち》に顕はれたのである。
 
(297)     イエスの栄誉
                         大正3年3月10日
                         『聖書之研究』164号
                         署名なし
 
 政府に棄らるゝも国民に迎へらるゝは大なる栄誉である、政府にも棄られ亦国民にも棄らるゝは更に大なる栄誉である、政府にも棄られ国民にも棄られ、而して亦教会にも棄らるゝは最大の栄誉である、而してイエスは此最大の栄誉を担ひ給ふた、我等も亦彼の如くに政府にも、教会にも、信者にも不信者にも棄られて、彼と苦難《くるしみ》を共にして亦栄誉をも共にすべきである。
 
(298)     平和の祝福
                         大正3年3月10日
                         『聖書之研究』164号
                         署名 内村鑑三
 
  福ひなり、平和を求むる者は、蓋、其人は、神の子と、称へらるべければ也。馬太伝五章九節
 「平和を求むる者」 とは如何なる者である乎、人と人と、又は国と国との間に平和の破れし場合に、二者の間に立て平和を計る者であるとは、大抵の信者より余輩が聴く此言辞の註解である 「平和を求むる者」とは不和を調停する者、仲裁者の労を取る者、即ち、日露戦争の時に北米合衆国大統領ルーズベルト氏の立ちし立場に立つ者であるとは、イエスの此言辞に対する普通の見解である。
 而して余輩と雖も、此見解の誤りたる者にあらざるを知る、イエス御自身が此意味に於ての平和主義者であつた、彼に由て神と人との間に横はりし敵意は取除かれた、
  夫れ汝等は前に神《さき》に遠かり、心にて其|敵《あだ》となれる者なりしが、神、今、キリストの死に由り汝等をして己と和がせ、己が前に立たしめんとす
とある(哥羅西書一章廿一、廿二節)、又イエスに由りて人と人と、ユダヤ人とギリシヤ人と、国民と国民とが、真正《ほんたう》の意味に於て和ぐことが出来る、
  彼は我等の和《やはらぎ》なり、二者を一つとなし、冤仇《うらみ》となる隔の籬《かき》を毀《こぼ》ち給ふ
(299)とある(以弗所書二章十四節)、故にイエスを称して契約の中保《なかだち》又は新約の中保とも言ふ(希伯書八章六節、同九章十五節)、又
  神と人との間に一位《ひとり》の中保あり 即ち人なるイエスキリストなり
とありて、キリストの職務は主として神人間の平和を計るに在るが如くに録《しる》されてある(提摩太前書二章五節)。
 如斯くにして中保はイエスの大事業でありしが故に、彼の弟子たる者も亦、中保、仲裁、調停を以て事業となすべきことは余輩の茲に言ふまでもない、信者が嫌ふものにして争闘の如きはない、彼はすべての手段を尽くして之を取除くべきである、
  行し得べき限りは力を竭してすべての人と睦み親しむべし
とある(羅馬書十二章十八節)、争闘の開けし場合に、信者が全力を竭して平和の克復を計るは勿論の事である。
 然し乍ら、平和は争闘の調停を以て尽きない、中保と云ひ、仲裁と云ひ、平和事業の一面に過ぎない、破れし平和を恢復するのみが  ではない、平和は平和を擾されざらんとする、真に平和を求むる者は不和に近づかざらんとする、美術家が醜容を厭ふが如くに平和者は不和争闘を厭ふ、之に接するは彼に取り大なる苦痛である、彼は自《おのづ》から之を避けんとする、仇恨、争闘、分争、結党と聞いて彼は堪えられず感ずる、彼の本能性に逆ふ者にして平和の擾乱の如きはない。
 而して是がすべての分争に対するイエスの態度であつたのである、平和の主なる彼は如何なる党派にも与し給はなかつた、結党の動機は敵対である、対峙すべき一つの党派があつて、茲に他の党派が起るのである、平和の行はるゝ所に党派は起らない、党派の存在其物が仇恨伏在の何よりも良き証拠である。
(300) イエスはパリサイ派にも属し給はなかつた、サドカイ派にも入り給はなかつた、ヘロデ党にも与し給はなかつた、
  イエス自己を彼等(党人)に托《まか》せざりき、蓋、人を知り、人の心を知りたれば也
とある(約翰伝二章廿四、五節)、彼は全然無政党無宗派であつた、彼は今の多くの基督信者が為すが如くに宗派間の調和を計らんがために自ら宗派に入り給はなかつた、宗派は彼の本能性に合はなかつた、生れながらにして平和を求め給ひし彼は、自己を否認せざる以上は宗派に入らんと欲するも能はなかつた、余輩はイエスの純然たる無政党的無宗派的態度に於て平和を求むる者の真実の模範を見るのである。
 而してイエスの如き者に朋友の尠き、其理由は之を探るに難くない、神を離れて人は党派の人たらざらんと欲するも能はないのである、而して人の中に在りてイエスのみが真に不羈独立の人であつたのである、人の中に彼に儔《たぐ》ひすべき無党派の人は一人も無かつた、故に全然党を離れし彼には政治的にも宗教的にも天が下に枕する処は無つた、性来《うまれつき》平和の人なりし彼は止むを得ず孤独の人であつたのである。(『研究十年』第百一頁以下、「イエスは何故に人に憎まれし乎」の一篇を参考すべし)。
 茲に於て「平和を求むる者」の如何なる者であるかが稍|明瞭《あきらか》になるのである、止《たゞ》に平和の恢復を計る者に非ず、分争に近寄らざる者、性来の平和追求者、不和を厭ひ、分争結党を諱み嫌ふ者、「平和を求むる者」とは斯かる者である。
 希臘語の〓を「平和を求むる者」と訳したのが抑々誤解の始めであつたらふと思ふ、支那訳聖書には施平和者と訳してある、「施す」は「求むる」よりも少しく優さりたる訳字である、然し乍ら、「平和を行ふ者」(301)と訳するのが更らに大なる改良であると思ふ、平和を実行に顕はす者、其行為全体が平和的なる者、イエスが福ひなりと言ひて祝し給ひし者は斯かる者であると思ふ、或ひは更らに進んで「平和性の者」と訳するならば原語の意味に最も近くあると思ふ
  ロビンソン氏著『新約聖書字典』二一六頁を見よ、六十年前の著作なりと雖も定義の明瞭にして簡潔なるに於ては今猶は比類尠き好著なりと信ず、one disposed to peace,peaceful,opposed to strife とある、(平和に傾く者、平和性の者、争闘に反対する者)とある。
 平和性の者は福ひなりとの事である、而して此性たるや、是を自然性として受くるも、又は信仰に由り聖霊の賚賜として受くるも、其|祉福《さいはひ》たるや同じである、要は平和が我等の性質となるにある、義務として之に従ふに非ず、訓誡《いましめ》として之に服するに非ず、性質として自《おのづ》から之を行ふ者、其人は福ひであるとのことである。
 「其人は神の子と称へらるべければ也」 神は元々平和の神である、
  平和の神汝等すべての人と偕に在《いま》さんことを祈る
とある(羅馬書十五章三十三節)、又
  平和の神自から汝等を全く潔《きよ》くし云々
とある(テサロニケ前書五章廿三節)、又
  羊の大牧者なる我等の主イエスキリストを死より甦らしゝ平和の神
とある(希伯来書十三章二十節)、故に斯神の子と称へられんには自身も亦平和の人とならなければならない、神は真個《まこと》の意味に於て不偏不党である、而して神の聖意を身に体したる者は党派に入らんと欲するも能はない、(302)宗派は基督者の大禁物である、之に入り之に属するは神の明かなる聖意に逆らふのである、然るに事実は如何に、盗むこと姦淫することを侃々諤々として責立つる基督信者が宗派と云ふ信仰的党派に入りながら、敢て大なる罪
悪(余輩は之を罪悪と称して憚らない)を犯しつゝあるとは感じないのである、而して我等は分争結党(今の教会なる者は殆んど其すべてが結党に由て成りたる党派の類ではあるまい乎)の苟合、汚穢、好色と同じ罪であることを忘れてはならない(加拉太書五章二十節)、宗派の人は神の子と称へられずと謂ふことが出来る。
 「称へらる」 とは止《たゞ》に名称を附せらるべしとの事ではない、聖書に於て「称へらるべし」とあるは「事実を認めらるべし」と云ふことである、故に称へらるゝ前に事実があるのである、神の子と称へらるゝ前に神の子と為らるゝのである、神に在りては名実の差別は無い、神の性なる平和性を受けて、人は神の子として認めらるゝのである。
  イエス言ひ給はく、祝福されたる者なる哉、平和の性を賜はりし者は、蓋、其人は神の子と認めらるべければ也と
 世は平和の人を称して臆病者、隠遁者、非社交的人物となすならん、然れども平和の主なるイエスキリストは言ひ給ふ
  其人は神の子と認めらるべければ也
と、然れば何をか恐れん、誰をか憚からん。
 
(303)     桜の歌 其一
                         大正3年3月10日
                         『聖書之研究』164号
                         署名なし
 
   今年より春しりそむる桜花
     散るといふことは習はざらなん
 註 今年より信仰の春を知初めし青年男女よ、汝等は散るといふこと、堕落といふこと、棄教といふことを習はざらんことを、汝等より前《さき》に信者となりし者にして、少しく此世の事業に成功し、世の称揚《もてはや》す所となれば輒《たやす》く信仰を棄てし者は、今日までに其幾人なる乎を知らず、願ふ汝等よりして、信仰的に散るといふことは其跡を絶《たゝ》んことを、歌人紀貫之が桜の若木に寄せて詠みし此名歌は余輩が今日イエスの教を聴んと欲して来る多くの青年男女に対《むか》つて言はんと欲する所である。
 
(304)     『平民詩人』
                            大正3年4月5日
                            単行本
                            署名 内村鑑三〔画像省略〕初版表紙187×128mm
 
(305)  例言
 
一 巻頭のワルト・ホヰットマン論は内村の草する処、その他は皆畔上の筆に成る、ホヰットマン論は嘗て『櫟林集』の中に収められて一度世に出でしものであるが、『櫟林集』は絶版となりし故、之に訂正を加へて再び茲に公けにするのである。
一 アルフレッド・テニソン論以下の五篇は皆一度雑誌『聖書之研究』誌上に掲載せられしもの、之に充分なる訂正を加へたのである。
   〔目次〕
ヮルト ホヰットマン
 地と人
 今の米国人
 米国の希望
 ワルト・ホヰットマン
 彼の生涯
(306) 金銭を賤しむ
 学問の人に非ず
 文才の人に非ず
 彼の特有
 彼の話題
 彼の目的
 彼の宗教
 彼の天然観
 彼の国家観
 彼の同情性
 彼の人生観
 米人の待遇
 
アルフレッド テニソン
 希望的宇宙観
 詩人としてのテニソン
 追想歌
 古哲人
 短篇の詩
 晩年の詩
 
ローエルが早年の歌
 或る譬話(愛の歌第一)
 月の曲(愛の歌第二)
 祖国は何処(愛の歌第三)
 真の教会(生命の歌第一)
 遺産(生命の歌第二)
 泉の詩(生命の歌第三)
 
グリーンリフ ホヰッチヤ
 生涯
 修養
 奴隷解放の詩
 労働の詩
 叙事詩
 宗教詩
 
ウヲルヅヲスが晩年の詩
 労働者の昼の讃歌
 汝の誇りは大なりき
(307) 宵の明星に与ふ
 五月の朝
 我等何故泣くぞ傷むぞ
 真理は何処に在る乎
 一老人
 夜の女王
 夜の流れ
 激流の畔に立ちて
 光明耀々の夕
 
カレン ブライアント
 生涯
 人物
 詩風
 叙事詩
 自由の詩
 天然の詩
 人生の詩
 
(308)     〔OCCIDENTALS AND ORIENTALS.西洋人と東洋人〕
                         大正3年4月10日
                         『聖書之研究』165号
                         署名なし
 
      OCCIDENTALS AND ORIENTALS.
 
 Occidentals emphasize differences;Orientals agreements.Occidentals are analysts;Orientals,synthesists.Occidentals are eager to ask the question:Why do you not believe just as we do ? Orientals refrain from asking such a question, knowlng that all true men fundamentally believe the same thing.So,naturally,Occidentals appear to be very rude to Orientals,seelng that the former treat the delicate questions of souls as they treat all other questions.That is the main reason,I think,why it is so very difficult for Occidentalmi ssionaries to reach Oriental souls. Psychologlcaly,as far as the East is from the West,so far are Orientals removed from Occidentals.
 
(309) 〔『英和独語集』(大正11年4月15日刊)より〕
 
     西洋人と東洋人
 
 西洋人は相異を高調し、東洋人は一致を主張する。西洋人は解剖者であつて東洋人は総合家である。西洋人は熱心に問を設けて曰ふ「君は何故に我が信ずるが如くに信ぜざる乎」と。東洋人は斯かる質問を掛くるに躊躇する、彼等は総《すべて》の誠実の人は其根本に於て同じ事を信ずると知るからである。其れ故に西洋人は自づから東洋人の眼には粗暴《あらあら》しく見ゆるのである、そは西洋人は霊魂に係はる微妙なる問題を取扱ふに総て他の問題を取扱ふが如くにするからである。西洋の宣教師が東洋人の心に触れ難き主なる理由は茲に在ると余は思ふ。心理学的に観察を下して、東の西より遠きが如く東洋人は西洋人より離れ在るを見る。
 
(310)     〔朝の祈祷 他〕
                         大正3年4月10日
                         『聖書之研究』165号
                         署名なし
 
    朝の祈祷
 
 我が父なる神様、今朝《こんてう》も亦茲処に貴神《あなた》の前に在ることが出来て有難く存じます、今日も亦私は種々の困難き間題に遭遇するのであらふと思ひます、又多くの罪を犯すことであらふと思ひます、又思はざる災害の我身に臨むやも計られません、私は総の人に臨む災害を私独り免がるゝことは出来ません、貴神は又私が貴神を信ずればとて私をして此身の患難《わざはひ》より免がれしめ給はないと信じます、唯神様、如何なる災害《わざはひ》が私の身に臨みますとも私に貴神の愛を疑ふの心の起りませんやうに、又如何なる不幸の襲ふ所となりまするとも、貴神を忘れ、貴神を棄去るの不幸の私に臨みませんやうに祈願《ねが》ひ奉ります、爾うして私一人に限りません、私の愛する家族と友人とを同じやうに恵み給はんことを祈願ひたてまつります、神様、私は今茲に私供の身の幸福を祈りません、私共の霊魂《たましひ》の貴神に在りて護られんことを祈ります。
 此切なる祈祷を主イエスの聖名に託りて聴しめし給へ、アーメン。
 
(311)    単純なる福音
 
 単純なる福音は簡短なる福音である、キリストである、キリストは我が万事であると云ふ事である、キリストは我が義である、我が潔《きよめ》である、我が救である、我れキリストを信じて我が為すべき万事を為したのである、
  夫れ神の充足れる徳は悉く形体《かたち》をなしてキリストに住めり
とある(哥羅西書二章九節)、神はキリストに在りて万物を人に与へ給ふたのである、而して人はキリストに在りて万物を神より受くるのである、天も地も、来世も現世も、生命も光明も愛も、総て悉くキリストに於て在るのである、福音はキリストの名を以て尽きて居るのである。
       ――――――――――
 
    暗黒と光明
 
 我は知る今や大困難の我日本国に臨みつゝあることを、諾亜《ノア》の大洪水に類する者の我同胞を襲ひつゝあることを、而して我等の中に之を防止するに足るの能力を具へたる者の一人も無きことを、人の側より見て日本国は今や絶望の状態に於て在りと言はざるを得ず。
 然れども我は又知る、神は日本国を見棄たまはざることを、彼は我等の知らざる神の人を起し、我等の知らざる方法を以て、終に此国を救ひ給ふことを、神の側より見て日本国は更生復活の状態に於て在りと言はざるを得ず。
(312) 斯くして日本国は直に神に救はれて真《まこと》正しき神国たるに至るべし、諺に曰く「人の失望は神の機会なり」と、神は今や日本国を暗黒に逐込《おひこめ》て、大なる光明に導き給ひつゝあり。
       *     *     *     *
 夜番よ、今、何時ぞ?
 答へて曰く、五更夜暗し、然れども光明将さに到らんとすと(以賽亜書廿一章十一節)、方今《いま》の暗黒は将さに昇らんとする義の太陽の先駆に非ずして何ぞ。
       ――――――――――
 
    顕栄
 
 神の栄光を顧はすと云ふは神の栄光を人に認めて貰ふことではない、神は其栄光を人に認めて貰ふの必要はない、人は又神の栄を認め得ない、人や社会が認めるやうな栄光は虚偽《うそ》の栄光であつて真正《まこと》の栄光ではない。
 神の栄光を顕はすと云ふは之を人の前に顕はすことに非ずして天使の前に顕はすことである、真正の栄光を認め得る天使の前に顕はすことである、神の栄光は人の侮辱する所となり、社会の排斥する所となるが当然である、人の栄光とする所は神の恥辱とし給ふ所である、我等イエスの弟子たる者は人に賞められて神の栄光を顕はすのではない、社会に賤しめられ教会に憎まられて誠に実に神の栄光を顕はすのである。
 然れば我等も亦イエスの※[言+后]※[言+卒]《そしり》を負ひて営外《かこひのそと》に出で、其処に彼と共に苦難《くるしみ》を受け、人の前に辱かしめられながら天使の前に神の栄光を顕はすべきである(希伯来書十三章十二、十三節)。
 
(313)     聖書研究と根本的改革
                         大正3年4月10日
                         『聖書之研究』165号
                         署名 内村鑑三
 
  二月廿五日第一高等学校生徒有志の組織に成るビーベルフロインデ(聖書研究会)の席上に於て語りし所の一端
 今や政治家と新聞記者とは根本的改革の必要を説きつゝある、根本的改革は洵に必要である、然し乍ら、根本的改革は内閣の改造を以ては来らない、普通選挙の実施を以ては臨まない、其他政治家又は新聞記者の施す手段にして根本的改革を来たすに足る者は無い。
 根本的改革は真面目なる聖書の研究を以て始まる、ルーテルがエルフルトの寺院に於て拉典語の聖書に接せし時に、人類の歴史に於て最大改革の一と称せらるゝ所の謂ゆる欧洲の「宗教改革」なる者が始まつたのである、洵に「近代」なる者はルーテルの聖書研究を以て始まつたのである、ルーテルに由て元始の聖書が欧洲人に供せられてより茲に新光明は人事のすべての方面に臨んだ、政治と云はず工業と云はず、商業と云はず、美術と云はず、文学と云はず、教育と云はず、すべての事が之に由て一新した、欧洲は洵に之に由て復活した、歴史ありて以来、イエスと彼の直弟子が羅馬帝国に於て遂行《なしと》げし道徳的大改革を除いて、ルーテルの聖書研究を以て始まりし欧洲に於ける第十六世紀の宗教改革の如きは無かつた、是は洵に真《まこと》の意味に於ての根本的改革であつた、欧洲(314)人を霊魂の根本より改め又革めたる改革であつた、而して是は聖書が遂行げたる改革であつた、故に之をルーテル的又はカルビン的改革と称へずして聖書的改革と称ふべきである、此小なる一冊の書の中に個人は勿論のこと、
国家、又は全人類を根本的に革正するに足るの能力が罩つて居るのである。
 而して聖書が人類を改革したのは決して一回又は二回に止まらない、幾回も同じ事を繰返した、第十八世紀に於て英国を根本的に改革したものも亦聖書であつた、ウエスレー兄弟と彼等の二三の友人がオクスフホード大学に在りて静かに新約聖書の研究を始めた時に所謂メソヂスト運動は始まつたのである、而して此運動の波及せし所の深且遠なることは英民族の爾後の歴史の充分に証明する所である、単に之に由て所謂メソヂスト教会が起つたに止まらない、英民族は太西洋の両岸に於て此運動よりして根本的革新を受けたのである、若し此時に英国に於てウエスレー兄弟、ホワイトフィールド、ジエームス・ハーヴエー等に由て起されし此運動が無かつたならば、今日の英民族は西班牙人又は葡萄牙人と等しく半睡的精神状態に在る憐むべき民族であつたであらふ、英民族をして今日の剛健を維持せしむるものは洵にウエスレーの聖書的運動が与りて大に力ありと言はざるを得ない。
 其他、前世紀(第十九世紀)の始めに方て米国マッサチユーセット州ウィリヤムス大学の学生五六人が聖書を手にしながら校外の玉濁黍畑に於て、其|堆塚《つみつか》の影の下に福音の世界的普及を祈りし時に、今日の世界伝道が其端緒を開いたのである、其他、聖書研究が、殊に学生の聖書研究が、社会的、国家的、時には世界的人類的改革、而かも其根本的改革の因と成つた其実例は之を列挙するに遑が無いのである。
 而して其理由は之を知るに難くないのである、聖書は人に自我を示し、其根本的腐敗を示し、彼をして自己《おのれ》に誇り、自己に頼ることの全然無益なることを覚らしむ、而して斯く自我の堕落と汚穢と暗黒とを示し、人をして(315)謙遜の絶下まで引下し、然る後に、援助《たすけ》を乞ふ彼の叫号《さけび》の声に応じて大なる救済《すくひ》を施し、彼が低く引下げられし丈け其れ丈け高く彼を引上げ、彼をして洵に心霊的に再生せしむ、一たびは地の絶下まで降らしめて、然る後に天の絶頂まで昇らしむ、而して斯かる絶対的感化を人に及ぼす者にして世に聖書の如き者は無いのである、実に哲人ハイネの言ひしが如く、
  What a book! Vast and wide as the world.rooted in the abyss of creation, and towering up beyond the blu secrets of heaven. Sunrise and sunset, promise and fulfillment,life and death、the whole dream of humanity are in this book.
である、聖書のみ人に霊魂の根本的革命を起さしむるの書である。
 而して国家運動と云ひ、社会運動と云ひ、先づ個人の心霊の奥深き所に於て始まらざる者は根本的改革を来たすに足りない、先づ一人の霊魂が根本的に改革されて、然る後に社会又は国家が根本的に改革されるのである、此明白なる事実を忘れて、根本的改革の要求を以て直に社会公衆に迫るが如き、之を無謀の計《はかりごと》と云はざるを得ない、先づ祈祷と断食とを以て自己の霊魂に根本的改革の実現を見ずして、直に世と共に拍手喝采の内に国家社会の根本的改革を行はんと欲する者は、彼等は縦し名は実際的の政治家であるにもせよ、実は常識を供へざる明白なる夢想家である、先づ神の書なる聖書を以て自己の霊魂に根本均改革を実現して然る後に根本的改革を以て国家に臨むべきである。
 余は虚偽の根本的改革の喧しく唱へらるゝ今日此時に方て第一高等学校の学生有志諸君が茲にビーベルフロインデ会を組織せられて真面目に聖書研究に従事せられんとするを見て歓喜に堪えない、是れ決して小なる事件で(316)はない、縦し新聞記者は之を伝へず、政治家は措て問はずと雖も、而かも茲に真正の意味に於ての日本国の根本的改革は其端緒の一を開いたのである、諸君は其事を思ふて、忍耐、以て此貴き興味深き研究を継続けられんことを望む、終りに臨み余は余の『愛吟』中の詩人ローエルの一句を諸君に呈し、以て諸君の祝福されたる首途を祝せんと欲す、
  嗚呼、小なる端緒《たんちよ》よ、至誠に拠《よ》り、
   不撓に築きて汝は大にして強し、
  汝は不義に勝ち、楽土を拓き、
   王冠を得て之を戴きて耻《はぢ》ず。
 
(317)     〔邦人の年毎に其崇拝的人物を変へるを歎きて〕
                         大正3年4月10日
                         『聖書之研究』165号
                         署名 柏木生
 
 邦人の年毎に其崇拝的人物を変へるを歎きて
     年毎に変る神様日本人
 
(318)     死の慰藉
         或る若き婦人の葬式に臨み其親戚友人を慰めんと欲して語りし所
                         大正3年4月10日
                         『聖書之研究』165号
                         署名 内村鑑三
 
  歎き悲み甚く憂ふる声ラマに聞ゆ、ラケル其|児子《こども》を歎き、其児子の無きによりて慰を得ず。馬太伝二章十八節。
  凡て父の我に賜ひし者は我れ一をも失はず、我れ末日《をはりのひ》に之を甦らすべし、恁く為すは是れ我を遣しゝ父の聖意なり。約翰伝六章三十九節。
  凡て子を見て之を信ずる者は永生を得、我れ末日に之を甦らすべし。同四十節。
  我を遣しゝ父もし引かざれば人よく我に就《きた》るなし、我に就りし人は我れ末日に之を甦らすべし。同四十四節。
  イエス曰ひけるは……我肉を食ひ我血を飲む者は永生あり、我れ末日に之を甦らすべし。同五十四節。
 死の何たる乎は之を他人の死、又は人類の死、又は生物の死として見ては判らない、死は生命の終熄である、新陳代謝の法則であると云ひて死の何たる乎は判らない、学者として見たる死は興味多き問題である、詩人として見たる死に美的なる所がある、死は普通の事であるから人は死に接して驚かない、彼等は政治、殖産、芸術と云ひて種々の事に思意を凝らすが、死に就ては別に深く考へない、彼等は大抵は死は無き者のやうに思ふて其(319)日々の生涯を送る。
 然し乍ら、他人の事としての死、人生の常としての死に就ては平然たることが出来るが、死が自分の事として臨る時には何人も驚愕かざるを得ない、死は遠方より之を望むと、面前之に接するとに由て、其間に大なる相違がある、遠くより望んだる死は左程に恐るべき者ではない、然し乍ら死が我身を襲ふ時に、彼は確かに「恐怖の王」である、死が我最愛の者を奪去る時に、我等は其の実に如何なる者である乎を知るのである、我等は其時哲学者の死の説明を聞くも何の慰めらるゝ所がないのである、詩歌も美術も死の悲痛を減ずる上に於て何の効力《ちから》も無いのである、「ラケル其児子を歎き、其児子の無きが故に慰を得ず」とある、児子を失ひし父母の欺き、妻を失ひし良人の歎き、是れ慰を得ざる悲歎である、宇宙広しと雖も此場合に於ける死を慰め得る物とては一ツも之を看出すことが出来ないのである。
 「其児子の無きが故に慰を得ず」と云ふ、然し唯一つ慰を得るの途があるのである、若し何かの方法に由り愛する者が再び活くるを得るならば若し今は眼を閉ぎ、唇を緘《とぢ》る者が、何かの能力に由り、活きて再び我前に立ち、我と共に語り、我愛を受け又我に愛を供するならば、一言以て之を謂はゞ、彼が若し復活するならば、其時は我は実に慰を得て、我が悲歎は完全に癒《いやさ》るゝのである、人は復活と聞いて笑ふなれども、然れども、復活は死別苦痛に悩む者に何人にも起る希欲《ねがひ》である、永久の離別は我等の忍ぶ能はざる所である、復活の希望なくして、再会の期待なくして、死は「慰を得ざる」苦痛である。
 復活の欲望はあるとして、復活は確かに有る事である乎、其事を知らざるが故に死の刺《はり》は抜《と》れないのである、世に死者を復活するの術は無いのである、人は死して復た還らず、歎くも喚《おめ》くも詮方ないのである、復活は僅か(320)に人類の夢としてのみ存するに止て、其、実際に無き事であるが故に、人は死に遭遇して慰を得ないのである、茲に於てか死を慰むるの術として唯諦の一事があるのである、「致方がない」、「止むを得ない」、「何人にも来ることである」と、憐れむべき人類は其文明進歩を誇り、其科学と芸術とを誇り、其天然の征服を誇るに関はらず、死に対しては此理由なき、絶望的の諦があるのみである。
 然し乍ら復活は果して無き事である乎、愛する者の死に遭遇して何人の心にも自然と起る此欲望に応ずるの事実は無いのである乎、而してキリストの福音は人類自然の此要求に応じて問題の解決を提供するのである、曰く
  復活はある、イエスキリストに於て此事は行はれた、而して彼を以て凡て彼を信ずる者の上に此事は行はるゝのである、復活の希望は決して痴者の脳裡に浮ぶ一時の夢ではない、確実なる事実である、
と、聖書の辞を以て謂ふならば、
  キリスト死を廃《ほろぼ》し、福音を以て生命と壊《くち》ざる事(復活)を著明《あきらか》にせり
とある(提摩太後書一章十節)、キリストに由て、死を歎く人類自然の要求は完全に充たされたのである。
 然れども人は更らに問ふて言ふであらふ、復活は如何にして行はるゝ乎、如何なる能力、如何なる方法に由て行はるゝ乎と、而して此問に答へてイエスは曰ひ給ふたのである
  我れ末日に之を甦らすべし
と、彼は一時に四たび繰返へして此言を発せられたのである、我れ……末日に……甦らすべし と、何れも重い言辞である、復活の事実はイエスの此言を一々精査《しら》べて見て能く判明るのである。
  我れ……能力の充実せるイエスキリスト、天の中地の上のすべての権力《ちから》を賜はれりと言ひ給ひし彼れ、世に在(321)りし間に死者を甦らすの実験を有ち給ひし彼れ、其他種々の不思議なる行を為し給ひし彼れ、又人類を向上せしむるに於て歴史上最大の力たりし彼れ、又我等彼を信ずる者の心霊《こゝろ》に在りて何人も何物も為す能はざる道徳的変化を成就たまひし彼れ、神の子、人類の王、我等の救者《すくひて》たる彼れ主イエスキリストが死者を甦らし給ふとのことである、死者を甦らすの薬品があると云ふのではない、其秘術が発見されたと云ふのではない、又ベテロとか、パウロとか、ヨハネとか云ふ人が此奇蹟を行ふと云ふのではない、我は生命なり、復活なりと云ひ給ひし神の子イエスキリストが此事を為し給ふと云ふのである、何にも不思議はないのである、パウロはアグリッパ王と其侍臣等に問ふて曰ふた、
  神、死し者を甦らせ給へりと云ふとも汝等何ぞ信じ難しとするや
と(行伝廿六章八節)、生命の源なる神が其子を以て死者を甦らし給ふと云ふのである、是れ信じ難い事ではない、馬太伝なり、路加伝なり、四福音の何れなりを読んでイエスの何者なる乎を知るならば、彼が死者を甦らすと聞いて人は別に怪まないのである、イエスの能力と柔和と謙遜と無私とを以てして、死者の甦は不可能ではない、イエスを知らずして甦は判らない、然れどもイエスを識りて甦の大奇蹟も出来得べき事として受納れらるるに至るのである。
 甦らすべし……甦とは何である乎、「よみがへり」は黄泉より還ることである、即ち死者が原の肉体を以て復活することである、然し乍ら、聖書に謂ふ所の「甦」は単に肉体の復活を謂ふに止まらない、anastasis は「起上る」の意である、一たび死し者の更生に止まらない、原より死し者の新たに生まるゝをも謂ふ、而してイエスキリストに由るよみがへりは更生に新生を加へたる者である、我等は死して再たび原の体を以て顕はるるに止ま(322)らない、其上に更らに新らしき生命を加へらるるのである、復活は生命の進化である、其新発展である、人はキリストの復活する所となりて始めて真の生命に入るのである、我等が今有つ所の体は是れパウロの所謂「死の体」である(羅馬書七章廿四節)、栄光ある復活体に較べて見て死体同様の者である、神がキリストを以て末日に信者に賜ふ体は朽《くち》る肉の体ではない、
  壊《くつ》る者にて播れ壊ざる者にて甦され、尊からざる者にて播かれ、栄ある者にて甦され、弱き者にて播かれ強き者にて甦さる
とあるは此事である(哥林多前書十五章四二、四三節)、「甦り」は新たに造らるゝ事である、文字は以て事実を表現すに足りない、我等は「甦らさる」と聞いて此朽る肉体を以て再び地上に遣はさるべしと思ふてはならない。
  末日に……何故に末日に甦らさるゝのであつて今、茲処に甦らされないのである乎、イエスに若し死者を復たび活かし得るの能力があるならば、何故に末日まで待たずして、今、茲処に活かすことが出来ないのである乎、彼は彼の友ラザロを其姉妹友人の面前に於て甦らしたと書てあるでない乎と(約翰伝十一章)、是れ当然起るべき疑問である、而して愛する者の死に遭遇して我等は此疑問の我等の胸中に湧出るを禁じ得ないのである。
 然し其れには深き理由があるのである、「末日に」と云ふは単に「遠き未来に於て」と云ふことではない、末日とは此世が完全の域に達した時を云ふのである、新らしき天と新らしき地との現はるゝありて「復た死あらず哀み哭き痛み有ることなし」と云ふ其の楽しき美はしき状態に達した時を云ふのである、神がキリストを以て己を愛する者を末日に甦らし給ふと云ふは、天地の此準備が成りし其暁に此事を行ひ給ふと云ふのである、死あり哀み哭き痛みある此世に今甦りたればとて死者は再たび人生のすべての苦痛を繰返さねばならぬのである、既に(323)一回之を嘗めし者が何ぞ再び之を繰返すの必要あらんやである、死は一たび之を嘗むれば充分である、何を択んで再び此世に還り来り、再び涙の谷を辿り、再たび死の河を渡るべけんや、今茲処に死者を甦らすは無慈悲之より大なるはない、死者をして静かに眠らしめよ、彼が再び覚ん時は此世に死と涙とが跡を絶ちし其時であらしめよ 復活は末日に於て行はるゝにあらざれば恩恵ではない、而して愛なる神は今茲処に死者を甦らし給ひて彼をして再び死の苦き杯を飲ましめ給ふが如き無慈悲を施し給はないのである、彼は死者は之を末日に甦らし給ひて、彼の大なる慈愛を現はし給ふのである、内心《うち》に適ふ外界《そと》があつてこそ生命は最大の幸福であるのである、イエスに在て義とせらる聖められ贖はれたる霊が聖き壊ざる体を以て、改造されたる天地に再び生れ来りてこそ真の祉福は楽まるゝのである。
       *     *     *     *
 我れ末日に之を甦らさんと、神の子イエスキリスト、聖城《きよきまち》なる新らしきヱルサレムが備整《そなへとゝの》ひて神の所を出て天より下り、復た死あらず哀み哭き痛みあること無きに至る時、彼を信じ彼に依頼む者に新たに生命を注ぎ、彼をして死より起上らしめ、栄ある壊ざる体を以て此新天地に永久に存在《ながら》へしめ給ふと、此確実なる約束の我等に供せらるゝありて、我等は我等の愛する者の死に接して歎かないのである、ラケルは其児子を失ふて慰を得て感謝するのである。
 
(324)     信者と現世
         馬太伝五章十三−十六節の研究
                         大正3年4月10日
                         『聖書之研究』165号
                         署名 内村鑑三
 
  二月十五日、柏木聖書講堂に於て為せし講演の主要部分
 
 信者は地の所属ではない、天の所属である、世の所属ではない、キリストの所属である、然し乍ら、彼は今猶ほ現世《このよ》に在る者である、故に現世と深き関係に於て在る者である、信者が現世に対して採るべき態度如何、信者は現世のために何を為すべき乎、又何を為し得る乎、是れキリストが茲に教へ給ふ所である。
 イエスは言ひ給ふた汝等は地の塩なりと、又汝等は世の光なりと。
 
     汝等は地の塩なり
 
 地は下の世界である、上の天に対して称ふ、地も亦神の造り給ひし者である、故に善きものである、然し乍ら、肉の人を宿す所なるが故に甚だ腐敗し易くある、実に腐敗し易きは地の特性である。
  時に地、神の前に乱れて暴虐地に満ちたり
(325)とは既にノアの時に於ける其状態であつた(創世記六章十一節、邦訳に「世」とあるは誤訳である)、又
  ヱホバ天より(地の上なる)人の子を瞰たまひしに、彼等は悉く腐れたりとある(詩篇十四篇二、三節)、地は暫時的のものである、天の如くに永久的のものでない、故に腐れ易くある、故に腐敗を止むるために常に防腐剤を要するのである。
 塩は昔時の唯一の防腐剤である、塩に由て食物の味は保存せられ、其腐敗は防遏せられたのである、而して信者は腐敗し易き此地の防腐剤であるとのことである。
 事は至て平明である、然し凡て深遠にして普遍的なる事は平明である、イエスの弟子に由て地の味は保存せられ、其腐敗は止めらるゝのである、信者が信者の職務に忠実ならずして、地の腐敗は其底止する所を知らないのである。
 地は腐れ易くある、然し乍ら、腐れ易きは其中に生命があるからである、生命の無い所には腐敗は無い、腐敗は生命の徴候である。
 地に生命の在ることは事実である、福音の到らざる所にも道徳がある、人倫がある、福音無くして道徳あるなしと云ふは大なる過誤である、福音以前に、希臘羅馬に、支那日本に、善き高き道徳があつた、又福音以外に、仏教に儒教に神道に清き深き倫理がある、真理と生命とは基督教のみに限らない、全地は神の栄光を現はして居る、真、善、実の或る反照は之を地上何れの所に於ても認むることが能る、而して是れ悉く禅の賜物であつて、保存し、専重し、感謝して受くべきものである。
 然し乍ら地の生命は甚だ腐れ易くある、其新鮮なる時期は短く、其溌剌たる期間は少時《しばし》である、地上の生命は(326)忽焉にして腐敗し、暫時にして硬化す、恰かも人生の短かきが如くである、其繁栄は槿花一朝の夢である。
 茲に於てか塩の必要があるのである、既存の善事を保存し、其美を発揚し、之をして更らに地の滴養を助けしむる或者の必要があるのである 而して神の生命の言辞を心霊に受けし信者が地の此必要に応ずるのであるとの事である、信者に由りて福音以外の諸徳、信者以外の諸善が保存せられ、発揮せられ、流布せらるとの事である。
 而して此事は世に隠れなき事実である、キリストの福音に由て旧道徳と旧信仰とは真正の意味に於ての復活を見るのである、イエスは此事を教へて直ぐ後で曰ひ給ふた、
  我れ律法と預言者とを廃《すつ》る為に来れりと思ふ勿れ、我れ之を廃る為に釆りしに非ず、成就せん為なり
と(五章十七節)、而して此事たる旧約の律法と預言者とに限らないのである、凡《すべて》の宗教又は道徳に於て然るのである、希臘羅馬の旧き道徳も、印度の仏教婆羅門教も、支那の儒教も、波斯の火教も、イエスの福音の塩に接して其真価を認められ其真髄を発揮せられたのである、東洋諸国に於て福音は儒教と仏教とを廃せずして返て之を起したのである、今や最も該博なる仏教研究は仏教国に於て行はれずして基督教国に於て行はるゝのである、今や最大の仏教学者は印度又は日本に於てあらずして英国又は仏国又は独逸に於て在るのである、モニエー・ウイリヤムス氏の如き、マツクス・ムラー氏の如き、其他世界的仏教学者の多数は誠実なる基督信者あつたのである、而して又我国の神道に就てさへも、アストン氏の如き、ノツクス氏の如き、又自身は基督信者に非ずと称するも而かも同じ基督教国の産なるチヤムバレーン氏の如きが、世界的眼光を以て其研究に従事し、比較宗教学的に其蘊奥を探りて広く之を世界に紹介せしに照らして見ても、キリストの福音の亦決して神道の破壊者でないことを(327)知るに足るのである。
 而して余輩は亦同一の事を宗教以外の事に於て見るのである、日本国に於て二宮尊徳、上杉鷹山、日蓮上人等の世界的価値と偉大とを認めて之を世界に紹介した者は何人である乎、彼等は皆な明白に自身はイエスの弟子なりと表白する人等《ひとたち》ではない乎、仏教徒には外教徒なりとて憎まれ、自称愛国者等には国賊なり逆臣なりと唱へられし基督信者が起て日蓮上人はモハメツトに勝り、ルーテルに匹敵すべき大宗教家である、二宮尊徳は万国の敬崇を惹くに足るの農聖人であると言ひて、日本人の精神的偉大を世界に対つて鳴らした者ではない乎、イエスの弟子は孔子の弟子又は釈迦の弟子を憎みて彼等を葬り去らんと欲する者ではない、其正反対が事実である、塩が食物の味を保蔵するが如くにイエスの弟子は他宗他教の真理を保蔵し且つ発揮するのである、仏教も儒教も、其他のすべての宗教も、イエスの福音に由て永く地上に保存せられて、其放つべき光を放つのである。
 基督教は忠孝道徳の破壊者なりとの邦人の套語に就ては茲に之を答弁するの必要はない、忠孝道徳を破壊する者は基督教ではない、忠孝道徳は基督教を俟たずして破壊されつゝあるのである、収賄の故を以て君国の名を世界に向つて辱かしめし者は基督信者では無かつた、放埒の故を以て本山の存在を危くせし者は基督教の僧侶では無かつた、忠孝道徳を喧しく口にする者必しも忠臣孝子では無い、能く国民の義務を尽す者、其人が真正の忠臣である、能く家名を辱かしめざる者、其人が真正の孝子である、其意味に於てイエスの弟子は釈迦の弟子又は孔子の弟子に勝ることあるも、劣ることなき忠臣孝子であると思ふ、主の主なる真の神に事ふる者が斯世の君に対して不忠でありやう筈はない、愛なる神を父として有つ者が肉体の父母に対して不孝なる筈は無い、忠孝道徳破壊の故を以てイエスと彼の福音とを誹謗して止まざる我国の道徳家は、イエスの福音の全然排斥せらるゝ所に於(328)て忠孝道徳の歳々に廃れ行く其理由を説明すべきである。
 汝等は地の塩なりとイエスは其弟子等に対つて言ひ給ふた、即ちイエスの弟子等は斯世に在りて万般《すべて》の善事の保全の任務に当るべき者であるとの事である、単に腐敗を防止《とゞ》むるに止まらない、能く味を保存する、塩の用は茲にある、信者の用も亦茲に在るのである、保全と防腐、新生命を供するに先だちて旧生命を保存する、神は最大の経済家である、神は御自身の能力を濫用し給はない、彼は其独子を以て新生命を人に賜ふに先だちて、彼が前《さき》に斯世の聖人又は義者を以て賜ひし旧生命を保存し給ふ、
  少しも失はざるやうに其|余《あまり》の(パンの)屑を拾集めよ
とイエスは曾て弟子等に言ひ給ふた(約翰伝六章十二節)、残肴の拾集保存は信者の役目の半分である。
     汝等は世の光なり
 上の天に対して下の地がある、光明の来世に対して暗黒の現世がある、而して信者は下の地に対しては塩であり、暗黒の現世に対しては光であるとの事である、塩としては既に地に在る善きものを保存し、光としては未だ世に有らざる天の光を加ふ、旧を保存するを以て満足せず、更らに進んで新を増進す、信者は保守家であると同時に進歩家である、保守に偏らない、然ればとて進歩にも偏らない、ユダヤ人の如くに単へに旧に鎚らない、然らばとてギリシヤ人の如くに唯新をのみ是れ追はない、守るべきを守り、進むべきに進む、地の塩であると同時に世の光である、保守進歩の両主義を一身に体する者である。
 イエスの弟子は世の光である、文明の先導者である、智識の開発者である、霊光の供給者である、此事に就て(329)疑を懐く者は無い、世の所謂基督教に迷信が無いではない、所謂基督教会なる者が頑迷無智の巣窟と化したる事は幾回《いくたび》もある 然れども過去千九百年間の人類の歴史に於てイエスの弟子が光明の炬火《たいまつ》の把持者《もちて》であつたことは如何なる人と雖も疑はんと欲して能はざる所である、信仰道徳の事に於てのみではない、科学の事に於て、産業の事に於て、思想のことに於て、美術のことに於て、パウロの言辞を藉りて言ふならば、凡そ真なること、凡そ敬ふべきこと、凡そ義しきこと、凡そ愛すべきこと、凡そ善き聞えある事に於て、常に荊棘の開拓者として、又新光明の注入者として進歩の先陣に立ちし者の、ナザレのイエスの忠実なる弟子でありしことは炳乎として天空《そら》に太陽が輝くが如くに明瞭《あきらか》である(腓立比書四章八節)、世界の文明国を称して一名之を基督教国と呼ぶは決して理由の無い事では無い、我は世の光なりとイエスは言ひ給ふた、而して信者はイエスに代りて世を照らす者である、勿論イエスの如くに自から光を放つ能はずと雖も、而かも各自の信仰の量に循ひ彼の光を反射する者である、イエスの光を身に受けたる彼の弟子が無くして世は夙く既に常暗の世と化し去つたことは何よりも明かである。
 信者は地の塩であり又世の光であると云ふ、然し乍ら信者自身が塩であり又光であるのではない、彼をして塩たらしめ又光たらしむる者は彼の衷に宿り給ふ彼れ以外の或者である、彼が彼の衷に宿り給ふ間は彼は実に塩であり光であるのである、然し乍ら、彼にして一朝彼を離れ給ふ場合には彼は味を失ひたる塩となり、又光の失せたる燈《ともしび》となるのである、故に信者は自から輝かんと欲して輝くことは出来ない、彼は彼の衷に輝く大光をして故陣なく外に向つて輝かさしむれば足りるのである、イエスを離れたる信者は味を失ひたる塩であつて、後は用なく、人に践まれんために外に棄らるゝ而已である、自己が輝くにあらずして、自己が衷に宿り給ふイエスが輝く(330)のであるが故に、人々は信者の善行を見て、信者を誉めずして、イエスの父にして信者の父なる天に在す父を栄《あが》むるのである、イエスの弟子と云ふは孔子の弟子又はソクラテスの弟子と云ふとは全く其趣を異にする、イエスの弟子はイエスに効ふ者たるに止まらずイエスの宿る所の者である、基督者である、小基督である、故にキリストを離れては無に等しき者である、イエスの弟子が地の塩であり、世の光である 其|原由《もと》は全く彼の衷に宿り給ふ生命の主にして世の光なる主イエスキリストに在るのである、故に我等有力なる塩となり、又強大なる光と成らんと欲はゞ、信仰を以て益々確実にイエスの内在を祈求《もと》むべきである。
 
(331)     無教会主義の利益
                         大正3年4月10日
                         『聖書之研究』165号
                         署名なし
 
 無教会主義を懐くに多くの利益がある、其中最大なる者の一は外国宣教師(殊に英米の宣教師)に嫌はれ彼等の援助《やすけ》に与り得ざることである、宣教師は信仰の大なる誘惑者である、彼等の愛する所となりて信仰の独立は之を守ること殆んど不可能である、我等今日の場合に於ては神と親しく成らんがためには宣教師と疎くなるの必要がある、我等は宣教師より遠からんために丈けでも無教会主義を採るの必要があると思ふ。
 
(332)     神の進行
                         大正3年4月10日
                         『聖書之研究』165号
                         署名なし
 
 余は弱くある、然れども余の仕事する父なる神は強くある、余の言は聴かれない、然れども神の聖意は行はれざるを得ない、人が余の言を聴いて神に従ふに至るのではない、彼等は神に従ふべく余義なくせられて終に余の言に耳を傾くるに至るのである、神は余を以て進み給はない、余の前に進み給ふ、彼は己に反く者を以て彼の聖意を行ひ給ひつゝある、彼を憎む閥族と彼を斥くる政党とは知らず識らずの間に彼の栄光を顕はしつゝある、ヱホバはヨブに問ふて曰ひ給ふた、
  汝、鉤《はり》をもて〓《わに》を釣いだすことを得んや、
  其舌を糸に引かくることを得んや
と(約百記四十一章一節)、神は洵に鉤もて政治家の〓を釣いだし、其舌を糸に引かけて彼の聖意を地上に行ひ給ひつゝあるのである、我等は人が神の存在を認めざればとて敢て落胆するに及ばない、彼は不信者を以てして此世を化してキリストの国と成し給ひつゝある、政変擾乱是れ又ヱホバの進行の曲である、我等は之を耳にして益々勇気を鼓して憚らずしてキリストの福音を唱ふべきである。
 
(333)     桶職
                         大正3年4月10日
                         『聖書之研究』165号
                         署名 柏木生
 
 去る二月某日余れ一日の閑を得たれば杖を三浦半島に曳けり、時に相模湾を隔てゝ富士の美貌を望む辺に、一人の桶職の家に在りて其業に励むを見たり、都会人士の益なき野心に駆られて騒然たるに対し、彼の静粛なる勤勉の欽ぶべくありたれば、彼の心を歌はんとて歩を運びながら左の一篇を口ずさびぬ。
 
 一、我は唯桶を作る事を知る、
   其他の事を知らない、
   政治を知らない宗教を知らない、
   唯善き桶を作る事を知る。
 二、我は我桶を売らんとて外に行かない、
   人は我桶を買はんとて我許に来る、
   我は人の我に就いて知らんことを求めない
(334)  我は唯家にありて強き善き桶を作る。
 三、月は満ちて又虧ける、
   歳は去りて又来たる、
   世は変り行くも我は変らない、
   我は家に在りて善き桶を作る。
 四、我は政治の故を以て人と争はない、
   我宗教を人に強ひんと為ない、
   我は唯菩き強き桶を作りて、
   独り立て甚だ安泰《やすらか》である。
 
(335)     『宗教と農業』
                           大正3年4月28日
                           単行本
                           署名 内村鑑三
 
〔画像略〕初版表紙 150×110mm
 
 
(336)     天国の律法
         馬太伝五章十七節以下の研究
                         大正3年5月10日
                         『聖書之研究』166号
                         署名 内村鑑三
 
  二月廿二日柏木聖書講堂に於ける講演の要点
 
 律法《おきて》はモーセに由りて伝はり恩寵と真理《まこと》はイエスキリストに由りて来れりとある(約翰伝一章十七節)、故にキリストの福音に律法は無いと云ふならば誤謬である、キリストの福音にも律法がある、モーセのそれよりも遙かに深い且つ聖い律法がある、イエスは茲に天国の律法を宣給ひつゝあるのである、使徒ヤコブは之を称して自由なる全き律法といふた、束縛るための律法に非ずして釈放《はな》つための律法である、又強ひられて行ふ律法に非ずして、愛に励まされて行ふ律法である(雅各書一章廿五節)。
 イエスの宣たまひし天国の律法はモーセの律法を壊ちて其上に建てられたる者ではない、イエスは破壊者で無い、彼は旧を壊ちて其上に新を築き給はない、彼は旧をして其精神を発揮せしめ、新として之を世に供し給ふ、蕾を壊ちて新たに花を造り給はず、蕾をして花として開かしめ給ふ、律法と預言者とを廃ず之を成就し給ふと云ふは此事である、方今《いま》の哲学の言辞を以て言ふならば、イエスはモーセの律法を廃棄し給はず、之を進化せしめ(337)給ふ、モーセの律法の精神を発揮せしめて之を其真正の意味に於て行ふことを得しめ給ふ。
 今試に之をモーセの律法の或る条項に就て例証せん乎、十誡第六条に曰く、汝殺す勿れと、実に然り、然し乍ら、殺すと云ふことは肉体の生命を奪ふことに止まらない、故なくして其兄弟を怒ること、其事も亦殺すことである、憤怒《ふんど》、仇恨、誹譏、讒謗、是れ皆な殺人の罪である、殺人は外の行為《おこなひ》では無い、内の心状《こゝろ》である、人を憎む者は彼を殺す者であると、イエスは如斯くに十誡第六条を解釈し給ふたのである。
 然らば十誡第七条は如何に、汝姦淫する勿れとある、然し乍ら、姦淫するとは止に肉体を汚すことではない、邪念を以て婦(他人の妻)を見る者は心中すでに姦淫の罪を犯したのである、※[號/食]※[殄/食]《たうてつ》、酔酒、放肆、汚穢、是れ皆な姦淫の罪である、姦淫も亦殺人と同じく外の行為《かうゐ》ではない 内の心状である、情性の汚れたる者はすべて姦淫を犯す者であると、イエスは如斯くに十誡第七条を解釈し給ふたのである。
 同一の筆法を以て亦十誡第九条をも解釈すべきである、虚妄《いつはり》の証拠《あかし》を立つるとは法廷に出て法官と同胞とを欺くことばかりでない、誓約を立つること、其事が神と他人と自己とを欺くことである、明日あるをさへ知らざる人が如何で誓約実行を確証するを得んや、彼の為し得る事は唯「主もし許し給はゞ我此事或ひは彼事を行さんと言ふ」事のみである、十誡第九条を完全に守らんと欲せば誓約は絶対的に之を廃止せざるべからずである。
 更らに十誡以外の律法に就て言はん乎、復讐は絶対に之を禁ずべきである、人、若し我が右の頬を批たば亦左の頬をも向けて彼をして之を批たしむべきである、絶対的無抵抗主義、天国に於ては、軍備、警察は勿論、民法又は刑法も亦在るべからずである。
 悪に抗せざるに止まらず、更らに進んで悪人を愛すべきである、敵と味方との区別を立つべからず、味方を扱(338)ふが如くに敵を扱ふべし、神が其日を善者《よきもの》にも悪者《あしきもの》にも照らし、其雨を義人にも罪人にも降らし給ふが如く、一視同仁、以て自己を愛する者を愛するが如くに、自己を憎む者又|虐遇《なや》まし迫害《せむ》る者をも愛すべきである。
 以上を以て天国の律法は尽きたりと言ふのではない、然し乍ら、以上に由りて天国の律法の一斑を窺ふことが出来るのである、そのモーセの律法と異なる点、その之に優るの点は以上の引例に由て推知することが出来る、十誡《じつかい》のすべて、其他、旧約のすべての律法は以上の範例に由りて解釈せらるべき者である。
 依て知るイエスが茲処に宣たまひし者の天国の律法のすべてにあらざることを、同時に又天国の律法の箇々別々の律法より成る者にあらざることを、律法は一である、一の律法を種々様々の場合に適用せんとして幾多の法規法条が在るのである、此事を最も明かに言表はしたのが使徒ヤコブである、
  人、律法を悉く守るとも若し其一に躓かば是れ全部を犯すなり、それ姦淫する勿れと言ひ給へる者亦殺す勿れと言ひ給ひたれば、汝等姦淫せずとも若し殺すことをせば、律法を犯す者となる也(即ち姦淫の罪をも併せ犯す者となる也)
とある(雅各書二章十、十一節)、天国の律法は之を一括して考量へなければならない、是は特に殺人を誡め亦特に姦淫を誡めたる律法ではない、是れは罪を其本源に於て糺明《たゞ》すための律法である、故に此罪彼咎を箇々別々に鞫くための律法でない。
 此事を心に留めて、所謂「山上の垂訓」を以て人の過誤を鞫くための法文として用ゆることの如何に不当である乎が判明る、イエスは茲処に世の所謂民法又は刑法を定め給ふたのではない、縦し又人ありてイエスの此律法を以て他の人を鞫かんするも、其は到底不可能である、其故如何にとなれば、人は何人も此律法を以て他の人を(339)鞫くの資格が無いからである、姦淫の故を以て人を鞫かんと欲する者は自身未だ曾て一回も邪念を以て婦人を見たことの無い者でなくてはならない、且又律法は一であつて殺人も亦姦淫の罪に問はるべき者であり、而して故なくして人を怒る者は殺人の罪を犯したる者であるとの事であれば、曾て一回たりとも憤怒《ふんど》の罪を犯したる者は殺人の罪に問はるべき者であるが故に、斯かる人は他の人が姦淫の罪を犯したればとて、之を鞫くの資格を有たない者である、若し人ありてイエスの宣たまひし此天国の律法を以て他の人を鞫かんと欲するならば、其人は右の頬を批たれし場合には左の頬をも転らして之を批たしめ、裏衣《したぎ》を要求せらるゝ場合には外服《うはぎ》をも提供し、人の彼に求むる者あれば己が所有のすべてを与へて惜まざる者でなければならない、若し基督信者が此明白なる事実を認めしならば彼れが今日まで臆面もなく犯し来りし、イエスの「山上の垂訓」を以て他人を鞫きて得々たるの恐るべき憎むべき罪より免がるゝ事が出来たであらふ、怒ることの殺人なるを忘れ、吝むことの貪婪《たんらん》なることに気が附かずして、己が犯さゞる(幸にして)罪を他人が犯すを見れば旗鼓堂々として之を責むるが如き、是を偽善の行為と称せずして何とか称せんである、イエスの唱へ給ひし天国の律法を以て所謂教会法(ecclesiastical laws)なる者を制定し、之を以て此世の政府が社会の罪人を審判くが如くに、信者を審判くはイエスの聖法の大なる濫用と称せざるを得ない、我来りしは世を審判かんために非ず世を救はんため也と彼は御自身に就て言ひ給ふた(約翰伝十二章四十七節)、然るを彼の宣たまひし律法を以て人を審判くが如き、是れ殺人以上、姦淫以上の罪と称せざるを得ない。
 然らば何のための天国の律法である乎? 他人を鞫くための律法ではない、自己を鞫くための律法である、人は何人も之を以て自己を探り、自己を糺明し、自己の何たる乎を確むべきである、爾《さう》するならば人は何人も推※[言+委]《いひのがる》(340)べきなくして彼はパウロの如くに
  善なる者は我れ、即ち我肉(肉的自我)に在らざるを知る
と神の前に白状せざるを得ざるに至るのである(羅馬書二章一節、同七章十八節)、而して此苦しき白状に由りて彼はキリストに顕はれたる神の赦罪《ゆるし》の福音に接し、茲に始めて天国の市民の第一の資格、即ち心霊の謙下《へりくだり》を得て、平和の生涯に入ることが出来るのである、イエスは彼の救済に与らざる者と雖も実行し得る律法として之を宣たまふたのではない、一は之を以て各自己を糺弾せしめ、己が罪を発覚して神の子の救済《すくひ》に与からしめんがために、二には斯の救済に与りし者が聖霊の恩化に由り終に実行し得るに至るものとして、此完全無欠、純粋無|雑《ざふ》の律法を宣たまふたのである。
 天国の律法である、福音の一部分としての律法である、故に是は福音の立場より解釈し、又福音の精神を以て適用すべき者である、
  我れ衿恤《あはれみ》を欲《この》みて祭祀《まつり》を欲まず
とは一言以て明かに神の聖意を言表したるものである(馬太伝九章十三節、同十二章七節、何西阿書六章六節)、神は人が神に対する時に此精神を以てせんことを欲み給ふ、又神御自身が人に対する時にも此精神を以てし給ふのである、神は人が他人に対して衿恤を施さんことを御自身に対して祭祀を奉らんことよりも欲み給ふのである、而して亦御自身に在りても衿恤を人に施すことを、人が御自身に対して役《つか》へまつることよりも欲み給ふのである、即ちイエスキリストの御父なる真の神に在りては与ふが前にして受くるが後である、役ふるは役へらるゝに優さるの幸福である、随て神の立場より見て、信仰は道徳よりも肝要である、憐愍《れんみん》は正義よりも貴くある、故に天国(341)の福音を宣給ふに方てイエスは先づ天国の律法を宣たまはずして、之に入者の祝福《さいはひ》を宣たまふた、「福ひなる哉」とは彼の開口第一番の言葉であつた、而して此事を心に留めて五章十七節以下の天国の律法を以て所謂「山上の垂訓」の骨子となすの甚だ誤れるを知ることが出来る、トルストイ伯の基督教の解釈の根本的誤謬は茲に在ると言はざるを得ない、彼はイエスの教訓の重心を彼の宣たひし律法に置て、福音の全景を見損ふたのである、而已ならず、彼の此誤解に由りて福音は福音にあらずして重き重荷と化するのである、即ち肉の人間に不可能事を強て其罪を鳴らすに止まつたのである、然し乍ら、イエスは如斯くにして天国の律法を我等に提供し給はなかったのである、彼は福音の一方面として之を宣たまふたのである、衿恤は彼の第一の要求である、而して第一に衿恤を要求し給ふ彼は心の柔和なる者にして、人に衿恤を施すを以て最大最後の目的となし給ふ者である、
  我れ衿恤を欲みて祭祀を欲まず
と彼は重ねて言ひ給ふた、衿恤は彼の生命の緯《よこいと》であり又経であるのである。
 斯かる衿恤の主の定め給ひし律法である、之を律法的に解釈するの非なるは言はずして明かである、天国の律法は衿恤を施すための律法、衿恤に導くための律法、衿恤んで適用すべきための律法である、其事を弁へずして教会は恐るべき神の律法を地上に布く為の機関であるかの如くに思ひ、基督信者とはキリストに代りて地上に人を鞫く者であると思ふが如き、是れ聖書の大濫用、福音の大誤解と言はざるを得ない、
  我れ衿恤を欲みて祭祀を欲まず
聖書解釈の鍵は茲に在る、之を以てして聖書の宝庫を開かん乎、其中より生命の甘泉は流れて止まず、好き真珠と値《あたへ》高き真珠とは其中に山積し、汲めども涸ず、掘れども尽ず、我等は生きて永遠に至り、富んで其終る所を知(342)らないのである。
 
(343)     天国の宗教
         馬太伝六章自一節至十八節。
                         大正3年5月10日
                         『聖書之研究』166号
                         署名 内村鑑三
 
  三月一日柏木聖書講堂に於ける講演の大意
 
  慎めよ、汝等の義を、人の前に為さゞるやう、彼等に見られんがために、若し然らずば、報賞《むくひ》を得じ、汝等の父より、天に在ます。馬太伝六章一節。
 「慎めよ」 注意せよ、何人も陥り易き誘惑なれば、汝等も之に陥らざるやうに注意せよ。
 「義」 単に正義と云ふに止まらず、すべて義き事を云ふ、聖書に在りては「義」は広き意味の有る辞である、清廉潔白と云ふが如き単に不義を為さないと云ふ事ではない、義は義しき関係である、人が神に対する関係、相互《あひたがひ》に対する関係又自己に対する関係、又神が人に対し給ふ関係、是等の関係の正当なる者をすべて義と云ふのである、故に情を離れたる乾焼無味の正義ではない、情を含みたる温かき活ける義である、故に謂ふ、
  神は義しき者なるが故に必ず我等の罪を赦し給ふ
と(約翰第一書一章九節)、神の義は人の義とは異なり、罪を罰する者では無くして之を赦す者である、神は義し(344)き者なるが故に恐るべき者に非ずして愛すべき者である、彼は人に対して義しき関係を保ち給ふが故に、即ち父が子に対するの関係を保ち給ふが故に、人は憚らずして恩寵《めぐみ》の座に来るべきである、
  父が其子を憐むが如く、ヱホバは己を畏るゝ者を憐み給ふ
とある(詩篇百三篇十三節)、神の人に対し給ふ義は、父の其子に対する関係、即ち憐愍、撫育、指導として現はるゝものである。
 而して神、神たらば、人、人たるべきである、神の人に対し給ふ義は、父の其子に対する関係であるならば、人の神に対する義は、子の其父に対する関係であつて、即ち尊敬、服従、奉仕であるべきである、人が神に対して為すべき事、其事が馬太伝の此場合に於ける義である、普通一般の言辞で以て言ふならば宗教的義務である 祭事といふのは此事である、即ち人が特別に神に対して為す事である、而して神が
  我れ衿恤を欲みて祭祀を欲まず
と言ひ給ひしは人が神に対して為すべき事として、彼は、人が御自身に対して為す祭祀よりも彼等が相互に対して為す衿恤の行為を嘉し給ふとのことである。
 「慎めよ、汝等の義を人の前に為ざるやう云々」 汝等が神に対して為すべきことを、神に見られんとせずして、人に見られんがために、人の前に為ざるやうに慎めよとの意である、今日の普通の言辞を以て言ふならば、汝等の宗教的行為をして世人の注意を惹くための所謂社会的運動たらしむる莫れと謂ふことである、即ちイエスは茲に特に宗教の俗化を誡め給ふたのである、宗教−人が神に対して為すべき義−は是れ神に見られんがために神の前に為すべき事であつて人に見られんがために人の前に為すべき事ではない、故に宗教が「お祭り」に変じ、(345)所謂年中行事の一と化せし時に、宗教は宗教で無くなりたのである。
 然し乍ら事実は如何に? 偶像教の事は措て問はず、基督教其物さへも、今や全然、イエスの此要求に反きたる者と化したではない乎、所謂基督教的運動なるもの、其所謂大挙伝道、慈善運動、貴威紳士招待会……是等は皆な、特に人に見られんために人の前に為さるゝ事ではない乎、若し信者の或者にして斯かる如何はしき運動に加はらざる者があれば、斯かる人は基督信者にすら隠遁者、神秘者、非活動者の名を附けられて嘲けられるではない乎、今や公然たらざる伝道は伝道として認められないではない乎、新聞紙に称揚られ、人口に膾炙せらるゝことが、神の栄光を顕はすことであると称るゝではない乎、宗教を社会運動と成す勿れ、人の評判を慎めよ、公衆の喝采を避けよとの救主の明白なる訓誡《いましめ》は忘却せられて、其正反対が主の名を以て教会の権能の下に行はれつゝあるのである、洵に主の言ひ給ひしが如く、
  人の子臨らん時、信を世に見んや
である(路加伝十八章八節)、今や信者の義は、彼等が神の名を以て為しつゝあることは、大抵は、社会運動として、人に見られんがために人の前に為されつゝあるのである。
 「報賞」 報賞に人よりなると神よりなるとがある、人に見られんために、人の前に為して人よりの報賞が無いでは無い、「大に社会を益す」とか、「其勢力に恐るべき者あり」とか、「其権能侮るべからず」とか云ふ称讃の辞を以て評論家と新聞記者とは社会運動としての宗教を迎へる、然し乍ら、是れ人の施す報賞である、上より臨る報賞は仁愛、平和、喜楽、忍耐、其類である、是れ「天に在す汝等の父より」臨る報賞であつて、此貴き報賞に与からんと欲せば、我等は我等の義(信仰的行為)を人の前を避けて隠微たるに鑒《み》たまふ神の前に為さなければな(346)らない、社会的運動としての宗教運動に加はりて我等に信仰的に何の得る所はない、斯かる運動に従事して得る所は僅かに世俗の拍手喝采である、而して之に伴ふ堪え難き心霊の貧困である。
 神に対して為すべきの義務は斯くの如くにして為すべきであれば施済《ほどこし》(慈善)は之を静かに人の眼を避けて為すべきである、今日の孤児院や救世軍が為すやうに、※[竹/孤]を吹き大鼓を鳴して世の注意を自己に惹くべきでない、斯かる慈善事業に益が全く無いでは無い、然し乍ら、其害たるや実に甚だしき者である、世道人心を害することにして善を誇示《パレード》するが如きは無い、之に由て施済は全然施済で無くなるのである、人はたゞパンを以て生くる者に非ず、多数の施者《せしや》を心霊的に飢しめて、少数の被施者を養はんとする今日の慈善事業なる者は誉むべき賛成すべき事業ではない。
 施済(慈善)が爾うである、祈祷も亦爾うである、祈祷は今や一種の技術である、祈祷の上手がある、下手がある、或る教会に於ける祈祷の如きは専門家にあらざれば到底行す能はざる事である、声の調子、楽譜の高低、唱歌隊《コアヤ》、独吟、合唱……祈祷は今や音楽の一部である、美術である、隠微《かくれ》たるに鑒たまふ神に聴かれんための祈祷ではない、人の感覚を喜ばせんための祈祷である、イエスは茲に「重複語《くりかへしごと》を言ふ勿れ」と明白に教へ給ひしに拘はらず、或る教会の祈祷文の如きは重複語を以て充満て居る(『公教会祈祷文』参考)、信者の祈祷は彼の心の切なる祈願其儘の発表である、「天に在す我等の父よ」と、信者は子が父に語るが如くに天に在す我等の父なる神に祈るべきである、是れに技術も練習も要つたものではない、飾の無い心情有の儘の祈祷、其れが基督信者の祈祷である、余輩は羅馬天主教会や英国聖公会の祈祷文を読んで子が父に語るが如くに感ぜずして、臣下が皇帝の前に伏奏するが如くに覚ゆる。
(347) 断食する時も亦爾うである、若し断食を要する場合があるならば、人には断食せざるが如くに見せて為すべきである、
  憂き容《さま》をする勿れ……首《かうべ》に膏を塗り、面を洗へ
と、断食は苦行を自己に課して神に願意の採用を逼ることではない、霊の要求に促れて自《おのづ》から為すことである、故に之に何の功穂のあるべき筈は無い、断食を為した故に祈祷が聴かるゝのではない、熱心の余り食欲が自から中止するより来る断食である、基督信者に宗規としての断食は無い筈である、彼等が若し断食する場合には、自由に、任意的に為すのである、断食を祈祷の必要的条件と見ることは新約聖書の示さゞる所である(馬太伝九章十四節以下参照)。
 勿論以上を以て人が神に対して為すべき事(義)は尽きない、然れども之を為すの精神は之に由て観て明かである、神に対して為すべきことであれば、人に見られんがために人の前に為すべからず、然らば隠微たるに鑒たまふ爾の父は明顕《あらは》に報ひ給ふべしとの事である、神に対する義務、即ち宗教的道徳の精神は之にて尽きて居るのである、日を睹るよりも瞭である、然し乍ら、顧られざる訓誡にして斯の訓誡の如きは無い、殊に多数政治の行はるゝ今日、イエスの心霊的宗教さへ、多数の賛成に由りて其勢力を維持せらるゝが如くに思はれ、明顕《あらは》に之を唱へざれば、之を信ぜざるが如くに信ぜらるゝに至りしは最も歎かはしき事である、余輩が西洋人、殊に英米人の基督教に慊ず思ふ主なる理由は、其、隠微的、心霊的ならずして、公衆的、政治的、社会的なるに在る。改行
 
(348)     信者と蓄財
         三月八日、今井館附属柏木聖書講堂に於ける講演の一部分                         大正3年5月10日
                         『聖書之研究』166号
                         署名なし
 
 信者は財産を作つてはならない乎? 貧は彼が択んで居るべき境遇である乎? 蓄財は彼に取り罪悪である乎? 是れ真面目なる信者に屡々起る問題である、此問題に就てイエスは教へて曰ひ給ふた、
  汝等地に財(宝)を蓄ふ(積む)勿れ
と、財は宝である、而して財産は必しも宝ではないのである、神は義人ヨブに報ゆるに多くの財産を以てし給ふた、
  ヱホバ、ヨブを恵みて其終を初よりも善し給へり、即ち彼は綿羊一万四千匹、駱駝六千匹、牛一千|※[藕の草がんむりなし]《くびき》、牝驢馬《めろば》一千匹を有《もて》り
とある(約百記四十二章十二節)、神が信仰の報賞として賜ひしものが悪でありやう筈はない、又
  謙遜とヱホバを畏るゝことゝの報は富と尊貴《たふとき》と生命となり
とある(箴言廿二章四節)、又イエス御自身が山上に此教訓を垂れらるゝに方りて曰ひ給ふた、
  柔和なる者は福ひなり、其人は地を嗣ぐことを得べければ也
(349)と(五章五節)、如斯くにして富(財産)其物の罪悪でない事は聖書全体の明かに示す所である。
 イエスの誡め給ふた者は財産ではない、宝である、而して財産は必しも宝でないのである、宝とは人が其中に心を置く物である、即ち彼が茲に
  蓋汝等の財の在る所に心も亦在るべければ也
と言ひ給ひしが如く、人が其心を置く所の物、其物が彼に取り宝となり、又宝であるのである、人が其心を財産に置くに方て、財産が彼の宝となるのである、勿論財産は大なる誘惑である、之を有て人は之に己が心を置き易くある、然し乍ら、是れ財産其物の罪ではない、之を宝となす者の罪である、世には財産を有《もつ》も之を宝と見做さない者の無いではない、ヂオーヂ・ピーボデー又はアンドリュー・カーネギーの如きは其例である、彼等は鉅万の財産を有して其中に彼等の心を置かなかつた、彼等は財産を支配して、財産は彼等を支配しなかつた、彼等は宝を財産以外の者に求めた、彼等は財産を有した、然れども地に宝を積まなかつた。
 イエスの禁じ給ひしものゝ何であるかを知りて所謂蓄財に関する彼の教訓を解するに難くない、
  蠹《しみ》喰ひ、銹触《さびくさ》り、盗人穿て窃む所の地に財を蓄ふる勿れ、蠹喰はず、銹蝕らず、盗人穿ちて窃まざる所の天に財を蓄ふべし、蓋汝等の財の在る所に心も在るべければ也、
とある(六章十九−廿一節)、イエスは宝を蓄ふることを禁じ給はなかつた、彼は唯之を地に蓄ふることを解め給ふたのである、而して地は宝を蓄ふべき所ではない、家と衣とは蠹喰ふ所となり、鉄と銅と金と銀と、其他すべて金属製の物は、蠹は喰はずと雖も銹びて触る、而して偶然《たま/\》蠹も喰はず銹び触りも為ないものがあるとすれば、其物は盗人の窃む所となる、所謂社会道徳の進歩も以て盗人を絶つに足りない、今や金庫製造の技術は其極緻に(350)達したりと称せらるゝも、之を破るの技術も亦之に循じて進んで居る 酸素が液化せられてより、之を用ひて焼断《やきき》ることの出来ない鉄板とては無いとのことである、文明進歩の今日と雖も此地は決して安全なる所ではない、此地に産を蓄へ、宝として之に頼りて何人も失望せざるを得ない、旧き伝道者の言は第二十世紀の今日、民法と世襲財産法との殆んど完全に達せし今日に方りても、其|正鵠《せいこう》を失はないのである、即ち、
  我れ観るに日の下に一の患あり、是は人の間に常にある事なり、即ち神、富と財《たから》と貴《たふとき》とを人に与へて其心に慕ふものを一として之に欠ることなからしめ給ひながらも、神また其人に之を食ふことを得せしめ給はずして他人の之を食ふことあり、是れ空なり、悪しき疾なり
と(伝道之書六章一、二節)、宝は之を此地に積むも詮がない、地其物が腐る者、朽る者、銹る者である、而して罪人の其中に横行するありて我等が永久に安全なることは無いのである、故に財産は神より之を賜はりて依托物として之を預かることありと雖も、我宝として之を所有べきで無い、宝は之を天に積むべきである、地は失するも失せざる天に積むべきである。
 注意せよ、宝は多少に由らない、多き財産も之に心を置かざれば宝となりて我等を縛らない 些少《すこし》の物も之に心を置けば宝となりて我等を束縛する、人の地的なると否なとは其人の所有の多少に由らない、僅少の物に縋りて地に着く者がある、多くの産を与へられて之に頓着せざる者がある、慎むべきは所有物《もの》の多少ではない、之に対して採るべき心の態度である、而して産を与へられて其束縛を蒙らざらんと欲せば、イエスの霊を我霊に迎へて、彼の支配する所となるの唯一途があるのみである、
  我れ言ふ汝等|聖霊《みたま》に由りて行《あゆ》むべし、然らば肉の欲を成すこと莫らん
(351)とパウロは言ふた、此世の財産に対して信者の取るべき態度は此一言を以て尽きて居ると思ふ(加拉太書五章十六節).
 
(352)     悪の処分
         馬太伝六章三十四節より七章六節までの研究  三月十五日今井館附属柏木聖書講堂に於て
                         大正3年5月10日
                         『聖書之研究』166号
                         署名 内村鑑三
 
     一日の苦労
 
 神が我等に賜ふ善に疆なきが如くに、亦我等に臨む悪にも疆がない、肉に属ける悪がある、霊に属ける悪がある、自己《おの》が悪がある、他人の悪がある、我等は神が何故に悪の存在を許し給ふか其理由を知らない、然し悪の実在することは確実である、而してイエスの弟子は如何にして悪に対せん乎、是れ彼が茲に教へ給ふ所である。
 身に属ける悪、我等は之を不幸と称び、凶事と称び、災禍《わざはい》と称ぶ、貧困の如き、疾病の如き、事業の失敗の如き、肉体の死の如き、是れ皆な身に属ける悪である、我等は其の我等の身に臨まざらんことを希ふ、我等は之に遭遇せんことを恐るゝが故に苦労するのである、悪は苦労の原因である、悪の襲来を恐るゝが故に我等は苦労するのである。
 是故にイエスは我等に教へて言ひ給ふたのである、
  明日の事を憂慮《おもひわづら》ふ勿れ、明日《あす》は明日の事を憂慮へ、一日の苦労は一日にて足れり
(353)と(七章三十四節)、茲に苦労と訳されたる辞が余が謂ふ所の悪である、希臘語のカキヤ(〓)である、苦労の原因たる悪である、何人の身にも臨む不幸、艱難、災害等である、而してイエスは我等に告げて言ひ給ふのであ
る、
  汝等悪に就て多く思ふ勿れ、悪は前以て予防する能はず、過ぎにし悪は歎くとも及ばず、日に日に臨む神の恩恵を享受し、凶事は之を深く心に留むる勿れ
と、一言を以て之を言はん乎、汝等楽天的なれとの事である、而して斯く教へ給ひしイエス御自身が甚だ楽天的であり給ふたのである、彼は「世の罪を任《お》ふ神の羔」であり、「悲哀《かなしみ》の人にして病患《やまひ》を知」り給ひしと雖も、而かも其短き一生を悲哀の中に過し給はなかつた、彼の言語は詩歌《うた》であつた、彼の祈祷は感謝であつた、彼の無邪気なる、一日の労を終へ給へば、颶風吹荒む波の上に漂ふ小舟の※[舟+肖]《とも》のかたに、枕して寝ね給へりとの事である、(馬可伝四章三七、三八節)、而已ならず、彼が敵に附たさるゝ其夜、恐るべき死は面前に迫り居りしにも拘はらず、彼は弟子等と逾越の節筵《いはい》を共にし、諄々として彼等に教ふる所あり、
  彼等歌を謳ひてのち橄欖山に往けり
とありで、讃美歌を以て彼等の質素なる聖き筵を賑はしたる事が判明る(馬太伝廿六章三十節) 英雄の胸中閑日月ありと云ふも、イエスの如くに未来を知覚するの能力を有つ人にして、此場合に於ける此静謐は我等の想ひ及ばざる所である、実に悲哀の人なりし彼は同時に又歓喜の人であつたのである、彼は能く悲痛を抑制するの途を知り給ふた、彼れ御自身が明日の事を憂慮ひ給はなかつた、彼は曾て世に在りし最大の楽天家であつた。
 何故に世に悪がある乎、又何故に神を信ずる者と雖も不幸患難を免がるゝ事が出来ないか、何故なる乎其理由(354)は判明らない、然し信者と雖も人類普通の憂苦《わづらひ》を免がるゝ事の出来ない事は確である、茲に至つて我等は身の憂苦を輕く見る必要があるのである、免がるべからざる者は成るべく平易に之を経過するに若くはない、無窮の栄光に其希望を繋ぐイエスの弟子と雖も、亦悪を取扱ふに此技術が必要である。
 曾て米国の大説教家なるピーチヤーが言ふた事がある、
  人は一事を為すに方て三度苦労する、為す前に失敗せずやと憂慮《おもひわづらひ》ひて苦労する、為すに方て労力消費のために苦労する、而して為して後に其結果如何にやと憂慮ひて苦労する、故に一事を為すに方て苦労を三度重ぬるを以て恒とする、然れども余は唯一回吉労するに過ぎない、余は為す時に苦労するに止まり、其前にも後にも苦労しない、是れ余が普通の人よりも三倍の事業を為し得るの秘訣である。
と、実に智慧の言辞と称せざるを得ない、イエスは曾て弟子等に教へて曰ひ給ふた、
  人、汝等を解《わた》さば如何に何を言はんと憂慮ふ勿れ、蓋其時汝等の言ふべき事は汝等に賜はるべければ也
と(馬太伝十章十九節)、信者が神の為めに事を為すに方て世の所謂「準備」なる者は要らないのである、「汝の齢に応じて能力は汝に加へらるべし」との事である、人生の苦労は免がる能はずと雖も余計の苦労は決して求むべきでない 信仰は信頼を意味し信頼は時に応《かな》ふ能力の供給を意味するのである、信者が前《さき》苦労を為し又後心配を為すは彼の信仰の足りない何よりも善き兆候《しるし》である。
 
     塵埃《ちり》と梁木《うつばり》
 
 悪は苦労の素因《もと》として身に現はれる、悪は又悪心として又は品性の欠点として他人《ひと》に現はれる 悪が憂患《わづらひ》とし(355)て自己に臨まん乎、成るべく軽く之を受けて其|苦痛《いたみ》を減ずべきである、短処、性癖又は過失として他人に現はれん乎、寛大以て之に処すべきである、他人の欠点を針小棒大に視るは不信者の常である、信者は其反対に、自己の欠点は塵埃の小なるも之を梁木の大に視、他人の過失は梁木の大なるも之を塵埃の小に視るべきである、信者は自己を責むるに厳密にて他人を責むるに寛大であるべきである、自己を精査するに検微鏡の緻密を以てし、他人を月旦するに望遠鏡を逆にしたる遠視眼を以てすべきである、此世に在りて悪は到底之を認めざるを得ない、然れども之を自己に認むるに於ては精密に、他人に認むるに於ては疎漏にすべきである、信者はパリサイの人に傚ひ孑子《ぼうふり》を灑《こし》て駱駝を呑んではならない(馬太伝二十三章二十四節)、即ち、他人の過失とあれば孑子の小をも灑さんとし、自己の罪科《とが》とあれば駱駝の大をも呑まんとする其偽善に傚ふてはならない、我等は他人を議する(審判く)が如くに自己も議せられ、他人を量るが如くに自己も量らるゝのである(馬太伝十八章廿三節以下「悪しき家来」の譬を参照せよ)。
 
     犬と豚
 
 然し乍ら寛大にも極度があるのである、他人の悪事は之を軽視すべきも否認すべきではない、世には寛大に失して他人の悪事とあれば全然之を認めざる者がある、甚だしきに至ては其悪事が増長して神を嘲けり聖名を涜すも敢て問はざる信者がある、而して斯かる極端の寛大(若し之を寛大と称し得べくれば)を誡めたるものが左の有名なる言である、
  犬に聖物を与ふる勿れ、又豚の前に汝等の真珠を投与ふる勿れ、恐らくは彼等足にて之を践み、振|回《かへ》りて汝(356)等を噬《か》まん
と(七章六節)、茲に謂ふ犬とは何であらふ乎、多分鄙俗の中に沈淪して聖物の何たる乎を弁ふ能はざる不信者であらふ(馬太伝十五章廿六節参考)、然らば豚とは誰のことを言ふのであらふ乎、疑もなく堕落信者である、
  彼等義の道を識りて尚ほその伝へられし所の聖き誡命《いましめ》を棄んよりは寧ろ義の道を識らざりしを善しとす、犬、帰来りて其吐きたる者を食ひ、豚洗潔められて復た泥の中に臥すと云へる諺は真にして彼等に応へり
とある其堕落信者である(彼得後書二章廿一、廿二節)、敬虔の念なき不信者、一たび救済の恩恵に与りて惜気もなく之を投棄し堕落信者、即ち犬と豚、信者は之に対して如何なる態度に出ん乎、是れイエスが茲に教へ給ふ所である。 イエスは茲に不信者と交はる勿れとは教へ給はない、又堕落信者なりとて之を窘迫《くる》しめよとは告げ給はない、如何に凡俗の不信者なりと雖も又如何に陋劣なる堕落信者なりと雖も、イエスの弟子たる者は之を愛し、其|最善《ベスト》を計らなければならない、然し乍ら、茲処にイエスの弟子たる者が「犬」と称すべき是等の不信者と「豚」と称すべき是等の堕落信者とに為してはならない事が一ツある、其れは神聖の何たる乎を知らざる不信者に聖き真理を説く事と、一たび光明《ひかり》を得、天の賚賜を受けし後に神の子を再び十字架に釘けし堕落信者に、義と聖と贖とに関はる福音の奥義を語る事と、其事は之を為す勿れとイエスは茲に禁め給ふたのである、殊に慎むべきは「豚」である、「豚」に救済の真珠を与ふるも彼等は之を斥くるに止まらない、足にて之を践み振向りて之を与へし者を噬むのである、堕落信者が悪むものにして福音の真理の如きは無い、一たびは蜂の蜜の甘きに比べられし此真理は彼等の不信の故を以て今や茵※[草がんむり/陳]の苦《にが》きに化したのである、不信者の福音に対して無頓着なるに対して堕落信者(357)は之を忌嫌ふのである、豚に真珠を投与ふるは無益であるのみならず危険である 福音は彼等に由て涜され、伝道者は彼等の辱かしむる所となるのである。
 而して実際の事実は如何である乎といふに、信者にしてイエスの此|禁誡《いましめ》を守る者は至て尠いのである、伝道の責任を感じない者は措て問はずとして、之を感ずる者は大抵は無差別的伝道を試むるのである、彼等は基督教は善き者であると思ふが故に、之れは何人に説いても善き者であると思ふのである、彼等は道を説くに人を択ばないのである、犬も豚も之を聞けば何時か其功徳に与かるべしと信ずるのである、殊に一たび道を信じて教会に入りし者に再び不信者の名を被《き》せるに忍びず、其信仰其行為の明白に堕落を示すに関はらず、彼を称ぶに兄弟を以てし彼と交はるに聖徒の交際を以てし、彼と語るに福音の歓喜と希望を以てするのである、然し乍ら是れ彼の喜ばざる所、否な、甚だ厭ふ所である 彼は自己が斥けし福音の、辞を卑《ひく》うして懇願的に彼に薦めらるゝを見て、福音に対して益々軽侮の念を起し、自己の傲岸を増すと同時に又益々深く不信の淵に沈むのである、彼に対する好意と寛大とは少しも彼を益する事なく、福音は是がために反て其威権を傷けくれ、主の名は是がために涜さるるに至るのである、豚の前に真珠を投与ふるは豚を益することなきと同時に又真珠をも害ふのである、慎むべきは実に堕落信者の豚に貴き福音の真理を提供する事である。
 人は何人をも愛すべきである、我等は又容易に人を犬と称び豚と称びてはならない、然し乍ら不信者の中に「犬」の有ること、信者と称せらるゝ者の中に「豚」と称して誤らざる者の有ることは疑ひなき事実である、而して伝道の熱心に駆られて人と「犬」とを区別せず、交友の情実に絆《ほだ》されて信者と「豚」とを判別せず、犬に聖物《きよきもの》を与へ、豚に真珠を投与へて、信者は反て神の聖名を涜し、福音の貴尊《たうとき》を傷けるのである、イエスは今日と雖(358)も猶ほ盛に思慮なき信者の間に行はるゝ所の思慮なき威権なき無意義の伝道を禁めんがために茲に此訓誡を下し給ふたのである
       *     *     *     *
 悪は無限である、我等は悪の世に遣《おく》られたのである、而して悪が身の不幸患難として臨む場合には成る可く軽く之を受け、一日の苦労は一日にて足れりとなし、歓喜の中に一生を送るべきである。
 悪が他人の欠点又は過失として現はるゝ場合には寛大以て之に処し、自己を責むるに厳密にして他人を糺すに寛容《ゆるやか》であるべきである。
 然し乍ら、寛大にも極度がある、聖の観念なき者にイスラエルの聖者を紹介すべきでない、又一たび潔められしも再び不信の泥に塗《まみ》るゝ堕落信者の豚に福音の真珠を投与ふべきでない、是れ主イエスの禁じ給ふ所である。
 
(359)     祈祷の効力
         馬太伝七阿七−十二節の研究  三月廿二日柏木聖書講堂に於て為せる講演の要点
                         大正3年5月10日
                         『聖書之研究』166号
                         署名 内村鑑三
 
 イエスの宜たまひし天国の律法はモーセに由りて伝はりし旧約の律法よりも遙に厳格である、循つて前者を守るの困難は後者を守るの困難の及ぶ所でない、天国の祉福《さいはひ》は慕ふべきものであるが、之に入るの困難の殆んど無限なるを知れば、天国は我れ如き凡夫に取りては有りて無きに等しき者である、我は天国の市民たらんと欲するも之れに入るの能力なきを奈何せんとはイエスの山上の説教を聞いて何人にも起る感想である、「然らば誰か救はるゝを得ん」とは此の場合に於てのみならず、他の場合に於ても屡々弟子等の心に起りし疑問であつた(馬太伝十九章廿五節)、イエスの宣べ給ひし天国の律法は肉を具へたる我等に取りては余りに純潔である、其実行は我等の荏弱《よはき》を以てしては到底及ぶべくもない、「誰か之れに堪んや」である、イエスの要求と我等の能力との間に天地霄壌も啻ならざる相違がある。
 而して此疑懼懸念を除かんがためにイエスは最後に左の一言を述べ給ふたのである、之は是れ「山上の垂訓」の総括《そうくゝり》とも称すべき者である、
  求めよ、然らば与へられん、尋ねよ、然らば会はん、(門を)叩けよ、然らば開かれん、蓋すべて、求むる者(360)は得、尋ぬる者は会ひ、(門を)叩く者は開かるべければ也
と、イエスは茲に言ひ給ふたのである、
  汝等我が福音を聞いて敢て失望するに及ばず 我が要求に応ずるは実に困難なり、我は言へり「汝等の義にして学者とパリサイの人の義に勝るにあらずんば汝等は必ず天国に入る能はず」と、然れども人には能はざる所なりと雖も神には能はざる所なし、汝等は自己の能力に依頼《たよ》りて我が訓誠を守る能はず、然れども天に在す汝等の父は汝等を助けて汝等をして能く此至難の業《げふ》を就げしめ給ふ、求めよ、然らば与へられん、尋ねよ、然らば会はん、叩けよ然らば開かれん、汝等の能力の不足をば父に祈りて補へよ、彼は喜びて汝等の祈祷に答へ給はん
と、天国の律法は正さに厳格である、是れ生れながらの人の能く守ることの出来る者ではない 然ればとて人の守る能はざる者ではない、神の能力に託りて守ることの出来る者である、イエスの訓誡《おしへ》を聴いて其厳格なるに怖て之を守るの責任を避けんとするは未だ福音の真髄に達しないからである、山上の垂訓は祝福を以て始つた 而して祈祷を以て終つて居るのである、祝福を以て始まり、祈祷を以て終る、是れ福音の福音たる所以である、始めが恩恵であつて終りが恩恵である、神の愛を以て始まつて神の愛を以て終るべき者である、イエスは人が神の佑助《たすけ》に依らずして実行し得べき者として天国の律法を宣べ給はなかつた、神に求めて、彼に尋ねて、彼の聖意の門を叩いて、右の頬を批たるゝ時に又左の頬をも転らして之に向けるの忍耐、我等を詛ふる者を祝し、我等を迫害《せ》むる者のために祈るの愛心をも、我有となす事が出来るのである、イエスの弟子たる者は其祈祷の範囲を善心の祈求にまで拡張すべきである、我等は善事を行して善心を賜はるのではない、先づ祈りて善心其物を賜はり、(361)之に由りて心よりする善事を為すのである、山上の垂訓を以てイエスの純道徳と見做す者は、彼が祈祷の勧告《すゝめ》を以て之を結び給ひしことに気の附かざる者である。
 求めよ……尋ねよ……叩けよと云ふ、「求めよ」は言辞を以て求めよとの事である、「尋ねよ」は足を運びて尋ねよとの事である、「叩けよ」とは手を挙げて叩けよとの事である、口を以て祈求へよ、若し聴かれずば足を運びて祈求へよ、若し猶ほ聴かれずば手を伸べて祈求へよとの事である、祈祷は切々ならざるべらずとの事である、然らば必ず与へらるべしとの事である、祈祷は聴かるゝまで忍耐を要するのである、「ひたすら請ふが故に其需に従ひ起て予ふべし」とある(路加伝十一章八節)、求めて聴かれざれば尋ねよ 尋ねて猶は聴かれざれば叩けよ、然らば父は汝等がひたすら請ふが故に汝等の需に従ひ、汝等が守るに難しとする我が高き聖き天国の律法を行ふに足るの能力と精神とを汝等に与へ給はんとイエスは茲に教へ給ふたのである。
 而して祈祷の聴かるゝ理由を述べてイエスは曰ひ給ふたのである、
  汝等の中、誰か其子がパンを求めんに石を予へんや、又魚を求めんに蛇を予へんや、然らば汝等悪者なるに善物を其子に与ふるを知る 況て天に在す汝等の父は求むる者に善物を賜はざらんや
と、祈祷が神に聴かるゝ理由は是れである、若し是れが理由にならないならば、人の祈祷が神に聴かるゝ理由とては他には無いのである、祈祷の効験は之を科学的に証明することは出来ない、祈祷は何故聴かるゝか之を論理的に証拠立つることは出来ない、然れども父の親心に訴へて見て神が祈祷を聴き給ふ其理由は判明るのである、
   父が其子を憐むが如く
   ヱホバは己を畏るゝ者を憫み給ふ
(362)とある(詩篇百三篇十三節)、人なる父が其子を憐む心は固々神より出た者である、原因は結果より小なる能はずである、人なる父に子を憐むの心があるとすれば、其心を人に賜ひし神には其れ以上の憐憫《あはれみ》の心が無くてはならない、「子を持て知る親の恩」と云ふ、然り、「親となりて知る神の愛」である、我れにさへ子を憐むの愛がある、況して天に在す我が父に於てをや、祈祷が神に聴かるゝ理由は是れで充分である、是れ以上に所謂「祈祷の哲学」を攻究するの必要は無い。
 「汝等悪者なるに」とイエスは其弟子等に対つて言ひ給ふた、「悪者」とは「悪魔の同類」といふと同じである、此《こ》は過激の言ではあるまい乎、ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ等は果して「悪者」であつたのであらふ乎、而かしてイエスは彼等を恁く称びて憚かり給はなかつたのである 「善者は唯一人、神のみ」とは聖書全体が教ゆる所である、聖書は近代人の如くに人の性の善を説いて世の歓迎を博せんとはしない、聖書は明白に人の性来《うまれつき》悪者なるを唱へて、彼を根本的に悪より拯はんとする、「汝等悪者なるに猶ほ其子を憐むを知る」とイエスは言ひ給ふた、悪者なるに猶ほ善性の存るを知る、況して絶対的に善者なる天に在す汝の父は云々と、イエスの論証に強硬にして抗すべからざる所がある。
 イエスは祈祷の効力に就き更らに語《ことば》を続けて曰ひ給ふた、
  是故に汝等凡て人に為られんと欲することは亦人にも其如く為よ、是れ律法と預言者たる也
と、己れの欲せざる所は之を人に施す勿れとは孔子の金言である、己れ人に為られんと欲することは亦人にも其如く為すべしとはイエスの玉詔である、前者は消極的に害を他人に加ふる勿れと誡め、後者は積極的に善を他人に施すべしと教ゆ、人の道の終局は無害なることである 神の道の終局は至善なることである、退いて己を潔《きよ》う(363)する道と、進んで愛を完全うする這と、其間に天地の差別がある。
 其事は判明つたとして、何故の「是故に」である乎、進んで人に善を為すことが祈祷の効力に何の関係がある乎、是は人に対する事であつて、彼は神に対する事ではない乎、是れと彼れとは全く別の事ではない乎。
 爾うではないのである、神に善物を求むる事(祈祷)と他人に善事を為す事との間に最も密接なる関係があるのである、故にイエスは「是故に」と言ひ給ひて、効力《ちから》ある祈祷の必要条件として善事実行の玉詔を下し給ふたのである、彼は曰ひ給ふたのである、
  汝は自己の努力を以て天国の市民たる能はず 其資格を得んと欲して汝は神の佑助を仰がざるべからず、汝は祈りて善心の恩賜に与からざるべからず、是故に、汝は神に為られんと欲するが如くに、人に為さゞるべからず、「汝が人を量る如く己も量らるべし」と我が言ひしは此事なり、汝は人に汝の有する善物を与へて神の有する善物即ち聖霊の恩賜に与らざるべからず
と、恁くして道徳は宗教に結附けられたのである、祈祷は人が神に対して取るべき態度であづて、善行は人が人に対して為すべき事である、而して人の神に対する態度は彼が人に対する態度に由て定まるのである、人を恵まんとするの態度は神に恵まるゝの態度と成り、人を憐まんとするの態度は神に憫まるゝの態度と成るのである、是故に使徒ヤコブは曰ふた
  憐むことをせざる者は鞫かるゝ時また憐まるゝこと無からん
と(雅各書二章十三節)、而して「鞫かるゝ時」に限らない、何時にても神に憐まれんと欲する者は人を憐むべきである、神に我が祈祷を聴かれんと欲すれば、人が我に祈求はざる前に自から進んで我が欲する所を人に施すべ(364)きである。
 汝等凡て人に為られんと欲することは云々とある 其「人」と云ふ中に神も含まれてあるのである、此場合に於て「人」は「他者」の意である、「汝以外の者」の意である、故にイエスの此言を左の如くに変へるも其根本の意味は変らないのである、
  汝等すべて神に為られんと欲することは亦人にも其如く為よ
と、六章十四、十五節に
  汝等もし人の罪を免さば天に在す汝等の父も亦汝等を免し給はん、然れど若し人の罪を免ずば汝等の父も汝等の罪を免し給はざるべし
とあると其意義は同じである、汝等神に為られんと欲する如くに人に為すべしと云ひて基督信者の道徳の原理は明白に言表はさるゝのであると思ふ。
 「是れ律法と預言者たる也」 是れ旧約の全部たる也、神を愛す、神を愛するの途として人を愛す、神に愛せらるゝの条件として人を愛す、旧約全部の教ふる所は之に過ずとのことである、而して天国の福音も亦|畢竟《つま》る所之に外ならないのである、「是れ律法と預言者たる也」と言ひてイエスは祈祷の効力に関はる彼の訓誡を終へ給ふたに止まらない、是を以て山上の説教を終へ給ふたのである、彼は初めに言ひ給ふた、
  我れ律法と預言者を廃《すつ》るために来れりと思ふ勿れ、廃るために来りしに非ず成就せんためなり
と(五章十七節)、而して今や当に説教を終へんとして言ひ給ふたのである、  是れ律法と預言者たる也
(365)と、我が茲に宣べし此言、是れ実に律法と預言者たる也とのことであつた、愛、神は父として人を愛し給ふ、人は子として神を愛すべきである、而して神を愛するの愛を以て他の人を愛すべきであると、是れ律法と預言者とである、而して又イエスの福音である、天の高きも地の深きも是れ以外には達しないのである。
 
(366)     真《まこと》のイエス
                         大正3年5月10日
                         『聖書之研究』166号
                         署名 柏木生
 
〇イエスは偉大なる人であると云ふ、彼は洵に偉大なる人である、偉大なる人であるが故に小さくある、彼は今に至るまで世に認められない程小さくある。〇人は言ふ、イエスの名は今や全世界に轟き、彼の名を知らない者とては一人もない、彼の偉大なるは彼の世界的名声に由て知ることが出来ると。
〇然れども事実は爾うでないのである、イエスは今猶依然として人に知られないのである、世が称揚するイエスはイエスではないのである、是れ世の想像にイエスの名を附けた者であつてイエス御自身とは全く違つた者である、世に轟くイエスは所謂「教会の首長」である、大なる宗教家である、信徒の大軍を率ひて世界征服の途上に在る者である、所謂「偉大なる人物」、神がカイゼルとして顕はれし者、貴顕紳士までが敬仰《けいかう》する者である。
〇然し乍らイエスは如斯くにして世に顕はれ給ふ者ではない、在まさゞる所なき彼は極めて少数の人にのみ自己《みづから》を顕はし給ふのである、世に実はイエス程人に知られない者はないのである 若し人の大は彼を知る世人《ひと》の多少に由て定めらるゝ者であるならば、イエスは小人中の小人であると云ふことが出来るのである。
〇英国聖公会の奉戴的会長なる英国皇帝陛下は多分イエスを知らないであらふ、露国正教会の公認的首長なる露(367)国皇帝陛下も亦イエスを知らないであらふ、大羅馬天主教的陛下と称せらるゝ西班牙国王陛下も亦イエスを知らないであらふ、其他錦襴の法衣を身に纏ひ、宝玉の法冠を首《かしら》に戴く法王、大僧正、大監督等も多分イエスを知らないであらう、彼等が頌讃するイエスは真実のイエスではない、此世の憧憬する理想的人物にイエスの名を附けたに過ぎない者である、イエスは今猶ほ大伽藍や大会堂を避けて賤《しづ》の伏星に居り給ふのである。
〇嗚呼静かなるイエス、政治運動と大挙伝道とを嫌ひ給ふイエス、隠れたる虚しき心霊を愛し給ふイエス、彼は多数に称揚せられんよりは少数に接《う》けられんことを好み給ふ、余は其少数の一人たらんことを欲する者である、余がイエスの弟子であると云ふのは、英国皇帝陛下又はヨーク又はカンターバリーの大僧正と信仰を共にすると云ふことではない、余は人に知られないイエスの弟子たらんと欲する者である、余の仰ぎ奉るイエスは所謂斯世の主ではない、其正反対である、
  斯世の主  彼れ我に与《かゝ》はることなし
と彼は言ひ給ふた(約翰伝十四章三十節)、フイリツプ・マウローは真理を語つた、彼の言は激越であるが其中に大なる真理を含んで居る、彼は曰ふた、
  斯世の王は言ふまでも無く悪魔である、而して文明世界の王として崇めらるゝイエスはイエスに非ずして、イエスの大敵なるアンチキリスト、即ち自分勝手にキリストの名を襲ふたる悪魔彼れ自身である
と、是れ世の体面を愛する教会者流の耳には大なる褻涜の如くに聞ゆる言である、然しながら打消すべからざる大真理である。
〇然り偉大なるイエス、世が其偉大を認むる能はざるが故に偉大なるイエス、自己を智者《かしこきもの》と達者《さときもの》とに隠し赤子(368)に顕はし給ふが故に偉大なるイエス(馬太伝十一章廿五節)、偉大なるを好まずして反て微小なるを愛し給ふが故に偉大なるイエス、余は此小なるが故に大なる、現はれたるが如くに見えて実は隠れたる此イエスの弟子の一人たらんことを欲する者である。
 
(369)     西行法師が春の歌
                         大正3年5月10日
                         『聖書之研究』166号
                         署名なし
 
  編者曰ふ四月に読むべき歌を五月に読む、六日の菖蒲十日の菊の感なくんばあらず、然れども既に成りしものを棄るに忍びず、又来ん春のために茲に掲ぐることゝ做せり。
 詩人は天分の産である、詩は作るものではなくて成るものである、故に詩人は必ずしも西洋の特産物ではない、我祖先の中にも居る、そして西行法師の如きは慥かに其の最たるものである、カアライルが詩人を預言者と並び称したやうな意味に於て、彼が詩人であつたかどうかは疑問に属する、併し彼の歌には天然に関する強き憧憬と深き沈思とがある、彼は其天分に於て慥かに詩人であつた、茲に少しく春について詠じたる彼が歌を記して我小なる感想を述べて見やう。
   うき身にて聞くも惜しきは鶯の
       かすみに咽ぶあけぼのゝ声
 曙に鶯の美声を聞きて天然物の歓喜に溢るゝを見て、転た我身の孤寂を感じ、憂愁を懐ひて此声を聴くを惜しゝとなした歌であらう、憂愁を歌ふを本分とする東洋詩人も、遉《さすが》に天然の光明に溢るゝを見ては、我が憂愁の生を恥ぢた、我心に満足ありて、天然物の歓喜の光を看、自由の風に吹かるゝに共鳴することが出来る、願くは(370)我等も心の中に歓喜の溢るゝありて、天然の中に喜びをのみ見出し得んことを。
 
   春の程は我が住む庵の友となりて
       ふる巣な出でそ谷のうぐひす
 山中孤独の庵に鶯を友とせんとの希願を詠つたもので優にやさしき歌である、ウヲルヅヲスが養老院に孤独の生活をなす老人が駒鳥を友とするを歌ひしに此すべき歌である、人は遂に全然の孤独に堪へぬものである、詩人が天然に対する憧憬の深きはさることながら、われ等は他に孤独の友を発見せんと願ふ、あゝ孤独の友は誰ぞや、あゝ孤独の友は誰ぞや。
 
   香《か》をとめん人をこそ待て山里の
       垣ねの梅の散らぬかぎりは
 山中人稀れなる処に咲く桜は、人知れず咲き又人知れず其郁烈の芳香を放つ、其美を賞し其香に親しむ人はなく、彼は遂に誰にも認められずして散るのであらうか、否々決してさうではあるまい、彼にして散らぬ限りは――散るまでには――必ず其香を尋ぬる人を招き得るのであらう、彼は唯芳香をのみ放つて居れば宜い、人の来る来ないは苦慮するに及ばない、彼が苦慮せずとも其清香にして失せぬ限りは必ず人を牽き得るであらう。
 我等は世に隠るゝも人に知られざるも、唯偏へに芳香を放たんとのみ心掛ければ宜い、我天分の赴く所に努め、我が霊性の錬磨に傾到しさへすれば宜い、そして軽浮なる都会人士に弄ばるゝ都の花とならずして、山里の梅(371)なつて独り私かに芳香を四散するが宜い。
 
   おぼつかな何れの山の嶺よりか
       待たるゝ花の咲きはじむらん
   おぼつかな谷は桜の如何ならん
       嶺にはいまだ掛けぬ白雲
   今さらに春を忘るゝ花もあらじ
       やすく待ちつゝ今日も暮さん
 一と二は懐疑である、花を深く愛する人にあらでは、かゝる懐疑は起さぬ、懐疑は愛の反面である、之あるは決して憂ふるに足らぬ、之なきは寧ろ其冷淡を示すのである、第三は懐疑を打破する信穎の余韻である、信顆の生む処は安心である、「今更に春を忘るゝ花もあらじ」との信頼ありて、「やすく待ちつゝ」日々を送り得るのである。
 
   花散らで月は曇らぬ世なりせば
       物をおもはぬ我身ならまし
 花は散り月は曇る、世に常なるものはない、故に我は物思ふ人となる、我生涯に困難あり失望あり、思ふまゝにならぬことが多い、故に我は沈思の人となる、人生世態の無常は我を駆つて黙想に入らしむ、そして沈思し黙(372)想する人は沈思し黙想せぬ人に勝ること云ふまでもない。
 
   白川の春の梢の鶯は
       花のことばを聞く心地する
 梢の鶯声は花の言語なりと云ひ、げにいみじき思想なるかな、げに美はしき想像なるかな、詩人が天然に対する同感の深きは唯歎称のほかない。
 
   花の色に声やそむらん鶯の
       鳴く音ことなる春のあけぼの
 春の曙に鳴く鶯は花の色に染まりてか其声一入美妙なりと云ふ、之も前の歌と同様天然物各自の間の同感同情を述べたる優雅なる歌である、春暁の味ひは生々として我等に迫り、花の色と鳥の音《ね》と手に取るが如く鮮かである。
   願くは花の下《もと》にて春死なん
       その如月のもち月のころ
 有名なる此歌については我等は唯讃歎の辞を発するのみである、春、花の下に、満月の夜に死なんことを願ふと云ふ、天然に対する大なる愛着をあらはしたるか、或は美なる死について暗示したるか、何れにするも人の心
(373)琴に触るゝこと強き歌である。
 
(374)     桜の歌(其二)
                         大正3年5月10日
                         『聖書之研究』166号
                         署名なし
 
   もろともに哀れと思へ山桜
       花より外に知る人もなし
 歌としては完全無欠である、然し乍ら、其|意《こゝろ》は悲哀の極である、同情を求むる人なきが故に、花に向つて同情を求めたのである。
 実に人は人を知ることは能ない、人は各自深く自己に省みて他人の窺ふ能はざる所がある、故に此歌の作者なる大僧正行尊に限らない、人といふ人は何人も大洋の中に孤立する島嶼《しま》の如きものであつて深き寂寞を感ぜざらんと欲するも能はないのである。
 然し乍ら「花より外に知る人もなし」は哀れである、花より外に憂愁を訴ふる者は無き乎、我を知るものは花のみである乎、花はまことに我を知る乎、斯く歎じて悲哀美は其中に在るであらう、而かも生命の主なる神を知らざる者の美の観念の茲に止まるを憐まざるを得ない、何にも理窟を以て歌人を責むるのではない、而かも和歌に於ても、漢詩に於ても其称ふる美の大抵は悲哀美なるを悲まざるを得ない、
   年々歳々花相同じ
(375)   年々歳々人同じからず
と云ふ、神は人を喜ばせんとて花を造り給ひしに人は之を見て哀む、而して神にのみ知らるべき心を擁して、神に知られんと欲せずして花に知られんと欲す、実に「諸共に哀れと思」ふべきは神を知らざる人の心である。
 神を知り其|救済《すくひ》を喜ぷ者の天然観は左の如き者である、
   山と岡とは声を放ちて歌ひ、
   野に在る樹は手を拍《うち》て応えん。
           (以賽亜書五十五章十二節)
 
(376)     〔STORY OR FACT. 作話か事実か〕
                        大正3年6月10日
                        『聖書之研究』167号
                        署名なし
      STORY OR FACT.
 
 They speak of a“story”of resurrection;but we believe in a fact of resurrection.We cannot commit ourselves to stories;we commit ourselves to facts.We believe,Christianity thatis based upon a“story”is no Christianity.We believe with Paul the Apostle that if Christ hath not been raised as a fact,our faith is vain:we are yet in our sins.Our salvation rests upon a solid,veritable fact of resurrection.Deny that,and we must deny Christianity itself.So we learned,and so we still believe,eVen thougb“modern”Christianity is not explicit upon this point,and even its Orthodox wlng seemS to be satisfied with a“story.”
 
(377) 〔『英和独語集』(大正11年4月15日刊)より〕
 
     作話《つくりばなし》か事実か
 
 彼等は復活「談」に就て語る、然れども我等は復活の事実を信ずる。我等は作話に自己を託する事は出来ない、我等は事実に自己を委ぬる。我等は信ずる、作話の上に築かれたる基督教は基督教でないことを。我等は使徒パウロと共に信ずる、若しキリストの復活が事実でないならば、我等の信仰は徒然《むなしく》、我等は今猶ほ罪に居る事を。我等の救拯は復活の堅き真の事実の上に立つのである。復活を否定して我等は基督教其物を否定せざるを得ない。而して縦し近代的基督教は此点に於ては明白ならず、又其正統派と称する者さへも作話なりと唱へて満足するも、我等は事実なりと学び而して今猶ほ事実なりと信ずる者である。
 
(378)     武士道と仏教
                         大正3年6月10日
                         『聖書之研究』167号
                         署名なし
 
 武士道は廃れつゝある、仏教は滅びつゝある、日本国は精神的に失せつゝある、我等此事を見て悲歎に堪えない。
 福音は伝へられつゝある、クリスチヤンは起りつゝある、日本国は精神的に復活しつゝある、我等此事を見て歓喜《よろこび》に堪えない。
 ベルは伏しネボは屈む、而してヱホバの聖名《みな》は崇めらるべし、是れ震はるべき者の棄られて、震はるべからざる者の存《のこ》らんためである、摂理の神は讃美すべきである(以賽亜書四十六章一節、希伯来書十二章二十七節)。
 
(379)     人生の謎
                         大正3年6月10日
                         『聖書之研究』167号
                         署名 内村鑑三
 
 此世は何んな所である乎、今は何んな時である乎、『伝道之書』の記者は曰ふた、
  諸《すべて》の人に臨む所は皆な同じ、義者にも悪者にも、善者にも浄者にも、穢者《けがれたるもの》にも、犠牲を献ぐる者にも、犠牲を献げざる者にも、その臨む所の事は同一なり、善人も悪人に異らず誓を為す者も誓を為すことを畏るゝ者に異らず
と(九章二節)、実に其通りである、雷電《いかづち》は劇場をも撃ち、教会堂をも撃ち、盗賊は悪人をも襲ひ善人をも襲ひ、而して死は最後に諸人を拉し去る、此世に在りては善人必ずしも長寿ならず 悪人必しも短命ならず、義人必ずしも幸福ならず、罪人必しも不幸ならず、穢者《あいしや》の高位に座するあれば潔士の閭里に隠るゝあり、此世は清濁混合、上下転倒の世である、ヘロデが王位に座する時にキリストが槽《うまぶね》に生まると云ふ世である。 然らば失望すべきである乎、神は無いのである乎、是は是に非ずして非は非に非ずである乎、善を為すの結果は悪を為すの結果と等しくある乎、諦了《あきらめ》は智者の最後の了悟《さとり》である乎、天道|是耶非耶《ぜかひか》は賢者の発せざるを得ざる悲歎の声である乎。
 爾うでありやう筈はない、而して人生の此疑問を解き給ふたのが神の子イエスキリストである、彼は言辞を以(380)て、又|行為《おこなひ》を以て、此世此時の何んである乎を示し給ふた、
  今は汝等(イエスの敵等)の時又暗黒の勢力《ちから》なり
と(路加伝廿二章五十三節)、即ち今はイエスの敵が気儘勝手に其勢力を揮ふを得、神と其受膏者に逆らひ、之に事ふる者を苦しめ得る時であるとの事である、
  我時は未だ至らず
と彼がカナの婚筵の席に於て其母マリヤに言ひ給ひしが如く、彼の昇天後千九百年後の今日と雖もイエスの時は未だ至らないのである(約翰伝二章四節)、我等彼の弟子たる者は今日と雖も神を憎む者の中に宿り、彼の敵の傍に住むのである、
   禍ひなる哉我はメセクに宿り
   ケダルの幕屋の傍に住めり
   我霊魂は平安を悪む者と偕に住めり
とあるが如く(詩篇百二十篇五、六節)、我等は此世に宿りて神を知らざる者なるメセクの地に宿り、不法を愛する者なるケダルの幕屋の傍に住むのである、信者に取りては此世は神が支配し給ふ楽園《パラダイス》では無い、悪魔の跋扈する試誘《こゝろみ》の曠野である、我等が此世に遣はされしは、イエスが試みられんがために野に往くべく余儀なくせられしが如くに、サタンに試みられんがためである(馬可伝一章十二、十三節)、我等は少時の間、神の恩恵に浴せんがために此世に遣はされたのではない、イエスが四十日野に在りてサタンに試みられ獣と偕に居り給ひしが如くに、我等も亦四十年又は五十年、稀には七十年又は八十年、此世に在りてサタンに試みられ獣に類する人等と偕に居(381)るのである、而してイエスに取り曠野の試誘が彼がメシヤたるの資格を完成ふするために必要でありしが如くに、我等に取りても亦神の子たるの資格を完成ふするために人世の試誘が我等に必要であるのである、神は此目的を以て此世を少時《しばし》悪魔の手に渡し給ふたのである、彼が其僕ヨプを試練(完成)んがためにサタンに対つて
  視よ、我れ彼の一切《すべて》の所有物《もちもの》を汝の手に任かす
と言ひ給ひしが如くに、彼は今尚ほ同じ目的を以て我等と我等の一切の所有物をサタンの手に任かし給ふのである、故にサタンは今や思ふ存分に我等を困しむる事が出来るのである、今や万事は神は在さゞる乎の如くに我等に臨むのである、我等の祈祷は聴かれないのである、不義は自由に我等の上に行はるゝのである、神の聖旨に合はんと努むる者は此世に在りて塵汚穢の如くに取扱はるるのである、今や神を信ずるの利益は少しも我等に現はれないのである、神が我等の父なるの証拠は我等の生涯の事実に於ては之を見ることが出来ないのである。
 然らば神を疑はん乎? 試練は茲に在るのである、神は無いやうに見える、然し神は有るのである、神は寝《ねぶ》り給ふやうに見える、然しイスラエルを守り給ふ者は、微睡《まどろ》むことなく寝ることもないのである(詩篇百廿一篇四節)、神は愛し給はざるやうに見える、然し神は愛であるのである、我等若し見る所に憑りて歩まん乎、我等は無神論者たらざるを得ない、然れども見えざる所に憑り信仰に憑りて歩むが故に、我等は神の有ることと彼の愛なることを信じて疑はないのである、試練は茲に在るのである、戦争《たゝかひ》は茲に在るのである、我等は毎日サタンに誘《いざな》はれて神を疑はしめらるゝのである、信者は何人《たれ》もヨブである、彼の生涯はヨプのそれである、然り、ヨプ以上である、ヨブは此世に在る間に艱難《なやみ》の彼を去り、祝福の彼に臨むを目撃したなれども、信者はキリストの再来までは其恩恵に与かることが出来ないのである、信者の全生涯は忍耐と待望とであるのである、
(382)  我は我が戦闘《いくさ》の諸日の間、望みて我が変更《かはり》の来るを待たん
とヨブは言ふた(約百記十四章十四節)、而して信者に取りては彼の「変更」は死と復活《ふくくわつ》とである、此大変更の来るまでは彼の戦闘は終らないのである。
 信者の全生涯が試練である、故に此世に在りて円満なる福祥《さいはひ》は彼には無いのである、彼が彼の一生を通うして怠るべからざる事は警戒である 人に臨むすべての災難は彼にも臨む、而して不信者に臨まない多くの困難が特に彼に臨むのである、彼は神を信ずるの故を以て盗難、天災疾病等此世通有の災難《わざはひ》より免がるゝ事が出来ない、其外に信者には又彼れ特有の苦悩《なやみ》が臨《きた》る、信者は信仰の故を以て此世に在りて無病息災の特典に与ることが出来ない、故にイエスは其弟子等に言ひ給ふた、
  汝等世に在りては患難《なやみ》を受けん
と(約翰伝十六章三十三節)、又使徒ヤコブは言ふた、
  我兄弟よ若し汝等様々の試誘(患難)に過はゞ之を喜ぶべきことゝすべしと(雅各書一章十二節)、信者は此世に在りて彼の信仰の報賞として多福多幸を神より受けないのである。
 試誘と患難、之に対する警戒、
  汝等目を醒し堅く信仰に立ちて丈夫《をとこ》の如く剛《つよ》かれ
とある(哥林多前書十六章十三節)、又
  汝等心の腰に帯して警戒し、イエスキリストの顕はれ給ふ時に汝等に来らんとする恩恵を疑はずして望むべし
(383)と(彼得前書一章十三節)、又
  我れ汝等に怠らずして守れと告ぐるは即ちすべての人に告ぐるなり
と(馬可伝十三章卅七節)、警戒又警戒を以てキリストの顕はれ給ふ時にまで到るのである。
 然らば神は人を試みて何を為し給ふのである乎? 人は神に試みられて何の益する所がある乎?「凡の事に於て益多し」である(羅馬書三章二節)、若し人生の疑問が茲に在ると謂ふならば人生の価値も亦茲に在ると言ふことが出来る、試練に由て神は人を己が子と成し給ひつゝあるのである、試練に由て人は神の子と成りつゝあるのである、人は生れながらにして神の子であるのではない、試みられて神の子と成るのである、人に貴きは其生れつきの性ではない、其戦て贏ち得たる品性である、肉体は生れるが霊魂は出来るのである、霊魂の生命は信仰である、而して信仰は未だ見ざる所の事を憑拠《まこと》とするに由て起る者である(希伯来書十一章一節)、若し試練のための此世と今時とがないならば人に信仰の起る場合とては無いのである、而して信仰なくして霊魂は有て無いと同然である、五感に由らず霊の意識に由て神を識ればこそ、実に神を識ることを得、又|自己《みづから》をも識ることが出来るのである、試練と云ひ試誘《いざなひ》と云へば甚だ困しいやうではあるが、然し之に由らずして信仰も自覚も起らないのである、故に使徒ペテロは言ふたのである、
  汝等の信仰の試みらるゝは壊《くつ》る金の火にて試みらるゝよりも貴し、汝等之に由りてイエスキリストの顕はれ給はん時に称讃《ほまれ》と尊貴《たふとき》と栄光《さかえ》とを得べし
と(彼得前書一章七節)、金が火にて鍛へらるゝが如くに信仰は試練に由て堅実《かた》めらるゝのである、而して神は此至大至高の目的を以て我等を此苦しき謎の如き世に遣り給ふたのである。
(384) 然らば「来れ患難、来れ試誘」である、我等は解し難き多くの人生の謎を提供せられ、懐疑の雲に蔽はれ、涙の谷に彷復ふとも、人生の意義を読み誤らないであらふ、我等は身を焼くばかりの困難我身に迫るともヨブと偕に言ふであらう、
  彼れ我を殺し給ふとも我は彼に倚頼まん
と(約百記十三章十五節)、我等は斯くの如くにして世に勝つことが出来るのである、
  誰か能く世に勝たん、我等をして世に勝たしむる者は我等の信なり
である(約翰第一書五章四節)、人世の曠野に在りて悪魔は常に我等を欺くのである、而して我等をして彼れ悪魔の譎計《いつはり》を看破して誤りなからしむる者は我等の信仰である、我等は信仰に由りて今、目に見ゆる所の者は真ならず、見えざる所の者の真なることを識るのである、我等は如斯くにして世に勝つのである、人生の謎を解くのである、悪魔の譎計を看破るのである、而して神を見えざる所に確認《みとめ》て我等は堅き意識の基礎の上に我等の信仰を据ゑるのである。
 
(385)     〔六月二日 他〕
                         大正3年6月10日
                         『聖書之研究』167号
                         署名 内村
 
    六月二日
 
 明治十一年六月二日、余は北海道札幌なる創成川の辺に建てられし外国教師館に於て今のメソヂスト教会監督 M・C・ハリス氏より余の学友六人と共に、水のバプテスマを受けて公然と基督信者と成りたのである、事は三十六年前の昔である、過ぎて見れば短かし、然し人生の半分以上である、毎年此日に遭ふたびに感慨の念に堪えない、七人の中、二人は既に眠り、而して伝道師めきたる業に従事して居る者は余一人である、幸か不幸か余は知らない。(内村)
 
    昔の夢
 
 先づ第一に札幌に独立教会を興し 然る後に之を以て天下に臨み、日本国をもて外国宣教師に依らざる独立の基督教団となさん、縦し又此事にして成らずとも、我等は堅く孤城を守り、神威岬《かむゐざき》(後志国に在り)以北に欧米(386)流の教派を入れざるべしとは三十六年前の余等数人の青年の聖なる野心《アムビシヨン》であつた、然るに、事、志に合はず、今や六十余派に分れたる千余の外国宣教師は日本国に伝道し、神威岬以北又多くの教派を見るに至つた、実に漸愧の至りに堪えない。
 
    前進せんのみ
 
 外に天下を夷《たいら》ぐる能はず、内に孤城を守る能はず、然らば三十六年前、余等が札幌郊外の処女林に於て捧げし祈祷は聴かれざりし乎、否な、否な、爾うではない、人の千年は神の一日にも当らない、神は必ず余等の祈祷を聴き給ふであらふ、少くとも余一人丈けは神の恩恵に依り旧き主義のために仆れるであらふ、宣教師的教会には何れの教会にも入らぬであらふ、宣教師と教会とのパンは死すとも食はぬであらふ、而して旧き主義に則り、旧き福音を此国に宣るであらふ、縦し余は単独此途を辿らねばならぬとするも、神よ願くは余の独立を助け給へ(内村)。
 
(387)     恩恵の解
         五月十日朝、加賀金沢に於ける講演の大意
                         大正3年6月10日
                         『聖書之研究』167号
                         署名 内村鑑三
 
 新約聖書に恩恵と云ふ文字が許多度使はれて居る、総てゞ百五十三|度《たび》使はれて居るとの事である、
  願くは主イエスキリストの恩恵汝等と偕にあらんことを
と(哥林多前書十六章廿三節)、又
  汝等恩恵に由りて救を得、是れ信仰に由りてなり
と(以弗所書二章八節)、又
  夫れすべての人に救を賜ふ神の恩恵現はれ云々
と(提多書二章十一節)、其ほか、キリストの福音を称して神の恩恵の福音といひ(行伝二十章二十四節)、又
  律法はモーセに由りて伝はり、恩寵(恩恵)と真理(真実)とはイエスキリストに由りて来れり
と云ふ(約翰伝一章十七節)、新約聖書を学ぶに方て恩恵なる文字の意義を知るの必要は茲に至て一目瞭然である。
 恩恵と云ひ、又恩寵と云ひ、又単に恩と云ふ、之を字義なりに解すれば「めぐみ」である、愛より出たる慈恵である、宥恕である、憐愍《れんみん》である、正義に対して云ふ辞である、正義は律法の事であるに対して恩恵は福音の事(388)である、正義は厳父の心であつて、恩恵は慈母の情である、我等は聖書に恩恵なる文字に接して、仏典に於ける弥陀の慈光を聯想せざるを得ない、神の心より正義の念を除いたる者、其れが恩恵であるとは多くの信者が此言辞に就て懐く観念であると思ふ。
 併し乍ら恩恵なる文字を如恁くに解して福音の真義は解らないのである、此場合に於ても亦他の場合に於けるが如く、字義は以て真義を伝ふるに足りないのである、之を希臘語に於て読むも、又英語または独逸語に由て視るも、文字は以て事実を表はすに足りないのである、〓,grace,gnade 熟れも事実の一面を表はすに止つて、其全体を示すに足りないのである、恩恵なる文字の場合に於ても、他の場合に於けるが如く、我等は事実を文字の中に読込んでのみ其真の意味が解るのである。
 聖書記者は恩恵なる文字を以て如何なる事実を通ぜんとせし乎、我等が初めに究むべき問題は是れである、恩恵は聖なる神が罪に沈める人類に施し給ひし救拯に関する事実である、而して此救拯たる聖なる神の施し給ひし事であれば、先づ第一に聖義(聖なる正義)に合《かな》ふたる者でなくてはならない、第二に、罪に沈める人類に施されし事であれば、神の好意的提供にかゝる者であつて、人の工風に出たる者でないに相違ない、第三に其結果たる人をして神に似て聖且つ善なる者と成す者でなくてはならない、聖なる神より出たる者なるが故に聖ならざるべからず、自己《みづから》を救ふ能はざる人類に臨みたる者なるが故に恵《けい》ならざるべからず、而して人が之を接受る唯一の途は信ならざるべからず、恩恵が少くとも以上三個の性質を具ふるにあらざれば、人類の救拯となることは出来ない。
 神は義者である、故に彼は聖義に則らずして人を救ふことは出来ない、縦令全能の神なりと雖も義を曲げて善(389)を為すことは出来ない、併し乍ら聖義の神は同時に又慈愛の神である、彼は父が其子を憐むが如くに戻れる人類を愍み給ふ、彼の愛は彼を駆て人類を救はずしては止む能はざらしむ、義なり愛なり、故に神は自から人類の罪を負ひて義と愛とを同時に実行し給ふたのである、羅馬書三章二十三節以下に於ける使徒パウロの言を以てすれば
 
  人は皆な罪を犯したれば神より栄を受くるに足らず(救はれて神の子たるの栄光に与かるに足らず)、唯キリストイエスの贖に由りて神の恩恵を受け、功《いさほし》なくして義とせらるゝ也、神はイエスの血(贖罪の死)によりて彼(イエス)を立て信ずる者の挽回《なだめ》の祭物《そなへもの》とし給へり 是れ神忍びて(人類の)已往《いわう》の罪を寛恕《ゆるやか》にし給ひしことに就て其(神御自身の)義を彰さんためなり(人類の罪を赦せしも聖義の本則に戻らざるを示さんためなり)、即ちイエスを信ずる者を義とし(義とし給ふに方て)尚ほ自から義たらんためなり(神御自身が義者たるの資格を失はざらんためなり)。
 義に戻らずして恩を施さんとす、是れが人類の罪の故に神に提供されし問題《プロブレム》であつた、而して神は此至難の問題を其独子の犠牲に由て解き給ふたのである、キリストの十字架に於て神の憐愍と真実とは合《あ》ひ、其正義と平和とは接吻したのである(詩篇八十五篇十節)、而して神の聖義と慈愛とが相合して遂行《とげ》し救拯の事業、其れが恩恵であるのである、此恩恵を伝ふる者、其れが神の恩恵の福音である、此恩恵が救拯の能力として信者の心に臨む時に我等は之を恩恵の霊と称ぶのである(希伯来書十章廿九節)、我等の主イエスキリストの恩恵とあるはキリストを以て世に臨みし神の此|恩賜《たまもの》を指して謂ふのである、恩恵は単に「めぐみ」ではない、其一面は聖義である、恩恵は又罪を鞫きて仮借せざる厳正一方の公義ではない、聖義が憐愍と接吻したる者である、神の荘厳なる(390)聖義と深遠なる慈愛とを同時に表現したる者である、道義の立場より見て実は之れよりも貴い者はないのである、世に義に拠らざる慈愛はある、又※[火+毀]尽《やきつく》すの正義はある、併しながらイエスキリストを以て恩恵は初めて世に臨んだのである、故に謂ふ
  律法(罪を鞫くための正義の律法)はモーセに由りて伝はり、恩恵と真実(「真理」と訳すべからず、神の情的半面)はイエスキリストに由りて来れりと、パウロが「言尽されぬ神の賜物」と云ひしは此意味に於ての恩恵を指して云ふたのである、(哥林多後書九章末節)。
 数学式を以て恩恵の価値を現はさん乎、恩恵=正義+慈愛 となるのである、父の厳正と母の仁慈とを同時に表はしたる者、岩の挟間に白百合花《しらゆり》の咲けるを見たるの状、荘厳にもあり、又優美にもあるのである。
 而して人は信仰を以て此言尽されぬ神の賜物を己が有となすことが出来るのである、武にして優なりとは彼の理想ではあるが、併しキリストの霊なる神の恩恵の霊を受けて、彼は初めて此理想を完全に実現することが出来るのである、人は基督信者となりて、単に義人となりたのではない、儒教の先生又はストア派の哲学者の如き者となりたのではない、彼はキリストの霊を受けて恩恵の人となりたのである、即ち義しくあると同時に又優しき人となりたのである、然ればとて其反対に人はイエスの弟子と成りたればとて女性に化したのではない、彼は恩恵の霊を受けて真個の勇者となりたのである、正義のためには一歩も動かざる神の兵卒と成りたのである、正義の守るべきあれば権威も情実も断々乎として之を排斥し得る福音の戦士と成りたのである、パウロを見よ、ルーテルを見よ、笛に歌に婦人の愛に勝りたる其深き濃かなる愛を現はせし彼等は、全世界を敵として独り立ちて恐(391)れざりし勇者であつた、人を完成する者にして神がキリストを以て下し給ひし其恩恵に如く者はない、是は実に世を済ふの能力である、
   是を黄金に較ぶるも、
   多くの純精金《まじりなきこがね》に較ぶるも、
   弥優りて慕ふべし。
   是を蜜に比ぶるも、
   蜂の巣の滴瀝《したたり》に此ぶるも、
   弥優りて甘し。
 我等は永へに神の恩恵の福音を唱へん。
       ――――――――――
 
    恩恵の鞭
 
 我れ汝をして杖(鞭)の下を通らしめ、契約の索《つなぎ》に入らしめん。以西結書二十章三十七節。希伯来書十二章六節以下参照。
 
(392)     誰をか基督者《クリスチヤン》と称ふ
                         大正3年6月10日
                         『聖書之研究』167号
                         署名なし
 
 善を為す者必しも基督者ではない、自己《おのれ》に何の善をも認めずして、キリストに在りて善を行ふ者、其人が真正の意味に於ての基督者である。
 理想を逐ふ者必しも基督者ではない、ナザレのイエスに在りて理想を認めし者、其人が紛れ無き基督者である。
 
(393)     目の善悪
         馬太伝六章廿二−廿四節、希臘語のハプルースとポネ一ロスとの研究、「山上の垂訓」の研究の一節。
                         大正3年6月10日
                         『聖書之研究』167号
                         署名 内村鑑三
 
 身の光は目なり 「光」ではない、「燈《ともしび》」である、第五章十五節に謂ふ「燈を点《とも》して斗《ます》の下に置く者なし」とある其燈と云ふと同じ言葉である、光を与ふる者である、ランプである、「身のランプは目である」とのことである、勿論今日の我等は爾うは言はないのである、我等は光は太陽より来る者であつて、目は外の光を内に受くる機関であると言ふのである、乍然、実際の所、縦令、外に光があるにもせよ、若し之を内に受くるための機関がないならば、我等各自に取り外の光は無いと同然であれば、身の燈は目であると言ふことが出来るし、又更らに進んで身の光は目であると言ふことも出来る、外の光を内に導く者は目なりと云ふ事を簡略にして「身の光は目なり」と云ふたのである。
 汝の目|瞭《あきらか》ならば 茲に「瞭」と訳せられし希臘語の〓は意味の甚だ錯雑したる辞である、故に支那訳並に日本訳聖書に於ても訳者に由て種々の文字を以て訳されて居る、或ひは「浄からば」とか、或ひは単に「清くば」とか、或ひは「眩まずば」とか云ふ文字を以て訳されて居る、或ひは哥林多後書十一章三節に傚ひ「誠実《まこと》」と訳しても可いのである、又同八章二節、同九章十一節、又羅馬書十二章八節に於ては之と類似の辞が(394)「吝《をしみ》なく」と訳してある、「吝なく施すべし」とある、以上に由て観れば「汝の目瞭ならば」とあるは、之を「浄からば」とも、亦は「誠ならば」とも、亦は「吝《やぶさか》ならずば」とも訳して差支ないのである、而して原語の「ハプルース」にはすべて是等の意味が籠つて居るのである、「汝の目ハプルースならば」と言へば、「汝の目透明にして浄く、誠実にして吝嗇ならずば」と謂ふ意味を通ずるのである、何れの国語に於ても斯かる例は必ず有るのである、一ツの辞にして相互に関聯する種々の意味を通ずる辞《もの》があるのである。
 全身も亦明かなるべし 「明かなるべし」では足りない、バプテスト教会訳聖書にては「明るからん」と訳してある、些少《すこし》の相違《ちがひ》ではあるが、然し多少の改良であると思ふ、希臘話の〓は「光り輝く」又は「光にて充つ」の意である、馬太伝十七章五節に「かゞやける雲」とある「かゞやける」は此辞である、「燦たる光を放つ」の意である、故に「全身も亦明かなるべし」とあるは、之を「全身光にて充つべし」とか、亦は「全身輝き渡るべし」とかに改むべきである。
 若し汝の目|※[目+毛]《あし》からば 原語の儘に「之に反して」なる反意語を加ふべきである。漢字の「※[目+毛]」は「暗」である、孟子に「胸中正しからざれば則ち眸子|※[目+毛]《くら》し」とあるとの事である、孟子の此言、以てイエスの此教訓の善き註解として見ることが出来る、「※[目+毛]」なる漢字は之を「あしゝ」と訓むことは出来ない、然しマタイが茲に用ひたる辞はポネーロス(〓)であつて「悪」の意である、故に「※[目+毛]」と意訳せずして、ラゲ訳又は左近訳の如くに明白に「汝の目もし悪しからば」と訳すべきである、而して斯く訳してイエスの此教訓の意味が更らに一層明かになるのである。
 悪しからば 日の悪しきは目の病みたるのである、或ひは何等かの故障に由りて目が歪《くる》ふたのである、目が完全(395)の用を為さないのである、或ひは全く光を遮りて内に暗黒を来たすのである、然し悪は善に対して謂ふ辞である、故に「目悪し」と謂ふは「見るものを悪意に解す」とか亦は「悪のほか何物をも見る能はず」とか、亦は「真理を曲鮮す」とか謂ふ意味に解することが出来る、馬太伝二十章十五節に
  我が善《よき》に因りて汝の目悪しき乎
とあるは、斯かる意味に於て解すべきであると思ふ、「汝の目悪しきが故に我が善が悪しく見ゆるや」との意味であると思ふ。
 然し聖書に在りては「悪」は止《たゞ》に道徳上の悪ではない、聖書に在りては「悪」なる辞に特別の宗教上の意味がある、悪を行ふとは神より離れ神ならぬ者に事ふることである、
  イスラエルの子孫ヱホバの目前《めのまへ》に悪を行ひしかば
と繰返して士師記に記されてあるのは此事を謂ふのである、即ちイスラエルの民がヱホバを離れ彼の命に反きて偶像に事へたりとの意である 聖書に在りては悪とは偶像崇拝の事である、神が善であると同時に(路加伝十八章十九節)、偶像は悪であるのである。
 若し汝の目悪しからば 若し汝の目疾みて共用を為さず、真理を曲解し、神を神として仰がずして神ならざる者を神とし認むるならば云々。前節に於て「瞭」なる辞に種々の意味があると等しく、此節に於ける「悪し」なる辞にも亦種々の意味があるのである、而してイエスは是等の相関聯せる意味をかけて茲に教訓を宣べ給ひつゝあるのである。
 全身暗かるべし 「暗黒を以て充つべし」、前節の「光り輝くべし」とありしに対して謂ふ。
(396) 是故に汝の中の光もし暗からば 身の光たる目の悪しき場合には、外の光を内に受くるための目の歪いたる場合には、全身暗黒と化するは何人も能く知る所である、其如く(是故に)若し汝の中の光、即ち霊魂の目の悪しき場合には、外なる光に非ずして内なる光にして暗からん乎、其場合には如何との意《こと》である、イエスの言辞は簡潔であつて、其中に多くの略辞がある、故に我等は之を解するに方て省かれし略辞を悉く補はなければならない、此場合に於て「汝の中の光」と言ひ給ひて、彼は「汝の中の目」又は「汝の中を光《てら》す者」又は「汝の崇拝物」等の事項《ことがら》を同時に語り給ひつゝあるのである。
 其暗きこと如何に大ならず乎 其暗黒たる如何ばかりぞ、実に驚くべきに非ずや、物の譬へやうなきに非ずやとの意である、内なる暗黒は外なる暗黒に譬ふべきやうもなし、肉の盲者は憐むべしとするも心霊の盲者の歎かはしきに此ぶべくもあらず、暗黒の最も深甚なるは外なる身の暗黒に非ずして、内なる霊の暗黒である、一言以て之を言はん乎、霊魂が其光なる神を内に宿さゞることである。
 「内の光」とは何ぞ? 勿論神である、「内の目」とは何ぞ? 信仰である、而して内の目は外の目と同じく明瞭かでなくてはならない、清浄くなくてはならない、神に対しては誠実であつて、人に対しては吝嗇であつてはならない、而して此信仰の目を以て内の光なる神を仰ぎ瞻て霊は霊光を以て充溢れるのである。
 ハプルースに明瞭、清浄、誠実、吝ならずの外に猶ほ一の意味がある、其れは単一又は単純である、目は単純でなくてはならない、単純ならざれば明瞭ならず、清浄ならず、吝嗇なりである、目は同時に二物を凝視めることは出来ない、目が若し完全に其用を為さんと欲せば之を一物にのみ注がなければならない、茲に於てか、次節の「人は二人の主人に事ふること能はず」との教訓が内眼保全の教訓に加へて与へられたのである。
(397) 人は二人の主に事ふること能はず、そは此を悪み彼を愛しみ、此を親み彼を疎むべければ也、汝等神と財神《マムモン》とに兼ね事ふること能はず 忠臣二君に事へず、貞女二夫に見えず、弐心《ふたごころ》なきを貴むは古今東西変ることなしである、ヱホバは実に嫉む神である、彼の愛の熱烈なる、彼は全然首鼠両端を許し給はないのである、彼に事ふるに丹誠の一事あるのみである、故に謂ふ、「汝心を尽し、精神を尽し、意《こゝろばせ》を尽くして主なる汝の神を愛すべし」と、茲に於てか神に事ふるに誠実なる、清浄なる、目的の単一なる目(心)を要するのである、此目(心又は信仰)なくして神を見る事は出来ないのである、此目を通らずして神の光は心霊に漲らないのである、故に言ふ「汝の目若しハプルースならずば」と、神を見るの目は殊更らに誠実、殊更らに単純、殊更らに清浄、殊更らに明瞭なるを要するのである。
 神と財神とに兼ね事ふること能はず 神を明瞭に見んと欲すれば、信仰(霊眼)は※[目+毛]かるべからず、悪しかるべからず、殊に神ならぬ偶像を信ずべからず、単純誠実の目は、肉の目なると霊の目なるとに関はらず、全然一神教的ならざるべからずとの事である、マムモンは財を司る神である、或ひは財を神に擬へて祀りし者である 而して財に我心を置きて財は宝となり、即ち財神となりて我を司配するに至るのである、愛銭は背神である、マムモン崇拝であつて、劣等の偶像崇拝である、人は神と財神とに兼ね事ふること能はずと言ふ、然り、人は神に事へながら同時に財産に心を傾くることは能ない、若し世に人あり、我は神に事ふると同時に又蓄財に余念なしと言ふ者があれば、其人は虚偽を言ふ者である、人は神と財とに兼ね事ふる能はずである、然り、実に能はずである。茲に於てか又ハプルースの吝嗇ならずとの意味が出て来るのである、吝ならず財に固着せずとの意である、又容易に之を他に頒つとの意である、而して神に事ふるに又此心がなくてはならない、慈善心である、他を救ふに(398)方て「金放れの善き」ことである、財産を惜まざる心である 此霊眼がなくして神を見ることは出来ない、慈善は他を救ふために有益であるばかりではない、自己の霊に神の光を漲らしむるために必要である、故に謂ふ、若し汝の目吝ならずば全身(亦全霊)光り輝くべしと。
 洵にイエスは詩人ならざる大詩人である、文章家ならざる大文章家である、彼はハプルース、ポネーロスの二語に籠る所の種々の意味を以て、財産に対する信者の心掛を各方面より示し給ふたのである。
 言ふまでもなく、イエスは希臘語を用ひ給ふたのでなく、アラミ語を用ひ給ふたのであるから、馬太伝記者の伝へし此|二個《ふたつ》の辞を以てイエスの此場合に於て用ひ給ひし特別の辞と見ることは出来ない、而してアラミ語に関しては智識皆無なる余はイエスが此場合に於て用ひ給ひし特別のアラミ語の何んでありし乎、想像することさへ出来ない、乍然、「瞭」と訳せられし希臘語のハブルースと「※[目+毛]」と訳されし同語のポネーロスとに通ずべき或る適当のアラミ語を用ひ給ひしことは之を疑ふことは出来ない、我等はイエスの言語を研究するに方て深い注意と研鑽とを怠つてはならないのである。
       *     *     *     *
 以上の解釈に因り二十二節より二十四節までを意訳せん乎、大略左の如くに成るであらふ。
  身のランプは目なり、若し汝の目にして明瞭ならん乎、健全ならん乎、清浄ならん乎、誠実ならん乎、単純ならん乎、汝の全身は光を以て充たさるべし、之に反して若し汝の目にして悪《あし》からん乎、※[目+毛]からん乎、神を仰がずして偶像を瞻ん乎、汝の全身は暗黒を以て充たさるべし、是故に若し汝の内の目悪くして内なる光に接する能はざらん乎、其暗黒の程度如何許りぞや、我れ汝の目は単純ならざるべからずと言へり、洵に人は(399)何人も二人の主に事ふる能はず、蓋此を悪み彼を愛《いつくし》み、此を親み彼を疎むべければ也、汝等神と財神《マムモン》とに兼ね事ふること能はず。
       ――――――――――
 我等今日の日本人に取り以上のイエスの言を解するの困難は外国人が日本の和歌を解するの困難に照らし見て稍推了することが出来ると思ふ 試に百人一首中の和泉式部の歌を取て見んに
   大江山いく野の路は遠けれど
       まだふみも見ずあまの橋立
とある、日本語と山陰地理とを知悉する者に取りては其意味明瞭にして、歌意の掬すべきあるは言ふまでも無いが、然し二者に暗らき外国人に取り其意味の解し難きは一目瞭然である、「生野」を「往く野」にかけて詠み、「玉章《ふみ》」を「踏み」に擬らへて言ひ、天の橋立を踏みしことなしと云ふに至つては操詞《そうし》の術、巧妙を極むとは言ふものゝ日本と日本語に暗らき外国人をして其意味を理解せしめんとするの困難は決して容易の事でない、安部仲麿が彼の名吟
   天の原ふりさけ見れば春日なる
       三笠の山に出し月かも
を帰国の船にまで送り来りし彼の大唐の友人に説明せんとせし其困難は今に至りて思ひ知られるのである。
 而して之に類する解釈の困難を我等は聖書の所々に於て見るのである、而して馬太伝第六章の此場合の如きが其一つである、幸にして教理上、特に肝要なる問題の其解釈に懸ること無しと雖も、其正解は頗る難事である、(400)我等は原語に籠りたる多趣多方面の意味を知りてのみ始めて其真義を判明にする事が可能るのである。
 
(401)     加賀の金沢
                         大正3年6月10日
                         『聖書之研究』167号
                         署名 内村生
 
 初夏の五月、新緑滴たるゝの頃《こごほひ》、天下無双の兼六公園に於て、気品高き婦人が右手に愛らしき女児の手を引き、左手に金装の経文を持して、耽読しながら徐歩するを見た、余は之を見て言ふた「是れが加賀の金沢である」と、余が若し画家であつて金沢を画かんとするならば、余は多分之を画《ゑが》いて「加賀の金沢」と題するであらふ。
 法然親鸞の仏法が作り上げた日本の社会、慕はくもあり、貴くもある、余は彼地に行いて泰平《おだやか》を出さんためにあらず、刃《やいば》を出さん為めに来れりと言ひしイエスの福音を説くに躊躇した、彼所《かしこ》に満足せる泰平なる社会がある、盗賊《ぬすびと》は稀れである、人は優長である、民は勤勉である、何を好んで新宗教を輸入して彼等の平和を妨げんやと思ふた、若し身の幸福が人生の最大目的であるならば親不知の険以西の北陸道に基督教を説くの必要は更らに無いと思ふ。
 併し乍ら、平和と満足とは以て人生の最大目的と為すに足りない、人は安く楽しく一生を送らんために此世に生れ来つたのではない、人生の目的は向上にある、見えざる或者を握らんとするにある、神の完きが如く完くならんとするにある、而して此目的に達せんと欲して、奮闘は之を避けんと欲して遅くることが出来ない、理想は蓮の台《うてな》に座しながらにして達し得られないのである、刃は我等の胸を裂き、剣《つるぎ》は我等の心を刺して、我等は塵の(402)浮世より上げられて、永遠《とこしへ》の故郷《ふるさと》へと昇り行くのである。
 而して此更らに大なる目的に達せんがために金沢の人も亦キリストの福音を要するのである、世界の精神に接して亜細亜の夢より覚めんがために、我北陸の地も亦イエスの血を以て贖はるゝ必要があるのである、余は情としては彼等の間に余の福音を説かざらんと欲する、併しながら彼等の永遠の幸福を思ふて、余は彼等にも亦十字架の福音を提供するを禁じ得ない。
 
(403)     余輩と教会
                         大正3年6月10日
                         『聖書之研究』167号
                         署名なし
 
 余輩の賛成を求むる者は幾らでもある、乍然、余輩に賛成して呉れる者は滅多にない、教会は余輩を使はんとする、乍然余輩に役はれんとはしない、然し、イエス御自身は言ひ給ふた、人の子の来るは人を役ふ為には非ず反て人に役はれん為なりと、今の教会に役はるゝ余輩は却て福ひなる者である。
 
(405)     別篇
 
  〔付言〕
 
  竹崎八十雄
 「神の人モーセの死 申命記三十四章」への付言
           大正2年6月10日『聖書之研究』155号
 内村生曰ふ、余は茲に本誌の読者諸君に札幌独立基督教会牧師竹崎八十雄君を紹介するの栄誉を有す、此篇は是れ該教会月報『独立教報』より君の承諾を得て茲に転載せるものなり、余は今後屡次君の論文を本誌紙上に於て見んことを望む。
 
  「愛のたまづさ」〔書簡二通〕への付言
           大正2年7月10日『聖書之研究』156号
 内村生曰ふ、自己を紹介せんがために非ず、斯かる聖き友が或る山間の地に在りて、我と我誌との為に祈りつゝあることを知らせんがために、又斯かる勇ましき婦人が隠れたる所に善き信仰の戦闘《たゝかひ》を戦ひつゝあるを伝へんがために、茲に此愛の書翰を掲ぐることとなしぬ。基督信者の男女の交際はまことに此の如きものなり。
 
  別所梅之助「進化の一面」への付言
           大正2年9月10日『聖書之研究』158号
 内村生日ふ、此問題、また聖書を解する上に於て最も必要なり、読者の之を忽せにせざらんことを望む。
 
(406)  村山もと子「蚊帳の歌」への付言
           大正2年10月10日『聖書之研究』159号
 内村生曰ふ、過ぎにし夏、余は或る質《たち》悪き腫物に悩まされ、二週日を病床の上に過ごせり、時に余が祖先より承継し古き蚊帳は柏木名物の蚊軍を防ぐに足らず、余は一日苦悩のあまり、之を廃棄するに決し、家婢をして之を屋外に運び去らしめたり、然るに何ぞ計らん其日の正午頃小包郵便物の余の所に達するあり、開き見れば新調の蚊帳にして陸中水沢なる旅館池田屋の女主人より送り来りしものなりき、彼女は別に書翰を添え夢に余を見たれば余に之を送るとの事なりき、余も亦夢の如くに感じ、其夜より此貴き蚊帳をつり、其守る所となりて安らかに夏を過ごせり、彼女は失明して茲に年あり、然かるに感謝に溢れて其業に従事す、村山女史余と彼女との心を汲み、此美はしき一篇を作らる、「義人云々」の語は勿論当らずと雖も、茲に之を掲げて余の愛する読者諸君に示すことゝなせり。
 
  「年賀状(其二)」への付言
           大正3年1月10日『聖書之研究』162号
 編者白す、余輩に恵まれし数多き年賀状の中に、左の如きは意味のある、然り、意味の深い者であります、是は一篇の新年の挨拶ではありません、誠に心底より出る感謝であります。
 
  本沢清三郎「馬太伝研究」への付言
           大正3年2月10臼『聖書之研究』163号
 編者曰ふ、本沢君は基督信者にして又和漢学者なり、故に君の眼を以て見たる馬太伝は又一種特別の福音書たるなり 余輩は如斯き日本人独創の聖書の見解の邦人の中より続々として出んことを望んで止まず。
 
(407)  丁瑪キールケゴール著 日本 石川鉄雄訳
  「基督教と教会」への付言
           大正3年3月10日『聖書之研究』164号
 内村生曰ふ、ゼーレン・キールケゴールは欧洲(寧ろ全文明世界)に於ける無教会主義の予言者である、余は彼と彼の予言とを本誌の読者に紹介せんと常に希ひ居りしに、今や幸にして石川君に由て此希望の充たされんとするを見て感謝の念に堪えないのである、希ふ我国に在りても此大予言者の大砲轟きて、教会の基督教の粉砕せらるゝと同時に、之に代りてガリラヤ湖畔に唱へられし単純にして鮮明なるキリストの基督教の宣揚せらるゝに至らんことを。
 
  丁抹キェールケゴール著 日本 石川鉄雄訳
  「基督教と教会(三)」への付言
           大正3年5月10日『聖書之研究』166号
 内村生曰ふ、幸にして我日本に在りては丁抹に於けるが如くに基督教は国教として認められない、乍然、所謂牧師根性は役人根性である、我等は今より此根性を絶滅して国教の害毒を未然に防ぐべきである。
 
  丁抹キェールケゴール著 石川鉄雄訳
  「基督教と教会(四)」への付言
           大正3年6月10日『聖書之研究』167号
 編者曰ふ、聞くキェールケゴールは原語の丁抹語を以てするも解するに難しと、況んや其独逸訳より和訳せる者に於てをや、然れども三読、四読、五読、六読して、其深遠の意味を探ぐるに難からず、読者が忍耐以て此北欧の大預言を幾分なりと会得せられんことを望む。
 
  青年会寄宿舎々生
  「先生を金沢に迎えたるの記」への付言
           大正3年6月10日『聖書之研究』167号
 内村生白す、生れて始めて越後以西の北陸道に入り、「越山合せ得たり能州の景」を眺め得て感慨に堪えなかつた、金沢滞在の四日間は我家に居ると同じ感がして、却て物足らぬやうに思ふた、友人の親切も善い加減がよいと思ふた、親切が余りに過ぐると旅行が旅行らしくなくなる、乍併、国内(408)到る所に真《まこと》の兄弟姉妹を有する余の至幸は之を譬ふるに物がないのである。
 金沢基督教青年会寄宿舎に書遺して来た館規四ケ条の中、「館内に於て禁酒禁煙の事」とあるのは律法的に規則を会員諸氏の上に押附けんことを恐れたからである、然るに余の帰京後、諸氏が自由決議に由て館の内外を問はず絶対に禁酒禁煙を誓はれしを聞き余は感謝に堪えないのである、余は此一事を諸氏に勧める丈けにても万障を排して金沢に行くの価値が充分にあつたのである。
 
(409)  〔社告・通知〕
 【大正2年8月川日『聖書之研究』157号】
   広告に就き広告
 本誌は自から進んで広告掲載の依頼を致しません、然し広告御望みの方には喜んで御依顆に応じます、但し不道徳なるは勿論、虚偽に類する、或ひは誇大の言辞を用ゐる広告は固く御断はり致します、本誌発行部数は目下の処正味二千乃至二千一百部であります、真偽は之を秀英舎第一工場に於て御糺し被下るゝも宜しう御座います、広告料は一頁拾円、半頁六円、四分の一頁三円であります、六ケ月以上続いて御掲載の方へは適当の割引を致します、其他は親疎を問はず一切割引を致しません、其御積りで願ひます。
  八月              聖書研究社
 
 【大正2年10月10日『聖書之研究』159号】
   講堂落成講演公開
 当方今井館附属聖書講堂今般落成致し、来る十一月第一日曜日(二日)午前十時より公開致すべく候に付き本誌の読者諸君は何方《どなた》にても御来聴差支無之候、但し来聴者は各自応分の任意的献金を為すの規定に有之候間右予め御承知置被下度候。
 十一月分講演題目は左の通りに有之候.
   哥林多前書第十三章の研究
  第一日曜日、哥林多前書の大意
  第二日曜日、カリスマタ(霊の賜物)の現象
  第三日曜日、本文研究(上)
  第四日曜日、仝   (中)
  第五日曜日、仝   (下)
  一九一三、十月           内村鑑三
(410) 【大正2年11月10日『聖書之研究』160号】
     柏木聖書講堂聖書講演公開
  十二月分講演題目左の如し、
   クリスマス準備講演
   馬太伝第一、第二章の研究
  第一日曜日、イエスの系図
  第二日曜日、東方博士の来訪
  第三日曜日、嬰児の避難
  第四日曜日、休講
   午前十時柏木今井館に於て          聖書研究社
 
 【大正2年12月10日『聖書之研究』161号】
    祝辞
 今年も亦楽しきクリスマスと喜ばしき新年と読者諸君の上にあらんことを祈上候。
  退て此号を受取らるゝ友人諸君へは別に年賀状差上申さず候間左様御承知被下度候。
 大正二年(一九一三年)十二月十日
                   内村鑑三
                   家族一同
                   畔上《あぜがみ》賢造
                   山岸壬五
 
       ――――――――――
 柏木聖書講演来る一月第一日曜日休講、第二日曜日より三回に渉り創世記第一章を講ず。
 
 【大正3年1月10日『聖書之研究』162号】
 謝辞 多数の読者諸君より歳末歳始の御見舞状に与かり謹んで御礼申上候、今年も亦諸君と共に変り易き此世に在りて永遠に変らざる神の聖書を研究し、静かに勇ましく人生の旅路を続けたく存候、希望は新らしきを貴び信仰は旧きを択み候、天を望んで恒に動かざるが信者の生涯たるべくと存候。
                    主筆謹白
 
(411) 【大正3年4月10日『聖書之研究』165号】
    謹告
 本社発行の雑誌書籍類は今後(五月より実行)小売りはすべて実価を以て致すことに相定め候に付き売らるゝ方も買はるゝ方もすべて実価を以てされんことを偏へに願上候。
   大正三年四月          聖書研究社
 
 【大正3年5月10日『聖書之研究』166号】
    謹みて慈恵にましませし
    我皇太后陛下の崩御を哀悼し奉る
       御製
     綾錦とりかさねても思ふかな
         寒さおほはむ袖もなき身を
 
(412)   〔参考〕
  宗教問題として見たる日米問題
                        大正2年6月26日
                        『福音新報』
                        署名 内村鑑三氏演説
 
   六月廿二日の夜角筈レバノン教会に於ける内村鑑三氏の演説の大綱なり。未だ検閲を了せず。
 日米間題の解決は目下頗る困難なるものあり。此の問題は大隈伯其の他著名の政治家若くは記者の議論のみに由りて解決し得らるべき問題にあらず。更に深き所に於て之が解決の途を見出さゞるべからず。此の点に於て古き聖書は之が解決を与へずとも少くも暗示を与ふるなり。使徒行伝第十七章に於ける保羅のアレオ山の説教は深き思想を含む。保羅は宗教家として文学、政治、歴史等には興味淡き方《はう》なりしも、偶然にも此の方面に関する彼の思想の保存せられたるは喜ぶべきことにして、深く路加に感謝せざるべからず。其の廿六七節の両節に云へらく、世界各国に民族的に活動して世界の進歩に貢献すべき時期を与へられたり、是れ人をして神を探り求めしめんが為なり。されど神は各人《おの/\》を離るゝこと遠からず、己が心に顧みて之を確認することを得べしと。人が神を発見するの途種々ありと雖も、神は殊に人類の歴史に於て己を探り求めしむ。四五十年前より歴史哲学起り、学者の考ふる所区々なりと雖ども、今日の所バロン、ブンセンの『歴史中の神』てふ書を以て最深の思想を顕はせるものと為す。其の言ふ所、歴史は人類が神に向つて進み行く過程にして、暗中を辿りて神に至るの途なり。畢竟するに保羅の思想の解釈に外ならず。且つ此の思想は如何なる問題に対しても適用することを得べし。過去数十年間に於ても普仏戦争あり、露土戦争あり、又南亜問題に於て僅かに人口百万に充たざる二小共和国に対して開戦したる英国は之が為めに或は滅亡せんかとまで思はれたるも、其の結果英国も自《みづか》ら強くし南亜も又其の自治を確《かた》うせり。其の他日清日露の戦役と云ひ、之を人種、経経等種々の方面より解釈し得べしと雖も、是れ普通の解釈にして、更に之を人間最深の霊魂に関する宗教問題として解釈すべきなり。余は保羅の思想をば日米問題に対して適用すべし。
 日米問題は少なからず余が心に訴ふるものなり。戦争など(413)云ふことは全然不可能の事としか思はれず。嘗てセント、ルイに開れたる平和協会大会に於て彼のカアネギイ氏演説し加州問題に説き及び、戦争の害毒を論ぜり。或人カアネギイ氏に質問して、君が非戦論を主張せらるゝは日本を恐るゝ怯懦の結果にあらずやと。カアネギイ氏大に怒り、日本人を恐るに足らずとする者は起立すべしとて、千五百人全会一致を以て、我等は日本人を恐れずと決議せることあり。是れ言ふに足らざることなれども、かゝる問題の起れるは実に遺憾なる事なり。日露戦争の際米国民は一団となりて日本の勝利を冀ひたり。其際ボストンの露国教会の牧師は露国を弁護していたく米国民の反感を買たり。是今より僅に九年前の事なり。然るに今や加州に於て排日案の通過を見る実に奇態なり。二三年前より日米の有志者両国の意志疎通を謀り、曩に新渡戸氏米国に至り、米国よりはメエビイ博士来り、博士の猶ほ我国に滞り居る中に、加州問題の沸騰するに至る、奇態にあらずや。されど世界の事は人力の如何とも為し難きものあり。世界の事は人間以上の実在者ありて之を支配せり。人の計画も神の手の触るるあらば沙山の壊るゝが如くならん。
 日米問題の起れる原因は普通之を日本人の成功に対する米人の嫉妬より来れりとなす。或は浅薄なる意味よりする宗教問題となし、或は経済問題となし、或は人種問題となすも、皆事実に反す。表面より見るときは其等の問題なきにあらざるも、深く内面に入りて之を考ふ時は是れ実に霊魂問題なり。日米両国民の霊魂の性質が両立すること能はざるものあるが為なり。而して其の非難すべき欠点は双方に存す。米国が宗教を以て国を建てたることは歴史上掩ふべからざる事実なり。然るに此の二十五年以来米国は非常なる変化を為し、今や拝金宗の国となり了はらんとす。米国新聞の調子其の広告など口にすべからざるものあり。先頃米国に至りし愛蘭土の一政治家の言ふ所に由れば、米国の変化は非常にしてワシントン若くはリンコオンに対して些《すこし》の興味を有せざる人甚だ多く、米国建国の精神を有せざるもの何千人あるや知るべからず 此等は其の建国の精神に対して全く敬畏を失へりと。万朝報が言へる如く米国は今やヒイゼン亜米利加たらんとす。余は同新開に Passing of America と云ふ論文を掲げ又之を米国の友人に送りたり。正義人道の亜米利加は過去とならんとす。加州問題の如きはトラスト問題其他かゝる幾多の問題の一たるに過ぎず。是れ実に米国の霊魂問題にして余は此に米国の(414)堕落を断言することを憚からざるなり。
 然らば日本に責任なきや。唯米国を非難して止むは普通政治家の事、余には日本の欠点を指摘するの義務あり。大正二年の日本の堕落は確かに事実なり。明治四年の新聞と今日の新開を比せよ。真正なる議論なく、又輿論なるものはあらざるなり。殆ど皆商売的にして草双紙のみ 昔の教育家の国家の為めに死せよと訓誡したるも、今日は常に何処にか成功をほのめかせり。今日の日本の宗教は愛国心の宗教にして拝国宗なり。世界は人類全体に与へられたるものなり云ふ事は未だ心の深処に於て日本の信仰箇条と為り居らず。四百余州を云々とか、米国は吾が畑をか云ふ如き歌を小学生徒に歌はせ、桑港の金門に旭日旗を翻へすと云ふが如き思想を棄つる能はず。是れ日本の世界的発展を妨げらるる所以なり。日本人が敬して遠ざけらるゝ所以は世界に同化する心の修養を欠くが為なり。宗教に由りて此の修養を成すを得ば加州問題の解決は霜の解くるが如くならん。
 
     『内村先生講演集』
                 大正2年10月1日
                 単行本
                 東北帝国大学農科大学基督教育年会編
〔画像略〕初版表紙 211×149mm
   〔目次〕
  一 如何にして基督教は初めて札幌に伝はりしや
  二 我は福音を耻とせず
  三 農業と基督教
  四 キリスト今我と共に在り
(415)  五 是れ凡て信ずる者を救ひに至らしめん為めの神の力にて候(ロマ書講義第一回)
  六 パウロの救拯観(ロマ書講義第二回)
  七 国人の救ひ(ロマ書講義第三回)
  八 愛の別辞(ロマ書講義第四回)
  九 逝きにし人々
  十 ハレルヤ
 
     如何にして基督教は初めて札幌に伝はりしや
 
 只今森本君から過分な賞讃の言葉に接しまして誠に愧かしい次第であります、昔の此演武湯に来て新らしい諸君と相見る事の出来た事はそれ自身が既にインスピレーシヨンであります。
 顧れば明治十四年丁度此部屋で多分今私の立つて居る此辺に校長の森源三氏が立たれベンハロー、ブルツクス、カッター等の諸先生がそこに並んで居られ、後ろには私《わたくし》の教友も立つてゐました、其前で学位を貰つた事を思ひ出します。今三十年を経過した今日此処に来て見ると此建築が残つて居る許りであります、当時の寄宿舎もありません、化学や物理学を教はつた建物もありません、ノースカレッヂと云つて一番北の端に建つて居た建物も残つて居ないのであります、此ノースカレッヂから此辺一帯は草原でありました、秋になりますと寄宿舎の前に馬が飛んでやつて来ます、月夜などであると捕まへて馬具を取り出して夜中乗りまわした事がありました。今其草原のないのは悲しい思ひがします。明治十一年札幌に来た翌年でありました、丁度今頃寄宿舎で勉強して居ると何んな具合かそこら一面に鴫が下りて来た事がありました、弾丸をこめて丁度兵士が旅順口に打ちかゝつた時の様に室《しつ》から打つた処が、方々の室からも同時に銃の音がして沢山とれました、其晩は方々の炉辺で香ばしい鴫の香りがした事がありました。こんな事も今は全く消えて了ひました。今来て見ると渝らないものは此演武場と二三の友人の渝らざる友情で迎へて呉れた事であります、悲しくも亦嬉しい思ひがします、まるで夢を辿つて居るやうであります。物は跡もなく変ります 然しこゝに変らないものが一つあります。札幌の変遷は私は知りません、今晩は此変つた事でなく変らないで益々力を得て居るものについて諸君に御話し仕度いと思ひます。之れについては諸君の中に既に聞かれた方々は繰り返へ(416)しになりますが然し有益な事でありますから栽度聞かれても好い事と思ひます、友人の中には未だ知られて居ない事もありますから此処に話して見やうと思ひます。
 明治九年であります、札幌農学校の前身が東京の芝にありまして開拓使仮学校と云つて居りました、其当時の長官黒田伯が種々な関係から之をどふしても札幌に移さなければならないと云ふので遂ひに移されたのであります。其理由と云ふのは色々ありましたが其主なるものは北海道の開拓を東京で教へるのは不都合であると云ふのでありました、然し黒田伯を最も悩ました問題は他にあつたのであります、それは青年の教育を目的とする人には誰にも起る所の徳育問題でありました。尤も此問題を起させたのは東京では品行方正と云へない人が随分多かつたのも原因して居ります、それで之れを札幌に移すと共に十分道徳を学生に教へ度いと云ふのが長官の目的の主なるものであつたのであります、尤も之は後から分つた事であります。それで此事を含めて其当時米国の公使であつた吉田と云ふ人に、かゝる主義の教頭と教師とを招き度いから一つ周旋して呉れと頼まれたのであります、吉田氏が色々と調査の結果其当時アーマスト大学を出身せられマサチユーセット州の農学校の教頭であつたウヰリアム、エス、クラーク先生を迎へる事になつたのであります。其頃クラーク先生は米国に於て名誉の絶頂に達して居られたので、一年も貸せないと云ふ事でありましたが、先生は凡てを犠牲にしても日本に建つ農学校の為めに尽して見度いと云ふので、一年だけ来てもらふ事になりました。そこで先生はベンハロー、ホイラー等の自分の学校の卒業生を伴れて来朝されたのであります。其当時の船は昔の外輪船でありましてサンフランシスコから横浜迄三十日もかゝつたのであります。此当時の出来事につきましては私が米国に居ます時アーマストで二三度先生を訪問して先生自身の口から親しく聞いたのであります、横浜に上陸せらるゝや早々米国人の経営して居る聖書会社に行つて英語の聖書を五十冊売つて呉れと云はれました、会社の方では不思議に思つて「何で五十冊要するか?」と問ひました、「なに札幌に行つて農学校を建てゝ学生を教へるのだが聖書をも教へやうと思ふ」と云はれました。明治九年と云へば基督教の禁制のとれて間もない時であつたものですから其聖書を官立学校に教へようと云はれるのを聞いて皆が大に驚きました、其社長が「とても駄目です」と云ふのを先生は(417)無理に「なに宜しい僕に売つて呉れ、売つて呉れと頼むんだから売つて呉れても何も差支へはあるまい」と、遂に五十冊を買つて旅行鞄の中にしまわれたのであります。それから東京に来て遂に札幌に向はれたのであります。其時分の交通は品川から小樽迄只一隻の船しかありませんでした、玄武丸と
云つて七百噸計りの船でありました、今でも北海道の何処かで使つて居ると云ふ事であります、後に黒田丸とも云ひました、余りよくゆれるのでゴロタ丸とも云ひました、私共も此船であまり揺れるので度々重い病にかゝつた事がありました。其船に長官初めクラーク先生、学生等も乗り込みました、丁度品川を出てから何れ位ひ来たか分りませんが、金華山沖位迄来た頃でありませう、(之等の話は其時通弁をして居られた堀正太郎氏から聞いた事であります)黒田長官はクラーク先生の鞄の中に五十冊のバイブルの入つて居る事は勿論知りません、誰も知つてるものもありませんでした、段々話しが斬らしく建てる学校の教育方針に進んで来ました。農学校を建てる事、農学教育を授ける事、此等はきまつて了ひました。次に最後の問題が来ました、長官は「先生に特別に頼み度い事は此学校の生徒の徳育問題であります 呉々も之れは十分頼み度いが先生は何う云ふ方針で教育されますか」と問ひました。クラーク先生はアマストで此消息を私に話されました。先生は南北戦争に戦功があつたので大佐でありました、ドクトル クラークともプレジデント クラークとも云はれずに大佐クラークと呼ばれて居た程でありました、黒田長官も榎本武揚を函館に破つた薩摩武士であります、武士と武士とのより合でありますから話しは至つて簡単なものでありました。クラーク氏の言はれるには「それは何でもありません、私には只一つの途があります、私は私に托せられた学生に基督教を教へます」、黒田長官は驚いた「耶蘇を教へるそれはいかん、耶蘇は吾国に永い間禁ぜられた宗教である、吾国には我国の宗教がある、耶蘇は御免蒙り度い」、「そうですか、私の道徳は耶蘇教であります、それで悪ければ私は道徳教育は致しません、博物も教へます、農学も教へます、何でも忠実に教へます 然し徳育は致しません」、話しは夫れ丈けであります、軍人と軍人とて、話しはすぐに済みました。尚ほ堀氏が私に話されたのでありますが、暫くすると又初まる 「先生どふですか考へ直してもらへませんか」、「私の道徳は基督教であります」、それでおしまひ。そして幾度話しが出ても(418)同じ事でありました。二人共意志の強い人でありましたからそれなりで遂に小樽に船が着きました、それから明日開校式が(今は焼けてありませんが)ノースカレッヂで開かれると云ふ様になりました。すべての問題は定まつてしまひましたが、只一つ定まらないものは此徳育問題でありました、此問題が定まらねば開校式は出来ません。それで明日開校式と云ふ前夜に長官が使をやつて、クラーク氏を呼んで又其話しが初まりました。「先生あなた変へないか」、「変へません、私の道徳は基督教です」、何ふしても変へないと云ふので、黒田長官も仕方なく折れて「デハ宜しい、教へなさい、然し極内証で教へて下さい」、之を聞いて先生非常に喜ばれました。私は其当時居なかつたのでありますが第一期の生徒で今夜此処に居られる佐藤博士や内田君又は今夜の汽車で十勝から来られる黒岩君なぞが居られたのであります。英語の分らない日本人の前で先生は嬉しさの余り何でも英語でノースカレッヂが割れる様な声で平素にも似ず雄弁を振はれたさうであります、クラーク先生は米国では決して雄弁家ではなかつたのであります。
 夫れから学生を家によんで鞄から五十冊のバイブルを出して分け与へられました、私も其一冊を持つて居りました、私は夫れを今日持つて来やうと思ひましたが生憎紛失したのか見当らなかつたのは残念であります。然し独立教会にはこれが一冊あります、之は歴史的に貴い聖書であります。初年生は皆之で学びました。私の友人の大島|正健《しやうけん》君から聞いた話しでありますが、クラーク先生のバイブルの解釈は独創的であつたさうであります。固より先生は其方の専門の学者ではなかつたのでありますが、其平民的の考へは独創的なものであつたさうであります。あの有名な此農学校の信仰個条は其時分に書かれたのであります。今それが独立教会に保存されております。
 先生は札幌に八ケ月居られて米国に帰られました、帰られる前に一種の教会の様な物を建てられまして自分でバイブルを教へ函館から宣教師を招いて洗礼も受させました。其次の私共の組もバイブルを一冊宛貰ひました。之れが基督教が札幌に伝はりし実歴であります。
 扨てクラーク氏の基督教に入りし原因は何ふでありましたか、私が留学中のアマスト大学総長ジエー、エッチ、シイリー先生は千八百四十九年(六十三年|前《ぜん》)には十八歳で初年生ウイ(419)リアム、エス、クラーク氏は十九歳で二年生でありました。此時アーマスト大学で基督教のリバイバルが起りまして多くの青年が務められ決心をして基督教に入りました。諸君の間には此リバイバルを一時の感情の発作の様に聞かれる方もあるかも知れませんが之は基督教国にはよくある例であります、又青年時代には屡々来る事であります、之が初まると道徳的運動が初まります。自身の身に罪を感じ、ある青年は寝食さへも忘れ、只何となく天に対し人に対し、云ふに云はれぬ重荷を感ずるのであります、此時期を経過して初めて新生涯に入《い》る事が出来るのであります。学生時代に外国に於ける此運動を見ると不思議に思はれます、何だか分らぬ人もあるかも知れませんが、尊き心の革命の来る事であります、私も札幌
に於て少し経験がありましたので多少|評価《アツプレシエート》する事が出来ました。昨日も友人と話し合つた事でありますが、「明治十一年頃起つたあの運動が今日札幌の学校にあるか」と聞きましたら「全くない」と云ふ事でありました、之は残念な事であります、名は何とでもよろしい是非あつて欲しいものであります。今の一般の人の云ふ如く青年各自が品行方正であるとか怖仰天地に愧ぢずとか云ふ様な考へでなく、天を懼れ神を懼れて何処か云ふに云はれぬ苦痛を感ずる事がなくてはならないのであります。
 世界中に名を拡めしシイリー先生も、長官に抵抗して札幌に基督教を伝へた偉人クラーク先生も、ボールを持つて遊んだ無邪気な青年でありました、夫れが断然決心して身を神に捧げる時代があつたのであります、之は尊とき時であります、此時代に永遠の生命が宿つたのであります。シイリー先生もクラーク先生も卒業後独逸に行かれました、シイリー先生は哲学でありましたが、クラーク先生は鉱物学を専攻されました。クラーク先生がドクトル、オブ、フヰロソフヰーを得られたのは文学でもなければ哲学でもありません。其論文を私も見ましたがそれは「メテオリック ストンス」と云ふ論文でありまして隕石の委しい研究でありました。独逸から帰国されて暫くアマスト大学で研究を続けられ鉱物学を教授して居られました、其後南北戦争の折に功を建てられ戦が終つてからマサチユセット州の農学校で専門の鉱物学から植物学に転ぜられました。そこで人々の口に上る程な有益な実験を発表されました。勿論今から見ればさう大したものではないかも知れませんが、其当時は中々値のあるもので欧米諸国で評判(420)になつたものでありました。只一つ注意すべきはクラーク先生は十九歳以来アマスト大学で心の変動があつてから後は、宗教的の事は何処にも表はれなかつたことであります。単に学者として見られました此人が日本に来て遂ひに黒田長官を説き伏せ、基督教を伝へたと聞いた時に、クラーク氏の同僚は殆んど信じなかつた程でありました。米国の伝道会社の人などが「ウヰリアム、エス、クラークが札幌に行つてバイブルを教へたのは大出来である」と云つた位ひでありました。日本に来る迄の間は善き基督信徒としての外は何等伝道的の人としては認められて居られなかつたのであります。
 札幌に来て八ケ月居られ我々に宗教を教へて帰られたのでありますが、其帰られる途すじが今の島松、千歳、苫小牧、登別、輪西、室蘭と云ふ順序でありました。今の様に其当時は汽車はなかつたので、馬で島松まで行かれました。見送つて行つた生徒と其処で別かれる時に、皆と握手して馬に跨り、馬腹《ばふく》に一鞭をあてゝ、姿は消えましたが、其時の最後の言葉が「ボーイス、ビー、アムビシアス」(青年よ野心を持て)と云ふ言葉でありました。野心と云ふと悪い言葉の様に聞こえますがクラーク的の進めと云ふ言葉であります。アムビシアスと云はれた丈けあつて帰国後も大なる計画をせられました。私がアマストに行つて知つた事でありますが、小さいアマストの町に遠方から水道を引いたり、尚ほ世界の耳目を驚かす様の事をしやうと心掛けて居られました。例へば其頃フローティングユニヴアシティーを作ろうとせられました、つまり大きな船を作つて大学の設備を万事船中に入れ、教授初め学生が乗つて船の中で講義もし、実験もし、世界を巡遊しつゝ三年で卒業する計画でありました。之には金が必要なので鉱山を買つてやろうとせられたのが失敗の基で、遂には破産せられました。私がアマストに行つたのは其破産せられた翌年でありましたが実に同情すべき状態に居られました。
 私がある日の事食堂で新聞を見て居りますと「ウヰリアム、エス、クラーク、ダイド」と云ふ広告を見まして非常に驚きました、既に葬式は済んだ後であるので非常に遺憾に思ひました。もし誰れかが知らして呉れたらば私は元より一貧生にすぎませんけれ共、札幌農学較を代表して行きたかつたので残念に思ひました。先生は失意の境遇に居られました、旧友に迄も誤解され葬儀も公にせずして私かに葬られた位ひでありました。
(421) 私は後でアマストの組合教会の牧師のヂッケンソンと云ふ人に逢つてクラーク氏の臨終の模様を聞きました。ヂッケンソン氏はクラーク氏の死の床の傍に最後の息を引きとられる時迄居られましたが、クラーク氏は其時細い声で「私は永い生涯に色々の事をする事が出来た、戦争にも功を樹てた、学術上に貢献もした、然し今終りを告げる時に、希望に満ちて居る事は日本に居た八ケ月の間に学生達にバイブルを教へた事である、此一事が今の自分の大なる慰めである」と云はれたさうであります。其話しを聞いた時私は自分の父が死んだ様な感じがしました。内田|瀞《きよし》君にヂッケンソン氏の言葉のまゝを英語でかき送つた様に思つて居ります。かくしてクラーク先生は此世から去られたのであります。
 扨て今になつて之を考へると北海道に尽して呉れた人は沢山あります。一寸停車場通りに出れば永山将軍の銅像があります、大通の西の方には黒田長官の銅像も立つて居ります、此外にもケプトン氏、又之れと同伴して来たライマン氏即ち今の夕張幌内の炭山を初めて調査した人であります、植物学ではベーメル氏、今でも横浜に花園の主人であります、又学校の前に居たダン氏、石油会社の日本の代表者で牧畜の方に詳しい人で慥かあの真駒内の牧場も氏の設計だと思ひます、又クロックフォールド氏、小樽と札幌の間に鉄道を布いた人であります、又初めて農学校を建てたのが(今東北帝国大学農科大学になつて居ります)ウヰリアム、エス、クラーク氏であります。数へ来れば北海道の為めに尽した人々は多いのであります。然し今晩此処に集まつて居られる諸君が「クラーク氏の北海道に尽した事業は札幌農学校を建てたのみである」と云はれるならば間違ひであります、若しクラーク先生の霊があつて此処に居られたならば「否《ノー》、否《ノー》」と叫ばれるに違ひないのであります、「私のした事は沢山ある、八ケ月間学生達にバイブルを教へた事が私の事業である、之が私の事業中の最大なるものである」と云はれるに違ひないのであります。札幌の人はバイブルを教へたと云ふ事が大切の事だとは云ひますまい、クラーク先生の考へと札幌区民の考へとは一致して居らないのであります。
 人が私にょく問ひます「おまへは三十年間働いて何んな勢力があるか、其中からどんな偉人が出たか」と、成程偉人は出ません、偶に村長位ひが出ると喜ぶ位ひであります。斯様な問題は三十年や五十年では定まらないのであります、今の(422)人々は会堂が何ふであるとか、信者が幾人あるとか云ひますが、これは宗教の何たるを知らないからであります。紫檀黒檀の如き堅き木は長年月を要して成長します、宗教の事業、精神の事業は百年千年の後に分るものであります。クラーク先生の八ケ月の事業は実にクラーク先生の預言的事業でありました。我々神を信じ永生《かぎりなきいのち》を信ずる人は斯く信じます、時が来れば必ず芽を出す事を我々は信ずるのであります。三十年後の今日クラーク先生の預言は当つて居ります。札幌の最大問題は何か、日本の最大問題は何か、今日の日本の最大問題は軍備ではありません、殖産工業でもありません、文学哲学の問題でもありません、今や日本の死活を司る問題は道徳宗教の問題に立ち入つて居るのであります。どふしたならば人心に平和を与へ家庭を潔める事が出来るか、人心を根柢から建築するに就ては大政府の文部大臣初め教育者も之れならば出来ると確信を与へ得るものはないのであります、動物学、植物学なればこうして教へると云へますが、然し徳育問題となると確答を与へ得る人は一人もないのであります、今に何ふにかなるだろうと云つて放置しておくのであります。
 之は実に大問題であります、昔此演武場の下の教室で意地の悪い教師が六づかしい問題を出した事を覚えております、幾ら考へても出来ない問題でありました、神が今我等に出した問題は丁度之れであります。如何にすれば人心に平和を与へ得るか、道徳を教へ得るか、文部大臣も之れに答へる事は出来ません、文部大臣を此処に伴れて来て「あなたの徳育方針は何でありますか」と聞いたならば「それは暫く御免を蒙り度い」と云ふに違ひありません。私今茲に有名な論文を一つ持つて来ました、それはロンドンタイムスの東京支局の通信員が日本の大問題であると云つて本社に送つたものであります。世界の注目を惹いた論文であります。何でも時事新報で之れを訳して出したさうでありますが其方は私は見ませんでした、内容を一々此処で述べる事は出釆ませんが、中には日本の今日迄の文明を述べ来り明治天皇の崩御及び其御治績を賞し「既に第一の維新は終つた、然し第一の維新より更に大なる維新がある、日本人が之れに如何に迷つて居るかは気の毒な程である」と云つて居ます。其例として三教合同の事を挙て居ります「実に小供らしい事をして居る、然し其結果は失敗であつた、如何にして日本人が国民的観念を作るかに就ては誰れも皆迷つて居る、何の解釈も与へられて居ない、(423)大正の年号をつけたのは誰か知らぬが察するに元老であろうと思ふ、然し乍ら元老自身も恐らく気がつくまい」、斯くロンドンタイムスの通信員は書いて居ります、更に「明治年間は文明の輸入時代であつた文明的進歩はやれる丈けやつた、今は他の文明を入るべき時代である。大正を訳せばグレートライテアスネスである、今や元老の解決すべき問題は已に去つた、之れを解決する者は新らしき理想を有する新らしき人である」と、之れを聞いた外国人は皆然りと云ひました、之れを私共が見ても亦「然り」であります。
 政府の三教合同は失敗しました。政府は曾つて二宮宗をやつて見ました、其時は我々の領分を余程尊徳先生にとられました。ある処に伝道に行つて見ると尊徳先生の方に多勢が集つて我々の方には二三十人しか集まらなかつた事がありました。然し近来二宮宗は全く棄たれました、先日ある本屋に行きました処が「此頃は二宮宗の本が一番売れない」と云つてこぼしておりました、三年前なれば五十銭一円と云つてドン/\売れたものが今は売れなくて沢山一かたまりにして一冊が三厘だとか一銭五厘だとか云つております。此頃は又帰一協会と云ふのが出来ました、之は何ふかするとまとまりさうだと云ふ事でありますが、出来るや否や新聞紙等が冷やかしております。先年黒田長官が「あなたは如何にして私の学生に道徳問題を解決して呉れますか」と云つたのと等しく日本人は今日猶ほ此問題について苦しめられて居るのであります。
 モ一ツこゝに農科大学のライブラリーから本を持つて来ました、題は「エジユケーション、イン、ジヤパン」日本の教育と云ふのであります。此本は恐らくは日本にもこれ一冊かも知れません、外国にも今は恐らくないでありましやう、普通なれば桐の箱にでも入れておいて貰い度いのであります。之れを集めた人は当時米国に居られ後に文部大臣になられた森有礼氏であります。氏は日本が曾つて持つた最良の文相であつたと云はれて居ります。日本の教育に心配して米国に居る時多くの友人に手紙を出して「日本の教育について御意見があるならば何卒忌憚なく述べて頂きたい」と云つて回答を求められ、夫れを集めたのが此本であります。中には哲学者のマツユー氏、紐育の市民教育に貢献したクーバー氏等も書いて居ります。一千八百七十二年丁度今より四十年前のものであります。然るに奇遇とも云ふべきはクラーク先生の上(424)に立つて居られたアマスト大学の教授のスターン氏の書き送られたものであります。此人は二十年間アマスト大学の教頭をして此学校にも非常に尽された方であります。森氏の智育徳育体育の問題に関し如何に日本人を導くべきかの点に関して此老人のスターン氏が答へらるゝには「あなたの手紙は受け取つた、私は何も包まずに云ふ、述べ度い事は沢山あるが、日本の教育を完全にするには新約聖書を教へなさい、其他に善き方法はないと思ふ 智識も何も凡て第二である」と、最後に詫びて「かくも率直に申上る事を許して下さい、然し之れが私の生涯の研究の結果で私の確信であります」と、更に附け加へて「私は今白状します、私は日本人を特別に愛する者であります、日本人の為めには常に祈つて居ります、キリストは万民の為めに死にました、今私は吾老躯を日本の為めに献げる事が出来ないならば神の前に愧ぢとします」と云ふて居られます。同じアマスト大学を出られたクラーク氏も同じ考へを抱いて居られた事は已に述べた通りであります。又シィリー氏も同じく其書に同意見を出して居られます。三人が三人共同一意見であるのを聞いた時に森氏は大に驚かれたのであります。
 扨て此グレートライチアスネス(大正)の時代に三人は已に故人となつてしまわれましたが、今こゝに三人の精神があつて、日本人の為めに尽さなければ神の前に愧ぢとすると云はれたスターン氏が中央に立ち、両方にクラーク、シィリー先生が立つて三人の通弁を私がして居るとします時に、私は今「グレートライチアスネスを敷くには新約聖書でなければならない」と云ひます。然し日本の現今は夫れ程までに進んでは居りません、今ではベルクソンとかオイケン位のところでまごついて居りますが、然し私はいやでも応でも終に其処に行くのだろうと思ひます。丁度将棋詰のやうなものであります、角が逃やうとすれば桂馬でとめられる、又逃げやうとすると頭を「歩」ではられる、そして終に追ひ詰められて負けるのでなかろうかと思ひます。終には黒田氏がクラーク氏に言つた様に「内証で」と云ふ様になるのであろうと思ひます。
 時間があれば私の実験を述べたいと思ふのでありますが出来ません。先づ吾社会改良問題に一番適当なものは農村の改良問題だと思ひます。東京に廓清会と云ふものがあつて専ら遊廓廃止を主唱して居ります、島田三郎、安部磯雄氏等が専ら力めて居られます。如何にすれば吾日本在来の悪習慣を(425)除く事が出来るか、良家の子弟さへも直接間接に害を蒙つて居る此貸座敷を廃止する事が出来るか。それにつきましても新約聖書に勝るものはないのであります、其新約聖書によりて為された廃業が一番完全であります。例を挙げて見ますと、是れは有名な話しでありますから名前もあげますが、茨城県の磯浜に椎木小太郎と云ふ人があつて貸座敷をやつて居りました、今は全く廃業しました。先日廓清会で話しましたがこれ程完全に廃業した人はないと云ふ事であります、其動機は只新約聖書一冊を読んで罪を感じて何ふしても廃業せねばならないと感じたからだと云ふ事であります。之れは只一例でありますが此事については私はまだ永らく札幌に居りますから一度大学で「農村改良と福音との関係」を話して見たいと思つて居ります。
 農民も霊のある人間であります、挿し木の改良とか種子の撰択とか農具の改良とかは勿論必要でありましやう、然し夫れ丈けの改良ではまだ駄目であります。必要なのは人間の改良であります、之れは私一個人の意見として述べたくないのであります。
 私は今多くの学生を預つて居ります、何が一番根本的に学生を改めるかと云ふと新約聖書程完全なものはないのであります。道徳問題と云ふのは単に之れ迄悪い事をして来たから之から改めると云ふやうなのではありません、更に進んで善に導くのであります。今日の最大問題は「如何にして我々の学問を適当に使用する事が出来るか、何の為めに学問をするのであるか、何の為めに我々を犠牲に供するか」と云ふ問題であります。今日は自分の専門を決めるにも「医者になろう、収入が沢山とれるから」と云ふ様な収入問題でなく、真理の為に専門を選ばねばなりません。農学であるならば農学は神と人とを知つて生命の価値を知る為めに必要であると考へる様にならなければならないのであります。かゝる事柄は今日の品行方正と云ふ位ひの道徳で出来る事ではありません、之には是非共コンバーション即ち心の大革新が必要であります。論語とか孟子等では出来る事ではありません、倫理学も論理学も哲学も之をなす力はありません。之には心を打ち砕く力が必要であります、ダイナミック パワーが必要であります、之は即ち新約聖書であります。
 米国のニユーヨークにルーフヮス、ショートと云ふ人が居りました、米国第一流の法律家であります。此人の罪人《つみびと》を弁(426)護した記事を読むと丁度小説でも読んで居る様だと云ふ事であります。一日ある友人が彼れの法律事務所を訪問して見ると其時先生の机上にギリシア文の新約聖書が一冊あつた許りで他には何もありませんでした。不思議に思つて「あなたは米国第一流の法律家であると云はれるのに机上に新約聖書が一冊あるばかりでよいのですか」と問ふた時に、シヨート氏の答へらるゝには「あなた方は知らないが、之が英米の法律の基礎となつて居るのである、之には国家を根本的に救ふダイナミック パワーが入つて居るのである」と云はれました。之れを握るならばルーテルも出ます、ウエスレーも出ます、ピユーリタンも出るのであります。之れは私のみの信仰ではありません、ウヰリアム、エス、クラーク氏が札幌にて述べられた事であります。クラーク氏が私の後ろに立つて云はせます、My boy! speak to them about Jesus,my boy! my boy! Be ambitious!(我子よ、我子よ、イエスに就て語れ、我子ょ、我子よ、野心をもて、)と今夜の話しは私がウヰリアム、エス、クラーク先生の通弁をしてゐると思つて聞いて頂きたいのであります。
       (文責在記者)(於旧札幌農学校演武場)
 
     我は福音を恥とせず
 
 我は福音を恥とせず、此福音はユダヤ人を始めギリシヤ人《びと》すべて信ずる者を救はんとの神の大能《ちから》たればなり。(ロマ書一章一六節)
 これが私共の常に読んで居る日本訳の聖書の言葉であります、此言葉はよく其前後の関係、之れを言つたポーロの生ひ立ち、其教育等を知つて初めて了解する事の出来る言葉であります。私共は之をポーロ自身の境遇から離して見るから、我々の心に訴へる事が弱いのであります。一体ポーロの如くキリストに全身を献げて「我れ生けるに非ず、キリスト我れに在りて生ける也」と言て居る人が、特更に「我れは福音を恥とせず」と明言したのはどう云ふわけで有りませうか、若し之が薄信の者の口から出た言葉であつたならば「なんですか、そんな事をいつて」、とせめられるに違ひありません、若し又ペテロや、ヤコブが之を聞いたならば「ポーロはおかしいことをいふ」と怪しんだに違ひありません。然し此等はポーロの境遇、学識、生ひ立ち、等を知らないからの事であつて、ポーロ自身にとつては斯く言はずに居られないのであり(427)ます。
 其当時のローマと云へば今日の倫敦や伯林の様な処で学者が集つて居て、ギリシャのアナクサゴラス、プラトー、ピタゴラス等の哲学、其他凡ての宗教が其処で皆思ひ思ひに自分の主張を述べて居ました。かく総ての宗教がローマに在りて各《おの/\》其の意見を主張して居るまんなかに進んで、自分の主張を通して行くには非常な勇気がいつたのであります。
 学者の研究によるとポーロはタルソの町で生れました、タルソといふ処はローマ帝国の端でギリシャ文明の盛んな所で有名な大学が有りました。多分ポーロの青年時代に学友であつたかと思はれるアセノトーラスは此タルソ大学から出ました。ポーロの書簡によつて考へるとポーロはユダヤの学問のみならず尚ほ弘く学んだ人らしいので、タルソ大学出身かと思はれます。ポー・ロは知識の深い、趣味の弘い、教育のある人でありました、故にヤコブやペテロの様な漁《すなどり》をした人とは性質が違つて居りました。然るにポーロはローマに行くに当つて、深く学んで居た哲学を捨てました、又ガマリエルより授けられたユダヤの学問を捨てました、そうして唯だ一つキリストの福音を持つて行きました。アナクサゴラス、マテノドーラス、プラトー、ピサゴラス等は哲学を持つて行きましたが、ポーロはキリストの福音をもつて、胸を弘くし闊歩して行きました、そうして此等の哲学の間に在つて「我は福音を恥としない」と言《いふ》たのであります。此等の事情が解りますとポーロの此の言葉に対して実に同情に堪へないのであります。
 次に何故に福音を恥としないかと云ふに、彼は其理由を説明して「そは凡て信ずる者を救に至らしむる神の力なればなり、ユダヤ人を始め、而して又ギリシヤ人をも、」と言つて居ります 今之を解し易き日本文に言ひ換へて見ますと「我は福音を恥としない、何故なればこれは力であります、神の力であり主す、救に至らしむる神の力であります 凡て信ずるものを救に至らしむる神の力であります、ユダヤ人それからギリシャ人を救に至らしむる神の力であります、」とこうなるのであります。ローマ書は元来手紙でありますから手紙の文体に直して読めば更に力があります、先づ私が札幌独立教会に宛てゝ同じ主意を手紙で書き送つたとすれば、「小生はキリストの福音を恥と仕らず候、そは力にて有之、神の力にて有之、救に至らしむる神の力にて有之、凡て信ずる者を救(428)に至らしむる神の力にて有之候、ユダヤ人を第一に、次にギリシヤ人をも救に至らしむる神の力にて有之候」、となります。「神の大能也」と言ふ句は終りに附ずに先にすべきもので有ります、即ち「我はキリストの福音を恥とせず、何故ですか、これ神の力であります、」とすべきであります。
 ポーロは賢き人にも、愚なる人にも教を伝へましたが、(此賢者とは哲学者の事、愚者とは専門の学を修めぬ人をいふ)秩に其知者に対して彼が述べたかつたのは、それは哲学の組織でもありません、考へ方でもありません、思想の系統でもありません、又解釈の方法でもありません、実にキリストの福音は力であり ダイナミック パワーであり、原動力である、故に之を恥としない、と言ふ事であります。学説は思想を供するが、福音は力を授けるものであります、それだから恥としません、之は思想でない、パワーであります、ダイナマイナであります、ゴツド ダイナマイトであります、力以上の力であります、それだから恥としない、といふのであります。即ちキリストの福音は人格の力とか品性の力とか学問の力とか云ふものでなく、神様の力であると云ふのであります。如何なる性質をもてる力かといふと、夫れは人を救に至らしむる力であると云ふのであります。「救はんとの」としてあるのは「救に至らしむる」と訳すべきであります。私は初めキリストの福音は救ふ力なりと思ひました。「救ふ力」といふのと「救ひに至らしむる力」といふのとは違ひます、救ふ力と云ふと飲酒や、たかぶりや、其他の悪癖を取り去つてくれる力といふ意味になります、ポーロの福音はかかるせまい意味の救ではありません、救に至らしむると云ふのは人の全生涯に渡りて其悪癖を取り去るといふ意味ではありません、ローマ書八章の終りに記してある様に、単《たん》に我々信者のみならず宇宙全体が救はれると云ふのがポーロの考であつて、全人類全宇宙をして其最後の栄光に達する迄の救に至らしむる力であるといふのであります。夫れ故に我れ之を恥とせずと云ふのであります。処で或人は云ふでせう「若しそんなものなればキリストの福音は無条件で全人類誰をも救ふといふ事になるではないか」と、それで其処に「凡て信ずる者を救ふための神の力なり」としてあるのであります、此言葉でローマ書は云ひつくされて居ります。
 ポーロが福音を恥としないといふわけは之れで明かになりました、即ちこれは哲学のシステムだからといふのではなく、(429)学問だからといふのではなく、学問から離れた神の力である、信ずる者を最後の救に至らしむる力であるからと云ふのであります。之れだけ話せばポーロの述べんとせる福音の大略はつきて居るといふ事が出来ます。
 更に考へて見たい、此時ポーロは自分の信条を述べて居る様に見へますが決してそうではありません、之を述べる迄に彼は已に種々の実験を経て居るのであります、彼はピリポに、アゼンスに、コリントに伝道し、キリストの福音が人を動かす力ある事を実験して居ました、其尊い実験を述べたものが此ローマ書であります。
 これはポーロの実験にして亦我々クリスチアンの二千年に亘る実験であります、人を救ふ実力は何処にあるか、それはキリストの福音より外に発見する事は出来ません、歴史を研究した後では斯く云はざるを得ないのであります、キリストの福音を離れて我々の今日迄に(不完全ではありますが)なりし事を考へる事は出来ません、私自身の経験で考へて見ますと、私も少し学問をする事を許されました、早くから札幌に来て友達と一緒に勉強しました、然し私自身の経験に照して見ると私を救つたものは他にはありません、智識も拡め、難題も解く事が出来ました、天然の見方も、ウオールヅウオースも、カーライルも、これらは福音なしでもわかりました、然し私自身を救つたといふ点に於てはキリストの福音をおいて他に考へる事は出来ません、キリストの福音はダイナマイトであります。ダイナマイトの力、爆発する力、殺す力、抵抗する事の出来ぬ力、此力がキリストの福音以外より得られたといふ事を聞きません。私の親友は私の色々の悪い事を知つて居ります、其色々の罪で閉ぢられて居た私を解き放ち、隠れて居たものを現はして呉れたものはキリストの十字架より外ありません。其説明をせよと言はれてもそれは出来ません、然し之によりて大変動の来たといふ事は事実であります、之を実験する事は凡ての人の出来る事であります。「私は罪人の頭です」と言ふ事の出来るのは哲学を見たが故ではありません、十字架を見た故であります、ポーロと共にキリストに接したが故であります、此点に於てキリストの福音は神のダイナマイトであります、私共の岩を打ち砕くものはこれ以外にはありません、此力なしで他の力を用ひて之を企てたる人が少くありません、大学生などが学問から説明せんとします、よくある事ですが、少し学問の上の人から「キリストに(430)よらずにどうして本当の救に入れるか」など云はれますと、神は論理から考へても無からざるべからずと直ぐに感服してしまひます、それでマア学校に居る間はキリスト信者である、処が学士になる、地位が出来る、他から誘《いざなひ》が来る、キリストの御名を称ると不便が出来てくる、キリストの福音が恥かしくなつてくる、盃をさゝれて理屈をつけて一口飲む、其|中《うち》にキリストの福音を何れにかやつてしまひ、「私も元は教会に行きました」といふやうになるのであります。それはダイナマイトで心の岩を砕かれなかつたからであります、救に入つて居なかつたからであります、教の感化を受けただけで、ペンキを塗つて居たからであります、私も嘗て自分に学問があるといふ事を始終念頭に置て伝道した事もありました、今では馬鹿な事をしたものだと愧ぢて居ります、人が何と云はうがあなたは罪人《つみびと》です、生れながらにして罪の人です、そうして其罪を許される道は此処にあります、それだから信じなさい、と言はれて教を信じた人は、一寸一時雲がかゝる事があつても、やがて又光を見出す人であります。人を救ふにはダーヴインやヘツケルを要しません、キリストの福音で充分であります。
 少しく日本の社会問題に入つて話します。明治十八年と今とは余程変つて居ります、昔の札幌は今は消えて居ります、実に残念であります、日本全国が丁度其通りで、今や世界の第七位の海軍国、陸軍に於ては独逸に優り、教育に於ても欧米人に劣りません、其問題は先づ解決されました、けれども誰でも知つて居る事は日本に眼鼻を入れなければならぬといふことであります、之は最後の死活問題であります、之を如何に解釈するかといふ事になると皆困つてしまひます。私の友人で教育界に身を入れて居る人があります、文部省で色々意見を問はれる時に、外の事は何でも云へるけれども、最後の徳育問題になると遂にまとまらずして、相談もお流となつてしまふと云ふことであります。これならば日本国民を救ふに足るといふ確信を持つて居る人はありません、キリスト教は西洋の教だからいかぬ、仏教は厭世的だからいかぬ、神道は狭いからいかぬと批難はしても、さて「それでは、あなたはどうします」と問はれた時に、誰も皆困つてしまふのであります。私共はダイナマイトを受けて心の岩を砕かれ、不完全ながらも今日迄続けて来ました。私には此問題は解けて居ります、家庭に於ても友人間に於ても此問題は已に解けて居(431)ります。日本を救ふには矢張同じ力に頼らねばなりません。私共は此確信に於ては今の文部大臣其他に対して一歩も譲る事が出来ないのであります。
 茲に学生なり職工なりがあつて、彼等を救に入れ、彼等を喜びに生かし、失望を希望にかへ、死を悲哀の極となさず反つて讃美の歌を唱ふるが如き麗はしき深き考へにする事が出来るのはキリストの福音を除いて他に何処にありませう。ポーロの場合を私にとつて云ひますれば(不遜な話でありますけれども)、私が久しぶりで札幌に帰つて来て考へますことは、明治十年に此地に来て友と共に農学校に学びました、友は其専門に於て第一流の人となりました、私は之を大いに得意と致します、処が若し私が「君は何を持つて居るか」と問はれましたら、私は何も持たない、私の水産学も、何も残つて居ない、農学校四年の生活が今何も残つてゐない、それで何の貢献も日本の為めにしてゐないで番頭が無一文になつて帰つて来たと同じ事だとすれば、私は何の顔あつて此地に帰って来ることが出来ませう。然し幸にも私も何かを持つて帰って来ました、私はキリストの福音を恥としません、此福音は神のダイナマイトであります、神を信ずる者の神のダイナマイトであります、日本朝鮮支那の人々をも救ふ神のダイナマイトであります、幸に私も一つのものを持つて感謝に溢れて札幌に帰つて来ました、何処に居ても何も持たない人でなくして、家庭問題其他の難問題を解決する所の此新約全書の教を托せられて此札幌に帰つて来ました、何卒諸君も此言葉を考へて貰ひ度いのであります、今夜私の云つた事はローマ書講義の入門として聞いて貰らひ度いのであります。
                 (於札幌独立教会)
 
     農業と基督教
      (十月十九日農科大学農政経済学講堂に於て)
 
 久し振りで札幌に帰り、特に私の教育を受けた所に於て斯く教員生徒諸君と共に相見へる事は私の大に喜びとする所であります。札幌は私の第二の故郷と云ふよりは唯一の故郷であります、凡の山河は古き印象を呼び起すので此の町此の附近に於て私の仲の善かつた木を見、此等の木に栗鼠を撃つて歩いた事を思ふと、色々の感慨に打たれ、嬉しくも又悲しくもあるのです。
 私は諸君と同じくこの学校の卒業生でありますが、私も(432)思ひ人も思ふ事は私と農学校農業との関係は絶えたのではないかと云ふ事であります。東京の新聞や雑誌が私を農学士は名計りであると云つて誉めたり又は嘲つたりする。志賀君が農学校出身者の中で学校で教はらなかつた事をやつて居《を》るのは内村君と私許りだと云つたと聞きましたが、志賀君の専門として居ます地理は農業に縁なしと云ふ事は出来ません、地理は地の事を論じますけれども私は地の事は悪いと云ふ宗教家でありますから志賀君よりも更らに縁遠い事となるのであります。宮部君は私を札幌の副産物だと云ひました、甚だ残念であるが仕方がありません、斯んな有様でありますから札幌に来ましても学校に土産はありません。始め私は水産が好きでありまして附近の池の魚とは懇意にして居ました、幸ひにしてそれでも続けて居りますと農学校の水産部長にして呉れたかも知れず、今度の様に札幌に参りましても御土産があつたのでありますが私の水産学はもうなくなつて居ります。夫れで私も嘗ては此学校に於て農業を学むだ事があつたと夢の様に思ふ程に縁遠くなつて参りました、所が幸ひにして全く絶縁にも至つて居らない、私は伝道上に於て農業に接する事になりました、此の点に於て一つの接触点を見出しました。私は副産物でありますけれども農学士には違ひありません、此の関係は如何んともする事が出来ません、凡そ伝道の快は凡ての人に触する事であります、政治家農工商業家老幼男女を論じません。けれどもこの中私は百姓と接すると直ちに仲がよくなる、其の理由は甘藷、大根、稲、麦、に興味を有し其の名前を聞いたり又色々の事を話しますので、百姓に此の人は少しは農の事を知つて居ると思はしめるので、自然と両方の間を接近せしむる様になるのであります。之れに反して私と最も関係の薄いものは文学であります、近代文学に至つては私は少しの趣味をも有つて居ません、同情も頗る薄くあります。農業に次ぎて私の近づき易いのは先づ製造業、次は商業で、地の産物に関係し又は従事せる人は、私の考への深い所も察して呉れ、私も其人達を解する事が出来るので、私は此方面に最も多くの友人を有して居ます。それでありますからどうか私も副産物と見られずして真正の産物として見られ度いのです。
 私の茲に申しまする宗教は私の宗教で凡ての宗教に就きましては之れを述べる事は出来ません、エスキリストの福音を指すものと思はれ度いのであります、又キリスト教が真で(433)あるか否やは別の問題でありますからそれも此の席では許して貰ひ度く思ひます。
 偖問題は基督教と農業とは果して深き関係を有するや否やであります。先夜来御話しをしましたが宗教は農業を助けようが助けまいが、国家が如何に成らうが、それは宗教の問題ではありません。宗教は感覚以上で土地、国家、人間には無関係であります、神との関係でありまして住家を天に置かんとするものであります、この意味よりしますれば我々の宗教を信ずる目的は天に住ふ事であります。故に土中より物を生産せんとするものやビート、豚、鳥、牛と直接の関係はある筈はありません、真にスーパー、アースリー(超地的)になる可しと考へるのであります。此の事は諸君が宗教をしらべる時に考へられ度き事であります。宗教は農政を助ける為めに利益あるや否やと云ふ事を研究しても宜しいですけれども、この方面よりしては宗教の本質を解されぬ事は慥かであります。肉体を放れて霊、人を放れて神、地を放れて天であります。斯く考へて参りますと宗教と農業とは全然無関係となつて来ますが、他の点より見ますれば関係を有する事は慥かであります。それは双方共リアル(実)なる点に就てゞあります、哲学、文学とは違ひ計算を誤れば直ちに其結果が表はれる的確なるリアルであります。農業に於て例へば種子を播きますにも悪きものを播けば収穫を減ずる、是れリアルであります、宗教もこれと同じくリアルであります、キリスト教に云ふ天とか神とか云ふものはアンリアル(虚)なものであると云ふのはまだ宗教を知らざるものゝ言《ことば》であります。我々の経験するものゝ中にて何よりもリアルなものはセルフ(自己)であります、然るに此のセルフは手、足、胃、心臓にあらずして見えざるものであります。同様に神は思索の結果ではありません、霊魂を有する人間にとつて最もリアルなものであります。故に宗教はリアリチー(実在)として研究しなければなりません、即ち我自身経験す可きものであります。斯く云へばとて私を宗教哲学の方面から霊魂不滅を証明して伝道せんとして居るものだと思ふは誤りであります、私は私の霊魂の実験を述べて居るのであります。私は如何にして心に平和を得るか、世に打ち勝つか、これ程リアルなものはありません。農業は手足に於てリアルでありますが、宗教は高き深き意味に於てリアルであります。今このリアルの対照を求めんとしますればそれは近世文学、スカンヂナビアン文学でありませふ、こ(434)の文学は想像や空想が重なる部分をなして、思索の為めにする思索であります。神学の大部分はスベキューレチープ、フイロソフイー(空論的哲学)であります、彼等は豚の首に綱を結びて牽けば何れが引くのであろうかと云ふ問題を考へます。けれども農家にあれ宗教家にあれ実際家には、そんな話しはどうでも宜しい、豚を引きさへすれば宜しいのであります。農業と宗教とは此の点に於て深き関係ある事を認めます。農の敵は宗教でありませぬ、つまらぬ夢想家空論家であります。然らば如何にして宗教の経験をリアルと見るか、豚、馬、家畜の実在は認むる事が出来ますけれども、如何にして神と霊魂の実在と不滅とを証明すべきか、この問題に関してはカントのクリチック、オブ、ピュアー、リーズンスに溯りて論ぜなければなりませぬが、時間がありませぬから御断りし度い。実物教育に従事する時は実物以外に実在のある事を疑ひます、物は物となりて現はれなければならぬと思ひます。私共が学生時代に農業を学ぶのは今日の様ではありませんでして、如何にすれば北海道の産物を増す事が出来るか、如何にして改良す可きかと云ふ問題でありました。麦、馬鈴薯が沢山収穫されて売れてさへ行けば北海道全体が利益すると考へた。然るに漸々農業の進歩した結果、以上の要求が満された時に、問題が進むで我等は更らに物産以上の機関則ち農工銀行拓殖銀行等の力を藉りて利益を増加せんとする。斯様に金融上の問題が来り、次に法律学が加はる、農業は只生産なる単純の問題では済まなくて金融及び法律問題が定まらなければ発達はしない。又更に進んで此機関を託する人間は如何 信用のある人は如何と云ふ事になる。茲に至つて法律を行ふ人間の問題となり、これなければ法律なく物産衰へる事となる。約言すれば物質より道徳問題に趣き、今度は道徳の方面より物質に帰つて来る事になるのです。こゝに於て農業は他の問題を併せて考へなければならぬ、この解決なくして農業の解決はつかぬ事になるのであります。馬鈴薯の問題は単純でありますが、これより利益を得るには経済、法律遂には宗教も関係を有して来る、農業は豚、馬のみから成るならば極く単純であります、馬が独り黎き又耕すのならば宗教は要らなくなるけれども、百姓と雖も人間であります、人が作りて生産物を売却し富を得る故に農業は遂に宗教と深き関係を有するに至るのです。
 心理学は新らしい学問であります、最近に至りまして長足(435)の進歩をなし又進歩しつゝありまして誰でもこの学問は知らざる可からざるものとなりました。所が私が農学校に居ます時にある農書を繙読しますとブリックが農家の知らざる可からざる学問の種類を述べた所に「農家は昆虫学化学物理学経済学…等を知らざるべからず」と記してありましたが其内に生理学はありませんでした、宗教もありませんでした、文学もありませんでした。私は学生時代には学校に於て大に文学をやらされたものであります、こゝに御座る学長とは大の違ひでして私は文学が非常に嫌いでありました、農業に文学は少しも関係がないと思ひましたに関らず学校は之を強ましてチヨーサアのカンタベリーテールスの中にあるナンス、プリーストテールなどは諳誦をやらせました。私は非常に之れを苦痛に感じましたが、英文学の試験の済んだ時に、如何に私は英文学が嫌いであるかを証明せんが為めに、学校の講堂の前で筆記帳を焼き捨てました。今日に至りましても私は筆をとる事は嫌でありますが、筆を取らざる可からざる境遇に立ましたので大に悔て居る次第であります。今日も私の所に唐紙を持つて来《こら》れて、揮毫を望まれた方がありますが、誠に悪筆にて往時の祟を蒙つたわけであります。
 元に帰りまして農業は人間の従事する仕事であります、故
に農業の理想が人間全体を益するにある事は勿論です。心理学からでも人間を完全にするは人類全体をよくする上に於いて必要な事であります。私の読みました心理学の本にナビル著の「人間の三要素」と云ふ本があります、人は古き心理学であると云つて排斥するかも知れませんが、誠に便利でありますから之れを藉りて用ゐますが、この書物の中に人のネーチユア(天性)を分つて身体、悟性、霊魂の三つとしてあります。この三つが人のネーチユアを作りますので、勿論実験室内《ない》に於いて一つ一つを別々に別つ事は出来ませんが、人間はこの三つの明白なネーチユアを具へて居りますからには、人を完全に発展せしむる為めには、この三つの方面が各々平均して発達する事が必要となります。故に人は運動を必要とし、新鮮なる空気を必要とし、斯くして身体の発達を計つた上に悟性の修養を必要として、かくして人の幸福は作り上げられるのです。
 この点に於てシエクスピーアもチヨーサーも必要となつて参ります。然らば身体と悟性とが発達すればそれにて宜しきか、否々、この外に人間として大切なる要求があります、それ(436)は霊魂の要求でありまして、この欠陥を補はなければなりません。この霊魂の要求は則ち宗教の要求でありまして、未だ国家国民、箇人の歴史より見て宗教のなかつた国はないのであります。人は自分等より以上のものと交通し、このものより愛と導きとを要求するのであります。此の苦しき世の中に立ちて、世界全体が自分に反対する時にも、自分を慰め自分にエネルギー(勢力)を与へるものを求むるのであります。故に三つのネーチユアの中この霊魂のネーチユアが不備なる時は私自身が不完全となるのです、もし此の理を諸君が否定するなら諸君自身が害を受ける事となるのです。イムモータリチー(不死)に就いて若き時は考へる事を好まない、死んだ後はどうなつても宜しいと考へる、若し諸君の仲間の一人が死んだ時に彼れのこの世に於てなしたる事蹟は唯終りたるものと考へるであろふ。けれども年老いた時にはこの問題が痛切に襲つて来て、その解決を済まさなければ真の愉快希望はないのであります 何等かの方法を以て霊魂を養はなければ身体も悟性も健全になる事が出来ず、我等の仕事が誤り易いのである。去れば商人も職工も教授も学生も尽く宗教は必要となつて来ます。一旦宗教を得れば凡てが活動して、より大なるより聖きものとなる事は明かで、学者はより大なる学者となり農業家はより大なる農業者となるのであります、之れを世界の歴史より見ますも宗教を受けた国は之れを受けぬものより勝つて居る事は明かであります。クロムウエル、ミルトンのなせし清教徒運動が如何に産業上に関係を有したるかは明白なる事であります、又和蘭が其小なる国土を以て一時世界を圧倒せし如きも其例であります、海の面よりも陸地は低く地味|悪《わる》き天恵の少き国でありながら斯かる勢力を得た事はカルビン神学の力なりし事は明かであります。歴史と生産業との関係は興味ある問題でありますが、今は其時がありませんから、私自身の目撃した事を述べて証明して見度いと思ひます。この談《はなし》に入ります前に予め申し度い事は 先夜も教育会場で述べた事でありますが、宗教は霊魂の深き実験でありまして霊魂の要求に応ずるものであります。故に此の結果を十年、二十年の後に期待するは無理であります、人の全身全力を動かして表はれ来るものでありますから其結果は少くとも百年の後を期して俟つ可きであります。仏教が日本に渡りまして聖徳太子の立つに至る迄は百年を要しました、現今日本の基督教の勢力が微々として振はないのはこの点より見(437)て至当な事と云はねばならぬ事であります。今一つ申したきは僅かな事物に働く同じ法則を以て全世界に通用する事が出来ますから、今私が述べんとする実例の範囲が小なるが為めにアンリアルであると思ふてはならぬ事であります。如何にして一村が改良せられたかと話しすれば同じ原理を以て一郡更に大にしては国家をも改良さる可き事は推察する事が出来ます。時間の都合で此実例もあまり沢山述べる事は出来ませんから、最も印象深きもの二三を撰んで、キリストの福音が如何に農業を改良するに力あるかを御話したいと思ひます。
 日本と云ふ国は土地が狭くて人口が多い、故に殖民せなければならぬとは人の一般に認むる所であります。然し政府の殖民政策は甚だしく誤つて居る為めに、我国の殖民の成績が頗る発展せぬ事は実際でありますが、偖又此の罪は果して政府にのみ帰す可きものであるかと云ひますと、左様ではありません、日本国民も其責任の一半を負はなければならぬ様に思はれます。それは日本国民中には殖民思想がないと云ふ事であります、言を換へますならば日本人はあまりに愛国的であると云ふのであります、あまりに愛国心に富むと云ふ事は宜しくありません、自分の国土を放れる事が出来ないのであります。内地の人が北海道に永住する事をすら好まない国民であります、況んや遠きカリフォルニア、メキシコに於てをやであります、之れ等の遠き国に於て楽しく生活する事は日本人に取りては不可能に属する様です。けれどもキリスト教を信仰せる人に取りては大に其趣を異にして居るのです。我等の信仰によりますれば我等の家庭は全宇宙であります、何処に行くも我等の最も大切なるものが居る事を思ひますから少しも恐れません、これはキリスト教の宇宙の宗教である事に因るのでありまして、神は至る所に在りて我等を慰め、我等の命を終る土地は何処にあれ、其霊は天なる父のもとに行くと信ずるのであります。故に行く処を撰ぶ必要もありませず、世界が自ら拡がるのであります。これに就いて一つの実例があります。メキシコの南にチヤパールと申す所があります、こゝに小さな日本の部落がありますが、こゝは榎本子が日本の将来の為めに移民奨励の必要を感じて移住を計つた所であります。初めの内は事業も有望でありましたが、年を経ると共に「人去り二人去り終に一人も居なくなつて、其の事業は失敗に帰して居りました。然るに私の所へよく参りました駒場の農学実科の学生が一人居りました、〇〇〇〇と云(438)ふもので甚だ有望な学生でありました。この〇〇が一日私の所に参りまして突然メキシコへ行き度いと云ふ事を申しました、私はかゝる善良なる学生を手放すのが惜しかつたものですから不賛成を申して置きましたところ、突然妻君を私の宅に預けた儘出発してしまひました。乱暴な話しもあるもので、妻君は少《ち》と病身でしたから私共夫婦は妻君の介抱に骨を折つた事でありましたが、間もなく彼の地より手紙が参りました、妻君は此の間にキリスト教の感化を受けて彼の地に渡りました。昨年でした 九年目に彼は立派な紳士となつて私に遇ひに参り、大変開墾の事業に就ひて面白い実験を話しました。メキシコには考への及ばぬ奇談があります、彼は南の処女林中に生へたる儘の樹木を柱として家を建てました、窓には閉りなく戸障子も勿論ありません、盗賊の防禦には犬を三十疋も養つて置く相です、楽みと云へば鰐魚《わに》や虎を狩る事位で、ある時彼は響尾蛇《がら/\へび》に指を噛まれたので、面倒臭かつたから指を切つたとて、指が一本不足した手を有つて居りました。色々話しの末に、幸ひにして今は地盤も固まり成功の段落を告げたから喜んでくれと彼は申しました、而して又この成功は自分の精力の賜にあらずして福音の力であると附け加へました。其理由とする所をきくに、移住地に於て移住民の永続せぬは女に其源因があるのでありまして、男は如何にもして其楽みを取る事が出来るけれども、困るのは女です。隣が二里もあつて銀行が二十里もある森林の中でありますから殆んど耐えられぬ。其処で切りに帰国を夫に要求するので、男も己むを得ず引かれて帰ると云ふ有様になるのです。所が幸ひにして彼の妻は護謨の林に鸚鵡の群り来つて赤色《せきしよく》を呈する熱帯国の森林を楽みまして、此所が神の与へ給ふた所であつてこゝに神と交るこの生活が最も嬉しい、もし彼が死ぬ事があつても彼の妻は残つてその業を継続すると云ふ決心が固く、遂に動揺が来らずして事業は成功するに至つたと申す事でありました。移住者は皆其妻君に〇〇の妻君に見倣へと云ふけれども、此は外形的に見習つた丈けでは駄目でありまして、宗教的個人的経験が必要であり、心霊の深き経験なき時は彼女の心地を解する事は不可能でありませふ。私の所に四年程勤めた下女があります、私共は其所置を考へて居りましたが、〇〇はこれはよい人があつたと云つて早速連れ帰つた事であります。女に世界を家とする精神を与へて永遠なる実在を味はしめる事は殖民事業には必要の事であります。若し(439)もかゝる精神が日本中に拡がるならば、外務省がどうなろうとも内務省がどうなろうとも、否でも応でも同胞はどし/\出て膨張せる国となる事は容易であると思ひます。
 次は内地の農村に就て述べて見ませふ、村の生活は幸福なものであると詩人は歌ふであろふが、私は最も不幸なものであると思ひます。百姓は情実や古き習慣に縛られ、狡猾で怠惰であります、こんな事は諸君がよく御存じの事でありませふ、日本の村を改良する事は六ケ敷い事であります。日本は進歩せりと云ひます、法令は加はつて間然する所はありません、けれども私の見る所を以てしますれば依然として古き村であります、而して古き日本を形成して居ります。日本を訪問した西洋人は新日本の駸々たる進歩に驚く事でありませふ、横濱、東京、日光、函根等のみを見て歩きますれば年一年と進歩を重ねて居ります。けれども今一歩踏込んで埼玉に行きますと依然たる旧日本でして、至る所進歩を妨げ青年を圧し、新農業新思想を排斥するのであります。よし諸君が新智識を持ちて村落に至るも、直ちに其門前にて喰ひ止められるでありませふ。此の困難なる農村を改良するには其儘では到底行かぬ、何が必要である、それに役立つものはこの前に独立教会で話しました霊のダイナマイトであります。之れを以て農家の頭を粉砕しなければなりません、このダイナマイトは則ち神に外ならないのです。此力は人の心の最も深き所から出るものでありまして、これによつて非常に善い事で果される、法律が清まり、信用が高まり、凡てが改良されて行くのであります。私は此の際丁度よい機会でありますから私が何故《なにゆゑ》に水産を廃めたかを告白して見度い。其の最初の理由は、私が学枚を卒業し、東京へ参る時、小樽から田村丸と云ふ船にのりました、鰊の〆粕と同居して三等船室に陣取りましたがこの室《しつ》には沢山の漁夫の出稼人が乗り込んで居ました、彼等は漁期が去つた為めに帰国する所でしたが、未だ船の出航に間があると云ふので博奕を始めました、この光景たるや非常に盛大なるものでありましたが、見兼ねたものか此席に警官が踏み込んで来ました、其の時の人々の狼狽は劇しいもので私の前にも五円札が飛んで参りました、私はこの有様を見てつく/”\感じたのは斯る漁師に金を与ふるは博奕の材料を与へる様なものであると云ふ事です、併し私は未だ水産は廃めませんでした。其後私は水産講習所に教鞭を取つて居ました時に生徒を率いて房州に参りました、房州の布良村《めらむら》に神(440)田吉右衛門と云ふ実地に関しては日本に有名なる漁父がありました、一夜私は彼と共に炉火《ろくわ》を囲むで話をしましたが、談興に入《い》つた時彼の申しますには、内村さん改良もよいけれど何よりも先きに漁師を改良しなければ駄目ですよと道破しました、之れを聞ゐた私は成程左様だと思ひました、これが私が水産科をお暇乞した理由であります。農業に於けるも之れと同じ理であります、法律や改良法は具はつても農民の心を動かさなければ駄目であります。
 茨城《いばらき》県の小石村は人口六千余の四方山に囲まれた美はしい村落であります、私は此村を友人の紹介によりまして訪問し、村長に面会しまして感ず可き改良談を聞ました。元来この小石村は同県中の難村でありましたので不取締は有名なものでした。此村の樺山神社の宮司〇〇〇〇〇氏は足利時代からの旧家で一村の名望家であります、同家の家長は一度は村長になると云ふ慣例でありますので、〇〇〇氏も村長の職を勤むる事となりました。彼は不思議な事から聖書を読み、単純なクリスチアンとなりました。彼が村長となるや大に其資任の重大なる事を感じまして此難村を再興しようと決心しました。そこで彼は聖書を開きまして適切なる言葉を捜しましたが、彼は「人に仕ふるは人に仕へらるゝより幸也」と云ふ句を発見して大に感動し、之れを実際に行ひました。人に仕ふるが幸ひである、故に村長となるは彼等を命ずる為めではなくして彼等に命ぜられる神よりの僕であると云ふクリスチアンの態度に出ました。村落の難村であるとか模範村であるとか云ふのは村税の皆納が行はれて居るか否かが中心問題であります、内務省より表彰せられる模範村となるの第一資格は村税がよく納まつて居るか否やにあるらしいのであります。故に村長は上級官省に対する心配からして、滞納の税額を引き受けて自腹を切るものすら少くないとの事であります。実際村税の滞納が多い様では村長も改良計画をする事は出来ないのであります。この小石村も難村の例に洩れず、七百戸の中で六百戸は怠納をして居る事を発見しました。そこで〇〇氏はこの怠納者に対して催促するにお定りの一片の催促状を小使に持たしてやると云ふ様な事は行はないで自分自ら脚絆草鞋の装束で少しも権式振らずに村の殿様が各戸を訪問して租税の納入を勧誘しました。初めの中は旦那が税を取りに来さしつた、払はななるべーナと云ふ様な調子でありました。彼は尚怠納者に対して二回、三回、四回……十幾回も倦む事な(441)く頭を下げて納入せん事を頼み歩きました。彼は之れが神の為めだと思ひまして少しも恥かしく思はなかつたと云ふ事でした。ある家へは十五回も訪問しまして十幾年間の怠納税金を完納せしめたと云ふ事であります。今では小石村は県内に於ては最も善く治まつた村となつたと申す事であります。斯くして村が整然と秩序を回復した上、彼は村長を辞し青年団を組織し、道徳的に宗教的に自村を改良し、進んでは近村迄をも改良せん事を期しました。私がこの村を訪問したのは桜の花が開いて居た時でありましたが、導かれて城の様な彼の住家に至りました。然るに私はこの屋敷の門の入口《いりくち》の右に奇態なる建物を発見しました、この建物は硝子戸がはめてありまして硝子は色ガラスを使つてありました、私は大体の形よりして之れを改良した養蚕室と早合点をしました。やがて座敷に通りまして挨拶の終るや否や、第一に照会されましたのはこの建物でありました。建物の内部は三つに仕切られてありまして、中央は板の間で椅子が列べられ多数の青年が集まつて居ました、其の室の隣には本筥が置かれて、この中に私の著書も貯へられてありました、其反対の室には布団や台所道具が設備されてある、〇〇氏はこれを会堂であると説明しました。其の由来は彼れの屋敷の中に生へた大きな杉の木が風の為めに倒れたので、彼は青年を集めて板を引かし彼れの弟が器用なので其人をも頼むで建築したと云ふのです。私はこの会堂に於て青年達に一場の話を試みましたが、〇〇氏の談《はなし》によつて私は同氏の治村上の計画の遠大なるに驚きました。其計画と申すは外ではありません、彼の会堂に於ては教派に一切関係なく、唯キリストとバイブルあるのみと云ふ考へで集会をして居るのであります。青年団は又宗教的会合のみを目的としませず、彼の所有の未開の山を青年等の暇を利用して畑地となし、之れを耕作して得たる収入を尽く挙げて会堂の費用にあてました、其畑の面積は五反歩あります。又改良事業を永遠に伝へんとして彼は子息を師範学校に学ばしめて居ます、〇〇氏の意見によれば学士などにして高等の専門教育を授けますと、自村に止らずして他所に出て行くが故に、寧ろ教育を師範学校に止め村に止めて小学校の校長となし長く村の子弟の教育の任に当らしめ様と云ふにあるのです、それ許りか新宅の長男を医学校に送りて医学を学ばしめ、之れを村に止めて開業せしめる筈であります。斯の様にして校長と医者とがクリスチアンで村の改良の先導者となるなら(442)ば大丈夫であらうとの話しでした。何んと驚く可き程遠大なる改良法ではありませんか。簡単なる「仕ふるものは仕へらるゝものよりは幸也」と云ふ聖句の精神が全国に及びますならば国家の大問題は解決されるのであります。最後に今一つの実例を申し上げませう、福島県のある町に呉服屋を商売とせる有力なる紳士があります。この人も早くより単純な基督教徒となりまして単純なる福音によつて町《ちやう》、郡の為めに大なる改良の功を奏しました。独立教会で話した事でありますがこの人は聖書を煙草入れの様に仕立てゝ腰にぷら下げて居ります、私はある日君は未だ煙草を服むのかと尋ねました時に、彼は根付を弛めまして中より聖書を取り出し、先生之れですと云つて見せました、忙はしい彼は車上にある時※[さんずい+氣]車にある時其の他零砕なる時間を見付けました時に聖書を取り出して読む為めであると答へたのであります。彼はクリスチアンにはなりましたけれども洗礼は嫌でありました。彼は常に堅く信仰の上に立ちて、更らに譲りませんので町人より憎まるゝに至りました、それは何処も同じ様でありますが、祭礼の時に寄附金をしない提灯を出さないと云ふ、それではと町の人は挙つてポンプを門口に引き来り若しも応ぜぬならば水を掛けると威嚇しました。その時に彼は自若として町の人々を前にして己れの家族の者を店頭に並び座らしめて云ふ様、私は信者となりましたが洗礼は嫌いで未だ水の礼を受けた事がありません、諸君が洗礼を授けて下さると云ふ事ならば私の非常に喜ぷ所であります、サアかけて下され、と云つて町の人々を驚かしたと云ふ逸話をも有つて居る人であります。偖此の人が義憤を起しましたのは銀行の腐敗でありました、地方の小銀行の(大きな銀行も同様であるが)信用のない事と云つたら非常なものでありまして、一度其内幕を知るならば金を預けるのがいやになる程であります、年に二回の決算報告によれば金は沢山ある様になつて居りますがそれは皆虚偽の数字であります、其為め地方の財政機関に多大の害毒を流して居ります。彼はこれを改良せんと試みましたが難物は有力者なる頭取であります、これある内は改良は絶対に望む事が出来ません、彼は遂に決心して自分の財産を犠牲にして大戦争を開始し、独力遂に有力家なる頭取を去らしめて新らしき頭取を置き根本的の改良を行ひました。私が※[さんずい+氣]車で福島県を通つた時に彼は福島駅で※[さんずい+氣]車の中に飛び込んで来て「先生、でかしました、出来しました、」と叫んで私に告げました、其の(443)言ふ所によりますとこの改革は三年間の苦心を経て成功したと云ふ事で、元は二十万円の資本に対して僅に八万円しか預金がなかつたものが今は数倍額の預金を見る様になり、其の他多くの信用を得るに至つたとの事でした。私はよく此の事を他の地方で話しますが何処でも私の方にも斯かる人があつて欲しいと申します。日本の現状に於ては若しも経済界に恐慌の波瀾が起りますならば多くの銀行は忽ち将棋倒しに破産する様な危険極まる有様であります。この際に道徳的英雄が起《おこ》つて根本的に改良を計ると云ふ事は何れの方面にも必要の事となつて来ました。
 先夜も時計台で話した事でありますが、外国人は日本の現在を批評しまして日本は凡ての問題はよく解決されたが最後の最大問題として道徳問題があると申して居ります。新らしき人が出て新らしい改良をするは皆人の望める所であります、この改良に入《い》るには人は先づ最高の宗教によつて霊性の陶冶を受け地上にあれども天を歩める人とならなければならない、改良は法律、哲学、農業によつて来るものではない、生ける霊のみ之れを与ふる事が出来るのである。農業を改良するにも真の宗教の必要な事は誰れでも同意しなければならぬ事であります。
 (文責在記者)(於東北帝国大学農科大学農政経済学講堂)
 
    キリスト今我と共に在り
 
 それ神はその生みたまへる独子を賜《たまふ》ほどに世の人を愛し給
へり此《こ》は凡て彼を信ずる者に亡《ほろぶ》ることなくして永生《かぎりなきいのち》を受けしめんがためなり。ヨハネ伝三、一六
 是の翻訳の中で、世と云ふ言葉は既に人類全体世界各人を含で居るのですから、この「世の人」の人と云ふ言葉は余計なものであります、私共は聖書を読む時に西洋の法則に従ひ、一番重きを置いてある字を先きに読みますが、此処では最も力ある言葉は、「程に」であります、「かばかりに」「かほどばかりに」と云ふ字であります、故に「かばかりに、世を愛し給へり其の独子を賜ふ程に」、と読む可きであります。「神は愛なり」とは、よくクリスチヤンの口にする言葉で、余りに耳なれて居る為めに之を聞いても左程に感じなくなりました、然しながら文明人を今まで支配し来つた此言葉は夫れ自身に於て実に驚く可き思想であります。
 私共神を信ずる前は、神を愛とは思はず唯「神は力なり」(444)と思つて居りました、即ち神とは畏る可きもの 洪水、太陽、雷の如きものであると思つて居たのです。神に力のある事は云ふ迄もない事ですが神は更にそれ以上の者であります。
 次ぎに「神は智慧なり」と思ひました、科学を研究して、天地万物の現象を見ました時に、之は驚く可きものだと思ひました、木の葉一枚を見ても、智慧が現はれて居ります、然しながら神は尚夫れ以上のものであります。終に「神は愛する者にあらずして愛その者である」と云ふ事を知りました時に、私に大革命が来ました、根本から思想が転倒したのであります。私共が信者として此の言葉を繰り返へす時に、如何に大なる思想と考へとが此中に含まれて居るかを、忘れてはならないのであります、此の事については諸君は最早や既に知つて居られる事と思ひますから此処では述べない事にします。一体神の愛は普通の愛ではありません、愛として考へ得る絶頂に達したものであります、どれ程愛したかと云ふと、其の生み給へる独子を賜ふ程に世の人を愛し給ふたのであります。神が愛であると云ふ事すら驚く可き思想でありますのに、更に其の生み給へる独子を賜ふ程に、と云ふに至つては尚更驚く可き事であります。
 私は神に子があつたかドーカは知りませんが、人間の言葉を以て、最高最深の意味を現はすためには之より深い表はし方はないと思ひます。私が「国を愛す」と云ふ時に、此れだけでは何んだか、云ひ足りない様な気がします、夫れがために、私の財産を与へようと言へば、余程愛情が深くなつて来ます、次ぎに私の名誉生命も犠牲にすると云へば、尚一層深くとれるのであります、次ぎに国のために、独子さへも与へると云へば、モー此より深い云ひ表し方はありません。自分の子を与へると云ふ事は実につらい事であります、私は親となつて良く此事を知つて居ります。神に子があつたかどうかの義論はおいて、神の愛の凡てを云ひ表はさふとするには、此より以上の云ひ表はし方はないのであります。神が其の子を与へてまでも尚人類を救ひ度いと云ふのは愛の極であります。神がこの美しき世界、太陽、月、星、父母、友人、及び悟性を賜ふたと云ふ事は非常なる愛であります、然し夫れ以上に、最後に其の独子を賜はつたと云へば、モー此以上に深い愛はないのであります。
 ムーデイと云ふ人が「自分は若い頃キリスト教を信じて、キリストが我等のために命を捨てた事を実に難有く思つた、(445)然し神は唯与へたのみであつて、苦み給ふたのはキリストであると思つたから神は少しも難有くなく、従つて神の愛は判らなかつた、然し自分は親となつて初めて之を知る事が出来た」と言つております。神は自分の身を捨てるよりも其の子の苦《くるしみ》を見る方がつらいのであります、子供の苦に代りたいと云ふのが親の情であります、十字架を見た神の苦みはキリストの苦み以上であります。
 幸か、不幸か、私は自分の子供の死ぬるのを見て、如何に之が深い愛の心であるかと云ふ事が判りました。私は神学は知りませんが、神がかゝる愛であると云ふ事を知つて難有く思ひます。「神は世を愛し給へり其の独子を賜ふ程に」、実に此以上には愛したくも愛せないのであります。
 三位一体と云ふ事は兎角宗教家のさけたがる事であります、「多神教とキリスト教の三位一体とは、何の異る処があるか」とは、私共のよく聞かされる言葉であります。然しながら、私共の考へますには、三位一体とは、神が三つに分かれて居ると云ふ事ではありません、此の事は、神が愛であると云ふ最もよき云ひ表はし方であります。(ダト云つて、実をいなむ者ではありません唯暗示して置きたいのであります)。
 神が愛であると云ふも単独では、なり立たない、譬へば私に愛があるとしても、一人で山に入つて居つては、其の愛は消へてしまいます、子があり妻があり、友があつて愛は発達するのであります。永遠の神が愛を以て、世にある時は、愛の交換があります、神はユニツトでありません、三つであります、愛の交換であります、三位一体と云ふ事は、哲学の方から云つても、今日の様に、ソンナに軽々しく否定する事は出来ないのであります。
 神は其の独子を賜ふ程に世の人を愛すと云へば神の深き愛は非常に明らかになつて来ます。然し斯ふ云ふと或人は言ひます、「そんな立派な言葉があるか、実際そうあつて欲しい、其の独子を賜ふ程に世の人を愛する神を見たい、然し実際にそんな神が居るかドーカ、神は果して愛であるか」、と。私共は自分の生涯を省みると、神は無慈悲であると思ふ事が度々あります、世の中には矛盾があります、友人間骨肉間にさへ争ひがあります、そふして見ると神は愛の反対であると云はねばなりません。此頃の新聞を見てもバルカン半島では戦争が起つて居ります、又日露戦争も随分惨憺なものでありました、神が愛であるなれば、何故斯る事があるのであらふか、(446)私は之を証明する事は出来ません。又私自身の生涯を省みても、実に断腸の思のした事があります、私の身体の血がわき、熱い涙が池となつたのを覚へて居ります、然し私は此の生涯を省みて、此を総括して見て、やはり神は愛なりと云ふ事が出来ます。親を失ひ友を失つたと云ふ事は非常につらい事でした、けれども其の底に於て、やはり神は愛なりと云ふ事を知りました。
 英国の或婦人が一年に五人の子供を失ひました。人々は非常に彼女に同情して、発狂する様な事はなからふか、そうゆふ事からもしや信仰を失ふ様な事はなからふかと、大層心配しました。然し其の婦人が最後に云つた言葉は、「成る程五人の子供を一時に失つた事は、つらい事であつた、けれども、神様はやはり愛であつた、私はそう感じそう実験する」と云ふ事でありました。
 私共の生涯の根底は愛であります、地上には汚い水が流れて居つても、深く探ぐれば、札幌の山の手の方にある様な清い泉があるのであります、如何に苦しき経験をしても、魂の一番深い所には、「神は愛なり」と感ずる時が必ずあるのであります。或人が火災で家財を皆焼いてしまいました、浅薄《あさはか》に之を考へると、禅は無慈悲だと思はれますが、其の兄弟はそうは云ひませんでした、彼は一時は非常に苦みました、けれども数年たつた後で彼は「難有かつた、之で神様の愛がわかつた」と申しました。私自身でも神は愛なりと云ふ事を実験致して居ります、経験であります故其の理屈を述べる事は出来ません。凡てのクリスチヤンが次第に経験を重ねて、生涯の終に於て発し得る言葉は即ち之であります、「神は愛なり」であります。
 私は嘗て此聖句を読む度に一の疑が起りました。神はキリストを下し給ひキリストは人間として最も苦き杯をなめられました、清き人なるに、十字架の苦みを受け給ひました、神には夫れが非常につらい事でありました、そうして夫れが愛であると云ふのであります。然しながらキリストは墓に葬られて三日目に蘇り給ひ、新しき身体を以て、四十日弟子達に臨まれ、そうして終に昇天せられたと云ふのであります。シテ見ると、なる程神は子と共に苦しまれました、然し三十三年たてば、キリストは天に帰られるのであります、それでは、そう大きな苦みではありません、神が三十三年間子を棄て給ふのは私が三年間子を捨てたのと同じ事であります、三(447)年たてば立派に返されるのですから之は苦痛ではなく却て喜びであります。
 夫故三十三年間私共人類に其の独子を賜ふたと云ふ事は確に神の大なる愛の表れではありますけれども、之が永久の愛を表はすか、ドーカは非常に深い問題であります、人として考へる最大の問題であります、人として免かれる事の出来ない疑問であります。新約聖書を始めから終りまでズーット読みますと、著しい事があります、諸君が気がつかれたか、ドーカは知りませんが、聖書の明白な言葉は、「夫れ神は其の独子を賜ふ程に世の人を愛し給へり」と云ふ事であります。ギリシヤ文典に依ればエドーケンと云へば賜ふてしまつた事で、既に過去に属するのであります、賜ふてしまつた程に世の人を愛し給ふたのであります。永久に与へてしまつたのであります。聖書の他の部分を見ると、キリストは天から下り給ふた方であると申して居ります、然し下つて後のキリストは下つた前のキリストとは全く別な方であります。神はキリストを下し給ふてたゞ三十三年だけ世にあづけ給ふたのではありません、永久に賜ふたのであります。降世(ジユリックインカーネーション)と云ひ、世に降つて三十三年間肉を有し、又元に帰るものであるなら唯此の世に触れたゞけで、何も決して人類と永久の関係に入つたのではありません、唯チョイト、三十三年間世に来たと云ふに止まるのであります。然しながら神は永久にキリストを人類の手に渡し給ふたのであります、マリアの胎に宿つた時、モ早や既に永久に人類の手に渡し給ふたのであります。初めは神と共に御居でになつたのでありますが降世せられてからは、人なる神として世に居給ひ、神は此の時最早や其の独子を失ひ給ふたのであります。シテキリストは既にモー真《まこと》の神ではなく人以上の神ではなくなつたのであります、吾々の兄弟となられたのであります。
 此処に一人の金持ちが自分の国に沢山の奴隷を召し使つて居《を》るとします、どうかして此を救ふてやりたいと思つて、自分の子を其の国に送り、彼等の中に入れてしまつたが、其の後二三年たつて、又再び其の子供を自分の元にょび返したとします。然しキリストの降世は斯様なものではありません、神は人類をなぐさめるために、自分の子を永久に人となし給ふたのであります、一人の皇子を其の愛のあまりに平民になし給ふたのであります、平民は之に依て神に達する道を得た(448)のであります。
 キリストは人となられ、人として存在し給ひました、私共は天に於て祭司の長を有して居ります、真の人は此地上にて人の苦をなめつくされた人であります、私共をよく知つて居る友達が天に居られると云ふのであります、人の救はるゝためには此の仲立ちは必要であります、又この仲立ちのあると云ふ事は人として最大の幸福であります。単に三十三年でなく、永久に渡し給ふたのであります。之が私共の聖書の教ふる所であります。実に愛の上の愛、どれ程の愛であるか分からない程であります。
 英国の学者がキリスト教に接して「キリスト教は良い、けれどもあまりに良すぎる」とさへ云つて居ります。私共が聖書を読んで知る所の神の愛は無限であつて、唯の愛ではなく、独子を賜ふ程の愛であります、それも単に三十三年此の世に下し給ふたのみではなく、永久に下し給ふたのであります、其の愛は実に計かられない程であると云ふ事であります。此んな話をすると神の愛をあまりにほめすぎた様に思はれます、人間はそれ程までに尊いものであらふか。神が其の独子を賜ふ程人間は神に愛せられて居るだらふかと云ふ疑が起ります。然し之れは人間から見た神の考へ方であつて、神より見た人間はこんなものではありません。世の中に親の愛の分からない子供は沢山居ります、然し反対に子を愛さない親はありません。父や母が其の子を愛するは非常なものであります、然し小供にはそれが少しも分かりません、「子の心親知らず」と申しますが、然しそうではなく却て親の心子知らずであります。私共はホントウに神の愛が分からない、神は此の愛を示すために其独子を吾等に賜ひ、而も尚足らずとしたまふ程に私共を愛して下さるのであります、然るに未だよく此の神の愛が分からないと云ふのは、真に申し分けのない事であり
ます。
 此の愛を私共がホントウに知る事が出来れば本当の悔ひ改めが起ります、私共の徒らに生活して居るのは神様にとつては実にはがゆい事であります、此の事が分かれば分かる程、私共の信仰は増して来るのであります。
 私は単に之を思想として諸君に云ひたくないのであります、神の愛は実際の事実であります、今尚私共の友として助け手として、又仲立ちとして其独子キリストを此の世に与へ給ふたのであります。丁度天子が其の皇太子を臣下として(449)人民の中に下し給ふた様なものであります、私共は此の平民となりし皇太子に如何なる態度を採る可きでありましやうか。一体クリスチヤンの多くは只だ四福音書に記されたキリストの三十三年の偉大なる生涯を追想して清められ教へられて居る様であります、勿論それも大切でありますが、然しそれだけでは真に神の深い愛を識り強き力の人となる事は出来ません。弱き我等には今生きて居るキリストが必要であります、過去のキリストを歴史的に回想して力を得るにあらずして、今立ちて我等に力を与へ、父と私との間に立ちて私共の心を父の心に結びつけるキリストが大切なのであります、眼に見えない生きたるキリストが世の終りまで私共と共にあると云ふ事が大切なのであります。 キリストは今我々と関係のない見えないものであるとは聖書は教へません、私共の一番深い所にすみて、我をなぐさめ給ふ、生きた救主が今尚居られると云ふのが聖書の教へる所であります、キリストは先生ではない、孔子や釈迦の如き死んだ人ではない、私共の友あなた方の友達でありまして、此の人と常に交際が出来ると云ふのが新約聖書の教へる所であります。
 英国の有名な牧師でマンチエスターのデーと云ふ人が其の晩年に至つて云つた言葉に、「私にキリストが今も尚生きて居ると云ふ考が出来た時に、初めて私の新起原が始まつた」と云ふ事があります。実に其通りであります。ガリラヤの海、ナザレの山に、キリストを回想する時、成る程力づけられるには違いありません、が然しキリストが今も尚各自の友であると云ふ事が分つた時が私共の性格の一変する時であります。キリストは此処に居られて凡ての助を賜ふとぎふ事を知つた時に、非常な力を受けるのであります。無きものを信ずるのではありません。現にあるが故に、斯く信ずるのであります。尤も此れは機械を以て測る事は出来ませんが魂を有する者は斯く実験せざるを得ないのであります。其の存在を私共の中に認めたる時に私共は本当のクリスチヤンとなるのであります、凡て慰藉奨励は思想からではなく、此の実験から来るのであります。此の事は殊に終りの言葉としてエンフアサイズ(力を入れて云ふ)してをきます。キリストは啻に二千年前の偉大なる先生ではなく、学生ならば学校の教場に在る時も、其の後に立で私共を守つて下さる救主であります、職工ならば清き生涯を送らふとして、色々の事情に妨げられる時にも、(450)全力をそゝいで私共を救つて下さる救主であります、牧師も教師も誰も顧る者のない時にエスが汝と共に働いて居ると云ふ事を信じた時に初めて強き力を感ずるのであります。
 婦人が家庭の問題に頭を悩める時に、キリストはペテロやポーロと共に、あなた方の台所に於て、或は針を以て仕事をして居る時に於て、常に一緒に働き常に一緒に行動して{居ると信ずるならば、何物も怖ろしきものはありません。各自が独り此の世に暇をつげて、永遠の真暗な海に一人|棹《さほさ》して行く時に、決して一人じやない、誰かゞ一緒に居て呉れる、既に死を味つた誰《たれ》かゞ私の舟の舵を取つていて呉れると云ふ事を知つたならば如何に力強いでしやう。知れざる永久の海へ棹す時に、「汝一人ならず、我汝と共にあり」と云ふ声を聞くならば如何に嬉しいでしやう。確に其処にデスベット(死の床)の慰めがあります。其時プラトーの如く永世論を考へる事は仲々出来ないのであります、私も二三度死にそこなつた事がありますが、実際その間際には考へる力さへないものであります、神について考へる力さへないのであります、自分がした功蹟すらも考へる事は出来ません。今将に死なんとする時に何が力かと云ふと友達に或は母に自分の手を握つて貰ふ事であります、然し父も母も兄も友達も私と一緒に逝く事は出来ないのであります、其の時に「俺が手をひいて行つてやる」と云ふ人があつたらどんなに心強いでしやう。サヨナラと云つて心から暇をつげて呉れる教会員はあつても、最後に行く時は一人であります、然し人として下り給ふたキリスト、已に死を味ひ、死を知れるエスが来て、私の手をとつて呉れるならば喜んで一人で行けます。斯くの如く神は死ぬ時にも離れない友を下さつた、それが神の愛であると云ふのであります。之が我等の最も必要なものであります、之なくては我々は存在が出来ないのであります。単に三十三年の短い御生涯ではありません、永久に人なる神、神なる人として我等の友として下さつたのであります。神には之は非常な犠牲であります、我等には、之れ程大なる恵はないのであります。諸君に此事を考へて貰いたいのであります。神を信ずると云ふ事は之れであ卜ます。
 日本をキリスト教化すると云ふ事は日本人をして此の友を迎へしめる事であります、今も生きて居る人であるキリストを国人《くにびと》に紹介する事であります。私が若し青年を札幌によこすとしたならば、彼に教訓を与へたり、注意を与へたりする(451)よりも、私は第一番に彼を先づ私の信ずる友達に送ります、人に送ると云ふ事は此の場合大切な事であります。神は人に教訓等を送らずに先づ友を送つて私共を導いて下さつた、此最大の犠牲を与へて下さつた事が我等の命であります。此の事についてはいくら述べても尽す事は出来ません、私の能弁をつくしても、全字宙をつくしても、此を云ひつくす事は出来ません。然し私共が信仰生涯をつゞけて行くにつけ、全字宙全存在が上より下、四方八方|何処《いづく》に到るとも皆此の深き神の愛の糸で縛りつけられて居る事を知る事が出来ます。他の事は分らずとも、此の事が分つて来れば、私共はホントウに生き甲斐のある生涯を送る事が出来るのであります。
 此の問題はあまりに深く遠大でありまして悉く述べる事は出来ません、死ぬまで繰り返しても、到底云ひつくす事は出来ません。約翰伝の終りに「此を一々書くならば其書は此地に載せる事は出来ない」と記してあります、まして私の唯一回の演説が此を述べ尽す事は出来ません、唯単に一の暗示として聞いて頂きたいのであります、即ちこのヨハネ伝三、一六がキリスト教の主眼でみると云ふ事を知て頂きたいのであります。     (於札幌独立教会)
 
     是れ凡て信ずる者を救ひに至らしめん為めの神の力にて候《そろ》   是れ力に有之候。
   神の力に有之候。
   救ひに至らする神の力にて候。
   凡て信ずる者を救ひに至らしむる神の力に有之候。
                 羅馬書第一章十六節
 
 今夜からつゞいて聖書の研究をしようと思ひます、只今竹崎君の言はれた通り我々は聖書を学び主エスを知りたいのであります、然し主イエスキリストを教へて呉れる者は人間の先生ではありません、私が今晩あなたがたに主エスを教へたいのでありますけれども教へる事が出来ないのであります、是れを知ると云ふ事は命でありますが是れも教へる者は主エス御自身であります。近来私の信仰を最も力づけます事は主イエスキリストを死せる者と思はない事であります、キリストを千九百年前の人であると思はないで、キリストは十字架につけられた後に復活して天に上り、父の右に坐し、今日今此処に居られ、私の此拙ない言葉を以てあなたがたの心を(452)開いて下さると思ふておる事であります。諸君が私の言葉を聞かれる時に常に此事を思ふて下さい、私はキリストのマウスピース即ち道具であります、先生はキリスト御自身であります。
 扨聖書研究の必要については竹崎君の言はれた通りであります、キリスト信徒にとりてはこれほど大切な事は他に考えられないのであります。多くの人の中では教会問題などには各自随分意見を以ておられますが、然し私が其友達に聖書の知識を尋ねます時に度々失望するのであります。十年二十年の信者にして聖書を本当に読めない人、又喜んで読まない人が沢山あります、之れでは信仰が進んで行つて神とキリストとを理解する事は出来ないのであります。私に宗教問題を提出して私を試みんとせらるゝ人が沢山あります、又大抵の人殊に宣教師などは私が教会につきて特別の意見を持てゐるものでありますから、よく此問題を出されるのであります。私は此時はいつでも斯く言ひます、「あなたにとりては他の問題はもはや解けてゐるのですか、そして只一つ教会問題のみが残つておるのですか、是れよりは更に大なる、又此等の根本的問題である聖書を研究しましよう、其後に教会問題を論じましよう」と、是れで大抵此問題はすみになるのであります。
 聖書の研究を怠つては我々は全く価値のないものであります。慈善とか、教会拡張とか、伝道とかを盛んにすればそれで手足が強くなると思ふは間違ひであります、我々は神の下さつた此聖書を食べなければならないのであります。人間の命は食物《しよくもつ》にあります、キリスト信者の命はいやでもおうでも此小さな聖書に在るのであります、是れは大切の事でありますから第一に云つておくのであります。札幌の凡ての教会の方々も此点にょく注意して貰ひたいのであります。是れさへ味へば分離してゐる事はないのであります、悪口などはいやでもなくなるのであります、外に向ける注意を聖書に注げば万事今日よりは進歩するに違ひはありません。先づ是からは聖書の研究を札幌の信者の方々の特徴として貰ひたいのであります。
 其研究の方法について一言しておきたいと思ひます。先づ今迄なればローマ書の第一章を開いて第一節より見て行くのであります。
  イエスキリストの僕ポーロ召されて使徒となり神の福音(453)の為めに選ばる。
とありますれば、エスとは何か、キリストとはどう云ふ事か、僕とは如何、召されたとはどう、使徒とはどう、福音とはどう、選ばれるとはどう、と斯く順を追《おふ》て詳くやつて行くのであります。かうすると其言葉言葉に皆意味がついて迷つてしまい後がつゞかないのであります、其|文字《もんじ》についての意味を喜ぶ丈けで全体に亘る真理を忘れるのであります。私の知つておる人で「ローマ書全体を通じては解らない。然し部分部分なればよく知つてゐる」と云ふ人があります、是れは其研究の方法があまりに細かに亘り過ぎるからであります。「汝の敵を愛せよ」と云ふ句は分つておりますが、ローマ書全体が如何なる教へであるかと云ふ事は分かつてゐなのであります。丁度札幌の美はしいエルムの樹を見る様なものであります、葉をとり幹の一部をとりて見るから其全体の美を見失ふ様になるのであります。是が聖書の研究が私共に興味を与へない原因であると思ひます。私共が聖書の研究会に行きますといつでも聖書のあちこちから引き出してこうだのあゝだのと言ひます、成程証明は立ちます、本文(テキスト)を引いて云へば何とでも言へます。聖句を引いて来て「神なし」とも言ふ事が出来ます、詩篇を見ますとそう書いてあります、然し其直ぐ前に「愚かなる者は言ふ」と云ふ文字があります。
  愚かなる者は云ふ神なしと
愚かなるものが言ふのであります、斯くの如くあちらこちらを引き出して説を出すのはやめる可きであります、是れは本当の研究ではないのであります。
 今夜から私の試みんとする方法は新らしき方法であります、今日まで行はれて居りませんから新らしき方法と云はねばなりません、今日まで本当の方法が行はれてゐなかつた事は不恩義な事であります。先日も宮部先生と話したのでありますが、此頃の説教は初め自分が説教を作つておいて後から是れに聖句をくっつけるのであります、即ち聖句のオーソリチーを借りて来るのであります、之は云ふ迄もなく大なる誤であります。今夜からは常識にかなへる聖書の研究に入つて行こうと思ひます。
 旧約の事は今度は言はない事にして、今度の研究で聖書と云へば新約の事であります。新約聖書の中には二十七の記事があります、其中にポーロの書いたものが十三、ポーロ以外の人の書いたものが十四、其十四の中の七つが公開書簡であ(454)りまして後の七つがポーロの書かない大切な記事であります、即ち四福音書、使徒行伝、希伯来書、黙示録であります。ポーロの書きし十三の中を分けて言ひますれば大きなものが四つ、ローマ書、コリント前、後書、ガラテヤ書、それに有名な獄中書簡と云ふのがエペソ書、ピリピ書、コロサイ書の三つ、教会書簡と言ふのが、テモテ前、後書、テトス書の三つ、伝道の書と云ふのが、テサロニカ前、後書の二つ、其外にピレモン書と云ふ一人の紹介書が一つ、夫れで都合ポーロのかいたものが十三になります。総計で新約聖書は以上の二十七からなつております。
 私共が此二十七を調べて見ますと皆同じ様で実は皆異つております、例へば多くの人は四福音書の初めの馬太伝を読んで後は大概同じものであろうと思ひますが、皆違つてをるのであります、各々立ち場が違ひ皆別の方面から見ておるのであります。
 馬太伝は猶太人に向てキリストを紹介したものであります、即ち猶太思想を持てる人にキリストを伝へたものであります。馬可伝は権能《ちから》を重んずるローマ人に向て書いたものであります、ラテン語の分かる人が言つておりますのに、馬可《まこ》伝とシーザーの文体とがよく似て居る相であります、即ち文が完結で勢がよく勝利の文体であります。路可伝になると全く反対であります、ギリシヤ人《びと》に宛てゝ書いたもので情に富み文章も美はしく凡てが文学的であります、現に其初めの三章は美《うる》はしい文章であります。筆づかひがやさしくて殊にエリサベツ、マリヤ、アンナ、マクダレナのマリアなどの女の記事が沢山ありますから女性の福音書と言はれております、全くギリシヤ的の福音書であります。最後の約翰伝は人類的であります、イエスを神の子又人の子として書てあります。
 我々の中でもユダヤ人の如く保守的な人もあります、キリスト教を昔の武士道、儒教などと関係をつけて考へて見たいと言ふ様な人には馬太伝が適当であります。又大将軍の勝利を歌つた様な勢ひのよいのを喜ぶ人は馬可伝、又女性の様なやさしいのを望む人は路加伝、或は神が人間に接したものがキリストであると言ふ様に人類的に考へたい人は約翰伝に、各々好む所に赴く可きであります。
 かく人々の心に適する様に此四福音は与へられてをるのであります、是れを知らずして牧師が無暗に聖書を読め読めと勧めるのはよくない事であります。聖書は二十七種の薬であ(455)ります、肺病に胃病の薬を与へても無駄であります、患者によりて薬を撰む可きであります、我々の心の状態に応じて色々の処を読むと訴へる処が深いのであります。
 次にポーロの書簡について述べて見ますれば、実際にはポーロの書翰は十三以外に尚沢山あつたろうと思はれるのであります、手紙でありますからまだ外に沢山書いたに違ひありません。然し此事について深く研究した人が「若し我々に其中から撰択を許されたとしたならば矢張り此十三を撰ぶ」と言つております。今此十三を皆述べる事は出来ません、初めの三つ即ちローマ書、コリント前後書の三大書翰をとつて見ましても矢張り差がありまして場合に応じて読む可きであります。ローマ書はローマ人に書いたものでありまして、ポーロの信仰と教義(此語は適切ではありませんが)とを述べたものであります。コリント前書はポーロの神学思想を述べたものでありまして、目的はポーロの教会観であります。意地の悪い人は私に「常に無教会を口にする者が何故教会の事を言ふか」と訂はれるかも知れませんが、然し言葉は教会でも今日の教会はポーロがコリント前書に言つて居る教会ではありません。教会と云ふ言葉は英語で云ふ「チャーチ」ではありません「エクレヂア」と云つて呼び出されたる会衆と言ふ事であります、即ち「クリヤコン」と云ふ事をチャーチ或はキルヘと言つて居るのであります。近来英国のモハート氏は其著したヒストリカル、ニュー、テスタメントの中にはチャーチと言ふ言葉を用ひずに其代りにコンミユニテーと云ふ文字を使つてをります。然し此事を今夜は論ずるのではありません、兎に角かゝる事がコリント前書には書いてあるのであります。扨数会が出来た 是れを司る人がいる、其人が如何なる人か、如何なる態度をとる可きか、如何なる資格が必要であるか、此等の事がコリント後書に書いてあるのであります。何れにしろ問題が皆違ふのであります、聖書を学ぶ時に若し教会問題であればコリント前書、教会の御役人の事であればコリント後書、教義全体の事であればローマ書と、斯く必要に応じて変へて行くのであります、「聖書はどこを読むでもよい、神の言葉であるから」と云つてしまつては本当の研究は出来ないのであります。
 私は近頃新約聖書を艦隊の如く見て居ります、(私は非戦論者でありますが只例をあげるのであります)、私共は之を率ひて悪魔に囚はれた人を攻撃に行くのであります、殺すの(456)ではなく生かす為めであります、私共は新約聖書と云ふ艦隊を貰つてをるのであります。戦闘艦に相当するものは、四福音書、使徒行伝、黙示録であります、形も大であつて之れを沈められてはキリストの福音が壊れてしまうのであります。此等は聖書の中堅であります。中堅を守る巡洋艦に相当する者がポーロの書翰であります、一等巡洋艦が、ローマ書、コリント前、後書、ヘブライ書であります。ヤコブ書の如きは一等か二等か分かりませんが重要のものであります。二等巡洋艦がエペソ、ピリピ、コロサイ、テサロニカ前書であります。駆逐艦に相当する者はヨハネ第一書、ペテロ前、後書であります。最後に只一章しかないユダ書、ピレモン書などは小にして中々有力なものであります。此等全体を以て霊魂を奪ひに行くのであります、之れを上手に指揮し得る人は第一流の牧師であります。之れを離して一句々々を拾つて投げるのは丁度石ころを投げると同じ事で効果のないものであります。東郷大将のロシア艦隊を破つた様なやりかたが本当のやりかたであります。「ビー、アンビシアス」(野心を抱け)、諸君は聖書の海軍大将になる聖き野心を抱かれむ事を望みます。
 以上は従来の聖書の学び方とは大に異るのであります。よく世間では「俗務があるから研究が出来ない」と言ふ人があります、そんな人がよく新聞に一時間も費してをるのであります、其時間の半分を聖書に用ひて一年つゞければ大分聖書学者になります、私は一日に五分間新聞に与へますがそれで大切の事は分かります。福島県に忙しい友人がありますが、一度其人と山あるきをした時に腰に煙草入をぶらさげて居ました、「君はまだ煙草をのむのか」と私が聞きましたら「いや、煙草はのみません、此中には聖書がはいつてをります、山を歩く時、汽車に乗るとき、隙のあるごとに出しては読みます」、と言つておりました、注意さへすればいくらでも時間は見出せるのであります。よく若い婦人が箒を持ちながら小説を読んでをりますが、あれはよくありません、是からは各自が聖書研究者になると云ふ野心を起して下さい。非常に前おきがながくなりました、然し是れらの事は皆無益な事ではないと思ひます。
 ローマ書と言へば中でも一番六ケ敷いのであります、私なども読んでゐて或時はいやになる事があります、教義的であつて読みにくひためほかのものを読みたくなる事があります、(457)其時は私はそれをやめて他の美はしいものを読みます。然しながらローマ書なしではキリスト教は分からないのであります、ローマ書は真髄を伝へたものであります。御承知の如く、十六世紀の独逸、瑞西《すいつる》の宗教の革命の時第一の仕事はローマ書の研究でありました、其当時唯一の本であつたメランクトンの神学はローマ書の解釈でありました、ローマ書は我々の一番深い所に訴へる本であります。
 扨研究の方法でありますが、是れを読んで一々解釈して行くのは六づかしい事であります、ローマ書などになると殆ど手におへない位であります。ところが私の実験によると二時間でローマ書全体を読んでしまつた事がありました、其中には分からない所も一二ケ所はありましたが殆ど皆分かりました。然し時によると初めから分からない事があります、つまり心の状態が変るとよく分かるのであります。
 私の所で学生を集めて聖書の研究をしてをりました時に、一人の学生が大きな声でローマ書を読むでをりましたが、「どうだ分かるか」と私が問ひますと「分かります、分かります、皆分かります、皆私の経験そのまゝです」と言ひました。然し又或る時は全く分からないと言ひます。かやうに六ケ敷い、六ケ敷しくないと言ふのは心の状態によるのであります、或状態から離れては六ケ敷く、或状態の時はたやすいのであります。文学的に六ケ敷い、哲学的に六ケ敷いと云ふのではありません、分かる分からぬは智識の問題ではないのであります。つまり、ポーロの心になると神とキリストの態度がよく分かるのであります、そうでないとたとへギリシヤ文が読める人でも分からないと言ふ事になるのであります。諸君の中に此経験のある人がありますれば、此話のすんだ後で時間を与へますから此事について話して貰ひたいのであります。これでローマ書が六ケ敷い本であると言ふ其わけが分かりました。
 今一つ学者側から出る言葉があります「ローマ書に限らず凡てポーロの書いたものは其中に統一がない、組織がない、ローマ書の如きは其例である、ダーウインのオリヂン、オブ、スペシースなどであれば組織がある」と云ふのであります。然しそれはその筈であります、ローマ書は手紙であります、友人に宛てゝ書いたものでありますからロヂックにあはない点もありませう、感じのまゝに書くのでありますから組織のないのは無理もない事であります。然しローマ書が全部組織(458)のないものでない事は明白なる事実であります、是れを精神的に見れば立派に組繊が立つてをるのであります、是れが分かれば非常に読み易くなるのであります、ローマ書を御話しするのは自然此点を話す事になると思ひます。神の霊によらずには諸君に何物も与へる事は出来ませんが、然しこういふ事を教へるのであると云ふ事丈けは示す事が出来ると思ひます。
 如何にローマ書に一種の組織があるかと言ふ事は一昨日の朝御話した、第一章の第十六節を見ても分かるのであります。
   是れ力に有之候。
   神の力に有之候。
   救ひに至らする神の力に有之候。
   凡て信ずる者を救ひに致らする神の力に有之候。
 之れはローマ書を縮めた言葉であります。私の農学校で学んだ解剖学によつて見ても、手の中に全身を見る事が出来ます、樹は根にも葉にも幹にもあらはれてをります、ポーロの書ける言葉はどこを抜き出して見てもポーロだと言ふ事が分かるのであります。私は農学校でカーライルやヲールズヲースを読みましたが、カーライルはどこを見てもチェルシーの老人だと言ふ事が直ぐに分かります、ヲーヅヲースでも直ぐに分かります、同様にポーロであるとまたそれがすぐに分かるのであります。力と云ふ字が出て来ればポーロだと云ふ事が分かります、ポーロは哲学が嫌ひで、前にも言つた通り、智者と云ふのは哲学者と云ふ意味であります、ポーロは実際的の人、頭よりは意志の人であります。此手紙の文を見ましても初めに力と云ふ字があります、それですぐにポーロだなと思はれます。其次の神と云ふ字は何処にもある字で区別にはなりませんが、其次の救と云ふ字即ちソーテリア、又はサルヴエーションと云ふ字が来ると又ポーロだなと云ふ事が分かります。信ずる者と云ふ字がまた之れはポーロ独特の言葉であります。力、救、信ずる者、是等は皆ポーロ的の言葉でありましてローマ書全体は是の三つを敷衍して述べてあるのであります。
 ローマ書に論じてある事は第一は「救ひ」であります。一番ながく述べてあります、第一章の初めから十六節までは挨拶であります、第十七節から第八章の終りまでは此「救拯」が述べてあるのであります。第九章、十章、十一章に於てユダヤ人とギリシヤ人との関係が述べてあります。ポーロは全(459)人類を二つに分けてをります、即ちユダヤ人とギリシヤ人とであり童す、我々は異邦人でありますからギリシヤ人に属するのであります。ポーロの言はんとした事は十一章迄ですんでをるのでありますけれども、其後におまけがついておるのであります。普通なれば倫理道徳を説かねば宗教ではないと云ふのでありますが、ポーロのやり方は反対であります、ポーロは教義を説いたのであります、「こうであるから、こうなさい、ゼヤホア、それだからこうなさい」、と言ふのであります。一番最後に美はしき言葉を以て、二十五人の友の名を皆ほめて、「神の栄光限りなくイエスキリストに由りてあらん事を」と言つて、それで全体をすんでをるのであります。
 斯くの如く見て行けばローマ書は解釈のしやすい本であります、諸君の考へられるほど六ケ敷いものではありません。くたびれましたから今晩はこれにてやめます、明晩は「救ひ」と云ふ事について述べたいと思ひます、最後に短かく祈祷をいたします。           (於札幌独立教会)
 
     パウロの救拯観
      第二回 羅馬書講義
 
  爾曹《なんぢら》は神に由てキリストイエスに在り、イエスは神に立られて爾曹の智慧また義また聖《きよき》また贖《あがなひ》と為《なり》たまへり
             哥林多前書第一章三十節
 昨晩羅馬書の研究の終りに申しました如く羅馬書の主題は救であります、救とは何ぞや、何人が如何にして救はるゝや、が問題でありまして、後はそれより来る結論であります。羅馬書は組織の無い様に見へる書でありますが、決してそうではありません、一つの明白なる人生観でありまして又救済観であります。故に其要点を窺ひますならば其全般を知る事が出来るのであります。一章の十七節以下十一章の終り迄は其主要なる部分でありまして其要点は一言にして尽されます、若し私共がポーロの云ふ救の意味を了解するならば羅馬書を読むのが極容易になるのであります。然らば則ちポーロの救済観は如何なるものであるかと云ひますと、之を一節の中《うち》に云ひ表はしてあるのが則ち哥林多前書の一章の三十節であります。之はイエスの何であるかを説明したものでありますが、(460)此の文句の中智慧と云ふ字はポーロに云はせますと、ソフィヤと云ふのでありますから、哲学と読む可きであります、ポーロはコリント人に向つて若しキリストの信者にも哲学が入用なものならばイエスが則ちそれであると云つて居るのであります。而して此義、聖、贖の三つが彼の救済観の骨子であるのです。
 義、聖、贖の三字はギリシヤ語より訳したのでありますから其意味を解するに必ずしも文字に拘泥する必要はありません、文字に拘泥すると色々の不都合が生じて来るのであります。然るに世人は文字で議論するのが容易でありますから何んでも文字で以て議論する。其例を申しますると私に度々聞かれまする無教会主義などは夫れであります、無教会主義を称ふるものが教会で説教するのは間違ではないかと云ふが如き質問の類であります。先日も札幌に参ります途中、※[さんずい+氣]車中で平岩君に遇ひましたが、其時平岩君が札幌に行つて何をするのかと聞きましたから、私は札幌で会合をする為めだと答へました、すると平岩君は夫れは君の主義に反すると云ふ様な言葉でしたが、私は之れに答へて君等の事をメソヂストと云ふではないか、して見ると何んでも四角に行ふ規則を重んずる人であるべきだが実際君達の中には円滑なる人がある様であると云ひました。之れは余計の事であるが、実際言葉や文字によつて其内容を論ずるは悪い事であります。今義、聖、贖《しよく》につきても此等は其表はさんとする意味の符号である事を知らねばなりません。
 ポーロの言葉によりますと茲に救の道が三つあります、則ち義聖贖でありまして、第一に我々は神に義とせられなければならぬ、次に聖められなければならぬ、而して終りに贖はれなければならぬ、この三つを称して救と云ふのであります、救を全ふするには此三つの階段を経なければなりませぬ。然らば義とは何ぞや、これは義とせらるゝ事であります。普通の意味に解しますると義は正義であります 即ち国には忠義、人には正直の意味となります。けれども聖書の所謂義とは斯《かく》の如き倫理的のものではありません、神と正しき関係に入ると云ふ意味であります。之が第一歩の救となるのであります。人類が堕落して居るのは神と人とが其正しき関係に入つて居ない為めであります、義人とは完全無欠なる人として神に認められた者ではありません、神と正しき関係に入れる人を指して云ふのであります。茲に子がありますと其子は親(461)に対して色々の六ケ敷き関係があります、路可伝の十五章にある彼の放蕩息子の喩へを見ますると、息子は親を放れて放浪の生活に入《い》り、遂には人に傭はれ豚の食ふものを食し着るに衣なき有様に落ち、実に冷酷なる取り扱ひを受けたとあります。斯ふなつたのも元は自分が親の子であるのに、父を放れて親と正しからざる関係に入りたるが為めであります。救はれる為めには丁度子が親に対して子たる関係に帰るが如く、人は神との正しき関係に帰らなければならぬのであります。之が救の第一歩であります。我々が人を救ふと云ふ事は放蕩や飲酒を廃めさせると云ふ事ではないのであります、キリスト教の立ち場より申しますとこれは病気の現象を取り去つたのでありまして未だ根本的に其病源を治癒し尽したと云ふのではありませぬ。悪きは神と正しき関係に入つて居ないからでありますが故に若し之れを改めて正しき関係に入れます時には真の改心が得られるのであります。人を神との正しき関係にかへす事は、独りポーロのみならず、キリスト始めクリスチアン全体が救済法として同意し是認する所のものであります。之は世人の称する社会改良人類改良の方法とは大に其主張を異にする所のものでありまして、彼等は禁酒或は廃娼運動を成功させればそれで充分だと思つて居ます。けれども、我等はこれにて満足する事は出来ませぬ。社会の病根を断つ為めには是非社会を神との正しき関係に導かなければならぬのであります。然かし之は救の第一歩に過ぎないのであります。
 然るに多くの基督信者は自ら此処に止りてすゝまず、又人を神に連れ帰ればそれで充分だと思つて居ります。今迄悪い世渡をして居た者が悔改めて教会に入つた時に、信者達は御芽出度うと云つて喜ぶのであります、けれども我等に欠点は沢山に残て居ります。故に救は義に止らず進んで第二段に入る必要があります。則ち聖くせられなければならぬのであります。ルーテルの唱道したる新教信者の欠点は義とせらるれば最早救はれたと考へて満足してしまう事です。然しポーロはキリストは汝等の義である聖《きよめ》である贖《あがなひ》であると云つて居るのです。聖めると云ふ事は義とせられたるものを更らに一層強からしむる事であるのです。この一番よき説明はチブス病であります、私は自身この病気に罷り又人をも看病した事がありますが其際医者は専らチブスの熱を取る事を計ります、三週間を無事に経過しますとチブスは逃げ去るのであります。(462)之れは丁度義とせられた事に当ります。けれども其後に心配なる時期が来るのであります、第四週間目よりは、熱は去つても、厳重なる食養生をせなければなりませぬ。暫らくおも湯、粥、牛乳の類《たぐひ》で空腹を忍ばなければなりませぬが、三四週間後に食慾が熾んになつて耐えられぬと卵位許される、それから三四日の後に牛肉の煮たものを少しづつ取る様になり、漸次元の身体に復するのであります。霊の救は丁度此順序によるものでありまして、聖めの時代は神と正しき関係に入りたる後に来《きた》るのであります。義とせられたゞけでは罪の余波即ち生れつきの習慣や遺伝的の罪悪が残つて居りますので、初めは信仰の牛乳次には軟かき霊の肉を用ひて漸々に聖められなければなりません。私は義とせられましたけれども尚ほ救ひに至りつゝあります。福音は信ずるものをして救ひに至らしむる道であります。されば我等は義とせらるゝに止らず、更らに聖められなければなりませぬ。此事に重きを置きたるはメソヂストであります、ウエスレーは力強く、聖潔《サンクチフイケーシヨン》の必要を唱へて、ルーテル主義の新教信者が義とせられて安んじて居るのを警醒し、基督教会に大なる貢献を致したのであります。
 所が救は之にて終るかと云ひますと左様ではありません。聖の後に贖があります、聖られたる結果が其極に達して完全なる救ひに入り、霊は之に適ふ新らしき身体則ち霊体を纏ひ、霊を自由に活動する事を得る様になつた時に、完全に贖はれたのであります。言ひ換へれば凡ての罪の羈絆を脱し完全なる域に達する、之が贖であります。其時には今持つて居る肉の代りに新らしき肉が出来、此世の外にて神の子の自由の生涯に入る事が出来るのであります。普通救と云へば経済上の困難より救はれる事か、又は悪習慣を取去られる事か或は単に罪より救はれる事を意味しますけれどもポーロはそれでは承知致しませぬ。彼の所謂真正の救とは罪の遺伝性を聖められ、此身体が腐敗したる時に聖められた霊魂に適ふ身体を貰ひ、自由なるものとなる事を云ふのであります。我々は斯の如き神の子の栄えに入る事を以て目的とすべきであります。諸君はキリスト教を研究して此処迄考へられた事がありますか。ポーロの救の意味は罪より全く救はれ罪の結果より尽く放たれるのみならず、遂に朽ちざる霊体を纏ふて現はれる迄を意味して居るのであります。之を目的として神はキリストを下し給ふたのであります。故にこの救ひに入るには神に向(463)つて敵対の態度を改めて義とせられ、更らに此罪の結果を潔めて貰ひ、漸々聖められて其極に達し、遂に聖められたる霊が新らしき身体に宿つて自由なる活動に入り、神の子として恥しからざる者となるのであります。神はここ迄我等を連れて行き度いのであります。
 然らば義とせられ聖くせられ贖はれる方法は如何、我等は其順序を知り度いのであります。如何にして義とせられるかと云ふに、これは半分は神半分は人間の仕事であります、則ち我等は罪を悔改めで神と正しき関係に入り、神は反逆せる我等を正しき神の教へに導き給ふのであります。真正の基督信者の実験によれば、義とせられて神と正しき関係に入るには特別なるものが必要なのであります。世の道徳や山上の垂訓を誡としては駄目であります、我等が義とせられる為めに是非共必要なるものは、彼の聖書に幾度《いくたび》となく繰り返して教へてある神の十字架であります、之れが示された時に神と正しき関係に入り神の子供となる事が出来るのであります。勿論神の誡を守るならば義とせらるゝ事を得るであろうが、之れ計りは私共がどんなに勉めても遂に失敗に帰するのです。私共は神が我等に与へ給ふた十字架を仰ひで、初めて神と正しき関係に入る事が出来るのであります。自分も学生時代には信者は完全無欠なる行をして、基督信者とは斯くの如きものであると云ふ標本を示さなければならぬものと考へました。今思ひ出して見ると甚だ馬鹿げた事でありますが、其の頃新入生が入学して来るに際しまして、此等の学生に対して遺徳的の標本を示す為に、之からは生れ更つた人間の様にならなければならぬ、就ては此一週間許りの間古き罪のお暇乞をやろうではないかと罪とお暇乞の宴会を開いた事があります。けれども漸々心霊上の経験を積むに従つて之ではいけないと気が付きました。段々追ひ詰められまして、山上の垂訓も到底我等には行はれぬ事が解かり、聖書の光明に照されて私は反つて唯だ苦痛を感ずるのみでした。特に最後の審判《さばき》の時に、我等は如何に神の前に恥づ可きものであるかを思ふ時には、非常なる苦痛を感じたのであります。此苦痛たる正しくクリスチアンの生き地獄の苦しみでありませう、私共はこの時期を経て来たのであります。先日教育会の楼上でお話しゝたる彼のクラーク、シリー両先生の青年時代の改心は則ち之れであります。如何にして神の前に謝罪をしやうかを思ひまして殆んど身も世にあられぬ思ひを致します時に、我等(464)は神の十字架を見るのであります。而して私の罪は斯くこゝに釘《うち》つけられてあるが故に私の罪は贖はれたのであると悟つた時に、私は茲に贖はれたのであります。此時は真にアバ父よと云ふ事が出来ます。此事に就ては倫理学も哲学も科学も其説明をつける事が出来ませぬが、然し我等の罪は彼所に打ちつけられてあると信ずる時に、神をアバ父よと称ぶ事が出来るのであります。信仰は理由が解つて信ずるものではありませぬ、信ずるが故に理由を発見するのであります。
 次に如何にして聖めらるゝのであるかを話しませう。我々は十字架の救にあづかり義とせられし恩恵を感謝して、之れよりは行を慎んで立派なる生涯を送り恩恵に報ゐんと試むべきであります。然し実際を見ますと左様ではありませぬ。我々は斯かる心掛は持つて居りますけれども、絶えず罪を犯し、毎日毎日懺悔しなければなりません、義とせられたけれども恩《めぐみ》に報ゆる事が足らぬ為め、悔ゆる心に制せられて思ふ様に進歩しません。かゝる時には、前に十字架を仰ひだ様に、聖くせらるゝ為めに上を見なければなりませぬ、それは聖書の所謂聖霊の降臨であります。弱き私共は聖くせらるゝ時に限らず、すべて自分の力にて如何んともしがたき種々の事を成就せんが為めには、必ず我等以外の大なる力を藉らなければなりませぬ。特に今晩の如きクリスチアンの会合に於て、最も望ましきものは聖霊の降臨であります。聖くせらるゝと云ひますと普通の解釈では穢れを洗はれ罪を取られる事でありますが、聖書にある聖くせらるゝと云ふ文字の意味はそうではありません。サンクチフィケーシヨンとは罪より救はれる事ではなく、新らしく徳を加へられ善をなす力を与へられる事であります。私は煙草は呑まなくなつた、酒も呑まなくなつた、此事もしなくなつた、あの事も廃めたと云ふ人がありますが、斯かる人は他人の罪を指して彼人はあんな事をする、あれも為るこれもすると責め立てるのであります。所が其人の心の中に這入つて考へますと、斯かる人は強く自らを制して悪習に帰る事を抑へて居る人でありますから、中々其辛棒が苦しい、それですから罪悪に眼が着き善事に眠が着かないのであります。併し聖くせられたる人は甚だ其趣を異にして居ります。罪を取り去られました其代りに、新らしき力が付たのでありますから、善事をなすが嬉しく、他人の苦しめるを見ては救はずに居られなくなりますし、国の為めには立つて之を助けざるを得なくなるのであります。此心が非常に(465)大切であります。実に聖霊の降るは生命の降ると同じ事でありまして、之さへあらば凡ての善事をインスピレーションを以つて為す事を得るのであります。何か為す可き善事はないであろふかと待ち望んで居るのでありますから、機会さへあれば喜んで善を行ひます、例へば国家の問題が起つた時などには直ちに遣らしてくれと云ふ様に積極的になつて来るのです、則ち喜んで善を行ふ進取的の人となるのであります。私は斯様な進取的の基督教信者を知つて居ります。斯くなるには是非とも聖霊の降臨をまたなければなりません。
 最後に来るものは贖ひであります、之れは如何にして成就するものであろふか。我等が今有する此の肉体は終に敗れ朽つ可きものでありますが、人生百年に満たずして最後の死滅の時期に達した時に、斯くなるは已を得ざる事であると云つて諦める可きでありませうか。秋が来た時に木の葉は朽ちて落ちますが、其跡には来年の芽を残してあります。斯様にクリスチアンの此世の生涯を終りたる時に已に新らしきものが備へられて居るのであります。此事を信ずればこそ左様ならと云ひて勇んで楽しき天国に行く事を得るのであります。彼
の所には罪なき身体が具へられ、私共も罪なく従つて涙なき形をとる事が出来るのです、之は神が我々にして下さる事でありまして、哥林多後書五章に「われらが地にある幕屋もし壊《やぶ》れなば神の賜ふ所の屋《いへ》天にあり手にて造らざる窮なく保つ処の屋なり」とある通り丁度冬の朝子供が起ますと母が暖き衣服を着せてやる様に、暖かき霊体が着せられるのであります、此際子供に着物を着せるに母の手を必要とします如く、我等の贖には聖書の中に示された通りキリストの再来が必要なのであります。斯の如くして十字架、聖霊の降臨、キリストの再来、この三つを経て救は完成せられるのです。羅馬書は長いけれども其本体は之れに尽きているのであります。
 羅馬書一章の十七節より七章迄には何に拠りて斯く貴き救を受け得可きかを説明してあります。彼のギリシヤ人の有する智識則ち哲学道徳にては如何。彼等は学問を有すと云ひますが神を持つて居らない、それで自分が作りたるものを拝する結果、情は腐れ男は男として女は女として身体を全ふする事が出来ぬ、従つて心暗くなり、妬み猜《そね》み其他種々なる不徳は之れから発生すると云ふ有様であります。之れ畢竟知る可き神を知らなかつた故であります。又猶太人は其始め完全なる誡を貰つて居たけれども彼等は之れが為め却つて其の罪が(466)明かになるだけであつた。して見ると神の法律《おきて》も駄目、哲学も駄目であつて、救はるゝには神にありては恩恵(十字架)人にありては信頼する事にあるのです。唯だ普通の信仰の二字はある時には仰《かう》の字の代りに頼の字を置き換へて、其意味がよく表はれる事があります。親子の正しき関係は親に対する信頼に其根本を置かなければなりません、親は子が信頼せぬ内は何事をもなす事が出来ないのであります。故に神には十字架の恵み、人には信頼この二つが必要である事を説いてあります。之れが羅馬書の二、三、四章に亘れる大体の議論であります。同じ事をポーロは加拉太書にも述べてあります。併しポーロの救済観は義とせらるゝだけにて足れりとせず更に聖くせらるゝ事を論じてあります。只だポーロは義とせられなければならぬ事をあまり力を籠めて論じてありますから聖めの事は閑却されてある様に見えます。八章に於て彼は聖めらるゝ事と贖はるゝ事とを論じて居ります、其証拠には八章の聖霊なる文字に注意して御覧なさい、一節から十一節迄に霊と云ふ語を十七度用ひてあります。而して聖めらるゝには聖霊の働きが必要である事は前に申した通りであります。次に贖はれるに至つて天地万物が凡て真の救ひに入るのでありまして此順序はポーロが他の場所に於て述べたのと変りはありません。これが解りますと羅馬書の研究は楽になるのであります。羅馬書の第四章より第六章迄は全体の議論に関係のない部分でありましてアブラハムが、何の為に義とせられたるかを説き、又キリストに関するポーロの奇態なる人生観を述べてあるのです。八章の終りに至りますると神の恵みを述べて其広大なる事を言ひ表はし、終りに神を讃美し、「キリストの愛より我儕を絶たんものは誰ぞや、患《なや》みであるか、困苦であるか、飢餓《うえ》であるか、裸※[衣偏+呈]《はだか》であるか、刀剣《つるぎ》であるか、云々」と数へまして、そは或は死、あるひは生、あるひは天使、あるひは執政、あるひは有能者、あるひは今あるもの、あるひは後あらんもの、或は高き、或は深き、また他の受造者、何れにも神の愛より絶ち離す事が出来ぬ、実に神の愛に満ち満ちて何と云ひて善きか分らんと嘆美の声を以て終つて居るのです。
 羅馬書の七ケ章を一晩に講義して済みませんが今晩帰つて此の心にて読んで御覧なさい、大体は極容易に解する事が出来る事と思ひます。        (於札幌独立教会)
 
(467)     国人の救ひ
        第三回 羅馬書講義
 
 羅馬書のうちで先夜来御話した所は個人に関する救の性質及び順序を説明したものであります。ポーロは斯くの如くに論じて将に彼れの倫理問題に論歩を進む可きでありました。多くの人は自分が義とせられ、聖くせられ、贖はれ其上妻子までが天国に行ければそれで沢山であると申しませう、けれどもポーロは左様ではありません、まだ其外に大問題が残つて居るのであります、之を云はなければ彼は手紙を終る事が出来ません。試みに羅馬書第九章の始めを読んで御覧なさい、ポーロは今迄に述べた事を尽く打ち壊した様な事を云つて居ります。則ち第八章は大なる神の讃美を以て結むでありますのに、九章に於ては先づ次の様な事を述べて居ります。
  「我キリストに属する者なれば我が言は真にして偽なし、且わが良心聖霊に感じて我に大なる憂ある事と、心に耐えざるの痛みある事とを証《あかし》す、若し我が兄弟我が骨肉の為めならんには或はキリストより絶《はな》れ、沈淪《ほろび》に至らんも亦我が願也」
と、何んと強い言葉ではありませんか、恐らく之れより強い言葉はありますまい。我をキリストより放すものほ何かと云ひ、一言休みて、併しキリストの愛より我等を放すものは何もないが、茲に一つ大問題がある、則ち我が骨肉、我が国人の救はれん事である、此事の成らんが為めには私は呪はれても宜しい、キリストより放れても宜しい、と其満腔の感慨を述べて新らしき議論が治められてあるのであります。若しポーロの熱情を度外視して之を読むならば甚だ矛盾せる如く見えます、然し彼が確《かた》く主の救を信じながら斯様な事を申したのは其愛国心が人並すぐれて強かつたが為めであります。
 或人はポーロが「救主より放たれても宜しい、呪はれても宜しい、他人を救ひに入れ度い」と述べたのはポーロの云ひ過ぎであると論じて居ります。併し之れはポーロが「聖霊にある良心の証する所にてこれが私の希望である」とさへ云つて居るのでありますから、寧ろポーロの精神を吐露せるものと見て宜しいと考へます。
 サテ大問題が呈出されました、此問題に対するポーロの態度を考へて見ませう。試みにポーロの此考へをお互の場合に応用して見ますと、諸君の内には私も救はれ度い、我家族も(468)キリストの栄光に入れ度い、と求める方はありませうが、更らに神の前に偽らずして日本国の救はれんが為めには、私は呪はれ神より放れてもよいと云ひうる方がありますか。かく考へますときには、如何にポーロが私なき心を以て此問題に対したかを知る事が出来るのであります。ポーロは此無私の心あるが為めに斯の如き尊き思ひを有ち得たのであります。
 それで九章十章十一章の議論の主題は第一章の十六節にある「第一にユダヤ人而してギリシャ人も亦」であります、猶太|人《じん》は如何にして、救はるゝや、次にギリシア人《びと》は如何にして救はるゝやの問題は此等の三章に説明してあるのであります。
 ポーロの考へでは人類は二つに分れて居ります、則ち自己の属する猶太|人《じん》とユダヤ人以外の文明人とであります、彼は後者を総称してギリシャ人と称へて居ります。それですから此ギリシャ人の中には、ローマ人もスペイン人も入れてありますので、つまり野蛮人を除く他の凡ての白色文明人であります。即ちポーロがユダヤ人、ギリシャ人の二つを以て世界中の人を総称して居るものと認めて宜しいのであります。そこで第一に起る問題はポーロの此の云ひ方です、それは丁度我々が日本人と他の外国人と分けて云ふ様なものでありますから、ポーロも亦我等の有するが如き偏狭なる愛国心に駆られて、斯の如き分類法を用ひたのではあるまいかとの疑問が起るのであります。併しポーロの此の分類法の真意を知る為めには、猶太人が現今社会にありて如何に大切なる地位を占めて居るかを了解しなければなりませぬ。私が朝報社の記者時代に同僚でありました茅原華山君が洋行しまして猶太人の勢力の大《だい》なる事を看て参り、帰朝以来盛んに猶太人に関する記事を朝報の紙上に書いて居ります。これは頗る同感でありまして我等の伝道界の為めにも慶す可き事であると思ふのです。日本人は英、露、仏国の勢力を知つて居ても猶太人の勢力を知れる人は極少数ですが、万朝報の云ふが如く猶太人は実に大なる勢力を有せる種族であります、凡ての世界の勢力をあはせ有して居ると云つてもよいのであります。日露戦争は猶太人がやらしたので、日本人は之れが為めに二十億の国債をつくりましたが、其半分以上は猶太人が有つて居りまして、此所に居る我々も皆猶太人に金を払ひつゝあるのであります。最近の統計によりますと、世界中に於ける猶太人の総人口は僅かに一千二百万人でしかも其半分は露西亜の南部に(469)住居して居り残りの半分は世界の各所に散在して居るのであります。欧洲全体には六七百万人も居り、其他は南北亜米利加は勿論、日本へ迄も来て居ります、人口はたとへ如斯少数でありましても、其勢力は非常であります、独り現今に於けるのみならず、歴史上に於きましても侮り難き勢力を有つて居た事を知る事が出来ます。其一例として伝へられた有名な話があります。それはフレデリック大王は有名なプロシア国中興の英傑でありますが、又|唯理論者《ラシヨナリスト》として知られ、キリスト教に関しても種々議論を試みたと伝へられてあります。このフレデリック大王の侍医にチンメルマンと云ふ人がありました、丁度太閤に曾呂利の様な関係であつたのでしょう。けれど彼れは曾呂利の如き浅薄な人間ではありませんでした。或る時王は彼を呼んで「どうだ、お前は医者を始めてから幾人殺したか」と聞きますと、彼は直ちに「陛下よ私は沢山人を殺しましたが陛下が戦争で殺した程は殺しません」と答へたと云ふ程の人物であります。或日大王が彼に「キリスト教の証拠は何れにあるや」と尋ねました時に、「陛下よ陛下の国にありて陛下を苦しめつゝあるは猶太人なり」と答へたと云ふ事であります。大王は墺国を破り、仏国を破りましたが、猶太人許りは如何んともする事が出来なかつたのです。世界の財力を握れる猶太人は恐る可き種族であります。若し日露戦争に於てニューヨークのシッフが日本に賛成して金を貸して呉れなかつたならば、第三回の戦争を継続する事が出来なかつたのであります。それで日本は勲章を送つて御礼をしたと云ひますが、彼がある宴会の席上で「日本は信用が出来ぬ」とか云つたとて、当局者は縮み上つたと申す程であります。ロードシールなくんば欧洲の列強は戦争をする事が出来ません。而して此の二人共猶太人であります。猶太人は財力許りでなく又美術、文学、政事等種々の方面に於て今日迄傑出せる人物を出しました、其割合は其人口に比較しますと、世界中及ぶものはありません。英国に於てグラッドストーンに対抗したビーコンスフィールドは猶太人であります、又第一流の新聞記者として欧羅巴の総理大臣と称せられて居るブローリーは大陸に於けるタイムスの通信員でありますが、若し此人に書かれる時は帝国と雖も戦慄すると申します、彼も亦猶太人であります。又独逸に於ける新聞は其過半は猶太人の勢力である、故に彼等の言論は直ちに社会に行はれて其輿論となるのであります。斯くの如く社会百般に亘つて大勢力を(470)維持し、且つ大に貢献して居るのでありますが、彼等が人類の文明の上に与へた功績は、近年出版になりました猶太人百科辞典を見ても知る事が出来ます。此辞典は其|大《おほき》さに於て現今最大の百科辞典と称へらるゝ大英百科辞典よりも大部なものであります、則ち猶太人はそれ位浩瀚な辞書を作る程の材料を有して居るのであります。斯かる猶太人でありますから彼等は世界の運命を握る事が出来るのであります。故にポーロが猶太人と、それ以外の人々とを分つたのは当然の事でありまして、我等が日本人とそれ以外の人々を分類するのとは大差があるのであります。
 それでポーロは救は私一人の問題ではない、第一に猶太人、第二にギリシア人に及び、斯くして救は全人類に及ぶと説いて居ります。然るに事実現今に至る迄猶太人は救はれずして捨てられて居ります、誠に之れは奇態なる現象と申さねばなりません。救は始めユダヤ人より出たものであるのに、何故《なにゆゑ》ギリシア人が先きに救はれたのでありませうか、ポーロが世界的伝道を企て、ギリキヤ、ガラテア、カパドキヤ、ムシア、ピシデヤ、カアジア、マセドニア ギリシア本土より遂に羅馬に至り救の福音を称へた時に、至る所に信者が出来ました。然るに何故に其本国である猶太に救が及ばなかつたのであろうか。此の疑問は当然起る可き問題でありまして、ポーロも何故にかゝる有様であるか解釈に苦しんで久しく考へたに相違ありません。併し彼は遂に其解答を得ました。即ち今猶太人がキリストに捨てられた様に見えるのは異邦人の救はれんが為めであつて、漸々救がギリシヤ人に伝はる時は、猶太人も之れに励まされて遂に救ひに入るであらう、其為めに今は猶太人が捨られて居るのであると考へました。試みに之を私共の例に取つて申しますと、斯様な事はよくある事であります。今私が札幌に参りまして多くの人に教を説て居る事を聞きますと、国の者はアノ鑑三の云ふ事を聞いて感心する札幌の人は余程馬鹿な人々であると、可笑しがるに相違ありません。併し世の人は認めて聞いてくれるのであります。家内より出た者の値《ねうち》は兎角解らないものです、けれども漸々世人によりて認められる様になりますと、終に真理が内から生れたのである事を家内の人が認めてくれるのであります。他の例を取つて見ますならば、よく人が信者を指《ゆびさ》して、あの人は信者であるなら他人の事は後にして先づ家の人を救はなければならない、家の人をも救ふ事が出来ないで、他人の救(471)を云々するのは誤つて居ると、評すのでありますが、然し之は家の人を救ふのが最も困難なる事を知らない為めであります。此法則が猶太人対ギリシア人にも適用せられるのです。イエス、キリストは猶太に起つて道を伝へ終に十字架にかゝり給ふた。其教をポーロが受け嗣いで説いたものであるが、猶太人は彼をも排斥したので、ポーロは国外の伝道に従事したのであります、然るに外国人は喜んで其教を受けました、丁度私の兄弟や、叔父、叔母が私の教を詰らないと云つて笑ふのと同じ事であります。けれども翻つて考へますと、之が真正《しんせい》の順序ではありますまいか、私によつて他の人は救はれつゝあるのに、身内の親しき人々が嘲りを以て私を迎へる時は実に断腸の思ひがあります、けれども順序なれば如何んともする事が出来ない、法則であれば仕方がないのです。
 是がポーロの議論の大要であります。之を承知して居りますとこの三章は容易に解ります。尚ほ此の事に関してポーロが引用した喩は接木の事であります、基木は猶太人で、これに異邦人である接穂が接がれてあります、根が猶太人でありますから、ギリシア人は猶太人が救はれぬからと云つて台木たる彼等を笑ふ事は出来ない、異邦人は其信仰によつて其根たる猶大人の上に立つを許されて居るのであるから猶太人を尊敬しなければならない。
 之れがポーロの議論で、大意は頗る簡単であります。丁度吾家の救は他人の家の救に始まつて自家に及ぼすのであると云ふのと同じであります。簡単は簡単であるが、此法則は如何にも広い範囲を包括して居りまして、此法則に従つて全世界が救はれるのである事を知らねばなりませぬ。今日我国に於ける問題の内で最も面白いのは朝鮮問題であります。日本に福音が伝はつてからは凡そ五十年と云ふ永い年月を経過して居ます、其間福音は凡ての方法を尽して拡められたが、其結果は甚だ微弱であります。然し之れに反して朝鮮が一|度《たび》宣教師の手によつて開かれますと福音は非常なる勢を以て広まりました。かく朝鮮人が基督教を採用した事は米人の保護を受けんが為めであると云ふ者があります、けれどもこれは浅薄なる人々の言《ことば》でありまして朝鮮人を誣《しふ》るの甚だしいものであります。私の朝報の記者時代に同僚であつて今は朝鮮のシスールプレッスの主筆をして居ります山県五十雄君の話しに因りますと、朝鮮で見る様な信者は日本では見る事が出来ない、日本の教師は智識の点に於て勝つて居るけれども信仰に(472)至つては遙に及ばないと云ふ事であります。私は之を姶めは信ずる事は出来ませんでしたが、近来は信ずる様になりました。私の知人に東京では有名な一|人《にん》の朝鮮人がありました。此の人は日本語はあまり達者でなく、丁度私の希語位の程度のものであります。毎週土曜日に来て私の聖書講義を聞き始めましたが、私の驚いた事には二三ケ月たちますと、今度来られた教友諸君よりも深い質問を出すのです、斯くの如き質問は我国人に見る事甚だ稀なものであります。又会堂より申しましても東洋第一の会堂は平壌にありまして二三千人の信者を有して居ります、其重なる会堂は皆独立し彼等によりて維持せられて居る事を見ましても如何に信仰が深く這入つて居るかが解ると思ひます。私は此等の有様を見て深く感じたのであります。日本には教は早く来たが直ちに受けない、然るに朝鮮は直ちに受け入れたのである。故に日本の救は先づ朝鮮に始まつて居ると云へませう。早くより伝へられて而かも不振なる日本は十年廿年の後に基督教が如何に朝鮮人を感化しつゝあるかを見た時に、始めて眼を醒まし驕る事をやめて福音を受けざるを得ない様になるのであります。神が社会を聖化するにも同じ法則に拠るのであります。又此法則に従ひますならば教会を救ひ潔める事も六ケ敷い事はありません。牧師が熱血を濺いで説いても中々聞き容れられない時に、他の教会より牧師を頼んで来てやつて貰ふ、之れは仕方のない事であります。旧教が腐敗しました時にルーテルが出て新教を唱へた為めに天主教が大に改革された事は事実でありまして、今日の天主教は昔日に此して大層善くなつて居るのであります。聖公会が汚れた時にウエスレーが外《ほか》に出て改革を称へたが為めに、聖公会は潔まりました。基督教自身も猶太教より出まして、猶太教を大いに改革したものであります。希伯来書第六第七章にはメルキセデクに就て詳説してあります。猶太教ではモーゼの律法《おきて》に従つて、祭司なるものがレビ族より出さるゝ事になつて居たので、人々は此の種族を大に尊敬して居ました。然るに神は此の外に祭司の職を取り得るものとしてメルキセデクを備へました、勿論メルキセデクはレビ族と無関係の者でありましたが、此の祭司は又レビ族以上の尊敬を受けました。之れも前述の理由に基くものでありまして、レビ族を清めるにはメルキセデクの族より外にはなかつたのです。同様に無教会主義が教会を聖める事になるのは外部より刺戟を与へるが為めであります。ポーロは此の点(473)に注意しまして、猶太人の捨られたる時に希臘人が救はれ、其結果終に猶太人が救はれる時には、如何に幸福であろふかと、速かに彼等の救ひに入らん事を望んで居るのであります。此の事はポーロが羅馬書の十一章二十五節に「兄弟よ我爾曹が自己を智《かしこし》とする事無からん為めに此の奥義《おくぎ》を知らざるを欲《この》まず、即ち幾分のイスラエルの頑硬《かたくな》は異邦人の数盈るに至らん時迄也」と予言して居るのを見ても明かに知る事が出来るのであります。
 今日欧米各国の基督教信者の等しく望んで居る事は、猶太人がキリスト教を信じて我々の仲間に入《い》る事であります。若し此の望みにして成就します時はエクレジアの勢力は何十倍するか分りません、其時こそ世界は凡てキリスト教国となる事が出来るのであります。猶太人中には宗教上の熱心より云ひましても、ペテロの如き又ポーロの如き人があります、故に精神上より見ても恐る可き勢力でありませう。其他美術でも文学でも、凡ての猶太人の精力がキリスト教に捧げられる時は鬼に金棒の観があるのであります。日本人はあまり注意を払つて居りませんが欧羅巴には猶太人の伝道に苦心して居る人が少くありません、それは此事が人類全体の救済と云ふ点より観察する時には実に大切なる問題であるからであります。今日猶太人中にチヲゲニストメント運動と云ふものがありますが、之れは各地に散在せる猶太人をパレスタインの地に移住せしめ、昔しの如く十二種族に分ち、エホバを崇むる国を建設せんとするものであります。猶太人が斯くの如く救ひを望むの念の熾んなる事は隠れなき事であります。何れにしても猶太人が救はれる時に世界が救はれると云ふポーロの信仰は歴史の証明する所であります。
 話は前に返ります。何にしろ私共は信仰が自分丈けに止つて居る内はまだいけないのです、カーライルはメソディストが嫌いでありましたが、彼等を嘲つて、メソディストは臍許り眺めて居るからいけないと評しました、之れは彼等が自分の事許り見て広く人類の救済を見なかつた事を指《さ》したものであります。我々信者の中にても斯かる臍の事許りを心配して居る人は少くない、祈る時にても私私私と云ふ人は沢山あるのであります。併し果して自分の事許りを心配して居てそれで充分でありませうか、否な私も救はれなければならぬが日本も救はれなければなりません。支那、印度、波斯、英吉利等全世界が基督の王国となつた時に初めて自分の祈が成就(474)せられるのであると云へる様にならなければならないのであります。自分一人にて天国に行く事は出来ません、全人類と共に行かなければなりません、日本全国が救はれたのでなければ私は救はれたのではないのであります。家の内を掃除をするにしても、如何程内の塵埃《ごみ》を取り出しても外が不潔であれば何にもならないのです。札幌の人は其家を清める為めには札幌全部を奇麗にしなければならない。私一人が救はれても駄目です、日本国丈けが救はれても駄目です、支那が救はれなければならない、印度が救はれなければならない。英吉利、波斯其の他世界全体が救はれなければなりません。何となれば救は一人の問題ではありません。猶太人、希臘人、全世界の人が救はれなければならぬ筈のものであります。私共は初めは自分、次は愛国者、次はコスモポリタン(世界を家とする人)とならなければならぬ。クリスチアンには二つの型があります、一つは自分の臍計り眺めて居るもの、他は他人の臍許り眺めて、或は社会事業、国家事業、人類の感化等を専門とせる部類であります。之れは双方共誤りでありまして、初めは自己を全ふし、然る後に他に及ぼさなければならぬと云ふが真正の順序でありませう。
 私は諸君がどうかポーロの教ふる様に、基督によつて、義とせられ、聖くせられ、贖はれん事を願ひます。日本は今や大問題に逢着して居るのでありますからどうにかして我等の愛する同胞を我等の群に入れなければなりません、又全世界の人を我等の祈祷の中に入れなければなりません。自分の事を心配するが如く亜弗利加の黒人の事を心配し、又は亜米利加のアマゾン河の岸に残酷なる虐待を忍びつゝある土人の為めに涙を流して心配するに至らねば諸君は真のクリスチアンではありません。私共の此の同情が日本、否、全世界の果迄にも及ばなければ私共の事業は終らないのであります。どうぞ御互に斯くある様に祈り度いと思ひます。        (於札幌独立教会)
 
     愛の別辞
      第四回 羅馬書講義 羅馬書第十六章
 
 今一度始めから大略を云ひます。羅馬書は救ひの書であります、此の救ひは箇人 国人 世界人類の救ひでありまして、現世に初まり死後に及ぶ性質のものであります。人類の問題として之れに勝つて重大なるものはありません。諸君が聞く(475)問題の中で今内閣を苦しめつゝある整理問題にしても、之れが如何に重大なるものとするも、日本国の問題に過ぎません、百年後の問題に過ぎません。けれども救の問題は永遠に亘り人類と神と聖霊とに係るものでありますから何よりも大問題であるのであります。此の羅馬書はポーロが自身で書いたのではありません、後節に書いてあります様にテリテオと云ふ人が書いたのであります。ポーロが何故に自身で書かなかつたかは解りません、或人は眼病にかゝつて居たからであるなどと云つて居ますが、兎に角友人を煩はした事は慥かであります。茲にポーロはテリテオをして筆記せしめて大問題を論じました。彼が救を論じ、人間も動植物も皆神の栄光《さかえ》に帰するものと説いた時には、人間の考へ得る最高最大の能力《ちから》を発揮したのであります。私の友人なる希臘人が申しますに、他国語の翻訳にては分らぬが原文を読めば如何にポーロが熱烈に論じてあるかを知る事が出来ると云ひました。併し英語が読める人はせめて英語で読んで御覧なさい、其力其美其勇実に喩へんに物なき程であります。ポーロは斯くの如くして此の大問題を第十一章の終り迄論じ尽しましたけれども、後《のち》にまだ少し云ひ度い事が残つて居りました。勿論それは十一章迄に論じて来た救程重大なものではありませんでした。 そこで第十二章に入りまして問題は一変します。十二章の第一節に
  「然《され》ば兄弟よ我れ神の諸の慈悲《あはれみ》をもて爾曹に勧む、その身を神の意《こゝろ》に適ふ聖き活る祭物となして神に献げよ、是|当然《なすべき》の祭なり。」
とあります。注意す可きは此「然ば」則ち「この故に」と云ふ字で議論が一転して信者の道徳問題に入つて居る事であります。ポーロは先きに倫理を述べないで人と神との関係則ち教義(コノ言葉は善くありませんが)を述べました。ポーロの議論の順序は大抵此通りであります。羅馬書に於ては教義を説く事山を登るが如く漸々として上つて行きます。猶太人が何故に救はれぬか、義、聖、贖とは如何等の問題に至つて漸く急に全人類が救はれると云ふに至つて山の頂きに達し「其れだからこふしなさい」と下り坂になるのであります。以弗所書も始の三章は教義を論じ、第四章に入りて「それだから」と倫理的教訓となつて居ります。基督教に於て最も大切なるは教義であります、凡ての倫理的観念は皆此教義より生み出されたる結果であります。然るに世上往々之を誤解して基督(476)教とは高尚なる倫理にあらずやと云ひ、又教義は不必要なり、只だ其倫理が此世に於て利用せらるれば足れりと云ふものがあるのです。併しポーロの論じ方は反対でありまして、教義に於て神と人との関係を明かにして後、それだから云々と倫理的になるのであります。教義の立ち場より見ますと、我々が正しく行ひ得ないのは、単に我等が不徳の為めではなくして、神と我等との関係が狂ひたる結果であると解釈さる可きであります。ポーロは論じて教義を明かにし、更に進んで、かくも神の憐みを受けたるが故に「それだから」汝を活ける聖き供物とせよ、敵を許せよ云々と述べ、十三章に入りては政府に忠実なれとも論じてあります。私は今茲で羅馬書にある基督教の道徳につきて述べる時を持ちませんが、我々はポーロは病を其源因より見たと云ふ事に注意しなければなりません。社会の腐敗は倫理的に其結果を見てはならない、神と我等との関係が狂ひたるが故に同胞に対して罪を犯すのであると見る可きであります。或人はポーロの「然らば」を「グレートゼアフォーア」(大それ故に)と称びました。私共がこれから善事《よきこと》をなさんと思ひ立ち、身を生ける供へ物とし、同胞を愛し、家庭を清めん事を決心し、互に愛す可き事を約束
しても、其結果は甚だ覚束なきものであります。然し若し斯様な約束をする前に、私と神との関係が正しくなるならば、教会を組織する事なしに自づと兄弟となり、家庭は清まり、敵と手を握る事が出来るのであります。基督教の倫理は此所にあるのでありまして、彼のベテロ前書第三章に「婦《をんな》は飾つてはならぬ、心の中の朽ちざるものを飾りとす可きである」と説いてありますが、之れは汝は髪や衣服に贅沢をするなと誡めたのではなくして、霊を飾れ然らば他の虚飾は自から廃める様になると教へたものであります。誤れる信者は屡々世の道徳を論ずると同じ態度を以て基督教倫理を考へますが、之れは信仰の性質を知らず、神と和陸する時は他は皆解けると云ふ事を忘れてゐるからであります。柏木の宅に教を学びに来る人の内に上流社会の者が少くありません、初めの内は殆ど男子のみでありましたが、此の節は婦人達が来る様になりました。彼等が最初私を訪問する時には立派な着物をきて、指環を三つも四つもはめ、自然美に加ふるに人工美を以てし実に非常な風であります。若し之れが五年十年前の私でありましたならば頭から怒《おこり》り付ける場合でありましたろう、さうすれば次に私の所へ来る時には粗末な着物を着て来るに(477)相違ありますまい、然し他の所へ行く場合には元の通り着飾つて出掛るに相違ありません。それでは真に人を救ふ事は出来ません。其れで私は此頃は「衣服はそれで善いです、又御出なさい」と申します、而して漸々と神の道を説くのであります。そうすると二度目か三度目には指環の数が減り、次に帯が悪くなり始め、次から次へと私には分りませんが私の内の女達には目に付く様に虚飾が減じて、三四年の後には普通の女の様になつて終ひます。独り私を訪問する時許りではなく、市中で見掛けた場合にも依然として質素な着物を着けて居るのです。之れは神様が解りキリストに交る事が出来る様になつたが為めでありまして、誰れでも信仰が出来ると虚飾を厭ふ様になるのです。教会の熱心が足らぬとか何とか云つて盛んに之れを責める事も時には必要でありますが、実は根元に溯りまして神と教会とを親密にする様にしなければならないのです。之れを要するに神と人と和らぎますならば、人と人とも自ら睦み親しむものであります。第十二章の始めの「然らば」を斯様に解釈しまして十二十三十四章を読んで御覧なさい。第十五章は前後の関係が頗る六ケ敷いのですが、別に大切なる事は論ぜられてありません、従つて十四章迄にて倫理観は終つたと見て宜しいのであります。
 第十六章に至りポーロの云ひ度い事は未だ残つて居ました、彼は是れを述べずには居られません。前章迄に於て彼は人類の救ひを説き、神が全宇宙を救ふ方法に関して滔々として諭じ去りました。それでポーロの偉大なる所は已に尽されて居る様に見えますが、尚此の外に取り残されて居るものがあります。それはポーロの心情であります、彼は優しき心を有つて居ました、堂々大問題を論じた後に、彼はタルソのポーロに帰りて、いみじくも友人に一人々々挨拶を始めたのであります。実に此所を読むでポーロの心情を偲ぶ時は、彼の華厳の滝が飛沫を散らして落下する壮大なる景色の傍に、可憐なる石竹の花が咲き出で、又飛燕の此間を一過するの趣きを彷彿するのであります。壮大なる瀑に対して此さゝやかなる石竹と燕が配合さるゝ事によりて、非常に景色の美を増し瀑の壮をして尚大ならしむるのであります。第十六章は正しくポーロの此の優しくして濃かなる情の発露でありまして、ポーロの偉大は更らに其光を加ふるものであります。福音になくてかなふまじきものは此の心情《ハート》の方面であります。
 第一節第二節に「我ケンクレアにある教会の執事なる我儕(478)の姉妹フイベを爾曹に薦む、なんぢら聖徒の行ふべき如く主に緑《より》て彼を納れ、其需むる所は之を助けよ、彼は素おほくの人を助また我をも助く」とあります。此処に云ふ教会の原語は希臘語のエクレジアと云ふ字でありまして、此の字は単に会と云ふ位な意味しか有たぬものであります。哥林多前書の一章の二節を見ますると「文をコリントにある神の教会に送る」云々とありますが、神の教会と云ふ言葉は奇態に聞えます、然しエクレジアは会と云ふ意味でありまして、区会、道会の会なる意味と少しも異ひません、故に神なる字を附け加へて始めて神の会則ち教会と云ふ意味になるのであります。多くの誤解は此事に注意しない為めに起るのであります。執事はベーコンと云ふ字を訳したのです、其原語の意味は「シモベ」であります、フイベは女でありますから婢《シモメ》と云ふ意味となります。執事と云ふ字は役人を想はしめますから非常なる誤訳であります。それで此の節の意味はケンクレア教会の会員の一人であるフイベを照会するクリスチアンの名に相応はしく彼女を助けて下さい、と云ふのであります。ケンクレアはコリントに近き交通稀なる港でありまして、フイベは其処より羅馬へ上つたのであります。彼女は何か用事があつて羅馬に行くのであるから世話になる事があるかも知れぬ故宜しく頼む、元々|彼女《かれ》は多くの人を助けた、私も助けられたのである、それで彼女をクリスチャンに適ふ方法で助けて下さいと依頼したのであります。之は普通の事ではあるが美はしき事であります。第三節「請ふプリスキラとアクラに安を問《トヘ》云々」 安を問へとは、安否を問と云ふ事でありまして、「サルマレヒム」汝に平和あれと云ふ意味を有つた挨拶に使用する言葉であつて、単に「宜しく」の意味であります。天主教の訳には「宜しく」としてあります、それでは何んだか安っぽい様な気がしますが、原意に適つて居るのであります。プリスキラは女でありましてアクラは男であります、ポーロが嘗てコリントに旅して生活に窮した時、天幕製造人なる此夫婦の厄介になり、其業を助けて糊口の資《し》を得ました。後此の二人がエペソに移つた時、ポーロはそこで復世話になつたのであります。ポーロが此の手紙を書て居る時にはアクラ夫婦は羅馬に帰つて居たと見えます。それで此の人々に宜しくと云つたのであります。「私の為めには非常なる危険に遭ひ、己れの首《かうべ》を刃の下に置いた事もあるものであります、其外我等一同が世話になつた事非常なものでありました、どうか宜し(479)く」と云つたのでして、誠に親切なる言葉であります。第五節「その家にある教会云々」、アクラとプリスキラの家の内に教会があつたらしい、一体教会には何も建物はいらない、二三人キリストの名に於て集る時には此処に教会があるのです、斯様に各自の家に教会がある様でなければなりません。監督の権利が与へられなければ教会にならぬと云ふは偽《いつはり》です。此等の文句によつて如何に当時の教会なる思想の単純で又愛情的であつたかを知る事が出来ます。つまり家にある教会員にも宜しくと云ふ意味であります。之れを今日の教会観と比較して見ると如何にも其差の大なるに驚かざるを得ないのです。東京やニユーヨルクには大なる教会がありますが、我等は二三人の集る所にも教会のあり得る事を忘れてはなりません。我が愛するエパイネと云つて、我が愛すると云ふ字を加へたのは特別に彼を愛して居たが為めでせう、之れには何か意味があるのではあるまいかとの疑問に対して或人は彼は多分ポーロ自身が導いた信者であろふと云ひます。第六節「我儕の為めに多の苦労をせしマリア云々」、此の苦労と云ふ文字は悪く解釈をしますと、嫁が姑《しうと》に苦労をしたとか、主人の下に番頭が苦労をしたとか云ふ所謂苦労の意味になりますが、此の場合には信仰の為めに苦闘した意味であります。故に我等の為めに苦闘したるマリアに宜しくと云ふ意味であります。第七節「また我と同《とも》に囚人《めしうど》となりし我が親戚なる云々」此の文面を正面より解釈しますと、ポーロの親戚であつて囚人となりしものが二人ある様であります。併しそれにしてはポーロはあまり沢山の親戚があり過ぎる様であります。又たとへ沢山の親戚ありとするも、ポーロが信者となりて此の年に至る迄は、まだ二十七八年にしかなりませんから、さう沢山の親戚が信者に改宗せし筈なく、又これが羅馬に集まつて居る筈もないのであります。それで此の親戚と云ふ字の意味は同族と云ふ位の意味でありまして、ベンヤミンの族と云ふ様なものでありませう、又囚人と云ふのは縛られて牢屋に入れられたと云ふ意味ではなく、私と共にキリストの囚人となつたと云ふ意味でせう。つまり私の同族である而して真《まこと》の恵を受けて居る誰れ誰れと云ふ意味です。アンデロニコは夫でジユリアは妻でせう。或人はジユリアをジユリアスとして男と解します。此の二人は何れも聞えある人で、ポーロより先きに信者となつた人であります。第八節第九節に於てアンピリアト、ウルパノ、スタク、等に宜しく、の辞を伝へてあります。(480)ウルパノは多分熱心なる伝道者であつたのでせう。第十節「キリストにありて鍛錬なる云々」、此の鍛錬なると云ふ意味は極く実験の深き、充分にキリストを味ひたる人と云ふ意味でありまして、私共の中に往々斯の様なる兄弟姉妹を見る事があります。斯の如き鍛錬なる人には如何なる事に遭ひましてもキリストを捨てる事は出来ないのであります。此のアペレに宜しく、アリストポロにも宜しくと申してあります。アリストポロは大家の長《をさ》であつて、多くの召使ひを有して居り、彼等の中《うち》に信者が沢山あつたのでせう。つまりアリストポロの家の教会《エクレジア》に宜しくと云ふ意味になります。十一節の親戚と云ふ字には前に説明した通り血族的の意味はありません。そのヘロデオナに宜しく、又ナルキソの家僕中の信者にも宜しくと云つてあります。十二節のテルパイナは夫でテルポサは其妻であります、男女の区別は文字の組み立てによつて解るのです、此二人はキリストの為めに苦闘した人々であります。次にペルシイ、之れは婦人であります。ポーロは彼女《かれ》に対してもエパイネやスタクに対して云ひし通り、「我が愛する」と云つて云へぬ事はないけれども、ペルシイは女でありますから遠慮をして神に愛せらるゝと云つてあります。之れは些細な事でありますがポーロの注意深い事を表はして居ります、彼の偉大はかゝる所にも表はれゐるのです。多くの人は誤つて偉人は小事を顧ぬなどと申しますが、紳士は人の感情を傷けるものではありません、自分は大問題を有して居るのであるから小い事は顧る必要がないと云ふのは紳士的ではありません。ポーロは前章に於て大問題を論じ来りました後で、挨拶をするのであります、我が愛するペルシイと云つて云へぬ事は勿論ありませぬ、けれども彼の注意はかゝる微細な点に迄行き渡つて居るのであります。私も手紙を書く時には大に注意を払つて居ります、考へて見ますと手紙を一本認めると云ふ事は重大なる事であります、此事を思ひますと「どうか誤りがありませぬ様に」と祈らずに居られません、かゝる事をも祈を以てすると云ふ事は善き事であります。第十三節に「主に撰ばれしルポと其母とに安きを問へ、かれが母は則ち我母なり」とあります、実にポーロの優しい所であります。訳《やく》をかへて読みますと「ルポとルポの母に誠によき母であります、この二人の方《かた》に宜しく頼む、ルポの母は自分の母の様に私に思はれる」と云ふ意味であります。ボーロは何処《いづく》かに於てルポの母に世話になつた事があつたのでありま(481)せう、彼は此の事を思ひ出したので此の偉大なる手紙を書いた後で、友人の母を自分の母の如くあれは私の母だと云つたのは誠に美はしい感情ではありませんか。ポーロは他の場合に於て自分の手紙に少しも父母の事を述べて居りませんので、クリスチヤンの親不孝者の手本であると云つて非難する人もありますが、それは何んとでも他に説明が付く事でありませう、兎に角彼が此優しき情緒を保つて居た事は、敬す可き事ではありませんか。十四節十五節にアスキヽリト、ピリゴン、ヘレマ、パトロバ、ヘレメ及び此等の人々と共に居る兄弟達ピロヽコ(女)、ジユリア(女)、ネリオ、それからネリオの姉妹オルンパ、及び彼等と共に居《を》る総ての信者達に宜しくを伝へて居ります。
 以上のポーロの挨拶を読んで諸君は如何なる感を起されるか知りませんが、私は之によつて大なる慰めを感ずるものであります。加拉太書第三章二十八節を開けて下さい、それにはキリスト信者は如何なる人々であつたかを示して居ります。即ち「斯る者の中にはユダヤ人《びと》、またギリシヤ人《びと》、あるひは奴隷、あるひは自主、あるひは男、あるひは女の分《わかち》なし
蓋なんぢら皆キリストイエスにありて一なれば也」とあります。之によつてエクレジアは如何なる人々から成立つかを知る事が出来ます、其実例は此の羅馬書に於けるエクレジアであります、之れが教会でなければなりませぬ。聖書は学問的に智識を以て読む必要はないが、智識的に読む時は其中に面白い事も発見せられるのであります。以上列挙した二十七名の名前の中、猶太|人《びと》の名前が三つ、ロマ人のが四つ、ギリシヤ人のが二十あります。又男女に分類して見ますと、十八は男、残りは女です、又奴隷(召使)もあります。これによつて見ますれば奴隷あるなし、主人あるなし、男あるなし、女あるなし、猶太人あるなし、ギリシヤ人あるなしであります。凡てキリストに在つて一つである事は明かであります。此事実に大《だい》なる福音であります。
 此の中に偶像の神の名を持つて居るものが三つあります、フイベは女の名で月の神の名です、月の神に祈りて生れたものでありませうか。ヘレメは日の神の名であります、太閤、日蓮の誕生の時に太陽が関係したと同じ様な因縁があるのでせう。ネリオは海の神であります、之も何かの関係によつて付けたものと思はれます。こんな調子に偶像の名前を借り来る事は日本でも其例は乏しくありません。併し我々には、偶(482)像を大に排斥して居たキリスト信者達が、何故に偶像の神の名前を其儘使用して居たか、と云ふ事が疑問となつて来ます。併し彼等の態度を察しまするとそんな僅な事はどふでも宜かつたのでせう。之れは注意す可き事であります、大抵の人は名の為めに我を忘れて争つて居ますが。実は名前は何んとでも宜しいのです、クリスチヤンたる本質を備へるならばそれで充分であります。今日は男女《なんによ》同じ会堂に入つて同じ教へを聞くと云ふ事は何の不思議もない事であります。併し能く考へると之れは非常なる恵みであります。ポーロの挨拶に男女の名前を揃へる事が出来たのは全く福音の力であります。福音は男女の間を清めるものであります。
 特別に注意す可き事は色々な人の名前を述べた中に、一人として何か讃め言葉を使つてないものはないと云ふ事柄であります。単に名前のみを述べて挨拶の出来ぬ事はないのであります。しかるに一々讃め言葉を用ひたのは、人の美点を忘れないが為めで、真《しん》にキリストが宿りたる証拠であります。我々は誠に之より学ぶ可き事が沢山ある様に思はれます。他人の噂をするに「彼は何々には有名だと云ふ事だが併し……」と非難し、或は「熱心であるけれども狭い」などと云ひます。然しポーロは違ひます。彼は名前を指すに当りて、美点のみを心に明かに覚えて欠点を忘れて居ります。私は初めてアマストに行きましてシーリー先生に遇ひました時に、先生は誰れ誰れと名前を指して、皆其美点のみを数へました。私は※[手偏+丑]《ひねく》れた人間でありましたから先生は日本人を買ひかぶつたのであろうと思つて居りましたが、後で誠に此の人にはキリストが宿つて居たのだと知る事が出来たのであります。私も日本に帰りましてこれを実行しました時に、人々より往々非難を受けました。生意気な若い書生が先生は人を無暗に賛めるとか何とか彼とか云ふのを聞きました。けれども私はシーリー先生に接しましてから、誰でも善く見える様になつたのであります。彼《あ》の人は学者であるとか、歌が上手であるとか、事務家であるとか、色々長所を附け加へて名前を覚える事が出来るのであります。真実にキリストの感化をうけた者は他人の欠点を忘れて長所をのみ記憶する事が出来る筈であります。我々が若し斯かる優しき心を有つて居るポーロと列んでキリストの台前《みまへ》に立つ時に、果して如何なる裁判を受けるでありませうか、ポーロの信仰は到底我々の比ではありません、彼れの智識も又遙かに我等の上にあります、(483)此の偉大なる人にして女の如き柔和なる心情《ハート》を蓄へて居ると云ふ事は敬服に耐えぬ事であります、どうですか諸君、諸君にこの心がありますか、我々も勉めれば此心が起らぬ事はないのであります、ポーロの如く暖き赤き血の出るハートを持ち度くはありませんか。十六章を読んで二十七人の一人一人に善を言ひ表はしてある彼れの温情に触れました時に、私共は彼を友人として握手したき心地になるのであります。願くは聖霊が降り、聖められ救はれて優しき心を恵まれ、悪事を忘れまする様に、願くは人々相親しみ、平等にして主人あるなし、奴隷あるなし、男女あるなし、位あるなし、智識あるなし、凡て主に於て全く一となるに至らん事を。斯くなるに至らば北海道全道が救はれ此地より新らしき光が出るでありませう.諸君は理屈一方では不可ません、感情一方でも不可ません、ポーロの如く偉大で、ノーブルで、親切であれば、真にキリストを宿す事が出来るものであります。         (文責在記者〓於札幌独立教会)
 
     逝きにし人々
 
 今夜色々話し度き事がありますけれども逝きにし人々、死んだ人々と云ふ事について、少々話してみようと思ひます。
 こんな事は一寸考へると無益の事の様に考へられます、キリスト教は生きて居る人を助けるものであつて、死んで居る人は如何ともする事は出来ない、如何にも、之れは無益の事の様であります。他の方面から見てもあまりに感情に走る事の様で、只分からぬ事を想像によりて語るものとしか考へられません。 然しながら聖書の方面から考へますと、決して無益な事ではありません、死せる人は消へ去つたのであつて、吾々とは関係がないとすれば、聖書の中に分からない事が沢山出来ます。例へばヨハネ伝十四章の始めを見ても、「我れ汝等の為に所をそなへに行く」とあります、此行くと云ふ言葉が私が東京に帰ると云ふのと同じ意味に云はれてをります、死んでしまうと云ふ考へが少しもありません。又吾等の信仰箇条となつて居る復活と云ふ事も、実に此の事がなくては少しも分からなくなります、死せる人が行つてしまい消へてしまつたものとすると聖書の言葉から云つてもさつぱり分からなくなってしまいます、黙示録は生きてゐる人が生きて居る人に言つてゐる言葉でありますが、之れにも何か六ケ敷いわけをつ(484)けねば分からない事になります。此等は聖書研究の立ち場から言つた事でありますが、今度は自分等の経験から考へて見ましても、若しも諸君の中で最も親しき者を失つた時に、夫れが消へてしまつたのだと考へるのは殆ど堪られぬ事でありませう。死と云ふものは永久に別れたのではありませぬ、一時別かれたのであります、否更に近しくなつたものだと考へるべきであります。之れが実に愛する者を失ひし時に起る実際の至情であります。昨夜宮部先生とも話した事でありますが「キリストに依れる者は死しても尚死なないと云ふ事はデモンスツレーテット、フワクト(証明された事実)である」と云つて、本年一月に私が自分の娘を失つた其当時其の枕辺に居つた私の経験を話しました。又岩手県の今夜此処に来て居られる人の若い細君が其の臨終の時の有様をも話しました、彼等が其の死に行く時の有様は如何にも死んで行くと云ふ風がなく、川を渡つて其の向ふに迎ひに来て居る人と一所に何処《いづく》にか行く様な考へでおります。
 かく考へて見ますとキリストに在る者には死はありません、「地の中に眠つてゐて復活を待つてゐると云ふのでなくて今存在し今尚我々と交通して居るのである」とかく信仰の立ち場から見て私共は信ぜねばならないのであります。 第一にプロテスタントチヤーチでは此事には頗る冷淡であります。普通の教会では死者の為めに祈る事は禁ぜられております、死ぬる前に於ては盛んに祈りますが一旦死してしまへば其人の為めに祈る事はありません、此事は殆ど私共には堪られない事であります。此点では天主教の方が聖書の意に協つております。天主教では死者に対して今も尚我等と共にあると云ふ感念を忘れません、其の教会には十二使徒の画像を初め夫れ以外に信仰の為めに死んだ人、即ち殉教者の肖像を残して追想を誘《いざな》つております。天主教の信者は「教会は二つに分かれて居て、一つは地上のもの、一つは天に在るもので、此の二つが上下一つになつて働いてゐるのだ、共同事業をしてゐるのだ」、と云ふ信仰を以ております。プロテスタントは此点に於ては欠けてゐると思ひます。新教の人は此事につきては冷淡で死者は如何ともする事が出来ないと云ふ普通の考を持つております。
 私先年此地に来ましてよく世話にもなり、又よく将来の事についても語り、共に相携へて銭函にも遊んだ事のあるあの神田老人が今此処に居られないのを遺憾に思ひます。神田(485)老人は普通から言へばなくなられたのであつて、教会にとつても大損失であると考へられます。然し私はそうは思ひません、キリストは「我れの行くは汝等の為也」と云はれて居ります。吾々の眼に今見えずとも神田 横山君等、よく尽して下さつた人々は今尚此処に居《をら》れるに違ひない、此の人々が行つてしまつて吾々だけが残つて居ると考へれば成程大損失でありませう。プロテスタントだとそう考へますが、天主教だと死んだ時には其の人達は此世に在りし時よりも尚努力して尽して呉れてゐると考へておるのであります。私は信仰の点から云ふても後者の如く考へるが非常な助になり又之れが本当の事だと思ひます。此等を証拠立てる事は或る人が其友人とか親しい者が逝つてしまつた為めに其の人に非常に力が加はつたと云ふ様な例が数々ある事であります。私の親しく知つてゐる事で次の様な例があります。 私のよく知つてゐる一婦人の夫になる人は私のためにも色々心配して呉れる人でありました、其婦人は人形の様な人で何にもならないと言ふ様な人でありました。良人が急に脳充血でなくなりました時、私は驚いたのみならず、其家の為めにも亦私の為めにも悲しく思ひました。所がそれからと云ふものは、其人形の如き細君が丸で変つた人の様になつて力がついて元の友達が見て驚く位になりました、良人が死してから財産も元の六七倍にもなつたと云ふ有様、私にとりて大損失の筈が反対に大に助けになつてもらつてゐると云ふ有様であります。
 此の事実には野屈をつければつかない事はありません、或《あるひ》は此婦人は能力があつたのではあるが、良人があつてそれを表はす樣会がなかつたのだとか、或は良人が死んだ為に刺戟を与へられて発憤したのだとか、と云ふ様な調子に云へない事はありません。然し良人が死して其力の一半は此世に残つて彼女《かれ》を助け、其の事業を通して吾等をも助けたのだ、と解釈する事が出来ます、そうとる方がよい様に思ひます。
 吾々の中から愛する者が取り去られたと言ふ事は損害ではないと思ふ可きであります、此の考には非常な慰があります、決して悪い考ではありません。今一つ考へて見たい事は教会でも団体に於てもですが、其中に死者が出ない間と云ふものは本当の仕事は出来て居ないのであります、本当の信仰と言ふものは出来ていないのであります、皆が健全で栄へてゐる間は本当に鞏固なのではありません。昔から「殉教者の血は(486)教会の礎石《おやいし》也」と云ひますが、此の信仰を以つて其人が死んだと云ふ事が其の教会の信仰の証明となるのであります。吾等の団体の事業が神の事業なるや否やと云ふ事は此主義を以て幾人が神を讃美して死んで行つたかと云ふ事に在るのであります。木は其実を以て知られると云ひますが、本当の実であるかどうかは此の信仰を抱いて死する人があつて初めて分かるのであります。
 近来私の事業に対して心強く感じます事は、私の伝道により此の信仰を抱いて多くの人がハレルヤを歌つて死んで呉れた事であります。若し此私の信仰を抱いて死んだ人がなかつたとして見ると、私の事業は嘘であります。伊藤と云ふ帝室の按摩がありました、其人が三十一二で死にました。口もきけなくなつて病院に居る時に細君に私の愛吟を持つて来さして、其力なき手で其書中にある「短かき生涯」と云ふ処を指して、「満足だ」と云つて死にました。私のあの短かき詩が彼れを慰める事が出来たと思ふて嬉しく思ひました。私の信仰を人が死んで証明して呉れたのであります。
 此独立教会の事についても或人はどうせ何時迄もは続かないであらうと云ひます、又先日も軽井沢から帰りの※[さんずい+氣]車の中で一宣教師が「北海道の独立教会が永く続くと思ふか」と私に言ひました。然し此教会が常に神と共にあつて、此信仰を以て満足して死んだ人があると言ふ事が何より確かな証拠であります。之れがある間は教会は容易に死にはしないのであります。「かゝる人があつて我々を助けて行く」と斯く信じたいのであります、之れが聖書の示す処だと思ひます。教会は二つ、肉を去りてサウール(霊魂)になつて居る部分と地に残つて居る部分と此二つにして考へたいと思ひます。私は逝きにし人が今も尚吾等を助けてゐて呉れると思ふのであります。              (於札幌独立教会)
 
     ハレルヤ
 
  十月廿日(日曜)夕 感謝会 歴代志略上一六、二三以下
 私も今晩の感謝会に神と皆様の前に感謝の意を述べたいと思ひます、今度札幌に来るについては、久しぶりで石狩の鮭漁も見たいし、登別の温泉にも遊びたいと計画しておりました、然し悉く水泡に帰して少しの暇もない有様でありました。
(487) 私は十一日から今晩まで九日間に十三回も講演をしました、或会の如きは私一人で受け持つた事さへあつて、随分困難な事もありました。けれども幸に健康でつゞける事の出来たのは難有い事であります。私は筆を採る者で口をきく事は滅多にありません、今度札幌に来てかく沢山講演をしたのは、米国から帰つて以来ない事であります。今度の札幌の講演は私には何となく愉快でありました、話をして居る間にも、私の後に誰かゞ立て居て私に話をさせる様に感じて非常に愉快でありました。それで事の此処に到つた訳を述べる事を宥して下さるならば私は諸君に感謝の意の深い事を述べ得るのであります。今日「聖書の研究」読者諸君の集《あつまり》をしましたが、其の席で二三人の人が感想を述べられて、聖書の研究の二、三月号に出て居《を》る記事が感動を与へたと云ふ話でありました。私の一人の娘が死んで諸君を感動さしたかと思ふと、感謝にたへないのであります。勿論一人の娘の死せる事実は天下から見れば何でもない事であります、然し私にとつては大《だい》なる事件であります。私は之には何か神の深い御心があるに違いないと思ひました、私共の愛する者の取り去らるゝには何か深い意味があるだろうとは直ちに感じた事であります。処が札幌でも斯様に人々が此事実によつて感動せられましたし、外国でも此雑誌によつて頑固な人が悔ひ改めて、キリストに来つた例が皆で二十人はありました、未だ私の知らない所にも、同じ力が及んで居るに違いない事と思ひます。娘を失つた其の苦みは急には取り去られません、受けた傷は仲々に癒へません、私は斯る場合に一方に於ては此の傷を癒すために、他方に於ては逝きし者の心を述べるために、もつと多く善をなさねばならぬと思つて居ります。私共が善をなすと云ふ事は此の言葉を以てより多くの福音を伝へると云ふ事であります。私はそうゆふ考であつたものですから、其の時東京の田村君の許に行つて君の教会で三度程聖書の研究をしやうと云ひました、田村君は非常に喜んで受けて呉れました。私は追善のためと思つて、田村君の数寄星橋教会で馬太伝の十三章を三回に亘つて講演しました、同日に此独立教会で田村君が講演をやつたのであります。此前にも田村君と説教の交換をして、田村君が此独立教会で説教をした時に、私は数寄屋橋の教会で講演をした事がありました。今年の夏も亦不思議にも私が頼んで説教を交換する事になりました。私は田村君に「君は札幌に行けば、独立教会で話して呉れ」と頼(488)みました、そんな訳で此の教会でも田村君の来られたのを悦び、田村君も大いに悦んで帰つて来ました。夫れから暫くして此の教会から私に交渉が初まりました「代人をよこす位ならいつそ本人が来て呉れたら良からう」と、あの筆不精な宮部君が一間半もある長い手紙を呉れました。あの学者の宮部君が滅多に云はない言葉が書いてありました、「今度どうしても君が来て呉れねばならぬ、此事さへ出来れば我々年をとつて居る者は何時召されても関はない」と、此の手紙が来ればモー問題は極つたのであります、どんな故障があろふとも、此の手紙を貰つては行かざるを得ないのであります。今私は大きな著述をやつて居ります、其の五百頁からあるものをクリスマスまでにやつてしまはねばなりません、其の上に毎月の雑誌がありまして非常に忙しいのであります。札幌に来ても二三日では足りません、ドウしても往復二週間はかゝります、ドーシテ、此日数が作れるか色々苦心をしました、それで直ぐ原稿を集めて伊香保に行きました、静かな処で一生懸命で勉強しました、宿の者が「此の世の中には、此処に遊びに来る人は、ありますけれども、あなたの様に此処に来て昼も夜も勉強する人はない」と云つて驚いて居りました。
 一生懸命にやつて漸く一週間で作りあげました、初めの百五十頁ばかりを印刷屋にやつて置いてそれから雑誌の方をすませて、漸くやつて来たのであります。処で今度来るにつけては親友の許に手紙をやつて「ドーカいのつて呉れ給へ、祈祷《いのり》を以て私を助けて呉れ」と頼みました。又雑誌を以て広告しまして、「君たちは旅費を自弁し、尊き時間をさいて、私と一緒に来て助けて呉れないか」と云ひました、処が私も私もと来て呉れましたのが十六人ばかりありました。こんな次第で札幌に来たのであります。今日までは一|日《じつ》の隙《ひま》もなく、主なる会合は私一人でやつて来ました、此際私はキリストが慥かに私と共に、居給ふたと信じます、十三回の集りを之れと云ふ失錯もなく、少しも力も抜けずになし終りましたのは不思議な位であります。此の前の安息日に云ひました通り私は死者の存在を信ずる者であります、こんな仕事をする時に、私共と心を同じうし世を去りて天にある人が助けて呉れると云ふ事を信じます。そんな事を云ふのはプロテスタントではない、天主教だと云ふならば、私は天主教で良いのであります。
 私はクラーク先生に助すけて下さる様にいのりました、シリー先生に今度は私を助けて下さる様にと祈りました、此の人、あの人、私の死んだ娘にまでも御前のお父さんを助けて呉れといのりました、キリストが助けて下さつたのみならず、私の愛する人々、私の娘までも慥に私を助けて呉れたと思ひます。此の前の日曜日にも長い電報で先生の成功をいのつて居ると云つて来ました。今度の様に力が此の私のライフに加はつた事は実に空前であります、単に七日間十日間私に満足を与へたのみならず永久の結果を持ち来《きた》しました、此独立教会が之に依て實任を感じ何か茲に新紀元を開いた様な心地がするのであります。
 慥かに今度《このたび》の会合には聖霊の下つて居つた事と信じます、黒岩四方之進君の様なあんな沈黙家が遙々遠くから来て、いのつて呉れたと云ふ事は誰も予期しなかつた事であります。今日「聖書之研究」読者会のすんだ後で黒岩君は私に向ひ「僕も君も今度新にせられたから握手をしやう」と云ふて改めて握手をして呉れました。
 私共の教会の一番古い信者で此沈黙の先生が、今度は言葉の先生となつて、我等をすゝめ励まして呉れた事は札幌学生々活以来ない経験であります。私は実に恵を受けました、一番恵を受けたのは私であります。
 今度《こんど》札幌に来たのは、米国から帰つて四回目であります、第一回には悲観して帰りました、第二回の時はかなりの結果を得て帰りました、第三回目は成功ではありませんでした、然し今度は大成功でありました。明後日は私は凱旋して帰ります、ハレルヤを歌つて帰ります。ドーカ此の会合で諸君に点火された聖霊の火が消へる事なく、此小き火から全国に燃へ拡がる様にいのつて下さい。
 最後に今此処で諸君の感ぜられた事を聖霊の示すまゝに、語るなり祈るなり、口を開くに躊躇する事なく云つて下さい。
           (文責在記者)(於札幌独立教会)
 
(490)     聖書講堂献堂式
                         大正2年11月10日
                         『聖書之研究』160号
                         署名 中田信蔵
 
  柏木聖書講堂の献堂式は十月二十八日夜を以て挙げらる。未だ室内の装飾は完成されないが恰も札幌なる官邸博士上京中なるを以て時日を繰り上げ早卒挙式の事としたのである。読者諸君は已に熟知せらるゝ如く、同博士は内村先生と最も深き親しき関係を有せられ、基督を信じてより茲に三十六年間福音のために力を尽し相援けて今日に至りしもの、内村先生は中央の地に在りて伝道に全力を注がれ、博士は札幌に在りて独立教会のために尽され、同教会をして今日あらしめたる者、本講堂の成るの時折よく上京されしは誠に奇縁とも言ふ可く、同博士によりて命名され、献堂式を拳ぐるを得たのは一同の満足此上もなき事である。実にも美しく楽しき式であつて会衆の心に湧き立つ希望と感謝の気は自ら堂内に溢る。先生の親友牛込教会牧師田島進氏の祈祷によりて式は開かれ、内村先生出埃及記三十五章四節より二十九節までを朗読され、大要左の如く述べらる。
 此所に落成を告げたる当講堂は見る如く甚だ宏壮と言ふ可きではないが、而し是は各が真に心より願ふ所を携へ来りて建てられたるもので其中に或は人の名誉心に訴へ或は情実に由り或は勧誘に勉め等して得たる金銭、若くは普通吾国基督教社会にある条件付なる外国人の補助に由る金の厘毛も含まれて居らないのは他の何物にも勝る満足であり、感謝であり、又或意味に於て誇るに足る所である、吾等は単に吾等自身のためでなくキリストのため、福音のために飽くまで自由を維持せねばならぬ、是なくしては如何なる大講堂も要らないのである。此講堂は小なりと雖も人々の心よりの献物によりて成りたる者なれば自由を制限さるゝ事は毫もないのである。今日此講堂を与へ給ふたる神は、今後十年或は五年或は三年或は一年にして我等が更に大なる講堂を要するに至つたならば必ず是を与へ給ふ事であらう。抑此所に聖書講演の始められたる最初は日曜日毎に家族のために聖書を講じたるものにて、次第に是に友人加はりて十人となり二十人となり五十人となり遂に今日に至つたのである、始めは余の書斎に於てし明治四十年今井館献ぜられてよりは同館に於てし、本(491)年此所に此講堂を得るに至つたのである、順序正しき発達を遂げ来つたので誠に感謝に堪えぬ次第である。
 去る明治三十三年の夏故今井樟太郎氏に初めて京都に於て面会して語りし時に、氏は小なる一商人であつたが、其高潔なる心事は自ら語る所に現はれ、此人こそ神の御事業を助くる人であらうと思ひたりしも、其後久しからずして此の世を去られし時は甚しく失望したが、氏は決して死せしに非ず、永久に生きて神のために尽すものを助けつゝあるのである 今井夫人に由り氏の精神は継がれて先に今井館は献ぜられ爾来聖書を講ずる場所となし、其他神の事業のために使用され大なる便宜を得つゝありしが、本年夫人東京に移られ今井館が聴講者を容るゝ事の出来ないのを見られて改築を申出られ、八月初め工を起し教友心を尽し念に念を入れて建築を進め充分の注意を以て落成を告げた、折よくも最も深き関係を有する親友宮部博士の臨席を得、氏に由りて命名されて此堂を開くを得るは感謝喜悦に堪えざる事である。冀くは神許し給はゞ吾舌の続く限り吾視力の続く限り此所に聖書を講じて此世を終へんことを云々。
 次いで宮部博士壇に進みて祝辞を述べられ、当館を「今井館附属柏木聖書講堂」と名くる旨を宣せらる、田中龍夫氏一同を代表して今井夫人に感謝の紀念品を贈呈し、内村先生の祈祷を以て式を終り茶話会に移る、両先生の札幌農学校時代の談は一同に無限の興味を与へ歓談笑語に夜を更し十時に至りて散会す。
 
(492)     永遠に在す基督
                           大正3年6月12日
                           『護教』
                           署名 内村鑑三氏
  「是故に爾曹ゆきて万国の民にバプテスマを施し之を父と子と聖霊の名に入て弟子とし、且わが凡て爾曹に命ぜし言を守れと彼等に教よ 夫われは世の未まで常に爾曹と偕に在なり アーメン。」(馬太伝廿八の二十)
 今より三四十年前私が初めて聖書に接した時、此聖句を解釈するのに至つて容易であつた。此深い意味の言葉に依て基智教の伝道は初まり、日本に這入り遂に私自身にまで及んだと解釈すれば可かつた。乍併最近三十年の聖書研究は斯んな解釈に対して大反対を齎して来た。仏教や基督教の敵より来ないで、基督教界の立派な学者や神学者より大反対が来たのである。或る学者は曰く、一度死んだ耶蘇が昇天する際に人が解る言葉を発したのは奇怪千万だ、之は基督の言葉ではなくて馬太か馬太伝を編んだ者の言葉に違ないと。或る立派な人は、三位一体の思想は使徒時代以後の産であるから、父と子と聖霊の名に入れと云うのは基督の言葉ではない、ずつと後代の作であると言うて居る。其他バプテスマに就ては浸礼教会と他教会と其説を異にし一の疑問として残つて居る様に、千九百年問外国伝道の基を開いた此言葉は、目下基督教の学者に依て基督の言葉でないと言はれて居る。基督教界の田舎に住む私は、此聖句を如何に解釈して可いやら実際困つて居る。乍併私は基督の誕生を信ぜずには居られない、三位一体説も必ずしも後代の記入とは云へない。其間に種々の学説が有つて確証を与へるのは困難であるが、要するに此問題は古代学や文法学や歴史学等の解決を待たねばならぬ。幸に最後の聖句『われは世の未まで常に爾曹と偕に在なり』は基督の言でないとするも、事実を以て証明する事が出来る。宇宙の真理を証明して余ある此聖句は、千九百年の人間の歴史であり日本の歴史であり、それで尚ほ疑へば私の歴史であると告げたい。批評家の手を離れて独立な私の立場より之は事実であると信ずる。
 『われは世の末《おはり》まで常に爾曹と偕に在なり』 普通に読めば深い意味を認めないが、深く考ると深甚の意味を感ぜざるを得ない。基督は天に昇る際に之を言葉として言ひ放した様に見へるが、世界の歴史は其事実を証してゐる。基督の福音(493)位世の中で驚く可きものは無い。基督教は今こそ英国の宗教となり米国の宗教となり露国の宗教となつたが、基督教が初めて世界に出た時は内憂外寇交々至り今にも微塵に砕けはすまいかと気が気でない有様であつたが、遂に基督教は勝利を獲て今日に至つた。或人は基督教が幸に優秀なる白人種の手に入つたから今日の優勢を獲たのであつて、基督教と仏教と其位置を換へれば仏教も優勢を致したに相違ないと地理的説明を施すが、仏教が基督教の立場を占たなら今頃は滅亡して居たであらう。基督教はコンスタンチヌス大帝の保護を受なかつた、コンスタンチヌス大帝が基督教の保護を受けたのである。西洋人は基督教を日本に持つて来たと言つて誇るが、何ぞ知らん基督が其宗教を此国に宣伝し給うたのである。日本の基督教を維持する者は米国人ではない唯基督である。基督御自身が大なる事業を為しつゝある事は、世界の歴史が充分に証明して居る。基督教が基督を維持するのではない、基督が基督教を支配し給ふのである。
 世界の歴史が訴へないなら、日本五十年乃至三十年或は十年の歴史を観よ。全体は覗《うかゞわ》れないが部分を見ても同じ事が解る。卅年前衆人が寄つて基督教を倒さうと努めた時に、私等は縮み上つて居た。乍併吾等小さいダビデと彼等大きなゴリアテとの戦の結果は如何であるか。成程内に教派有つて兄弟相争ふの醜体を示し外に幾多の反対も有るが、今日の有様は基督が常に我等と伴ひ給ふ事を証して余ある。廿年前数ふるに足らぬ私が教育勅語に低頭しなかつた時、全帝国は廿七八の私を掴《つま》み殺さうと迫つた時、国粋保存尊王奉仏の輿論が湧いた時、私は廿年待つて居れば可かつた、又廿年待つて居て可かつた。其間に仏教の根本は倒れて仕舞ひ、基督教は不忠だなぞと罵つた連中は反て不忠になつて居る。之は私等が戦つたからではない、私以上の大なる基督が日本に闊歩し日本に伴ふて居給うたからである。宣教師の御蔭ではない主基督の庇護に外ならぬ。感謝を唯基督にのみ捧げよ、そして吾等は出来る限り主の御苦痛を頒ちたい。日本基督教会が傑《えら》いの浸礼教会が優るのと誇る必要は毫も無い。吾等には何の功労も無い唯基督を讃めねばならぬ。
 私が今尚ほ信仰を持して居るのは全く基督の御蔭に外ならぬ。私は幾度基督を棄てやうとしたか知れない、教会の冷酷なのに堪え兼ねて何度不信者にならうとしたか知れない。然しながら基督は屡々私を愛する者と呼び給うたから、私は(494)信仰を持つて今日に至る事が出来た。私を今日まで活かした者は教会でない、朋友でない、基督のみである。基督が世界に日本に私等に『われは世の末まで常に爾曹と偕に在なり』との聖句を事実を以て証明して居給ふ。
 小船のやうな私等は基督と云ふ流に棹さして、基督の小旗を樹てゝ蚊の鳴声のやうな声を上げて生活して行く。私が村を感化しやう私が老爺《おやぢ》に道を伝へやうと思うのは、飛んでもない間違である。失敗に失敗を重ねて後に、私は小児一人をも救ふ事が出来ないのに気が付いて全く神の道具となつてこそ、人一人に伝道する事が出来る。教会の傑物になつたり宗教的政治家になつたりして基督の任《いま》す事を忘れた時、私等の伝道に何の功果が有らう、米国人が日本は伝道しても駄目だと言つて去つても毫も悲しむに足《たら》ない、何故ならば日本は基督の所有であるから。基督教は信者の所有でない教会の所有でない、唯基督の所有である。『われは世の末まで常に爾曹と偕に在なり』との言葉を事実を以て世界に日本に私等に証明し給うた基督にとつて、之は彼の最後の言葉として最も適当である。吾等は基督の世の末まで常に偕に在し給ふ事を信ずるから、加藤博士や本願寺の乱暴なんか何でもない。日本は確かに基督の国となるに相違ない、若し然うならぬとしたら大変である。世の中で此歴史の顛倒位大変な事は無い。私は諸君が逃げる敵を追ふが如くに此人生に闊歩せられん事を切に希望する。
  (日本バプテスト神学校卒業式に於ける説教、校閲を経ざれば、文責筆者にあり)
       〔2022年10月17日(月)午前9時16分、入力終了〕