内村鑑三全集22、岩波書店、508頁、4500円、1982.6.24
 
一九一五年(大正四年)一一月より一九一六年(大正五年)一〇月まで
目次
凡例………………………………………… 1
一九一五年(大正四年)一一月―一二月
Household of Faith. ……………………… 3
必ず聴かるゝ祈祷 他……………………… 4
必ず聴かるゝ祈祷
患難の恩化
患難と信仰
恩人の種類
根本問題
キリストの神性に関する新約聖書の明言… 7
伝道之書 研究と解訳………………………18
伝道の書に就て
伝道之書の研究
コーヘレスの発見
コーヘレスの中庸道
事業熱に捕へられしコーヘレス
官吏生活を試みしコーヘレス
伝道之書解釈
伝道之書綱目
救はるゝとは……………………………… 126
此書の著者に就て〔別所梅之助著『武蔵野の一角に立ちて』序文〕…… 127
The Christmas Bell, 1915.クリスマスの鐘声…… 129
思ふ所に過ぐる平安 他………………… 131
思ふ所に過ぐる平安
クリスチヤンは何である乎
我等の礼拝
愛の中立
ノアの大洪水を思ふ……………………… 135
信者の三大知覚…………………………… 142
明石の会合………………………………… 151
『旧約十年』〔序文・目次のみ本巻収録〕…… 154
序文の代りに…………………………… 155
一九一六年(大正五年)一月―一〇月
Bushido and Christianity.武士道と基督教…… 161
大恩恵 他………………………………… 163
大恩恵
恵と信
二箇の信仰
イエスを信ず
祈祷の執成
静かなる信仰
望の理由
世界の主
基督教的雑誌の発行……………………… 169
憎まれよ憎むな…………………………… 172
恐るべからざる者三 ……………………… 173
簡短なる信仰 「イエスよ救ひ給へ」… 174
Narrow and Old.狭くして旧し ………… 182
繰返し 他………………………………… 184
繰返し
安心と平康
救拯の信仰
信者の製作………………………………… 188
彼得前書に表はれたる教会観…………… 189
基督信者の行為…………………………… 196
Certainty of Faith.信仰の確実 ……… 203
終に彼を棄てる 他……………………… 205
終に彼を棄てる
幸乎不幸乎
最も善き事=信仰
信仰の恩恵
信仰の実質
忘恩的基督教
神の約束としての基督教………………… 210
強くなるの途 以弗所書六章十節の研究…… 215
イエスの謙遜 腓立比書二章五―十一節…… 220
初代信者の交際 彼得前書五章十二―十四節…… 224
彼得前書に於ける「教会」と云ふ文字に就て…… 228
故加藤博士と基督教……………………… 230
Churches and Missionaries.教会と宣教師…… 233
罪の処分 他……………………………… 235
罪の処分
強烈の愛
神の忿怒と贖罪…………………………… 237
新約聖書は如何にして成りし乎 郊外散策の途上内村先生の語り給ひし処…… 246
遠人の接待 彼得前書四章七―十一節… 250
神の武具 以弗所書六章十一―二十節… 254
Protestantism.プロテスタント主義…… 259
後継者問題………………………………… 261
イエスの最初の奇跡 約翰伝二章一―十一節…… 265
聖書研究の目的…………………………… 270
幸福の途…………………………………… 275
出埃及記講義……………………………… 276
第一回 イスラエルの救出とモーセの出生
第二回 モーセの出現
第三回 モーセの聖召
第四回 モーセの辞退
第五回 イスラエルの救出―解放第一歩
第六回 イスラエルの救出とエジプトの裁判
第七回 逾越節の起源
第八回 除酵節
第九回 細則の意義
第一〇回 初子の聖別
第一一回 紅海の横断
第一二回 神の僕モーセの歌
第一三回 メラの水とエリムの棕櫚林
第一四回 マナの下賜(上)
第一五回 マナの下賜(下)
第一六回 レピデムの幕張
第一七回 曠野の団欒
第一八回 律法の宣布
第一九回 十誡の解(上)
第二〇回 十誡之解(下)
十誡第六条の適用
五月の春…………………………………… 365
『旧約聖書 伝道之書』〔献辞のみ収録〕…… 366
Quantitative Christianity.数量的基督教…… 368
救済の確信 他…………………………… 370
救済の確信
神の事業
道と門
慰めらるゝの途
嘲笑の福
日本に於ける聖書の研究………………… 376
初夏の田園………………………………… 380
Missionaries and Language.宣教師と国語…… 381
自己の発見 他…………………………… 383
自己の発見
過激と狭隘
失敗の成功………………………………… 385
欲しきもの………………………………… 390
The One Work.惟一の事業 ……………… 391
神の存在の証拠 他……………………… 393
神の存在の証拠
奇蹟の存続
意志の宗教
栄辱を共にす
貧富の道
光明の明日
教義と儀式
儒者に学ぶべし
Second Coming of Christ.キリスト再臨の信仰…… 399
欧洲戦争と基督教………………………… 401
如何にして偶像に対すべき乎…………… 407
現在し給ふキリスト……………………… 416
制度と生命………………………………… 420
人格と信仰………………………………… 425
Universal Salvation.普遍的救済……… 427
秋の夕……………………………………… 429
希望の生涯 他…………………………… 431
希望の生涯
歓喜の極
完全なる人生
信仰と待望
注意せよ
祈祷の永遠的効力
希望の種蒔
伝道の目的………………………………… 438
地の塩……………………………………… 443
初代基督教の要義 キリスト再来の信仰…… 449
イエスと教派……………………………… 459
良心の無き国民…………………………… 465
別篇
付言………………………………………… 469
社告・通知………………………………… 472
参考………………………………………… 474
福田紀子の葬儀における説教………… 474
 
一九一五年(大正四年)一一月―一二月 五五歳
 
(3)     HOUSEHOLD OF FAITH.
                         大正4年11月10日
                         『聖書之研究』184号
                         署名 K.U.
 
 As an independent Christian, I thought I stood alone in this country. But now I think otherwise Thirteen millions of my countrymen who profess the Jodo form of Buddhism are my brothers and sisters in faith. They take the same attitude towards their Amida Buddha that I take towards my Jesus the Christ.Change but the object of faith,and they are like me,and I aml ike them. And faith being the human side of religion,by faith we are united in religion,and not by the object of faith. My own Christ said:Not every one that saith unto me, Lord, lord, shall enter into the kingdom of heaven ; but he that doeth the will pf my father which is in heaven. And that will is no other than FAITH.
 
(4)     〔必ず聴かるゝ祈祷 他〕
                         大正4年11月10日
                         『聖書之研究』184号
                         署名なし
 
    必ず聴かるゝ祈祷
 
 我が祈祷が聴かれないと云ふ時に祈祷以上が聴かるゝのである、祈祷が聴かれないのではない、我等が祈求《もと》むる所、思惟《おも》ふ所よりも甚《いた》く過《まさ》りて聴かるゝのである(以弗所書三章二十節)、基督者《クリスチヤン》の実験にして之よりも確実なる者はない、世人は何と言ふとも我等は此事を信じて動かないのである。
 
    患難の恩化
 
 余がキリストを信ずるに至りしまでに余に臨みし患難はすべて神の刑罰であつた、然れどもキリストを信ずると同時に余に取りては患難は恩恵と化したのである、其後に余に臨みし患難はすべて恩恵として臨んだのである、キリストは余に代りて余の受くべき刑罰を御自身に受け給ひしが故に、彼を信ずる余にもはや刑罰の臨みやう筈はないのである、患難は同じ患難である、而かも不信者には刑罰の患難であつて信者には恩恵の患難である。
 
(5)    患難と信仰
 
 患難に遭ふてキリストに来る人がある、キリストに来りて患難に遭ふ人がある、患難と信仰との間に深き関係のあるのは事実である、然し乍ら患難が前にして信仰が後なるは低き信仰である、信仰が前にして患難が後なるは高き信仰である、而して事実如何と云ふに百中九十九までは患難に逐はれて之を免かれんための信仰であつて、患難を醸すが如き信仰とては雨夜の星の如くに寥々たる者である、而して神の求め給ふ信仰の患難を慰められんための信仰に非ずして、患難を喚起すほどなる信仰なることは言はずして明かである。
 
    恩人の種類
 
 恩人とは儲けさして呉れた人である、地位を周旋して呉れた人である、学問を為して呉れた人である、金を与へて呉れた人である、妻を求めて呉れた人である、此世の所謂恩人はすべて斯んな者である。
 然し乍ら真の恩人は爾んな者ではない、真の恩人は我にキリストを紹介して呉れた人である 我がキリストの僕たるの端緒を開いて呉れた人である、斯の人は我に永久の利益を施して呉れた人である、如何なる此世の財貨も幸福も此賜物には及ばないのである、キリストを神として仰ぎ、主として事へ、友として交はりて我は最上の幸福に達したのである、パウロの所謂る言ひ尽されぬ神の賜物とは此賜物である、我は此賜物のある事と之を獲《う》るの途とを我に示して呉れた人を我の真の大恩人と認めざるを得ない。
 
(6)    根本問題
 
 英国聖公会に属する或る信者は言ふ『聖書之研究』の説く所は我が教会の説く所なりと、羅馬天主教会に属する或る信者は言ふ『聖書之研究』の説く所は我が教会の説く所なりと、露国正教会に属する或る信者は言ふ『聖書之研究』の説く所は我が教会の説く所なりと、北欧ルーテル教会に属する或る信者は言ふ『聖書之研究』の説く所は我が教会の説く所なりと、米国バプチスト教会に属する或る信者は言ふ『聖書之研究』の説く所は我が教会の説く所なりと、其他メソヂスト教会又はフレンド教会又は「日本基督教会」に属する或る信者にして同一の言を発せし者あるを余輩は知れり、而して又浄土宗の或る敬愛すべき僧侶は屡々余輩に告げて言へり『聖書之研究』の説く所は正さしく是れ法然上人の説き給ひし所なりと、又本願寺派の或る僧侶は此誌の忠実なる読者にして、曾て余輩に書送りて曰へり『聖書之研究』の説く所は親鸞上人の説き給ひし所なりと、斯くて此誌は多派多宗の迎ふる所となりて其発行を継続けて今日に至れり。
 依て知る余輩の説く所の信仰の根本に関はる所なることを、信仰を其根本に探索めて仏教基督教の差別あるなし、正統異端の区分あるなし、余輩は信仰を語らんと欲す、教義を説かんと欲せず、而してすべて深く信じ聖く行はんと欲する人と兄弟姉妹の関係に入らんと欲す。
 
(7)     キリストの神性に関する新約聖書の明言
                     大正4年11月10日、5年2月10日
                     『聖書之研究』184・187号
                     署名 内村鑑三
 
 今やキリストは神なりと断言するは神学界の禁物である、キリストは神なりと断言して今や「旧式」を以て譏らるゝの虞がある、キリストは神に充たされたる人であると言へば安全である、社会は斯く唱ふる者を許し、教会は斯く道ふ者を喜ぶのである、今やキリストの神なる事は教会の必要的信仰箇条ではない、曾ては三位一体を拒む者の異端征伐に従事せし教会は今や自からキリストの神なることを明確《はつきり》と唱道することを厭ひ、彼の人なることを説くを以て「進歩思想の系統に属する」大なる名誉と信ずるのである、今や正統教会に在てもキリストの性格は信仰の重要問題ではないのである、唯社会事業が挙りさへすれば、其れで事は足りるのである、監督、宣教師等の教権を認めざることである、之に入り之を認むる以上は何を如何に信ずるとも、其事は異端として認められないのである、最も怪態《けたい》なる者は今の所謂基督教会である。
 而して神学者の謂ふ所を聞けば聖書は何処にもキリストは神なりと明言して居らぬと謂ふのである、而して其聖書は如何なる書である乎と問へば、彼等は答へて曰ふのである、聖書は人の記《か》いた書であつて他の書と何の異なる所はない、唯其取扱ふ題目に於て異なるのみであると、彼等は聖書を軽く見て其聖書に明言なきが故に信ぜずと云ふのである。
(8) キリストは神であると云ふ、若し其事が真理であるならば、是れ聖書の此言彼語を以て決定《さだ》めらるべきことではない、是れ聖書全体の示す所、信者全体の実験の証する所でなくてはならない、キリストの神性は宇宙の中心問題である 故に聖書の数節の能く之を支え得べき者ではない、余輩は茲に此事に関する聖書の明言を掲ぐるに方て、之を以て此事を証明せんと欲するのではない、唯聖書は何処にもキリストは神なりと明言して居らぬとの現代流行の神学説に対し余輩の所見を述べんと欲するのである。
 聖書は多くの処に於てキリストは神なりと明言して居ると余輩は信ずる、今茲に其|主《おも》なる者を掲げ、之に関する余輩の考察を陳べたく思ふ。其第二は言ふまでもなく約翰伝第一章第一節である。
  道《ことば》は即ち神なり
とある、此場合に於て「道」なる言辞は如何に解するとも、其のキリストを指して謂ふ者なるは明かである、其事は第十四節に「道肉体と成りて我等の間に寄《やど》れり」とあるを見て疑ふべくもない、キリストと称ばれしナザレのイエスは道の肉体となりて人類の一員として現はれしもの其者は即神なりと謂ふのである、明白なる文法は是れ以外の解釈を許さないのである、然し乍ら神学者は容易に此解釈を許さないのである、彼等は言ふのである、茲に「神」とあるは天地万物の造主なる真の神を指して謂ふのではない、原文には唯 Theos, God とあつて、ho Theos, the God と云ふて居らない、即ち道は神的である、神らしき者であると云ひしに止まつて、神であると断言したのではないと、茲に至て問題は古代に於ける神 theos なる詞の用法に入るのである、或る学者は曰ふ、神なりと云ふ場合に冠詞は要らないと、他の学者は曰ふ要ると、権威《オーソリチー》は二派に別れ、余輩は其間に介して孰れを是、孰れを非と定むることは出来ない、唯一事は明瞭である、茲に道(此場合に於てイエスを指す詞なるは何人《たれ》も疑はない)…道は神 theos なりと明言してあるのである、而して斯かる言辞は聖書に在りて曾て一回もイエス以外の人に関して用ゐられたことはないのである、故に「道は神なり」との約翰伝劈頭の言はキリストは神なりとの意なりとの推定は、単に神的なり又は神らしき者なりとの意なりとの推定よりも重きことは明かである。
 其の第二は同じく約翰伝の第二十章第二十八節である。
  トマス答へて彼(イエス)に曰ひけるは我主よ我神よ
と、茲に十二弟子の一人なるトマスはイエスを呼びて「我神よ」と云ふたのである、而してイエスは神なる名称の自己に当嵌られしも敢て之を拒み給ふことなく、直にトマスに告げて曰ひ給ふたのである、
  汝我を見しに因りて信ず、見ずして信ずる者は福なり
と、斯くてイエスは茲に自己が神なることを明かに黙認し給ふたのである、彼は「神よ」と呼掛られて、ペテロがコルネリヲに曰ひしが如くに「我も亦人なり」とは曰ひ給はなかつた(行伝十章廿六節)、彼は又バルナバとパウロとがルステラの人等に神として扱はれし時「我等も亦汝等と同じ惰性を有つ所の人なり」と曰いて彼等の誤謬を正せしが如くに、此場合に於けるトマスの誤謬を正さんとは為し給はなかつた(行伝十四章十五節)、彼はピラトが彼に問て「汝はユダヤ人の王なる乎」と曰ひし時に、之に答へて「汝が言へる如し」と曰ひ給ひて、其の実に彼れピラトの言の如くなるを証し給ひしが如くに、トマスに神なる尊称を奉つられて彼は沈黙をもて彼の神性に関するトマスの信念を是認し給ふたのである(馬太伝廿七章十一節)、「我神よ」と其弟子に称ばれながら御自身其尊称を拒否し給はざりしイエスは実に神であつたのである。.
 然し乍ら現代人は聖書の此証明をも亦容易に承認しないのである、彼等は言ふのである、(一)約翰伝はイエス(10)の実伝として見ることは出来ない、故に歴史的に価値なき此書の言に由りてイエスの神性を判定する事は出来ない。(二)縦し約翰伝の伝ふる所に多少の歴史的価値ありとするも、トマスの此言たる復活せるイエスに向て彼が発せし者であつて、復活其物の一般に否定せらるゝ今日、トマス対復活せるイエスの対談を以て事実と認むることは出来ない。(三)縦し又実に此事ありたりとするも、是れトマス一人のキリスト観であつて、之を弟子全体のキリスト観として見るの必要なく、又勿論之を吾人今日の基督信者の信仰箇条として守るの必要はない、トマスはトマスたり、吾人は吾人たりである、殊にイエスは此場合に於てトマスの言を明かに是認し給ふたのではない、之を不問に附し給ふたのである、黙認といふは不当である、不問である、イエスは自己の性格問題といふが如き思索的問題には何等の興味をも有ち給はなかつたのであると。
 或ひは然らん、世に現代人を満足するに足るの信仰問題は無いのである、唯茲にイエスの弟子が明かに彼を神として認めし記事が存つて居るのである、而して他の事実よりして彼を神として認むる者は約翰伝の此所に同一の信仰の表白あるを見て其の信念を益々強くするのである、約翰伝の歴史的価値如何の如きは今茲に之を論究するの必要はないのである。
 其の第三は有名なる羅馬書第九章第五節である、曰く、
  列祖《せんぞたち》は是れ彼等(イスラエル人)が先祖なり、肉体に由りて言へばキリストも亦彼等より出たり、彼は万物の上に在りて世々讃美を得べき神なり、アメン
と、若し此訳文にして誤謬なくば、茲に最も明白に、最も紛《まぎら》ひなく、キリストは神なりと聖書に記されてあるのである。
(11)  彼(キリスト)は万物の上に在りて世々讃美を得べき神なり、アメンとある、別に註解を附するの必要はない、文字其儘にて明白である、キリストは神なりとの事を之よりも明白に言表はすことは出来ない、聖書の中にキリストは神なりと明白に謂ふたる言はないと云ふは誤謬である、羅馬書第九章第五節は最も明白に此事を謂ふて居るのである。
 然し乍ら此場合に於ても亦近世神学は故障を申立てざるを得ないのである、彼等は曰ふのである、パウロの此言たる、是れキリストに就て謂ふたのではない、父なる神に就て謂ふたのである、パウロは此所に神の驚くべき摂理に就て述べて、感嘆の余り父なる神に対し此の讃美の声を揚げたのである、故に「彼は万物の上に在りて云々」の言辞《ことば》は挿入語として前後の関係を離れて解すべき者であつて、決してキリストに関する者として解すべきではない、聖書は他の所に於て曾て一回も斯くも明白にキリストは神であるといふた事はない、故に此場合に於ても此言辞をキリストに適用すべきではないと。
 又たルーテルと同時代の聖書学者なりしエラスマスは此言辞に就て下の如き解釈を下して居るのである、彼は言ふのである、パウロの此言辞たる之を左の如くに二分して読むべきである、即ち
  彼(キリスト)は万物の上に在り、神は世々讃美すべき哉、アメン
と、即ち前半句はキリストに関はる言辞であつて後の半句は神に関はる者である、「キリストは万物の上にあり」とあるは昇天せるキリストの万物を統治《すべおさ》め給ふ事を云ふたのであつて、新約聖書全体のキリスト観を茲に繰返して云ふたに過ぎない、而してキリストに此権能を授け給ひし神を讃美せんために後の半句が加へられたのである、パウロの此言たる、キリストの宇宙統治権を認むると同時に其至上権は之を神に帰し奉りしパウロの神学思想を(12)述べたのであると。
 実に気むつかしきは神学者なるかなである、彼等は容易に単純なる信仰の要求を入れて呉れないのである、キリストは神なりと信じて漸くにして茲に聖書の証言に接したりと思ひて喜べば彼等は文法を引出し、古例に訴へて、懐疑の冷水を信仰の熱心の上に注ぐのである、我等は時に願ひて言ふのである、世に神学者の在らざらんことを、彼等微りせば我等の信仰は如何に易からんと、然し乍ら神は彼等を世に遣り給ひて我等をより深く光明の域へと導き給ふのである、伝道之書の著者の言を藉りて曰へば、神学の此世に在るは「神が世の人に之を授けて之に身を労せしめん」ためである(一章十三節)。
 然しながら、すべての神学者がパウロの此言を其単純にして明白なる意味より離さんとするのではない、世に棄る神学者があれば又助くる神学者がある、而してパウロの此言をイエスの神性の明白なる証明として解する神学者の中には左の如き大なる権威者《オーソリチー》があるのである、即ち古代の神学者としてはイレネウス、テルツリアン、オリゲン、クリソストム、アウガスチン、イエローム、テヲドレー、近世の神学者としてはルーテル、カルビン、ビーザ、トールツク、ウステリ、オルスハウゼン、フィリッピ、ゲッス、リッチル、ホフマン、ヴアイス、デリッチ、シュルッツ、(ゴーデー氏の列挙に依る)、是等は神学の大権威者《だいおオーソリチー》である、我等は勿論人に拠て立たない、我等の拠て立つ所は神よりの直接の黙示と、我等の確実なる実験とである、然し乍ら茲に我等の有せざる深遠該博の智識を以て我等の信ずる所を確証して呉るゝ信仰の先達者あるを知りて、我等は我等の教主なるイエスキリストの神なることを信ずる上に於て甚だ心強く感ずるのである。 〔以上、11・10〕
 イエスは曾て一回も自から「我は神なり」と明白に言ひ給ふたことはない、其れ故に彼は神であると謂ふこと(13)は出来ないとは所謂現代人の屡々唱ふる所である、乍併、其事は彼が神でない証拠にはならない、世に未だ曾て真の聖人にして自から「我は聖人なり」と謂ふた者はない、聖人は聖人の如く語り且つ行ふが故に聖人である、自称聖人は聖人に非ずして偽《いつはり》の聖人である、其如くイエスは神の如く語り且つ行ひ給ひしが故に神であるのであ
る、「我は神なり」と言ひしツロの王は神に非ずして滅亡の子であつた(以西結書廿八の二)、実にイエスは曾て一回も自から「我は神なり」と明白に言ひ給はなかつた、然れども彼は「凡そ労れたる者また重きを負へる者は我に来れ、我れ汝を息ません」と言ひ給ふた(馬太伝十二の廿八)、彼はまた言ひ給ふた「我はアブラハムの在らざりし先きより在る者なり」と(約翰伝八の五八)、彼はまた自由に人の罪を赦し給ふた、又全人類の審判者を以て自から任じ給ふた、イエスの全生涯が人のそれではなかつた、彼の死状《しにざま》を見て百夫の長は言はざるを得なかつた 「此《こ》は誠に神の子なり」と(馬太伝廿七の五四)、イエスの神性を証《あかし》する者は彼の口より出たる此言《このげん》彼言《かのげん》ではない、神らしき彼の生涯である、親しく此生涯に触れし者が左の如くに言ひ得たのである、
  夫れ我等が聞き、また目に見、懇切に観、我手|※[手偏+門]《さは》りし所の者、即ち元始より在りし生命《いのち》の言を汝等に伝ふ、此の生命既に顕はれたれば我等之を見て証しをなす、即ち原来《もと》聖父《ちち》と偕に在りし者にして我等に顕はれたる窮りなき所の此生命を汝等に伝ふ
と(約翰第一書一の一、二)、元始《はじめ》より在りし生命の言《ロゴス》、原来《もとより》聖父と偕に在りし者にして我等に顕はれたる窮りなき生命……イエスは是であるが故に神であるのである。
 余輩は曩《さき》にイエスキリストの神性に関する新約聖書の明言として三箇を挙げた、其第一は約翰伝第一章第一節である、其第二は同第二十章第二十八節である、其第三は羅馬書第九章五節である、以上は孰れも明白にキリス(14)トは神なりと語つて居るのである。
 其第四は提多書第二章十三節である、邦訳聖書には
  大なる神即ち我等の教主イエスキリストの顕はれん事云々
とある、之に由て観るも我等の教主イエスキリストの大なる(権能ある)神であることは瞭である、原語のまゝに直訳すれば
  我等の大なる神にして救主なるイエスキリスト云々
と成る、即ちイエスキリストは救主にして大なる神であると謂ふのである、キリストの神性を語るものにして之よりも明白なる言はない。
 併し乍ら、聖書の此言に対して二箇の反対または疑問がある、其第一は提多書其物の価値に関するものである、提多書は余輩が曾て論ぜし所の『疑はしき書簡』の一である(『研究十年』第二三五頁以下を見よ)、而して真実パウロの書簡として認め難き此書の証言の依て頼むに足らずとの説である。
 実に提多書のパウロの手に成りしことを証明するは難くある、併し乍ら、其の初代の信者の信仰を表明したる者たる事は明かである、信仰の証明者はパウロ一人に限らない、提多書は何人の作であるとするも其言ふ所は新約聖書編纂時代の信者総体の信仰を代表する者であることは明かである、其「疑はしき」はパゥロの手に由て作りし書簡としてゞある、其表明する信仰の疑はしいのではない。
 其第二は原文の読方である、之を左の如くに読むも文法上敢て差閊はないのである、
  大なる神と(並に)我等の救主イエスキリストの顕はれんこと云々、
(15)と、斯く読んで父なる神と子なるキリストとは別個の実在者として解せられる、而して提多書の此言を以てキリストの神性を証明することは出来なくなるのである。
 併し乍ら文法上差閊ないとするも、解釈上甚だ不都合である、「顕はれん」とは「再び顕はれん」との意であつて、キリストの再臨を謂ふたのである、而して聖書はキリストの再臨を説くも(父なる)神の再臨を唱へないのである、「神とキリストとの再臨」と謂ひて教義上何の意味をも為さないのである、故に此場合、如何しても「神即ち救主」とか、或ひは「神にして救主なる」とかいふ意味に解するのが当然である、斯くして新約聖書は茲にも亦イエスキリストは神なりと明白に言ふて居るのである。
 其第五は彼得後書一章一節である、日本訳聖書に依れば、
  我等の神と救主イエスキリストの義に由りて云々
とある、文章の構造は前の提多書のそれに能く似て居る、故に之を左の如くに改訳して差閊ないのである、
  我等の神にして救主なるイエスキリストの義云々
と、而して此文句は之を斯く訳するのが正当であるとは聖書学の泰斗スピツタ(Spitta)並にフホンゾーデン(von Soden)二氏の斉しく主張する所である、二氏の信仰上の立場よりすればイエスは神なりと断言するは其首肯し能はざる所ならんも、厳密なる批評の立場よりして、彼等は斯く主張せざるを得なかつたのである、斯くして茲にも亦聖書はイエスキリストは神なりと明白に唱へて居るのである。
 我等は真理者に在り、即ち其子イエスキリストに在り、彼は即ち真神《まことのかみ》また永生なり
 其第六は約翰第一書五章二十節である、
(16)とある、此訳文に依ればイエスの神なることは最も明白である、而して聖アサナシウスの如きは早くより此語を引用して、キリストの神性を主張したのである、併し乍ら此解釈に対し反対がないではない、其最も有力なる者はホツルマン氏である、彼は此場合に於ては「彼」なる代名詞は真理者即ち神を指す者であつて、キリストを指す者でないと主張した、而してウェストコット氏の如きも此説を取り、A・E・ブルツク氏も亦氏の近著|万国批評的註解書《インターナシヨナルクリチカルコンメンタリース》の約翰書翰の巻に於て此説を維持して居る、併し乍ら古来よりキリスト神性論の論拠として認められし此一節は容易に動かさるべき者でない、若し単に文法上より謂ふならば「彼」なる代名詞はキリストを指す者として解するが当然である、若しさうでないならばヨハネは茲に曖昧の言を述べて居るのである、若し彼がキリストを神として見なかつたならば、彼は斯かる曖昧の言を避けて明白に神とキリストとを区別したであらう、キリストは神なりと信じ得る者は此一節を読んで之を文字の儘以外に解釈せんと努めないのである、其解釈の困難は信仰的であつて文法的でない、イエスキリスト……彼は真神また永生なりと聞いて躓かざる者は幸福である。
 其第七は希伯来書一章八節である、
  其子(イエスキリスト)に就て曰へるは、神よ爾の位は世々に及び云々
とある、茲に作者はキリストを「神よ」と※[龠+頁]《よ》ぶに躊躇しなかつたのである、勿論此一節に関しても種々の異論が唱へられたとは雖も、然かも神とキリストとを厳密に区別せし者が斯かる文字を用ゐたとは如何しても思はれないのである、余輩は茲にもまたキリストは神なりとの聖書の明言の一を認めざるを得ないのである、少くとも其力強き暗示《ヒント》を発見せざるを得ないのである。
(17) 其他同じ希伯来書の十三章廿一節、哥林多前書八章六節、哥羅西書一章十六、十七節、腓立比書二章六節以下等は孰れもキリストの神なることを明示せざれば暗示する者である、彼を人間の一人と見て、縦し最も完全なる一人と見るも、此等の言辞は最も不似合である、キリストを人と見て新約聖書を解せんとするの困難は彼を神と見ての困難よりも遙かに多くある、イエスキリストは神なりとは新約聖書全体を通うして響き渡る音調であつて、又其処々に於て明白に発表せらるゝ所の神の奥義であると思ふ。 〔以上大正5・2・10〕
 
(18)     〔伝道之書 研究と解訳〕
                     大正4年11月10日−5年9月10日
                     『聖書之研究』184−194号
                     署名 内村鑑三
 
     伝道の書に就て 柏木聖書講堂並に宇都宮木曜会に於ける講演の要点
〇約百記と箴言と雅歌と伝道之書とは聖書の中に在りて別に一部門を形成する、之を称して智慧文学と云ふ、真の智慧は何である乎に就て論ずる書であるからである。
〇伝道之書、希伯来語にてはコーヘレスの言と云ふ、コーヘレスは固有名詞である乎、普通名詞である乎、善くは判明らない、若し固有名詞であつて、人名であるならば伝道之書はコーヘレス先生の訓誡集とでも称すべき者である、然し若し普通名詞であるならば、コーヘレスは討論者の意味であれば此書は是れ討論者論集とでも称すべき者である、英訳聖書にては此書を称して Ecclesiastes《エクレジアステス》と云ふ、Ecclesia とは普通教会と訳せらるゝ詞であれば、Ecclesiastes とは教会者と訳さるべき者であらう、而して若し伝道之書は教会者の言であると謂ふならば何やら監督の教書のやうに聞えて其真価が甚だ疑はるゝ様に思はれる、然しエクレーシヤは元来教会と訳さるべき詞ではない、単に会合又は会衆の意である、故にエクレジアステスは会合者と訳すべきであつて、会衆の一人を指して云ふ詞と見て可いのである、斯くの如くに解して伝道之書は智慧を学ばんために会合せし者の一人が(或は数(19)
人が)其席上に於て陳述せし言を蒐集めて一書となしたる者であると見ることが出来る、之を何故に伝道之書と訳した乎と云ふに、是はルーテルの独逸訳聖書の Die Reden des Predigers を其儘に訳したる者であつて、ルーテル自身の誤訳を其儘に採用したる者である、偉人の権威《オーソリチー》も亦大なる哉である、彼の誤訳までが真実として伝へらるゝのである。
〇然し書名は何麼でも可いのである、我等の知らんと欲する事は其伝へんとする真理である、伝道之書は何を教へんとする乎、其の取扱ふ主なる題目は何である乎、伝道之書は智慧文学中の一書である、而して其主として論ぜんと欲する所は、吾とは何ぞや、其事に就てゞある、道徳的の善に就て計りではない、より広い意味の善に就てゞある、著者自身の言を以て曰へば、
  世の人は天《あめ》が下に於て生涯如何なる事を為さば善からん乎、
と、其問題に就て論ぜんと欲するのである(二章三節)、今日の学者の言を以て曰へ人の至上善とは何ぞ(What is the summum bonum of man?)其問題に就て論ぜんと欲するのである、人は何を為さば最も幸福である乎、何を為すことが人生最大の目的である乎、快楽の方面より見、道徳の方面より見て何をか善と称すべき乎、コーヘレスは此書に於て此大問題に就て論究せんと欲するのである。
〇而して彼は劈頭第一に曰ふたのである、
  空の空、空の空なる哉、都て空なり
と(一章二節)、而して彼は書中幾回か繰返して曰ふたのである、
  嗚呼皆な空にして風を捕ふるが如し
(20)と(一章十四節、二章廿六節、四章十六節等)、依て知る人の至上善は何である乎との問題に就て著者は其の何で無き乎に就て知る所多くして、其の何で有る乎に就ては彼の知る所の甚だ尠くあつた事を、即ち此大問題に対して彼は消極的解答を与ふるに成功して、積極的解答を与ふるに甚だ貧弱であつたのである、伝道之書の此の性質を認めずして、其の評価を謬るのである、伝道之書は人の至上善の何で無き乎を示すに明確である、然し乍ら其の何で有る乎を教ゆるに微弱である、我等は此大問題に就て此書より全部《すべて》を学ぶことは出来ない、人の至上善は何で有る乎、其事に就ては之を聖書の他書より学ばなければならない、之を四福音より又は羅馬書より学ばなければならない、「我れ永生を得んがために如何なる善を為すべき乎」との或人の質問に対してイエスは答へて曰ひ給ふた「何故に我に善に就て問ふや、一人のほかに善あるなし、即ち神なり」と(馬太伝十九章十六、十七節改訳)、イエスは茲に伝道之書の提供する問題に対して明確なる積極的解答を与へ給ふたのである、コーヘレスとても稍や之に類したる解答を与へ得なかつたのではない、彼は巻末に達して終に曰ふたのである、
  事の全体の帰する所を聴くべし、曰く神を畏れその誡命《いましめ》を守るべし、是はすべての人の本分なり
と(十二章十三節)、然れども彼は漸くにして此結論に達したのである、彼は至上善を神以外の種々《いろ/\》のものに求めて、之に失望して終に止むを得ずして茲に達したのである、イエスとコーヘレスとは比較ぶべくも無い。
〇然し乍ら人の至上善の何で無い乎を高調するに於ては伝道之書に優さる書は聖書以内に於て又其れ以外に於て之を見出すことは出来ない、伝道之書は神を離れて人生に真の幸福の無き事を教るに於て天下唯一の書である、此書の如くに強き言辞を以て、固き確信を以て、すべての人が善なり幸福なりと認むるものを排斥する書はない、空の空、空の空なる哉、都て空なりと云ふ、是れ強い重い言辞である、平家物語の祇園精舎の鐘の声云々の如き到底《とて》(21)も之に比較ぶることは出来ない、「盛者必衰」ではない、空の空である、「猛き人も遂には亡びぬ」ではない、空の空である、空の空である、都て空である、智慧も智識も、富も位も、幸福なる家庭までも都てが空の空であると云ふのである。
〇空の空と云ふ、希伯来語の habal の訳字として不適当なる者ではあるまい、「直に消ゆる者」の意である、故に若し「息気《いき》」と訳したならば更らに適切であらう、口より吐く気息である、全く無いものではないが、直に消ゆるものである、槿花一朝の夢と云ふと同じ意である、然し※[槿の旁]花よりも更らに短い者である、気息である、湯気である、立つかと思ふと直に消ゆる者である、空の空なりと云ひて空虚、無価値の意を最も強く言ひ表はすことが出来る、余は此訳字を変へんことを欲《ねが》はない。
〇「風を捕ふるが如し」とある、「如し」の字は銷《けづ》るが可い、「風を捕ふるなり」である、空虚の意を他の言辞を以て言ひ表はしたのである、又原語の意は「捕ふ」ではない、「食ふ」である、智識を得、智慧を蓄ふるは、是れ風を食ふのであるとの意である、「目は見るに飽くことなく、耳は聞くに充つること無し」とある其意を食物に譬へて言ふたのである(一章八節)、即ち智慧も智識も之を食ふて飽くこと能はず、胃は之に由て充つること無しとの意である、空の空、空の空なる哉、都て空なり、風を食ふ事なりと云ふ、而して智慧も智識も、富も位も、すべての人が善なり幸福なりと称して追求する物は都て是れであると云ふのである。
〇人類の多数が人生の至上善として追求する者は学問である、此書の著者の所謂智慧と智識とである、智識は事物に関する智識であつて、智慧は其応用である、今人の所謂科学と哲学とである、博く知て慧《かしこ》く行ふ事である、而してコーヘレスも亦一時は智識万能を標榜して、全力を之に注いだのである。
(22)  我れ心を尽し智慧を用ゐて天が下に行はるゝ諸の事を尋ね且つ考覈《しら》べたり
といふ(一章十三節)、而かも其結果たる如何、彼は心に満足を得たであらう乎、非らず
  目は見るに飽くことなく、耳は聞くに充ることなし(八節)、
  夫れ智慧多ければ憤激《いきどうり》多し、智慧を増す者は憂患を増す(十八節)
と、宇宙と人生とを知れば知る程悲歎と不平とは増すのである、独逸人は此事を称して宇宙歎(Welt-Schmerz)と云ふ、是は学者独特の悲歎である、ニュートンにも此悲歎があつた、ゲーテにもあつた、此点に於て無学は幸福である、智慧と智識とは決して人生の至上善ではない。
〇宇宙と人生とは旋転重複に外ならない、天が下に絶対的に新らしい事とてはない、皆な旧い事の繰返しである、歴史は繰返すと云ふが、繰返す者は歴史に限らない、日の出て入り復た元の所より出るが如く、風の北より吹き南に旋転《めぐ》り又前の如くに北より吹くが如く、又河の海に入りて永久に尽きざるが如く、万事万物悉く千遍一律の重複である、縦し世に新発見なる者ありて一時世界を驚かすと雖も、誰か知らん、是れ果して真の新発見なる乎を、太古の埃及人は今人の知らざる多くの技術を有つて居た、若し然らざれば大尖塔《ピラミツド》の如き大建築は彼等の手に由て作らなかつたであらう、哲学の諸問題は既に悉く希臘人に由て攻究せられ、近世哲学は希臘哲学以上に新解決を供する事は出来ないとのことである、而已ならず、新発見は直《ぢき》に旧発見として疎んぜらる、蒸気は電気の代はる所となり、自由政治は社会政治の代はる所となりつゝある、縦し又物質や政治の事に関しては多少の革新ありとするも、革まらぬ者は人の心であつて、此事に関しては「曲れる者は直からしむる能はず、欠けたる者は補ふ能はず」とのコーヘレスの言は文字通りに真実である(十五節)、歴山王《アレキサンダー》の為したる事をシーザーは為し、シ(23)ーザーの為したる事を那翁《ナポレオン》は為し、那翁の為したる事をカイゼルは為さんとしつゝあるのである、時代は変るも人は変らないのである、曾ては独逸と同盟して仏国を撃ちし英国は今や仏国と同盟して独逸を撃ちつゝあるのである、同じ旧きジヨン・ブルである、時代は変るも其心は変らないのである、実に「日の下には新らしき者あらざる也」である(九節)、「嗚呼空の空にして風を食ふ事なり」である(十四節)、「夫れ智慧多ければ憤激多し、智識を増す者は憂患を増す」である(十八節)、学問と云ひ、新智識と云ひて、多く学べば多く幸福が来ると思ふ者は未だ智識、学問の何たる乎を知らない者である(第一章)。
〇コーヘレスは智慧と智識とに人生の至上善を求めて失望した、茲に於てか彼は己れに対つて曰ふたのである、
  来れ我れ試に汝を喜ばせんとす、汝、逸楽《たのしみ》を極めよ
と(二章一節)、而して彼はイスラエルの王として極め得る丈けの逸楽《たのしみ》を極めたのである、大建築を為したのである、大果園を開いたのである、大池を穿つたのである、而して之に加ふるに美術を以てしたのである、珍宝を蓄へたのである、音楽を入れたのである、而して独り之を楽しむを以て飽き足らずして、「人の楽なる妻妾を多く得たり」とある、斯くて彼は曰ふた
  凡そ我が目の好む者は我れ之を禁ぜず、凡そ我が心の悦ぶ者は我れ之を禁ぜざりき
と(十節)、而して逸楽を楽しみ得る丈け楽しみて其結局は如何であつた乎、「是れも亦空なりき」と彼は曰はざるを得なかつた、
  我れ我が手にて為したる諸の事業(建築、植林、開鑿の類)及び我が労して事を為したる其労苦(心の辛労を謂ふ、財宝の蒐集、妻妾の聘招等のために費したる)を顧るに皆な空にして風を食ふことなりき、日の下には益(24)となる者あらざる也
とはコーヘレスが逸楽追求より学び得し大教訓であつた、彼は之を称して狂妄と愚痴といふた、「狂妄」とは本能性の欲するが儘を為すことであつて、今人の所謂自然主義の実行である、「愚痴」とは無智である、智慧の反対である、智識に由て歩まずして感情に由て行ふことである、コーヘレスは智慧と智識の益なきを知て、凡夫同様、人生の幸福を肉の快楽に求めたのである、是れ学者の往々にして取る途であつて、彼等の愚も亦憐むべきである、詩人ゲーテの『フハウスト劇』に於ける主人公フハウストも亦此の道を取つたのである、而してソロモンならぬ又ゲーテならぬ我国の小学士小博士にして、初めに智慧と智識に憧憬れ、後に人生の不安に堪えずして自然主義の実行に終つた者は決して尠くないのである。
〇コーヘレスは狂妄と愚痴とを試みんとするに方て言ふた、
  我れ心に智慧を懐きて居りつゝ酒をもて肉身《からだ》を肥さん
と(三節)、彼も亦多くの酔漢と等しく「酔ふとも動せず」と言ふて誇つたのである、「智慧を懐きつゝ酒を飲む、何の害か是れあらん」と言ふたのである、然れども智慧は終に酒の飲む所となつたのである、身を狂妄に委ねんとす、而して狂妄の中に猶ほ正覚を失はざらんと欲す、堕落の淵に臨んで学者の心中に憐むべきものがある、学者必しも決して智者ではない。
〇智慧と智識とは空である、狂妄と愚痴とも亦空である、然し有繋《さすが》にヱルサレムに在りてイスラエルの王たりしコーヘレス(ソロモン?)である、彼は智慧と愚痴とは同等に空なりとは言はなかつた、彼は言ふた、
  光明《ひかり》の黒暗《くらき》に勝るが如く智慧は愚痴に勝るなり、我れ之を暁《さと》れり
(25)と(十三節)、二者同じく空である、その終る所は一である、然りと雖も二者を較べて見て、智慧の愚痴に勝るは明かである、智慧と智識とは空なりと言ひて之を斥くべきではない、学問は確かに無学よりも貴くある、智識に永久の平康《やすき》は無しと雖も、而かも之を賤しみ、之を軽んじ、之を廃すべきでない、智識は天上の光明ではない、然れども少くとも地上の光明である、神の智慧ではない、然れども少くとも人の智慧である、之に憤激と憂患との伴ふに関はらず之を修むべきである。
〇智慧は空なり、逸楽は空なり、孰れも心を充たすに足りない、人生の至上善は之を二者孰れに於ても求むることは出来ない、茲に於てかコーヘレスは之を自己の労働と労働に由て得し倹約なる家庭に於て求めんとした、労働と家庭、田園生活、簡易生活、雅歌に歌はれし牧者とシユラミ女との生活、是れが理想である、至上善であると彼は思ふた、彼は逸楽を極め尽して其反対の簡易生活に還へつたのである、田園生活の謳歌はるゝ時は常に奢侈の盛なる時である、人は逸楽に倦疲れて其反対の労働に慰安を求めんとするのである、「来れ、我れ汝を歓ばせん、汝、逸楽を極はめよ」と云ふ者は遠からずして言ふのである「凡て汝の手に堪《たふ》ることは力を竭して之を為すべし」と(九章十節)、逸楽を奨めて又労働を励ます、此世の智者の為す事は凡そ皆な斯の如しである。
〇而して小なる静かなる倹約なる家庭を試みてコーヘレスは何と言ふたのである乎、彼は終に満足を発見したのである乎、非らず、彼は又歎声を発して言ふたのである、
  人の飲食《のみくひ》をなし、その労苦(労働)によりて心を楽しましむるは幸福なる事にあらず
と(二章二十四節)、彼は幾回か此理想を懐き、幾回か失望したのである(三章十二、十三節。同廿二節。五章十八節。九章七節以下)、「是も亦空にして風を食ふことなり」とは彼が繰り返へして止まざる畳句であつた、
(26)  汝往きて歓喜をもて汝のパンを食ひ、楽しき心をもて汝の酒を飲め、そは神暫らく汝の行為を嘉納《よみ》し給へばなり、汝の衣服をして常に白からしめよ、汝の首《かうべ》に膏を絶たしむる勿れ、日の下に汝が賜はる此の汝の空なる生命の間汝その愛する妻と偕に生活すべし、……是は汝が世に在りて受くる分、汝が日の下に働らける労苦によりて得る者なり
と(九章七−九節)、「楽しき心を以て汝の酒を飲め」、人生の至上善は茲に在りと云ふ、我が一体和尚の「極楽はいづくのはてと思ひしに、杉葉たてたる又六が門《もん》」を思出さしめざるを得ない、実に低い理想である、「汝が賜はる此生命の間、汝、その愛する妻と偕に生活すべし」と云ふ、詩人バーンスの Highland Mary《ハイランド メーリー》を読むやうな心地がして、小さき愛らしきメーリーの居る所に我が天国は在ると云ふのである、然るに著者のコーヘレスは婦人に就て何んと言ふて居る乎、
  我れ暁れり、婦人のその心は羅《わな》と網の如し、その手は縲※[糸+曳]《しばるなは》の如し、是れ死よりも苦《にが》き者なり、神の悦び給ふ者は之を遅くるを得べし、然れども罪人《つみびと》は之に捕へらるべし……我れ千人の中には一個《ひとり》の男子《をとこ》を得たれども、その数の中には一個の女子を得ざるなり
と(五章廿六節、廿八節)、而して若し婦人とは如斯き者であるならば、之と偕に生活すことの人生の至上善でないことは言はずして明かである、「是れ死よりも苦き者なり」と著者自身が言ふて居るのである、「楽しき楽しき家庭」と歌ふと雖も、是れ此較的の言辞であつて、之に人生の至上書を求めて、人は何人も「是も亦空なり、風を食ふことなり」と言ひて面を反けざるを得ないのである。
〇伝道之書の著者コーヘレスは「世の人は天が下に於て生涯如何なる事を為さば善からん乎」との問題を設け、(27)之を論究し実験したるの結果、「空の空、空の空なる哉、都て空なり」との結論に達したのである、智慧と智識、是れ空なり、狂妄と愚痴、本能性の満足、逸楽の生涯、是れまた空なり、去らば静かなる家庭、簡易生活、田園生活、晴耕雨読の詩的生涯、好き妻と偕に楽しき倹約《つゝまやか》なる家庭生活を営むこと、是れ如何にと己れに問ふて、彼はまた答へざるを得なかつたのである「是もまた空にして風を食ふことなり」と、斯くて彼は問題を設けて之に対して満足なる解答を与へ得なかつたのである、彼は人生の至上善の何で無き乎を知るを得しと雖も、その何で有る乎は之を知り得なかつたのである、彼は唯繰り返して言ふたのである「是も亦空なり、風を食ふなり」と、而して此書の終りに至て唯僅かに人の本分の何たる乎に少しく思ひ当つたのである、如斯くにして伝道之書は其設けし大問題に就ては消極的に断定すること多くして、積極的に教ゆる所は極めて微少《わづか》なるのである。
〇茲に於てか我等は聖書の他の部分を以て伝道之書を補ふの必要があるのである、人生は空の空、すべてが空であるのではない、人生に空ならざる者があるのである、智慧と智識とは勿論空である、然し乍ら神は人に智慧以上、智識以上の者を賜ひて彼をして満足せしめ給ふのである、肉身の快楽は勿論空である、然し乍ら神は事業以上、美術以上、財宝以上の賚賜を人に与へ給ふて彼をして何物をも有たざれども万物を有つの感あらしめ給ふ、労働と家庭とは神の大なる賚賜たるに相違ない、然れども霊魂を充たすための糧としては是れ亦空の空たらざるを得ない、故に神は又労働以上家庭以上の書物を供へ給ひて彼を愛する者に永遠に変らざる平康《やすき》と安息《やすみ》とを与へ給ふ、人の至上善は学識以外、安逸以外、家庭以外、他に在る、伝道之書は明白に此事に就て示す所はない、然し乍ら聖書は他の所に於て、以賽亜書に於て、耶利米亜記に於て、四福音書に於て、羅馬書に於て、新約聖書全体に於て最も明白に此事を示して居る。
(28)○イエス曰ひけるは我は生命のパンなり、我に就《きた》る者は餓ず、我を信ずる者は常に渇くことなしと(約翰伝六章卅五節)、茲に目は見るに飽き耳は聞くに充つる者があるのである、我父我母我を棄《すつ》るともヱホバ我を迎へ給はんとある(詩篇二十七篇十節)、茲に父母よりも親しき者の我が永久の保護者として存するものがあるのである、蓋《そは》或ひは死、或ひは生、或ひは今ある者、或ひは後あらん者、或ひは高き、或ひは深き、また他の受造物《つくられしもの》は我等を我主イエスキリストに頼る神の愛より絶《はな》らすること能はざるを我は信ぜりとありて(羅馬書八章卅八、九節)、宇宙何物を以てするも断こと能はざる愛の絆の我を天上に繋ぐ者あるを知るのである、其他、此事に関する聖書の言辞は之を掲げ尽すこと能はずである、人生の万事万物悉く空である、然し乍ら其に唯一つ、然り唯一つ、空ならざる者があるのである、而して此者が在るが故に、之に頼りてすべての他の物までが空ならざるに至るのである。
〇人生の至上善、コーヘレスならぬ我等基督者は其の何で有る乎を能く知つて居るのである、其れは勿論学問ではない、才能ではない、哲学ではない、神学でもない、然ればとて此世が追求して止まざる生活のすべての材料ではない、金ではない、銀ではない、宝石ではない、帝王の戴く冕冠ではない、美術ではない、音楽ではない、庭園ではない、然ればとて亦労働でもない、静かな楽しき家庭でもない、忠実なる夫と妻とでもない、愛らしき健かなる小児《こども》でもない、然り、聖人の徳でもない、宗教家の信仰でもない、我等は伝道之書の知つて居しよりもより多くの至上善で無き者を知つて居るのである、人生の至上善は?……ナザレのイエスである、人類の罪のために、然り、我が罪のために、十字架に釘けられし彼である、然り、我が罪のために附され我が義とせられしが故に甦へらされし彼である、彼は人の見ることを得ざる神の状《かたち》にして万の造られし物の先きに生れし者である、「万物彼に由りて存《たも》つことを得るなり」と云ひ、「聖父はすべての徳を以て彼に満たしめ給へり」と云ふ(哥羅西書二(29)章)、永生と云ひ、栄光と云ひ、彼を離れて在る者ではない、彼は、エツサイの根より出しダビデの裔なる義の太陽にして曙《あけ》の明星なる彼は実に人生の Summum bonum 即ち至上善である。
 其証拠は何処《どこ》に在る乎と世人は吾人に問ふであらう、然り、今茲に証拠を挙ぐることは出来ない、唯一つ信者の実験に就て語ることが出来る。イエスに完全の満足があるのである、人はイエスを信じ彼と一体と成りて、茲に人たるの生命の何たる乎を始めて知ることが出来るのである、茲に永久に疲れざる、倦まざる、餓ざる、渇かざる生涯が始まるのである、茲に充実せる、意味ある、希望ある生涯を実験することが出来るのである、議論ではない実験である、イエスが至上善たるの証拠は彼を受けし者の彼れ以上に善を求めざる事に於て在る、天父《ちゝ》を人に示し給ふ彼は人を充たして尚ほ余りあるのである(約翰伝十四章八、九節参考)。
〇茲に於てか基督者の立場より見て人の幸不幸の判別は最も明白であるのである、神の子を有つ者は生命を有ち、其の子を有たざる者は生命を有たずとある(約翰第一書五章十二節)、イエスを信ずる者は幸福なり、イエスを信ぜざる者は不幸なり、生命(凡ての幸福の基なる)はイエスに於て在れば、彼を離れて真の幸福は無いのである、又彼に在りてすべての幸福は在るのである、イエスを信ずるを得て智識あるも幸福である、智識なきも幸福である、富めるも幸福である、貧しきも幸福である、独り在るも幸福である、衆人と共に在るも幸福である、家庭の楽しきも幸福である、家庭の楽しからざるも幸福である、幸福の源なる生命を己れに有つが故に、境遇の如何、所有の有無に係はらず、すべての場合に於て幸福である。
〇之に反してイエスを信ぜずして、如何なる境遇も如何なる所有も人を幸福にすることは出来ない、神の子を有たずして学識と芸能とは反て悲歎の種である、イエスと偕ならずして富貴は反て身を害して之を益さない、イエ(30)スの在し給ふ家庭のみ真に幸福なる家庭であつて、彼を迎へ奉らずして、他の条件は悉く完備するも幸福なる家庭はないのである、誰か幸福なる者ぞ、イエスを信ずる者である、誰か不幸なる者ぞ、イエスを信ぜざる者である、イエスは真に人の至上善である。
〇伝道之書は此事を教へない、然し此事を覚るに至るの階段となる、至上善の何で無き乎を明白に示して、之を読む者をして、其の何で有る乎を尋ねざるを得ざらしむ、而して此用を為すが故に此書も亦聖書の一部分として貴くあるのである、此世の人が善として慕ふものを悉く否認して、唯一の善即ち神の子イエスキリストを人に紹介する為の道を拓くのである、伝道之書は此心を以て読むべき者である、之を補ふに新約聖書を以てして我等は此書の約百記、雅歌、箴言と肩を比べて決して劣らざる書《もの》なるを知るのである。
  聖書は皆神の黙示にして教誨《をしへ》と訓誨《いましめ》とまた人をして道に帰せしめ、又義を学ばしむるに益あり(提摩太後書三章十六節)。
  イエス彼等に答へて曰ひけるは……汝等聖書に永生ありと意ひて之を探索ぶ、此聖書は我に就て証《あかし》するものなり(約翰伝五章卅九節)。 〔以上、11・10〕
 
   伝道之書の研究
 
     時を知るの必要 伝道之書第三章
〇天が下の万事に時期《とき》がある、時期に外れて万事は失敗である、
   生まるゝに時あり、死ぬるに時あり、
(31)   植うるに時あり、抜くに時あり、
   殺すに時あり、医すに時あり、
   毀つに時あり、建るに時あり、
   泣くに時あり、笑ふに時あり、
   悲むに時あり、躍るに時あり、
   石を撒《ち》らすに時あり、石を斂《あつむ》るに時あり、
   抱くに時あり、抱くことを慎むに時あり、
   得るに時あり、失ふに時あり、
   保つに時あり、棄るに時あり、
   裂くに時あり、縫ふに時あり、
   黙すに時あり、語るに時あり、
   愛するに時あり、悪むに時あり、
   戦ふに時あり、和するに時あり、
実に此通りである、生まるゝに時を得た者は幸福である、死ぬべき時に死なざる者は不幸である、生まるべき時に生れ、死ぬべき時に死んで完全き生涯があるのである。又泣くべき時がある、笑ふべき時がある、泣くべき時に笑ひ、笑ふべき時に泣いて、同情は却て人を辱かしめ、同慶は却て憤怒《いかり》を招くのである。殊に又黙すべき時があり、語るべき時があるのである、言語もし銀ならば沈黙は金なりと云ふ、語ること必しも善き事ではない、伝(32)道、伝道と称して、絶えず説教し絶えず演説するも道は伝はらない、多くの場合に於て沈黙は最も良き説教であ
る、唯「時機《をり》に適ひて語る言《ことば》は銀の彫刻物《ほりもの》に金の林檎を嵌めたるが如し」である(箴言廿五章十一節)、時に適はざるの言語はすべて鳴る銅《かね》や響く※[金+拔の旁]《ねうはち》の如き者である。
〇其他すべて如斯しである、而して「神の為し給ふ所は皆其時に適ひて美はしかりき」である(第十一節)、神は其時に適ひて其子を世に遣《おく》り給ふた、イエスキリストの降世は能く時を得て、遅くもなかつた亦早くもなかつた、「キリスト定まりたる日(時)に及びて罪人のために死たまへり」とありて彼は死ぬべき時に死たまふた(羅馬書五章七節)。神はまた其時に適ひて多くの偉人を世に遣り給ふた、ルーテルの世に出しも、クロムウエルの世に生れしも能く時に適ふて居た、「偉人他なし、時に適ふたる人なり」と言ふことが出来る、実に神の為し給ふ所は悉く其時に適ひて美はしくある。
〇其事は爾うである、然し乍ら我等無智の人間は如何にして時を知ることが出来る乎、其事が大問題である、「空の鶴は其期を知り、班鳩《やまばと》と燕と雁《かり》とは其来る時を守る」と云ふが(耶利米亜記八章七節)、人は如何にして其期を知り、其行すべき時を守ることが出来る乎、是れ実際上の大問題である、期を知り、時を守るは理想である、然れども其実行の途如何?、而し此問に対して伝道之書の著者は答ふる所がないのである、彼は唯理想を述べしに止て実行の途を教へなかつた、而して自身其途を知らざりしが故に、失望の余り彼は言ふたのであると思ふ、
  我れ知る人の世の中にはその世に在る間、快楽を為し、善を行ふより他に善き事は非ず
と(第十二節)、単に時を知るの一事に於てすら智者コーヘレスと雖も自分の無智に失望せざるを得なかつたのである。
(33)〇然し乍ら、我等は実際時を知る能はざる乎、然り、自分で知ることは出来ない、人世は余りに複碓である、其間に処して、智者と雖も万事を其時に適ひて行ふことは出来ない、茲に於てか又信仰の必要が起るのである、自分で自分の身を処するを廃めて、之を全然全知者に委ぬるの必要が起るのである、神の為し給ふ所は皆な其時に適ひて美はしくあれば、我は我全部を彼に委ねまつりて、彼をして我に代り、我に在りて、万事を其時に適ひて行はしむべきである、信仰の這は神の道である、人は信仰に由て人生の細事に至るまで神の指導と援助とを仰ぐことが出来るのである。
〇イエスは其弟子等に告げて曰ひ給ふた「汝等我を離れて何事をも為す能はず」と(約翰伝十五の五)之と相対してパウロは言ふた「我は我に力を与ふるキリストに由りて万事を為し得る也」と(腓立比書四の十三)、「何事をも為す能はず」と云ひ「万事を為し得る也」と云ふ、時をさへ知る能はず、何時植え何時抜き、何時毀ち何時建て、何時泣き何時笑ひ、何時保ち何時棄て、何時裂き何時縫ひ、何時|黙《もだ》し何時語るべき乎さへを知る能はず、実に無智無能なるは神を離れたる人である、而して之に反して我に力を予ふる彼に由りて我は寸べてこの事を為し得るのである、期を知り時を守ることが出来るのである、何時訪問すべき乎、何時手紙を認むべき乎、何時慰むべき乎、何時施すべき乎、是等の些細の事に於てまで我は我に力を予ふるキリストの援助を要するのである、殊に何時死ぬべき乎の人生の大問題を決するに方て我は特に彼の指示と援助とを要するのである。
       ――――――――――
      時を撰ばざる事業 伝道之書第十一章
〇天が下の万事に時がある、然し只一個の時の無い事がある、其れは善を為す事である、善のみは何時為しても(34)可いのである、善を為すべからずと云ふべき時は無いのである、主イエスは「周く遊りて善事を行ひ給へり」と云ふ(行伝十章卅八節)、善事は「時を得るも時を得ざるも励みて之を務む」べきである(提摩太後書四の二)、伝道之書の著者は時を択ぶの必要を説くと同時に善事常行の必要を唱ふることを怠らなかつた。
〇汝の糧食《くひもの》を水の上に投げよ、多くの日の後に汝再び之を得んと云ふ(一節)、「糧食」とは此場合に於てはパンの意《こと》である、或ひはパンを作る麦である、麦の種を水の上にバラ撒きにせよと言ふのである、埃及かバビロン辺に昔時《むかし》行はれし播種《たねまき》の状態《ありさま》に準へて言ふたのであらう、謂ふ意は善を為すに時と所とを択ぶ勿れとのことである、時を撰ばず場所を択ばず善事を行へとのことである、然らば「多くの日の後に汝再び之を得ん」と云ふ、其|報賞《むくい》必ず汝に到るべしとのことである、パウロの所謂「汝等恒に励みて主の業を務めよ、そは汝等主に在りてその行す所の労働《はたらき》の徒然《むなしから》ざるを知れば也」と云ふと同じである(哥林多前書十五の五八)、恒に広く播いて多く収穫《かりと》れとの意である。
〇糧食《くひもの》(パン)を投げよ、麦を播けよ、一個のパンを七分せよ又八分せよ、而して成るべく多くの人に施せよ、「其は汝如何なる災害《わざはひ》の地に在らんかを知らざれば也」と(二節)、其善き註鮮は路加伝十六章に於ける不義の操会者《ばんとう》の譬話《たとへばなし》である、イエスは其弟子に教へて曰ひ給ふた「我れ汝等に告げん、不義の財(不義のために使用せらるゝ此世の財)を以て己が友を得よ、是れ乏しからん時に彼等汝等を永遠の居宅《すまゐ》に迎へんが為なり」と、慈善は最善の放資である、災害の地に在らん時の、其の時のための最も確実なる準備である、永遠の国に到らん時に独り淋しく之に入るに非ずして、多くの友に迎へられんが為である。
〇善を為すに時と場所とを撰ぶべからず、又天気を撰ぶべからず。(35)雲もし雨の充るあれば人を俟たずして地に注ぐなり、樹もし南か北に倒るゝあれば人の便宜如何を省ずして其樹は倒れたる処に在るなり、斯くて雨は人を俟たずして降り、風は人の意嚮を伺はずして己が欲する任に吹けば、風を伺ふ者は種播くことを得ず、雲を望む者は刈ることを得ず、汝は風の道の如何を知らず、又婦人の胎内に胎児の骨の如何にして生長《そだ》つかを知らず、斯くの如くにして汝は万事を為し給ふ神の作為《みわざ》を知らず、宇宙に不可解の事多し、万物は我意の任《まゝ》に動かず、然らば雨の霽るゝを俟つべからず、風の変るを望むべからず、晴雨の如何を論ぜず、風位の如何を問はず、時を得るも時を得ざるも善事は之を為すべきなり、汝|朝《あした》に種を播くべし、夕に手を休む勿れ、そは汝の播く種の孰れが実り、孰れが実らざる乎、汝、之を知らざればなり(三−六節)。
 休止なき善事の遂行を勧むる言辞にして之よりも雄弁なる者を余輩は知らないのである。
〇コーヘレスの此言は善事全体に適用すべき者である、然し殊に善事中の善事なるキリストの福音の宣伝に適用すべき者である、肉体のパンを供へて害の無い場合は無いではない、然し乍ら霊魂のパンを給《あた》へて害のある場合を余輩は考ふること能はずである。
  汝道(福音)を宣伝ふべし、時を得るも時を得ざるも励みて此事を務むべし、様々の忍耐と教誨を以て人を督《たゞ》し、戒め、勤むべし
との聖書の言は之を文字通りに服膺すべきである(提摩太後書四の二)、殊に福音を宣伝ふるに方て人択らびを為してはならない、「そは汝の播く種の孰れが実り孰れが実らざる乎、汝之を知らざれば也」とのコーヘレスの言は殊に福音の種を播く時に方て最も適切である、何人が救はるゝ乎、何人が救はれざる乎、其事は人には判明らな(36)いのである、「此人は」と思ふ人は却て救はれないで「什麼な人が」と思ふ人が却て救はるるのである、実に「人は外の貌を見、ヱホバは心を見るなり」である(撒母耳前書十六の七)、故に人と云ふ人はすべて救はるべき者と見て福音の道を宣伝ふべきである、斯く言ひて勿論遭ふ人毎にキリストを語れ、小冊子を配れと言ふのではない、手段と方法とを撰ぶに時がある、即ち黙すべき時がある、語るべき時がある、然し乍ら福音を伝へんと欲する切なる願に時があつてはならない、我等はすべての機会を伺ひ、すべての人に生命のパンを供給すべきである、而して其報賞たるや物質《もの》の慈善に比ぶべくもない、生命のパンを供給せられて、人は其全霊全体に於て復活するのである、人のすべて思ふ所に過ぐる平安は其心に臨むのである、彼は人生の至上善を握るに至るのである、人にキリストの福音を与へて我等は彼を永遠の友となすのである、「乏しからん時に彼等汝を永遠の居宅に迎へん」とイエスの言ひ給ひし其友は殊に此種の友人を指して言ひ給ふたのである。
〇而して効果の多きこと福音の播種に優る者は無いのである、召さるゝ者は多くして救はるゝ者は尠しとあるが、然し救はるゝ者は比較的に多くして、受けし福音の効果を感ぜざる者とては皆無と称ひても可いのである、「我口より出づる言は空しくは我に帰らず、我が喜ぶ所を成し、我が命じ遣《おく》りし事を果たすべし」とある如しである(以賽亜書五十五の十一)、効験の確実なる者にして実はキリストの福音の如きはないのである。
〇然らば播かんかな道の種を、時を得るも時を得ざるも、世に迎へらるゝも、斥けらるゝも、貴族にも平民にも、富者にも貧者にも、すべての機会を利用し、時期を撰ばずして、永遠に到る生命の種を播かんかな。
(37)   いそしみまく    みちのたねの
    たりほとなる    ときいたらん
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      神に事ふるの時期 伝道之書第十二章
〇汝の少《わか》き日に汝の造主を記えよと、「少き日」とは少年時代をのみいふのではない、幼年時代をも壮年時代をもいふのである、血気の旺なる時代を総称していふのである、「記えよ」とは単に記憶せよといふ事ではない、記憶するは勿論、探求せよ、発見せよ、而して仕事せよといふ事である、汝の生涯の最も善き部分を汝の神に献げよと云ひて此半節の意を尽すことが出来ると思ふ。
〇謂ふ意《こゝろ》は此世の教へる所と正反対である、此世は教へて言ふのである、汝の壮時は之を自己《おのれ》のために過ごせよ、逸楽《たのしみ》を極めよ、名誉に誇れよ、野心の遂行、何の罪か之れあらん、宗教は壮者に相応からず、年老ひて此世に何の為す所なきに至て之を求むるも敢て遅しとなさず、後生の追求は之を老爺老媼に譲れよ、而して汝は来て長く人生を楽めよ、覇気に乏しき青年の如きは共に人生を語るに足らざるなりと。
〇此世の此教訓に対して伝道之書の作者は言ふのである、非ず、汝の壮き時に汝の造主を記えよと、実に信仰は老年時代の事ではないのである、神は恋人の如き者である、「我れヱホバ汝の神は嫉む神なれば云々」とある、又「ヱホバの熱心(熱情)此事を成すべし」とある、神は壮者《さうしや》である、老爺ではない、熱情を以て溢るゝものである、故に壮者のみ能く彼の心を解することが出来る、信仰は恋愛の一種である、故に少き心に旺んにして、老いたる心に乏しくある、世に恋愛を老人に勧むる者はない、然るに信仰は是れ老人特有の者なりと思ふのである、信仰(38)の事に関する世の謬見も亦甚しからずや。
〇「汝の少き時に汝の造主を記えよ」と、「子をその道に従ひて教へよ、然らば老いたる時も之を離れじ」と(箴言廿二の六)、「人少き時に(ヱホバの)軛を負ふは善し」と(哀歌三の廿七)、神は之を少き時に求むべきである、宗教教育は成るべく早く始むべきである、神の訓誡(軛)は之を幼年時代より守る(負ふ)べきである、神は何時でも求め得らるべき者ではない、神を求め、彼を解するに一定の時期がある、恰も男女に一定の婚期のあるが如くに、神と結び附くに一定の信仰期があるのである、其時期は少き時である、心の未だ固まらざる時である、印象を受け易き時である、所謂呑気発動期である、此時、又は其前後に神を信じ彼と信仰的(恋愛的)関係に入つた者が終生祝すべき此関係を維持するのである、勿論此時期を過ぎて神を信ずる能はずと言ふのではない、稀には齢|邁《すゝ》みて神を発見せし人にして熱信を終生持続した者が無いではない、然し是れ例外である、深遠にして不変の信仰は概して幼年又は青年時代に始りし者である、世の所謂大宗教家なる者は大抵は「少き時に造主を記え」た者である、ルーテルは幼年時代より彼の敬虔なる父母に教へられて深く神を畏れた、ウエスレーも亦同じであつた、而して外国に於てのみならず、我国に於ても其通りである、恵心僧都は十四歳にして其母に遣《おく》られて叡山に登り、源空(法然)は十二歳にして既に浄土を求むるの志を起し、親鸞(時に範宴と称す)の剃髪は彼の九歳の時なりと云ふ。
   あすありと思ふこころのあだ桜
      夜はあらしの吹かぬものかや
幼《いとけな》き心に此美はしき思念を懐きし彼れ親鸞に億兆済度の資は既に備はつてゐたのである。
(39)。汝の少き時に汝の造主を記えよ、即ち悪き日の来り、歳の邁みて我れ最早何も楽しむ所なしと言ふに至らざる先きに、又視力鈍りて外界の日や光や月や星の暗くならざる先きに、又雨の後に天は晴れずして雲の鎖す所とならざる先きに、即ち青春は復び帰らずして、永久の凋落の我前途に横はらざる先きに、汝は汝の造主を記へて彼に事へよ、若し人身《ひとのみ》を家屋に譬へて言はん乎、手は家を守る番人である、足は家人を運ぶ担夫《かるこ》である、歯は食物を粉《こ》にする磨臼《ひきうす》である、眼は窓より窺ふ家人である、鼻と耳とは衢に開く門である、咽喉は美声を放つ歌女《うたひめ》である、故に言はんと欲す、手は衰へて家を守る者慄ひ、足は萎へて力ある担夫は屈み、歯は脱して磨砕者《ひきこなすもの》は寡きによりて息《や》み、眼は曚《もう》して窓より窺ふ者は昏《くら》み、歯牙寡きが故に磨砕す声低くして、嗅《しう》感、聴感共に衰へて、衢に面する門は閉され、老年眠り難くして鳥の声に起上り、詩心衷に絶えて歌は息んで歌女は身を卑《ひく》くす、斯る人は恐怖に駆られ、高きを恐れ、小丘も大山の如くに見え、途上到る所に害物横たはりて危害の彼を待つあるが如くに感ず、冬未だ寒きに巴旦杏《はだんきやう》の花咲くも彼は其香と色とを歓ぶ能はず、小虫の蝗すら彼は其重きに耐へざるに至る、斯くて彼の嗜欲《きよく》は絶えて人生何物も楽しむ所なきに至る、而して彼れ終に永遠の家に到らんとすれば哭婦《なきをんな》の彼の柩に先だちて衢に往きかふを見ん。人生は又之を燈火に譬ふるを得べし、油を盛れる金の盞《さら》は銀の紐(鏈《くさり》)を以て天井より吊り下げらる、盞は体である、紐は露命である、紐は解け盞は砕くる時に生命は終るのである。人生は又之を泉に譬ふるを得べし、生命の泉より日に日に轆轤に由り吊瓶を以て生命の水を汲取るによりて此身は存続するのである、然るに吊瓶は泉の側に壊《やぶ》れ、轆轤は井《ゐど》の傍に破れて、此身は破壊に了るのである、而して此時に方りて神を求めんとするも既に遅し、神は之を破壊せる殿堂に招くべからず、又使用し尽したる体躯《からだ》を以て祭るべからざるなり(一−六節)。
(40)○人に肉体と霊魂とがある、而して肉体は塵より出し者であつて、時到れば本の如くに土に還る者である、之に反して霊魂は之を賦《さづ》けし神に還るべき者である(七節)、然し乍ら霊魂は自からにして神に還る者ではない、神を求め、彼と親しみ、彼と結び、連続せる生命の供給を彼より受けて、終に彼に似たる者となりて、彼に還ることが出来るのである、人は生れながらにして不滅ではない、彼は不滅たるべき性を具へて居る、然し乍ら不滅は彼の贏ち得べき者である、而して彼は不滅なる神と結附きて不滅たるを得るのである、茲に於てか早く神を識るの必要が起るのである、人生素是れ不滅に達する為に設けられたる機会である、故に其寸時寸刻たりとも、之を此目的以外の事のために浪費してはならない、神に還るの仕度は生るゝや否や直に始むべきである、霊魂の完全なる成熟は全生涯を要するのである、殊に成長に好く適したる青春時期を要するのである、霊魂は年老いて死に近いて急遽《にはか》に成熟せしめんとするも能はずである、壮時は之を肉体のために消費し、老年は之を霊魂のために過ごさんとするも、事既に遅しである、天然の法則は斯かる事を許さないのである、人はテモテの如くに「幼少き時より聖書を識りキリストイエスを信ずるに因りて救を得んための智慧」を蓄ふべきである(提摩太後書三の十五)、生涯の長き経験に由りて深く此事を感ぜしが故に智者コーヘレスは其著書の終りに於て言ふたのである、
  汝の少き日に汝の造主を記えよ、と。 〔以上、12・10〕
 
     コーヘレスの発見
 
〇コーヘレスは「人の子は其短き生涯の間に何を為さば善からん乎」との問題を設け、之に対して種々の解答を試みた、知識を試みた、逸楽を試みた、仕官を試みた、蓄財を試みた、然し何を試みても満足なる解決に達しな(41)かつた、「凡は空にして風を捕ふる事なりき」とは彼が事毎に発する歌声であつた、人生万事悉く不明である 人は獣と何の異る所はない、智愚運命を一にす 犠牲《いけにへ》を献ぐる者にも献げざる者にもその臨む所は同一なりと言ふた、茲に於てか彼は生命を厭ふた、生れし甲斐の何辺《いづこ》に在る乎を知るに困んだ、然し彼はユダヤ人である、彼は祖先の宗教の遺伝的感化を受けて、肉慾主義又は厭世主義に終ることは出来なかつた、彼は何処かに遁道《にげみち》を発見せざるを得なかつた、而して彼の至上善の探求は無益でなかつた。〇人生の至上善は智慧に非ず、快楽に非ず、功績に非ず、惜むことなく施すに在りと彼は覚つた、汝のパンを水の上に投げよと彼は最後に叫んだ、世に無益なる事とてパンを水の上に投げるが如きはない、水は直にパンに滲込みて、浸されたるパンの塊は直に水底《みずそこ》へと沈むのである、パンを人に与ふるは好し、之を犬に投げるも悪しからず、然れども之を水の上に投げるに至つては無用の頂上である、然るにコーヘレスは此無益の事を為せよと人に告げ自己《おのれ》に諭したのである、汝のパンを水の上に投げよ、無効と知りつゝ愛を行へ、人に善を為して其結果を望む勿れ、物を施して感謝をさへ望む勿れ、たゞ愛せよ、たゞ施せよ、たゞ善なれ、是れ人生の至上善なり、最大幸福は茲に在りとコーヘレスは言ふたのである。
〇「汝のパンを水の上に投げよ、多くの日の後に汝再び之を得ん」、惜むことなく与へよ、報賞を眼中に措かずして善を為すべし、多年を経て後に、或は今世を終りて後に汝或ひは再び之を手にするを得ん、望まざるに其結果を見るを得ん、パンは悉くは水に浸されて水中に沈まざるべし、其或者は人の拾《ひら》ふ所となり、感謝を以て受けられ、果を結びて或ひは三十倍、或ひは六十倍、或ひは百倍するに至らんと。
〇「之を七人に頒てよ又八人に頒てよ」、成るべく多くの人をして汝の恩恵に与からしめよ、汝の愛を施すに人を(42)択む勿れ、汝に来るすべての人をして汝の恩愛の受領者《じゆれうしや》たらしめよ、愛を頒つに上下の差別あるべからず、貴賤貧富智愚の差別あるべからず、「すべて汝の手に臨《きや》る事は力を竭して之を為すべし」(九章十節)、為し得る限りの善を成るべく丈け多くの人に為すべし。
〇善を為すに又時を択むべからず、時を択みて善を行ふの機会を失すべし、「風を伺ふ者は播くことを為《せ》ず、雲を望む者は刈ることを為ず」、晴るゝも善を行すべし、雨ふるも善を行すべし、吹く風の方向に循ひて汝の善行に変化あるべからず、善を行ふに悪しき時とてはあらず、すべての時とすべての機会とは善を行ふに適す、順境に在りては勿論善を行ふべし、逆境に処しても亦之を怠る勿れ、到る処に善行の香を放つべし、世は変化するとも汝の世に対する善意に変化あるべからず。
〇「然れば汝|朝《あした》に種を播くべし、夕に汝の手を緩むる勿れ」、朝播くべし、昼播くべし、夜播くべし、善意を蓄へ善事を為さゞる時とては寸時もあるべからず、汝の言葉をして愛の言葉たらしめよ、汝の眼光をして愛の光たらしめよ、たゞ単に善を為さんと欲してすべての時と機会とは汝の用を為して過《あやまた》ざるべし。
〇斯くなしてこそ始めて真の幸福はあるなれ、「斯くて光は汝に楽しかるべし、汝の目は日を見ることに依りて喜ぷべし」、智識も快楽も富貴も成功も為す能はざる事を愛は汝に為すを得べし、愛は汝をして日光を楽しみ得る者となすべし、日々汝を照らすの日光、汝は今日まで之を楽しむを得ざりき、汝は幸福を愛の行為以外に於て求めて人生最大の幸福たる日光を楽しむを得ざりき、而して世に楽しき者とて日々すべての人を照らす太陽の光線に愈《まさ》る者あらんや、而して人は其和光の中に浴し乍ら其楽しきを知らざるなり、善を為して倦まざるの報賞は茲に在り、日光を楽しみ得るにあり、而して汝も亦日々善行のパンを此世の水の上に投げて、世は汝に報ずと雖も、(43)日光を楽しみ得る者となりて裕かに神に報いらるべし。
〇実に 「人もし多くの年生きながらへんか、彼は幸福の内にすべての年を過すべきなり」、百年の長寿も楽しまざれば生まれざるに若かず、幸福は人生の生命である、然れども如何にして幸福なるを得ん乎、其事が問題である、世の所謂幸福は幸福ではない、コーヘレスは智識を増して幸福を増さずして其反対に憂患を増した、彼は多くの妻妾を楽しみて婦人の死よりも苦きを知つた、其他すべて斯の如しであつた、唯一事のみ彼に幸福を供した、即ち惜みなく施す事であつた、結果を望まずしで善を為す事であつた、忘恩的の此世に無益と知りつゝも善行のパンを投げ与ふる事であつた、此事のみが彼に真正の幸福を供した、此事に身を託ねてより彼は日光を楽しみ得るに至つた、斯くてこそ百年の長寿も幸福の連続たり得べしと彼は覚つた、人生は幸福ならざるべからず、而して愛の生涯のみ幸福の生涯なりと彼は解した、是れ彼に取り大発見であつた、彼は茲に人生の至上善を発見した、純愛を以て世に対し、我が有つものを之に惜みなく与ふること、其事が至上善、最大幸福であると彼は暁つた、実に彼の探求は其目的に達したのである。
〇哲学者カントは言ふた、全宇宙を通うして最善と称すべき者は善き意志であると、善き思想ではない、書き事業でもない、善き意志であると、善を行すを以て最上の歓喜《よろこび》となす其|意《こゝろ》、是れ神の意であつで、是れ以上に善き者は宇宙|何処《いづこ》にも之を求むる事は出来ない、而して「汝のパンを水の上に投げよ」と言ひて伝道之書の著者は此至上善を握つたのである、是れ「善事を行ひつゝ周く遊《めぐ》り給へり」とあるイエスの心である(行伝十章三十八節)、コーヘレスの発見は実に大なる者であつた。
〇コーヘレスは更に尚ほ一の発見をなした、それは神が世を審判き給ふと云ふ事であつた、彼は曰ふた「知るべし(44)その諸《すべて》の作為《わざ》のために神汝を鞫き給ふ事を、然れば汝の心より憂を去るべし、汝の身より悲を除くべし」と、之を約めて言へば「神汝を鞫き給ふ、故に喜ぶべし」との事である、審判といへば常に恐るべき事として認めらるゝに、コーヘレスは茲に審判を喜ぶべき事として伝へて居るのである、而して神の審判の何たる乎を知て其の真に喜ぶべき事である事が解るのである、審判は万事の判明である、罪は罪、義は義として判明せらるゝ事である、「義人の悪人の受くべき報を受くるあり、又悪人の義人の受くべき報を受くるあり」とは此世の事であつて神の審判の未だ行はれざる時の状態である、此状態を見て何人も「是も亦空なり」と欺ぜざるを得ないのである(八章十四節)、然し乍ら神の審判を受けて此矛盾は全然取除かるゝのである、我罪も顕るれば我義も顕はるゝのである、斯くて善を為す事の無益ならざる事が明白に示さるゝのである、世に喜ぶべき事とて之に愈る者はないのである、殊に神が鞫き給ふのである、公平無私にして愛と義の基なる神が鞫き給ふのである、諸の善き事は此審判より来るのである、名判官の出て公義を国に行ふに至て真の福祉は国民に臨むのである、其如く神が人類の諸の作為《わざ》を鞫き給ふに至て真の福祉《さいはひ》は万民に臨むのである、基督者の日々の祈祷たる「主イエスよ来り給へ」との祈求も亦之に外ならないのである、神の審判に唯恐怖をのみ見るは其何たる乎を知らざるより出るのである、神を慕ふ者に取りては神の審判に愈るの歓喜はないのである。
〇神の審判の喜ぶべき事は聖書全体の認むる所である、詩篇第九十六篇に曰く   天は歓べよ地も亦喜べよ、
   海と其中に盈る者は声を放ちて歓べよ、
   田畑と其中の凡の者は躍り喜べよ、
(45)   林の諸の樹も亦ヱホバの前に歓び歌へよ、
   ヱホバ来り給ふ地を鞫かんとて来り給ふ、
   真実を以て諸民を鞫かんとて来り給ふ
と、又同じ事が同第九十八篇に記されてある、ヱホバが世を鞫き民を審判き給ふ事は抃舞雀躍して迎ふべき事であるとの事である、而して此事を心に暁得《さと》りてコーヘレスの憂患は絶えたのである、此事を識りて彼は人生を楽み得るに至つたのである、彼は今や再び素の青年時代に立帰りて己を励まして言ひ得たのである「青年よ汝の若き時に楽め、汝の若き時に汝の心を悦ばしめよ」と、神万事を※[巒の山が肉]《みそな》はし万事を鞫き給ふと暁《さと》りて不平は其根柢より絶たれ、悲哀は消えて跡なきに至つたのである、彼の疑問は悉く霽れたのである、彼は今や「愚者高き位に上げられ、賢者卑き処に坐る」を見るも敢て心を傷ましめなかつたのである、不安を以て始まりし彼の探求は平安を以て終つたのである、コーヘレスは神の選民の一人として厭世的に人生を解釈し了らなかつた、彼は預言者の精神を受けて歓喜的に人生を観た、「然れば汝の心より憂を去るべし汝の身より悲を除くべし」とは彼の最後の言葉であつた。
〇人生の至上善は何である乎との問題に対してコーヘレスは長き探求の結果として明確に答へて曰ふた、(一)愛の生涯にあり、(二)歓喜の生涯にありと、而して彼は更らに其源を究めて最後の断案を下して曰ふた神を畏れ其|誡命《いましめ》を守るにありと、是れで万事は尽きて居るのである 故に彼は曰ふた是れ人の全部なりと、人生の目的は茲に在るのである、生涯の意味は茲に在るのである、「神を畏れ」、「恐れ」ではない、敬畏し、愛従して、心よりして其誡命を守ること、即ち神の聖意を以て我が意となし、衷に聖められて外に聖く行ふ事、其事が人の全部である、(46)是れがための人生である、是れがための智識である、是れがための快楽である、是れがための事業である、神を畏れ其誡命を守る事、実に之以外に人生といふ真《まこと》の人生は無いのである、コーヘレスの発見は実に大発見であつた、近世哲学の始祖たる哲学者カントの所謂思想界に於ける革命的発見も是れ以上の者ではなかつたと思ふ。 〔以上、大正5・6・10〕
 
     コーヘレスの中庸道
 
〇聖書は神の真理を伝ふる神の書である、然れども其中に多くの人の真理が伝へられてある、是れ勿論神の真理と共に人の真理を伝へんがためではない、人の愚さを以て神の慧《さと》さを伝へんがためである、此事を弁へずして人の真理を神の真理と読違へて我等は大なる過誤に陥ゐるのである、聖書の記す言葉は悉くは神の言葉ではない、其中に多くの人の言葉がある、注意して聖書を読まざる時に我等は人の言葉を神の言葉と取違へて大なる害毒を身に招くのである。
〇其最も著しき例は伝道之書七章一節以下八章十五節に至るコーヘレスの言葉である、是れは確かにコーヘレスの言である、神が彼を以て人類に告げ給ひし言ではない、著者自身の言である 而かも著者が光明に達せし時の言ではない、未だ暗黒に彷徨ひし時の言である、其中に勿論多少の真理がある、然し乍ら全然人の真理である 此世の智慧である、智者の言の如くに聞えて実は人を誤り易き此世の智慧である、実にパウロの言ひしやうに「この世の智慧は神の前には愚なる」者である(哥前三の十九)。
〇著者コーヘレスは人生の至上善を探求して之を知識に求めて得ず、快楽に探りて当らず、事業に尋ねて看出さ(47)ず、失望の極、彼は一時自己の智慧に落附いたのである、人の智慧と云へば古今東西変ることなであつて、イスラエル人コーヘレスの落附いた智慧も亦中庸の道であつたのである、孔子の道、釈迦の法、プラトーの理、人と云ふ人の道はすべて是れである、曰く中庸の道と、曰く黄金的中道《ゴールデンミーン》と、右に偏せず左に偏せず能く其中間を歩む事、熱きに過ず冷きに過ず寒暖其宜しきを得る事、酒を飲むと同時に酒に飲まれざる事、「智慧を以て自己《おのれ》を導きつゝ酒をもて肉体を慰むる事」(二章三節)、是れ神に依らずして自から慧く世に処せんとする者の必ず採る主義方針である、而して憐むべし智者コーヘレス、彼れ人生の至上書を求めて得ず、而かも天よりの黙示の臨むあるなくして、彼も亦止むを得ずして人の道にして俗人の智慧なる中庸の道に暫時の休息を求めたのである。
〇彼は先づ凡人の套語を聯ねて言ふた、
   美き名は芳《よ》き膏油に愈る。
   死ぬる日は生まるゝ日に愈る。
   悲哀は嬉笑に愈る。
   智者の詰責を聴くは愚者の謳歌を聴くに愈る
   忍耐は傲慢に愈る。
   汝怒る勿れ、怒る心は愚者の心に宿る。
と(七章一節以下九節まで)、是れ智者を待たずして人の能く知る真理である、而かもコーヘレスは彼の人生の実験に由て是等陳腐の言の中に深き真理を発見したのであらう、彼は快楽を愛した、然し同時に又快楽の危険を知つた、故に自己に恃みて正道を歩まんと努めし彼は歓楽を避けて悲哀を択んだのである、故に彼は言ふたのであ(48)る、「死ぬる日は生まるゝ日に愈る」と、又言ふたのである「悲哀は嬉笑《わらひ》に愈る」と、歓楽を避けて力めて悲哀を択むは常に低き道徳の兆候である、生命の盛なる所には必ず歓喜が伴ふのである、「悲哀は嬉笑に愈る」とは寺院道徳の唱ふる所である、修道院に在ては嬉笑は禁物である 戦々競々として薄氷を践むが如きの感を懐くにあらざれば正道は之を歩むを得ずと是等憐むべき修養家は信ずるのである、故に彼等の道徳なる者は悉く消極的である、曰く自己に省みよ、怒る勿れ、宴楽《たのしみ》の家に入る勿れ、面に憂愁あるは心に善し云々と、是れ皆な外より内を治めんとするの道である、此世の普通の道であつて耳に慧《かしこ》く聞えて身に行ひ難き道である、而して未だ福音の何たる乎を解し得ざりしコーヘレスも亦一時は聖人めきたる斯道を唱へたのである。
〇コーヘレスの俗才は更らに著しく左の言に於て顕はれたのである、
   智慧ありて財産あるは善し、
   是れありて生ける者に利益多し。
   智慧は身の守護なり金銭も亦然り、
   然れども智慧の利益は其所有者に生命を保たしむるに在り。
と(十一、十二節)、実に「高遠なる思想」である 人生の最大幸福は実に是れであるに相違ない、「智慧ありて財産あるは善し」、智慧ばかりでは足りない、財産もなくては可ない、財産ばかりでは可ない、智慧も要る、学識に財産を兼ねて幸福は完全であるのであると、余輩此言を旧き聖書の中に読みて三千年前のユダヤ人の思想《かんがへ》を読んで居るやうなる心地がしない、大正年間の日本人の理想を読んで居るやうなる心地がする、「智慧ありて財産あるは善し」、然り、然り、実に然り、学士号を得、其上に博士号を得、之に加ふるに富家の女を娶りて、茲に学識と(49)財産とが備はりて人生の至上善は我が掌中に入つたのである、「智慧は身の守なり金銭も亦然り」、実に其通りである、清貧に安んぜし昔時《むかし》の学者は安全の何たる乎を知らなかつたのである、今の世に在りては金銭に欠けて安全は無いのである、コーヘレスは実に今日の真理を語つた者である、大学教授にして株式売買に従事する者あるは此真理を知るからである、「真理は其れ自身を支ゆる者なり」といふが如きは之を大学の教室に於て唱ふるを得べし、然し乍ら人生の硬き事実は斯かる酔人の囈言《たわごと》を許さず、聖書に伝道之書なる者ありて「智慧ありて財産あるは善し」と教ゆ、聖書は誠に第二十世紀の書である、我は今より此書に則りて人世に処せんと、斯く言ふ日本の学者と青年は決して尠くないのである、然り、彼等の殆んどすべてはコーヘレスの此言には満腔の同情を以て共鳴するのである。
〇コーヘレスは更らに其俗才を発揮して彼の中庸道を絮説して曰ふた、
   我れ我が空しき日の間に様々の事を見たり、
   義人の正義を行ふて亡ぶるあり、
   悪人の悪を行ふて其生命を延ぶるあり、
   是故に汝義しきに過ぐる勿れ、
   又慧きに過ぐる勿れ、
   汝何ぞ身を滅さんとするや、
   汝悪しきに過ぐる勿れ又愚かなる勿れ、
   汝何ぞ時到らざるに死ぬべけんや、
(50)   汝是を手に執るは善し、
   また彼にも手を放す勿れ、
   神を畏む者は両極端より逃れ出るなり、
   そは善を為し罪を犯さゞる
   義しき人とては地に有らざればなり。
と(十五−二十節)、是れ中庸道の要訣とも称すべきもの、思想の「高遠」、其「該博」、其「深遠」実に敬嘆|渇仰《かつかう》すべきである、宗教も斯くの如くに唱道せられて容易く世に受納れらるゝのである、「汝義しきに過ぐる勿れ、又悪しきに過ぐる勿れ」と、智慧と真理とは其中間にありである、「汝等の義にして学者とパリサイの人の義に勝る所なくんば汝等は天国に入る能はず」と云ひ(馬太伝五章廿一節)、「天に在す汝等の父の完全きが如く汝等も完くすべし」と云ひ(同四十八節)、「若し汝の右の眼汝を罪に陥さば抉出《ぬきいだ》して之を棄てよ、若し汝の右の手汝を罪に陥さば之を断りて棄てよ、そは五体の一を失ふは全身を地獄に投入れらるゝより勝ればなり」と云ひ(同廿九、三十節)、「凡そ我に来りてその父母妻子兄弟姉妹また己の生命をも憎む者に非れば我弟子となることを得ず」と云ひ(路加伝十四章二十六節)、「其生命を惜む者は之を喪ひ、其生命を惜まざる者は之を保存《たもち》て永生に至るべし」と云ふが如き(約翰伝十二章廿五節)是れ皆な極端の教である、縦し真理はそれであるとするも之を斯くの如くに唱へて世は之を救ひ得べくもない、「義人の正義を行ふて亡ぶるあり」、イエスの如きヱレミヤの如きは其実例である、彼等は極端に正義を行ひしが故に早く亡びたのである、釈迦と孔子とは之に異なり、能く中庸の道を守りしが故に長寿を保ち多く教へて多く楽んだのである、故に言ふ「神を畏む者は両極端より逃れ出る也」と、敬神愛国の(51)結果は之である、善悪の両極端より逃れ出るにある、ヱレミヤの預言ならで、又パウロの福音ならで、コーヘレスの中庸道こそ能く東洋道徳に適合《かな》ひて、吾人を導きて真の幸福に入らしむるに足ると。
〇殊に「称嘆」すべきは最後の一言である、即ち「そは善を為し罪を犯さゞる義き人とては地に有らざればなり」と、義人あるなし一人もあるなし、故に人はキリストを信ずるより他に神の前に義とせらるゝの途あるなしとは使徒パウロの唱へた所である(羅馬書第三章)、然るに茲に智者コーヘレスは教へて言ふたのである、義人あるなし一人もあるなし、故に汝義人たらんと欲するの不可能的欲望を起す勿れと、世に純義に達せんと欲するが如き無益の企図《くはだて》はない、是れ天に昇らんと欲すると同じ企図である、世に義人あるなし、然るに我れ一人義人たらんと欲す、斯かる欲望を懐けばこそ所謂基督信者の生涯に失敗と失望とが多いのである、智者は無益の欲望を起さないのである、彼は達成し能はざる事を達成せんと努めないのである、天の神が完全きが如く完全からんと欲するが如き、望んで全く益なき事である、此世の聖人君子が悉く罪の人であると謂はるゝに我れ一人義人たらんと欲するは之を僭越の極と称せざるを得ない、義人なし一人もあるなし、故に我も凡夫として地上に棲息し昇天の希望を起すべからずであると。
〇イスラエルの智者コーヘレスは斯く言ふた、而して日本の智者学者政治家教育家新聞記者、然り宗教家と称せらるゝ者までも概ね皆なコーヘレスに傚ひて其中庸道を唱ふるのである、彼等が恐るゝものにして極端主義の如きは無い、彼等は蛇蝎の如くに之を忌み嫌ふ、哲人エマソンは教へて言ふた「汝の車を星に繋げよ」と、然るに今時《いま》の学者と宗教家とは車を星に繋ぐの危険を唱へて止まないのである、彼等は実際的に我等に教へて言ふのである「汝の車を政府に繋げよ、或は教会に繋げよ、或は富豪に繋げよ、之を何物に繋ぐとも地球以外の或物に繋(52)ぐ勿れ 車を地を離れたる空天《そら》の星に繋ぐが如き危険之より大なるはなし、今や理想と信仰とは地上の制度と権能とに由て支持せらる、政府の用茲に在り、教会の要茲にあり、星と云ひ、理想と云ひ、自由と云ひ、独立と云ふが如き、是れ詩人の夢想にあらざれば痴人の空想なり、汝星を仰ぎ空想に憧憬れて汝と汝の愛する家族との幸福を犠牲に供する勿れ」と、而して余輩は屡々之に類する言を基督教の教師より聞いたのである 其宣教師の或者は何の憚る所なくして余輩に勧告て言ふたのである「君の唱ふる所は真理なるべし、然れども之を実行せんとするは君に取り甚だ不利益なるべし」(lt will be very disadvantageous to you.)と、真理なるべし然れども不利益なるべしと、是れがコーヘレスの中庸道であつた、而して又今日の宣教師道徳である、亜米利加主義である、信者の賤しむべき斥くべき世俗道徳である、極端主義の故を以て欧米の教会者等に甚く嫌悪はるゝ丁抹国《デンマルク》の信仰的勇者キルケゴールは言ふた、
  基督者《クリスチヤン》たるは難し、実に難し、世に未だ曾て真の基督者なる者は出ざりしならん、然れども其事は余が基督者たる能はざる理由とはならず、余は努めて世界最始の基督者たるべきなり
と、而して余輩も亦此勇者の言に従ひ、羅馬教会の法王大僧正、英国教会の大監督と小監督、ルーテル教会の監督と神学者、メソヂスト教会、パブチスト教会、組合教会、長老教会、クエーカー教会、其他有りと有らゆる凡の教会の監督牧師、伝道師等を彼方《むかう》に廻し、愛すべき彼れキルケゴールと共に立ちて言はんと欲す、
  然りアーメン、余輩も亦神の恩恵と援助とに由り、不可能と称せられ、極端と譏らるゝ窄き小さき門より入りて、此世の事業の失敗を期して真の基督者たらんことを欲す、と。
〇中庸道は沈黙の利益を主張する、曰く「黙すに時あり語るに時あり」と(三章七節)、而して己が身の安全を計(53)りて黙すべき機会は多くして語るべき機会は少ないのである、故に曰ふ「愚者は言詞《ことば》多し」と(十章十四節)、故に縦ひ世に非道と圧制との行はるゝを見ると雖も智者は慎んで口を噤むべきである、曰く「然かはあれど(世に多くの悪事は行はるれども)汝心の中にても王を譏る勿れ、また寝室《ねや》にても貴顕を詛ふ勿れ 恐くは天空《そら》の鳥|報告《しらせ》を運び、羽翼《つばさ》ある者その事を伝へん」と(十章二十節)、不平は之を心に懐くさへ危険である、「曲れる者は之を直からしむる能はず、欠けたる者は之を補ふ能はず」」曲れる時世は之を其儘に放任し置くべきである(一章十五節)、革正を叫ぶが如きは愚者の為す所である、智者は慧《かしこ》き沈黙を守りて身の安泰を計るべきであると、是れ中庸道を以て至上善と信ぜし間、コーヘレスが繰返して止まざりし所であつた。
〇魯に行ては魯に従ひ斉に行つては斉に従ふ、基督教国に在りてはキリストを唱へ、非基督教国に帰りては深く沈黙を守りて彼の名をさへ口にせず、平時に在りては非戦を唱へ、戦時に在りては戦争を謳歌す、唯偏に世に逆はざらんと欲す、唯偏に王者の忌諱に触れざらんと欲す、沈黙、沈黙、慧き沈黙、秘訣は茲に在りと彼は言ふ、「汝道を宣伝ふべし時を得るも時を得ざるも励みて此事を務むべし」とは聖書の教ゆる所である、中庸道は之に反し時を得れば之を伝へ、時を得ざれば慎んで之を伝へないのである(提摩太後書四章二節)、中庸道は神を畏れない、世を恐れる、世がキリストを歓迎する時には「彼を識る」と言ひ、世がキリストを排斥する時には「彼を識らず」と言ふ(馬太伝十章卅二節)、中庸道は何よりも熱心を嫌ふ、争闘は絶対に之を避けて安泰の道を歩まんとする、故に人を教へて曰ふ
  若し汝の君主《きみ》(長者先輩)汝に対ひて憤怒《いかり》を発せんか、汝の処を離るゝ勿れ、低頭して彼の前を去る勿れ、彼と是非を争ふ勿れ、唯忍耐せよ、忍耐に由て汝は更らに大なる凌辱を免かるゝを得ん、
(54)と(十章四節)、実に卑屈極まる道である、然れども斯く為すにあらざれば永く官海に游泳する事は出来ないのである、又教界に教権を揮ふ事は出来ないのである。
〇中庸道に至上善を認めしコーヘレスの「達見」は最も瞭かに彼の婦人観に於て現はれた、彼は曰ふた、
   我れ智慧を以て此すべての事を試みたり、
   我は言へり「我は智者ならん」と、
   然れども遠く及ばざりき、
   万物の理は遠くして甚だ深し、
   誰か之を究むることを得ん、
   我れ身を転《めぐ》らし心を尽して、
   智慧と道理とを探り且つ求めんとし、
   又悪の愚なると愚の狂なるとを知らんとせり
   而して我は覚れり婦人の死よりも苦き事を、
   婦人は(人を捕ふる)網なり、
   其心は羅《わな》なり其手は鏈《くさり》なり、
   神の悦び給ふ者は之を避くるを得べし、
   然れども罪人は之に執へらるべし。
   コーヘレス言ふ、視よ我れ此事を覚れり、
(55)   我れ其数を知らんとて一々算へたりしに、
   我れ我心の求むる者を求めて得ざりき、
   然り我れ千人の中に一人の男子《をとこ》を得たれども
   然れども其中に一人の婦人《をんな》を得ざりき。
と(七章廿三−廿七節)、而して彼は如斯くに婦人を観て大に人世を覚り得たりと思ふた「我は覚れり婦人の死よりも苦《にが》き者なる事を」と、能く婦人を解する者が人世を解するのである、而してコーヘレスは婦人は人を捕ふる網、其心は罠、其手は鏈なりと解して万物の理を究め、智慧と道理とを探り得たりと思ふた、彼は婦人を斯く解して大なる発見を為したりと思ふた、故に彼は手を拍《うち》て叫んで曰ふたのである「我は覚れり」と。
〇然し乍ら言ふまでも無く是れ浅き智慧である 間違たる悟覚《さとり》である、実に能く婦人を解する者が能く人生を解するのである、而して人の婦人観は其自己観である、「婦《つま》を愛する者は己を愛する也」とある(以弗所書五章廿八節)、婦人を敬する男子は己を敬し、婦人を賤しむ者は己を賤しむ、人の人格、其品性は最も瞭かに其婦人観に於て現はるゝのである、而してキリストを信じ彼の救済に与かるを得て我等は自己の価値を知り得ると同時に婦人の価値《ねうち》を認むるに至るのである、
  夫たる者よ、汝等も妻を遇《あつか》ふ事弱き器の如くし、理《ことはり》に循ひて之と同《とも》に居り、之を敬ふこと生命の恩賜《めぐみ》を嗣ぐ者の如くすべし
と(彼得前書三章七節)、無窮の生命の恩賜に与かるの資格を備へたる神の選び給へる器、基督者の婦人観は是れである、コーヘレスのそれとは天壌の差がある、而して如斯くに婦人を観て男子も亦自己を潔《きよ》うする事が出来、(56)婦人も亦益々潔くせらるゝのである、而してキリストは世を聖《きよ》め、男子を聖めんとするに当て先づ婦人を聖め給ふたのである、彼はサマリヤ人を救ふに当て先づサマリヤの婦を救ひ給ふたのである(約翰伝第四章)、世に若しコーヘレスの称へしが如き婦人があつたとすれば、其者は曩に五人の夫ありて今ある者はその夫にあらずと云はれし此サマリヤの婦であつた、然れどもイエスは婬婦をさへ婬婦としては扱ひ給はなかつたのである、彼はペテロの言の如く「生命の恩《めぐみ》を嗣ぐ者」として彼女を扱ひ之に彼が其時まで何人に示し給はざりし大なる真理を示し給ふたのである 如斯くにして彼女は救はれ彼女に由りて許多《あまた》のサマリヤ人は救はれたのである、婦人を賤視するは決して深き智慧ではない、実に浅慮の至りである、而して中庸道に彷徨ひし当時のコーヘレスの浅薄さ加減は最も瞭かに彼の婦人観に於て現はれたのである。
       *     *     *     *
〇如斯くにしてコーヘレスは久しき間中庸道の浅瀬に彼の人生の舟を操縦《あやつ》つた、而して彼は浅瀬に浮びながら深淵《ふかみ》に帆走《ほばし》りつゝあると思ふた 彼は浅く自己の傷を癒しながら平安なきに平安平安と叫んだ、而して彼の平安なる者は此世の無異《ぶいお》の家庭生活であつた、彼は智者を気取りて曰ふた、
   茲に於てか我は喜楽を称讃せり、
   そは食ひ且つ飲み且つ楽しむに愈る善き事の
   人に取り日の下にあらざればなり、
   是れこそは神が日の下に彼に与へ給ふ
   生命の日の間彼を離れざる者なれ。
(57)而してコーヘレスならぬ此世の許多《あまた》の智者は之れ以上に平安と満足とを求めないのである、彼等は人生の深淵に真理の真珠を拾ふの愚を笑ひ、自身は安楽椅子に倚りかゝりながら眼鏡越に熱狂信者を見て其狂態を憐むのである。
〇然しながらヒブライ人なりしコーヘレスは永く此道に止まり得なかつた、其血にアブラハム、モーセ等の熱誠を受け、其心にイザヤ、ヱレミヤ等の精神を継ぎし彼は冷やかにも非ず熱くも非ず微温き中庸道の主唱者を以て終ることは出来なかつた、彼は終に自己に背いて曰ふた「狂たり愚たり、我れ之を知らず、我は時を選ばず人を選ばず、常に我が最善を尽して此世を逝らん」と、
   汝のパンを水の上に投げよ、
   多くの日の後に汝再び之を得ん、
と(十一章一節)、是れ智者の言ではない、信仰家の言である、神を信じ人を信ずるにあらざれば行ふ能はざる言である、而してヒブライ人たるコーヘレスは自己に帰りて斯く言ひ斯く行はざるを得なかつた、彼は茲に全然ギリシヤ風の哲学者の儒服を脱して、ヒブライ風の預言者の外套《うはぎ》を己が肩に懸けたのである、彼は今は智者の智を誉めなかつた、又愚者の愚を笑はなかつた、「汝のパンを水の上に投げよ」と曰ひて彼は一視同仁の愛を主張した、曩には
   我は日の下に空しき事の行はるゝを見たり、
   即ち義人の悪人の受くべき報を受くるあり、
(58)   又悪人の義人の受くべき報を受くるあり、
   我は言へり是も亦空なりと。
と言ひし彼は今は義人悪人の差別を設けずして均しく之を愛するの道を唱へた、斯くして彼は真の幸福なる生涯に入つた、人生を解して人は何人も失望せざるを得ない、神を信じて人は何人も希望満々たる生涯に入るのである、智者コーヘレスは憐むべき人であつた、彼の最上の智慧は中庸道であつた、信者コーヘレスは羨むべき人であつた、彼は愛の実行に自己を忘れて却て能く人生を解するに至つた、
  神を畏れて其誡命を守る事、是れ人生の全部なり、
と、是れ人生の哲学的解決ではない、其の実際的解決である、幸なる哉コーヘレス! 〔以上、大正5・7・10〕
 
     事業熱に捕へられしコーヘレス
 
〇逸楽に厭き、智識に失望せしコーヘレスは事業を試みた、彼は多くの有為の人と共に活動の生涯に人世の憂苦を忘れ、激励の快楽を貪らんとした、彼は言ふたであろう、身の逸楽は淡きこと夢の如し、掴みしかと思へば消失《きえう》す、智識も亦同じ、其獲る所は空想に過ず、如かず実行に身を委ねんにはと、事業に事業としての確実の価値がある、又之に従事して人は堅実ならざらんと欲するも得ない、神と云ひ善と云ひ霊魂と云ひ永生と云ひ実は言葉に過ぎないのである、何よりも確実なる者は仕事である、此世をより善く為す事である、思想と言葉とに非ずして実物を世に供することである、哲学ではない、神学ではない、文学ではない、実業である、慈善である、社会改良である、今世を善事実行に消費して来世は如何であろうと敢て憂慮するに及ばないと。
(59)〇斯く意を決めてコーヘレスは万事を抛擲して当時の有りと凡ゆる事業に彼の一身を委ねたのである、彼は邪曲の世に行はるゝを憤り之を正さんとした(三章十六節以下)、彼は圧せらるゝ者の涙を視て之を慰めんとした(四章一節以下)、彼は労働の平均を計りて民の労苦を減ぜんとした(同四節)、彼は守銭奴の愚を笑ふて共同一致の利益を唱へた(同七節以下)、彼は政変に際して幸運児の政権を握るを視た(同十三節以下)、彼は又宗教改革を試みた(五章一節以下)、斯くして彼の多忙なる生涯を以て自己の憂苦を忘るゝと同時に人類の幸福を増さんとした、彼は善行に於て人生の至上善を発見せんとしたのである、恰かも今日の基督教信者が教義に厭き伝道に失望して或ひは政治に入りて政界刷新を謀り、或ひは慈善に投じて貧児の救済に従事し、或ひは社会主義者となりて社会改良を唱ふるの類である、其志たるや嘉すべしである、然れどもコーヘレスは其目的を達せし耶、事業は果して彼に取り人生の至上善でありし耶、彼は茲に彼の実験の結果を世に伝へて居るのである。
〇事業に従事してコーヘレスが先づ第一に学びしことは、人は欲《ねが》ふて事業の成功を見ることが出来ないと云ふことであつた、事の成るに時がある、時を得ずして何事も成らない、人がいくら苦心しやうが、いくら努力しやうが、彼の才能は如何に多く、彼の思想は如何に高くあるとも、時を得ずして事業は揚らないのである、時である、時である、時を得て愚者も大功を奏し、時に会はずして賢者も無為に終る、人が事を為すのではない、時が為すのである、時を俟たずして事を為さんと欲するは春を待たずして花を咲かさんと欲すると同じである、此事に感づきしコーヘレスは言ふたのである、
   すべての事に時あり、
   天が下に人の為すすべての業に期あり、
(60)   毀つに時あり建つるに時あり、
   保つに時あり棄つるに時あり、
   裂くに時あり縫ふに時あり、
   愛するに時あり悪むに時あり、
   戦ふに時あり和らぐに時あり、
   斯くて人は労して其労苦よりして必しも益を得る能はざるなり、
と(三章一1九節)、是れ教訓の語の如くに見えて実は失望の声である、逸楽に厭き智識に失望せし著者コーヘレスは自から起て大に事業を為さんと欲したのである、然るに事業に従事して其の容易に成らざるを覚つたのである、事業は人の業にあらざる事を知つたのである、而して未だ「神の聖意」と断言する能はざりし彼は「時」と言ふたのである、事業は人が為すに非ずして時が為すのであると彼は言ふたのである、而して人生の至上善を事業に求めて彼は失望せざるを得なかつたのである、自分が求めて獲る能はざる者、勉めて為す能はざる事、それが至上善でありやう筈はない、事業は人力以外である、事業は時の産である、自から成る者である、人が焦慮り又は追求《もと》めて成る者ではない、俟て成るのを見るに過ぎない者である、「果報は寝て待て」である、「人は労して其労苦よりして益を得る能はざるなり」である、益と果報とは時が持来《もちきた》るのである、事業の成功を目的として人の労苦は大抵の場合に於ては徒労となりて終るのである。
〇実にコーヘレスの言ふた通りである、事業事業《ワークワーク》と叫び、事業が其信仰であり事業が其生命である現今の基督教信者、殊に米国流の基督教信者には事業さへも挙らないのである、社会は彼等の運動に依て改まらないのである、(61)平和は彼等の活動に依て臨まないのである、信者は彼等の戦闘《キヤムペーン》に依て起らないのである、彼等はたゞ躁《さわ》ぐのみである、たゞ走るのみである、たゞ有力者の賛成助力を得んとて奔走するのみである、たゞ会合を開くのみである、たゞ雄弁を揮ふのみである、たゞ事業の統計表を作るのみである、然れども彼等に由つて永遠の事業は少しも挙らないのである、而してコーヘレスの如くに誠実を愛し、至上善を求めて止まざる者は、終には此徒労なる事業に失望せざるを得ないのである、事業は貴くある、神(時ではない)が為し給ふ者なるが故に貴くある、人は神の役者《えきしや》に過ぎない、故に彼は神を目的として事業を目的とすべからずである、彼は事業の成否に拘はらず働くべきである、時を得るも時を得ざるも励みて道を宣伝ふべきである(テモテ後書四の二)、特別に大努力を試むべきでない、特別に大挙伝道を企つべきでない、ダビデの如くに民を核《しら》べ民の数を知らんとして(信者の統計表を作りて)神の恚怒《いかり》を招くべきでない(撒母耳後書二十四章)、事業を談じ、事業を企て、事業を誇り、事業を表す、其事が空である、然り罪である。
〇以上は事業全体に関はるコーヘレスの失望の声である、而して彼は続いて彼が試みし個々の事業に就て彼の失望を述べたのである、彼は邪曲の世に行はるゝを見て憤つた、彼は言ふた、
   我れまた日の下を見しに
   審判を行ふ所に邪曲《よこしま》なる事行はる、
   公義を行ふ所に邪曲なる事行はる、
と(三章十六節)、裁判所の腐敗である、裁判官の堕落である、司法権の蹂躙である、国法の濫用である、コーヘレスは之を見て憤慨に堪なかつたのである、故に之を矯め之を正し国家と社会とを其根柢より潔めんとしたので(62)ある、然れども嗚呼、此場合に於ても他の場合に於けるが如く「曲れる者は之を直からしむる能はず」であつた(一章十五節)、腐敗は依然として継続せられた、司直の任に当る者は種々の言を構へて邪曲の邪曲ならざるを弁じた、コーヘレスの努力は無益であつた、茲に於てか彼は自己を慰めて言ふた、
   神は義者と悪者とを鞫き給ふべし、
   そは彼に取りては万事万物に時あれば也
と(三章十七節)、人なる裁判官は公平に鞫かず、邪曲は司直の府に行はる、今之を正うせんと欲するも能はず、然れども神なる裁判官は義者と悪者とを鞫きて誤らず、彼は彼の択び給ふ時に必ず之を実行し給ふと、斯くてコーヘレスの場合に於ても革正の失敗は信仰を起したのである、彼は司法官の無能に失望して神に頼るに至つたのである、誠実なる改革の努力に常に此利益が伴ふのである、人は社会と政府と教会に失望して神を信ずるに至るのである。
〇コーヘレスは彼の第一の革正事業に失敗して人の何なる乎を覚つたのである。
   我れまた我心に言ひけらく
   神の人の子を篩ひ給ふは、
   之にその獣《けもの》なる事を暁らしめんとて也と、
   人に臨むことは亦獣にも臨む、
   二者に臨む所の事は同一《ひとつ》なり、
   人は獣に優る所なし、
(63)   誰か人の魂の上に昇り、
   獣の魂の地に降るを知らんや、
と(三章十八−廿一節)、公義に欠乏して人は獣と何の異なる所がない、人より正義を引去りたる者は獣である、正義の行はれざる社会は獣の社会である、コーヘレスは此言を発して決して奇矯の言を発したのではない、平明なる常識を述べたのである、而して神はその平明なる真理を以て人の明白なる邪曲を評《はか》り給ひて(「人の子を篩ひ給ふ」とあるは此事を云ふのであらう)人にその獣なることを暁らしめ給ふのである、勿論神は人を獣として造り給ふたのではない、人は正義を棄て獣にまで成下つたのである、而して正義を棄て獣に化せし人は獣に何の優る所はないのである、「二者同一の所に往くなり」である(二十節)、斯かる人に霊魂の不滅あるなしである、斯かる人を獣に比べて我等は「人の魂は上に昇り獣の魂は地に降る」と言ふことは出来ない、コーヘレスの此観察は誤らないのである、彼は改革事業第一に失敗して神に頼るに至りしと共に、公義の執行を要求めざる社会民衆の獣に等しき者なることを暁らしめられたのである。
〇コーヘレスは希伯来人であつた、彼は預言者の教訓に育てられて、義の人でありしと同時に情の人であつた、彼は曩には公義を行ふ所に邪曲なる事の行はるゝを見て憤つた、彼は今や自由なるべき者の圧せらるゝを見て泣いた、彼は身を転らして天が下に行はるゝ所のすべての圧制を見て言ふた、
   我は圧せらるゝ者の涙を視たり、
   然れども彼等を慰むる者あらざる也、
   圧する者の手に権力あり、
(64)   然れども彼等を慰むる者あらざる也、
と(四章一節)、圧制は広く世に行はる、而して圧する者の手に権力あり、而して圧せらるゝ者にたゞ涙あるのみ、然れども彼等を慰むる者あらざる也と、「彼等を慰むる者あらざる也」と彼は繰返して言ふて彼等に対する彼の深き同情を表した、而して圧制の手の緩まざるを見て、又圧せらるゝ者の涙の拭はれざるを視て、彼は人世に就て失望して言ふた、
   故に我は思へり既に死たる死者の
   今猶ほ生ける生者よりも幸福なるを、
   又この二者よりも更らに幸福なるは、
   生れずして日の下に行はるゝ悪事を見ざる者なるを
と(二、三節)、西洋に Man's inhumanity to man(人の人に対する不人情)と云ふ言がある、世に残忍なる事多しと雖も、人が人に対して行ふ残忍の如きはないのである、四海皆兄弟なりとは空言《そらごと》である、兄弟ではない讎敵《しうてき》である、己が安寧を維持せんがためには一の階級は他の階級を圧して何時までも其圧制の手を緩めないのである、而して偶々《たま/\》博愛の士の起るありて一視同仁、天恵等分の理を唱ふる者あれば、権者は怒て其声を圧し、彼に負はするに秩序撹乱の罪を以てし、彼をして再び起て貧者の権利を主張する能はざらしむ、而して圧制はコーヘレスの時に行はれて今猶ほ行はるゝのである、文明の進歩は圧制を減じない、たゞ圧制の形を変へるまでゞある、人類の大多数は今猶ほ圧せられて、其涙は拭はれず、彼等を慰むる者は無いのである、真の同情の眼を以て人生を観んか、死は正に生よりも幸である、生れざるは生れしょりも福である、而して人世の此不公平、此不平均を除か(65)んと努めし者にしてコーヘレスの発せし此歎声を発せざる者はないのである、実に弱者の味方となりて其救恤を計りし者は、人の心の石よりも堅く蝮よりも悪しき事を知りて預言者ヱレミヤと共に叫ばざるを得ないのである、
  人の心は万物《すべてのもの》よりも偽はる者にして甚だ悪し、誰か之を知るを得んや
と(耶利米亜記十六章九節)。
〇コーヘレスは次に労働問題に注意した、彼は労働の神聖を教へ、民をして其業務に安ぜしめんとした、然れども彼の善意に出たる此事業も亦失敗に終つた、民は彼の教に従はなかつた、彼等に在りては労働は依然として労苦として存した、而して彼は彼の教の行はれざる理由を発見した、労働の動機が間違つて居るからである、世人の労働に従事する必ずしも生業《なりはひ》のためではない、衣食の料を獲んと欲して人は寝食を忘れてまで働くの必要はないのである、勿論神に事ふるための労働でない、天然をより美くせんための労働でない、相互の嫉妬競争より起る労働である、コーヘレスは言ふたのである、
   我れ又人のすべての労苦と仕事の精巧との
   人々相互の嫉妬(競争)より起るを見たり
と(四節)、即ち「他人に負けまい」と言ふ思念より起る労働である、語を替へて謂へば嫉妬に原因する労働である、虚栄を目的とする労働である、他人を仆して我れ独り立たんとするための労働である、而して労働が斯かる動機に出づる間は其改善は期すべからずである、労働の動機を改めなければならない、然らざれば労働は改まらない、労働問題と称して決して容易の問題でない、事は人生の根柢に触れる問題である、其根柢の問題の解決せらるゝまでは資本と労働の調和を計るも無益である、然り二者の調和は不可能である、人が人を愛するに至るま(66)では労働問題は解決されない、而して此事に気附きしコーヘレスは言ふたのである、
  是れ亦空にして風を捕ふる事なり
と、人類を利慾の動物と見ての労働問題の解決、是れ空にして風を捕ふる底の問題である、無益の問題である、解決の見込なき問題である、労働問題は労働問題としてのみ之を解決することは出来ないのである。
〇然れども事実は如何に?、コーヘレスより二千五百年後の今日、世の所謂智者は彼の気附きし此単純の理に気附かないのである、労働問題は今猶ほ労働問題として攻究されつゝあるのである、嫉妬競争を罪悪として認めずして、然り之を合法視して、此世の論者は此問題を解決せんと為しつゝあるのである、空なる哉此努力、風を捕ふるに等しき哉此画策、労働問題は道徳問題として、又は宗教問題として、又は信仰問題として其解決を見ることが出来るのである。〇而して個人の労働に止まらない、国家の経綸も亦同じである、嫉妬競争を基因とする今の外交問題も亦|際限《はてし》なき空問題たらざるを得ないのである、英国を斃さゞれば独逸は起らないと云ひ、独逸を圧せざれば英国は亡ぶべしと云ふ、一個の小なる地球ありて二個又は二個以上の所謂世界勢力があるのである、世界の平和は紊されざるを得ない、嫉妬競争を人類の合法性と認めて地に泰平を来たさんとするも是れ亦空にして風を捕ふるの業である、平和問題は福音宣伝を離れて語ることは出来ない、国家存在の根柢が間違て居るのである、競争が進歩の原理として認めらるゝ間は世に戦争は絶えないのである(雅各書四章一節参照)。
〇競争のためにする労働と共に蓄積のためにする労働がある、二者共に自分本位の労働である、普通世に後者を称して守銭といふ、自分本位にも程度があるのである、労働の結果を自分の妻子同類と共に頒たんとするのがあ(67)る、之を自分一人で占有せんとするのがある、守銭奴は銭を愛するの極、妻子眷属をも厭ふのである、彼はたゞ銭を見て楽しむのである、手段が目的と化したのである、快楽を得るための金銭其物が快楽と化したのである、而して其不自然の快楽を自分独り貪らんとするのである、守銭は自分本位の極端であつて其絶下である、コーヘレスの言は簡単にして痛切である、
   茲に人あり単独にして伴侶なく、
   子なし又兄弟なし、
   然るに其すべての労苦に際限あるなし、
   その眼は富に飽くことなし、
   彼は誰が為に労し誰が為に節するにや、
   是れ又空にして患ふべき事なり
と(四章八節)、馬琴の夢想兵衛、ヂツケンスのスクルージは共に能く此人物を画きし者であつて、コーヘレスの此言の善き註解として見るべきである。
〇自分本位を其極端に於て見て、著者は共同一致の美を讃へざるを得なかつた、四章九節より十二節に至るまでの数行は、我が毛利元就が其子等を誡めし言に似て、処世の箴として価値《あたひ》最《いと》貴きものである、「三条の縄は容易に断れざるなり」、一脚にては足らず、二脚にては危し、三脚鼎足の上に立ちて人は容易に動かず主義も亦廃たれないのである、同志三人固く相結び共に相助けて天下は既に我有なりと称して誤らないのである。
〇コーヘレスは又世の政変なる者に際会した、而して一介の書生の一躍して王者となりしを見た、老政治家が民(68)の人望を失ひて墜落《すゐらく》し、青年政治家が之に代て廟堂に立つを見た、古今東西変ることなしである、著者をして言はしめよ、曰く
   貧くして慧き青年は老いて愚かにして
   諌言を納る事を学ばざる王に愈る、
   彼れ牢獄《ひとや》より出て王となれば、
   王は其国に在りて乞食となる、
   我れ日の下に歩む所の群生が、
   王に代りて立し所の青年の下に群るを見る、
   際限なき民衆其前に在り、
   然れども彼の後に来る時代は彼を悦《よろこば》ざる也、
   是も亦空にして風を捕ふる事なり
と(十二−十六節)、「王」とは王者である、政権を握る者である、彼れ「諌言」即ち輿論を容れざるに至て民間の青年政治家は挙げられて其後を継いだ、彼は元老の忌諱に触れて一時は牢獄に投ぜられし者、今や牢獄を出て自身王者となれば、前の王者は其国に在りて乞食となる、而して民の人望遽に青年政治家に鍾《あつま》り其門前市をなすに至つた、然かはあれど彼れ青年政治家の勢力も亦長くは続かなかつた、彼の後に来りし時代は彼を悦ばなかつた、彼も亦彼が取て代りし元老と等しく墜落して「乞食」と成つた、而して政界は転輾して同一事を繰返した、是も亦空にして風を捕ふる事であると。
(69)〇著者コーヘレスは果して身を政界に投じて、自身彼の目撃せし政変に与りしや否や、其事は此記事に由ては判明らない、余輩は彼が爾かせざりしことを望む、而かも彼に等しき古今東西の智者にして政界の栄耀に幻惑せられ、或ひは教職を抛ち、或ひは家産を傾け、社会を其表面に於て飾らんとして、政界は少しも潔められず、自身は「其国に在りて乞食となり」し者は挙げて数ふべからずである、コーヘレスは自身墜落の厄難に会はずして政界離脱の智慧を学びしや否やを知らずと雖も、政治の事たる多くは是れ空にして風を捕ふる事なるは誠実の士にして之を試みし者の等しく看破せし所である、政治は決して人生の至上善ではない、縦し之に成功して総理大臣となり、大勲位を授けられ、正一位を贈られて墓に下るとも、政治の事たる豊太閤の歎ぜしが如く「浪花のことは夢の世の中」である、コーヘレスも亦亜細亜人として一時は政治に憧れたであろう、彼も亦或時は最高き山に携へゆかれ、其|頂上《いたゞき》に立たせられて世界の諸国とその栄華とを見せられて大に其心を動かされたであろう、然し乍ら、福《さいはひ》なる哉彼にイスラエルの敬虔にして深遠なる教訓が有つた、彼は政治に捕へられなかつた、少くとも其把握より免かるゝことが出来た、政治は婬婦の如き者である、「神の悦び給ふ者は之を避くるを得べし、然れども罪人《つみびと》は之に執へらるべし」である(七章廿六節)。〇コーヘレスは又宗教改革を試みた、彼は民の宗教の虚偽に流れ、形式に沈みしを見て、之を其|原始《はじめ》の単純に引還さんとした、彼は言ふた、
   汝神の前に軽々しく口を開く勿れ、
   心を静にして妄に言を出す勿れ、
   神は天に在《いま》し汝は地に居るなり、
(70)   然れば汝の言をして少なからしめよ
と(五章二節)、彼は当時の宗教家の軽挙多弁に堪え得なかつた、彼は又民が実際に神を弄ぶを視て義憤を禁じ得なかつた(四−六節)、彼は一言以て民の肺腑を突いた
  汝ヱホバを畏れよ、
と(七節)、神を欺く勿れ、彼を弄ぶ勿れ、宗教をして実に宗教たらしめよ、「汝ヱホバを畏れよ」と、而して彼の改革事業が果して功を奏ぜしや否や、其事は記してない、然し此書の全体の調子より推して見て彼の此事業も亦失敗に終つたらしくある、世に稀れなる者とて真の宗教の如きはない、政治は政治家の玩弄物であつて宗教は宗教家の商品である、欺かんと欲するの僧侶と欺かれんと欲するの民衆ありて茲に世の所謂宗教が成立するのである、而して茲に一人のアモス又はルーテルの如き者が出て世は震動するのである、彼は真実に神を信ずるのである、而して其信仰の実弾が白く塗たる墓に似たる此世の宗教を粉※[薺の下半が韮の草がんむり無し]《ふんさい》し去るのである、真の宗教は単純である、其言葉は少くある、故に民と僧侶とに悦ばれないのである、コーヘレスの宗教改革も亦時を得ざりしが故に、多くの他の宗教改革と共に無効に終つたのであろう。
       *     *     *     *
〇斯くてコーヘレスは種々の事業を試みて多くの辛らき目に遭ふたのである、彼は先づ第一に事業の容易に成る者にあらざるを暁つた、彼は又事業に労苦多くして心の平安の之に伴はざるを知つた、事業は信仰の代用を為さない、事業に際限がない、故に之に従事して人は際限なく其追窮する所となる、事業は人をして疲労せしむ、事業は世の汚穢《けがれ》と自己の荏弱《よわき》とを示し、人をして世に就き自己に就て失望せしむ、事業は人生の至上善ではない、
(71)   視よ我は此事の真なるを観たり、即ち
   人の身に取り善且つ美なる事は
   神に賜はるその生命の間食ひ且つ飲み
   日の下にて労して得たる幸福を楽む事なるを
と(五章十八節)、是れ「飲めよ食へよ我等明日死ぬべければ也」と言ふのであつて、決して誉むべき慕ふべき道ではない、然れども心の平安を事業に求めて人は茲に還らざるを得ないのである、事業は空である、故に死せる事業(dead works)と云ふ、事業は以て人の霊魂を支ふるに足りない、事業は事業以外に或る慰藉を要するのである。
〇事業に失望せしコーヘレスは久しき間中庸道に迷ふた、然れども神は何時までも彼を迷霧の中に置き給はなつた、誠実に人生の至上善を探りし彼は終に光明の域に達した、彼は之を結果を望まざる愛の行為に於て発見した。「汝のパンを水の上に投げよ」と言ひて彼は悔ひなき失望なき歓喜満足の生涯に入つたのである(十一章一節)。 〔以上、大正5・8・10〕
 
     官吏生活を試みしコーヘレス
 
〇多技多能のコーヘレスは種々の事業を試みしと共に又官吏生活を試みた、彼は亜細亜人として政府の役人たることを以て人生最上の光栄また最大の幸福なりと思ふた、彼は君主に仕へ国政に携はり、国を治め家を斉へ、以て自他の利益を計らんとした、東洋人に取りては得意とは朝に立ちて君寵に与る事である、失意とは野に下りて(72)平民の生涯を送る事である、コーヘレスも亦ユダヤ人として(ユダヤ人は東洋人である)また其例に漏なかつた、彼も亦一時は官吏となりて官吏生活の甘きと苦きとを味ふた。
〇コーヘレスの仕へし王の誰なりし乎、今に到りて知ることは出来ない、北方イスラエル国の王なりし乎、或ひは南ユダヤ国の王なりし乎、或ひは預言者ダニエルの仕へし波斯国《ペルシヤ》の王なりし乎、其事は判明らない、然し彼が良き心を以て之に事へたことは明かである、彼は仕官に際して自己《おのれ》を諭して言ふた、
   我れ言ふ王の命を守るべし、
   神に誓ひたれば殊に然り、
   早まりて彼に叛く勿れ、
   悪事(背叛)に携はる勿れ、
   そは彼は其欲する所を為せばなり、
と(八章二、三節)、神に誓ひて忠良ならんことを期す、神に事ふるの心を以て王に仕へんと欲す 是れ「神を畏れ王を尊ぶべし」とある新約の精神に適合ふものである、コーヘレスは理想の官吏たらんと欲して仕官の途に就いたのである。
〇官途に就きしコーヘレスは大に功績を挙げて君主の恩賞に与かると同時に民衆の人望を博せんとした、而して斯かる機会は彼に臨んだ、彼は大なる功績を挙げた、然れども其結果は彼の予想に反した、彼は当時の実験を記して言ふた、
   茲に小さき城邑ありたり、
(73)   大王攻来りて之を囲み、
   之に対して大なる雲梯を築きたり、
   時に城邑の中に一人の貧しき智者ありて、
   その智慧をもて此城邑を救へり、
   然るに一人の此貧き人を記憶《おぼゆ》る者なかりき、
   茲に於てか我は言へり、
   智慧は腕力に愈ると雖も、
   貧しき者の智慧は藐視《かろしめ》られ、
   其言辞は聴かれざる也と
と(九章十四−十六節)、茲に「一人の貧しき智者」とあるは彼れ自身を指して云ふのであると思ふ、彼は功績を立てた、然れども彼が比較的下級官吏なりしが故に、彼の功績は他人の奪ふ所となりて、彼の功労は認められなかつた、是れ彼に取り大なる失望であつた、而かも是れ官吏社会の定例である、賞罰の不公平なる此社会の如きはない、一将功成りて万骨枯るである、属僚の功績は上官の奪ふ所となる、此事を憤りて官吏たることは出来ない、コーヘレスは彼の官吏生活の首途に於て此苦き経験を嘗めた、彼は今更らながらに多くの屈辱の名誉ある官職に伴ふことを暁得《さと》つた。
〇彼は幾回《いくたび》か之に類する屈辱を実験したであらう、而して稍々「官海游泳術」の奥義に達したであらう、彼は彼(74)の実験を述べて言ふた、
   我れ又身を転らして日の下を見しに、
   疾者競争に勝つに非ず、
   強者争闘に勝つに非ず、
   智者《かしこきもの》食物を獲るに非ず、
   慧者|財貨《たから》を得るに非ず、
   識者《ものしるもの》恩寵に与るに非ず、
と(九章十一節)、是れが官吏社会を支配する法則である、天然の法則とは正反対である、官吏社会の生存競争に於ては優者必しも勝たず劣者必しも敗れずである、此社会に在りては多くの場合に於て学識は却て昇進の妨害であり、無学は却て立身の便宜である、愚者却て恩寵に与かり、智者却て貶黜《へんちゆつ》せらる、実に奇怪なる者にして此社会の如きはない、
   智者食物を獲るに非ず、
   賢者財貨を得るに非ず、
   識者恩賞に与るに非ず、
官吏社会の真実を語る言辞にして是れよりも適切なるものはない、而して今より少くとも二千三百年の疇昔《むかし》、亜細亜大陸の西端ユダヤの地に在りて既に此事ありしを読みて、吾等は人類の進歩なる者の其の遅々たること蝸牛《かたつぶり》の歩行《あゆみ》にすら遠く及ばざるに驚かざるを得ない。
(75)〇智者の認められざること官吏社会の如きはない、賢明の用ゐられざること亦此社会の如きはない、而之《のみ》ならずコーヘレスは官吏となりて始めて真の愚者を見たのである、愚者は勿論社会孰れの所にも多数に存在するのである、「二千七百万人多くは是れ愚者なり」とは英国人を評したるカーライルの有名なる言葉である、然しながら若し真の愚者を探らんと欲するならば之を官吏社会に於て求むべきである、而してコーヘレスは自身官吏となりて始めて真の愚者に接したのである、彼は言ふた、
   恰《あだか》も死し蝿の香き膏油に悪臭《あしきにほひ》を発《おこ》すが如く、
   少の痴愚は多の智慧と貴尊とを圧するなり、
   智者の心は右に向ひて有力なり、
   愚者の心は左に向ひて無能なり、
   実に愚者出て道を歩むや其無智を表はし、
   会ふ人毎に彼を指して言ふ「彼は愚者也」と、
と(十章一−三節)、実に愚者を罵りし言辞にして之よりも痛切なるものを余輩は知らないのである、「視よ微火《わづかのひ》いかに大なる林を燃すを」とは使徒ヤコブが舌を誡めし言である、「視よ、少の痴愚いかに多くの智慧を圧するを」とは伝道之書著者が愚者を怒りし言である、官衙の事業の挙らざるは之がためである、少数の愚者の其心臓の左方に傾くありて(古人は愚者の愚なるは之がためなりと信じた)智者の提議を圧するからである、即ち智者の香はしき膏油は死《しに》し蝿に此うべき愚者の発する悪臭の消す所となるからである、而して愚者は其愚を恥ずして却て之を誇り、大道を闊歩して其愚を曝らすがゆえに、会ふ人毎に彼を指して言ふ「彼は愚者なり」と、抑々是れ誰が(76)罪ぞ。
〇官吏社会に於ける愚者の跋扈を憤りて、コーヘレスは更に語を続けて言ふた、
   我れ日の下に一の患ふべき事あるを見たり、
   是は君主《きみ》たる者の陥る過誤《あやまち》なるが如し、
   即ち愚者高き位に上げられ、
   賢者卑き処に坐《すわ》る、
   我は又(人の)僕(たるべき者)の馬に乗り、
   主人(たるべき者)の僕の如くに土を踏を見たり、
と(十章五−七節)、天下の痛事とは此事である 即ち愚者高位に坐し、賢人卑きに居る、馬に乗るべき者土を踏みて歩み、土を踏むべき者馬に乗りて意気揚々たり、而して是れ誰が罪ぞ、君主たる者に賢愚を識別するの明がないからである、言あり曰く「適当の人を適当の地位に置きて万事成る」と、然るに主人たるべき者を僕の地位に置き、僕たる者を主人の地位に置きて、万事転倒せざらんと欲するも能はずである、秕政の原因は悉く茲にあるのである、人が其処を得ないからである、君主に人を択むの明なきが故に愚者が高きに坐し、賢者が低きに居るからであると。
〇コーヘレスは斯くも不平を洩し憤慨を述べた 而して彼は自身官吏たることを忘れたのである 彼は官吏として愚者を罵る彼れ自身の愚に気が附いたのである、愚を責めて官吏たることは出来ない、愚を許して、愚を見逃してこそ官吏たる事が出来るのである、故に彼は自己に還りて言ふた、
(77)   然れども呟く勿れ坑《あな》を堀る者は自ら之に陥り
   石垣を毀つ者は蛇に咬れん、
   石を引出す者は却て之がために傷き、
   木を割る者は却て之がために斫《きら》れん、
と(十章八、九節)、彼は自己を誡めて言ふたのである、不平を慎めよ、人を呪ふ者は自から呪はる、他人の非を拳ぐる者は危害其身に及ぶ、石垣は崩れかゝりたる者なりと雖も※[(來+犬)/心]いに之を毀つべからず、恐らくは蛇其隙間に潜みて出来りて汝を咬ん、弊害は之を其儘に存し置くべし、堕落は之を止めんとする勿れ、改善を図りて不合の石を引出さんとして却て己が身を傷け、革正を企てゝ因襲の木を割らんとして却て之がために斫られん、如かず沈黙を守らんには、「曲れる者は之を直からしむる能はず」である、古き石垣は之を其儘になし置くべし、斧鉞は之を加ふべからず、雄弁若し銀なれば沈黙は金なり、沈黙である、沈黙である、官吏としての成功の秘訣は沈黙にある、沈黙を守らずして、自己を忘れて弊害を矯めんとし、愚者を罵り、王者の過誤を唱へて我は自から身を滅す者であるとコーヘレスは言ふた、彼は更らに官吏たる者の智慧を語りて言ふた、
   斧鈍くして其|刃《は》を磨がざらんか、
   多く力を用ゐざるを得ず、
   智慧は功を成すに益あり、
と(十節)、即ち官吏としては正直一方にては功を立つる能はずとの謂である、無駄骨を折るべからず、智慧は鋭利なるを要す、少しく働いて多く為すの秘術を学ぶべしと、彼は又言ふた、
(78)   蛇もし魔術《まじなひ》を聴かずして咬まんか、
   魔術師の益何処にかある、
と(十一節)、官吏は魔術師の一種である、蛇使ひの如き者である、彼は人を御するの術を弁へざるべからず、故に若し蛇にして彼の魔術を聴かずして彼を咬まんか、佞人にして彼の統御の術に従はずして危害を彼の身に加へんか、責は彼に在りて蛇と佞人とに無いのである、彼れ長者の怒を買ひ、属僚の不平を招かんか、「魔術師の益何処にかある」である、彼は官吏として当然有すべき技量に欠けて居るのである、「蛇の如く智《さと》くあれ」とは殊に官吏に適切なる訓誡である、彼は又言ふた、
   智者の言は恩寵を招き、
   愚者の唇はその身を滅す、
と(十二節)、偉人哲人としての智者ではない、官吏としての智者である、蛇を御するの術を知りたる者である、斯かる者の言は恩寵を身に招くとの謂である、正直ではいけない、侃侃諤諤では可けない、婉曲でなくては可けない、蛇の道を知らなければ可けない、然らざれば恩賞に与り得ない、而して愚者は、即ち官吏としての愚者は蜿蜒たる蛇の道を知らずして憚らずして露骨に物を語るが故に、「その唇は身を滅す」のである、コーヘレスは官吏となりて富貴に到るの道を知り、又貧賤に到るの道を暁つた。
〇斯くて始めに愚者を罵りしコーヘレスは終には愚者を誉めて智者を笑ふた、即ち官吏となりて彼れ自身が愚者となりて、愚者を智者と呼び智者を愚者と称ぶやうになつた、官吏となりて彼の天地は転倒した、前の天は地となりて地は天と成つた、彼は官吏社会の人類評価の標準の普通社会のそれと全然異なることを知つた、僕たる人(79)は馬に乗り、主人たる人は土を踏むの社会である(七節)、其の如何に奇異なる社会なる乎は知る人ぞ知るである。
〇斯くてコーヘレスは官吏生活に入りて多くの低き智慧を学んだ、彼は知らず識らずの間に所謂俗吏根性の感染を受けた、彼は将さに俗了し去らんとした、然し幸にして彼にはモーセと預言者との健全にして高潔なる教訓があつた、彼は衷心より国を憂へた、民を憐んだ、故に又素の誠実に立帰りて言ふた、
   禍なる哉その王は童子《わらべ》にして、
   その侯伯《きみたち》は朝より宴飲する国よ、
と(十六節)、童子の国に君臨するあり、酔漢の之を輔佐するあり、民の不幸此上なしである、史に曰く、
  ヱホヤキンは王となれる時十八歳にしてエルサレムにて三箇月世を治めたり、……彼は其父祖のすべて為したる如くにヱホバの目の前に悪を為せり、
と(列王紀略下廿四章八、九節)、是れ童子が国を治めし一例である、其他アハブの如き、齢は童子にあらざりしと雖も其智力は確かに童子のそれであつた(同十章)、斯かる王を戴いて北方のイスラエル国と南方のユダヤ国とは終に滅亡の悲運を免かれなかつたのである、衰亡に瀕せる国家の状態を見てコーヘレスは言ふた、
   怠慢のゆゑに屋根は落ち、
   怠惰のゆゑに家屋《いへ》は雨漏る、
と(第十八節)、国家を家屋に譬へて言ふたのである、破綻百出、国政紊れて糸の如し、然れども国政を司る者は言ふ「平康《やすし》平康」と、屋根は落ち、家屋は雨漏る、然れども局に当る者は言ふ「前途有望、国運の発展期して待つべし」と、国に警醒の言の挙らざるにはあらずと雖も、其声上に達せず、コーヘレスは言ふ、
(80)   彼等は笑ひ喜ばんが為に食ひ、
   快楽《たのしみ》を取らんが為に飲む、
   而して金と銀とは之に応ぜざるべからず、
と(十九節)、為政家は宴会を事とす、然れども自己の財嚢《さいのう》より其費用を償ふに非ず、民の膏血より成る国庫の金と銀とを以て之を弁ぜしむ、為政家は飲み且つ食ふ、而して民は硬貨を以て浪費に応ぜざるべからず、「遍身綺羅の者、是れ蚕を養ふ人にあらず」、為政家民の心を知らずである、泡立つ三鞭酒、是れ民の流せる血である 堆たかき肉の山、是れ彼等の割きし肉である。
〇コーヘレスは斯く憤慨の言を発した、而して後倏ち自己に還りて言ふた「嗚呼我は復た官吏たるを忘れたり」と、当時の彼は二個の彼より成つた、希伯来人としての彼と官吏としての彼とより成つた、前なる彼は神を敬ひ義を慕ふの彼であつた、後なる彼は人を懼れ自己を愛するの彼であつた、彼は官吏となりて弐心《ふたごゝろ》の人となつた、彼は神を畏れた 又人を懼れた、故に彼の言ふ所に多くの大なる矛盾があつた、彼は信者の如くに語り又俗人の如くに語つた、憐むべしコーヘレス! 彼は官海に身を投じてより風に撼《うごか》されて翻へる海浪《うみのなみ》の如き者となつた(雅各書一章六節)。
〇国を憂ふるの余り慷慨の言を発して彼は自己の声に驚いて言ふた、
   汝心の中にても王者を譏る勿れ、
   また寝室《ねや》にても貴顕を詛ふ勿れ、
   恐くは天空《そら》の鳥報告を運び、
(81)   羽翼ある者その事を伝へん、
と(二十節)、危険、危険、沈黙よ、沈黙よ、と彼は自己を誡めて言ふた、不平は之を口外すべからず、然り之を心の中に於てすら懐くべからず、恐らくは間諜の鳥ありて(今の人は探偵を称して犬と云ふ)我が不平を王者に告ぐる者あらん、不平は之を※[口+愛]気《おくび》にも出すべからず、寝室にてさへも語るべからず、政事に関しては絶対的沈黙、是れが官吏たる者の智慧また安全また生命であるとコーヘレスは言ふた。
〇斯くてコーヘレスは官吏となりて道徳的に何の益する所がなかつた、彼は多くの低き智慧を学んだ、多くの世才俗智に長けた、然れども神に就き義に就き永生に就き何の学ぶ所がなかつた、彼は又多く国家のために尽す事が出来なかつた、彼は官吏としては余りに正直であつた、彼の良心は余りに鋭くあつた、彼は希伯来人としての自己を殺さんと欲して殺し得なかつた、故に憐むべし彼の官吏生活も亦失敗に終つた、彼は自から辞表を提出せしや、又は諭示免官となりしや知らずと雖も、彼が終に官吏たるを廃めて素の希伯来人と成りしことは明かである、彼は官吏生活の決して栄光の生涯にあらざるを暁つた、彼は之に多くの堪え難き苦痛、多くの忍び難き屈辱の伴ふを了つた、彼は又官吏となりて国と民とのために尽すことの困難を知つた 人生の至上善を官吏生活に求めしは彼の大なる誤謬であつた。
〇コーヘレスは官を辞して再び素の平民となつた、然し彼は失意失望の人とはならなかつた、幸にして彼にはモーセと預言者等との教訓があつた、彼は意義ある生涯を他に求むるの道を知つた、ヱホバを識るの絶大の利益は茲に在る、イスラエルを守護るヱホバを識りて人は失望を知らなくなるのである、宇宙何物もヱホバの僕の希望を圧服することは出来ないのである、之に反して此知識に欠けて、即ちヱホバを知らざるが故に、多くの有為多(82)能の人物が君主《きみ》に逐はれ世に捨てられたればとて失意失望の人と成了りし例は決して尠くないのである、有名なる方丈記の著者鴨長明の如きは其一例である、
   いづくより人は入りけむ真葛原
       秋風ふきし道よりぞ来し。
   沈みにき今さら和歌の浦浪に
       寄せばやよらん蜑の捨舟。
 実に憐れなる状態《ありさま》である、仕官を断念したればとて外山に草庵を営みて其中に隠るゝに至りしと云ふ其心理状態の底に何物か大に欠乏する所がなくてはならない、而して又支那文学を読む者は何人でも其内に失意落胆の気の充溢するを認むるのである、実に支那文学より仕官の志を得ずして発りし厭世思想を除き去りて何物も残らないと云ふ事が出来る、白楽天は官吏の身を婦人のそれに比べて言ふた、
   人生作《な》る莫れ婦人の身、
   百年の苦楽他人に由る、
と、陶淵明は少しく楽天的であつて官を罷められ故山に帰るや羈鳥の寵を離れし感ありて其自由を歌ふて言ふた、
   少より俗韻に適する無く 性本丘山を愛す、
   誤て塵網の中に落ちて 一去三十年、
   羈鳥旧林を恋ひ、池魚故淵を思ふ、
   久く樊籠の裏に在て復た自然に返るを得たり
(83)と、然れども彼と云ひ此と云ひ「志す所は功名に在り」であつて、彼等に取りては廟堂枢要の地位に登りて君恩を承くるに優さるの栄誉はなかつたのである。
〇然れども希伯来人たるコーヘレスには此悔恨は無かつた、彼は官を罷められても厭世隠遁の人とはならなかつた、彼には官海以外別に大なる世界があつた、彼には君王以上別に大なる君王があつた、彼は位階以外に人の真価を認めた 故に彼は官職を去りて後に怨恨不平の人とならなかつた、彼は彼を去りし政府を悪まなかつた 彼の価値《ねうち》を認めざりし君主を怨まなかつた、彼は又世をも厭はず人をも嫌はなかつた、彼は今は「人」となつた、善はすべての場合に之を為し人は何人に拘はらず之を愛すと云ふ神の心を以て己が心と為す人となつた、官吏たるを廃めて彼は単一なる人となつた、彼は今神を畏るゝ外人を懼れなくなつた、彼の生涯は単純になつた 神を畏れて其誡命を守る事、是より外に苦慮する事は無くなつた、而して其立場より国を愛せしが故に彼の愛国は偽善を混へざる単純無垢の愛国となつた、其立場より君主を思ひしが故に彼の忠君は至誠純潔の忠君となつた、彼は今は己が身の安全を計り人の面を恐れて強いて沈黙を守るの必要がなくなつた、事に当りて獅子の如くに勇ましくなつた、是は是なりと言ひ非は非と言ひて憚らなくなつた、彼は神の子の自由に入つた、人として生れ来りし甲斐あるを覚つた。
〇実に人たるの最大名誉は高位高官に坐して民の敬崇を惹くことではない、功績を追はず報賞を求めずして自由に人を愛し得ることである、「汝のパンを水の上に投げよ」と言ひて時を選まず人を択まず楽んで善を為し得ることである、此心にして我に賜はらん乎、位階勲章我に於て何かあらんである、然り人たる事である、真の人たる事である、天の神より生命の恩賜に与かる事である、斯くして少き時に造主を記憶ゑて死に臨んで恐れざることで(84)ある(第十二章)、河の彼方に永久朽ちざる冠の我がために備えらるゝを認めて此方《こなた》に朽つる此世の冠を求めざる事である、コーヘレスは種々の事業を試み、一時は官吏とまで成りて、終に人生の意義を悟つて言ふたのである、
   神を畏れて其誡命を守るべし、
   是れ人たる者の全部なり、
と(十二章十三節)、愛すべき恵まれたるコーヘレスよ、此世は終に汝を俘虜《とりこ》となすことが出来なかつた、汝は幾回か罠に懸りたりしも其中より救出《すくひいだ》された、汝は事業の羈絆《なはめ》より免かれ、官海の波浪の浚《さら》ふ所とならずして終に神の子の自由に入るを得た、栄光限りなく汝の救主ヱホバの神にあれかしである。
       ――――――――――
 近頃新聞紙の伝ふる所に由れば板垣伯は或人に告げて曰はれたとのことである「男子志を廟堂に得ざれば言を危《はげし》うして野処するに如かず」と、事の真否は知らずと雖も斯かる思想の東洋の志士と称せらるゝ人等に由て懐かるゝは隠れなき事実である、然し乍ら聖書は斯かる思想に賛成しないのである、伝道之書の教ふる所も亦之とは全く異るのである。 〔以上、大正5・9・10〕
 
   伝道之書解訳
 
訳者曰ふ、改訳ではない、解訳である、文字の配列と少しばかりの修正と、殊に題目の挿入とに由りて読者をして自身本文の意を暁らしめんと努めたる者である、此書の大意に就ては之を本誌第百八十四号並に第百八十五号に於て読まれたし、参考書目は解訳の終りに之を附すべし。
 
(85)   人生の事実
    空の空なる哉
一章
 一ヱルサレムの王ダビデの子コーヘレスの言。
 二コーヘレス曰く空の空なる哉、
  空の空なる哉すべて空なり。
 三日の下に人の労する凡の労苦は
  其身に取りて何の益する所あるなし。
 四世は去り世は来る、
  然れども地は永久《とこしへ》に存《のこ》るなり。
 五日は出で日は入り
  又其の出し所に喘ぎ行くなり。
 六風は南に行き又北に転《まは》り、
  輾転《めぐりめぐ》りて復元の所に帰るなり。
 七河は海に注ぐ而して海は盈ることなし、
  而して其出来れる所に河は復還るなり。
(86) 八万物悉く労苦す人之を言尽すこと能はず。
  目は見るに飽くことなく、
  耳は聞くに飽くことなし。
 九前に有りし事はまた後に有るべし、
  前に為されし事は又後に為さるべき事なり、
  日の下に新らしき事とては有らざるなり、
 十若し「見よ是は新らし」と言はるゝ事あらん乎、
  其は前に既に久しく有りたる事なり、
 十一前に在りし者は今記憶られず、
  又後に来る者も其後に来る者に記憶られざる也。
 
   至上書の探求
    其一 智慧なる乎
 十二我れコーヘレスはヱルサレムに於てイスラエルの王たりき。
 十三我れ我心を尽し智慧をもて天が下に行はるゝ
  すべての事を探求ね且つ考覈《しら》べたりしに
  (此苦しき業を神は人の子に賦《さづ》け給へり、
(87) 十四我れ日の下に作さるゝ凡の行為《わざ》を見たりしに、
  見よ皆な空にして風を捕ふる事なり。
 十五曲れる者は之を直からしむる能はず、
  欠けたる者は之を補ふ能はず。
 十六我れ我心に語りて言ひけらく、
  我は実に我より先にヱルサレムに在りし
  凡の人に勝りて多くの智慧を得たり、
  我心は多くの智慧と智識とを得たりと、
 十七我は我心を尽して智慧と智識とを求めたり、
  而して之も亦風を捕ふる事なるを暁れり。
 十八夫れ智慧多ければ悲哀《かなしみ》多し、
  智識を増す者は憂患《うれへ》を増すなり。
 
    其二 快楽なる乎
 
二章
 一其時我れ我心に言ひけらく、
(88)  来れ我れ歓楽を以て汝を試むべし、
  汝 快楽を極めよと、
  而して見よ之も亦空なりき。
 二我れ歓楽に言へり「汝は狂なり」と、
  快楽に言へり「汝何を為し得んや」と。
 三我れ智慧を以て自己を導きつゝ
  酒を以て肉体《からだ》を慰めんと試みたり、
  又人の子は其短かき生涯の間に
  何を為さば善からん乎を知らんがために
  我は痴愚をさへ敢てしたりき。
 四我は大なる事業に身を委ねたり、
  我は家を建たり葡萄園を設けたり、
 五我は園と庭とを作りたり、
  而して其内に種々の菓樹を植ゑたり、
 六我は水の塘池《ためいけ》を作りたり、
  而して之よりして林に灌漑《みづそゝ》ぎたり、
 七我は下男《しもべ》下女《しもめ》を買得たり、
(89)  我は又凡て我より先にヱルサレムに居りし者よりも
  多くの牛と羊との群を有てり、
 八我は銀と金とを積みたり、
  又王等の国々の財宝を集めたり、
  我は歌男《うたひて》と歌女《うたひめ》とを得たり、
  又多くの美しき妻妾を楽しめり。
 九斯くて我は此事に於て我より先にヱルサレムに居りし凡の者に優りたり、  而して我が智慧は我身を離れざりき。
 十凡て我日の好む所の者は我れ之を禁ぜざりき、
  凡て我心の悦ぶ者は我れ之を制せざりき、
  我は我が凡の労苦によりて快楽を得たり、
  此快楽は我が労苦より得たる我分なりき。
 十一然れども我れ我手にて為したる凡の事業《わざ》と
  之を為さんとて労したる労苦を顧たるに、
  見よ凡は空にして風を補ふる事なりき、
  日の下に益となる者はあらざるなり。
(90)    〔附〕 智慧と快楽との比較
 十二我れ又身を転らして智慧を狂妄と痴愚とに此べしに
  (王の後に来る人は何を為し得んや、
  前に為されし事を為すに過ぎざるべし)――
 十三我は見たり光明の暗黒に勝るが如く
  智慧は(快楽の)痴愚に勝さることを。
 十四智者の眼は其|頭《かしら》に在り、
  愚者は暗黒《くらやみ》に歩む、
  然れど我知る同一事の二者に臨むことを。
 十五故に我れ我心に言ひけらく
  愚者に臨む事は我にも亦臨む、
  我れ智者たるは何の為ぞと、
  茲に於てか我は我心に言へり、
  是も亦空なる哉と。
 十六愚者の記憶の存せざるが如く智者も亦然り、
  来らん世には二者共に早く忘らる、
(91) 十七之を思ふて我は生命を厭へり、
  日の下にて我が為す事業は我に重荷なり、
  そは凡は空にして風を捕ふる事なれば也。
 十八実に我は日の下にて我が贏《か》ち得し物を嫌ふ、
  そは我は之を後継者に遺さゞるを得ざれば也、
 十九而して誰か知らんや其者の智者なるか愚者なるかを
  然れども彼は日の下にて我が労して為し
  智慧を絞りて為したる凡の事業を司らん、
  是れまた空なり。
 二十我れ身を転らして日の下にて我が労し、
  労して為したる凡の動作を見て失望せり。
 廿一茲に人あり智慧と智識と才能をもて労し、
  而して其事業を之がために労せざる人に譲らざるべからず、
  是れまた空にして大に悪しき事なり。
 廿二未れ人はその日の下にて労して為し
  心を励まして為す所の動作に由りて何を得るや
(92) 廿三その世に在る日は憂患《うれひ》なり其|労苦《ほねをり》は苦し、
  その心は夜の間も安ずることあらず、
  是れまた空なり。
 廿四然れば人の世に在るや食ひ且つ飲み
  其労苦に由りて心を楽ましむるに如かず、
  然れども我は見る是も亦神の手より出る事を、
 廿五そは誰か彼を離れて食ひ且つ楽む事を得んや
 廿六神は其心に適ふ人に智慧と知識と喜楽とを賜ふ
  然れど罪人には労苦を賜ひて斂《あつ》め且|積《つま》しめ給ふ
  是は之を神の心に適ふ人に与へ給はん為なり。
  是も亦空にして風を捕ふる事なり。
 
    其三 事業なる乎
 
三章
 一すべての事に時あり、
  天が下にて人の為すすべての業に期あり。
 二生まる1に時あり死ぬるに時あり、
(93)  植《うゆ》るに時あり植たる者を抜くに時あり、
 三殺すに時あり医すに時あり、
  毀つに時あり建つるに時あり、
 四泣くに時あり笑ふに時あり、
  悲むに時あり躍るに時あり、
 五石を擲つに時あり石を斂むるに時あり、
  抱擁《いだ》くに時あり抱擁く事を慎むに時あり、
 六得るに時あり失ふに時あり、
  保つに時あり棄つるに時あり、
 七裂くに時あり縫ふに時あり、
  黙すに時あり語るに時あり、
 八愛するに時あり章悪むに時あり、
  戦ふに時あり和らぐに時あり。
 九斯くて人は労して其労苦よりして(必しも)益を得る能はざるなり。
 十我れ神が人の子に賦《さづ》け給ひし業を観しに
  (是れ之に由りて其心を練らんためなり)……
 十一彼は万物を其時に適ひて美はしく作り給へり
(94)  彼は又人の心に無窮の観念を与へ給へり、
  然かも彼等は神の作為《みわざ》の始と終とを解する能はざるなり。
 十二我は知れり人は世に在る間楽しみ且つ
  善を為すより他に善事の有らざる事を。
 十三我は又知れり人の飲み且つ食ひ、
  其労苦に由りて楽しむを得るは
  是れ即ち神の賜物なることを。
 十四我は知れり凡て神の為し給ふ事の無限に存する事を
  之に加ふべき所なし又減すべき所なし、
  神の之を為し給ふは人をして其前に畏れしめん為也。
 十五今ある者は既に前に在りし者なり、
  後にあらん者は既に久しき前にありし者也、
  神は過去を繰返し給ふ。
 十六我れまた日の下を見しに、
  審判《さばき》を行ふ所に邪曲《よこしま》なる事あり、
  公義を行ふ所に邪曲なる事行はる。
 十七茲に於てか我れ我心に言ひけらく、
(95)  神は義者と悪者とを鞫き給ふべし、
  そは彼に取りては万の事と万物とに時あれば也と。
 十八我れまた我心に言ひけらく、
  神の人の子を篩ひ給ふは、
  之にその獣なることを暁らしめん為なりと。
 十九人に臨むことは今|獣《けもの》にも臨む、
  二者に臨む所の事は同一《ひとつ》なり、
  是も死ねば彼も亦死ねるなり、
  二者同一の呼吸に由りて生く、
  人は獣に優る所なし、
  二者同じく空なり、
 二十二者同一の所に往くなり、
  同じく塵より出て塵に帰るなり。
 廿一誰か人の魂の上に昇り、
  獣の魂の地に降るを知らんや。
  然れば我は此事を見たり即ち
 廿二人其労苦に由りて楽しむに勝るの善事なきを、
(96)  そは是れ彼の分なればなり、
  世に彼に其身の後事《こうじ》を示す者あらんや。
 
四章
 一我れ又身を転らして日の下に行はるゝ凡の圧制を見たり、
  我は圧せらるゝ者の涙を視たり、
  然れども彼等を慰むる者あらざる也、
  圧する者の手に権力あり、
  然れども彼等を慰むる者あらざる也、
 二故に我は思へり既に死たる死者の
  今猶ほ生ける生者《せいしや》よりも幸福なるを、
 三又この二者よりも幸福なるは生れずして
  日の下に行はるゝ悪事を見ざる者なるを。
 四我れ又人のすべての労苦と仕事の精巧《たくみ》との、
  人々|相互《あひたがひ》の嫉妬(競争)より起るを見たり、
  是れ亦空にして風を捕ふる事なり。
 五惰夫は手を束ねながら肉を食ふ、
 六片手に物を盈《みて》て平安なるは
(97)  両手《もろて》に物を盈て労苦して風を捕ふるに愈る。
 七我れ又身を転《めぐら》して日の下に空事《むなしきこと》を見たり、
 八茲に人あり単独にして伴侶《とも》なく、
  子もなし又兄弟もなし、
  然るに其すべての労苦に際限《はてし》あるなし、
  その目は富に飽くことなし、
  彼は誰がために労し誰がために節するにや、
  是れ又空にして悪しき事なり。
 九実に二人は一人に愈る、
  そは彼等は其労苦に対し善報《よきむくい》を得れば也、
 十若し一人跌倒《やほれ》ん乎其伴侶彼を扶起《たすけおこ》すべし、
  然れども単独にして跌倒る者は禍なる哉、
  彼を扶起す者あらざるなり、
 十一又若し二人共に寝《いね》なば温暖《あたゝか》なり、
  若し一人ならば争《いか》で温暖ならんや、
 十二敵あり其一人を攻撃《せめうた》ば二人して之に当るべし、
  三条の縄は容易く断れざるなり。
(98) 十三貧くして慧き青年は老て愚かにして
  諌言を納る事を学ばざる王に愈る、
 十四彼れ牢獄より出て王となれば
  王は其国に在りて乞食《こつじき》となる、
 十五我れ日の下に歩む所の群生が
  王に代て立《たち》し所の青年の下に群るを見る、
 十六際限なき民衆其前に在り、
  然れども彼の後に来る時代は彼を悦ざる也、
  是も亦空にして風を捕ふる手なり。
 
五章
 一汝ヱホバの家に到る時汝の行為《おこなひ》を慎め、
  前進て聴くは愚者の犠牲を捧ぐるに愈る、
  彼等は覚らずして罪を犯すなり。
 二汝神の前に出て軽々しく口を開く勿れ、
  心を静にして妄《みだり》に言を出す勿れ、
  神は天に在し汝は地に居るなり、 〔以上、大正5・4・10〕
(99)  然れば汝の言詞《ことば》をして少からしめよ.
 三…………(此一節蓋し後世の記入文ならん、第七節の半部亦同じ)
 四汝神に誓願をかけんか、
  之を実行《はた》すことを怠る勿れ、
  愚者に一定の意志あるなし、
  汝はかけし誓願を実行すべし。
 五誓願をかけて実行さゞるよりは
  寧ろ誓願をかけざるこそ善けれ、
 六汝の口をして汝の身に罪を犯さしむる勿れ、
  又役者の前に「其は過誤なりき」と言ふ勿れ、
  恐くは神汝の言詞を怒り、
  汝の手の所為を滅し給はん。
 七汝ヱホバを畏れよ。
 八汝貧者の虐遇《しへた》げらるゝを見んか、
  又国に公義の曲げらるゝを見んか、
  敢て心を傷ましむる勿れ、
  そは上官の上に上官あり、
(100)  又其上に上官ありて之を制圧すればなり、
 九斯くあるは国民全体の利益なり、
  王も亦国土の奴僕たるなり。
 十銀を愛する者は銀に飽くこと無し、
  富に縋る者は得る所あらず、
  是れまた空なり。
 十一貸財増せば之を食む者も増すなり、
  その所有主《もちぬし》は唯目に之を看るのみ、
  その外に何の益あらんや。
 十二労働者の睡眠《ねぶり》は安し、
  その食物の多少に干りなし、
  然れども富裕は富者をして眠る能はざらしむ。
 十三我れ又日の下に大に患ふべき事あるを見たり、
  即ち富者に由て蓄へられし貸財の
  その身に害を及ぼすこと是れなり。
 十四彼れ運拙くして投機に家産を失ひ、
  彼れ子を拳《まう》けてその手に何物もあるなし。
(101) 十五彼れ母の胎より出来りしが如くに
  彼れ裸体にて出来りしが如くに
  其如くに彼はまた逝くなり、
  その労苦によりて得たるものを、
  其一個をも彼は携へ逝く能はざるなり、
 十六人は来りし其儘に亦逝かざるべからず、
  是れ.亦大に患うべきことなり、
  風を追ふて労苦する者は何の益する所あるなし。
 十七彼は生涯暗黒の裏に在りて食ふ、
  彼に又憂愁と疾病と憤怒《いきどうり》とあり。
 十八視よ我は此事の真なるを観たり、即ち
  人の身に取り善且つ美なる事は
  神に賜はるその生命の間食ひ且つ飲み、
  日の下にて労して得たる幸福を楽む事なるを、
  是れその分なればなり。
 十九何人によらず神若し彼に富と財とを賜ひ、
  又之を食ふの力を賜ひ、
(102)  又その分を敢り其労を楽むを得しめ給はん乎、
 是れ亦神の賜物たるなり。
 二十斯かる人は其齢の多からざるを憂へず、
  そは神 彼の心の喜を認容し給へばなり。
 
    其四 富貴なる乎
六章
 一我れ日の下に猶一の患ふべき事あるを観る、
  而して其事の人を苦むるや大なり、即ち
  二人あり神之に富と財と貴《たつとき》とを賜ひ、
  彼の欲求る所の物に一として欠る所なしと雖も
  神彼に之を食ふの力を賜はざるが故に
  他人の来て之を食ふ事是れなり、
  是れ空にして大に患ふべき事なり。
 三仮令《たとへ》人百人の子を挙《まう》け、
  其寿長く其齢の日多からんも、
  若し其心福利に満足せざらんか、
(103)  縦し墓の彼を待つことなからんも
  我は言ふ流産の子は彼に愈ると、
 四そは彼は空に来り暗黒に往き、
  その名は暗黒の隠す所となればなり。
 五彼れ日を見ずまた物を知らず、
  故に此者は彼者《かのもの》よりも安泰《やすらか》なり。
 六実に仮令彼の寿命は千年に二倍するとも
  彼は幸福を見ず二者同一の所に往くに非ずや。
 七人の労苦はすべて其口のためなり、
  而かも其慾は充されざるなり、
 八智者何ぞ愚者に愈る所あらんや、
  貧者何ぞ貴顕と異なる所あらんや。
 九目に観るは心に欲ふに愈る、
  是も亦空にして風を捕ふる事なり。
 十今在る事は既に前に在りし事なり、
  人の何なる乎は既に定められたり、
  彼は自己《おのれ》より強き者と争ふこと能はざる也。
(104) 十一多くの言《ことば》ありて空論を増す、
  然れども人に何の益あらんや。
 十二誰か知らんや人世何物か善なるを、
  人はその空き日を影の如くに送るなり、
  誰か彼の後に日の下にあらん事を彼に告げ得る者あらんや。
 
    其五 中庸の道なる乎
七章
 一美《よ》き名は芳《よ》き膏油《あぶら》に愈る、
  死ぬる日は生まるゝ日に愈る、
 二哀傷の家に入るは宴楽《ふるまひ》の家に入るに愈る、
  そは是れすべての人の終なればなり、
  生者は之を心に留《と》むるならん。
 三悲哀は嬉笑《わらひ》に愈る、
  そは面に憂愁あるは心に善くあればなり。
 四智者の心は哀傷の家にあり、
  然れども愚者の心は享楽の家にあり。
(105) 五智者の詰責を聴くは愚者の謳歌を聴くに愈る。
 六愚者の笑は釜の下に焚《もゆ》る荊棘《いばら》の声《おと》の如し。
 七圧制を行ふに由りて智者も狂するに至る、
  賄賂を使ふは人の心を壊《そこ》なふ。
 八事の終はその始に愈る、
  忍耐は傲慢に愈る。
 九汝気を苛立てゝ怒る勿れ、
  怒る心は愚者の胸に宿るなり。
 十言ふ勿れ昔の今に愈るは何故ぞやと、
  汝の斯く問ふは智慧より出るに非るなり。
 十一智慧ありて財産あるは善し、
  是れありて生ける者に利益多し。
 十二智慧は身の守護《まもり》なり金銭《かね》も亦然り、
  然れど智慧の利益は其所有者に生命を保たしむるに在り。
 十三尚又神の作為《みわざ》を考ふべし、
  誰か彼の曲げ給ひし者を直からしむるを得ん。
 十四幸福《さいはい》の日に遭はんか楽しめよ、
(106)  艱禍《わざはひ》の日に遇はんか考へよ、
  神は此二を相交へて降し給ふ、
  是れ人をして其後事を知らざらしめん為なり。
 十五我れ我が空しき日の間に様々の事を見たり、
  義人の正義を行ふて亡ぶるあり、
  悪人の悪を行ふて其生命を延ぶるあり。
 十六是故に汝義しきに過ぐる勿れ、
  又慧きに過ぐる勿れ、
  汝何ぞ身を滅さんとするや。
 十七汝悪しきに過ぐる勿れ又愚かなる勿れ、
  汝何ぞ時到らざるに死ぬべけんや、
 十八汝是を手に執るは善し、
  また彼にも手を放す勿れ、
  神を畏む者は両極端より逃れ出るなり、
 十九(智慧の智者に於けるは
  勇者十人の邑《まち》に於けるに愈る)……
 二十そは善を為し罪を犯さゞる
(107) 義しき人とては地に有らざればなり。
 廿一尚又人の語る凡の言語に心を留むる勿れ、
  恐らくは汝の僕の汝を譏るを聴かん、
 廿二汝も亦|屡次《しば/\》人を譏る事あるは汝の心に知る所なり。
 廿三我れ智慧を以て此すべての事を試みたり、
  我は言へり「我は智者ならん」と、
  然れども遠く及ばざりき、
 廿四万物の理は遠くして甚だ深し、
  誰か之を究むることを得ん、
 廿五我れ身を転らし心を尽して、
  智惹と道理とを探り且つ求めんとし、
  又悪の愚たると愚の狂たるとを知らんとせり、
 廿六而して我は覚れり婦人の死よりも苦き事を、
  婦人は(人を捕ふる)網なり、
  其心は羅《わな》なり其手は鏈なり、
  神の悦び給ふ者は之を避くるを得べし、
  然れども罪人は之に執へらるべし。
(108) 廿七コーヘレス言ふ、視よ我れ此事を覚れり、
  我れ其数を知らんとて一々算へたりしに、
  我れ我心の求むる者を求めて得ざりき、
  然り我れ千人の中に一人の男子を得たれども
  然れども其中に一人の婦人を得ざりき。
 廿八視よ我はたゞ此事を覚れり、即ち
  神は人を正しき者として造り給ひしも
  人は様々の工夫を廻らして(曲れる者となれり)。
 
八章
 一智者の如き者は誰ぞ、
  事物の理を解する者は誰ぞ、
  人の智慧は其面に光輝を供し、
  その粗暴の相を変ゆべし。
 二我れ言ふ王の命を守るべし、
  神に誓ひたれば殊に然り、
 三早まりて彼に叛く勿れ、
  悪事に携はるなかれ、
(109)  そは彼は凡て其欲する所を為せばなり。
 四王の言語には権力あり、
  誰か彼に向ひて「汝何を為すや」と言ふを得んや。
 五誡を守る者に艱禍は臨まず、
  智者の心は時期《とき》と審判とを知るなり。
 六万の事に時期あり又審判あり、
  人に臨まんとする艱禍は大なり、
 七彼は後にあらん事を知らず、
  又其時を彼に告ぐる者なし、
 八己が霊魂を管理る者はあらず、
  霊魂を留め得る者はあらず、
  其死ぬる日の上に権力を揮う者はあらず、
  此戦争には釈放《ゆるしはなた》るゝことあるなし、
  罪悪は之を行ふ者を救ふ能はざるなり。
 九我れすべて此事を見たり、
  又日の下に行はるゝ凡の事に意《こゝろ》を留めたり、
  即ち人|他人《たのひと》を治めて己に害を及ぼす事あり。
(110) 十我は又悪人の葬られて安息《やすき》に入るを見たり、
  又善人の聖所を離れて其邑に忘れらるゝを見たり、
  是れまた空なり。
 十一悪事に対する命令の速かに行はれざるが故に
  人の子の心は安んじて悪を行ふなり。
 十二罪人百度悪を行ひて長寿を保つとも
  我は知る誠に神を畏るゝ者の福祉なるを、
 〔十三〕悪人は福祉ならじ其生命も長らざるべし、
  彼は影の如くにして消ゆべし、
  そは彼は神の前に畏れざればなり。
 
 十三我は日の下に空しき事の行はるゝを見たり、
  即ち義人の悪人の受くべき報を受くるあり、
  又悪人の義人の受くべき報を受くるあり、
  我は言へり是も亦空なりと。
 十四茲に於てか我は喜楽を称讃せり、
  そは食ひ且つ飲み且つ楽しむに愈る善き事の
(111)  人に取り日の下にあらざればなり。
  是れこそは神が日の下に彼に与へ給ふ
  生命の日の間彼を離れざる者なれ。
 
    至上善の発見
 
     (上) 探求の結果
 
      一 智慧に非ず
 
八章
 十六我れ智慧を獲んとして我心を尽し、
  世に行はるゝ事を究めんとしたり、……
  斯かる人は夜も昼も目に睡眠《ねぶり》を見ざる也……
 十七我は見たり人は日の下に行はるゝ
  神の凡の作為《わざ》を究むる事能はざるを、
  人これを探らんとして労するも
  彼は之を究むること能はず、
  又智者ありて之を了得れりと思ふも 〔以上、大正5・5・10〕
 
(112)  彼は之を究めたりしにあらざる也。
 
九章
 一我は又凡この事を心に了り又明めたり、
  即ち義者と智者と其作為とは神の手に存るを、
  彼等は愛に遭ふや又|憎《にくみ》に遇ふやを知らず、
  一切の事は未来に属す。
 二|諸《すべて》の人に臨む所は皆同じ、
  義しき者には悪しき者にも、
  善者《よきもの》にも浄《きよき》者にも穢れたる者にも、
  犠牲を献ぐる者にも献げざる者にも、
  その臨む所は同一《ひとつ》なり。
  善人も悪人に異ず、
  誓願をなす者も誓願をなす事を畏るゝ者に異ざる也
 三実に日の下に行はるゝ事の中に最も悪事《あしきこと》は是なり
  即ち同一の事のすべての人に臨む事なり、
  又是なり人の子の心は悪事にて充ち、
  その生ける間は心に狂妄を懐き、
(113)  而して終に死者の中に往く事是なり、
 四(死を)免除せらるゝ者あるなし、
  すべて生ける者には希望《のぞみ》あり、
  生ける犬は死せる獅子に愈る、
 五そは生ける者はその死なん事を知る、
  然れども死せる者は何事をも知らざれば也、
  報酬は重ねて彼等に来らず、
  世は彼等を記憶にさへ留めず、
 六彼等の愛は其憎と嫉と共に失せ、
  日の下に為さるゝ何事にも彼等は関係なきに至る。
 
      二 快楽に非ず
 
 七然れば汝往きて喜悦《よろこび》を以て汝のパンを食へ、
  楽しき心を以て汝の葡萄酒を飲め、
  そは神汝の作為《わざ》を納け給ひたればなり、
 八汝の衣服《ころも》をして常に白からしめよ、
  汝の頭《かしら》に膏を絶えしむる勿れ、
 九神が日の下に汝に賜ひし汝の生命の日の間、
(114)  汝の空しき日の間、
  汝の愛する婦人と共に喜びて暮せ、
  そは是れ世に在りて汝の受くる分、
  日の下にて汝が働ける労苦《はたらき》(の報)なればなり
 十すべて汝の手に臨《きた》る事は
  力を竭して之を為すべし、
  そは汝の往く所なる陰府《よみ》に在りては、
  工作《わざ》も計策《はかりごと》も知識も智慧もあらざればなり。
 十一我れ又身を転らして日の下を見しに、
  疾《はやき》者競走に勝つに非ず、
  強者戦争に勝つに非ず、
  智者食物を獲るに非ず、
  慧《さとき》者財貨を得るに非ず、
  識《ものしる》者恩寵に与るに非ず、
 十二時と運とは一様にすべての人に臨むなり、
  而して人は其時をさへ知らざるなり。
  魚の禍《わざはひ》の網にかゝるが如く、
(115)  鳥の鳥羅に捕はるゝが如く、
  人の子も亦計らざるに禍の臨む時に、
  禍(の網)にかゝるなり。
 
      三 功績に非ず
 
 十三我れ日の下に此事を見て智慧《かしこ》き事となし、
  大なる事と做せり、即ち
 十四茲に一の小さき城邑《まち》ありたり、
  而して其|住民《たみ》は少数なりしが、
  大王攻来りて之を囲み、
  之に向ひて大なる雲梯を築きたり、
 五時に城邑の中に一人の貧き慧《かしこ》き人ありて
  その智慧をもて此城邑を救へり、
  然るに一人の此貧き人を記憶《おぼゆ》る者なかりき、
 十六茲に於てか我は言へり、
  智慧は腕力に愈ると雖も、
  貧き者の智慧は藐視《かろしめ》られ、
  其言辞は聴かれざるなりと。
(116) 十七静に語る智者の言《ことば》は
  愚者の首長《かしら》の呼号《さけび》に愈る、
 十八智慧は軍《いくさ》の器に愈る、
  然れども一人の愚者は多の善事を壊《そこな》ふ也。
 
十章
 一|恰《あだか》も死し蠅の香しき膏油《あぶら》に悪臭《あしきにほひ》を発《おこ》すが如く、
  少の痴愚は多の智慧と貴尊とを圧するなり、
 二智者の心は右に向ひて有効なり、
  愚者の心は左に向ひて無効なり、
 三実に愚者出て途を歩むや其無智を表し、
  遭ふ人毎に彼を指して言ふ「彼は愚者なり」と。
 四若し汝の君主汝に対て憤怒を発せんか、
  汝の処を離るゝ勿れ、
  忍耐は更に大なる凌辱を避けん、
 五我れ日の下に一の患ふべき事あるを見たり、
  是は君主たる者の陥る過誤なるが如し、
 六即ち愚者高き位に上げられ、
(117)  賢者卑き処に坐る、
 七我は又僕の馬に乗り、
  主人の僕の如くに土を踏むを見たり、
 八然れども(呟く勿れ)坑を掘る者は自ら之に陥り、
  石垣を毀つ者は蛇に咬れん、
 九石を引出す者は却て之が為に傷き、
  木を割る者は却て之が為に斫れん。
 十斧鈍くして其刃を磨がざらんか、
  力を多く用ゐざるを得ず、
  智慧は功を成《なす》に益あり。
 十一蛇もし呪術を聴かずして咬まんか、
  呪術師の益何処にかある、
 十二智者の言は恩籠を招き、
  愚者の唇はその身を滅す、
 十三その口の言の始は愚なり、
  而して其終は暴と狂となり、
 十四愚者は言詞《ことば》多し、
(118)  人は後に有らんことを知らず、
  今有る事と後有らん事と、
  誰か之を知る者あらんや。
 十五愚者の労苦《ほねをり》は其身を疲らす、
  彼は城邑に到る道さへをも知らざる也。
 十六禍なる哉その王は童子《わらべ》にして
  その侯伯《きみたち》は朝より宴飲する国よ、
 十七福なる哉その王は貴人にして
  その侯伯は時を定めて食ふ国よ、
  彼等は力を得んために食ふ、
  酔ひて楽まんために飲まず。
 十八怠慢のゆゑに屋根は落ち、
  怠惰のゆゑに家星《いへ》は雨漏る、
 十九彼等は笑ひ喜ばんが為に食ひ、
  快楽を取らんが為に飲む、
  而して金と銀とは之に応ぜざるべからず。
 二十然かはあれど汝心の中にても王を譏る勿れ、
(119)  恐くは天空《そら》の鳥報告を運び
 羽翼ある者その事を伝へん。
 
      (下) 喜ばしき発見
 
       一 愛と勤勉の生涯にあり
 
十一章
 一汝のパンを水の上に投げよ、
  多くの日に汝再び之を得ん、
 二之を七人に頒てよ又八人に頒てよ、
  汝地に在りて如何なる災禍に会ふかを知らざる也。
 三雲もし雨を含むあらん乎、
  之を地に注ぐなり、
  樹もし南に倒れんか又北に倒れんか、
  樹はその倒れし所に止まるなり、
 四風を伺ふ者は播くことを為《せ》ず、
  雲を望む者は刈ることを為ず、
(120) 五汝は風の道を知らず、
. 婦の胎にて胎児の如何にして生長つかを知らず、
  斯くて汝は万事を為し給ふ神の作為《みわざ》を知らざる也、
 六然れば汝朝に汝の種を播くべし、
  夕に汝の手を緩むる勿れ、
  そは汝は実る者の此種なるか又彼種なるか
  又|二箇《ふたつ》とも善く長生つかを知らざれば也。
 七斯くて光は汝に楽かるべし、
  而して汝の目は日を見る事に依て喜ぶべし、
 八人もし多くの年生きながらへんか、
  彼は幸福の内にすべての年を過《すご》すべきなり、
  彼は又多の暗き日の来らん事を記憶ゆべきなり、
  実に身に臨むすべての事は空なり。
 
      二 希望と快活の生涯にあり
 
 九青年よ汝の若き時に楽しめよ、
  汝の若き時に心を悦ばしめよ、
  汝の心の道を歩めよ、
(121)  汝の目の欲する所を行せよ、
  而して知るべしその諸《すべて》の作為のために、
  神汝を鞫き給ふことを、
 十然れば汝の心より憂を去るべし、
  汝の身より悲を除くべし、
  そは少時と壮時とは共に空なればなり。
 
十二章
 一汝の若き日に特に汝の造主を記憶ゆべし、
  悪しき日の来らざる前に、
  「我は既《はや》何事をも楽まず」と言はん其年の至らざる前に
 二又日や光や月や星の暗くならざる前に、
  雨の後に雲の返らざる前に……
 三其日到らん時に家を守る者は慄ひ、
  力ある人は屈み、
  挽臼を挽く女は寡きによりて休み、
  窓より外を窺ふ者の目は昏み、
  衢の門は閉さる、
(122) 四挽臼の声絶えて
  鳥は叫んで空を翔けり、
  鳴禽《なくとり》はすべて其巣に還る、
 五時に震駭の上より臨むあり、
  恐怖道に横たはる、
  巴旦杏《はだんきやう》は斥けられ
  蝗は身に重くなり、
  薬味は嗜欲を起さず、
  人は永遠の家に到らんとして
  哭婦《なきをんな》衢に行きかふ。……
 六我は言ふ銀の紐は解け
  金の盞《さら》の砕けざる前《さき》にと、
  又言ふ吊瓶は泉の側に壊れ
  轆轤は井の傍に破れん前にと。
 七斯くして体は元の土に帰り、
  霊魂は之を賦《さづ》け給ひし神に還るべし。
 
(123)    人生の目的
 
      神を畏れ其誡命を守るにあり
 
 八空の空なる哉すべて空なり。
  コーヘレスは自身智者なりき、
 九彼は又民に智慧を教へたり、
  多くの格言を対照し蒐集し編纂したり、
 十コーヘレスは慰藉の言を探り、
  之を正しき真の言を以て記録したり、
 十一智者の言は刺ある鞭の如し、
  司会者の言は打込まれたる大釘の如し、
  而して二者共に一人の牧者より出し者なり。
 十二我子よ特に此事を注意せよ、即ち
  多く書を作くるも果《はてし》なし、
  多く学ぶは身の疲労なり、
 十三事の全体の帰する所を聴くべし、曰く
  神を畏れて其誡命を守るべし、
(124)  是れ人の全部なり。
 十四神は人のすべての作為《わざ》を鞫き給ふ、
  善にもあれ悪にもあれ、
  すべての隠れたる事を鞫き給ふ。
 
参考書 此解訳を為すに当り訳者は下の三書に負ふ所が甚だ多い、即ち Ecclesiastes:by Dr.E.H.Plumptre;The Book of Ecclesiastes:by Dr.Samuel Cox;Ditto:by George A.Barton.
 
   伝道之書綱目
 
人生の事実
 空の空なる哉(自一章一節至仝十一節)
至上善の探求
 其一 智慧なる乎(自一章十二節至仝十八節)
 其二 快楽なる乎(自二章一節至仝十一節)
  附 智慧と快楽との比較(自二章十二節至仝二十六節)
 其三 事業なる乎(自三章一節至五章廿節)
 其四 富貴なる乎(自六章一節至仝十二節)
(125) 其五 中庸の道なる乎(自七章一節至八章十五節)
至上善の発見
 (上)探求の結果
  一、智慧に非ず(自八章十六節至九章六節)
  二、快楽に非ず(自九章七節至仝十二節)
  三、功績に非ず(自九章十三節至十章二十節)
 (下)喜ばしき発見
  一、愛と勤勉の生涯にあり(自十一章一節至仝八節)
  二、望と快活の生涯にあり(自十一章九節至十二章七節)
人生の目的
  神を畏れ其誡命を守るにあり(自十二章八節至仝十四節) 〔以上、大正5・6・10〕
 
(126)     救はるゝとは
                         大正4年11月10日
                         『聖書之研究』184号
                         署名なし
 
 救はるゝとは救はれない事である、他人を救ひ得て自分を救ひ得ない事である、窮迫である、孤独である、社会に排斥せられ、教会に嫌悪せらるゝ事である、祭司と監督と、パリサイ人と教会信者とに十字架に釘けらるゝ事である、イエスと運命を共にする事である、エリエリラマサバクタニの声を発しながら死に就く事である、斯くて救はるゝとは恐ろしい事である、然し乍ら人たるの栄誉の絶頂である。
 
(127)     此書の著者に就て〔別所梅之助著『武蔵野の一角に立ちて』序文〕
                      大正4年12月10日
                      『武蔵野の一角に立ちて』
                      署名 内村鑑三
 
 世には剛毅《きつ》く見えて優柔《やさし》い人があります、優柔く見えて剛毅い人があります、此書の著者別所梅之助君は第二種の人であると思ひます、君の容貌と文体とは優柔くあります、然し乍ら君自身は剛毅い人であります、君の衷には一物の動かすべからざる者があります、君も亦今や僅かに稀れにのみ残存る所の旧い日本人の一人であります、基督教を信じ基督教会に在ると雖も、旧い日本人の魂を失はざる貴むべき我同胞の一人であります。
 私は君を知てより茲に殆んど二十年に成ります、君は礼に敦くあります、約束を違へません、信仰は多く語りませんが動きません、思考は広くあります、研究は益々深くあります、君を知ることは私に取り大なる利益でありました、或時は又大なる慰藉でありました、私は此|交際《まじはり》の此世限りの者でないことを望みます。
 君は勿論私の紹介を待て世に知らるべき人ではありません、世は既に君に就て多くを知つて居ます、然し乍ら今や君の論文の一書となりて世に現はれんとするに方て……其内の幾干かは曾て私の編輯を経た者であります……私は茲に平素私が君に就て思ひ且つ感じて居ることを言はして戴いたのであります、願くは祝福裕かに君と君の事業の上にあれ。
(128)  千九百十五年十一月十一日
         東京市外柏木なる屡々君の訪問を受けたる労働室に於て 内村鑑三
 
(129)     THE CHRISTMAS BELL,1915.クリスマスの鐘声
                         大正4年12月10日
                         『聖書之研究』185号
                         署名なし
 
     THE CHRISTMAS BELL,1915.
 
 Ring out the old year and ring in the new. Ring out the old Germany and ring in the new. Ring out the old England and ring in the new.Ring out the old Austria and ring in the new.Ring out the old Russia and ring in the new. Ring out the old Europe and ring in the new. Ring out the old Christendom and ring in the new. And the war,――this cruel,terrible,unchristian,devilish war,waged by tbe so-called Christian nations of Europe against one another,――this war with its howitzers,torpedoes,bombs,poison-gas,and liquid-fire is forcibly rlnging out the old and ringing in the new.That the King of Glory may come and rule! Maran atha.
 
     クリスマスの鐘声
 
 詩人テニソンの一句に曰く「クリスマスの鐘よ、汝の音響を以て、旧き年を送りて新き年を迎へよ」と、余輩は彼の言を藉りて言はんと欲す「クリスマスの鐘よ、汝の音響を以て、旧き独逸を送りて新き独逸を迎へよ、旧(130)き英国を送りて新き英国を迎へよ、旧き墺国を送りて新き墺国を迎へよ、旧き露国を送りて新き露国を迎へよ、然り、旧き欧洲を送りて新き欧洲を迎へよ、旧き基督教世界を送りて新き基督教世界を迎へよ」と、而して余輩は知る、此大戦争の、此惨たらしき、恐るべき、非基督的、悪魔的大戦争の、其巨砲と水雷と爆弾と毒瓦斯と液体火とを以て、強迫的に旧きを送り新きを迎へつゝあることを、而して是れ栄光の主の臨りて治め給はんためなり、然り、マランアータ、主臨り給はん。哥林多前書十六章廿二節。
 
(131)     〔思ふ所に過ぐる平安 他〕
                         大正4年12月10曰
                         『聖書之研究』185号
                         署名なし
 
    思ふ所に過ぐる平安 腓立比書四章七節
 
 我は今は何をも為さずとも善いのである、神は其子を遺りて彼をして我に代て我が為すべき事をすべて為さしめ給ふたのである、我は今は遣られし者と彼の我に代て為し給ひし事とを信ずれば、其れで救はるゝのである、我は其事を思ふて人のすべて思ふ所に過ぐる平安があるのである。
 我は今は既に死んだ者である、而して死んで尚ほ生くる者である、我は死んで我れ以外の或者が我に代て我が衷に生き給ふのである、我は憂慮《おもひわづら》ふに及ばないのである、又能力の不足を歎ずるに及ばないのである、大能者は我が衷に在りて謀り、我を以て働き給ふのである、我は其事を思ふて人のすべて思ふ所に過ぐる平安があるのである。
 彼を信じて我に今や律法は無いのである、規則は要らないのである、奮闘努力の必要は無いのである、我が思ふまゝが律法である、我が行ふまゝが規則に適合ふのである、我は居ながらにして闘ひ且つ勝ちつゝあるのである、我は我が全部を彼に引渡したのである、而して彼は喜んで之を引受け給ふたのである、我は此事を思ふて人(132)のすべて思ふ所に過ぐる平安があるのである。
 
    クリスチヤンは何である乎
 
 クリスチヤンは教会者ではない、彼は教義に署名し、教則を守り、教権に服従し、其保護の下に宗教的生涯を送る者ではない。
 クリスチヤンは道徳家ではない、彼は己れに省み、奮励努力、以て自から潔うし、清浄潔白にして天地に恥ざるの生涯を送る者ではない。
 クリスチヤンは哲学者ではない、彼は天地の妙理を究め、人生の意義を明かにし、宇宙と和合して円満無欠の生涯を送る者ではない。
 クリスチヤンは基督の僕である、己れに死して基督が彼に代て彼の衷に生き給ふ者である、如斯くにしてクリスチヤンは規則の人ではない、意志の人ではない、又思惟の人ではない、惰の人である、而かも聖められたる惰の人である、故に彼は教会者には気儘の人の如くに見える、道徳家には非倫の人の如くに見える、哲学者には無学の人の如くに見える、然し乍ら彼は自由の人であると同時に又束縛の人である、意志の人であると同時に又情の人である、学究の人であると同時に又歌の人である、クリスチヤンは活ける基督が其衷に在りて働らき給ふ者たるより他の者ではないのである。
 
    我等の礼拝
 
(133) 我等は僧衣を着て高壇に上り、聖書を朗読し、聖歌を吟唱し、手を拡げて天を仰いで祈り、手を按《お》いて人に儀式を施し、以て我等の神を礼拝せんとしない、我等の礼拝は教会堂に於て行はれずして、或ひは工場に於て、或ひは田圃に於て、或ひは店頭に於て、或ひは書斎に於て、其他我等が日々の事業に従事する所に於て行はるるのである、Laborare est orare.「仕事は即ち祈祷(礼拝)なり」である、我等は我等の日常の仕事を以て神を礼拝せんと欲するのである、礼拝《れいはい》の簡短又は欠乏の故を以て我等を責むる者に我等は此事を以て答ふるのである。
       ――――――――――
 
    愛の中立
 
 余輩は英国を愛する、英国はミルトンとコロムウエルとヲルヅヲスとカーライルとを生んだ国である、縦し余輩は其教会と僧侶と貴族とを愛し得ざるにせよ、余輩に個人の自由の何たる乎を教へて与《く》れし英国を余輩は愛せざらんと欲するも能はずである。
 余輩は独逸を愛する、独逸はルーテルとメランクトンと、カントとシルレルと、ネアンデルとシユライエルマヘルとを生んだ国である、縦し余輩は其軍国主義と鉄血政治とニイチエ哲学とを嫌ふにせよ、余輩にプロテスタント主義を供し、信仰の自由を教へて与れし独逸を余輩は愛せざらんと欲するも能はずである。
 然るに今や余輩の此二友国は、然り恩人国は相互に対し激烈なる交戦的状態に於て在るのである、而して其一が亡びざれば他は起つ能はざるの状態に於て在るのである、英国の側に立ちて独逸を見ん乎、暴虐にして赦すべからざる国である、独逸の側に立ちて英国を見ん乎、偽善にして詛ふべき国である、二者の間に立ちて余輩は孰(134)れを責め、孰れを賛くべき乎を知らないのである、二友国の交戦に際して余輩は絶対的中立を守るに甚だ苦しむのである。
 茲に於てか余輩は再び余輩の救主にして主の主、王の王なるキリストイエスに往くのである、而して彼に在りて余輩の中立を守るのである、余輩は彼の立場より両交戦国を見て、其救済を祈るのである、余輩は英国のために祈りて言ふのである「神よ我が英国を救ひ給へ」と、又独逸のために祈りて言ふのである「神よ独逸を救ひ給へ」と、而して神は如何にして余輩の此二個の矛盾せる祈祷を聴納れ給ふやを知らずと雖も、斯く祈りて余輩は心に平安《やすき》を感じ、神は人の知らざる方法に由りて二国孰れをも完全《まつとう》し給ふを信ずるのである、英国にして亡びん乎、是れ人類の大不幸にして余輩の大悲痛である、独逸にして亡びん乎、是れ人類の大損失にして余輩の損害である、余輩はキリストイエスの僕として二国孰れの滅亡をも祈求ふことは出来ない、余輩は余輩の二友国が国家的生命を賭して雌雄を決せんとしつつある間に、主イエスが血潮の流がるゝ聖手《みて》を伸ばして二国のために聖父《ちゝ》に祈り給ひつゝある其心を以て、余輩の弱き小なる祈祷を彼等のために捧げつゝある。
 如斯くにして神に在り愛に由る中立のみ純乎たる絶対的中立である、人は消極的に冷然として真個の中立を守ることは出来ない、其日を善者にも悪者にも照し雨を義者にも不義者にも降《ふら》し給ふ天の父の心を以てしてのみ、交戦国の間に立ちて両者のために其最善を祈りながら不偏の中立を守ることが出来る、戦時に於ける中立のことたる決して容易い事ではない。
 
(135)     ノアの大洪水を思ふ
          田中君の病気全快感謝会に於ける清水君の感想に因り想ひ起せるまゝを話す。
                         大正4年12月10日
                         『聖書之研究』185号
                         署名 内村鑑三
 
〇ノアの大洪水は読んで字の如く水の大洪水であつた、其時、全地の人ヱホバに叛き、其道を紊し、暴虐世に満盈たれば、ヱホバ地の上に人を造りしことを悔いて、すべての人を世と共に滅さんために此大洪水を送り給へりと云ふ(創世記六章)、唯其内に一人の敬虔の人ノアありて、彼はヱホバの指導に与かり、方舟を備へて、彼の一家と共に殲滅を免かれて救はるゝ事を得たりと云ふ。〇然し洪水は水にのみ限らないのである、世には思想の洪水があり、又情熱の洪水がある、或る思想の全世界を風靡して、之を懐かざる者は殆んど一人もなきに至る場合がある、曾ては革命思想の全世界を掩ふて、各国孰れも革命を見た場合があつた、進化思想の全世界に瀰漫して、万事万物、悉く進化の理に由て説明せられし場合があつた、帝国主義の洪水があつた、自然主義の洪水があつた、而して其の地上に臨むや、一時は全世界が其下に埋没せられんとする乎の如き観があるのである、然し乍ら、世には恒に少数のノアと其家族とがありて、上よりの指導に与り、信仰の方舟を備へ、其内に籠りて、所謂「世界思想」の噬呑を免かれ、再たび神の青天白日を仰ぐに至るのである。
(136)〇思想の洪水のほかに情熱の洪水がある、投機熱の洪水がある、其時万人斉しく一攫千金を思ふ、虚栄熱の洪水がある、其時国人挙て位階と勲章とに憧憬れる、実業熱の洪水がある、其時思想と信仰とは疎んぜられ、俗智と商才とのみ尊まる、人は感情の動物であると云へば、彼は情熱の駆る所となり易く、随て情熱の洪水の国民又は人類を襲ふことは殆んど間断なき状態である。
〇而して今や情熱の一大洪水は全世界を浸しつゝある、其れは謂ふ迄もなく戦争熱の洪水である、世界|開闢《ひらけ》て以来未だ曾て斯んな大洪水の臨んだ例は無いのである、ノアの大洪水も目下世界に漲りつゝある所の戦争熱の大洪水に比べて見れば実に語るに足りないのである、今日に至るまで戦争熱の洪水の世界の此所彼所を襲ふた例は決して尠くないのである、然し乍ら大正の四年、紀元の千九百十五年に、世界に、而かも其最も美《よ》き部分に於て漲りつゝある此洪水に比べて見れば、「七年戦争」の洪水も、ナポレオン戦争の洪水も小なる洪水と称ぶよりほかは無いのである、今や戦争の大洪水は英帝国を埋没し、仏国、伊国、独逸、墺国、露国、土国、其他三四の小邦を浸し、而して其余波は東洋の極に位する我島帝国にまで及んだのである、而して智者の観察する所に由れば、此洪水たるや容易に収まるべきに非ず、更らに拡大して波斯印度に及び、支那を襲ひ、米国をさへ其渦中に捲込まないとも限らないのである、今や実に恐ろしき時である、兄弟相攻め、師弟相屠るの時である、一人の独逸の兵士が窮迫の余り降《かう》を同宗教の英軍に乞はんと欲して「我は基督信者なり」と叫んで其哀憐に訴ふれば、英国の兵士は彼を迎へて曰ふた「汝は基督信者なりと言ふ、善し、我等汝を天使に為して与《く》れん」と、而して銃声一発、彼の肉と霊とを分ち、彼を墓の彼方に送りて快哉を叫びたりと云ふ、斯かる事は英独孰れの側にも屡々有ることであつて、此例を引いて敢て英を非とし独を義とするに非ずと雖も、而かも血族的にも、信仰的にも近き兄弟で(137)ある所の英独の民が斯くまでに相互を憎むに至りしを見て、目下全欧洲を荒しつゝある所の戦争の大洪水の広さと共に其深さを推量ることが出来るのである。
〇最後通牒、宣戦、侵入、……独逸先づ白耳義の中立を冒せば、英国と仏国とは希臘の中立を犯し、英国、伊国を誘ひて其同盟国たる墺国に叛かしむれば、独逸は勃牙利《ボルガリヤ》を誘ひて其旧恩の国たる露国に叛かしむ、違犯に亜に違犯を以てし、背叛に次ぐに背叛を以てす、而して之を敢てする者がすべて基督教国であるのである、世界は今や暗黒である、文明は三千年後|退《もど》りして、バビロン、アツシリヤ時代を再現したのである、獣力は今や世界を支配して、道理の声は聴かれないのである、若し西洋文明の功績が基督教を証明する者であるならば、基督教は戦争を生む悪魔の教であつて、平和の主《きみ》の福音ではないのである、今や全世界は戦場と化し、全人類は兵士と成りて立ちつゝある。
〇然らば如何せん、戦争の洪水が全地を掩ひし今日、義人ノアは在らざる乎、救拯の方舟は備へられざる乎、今や監督と神学者とはノアではない、彼等は世と偕に洪水の下に沈みつゝある、彼等の導く教会は方舟ではない、教会は怒涛の捲込む所となりて今や破船とし水底に在る、今やすべての制度は人肉を啖ふ所のモロク神に献げられて其用に供せられざる者はなく、而して教会も亦其例に洩れないのである、今や洪水は普くして教会の高所までも悉く水の覆ふ所となつたのである。
  水甚だ大いに地に瀰漫りければ天下の高山皆な覆はれ、水瀰漫りて十五キユビトに上りければ山々覆はれた
とあるは実に今日の状態《ありさま》を能く画いたる言辞である(創世記七章十九節)。
(138)〇然らば此時に際して我等何人に往かん乎、何物に頼らん乎、我等の往くべきノアは誰ぞ、入るべき方舟は何ぞ、……然り、彼である、曾てはガリラヤ海上にレバノン颪の吹すさびし時、浪の上を歩みて弟子に近づき給ひし時、彼等の恐れ戦慄くを見て「心安かれ、我なり、懼るゝ勿れ」と言ひ給ひし彼れ(馬太伝十四章廿七節以下)……彼れが怒涛逆捲く今の時に方り、懼るゝ我等を静め給ふ唯一の救主である、大洪水は今や再たび世に臨んで破れを除いて他に我等の頼るべき者はないのである、彼は救済の方舟を備へて我等彼を信ずる者を迎へ給ふ、而して松木ならで(神ノアに言い給ひけるは……汝松木を以て方舟を作るべし云々とある)、松木ならで十字架を以て作られしイエスの方舟は今や此大洪水に際して我等を救ふて余りあるのである、全地の民は悉く溺死《おぼれし》すともイエスと偕に彼の救済の方舟に入りし者はすべて救助るのである、戦闘の洪水全地に普くして、イエスの救済の能は更らに著しく感ぜらるゝのである。
○イエスに救助らるゝと云ふは勿論銃丸に当らないと云ふ事ではない、戦争の災禍を免かれ得ると云ふ事ではない、全人類に臨みし事は我にも亦臨むのである、然し乍ら、イエスと偕に在りて我は戦争に毒せられないのである、敵を憎まないのである、自から進んで戦争を奨励しないのである、凡ての手段を尽して平和の恢復を計るのである、而して縦し戦争の犠牲となりて敵丸の一発に 「天使」と化せられて墓の彼方に送らるゝとも、我を殺せし敵を祝し、愛の心は紊されずして、主の聖国に入るを得るのである、永久の平和は戦争と戦争の風声《うはさ》高き今日、イエスに頼る我等の心を支配するのである、実にイエスの救済は木を以て作られ水の上に浮ぶ方舟ではない、彼の義を以て築かれし永遠の磐である、「之に頼る者は辱かしめらず」とある、全地が剪減《ほろぶ》る時に惟り残る永遠の磐である。
(139)○茲に於てか敵と味方との差別は無いのである、イエスに頼る者はすべて救はるゝのである、英人も救はるゝのである、独人も救はるゝのである、露人も救はるゝのである、墺人も救はるるのである、聯合国の側に立つが故に救はるゝのではない、イエスを信ずるが故に救はるゝのである、同盟国の側に立つが故に救はるゝのではない、イエスを信ずるが故に救はるゝのである、人はイエスに頼りて戦争に勝つも救はるゝのである、戦争に負けるも救はるゝのである、実に平和の主なるイエスに頼りて戦争なる者は既に無いのである、戦争《たゝかひ》は帝王の事である、政治家の事である、他国の商売を奪はんとする商売人の事である、民を煽動して発行部数を増さんとする新聞記者の事である、然しながら自己を棄て他を救ひ給ひしイエスの事ではない、而して彼に頼り奉る我等の事ではない。
○我等は終りに問はんと欲す、此大洪水は何故に臨みし乎と、而して英国人は言ふ、此大戦争たる素々独逸人が世界を横領せんと欲するより起つた者であると、之に対して独逸人は言ふ、非ず、是れ英国人が独逸人の栄繁を妬んでより起つた者であると、二者孰れが真理なる乎、今日紛乱の時に際して何人も判定することは出来ない、然し乍ら斯かる大戦乱は一国民の野心とか嫉妬とか云ふ如き小なる原因より起るものではない、人類的大戦争を起すには人類的原因がなくてはならない、独逸人の野心又は英国人の嫉妬心が此戦争熱大爆発の機会となつた乎も知らない、然し乍ら爆発其物の原因は他に在つたのである。
〇ノアの大洪水は人類が其造主を忘れ、造者よりも受造物を愛せしに因て臨んだのである、罪の罪は偶像崇拝である、即ち造主を忘れて被造物《つくられしもの》を尊む事である、而して神の大刑罰(実は大警誡)は此罪を矯めんが為に下さるゝのである、而て欧洲今回の碧血の大洪水も亦文明人種と称し、基督教国と称する者の此罪、即ち偶像崇拝を罰せんがために遣《おく》られたる者である、彼等も亦彼等の先祖の事へし真の神を忘れ、彼等が手にて造りし偽《いつはり》の神を拝す(140)るに至りしが故に此大洪水が彼等の上に臨んだのである。
〇而して欧米人の偶像と云へば石や木を以て造られたる神の形像ではない、彼等が作り上げし物質的文明である、彼等は今や信仰よりも文明を重ずる、彼等が存在の目的とする所は神を崇めんとするに非ずして、彼等の生活を快楽ならしめんとする事である、彼等は生活のために宗教を用ゐる事あるも、生活を犠牲に供して宗教を進めんとは為ない、今の欧米人は純然たる肉の奴隷である、真の神を忘れし点に於ては彼等は阿弗利加の黒人、濠洲の蛮族にも劣るのである、彼等の文明は純然たる肉の文明である、「最大多数の最大幸福」とは彼等が文明の目的なりと唱へて敢て耻辱と思はないのである。
〇「既に神を知りて尚ほ之を神と崇めず、亦謝することをせず、反て其|思念《おもひ》を乱し、其愚なる心晴らくなれり、自から智しと称へて愚かなる者となれり……是故に神は彼等を其心の慾を縦肆にするに任せて互に其身を辱かしむる汚穢に附《わた》し給へり」とのパウロの言は昔時の異邦人ならで、今の所謂基督教国の民に其儘通用すべき者である(羅馬書二章)、ルーテルの福音に聴いて光明の域に入りし結果として今日の隆盛を致せし独逸がニイチエの如き思想家を出し、パウロを罵り福音を嘲けり哲学の名を以て獣力を崇むるに至て、自から大洪水を己が首《かうべ》に招きつゝあるのである、英国とても同じである、曾て詩人ヲルヅヲスが詩人ミルトンを歌ふに方て「ミルトンよ、英国は汝を要す、我等は今や利慾の民と化せり」と言ひしやうに、ハムプデン、クロムウエルが血を以て贏ち得し自由の民は今や義者を金のために売り、貧者を鞋《くつ》一足のために売ると云ふ偽善の民と化したのである(亜麼士書二章六節)、富めること世界第一、又貧者の多きこと世界第一と云ふ英国は又大洪水の見舞を受くるに充分の理由ある国であると言はざるを得ない、其他仏と云ひ伊と云ひ露と云ひ墺と云ひ皆な大同小異である、若し彼等の上(141)に大洪水が降らないならば、其れこそ天に神の在さゞる最も強き証拠であつて、人類の不幸、然り、彼等の不幸此上なしである。
〇欧洲大戦乱の原因は茲に在るのである、即ち所謂基督教国々民の背信、偽善、堕落に在るのである、即ちノアの大洪水が臨みしと同一の原因に因るのである、故に洪水の止む時も亦此原因が取除かれし時に在るのである、神の刑罰として臨みし此大洪水は政治家の運動に由ては止まない、交戦国の民が神に向つて其罪を悔改めて止むのである、此戦争を経済戦又は商業戦又は人種戦と見る者は唯其皮相を見るに過ぎない、神に対する民の叛逆に因て起りし戦争である、故に其叛逆を癒されずして此戦争は止まないのである。
○而して斯かる福祉《さいはひ》なる時は必ず到るのである、外交家の手段が悉く尽き、戦略家の軍略が悉く敗るゝ時に神は悔改の霊を交戦国民の上に注ぎ給ひて、此世界未曾有の大洪水は其終熄を告ぐるのである、前にはナポレオンの大戦争終つて後、欧洲、殊に独逸に、福音の新光明が昔時《むかし》に優るの光輝を以て臨みしが如くに、此戦争の終りし後に、真理は昔日に百倍するの光輝を以て欧洲全土に臨み、文明の偶像は悉く壊たれ、之に代りてイエスキリストの御父なる真の神は万物の上に崇められて、栄光《さかえ》の宝位《みくらゐ》に即き給ふのである、「其日には高ぶる者は卑くせられ、驕る者は屈められ、唯ヱホバのみ高く挙げられ給はん」とあるが如しである。(以賽亜書二の十一)
 
(142)     信者の三大知覚
         明石講演の大要
                         大正4年12月10日
                         『聖書之研究』185号
                         署名 内村鑑三
 
  約翰第一書五章十八−二十節
(18)我等は知る、凡て神に由りて生れたる者の罪を犯さゞることを、神より生れし者彼を守り、かの悪者彼に触《ふる》ることなし。
(19)我等は知る、我等は神に由る者なることを、而して世は挙《こぞり》て悪者に在るなり。
(20)我等は知る、神の子既に来り、真理者を識るの知識を我等に賜へることを、我等は真理者に在り、即ち其子イエスキリストに在り。彼は真神また永生《かぎりなきいのち》なり。(私訳)
 
      第十八節
 
〇茲に「我等は知る」と云ふ言葉が三度繰返されてある、信者は本能的に此事を知覚すと云ふことである、特別に研究して此事を知るに非ず、神を信ずるの結果として直覚的に此事を知ると云ふのである。
〇「神に由りて生れたる者」 信者のことである、信者は自分で信者になつた者ではない、神に由て生れたる者で(143)ある、其起原は神に於て在るのである、而かも作られたのではない、生れたのである、自分で欲んで生れたのではない、父の愛に由て生れたのである、信者は世の所謂道徳家でないことはヨハネの此一言に由ても明かである。
〇「罪を犯さず」 信者は罪を犯さずと云ふ、絶対的に如何なる罪をも犯さないと云ふことではない、「人(此の場合に於ては信者を指して云ふのである)……人若し罪を犯せば我等のために父の前に保恵師あり」と云ひてヨハネは信者の罪を犯すことを認めて居るのである(二章一節、同じく五章十五節参考)、信者は罪を犯さずとは彼に在りては罪が習慣性となりて継続しないと云ふことである、英語で sinneth not と云ふは is not sinning と云ふと同じである、動詞の使用用に厳密なりし希臘人は現在過去未来等の所謂時制を判別するに厳密であつた、故に希臘語を以て罪を犯さずと云ふは如何なる罪をも犯さずと云ふことには成らない、罪を犯しつゝあらずと云ふことである、罪が人の常性となり居らずといふ事である、而して其意味に於て信者は罪を犯さずと云ふ事が出来る、罪は今や彼に取りては苦痛である、義は彼の常性であつて罪は其撹乱である、故に彼は激烈に罪の苦痛を感ずるのである、彼が不信者たりし時に彼に此苦痛がなかつた、其時に罪は彼の常性であつた、故に少しの善を為せば之を誇りしと同時に、多くの罪を犯すとも敢て不安を感じなかつた、然るに一度キリストに顕はれたる神の光に接してより、彼の罪の感覚が非常に過敏になつた、彼は生涯の大方針に於て全然罪を離れた、彼は自己のために生活《いく》るを廃めて神と人とのために生活んと欲するに至つた、彼は口に猥褻を語るを甚《いた》く耻るに至つた、名誉と利欲を目的とするを賤しむべき事と思ふに至つた、信者と不信者とは其内的生命に於て天地の差がある、而して其意味に於て信者は罪を犯さないやうになつたのである、罪は彼の平常性たらざるに至つたのである、是れ彼に在りて最も感謝すべき事である。
(144)〇又「罪」と云ふことに就ても其何たる乎を明かにする必要がある、罪の種類に数限りない、仇恨、争闘、※[女+戸]忌、忿怒《ふんど》、苟合《こうがふ》、汚穢《をくわい》、酔酒、放蕩、勿論 悉く罪である、然し乍ら罪の罪は斯かる個別の罪ではない、罪の罪、すべての罪の原因、人類唯一の罪とも称すべき者は神を離れ其|遣《つかは》し給へる独子を斥くることである、「罪に就てと云へるは我を信ぜざるに因りてなり」とイエスは曰ひ給ふた(約翰伝十六の九)、イエスを信ぜざること、彼は詛ふべき者と云ふ事(哥林多前書十二の三)、其事が罪である、而して不信者は此罪を犯しつゝあるのである、彼はイエスの名を聞いて嘲けり、彼に接触せざらんと欲し、彼の自己に近づくを見れば之を斥けんと欲するのである、性来《うまれながら》の人は、其西洋人なると東洋人なるとに拘はらず、人と云ふ人はすべて悉くイエスを嫌ふのである、イエスの名を嫌ふは日本人にのみ限つたことではない、英人、米人、独人、仏人の区別はない、神に由て生れざる人はすべて悉く一様にイエスを嫌ふのである、罪が人類の通有性であるが如くにイエスを嫌ふことも亦人類の通有性である、而して信者は此事、即ち神の子を信ぜざるの罪、即ち人類通有の此大なる恐るべき罪、信者は神の恩恵に因りて此罪を犯さざるに至つたのである。
〇斯くの如くに解して信者、即ち神に由りて生れたる者は罪を犯さずと云ふヨハネの此言の決して特別の信者にのみ通用すべき者でないことが領解るのである、信者と云ふ信者はすべて此恵まれたる状態に於て在る者である、而して其反対に、此状態に於て在らざる者、即ち罪を猶ほ習慣性となす者、自己中心の生涯を送る者、利欲を逐ふて之を耻とせざる者、此世の名誉に憧憬れて敢て窮屈を感ぜざる者、イエスを衷心より愛し得ざる者、彼の名を聞いて躍《おど》り起たざる者、其人は、縦令《たとへ》表面の行為《おこなひ》は如何に立派であるとも、其人が神に由りて生れたる人であらうとは我等には如何しても思はれない、ヨハネは此簡潔なる言を述べ、「我等は知る」と言ひて、即ち信者全(145)体の直覚なりと言ひて決して誤らなかつたと思ふ。
〇「神より生れし者彼を守り」 普通の日本訳聖書には「神に由りて生れたる者は自から守る」とあるが是れ確かに誤訳である、「信者たる者は自から己れを守る」とは如何にも立派に聞えて、其れでこそ信者であると謂はれて世に誉められるであらうが、然し信者の実験は其事を否定するのである、信者は信者に成りたればとて自から守らないのである、彼を守る者は自己以外に別に在るのである、自から守る者は基督者《クリスチヤン》ではない、或ひはストア派の哲学者であらう、或ひは儒教の聖人君子であらう、然し基督者ではないのである、「神より生れし者彼れ(信者)を守る」と言ひて基督者の何たる乎が明かに言表はさるゝのである、茲に「神より生れし者」とあるは前に「神に由りて生れたる者」とありし言とは全く別個《べつ》の者である、gennetheis と云ひ gegennemenos と云ふ、前者は「神より生れし者」であつて其独子なる我等の主イエスキリストを指して云ふのである、後者は「神に由りて生れたる者」であつて、信者を指して云ふのである、「父の生み給へる独子」と「神に由て生れし者」との間に判然たる区別があるのである(約翰伝一章十三、十四節参考)、「神より生れし者彼を守る」と云ふ、「子が子を守る」と云ふのである、「兄が弟を守る」と云ふのである、「基督が基督者を守る」と云ふのである、父が天の高きより信者を守り給ふに止まらず、子が側《かたはら》に在りて守り給ふと言ふのである、信者の特権も亦大ならずやである、「彼等を兄弟と称ふるを耻とし給はず」と云ふ(希伯来書二の十二)、イエスは信者を兄弟と称ぶことを耻とし給はないのである、神は天の高きに居まして、其聖きを以て遙かに我等を守り給ふのではない、彼は肉と血とを具へたる、即ち我等に似たる者を遣《おく》り給ひて、彼をして我等の長兄として、我等の側に在りて、我等を守らしめ給ふのである、「神より生れし者彼(信者)を守る」と云ふ、是れあるが故に我等は罪の此世に在るも安全なるのである、誰が(146)此慰藉の言辞を「神に由て生れし者は自から守る」と書直したのであらう乎、信仰が道徳に変じ易い事は此一事に由ても解るのである、而して信仰が道徳に変る時に、信仰道徳両つながらが堕落するのである、而して信仰の堕落は新約聖書が記かれし時代より既に始まつたのである、或写字者が「彼を」を「自から」と書変へた時に此世の小学が信者の団体(教会)の中に入つて、茲に信仰の堕落が始まつたのである。
〇「かの悪者彼に触《ふる》ることなし」 「かの悪者」はかの特別に悪しき者を指して云ふのであつて、サタン即ち悪魔である、而して彼は手を信者に触ることなしと云ふ、此世を服従せんと欲して二人の主があるのである、其一人は神の愛子であつてキリストである、他の一人は神の反逆者であつて、サタン即ち悪魔である、キリストとサタンとは相対して世を争ひつゝあるのである、而して其間に介して信者は愛を以てキリストに征服せられて其側に立つ者である、而して今や彼れ(キリスト)彼(信者)を守るが故にサタンは彼(信者)に手を触ること能はずと云ふのである、斯くて信者の安全はキリストの保護に由て保証せられたのである、人は何人もキリストとサタンとの間に立ちて絶対的中立を維持することが出来ないのである、サタンに従はん乎、キリストに反かざるを得ないのである、キリストに従つてのみサタンの束縛を免かるゝことが出来るのである、如何なる勇者も聖人も自分の能力でサタンに勝つことは出来ないのである、此事を能く知りたるルーテルは、剛勇彼の如き者たりと雖も言ふたのである、
   夫《か》の古《いにしへ》よりの悪しき者は、
   今は猛威を悉《つ》くして立てり、
   政権を以て装ひ、
(147)   邪曲の計を施らす、
   世に彼に当る者なし。
 
   若し我等の力に頼まば、
   我等は直に失はれむ、
   然れど一人の聖き者の
   我等の為に戦ふあり、
   彼れ何人と尋ぬる乎、
   イエスキリスト其人なり、
   サバオスの神にましまして
   彼の他に神あるなし、
   彼れ我等と共に戦ふ。
と(『愛吟』より引抄す)、悪魔を弱く見る者は悪魔を知らない者である、イエスのみ能く悪魔に勝ち給ふたのである、「我れ既に世に勝てり」と言ひ給ふたのは此事を言ひ給ふたのである、「死をもて死の権威を有《もて》る者即ち悪魔を滅し、且つ死を恐れて生涯繋がるゝ者を放たんためなり」とは希伯来書記者のキリストの死に関する観察であつて、ヨハネの此言と根本的思想を共にする者である(希伯来書二章十四、十五節)。
 
(148)      第十九節
 
〇「我等は知る」 我等は神を信ずるの結果、直覚的に此事を知る。
〇「我等は神に由る者なることを」 信者は神に由りて存在することを、信者の生命は神より出る者なることを、「神に由りて生れたる者」との事を他の言葉を以て言ふたのである、信者は神に在り、彼に由りて生くる者である、彼が今享楽する恩恵の生涯は悉く神より出たる者である。
〇「而して世は挙て悪者に在るなり」 信者は神に繋がれ其生命を悉く彼より仰ぐに対して、世は挙りて悪者に在りて生活するのである、即ちキリストとサタンとの間に介在して、信者は神に属き、世は悪魔に属くと云ふのである、信者を善く見過ぎ、世を悪しく見過ぎた言であるやうに見える、然し乍ら事実は其通りである、世は其科学と文学と哲学と芸術とを以て挙りて悪魔に属くのである、世の大体の方針は悪である、其の中に多少の善の無いではない、多少の善人の居らないではない、然し乍ら概するに世は悪魔の属である、其事は何人も疑ふことは出来ない、今や此世の最大最上の文明国は開闢以来未だ曾て有りしことなき最も残虐なる戦争に従事して居るのである、其誇れる文明は欧洲詔大国をして決して天国の模型となさしめなかつたのである、英国も独逸も墺国も露国も国としては「挙て悪者に在る」のである、其中に尠からぬ善き基督者の居ることは我等と雖も疑はない、然れども是れあるに拘はらず彼等は国としては悪魔の国である、彼等を基督教国と称ふるは誤称である、国としては彼等は悪魔国と称ふべきである、斯く称ふるは過激の言であるやうに思はれる、然れども事実は蔽ふべからずである、世に若し基督教国又は君子国があるとすれば、其れは単に比較的に爾か称ふるに過ぎないのであ(149)る、キリストが自己を棄て他を救ひ給ひしやうに、自国の存在を犠牲に供して他国を救ふに至て、真個の基督教国があるのである、而して独逸でも英国でも爾んな国でないことは火を睹るよりも瞭かである、実に少数の信者が神に由りて生存するに対して、世界と其億兆とは挙りて悪魔の属として彼の教唆に従ひ、自分又は自国の利益を計らんために他人又は他国の利益を侵害しつゝあるのである、基督教は決して人類多数の信受する教ではない、信者は常に少数である、而して多数は常に悪魔の従属《じゆうぞく》である、我は世の多数の賛成を得たりとて悦ぶ信者(?)は自分で何を言ふて居る乎を知らないのである、海軍と云ひ陸軍と云ひ、殖産と云ひ工業と云ひ、商業と云ひ貿易と云へば如何にも立派である、然し是等は何者《たれ》の鼓吹を受けて動いて居るのであらう乎、ヨハネは現時の信者(?)のやうに世(社会の感情を害ふことを恐れなかつた、彼は大胆に事実を事実として語つた、世は挙りて悪者なりと。
 
      第二十節
 
〇「我等は知る、神の子既に来り」 神が人の間に顕はれたりと云ふは今や単に人類の希望ではない、是は既に充たされたる希望である、イエスキリストが其れである、彼を以て千九百十五(八)年前の昔し、神の子は既に世に顕はれ給ふたのである。
〇「真理者を識るの智識」 真理と云はず真理者と云ふ、宇宙の中心は哲学的真理ではない、宗教的真理者である、神は真理者である、キリストは其|象《かた》である、而して彼を知ることが永生である(約翰伝十七章三節)、信者は哲学者ではない、信仰者である、真理を黙想する者ではない、真理者を索ね、彼に会ふて彼を愛し、彼に事ふる者(150)である、我等信者は主義を偕にする者ではない、主を一にする者である、乾燥無味の哲学的真理又は教会的教義に由りて繋がるゝ者ではない、活ける真の神、即ち真理者に由りて繋がるゝ者である、而して神の子は此真理者を識るの知識を我等に賜へりと云ふ、茲に「識るの知識」とあるは「我等は知る」とある其知識とは違ふのである、後者は直覚的知識であるに対して前者は推理的又は探求的知識である、神は知られ又識らるゝのである、神は直覚的に瞬間に知られ、又探求的に徐々と識らるゝのである、而してヨハネは茲に云ふたのである、キリストは世に顕はれて信者に真理者なる神を研究的に識るの知識を賜へりと、即ちキリストに由りて信者は神を信仰的に信じ得ると同時に学究的に彼を探り且つ識るを得べしとの事である、此意味に於て信者は単に信者たるに止まらず又哲学者であるのである、而して信者の哲学は真理者の闡明を目的とし、キリストを以て其指導者となすとのことである、実に深い驚くべき言である、キリストを「救拯の先導者」と称へて、信仰にのみ関係のある者と思ふは大なる間違である(希伯来書二章十節、「救ふ君」と訳せられしは「救拯の先導者」の意である)、キリストは真理者唯一の紹介者である、随て活ける哲学の唯一の秘鑰《キー》である、曾て博士フエヤベーンが其名著『基督教哲学論』に於て、ナザレのイエスは其釘打たれし掌の中に宇宙の秘義を開くための鑰《かぎ》を握る」と云ひしは実に大なる真理である、而して博士に先んずること千九百年前にヨハネは明白に曰ふたのである「神の子既に来り、真理者を識るの智識を我等に賜へり」と。
〇「我等は真理者に在り、即ち其子イエスキリストに在り、彼は真神《まことのかみ》また永生なり」 事はキリストの神性問題に関す、今茲に之を論ずることは出来ない、『キリストの神性に関する新約聖書の明言』の続篇に於て之を論ぜんと欲すれば、茲には之を省略する事とする。
 
(151)     明石の会合
                         大正4年12月10日
                         『聖書之研究』185号
                         署名 柏木生
 
 時は十一月二十一日、日本晴れの好天気、所は播州明石の浦、日本第一の風景の有る所、前には淡路島の浮ぶあり、右には播磨灘、渺茫として天涯に尽く、左には茅渟の海、須磨の浦は青松白砂の半島をなして其中に突出す、画にも優るの風景である、会場は明石郡立公会堂、関西風の瀟洒たる建築、松林の間に建てられ、小波其下を洗ふ、此日此所に会する男女六十有余名、神戸より、大阪より、京都より、姫路より、岡山より、山口より、和歌山より、関《せき》の東よりは東京より、千葉より、半ばは既知の友、半ばは初対面の友、然れども皆な心を知合ふ人々なれば初めて相|見《まみ》えて旧き兄弟姉妹である、午前十時三十分開会、万事柏木流に進行し、歌なし、儀式なし、唯熱祷に続いて一時間半に渉りし聖書講演ありしのみ、約翰第一書五章十八−二十節を講じ、語る者聴く者同一体となりし感ありて、講者は後に何を語りし乎を殆んど記憶せざる程であつた、講演終て一同歩を人丸神社の境内に運ぶ、明石町を眼下に瞰下、海峡を隔てゝ淡路島と相対す、人丸神社の社前に到れば講演終へて後の我心は自から緩み、歌心頻りに催しければ歌聖の殿前に一首を口ずさびて彼を挑んだ
   人丸や歌は歌なり人心《ひとこゝろ》
      主義も理想もあつたものに非ず
(152) 歌聖は驚いたであらうか怒つたであらうか、我は知らない、然し講演終つて我が緊縮《ひきしま》りし心が、人丸山の風景に緩みし時に斯く感ぜし事丈けは事実である。
 折詰の弁当の饗応ありて後、山を下り公会堂に帰り、一同撮影し、午後二時より再び会合を開いた、二時間に渉り来会者の感話と祈祷があつた、感話は種々であつたが、不平は一言もなかつた、悉く勝利の話であつた、感謝の流出であつた、聴いて笑つた、涙を流した、アーメンと応へた、主イエスは我等の中に在した、而して松吹く風と岸打つ小波とは我等に善き音楽を供した、最後に創世記六章のノアの洪水の講話があつた、而して是れで一先づ会を閉ぢた、時に夕陽海に没して、西天は茜色に色彩《いろどら》れ、得も言はれぬ風景であつた、屋島が浦に那須の与一宗高が扇の的を射落した晩も斯く静かに又美くしくあつたらうと思ふた。
 来会者の半ばは此時辞し去つた、而して半ばは止て第三回の会合を開いた、三十余名※[食+善]を併べて夕飯を共にした、朝の研究会、午後の感話会に次いで是れは哄笑会であつた、中にもT氏の如きは来会者中最旧の友であり、多くの懐旧談を提出して、我等の横隔膜を転倒せしめた、多く愛する者は多く笑ふ、此夕我等の声は海岸を隔てゝ対岸の淡路島の漁夫の家にまで達したと思ふ。
 夜九時に至て会は全く終つた、会場を出づれば恰かも満月の前夜、空に一点の雲なく、歌に名高き明石の浦の明月であつた、会合の成功を感謝しながら友と共に堤上を歩めば、秋月冴へ渡り、金波遠く動いて此世ながらの楽園であつた、
   言の葉の珠拾はゞや秋の夜の
      月に明石の浦づたひして
(153)と蓮月の歌を繰返へさゞるを得なかつた、感謝、感謝、此所に一日の天国を味ふた、朝の十時より夜の九時まで、時間は実に短くあつた、又惜しくあつた。
 
(154)     『旧約十年』
                           大正4年12月20日
                           単行本
                           署名 内村鑑三
 
〔画像略〕初版表紙 194×127mm
 
(155)     序文の代りに
 
 多く書を作れば竟《はてし》なし、多く学べば体疲る。(伝道之書第十二章十二節)
 イエスの為し給ひし事は是等の外に尚ほ許多あり、若し之を一々記しなば其|書《ふみ》この世に載尽すこと能はじと我は意ふ。(約翰伝第廿一章廿五節)
 イエス彼等に答へて曰ひけるは……汝等〔旧約〕聖書に永生ありと意ひて之を探索《しら》ぶ、此〔旧約〕聖書は我に就て証《あかし》する者なり。(約翰伝第六章三十九節)
  千九百十五年十二月九日  東京市外柏木に於て 内村鑑三
 
     附記
 
 此書は主として明治三十三年(一九〇〇年)より同四十三年(一九一〇年)に到るまでの間に於て著者主幹の『聖書之研究』雑誌に掲げし旧約聖書研究に関する論文、改訳、註解等を集めて一書となせし者なり、外に創世記の註解は『洪水以前記』と称して別冊となし既に発行せり、約百記の研究は近き将来に於て別に一冊として発行せんと欲す、其他『研究十年』の中に旧約聖書に関する研究論文二三あり、又旧著『興国史談』は世界歴史の立場よりする旧約聖書の側面観として読者に思料を供すること尠少《せんせう》ならざるべし。
 
(156)  〔目次〕
 
   人物研究
アブラハム伝の研究
モーセ伝の研究
預言者エリヤ
士師ギデオン
ヱレミヤの聖召
女王エステル
士師ヱフタ
 
   聖詩訳解
鹿の渓水を慕ひ喘ぐが如く
ダビデの弓の歌
我れ山に向ひて目を挙ぐ
ヱホバは我が光なり
諸の天は神の栄光を顕はし
善悪の差別
(157)モーゼの祈祷
ヱホバを讃めまつれ
神は我儕の堅城
猶太人の愛国歌
永遠の慈愛
毒舌絶滅の祈祷
幸福なる家庭
豊稔の歌
詩篇片々
詩篇片々
 
   預言書の研究
以賽亜書私訳
死骨の復活
預言者エゼキエルの偽預言者観
預言者哈巴谷の声
 
   聖書其儘
アイの攻撃
(158)真の預言者
神をして代りて戦はしむ
 
   一九一六年(大正五年)一月−一〇月 五六歳
 
(161)     BUSHIDO AND CHRISTIANITY.武士道と基督教
                         大正5年1月10日
                         『聖書之研究』186号
                         署名なし
 
     BUSHIDO AND CHRISTIANITY.
 
 Bushido is the finest product of Japan.But Bushido by itself cannot save Japan.Christianity grafted upon Bushido will be the finest product of the world.It will save,not only Japan,but the whole world. Now that Christianity is dying in Europe,and America by its materialism cannot revive it,God is calling upon Japan to contribute its best to His service. There was a meaning in the history of Japan. For twenty centuries God has been perfecting Bushido with this very moment in view. Christianity grafted upon Bushido will yet save the world.
 
     武士道と基督教
 
 武士道は日本国最善の産物である、然し乍ら武士道其物に日本国を救ふの能力は無い、武士道の台木に基督教を接いだ物、其物は世界最善の産物であつて、之に日本国のみならず全世界を救ふの能力がある、今や基督教は欧洲に於て亡びつゝある、而して物質主義に囚はれたる米国に之を復活するの能力が無い、茲に於てか神は日本(162)国に其最善を献じて彼の聖業を扶くべく要求め給ひつゝある、日本国の歴史に深い世界的の意義があつた、神は二千年の長きに渉り世界目下の状態に応ぜんがために日本国に於て武士道を完成し給ひつゝあつたのである、世界は畢克基督教に由て救はるゝのである、然かも武士道の上に接木されたる基督教に由て救はるゝのである。
 
(163)     〔大恩恵 他〕
                         大正5年1月10日
                         『聖書之研究』186号
                         署名なし
 
    大恩恵
 
 キリストを信ずることが出来た、少しく聖名のために苦むことが出来た、軽き十字架たりと雖も之を彼と偕に担ふことが出来た、又少しく聖書が領解るやうになつた、之を我書となすことが出来た、是れ既に大恩恵である、是れありて他の恩恵は降らずと雖も、我は感謝と歓喜と讃美とを以て旧年を送り新年を迎ふることが出来る。
 
    恵と信
 
 恵まれて信ずるのではない、恵まるゝも恵まれざるも信ずるのである、然り信ずることの出来たことが最大の恵である、信者は唯単に信ぜんことを祈求ふのである、信じ得さへすれば恵まれずとも宜いのである、縦令彼れ我を殺すとも我は彼に信頼せんである。約百記十三章十五節。
 
(164)    二箇の信仰
 
 信仰に二ツある、イエスキリストの信仰(Faith of Jesus Christ)とイエスキリストに於ける信仰(Faith in Jesus Christ)との二つある、イエスキリストの信仰とは神と義に対して彼が懐き給ひし固き信仰である、イエスキリストに於ける信仰とは彼が我等のために成就げ給ひし救拯を信受するの信仰である、前者はイエスの信仰に傚ふ信仰であつて、後者はイエスの贖を信ずるの信仰である、而して人は此等|二個《ふたつ》の信仰を懐くを得て救はるゝのである。
 然れども罪人たる我等に取りてはイエスに於ける信仰は前《さき》であつてイエスの信仰は後である、我等はイエスの贖罪《あがなひ》を信受するの結果として、我等の罪を取除かれ、而して後に始めてイエスが懐きし信仰を懐き得るに至るのである、罪に沈みし我等に生れながらにしてイエスの信仰は無いのである、我等は彼に贖はれ、彼より信仰の霊を受けて、彼が信ぜしが如くに信じ得るに至るのである、人の義とせらるゝは信仰に由る 律法《おきて》の行《おこなひ》に由らず(羅馬書三の廿八)、然り、人の義とせらるゝはイエスキリストの信仰に由る、而かもイエスキリストの信仰に達せんがためにイエスキリストを信ぜざるべからず、イエスキリストに於ける信仰ありて始めてイエスキリストの信仰があるのである、人はキリストの十字架に由らずして、直にキリストの如くに成ることは出来ない。
 
    イエスを信ず
 
 余はイエスを信ずる、余は彼を詮索しない、余は今日直に彼に傚ひて彼の如くに完全に成り得ないとて悲ま(165)ない、余は彼を信ずる、情的又は理的に彼を信じ得ない場合には意的に信ずる、信ずる、然り、信ずる、イエスを究めんとしない、又学ばんとしない、信ずる、信じ難きに至る時は我意志を鼓舞して信ずる。
 余はイエスを信ずる、阿弥陀仏を信じない、モハメツトを信じない、ニイチェを信じない、イエスを信ずる、余は慥にイエスの信者であつて基督信者である、イエスは余の総体《すべて》を要求する 而して余は之を彼に献げて惜まない、余はイエスを信じて彼に自己を信《まか》し奉る、余は余の景慕する他人に就て斯う言ふことは出来ない、余はカーライルを信じ、ワーヅワスを信じ、グラッドストンを信ずると言ふことは出来ない、併し乍ら満腔の誠実を吐露して余はイエスを信ずると言ふことが出来る。
 余は信ずる点に於ては多くの仏教徒又は回々教徒と信仰を同《とも》にする、併し乍らイエスを信ずる点に於ては余は全く彼等と信仰を異にする、余はイエスを信ずる者である、彼を余の宗教的崇拝物として仰ぐ者である、斯くて余は一方に於ては哲学的に彼を解し倫理的に彼に学ばんとする所謂現代人と彼れイエスに対する態度を異にし、又他方に於ては彼を万全の主として崇めざるすべての信仰家と信仰の方向を異にする。
 然り、余はイエスを信ずる、彼に頼る、彼に縋る、彼を感じ得ずとも彼を信ずる、彼を解し得ずとも彼を信ずる、主よ我は信ず、我が信なきを助け給へ。(馬可伝九章廿四節)。
 
    祈祷の執成《とりなし》
 
 汝等のすべて我名に託りて父に求ふ所のものを彼をして汝等に賜はらせんがために我れ汝等を立たり。(約翰伝十五章十六節)。
(166) キリストが我等の祈祷を取次ぎ給ふと云ふは単に之を聖父に伝達し給ふと云ふ事でない、之を御自身の祈祷として聖父に捧げ給ふと云ふ事である、斯くてキリストの御取次を受けて、賤しき我等の祈祷は聖子の祈祷として聖父の膝下《ひざもと》に達するのである、而して聖父は聖子を愛する其愛を以て応へ、裕に我等を恵み給ふのである、斯くて我等の弱き祈祷はキリストの聖名に由りて捧げられしが故に強くせられ、強く聖父の慈仁《あはれみ》に懲へ、強き応答《こたへ》を彼より惹くのである、恰《あだ》かも発信局の弱き電流が仲継局の強き電流に増大せられ、強き電流として受信局に達し、而して之に応ずる強き返電が再び発信局に達するが如しである、我等の祈祷にして直に聖父に達する者ならん乎、穢れたる唇の民の中に住みて穢れたる唇の者なる我等の祈祷であれば、天の聖座を動かすの力なく、極めて微弱なる祈祷なるが故に微弱なる応答を招くに過ぎないのである、義者の祈祷は力ある者なりと云へば、罪人なる我が祈祷は弱くして義者なるキリストの祈祷は強くあるのである、而してキリストの御《おん》執成(取次)に由りて我が祈祷は義者の祈祷として聖父に達し、茲に宇宙を動かし得るの心を動かし得て大事を成就《なしとぐ》るのである。(雅各書五章十六節)。
 
    静かなる信仰
 
 事業、事業と云ふ、然り、信者の事業はイエスである、彼に在りて信者の為すべき事業は既に為されたのである、事竟りぬ(成りぬ)と彼が言ひ給ひし時に、信者の為すべき事は彼に在りて既に成つたのである(約翰伝十九章三十節)。
 聖め、望めと云ふ、然り、イエスが信者の聖めである、イエスは神に立られて汝等の義また聖また贖となり給へりと
(167)ある(哥林多前書一の三十)、又我れ彼等(信者)のために自己を聖むとある(約翰伝十七の十九)、又イエスは己の血をもて(己が)民を聖めんがために苦を受けたりとある(希伯来書十三の十二)、斯くて信者は既にイエスに在りて聖められたのである、故に彼れ以外に於て望めを求むるの必要はないのである。
 信仰を以てイエスの事業を我有とする事、信仰を以てイエスの聖めに与る事、其事が信者の事業である、敢て騒ぐに及ばず、敢て※[足+宛]《もが》くに及ばない、静かにして待望まば汝等能力を獲べしである、智慧と能力の蓄積《たくはへ》は一切キリストに蔵《かく》れあるのである、此事を知るのが求道である、此事を伝ふるのが伝道である、而して此事を知て之に由て行ふのが信仰である、静閑にして強大、恰かも氷河の徐《おもむろ》に動きて山嶽を粉砕するが如しである、事業に憬れ、成功を急ぎ、喇叭と太鼓を加へて騒立る現代の信仰の如き、余輩は之を信仰と称ふることは出来ない。
 
    望の理由
 
  亦汝等の衷に在る(永生獲得の希)望の縁由《ゆゑよし》(理由)を問ふ人には答を為さんことを恒に備へよ(彼得前書三章十五節)。
 余は人である、余はイエスを信ずる、余の救拯の希望の理由は此の二個である。
 余は基督信者でない乎も知れない、余は確かに教会員ではない、余は監督の教権を認めない、余は教会の信条に従はない、若し教会員たることが基督信者たるの必要条件であるならば余は確かに基督信者ではない。
 然れども余は人である、教会は余の人たることを否むことは出来ない、而して「神は其独子を賜ふほどに世(全人類を云ふ)を愛し給へり」とあれば、余も一個の人として此愛に洩れないのである、而して又「凡て彼を信(168)ずる者は亡ぶることなくして永生を受くべし」とあれば、余も彼を信じて永生獲得の権利に与ることが出来るのである、一個の人にして信ずるの心あれば其れで救はるゝの資格が有るとは聖書の明かに示す所である、余の信仰を教会に認められずとも余は安心して余の霊魂を神に任かし奉ることが出来る。
 
    世界の主
 
 世界政治と云ひ世界勢力と云ふ、而して国家の目的は世界の主たるにありと云ふ、然れども何ぞ知らん、悪魔が世界の主たることを、
 悪魔イエスを最《いと》高き山に携へ行き、世界の諸国とその栄華とを彼に示して曰ひけるは、汝もし俯伏《ひれふ》して我を拝せば我れ是等を悉く皆な汝に与ふべし
と(馬太伝四の八、九)、世界は悪魔に属し、世界に主たらんと欲せば俯伏して悪魔を拝せざるべからず、国家にして世界に主たらんと欲し、教会にして世界的勢力たらんと欲せば、悪魔の此要求に応ぜざるべからず、世に国際的戦争あるは世界に主たらんと欲する国家多きに因る、基督信者が世に勝つと云ふは世界を征服して之を己が有《いう》となすとの意に非ず、世界に対する野心を放棄して、之を我主たらしめざるを謂ふなり、世界は是れ棄つべき者なり、獲べき者に非ず、キリストの心を有する者の立場より見て、世界に主たらんと欲するは賤しむべき野心なり、耻づべき欲求なり、キリストの僕たらんと欲する者は先づ此野心、此欲求を絶たざるべからず。
 
(169)     基督教的雑誌の発行
                         大正5年1月10日
                         『聖書之研究』186号
                         署名 主筆
 〔明石会合に於ける姫路本沢君の所感に曰く
  『聖書之研究』は基督教を説くに止まらず、其物自体が基督教である
と、是れ誠に有難い言である、余輩の心掛も常に茲に在るのである、『聖書之研究』が如何に善き基督教を説くも、若し其物自体が基督教の体現でないならば其説く所は鳴る銅《かね》や響く ※[金+拔の旁]《ねうはち》の如き者である、其維持法が基督教でなければならぬ、其編輯法が基督教でなければならぬ、其広告までが基督教でなければならぬ、真理は真理、商売は商売と云ひて維持販売を全然現世的に為すことは出来ないのである、余輩は此誌の維持に於て人に頼つてはならないのである、感謝の献物は之を受くるが、余輩より進んで何人にも其補給を乞はないのである、又広告に深い注意を要するのである、誇張的広告は自からも之を避け、又|他《ひと》のそれも受けないのである、而して余輩は自らを他に薦めんことを恐るゝが故に過去十二年間に於て唯の一回も他の雑誌または新聞に本誌又は発行物の広告を掲げたことはないのである、沙翁の言に曰く We are advertized by our loving friends.(我等は我等を愛する友人に由て広告せらる)と、余輩も亦余輩の小なる事業の広告は之を余輩を愛する友人の自由意志に一任するのである、而して彼等は余輩の期待に反かず、適当なる範囲に於て余輩を広告して与れるのである、余輩は余輩に託(170)せられし神の福音を説くに方て、高価い広告料を払つて、新聞紙上に他人の事業と広告的競争を試むるの必要を感じないのである。
 余輩は又編輯に忠実なる積りである、雑誌を「出す」は容易である、之を他人に一任して、自分は副業として之に従事するも月毎の雑誌を「出す」ことは出来る、然し其れでは基督教でないのである、凡て汝の手の為すことは力を尽くして之を為すべしである(伝道之書九の十)、五十頁足らずの小雑誌、之を一人の事業となすに足らずと言ふ者があらう、然し余輩はさうは信じないのである、忠実に之を発行せんと欲して小雑誌は充分に一人の労力を要求するのである、内容の多分は自分で作らなければならない、寄贈文は之を厳密に検査し、厳密の訂正を加へなければならない、雑誌の主義に反対する文は如何なる名家の文なりと雖も謝絶しなければならない、若し之を載する場合には明白に余輩の不同意を附記し置かねばならない、情実に絡まれ、権威に圧せられて、真理と読者とに対し不忠実であつてはならない、雑誌の編輯は多くの勇気を要する、敵を作ることを恐れて忠実なる編輯者たる能はずである。
 殊に金銭勘定に厳密でなくてはならない、印刷所に負ふ所があつてはならない、読者の前金は之を神聖に保管し置かなければならない、寄書家には少しなりとも余輩の謝意を表する丈けの事を為さなければならない、其他何事たりとも若しイエスが此職を取り給ふならば如何に為し給ふであらうと考へて之に当らなければならない、先づ出来得る限り雑誌其物を基督的になして然る後に之を以て純なる基督教を伝へなければならない。
 イエスの事業である、故に信仰の事業である、神を信じ彼に頼りて為す事業である、故に困難《かた》いやうに見えて実は容易い事業である、すべての能力と智慧とを彼より仰いで為せば可いのである、故に其成功の秘訣は祈祷で
(171)ある、祈て書き、祈て校正し、祈て発送するのである、自分自身では何事をも為す能はずである、小なる事に於てまで大能者の援助と指導とを仰ぐのである、イエス御自身をして真個《まこと》の主筆たらしむるのである、而して余輩は彼の器具となりて動くのである、斯くして始めて基督教的の雑誌が出来るのである、之に政略があつてはならない、天才の如き頼るに足りないのである、彼に由らざる人の補助は断然之を謝絶すべきである、彼を仰いで人を懼れないのである、而して大胆に自由の福音を唱ふるのである。
 
(172)     憎まれよ憎むな
                         大正5年l月10日
                         『聖書之研究』186号
                         署名なし
 
 人に憎まるゝ事の楽しさよ、我等は人に憎まれて益々神に近づくのである。 人を憎む事の苦しさよ、我等は人を憎みて益々神より遠かるのである。
 人に憎まれんかな、社会に、教会に、而して益々深く神の愛を味はんかな。 人を愛せんかな、其すべての罪を赦さんかな、而して神に我がすべての罪を赦されて、益々深く其恩恵に浴せんかな。
 
(173)     恐るべからざる者三
                         大正5年1月10日
                         『聖書之研究』186号
                         署名なし
 
 恐るべからざる者の第一は失敗である、失敗は方針を転ぜよとの神の命令である、我等は失敗を重ねて神の定め給ひにし我が天職に就くのである。
 恐るべからざる者の第二は患難である、患難は我等を神の懐に駆追《おひや》るための彼の鞭である、我等は患難に遭ふて神の我等のために設け給ひにし休息《いこひ》の牧場に入るのである。
 恐るべからざる者の第三は死である、死は聖められし霊魂の純金を肉の汚物より分離するための最後の手術でぁる、我等は死を経過して神の聖者のために備へ給ひにし光栄《みさかへ》の聖国に往くのである。
 
(174)     簡短なる信仰
         「イエスよ救ひ給へ」
                    大正5年1月10日
                    『聖書之研究』186号
                    署名 内村鑑三述 中田侶蕨記
 
  羅馬書第十章の研究として昨年九月廿六日、十月三日二回に渉りて今井館附属柏木聖書講堂に於て述べし所の大意
 
     第一回
 
 吾等此世に生活して居るものは時々心を静かにして深く信仰の根本に就いて想を運すに非れば世事に囚はれて取り返しの付かぬ誤りに陥る恐れがある、去れば秋の初めの吾等の新学期の初頭に於て吾保羅の力説せし信仰の真髄に就いて学ぶは極めて必要の事である。
 世人は多く羅馬書を以て難解の書となし、パウロを以て六ケしき理論家となせども彼をして斯る六ケしき理論を述べしめたのは果して誰の罪であらふか、彼は好んで難解の理論を述べたのではない、当時の学者宗教家の連中が浅薄なる宗教観を以て種々なる問題を提供して遂に博学なるパウロをして斯る大理論を述ぶるの余儀なきに至らしめたのであつて、其罪はパウロに於て非ずして当時の宗教家学者の輩に於てあつたのである。
(175) パウロの主張する所は人の救はるゝは徹頭徹尾借仰に由るものにて其外に救はるゝ道はどこにもないと言ふにある。凡そ神の恩恵に与るには自己が努力して先づ救はるゝの資格を作るを要すとの考は何人にも残れる所である、然し乍ら此考はキリストに由りて悉く破壊され、人は唯信仰に由りてのみ救はるゝ事となつたのである。パウロはこれを三段に説いた、信仰によりて義とされ、次に聖められ、而して最後に完成(贖はる)さるとは彼の主張である。何等の準備を要せず先づ信ぜよ、救はるゝ道は神御自身が備へ給ふたのであると言ふのである。今の教会信者は言ふ、信者となるには神の御手に縋りて信仰に由るを要するなれども、其後に於ては自身の努力に頼るを要す、信仰に由りて聖めらると言ふ人は余りに神に頼り過ぎ、余りに善過ぎて自ら修むる事をせず、其結果世に不道徳を醸すに至ると、而して吾等も時には亦斯く言ひたいなれども、パウロは大胆に卒直に「徹頭徴尾唯信仰に由るのみ」と説いた、此心を解して羅馬書に対すれば此書決して難解のものではない。一章より八章に至るまで此精神を以て個人の救はるゝ道を説いた、而して此第十章は如何にしてイスラエルの救はる可きかを説いた中の一部である。パウロは自身イスラエル人にてあり乍ら余りに熱心に異邦人の救拯を鋭いた為に多分国人よりは国賊呼はりをされた事であらふ、愛国の熱血を湛えたる彼にして国賊呼はりをされては骨髄に徹する痛みであつたであらふ、これがために十章一節の語は発せられた、パウロが「兄弟よ」と説き出す場合は隔意なく己が真情を吐露する時である、イスラエル救拯のために祈る切なる愛国の念願を同胞に訴へたのである。二節の「智識」は所謂単なる智識には非ずして深き実験に由る智識の謂である。三節に於てパウロは神の義と己の義とを別ちて二種の義ある事を説いて、イスラエルの人等は神の義を識らずして己の義を立んとするものであると言つた、イスラエル人は是を聞いて憤激したであらふ。哲学者教育者等の言ふ所の義は己の義であつて、吾れ自身完全な(176)るものとなりて神の栄を顕はさんと欲するものである、然しこれは偽善である、福音の供する義は神の賜はる義である。
  凡て信ずるものゝ義とせられん為にキリストは律法の終となれり(十章四節)。
 「律法の終となれり」と云ふは「道徳の終りとなれり」と云ふに等しく、此世の道徳は何れも己の義なればキリストに由りて終りとなり無用に帰したのである。パウロの此主張は亦吾等の実験である、我等に於てもキリストを信じて此世の倫理は要《いら》なくなつたのである、倫理学者には何故に人を殺してならぬかは非常に困難なる問題である、昔親鸞聖人が念仏往生を説くのに向つて或人が「人を殺しても猶念仏を唱ふれば弥陀の救に与る事が出来るか」と問ふたとの事であるが、信仰に入れば殺したくなくなるが故に殺さないのであつて問題は頗る簡単である。
 五節−九節。律法の律法たる所以は是を実行するに由りて生を得るにある。然らば信仰に由る義とは如何、ペテロかヨハネであつたならば是を説くに頗る簡短であつたであらふがパウロは学者であつたゞけに六ケしくモーセの語(申命記三十章十一節−十四節)を借りて巧妙に深遠に説いたのである、単に古語を引用せしに止まらずして其中に自己の意見を加へて居る文学的手腕も見らるゝのである。
  義の道の如きは天に上り又は陰府に下りて探り求むるに非れば得難き杯と云ふが如きものではない、天よりキリストを降し復活後のキリストを地下に引出すが如き困難の事ではない、信仰を六ケしく考へるのが間違ひである、信仰の要訣は簡単容易の事である、唯心に信じて口に認《いひあら》はせば救はるゝのである。
と、哲学の船に乗りて或は美術詩歌に由りて救はるゝの要はない、法然上人の口唱《くじゆ》念仏に言葉なりに酷似して居(177)るも奇なる事である、勿論基督教の信仰が其対象に於て仏教の信仰と其根本に於て全く異なる者であるは吾等各自の熟知して居る所であるが、然し対象に対する信仰の態度に就いては法然親鸞に学ぶ可き所が多いのである。道は極めて近きにあり、心に信じて口に言ふにある。何故に然るか、迷信に流るゝ虞なきかの如き問題は他日に譲るとして、ユダヤ人とギリシヤ人との区別はなく、主を呼び奉るものは悉く救はると言ふのである、大骨を折りて羅馬書を研究して茲に至れば斯くも簡短容易の事になつて終ふ。大山鳴動して鼠一疋と言へば言ふ可きであるが、併し只の鼠一疋ではない、其簡短さと而して其深遠さを思へば無限の教訓がある。而も何事ぞ今の基督信徒と称するものは多く是を忘れて人力に由り強ひて六ケしき神学を編み出さんとするのである、先頃米国に在る或人より彼の博士論文に余の旧著「余は如何にして基督信徒となりし乎」の中より多くを引用したとの手紙があつたが、これ亦著者たる余に於てはどうでもよいと思ふ個所の引用にて、簡単な事を六ケしく論じたまでゞある。基督教の聖書に於て最も困難であると称せらるゝ羅馬書に斯くも簡単なる信仰が説かれてある事は感謝す可きである。主イエスよ救ひ給への一語が信仰の真髄である。此事を解せない牧師等が病者臨終苦悶の枕辺《ちんべん》にて「爾は三位一体の神を信ずるか」杯の愚問を発して苦ましむるのは憤激に堪えぬ、余の如きも臨終の際に斯る問に対しては何の返辞も出来ないであらふ、然し若し諸君が来りて「先生猶主イエスを信じますか」と言はれたならば言下に「信ず」と言ふであらふ。是を子供に言ひ得可く老人に言ひ得可く、無学のものにも学者にも言ひ得可きである。吾はキリストを斯く解し、斯の如く信ず、愛は斯々にて罪は云々《うん/\》抔と立派に言ふものゝ信仰は実は猶危きものである、「イエスよ救ひ給へ」は迷信の如くに見え又簡短に過ると言ふ者もあらんも然しこれが信仰の真髄にして、之が人の死せんとする時に際し卑き者にも高き者にも言ふ事の出来る人生の最も深き所である。汝の信仰(178)如何と問ふたならば言語は何とでも並べ得可きも、而も婦女子にも子供にも語りて解るは「主イエスを信ず」との短かき語である。ユダヤ人の躓きの根本は此事が余りに簡単にして漠迦らしく見へたのにある。今の文明人が亦福音の語が余りに簡短にて物足らずとなし「倫理的福音」抔の名を附し強ゐて六ケしくするを好しとして同じ愚を繰り返しつゝあるの時、吾大パウロ先生の此簡短にして而も千万年に貫く大真理を学ぶ事は誠に愉快にして感謝す可き事である。
 
     第二回
 
 パウロは二つの信仰個条を説いた、其一は口に主を認《いひあら》はす事にて、其二は心に神彼を甦せし事を信ずる事であつた。パウロの信仰は是にて尽きて居るのである、義とせられ聖められ贖はる等の事は同一の事を異なれる語を用ゐて言つたのに過ぎない。当時の教育を悉く受けたる大学者パウロにして斯くも簡単なる信仰を説いたと言ふ事は殊に注意せねばならぬ事である。
 何故に神は異邦人を救ひてイスラエルを救はざるかの興味ある問題は九章より十一章に亘りて説かれてある。神はキリストを赦し給ひしに非ずして彼れキリストの贖によりて吾等人類全体の罪を赦し給ふたのである。救は六ケしき事ではなくして極めて簡単なる事である、主イエスを信ずるだけの事である。伝道とは此事を伝ふるの謂である、然るに今の伝道が然らずして、六ケしき神学論の唱道に非れば浅薄なる社会運動である事は慨はしき事である。パウロは当時の大羅馬帝国内を三度或は四度横断して道を伝へ初代の基督教をして一躍忽ち世界的とならしめた、其伝道の効果の偉大、伝播の速かなりし事は驚嘆す可きである、彼は六ケしき哲学的理論や有神(179)論を述べて歩いたのではない、五分間にて言ひ尽し得る簡短なる信仰を述べたのである。此故に斯くも驚く可き大伝道がなし得られたのである。信仰の道はパウロの如き大学者大偉人に於ても斯く簡単であつたのである、「道は爾の口にあり爾の心にあり」である。此故に到る所何千何万の帰依者ありて忽ち世界を風靡したのである、若し今日の神学者の如くこれにては余りに簡短にしてあつけなしと言ふならば之に対し余輩に弁解はないではないが然し信仰は畢竟この外ではないのである、ルーテルに問ふたならば亦是を以て答へたであらふ、若し「事業」と言はんか、「人格」と言はんか、誠に空しきものにて言ふに足らぬ、ルナンは言つた「キリストのゲツセマネの嘆きは実は恋人を残せし嘆きであり、パウロの最後の嘆きも亦事業の空なりし事の嘆きであつた」と、信仰の事の解らぬルナンとしては外に見方はないのであらふ、吾等に於ては事業は楽き遊であるも、事業に由て吾等の霊魂を満足せしむる事の出来ぬは明かである、米国流の神学者はパウロの信仰を評して「是れ興味ある信仰にて之に就て論文を作るにはよいけれども以て吾信仰となす事は出来ぬ」と言ふ、而して斯る態度は今の多くの信者の態度を代表したものと言ひ得る。吾等は社会事業の事も哲学上の事も言ふ時には言ふなれども、これは信仰ではなくて唯信仰を語る序に言ふまでゞある。望む所は完全なる道徳に非ず、事業に非ず、此簡単なる信仰である。
 吾等基督教に入りて以来何となく総ての旧き信仰の敵として立つ感ありて尽く是を退けたのは大なる誤りである。古来吾国の仏教徒中に同じ信仰のあつた事は喜ばしき事である。元より彼等が完全に達する能はず、彼等の信仰が幼稚なる時代相当のものであつたのは止むを得ない事にて、吾等と雖ども若し七百年前に生れたならば彼等の信仰の圏域外に出る事は出来なかつたであらふ、法然や親鸞の言つた事を笑ふならば欧洲の七百年前の基督教書類を見ば其如何に迷信に充ちたるものであつたかを知る事が出来るであらふ、彼の十字軍が所謂神護の鋭(180)槍を振て幾度か起りて功なく、遂には全然神の力に頼りて敵を挫かんとて少年軍を組織し身に一物の武具をも付けず赤手讃美歌を歌つて敵陣に進ましめ可憐の少年多数をしてサラセン軍の飽くなき屠殺慾の満足に供せしめた時代である。法然が深く仏教の教理を探り苦心惨憺遂に安心の道を得たる径路は全くパウロやルーテルが平和に達せし径路と同じである、法然の
  出離の志ふかゝりしあひだ、諸の教法を信じて諸の行業を修す、凡そ仏教多しと雖も所詮戒定恵の三学をばすぎず……若し無漏の智剣なくば、いかでか悪業煩悩の絆を絶たんや、悪業煩悩の絆を絶たずば、何ぞ生死繋縛の身を解脱することを得んや、悲しきかな、悲しきかな、如何せん、如何せん、こゝに我等如きは已に成定恵の三学の器に非ず、この三学のほかに、我心に相応ずる法門ありや、我身に堪えたる修行やあると、よろづの智者にもとめ、諸の学者にとぶらひしに、教ふるに人もなし、示すに輩《ともがら》もなし、然る間なげき/\、経蔵に入り、かなしみ/\、聖教にむかひて手づから自から披らき見しに、善導和尚の観経の疏の、一心専念弥陀名号、行住坐臥不問時節、久々念々不捨者、是名正定之業、順彼仏願故といふ文を見得てのち、我等が如くの無智の身は偏に此文を仰ぎ、専ら此理を頼みて、念々不捨の称名を修して、決定往生の業因に備ふべし云々『勅修御伝』第六
の語の如きはパウロの羅馬書七章に於ける、「噫われ困苦人《なやめるひと》なる哉この死の体より我を救はんものは誰ぞや云々」と言葉までが似て居るを見ても二者の心の状態が如何にも同じであつた事が思はれる、これあるが故に仏教は吾国人の中に普く且つ深く入つたのである、教祖が苦心探求の結果信仰の真髄を執へて是を伝へた故に仏教は吾国に成立したのである、彼にも亦真理がある。若し然らずして七百年間日本人が誑かされて居たと言へばこれ単に(181)仏教の侮辱に非ずして日本人全体の侮辱にして又吾自身の侮辱である。簡短にして強く人の心に訴ふる弥陀の慈悲は幾多の人を慰めて今日に至つたのである、これ又仏教の弁護に非ずして吾自身の弁護である。吾れが真理を発見したのではない、吾れは神に由て救はれたのである。勿論仏教の慈悲と基督教の十字架と事実に於て大なる相違はある 然し乍ら仏教徒も斯くの如く簡単なる信仰によりて安心を得、基督教徒も亦同じやうにして平和を得たのである。併し又一面に早合点の危険はないではない、何事も信仰によりて神に頼ればよいとしていつしか信仰は空なる形式となり不義非行を顧みない様になる、浄土宗の今日の如く堕落せし、西洋にて保羅教の弊害の甚しきもこれである、然しこれは教理の誤りではなくて之を信ぜし人の罪である。
 パウロの信仰は斯の如く簡単であつたゝめに人心に深く入り世に普く広く伝はつたのである。是れ老人に説く可き説教の如くにて而かも決して然うではなく、青年に説く可きものである。世の学問智識の真の主眼は此簡単なる道を知りて是を証明するにある。若し学問が是を教ゆるでなければ学問は誠に意義なく価値なきものである、学問は此簡短なる信仰の道を証明し吾等の生涯も亦是を証明するのである。
 
(182)     NARROW AND OLD,狭くして旧し
                        大正5年2月10日
                        『聖書之研究』187号
                        署名なし
 
     NARROW AND OLD.
 
 Some say we are narrow. Yes,we believe“there is none other name under heaven given among men,whereby we must be saved.”We do not say,we cannot say,that Buddhism, Confucianism,Shintoism,“Ethical Evangelism”and“Spiritual Internationalism”are just as good as the old Gospel. Others say,We are old.Yes,the gospel we believe in were witnessed to by the apostles and prophets. The Lamb our Saviour was slain from the foundation of the world.We do not commit our souls to anything newer than the old,prlmitive,pristine Rock of Ages. And just because we are narrow and old,can we have peace.
 
            狭くして旧し
 
 或人は言ふ余輩は狭くあると、然り余輩は実に狭くある、余輩の信ずる所に因れば天下の人の中に我等の依頼みて救はるべき者は彼の名を除いて他にないのである(行伝四の十二)、仏教、儒教、神道、其他現代人の所謂(183)『倫理的福音』、『霊的世界主義』、孰れも旧き福音と何の異なる所なしとは余輩の言はざる所である、然り、言ひ得ざる所である。
 或る他の人は言ふ余輩は旧くあると、然り余輩の信ずる福音は使徒等と預言者等に由て証せられし者であつて旧い福音である、余輩の救主として仰ぐ者は世の始より殺され給ひし羔である(黙示録十三の八)、余輩の霊魂を委ね奉る者は「千代経し巌《いは》」よりも新らしい者ではない、而して余輩は狭くして旧くあるが故に平康《やすき》を有つことが出来るのである。
 
(184)     〔繰返し 他〕
                         大正5年2月10日
                         『聖書之研究』187号
                         署名なし
 
    繰返し
 
〇基督信者は自分で基督を信じた者ではない、基督を信仰すべく神に余儀なくせられた者である、而して其信仰の結果として神と基督との宿る所となつた者である、基督信者は自分ではない、自分以外の或者の占領する所となつた者である、最早我れ生けるに非ず、基督我に在りて生ける也である、基督信者が自分に帰り、自分の主義信仰を主張するに至つた時に、彼は確に原の不信者になつたのである。
〇事を為すのではない、既に為されし事を伝ふるのである、而して既に為されし事を伝ふれば事は自然と成るのである、福音である、喜ばしき音である、神、キリストに在りて世を己と和がしめ給ひしと云ふ其事を伝ふるのである、而して其事を伝へ之を信ずるを得ば、それで事は成るのである、即ち世は救はるゝのである。
 
    安心と平康
 
 安心は苦痛のないことである、心配のないことである、奮闘のないことである、努力のないことである、無為(185)の生涯に入ることである、即ち生涯と称すべからざる生涯に入ることである。
 安心を獲る途は一にして足りない、仏法が其一である、儒教が其二である、所謂「修養」が其三である、静座法が其四である、安心を獲るに必ずしもキリストの福音は要らない、基督教に由らずして安心を獲た人は世に夥多《あまた》居る。
 キリストは人に安心を与へ給はない、平康を与へ給ふ、我れ乎康を汝等に遺す、我が平康を汝等に予ふと彼は言ひ給ふた(約翰伝十四の廿七)而してキリストの予へ給ふ平康とは世の所謂安心とは異う、平康の中にゲスセマネの苦闘がある、カルバリー山上のエリエリラマサバクタニの叫号《さけび》がある、人のすべて思ふ所に過る平康を与へられたりと称するパウロは
  我れ是等の希望《のぞみ》を既に得たりと言ふに非ず、亦既に完成《まつたう》せられたりと言ふに非ず、或ひは得ることあらんとて之を追求む、……即ち後に在るものを忘れ前に在るものを望み、褒美を得んとて標的《めあて》に向ひて進むなり
と言ふた(腓立比書三の十二以下)、即ち平康は得脱ではない、完成ではない、充たされたる希望ではない、理想の追求である、無窮の進歩である、而して之に伴ふに耐へ難き苦痛がある、絶えざる奮闘がある、真の平康は十字架を負はずして獲られる者ではない。
 平康は苦痛の削除ではない、平康は神の前に義とせらるゝ事である、神の心を賜はりて彼と和らぐことである、而して神と偕に歓び又偕に苦しむことである、平康は安心と異なり、苦痛と心配と心の奮闘との絶えることではない、神の義を以て充たさるゝ事である、之に言ひ尽されぬ歓喜がある、同時に又言ひ尽されぬ悲痛《かなしみ》がある、キリストの平康を賜はりて人は草庵に隠れて世を避けんとしない、正義の利剣を執りて罪悪と戦はんとする、安心(186)と平康とは名は似てゐて実は全く異う、安心は消極的である、平康は積極的である、安心は苦痛の消滅である、平康は歓喜の充実である、釈迦にも孔子にも安心はあつたが平康はなかつた、「イエス己の手に聖父の万物を賜ひしことを知り」といふ自覚に合せて「我心甚く憂へて死ぬるばかり也」といふ苦痛が神の子の懐き給ひし平康であつた、而してイエスが「我が平康を汝等に予ふ」と言ひ給ひし平康は是れである、神の子の平康とは実に如斯き者である。 基督者の平康、希侶来語の salom《サローム》、希臘語の eirene《アイレーネー》、英語の peace《ピース》、是れ実に深い広い美くしい意味を含む詞である、此事を解せずして基督教に於て仏教に謂ゆる安心、儒教の薦むる修養を求めんと欲する者は木に縁りて魚を求むる者の類である、基督教は安心を与へない、十字架の伴ふ平康を与ふる、世の所謂求道者は深く茲に注意すべきである、イエスは言ひ給ふた、
  地に平安《やすき》を出さん為に我れ来れりと思ふ勿れ 平安を出さんとに非ず刃を出さん為なり。
 
    救拯の信仰
 
 我等は信仰に由て救はれるのである、又信仰に於て救はれるのである、我等は今救はれるのではない、後に救はれると信ずるのである、即ち信仰に於て救れるのである、既に救はれたのではない、救はれると信ずるのである、即ち救拯は約束のことであつて現実のことではない、故に我等は神を信じ義を信ずる其信仰を以て自身の救拯を信ずべきである、「信ぜよ然らば救はるべし」とあるは此事である、神の善《よし》と視たまふ時に必ず救はるべしと信ぜよ、然らば其時に到りて必ず救はるべしと云ふことである、此事を知らないで、救拯の事実を現今《いま》我身に(187)於て実験せんと焦思り、之を実験するを得ざれば信ぜざるは、是れ神の約束を軽蔑《ないがしろ》にする事であつて、不信の罪の中に算へらるべき事である、神はキリストに在りて既に世を贖ひ給ふたのである、而して我等は此贖を信ずるを得て既に救はるべき特権を授けられたのである、我等の救拯の確証は十字架上のイエスに於て在るのである、而して此信仰と此確証とありて我等は他に我等の救はるべき証拠を要求めないのである、我等は自己に省みて猶ほ旧きアダムの残るを見て我等に約束せられし救拯を疑ふてはならない、我等の品性の進歩は亦以て我等の救はるべき確証と見做すに足りない、「我を仰瞻よ、然らば救はるべし」と神は約束し給ふたのである、故に我等は彼を仰瞻て我等の善行の挙る挙らざるに関せず、我等の身心の潔められし潔められざりしに関せず、神を信じ其約束を信じて我等の救拯を信ずべきである。
 「我等が救を得るは望に由れり」とのパウロの言は此事を謂ふたのである、救は希望の事に属すとの意である、今茲に救はれるのではない、救は希望として存するのである、而かも神の約束に基づく希望であるが故に最も確実なる希望である、既に充たされし希望と見て可き希望である、救は信ずべき待ち望むべき神の恩恵である(羅馬書八の廿四)。
 
(188)     信者の製作
                         大正5年2月10日
                         『聖書之研究』187号
                         署名なし
 
 信者を作ると言ふ、何故に石をもてアブラハムの子を作ると言はざる、全世界の教会が総がゝりになりたればとて一人の信者を作ることは出来ないのである、神は能く此石をもアブラハムの子と成らしめ給ふ也とある、然り「神は」である、「人は」ではない、人は人形を作ることが出来る、然れども神のみが人を作ることが出来る、監督と牧師と伝道師とは教会員を作ることは出来やう、然しながら神のみ基督者《クリスチヤン》を作ることが出来る、教会員は基督者の人形である、而して教会は今日まで多くの人形を作つて信者を作つたと言ふて居るのである。
 
(189)     彼得前書に表はれたる教会観
        (去年十二月第一日曜日より数回に渉り今井館附属柏木聖書講堂に於ける講演の大意)
                         大正5年2月10日
                         『聖書之研究』187号
                         署名 内村鑑三 述
 
〇ペテロ前書は平凡なる書である、その中に独創的意見と称すべきものは見当らない、其文体は旧約聖書の引用の珠数繋ぎに過ぎない、然しそこに深き意味があるのである、今日でもスコツトランド辺へ行くときは善き信者の手紙又は説教なるものは聖書の語を繋ぎ合せるのみであつて決して自分の意見を交へない事を見るのである、又真に書き思想はそれ以上に言ひ表はすことが能《でき》ない、ペテロの如きは身は旧約聖書中に育つた人である、是なしには何をも言ふことが能ないのである、殊にキリストを信じて新しき意味を旧約に発見したるが為め旧約聖書の語を繋ぎ合せて新しき意見を発表して居る、これ当時普通の書簡又は普通の説教であつてペテロ前書は即ち初代の書簡の標本として見て甚だ興味あるものである、故に旧約聖書に親まずしてその深き意味を探ることは能ない、旧約を知て之を読めばその殆ど全部が旧約の引用であるにも拘らず其中に明白なる新約的思想の入て居ることを発見するのである、旧約の語を以て書きたる新約の書がペテロ前書である、一例を挙ぐれば二章四節に
  主は人に棄てられ給へど神に選ばれたる貴き活石《いけるいし》なり
とある、「人に棄てらる」とはイザヤ書五十三章の語である、キリストを「石」とか「磐」とかいふも亦旧約の(190)語である、唯その中に新約の深き意味の籠つて居るのは「活」といふ言葉があるからである、「活ける石」といふのは今日の科学より見て矛盾であらう、然し堅き石にして而も活ける石といひて初めて能くキリストを言ひ表はすのである、又
  汝等彼に来り活石の如く建てられて霊の室《いへ》となり(同五節)
「室」とは神殿であつて旧約の語であるけれども「霊の」といひて新しき意味が生きて来るのである、而してペテロが茲に霊といふのはパウロの如く聖霊の意味ではなくして「愛の家」といふほどの意味である、
  亦潔き祭司となり(同節)
之亦旧約の語である、然し汝等が祭司となるといふ、「汝等」とは誰である乎、異邦人である、小亜細亜の諸方に散在したる異邦人、而かも其多数は奴隷である、かゝる者が「潔き祭司」になるといふはこれ亦明白なる新約的思想と謂はざるを得ない、
  イエスキリストに由て神に悦ばるゝ霊の祭物《そなへもの》を献ぐべし(同節)
神に悦ばるゝ祭物を献ぐるは旧約のことである、然し「イエスキリストに由て」といふのが特別の言葉である、又祭物といふも牛や羊や穀物の類ではなくして「霊の」祭物(愛)を献げよといふは之亦不思議なることである、即ち茲にも亦旧約の語の新約化せられたるを見るのである、是の如くペテロ前書を解するには旧約に親しむを要するも其内容はどこまでも新約の書簡である、これ此書を読むに就て特に注意すべき事である。
〇然しペテロ前書に更に注目すべきことがある、この書はその冒頭に記されたる如く
  ポント、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビテニアに散りて処《とゞま》れる者
(191)に送られたる書簡である、之等の土地は小亜細亜の大部分であつて其広袤約そ日本大である、而も羅馬帝国の僻陬の地である、其処に散りて処れる者即ち日本大の広き僻陬地に散在したる信者に遣りし回章であつたのである、以て当時の基督者《クリスチヤン》の状態を窺ふことができる、パウロの伝道によりて成りしコリント、ピリピ、エペソ等の教会のやうに一団に固まりしものではなくして丁度今日の日本に於ける吾々の教友の如く孤独の信者が諸方に沢山散在して居たのである、之は大に注意すべきことである、かゝる人々が活ける石の如く建てられて霊の室となり亦潔き祭司となり即ち最高の意味に於ての教会となるといふのである、茲にペテロの教会観を窺ひ知るに足る、必ずしも相互に接近して一の組織立ちたる制度の下にあるを要せず、諸方に散在して而も共にイエスキリストを土台とし活ける石となり霊の室を造り以て神に悦ばるゝ霊の祭物を猷ぐることが能る、初代の教会の状態は実にかくの如きものであつたのである。
〇次に又興味ある言葉は二章十七節である、
  衆の人を敬ひ兄弟を愛し神を畏れ王を尊ぶべし
とある、是は四の誡より成る、即ち
  第一条 衆人を敬ふべし
  第二条 兄弟を愛すべし
  第三条 神を畏るべし
  第四条 王を尊ぶべし
これ多分ペテロが常に人に伝へたる教訓の大綱であつたのであらう、寔に簡単なる教であるがしかしよく初代の(192)基督教の精神を言ひ表はして居る。
 第一|衆《すべて》の人を敬ふべしといふが如きは今でこそ人みな人権の重んずべきを知るが故に敢て不思議ではないけれども当時に在て此言をなすは実に驚くべきことであつたのである、衆の人の中には羅馬帝国の大部分を占めたる奴隷がある、又奴隷に尋ぎて殆ど人格を認められなかつた婦人がある、羅馬人に向て奴隷を敬ふべしといふは意味を成さない、彼等に取て没交渉の言である、之れ既に革命的思想である、人はたとへ罪人と雖もすべて神の像《かたち》に象《かたど》りて作られたものであつて其の根底に於て神聖なるものであるとの思想はたゞに初代の信者のみならず今日我国に於ても之を解し得ざる人が少くないのである。
 第二に兄弟を愛すべしとある、兄弟とは勿論信仰を同じうするものゝ謂である、然し之をたゞ兄弟といひては足りない、brothers(adelphoi)に非ずして brotherhood(adelphotes)である、兄弟衆とか兄弟団とかいふ意味である、勿論兄弟姉妹ではあるけれども個々の人を指すのではない、この語と前の「活ける石」又は「霊の室」等の語と対照すれば茲にペテロの教会観が現はれるのである、死したる規則制度の類を全く離れて生命の働く処に自ら一種の霊的家庭が出現するそれが兄弟団である、故にペテロに向て教会とは何ぞやと問へば adelphotes であると答ふるのである、兄弟団である、故に其特性は愛でなくてはならない、之れ面白き側面観《サイドライト》である、馬太伝に「汝はペテロなり我が教会をこの磐の上に建つべし」(第十六章十八節)とあるを見ればペテロが教会の初であるが如くなるもペテロ前書中には教会といふ文字さへ見当らない、唯之に当るものは「活ける石」とか「霊の家」とか又は兄弟団とかいふ言葉あるのみである、之れ初代の教会の状態を知るに有益なる材料である。
 第三に神を畏るべし、之は別に説明を要しない、畏るとは怖るにあらず、愛し畏るゝのである、神を愛すると(193)同時に神に狎るゝことを誡むる言葉である。
 特に注意すべきは第四の王を尊ぷべしである、「王」とは imperator(皇帝)のことであるが猶太人の間には皇帝なる詞はなかつたから basileus(王)というて居るのである、羅馬皇帝のことを basileus というた、即ち今日の語にて皇帝を尊ぶべしといふのが正当の訳語である、この一語を以て見るも基督者が社会制度を重んじ所謂国憲を重んじたるは明かである。
 かくの如く初代の信者の信仰的生涯を簡約していへばこの「衆人を敬ひ、兄弟を愛し、神を畏れ、王を尊ぶべし」といふことに帰着するのであつて、神から見ては悦ばるゝ霊の祭物を献ぐる立場にあり世から見ては順良の民たるの態度を失はなかつた、初代の基督者の信仰に少しも軌道を外れた処はない、熱狂的《フアナテイツク》なる趣はない、静粛にして敬虔に充ち、狎々しく神に近づくことなく神の愛を知ると同時に旧約的の健全なる畏敬の念を失はなかつたのである。
〇ベテロ前書二章十八節以下には「僕なる者よ」云々といひて一種の勧言《すゝめ》が説いてある、僕とは家の召使の意であつて所謂下婢とか下男とかの類であるけれども羅馬帝国に於ては特別に奴隷を指して言うたのである、即ち人身の自由を全く失ひしものである、又三章一節より七節までには「妻なる者よ」といひて婦人に対する教がある、ペテロ等の考では婦人は必ず結婚して妻となるべきものであるから妻とは婦人といふと同じである、僕なる者よ妻なる者よといふ、以て当時の信者の性質を窺ふ事が出来る、其最大多数が奴隷であつて次が婦人である、社会に権力を有するものもあつたには相違ないが其は寧ろ少数であつた、福音が社会に入るの順序はこれである、最下層より入り込むのである、故に初代に放て基督教が羅馬の識者に卑められたるも強ち無理ではない、而してペ(194)テロはその最下層の奴隷に対し何と教へた乎、「畏懼を以て主人に服ふべし」といふのである、単に善良者《よきもの》柔和なる者にのみならず苛刻者《なさけなきもの》にも服ふべしといふのである、一も汝の権利を主張せよ、汝の自由を獲得せよとは言はない、
  人もし受くべからざる苦難《くるしみ》を受け神を敬ひて之を忍ばゞ嘉《ほ》むべき事なり、汝等もし過をなし撻たれて之を忍ぶとも何の嘉むべき事あらんや、されど若し善をなし苦められて此を忍ばゞ神に嘉称《ほまれ》を得べし、汝等の召されたるは之が為なり、そはキリスト汝等の為に苦を受け汝等をして己の跡に従はしめんとて式を汝等に遺し給へばなり、
即ち人が基督者になりしはキリストに傚はんが為である、汝等苛酷なる主人に虐待せられて之に耐へ忍ぶは汝等の信者たる特性を現はすのであるといふのである、キリストが驚くべき忍耐を以て模範を示し給ひしが故に汝等も忍ぶべしといふのである、けれどもかゝる忍耐が奴隷中に起りしといふは既に奴隷の自由が宣告せられしと異ならない、同時に又之等の同胞を奴隷として取扱ふ羅馬帝国の有権者が茲に大打撃を蒙つたのである、而して此事は基督教の性質が然らしめたのであつて決して信者自身の要求に成つたのではない、彼等は却て喜んで服従したのである、婦人の男子に対する態度も亦同様である、決して今日の所謂女権獲得運動者の主張するが如き男女同権を称へたのではない、「妻なる者よ汝等その夫に服ふべし」である、サラ、アブラハムに服ひて之を主と称へしが如くに服ふべしである、女は何処までも男に服従しなければならない、然し男も女も同じく「生命の恩《めぐみ》を嗣ぐ者」(二章七節)であると教へられて女子は茲に真の女権を獲得し又男が女を敬ふべき所以の根本が示されて女の縄目が解かれ女性の自由が始まつたのである。
(195)〇ペテロ前書が書かれたる時代に就ては或はパウロの書簡より後なりともいひ又前者は後者より遙かに古く多分紀元四十九年の頃即ちパウロの書簡の最古のものよりも尚六七年前なりともいひ色々議論が称へられる、しかし暫く年代問題を離れて此書に表はれたる信仰並に信者の状態より判断すればそのパウロの伝道以前の原始時代のものであることは確かである、蓋し此書は福音が初めて異邦に入りし其発芽の時代に於ける信者の状態を示す者であつて今日の日本や又は初めて福音を聞きし人等に取ては大に参考に供すべきである、ペテロの書きものとして残れるは此前書唯一しかない、ペテロ後書は早くより既に「疑はしき書簡」の一に数へられ之をペテロの作と見るは甚だ困難である、然し前書に就ては大抵の学者は之をペテロの書きし者として疑はない、ヨハネ、ヤコブと共に並び称せらるゝこの大なるペテロの語が一言今日に存りしといふは深く感謝すべきことであつて、斯人の働きより生じたる基督者の状態が今の教会とかくも異なるものなるを知り吾等は慰めらるゝ処少からぬを覚ゆるのである。
 
(196)     基督信者の行為
                      大正5年2月10日・3月10日
                      『聖書之研究』187・188号
                      署名 内村鑑三 述
 
 終に我之を言はん(三章八節)
ペテロは当時の教会の大部分を占めたる奴隷が如何にその主人に事ふべきか、又殆ど奴隷に次ぐものとして扱はれたる婦人が如何にその夫に仕ふべきか、同時に夫たる者が妻をいかに遇《あつか》ふべきかの道を述べ来りて、最後にいま信者全体の行に就ていはんとするのである、而して信者の行には二方面がある、信者相互に対するものは其一であつて、信者に対し常に敵対の態度に出づる不信者に対するものは其二である、八節は即ち前者に関し、九節以下が後者に関する教である。
  汝等みな心を同うし、互に体恤《おもひやり》、兄弟相愛し、相憐み、謙遜《へりくだり》(同章同節)
 これ信者相互に対すべき行である、語は短しと雖も意味は甚だ強いものがある、心を同うし以下内容は凡て五である。
 心を同うし 思想を同うしではない、信者はみな同一の信仰箇条を懐かざるべからずと云ふのではない、昔は誤りてかくの如く解したるが為め、神、来世又は霊魂等に就て信ずる形までも同一なるを要すと考へた、羅馬天主教会にては是に重きを置き宗教上決して異説を容さず、若し異説を称ふるものあれば即ち異端なりとして之を(197)責めたのである、然し心を同うするとは思想を同うすることではない、信者は其思想に於て其考へ方に於て相異なるは止むを得ない、その顔の異なるが如くに其説の違ふのは止むを得ない、たゞ然しながら心は之を同うせざるべからず、心とは神に対する心即ち信仰である、イエスキリストを信じ彼を主と仰ぐことである、殊にペテロの重きを置く望即ち「イエスキリストの顕れ給はん時に称賛《ほまれ》と尊貴《たうとき》と栄光《さかえ》とを得」べき復活の希望である、換言すれば此世に於ける信仰と行先の望とである、この二は之を同じくしなければならない、思想の自由は其後に来るのである、若し或人の望みが此世に繋がれて居るならば心に大なる相異があるのである、永い間の信者にして而も来世の希望を有せざる人がある、此世に於ける事業にのみ重きを置く人がある、それでは信者としての同情が出て来ない、又若しキリストを主と仰ぐの外釈迦も孔子も亦主であるといふ人があるならば我等は其人と深き意味に於ての兄弟の関係に入ることが出来ないのである。 互に体恤 今日の語でいへば同情である、信者相互に同情すべきことはいふ迄もない、然し同情にも種類がある、貧に対する同情がある、死に対する同情がある、普通同情といへばかゝる場合のみをいふのである、勿論信者はかゝる場合の同情に於ても世の人に劣るものではない、然しながらペテロの茲にいふ同情とは一層深きものを意味するのである、特別の信仰と望みとを共にするが為め特別の苦みが臨む、その苦みに対する特別の同情をいふのである、信者相互の間の同情はたゞ漫然と湧き来るものではない、同情を要求する前にその苦みが何の為に臨みしかを知らなければならない、信者が信者より同情を求むる理由はその特別の信仰と特別の望みとを共にするにある、この苦みの性質を知て特別の深き同情が湧き来らざるを得ないのである。
 兄弟相愛し 聖書には愛といふ言葉が二ッある、深き霊的の愛と情的の愛とである、而して茲に相愛しといふ(198)はその後者である、信者は信仰と希望とを共にするが故に相互に対し心の深き処に霊的の愛のあることは当然なりとして、度々怠り易きは此世の事に就て相愛することである、外側のことに就ては余り多くを要求すべからずといふは信者の往々にして陥る考へ違である、基督者はその同じ信仰と望みとの為に此世より多くの苦みを受くるのであるから此世の事なりと雖も互に同情し相助けなければならない、茲に「相愛し」といふは畢竟「相助くる」といふと同じ意味に帰着する。
 相憐み この訳語は少し軽きに過ぐるの嫌がある、寧ろ体恤の字を此処に当てた方が宜しい、之は心の深き処より来る思ひやりである、希伯来人の考にては人の優しき情は脾臓より来ると考へた、(相憐みの原語 Eusplanknoi は splankna 脾臓より出づ)即ち普通に心臓より来るものと思ふよりは一層深い考である、この脾臓より出でたる体恤を以て相互に同情せよといふ、その如何なる程度の同情であるかは言葉だけで説明することは出来ない、然し我等は実際に当つて知るのである、頭《ヘツド》を以てにあらず心《ハート》を以てにあらずもつと深き愛を以て愛してくれる者があるとき之が即ち脾臓より出でたる同情であることを感ずるのである、ペテロの此書を書きし頃羅馬帝国に行はれし主なる道徳は所謂ストア派の道徳であつて日本の武士道の如く強く堅く一貫したるものであつた、武士道には武士の情といふこともあるがストア派の道徳に於て脾臓より出づる同情といふが如きは余りに優しくして一種の弱味の如くに考へられ男子には望めぬ程のものであつた、にも拘らず独り基督者は終始之を高唱して居つたのである。
 謙遜《へりくだり》 他に適当の字なき故かゝる語を用ゐるも基督者のいふ謙遜が普通の謙遜と大にその性質を異にするはいふ迄もないことである、所謂遠慮をするとか人の前にて出しやばらぬとかいふが如きは謙遜ではない、その最も(199)良き説明は約翰伝十三章のキリストが最後の晩餐の時|手巾《てぬぐひ》を腰にして弟子の足を洗ひ給ひしことである、「我は汝等の師また主なるに尚汝等の足を濯ふ」は汝等の潔められて天国に入る印であるから「汝等も亦互に足を濯ふべし」と教へられた、之が信者相互の態度でなくてはならない、互の足を濯ふ事を義務のみならず名誉と思ふこと、即ち高きに止まらず低きに就くこと、換言すれば相互に僕となること、それが信者の謙遜である。かくの如く信者はみなその信仰と望を共にし、迫害に対する特別の同情を交し、此世の事に就ても相助け、深き思ひやりを為し、而して相互の僕となるべしと、之れ信者相互の態度に関するペテロの教である。 〔以上、2・10〕
 信者に対し悪意を以てする不信者に対して信者は如何なる態度に出づべき乎、之れ彼得前書三章九節以下の説く処である。
  悪を以て悪に報ゆる勿れ、※[言+后]《のゝしり》を以て※[言+后]に報ゆる勿れ、却て此の如き人の為に福を求むべし、そは汝等の召されたるも福を嗣がん為なればなり(九節)。
 「福」とはキリストの救に与るの福である、キリスト罪を除かんが為に来り給ひ我等も召されて此救に与る事を得たのであるから我等に悪意を以てする者の為にも亦均しくそのキリストに由て救はれむ事を祈るべしといふのである。  それ生命を愛して佳日を送らんと欲ふ者は舌を禁へて悪を言はず、唇を緘て詭譎《いつはり》を言ふ勿れ、悪を避けて善を行ひ和睦《やはらぎ》を求めて之を追ふべし、そは主の目は義しき人の上に止まり、其耳は義人の祈祷に傾き、主の面は悪を行ふ者に向て怒ればなり(十−十二節)。
 詩篇三十四篇の引用である、生命を愛して佳日を送らんと欲ふ者とは之をペテロの語として来世永生の事を言(200)ふものと解し得ないではないが然し何等註解を加ふる事なく詩篇の文句其儘に書き流したるを見ればやはり此世の一生を幸福に送らんと思ふ者の意味であらう、即ちペテロは茲に幸福の生涯の秘訣は何ぞやといふのである、今日も同じ問に対し幾多の答が提出せられる、曰く倹約曰く健康、曰く何々と、然しペテロの答は自ら別である、彼はいふ「悪を言ふ勿れ、和睦を求めよ、之其秘訣なり」と、而して此処に特別の真理があることは長く経験を積みし者の知る処である、人は絶えず平和を慕ひ求め、他人に対するに常に善意を以てして、単に来世を譲受くるの準備を為しつゝあるのみならず又現世を最も幸福に送りつゝあるのである。
  汝等若し善を行ふに熱心ならば誰か汝等を害はん乎(十三節)
 大体に於て其通である、然し又或場合にはさうでない、却て善を行ふに熱心なる時屡々最大の迫害が襲ひ来る、キリストの苦みがさうであつた、パウロ、ペテロの艱難《なやみ》亦皆さうであつた、故に其場合には如何すべき乎、即ち言ふ、
  然《され》ども縦ひ義しき事の為に苦めらるゝとも汝等福なる者なり、人の汝等をおどすその威嚇《おどし》を畏るゝ勿れ、亦憂ふる勿れ、汝等心の中に主なるキリストを崇むべし(十四、十五節)。
 「崇むべし」は「畏るべし」と同じである、不信者の中に在て種々なる迫害を受くる時、人の顔を見る勿れ、唯キリストの顔を見よ、畏るべきは彼のみであると。
 亦汝等の衷にある望の縁由《ゆえよし》を問ふ人には柔和と畏懼を以て答を為さん事を恒に備へよ(十五節)。
 「望」は信仰である、不信者より信仰の理由を問はれん乎、柔和と畏懼とを以て答ふるの準備をせよと、聖書研究の目的の一は茲にある、殊に不信者の我等に之を問ふや必ず一種の蔑を以てするが故に柔和を以て答ふる(201)の準備は特に必要である、又同時に不信者を説服するを得ずとも謬を以てせざらんとの畏がなくてはならぬ、而して我等の信仰の決して夢物語や迷信ではなくして深き真理である事を答へ得るが為には長き間の注意深き研究を要するのである。
  且答ふる時は善き良心に従ふべし(十六節)。
 「善き良心」とは不思義なる言である、之蓋しペテロ前書独特の語である(二十一節参照)、人は良心に従て為す事を凡て善い事と思ふ、然し世に頑固なる者にして誤りたる良心に従ふ人の如きはない、キリストに囚はるゝ前のパウロがそれであつた、かゝる人は自己の行為の悪しきを自覚することが出来ない、故に良心必ずしも正しからず、唯キリストに化せられたる善き良心、即ちキリストの良心に従て初めて誤まらざるを得るのである。
 是れ汝等を悪を行ふ者と誣ひ汝等がキリストに在て行ふ善き行を謗る者の自ら愧ん為なり、若し汝等が善を行ふに因て苦を受くる事神の意旨《みこゝろ》ならば悪を行ふに因て苦を受くるに愈れり、キリストも一度罪に因て苦を受く義者不義者の為にせり、是我等を引きて神に至らんとてなり、彼その肉体は殺され其霊は生かされたり(十六一八節)。
 悪意を以て我等に対する不信者に却て善意を以て報ゆるは恰も信ぜざる夫の其妻の行に由て従ふが如く、苛酷なる主人の其奴隷の忍耐に由て導かるゝが如く、不信者も亦我等の柔和なる態度に自ら塊ぢ其が動機となりて遂に神を崇むるに至らんが為である、キリスト敵の為に苦を受け肉体は殺されたるも霊に由て我等を救ひ給ひしやうに我等も亦霊に由て人を救に導くべきである。
 第十九節は難解の語句にして之が為幾多の論戦が行はれた、かの羅馬天主教会の所謂錬獄説は茲より出づるの(202)である、然しペテロの言はんとする処はさういふ事ではない、肉は殺さるゝも霊は生くるを以て霊を以て人を救に導くべしとの事を力説して居るのである。
 我を悪み苦むる人に対し只管柔和と畏懼とを以て接せん乎、仮令彼れ我を殺すに至るとも我が霊が遂に彼を救ふに至る、故に悪を以て悪に報ゆる勿れと、之ペテロの語にして実に深き教訓である、悪に報ゆるに悪を以てして一時の快を得られぬではないが然し其為に何人も救はれない、之れ肉を活かして霊を殺すのである、之に反して侮蔑と迫害とを受くるに従ひ益々深きキリストに由るの愛を以て忍ぶは之れ肉を殺して霊を活かすのである、基督者の用ゐる武器は之である、此事は信仰の事実といはんか天然の法則と言はんか実に著るしき教訓であつて基督教の教ふる特別の真理である。
 之を要するに何処までも愛である、信者に対するも愛、不信者に対するも亦愛である、愛を以て終始せよ、之れ基督信者の行為なりと、ペテロの教ふる処は畢竟茲に尽るのである。 〔以上、3・10〕
 
(203)     CERTAINTY OF FAITH.信仰の確実
                         大正5年3月10日
                         『聖書之研究』188号
                         署名なし
 
     CERTAINTY OF FAITH.
 
 These Western Christians,trying to prove faith to themselves and others,are not wise.Faith in its very nature is unprovable. Proven faith is not faith,but sight.“Faith is the assurance of things hoped for,the conviction of things not seen.”Because it believes in things not seen(not proved),therefore it is faith.Much of so-called evidences of Christianity are no evidences at all.Faith is its own proof,and is self-evidencinlg.It believes because it believes,or“has witness borne to it.”To prove faith is as difficult as to prove mathematical axioms. Nothing is so certain as faith;and to those who have it not,all the arguments in the world cannot give it. Therefore it was said:Blessed are they that have not seem,and yet have believed.――John xx.29.
 
     信仰の確実
 
 西洋の基督信者は自己と他人とに対して信仰を証明せんと欲して愚かなる事を為しつゝあるのである、信仰は(204)元来証明し得べからざる者である、証明されたる信仰は信仰に非ずして実視である、信仰は望む所を疑はず未だ見ざる所を憑拠《まこと》とすること也と云ふ、未だ見ざる者(証明されざる者)を信ずるが故に信仰であるのである、所謂基督教証拠論なる者は何の証拠にもならないのである、信仰は其れ自身の証明であつて自証者である、信仰を証明せんとするは数学上の自明理を証明せんとするが如くに難くある、世に信仰ほど確実なる者はない、而して信仰を有たざる者は有りと凡ゆる議論を以て之を証明せらるゝも之を信ずること能はずである、故にキリストは言ひ給ふたのである、見ずして信ずる者は福なりと(約翰伝二十章二十九節)。
 
(205)     〔終に彼を棄てる 他〕
                         大正5年3月10日
                         『聖書之研究』188号
                         署名なし
 
    終に彼を棄てる
 
〇国のためにキリストを信じたる者は終に彼を棄てる。
〇社会人類のためにキリストを信じたる者は終に彼を棄てる。
〇教勢拡張を思立ちてキリストを信じたる者は終に彼を棄てる。
〇キリストの人格に憧憬れて彼を信じたる者は終に彼を棄てる。
〇美《よ》き思想を得んとてキリストを信じたる者は終に彼を棄てる。
〇患難苦痛を慰められんためにキリストを信じたる者は終に彼を棄てる。
〇然れども己が罪を示され、其苦痛に耐へずして、「嗚呼我れ困苦《なやめ》る人なる哉」の声を発し、キリストの十字架に於て神の前に義とせらるゝの唯一の途を発見し、其歓喜に耐へずして彼を信じたる者は、斯かる者は縦し宇宙は消失するとも永遠より永遠にまで彼を棄てない。
 
(206)    幸乎不幸乎
 
 余の生涯は幸であつた乎不幸であつた乎余は知らない、唯知る余は此生涯に於て余の霊魂の教主なる主イエスキリストを知るを得しことを、而して此事を知るを得て余の生涯の目的は達せられたのである、而して人生の此目的が達せられて幸乎不幸乎は問題にならないのである、君恩身に余り、位人身を極むと雖も此目的が達せられずして人は生れて生れざると同然である、之に反して貧辱の間に一生を終るも此目的が達せられて、生れし甲斐があつたのである、人生の問題は幸乎不幸乎ではない、成功乎失敗乎ではない、キリストを識るを得し乎否やである 彼を識るを得、彼と偕に苦しむを得、而して兎にも角にも死たる者の更生《よみがへ》ることを得て、不幸も苦痛も皆な悉く償はれて余りあるのである 「彼と其更生の能力を知る」ための苦難と敗衂《はいぢく》であつたことを知りて、最も不幸なりし一生も一篇の讃美歌と化するのである。
 
    最も善き事=信仰
 
 最も善き事は何事も為さずして唯主イエスに信頻る事である、其次に善き事は彼の聖意に適ふ或る善事を為すことである、最も善き事は信仰であつて、其次に善き事は事業である、労働と信頼との二人の姉妹の中で、信頼のマリヤは労働のマルタに優りてより善き業を撰びたりとの事である(路加伝十章四二節)、神は祭物《そなへもの》を嘉し給はず、燔祭をも悦び給はず、神の要求め給ふ祭物は砕けたる悔ゆる霊魂なりとは此事である(詩篇五十一篇十六、十七節)、而して此事を知らないで事業事業と叫び、事業を為す事が信仰である乎の如くに思ふは大なる間違であ(207)る、信者に取りては事業は大なる快楽である、善き遊戯である、善き時間の消費法である、乍然、生命ではない、最も善きものではない、信仰の奥義ではない、「凡て主の名を※[龠+頁]求《よびもと》むる者は救はるべし」とある、茲に人のすべて思ふ所に過る信者の平康があるのである。
 
    信仰の恩恵
 
 我が祈求むる物を予へらるゝ事、是れ慥に恩恵である、乍然恩恵は之に止まらない、我が祈求むる者を約束せられて而して其約束を信じ得るの心を予へらるゝこと、是れ亦慥に恩恵である 然りより高きより大なる恩恵である、而して愛なる神は多くの場合に於て我等をして予へらるゝの恩恵に与らしめ給はずして、彼の約束を信じ得るの恩恵に与らしめ給ふ、即ち善物を予へ給はずして強き信仰を予へ給ふ、実に神も亦人の如く我等の請求に応じて現金を以て支払ひ給はずして、多くの場合に於ては証文又は約束手形を以てし給ふ、而して信仰は神の振出し給ふ約束手形を疑はずして受くることである、然るに嗚呼、信なき此世は人の手形は疑はずして之を受けて、神の手形は之を受けんと為ないのである、即ち休徴と異能《ふしぎなるわざ》とを求めて、約束を信ぜんとしないのである、主よ我が信なきを憐み給へ。
 
    信仰の実質 希伯来書第十一章を読みて
 
 信ずるのである、然り、信ずるのである、神を信ずるのである、彼の愛を信ずるのである、彼の救拯を信ずるのである、復活を信ずるのである、永生を信ずるのである、窮《かぎ》りなく存《たも》つ所の天国を信ずるのである、信ずるの(208)である、然り、信ずるのである、信ずるに足る充分の証拠があるが故に信ずるのではない、充分の証拠があつて信ずるのは信仰ではない、所見である(哥林多後書五章七節)、「それ信仰は望む所を疑はず(確認し)未だ見ざる所を憑拠《まこと》とするもの也(確信すること也)」とある(希伯来書十一章一節)、また「見ゆる所の望は望に非ずそは既に見る所のものは如何で尚ほ之を望まんや」とある(羅馬書八章廿四節)、見えざるものを望むのが希望である、信じ難きことを信ずるのが信仰である、希望に反して望み信仰に反して信ず、是れが希望である、また信仰である、故にヨブは言ふたのである「縦令彼れ我を殺すとも我は彼に信頼《よりたの》まん」と(約百記十三章十五節)、神我を殺し給ふとも我は彼の愛なるを信ぜんと、是れが真の信仰である、恩恵を実験せしが故に信ずるに非ず神なるが故に彼の善と愛とを信ずるのである、子が親を信ずるの信を以て、妻が夫を信ずるの信を以て、友が友を信ずるの信を以て、神を信じ、彼の言葉を信じ、彼の約束を信じ、永遠に変らざる彼の善意を信ずるのである、所謂「基督教証拠論」を聞かさるゝまでもない、宇宙に顕はれたりと云ふ神の愛を示さるゝまでもない、唯単に彼を信じ彼に信頼み以てすべての事を行ふのである、実に信仰は感覚のことではない、道理のことではない、霊能のことである、信ずるが故に信ずるのである、信ぜざるを得ざるが故に信ずるのである、而して世に勝つの力は此信仰である、学術よりも哲理よりも確実なるは此信仰である、是は神の声である、宇宙の告知である、我が霊魂の本能性である、故に世は廃るとも有る者である、智者の智慧が悉く虚偽となりて現はるゝ時に最後の真理として実現する者である。
 信ずるのである、然り、信ずるのである。
 
(209)    忘恩的基督教
 
 恩恵に慣れ易き者にして基督信者の如きはない、彼等は恩恵を施されて神と恩人とに感謝せずして猶ほ其上に更らに多くを要求する、而已ならず多くの場合に於ては事は茲に止まらずして、彼等は恩恵の尠きを怒り、神を棄て恩人を逆き去る。
 基督信者は僕として悪しくある、婢として悪しくある、書生として悪しくある、忠勤を要する凡の雇人として悪しくある、彼等は神の愛を自己に受くる愛に解して他者に与ふる愛に釈かない、斯くて彼等は事業《しごと》の安易からんことを要求し、労働時間の短からんことを要求し、又上下の差別の無からんことを要求する。
 祈求ふ此言を述ぶる余輩自身が余輩の上下に対して此厭ふべき忘恩の罪に陥ざらんことを。
 
(210)     神の約束としての基督教
                         大正5年3月10日
                         『聖書之研究』188号
                         署名 内村鑑三
 
〇基督教は約束である、実現でない、未来に於て現はるべき神の恩恵の約束である、現在に於て与へらるべき恩恵の提供でない、而して約束であるが故に信じて俟望むべき者である、今此所に獲得して楽まんと欲すべき者でない。
〇聖書は約束の書である、故に旧約と云ひ、又新約と云ふ、旧約はキリスト降臨の約束であつた、而して新約はキリスト再臨の約束である、旧約はナザレのイエスの出生と生涯と死と復活とに由て充たされた、而して新約はキリストの再臨と新ヱルサレムの実現と万物の復興とに由て充たさるべくある、旧約は新約を助けるのである、神は旧約を以て選民の信仰を養成し、其発達せる信仰を以て新約を信受するを得しめ給ふたのである。
〇アブラハムを称して「我等|衆人《すべてのもの》の父」と云ふ、「すべての信者の父」と云ふ義である、彼は最初の信者であつて又信者の模範であつた、彼は国を約束せられしも地を得ずして死んだ、空の星の如き子孫を約束せられしも唯一子のイサクを与へられしに過ぎなかつた、彼の一生は信仰の一生であつた、彼の享くべき国は神の約束に於て存した、彼の子孫も亦神の約束に於て在つた アブラハムに在りては神の約束を離れては彼が齢百歳まで俟て与へられし唯一子のイサクと、彼の妻サラを葬りしマクペラの墓地があつたのみである、而かも彼は「不信をもて(211)神の約束を疑ふことなく、反て其信仰を篤くして神を崇め、神は其約束し給ふ所の事を必ず成し得べしと心に決む」とある(羅馬書四章廿、廿一節)、実に神の約束を離れてはアブラハムに土地も嗣子《よつぎ》もなかつたのである、乍然、彼は貧者ではなかつたのである、彼は「神の如き君主《きみ》」であつた(創世記廿三章六節)、又其名の通り「衆多《おほく》の人の父」であつた(同十七章五節)、乍然、事実に於て爾うであつたのではない、信仰に於て爾うであつたのである、彼は是等の物を約束せられしに止まり、未だ与へられしに非ずと雖も、然れども神の約束を信じ、既に事実として与へられし者と信じて神に感謝した、アブラハムの偉大なるは茲に在つたのである、彼はすべての物を神に在りて信仰に由りて有つたのである、彼の世界は信仰であつた、彼はパウロと等しく何も有たざるに似たれども信仰に由りて凡の物を有つたのである(哥林多後書六章十節)、彼は信仰に由りて既に約束の地なるカナンを有つたのである 彼は信仰に由りて未だイサクの生れざりし時に既に天の星の多きと海辺の砂の数へ難きが如き子孫を有つたのである、「アブラハム神を信ず、神之を義とし給へり」とある(創世記十五章六節)、商売の用語《ことば》を以てすれば、神はアブラハムに現金を与へ給はずして、之に代へて約束手形を渡し給ひしかども、彼は信じて之を受け、敢て現金の支払を要求し奉らなかつたのである、彼は神より約束を受けて其履行を見ずして死んだ、然かも終りまで神を信じ、其約束の必ず実行せらるべきを信じて疑はなかつた、実に彼は「約束の物を受けざりしと雖も慥に之を望みて喜」んだ(希伯来書十一章十三節)、斯くてアブラハムの一生は信仰の一生であつた、待望の一生であつた。
〇我等の信仰の父なるアブラハムの生涯は斯くあつた、我等彼の信仰の子供の生涯も亦斯くあらねばならないのである、我等も亦アブラハムと同じく地に在りては「賓旅《たびゞと》」また「寄寓者《やどれるもの》」であるのである、我等も亦此世に在(212)りて恒に存つべき城邑《みやこ》を有たず、惟来らんとする城邑を求むるのである(希伯来書十三章十四節)、我等は基督者として此の地に主たらんとは欲はないのである、我等は此所に在りては「世の汚穢《あくた》また万の物の塵垢《あか》の如く」に取扱はるゝのである、「此世の主」は信者ではなくして悪魔である、此世に在りては悪魔と其|族《やから》とは栄え、キリストは十字架に釘けられ、彼の僕は嬉笑《あざけり》を受け、鞭打れ、絏縲《ながめ》と囹圄《ひとや》の苦しみを受け、窮乏《ともしく》して困苦《なやみくる》しむのである、信者は神の真の子供であるが故に、神の造り給ひし此地は其儘信者の所有たるべしと信ずるに過《まさ》る誤謬はないのである、イエスは明白に繰返して言ひ給ふた「我国は此世の国に非ず……我国は此世の国に非る也」と(約翰伝十八章卅六節)、パウロも亦明白に宣言して曰ふた「我等の国は天に在り」と(腓立比書三章二十節)、而して基督教の此の明白なる宣言を信受《うけ》ずして基督教会が此世に勢力を植えんとし、此世に成功し、此世の多数の賛成を得るを以て其目的とし存在の理由となす時に、其墜落は免かれないのである、而して今日の基督教会の多くは此悲むべき状態に於て在るのである、彼等は此世以外に天国を求めないのである、人と物、彼等の宇宙は之で尽きて居るのである、彼等は未来の天国に窮りなき栄光を継承がんがために基督教を信ずるのではなくして、此世に在りて幸福を享楽《うけ》んがために之に帰依するのである、実に基督教の精神を全然誤認したる者にして現代人の基督教の如きはないと思ふ。
〇然れども信者は此世に目を迷《く》れないのである 彼は常に上天を仰ぐのである、遠方を望むのである、彼に取りては此世は実は如何でも宜いのである、彼は「己がために天に於て愈美《まさ》りたる常に存つべき嗣業《もちもの》あるを知」るが故に他《ひと》に己が権利を蹂躙せらるゝも差したる不幸とは意はないのである(希伯来書十章三十四節)、彼の権利も幸福も財産も皆な、此世以外他所に在るのである、而して父祖アブラハムが終生約束の地の与へられんことを俟望(213)みしが如くに、彼の信仰の子孫なる我等も亦終生約束の天の現はれんことを俟望むのである、我等の世界も亦アプラハムのそれと等しく信仰の世界である、我等は信仰に由りて万物を有つのである、之を現今実際的に有つのではない、神の約束として信仰的に有つのである、「夫れ我等が受くる片時《しばらく》の軽き苦《くるしみ》は極めて大なる窮りなき重き栄を我等に得しむる也」とある、「苦しみ」は此世の事である 故に暫時的である、比較的に軽くある、然れども「栄え」は約束の聖国の事である、故に重くある、無窮である、絶大である、而して信者は信仰に由りて此世に在りては苦しみながら、此重き無窮なる絶大の栄光を己が身に担ふのである 又「我等が顧る(翹望する)所は見ゆる所の者に非ず見えざる所の者なり」とある、我等が項を伸ばして俟望む所の者は目に見ゆる所の此世の物ではない、新社会ではない、新政府ではない 億兆が鼓腹撃壌して帝徳を唱ふると云ふ尭舜の世の復活ではない、肉眼を以てしては見ることの出来ないキリストの国の出現である、我等は之を俟望みつゝ我等の忍耐の生涯を送るのである。
〇然り、すべてが約束である、すべてが信仰である、信者に取りては約束と信仰とに由らずして書物とては一箇《ひとつ》もないのである、「万物は汝等の属なり」とあり、「聖徒(信者)は世を鞫かんとす」とあり、「汝等の父は喜びて国を汝等に予へ給はん」とあるが、是れ皆な未来に属する約束の事であつて、現世に属する実現の事ではない 信者はアブラハムが約束の地を俟望みし其信頼を以て神が是等の物を彼等に予へ給ふ其時を俟望むべきである、然り、信者は今は無一物である、然れども神は彼に国を約束し給ふたのである、彼に今枕する所はない、然れども「窮りなく存つ所の城邑」は信仰に由りて彼の属であるのである、彼は今は無位無官である、然れども世を鞫く所の権能は彼に約束せられたのである 而して「今片時ありて来るべき者来らん、必ず遅からじ」とある、聖城《きよきまち》(214)なる新らしきヱルサレムが備整ひて神の所を出て天より降るを見るは今片時の後のことのである、神は必ず、然り必ず其約束を実行し給ふのである、「愛する者よ我等は今(既に)神の子たり、後いかん未だ露はれず、(然れども)其現はれん時には(キリスト再臨し給ひて新らしきヱルサレムの天より降らん時には)我等必ず神に肖んことを知る、蓋我等その真状《まことのさま》を見るべければ也」と(約翰第一書三章二節)、大なる哉此希望、大なる哉此約束、而して之に対して我等に大なる信仰なかるべからずである。
 
(215)     強くなるの途
         以弗所書六章十節の研究
                         大正5年3月10日
                         『聖書之研究』188号
                         署名 内村鑑三
 
  兄弟よ主および其大なる能に頼りて剛健《つよく》なるべし(普通訳)。  兄弟よ主に在りて強かれ、其能の 勢に頼りて強かれ(自訳)。
〇米国の文豪、コンコルドの哲人エマソンは其国人に告げて曰ふた「諸君よ強かれ」と、而して米国人は此声に応じて立つた、彼等は自己の能力を覚り、軟弱を歎《かこ》つの愚を排して、奮然として起て大に為す所があつた。
〇然し乍ら精力に充満せる米国人と雖もやはり「鼻より気息の出入する人」であつた、彼等は哲人に「強かれ」と言はれて強くはなつたが、然し強くなるにも限度があつた、縦令ルーズヴェルトの如き大勢力家と雖も其勢力は無限ではない、「汝等強かれ」と言はれて見た所で己に省みて自己の能力の無きを知つた時には如何したらば宜からう、茲に至て哲人エマソンの勧告の甚だ勇ましく聞えて実は効力の極めて尠きを知るのである。
〇然し乍らタルソのパウロの勧告はエマソンのそれとは少しく異うのである、然り大に違うのである、パウロも亦彼の教友に告げて曰ふた「兄弟よ強かれ」と、然し乍ら単に「強かれ」と言はなかつた、「主に在りて強かれ」と言ふた、而して「主に在りて」と云ふ短句の中に天地の相違が含まれて有るのである、単に「強かれ」と言ひ(216)て軟弱に耽りつゝある懦夫を励ますのではない、「主に在りて強かれ」と言ひて大能者より無限に尽きざる能力の供給を仰ぐべく勧むるのである 実にエマソンは哲人であつてパウロは基督者《クリスチヤン》であつた、エマソンは勇ましく聞えて実は弱くあつた、パウロは弱く見えて実は剛毅くあつた、エマソンは彼の国人をして自己に頼らしめた、パウロは彼の教友をして主キリストに頼らしめた、哲人と使徒との間に天地の差があつた。
〇「兄弟よ強くあれ、主に在りて強くあれ、己が手に聖父の万物を賜ひしことを認識し給ひし主キリストに在りて強くあれ」と、是れパウロの勧言《すゝめ》である、実に基督者の能力の泉は彼れキリストに於て在るのである、基督者は奮起勉励、自己に鞭撻を加へて強からんと欲する者ではない、「神の充足れる徳は悉く形体《かたち》をなしてキリストに住めり」とある其キリストに在りて強くならんと欲するのである(哥羅西書二章九節) パウロは此事を称して「禅の栄の権威に循ひて賜ふ諸の能力を得て強くなり」と言ふて居る(同一章十一節)、神の賜ふ能力である、自己の打出す能力ではない、信仰を以て神より祈求むる能力である、基督者は強くはあるが、此世の勇士や智者が強くあるやうに強き者ではない。
〇「兄弟よ主に在りて強くあれ」と云ふ、然しパウロの意味は此訳文にてはまだ足りないのである、「強くあれ」ではない、「強くせられよ」である(希臘語の endunamousthe である、希伯来書十一章三十四節に「荏弱よりして剛強せられ」とある其詞である)、信仰に由て自動的に強くなれとの意味ではない、主キリストに在りて(或ひは由りて)強くせられよとの意味である、信仰は何処までも受動的である、主に強くして戴くのである、自から励みて強くなるのではない、「ヱホバを待望め、彼れ汝を救はん」とある其事である(箴言二十章廿二節)、「主に在りて」、即ち自己を主の中に置きて、全く彼に委し奉りて彼の強くする所となれよとの意味である、信仰の秘訣は(217)茲に在るのである、自から強くなりて主の為に尽さんとするのではない、弱きまゝの自己を彼に委ねまつりて彼に荏弱よりして剛強して戴くのである、而して信者は茲に世の知らざる強健に達するの途を知るのである、彼は信頼に由りて預言者の言の偽らざるを知るのである、
  青年は倦疲れ壮士も亦衰ふ、然れどヱホバを俟望む者は新たなる力を得ん、彼等は鷲の如く翼を張りて昇らん、走れども疲れず歩めども倦まざるべし
と(以賽亜書四十章卅一節)。
〇「其能力の勢力に頼りて強かれ」、此半節の中にちからと云ふ詞が二つある、能力(ischus)と云ひ勢力(kratos)と云ふ、能力は蓄積されたる力であつて力学上の伏能力《ポテンシヤルエネルギー》である、勢力は将さに使用されんとする力であつて力学上の動勢力《ダイナミツクエネルギー》である、主キリストの能力と云ふは「万物を己に服はせ得る能」とある其力である、(腓立此書三章廿一節)、彼の勢力と云ふは「イエス自から力の己より出たるを知り」とある其力である(馬可伝五章三十節)、「万物彼に由りて造られたり」とあり又「万物彼に由りて保つことを得る也」とある(哥羅西書一章十六節十七節)キリストに存する無限の力、是れが彼の能力である、「我は我に力を与ふるキリストに因りて諸の事を為し得る也」とパウロが言ひし其力、是れが主の勢力である、此能力ある主より此勢力を賜ふのである、故にパウロは言ふたのである「其(主キリストの)能力の(能力より出づる)勢力に頼りて強かれ(強くせられよ)」と、信者の力の所在と之を得る途とは茲に在るのである。
〇斯くて信者は強くなる途を知り又強くなり得る理由を知るのである、彼は「強くなれ」と言はれて単に空元気を出すのではない、彼は自分を鼓舞して勇気を出すのではない、彼は能力ある者に頼り彼より勢力を賜はりて強(218)くなるのである、彼は自分の弱きを知る、而して亦荏弱より剛強くせらるゝの途を知る、信頼である、彼が強く成るの秘訣は茲に在る、ルーテルの愛句たる以賽亜書三十章十五節、即ち
  汝等立かへりて静かにせば救を得、平穏にして依頼まば力を得べし
との言辞は能く此秘訣を教ふる者である。
〇所謂現代人は常に絶叫して言ふ「勢力《パワー》勢力」と 而して彼等は勢力を金力に求め、智力に求め、また権力に求む、然れども是れ皆な此世の勢力である、地より出づる勢力であつて永く存たざる薄き勢力である、信者は斯かる勢力に由て事を為さんとしない、信者は勢力を得んと欲して大臣の邸に伺候しない、富豪の門を叩かない、信者は勢力を得んと欲して聖山《やま》を仰ぐ、彼の援力《たすけ》は主より来る、天地を造り給ひし主キリストより来る(詩篇第第百廿一篇一節)、而して此勢力は金力ではない、又世の所謂勢力ではない、此世の権者の知らざる勢力である、「是は権勢に由らず威力に由らず我霊に由るなり」と言はれし其霊力である(撒加利亜書四章六節)、「我はヱホバの聖霊に由りて能力身に満ち、公義及び勇気衷に満つれば国に其愆を示し民に其罪を示すを得」とある其力である(米迦書三章八節)、而して信者の信仰に応じて上より臨む力は先づ第一に霊力である、第二に智力である、第三に体力である、上天より臨む同一の力であるが凡ての方面に於て働らく力である、罪を服へる力である、世と自己に克つ力である、患難に勝つ力である、殊にすべての逆境の中に在りてキリストと其愛を信ずる力である、又「万事を究知《たづねし》りまた神の深き事を究知る」の力である(哥林多前書二章十節)、「第一に潔く、次ぎに平和、寛容、柔順、且つ衿恤と善果《よきみ》に満ち、人を偏視《かたよりみ》ず、亦偽なき者」とある智慧を与ふる力である(雅各書三章十七節)、而して又時には悪鬼を逐出し、疾病《やまひ》を癒し、山をも移す力である、実に奇跡と云へば奇跡である、然れども(219)信仰の実験として当然の事であつて敢て怪しむに足りないのである。
〇而して斯かる力が現今此所で与へらるゝのである、「道は汝に近く汝の口に在り汝の心に在り」とあるが如く、信仰に由り霊力智力体力の分与せらるゝ途は我が口我が心に在るのである 信じて祈れば其れで与へらるゝのである、「神は我等の避所、また力なり、患難《なやめ》る時の最《いと》近き援助なり」である(詩篇第四十六篇一節)、大臣の邸に走るに及ばず、富豪の門を叩くに及ばない、現今此所に仰瞻れば其れで此奇しき力が我が身と霊とに加へらるゝのである、此力を与ふるのが宗教である、此力を授かるのが信仰である、今の所謂る宗教、即ち運動と称へられて社会的活動に由て維持せらるゝ基督教に余輩は宗教の名を附することは出来ないのである。
  兄弟よ、主キリストに由りて強くせられよ、其の能力より出づる勢力によりて強くせられよ。
 
(220)     イエスの謙遜
         腓立比書二章五−十一節  (二月六日柏木聖書講堂に於ける講演大意)
                         大正5年3月10日
                         『聖書之研究』188号
                         署名 内村鑑三 述
 
  汝等キリストイエスの意を以て意とすべし、彼は神の体にて居りしかども自ら其神と匹く在る処の事を棄て難きことゝ意はず、反て己を虚うし僕の貌を取りて人の如くなれり、既に人の如き形状にて現はれ己を卑くし死に至るまで順ひ十字架の死をさへ受くるに至れり。
 此処に基智者《クリスチヤン》の謙遜の典型が示されて居る。パウロは之を主題として語るに非ず、信者の相互に体恤《おもひやり》と同情とを深くし各自己の事を顧みずして人の事を顧みんことを勧むるに当りその実例としてイエスの謙遜を引用したのである、故に語は極めて簡単である、然し意味は深遠無量である、日常平凡の事を説明するにも深き思想を以てするはパウロの常であるが茲にも亦謙遜を教へんとして其効用を説かず直に其模範を示し而も之をアブラハム又はイザヤ又は自己に倣へといはずして主イエスキリストに学べといふ、我等の模範は常に彼で有るべきである。人は人を模範として堕落せざるを得ない、唯彼を模範としてのみ未だ遠く遠く及ばざることを知るのである。
 「神の体」とは神の実体実質である、イエスは唯神の形状《ありさま》にて在り給ふたのではない、神と同体にて在《ましま》したのである、「居りしかども」とは前以て存在し給ひしとの意である、本来人間ではなく神と同体にて存在し給ひしが(221)我等に真の福を与へんが為その権能を己の特有物と思はず容易《やす》く之を棄てゝ僕の実質を取り人問となつて生れ給うたのである、「貌」とは「体」と同じく亦実質の意である。「人の如き形状にて現はれ」とは人としての境遇に支配せらるゝことである、例へば百万の長者一朝にして無一物となり九尺二間の長屋住ひの身となつたとすれば非常なる苦痛であることはいふ迄もない、イエスは人たるの苦しき境遇に入りて猶己を卑くし神に順ひ給うた、原語の語勢を以てすれば「順ひ、死に至るまで順ひ、十字架の死に至るまで順ひ給へり」である。即ち益々下に降り給うたのである、十字架の死といへば啻に苦痛であるばかりではない、又耻辱の極である、苟も羅馬の市民権を有したる者は磔穀だけは免るゝことができた、故にパウロの如きもこの耻辱の死は味はなかつたのである。実に何の権力も地位もなき最下層の者の受くる耻辱である、イエスは降りに降りて遂に其処まで至り給うた、其処より下にはもはや往きやうがないのである。
 神の実体にて在しゝ者が人の如くなり僕となりて我等の足を洗ひ死に至るまで神に順ひ遂に十字架の死に至るまで順ひ給うたと、実に驚くべき謙遜ではない乎、何人が何処まで謙遜したればとて到底之には及ばない、釈迦が王位を棄てゝ山に入り遂に人の救はるべき道を開いたといふは仏教の教ふる大なる謙遜である、然し史家の研究によればその棄てたる王位は一小国の酋長の如き地位に過ぎなかつたといふ、即ち我日本国の皇位継承の権を棄てゝ平民となつた程の事ではないのである、イエスの棄て給ひしは神たるの地位である、而してその降り給ひしは十字架の死までゞある、均しく降るといふ、函嶺《はこね》よりするも降るである、富嶽《ふじ》よりするも降るである、然しながら天の高きより地の最低まで降りて最早や之に此ぶべきものは一もない、この謙遜を憶うて信者は謙遜し過ぎるといふ事は有り得ない、実に謙遜の極に至るも猶足らないのである。
(222)  是故に神は甚しく彼を崇めて諸の名に超《まさ》る名を之に与へ給へり、こは天に在るもの地に在るもの及び地の下に在る者をして悉くイエスの名に膝を屈めしめ且諸の舌をして悉くイエスキリストは主なりと称揚《いひあらは》して父なる神に栄《ほまれ》を帰せしめん為なり。
 「是故に」といひて一語能く光景を一変せしむる、聖書の語の美はしさは此処らに在る、イエスはかく迄|卑《くだ》り給ひしが故に是故に神は又甚しく彼を高め給うた、即ち諸の名にまさる最上の権能を与へ以て宇宙万物をして悉く彼の前に膝を屈せしめ万人の舌をして悉く彼を主なりと称揚せしめ給ふたのであると、「凡そ自ら卑《へりくだ》だる者は高くせらるべし」とのイエスの語は其儘に実現されたのである(路加伝十四章十一節)、之をアダムの堕落と比較して見て茲に深き真理を認めざるを得ない、創世記第三章の記事は一の物語に過ぎずと雖も亦是れ深刻なる人類の実験である、エバ蛇に誘はれ其夫アダムと共に神の如くならんと欲してヱホバより禁ぜられたる樹の実を食ひそれが為に却て堕落した、即ち自ら上らんとしたるが故に却て下つたのである、アダムは己れ人たるに神たらんと欲して堕落したのである、之に反してキリストは御自身は本来神にて在《いま》せしに神たることを棄て難きことゝ思はず自から択らんで人と成り給ひしが故に更らに高く上げられ給ふたのである、第一のアダムと第二のアダムとの比較は簡単にして深遠なる教訓を垂るゝものである、其中に堕落と向上との原理が籠つて居る、基督者は何故に向上するを得る乎、彼はキリストに倣ひ自ら卑きに就くが故である、不信者は何故に堕落するか、自ら高きに処らんと欲するが故である、寔に自ら高ぶる者は卑《くだ》され自ら卑《へりくだ》る者は高くせらるべしである。
 若し茲に学者ありて我はイエスの神性を認めずといはん乎、事はそれ迄であるが、然しながら謙遜を教ふるに斯程のものは基督教を措いて何処にもないのである、故にカーライルは嘗て基督教とは何ぞやとの問に答へて謙(223)遜を教ふるものなりと言うた、之れ天才彼をして言はしめたる真理である、キリストを信じて其の恩恵に与りし者は彼の心を以て心とせねばならぬ、彼の謙遜に学ばねばならぬ、我等は幸にして周圍の人に比し少しく謙遜の心を有つて居る、然し之をイエスの謙遜に比ぶるときは其間にまだどれ程大なる逕庭があるかを知るのである、彼の実例に倣ひて我等は人より何と思はれ、どんな待遇を受くるとも意に介することはできない、彼の謙遜を目前に置いて世間の手前や社会の標準はもはや我等を悩ますに足りない、人に卑く見らるるを辛しとするは虚栄である、この高ぶりの為に却て低くせらるゝのである、之に反し自ら低く往けば往くほど神に高くせらるゝのであつて而も其機会は日毎に我等を俟ちつゝあるのである、「汝より無学の者あり」とカーライルは言うたが実に人は自ら最低の者なりと思ふべきでない、之即ちもう一つ其下に降ることを得んが為である、而して何処まで降つても猶主イエスキリストには及ばないのであつて見れば我等はどんな卑しき地位に置かれても喜び且感謝して人の為に尽すことができるのである、然り基督者の謙遜は義務ではない、聖霊が心に宿るとき彼は僕の地位に立たざるを得なくなるのである、イエスを主と仰ぐとき其謙遜が自然に彼の性格となるのである、パウロの語は短しと雖も其意味は尽くる時を知らない、願はくは諸君も亦世を逝る迄此心を心として慰藉と同情とに充ち溢れんことを。
 
(224)     初代信者の交際
         彼得前書五章十二−十四節  (二月十三日柏木聖書講堂に於ける講演大意)
                         大正5年3月10日
                         『聖書之研究』188号
                         署名 内村鑑三述
 
  我れ思ふにシルワノは忠信なる兄弟なり。
 「忠信」は「忠実」である、「兄弟」は「汝等の兄弟」である。
  我れ片《すこし》の言の書《ふみ》を彼に託ね汝等に贈りて勧めをなし。 当時は勿論郵便なるものはなかつた、故に手紙を贈るに最も良き方法は之を友に託することであつた、今日こそ各種の通信機関発達して文通甚だ軽便となつた為友人の為に費す時間は尠く其考も亦自然に軽くなつて来たけれども、一本の手紙を贈るも容易ならずして偶々友の旅立つを機《しほ》に之を託ぬるの外なかつたその時代に書きし手紙であると思へば特に真心の籠りしものであることを想像するに足るのである。
 「勧め」は慰め又は教等の意味を含む詞である。
  且汝等が立つ処の恩《めぐみ》は乃ち神の真の恩なることを証《あかし》せり。
 汝等の信仰が其根本に於て真の信仰なることを証せりといふのである、度々我等が友人又は先輩より教へて貰ひたき事は之である、今日迄守り来りし神の恩が真の恩なることを裏書せられて信者の力は倍加するのである、(225)古き友人が何をも言はず唯汝のなせる事は大体に於て真なりと証してくれる時に我等の勇気は一入振ひ興るのである、ペテロの此一言の為に小亜細亜に散在せる信者がいかに慰められたるかは想像するに難くない、実に貴き一言である。
  バビロンに在る処の汝等と共に選ばれたる教会汝等に安きを問ふ、又我子マコも汝等に安きを問ふ。
 此一節は何でもないやうに見えて実はさうでない、此処に聖書研究者の見逃すべからざる文字がある、余は曩にペテロの教会観を説いて「彼得前書中には教会なる文字さへ見当らない」と言うたが茲に明に教会なる文字がある、故に教会に関して余と主義を異にするものは或は之を引いて余を責むるかも知れない、然しながらその責任は余にあらずして訳者に在る、茲に「バビロンに在る教会」と訳せられし語は旧き英訳聖書にも the church at Babylon とあるが改正英訳には she in Babylon と改められた、之れ原文通に改訳したのである、原文の七百有余の写本中之を教会と記せるものは唯一しかない、即ち教会は女性の代名詞を以ていひ表はすから誤解したものに相違ない、ペテロの言ふ処は「バビロンに在る汝等と共に選ばれたる彼女」である、然らば彼女とは何である乎、その事はペテロの生涯より考ふれば自ら明白である、即ち彼の妻である、ペテロが結婚したる人にして妻と共に在りし事は新約聖書中二三の記事によつて窺ひ知ることができる(馬太伝八章十四節、哥林多前書九章五節等)、彼はその伝道にも妻を携へて行《ある》いたのである、故に「汝等と共に選ばれ汝等のよく知れる彼女」といひて其の誰なるかは自然に判るのである、且その直ぐ次に我子マコと言つて居る、マコとは果してペテロの子なるか或はパウロを助けて共に伝道に従事したるかのマコの事であるか必ずしも明ではない、信仰の弟子を子と呼ぷはよくある事であるから(提摩太前書一章二節等)多分その後者であらう、兎に角「彼女」といひ「我子」といひ、而(226)して共に「汝等に安きを問ふ」と言ひて能く其意味が通ずるのである。
 マコは元々ペテロの弟子であるが中頃一時パウロに従て伝道に出掛けた事がある、シルワノに至ては正しく之れパウロ特愛の弟子の一人である、パウロの書簡中彼の名を見ること一再にして止らない(帖撒羅尼迦前後書、哥林多後書等、時には略してシラスといふ)、この当年のパウロの両弟子が相携へて茲にペテロを援けつゝあるとは何と愉快な話ではない乎、ペテロとパウロ、彼等は嘗て福音の為に争つた事がある、而して今や其一方の愛弟子は即ち他方の友人である、マコとシルワノ、彼が端なくパウロの怒に触れて袂を別たねばならなくなつた時に代て選ばれし者が此である、而して今や相互に親しき兄弟である、一時の争は永久の友情を割くことができなかつた、キリストに在て結ばるゝものは常に之である、彼等と雖も其信仰を守る為め時には争はざるを得ない、責めざるを得ない、分れざるを得ない、然しやがて又時が来る、元の親しき兄弟に立ち帰らねばならぬ時が来る、これ其思想に於て又は主義に於て戦ふとも其依て立つ処の根本に於て別るゝことができないからである、その心の底に於て慕ふところの者が同一であるからである、実に永久の友垣を結ぶの秘訣は他ではない、相互に益々深くキリストを識る事之である、之より外にないのである。
  汝等愛の接吻を以て互に安きを問へ。
 接吻といへば我等日本人には何やら厭らしき事のやうに聞えて聖書の中にかゝる文字のあるさへ忌はしく感ぜらるゝのである、然し聖書の中に此語は必ずしも尠くない、パウロの書簡に殊に多くある(羅馬書十六章十六節、哥林多前書十六章廿節、帖撒羅尼迦前書五章廿六節)、彼はいつも唯接吻といはずして「きよき接吻」といふ、然り聖き接吻である、接吻を単に礼儀と見ては何の意味もないのみならず、却て其濫用の虞がある、時として偽(227)善の接吻が行はるゝは事実である(馬太伝二十六章四十九節)、然し初代信者の間に交はされたる聖き接吻は単なる礼儀ではない、真にキリストに在て繋がれたるものゝ如何に近き間柄なるかを示す一の証《しるし》であつた、相見て唯「如何ですか」では物足りない、それ以上の聖き愛の挨拶が接吻となつて顕はれたのである。
  願はくはキリストイエスに在る汝等凡てに平康あらん事をアメン。
 「平康」は希伯来語の salom である、之は実に意味深長なる特別の言葉である、平和といふよりももつと深い、一言以ていへば調和のことであつて即ち凡てが順調に往くことである、神と我との心和ぎ人と我との心和ぎ神と人とに対して何の憾を懐かざるその恩恵を称して salom といふのである、パウロの所謂「人の凡て思ふ処に過ぐる平康」である、「汝等凡てにその平康あらん事を」といひてもはや之以上のものを望むことはできない、健康も望ましくある、繁栄も望ましくないではない、然しながらそれ等のものよりも遙か以上に、どんな嵐が吹いても掻き乱さるゝことのない永久の静粛、それが欲しいのである、勿論苦痛もある、心配もある、奮闘もある、然し山間の深き湖水のやうに波瀾は表面に立ち騒ぐとも底には凡て之等を癒すに足る限無き平康を湛ふること、それがイエスキリストに在る兄弟の特権である、彼に由らずして所謂安心を獲ることは出来るかも知れないがこの深き平康を味ふことは出来ない、イエスを人に紹介するの目的は之を得させんが為に外ならない 其の他のものは皆此世に置いて行くのである、唯之だけが天国に於て再会するときの御土産になるのである、ペテロの伝道もパウロの伝道も詮ずる処此処に尽きる、故に彼得前書といひパウロの書簡といひ皆最後の望を此処に繋いで筆を擱いて居るのである。
 
(228)     彼得前書に於ける「教会」と云ふ文字に就て
                         大正5年3月10日
                         『聖書之研究』188号
                         書名 内村鑑三
 
〇私は本誌の前号に於て左の如くに述べました
  彼得前書中には教会といふ文字さへ見当らない
と(二月号第四三頁上段)、然るに同書の第五章十三節には明白に記《か》いてあります
  バビロンに在る所の爾曹と共に選ばれたる教会爾曹に安を問ふ
と、依て或人は私の間違を指摘《さし》て言ひます「彼は無教会主義を主張するの余り此無稽の言を弄す」と、実に私も時々大なる間違を為すのであります、而して私が間違を為したる場合には読者諸君が御親切に之を御示し被下ることを欲求ひます、乍然、幸にして此場合に於ては私は間違つて居らなかつたのであります、此場合に於ては間違は私に於てゞなくして日本訳の聖書に於て在つたのであります、英訳聖書を御読みの方は御承知でありませう、旧い所謂ジエームス王訳聖書には左の如くに訳して有つたのであります
  The church that is at Babylon...saluteth you.
と、然るに改正訳には church(教会)なる文字を全く削りて左の如くに訂正したのであります
  She that is in Babylon...saluteth you.
(229)と、実に「教会」なる文字は原文には無いのであります、たゞ「彼女」とあるのみでありまして、「彼女」は何を指して謂ふ者である乎能く解らないのであります、或ひはペテロの妻を指して謂ふのであると云ひ、或ひはバビロンに於ける或る屈指の婦人を指して謂ふのであると云ひ、或ひは「教会」なる文字は女性名詞であるが故に教会を略して「彼女」と謂ふたのであると云ふのであります、之を「教会」と訳したのは単に訳者の意訳に過ぎないのであります、希臘原語の聖書に依りますれば彼得前書の此章此節には ecclesia(教会)なる文字は無いのであります。
  因に言ふ、シナイ写本並にシリヤ訳に「教会」の文字あり、然れども其他に在るなし、今や学者は全体に之を省くに一致せり、更らに詳細を知らんと欲する者は Dr.Charles Bigg's International Critical Commentary:St.Peter 又は Dr.Philip Schaff's Popular Commentary 等を参照すべし。
 斯くて彼得前書には矢張り教会といふ文字さへ無いのであります、私は此事を以て無教会主義の弁証とは為しません、乍然基督教会の基礎《いしづえ》と見做さるゝ使徒ペテロにして、彼の書簡として保存せらるゝ其二通の中の最も信憑すべき者の中に「教会」といふ文字さへ見当らないと云ふ事は大に考ふべき事実であります、初代の信者に取て教会は大切な事でありましたらう、乍然今時の信者が思ふやうに大切な者では無かつたと思ひます、新約聖書の公平なる研究は教会に関する従来の思考を一変せしめざるを得ないのであります。
  附記 本号所載の柏木講演筆記中に此事が記いてありまして重複になりますが、事は頗る重要でありまするが故に私の草稿のまゝを茲に掲ぐる事に致しました。
 
(230)     故加藤博士と基督教
                         大正5年3月10日
                         『聖書之研究』188号
                         署名 内村生
 
〇法学博士文学博士加藤弘之氏は逝いた、余輩は茲に又明治昭代の大学者の一人を喪ふて悲歎に堪へない。
。博士はすべての宗教の敵であつた、殊に基督教の敵であつた、彼は彼が基督教に対して懐きし其憎悪を言表はすに足るの言辞を有たなかつた、彼は基督教は迷信であると言ふた、真理の敵であると言ふた、日本国の国体と両立し得べからざる其害物であると言ふた、而して日本学界の大|権能《オーソリチー》なる博士の痛撃に遭ふて、日本国に於ける基督教は微塵に壊たれしやうに感ぜられた、多くの基督信者は顫へた、而して基督教の敵は凱歌を揚げて言ふた「加藤博士の痛撃に遭ふて基督教は遂に破砕せられたり」と、而して斯くと見て取りし博士は憐むべき我等日本の基督信者を挑んで言ふた「彼等の中に我論拠を覆へし得る者あらば来て試みよ」と、恰もガテのゴリヤテがイスラエルの軍を挑みしやうであつた、而して我国の基督軍中に一人のダビデの立て博士の挑戦に応じ得る者はなかつた、進化論の剣を採り、国体論の楯に拠りて日本に於ける基督教に攻撃を加へし加藤博士は議論の戦場に於て全勝を博せしが如き観があつた。
 然し乍ら基督教は博士の攻撃を受けて壊れなかつた、基督教は今尚ほ前の如くに日本人の霊魂の深所に浸入しつゝある、多くの日本人、而も其内の最も清潔にして真面目なる者は其身と魂とをナザレのイエスに献げつゝあ(231)る、加藤博士は議論に於て勝つたであらう、乍然事実に於て勝ち得なかつた、若し基督教が哲学である乎或ひは制度であつたならば博士は彼の深き学識を以て之を毀つことが出来たであろう、乍然基督教は哲学でもなければ教会制度でもない、基督教は生命である、生ける霊魂を以て実験すべき者である、故に如何なる学者の攻撃を以てしても毀つことの出来る者ではない、加藤博士は基督教を攻撃しながら其正体を見届けなかつたのである、博士の攻撃せる基督教は其幻影に過ぎなかつたのである。
 明治の初年に方て当時の学者河津祐之氏は米国の動物学者エドワード・エス・モースと共に甚く基督教を攻撃した、彼等も亦彼等の攻撃に由て基督教は壊れて了ふたと思ふた、然し基督教は生残つた、又近くは幸徳秋水は彼の此世の名残として『基督抹殺論』を著はして而して後に絞首台に昇つた、而して彼の著書のすべての出版を禁ぜし日本政府は『基督抹殺論』の出版丈けは之を許した、而して『抹殺論』の世に出づるや世は挙て之を歓迎した、版を重ぬること幾回、出版書肆は尠からざる利益を収め、秋水は思はざる名誉を博した、乍然彼は基督を殺し得なかつた、『抹殺論』の発行は止まつて聖書の播布は止まらなかつた、キリストは猶ほ生きて居て多くの死せる日本人を活かしつゝある。 斯くて河津祐之も、エドワード・エス・モースも、幸徳秋水も、加藤弘之博士も基督教を殺さんと欲して殺し得なかつたのである、而して将来に於ても亦同じであらう、然り確かに同じである、如何なる学者も如何なる政治家も基督教を殺すことは出来ない、彼等は勿論神学と称する基督教に関する信者の思想を毀つことが出来る、又教会と称する基督教の偽物を壊つことは出来る、乍然基督教其物、キリストの福音、十字架の福音、之を毀つことは出来ない。
(232) 「イエスキリストは昨日も今日も永遠までも変らざる也」である、ダーウヰンもヘツケルも加藤博士も此永遠的実在者を殺すことは出来なかつた、而して今より後、幾人かのヘツケルと加藤博士とが出てキリストと彼の福音とを抹殺しやうと為るならんも、彼等が反てキリストを更らに活かすに止て抹殺の功を奏しないのは何よりも確実《たしか》である、基督教の初代に方て羅馬帝国の哲学者セルサス(Celsus)が始めて基督教攻撃論を著はせし以来千九百年後の今日に至るまで斯かる攻撃は絶えなかつたのである、然かも攻撃者は倒れて基督教は存在して今日に至つた。
  人は皆な草なり、その栄華はすべて野の花の如し、草は枯れ花は凋む、ヱホバの気息その上を吹きしに因る。
  実《げ》に民は草なり、草は枯れ花は凋む、然れど我等の神の言は永遠《とこしへ》に立たん。
とある(以賽亜書四十章七、八節)、斯くて基督教は攻撃を恐れない、之を怨まない、却て之を歓迎する、実に基督教の生命は之に加へらるゝ絶えざる攻撃に由て維持せらるゝのである、実に故加藤博士は基督教の敵ではない、其友である、神は彼を送り給ひて彼をして基督教に痛棒を加へしめ給ふて之をして更らに若返らしめ給ふたのである、而して彼は彼の此天職(彼れ自身の認めざりし)を終りたれば、神はモーセに言ひ給ひしが如くに彼に言ひ給ふたのである「人の子よ汝(塵に)帰れ」と(詩篇九十篇三節) 而して彼今帰りて余輩彼の痛撃に遭ひし者、亦彼のために同情愛惜の涙なき能はずである。
 
(233)     CHURCHES AND MISSIONARIES.教会と宣教師
                         大正5年4月10日
                         『聖書之研究』189号
                         署名なし
 
     CHURCHES AND MISSIONARIES.
 
 Missionaries come to us to patronize us,to exercise lordsbip over us,in a word,to“convert”us;not to become our equals and friends,Certainly not to become our servants and wash our feet.Did they ever save a nation,even politically? Did they save Hawaii? Did they save Burma? Madagascar? Persia? India? Can we expect them to save China? Willthey be able ever to save Japan morally and spiritually? We believe that the Gospel of Christ is the power of God unto salvation to every one that believeth;but unless through God's grace we save ourselves,weshall not be saved, −certainly not by forelgn Churches and missionaries.
 
     教会と宣教師
 
 外国宣教師の我等に来るは我等を庇保せんがためなり、我等の上に教権を揮はんがためなり、一言以て之を謂はん乎、我等を彼等の宗旨に引入れんがためなり、我等の同輩又は友人たらんがために非ず、勿論我等の僕とな(234)りて我等の足を洗はんがために非ず、彼等が曾て政治的になりとも国民を救ひし例ありや、彼等は布哇を救ひしや、彼等は緬甸を救ひしや、マダガスカルは如何に、波斯は如何に、印度は如何に、彼等が支那を救ひ得るの希望ありや、彼等何れの時にか道徳的に又は心霊的に日本を救ひ得べき、我等は信ずキリストの福音はすべて信ずる者を救ふの神の能力なるを、然れども我等神の恩恵に由り自身を救ふにあらざれば我等は救はれざるべし、然り、外国の教会と宣教師とに由ては決して救はれざるべし。
 
(235)     〔罪の処分 他〕
                         大正5年4月10日
                         『聖書之研究』189号
                         署名なし
 
    罪の処分
 
〇罪は之を見留めざるべからず、然れども、之を見詰むべからず、罪を見留めずして人は之を脱《さ》る能はず、之を見詰めて其の捕ふる所となる、罪を見留めずして其中に死する者多し、罪を見詰めて其の殺す所となる者少からず、悔改《くわいかい》は悔なき救を得しむるの悔改ならざるべからず、死に至らしむるの悔改なるべからず(哥林多後書七章十節)。
〇罪は之を見留めざるべからず、而して直にキリストの十字架を見詰めざるべからず、彼は釘を以て我等の罪を其十字架に釘け給へり(哥羅西書二章十四節)、キリストの十字架を見詰めて罪は罪として存せずして、恩恵と化して我等の心に臨む。
〇キリストの十字架、罪は其処に見留められ、罰せられ、赦され、恩化せられたり、我等之を仰瞻て罪は其|苦《にがき》を脱して恩恵の蜜と化して我等を歓ばす、天が下に罪を満足に処分する者にしてキリストの十字架の如きはあらざる也。
 
(236)    強烈の愛
 
 国を愛せよ、然り国人に国賊として排斥せらるゝまでに深く国を愛せよ。
 教会を愛せよ、然り異端として教会に放逐せらるゝまでに強く教会を愛せよ。
 神を愛せよ、然りエリエリラマサバクタニの声を揚げて神の愛をすら疑はざるを得ざるに至るまでに深く強く神を愛せよ。
 「汝義しきに過る勿れ、汝何ぞ身を滅ぼすべけんや」との此世の智者の言に耳を傾けて微温き生涯を送る勿れ、義しきことのために責められずして人は天国に入る能はざる也(伝道之書七章十六節、馬太伝五章十節)。
       十字架上のキリスト
  凡て路行く人よ、汝等何とも思はざるか、
  汝等考へ見よ、ヱホバが其烈しき震怒《いかり》の日に我を悩まし
  我に降し給へる此|苦難《くるしみ》に比ぶべき苦難のまたと世にあるべきや(耶利米亜哀歌一章十二節)
 
(237)     神の忿怒と贖罪
                         大正5年4月10日
                         『聖書之研究』189号
                         署名 内村鑑三
 
〇神に忿怒なしと云ふことは出来ない、彼は慥に怒り給ふ、「夫れ我等の神は※[火+毀]尽す火なり」と云ひ(希伯来書十二章廿九節)、「又活ける神の手に陥るは畏るべき事なり」と云ふ(同十章卅一節)、「夫れ神の忿怒は不義をもて真理を抑ふる人々のすべての不虔不義に向ひて天より現はる」とある(羅馬書一章十八節)、真の神は人の罪を怒らざるが如き冷淡なる者ではない、「我れヱホバ汝の神は嫉む神なれば我を悪む者に対ひては父の罪を子に報いて三四代に及ぼし云々」とありて彼は熱情の神である(出埃及記廿五章五節)、忿怒は愛の特性である、深く愛する者は強く怒る、「婦その乳児を忘れ、己が胎の子を憐まざることあらんや、縦ひ彼等忘るゝことありとも我は汝を忘るゝことなし」と言ひ給ひし神であればこそ、彼の愛を蹂躙し不義を以て明白なる真理を圧抑する者に対ひては※[火+毀]尽さんばかりの忿怒を発し給ふのである、神は実に畏るべき者である、彼は慢るべき者でない、神は愛である、而して愛なるが故に彼は罪に対して熱烈の忿怒を発し給ふのである、「キリストの愛我を励ませり」と云ひしパウロは又「我れ主の畏るべきを知るが故に人に勧む」と云ふた(哥林多後書五章十一節)。
〇神が怒り給ふ最も善き証拠はキリストが怒り給ふた事である、キリストは勿論容易に怒り給はなかつた、乍然怒り給ひし時には激しく怒り給ふた、彼れ「縄をもて鞭を作り彼等及び羊牛を売る者を神殿より逐出し両替す(238)る者の金を散らし其|案《だい》を倒し云々」とありて彼の忿怒に当るべからざる者があつた(約翰伝二章十二節以下) 彼は又滅多に人を罵り給はなかつた、然れども義憤の焔の彼の衷に燃へて其痛罵となりて外に現はるゝや其言辞は大海の呻吟《うめき》の如き者であつた、「噫禍なるかな汝等偽善なる学者とパリサイの人よ」と彼は七次繰返して言ひ給ふた(馬太伝廿三章、イエスの此呪詛の言を希臘話に Ouai humin.又は英語に Woe unto you.と読んで呻吟の響がより鮮に聞取るゝのである)、彼は当時の神学者並に教会信者に就て彼が懐き給ひし忿怒の念を充分に言現はすの言辞を有ち給はなかつたのである、彼は又比喩をもて度々神が頑強なる罪人に対して懐き給ふ忿怒の如何なる者なる乎を示し給ふた、「王僕に曰ひけるは彼の手足を縛りて外の幽暗《くらき》に投出せ、其処にて哀哭《かなしみ》また切歯《はがみ》することあらん」と(馬太伝廿二章十三節)、斯くて「我を見し者は父を見たり」と曰ひ給ひしイエスは時に自から怒り給ふて父も亦時には深く激しく怒り給ふことを示し給ふた。
○勿論神の怒は人の怒と違う、神は御自身の利益を侵害せられたりとて怒り給はない、又名誉を毀損せられたりとて怒り給はない、彼は気儘勝手に怒り給はない、彼は理に循ひて怒り給ふ 神の忿怒は義憤である、聖怒である、義の神なるが故に義に対する連続的反抗に堪へずして怒り給ふのである、聖なる神なるが故に彼に対する頑強的褻涜に堪へずして怒り給ふのである、「主の面は悪を行ふ者に対ひて怒る」とあるは此事である(彼得前書三章十二章)、故に神に対する此反抗的状態に在りし我等も亦前には「生れながらにして怒の子」であつたのである(以弗所書二章三節)、義憤聖怒は之をヱホバの神の特性と称はざるを得ない。
〇実に三部経の阿弥陀仏と聖書のヱホバ神との主なる相違点は茲に在るのである、阿弥陀仏はすべて慈悲である、彼の手に鞭と剣《つるぎ》と※[火+毀]尽すの火とは無い、彼は唯単に弱き煩悩熾烈の衆生を憐む、彼は唯無限の慈悲を以て人を救(239)はんとするのである、罪の処分の難問題の如きは浄土門の仏教に於ては起らないのである、然れどもヱホバの神は之と異なる、彼は愛である(慈悲ではない)、而して愛なるが故に聖である、而して彼の聖愛は不浄不潔不義不虔に堪へ得ないのである、故に彼は罪を怒り給ふのである、而して無条件にては罪を赦し給はないのである、「血を流すこと有らざれば赦さるゝ事なし」とある(希伯来書九章廿二節)、是れ「罪の価は死なり」とあるパウロの言と相対して考ふべき言《もの》である(羅馬書六章廿三節)、死は罪(神に対する連続的反抗)と離るべからず、神は罪を適当に処分せずして之を赦し給はないのである、然り赦すことは出来ないのである、基督教の神は罪を赦すの神であると同時に、罪を憎み罪人を怒り給ふ神である、此点に於て彼と仏教(浄土門)の阿弥陀仏との間に天地の差があるのである。
〇キリストの十字架上の死たる実に大問題である、之を単に罪の処分の一方面より考ふることは出来ない、茲に神の愛のすべてと其最も深い所とが顕はれたのである、之に神人の和合がある、罪人悔改の督促がある、キリストけ其血潮の流がるゝ手《みて》を伸ばし給ひて神に反きし人類に帰還を促し給ひつゝあるのである、然れども余輩は人類の罪に対する神の忿怒を離れてキリストの十字架を考ふることは出来ない、「夫れ神の怒は不義をもて真理を抑ふる人々の凡の不虔不義に向ひて天より顕はる」とある其怒が最も明白に最も顕著しく十字架上に於けるキリストの上に顕はれたのである、神は其独子の上に人類のすべての罪を置き給ふたのである、而して彼に在て之を処分し給ふたのである、罪の罪たる事、其恐ろしき事、「罪の価は死なり」と云ふ其事、「血を流すこと有らざれば赦さるゝ事なし」と云ふ其事、神は如何に罪を憎み給ふ乎、然り罪の義しき適当なる刑罰……是等の事がすべて悉くキリストの十字架に於て顕はれたのである キリストは茲に人類を代表して人類の受くべき罪の適当な(240)る結果(刑罰)を己が身に受け給ふたのである、而して之を受けて彼は人類に代りて言ひ給ふたのである
  ヱホバの審判は真実にして悉く正し
と(詩篇十九篇九節)、十字架は聖子の受くべき審判としては悉く不正である、然れども神に反逆き来りし人類の審判(刑罰)としては悉く正しくあつた、故に神の羔たる彼は甘じて此苦難を受けて黙して口を開き給はなかつた。
○キリストの十字架を人類の罪の代刑代罰として見て有名なる以賽亜書五十三章の意味が解るのである、是れ老デリッチ博士が十字架の下に於て読むに非れば解す能はざる言と曰ひし者である、幾多の信仰の男女をして感恩の涙に咽ばしめたる一事である。
  彼は侮られて人に棄られ、悲哀の人にして病患《なやみ》を知れり。
  実に彼は我等の病患を負ひ、我等の悲哀《かなしみ》を担へり、然るに我等思へらく、彼は責められ神に打たれ苦しめらるゝなりと、彼は我等の愆のために傷けられたり、我等の不義のために砕かれたり、自ら懲罰《こらしめ》を受けて我等に平康を賜ふ、其の打たれし痍《きず》に由りて我等は癒されたり、我等は皆羊の如く迷ひて各自己が途に向へり、然るにヱホバは我等凡の者の不義を彼の上に置き給へり。
  ……彼は我民の怒のために打たれしなり。
 若し是れが代刑代贖を意味する言辞でないならば余輩は其の何を意味するの言辞なる乎を知るに苦しむのである。
〇而して旧約ばかりでない、新約も亦到る処に代刑代贖(贖罪)を語るのである、殊にパウロは此事を高調して居るのである、
(241)  神罪を識らざる者(キリスト)を我等に代りて罪人となせり、是れ我等をして彼に在りて義人たることを得しめん為なり(哥林多後書五章廿一節)、
殊に羅馬書三章二十五、二十六節に於ける「神はその血に由りてイエスを立て信ずる者の挽回《なだめ》の祭物とし給へり云々」の言の如き、是れオルハウセンが「プロテスタント主義の信仰の本城なり」と称《とな》へたるものであつて、茲に代贖と赦免と救拯とが最も明かに示してあると思ふ、パウロは贖罪を説かずとは如何しても謂ふことは出来ない、此事は自身贖罪を信ぜざりしパウロ学の泰斗 E・C・パウルが彼の公平なる研究の結果として彼れパウロの贖罪唱道を明言して居るに依て見ても能く判明る(F,C.Baur's Paul,His Life and Work. 第二巻一五五頁を見よ)、而して彼れバウルに傲ひ近世の聖書学者は全体に贖罪を否認すると雖も、パウロの之を唱へし事は之を否認しないのである、彼等は言ふのである、パウロは贖罪を唱へたり、然れども是れ彼の猶太的教育より来りし者なり、故に之をキリストの福音の真髄と見做すべからずと、其善き実例はエール大学前教授ジョージ・スチーブンス氏である、読者は彼の著『基督教的救拯論《クリスチヤンドクトリンオブサルヴエーシヨン》』に就て見るべきである。
○キリストの死は人に悔改を促すためにのみ必要であつたのではない、罪と罪人とに対する神の態度を更《かへ》るために必要であつたのである、キリストの十字架に由りて義なる神は義に由りて罪人を救ひ得るに至つたのである、「イエスを信ずる者を義として尚自から義たらんが為なり」とあるは此事である(羅馬書三章廿六章)、キリストの十字架に於て罪の世に対する神の呪詛は取除かれたのである、茲に神の聖怒は発せられて消滅せられたのである、キリストを以て代表されたる人類に対して神の態度は一変したのである、人類の罪は今や神と人との間を隔つる牆壁として存せざるに至つたのである、今や赦免の恩恵は窮なく至聖者の宝座より流出るに至つたのである、(242)世は今や贖はれたる世として神の眼中に存するに至つたのである、我等信仰に由りキリストに在りて神に対せんか、神は父として我等に対し給ひ、我等の罪は算へられずして我等をして子たるの自由に入らしめ給ふのである、而して此恩恵と栄たる我等の悔改に由て我等に臨むのではない、キリストの十字架上の死に由て臨むのである、然り此死なくして真の悔改は起り得ないのである、又縦し起り得るとするも悔改は以て子たるの自由を我等に供へないのである、十字架に在りて罪と罪人とに対する神の態度の一変せしに由り罪人に真の悔改が起ると同時に其悔改に対して赦免の恩恵が窮りなく彼に臨むに至つたのである。
〇余が曾て本誌に於て述べしが如く基督教的真理は円形ではなくして楕円形である、円形は一箇の中心点を有し楕円形は二箇の中心点を有す 神は愛なりと解し、万事を愛を以て解せんとする、是れ円形である、神は愛なり又義なりと解し、愛と義とを以て心霊的宇宙を画かんとする 是れ楕円形である、而して余の見る所を以てすれば基督教的真理は哲学的真理と異なり円形に非ずして楕円形である、聖書は神は愛なりと教ふ(God is love.)然れども神は愛のみなり(God is the love.)とは教へない、神は愛である又義である、人に情と理とのあるが如く聖書の示す神に愛と義とがあるのである、而して如何にして二者を調和せん乎、是れが大問題であるのである、而して是れ単に思想上の大問題ではない、実際上の大問題である、旧約聖書の言を以て謂ふならば「憐愍《あはれみ》と誠実と共に会ひ、公義と平和と互に接吻せり」と云ふ其和合を如何にして得ん乎、是れが人生の最大問題であつて、又神がイスラエルの民を以て人類のために実際的に解決せんとして努力し給ひし大問題であつた(詩篇八十五篇十節)、而して此大問題が完全にイエスキリストの十字架上の死に由て解決されたのである、茲に実に愛と義とが互に接吻し、二者相合して恩恵《グレース》となりて神の懐より出て罪人の心に臨むに至つたのである、即ち「イエスを信ずる者を(243)義とし尚ほ(神御自身)自から義たらんがため」にキリストの十字架が必要であつたのである(羅馬書三章廿六節)、神を単に愛と解して十字架の必要は之を認むるに困難くなるのである、愛を現はすの途は十字架にのみ限らないのである、或ひは単に聖子の出顕に由て、或は愛の注入に由て神は直に人の心に(少くとも或人の心に)彼の愛を顕はすことが出来たらうと思ふ、然しながら義に由て愛を現はさんが為には即ち罪人を義としながら尚ほ御自身義たらんが為めにはキリストの十字架を除いて他に途は絶対に無いのである、是れ愛にして義なる神が罪人を義とし(救ひ)給ふ唯一の途であるのである 神はキリストの十字架を以て神と人との関係にかゝはる最大問題を解決し給ふたのである、ゴーデーは或る所にキリストの十字架を称して「神智の巧妙手段」と云ふたが実に其通りである 十字架に釘けられしキリストはユダヤ人には礙《つまづ》く者ギリシヤ人には愚かなる者であるが、召されたる者の立場より見て実に神の大能また神の智恵である(哥林多前一の廿五)、是れ神ならでは為す能はざる業である、公義と憐愍とを接吻せしめ、罪人を義として尚ほ御自身義たり給ふ、此事を見て信者は凡てパウロと共に叫ばざるを得ないのである「あゝ神の智と識とは深い哉」と。
〇贖罪は一見して複雑なる救拯法のやうに見える、神は愛(恩恵)を以て人に臨み給ひ、人は愛(信仰)を以て之に応へ奉る、救拯は茲に成る、簡短の極とは此事である、故に之を称して単純なる福音と云ふ、何ぞ其間に贖罪といふが如き複雄なる取引《トランサクシヨン》を要せんやとは早くより贖罪論に対して発せられし非難の声である、実に贖罪はユダヤ人又はギリシヤ人に止まらず、多くの近代人、多くの日本人に取り礙きの岩であつた 余輩の知る有識の日本人にして此事のあるがために基督教を去つた者は尠くない、彼等は基督教の神の厳格に罪の代価《あたへ》を要求するを聞て其苛刻に耐へずして彼を去て再び元の大慈大悲の阿弥陀如来に帰つたのである、彼等の心事たる実に同情す(244)べきである、乍然、彼等は厳格なる愛のみが真の愛なるに気が附かないのである、義罰を経ざる赦免は信頼するに足りない、愛を施すに途がある、又之に与かるに途がある、人と人との普通の交際に於いても単純は最も貴むべしと雖も礼義に由らざる交際は乱れ易くして侮蔑を招き易くある、況んや神と人との交際に於てをや、聖なる神と罪ある人との交際に於てをや、茲に適当の途(礼義)の必要なるは言はずして明かである、而して其途がキリストの十字架である、之に由て、然り之に由てのみ、光の裏に在まして稜威《みいづ》を衣とし光を衣の如くに纏ひ給ふ神が、暗《くらき》の裏に歩む罪の子供に近づき給ふのである、実にキリストの十字架は聖なる神と罪ある人との会合所である、然り、其密会所である、十字架を経ずして父の愛は人に臨まず、人は又父に到ることが出来ないのである、是れ狭くして間接の途であると言ふ乎、然り狭くある 然れども愛の焦点である、神の愛は十字架に集中され熱度を増して人に臨むのである、間接である、然れども強固である、深きも高きも、生も死も、今ある者も後あらんものも断つ能はざる愛の絆はキリストの十字架に由て神と人との間に結ばれたのである、最も親密なる関係は直接の関係ではなくして却て間接の関係である、二者が相共に愛する第三者に由て結ばれし友誼が最も安全にして、最も強固なる友誼である、十字架に釘けられしキリストに由て結ばれて神は真に人の父となり、人は真に神の子となるのである、間接なる必しも忌むべきではない、或る場合に於ては間接は忌むべからずして寧ろ求むべきである、而して罪てふ障害物に由て永く其関係を乱されし神と人とを結ばんとするに方て間接仲保を除いて他に途はないのである。
〇単純と云ふ、実に単純は望ましくある、然れども単純にも種々ある、愛と云ふも単純である 義と云ふも単純である、而して又十字架と云ふも単純である、而して余輩贖罪論者は十字架の福音を指して単純なる福音と称ふ(245)のである、キリストの十字架、或ひは単に十字架、The Cross すべてが其中に含まれてあるのである、神の愛、其義、其怒、其罰、其赦免、すべてが其中に含まれてあるのである、我が愛、我が受くべき当然の刑罰、我が罪の表白、其承認、我が悔改、我に降りし赦免、我が潔め、我が栄光、然り我が為すべきすべての善行、是等すべてがキリストの十字架の中に含まれてあるのである、十字架と言ひて、神の人に対するすべてと、人の神に対するすべてが言ひ表はさるゝのである 十字架、言辞は単純である、然れども其内容は豊富多様である、十字架と言ひて我は律法と預言者とキリストと使徒と、旧新両約聖書の全部を語るのである。
〇斯くて贖罪の事に於ては余は本誌前号所載の論文に現はれたる藤井君と全然所信を異にする者なる事を茲に明言せざるを得ないことを甚だ悲しむのである、余は「キリストが我等の罪の代りに十字架上に於て罰せられたといふ事を」信ずる者の一人である。余は又「贖罪論の責任をパウロに帰せんとする者」の一人である。
 
(246)     新約聖書は如何にして成りし乎
         郊外散策の途上内村先生の語り給ひし処
                        大正5年4月10日
                        『聖書之研究』189号
                        署名なし
 
     月曜日は先生の休息日である、此日先生は大抵朝より近郊の野外に杖を曳きて自然の風光を悉にせられ帰途一二の教友を訪問せらるゝを常とする、余の柏木生活を始めしより先生の此行に尾すること両三回、霜枯れの野に美しき冬の日を浴びながら先生の深き蘊蓄より溢るゝ真理の泉を掬みて心の渇きを癒されざるはなかつた、茲に其一班を摘録して喜を本誌読者諸君に頒たんと欲する(藤井生)
 
〇新約聖書が初代教会の監督の手によりて編纂せられ又教会によりて今日まで伝へられたる事は何人も疑はない、新約聖書の揺籃は教会にあつた、其生ひ立ちの家も亦教会にあつた、然るにその教会によりて育まれし新約聖書の中に多くの教会反対の色彩を帯びたる自由思想を含む事は不思議と言はざるを得ない、殊に其大部分がパウロの書簡又は思想の系統上パウロ派に属すべき書より成るのである、新約聖書二十七書中パウロの書翰と称せらるゝもの実に十有三、其他之と思潮を同じうするもの猶三四を算する。
〇パウロの思想は人も知る如く最も自由の精神に富みたる進歩的のものであつて制度習慣に重きを措かざるは其著るしき特徴である、パウロと制度的教会とは其精神より見て両立し得べきものではない、若し教会が新約聖書(247)を編纂するならば自己の立場を擁護するに都合好きヤコブ系の書に主要なる地位を与ふべきであるに拘らず却て甚だしくパウロの書翰を過重したるは何故であらう乎、之には何か深き理由がなくてはならない。
〇第二世紀の初より其中葉にかけて小亜細亜にマーシオン(Maacion)なる人が在つた、彼は凡そ紀元百年の頃黒海沿岸なるポント州の或る港に生れた、彼の父は早く既に基督教を信じて其地の教会の監督の地位にあつたといふ、マーシオンも亦暫く父を助けて副牧師の職を執つたと伝へられる、兎に角彼は生来の基督者《クリスチヤン》であつて又生涯そうであつた、彼の一生に就て詳しき事は今より之を知るに由なきも彼が後日異端として教会より手痛き迫害を受けたるに拘らず始終新約の福音に愛着し之を以て自己の生命として居た事丈は確である。
〇加之彼は極端なるパウロ主義者であつた、彼はパウロを以てイエスの福音の真髄を了得したる唯一人であるとなした、彼の説によれば神の子イエスは我等人類を律法の手より贖ふや直にパウロの許に往いて其黙示を授け而して彼を遣はして我等の既に価を以て買はれたるものなることを万民に宣伝せしめ給うたのであるといふ、彼に対するパウロの勢力は実に十六世紀の革命家に対するそれよりも切実なるものであつた。
〇かゝるパウロ心酔家が教会と相容れざるは当然である、マーシオンは其称へたる説に於て教会の敵であつた、然し乍ら最も其精神に於てさうであつた、彼は教会を以て猶太的の「旧き衣」であるとなし自ら「新しき布」を以て任じた、「余は汝等の教会を壊り永久の綻びを来さしめん」とは彼の嘗て羅馬教会の長老に向て放ちし激語であつた。
〇教会は素より長く彼を置くに堪へなかつた、果然異端の名は彼に被せられた、かくて彼は遂に流浪の身となつた、これ彼の為に気の毒なる事であつたに相違ない、然し福音の為に実は喜ぶべき摂理であつた、教会より破門(248)せられしマーシオンは却て福音の滅びざる途を備ふるが為に選ばれたのである。
〇其当時未だ新約聖書なるものはなかつた、聖書といへば旧約聖書のことであつてモーセの律法、預言者の書、詩篇等はそのまゝに神の言の記録として尊ばれて居た、蓋し旧約の正当なる継承者たるの地位を主張するに熱心なりし教会は旧約聖書以外に別に聖書なるものゝ必要を感じなかつたのである。
〇然しマーシオンは律法と預言者とを認めなかつた、彼によれば真の宗教は神子の降臨を以て始まつたのである、イエスの福音は根本的に新しきものであつて何等旧約に負ふ処なしとは彼の主張であつた、従て彼の手に聖書なるものはなかつた、彼に取ては律法に代はるべきものはイエスの説教である、預言に代はるべきものはパウロの書翰である、彼は教会の専重する旧き聖書に対して福音と書翰とより成る新しき聖書を有たんと欲した。
〇教会を逐はれたる彼は小亜細亜より羅馬にかけて彼方此方と漂泊うた、恰もパウロの前後三回に亘る伝道の地域を今マーシオンは踏みつゝあるのである、彼は必ずやガラテヤ、エペソ、コリント等に立ち寄つてパウロの手蹟を拾はんと力めたであらう、羅馬の教会に失望したる彼もそのパウロより受けたる書翰の写を手に入れていたく喜んだであらう、かくして今日最も其筆者を疑はれつゝある提摩太両書及提多書を除く外のパウロの主要なる十書翰は悉く彼の蒐集する処となつたのであらう。
〇マーシオン並にマーシオン派の宗教は絶えざる迫害に苦められて終に五世紀の終の頃迄に全く地を掃つて終つた、教会は遂に異端を滅ぼした、けれども異端の手に在りし文書《ドキユメント》は之を滅ぼす事ができなかつた、マーシオンの遺したるパウロ書翰集は教会も亦之を尊重せざるを得なかつた。
〇然しながらパウロの溌剌たる自由思想は教会の堪ふる処ではない、何かより緩き者を以て緩和するに非ざれば(249)之を維持するに忍びなかつた、是に於てか教会も亦諸方を漁つて雅各書猶太書彼得前後書等を猟り集め前者の熱火を掩ふに後者の微温の衣を以てした、此の如くにして出来上りし者が即ち今日の新約聖書である。
〇人はいふ新約聖書を作りしものは教会であると、然しながら何ぞ知らむ其核子は全く異端の手より出でたのである、教会は却て自己の敵を保存したのである、而してかく己の敵を保存する事は敢て珍らしき現象ではない、之れ一時己を守るに便なるよりする事であつて其|類例《アナロジー》は自然界にもある、殊に人類の歴史に多くの実例を発見することができる。
〇此説たる一の仮説に過ない、然し新約聖書は之に類したる方法に由て成たのであらう。
 
(250)     遠人《たびびと》の接待《もてなし》
         彼得前書四章七−十一節 (二月二十七日柏木聖書講堂に於ける講演大意)
                         大正5年4月10日
                         『聖書之研究』189号
                         署名 内村鑑三述
 
 「万物《よろづのもの》の末期《をはり》邇《ちかづ》けり」とは初代信者の間に著るしく瀰漫して居た観念であつて信者相互又は不信者に対する態度の如きも此根本思想の上に築かれたのである、新約聖書には度々この観念が繰返されて居る、勿論基督信者は万物の末期近づけりと聞いて恐れを懐いたのではない、基督教にていふ世の終末は仏法の所謂末世とは全然其意味を異にする、此世の凡ての状態が一変して我等の最も貴しと思ふ新しき状態が出現する時をいふのである、恰も百花の開くを待つ冬の末の如きである、初代の信者は常にかゝる心持に於て在つた、その事を念頭に置かなければ新約聖書は能くは解らない、今の人は凡て現在の状態を基礎として永き未来が築き上げられるものと思て居る、例へば経済状態の如きも百年五百年の後に至るまで現時と同じく金が力であると思へばこそ人に恵むは辛い事のやうに感ぜらるゝのである、初代信者に取ては此世は永続すべきものではなかつた、遠からず時は来りて我等は新しき国に移さるゝのであると、彼等は此の如くに信じて居たから施を為すは決して難事ではなかつたのである、今人の考正しき乎、初代信者の観念果して誤れる乎、之は大なる問題である、一昨年の夏の頃まで欧洲に在ては独人も仏人も英人も皆之と同じやうな考を有つて居た、然るに如何、僅に数日間に於ける政治家の樽(251)俎接衝はさしも安全なるが如くに見えし経済状態を俄然転覆せしめたのである、殊に之を一個人の問題として見れば何時終末の来らざるやを保し難い、万物の末期近けりと、新約聖書はその観念を以て読むべきである、先頃も或る篤信の朝鮮人の来訪を受けた、彼は事ありて獄に投ぜらるゝ事三年、其間刀は毎日彼の首の上に置かれた、神の前に出るは今日か明日かと待ち望み乍ら新約聖書を通読すること前後八回、其の深き教はよく彼の咀嚼する処となつたのである、彼得前書を受けたる人々も亦その心持に於て在つた、而してかゝる状態に在る時人は自《おのづ》ら祈《いのり》せざるを得なくなるのである、故にいふ「是故に祈せん為に慎みて自ら制する事を為すべし」と、「慎み」とは己の慾を抑ふること、「自ら制し」とは之を節約することである、「己の慾を抑へ之を節し」といふが如し、而して斯く為すは己を祈の態度に置くが為である、信者に取て善き祈を為すほど大切なる事はない、信仰衰へ不平多く人生に意義なきを感ずる時決して善き祈は出来ない、故に常に善き祈を為し得る信者の普通状態に己を置かんが為め慾を抑へ且節して其準備を為すべしといふのである。
 不信者に対しては忍耐と無抵抗、而して信者相互に対しては「何事よりも先づ互に相愛するの愛を篤くする事を力むべし、そは愛は多くの罪を掩へばなり」と、之を解して人を愛すれば以て己の罪を消すを得といふやうに取ては甚だ危険である、罪を償《つぐの》ふに非ず、愛は人の悪しきを思はずとの意である、相互に愛なき時罪は切りに指摘せられ詰責せられ審判《さばき》せられて遂に人を救はず却て之を沈淪《ほろび》に入らしむるの実例決して少しとしない、之に反し愛ある時は人皆互に愛を以て罪を掩ふが故に之を掩はれたる者は自ら愧ぢて悔改に移らざるを得ないのである、勿論所謂臭い物に蓋をするの意ではない、徒《いたづら》に指弾する事なく失望せざるやうに導いてやるのである、凡ての罪とはいひ難きも多くの罪は之を掩ふことができる、愛の篤き処に此積極的治療法が行はれる、恰も健康体に(252)病毒の入りし時の如く全身が之を掩ひ伏せて遂に毒物を消して終ふのである、寔に常識に富みたる言である。
 「汝等互に吝むことなく接待すべし」、此れ今日の講演の題目である、遠人の接待につき聖書の教ふる処は極めて多い(申命記一〇の一八、馬太伝二五の三五、羅馬一二の一三、希伯来書一三の一−三等)、新約聖書には Philoxenia といふ特別に意味深き語がある、之を邦語にて遠人の接待又は賓客《ひんかく》の接待と訳するも到底原語の精神を伝ふるに足りない、xenia は外より来る人であつて信者の訪問者のことである、当時未だキリストを信ずる者多からず、各地に散在して孤独の中に其信仰を守りし時同じ信者相互の訪問は蓋し特殊の義務又は特権として行はれたのであらう、兄弟は旅人として兄弟の家に迎へられ深き歓びを交はしたのである、我邦に於ても三四十年前には信者の数も五六千を出でず、従て其親しみは深く相互に訪問を交換するは何よりの快楽であつた、Philo とは愛である、即ち人を兄弟として少しの隔てもなく親密の範囲内に受入るゝことである、故に所謂おもてなしではない、日本人の多くは未だ客を接待するの途を知らない、徒に取扱を鄭重にし特殊の尊敬を払ふを以て接待の至れるものとなすが如きは誤の甚しきものである、基督者《クリスチヤン》の接待は全く之と趣を異にする、即ち家族の一員として親しくその楽を頒つのである、妻子の食するものを倶に食せしむるのである、家庭にキリストが入り来る時先づ第一に起るべき善き現象は旧来の個々別々の御膳を廃して一家共同の食卓を囲む事であるが、其れと同じく基督者の接待も亦旧来の接待法を一変するのである、初代信者の間にはかゝる美風が甚だ盛に行はれた、其起源の一部は確に邦の風習にある、今日に於ても此点に於て最も有名なるはアラビヤ人である、彼等に取て何より喜ばしき事は自己の天幕に人の訪問を受くる事であるといふ、甚だしきは嘗て一人の見識らぬ者其敵に逐はれて自己の天幕に逃げ込みしより喜び迎へたる処、実は我が子を殺したる者にして之を逐ひ来れるは即ち子の友人であ(253)つた、然しそれでも一旦自家の客として迎へし以上讐を復すに忍びずとて懇ろに接待したといふ話さへ存つて居る、真に接待を重んずる人種である、かゝる思想の間にイエスの教が入り信者としての愛が加はつた為めいとも美はしき風習となつて斯《この》教《をしへ》と共に伝はつたのである、遠人の接待は今日我等の間にも最も望しき事である、此愛の交換に由て互に生活の内情を知り親密の度は益々濃きを加ふるのである。
 
(254)     神の武具
         以弗所書六章十一−二十節 (三月十二、十九両日に亘り柏木聖書講堂に於ける講演の大意)
                         大正5年4月10日
                         『聖書之研究』189号
                         署名 内村鑑三 述
 
 信者は自己に頼る事なく主キリストに在りて即ち彼の能力より出づる勢力に頼りて強くせらるゝのであるが、(前号掲載『強くなるの途』参考)其の斯く剛強くせらるゝは悪魔の奸計《はかりごと》を禦ぐが為に特に必要である、悪魔の勢力に実に侮るべからざるものがある、否其の如何に恐るべきものであるかは之を実験したる者にして初めてよく知る事ができる、悪とは決して完全に対する不完全といふが如き程度の問題でない、之は正しく善の正反対であつて人の霊魂までをも滅ぼすの力を有する最も恐るべき敵である、故に之を「悪魔」といひて恰も人格者の如くに呼ぶは粗雑なる考の如くに見えて実はさうではない、悪魔の攻撃に出遇ひし苦き経験を有するものに取ては彼の実に「物」に非ずして「人で」ある事が知らるゝのである、而して悪魔の人を襲ふやその常手段は「奸計」である、即ち悪企《わるだくみ》である、様々の悪しき策略を巡らし陰険なる罠を張つて人を※[手偏+齊]《おとしい》るゝのである、故に之と戦ふは実に容易な事ではない、信者は如何にしてこの悪魔の奸計を禦ぐことが出来る乎、パウロは曰ふ「神の武具を以て装《よろ》ふべし」と、人の武器では之を破るに足りない、神より賜はる特別の武器を以て身を装ひ固めねばならぬ、何となれば「我等は血肉と戦ふに非ず」、敵は目に見ゆる血肉ではない、見えざる悪魔である、露に形を見せて襲ひ(255)来る敵は寧ろ恐るゝに足りない、悪魔の特質の一は思はざる時に思ひがけなき処より不意を打つて来ることである、加之彼の勢力は又尋常なるものでない、彼は極めて偉大なる敵である、彼は「斯世の幽暗《くらき》を宰る政また権威また世界勢力」である(普通邦訳には「政また権威また斯世の幽暗を宰る者」とあるけれども原文の語勢に従ひ以上の如く訳するを可とする、)また「天の処にある」即ち霊界に於ける悪霊である、我等の敵は此の如く目に見えずして而も最も強大なるものである、故にパウロは「是故に」といひて再び総論に立ち帰り繰返していふ「神の武具を取るべし」と、斯くして信者は初めて「悪しき日」に会ふて強敵を禦ぎ信仰を固く維持する事ができるのである。
 然らば神の武具とは何であるか、パウロは茲に六のものを列挙し猶ほ最後に最も大切なる一を加へて居る。
 其第一は「帯」である、帯とは決して単なる装飾ではない、東洋人の服装に最も肝要なるものは之である、之を腰に結ぶによつて衣服全体の纏まりが附くのである、帯なくして如何なる武装を纏ふとも身に緊め括りがない、然らば信者の帯は何である乎、曰く「誠」である、誠実である、之に由て彼の行動に統一を生じ彼の戦に整然として乱れざる規律を生ずるのである、悪魔は様々の陰険なる奸計を以て襲ひ来るも之に応ずるに終始一貫たゞ一筋の至誠を以てするとき奸計も遂に用を為さない、若し然らずして苟も虚偽不誠実を交へん乎、忽ち信者の足並は乱れ精鋭なる武器も之を揮ふに由なく遂に悪魔の羂にかゝらざるを得なくなるのである。
 其第二は「護胸《むねあて》」である、胸は正面より敵に露出する処であつて而も身体の最も枢要なる部分であるから之を護るに一点の隙なき堅牢無比なる武器を以てすべきはいふ迄もない、故に「義《たゞしき》を護胸とし」といふ、義とは公明正大である、権謀術数を弄しないことである、奇道を択び策略を講ずるは悪魔の最も得意とする処であるから人(256)は之と同じ武器を以てしては到底悪魔の敵たることは出来ない、敵は策略に尋ぐに策略を以て来れ、我は何処までも正々堂々の陣を張つて之に応ぜむと、これ信者の態度であるべきである、かくして悪魔の奸計は其の乗ずべき隙を発見することができないのである。
 其第三は「鞋《くつ》」である、鞋とは現今の靴の如く革の足袋ではない、革紐にて編みたる草鞋の如きものであつて身体の動作を輕快活溌ならしむるが為に必要の武具である、信者の心を軽くし其運動を敏捷ならしむべき鞋は何である乎、即ち「和平なる福音」である、之に優るものはない、神キリストに由て我等を己に和らがしめ給へりといふその福音を憶ふときは信者の重荷は取去られ恐怖と失望とは悉く消え失せて心は自ら歓喜に充ち希望に溢れ踏み往く足もそゞろに軽きを覚えざるを得ない、「よろこびの音信《おとづれ》を伝へ平和を告げ善き音信を伝へ救を告げシオンに向て汝の神は統べ治め給ふといふものゝ足は山の上にありていかに美はしき哉」(イザヤ書五十二章七節)とある、この喜ばしき平和の福音を鞋として穿つに非ずんば敵に追はれ又は敵を追ふときに重苦しくして思ふやうに動くことが出来ないのである、福音の「備」を鞋としとは鞋の底に充つるの意であるとの説もあるがやはり平和の福音を以て作りし鞋と解するが穏当であらう。
 其第四は「盾」である、敵の箭を禦ぐが為に必要なる武器である、羅馬時代の盾は革にて作り幅一尺五寸乃至二尺縦四尺ばかり左手にて之を支ふるのである、而して悪魔との戦に盾の特に必要なる所以は即ち「悪魔の火箭」を防ぐことにある、火箭とは我国に在りては簇《やじり》の先に燧石と火口《ほくち》とを附け以て矢が瓦石等に当るとき火を発せしむるものであつて千早の城攻めの時正成が水を貯へて火矢を消さしめたと云ふことは太平記の伝ふる処である、羅馬時代の西洋の火箭は之とは少し異つて居た、然し何処より飛び来るか分らない矢そのものが既に恐るべきで(257)ある上に之に当てられて火事を起すその火矢が昔の戦に於て最も恐るべきものとせられたことは東西共に同じであつた、而して悪魔の我等に射かくる矢は之である、思ひ寄らざる時不意に或は耳より或は目よりかゝる矢が飛ぴ入りていつの間にか心の中に火を失し遂に最も大事なる信仰の城をすつかり焼いてしまふ事がある、殊に思想の未だ定まらざる青年にして一寸した怒とか肉につける慾とかの為め脆くも信仰を転覆せられ自分ながらどうして斯んなになつたか分らないと言つて呆然自失するやうなみじめなる実例を度々見受くるのである、この恐るべき火箭を防ぐに適当なる盾は何である乎、パウロはいふ「信仰の盾を取るべし」と、即ち神を望め、キリストの十字架を仰ぎ見よといふのである、十字架上のキリストの姿が常に眼前に鮮かなるとき火矢の火も我等を焼くことはできずして却て消えて終ふのである、諸君は若し今日未だ其経験を有たないならば他日悪魔より火矢を射られたるその苦しき時に之を思出すであらう、その時諸君の目にキリストの十字架が鮮明に映じて来なければ遂に悪魔に囚はるゝの外ないのである、我が救は聖山《やま》より来る、いと高き処に在すエホバより来ると信じて初めて火箭も恐るゝに足らない、是れ実に深き実験より出でたる言である。
 其第五は「冑」である、頭を護る冑は武器としては護胸と同じく又はそれよりも大切なるものなる事はいふ迄もない、而して「救の冑」を被よといふ(或はテサロニケ前書五章八節の如く「救の望の冑」ともいふ)、救の冑は何故に安全である乎、救とは他なし、安全の地位に入れられた事である、もはや恐のない立場に置かれた事である、悪魔の攻撃は何か我等の恐に乗じて来ない事はない、恐がなくなる時彼の攻撃は自然に止むのである、汝の地位を奪はむ財産を奪はむ生命を奪はむと言ひて威嚇し来るとも我が霊は既に窮なき救の望をキリストに於て獲得したのであると信ずる事ができれば最早や恐るべきものは一もない、何を失ひたりとて永生を受くるの望さ(258)へ確実ならば我が霊魂は安んずるのである、俗に慾のない人又は命の惜しくない人程始末におへぬものはないといふ、救の冑を戴く信者は悪魔に取ては即ちこの立場にあるのである 今や悪魔の奸計の中にも彼を御するの術だけは見当らなくなるのである。
 其第六は「剣」である、他の五が皆防禦の為の武器であるに対し之のみは攻撃の武器である、「聖霊の剣即ち神の道を取」るべしといふ、之を手近にいへば聖書である、信者の剣としては唯聖書に記されたる神の言あるのみ、キリストの野に於ける試惑《こゝろみ》が其の実例であつた、諸君が基督教の攻撃を受くるとき或は哲学を以て或は進化論を以て応戦するは必ずしも悪くはない、然しながら未だ嘗て議論を以て基督教に対する攻撃を圧伏し尽した実例を聞かない、口角泡を飛ばして論争するとき悪魔は却て嘲笑するのである、我等の取るべき剣は此世の智慧ではない、唯聖書の一言を信じて之を認《いひあらは》はすに在る。
 以上は六の武器であるが之で尽きたのではない 最後に猶一つ最も大事なものが残つて居る、「恒に各様《さま/”\》の祷告《いのり》と祈求《ねがひ》を以て霊《みたま》に由て求め」と即ち祈祷である、祈祷なくして悪魔にうち勝つことはできない、而して唯に自分の為に祈るのみならず、「諸《すべて》の聖徒の為にも慎みて此事をなし祈りて倦まざるべし、且……我が為にも祈るべし」といふ、是れ勿論それ等の兄弟姉妹も亦悪魔の※[手偏+虜]とならざるやうにとの願より出づるのであるがパウロの茲に特に之を勧むる所以は其事が直接に祈る人自身の益になるからである、祈といへば多くは唯「私」「私」といひて自分の事を主と為し最後に一寸他人の為の祈を附け加ふるに過ぎないけれども、然しながら之れ決して祈の至れるものではない、寧ろ人の為に深き祈を捧ぐるときに初めて自己が救はるゝのである、祈の聖さは其処に在る、聖霊の力の加はるは其時に在る、信者は人の為に祈りて最も悪魔より遠ざかりつゝあるのである。
 
(259)     PROTESTANTISM.プロテスタント主義
                         大正5年5月10日
                         『聖書之研究』190号
                         署名なし
 
     PROTESTANTISM.
 
 I am a Protestant. I protest against Roman Catholicism. I protest against English Episcopalianism, against German Lutherianism,against Scotch Presbyterianism, against American Congregationalism,Methodism,and Baptistism,against every one of over six-hundred sects and isms that go under the name of Protestantism. Yea,I protest against my own ism,if Ihave such. The gospel I believe in is:Jesus Christ and Him crucified;and I protest against any doctrine and set of doctrines which go beyond,or do not come up to,this simplest of all doctrines. Protestantism,I understand,is Christ versus human ingenuities, faith versus churches. It is simplicity arrayed against complexities,1iving organism, against dead organizations.
                                             プロテスタント主義
 
 余はプロテスタント主義者である(プロテスタントは反対者の意である)、故に余は羅馬天主教会に反対する、(260)英国監督教会に反対する、独逸ルーテル教会に反対する、蘇格蘭長老教会に反対する、米国組合教会、メソヂスト教会又はパプチスト教会に反対する、プロテスタント教会の名の下に存在すると云ふ六百有余の教派孰れにも反対する、実に然り、余に若し余の主義なる者があるならば余は余自身に反対する、余の信ずる福音は是れである、即ち「イエスキリストと十字架に釘けられし彼れ」、而して余は如何なる教義また如何なる教義の組合と雖も此すべての教義中最も簡単なる教義を越え又之に達せざる者に反対する、余の解する所に依ればプロテスタント主義はキリスト対人巧主義である、信仰対教会主義である、プロテスタント主義は複雑に対して闘ふ簡単である、死せる制度に対して闘ふ活ける生命である。
 
(261)     後継者問題
                         大正5年5月10日
                         『聖書之研究』190号
                         署名なし
 
 教会者は頻りに後継者選定の必要に就て語る、然し番頭は自分で自分の後継者を定むべきであろうか、番頭の後継者を定むる者は彼を役ふ彼の主人ではあるまい乎、而して番頭が自分で自分の後継者を定めんと欲して僭越の罪を犯すのではあるまい乎、アブラハムの家宰なるダマスコのエリエゼルは自から後継者を選定して其採用をアブラハムに迫つたであろう乎、我家ならぬ主人の家を宰る者は其後継者の選定は之を主人に一任すべきではあるまい乎。
 教役者は神の番頭である、キリストの役者《つかへびと》又神の奥義を司どる家事である(哥林多前書四章一節)、而して「此世に在りて家宰に求むる所は其忠信ならん事なり」とある(同二節)、然るに役者が頻りに自分で自分の後継者を定めんとする、是れ果して主人に忠信なる道であろう乎、此世に在りては番頭は己が後継者の選定を主人に一任する、然るにキリストの役者が自分で自分の後継者選定に就て焦慮且つ云為するのである、余輩は此事を見て甚だ不快の念に堪えない。
 神は自から其僕を選び給ふ、キリストは自から其役者を命じ給ふ、モーセが己が後継者としてヨシユアを選んだのではない、碑御自身がヨシユアを選び給ふて彼をして其先輩モーセの後を継がしめ給ふたのである、エリヤ(262)がエリシヤを養成して其後継者となしたのではない、神は予めエリシヤを備え給ひて彼をしてエリヤの後を受けて神の預言者たらしめ給ふたのである、其他余輩は聖書に於て神の人等が其後継者問題に就て頭脳を悩ましたと云ふことを読まないのである、預言者イザヤは後継者を有たなかつた、ヱレミヤにバルクと云ふ忠信なる弟子があつたが彼は預言者の後を継ぎて自分も亦預言者とならなかつた、エゼキエルにも後継者はなかつた、アモスにもなかつた、ホゼアにもなかつた、預言者は大となく小となくすべてギレアデの野人エリヤの如くに忽焉として現はれ忽焉として消ゆる者であつた、彼等は此点に於て空天《そら》に現はるゝ流星の如くであつた、独り暗黒を照らして消えて其跡を留めなかつた。
 而して後継者問題に就て失敗した者はイスカリオテのユダを失ひし後の十一人の使徒等であつた、彼等は僭越にも主が彼等を選び給ひしやうに彼等の一人を選ばんとした、ペテロの発言に由り彼等は愚かにも鬮を引いて去りにしユダの補欠選挙を行つたのである、「斯くて鬮を取りしにマツテアに当りければ彼れ十一人の使徒等と共に列れり」とある(行伝一章末節)、然れども事は之れで済んだのである、我等はマツテアなる人に就ては其後曾て一回も聞かないのである、彼は人が鬮に由て選みし使徒であつた、故に使徒の用を為さなかつた、主の選択《えらみ》は他に在つたのである、タルソのパウロが主の選み給ひし者であつた、彼はペテロの所謂「ヨハネのバプテスマより始め我等を離れて挙げらし日に至るまで常に我等と偕に在りし者の中の一人」ではなかつた(廿二節)、パウロは肉に在りては主を知らなかつた、而して一時は激烈なる主の敵であつた、然るに此人が主の特別なる聖召を蒙りて真の使徒となつたのである、「我が見る所は人に異なり、人は外の貌を見、ヱホバは心を視るなり」である、パウロの選択は使徒等の最も意外とする所であつた、然し乍ら事実は蔽ふべからずである、使徒等の選びしマツ(263)テアは消えて了つて主の選び給ひしパウロは他の使徒等に愈りて多く福音の為に働いた。
 番頭は自分で自分の後継者を定めてはならない、キリストの役者、神の奥義を司どる家宰《いへつかさ》たるべき我等彼の僕等《しもべたち》は我等の後継者如何に就て頭脳《あたま》を悩ますの必要はないのである、然り悩ますも無益である、我等が自分で定めし後継者は必しも後継者の用をなさないのである、多くの場合に於ては其正反対が事実である、其の後継者は我等の知らざる人の中に在りて、我等の定めし後継者は却て我等に反き我等の主義と精神とを涜すのである、神の真理は我が所有物ではない、我等は之を我が財産を処分するが如くに処分してはならない、神の所有物は神御自身之を処分し給ふ、我等は神が之を我等に委ね給ふ間忠実に之を護れば宜いのである、実にパウロの言ひしが如くに「家宰に求むる所は其忠信ならんこと也」である。
 預言者等は自分の後継者を定めなかつた、然れども預言は廃らなかつた、イエスの福音は十二使徒等の手を経ずして、「人よりに非ず人に由らず」して直にタルソのパウロに臨んだ、永遠に生き給ふ神の真理である、是れ人に由つて承継せらるゝに非れば消えて了ふやうな者ではない 爾う思ふのは教会者の不信に因るのである、法燈伝承と云ふが如きは是れ腐敗せる仏法の寺院に於て有るべき事であつて、生命に盈ちたるキリスト教会に於て有るべき筈の事でない、実に斯かる問題の起ること其事自体が教会堕落の最も明白なる証拠である、後継者選定を最も厳密に実行し来りし者が羅馬天主教会である、而して其法王僧正監督等の中に幾多の禽獣にも劣る人物の有つたことは歴史の明かに示す所である、人は鬮に由て亦投標に由て(実に投標は鬮の一種である)真理の承継者を定むる事は出来ない、「主は己に属ける者を知り給ふ」、神の真理は神御自身が選み給ひし者のみ之を承継ぐことが出来る、我等彼の役者《つかへびと》は唯日に日に我等に委ねられし職に従事し、後継者問題の如きは之を全然念頭より去り、(264)明日の事を憂慮ふことなく、明日は明日の事を憂慮ふとして、今日は今日の職務を忠実に尽すべきである。
  参考 シエクスピヤを最も善く解する者は英国に於て有らずして独逸に於て有る、ヘーゲルを最も善く解する者は独逸に於て有らずして英国に於てある、凡が其通りである、「預言者は其本国に於ては納けられず」である、我が骨肉我直弟子は多くは善く我を解し得ないのである、我が真の弟子は我が知らざる者の中に在る、此事を知て自分で自分の後継者を定むる事の愚と不可能とが能く判明る、神の智慧を賜はりし者は後継者問題と称ふが如き無用の問題に頭脳を悩まさないのである。
 
(265)     イエスの最初の奇跡
         約翰伝二章一−十一節
                         大正5年5月10日
                         『聖書之研究』190号
                         署名 内村鑑三
 
〇是はイエスが行ひ給ひし最初の奇跡であつた、彼は此前に奇跡を行ひ給はなかつた、彼は此後に多くの奇跡を行ひ給ふた、イエスの奇跡はカナに於ける水を葡萄酒に化せる奇跡を以て始まつたのである。
〇最初の奇跡であつた、故に模範的の奇跡であつた、イエスの行ひ給ひし数多き奇跡の意味と精神とは最も明かに彼の此最初の奇跡に於て顕はれた。
〇先づ第一に認むべきは此事の実に奇跡であつた事である、此事は比喩ではない、又善意に出たる眩惑的行為ではなかつた、実に奇跡であつた、水が葡萄酒に化したのである、即ちキリストと称へられしイエスの造物主であることの休徴《しるし》として行はれし事である、「万物彼に由て造らる、造られたる者に一として彼に由らで造られしは無し」とある其言詞の証明として行はれし事である(一章三節)、「万物彼に由りて造られたり」とは初代の信者がイエスに就て公言して少しも憚らなかつた所である(哥羅西書一章十六節)、イエスは人類の救主であつた、而して造物主以下の者が人類の救主たる事は可能ないのである、人は新たに其霊を造られて救はるゝのである、「人キリストに在る時は新たに造られたる者なり」と云ひ、「我儕(信者)は神の(新たに)造り給へる者なり」と云ふ(以弗(266)所書二章十節)、万物を造り得る者でなければ新たに霊魂を造る事は可能ない、造物と救霊との間に離るべからざる関係があるのである、イエスは罪人を救はんがために世に降り給ふたのである、而して今や其救済の聖業を開始し給ふに方り茲に造物の大能を示し給ふて彼が実に人類の救主であることを表現し給ふたのである。
〇イエスは茲に水を化して葡萄酒と成し給ふたのである、無味なる水を化して甘味なる葡萄酒と成し給ふたのである、是れ平々凡々空の空なる人生を化して意味ある興味ある者となさんとの休徴である、イエスに化せられずして人生は淡きこと水の如き者である、人は生れながらにして水である、イエスに新たに造られて旨き味の有る葡萄酒となるのである、我は此事を我が新生の実験に由て知つた、我はイエスに化せられし前の我が生涯と其後のそれとを較べて見て実に其間に水と葡萄酒との相違のあるのを知るのである、如何にして爾うなりし乎を我は知らない、我は唯パウロと共に言ひ得るのである「我が斯の如くなるを得しは神の恩恵に由りてなり」と(哥林多前書十五章十節)。
〇葡萄酒は勿論「人の心を歓ばしむる葡萄酒」である(詩篇百四篇十五節)、而してイエスに化せられて人は歓喜の人と成るのである、基督者は厭世家ではない、悲憤慷慨家ではない、恒に己に省み罪を悲み不義に泣く者ではない、彼は罪より救出されし者である、故に歌ふ者である、時にはダビデの如くに神の前に躍る者である、感謝する者である、讃美する者である、哲人パスカルは神に酔ふたる人であつたと謂はるゝが、基督者は哲人に似て神の子の与ふる歓喜の霊に酔ふ者である、「淡き物あに塩なくして食ふを得んや、蛋《たまご》の白《しろみ》あに味あらんや」とヨブの歎きし無味の人生も、イエスの新生の奇跡を施されて、飲みて厭きざる旨き葡萄酒と成るのである。
〇イエスは彼の最初の奇跡を婚筵の席に於て施し給ふた、実に彼れ自身が新郎であつて新婦を迎へて婚礼の筵を(267)設けんために世に臨み給ふたのである、而して彼は此時既に新たに五人の弟子を得て新婦を迎へしが如くに喜び給ふたのである、婚筵の席と之に歓喜を供するための葡萄酒……イエスの一生を表現する者にして之に愈りて適切なる者は無い、彼れ自身が新郎、彼の弟子が新婦、彼の福音が葡萄酒……彼が彼の此世の生涯の終に方りて一時弟子等と別れんとし給ふや「我れ汝等に告げん、今より後汝等と解に新らしき物を我父の国に於て飲まん日までは再びこの葡萄にて造れる物を飲まじ」と言ひ給ひしはカナに於ける彼の此最初の奇跡を想出《おもひいだ》して言ひ給ふたのであると思ふ(馬太伝廿六章二九節)。
〇殊に注意すべきはイエスが此奇跡を施し給ひし其方法である、彼は茲に大なる奇跡を施し給ふた、然し乍ら彼と彼の母と彼の五人の弟子とを除いては何人も其奇跡なることを知らなかつた、僕等は唯命ぜられしが儘に新たに造られし葡萄酒を運んだまでゞある、司会者は「酒に化りし水を嘗めて其何処より来りしを知らず」とありて唯之を味ひしまでゞあつて其の如何にして造られし乎を尋ねなかつた、新郎も新婦も、来賓一同も、唯旨き葡萄酒の饗応《ふるまい》に与りしまでであつて、一人も其由来を探らんとは為なかつた、実にイエスは恒に隠れて奇跡を施し給ふたのである、神の栄を世に顕すと称して人に見せんがための奇跡ではない、信者(弟子)の信仰を助けんための奇跡である、不信者を驚かさんための奇跡ではない、不信者に認められずとも可いのである、彼等は唯其恩恵に与かれば善いのである、「汝等人に見せん為に其義(善行)を人の前に為すことを慎むべし」と教へ給ひしイエスは、茲に御自身人の栄《あがめ》を得ずして隠れて施済《ほどこし》を為し給ふたのである(馬太伝六章一−三節)。
○場所は婚筵の席であつた、而して之を設けし者は信者ならで普通一般の人であつた、而して之に供ふるに旨き葡萄酒を以てしたりと云ふ、是れイエスたる者の為すべき事であろう乎、酒は毒物ではない乎、饗宴は物資の浪(268)費ではない乎、イエスは之を禁ずべきではない乎、眉を顰めて之に対すべきではない乎、然るに弟子と偕に之に臨み、奇跡を施してまでも其興を助け給ひしと云ふ、実に解すべからざる事である、然し海よりも広き心を有ち給ひしイエスに取りては是れ決して不思議ではなかつた、彼は彼の善意よりして自発的に之を為し給ふたのである、世に困惑の事多しと雖も客を招き置きながら之を饗応す料の尽きたるが如きはない、是れ困惑の極である、事は一家の小事であると雖も、其面目に関はる重大事である、而してイエスは好意を以て彼と彼の弟子とを請きし此一家の今や此困惑に陥りしを見て之を救はずには居られなかつたのである、此時彼の善意は彼の「主義」に勝つたのである、彼は能く酒の害を知つた、「是は終に蛇の如くに噛み、蝮の如くに刺すべし」とは彼がソロモンの箴言に於て読んだ所である、此所にイエスと彼の弟子とが他の賓客と共に葡萄酒を飲んだとは記《かい》てない、彼等は多分之に手を触れなかつたのであろう、然れども今は禁酒論を主張する時ではなかつた、葡萄酒|※[聲の耳が缶]《つき》て家の主人は面目を失ひ饗宴は大失敗に終はらんとする危急の場合であつた、イエスたる者之を黙過し得べけんやである、人の歓喜をすべて喜び給ふ神の子は茲に其大能を揮ひて彼等の歓喜を幇《たす》け給ふたのである、彼は人を審判くために世に来り給ふたのではない、救拯《たすく》るために臨り給ふたのである、彼は又世界の大救主であると云ひて個人の困惑を省ないやうなる者ではない、カナの婚筵の席に於て水を化して葡萄酒と成して一家の面目を維持し給ひし彼は今も猶ほ我等の家事に携はり、我等の日々に陥り易き多くの困惑より我等を救ひ給ふのである、イエスは寔に人の友である、大事に際しての友である、小事に際しての友である、彼は人生全体を祝福せんために世に臨み給ふたのである、而して此事を弟子等に教へんために、又弟子等を通うして我等に教へんために彼はカナに於て此最初の奇跡を行ひ給ふたのである。
(269)〇「此事をイエスがガリラヤのカナに於て行せるは休徴の始にして其栄を顕はせり」とある、「栄」とは彼が世の基の置かれざりし前より彼の聖父と共に有ち給ひしものであつて彼の神性である、「顕はす」は「外に顕はす」であつて、弟子の観察に供し給へりと云ふ事である、而して栄即ち神性は能《ちから》に限らない、徳性をも含むのである、イエスは茲に造化の能を顕はして彼の神性を示し給ふた、同時に又彼の善性を顕はして神の心を明し給ふた、奇跡は休徴である、神の能と心とを外に表現すものである、瞬間に水を化して葡萄酒と成すを得るの能、之に合せて善を為して之を隠し他人《ひと》をして唯其恩恵に与からしめ、自身は善行を認められざるを歓ぶの心、此二が此奇跡に顕はれて之に由てイエスは其栄を顕はし給ふたのである、如斯くにしてイエスの栄は人の栄と異う、人の栄は人に認めらるゝの栄である、然れどもイエスの栄は人に認められざるの栄である、大成功よ大事業よと云ひて人に誉められ社会に認めらるゝ栄はイエスの栄ではない、今日の基督信者、基督教会が大なる栄光と見做す者は決してイエスの栄ではない。
〇「弟子彼を信ず」とある、是れで奇跡の目的は達せられたのである、イエスは弟子に彼を信じて貰ひたかつたのである、是れ勿論彼のために必要ではなかつた、彼等のために必要であつた、イエスを識ること是れ真の生命である、而して宴に列りし主客一同に旨き葡萄酒を供すると同時に彼の弟子に永遠※[聲の耳が缶]きざる生命の水を与へんために彼は茲に此奇跡を行ひ給ふたのである、「弟子彼を信ぜり」と云ふ、彼を幾分了解したのである、彼の能と心とを知つたのである、真のメシヤ(教主)の何たる乎を解したのである、彼が能力ある、仁愛《めぐみ》ある、謙遜《へりくだり》たる者なることを示されたのである、讃美すべきかな主イエス!
 
(270)     聖書研究の目的
         (三月二十六日柏木聖書講堂に於ける講演大意)
                         大正5年5月10日
                         『聖書之研究』190号
                         署名 内村鑑三 述
 
 聖書研究の目的は何処に在る乎、之れ旧き問題にして今更講究する迄もないやうであるけれども然し我等が今何を為しつゝあるかといふ事を常に明瞭に知る事は極めて必要である、而して之を知るが為には約翰伝五章三十九節の語に如くものはない、曰く、
  汝等聖書に永生《かぎりなきいのち》ありと意ひて之を探索《しら》ぶ、この聖書は我に就て証する者なり、
と、之れキリストが彼と争ひしユダヤ人に向て説き給ひし語であるけれども実は何時の世如何なる人にも通ずべき大真理である。
 永生とは何である乎、此世の生命の終りし後享受する未来の生命である乎、即ち復活後の生命が其である乎、否な、永生必ずしも来世と同じ意味ではない、当時尚言語不完全にして多くの思想を表はすに僅少の語句を以てせざるを得なかつた、永生といふも亦さうである、之を今日の語を以ていふならば或は最善至高の生命である、凡そ世に貴きものにして生命の如きはない、而も多くの生命中最も貴きもの、それを指して永生といふのである、或は又恒久不変の生命である、生命は皆刻々に変りつゝある、其間に在つて唯一つ全く時を超越し昨日も今日も(271)永遠《いつ》までも変らず恒に最上の価値を保有する生命、それが永生である、或は又人類宇宙通有の生命である、唯に社会的又は国民的生命たるに止まらず遍く我等の心の中に通有する生命、それが即ち永生である、之を要するに生命中の最も貴き生命を称して永生と言つたのである、而して聖書研究の目的は此処にあるのである、永生に就て我等に証をするものが聖書である、聖書を学ぶとは永生を識る事に過ぎない、之れ聖書研究の価値ある所以である、此事を忘れて或は道楽の為めに古典学を弄ぶが如くに聖書を扱ふ者がないではない、或は唯聖書の彼語此句を拾集引用して以て自己の思想を証明するが為の材料に供する者がないではない、故に人は時として誤解を懐くのである、過日も或人よりかゝる意味の質問を受けた、其時余は答へて言うた、聖書研究の必要なる所以、殊に其有為の青年に取て最も必要なる所以は他なし、人類中に嘗てありし唯一の完全なる人の生涯、即ち此世に於ける唯一の完全なる生命を識る事であるからであると。
 然らばその永生、其完全なる人とは誰である乎、イエスは曰ふのである、「我なり」と、「聖書は我に就て証する者なり」と、驚くべく大胆なる申出である、若し之を人が口にするならば確に狂である、狂でないならば即ち神より他ない、狂乎、神乎、イエスの生涯が之を証明した、而して彼の一生と其死後今日に至る迄千九百年の歴史とが之を証明したのである、最善至高の生命、恒久不変の生命、人類通有の生命は唯ナザレのイエスである事を、故に我等は此語を永生其ものゝ自証として受くるの他ない、彼イエスが永生である、而して彼に就て証するものが聖書である、果して然らば聖書研究の目的と其価値との何であるかは最早問ふ迄もない、生命の最も善きものは個人に顕はるゝのである、歴史は英雄の伝記なりとカーライルは言うた、故に近来伝記学の研究益々盛となり神が我等に遣り給ひし偉人の生涯を識る事の価値は漸く世人の了解する処となりつゝある、今や哲学すらも(272)その最もよき研究法は最大の哲学者の伝記を識るに在りと見做さるゝに至つた、近時刊行の『美人禅』なる書の如き我邦古来の婦人にして菩提心を発し深き宗教的実験に入りしもの十数人を選び其生涯を綴つたものであるが個人の伝記を以て教を伝ふる処に著者の見識が窺はれるのである、而して個人の生命の最上なるものは唯一人に顕はれた、永生とは何ぞやと問はるゝ時に我等は哲学又は宗教上の議論に訴へない、唯ナザレのイエスを指して「彼なり」と答ふるのである、彼を識る事が永生に入る事である、故に之は万人に通ずる最大問題であつて学者も無学者も此点に於ては全く同じ立場に立つのである。
 人其専門の研究を定めんとするに当り何を選ぶも素より自由である、広き宇宙の知識が彼の前に置かるゝのである、然しながら若し最上の興味を起し最大の利益を収め而も今日の日本人に最も欠如せるものを選ばんとするならば他にはない、此世にありし唯一の完人《ペルフエクトマン》ナザレのイエスの生涯を学び且教ふる事是のみである、彼の神性問題は暫く措くとしてもその唯一の完全無欠の人でありし事は疑ない、試にカイムのイエス伝を繙いて見よ、唯五分間を費して最初の半頁を読む時にそれ丈けにて既に驚かざるを得ない、カイムは瑞西《スヰツツル》チウリヒ大学教授にして歴史専攻の碩学である、其材料蒐集の豊富にして精緻なる且悉く之を咀嚼して自己一家の見を樹つるの能力は殆んど絶倫である、素より吉往今来の偉人哲人の事に精通して居た、而も福音主義の人に非ずして純然たる学者の立場を守りし人である、其カイムが何と言うて居る乎、「茲に人あり、其死したる時齢三十を超ゆること二三、其公的生涯は僅に一年有余に過ぎざりき、而も其短き生涯を以て人類の運命を一変したり」と、以てイエスの生涯の如何に貴きものなるかを知るべきである、新約聖書中に在る彼の生涯が凡ての真面目なる人に最上の興味を与へざるを得ない、之を識り之を伝ふるより大事なる仕事は有り得ないのである、而して此完全なる生涯(273)即永生を識る事が聖書研究の目的である、之れ何人にも其経験と智識との程度に従ひ為し得る事であるが殊に今日の日本人に取て之程必要なる事は無い、此国に於て法律文学工業何でもあるけれ共唯一つ最も大事な智識が欠けて居る、大学に凡ての学科が備へられてあるけれども唯一つ此完全なる生命に関する学科が欠けて居る、此生命を識り且之を伝ふる事が青年の聖き野心とならん事を望むのである。
 今次の大戦争に就て多くの興味ある話を聞いたが就中近頃最も感動したるは或白耳義の戦場に於て斃れたる仏国騎兵士官の手紙である、彼は敵弾に中りたる後知覚を回復してより死ぬ迄の僅なる間に其感想を綴て自己の許嫁の婦人に送つたのである、其事が既に深き愛である上に其記事は更に感興が多い、曰く余は弾に中りて倒れた、覚めて見れば何人か余の口に水を注ぎつゝある、英軍の一士官であつた、彼も亦瀕死の重傷を受けて居る、やがて又余の傷の上に止血薬を塗つてくれる者がある、何ぞ図らん彼は敵なる独軍の歩卒であつた、彼も亦重傷に苦で居る、然るに尚も携帯の医療機械を出し三人に皮下注射を施した、三人共暫く苦痛を忘れさて互に家庭の話を始めた、彼等両人は何れも結婚後一年にして出征したのであつた、三人は言ひ合つた、「何故我等兄弟は戦はねばならぬか」と、其中に英士官先づ息を引き独兵も亦取り出したる祈祷文を読みつゝ眠つた、今や余も亦逝くのである云々と、茲にキリストの話も何もない、又三人が自覚したか否哉は分らぬが永生が其中にあつたのである、時代を超越し国家を超越したる共通の生命が在つたのである、此生命が西洋諸国に流れて居るは深き理由のある事である、之あるが故に今次の戦は決して永久のものに非ずして戦後には更に美しき人道の華の開く事を知るのである。
 昨日は余の五十五回目の誕生日であつた、キリストを信じてより茲に三十八年、善かれ悪かれ、事は多かつた、(274)然し乍ら何よりも余を満足させた者は矢張ナザレのイエスを識つた事である、之に由て余の今日迄の生命に意味があつたのである、又之を少しなりと人に伝ふるを得たる事が余の最上の喜びである、凡そ職業を選ぶに己も楽しく人をも喜ばしむるものは何である乎、或はいふ音楽であると、或はいふ詩歌であると、何れも条件を備へては居る、然し此等の職業に共通の大欠点がある、其事が誰にでも出来ないといふ事である、キリストを識り之を伝ふる事は其点に於て完全である、自他共に無上の幸福を獲るのみならず何人にも力量相応に之を為し得るのである、此には報酬を要求するを要せぬ、人が此世の事に従事する時、殊に青年が将来の職業を選ばんとする時に念頭に置くべき最も大切なる問題は之である、即ち永生はナザレのイエスであつて彼を識る事が聖書研究の目的であると、彼に余及余の家族国民人類の救があるのである、聖書を研究して我等は唯自己の小さき痛を癒されんとして居るのではない、人類全体の霊魂の永遠の運命に関する問題に触れて居るのである。
 
(275)     幸福の途
                         大正5年5月10日
                         『聖書之研究』190号
                         署名なし
 
 人として生れし最大名誉最大幸福はイエスを知り彼に知られて彼の友人となる事である、而して彼の友人とならんためには彼と共に苦しまなければならない、即ち此世に擯斥せられ、教会に放逐せられて窮乏孤独の身となつて見なければならない、貴顕有司等の庇護う所となり、監督宣教師等の愛好する所となりて人はイエスの友人となりて彼の心を識ることは出来ない、社会の嫌悪教会の悪評はイエスの善き友人となるために最も必要である。
 
(276)     出埃及記講義
                     大正5年5月10日−6年3月10日
                     『聖書之研究』190−200号
                     署名 内村鑑三 述
 
    第一回 イスラエルの救出とモーセの出生 (四月九日)
 
      出埃及記自一章一節至二章十節
 ユダヤ人は偉人なる民である、主イエスを初め幾多の偉人が彼等の中より輩出した、今日仮令国家を形成せずと雖も彼等は陰然強大なる世界勢力である、嘗て独逸のフレデリツク大王が其侍医チムメルマンに向ひ「汝の信ずる基督教の目前の証拠は何である乎」と尋ねし時に、この賢き老人は言下に答へて「陛下よユダヤ人!」と言うたさうであるが、実に彼等の勢力は盛なるものである、我邦も亦近来其影響を感ずるに至つた、一昨年日本が露国の肩をもちて独逸に対し宣戦をした時に甚だしく之を怒り勲章までも返上したと云ふかの紐育の富豪シツフはユダヤ人である、日露戦争の軍費も彼の賛成ありしが故に滞なく之を調ふる事が出来たのである 今や世界に生存する千二百万のユダヤ人が経済財政文学哲学につき握れる実力の偉大なる、大国と雖も及ぶ処ではない、殊に心霊の問題に於て我等のユダヤ人に負ふ処は実に無窮である、聖書を作りし者はユダヤ人であつた、主及び其使徒がさうであつた、或意味に於ては我等も亦ユダヤ人であると云ふ事が出来る、而して出埃及記は其ユダヤ(277)人勃興の歴史である、故に之は我等に取ては心霊上の祖先の歴史であつて恰も神武天皇東征の記事に対すると同じ興味を以て読むべきものである。
 モーセは偉大なる人である、古来英雄豪傑雲の如く多しと雖も就中最も偉大なりしは何人である乎、(勿論一人は除外して)、歴史家は研究を重ねた末モーセが其れであると言ふ、偉人伝に彼を脱するならば最大偉人を逸するのである、彼を知らざるは世界歴史に就ての無学を表はすのみならず、又知らざる人の大なる耻辱であつて又大なる損失である。
 故にイスラエルの救出とモーセの出生とは世界の二大事件である、若しイスラエルにして埃及より救出されず、モーセにして此世に生れざりせば、世界は全く別の物であつたであらう。
 此の救出を称して出埃及といふは意味深き語である、当時の埃及は此世の勢力此世の社会を代表する、其中に神の言葉を受け神の特別の導きの下に在る団体がある、後者が前者より分るることが即ち出埃及である、故に之は単にイスラエルの歴史のみではない、米国の建国も亦之であつた、英本国の貴族僧侶の堕落に堪へ得ずして特に聖められたりと信ずる少数の清教徒が小船に帆を揚げて大西洋を横切つたのである、我々自身の歴史にも亦必ず出埃及がある、一度は我々も埃及より救出されてカナンの地に向はねばならぬ、旧き埃及が後より迫ひ来りて「帰れ帰れ」といふも応ずる事は出来ないのである、出埃及記は実は信者各自の歴史である。
 其出で去る動機は何である乎、圧制である、イスラエル人は有能にして且有力なる人民であつた、故に之を己がものとせずんば敵に与するに至らん事を虞れて抑圧を加へたのである、我等の場合も亦同じ、此世の中に有力なる異分子がある、之をどうかして置かねば家又は社会の妨害物になる、故に圧へねばならぬと、かくて圧へら(278)れたる者は益強くなり遂に去つて終ふのである、独り日本の社会のみではない、英国の如きにありても其上流社会にて信者となりしものが異常の迫害を受くることは余の直接或る英国の貴婦人より聞きし処である、実に何れの国に於ても教会そのもの迄が埃及となつて居るのである。
 イスラエルの救出は人類救済に関する神の永遠の御計劃の実行であつた、かゝる大事業が如何にして始まりし乎、全イスラエル人の上に神の霊が降りて共同奮起したのである乎、否な、聖旨は唯一人に伝はつた、出埃及の大任は唯一人の肩に負はせられた、而も其人は完成せられたる強き人として天より降りし者ではなかつた、彼は圧制に苦めるイスラエルの民の中に生れた、生るゝと共に死すべき運命の下に在つた、唯母は彼を殺すに忍びずして三ケ月の間之を匿したれども遂に匿し切れざるに至つた、殺さん乎、母たるの愛を奈何せむ、生かさん乎、王の命を奈何せむ、彼女は唯一縷の望を神に繋いだ、よし一瞬間なりとも生かし置かむには神或は特別に之を助け給ふ事があるかも知れないと、斯して彼は※[草がんむり/隹]《よし》の方舟に入れられナイル河辺の葦の中に隠された、寔に風前の燈の如き窮境である、鰐が来て一呑にすれば其切りである、然しながら茲に最も自然なる母の美しき情が顕はれた、モーセの母は其子のイスラエルを救ふべき将来を明に知つたのではないけれども何か彼女の心に告ぐるものがあつた、「其美しきを見て」とは貌が美《よ》いといふ事ではない、何となく深き徴《しるし》が見えたのである、人は誰も之を知らない、唯母丈けは知つた、何となく貴き子たるを感ぜざるを得なかつた、そこで迚も駄目とは思ふけれども出来るだけやつて見やうと力めた、是は奇蹟でも何でもない、母たるの自然の情である、人の情として最も美はしきものは之である、婦人の大なる福音と其重き責任とは此処にある、一瞬間でもと願ひし母の心が人類の最大偉人を救ふたのである、モーセの母は実に世界の恩人である、神の人を救ひ給ふに必ずしも超自然の力を要(279)しない、イスラエルの救出の如きはかくも危き窮境より始まつたのである、世界を動かしたる偉人の生涯にかゝる実例は少くない、クロムヱルの幼時祖父の許を訪ねた時に突然猿が彼を抱きて染上《はりのうへ》まで駆け登つた、其時若し下に居たる母が騒いだならば嬰児は猿の手より落ちて果てたであらう、而して英国を初め世界に於ける民権自由の思想は其光輝ある歴史を失つて居たであらう、幸にして母の沈着の為めに此偉人は事なきを得たのである。
 偉大なる民イスラエルの揺籃は偉人モーセの手に託せられた、モーセの揺籃は※[草がんむり/隹]の方舟であつた、而して之を作りしものは彼の母の愛であつた、小《さゝや》かなる源より大なる河が流れたのである、神の為し給ふ処はかくして成就されたのである。
 
     第二回 モーセの出現 (四月十六日)
 
       出埃及記二章十一節以下
 モーセ既に齢四十、即ち日本人の所謂分別盛であつた、然し彼は尚一個の青年であつた、国人の迫害せらるゝを見て憤慨に堪えず遂に其敵を撃ち殺し翌日発見せられたるを覚るや恐を抱いて逃亡した、之れ青年の為す処である、神未だ召し給はざるに自ら事を為さんとする時の失敗である、国を救はんが為に腕力暴力に訴ふる愛国者は少くない、彼等或は曰ふ、罪悪の世に在て正義を行はんとするに罪悪手段によるは已むを得ざる事であると、然し神の事業は此の如くしては成らない、人の怒は神の義を行ふこと能はずである、其志は嘉すべきも手段が誤て居ては人を救ふ事が出来ない、かの社会主義(殊に日本に於ける)の根本的に誤れる所以は此処にある、青年の世に出でゝ第一に嘗むる苦《にが》き経験をモーセは今嘗めたのである、彼は其敵を撃つに「右左を視まはして」之を為(280)した、此一事に徴するも未だ時機の到らざりし事は明かである、真に神より召ばれたるものは右を見ず左を見ず友人己を助けざるを憂へず国民己に敵するを怖れず、唯一人の味方に倚頼むのである、其事の出来るまでモーセは尚国人を救ふの資格がなかつたのである。
 然し学ぶべきはモーセの精神である、幸にして危き死を免れ時代の与ふる凡ての教育を受け王女の養子として宮廷に育てられて彼の前途は洋々たるものであつた、彼の才能を以てしてよしパロとなるを得ずともヨセフが成りしやうに埃及国の大臣となる事は決して難しくはなかつた、故に此時彼の前に二の途が開かれて居たのである、此儘埃及に止まりパロ政府の枢機に参与し埃及人の上にも勢力を振ひて之と調和を保ちつゝイスラエルに対する彼等の圧制を解きて其境遇を改善し以て国民としての繁栄を図らん乎、愛国の精神にも適ひ恩人に対する義理をも完うし兼ねて自己の栄誉をも恣にする事を得るのである、之れ即ち万全の策である、然らば神の特に我を此処に置き給ひしは深き摂理ではあるまい乎と、此の如くに考へられなくはなかつた、自ら良き地位に上りて基
督者の為に計る事は多くの日本人にも起る考であつて必ずしも悪しき事ではない、若し誰かゞかゝる考を抱くならばモーセは其最もよき地位に在たのである、然し彼は此途を取らなかつた、彼は其よりももつと善き事を知つて居た、「大臣となつて民の為に尽すはよいかも知れない、けれども我が国人と苦難を共にするは更に善き事である、我は仮令奴隷と蔑視せらるゝとも寧ろ彼等と共に苦みたい」と、之れモーセの願ひであつた、彼の此心を能く読みたるものが希伯来書記者である、「信仰に由てモーセは成長《ひとゝなり》し時パロの女《むすめ》の子と称ばるゝを辞みたり、暫く罪の楽を亨けんよりは寧ろ神の民と共に苦難を受けんことを善しとしキリストの為に受くる※[言+后]※[言+卒]《そしり》はエジプトの貸財《たから》よりも宝貴《たふときもの》と意へり」と(十一章廿四−廿六節)、多分之が為に彼は心中幾多の闘を経たであらう、多くの(281)情実が彼を悩ましたであらう、然しキリストの心がいつの間にか彼の衷に宿つて居た、キリストは天の高きに在て人を救ふ事が出来たかも知れないが愛は之を以て満足しなかつた、愛は自ら最も低きに就くのである、天の高きより降りて罪人の間に伍し遂に十字架の死をさへ受け給ひし其心をモーセは少しく与へられたのである、癩病人を救はんが為め自ら病毒に犯さるゝ危険をも顧みず彼等と生活を共にして尽して居る西洋人が日本にもあるが此の如きが真の愛である、モーセに此貴き愛ありしが故に彼は第一の途を取らずして第二の途を取つた、時は未だ到らず手段は間違つて居たけれども彼の後日成功の途は此時開かれたのである。
 彼はミデアンの地に逃れて四十年間沙漠の中に卑しき牧羊者の生活を続けた、「斯て時を経る程にエジプトの王死ねり、イスラエルの子孫その労役の故によりて歎き号ぶにその労役《つとめ》の故によりて号ぶところの声神に達《いた》りければ神その長呻《うめkぃ》を聞き神そのアブラハム、イサク、ヤコプになしたる契約を憶え神イスラエルの子孫を看《かへり》み神知しめし給へり」、茲に神といふ字を五つ繰返してある、即ち凡てが神の手に移つたのである、事は之から始まるのである、モーセは最早や自ら国人を救はんとの考すら失つて終つた、自己に頼りしモーセが死して神のまに/\己を委ぬるモーセが顕はれた、四十年の埃及生活は彼に凡ての教育を与へたけれども彼をして何事をも為さしめなかつた、後の四十年の沙漠生活は彼をして神の声を聞くの準備を為さしめた、かくて彼は神の道具として使はるゝに至つた、今や事を為すものは彼に非ずして神である、故に如何なる難事と雖も成らざるはないのである、人の企つる処は悉く敗れ神の為し給ふ処は皆成就する、之れ聖書の我等に教ふる処である、我が学問我が熱心我が愛国心我が信仰は何でもない、凡て之等のものを棄てゝ全く神に頼る時に我等の仕事は始まるのである、但しかくいへばとて学問等は不用であるといふ事は出来ない、モーセには棄てる学問があつたから神の御用を勤む(282)る事が出来た、即ち自己の凡てを一度全く神に献げて更に神のものとして之を受けたのである。
 
     第三回 モーセの聖召 (四月二十三日)
 
       出埃及記第三章
 モーセはミデアンの地にて羊を牧うて居たが一日曠野の奥に到りし時ヱホバの使者《つかひ》棘《しば》の裏《うち》の火焔の中にて彼に現はれたとある、「使者」とはヱホバより遣はされたる者の謂ではない、ヱホバの自顕である、象となりて顕はれ給ひしヱホバである、故に之をヱホバの象と読むも謬ではない、其時モーセ見るに「棘火に燃ゆれど其棘焼けず」と、之は奇蹟である、然し聖書に記されたる奇蹟にして無意味なるものは一もない、必ず何か大切なる真理を教ふる為に行はれたのである、即ち奇蹟は言の一種である、事実を以て語られたる真理は終生之を忘るゝことが出来ない、此時モーセに示されたるも亦さうであつた、我等は此奇蹟の意味を探るに難くない、聖書に「夫れ我等の神は※[火+毀]尽す火なり」(希伯来書十二章二十九節)とあるが如く神は恐るべきものにして罪を怒り遂に我等を※[火+毀]尽し給ふかと思ふけれども、又実験に由て知る事は「我等の尚亡びざるはヱホバの仁愛《いつくしみ》により憐憫の尽きざるに由る」(ヱレミヤ哀歌三章二十二節)ことである、※[火+毀]き給ふけれども※[火+毀]き尽しはし給はない、此事を証明するものはユダヤ人の歴史である、而してモーセの茲に見たものは之であつた、神は今モーセをして特に此事を知らしむるの必要を認め給ふた、モーセ国人を救はんとしたるも国人之に応ぜず、却て益々其罪を重ね奴隷的生活に甘んじて居る、我民イスラエルは必ず亡ぶるであらうとは彼の感想であつたに相違ない、実に義の観念の盛なる者は国人に就て失望せざるを得ない、而して終に之を救はんとの念慮をさへ抛つに至るのである、モーセの如く性強烈に(283)して義心火の如き人にありては特に此感を深くしたであらう、是に於て神は御自身を彼に顕はし給ふの必要があつた、即ち「罪を憎むも仁愛によりて※[火+毀]き尽さず」との実物教育を為さんがために此奇蹟を行ひ給うた、モーセは之を見て終生忘れなかつた、此後彼は幾度かイスラエルの民につき失望を重ねしも其度毎に彼を支へ彼をして忍耐の中に希望を続けしめたるものは此ホレブ山中の簡単なる一奇蹟であつた。
 ヱホバの言には「我」といふ字が繰返されて居る(七−十節)、之れ前章三十二節以下と同じく既にモーセの手より離れ神の事業として始まりし事を示すのである。
 モーセは神の命を聞きて当惑した、今より埃及に至りイスラエルの子孫を導きて沙漠を超えカナンの地に移り以て新国家を樹立すべしと、実に驚くべき難問題である、世には一人の婦人を救はんが為に一生を費す者さへあるに老若男女幾十万、久しき奴隷生活に慣れ自治の精神もなき一大群衆を救出さんとの如きは曩日《まへ》の野猪的のモーセにはいざ知らず今のモーセには不可能の事であつた、彼は考へたであらう、之れ到底我が任に非ず、我は寧ろ舅の羊を牧うて静に一生を終らんと、然し神は言ひ給うたのである、「往け、汝の事業ではない、我が為さしむるのである」と。
 モーセは尚も此責任より免れんと欲して種々なる口実を持ち出した、「我れイスラエルの子孫《ひと/”\》の所に行きて汝等の先祖等の神我を汝等に遣はし給ふといはんに彼等もし其名は何と我に言はゞ何と彼等に言ふべきや」と(十三節)、是に於て神言ひ給ひけるは「我は有て在る者なり、……汝いふべし、我在りといふ者我を汝等に遣はし給ふと」(十四、十五節)、出埃及記は勿論哲学書ではない、之は単純なる歴史である、故にモーセの此問に対しても我名はヱホバなりと言へばそれで事は済むのである、然し真の神には名の附すべきものがない、日本の皇室に姓の(284)必要なきが如く宇宙万物を宰る神に名のある筈はない 若し強て名けんとするならば即ち「有て在る者」である、ヱホバと言ふも実はかゝる意味より出たのであらう、それが何時の間にか深き意味を離れ特殊の名の如くに思はるゝやうになつたのである、神は永遠の実在者、永遠のアーメンである、其特性は消極的に非ずして積極的である、或ものを為し給ふ神である、故に其聖旨は必ず成るのである。
 此の如く神はモーセを召して神の何たるかを示しイスラエルの救の為に遣はさんとし給ひしもモーセは己に省み数多の欠点あるを知り再三再四条件を提出して之を辞せんとした、然し神は遂に許し給はず、彼を推し出し給うたのである、真に神に召されて人を救はんとする者の経験は之でなくてはならない、神が此人と定め給ふ時は幾度か之を辞し最後に神の忍耐をも破らんとするに至りて已むを得ず立つのである、クロムヱルの初めて出た時も此様であつたとカーライルは記して居る、彼は自ら到底其任に当るべきものにあらずと思ひ彼の従兄なるハムプデンと共に米国に移住して農民とならんと欲し乗船までも定めた、けれども其船が予定より一日早く出帆したるが為に遂に英国に留まつたのであると云ふ、カーライル曰く若し其船が両人を運び去りしならば英国に民権自由は起らざりしならんと、神に召されたる者は終には厭でも立たざるを得ない、モーセの如く已むを得ずして出たといふ事が即ち彼が大事業を成就げしその発端であつたのである。 〔以上、5・10〕
 
     第四回 モーセの辞退 (四月三十日)
 
       出埃及記第四章
 茲に二つの奇蹟が記されて居る、モーセの手にある杖を地に投げしに蛇となりしは其一である、其手を一度び(285)懐に入るれば癩病を生じ之を再びすれば又旧の如く治癒したるは其二である、之等の奇蹟は果して何を教ふる乎、之を知るが為には出埃及記の全体を併せ考へねばならぬ、出埃及の事自体が著るしき神の力の発現であつて奇蹟なくしては意味を失ふのである、但し聖書は奇蹟の書なりと思ふは謬である、聖書の奇蹟は却て其小部分に過ぎない、之は必ず神が或る特別の事を行ひ給ふ時に起つたのである、初め神ヤコブに現はれ給ひしより出埃及に至る迄凡四百年、爾後預言者エリヤの時迄亦凡四百年更にイエスキリスト迄亦凡四百年、即ち聖書の奇蹟は凡そ四百年毎に行はれたのであつて其間には滅多に之に類する事は行はれなかつた、知るべし聖書の大部分は奇蹟以外の記事である事を、唯特別に大なる事の成されんとする時に奇蹟の行はるゝは已むを得ない、久しく奴隷生活に慣れたるイスラエルの民衆幾十万を率ゐて一人のモーセが紅海を渡りカナンに向はんとするが如きは奇蹟なくして到底行はるゝ事ではない、又出埃及は単にイスラエル人の歴史たるのみならず我等が此世と離るゝ事を意味するのであつて其時何か特別の力が我等に加はるに非ずば実行出来ない事は我等の能く知る処である、殊に又最後に此世を去て窮なき生命に入るには最も大なる奇蹟を要するのである、イエスの復活が奇蹟でありしやうに我等の復活も亦大なる奇蹟である、実に人類最高の希望を充さんが為には必ずや大なる奇蹟がなくてはならない、神の特別の力を必要と感じたる経験を有ちし者は決してかゝる奇蹟の存在を怪しまないのである。
 而して神の命に由り大なる奇蹟を行はんとする人には其人自身に奇蹟を示して置くの必要がある、モーセは昔自分の力を恃みし時と異なり今や己に何の力なき事を十分自覚して居るから此大事業を遂げんとするに当り度々失望する時があるに相違ない、其時つまらぬ者にも神の力加はらば大事を成し得る事を知らしむるは最も必要であつた、是に於て神はモーセの杖に由て奇蹟を行ひ給うた、杖とは牧羊者が羊を導く為に用ゐる棒であつて(286)恰も我等が運動の際に携ふるステツキの如く牧者に取つて常時其手を離れざる最も親しき者でありしと共に又最も普通の平凡なるものであつた、然るに神は此つまらぬ杖を蛇と化せしめ給うたのである、蛇を硬化《かたく》して杖となす事は当時埃及にて行はれたれども枯れたる杖を蛇となすは神の力ならでは出来ぬ事であつた、故にモーセは之を「神の杖」と呼び生涯離す事なく、後に紅海にて海の水を撃て之を分ちたるも此杖であつた、レピデムにて民皆水に渇きし時磐を撃ちて水を出したるも此杖であつた、又アマレク人と戦ひし時岡の巓に登り手にせる杖を挙げてイスラエルを勝たしめたといふ其杖も之であつた、神之を使ひ給ふ時は一本の杖も此の如き者となるのである、かの一商店の売子に過ぎざりし米国のムーデーが世界的の宗教家となりしが如き亦其一例に外ならない。
 而して又杖が恐るべき蛇となりしはモーセをして民の罪に対する警告を与へしむる為であつた、警告は其実行を伴はねばならぬ、罪に就て警告を与ふるも尚顧みざる時確に其罰の臨む事を知らしむるの必要がある、是に於て第二の奇蹟が行はれた、「手を懐に入れて之を出し見るに其手癩病(象皮病)を生じて雪の如くなれり」(六節)と、即ち警告を実行し民を罰するの力がモーセに与へられたのである、然しながら単に罰するのみではない、神は又モーセに由て恵を施し罪を赦し給ふ、「再び其手を懐に入れて之を出し見るに変りて他処《ほか》の肌膚の如くになる」(七節)と、即ち縛る力と共に釈く力が彼に加へられたのである、ヱホバは罪を罰せずしては置き給はない、然しながら又人を亡ぼし尽しはし給はない、モーセは前の火に※[火+毀]かれざる棘の奇蹟と共に長き間心に此奇蹟を噛み占めて其味を知つたのである、故に彼の厳格なる人格の底に深き慈悲を湛へて居たのである。
 此の如く神は種々なる奇蹟を以て意味深き実物教育を施し給ひしもモーセは尚最後に其訥弁を理由として飽く迄神の命を拒んだ、「是に於てヱホバ、モーセに向ひ怒を発し」給うたとある、モーセの長き経歴の中に若し非難(287)すべきものありとせば後に十誡の石板を地に抛ちたる事と此の事との二であらう、モーセは口重き人であつた、然し訥弁神に於て何かあらん、神共に在り給はゞ訥弁の中に大雄弁があるのである、神は其真理を語らしめんが為に却て言無き者を選び給ふ、米国の伝道者として最も専敬せられたるフイリツプス・ブルツクスの如やも天性訥弁の人であつて大学を出でたる後自己の天職につき先輩に相談したるに何をやつても伝道師となる事丈は最不適当なりと言はれた、然るに神は彼を選びて大なる説教家たらしめ給うたのである、又余自身の経験も同じやうな事を示して居る、筆を執て文を綴るは素と余の最も好まざる処であつた、嘗て札幌にて学年の試験を終りし時如何に文学を嫌ひしかを示さん為め人の面前にて文学の講義筆記を焼き棄てた事がある、若し其時人に相談したならば必ずや余を戒めて筆執る事丈は止めよというたであらう、然るに其文学嫌ひの余が遂に今日迄筆硯の業を続けて来たのである、事を定むるに自己の天性其他の境遇は条件とはならない、唯神の聖旨に由るのである、モーセは此点に於て余りに固執し過ぎたる為め彼に代りてアロンの出づるに及び却つて事をして混雑たらしめたのである。
 モーセは遂に神の命に応じて立つた、而して妻チツポラも彼に従つた、チツポラ素と柔順なる妻なりしも唯割礼の事丈はモーセの言に反して之を行はなかつたらしく見える(割礼は単に儀式ではない、猶太人に小児の死亡率甚だ少き原因の一は割礼にあると称せられる)、然るに共に旅行して沙漠中の岩窟に宿りし一夜危険なる疫病の襲来に遇ひてチツポラは恐怖の余り其長く夫に逆らひしを想ひ起し遂に其子に割礼を施した、而も尚快らざりし為モーセの足下に血の皮を抛ち「汝は誠に血の夫なり」と叫びしといふ、後モーセが埃及を出た時舅ヱテロが「「遣還《おくりかへ》されてありしチツポラと二人の子とを連れ来る」(十八章二節)とあればチツポラは遂に夫モーセと事を(288)共にする能はずして此所より生家に返送されたのであらう、小なる家庭の記事なるも我等の為に大なる誡めを伝ふるのである。
 
     第五回 イスラエルの救出−解放第一歩 (五月二十一日)
 
       出埃及記五章六章
 モーセは遂に神の器として働かざるを得ざるに至つた、初のモーセは自ら立たんとし後のモーセは神より強ゐられ已むを得ずして立つた、今や事は全く神本位である、人は何でもない、神が凡てゞある、人物崇拝は茲に根絶せられた、イエスの時代に於けるユダヤ人の信仰堕落はモーセを非常に大事に思ひし事にある、今も同じくメソヂスト教会はウエスレーを、ルーテル教会はルーテルを喧しく言うて止まない、然し出埃及記の教ふる処は之と異なる、人類中の最大偉人モーセと雖も神の前に立ちて如何に小なる者なるかを示すのである。
 モーセは入てパロに曰うた(パロ即ち埃及の帝王は圧制君主なりしも能く人を引見した事は史家の証する処である)、「我等をして曠野《あらの》に出で神と宴会する事を得しめよ」と、曠野にてである、而も神と筵を共にすといふのである、実に之れ不思議なる意味深き語である、埃及は当時の開明国であつた、凡ての快楽は此処に得られた、然るに其の埃及を去て曠野に出でんとは何の故である乎、又神と御馳走を共にすとは何の謂である乎、パロ素より之を解しなかつた、然し信仰の経験ある者は其深き意味を察する事が出来る、之れ解放の第一歩である、前にも言ひしが如く出埃及記は国民の歴史を以て我等の生涯を表はしたものであつて、此世を代表する者は埃及であつて、此世の王即ちサタンを代表する者はパロである、而して我等各自は皆此世の奴隷として苦役を課せらるゝ(289)のである、之より脱出するは難中の難事である、如何にして其事が成し遂げらるゝ乎、唯神の力に俟つの外ない、神に召されて断然此世を去り沙漠に出でんとする時埃及は驚きパロは怒る、人が真にキリストを信じて十字架を負はんとするは大事件である、其時種々なる圧迫が彼に臨む、「彼等は懶惰《ものう》きが故に此の如き事を言ふなり、人々の工作を重くして之に労《はたら》かしめよ」(五章八、九節)と、パロは斯く言ひて瓦を造る禾稈《わら》を与へず自ら之を集めしめ其苦役を一層甚だしからしめた、我等の場合も亦同様である、或は反対に誘惑を以て我等を堕落の淵に沈淪せしめんとする、兎に角解放第一歩は信者をして却て前よりも一層悪しき状態に陥らしむるのである、此経験は世の終る迄止む時がない、ルーテルの生涯もさうであつた、彼は信仰の篤き国と家とに生れながら真に此世を棄てたる時の彼の父の怒は非常なるものであつた。
 此世を去りし後に来るものは曠野である、人無き寂寥の沙漠にて唯ヱホバと共に御馳走を食するのである、茲に埃及の肉と野菜はない、唯天よりのマナがあるのみ、埃及を出でゝ一足飛びに蜂蜜と乳の流るゝカナンの地に到る事は出来ない、一度は必ず曠野を通らねばならぬ、長き間沙漠の労苦を嘗め神の与へ給ふ食物のみに由て養はれねばならぬ、之れ甚だ辛き事である、伝道者の苦衷は茲にある、よき境遇の人が埃及を出づる時の苦を見る毎に最早伝道はなすまじと思ふ、然しながら之れ実に必要の第一歩である、之を措いて他に救の途はないのである、キリストを信じて直によき境遇に入らんとする程大なる謬はない、教会の根本的誤錯の一は之である、今日快楽主義徒に跋扈し、殊に米国人の如く日曜日毎に教会を出づれば即ち自働車を飛ばして縦横に衢衝郊外を馳駆し以て一時の快を貪るの時に当り、此世を棄てゝ沙漠に出でよと叫ぶ事の如何に不人望なるかは想像するに難くない、此間に在て弥縫を事とする教師の苦痛亦察すべしである、然しながらキリストの教は明白である、「曠野(290)に出でゝ神と筵を共にせよ」と、之れ聖書の明言する処であつて又実に信者の最大特権である。
 六章六節より八節迄の間に「我」なる字を繰返すこと十回凡てが「我」即ちヱホバの業なる事を示すのである、人が此世の圧迫より脱れ出づる事は決して人の力ではない、偉人モーセを以てしても出来ない、唯神がその聖旨により恵を施し力を加へ給ふ時にのみ救が始まるのである。
 「我全能の神といひてアブラハム、イサク、ヤコブに顕はれたり、然れど我名のヱホバの事は彼等知らざりき」(三節)、アブラハム、イサク、ヤコブはヱホバの名を知らざりしに非ず、其意味を知らなかつたのである、神を万物の造主なる全能者として解する事は難くない、然しヱホバの神は唯に全能の神ではない、ヱホバは「有て在る者」「我在りといふ者」である(三章十四節参照)、凡てがヱホバより出づるのである、イスラエル人の埃及より救出さるゝ其計画が彼より出で、其手段が彼より出で、之を実行し且つ完成するの能力が彼より出たのである、人に対してかゝる態度を取り給ふ神が即ちヱホバの神である、我の罪人なるに拘らず我を愛し、弱きに拘らず此世より救ひ、幾度か跌きて聖旨に背くに拘らず尚我を棄てずして導き給ふ其神である、一言以ていへば恵を己に湛へて他に俟たざる実在者である、万事を自ら為し遂げ人の往いてお頼みするを俟たざる神である、余のキリストを信じて救はれたるも亦信仰を維持して今日に及びたるも皆神の力であつて凡ての恵が全く神御自身より出づるのである、若し然らずんば余は今尚亡ぶるのである、かゝる神はアブラハムの知らざる処であつた、之を明白に我等に示し給うた者はキリストである、キリストに於て神御自身が我等に顕はれ給うたのである。
 六章十四節以下に二十九の人名を挙げてモーセとアロンの如何なる家のものなるかを示し以て系図の重んずべきを教へて居る、神は我等に於て祖先の事を忘れ給はない、モーセがイスラエルを救出したる背後には長き間の(291)善き遺伝があつた、勿論神は如何なる器をも用ゐ給ふのであるから系図なき者素より失望すべきではないが、同時に又善き遺伝を有する者は其事に就て神に感謝すべきである、モーセの祖先には優れたる人が多かつた、又彼と同族のコラは詩篇中の重要なる音楽家である、コラ家はイスラエルの神殿に音楽を供する大切なる家であつた、其他エレアザル、ピネハス等皆聖書に現はるゝ人物である、かゝる血縁を有せしモーセには自ら恵が之に伴ひ何ともいへぬ一種の気品人格が備はつて居たのである、系図の悪き者失望すべからず、良き系図を有する者は亦之を感謝して均しく神に仕ふべきである。
 アロンはモーセの兄、彼等はアムラムの子にしてコハテの孫、コハテはレビの裔、レビはヤコブの子であつた、信仰は系図に伴ふ者である。 〔以上、6・10〕
 
     第六回 イスラエルの救出とエジプトの裁判 (五月二十八日)
 
       出埃及記自第七章至第十二章
 出埃及記七章より十二章迄に於てモーセとアロンとがエジプト王パロの前に行ひし十大寄蹟が記してある、河の水を血に変ぜしめ全国に血あらしめたるは其一である、蛙《かはづ》上り来りてエジプト全地を蔽ひしは其二である、地の塵皆蚤となりしは其三である、蚋《あぶ》の群集全地を害ひしは其四である、悪しき獣疫起りて家畜皆斃れしは其五である、灰を撒布《まきちら》し人畜に腫物を生ぜしめたるは其六である、全国に未曾有の雹降りて産物を害したるは其七でぁる、東風起りて蝗を吹き送り国中為に暗く地の青物忽ち枯れ尽したるは其八である、稠密《ちようみつ》の暗黒三日の間全国を蔽ひしは其九である、而してかゝる禍害相続で至るもパロ頑にして尚悔改めざるを以て最後に国中の長子《うひご》(292)悉く撃たれエジプト全地に大なる号哭《さけび》起りしは即ち其十である。
 之等の奇蹟は素より皆神の行為であつて人の為す所ではないが故に普通天然の法則を以て之を律すべからざるは勿論である、然し乍ら注意すべきは其何れもエジプトに起り得べき種類の出来事であつて全然絶無の事ではないといふ事である、第一に全国の水が紅くなつたといふ、エジプトは沙漠の間に横たはる帯の如き土地であつて、之を流るゝ河は唯一ナイルあるのみである、国中の飲用水も灌漑用水もみな此河に之を仰ぐのである、循つて若し何かの方法に由て此河水が紅くなるならば全国の水も亦血の如くにならざるを得ない、而して此地方に於て河水が紅色を呈する原因を想像する事は必ずしも難くないのである、かの紅海の如きは時々一種の小虫が群がりて諸所に真紅の集団を現はし為に海水を紅く染むるに由て其名があるのである、其如くナイル河にも亦何か下等動植物が発生して類似の現象を生ずる事があつたのであらう、第二以下の蛙、蚤、蚋並に蝗の襲来、獣疫の猖獗又は降雹等も亦之を想像し得べく灰の撒布とあるも多分沙漠より吹き来る細かき砂塵の意《こと》であらう、最後の長子《うひご》に関するものゝみは特別の出来事であるけれども其他の九の奇蹟は何れもエジプトにて有り得べき現象である、唯著るしく其度を強め且相連続して臨みしが故に奇蹟と見らるゝのである、奇蹟を斯く解するは決して神の力を減ぜんとするものではない、却て奇蹟の行はれし真の理由を知らんが為に無要の困難を除くのである。
 然らば之等の奇蹟の行はれし理由は何である乎 神イスラエルを救ひ給ふに他に途があつたのではなからう乎、此問題に答ふる前に我等は先づ当時の事情を考へて見なければならない、エジプトは当時の最大強国であつた、其国は富み其民は栄えた、其間に在て使役せられたる僅々数十万のイスラエルの民は寔に弱く卑しき国民であつた、然るに其中の一人が自らパロの前に出でゝ「我等に自由を与へよ、我等の戴く真の神に仕へしめよ」といふ(293)たのである、若し日本国の配下にある少数の台湾土蕃が突然斯る態度を取つたとしたならば如何であらう乎、事は実に無謀の極である、到底望み得べからざる事である、然るにイスラエルは遂に救出されてカナンに達し愈々発達して今日に及んだ、ユダヤ人の今日ある其事自体が根本に於て既に大奇蹟である、然らば即ち当初エジプトの地を出でし時に何か奇蹟が行はれたといふは最もふさはしき事ではない乎。
 然しながら之等の奇蹟を行ひし者は勿論モーセではなかつた、事はモーセ対パロに非ずしてヱホバ対パロであつた、神がパロと戦ひ給うたのである、モーセ偉大なりと雖もイスラエルの救出は到底彼の力に及ぶ事ではなかつた、彼は唯神の言を伝へ其命に維れ従ひしのみであつた、ヱホバ彼に命じて言ひ給ふ「汝パロにいふべしヱホバかく言ふ云々」と、即ちモーセ往きて共通りパロに伝へた、ヱホバ又命じて言ひ給ふ、「汝杖を挙げよ」と、即ちモーセ其杖を挙げた 彼の為したる事とては僅に一挙手一投足の労に過ぎなかつた、然しながら是に大なる信仰と勇気とが要つた、彼は自己の如何に小弱なるかを能く知て居つた、殊に驕れる強大の帝王の前に出でゝ卑しめられたる神の名により賤しめられたる民の為に説くは実に至難の業であつた、彼は事の成功を予期し得なかつた、我の如き者を以てして到底駄目であると、此の如くに思うて彼は飽迄固辞して受けなかつた、然しながらヱホバは彼の信ずる神であつた、イスラエルは彼の愛する民であつた、而して其ヱホバが命じ給ふのである、イスラエルが苦みつゝあるのである、神の名の挙げられんが為に、己が民の救はれんが為に彼は空しく躊躇するに忍びなかつた、彼は遂に信仰に由て立つた、彼は大胆にパロの前に出た、而して最も忠実に神の言を伝へ其命じ給ふまゝに行つた、而して見よ、驚くべき奇蹟は相尋で行はれ望むべくも非ざりし大事業は遂に成就したのである。
 我等は神の前に何の誇るべき処なき者である、我等は弱く小さく穢れたる者である、然しながら我等にも亦神(294)より負はせられたる義務がある、我等の周囲にも必ず夫々エジプトとパロとイスラエルとがあるのである、而して神は我等に其救出を命じ給ふのである、事は至難にして到底我等の力の及ぶ処ではない、「とても駄目である、我が父に福音を説くもとても駄目である、我が妻に悔改を促すもとても駄目である、我が恩人我が知己、彼等は皆とても駄目である」と、此の如くに絶望して我等は多く智慧ある沈黙を守らんとする、然しながら神は我等に何と命じ給ふ乎、往て福音を万人に宣伝せよと、之れイエスの教ではない乎、彼等も亦神の子である、我等にして若し真に神を信じ彼等の霊魂を愛するならば何ぞ断然立て彼等に神の言を伝へざる、モーセ憚らずしてパロの前に出でし如くに我等も亦神の命に従ひ臆する処なく口を開くべきではない乎、我等の力は素より何でもない、然し乍ら誰か知らん神我等の信仰に由て奇蹟を行ひ給ふ事を、先づ勇気を以て之を実行する事なくして徒に奇蹟の能否を論ずるは最も亦甚だしきものである、奇蹟は学理の問題ではない、信仰の問題である、奇蹟の事定まりて信仰起るのではない、信仰先づ起り奇蹟之に伴ふのである、信仰なくして奇蹟はない、神恵を施し給はんとするに当り我等信仰に由り勇気を以て神の命に従はゞ奇蹟果して行はれざるべき乎、言ふを休めよ我が力を以てしてはとても駄目であると、神之を為し給ふのである、神は我が信仰と勇気とを以て頑固なる老人の心を砕き給ふのである、神は我が口より出づる簡単なる言を以て骨肉同胞を悔故に導き給ふのである、唯臆して之を為さゞるが故に事はいつまでも成らない、奇蹟の行はるゝ樣会は多いけれども信仰と勇気とを欠くが為に空しく之を逸するのである、余の知れる或る知名の牧師に多年大隈伯邸に出入し伯より少からぬ援助を受けて居る人がある、余は或時彼に問うた、「足下は曾て伯に罪の悔改を促したる事ある乎」と、然るに彼は答へて曰うた、「否、そはとても駄目である」と、果然彼も亦不親切なる牧師であつた、自己を援くる者の霊魂を愛する事を知らないのである、(295)嘗て米国ケンタッキー州の某知事が名も無きメソヂスト教会の一牧師より悔改を説かれ初は甚《いた》く怒りしも遂に誠実なる信者となつた話がある、後其知事常に人に語りて曰ふた「余は多年政界にありて幾多の牧師に接し彼等の事業を助けたるも此時迄一人の真に余が霊魂の事を心配してくれた者がなかつた」と、実に若し真に禅を信じて大胆に其命に従ふ者あらん乎、一本の杖を拳ぐるのみにて大なる奇蹟は行はるゝのである、其事なきは之を実行せざるが故である、今次の大戦争の終熄は如何にして来るべき乎、若し信仰と愛とに充ちてキリストの名によりて両軍の間に立ち「汝等剣を収めよ」と叫ぶ者あらば何ぞ知らん此の惨劇も今日或は終局を告げん事を、唯自己のみを顧みる時人は臆して敢て進まない、然しながら神の言を有の儘に信じて簡単に之を伝ふる時神恐らくは大なる奇蹟を行ひ給はん、モーセの一挙手に強大国の滅亡とイスラエルの勃興とが伴うた、「汝等も往てその如くせよ」とイエスは我等に命じ給ふのである、我等のパロは近く我等の周囲にある、我等の家の中にある、適当の機会に祈を以て彼等の前に出で最も大胆に神の言を称へなば神必ず彼等を導き給ふであらう、聖書は我等の為に明白に其事を証《あかし》するのである。
 
     第七回 逾越節の起源 (六月十一日)
 
       出埃及記第十一、十二章
 逾越節及び除酵節の事に就ては新約聖書中にも之を記す処が多い、馬太伝二十六章十七節、馬可伝十四章十二節、路加伝二十二章七節 約翰伝二章十三節、同十一章五十五節等は其主なるものであるが殊に注意すべきは哥林多前書五章七、八節である、而して之が深き意味を探るは新約聖書中の最も大切なる教を知る事である、(296)旧約聖書は概して文字も粗朴にして美的ではないけれども人心の深き実験が其中に籠つて居る、就中逾越節、除酵節の如き其起源を知つて之を我等の福音の上に応用するときは永久の真理として限り無く我等の慰藉となるのである。
 逾越とは人の門前を通り過ぐる事である、即ちイスラエルの民がエジプトを出でんとする時アビブの月即ち我旧暦三月の十日に家毎に一頭の羔を取り(若し家族の数二十に充たざるときは隣家と共にす)其月十四日の薄暮《ゆふぐれ》に会衆皆之を屠り其血を取つて家の門口の両柱《ふたはしら》と鴨居とに塗つて置いた処其夜ヱホバの使者エジプトの国を巡つて上は王者パロより下は磨ひく微賤の婢に至る迄其長子たる者を悉く撃ち殺したけれども唯イスラエルの家のみは其門口に塗つてある羔の血が記号となりて使者は其前を逾ぎ越し災禍より免れたといふのである、而して其事は出埃及記十一、十二章の間に三度び繰返し記されてある、初めモーセ之をパロに対する警告の詞として述べ、更に其実行せらるゝに当りヱホバ又特にモーセをして之をイスラエルの会衆に伝へしめ給うたのである。
 神の命じ給ひし羔の血が記号となりて其下に隠れしイスラエル人のみが滅亡より救はれたと、之れ血腥き話である、恰も仏蘭西革命の時牢獄に繋がれた者の中|白墨《チヨーク》にて其室の戸に記号を附けられた者が悉く翌朝|断頭台《ギロチン》に載せられたといふ話に似て何の美はしき意味もないやうに見ゆる、又猶太人自身も其真の意味を解せずして此|節《いはひ》を守る者が多いのである、然しながら逾越節の深き真理はキリストに由つて明白にせられた、キリストの死が此教の説明となつたのである、其事はキリスト自らも宣べ給うたが殊に之を力説した者は使徒パウロである。
 我等の救はるゝはキリストの血に由るとは信者の口癖の如くに称ふる処である、其説明は何と附くるも、言葉其ものは之を棄つる事が出来ない、或は之れユダヤ思想であつて我等の思想ではないと言はゞ言ひ得るも兎に角(297)新約聖書中の最も大切なる教理として今日迄永き間我等の守り来りしものである、余自身も初め之を何か哲学的に説明し去らんと試みた事もあつた、血は生命である、キリストの血に由て救はるとはキリストの生命が我等に移るのであるといふやうに説いた事もあつた、然しながら年進み信仰進むに従つて愈々深く感ずる事は単にかゝる説明のみにては物足らぬといふ事である、血は生命であるといふは其説明の一部であらう、然し全部ではない、其全き意味は今は分明らない、然り意味は分明らないけれども余は唯之を信ずるのである、キリストの血が我等を救ふ事を信じ而して其深き真理の悉く明瞭に示さるゝ日を待つのである。
 イスラエルの出埃及は我等が此世を離れてキリストの国に移る事を意味する、然しそれのみではない、もつと大切なる事は最後に人みなキリストの台前に立つて審判を受け綿羊《ひつじ》と山羊とが分たるゝ日が来る其時に何人が救はるゝ乎を教ふるのである、其時義人が救はれ罪人が滅ぼさるといふ、然し其区別の標準は何処にある乎、道徳か人格かはた善行か、若し道徳問題よりすればエジプトの民数千万の中に善き人も少くなかつた事は、歴史に徴するも明かである、又イスラエルの会衆中に甚だ劣りし人もあつたに相違ない、それにも拘らず一夜ヱホバの使者国中を巡りし時イスラエルは悉く救はれエジプトは悉く撃たれたのである、其理由は何処にありし乎、曰く羔の血を門に塗つて其下に隠れたからである、神の我等を審判き給ふは即ち之である 道徳によらず品性によらず功績によらず唯キリストの血の下に隠るゝや否やによりて審判き給ふのである、神の審判の前に引出さるゝ時余の僅かばかりの事業や善行を持ち出すも余が救はるゝの何の理由にもならない、其時余は唯余を愛して余の為に十字架につき給ひしイエスキリストを憶ひ「彼の血に由て私を憐んで下さい」と神に訴ふるより他を知らないのである、唯キリストの血のみが余の隠場である、キリストの血の下に隠れて余は初めて正しき審判を受くるに(298)堪ふるも然らずんば余の救はるゝ望みはないのである、余を救ふものは彼の血のみである、之を離れて余の救は何処にもないのである。
 天の刑罰が全国に臨みし時イスラヱル人のみは門に血を塗つて之にょり災禍は我家には来らないと信じ安心して居たのである、若し彼等に取りそれが救の理由でなかつたならば如何に大なる恐怖が彼等を悩ました事であらう、然し救の理由は人格にあらず行為に非ずして唯羔の血にあつたのである、之に由て彼等の心に深き平和が失せなかつたのである、我等も亦同じ事である、自己の功績に由つてゞはない、唯血であるキリストの貴き血である、此血が我等の家の門の柱と鴨居とに塗つてある事を憶うて何が来るとも大丈夫といふ最後の安心があるのである、若しさうでないならば又々不安が始まらねばならぬ、又々戦慄せねばならぬ、罪の恐ろしさを深く自覚した者に取ては之より外に望みを繋ぐべき処はないのである。
 惟ふに人の思想にして之れ程深きものはないのであらう、余りに深きが故に之を説明する事が難かしいのである、然しこの犠牲の観念は実に人類の最も痛切なる要求に基くものである、世界何れの教にも之を見ざるはない、何か或者の犠牲に由て我等が救はるゝのであるとの思想は人心の奥底に深く刻み込まれて居るのである、唯深きに過ぐるが故に浅き頭脳を以てしては僅に其一小部分に触れ得るに過ぎないのである、説明は困難である、然し之れ信仰上の事実である、之を信じて限り無き慰藉が我等に望むのである。我等は皆遠からず恐るべき日に遇はねばならぬ遠からず死の見舞を受けねばならぬ、其時我等を慰むるものは道徳でもない品性でもない善行でもない、其時我は斯々の事業を為した、或は清き行為を続けた或は善き品性を保つた、人を救うた、親切を尽した云々とあらゆる良きものを数へ立てゝ見るも何等の慰めともならない、否
(299)キリストにより良心を鋭くせられた者に取ては過去を顧みて自己の功績の上に安心を求めんとするも全然不可能である、クロムヱルの如き偉人すら其最期には大声を発して「活ける神の手に陥るは恐るべき事なり」と叫んだのである、実に今や死せんとする時には考ふる力さへもないのである、其時唯我が為に死し給ひしキリストの血が我を救ふのであると憶ふに由て凡ての安心が得らるゝのである、然り之れ余の死の床の平和である、而して又最後の審判に立つ時の余の弁証である、余の救はキリストの血にある 其中にどれ丈け深き真理がある乎、之れ到底浅薄なる人間の智慧を以てしては測り知る事は出来ない、唯信者は聖霊の導きにより経験と研究との進むに従ひ何時か其貴さを完全に知る時が来るのであらうと思ふ、余は今之を説明せんとしない、唯之を伝へて以て其深き印象が諸君の心に刻み込まれん事を欲するのみである。
 
     第八回 除酵節《たねいれぬぱんのいはひ》 (六月十八旦
 
       出埃及記第十二章十四節以下
 除酵節とはアビブの月十四日に逾越の羔を屠りて血を家門に塗りし其夜よりパン酵を悉く家の中より取除きて七日の間酵入れぬパン即ち我国の煎餅の如き堅きパンを食ふといふ節期である 而して此間はパン酵の痕跡をも存してはならないのである、若し酵入れたるパンを食ふ者ある時は異邦人たると本国人たるとを問はずイスラエルの聖会より絶たれて終ふといふ事が出埃及記第十二章十四節より二十節迄に諄々《くど/\》しきばかりに繰返してある、此事は今もユダヤ人の厳格に実行する処であつて、十四日の夜には主婦は蝋燭に火を点じて家中を捜し廻り些少のパン酵をも残さじと悉く之を取除くのである、今日我等の家より酵《かうじ》を絶つといふが如きは何でもない けれど(300)も当時パン酵を得るに容易ならずして一度び之を絶つときは後に少からぬ不便を忍ばねばならなかつた時代に仮令小国なりとはいへ一国中よりパン酵を悉く絶つといふは確に重大な事であつた、抑も彼等は何が故にかく迄パン酵を嫌つたのであらう乎、之を理論に訴ふるも其意味を了解するに苦むのである、イスラエル人は唯之が神の律法であるとの故を以て幾千年の久しき間遵守し来りしに過ぎない、然しながら之には勿論深き意味がある、一朝之を解し得た時には其の我等に取て最も大切なる教訓である事を知るのである。
 汝等の誇るは宜しからず、少許《すこし》の麪酵《パンだね》其|全団《かたまり》を皆|発《ふくら》すを知らざる乎、汝等は麪酵なきが如き者なれば旧き麪酵を除きて新しき団塊《かたまり》となるべし、夫れ我等の逾越即ちキリストは既に宰《ほふ》られ給へり、然ば我等旧き麪酵を用ゐず又悪毒《あしき》と暴很《よこしま》の麪酵を用ゐず真実と至誠なる無酵麪を用ゐて節を守るべし(哥林多前書五章六−八節)。
 之れ除酵節の最も良き説明である、パン酵とは何ぞ、此世の精神此世の習慣である、悪毒暴很《あくどくばうこん》である、パン酵を絶つとは何ぞ、此世の精神此世の習慣を悉く棄て心に潜める旧き不信者時代の悪《にく》みと嫉みとを痕跡もなく一掃する事である、ヱホバのイスラエルより要求し給ひしは此事であつた、然し時来る迄は其真理を解する能はざるを以て初はパン酵を以て教へ給うたのである、此世の精神の標象《しるし》として罪の代表物としてパン酵の如く適切なるものはない、イエスも嘗て其弟子を誡めて「心してパリサイとサドカイの人の麪酵を慎めよ」と曰ひ給ひしはパリサイ、サドカイの人の教、其主義精神の意味であつた(馬太伝十六章五−十二節)、パン酵はパンに一時の味を附くるも為に其腐敗を速ならしめ又初は中に潜み隠るゝもやがて全団を発《ふくら》して悉く之を酵化するのである、其の作用は悪の感化に酷似して居る、此世の精神が我等自身又は我等の家庭に臨む時も此の如くである、卑しき(301)小説悪しき新聞雑誌等其初めは何でもないやうに見ゆるけれども之を受け入るゝ時はいつの間にか我等を囚へて終ふのである、茲に於てか除酵節の必要がある、ヱホバがモーセを以て命じ給ひし如く厳しくパン酵を絶つて其痕跡だもなからしむるは最も大切なる事である。
 而して除酵節を其精神に従つて能く実行したるはかの清党《ピウリタン》であつた、モーセがパン酵を悉く去れといひしが如くに彼等は清きを極端まで実行したのである、彼等の家庭に於ては悪毒暴很の痕跡をも許さない、其読み物其会講の一端に至るまで苟も穢らはしきものある時は之を排斥絶滅せずんばやまない、殊に彼等は其青年子女に及ぼすの悪影響を知つて之を恐るゝのである、故に男女の者が談笑の間に図らず漏らす事ある些々たる戯言の如きも、彼等の間に在りては真面目なる憤慨を以て極力排除せらるゝのである、彼等の態度は峻烈である、然し之れ世を清むるが為に必要であつた、クロムヱルの伝を読むものは当時の英国の清党がかゝる意味に於て除酵節を実行するに如何に厳格なりしかを知るであらう、其所為の余りに苛酷に見えしを厭うて英人は長き間彼を目するに偽善者を以てしたのである、然しながら彼及び其同志の為したる革命なかりせば今日の英国はなかつたのである、其事は実にカーライルの言ひし通りである、我等の間にも小なる除酵節を実行するが為め親族知人より恨まれ斥けらるゝ者が少くない、然れども恃むべき者は実は彼等である、過日も或友人を訪問したる処、平素厳格の故を以て近親より嫌悪せらるゝ其家庭に多数の学生の寄寓せるを認めた、聞けば日頃疎くせる親族の人々も自己の最愛の子を託せんとするに当ては彼を措いて他に信頼すべき家庭を知らず、従てかく多数の子弟を託せらるゝに至つたのであると、苛酷激烈に弊害を伴はないではない、然し之れなくして世は清まらざる場合が多くあるのである、弊害は改革其ものゝ罪ではない、人を愛し社会を愛するの心に燃えて改革を実行する時過激必ずしも恐(302)るゝに足りないのである、スペンサーは過激なる革命の害毒を論じてクロムエルの事業を其実例に挙ぐるも之れ誤である、今日英国が尚比較的清き国として存する所以のもの清党に負ふ処最も多いのである、米国の美はしき建国もまた彼等清党の事業であつた、加之其感化は今尚世界到る処に果を結びつゝあるのである。
 故に除酵節の実行は我等に取ても亦極めて必要の事である、イスラエルの婦人が夜蝋燭の光を手にして家中隈なく探りてパン酵を除きしが如くに我等も亦己の心の中より又我等の家庭の中より旧き此世の精神此世の習慣を根絶せねばならぬ、些少なりとも腐敗を帯びたる文学、姦淫罪に関はる凡ての汚れたる会話等は厳格に之を取締り若し家庭に之を発見したる時は恰も虎列刺やチプスの病菌を発見したるが如くに恐怖の心を以て之を排除すべきである、殊に細心の注意を要するは青年男女に関してゞある、一家の主たる者は彼等の為に屡々家庭の掃除を行ひて清潔を保ち主婦は之を援け子女亦両親の意を諒として尊敬を以て彼等に服従せねばならぬ、之れ古き除酵節の我等に伝ふる教訓である。
 尚茲に注意すべき一事がある、羔の血を門に塗らざりし者はヱホパの使者の為に撃たるゝも酵入れたるパンを食する者は単にイスラエルの聖会より絶たるゝのである、之れ甚だ賢き法律である、蓋し我等と神との結縁は羔の血を認むると否とに基づくのである、人若し羔の血を認め之を以て己が救の理由となさん乎、何人も彼と神との関係を動かす事は出来ない、彼にして不幸にも尚此世の精神習慣を断つ能はず、不信者時代の行を続くるに於ては已むを得ず聖会より絶たれ信者の社会より絶交破門せらるゝのである、然し之れ彼と神との関係を絶つ事ではない 彼を神に繋ぐものは羔である、羔の血である、人は之を奈何ともすべからずである、二者は自ら別の関係である、之を混同して教会は屡々大なる誤を為した、人を破門して彼を神より呪はれたる者の如くに感ぜし(303)め為に幾多の無神論者を作つた、然しながら絶ゆる者は人と人との交であつて彼と神との関係ではない、神と関係絶えざればこそ我等は暫く愛と礼儀とを以て袂を分つも其の再び帰り来らん日の近きを祈つて待つのである、而して共に心を合せて終り迄除酵節の忠実なる実行者たらん事を希ふのである。 〔以上、7・10〕
 
     第九回 細則の意義 (六月廿五日)
 
       出埃及記第十二第十三章
 逾越節の羔は疵なき当歳の牡即ち最も聖きものたる事を要する、而して之を屠りたる後其肉は悉く之を食はねばならぬ、其の之を食ふに就ても種々なる特別の方法を以てすべき事が教へられてある、而してイスラエル人は今日に至るまで之を実行するのである、之れ甚だ不思議なる習慣である、実行するイスラエル人自身にして其意義を能く知る者は多分少いであらう、然しながら之を基督者の立場より見る時は其中に亦深き意味の存する事を知るのである、其最も良き註解は約翰伝六章五十三節以下である、「若し人の子の肉を食はず其血を飲まざれば汝等に生命なし、我肉を食ひ我血を飲む者は永生あり、我れ末《おはり》の日に之を甦らすべし、それ我肉は真の食物又我血は真の飲物なり云々」と、寔に聖書の最も良き註解は常に聖書そのものである、逾越節の羔の肉を食ふは之に由て羔の生命を我等のものたらしめんが為である、羔の肉を食ふに非ざれば永生は我等に臨まないのである。
 而して之を食ふに「其頭と脛《あし》と臓腑とを皆食へ、其を明朝《あした》まで残し置く勿れ、其明朝迄残れる者は火にて焼き尽すべし」とある、即ち犠牲《いけにへ》の死体の何れの部分たるを問はず全部之を食すべしといふのである、何故頭のみを(304)食うて脛と臓腑とを棄てゝはならないのである乎、何故我が舌の味に適せざる部分迄をも皆食はねばならないのであるか、蓋しキリストを全く我がものとせざれば永生がないからである、世にはイエスを食ふと称して其頭のみを食ひ他を顧みざる者がある、即ちイエスより智慧のみを受けて感情の所在たる臓腑や実行の標象《しるし》たる脛を棄つるのである、或はイエスの言より道徳の教のみを受け或は彼の行のみを模倣するが如き皆彼を悉く食はざる者である、然し乍ら神は命じ給ふのである、「羔の頭と脛と臓腑とを皆食へ」と、イエスの思想《かんがへ》と情意《こゝろ》と行為《をこなひ》とを併せ食はねばならぬと、頭といひ脛といひ臓腑といふ、語は詩的ではない、散文としても甚だ粗雑なるものである、旧約聖書にはかゝる文字が少くない、故に或人は旧約聖書を評して「Shambles(肉屋)の宗教なり」といふ、牛や羊や豚などが血だらけになつて居るといふのである、一見さう見えないではない、然し一度び之を我等の霊的実験に照して考ふる時は其の最も深き真理を表白するものなる事を知るのである、神の備へ給ひし羔の全部を食ひ人の子の肉と血とを残す処なく摂取して初めて永生我に臨むのであると解して所謂「肉屋の宗教」も美はしき一篇の詩となるのである。
 又「其を生にても水に煮ても食ふなかれ、火に焼くべし」と、之れ亦「肉屋の宗教」である、然し亦最も深き教へである、我等の霊魂の糧となるべきキリストは所謂天命を完うして尋常の死を遂げたるキリストではない、火にて焼かれたるキリストである、我等の罪の為め神の怒の火に己を曝したるそのキリストでなくてはならぬ、自ら十字架に上つて神の人類に負はせ給ふべき罰を悉く己が身に引受けたるそのキリストでなくてはならぬ、羔を火に焼きて食うて初めて貴き味が出づる、其の如くに神の怒の火に焼きたるキリストを受けて初めて彼の貴き生命が我等に臨むのである、ユニテリアンの誤謬は此事を認めざるにある、彼等はいふキリストの来り給ひし(305)は死せんが為に非ず生きんが為なり、如何にして死し給ひしかゞ大事ではない、如何にして生き給ひしか其事が最も重大なる問題であると、然し十字架を離れてキリストを解せんとするも不可能である、彼が我等の救主たる所以は其十字架上の死にあるのである。 其他何故に「苦菜をそへて之を食ふ」べきである乎、何故「腰をひきからげ足に靴を穿き手に杖を取りて急ぎて之を食ふ」べきである乎、苦菜を副ふるは我等自身の苦き実験と共に之を食するの意である、キリストを受けて最もよく其貴き味を知るは我等自身艱難の中にある時である、又腰をひきからげ鞋を穿き杖を取るは此世を旅路と見、我等は「旅人また寄寓者《やどれるもの》」となるの意である、いつ迄も茲に腰を据えて此世を楽まんと欲してキリストの味はなくなるのである。
 此の如く一々之を我等の実験に照す時は聖書の片言隻句皆深き意味を発揮し来るのである、人或は之を目して牽強附会なりといはん、然しこの古き言葉と我等の実験とが余りに能く符合するのである、彼語《かのことば》を移してさながらに此語に当つるを得るのである、而して信仰の経験ある者に取ては之を斯く解して異存なきのみならず此処に尽きざる慰藉を発見するのである。
 次に注意すべきは逾越節より除酵節までの順序である、初に古先づ屠られ次に其肉を食ひ然る後除酵節を守るのである、此順序は偶然なるが如くにして偶然ではない、此順序は旧新約の全体を通じて変らない、我等の救は先づ神の古の犠牲を以て始まるのである、其他の事は皆其後である、普通教会等に於て説く処は其反対である、彼等はいふ、「先づ心の穢れを悉く洗ひ去るべし、然らば救はれむ、先づ室内を潔くせよ、然らば神臨み給はむ」と、然し我等は之を経験に由て知る、一方を掃除すれば他方は穢れ到底悉く之を潔むる能はざる事を、徐(306)酵節を最初に実行せんと欲して遂に之を実行するを得ないのである、キリスト先づ屠られて其血に由り我等の罪は贖はれ然る後初めて潔めらるゝのである、贖は先であつて潔めは後である、我れ久しく神に叛きたるに拘らず、我れ尚罪人たりしに拘らず、神我が為に其独子を賜うて其血を流さしめ給うた、先づ此恩恵に与り信仰を以てキリストを我有となしたる後初めて心の中より罪を排除するを得るのである、救は我より始まるに非ず、何処までも神より始まらねばならぬ、之れ厳格なる道徳の正反対である、先づ贖はれて然る後に潔めは来るのである、除酵節は後である、逾越節は先である。
 寔に我等の救はるゝ事その事が神の為し給ふ処である、神為し給ふに非ずんば救は不可能である、イスラエル人がエジプトを出でゝ遂にカナンの地に達したる旅行記は此事を最も明白に教ふるのである、「イスラエルの子孫《ひと/”\》ラメセスよりスコテに進みしが子女《こども》の外に徒《かち》にて歩める男六十万人ありき」と(十二章三十七節)、徒歩の男六十万といへば老若婦女を加へて凡そ二百万に達したであらう、而して其多数の人の辿りし道筋は何処であつた乎、エタムよりペリシテ人の居りしカナンの地に到るに直に海岸を縫うて進めば二百哩余に過ぎない、二ケ月を費せば優に到達するを得るのである、然るに「ペリシテ人の地は近かりけれども神彼等を導きて其地を通り給はざりき、それ民戦争を見ば悔てエジプトに帰るならんと神思ひ給ひたればなり、神紅海の曠野《あらの》の道より民を導き給ふ」とある(十四章十七 十八節)、即ちペリシテ人と戦ひ敗れなば気挫けて又エジプトに帰らん事を虞れ神は遠く紅海の曠野を廻らしめ給うたのである、かくて曠野に流浪する事四十年、漸くにしてカナンに達する事が出来た。
 民は二百万である、時は四十年である、而して所は曠野である、試に想ひ見よ、誰かゞ我が東京市民二百万を(307)率ゐて四十年間沙漠を歩みたりとならば如何であらう乎、之れ想像する能はざる事である、其事それ自身が奇蹟である、故に学者は或は六十万の数を出来る丈け切り下げんとし或は其旅行の距離を短縮せんとする、或は紅海と云ふは今の蘇西運河の開穿されし地峡の南部に当り紅海の極めて狭き部分であるといひ或は又地中海々岸のセルボニス湖水がそれであるといふ、然し如何に短縮軽減して考へんとするも事は到底奇蹟たるを免れない、之を学理に徴して解くべからず、唯之を信仰に照して初めて其深き意味と強き力とを感得する事を得るのである、出埃及は歴史上の事実である、而して又基督者の信仰上の実験である、キリストの福音の出現はイエスの出生に始まつたのではない、遠くイスラエル人のエジプトを出でし時に始つたのである、故にいふ「我れ我子をエジプトより呼び出せり」と(何西阿書十一章一節)、出埃及は実に基督教の濫觴である。
 
     第十回 初子の聖別 (七月一日)
 
       出埃及記第十三章
 逾越節あり而して除酵節あり之に尋ぐべきものは何である乎、神は羔の血によりて我等を滅亡より救ひ給うた、而して我等は羔の血を信ずるに由て己を潔むる事を得るに至つた、神既に我等の為に之だけの事を為し給へば我等も亦何か御礼を為さなくてはならぬ、何か神に酬ゆる処なくてはならぬ、之れ即ち犠牲である、「人と畜とを論《と》はず凡てイスラエルの子孫の中初めて生れたる首生《うひご》をば皆|聖別《わかち》て我に帰せしむべし、是れ我所属なればなり」と、エジプトの初子たる者は人の初子より畜の初子に至る迄悉く之を殺し給ひしに拘らず、イスラエルの初子はヱホバ之を贖ひ給ひしが故に、凡て初めて生れたる者殊に男子及び凡ての家畜の初子を悉くヱホバに献(308)ぐべし、エジプトより救出されたる恵の記念として永遠に此規定を守るべしといふのである、此単純なる一事が出埃及記第十三章に諄々《くど/\》しく記されてある、然し之れ単純なるが如くにして必ずしもさうではない、旧約聖書はキリストの世に出でゝ人を救ふの準備を為したものである、故に之を解釈するには一に基督者の立場よりせねばならぬ、神は先づ我等を贖ひ次に我等各自に己を潔むるの力を与へ給ひ然る後に犠牲を教へ給ふ、而して彼が先づ要求し給ふものは初子である、初子の献上、其意味する処は果して何である乎。
 子を有ちたる者は之を知る、人の最も大切なる者は子である事を、唯に人類のみではない、動物も亦さうである、而して子の中にも初めて生れたる子ほど大事なるはない、人は子を与ふる前には何物をも与ふるを得るのである、己自身をも与ふるを得るのである、「初子」といひて人の最も大事なるものを代表させる事が出来る、然るに神は其初子を献げよと命じ給ふのである、神は我等より最も良き者を要求し給ふ、其理由は「之れ汝等のものならず我ものなり」といふにあるのである、是に人若し真に神に贖はれたる所以を知るならば我が凡てを献上せざらんと欲するも能はない、而してこの感謝を以て初子を献ぐる時は単に初子を献げたのではない、我等自身をも献げたのである、初子の献上は即ち我等の凡ての献上である。
 而して初子の献上を永らく継続し来りしものはイスラエル人であつた、「ヱホバ能《ちから》ある手をもて我等をエジプトより導き出し給ひし」とある其恵を誌《おぼ》えんが為に彼等は自己の惣領息子を初め牛羊の初子、麦の初穂に至るまで悉く之をヱホバに献げざるべからずとの感覚にて養はれ来つた、我等の家そのもの我等の凡てが神への献物であると信じてキリストの時に至つた、かくして彼等はキリストの死を見たのである、「汝等が汝等の初子を我に献ぐる如く我も亦我が独子を汝等に与へん」との声を聞いたのである、其時のイスラエル人の心持は想像するに難(309)くない、彼等にはキリストを信ずるに長き間の準備が出来て居た、彼等に取てはイエスの神性は哲学上の問題ではなかつた、長き間に亘りて養はれたる犠牲の精神を以て「神其独子を賜ふ」との音づれを解釈して彼等は雀躍《こをどり》して喜んだのである、彼等は神の聖旨を推し量る事が出来た、彼等は神の愛の深さを想像する事が出来た、何となれば彼等自身に初子献上の覚えがあつたからである、我等に取ても亦さうである、神如何ばかりの愛を以て我等を愛し給ふか、其事を知らんと欲せば先づ自ら初子を献げて見るべきである、曹て余の許に或る仏教信者来り余に問うて「基督教の愛とは何ぞや」というた、余は答へた、「君若し之を知らんと欲せば君の有する最も大切なる者を何人にか与へて見よ、而も之を君を悪む人に与へて見よ、然らば神の愛の何たるかを少しく解する事を得ん」と、イスラエル人は此味を解したのである、長き間其初子を聖別して之を献ぐるの心持を味はつて居たのである、故に「神は其生み給へる独子を賜ふ程に我等を愛し給へり」と聞いて彼等は之を信ぜざるを得なかつた、かくて「其独子をも惜まずして我等の為めに附せる者はなどか彼に併《そ》へて万物をも賜はざらんや」と叫ばざるを得なかつた、実に此叫を発し得る者は福なる哉である、イスラエル人をして此信仰を抱かしめたるものは理論ではなかつた、それは多年の実行であつた、先づ自ら初子を献げたるその実験であつた。
 初のものを先づ神に献げんとの考はやがて其人が凡てのものを挙て神に献ぐるの象徴であり又其実証である、先頃も或る若き婦人にして嘗て此柏木の集りに出席して居た人が郷里に帰り其地の高等女学校の教師となりて初めて俸給を受取つた、彼女は之を喜び如何に之を使ふべきかを考へた、其時彼女の胸に浮びしは柏木の集であつた、是に於て其初穂を先づ神の事業の為に使はれたしとて送り越した、送られたる我等の喜は暫く措き之を彼女が今後如何に凡てのものを扱ふやの前兆として彼女自身の為に甚だ喜ばしく感ぜざるを得ない、之に反し凡て初(310)のもの良きものは先づ之を此世の為に献げ而して残るやくざ者丈けを神に献ぜんとするが如きは最も呪はれたる考である、之れ信仰の堕落である、米国の基督教の堕落の源は此処に在る、彼等は子供を神学校に送らんとするに当り其最も劣悪なる者を選ぶのである、而して又其中の劣悪者が選ばれて外国伝道に当るのである、秀逸なる者は之を法律実業に献げ劣悪なる者は即ち之を神に献ぐ、之れ彼等の神に対する態度である、教会に於ける献金の状況を一瞥しても同じ事が窺はれるのである、貴重なる宝石や凡ての美術を尽して飾りたる婦人が其懐中より一銭銅貨を摘出して集金皿の上に置くのである、斯くして彼等は畢竟自己の滅亡を招きつゝあるのである、今や霊的に見て米国の危険なる恰も火山の上に坐するが如くである、我等も亦稍もすれば最良きものを自己又は此世の為に使ひ悪き者を神に献げんとする、然し其結果は自己又は家庭の堕落である、凡ての最も良き者、凡ての初穂を神に猷ぐるは長き生涯の間に最も必要なる事である。
 茲に父たり母たる人に特に注意したき事がある、それは人が良き信者となり又は良き教師となるは其人一人の努力ではない、父母又は祖父母の力に竢つ処甚だ多いといふ事である、殊に母の胎内にあるの間に両親が之を神に献ぐる事は子をして最も完全に近き信者たらしむる所以である、嘗て我国に於て伝道に従事せる米人某氏は余に語つて曰うた、「余が日本に伝道を為すに至りし動機は余にあるのではない、余の母にあるのである、余が母の胎に宿りし時より既に母は此児を汝に献ぐと神に祈つた、余生れて其事を聞き又自己の罪人なるを知りし時外国伝道の決心は余に起つたのである」と、此の如く子の尚胎内にある間より之を神に献ぐる事は唯に其父母の信仰を表はすのみならず亦其子の為に無上の福である、今や日本に於ても信者たりし父母の孤児にして非常なる信仰を興し自己の一生を唯神の為にのみ献げんとの聖き決心を為すの実例を往々にして見るのである、之れ父母の祈(311)が子の上に実現したのである、初子の献上は子の為に最も大切なる事である、勿論之を為ざゞればとて直に患難を以て罰せられない、然しながらもつと悪しき禍が後に我等に臨むのである、之れ神の聖旨といはうか自然の法則といはうか、兎に角事実である、願ふ、我等は一生を通じて我等の初子を聖別し以て感謝の献物を続くるを得ん事を。
 
     第十一回 紅海の横断 (七月九日)
 
       出埃及記第十四章
 イスラエルは遂にエジプトを出た、「ヱホバ彼等の前に往き給ひ昼は雲の柱をもて彼等を導き夜は火の柱をもて彼等を照して昼夜往き進ましめ給ふ」(十三章二十一節)、昔日沙漠を旅行するときは先頭に大なる炬火を焚いて進んだ、之れ沙漠は海と同じく眼界の尽くるまで目標の定むべきものなきを以て昼は煙《けぶり》を挙げ、夜は焔を挙げ以て方向を示したのである、殊に百万の大勢を率ゆるに当つては其必要の大なる事言を竢たない、故に雲の柱火の柱そのものは必ずしも例なき事ではなかつた、唯神之を導き給ひし事が特別である、寔に之れ全く神の導きであつた、一眸涯なき沙漠の空に、白煙高く舞ひ騰りて、杖を手にせるモーセ先づ進みアロン、ヨシュア、カレブ等之に随ひ、更に続く者イスラエルの民衆二百万、婦女あり老幼あり又家畜あり、雑然として進み往く処、正に之れ一幅の大活画である、過日米国紐育に於て軍備拡張示威運動の為め十五万の人が整然たる計画の下に順序を正して進行したる時一箇所を経過するに前後数時間を要したといふ、況んやモーセの率ゐし一大群衆の沙漠旅行の困難は之を想像するに難くない、之れ奇蹟なくしては到底成就する能はざる事である、果然、茲に又大なる(312)奇蹟が行はれた、其場所は「ミグドルと海の間なるピハヒロテの前バァルゼポンに対する地」であつたといふ(十四章十二節)、ミグドルとは何処である乎、ピハヒロテ、バァルゼポンとは何処である乎、其事は今より判明らない、源平盛衰記に記されたる東海道の地名が僅に七百年後の今日既に消えて尋ぬべからざるが如くである、然しながら出埃及記々者は兎に角其地名を憚らず明記したのである、当時此を読みし者に取ては其何処である乎は明白であつたのである、而して此地に於て特別の奇蹟が現はれたといふ、奇蹟を記さんとして先づ地理的に其場所を明白ならしめたのである、之れ奇蹟の事実を確信し自ら其記事の責任を負はんとする者に非ずんば能くせざる処である、奇蹟若し記者の想像に出づるならば寧ろ其地名を明にするを避けたであらう、然し自ら実験を経た者に取ては他の事は忘れても其大なる恵の行はれし場所は之を忘るゝを得ないのである、何処の何処と明確に断言せざるを得ないのである、基督者にして真に光明の実験を握りし者も亦さうである、彼等の中には自己の救はれたる日時までをも明確に示し得るものがある。
 然り之れ大なる奇蹟であつた、之を歴史的に説かんと欲して幾多の難問を生み遂に解くべからざるに至るのである、然し基督者は必ずしも之を歴史的に説かんと欲しない、彼は之を信仰の事実として受けんと欲する、而して信仰の事実として之を見て多くの明確なる真理が其中に籠つて居る、信仰的の解釈は却て歴史上の難問を解くのである。
 「茲にヱホバ、モーセに告げて言ひ給ひけるはイスラエルの子孫に言ひて転回《めぐり》てミグドルと海の間なるピハヒロテの前に当りてバァルゼポンの前に幕を張らしめよと」、之れイスラエル人の予期したる途ではなかつた、彼等はカナンに到るに多分近き海岸の地を東に進むのであらうと想像して居た、然るに神は言ひ給うたのである、「方(313)向を転じて南に由でよ」と、ミグドルは紅海西岸の高原であらう、即ちイスラエル人の立ちし所は前方と右方とは高原にして左方は海であつた、三面閉塞して唯後方の一路開けるのみ、彼等は神の命に従つて此地に幕を張つた、何ぞ図らん其後方の一路よりパロの軍勢追ひ来らんとは、イスラエルの進退茲に谷まつた、彼等は失望せざるを得なかつた、彼等はモーセを怨んで曰うた、「エジプトに墓の非ざるが為に汝我等を携へ出して曠野に死なしむるや、何故に汝我等をエジプトより導き出してかく我等になすや、我等がエジプトにて汝に告げて我等を棄ておき我等をしてエジプト人に事へしめよと言ひし言は之ならずや、そは曠野にて死ぬるよりもエジプト人に事ふるは善ければなり」と(十四章十一、十二節)、然しながらモーセは失望しなかつた、彼には信仰があつた、彼は答へて曰うた、「ヱホバ汝等の為に戦ひ給はん、汝等は静まりて居るべし」と(十四節)、而して彼の祈は遂に聴かれた、東風吹いて海は乾きイスラエルは事なく之を渡つた、彼等を追ひしエジプト人は途半にして海水に覆はれ悉く亡び失せたのである。
 之れ信仰上の実験である、我等は自ら近き途を取て進まんと欲する時神は屡々我等に命じて海とミグドルとの間バァルゼポンに対するピハヒロテの浜に出でよと命じ給ふ、往いて見れば即ち窮境である、人力の奈何ともする能はざる窮境である、其時兎もすれば我等も亦叫んでいふ、「最後は矢張り滅亡である、是の如くんば寧ろ不信者として幸福に暮したりしものを」と、然しモーセの信仰ある者は茲に望を失はない、人の力は悉く尽きたけれども之れ凡ての力の尽きたるに非ず、否人力の尽きし時に神は最も自由に働き給ふのである、其時神は特別の方法を以て途を開き給ふのである、クロムヱルの戦ひしダンバーの戦が其一例であつた、彼の軍隊は袋の中の鼠であつた、軍隊は皆失望した、然し独りクロムヱルのみは失望しなかつた、救は必ず来るのである、夜の明くるに(314)先だちて途は必ず開かるゝのであると、而して彼の祈は実現したのである、実にキリストを信ずる者は窮するといふ事を知らない、人は悉く絶望の声を発して滅亡を竢つ時に信者はモーセと共にいふのである、「神我等の為に戦ひ給はん、我等は静まりて居るべし」と、信者は如何なる場合にも望を失はない、さればとて所謂「成る丈け成るのである」といひて諦めない、又「当つて摧けろ」といひて騒がない、彼は唯神を仰ぐのである、彼は唯静かに祈つて神の救を待つのである、「汝等立ち帰りて静にせば救を得、平穏にして依り頼まば力を得べし」と(イザヤ書三十章十五節)、其時東風は吹き起り新しき途は海中に開くのである、斯くして見事に窮境より救ひ出さるゝのである、之れ我等に取て大なる教訓である、深き慰藉である。
 我等の最後の生涯終りて今や死の近づく時が之である、医師も我を助くる能はず、妻子友人亦奈何ともする能はず、前に横たはるものは死の紅海である、いつか一度は之を渡らねばならぬ、今日それを考へて想像に禁へない、然し信仰ある者には其時にも亦途が開かるるのである、更に大なる恵に感謝しつゝ新しき救に入る事を得るのである。
 或は又罪の自覚切りに萌えて苦悶懊悩抑ふるに由なく寝食を忘れて解決を求むるも之を得ず、傍人の慰藉は我に在て風馬牛に均しく我自ら我を奈何ともする能はざる時、思はざる所に途は開けてキリストの十字架は我に顕はれ恐ろしき罪の苦みは悉く取り除かるゝのである。
 其他或は貧に迫りて餓死せんとする時、或は万人我を棄てゝ顧みざる時信者は常に祈りて待つのである、而して救の手は必ず彼に臨むのである、故に信者は如何なる窮境に陥ると雖も後退するを知らない、後は唯前へと進むのみである、前が見えざる時にも尚進むのである、「ヱホバ、モーセに言ひ給ひけるは、汝何ぞ我に呼はるや、(315)イスラエルの子孫《ひと/”\》に曰へ、前へ進めよと」(十五節)、「前へ進め」、之れ真に良き語である、之れキリストを信ずる者の標語である。
 而して此時「雲の柱其|前面《まへ》を離れて後に立ちエジプト人の陣営とイスラエル人の陣営の間に至りけるが彼の為には雲となり暗となり之が為には夜を照せり、是をもて彼と是と夜の中に相近づかざりき」とある、イスラエル人には光と見えし雲の柱がエジプト人には暗と見えたといふのである、之れ亦奇蹟といはゞいひ得べく其説明は種々あるであらう、然し我等の実験は其意味を解くのである、我等の為には光であり慰藉であり命の磐であるキリストの十字架、それが此世の人の為には疑であり嘲弄であり躓の石である、我等を照し導くもの彼等に取ては却て暗と見ゆるのである、而して此十字架が我等と彼等との間に在るが故に彼等は我等に近づくを得ないのである、若し之が十字架に非ずして哲学であつたならば如何であらう乎、世の人も亦喜んで之に近づくであらう、而して我等は遂に彼等を離るゝ事が出来ないであらう、唯「沈淪者には愚かなる者我等救はるゝ者には神の能《ちから》」たる十字架なればこそ我等をエジプトより救出すことを得るのである。
 此紅海横断の精神を最も明白に言ひ表はしたるものが哥林多前書十章一節二節である、「夫れ我等の先祖は皆雲の下に在りみな海を過《とほ》り皆雲と海にてバプテスマせられてモーセに属けり」、バプテスマとは何ぞ、雲の導きあり海の導きあり而して遂にエジプトより離れモーセと同体となりし其事である、之に由てエジプトとイスラエルとの間に大なる距離が横はつたのである、荘厳なる水のバプテスマに良き利益がないではない、然し我等の受くべき真のバプテスマはこの雲と海との経験である、一度窮境に陥りて遂に全く此世より離れキリストのものとなる事之である、紅海の横断、之れ真のバプテスマである、之を為す迄は我等と此世との間に連絡が絶えない、此
 
      (316)実験を経たる時に我等は再び此世に帰る能はず、エジプトは再び追ひ来る能はず、何事が起るとも我等を神より離らする能はざるに至るのである、信者の福は茲にある、イスラエルの歴史に一紀元を劃したる紅海の横断は信者の生涯にも亦一新紀元を劃すべき真のバプテスマである。 〔以上、8・10〕
 
     第十二回 神の僕モーセの歌 (九月二十四日)
 
       出埃及記第十五章
 イスラエルは窮境より救ひ出された、三面閉塞して後方の一路より優勢の敵は迫り来り進退茲に谷まりし時忽ち東風吹いて海水分れイスラエルは無事彼岸に上陸し埃及人は途中にして海水の為に覆没全滅した、其時イスラエルの口より讃美の歌が湧いた、之れ恐らく讃美歌中の最初のもの又其模範であつて最も驚くべき歌である、新約聖書には之を「神の僕モーセの歌」と称して居る(黙示録十五の三)、蓋し其最も適当なる名称である。
 神の僕モーセの歌は大略左の如くに歌はれた者であらう、会衆は男女の二隊に分かれ、男子隊の低音に対しミリヤムに導かれし女子隊の高音が応へたのであらう。
 
   一   我れヱホバを歌ひ頌めん
       彼は高らかに高く座《いま》すなり、
       彼は馬と其|乗者《のりて》とを海に擲《なげう》ち給へり。(317)          前篇  回顧
   二   ヱホバは我力なり又我歌なり、
       彼は我救経となり給へり、
       彼は我神なり我れ彼を頌めまつらん、
       我父祖の神なり我れ彼を崇めまつらん、
   三   ヱホバは軍人《いくさびと》なり
       其名は実にヱホバなり。
   四   パロの戦車《いくさぐるま》と其軍勢とを彼は海に擲ち給へり            其勝れたる軍長等は紅海に沈みたり、
   五   大水彼等を掩へり、
       彼等は石の如くに淵の底に下れり。
 
   (繰り返し女の声にて)
       汝等ヱホバを歌ひ頌めよ、
       彼は高らかに高く座すなり、
       彼は馬と其乗者とを海に擲ち給へり。
 
   六   ヱホバよ汝の右手《みぎのて》は力を以て栄を顕はす、
(318)      ヱホバよ汝の右手は敵を砕く、
   七  汝は大なる栄を以て汝に対抗《さから》ふ者を減す、
      汝怒を発すれば彼等は藁の如くに焚尽《やきつく》さる
   八  汝の鼻の息により水積みかさなれり、
      浪は堅く立ちて岸の如くになれり、
      大水は海の中に凝《こゞ》れり。
 
   (繰り返し女の声にて)
      幻汝等ヱホパを歌ひ頌めよ、
      彼は高らかに高く座すなり、
      彼は馬と其乗者とを海に擲ち給へり。
 
   九 敵は言へり
     我れ追はん我れ追ひつかん掠取物《ぶんどりもの》を分たん
     我れ彼等によりて我心を飽かしめん、
     我れ我剣を抜かん我手彼等を亡さんと、
   十 汝|気息《いき》を吹き給へば海彼等を掩へり、
     彼等は洪水《おほみづ》の底に鉛の如くに沈めり。
 
(319)   (繰り返し女の声にて)
      幻汝等ヱホパを歌ひ頌めよ、
      彼は高らかに高く座すなり、
      彼は馬と其乗者とを海に擲ち給へり。
 
   十一 ヱホバよ神の中に誰か汝に如く者あらんや、
     誰か汝の如くに聖くして栄あり、
     讃ふべくして畏るべく奇蹟《ふしぎ》を行ふ者あらんや、
   十二 汝その右手を伸べ給へり、
     而して地は彼等を呑めり。
 
   (繰り返し女の声にて)
      幻汝等ヱホパを歌ひ頌めよ、
      彼は高らかに高く座すなり、
      彼は馬と其乗者とを海に擲ち給へり。
 
       後篇  予言
   十三 汝はその恩愛《めぐみ》をもて汝の贖ひし民を導き、
(320)      汝の力をもて彼等を汝の聖き住所《すみか》にまで携《つれ》行き給ふ、
   十四 民等聞きて慄へ、
     ベリシテの民|恐怖《おそれ》を懐く、
   十五 エドムの侯伯《きみたち》駭き、
     モアブの剛者《つよきもの》戦慄き、
     カナンの民等みな消失す、
   十六 恐怖と戦慄彼等に及ぶ、
     汝の腕の大なるが為に彼等石の如く黙然たり、
     ヱホバよ汝の民の通り過ぐるまで、
     汝の買ひ給ひし民の通り過ぐるまで。
   十七 汝は彼等を導き彼等を汝の産業の山に植ゑ給はん。
     ヱホバよ是れ汝の住所とせんとて汝の設け給ひし所なり。
     ヱホバよ是れ汝の手の建たる聖所なり。
   十八 ヱホバは世々窮なく治め給はん。
 
(321)   (繰り返し女の声にて)
      幻汝等ヱホパを歌ひ頌めよ、
      彼は高らかに高く座すなり、
      彼は馬と其乗者とを海に擲ち給へり。
 
 之を希伯来の簡潔荘重なる語にて歌ひし時その如何に壮大なる歌であつた乎を推察する事が出来る、而して是の如き讃美の声の上りしは其境遇より見て寔にふさはしき事であつた、此時イスラエルの取るべき途は唯三あるのみであつた、窮鼠却て猫を噛むが如くイスラエルも亦窮余七十万の総勢を纏め手にせる獲物を以て寄せ来る敵と戦はん乎、或は又モーセ自身若くはアロン、ヨシユア等首領中の一二をパロに遣はして或種の条件の下に妥協を試み再び埃及の地に帰還せん乎、戦争か将た外交乎、然し乍らモーセに取てはこの二は何れも不能であつた、今に至り万一の僥倖を期して戦ふは素より非である、一度び棄てたるパロと手を握るは更に非である、単に主義の問題としても之れ彼の忍びざる処であつた、是に於てモーセの選ぶべきは最後の一途であつた、彼は唯祈るべきであつた、神の特別なる援助によりイスラエル全民衆がこの窮境より救出さるゝの奇蹟を見むことを祈るべきであつた、而してモーセはこの途を選んだ、彼は祈つた、而して神その祈祷を聴き給うた、神は海水を分ちて途を開き給ひイスラエル全民衆悉く無事に渉つた、追ひ来る埃及勢は悉く溺死した、救は完全に実現せられた、驚くべき恩恵を実験して讃美の声は衷心より湧き来らざるを得ない、自ら戦うて勝ちし時に、或は外交の策略を弄して成功したる時に誇負《こぶ》はあつても讃美はない、基督者の讃美歌は人力尽き唯神の御手にのみ頼りしにより図らざる途が開けて特別の恩恵を実験したる時に初めて上るのである、是の如きが真正の讃美歌である。
(322) 真正の讃美歌が此の如くにして出づるものである事はモーセの実験に類したる実験を有するものゝ皆知る処である、基督者は窮境に陥りて敵と相対する時自己の力を恃みて戦ふ能はず、さりとて勿論世と妥協する能はず、彼は唯祈るのである、而して自ら知らず敵も亦知らざる意外の途が開けていみじくも救出されるのである、其時全身は踴躍して我知らず讃美の声を発するのである、かゝる讃美歌の中には神の力を頌め讃ふる感謝がある、又将来も必ず救はれむとの希望即ち一種の預言がある、信仰上の凡ての原則が其中に織込まるゝのである。
 モーセの讃美歌の最も著るしき特徴は一語と雖も自己に言及せざることである、徹頭徹尾神のみを讃ふる事である、「我」が云々したとは決して言はない、「イスラエル」の勇気忍耐に由り救はれたとは決して言はない、凡ての頌讃《ほまれ》を唯ヱホバにのみ帰し奉るのである、近時欧洲大戦に勝利を得たる者が偶々讃美の声を発するを聞くに多くは之れ自己讃美である、神の名は之を以て自己の功業を飾らんとする一種の偽善に過ぎない、往昔モーセと同時代の埃及又はバビロンの王等の神殿に感謝の言を刻み込みたるものを見るに皆同じく神の讃美と共に自己讃美である、「我」が斯く為したと言ひて喜ぶのである、ネブカドネザルの讃美の如き即ち其一例である、然るにモーセに在りてはさうではなかつた、彼は全く自己を無視した、彼は唯歌うていうた、「我れヱホバを歌ひ頌めん、彼は高らかに高く座すなり」と、「彼は馬と其乗者とを海に擲ち給へり」と、「ヱホバは我力なり又我歌なり」と、「彼は我救拯」、「彼は我神」、「彼を頌めまつらん」、「彼を崇めまつらん」、曰く「彼は」「彼は」である、「彼を」「彼を」である、凡てがヱホバである、「我」は何でもない、「我」の為す事ではない、「我」は唯祈るのみ、「彼」が一切を為し遂げ給ふのである、故に頌むべきものは唯「彼」であると、之れ実に神に頼る者の実験である、其個人たると国民たるとを問はない、誰か言ふ無抵抗主義は国家として未だ曾て試みられなかつたと、イスラエル(323)は実に之を実行したのである、故に彼等はヱホバの外に頌むべきものを知らなかつた、彼等は勝利を自己の力に帰さなかつた、近世の国家は先づ自己の陸海軍を讃美し然る後神を讃ふるのである、然しながら近時に至り英米の極めて少数者の間に又古き信仰が復興しつゝある、今一度び国家を全然神に委せんとするの信仰が起りつゝある、過ぐる日米国に於て軍備拡張の声喧しく示威運動の為の大行列が行はれた、大統領を初め朝野の名士挙りて此挙に加はり之に参与せざるを以て愛国心の欠乏を示すものゝ如くに見做した、其時に方り二人の公然之に反対し行列の参与を峻拒した者があつた、そは紐育ユニオン神学校の教授某氏と聖公会の監督某氏とであつた、監督曰く「余は恐らく之が為に余の職を失はん、余の配下の四十人の教師と多数の市民とは余を攻撃しつゝある、然しながら余にして若し此行列に加はらん乎、余の信仰は其時消滅するのである」と、米国の軍備拡張の主旨の那辺に在るやは我邦人の熟知する処である、然るに之等二人者の如きは即ち言ふのである、日本来らば来れ、我等は国を神に委せ奉ると、而して日本に取て恐るべきものは実はかの軍備拡張論者に非ずして之等の少数の無抵抗主義者である、かゝる信者の存在する限り精鋭なる軍隊も決して恃むに足らない、神遂に彼等の祈祷に応へて幾万の貔貅艨艟を太平洋底に投じ給はざるを保すべからずである。
 個人としても亦同様である、海と山とは前途左右を塞ぎ後を顧みれば優勢なる敵の寄せ来る如き窮境に立つ事必ずしも尠くない、如何にしてかゝる難局を脱すべき乎、信仰なき者は遂に敵に降るの外を知らない、世人も亦同情して曰ふ、かの困難なる境遇に陥りては余と雖も均しく敗れたであらうと、然しながら神を信ずる者は斯くは曰はない、彼は人力の及ばざる窮境も尚且神の支配の中にある事を知つて居る、彼は天地を司り給ふ神が見えざる処に途を開き給ふ事を信ずる、故に彼は唯祈るのである、而して果然驚くべき途は開くのである、思はざ(324)る方法に由て窮境より救出さるゝのである、其時彼は自己の頌むべき所以を知らない、又他人の讃ふべき所以を知らない、神を除いて彼の讃美を帰すべき者を彼は知らないのである、故に唯「彼」「彼」といひて神のみを高調するのである。
 「敵は言へり、我れ追はん、我れ追ひつかん、掠取物を分たん云々」と(九節)、即ち「もう占めたものである、最早我が手中のものである」と敵は言ふのである、之れ痛切なる実験の語である、此世の勢力ある富豪又は貴顕の如きも亦屡々斯く言ひて人を苦むる事を我等は知つて居る、彼等は自己の欲する処何事も金銭又は威力に由て成就し得べしとなすのである、其時一人の弱者の立ちて権利を主張し正義を絶叫するあるも恰も蟻の如くに蔑視せられるのである、然しながら信仰の立場よりすれば神より以外に恐るべきものはないのである、埃及勢抑も何者ぞ、「汝|気息《いき》を吹き給へば海彼等を掩へり、彼等は洪水の底に鉛の如くに沈めり」(十節)、富豪何者ぞ、貴顕何者ぞ、神の一気息彼等を滅ぼし給はん、前節の豪語と相此して対照の妙を極め文学上よりいふも絶倫の大文章である、信仰の偉大は此処にある、信仰とは単に心の純化ではない、信仰は勢力を恐れざる事である、近世の教育は徒に力の恐るべきを鼓吹する、然し信仰は勢力を恐れない、小の前に大の倒壊する事之れ信仰の偉大である、教会に勅任官の来るを以て誇とし此世の勢力と相結ぶを以て伝道の進歩と見做すが如き我国今日の宗教界に在りて信仰の偉大《グレートネス》を高唱するは正に刻下の急務たるを失はない。
 モーセの歌は之を二に分つ事が出来る、一節乃至十二節は回顧である、感謝である、十三節乃至十八節は予言である、希望である、神既に斯く迄恵み給へり、故に終迄必ず恵み給はんと、凡ての真の讃美歌は此二要素を含まざるを得ない、恩恵は一にして止まらない、故に大なる恩恵の臨む時は必ず眼を挙げて前途に横たはる更らに(325)大なる恩恵を望むのである、回顧と予言とは真の讃美歌の特徴である。
 モーセ久しくミデアンの地に在りて曠野の地理に精通して居つた、彼は沙漠の旅路の前途に強敵少からざるを熟知して居つた、ペリシテとエドムとモアブと、而して後にカナンである、前途は尚遼遠である、目指す聖き住所《すみか》に至る迄には幾多の敵地を通り過ぎなければならない、困難は終りしに非ずして之より始まるのであつた、然しながら紅海横断の貴き実験は彼をして希望を抱かしむるに余りあつた、彼は既にヱホバ如何にして埃及人を審判き給ひし乎を実見した、ヱホバは同様に又ペリシテ、エドム、モアブをも審判き給ふに相違ない、かくて我等を聖きカナンの地に導き給ふに相違ないと、是に於て彼は声高く歌うた、「汝はその恩愛《いつくしみ》をもて汝の贖ひし民を導き汝の力をもて彼等を汝の聖き住所にまで携れ行き給ふ」と(十三節)、而して之亦信者各自の実験である、聖き住所とは我等の天国である、我等の生涯の続く限り、我等の現世に彷徨する限り神は必ず贖ひ給ひし我等を導き、而して遂に聖き天国にまで携れ行き給ふのである、天国の希望、これ信者の紅海横断の実験の賜物である、信仰の報酬である、天国存在の証拠を示せよといはん乎、そは神の存在を説明すると均しく不可能である、然し乍らモーセの信仰を以て一度び紅海を渡りし者は天国を望まざるを得ないのである、天国は論証の問題ではない、実験の問題である、信仰の実験より自ら天国の希望は湧き出づるのである。
 寔に之れ偉大なる讃美歌である、神の黙示に由りて作られし讃美歌である、学者或は之を後世の作であるといふ、然しモーセに非ずしてかゝる実験を握りし者がありしとは思へない、之れ確にモーセの作である、モーセ必ずしも音楽を解したるに非ず、其楽器の如きも甚だ粗雑なるもめであつたらう、然るに信仰の実験は是の如き壮大なる歌を彼の口に湧かしめたのである、而も之を歌ひし者は数十万の全会衆であつた、否国民全体であつた、(326)救はれたる民が心の底より声を発して合唱したのである、史家は言ふ国民(nation)の発生はイスラエルの紅海横断に始まると、而して真の讃美歌の発生も亦茲にあつたのである、之れ今日のオラトリオの濫觴であつた。
 救の実験を経たる者は必ず独特の讃美歌を有する、日本の信者若しイスラエルに似たる実験を有するならば日本特有の讃美歌は発生せざるを得ない、日本人の歌を日本人の譜を以て日本人の楽器により合唱するの日が早晩来るべき筈である、必ずしも楽器の粗雑なるを憂へない、埃及の楽器によりて神の僕モーセの歌は歌はれたのである、神我を救ひ給へりとの実験に踴躍する者は又国民の救済、万民の救拯を望みて偉大なる讃美の声を発すべきである、之やがて又音楽そのものゝ救である。
 
     第十三回 メラの水とエリムの棕櫚林 (十月一日)
 
       出埃及記第十五章二十二節以下
 イスラエルはヱホバの奇しき救に由て無事に紅海を横断した、彼等は声を合せて讃美の歌を歌つた、彼等は既に埃及を出たのである、今より安全なる旅路は彼等の前に開けてやがて乳と蜜との流るゝカナンの地に到り着くを得るならんとは蓋し彼等の多数者の期待であつたらう、然し事実はさうではなかつた、彼等の前途は尚遼遠なる沙漠であつた、エタムの曠野を歩むこと三日にして彼等は忽ち水無きに苦んだ、遂にメラに到りて水を発見したがそは苦くして飲用に堪へなかつた、彼等は再び失望した、彼等は曩に偉大なる讃美歌を唱へし其唇をもて再び呟きを始めた、呟きは屡々彼等の繰返す処である、ピハヒロテにて進退谷まりしとて呟き、メラにて水無しとて呟き、後に又シンの曠野にて食物尽きたりとて呟かんとするのである、彼等は実に呟きの民である。
(327) 然しながら是れ神に導かれたる民の実験である、信者が神の導きに由り罪の世を去つて新しき国に出づるや否や先づ嘗めなければならぬものはメラの水の苦味である、彼等も昔のイスラエル人と均しく思ふのである、「最早我等は罪の世を出たのである、救の生涯に入つたのである、今より後は唯恩恵のみにして水も多く食物も豐饒《ゆたか》ならん」と、然るに何ぞ図らん忽ち水の不足は彼等を悩ますのである、漸くにして之を発見すれば味苦くして飲むに堪へないのである、即ち或は収入の不足である、或は旧友の離反である、或は疾病である、或は不幸である、埃及を出でゝ決して直ちにカナンに到り得るのではない、落寞たる曠野の生涯は必ず彼等を待つのである、之れ神の国に達する必然の径路である、然るにも拘らず信者も亦動もすれば呟きの声を発して旧き埃及の奴隷生活を回顧せんとする、イスラエルの経験は又すべての信者の経験である。
 民は是の如くモーセに向つて呟いた、然しながらヱホバに信瀬せるモーセは失望しなかつた、彼は毎時《いつも》の如くにヱホバに訴へた、ヱホバは即ち一本の木を示し給ひ之を水に投げ入れたれば水忽ち甘くなりて飲み得るに至つた、その一本の木とは何であつた乎、それを探らんとて近世の旅行家はシナイ山中所々捜索したるも遂に斯種の植物に逢着しなかつたといふ、然し問題はシナイ山中斯種植物の有無ではない、水を甘くしたるものは必ずしも木の枝ではない、そは神の特別の力である、神一本の木を水に入れよと命じ給ひ即ちその命のまゝに従ひたれば水が変化したのである、神の命じ給ひし如くに為した事、それが奇蹟の原因であつた、故にヱホバは更に教へ給うたのである、「汝もし善く汝の神ヱホバの声に聴き従ひヱホバの目に善しと見ゆる事を為し其|誡命《いましめ》に耳を傾け其|諸《すべて》の法度《のり》を守らば我わが埃及人に加へし処のその疾病《やまひ》を一も汝に加へざるべし、そは我はヱホバにして汝を医す者なればなり」と(二十六節)。
(328) 我等にも屡々苦き実験が与へらるゝのである、然し神は同時に之を甘くするの途を備へ給ふ、神の命じ給ふまゝに一本の木を苦き水に投ずれば即ち必ず甘く飲み得るものとなるのである、その一本の木とは何である乎、信者は自己の経験上よく其何であるかを知つて居る、苦きものを飲み得るものたらしめ、特別に味あるものたらしむる者の何であるかを知つて居る、之れ即ち福音である、キリストの生涯である、之を用ゐて彼の飲み得ざる水とては無い、此世の如何なる苦味と雖も来らば来れ、信者の手には世の人の知らざる一本の木がある、彼は之を以て凡ての艱難に備ふるのである、而して世の人の堪へざるものに堪ふるのである、否唯に之に堪ふるのみではない、之を化して甘露の味と為すのである、豊なる天の恵は乏しき地の産を補うて尚余りあるのである。 かくて曠野の旅路の終に近きし信者は皆曰ふ、「余の生涯にも幾多の出来事があつた、幾多の艱難が臨んだ、然しながら常に之を甘くするものが与へられた、曠野の旅路、顧みれば唯感謝あるのみ」と、惟ふに艱難は大抵何人にも同じやうに臨むのである、問題は唯之を苦きまゝにて飲むか甘くして飲むかにあるのである、例へば愛する者の失せし時何人も堪へがたき悲痛に胸うたざるはない、其時友人は来りて深き同情をもて我を慰むる、然し彼が慰め得るは我悲痛の僅に百分の一である、其百分の九十九迄は自ら之を処置しなければならない、而して神は之を為さしめ給ふのである、神はカナンの地に到るの希望を以て我等を慰め給ふ、神はキリストの霊を以て我等に力を与へ給ふ、信仰の生涯には信仰を以て凡ての境遇に応じ得るやうに備へられてあるのである、故に人生の日漸く子午線を過ぎし頃、前半日の生涯を回顧して感謝に溢れ、今一度斯かる生涯を繰返すとも亦わが悦びであると思ふのである。
 信仰の生涯は曠野の生涯である、メラの苦き水は度々信者を苦むる、然し信仰の生涯決して唯苦のみではない、(329)「彼等エリムに至れり、其処に水の井《ゐど》十二、棕櫚七十本あり、其処にて彼等水の傍に幕張《まくばり》す」と(二十七節)、之亦信者の実験である、清水を湛ふる井十二、涼味森々たる棕櫚七十、茲に天幕を張りて暫時の休養を悉にする時その歓びや尽きざるものがある、当時《そのとき》棕櫚林の下に憩へるイスラエル人には窺ひ知るを得ざるの味がある、信仰を共にする者相集りて語り合ふ時、クリスマスの歓びを頒つ時等皆之である、信仰の生涯に苦しみがある又歓びがある、メラの水がある又エリムの棕櫚林がある、而してメラの水には其れに添へて之を甘くするための一本の木が備へらるゝのである、かくて苦しみも亦歓びと変じ得るのである、曠野の旅路、之れ感謝の連続である。
 シナイ半島は幅二百哩、長さ二百二十五哩に亘る三角形の大半島であるが今は殆ど荒廃して何の用をも為さない、然し神はイスラエルを救ひ之にメラの水とエリムの棕櫚林とシンのマナとを味はしめんが為にシナイの大半島を作り給ひしとするも決して無益ではなかつたと思ふ、欧洲通ひの船中より夕陽に照らされしシナイ山を遠望すれば雄大の景そゞろに人を圧するといふ 此処にイスラエルは四十年を過した、而してカナンの地に入るの準備を完うしたのである。
 
     第十四回 マナの下賜(上) (十月八日)
 
       出埃及記第十六章
 第二の呟きも医された、イスラエルの会衆はエリムを去つてシンの曠野に出でた、埃及を出でてより既に二箇月目の十五日である、携へし牛と羊とは概ね之を屠つて最早残り少くなつた、彼等は懐淋しきを感ぜざるを得なかつた、当時のシナイ半島は現今よりは沃饒の地であつたらしい、西亜細亜一体の地は今こそ乾燥したる沙漠(330)であるけれども昔時は必ずしもさうではなかつた、裏海を通じて北氷洋より印度洋まで水路相接続して居たと推測すべき証跡がある、即ち裏海の魚に北氷洋のものあり、ガリラヤの湖にはナイル河産に似たる魚類が棲息して居る、兎に角三千年の昔なる出埃及時代にはシナイ半島の如きも今日よりは湿気多き土地であつたらしい、さりながらそは尚曠野たるには相違なかつた、其処に幾十万の人を養ふべき資料とては勿論見出し得べくもなかつた、携帯物は将に尽きなんとし、代るべき物は何処にも求むべからずである、イスラエルの民は又々失望した、彼等は三度び呟きの声を発した、寔に神に頼れる不信の民ほど度し難きはない、彼等は艱難の己が身に臨むに方り神我を救ふの義務あるが如くに思惟するのである、イスラエルも海の彼岸ピハヒロテに屯せし以来呟きては救はれ救はれて又呟き呟きに呟きを重ねて尚足らずとするが如くである、彼等は曰ふ「我等エジプトの地に於て肉の鍋の側に坐り飽くまでにパンを食ひし時にヱホバの手によりて死にたらば善かりしものを、汝はこの曠野に我を導き出してこの全会衆を飢に死なしめんとするなり」と(三節)、即ち今に至りて尚埃及の旧生活を回顧し之を慕ひつゝあるのである、埃及は素と食料の豐富なる土地である、生活の容易なる国土である、或人の計算によれば其処にては我邦貨幣の十六円あらば優に子供一人を養育するに足りたと、以て其一斑を察する事が出来る、イスラエルはこの安楽なる生活を忘るゝ事が出来なかつた、而して却て曠野に於ける自由の生涯に導かれし事を忘れ、かの奴隷生活のまゝにて死にたらば善かりしものをといふのである、かの肉の鍋の側に坐りかの香高き葱と薤《らつきよ》とを添へて飽く迄にパンを食ふ事を得ば、ヱホバに導かるゝ自由の生涯よりも寧ろパロに従ふ奴隷の生活に甘んぜんものをといふのである、寔に憐れにも意気地なき呟きである、而も之を繰返すこと一再にして止まらない、モーセ若し忍耐に乏しき人であつたならば或は放言したかも知れない、「汝等若し爾《しか》く埃及の肉を慕はゞ今よ(331)り踵を回らして再び埃及の地に帰れ」と、実に彼も亦自然の情より彼等を叱責して言うた「我等を誰となして汝等は我等に向ひて呟くや」と(七節)、モーセとアロンとは神の器として民を導く役者に過ぎない、呟の目標たるべき者は彼等ではないのである、イスラエルの呟きは実は神に対する呟きであつた、然しモーセ、アロンは忍耐深き教導者であつた、彼等は又も民の為にヱホバに祈つた、而してヱホバは自ら其応答を為し給うた。
 即ちヱホバ、モーセに告げて曰ひ給ふた、「我イスラエルの子孫の怨言を聞けり、彼等に告げて言へ、汝等夕には肉を食ひ朝にはパンに飽くべし、而して我のヱホバにして汝等の神なることを知るに至らん」と(十二節)、而して夕に及び多数の鶉来りて営を覆ひ朝に及び営の周囲に置きし露乾くに当り曠野の面に霜の如き小き円き物があつたといふ、鶉とは地を匍ふ小鳥であつて秋毎に阿弗利加内地より沙漠と海とを超えてシナイ半島に渡り来る事は今も尚変らない、而してそのシンの曠野に辿り着く頃は羽疲れ体倦みて之を手捕する事が難かしくないのである、唯朝毎に地表に置かれし小き円き物とは何であらう乎、或はタマリスクと称する棕櫚の木を虫などが刺すに由て生ずる分泌物がそれであるといひ、或は我国の所謂「松露」の類がそれであるともいふ、然しタマリスクの分泌物は到底常食には通せず、又六日目に多く降りて七日目に降らなかつたといへば松露であるとも言ひ難い、畢竟之れ神の天より降し給ひし特殊の食物であつた、之れ即ち神の奇蹟であつた、故に「イスラエルの子孫《ひと/”\》之を見て此は何ぞやと互に言ふ」とある(十五節)、「此は何ぞや」、希伯来語にて「マヌー」である、即ち「マナ」である、或は「此は賜なり」との意味であつたかも知れない、今のアラビヤ語にて「賜」といふは此語に酷似《よくに》て居る、「此は何ぞや」或は「此は賜なり」、それが所謂「マナ」である、驚くべき賜に対して自然に発したる語である、寔に美はしき語である。
(332) かゝるマナが四十年間続いて降りイスラエル人を養うたといふは学術上解説すべからざる事であるかも知れない、然し之を信仰上の実験と見て深き真理が其中に籠つて居る、信仰の生涯に入りし者は凡ての供給を神より受くるのである、彼が自己の手を以て働く時と雖も之れ彼自ら働くのではない、神より働かしめらるゝのである、然るに神は時には其の働く手をさへ打ち砕き給ふ、生計の途は悉く絶え友人よりは棄てられ所有物は尽き家族は病床に臥し最後の一銭をも剰さゞるに至つて最早他に頼むべき処全く無く唯祈つて一夜を明さんとする時に思ひも寄らざる恩賜の臨み来る事あるは幾多誠実なる信者の実験した処である、其時彼等は唯驚きて「此は何ぞや」と叫ぶの外を知らない、是の如きは真に純粋なる賜である、而して信者が此賜に由つて生くる事は決して少くないのである、此実験を握りし者はシナイ半島マナの下賜を聞いて怪まない、之れ不思議なるが如くにして不思議ではない、神の信者を養ひ給ふ途は茲にあるのである、之を知つて食物に窮するの心配は絶ゆるのである、人を悩ましむるものにして生活問題の如きはない、カーライルは言うた「近世人の地獄はパンの不足である」と、現代に在りて「食へない」といふ事は空腹の外に種々なる苦痛を伴ふのである、故に世が我等を威嚇する時の最良の武器は之である、曰く「如何にして食はんと欲する乎」と、然しながら埃及を出でたる者には天よりのマナが与へらるゝ事を信じて我等は慰めらるゝのである、働かずんば食へないといふ丈が真理ではない、「生命の為に何を食ひ何を飲み又身体の為に何を衣んと思ひ煩ふこと勿れ……汝等の天の父は凡て之等のものゝ無くてならぬ事を知り給へり、汝等先づ神の国と其|義《たゞしき》とを求めよ、さらば此等のものは皆汝等に加へらるべし」と(馬太伝六章)、終局の真理は茲にある、シンの曠野に於けるマナの下賜は其実証である。
 
(333)     第十五回 マナの下賜(下) (十月二十二日)
 
       出埃及記第十六章
 マナに重要なる二性質があつた、そは第一に甚だ淡泊なる食物であつた、「露乾くに当りて曠野の表に霜の如き小き円きもの地にあり……日熱くなれば消ゆ」(十三、二十一節)、「我等は此の粗《あし》き食物を心に厭ふなり」(民数紀略二十一章五節)、即ち知るマナは余りに淡泊にして軽き食物であつた為め久しき間には人に厭かれて食用に堪へざるが如くに思はれたのである、又第二にマナは貯へ難き食物であつた、「或者は之を朝まで残したりしが虫たかりて臭くなりぬ」(二十節)、即ち与へられたる其一日の中に食ふべき性質の食物であつた、かゝる食物は之を天然物として見る事は困難である、後にイスラエル人がマナを指して「天使の食物」といひしは真に故ある事である、マナは確に天然物に非ずして奇蹟物であつた。
 奇蹟物たるマナの性質はまた信者が信仰の生涯に於て神より下賜せらるゝ食物である、信仰に由て曠野の生涯を辿る者は自己の手より生ずる食物に頼らない、唯神の降し給ふ食物に頼る、而して神の降し給ふ食物が濃厚重密の美食に非ずして淡泊軽小の粗食である事は之を味ひし者の皆知る所である、露と共に降り霜の如く小きものにして日熱くなれば消ゆる物、之れ信者の日用の糧である、所謂簡易生活は期せずして信者の常態となるのである、仮令家に余財の豊なるありと雖もヱホバに頼る者は自己の生活の安楽飽満を欲しない、此世を楽みて猶ほ飽き足らずとするは不信者の事である、曠野に導かれたる者に取ては朝露に似たる無味淡泊のマナ尚且身を養ふに足るの佳肴である。
(334) 主イエスは教へて曰ひ給うた、「汝等祈る時は斯く祈るべし……我等の日用の糧を今日も与へ給へ」と、又曰ひ給うた、「明日の事を憂慮する勿れ、明日は明日の事を思ひわづらへ、一日の苦労は一日にて足れり」と、今日を今日として感謝し明日を明日に譲りて信瀬する、之れ詩人の歌ふ生涯である、而して之れ信者の実験すべき生涯である、神の我等に恵み給ふものを今日用ゐて以て神の為に勤しむ事を為さずして、徒らに後日の欠乏を憂慮し之を貯蓄保存せん乎、見よ翌日に至れば早や虫たかりて臭くなるのである、かゝる実例は決して珍らしい事ではない、地方農村等に於て子孫の為に美田を買ひ数十万の富を貯へて一家永遠の計を確立したりと思へる間に早くも其子に道徳的経済的破産は臨み来るといふが如き事実を屡々実見する、神の恵み給ひし物を私して次の時代の欠乏に迄備へんとする時之に虫を生ずるは当然である、之れ世界に通ずるの事実である、経済学者は口を極めて貯蓄の必要を説く、然し経済学の原理は必しも信仰の生涯に適用されない、信仰の生涯には独特の心的態度がある又独特の恩恵の事実がある、今日は今日の恵を以て足れりとし明日は之を神に委せ奉りて暮す者は今日の必要を省いてまで為す貯蓄の必要を知らない、かの有名なる米国のムーデーが何等銀行に預金を有する事なくして而も一本のペンを動かす時は忽ち百万弗の金を聚むるを得とはシーリー先生の言であるが、彼ムーデー尚一個無名の伝道者たりし時代の生活は更に人を動かすに足るものがあつた、彼は小売商人の番頭を辞して独立の伝道者となりしも素より家に蓄へあるなく妻子を扶養するの資とては絶無であつた、然しながらムーデー毫も之を憂へない、労働者は土曜日至る毎に其雇主より給料の支払を受くるが如く、己も亦最も確実にして最も信顧すべき雇主より労働の報酬を与へらるべきを疑はずして月曜日より六日間は必要品を商人より借り来り而して土曜日毎に果して何処よりともなく恵まるゝ金を以て其支払を了した、其際余りあれば則ち之を貧窮者に施した、斯くて日曜(335)日には又も相変らざる無一物の生活を繰返したのである、或は又ジヨンス・ホプキンス大学教授大医ケリー氏の如きもさうである、彼の外科医としての名声は遂に独逸の刀圭界を騒がし毎年半年を独逸にて送らん事を要求せられた程の人物であるが、彼は常に言ふ、「余の銀行帳簿は必ず支払帳簿の下にある」と、即ち前者の額が後者の額を超えざる事を以て信者たるにふさはしき生活であると為すのである、寔に健全にして幸福なる生涯である、此秘義を解せずして富の蓄積に腐心するより幾多の害悪を生むのである、今回の大戦の如きも其主たる原因は茲にある、英独互に他を駆逐して世界貿易の覇権を握らんとしたのである、而して其結果たる如何、一日一国の戦費五千万円、孜々として積みたる鉅富も一朝にして消滅するのである、故に曰ふ「誰も朝まで之を残し置くべからず」と。
 次に又真のマナは天より降りしキリストである、彼は我等の霊魂の食物である、「人々各其食ふ所に循ひて朝毎に之を斂む」と(二十一節)、霊の糧を斂むるに最も良き方法も亦之れである、熟睡既に醒めて疲労悉く癒え気清新にして眼未だ他物に触れざるの時先づ聖書を取りて之を繙くべきである、静読一章或は半章或は数節、以て一日の糧となすに足る、是の如きもの日を累ぬるに従ひ必ずや霊を養ふ所至大なるものがあるであらう、婦人其他多忙なる者は就寝起床各十五分間を早むれば即ち足りるのである、但し注意すべきは「各其食ふ所に循」ふべき事である、聖書に興味を覚ゆるの余り必要以上に聖書知識を吸収するは害ありて益がない、聖書は此世の知識ではない、聖書の知識は実行と共に受けて初めて用を為すのである、一日分を受けて一日の実行を為さば明日は又明日に必要なる分を与へらるゝのである、即ち此処にも亦貯蓄心を放棄すべきである。
 「第六日に至りて人々二倍のパンを斂めたり……モーセ彼等にいふ、ヱホバの言ひ給ふところ是の如し、明日(336)はヱホバの聖安息日にして休息なり」と(二十二、二十三節)、即ちヱホバ安息日の聖守を民に教へんが為め其の前日には二日分を降し安息日には降し給はなかつたといふ、之を一箇の寓話とすれば其れ迄である、然しながら試に信仰の実験を以て之を検さば其の四千年来不動の真理である事を知る、ヱホバは安息日を我等に賜はらんが為に其日の糧をも他の日の分と併せて降し給ふのである、即ち六日分に対し七日分の給料を支払ひ給ふのである、若し世の僕婢に対して是の如くに為す主人あらん乎、誰か其の一日の真に賜物なる事を疑ふ者があらう、故に若し其一日を他に出でゝ稼がば之れ即ち主人の手より一日を窃取するに異ならない、「汝等見よ、ヱホバ汝等に安息日を賜へり」と(二十九節)、安息日は恩賜である、命令ではない、特権である、義務ではない、之を誡律とせられしは之を恩賜として受けざりしが故である、而して之を恩賜と見て安息日の如くに心楽しきものはないのである、之れ単に休息の日ではない、之れヱホバの安息曰にして我等の生涯の一部をヱホバに献ぐる日である、我等何物をか之をヱホバに献げ得るならば大なる恩恵である、或は収穫の十分一を献げ或は労力を献ぐる之れ皆大なる恩恵である、然し又七日の中一日を割きて全く之をヱホバに献げ得るは更に大なる恩恵ではない乎、ヱホバ果して六日分に対して七日の給料を与へ給ふや否やを証明する事は出来ない、さりながら正当に働きたる者の誰も知る事は労働に対する報酬の過多なる事である、人の慾望に際限なしと雖も六日に対する七日分の報酬は之れ労働上の法則に非ずやと思はるゝのである、現に安息曰を確守するスコツトランド又はニユーイングランド等の実況を見れば思半ばに過ぐるものがある、之等の地にありては安息日には凡ての活動中止し交通機関は運転せず店舗は閉鎖せられ汽笛の音は止み代ふるに会堂の鐘声殷々として遠近相呼応する、人は緩徐として起き衣を更め欣然として主の日を守るのである、而も未だ嘗て安息日聖守の為め事業の蹉躓を来したる者あるを聞かない、否(337)却て其反対が真である、我国の如き社会に在りてすら安息日聖守者が生存競争の優者となりたるの実例は決して乏しくない、安息曰は実に恩賜である特権である、而して此制度に関する最初の記事が即ち本章である。
 
     第十六回 レピデムの幕張 (十月二十九日)
       石清水の湧出とアマレク人の撃退とを以て有名なる所
 
       出埃及記第十七章
 イスラエルの会衆シンの曠野を立ち出で旅路を重ねてレピデムに幕張したとある、ピハヒロテと言ひメラと言ひエリムと言ひシンと言ひ又レピデムと言ひ、凡そ出埃及記中地名を特記せるは一として偶然の事ではない、皆其の場所にて重大なる奇蹟が行はれたからである、特別なる恩恵が臨んだからである、イスラエルに取て忘るべからざる経験を記念せん為め地名を以て之を呼ぶのである、我等各自の生涯に於ても何地時代と称して地名を以て当時の経験を深く記憶する事が多い、他人に取ては没交渉なる単純なる一地名も救はれたる個人又は国民に取ては無限の感謝を喚起すべき恩恵の代名詞である、恰も人の名を聞く時に其人に属する凡ての精神を想起するが如くである、レピデムも亦之等意味深き場所の一であつた。
 レピデムの出来事はメラのそれに似て居る、即ち水の不足であつた、而して民は又呟いた、彼等は直接神に対して呟く能はざるが故に聖旨を伝ふるモーセに対して屡々呟くのである、之れ何時の世にも変らざる信者の一特徴である、神の命により己を導いて罪の世より救ひ出せし者に対し彼等は却て呟いて曰ふ、「汝に導かれしが為に斯々の患難は我を見舞へり」と、イスラエルの子孫は彼等が後にカナンの地に入りし時迄幾度びとなく此呟きを(338)以てモーセを苦しめたのである。
 シナイ半島は東西二百二十哩南北凡そ二百哩、即ち其広袤略ぼ我が九州に相当する乾燥荒寞の地である、是の如き土地に在りては水即ち生命であつた、かのサマリアのヤコブの井の傍にてイエスが水汲みに来れる婦人に向ひ活ける水に就て語り給ひしが如きも、その水に不自由なる土地なりしを知つて一層深く其意味を了解し得るのである、レピデムに於ける民の渇きは甚だしかつた、彼等は殆ど絶望的態度に陥つた、彼等はモーセに呟くを以て足れりとせず石にて彼を撃たんとした、然しながら信仰あるモーセは又新なる恩恵の降るべきを信じて疑はなかつた、曩には食物尽きて天よりマナを下賜せられたが、今はヱホバ如何にして彼等に水を与へ給ふ乎、ヱホバはモーセを呼び給うた、而して民の中の長老等を伴ひモーセの手にせる杖を以てホレブの磐を撃たしめ給うた、此杖はモーセの暫らくも身を離さゞるものであつた、之を以て彼はミデアンの野に羊を牧うた、之を以て彼は紅海の水を撃ち途を開いた、而して見よ、今又此杖を以て磐を撃ちしに其処より滾々たる石清水は湧き出でたのである、かくて民の呟きは忽ち癒された、恰も夏季我国農村に於て殺傷騒ぎをさへ演出したる激烈なる水争ひも一夕の驟雨到れば忽ち融和するが如くである。
 是の如きは果して事実である乎否乎、之に類する物語は日本にも支那にも珍らしくはない、東北線本宮駅の西万里余にして八幡太郎の石清水なるものがある、義家奥州征伐の途中旱魃に苦みし時弓の尖にて石を突きたれば湧出したものであると言ふ、レピデムの石清水も亦此類であらう乎、然しながらレピデムの記事は之をマナの下賜又は紅海の横断と共に併せ読まねばならぬ、否一人のモーセ多数の民を率ゐて曠野に出でし其全体の記事と離して之を考ふる事は出来ない、実に出埃及の事それ自身が全く奇蹟である、レピデムの如きは大奇蹟中の小奇蹟(339)たるに過ぎない、故に之を解するものは学問に非ずして信仰である、乾燥無味の土地を歩める時清水の湧出に遭遇したる実験を有する者はレピデムの記事を疑ふ事が出来ないのである(哥林多前書十章三節参照)。
 而して此場合にモーセの手にして磐を撃ちたるその杖をキリストと解釈するならば、堅き磐は即ち固き境遇である、荒寞たる日々の生涯である、世人は日常生活の乾燥無味に堪へずとし観劇祭礼等を以て娯楽の機会と為さんとする、然し基督者に取ては然らず、彼に取ては旦に起きてより夕に寝ぬる迄の毎日の生活そのものが歓喜と感謝との連続となるのである、而して之れ他なし、キリスト我と共に在るが故である、キリストを以て固き磐を撃つ時に清涼なる甘露水が磐の如き生涯より湧出づるからである。
 又若し堅き磐を以てキリストと解せん乎、寔にキリストこそは千代経し我等の磐である、之を叩きて生命の水を与へられざる事とては無いのである、何れにせよ困難の境遇より我等を救ふ者はキリストである、彼に頼る者は失望の何たるかを知らない、如何なる窮境に陥るも恵は上より又下より臨み来るのである、食物尽きてマナは天より降り水無くして磐より清水湧いた、之れイスラエルの歴史である又我等彼を信ずる者の実験である。
 レピデムに於ける出来事は是にて尽きなかつた、イスラエルは此処にてアマレク人の攻撃を受けた、アマレク人はアラビヤ人の一種であつて極めて剽悍なる戦争好きの民である、此後幾度かイスラエルを悩ましたが遂にダビデの為に滅ぼされた、レピデムはそのイスラエル対アマレクの戦の端緒であつた。
 此時モーセ齢八十、アロンは八十有三であつた、ホルも亦老年であつた、故に彼等は戦を若きヨシュアに一任し己等三人は祈を為さんがため岡の巓に登つた、而してモーセ手を挙げ居ればイスラエル勝ち手を垂るればアマレク勝つた、モーセの手重くなりたればアロンとホル石を取りてモーセの下に置きて其上に坐せしめ、一人は此(340)方一人は彼方にありてモーセの手を支へたが為め日没まで手下らず、遂にヨシュア刃を以てアマレクを破つたといふ、之れ有名なる記事であつて是に貴き教訓を示すものである、之れ我等が祈を以て人を助け得るの事実を示すものである、モーセの祈の続く限りイスラエルは勝つた、即ち祈そのものに実際の力があつたのである、人の為に祈る事が其人の力となるのである、之れ亦学問的に証明する事は出来ない、今より四五十年前ハツクスレー、チンドル、スペンサー等切りに基督教を嘲り遂に或時新聞紙上挑戦を試みて、同程度の病者二人を置き其一人の為に祈り一人の為に祈らずして以て祈の結果如何を験さんとした事があつた、然しかゝる祈の聴かれざるは何よりも明かなる事である、ただ基督者は真正なる祈の力の如何なるものなるかを知つて居る、聖アウガスチンの少時放縦にして悪行断えず、母モニカ深く心を痛めて子の為に熱烈なる祈を捧げ、悪行愈々甚だしければ祈祷も亦愈々痛切を加へた、而して聖霊遂にアウガスチンに降り往年の遊蕩児一変して信仰のチヤムピオンとなつたのである、故にアウガスチン後日人に語りて曰ふ、「余をして基督者たらしめたものは余が母の祈である」と、彼は母が子の為にする祈の偉大なる力を忘るゝを得なかつたのである、祈は実に力である、唯に一時のみならず不断に人の為に祈る時其驚くべき力は知る人ぞ知る、余も亦幾度か信仰薄らぎたるに拘らず今日ある事を得たるは確かに何人かゞ余の為にモーセの役を勤め呉れたるが為である、人を助くるに必ずしも金銭を供給するを要せず地位を周旋するを要せず、手を挙げて絶えず彼の為に祈る事、之れ最大の援助である、イスラエルはモーセに対して此援助を感謝しなければならない、然るに今日物質主義の社会にありては祈は極めて廉価なるものとなつた、人は輕々しく「祈る」と称して実は祈の何ものたるかを知らない、故にローエルは其詩中妻を失ひし悲みに対する友人の祈を辞して「言語の慈善を謝絶す」と言うて居る、之れ廉価なる祈祷を斥けたる言葉である、祈は実に形(341)式の事ではない、又単なる感情でもない、祈は神を動かし得る唯一力である、信者はこの力を神より賜はるのである、愛する者が勝つか敗くるか生くるか死するかの戦を見て坐視するに忍びず、手を挙げて祈らざるを得ないのである、祈らずして止む能はざるが故に祈るのである、基督者の経験として最も貴きものは之である、然り基督者の経験より祈祷を除かん乎、残る処は実に絶無である。
 然しながら時としては祈る心も絶えんとする事がないではない、モーセの手は重くなりて幾度か垂れ下らんとした、其時アロンとホルとは傍に在りて彼を支へた、我等も亦斯くあるべきである、祈の絶えんとする時傍より之を励まして共に祈るべきである。
 祈は力である、岡の巓に於けるモーセの祈によりてイスラエルはアマレクに勝つた、其如くに天に在りて絶えず我等の為に祈り給ふキリストに由り我等は凡ての戦に勝利を得べきを信じて疑はないのである、モーセの手は度々垂れ下らんとした、然しキリストの手は永遠に下らない、彼の祈あるによりて我等の勝利は確実である、我等を撃たんとするアマレク人は家庭にもある役所にもある社会にもある、之と戦ふに当り自己を省みれば常に敗北の懸念がある、然し天に在りて我等の為に祈り給ふ大なるモーセを思ふ時は必勝を期するの外ないのである、一人の弱き少女が全家庭と戦うて之を征服するが如き実例は少くない、我国に於ける基督教の如きも三四十年前の憐むべき状態より兎も角も今日の地歩を占むるに至りしを思へば必ずや何処かに之が為めに祈れる者ありしを信ぜざるを得ない、基督教終局の勝利の希望はキリストの祈祷に其根拠を置くのである。
 ヱホバに頼れるイスラエルに敵せしアマレク人に対してはヱホバ代つて戦ひ給ふた、故にアマレクは滅亡したのである、神に逆らふ者の滅亡は四千年間の歴史の証明する処である、予言者イザヤ、エレミヤ等出でゝバビロ(342)ン、アッシリア、エジプトの滅亡を予言せしは恰も今日に在りて倫敦は荒れはてたる野となり伯林は鴟※[号+鳥]《ふくろう》の巣とならんといふが如く狂的に聞えたかも知れない、然しヱホバに逆らふ者は事実滅び亡せたのである、神に頼れる信者を苦むる者の運命も亦定まつて居る、信者は之を思うて忍耐すると共に又彼等の為に憐むべきである。
 
     第十七回 曠野の団欒 (十一月五日)
 
       出埃及記第十八章
 イスラエルは埃及を出でゝより既に幾多の危険に遭遇し幾多の奇蹟を実験した、紅海の横断があつた、マナの下賜があつた、レピデムの幕張があつた、而して此後にモーセ、シナイ山に入り火と烟との間より十誡を与へられ、幕屋犠牲等の制度を定むる重要なる記事がある、既往を回顧すれば恩恵である、前途を想見すれば希望である、事は茲に一段落を告げて又新なる発展を為さんとするのである、今や旅路半ばして暫時の休憩があつた、曠野に於ける美はしき団欒があつた、其記事が即ち出埃及記第十八章である、恰もかのオラトリオに於て緊張したる歌曲の次に必ず中休みなるものあり何人も解し得べき平易なる曲を奏し、然る後更に荘大なる歌に移るが如きである、出埃及記第十八章を一の独立したる記事と見て其価値は多くない、然し之を前後の高調せる出来事の間に於ける一|挿話《エピソード》と見て亦自ら棄てがたき趣味と深き真理とを蔵するのである、聖書は常に之を全体として読むべきである。
 モーセ曩にミデアンの地に逃れ祭司の女チポラを娶りて二子を挙げた(二章十五−廿二節)、後ヱホバの命に従ひ埃及に帰らんとする途中或る禍モーセに臨みし為めチポラ之を恐れて其子に割礼を施したれども(四章廿四(343)−廿六節)尚十分モーセを解する能はずして暫らく夫婦別れを為して居たのであらう、然るに今やモーセ民を率ゐてチポラの郷里より程遠からぬ所に来りしを知り、外舅《しうと》ヱテロその遣《おく》り還されてありしチポラと二人の子とを携ヘモーセの天幕まで遇ひに来たのである(ヱテロは多分チポラの兄であらう、父の名はリウエルであつた、而してリウエルは此時既に著るしき老齢であつた筈である、加之希伯来語にては妻の父と兄とを指すに同語を以てする、故にヱテロをモーセの義兄と見るは最も自然的の解釈である)、而して其会見の状況を記すこと極めて懇切である、ヱテロ先づモーセに埃拶して其妻子を連れ来れる旨を述ぶれば、モーセ喜び出でゝ外舅《しうと》を迎へ礼を為して之に接吻し互に安否を問うて共に天幕に入つたとある(六、七節)、事実有の儘にしてさながら目前に見るが如くである、而してモーセはヱホバ如何にしてイスラエルを埃及より救ひ出し給ひし乎、如何にして今日迄驚くべき奇蹟に由り諸《すべて》の艱難より拯ひ給ひし乎を語りしにヱテロ大に其恩恵を歓んだとある(八、九節)、之亦|然《さ》もあるべき事実である、事はモーセの一身に関してイスラエルの歴史上何等重要なる地位を占むべき出来事ではない、然るに之を此処に書き挿みし動機は那辺《どこ》にあつたであらう乎。
 蓋しモーセはイスラエルに取りては殆ど神の如くに思はれし偉人であつた、前には彼が岡の巓に立ちて手を挙げ居る間イスラエルはアマレクとの戦に勝つたといふ、後にはヱホバ彼と面《かほ》を合せて言ひ給ひ山より降りし時彼の面に光を発して居つたといふ、実に人間らしからざる人間であつた、然るにそのモーセもかゝる家庭の団欒に在りては普通の情を有する尋常の人間であつた、彼も亦我等の一人であつた、彼も亦此世の関係に於て弱き人であつた、彼にも亦我等と均しく家庭の悦楽があつた、又其苦痛があつた、此後民みな彼に背き独り兄妹二人のみ彼が友たりしに其二人も亦遂に彼が妻の事よりして彼に反対するに至つた、其時流石に忍耐強かりしモーセも堪(344)へ切れずして怒を発したといふ、真に偉人モーセも決して此世と人情とを超絶したる特殊人ではなかつたのである、異邦より迎へたる己が妻に対し兄妹相共に怨言を放ちたる時の彼の苦痛は如何ばかりであつたらう乎、東洋人たる我等は一入能く之を推察する事が出来る、四千年前の偉人にも我等と同じ苦痛があつた、又同じ慰安があつた、幾十万の国民を率ゐて埃及を出で曠野を彷徨する事既に数月、彼の肩には絶大なる責任がありて常に彼を圧して居た、然るに今や図らずも久闊の妻子と邂逅し曠野中に家庭の団欒を味ふ、モーセの心緒察すべしである、惟ふに彼は後世人の徒らに彼を特別なる偉人となし普通人の近づくべからざる者の如くに誤解せん事を虞れて此一場の家庭的記事を茲に挿入したのではあるまい乎。
 ヱテロは更に燔祭と犠牲《いけにえ》をヱホバに持ち来りアロン及びイスラエルの長老等皆来りて共に神の前に食を為したといふ(十二節)、之即ち感謝祭である、夫の家と妻の家と互に接近し親睦するは甚だ望ましき事なるに拘らず容易に行はれない、然るにモーセは茲に義兄と共に感謝祭を為したのである、之亦美はしき物語にして善き教訓である、ヱテロは又モーセが民を審判くの状を見て其甚だ煩労なるを憂へ同情の余り一の裁判制度を進言した、即ち千人組百人組五十人組及び十人組を作り事件の大小に従て各組自ら之を処理し最大事件のみをモーセの前に提出せしむるのである、之れ恐らくヱテロの国に於て行はれし制度であらう、而してモーセ此制度を採用して煩労を省く事尠くなかつた。
 之等の記事を読みて見脱すべからざる一の重大事がある、モーセ之を書遺せしは決して単に其歓喜を伝へんが為のみではなかつた、之等の記事の教ふる処はモーセ一生の辛労に酬ゐし者は何人でありし乎にあるのである、古来イスラエルに忠実なる者にしてモーセの如きはなかつた、彼はイスラエルの為に其一生を献げた、然るにイ(345)スラエルは彼の為に何を為した乎、初め国人を救はんとしたる彼を駆逐して流浪の生涯を送らしめた者はイスラエルであつた、而して彼に妻を供したる者はイスラエルに非ずして異邦のミデヤ人であつた、四十年の曠野生活中唯彼に向て呟く事を知つて彼を慰むる事を知らざりし者はイスラエルであつた、アロン、ミリアムに至る迄彼に背きし時があつた、モーセはイスラエルの為に己が一生を献げた、而してイスラエルはモーセの為に寸毫も酬ゐる処がなかつた、彼を助け彼を慰めし者は異邦人であつた、之れ奈何ともすべからざる史上の事実である、猶太人が今日旧約聖書を繙きて一言も弁解の辞なきものは之である、而してかのステパノが燃ゆるが如き熱弁を以
てイスラエルを痛責したる所以も亦之であつた。
 愛国者国人に容れられず却て異邦人に迎へらる、之れ何時の世にも変らざる事である、独りモーセ然りしのみではない、彼に続きし真の愛国者皆然りであつた、エリアもさうであつた、彼れ正義を称へて却て国人の排斥する処となりザレパタの邑に到りて貧しき※[釐の里が女]婦《やもめ》より其食の半を頒たれて助けられた、主イエスキリストも亦さうであつた、イスラエルは彼を受けず却て異邦人中より信者を獲給うた、パウロの如きも亦さうであつた、而して同じ事が今日迄続いて居るのである、真に教会の為に尽す者は教会より斥けられて教会以外の人より慰めらるゝのである、真に国を愛する者は国人より棄てられて他国の人に助けらるゝのである、凡て神が世を救はん為めに遣り給ふ者は皆此の如くである、彼等の同情者となり慰藉者となるものは人種を異にし思想を異にし境遇を異にする他人である。
 是故に苟もモーセに似たる地位に立つ者は深く覚る処がなくてはならない、人の為に尽すといひ国の為に尽すといふは決して其の特別に愛すべき者なるが故ではない、之れ神に命ぜられて余義なくせらるゝが故である、(346)尽さゞるを得ざるが故である、国人或は我に報ゐん乎、或は我に報ゐざらん乎、其は我が問ふ処ではない、問題は利益の交換に非ずして命令の遵奉である、経済学の教ふる quid pro quo(対価)の原理に非ずして謀叛者の為めに尚ほ尽す事が神の聖旨である、之れ人生の深き真理である、神は必ず図らざる処より慰安を与へ給ふ、故に仮令己の助くる者は恩を忘るとも尚且感謝して之が為に尽す事を得るのである。
 又イスラエルの立場に立つ者は更に深く鑑るべきである、イスラエルの選ばれしは決して彼等の功績に由るのではなかつた、イスラエルはヱホバの為に何事をも為さなかつた、然るにヱホバ之を選び給うたのである、之れ即ちヱホバの自由なる恩恵である、モーセ彼等の為に尽したるは毫もイスラエルに対する報償には非ずして全くヱホバの命令に従ひしに過ぎなかつた、イスラエルにして若し其事を自覚するならば彼等は衷心よりヱホバに感謝し篤き同情を以てモーセに酬ゆべきであつた、ヱテロがモーセの煩労を見て其肉体の健康を迄も気遣ひしが如くイスラエルはモーセ一身上の些事に至る迄も其労を省かん事を力むべきであつた、純粋の同情は常に此処にまで及ぶのである、我等は我等のモーセに対して此同情を以て酬ゐ得ん事を祈るべきである。 〔以上、12・10〕
     第十八回 律法の宣布 (十一月十九日)
 
       出埃及記第十九章
 イスラエルは埃及の地を出でゝより三ケ月目にシナイの曠野に至り山の前に営を設けた、山とは今日の所謂シナイ山であつたらう、重畳《ぢゆうでふ》せる一彙の山嶽中の一峰である、此山に於てイスラエルに対する律法の宣布は行はれた、律法をイスラエルに授けられし理由は何処にあつた乎、又其与へられたる状態は如何であつた乎、之を知る(347)は基督教の根本義を知る事である、語は旧約的にして散漫なりと雖も其中を辿りて判然と信仰の基礎に逢着し得るのである、出埃及記十九、二十の両章は聖書中最も注意すべき記事の一である。
 抑も律法なるものは此時迄イスラエルの知らざりし処であつた、此時迄イスラエルと神との関係は大体に於て甚だ親密であつた、彼等を救はんとの計画の発起は常に神に於てあつた、神は特別の恩恵に由りモーセを遣はして驚くべき事業を遂行げ給ひつゝあつた、恰も母鷲《めわし》が雛の翔り往く下より翼を展べつゝ随ひ飛びて之を支ふるが如くであつた(四節)、其関係は実に純愛であつた、而してシナイ山にて初め神イスラエルに告げ給ひし処も亦親子の関係であつた、曰く「然れば汝等若し善く我が言を聴き我が契約を守らば汝等は諸の民に愈りて我が宝となるべし」と(五節)、契約といへば他人行儀の如く聞ゆるも素と之れ法律上の約束の意味ではない、compact《コムパクト》に非ずして covenant《カベナント》である、商人間の約束に非ずして親子間の契約である、我は親なり汝は我が子なり、故に我は汝を導くべし汝は我に従ふべしと、之れ親の子に告ぐる愛の語である、均しく約束といふも之を約する人の如何によりて全然其性質を異にするのである、国と国との約束あり友と友との約束あり而して又親と子との約束がある、アブラハムに対するヱホバの約束の如きは明かに其後者に属するものであつた、シナイ山に於ても亦然り、故に「わが宝」即ち子宝となるべしといふ、美はしき語といふべしである。
 然るに民皆斉しく神の言に応へて「ヱホバの言ひ給ひし所は皆我等悉く之を為すべし」と言うた、而して見よ其時より俄然神の態度は一変したのである、其時より彼は最早や翼を展ぶる母鷲たらずして密雲の中に在りて民に臨む審判者となり給うたのである、其時より彼は火と烟とに包まれ喇叭の声高らかに鳴り響かせて語り給うたのである、寔に驚くべき激変である、親しき父子の間に隔離を生じて互に疎遠となつたのである、知らず是の如(348)くにして律法を宣布せられたる理由は果して何ぞ。
 人或は言ふ神がモーセを遣はしてイスラエルを埃及より導かしめ給ひし目的は主としてシナイ山に於ける律法の宣布にあつたのであると、乍然之れ全く誤謬である(加拉太書三章参照)、律法の宣布はイスラエル歴史の全体より見て一時の必要より出でたるエピソード(間事件)たるに過ぎない、其終は勿論其始も亦律法ではなかつた、其終の恩恵でありしが如く其始も亦恩恵であつた、然るに民のヱホバに対する態度変化したるが為にヱホバが已むを得ず取り給ひし暫時的の手段が即ち律法であつた、故に律法は目的に非ずして恩恵と恩恵との間に挿まれたる間事件《エピソード》に過ぎなかつたのである。
 而して恩恵より律法に移りし分水嶺は前記第八節の短き語句にあつた、曰く「ヱホバの言ひ給ひし所は皆我等悉く之を為すべし」と、之れ希伯来《ヒブライ》語独特の簡潔なる語なりと雖も其含蓄する意味は深くある、之れ叛逆者の発する言である、既に埃及の地を出づるの時より恩恵に尋ぐに恩恵を以てせらるゝも尚且つ父の愛を信ずること能はず、疑ひ又疑ひ、背き又背きて常にヱホバを他人扱ひと為し来りしイスラエルにして、今に至り軽々しく此言を発す、彼等の心は更に叛逆を重ぬるのである、彼等にして若し真に謙遜ならん乎、即ち必ずや答へたであらう、「ヱホバの言ひ給ひし所に従はんと欲するも我等に其力あるなし、願はくは我等の弱きを助け給へ」と、然るに彼等は斯くは言はずして却て豪然「我等悉く之を為すべし」と答ふ、以て其高ぶりの心を察すべしである、彼等は神に従ふ事をせずして自ら敢て神と対等の地位に立たんとするのである。
 是に於てか神の彼等に対する態度も亦一変せざるを得ない、之れ真に止むを得ざる事である、之れ神自ら為し給ふ事に非ずして人の不信之を為さしむるのである、ヱホバは依然として愛の神である、唯恩恵をして律法に変(349)化せしめたるものはイスラエルである、父子又は師弟の関係に於ても亦さうである、子弟たるもの初は柔順に服従するのみなるもやがて自己に恃む所あるに至れば即ち長者と対等の地位に立たんとする、其時より慈父は一変して厳父となりたるが如くに見ゆるのである、之れ長者其人の変化に非ずして子弟の態度の反映である、イスラエル自らヱホバの律法を守りてヱホバの前に聖くならんとする時、ヱホバは即ち命じ給ふのである「汝等身を聖め衣服を濯ふべし、汝等準備を為して三日を待て、汝等山に捫《さは》るべからず、捫る者は必ず殺さるべし、手を之に触るべからず、其者は必ず石にて撃ち殺され或は射殺さるべし」と、而して雷《いかづち》は轟き電《いなびかり》は閃き密雲起り喇叭鳴り山は火と煙とを出して震ふのである(十六節)、之れヱホバの変化に非ずしてイスラエルの態度の反映であつた。
 然し乍らヱホバは何時迄もイスラエルを律法の束縛の中に抛棄し給はなかつた、ヱホバは度々預言者を遣はして自己が愛の父なる事を宣伝せしめ給うた、而して遂にイエスキリストは来り給うた、彼の福音に由て律法の束縛は悉く解消した、ヱホバは密雲と喇叭とを棄てゝ親しく我等の前に姿を現はし給うた、愛なる父子の関係は回復した、アバ父よと呼びて彼に縋り奉る事が出来るやうになつた、旧き恩恵はキリストの十字架に由て再び我等のものとなつた(希伯来書十二章十八節以下参照)。
 思ふに国民としてのイスラエルの経験は又個人としての我等各自の経験である、我等も久しくシナイ山麓に幕を張れる者であつた、神を高きに在す者、近づくべからざる者、徒に恐怖戦慄すべき者と思ひ崇高森厳なる光景の裡に彼を拝せんとして居つた、然しながら之皆我等が不信の心、傲岸の心の反映であつた、而して遂にキリストの十字架を仰ぎてより神と我等との間の牆壁は悉く撤去せられた、今や親しき父子の関係に立ち帰り憚らずしてアバ父よと呼び得るに至つた、神に親しみて神に狎れず感謝と敬畏とを以て其前に脆くを得るに至つた。
(350) 律法の宣布はイスラエルの不信の結果であつた、然し乍らヱホバは一度び彼等を罪に追ひ込むと共に之を以て更に大なる恩恵の機会と為し給うた、律法は律法のための律法に非ず、恩恵のための律法である、人の不信は却て神の恩恵を呼んだ、寔に測り難きは神の愛の深さである。
 
     第十九回 十誡の解(上) (十一月二十六日)
 
       出埃及記第二十章
 十誡は旧約聖書の中心点である其絶頂である、ヱホバの訓解は是に括約して示されたのである、後に二枚の石板に刻まれたとあれば出埃及記二十章に記さるゝ如く長き文句の者ではなかつたと見なければならない、学者は困難なる研究の結果十誡の真髄が左の十語 decalogue にある事を発見した、
 一、汝我が面《かほ》の前に我の外何物をも神とすべからず。
 二、汝自己の為に何の偶像をも彫むべからず。
 三、汝の神ヱホバの名を妄に口に上ぐべからず。
 四、安息日を憶えて之を聖潔く守るべし。
 五、汝の父と母とを敬ふべし。
 六、汝殺す勿れ。
 七、汝姦淫する勿れ。
 八、汝盗む勿れ。
(351) 九、汝その隣人に対して虚妄《いつはり》の証拠《あかし》を立つる勿れ。
 十、汝その隣人の家を貪る勿れ。
 而して簡潔なる希伯来の語にては以上の各条は何れも僅少の語を以て言表はさるゝのである、以て其力強き語調を察するに足る、其他の語は十解の註釈と見るべきである。
 十誡は之を二分して二枚の板に書き別けられた、即ち一は神に対する誡である、他は人に対する誡である、「師よ律法の中何の誠か大なる」との問に対してイエスは答へ給うた、「汝心を尽し精神を尽し意《こゝろばせ》を尽して主なる汝の神を愛すべし、之れ第一にして大なる誡なり、第二も亦之に同じ、己の如く汝の隣を愛すべし」と(馬太伝廿二章升五−卅九節)、十誡は実に此二に尽くるのである、「ヱホバを愛せよ、隣人を愛せよ」、而して十誡の第一より第四迄は明かにヱホバに対する誡である、其第六より第十迄は明かに人に対する誡である、唯第五条は如何、「汝の父と母とを敬ふべし」と、之れ果して単に人に対する誡である乎、否父母に対する義務は同時に又神に対する義務である、父母を神の代表者として之を敬ふのである、基督教道徳と東洋道徳の差は茲にある、故に此条も亦神に対する誡の一であつて石の板の第一枚には此条迄書かれ、而して第六条以下が第二枚に書かれたのであらう。
 一、汝我が面の前に我の外何物をも神とすべからず、「我が面の前に」即ち「我と相対して」である、ヱホバは何故単に「汝我を神と認むべし」と言ひ給はざりし乎、蓋し昔時埃及希臘羅馬等何れも真の神を認めざるはなかつた、其意味に於て何れも一神教であつた、唯危険なるは第二第三の神をも認むる事であつた、希臘人は言うた、ヂウスは真の神なり故に必ず之を拝せざるべからず、但し其他の神をも拝する事を妨げずと、同じ思想が埃及にも羅(352)馬にも行はれた、而して遂に他国の低き宗教観念を採りて自己の聖き神に移すに至つた、否唯に彼等のみではない、基督者にも亦此事がある、イエスキリストの父なる真の神のみにては物足らずとし他の神の助をも藉らんと欲する、而して所謂広量大度の政治家等亦力めて此の如き傾向を奨励せんとする、然し乍ら何ぞ知らん信仰の潰崩は其処に始まるのである、嘗て純粋なる信仰を抱きたる者が後に微温的信者と堕落するは皆之が為である、故にヱホバは言ひ給ふた「汝我と相対して何物をも神とすべからず」と、而して此誠を厳守し来りしは唯ユダヤ人のみであつた、春秋四千年、民は興り民は亡びたけれども独りイスラエルは亡びない、今回の戦争の終局後最も隆盛の運に向ふべきものは欧米の強国に非ずしてアブラハムの子孫なるユダヤ人ならんとは識者の認むる処である、其原因は他なし彼等は十誡第一条を厳守し来りしが故である、ヱホバの外に神の名を附せんとする者ある時は彼等は生命を賭して戦つた、何となれば之れ彼等に取て最大の問題であるからである、個人に取ても亦さうである、苟も此点に於て譲るは信仰の根柢を敵手に委すると均しいのである。
 二、汝自己の為に何の偶像をも彫むべからず、之を文字通りに解して彫刻も非である美術も非である、紀念の為に人の像を刻むも亦非である、ユダヤの歴史上にも此の如くに解したる時代があつた、而して之れ必ずしも誤謬ではない 像は其種類の何たるを問はず必ず或る崇拝の意味を伴ふ、神に献ぐべき崇拝を人に献ぐるの心を伴ふ、故に像の濫用は信仰堕落の表徴である、今日の我国の如きは正しく其れである、汝一切の像を彫むべからずと解して其れ丈にて既に深き真理がある、然しヱホバは尚附加して「之を拝むべからず」と言ひ給ふた、像を彫みて之を拝すべからずと、之れ第一解と重複の如くにして重複ではない、人はヱホバの神それ自身を形を以て拝せんと欲するのである、之れ独りユダヤ人のみならず万国の民に通ずる事実である、人或は言ふ「基督教に拝すべき(353)有形の対象を欠くは其最大欠点なり、何となれば之れ人心自然の要求に背反すればなり」と、我等各自の経験に於ても時に心暗くなり祈る事さへ困難なる場合がないではない、かゝる時に切めて十字架なりとも之を拝するを得たらばと思ふ、然しながら之れ実は信仰堕落の第一歩である、神は霊なれば拝する者も唯霊を以てしなければならない、神は本来見えざる実在者である、之を形に表はさんとするも不可能である、我等の信仰は一神教なるが上に霊的である、而して基督教に特異なる望《きよ》めの力は実に其処に在るのである。
 又汝「自己の為に」偶像を彫むべからずとある、之れ注意すべき語である、我等肉を備ふる弱き人間に取て無形の聖なる神を其優に拝せん事の甚だ困難なるを神は熟知し給ふ、故に神は我等をして自ら偶像を彫まざらしむると共に神御自身より我等の拝すべきものを与へ給うたのである、若し我等にも拝すべき形ありとせば何ぞや、神の質の真像《かた》なるイエスキリスト之である、「彼は人の見ることを得ざる神の状《かたち》なり……それ神の充ち足れる徳は悉く形体《かたち》をなしてキリストに住めり」、神の性を受けて完全に聖旨を実行し給ひしイエスキリストこそ我等の為に神の賜ひし形であつて、彼を除いて我等は他に自己の為に何の偶像をも彫みてはならない、而して彼自身も今や我等の眼には見えざる者である、我等の信仰は純然たる霊的信仰である。
 三、汝の神ヱホバの名を妄に口に上ぐべからず、之を「妄に神の名を称ふべからず」との簡単なる意味に解するも尚大なる真理を含んで居る、若し人ありて口を開けば必ず神神といはゞ之れ深き信仰の欠乏を証するのである、真に神を信ずる者は軽卒に彼の名を口にしない、却て「神」と言はずして「彼」といふ、「君は何時彼を信じた乎」と言ひて敬虔の念は能く発露するのである、寔に神 God なる文字を濫用する者にして堕落せる不信者の如きはない、其最も著るしき例は米国人である、彼等は唯に神の名を正しく用ゐざるのみならず又唯に之を濫用す(354)るのみならず今や却て悪事凶事を表はすに此語を以てするのである、Goddamn you.(神汝を呪ふ)は彼等の挨拶である、Jesus Christ(イエスキリスト)は彼等の嘆声である、神の名を制限せらるゝ事は彼等に取て大なる苦痛である、信仰の堕落も茲に至て極まれりと言はざるを得ない。
 然し此誡の精神は其れのみではない、更に深き意味がある、「妄に神の名に由て誓ふ勿れ」と(馬太伝五章三三、三七節参照)、神の名に由て偽《いつはり》の誓言を立つるは聖名濫用の最悪なるものである、勿論其始は誠実なる敬虔の念より出でた事であらう、恰も我国に於ける起請文が当初甚だ厳粛に確守せられたるが如くである、然し起請文も源平時代には殆ど濫用せられ徳川時代には之を版に刷りて鬻ぐに至つた、寔に危険なるは神の名に由る誓言である、故にキリストは教へ給うた、「汝等唯然り然り否々と言へ、之より過ぐるは悪より出づるなり」と、我等若し何事をか約せんと欲せん乎、即ち唯「神若し許し給はゞ」である、神の名を濫用する勿れ、殊に之を利用して誓を立つる事勿れ、之れ凡ての信者に対する重大なる誡である、就中監督牧師伝道者等職を宗教に採る者に対する大警告である。
 四、安息日を憶えて之を聖潔く守るべし、安息日を「憶えて」と言ふ、知るべし安息日は律法に始まりしものに非ずして夙に恩恵として与へられしものなる事を、之れ命令の日ではない、恩恵の日である、人之を賜として受けず神に対し律法的態度に出でしが為に神之を誡と為し給ふたのである。
 安息日は我等が暫く労働を休みて神と交はり神の我等を作り給ひし目的に副はむ事を期すべき日である、我等の舟は何処を目指して海に出で現に今何処を走りつゝあり哉、我等は屡々楫取る手を止め大空の星を窺うて自己の進路を考ふべきである、神の天地万物を創造し給ひし其大目的に従て航路を取り直すべきである、之を怠りて(355)唯ひたすらに統海を続くるも舟は思はざる港に着いて人生は全然失敗に帰する、其実例は数へ尽し難き程多くある、安息日はかゝる危険より我等を救はんが為め神の賜ひし恩恵の日である、天地を創造し給ひし神御自身すら一日の創造終る毎に之を回顧して「善しと見給ひ」然る後次の創造に移り給うた、況して我等造られし者に於てをやである(創世記一、二章を見よ)。
 五、汝の父と母とを敬ふべし、父と母とに於て神の代表者を見るのである、故に神に対するの心を以て之に従ふべきである、人に対するの義務なると同時に又神に対するの義務である、ヱホバに仕ふる途の最後にして而して人倫の第一条である、基督教に孝道なしと云ふ者は誰である乎、基督教の孝道は単なる対人道徳ではない、父母に背くは神に背くのである、故にユダヤに在りては不孝の罪を罰するに石を以て撃ち殺したのである。
 此の如く見来れば十誡は完全なる教訓である、恰も一定の場所を囲まんと欲して其周囲に十本の杭を打込たるが如くである、素より其間に隙がないではない、之れ律法そのものに人を封鎖するの力が無いからである、然しながらこの十本の杭は最も適切の場所に打ち込まれて居る、世の十誡と称するものにして一としてモーセの十誠に此ぶべき者は無いのである、是れ真に神より出し誡めである、之にシナイ山其物の如き荘厳がある、貴い哉!
 
     第二十回 十誡之解(下) (十二月三日)
 
 十誡第六より第十迄は人に対するの義務である、我等は同胞に対して如何なる義務責任を負ふ乎、之を最も簡明に言ひ尽したるものが此五箇条である。
 「汝殺す勿れ」、「汝姦淫する勿れ」、「汝盗む勿れ」、「汝その隣人に対して虚妄の証拠を立つる勿れ」といひて(356)凡そ人の所有し得る最も貴きものが列挙せられたのである、殺す勿れは即ち隣人の生命を重んずるのである、姦淫する勿れは即ち隣人の家庭を重んずるのである、盗む勿れは即ち隣人の財産を重んずるのである、而して虚妄の証拠を立つる勿れとは隣人の名誉を重んずるのである、この語は素と裁判上の用語であつて、裁判官の指名にょり又は個人の申立により証人となりたる者が裁判かれつゝある人に対し如何に思ふかを陳述する時真実の立証を為すべき其義務を言うたのであつた、而してユダヤの法律にありては今日の英法に於けるが如く隣人中何人をも呼び出して其証明を求むる事を許したが故に此義務は凡ての人に関係ある重大なる義務であつた、加之普通の場合に於ても亦隣人に対し虚妄の証拠を立つる事を禁ぜられた、出埃及記二十三章一節は其規定である、曰く「汝|虚妄《いつはり》の風説《うはさ》を言ひふらすべからず、悪き人と手を合せて人を誣ふる証人となるべからず」と、此語は移して以て十誡第九の註釈と見る事が出来る、隣人に対し虚妄の風説を言ひふらす勿れ、隣人の名誉を傷くる勿れ、之れ其精神である、今日の語にて「人の名を重んずべし」との意味を表はすに当時の最も適切なる言ひ方を以てしたのである。
 生命と家庭と財産と名誉と、之れモーセ律に列挙せられたる各自の所有物の最も貴きものであつた、而して此四者を保護せらるゝ時人は完全に保護せらるゝのである、隣人に対する我等の義務にして此四者を尊重する如く重大なるはないのである。
 然るに我等は果して其事を認めて居る乎、殺すの罪の重大なるは何人も之を知つて居る、盗むの罪も亦さうである、殊に我等日本人に取ては此罪ほど厳格に誡められたものはない、武士道の根本は「盗まざること」にあつたのである、次に姦淫の罪即ち隣人の家庭を乱すの罪悪は時の古今を通じ国の東西を問はず社会の上下に瀰漫せ(357)る罪悪である、聖書にもダビデ王が臣下の妻を奪ひし如き記事を載せて居る、而して聖書は勿論之を罪悪の極致と為して居るのみならず世人も亦其重大なる罪悪たるを知らないではない、殊に英米両国にありては之を悪む事猶ほ殺人偸盗と異ならないのである、故に以上の三罪は人の一般に罪として認むる処であると言ふ事が出来る。
 独り第四の「名を傷くるの罪」に至ては如何、罪の罪たるを認むるに鈍くして而もその罪として重大なること是の如きはない、聖書は人の名誉を以て生命家庭財産と均しくそれ丈け貴重なる所有物と為すのである、隣人の名を挙げて之を傷くる事を以て殺人偸盗姦淫の同罪と認むるのである、「隣人の風説を言ふなかれ」、之れ旧約聖書中随所に発見せらるゝ誡である、「汝等人を議する勿れ恐らくは又汝等も議せられん」、之れ新約聖書山上垂訓中の教である、而して十誡第九も亦曰ふ「汝その隣人に対して虚妄の証拠を立つる勿れ」と、知るべし人の名を尊重する事の如何に重大なるかを、実に之れ隣人に対する義務の絶頂である、この最後の一誡を守るを得て真に能く隣人を重んじ得るのである、然るに実状は果して如何、試に日毎の新聞紙を見よ、我邦の新聞紙が世界最悪のものたるは必ずしもアウトルツク記者の言を俟て初めて知る処ではない、而してその爾《しか》く劣悪なる所以は何である乎、曰く十誡第九条を犯すに於て恬然として耻ぢざるものあるからである、又今日の教会を見よ、隣人の風説を喋々する所にして教会の如く盛なるはない、之れ真に奇異なる現象といはざるを得ない、神を讃美すべき教会にありて而も其牧師伝道師等が憚る処なく人を議するのである、然しながら此点に於ても我等は少しく英人に学ぶべきである、彼等の名を重んずるや正に生命財産に於けると異ならない、苟も名誉を毀損せられん乎、脱ぎたる帽子を釘に掛くるの遑もなく再び之を被りて直に裁判所に到り訴ふるのである、而して裁判所も亦速に之が判決を下すのである、我邦に於て名誉の毀損を軽視し之を看過するは国家社会及び個人に取り重大なる損失(358)である、之れ寔に不信国の特徴である、人は信仰の進むに従ひ隣人の風説を慎むに至る、キリストの光に照されたる者は隣人の悪を悉く自己内心に発見し従て徒らに之を議するを得なくなるのである、世には未だ嘗て人の悪を口にせざるのみならず其善を言はんとするに方りても事の重大なるを慮り必ず一度び言を止むる人がある、之れ実に信者らしき態度である、信仰の程度は他人の悪を口にするの程度を以て測る事が出来る、(勿論絶対に之を言ふべからずといふのではない、事或は信仰の安危に関し或は聖会の秩序に関する時之を明かにするは真に已むを得ない、然し乍ら此場合に在りても審判く者は他にあり最も慎重なる態度を以て之に当らなければならない)、是の如くに解して十誡第九は其第三の半面である、「汝の神ヱホバの名を妄に口に上ぐべからず」と、之れ神に対する誡であつた、「汝の隣人の名を妄に口に上ぐべからず」と、之れ隣人に対する誡である。
 十誡最後の条に言ふ「汝その隣人の家を貪る勿れ」と、貪るとは心中の罪である、之を行為に出して偸盗となり姦淫となり殺人となる、然しながら禍の源は内心に於てある、欲しいと思ふ其心の状態に於てある(二十章十七節参照)、故に十誡は最後に之を誡めて悪念を懐く勿れと断ずるのである、誰かいふモーセ律は行為に関する誡に過ぎずと、モーセ律は教ふるのである「殺すべからず殺さんとの心を抱くべからず、姦淫すべからず姦淫せんとの心を抱くべからず、盗むべからず盗まんとの心を抱くべからず、虚妄の証拠を立つべからず之を立てんとの心を抱くべからず」と、而して茲に至て罪は其根源まで追究せらるゝのである、十誡第六条以下は其第十条に由て霊化《スピリチユアライズ》せらるゝのである、かくて霊的に始まりたる十誡は又霊的に終るのである、此点に於て十誡は山上の垂訓と全く其精神を同じうする、寔に之れ誡として最も完全なるものである。
 其前半五ケ条は神に対する律法として完全なるものである、其後半五ケ条は亦人に対する律法として完全なる(359)ものである、人若し之等十箇条の一にだに触れざらん乎、彼は完全なる人であるといふ事が出来る、実に十誡の鋭鋒に急所を刺されては何人か敢て「我れに罪なし」と揚言し得るものぞ、人は之に依て完膚なきに至るのである、而も其言辞簡潔にして明瞭、荘厳にして雄大である、之れ実に電《いなびかり》と烟《けぶり》との中より響きし声である、世に十誡なるもの必ずしも尠くない、仏法にも十誡はある、乍然仏法の十誡に「像を彫むべからず」との教あるなく「父母を敬ふべし」との誡あるなし、十誡として絶倫なるものはモーセの十誡である、但し之れ律法である、我等は之を守らんと欲して守る事が出来ない、是に於てか福音の必要がある、我等をして守るべき途の何であるかを知らしめ而して我等を福音に導くもの、之れ即ち律法である、律法は福音の先駆である、而して十誡は律法の絶頂である、然し之れ旧約聖書の中心である。
 是の如く神はシナイ山頂より荘厳なる律法を降し給うた、乍然神は又我等の彼に近づくべき途を教へ給うた、「汝土の壇を我に築きて其上に汝の燔祭と酬恩祭、汝の羊と牛を供ふべし、……汝若し石の壇を我に造るならば琢石《きりいし》をもて之を築くべからず、そは汝もし鑿を之に当てなば之を汚すべければなり」と(廿四、廿五節)、即ち神は命じ給ふのである「行を以て我に接近する勿れ、犠牲を以てせよ」と、又「荘麗なる会堂を築く勿れ、天然に於て我に近づけ」と、我等の救はるゝは行為に由るに非ずして恩恵に由るのである、犠牲即ちキリストの贖罪に由るのである、我等は又神を讃美するが為にかのケルン、ルベーン、レームの大伽藍を要しない、峰の巓、森の蔭、之れ最もふさはしき祭壇である、ブラウニング、ウオルヅヲルス等は斯くして天よりの啓示を受けた、而してモーセも亦天然主義であつた、犠牲と単純なる礼拝、神の要め給ふものは之である、之を解するは福音の真髄を解する事である。
(360) 附記 参考のために左に仏教の十誡を掲ぐ、是は菩薩の十誡であつて、化導に志す者の守るべき者である、沙弥即ち普通出家の守るべき者は此外に別にある、
  不殺戒、不盗戒、不婬戒、不妄語戒、不※[酉+古]酒戒、不説過罪戒、不自讃毀他戒、不慳戒、不瞋戒、不謗三宝戒。
 尊むべき敬ふべき十誡である、乍然之をモーセの十誡に較べて見て二者の優劣は一目瞭然である、殊に注意すべきは仏教の十誡に不孝を誡めたる者の全然欠けて居る事である、基督教は孝道を蔑《なみ》すとの套語は当らない、若し其十誡に現はれたる所より評するならば仏教こそ其責めに当るべきである。 〔以上、大正6・1・10〕
 
     十誡第六条の適用 出埃及記研究の余韻 出埃及記第二十一章
 
 十誡は神の掟の精神である其心棒である、而して之を社会に適用したる者が出埃及記第二十一章以下である、時移り世替るも精神は変らない、適用は場所により時代によりて異なる、出埃及記第二十一章以下は之をモーセ律と称しモーセ時代のイスラエル人を審判く為に作られしものであつて其立場より見て甚だ興味多きものである、法律の価値を知らんと欲する者は此書を研究するに如くはない、西洋諸国に於ける法律思想の普及は旧約聖書に負ふ処最も多いことを忘れてはならない。
 十誡の適用は先づ人に関する誡より始まる、即ち石の板の第二枚目十誡第六条を以て始まるのである、之れ蓋し何人にも了解し易きものを先としたのであらう。
 此章に於て規定する処は所謂人権問題である、而してモーセは人権問題を「殺す勿れ」の条下に置いたのである、之れ誤りたる区分法の如くにして実は然らず、人権は人の生命である、生命を重んずるが故に人権を重んぜ(361)よといふのである、実に人は或場合に於ては生命を賭しても人権の重んぜられん事を欲するのである。
 奴隷の人権を重んじたる此律法は当時に在りては極めて意味深きものであつた、昔時奴隷は何れの国にも存し皆其持主の所有物にして物品と共に売買せられたのである、今も波斯又は土耳古の或部分に至れば奴隷売買の市場を実見する事が出来る、其処にて富豪は多くの金を投じて若き奴隷婦人を選択購求するのである、故に敵と戦ふに当り先づ俘虜として伴ひ帰らん事を欲したのは処女であつた、之れ必ずしも労働者を求むるの意味のみではない、処女の売買に於て利益を博せんと欲したるが故である、かゝる奴隷制度は最近に至る迄人之を怪まなかつた、米国にて奴隷戦争終りしより未だ漸く半世紀に過ぎない、而して奴隷には人権は皆無である、全く牛馬同様に扱はるゝのである、嘗て羅馬の或る貴族客を請じて饗宴を催うした時客其家に多数の鰻を飼育せるを見て其|餌食《えじき》の何なるかを尋ねた、主人即ち答へていふた「見よ」と、而して忽ち命じて自己の所有する奴隷を殺さしめ其肉を鰻に食はしめたといふ、之れモーセ律法後二千年の事である、否必ずしも羅馬の昔を顧みるを要しない、今日尚ほ類似の事が而かも白人の手によりて行はるゝのである、阿弗利加内地に於てゴム採収の為め欧羅巴人が奴隷を使役して居る、所聞《きくならく》彼等欧羅巴人は時に或は爆裂弾の団子を作り之を奴隷に食はしめて其腹中に爆裂するを見て楽むと、実に人権を蹂躙するも亦甚だしといふべきである、然るに今より四千年の昔に於てモーセは既に此の如き法律を設けたのである、曰く「奴隷にも人権あり、之を重んぜぜるべからず、七年目には償《つぐのひ》を求めずして釈放すべし、但し若し奴隷の自由意志より釈放を欲せざる時は裁判官の前に携へ行きて其承認を得、然る後錐を以て耳を刺し通し以て永久に其家附の者となりたるの儀式となすべし」と(一−六節)その奴隷の意志を重んずるの篤きを見るべきである、此の如きは他国の法律に比し先んずる事数千年であつた、希臘羅馬の諸国には夙に(362)大法律家出でゝ良き法律を制定せりと雖も其れより遙か以前にモーセは既に最も人権を重んじたる法律を作成したのである。
 次に奴隷が婦人なりし時即ち婢《しもめ》に対しては如何 婢とは下婢の謂ではない、自己の妻妾たらしめんとの目的を以て購ひし奴隷をいふのである、而して婦人は之を釈放するも自ら生計を立つる事が出来ない、故に主人は之に仕遣《しおくり》を為さねばならぬ、若し之を為さざるに於ては自由に其家を去る事を許すのである(七−十一節)、知るべし婦女たる奴隷に至る迄其人権を重ずるの懇篤なりし事を、之を其の当時のカナンの民又は埃及アラビヤの民等に比する時は到底同日の談ではないのである。
 今日我邦に於て勿論奴隷はない、然しモーセ律を適用せんとして適用し得べき事実は無数である、近時喧しかりし公私娼問題を始として田舎に行はるゝ養女制度の如き或は男女工問題の如き皆其類である、而して人権を口にする法律家は多しと雖も真に人権の何たるかを解する者は少い、神を知らざる者に真の人権の観念はあり得ないのである、人権何故に貴重なる乎、人は何人も神の像《かたち》を宿すが故である、仮令奴隷たりと雖も神との間に深き々々関係あるが放である、神に象りて造られし人類は何人も神聖である、全世界を以てするも購《あがな》ふべからざるものを其中に宿すのである、故に人権を犯すは之れ神の造り給ひし最も貴きものを犯すのである、之れ生命の根柢を毀つのである、此事を知つて然る後に人権の重んずべき所以を解するのである、而して人類の初めて此事を学びしはイスラエルがシナイ山上十誡を受けたる時であつた、其時より人権尊重の観念は人類の心中深く印せられたのである。
 次に「人を撃ちて死なしめたる者は必ず殺さるべし」と(十二節)、之れ説明を要しない、又「若し人自ら画策《たくむ》(363)ことなきに神人を其手にかゝらしめ給ふことある時」即ち自ら思はざるに誤つて人を殺すことある時は「我汝の為に一箇の処を設くれば其人其処に逃がるべし」と(十三節)、今もアラビヤ等沙漠中に多く行はるゝ事である、親の讐を撃たんとして別人を殺したる如き場合に多少罪を減ぜらるべき理由あるが故に之に逃場を与へて隠れしめ以て殺されたる者の子が直に又復讐することを得ざらしむ、之亦生命を重んずる規定である、而してユダヤに此種の逃場所(所謂|逃遁邑《のがれのまち》【民数紀三十五の六】)十二を算したといふ。
 然しながら之に反し人若し隣人を謀殺して自ら祭壇に隠れん乎、モーセ律は祭壇の保護と雖も之等罪人には及ぶべからずと為すのである(十四節)、是に至て罰は最も正当に行はるゝのである、罪人が神殿等に逃れて其保護により罪を免るゝ事は近代に至る迄我邦にも行はれて居た、而してかゝる実例は他国にも少くない、然るに独りモーセ律にありては正義の実行の為めには祭壇の神聖をも犠牲にしたのである。
 「父或は母を罵る者は殺さるべし」と(十七節)、其故如何、父母を敬ふは神を敬ふのであるからである、父母を罵るは神を罵るのである、父母は地上に於ける神の代表者である。
 「或る人若し杖をもて其僕或は婢を撃たんに其手の下に死なば必ず罰せらるべし」と(二十節)、奴隷を杖にて撃ちて死したる場合に之を措いて問はざるは諸国の法律の常例である、然るにモーセ律にありては少くとも重罪を以て之に酬ゐたのである、而して後に至ては明白に死刑に処せらるるに至つた、亦以て人権尊重の観念に関する他の古き法律との相違を窺ふに足る。
 其他或は二十九節の如く牛の飼主にして幾度か正当の注意を受けたるに拘はらず怠慢の結果牛が人を殺すに至りし場合には牛と共に飼主も亦殺さるべしと為すが如き、人の生命を重んずるの如何に周到なりしかを示して余(364)りがある。
 然るに近来此律法を解して二箇の極端に陥るものがある、其一は所謂殺生禁断の仏教的思想である、「殺す勿れ」の語を「凡て生命を奪ふ勿れ」の意に解して禽獣虫魚に迄及ばしむるのである、然し乍ら「殺す勿れ」は穀生に非ずして殺人である、其二は所謂死刑廃止論である、殺人の罪を犯したる者の生命も之を奪ふべからずと主張す、然しモーセ律は明かに命じていふ「人を死なしめたる者は必ず殺さるべし」と、厳律之れ恩恵の途である、其峻厳苟もせざる正義の要求の下にのみ愛の光は輝くのである。 〔以上、大正6・3・10〕
 
(365)     五月《さつき》の春
                         大正5年5月10日
                         『聖書之研究』190号
                         署名なし
 
〇「五月の春の一日に愈りて楽き者やある」とは詩人ローエルの一句であるが、実に新緑滴たるる今日此頃の楽しさは之を紙にも筆にも書き尽すことは出来ない、花は散りて酔客は去り、樹下は独り詩人の占領する所となる、雲雀は声を揚げて昇天を試み、班鳩《やまばと》は林間に佳※[藕の草がんむりなし]《とも》を招く、木瓜の花翠岸に朱点を施し、深淵流れ急にして我|思想《おもひ》清し、此時帽を脱して天を仰いで叫べば、我声の直に聖座に達するの感あり、人は会堂の改築を語るも、我は此所に在りて手にて造られざる窮《かぎり》なく存つ所の神殿《みや》を得たり、年に一回五月の春の我等を見舞ふて我等の祈祷を助くるあり、会堂我に在りて何かあらん、我は今猶ほ無教会信者であつて宇宙の教会の一員である
〇偉大なるは矢張り哲学者カントである、十八世紀以後今日に至るまで彼よりも大なる人は世に出なかつたと思ふ、彼の思想は革命的であつた、然れど彼の生涯は野草のそれの如くに平穏無事であつた、宇宙的感化を世に及ぼせし彼は終生彼の誕生の地より三十哩以外に出しこと無しと云ふ、「我上に星天の輝くあり、我衷に道義の宿るあり」と、宇宙と道義、此二つありて彼は他に求むる所がなかつた、思ひ見るケーニヒスブルグ城外、ライム樹の繁れる所、小形粗服の老書生、毎日午後四時三十分を告ぐるや、杖を曳いて其痩姿を現はせしを、彼の形は見すぼらしくあつた、然し彼の心は全宇宙を懐いた、偉大なる哉彼!
 
(366)     『【旧約聖書】伝道之書』
                         大正5年6月5日
                         単行本
                         署名 内村鑑三 編
 
〔画像略〕初版表紙151×106mm
 
(367)〔表紙裏〕 十数年の久しき間余の事業の真実なる賛助者なりし故今井樟太郎君と君の遺愛信子の君とに謹んで此小著を公呈す
     大正五年(一九一六年)六月五日 内村鑑三
   〔目次〕
【旧約聖書】伝道之書(内村鑑三解訳)
附録 伝道之書に就て
 
(368)     QUANTITATIVE CHRISTIANITY.数量的基督教
                         大正5年6月10日
                         『聖書之研究』191号
                         署名なし
 
     QUANTITATIVE CHRISTIANITY.
 
 Says the modern popular Christianity:“Business is business.Even Christian missions,to be successful,must be carried on business principles.And SUCCESS is the test of Truth;and the sure test of success is NUMBERS.Majority makes laws,and majority will establish Truth.The work that does not appear in reports and statistics is no work at all.Numbers,numbers,−the biggest church is the best church,and the richest,the strongest. It is nonsense to speak of pure spirits and the Church Invisible. The thing that does not show itself in numbers is nothing.”This is what we may call Quantitative Christianity,and alas! it is being rapidly introduced into Japan,−mostly by American missionaries.
 
     数量的基督教
 
 近代の通俗的基督教は言ふ
(369)  商売は商売である、縦令基督教の伝道と雖も若し此世に於て成功せんと欲せば商売の原則に従はなければならない、成功は真理の証明である、而して成功の誤らざる証明は数である、報告と統計とに顕はれざる事業は之を事業と称ふることは出来ない、数である数である、最も大なる教会が最も善き教会である、而して最も富んだる教会が最も力ある教会である、肉を離れたる霊といふが如き又は目に見えざる教会といふが如きは意味なき言詞《ことば》である、数に顕はれざるものは有て無きものである
と、是れ余輩の称して数量的基督教といふ者である、而して歎ずべし此種の基督教は大なる速度を以て我日本国に輸入されつゝある、主として米国宣教師に由て輸入されつゝある。
 
(370)     〔救済の確信 他〕
                         大正5年6月10日
                         『聖書之研究』191号
                         署名なし
 
    救済の確信
 
 我に徳行は無い、然れども信仰は有る(神の恩恵に因りて)、我に聡明は無い、然れども信仰は有る(神の恩恵に因りて)、然り我に信ずるの信仰は無い、然れども信《まか》し奉るの信仰は有る(神の恩恵に因りて)、而して此信仰、此信頼が有るが故に我に徳行なく、聡明なく、又焚かるゝ為に我が身を予ふるほどなる信仰なしと雖も、我は神に接《う》けられ、愛せられ、竟に救はるべしと確に信ずるのである、而して若し信頼が救済唯一の条件でないならば我は確かに救はれないのである、然り我れのみならず、世に救はるべき者とては一人もないのである、然れども神がキリストに由りて信頼を救済唯一の条件として定め給ひしが故に、罪人の首《かしら》なる我も亦救はるべき資格を得たのであつて、又人といふ人にして此資格に与り得ない者とては一人もないことを知るのである、信頼が救済唯一の条件と成つた時に万人救済の希望が人類の間に臨んだのである。
 
    神の事業
 
(371) 人は如何に努力するも神の事業を成すことは出来ない、神のみ能く神の事業を成し給ふ、人は唯神の命に従ふのみである、神の命に従つて語り神の命に従つて働くのみでぁる、而して事業は神に由て自から成るのである モーセとアロンとがイスラエルの子孫を埃及より救出したのではない、彼等は唯神の命を埃及王パロに伝へたに過ぎなかつた、而して神は其大能の聖手を伸べて其選民を救出し給ふたのである、其他イザヤの預言、パウロの伝道皆な其通りであつた、彼等は唯神の命に従つて行動したのである、而して大なる事業は彼等に由て成つたのである、神の僕に事業の計画なる者は無いのである、彼は唯語るのである、唯働くのである、多くの場合に於て人の面を懼れずして語るのである、社会の嫌悪を排して働くのである 而して彼の想はざりし大事業は彼の弱き行動に由て成るのである、要るものは智慧と先見とではない、信仰と勇気とである、弱き彼は神の器具《うつは》となりて大なる事業を為すのである。
 
    道と門
 
 神はキリストに在りて人に臨み給ふ、而して人はキリストに在りて神に到る、キリストは曰ひ給ふた我は道なりと(約翰伝十四章六節)、実に彼は神が由て以て人に臨み人が由て以て神に到るの道である、キリストに由らずして神と人との間に真の交通はないのである、キリストは又曰ひ給ふた我は門なりと(同十章七節)、実に彼は大なる牧者が其羊を迎へ、羊が其牧者に従はんとして此世の曠野《あれの》を去て天の羊欄にと入るの門である、キリストが道である、キリストが門である、彼に由らずして、又彼を通らずして人は何人も神に到り天国に入ることは出来ない、而して彼のみが道であつて彼のみが門である、世に彼に代はるべき道と門とは無いのである、教会も神に(372)到るの道ではない、神学、教義、信仰箇条等孰れも天国に入るの門ではない、子(キリスト)若し汝等に自由を与へなば汝等誠に自由なるべしと彼は曰ひ給ふた(同八章卅六節)、我等は聖子《みこ》に由て聖父に到るのである、教会、教義、教職等は我等に取り何の必要もないのである。
 
    慰めらるゝの途
 
 慰められんと欲する者は慰められない、慰めんと欲する者のみ慰めらる 助けられんと欲する者は助けられない、助けんと欲する者のみ助けらる、教へられんと欲する者は教へられない、教へんと欲する者のみ教へらる、主の曰ひ給へるが如し、即ち汝等人に与へよ、然らば汝等も与へらるべし……汝等が人に量る所の其|量器《はかり》を以て汝等は人に量らるべしと(路加伝六章三十八節)、自己の弱きをのみ悲み、自己の不足をのみ歎ち、自己の痛みをのみ感じて唯偏に人に慰められんと欲し助けられんと欲し導かれんと欲する者は何時まで待つも慰められず助けられず導かれないのである、慰められんと欲するか、自から進んで自己よりも不幸なる人を慰めよ、助けられんと欲するか、自己よりも弱き人を助けよ、教へられんと欲するか、自己よりも愚かなる者を教へよ、先づ与ふるに非ざれば得る能はず、人は量る其量器を以て量らるべし、世に「我を慰めよ助けよ教へよ」と叫んで止まざる信者多きは実に歎ずべき事である。
 
    嘲笑の福
 
〇キリストの救拯に与かる事は容易いやうで困難《かた》くある、其途は単純である、信仰の途是れである、然し乍ら途(373)は窄くある、而して其門は小さくある、「そは人は心に信じて義とせられ口に言表して救はるゝなり」とある(羅馬書十章十節)而して心に信ずるは比較的に容易くある、困難は口に表白はす事である、此奸悪の世に在りてキリストを嫌ひ信仰を嘲ける人等の前に立ちて憚からずして「我はキリストの属なり」と言ふこと、其事は甚だ困難くある、而して之を称して口に表白すと云ひ、而して此事に由りて人は救はるゝのであると云ふ、実に信仰は単に思想ではない、実行である、実行といひて信仰に対する行為ではない、勇行を以てする信仰の表白である、此実行が伴はずして信仰は救拯の理由とならないのである、「我は彼を信ず死すとも信ず」と言ひて信仰は真の信仰となりて我霊魂を救ふのである。
〇此世は何時までも不信の世である、此世がキリストと其弟子とを歓迎する時は永久に来らないのである、真の信仰は世界何れの国に到るも藐視《かろしめ》られ又嘲けらるゝのである、世の嘲笑を冒さずして人は何人も此世に在りてキリストの忠実なる僕たる能はずである、茲に於てか真の信者たらんと欲して人の前にイエスを認《いひあら》はすの必要があるのである、彼は曰ひ給ふた、
  凡そ人の前に我を識ると言はん者を我も亦天に在ます我父の前に之を識ると言はん、また人の前に我を識らずと言はん者を我も亦天に在す我父の前に之を識らずと言ふべし
と(馬太伝十章卅二、三節)、イエスの定め給ひし此法則は何時の代何れの国に於ても変らないのである、此世が試練の世たるの理由は茲に在るのである、我等は世に背かずしてはキリストの属たること能はずである、是れ実に辛らい事である、然し乍ら免がるゝこと能はざる事である、「我等は多くの艱難《くるしみ》を歴て我等が神の国に至る」のである(行伝十五章廿二節)。
(374)〇而して信者に取りてはキリストのために世に譏らるゝこと、其事が最大の名誉である、是れパウロの所謂「イエスの印記《しるし》」であつて、是れありて我は確に世の属に非ずして彼れイエスの属なることを識るのである(加拉太書六章十七節)、今の教会の信仰が偽《いつはり》の信仰である何よりも好き証拠は之に世の迫害の加はらない事である、教会は世と調和を計りてキリストを離れつゝあるのである、真の教会は交戦的教会《チヤーチミリタント》である 此世に対して常に交戦的態度に立つ者である、世とは両立し得ざる者である、然るに今の教会は斯る者ではない、世と手を携へて信者を窘迫《くるし》むる者である、世の如くあり世の如く行ふを以て誇る者である、故に真の信者の敵である、斯かる教会に関して黙示録記者は曰ふたのである「我民よ汝等その中を出べし」と(十八章四節)。
〇使徒ペテロは初代の信者を慰めて曰ふた
  若し汝等キリストの名の為に譏《そしら》れなば福なり そは栄の霊即ち神の霊汝等の上に止まれば也 キリストは彼等に※[言+賣+言]《けが》され汝等に崇めらるゝ也
と(彼得前書四章十四節)、我主の名を人の前に表白はし彼等の譏る所となりて我は聖霊の恩賜に与るのである、聖霊はたゞ祈願《いのり》て得らるゝ者ではない、主の聖名を口に表白はして其勇行の報賞《むくひ》として神より賜はる者である、「栄の霊即ち神の霊汝等の上に止まる」と云ふ、何等の名誉ぞ、何等の利益ぞ、我が得る所は失ふ所に優《はるか》に愈るのである、世を失ふて神を得るのである、然れば世よ我を譏れよ、而して我をして富める者と為らしめよ。
〇「キリストは彼等に※[言+賣+言]《けが》され汝等に崇めらるゝ也」と、世は我等を譏てキリストを※[言+賣+言]すのである 而して我等は世に譏られてキリストを崇むるのである、世の罪と信者の徳とは懸りて此一事に在るのである、我等が世に譏らるゝ時に世は審判かれ我等は栄光に入るのである、我等争でか此好機を逸すべけんやである、而して斯かる恩恵(375)の我等を俟つあれば「我等も亦彼の※[言+后]※[言+卒]《そしり》を負ひて営《かこひ》(此世)の外に出で彼(イエス)の許に往くべきなり」である(希伯来書十三章十三節)。
 
(376)     日本に於ける聖書の研究
                         大正5年6月10日
                         『聖書之研究』191号
                         署名 内村鑑三 述
 
  五月六日米国聖書会社創立百年紀念会に於ける講演大意
 
 今を去る六十三年前嘉永六年六月九日北米合衆国水師提督ペルリが四艘の軍艦を率ゐて突然我が浦賀港に現はれし時は実に新日本誕生の紀元であつた、彼は翌安政元年二月再び渡来し当時の横浜村に於て我幕府の代表者林大学頭等と会見を為したが其時大統領フイルモアより時の将軍徳川家定公への贈物三十品を齎らしたのである、今其目録を見るに甚だ興味がある、第一蒸汽車一式、次にエレキトールテレグラーフ(電信器械)其他望遠鏡、農具、羅紗、天鷲絨《びろうど》、酒、書籍等の類である、即ち何れも西洋文明の代表物であつて恰も昔シバの女王がソロモン王に香物と金と宝石とを献げ又キリストの生れし時東方の博士が黄金没薬乳香等を捧げしやうに西洋文明の凡てを網羅して其代表的の産物を我国に贈つたのである、而して其蒸汽車は先《まづ》東京横浜間に採用せられて今や既に全国の鉄道五千哩を算するに至り、所謂エレクトールテレグラーフの如きはかの船橋に於ける指頭の一撃直に市俄古《シカゴ》までも通ずると云ふ無線電信と発達し、其他工芸科学等我国をして文明国たらしむべき凡ての善き物は一として受入れざるなく寧ろ西洋諸国に勝るとも劣らじとの意気込を以て利用せられつゝあるのである。
(377) 然るに茲に尚一つのものがあつた、フイルモアは之れを三十品の中に加へなかつた、上記目録中の書籍十六冊の内容は今より知り難きも多分医術兵事等に関するものであつたらしく、今一つのもの即ち聖書は此中にはなかつたのである なぜ之が無かつたか、蓋し幕府は他のものは何でも貰ふけれども之丈は受取らない事が判て居たからであらう、若し強てといふならば已むを得ず又々港を鎖して交際をお断りすると言ふたに相違ない、汽車結構、電信結構、医術結構、皆な有難く頂戴したけれども唯一のもの丈は御免蒙つた、詔君は横浜に遊ぶ時|野毛山《のげやま》の上より湾頭を睥睨する太神宮を見るであらう、聞く処によれば之は外教の侵入を防ぐが為の心霊的砲台として立てられたものであると、西洋文明は之を謳歌するも基督教だけは排斥してやまざるは昔も今も変らぬ日本人の態度である、余輩の札幌農学校に学びし時同窓の一友の父は心配の余り余と相語つて言うた、「農業水産経済何をやつてもよいが耶蘇坊主丈にはさせたくない」と、此事は今も全く同様である、他のものは何でも入れるけれども基督教丈は日本国より取除かねばならぬと思て居る我国の学者政治家教育家は決して少くないのである。
 然るに初めて我国の門戸を叩いて長き睡《ねぶり》より醒ましたる彼のフイルモア、ペルリ等の考は如何であつた乎、素より委しく知るに由なきも之を当時の記録に徴するにペルリは其上陸に先だち艦員一同を其旗艦サスケハナ号の甲板に集めて感謝の祈を捧げたとある、又フイルモアの家定将軍に送りし書簡は「願はくば神、殿下を守り殿下の国を正しきに導き給はん事を云々」と謂ふが如き文句を以て結んであつた、仮令彼等の考は果してさうでなかつたとしても最も良き米国人の考が其処にあつた事は確かである、日本に凡ての文明を与へて聖書を与へざるは身体を与へて霊魂を与へざるに均しい、西洋文明は枝である、聖書は根である、日本に与ふべき最も大切なるものは聖書であると、之れ彼等の考であつた、他のものは皆有難く頂戴するが聖書丈は御免蒙るといふ日本の要求(378)と正しく正反対である、然し聖書は遂に日本に入つて来た、而も先頃米国より六千円の聖書を我が皇室に献上したるが如き手段方法に由らずして米国聖書会社の手により国民の間に入つて来たのである、蓋し日本に聖書を与ふる最良の方法は此の如く之を国民の間に入るゝにあるのである。
 而して多数の日本人は今も尚基督教を排斥するに拘はらず、聖書は恰も水がスポンジに浸み込むやうに、又は森林に火の燃えつきしやうに徐々として而も最も確実に日本人の心の深き処に入りつゝあるのである、聖書といへば外国の書のやうに思ふけれども今や聖書は日本の書となりつゝある、文字無き社会に於ける其の適切なる幾多の実例は先刻山室君によりて提示せられたが学生其他有識階級に於ても亦均しく最も真面目に且根本的に研究せられて居る事を余は実見する、先日聖書会社の役員より余の許に集る人に対し聖書を売らん事を申出され「希臘聖書ならば二十冊位引受けん」と答へしに彼はいたく驚いて「事は其処まで進んで居ります乎」と彼は叫んだが実に事は其処まで進んで居るのである、今や牧師知らず宣教師知らず教会の名簿に曾て名の載らざる幾多の有為なる青年が英独の註釈書を以ては満足出来ずして自ら直接聖書の原文より神の最高の黙示を得んと孜々として希臘語聖書を研究しつゝあるのである、斯くして聖書は日本人の思想感情に由て解釈せられ純然たる日本人の書とならんとして居る、余の事業たる『聖書之研究』誌の存続も亦此事実を証明する、日本人に何より大切なる聖書を西洋人の手を経る事なく直接日本人より伝へんと欲して余は此事業を始めた、然るに当初友人は皆其無謀を笑ひ之が中止を勧告したけれども今日に至る迄少しも衰へざるのみならず号を重ぬる事百九十にして発刊数は増すあるも減ずることなき状態である、此一事を以て見ても日本人自身が如何に聖書を要求しつゝあるかを想像するに足ると思ふ。
(379) 然らば何故に聖書を日本人に与ふる必要がある乎、曰く之のみが人間に良心を与ふるものであるからである、斯くいはゞ人或は反問して言はん、「我等に聖書を竢たずして良心のあるあり」と、然し我等は果して始終良心を抑へて居ない乎、良心あれども働かないのである、良心が死んで居るのである、有名なる倫敦タイムスは自ら|英国民の良心《ブリテイシコンシエンス》を以て任じて居るさうであるが日本の新聞は果して日本人の良心たり得る乎、余は日々の新聞記事によりて之を知る、日本の新聞記者に良心なき事を、否な唯に新聞記者のみならず政治家然り教育家実業家皆然りである、彼等は誘惑の前に抵抗すべき何の力をも有たない、而して此誘惑に打勝たしむるものは即ち聖書である、良心なき人間は動物に過ぎず、良心なき国家は動物的国家である、若し人間に良心が最も大切なるものであるならば聖書の大切なる所以殊に其日本に取て最も大切なる所以は言ふ迄もない、願はくは日本国をして良心ある国家たらしめよ、貴き聖書をして日本全国民の書たらしめよ、かくて他日米国聖書会社の二百年記念を祝するの日は又大日本聖書会社創立百年を祝するの時たらん事を余は望むのである。
  五月十一日発行の『福音新報』は伝へて曰く
  次ぎに満堂破るゝばかりの拍手を以て迎へられたのは内村鑑三氏である、氏は『日本に於ける聖書の研究』と題し力ある弁舌を揮はれた……氏の演説中情熱して高調に達するや聴衆の中に「然り」と叫ぶものあり、又拍手して感動を示すものあり……会衆満堂にて千二百名以上(或ひは言ふ千六百名と)であつた。と。
 
(380)     初夏の田園
                         大正5年6月10日
                         『聖書之研究』191号
                         署名 主筆
 
 麦は思ひしほどの不作ではないやうである、畑は今や熟きて穫者《かるもの》の鋭鎌を俟つゝある、主の畑なるこの世界も亦日々収穫に近づきつゝある、戦争と戦争の風声《うわさ》、饑饉と疫病、是れ皆な主の再来の前兆であると云へば、我等は之を聞いて驚くべきではない、初夏の田野に麦の熟くを見て収穫を望みて喜ぶが如くに、神の審判の近きを思ふて歓喜雀躍すべきである 〇庭の躑躅は既に散りて杜鵑花《さつき》は其後を襲がんとしつゝある、躑躅の如くにパツト一時に火がつくやうに開くにあらずして筍《たけのこ》の生えるやうに徐々と時を急がずに咲く所が杜鵑花の特性である、馬よりも牛を愛し、天才よりも凡夫を愛する余は躑躅よりも杜鵑花を愛するのである 〇近頃A・T・ロバートソン氏著新約聖書希臘文典を購ふて日々少しづゝ読みつゝある、千三百五十頁の大冊であるが然し甚だ面白く読める文典である、読んで面白い文典とは世に甚だ稀なる者である、然し此書は其一である 〇此稿を終て直《すぐ》に大阪へ演説に行く、二三日で帰る
 
(381)     MISSIONARIES AND LANGUAGE.宣教師と国語
                         大正5年7月10日
                         『聖書之研究』192号
                         署名なし
 
     MISSIONARIES AND LANGUAGE.
 
 We know of English and American missionaries who stayed in Japan twenty,or thirty,or forty years,Who yet are not able to speak respectable Japanese,and who in their intercourse with us use their King's or Yankee English with freedom and unshamedness as if English were the official language of this country. As to the reading capacity of missionaries,it is next to nothing. One among a hundred may not be able to read vernacular newspapers,and we know of no one who can read ordinary Japanese literature in the original. No wonder that they cannot understand us,and that after spending half their lifetime in this country,they still remain utter strangers to us. The fact that these missionaries despise our language is a sure evidence that they have no true love for our souls.
 
(382)     宣教師と国語
 
 余輩の知れる英米の宣教師にして、日本に留まる事或は二十年或は三十年或は四十年にして、而かも今尚ほ尋常賤しからざる日本語をさへ話し得ざる者がある、彼等は余輩との交際に於て恰かも英語は日本国の官語であるかの如くに、気儘に且何の恥づる所なくして彼等の手前勝手の英語を用ゐるのである、宣教師の日本語の読書力は殆んど皆無である、彼等の中に邦語の新聞紙を読み得る者は百人中一人とはあるまい、而して日本文を以て普通の日本文学を読み得る者とては、余輩はその一人もあるを知らない、事実斯の如くであれば彼等宣教師が日本人を解し得ざるは敢て怪むに足りない、彼等は其半生を此国に送りて今尚ほ我等の真《あか》の他人として存るのである、宣教師が我が国語を軽んじて之を修得せんと努めざる其事が、彼等が真の心を以て我等の霊魂を愛せざる何よりも確かなる証拠である。
 
(383)     〔自己の発見 他〕
                         大正5年7月10日
                         『聖書之研究』192号
                         署名なし
 
    自己の発見
 
 自己は之を発見すべきである、然れども発見されたる其儘の自己は貴むべき者にあらずして卑むべき者である、自己は自己中心である、故に罪の自己である、自己は之を発見して之を神に献げて貴むべき者となるのである、自覚と云ひ自己発見と云ふは完全に達する途程に過ぎない、自己を発見して事竟れりと做すは其の何のためなるを知らないのである、自己を発見し、其の神を離れたる倚頼《たより》なき罪の自己なるを発見し、自己に恥ぢ自己を悔い、其罪のまゝなる自己を神に献げて彼の納くる所となりて自己発見の目的は達せられたのである、自己発見を哲学的行為の如くに見做すは大なる間違である、自己発見は哲学的行為ではない、宗教的悔改である、自己の造主にして其所有者なる神に対する自己の立場を発見し、彼に知らるゝ如く自己を知るに至る事、其事が真の自覚である、真の自己の発見である(哥林多前書十三章十二節)。
 
(384)    過激と狭隘
 
 教会者が嫌ふ者にして過激なる者の如きはない、彼等は何物よりも平穏なるを愛す、然れども焉んぞ知らんや基督教其者が過激なる宗教なることを、イエスは曰ひ給へり「地に泰平を出さんために我れ来れりと思ふ勿れ、泰平を出さんとに非ず、刃を出さんために来れり」と、基督教は妥協を許さゞる宗教である、「是々否々《しかり/\いな/\》といへ、此より過るは悪より出るなり」と教ふる、凡の人に良からんと欲し、時には大胆に「否《ノー》」と言ひ得ざる者は基督信者ではないのである(馬太伝十章卅四節)。
 教会者が遅くる者にして狭隘なる者の如きはない、彼等は何物よりも寛宏なるを好む、然れども焉ぞ知らんや基督教は窄き宗教なることを、イエスは曰ひ給へり「窄き門より入れよ、沈淪《ほろび》に至る路は闊く其門は大なり、此より入る者多し、生命に至る路は窄く其門は小なり、其路を得る者|少《まれ》なり」と、教会者は窄きを避けて闊きを択みて自から沈淪に至りつゝあるのである(馬太伝七章十三、十四節)。
 
(385)     失敗の成功
         去る六月十五日群馬県伊勢崎町に於て両毛地方に散在する少数の同志に語りし所なり、此日暗雲赤城山頂を蔽ひ熱風利根沿岸の砂塵を捲り来りて我等の会合をして一層悲壮たらしめたり。
                         大正5年7月10日
                         『聖書之研究』192号
                         署名 内村鑑三
 
 人の生涯の最も大切なる部分は其始めではない 又其中程ではない、其終りである、人は善く其生涯を終りて之を完成するのである、然るに大抵の人は如何である乎といふに、其青年時代に企て、其壮年時代に築いた事を其老年時代に壊つて了ふのである、其生涯の前半部に於て或ひは自由を唱へ或ひは平民主義を主張して、其後半部に於て其反対に強圧を唱へ帝国主義を主張するのである、其青年時代に在りては熱心に進新の基督教を信じ、齢やゝ邁《すゝ》みて先輩を以て目せらるるに至るや、保守主義の仏教又は儒教に帰るを常とする。 生来《うまれながら》の人は青年時代に進取的であつて老年時代に入れば保守的になるのである、神の特別の恩恵に与るにあらざれば此常別に反して終りまで進取的であることは出来ない、而して人の子の中に唯一人のナザレのイエスが始終一貫して平民の友、自由の主張者、理想の追求者にして其実行者、大革命家にして大詩人大預言者であつたのである、彼れのみは妥協なる者を知らなかつた、彼れのみは是々否々と言ひて天父の命其儘を行つた、彼の途程は短くあつた、然し真直であつた、彼の生涯は馬槽に始つて十字架に終つた、彼のみは完全に其理想を行つた、(386)彼は死を以て彼の理想に署名した、而して此意味に於て彼は神の独子である、人類中の惟一人者である、人生を単的に終りし一事に於て釈迦も孔子も彼れイエスに遠く及ばなかつた、イエスのみは其生涯を始めしやうに終へた、彼は髑髏山上に流せし彼の血を以て彼の一生の事業を固めた。
 而して我等も亦彼れイエスに頼りて我等の終を完成うすることが出来る、然り彼に頼《よ》らずして我等も亦此世の論者政治家理想家と其運命を共にせざるを得ない、イエスキリストに頼りてのみ我等は青年時代の壮図を老年時代まで持続し死を以て之を完成することが出来る、グラッドストンの如くに保守家に始つて進歩家を以て終ることが出来る、終りまで青年であることが出来る、死に至るまで理想を追ひて詩人たり預言者たることが出来る、イエスを離れて人は其時老ゆるのである、此世に於ける事業の成功を期し規則を設け、制度を定め、政府に在りては元老とならんと欲し、教会に在りて監督長老とならんと欲する、イエスは死に至るまで若々しくあつた、而してイエスに属ける者のみ終りまで青春の詩的理想を持続することが出来る、単純にして一貫せる生涯はイエスに従つてのみ完全に之を遂行することが出来る。
 彼は言ひ給ふた
  誠に実に汝等に告げん、一粒の麦もし地に落ちて死なずば唯|一《ひとつ》にて有らん、若し死なば多くの実を結ぶべし、その生命を惜む者は之を失ひ、その生命を惜まざる者は之を保ちて永生に至るべし、人もし我に事へんと欲せば我に傚ふべし、我に事ふる者は我が在る所に在らん
と(約翰伝十二章廿四−廿六節)、イエスは彼の理想に死して之を完成うし給ふたのである、理想の実現を期し事業の成功を急ぎ之に生きんと欲するが故に此世の政治家文士教会者等は老衰して己が理想の反逆人として成り了(387)るのである 「若し死なば多くの実を結ぶべし」である、事業は理想に死して挙がるのである、之に生きて亡ぶるのである、イエスは能く人生の此の原理を解し給ふた、彼は予言者の彼に就て言へるを知つた、「斯くて彼の霊魂《たましひ》(生命)愆《とが》の献物《さゝげもの》を為すに至らば(贖罪の死を遂ぐるに至らば)彼は其裔を見るを得、其日は永からん」と(以賽亜書五十三章十節)、イエスは己が使命に死して之を完成し、多くの弟子を作り(裔を見)、永久に生き給ふたのである(其日は永からん)。
 実にイエスが此言葉を発し給ひし場合を考ふるに、是れ彼が成功の門に達した時であつた、茲に一人のベタニヤのマリヤの能く彼を解するありて信仰の初穂は地上に顕はれたのである(約翰伝十二章一−三節)、又ヱルサレムは門を開いて椶櫚《しゆろ》の葉を布きホザナを叫びて彼を迎へた(同十二−十九節)、加之異邦のギリシヤ人までが彼に帰依せんと欲するに至つた(二十−廿二節)是れ彼に取り彼の乗ずべき機会であつた、其時までは彼の奮闘時期であつた、而して今や茲に彼の前に成功の門は開かれ彼の奮闘の結果を収むべき時期は到達したのである、信者収容の時期、教会建設の時期、世界教化の時期は茲に彼の生涯に臨んだのである、若しイエスにしてモハメツトなりしならん乎、彼は此時彼の世界征服の途に就いたのである、然れどもイエスはモハメツトでは無かつた、イエスは成功の前に立ちて自ら身を敵人の手に附し給ふた、彼は成功よりも失敗を好み給ふた、然り永久の成功を期し給ひしが故に自から択んで失敗に終り給ふた イエスの神らしき所は茲に在る、是れ神ならでは為す能はざる所である、彼は生命を愛し給ひしが故に之を失ひ給ふたのである。
 而して此事たるイエス一人に限らないのである 我等彼の跡に従ふ者も彼の如くに行ふべきである、我等も亦成功を此地に於て見んと欲すべからずである、我等の奮闘時期が去りて成功時期に入らんとする時、我が同志の(388)多く起らんとする時、社会が我が真価を認めて我に被らすに月桂冠を以てせんとする時、其時が我等の危険時期であつた、此時に一歩を過りて我は自から我が築きし城を壊つのである、我等は此時イエスに傚ひ成功を棄て失敗に就くべきである、成功は之を永遠に期し、現世に在りては不遇逆境失敗を以て終るべきである、「人もし我に事へんと欲せば我に傚ふべし、我に事ふる者は我が在る所に在らん」とある、イエスの弟子たらんと欲する者は彼に傚ひ、成功を収め得る時に之を棄て、彼の如く肉に死し信仰に生きて彼の在る所に在るべきである、即ち不朽の生命に入りて永久の成功を収むべきである。
 「凡の人汝等を誉めなば汝等禍なる哉」、社会が挙りて我等を迎ふるに至らば我等は禍なる哉、(路加伝六章廿六節)、実に基督教会は世界勢力と成りし其時に既に亡びたのである、羅馬帝コンスタンチンは基督教会を庇保して之を殺したのである、而して基督教会は自己を帝国保護の下に置いて自から滅び失せたのである、而して同じやうにルーテル教会は北欧諸邦に於て亡び希臘教会は露国に於て亡び、聖公会は英国に於て亡び、長老教会、組合教会、メソヂスト教会等は社会の歓迎を喜び政府の庇保を求めて米国又は日本に於て早く既に亡びつゝあるのである 信仰の固定せし者之を教会と称ふ、而して教会はイエスに傚はず、彼の明白なる教示に反いて社会勢力たらんと欲して自滅を招きつゝあるのである。
  ヱホバ言ひ給ふ、権勢に由らず権力に由らず我霊に由る也(撒加利亜書四章六節)。
  イエス答へけるは我国は此世の国に非ず、若し我国此世の国ならば我僕等我をユダヤ人に附さゞる為に戦ふべし、然れども我国は此世の国に非る也(約翰伝十八章六節)。
  我等の国は天に在り、我等は救主即ちイエスキリストの其処より来るを待つ(腓立比書三章二十節)。
(389) 基督教は霊的宗教である、キリストは我が霊魂の救主である、我が繁栄の域は地ではない、天である、斯く言ひて我等は勿論好んで短命に終るべきではない、使徒ヨハネは能く百歳の寿を保ちて最も霊的の生涯を送り、最も霊的の福音を伝へた、要は肉に死して霊に生くるにある、地上に於ける我事業の成功を期せざるにある、人の称讃を斥くるにある、常に理想を逐ふにある、終りまで青年の希望を懐くにある、好んで逆境に立つにある、予言者として生きて教会者として終らざるにある、成功を危険視するにある、成功に臨んでは更らに高き理想を求めて生命の固定を避くるにある、此世と其勢力とに対しては常に戦闘的態度に立つにある、生命は流動す凝結しない、生命は抵抗す征服せられない、願くば恩恵裕かに我等に加はりて我等も亦永久に老ひず神の少《わか》き子供として存せん事を。
 
(390)     欲しきもの
                         大正5年7月10日
                         『聖書之研究』192号
                         署名なし
 
 欲しきものは富貴ではない、名誉ではない、学識ではない、善き心である、常に感謝する心である、常に満足する心である、人の我に対して罪を犯す者を自由に赦し得る心である、貪らざる心である、寛大なる心である、我が右の手の為す善を左の手が知らざるの心である、神が人に賜ふものゝ中に善き心の如くに貴きものはない、之を賜はりて人は最大の恩恵に浴したのである、而して神は之を祈求むる者に裕かに之を賜ふのである、我に善き心を与へ給ふといふ祈祷は即座に聴かるゝのである。
 
(391)     THE ONE WORK.惟一の事業
                         大正5年8月10日
                         『聖書之研究』193号
                         署名なし
 
     THE ONE WORK.
     (The First Article Englished.)
 
 What we do for Christ is nothing;what Christ did for us is everything.Our works do not justify us hefore God;Christ's works present us holy and without blemish and unreprovahle hefore Him. And the present-day Christianity,by emphasizing the former,makes void the latter. Not charityworks;not evangelical works;not various and miscellaneous works connected with these works;but the life and death of Christ;especially His vicarious death upon the cross;this it is which are our works and our salvation. Compared with this work,anll other works cannot be called works.And believlng in this wrork and looking up unto it,all other works bear fruit. Right and true it is that Paul said:I determined not to know anything,save Jesus Christ and Him crucified.With Paul,Christ's work for him was his only work.
 
(392)    惟一の事業
 
 我等がキリストの為になすことは何でもない、キリストが我等の為に為し給ひしことは凡である、我等の事業は我等を神の前に義としない、キリストの聖業が我等を潔《きよ》く※[王+占]《かけ》なく咎なき者として神の前に立たしむるのである(哥羅西書一の廿二)、而して今の基督教は事業事業と叫びて我等がキリストの為になすことに重きを置きて、キリストが我等のために為し給ひしことを徒然《いたづら》ならしむるのである、救済事業でもない、救霊事業でもない、其他之に関聯する種々雑多の事業でもない、キリストの生と死とである、殊に十字架上の彼の贖罪の死である、是れが我等の事業であり、又我等の救済である、是に較べて見て自余の事業は之を事業と称するに足りない、而して之を信じ之を仰ぎ瞻て凡の他の事業は挙がるのである、宜なりパウロがイエスキリストと彼の十字架に釘られし事の外は何をも知るまじと意を定めたりとは、彼れパウロに取りては此事が彼の唯一の事業であつたのである
(哥林多前書二の二)。
 
(393)     〔神の存在の証拠 他〕
                         大正5年8月10日
                         『聖書之研究』193号
                         署名なし
    神の存在の証拠
 
 神は有る、有らねばならぬ、若し神がないとすれば宇宙は混沌である、少くとも無生の機械である、然れども我にさへ生命がある、霊魂がある、而して此小なる不完全なる我にさへ霊魂があるならば況して宇宙に於てをやである、神は宇宙の霊魂である、宇宙なる大物体がありて其中に之に相応し之を充実する霊魂のない理由はない、而して若し宇宙に神がないとするならば我は如何にして成りし乎、其事が大問題である、原因なくして結果のありやう筈はない、生命の無い所に生命は出でない、霊魂の無い宇宙に霊魂の出でやう筈がない、故に我が有ると云ふ事、其事が神が有ると云ふ最も確なる証拠である、イエスも亦此論法を以て神が愛なることを証明し給ふた、「汝等悪しき者(罪に汚れたる不完全なる者)ながら善物を其子に予ふるを知る、況して天に在す汝等の父は求むる者に善物を予へざらん乎」と(馬太伝七章十一節)、我にさへ愛あり、宇宙の霊なる神に愛なからざらん乎、我が霊的存在が神の存在の最も善き証拠である。
 
(394)    奇蹟の存続
 
 老博士デリッチ曰く「基督教は贖罪的である而して又奇蹟的である」と、実に奇蹟を否定して基督教はないのである、而して基督教は其古い歴史に於てのみ奇蹟的であつたのではない、今日尚ほ我等の間に在て奇蹟的であるのである、基督教は今日尚ほ其の奇蹟的たるの性質を変へない、ヱホバは今日尚ほ能ある手をもて我等を此罪の世より導き出し給ふのである、此事を忘れて愛心の在る所に基督教ありと称し、神の能(奇蹟)を仰がずして人の手段方法に由て基督教を拡め霊魂を救はんと欲す、現今の教会の基督教に見るべき事業の挙らざるは之がためである、基督教は道徳ではない贖罪である、教理ではない奇蹟である、説伏せられて信ずるのではない、神の強き手に捕へられて其従者となるのである、「此類は祈祷と断食とに由るに非れば成ることなし」とある、人の取る手段としては唯熱き祈祷が有るのみである、而して我等の祈祷に応へて神の奇蹟が施されて茲に真の伝道が行はれ真の信者が起るのである(馬太伝十七章廿一節)。
 
    意志の宗教
 
 基督教は理論の宗教ではない、又感情の宗教ではない、意志の宗教である、而かも事を為さんとする意志の宗教ではない、神を信ぜんとする意志の宗教である、信者は意志を神を信ぜんがために使ふのであつて事を為さんが為めに使はないのである、而して如斯くにして起りし信仰の結果として事業は自から信者に由りて挙り、彼の感情は高まり又潔められ、彼の頭脳は鋭利に又明晰になるのである、信者は其意志の全力を尽して神を信ぜんと(395)するのである、而して強く真に彼を信じ得て彼は山をも移し得るに至るのである、意志を信仰に注がずして事業に傾《かたぶ》けて事業は挙らず、信仰は勿論起らないのである。
 自己を虚うして神を以て充たされんと努む、己が善行を挙げんとせずして神の恩恵を信受せんと力む、信者の努力は茲に有る、此努力に成功して彼は凡の事に於て成功するのである、意志と努力とを茲に注がずして、他の事に注いで失敗と失望とは彼を待つのである。
 
    栄辱を共にす
 
 キリストと信者とは同体である、二者は栄辱を共にする、君辱しめらるれば臣も亦辱しめらるとは信者の場合に於ても同じである、彼は言ひ給ふた、
  世もし汝等を悪む時は汝等よりも先に我を悪むと知れ……人もし我を窘迫《せめ》ば汝等をも窘迫べし、我言を守らば汝等の言をも守るべし
と(約翰伝十五章十八、廿節)、我を棄つる者は主キリストをも棄つ、然り、我を棄つる前に彼を棄つるのである、人はキリストを扱ふが如くに我をも扱ふのである、名誉此上なしである、彼の受くる鞭を我も受け、彼の戴く冠を我も戴く、我にしてキリストを悪む者に愛せられん乎不幸此上なしである、我等は時には人がキリストを棄去るの責任を負はせられて大に心に患ふることありと雖も、而かも先づキリストを棄ざる者の我をも棄ざるを見て、我は心に大なる平康《やすき》を覚ゆるのである、我れキリストに在りキリスト我に在りて汚れたる我は聖き彼と栄辱を共にするのである、世に之に愈るの栄光あらんや。
 
(396)    貧富の道
 
 余が若し全世界の持主となるとも余は依然として貧者である、そは余の所有はすべて神の所有であつて、彼の許可なくして余は一塊の土をすら余の欲ふが儘に使ふことは出来ないからである。余が若し無一文となるとも余は依然として富者である、そは余は神の子供の一人であつて、万物は彼の所有であつて又余の所有であるからである、「万物は汝等の属、汝等はキリストの属、キリストは神の属なり」とあるが如しである(哥林多前書三の廿一)。
 常に貧しくして常に富むのが信者の生涯である、我に我が所有と称すべき一物なきが故に常に貧しくある、万物の造主にして其支持者なる真の神を父として有つが故に常に富むのである、故にパウロは曰ふたのである「我れ貧賤《いやしき》に居るの道を知り又富裕に居るの道を知る、万事に於て飽くことにも亦飢ることにも、富むことにも亦乏しきことにも熟達せり」と(腓立比書四章十二節)。
 
    光明の明日
 
 余は遠き未来の事を知らない、来年の事を知らない、来月の事を知らない、唯明日の事を示さる、余が一日の業を終るや神は余に明白に余が明日為すべきことを示し給ふ、如斯くにして余は未だ来世の如何なる者なる乎を知らない、余は其の確かに在ることを知るに止まる、然れども余の今世に於ける最後の日に於て、余の明日は此世に於てあらずして、来世に於て在らんとする時、其時に神は余に明かに来世を示し給ふのであると信ずる、神(397)は余の此世に於ける最後の一日まで余に来世を示し給はない、然れども其日到れば、彼が今日余に明日を示し給ふやうに必ず来世を現はし給ふと信ずる、斯くて余はルツ子と同じく何の臆する所なく、「モー往きます」の一言を遺して天の御園に楽しき明日を迎ふるのであると信ずる、然り神は日に日に余を導き給ふ、而して暗黒は日に日に余の前より排攘《はら》はれて、光明は日に日に余の前に現はれ来るのである、当日当時には余は暗黒へと飛込むのではない、光明へと闊歩するのである。
 
    教義と儀式
 
 教会の信条《ドグマ》としての教義は之を受けない、然し乍ら信仰の実験の表明としての教義は之を唱へる、余輩は無教会信者であればとて教義を無視しない、外より課せらるゝ教義(信条)は絶対的に之を拒否するも、内なる実験の表明としての教義は之を唱道せざるを得ない。
 教会の要求する儀式は之を認めない、然し乍ら罪の世に対する信仰発表の機会としての儀式は進んで之を実行する、余輩は無教会信者であればとて絶対的に儀式を無視しない、余輩は教会の洗礼晩餐式等に救霊の能力があるとは信じない、然し乍ら余輩がキリストの弟子たることを世に向て発表せんがためには余輩は適当の形式を挙行する、儀式としての儀式は之を軽んじ之を拒否するも、確信発表の機会としての儀式は之を重んじ之を励行する。
 多くの場合に於て教義なきは信仰なきの証拠である、儀式を避くるは勇気に欠くるの証明である、信仰は教義を以て現はるゝ丈けの明確を要し、又公然と之を発表するの勇気を要するのである。
 
(398)    儒者に学ぶべし
 
 我等キリストの福音は之を彼等外国宣教師より学ぶも可なりである(彼等が真の福音を伝ふる場合には)、然れども福音を我国人に伝ふる方法は之を宣教師に学ばずして寧ろ我国の儒者又は高僧に学ぶべきである、生活の独立を維持して年五十八に至るまで貧生活に安んぜし伊藤仁斎は今の多くの宣教師に愈るの人物であつた、身は江都に在りて賃居するの際、諸侯の招聘する所となるも応ぜず「侯欲v問v道則先来見」と曰ひて毅然として自ら守り、諸侯をして礼を尽して其貧居を訪はしめし山崎闇斎は優に今の基督教の教師に愈る数等の教師であつた、道を伝へんと欲する我等に仁斎闇斎等の独立と威権とが無くてはならない。
 
(399)     SECOND COMING OF CHRIST.キリスト再臨の信仰
                         大正5年9月10日
                         『聖書之研究』194号
                         署名なし
     SECOND COMING OF CHRIST.
 
 Belief in the Second Coming of Christ may be a madness and irrationality in the eyes of the modern New Theology;but no one can deny the fact that this belief was the ground-principle that made the New Testament. Take off this belief,and the New Testament becomes an unintelligible book from the beginnlng to the end. The much-praised New Testament morality is simply based upon this belief. With eyes intensely fixed upon the comln of their Lord,were the primitive Christians able to attain their superhuman morality. Whatever be philosophical explanations given,there is no denylng of the fact that were it not for this belief,the world would have had no New Testament. The New Theology itself with its avowed love of fairness cannot deny this fact.
 
     キリスト再臨の信仰
 
 キリスト再臨の信仰は現代新神学者の眼には狂愚又は迷信と見ゆる乎も知らない、然れども此信仰が新約聖書(400)の根柢を作る主義であることは何人と雖も否むことは出来ない、此信仰を取除いて新約聖書は其姶より終まで不可解の書となるのである、世に大に称揚せらるゝ所の新約聖書道徳なる者は此信仰の上に立つものである、主の山上の垂訓は単に道徳として説かれたる者ではない、初代の基督信者は其熱烈なる視線をキリストの再臨に注いで其超人的道徳に達することが出来たのである、其哲学的説明は如何であるとも茲に一事否むべからざる事がある、即ち若し初代の基督信者にキリスト再臨の信仰がなかつたならば、世に新約聖書の無かつたこと其事である、公平を標榜する現代の新神学者と雖も此一事を否定することは出来ない。
 
(401)     欧洲戦争と基督教
                         大正5年9月10日
                         『聖書之研究』194号
                         署名なし
 
〇今回の欧洲戦争は基督教の大打撃である、之に由て其信用は地に墜ちた、仏教並に回々教の遙かに基督教に愈ることが証明されたとは近来屡々余輩の耳朶に達する声である、余輩は欧米の識者にして今回の戦争の成行を見て其基督教的信仰を棄つるに至つた者さへあると聞いた、基督教の攻撃者は此際特に其声を張上げて言ふ「樹は実に其果を以て知らる、残虐なる欧洲戦争を見よ、独逸の狂暴を見よ、伊太利の不信を見よ、英国の偽善を見よ、是等は皆な基督教国を以て誇りし国に非ずや、兄弟相屠る基督教国は基督教其物の滅亡を語る者ならずや」と、而して此声を聞いて宣教師は之に答ふるの言辞に窮するのである、彼等が今日まで提唱せし所謂基督教証拠論なる者は其根柢より覆へされたのである、今や大なる疑問は宣教師等の心を襲ひつゝあるのである、基督教は其本国に於て滅びつゝあるのである、彼等は「神の摂理は今回の大戦争に由て明白に否定せられたり」と独逸の碩学ヘツケルに言はれて答ふるに言葉がないのである。
〇然らば余輩も此際基督教を棄ん乎である、然り若し宣教師、殊に浅薄なる米国宣教師等が余輩に伝へし基督教が真の基督教であるならば余輩は進んで之を棄つるであらう、余輩が青年時代に読まされしマッキルヴェーン著基督教証拠論が弁証せんと努めしやうな基督教は今回の不道徳にして無意義なる世界戦争に由て全然破砕された(402)のである、而して今に至るも猶ほ斯かる基督教を信ずる者が此惨劇に遭ふて其信仰に大動揺を来し、或ひは終に之を棄つるに至りしは敢て怪しむに足りないのである。
〇然し乍ら幸にして余輩の信仰は此戦争に由て撼《うご》かされないのである、余輩は始めより独逸、英国、仏蘭西、墺地利等が基督教国であるとは信じて居らなかつたのである、英国を護るに信仰を以てせずして大陸軍を以てする独逸がキリストの国でありやう筈がない、天の神に任かし得ずして大海軍を以て国の安全を計る英国がキリストの国でありやう筈がない、其他伊仏露塞勃羅悉く然りである、彼等は真面目に新約聖書に照らして見て自国こそはキリストの国であると言ひ得る者は一国も無い筈である、余輩は独逸国の中に真の基督者《クリスチヤン》の居ることを信じて疑はない、然しながら独逸国其物はキリストの国でないことを信ずる、余輩は又英国の中に尠からざる真の基督者の居ることを知る、然し乍らジヨン・ブルの綽名を受けし英国其物のキリストの国でないことは何よりも明かである、若しも基督教が独逸や英国や米国やに由て証明せらるゝ者ならば基督教は実に詰らない宗教である、所謂西洋文明に憬がれて基督教を信ぜし者が今日之を棄つるに至つたのは当然の事である、余輩は却て斯くあらんことを切望する者である。
〇然れども基督教は此世の教ではない、キリストの国は此世の国ではない、「我国は此世の国に非ず」と彼は明白に曰ひ給ふた(約翰伝十八章三十六節)、「此世の形体は過逝《すぎゆ》くなり」とパウロは曰ふた(哥林多前書七章三十一節)、「神の日(神が世を審判き給ふ日)には天|燃毀《もえくづ》れ体質|焚溶《やけと》けん、然れど我等は其約束に因りて新らしき天と新らし
き地とを望み待《まて》り、義其中に在り」とペテロは曰ふた(彼得後書三章十二、十三節)依て知るキリストの国の此世の国に非ることを 是れ此世が審判れて後に現はるゝ者である、此世界が焚尽されて後に臨む者である、キリ(403)ストの国を此世に於て求むるは木に縁りて魚を求むるが如きものである、聖書は何処にも人類の進歩に由り又は政治家の努力に由りて此世が化してキリストの国となるとは示して居らない、其正反対を示して居る、キリストは明白に其弟子等を教へて言ひ給ふたのである、
  汝等人に欺かれざるやう慎めよ、そは多くの人我名を冒して来り我はキリスト(基督教信者又は基督教国)なりと言ひて多くの人を欺かん、又汝等戦争と戦争の風声を聞かん、然れど慎みて懼るゝ勿れ、此等の事は皆な有るべき事なり、民起りて民を攻め、国は国を攻め、饑饉、疫病、地震(大騒動、一揆、同盟罷工の類)所々に有らん、是れ皆な禍の始なり、……又偽預言者(偽宗教家、福音を此世の勢力なりと称して教ふる者)多く起りて多くの人を欺かん、又不法充つるに因りて多くの人の愛心冷かになるべし(特に教会内の不法を指して謂ふならん、信者の愛心之がために冷かになるべしとの意なるべし)、然れど終りまで忍ぶ者は救はるべし……此等の日の患難《なやみ》の後直に日は晦く月は光を失ひ星は空より墜ち天の勢《いきほひ》震ふべし(光明人類の間より絶えて世は暗黒となるべし)、其時人の子の兆《しるし》天に現はるべし云々、
と(馬太伝廿四章四節以下)、而して之に類する言葉は聖書到る所に在るのである、依て知る基督教は人類の進化、社会の自然的発達を唱へざることを、陸軍と海軍と、政治と外交と、美術と文学と、経済と法律と、宗教と神学との綜合的結果として黄金時代が地上に臨むとは聖書は何処にも教へないのである、其反対に人類の社会の堕落を教ふるのである、暗黒の増進を伝ふるのである、而して最後の大審判を宜ぶるのである、而して審判後に於けるキリストの国の建設を伝ふるのである、注意して新約聖書を読みし人にして此明白なる事実を見逃すべき筈はないのである、然るに如何ぞ基督教会全体は此事実に眼を留めないのである、或ひは又留めて之を軽く視るので(404)ある、而してダーウィンやスペンサーやヘッケルの言に耳を傾けて社会進化説を唱へ、基督教も亦之を唱ふる者なるが如くに教ふるのである、而して今回の戦争の如き者が起りて人類進化説が其根柢より覆へさるゝや、基督教其物が覆へされしやうに思ひ、大に周章狼狽《あはてふためき》きて自己の信仰をさへ疑ふに至るのである、蓋し「偽はりの預言者多く起りて多くの人を欺かん」とは此事を指して言ふのではあるまい乎。
〇然し乍らキリストの言を言葉其儘に解して今回の戦争の如きは決して信仰の躓となるべきではない、其正反対に此戦争は大に信者の信仰を強むべき筈である、「汝等戦争と戦争の風声を聞かん」との言は過去二年間の新聞紙の毎日の記事が充分に証明する所である、「民は起りて民を攻め」、チウトン民族は起りてスラブ民族を攻め拉丁民族は起ちて日耳曼民族を攻む、「国は国を攻め」、独逸国は仏国を攻め、英国は仏国と共に独逸国を攻め、墺国が前より塞国を攻むれば勃国は後より之を攻む、「饑饉、疫病、騒動所々に有り」、実に文字通りである、「不法充つるに因りて多くの人の愛心冷かになるべし」、独墺の不法伊太利の不信、英国の偽善、勃国の不情、孰れか人の人に対する愛心を冷かならしめざる、「日は晦く月は光を失ひ星は空より墜ち」、宗教家と哲学者とが相共に此無意義の戦争を弁護す、是れ世に光明が絶えたのである、実にキリストの言其儘が吾人の眼前に出現しつゝあるのである 之を見て信仰は起るべき筈である、消ゆべき筈でない、今回の欧洲戦争は新約聖書の活きたる註釈である。
〇今回の欧洲戦争が果して人類最後の大審判であるや否や其事は判明らない、或ひは之は一先づ局を結んで此後に更に大なる戦争が起るのであるかも知らない、即ち欧洲のみならず米国も南米諸邦も印度も之に加はりて茲に聖書が示す所のハルマゲドンが戦はるゝのであるかも知らない(黙示録十六章十六節)、或ひは又今回の大戦争が拡大して茲に至るのである乎も知らない 然れども二個《ふたつ》の事は確かである、即ち破滅が万事の終末にあらざる事、(405)又破滅を経ずして大光明大栄光の臨まざる事、此の二個の事は確かである、而して若し此戦争が最後の破滅でないならば之に酷《よ》く似たる者である、此の如き者が有りて然る後に聖書の所謂「万物の復興」が来るのである(行伝三章廿一節)、夜が暗黒の極に達して然る後に曙が来るのである、而して此事を知るが故に我等は「戦争と戦争の風声」を聞いて撼かされないのである、「此等の事は皆な有るべき事なり」とある、此等の事が無くして最後の大光明は臨まないのである、是は大歓喜到来の前兆である、此等の事の有りし後に「人の子の兆天に現はる」ゝのである、信者の大希望たるキリストの再臨があるのである。
〇曾て二人のラビ(猶太教の教師)が敗頽せるヱルサレムの城址を見舞ふた、其一人は胸を叩いて言ふた「嗚呼主ヱホバよ、汝は汝の民を棄て茲に到らしめ給ひし乎」と、他の一人は呵呵《から/\》と声を立てゝ笑ふて言ふた「讃むべきかなヱホバよ、汝の聖言の如くに成れり、汝は必ず汝の民に関はる汝の約束を充たし給ふべし」と、今回の戦争に対しても亦同じである、之に対して神の摂理を疑ひ信仰を失ふ者がある、又之に対して聖書の予言の実現を認め、反て深く神を信じ彼を讃美し奉る者がある、而して余輩は後者の階級に属せんと欲する者である、戦争は惨事たるに相違ないが神の聖語の実現と見れば大なる福音を齎す者である、暗らき半面は既に実現された、今より明るき半面が実現されんとするのである、何物か之に愈るの大歓喜あらんやである、破壊は万物の最後ではない、大破滅に続いて大建設があるのである、「手にて造らざる窮りなく存つ所の家」は此世の国が壊たれた後に神の手に由て建てらるゝのである。
〇斯くて余輩の信仰は今回の戦争に由て壊たれないのである、之に由て壊たれたる者は教会の基督教であつて、聖書の基督教ではない、然り聖書の基督教は此戦争に由て更らに固く建てらるゝのである、然らば逝けよ教会の(406)基督教よ、汝は永く我等を欺けり、汝は福音の証明を此世の事柄に徴して我等の信仰を砂の上に築きたり 然るに神の大命に由り今や大水出で風吹きて此世の国を撞《う》ちたれば、其|傾覆《たふれ》大いなり、汝は此世の国と共に亡ぶべし、而して汝に代りて真の基督教は水の大洋を蔽ふが如くに全地を蔽ふべし、我等は古き讃美の歌を唱へて歓ばん(Duke Street の譜に合はして)
   地うつり海鳴り  山は動くとも
   我等は懼れじ   神われを守る。
 
  千九百十六年八月三十日羅馬尼国聯合国に与みし墺洪国に対し宣戦し、之が為に独勃土の羅国に対し宣戦せるの報伝はりし日に草す。
 
(407)     如何にして偶像に対すべき乎
        (八月十三日同二十日柏木聖書講堂に於ける講演の大意)
                         大正5年9月10日
                         『聖書之研究』194号
                         署名 内村鑑三 述
 
       哥林多前書第八章及び第十章二十三節以下
〇哥林多前書はいふ迄もなく貴き書翰である、而して其特別に貴き所以は小問題に関し深き真理を教ふるにあるのである、思ふにコリントに於ける信者等は種々なる問題につき疑を懐きパウロの解決を仰がんと欲して質問書の如きものを送つたのであらう、其中には結婚の事殊に処女の処分の如き此世の問題より復活の如き教義上の大問題迄をも含んで居た、此時パウロは海を隔てゝエペソの地に在り、コリント信者の為筆を執つて返書を認めたのが即ち哥林多前書である、当時素より交通容易ならず、従て一篇の書信にも其記す処極めて懇切なるものがあつた。
〇其第八章以下に於てパウロは偶像につき答へんとするのである、偶像即ち真の神ならぬ神に如何にして対すべき乎、此問題は最早西洋諸国には起らない、然し我等東洋人に取ては今尚痛切に感ぜらるゝ大問題たるを失はないのである、コリント人に取ても亦さうであつた、当時コリントといへば恰も我横浜神戸といふが如く商業殷盛の地にして諸国の民蝟集し従て大なる偶像の宮殿があつた、其処には毎日牛猪等の肉、野菜、果実等多くの献物(408)が献げられた、而して翌日に至り之を処分せんが為め廉価に売下げられそれが更に広く売捌かれたのであらう、何人も買て之を食ふ事を怪む者はなかつた、之れ其時代のコリントの習慣であつたのである、然るに基督者の出づるに及び新なる問題は起つた、唯一の神に仕ふる基督者が偶像に献げし物を食ふべき乎否乎、かくて信者の団体中二派を生じた、一派の者はいふ、一度び偶像に献げし物は既に汚れたる物である、故に之を食ふべからずと、他の一派はいふ、基督者の眼より見て偶像は何でもない、之れ有て無きものである、偶像に献げし物を食へばとて何ぞ我心を汚さるべきと、前者はいはゞ狭隘なる信仰派であつた、後者は希臘人の学者的思索派であつた、中にも或信者の如きは己が大度広量を示さんが為殊更に偶像の宮に赴き衆人環視の中に之れ見よかしと偶像に献げし物を食して見せた者もあつたらしい(八章十節参照)、是に於て最後の裁決をパウロに乞うたのである。
〇誠に之れ興味ある問題であつた、コリントに於ける信者にしてパウロの敵たりし人々は思うたであらう、此実際問題の解決には流石のパウロも定めし当惑するならんと、然し事実はさうでなかつた、パウロの立場よりすればかゝる問題の解決も決して困難ではなかつたのである。
 〇偶像に献げし物に就ては(一節)
之れ標題と見るべき句である、此問題に就ても一言すべしといふのである、而して其説明がいかにもパウロ的である、最も常識に適つて居る、簡潔にしてよく穿ちたる説明である、而も少しも回避しない、キリストの教の根本に亘つて此問題を解決せんとして居る、実にパウロに取ては如何なる問題も処世上又は便宜上の問題として止まる事は出来なかつた、彼に取ては問題に大小の別はなかつた、家庭の内部に於ける微細の問題と雖も人類問題国家問題と均しく深き問題であつた、偶像に献げし物を食ふべき乎否乎、之に対しても亦彼はいつもの如く基督(409)教の根本精神を以て之を取扱つて居るのである。
 〇我等みな知識ある事を知る、知識は人を驕《ほこ》らしむ、されど愛は徳を建つるものなり、若し自ら能く物を知ると意ふ者は未だ其知るべき程をも知らざる者なり、人もし神を愛せば之れ神に知られたるなり(一−三節)
理屈は能く判明つて居る、説明は汝等が之を有つて居る、自分が今説明するには及ばない、然しながら問題の解決は知識ではない、愛である、知識は人を高ぶらしむるのである、若し汝等此問題につき自ら良き説明を有すと思はゞ未だ真に之を解した者ではない、之れ知識問題に非らずして愛の問題である、愛は建設するのである、汝等若し神を愛せば神に知られ斯くてこそ初めで此問題を解決する事を得るのである、神に知られずして知識は未だ真の知識ではない、故に若し愛なからん乎、如何なる説明と雖も顧みるに足らないのであると、果然パウロの解釈は其冒頭よりしてコリント人の予想せざりし深遠なるものであつた、若しコリントの信者にして此一事に心付きしならば問題は自ら解決し得たであらう、故にパウロは先づ此根本義を闡明したのである。
 〇偶像に献げし物を食するに就ては我等偶像の世に無きものなるを知る、また独一の神の外に神なきを知る、神と称ふるもの或は天に在り或は地に在りて多くの神多くの主あるが如しと雖も我等に於ては唯一の神即ち父あるのみ、万物之より生れ我等之に帰す、又独りの主即ちイエスキリストあり、万物之に由り我等も之に由れり(四−六節)
之れ即ち偶像の説明である、独一の神の外に神あるなし、偶像とは世に無き者である、其事は疑ふべくもあらざる真理である、
  然れど背かゝる事を知らず、今に至りて尚心に偶像を顧み之を偶像に献げし物と意ひて食する者あり、是故(410)に其心弱くして汚さるゝなり、神と我等の関係は食物に由るに非ず、食するも益さる事なく食せざるも損《おと》る事なし、されど汝等慎みて其自由を弱き者の躓となす勿れ、人若し知識ある所の汝偶像の廟《みや》に坐して食するを見ば弱き者の心之に勧められて偶像に献げし物を食せざらん乎、又キリストの代て死に給ひし弱き兄弟汝の知識に由りて亡びざらん乎(七−十一節)然し乍ら世には尚信仰弱き者がある、偶像を無と観ずる能はず、人の之に献げし物を食するを見て其弱き信仰躓かんとする人がある、而してキリストは又彼等の為にも死し給うたのである、果して然らば自己の知識のみに従て自由なる行動を為すが為に彼等弱き者を躓かしむるは之れ神を愛せず兄弟を愛せざる者ではない乎。
 〇此の如く汝等兄弟に罪を犯し其弱き心を傷めしむるはキリストに罪を犯すなり(十二節)
偶像問題必ずしも重大ではない、唯之に由てキリストに罪を犯す時間題はそれが為に極めて重大となるのである、偶像に献げし物を食する事必ずしも罪ではない、弱き兄弟を躓かしむる事之れ大なる罪である、
  是故に若し食物我が兄弟を礙《つまづか》かせば我は兄弟を礙かせざる為にいつ迄も肉を食はじ(十三節)
パウロは茲に至て「我等」なる言葉を捐てゝ「我」と言うて居る、汝等の態度は汝等自ら之を定めよ、我敢て「斯くすべし」、「斯くすべからず」と命令はしない、但し「我」にありては「我」は兄弟を礙かせざらんが為にいつまでも肉を食らはじと。
〇パウロの此態度は亦我等の態度たるべきである、我等基督者として律法的に事を定むる事は出来ない、偸盗姦淫等純道徳の問題は別として所謂 indifferent questions(絶対的には善悪を言ひ難き問題)と称せらるゝもの、例へば飲酒、喫煙 観劇等に至ては之を禁止すれば事は即ち済むかも知れないが然し之れ救はれたる者の態度では(411)ない、之等の事を規則を以て強制せんとして大なる謬を為したものは教会である、パウロの答は監督の教書と全く其選を異にした、彼は言うたのである、「規則ではない、知識でもない、愛である、一人の弱き兄弟を礙かしむる事なき乎、問題はそれに由て定まるのである」と。〇嘗て札幌農学校に初めて福音の種を蒔きしW・S・クラーク氏は年五十にして故国を出づるに臨み薬用ブランデー幾|打《ダース》を携へた、然るに海を渡つて我国に上陸して見れば飲酒の弊害殊にその青年に及ぼす悪影響の甚だしきを知り遂に自ら之を絶ちて一滴も口にしなかつた、之れ規則にあらずして愛の法則に縛られたのである。
〇パウロは尚も偶像問題を論じ来りて遂に十章二十三節以下に至り其結論を述べて居る、
  凡ての物我に可らざるなし、されど凡ての物益あるに非ず、凡ての物我に可らざるなし、されど凡ての物徳を建つるに非ず(二十三節)
「凡ての物我に可からざるなし」とは蓋しコリントの信者自ら口にしたる言葉であつたのであらう(六章十二節参照)、我等は既に全く自由の身である、故に何ものも我等を縛る能はずと、之れ確に一面の真理である、故にパウロは之に反対しないのである、然しながら彼はいふ、「凡ての物益あるに非ず」と、益とは信仰上の益である、凡ての物我に可からざるなし、然し凡てのもの神の栄を顕はすに非ず、凡ての物兄弟の救を助くるに非ずと、又いふ「凡ての物徳を建つるに非ず」と、即ち凡ての物人の信仰を進めずといふが如き意味である、故に何ものも我を縛る能はずと雖も是の如き場合には自ら或ものに縛られざるを得ない、或ものとは何ぞ。
 〇人皆己の益を求むるなく各々人の益を求むべし(廿四節)
他人の益を求むる、之れ基督者の生涯である、彼は之によりて己を縛るのである、基督者は奴隷の身分より贖は(412)れ最も自由の身となりたる者なれば天下を闊歩し得ると共に又実は基督者ほど縛らるゝ者はない、彼は一々他人の事を思はざるを得ないのである、人の母となりたる者は子の為に自ら自己を縛る事の如何に多きかを実験する、基督者は恰もそれと同じである、母が万事を子の立場より見るが如く基督者は何事をも神と兄弟との立場より考ふるのである、是に至て絶対の自由は絶対の束縛となるのである、律法より脱出してより高き律法に入るのである、之れ即ち愛の律法である。
 〇凡て市に売る物は良心の為めに問ふ事をせずして食すべし、そは地と之に盈てる物は主の属なればなり、汝等若し不信者に招かれて往かんとせば凡て汝等の前に陳《お》ける物を良心の為に問ふ事をせずして食すべし(二十五−二十七節)
茲に論歩一転するが故に「さて」なる文字を入れて読むべきである、「市」とは shambles 即ち肉を売る市場である、其処には偶像に献げし肉も売られたのである、「さて市場にて売る肉を食ふ時は偶像に献げし物なると否とを問はず良心問題を設けずして之を食ふべし、不信者に招かれて共に食する時も亦同じ、何となれば万物皆主のものなれば之を食して何の悪しき事もないからである」と(詩篇二十四篇一節)。
 〇若し人汝等に此は偶像に献げし物なりといはゞ告げし者の為また良心の為に之を食する勿れ、良心とは汝等の良心に非ず他の人の良心を言ふなり(二十八、二十九節、二十八節後半「そは地と之に盈てる物みな主のものなればなり」は或る古本に傲ひ之を除くを可とす)
此の如き事を告ぐる者は或は信仰の敵であるかも知れない、即ち信者を試み且苦めむが為め之を為すのかも知れない、又或は信仰の兄弟であるかも知れない、而して其信仰の弱きが為めかゝる事を気にするの余り言ふのかも(413)知れない、其何れにしても問題は同様である、特に其偶像に献げし物なる事を注意する者あらば之を食ふ勿れ、これ其人の良心を礙かせざらん為であると。
〇之に類する機会は日本に於ては極めて頻繁である、或は仏教の法事に招かれて饗応に預かり或は仏葬式に会葬して焼香を為すが如き之である、此の如き場合に死者に好意を表せんが為め又遺族の心を慰めんが為には我等は良心問題を設けずして之に応ずべきである、然しながら若し其時或は座に我を敵視する僧侶ありて我が信仰を試験せんが為に我を窮境に入れ以て降服を強ゐんと欲するか、或は信仰弱き兄弟にして其事の為に大なる苦痛を感ずるものあらん乎、即ち之に応ずべからずである、自由と愛との二者が衝突する時に已むを得ず愛を以て自由を縛るのである、仏教の儀式に臨み相当の儀礼を尽すは我等の自由たるを失はない、然しそれが他人の信仰に害あるを知る時我等は人の為に自己の自由を拗棄するのである。
 〇如何ぞ他の人の良心に我自由を審判かるゝ事をせんや、若し我れ感謝して食する事をなさば何ぞ其感謝する所のものによりて※[言+毀]《のゝし》らるゝ事をせんや(二十九、三十節)
若し此語を解して自由は我ものである、如何んぞ他人の良心によりて之を審判かるゝ事をせんやと読むならば意味を為さない、此語を解する為には先づパウロの自由観を知る事を要する、パウロに取ては自由とは自己の為のものではなかつた、そは他人の為のものであつた、他人に献ぐる為の我自由であつた、キリストを信ずる者は律法より離れて全き自由を獲得したのである、然しながら此自由を用ふるが為に他人の良心により是非せらるゝ事あらん乎、我自身の為には素より何等の苦痛をも値しないけれども之れ他人の良心を害する事である、我自由は之を他人の良心に讃美せらるゝが如くにこそ用ふべきであれ、却て何人かの良心の躓となり其※[言+毀]りを招くに於て(414)は寧ろかゝる機会を与へざるに如かない、自由は我に在る、然し他人の良心を害して迄も之を用うるに及ばないのであると、之れパウロの自由観である、而して之れ飲食起居凡てに通ずる法則である。
 〇されば汝等食ふにも飲むにも何事を行ふにも凡て神の栄を顕すやうに行ふべし、ユダヤ人をもギリシヤ人をも亦神の教会をも礙かする勿れ、即ち我が凡ての事に於て衆《すべて》の人の心に適ふやうにし彼等が救はれん為に己の益を求めず許多《おほく》の人の益を求むるが如く汝等も爾かすべし、我がキリストに効《なら》ふ如く汝等我に効ふべし(三十一節−十一章一節)
知るべし、パウロの自由と我等の普通所謂自由との間に如何に大なる逕庭の存するかを、かの加拉太書に於て自由の為に絶叫したるパウロは又「凡ての事に於て他人の良心に適はん」事を力めた人であつた、自由のパウロは束縛のパウロとなつたのである、而して之れ皆兄弟の救を助けんが為であつたのである、
  我れ衆の人に向て自主の者なれど更に多くの人を得ん為に自ら己を衆の人の奴隷となせり(九章十九節)。
〇基督者は地の塩である、世の光である、彼は自己の為にのみ生くる事を得ない、他人の霊魂の救済如何は常に彼の問題たらざるを得ない、之れ大なる束縛である、故に堕落信者は往々にしていふ「信仰を失ひてより心の束縛解かれたるの感あり」と、然しながら完全の自由を有したりしキリストは人類の救済の為に最大の束縛を甘受し給うた、我等も亦彼の苦みに与らねばならぬ、斯くして又彼の貴き喜びに与かる事を得るのである。
〇汝等の自由を愛の為に用ゐよと、之れ律法以上の律法である、而して純道徳以外の問題を律するものは唯此法則あるのみである、コリントには当時劇も甚だ盛であつた、飲酒の風も行はれた、之等の問題に就てもパウロの意見を聞いて置きたくないではなかつた、然しながら偶像問題より推して彼の解釈を略々想像し得るのである、(415)パウロは一寸此問題に触れたに過ぎない、然しそは恰も大天才のブラッシの如くであつた、一刷の墨痕に深遠限なき意味を読む事を得るのである。
 
(416)     現在し給ふキリスト
         (七月十九日モアブ婦人会講演大意)
                         大正5年9月10日
                         『聖書之研究』194号
                         署名 内村鑑三 述
 
  我れ汝等を捨てゝ孤子とせず再《また》汝等に就《きた》らん、暫くせば世我を見る事なし、されど汝等は我を見る、我生くれば汝等も生きん、其日に汝等我れ我が父に在《を》り汝等我に在り我汝等に在る事を知るべし(約翰伝十四章十八、十九節)
 之れキリストの将に世を去らんとして語り給ひし語である、之を読みて不思議に感ぜざるを得ない、我れ世を去るは決して汝等と我との別るゝ事ではない、其正反対に之が為め我と汝等との関係益々深くなるのである、故に此後汝等何事にても願はゞ父は我為に汝等に聞き我も亦之を行《な》さん(十三、十四節)といふのである、即ちキリストが弟子を去つて十字架に釘けられ給ふは少しも死別ではない、却て弟子との関係愈々密接を加ふる所以であるといふのである。
 世にはキリスト教信者がある、又キリスト信者がある、此二者の間には大なる区別がある、キリスト教信者とはキリストの教に従ひ之に依て身を処する者である、生活の標準をキリストの教に取る者である、勿論之も貴い事には相違ない、然し新約聖書の目的は単に人をしてキリスト教信者たらしむるにあるのではない、彼をしてキ(417)リスト信者たらしむるにあるのである、キリスト信者とはキリスト御自身を信ずる者である、而も千九百年前に此世に在し給ひしキリストを信ずるに非ずして今ま現に生き給ふキリストを信ずるのである、今ま現に生き給ふキリストが我と共に在りて事毎に我を助け導き慰め励まし給ふ事を信ずるのである、信仰は是非共此処まで来らねばならぬ、「キリスト斯く教へ給ひたれば斯くせざるべからず」と言ひて神もキリストも唯上より我を監視し給ふ如くに思ふは未だ真の信仰ではない、キリスト今現に我と共に在り給ふと信じて初めて彼の力を受くる事が出来るのである、恰も余が生存中或一人の側に居て凡ての助を其人に供する如く余が此世を去りたる後にも尚生ける友として余の助を与へ得る状態にあるならば其関係は生存の日よりも一層親密になると同様である、死したる夫が妻を助け死したる妻が夫を助くる事は或程度迄実現し得るのである、然し其範囲は極めて小さい、之に反しキリストの場合に在りては今や父の右の御手に坐して我等凡ての生きたる伴侶、生きたる先生、生きたる導者となりて我等を助け給ふのである、その目に見えざる事が少しも妨げとならざるのみならず此状態にあればこそ世界何れの人をも自由に助くる事が出来るのである、ペテロやヨハネがキリストの側に在りて助けられたるよりももつと親しく我等各自がキリストの側に在りて神の力を与へらるゝのである、而して此のキリストを信ずる者がクリスチヤンである、此助を受くる事がクリスチヤンの特権である。
 然らば其証拠は何処にある乎、キリストは十字架上に死したのではないかといふ疑が起るかも知れぬ、然し之れキリスト御自身の明白に説き給ひし事である、初代信者の確信して疑はざりし事である、又今日迄幾百万の誠実なる人々が実験を以て証明せし事である、キリストは今我等の友として我等と共にあり事毎に我等を助け導き死する時にも我等を迎へ給ふとは彼等の実験の語る所である、而して彼等は決して唯主観的にさう感じたのでは(418)ない、若し単に或る陰影を作り熱心以て之を説くとても実在の対象物がないならば直に消えて終はねばならぬ、然るにヨハネ、パウロより今日に至る迄此確信を抱いて動かざりし人が無数にあつたのである、妻が一人の夫を専有するよりも遙に深く遙に近く彼等は各自キリストを専有して其助に与つたのである、我等も亦之を一の物語とする事なく一の信仰箇条とする事なく確実なる事実として経験すべきである、見えざるキリストが見ゆるキリストとなる時に信仰の進歩があるのである、而して之れ弱者無学者も亦経験し得る真理である、否彼等は却て強者学者よりも一層適切なる実験を有つ事を得るのである。
 是故に諸子も今一層キリストを利用(勿論良き意味に於て)せられん事を望む、キリストは決して自ら高く止まり給ふ方ではない、彼は人が凡ての問題を提《ひつさ》げて其解決を求めに来る事を喜んで待ち給ふのである、諸子が何か苦しい問題に遭遇した時人の居ない静かな室に入りて何の飾もなく「主よ今あなたの在し給ふ事を信じます、私はこの問題を解く事が出来ません、どうぞ之を解いて下さい、私に力がありません、どうぞ力を与へて下さい」といふ短き言葉を発するならばきつと室を出づる時は入りし時よりも大なる力を得て出るのである、人は之を神経作用に帰するかも知れぬが実験した者は知るのである、何よりも確かにキリストの現在と其指導とを信ずるのである、殊に何か行き詰つた場合には之を繰返さねばならぬ、日常身辺に起る小問題例へば下婢を使ふやうな問題に就ても人は度々行き詰るのである、其時信ぜざる人は之を放任するの外なきも信ずる者は聖旨《みこゝろ》により之を解決せんと欲する、而して確かに其力を戴く事が出来る、此実験を積み一人の生きたる先生が常に我願を聴き且助け給ふ事を確信するに至れば最早何が起つても恐くなくなるのである、丁度大銀行があつて困る時いつでも金を貸してくれるならば金に困る事の無いと同様である、而して「ヱホバ言ひ給ふ我を検《ため》せよ」と、ヱホバは愛を以て(419)かく言ひ給ふのである、我等は憚らず立つて彼を検すべきである、キリストの今実在し給ふ事、我声を聴き給ふ事、我に力を与へ給ふ事其事を検して見るべきである、唯に霊魂の問題のみならず小児の養育、家事の整理其他何事にても事毎に之をキリストに訴ふべきである、是の如くして祈祷は朝夕時を定めての日課たるのみならず事に当つて絶えず我が唇に上るのである、嘗て余の米国にありし時或るクエーカー派の婦人が余に告げて言うた、「内村さん、私どうかすると物を見失なつて家中捜しても判明らない事があります、其時私は祈ります、どうぞ其在処を教へて下さいと、そしてきつとそれが見付かります」と、当時余はまだ一箇の哲学者であつた、「婆さん迷信を語るな」と思うて顧みなかつた、然し今に至て其侮るべからざる真理を含みし事を知るのである、神はかゝる場合にも静に心を定めて祈る事を許し給ふのである、現に余自身も之を実行して窮境に途を発見する事が多い、或時田舎にて是非共開けねばならぬ鍵が開かないで大に困まつた事がある、其時余と共にありし友人は之を破壊せんとしたるも余は其時此婦人の事を想ひ出し彼女の教に従ひ遂に之を開けるの途を発見した事がある、之れ単に其一例に過ぎない、小事なりとも雖も自己一人にて解決せんと欲して苦む事が少くないのである、我等は其時キリストの助を仰ぐのである、彼は我等つまらぬ者の声に耳を傾け力を与へ給ふのである、是の如く生きたるキリストが日々我等の生涯を導き最後には我等の霊を受けて聖国に迎へ給ふ事を信じ而して絶えず彼に頼る者それが即ちキリスト信者である。
  汝等すべて我名に託りて求ふ所のことは我れすべて之を行さん、若し汝等何事にても我名に託りて求はゞ我れ之を行さん。(約翰十四の十三、十四)。
 
(420)     制度と生命
                         大正5年9月10曰
                         『聖書之研究』194号
                         著名 柏木生
 
〇今や基督教は基督教会である、而して教会は制度である、而して制度は善きものであるが故に欧米の基督教信者等は教会制度よりも善きものは無いと思ふに至つた、彼等は善く安息日を守る、彼等は大会堂を建築して規則正しく其内に集会する、彼等は神学者を雇ひ来て其説教を謹聴する、彼等は外国に宣教師を遣りて世界教化を計る、彼等は実に彼等の教会制度を以て多くの善且つ大なる事を為しつゝある、然し乍ら彼等は世に制度よりも善きものゝ有る事を忘れたのである、生命は制度よりも善くある、生命は規則を以て働かない、生命は必しも信仰箇条としては現はれない、生命に不規律なる所がある 生命は或時は気儘勝手のやうに見える、生命は独り働いて隊を組んでは働かない、生命は制度の為し得る多くの事を為し得ない、然れども生命は生命であつて制度以上である、制度は結晶体である然らざれば機械である、而して金剛石は結晶体として貴く、機関車は樣械として有力なりと雖も、一茎の艸、又は一尾の魚に遙に及ばないのである、其如く教会制度は如何に貴く如何に優勢なりと雖も一人の真信者には遠く及ばないのである、真信者に大制度に於て見る能はざる新鮮なる生々したる自働自発的の所がある、野艸の光沢がある、樹林の馨《かほり》がある、彼に組織神学はなく、署名せる信仰箇条は無しと雖も、神を父と呼び、イエスを贖主と仰ぐ堅き深き信念と実験とがある、彼は彼の信仰を説明することは出来ない、然(421)し乍ら子が父に対するの心を以てアバ父よと呼びて神に縋る、教会が規則的に機械的に教義的に神に事へんとするに対して、信者は自然的に自発的に彼に順ひ彼の命を行ふのである。
〇而して制度を重要視する者は常に生命を危険視し又害物視するのである、そは二者は其実在の根柢を異にするからである、機械に在りては生命は不法である、生命に在りては機械は死滅である、機械を壊つ者は生命である、生命を壊つ者は樣械である、二者の関係は律法と信仰とのそれである、二者は到底両立し得ざる者である、故に真信仰の世に現はるゝや制度なる教会は必ず之に反対したのである、預言者アモス出て神の言を宣伝ふるや、ベテルの祭司アマジヤは彼を王に訴へて国外に放逐せんとした、
  而してアマジヤ、アモスに言ひけるは先見者よ(嘲けりて斯く称す)汝往きて(イスラエル以外の)ユダの地に逃れ彼処にて預言して食物を得よと(亜麼士書七章十二節)、
即ちベテルの神殿(教会)はアモスの活ける言を以てしては立つ能はざるに至つたのである、「彼の諸《もろ/\》の言には此地も堪る能はざる也」と祭司は曰ふた(十節)、茲に制度と生命とは衝突した、而して制度を救はんがために生命は排斥せられたのである、而して同じ衝突がヱホバの室《いへ》の宰《つかさ》の長《をさ》(今日の所謂大監督)なるパシユルと預言者ヱレミヤとの間に起つた、
  是に於てパシユル預言者ヱレミヤを打ちヱホバの室にある上のベニヤミンの門の桎梏《あしがせ》に繋げり
とある(耶利米亜記二十章二節)、当時の教会も亦神の活きたる言を伝ふる預言者ヱレミヤに於て其大讎敵大破壊者を見たのである、パリサイの人、サドカイの人、ヘロデの党等がナザレのイエスを悪み、終に彼を民の中より除き去りたるも亦同じ理由に因るのである、神の子イエスの彼等の間に現はるゝありて、彼等が拠て立ちし旧《ふる》(422)き堅き制度が其根柢より覆へされんとしたからである、制度の旧き革嚢は生命の新しき葡萄酒を盛るに堪えなかつたのである。
〇余輩は斯く言ひて制度と機械とは全く不用であると言ふのではない、機械は大なる事を為した、而して大なる事を為しつゝある、機械は距離を縮め時間を減じた、機械に由て人類は天然の征服を完成しつゝある、実に概械に由らずして近世文明なる者はなかつた、第二十世紀文明は主として機械の賜物である、然りと雖も機械は生命の場所を取ることは出来ない、機械は予言者と詩人と美術家とを産まない、然り機械其物が所謂天才の産である、機械は無くとも生命は存立する、然れども生命が絶えて機械は消失するのである、機械と生命と比べて生命は言ふまでもなく優《はる》かに機械以上である。
〇其如く信仰は制度以上である、制度は信仰の産である、信仰は主であつて制度は従である、信仰は制度に由て起る者ではない、神に由て起る者である、制度の用たる神の起し給ひし信仰を保存し継続するに過ぎない、制度に発起的なる所はない、創造的なる所はない、信仰の常に自働的なるに対して制度は常に他働的である、信仰の独立的なるに対して制度は依頼的である、信仰は神と自己とより外の物に頼らざらんと欲し、制度は政府の援助社会の賛成に与からんと欲する、信仰と制度とは其存立の主義を異にする、故に信仰は常に制度の羈絆より脱せんとし、制度は常に信仰を厭ひて之を己に服従せしめんとする。
〇第二十世紀は機械の時代である、故に制度の時代である、機械万能の時代であるが故に又制度万能の時代である、第二十世紀の精神に反対する者にして実は活ける信仰の如きはないのである、第二十世紀は制度を離れたる、或ひは之を超越せる生命又は預言又は信仰を嫌悪する、此世紀は人類の原罪を信じない、而して之に代へて社会(423)の調和を破るを以て最大の罪なりと信ずる、社会の善良なる会員たる事、其事が此世紀が要求する最大道徳である、書き会員である事、順良なる国民である事、忠実なる教会員である事、第二十世紀の道徳は此一事に帰するのである、故に此世紀に在りては教育も伝道もすべて事業《ビジネス》と成つたのである、何事も事業《ビジネス》である、前以て計算の出来る事業である、国家も教会も大機関大制度であれば国民も信者もすべて材片《さいへん》である、而して之を統一する者は事業家即ち機関士である、政治家、教育家、宗教家、皆な悉く事業家即ち機関士である、人格の事、霊魂の事、信仰の事に関しては彼等は全然没交渉である、彼等は機械として国家と教会とを扱ふのである、彼等の眼中には機械制度があるのみであつて生命信仰は無いのである。
〇然し乍ら斯かる時代は第二十世紀に限らないのである、ネブカドネザル王治下のバビロン帝国旺盛時代は斯かる時代であつた、又アウガスタス帝統下の羅馬帝国隆盛時代は斯かる時代であつた、又カール第五世配下の独逸帝国統治時代は斯かる時代であつた、而してネブカドネザルの下に預言者ダニエルは火中に投ぜられて焚かれんとした、アウガスタスの下に主イエスキリストは十字架に釘けられた、カール第五世の下にルーテルは先哲フツスに傚ひ異端の故を以て焼殺せられんとした、此世の勢力は常に大制度として現はれ、真生命真信仰を庄潰さんとする、実に人類の歴史は制度対生命の衝突史である、而して機械なる制度は常に勝つやうに見えて実は負けるのである、生命なる信仰は負けるやうに見えて実は勝つのである、恰かも天然界に於て物理的勢力は強いやうに見えて、弱き脆や生命を殺さんとして殺す能はざるが如くである、而して孰れの世に在ても機械的制度は其跡を絶たないのである、時代に依て其|形状《かたち》を変へて今に到るも依然として其旧時の勢力を揮ふのである、バビロン帝国の原理は今尚ほ存続するのである、フツス、サボナローラ等を焼殺《やきころ》せし羅馬天主教会の精神は其反対に立ちし(424)新教諸数会に由て持続せらるゝのである、制度は何時までも制度であつて機械である、制度は生命を厭ふ、ベテルの祭司アマジヤが預言者アモスを厭ひしやうに、又当時の大監督パシユルが預言者ヱレミヤを嫌ひしやうに、今も尚ほ教会制度の代表者等は神より直接に遣られし信者を忌み嫌ふのである、而して其理由は明白である、機械の制度は生命の信仰と両立しないからである、教会の監督は自由信者を排斥して其監督たるの義務を果たしつゝあるのである。
〇制度と生命とは両立しない、然し乍ら此世に於て制度も必要である、生命も必要である、而して二者は衝突を免かれないのである、而して人世とは斯かる者である、人世は大矛盾である、而して其大矛盾の底に大調和があるのである、生命は機械力の圧迫対抗に由て絶えず進歩発達するのである、造化の目的は完全なる生命の出現に在る、イエスは曰ひ給ふた「我が臨りしは羊(弟子)をして生命を得さしめ、豊かに之を得さしめんため也」と(約翰伝十章十節)、而して此生命は外界の機械力の圧迫なしには得られないのである、圧制の無い所に自由のないやうに、制度の無い所に生命は無いのである、此意味から見て制度は神の定め給ひし者である、故に敬ふべき者である、反抗すべからざる者である、彼をして我を殺さしめて我が生命を完成うすべき者である、主イエスがピラトとカヤパスに己を殺さしめて其生命を完成うし給ひしやうに、我等も亦今の世界勢力をして我が上に其威力を揮はしめて我が生命を完成うすべきである。
 
(425)     人格と信仰
                         大正5年9月10日
                         『聖書之研究』194号
                         署名なし
 
 今や少壮き思想家と神学者にして下の如くに言ふ者が尠くない、曰く「余は彼の人格を愛する、然れ共彼の信仰は到底之を納るゝ事は出来ない」と、而して斯かる人は大抵はキリストの神性を否定し、贖罪の如きは「パウロの贖罪説」と称して之を一笑に附するを常とする、彼等は言ふのである、人格は人格である、信仰は信仰である、人は其信仰を以て其人格を度《はか》ることは出来ない、多くの善き人にして馬鹿らしき信仰を懐いて居る者があると。
 然れども余輩彼等の「所謂旧式のクリスチヤン」は是等現代人士の立場を解するに甚だ苦しむのである、余輩は人の人格と信仰とを別物にして見ることが出来ないのである、人の人格の大部分は其信仰の結果であつて其信仰を離れて其人格はないのである、イエスは人に非ず神なりと信ずるは単に神学説として面白半分に信ずるのではない、是れが信仰である以上は生命の根柢である、イエスの神性と之を信ずる者の人格との間には最も根本的の関係があるのである、贖罪の如きも同じである、余輩は之を贖罪説と唱へて道楽的に信ずるのではない、贖罪は余輩の霊的生命の血である又肉である、之を取除いて余輩の信仰は其根柢より壊《くづ》れるのである、余輩の罪はキリストの十字架上の死に由て既に取除れたりと聞いて、余輩の心に人のすべて思ふ所に過ぐる平安が臨んだので(426)ある、若し其の事が爾うで無いと云ふならば福音は福音でなくなりて余輩は素の不信者になるのである、其他の信仰に於ても亦同じである、余輩は信仰を如何でも可い問題として取扱はないのである、信仰が信仰である以上は是れ人格の基礎である、人は終には彼が信ずるが如くに成るのである、樹は果を以て知らるとは此事である。
 
(427)     UNIVERSAL SALVATION.普遍的救済
                         大正5年10月10日
                         『聖書之研究』195号
                         署名なし
 
     UNIVERSAL SALVATION.
 
 If ever God elected me unto salvation,it must not be that I alone might be saved and the rest be lost,but that through me as a chief of sinners,many,if not all,be saved.I can be sure of my salvation only upon the condition that God is willing and able to save all sinners,that there never was,and is,and will be a sinner that God is not willing and able to save. Universal salvation as a dogma may be an offense to some particular theologians and ecclesiastics,but as an individual conviction and assurance for one's final salvation,it is an extremely comforting doctrine.If God is going to save all,I am sure and certain that I too shall be saved,. Romans xi,32;I.Timothyi,15.
 
     普遍的救済
 
 若し神が救はれんために余を予め択び給ひしならば是れ余一人が救はれて余の人々が滅びんが為めに非ずして、罪人の首なる余を以て多くの人若くは凡の人を救はんがためであるに相違ない、神は凡の人を救はんと欲し(428)又救ふを得、又世に神が救はんと欲せざる又救ふ能はざる罪人とては未だ曾てありしことなく、又今有ることなく、又将来に於てもあることなしと云ふ条件の下にのみ余は余の救済を確信することが出来るのである、普遍的救済と云ふ事は之を一箇の信仰箇条と見て或る特種の神学者又は教会者を怒らする者ならんも、而かも一個人の確信又は其の最後の救済に係はる信証と見て慰安に富めること極めて多き教義たらざるを得ない、神は終に凡の人を救ひ給ふとのことであれば余も亦救はるべしと云ふことを余は確信し又確言し得るのである。(羅馬書十一章三十二節、提摩太前書一章十五節参考)
 
(429)     秋の夕《ゆうべ》
                         大正5年10月10日
                         『聖書之研究』195号
                         署名 曳枚生
 
   秋が来た、
   涼しき心地よき秋が来た、
   嗚呼愛すべき秋よ。
 
   老《ろう》が来た、
   静なる黙示《しめし》に富める老が来た、
   嗚呼楽しき老よ。
 
   此後に冬が来る、
   冷たき死と墓とが来る、
   然る後に復活の春が来る、
   而して最後《いやはて》に永久変らざる、
(430)   清き涼しき神のパラダイスの夏が来る、
   嗚呼感謝に充る生涯よ。
 
(431)     〔希望の生涯 他〕
                         大正5年10月10日
                         『聖書之研究』195号
                         著名なし
 
    希望の生涯
 
 我は後を見ない、前を見る、過去を顧みない、未来を望む、前へ前へと窮りなく進む、惟この一事を努む、即ち後に在るものを忘れ前に在るものを望み、神がキリストに由りて上へ召して賜ふ所の褒美を得んとて標目《めあて》に向ひて進む(腓立比書三の十四)。
 我は下を見ない、上を見る、地を視ない、天を仰ぐ、我は|星を視る者《スターゲーザー》である、我国は天に在る、我は我救主イエスキリストの其処より降り臨るを待つ(同三章二十節)。
 我は人を見ない、神を見る、我は人の批評に耳を傾けない、我は我霊魂を義を以て鞫き給ふ我造主に託せ奉る(彼得前書二章廿三節)。
 我は自己に省ない、イエスを仰ぎ瞻る、自己に生きんとしない、我を愛して我が為に己を捨し者即ち神の子を信ずるに由て生きんとする(加拉太書二章二十節)。
 我は此世に在りて旅客《たびゝと》又|寄寓者《やどれるもの》なり、此世に在りて恒に存つべき城邑《みやこ》なし、惟来らんとする城邑を求む(希伯来(432)書十三章十四節)。
 
    歓喜の極
 
 悲痛の極とは愛する者と別れて終に再び之と相会ふこと能はざることである、死別は普通の事であるが、之れありて人生に実は歓喜も興味も無いのである。
 之と相対して歓喜の極とは永久に別れたりと思ひし愛人と再び相会するの機会があるとの事である、之れあるを知りて人生に悲哀は絶え、人の流す涕は悉く拭ひとらるゝのである。
 而して「キリスト死を廃《ほろぼ》し福音を以て生命と不朽《くちざること》とを明著《あきらか》にせり」とありて此希望が我等に供せられたのである(提後一の十)、「生きて存れる我等は彼等既に寝《ねぶ》れる者と偕に雲に携へられ空中に於て主に遇ふべし、斯くて我等いつまでも主と偕に在るべし」とありて死別は苦別でなくなるのである(撒前四の十七)、歓ばしきものにして信者の復活の希望の如きはない、世は信者を嘲けりつゝも死の把握の中に苦しむのである、之に反して信者は世に嘲けられつゝも死の束縛を脱して神の子の自由を享楽むのである。
 
    完全なる人生
 
 人生は短くある、而かも完全である、其物自体としては完全でない、然れども完全なる生涯に達する準備としては最も完全である、大学校としては完全でない、然れども之に入るための予備校としては完全である、其歓喜と悲哀、成功と失敗、会合と離別、和親と敵対、熱き涙と耐え難き苦痛、是れ皆我等を完成するために必要であ(433)る、現世のための現世に非ず、来世のための現世なることを示されて、我等は現世に生れ来りしことを悔いず、又生涯の短きことを悲まない、我等は詩人ゲーテに傚ひて「此歓喜と悲哀とは何の為なる乎」と言ひて歎かない、我等に臨みし歓喜と悲哀とは悉く其目的を達した、我等は之に由りて幾分なりとも神を知り得た、幾分なりともキリストの満足れる程度にまで達した(以弗所書四の十三)、我等は過去を顧みて悔恨はない、唯感謝あるのみである、凡の事は働きて益を為した、此短き人生は窮りなきキリストの国に我等を導き入れるために無くてならぬ者である。
 
    信仰と待望
 
 我れ聖き者となりてキリストが我心に降り給ふのではない、彼れ我が汚れたる心に降りて我を聖き者と為し給ふのである、其の如く、世が光明の域に達してキリストの再臨があるのではない、彼れ暗黒の世に臨み給ひて光明が世に満つるのである、キリストを我心に請《まね》く者は我信仰である、世に彼の再臨を促す者は信者の待望である、法律《おきて》の行為に由りて聖霊は降らない、信徒の活動に由てキリストは再び世に臨り給はない、「聖国を臨らせ給へ」、「主イエスよ来り給へ」、信仰に由り此祈祷が普く万国の民より揚がる時に人の子は神の栄光を以て世に臨り給ふのである、万国平和会議は開かれ、平和協会は孰れの国にも設けられ、政治家と宗教家とは卓を囲みて平和を議するも世界の平和は来らないのである、ヱホバは地の極までも戦争を廃めしめ弓を折り戈を断ち戦車《いくさくるま》を火にて焚き給ふ(詩篇四十六)、然り人に非ずヱホバである、彼が臨り給ひてのみ此事は成るのである。
 
(434)    注意せよ
 
 世には拙き余輩の如き者の非を挙げて余輩の信ずる基督教の撲滅を計る者がある、愚かなる人等《ひとたち》なる哉、彼等は何故に岩に生《は》ふる松を斫倒して岩の撲滅を計らざる、松は岩に由て生ふるのである、岩は松に由て立つのではない、故に松を斫倒すも岩は壊《くづ》れないのである、其如く余輩を滅すも基督教は滅びない、世々の岩なる基督教は今日有て明日あるを知らざる余輩其信頼者と運命を共にする者ではない、然り余輩と雖も亦固く此岩に頼る間は人の攻撃に会ふて斃れない、基督教を撲滅せんと計る者は自から撲滅せられざらん事に注意すべきである、「此石の上に墜《おつ》る者は壊《こぼた》れ、此石、上に墜れば其もの粉砕さるべし」とある(馬太伝廿一章四十四節)、而して今日まで基督教の撲滅を計りて自身粉砕されし者の、外国に於ても我国に於ても其幾人なる乎を知らないのである、「此石(世々の磐たる基督教)上に墜れば其もの(基督教の撲滅者)は粉砕さるべし」とのことである、注意せよである。
 
    祈祷の永遠的効力
 
 イエスは其弟子に告げて曰ひ給ふた、
  汝等すべて我名に託《より》て求ふ所のことは我れすべて之を行さん……若し汝等何事にても我名に託て求はゞ我れ之を行さん
と(約翰伝十四章十三、十四節)、然るに我が求ひし祈求にして聴かれざる者が数多ある、故に自身も度々神を疑ひ、世人は祈祷の無効を唱へ、教会者は我を責むるに我が彼等の命に従はずして彼等の教会に属せざるを以てす(435)るのである、然れどもイエスの言葉は過たないのである、祈祷は聴かれないのではない、今聴かれないのである、或ひは今世に於て聴かれないのである、神は其約束を充たし給ふに方りて永遠の時を有ち給ふのである、彼は或時は今年の祈祷を明年聴き給ふ、其の如く或る場合に於ては今世の祈祷を来世に於て聴き給ふに相違ない、而して吾人が称して聴かれざる祈祷と做す者の中に来世に於て聴かるゝ祈祷が許多あるに相違ない、聖父は其子の祈祷を聴き給ふに方て必ず祈求以上に聴き給ふ者であれば、彼は来世に於て今世に於ける吾人の祈求に数倍して之を聴き給ふに相違ない、吾人の愛人の疾病が吾人の祈祷に応じて癒えざる場合の如きは是れであるに相違ない、神は来らんとする彼の聖国に於て吾人のすべて思ふ所に過ぎて吾人の此切なる祈求を裕かに且つ充分に聴き給ふに相違ない、永遠の時を有し給ふ神に吾人の祈祷を聴かんと欲して急ぐの必要は更らにない、彼は或る祈祷は之を今世に於て或は今直に聴き給ふ、然れども或る他の祈祷は、殊に吾人の永遠に関はる重要なる祈祷は、之を不朽の来世に於て吾人の祈求ひし所に勝さりて聴き給ふに相違ない、而して此事を信じて吾人は吾人の祈祷に聴かれざる者が多くあればとてイエスの言葉を疑はないのである、「汝等何事にても我名に託りて求はゞ我れ之を行さん」と彼は言ひ給ふた、「何事にても」である、然り「何事にても」である、信仰に由り彼の名に託りて求ひし祈求に聴かれざるものはないのである、然れば喜ぶべきである、「断ず祈るべし」である(帖撒羅尼迦前書五章十七節)、「恒に祈祷《いのり》して沮喪《きをおと》すまじく」である(路加伝十八章一節)、「望みて喜び患難に耐へ祈祷《いのり》を恒にし」である(羅馬書十二章十二節)、「恒に各様《さま/”\》の祷告《いのり》と祈求を以て霊《みたま》に由りて求め……祈りて倦ざるべし」である(以弗所書六章十八節)、「恒に祈祷をなし怠らずして感謝と共に之を為すべし」である(哥羅西書四章二節)、信者に取りて無効の祈祷とては無いことを知るべきである、我等の祈祷は我等の生命と共にキリストと偕に蔵《かく》れて神の中に(436)在るのである、而してキリストの顕はれ給はん時、我等の祈祷は顕はに我等に聴かるゝのである(哥羅西書三章三、四節)、然れば黙せよ我が不信の霊よ、不信の世よ、無慈悲の教会者よ、我が祈祷の聴かれないのは聴かれないのではない、単に今聴かれないに過ぎないのである、我等基督者は「朽ざる生命の能に由て立つ」者である(希伯来書七章十六節)、来世と共に朽ざる生命の我等を待つあれば我等は永遠を期して恒に倦まず怠らず我等の祈祷を為すべきである。
 
    希望の種蒔
 
 善を為すに倦むこと勿れ、そは若し倦むことなくば我等時に至りて穫取るべければ也(加拉太書六章九節)。
〇道義学者は我等に教へて曰ふ、善は善である 世が之を認めざるも、人が之に報いざるも善は善である、故に人たる者は報賞如何に目を注がずして唯|単《ひたす》らに善を為すべきである、「善を為すに倦むこと勿れ」、其れ以上を語るに及ばない、是れカントの所謂絶対的命令である、故に人は之に何等の条件をも附することなく之に服従すべきであると。
〇然れども人は善の報を要求するのである、善き報を齎さゞる善を善として認めないのである、勿論其報たる金銭的たるを要さない、或ひは又現世的たるに及ばない、然れども或る確実なる報を要求するのである、而して確実なる報の提供せられざる所に善は実際的に行はれないのである、少くとも盛に行はれないのである、縦令カントの如き賢者たりと雖も報の伴はざる善を行ふに方て大なる努力を要するのである、絶対的命令である、愛の勧誘ではない、善を単に善と要求されて善行は重荷として臨むのである。
(437)〇故にパウロは善を行ふべきの理由を述べたのである、「そは若し倦むことなくば我等時に至りて穫取るべければ也」と彼は言ふた、是れカントの言ひ得ざる所である、是れ絶対的命令ではない、善の必然的結果を説いて善行を容易ならしめんとしたのである、善は報いらるべし、必ず報いらるべし、故に善を為すに倦むこと勿れとパウロは言ふたのである。
〇善は報いらるべし、然れども何時? 勿論今直にではない、又此世に於てゞはない、「時に至りて」である、而して基督者の時は勿論此世を以て尽きないのである、彼に無限の未来があるのである、彼は此世が終りて後に更らに善き世の開始ることを信ずるのである、彼は其世に希望を繋いで生くるのである、其世は此世と異なり蠹《しみ》くはず銹くさらず盗人穿ちて窃まざる所の世である、而して彼は其所に彼の財を蓄へんとするのである、「時至らば」である、「後如何、未だ顕はれず、其顕はれん時には我等神に肖ん事を知る」とある其時である(約翰第一書三章二節)、其時に我等が為せし善は悉く報いらるゝのである、パウロは更らに明確と言ふたのである「蓋我等必ず皆キリストの台前に出で善にもあれ悪にもあれ各自身に居りて為しゝ所のことに循ひ其報を受くべければ也」と(哥林多後書五章十節)。
〇我等の為す善は報いらる、而かも此世に於てゞはない、「彼の時」に於て報いらる、故に金銀土地家屋勲章等此世の物を以てゞはない、復活体を以て、義の冕を以て、殊に我等の労苦に由りて救はれし霊魂を以て、我等の善行は必ず確実に報いらる、来世あり、復活あり、永生あるを知りて善行は此悪しき世に在りても空を撃つが如き事でなくなるのである、我等は希望を以て蒔く、「そは若し倦む事なくば時に至りて穫取るべければ也」である。
 
(438)     伝道の目的
                         大正5年10月10日
                         『聖書之研究』195号
                         著名なし
 
〇今や伝道と云へば人に善道を伝へて彼を善人となすことである、彼を善き家庭の人となすことである、彼を善き市民となすことである、彼を善き社会の会員となすことである、即ち此世に於ける吾人となすことである、今や教会と基督信者とは此世を離れて伝道に従事しない、彼等に取りては伝道は社会奉仕《ソシヤルサービス》である、人を良く為し、社会を良く為し、此地上の生涯を円満、清潔、幸福に為すこと、其事が彼等の伝道の目的である、而して彼等の伝道報告なる者が充分に此事を証明するのである、曰く誰彼が驚くべき改信を経て斯かる善人となりて斯かる善行を挙げたりと、曰く社会は斯の如くに改まりたりと、曰く慈善金は幾千集りて幾人の貧民は養はれたりと、曰く何箇の学校は設けられて幾人の生徒は養成されたりと、曰く我教会に幾人の勅任官ありと、曰く我教会は衆議院に議員を送りたりと、曰く学士何人博士何人を出せりと、曰く土都君府に於けるロバート大学に由りて勃牙利は生れたりと、曰く日本京都に於ける同志社大学に由りて新日本は起りたりと、而して是れ皆な教会並に伝道会社の伝道報告に現はるゝ所であつて、之を読みて世人は基督教伝道なる者の此世の進歩開発に貢献する所甚だ多きを知り、教会も亦斯かる報告を為して其功績の多きを世に向つて誇るのである。
〇然しながら是れ果して基督教伝道の目的である乎、キリストと使徒等と初代の信者等は果して斯かる目的を以(439)て其伝道に従事せし乎、是れ余輩の問はんと欲する所である、而して余輩の見る所を以てすれば今の伝道と昔の伝道との間に其目的に於て天壌も啻ならざる相違があるのである。
〇キリストの目的は神の国の建設に有つた、而かも神の国は今時斯世に実現さるべき者ではなかつた、彼は「神の国は近づけり」と言ひ給ひて「神の国は臨れり」とは宜べ給はなかつた、(路加伝十一章廿節の場合は別である)、「今時は汝等(彼の敵)且|暗黒《くらき》の勢力なり」と言ひ給ふた(路加伝廿二章五十三節)、「我国は此世の国に非ず……我国は此世の国に非る也」と彼は繰返して言ひ給ふた(約翰伝十八章三十六節)、彼は彼の国の建設を未来に耕し給ふた、而かも此世の未来に於てゞはない、此世が終りて後の来世に於て期し給ふた、此点に於てキリストと此世の改革者等との間に天地の差があつた、彼は不完全なる此世を以ては満足し給はなかつた、万物の改造を経たる後の新天新地に王たらんことが彼の目的であつた、到底彼は此世の教師ではなかつた、彼と彼の目的成就の地との間には深き広き死の溝が横つて居つた、彼は死後の復活の後に彼の国の建設を期し給ふた、驚くべき計画である、此世の智者の眼には狂愚の如くに見ゆる計画である、而かもイエスは真剣に彼の身を此計画の実行に委ね給ふた、而して斯国を紹介し斯国の市民を作らんことが彼の伝道の目的であつた。
〇来らんとする世に於て現はれんとする彼の国の市民を召集し、之を錬磨し、之を完成すること、其事がイエスの伝道の目的であつた、「世の子輩《こどもら》」の中より「光の子輩」を召くこと(路加伝十六章八節)、而して彼等を教へ導きて「復活《よみがへり》の子」となすこと(同廿章卅六節)、其事がイエスの伝道の主眼であつた、彼は勿論此事を為すに方て他の事を怠り給はなかつた、彼は到る所に恩恵を施し給ふた、彼は彼に来るすべての病人又鬼に憑かれたる者を癒し給ふた、彼の徳は到る所に彼より流出て彼の衣に触れる者までが其|憂患《わづらひ》を治《いや》された、然れども是れ彼が世に(440)降りし目的ではなかつた、彼の伝道の目的ではなかつた、彼は世人が彼の天職の茲に在ると思はんことを虞れて屡々彼に由て疾病を癒されし者を警めて曰ひ給ふた「汝慎みて此事を人に告ぐる勿れ」と、彼は御自分のキリスト即ちメシヤであることを自覚し給ふた、然し乍ら世人が思ふが如きメシヤでないことを能く知り給ふた、彼は此世が要求するメシヤではなかつた、天国建設者としてのメシヤであつた、世は彼の目的を知らなかつた、彼れのみ能く御自分の目的を知り給ふた、世が見て以て高徳と做せし事は御自分に取りては左程の高徳ではなかつた、彼の特殊の御事業は病者を癒し貧者を養ひ其他此世の状態を良くすることではなかつた、彼の特殊の御事業と称すべきことは自から進んで十字架の死を味ひて天国の門を開くことであつた、而して之に次いで死より甦りて不朽と永生とを明著にすることであつた(提摩太後書一章十節)、此事のために彼は世に降り給ふたのである、彼の生涯の目的は茲に在つたのである、而して彼が人の彼に就て特に知らんと欲し給ひしことは茲に在つたのである、キリストに関する其他の事は比較的細事である、然れども此事、即ち彼の死と復活、之を知らずしてキリストを知ることは出来ない、即ち彼の血を飲み其肉を食はずして人は彼の属たることが出来ないのである。
○イエスの伝道の目的は茲に在つた、使徒等の伝道の目的も亦茲に在つたのである、使徒等も亦今時の宗教家の如くに此世の改善を以て其活動の主眼となさなかつた、「神異邦人を顧み其の中より己が名を崇むる民を取り給ふ」とは使徒等に示されし神の聖旨《みこゝろ》であつた(行伝十五章十二節)、而して使徒等は慎みて此聖旨に従ふたのである、神には神が其聖国に召し給ふた民があつた、而して使徒等は斯民召集の任に当つたのである、彼等は其意味に於て特に使徒であつた、彼等は天国の市民として召されし者に神の召喚状を伝達する者であつた、
  凡の事は神の旨に由りて召されたる神を愛する者のために悉く動きて益をなすを我等は知れり、それ神は(441)予め知り給ふ所の者を其子の状に効はせんとて予め之を定む、又予め定めたる所の者は之を召し、召したる者は之を義とし、義としたる者は之に栄を賜へり
とある(羅馬書八章廿八、廿九節)、是れが神の民の救済に関はる神の順序書《プログラム》である、而して使徒等は慎みて此順序書に循ひて其使命を果たしたのである、一言を以て之を言へば使徒等は彼等に委ねられし天国の市民養成を以て其活動の主眼となしたのである、「汚点《しみ》なく皺なく聖にして瑕なき栄ある教会《エクレージヤ(召し出されし者の一団)」を神の国実現の時に方て主に献げんと欲して彼等は労苦したのである(以弗所書五章廿七節参考)、パウロはピリピに在る彼の信者に書贈りて曰ふた「キリストの日に我をして我が行ひし所、労苦せし所のことの徒然ならざるを喜ばしめよ」と(腓立比書二章十六節)、即ち救済と云ふことは使徒等に取りては此世の事ではなかつた、「キリストの日」に於ての事であつた、其日其時に彼等に委ねられし者を「潔き女《むすめ》としてキリストに献げん」こと、其事が彼等の伝道の目的であつた(哥林多後書十一章二節)、使徒等の目は常に「其の日」の上に注がれた、「其の日」に主に誉められんと欲した、「其の日」に彼等の労苦の認められんことを求めた、彼等は此世に在りながら既に此世の者ではなかつた、彼等の行動はすべて「其の日」即彼世のためであつた。
〇而して使徒等の目的が常に彼世に在つた故に彼等は強く著るしく此世を感化したのである、朽ざる生命の能に循ひて立ちし彼等は朽つる此世の生涯を深く甚だしく感化したのである、此世のことに無頓着なりし彼等が最も多く此世を益したのである、社会事業は使徒等の本業ではなかつた、副業であつた。
〇社会奉仕《ソシヤルサービス》として伝道に従事する現時《いま》の教会の伝道に見るべき者の無いのは敢て怪むに足りない、彼等が天国の民を作り得ないのは勿論のこと、彼等は此世の聖人をも君子をも作り得ない、彼等の社会事業なる者は白く塗た(442)る墓である、外は美しく見ゆれども内は骸骨と諸の穢汚《けがれ》にて充つ(馬太伝廿三章廿七節)、我等の先づ第一に獲得すべき者は明確なる救済の希望である、我等の努めて為すべきことはキリストの教示に従ひ使徒等に傚ひて彼の日に於て現はれんとする朽ざる生命の能に循ひて立たんことである、此希望と生命とありて我等は到る所に、又為す事毎に大勢力たらざらんと欲するも得ないのである。
 
(443)     地の塩
                         大正5年10月10日
                         『聖書之研究』195号
                         署名 内村鑑三
 
  汝等は地の塩なり、塩もし其味を失はゞ何を以てか故の味に復さん、後は用なし外に棄られて人に践まるゝ而已(馬太伝五章十三節)。
〇「汝等」 少数の信者である、特に神に召されて万民救済の任に当らしめられたる者である。
〇「地」 大なる俗世界である、政治界経済界実業界などゝ称せられて「此世の主《あるじ》」即ち悪魔の支配の下に虚栄と利慾とを追求して其繁栄を誇る者である、地は利慾の大塊である、自己中心を主義として成立する大社会である、名は文明と云ひ、愛国と云ひ、外交と云ひて外は美しく見ゆれども、中は百鬼夜行、諸の汚穢を以て充つる墓場の如き者である。
〇「塩」 加味剤である、又特に防腐剤である、之を放任し置かんには腐敗其底を知らざる大俗界を比較的健全に保つ者である、塩は鹹《から》くある、故に地は之を好まない、地は異分子として之を扱ふ、然れども其れあるに関はらず地は塩なくして永続することは出来ない、塩は地に憎まれながら地の腐敗を防止するのである。
〇「地の塩なり」 勿論地の産する塩ではない、地に属ける塩は地の腐敗を防止することは出来ない、地に臨む塩である、外より地に加へられし塩である、地に在りて地の属にあらざる塩である、朽つる地とは全然素質を異(444)にする塩である、故に防腐の効力があるのである、地なる大俗界は如何に焦慮るも自から己の腐敗を防止することが出来ないのである、政治家政界を潔むる能はず、愛国者国を救ふ能はずである、地は地以外より加へられし塩に由て其腐敗を防止せらるゝのである、天来の火に接して其汚穢を焚尽され、天の光を受けて其暗黒を照らされるのである。
〇殊に注意すべきは地の大塊に対する塩の少量である、塩は地の腐敗を防止するために地と量を同くするの必要はないのである、塩は少量にして足りるのである、又塩は地を化して塩となすの必要はないのである、地は依然として地として存するも効力ある塩は其腐敗を防止して余りあるのである、少量の塩は地の大塊を塩に化せずして能く其腐敗を防止するのである、塩の能力たる大ならずやである。
〇俗界は大である、信者は少数である、信者にして信者たるの素質を失はざらん乎、能く大俗界の多数を制し、其汚穢を排し、溷濁を清むることが出来るのである、敢て俗界に多数を獲るの必要はないのである、又之を化して光の塊となすの必要はないのである、恰かもラヂユムの微量が其放射する光線に由り之に接触する大物体をラヂユム化するが如くに、真信者の放射する信仰の光線は大俗界を化して縦令暫時たりとも光明の世界たらしむるのである、少量の塩大地の腐敗を防止す、少数の光の子等《こども》大俗界の堕落を防止す、量と数とに於て多きを要せず、質に於て純且つ清なるを要す、少数のキリストの弟子にして煕々《きゝ》として其光を燿かせんか、暗らき大俗界はキリスト化せられて、ラヂユムの光線に癌腫が其勢力を挫かるゝが如くに、其罪悪の猛威は折らるゝのである、信者は多数を以て俗界を制するのではない、其信仰の光輝を以て罪の暗黒を駆逐するのである。
〇「塩若し其味を失はゞ」 塩若し去勢せらるゝならばの意である、塩若し効力を失はゞ、或ひは塩若し馬鹿にな(445)るならばと訳しても可いのである(希臘語の moranthe に此意味がある)、即ち塩が地に化せられて地を化するの力を失ひし状態を云ふのである、即ち信者が俗化して俗界を聖化するの力を失ひし状態を示すのである、信仰の形を存して其力を失ひし状態である、「彼等は敬虔の貌《かたち》あれども実は敬虔の徳(能力《ちから》)を棄つ」とある其状態である(提摩太後書三章五節)、信者と称して実は俗人、俗人の如くに思ひ、俗人の如くに計り、俗人の如くに行ふ者其れである、此世の勢力に信頼し、富と政権と多数との勢力を藉りて事を為さんと欲す、信仰を世界的勢力と見做し、之を拡むるに於て世界的方法を採る、或ひは帝王の祝電を乞ふて集会の成功を計り、或ひは貴顕を招待して教勢の拡張を計る、伝道に自働車飛行機を使用し、楽隊に※[竹/孤]を吹かしめて冊子を散布するの類、是れ皆な塩の其味を失へる者であつて、去勢せられたる信者の行為である、剛健なる信仰は自己以外の勢力に頼らないのである、信仰は自己を弘布せんとするに方て信仰独特の手段と方法とを択むのである、敢て地の手段方法を学ぶの必要はないのである、而して信仰が効力を失ひし時に、馬鹿になりし時に此世の手段方法に則りて敢て耻としないのである。
 〇「何を以てか故の味に復さん」 何を以てか塩をして再び塩たらしめんの意である、斯かる塩がもはや腐敗を防止することの出来ないのは勿論のこと、其れ自身にすら塩味を起すことは出来ない(馬可伝九章五十節、路加伝十四章卅四、卅五節参考)、「神の善き言と来世の能力とを嘗《あぢは》ひて後に堕落する者は神の子を十字架に釘けて顕辱《さらしもの》とするが故に復た之を悔改に立返らすること能はざる也」とある其事である(希伯来書六章六節)、強い厳しい言である、然し乍ら事実であるから止むを得ない、俗人の俗了は之を救ふことが出来る、然し乍ら信者の俗化に至ては之を癒すの途がない、「何を以てか故の味に復へさん」である、「犬かへり来りて其吐きたる物を食ひ、豚(446)洗ひ潔められて復た泥の中に臥すと云へる諺は真にして彼等に応へり」とある(彼得後書二章廿二節)、真にして恐ろしくある。
 〇「後は用なし」 去勢せる塩と俗化せる信者(又は教会)、世に無用なる者とて是の如きはない、俗人は俗人として用がある、然れども俗化せる信者(又は教会)に至ては是れ遙かに俗人以下であつてパウロの所謂「世の汚穢《あくた》また万の物の塵垢《あか》」である(哥林多前書四章十三節)、俗人の用を為さず信者の用をも為さず、世に無用人物なしと云ふは俗化せる信者を除いてのことである。
 〇「外に棄られ」 第一に神に棄らる、其聖霊の供給を断たる、「汝|微温《ぬる》くして冷かにも有らず熱くも有らず、是故に我れ汝を我が口より吐出さんとす」とある(黙示録三章十六節)、言ふを休めよ神は無慈悲なり残酷なりと、信仰は婦人の貞操の如き者である、精細にして微妙である、故に細微《わづか》の事に由りて破れ易き者である、俗化と云へば小事の如くに聞える、然し破倫と云へば重大事件である、而して信者の俗化は婦人の破倫と共に語るべき者である、信者の神に対する関係は新婦《はなよめ》の新郎に対する関係である、而して俗化は此聖なる関係の破壊である、故に聖書に在りては信者(教会)の堕落を称して「地の諸王之と淫を行ふ」といふ(黙示録十八章三節)、俗化は奸淫である、神が之を怒り給ふは当然である、信者は俗化に由り神に離縁状を渡さるゝのである。
〇「人に践まるゝ而已」 第一に神に乗られ、第二に人に棄らる、棄らるゝに止まらず践附らる、我が媚んと欲せし人(俗人、俗世界)にまで棄られ又践附けらる、恰かも淫婦が不義を犯して其夫に棄らるゝに止まらず更に其情夫にまで棄らるゝと同然である、最も憐むべき状態である、然し避くべからざる状態である、淫婦の運命は茲に至るのである、「地の諸王と淫を行」ひし信者と教会との運命も亦茲に至らざるを得ないのである、世は教会を利(447)用せんと欲するも利用されし教会を賤みて止まないのである、「人に践まるゝ而已」である、教会は世に媚び諛ひて世に践まるゝのである、世を救はんと欲して救ひ得ず、終に世の践殺す所となる、信者の俗化は終に茲に至らざるを得ない、恐れても尚ほ懼るべきは信者の俗化である。
〇近頃のことであると云ふ、或る権力家が其庇保を被る或る基督教会の役人に向ひ左の意味の言を語りたると聞く
  君等は君等の経典を称して聖書といふ、然れども是れ甚だ不当なり、儒教に経書あり仏教に教文あり、是れ亦聖書たるを失はず、然るに基督教の経典のみを称して特に聖書と云ふ、是れ最も不当なり、君等は宜しく聖書の聖の字を除いて単に基督教の経典と称すべし
と、事実果して余輩の耳に達せしが如くなるや否やを知らずと雖も、教会が此世の権力に頼りて此侮辱は免かれざる所である、フランクリン曾て曰へるあり「此世の勢力に頼るにあらざれば生存する能はざる宗教は生存の必要なき者なれば之を廃棄して可なり」と、実に俗人の援助に与るにあらざれば弘布する能はざる宗教は之を廃棄して可なりである、布教伝道は政治家又は実業家、其他|偽《いつはり》の宗教家宣教師等の援助を仰いでまでも之を行ふの必要はない、信者の信仰有りての伝道である、味を失へる塩の腐敗防止は有て無きもの、試みざるに如かずである。
〇主は曰ひ給ふた「汝等は地の塩なり」と、彼は「汝等は地の塩たるべし」とは曰ひ給はなかつた、即ち塩塩たれば地を潔めざるを得ないのである、信者信者たれば世は彼に由て聖化されざるを得ないのである、彼は自から進んで世と交はり其道に従ひ其|顰《ひん》に傚ひて聖化を努むるの必要はないのである、彼は山の上に建てられたる燈台(448)の如くに山の上に在りて世の暗黒を照らすことが出来るのである、信者の俗化教会の堕落は多くの場合に於ては自から世と交はりて其腐敗を防止せんとするより来るのである、然れども彼は此危険を冒すの必要はないのである、彼は神の負はせ給ふ十字架を負ひ、神の送り給ふ患難《なやみ》に耐へて彼は居ながらにして世を聖化することが出来るのである、恰かも義人ヨブが其荒れはてし家に座し、灰を被り、瓦片を取りて其身を掻きながら神の遣《おく》り給ひし試練に耐へて能く神の義と恵とを万世に伝へしが如くに、今の信者も亦独りありて世を照らし其汚穢を除くことが出来る、罪に接せざれば罪を除く能はずと言ふ者は未だ信の奥義を知らざる者である、信は信である、独り在て有効である、信は地の塩である、塩たらんと欲して努むるの必要はないのである、「汝死に至るまで忠信なれ然らば我れ生命の冕を汝に賜《あた》へん」とある(黙示録二章十節)、信者は世の塩である又光である、独り在りて其保つ所の者を固く保ちて諸邦《くに/”\》の民を治むることが出来る(同廿五、廿六節)。
 
(449)     初代基督教の要義
         キリスト再来の信仰  (九月十日十七日両日に亘り柏木聖書講堂に於ける講演の大意)
                         大正5年10月10日
                         『聖書之研究』195号
                         署名 内村鑑三 述
 
     第一回
 
  帖撤羅尼迦前書第一章第四章及び第五章
〇帖撤羅尼迦前書は現存せるパウロ書翰中の最初に書かれたるものである、否唯にパウロ書翰のみではない、新約全書二十七巻中の最古のものである、若し其書かれたる年代よりするならば馬太伝の位置を占むべきものは実は斯書である、初代の基督教の真相を伝ふるものにして斯書の如きはない。
〇凡そ事は其起源を最も貴しとする、末流の清きは其上流なる渓水の清きに由るのである、渓水の清きは更に其源なる岩間より迸る泉の清きに由るのである、近代の学者は進化を重んずるも信仰は其源泉を貴ぶ、新約聖書は真理の流の源である、帖撒羅尼迦前書は新約聖書中の泉である。
〇テサロニケは今のサロニカである、今回の戦争に聯合軍の相率ゐて墺?匈国に侵入せんと窺ひつゝある重要なる場所である、古来商業貿易繁盛にして東西両洋の聯結に当れる地方であつた 而して是の如き地に在り(450)し信者の信仰が真理の流の源泉となつたのである。
〇彼等の信仰と其果とは明白単純であつた、パウロは第一章三節に之を約言して居る、曰く
  汝等信仰に由て行ひ愛に由て労し我等の主イエスキリストを望むに由て忍ぶ
と、即ち信と愛と望とである、之れやがて初代信者の信仰箇条であつた、然しながらパウロは茲に信愛望の定義を説かない、信とは何ぞ、彼は曰ふ「行である」と、愛とは何ぞ、彼は曰ふ「労である」と、望とは何ぞ、彼は曰ふ「忍である」と、行為と辛労と忍耐と、之れ即ち信愛望の真の定義である、知るべし基督教は初より思索的ではなかつた事を、基督教は実際的である 初代信者に取て信仰と行為とは別の事ではなかつた、故に彼等は今日の信者の如くパウロの教とヤコブの説との調和に苦しまなかつた、パウロは言ふた「人の義とせらるゝは信仰に由て行に由らず」と、ヤコブは言ふた「人の義とせらるゝは信仰にのみ由らず行に由る」と、而して初代の信者は「信仰に由て行」ふたのである、斯くして彼等は何の疑惑もなく確実に救を信じて安んじたのである。
〇信仰は必ず行を伴ふ、イエスを信じて必然之に続き来る現象がある、禁酒禁煙の如きは其最も普通なるものである、或は又偶像を棄て或は又真理の立証の為に苦痛と迫害とを忍んで戦ふが如き皆之である、其実例は所在に之を見る事が出来る、就中希伯来書第十一章に記されたるものは其最も顕著なるものである、而してテサロニケの信者も亦同様であつた。
〇愛は労する、労も亦行である、然し愛の行は唯に義務を尽すの行ではない、労とは義務以上の行である、愛は唯に尽すべきを尽して以て足れりとしない、愛は行為以上更に辛労する、教師が能く其弟子を教へたる時に彼は教師たるの義務を完ふしたのである、然しながら教師若し真に其弟子を愛せん乎、彼は唯教ふるのみを以て満足(451)する事が出来ない、彼は己が子に対すると均しく其弟子の為に辛労せざるを得ない、其健康其家庭其職業皆彼の関心事となるのである 真にキリストの愛に励まされたる者の態度は常に之である、欧米の誠実なる信者中一面識もなき邦人に対して懇篤深切溢るゝ熱情を以て尽力至らざるなき者あるが如きは之が為である、信仰は此世ならぬ行を伴ふ、然しながら愛は其れ以上更に労するのである。
〇信仰に由て行ひ愛に由て労す、初代信者の生活は茲に尽きたのである乎、若し茲に凡てが尽きたのであるならば初代信者の信仰は決して永続しなかつたであらう、何となれば信仰に形式化せんとするの危険がある、愛に蒸発し去らんとするの傾向がある、二者は唯互に相頼るのみを以て立つ事が出来ない、二者の倒れざらんが為には更に或る他の者を要する、三者鼎立して初めて共に安全なる事が出来る。
〇或る他の者とは何ぞ、「望」之れである、望ありて初めて忍耐を生ずるのである、望なくして愛と信仰とは其確実性を失ふのである、実に初代信者の最も重きを置きたるものは望であつた 之れ彼等の信仰に特別の力ありし所以であつた 今の信者は望を忘れて居る、之を忘れざる者は即ち迷信者の如くに嘲けらるゝのである、然し乍ら我等は望なき信仰を想像する事が出来ない 望なき愛はやがて雲散霧消に終るのである。
〇パウロは殊に望を説いた、就中帖撒羅尼迦前後書は最も強く之を高唱するものである、故に学者或は之を望の書翰と称し以て羅馬書哥林多前後書及び加拉太書の信仰の書翰、哥羅西腓立比以弗所書等の愛の書翰に対比せしめる。
〇彼は曰ふ「望に由て忍ぶ」と、忍耐は希望より生ずるのであると、事は甚だ明白である、「農夫地の貴き産を得るを望みて前と後との雨を得るまで永く忍びて之を待てり」と(雅各書五章七節)、百姓の辛き労働に対する忍耐(452)は一に収獲の希望にある、昔日武士の屍を戦場に曝して顧みざりしは死後己が子孫に臨むべき報償を望んだからである、人としては何人も或る報償を望まざるを得ない、基督者も亦人である、故に彼も亦報償を望む、基督者は純愛ならざるべからず基督者は報償を望むべからずといはゞ之れ普通の人情に背反する要求である、神はかゝる要求に応ずべきものとして人を作り給はなかつた、神は基督者にも報償を望まざる苦痛を要求し給はない、神は我等基督者にも亦望を与へ給うたのである、而して望あるに由て我等は苦痛に耐へ得るのである、此世の人にも望がある、我等基督者にも望がある、唯其対象を異にするのみである、問題は何処に報償を望むかにある、世人の報償は此世に於て在る、其富貴にある、名誉にある、地位にある、基督者の報償は此世に於て無い、然し彼にも亦確に報償の希望がある、最も貴き報償の希望がある、イエスが之を説き給うた、パウロも亦之を説いた、基督教より希望を除去せん乎、即ち其根柢を除去するのである。
〇然らば基督者の希望は何である乎、初代基督者の希望は勿論マホメツト教に説くが如く肉身の歓楽に適する境遇ではなかつた、さりとてそは又今の基督者の説くが如き漠然たる未来の救拯でもなかつた、初代信者の希望はキリストであつた、キリストの再来であつた、最終審判の日にキリスト再び来り給ひ十字架の贖を信ずる者に対して審判人たらず救主として現はれ給ひ卑しき体に代へて栄光の霊体を与へ神の定め給ひし完全の国正義の国に迎へて其一市民たらしめ給ふ、其処には此世の偽善罪悪悲痛は悉く除去せられ万物は復興しキリスト永遠に之を治め給ふのである、而して此絶大の恩恵がキリストの再来に由て始まるのであると、之れ即ち初代信者の希望であつた。
〇彼等は此希望を判然明確に把持したのである 而して之あるが故に凡て此世の苦痛に耐へたのである、初代信(453)者必ずしも奮励努力して慾念を断たんとしなかつた、唯彼等に輝くばかりの貴き希望があつた、後に与へらるべき偉大なる報償の約束があつた、先づこの特権を握りたる彼等の手は自ら此世のものより離れたのである、前に望む物の余りに貴きが為に今有する物が惜しくなくなつたのである、来世を慕ふの熱心の余り自《おのづか》ら現世に淡泊となつたのである、かくて彼等に取て忍耐は難事ではなくなつた、今日こそ嘲弄迫害を受けて日蔭者の如くに扱はるゝとも遠からずキリスト天の雲に乗りて来り給ふのである、其時我等も亦主の栄光に与るのである 之を思うて彼等は容易に凡ての苦痛に耐へた、そは恰も将来の成功を期する実業家が暫時の賤業を意とせざるが如くであつた、未来の政権獲得を望む政治家が一時の不遇に甘んずるが如くであつた、否其希望の遠大なりし丈けそれ丈け彼等の忍耐も亦偉大であつた。
〇キリストの再来は新約聖書全体を通じての基調《アンダートーン》である、之を解せずして新約聖書を解する事は出来ない、就中特に此思想に燃えて書かれしものは帖撒羅尼迦前後書である、パウロ曩にテサロニケの信者を見舞ひし以来彼等の中に世を去りたる者も少くなかつた、之等死したる信者は如何になるべきである乎、その疑惑を解いて残れる信者を慰めんが為に彼は有名なる章句を書き綴つた、即ち帖撒羅尼迦前書第四章十三節乃至第五章十一節が其である。
 
     第二回
 
〇初代の伝道に今日見る能はざる一特徴があつた、ペンテコステの日に使徒等の説教を聞き納れてバプテスマを受けし者凡そ三千人ありしとは使徒行伝の明記する処である、又パウロの伝道旅行を企つるや所々に滞在する事(454)或は三日或は五日にして福音を信ずる者恰も響の声に応ずるが如くに起り、遂にパウロの死に至る迄に羅馬全帝国中福音の到らざる処なき状態であつた 是の如きは果して何の理由に基くのであらう乎 人或は之を使徒等の熱心に帰する、然しながら些事未だ以て全き説明となすに足らない、熱心如何に大なりと雖も一人の力能く二三十年にして大帝国を教化し得べくもない、又一瞬時にして数千の悔改者を生じ得べくもない、其理由は自ら他に存するのである。
〇蓋し使徒等の説きたる福音は今日のそれの如きではなかつた、彼等は大声疾呼して曰うた「世の終は近づけり、キリストはいま門前に立ち給ふ、やがて闥《たつ》を排して入り来り給はん、其時我等は生けるまゝに栄光の体と化せられ空中に於て死者と相遇はん、永生に入るの日は遠からず審判は目睫の間に迫れり」と、説く者は勿論之を信じて疑はなかつた、故に彼等は一刻も躊躇するに忍びなかつた、彼等は伝道の熱情に燃えた 其日或は明日来らん、或は今夜釆るかも知れない、夜半に叫声《さけびごゑ》聞えて「新郎《はなむこ》来りぬ出て迎へよ」と呼ばれん時油を準備せざりし愚なる童女《むすめ》の遂に門に入る能はざりしが如く(馬太伝二十五章)汝等も亦滅亡に入る事勿れ、今より直に悔改めて急ぎ救はるゝの準備を為せと、彼等は起ちて是の如くに叫んだ、而して聞く者も亦之に応じた、取る物も取敢へずして先づ彼等の声に従つた、是に於てか偉大なる伝道は諸所に行はれた そは恰も曩日《むかし》天草の温泉嶽破裂の際、何人も之を知らざる時に方り一人の盲者の遽然《きよぜん》として之が警告を発して地方人を驚駭《けいがい》せしめたるが如くであつた、或は又現今の如く悪疫蔓延し苟くも警戒を怠る時は忽ち生命を失ふの危険ある時隣人の不注意を坐視するに忍びずして呼号督促するが如くであつた、彼等は皆此世の滅亡と新天新地の出現とを眼前に期待したのである。
〇今人の救拯観は果して如何、今人に取ては福音は此世の福音である、之に由て個人の思想と行為とは向上し(455)之に由て家庭は純化し社会は改良せらるゝのであると、救拯とは畢竟倫理道徳の問題である、然し乍ら初代信者に取てはさうでなかつた、彼等の関心事はキリスト再来の時の我等に対する態度であつた、キリスト審判人として我等を迎へ給ふ乎、はた救主として我等を受け給ふ乎、それが彼等の最大問題であつた 而して彼等の伝道の動機は茲にあつた、信者の彼等に応じたる動機も亦茲にあつた。
〇新約聖書は全然此立場に於て書かれし書である、今人の新約聖書を解するに苦むは此立場を解せざるに由るのである、例へばかの山上の垂訓の如き之を倫理道徳の教訓と見て其到底実行し得べからざるを感ずるのである、然しながら明日或は世の終来るべしとせば如何、明日キリスト再臨し給ふて凡ての栄光を与へ給ふならば今日余の全所有を喪失するも何かあらん、明日キリストの台前に立ちて事の黒白悉く分明するならば今日撲たるゝとも何かあらん、必ずしも特別に慾念を節制するが故ではない、時を長く見ない丈けの事である、「時は迫れり」、この一観念の下に現世の執着は消滅するのである、現世の永続を予想すればこそ大廈を築き鉅富を積まんとの欲望も生ずれ、終末は目前にありと思ふ時現世の試惑は我を誘ふに足らないのである 新約聖書の道徳はキリスト再来の希望に其根を据うるのである。
〇然らばキリストの再来は果して事実であるべき乎否乎、初代信者パウロの如きは其事の直に実現すべきを予想して居つた、恐らく其時尚ほ自身生存し居るならんと想像して居つた、帖撒羅尼迦前書四章に「寝れる者」といひ「活きて存れる我等」といへるは即ち現に彼等の多数が其時迄活き存れる事を予想したる語である、然るに待てども待てどもキリストは降り給はなかつた、パウロの信仰も之が為に鍛へられし事幾何なりしかを知らない、況んや一般の信者に取りてはそは一の躓きとならんとした、彼等はキリストの再来近きを望みて迫害に堪へたの(456)である 然かも其希望は何時迄待つも充されない、其時彼等は思うたであらう、我等は使徒に欺かれたるに非ずやと、かくて信者の信仰も頓に冷えなんとした、是に於て希伯来書記者の如き篤信の士は熱情を注いで激励維れ力めた、ペテロも亦黙するに忍びなかつた、彼は筆を鼓して叫んだ
  愛する者よ汝等此一事を知らざるべからず、主に於ては一日は千年の如く千年は一日の如し、主其約束し給ひし所を成すに遅きは或人の遅しと意ふが如くに非ず、一人の亡ぶるをも欲《のぞ》み給はず、万人の悔改に至らん事を欲みて我等を永く忍び給ふなり、されど主の来ること盗の夜来るが如くならん(彼得後書三章八、九節)
と、以て此問題が如何に初代の使徒及び信者の心を悩ましゝかを知るべきである。
〇爾来星移り物替るもキリストは尚依然として降り給はない、然しながら基督者は此希望を離れて生くるに堪へない、是に於てか彼等は終に其思考を一変するに至つた、キリストの再来は霊的の事実である、キリストは既に霊を以て我等の間に降り給うたのである、キリストは教会の中に現在し給ふのである、法王は彼の代表者である、或は又晩餐式に於て法王の許可を得たる僧がパンの塊に対しミサを称ふれば其一塊のパンが直にキリストの真実の体となるのである 其時キリストは其処に現在し給ふのであると、其他種々なる説を立てゝキリストの既に降り給ひし事実を信ぜんと欲した、プロテスタントは所謂化体説を排斥したるもキリストが教会を以て此世を治め給ふとの思想は均しく之を承け継いだのである。
〇キリスト果して既に降り給うたのである乎、或は終に再来し給はないのであらう乎、之を決するに当り須く考一考すべきは今次の大戦争である、キリスト既に降り給ひ教会中に現在して世を治め給ふと信じ来れる基督者にして此惨劇の為に信仰を失ひしものは決して少くないのである、真に戦争其ものゝ残酷無慈悲は勿論、之に参(457)加せる英伊勃羅独墺等諸国の不実背信偽善譎詐に至ては誰か之を驚かざる事を得やう、而も彼等は所謂基督教国である、教会の努力千有九百年の久しきに亘りて其産出する処遂に如是ものに過ぎずとせば基督教の価値亦知るべきである、樹は其の果を以て知らる、若し此罪悪が基督教の果実であるならば基督教の無能は茲に遺憾なく証明せられたものといはねばならぬ、是故に不信者ヘツケルの如き学者は今や口を極めて宗教を罵るのである、彼等は曰ふ、「見よ神の摂理は既に破壊せられたり」と、而して基督教の宣教師伝道師等亦之に対して弁駁の辞を知らない、彼等自身も漸く伝道の動機を失はんとしつゝある、現世の改善を以て基督教の本領となし来りし彼等の信仰が今次の大戦争に由て其根柢より土崩瓦解するは寔に已むを得ないのである、基督教の証拠を文明の発達に求むるものは今や口を緘して黙するの外を知らないのである。
〇此時に方り我等は再び痛切に思はざるを得ない、使徒等の説きたるキリスト再来の希望が真の福音であると、キリ人トは既に来り給うたのではない、又終に来り給はないのではない、否キリストは来り給ひつゝある、其時が何時であるかは之を知らない、然し神にありては一日も千年の如く千年も一日の如しである、或は明日来り給ふかも知れない、「汝等戦争と戦争の風声を聞かん……民起りて民を攻め国は国を攻め……不法充つるに因りて多くの人の愛心冷かになるべし……其時人の子の兆《しるし》天に現はるべし」(馬太伝二十四章)とある、是の如き教は聖書中に決して少くない、而して今や凡て文字通りに事実となりて現はれつゝある、果して然らば我等は寧ろ喜ぶべきではない乎、我等の信仰は此惨劇に由て撼《うご》かされないのみではない、却て強めらるゝのである、今回の戦争が更に一変して真に世界を覆さんばかりの大禍害となるとも我等は其為に愈々キリスト再来の日の近きを待ち望むのである、文明が此世を救ふのではない、文明の最後は矢張り破滅である、此世を救ふものは唯キリストであ(458)る。文明の破滅我に於て何かあらん、キリスト悉く之を始末し給ふ、キリスト再来の希望を抱きて我等の信仰は此世と共に動揺しないのである。
〇今の信者は屡々「死」を云為する、然し新約聖書中にはキリストの死以外人の死に就ては殆ど言ふ処がない(希伯来書に唯一度あるも勿論死を恐るゝの意味ではない)、初代の信者は死に就ては甚だ冷淡であつた、之に反し彼等の繰返し説きたるものはキリストの再来である、彼等に取て恐るべきものは死ではなかつた、恐るべきものはキリスト再来の時に審判かるべきか救はるべきかの問題であつた、彼等の信仰の重点はキリストの再来にあつたのである、或は明日或は今夜来り給ふかも知れないと、彼等は常に是の如く思ひつゝ自己の霊魂の態度を定めたのである、新約聖書は此立場に立ちて見るに非ざれば其深き意味を探る事は出来ない。
〇初代信者の信仰は是の如く客観的なるものであつた、彼等は近世の所謂純倫理的思想の如く自己の小なる胸に神の真理を蔵めんとはしなかつた、彼等の眼は外に向つて注いだ、彼等はキリストの再来を待ち望んだ、彼等は最後の審判を信じ其時教主としてのキリストに受けられんが為に刻々其準備を怠らなかつたのである、而して彼等の信仰に永続性のありし所以は全く茲にあつた、彼等の信仰に熱火の燃えたる所以も亦茲にあつた、彼等の頼む所は外側にあつた、故に自己の思想感情の変化に由て其信仰を失はなかつた、彼等は世の終末を目前に期待した、故に起ちて福音を伝ふるの急務を痛感した、其時訥弁家も忽ち雄弁家となつて叫んだ、彼等は又万事の解決の近きにあるを知つた、故に此世の小問題の為に焦慮しなかつた、かくして彼等は自ら求めずして霊的人間となつた、新約聖書の命ずる如き至高の道徳も之を行ふに困難を覚えなかつた、而して彼等は互に真の兄弟の如くに相愛した、彼等に取てキリストの再来は実に何よりも重大なる問題であつたのである。
 
(459)     イエスと教派
         (八月二十七日柏木聖書講堂に於ける講演の大意)
                         大正5年10月10日
                         『聖書之研究』195号
                         署名 内村鑑三 述
 
  馬太伝第十六章自五節至十二節
 
  戒心《こゝろ》してパリサイとサドカイの人の麪酵《ぱんだね》を慎めよ……是に於て弟子その麪酵にはあらでパリサイとサドカイの人の教を慎めと言へるを悟れり(六、十二節)
 パリサイとサドカイの人の教を慎めと、教とは主義である、パリサイ、サドカイの主義は何である乎。
 キリストの時にも今と同じく種々の教派があつた、寔に古来世に教派の無き時とてはないのである、殊にユダヤ人の如く宗教に熱心なる国民の間には幾多の主義即ち派があつた、之を大別して四と為す事が出来る、其最も有力なるはパリサイ派である、次はサドカイ派である、其他に尚ヘレネ派即ち希臘派とも称すべきものがあつた、アポロの改信前に属したるものが之であつた、又エセネ派があつた、改信前のルカの属せしものは多分之であつたらう、而して之等諸派の中に又幾多の小派があつた。
 パリサイの語源はパレスである、清潔派の謂である、己のみ世の穢に染まざる正しき者と為す派である、モー(460)セの律法其他旧約の教訓の正しき系統を承継したりと為す派である、そは恰も英国の聖公会や露国の正教会が自ら称して正統派《オルソドクシー》と為すと異ならない。
 サドカイは政治派であつた、実際派であつた、彼等は自ら世界主義を以て任じた、パリサイがモーセ、予言者等の遺伝を受けてユダヤを中心とするに反し彼等は世界統一、人類同胞等の思想に支配せられた、一言にしていへば宗教を政治上に応用せんとするもの之れサドカイ派であつた、其起源はザドクと称する人に在つた。
 ヘレネ派は即ち希臘派である、哲学派、学者派である、パリサイが古き伝説に重きを置き聖書其儘を信ぜんとするに対し彼等は宇宙の道理に訴へ理性を以て解釈すべしと主張した、其広きを好むに於てはサドカイに似るもサドカイよりは一層深遠である、哲学的又学問的である、故に斯派に属する者に学者雄弁家が多かつた、所謂博士学士等の与する派であつた。
 エセネ派は一種の隠遁派であつた、他の三派皆此世の事に関与するに反し斯派は此世の汚に染むを欲せずと称し全く世を棄てたのである、彼等の多くは貧者であつた、彼等は貧を以て却て神の恵と見たのである、後の修道院、今日のトラピスト等に類する派であつた。
 而して以上の諸派は何時何処にも之を見る事が出来る、独り千九百年前のユダヤのみではない 今日の日本にも亦此四派が存在する。
 凡そ宗教の存する処必ずパリサイ派を見ざるはない、聖経の真註解は吾儕の手中にありと称するパリサイ派は仏教にもある、基督教にもある 嘗て英国の一宣教師或日本人に告て曰ふ、卿等日本人が基督教を解せりと思ふは抑も誤謬である、卿等に基督教伝へられてより幾年ぞ、未だ漸く五十年に過ぎないではない乎、我等英国人(461)は既に千数百年の久しき其雰囲気中に成育した者であると、如是正統派思想は世界何処にもある、我等の間にも亦ともすれば之を見んとするのである。
 パリサイ既に然り、サドカイ亦然り、人或は曰ふ真理の由来は之を問ふを要しない、真理は何処に在りても真理である、真理は世界的である モーセの言必ずしもユダヤ的に解すべきではない、之を甲に応じ又乙に適せしむる事が出来ると、之れ即ちサドカイ的思想である、而して其中に真理を含まないではない、然しながら彼等の特徴は宗教的熱情の冷却である、無頓着不関心である、殊に政治思想に富む我国の如き国民にありては宗教家中に斯派の色彩を帯ぶる者甚だ多い、彼等は信仰の異同を深く意としない、彼等は相互に提携し基督教を以て国家を救はゞ即ち足ると為すのである、故に神の存在を信ぜざる者と雖も正義が最後の勝利者なるを信ずるに由て洗礼を授けると云ふのである、生時基督教の反対者も真理探究者たりしの故を以て死後教会の葬式に与る事を得るのである、如是サドカイ派も亦到る処にある、我等の間にも亦ある。
 ヘレネ派なる学問派思索派は超然主義を取るのである 心《ハート》を以て感ぜずして頭《ヘツド》を以て判断する、基督教を研究してカント、スピノザの哲学に之を対比する、甚しきに至ては偸盗、姦淫の果して罪悪なりや否やの如きも先づ之を考究して然る後徐ろに決せんとする、而して終に漸く基督教の真理を承認し之を賞賛する、然しながら人あり「汝の哲学を棄てゝキリストに献げよ」といはん乎、彼等は之を拒絶するのである、彼等は却てキリストを哲学に献げんとするのである、キリストの為に犠牲を払ふは其堪へざる処、キリストの為に迫害を受くるは其恐るゝ処である、而も彼等に種々なる口実がある、かゝるヘレネ派も亦世界到る処に存在する、我等の中にも亦存在する。
(462) エセネ派は貧民派である、又多くは無学派である、彼等は曰ふ、モーセの遺伝我に於て何かあらん、哲学は信仰の敵である、我は唯霊を以て直に神と交通する事が出来る、我等は聖書に頼らない、唯神の黙示に頼る、我等は汚れたる此世と接しない、唯独り清き生涯を送ると、彼等の所言に深き真理を含んで居る、そは又特に俗人の敬崇を惹くに足るものがある、麁衣麁服を見て何やら貴き感じを懐くは俗人の常である、而してこのエセネ派も亦何れの世にもあつた、少数なりと雖も勢力を有つて居た、而して今日我等の間にも此派を見る事が出来るのである。
 イエスは以上四派の何れに属し給うたであらう乎、イエスは其何れにも属し給はなかつた、彼はパリサイにも非ずサドカイにも非ずヘレネ、エセネの何れでもなかつた、然し彼は又其何れに対しても大なる同情を寄せ給うた。
 イエスの立場よりすればパリサイにも確かに真理があつた、イエスは旧約聖書を神の黙示として受け給うた、之れ即ちパリサイの精神であつた、然らば彼はパリサイ派の一人であつた乎、否彼は安息日に人を癒してパリサイ人を失望せしめ給ふた、彼は必要の場合にはユダヤ伝来の規則を破るに躇躇し給はなかつた、イエスはパリサイに似てパリサイでは在り給はなかつた。
 サドカイ派に対するイエスの関係は最も稀薄であつた、イエスは徒《いたづら》に世界的といひ実行的といひて浅薄不熱心なる態度を嫌忌し給うた、唯遠大なる思想を抱きつゝ此世の事を怠らざるの点に於て彼等に同情を有し給うた、然しイエスは遂に此世にて勢力を得んとし給はなかつた、サドカイ派は彼の友となる事が出来なかつた。
 イエスは自由を高調し真理を主張し給うた、之れヘレネ派即ち哲学派の精神であつた、又イエスの救拯の普遍(463)的なるは恰も真理の普遍的なるに似て居つた、然し乍ら彼はヘレネ派の如く屋内に蟄居して講究維れ事とし給はなかつた、彼は出でゝ愛の行を為し給うた、愛なくして彼に真理はなかつた、哲学派は思索に耽り論理を弄んだ、イエスは神を愛し人を愛し給うた。
 「我国は此世の国に非ず」、「狐は穴あり空の鳥は巣あり、されど人の子は枕する処なし」、「貧しき者は福なり」と、之れイエスの貴き垂訓にして又エセネ派の最も喜ぶ真理であつた、故にエセネ派も或時は思うたであらう、イエスは我流に属すべき人であると、然し彼等もやがて失望せざるを得なかつた、イエスは彼等の信念に反き富者シモンに招かれて饗応に与り給うた、真にイエスより見て貧者貧の故に貴からず、問題は唯神に対する人の霊魂の態度にあつた。
 此の如くにして何人よりも惹かれ給ひしイエスは又何人よりも棄られ給うた、イエスはパリサイに非ずサドカイに非ずヘレネ、エセネにも非ず、イエスはイエスであつた、故にその十字架に釘けられ給ふやパリサイもサドカイもヘレネもエセネも皆一致して彼に敵した。
 我等基督者はイエスの弟子である、イエスが各派に同情を寄せて而も其何れにも属し給はざりしが如く我等も亦然りである、我等も亦パリサイにしてパリサイに非ずサドカイにしてサドカイに非ずヘレネにしてヘレネに非ずエセネにしてエセネに非ず、我等は即ちクリスチヤンである、クリスチヤンとは何である乎、其定義を下す事は出来ない、クリスチヤンはキリストの生命を受けたる者である、生命は定義を容さない 生命を失うて初めて派を生ずるのである、sect は section である、手が体の一部たる間手は手にして section ではない、体より離れて初めて section となるのである、頭部といひ胸部といひ足部といふは医家の観念である、美術家は切断されたる(464)部分を見ない、唯生きたる全部を見る、我等は常にキリストの肢《えだ》たらねばならぬ、キリストの生命を失ふ時に忽ち我等の間に派を生ずるのである、他人の伝説を以て自己の意見の権威となさんとする正統派、政治問題に奔走して世界的事業を起さんとするサドカイ派、神秘に充ちたる三位一体、復活、贖罪等の事実を否定せんとする哲学派、清貧を誇り無学に安んぜんとするエセネ派、之皆生命なき残骸である 我等は常にイエスと結び付き彼の生命を受けて彼の如くに生きん事を欲する。
 
(465)     良心の無き国民
                         大正5年10月10日
                         『聖書之研究』195号
                         署名 柏木生
 
〇旅行家の語る所を開くに支那は良心の無き四億の民の成す国であると、若し果して爾うであるとすれば支那の将来に希望は全然無い、縦し其中に大鉱山許多あり、又其他の物産に富むと雖も、縦し又忠孝の道は民の間に高唱せらるゝと雖も、良心がなくして如何なる国も立たないのである。良心がなくして共和政治は愚かのこと、如何なる政治も行はれないのである、良心がなくして国は既に亡びたのである、国家の財産目録中、民の良心は最上位を占むべきものである、燐むべし忠孝道徳の起源地なる支那は此絶望的状態に於て在るとのことである。
〇隣邦支那の此状態を聞いて余輩は戦慄する、然し乍ら翻りて思ふ我日本も亦此状態に向て進行しつゝあるのではあるまい乎、若し良心の欠乏と云ふが少しく過言であるならば、少くとも誠実の欠乏は我国今日の最も著るしき状態ではあるまい乎、而して誠実の欠乏はやがて良心の欠乏となるのである、誠実の欠乏は良心の麻痺の最も確かなる徴候である、而して麻痺が亢進すれば死滅となるのである、我国今日の状態たる具眼者の眼を以て見れば実に危険状態と称せざるを得ない。
〇良心は如何にせば之を維持するを得る乎、萎靡せる良心は如何にせば之を復活するを得る乎 忠孝道徳が良心を活かすことの出来ないことは支那其物が最も宜き証明者である、其理由は明白である、道徳は人の道であつて(466)良心は神の生命であるからである、神が人に命じ人が神に応ふる所に良心があるのである、良心は人の神覚である、人を離れて人が独り神と相対して立つ時に良心があるのである、神が見えずなり人が自己と社会とのみ相対するに至る時に良心は失するのである、社会道徳と称して神抜きの道徳が唱へらるゝ所に良心は萎靡して誠実は減退し終に良心其物までが消滅するに至るのである。
〇支那の状態は是れである、天を祭り、鬼神の徳たるそれ盛なる哉と謂ひて神を敬ひ彼を慕ひしやうに見えたれども、其敬神の念たる余りに微弱にして以て民の良心を維持するに足りなかつたのである、孔孟の教は悪しき教には非ずと雖も以て民の良心を旺盛たらしむるに足りないのである、支那人は孔孟以上の聖人を知らざりしが故に終に「鬼神」の勢力に打勝つこと能はずして其良心を失ふに至つたのである、良心は活ける神が人に点じ給ひし輝きである、故に間断なき神との接触に由りてのみ維持せらるゝ者である、而して此接触なかりしに由り天稟の資質いとも裕かなりし支那人も終に今日の憐むべき状態に立ち至つたのである。
〇支那は止むを得ないとして、我日本は誠実減退に表はれたる良心の萎靡を癒し、茲に東洋全体に臨みつゝある良心絶滅の災厄を喰止なければならない、而して其途たる他に無い、「神の栄の光輝《かゞやき》その質の真像《かた》」なるイエスキリストを生命の主として迎ふることである、「此生命は人の光なり」とありて彼が良心の淵源である、彼の輝き渉る所に良心は復活する、千九百年間に渉る人類の歴史は此事を証明して余りがある、良心の喪失に勝さる国の損失はない、取り返しのつかぬ損失とは此事である、福音宣伝のことたる決して細事ではない、重大問題である、国家間題である、実に国家の興亡に係はる重大問題である、其故如何となればキリストの福音のみが健全にして鋭敏なる良心を国民に供するからである、何れの国民もキリストの福音を斥けて良心的に自殺しつゝあるのであ(467)る、斯かるが故に熱烈の愛国心は熱烈の伝道心を惹起せざるを得ないのである。
 
(469)     別篇
 
  〔付言〕
  藤井武「子たる者の自由」への付言
           大正4年11月10日『聖書之研究』184号
 編者曰ふ、是は余輩が曾て読みし加拉太書の註解中最も明晰なる者の一である、霊を解する者は霊である、我等は欧米の神学校に学ばずして良き聖書学者と成ることが出来る。
 
  「年賀状第一等」への付言
           大正5年1月10日『聖書之研究』186号
 編者白す、読者諸君より余輩に送られし多くの年賀状中より余輩は右の一首を記せる者を第一等と認めざるを得ず、荘美なり、偉大なり。
 
  藤井武「十字架を負ふの歓び」への付言
           大正5年1月10日『聖書之研究』186号
 編者曰ふ、藤井武君は明治四十四年卒業の東京帝国大学出身の若き法学士である、今日まで京都府又は山形県に職を奉ぜられしが、イエスに傚ひ十字架を負ふ生涯の慕はしさに、過るクリスマスを期して官職を辞せられ、君の小家族と共に上京せられ、今は余輩と同じく柏木の地に静かなる住家を構へられたのである、既に著しく君の霊を恵み給ひし父なる神が又君の肉をも恵み、若し君のためならずば、我等君の同志のために、君に平安と健康とを賜ひて、君をして長く福音の園に働かしめ給はんことは余輩の切なる祈りである、君の這般《このたび》の進退に就ては人各其見る所あらん、然れども余輩は自身の実験に照らして見て、主イエスがマリヤに宣ひし言を君(470)の心に囁《さゝや》き給ひつゝあることを信ぜざるを得ない、曰く「マリヤは既に善業《よきわざ》を撰びたり、此は彼より奪ふべからざる者なり」と。(路加伝十章四二節)
 実に人に頼らずして神にのみ頼ることは最も歓ばしきことである、政府の米を食はず亦教会のパンをも食はず、補給は単へに之を神にのみ仰ぎて、我等は聖意に適ふ福音の宣伝に従事することが出来るのである、自由の福音は自由の身を以てせずして之を伝ふることは出来ない。
 
  藤井武「単純なる福音」への付言
           大正5年3月10日『聖書之研究』188号
 内村生曰ふ、藤井君の茲に唱へらるゝ所と余の常に唱ふる所との間に多少の(而かも最も重要なる)相違のあることは本誌の読者の直に認むる所なるべし、余は其相違の点に就て次号に於て述ぶる所あらんと欲する。
 
  吉川起行「代贖に基く余の信仰」への付言
           大正5年5月10日『聖書之研究』190号
 編者曰ふ、此稿は前号所載『神の忿怒と贖罪』の未だ現はれざる前に余輩の手許に達せし者なり。
 
  「数寄屋橋教会の半日」への付言
           大正5年5月10日『聖書之研究』190号
 編者白す、此稿勿論内村贔屓の一人の筆に成りし者、読者はその心して之を読まれたし。
 
  ウイリヤム・ミリガン原著 聖書研究社抄訳
  「黙示録鰐説(十)」への付言
           大正5年6月10日『聖書之研究』191号
 編者曰ふ、茲に黙示録研究の泰斗蘇格蘭アバーヂン大学教授故ウイリヤム・ミリガン氏の該書解説の紹介を終る、其内に余輩の賛同を表し難き二三の節なきに非ざれども其大体に於て余輩を啓発するや大なり、真に偉篇也。
 
(471)  読者の葉書二通への付言
           大正5年10月10日『聖書之研究』195号
〇近頃左の如き端書が余輩の手元に達した、
 此君は寔に幸福なる人である、柏木に当選して天国に落選せる青年(殊に学生)が数多ある中に君は柏木に落選して天国に当選したのである、余輩は蔭ながら君の永久の幸福を祈る。
〇最も愉快なるは左の感謝の言葉である、
此一枚の端書は以て余輩の飢を癒し、余輩の渇を潤すに足る。
 
  藤井武「十字架と悔改」への付言
    大正5年執筆、『藤井武全集』11巻(昭和6年)所収
 内村生曰ふ、藤井君の立場と余のそれとの間に明白なる区別を発見するは困難である。然し乍ら君の前《さき》の論文に二箇の明白なる事項がある。其一は君が痛く贖罪説を攻撃せられし事、其二はパウロが贖罪を唱へざりしといふ事である。余は前者は君の過失であり後者は君の誤謬であると思ふ。贖罪は余の信仰であるのみならず多くの尊敬すべき先哲の信仰である。故に之は尊敬を以て取扱はれたき者である。又パウロが贖罪の主唱者なりし事は聖書学者全体の肯定する所である。此事実を如何に説明するかは別問題である、然し事実は余りに明白である。然し乍ら斯く言ひて余は藤井君の信仰に対して反対を唱ふる者ではない、余も亦君の信ずる丈けは信ずる積りである、但し其れ以外に又何物か存することを認めざるを得ない。其何たる乎は之を言語に表はすことは困難である。事は実験的信仰の微妙に属し、神学問題として争ふには余りに神聖である。然し乍ら此事あるが故に藤井君と余とは離るべきではない。我等の一致の点は相違の点よりも多くある。我等は主イエス・キリストに在りて兄弟である。余は信じて疑はない、君の長き信仰的生涯の間に君が何時か十字架に於けるキリストの贖罪を切実に感ぜらるる時の必ず来ることを。
 
(472)  〔社告・通知〕
 
 【大正4年12月10日『聖書之研究』185号】
   祝詞
 茲に本誌発行以来第十六回のクリスマスを迎ふ、読者諸君の感謝と歓喜と希望とを以て旧年を送り新年を迎へ給はんこ上を祈り上候。
  大正四年(一九一五年)十二月      内村鑑三
                      家族一同
                      聖書研究社
                      社員一同
   ――――――――――
     友人諸君へ謹告
 此号を受取らるゝ友人諸君へは別に年賀状差上げ申さず候間左様御承知被下度候。
                   内村鑑三
 
 【大正5年2月10日『聖書之研究』187号】
〇内村生白す、近頃に到り眠が少しく衰へまして終に眼鏡を用ゐざるを得ざるに到り、目下其使用を練習最中に有之、随つて執筆自由ならず、此号の如き友人の援助を俟《まち》て作るを得し次第に有之、特に読者諸君の御寛容を願ひます。
〇大戦争の影響を受け紙価非常の騰貴にて止むを得ず紙面の節約を実行致します、此事をも合せて御認諾を願ひます。
〇一月号は品切れであります。
 
 【大正5年8月10日『聖書之研究』193号】
     柏木通信
 七月十七日午前一時半、柏木今井館の北面、三間幅の道路を隔たる通称原の湯より出火しまして今井館聖書講堂内村住宅はすんでのことに全焼に罹らんとしました、然し幸にして風無く、又附近の出入商人、車夫、殊に近隣の聖書学院職員生徒諸君が中田重治君の指導の下に駈附けられ消防に尽力せられしに依り僅かばかりの損害にて事無きを得ました、実に危い所でありました、我等は家を失はずして善き火の洗礼を受けました、我等の此世の宝の実に煙に等しき物なる事を今更らながらに教へられました、殊に信仰の兄弟の斯かる場合(473)に於て如何に頼もしき者なる乎を教へられました、同時に又神は時々我等を警め給ひますが我等を壊ち給はざることを教へられました、栄光限りなく彼にあれアーメンであります、又此事を聞き附けられ御見舞を賜はりし全国の誌友諸君に厚く御礼を申上げます、災厄を免かれ、信州小諸の教友の招きに由り暑中を同国追分宿に送つて居ります。
 
 【大正5年9月10日『聖書之研究』194号】
   秋の会合に付き謹告
 神若し許し給はゞ来る十月十五日(第三日曜日)午前十時三十分より午後四時三十分まで(時間は正確に守り申すべく候)栃木県|氏家《うじいへ》在|狭間田《はざまた》青木氏邸を借受け、内村生出席、『聖書之研究』読者の会合を相開き可申候に付き遠近の諸君に於て御来会被下候はゞ大なる幸福に有之候、東北線氏家駅に御下車相成り喜連川《きつれがは》方面に向ひ凡そ一里に有之候、人車鉄道の便有之候、但し天気宜しく有之候節は歩行が最も愉快に有之候、東京、水戸、桐生より日帰り困難に無之候、会費御随意の事、弁当御持参の事、若し又遠方より御来会の諸君にして宿泊御希望の方に取りては停車場附近に二三の旅館有之候、御出席御希望の方は何れも十月七日限り当研究社へ宛御通知願上候、突然の御来会は切に御許容被下度候、右謹告に及び候 匆々            東京柏木九一九 聖書研究社
 
(474)  〔参考〕
    〔福田紀子の葬儀における説教〕
                        大正5年9月16日
                        石本音彦、小牧喬定編
                        『福田紀子』
 
      紀子の葬式は、彼女の住み慣れた淀橋の櫟林の下なるレバノン教会で、九月十七日午後二時より執行せられ、彼女の遺骸《なきがら》は雑司ケ谷墓地の一松樹の下に葬られた。葬式に於ける内村鑑三氏の説教は氏の熱誠を吐かれたもので、彼女に対して此上なき餞別であつた。
 
  『それ神は、その生み給へる独子を賜ふほどに世の人を愛し給へり。こは凡て彼を信ずる者に、亡ぶる事なくして永生を受けしめんが為なり。』(ヨハネ三の十六)
 キリストを信じ、聖書を毎日読んで居る者には、此の尊い聖書の言葉の意味が段々薄らいで、其の偉大なる思想、又非常なる慰の感じが忘れられるのである。けれども茲に、此の尊い言葉が紙の片《きれ》にでも記されて、フイと天から落ちて来たとする。そして説教も聞かず神学書も繙かない自分の眼に触れたとする。――実に考へれば考へる程不思議な言葉である。あゝ斯る言葉が世にあるか、斯るものが宇宙に存在して自分を救うて呉れるか。世に基督教会と云ふやうなものが無いとしても、自分は之を信ぜざるを得ないのである。
 さて、此の神と云ふ言葉であるが、哲学では、神々々といふ、又英語ではたつた三字のゴツドである。けれども、是れは余り偉大で、人の口に唱ふべからざるもの、実に凡てのものである。宇宙の凡てゞは猶ほ足りない、宇宙以上のものである。此の神が『世を愛し給へり』……神と云へば道理の基《もとゐ》とか、正義の根源とか考へる、然かし……此の宇宙以上のものが我等を愛し給ふ。実に此の愛の言葉に驚くのである。『神は愛なり』――神といふ重い言葉に、愛といふやさしみが加はつたのである。――それだけでも尊いのに、猶ほ更に驚くべきことは、『神は世を愛し給へり』……。さて神の愛し給ふものは、義人、完全なる人、資格ある者、といふやうに考へて、信者の中には此の資格を造らうと焦心つて居る者が沢山ある。けれども人間は完全になることは出来ない。茲に『世』とあるは、英語のヒユマニチー、即ち人間全体である。此の宇宙大の神が人類全体を愛し給ふのである。実に驚くべ(475)き事ではないか。最早茲に人種の区別がない。学問の有無も問ふ所でない。智者も愚者も『世』の中に入るのである。悪人も同様である。人間の立場からは、悪人は障壁を設けられて居る、けれども神は然うでない。聖書は断言して居る。智者も、愚者も、善人も、悪人も、凡て……実に人類全体である。神は人類全体を愛し給へり。これだけ聞いたゞけでも沢山なのである。多くの宗教はこゝいらで止まつて居る。されど神は更に『その生み給へる独子を賜ふほどに』……ヨハネは、茲に二三の思想を一にして了つて居る。
 『神は世を愛し給へり』それは「己が子を愛する如く」、
と云つても可かつたのである。そは、親の子に対する愛に比すべきものである。その子が独子ならば尚更に意味が深い。愛の生粋である。「自分の独子を愛するほど世を愛し給へり」と云へば、実に大なる福音で、私のやうな心の浅い者は、全く堪へられない程である。然るに猶ほ其れだけに止まらないのである。『その独子を賜ふほどに』……その愛は如何ばかりか、考へることが出来ない。人は自分の独子を与へても人を救ふといふ程に、他人を愛することの出来るものでない。そこが人間たるなさけなさである。然かし、『神はその生み給へる独子を賜ふ程に世を愛し給』うたのである。それも義人とか智者とかをのみいふのではない。車を曳いて居る車夫、馬丁、そこいらに転がつて居る子供、みんなを愛し給ふのである。之より深い愛を私も考へることは出来ないし、又諸君も考へることは出来ない。単に基督教と云はず、世の凡てが此の神の福音を信ずべきである。我等は此の情の深い、暖みのある世界に棲息して居るのである。決して冷い世界ではない。生存競争の激烈な、世知辛い世の中ではない。愛の充ち満ちて居る世界である。此のキリストの言葉を思へば、実に坐ても立つても居られないのである。教会の伝道は違つた意味の伝道をして居る。此の言葉を伝へずして何処に福音があらう。
 さて神は斯く世を愛し給ふ。神は実に愛の神である。と云へば、諸君《あなたがた》は思ふであらう。人間には病苦あり。死の苦痛あり。欧洲には悲惨なる大戦乱がある。何処に神の愛があるかと。……それは神と人間との関係、即ち人間の価値が解らぬからである。動物は物を与へさへすれば喜ぶ。然かし我等は愛を認めるまでは満足することが出来ぬ。然らば如何したら此の愛を自分の物とすることが出来るか。ヨハネ伝三章十六(476)節を、初の半分、後《のち》の半分、と分けて見る。神はその独子を賜ふほどに…… 斯くまでに神は我等を愛して下さる。我等は何を以てか其の愛に報ゆべきであらうか。粉骨砕身、実に身も魂もさゝぐべきだが、これが、品性を陶冶し、社会事業に当り、或は儀式を守り、或は信仰箇条を守る、といふやうに、人間のくど/\しい道を守れと云ふのならば、出来ない相談である。けれども『こは凡て彼を信ずる者に』……信ずる者にはと書いてある。我等の罪の為に死んで下さつたイエス様を信じさへすれば……而して此の信ずると云ふ事は、誰にでも出来る事である。学者にも、無学な者にも、義人にも、罪人にも、この私にも出来る事である。聖書には――新約全書には、『凡て信ずる者は』と、「信ずる」といふ言葉が使つてある。そして、此の「信ずる」と云ふ言葉の外に、有り難いのは「凡て」といふ言葉である。諸君も私もみんなである。而して救はれる理由は簡単である。『凡て彼を信ずる者には亡ぷることなくして永生を受けしめんがためなり』。ここに『亡びる』といふ言葉があるが、中には、スーツと消えて了へば、それで可い、と云ふ人がある。然し、縦し、死と云ふ事が恐くないとしても、限りなく生きるやうに造られた我等が、その暗い穴の中に落ちてゆくといふことは、実に恐ろしい事である。その本体は永生である。此の永生といふのは、時間の問題ではない、人間の本当の生命といふことである。此の本当の生命を有つといふことは、如何に尊いことであらう。
 私は今日何も死者に関係のないことを話すのではない。紀子《としこ》さんは、四年前既に亡き人であつた。あの大患の折には、紀子さんの病気そのものよりも、子供のことが心配になり、家内には近所にあるパンを買ひ集めて、紀子さんの家へ行かしめ、私は病院へと急いだ。その時途中で考へたことだが、私は八年間垣|一重《ひとへ》隔てゝ暮して居た。そして今危篤に際して私が呼ばれるといふ喜びを思うた。病院に行つてみると、案外気は安らかであつた。そして二人の対話はみんな向ふの世の中のことであつた。私の娘は半月前に亡くなつたのだから、つい其の話が出る。「私は、ぢきにルツ子さんにお目に懸ります」と云はれるので、私も「向ふへ行つたらルツ子を世話して下さい。其代り私も子供の一人をお世話いたしますから」と云うたのであつた。それから私は脉をとつてみたが、少しく医術の心得があるので、まだ望があると思つた。かくて今日に至つたのである。私は八年の間福田君の説教や紀子さんの歌はれる讃美歌などを聞きながら、隣に居て原稿を書いた。然し私達の親みは啻に隣の故のみではない。神は我等の心を繋ぐに子供を以てし給うた。子供は大人の如《やう》に垣根を造らない。娘は紀子さんの子供を赤ン坊の如に可愛がり、紀子さんは亦た娘を自分の子供の如に可愛がられた。私達は唯だ世間話をして居たのに過ぎなかつたが、知らぬ中に主イエスに繋がる愛を経験した。其の後、私は柏木へ越して行つたが、離れて愛の益益深きを知るで、打撃の時の慰め手と、互に力になり合うて居たのであつた。私は福田君の信仰の進歩を見、喜ばしい経験をなさるのを見て喜んだ。又紀子さんの為さることを見て、良い妻君だ、福田君は牧師として理想的の妻君をもたれたと、今日福田君の前では始めて話すことだが、私は、よく家内と話し合うたことだ。私は福田君が米国へ行つた留守中大に感じた。私には心配がありますが、心配によつて信仰の喜びを得ると、紀子さんは言うて居られたのを記憶する。福田君が、其の後新しい伝道の方針を立てられると聞いて、それは福田君両人の理想には相違ないが、伝道を怠らないやうにと言うたのであつた。そして、私は新しい理想の実現せられんとするのを見て、啻に信仰に於て一つであるのみならず、福音を伝へる方法に於ても一つになるのではないかと、心窃かに喜んで居たのであつた。然るに昨日の死を聞いて驚いた。然しお暇乞は四年前に済んで居る。お目に懸らずとも可いのである。今頃は娘と楽しく語つて居られるに違ひない。喜びの集ひは向ふにあるのであらう。私は今日履歴の朗読がないと聞いたから、つい余計な事まで種々述べるのである。
 神は「愛なり」と云ふ言葉に就て、茲に種々疑問が起る。新らしい理想に進まんとして、事業の途に就いたばかりで、其の半分を彼方へ持つて行かれて了つた。此世には神が無い、運命だと感ずる人もあらう。又中にはあゝいふ事を止めさせるために、神が罰を与へたのだと考へる人がないとも云へぬ。私も多くの友人から様々の実験を得た。人の信仰が進めば進むほど艱難が来る。此度の事、決して福田君に対する神の刑罰ではない。そは実に神の恩恵で、十年計画の事業を実行せしめんとの深い御心である。此度の事業は、福田君御自身に取つて実に難しい問題である。子供の教育もしなければならず、事業の拡張もしなければならぬ、実に容易ならぬ事業で(478)ある。そこで神は斯の事業を天に於て助けしめんがために、一人を呼び給うたのである。世間には之に類した事が沢山ある。「お前は当分留守をして居ろ、私はアメリカへ行つて金を作つて来るから」とか、或は「故郷へ帰つて金策をして来るから」とか、いふやうな話しは幾らもある。紀子さんが呼ばれたのは、霊の力を以て福田君を助けしめんがためで、若し紀子さんに口があつたら、「十倍百倍の力で助けられるから安心して下さい」と云はれるに違ひない。こは決して想像ではない、私の実験である。私は娘の死によつて二人前三人前の力を得た。神は決して事業を毀ち給ふのではない。実に力を与へんために、又理想の実現のために一人を呼び給うたのである。私は紀子さんに代つて斯く云ふのである。
 茲にもう一つの問題は、故夫人が永生を得たかどうかと云ふ事である。信仰ある夫人の臨終に際して、神を認めますか抔云うたとてそれは本人に対して要なきことである。唯エスを信じたか信じないかが、救の問題となるのである。私は此点に於ては、深く信ずる事が出来るのである。事業とか、成功とか、品性とか、云ふのではない。実際世に批難されない人といふものがあるであらうか。縦し全世界の人が立つて、クリスチヤンに非ずとするも、凡て信ずる者は救はれるのである。宇宙天地が失せても、此の言葉は決して失せない。咋朝福田君を訪問した時の話によれば、紀子さんが、臨終の際に、天を仰いで居るので「目が見えるか」と云ふと「見えない」と云ふ。「僕の顔が見えるか」と更に問ふと、「見えない」と答へる。「然らば、此の世の光は消えたのだ、……されば神様の国の光が見える筈だ」と云ふと、「よく見えます」と答へた。「紀子さん、それでは永の別をする」とて最後の握手をされたといふことである。そこに彼女の安心があり、又た私共の安心がある。私は茲に、一人を浪荒き浮世の船路から、安全の港に移し給うた神を讃美し且つ御礼を申上げたいのである。此の山からは三人の者が天に呼ばれた。私の娘のルツ子と、お隣りの岡見メレーさんと、紀子さんとの三人である。此の櫟林の下では、よい信仰の働きが出来た。神はよく御承知である。三人は今新しい集ひをもつて居るであらう。十年二十年の後には、みんな神様の国に行つて、もつと完全な美しい集ひをもち、昔語りを繰返すことが出来る、こは実に感謝の至りである。私は、その生み給へる独子イエスキリストを賜ふほどに我等を愛し給うた神の尊い愛を感謝し奉るのである。
    〔2023年1月30日(月)午前10時55分、入力終了〕