内村鑑三全集23、岩波書店、480頁、4500円、1982.7.23
 
一九一六年(大正五年)一一月より一九一七年(大正六年)一二月まで
目次
凡例………………………………………… 1
一九一六年(大正五年)一一月―一二月
Faith and Salvation.信仰と救拯………… 3
教会と余輩 他……………………………… 5
教会と余輩
逆境と生命
十字架の信仰
信仰と了解
聖書の読方 来世を背景として読むべし…12
時の休徴 馬太伝十六章三節………………24
今年の秋………………………………………27
The Virgin Birth of Christ.キリストの奇蹟的出生……29
友人の祈祷……………………………………31
愛の表明………………………………………33
我等は来世に就て若干を示されし乎………37
加拉太書第五章五節…………………………43
信仰の秘訣……………………………………51
京都の会合……………………………………52
 
一九一七年(大正六年)
Perfectness of Life.人生の完全…………57
聖書の欠点 他………………………………59
聖書の欠点
基督教の重心点
伝道志願
運命と信仰
約翰第一書三章一―三節研究………………62
路加伝講義……………………………………72
〔第一回〕 医家の証明(七二)
第二回 初詣(七六)
第三回 基督の出世(八一)
第四回 曠野の試誘(八六)
第五回 最初の説教(九一)
第六回 奇跡の一日(九五)
第七回 弟子の撰定(九八)
第八回 税吏の聖召(一〇二)
第九回 新旧の断絶(一〇七)
第十回 天国の民と其の律法(上)(一一〇)
第十一回 天国の民と其律法(下)(一一四)
第十二回 福音異邦人に受けらる(一一九)
第十三回 バプテスマのヨハネ(一二二)
第十四回 幇助と感恩(一二六)
第十五回 巡回伝道(一) 婦人の奉仕、比喩の使用(一三〇)
第十六回 巡回伝道(二) 三大奇跡(一三三)
第十七回 生命の制御(一三八)
第十八回 ガリラヤ伝道の終局(一四二)
第十九回 イエスの自顕(一四七)
第二十回 イエスの変貌(一五三)
第二十一回 師弟の間隔(一五八)
我が才能…………………………………… 164
新年の辞…………………………………… 165
Enemies of Christianity.基督教の敵… 167
祈祷の快楽 他…………………………… 169
祈祷の快楽
伝道界の曙光
主を崇めよ
自由意志に就て
キリスト第一
欲しきもの
馬太伝第十三章の研究…………………… 174
神の子イエス 約翰伝一章一―十八節… 191
ニイチェ伝を読みて……………………… 196
A Retrospect.回顧 ……………………… 199
第弐百号…………………………………… 201
編輯の報酬 他…………………………… 204
編輯の報酬 観梅と観桜
維持法如何
イエスと超人 ニイチェ研究の一節
基督教道徳
信者の生長 近頃或る旧き友人に語りし所…… 211
老年の歓喜………………………………… 215
安全なる孤立……………………………… 216
Confucius and Jesus.孔子とイエス…… 217
昴宿と参宿 他…………………………… 219
昴宿と参宿
有効的伝道法
基督教と仏教及び儒教…………………… 224
戦争の結果………………………………… 229
A Great Confucianist.大儒伊藤仁斎 … 230
隧道を過ぎて 他………………………… 232
隧道を過ぎて
文字の排斥
基督伝の探究
米国の参戦 平和主義者の大失望
義なるキリスト…………………………… 237
エマオの出来事 復活の証明…………… 244
復活と赦罪………………………………… 249
彼等と我等………………………………… 250
湖畔の会合に就て………………………… 251
Christianity and War.基督教と戦争 … 253
哲学と宗教 他…………………………… 255
哲学と宗教
神の有無
最善か最悪か
真理の証明
戦場に於ける聖書
偽の預言者
非戦の声
平和の朝と戦争の夜 以賽亜書廿一章十一、十二節の解釈…… 260
ヤイロの女と余の女 路加伝研究の一節…… 264
精神と身体………………………………… 268
相互の了解………………………………… 270
貪婪の世 他……………………………… 276
貪婪の世
此世此侭
真のバプテスマ
佐近義弼著『国字としてのローマ字』序…… 279
忘罪 他…………………………………… 280
忘罪
進化と自顕
妨害を恐れず
戦争廃止に関する聖書の明示…………… 283
伝道の今昔………………………………… 291
『復活と来世』…………………………… 292
緒言……………………………………… 293
Emerson on the Bible. ………………… 295
当然の窮乏………………………………… 296
預言者イザヤをして今日在らしめば 以賽亜書十三章より廿三章までを読みて感ずる所…… 298
亜細亜の七教会…………………………… 304
エペソ教会
スムルナ及びベルガモ教会
テアテラ教会 約翰黙示録二章十八節以下
サルデス、ヒラデルヒヤ及びラオデキヤ教会 約翰黙示録第三章
汝等も亦去らんと意ふ乎(約翰伝六章六十六―七十一節)…… 320
教会と戦争………………………………… 327
Johannine Thoughts Condensed.約翰思想の精髄…… 328
不断の努力 他…………………………… 330
不断の努力
聖書の育児法
信仰の共同的維持
患難の配布
活神の要求
文明の成行 黙示録第六章の研究……… 336
御殿場講演………………………………… 341
第一回 初代信者の親睦 使徒行伝一章一節―十一節、同二章四十四節以下
第二回 伝道地の撰択 使徒行伝第十五章卅五節以下
第三回 ピリピ伝道 使徒行伝第十六章
今年の夏…………………………………… 353
Ability to Love.愛し得るの能力……… 355
全信の道 他……………………………… 357
全信の道
愛するの至福
ルーテルの為に弁ず……………………… 359
復又贖罪に就て…………………………… 366
若しルーテルが日本に生まれたならば?…… 367
古き福音 他……………………………… 371
古き福音
小児としての信者 ルーテルは如斯き信者
大胆なる信仰 ルーテルの信仰は是れ
宗教改革を迎へし国と之を斥けし国…… 375
Prayer and Forgiveness.祈祷と赦免 … 379
宗教改革の精神…………………………… 381
ユダと我等………………………………… 389
アテンスに於けるパウロ 使徒行伝十七章…… 390
環視と仰上………………………………… 399
大盛会……………………………………… 405
Prophecy of Peace.……………………… 406
聖書と戦争………………………………… 407
平和の預言としての天使の告知 路加伝二章十四節…… 408
信仰の階段 約翰第一書四章七―十二節研究…… 413
信仰と行為………………………………… 416
ルーテルの遺せし害毒 附 第二宗教改革の必要…… 417
ルーテルとニイチエ……………………… 426
罪の赦し…………………………………… 430
感謝のかずかず 他……………………… 436
感謝のかずかず
最善の最後
余の今年の読書…………………………… 438
別篇
付言………………………………………… 439
社告・通知………………………………… 444
参考………………………………………… 451
宗教改革の意義………………………… 451
 
一九一六年(大正五年)一一月―一二月
 
(3)     FAITH AND SALVATION.信仰と救拯
                         大正5年11月10日
                         『聖書之研究』196号
                         署名なし
 
     FAITH AND SALVATION
 
 I believe in the Word of God,and not in my experiences of salvation.My experiences may be illusions,but the Word standeth for ever.The Word saith:Look unto Me,and be ye saved.I Iook unto the Pierced One by faith,and I believe that I am saved.I will not be one of those who will not believe except they see slgns and wonders. Experiences of salvation are not necessary for the assurance of salvation.The Crossis the assurance.Sins may remain, or may not;but I am not to look unto my sins,but unto the Cross. The Cross does sanctify,――that I believe;but I do not wait to be sanctified to be assured of my salvation.Enough that Christ was crucified for me.The peace which passeth all understanding is mine.
 
     信仰と救拯
 
 余は神の聖語《みことば》を信ずる、余の救拯の実験を信じない、余の実験は幻影であるかも判明らない、然れども聖語は(4)永遠に立て動かない、聖語は曰ふ「汝等我を仰ぎ瞻よさらば救はれん」と、余は信仰を以て刺され給ひし者を仰ぎ瞻る、而して余は確に救はれたりと信ずる、余は休徴と異能《ことなるわざ》とを見るにあらざれば信ぜざるが如き者の一人たらんと欲しない、救拯の実験は其の確証を得るがために必要でない、救拯の確証はキリストの十字架である、余に今猶ほ罪が残存るかも知らない、残存らないかも知らない、然れども余は余の罪を省ない、十字架を仰ぎ瞻る、十字架は余の罪を潔める、余は其事を信ずる、然し乍ら余は余の潔められしを待て余の救はれしことを確めない、キリストは.余のために十字架に釘けられ給へりと云ふ、其事を聞て充分である、人の総て思ふ所に過る平康《やすき》は余の所有である。
 
(5)     〔教会と余輩 他〕
                         大正5年11月10日
                         『聖書之研究』196号
                         署名なし
 
    教会と余輩
 
 教会と宣教師とは余輩をして彼等の事業を助けしむる、然し乍ら彼等は決して余輩の事業を助けない、又助け得ない、余輩も亦余輩の事業に就て彼等に助けを求めない、其理由は明瞭であると思ふ、彼等は世に傚ふに余輩は世に傚はないからである、彼等が余輩を用ゐんとするは余輩の信仰を求めんとしてゞはない、余輩が神に賜はりし信仰の故に由りて此世に有する多少の勢力を用ゐんとしてゞある、教会と宣教師とが余輩の力を藉らんとする精神は彼等が此世の政治家又は実業家の勢力を藉らんとする精神と少しも異ならない、彼等は互に人の栄《あがめ》を受けて神より出る栄《あがめ》を求めざる者である(約翰伝五の四四)、故に勢力の有る人には何人にも頼りて其|援助《たすけ》を藉らんとする、彼等は信仰を信仰として判別するの鑑識を有たない、唯勢力のある信仰をのみ仰ぐ、教会と宣教師とは純然たる此世の子供である、余輩幾回か此事に関し彼等に欺かれて終に此言を発せざるを得ざるに至りしを悲む。
 
(6)    逆境と生命
 
 境遇境遇と云ふ、境遇を善くすれば人は善くなる、人を善くするの途は其境遇を改善するにあると、是れ社会主義者の唱ふる所であつて、又現時の教会者の多数の唱ふる所である、現代人は其基督信者なると否とに関はらず皆外より内を改めんとする者である、人間を境遇の子供と見て、政治、経済、殖産、工業等、即ち衣食住の改善に由て之を紳士淑女と成さんと試みつゝある者である。
 然るに聖書は境遇の改善に就ては語らないのである、若し語るとすれば極く些少を語るのである、パウロは憚らずして言ふたのである、
  兄弟よ汝等召されし時に在りし所の分(地位)に止まりて神と偕に居るべし
と(哥林多前七の廿四)、即ち奴隷も自主の者も其地位を変へるに及ばない、各自其儘に存して神と偕に居るべしとの事である、聖書は肉の事に関して至て冷淡である而已ならず人の霊魂の発達のためには順境よりも反て逆境を貴ぶのである、キリストは明かに言ひ給ふた、
  生命を与ふる者は霊なり、肉は益なし、我が汝等に曰ひし言は霊なり生命なり
と(約翰伝六の六三)、人の生命は其肉に於て非ず、故に其衣食住に於て非ず、霊に於て在り、而して霊に生命を与ふる者はキリストが語り給ひし言であると云ふ、依て知るキリストの人生観の現代人のそれと全く異なることを、循つて神が人を救ひ給ふの途は現代人のそれとは全く違うのである、神は其愛する者を救はんとするに方て反て其境遇を悪しく為し給ふのである、ヨブを救はんとするに方て彼の産を毀ち、彼の家庭を破壊し、而して更(7)らに其上に彼の健康を奪ひ、彼をして悲境の極に陥らしめ給ふた、神は預言者ホゼアをして言はしめ給ふた
  我れ彼を誘《いざな》ひて曠野に導き出し、其処にて彼の心を慰めん
と(何西阿書二の十四)、即ち神は其愛子の心を慰めん為には彼を誘ひて逆境の曠野に導き出し其処にて彼の耳に慰安を囁《さゝや》き給ふとのことである、モーセのメデアンの地に遁れし、ユリヤがホレブの山に籠りし、パウロがアラビヤに独り三年間を過せし等皆其類である、境遇を善くされてゞはない、悪しき境遇に逐ひやられて我等は神の声を聞き真の生命を授かるのである。
 「我が汝等に語りし言辞は霊なり生命なり」とある、キリストの言を真実に味へば其れが真の生命であつて、其れに凡の逆境に打勝つの力がある、生命の生命たる所以は外界を化して自己のものとなすにある、真の生命は反て逆境を楽しむ、活ける魚は流に逆ひて游ぎ死せる魚は流に従て下る、人は境遇を善くせられんと欲せずして生命を賜はらんことを求ふべきである、向上を境遇の改善に待て.彼は反つて堕落するのである、最大の慈善は衣食住の改善ではない、神の言辞の供給である、人を外より善くせんとするに非ずして、内より改めんとするに在る、人を真の神に紹介して彼をして「神と偕に居」りて、自己に勝て境遇に勝たしむるに在る。
 
    十字架の信仰
 
 キリスト我を救はんがために十字架に挙げられ、其の流せし血にて我を贖ひ、其の死に由りて我罪を取除き給へりと、是れ福音の根本義である、聖書は明かに此事を伝ふるも其の説明を供《あた》へない、何故に神の子は我がために死なざるべからざる乎、何故に彼の血は我を潔むる乎、何故に十字架に釘けられし彼を仰瞻るに由て我罪は取(8)除かるゝ乎、其説明を我等に供へない、唯言ふ、高調して言ふ「信ぜよ然らば救はるべし」と、斯くて聖書は我等に信仰を迫るに於て教会に似て信条的である。
 我は十字架の救済に就て自ら或る説明を供へる事が出来る、我に一種の所謂救拯哲学なる者がないではない、然れども是等は以て我を満足せしめて我をして我が全身全霊を挙げて之を主イエスに委ねしむるに足りない、我が救拯哲学は以て我が信仰を起すに足りない、十字架は今猶ほ単に権威《オーソリチー》を以て我に信仰を迫るのである。
 信ぜん乎、信ぜざらん乎、説明を待たん乎、我は終に信ぜざるべし、茲に於てか我は意を決して断然信ずるのである、神の言なるが故に信ずるのである、外よりは聖書の促迫する所となり、衷よりは良心の推進する所となりて信ずるのである、而して見よ罪の重荷は卸ろされて我は新たに生れしの感があるのである、実に見て信じたのではない、見ずして信じたのである、而して信じて見ることが出来たのである。
 然り信である、信である、基督教は其始が信であつて其終が信である、其点に於て科学や哲学と全く違う、信じて信ぜしが如くに見え、信ぜしが如くに成るのである、哲学と科学とに在りては之を称して迷信と云ひ、幻想と云ふ、然れども宗教に在りては信なくして神を見ることは出来ないのである。
 然り信である、信である、或時は道理に反して信じ、望に反して望む、而して信と望とに於て平康を求むるのである、而して人のすべて思ふ所に過ぐる平康は如斯くにして獲らるゝのである、神キリストに在りて人の罪を取除き給へりと云ふ、我は此事を信ずる、信じて疑はない、而してもはや我罪に就て心を悩まさない、罪の余勢は今猶ほ我に存るのである、然れども我罪其物は既にキリストに在りて取除かれたのである、其の意味に於て聖ヨハネの言は真である 「我等の罪を除かんがために主の現はれ給ひしことは汝等の知る所なり……凡そ彼に居(9)る者は罪を犯さず………亦罪を犯すこと能はず」と(約翰第一書三章)、我がために十字架に挙げられ給ひしキリストを信ずるに由て我罪の根本は絶たれたのである。
 旧き英語の讃美歌に曰ふ、
   Jesus loves me this l know、
   For the Bible tells me so.
   イエスは我を愛す我は其事を知る
   そは聖書は爾《し》か我に告ぐればなり
と、然り聖書が我に爾か告ぐるが故に我は信ずるのである、我に満足なる説明があるが故ではない、科学と哲学との保証があるが故ではない 「天地は廃れん然れど我言は廃れじ」とイエスの言ひ給ひし言を記す所の聖書が我に告ぐるが故に信ずるのである、是れ確に嬰児《をさなご》らしき信仰である、然れども嬰児の如くに成らざれば神の国に入ることが出来ないのである、哲学に問ひ自己に省み、数多《あまた》の証拠を示されざれば信ぜずと云ふは嬰児の為す所ではない、父の言なるが故に信ずる、聖書が告ぐるが故に信ずる、是れ嬰児の信仰であつて神の喜び給ふ信仰である。
 而して聖書は世界最高の権威である、聖書は年々に変る人間の哲学の如き者ではない、聖書に頼るは万古の磐に頼るのである、人間の哲学は余りに浅薄である、我が実験も当にならない、唯神の言なる聖書のみ頼るに足る、人生の事実は余りに深くある、而して信仰は神の召に応ずる人生奥底の声である、其説明し得難きは之れが故である、深遠にして量るべからざるものなるが故である、而して神の子の血が我罪を取除きたりと云ふ其事実は今(10)の我等人間の了解力を以てしては到底了解し得ざることである、故に今は唯之を信ずるのである、而して信じて救はるゝのである、然れども永久に唯信ずるのではあるまい、今は鏡に照すが如く昏然《おぼろ》に見ると雖も我が知らるゝ如く之を知り得るの時が来るであらう、信仰の美と快楽とは茲に在るのである、見ざるに信じて見る時を俟つの快楽である、此快楽を称して希望と云ふ、一種の冒険である、然れども最も楽しき冒険である、神の言と信じ我全身全霊を之に委ね而して我が此信仰の実現を待つのである、如何なる感激《エキサイトメント》と雖ども之に勝るものはないのである。
 我は信ず神の子の十字架上の死に由て我罪の取除かれしことを、而して罪は死の刺《はり》であれば罪を除かれて死は我に在りて既に能《ちから》なき者となりしことを、イエスを信じて我は死すとも死せず、時到りて我は復活し、彼と共に生くることを、キリストの十字架は我に永久の福祉《さいはひ》を齎らす者である、我は之に由りて罪より贖はれて永生に入るの特権を授けらる、我は自己に省みて此事を信ずることは出来ない、然れども聖書が爾か我に告ぐるが故に我は大胆に之を信ずる、神よ我が信なきを助け給へ。
 
    信仰と了解
 
 了解つて信ずるのではない、信じて了解るのである、了解つて信ずるのは信仰ではない、信じざるを得ざるが故に信ずる、其事が信仰である、イエス其弟子トマスに曰ひ給ひけるは「汝われを見しに由て信ず、見ずして信ずる者は福なり」と、而して了解るのは見るのである、了解つて信ずるのは見て信ずるのである、而して了解らずして信じ得る者が福なる者である、神と其|聖業《みしごと》とに関する事は是れ到底人間に了解る事でない、了解るのを待(11)て人は到底神を僧ずることが出来ない、故に信ずるのである、神の聖語なるが故に疑はずして唯信ずるのである、是れ決して迷信ではない、子が父の言を疑はずして信ずるのは決して迷信ではない、是れ当に信ずべきことである、了解らざればとて父の言と雖も遅疑して之を信ぜざるのは是れ頑迷である、「キリストイエス罪人を救はんために世に臨《きた》れり、是れ信ずべく亦疑はずして納《う》くべき言なり」とある(提摩太前書一章十五節)。
 
(12)     聖書の読方
         来世を背景として読むべし
                         大正5年11月10日
                         『聖書之研究』196号
                         署名 内村鑑三
 
  十一月十五日栃木県氏家在狭間田に開かれたる聖書研究会に於て述べし講演の草稿。
 
 聖書は来世の希望と恐怖とを背景として読まなければ了解らない、聖書を単に道徳の書と見て其言辞は意味を為さない、聖書は旧約と新約とに分れて神の約束の書である、而して神の約束は主として来世に係はる約束である、聖書は約束附きの奨励である、慰藉である、警告である、人はイエスの山上の垂訓を称して「人類の有する最高道徳」と云ふも、然し是れとても亦来世の約束を離れたる道徳ではない、永遠の来世を背景として見るにあらざれば垂訓の高さと深さとを明確に看取することは出来ない。
 「心の貧しき者は福なり」、是れ奨励である又教訓である、「天国は即ち其人の有なれば也」、是れ約束である、現世に於ける貧は来世に於ける富を以て報いらるべしとのことである。
 哀む者は福なり、其故如何? 将さに現はれんとする天国に於て其人は安慰《なぐさめ》を得べければ也とのことである。
 柔和なる者は福なり、其人はキリストが再び世に臨り給ふ時に彼と共に地を嗣ぐことを得べければ也とのこと(13)である、地も亦神の有である、是れ今日の如くに永久に神の敵に委ねらるべき者ではない、神は其子を以て人類を審判き給ふ時に地を不信者の手より奪還《とりかへ》して之を己を愛する者に与へ給ふとの事である、絶大の慰安を伝ふる言辞である。
 饑渇く如く義を慕ふ者は福なり、其故如何? 其人の饑渇は充分に癒さるべければ也とのことである、而して是れ現世に於て在るべきことでない事は 明である、義を慕ふ者は単に自己にのみ之を獲んとするのではない、万人の斉く之に与からんことを欲するのである、義を慕ふ者は義の国を望むのである、而して斯かる国の斯世に於て無きことは言はずして明かである、義の国は義の君が再び世に臨り給ふ時に現はる、「我等は其の約束に因りて新しき天と新しき地を望み待《まて》り義その中に在り」とある(彼得後書三章十三節)、而して斯かる新天地の現はるゝ時に、義を慕ふ者の饑渇は充分に癒さるべしとのことである。
 衿恤《あはれみ》ある者は福なり、其故如何? 其人は衿恤を得べければ也、何時? 神イエスキリストをもて人の隠微《かくれ》たることを鞫き給はん日に於てゞある、其日に於て我等は人を議するが如くに議せられ、人を量るが如くに量らるゝのである、其日に於て衿恤ある者は衿恤を以て審判かれ、残酷無慈悲なる者は容赦なく審判かるゝのである、「我等に負債ある者を我等が免す如く我等の負債を免し給へ」、恐るべき審判の日に於て衿恤ある者は衿恤を以て鞫かるべしとの事である。
 心の清き者は福なり、何故なればと云へば其人は神を見ることを得べければなりとある、何処でかと云ふに、勿論|現世《このよ》ではない、「我等今(現世に於て)鏡をもて見る如く昏然《おぼろ》なり、然れど彼《か》の時(キリストの国の顕はれん時)には面《かほ》を対《あは》せて相見ん、我れ今知ること全からず、然れど彼の時には我れ知らるゝ如く我れ知らん」とパウロは(14)曰ふた(哥林多前書十三の十二)、清き人は其の時に神を見ることが出来るのである、多分万物の造主なる霊の神を見るのではあるまい、其の栄の光輝《かゞやき》その質の真像《かた》なる人なるキリストイエスを見るのであろう、而して彼を見る者は聖父を見るのであれば、心の清き者(彼に心を清められし者)は天に挙げられしが如くに再《また》地に臨り給ふ聖子を見て聖父を拝し奉るのであろう(行伝一章十一節)。
 和平を求むる者は福なり、其故如何となれば其人は神の子と称へらるべければ也、「神の子と称へらるゝ」とは神の子たる特権に与かる事である、「其の名を信ぜし者には権《ちから》を賜ひて之を神の子と為せり」とある其事である(約翰伝一章十二節)、単に神の子たるの名称を賜はる事ではない、実質的に神の子と為る事である、即ち潔められたる霊に復活体を着せられて光の子として神の前に立つ事である、而して此事たる現世に於て行さるゝ事に非ずしてキリストが再び現はれ給ふ時に来世に於て成る事であるは言はずして明かである、平和を愛し、輿論に反して之を唱道するの報賞《むくい》は斯くも遠大無窮である。
 義き事のために責めらるゝ者は福なり、其故如何となれば、心の貧しき者と同じく天国は其人の有なれば也、現世《このよ》に在りては義のために責められ、来世に在りては義のために誉めらる、単《たゞ》に普通一般の義のために責めらるゝに止まらず、更に進んで天国と其義のために責めらる、即ちキリストの福音のために此世と教会とに迫害らる、栄光此上なしである、我等もし彼と共に死なば彼と共に生くべし、我等もし彼と共に忍ばゞ彼と共に王たるべし(提摩太後書二章十一、十二節)、キリストと共に棘の冕を冠しめられて信者は彼と共に義の冕を戴くの特権に与かるのである。
 「我がために人汝等を※[言+后]※[言+卒]《のゝし》り又|迫害《せめ》偽はりて様々の悪言《あしきこと》を言はん 其時汝等は福なり、喜べ、躍り喜べ、天に(15)於て汝等の報賞多ければ也、そは汝等より前の予言者をも斯く迫害たれば也」と教へられた、天国は万事に於て此世の正反対である、此世に於て崇めらるゝ者は彼世に於て辱しめらる、此世に於て迫害らるゝ者は彼世に於て賞誉らる、「或人は嬉笑《あざけり》をうけ、鞭打れ、縲※[糸+曳]と囹圄《ひとや》の苦《くるしみ》を受け、石にて撃れ、鋸にてひかれ、火にて焚れ、刃《やいば》にて殺され、棉羊と山羊の皮を衣て経あるき、窮乏《ともしく》して難苦《なやみくる》しめり、世は彼等を置くに堪へず、彼等は曠野と山と地の洞と穴とに周流ひたり」とある(希伯来書十一章卅六−卅八節)、是れ初代の信者の多数の実験せし所であつて、キリストを明白に証明《あかし》して、今日と雖も稍々之に類する困厄の信者の身に及ばざるを得ないのである、而かも信者は悲まないのである、信仰の先導者なるイエスは其の前に置かれたる喜楽《よろこび》に因りてその恥をも厭はず十字架の苦難《くるしみ》を忍び給ふた(同十二章二節)、信者は希望《のぞみ》なくして苦しむのではない、彼も亦「其前に置かれたる喜楽に因りてその恥を厭はない」のである、神は彼等のために善き京城《みやこ》を備へ給ふたのである、而して.彼等は其褒美を得んとて標準《めあて》に向ひて進むのである(黙示録七章九節以下を見よ)。
 如斯くに来世を背景として読みて主イエスの是等の言辞に深き貴き意味が露はれて来るのである、主は我等が明日あるを知るが如くに明白に来世あるを知り給ひしが故に、彼の口より斯かる言辞が流れ出たのである、是れ「我れ未だ生を知らず焉んぞ死を知らん」と言ふ人の言ではない、能く死と死後の事とを知り給ひし神の子の言である、彼はアルパであり又オメガである、姶であり又終である、今あり昔あり後ある全能者である(黙示録一章八節)、故に陰府と死との鑰(秘密)を握り今ある所の事(今世の事)と後ある所の事(来世の事)とを知り給ふ(同十八、十九節)、而して斯かる全能者の眼より見て今世に於て貧しき者は却て 福なる者である、柔和なる者(蹂躙らるゝ者の意)は却て地の所有者となる、神を見るの特権あり、清き者は此特権に与かるを得云々、言辞は(16)至て簡短である、然れども未来永劫を透視する全能者の言辞として無上に貴くある、故に単に垂訓として読むべき者ではない、予言として玩味すべき者である。
 其他山上の垂訓の全部が確実なる来世存在を背景として述べられたる主イエスの言辞である、而して此背景に照らし見て小事は決して小事ではない、其兄弟を怒る者は(神の)審判に干り、又其兄弟を愚者よと称ふ者は集議(天使の前に開かるゝ天の審判)に干り、又狂人よといふ者は地獄の火に干るべしとある(馬太伝五章廿二節) 即ち「我れ汝等に告げん、すべて人の言ふ所の虚しき言は審判の日に之を訴へざるを得じ」とある主イエスの言の実現を見るべしとのことである(同十二章卅六節)、姦淫の恐るべきも亦之がためである、「若し汝の眼汝を罪に陥さば抉出《ぬきいだ》して之を棄よ、そは五体の一を失ふは全身を地獄に投入れらるゝよりは勝ればなり」とある(同五章廿九節)、又施済は隠れて為すべきである、右の手の為すことを左の手に知らしむべからずである、然れば隠れたるに鑒たまふ神は天使と天の万軍との前に顕明《あらは》に報い給ふべしとのことである(同六章四節)、即ち「隠れて現はれざる者なく、蔵《つゝ》みて知れず露はれ出ざる者なし」とのことである(路加伝八章十七節)、今世は隠微の世である、明暗混沌の世である、之に反して来世は顕明《けんめい》の世である、善悪判明の世である、故に今世に隠れて来世に顕はれよとの教訓である。
 殊に山上の垂訓最後の結論たる是れ来世に関はる一大説教である。
  我を呼びて主よ主よと言ふ者尽く天国に入るに非ず、之に入る者は唯我天に在す父の旨に遵ふ者のみ、
  其日我に語りて主よ主よ我等主の名に託りて教へ主の名に託りて鬼を逐ひ、主の名に託りて多くの異能《ことなるわざ》を為しゝに非ずやと云ふ者多からん、其時我れ彼等に告げて言はん、我れ嘗て汝等を知らず、悪を為す者よ我(17)を離れ去れと、是故に凡て我が此言を聴きて之を行ふ者は磐の上に家を建し智人に譬へられん、雨降り、大水出で、風吹きて其家を撞《うち》たれども倒れざりき、そは磐をその基礎《いしずゑ》と為したれば也、之に反し凡て我がこの言を聴きて之を行はざる者は砂の上に家を建し愚人に譬へられん、雨降り大水出で、風吹きて其家に当りたれば終に倒れてその傾覆《たふれ》大なりき。
と(七章廿一節以下)、実に強き恐るべき言辞である、僅かに三十歳を越へたばかりの人の言辞として駭くの外はないのである、イエスは茲に自己を人類の裁判人として提示し給ふのである、万国は彼の前に召出されて、善にもあれ悪にもあれ彼等が現世に在りて為しゝことに就て審判るゝのである、而して彼は悪人に対し大命を発して言ひ給ふのである、「我れ嘗て汝等を知らず、悪を為す者よ我を離れ去れ」と、如何なる威権《ゐげん》ぞ、彼は大工の子に非ずや、而かも彼は世の終末に於ける全人類の裁判人を以て自から任じ給ふのである、狂か神か、狂なる能はず故に神である、帝王も貴族も、哲学者も宗教家も皆尽くナザレ村の大工の子に由て審判かるゝのである、嗚呼世は此事を知る乎、教会は果して此事を認むる乎、キリストは人であると云ふ人、彼は復活せずと云ふ人、彼の再臨を聞いて嘲ける人等は彼の此言辞を説明する事が出来ない、主イエスは単に来世を説き給ふ者ではない、彼れ御自身が来世の開始者である、彼は単に終末の審判を伝へ給ふ者ではない、彼れ御自身が終末の審判者である、パウロが曰ひし如くに神は福音を以て(福音に準拠して)イエスキリストを以て世を審判き給ふのである(羅馬書二章十六節)、聖書は明白に此事を教へる、此事を看過して福音は福音で無くなるのである、而して終末の審判はノアの大洪水の如くに大水大風を以て臨むとのことである、而して之に堪へる者は存《のこ》り之に堪へざる者は滅ぶとのことである、而して存ると存らざるとは磐に拠ると拠らざるとに因るとのことである、而して磐は主イエス(18)御自身である、彼に依頼み彼の聖書に遵ひて立ち、之に反きて倒れるのである、人生の重大事とて之に勝る者はない、イエスを信ずる乎信ぜざる乎、彼の言辞に遵ふか遵はざる乎、人の永遠の運命は此一事に由て定まるのである、而して能く此の事を知り給ひしイエスは彼の伝道に於て真剣ならざるを得給はなかつた、山上の垂訓は単に最高道徳の垂示ではない人の永遠の運命に関はる大警告である、天国の光輝と地獄の火とを背景として読むにあらざれば福音書の冒頭に掲げられたるイエスの此最初の説教をすら能く解することが出来ないのである。
 若しキリストが説かれし純道徳と称へらるゝ山上の垂訓が斯の如しであるならば其他は推して知るべしである、若し又人ありて馬太伝は猶太《ゆだ》人に由て猶太人のために著されし書なるが故に自から猶太的思想を帯びて来世的ならざるを得ないと云ふならば、異邦人に由て異邦人のために著はされし路加伝も亦イエスの言行を伝ふるに方て来世を背景として述ぶるに於て少しも馬太伝に譲らないのである、医学者ルカに由て著はされし路加伝も亦他の福音書同様著るしく奇蹟的であつて又来世的であるのである、イエスの出生に関する記事は措いて問はずとして、天使がマリヤに伝へし
  彼(イエス)はヤコブの家を窮《かぎり》なく支配すべく又その国終ること有ざるべし
とある言は確かにメシヤ的即ち来世的の言である(一章卅三節)、神の言葉として是は勿論追従の言葉ではない、又比喩的に解釈せらるべきものではない、何時か事実となりて現はるべき言葉である、然るに今時は如何と云ふに、イエスの死後千九百年後の今日、彼は猶太人全体に斥けられこそすれ「ヤコブの家を窮なく支配す」と云ひて猶太人の王ではないのである、又「その国終ること有らざるべし」とあるも実はキリストの国と称すべき者は(19)今日と雖も未だ一もないのである、基督教国基督教会孰れも皆な名のみのキリストの国である、真実のキリストは彼等に由て涜され彼等の斥くる所となりつゝあるのである、依て知る路加伝冒頭の此一言も亦未来を語る言として読むべきものであることを、イエスは第二十世紀の今日今猶ほ顕はるべきものである、彼の国は今猶ほ臨るべき者である、而して其の終に臨るや、此世の国と異なり百年や千年で終るべき者ではない、是は文字通り永遠に継続くべき者である、而して信者は忍んで其建設を待望む者である。
 同三章五節、六節に於てルカは預言者イザヤの言を引いて曰ふて居る、曰く  諸の谷は埋《うめ》られ、諸の山と崗とは夷げられ、屈曲《まがり》たるは直くせられ、崎嶇《けはしき》は易くせられ、諸の人は皆神の救見ることを得ん
と、大切なるは後の一節である、「諸の人」即ち万人は神の救を見ることを得んとの事である、是未だ充たされざる預言であつて、キリストの再現を俟ちて事実として現はるべき事である、全世界に今や三億九千万の基督信者ありとのことなれども是れ世界の人口の四分の一に過ぎない、而して四億近くの基督信者中其の幾人が真に神の救を見ることを得しや知る人ぞ知るである、而して「諸の人」と云へば過去の人をも含むのであつて、彼等も亦何時か神の救を見ることを得べしと云ふ、而して是れ現世に於て在るべき事でないことは明瞭である、基督教会が其伝道に由て「諸の人」に神の救を示すべしとは望んで益なき事である、而かも神は福音を以て人を鞫き給ふに方《あたり》て、一度は真の福音を之に示さずしては之を鞫き給はないのである、茲に於てか何時か何処かで諸の人が皆神の救を見ることの出来る機会が供《あた》へられざるを得ないのである、而して斯る機会が全人類に供へらるべしとは神が其預言者等を以て聖書に於て明に示し給ふ所である、而して路加伝の此一節も亦此事を伝ふる者であ(20)る、
  人の子己の栄光をもて諸の聖使を率ゐ来る時、彼れ其栄光の位に坐し、万国の民をその前に集め、羊を牧ふ者の綿羊と山羊とを別つが如く彼等を別ち云々、
と馬太伝廿五章にあることが路加伝の此所にも簡短に記されてあるのである、未来の大審判を背景として読みて此一節も亦深き意味を我等の心に持来すのである。
 其他「人情的福音書」、「婦人の為にせる福音書」と称へらるゝ路加伝が来世と其救拯と審判とに就て書記す事は一々茲に掲ぐることは出来ない、若し読者が閑静なる半日を選び之を此種の研究に消費せんと欲するならば路加伝の左の章節は甚大なる黙想の材料を彼等に供《そな》へるであらう。
  路加伝に依る山上の垂訓。六章二十節以下二十六節まで、馬太伝のそれよりも更らに簡潔にして一層来世的である。
  隠れたるものにして顕はれざるは無しとの強き教訓。十二章二節より五節まで、明白に来世的である。
  キリストの再臨に関する警告二つ。同十二章三十五節以下四十八節まで。序《ついで》に「小き群よ懼るゝ勿れ」との慰安に富める三十二節、三十三節に注意せよ。
  人は悔改めずば皆な尽く亡ぶべしとの警告。十三章一節より五節まで。
  救はるゝ者は少なき乎との質問に答へて。同十三章廿二節より三十節まで。
  天国への招待。十四章十五節−廿四節。
  天国実現の状況。十七章廿節−三十七節。
(21)  財貨委託の比喩。十九章十一節−廿七節。
  復活者の状態。二十章卅四節−卅八節。
  エルサレムと世界の最後。終末に関する大説教である、廿一章七節より三十六節まで。
 勿論以上を以て尽きない、全福音書を通じて直接間接に来世を語る言葉は到る所に看出さる、而して是は単に非猶太的なる路加伝に就て言ふたに過ぎない、新約聖書全体が同じ思想を以て充溢れて居る、即ち知る聖書は来世の実現を背景として読むべき書なることを、来世抜きの聖書は味なき意義なき書となるのである、「我等主の懼るべきを知るが故に人に勧む」とパウロは言ふて居る(哥林多後五の十一)、「懼るべき」とは此場合に於ては確かに終末《をはり》の審判の懼るべきを指して言ふたのである(十節を見よ)、慕ふべくして又懼るべき来世を前に控へて聖書殊に新約聖書は書かれたのである、故に読む者も亦同じ希望と恐怖とを以て読まなければならない、然らざれば聖書は其意味を読者に通じないのである。
 然るに今時の聖書研究は如何? 今時の聖書研究は大抵は来世抜きの研究である、所謂現代人が嫌ふ者にして来世問題の如きはない、殊に来世に於ける神の裁判と聞ては彼等が忌み嫌つて止まざる所である、故に彼等は聖書を解釈するに方て成るべく之れを倫理的に解釈せんとする、来世に関する聖書の記事は之れを心霊化《スピリチユアライズ》せんとする、「心の貧しき者は福なり、天国は即ち其人の有なれば也」とあれば、天国とは人の心の福なる状態であると云ふ、人類の審判に関はるイエスの大説教(馬太伝廿四章・馬可伝十三章・路加伝廿一章)は是猶太思想の遺物なりと称して、之を以てイエスの熱心を賞揚すると同時に彼の思想の未だ猶太思想の旧套を脱却する能はざりしを憐む、彼等は神の愛を説く、其怒を言はない、「それ神の震怒《いかり》は不義をもて真理を抑ふる人々に向つて天より顕は(22)る」上のパウロの言の如きは彼等の受納ざる所である(羅馬書一章十八節)、斯して彼等は−是等の現代人等は−浅く民の傷を癒して平康《やすき》なき所に平康《やすし》平康と言ふのである、彼等は自ら神の寵児なりと信じ、来世の裁判の如きは決して彼等に臨まざることゝ信ずるのである、然し乍ら基督者《クリスチヤン》とは素々是等現代人の如き者ではなかつた、彼等は神の愛を知る前に多く神を懼れたる者である、「活ける神の手に陥るは恐るべき事なり」とは彼等共通の信念であつた、彼等がイエスを救主として仰いだのは此世の救主、即ち社会の改良者、家庭の清洗者、思想の高上者として仰いだのではない。殊に来らんとする神の震怒《いかり》の日に於ける彼等の仲保者又救出者として仰いだのである、「千世経し磐よ我を匿せよ」との信者の叫は殊に審判の日に於て発せらるべきものである、而して此観念が強くありしが故に彼等の説教に力があつたのである、方伯《つかさ》ペリクス其妻デルシラと共に一日パウロを召してキリストを信ずるの道を聴く、時に
  パウロ公義と※[手偏+尊]節と来らんとする審判とを論ぜしかばペリクス懼れて答へけるは汝姑く退け、我れ便時《よきとき》を得ば再び汝を召さん、
とある(行伝廿四章廿四節以下)、而して今時《いま》の説教師、其新神学者高等批評家、其政治的監督牧師伝道師等に無き者は方伯等を懼れしむるに足るの来らんとする審判に就ての説教である、彼等は忠君を説く、愛国を説く、社交を説く、慈善を説く、廓清を説く、人類の進歩を説く、世界の平和を説く、然れども来らんとする審判を説かない、彼等は聖書聖書と云ふと雖も聖書を説くに非ずして、聖書を使ふて自己の主張を説くのである、願くば余も亦彼等の一人として存《のこ》ることなく、神の道を混《みだ》さず真理を顕はし明かに聖書の示す所を説かんことを、即ち余の説く所の明に来世的ならんことを、主の懼るべきを知り、活ける神の手に陥るの懼るべきを知り、迷信を以
(23)て嘲らるゝに拘はらず、今日と云ふ今日、大胆に、主の和らぎの福音を説かんことを(哥林多後書五章十八節以下)。
 
(24)     時の休徴《しるし》
         馬太伝十六章三節
                         大正5年11月10日
                         『聖書之研究』196号
                         署名 柏木生
 
〇英国知名の説教師某今回の欧洲大戦争に際会し、自己の主張の尽く破壊されしを見て呆然為す所を知らず歎声を発して曰ふたとのことである 曰く「余は今や説教すべき何物をも有せず」と(l haven't anything to preach now)、而して此歎声を発せし者は彼一人に止まらずして、英国に於て、米国に於て、又欧洲大陸に於て、同一の失望に陥りし思想家宗教家は多数あるとのことである、現に宗教哲学の権威として世界に名高き英国の『ヒッバート雑誌』の如き、戦争開始と同時に原稿の寄送一時に杜絶し、世界の思想家が期せずして言はんと欲する所を失ひしの観ありたりと云ふ、実に奇異なる現象である。
〇其故如何? 何故に世界の思想家が茲に一斉に愕然自失せしめられたのである乎、言ふまでもない、彼等が文明と基督教とを誤解して居つたからである、彼等は基督教是れ文明なりと思ふて居つた、西洋文明は基督教の結実したる者、故に前者に由て後者は証明せられ、後者を進むるに由て前者は完成せらるゝ者であると思ふて居つた、然るに何ぞ計らん彼等の此思想は小児が積木を以て築き上げし城のやうに瞬間にして崩壊れて了ふた、『ヒッバート雑誌』記者は彼等思想家を代表して言ふた「千九百年間の基督教的文明の恩沢を蒙りし此地は今猶ほ地獄で(25)ある、人類は今猶ほ悪魔である」と、実に憐むべき状態である、然れども事実は掩ふべからすである。
〇然らず基督教は文明ではない、文明は人が自分のために作り上げし者であつて、其大部分は明白に基督教の敵である、見よ基督教なくして日本国に於て過去五十年間に文明の著るしく進みしことを、英国に於て、独逸に於て、米国に於て最近五十年間に於て文明は確かに基督教に逆行して進んだ、ショペンハウエルの哲学、ニイチエの哲学、弩級戦闘艦、ツェペリン航空船、十四吋砲、米国人を狂せしめつゝある自働車、大海軍、大陸軍、之を繰る行政機関等、是等は皆近世文明の重要物として目せらるゝと雖も基督教の敵にあらざれば之と何等の関係も無き者である、然り文明は基督教なくして起る者である、人間が快楽と虚栄と平安とを追求する所に文明は起るのである、然るに神の道なる基督教を人の道なる文明と同一視せしが故に思想界目下の驚愕を来したのである。〇嗚呼米国! 基督教文明最美の産を以て目せられし米国! 人類最後の希望を担ふ国として属望されし米国! 曙の子明星よ汝如何にして天より隕しや(以賽亜書十四章)、人類の希望を繋ぎし米国は今や大堕落国である、殺人犯の多きこと米国の如きはない、倫敦は人口七百万を有して一年間に百人の殺人犯あるに対し、紐育《ニユーヨルク》は四百万を有して二百人あり、市俄高《シカゴ》は三百万を有して三百人あり、米国全土の一年間の殺人犯は千六百人の多数に達すると云ふ、斯くして米国人は今や其兄弟アベルを殺せしカインの子孫となりつゝある、米国人は其大慈善を以て誇る、彼等は曰ふ「今や米国は自耳義国を養ひつゝあり」と、実に米国人は此戦乱に於て一千万弗を白耳義に施した、其事は美事である、然し乍ら彼等は今日までに凡そ九億弗の軍需品を交戦国に売つた、而して又此戦争を利用して何十百億と云ふ富を作つた、斯くて彼等は欧洲に於て一人の孤児を養ひつゝある間に数十人の孤児を作りつゝあるのである、実に立派なる基督教国である、米国は此大戦争に関して科《とが》なき国として審判の日にキ(26)リストの台前に立つことは出来ない、而して余輩の聞く所に由れば軍需品製造に従事しつゝある大会社の株主の多数は基督教会に教籍を有する立派なる基督信者であると云ふ、而して誰か知らん日本国教化のために米国基督教会が使用する其伝道金なるものゝ或る部分は斯かる信者の寄附に由るものにして、欧洲に於て多くの孤児と寡婦とを作りつゝある間に彼等が儲けし金なることを、欧洲人の血の代価を以て日本国に伝道すると聞いて我等は戦慄せざらんと欲するも得ないのである、而かも是れ空想ではない、立証し得べき事実である。〇然らば我等は失望すべき乎、然うでない、人類の希望は文明に於て無い、所謂基督教国に於て無い、神御自身に於てある、天地は失するとも渝らざる彼の善き聖旨に於て在る、神は其手にて造り給ひし者を藐《かろ》しめ給はない、此地と人とは彼が造り給ひし者である、地と人との希望は此一事に存するのである、世界の平和は一富豪の寄附に成りし「平和宮」の建築や彼の定めし国際的教授交換制度と称するが如き小児の遊戯に等しきものに由ては来らない、「夫れ主号令と天使の長《をさ》の声と神の※[竹/孤]を以て自から天より降らん」とある、其時死者は甦り、天国は建設せられ、真の平和は全地に臨み、弓は折られ、戎車《いくさぐるま》は焚かれ、鎗は打かへられて鋤となり、戦争と其|風声《うはさ》とは止むのである、人類が其文明を以て為す能はざる所の事を神は其の言辞《みことば》を以て為し給ふ、今や人と国とに希望は絶えて神を待望むべき時が来た、人の窮境が神の機会である、天国は既に近づけりとは今の事である、人の子の兆《しるし》天に現はる、欧洲の戦乱、米国の堕落、是れ曙の前の真暗である、主イエスよ来り給へ。
 
(27)     今年の秋
                         大正5年11月10日
                         『聖書之研究』196号
                         署名 曳杖生
 
〇「コスモス開き、茶梅《さざんか》咲き、木犀匂ひ、菊花薫る、燈前夜静にして筆勢急なり、知る天啓豊にして秋酣なるを」と歌ひしは今より九年前であつた、其時未だ電気燈なく又瓦斯燈なく、旧き石油燈に対して此感を発した、其時我家は今日の如くに三人に非ずして四人であつた、我心を歓ばすに清き少女の讃美歌があつた、年々歳々花は同じけれども年々歳々人は同じくない。
〇然れども今年の秋も亦恩恵の秋である、空天《そら》は澄渡りて星の輝き明かなるが如くに、天国の光の愈々明かに我眼に映るを覚ゆ、「我等此所に在りて恒に存つべき城邑《みやこ》なし、惟来らんとする城邑を求む」との感は此秋に到りて益々強くある、斯く言ひて我等は斯世を厭ふのではない、其反対に彼世が益々鮮明に成るに及んで此世は益々楽しくなるのである、此世は何麼でも好いと知つて執念は絶え、気が緩々《ゆつくり》するのである、何事も急ぐに及ばない、父の園に在りて窮りなく其中に勤《いそ》しみ其奥義を探るのである、故に秋が来りたればとて別に淋しくないのは勿論、殊更に秋の天然を楽まんと欲するの心でも起らない、日々の生涯が天国である、小なる我庭が楽園である、聖書一冊が尽きざる生命の泉である、読みても読みても厭きず、今日始めて之を手にせしやうに感ずる、何故なるかを知らずと雖も感涙の我眼を浸すを覚ゆ。
(28)〇「後いかん未だ顕れず其現はれん時には必ず神に肖ん事を知る」(約翰一書三章)「神の己を愛する者の為に備へ給ひしものは目未だ見ず耳未だ聞かず人の心未だ念はざる也」(哥林多前二章)「我れ知る我を贖ふ者は清く、後の日に彼れ必ず地の上に立たん、我が此皮此身朽果ん後、我れ肉を離れて我神を見ん」(約伯記十九章)斯かる言葉に憬れて此秋を迎へて此秋を送る、今日まで臨りし幾多の秋の中で今年の秋は殊に楽しき秋である。
   箒川《はゝきがは》岸を彩る紅葉より
     はるかに勝る聖書《みふみ》なるかな
 
(29)     THE VIRGIN BIRTH OF CHRIST.キリストの奇蹟的出生
                        大正5年12月10日
                        『聖書之研究』197号
                        署名なし
 
     THE VIRGIN BIRTH OF CHRIST.
 
 The Virgin Birth of Christ is certainly a miracle,and as such it is not to be explained by science and ordinary experiences. But it is only one of the many miracles which constitute the bases of Christian beliefs.The Resurrection is a miracle,the Ascension is a miracle,and the Second Advent,the Last Judgment,the Consummation of All Things are all to be miracles.A miracleless Christianity is no Christianity at all. God dwelling among men,divinity entering into humanity,the heaven coming down to save and renovate the earth,――this it is which we celebrate on Christmas. We celebrate a stupendous miracle on Christmas,and wait and hope for other miracles which shall bring our redemption to completion. GLORY BE TO GOD IN THE HIGHEST.
 
     キリストの奇蹟的出生
 
 キリストが処女《をとめ》マリヤより生れしと云ふことは確に奇蹟である、故に此事は科学又は普通の経験に由て説明せ(30)らるべき事ではない、然し乍ら此事ばかりが奇蹟であるのではない、此事は基督教的信仰の根柢を構成する多くの奇蹟の一たるに過ぎない、復活も奇蹟である、昇天も奇蹟である、再臨、終末の審判、万物の完成も亦すべて奇蹟として現はるべき事である、奇蹟無き基督教は基督教でない、神は人の間に宿り給へりと云ふ、神性は人性に入れりと云ふ、天は地を救ひ之を新たにせんために降れりと云ふ、我等がクリスマスに於て祝する事は此事である、我等はクリスマスに於て絶大なる奇蹟を祝するのである、而して之を祝して我等の救拯を完成せんために将さに現はれんとする他の奇蹟を待ち且つ望むのである、至高所《いとたかきところ》には栄光神にあれである。
 
(31)     友人の祈祷
                         大正5年12月10日
                         『聖書之研究』197号
                         署名 主筆
 
 余に一人の友がある、彼は米国人である、彼は今や余が米国人の中に有する唯一の信仰の友である、彼の最近の書翰に由れば彼は過る三十年間、曾て一日も余に就ての祈祷を怠りしことなしと云ふ、彼は彼の教会が遺りし宣教師等が余に就て「彼は狂せりユニテリヤンなり」と云ひて余を彼等の教会に訴へし時に、彼等の言に彼の耳を貸さなかつた、彼は余が今や米国人の基督教を嫌ふことを能く知つて居る、而かも彼は余の衷心を疑はない、彼が余を愛するのは自分の為めでないのは勿論のこと、自国のためでもなく、亦自分の教会のためでもない、彼はキリストの為に余を愛し、余の完全に救はれんことゝ、余を以て多くの余の国人の救はれんことを祈つたのである、三十年間一日を欠さゞる祈祷! 斯かる祈祷を有たる余は福なる者である、過る三十年間に余は様々の危険に遭遇した、身の危険、名の危険、霊の危険は踵を接して余に臨んだ、而かも其の孰もが余を斃すことが能《でき》なかつた、或者が余を支えた、余に関する余の敵の企図《くわだて》は失敗に終つた、殊に余の最初に得し単純なる福音的信仰は維持せられた、如何なる懐疑思想も之を壊つ事が能なかつた、是れ何に由るのであらう乎、余は自分で其説明を得ることが能ない、然れども今に至て知る余の友人の間断なき祈祷が其大理由でありしことを、彼の祈祷が余の身と笠とを護りしが故に悪魔は余に勝つことが能なかつたのである、故に余は余の友に返書して言ふた「若し(32)来らんとする大なる勘定日に於て(彼は商人であるが故に余は故意に此文字を用ゐた)……若し来らんとする最後の勘定日に於て何にか善業《よきわざ》が余の貸方《クレヂツトサイド》に記入せらるゝならば君は其の中の大なる分前に与るべきである」と、確に天の帳簿に於ては余の事業の大部分は彼の事業として記入されるのである、余はヨシュアの如く戦線に立ち、彼はモーセの如くに岡の上に立て祈りて我等の戦は勝つたのである(出埃及記十七章)、彼は何人である乎、其事は余か彼か二者の中の一人が眠つた後に判明するであらう。
 
(33)     愛の表明
        (京都読者会に於ける懇話会席上の感話)
                         大正5年12月10日
                         『聖書之研究』197号
                         署名 内村鑑三
 
 若し汝等我を愛するならば我誡を守れ(約翰伝十四章十五節) 主イエスの此言葉を若し是れなりに読むならば、即ち前後の関係より離して読むならば、是れ峻厳にして到底行ふべからざる言葉である、「誰か之に堪へんや」である、イエスを愛するならば其証拠として彼のすべての誡を守れと云ふのである、即ち馬太伝五章以下山上の垂訓に示してあるやうの誡を悉く守れと云ふのである、而して之を守らざる者は彼を愛せざる者であると云ふのである、然らばイエスを愛する者は誰であらう、確に我ではない、我は心に今猶ほ不浄を宿す、我は我敵を愛することが能ない、我は聖父が完全きが如くに完全くあることが能ない 故に我はイエスを愛する者でない、我れが彼を愛すると云ふのは偽善である、我が不完全なる行為が其の最も確なる証拠である、我は主イエスに 「若し汝等我を愛するならば我誡を守れ」と言はれて我に彼を愛するの愛なき事を看破されたのである。
 而してイエスの此聖語が如斯くに解釈せられ、又如斯くに使用せられて多くの信者を困しめ又躓かせたのである、聖書の言葉を其の前後の関係より離して解するの危険を余輩は殊に著しく此一節に於て見るのである、「誡」と云ふ語に広義の意味がある、又狭義の意味がある、之を広義に解すれば教誡の全体である、十誡全部で(34)ある、而して信者に取りては主イエスの霊的解釈に由る山上の垂訓の主要部である、而して是れ守るに最も難きことは言ふまでもない、之を守らざればイエスを愛するに非ずと言はれて、何人も我は彼を愛する者なりと公言することは能ない、然し乍ら約翰伝の此場合に於ては「誡」なる語は斯かる意味に於て解釈すべきでない、約翰伝並に約翰書に於て「誡」なる語には特別の意味があるのである、即ち此場合に於ては之を狭義に解すべきである、茲に「誡」と云ふは誡全体を指して云ふのではない、所謂ヨハネ式の誡を指して云ふのである、誡とは何ぞ
  我れ汝等を愛する如く汝等も亦互に愛すべし、是れ我が誡なり(約翰伝十五章十二節)
  此の誡は即ち我等神の子イエスキリストの名を信じ彼の我等に命ぜし如く互に相愛すること是れなり(約翰第一書三章廿三節)
 イエスが信者を愛し給ひしが如くに信者は互に相愛すべしと云ふ事、其事がイエスが信者に下し給ひし特別の誡である、
  我等は此誡を彼より授けられたり、即ち神を愛する者は亦その兄弟をも愛すべしと(同四章廿一節)
  我等彼の誡に遵ひて歩むは是れ即ち愛なり、汝等が始より聞きし如く愛に歩むは是れ即ち誡なり(同第二書二章六節)
 而して誡の何たる乎が解つて余輩の主題とせるイエスの聖語の意味は明瞭になるのである、即ち
  若し汝等我を愛するならば我誡を守れ
とあるは
  若し汝等我を愛するならば我を愛する代りに相互を愛すべし、
(35)と云ふ意味《こと》である、即ちイエスは茲に信者が相互を愛して彼れ御自身に対する彼等の愛を表明《あらは》さんことを要求め給ふたのである、人の師となりし者は能く知るのである、弟子が相互を愛することが彼等が自分を愛して呉れる最も善き途であることを、而してイエスは茲に師たる者の此情を言表はし給ふたのである、彼は弟子等に告げて曰ひ給ふたのである、
  若し汝等我を愛するならば………「若し」と言ひて我は汝等に愛なきを憶ふに非ず、我は汝等が我を愛するを知る…………若し汝等我を愛するならば願ふ其愛を相互に対して表はさんことを、汝等相互を愛するは是れ我を愛する也と、主イエスの愛の表明は茲に其極に達したのである、彼は弟子等に愛せられんよりは彼等が相互を愛せんことを要求め給ふたのである、彼の喜《よろこび》にして彼等が相互を愛するに勝さるものはないのである、イエスの此心を受けし使徒ヨハネは其弟子に書贈りて言ふた「我が子供等(弟子等を指して謂ふ)の真理を行《あゆ》む(相互を愛する)を聞くに愈れる大なる喜楽《よろこび》我にあるなし」と(約翰第三書四節) 今や聖父の右に座して天に在すキリストも我等地に存する彼の弟子等に就て同じ欲求《ねがひ》を懐き給ふのである、我等が相互を愛するを見又聞くに愈れる喜楽は彼に於てないのである。 我等今一堂に集まり食膳を共にし又祈祷を共にす、主イエスは我等と偕に在し給ふ、而して彼は疇昔《むかし》其弟子等に言ひ給ひし如くに今又我等に言ひ給ふ若し汝等我を愛するならば我誡を守れと、是れ峻厳なる律法の命令ではない、柔和なる福音の示諭《さとし》である、然り愛の懇願である、我等今肉に於て主を見ることが能ない、又彼に事へまつることが能ない、然し乍ら彼の言葉に遵ひて彼の愛し給ふ我等を相互に愛することが能る、我等相互に愛して(36)彼を喜ばしまつることが能る、主イエスが我等より要求し給ふ奉仕にして之よりも大なる者はない、
 
(37)     我等は来世に就て若干《いくばく》を示されし乎
                         大正5年12月10日
                         『聖書之研究』197号
                         署名 内村鑑三
 
〇キリスト死を滅し福音を以て生命と壊《くち》ざる事とを著明《あきらか》にせりとありて(提摩太後書一章十節)彼を以て来世のあることは明に示された、然し其詳細は示されない、又人は来世に関し現世に在りて詳細を示さるゝの必要は無いのである、唯其の確に有ること、之に入るの道、其の大体に於て如何なるものである乎、其れ丈けを示さるれば足りるのである。
〇人は神の啓示《しめし》に由らずして霊魂の不滅を知ることが出来た、真の神を知らざりし希臘人も、キリストを知らざりし猶太亜人も霊魂の不滅に就ては多少知る所があつた、埃及人、波斯人、印度人、其他古代の開明人にして霊魂の不滅に就て知らざる者は無つた、然し乍ら神がキリストを以て啓示し給ひし生命又は永生なる者は単に霊魂の不滅ではない、人は死して死する者に非ずと云ふ丈けでは差したる慰藉にも亦奨励にもならないのである、永生は単に生命の永続ではない、永生は永遠に成長又発達する生命である、単に滅びない丈けではない、生きて又生きる事である、故にキリストは言ひ給ふたのである「我が来りしは羊(信者)をして生命を得、豊に之を得しめん為なり」(約翰伝十章十節)と。
〇而して永生は単に純なる生命ではない、復活を以て現はるゝ生命である、復活と云へば勿論肉体の復活である、(38)不死の霊魂に復活の必要はない、キリストは死より復活し給ひて生命と壊《くち》ざる事、即ち霊魂の生命と之に伴ふ壊ざる体(復活体)を著明に為し給ふたのである、キリストに由て復活は始めて明示せられたのである、彼れ以前に復活の予想はあつた、而かも其《そ》は最も朧気なるものであつた、「我れ知る我を贖ふ者は活く、後の日に彼れ必ず地の上に立たん、我が此皮此身朽果ん後、我れ肉を離れて神を見ん」とヨブが言ひし時に復活の予想があつた(約百記十九章廿五、廿六節) 然し是は復活の確信ではなかつた、キリストの復活に由て復活は明白なる事実として示されたのである、彼は死して第三日に甦り、弟子等に現はれ、終に天に挙げられて復活は著明にせられたのである。○キリストは復活し給ふた、然し復活は彼に限るのではない、彼の生命の在る所には亦復活があるのである、「若しイエスを甦らしゝ者の霊汝等に住まば、キリストを死より甦らしゝ者は其の汝等に住む所の霊を以て汝等が死ぬべき身体をも活すべし」とある(羅馬書八章十一節) 依て知るキリストの復活の状《さま》は我が復活の状なることを、我れ彼を信じ彼と偕に苦を受けなば亦彼と偕に栄を受けて彼の如くに復活するのである(同十七節) 信者は単に霊的に永遠に生くるのではない、体的にも生くるのである、彼の来世に於ける生命は今世に於ける生命の連続(38)である、但し後者に於ける敗壊はないのである、彼は死なざる体を以て永遠に生くるのである、斯くて彼は来世に於て今世に於て有《もち》し性格を持続するのである、十字架に釘けられし釘の痕はキリストに残りしやうに彼にも残るのである、而して是れ彼に取りて大なる名栄の傷痕である、彼は之を以て天使の前に誇るのである。
〇信者はキリストの復活の状に循ひて復活するのである、然し死して直ちに復活するのではない、キリストの再び臨り給ふ時に復活するのである、夫れ主号令と天使の長《をさ》の声と※[竹/孤]を以て自から天より降らん、其時キリストに(39)非ず、我等皆|終末《おはり》の※[竹/孤]鳴らん時忽ち瞬間《またゝくま》に化すべし、そは※[竹/孤]鳴らん時死し人甦りて壊《くち》ず云々と(コリント前書十五の五十一) 又我れ(キリスト)汝等の為に所を備へに往く、もし往きて所を備へば又来りて汝等を我に納《う》くべし、我が居る所に汝等をも居らしめんとて也と(ヨハネ伝十四章三節) 其他キリストの再臨と信者の復活との同時に起るものなる事を示す聖書の言葉は許多《あまた》ある、再臨は神の能の著しく顕はるゝ時である、此時宇宙は一変し、大能力は万物に加はりて死者も甦るのである、事は将来に属し其詳細を揣摩する事は出来ない、然し乍ら一陽来復と共に万物の蘇生するが如くに、キリストの再臨は万物復興の期《とき》であつて、其時に死者の復活を見ると云ふは天然の類似に由りて考ふるも強ち解し難き事ではない、所謂復活の朝と云ふは此時である、
  天地も動揺《ゆる》ぐ※[竹/孤]の一声に甦へるらむ春の曙
 墓地は独逸人の所謂 Gottesacker(神の畑)であつて宇宙の春の到来と共に其内に播かれし生命の種が萌芽し又生長すると見て信者の復活に関する聖書の指示《しめし》を解し得ない事はない。
〇信者の復活と共に万物の復興がある(行伝三章二十一節参考)、即ち人類と共に呪はれし地と其中に在る万物《すべてのもの》とが元始の完全に帰るを云ふ、キリストの救済は人類を以て止まない、諸の受造物にまで及ぶのである、「夫れ受造物の切望《ふかきのぞみ》は神の諸子《こたち》の顕はれんことを俟るなり………また受造物自から敗壊《やぶれ》の奴たることを脱れ神の諸子の栄なる自由に入らんことの希望を有されたり」とある(ロマ書八章十九節) 神の諸子の顕はるゝ時に、即ち彼れ顕はれ給はん時に神の子供なる信者が彼が有る如くに成らん時に(約翰第一書三章二節)、万の受造物も亦神の諸子の栄なる自由に入るのであると云ふ、即ち「土《つち》は汝の為に詛はる」(創世記三章十七節)と言はれし其|呪詛《のろひ》を(40)解かれ、元始の美に還りて陣礙なき発達を遂ぐるに至るのである、地をして今日の如くに流血の街《ちまた》、荒敗の土たらしめしものは人類の罪である、其罪が除かれ、信者を以て代表せらるゝ人類が元始の自由に還りし時に、地も亦人類と共に自由の栄光を頒つのであると云ふ、何物か之に愈るの栄光あらんやである、人は復活し、地は改造され、二者共に罪の結果たる呪詛を脱れて完全なる発達を遂ぐると云ふ、其事が預言者等が預言せる天国の建設である、
   曠野と湿潤《うるほひ》なき地とは楽しみ、
   砂漠は歓びて番紅《さふらん》の如くに咲かん、
   盛に咲き歓ばん喜び且つ歌はん、
   レバノンの栄は之に与へられん、
   カルメルとシヤロンの美《うるはしき》は之に授けられん
   彼等はヱホバの栄を見ん、
   我等の神の美はしきを見ん、
とあるが如しである(以賽亜書三十五章)。
〇信者の復活があり、万物の復興がありて、然る後に終末の審判がある、其時不信者即ち頑強に禅の恩恵を斥けし者は滅び、信者即ち従順に彼の賜物を受けし者は救はる、
  臆する者、信ぜざる者、憎むべき者、人を殺す者、奸淫を行ふ者、魔術をなす者、偶像を拝する者、及びすべて※[言+荒]《いつはり》を言ふ者は火と硫礦の燃る池にて其報を受くべし、是れ第二の死なり、
(41)とある(黙示録廿一章八節) 言は文字なりに解釈すべきものではあるまい、乍然ら馬太伝廿五章卅一節以下等の言と併せ読みて其|黙示《しめ》さんとする真理を窺ふに難くない、「是等の者は窮《かぎり》なき刑罰に入り義者は窮なき生命に入るべし」とある(四十六節) 終末の審判に由りて信者は復活して得し生命を確定され、不信者は再び之を失ふ、第二の死是れである。
〇終末の審判があつて然る後に終りが来るのである、此事を明白に示すものは哥林多前書十五章廿三節以下に於けるパウロの言である、
  初は(初に甦る者は)キリスト、次はキリストの臨らん時彼に属する者なり(キリストの再臨と同時に信者の復活あり)、後(復活あり万物の復興ありて後)彼れ諸の政及び諸の権威と権能を滅して(終末の審判行はれ、神に逆ふ諸《すべて》の政、諸の権威権能を滅し、即ち今は此世の主として権威を揮ふ悪魔と其従属とを尽く滅して)国を父の神に付さん、是れ即ち終りなり、
とある、而して終りとは造化の終末ではない、其完成である、神が万物を造り給ひし其大目的が茲に始めて達せらるゝのである、彼がキリストを世に降して始め給ひし聖業が茲に其終結を告げて新天地の開始を見るのである、遠き未来の事である、然し乍ら神の聖業は今猶ほ其|半途《なかば》に在るのである、彼は今其畑に永生の種を播き給ひつゝあるのである、今より後に復活あり地の改造あり大審判ありて然る後に彼の救済の聖業は終り、而して最後に新らしき天と新らしき地との実現を見るのである、言あり曰く「神の水車は転《まわ》ること緩かなり、然れども挽くこと精巧なり」と、神は急ぎ給はない、多く時を取り給ふ、彼の眼には千年も一日の如し、万年も長き時に非ず、而かも彼は彼の愛する者を忘れ給はない、其始めし善工《よきわざ》を終らずしては止み給はない、人の眼より見て今より救済(42)の結末、完成されたる天地の実現を俟つは耐へ難き忍耐ではあるが、然し神は人が明日を期するが如くに其福ひなる時を待ち給ふのである「神彼等の日の涕を悉く拭ひ」とあり、「復死あらず哀み哭き痛み有ることなし」とある、其他黙示録二十一章以下にある記事は是れ完成されたる天地に関はる記事である、偉大なる哉聖書の記事、実に詩人ハイネが述べし如く「日の出と日の入と、約束と充実と、生と死と、人類のすべての夢とは此書の中に在り」である。〇此外聖書に於て神は選民即ち猶太民族の未来に就て明に示し給ふた、然れども是れ直接に人類全体に関はる事でないから茲に言はない、復活体の如何なるものである乎に就ては復活後のキリストの行動、並にパウロの復活論の示す所の外に我等に示さるゝ所がない、亦死と復活との中間に於ける状態に就ても我等に明白に示さるゝ所がない、人は死して死するに非ず、然ればとて死して直に復活するに非ずとは聖書の明かに示す所である、然れども死者は如何にして其中間時期を経過する乎、純霊としてゞある乎、或ひは仮の体を与へらるゝのである乎、或ひは睡眠状態に於て在るのである乎、是れ亦示されざる所である、又聖書は主として信者の復活に就て語りて不信者の復活に就ては甚だ曖昧である、但し神は万国を其前に鞫き給ふとあれば、万民の復活を所期せざるを得ない、其他罪の自覚に達せずして死せし小児の未来、復活後に於ける血族の関係等に就ては聖書は慧《かしこ》き沈黙を守りて何等の明白に示す所がない、信者の復活、万物の復興、終末の審判、造化の完成、是れ神が未来に関し我等に示し給ひし大事実である。
 
(43)     加拉太書第五章五節
        (京都読者会に於ける第二回講演大意)
                         大正5年12月10日
                         『聖書之研究』197号
                         署名 内村鑑三
 
 パウロの言は簡潔を以て有名である、彼は言葉を惜みし乎、或ひは思想に充ちて之を言表はすに足るの言葉を有たざりし乎、多分後者が真であつたらう、実に後世の註解者を困しめし者にして彼れパウロの如きはない、渠《か》の有名なる加拉太書三章二十節の如きは其一例である、此一節に対し四百三十余種の註解があると云ふ、以てその如何に難解の一節であるかが判明る、若し彼が之に一語又は二語を加へ置きしならば註解者は如何に助かりしならん、実にパウロは意地悪きほど簡潔であつた。
 我等が今茲に研究せんと欲する此一節は前の一節ほど難解ではない、其大体の意味は明瞭である、但酷だしく簡潔なる点に於ては全然パウロ式である、其中に一言の無駄はない、其中に代名詞一箇、動詞一箇、名詞四箇あるが何れも重い詞であつて、其一をも忽諸《ゆるが》せにすることは出来ない、有名なる註解者アルベルト・ベンゲルが此一節に次ぎの第六節を併せて基督教の全部は此二節に在りと言ふたのも強ち過言でないと思ふ、斯かる場合に於ては其一言一句に九鼎の重味があるのである。
 邦訳聖書は此一節を訳して云ふ、
(44)  われら望む所のもの、即ち信仰を以て義とせらるゝことを霊《みたま》に由て俟なり
と、原文の大意を言表はして誤らないと思ふ、然し乍ら其強さと深さとは優かに此訳文以上である、此一節の場合に於ても其深き意味を探るの捷径《ちかみち》は原文有の儘の直訳に由るにある、即ち左の如し、
  我等は、(蓋)霊に(由り)、信仰を以て、希望を、義の、待 望めばなり、
 「蓋…ばなり」は前節との関係を語る小辞であれば註解上便宜のために之を省くとして、此一節の中に六箇の重き言辞があるのである、即ち我等、霊、信仰、希望、義、待望、是れである、其就れもが重要なる言辞である、パウロは茲に僅かに六箇の言辞を以て基督教の六大教義を繋ぎ合したのである。
 我等は 余人は知らず我等は云々、異邦人は知らず、猶太人は知らず、猶太主義の基督信者は知らず我等は云々と、パウロは茲に彼れ及び彼と同信仰の人々を余人より判然と区別して言ふたのである、律法を以て自己を義とせんとする者、道徳に由て自己を潔《きよ》うせんとする者、儀礼に由て神の前に立たんと欲する者、現世に於て完全を期する者、キリスト以外の或者に由て救はれんと欲する者………パウロは是等の人々より自分と自分の同志とを区別して言ふたのである「我等は」と、斯かる場合に於ては単なる代名詞も高調して読むべきである、パウロは茲に自分の立場を明かにし、以て他に誤解せられざらんことを努めたのである、彼は茲にパウロ党なる者の在ることを語りて憚らなかつた、信仰の根本義に関はる大問題である、斯かる場合に於て自己と同志との立場を曖昧に附して広量大度を衒ふべきではない、狭隘と称ばるゝも可なりである、結党を以て譏らるゝも辞せずである、他人は知らず、他信者は知らず、「我等は」である。他人は知らず、我等は異端に組する能はず、我等は斯く信ず、全世界は挙《こぞり》て彼方《かなた》に立たば立て、我等は、然り少数なる我等は此方に立たんと、パウロ式の敬すべき愛すべき独(45)立的態度を現はしたる一代名詞である。
 霊 は此場合に於ては特別の霊であつて聖霊である、而して聖霊は人を助くる時の神御自身である、神は聖霊として人の霊に臨み給ふ、聖霊として光を供し、聖霊として能を加へ、聖霊として万事を遂げ給ふ、聖霊に由りてゞある、信者は聖霊に由らずして何事をも為すことが能ない、彼は聖霊に由りて祈り、聖霊に由りて万事を究知《たづねし》る、神の能なる聖霊に由りて神に到り、神の光なる聖霊に由りて神を知る、パウロは力説して言ふたのである、他人は知らず、我等は、我党は自己の努力に由らず、修養に由らず、探究に由らず、儀礼に由らず、上よりの能なる聖霊に由り信じ且つ望み且つ愛するのであると、基督者は元来他動的である、自動的でない、上より求められし者であつて下より求めし者でない、彼の信仰其物さへ聖霊に由て起されし物であつて、彼れ自から求めて起りし者でない、聖霊に由りてゞある、我等は聖霊に由るとパウロは力説した。
 信仰 神は聖霊を以て我等に臨み、我等は信仰を以て之に応ず、信仰其物が聖霊に由りて神が我等の衷に起し給ひし者であると雖も、神よりの恩恵に対して人よりの応諾として之に応ずる者は信仰である、信仰は信受である又信頼である又信従である、嬰児《をさなご》の両親に対する態度である、唯|信《まか》し奉るのである、敢て自己の義《たゞしき》を唱へない、敢て儀礼の正しきを求めない、己れ先づ潔うして然る後に神の受納に与からんと欲しない、唯信ずるのである、罪の身此儘、無智無学を包まず、父召し給へば我は行くと言ひて畏れずして彼に近づきまつるの態度である、他人は知らず、彼等は無謬の教義と神学と、深遠なる聖書知識と、正統的伝説と、瑕なき制度と儀式とに由りて神に近づかんと欲するならんも、我等は、我等同信の輩は、僧侶、教職、信条、儀礼等に何の関係なき我等は唯信仰に由りて云々とパウロは力説したのである。
(46) 希望 信者の生涯はすべてが聖霊に由り信仰を以てす、而して又すべてが希望である、我等は此処に在りて恒に存つべき城邑《みやこ》なし惟来らんとする城邑を求む(希伯来書十三章十四節) 我等は約束に因り新しき天と新しき地を望む義その中に在り(彼得後書三章十三節) 信者は此世に在りて自分の国に在るのではない、「我等の国は天に在り」とある(腓立比書三章廿節) 彼は救はれたりと称するも未だ完全に救はれたのではない、「我等は希望の内に救はれたり」とある(羅馬書八章廿四節改訳) 「我等今既に神の子たり、然れども後如何未だ現はれず」とある(約翰第一書三章二節) 万事が希望の内に在るのである、信者は此世に在りて神よりすべてを得たのではない、又最善を与へられたのでない、すべてと最善とを約束せられたのである、「汝等の生命はキリストと偕に神の中に匿れ在るなり」とありて生命其物さへ希望の目的物として今は我等の眼より匿れてあるのである(哥羅西書三章三節) パウロは今時《いま》の多くの信者の如くに此世に於て黄金時代を望まなかつた、彼は既に獲たりと意はなかつた、惟|後《うしろ》に在るものを忘れて前に在るものを望んだ(腓立比書三章十三) 彼は希望者であつた、待望者《まちのぞむもの》であつた、彼は万事を賭して未来の栄光に与からんと欲した、彼の生涯は全然希望の生涯であつた、此世に在りてすべてを喪ひて来る世に於てすべてを獲んと望みし生涯であつた、人は希望の動物であると云ふがパウロ並に彼の同信の友ほど希望のみの人は無つた、彼等は万事万物を希望の内に有つたのである、彼等の救拯も、生命も、報賞《むくい》も、すべて之を希望として有つたのである、夢想家《ゆめみるもの》等よと此世の人等は彼等に就て言ふであらう。
 義 是れ又大文字である、人生の十分の九は正義なりとは英国有名の思想家マッシュー・アーノルドの言である、義は内的である又外的である、心の義しき状態である又神と人とに対する義しき関係である、神の正道に基く内外の調和である、世に慕はしき者にして義の如きはない、天国とて別のものではない、「義その中に在り」と(47)云ひて義の滲通《しみとう》る所である、我も義人たるを得、他人も亦悉く義人となりて義が自由自在に行はるゝ所である、義の反対は罪である、而して罪の結果は内に在りて汚穢である、仇恨である、※[女+戸]忌である、忿怒《ふんど》である、※[女+冒]嫉である、外に在りては分争である、競争である、戦争である、此世の嫌はしきは罪の故である、天国の慕はしきは義の故である、義は信者の最大目的物である、美よりも、理よりも彼は義を慕ふのである、彼に取りて美は義の表現である、理は義の原理である、彼は自己の義とせられんことを望み、又人類の義化せられんことを祈る、彼は又義に基かざる愛を信じない、義に基かざる愛は愛にして愛でない、義にして壊《くづ》れんか、宇宙人生の根柢が壊れるのである、救拯も永生も栄光も悉く義に基するのである、単《たゞ》の一字である、人生の十分の九と云ふては足らない、其全部が此一字の中に含まれて在る。
 義の希望 信者の生涯は希望の生涯である、殊に義の希望の生涯である、義の実現を待望むの生涯である、自己の義の完成を待望み、水の大洋を掩ふが如くに神を知るの知識が全地を掩ふに至るを待望むの生涯である、我が救の来るは近く、我が義の現はるゝは近しとヱホバ宣ひたりとあるが如し(以賽亜書五十六章一節) 人は信仰に由て義とせらるとあるは義と認めらるとの謂であつて、彼が此世に在る間に完全なる義人と成るとの謂ではない、信者は此世に於て義人として認められ(義人として扱はれ)、来世に於て義人と為らるゝのである、「我等今神の子たり、後如何未だ現はれず、彼れ現はれ給はん時には神に肖んことを知る」とある(約翰第一書三章一節) 義人として認めらるゝは大なる恩恵である、然れども実質的に義人と為らるゝは恩恵の極である、而して神は我等に於て始め給ひし善工《よきわざ》を主イエスキリストの日までに(或ひは其日に於て)完成し給ふのである(腓立比書一章六節) 義とせらるゝ事は今や猶ほ希望として存するのである、而かも神の約束に拠る希望であれば所期に違ふの(48)虞なき希望である、必ず実現せらるべき希望である、実現せらるべき義の希望である、罪の厭ふべきと義の慕ふべきとを知る信者に取りては此希望に勝るの希望はないのである、而して我が希望は又人類の希望である、又万物の希望である、義が宇宙に行はるゝ時に造化の目的は達せらるゝのである、信者は自己に関し、社会に関し、人類に関し、宇宙と万物とに関し、義の希望を懐く者である。
 待望 希望の切なる之を待望と云ふ、或ひは翹望と云ふ、足を翹《つまだ》てゝ人の来るを待つの状態である、或ひは鶴首と云ふ、首を長く伸ばして待つの意である、希臘語の 〓《アペクデホマイ》には体を前に屈め手を拡げて物を受けんとするの意味がある、切の切なる希望である、足を翹て、天を仰ぎ、首を伸し、手を拡げて約束の物に接せんとする態度である、而して信者日常の態度は此態度である、「我等の国は天に在り、我等は救主即ちイエスキリストの其所より来るを待つ、彼は万物を己に服はせ得る能に由り我等が卑《いやし》き体を化《かへ》て其栄光の体に象らしむべし」とあるは此態度である、(腓立比書三章廿、廿一) 初代の信者は常に此態度に立ちて叫んで曰ふたのである「主イエスよ来り給へ」と、彼等は此世に在りて讒誣、窮乏、迫害の外に何物をも望まなかつたのである、彼等の希望は悉く繋りて天に在つたのである、故に待望したのである、切望したのである、翹望したのである、天を仰ぎ手を伸《のば》して主の再び臨り給ひて恩恵を施し給はんことを待望んだのである、アペクデホマイの一語は能く初代信者の心理状態を言表はしたのである、是は殊にパウロ特愛の語である、羅馬書八章十九節、同廿三節、同廿五節、哥林多前書一章七節、腓立比書三章二十節、希伯来書九章廿八節等に有る「俟つ」又は「待つ」とあるは皆此アペタデホマイである、実に痛切なる一語である、以てパウロが如何に来世的の人でありし乎が解る。
 義の希望を待望む とありて其内に何か一語省略してあることが解る、略辞法《エリツプシス》はパウロ独特の文法である、彼は(49)文意にして明瞭ならん限りは文字を省くことを敢て意に留めなかつた、勿論義の希望の実現を待望むの意である、而かも希望を待望すると言ひて希望の如何に切なりし乎を語るのである。
       *
 斯くてパウロは茲に言ふたのである、
  我等は、我と我が同信の友等とは、パウロ、ソステネ、テモテ、シルワノ、シラス、ルカ等は、足を翹て、首を伸ばし、手を拡げ、天を仰いで、神がキリストを以て約束し給ひし義の希望の実現せんことを待つ、而かも是れ我等の思想又は努力に由るに非ず、聖霊に由り信仰に由るなり、聖霊に助けられ信仰を以て之に応じ、今既に義と認められ、後に全く義とせられんことを待望む、聖霊、信仰、義、希望、而して其実現を待望む切々の情、我等は之を言表はすに他に言葉を有せず、故に我が信仰を標榜する大文字を聯ぬるのみ
と、而してパウロをして此簡短にして而かも深遠なる言を発せしめし理由は他に在つたのである、彼は当時既に基督教会内に行はれし種々の異端に対して此言を発したのである、人力を唱ふる者に対して神力即ち聖霊を唱へたのである、行為を主張する者に対して信仰を主張したのである、救拯の完成を現世に期したる者に対して義の希望を高調したのである、而して現世に満足する者に対して待望的生涯を宣言したのである、彼は是等の異信異説の人等に対して自己の立場を明かにして曰ふたのである「我等は然らず、我等は然か信ず」と、彼は異端を排しながら真福音の根本を宜べたのである。
 パウロの昔し唱へし福音、而して又我等の今日信ずる福音、彼が是れ以外に福音なしと唱へし福音(加拉太書一章七節) 而して我が今日拠て立つ所の福音、それは加拉太書五章五節の此言である、我等は聖霊に由り、信仰に(50)由り、義の希望を切望とすと云ふ、之に次節に於ける愛の一字を加へて、ベンゲルの唱へしが如くに基督教の全部は其内に在ると云ふ事が能る。
 
(51)     信仰の秘訣
                         大正5年12月10曰
                         『聖書之研究』197号
                         署名なし
 
   弥陀たのむ人は雨夜の月なれや
     雲晴れねども西へこそ行け
 是は仏教信者の歌である、然し乍ら深き信仰の実験を語る言葉である、福音的基督教の実験も亦之に異らないのである、救主に頼む人は 其信頼に由て救はるゝのである、問題の解決を待つの必要はないのである、又心の洗滌を認むるに及ばないのである、信頼其ものが救拯の唯一の条件又理由又根拠であるのである、信ずれば救はる、無智其儘、罪其儘にて救はる、而して信ずるの結果として迷霧は徐々に霽れ、罪は徐々に除かるゝのである、先づ第一に信仰、第二に信仰、第三に信仰、而して終りまで信仰、而して信仰が進むに循ひて知識も進み、行為も改まるのである、但し信仰は無学と罪行とを顧みないのである、唯上を仰いで進むのである、此秘訣が解つて始めて基督教が解かるのである、信仰的態度の一事に於ては福音的基督教と浄土門の仏教とは其揆を一にするのである。
 
(52)     京都の会合
                         大正5年12月10日
                         『聖書之研究』197号
                         署名 内村
 
   山姫は霧の帳《とばり》に隠れゐて
    紅葉の袖やほのめかすらん
 余輩は蓮月尼の此歌に現はれたる期待を以て十一日即ち土曜日の朝京都に着いた、而して余輩の期待に違はずして霧は三十六峰を包み紅葉は其間にほの見えた、翌十二日の安息日は日本晴れの好天気、今年最終の日和であつた、遠近より会せし兄弟姉妹五十余名、此所にも亦温かき霊的家族を発見したのである、朝は約翰第一書三章一−三節の講義、午後は家族の懇話会、夜は会食会、実に終日の黄金日であつた、若し不足を言ふからば自分の講義の不満足なりし事であつた、其他は凡が満足、凡が感謝であつた、十三日は独り近江の石山寺を訪ひ紫式部の源氏の間に秋月の清きを偲び、帰途は小蒸汽にて湖水を渡り、比良と比叡との雄姿に親しみ、夜は又京都に加拉太書五章五節の講義を試みた、十四日は嵐山に友に導かれ、十五日は旧友二人と共に宇治郡日野の山奥に鴨長明の方丈の故蹟を訪ふた、余が若しキリストを信ぜずして彼れ長明の如くに弥陀に頼みしならば余も亦今頃は世を避け山に隠れて詩歌琴絃に静かなる日を送つたであらう、余は友人の旧廬を訪ふの心を以て儒者松苗が建しと云ふ方丈石の側に立つた、十六日は終日友人を訪ひ、夜又第三回の講義を試み、十七日朝多くの友人に祝福さ(53)れながら感謝の帰途に就いた、嵐山、上加茂の紅葉は唐紅の如くに紅くあつた、然し乍らキリストに在る兄弟姉妹等の愛は其れよりも猶ほ紅くあつた、古き日野山の詩人《ポエツト》と石山の女詩人《ポエテス》とは慕はしくあつた、然し乍ら現今《いま》在る信仰の兄弟姉妹はそれよりも猶ほ慕はしくある、キリストを信ずる我等は理想を今人に求めて古人に求めない、最も親しき友は歌の友ではない、信仰の兄弟姉妹である、余輩に取りては京都は其歴史の故を以て貴くない、其の現今ある所の愛を以て働く所の信仰の故を以て貴くある、而して斯かる信仰を余輩は現今の京都に於て見たのである。
 
一九一七年(大正六年) 五七歳
 
(57)     PERFECTNESS OF LIFE.人生の完全
                         大正6年1月10日
                         『聖書之研究』198号
                         署名なし
 
     PERFECTNESS OF LIFE.
 
I say,life is perfect. Itself imperfect,it is perfect for the purpose for which it was intended.Life is imperfect as an end,but perfect as a means;Perfect for perfecting us for some other life.“Tribulation worketh patience;patience,probation;and probation,hope.”Life through its many tribulations begets in us the sure hope of glory. Life properly used is a perfection.Though the days of our years are threescore years and ten, and their strength,labour and sorrow,yet life by its very transitoriness prepares us for the bliss that fades not away. Knowing the meaning of life,no one like Job curses the day of his birth,and says:Oh that I were not born!
 
     人世の完全
 
 余は云ふ人生は完全であると、人生其物は不完全である、然し其が達すべく定められし目的に達せんがためには完全である、人生は目的としては不完全である、然し乍ら手段としては完全である、或る他の生命《ライフ》に入らしめ(58)んがために吾人を完成うせんがためには完全である、患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずと云ふ(羅馬書五章三節四節) 人生は其許多の患難を以て吾人の衷に確実なる栄光の希望を起すのである 正当に用ゐられて人生は完全なる者である、吾人が経《ふ》る日は七十歳《なゝそぢ》に過ず、而してその誇る所は勤労と悲痛《かなしみ》とのみなりと雖も(詩篇九十篇十節)而かも人生は其の短きが故に反て吾人をして永久に消えざる福祉を得べく準備せしむるのである、人生の此意義を解して何人もヨブに傚ひて「噫我は生れざりしものを」と言ひて己が生れし日を呪はないのである。
 
(59)     〔聖書の欠点 他〕
                         大正6年1月10日
                         『聖書之研究』198号
                         署名なし
 
    聖書の欠点
 
 或る教会信者が余輩の家を訪ふた、彼は組合教会の信者であつた、余輩が聖書の偉大を唱ふるや彼は質問の矢を放つて曰ふた「聖書にも欠点があるではありません乎」と、余輩は驚いた、苟も基督信者たる者が聖書の名を聞いて此質問が先づ其心に浮ぶとは、余輩は彼に答へて曰ふた「有る乎も知れません、然し乍ら私供は聖書の放つ光が余りに大なるが故に其欠点に気が附かないのであります、恰かも望遠鏡を以て検べますれば大陽に多くの欠点のあることを見留めまするが、其耀の余りに眩《まばゆ》きが故に其欠点に注意を払はないと同然であります」と、今や教会に於て聖書研究と云へば先づ其欠点を指摘して然る後に其倫理的価値を定むるを常とする、之を研究的態度と云ふならんも、斯かる態度を以てしては如何なる書物と雖も解らない、同情は解釈第一の鑰である、同情が無くして、美点に憬れずして如何なる書物と雖も解らない、殊に神の書物なる聖書は解らない。
 
(60)    基督教の重心点
 
 基督教の重心点は其道徳ではない、基督教の重心点は其奇蹟である、殊に奇蹟的人格なるキリストである、彼の奇蹟的出生である、彼の奇蹟的生涯である、彼の死して後の復活である、復活後の昇天である、神の子の受肉、其聖行、復活、昇天、而して来るべき再臨、基督教の重心点は是で在る、其道徳なる者は之に根拠したる道徳である、其慰安と歓喜と希望とは之を信ずるより来る慰安と歓喜と希望とである、基督教より其奇蹟を除いて剰す所は零である、神御自身が人の間に臨み給ふたのである、天が地に接触したのである、生が果して死に勝つたのである、其事実と事蹟とが基督教である、単に高遠なる理想ではない、単に純潔なる道徳ではない、単に偉大なる社会的勢力ではない、基督教は奇蹟である、超自然的事実又勢力である、神が人として生れ、罪を除き、死を滅し、永生を賜へりとの事である、奇蹟ならざる基督教は之を基督教として認むることは能ない。
 
    伝道志願
 
 信者は何人と雖も伝道を志願すべきである、恰も国難に際して国民は何人と雖も出陣を志願すべきであると同然である、此時に際して出陣を志願せざる者は非国民を以て称《よば》はる、其如く此暗き世に在りて自身天よりの光に接しながら伝道を志願せざる者は偽信者を以て称へらるゝとも弁解の辞が無いのである、勿論信者の伝道志願が悉く神に採用せらるゝとは限らない、恰も国民の出征志願が悉く皇帝の採用する所とならないと同然である、神若し善しと視たまひて我を伝道以外の業に就かしめ給はん乎、我は止むを得ず彼の聖旨に従ふのである、然れ(61)ども我が第一の志望は伝道であるべきである、信仰の剣《つるぎ》を取つて福音の戦線に立たんことである、キリストの受け給ひし※[言+后]※[言+卒]を身に受けながら生命の語を伝へんことである、神が禁じ給はざる限りは信者は何人と雖も争て伝道師たるべきである、此精神ありて国家は維持せらる、此精神ありて福音は宣揚せらる、然れども嗚呼事実は如何、キリストは泣き給ふ。
 
    運命と信仰
 
 世に運命なる者がある、善き運命の人がある、悪しき運命の人がある、而して人は信仰に由て其運命を変へることは能ない 信仰は運命を変へる者ではない、之を支配する者である、人は神を信じて悪しき運命に勝て之を善用することが能る、又善き運命に生れて其誘惑に勝つことが能る、凡の事は神の旨に依りて召され神を愛する者の為に悉く働きて益をなすとあるが如しである(羅馬書八章廿八節) 而して内なる人の利害を考へて悪しき運命は善き運命に愈りて善くある、患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ練達は希望を生ずとあるが如しである(仝五章三 節) 汝善き運命を以て生れし乎、神を信じて彼に感謝し、其の彼のために善用せられんことを祈れよ 汝悪しき運命を以て生れし乎、神を信じて之を意とする勿れ、そは汝は彼に依りて汝の悪運に勝ち得て余りあれば也、人の幸不幸は其運命に於てない、其信仰に於て有る、神を信ずるを得し者、其人が幸福である、信じ得ざりし者、其人が不幸である。
 
(62)     約翰第一書三章一−三節研究
        (京都会合に於ける第一回講演大意)
                         大正6年1月10日
                         『聖書之研究』198号
                         署名 内村鑑三
 
  (一)汝等視よ、我等|称《とな》へられて神の子たることを得、是れ父の我等に賜ひし何等《いかばかり》の愛ぞ、世は父を識らず、是に由りて我等をも識らざる也 (二)愛する者よ我等今神の子たり、後如何未だ露れず、其の現れん時には必ず神に肖んことを知る、そは我等その真状《まことのさま》を見るべければ也 (三)凡そ神に由る此望を懐く者は其の潔きが如く自己を潔くす。
〇汝等視よ 茲に驚くべき事あり、汝等眼を刮《みは》り注意して視よ。
〇我等称へられて神の子たることを得 「得」と云ふ文字は原文には無い、故に除くべきである、我等神の子と称へられんためにはと訳すべきである。我等 神より離れ罪の人なる我等、「我れ天と爾の前に罪を犯したれば爾の子と称ふるに足らざる也」と言ふべき我等(路加伝十五章二十一節) 神の子 神の実子の意である、神と性質を同うする者キリストが神の子である其意味に於ての子である、神の子として採用されたのではない、神の子とせられたのである、神の養子ではない、彼の実子である。称へらる 認めらる又は扱はるの意である、「彼を接《う》け其名を信ぜし者には神の子たるの権《ちから》(権利)を賜ひたり」とある其事である(約翰伝一章十二節)
(63)○父の我等に賜ひし何等《いかばかり》の愛ぞ 「賜ひし」であつて「現はしゝ」ではない、愛の表顕ではない、其下賜である、頒与である、父が其愛を我等に頒与し給ひて我等は彼の実質を受けて彼の子となることが出来るのである、いかばかりと云ひて愛の分量を云ふのではない、いかやうと云ひて其性質を云ふのである、「父が我等に賜ひし如何様の愛ぞ」と訳すべきである、ヨハネは言ふたのである、「茲に驚くべき事あり注意して視よ、我等罪の子が神の実子たるの権利に与らんが為に父は御自身が愛であり給ふ其愛を我等に賜ひたり、是れ如何様の愛ぞ」と、実に眼未だ見ず耳未だ聞かず人の心未だ念ざる愛である、我等神を愛するは彼れ先づ我等を愛するに因れり(四章十九節) 我等自から求めて神の子たるを得しに非ず、神その愛を我等に賜ひしに因り我等は神の子たるを得しなり、是れいかばかりの愛ぞ、いかやうの愛ぞ。
〇世は父を識らず是に由りて我等をも識らざる也 我等は神に愛せられ彼の子として認めらるゝに至つた、夫れと同時に世に識られざるに至つた、神に識らるゝことは世に識られざることである、我等は神に就いて世に叛くのである、我等が神の子たるを得し紛れ無き証拠の一は我等が世に識られず其の誤解する所となりし事である、而して世が神の子を解し得ないのは神を解し得ないからである、父を解し得ずして子を解し得ない、真神《まことのかみ》を解し得ずして基督者を解し得ない、我等は世に対ひて自己の弁護に努むるも無益である、世は我等の父を解し得るまでは我等を解し得ない、世に解せられざるは苦痛たるを失はない、然し是れ神の子たるを得し必然の結果であるを知りて我等は感謝せざるを得ない、前半節に「神の子と称へらる」と云ひて後半節に「世に識られず」と云ふ、大なる対照である、而かも意味深き慰安に富める対照である。
〇愛する者よ 神に愛せられ彼の愛を賜はりし者、故に世に識られずと雖も我等の互に相愛する者、基督者相互(64)の愛は彼等が神に愛せるゝと同時に世に憎まるゝに因る。
〇我等今神の子たり 神の子と称へられたる信者は実に神の子であるのである、単に神の子の名称を附せられたのではない、神の子たるの実質を賦与せられたのである、信者は名実共に神の子であるのである、彼は今既に神の子である、単に未来に於て神の子たるべく予定せられたのではない。
〇後いかん未だ露れず 信者は今既に神の子である、然し乍ら既に完成せられたる神の子ではない、「蓋神の種その衷に在るに因る」とある(九節) 信者は神の子であると云ひて今既に完全の人ではない、彼は神の種をその衷に蒔かれし者であつて今や成長発達の途に於て在る者である、而して蒔かれし種の成熟如何、其事は未だ露れないのである、彼は罪を犯すべからざる者であるが実際には今猶ほ罪を犯す者である(二章一節) 彼は不朽の生命を賜はりし者であるが一度は死を味はざるべからざる者である、彼は神の子たりと雖も今猶ほ肉に宿りて人の子である、矛盾は彼の免がれざる所である。
〇其現れん時には 「其」ではない、「彼」である 「彼れ現れ給はん時には」と訳すべきである、而して「彼」は勿論我等の主イエスキリストである、彼は今天に在し父の右に坐して我等の眼には匿れて居たまうのであか、然し乍ら彼は何時までも匿れ居たまうのではない、時到れば彼は顕はれ給うのである、キリストの再臨と云ひ又再顕と云ふは此事である「此イエスは汝等が彼の天に昇るを見たる其如く亦臨らん」とあるが如く彼は必ず再び顕はれ給うのである(行伝一章十一節) 而して彼の顕はれ給う時が信者の完成うせらるゝ時である、「夫れ主……自から天より降らん、其時キリストに在りて死し者甦り云々」とある(テサロニケ前書四章十九節) 又「我等の生命なるキリストの顕はれ給はん時我等も亦彼と共に栄の中に顕るゝ也」とある(哥羅西書三章四節) 信者の希望は(65)此事である、キリストが神の子の栄光と権威とを以て顕はれ給はん時に、我等も亦彼に肖て神の子として実現せんことである。
〇必ず神に肖んことを知る 信者は今既に神の種を心に播かれし者、神の子として取扱はるゝ者である、然し未だ神に肖て完全なる者ではない、「天に在す汝等の父が完全きが如く汝等も完全くすべし」と教へられて完全は彼の追求すべき者であるが然し彼は既に之に達したる者ではない(馬太伝五章四八節) 父の子であつて未だ父に肖ない者である、信者の苦痛は茲に在る、彼の実際は彼の理想に副はない、彼は罪より救はれて今猶ほ罪を犯す者である、「噫我れ困苦《なやめ》る人なる哉、此死の体より我を救はん者は誰ぞや」とは彼が屡次発する歎声である(羅馬書七章二四節) 彼は既に救はれたりと雖も希望《のぞみ》に由りて救はれたのである(仝八章二四節) 即ち希望の中に救はれたのである、救拯の希望を授けられたのである、然し乍ら彼は何時までも希望に憧憬れて理想の追求に苦しむ者ではない、彼の希望が充たされ、彼の理想が実現する時期は必ず到来するのである、主が再び顕はれ給はん時には、彼は必ず神に肖る者と成るのである、其時宇宙は一変し、万物は改造され、新らしき天と新らしき地とは現はれ、彼も亦|壊《くち》ざる体を与へられて、茲に彼の救拯は完成うせられて、彼は父の完全きが如く完全くなることが出来るのである、信者は今猶ほ救拯の途中に於て在るのである、神は彼に在りて善工《よきわざ》を始め給うて之をイエスキリストの日に於て完全うし給うのである(ピリピ書一章六節) かるが故に我等は今完全なる能はずとも敢て悲しむべきではない、我等は今は罪の身を以て罪の世に在るのである、我等の外も汚れ我等の内も亦汚れて今や完全は求めて得られざる者である、而してかゝる状態に於て在るが故に「聖霊の初めて結べる実を有る我等も自ら心の中に歎きて(神の)子と成らんこと即ち我等の体の救はれんことを俟」つのである(ロマ書八章二三節) 而して(66)此待望は空望として了らないのである、其実現する時は必ず到るのである、「彼れ顕はれ給はん時には必ず神に肖んことを知る」とある、キリストの再臨は単に彼の再臨に止まらないのである、信者の救拯の完成うせるゝのも亦其時である、彼の体の救はるゝ時、即ち彼が復活する時、この壊《くつ》る者が壊ざる者を衣、死ぬる者が死なざる者を衣る時は此時である、信者の待望む歓喜の時、爾国《みくに》を臨らせ給へと祈りて日々待ち焦るゝ其時、彼の忍耐と練達と希望とが其報賞に与る時、ハレルヤの声は揚りて信仰が事実となりて証明せらるゝ時……彼れ再び顕はれ給はん時が其時であるのである。
〇そは我等その真状を見るべければ也 キリストの顕はれ給はん時に信者は神の子として現はるゝのである、即ち完全に達して神に肖ることが出来るのである、而して其理由如何となれば、彼は神を再顕せるキリストに於て其真の状に於て拝することが出来るからである、我等が今此世に於て完全なる能はざる理由は一にして足らずと雖も、其一は確かに神を真の状に於て拝することの能ざる事であるは明かである、「我等今鏡をもて見る如く朧なり」である(コリント前十三章十二) 我等は今遠くより遥かに神を拝し奉るのである、循つて彼を見ること朧に、又彼に傚ふこと微なるのである、然れども「彼の時には面を対せて相見ん」とある(同節) 約翰書の此所に「その真状を見るべし」とあると同じ意義である、神の栄の光輝その質の真像《かた》なるキリストと面を対はして相見るを得て我等も終に彼に肖ざらんと欲するも能はないのである、ダマスコに到るの途上、復活せるキリストを一瞥して迫害者パウロは一変して彼の忠実なる僕と化したのである、百聞一見に如かずである、我等今キリストに就て読み且つ聞く、我等は彼に関する理想を脳裡に画き偏に之を実現せんと努む、然れども想像は朧にして其実現は朦朧たらざるを得ない、然れども彼《か》の時には、彼が顕はれ給はん時には、我等彼の真状を拝するを得て、(67)印象は深く我等の心に彫まれ、循て我等の身を以てする其模倣は鮮明ならざるを得ない、実にパウロの言へるが如く其時「凡て我等|※[巾+白]子《かほおほひ》なくして鏡に照すが如く主の栄を見、栄に栄いやまさりて其同じ象《かたち》に化《かは》る也」である(コリント後三章十八節) キリストをその真状に於て拝し奉る其結果は直に我等の全性に及び、我等も又自から其状に化せられ其同じ象に肖るに至るのである、偉大なる哉主の再臨の栄光、彼れ御自身は彼が世の基礎《もとゐ》の据られし前より父と共に有ち給ひし栄光を以て顕はれ給ひ、其栄光に化せられて宇宙は一変し、万物は復興し、彼に在りて眠りし者は甦され、而して彼等新たに衣せられし霊体を以て彼を其真状に於て拝し奉ると云ふ、夢か想像か預言か事実か、人のすべて念ふ所に過ぎて絶大であり又絶美である、而かも神の約束である、愛と能力の源なる神の約束である、約束は約束者に副《かな》ふたる者でなくてはならない、造化の終極が茲に到らずして造化は失敗であつたと言はざるを得ない、キリストの救拯も亦茲に到らずして救拯は失敗であつたと言はざるを得ない、宇宙の完成、社会の完成、個人の完成、万事万物の完成、神の目的は茲に在る、キリストの救拯は茲に到らざれば止まない、而して宇宙は今猶ほ完成の途中に於て在るのである、信者も亦救拯の途中に於て在るのである、未だ完全に達したのではない、未だ完全に救はれたのではない、我等の救はれしは希望に由るのである、即ち希望の中に救はれたのである、完全なる救拯の約束を授けられたのである、故に宇宙が今猶ほ不完全であればとて造主を咎むべきではない 又信者に欠点が多いとて彼の救拯に就て疑を懐くべきではない、誰か彫刻師が今猶ほ鑿を以て大理石を刻みつゝある間に彼の未製品を批評してその欠点を拳ぐる者あらんや、美術家の理想と技倆とはその仕上げたる美術品に於て現はるゝものである、万物の造主にして我等の救主なる神に於ても同じである、宇宙は未製品である、我等も亦未製品である、我等は神の子である、然れども後如何、未だ現はれずである、「然れ(68)ば主の来らん時まで、時未だ至らざる間は審判する勿れ」である(コリント前書四章五節) 我等は神の子と称《とな》へらるゝも今も猶ほ罪を繰返して止まざる者である、故に世は我等の信者たるを疑ひ、又我等の信仰を嘲けるのである、然れども聖書は何処にも信者は此世に在る間に完全に達するを得べしとは記して居ないのである、此世其物が不完全である、而して我等も猶ほ不完全である、完全は我等より望むべからざる者である、然し乍ら我等は神の子と称へられて完全に達するの資格を授けられたのである、而して我等の救主が栄光を以て再び顕はれ給ふ時に、其時に我等は彼が完全くあるが如く完全くなることが出来るのである、故に言ふのである「主の来らん時まで、時未だ至らざる間は審判(批評)する勿れ」と、造化の不完全を憤り、信者に欠点多きを怒りて神を誹り信者を嘲けり、福音を斥け又は之を棄つる者は神の聖業を其中途に於て見て之を其の完成に於て視んと欲せざる者である、救拯は既に始まつたのである、然れども救拯は既に了つたのではない、完成の途上に於てあるのである、而して其の完成するや、目未だ見ず、耳未だ聞かず人の心未だ念はざる者である(コリント前書二章九節) 然れば我等は俟つべきである、信者は己が完成せられんことを俟つべきである、不信者も亦神と福音と信者とに就て其の最後の断案を下さんと欲するに方て其の時の到るまで俟つべきである。
〇凡そ神に由る此希望を懐く者は其の聖きが如く自己を聖くす 信者は未だ全く救はれたのではない、キリストの再臨を待ちて完全に救はるゝのである、信者の今日の立場は主として希望である待望である、彼は此世に在りて自己に就き万物に就きて完全を期して失望せざるを得ないのである、然し乍ら此希望たる単に希望として存《のこ》らないのである、神より出たる此希望は力ある希望である、是れ身と心とを聖むるに足るの希望である、「神に由る此希望を懐く者は彼が聖くある如く自己を聖くす」、今や神をその真状に於て見ることは出来ない、此地にありて遠く(69)より之を望むのである、然れども聖き彼を望むこと其事が大なる聖めの能力である、此能力を称して来世の権能《ちから》といふ(希伯来書六章五節を見よ)、来世を望むことが信者日常の生涯に及ぼす感化力をいふのである、此希望を懐いて信者は世に傚はんと欲するも能はないのである、此希望を懐いてこそ彼は蠹くひ銹くさり盗《ぬすびと》穿て窃む所の地に財《たから》を蓄へんと欲するも能はないのである、人をして非俗的ならしめ無欲ならしめ非現世的ならしむる者にして鮮明にして確実なる来世の希望の如きはないのである、此希望を欠いて此罪の世に在りて信者の生涯を送ることは出来ない、此世の不義は余りに多くある、暗黒の勢力は余りに強くある、此世のみに意《こゝろ》を留めて不信は当然の結果と言はざるを得ない、然れども首《かうべ》を擡げて上を仰がん乎、聖書に示されたる神の約束を信ぜん乎、完成さるべき造化と救拯とを望まん乎、茲に懐疑の雲霧は晴れて正義敢行の勇気は勃然として湧出るのである、キリスト再臨の希望は信者の歌の源である、愛の動機である、善行の奨励である、是れありて我等は此涙の谷に在りて、歌ひつゝ我父の家へと進み行くことが出来るのである。
〇文字訳
  汝等視よ、我等神の子と称へられんがために父の我等に賜ひし愛は如何やうの愛ぞ、此故に世は我等を識らず、そは父を識らざればなり、愛する者よ我等今神の子たり、我等如何なるべき乎未だ判然せず、我等は知る彼れ顕はれ給はん時に我等は彼の如くに成らんことを、そは我等彼が在し給ふ如くに彼を見奉るべければ也、而して凡て彼に由る此希望を懐く者は彼が聖くあり給ふが如くに自己を聖くす。
○意訳
  茲に驚くべき大なる事実がある、汝等眼を刮りて之に注意せよ、我等罪人なるに神の子と称へらる、此名称(70)と之に伴ふ特権とを賦与せんがために父の我等に賜ひし愛は如何様の愛である乎、神は愛である、愛なくして神の子と称へらるゝことは能ない、然かも父は此愛を我等に賜ひて我等を神の子として扱ひ給ふのである、驚くべき大なる事実とは此事である、而して此愛を賜はり此特権に与りしが故に世は我等を識らないのである、然り識り得ないのである、而して其理由は明白である、彼等は父を識らないからである、父を識らずして子を識ることは出来ない、世に識られざること、其の誤解する所となること、其事が我等が父に愛せられし善き証拠である、愛する者よ、我は今我等は神の子と称へらると言へり、然り単に称へらるゝのではない、我等は今既に神の子である、神の子であるが然し神の子と成り了つたのではない、我等は今完成の途中に於てあるのである、我等は如何に成るべき者である乎其事は今は判明らない、然し我等は此一事を知る、即ち主の顕はれ給はん其時には我等は彼の如くに成らんことを 其時には彼が父の独子であつて父に肖て完全くあるが如く我等も完全くして父に肖ることが能る、而して其の茲に至る理由の一は我等は其時主を其の真状に於て見奉るからである、我等今や彼を見奉ること鏡をもて見る如く朧である、然れど其時には面を対《あは》して彼を拝し奉ることが能る、而て此聖き拝謁は其感化を我等の身に及ぼして我等は終に彼の聖貌に化せらるゝに至る、此事たる今や希望として我等に存するに止まる、然れども神に由る此希望は単に希望としては存らない、此希望は大なる道徳的勢力である、此希望を懐いて我等は聖からざらんと欲するも得ない、キリストの再顕、天国の建設、復活体賦与の希望を懐いて我等は地に在りながら天に在るに類する生涯を送ることが能る。
〇斯くてヨハネは茲に明白にキリストの再臨と之に伴ふ信者の復活とを唱へたのである、ヨハネは霊的生命を高(71)調して来世に説き及ばないとの近代人の説は立たないのである、彼は茲に之を明言して居るのみならず同第一書第二章二十八節に於て明白に言ふて居るのである、
  小子《をさなご》よ、恒に主に居るべし、彼れ顕はれ給はん時我等懼るゝことなく、彼れ降臨り給はん時其前に恥ること莫らん為なり、
と、又約翰伝十四章二、三節に於ける有名なる
  我が父の家には第宅《すまひ》多し、然らずば我れ予て汝等に之を告ぐべきなり、我れ汝等の為に所を備へに往く、若し往きて我れ汝等の為に所を備へば又来りて汝等を我に納くべし、我が居る所に汝等をも居らしめんとて也、
との聖語はキリストの再臨を意味する者であるとはオリゲン、カルビン、ラムペ、ルートハート、ホフマン、マイエル、エバルト等第一流の註解者の斉しく認めし所である、ヨハネは特に福音の霊的方面を述べんと欲せしが故に来世復活等に就ては多く語らなかつた、然し乍ら彼が其れが故に此事を無視したりと言ふは大なる誤謬である、ヨハネも亦使徒並に初代の信者全体と共にキリストの再臨を重要視し、彼の希望のすべてを此事に繋いだのである、聖霊を以て臨み給ふキリストは終に其栄光体を以て顕はれ給ふと、是れ新約聖書全体を通しての主張である。
 
(72)     路加伝講義
                      大正6年1月10日−8月10日
                      『聖書之研究』198−205号
                      署名 内村鑑三 述
 
     〔第一回〕 医家の証明 去年十二月十七日聖誕節準備講演として述べし所
 
〇キリストの奇蹟的出生と云ふが如きは今や一笑に附せらるゝが普通である、不信者に限らない信者までが今や真面目に此問題を取扱はないのである、使徒信経に「主は聖霊によりて胎《やど》り処女《をとめ》マリヤより生れ」とありて教会は日曜日毎に之を唱ふると雖も、今や平信徒を始めとして牧師神学者に至るまで真面目に之を信ずる者とては雨夜の星の如くに稀れである、彼等は言ふのである 「今や科学の進歩に由り斯かる事は全く信ずべからざるに至つた、而して縦し此信条が取除かるゝとも基督教は其価値を失はない、キリストの教訓、其人格が存る間は彼の出生の方法等は問ふの必要なき問題である、キリストの奇蹟的出生は多くの聖人の出生談と等しく後世の信者が祖師を念ずるの篤きより自づと湧出し神話と見て敢て差閊はないのである」と。
〇然し乍ら問題は如斯くにして容易に解き去ることは出来ないのである、実に棄るは易く、獲るは難くある、疑ふは易く、信ずるは難くある 之を一笑に附して顧みざるは何人も為し得る所である、然れども千九百年の永き間、堅く信者の間に信ぜられし此事は深き研究なくして容易に放棄せらるべきものではない、世に識者にして今(73)猶ほ此信仰を堅く取て動かざる者のあることは大に注意すべき事である。
〇第一に注意すべき事はキリストの奇蹟的出生を伝へし路加伝の著者ルカの人物である、彼は希臘人であつて医師であつた(コロサイ書四章十四節) 而して希臘当時の医師は今日吾人が想ふが如き無智無学の者ではなかつた、すべての学問が希臘人を以て始まりし如くに医学も亦彼等を以て始まつたのである、而して哲学思想が隆盛を極めし当時の医学は迷信を事実として認むるが如き者ではなかつた、ルカは高等教育を受けし希臘人であつた、彼はヒポクラテスの流を汲みて医学者でありしと同時に又ヘロドタスの迹に従ひし歴史家であつた、彼の著作なりとして伝へらるゝ路加伝と使徒行伝とは何の方面より見るも立派なる歴史である、而して此歴史家が彼の著作の劈頭の序文に於て左の如くに述べて居るのである
  我等の中に篤く信ぜられたる事を始より親しく見て道に役《つか》へたる者の我等に伝へし如く記載《かきつら》ねんと多くの人々之を手に執れり、故に貴きテヨピロよ、我も亦|原《はじめ》より諸《すべて》の事を詳細に考究《おしたづ》ねたれば次第をなして汝に書き贈り、汝が教へられし所の確実《まこと》なることを暁《さと》らせんと欲《おも》へり、
と、是れ路加伝の著はされし目的である、是は記事の出所に溯り深き研究を経て後に作《な》りし著述である、「原より諸の事を詳細《つまびらか》に考究ねたれば」とあるは此事である、ルカは茲に小説を作らんとしたのではない、真面目なる歴史を書かんとしたのである、故に研究の労を惜まず、研鑽考証の結果に成りし者が路加伝である、科学的教育を受け、史学的観察力に富みし此人に由りて成りし此歴史は彼が之を世に与へんと欲せし其精神を以て受取らるべき者であつて、実に古代歴史中最も信頼に値ひすべき者である。
〇然るに此歴史的著作は直にキリストの出生に関する記事を以て始つて居るのである、「ユダヤの王ヘロデの時(74)にアビアの班《くみ》なる祭司ザカリヤと云へる者あり」と云ひて時代を語り人物を語りて純粋なる歴史を語りつゝあるのである、其序文の明言に由りて考究を経て成りし歴史なるを証し、而して記事其物に由り彼の序言の決して空言ならざるを証しつゝあるのである、此事に注意せずして一章廿六節以下の処女《をとめ》マリヤの懐胎に関する記事を以て信者の迷信に成りし神話と見做さん乎、著者の序文は立どころに打消さるゝのであつて序文は却て著者の不誠実を証する者となるのである、著述に従事する者は何人も知るのである、著書に於て最も貴き部分は其第一章である、著者の精神、其の目的、文体意匠、すべてが第一章に籠るのである、而して文字の事に堪能なりしルカが此事を知らざりし訳はない、彼は原より諸の事を詳細に考究ねて書き記したりと言ひ置きながら彼の著書第一章に於て、而かも序文に次いて歴史に代りて神話又は小説を書き記して、彼は全然彼の著作を破壊し去つたのである、而してルカが斯かる非常識の人でなかりしことは何人も認むる所である 斯くてキリスト出生に関する記事を事実と見做さゞる事はルカ並に路加伝の信用に関する大問題である、ルカの言を重んじ、路加伝全体の歴史的価値を認むる者は止むを得ず第一章の記事を事実として認めざるを得ないのである。
〇ルカが歴史眼を具へたる人でありしことは冷静なる歴史家英のW・ラムセー、独のハルナツク等の等しく認むる所である、四福音書中近世史学の立場より見て最も歴史的なるは路加伝である、而して此路加伝がキリスト、奇蹟的出生の記事を以て始まつて居るのである、是れ史学上見逃すべからざる大事である、史学の定則を知らざる者は斯かる事を以て小事と見做すならんも、真の史家は自己の信仰如何に由て史学上の大事を左右せんと為ないのである、然り、彼は之を左右することが出来ないのである、ウイリヤム・ラムセー氏の如き史学の泰斗が彼の専門の立場よりしてルカの記事を事実として採用するに至りし理由は茲に在るのである、即ち史家が史学の原則(75)より脱することが出来ずして茲に至つたのである。
〇然かるに現代人は言ふのである、ルカは医学者なりと雖も千九百年前の医学者である、ヒポクラテスの医学を今日の医学に較べて小児を大人に較ぶるの感があるのである、故にルカの証明は今日に至りては医学上何等の価値もないのである、我等は敢てルカの誠実を疑ふのではない、唯第一世紀に於ける医学を疑ふのである、キリストの奇蹟的出生の如き、第二十世紀の今日の医学の立場より見て荒唐無稽の談と謂はざるを得ないと。
〇然るに茲に近世医学の代表者としてルカの記事に関し最も有力なる証明者があるのである、ドクトルケリー(Howard A.Kelly,M.D.,LLD)と云へば米国ジヨンス・ホツプキンス大学教授として世界的声名ある医学者である、彼は外科医術の世界的権威である、独逸の学界に在りては米国の学者と云へば全体に軽蔑するが常なれども彼れドクトルケリーに至りては例外である、ケリー氏の学と術とは大西洋両岸の等しく認むる所である、外科医術の造詣深き人にして世界に此人に超ゆる人は無いのである、而して更らに注意すべきはケリー氏が殊に産科医として最上の置位を占むる事である、医学者にして而も産科医、此産科医学の世界的オーソリチーがキリストの奇蹟的出生を確信し之を唱道して止まないのである、彼は一九一五年十月発行の『我等の希望《アワーホープ》』なる雑誌に投書して明白に此事に関する彼の信仰を述べて居るのである、彼は勿論此事に関する医学上の説明を供《あた》へない、其事は不可能である、然し乍ら医師としての彼の立場よりして同業者ルカに対し深き同情を表し神の子イエスキリストが人類の救主として其聖職を果さんがためには、ルカが記せるが如き方法に由りて生まるゝの必要ありしことを大胆に且つ明白に述べて居るのである、彼は言ふ、
  若し余がキリストはヨセフの子であると信ずるならば、彼は余に取り主キリストではないのである、仮令彼(76)が世界最大の教師であるとしても其れ丈けでは余は今猶ほ罪の中に在るのである、罪人なる余は如何にして至《い》と聖き神の前に出て焼き尽さるゝこと無きを得る乎との焦眉の問題に余は猶ほ苦しまざるを得ないのである、
と、ケリー氏に此鋭敏なる良心ありて彼は彼の該博なる医学を以てして猶ほキリストの奇蹟的出生を信受せざるを得ないのである。
〇聖ルカとドクトル・ケリー、キリストの奇蹟的出生を伝へし者は医師、而して医学速進の今日、此事を唱へて躊躇せざる者も亦医師である 青年よ、小神学者よ、汝等は容易に学者の批評を聞いて汝等の信仰に動揺を来すべきではない 学問の上に学問がある、而して深き学問は常に信仰と一致する。 〔以上、1・10〕
 
     第二回 初詣(一月七日) 路加伝第二章四十一−五十二節
 
 ユダヤ人の慣例に依れば彼等は毎年三度びヱルサレムに上りて節筵《いはひ》を守つた、即ち愈越、ペンテコステ、及び構盧《かりほずまひ》の節筵之れである、就中重大なるは愈越であつた、而してマリアの夫ヨセフも素より敬虔の人であれば常に此慣例を実行した、小児イエスは既に幾度びか父母に伴はれて都に上つた事があつたらう、然しユダヤに於て小児は十二歳に達して一人前と見做さるゝのである、故に「彼の十二歳の時節筵の例に循ひヱルサレムに上れり」(四一節)とある其時がイエスの真の初詣と称すべきものとして見て宜からう。
 時は陽春四月の候パレスチナの村々町々より幾十万の人々互に手を携へ群を成して絡繹としてヱルサレムに向(77)つた、小児は又小児同志の一団を作つて同行した、彼等は皆声を揃へて所謂|京詣《みやこまうで》の歌を歌ひつゝ進んだのである、其如何に美はしき歌なりしかは詩篇の示す処により一斑を窺ふ事が出来る、初詣の習慣は必ずしもユダヤに限らない、我等の間にも亦此習慣がある、然し乍らユダヤ人の京詣の如き壮厳なるものに至つては到底他邦に其例を見る事は出来ない。
 彼等は七日の間ヱルサレムに滞在して節筵を守り而して後帰途に就いた、イエスの父母は其子の独りヱルサレムに留まれるを知らず多分小児群中に在るならんと思ひて一日|路《ぢ》を帰り往いた、然るにイエスの姿の何処にも見当らざるに気付くや之を尋ねて再びエルサレムに帰り遂に三日目に殿《みや》にて彼を発見したのである、母は彼に告げて曰うた「子よ何ぞ我等にかく行《な》したるや、汝の父と我と憂へて汝を尋ねたり」と、乍然イエスは之に対し答へて曰うた「何故我を尋ぬるや、我は我が父の事を務むべきを知らざる乎」と(四三−四九節)、原意は「我が父の事を務むべき云々」といふよりも寧ろ「我は我が父の家に居るべきを知らざる乎」といふに近い、即ち彼の父母が彼の不在を憂へ諸所尋ね見たりと言ひしに対し「汝等憂へて我を尋ねたりとよ、されど何故我を尋ぬる必要ありしぞ、我は我が父の家(殿)より他に在るべからざる者に非ずや」と答へたのである。
 驚きたるはヨセフとマリアであつた、今日迄極めて従順にして父母の命維れ従ひし子が此時初めて何やら両親に抵抗するらしき語気を漏らしたのである、「両親は其語れる事を暁らず」とある(五十節)、彼等は勿論イエスの此言を解するを得なかつた、然しながらマリアはイエスの言を忘れなかつた、「其母之等の凡ての事を心に蔵《と》めぬ」(五一節)、今は其意味尚ほ不可解である、然し何時か判明る時が来るならんと思ひて之を心に蔵めたのである、不信なる現代人殊に其青年学生は何か自己の頭脳を以て解する能はざる秘義に遭遇する時惜気もなく之を(78)抛棄するのである、然しながら信仰ある人の態度は其ではない、彼は自ら解せざればとて直に之を抛棄しないのである、暫く其儘心中に保留してやがて光の与へらるゝ時を待つのである、之れ特に婦人に多き態度である、而してマリアのイエスに対するは常に此の如くであつた。
 イエスはかゝる返答を為したるも敢て我意を固執する事なく柔順しく父母の言に従ひナザレに帰つた、而して爾来「智慧も齢も弥増り神と人とに益々愛せられたり」とある(五二節)、知慧とは霊的の智識である、齢とは寧ろ身長と訳すべき語である、即ち智識も身体も、内部も外部もである、内は神に愛せられ外は人に愛せられて神の子らしき成長を為したのである。
 以上は事実其儘何等の潤飾を施さゞる記事である、然し乍ら之に批評眼を注いで二三の説を為すものがないではない、其一例はマリアがイエスに告げし「汝の父と我と憂へて云々」なる語を捉へてイエスの処女降誕を否定せんとする者である、既にヨセフを以てイエスの父と明言する以上彼がヨセフの実子たりしは明かならずやと主張する、然し乍らかゝる論者に対してイエス御自身の返答の語が直に弁駁を為すのである、イエスは答へ給うた、曰く「我は我父の家に居るべきを知らざる乎」と、即ち「汝はヨセフを我が父なりと言ふ、然し乍ら我父は別にあり」と曰ひて言下に母の誤謬を正し給うたのである 之れ蓋しイエスが人の子に非ずして神の子たる事の最初の発表であつた。
 又或は此処に於けるイエスの返答の語を以て母に対する詰責の辞となし、後に彼が伝道を為し給へる時母及び兄弟の彼に言《ものい》はんとて尋ね来りしに対し「我が母は誰ぞ我兄弟は誰ぞや……凡て我が天に在す父の旨を行ふ者は是れ我兄弟我姉妹我母なり」と曰ひ給ひしと相俟ちて基督教に孝道なきの実証となすものがある、然し乍ら(79)かゝる非難の誤れる事は聖書全体より見て明白である、殊に十誡の如きは最も高き意味に於ける孝道を教へて居るのである、イエスは茲に母を責め給うたのではない、其の誤を正し給うたのである、イエスは父母に仕ふるにいとも柔順であつた、唯齢を重ぬるに従ひ自己がヨセフ、マリアの子に非ざる事を益々明瞭に意識し給うた、而して彼等がイエスと共に生活する間に自ら人情に囚はれて父母たるの態度を取りし時にイエスは常に静かに其誤を正し給うたのであらう、「我は汝等の子に非ず我は汝等の救主なり」と教へ給うたのであらう、かのガリラヤのカナに於ける婚筵の時にも「婦《をんな》よ汝と我と何の関与《かゝはり》あらんや」と言ひ給ひしが如き亦其一例たるに過ぎない、故にマリアは常に之を心に蔵めた、而して此事はマリア等の救に大関係のある事であつた、是に聖アウガスチンの言ひし如くマリアの救は其のイエスを生みし事にあるのではない、其の我等と同じく罪を悔改めてイエスに頼る事にあるのである、同じ様な事が我等の家庭に於ても起り得るのである、即ち子が親より以上の天職を有し親の誤を正す事があるのである、肉体の関係は霊魂の関係に及ばない、我等の真の兄弟は誰ぞ、肉体の兄弟に非ずして信仰の兄弟である、之れ奈何ともすべからざる事である、故にイエスが斯かる言を以て父母の誤謬を正し給ひしは多分其三十年の御生涯中屡々繰返されたる事であらう、此場合にありても彼が父母に抵抗し給ひしに非ざる最上の証拠は毫も我意を張る事なく直に父母に従ひてナザレに帰り給ひし事にある、かくて彼は爾後十八年の間親に仕へて柔順に、ヨセフの歿後は自ら其業を継承して工人の生活を続け給うたのである。
 ヨセフとマリア彼を尋ね三日の後殿にて彼に遇ひし時イエスは「教師の中に坐し且聴き且問ひ居たり」とある(四六節)、「且聴き且問ひ」といふ之れ教師に対する生徒の態度である、イエスは決して此時深遠なる大問題を提供してドクトル連を驚かし給うたのではない、真の知識を求めて之を聴き給うたのである、彼が神の子たるの(80)自覚は此時漸く蕾の綻び初めんとするが如き状態にあつたのである、然るに此単純明白なる記事を曲解してイエスの幼時既に異常なる能力を有し多くの教師を教へ給ひしと為す者がある、十七世紀頃よりの絵画にかゝる思想を以て描かれしものが少くなかつた、又聖書以外の或る基督伝にもイエスが此時天文物理哲学上の大問題を提げアラビヤ希臘等諸邦よりの学者に説明を試み給ひしと記されて居る、唯之を路加伝の記事其儘に描出したるものはかの有名なるホフマンの画である、茲には天才の想像がイエスと其周囲の人々とをいみじくも活躍せしめて居る、イエスは其衣装といひ挙動といひ純然たる小児である、唯纔に其炯々たる眼光に於て常人と異なるを見るのみである、而してイエスの正面に坐するは博学のドクトルである、彼は万巻の書を読破して漸く獲得したる真理を今目前の一小児の口より聞いて唖然たるの状である、其傍に立てるは一宗教家である、彼が僧侶たる事は其纏へる衣服の示す処なりと雖も其の頭の骨相は明かに彼が大俗人たる事を証して居る、而して此宗教界の大俗物は偏にイエスの単純を憐むのみである、其の隣なるは富裕なる貴族である、彼も亦驚駭と憐愍とを以て小児を見下すに過ぎない、彼等と相対して唯一人真にイエスを解し得たる人がある、彼は平信徒にして誠実に真理を慕ひ求むる人である、之等数人をイエスの周囲に立たしめたる後画家は尚或る一人を書き遺すを得なかつた、そは即ち民衆《モツブ》の代表者である、彼はさも無定見らしき相貌を以てイエスの背後より窺《のぞ》き見て居る、其態度は飽く迄も不真面目である、人イエスを迎へて「ホザナよ」と言へば彼も亦「ホザナよ」と叫び「之を十字架に釘けよ」と言へば彼も亦声に応じて「十字架に釘けよ」と言ふ、寔にイエスの全生涯に亘りて彼に接触したる凡ての人の典型が茲に羅列せられたのである、而して之等の人々の間に坐して「且聴き且問ひ居たる」イエスの面影が最も如実《ありのまゝ》に描かれて居るのである。
(81) 乳臭十二歳にして既に神の子たるの自覚ありしといふ、之を異と言はゞ言ひ得ないではない、然し乍ら厳冬尚ほ酣にして一日寒気頓に和ぎ春光天地に普きを思はしむる事あるが如く人は十二三歳の幼年に在りて兎もすれば全生涯を予表すべき事実を現はすこと決して稀ではないのである、天才の生涯若くは我邦の上人の伝記等に之等類似の事例を認むる事が出来る、親鸞上人がかの有名なる「あすありと思ふ心はあだ桜」を詠みしは其の九歳の時であつた、法然上人が出家せんとて師の許を訪ひしも亦其頃であつたと思ふ、音楽家ベートーフェンは四歳にしてピアノを弾じ十一歳既に作曲あり其の十二歳の時は維也納《ウインナ》に於ける合奏の指揮者たりしといふ、之れ蓋し初めて天才を現はすの時期である、況んや神の子たるイエスが此時初詣を試み腐敗せりと雖も宗教の中心地に入りて殿中神学者の一団と会し給ひし時特に神子たるの自覚湧き来りしとは寔にさもあるべき事である、之れ寧ろ自然的なる信ずべく納くべき話である、其の自発的なる処に却て啓示があるのである、故に不信の教師等は之を奇とするに過ぎざりしも見る眼は解したのである、母は心に蔵めたのである、寔に信仰の立場より見てイエスの初詣の出来事は其の奇蹟的出生に続いての神の子たるの証蹟であつた、唯彼は神子の自覚ありと雖も子として父母を敬ふ事を怠らなかつた、爾来十八年の間ナザレの寒村に父の跡を継ぎ母に仕へて能く家を整へ以て齢三十に至つた、孝養の道は神の子イエスと雖も身を以て実行し給うたのである。
       ――――――――――
 
     第三回 基督の出世(一月十四日) 路加伝第三章
 
 イエスは十二歳の時ヱルサレムに初詣を為したる以来十有八年の間隠れたる生涯を送り給うた、此間に就ては(82)記事の徴すべきものなしと雖も多分普通人の如くに暮し給うたのであらう、古き伝説に曰ふ、父ヨセフはイエス十八歳の頃死し爾来彼は父の後を継ぎて大工の職を取り給へりと、但し大工と言ふも賃取りの被傭者ではない、家に在りて手工を業とする独立の経営者である(我邦の指物師の如きは最も其に近き者であらう)、ジヤスチン・マーターの書に基きて描かれし古画に二十五歳計の青年イエスが孜々として農夫の用ゐる鋤を造れる図がある、蓋し隠れたる生涯に在りても能く生計上の独立を守り人を欺かざる良き器具を産出して以て神の栄を顕はし給ひし事を表出したるものである、即ち人は知らずと雖も唯神のみに頼り日々の仕事の確実を以て無言の説教を為すの生活であつて寔に神の子らしき生涯と言はざるを得ない、然し乍ら彼は終に世に出で自己の全生活を以て神を顕はし給うべき時が来た、路加伝第三章は即ち基督出世の記事である。 而してルカは其序文の冒頭に於て叙べしが如く「初より凡ての事を詳細に考究し」たる結果歴史的精細を伝へて曰ふ、時は羅馬皇帝テベリオ・カイザルの第十五年にしてユダヤの方伯はポンテオ・ピラトたり 四隣の分封の君はヘロデ、ピリポ及びルサニアたり、又ヱルサレムの祭司の長はアンナス、カヤパの両人たりしと(一、二節)、是の如き詳密なる歴史的叙述は即ち其の事実が或る特別なる時と所とに於て起りし事を示すものであつて、記事の内容の真実を証するが為に甚だ有力なる材料である。之に由つて路加伝の信用を増す事一段である、独り路加伝のみならず福音書の書き方は凡てさうである、此点に於て福音書は寧ろ孔孟の書と相近く仏教の経典と相|距《さ》る事遠い、路加伝三章一、二節の如きは苟も史眼を具する者の容易に看過すべからざる記事である、加之テベリオ・カイザルと言へば羅馬帝国第二世の皇帝である、当時の羅馬は世界的大帝国であつた、今日欧洲に雄飛する諸邦の如きは実に当時の羅馬帝国の継続たるに過ぎない、近世文明の淵源は当時の羅馬に在つたのである、故(83)にキリストの出世は其地位より見ても独特なるものであつた、彼は釈迦孔子等の如く印度又は支那の舞台に現はれずして人類歴史の本流中に、而かも其れが判然世界的となりし処に現はれ給うたのである。
 キリストの出世に先だち彼を世に紹介したる者はバプテスマのヨハネであつた、ヨハネとキリストとは其母同志が親戚なりしに由り又互に血縁の関係を有した、然し乍ら其性質は全く相違して居つた、ヨハネは正義一方の極めて厳格なる人であつた、彼は昔の予言者の生涯を其儘に実行せんと欲し家を棄てゝ曠野に出で貧にして潔き生活を送つた、然るにキリストは温き家庭に普通人として育ち日常の生業に従事して隣人を幸福ならしめた、彼は寔に「恩寵と真理にて充ち」たる人であつたのである、是の如く其性格を異にしたりと雖もキリストは先づヨハネに紹介せられて世に出づべきであつた、凡そ偉人にして斬新なる教を提唱せんとする者ある時必ずや何人かゞ之を世に紹介するの必要がある、之れ唯に紹介せらるゝ其人の為のみならず又之を受くる世の人の為に必要である、殊に其人の偉大なればなる程紹介の必要も亦大である、然らずんば世は遂に彼を解する事が出来ないのである、故に友人として是の如く重大なる任務はない、英のカーライル当初世に知られざる事幾年、後海を超えて訪ひ来りしエマソンが米国に帰りて彼の偉を紹介せしより人は漸くカーライルの名を知つたのである、若しエマソン微りせばカーライルを知らざる我等の不幸果して幾許なりしぞ、況んやキリストの世に出づるに方りては彼と民とを繋ぐべき特殊の人の存在は欠くべからざる要件であつた、王者の行幸に際しては民は先づ道普請を成して之れを迎ふるのである、其如く神の子の出現に際しては「凡ての谷を埋め凡ての山崗《やまをか》を夷らげ屈曲《まが》りたるを直く崎嶇《けは》しきを易く」して之を迎へねばならぬ、而して是の如く主の道を備へ其|径《みちすじ》を直くしたる者が即ちバプテスマのヨハネであつたのである。
(84) ヨハネは又キリストの紹介者として最も適当なる人であつた、キリストを紹介せんが為には特別の人を要する、キリストは政治家に非ず美術家に非ず、彼を紹介せんとして其勢力其美を称揚するも無益である、仮令大哲学者プラトーの出づるありと雖もキリストの紹介者として適当ではない、唯我等の罪を示して悔改を促す事を得る人、其人こそ完全なるキリストの紹介者である、而してヨハネは斯る意味に於て申分無き人物であつた、彼は人々の来りて「我等何を為すべき乎」と問ひたるに対し「二の衣服《うはぎ》を有てる者は有たぬ者に分け与へよ、食物を有てる者も亦然かすべし」と答へ、税吏《みつぎとり》に対しては「定例の税銀の外に多く取ること勿れ」と戒め、兵卒に対しては「人を強暴《おびやか》し或は誣ひ訴ふる事を為す勿れ、得る所の給料を以て足れりとすべし」と教へ、以て各々其急所を刺したのである、先づ自ら無慾の生活を実行し而して儼然正義を人に教ふ、彼の如きは真に適当なるキリストの紹介者であつた。
 今日我等の実験に於ても亦さうである、キリストを解するが為め最上の準備は何である乎、希臘語の智識である乎 哲学の研究である乎、否之等は極めて微弱なる準備たるに過ぎない、最上の準備とは他なし、厳乎として正しき生涯を教ふる者之である、余をキリストに導きたるも亦かゝる種類の人々であつた、其第一は余の父である、彼は特別の偉人に非ざりしと雖も其正直の一点に至ては稀に見る処であつた、実に彼は何よりも正直を重んじた、従て其の子に臨むや唆厳一歩を仮さなかつた、而して之れ余をキリストに導くの最良の教育であつたのである、其第二はカーヲイルである、彼は近世に於けるバプテスマのヨハネである。彼の文学は之を一言にして尽す事が出来る「偽る勿れ」と、而してキリストを解せんとする者は良心の鋭敏なるカーライルの如き人々の声を聞くべしである、厳格にして侵すべからざるバプテスマのヨハネに導かれて人は最も良くキリストに到るの準(85)備を為すのである、家に厳格なる父兄あるを訴ふる勿れ、寧ろ彼等に感謝すべし、彼等の感化の下に準備せられて信仰は最も確実なるものとなるのである、キリストの教なる種子を植うるに最良の土地はパブテスマのヨハネに由りて耕されたる畑である。
 バプテスマのヨハネと言ふ、彼は実にバプテスマを施した、彼はヨルダン川の死海に注がんとする辺《ほとり》に於て水を以てバプテスマを施したのである、然し乍らヨハネのバプテスマは後にキリストの施し給ひしバプテスマとは全然其意味を異にする者であつた、二者均しく天然の水に浸さるゝのである、然しヨハネのバプテスマは罪を洗はんが為であつた 即ち真の洗礼であつた、之に反しキリストのバプテスマは信仰の表白である、死して葬られ三日の後に甦り給ひしを信ずる其信仰の表白である、キリストの死と復活而して之に伴ふ我等自身の死と復活とを信ずるの表明である、バプテスマに罪を洗ふの力ある事なし、罪を贖ふものはキリストの十字架である、罪より潔むるものは聖霊の力である、我等は水のバプテスマを受けたればとて罪より遠ざかるに非ず、然れども之に由て救主の死と復活とに対する信仰を公然表明するのである、此意味を誤らざるに於てはバプテスマは式として貴き式である、滾々たる清流に身を浸し証者の前に立ちて新しき信仰の表白を為すは肉を有する我等を助くる事至大である、余若しバプテスマを施さばかゝる意味に於て之を施さんと欲するものである。
 キリストも亦ヨハネよりバプテスマを受け給うた、人或は之を以てキリストの人性を証するものと為す、然しキリストに罪を悔改むるの必要なかりしは聖書全体の明示する処である、キリストのバプテスマを受け給ひしは自己の為めに非ずして我等人類を代表して受け給うたのである、彼は我等に代てバプテスマを受け我等に代りて十字架の罰を受け給うた、彼の生涯は一面に於て人類を代表するの生涯であつた。 〔以上、2・10〕
 
(86)     第四回 曠野の試誘(一月二十一日) 路加伝第四章自一節至十三節
 
 曠野に於けるキリストの試誘《こゝろみ》に就て路如伝の記す処は馬太伝第四章の記事と其大意に於て異ならない、故に勿論之を事実として見るべきである、而して其順序等に関し多少相違するの点は寧ろ路加伝に拠るを可とする、何となればキリストの生涯の全体に就て路加伝の記事は馬太伝に此し一層正確なりと信ずべき理由があるからである。
 曠野の試誘のキリストに臨みたる理由は何である乎、之を知らんが為には三章二十二節より継続して読む事を要する、「聖霊鴿の如き状《かたち》にて其上に降りぬ云々」と、即ち聖霊を受け給ひし後直に此試誘が臨んだのである、而も聖霊「鴿の如き状にて」降つたとある、鴿とは唯に平和を象徴するのみの言辞ではない、かのペンテコステの日に聖霊焔の如き状にて降り岐れて弟子等各人の上に止まりしとあるに対照してキリストに降りし聖霊の完全のものなりし事を示すのである、信者は皆キリストの肢《えだ》である、故に信者に降る聖霊は其全体ではない、部分的に各自に応じて降るのである、反之キリストの受け給ひし聖霊は鴿の如き状にて其全体が降つたのである、「イエス聖霊に充されて」(四章一節)とは即ち其事を意味する、是の如く彼は既にバプテスマを受けまた完全に聖霊を受け給うた、而して後に悪魔彼を試みたのである、聖霊の降臨に次ぐに曠野の試誘、之れ共観福音書の相一致して伝ふる処である、而して試誘の試誘たる所以も亦茲にあるのである。
 蓋し此時迄はイエスの準備時代であつた、彼は十二歳にしてヱルサレムに上り学者達に教へられ爾後十八年ナ(87)ザレに在りて隠れたる生涯を送り給ひしと雖も其間孜々として聖書を読み又父母より教育を授けられ給うたであらう、而して今やヨハネに紹介せられバプテスマと聖霊を受けて将に世に出で其大業を為し給はんとするの首途である、準備は既に成つた、事業を為すに必要なる力の貯蓄は完備した、其天性は神の質である、其肉体は完全無欠である、其智力は遺憾なく発達し加ふるに円満なる聖霊は衷に充実した、此時に当り彼の為し給ふべき事は何であつた乎、彼は正に二途の分岐点に立ち給うたのである、此完備したる力を自己の為に用ゐん乎、将た之を悉く神に献げん乎右せん乎左せん乎、時は大なる危機である、而して悪魔の乗じたるは此処であつた、準備既に終りて今や事業に就かんとする時、其時人は必ず悪魔に試みらるゝのである、イエスの場合にありても亦同様であつた、曠野の試誘は聖霊の降臨に尋いで彼に臨んだ。
 此力を誰が為にか使用せむ、之れ我等の語を以てすれば所謂煩悶である、神の為にせん乎、自己の為にせん乎、骨肉と情実と野心とは声を揃へて叫んで曰ふ「自己の為にせよ」と、聖書と黙示と良心とは之を遮つて囁き曰ふ「非らず、唯神の為にせよ」と、茲に激烈なる衝突がある、寄せては返す女浪男浪の幾重畳澎湃として胸中に沸き立つのである、而して其波瀾の高低は人の志の高低に従ふ、義の観念の強烈なる者ほど煩悶は愈々強烈である、「此|諸日《あひだ》何をも食はず四十日畢りて後餓えたり」と(二節)、キリスト故意《ことさら》に断食を為し給ひしに非ず、飲食を顧み給ふの遑が無つたのである、四十日とは必ずしも一昼夜の四十回の謂ではない、モーセ四十年曠野に隠れ、エリヤ亦四十日四十夜曠野に彷徨したりとある、蓋し或る一定の時期を言ふに過ぎない、斯くて彼の身体の疲労困憊の極に達せし時悪魔は最も強き攻撃を試みたのである。
 試誘第一は「汝若し神の子ならば此石に命じてパンと為らせよ」といふにあつた、伝へ曰ふ此試誘の行はれし(88)場所はエリコよりヱルサレムへの途上右方の野であると、其辺一体の地に累々として堆積する石灰石は恰もユダヤ人常食のパンの塊に彷彿たりと謂へば悪魔の此試誘の言は毫も怪むに足りない、勿論之れ神の子イエスキリストに対する特別の試誘である、其中に如何程深き意味を含むかは我等人間の到底探り得ざる処である、然し乍ら之を我等自身の実験に徴して二三の思ひ当る節が無いではない、惟ふに之れ自己の為め又世の為の煩悶であつた、自己は何人ぞ、神の子である、之れ我が確信である、然るに我が周囲を見よ、一人の侍者あるなく一片のパンあるなし、孤独貧窮、而して神の子であるといふ、茲に大なる対照がある、果して我は神の子である乎、若し真に神の子ならば如かず此石を化してパンと為し以て神の子らしき境遇を作らんには、加之世の人は如何、生活問題は彼等の大問題である、彼等を救済せんと欲する乎、須く先づ彼等の衣食を充たすべきであると、悪魔の目的は実にキリストをして此心を起さしめんが為であつた。
 神の子たるの自覚と一片のパンだに無き境遇、此大なる対照が如何にキリストを苦しめたるかは我等の小なる経験を以てしても少しく之を推察する事が出来る、我等は神の特別の恩恵に与りて基督者となりたる者である、然るに翻つて我等の境遇を見ん乎、茅屋である粗食である弊衣である、而して尚ほ神の子たりと称す、何ぞ其名の美しくして其実の憐なる、我等若し真に神の子たらば先づ境遇を改善して其名にふさはしきものと為すべきに非ずや、又伝道々々と称するもかの幾百万の貧民を見よ、親は饑に泣き児は寒に叫ぶの時徒らに福音を伝ふるも何の救済ぞ、聖書に曰はずや「兄弟の窮乏を見て却て恵施《めぐみ》の心を閉づる者はいかで神を愛するの愛其衷に在らんや」と、又「若し兄弟或は姉妹|裸体《はだか》にて日用の糧に乏しからんに汝等のうち或人之に曰ひて安然にして往け、願はくば汝等温かにして飽くことを得よと、而して其身体に無くてならぬ物を之に与へずば何の益あらんや」と、(89)故に先づ衣食を給せよ、経済上の基礎を安固にし生活問題を解決せしめよ、然る後初めて心霊の救拯を完うする事を得むと、之れ実に今日の信者宗教家の思想である、而してキリストに臨みし悪魔の声も亦此種の試誘の最も強烈なるものであつた。
 然し乍らキリストは偉大であつた、彼は悪魔に対して答へ給うた、曰く「人はパンのみにて生くる者に非ず」と(「唯神の凡ての言に由ると録されたり」の数語は信頼すべき原本には見当らず多分馬太伝の句が混入したものであらう)、神の子たると否との区別は衣食生活の問題にあるに非ず、神は幾多の方法を以て人を養ひ給ふ、若しパン無からん乎、即ち天より降るマナがある、若し又マナは降らずと雖も神の言たる聖書のあるあり、以て優に人を養ふことを得、誰か言ふ先づ饑を癒すに非ずんば霊を救ふ能はずと、神の言其ものが人を養ふの糧であると、偉大なる哉斯言、若し此時キリスト其試誘に敗れ給ひたりとせば如何、ユダヤの曠野アラビヤの沙漠は或は一大田園と化したであらう、然し乍ら人類の救済は永遠に成らなかつたであらう、余自身に於てすらも之に類する小なる経験がある、鉅富を作るべき二三の機会は嘗て余に向つて提供せられた、其時余若し之に応じたならば如何、今頃は余も亦富豪の一人に数へられて居たかも知れない、然し乍ら余の霊魂の救済と余を以てする伝道とは全く消滅して居つたに相違ない、又従来余が些少の金銭を以て援助したる人にして能く信仰を維持せる者は稀有である、人を養ふに必ずしも金銭の慈善を要しない、唯神の言あらば即ち足るのである。
 試誘第二は悪魔彼に天下の万国を示して若し我を拝せば此凡ての権威と栄華を悉く汝に与へんと曰うたのである、之亦キリスト独特の試誘である、彼にして世界を支配せんと欲し給はん乎、其の之を成就し給ふべきは明白である、モハメットすらも略々之を企及したのである、キリストは人類の王たるべきである、唯其途は此世に(90)於ては無かつた、此世の途は悉く悪魔の立ち塞ぐ処である、此を去つて彼に往かん乎、到る処悪魔を見ざるはなし、実に悪魔を拝せずして此世の勢力を獲得すべき途は絶無である、政治界然り実業界然り学界然り宗教界亦然り、是に於てか人は或は百年の幸福の為に一時の屈辱を甘受せんとする、然し乍らキリストは悪魔を拝し給ふべきに非ず、然らば彼は人類救済の望を抛ち給ふべき乎、否彼は逢か彼方に細き一途の開けるを認め給うた、彼は悪魔の言を排して独り其途に赴き給うた、之れ即ち十字架の途であつた。
 試誘第三は聖殿の頂上より身を投げて神を試みよといふにあつた、其意味深遠にして我等の解し得る処ではない、然し乍ら此時も亦キリストの欲し給ひしものは神の子たるの確信であつた、若し此確信にして誤ならん乎、彼の戦は悉く無に帰するのである、故に彼は其誤らざるの証拠を求めんと欲し給うたであらう、嘗て余が愛女の病篤かりし時余の欲求も亦其れであつた、余は唯に愛女の病の癒されん事を欲したるのみならず余の祈の聴かれん事を欲したのである、然らば余は更に大なる確信を以て伝道に従事するを得んと思うたのである、然し乍ら神の果して恩恵の神なるや否や果して我等を導き給ふや否やは試験の問題ではない信仰の問題である、神我等の祈を聴き給はん乎、彼は素より神である、神我等の祈を聴き給はざらん乎、我等の切なる祈を悉く風に投げ給はん乎、彼は尚神である、我等は唯彼を信ずべきである、故にキリストは曰ひ給うた「汝の神を試むべからず」と、斯くして悪魔の試誘は全然失敗に帰した、是に於てか悪魔「暫く彼を離れた」、然り「暫く」である、後又出で来りて最後迄キリストを試みたのである、然し乍ら終に十字架に由て亡びたのである、キリストの一生涯に亘る試誘は全くキリストの勝利に終つたのである。
 聖霊を受くるのみを以てキリストは未だ救主ではなかつた、聖霊に由て獲たる力を悉く神の為に使ひ給ひし時(91)に彼は初めて救主であつた、其の如く我等も亦力を受くるのみを以て救はれたのではない、此力を誰が為に使用する乎、曠野の試誘は茲に在る、而して此試誘に勝ちて初めて救はるゝのである、今の青年は「力! 力!」と叫びて只管力を獲ん事を焦慮し而して之を獲れば即ち我事終れりとなす、然れども力を自己の為に使用する者は禍なる哉、かゝる人に対して神は永遠の宇宙の何処かに於て何時か其怒を以て臨み給ふのである、神の義罰はかゝる人の為に備へらるゝのである、柏木の講筵に列なる者の多数が何時も青年のみなるは何ぞや、十年前の青年たりし今日の紳士は何故再び其姿を現はさゞる乎、他なし彼等も亦唯力欲しさに茲に集ふが故である、彼等は所望通りに力を獲ると雖も之を神に献ぐるを惜み自己の為に使用せんと欲するのである、彼等は皆曠野の試誘に至つて斃るゝのである、是の如くして旧き青年は去り又新しき青年は来る、然し乍ら新しき青年諸君に対し今日明白に宣言せむ、曰く「諸君も亦獲たる力を自己の為に使はんと欲する乎、凡てを神に献げ唯十字架の途のみを追はん事を欲せざる乎、即ち今日限り此席に列るを廃せられよ」と。
       ――――――――――
 
     第五回 最初の説教(一月二十八日) 路加伝第四章自十四節至三十節
 
 キリスト曩に故郷ナザレを去り給ひし以来ヨルダン河畔にヨハネのバプテスマを受け又聖霊に充され四十日曠野の試誘と戦ふて之に勝ち而して今や再びガリラヤに帰り給うた、約翰伝に依れば其途中サマリヤの婦に対する深遠なる説教あり、カナの酒筵に於ける最初の奇跡あり又カペナウンに於ても説教及び聖霊の力の表現があつた、其間僅かに三月乃至六月に過ぎずと雖も彼の内側に大変化あり全く聖霊に充され異常の力を以て別人として(92)帰り給うたのである、故に彼の足跡の印する処神の栄の顕はれざるはなく名声四方に拡がり人々より深き尊敬を受け給うた(十四節十五節)。
 彼は到る処の会堂にて説教を為し給うた、会堂とはユダヤ特有の Synagogue《シナゴーグ》である、今日の教会と異なり音楽あるなく絵画あるなく又定まれる教師あるなし、唯見る卓上にモーセの五書一巻、イザヤ、ヱレミヤ、エゼキエル等の預言書一巻(前者は二本の軸に後者は一本の軸に巻きたるもの)を備ふるのみ、安息日には司会者ありて会を開閉し簡単なる祈祷を為し其側に役者《かゝりのもの》ありて之を補助した、而して其日の聖書の言に就き感想ある者は立ちて役者より聖書を受け之を読みて後坐して語つたのである、之れ即ちユダヤの会堂であつて今日と雖も世界中ユダヤ人の在る処かゝる会堂を見ざるはないのである、寔に之れ伝道の好き機関であつた、パウロが常に之等の会堂にて説教を為したる事は使徒行伝の記事に由り明白である、キリストも幼時より屡々父に伴はれて会堂に赴き給うたであらう、而して今や新に聖霊の力を以て故郷ナザレに帰り給ひ常例の如く安息日に会堂に入りて聖書を読まんと立ち給うた、其時役者の与へたるは預言者イザヤの書であつた、彼は展きて今の以賽亜書第六十一章を読み捲きて之を役者に与へ而して坐して会衆に語り給うた。
 惟ふに此時彼は以賽亜書に就き長き註解の語を発し給うたのであらう、然し乍ら彼の説教の要領は之であつた、曰く「此|録《しる》されたる事は今日汝等の前に成れり」と(二十一節)、昔の預言者の預言したる神の特別の使者にして人類の救主たるメシヤ、其が即ち茲に坐する我であると、之れ説教に非ずして宣言である、之れ神の子に非ずんば口にする能はざるの言である、実に之れイエスの神性を証すべき有力なる事実の一であつた、故に衆人皆驚き「彼を称讃して其口より出づる所の恩恵の言を奇《あやし》」んだ、彼等は曰うた 「此はヨセフの子に非ずや」と、然り今(93)日迄我等の間に在りしかの大工ヨセフの子、其者がメシヤであるといふ、彼等は奇まざるを得なかつた。
 彼等は心の中に思うたのである「汝ヨセフの子にして而もメシヤであると言ふ、果して然らば医者よ乞ふ先づ自らを医せ」と、汝若し果して神の子人類の王ならば汝の境遇は如何、人を救ふに先だちてまづ汝自身の経済状態を改善せずや、又汝の性格の欠点は如何(勿論キリストの性格に欠点のある筈がない、然し乍ら骨肉同胞其他親しき隣人には欠点ならざる者も欠点として見えたであらう)、先づ自己の人格を修養して然る後他人の救済を計れよと、之れ彼等の考であつた、而してキリストは悉く之を洞察し給うた、故に彼は答へて言ひ給うたのである「預言者は其|家郷《ふるさと》にては敬重《たうとま》るゝ者に非ず、エリヤもイスラエル中の多くの寡《やもめ》の一人をだに救はずして却てシドンなるサレバタの寡を救うたのである、エリシヤもイスラエル中の多くの癩病人の一人をだに潔めずして唯スリヤのナーマンのみを潔めたのである、其の如く我も亦ナザレ人を救はずして却て他郷の人を救はん、我が恵を受くる者はユダヤ人に非ずして却て異邦人である、汝等は我が救ひに与る事が出来ないのである」と、是に於てか会衆は皆怒つた、之れ甚だしく我等を侮辱するの言である、此の如き輩は生かし置くべきに非ずとて彼等はキリストを邑《まち》の外に追ひ出し崖より投げ下さんとした、ナザレは山の中腹に建ちたる邑である、崖に瀕したる危険なる場所が今も尚少くない、キリストに取りて之れ実に危急の時であつた、然し乍らかゝる際にも彼は奇跡を行ひ給はなかつた、彼は人を救はんが為には幾多の奇跡を行ひ給ひしと雖も自己を救はんが為には嘗て一回も之を行ひ給はなかつた、「イエス彼等の中を径行《とほり》て去りぬ」とある、彼は唯悠然として人々の間を通過して去り給うたのである、彼の人格そのものに奇跡以上の力があつたのである、彼の態度そのものに儼然として侵すべからざる権威があつたのである。
(94) 預言者其家郷にては敬重《たうとま》るゝ者に非ずと、之れ何所に在りても動かすべからざる真理である、古今を通じて謬らざる心霊上の法則である。何故に然る乎、蓋し人は相親しむに従て其心の深き所を見る能はず外側の些事にのみ注意し易くなるのである、聖霊如何にして彼に臨みし乎を知らずして徒《いたづら》に其坐臥飲食に関する性癖等に心を奪はるゝのである、是の如くにして神の召を蒙りし者己が側に在るも遂に解する能はず却て侮蔑を以て之を遇してやまない、familiarity begets contempt(親近は侮蔑を生む)と言ふ、米国の田舎に赴きてホィツチヤ、プライアント等の故郷を訪ぬるも何人も彼等の偉大を認めないのである、自国の学界に世界的の学者あるを知らず却て先づ外国の認むる処となり外国より学位等を贈られて初めて覚知するが如き実例は決して尠くない、是の如きは寔に大なる損失である、ナザレ人も亦此誤謬に陥つたのであつた、彼等は自己の郷村よりメシヤの出現したるを知らず、キリスト自ら之を宣言し給ふも尚信ぜずして却て彼を殺さんと欲したのである、然し乍ら彼の生涯と爾来二千年の歴史とが明かに之を証明した、人類の為したる錯誤にしてナザレ人の其の如く大なるものはないのである、彼等は神の与へ給ひし至高の宝を見逃したのである。
 故に注意すべきは自己に近き者の中の光を見逃さゞらん事である、自己の養育したる児童、日常遊戯を共にしたる兄弟の間にかゝる光があるかも知れない、基督教国の社会に於て快心を覚ゆる事の一は天才を認むるに世人よりも家族の者が先なる事之れである、良き家庭の家長たる者は屡々世人の前に証《あかし》して曰ふ「我家の惣領なるかの某、彼は凡人に非ず、彼は云々の力を与へられて居る」と、之れ素より自負ではない、神の賜の認識である其立証である、而して仮令世が挙りて其人を苦しむると雖も彼(父)のみは其忠実なる友人として奨励と援助とを吝まないのである、キリストの精神に導かれたる社会は正に斯くあるべきである、然し乍ら事実は多く其反対であ(95)る、キリストの生涯がさうであつた、郷人彼を棄てユダヤ人彼を斥け却てギリシヤ人ロマ人が彼を迎へた、其他幾多の偉人も皆同様であつた、預言者は其故郷にては尊まれない、然りと雖も遂には斥けたる人も亦彼を迎へるの時が来るのである、我等も自己相応の排斥を受くる日には之を思うて自ら慰むべきである。
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     第六回 奇跡の一日(二月四日) 路加伝第四章第三十一節以下
 
 故郷ナザレに於てイエスの行ひ給ひしは奇跡なしの説教であつた、彼は其の郷人が奇跡を見む事を望みしにも拘らず之を行ひ給はず又彼自身を救はんが為にも之を行ひ給はなかつた、然るにナザレを去つてカペナウンに赴き給ふや其伝道の初に当つて彼は先づ奇跡の一日を送り給うた、日は安息日であつた、朝は会堂にて汚れたる鬼の霊に憑かれたる人を癒し給ひ、昼はシモンの家に入りて其妻母の重き熱病を癒し給ひ、夕は各種の病を患ひたる多数の人を癒し給うたといふ(日の入る時人々多くの病人を携へて彼の許に来れりとは蓋しユダヤの暦によれば日没より日没迄を一日と為すが故に日の入る時を以て安息日は終り従て其日の制限が解かれたからであらう、彼等は安息日には病者の治癒の為にする働きをすら禁ぜられたのである、故に日没頃に及びて家に病者ある人々争うてイエスの許に来れりとあるは偶々其半面に於て記事の真実を証するものと言ふべきである)、イエスに取つては寔に多忙なる一日であつた。
 奇跡の問題は今や既に事古びたるが如くなるも実は最も重大なる問題である、奇跡に遭遇する毎に人は疑問の声を発して曰ふ「是の如き事実果して有り得べき乎」と、而して之に種々なる説明註釈を附し或は之を心霊上の(96)出来事の謎と見て無事に通過し去らんとする者が多い、彼等は聖書を読みて奇跡以外の教訓より生命を得んと欲するのである、現代の新神学の如きは全く此立場より外に出づる能はざる者である、然しながら奇跡の記事は聖書中決し尠少ではない、彼等に取ては之皆難関である、此処に到る毎に彼等は躓かざるを得ないのである。
 然しながら真の信者に取ては爾うではない、イエスキリストを神の子と信ずる者、万物の造主が肉体となりて我等の間に降り世の罪を除き給ふたのであると信ずる者は奇跡を見て怪まないのである、奇跡は神の子にふさはしき当然の事である、かくてこそキリストは我等の救主である、故に信者の立場より見て奇跡の記事に何等の註釈をも要しない、唯「然り然り」である、寧ろ聖書に之微りせば彼は甚だ物足りなく思ふであらう、此事に就き再び想ひ起すは彼の米国ジヨンス・ホプキンス大学のケリー教授の復活に関する論文である、外科的婦人科の世界の権威《オーソリチー》たる大医にして而も其の復活を論ずるや極めて単純、殆ど日曜学校の児童の信仰と異ならない、曰く「人或は問はん汝医家にして尚之を信ずる乎と、然し余は之を信ずるのである、其理由は他なし、聖書が之を明言するからである、余は唯聖書の言ふ処を信ずる、而して聖書は人が復活の奇跡を行ひたりとは言はない、聖書は神が復活せしめ給へりと言ふのである、之れ疑はんと欲して疑ふ能はざる事である、『ラザロよ起きよ』と言ひ給ひし者はキリストであつた、故にラザロは起きたのである、此時若し『ラザロよ』と言はずして単に『起きよ』と言ひ給ひしならば必ずや万人が復活したであらう」と、是の如くして彼ドクトル・ケリーは奇跡中の最大奇跡たる復活を信じて少しも疑はないのである、同じ信仰が又かの天才画家レンブラントの心に在つた、彼れの筆に成りし名画にイエス夕方多くの病者を癒し給ふの図がある、一幅の絵画に過ぎずと雖も人の信仰を起さしむるに於て異常の力を有つて居る、実に神の真理を伝ふるが為には多くの神学者伝道師と雖も芸術の一天才に及ばない(97)のである、之れ単純なる信仰の然らしむる処である。 次に「汚れたる鬼の霊に憑れたる人」とは如何なる病人を言ふのである乎、後の記事に徴するに其疾病発作の状況は所謂|癲癇《エピレスシス》に類似して居る、然しながら聖書が単に一種の疾病《やまい》と言はずして特に「鬼」又は「悪鬼」と明言せるは何か理由がなくてはならない、然り悪鬼である悪魔である、キリスト来り給ひし時に特に悪魔が跋扈したのである、其理由の何故なるやを知らずと雖も之れ事実であつた、凡て光明の輝く時には暗黒も亦一入烈しくなるのである、一家に強き信者の出づる時其周囲に必ず悪人を生ずる、社会に於ても亦然り、善人の出現の半面には必ず悪者の跋扈を伴ふ、況んや光明の本体たるキリストの出現に於てをや、此時悪鬼の跳梁甚だしかりしは偶々以てキリストの光明たりし反証と見る事が出来る、「悪鬼に憑かれし」とは蓋し神の子の出現に伴ふ特別の疾病であつたらう。
 而して悪鬼はキリストを見るや大声に喊叫びて言ふた「噫ナザレのイエスよ、我等汝と何の与《かゝはり》あらんや、汝来りて我等を亡すか、我汝は誰なる乎を知る、即ち神の聖なる者なり」と、(三三、三四節)、此時迄鬼の霊たゞ其人の中に宿れるのみにして未だ其力を表はさゞりしにキリストを見て忽ち活動を始めたのである、キリストは悪魔をして大活動を為さしめ給ふ、彼は寔に刃を携へて来り給ひ此世に大戦争を起し給ふのである、我等各自皆悪魔に憑かれたる者である、而してキリストを知らざるの間は平安無事なりと雖も一朝彼の光を受けん乎、悪魔は蘇生して我等の胸中に大波瀾を挙ぐるのである。  キリストは其伝道の初に当り奇跡の一日を過して幾多の疾病を癒し給うた、彼は何故今日も亦之を癒し給はざる乎、一部の信者は答へて曰ふ「今日と雖も神は必ず彼にのみ頼る者の疾病を癒し給ふ」と、之れ所謂神癒説で(98)ある、而して又此説を証明すべき事実がないではない、然しながら神癒説の欠点は肉体の治癒を余りに重視するにある、キリスト来臨の目的は此世の苦痛を除かんが為ではなかつた、彼は此世を此世として存せしめ之に代へて復死非ず哀み嘆き痛ある事なき完全の世を最後に実現せしめ給ふのである、此世に於ては凡の悪の源たる罪を除き給ふのである、彼の出現の目的は茲にあつた、而して彼に由て此救済に与りたる者は世に勝つ事が出来るのである、仮令肉体の疾病は癒されずと雖も此身此儘にて神を讃美し神に感謝する事が出来るのである 癒されざる事が却て喜びである、霊魂の救済は肉体の治癒に勝る事幾許ぞ、我等の愛する者の為めにも其疾病の癒されん事を祈らざるに非ずと雖も其霊の救はれんが為めならば短命敢て悲むに足らず、神よ聖旨を成させ給へである、最大の恩恵は肉の癒しに非ずして霊の救ひである、キリストが奇跡を以て幾多の病者を癒し給ひしは彼が万物を服はせ得るの力を有し給ふ事を人に示さん為の実物教育に過ぎなかつた、故に之れ確かに神の力の表現である、然し奇跡そのものが目的ではなかつた、目的は自ら他にあつた、彼が今日我等を救ひ給ふの方法は之等の奇跡以上である、疾病に在りて之れに勝つの力を与へ給ふのである、是の如く奇跡の記事は其儘に之を納くべきである、同時に又之等の奇跡はキリスト出現の目的に非ずして救済の手段に外ならざりしを知るべきである、聖書に記されたる多くの奇跡の説明は茲にある、之を心に留めて再び奇跡の記事に遭遇するも其説明を繰返すの必要はないのである。 〔以上、3・10〕
 
     第七回 弟子の撰定(二月十一日) 路加伝第五章
 
(99) キリスト既に己れを世に紹介し給ひし後彼は直に弟子の撰定に移り給うた、勿論己が勢力を扶植せんが為ではない、己に近き者を撰びて限りなく福音を伝へしめんが為であつた、彼は如何なる人の間より彼の弟子を撰び給ひし乎、又如何にして之を撰び給ひし乎、其撰定の範囲及び方法は極めて斬新にして到底人の思ひ及ばざる処である。
 路加伝第五章は先づペテロ及びヨハネ兄弟の撰ばれし記事を掲げて居る、然しペテロ兄弟等のイエスに徒ひしは此時が最初ではなかつた、彼等は曩にバプテスマのヨハネの教を聴かんが為にヨルダン河畔に至りし時「世の罪を負ふ神の羔を見よ」とのヨハネの言を聞きてイエスに従うたのである(約翰伝一章二十九節以下)、彼等は或意味に於ては既にキリストの弟子であつた、然し乍ら此時彼等は初めて伝道の職を授けられたのである、故に寧ろ之を伝道師撰定といふを妥当とする、即ち更に深き意味に於ての弟子の撰定であつた。
 伝道師の撰定といふ、キリストはエルサレムに上りて聖書学者の門に就き青年学生の俊才を撰び給ひし乎、否彼の目を注ぎ給ひしはガリラヤ湖畔の漁夫であつた、但し漁夫と言ひて単に労働賃銀を以て生活する無学の労働者ではなかつた、彼等の父は相当の地歩を占めたる舟持《ふなもち》であつて且傭人を使役し其子等も亦共に父を助けて漁業に従事したのである、故に子等が父を去てキリストに従ひし後と雖も父は尚其生活を維持することが出来たのである、殊にヨハネの如きは学問の素養ある人物なりし事は聖書の上に明白である、又キリストの十字架に釘けられ給ふ前夜ヨハネ随ひ行きて祭司の長《をさ》の庭に到りし時知人ありしが為 入るを許されたとあれば其のヱルサレムの上流社会にも交際ありし事を察知し得るのである、要するに彼等は独立の生計を維持したる人々であつた、聖書学者に非ず又被傭労働者に非ず独立の漁業者の間よりキリストは先づ其弟子を撰定し給うたのである。
(100) 而して此事実は福音の向ひ行く中堅の何処に在る乎を示すのである、福音素より万人に対するものなりと雖も就中特に如何なる人々に適する乎、曰く常に人生の事実を以て問題とし而も独立の地位を確保せる人々である、頭脳を以て思索研究に耽る人々ではない、又他人に使傭せらるゝに非ざれば衣食する能はざる人々ではない、手を以て日々の労働に従事し独立の生業に励むの人、斯る人が最も福音の性質に合体するのである、故に若し今日キリスト我等の間に来り給ひて彼が福音を委ぬべき者は誰ぞと撰び給ふならば矢張り同じ事を為し給うであらう、彼は決して学士神学生哲学者等に注目し給はないであらう、さりとて又賃銀を以て漸く日々の生活を支ふる被傭労働者をも撰び給はないであらう、彼の撰定に入る者は必ずや独立の地位を維持せる実行的方面の人であらう、基督教の genius(向き)が彼処に在らずして此処に在るのである、ペテロ、ヨハネ等を以て代表せられし人々が最も能く福音を受くるに適して居るのである。
 次に又其撰定の方法がキリスト的であつた、若しキリストに非ずして普通の教法師であつたならば如何、必ずや其弟子を家に招きて天国の教を伝へ、その之を解するを待て然る後に弟子として撰定したであらう、然し乍らキリストは斯くは為し給はなかつた、彼は自らゲネサレの湖浜に出で給うた、而してペテロ、ヨハネ等終夜の漁撈空しく何の獲物もなくして失望せるを見其舟に乗りて澳《ふかみ》に出で網を下さん事を命じ給うた、ペテロ等即ち命のまゝに網を下せば魚を囲む事甚だ多く網も破るゝばかりなるにより侶舟《ともぶね》を招きて助けしめ遂に二般の舟に溢るゝ獲物を得たのである、是に於てペテロは己が師の常人に非ざる事を覚つた、彼は忽ち自己の罪を感じた、故に師の足下に僻して「主よ我を離《さ》り給へ、我は罪人なり」と言うた、其時キリストは彼の手を取りて「懼るゝ勿れ、今日より汝をして人を漁る者たらしめん」と答へ給うたのである、而して彼等舟を岸に漕ぎ寄せ一切を捨(101)てゝキリストに従うたのである、驚くべき召し方! 而かも之れ最も完全なる弟子撰定の方法である、之れ人の企て及ぶ能はざる処である、漁夫を招くに漁法を以てす、而も失望の朝である、 らずも主は姿を現はして「汝等少しく方向を変へよ」と命じ給ふ、之に従へば即ち舟も沈まんばかりの大漁である、驚き懼れて為すべき術を知らざる時忽ち「懼るゝ勿れ、今より人間の漁夫たらしめん」と教へ給ふ、彼等は終生此朝の出来事を忘るゝを得なかつた、後日伝道の失望に遭遇したる時幾度びか之を想ひ起したであらう、「人を漁る」といふ、多少語弊が無いではない、然し乍らキリストの語に於ては其の意味は自ら別に在る、人を漁るが為の網は何ぞや、曰く唯キリストの御言あるのみ、此網こそは人を漁るに適する唯一の網である、而して之に入りし者が神の国に入るのである、其他の網は皆非である、人を漁る為の網としては音楽も非である、慈善も非である、教育も非である、手段政略最も非である、唯神の言なる聖書のみ之を用ゐて可なりである。
 路加伝第五章は次に二箇の奇跡を記して居る、療病の治癒及び※[病垂/難]瘋《ちゆうぶう》の治癒之れである、癩病は到底癒し得べき疾病ではない、一見戦慄を禁ぜざる最も恐るべき疾病である、今日と雖も此疾病の治癒方法を発見する者あらば医学界の王《キング》を以て称せらるゝであらう、然るにキリストは之を癒し給うた、之れ彼が人類の救主たるの最良の証拠である、是に於て彼は癒されたる人に命じ「往きて祭司の前に証拠を示せよ」と言ひ給うた、即ち教職に対して御自身の証明を為さしめ給うたのである、彼が救主たるの資格を証明すべき最良の免状は彼の行ひ給ひし恩恵の奇跡其者である、而して之を祭司の前に表はさしめ給ひしは蓋し彼より進んで祭司階級に対し衝突を招き給うたのであらう、次に彼は※[病垂/難]瘋を患みたる者を癒して「人よ汝の罪赦さる」と宣告し給ひし時衝突は更に一歩を進めたのである、学者とパリサイの人々は心に之を非難した、而してキリストは其を知りて「汝等心の中に何を論(102)ずるや、汝の罪赦さるといふと起きて歩めと言ふと何れか易き」と答へ給うた、罪を赦すと言ふは易きも其事実を示すは難し、我れ今其事実を汝等の眼前に示さんと言ひ給うたのである、知るべし弟子の撰定に次ぎて記されたる之等二個の奇跡の意味を、之れ奇跡其ものよりも寧ろ奇跡の結果たる衝突の記事である、キリストに弟子を生ずると共に又敵を生じた、此の如く彼の生涯を通じて其勢力の増加するに従ひ敵も亦増加したのである、其事業の進むに比例して衝突も亦激烈を加へたのである、之れ福音の深きドラマである、ルカが奇跡の記事を此処に挿みたるは此事を示さんが為に外ならなかつた、而して之を知るは福音の何たる乎を知るが上に必要である、福音若し敵を生ぜざらん乎、即ち偽の福音たるの明証である、我等キリストの恩恵に与りし者亦然り、福音の為に証を為す事多ければ愈々多くの敵を作らざるを得ない、寔に己むを得ざるの事実である、「凡ての人汝等を誉めなば汝等禍なる哉」である、故にキリストは彼の声名の此世に揚る時は必ず人なき処に退きて祈り給うた、福音書記者の筆は実に用意周到である、路加伝五章十五節にキリストの声名の喧伝を記したる後其次節に於て彼の祈祷の記事を書き漏らさない、而して五章全体の示さんと欲する処は福音の宣揚と之に対する悪魔の反対との並行並進にあるのである。
       ――――――――――
 
     第八回 税吏の聖召(二月十八日)
 
 イエスは其弟子を撰定するに当り之を宗教界よりせずして普通人の間より為し給うた、之れ既にパリサイの人等に対する一種の挑戦であつた、其後彼は二回の奇跡を以て敵を作り給うた、然るに今や税吏レビを其弟子に撰(103)定し給ふに及び衝突は愈々其度を進めたのである。
 レビとは何人である乎、馬太伝九章九節に依ればマタイとあるを以て多分馬太伝の筆者なるマタイの事であらう、何故レビをマタイと名けしか明かならざるも、マタイとは「神の賜」の意であるから恰もシモンをペテロと呼び給ひしが如く此貴き弟子を得給へるを記念せんが為め後にマタイと呼び給うたのであらう。
 レビ彼は一の税吏であつた、税吏と言ひて今日の其と大に趣を異にする、当時素より税法の規定あるなく徴税は一種の請負仕事であつた、即ち土地を区劃して其区域内の納税額を入札により決定するのである、故に税吏は政府より徴税の特許を受けた者であつて其契約したる納額以上を徴収すれば其れ丈け自己の利益に帰するのである、従て彼等が収斂を事としたるは自然の数であつた、今日一定の税法の下に徴税の任に当る税吏すら人民より悪感を以て迎へらるゝ事甚だしきものあれば況して之等昔日の税吏が蛇蝎視せられたるは怪しむに足らない、殊にユダヤの税吏は羅馬政府の役人なるが故にユダヤ人にして税吏たる者は国賊又は売国奴を以て目せられたのである、而してレビは実にかゝる税吏の一人であつた。
 「此後イエス出てレビといへる税吏の税関の前に坐し居けるを見て我に従へと曰ひければレビ一切を捨ておき起ちて従へり」とある、「見て」とは「見詰めて」の意なるも多分レビも亦此時初めてキリストに従つたのではあるまい、既に幾度びかイエスの説教を聴きイエスも亦レビの人物を認知して居給うたのであらう、而して此時愈々「一切を捨てゝ我に従へ」との召命を蒙り即ち応じて起つたのであらう。
 レビなるマタイは今日の所謂俗吏に過ぎなかつた、俗吏は多くの場合に於て一種の機械である、良心あるなく見識あるなく人生問題の如きは彼に取て風馬牛である、世にキリストの福音と没交渉なるものありとせばそは俗(104)吏である、而して税吏は俗吏中の俗吏であつた、殊にレビは外国人の下役たる税吏であつた、然るに今や彼を招きて其弟子と為し給ふ、イエスの行動は大胆の極であつた、独りパリサイ、サドカイの人々のみならずユダヤ人一般の感情に牴触せざるを得なかつたのである、然し乍らイエスの撰定は素より誤らなかつた、俗吏の間にも貴き人物あり、マタイは実にイエスの後事を託せらるゝに足るの人であつた、彼は後に何事を為したるや必しも明白ならずと雖も馬太伝の大部分が彼の筆に係る者たるは疑ふ事が出来ない、彼は十二使徒中にありて書記役を勤め常に師の後に随うて記録を綴つたのであらう、馬太伝が数字の記載を忽せにせざるは其特徴の一である、故に筆者は金銭の勘定に慣れたる人ならんとは蓋し有力なる観察たるを失はない、マタイはパウロ又はペテロの如く外面的に壮烈なる活動を為さゞりしと雖も静に福音を伝へたる貴き弟子の一人たりしは明かである、税吏マタイの撰定は確かに偉大なる撰定であつた。
 然し乍ら最も快心を党ゆるは撰定せられし後のマタイの行動である、彼は其現職を抛ち一切を捨てゝイエスに従はんとするに当り盛なる別離の宴を張りて同僚を悉く招き新しき師の臨席を乞うて以て公々然信仰の発表を為したのである、席に列する者は多数の俗吏である、而して神の子イエスキリストと其数人の弟子とである、此間に立ちて昨日迄の税吏今日よりの使徒マタイ意気昂然其の貴き師を旧同僚に紹介し葡萄酒を酌みて自己が新生活の首途を祝したであらう、寔に痛快なる酒筵である、キリスト素より俗吏の宴席に列するを好み給はなかつたであらう、然し乍ら此時はマタイの勇気を嘉みして喜んで出席し給うたであらう。
 然るに其饗宴中既に衝突は始まつた、学者とパリサイの人イエスの弟子に対し怨言を発して曰く「汝等税吏また罪ある人々と共に飲食するは何故ぞ」と、「税吏即ち罪人と共に」、「俗吏而も売国奴と共に」と言ふたのであ(105)る、此反対論に対してイエスは答へて言ひ給ふた「康強《すこやか》なる者は医者の助を需めず、唯病ある者之を需む」と、之れ一には事実である、一には又諷刺である、語は簡単なりと雖も凡ての人の心に訴ふるものであつた、之を受くる人の心情如何により或は深く或は浅く或は同情の語として或は反語として響くものであつた。
 次に第二の反対が起つた、曰く「宗教家は飲食を節し屡断食を為すべき筈なるに汝等美食を取りて憚らざるは何ぞや」と、かゝる謬見は今日も亦屡々耳にする処である、而して普通の宗教家なるものは実に之を装ふのである、麁衣粗食蔽屋陋居以て衆愚の賞讃を博す、パリサイの徒がそれであつた、バプテスマのヨハネすら尚其類であつた、然し乍らイエスは然らず、彼は曰ひ給うた「新郎《はなむこ》の朋友《ともだち》其新郎と共に居る間は之に断食を為さしむる事を得んや、後新郎と別るゝ日至らん、其日には断食すべきなり」と、蓋し当時の習慣として新郎の朋友は新郎を新婦に奪はれたる悲しみを表はさんが為め断食を為したのであらう、イエスは其例を取りて教へ給うたのである、曰く「今は新郎の朋友尚ほ新郎と共に在るの時である、斯る時に何ぞ殊更に断食を為すの要あらんや、然し後に時が来るのである、新郎其朋友を捨てゝ去るの時が来るのである、其時こそ断食せざるを得ないのである」と、断食之を規則として為すべからず、神恵み給ふ場合には寧ろ感謝して受くべきである、衣食住の外側の事以て信仰を増減せしむるに足らず、断食するには自ら時あり、後ち時来るやイエスは此世の宗教家の味ふに由なき苦みの杯を飲み干し給うたのである、彼は既に其伝道の初より十字架を前途に望み給うた、而して之れ真に断食すべき日であつたのである。
 是に至りてパリサイの人等は最早や返すに語無きに至つた、依てイエスは更に三箇の譬喩を語り給うた。
 「新しき衣を裁取りて旧き衣を補ふ者あらじ、若し然せば新しき衣をも壊《そこな》ひ且新しきより取りたる布《きれ》は旧(106)きものと合はず」と、之れ普通の婦人の熟知せる事実である、然るに宗教家神学者は之を知らない、彼等はイエスの新しき福音を取りて旧き道徳に継ぎ合はさんとするのである、其故何ぞ、福音は之を受けんと欲す、而も律法も亦之を棄つるに忍びず、是に於てか弥縫を試みて鵺を作出するのである、然し乍ら新しき生命なる福音は到底旧き規則又は儀式の類と調和しない、之を強ゐて接合せんと欲すれば即ち双方の破壊に終るのである、教会の存在の常に危殆なるは之が為である、福音は福音として之を説かしめよ、「若し恩《めぐみ》に由らば功《おこなひ》に由らず、若し功に由らば恩に由らず」とパウロは言うた、福音と律法とは両立すべからざるものである。
 二、「新しき葡萄酒を旧き革袋に盛る者あらじ、若し然せば新しき葡萄酒は其袋を張り裂き漏れ出づ、且革袋も壊《すた》るべし、新しき葡萄酒は新しき革袋に盛るべき者ぞ、新くてこそ両つ乍ら存つなれ」と、革袋とは山羊の胃腑《ゐのふ》を抉取《きりと》りて乾製したるものを云ふ、其の既に膨脹し切りたる旧き革袋に新酒を容れなば酒は尚醗酵を続くるが故に袋を張り裂くに至るのである、イエスは此譬喩を以て福音の膨脹性を教へ給うた、新しき葡萄酒とは何ぞ、言ふ迄もなく福音である、常に膨脹しつゝある生命である、旧き革袋とは何ぞ、規則を以てするに非ざれば維持するを得ざるパリサイの人の神学である、又今日我邦の宗教家教育家の類である、新しき革袋とは何ぞ、自由なる生命を湛ふるレビ、ペテロ、ヨハネ等の新弟子である、福音を托すべき処は茲にあるのみ、之を旧き革袋に托せん乎、福音も革袋も共に破壊するの外ないのである。
 三、之等二箇の譬喩を語り終りてイエスは尚一言を附加せん事を欲し給うた、曰く「旧き葡萄酒を飲みて立所に新酒を飲む者はあらじ、是れ旧きは最も好しと言へばなり」と、彼は旧き衣と旧き革袋とを斥けつゝも尚彼等に対して深き同情なき能はず、即ち自ら葡萄酒の杯を手にしつつ一味の厳粛なる諧謔を交へて斯くは語り給うた(107)のであう、「汝等今我が福音を受けざればとて我之を責めず、旧き酒を好める者が新酒を出されて立ちどころに之を飲まんとせざるは実に人情である、然し乍ら汝等も亦後には我に従ふの日あらん、今暫らく旧を旧として時の到るを待つべし」と、之れ深き同情の語である、自ら守るに厳格なるイエスが人を竢つの如何に寛大なるかを見よ、老人に対する伝道は常に此精神を以てすべきである。
 是の如くにしてレビの家に於ける一夕の饗宴は永久の真理を伝ふるの機会となつた、招きしレビ、招かれたる同僚、喜びて臨席し給ひしイエス及び其弟子、而して反対論ありイエスの意味深速なる答弁と譬喩とあり、最後に老人に対して迄も同情の一言を附加し給ふ、之を綴り合せば真に一幅の画である、僅かに三十分を超えざる会話の間に誰か又斯くも人生の最も深き所に触れて情意と勇気と哲学と詩と悉く備はざるなき貴き語を発し得るものあらう乎。
       ――――――――――
 
     第九回 新旧の断絶(三月四日) 路加伝第六章
 
 イエスと当時の宗教家との間には根本的の相違の存する事が次第に明白となつた、而して此隔離は終に安息日問題に至つて其絶頂に達したのである、路加伝第六章はガリラヤ伝道の分水嶺である、イエスと彼等との社交は茲に断絶したのである。
 安息日は当時の宗教家殊にパリサイの徒の最も重大視したるものであつた、此日を守らんが為には種々なる行為が禁止せられた、或は八丁以上の距離を歩むべからずといひ或は病者を癒すべからず或は麦を刈るべからずと(108)いふが如き条項が三十有九も定められて居つた、而して之等の条項を厳守するに非ずんば良き信者として認められなかつた、実に安息日に関する観念の中に当時の人の凡ての思想が籠つて居つたのである、故に此問題に対するイエスの態度如何に由つて彼等と彼との相違は截然分別せらるゝのである。
 或る安息日にイエス其弟子を連れて麦畑を通り給ふた、其時弟子麦の穂を摘み之を手にて搏《も》んで食うた、然るに当時既に彼の身辺に間諜の附き纏ふあり、彼等は事あれかしと注目怠らなかつた折柄であれば之を発見して奇貸措くべしと為し直に詰責して言うた、曰く「汝等安息日に為まじき事を為すは何故ぞ」と、然るにイエスの答は意外であつた、そは甚だ大胆なるのみならず褻涜的にさへ聞ゆる言であつた、彼は言ひ給うたのである「ダビデ及び共に在りし者の饑えし時為したる事を未だ読まざる乎」と、又曰く「人の子は安息日にも主たるなり」と、即ちダビデに可かりし事は我にも可いのである、我はダビデ以上の者である、又我は安息日をも支配し得るのである、人の子は律法以上の者であるとの意である、之を聞いてパリサイの徒等驚かざるを得なかつた、イスラエルの祖先中最も尊敬せらるゝダビデ以上と称する者は何人ぞ、況んや自ら僭して敢て律法以上の者と言ふに於てをや、彼等は殆ど怒りても尚足らざるを覚えた(サムエル前書二十一章参考)
 又他の安息日にイエス会堂にて説教を為し給うた時手の枯《な》へたる人があつた、列座の者共敵乍らもイエス必ず之を見逃がしはすまじと予想した、唯疑問は之を今日癒すならんか或は安息日の終る迄待つならんかに在つた、彼等はイエスの為し給ふ善に重きを置かずして只管其中に何か非難すべき理由を発見せん事を力めた、イエスは勿論其意中を察し給うた、而して人の子の安息日にも主たる事を現はすが為に恰好の時機なるを感じ給うた、是に於て彼は病者に命じて座の中央に立たしめ而して問題を提出して曰ひ給うた「我れ汝等に問はん、安息日に善(109)を為すと悪を為すと又生けるを救ふと殺すと何れをか為すべき」と、之れ秦より常識に照して明瞭なる問題である、従て彼等は答ふべき言を知らなかつた、然し乍ら事は議論のみを以て終らない、イエスは遂に衆人を環視《みまは》して其人に手を伸ばさしめ給ひたれば手は完全に癒えたのである、彼は斯くして明白なる実物教育を施し給うた、是に至つて唯に安息日に関する思想の相違が顕著となりしのみならずイエスの福音と彼等の教との間に全然調和の余地なき事が表明せられたのである。
 凡て偉人は最初より急進家ではない彼は寧ろ保守家である、然し乍ら漸次世人と接触して其誤謬を感知するに従ひ彼我の重視する処全然転倒せるを発見し而も融和せんと欲して遂に融和すべからざるに至り已むを得ずして改革の旗幟を樹立するのである、一例を挙ればグラッドストーンの如きもさうであつた、彼が晩年は殆ど社会主義に近き進歩的思想を抱きしと雖其大学時代に在ては最も保守的の青年であつた、保守家は決して好んで反対の声を挙げない、余輩の無教会主義の如き又之に傚ふたのである、余輩も亦最初は教会又は監督の友であつた、然しながら彼等の重んずる処は余輩の軽しとする処、余輩の最も重視する処は却て彼等の顧みざる処なるを知りて彼等と余輩との一致は破れざるを得ないのである、余輩嘗て或る監督の招きに応じて会見した事があつた、其時余輩は彼の教会に属する一婦人の救済問題につき監督の意見を叩く処があつた、然るに彼監督は答へて曰うたのである、教会は神を礼拝する所である、何ぞ一婦人の救済に関はる事を得むと、而して監督の余輩に謀る処は或は聖書の読み方であつた、或は伝道志願者の許可方針であつた、彼等の為す処概ね是の如しである、近時聖公会に於て聖餐式用僧服の種類に関し又聖餐式当日の朝に於ける喫飯の可否に関し大問題を惹起したりと聞く、斯くして信者の共働を主唱するも無理なる註文である、一致は多くの場合に於て偽善である、均しく神を信じキ(110)リストを信ずるといふも其実質に於て全然異ならば互に手を分たざるを得ない、イエスも亦当初は慣例に従うて宮詣をも為し安息日をも守り給うたのである、然しながら既に幾多の経験に由つてパリサイの徒等徒らに旧き形骸を重んじ到底新しき生命を受くるに堪へざる者なる事を看破し給うた、彼等の求むる処斥くる処は恰もイエスのそれと正反対なる事を感知し給ふた、是に於てか今や断然彼等と袂を別ち給うたのである、彼は此時最も切実に自己の孤独を感じ給うたであらう、彼は唯独り山に入りて終夜祈り給うた(十二節)、而して神より光を受けて茲に新社会の創造を始め給ふた、十二使徒の撰定即ち之れである、旧きを舎てゝ新しきを図る、イエスのガリラヤ伝道の分水嶺は此処にあつた。
 かの馬太伝に於ける所謂山上の垂訓はこの使徒撰定の事実に次ぐものである(二十節以下)、故に其何人に向つて説かれし教訓なるかは自ら明白である、山上の垂訓は決して万人の実行し得べき道徳ではない、之れ唯キリストを信ずる者にのみ適用すべき至高の道徳である、新しき基督団の発端成りて然る後に山上の垂訓は下つたのである。 〔以上、4・10〕
 
     第十回 天国の民と其の律法(上) (三月十八日) 路加伝第六章自十二節至卅八節
 
 真正の革命は皆已むを得ずして成る、イエスも亦当時の学者パリサイの徒と其根本精神を異にするを知り、已むを得ずして之と絶縁し給うた、而して弟子中より更に己に近き者十二人を選びて之を使徒と為し給うた、是の如くにして新なる霊的団体は其芽を萌したのである、基督団即ち教会の発端は出来たのである、天国の市民は(111)茲に初めて作られたのである、而してイエス今や彼等に対し其の守るべき途並に其の特権を教へ給ふ、二十節以下は即ち馬太伝の所謂「山上の垂訓」にして此世より分離したる弟子達の守るべき途及び其特権を述べられた者である。
 所謂山上の垂訓に対する最大の誤解は之を以て人類全体の道徳と見做すにある、是の如くに解してイエスの教は無理なる要求たらざるを得ない、かのトルストイの信仰に幾多の困難を伴ふは之が為である、支那の一学者も嘗て米国に於て公言した事があつた、「孔子は実行可能の事を要求しキリストは無理を要求す」と、然し乍ら山上の垂訓が人類全体に対するの要求に非ざる事は路加伝の記事の順序殊に其第六章廿七節の示す処である、「我に聴く処の汝等に告げん」と、即ちイエスは万人に之を告げ給ひしに非ずして唯彼に聴き彼に従ふ処の彼の弟子に之を告げ給うたのである、而して彼に聴く処の彼の弟子は彼より単に命令のみを受くる者ではない、必ずや又共に約束をも受くる者である、神の律法は約束を伴ふ、此恩恵を受け得る者にして初めて此命令を守るに堪ふるのである、約束を離れて律法を守る能はず、天国の民に非ずして山上垂訓中の道徳を行ふ事は出来ない、山上の垂訓は天国の民たるの特権を受けたる少数者の律法である事を忘れてはならない。
 故にイエスは律法を語るに方り先づ天国の民の特権を教へ給うた、此時イエスに従うて最初に天国の民となりたる弟子等は如何なる種類の人々なりし乎、彼等は世の富者又は権者階級の人々ではなかつた、彼等は貧しき者弱き者であつた、今日に於てこそ基督教は既に世界勢力にして世界の富の十分の九は基督者の掌握する処たり、欧米の君主大統領等皆基督者ならざるはなきの状態なるも、基督団の発端をかへりみればそは極めて微《あは》れなるものであつた、其団員は漁夫又は税吏の輩《ともがら》に過ぎなかつた、而も是等少数の弱者が世の教権政権と截然分離して茲(112)に新しき国を建設せんとす、之を外より見て恰も児戯に類するの感なきを得なかつた、之を内より見て弟子達自身すらも疑懼の念に堪へなかつたであらう、然るにイエスは教へて言ひ給うたのである、「汝等貧しき者餓えたる者哭く者こそ福である、何となれば天国は汝等の所有であるからである、汝等は飽き且笑ふを得るからである、汝等世より排斥迫害せらるゝ其時こそ福である、其時は欣び踊れ、何となれば之に由りて汝等真の栄光に入るからである」と、イエスは其弟子たる貧者弱者等を心より祝福し給うた、而して又彼等の間に紛れ込めるパリサイ、サドカイの徒等の間諜に注目して言ひ給うた、「汝等富める者は禍なる哉、汝等飽ける者今笑ふ者は禍なる哉、凡ての人汝等を誉めなば汝等禍なる哉」と、是れ甚だ激越の辞である、神の霊其胸中に宿れるに非ずんば誰か能く此の言を発し得る者ぞ、イエスは貧者弱者を祝福すると共に富者権者を呪ひ給うたのである、光の子と世の子とを峻別し給うたのである、是れ基督団の発端であつた、而して其終局も亦是の如くならざるを得ない、天国の民の特権は此処に在るのである。
 特権に次で律法は来る、二十七節以下が其れである、「人汝等の頬の右方を撃たば亦左方の頬を向けよ、汝の外服《うはぎ》を奪はゞ裏衣《したぎ》をも拒まざれ云々」と、之れ果して実行し得べき道徳である乎、之を人類全体の道徳と見て其実行は不可能である、然り乍ら之を天国の民の律法と見て其実行は可能である且容易である、少しく事実をして之が註解たらしめよ、「人汝等に一里の公役を強ゐなば之と共に二里行け」とは同じ教訓中馬太伝に載せられたる一節である、而して之れ明かに当時の事実の例証であつた、当時羅馬の兵士は何人をも捉へて一リーグ(凡そ一里)を限り自己の荷を負はしむるの特権を有した、故に耒耜《すき》を取て田園に励《いそし》む農夫と雖も一里の公役は之を拒むを得なかつた、従て人皆兵士を厭ひ遥に其影を望めば即ち逃避するを常とした、然るに基督者のみは斯くは為(113)さなかつた、彼等は一里の公役を強ゐられなば之と共に二里又は三里を往いた、但し彼寄は無為では往かなかつた、彼等は兵士の荷を負ひながら福音を説き神の言を伝へた、而して之が為に荷を負はしめたる兵士にして救に入りし者は決して少数ではなかつた、即ち知る彼等基督者は単なる命令として之を守りしにあらざる事を、彼等は憐むべき羅馬兵士の霊魂を愛したのである、又彼等の為に天国に於て如何なる宝の貯へらるゝ乎を知つたのである、既に此の望と此愛のあるあり、即ち一里の強制に応ずるに二里の履行を以てするも何の困難か之れ有らむ、我等若し常に我等の国は天にある事を思ひイエスキリストの其処より来るを待つの切なる望を抱き、且未だ此望に与らざる人々に対して強烈なる同情を有せん乎、深夜盗賊来りて財物を求むるに会せば彼が神の国に入るの機会とならんが為には全財産を与ふるも尚吝まないであらう、現に我邦に於てさへ往々にして此種の実例を見るのである、盗賊の要求に従ひ貸財を与ふるに加へて「願はくは此書を読め」とて聖書を贈り遂に賊をして獄中に悔改せしめたるが如きは有名なる話である、至高の道徳を行ふに是の如く容易ならしむる所以のものは何である乎、曰く主に在る望と愛とである、此の望と愛と無くしてイエスの命令は之を守るに堪へない、母胎より出で此世の教養を受けたるのみにして人は山上の垂訓を実行する事絶対に不可能である、然し乍ら一朝キリストの救に与り望と愛と其胸中に燃ゆるに及びて律法は最早や束縛に非ず重荷に非ず却て最も易々たる自然の途と化するに至る、そは恰も親を愛するの子夫を愛するの妻に対し強き命令も命令として聞えず却て甘き愛の語として響くが如くである、我に天国の冕の望あり主に由るの愛あらば山上垂訓の高き要求も何ぞ恐るゝに足らん、「人汝の頬の右方を撃たば又左方の頬を向けよ」と、然り我之を為し得るのである、「汝の外服を奪はゞ裏衣をも拒まざれ」と、然り我亦之を為し得るのである、世の倫理学者等善悪の論を知つて道徳の実行に無能なりと雖も基督者は主(114)の命じ給ふが儘に律法の軛を負うて其甚だ軽きを覚ゆるのである。
 近時教会に於て山上の垂訓に対する一種特別の解釈がある、即ち天国の民の特権を現世的に解し「汝等今は貧しと雖も後に富まん、汝等教会の代表者等今は迫害を受くると雖も後には世より歓迎せらるゝに至らん、基督教は其姶に当りて微々たりと雖も後には世界勢力たるに至らん」との意に解するのである、実に基督教は今日世界の大勢力である、基督者は今や貧しき者ならず、米国のバプテスト教会は日本全国の富よりも大なる富の所有者たるロックフェラーの如きを其会員に数ふるのである、然し乍ら教会は斯く富みたるが為に益々腐敗しつゝあるは事実である、嘗て天主教会の盛時、或学者の羅馬法王に謁するや法王曰くペテロは金銀我にあるなしと言ひしも彼が後継者たる我は斯く言ふの必要を見ずと、学者答へて曰く然り、然し乍らペテロ若しナザレのイエスの名に由て立てと言はば何人も立つた、然るに閣下は之を言ふ能はず又之を言ふとも立つ者は無しと、真個の教会は今日と雖も富者権者の団体ではない、其発端に於て貧しき者餓えたる者哭ける者の団体でありしが如く其終局に至る迄同様である、而して彼等は主の再臨に至て初めて富める者飽ける者笑ふ者となるのである、天国とは地上の教会に非ず、復活体を以て参与すべきその貴き国である、故に之に入るの歓喜幸福は永遠不朽である、天国を来世と解して初めて山上の垂訓の意義を探る事が出来る、基督者の特権は天国の約束に在る、而して此約束に基く望と愛とに燃ゆる時能く天国の民の律法を実行するに足るのである。
       ――――――――――
 
     第十一回 天国の民と其律法(下) (三月廿五日) 路加伝第六章卅六節以下
 
(115) イエスは天国の民の律法を説きたる後之を一語に総括して言ひ給うた、「是故に汝等の父の憐憫の如く亦憐憫を為すべし」と(三十六節) 是れ基督教道徳の真髄である、基督者の道徳の標準は父なる神にある、神の人を遇し給ふが如くに人を遇する事が彼の道徳である、殊に父の憐憫の如くに亦憐憫を為すべしと言ひて天国の民の凡ての律法は総括せらるゝのである。
 道徳の標準を完全なる神に取るべし決して其以下を目指すべからずと、之れ実に高き道徳である、世に何処に又是の如き教訓がある乎、釈迦孔子ソクラテスと雖も遂に此処には至らなかつた、人の道徳は此処に至つて其絶頂に達したのである、而してイエスは更に之を実行するの途を備へ給ふ、彼に頼りて此貴き理想の実現は可能となるのである、人類の栄誉はこの至高至尊の道徳を附与せられし事にある、人生の意義は之が実行を期待するにある、言ふを休めよ「人間なれば致方なし」と、かゝる口実は基督者に取つては何等の弁解をも値しないのである、彼は驀然《ばくぜん》神の完全を目指して進むのである、父の憐憫の如く亦憐憫を為さん事、之れ彼が最大の野心である。
 山上の垂訓は茲に至て最高処に達したのである、若し此時の聴衆にして十二使徒其他彼の真実の弟子のみなりせばイエスの教訓は此処に於て一先づ終結を告げたであらう、然し乍ら彼の眼前には尚幾多の人々があつた、批評眼を以て冷然彼を見守れる学者パリサイの徒もあつた、又彼の教を解する事浅薄にして之を其衷心に受けざる偽の弟子等もあつた、イエスは今や彼等に注目して更に少しく其弟子に対する誡めを附言すると共に又直接彼等に対しても一言せん事を欲し給うた、是に於てか彼の言辞は稍々低調を帯び降つて彼は少しく他方面の教訓を垂れ給うたのである。
(116) 「人を議する事勿れ」(三十七節) 注意すべきはイエス此時其眼前に佇立せるパリサイの徒に注目しつつ斯く語り給ひし事である、「パリサイの如くに人を議する事勿れ」と、之れ彼の真意である、彼は絶対に人を議するなからん事を要め給うたのではない、事若し神の栄光に関せん乎、或は兄弟の救に関せん乎、之を黙過する事は出来ない、何等かの裁判は之を為さゞるを得ない、然し乍ら其時裁判く者の苦痛は実は裁判かるゝ者以上である、彼は親が子を責むるの辛さを忍びつゝ已むを得ずして之を為すのである、然るにパリサイは全然之と反対であつた、彼等は他人の欠点の曝露を以て快事となしたのである、他人の罪悪の苛責を以て悦楽となしたのである、裁判く事、罪に定むる事、之れ彼等の嗜好であつた、而してイエスは此精神を己が国より根絶せん事を欲し給うた、故に彼は一言を附加して其弟子を誡め給うたのである、曰く「汝等パリサイの如くに人を議する事勿れ」と、此教訓の価値は今日に至る迄毫も変らない、パリサイの精神は又教会の精神である、教会の長き歴史と其現状とが明白に此事実を証明する、我等天国の民たる者はパリサイ又は教会に倣つてはならない、我等は他人の罪を見る時如何にして之を免れしめんか如何にして之を軽からしめんかを思ふべきである、法廷に於ける検事の立場を以てパリサイ又は教会の態度なりとせば我等の態度は正に弁護士の立場たるべきである、而して之れ決して最後の審判の日に於て自己が同じ寛大の処置を受けんが為ではない、最後の審判の軽減は目的に非ずして結果である、人を議せず罪せずして恕すものは亦必然議せられず罪せられずして恕さるゝのである。
 次にイエスは批評家たる学者パリサイの人に対して一撃を加へ給うた、「又譬を彼等に曰ひけるは云々」(三十九節) 「彼等」とは即ち此輩の謂である、此事を解して以下の教訓の意味は甚だ明瞭である、「瞽は瞽の相者《てびき》を為し得るや」、自ら盲目にして何ぞ敢て人の師たらんと欲するや、「弟子は其師に踰《まさら》ず、凡そ全備なる者は其師(117)の如くなるべし」、後半を改訳して「彼れ完うせらるゝ時には其師の如くなるべし」と読むを要す、パリサイの弟子は亦パリサイなり、卒業すれば先生の如く悪しき者となる、他の所に於て「あゝ禍なる哉偽善なる学者とパリサイの人よ、そは汝等※[行人偏+扁]く水陸を歴巡り一人をも己が宗旨に引入れんとす、既に引入るれば之を汝等よりも倍したる地獄の子となせり」(馬太伝廿三の十五)とあると同意である、「汝兄弟の目にある物屑《ちり》を見て己の目にある梁木《うつばり》を知らざるは何ぞや」、汝等先生ぶりて些々たる小道徳を人に強ふるも自己の内心には悪毒暴很を蔵し遂に己が救主なる神の子を磔殺せんとの凶念をすら懐くに非ずや、「それ悪しき果を結ぶは善き樹に非ず」、汝等の弟子を見れば先生たる汝等の価値を知るに足る、「善き人は心の善き庫より善を出し悪しき人はその悪しき庫より悪を出す」、悪しき心の教師の言に真理なきに非ずと雖も「恰も死にし蠅の香はしき膏油に悪臭を発すが如く」悪念唯一言に現はれて忽ち全教訓を破壊し終る(伝道之書十の一) 之を要するにパリサイの人の誤は自ら師たらんとするにある、故にイエスは又或時誡めて言ひ給うた、「汝等はラビの称を受くる事勿れ、そは汝等の師は一人即ちキリストなり、汝等は皆兄弟なり」と(馬太廿三の八) 従て聖書に於てはキリストに非ずして人を「教ふ」といふ事はない、唯「勧め」を為すのみ、兄弟よ余も亦同じ経験を有すれば斯くせよといひて勧むるのである、「主言ひ給ふ」といふて主をして教へしむるのである、天国の民の問には世の所謂師なる者あるべからずである。
 初に弟子を教へ次に敵たるパリサイを誡め今や又話頭を一転して偽の弟子等に対し給ふ、即ちイエスの言を浅く頭脳に於て解して衷心に之を受けざるの人々である、「汝等我が言ふ事を行はずして何ぞ我を主よ主よと称ふるや」、寧ろ「汝等何ぞ我を主よ主よと称へて我が言ふ事を行はざるや」と訳するを正しとする、彼は彼の言を聴(118)きて之を行ふ者と行はざる者とを二種の建築に譬へ給うた、「家を建つるに土を深く掘りて基礎を磐の上に置く」者は「洪水の時|横流《ながれ》其の家を衝つとも動かす能はず」、「基礎なく家を土の上に建つる」者は「横流之を衝つ時は其家直に傾れ其|頽壊《やぶれ》亦甚だし」、彼の今立ちて語り給へる其場所が正しくかゝる土地であつたのであらう、ガリラヤ湖畔の沙丘少しく掘鑿すれば堅き磐あるに拘らず之を為さずして沙上に家を建つる人多く湖上頓に風荒れ濤逆巻く時に暴雨|忽焉《たちまち》洪水を起し横さまに衝ち来れば忽ち転覆破壊したのであらう、彼の言を聴きて行はざる者とは聞きて覚らず見て見ず唯頭脳を以て教訓を解するに過ぎざる人である、其適切なる実例は今日の学生の信仰である、彼等と雖も耳にて聞きたる処を手にて実行するといふの浅薄なる意味に於て行ふ者であるかも知れない、然し乍ら聖書に於ける「行」の観念は甚だ深遠である、深く知つて深く之を行ふ事である、而して此場合に於てイエスの特に「我言を聴きて行ふ」と言ひ給ふものは山上の垂訓の絶頂たる「汝等の父の憐憫の如く亦憐憫を為すべし」の一言を指示するのである、神の我等を愛し給ふが如くに人を愛する事、其事が真の行である、仮令イエスの教の如何に清く貴く実はしきを感じ之に憧憬すと雖も若し神の愛の如くに人を愛するの心を抱かざらん乎、其人の信仰の前途は知るべきである、「洪水《おほみづ》の時|横流《ながれ》之を衝てば其家直に傾る」と、洪水の時とは蓋し最後の審判の日を言ふのであらう、然しかゝる人は多く此世に於て既に信仰を棄つるのである。
 父の憐憫の如くに憐憫を為す事之れ最大の恩恵である、故に他人に対して幾干の憐憫を有する乎に由て自己の信仰を試験する事が出来る、医師は患者の心臓を忽諸にして疾病の治癒を計る事は出来ない、信者の心臓は此処にある、福音を霊の根柢に於て味ひし者は此の根本義=愛=憐憫=を守らざるを得ないのである。
       ――――――――――
 
(119)     第十二珂 福音異邦人に受けらる (四月一日) 路加伝第七章自一節至十節
 
 学者パリサイ等の旧社会と断絶してイエスの新社会は成立した、彼は今や新しき資格を以て伝道を始め給うた、彼は其弟子等に対し山上に於て福音の公宣伝を為し給うた、此時に当り率先して彼を迎ふるの栄誉に与りし者は誰であつた乎、そはイスラエルの民ではなかつた、そは異邦羅馬の一軍人であつた、福音は先づ異邦人に由て受けられたのである、而も彼の信仰たるや極めて芳醇なるものであつた。
 彼は百大の長即ち今日の中隊長位ゐに相当する軍人であつた、而して彼がイエスに由て癒されん事を求めし病者は自己に非ず妻子に非ずして其僕の一人であつた、僕の疾病を医さんと欲して最上の名医を求む、以て彼の心の美はしさを察するに足る、加之彼のイエスに近づかんとするや甚だしく謙遜なる態度を以てした、彼は異邦人たる自己が直接イスラエルの師に接するは憚ありと為して会堂の長老等に託したのである、而してイエス其請を容れて直に往き給はんとすれば更に朋友を遣はして曰うた、「主よ、自己を労はす事勿れ、我が家裏《やねのした》に入れ奉るは憚《おそれ》多し、故に我れ汝の前に出づるも亦憚あり、唯一言を出し給はゞ我が僕は癒えん、そは我れ人の権威の下に属ける者なるに我下に亦兵卒ありて、此に往けと命へば往き彼に来れと命へば来る、我僕に之を行せと命へば即ち行すが故なり」と、貴き師を自己の屋裏に入るゝさへ彼は憚ありと為したのである、而して己が職掌に於て上長の命維れ従ふの経験より類推して、主唯だ一言を発し給はゞ即ち足ると信じたのである。
 彼の現はしたる信仰は稀有のものであつた、イエスは之を見ていたく驚き左右を顧みて曰ひ給うた、「我れ汝等に告げん、イスラエルの中にても未だ斯かる篤き信に遇はざりき」と、今や地上に於ける天国建設の首途に於(120)てこの驚くべき篤信に遭遇し給ふ、イエスの歓喜満足や察すべしである、而して彼は直に其僕を癒し給うたのである。
 是より先き凡そ一年イエスは同じカペナウンに於て同じ奇跡を行ひ給うた(約翰伝四章四六節以下) 然るに彼と此とを対比すれば其間に顕著なる対照を見るのである、信者のイエスを迎ふるの態度及び之に応ずるイエスの態度に於て二者甚だしく相違する所がある、一は王の大臣即ち貴顕である、他は百夫の長即ち低級の軍人である、一は我子の医されん事を求めた、他は其僕の癒されん事を請うた、一はイエスの特に己が家に来り給はん事を求めた、他は来らんとするイエスを阻みて唯一言を出し給はゞ即ち足ると為した、而して前者に対してはイエスは「汝等休徴と異能《ことなるわざ》を見ずば信ぜじ」と言ひて敢て往かんとし給はなかつた、後者に対しては直に往きて最早や其家の近傍に迄到り給うた、唯だ王の大臣にも信仰はありしが故に均しく其病者を癒されたりと雖も二者に対するイエスの態度には明白なる差別を認めざるを得ない、彼は彼の来りて癒し給はん事を求むる不遜の輩に対しては常に儼乎として答へ給ふのである、曰く「我何ぞ往くを要せん、我癒さんと欲すれば此処に在りて能く癒すを得るなり」と、之に反し彼が自己を労はし給ふは憚ありと為して唯一言を以て足れりとする謙遜の徒に対しては直に立ちて往かんとし給ふのである、寔に自ら高ぶる者は卑くせられ自ら謙透る者は高くせらる、世の上流社会に福音の入る事稀なるは彼等が謙遜以て自ら之に従はんとするの心を欠如するが故である。
 福音必ずしもイスラエルに受けられず却て異邦人に迎へらる、ルカは此真理を伝ふるに於て殆ど独歩の地位を占むる者である、四福音書中最も此種の記事に富むものは路加伝である、信仰は決して所謂|正統派《オルソドクス》の専有物ではない、世界万国到る処イエスを求むるの心あり、「人もし我を遣はしゝ者の旨に従はゞ此教の神より出づるか(121)又己に由て言ふなるかを知るべし」、其の猶太人たると異邦人たると宗教家たると俗人たるとを問はない、凡て謙遜なる心を以て父の旨に従はんと欲する者はイエスと其福音とを迎ふるのである、古き羅馬の百夫長にこの美はしき心があつた、今日の軍人の間にも亦同様の実例なしとしない、従来の日本武士に於ても此種の精神は珍らしくなかつた、嘗て儒者山崎闇斎陋巷に蟄居して赤貧洗ふが如し、時に井上河内守禄を給して之を聘せんとするも闇斎応ぜず、曰く「侯若し教を聞かんと欲せば余が許に来れ」と、然るに謙遜なるは河内守であつた、彼は直に輿に乗り従者を伴うて神田末広町辺の裏長屋に闇斎先生を訪うたのである、不信者の間に道徳なしと言ふこと勿れ、不信者の間にもかゝる美はしき心があるのである、而してこの謙遜の心ありて初めて福音を迎ふる事が出来るのである、基督教は実に世界教(cosmopolitan religion)である、何人も之を専有する事が出来ない、若しイスラエルにして自ら高ぶらん乎、福音は之を去つて直に異邦人に迎へらるゝのである、若し欧米人にして自ら独り orthodox《オルソドクス》を以て任ぜん乎、福音は又之を去つて日本人支那人に迎へらるゝのである、若し日本人支那人にして傲岸の念を抱かん乎、福音は又之を去つて朝鮮人印度人に迎へらるゝのである、謙遜の心なき処に基督教は入らない、又長く其処に止まらない、百夫の長の如き信仰を以てして初めて能く福音を迎ふる事が出来る。
 旧き会堂《シナゴグ》を離れて新しき教会《エクレシア》は建設せられた、而して先づ之を迎へし者は異邦人であつた、山上の垂訓に相尋で百夫の長の信仰あり、之れ福音の世界に宣伝普及せらるべき第一歩であつた、太平洋に注ぐべき天竜川の水が将に諏訪湖を出でんとする源頭の第一歩であつた。
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(122)     第十三回 バプテスマのヨハネ (四月十五日) 路加伝第七章自十一節至卅五節
 
 イエス、カペナウンに於て百夫の長の僕を癒し給ひし翌日其地より西南凡そ十里なるナインの地に下り給うた、然るに町の門に近づき給ひし時見よ板の上に載せられて舁出さるゝ死人あり、「其母は※[釐の里が女]《やもめ》にして此は独子なり」と、人生同情すべき最大不幸である、而して町の人々皆深き同情を抱けるも之を表はすの術を知らず唯其の後に従ふのである、イエスも亦之を見て憫みを催し給うた、而して曰ひ給うた「哭く勿れ」と、之れ何人も発し得るの言である、然し乍ら我等は哭く勿れと言ふの外如何にすべきかを知らない、我等の同情は僅に言に止まる、嘗て或人死せる嬰児を釈迦の前に伴ひ往きて其癒されん事を乞うた、釈迦曰く「芥《からし》を附けよ然らば癒えん、但し未だ曾て死人を出さゞる家の芥たるを要す」と、婦之を求むるも遂に得ず、是に於て釈迦又曰く「世に死人なき家あるなし、凡ての人の死するが如く汝の児も亦死したるのみ」と、斯くて婦の悟は開けたのである、然し乍らイエスは茲に止まる事は出来ない、イエスの同情は我等の同情と異なる、彼は言のみを以て止め給はないのである、彼は哭く勿れと曰ひて直に近より其|※[木+親]《ひつぎ》に手を按《つ》け給へば舁ける者共即ち止まつた、イエス曰く「起きよ!」死者忽ち起きて且言ひ始めたのである、母の喜びや幾何なりしぞ、人々皆懼れ神を崇めて曰うた「大なる預言者我等の中に興る、神其の民を眷顧《かへりみ》給へり」と、記事は簡単なるも事実其儘にして恰も名画家の傑作の如く一画の無益あるなし、之れ寔にルカ独特の筆致である。
 何故にイエスは今も是の如くにして死者を甦し給はざる乎とは度々繰返さるゝ疑問である、然し乍ら其理由は明白である、彼は今や死者の甦生以上の恩恵を以て我等を慰め給ふが故である、彼の拭ひ能はざる涙ある事な(123)し、彼は憐憫と共に力を与へ給ふ、彼の同情を受けて我等は凡ての禍災に打ち勝つ事を得るのである。
 加之此奇跡に特別なる一事は信仰を以て条件となし給はざりし事である、之れ神学者の為の躓である、彼等は曰ふ「神と雖も信仰なき者を助け給はず」と、然し乍ら「天の父は其日を善き者にも悪き者にも照し雨を義しき者にも義しからざる者にも降らせ給ふ」、※[釐の里が女]の其独子を失ひしを見て主の深き同情は汪然として湧かざるを得ない、不信の家にも異常なる災禍臨み悲痛の声挙がる時は主之を見棄て給はない、必ず其処に立ちて力ある同情を注ぎ給ふのである、之れ実に人生の大なる慰藉である、為に或は神学は壊《やぶ》れるかも知れない、然し乍ら神の愛は之に由て一入発揚せらるゝのである。
 故にナインの奇跡は之を一の独立せる記事と見て素より感謝すべき福音である、然し乍らルカの之を此処に挿入したる主要なる目的は自ら他にあつた、之を以下に記さるヽバプテスマのヨハネに関する記事と関聯せしめて始めて其意味を解する事が出来る。
 ヨハネは曩にヨルダン河畔の地に来り悔改のバプテスマを宣伝して叫んで曰うた、「我は水を以てバプテスマを汝等に施せり、我より能力ある者来らん、我は其履の帯《ひも》を解くにも足らず云々」と(路加伝三の十六) 又曰うた、「世の罪を負ふ神の羔を見よ」と、彼は斯くしてイエスを世に紹介したのである、其後彼は正義を称へたるが為に暴戻《ばうれい》なるヘロデの囚ふる処となり今や牢獄に繋がるゝの身である、然るに彼は獄中より二人の弟子をイエスの許に遣はして「来るべき者は汝なる乎亦我等他に俟つべき乎」と問はしめたのである、知らず曩に自ら紹介したる救主に対し如何なればかゝる疑惑を懐くに至りし乎。
 其一は彼の救主観の誤謬であつた、彼はイエスの救主たるを信じたるが故にイエスに由て大革命の実現すべき(124)を期待したのである、イエスに由て宗教界の罪悪は一掃せられイエスに由て政治界の圧制は撃攘せられ新しき神の国は忽ち建設せらるゝであらうと、之れバプテスマのヨハネの希望であつた、然るにイエスの為し給ふ処は全然彼の予期に反した、獄中彼に齎らさるゝ報道は社会の革新に非ずして微々たる小慈善小救済の類に過ぎなかつた、曰くイエスはガリラヤ湖辺に無智の漁民を率ゐつゝありと、曰く税吏を誘うて其徒党と為せりと、曰く異邦軍人の僕を癒せりと、曰くナインの※[釐の里が女]の独子を甦らしめたりと、而して政権は依然として悪者の手にあり、ヱルサレムの勢力は依然として偽善家の掌中に帰し社会は依然として暗黒裡に彷徨せるに非ずや、かの区々たる小民の為に言ふに足らざる憐憫を施すとも何かせむ、何ぞ速に其根源に着手せざるや、何ぞ堂々として革命の旗幟を翻さゞるやと、是の如きは所謂憂国の士の所論であつて又実にバプテスマのヨハネの感想であつた、故に彼は黙するに忍びず人を遣はして言はしめたのである、「来るべき者は果して汝なるか、余は爾く信ずる能はず」と。
 其二は自己の境遇に対するイエスの態度であつた、ヨハネの獄に囚はれしや素より罪ありしが故に非ず、一に暴君ヘロデの悪を責めたるが為である、彼は全く正義の為の犠牲となつたのである、故にイエス若し人を救ふべくば先づ彼を救ふべきではない乎、然るに所在の弱者を救ひつゝ独りヨハネを知らざるものゝ如く彼の為に其奇跡の一をだに用ゐんと為さない、イエスは紹介者たる我を忘れたのである乎、抑も亦彼が真の救主ではないのである乎と、此種の疑問も確かにヨハネを悩ましたであらう。
 理想は行はれず恩恵は身に及ばず、ヨハネが胸中悶々の情察すべしである、然し乍らイエスは其使者の眼前に於て更に幾多の小慈善を行ひ而して言ひ給うた、「汝等が見る所聞く所をヨハネに往きて告げよ、それ瞽者は見、(125)跛者は歩み、癩者は潔まり聾者は聞き死者は復活され貧者は福音を聞かせらる、凡そ我が為に躓かざる者は福なり」と。
 世を救ふの途は果して何れである乎、旗鼓堂々声名を大にし威容を盛にして政治と武力とを以て一挙社会の革新を企つべき乎、はた古き静なる福音に由り隠れたる老若婦女の霊魂を癒すべき乎、前者を以てするに非ずんば救世の事期すべからずと為したるはヨハネであつた、後者を以てして初めて真個の救済を実現すべしと為したるはイエスであつた、イエス対ヨハネ、其精神に天地の差がある、彼は実に神の子であつた。此は実に人であつた、イエスはヨハネを解し給ひしと雖もヨハネはイエスを解しなかつた、彼は其使者より前述の如き回答に接して恐らく尚之を解し得なかつたであらう、而してイエスの依然として彼を助け給はざるを怪んだであらう、斯くて遂に淫婦が一夜の興を充さんが為に義人ヨハネの首の渡さるゝ時は来たのである、然し乍ら此一事実の中に言ふべからざる深刻なる教訓がある、そは此世の如何に価値なきものなる乎を痛切に表示するのである、而して之皆神の容し給ふ処である、今や獄吏来りて将に彼の首を求めんとする時ヨハネの眼は多分開けたであらう、而して「ヱホバの聖名は讃美すべきかな」と讃へて静に其要求に応じたであらう。
 ヨハネの使者に対するイエスの返答は一見冷淡なるものであつた、然し乍ら使者去りて後イエスは人々に対しヨハネの為に大弁護を為し給ふた、「汝等何を見んとて野に出でしや、風に動かさるゝ葦なる乎、即ち無意味なる者を見んとて往きし乎、或は美服を衣たる人なる乎、高位高官の徒を見んと欲せば政界官界に出づるに如かず、さらば何を見んとて出でしや、預言者なるか、然り我れ汝等に告げん、ヨハネは預言者以上の者なり、預言者に由て預言せられたる者なり、我汝等に告げん、婦の生める者の中未だバプテスマのヨハネより大なる者無し」と、(126)之れ実に異常なる同情の辞である、之を直接に使者に対するの言と対比して其間無量の味あるを覚えざるを得ない、ヨハネにして若し此言を聞かん乎、彼は必ずや感激措く能はずして勇士の涙に咽んだであらう。
 然し乍らイエスは尚一言の附加すべきを有し給うた、曰く「されど神の国の至微者も彼よりは大なるなり」と、ヨハネは婦の生める者の中の最大者である、然れども神の霊によりて生れたる者は更に彼よりも大であると、恰も富嶽の大なるよりも其山頂に咲ける一茎の百合花は更に貴しといふが如くである、恩恵の子は正義の子よりも更に大である、ヨハネ偉大なりと雖も彼も亦自己の罪を悔改め主イエスに由て神の子とせらるゝの必要があつたのである。
 最後にイエスは自己及びヨハネに対する此世の態度に就て一言し給うた、彼は之を何に比《なぞら》へ又何に譬へんと反覆考慮の末遂に最も切実なる譬喩に思ひ当り給うた、即ち当時ユダヤに於ける小児の風習として彼此二団に分れ各々葬礼及び婚礼の遊戯を為したのである、彼は此例を取て曰ひ給うた「童子《わらべ》市に坐し互に呼びて我等笛吹けども汝等踊らず悲歌《かなしみ》をすれども汝等哭かずといふに似たり」と、悲歌を奏したるはヨハネである、喜の譜を歌ひしはイエスである、然るに世は二者何れにも応ぜず、彼を以てすれば此なりといひ此を以てすれば彼なりといふ、寔に御すべからざるの民である、然し乍ら諺に曰ふ「智慧は凡て智慧の子に義しとせらる」と、神の選び給ひし者はヨハネに応ずるに悲調を以てしイエスに応ずるに歓喜を以てするのである。 〔以上、5・10〕
 
     第十四回 幇助と感恩(四月廿九日) 路加伝第七章自卅六節至五十節
 
(127) 茲に又ルカの筆に成る一幅の名画がある、場所は或るパリサイの人の家であつてイエスは其処に招待を受け饗応に与りつゝある、室の三方に据えられたる寝台の如き者の一に倚りて彼は身を横たへて居給うたであらう、彼の足は塵に塗《まみ》れたる儘にして家の主人が冷水を以て之を洗はしむる程の接待法を取らざりし事を示して居る、然るに見よ一人の婦人あり、彼女は嘗て町の中にて醜業を営んで居た者であつたが今イエスの其処に在るを知りて突然入り来り彼の後に立ち又其足下に跪きて深き悔改の涙に咽んで居る、彼女は冷水の代りに其涙を以てイエスの足を濡し首《かしら》の髪《け》を以て之を拭ひ其足に接吻を為し且携へ来れる蝋石の盒《はこ》より貴き香膏《にほひあぶら》を惜気もなく注ぎて之に抹《ぬ》つて居るのである。
 家の主人なるシモンはパリサイの人なるにも拘らずイエスに対する尊敬を有つて居た、然し乍ら彼がイエスを其家に招じたる真意は果して何であつた乎、そはイエスを尊敬するの余り其福音を聞かんが為ではなかつた、そはイエスより罪を赦されて其感謝の意を表せんが為ではなかつた、何となれば若しかゝる誠実なる動機より彼を招きしならば其接待法は更に懇切なるべき筈である、然るにシモンのイエスを遇するや素より其首に膏を抹らず彼を接吻するなく其足を洗はんが為に一杯の冷水を給する事をすら為さなかつたのである、彼はイエスを招待したりと雖も其接待法は甚だ粗末なる者であつた、彼は今日の紳士に屡々見る如く知名の士を聘して以て自己の家の誇となさんとしたのである、其のイエスに与へんと欲したるものは感恩に非ずして幇助(patronage)であつたのである。
 シモンの冷遇と好箇の対照を為す者は悪行を為したる婦人の態度であつた、この婦人は八章の記事より推察するに多分所謂マグダラのマリアであつたらう、マグダラはカペナウンの南にありし繁昌したる町なれば彼女は其(128)地にて醜業を営んで居たのであらう、然るに今や其過去の罪を顧みて悔改の念に堪えず且之を赦されたる感謝の情溢れて彼女は自己の所有中の最も貴き物をイエスに献げんと欲したのである、而してイエスの真に喜びたる者は富者シモンの饗応に非ずして醜業婦マリアの悔改の涙であつた、故に彼はシモンに言ひ給うたのである、「此婦を見るか、我れ汝の家に入るに汝は我足に水を与へず 此婦は涙にて我足を濡し首の髪を以て拭へり、汝は我に口を接けず、此婦は我が茲に入りし時より我足に口を接けてやまず、汝は我首に膏を抹らず、此婦は我足に香膏を抹れり、是故に我汝に言はん此婦の多くの罪は赦されたり、之に由て其愛も亦多きなり、赦さるゝ事少き者に其愛も亦少し」と。
 幇助か感恩か、イエスの名を使はんが為め乎、はた感謝を以て之に仕へんが為め乎、均しくイエスを迎ふといふも其実質には天地の差違がある、かの国家社会の改良発達に利ありと称して基督教を迎へんとするが如きは明白に前者の立場に属するものである、之に反し罪を赦されたるの歓喜と感謝とより全く新なる心を以てイエスの僕|婢《しもめ》たらんと欲する少数者のみが真にイエスの喜び給ふ所の者である、而して世には常に此二者がある、常に多数のシモンと少数のマリアがある、事に伝道に当る者の如きは特に注意すべきである、前者の形式的好意に欺かるゝ勿れ、又後者の誠実なる歓迎を忘るゝ勿れである。
 婦人には男子に勝る所少からず、然し乍ら其の一度び堕落するや往々にして男子以下である、而して醜業婦は婦人中の最も堕落したる者である、是の如き者を至聖なる神の子が如何に取扱ひ給ふ乎、其事は凡ての罪人に取て極めて興味ある問題と言はざるを得ない、而してイエスを招きたるパリサイのシモンの如きは醜業婦の入来に対し心中私かに不快の念を催した、然るにイエスは深大なる恩恵を以て彼女に対し給うた、イエスは醜業婦と雖(129)も其清き信仰を認めて之を迎へ其罪を赦したのである、或る文学者等之を解する能はずして却てイエスと彼女との関係を謗らんとするが如きは偶々記者自身の心事の陋劣を証するものに外ならない。
 独りイエスのみならず偉大なる宗教家にして醜業婦と遭遇するの経験を有せざる者は少い、殊に我国浄土宗に於て好んで伝へらるゝ法然上人の逸話の如きは最も美はしき事例の一である、上人讃岐に流さるゝの途次幡州室の泊を過《よぎ》る、時に一遊女舟に乗りて来り上人に問ふに自己の如き罪障深重の者も亦救はるべき乎を以てす、上人是に於て諄々と如何なる罪人も念仏して弥陀に頼らば必ず救はるべきを教へ若し今日未だ其醜業を放棄する程の信仰起らずば暫く其業を継続するも尚可なり唯一意弥陀を頼むべき旨を諭したのである、人なる法然上人にありては素より自ら其罪を赦すを得ざりしと雖も罪人に対する弥陀の態度を伝ふるに於ては遺憾なしと言はざるを得ない。
 人の子は遂に人の子である、如何に堕落せる者と雖も神の恵に由て救はれない事はない、醜業婦マリアすら其罪を赦されたりと聞いて我等も亦其恵に与り得るの希望を奮起するのである、幾度か罪人を拉し来りて其罪の赦されたる事実を伝ふるはルカの好んで為す処である、彼は斯くして我等罪人の為に喜ばしき福音を残したのである、パリサイの人シモンの家に於けるイエスの醜業婦に対する態度の如きは真に美はしき名画である。
 実に赦さるゝ事多き者は其愛も亦多く、赦さるゝ事少き者は其愛も亦少しである、罪は悲むべき事であるが之を赦されてイエスを愛し得るに至るのである、罪を自覚し之を取除かれずしてイエスと深き関係に入ることは出来ない、彼の人格を慕ひ教理に憧れた丈けで彼を愛する事は出来ない、実に彼に我罪を赦されて、我は何物を彼に献げ奉るも足らざるを感ずるのである。
 
(130)     第十五回 巡回伝道(一)婦人の奉仕、比喩の使用(五月六日) 路加伝第八章自一節至十八節
                                    今日迄イエス弟子を従へて伝道を為したりと雖も多分カペナウンに家を構へ日々出でゝ教へ給うたのであらう、然るに「此後イエス郷邑《むらざと》を周遊《へめぐり》て神の国の福音を宣べ伝ふ」と、即ち巡回伝道が開始せられたのである、而して彼に従ひし者に十二使徒あり、又|前《さき》に悪鬼を患《うれ》へたりし者病を癒されたる婦人等あり、「悪鬼を患へたる者」とは今日の医学上単純なる神経病なるか或はキリストの世に臨むに当り悪鬼の猛威を逞くするが為に生ぜし特殊の疾病であつたかも知れない、「七の悪鬼を遂ひ出されたるマグダラ人と称へられしマリア」とは思ふにシモンの家にて感恩の涙を以てイエスの足を濡したるかの醜業婦であらう、「ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ」即ち国王の侍従の夫人である、「又スザンナ」と註釈なしに書き放ちたるは恐らく弟子等の熟知せる婦人であらう。
 即ち三十歳前後の青年説教師を囲むに中等社会より選ばれたる十二人の弟子と数多の婦人とを以てしたのである、其中には曩に如何はしき営業を為して世人の指弾を受けた者もあつた、又いはゞ宮内省の高官の夫人もあつた、又或る知名の婦人もあつた。
 是の如きものがイエスの伝道団であつたのである、真に不思議なる伝道団である、蓋し未だ類を知らざるものである、之を見てパリサイの人学者等は思うたであらう、「かゝる団体能く何をか為さん」と、然し乍ら此小伝道団こそ正しくイエスの作らんと欲したる大伝道団即ち教会の典型である、婦人は実に教会の重要なる要素である、基督団は初より婦人を斥けなかつた、而已ならず最もよくキリストを解したる者は婦人であつた、而して婦人は(131)基督団の中心たるの地位を占めて今日に至つたのである。
 殊に注意すべきは「……此他多くの婦ありて皆その所有《もちもの》を以てイエスに事へたりき」とある事である、イエスは如何にして其伝道事業を維持したのである乎、当時は現今の如く財貨の必要なかりしと思ふは謬である、或る学者の研究に由ればパウロの時代に於て彼の為したる如く羅馬に上告を為すは多額の訴訟費用を要したといふ、以て其一斑を察するに足る、但しキリストに取ては能はざるの事なし、ヱルサレムの宮に金を納めし時の如く奇跡を行はゞ凡ての所要を充すを得といはゞ其れ迄である(馬太伝十七章廿七節) 然れどもルカは茲に一言を附記して暗示《サゼスチヨン》を与へたのである、即ち婦人の供給に俟つたのであると、之れ甚だ興味ある問題である、曩には醜業を営みて其罪を赦されたるマグダラのマリアが高貴なる香膏を献げしが如くに多くの病を癒され罪を赦されし貴賤様々の身分の婦人が各自其所有を挙げてイエスに献げたのである、斯くしてイエス最初の巡回伝道の費用は十二使徒の供給に由らず婦人の寄附に由つたのであつた、之れ特筆大書に値するの事実である、「天の下何処にても福音の宣伝せらるゝ処にその紀念《かたみ》の為に言ひ伝へらるべき」事実である(馬太廿六章十三節)、婦人には男子の解し難き力がある、其鋭敏なる直覺が婦人をして斯かる大なる犠牲を払はしむるのである、原始に於て伝道の主動力が婦人に在りし如く今日に於ても其例は少くない、伝道事業に対する最も熱心なる賛成補助が先づ婦人より来るは欧米に於ける普通の事例である。
 かくてイエスの新らしき巡回伝道始まるや、彼の名声四方に喧伝せられ遠近の詔邑より多数の人々彼の教を聞かんとて其許に集まつた、馬太伝の記事に由れば群集余りに多きが故に彼は舟を湖上に浮べて岸に向つて語つたのである、今や伝道者イエスの名は高く福音を受けんと欲する者は無数である、此時に当りイエス若し普通の伝(132)道者ならば彼は思うたであらう「我教に由りて神の国の地上に実現せらるゝの日も遠からじ」と、然し乍らイエスは是の如くにして喜ばんが為には余りに偉大であつた、彼は多衆の来会に接し却て神の道の汚されん事を虞れたのである、彼は群集の顔色を見て其心中を洞察したのである「豕《ぶた》の前に真珠を投げ与ふる勿れ」、誰も彼も福音を求めんとする時は却て弟子の撰択を要するの時である、之を篩に掛けて真箇の熱心者と半熱心者とを分つべきの時である、而して此目的の為に最も適当なるものは実に比喩である、比喩は教訓の内容を殊更に不可解ならしむるの法である、之を解せんと欲するの熱心ある者は之を解するを得べく這箇の熱心を欠く者に対しては永遠の謎語として終る、是の如きが比喩の特徴である、故に今や「衆《おほく》の人々|諸邑《むら/\》より出でゝイエスの許に集りければ比喩《たとへ》をもて曰へり、」多数の来り集りしが故にイエスは殊更に比喩を用ゐたのである、即ち彼は種蒔の例を語り而して最後に一段声を高めて「耳ありて聴ゆる者は聴くべし」と叫びて教は終つたのである、されば弟子等は彼の真意を解せず怪み問うた、「是如何なる譬ぞ」と、イエス答へて曰く「神の国の奥義を汝等には知る事を賜へど他の者には比喩を以てす、こは視ても見えず聴きても悟らざらんが為なり」と、真に福音を受くるの熱心なき者をして視ても見えず聴きても悟らざらしめん事、之れ比喩の使用の理由である。
 比喩の使用に由て教訓は不可解となり真理は覆ひ隠さる、然し乍ら比喩の最後の目的は之を隠さんが為ではない、遂に之を現はさんが為である、「燈を燃《とも》し器《うつは》にて之を覆ひ或は床の下に置く者なし、入り来る者の其光を見ん為に台の上に置くべし、隠れて現はれざる者なく蔵みて知れず露はれ出でざる者なし」、之れ即ち真に求むる者に対する慰藉の語である、比喩に包まれたる真理に接せば益々深く之を探るべきである、然らば真理は愈々其意義を発揮すべく若し之を探らずして棄てんには既に獲得せる真理をも失ふに至るであらう、「是故に汝等聴く事を(133)慎め、有てる者は尚ほ与へられ有たぬ者は有てりと思ふ所の物をも奪《と》らるべし」。
 而して唯に之のみではない、聖書は比喩を以て充ちたる書である、黙示録の如きは其著るしき例である、否新約聖書其者が実に一大比喩である、かの多くの奇跡や受肉復活昇天再臨等に関する記事を憚る処なく明記したる新約聖書は神の我等に提出し給ひし最大の比喩に非ずして何である乎、果して然らば「隠れて現はれざる者なく蔵みて知られざる者なし」、如何に難解の奥義と雖も之を探りて已まざれば遂には解し得るの日が来るであらう、かの常識に富みたる大政治家グラツドストーンがガダラに於ける悪鬼豕に入るの記事を弁護して極力ハクスレー、チンダル等と戦ひたる其謙遜なる態度を以て聖書に対すべきである、哲学者パウルゼンの如き基督教の賛成者を以て称せらるゝも聖書中より奇跡を排除せずんば其真理を解する能はずと断言せるは比喩の解釈に躓きたる者である、難解なるの故を以て徒らに抛棄する勿れ、「有てる者は尚与へられ有たぬ者は有てりと思ふ所の物をも奪らるべし」」解し易き真理は浅き真理である、解し難き真理を解し得たればこそ感謝に堪へないのである、而して真理の会得は神の啓示に待たざればならないのである。
 
     第十六回 巡回伝道(二)三大奇跡(五月十三日) 路加伝第八章自四十節至五十六節
 
 大奇跡の前に一の興味ある記事がある、イエス弟子に対し説教を為せる時彼の母と兄弟彼を尋ねて来りしも群集の為に近づく事能はずして外に立つて居つた、馬可伝の記事によれば彼等の来りしはイエスの狂気せりとて之を捕へんが為であつたといふ、イエス彼等の来りし事を聞き答へて曰く「神の道を聴きて之を行ふ者は乃ち(134)我母我兄弟なり」と、此語の解釈は八章の冒頭に之を求むべきである、即ちイエスに従ひて其周囲に在りし十二弟子及びマグダラのマリア、クーザの妻ヨハンナ、又スザンナ其他多数の婦人等を指し之を戸外に立てる母及び兄弟に対比して我母我弟妹は之なりと答へられたのであらう。
 信仰の経験なき日本人が聖書を読みて先づ躓くは此語である、彼等は曰ふ「之れ真に奇怪なる不孝不人情の語である」と、然し乍ら一度びキリストの精神を解したる者は此記事を見て少しも驚かざるのみならず其の深き真理なる事を知るのである、人と人との間に存する至深の関係は血肉の縁故に非ずしてイエスに在りて結ばれたる霊的の友誼である、誰か最も能く我を解する者ぞ、そは骨肉同胞に非ずして却て肉的に何等の縁なき外国人なるが如き事がある、是の如き事実は信仰の進むに従て人の益々多く経験する処である、而してイエスは茲に此事実を率直に語り給うたのである。
 天主教に於てはマリアがイエスの母なるが故を以て之を尊崇する事甚だしきものがある、イエスに願はんと欲する事は先づ之をマリアに対して願ふべしと云ふ、かの Ave Malia の歌の如き即ち此信仰より出たのである、然し乍ら同じ天主教に於て聖者に数へらるゝアウガスチンは曰うた、「マリアはイエスの母なるが故に救はれたのではない、マリア若し救はるゝならば自己の子たるイエスを信ずるに由る」と、実に然りである、而して此事はイエスの兄弟なるシモン、ヤコブ、ヨセ等も亦同様である、骨肉の関係は毫も救拯の恩恵に均霑するの理由とはならない、人の救はるゝは全然彼自身の信仰に由るのである、仮令親子兄弟夫妻の関係ありと雖も自ら信ぜずして救に与り得べき筈はない、淑徳の聖母マリアと雖も未だイエスを信ぜざるの間は悔改めたる醜業婦マリアよりもイエスに遠き者である、彼の真の兄弟は未だ信ぜざるヤコブ、シモン等に非ずして寧ろ十二使徒であつた(135)のである。
 血肉の関係は霊の関係に及ばない、然し乍らイエスは之を以て決して其の母兄弟を棄てなかつた、彼の生涯に於ける最後の心配は実に母マリアの事であつたのである、彼は十字架上よりマリアを弟子ヨハネに託したのである、是の如くにしてイエスは終生其の家長たるの任務を尽した、而して遂に母も亦彼を解し兄弟ヤコブの如きは後年ヱルサレム教会の柱石となるに至つたのである。
 次に記さるゝものはイエスの三大奇跡である、湖上に於て突如颶風に遭遇し舟将に転覆せんとする時一言を以て風と浪とを斥《いまし》め之を平静に帰せしめたるは其一である、対岸に上陸したる後悪鬼に憑かれたる極めて狂暴なる者を癒し悪鬼を豕《ぶた》に入らしめたるは其二である、而して有名なるヤイロの女《むすめ》の甦生《よみがへり》は其三である、此三は共観福音書の何れも之を併記する処のものであつて以て其の重要なる三大奇跡たる事を察知するに足る、即ち其第一は天然の制御である、其第二は霊の制御である、其第三は生命の制御である。
 ガリラヤ湖は海面よりも更に低き窪地に位し時に突風浪を衝いて襲ひ来るは有り得べき事である、又所謂悪鬼に憑かれし者とは果して如何なる疾病なるやを明にせざるも兎に角一種の精神病たる事疑なく而してかゝる精神病者が極めて狂暴なる力を振ふ事あるは亦実際に於て見聞する処である、唯イエスが其風と浪とを鎮め又其悪鬼を豕に移らしめたりといふに至ては人之を首肯しない、殊に科学者等の前に出でゝ余は之を信ずと公言するが為には少からざる勇気を要するのである、而して実に奇跡を嘲る者は好んで此記事を指摘するのである。
 然し乍ら注意すべきはイエスに天然を制御するの力ありと為すは新約聖書全体の記事に矛盾せざる事である、新約聖書はイエスが万物を己に服はせ得るの能力ある事を認めて居る(腓立比書三の廿一、哥林多前書十五の廿(136)八、哥羅西書一の十七、十八、其他類似の語諸所に多し)、基督教の立場よりすれば宇宙の中心はキリストに在るのである、万物彼に由て造られ彼に由て支へられ彼に由て改造せらる、之れ新約聖書の屡々繰返す処である、故にイエスが天然界の混乱を鎮めたるは聖書記者の立場よりすれば毫も矛盾する処なき記事であつて、又新約聖書を大体に於て信ずる者の否定すべからざる事実である。
 次に悪鬼人より出でゝ豕に入りしといふは甚だ奇異の感を起さしむると雖も此事実が絶対に無かりしとの証拠は何処にも之を発見する事が出来ない、加 之天然界の混乱を鎮静し得る者が何故精神界の波乱を制御し得ざる乎、近時心理学の研究は種々の驚くべき事実を示すのである、試にウイリアム・ゼームスの著書「宗教的経験の種類」を繙かば殆んど思議すべからざる現象の心霊界に多きを知るであらう、殊に最近の進歩に係る動物心理学の如きは幾多の場合に於て人間の精神が動物の精神を制御し得る事を証明するのである、是の如く事実其ものを絶対に無根なりと断ずべき理由なきのみならず、類似の事例は心霊界に於て決して鮮少ではないのである。
 但し奇跡の重要なるは奇跡其者よりも寧ろ其の教ふる所の真理である、悪鬼豕に入るの奇跡の教ふる真理は何ぞ、曰くイエスの臨むや必ず大混乱を惹起する事之れである、ガダラの人々は悪鬼に憑かれし者を墓間に駆逐りて平安であつた、然るにイエス一度び其地に臨むや忽ち大混乱を生じ人は喊叫び苦み数千疋の豕即ち多大の財産は失せ衆庶不安に堪へずして遂にイエスの其処を去らん事を求むるに至つた、是れ凡てイエスの入る処に於て起るべき現象の典型である、イエス我が心に入らん乎、心中の大混乱は従て生ずるのである、イエス我が家に入らん乎、家庭の大擾乱は忽ち惹起するのである、イエス我が国に入らん乎、社会の大争闘は直に発生するのである、而して其不安に堪へずしてイエスの此処を去らん事を求め旧の平安に複すると共に家亡びたる実例は決して(137)乏しくない、ガダラに於ける一夕の騒擾は此真理を教ふるものと見て真に貴き事実である。
 ガリラヤ湖上に於ける風波の鎮静も亦我等の信仰に最も密接の関係を有する事実である、キリストの救は単に清き道徳と高き真理とを与ふるのみに止まらない、彼が我等の救主たるは道徳の師たるが故に非ずして絶大なる力の賦与者たるが放である、彼は我等に新しき霊を与ふると共に又之にふさはしき霊体を与へ給ふのである、主キリストの再臨、信者の復活、而して万物の復興、之れ聖書が明示する所の最後の希望である、人類の理想たる永遠の平和は茲に至て初めて実現するのである、而して之れ決して人類の進化に由るのではない、万物を己に服はせ得るの能力を有するキリストが自ら降つて新しき造化を行ふのである、彼に宇宙を支配するの力なくして人類全体の希望は虚しからざるを得ない、然らば況んやガリラヤ湖上の風波を叱咤する如き小奇跡力を認むる能はずして如何にして彼に由る最大希望を抱く事を得やう乎、此一事実を否定するはやがて聖書全体を倒壊せしむるの所以である、苟も聖書に基く基督教的意識を以てする者は何人も単純に之を信ぜざるを得ないのである。
  我等の国は天に在り我等は救主即ちイエスキリストの其処より来るを待つ、彼は万物を己に服はせ得る能に由りて我等が卑《いやし》き体を化《かへ》て其栄光の体に象らしむべし
とあるが如しである(腓立比書三章廿一二節)、奇跡なきキリストは弱きキリストである、我等は能力ある強き救者《すくひて》を要求するのである。
 
(138)     第十七回 生命の制御(五月廿日) 路加伝第八章自四十節至五十六節
 
 三大奇跡の最後は生命の制御である、イエスは天然を司り霊を司ると同じく又我等の生命を司るのである、彼は湖上に風浪を鎮め又ガダラの地に悪鬼を制したる後会堂の宰《つかさ》ヤイロの請に応じて其女を癒し以て其の天然と霊界と生命との主たる事を現はし給ふた。
 ヤイロの女の治癒は路加伝七章にありし百夫の長の僕の治癒及び約翰伝四章なる王の大臣の子の治癒と相比して興味ある対照を為すものである、即ち其の癒されたる者は甲は僕であつた、乙は男子であつた、而して丙は女である、其地位よりすれば甲は低級の軍人であつた、乙は高貴なる王の大臣であつた、而して丙は其間に位する会堂の宰である、又イエスの之に応ずる態度に著るしき差違があつた、主を己が屋裏に入るゝは恐多しと為したる百夫の長に対しては彼は直に往いた、師は当然来りて医すべきものと信じたる王の大臣に対しては彼は行かなかつた、而して今や会堂の宰に対しては彼は行きしと雖もそは徐行であつた、是れ皆彼等のイエスに対する謙遜の度に応じたのである。
 而してヤイロの場合は徐行なりしが故にイエスは其途中に於て更に一小奇跡を行ひ給うた、之れ蓋し大奇跡を行ふ前の準備としての小奇跡である、恰もマリアの懐胎に先だちてエリザベスの懐胎ありしが如くである、そはマリアの信仰の準備としても必要であつた、又恐らく神の事業の準備としても必要であつたらう、此場合に於ても弟子をしてヤイロの女の蘇生を信ぜしめんが為に其準備たる小奇跡を要したるのみならずイエスの大奇跡力を(139)発揮せんが為にも亦其必要があつたのであらう。
 此の途中に於ける出来事に就ては馬可伝五章の記事は我等の直覚に訴ふる処一層適切である、曰く「茲に十二年血漏を患ひたる婦あり、此婦多くの医者の為に甚だ苦められ其所有をも尽く費しけれども何の益もなく反て悪かりしが云々」と、説を為す者あり曰く、ルカは自身医者なりしが故に同業者の無能を覆ひ隠すことを努めたれば其記事おのづから平穏なりと、或ひは然らん、但し記事の大体に於て両者異なる処なく且其順序は路加伝の方を正しと見るべきである、而して是の如く多年重き病に罹りて癒されざりし婦人が群集の中よりイエスの後に来り其肩より垂れたる上衣の一角に※[手偏+門]《さは》りたれば直に癒されたのである、此時群集も亦|擁※[手偏+齊]《おしあ》ひ迫りて彼に触れたるべきに独り此婦人のみが癒されたるは何故である乎、蓋し此婦人のみは特に癒されんと欲して触れたるが故である、希臘原語に於て擁※[手偏+齊](aptomai)とは単に接触するの意に過ぎざるも※[手偏+門]る(apsasthai)とは自ら求めて即ち或る目的を以て触るゝの意である、均しくイエスの身に触るゝも其の単純なる擁※[手偏+齊]に過ぎざるかはた※[手偏+門]りし者なるかはイエスに於て直に之を感知し給うたであらう、而して唯後者に対してのみ力は彼の身より出づるのである、漫然基督教を謳歌し群集と共に無意味に之に接触するも何等の力を享受する事が出来ない、唯特別の目的を以て之を迎へ信仰を以て※[手偏+門]る者のみ其助に与る事を得るのである、婦人の癒されたるも亦単にイエスに触れたるが故ではない、信仰を以て※[手偏+門]りたるが故である。
 信仰に由て彼女の病は癒された、然し乍ら大事は疾病の治癒ではない、更に彼女の霊を癒し以て其人格全体の救拯を図る事、之れイエスの欲せし処である、而して之が為には彼女をして疾病の治癒のみを以て事終れりと為さしむべきではなかつた、彼女をして進んで衆人の面前に憚らず其信仰を表白せしめイエスを自己の救主として(140)認めしむるの必要があつた、是に於てイエスは問うて曰うた「我に※[手偏+門]る者は誰ぞや」と、イエスの救に与る者は何人も斯の如くにして彼より指さゝるのである、之を避けんと欲して救を完うせらるゝ事は出来ない、婦も亦「自ら隠せぬを知り戦《おのゝ》き来りて前に伏し※[手偏+門]りし所以と其直に癒えたる事とを衆人の前に告白」したのである、而して遂にイエスの口より「女よ心安かれ、汝の信汝を救へり、安然にして往け」との宣告に接する事を得たのである、誠に汝の信汝を救へりである、単に触れしが故に非ず信仰を以て※[手偏+門]りしが故である、単に部分的の治癒を受けたるに非ず、全体としての救拯を得たのである。
 兎角する中ヤイロの女は既に死したりとの通報が齎らされた、イエス之を聞きヤイロに告げて曰く「懼るゝ勿れ、唯信ぜよ」と、此一語今日に至る迄幾多の人を慰めたか知れない、而して其の「唯信ぜよ」とは原本により或は従来の信仰を維持せよとの意味に用ゐたると或は更に新なる信仰を起せよとの意味に用ゐたるとがある、(pisteueとpisteuson)、多分後者が正確であらう、即ち予想せざる困難に遭遇し一層大なる恩恵を呼ばんとするに当りては従来以上の新なる信仰的努力を要するのである、此意味に解する時は「懼るゝ勿れ、唯信ぜよ」と言ひて其対照を極めて鮮明に看取し得るのである。
 イエス其家に入るや人々の泣き悲むを見て「泣くなかれ、死にたるに非ず、寝ねたるのみ」と言ひ而して彼等の笑うて之を信ぜざるにより人々を皆出し唯ペテロ、ヤコブ、ヨハネ及び女の父母のみ其側に在るを許した、かくて女の手を取りて叫んで曰く「女よ起きよ」と、馬可伝の記事に由ればイエスの此語は「タリタクミ」とある、之れ即ち当時普通に用ゐられしシリア語にしてペテロ之を記憶してマコに伝へたものであらう、而して小女は此語を聞いて蘇生し忽ち起き上つたのである。
(141) 何故にイエス此時衆人を斥け僅に少数者の前に於て是の如き奇跡を行ひし乎、他なし信仰の行為を為す所に不信は最大の妨害であるからである、疑の目を以て見らるゝ程信仰の行為を妨ぐるものはない、之に反し己を信じて祈を共にする者のみ在る時信仰の力は最も能く発揚せらるゝのである、イエスの小女を癒さんとするや勿論自己の名声を博めんが為ではなかつた、目的は唯癒す事にあつたのである、故に不信の衆を斥けて彼を信ずる者のみを容し給うたのである、秘密を欲したるに非ず信仰の立場より当然の事を為したのである、而して彼を信ずる者は之を見て真に彼の生命の主なる事を知つたのである。
 然るに世には奇跡の証人の疑はしき故を以て奇跡を信ぜざらんとする者がある、哲学者ヒューム曰く「奇跡若し在りしとすれば其れ迄のみ、然し乍ら疑ふべきは其証人である」と、ヤイロの女の場合に於ても側に在りし少数者は確実なる医者ではなかつた、故に果して死者が蘇されし乎、或は未だ真に死せざりし者に或る精神作用を加へて之を起たしめたるに非ざる乎を疑ふのである、然し乍ら我等がイエスの生命の主たる事を信ずるは之等個々の事実に由るのではない、イエスの貴き生涯の全体及び彼が我等の衷に働き給ひし其力に由るのである、奇跡の証明の必ずしも確実ならざるを憂へない、信仰は信仰である、イエスに生命を制御するの力ある事を認むるは彼に対する全体の信仰の然らしむる処である。
 ヤイロの女は斯の如くにして甦された。然らば我が女も亦何故同様に甦されないのである乎、曰くヤイロ以上の恩恵を降し給ふが故である、仮令甦されずと雖も我女は死にたるに非ず寝ねたるのみ、否寝ねたるに非ず真に醒めたのである、其事を知りて我等は寧ろヤイロ以上の深き感謝を献げざるを得ない、宜なる哉ヤイロの時より既に二千年、幾千万の人が彼れの女の如くに甦されざるの経験を嘗めながら尚ほ信仰を失ふ事なく却て益々(142)神を讃美しつゝあるのである、イエスは永遠に生命の主である、故に我等彼を信ずる者は我等の愛する者は召さると雖も涙ながらに感謝を続くる事を得るのである。イエス少女を起して後彼女に食物を与へよと命じ給ふたとある、彼は彼の救拯に与りし者の幸福に就て些細の事にまで注意を払ひ給ふた、イエスは単に大なる道徳の先生ではなかつた、彼は厚き人情の人であつた、彼の目的は人の霊魂を救ふに在りしと雖も彼は肉体の事を怠らなかつた、医師ルカは特別なる興味を以て此一事を記録《かきしる》したであらう。 〔以上、6・10〕
 
     第十八回 ガリラヤ伝道の終局(五月廿七日) 路加伝第九章自一節至十七節
 
 聖書に於ける章節の区分は素より便宜上後人の附したるものに過ぎない、然し乍ら各章自ら特異の大眼目を有し整然として順序を為して居る、故に章節の区分を全然無視して聖書を解する事は出来ないのである。
 路加伝第九章の眼目はガリラヤ伝道の終局に在る、ガリラヤに於けるイエスの福音宣伝は今や其終局に達し彼は此地に暇を告げてヱルサレムに向ひ去らざるを得ざるに至つたのである、而して其原因は何ぞ、其主たる原因は実に五千人の饗応に在つた、彼が大なる奇跡を行ひて飢えたる五千人を飽かしむるやイエスの常人に非ざる事は最も明瞭となつた、群集は此奇跡を見て驚きイエスこそ彼等の救済者たるべき偉人なる事を知つた、故に彼等は直に彼を執へて以て王に推戴せんと欲したのである(約翰伝六章十五節) 而して是の如くにして民衆が其の王を擁立するは政治上の叛逆罪である、さればイエスは此時より羅馬政庁の注意人物となつたのである、果せるかなヘロデは彼を恐るゝの余り再びかのヨハネの如くに彼をも処分せんと欲した、是に於てかイエスのガリラヤ伝(143)道は其終局を告げざるを得なかつた、彼の行ひたる無数の善事と五千人の饗応の大奇跡とが却てガリラヤ伝道失敗の因を成したのである。
 ガリラヤを去りてよりイエスはヱルサレムに上りて其最後の大事業を遂行し給うた、第十章以下は即ち其記事である、知るべし路加伝前後二十有四章中ガリラヤ伝道に関するもの僅に九章に過ぎずして其他は悉く十字架を中心とするヱルサレム伝道の叙述なる事を、福音書の大部分は実に十字架に関する記事である、而してイエスの十字架が彼の生涯中最も貴重なる者にして彼の教の中心たる事はパウロの書翰に於て更に明瞭である、若し十字架無からん乎、イエス降世の理由は消滅するのである、福音書記者が何れも其著の主要部分を割きてイエスの十字架を高調したるは寔に故ありと謂ふべきである。
 五千人の饗応に先だちて十二使徒の派遣があつた、始めに弟子の撰択あり(五章一−十一節) 次で使徒の撰定あり(六章十三節以下)而して今や使徒の就職が行はれたのである、其目的は言ふ迄もなく神の国の宣伝と霊の救拯とに在つた、かの悪鬼を出し病者を医すが如きは其手段たるに過ぎない、九章二節は即ち使徒派遣の目的を明かにするものである、故に冒頭の「また」は「而して」と読むべく「病者を医さん為に」とあるも多数の原本には「病者」の文字を存せず且其の「医す」は一節に於ける「病を医す」とは別個の文字を用ゐて居るのである。
 十二使徒の派遣に当りイエスの彼等を誡め給ふ処は甚だ簡単であつた、曰く「路資《たびのようい》に何をも携《と》らざれ、杖また旅嚢《たびぶくろ》、糧《くひもの》、金、二の衣をも帶《も》つ事勿れ」と、此語は動もすれば謬りたる熱心の為に誤解せられんとする虞がある 伝道を為さんと欲して徒らに各種の準備を顧慮する者多きに対し此語を解して何の準備をも為す勿れとの意に取る者があるのである、然し乍ら此時十二使徒等の伝道区域は今日の如く遠隔の地に亘るものではなかつた、(144)そは多分カペナウンを中心としてナザレ、ナイン、ベテサイダ等の諸邑を巡回し一二週日にして終つたものであらう(十節参照) 故に実際上特殊の旅装を整へ周到なる準備を為すの必要を見なかつたのである、之れ其の境遇の然らしめたる処にして之を今日の世界伝道等に其儘適用する事は出来ないのである。
 然るにも拘らず此事は実に伝道の精神を明示するのである、イエスが之等の語を以て凡て伝道者の心得を概括的に教へ給ひしものなる事は馬太伝十章により明白である、十二使徒の派遣は短き旅路なりしと雖も其精神に於て模範的伝道であつた、後世の伝道は凡て此範に則つて成さるべきであつたのである。故にイエスの語は之を文字通りに解せずして其精神を見るべきである 「一の杖の外は旅の用意に何をも携つ勿れ」(馬可伝六章八節)と言ひて携帯すべき杖の数を云々するのではない、新たに杖を求むるに及ばず、唯持てる物を以て往くべしとの意である、神我等に伝道を命じ給はん乎、即ち特別の準備を為すに及ばず、今の儘にて往くべしである、問題は準備如何にあらずして神の声を聞きし乎否乎に在る、苟も神の声を聞かば直に立ちて応ずべきのみ、其時手段方法を顧るを要せず、旅嚢、糧食、金銀を携ふるを要せず、唯持てる杖を以て足れりとするのである、而して伝道成功の秘訣は此処に在るのである、古来偉大なる伝道者は皆是の如くにして立つたのである。
 然るに若し其周囲を顧み境遇を慮りて必要なる準備を整へ然る後徐ろに立たんと欲せん乎、伝道の時機は終に到来しないのである、神より伝道の命令を受けたる者に骨肉の反対がある、妻子の繋累がある、失職の苦痛がある、其他之を妨ぐべき事情は無数である、此時に当り左顧右眄誰か我が所要を供給すべき如何にして親族との調和を図るべきと其方法手段を計画し其利害得失を打算するに於ては即ち之を抛棄するの外ないのである、「境遇は神の声なり」とは米国人の唱ふる処である、而して人は境遇の声に聴かんと欲して真の神の声に背かざるを(145)得ない、米国人の事業の一大欠陥は常に此点に存するのである。
 而して是の如きは独り伝道の事のみではない、基督者が其理想を世に行はんとする時、神の栄光を揚げんとする時に当りては常に同様である、特別の準備を為すに及ばず、神の声を聴きたる時の儘にて直に往くべきである、人生には必ず或る危機がある、其時に処するの態度如何に由て或は生涯の意義を充たし或は之を失ふのである、而して神の命令を受けたる時は正に此種の危機である、信者は十二使徒の伝道の精神を以て凡てかゝる場合に対する自己の精神と為すべきである。
 イエスは又十二使徒を教へて曰ひ給うた「何れの家に入るとも其処に止りて亦其処より去れ」と、即ち村に入らば重立たる人の家に赴き其の供給する処を享け之を本拠と為すべし、戸々に移り行く事勿れと、之れイエスの実際的智慧である、如何なる村邑にも福音を受くる人無きに非ず、而して伝道者は彼の誠実なる供給に頼るべきである、真個の伝道方法は此一途あるのみ、之を今日の教会の伝道方法と比較して其の甚だ簡単にして且自然的なるを知るべきである。
 是の如くにして十二使徒は派遣せられた、彼等は「出でゝ※[行人偏+扁]く諸郷に往き福音を宣伝した」、然るに分封《わけもち》の君ヘロデ・アンチパス凡て之等の事を聞いて痛く恐怖を感じた、彼は大ヘロデの子にして曩にピリポの妻ヘロデヤを娶り義人ヨハネの苦言を憤りて遂に彼を獄中に殺戮したる人物である、彼は或人のイエスを称してヨハネの甦れるなりと言へるを聞き戦慄を禁ぜずして曰うた、「我れヨハネの首を斬りたり、我今斯る事を聞く、其人は何者ぞや」と、而して「ヘロデ之を見んと欲ふ」とある、其の何の為に見んと欲せし乎は言はずして明かである、後此事をイエスに告げて「ヘロデ汝を殺さんとす」と語る者ありし時イエス答へて曰ひ給うた「汝等往きて(146)其狐に告げよ云々」と(十三章卅二節) 神の子イエスより見て王ヘロデは実に狐狸の類であつたのである。
 イエスの行動は次第に此世の学者宗教家政治家等の敵意を招きつゝあつた、然し乍ら最後に彼の名声を王者の如くに旺ならしめ従て彼を憚れるパリサイの徒ヘロデの党をして彼の殺戮を決行せんと欲せしめたる動機は五千人の饗応にあつたのである、此奇跡ありしが故にガリラヤ伝道は其終局に達したのである、イエスの生涯に於ける一大転機と見て五千人の饗応は最大奇跡の一である。 時は踰越に近き春の日、所はガリラヤ湖の北東隅ベテサイダの辺《ほとり》の野であつた、民は皆ヱルサレムに上りて此祝節を守るも僻陬の地に在りては其事適はず、故にイエスは野に在りて衆人と共に之を守り給うたのである(約翰伝六章参照) 如何に美はしき団欒なりしぞ、之れ王者の饗筵なりと雖も天幕を張りて山海の珍味佳肴を列ぬるに非ず、青草を敷き(他の三福音書共に青草の事を記せり)碧空を仰ぎ湖水の美を眺めつゝパンを割きて共に食したのである、「イエス五のパンと二の魚を取り天を仰ぎ祝して之を割り弟子に与へて衆人の前に陳《お》かしむ」と、之れ彼が日々の喫飯法なりしならん、其のナザレの小家庭に於ても又エマオの旅宿の一室に於ても同じやうに為し給うたであらう、寔に簡単《シンプル》なる食事《ミール》である、然り簡単なりと雖も純潔にして静粛なる一夕の饗筵であつた。
 奇跡其ものゝ説明に就ては説を為す者少からず、就中最も巧妙にして近代人を満足せしむる者は批評家パウルス(Heinlich E.G.Paulus)の解釈である、曰く「此時五千の人々イエスに由て養はれしに非ず、彼等は皆各自弁当を所持したるも隣人に奪はれん事を恐れ敢て之を取出して食せんとする者がなかつた、然るに独りイエス及び其弟子の何等の狐疑する処なく平然喫飯を始めたれば群衆皆其寛大に励まされ安んじて食事を終へたのである」と、説明として必ずしも一笑に附し去るべきではないかも知れない、然し乍ら此種の見解は単に奇跡其物を(147)釈かんとするに止まり奇跡のイエスの伝道事業中に於ける地位を無視するものである、五千人の饗応はガリラヤ伝道の終局にしてヱルサレム伝道の端緒であつた、そは正にイエスの生涯の最も重要なる分水嶺の上に立ちし一箇の石碑であつた、人は之に由てイエスの特に神より遺はされたる偉人なる事を知つたのである、ルカが此奇跡を本阿中に収録したる理由は其処に在るのである、果して然らばパウルスの説の如きは聖書の記事の順序を顧みず前後の脈絡を無視したる浅薄なる妄断たるを免れない、事実の説明の如何に係らず五千人の饗応は重大なる奇跡である、此出来事が四福音書に共通なる少数記事の一に属するが如きも亦偶々其反証たるに外ならないのである。
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     第十九回 イエスの自顕(六月三日) 路加伝第九章自十八節至廿七節
 
 ベテサイダ近傍の野に於ける五千人の饗応はイエスの生涯の一大転機となつた、此奇跡ありしが故に彼の名声は頓に揚り彼の人望は極度に達した、民衆は彼の真に偉大なる救主たる事を感知し執へて以て其の王と為さんと欲したのである、正に是れ乗ずべきの機会であつた、彼等を糾合して大教会を建設し或は大教派を確立し以て所謂教勢の拡張を図らんが為には逸すべからざる絶好の機会であつた、イエス若し普通人なりせば彼は必ずや此途に出でたであらう、然し乍ら是の如き場合に処するイエスの態度は常に常人の予期に反した、曩に多数の群衆彼の説教を聴かんと欲して争うて湖畔に迫るや彼は俄然其説教の形式を一変して難解なる譬喩を使用し給うた、即ち浅薄なる信者又は偽の弟子を回避せんが為めであつたのである、五千人の饗応の後も亦同様であつた、今(148)や自己の声望其極度に達したるの時に方り彼は普通人の企図すべからざる新方針を採り給うたのである。
 抑も人類の救拯に関する彼が生涯の大方針を伝へんが為に一度び静寂の地に退きて其弟子と語る処あらんとはイエスの冀望であつた、彼は既に此目的を以て湖水を渡り対岸ガダラの地に赴き給ひしも偶々悪鬼に憑かれし人に遭遇し之を医さんが為め大騒擾を惹起して彼自身の目的を果す事が出来なかつた、後又舟に乗りてベテサイダの辺に到り給しも其時は群衆陸伝ひに彼を追ひ却て先着して彼を待ち受けたるが為め新しき恩恵の奇跡の機会とはなりしと雖も彼自身の目的は再び之を果さなかつた、実に悩める者の前に在りては彼自身の目的は常に抛棄せられたのである、彼の計画を破壊せんが為には一人の弱者を其の面前に立たしむるを以て足りたのである、是の如きは世の所謂偉人らしからざる態度であつた、若し禅僧をして之を評せしめたならば必ずや言ふであらう、何ぞ其進退の不徹底なると、夫れ或は然らむ、然し乍らナザレのイエスは実に是の如き人であつたのである、彼は人情の人であつた、彼は自己の目的を遂行せんが為めに目前の病者弱者を棄つるに忍びなかつた、彼は寧ろ後者の為に前者を棄てたのある、弱者と共に在りて彼は強き人ではなかつた、寔に詩人シルレルの歌ひしが如くである、曰く「勇士は独り在る時に強し」と、而して其何れが果して神らしきかは読者自ら之を判断すべきである、古来偉大なる基督者の生涯は此点に於て皆イエスに類する処があつた、無名の隣人を助けんが為に深夜雪を犯して出で遂に斃れたるはバンヤンであつた、郷地フロレンスと隣邑との和睦を斡旋せんとして生命を捐てたるはダンテであつた、強者弱者に仕へ聖者罪人の為に犠牲となる、之れ基督教の精神である、而してイエスの生涯は其の最大の典型であつた。
 イエスは今や遠くヘルモン山の麓に人を避けて其最後の大方針を弟子に告ぐるの時を有し給うた、此大事を説(149)くに先だち彼はまづ問を設けて曰ひ給うた「人々は我を言ひて誰とする乎」と、蓋し此時使徒等は既に数日の伝道旅行を試みたる後なればガリラヤ地方に於ける一般の批評を耳にして居つたのである、彼等答へて曰く「バプテスマのヨハネ或はエリヤ或は古の預言者の一人の甦れるなり」と、然らば「汝等は我を言ひて誰とする乎」、是れ恐らく使徒等の心中絶えず繰返されたる問題であつたらう、而して其の彼等の思想を代言したる者は例の如くにペテロであつた、曰く「汝は人に非ず、神のキリストなり、イスラエルの仰ぎ望めるかのメシヤなり」と、偉大なる答弁であつた、故にイエス答へて「ヨナの子シモン、汝は福なり、そは血肉汝に示せるに非ず、天に在す吾父なり、我又汝に告げん、汝はペテロ也、汝の表白は我が新社会の土台石となるべし」と言ひ給うた(馬太伝十六章十七、十八節) 而して若し此事を民衆に告げん乎、イエスの人望愈々隆盛に赴くべきを慮り彼等を戒めて「此事を何人にも告ぐる勿れ」と命じ給うた。
 ヘルモン山下に於ける此の問答はイエスの自覚の偉大を示すと共に又使徒等の信仰の偉大を表はすものである、イエスが自己を以てエリヤ、エレミヤ、モーセ等の大預言者よりも更に大なる者と為し活ける神の子なる事を明かにし給へるは実に驚くべき自顕であつた、人類の運命は一に此事実の上に繋《かゝ》つて居たのである、然し乍ら彼の弟子の表白も亦偉大であつた、其師イエス仮令民衆の人望を羸ち得たりと雖も富力なく権勢なく長老 学者 宗教家 政治家等世の有力者階級は挙て彼の敵である、此時に方り彼の中に真個の光を認めて唯に其偉人たるを知るのみならず神のキリストなるを信ずるに至ては偉なりと称せざるを得ない、彼等は流石に使徒の名に背かなかつた。「人々は我を言ひて誰とする乎」と、イエスは今も同じく此問を以て我等に臨み給ふのである、而して我等は答へて曰ふのである、「人々は汝を大聖人、大哲学者、大道徳家、大宗教家また大社会改良家となす、然り彼等は(150)孔孟釈基と称して汝を古の聖賢と同視するのである、唯に不信者又は異教徒が然るのみならず、実に基督教会に属して汝の聖名を称ふる者まで亦斯くするのである」と、其時イエスは更に問ひ給ふのである、曰く「然らば汝等は我を言ひて誰とする乎」と、噫我等も亦果してペテロと同じく「汝は神のキリストなり」と答へ得る乎否乎、我等の良心に基づく凡ての確信を以て神の前に真実に此告白を為し得る乎否乎、イエスの即ちキリストなる事、「彼に由て万物は造られ天に在る者地に在る者人の見る事を得る者見る事を得ざる者或は位ある者或は主たる者或は執政者或は権威者其他万物の彼に由て造られ」たる事、「且其の造られたるは彼が為め」なる事、「彼は万物より先にあり、万物彼に由て存《たも》つを得る」事、其事を信じ得る乎否乎(哥羅西書一章十五−十七節) 之を信ぜずして未だイエスを信ずる者と言ふ事は出来ない、彼を以て古聖賢の一人と為す者は基督者ではないのである、基督者の信仰の真偽を鑑別するものは此問題である。
 是の如くにして神の子イエスの最初の自顕があつた、然るに彼は更に語を継《つゞけ》て曰く「人の子必ず多くの苦《くるしみ》を受けて長老祭司の長学者どもに棄てられ且殺され第三日に甦るべし」と、光明一閃忽ちにして又暗黒裡に滅失したるが如くである、弟子等は思うたであらう、イエス若し神の子ならば一世の尊崇を鍾め上下の輿望を荷ひ万民の歓呼に迎へられて世に顕はるべき筈なるに此言は果して何の意ぞ、彼は自白を為すと共に之を取消したのである乎と、然し乍らイエス若し彼等の思ふが如く成りたらば如何、必ずや肉の人なるイエスの崇拝即ち人物崇拝が始まつたであらう、而して之れイエスの許し給はざる処であつた、十誡の偶像崇拝を厳禁するが如くにイエスは人物崇拝を厳禁し給うた、彼は神の子なりと雖も肉の人なるイエスとしては棄てられ辱められ且殺されん事を欲し給うたのである、是の如きは人の思議すべからざる処であつた、而してイエスのイエスたる所以は茲に(151)あつたのである、彼が孔孟釈等と其|彙《たぐゐ》を同じくせざるの所以は此辺にあつたのである、加之彼は唯に受難と屈辱の死のみを予言し給はなかつた、彼の語尾には最も栄光ある予言が附加せられた、曰く「第三日日に甦るべし」と、然し乍ら此時未だ何人も之を解するを得なかつた、ペテロの如きは却て彼を援《ひ》き止め「主よ宜からず、此事汝に来るまじ」と言ひてイエスの激怒を招いた、「サタンよ、我が後に退け」と、実に使徒ペテロすら未だ全くイエスを解しなかつたのである(馬太伝十六章)。
 是に於て彼は更に彼に従はんと欲する者を戒めて言ひ給うた、「若し我に従はんと思ふ者は己に克ちて日々其の十字架を負うて我に従へ」と、「己に克ちて」、己に背きて、己を否定して、己を殺して、又は己を無きものとして、「十字架を負ひ」、当時罪人を十字架に釘けんとする時は彼自身をして十字架を負はしむるを常とした、「我に従へ」、我が足跡を踏んで来れ、我に倣つて来れ、「汝等真に我弟子たらんと欲する乎、然らば先づ己を無きものとして日々自己の釘けらるべき十字架を其背に負ひ而して我に倣つて来れ」とイエスは教へ給うたのである。
 「其の生命を全うせんとする者は之を失ひ我が為に生命を失ふ者は之を全うすべし」、イエスの屡々用ゐ給ひし語である、彼自身の語なりしか或は当時通用の諺語なりしか明かならざるも福音の真理を伝ふるに恰好の辞と認められしは確かである、「生命」、psyche 又は soul である、即ち肉の生命である、イエスは生命に二種を認め給うた、肉の生命あり霊の生命あり、前者は唯に飲食のみならず、目の慾、心の慾、皆これ肉的生命の事である、而して霊的生命を全うせんと欲して肉的生命は之を棄てざるを得ない。
 此語を読みて注意すべきは「我が為に」である、「我が為に生命を失ふ者は」、肉的生命を抛棄すべき理由は何(152)ぞ、換言すれば道徳の動機は何処に在る乎、そは国家社会の為である乎、或は自己の幸福の為である乎、或は倫理学者の所謂絶対命令の為である乎、否基督者に取ては道徳の動機は唯「キリストの為め」である、キリストに認められんが為め、キリストに栄光を帰せんが為め、万事万物唯だキリストの為めである、日常の些事に至るまで一として主の為めならざるはない、故にイエスは自ら「我が為に」と要求し給うた、而して孔子釈迦如何に偉なりと雖も此一事は之を要求するを得なかつた、彼等に取て真理は自己の以外に在つた、イエスに取て真理は即ち自己の衷に在つた。
 「人もし全世界を利するとも自己を失ひ自ら亡びなば何の益あらんや」、富、富といふ、然し人は幾許の富を獲たらば満足するであらう乎、富に富を重ねて遂に全世界を獲る迄は満足するの日は来らないのである、而して遂に全世界を獲るとも其為に自己を失はゞ果して何の満足ぞ、近頃の所謂成金なる者の生活を知らば蓋し思半ばに過ぐるものがあらう、真個の満足は却て肉的生命の抛棄にある、自己を否定して十字架を負ふに在る、何となれば之れ即ち生命を完うするの途であるからである。
 「我れ誠に汝等に告げん、此処に立つ者の中に神の国を見る迄は死なざる者あり」、難解の語である、「されど」を附して読むべし、「是の如く我に従て基督者となるは難し、されど我誠に汝等に告げん、基督者となりて神の国の来臨を見得る者はあるなり、そは此処に立つ汝等の中に在るなり」との意であらう、而して実にヨハネ、ペテロ、ヤコブ等少数の弟子は此預言に適ひし者であつた、此語がキリスト再来の時機を云為したるものに非ざる事は之を前の語の註釈と見て明かである、又約翰伝第廿一章廿三節に於けるヨハネ自身の説明に徴して明かである、多分初代信者の間に在ては再来の時機切迫せるの観念強かりしが為にイエスの語を少しく枉げて伝へたので(153)あらう。
 イエスの自顕に次ぐものは彼及び彼の弟子の苦痛の表白であつた、寔にキリストの福音は此世の幸福ではないのである、而して之れ彼が人望の極点に在りし時の教示であつたのである、イエスは神の子である、故に肉に在りて栄光を受くべき者に非ず、信者も亦同様、肉に在りては苦まざるべからずと、驚くべき教示である。
 
     第二十回 イエスの変貌(六月十日) 路加伝第九章自廿八節至卅六節
 
 使徒ペテロ、イエスを神の子なりと表白しイエス亦其最後の受難と死と復活とを預言し給ひし時に於て彼の伝道の歴史は其絶頂に達したのである、其時より六日を隔てゝ即ち八日日の頃彼はペテロ、ヨハネ、ヤコブを伴ひ祈を為さんが為山に登り給うた、多分ヘルモン山であつたらう、海抜八千尺、イエスの生涯中登り給へる最高の山であつた、時尚ほ春なれば山上の積雪未だ消えなかつたであらう、日既に暮れて弟子等は睡眠を催うした、イエスは唯独り深き祈に耽り給うた、然るに見よ、彼の顔貌は一変し其衣服まで白く輝いた、忽ち二人の者同じく栄光の体を以て現はれ何事か彼と共に語り合ひつゝある、二人はモーセとエリヤであつた、而して其の話題はヱルサレムに於けるイエスの死であつた、弟子等初め熟睡を為し居たるが漸く醒めて此光景を見、驚愕の余り所謂夢中となつた、二人イエスと別るゝ時ペテロ、イエスに向つて白く「師よ、かゝる立派なる所に我等何時迄も滞在せん、願はくは我等をして三箇の草廬を作らしめ給へ、一は汝の為め一はモーセの為め 又一はエリヤの為にせん」と、蓋し彼は半酔半夢の状態に在りて何を言ひしか自ら知らなかつたのである、其時雲来りて彼等を包ん(154)だ、而して雲の中より声あり、曰く「こは我が愛子なり、之に聴くべし」と、声やめば唯イエス一人を見るのみであつた。
 事は異常である、故に学者は之に対し種々の説明を附せんとするのである、就中かの五千人の饗応の奇跡を事も無げに説明し去りたるパウルスは此変貌の出来事をも同じ様に解釈して曰ふ(彼は頓智に富みたる学者なりしと見ゆ)、「イエスは其夜山上に於て或人と会見すべき約束を為した、然るに春まだ浅く地には積雪あり天には電光あり、二人来りてイエスと語れる時暗中電光明滅し白雪之に映じて彼等の体を照したのである、弟子等眠より醒めて之を栄光の体と誤認し二人を以てモーセ及びエリヤならんと想像したに過ぎない」と、而して後の註解者等或はパウルスの説明の尚ほ尽さゞるものあるを感じ補足して曰く「ペテロ此時夢を見て醒め恰も小児の如く其夢の継続を語つたのである」と、批評的の立場より記されたる基督伝にして変貌の説明を此辺より以上に進むるものは無い、学者の間に伍して而も此事実を聖書の記事の儘に信ぜんとするは至難の事である。
 然し乍ら聖書の記事は之を前後の関係より截断し其のイエスの生涯中に於ける地位を無視して個別的に解釈を下す事は出来ない、必ずや之を前の記事の継続とし又後の出来事の端緒とし其の基督伝全体に対する関係を闡明して観察しなければならない、かの五千人の饗応の如きもさうであつた、パウルスの淡白なる説明の容るべからざる理由は其のイエスの生涯の一大転機となりし所以を説明し得ないからである、或る驚くべき方法による奇跡と見るに非ざれば之が為めに民衆彼を執へて王と為さんと欲したる所以を説明し得ないからである、其の如く変貌も亦一箇単独の出来事ではなかつた、之に先だちしものはガリラヤ伝道の終局とイエスの神の子たるの自顕であつた、之に続きしものはヱルサレム上りと彼地に於ける受難及び死であつた、知るべし変貌はイエスの生涯の(155)最高処、其絶頂に達したる時の出来事なるを、故に之が説明は其立場に於て之を為さなければならない、是に於てか自ら解釈上の必要が生ずるのである、電光、白雪、夢物語の如き、解釈として軽妙たるを失はずと雖も其浅薄なる到底聖書全体の立場より之を容すべからざるものたるは明白である。
 而して此立場より之を見て変貌は即ち事実其儘であつた、イエスの変貌は決して弟子等の幻想ではなかつた、之れイエスの取るべき当然の形体であつたのである、彼の聖化が其極に達したる時の状態であつたのである、彼は此状態に於て此時直に昇天すべくあつたのである、而して其事は彼の罪なき聖なる生涯の当然の結果であつたのである。
 人の死は素と其の罪の結果である、故に罪なき生涯を送りし者は死するの必要がない筈である、アダム若しエデンの園に於て罪なくして一生を送りしならば彼は死を経過せずして自然に天に移されたであらう、人類の死は元来不自然の事である、「死は罪の価なり」と、之れ死に対する聖書の立場である。
 而して聖書は又或る場合には死の苦痛を経ずして昇天したる人の実例を示して居る、其第一はエノクである、「エノク神と共に歩みしが神彼を取り給ひければ居らずなりき」と(創世記五章廿四節) 之れ即ちエノクの変体 translation である、其第二はエリヤである、「ヱホバ大風をもてエリヤを天に昇らしめんとし給ふ時エリヤはエリシヤと共にギルガルより出で往けり……彼等進みながら語れる時火の車と火の馬現はれて二人を隔てたり、エリヤは大風に乗りて天に昇れり、エリシヤ見て我が父我が父イスラエルの兵車よ其騎兵よと叫びしが再び彼を見ざりき」(列王紀略下二章十一−十二節) 其第三はモーセである、「斯の如くヱホバの僕モーセはヱホバの言の如くモアブの地に死ねり、ヱホバ、ベテペオルに対するモアブの地の谷に之を葬り給へり、今日迄其の墓を知る(156)人なし」(申命記卅四章四、五、六節) 彼は如何にして死したるや何人も之を知らず、多分エノク又はエリヤに似たる方法にて昇天したるに非ずやと思はる。
 死と罪との関係が聖書の示す通りであつて死は罪の結果であるとするならば、罪なき人の死せざる事は論理上当然である、而して若しエノク、エリヤ等にして尚且つ死を経過せざりしならばイエスキリストは勿論斯くして昇天すべき筈であつた、彼には罪なく汚穢《けがれ》なく腐敗なく凡て死の原因となるべきものが無かつた、彼の生涯は天父の聖旨に循ひたる完全なる生涯であつた、而して今や壮齢三十有余、既に神の国の福音を伝へ又自ら神の子たるの自顕を為し弟子も亦之を認めたのである、内外共に疵なき生活を以てして為すべきは既に之を為した、イエスの身体に聖化を生じて生きながら昇天すべき時機は正に今では無かつたらう乎、此時に際してヘルモン山頂変貌の事は在つたのである、即ち彼の昇天の時機来り其弟子の前に於て変化が始まつたのである、エリヤ、モーセは彼を迎へんが為めに現はれたのである、イエスは実に是の如くして昇天すべきであつた。
 身体の聖化といふ、其の如何なる状態なる乎は想像するに難くある、然し乍ら我等の熟知せる天然現象に就て其類例を求むるならば上簇の際に於ける蚕児の変態が其一例であらう、此時昆虫の体は変じて透明なるものと成るのである、又罪の世に於ても稀に類似の例を見ないではない、物慾なく恬淡なる生活を続けたる聖人にして晩年其の身体自ら聖化し其面貌には光を発して此世の人としも覚えざるに至り静に彼方に移さるゝ者がある、二者素よりイエスの変貌に比すべくも非ずと雖も後者も亦此種の現象の至聖なるものたりしを推察する事が出来る、イエスの此状態に於て昇天すべきは彼の聖なる生涯の結果として最も自然の事であつた。
 然し乍ら彼は自ら避けて此自然の途を取り給はなかつた、彼は自ら択んで此時昇天し給はなかつたのである、(157)罪の世を救はんが為に来り給ひし彼は己れ独り昇天せん事を欲し給はなかつた、彼は罪人と共に昇天せん事を欲した、故に罪人の通過すべき途を通過せんと欲した、彼等に同情し彼等の経験を凡て経験せんと欲した、自然の昇天はイエスの特権なりしも彼は罪人を思ふの余り特権を抛棄し給うたのである、死は彼の避け難き運命には非ざりしも彼は人類を救はんが為め殊更に苦がき死を択び給うたのである イエスは義人なりしが故に已むを得ず死に就かしめられたりと言ふは謬である、彼の場合に在ては死は必然の最期に非ずして全く任意的の撰択であつた、罪人の友とならんが為め、之と互に同情し得る者とならんが為めの犠牲であつたのである。(聖書之研究第百四十三号所載「キリストの死の貴き所以」参照)。
 故に変貌の山に於ける彼とモーセ、エリアとの間の話題は此事であつた、「イエスのヱルサレムにて最早や世を逝らんとする事を語る」と、其の「世を逝る」と訳せられしは希臘語の exodos 即ち「脱出」である、無理なる出方である、自然の昇天に非ずして激烈なる死方である、イエスは此時直に昇天し得たるに拘らず却てこの激烈なる死方を択び給うた、彼は自ら棄てんと欲して其生命を棄てたのである、故に「イエス天に昇るの期至りければエルサレムに往く事を確く定めたり」(五十一節)とある、断然ヱルサレムに顔を向け給へりとの意である、自己は死すべき必要なき者なるも断然死せんと覚悟せりとの意である、而して此覚悟は即ちヘルモン山頂に於て確定したのである。
 「声雲より出でゝ曰ひけるは此は我が愛子なり、之に聴くべし」と、イエスの生涯中天より声ありて「我が、愛子云々」と響きし事は前後二回あつた、而して其何れも彼が自己を捐てたる時、神の子たるの特権を抛棄したる時、自ら謙下りて罪人の班に伍したる時であつた、即ち嘗ては己れ悔改むべき罪なきに尚罪人と共にバプテスマ(158)を受け給ひし時に此事があつた、今又己れ死すべき必要なきに尚罪人の為めに死せんと覚悟し給ひし時に此事があつたのである、寔に自ら卑うするものは高くせらるゝのである。
 是の如くに解して変貌の山の記事は深遠無量の意義を発揮するのである。捐つるの必要なき生命を自ら択んで捐てんと覚悟し給へる処にイエスの死の真に貴き所以があるのである、而して人は他人の為に犠牲たらんとするの決心を為す時其力は忽ち二十倍−五十倍する、イエスの生涯も亦此時より一変した、爾後ヱルサレムに上り十字架に附き給ふ迄の間の彼の生活の豊富なる実に驚くべき者があつた、かくてヘルモン山上栄光の体を以て昇天すべかりし神の子はゴルゴタ丘上最も屈辱の死を甘受したのである。「イエスの栄光」といひ「モーセとエリヤ栄光の中に現はれ」といふ、栄光即ち doxa 之れ聖書独特の語である、信者が次の世に復活体を賦与せらるゝ時も亦神の栄光を被《き》せらるゝのであるといふ、その栄光の如何なるものたるべきかを少しく窺はんと欲せば変貌の山に於けるイエス並にモーセ、エリヤの姿が其れである、罪なく聖き生涯を送りし人の貌より発する光が復活体の栄光に近きものである、その栄光に比して現在の肉体の如きは如何に穢れたるものぞ、心理学上死後の生活を実験せし者の語るを聴くに肉体を脱離したる後再び之を見たる時には其の醜陋汚穢に堪へざるを覚えたりと云ふ、今日に於てこそ生命財産と称して之を専重するもかの栄光の日来らば何人も其の如き感を抱くのであらう、慕ふべきは変貌のイエスに似たる栄光の体の被せられん其日である。 〔以上、7・10〕
 
     第二十一回 師弟の間隔(六月廿四日) 路加伝第九章自卅七節至五十節
 
(159) イエスの変貌は其の復活昇天又は奇跡的出生と互に聯結する出来事であつた、之等の事実と並列せしむる時は変貌決して特別の奇跡ではなかつたのである、是れイエスの性格の何たる乎を証する最も重要なる資料の一であつたのである、是の如く聖書の記事は常に単独のものとして観察する事が出来ない、必ず之を全体の一部として解釈すべきである。
 卅七節以下亦同様である、前の記事に関聯せしめずして其意味を探るに難くある、即ちイエス山上に於て其体栄光化したる後翌日山より降り給うた、然るに麓に於ては許多《あまた》の人彼を待ち受けて其救助に与らんとする事例の如くであつた、其中に一人あり、呼はりて曰く「我が独子癲癇の為め悩む事甚だしく汝の弟子に之を癒さん事を求めたるも能はざりき」と、イエス答へて曰く「噫信なき悖逆《まがれ》る世なる哉、我れ汝等を忍びて何時迄あらんや」と、是れイエスの語としては不穏当なるほど峻烈の言である、知らずイエスは何人に向て此語を発せられたのである乎、病児の親に対して乎、或は彼の弟子に対して乎、されど「信なき悖逆れる世」とあれば特別に親又は弟子を責められたものと見る事は出来ない、世とは言ふ迄もなく此世全体の謂である、然らば此時彼は何故にかくも鋭き語を以て世を責め給ひし乎、是れ多くの註解者の解釈に苦む問題である。
 然し乍ら之を変貌の山の直後に来りし記事と見て問題は容易である、イエスは前夜彼処に在りて祈り栄光の状態に入りてモーモ、エリアと語り給うた、天国は彼の眼前に開展した、翌日山を降り給ひし時も一種の栄光は尚ほ彼の顔貌に存つて居たであらう、然るに降り来れば世の状態は依然として罪である不信である、かの栄光とこの汚穢、何ぞ其対照の顕著なる、山上の経験尚ほ新たにして忽ち罪の世の不信に遭遇しイエスは言ひ難き感慨に打たれ給うたであらう、是に於てか彼は心中の嘆息を発して語り給うたのである「噫不信の世なる哉、我最早や(160)かゝる世に堪へざらんとす、何時迄汝等を忍びて茲に在らんや」と、故に此語の註釈は之を変貌の事実に求むべきである、後者は前者を説明し前者は又後者を説明する。
 イエスは不信の世に対して此の深き歎声を発し給ひしと雖も「汝が子を此処に携れ来れ」と命じて直に之を癒し給うた、衆人は再び神の大能の発顕を見て駭いた、五千人の饗応以来イエスの名声は隆々として揚るのみであつた、然し乍ら彼等の思想は現世的であつた、弟子等の彼に従ひしも亦野心の故であつた、彼等は未だ主の心を解しなかつた、イエス之を知つて曰く「此言を汝等耳に蔵めよ、それ人の子は人の手に付《わた》されん」と、人の子は此世の王となりて万民を支配するに非ず、人の子は人の手に付されて苦難を受けざるべからず、されど汝等今之を心に解する事能はず、故に之を耳の中に留め置くべしといふのである、弟子等此言を聞き懼れて敢て問はなかつた、蓋し其理想に反するの余りに甚だしきが為め寧ろ之を解せざらんと欲したのである、人は自己の信仰を破壊せられんとする時之を懼れ却て自己の心を欺きて其失望を避けんと欲する、或は又愛する病者の死の宣告を受けんとする時之を懼れて寧ろ聞かざらんと欲する 寔に弱きものは人情である。
 弟子等未だイエスを解せず、惟へらく師は必ず世の勢力を掌握して王となり其国に理想的政治を行はん、而して我等も亦其支配に参与するを得べしと、故に彼等は皆私かに野心を懐いた、彼等は互に語つて言うた「其時高官に就いて権勢を振ふべき者は誰ぞ、ペテロかヨハネか将たヤコブなる乎」と、イエスは此心を知り彼等に天国の法律を伝へんと欲して一人の孩子《をさなご》を取り給うた、而して彼等に言つて曰く「我名の為に此孩子を接《う》くる者は即
我を接くるなり、我を接くる者は我を遣はしゝ者を接くるなり、凡て汝等の中最も小き者ぞ是れ大ならん」と、即ち孩子を以て父の代表者と為すのである、父の最も意を籠めたる者は是れである、故に之を受くる者は我を受(161)くる者にして我を受くる者は父を受くる者である、汝等若し孩子よりも小き者となりて之を受けなば父を受けて最も大なる者と成らん、小き者を受くる者即ち最も小き者が神を受くる者即ち最も大なる者であると、驚くべき教訓である、是れ亦ルカの伝ふる福音の精神に能く適うたる真理である。
 若し此真理を以て家庭又は社会に応用せん乎、万事が転倒するであらう、例へば我国に於ける旧来の家庭は長者中心であつた、長者の保護の為には何物をも犠牲に供するを厭はなかつた、然し乍ら健全にして進歩したる家庭は之に反して悉く小児本位である、小児の健康殊に其の精神的道徳的感化如何は家庭の最大問題である、一人の小児の為めに家庭生活の全体が支配せらるゝのである、或は国家に就ても亦同様である、若し政治家の最も意を注ぐ処にして弱者又は下層社会に在るに至らん乎、国家の状態は一変するであらう、富者有力者の利益のみを計つて平民を思はざるの国家は禍である、最小者を受くる国家が却て最強国と成るのである。
 然し乍ら茲に孩子とあるは単に弱者又は幼者の謂ではない、特に信仰の弱者信仰の幼者の意《こと》である、信仰の弱き者を受けよ、然らばキリストを受け神を受くるのであると、而して信仰の弱き者を受けんが為には自ら謙遜りて其以下の者とならなければならない、是の如く最も小さき者となりたる者が神の眼より見て最も大なる者である、故に健全なる信者の団体は常に其中の信仰最も弱き者を標準と為すのである、恰も艦隊の進行するに当り最も速力遅き軍艦と歩調を共にせざるべからざるが如くである、然るに今日の教会は如何、富者学者権者又は信仰の大なる者は歓迎せられて独り信仰の弱者は重きを置かれず、之れ教会の病根である。
 「我名の為に孩子を受くる者は即ち父を受くる者なり」と、是れ簡単にして偉大なる真理である、かの馬太伝に記さるゝ如く「汝等若し改まりて孩子の如くならずば天国に入る事を得じ」と言ふよりも其意味更に深遠で(162)ある。
 イエスの言はヨハネの心中に或る反応を惹起せしめた、彼れ乃ち曰く「師よ、汝の名によりて鬼を逐出す者あるを見たり、彼等は汝の名を使ふが故に我等と共なるべき筈なるに、従はざる故之を禁止したり」と、然るにイエス答へて曰く「禁《とゞ》むる事勿れ、我等に敵抗《てきた》はざる者は我等に属く者なり」と、之れ聖書研究者を苦むる難解の語である、然し乍ら改正英訳の示すが如く「我等に」は「汝等に」の誤訳である(古き原本に「我等」と記せる者あるも信憑するに足らず)、「汝等に敵抗はざる者は汝等に属く者なり」、汝等に敵せずして我名を使ふ者は汝等の味方なりとの意である。
 ヨハネの代表したるものは所謂党派心であつた、イエスの名によりて伝道する者あるも我等と共ならずんば之を認むべからずと、此精神に由て十二使徒はパウロの伝道を非認した、彼は肉体のイエスを知らず又ヱルサレム教会に従はなかつたからである、此精神に由て今日の教会牧師宣教師等も亦忠実なる伝道者を責めて已まない、「イエスの名によらば何故我が教会我が教派に属せざる」とは彼等の常套語である、然し乍ら彼等にして若しヨハネの如く之を主イエスに訴ふる処あらん乎、主は今も尚ほ答へて曰ひ給ふのである「非ず、彼等も亦汝等の味方なり」と、寛大なる哉イエスの精神、之あるに由て彼は真に世界の師である、而して教会の外に在りて却て教会の基礎を堅うしたるパウロの如きは最も能くイエスの此言を証明する者である。
 イエスと十二使徒、其間隔や甚大であつた、社会の権勢を獲得して国民を支配せんと欲したるは弟子であつた、自己の生命を捐てゝ世を救はんと欲したるは師であつた、互に地位を争うて誰か大なると論じ合ひたるは弟子であつた、孩子を受くる者を以て最も大なる者と為したるは師であつた、イエスを信ずるも我等に従はざる者は敵(163)なりと為したるは弟子であつた、イエスを信ずる者は悉く兄弟なりと為したるは師であつた、是の如くにして遂にイエスの受難と弟子の散乱とに終る、四福音書は一面より見て正に弟子の失敗史である、就中ヨハネはイエス特愛の弟子なりしと雖も福音書中彼に就て記す処は一として失敗の跡ならざるはない、然し乍ら時至りて彼等は悉くイエスを解し偉大なる使徒となつたのである、而してイエスの為に証を為さんがためには自ら自己の耻辱をも綴りて之を後世に貽すを憚らなかつたのである。
 路加伝は其第九章五十節を以てイエスのガリラヤ伝道を終り同五十一節よりヱルサレム伝道に移るのである、故に若し路加伝に巻を劃せんと欲せば此処を以て上下の界と為さなければならない、即ち本講義は茲に其上巻を結了したのである。
  主筆曰ふ、茲に一先づ惜き路加伝の講義を終る、稿を更めて再び読者に見るであらう。
 
(164)     我が才能
                         大正6年1月10日
                         『聖書之研究』198号
                         署名 主筆
 
 我が才能は? 我が才能は信頼である、我に文才はない、徳才はない、勿論世才はない、才能といふ才能は何にもない、信仰の才能すらもない、唯神の恩恵を信頼するの才能があるのみである、是れ才能と称すべからざる才能である、才能の最も下等なる者である、小児の才能である、暗愚此まゝ、不徳此まゝ、無学此まゝ神の恩恵に依頼むの才能である、而して愛の神は人を救はんとて此最下等の才能を必要条件として定め給ふたのであると思ふ、それであるから余も救はるゝのである、それであるから救はるべからざる人とては一人もない筈である、唯余の愚かさに、余は度々信頼以上の才能を求めて、之を余の衷に看出し得ずして悲むのである、小児に有り得る才能、父に縋り母を慕ふの才能、是れが余に有り得ない筈はない、而して此原始的才能とも称すべき者ありて、余は神の子と成るを得て、万物を余の有となす事が出来るのである。
 
(165)     新年の辞
                         大正6年1月10日
                         『聖書之研究』198号
                         署名なし
 
〇茲に又希望の新年を迎へて感謝する、是れ又歓喜と感謝と恩恵の一年たるべきは確かである、主が我等に在りて働き給ふのである、我等自身が働くのではない、主が我等に在りて、我等を以て我等を通うして働き給ふ、其処に我等の確実なる希望は存するのである、我等は自分の無智無能を充分に示された、自分に頼りては万事《すべて》が失敗である、乍然信仰を以て彼に頼り彼の器と成て我等の愚・無力・然り罪其物までが彼の聖旨を遂る上に於て敢て妨害を為さないのである、此信仰あるが故に我等は大勇気を以て旧年を去て新年に入ることが出来るのである。
〇主は去年我等に書き研究の題目を賜ふた、伝道之書と出埃及記とは我等の全注意を払ふて猶余りある好題目であつた、彼は又今年も善き聖語《みことば》を賜ふであらう、我等は大題目を賜はらんことを祈るのである、超時間的、超自然的、超人間的大問題の我等に提供せられんことを求むるのである、而して感謝すべき事には旧新両約六十六巻の書は孰も斯かる問題を提供して我等の観察と研究とを促すのである、聖書の研究に従事して百年の生涯は余りに短くある、恰かも大天然に対するが如く神の聖書に対して研究の題目は無限である、其一書が霊的知識の無尽蔵である、其一節が値《あたへ》いと高き真珠である、我等聖書を学べば学ぶ程此世の智識がツマラなくなる、政治、経(166)済、殖産、工業と云ひて一時は我等の全注意を奪ひし諸問題が何やら小学童子の頭脳を悩す小にして少なる問題であるかのやう思はるゝに至る、是れ皆な実は什麼《どう》でも宜い問題である、永遠に生くべき霊魂を有する人間の究むべき問題は実は唯一つである、而して此唯一の問題に就て聖書は語るのである。
〇蓮月尼は七十七歳の春を迎へて詠《よみ》て云ふた
   しぬもよししなぬもよろし又一つ
     どうでもよしの春は来にけり
と、余輩は下の句を詠変て曰ふ
     すべてがよしの春は来にけり。
 
(167)     ENEMIES OF CHRISTIANITY.基督教の敵
                         大正6年2月10日
                         『聖書之研究』199号
                         署名なし
 
     ENEMIES OF CHRISTIANITY.
 
 The enemies of Christianity are not Buddhism and Confucianism. The enemies of Christianity are American Hedonism,English Commercialism, French Indifferentism, Russian Nihilism,German Nietzscheism and Treischkeism, and other hateful and horrible isms of the Western origln. The West in introducing Christianity to the East,has introduced with it its most destructive enemies.The East has nothing to be compared with the unbeliefs of the West.Let not Christian missionaries boast of the easy conquest of heathenism,when enemies far stronger than heathenism are accompanying them from their home and uprooting the very faith they are planting. The Christian West carrying deadly poisons in her bosom cannot heal the pagan East. The East needs her own Christianity,strong enough to overcome the deadly unbeliefs of the West.
 
(168)     基督教の敵
 
 基督教の敵は仏教又は儒教ではない、基督教の敵は米国人の快楽主義である、英国人の商売主義である、仏国人の無頓着主義である、独通人のトライチュケ主義又ニイチェ主義である、其他西洋に起りしすべての憎むべき且つ恐るべき主義である、西洋は東洋に基督教を輸入して其れと共に其の最も破壊的の敵を輸入した、東洋に西洋の基督教反対論に較ぶべき何物もない、基督教の宣教師は容易く偶像教を征服したりと云ひて誇るべきではない、偶像教よりも遥に強き基督教の敵は彼等の本国より彼等と共に来りて彼等の植えつゝある信仰の樹を根こそげ引抜きつゝあるのである、基督教的西洋は其体内に悪性の毒物を蔵《かく》すが故に異教の東洋を癒《いや》すことは能ない、茲に於てか東洋は西洋の毒性的基督教反対論に打勝つに足るの東洋自発の基督教を要するのである。
 
(169)     〔祈祷の快楽 他〕
                         大正6年2月10日
                         『聖書之研究』199号
                         署名なし
 
    祈祷の快楽
 
 祈祷は義務ではない快楽である、紙と交際る事である、父と語る事である、我が凡の祈求を以て彼に近づく事である、之に優るの快楽の他に有りやう筈はない、而して他者の為に祈るは自己が為に祈るよりも楽しくある、先づ第一に神の為に祈る、彼の栄光の揚らん事を祈る、次ぎに友人の為に祈る、全国並に全世界に散在する我が教友の為に祈る、彼等の平康らん事、神より離れざらん事を祈る、其次ぎに世界万民の為に祈る、平和の彼等に臨まん事、暗き此世が化してキリストの光の国と成らん事を祈る、而して最後に我敵の為に祈る、我を窘迫めし者、我が失敗を希ふ者、我を憎み我の在らざらん事を欲する者の為に祈る、祈祷の快楽は自己の利益より離るゝ丈け其れ丈け大なるを覚ゆ、祈祷に快楽を覚えざるは自己の利益をのみ維れ神に訴ふるに因る、神の心を以てするにあらざれば楽んで神と交際る事は能ない、神は愛である、其愛を以て彼に近づく時に祈祷は最大の快楽たらざるを得ない。
 
(170)    伝道界の曙光
 
 教会又は伝道会社に傭はれて伝道に従事し来れる伝道師にして伝道を廃して実業界又は政治界に入る者甚だ多き今日此時に当り教会又は外国宣教師等より何等の恩恵又は誘導に与かることなくして自から択んで有利の地位を棄て福音の宣伝に従事せんと欲する者の続々として現はれつゝあるは我国の慶事にして深く神に感謝すべきことである、斯くしてこそ基督教は始めて日本人の信仰と成るのである、我国に於ける今日までの基督教伝道は主として外国宣教師の援助の下に行はれし者であつて真の伝道と称することは能ない、真剣の伝道は今より治まるのである、官吏は其官職を抛ち軍人は其帯剣を脱し、文士は其筆を投じてキリストの福音を邦人の間に唱道するに至て我日本国も又キリストの国となるのである、今より後恵心、法然、親鸞の如き英物の日本の基督教界に現はるゝ時を俟つことが能る、過去五十年間の日本の伝道は単に序幕に過ぎない、真伝道は今からである、然り、今からである。
 
    主を崇めよ
 
 教会を棄るも可なり、監督又は牧師又は伝道師に背くも可なり、然れどもキリストに背く勿れ、彼の前に汝の冠を脱せよ、彼の前に汝のすべてを献げよ、汝の哲学と思想と自由と、然り汝の意志其物までを献げよ、人の奴隷たるは卑屈である恥辱である、然れどもキリストの奴隷たるは高貴である栄誉である、自由は之を彼に献げて真《まこと》に自由なるものとなり、生命は之を彼に献げて真に生ける者となる、「二十四人の長老|宝位《みくらい》に坐する者(彼れ(171)聖なるキリスト)の前に伏し、此の世々|窮《かぎり》なく生ける者を拝し己の冠を其宝坐の前に投げ出し曰ひけるは、主よ爾は栄光《さかえ》と尊貴《たふとき》と権威を受くべき者なり、爾は万物を造り万物は聖意に由て有《たも》ち且つ造られたり」とある(黙示録四章十、十一節) キリストは万物の主である、人類の王である、科学と哲学の権威である、彼はすべての人を照す真の光である(約翰伝一章九節) 彼に背きて霊魂が救はれない計りでない、思想も芸術も、権威と云ふ権威は終に尽く其権威を失ふのである。
 
    自由意志に就て
 
 自由意志は有る乎無い乎とは哲学上並に神学上の大問題である、思索学の立場に立ちて有るとも断言することが能ず又無しとも断言することは能ない、然し乍ら人生の実際より観察して余輩は次の如くに言ふことが能る、即ち自由意志は有る、然し乍ら其活働の区域たるや甚だ狭くある、恰かも千里の道を行かんと欲して汽車に乗るが如きものである、汽車に足を運び身を之に委ぬるは自由意志に由る、而して其れ以上は自己の能力ではない、汽車が我を牽きて千里の彼方に我を送るのである、我を運びし者は我ではない汽車である、我は安楽に長き旅程を終りたればとて我が能力を誇ることは能ない、然し乍ら汽車に我身を委ねし者は我である、我にして若し此最初の歩武を取らないならば汽車は我を千里の外にまで運ぶことが能ないのである、我を救ふものは神の能力である、而して我を神の能力に委ぬる者は我が信仰である、我は救はれんがために信ずる丈けの自由意志を要するのである。
 
(172)    キリスト第一
 
 キリストが若し我等の衷に在りて第一位を占むる者に非ざれば彼は何でもない者である、神の子にして人類の首なる彼は人類の衷に在りて第一位以下に置かるゝことを許し給はないのである、彼は明白に曰ひ給うた「我よりも父又は母を愛する者は我に協はざる者なり、我よりも子又は女を愛する者は我に協はざる者也」と(馬太伝十章三六節) キリストは神の子であつて神である、故に父母以上である、子女以上である、然り社会以上である、家庭以上である、事業以上である、専門以上である、キリストの為の生命である、生命の為のキリストではない、然るに事実は如何に? キリストは国家のために社会のために教会のために家庭のために事業のために専門のために使はれつゝあつて、人は是等のものを以て彼に仕へんとしないのである、今や人のキリストに来るは彼を使はん為であつて彼に仕へん為ではない、不信者は勿論のこと、自ら基督信者と称する者までが彼に第二位又は第三位を与へて敢て怪《あやし》と為ないのである。
 
    欲しきもの
 
 欲しきものは拾万円の教会堂ではない、之を充たすための貴族と富者と政治家と実業家とより成る信者ではない、斯かる者は古草鞋又は鉄渣《かなくそ》にも等しき者である、無いは有るに勝る者である、欲しきものは真理である、単純なる福音である、僅少の文字を以て言表はすことの出来る神の真理である、我が全性に響き渉り而して又やがては全宇宙に響き渉る単純なる真理である、我は斯かる真理の恩賜に与らんことを希ふ、「天国は好き真珠を求(173)めんとする商人《あきうど》の如し、一ツの値高き真珠を看出さばその所有《もちもの》を尽く売りて之を買ふなり」とある(馬太伝十三章四五、四六節) 我は其商人である、其真珠を求むる者である、若し之を看出さば我は我が所有を尽く売りて之を買はんと欲す、然り単純なる真理、聖書の一節、キリストの一言、而して之を見るの眼、解するの心、是はすべての哲学すべての神学、全国又は全世界、総理大臣の椅子、大監督の地位よりも優に貴きものである、而して神は彼を愛する者に其祈祷に応へて之を与へ給ふ。
 
(174)     馬太伝第十三章の研究
                      大正6年2月10日・4月10日
                      『聖書之研究』199・201号
                      署名 内村鑑三
 
  注意、読者は此篇を読む前に本文を両三回精読するを要す
〇馬太伝十三章は主としてイエスの語り給ひし七個《なゝつ》の比喩談《たとへばなし》を載せたる章である、一見して比喩談を書集めし者のやうに思はれるが、然し深く其順序に注意して、其決して偶然に成りたる比喩の蒐集で無いことが判明る、是は寧ろ比喩を以てせる一の説教と見るが当然である、七の比喩は前後相連続せる思想又は教訓又は預言を語る者であつて、其の相互の関係を明かにして始めて各個の比喩の意味を明かにすることが出来るのである、七の比喩を挙ぐれば左の通りである、
  第一 播種の比喩《たとへ》(三−二三節)
  第二 稗子《からすむぎ》の比喩(二四−三〇節。三六−四三節)
  第三 芥種《かたしだね》の比喩(三一−三二節)
  第四 麪種《ぱんだね》の比喩(三三−三五節)
  第五 蔵れたる宝の比喩(四四節)
  第六 好き真珠の比喩(四五、四六節)
(175)  第七 引網の比喩(四七−五〇節)
〇七個の比喩は福音史の七段落を語りたる者である、或は之を教会史の七章とも見ることが出来る、キリストの伝道を以て始まりたる福音の宣伝より世の終末に至るまでの基督教歴史を七段に分ちて論じたる者として見ることが出来る、故に語体は比喩であるが主旨は預言である、主イエスは茲に比喩を以て彼の伝へ給ひし福音の将来を明かに示し給うたのである、馬太伝第十三章は同第二十四章と同じくイエスの大預言と見て其意味が明瞭になるのである。
〇第一播種の比喩は福音伝播に関する預言である、「種播く者播きに出でしが」とある其「種播く者」(the sower)とは或る特別の一人の播種者を指す者であつて主イエス御自身である、イエスは最初の伝道者であつて又最後の伝道者である、伝道はすべて彼に由りて行はるゝものである、我等伝道師はすべて彼の器具たるに過ぎない、播種者は実に彼れ一人である、而して彼れイエスが播き給ふ福音の種が悉く生るかと云ふに決して爾うではない、其或者は路の傍《ほとり》に遺《お》ちて空の鳥の啄み尽す所となり、或者は磽地《いしぢ》に遺ち直に萌出《はえいで》たれども根なきが故に枯れ、或者は林の中に遺ちその蔽ふ所となりて滅ゆ、只|沃壌《よきち》に遺ちたる者のみ生長《そだち》て実を結び或は百倍或は六十倍或は三十倍の実を結ぶと云ふ、斯くて福音宣伝は其初めより失望的事業である、主イエスが下し給ふ真理の種なりと雖も其すべてが生長するのではない、天然の草木に於けるが如く遺つる種は多くして其中の生長つ者は極めて少数であるのである、「彼れ己の国に来りしに其民之を接けざりき」とは此世に於けるイエスの運命であつて又今日に至るも猶ほ彼の福音の運命である、所謂伝道の失敗は単に伝道師の無能にのみ帰すべきではない、仮令イエスキリストが直接行ひ給ふと雖も伝道の失敗は免がれないのである、夫れは接くる霊魂が悪いからである、福(176)音は純正であらねばならぬ、其れと同時に霊魂が善良であらねばならぬ、種に適応する土地があつて始めて植生は生長して実を結ぶのである、是れ誠に歎かはしき事実である、同時に又慰安に富める事実である、イエスが播き給ふ種ですら枯死する者が多くして生長する者は尠しと云ふ、然らば失望せずして播くべきである、「涙と共に播く者は歓喜と共に穫《かりと》らん、其人は種を携へ涙を流して出往《いでゆけ》ど禾束《たば》を携へ喜びて帰り来らん」とある(詩篇百廿六篇) 伝道即ち真理の播種は必然涙の伴ふ事業である。〇播かるゝ種は多くして生える種は尠い、而して生える種は安全に生長つ乎と云ふに決して爾うではない、是れ第二の比喩即ち稗子の比喩の教ゆる所である、麦の中に稗子が生長する、稗子即ちパレスチナ地方に産するジザニヤは外形は麦に似て而かも全く其性質を異にする雑草である。農夫は是と彼とを区別する能はず、故に結実までは敢て二者を分離せんと努めず、草禾熟して二者判然するを俟て稗子は之を抜集めて焚き、麦をば之を倉に収むるのである(廿四節以下三十節まで、並に三十六節以下四十三節までを見よ)、而して福音の結べる実なる信者も亦此状態に於て在るのである、福音と没交渉なる此世全体と、一度福音を接けて後之を棄てし多数の堕落信者とに囲繞せらるゝのみならず多くの偽はりの信者と混合して其信仰的生涯を送らねばならぬのである、不信者堕落信者を相手にして戦ふの困難の外に偽はりの信者と共に立たざるを得ざるの言ひ難きの苦痛がある、実にパウロが彼の遭遇せし困難を算へ立てゝ「河の難 盗賊の難、同族の難、異邦人の難、城裡《まちのうち》の難、野中《ののうち》の難、海中の難」と書列ねて更らに「偽の兄弟の難」と書加へしを見て、彼の時代に既に稗子即ち偽信者の教会内に繁茂して居つたことが判明る(哥林多後書十一章二十六節) 何故に然るか我等は其理由を知らない、畑の主人は僕の問に答へて「敵人《あだびと》之を行せり」と云ひしのみである、悪魔が此事を為すのである、外より信者を破壊せんとて努(177)めしも能はざりしかば信者に似たる者を其中に遣りて内より之を滅さんとしつゝあるのである、信者の在る所には必ず偽信者が在る、而して外形上二者を区別することは能ない、稗子の麦に似る如くに悪魔の子類《こどもら》は天国の諸子《こども》に似る、而して現世に於て強ひて二者を分別せんと欲して反て大なる害毒を信者の上に招くのである、故に収穫《かりいれ》まで之を放棄し置けよと主は命じ給ふのである、悲むべき事実である、然し乍ら避け難き止むを得ざる事実である、人生は現世に於ては到底完成せらるべき者ではない、収穫期に入りて即ち此世の終末《をはり》に於て稗子は斂められて火に焚かれ、義人は其父の国に於て日の如くに輝くのである、其れまでは待望である。
〇福音の種は播くに難く生長に難し、種は鳥に啄まれ易く日に灼れ易く、禾《くわ》は他草の擬似する所となりて其生長を妨げらる、然れども一たび擬似草の混合する所となるや其生長は迅速である、而て悪魔の子類の混合に由り世界精神の注入を受けて信者の団体たるべき地上の天国は倏ち生長して現世《このよ》の大勢力となるに至る、此事を語りたる者が第三の比喩即ち芥種の比喩である、「天国は芥種の如し、人之を取りて畑に播けば万の種よりも小けれども生長ては他の草よりも大なる者となりて、天空《そら》の鳥来りて其枝に宿る程の樹となる也」とある、実に小なる福音の禾苗《なへ》は世界精神の注入に由り倏ち生長して大なる樹となり、即ち大なる教会となり、而して天空の鳥、即ち空中を宰る者、即ち悪魔彼れ自身が来りて其枝、即ち教会の蔭に宿るなりとの事である、茲に鳥とあるは鶯、駒鳥、紅雀、鳩、雲雀等の美くしき愛らしき鳥を指して云ふのではない、鷲、鷹、鳶、梟《ふくろ》等の嫌ふべき悪むべき鳥を指して云ふのである、聖書は鳥の美に就て語ることは稀である、「空中の鳥来りて(種を)啄み尽せり」と云ひ(四節)空中にある諸権を総宰《すべつかさど》る者と云ひ(以弗所書二章二節)「空中に飛ぶ鳥に大なる声にて呼び日ひけるは……凡の人の肉を食らへ云々」と云ふ(黙示録十九章十七) 即ちすべて悪しき意味に於ての鳥である、シリヤの大鷹(178)又は兀鷲の類である、小羊を浚ひ去り砂漠に死せる駱駝の肉を啖ふ肉食鳥である、而して斯かる鳥が急に生長せし樹の枝に来りて宿ると云ふのである、疑ひもなく悪魔が急に勢力を得し教会に宿ると云ふことである、前には悪魔の子類をして天国の諸子の中に混入せしめ、福音を淆乱《みだ》さしめ聖徒の団体を俗化せしめ、而して終に其の化して俗的勢力なる教会となりて現はるゝや空中の諸権を総宰る悪魔彼れ自身が降り来りて其の(教会の)中に宿ると云ふ、是れが此比喩の明白なる意味であると思ふ、福音は其れ自体にては決して急に生長して社会的勢力となる者ではない、世に嫌はれ人に憎まるゝが福音の特性である、然れども一朝悪魔の子類の混入に由りて福音が化して教会と成るや其生長は急劇である、而して芥種が一夜にして萌出《はえい》で、数日ならずして樹の如き者となるが如くに教会は数年ならずして世界的勢力となり、政治家、実業家、高等官吏、曲学阿世の学者等が争ふて其内に入り来り、神聖を衒ふと同時に聖所の安全を利用して自己の安全を計らんとするのである、実に驚くべき意味深長の比喩である、神の子に非ざれば語る能はざる比喩である、而して主イエスの此比喩的預言は彼の福音の宜べらるゝ所には世界到る所に実現せられ、天地は廃るとも主の聖語の廃れざることを証して余りあるのである、欧洲に於ける基督教が此預言通りに実現したことは人の能く知る所である、羅馬天主教会が一時悪魔の大巣窟たりしことは歴史の明かに示す所である、法王中に正さに悪魔の体現と見るべき者の在つた事は何人も否認すべからざる事実である、然し乍ら事は羅馬天主教会に止まらないのである、其反対として起りし新教諸数会に於ても同一の現象が現はれたのである、悪魔は羅馬天主教会に宿りしのみならず又英国聖公会にも宿つたのである、英国史を読みし者は知るのである英国聖公会に教権を握りし監督其他の役僧の内に多くの悪魔の権化の居りしことを、彼等は政府と結托して神の名に由りて民の自由を奪ひ神の教として迷信を伝へ無辜を窘しめ、聖徒を殺したので(179)ある、然し乍ら新教諸数会中英国聖公会のみが此罪を犯したのではない、若し其罪を糺弾するならば長老教会、組合教会、バプテスト教会、メソヂスト教会、其他有りと有らゆる凡ての教会は無罪たるを得ないのである(罪に軽重の差こそあれ)、教会の清きは貧にして無勢力なる間丈けである、一朝勢力を得るに至れば孰れの教会も天空の鳥即ち悪魔の宿る所となるのである、米国今日の新教諸教会の腐敗堕落の如き最も明白に此の真理を語るものである、而して吾人は今や同一の現象を我国に於ても見んとしつゝある、今や我国に於ても基督教会の迫害時代は過ぎて其勢力時代は来らんとしつゝある、而して此時に際して今や天空の鳥なる悪魔は我国の教会にも宿らんとしつゝある、所謂大教会なる者に注意せよ、其中に出入する者は誰ぞ、政治家は入りつゝある、大商人は入りつゝある、曾てはキリストの僕を国賊視して之を窘めて得意たりし者は今や「求道の志を起し」信者の籍に入りつゝある、今や此日本国に於ても基督信者(実は教会信者)たるは社会的名誉たるに至つた、「耳ありて聴ゆる者は聴くべし」である(第四三節) 〔以上、2・10〕
 読者に勧む、此篇を読む前に再び聖書の本文を精読し、併せて上篇を通読して前後の聯絡を明にせられんことを。
〇馬太伝第十三章は七の比喩を以てせる福音の未来史である、播かるゝ種は多しと雖も生える種は尠しとは播種の比喩の語る所である、生えし純正の福音は偽の信者の淆乱す所となるとは稗子の比喩の示す所である、而して俗人の混入に由りて信者の団体は教会と化し此世の大勢力と成りて終に天空の鳥即ち悪魔の宿る所となるとは芥種の比喩の教ふる所である、以上は前篇に於て余輩の叙述せし所の大略である。
〇然らば第四の比喩即ち麪種の比喩は何を語るのである乎。
(180)  天国は麪種の如し、婦之を取り三斗の粉《こ》の中に蔵くせば悉く脹発《ふくれいだ》すなり
と云ふ(三十三節) 而して普通の解釈に循へば是は小なる教会が終に大なる世界を教化するに至るを示すの比喩であると云ふ、実に十二使徒を以て始まりし微々たる教会が今や世界の大勢力となり、所謂基督教文明の恩化の至らざる所なきに至りしを見て、キリストの此比喩の此事を預言せる者なるを想はざるを得ない、然し乍ら斯く解して之を其前後の比喩と関聯して考へることが出来ない、前の三箇の比喩は悉く福音史の暗黒面を語る者である、故に此比喩も亦同方面を語る者でなくてはならない、福音宣伝は失敗多くして成功尠く、真信仰は偽信仰の偽和する所となり、教会は終に悪魔の巣窟と化するに至ると述べ来て、倏ち茲に論旨を一変して此教会が全世界を教化するに至るべしと云ふは自家撞着の言である、而して又其他に猶一つ注意すべき事がある、夫れは聖書に在りては麪種は常に悪しき意味に於て用ゐらるゝと云ふ事である、イエスが弟子等に「戒心《こゝろ》してパリサイとサドカイの人の麪種を慎めよ」と誡めし時に、彼は彼等の誤れる教(主義)を指して語り給ひし事を弟子等は後に至て倍つたのである(馬太伝十六章を見よ)、イエスは又或時にパリサイの人の麪酵の何である乎を其弟子等に告げて言ひ給ふた「汝等パリサイの人の麪酵を慎めよ是れ偽善なり」と(路加伝十二章一節)、パウロは又麪酵に就て左の如くに語て居る、
  汝等の誇るは宜しからず、汝等少許の麪酵全団を脹発すを知らざる乎、汝等は麪酵なきが如き者なれば旧き麪酵を除きて新しき団塊《かたまり》となるべし、夫れ我等の渝越即ちキリストは既に宰《ほふ》られ給へり、然れば我等旧き麪酵を用ゐず、又悪毒暴很の麪酵を用ゐず、真実至誠の無酵麪を用ゐて節《いはひ》を守るべし
と(哥林多前五章六−八節) 此場合に於て麪種は凡て悪しき意味に於て用ゐられて居る、旧き麪種と云ひ、悪毒(181)暴很の麪種と云ひ、而して之に対する真実至誠の無酵麪と云ふ、信者が其団体(団塊)の中より除くべき者は旧き麪種であると云ひて、イエスが其弟子等にパリサイとサドカイの人等の麪種を慎むべしと教へ給ひし意味が稍明瞭になるのである、而して此意味を以て麪種の比喩を解して其意味を探るに難くないのである、此場合に於て麪種は異端である、腐敗である、此世の精神である、即ちパリサイとサドカイの人等の主義である、即ち旧き麪種である、肉の心である、暗黒の勢力である、而して茲に「天国」と云ふは芥種の比喩に於て見たる俗化せる天国、即ち所謂教会である、イエスは茲に弟子等に教へて言ひ給ふたのである、
  天国の俗化せる者、地上の教会、偽信者の混入に由りて地上の大勢力と成り悪魔の棲息する所と成りし者、我れ之を何に喩へん、婦の取りし三斗の麦粉の中に麪種の蔵されしが如し、其醗酵を受けて全団醗酵膨脹する也
と、即ち芥種の比喩は教会外側の拡張を語りしに対して麪種の比喩は其内部の俗化を示すのである、教会は外に勢力を得て内に俗了すとは是等二箇の比喩の明かに告ぐる所である、殊に「婦」之を取りと云ふ、「婦」と云ふ文字も「麪種」と云ふ文字と同じく聖書に在りては多くは悪しき意味に於て用ゐらる、キリストが使徒ヨハネを以てテアテラの教会を責め給ひし言に「我が僕を教へ、之を惑はし、姦淫を行はせ、偶像に献げし物を食はしむる婦イエザベルを容《いれ》置けり」と云ふがある(黙示録二章二十節) 又同じ黙示録の第十七章に「多くの水の上に坐する大淫婦の審判」に就て示されてある、而して此淫婦は「バビロン、地の淫婦と憎むべき者の母」であると言ひて堕落せる教会を表示する者であるとは註解者の一致する所である、故に「婦麪種を取り三斗の粉の中に蔵せば云々」と読みて我等は何か特別に悪しき事の為されしことを茲に認むるのである、而して其悪事の何たる乎(182)は之を探ぐるに難くないのである、堕落せる教会がパリサイの人の麪種なる偽善と、サドカイの人の麪種なる異端と、ヘロデの麪種なる政治的宗教(馬可伝八章十五節以下を見よ)とを其信者の団塊の中に投じたれば全団悉く之に酵化されて脹発《ふくれいだ》せりとのことである、「視よ微小《わづか》の火いかに大なる林を燃すを」とは使徒ヤコブの言である(雅各書三章五) 「視よ少量の麪種、少数の偽善、簡短にして害なきが如くに見ゆる異端、愛国的にして社交的なるが如くに見ゆる世俗的精神、視よ少量の毒素の如何に全教会全基督教界を毒する乎を」とはキリストが此の簡短にして意味深遠なる比喩を以て教へんと欲し給ひし所である、而して教会歴史は此比喩的預言が告げし通りに行はれたのである、教会は芥種の比喩の如くに急激に生長し、悪魔と其眷属との宿る所となりしと同時に又其道徳と信仰と行為とに於て全く俗化され、今や預言者イザヤの言に合《かな》ひて足の蹠《うら》より頭《かしら》に至るまで健全なる所なきに至つたのである、敢て此事を過去の教会に於て探ぐるの必要はない、現今の教会に於て明々白々である、偽善は教会の特質である、曾てカーライルが言ひし如く偽善と知て行ふ偽善に恕すべき所がある、然れども最も憎むべきは美徳と信じて行ふ偽善である、而して斯かる「正直なる偽善」が教会に於て行はるゝのである、普通の社会に有ては明白なる不徳と思はるゝ事も教会に在りては悪事として認められないのである、殊に其不徳が牧師神学者等教権を握る者に由て行はるゝ場合には特に然りである、教会は或る聖事を神より委ねられしが故に或る種の罪は之を犯すの特許を得しが如くに信ずるのである、教会は其所謂伝道を行ふに方て手段方法を択まない、如何なる種類の商人よりも寄附金を懇求し、如何なる性質の政治家よりも其権力を藉らんとし、如何なる人物をも信者として収容する、奸策を用ゐ、陥※[手偏+齊]を敢《あへて》し、諂媚《てんび》を恥としない、然かも彼等は如斯くにして神に仕へつゝあると信ずる、「※[行人偏+扁]く水陸を歴巡り一人をも己が宗旨に引入れんとし、既に引入るれば之を己れに倍する地獄の子(183)を為せり」との偽善なる学者とパリサイの人の麪種は教会の全団を酵化し、信者は之に慣れて自ら旧き麪種の害毒を感じないのである、而してパリサイの人の麪種に加へてサドカイの人の麪種が浸入した、サドカイの人は復活を否定した(馬太伝廿二章廿三節以下) 其如く今の教会は復活を以て信仰の根本的要義と認めない、「若し甦ることなく、又キリスト甦らざりしならば汝等の信仰は徒然《むなし》」とパウロが言ひし此教義は今や教会に於て重視せられず、人若し神を信じ正義を信ずと称すれば復活を信ぜずとも教会は喜んで之を迎へて信者の数に加ふるのである、今やサドカイの人の麪種は教会を酵化して、復活は否定せられ、再臨は嘲笑せられ、信仰は主として肉と現世とに関する事として取扱はるゝも信者は反て之を喜びキリストの福音とは斯くあるべき者であると信ずるのである、而してヘロデの麪種即ち政治的宗教の瀰漫に至ては言はずして明かである、政治家の側に在りては宗教は政治的問題として取扱はれ、宗教家の側に在りては宗教が政治的勢力を占むるに至て其成功が確かめらるゝのである、所謂「基督教の経世的使命」を唱へ、政治に入るの心を以て宗教に入り、教界の牛耳を採るを以て天下の大権を握るが如くに信ず、或ひは三教会協力して天下を三分すべしと称し、恰かも露独墺が共謀して波蘭《ポランド》を三分せしが如き計策を唱ふ、或は政権と結んで新領土の伝道を図り、或は大教堂を建築して天下の耳目を驚かさんとす、言ふ男子若し政界に雄飛し得ずんば宜しく教界に人心を収攬すべしと、志す所功名に在り、代議士たるも神学者たるも其根本的精神に至ては何の異なる所は無いのである、イエスは其弟子等を誡めて言給ふた「汝等ヘロデの麪種を慎めよ」と(馬可伝八章十五節) 然るに大淫婦なるバビロン、地上の教会は此悪むべき麪種を取り之を三斗の粉、即ち彼女が捏る(牧する)信者の中に投じたれば全国悉く脹発して今や教会は政治的団体の一種と化し了つたのである、如斯くにして「天国は麪種の如し、婦之を取り三斗の粉の中に蔵せば悉く脹発(184)すなり」との主イエスの比喩的預言は其通りに実現されたのである、パリサイの人の麪種、サドカイの人の麪種、ヘロデの麪種、即ち麪種といふ麪種は悉く醗酵して健全なりし信者の団体は悉く其酵化する所となつたのである、「粉」は健全分子を代表し、麪種は腐敗分子を代表する、而して教会の場合に於ても少数の腐敗分子が多数の健全分子を感化し去て全団即ち全教会が偽善的異端的政略的の団塊と成り了つたのである。
○以上が地上に於ける福音の歴史である、福音は播くに難く(第一比喩)、生長つに難く(第二比喩)、悪魔に利用せられ(第三比喩)、腐敗し了はんぬ(第四比喩)、之を読みて我等は神の聖業が全然失敗に了りし乎の如き感を起さゞるを得ない、恰も彼が其独子を世に遣り給ひしに世は之を捕へ十字架に釘け墓に葬りしが如くである、然し乍ら神の聖業は失敗に終らないのである、神は世と悪魔の反対に反して其聖意を遂行し給ふのである、始めの四箇の比喩は地上の教会に関はる預言である(聖書に在りては四は地の数であるに注意せよ)、而して之に次いで終りの三箇の比喩は天の教会に関する預言である(三は天の数である)、地が福音を俗化し去りて後に天の生命が現はるゝのである。
〇第五が蔵れたる宝の比喩である、曰く
  又天国は畑に蔵れたる宝の如し、人看出さば之を秘《かく》し、喜び帰り其所有を尽く売りてその畑を買ふなり
とある(四四節)、比喩の詳細に就ては茲に語ることは出来ない、唯暗黒の裡に此発見ありしことを見逃すことは出来ない、教会に福音の絶えし時に福音の大発見があるのである、而して宝とは次ぎの比喩に在るが如き真珠と称するが如き一箇又は一種の宝を指して云ふのではない、宝は宝物の集合である、累積せる金銀宝玉である、「宝の函」と謂ふならば意味が一層明瞭であらう、而して「畑に蔵れたる宝」とは神の聖書であると云ひて此比喩の(185)意味は判明するであらう、腐れたる教会の内に聖書の発見があるとの事であると思ふ、聖書は教会の中に存りしも教会は之を忘却して之を土中に埋めたのである、然るに神の黙示が或者に臨んで其者が此蔵れたる聖書を発見するならんと云ふのである、而して此事は既に一回福音の歴史に於て有つたのである、今より凡そ四百年前にルーテルがエルフルトの寺院に於て古き拉典語の聖書を発見せし時に此大発見があつたのである、上に法王あり、其周囲に十二の副法王《カールヂナル》あり、其下に大監督、監督、長老、牧師、伝道師、神学者と限りなき職業的宗教家ありしと雖も、其一人だもが彼等の間に此宝の函の有ることを知らなかつたのである、而かも一個のアウガステン派の僧マルチン・ルーテルは此宝を発見し、彼は之を己が胸に当てゝ言ふたのである「這《こ》は我が書なり」と、而して彼は一切を棄てゝ之を己が有となしたのである、彼の一生は此宝の開発に費されたのである、而して彼の此発見に由りて旧き教会は壊れ新らしき神の家は地上に現はれたのである、実に人類の発見にしてルーテルの聖書の発見に勝さる者は無つたのである、コロムブスの亜米利加大陸の発見も、グーテンベルグの印刷機の発見も、其他近世に於ける電気蒸汽X光線ラヂユムの発見も其の人類全体に及ぼせし感化力に至ては遥にルーテルの聖書発見に及ばないのである、実に神の建て給ひし天国は聖書として地に蔵れたのである、而してルーテルは之を発見して天国は実に地上に現はれたのである。
〇ルーテルの聖書発見に由て地は一変した、然し乍ら教会は今尚聖書を蔵さんと為しつゝある、之を神学と称する思索の下に埋めんと為しつゝある、之を社会事業と称する行為の下に匿さんと為しつゝある、之を国家道徳と称する政略の下に蔽はんと為しつゝある、教会は聖書を尊奉すると称しながら聖書を第一位に置かない、其説教なる者は多くは演説である、其神学なる者は哲学の一種である、教会は昔時のユダヤ人がモーセの律法を契約の(186)櫃《はこ》の中に収めて之を崇拝せしが如くに聖書に金縁の表装を施して之を高壇の上に安置して信徒の服従を要めつゝある、茲に於てか聖書再度の発見の必要があるのである、聖書は今猶ほ万民の書でない、聖書は今猶監督の書、監督の免許を得たる教職の書であつて平民の書、平信徒の書でない、然り聖書が教会の書である間は囚はれたる書、蔵れたる書である、神の僕は幾度《いくたび》か之を教職てふ獄司の手より救出し之を光明と自由の地に置かねばならぬ、ルーテルの授かりし名誉と事業は未だ尽きない、吾人も亦之に与かることが出来る、畑に蔵れたる宝の発見、教会に匿れたる聖書の発見、之に勝りて楽しき喜ばしき大なる発見は無い、而して神は今日猶其愛子より斯かる発見を待ち給ひつゝある、励めよ我友!
〇宝の発見に次いで宝玉の発見がある、好き真珠の比喩の示す所が是れである、
  又天国は好き真珠を求めんとする商人の如し、一の値高き真珠を見出さばその所有《もちもの》を尽く売りて之を買ふな
とある(四五、四六節)、前に述べた通り宝は宝の函である、多くの宝を蒐集めたる者である、其中に金がある、銀がある、瑪瑙がある、ルビーがある、アメシストがある、ジヤスバーがある、而して又真珠があるのである(黙示録廿一章十八節以下参照)、何れも貴き宝であつて彼を排し是を択むことは出来ない、然れども其中に中心的宝玉とも称すべき者があるのである、即ち宝石の女王とも称すべき者があるのである、珠玉界の花形役者、彼女あるが故に全匣燦然として光彩陸離たるを得る者がある、今や宝石の女王と言へば勿論ダイヤモンドである、然れどもキリストの時に未だダイヤモンドはなかつた(黙示録に金剛石とあるは誤訳である、碧玉《ジヤスパー》と訳すべきであらう) 当時珠玉の女王は真珠であつた、当時大なる真珠は実に値高き者であつた、シーザーが其友ブルータスの母(187)に送りしと云ふ一個の真珠は今日の金に算《つも》りて四十八万円余の者であつた、仏国有名の旅行家タ※[ワに濁点]ニエーが波斯王に売りし真珠は其値百八十万円の者であつたと云ふ、以て古代に於ける真珠の価値が推知せらるゝのである、而して斯かる真珠を発見せる商人の驚愕歓喜は察するに余りあり、彼がその所有を尽く売りて之を買ふ也とあるは敢て怪しむに足りない。
〇畑に蔵れたる宝が聖書であるならば値高き真珠は何である乎、宝の中の宝、珠玉界の女王として見れば茲に云ふ大真珠は聖書の中心的真理を表示するのであると思ふ、即ち之を中心として聖書に示されたるすべての智慧と知識とが一の完全なる組織体を成す者、恰かも大陽の大陽系中の諸遊星に於けるが如く其中心たり聯結《つなぎ》たる者、其れが此真理の真珠であると思ふ、而して聖書に斯かる中心的大真理の在ることは敬虔以て此書を学びし者の何人も知る所である、之を発見して聖書は解明るのである、聖書研究の目的は此真理の発見に在るのである、際限なき註解書を読了するも聖書は少しも解明らないのである、大抵の註解書は寧ろ之を読まざるを以て可とするのである、然れども聖霊の御指導に由りて幸にして其中心的真理を発見するを得ん乎、聖書は瞬間にして光明耀き渡る神の城邑《みやこ》と化するのである、其時註解書に依ることなくして聖書其物が無限の光を供給するに至るのである、其時「彼処《かしこ》に夜あることなく、燈の光と日の光とを用ゐることなし、蓋神御自身彼等を照らし給へば也」とある祝福されたる状態が吾人の聖書研究の上に臨むのである、此真理は実に聖書なる神の知識の宝庫を開く為の鍵である、最上の註解書である、然り解釈其物である、此真理、此真珠を握るまでは聖書は暗黒の邑《まち》である、燈の光、即ち神学者の力を藉ること如何に多くあるとも此真理なくして人は聖書の門に入りて其|街《ちまた》に彷徨はざるを得ないのである。
(188)〇然らば値高き真珠、即ち聖書の中心的真理は何である乎、ルーテルの場合に於ては是は「人の義とせらるゝは行為《おこなひ》に由るに非ず信仰に由る」との教義であつた(羅馬書三章廿八節)、彼は此教義を鍵とし用ゐて聖書を開きしに聖書は窮りなき智慧と知識との宝を彼に与へた、而して此鍵を以て開かれたる聖書に由て十六世紀に於ける宗教大改革が起つたのである、而して単に宗教に止まらず、政治、法律、経済、文物、人生の全体に渉る大改革が実行されたのである、実に法理学者マツキントツシが言ひし如く、近世史に於ける自由政体なる者は素々人の義とせらるゝは信仰に由るとのルーテルの主唱に由りて起つたのである、聖書の中堅は新約に在り、新約の真髄は羅馬書に在り、羅馬書の中心は其第三章に在る、故に聖書を解するに羅馬書殊に其第三章を以てせざるべからずとはプロテスタント主義の立脚地である、トルストイの如くに山上の垂訓を聖書の中心的真理と見做して聖書は不可解の書たらざるを得ない、聖書は道徳の書ではない、信仰の書である、信仰に導くための道徳であつて、道徳を助くるための信仰ではない、羅馬書を鍵として持ちて聖書に臨んで聖書は宝の山と化して吾人を迎ふるのである。
 然し乍ら信仰に由て義とせらるとの教義が果して値高き真珠の比喩が示さんとする聖書の中心的真理である乎、其事を断定することは出来ない、聖書の中には此教義を以てするも闡明する能はざる真理がある、是は之れ聖書の根柢的真理也と称するを得んも中心的真理と称するには猶足りないやうに思はれる、茲に於てか近世に至りてキリストの再臨が此の中心的真理であると信ずる者が益々多きを加ふるに至つた、此事に就て詳細を論ずるは此論文の許さゞる所である、然れどもキリスト再臨の観察点に立ちて聖書を見て、其の更らに一層円満なる、始終一貫せる、各部整頓せる書たるに至ることを否定することは出来ない、新約聖書中明かにキリストの再臨に就て示す所の聖語は四百八十箇所の多きに達すと云ひ、全聖書を通じて此教義に就て直接間接に啓示する所の三万有(189)余の章句があると云ふ、以て其の聖書に在りて如何に重要なる教義である乎が判明る、実にキリストの再臨を無視して聖書は解らない、若し再臨が迷信であるならば聖書は迷信の書である、聖書の信仰も希望も道徳もすべてキリストの再臨に基ゐて居る、再臨を信受して聖書は光明の書となる、キリストの再臨が聖書の中心的真理であると云ふ現に多くの固き根拠がある、是は或ひは此比喩が預言する所の値高き真珠である乎も知れない、余輩は有力なる仮定説として此説を本誌の読者に提供する。
〇近頃に至り聖書の中心点を哥羅西書に移さんと欲する者がある、彼等の言ふ所に循へば其第一章第十節より第十九節までが聖書の中心的真理であると、或は爾うである乎も知れない、然れども問題は甚だ遠大にして余輩は茲に之を詳論するの場所を有たない、唯此説あるを掲げて読者の参考に供するを以て足れりとする。
〇真珠の比喩が示さんとする中心的真理の何である乎を茲に決定することは出来ない、是は多分今猶未定の問題として存るのであらう、キリストの預言は未だ悉く事実となりて現はれない、預言は時を待ちて開示せらるゝものである、我等は心の腰に帯して其明かに示さるゝ時を待つべきである。
〇暗黒に次いで光明が臨む、暗黒の勢力が其極に達する時に真理の宝の発見あるべしとは第五、第六の比喩の教ふる所である、然らば此発見に由りて暗黒は悉く取除かるゝ乎と云ふに決して爾うではない、暗黒は依然として存するのである、光は暗《くらき》の裡に輝るも暗は取除かれないのである、聖書の発見と其中心的真理の発見とに由りて天国の子等は信仰を強うし希望を固うして歓ぶと雖も、而かも世は依然として暗黒の世として存し、教会は依然として悪魔の巣窟として存するのである、真理は貴しと雖も真理丈けでは世は改まらないのである、茲に於てか最後に真理以外、他に神の大能の発顕の必要があるのである、終末の審判是れである、是れ最後の比喩即ち引網(190)の比喩の示す所である、
  又天国は海に投《う》ちて各様《さま/”\》の魚を捕る網の如し、既に盈れば岸に引揚げ、坐りて善きものは之を器に入れ、悪しき者は之を棄るなり、世の終末に於ても此の如くならん、天使等出でゝ義者の中より悪者を取分け、之を炉の火の中に投入るべし、其処にて哀哭切歯《かなしみはがみ》すること有らん
とある(四七−五〇節)、茲に比喩と其解釈とがある、故に其意味は明瞭である、是が万事の終結である、神の播き給ひし種は如斯くにして其結果を彼の蔵に収めらるゝのである、福音の宣伝に由て地上に演ぜらるゝ悲劇喜劇は如斯くにして終結を告げて万事は神の栄光に帰するのである、地上に於ける福音の経路はキリストの御生涯と等しく多事多難にして妨害多くある、其種は播くに難く、生ゆるに難く、保つに難い、而して漸くにして生長ちし樹は空天の鳥即ち悪魔の宿る所となり、麪種即ち此世の精神の毒する所となる、然れども神は其植ゑ給ひし真理の絶滅を許し給はない、彼は時に到りて再び光明を喚起し給ふ、暗黒は世に普しと雖も、暗黒の裡に在りて真理の証明は絶えない、而して世は如斯くにして其終末にまで及ぶのである、而して最後に神の大審判が行はれて茲に始めて真偽の判別を見るのである、茲に稗子は焼棄られて真の麦のみが残るのである。茲に山羊は逐はれて純白なる神の小羊のみが残るのである、宇宙の祝日は最後に来るのである、其日の到るまで試誘の日は続くのである、「今は汝等の時暗黒の勢力なり」と主が言ひ給ひし其時は終末まで続くのである(路加伝廿二章五十三節) 然れども何をか恐れん、光明の暗黒の裡に輝くあり、而して最後に主の臨り給ふて万物を完成し給ふあり、彼の宣べ給ひし比喩的預言は着々として実現されつゝある、我等耐忍びて彼の再臨を待つべきである。 〔以上、4・10〕
 
(191)     神の子イエス
         約翰伝一章一−十八節  (去年十二月廿四日柏木聖書講堂に於ける講演の大意)
                         大正6年2月10日
                         『聖書之研究』199号
                         署名 内村鑑三述
 
○降誕節《クリスマス》と言へば人は馬太伝及び路加伝の記事を誦するを常とする、東方の博士等星を見てユダヤ人の王の誕生を知り来りて嬰児《をさなご》を拝し黄金乳香投薬などの礼物を献げたといふ、之れ馬太伝の記す処である、牧羊者《ひつじかひ》等夜其の群を守れる時天使来りて主の栄光彼等を環り照し天軍現はれて讃美歌を唱へたれば彼等急ぎ往きて槽に臥せる嬰児に尋ね遇うたといふ、之れ路加伝の伝ふる処である、二者何れも極めて美はしき記事である、然し乍ら人若し降誕節の真義を味はんと欲せん乎、宜しく此二者に加へて更に約翰伝第一章を読むべきである、之れ均しく貴き或は一層貴き記事である、之れ降誕節の絶好の題目である。
 〇太初に道あり、道は神と偕にあり、道は即ち神なり、この道は太初に神と偕に在りき、万物之に由て造らる、………之に生あり、此生は人の光なり、光は暗に照り暗は之を圧へざりき(一−五節)。
 凡そ人の手に成りし文字にして之よりも深きものは在り得ない、如何なる見地よりするも之れ人の語り得る極致である、人類の言語も茲に至つて尽くるのである。
〇「道」とは何ぞや、之を其文字の意義より穿鑿せん乎、疑問は疑問を生みて遂に停止する処を知らないのであ(192)る、然し乍ら注意すべきは凡て偉大なる著書の記述の順序である、筆者の胸中思想横溢し遂に包蔵し切れざるに至つて之を筆に托す、故に最も注意すべきは冒頭の十行である 此処に筆者の思想の精華が煥発するのである、而して他は皆其註解である説明である、されば冒頭の難句は寧ろ之を最後に読みて初めて能く其意義を捕捉する事が出来る、約翰伝も亦然うである、最初の五節は之れ本書全体の生粋である、其煮詰めたものである、之を解するは全書を解する事である、「道」とは何ぞや、之を文字の意義より探りて解すべからず、之を約翰伝全体の精神に照し見て初めて会得する事が出来るのである。
〇学者或は「道」を解して深遠なるロゴス説を称ふ、然し約翰伝記者の真意は斯る学説の提唱に在つたのではない、彼は唯此語を以て未だ名の附すべからざる或者を表はさんと欲したのである、未だ此世に出現せざる隠れたる状態に在る或者、其存在は最も確実なるも未だ命名せんとして能はざる或者、之れ彼の称してロゴスと言へるものである、即ち降誕前の神の子キリスト之である、其名を呼ばんとして呼ぶに由なく已むを得ず当時の人の思想を探りて其最も適当と認むべき文字を之に充てたのである。
〇その彼は世の太初より在りしといふ、希臘語にて「在りし」とは非常に重き語である、「存在してありし」の意である、即ち彼は世の太初万物のありし前より存在し給うたといふのである、而して彼は神と偕に即ち神と相対して在し給うたといふ、彼其者が神であつたといふ、彼に由つて万物が造られ、彼に生あり、彼が人の光であつて、彼の光は常に此世の暗に照り暗は之を圧迫する能はずして遂に彼れ自身が此世に出現し給ふに至つたのであると云ふ、世の太初よりキリスト出現迄の事実を簡単に言ひ尽したのである、実に驚くべき記事である、彼はマリヤの子に非ず天の使に非ず霊界の偉人に非ず、彼は神御自身であつて彼の降誕とは神御自身が肉体となりて(193)我等の間に顕はれ給うたのであると、基督教の信仰の根柢は茲にある、偉人に非ず万物を造りし神である、降誕節は偉人の誕生の日に非ずして万物の造主が肉体と成りて人間の中に宿りし其日である。
〇「光は暗に照り暗は之を圧へざりき」と、之をユダヤの歴史に見れば最も明瞭である、モーセ、エリヤ、イザヤ、ヱレミヤ等皆キリストの光を世に伝へたのである、而して人は之を圧服せんとして種々の方法を執りたるも遂に圧服する能はず、光は光として世に臨むに至つた、独りユダヤの歴史のみならず何れの国に在りても同様である、我国にも亦其事実があつた、我国の歴史にルーテル、サヴォナローラなしと雖も尚ほ幾多の義人は輩出した、菅原道真の如きは其一例である、彼等も亦我等の間の光であつた、我等の救主として仰ぐ者の光が其処に照つて居たのである、而して暗は遂に之を圧ふる能はずして今日に至つたのである。
 〇彼を接け其名を信ぜし者には神の子たるの権利を賜ひたり(十二節)
 教会は動もすれば教へて曰ふ、人は皆神の子である、唯之を忘れたるが為め神はキリストを降して此事実を自覚せしめ給うたのであると、之れ或る意味に於て貴き教たるを失はない、然し之れ新約聖書の教ではない、之は二十世紀の宗教である、十六世紀の宗教又は使徒時代の宗教は言ふた、人は皆本来神の敵であると、人はキリストに由らずして神の子たる能はざる者であると、此差異は小なるに似て小ではない、其間に根本的の相違がある、抑も神の子とは果して如何なる意味に於て言ふのである乎、人は万物の霊長である、然し我等が神の子であるといふは勿論其れ丈の意味ではない、真の神の子とは実は唯一人あるのみである、イエスキリストが其れである、其他の人類はキリストが神の子たるの意味に於ては一人も神の子ではない、然るにキリストを接けて其名を信ずる者には神の子たるの権利を賜ふのである、キリストが神の子たると同じ意味に於て我等各自も神の子と成り得(194)るのである、単に清き人間となり得るのみではない、又既に神の子たるを自覚せしめらるゝのではない、イエスキリストが神の子たると同じ意味に於て我等も亦子と成り得るのである、之れ実に恩恵の絶頂である。
〇人は皆神の子であつてキリストに由つて之れを自覚せしめらるゝのであると言ひ、又人は皆本来神に叛きし者なるにキリストに由つて彼と同じ意味に於ける神の子と成り得るのであると言ふも、其差違は外形上顕著ではない、然し現在心の底に隠れたる其細微なる区別が後日遂に偉大なる実現を見るのである、今は唯神の子たるの権利を与へらるゝに過ぎない、然し此権利たるや遂に事実となつて現はれるのである、
  汝等視よ、我等称へられて神の子たる事を得、之れ父の我等に賜ふ何等の愛ぞ……愛する者よ、我等今神の子たり、後如何、未だ露はれず、彼れ現はれ給はん時には必ず神に肖ん事を知る、そは我等其の真の状を見るべければなり(約翰第一書三章一、二節)。
 今我等の心に宿れる小《さゝ》やかなる信仰の萌芽、キリストを神の子と認め之に縋りて罪より遠ざかりつゝあるその信頼の胚種、其れが本となつて遂に我等もキリストと同じ意味に於ける子たるの地位に達するの日が来るのである、キリスト再臨の時が即ち其日である、事は余りに偉大にして口言ふ能はずと雖も略ぼ之れを心に推測する事が出来る。
〇是に於て降誕節は更に意味深きものとなるのである、此日唯に神肉と成り給ひしのみではない、我等を窮なく神と共に在る者の家族に列せしめんが為めキリストは降り給うたのである、是の如きは目未だ見ず耳未だ聞かず人の心未だ思はざる恩恵である、然し乍ら基督教は之より以下を伝へない、素より我等に取ては第一の意味に於ける降世のみを以て氏に望外の望みである、然し神の愛は其処に止まる能はなかつた、神は自ら人と成ると共に(195)人を神の子とならしむるの約束を賜うたのである、民の塗炭の苦を救はんが為め王子を平民に降すのみならず、更に進んで平民を悉く王族として迎へんと約束し給うたのである、平民の希望と其幸福とは茲に至つて極まるのである。
 〇未だ神を見し人あらず、然れども生み給へる独子即ち父の懐に在る者のみ之を彰せり(十八節)
 著るしき対照である、人は神を見むと欲して見る能はず、然るに神は常に己を示さんと欲し給ひ而して適当の時に自ら己を彰はし給うた、人の眼曇りて見る能はざりしに神はキリストを降して御自身を示し給うたのである、今や我等は神を見るの眼を与へられたのである、而して此眼を以てキリストに親しむに循ひ神の姿は愈々明瞭を加ふるのである、そは恰も絵画音楽等を鑑賞するの能を与へられたる者が日を経るに循ひ愈々其価値を味解し得ると同様である、罪に曇りし心の眼を開かれて栄光の神を見得るに至りし事、之れ実に如何ばかりの恵ぞ、恵まれたる人とは生活の幸福を享受するの人に非ず品性の高潔を維持するの人に非ず、父の生み給へる独子にして父を如実に彰はし給ひしイエスキリストを認むるの心を有し得る人之れである、之れ人の思を以て量り知るべからざる恩恵である、而して降誕節の喜びは此恩恵を暁り且味ふ事にあるのである。
 聖書は茲に明白にキリストは神であると言ふて居る、「這は即ち神なり」と言ひて「道肉体と成りて我等の間に寄《やど》れり」と言ふて居る、聖書にキリストは神なりとの明言なしとの近代人の主張は立たないのである。
 
(196)     ニイチェ伝を読みて
                         大正6年2月10日
                         『聖書之研究』199号
                         署名 内村生
 
〇ニイチェは天才である、多分近代に現はれたる最大の天才であらう、彼に慕ふべき所、敬ふべき所のあるは言ふまでもない、彼は正直の人であつた、彼は彼が始めに師として仰ぎしシヨペンハウエルの如き言行不一致の人ではなかつた、彼は信ずるが如くに為した、殊に彼は勇気の人であつた、彼は自己の所信を行ふに方て何物をも恐れなかつた、彼は社会を敵とし教会を敵とし、然り神をもキリストをも敵として立つた、少くとも勇気の一点に於ては彼れ自身が「超人」であつた、余は彼を愛せざるを得ない、彼に対し深き同情を表せざるを得ない。
〇然し乍らニイチェも人であつた、弱き誤り易き人であつた、彼の生涯は波瀾激変の連続であつた、大学時代に早く基督教を棄て、一時はシヨペンハウエルに憧憬れ、又※[ワに濁点]グネルを崇拝し、而して後二者に失望し彼等に背き彼等を罵つた、崇むべき神を棄てし彼に崇むべきの人はなかつた、彼は彼れ自身が曰ひし如くに「最後の独逸人にして最後の哲学者」であつた、彼の眼中彼れ以上の人は無かつた、発狂せる彼は常に曰ふた「我は神なり」と、余は彼の一代記を読みて彼を人以上の人として見ることは出来ない、実に彼に在りて最も愛すべき所は彼の人らしき所である、而かも彼は人たるの弱きと誤り易きとを認めて之を告白しなかつた、是れ彼の愛すべからざる一面である、此点に於てニイチェはカーライルに似てカーライルと違つた、カーライルは自己の弱きを認めて彼れ(197)以上の或者に頼つた、ニイチェは弱きを知りながら之を認めず、弱き人たるの身を以て無限の宇宙に在りて独り立たんと欲した、其の勇気や賞すべしとせんも、之を無謀の勇気と称せざるを得ない。
〇而してニイチェに欠点の多かりしことは誰が見ても明白である、彼は理性に於て大に欠くる所があつた、彼は文士の例に洩れず数学を嫌つた、彼はプフホールタなる高等学校を出る時に数学に於て落第し教授連の特別の恩恵に由り卒業することが出来たと云ふ、彼に組織的頭脳は無かつた、連続せる推理は彼の耐ふる能はざる所であつた、彼は主張した、説明しなかつた、宗教を嫌ひし彼は宗教家の顰《ひん》に傚ふて断言的であつた、彼は哲学者《フイロソフハー》と称せらるゝもカント、ヘーゲル等とは全く性質の異なりたる哲学者であつた、彼は宗教を脱し、道徳を脱したるやうに又道理を脱したる人であつた。
〇ニイチェは又平民の心を知らなかつた、実に彼は平民を悪んだ、彼は平民を呼んで「群」と云ふた、「群」は唯導かるべき者、信ずべき者、服従すべき者、自己の意見を懐くべからざる者なりと彼は唱へた、何人をも主として仰がざりしニイチェは心の底よりの貴族であつた、故に彼の愛は憐愍に過ぎなかつた、プルシヤ主義を嫌ひし彼は自身プルシャ主義の体現であつた、彼は他より信従を要求した、然し乍ら何人にも信従しなかつた、負けて勝ち、死して活き、喪つて獲るの人生の秘訣は彼の全然知らざる所であつた、彼は何う見ても自己中心主義の権化である、偉大なる駄々児である、「己を虚うし僕の貌を取り死に至るまで順ひ」と云ふが如き基督教的観念は其痕跡だも彼に於て認むることは能ない。
〇理性に乏しく、平民的思想に欠けしニイチェは学ぶに最も危険なる教師である、彼に一定の主張はなかつた、彼は彼の長からざる生涯の間に幾度か自己の主張を破壊した、彼は始めに※[ワに濁点]グネルを神の如くに崇拝して後には(198)「堕落人種の標本なり」と称して彼を攻撃した、彼は律法を退けたりとの理由を以て使徒パウロを排しながら自身は「超善悪論」を著はして道徳以上(或は以外)に超然たる超人の生涯を讃へた、彼は始めに科学を斥けて芸術の万能を唱へしも後には自身が科学の使徒となりて遺伝説に基づける人種改良の必要を高唱した、建ては毀ち、段ちては建つ、ニイチェの一生は積木を弄ぶ小児のそれであつた、彼の思想上の貢献は差引き零《ゼロー》であつた、残りし者は強烈なる意志であつた、然り、意志と謂はんよりは寧ろ「我」であつた 「我」の強きことに於ては彼は世界第一であつた、而して「我」が人生最大の者であるならばニイチェは確かに世界第一人者である、然れども「我」が最小の者やあるならば(而して余は爾か信ずる者の一人である)ニイチェは彼の存在の根底に於てシーザー、ナポレオン、ゲーテ、シヨペンハウエル等と等しく大に見えて実は最も小なる人である。
 
(199)     A RETROSPECT.回顧
                         大正6年3月10日
                         『聖書之研究』200号
                         署名 K.U.内村
 
     A RETROSPECT.
 
 This is the two hundredth number of this little magazine. Forty years ago,when I first accepted Christianity,two ideas were in my youthful mind. One was:evangelical Christianity without foreign help;and the other was:Bible studies as my lifework. By God's mercy,I have been able to realize to some extent these two ideas of my youth. I gave the best part of my life to the study and teaching of the Bible,and I have not received a sen of help from churches and missions in my work. THIS has been my independent work;and whatever be its true worth,it will be of some use in the Great Day of Judgment to silence the boasting of some missionaries that they did all the Christian works in Japan. God is saving Japan through Japanese,and this,I believe,has been a part of that glorious work.
 
(200)     回顧
 
 是は此小なる雑誌の第弐百号である、今を去る四十年前、余が始めて基督教を信ぜし時に、余は余の若き心に二箇の思想を懐いた、其一は外国人の援助を藉ることなくして我国に福音的基督教を宣伝する事であつた、其二は聖書の研究を余の生涯の事業となす事であつた、而して神の憐愍《あはれみ》に由りて余は余が青年時代に懐きし是等の思想を或る程度まで実現する事が能た、余は余の生涯の最も善き部分を聖書の研究と其の伝播の為に与へた、余は又余の事業に於て教会又は伝道会社より一銭たりとも補助を受けなかつた、此事業は余の独立の事業であつた、而して其真価の如何に係はらず、大なる審判の日に於て或る外国宣教師等が日本国に於ける基督教伝道は総て彼等の手に由りて成れりと主張する時に、其高ぶりの言を沈黙せしむるために多少の用を為すであらう、神は日本人を以て日本国を救ひ給ひつゝある、而して余は信ず余の此事業は此光栄ある聖業の一部分なりしことを。
 
(201)     第弐百号
                         大正6年3月10日
                         『聖書之研究』200号
                         署名 主筆
 
 第弐百号に達した、月刊雑誌の二百号である、十六年と七ケ月の年月である、其間に月は二百と四回満ちて又虧けた、其間に愛する者は逝いた、多くの友人を得て又多くの友人を失つた、言ひ尽されぬ悲哀があつた、又言ひ尽されぬ歓喜があつた、而かも一切《すべて》が恩恵であつた、全能者は我と偕に在し給うた、我は善き戦を闘ひ馳るべき途程《みちのり》を走り信仰の道を守ることが能た、実に一切が感謝である、我は又茲に預言者サムエルに傚ひ一の石を立て之をエベネゼルと名けて言ふ「ヱホバ是まで我等を助け給へり」と(撒母耳前書七章十二節)、我は独りで是《こゝ》まで来たのではない、ヱホバ是まで我を助け給うたのである、故に栄光はすべて彼に帰し奉るのである、我は文筆を嫌ふ、説教を嫌ふ、すべて宗教家の業を嫌ふ、然るにヱホバ我を俘囚にし我をして我が為すを欲せざる事を為さしめ給うたのである、造られし者は造りし者に向て爾何故に我を如此造りしやと云ふことは能ない、故に我は沈黙を守りて心に「聖意をして成らしめ給へ」と言ふまでゞある。
 十六年と七ケ月は短き人の一生に取りては短き年月ではない、而して我が生涯に在りては其《そ》が其の最も善き部分であつたのである、我は我が生涯の最も善き部分を聖書の研究に献げたのである、人が富を作りつゝありし間に、爵位に誇りつゝありし間に、政治に奔走しつゝありし間に、天然を探りつゝありし間に、我は独り静に二三(202)の友を伴侶として聖書の研究と其知識の頒布に従事したのである、而して我は如此して我が生涯の最も善き部分を消費せしことを少しも悲まないのである、悲しまないのみならず非常に喜び且つ感謝するのである、そは我は此業に従事して神と共に働き永遠の家を築くことに与りたりと信ずるからである、我は幸にして愚にして政界に乗出すことが能なかつた、我は幸にして菲才にして美文芸術に携はることが能なかつた、我は幸にして家貧にして、又政府又は教会の奨励援助に与る能はずして科学又は神学の研究に従事することが能なかつた、聖書研究は我に残りし唯一の事業であつた、而して視よ我は最も福なる業を授けられたのである、聖父《ちゝ》は善き嗣業《ゆづり》を我に授け給うたのである、我は今日に至り之を何人の嗣業とも交換することを好まない、総理大臣の椅子も大学教授の椅子も我が今日占むる聖書研究の独立の椅子に較べて価値の甚だ低き者であると我は信ぜざるを得ないのである、我は大日本帝国の総理大臣たるよりも、亦大英国々教会の大監督たるよりも、聖父が我に授け給ひし此位地此事業此責任を遥かに貴く遥かに重き者なりと信ずるのである。 然れども過去は過去である、我は我に臨みし恩恵の此高処に立て後を顧みて過去の恩恵の沈思黙考に耽らんと欲しない、我は猶ほ前を望み見る、恩恵の大洋は我が前に横たはる、我は今日まで僅かに貴き真珠二三粒を拾ふたに過ぎない、我が事業は今からである、宝玉の山は今手に入つたばかりである、今より之が採掘に従事し、奥義より奥義へと我が探求の領域を拡張し終にシオンに至りて面と面を対して彼に見えまつらんと欲す、如此て号数を以て算へ得る事業を以て満足すべきでない、数なし又窮なし、永久に存つ所の彼れ、我が目的はそれである、我は窮りなく彼に対ひ前へ前へと進み行くのである、上を瞻て前を望む、真の生命は無限の前進より他の者ではないのである。
(203) 然り我が事業ではない、神の事業である、彼が我に在りて我を以て為し給ふ事業である、更に然り、彼が我を離れて自から既に遂行たまひし事業である、即ち髑髏山上に於ける彼の聖子の犠牲である、而して我が事業は此聖業を信ずることである、雑誌ではない、伝道ではない、信仰である、雑誌は無くても可いのである、其れは一号で潰れて了つても可かつたのである、今潰れても可いのである、我が永久の感謝は此の事業彼の事業の成功ではない、神の羔が我が罪のために其身を捨て給ひし事である、栄光窮りなく彼に在らんことをである。
 
(204)     〔編輯の報酬 他〕
                         大正6年3月10曰
                         『聖書之研究』200号
                         署名なし
 
    編輯の報酬 観梅と観桜
 
 『聖書之研究』は初号以来第弐百号の今日に到るまで一回も欠かすことなく東京市牛込市ケ谷加賀町なる秀英舎第一工場に於て印刷し来つた、而して十数年の長き間余は毎月々末に原稿を纏めて自から之を工場に持行くを恒例とした、道は甲武線電車に由り(前には汽車であつた)市ケ谷停車場に下車し濠を渡り右に折れ又左に折れ長延寺坂を上りて工場に達するのである、而して坂を上りて右に当り小溝を経て美《よ》き早咲の梅林があつて春毎に其香気を放つた、余は幾回となく本誌の原稿を外套のポケツトに運びながら其|芳《かうば》しき色と香とを賞した、而して工場に原稿を託して帰途は別途を取り右の方陸軍士官学校の裏門前を過ぎ、左内坂の上より右に折れ市ケ谷八幡の境内に入り、茲に又紅白の梅花を賞した、更に又四月号原稿を運ぶ時に際しては濠畔《ほりばた》に植附けられし桜樹は爛漫として水に映じて開き、之を八幡境内断壁の上より眺めて雑沓の市内に在りながら仙境に遊ぶの感がした、記者生涯を送る者は何人も知るのである、其の快楽の日は原稿書上げの当日なる事を、此日此所より桜花の爛漫たるを見る、一年の快楽は此日に集まるのである、余は幾回《いくたび》か此所に立ち水面に映ずる桜花を瞰下して(205)
   年を経て花の鏡となる水は
     ちりかゝるをや曇るといふらん
との伊勢の大輔の名歌を独り口吟んだのである、本誌発行の初期に方ては未だ若樹なりし水辺の桜樹は今や生長して大木と成りしを見て、我が生涯の早く既に其半ばを過ぎしを思ひ、又本誌の早く既に第二百号に達せしを知る、余の十七年間の本誌編輯の労に酬ゐんがために余に与へられし物は一にして足らずと雖も、余が印刷所に月毎に原稿を運ぶの途中、春到る毎に梅花に次いで桜花を質するを得しは是れ余に償《つぐの》はれし最善最美の報酬であつて余が聖国に到る時の好き土産談であると思ふ。
 
    維持法如何
 
 『聖書之研究』は如何にして維持せらるゝ乎とは多くの人の聞かんと欲する問題である、余輩は之に答へて曰ふ『聖書之研究』は其れ自身に依て維持せらると、『聖書之研究』は教会又は政府又は伝道会社より一銭一厘の補助を受けない、『聖書之研究』は自己の確信を語る、而して人の来りて之を聴くを待つ、而して聴かんと欲する者より自己の定めし代価を要求し、其徴集に由て其れ自身を維持する、如此して『聖書之研究』は公然たる売品である、而かも断じて購読を勧めない、『聖書之研究』は過去十二年間広告料として一銭たりとも消費した事はない(其以前少しく広告を試みし事あるも其益なきを見て断然中止した)、『聖書之研究』は其拡張を全然全能者に委ね奉り自から人に受けられんと欲して手段方法を講ずるが如き事を為さない、『聖書之研究』は神が聖き方法を以て与へ給ふ物を以て満足する、「我等|恩慈《あはれみ》を蒙りて此職を受けたれば敢て臆せず、恥べき隠れたる事を(206)棄て詭譎《あしきたくみ》を行《なさ》ず神の道を混《みだ》さず真理《まこと》を顕して神の前に己を衆《すべて》の人の良心に質す也」とのパウロの言に則りて万事を行はんと努むる(哥林多後四章一、二節) 斯く曰ひて余輩は何人にも負ふ所無しとは言はない、余輩は余輩と主義信仰を異にする人には何の負ふ所が無い積りである、然れども余輩の友人に対しては、余輩と希望艱難目的を共にする愛の兄弟姉妹に対しては余輩の負ふ所は多大である、彼等に対してなりと雖も余輩は自ら進んで援助を乞はない、然れども彼等が喜んで其援助を以て余輩の事業に携らんと欲する時に余輩は之を斥くるが如き粗暴に出ない、余輩は感謝して之を受くる 而して今日まで斯かる愛の贈物の尠からざりしことを茲に表白する、或は家産を三分して其一分を余輩に与へし者があつた、或は故人の遺志を嗣いで歳毎に余輩を記憶する者がある、或は時を定めて労働の結果を余輩に贈り来る者がある、或時は思はざるに無名の人の欧洲大陸の山中より一時に数百金を送り来りし者があつた、(「君は此贈物に対して何人にも謝するに及ばず」との言を添へて)、又或時は瑞西《スヰツツル》の湖辺より又或時は丁抹の林中より夢にもせざりし援助が到来した、実に余輩は幾回か天よりのマナを食した、余輩の必需物《なくてならぬもの》の主要部分は神は余輩の手を以て之を授け給うた、然れども彼は之を補ふに友人の援助を以てし給うた、是れ余輩が自己の独立に就て誇らざらんが為である、神と友人とに由る独立にして余輩単独の独立に非ざる事を知らしめんが為である、斯くして余輩の上に教権を揮ふ法王も監督も長老も無かつたが、余輩を縛る愛の絆は有つた、余輩に法律的の責任は無いが、其れよりも重い愛の負債がある。如此くにして最後の一円を抛ちて而して後に廃刊せんと幾回か決心せし此誌は今猶ほ存続し、愛の外何人にも負ふ所なくして今日に至りしことは之を一の奇跡と見て可からうと思ふ、余輩は此不信国に在りて神の外に何者にも依頼せずして此純基督教雑誌を維持し来りしことを以て余輩に臨みし神の特別なる恩恵と見做して誤らないと信ずる。
 
(207)    イエスと超人 ニイチエ研究の一節
 
 ニイチエを以て代表さるゝ近代の思想家は曰ふ、基督教は特に憐愍を唱ふる宗教なり、故に女性的なり、男性的勇気と能力とに於て欠くる所多しと。
 果して然る乎、イエスは実にラザロの墓に詣《いた》りて涕を流し給へりと云ふ、然れども男子何人か涕なからざらんや、世に貴き者にして勇者の涕の如きはあらず、イエス涕を流し給へりとありて凡の男子は時に臨んで泣く事の恥ならざるを教へられしに非ずや(約翰伝十一章卅五)
 イエスに勇気なしと云ふ者は路加伝四章にナザレの村民が彼を投下《なげおろ》さんとて山の崕《がけ》にまで曳往きし時に彼が何の抵抗をも試ずして悠然として彼等暴徒の中を通過し去りしを読むべし、又約翰伝二草に
  イエス ヱルサレムに上り、神殿にて牛 羊 鴿等を売る者と両換へする者の坐せるを見、縄をもて鞭を作り彼等及び羊 牛を神殿《みや》より逐出し両換へする者の金を散らし、其|案《だい》を倒し、鴿を売る者に曰ひけるは「此物を取りて往け、我が父の家を商売の家と為す勿れ」
とある痛快の文字を読むべし、又勇者に非ずして誰か独り敵人の中に立ち王侯貴族の前に憚らずして
  我は王なり、我れ之が為に生れ、之が為に世に臨れり、蓋真理に就て証を為さん為也
と静かに答へ得る者あらんや、イエスを単に婦人の友、貧者弱者の味方とのみ解する者は未だ彼を知らざる者なり(約翰伝十八章三十七節)
 ニイチエはイエスに慊らずして別に「超人」の出現を唱へたり、然れども誰か知らんイエスが真の超人なるこ(208)とを、
  彼は万物を己に服はせ得る能力に由て我等が卑き体を化《かへ》て其栄光の体に象らしむべし
と云ふ(腓立比書三章廿一) 是れ超人に非ずして何ぞ、然り超人以上なり、造物者なり、神にして人なり、無限の能力と無限の愛とを合せ有たる者なり、既に此人を神より遣さる、吾人は別に超人を想像し之を探ぐるの必要あるを見ず。
 聖書は既に超人を唱へたり、単に之を唱ふるに止まらず彼を示したり、然れども世は其言に耳を傾けずして彼を斥く、而して此世の学者の出るありて彼れイエスに類する者を説けば喜んで之に走り其説に服す、誠にイエスの曰ひ給ひしが如し
  我は我父の名に依りて来りしに汝等我を受けず、若し他の人己が名に依りて来らば汝等之を受けん(約翰伝六章四三節)
と、イエスなるが故に之を斥け、ニイチエなるが故に之を迎ふ、基督教なるが故に之に反き、哲学なるが故に之に帰す、西洋の哲学者にして未だ曾て基督教以上の真理を説きし者あるなし 又直接又は間接に斯教に負ふ所なき者あるなし、ニイチエの超人説亦然り、牧師の子とし又孫とし又曾孫として生れしニイチエにして始めて超人を唱ふるを得しなり、而かもイエスを教主として仰がざりし彼の理想は遠くイエスに及ばざりき、万物の始にして其終なる彼れイエスは世の罪を任《お》ふ神の羔なりとの真理の如きは哲人の夢想だもする能はざる所なりき。
 
    基督教道徳
 
(209) 己の欲せざる所之を人に施す勿れと云ふが儒教道徳であつて、己の欲する所之を人に施すべし(凡て人に為られんとする事は汝等も亦人にも其如く為よ)(馬太伝七章十二節)と云ふが基督教道徳であると言ふ者がある、然し是は基督教道徳ではない モーゼ教道徳である、故にキリストは言ひ給ふたのである「是は律法と預言者なる也」と(同節) 旧約聖書道徳を総括せるもの、其絶頂に達せるもの、其れが此の所謂|黄金則《ゴールデンルール》である、然し乍ら基督教道徳は遥に其れ以上である、凡て人に為られんことを人に為して信者はキリストの律法を果したのではない、キリストは其弟子より其れ以上を要求し給ふのである。
 基督教道徳は左の聖語に顕はれて居る、
  汝等神に傚ふべし(以弗所五章一節)。
  天に在す汝等の父の完全きが如く汝等も完全くすべし(馬太伝五章四十八節)。
  キリストに在りて神汝等を赦し給へる如く汝等も互に赦すべし(以弗所書六章卅二節)。
  夫れ至上者《いとたかきもの》は恩を忘るゝ者及び悪を為す者にまで慈愛を施し給へり、是故に汝等の父の憐憫《あはれみ》の如く憐憫を為すべし(路加伝六章三十五、三十六節)。
  神我等を愛し給へば我等も亦互に相愛すべし(約翰第一書四章十一節)。 神に傚ふべし、紙が我等を愛し給ふが如く我等互に相愛すべし、神が我等の罪を赦し給ひしが如く我等互の罪を赦すべし、神の完全きが如く汝等完全くすべしと、即ち模範を神に取るべし人に取るべからずと、是れが基督教道徳である実に高い行ふに難い道徳である。
 然らば我等は言ふであらう乎、是れ弱き我等の到底行ふ能はざる道徳である、キリストは斯る道徳を我等より(210)要求して不可能を要求し給ふのであると、爾ではない、キリストの律法は高くある、然れども彼は之に達するの道と能力とを供へ給うた、彼は我等の荏弱《よわき》を識り給ふ、故に能力を与へ給うて彼の完全き律法を行ふことを得しめ給ふ、彼は無慈悲なる主人ではない、彼の要求には必ず之に相応する援助が伴ふのである
  我等が荏弱を体恤《おもひや》ること能はざる祭司の長は我等に有るなし、彼はすべての事に於て我等の如く誘《いざな》はれたれど罪を犯さゞりき、是故に我等|恤《あはれみ》を受け機《をり》に合ふ援助《たすけ》となる恩恵を受けん為に憚らずして恩寵の座に来るべし
とある(希伯来書四章十五、十六節)、此恩寵と援助とありて我等はすべて彼の要求に応ずる事が能る、「人もし汝の右の頬を批ば亦|他《ほか》の頬をも転《めぐら》して之に向けよ」と云ふ、是れ生来《うまれつき》の人には到底行ふ能はざる道徳である、然れども万物を己に服はせ得る能力を有し給ふ神に依りては行ふに至て容易《やす》い誡命《いましめ》である、我等彼の能力を仰いで文字通りに此律法に服従することが能る、基督教道徳は人の道徳ではない神の道徳である、神に傚ふの道である、故に神の能力を仰ぎ之に依りて行ふことの能る道徳である、崇高にして行ふに至難の道徳である、然れども神は我等に告げて言ひ給うのである「懼るゝ勿れ我れ汝と共に在りて汝を助く」と。
 
(211)     信者の生長
         近頃或る旧き友人に語りし所
                         大正6年3月10日
                         『聖書之研究』200号
                         署名 内村鑑三
 
  汝等益々我等の主なる救主イエスキリストを知らんことゝ益々その恩恵を知ることを努むべし(彼得後書三章十八節)。汝等恩恵に於て生長せよ、而して又我等の主にして救主なるイエスキリストの知識に於て生長せよ【直訳】
〇信仰は生命である、信者は生物である、故に彼は生長すべきものである、生長の止まる時に生物は死ぬるのである、生長は生命の顕著なる特徴である、信者は無窮の生命を賜はりし者として無窮に生長すべき者である、「我等が外なる人は壊《やぶ》るゝとも内なる人は日々に新なり」とのパウロの言は此状態を語りたる者である(哥林多後四章十六)
〇然らば信者は如何に生長すべきである乎、彼の生長は如何なる方向を取るべきである乎、此事に就て教ふる者が彼得後書の此一節である、邦訳の「益々知らんことを努むべし」では意味が甚だ微弱である、若かず「生長」せよと直訳せんには、「汝等恩恵に於て生長せよ」と、文字は簡短にして意味は深長である。
〇「恩恵」なる辞に能動的《アクチーブ》と受動的《パツシーブ》との意味がある、恩恵の神より出て信者に臨むや能動的である、而して之に(212)動かされ感化せられて信者の品性とし現はるゝや受動的である、恩恵は素々神より出づる者であつて能動的である、然れども其の信者に臨むや必ず美はしき徳性となりて現はるゝが故に受動的である、神は恩恵を以て信者に臨み給ふ(能動的である)、信者は恩恵の結ぶ信頼従順の美徳を以て之に応へまつる(受動的である)、与ふる恩恵と受くる温雅、恩恵は之を此の二方面より見ることが出来る。
〇「汝等恩恵に於て生長せよ」と云ふ、信者の立場より見ての恩恵である、故に第二の意味に於ての恩恵である、英語の grace である、独逸語の Anmuth《アンムート》である、日本語の温雅、良順、貞淑である、主として女性的美徳である、即ち神に対しては全然受身となるの態度である、自我を殺して聖霊の充たす所とならんと欲するの心掛である、一言以て之を云へば信仰である、「彼は必ず盛になり我は必ず衰ふべし」とバプテスマのヨハネの言ひし其態度である、我は無きものとなりキリストが我が衷に在りて万事《すべて》と成り給はんことを祈求ふ心である、而して信者の生長は其一面に於ては此方向を取らねばならないのである、即ち「我」なる者の益々衰へんこと、益々滅びんこと、而して終に無我の状態に達せんこと信者の努むる所、欲ふ所は是れである、而して彼は信仰的生涯を継続《つゞけ》て益々此方向に向つて生長せざるを得ないのである、「善なる者は我れ即ち我肉に居らざるを知る」とは彼が自己《おのれ》に就て知る所である、而して此自己知識ありて彼は自己を嫌ひ自己に死して他者に於て生きんと欲するの希欲を起さゞるを得ないのである、斯くて信者の生長は其自己方向に於ては生長でなくて其反対の死である、我れなるものゝ日々に減退せんこと、我が行為、我が道徳、我が努力の日々に減退して或る他の者の我衷に在て増進せんことを彼は希欲はざるを得ないのである。
〇斯くて「恩恵に於て生長せよ」とは一面に於ては「生長するな其反対に死滅せよ」と云ふ事である、而して信(213)者は此方面に於ては信仰が進めば進む程減退するのである、而して終には虚となり空となるのである、「心の虚き者は福なり」とある其幸福なる空虚の状態に達するのである、彼は終には善を為さんと欲する其努力までを抛棄するに至るのである、彼は自己に対し全然無智無能を宣告するのである、而して自己に対する彼の失望が其極に達して茲に彼に在りて真個の謙遜、信顆、信従、即ち信仰的生涯の温雅、即ち恩恵の受動的方面のすべての美徳が現はるゝのである。
〇自己に死せよ、自己方面に於て減退せよ、温柔信頼の性に生長せよ、然らば彼に在りて生くるを得べし、霊的方面に於て増進するを得べし 神より出づる能動的恩恵の恩賜に与かりて強健活動の性に生長するを得べしと、是れが信仰的生涯の秘訣である、大なる逆説である、死せよ然らば生きんと云ふのである、衰へよ然らば盛ならんと云ふのである、謙虚の容積を広くして多量に恩恵の注入を受けよと云ふのである、故に恩恵に於て生長せよと云ふのである、努力に於て生長せよ才能に於て生長せよ知識に於て生長せよと云ふのではない、信者は先づ第一に恩恵の区域に於て生長せよと云ふのである、先づ自己を神に対し義き関係に置き、すべての善きものを自己に求めずして彼に仰ぎ而して益々彼に在りて生き且つ生長せよと云ふのである、斯くて信者の生涯は恩恵の生涯である、自己に在りては恩恵を受けんとする態度の修養である、神に在りては窮りなく恩恵を施さんとする聖意の表顕である、恩恵《グレース》に対する温雅《グレース》、信仰的生涯は是にて尽きて居るのである、「汝等恩恵に於て生長せよ」、益々謙下りて益々高くせられよ、益々死して益々生きよ、何も有たざる者となりて万物を有つ者となれよ。
〇神より出る恩恵は種々多様である、而して其内の一つは知識である、すべての知識が神の恵賜である、科学的知識と雖も学者が惟り己に獲た者ではない、然しながら「我等の主にして救主なるイエスキリストの智識」、即ち(214)彼より出て彼に関はる知識、是は特に神より賜はる恩恵である、神に示されずしてキリストを知ることは能ない、而して彼を知るは永生である(約翰伝第十七章三節) 信者はキリストに関はる知識に於て生長せねばならぬ、是は得るに最も難き知識である、神学校に学び神学博士に就きたればとて獲る能はざる知識である、キリストに関はる知識は恩恵として神より直に信者に臨む知識である、故に最も貴き知識である、商人《あきうど》がその所有を尽く売ても買はんと欲する一粒の好き真珠の如きものである、而して神は己を愛する者に此貴き恩賜を賜うのである、其者の無学なるに関はらず、身の卑きに関はらず、唯彼が信ずるが故に、恩恵《グレース》に対する温雅《グレース》の態度に出るが故に聖父はキリストを知るの知識を此低き卑しき者に賜うのである。斯くて我等今より嬰児たることなく、愛をもて真理を行ひ凡の事に於て生長《そだち》て首《かしら》なるキリストに到るべきである(以弗所書六章十五)
 
(215)     老年の歓喜
                         大正6年3月10日
                         『聖書之研究』200号
                         署名なし
 
 若《にやく》を喜び老《らう》を厭ふは普通の人情である、然れども信仰の生涯を送りて老は決して厭ふべき者ではない、老境に入りて思想は益々明晰を加へ、播きし種の成熟して実を結ぶを見る、人生の問題は徐々に解決せられて学生時代に教師より数学上の大難題を提供せられて深思熟考の結果其解答を探り当てし時に於けるが如き歓喜と満足とがある、加之河の彼方より音楽の響きの徐々として我耳に響くあり、太陽の西山に舂《うすづ》くを見ては光の国の栄光を思ひやる、時には過去を顧みて我が生涯に神の恩恵の顕著《いちじる》しかりしを思ひ、感涙頬を伝はりて感謝の祈祷に咽ぶことがある、実に信者の生涯に在りては老年は其最も善き部分である、青年時代に苦学し、中年時代に苦闘し、老年時代に感謝の収穫を楽しむ、誰か言ふ信者の生涯に興味なしと、神は彼を愛する者に最善の物を最後に与へ給ふ、世人の悲む時に信者は喜ぶのである、人生の夕影の暗くならんとする時に信者は希望の星の輝きに無限の宇宙の彼の目前に開展するを見るのである。
 
(216)     安全なる孤立
                         大正6年3月10日
                         『聖書之研究』200号
                         署名なし
 
 人は無くても可い、友は無くても可い、然し神が無くては堪えられない、ニイチエの如き剛勇多能の人でさへ神無くしては終に斃れた、神在りて始めて独り立つことが能るのである、神の無い元気は畢竟空元気たるに過ぎない、走れども疲れず歩めども倦まざるべしと云ふ永久的の精力は神を友としてのみより来る。
〇神が無くては堪えられない、然し乍ら神丈けでは足りない、キリストが無くては足りない、キリストに由りて認めざる神は遠い微《かす》かなる神である、キリストを友として我等は最も親密に神に接することが能るのである、「夫れ神の充足れる徳は形体をなして 尽くキリスト」に住めりとある(コロサイ二章九節) キリストを我有となして我は最も有効的に神を我が味方となす事が能るのである。
〇神とキリストとありて我は全世界全教会を敵として有ても可い、キリストに在りて神に接して我れ自身が活水《いけるみづ》の泉となりて独り湧出て永生に至る事が能る。
 
(217)     CONFUCIUS AND JESUS.孔子とイエス
                         大正6年4月10日
                         『聖書之研究』201号
                         署名なし
 
     CONFUCIUS AND JESUS.
 
 To a Japanese Baron,who was visiting America,and who in addressing Bethany Sunday-Scbool in Philadelphia,Said that the teachings of Confucius and Jesus were the same,and that there was no need of his changing his faith,John Wanamaker,the superintendent of the school,and the Baron's host at the time,answered as follows:“There is this vital difference between Confucius and Jesus. Confucius is dead and buried, and he will remain in his grave until jesus Christ tells him to arise. But our Christ's grave is empty. He is living. He is here in this room to-day .”To which we say Amen,and wish to add our strong conviction, that in this case the American was right and the Japanese was mistaken.
 
     孔子とイエス
 
  費府発行『日曜学校タイムス』の記事を訳す。
 
(218) 或る日本の男爵が費府《ヒラデルヒヤ》のベタニア日曜学校に於て通訳を介して一言陳ぶる処があつた、彼が「孔子の教とイエスの教とは同一である、故に余は余の信仰を変ずるの必要を見ない」と言ひし時、校長たるジヨン・ワナメーカー君は来賓の口よりかゝる言を聴いて驚愕した、この男爵は数月前教育制度視察の為めに米国を訪ひたる人である。
 ワナメーカー君は人も知る如く米国屈指の実業家たると共に又老練なる日曜学校指導者である、彼は今自己の学校に於てかゝる異教の弁護論に接し已むを得ず起ちて其刹那の感想を吐露した、彼は先づ孔子の説きたる道徳の高きを承認したる後語を続けて曰うた、
  孔子とイエスキリストとの間にはこの根本的相違がある、孔子は死して葬られ而してイエスキリストが彼に起きよと告げ給ふ迄墓の中に横たはつて居るのである、然しキリストの墓は空虚しくある、彼は生きて居給ふのである、彼は今日此処此室に居給ふのである
と、而して其ポケットより小さき聖書を取出してワナメーカー君は甚深なる感動を以て附言した、曰く「茲にイエスの言がある、之は生ける言である、我等は生ける言を此書の中に読む事が出来るのである」と。
 男爵は米国を去るに先だち紐育《ニユーヨルク》に於て或る宴席に列した、多数の日曜学校指導者も出席して居つた、滞米中何を最も強く感じた乎との問に対して日本の儒教信者たる男爵は答へて曰うた「最も深き印象を受けたものは費府のベタニア日曜学杖に於ける出来事である、ワナメーカー君が熱心にキリストの弁証を為して小さき聖書を取上げた時に余は彼が生ける主を慕ふの余り其双頬に熱涙の流れ下るを見た」と。
  編者曰ふ、此場合に於て余輩は男爵に反対しヮナメーカー君に賛成する、君は能く基督教の根本義を明にしたのである。
 
(219)     〔昴宿と参宿 他〕
                         大正6年4月10日
                         『聖書之研究』201号
                         署名なし
 
    昴宿と参宿
 
 汝|昴宿《ばうしゆく》の鏈索《くさり》を結び得るや、参宿の繋縄《つなぎ》を解き得るや(ヨブ記三十八章三十一節)
 参宿は冬の星である、彼れ夜々《よな/\》穹蒼に現はるゝや、花は失せ烏は去り、森と林とは其緑の衣を褫《はが》れ、池と小川とは氷に鎖され、野と山とは皚々たる雪の衣に包まる、参宿天に上りて天然は氷雪の桎梏を掛けられ、死は全地を支配して何人も其繋縄を解く能はず。
 昴宿は春の星である、彼れ東天に現はれて花は開き鳥は帰る、暖風山野を払ふて万物其気息を受けて蘇生す、昴宿蒼空に現はれて天然は花綵《はなつな》を以て飾られ、死は去り生は復りて、人は春を惜みて自から永く其温情の鏈索に縛られんことを欲す。
 昴宿の鏈索は之を結ばんと欲するも能はず、参宿の繋縄は之を解かんと欲するも得ず、春と生とは之を止めんと欲するも能はず、冬と死とは之を逐はんと欲するも得ず、人生の悲歎は茲に在り、「汝、昴宿の鏈索を結び得るや、参宿の繋縄を解き得るや」と問はれて、智者も学者も、権者も王者も、皆な斉しく「得ず能はず」と答へざ(220)るを得ないのである。
 然れども茲に一人の此事を為し得る者がある、ユダの支派《わかれ》より出たる獅子ダビデの根、輝く曙《あけ》の明星(黙示録廿二章十六節) 世の罪を任《お》ひし神の羔、すべての尊敬、栄光、讃美を受くべき者、彼のみは能く昴宿の鏈索を結ぶことが能き、又参宿の繋縄を解くことが能る、彼れ「起きよ」と言ひ給へば死者は甦り、彼れ御自身に無窮の生命あるが故に人は彼に結ばれて無窮に生くることが能る、「我れ生くれば汝等も生くべし」と彼は言ひ給ふた、「彼に由りて万物は造られたり、天に在る者地に在る者、万物彼に由りて造られたり」とある(哥羅西書一章十六節) 昴宿も参宿も彼に由りて造られし者である、故に彼は自由に是を結ぶことが能き、又彼を解くことが能る、彼は実に預言者アモスの言へる「昴宿及び参宿を造り、死の蔭を変じて朝となす」ことの出来る者である(亜麼士書五章八節) 而うして彼が我等の救主であつて我等彼を信ずる者を甦らし給ふと云ふのである、我等の復活の希望は彼に於て在るのである、死の繋縄を解くの能力は生来の我等に備はりて在るのではない、又宇宙何者も此事を我等に為し得ない、然れども万物の元始《はじめ》にして其長子たる者、死の中より首《はじめ》に甦り給ひし者、彼は我等のために参宿の繋縄を解いて昴宿の鏈索を結ぶことが出来る、頌むべきかな破れ!
       *     *     *     *
 死の参宿は其暴威を逞うし、其繋縄を以て一時は我等を縛るであらう、然れども参宿を造りし者が我等の救主であるのである、彼れ再び臨り給ふ時に其繋縄を解き、我等をして其強き冷たき把握の手より脱かれしめ姶ふ、其時参宿の死の繋縄に代りて昴宿の愛の鏈索は我等を結び、我等は永久に彼に繋がれ又相互に繋がるゝのである、春陽また環来《めぐりきた》りて参宿の西天に消え去らんとし、昴宿の東天に輝く今日此頃、我等に此希望なかるべからずで(221)ある。
 
    有効的伝道法
 
 伝道の方法に種々《いろ/\》ある、其最も普通なる者は広く寄附金を募集し、弁士を雇ひ来り、大演説会を開き、聴衆をして感激せしめ、改信決心の起立を促し、彼等を其家に訪問し、祈り説き教へ誘ひ、終に彼等にバプテスマを施し、信者として彼等を教会に収容する、而して是れ必しも全然有害無益の伝道法ではない、人は種々様々である、斯かる方法に由て救はるゝ霊魂は無いとも限らない、余輩は余輩の好まざる方法なりとて之を排斥しない。
 然し乍らより善き伝道法は他に在る、我が全身を神に献げ、福音の真理をして強く深く我が衷に働かしめ、其ために苦しみ闘ひ耐へ、深く贖罪の血の泉に飲み、我が罪の身を之に浸して雪の如くに白くせらるゝの実験を経て我は善き伝道師となつたのであつて、又既に善き伝道を行つたのである、真の信仰其物が最大伝道である、必しも言葉と文字とを以て之を他に伝ふるを要せず、我れ之を我が霊に獲て我は之を我同胞我国人のために得たのである、霊は其深所に於て互に相通ず、恰も井《》ゐどは其水底に於て一面の水であるが如くである、世に霊海の漲るありて我霊は其一滴である、而して神の霊実に我に臨んで其れ丈け全人類に神の霊が臨んだのである、以心伝心は惟り禅宗の秘密ではない、霊界の事実である、人は個々別々に独り離れて存在するのではない、人類の一部分として存在するのである、我は我が実在の根柢に於て霊海の一滴である、而して我は神の霊を我霊に受けて之を霊海全体に誘導したのである、斯くして我れ一人救はれて我れのみが救はれたのではない、我が村が夫れ丈け救はれたのである、我が県が夫れ丈け救はれたのである、我が国が其れ丈け救はれたのである、然り全人類が其れ丈(222)け救はれたのである、我が救は我れ一人の慶事ではない、全村全郷全国全世界全人類の慶事である、我は我れ一人の救はるゝ事を小事と見做してはならない、神は我を以て我国我民を救ひ給ひつゝあるのである、我れ一人の実に救はるゝこと、其事が一大伝道である、神は我を透うして我国我社会に臨み給ひつゝあるのである、故に我は虔みて我全身を彼に献供して、彼は我を以て……我を導火線として用ゐて……若し聖意ならば我を焼尽して……我国我民を救ひ給ふのである。
 斯くて我は神の恩恵の器具となりて、独り密室に在りて或ひは田圃に労して、彼の善き且つ能ある伝道師たることが出来る、我は深く篤く彼を信じて一言を発せず一字を書かずして効力《ちから》ある伝道を行ふ事が出来る、而して斯かる有力なる伝道は常に世に行はれつゝある、而して斯かる伝道が静かに隠れたる所に行はれつゝあるが故に喇叭と太鼓とを以てする伝道師等の伝道が多少の功を奏するのである、最も有力なる伝道は無声の伝道である、「語らず言はず、其声聞えざるに、其音響は全地に遍く、其言葉は地の極にまで及び」とある伝道である、自己を真理の試験物に供し、深く究め、深く苦み、深く救はれ、深く歓びて、我等何人も神の善き伝道師たる事が出来る。
 外国宣教師より基督教を学び之を其の儘|幾回《いくたび》我同胞に繰返すも我同胞は救はれないのである、我等は先づ福音を我霊に受け、之を我有となして日本人の有となすべきである、然れば福音は自づから我同胞に伝はり彼等は自づから救はるゝのである、我等は各自己れを福音の種の苗床となし、我等を以て福音を日本国固有のものとなすべきである、而して此事たる容易の事でないのである、我等は容易に基督教を知ることが出来る、然れども之を我有となさんと欲して我等は大に其れがために苦しまなければならない、基督教は患難の熱火を以てのみ之を我(223)霊に焼附けることが出来る、神の真理は其証明のために蒙りし創痍の傷口よりして我衷に入込《いりこ》むのである、然るに此途に由らずして、之を耳と眼とより受けて手と口とより伝へて真理は何時までも我有又我同胞の有とならないのである、伝道の熟字は人を誤り易くある、寧ろ建道と称すべきである、心田を深く掘りて基礎を磐上《いはのうへ》に置いて其上に動かざる信仰の家を建つる事である(路加伝六章四八節)
 
(224)     基督教と仏教及び儒教
         (三月十一日柏木聖書講堂に於ける講演の大意)
                         大正6年4月10日
                         『聖書之研究』201号
                         署名 内村鑑三 述
 
 仏教及び儒教は我国に行はれたる宗教として大なる歴史的勢力を有する、苟も我国人にして其の深き感化を受けざる者はない、基督者となりたる以前は無宗教なりしと自から称する者と雖も同様である、之を自覚せずと雖も其感化は我等の凡ての行為及び思想の傾向を支配するのである、実に我等は未だ全く旧き宗教の中より脱出しないのである、此事を解せずして基督教を信ずるも却て仏教的又は儒教的に之を信ぜんとするの虞がある、故に我等が祖先の教たる仏教及び儒教と基督教との間の根本的相違を知る事は聖書を解する上に甚だ必要である、之れ決して仏教攻撃又は儒教攻撃を為んとするのではない、世には自己の宗教を宣伝せんと欲して徒らに他宗の攻撃を事とするものありと雖もそは我等の為す能はざる処である、我等は凡ての正直なる信仰を尊敬しなければならない、真理は何宗教に於ても真理である、然し乍ら仏教及び儒教は基督教と同一であると言ふ事は出来ない、尊敬と判別とは自ら別問題である、尊敬すべきは之を尊敬し判別すべきは之を明白に判別するを要する。
 仏教とは何である乎、之を一言にして説明する事は出来ない、仏教は極めて範囲の広き宗教である、其内容は一箇の教に非ずして実は多種多様である、仏教にはかの基督教の一派なるネストリア教の変態と見るべき真言宗(225)の如きがある、又新約聖書を仏教化したるものとさへ称せらるゝ浄土真宗の如きがある、従て仏教には各種の思想を網羅して殆ど尽さざるなきの有様である。
 仏教研究は近時日本よりも却て欧米に於て盛である、而して哲学者オイケンの所説の如きは最も其中心思想を捉へたるものに庶幾しと思はれるのである、オイケンは曰ふ、仏教の中心思想はカルマ即ち業にある、基督教の中心思想は恩恵にある、業と恩恵、之れ其根本的差別であると、此語の真実を証するものは経典中の此言彼語又は聖書中の片言隻句ではない、仏教国及び仏教徒の一般の傾向又は基督教国及び基督者の一般の傾向である。
 業とは人間の行である、而して業は永久に消滅しない、善業は滅びず悪業も亦滅びず、現世を離れて来世に移るも旧き業は依然として継続するのである、而して悪業を消滅せしむるものは唯善業あるのみ、故に悠久の年を経なば善業を以て遂に悪業を滅すを得べしといふも一度び実際を顧みん乎、善業は軽小にして悪業は重大である、彼を以て此を消滅するに足らざるのみならず年を経るに従ひ負債は愈々堆積するのみである、故に「業」なる文字は常に悪しき意味に於て使用せられる、例へば業火といひ業苦といひ業垢業障など言ふが如し、之れ実に我等凡夫の実際上の経験を示すものである、独り自己の業に就て然るのみならず人は猶ほ親又は祖先の悪業をも負はなければならない、斯る多くの業を積みて而も永久に其消滅するの時を知らない、是に於てか自ら厭世的思想は醸成せられざるを得ないのである、而して此事実は学者の見を俟たずして我国又は印度等の社会を見れば自ら明白である、試に我国に於ける日々の新聞紙を一瞥せよ、人生の目的は善にあり、我等は大能の御手の下に全く新しき方向に舵を向けつゝありとの如き希望と歓喜とに充ちたる思想の如きは何処に之を発見し得る乎、其他音楽然り絵画然り、悲哀美と称して徒らに悲調を好み讃美の調復活の歌の如きは却て不自然なるが如くに思はるゝ(226)のである、故に是の如き思想を以てキリストの救に与るも多くは唯之を自己の苦痛の慰藉として受くるに過ぎない、之れ亦明白なる仏教思想の感化である。
 基督教の説く所は之に反して恩恵である、即ち罪の赦しである、「イエスは我等が罪の為に解《わた》され又我等の義とせられしが為に甦らされたり」(羅馬書四の二五)、「汝等の罪は緋の如くなるも雪の如く白くなり紅《くれない》の如く赤くとも羊の毛の如くにならん」(以賽亜書一の一入)、我が悪業如何に重く加ふるに祖先以来の罪を以てするも一度び我心を或る状態に於て置かん乎、即ち凡百の積悪悉く拭ひ去らるゝのであるといふ、其証拠はキリストの十字架と復活とにある、彼の死に由つて我等の罪は既に処分せられたのである、而して我等の義とせられたるが為めに彼は復活し給うたのである、故に彼を信ずるに由つて我等は新しき生涯に入り新しき途を辿る事が出来るのである、悪業抑も何者ぞ、十字架上のキリストを仰ぎ見れば如何なる悪業と雖も悉く赦さるゝのである、茲に至つて業は最早や其圧力を我等の上に加ふる事が出来ない、茲に至つて最早や悲観的ならんと欲するも能はない、否な単に業の圧制より脱出し得るのみならずキリストを信ずる者には凡ての事働きて益を為すのである、罪其者までが恩恵の誘導者となるのである、基督教の中心思想は此の罪の赦にある、此の絶大なる恩恵にある、之をかの業の説と対比して其差正に幾許ぞ、業と恩恵と、其間に天地の差違がある、而して仏教と基督教との根本的区別は茲にあるのである。
 次に儒教と基督教との差違は如何、之を説明するに最も好きものは近頃米国に於て起りし一場の物語である、事は日本の実業家男爵某と米国の実業家ジ∃ン・ワナメーカーとの間に有つた事である、先般米国を訪うて其教育制度を視察したる右の男爵某一日|費府《ヒラデルヒア》に老実業家ワナメーカーの客となつた、ワナメーカーは齢既に八十前(227)後米国屈指の富豪にして有名なる実業家たり、諸種の事業に関係し又公共心に篤く嘗ては逓信大臣として通信事業に大改良を加へた事もあつた、加之彼は熱心なる基督者である、而して特に日曜学校の経営に興味を有し自ら費府にベタニア日曜学校を管理して自己の業務に関係ある人々及び其子弟を教養して居る、客たる日本の男爵は或る日曜日の朝招かれて其日曜学校を参観し而して礼儀上一言の挨拶を求められた、かゝる場合には勿論主人に対する同情を披瀝するのが自然の礼儀である、男爵は通訳を介して言うた「余は儒教の信者である、而して孔子の教はキリストの教と異らない、故に余は敢て基督者となるの必要を見ないのである」と、此一言主翁に取ては大問題であつた、彼は素より外来の賓客の感情を傷ふ事を好まない、然し乍ら救主イエスキリストを孔子と等しうせらるゝは彼の堪へ得る処ではない、況んや場所は日曜学校であつて数十年来自己の教へ来れる多数の雇人又は学生の前である、彼は黙するに忍びなかつた、彼は即ち立つて即刻心に湧きし処を述べた、曰く
  余は男爵に同情す、余は孔子の教訓に貴きものある事を承認する、然しながら茲に此根本的相違がある、孔子は死して葬られ今や墓の中に横たはりてキリストの「起きよ」と呼び給ふを待ちつゝあるのである、キリストの墓は空虚である、彼は甦り給うた、彼は今生きて居給ふ、今此部屋に我等と共に在り給ふのである
と、而して其ポケツトより小なる一巻の新約聖書を取り出して語を続けた「茲に彼の言葉がある、我等は毎日之を読んで霊の糧を獲て居るのである」と、其後男爵将に米国を去つて日本に帰らんとするに当り友人等紐育に於て送別の会を催うした、席上或人彼に尋ぬるに在米中最も感動したるものは何なるかを以てした、男爵答へて曰く「ヒラデルヒアのベタニア日曜学校に客たりし時ワナメーカー老翁がキリストを慕ふの熱心の余り熱涙其双頬を流れ下るを見た、之れ余の感動措く能はざりしものである」と。偉なる哉ワナメーカー、彼は他人の言ふ能(228)はざるの言を以て世界の基督者の最も深き心を代言して呉れたのである、彼は基督教と儒教との差別を語らんとして道徳教訓を云為しなかつた、彼は唯生ける救主を指摘して死せる孔子と対比した、而して是れ実に基督教の真髄である生命である、キリストの墓は果して空虚であつたのである、彼は今現に茲に我等と共に在り給ふのである、我等は基督者となりて決して死せる人の遺訓を守るのではない、現在せる救主を仰ぎ彼に導かるゝのである、之を実現《リアライズ》する事が出来た時に始めて真の信者となるのである、ワナメーカーの一言は唯に我等の為のみならず米国に於ける幾千万の信者の為に深く之を喜ばざるを得ない、基督教と凡の宗教凡の哲学との根本的相違は実に茲に存するのである。(巻首の英文並に和文参照)
 
(229)     戦争の結果
                         大正6年4月10日
                         『聖書之研究』201号
                         署名なし
 
 独逸に於ける心理学の権威バウマンは曰ふた「戦争は人をニイチエより新約聖書に駆逐れり」と、即ち此大戦争に由りて彼の国人はニイチエの著書を読むを廃めて再び旧き聖書を読むに至れりとの事である、ニイチエ如何に偉大なりと雖も此際に人心を支持するに足りない、人は斯かる時に際して鹿の渓水を喘ぎ慕ふが如くに活ける神を慕ふのである、此大戦争の一大原因として認めらるゝニイチエの思想が此戦争に由て信用を矢ふに至りしとは奇異なる現象である、而して戦争のみに限らない、人生の峻厳なる事実が同一の結果を持来すのである、西洋の諺に曰ふ「人は莫迦として生くる事が出来る、然れども莫迦として死ぬる事は出来ない」と、神もキリストも聖書も要ぬと云ひて此莫迦の社会に生くる事が出来る、然れども之なくして独り神の前に立つ事は出来ない、人はやはり神の子である、死が恐ろしき形状《かたち》を以て彼に臨む時に人の哲学を棄て神の聖書に走る、憐むべくして愛すべきはやはり人である。
 
(230)     A GREAT CONFUCIANIST.大儒伊藤仁斎
                         大正6年5月10日
                         『聖書之研究』202号
                         署名なし
 
     A GREAT CONFUTCIANIST.
 
 JINSAI ITO was a Japanese Confucianist of two hundred years ago. He lived in Kyoto,and never moved from his place,but students flocked to him from all parts of Japan at that time of difficult travelling.He called no man his master;rejected all offers of rich daimyos to be made their tutor,so was poor all through his life. Withal he was genial,mlngled with the common people;and himself a layman and commoner,was at the same time the nation's teacher. Great Jinsai! I would rather imitate him than hundreds and thousands of modern Christian teachers who are constantly moving to make converts of heathens,and that by the expense of churches and societies patronized by worthless millionaires!
 
     大儒伊藤仁斎
 
 伊藤仁斎は余の会心の儒者である、彼は今より二百年前の人、京都堀川に住し、自から出ることなくして天下(231)の学徒を自己の膝下に引附けた、曰く「国として門人あらざるなく、たゞ飛騨佐渡壱岐の人来学せざるのみ」と、仁斎は又独立の人であつた、官に仕へず、諸侯の招聘に応ぜず、故をもて年五十八の頃まで家道甚だ薄かりしと云ふ、彼は又自身が商家の子なりしが如く終生平民の友であつた、
   代々を経て眺めし人の数にまた
     我をもゆるせ秋の夜の月
 此歌を詠ぜし彼は学位尊称に身を飾りて喜ぶが如き人ではなかつた、而かも彼は国民の大教師であつた、彼れ以後の儒者にして直接間接に彼の感化を蒙らざる者は無つた、日本国が彼に負ふ所は多大である、偉大なる哉仁斎、余は彼に学んで、卑き富豪の庇保の下に存立する教会伝道会社の補助を受けて信徒の製造に奔走する現代多数の基督教の教師等に傚はざらんと欲す。
 
(232)     〔隧道を過ぎて 他〕
                         大正6年5月10日
                         『聖書之研究』202号
                         署名なし
 
    隧道を過ぎて
 
 久振りにて甲信の地に遊び笹子小仏等の大|隧道《トンネル》を通過して死に就て思ふ所があつた、即ち死は汽車に乗じて隧道を過ぎるが如きものであらう、真暗の中を過ぎること暫時にして再び光明の天地に出ることであらう、而かもより狭き天地よりより広き天地に出ることであらう、若し甲州の窪地が現世であるならば関東の平野が来世であらう、而して峡中を去て広原に入るに其間に死の隧道があるのであらう、然り死は暫時の暗黒である、入る乎と思へば直に出るのである、峡中に峡中の快楽なきに非ず、然れども広原の爽快は之を山間に求むべからず、我れ暫時の暗黒を忍びて死の隧道を過ぎて彼地に至れば宏大荘美なる天地のあるありて其中に安住する数多の聖友の我を迎ふる者があるのである、死は生命の行詰ではない、新らしきより大なる生命に通ずる隧道である、故に恐るべき者ではない、歓ぶべき者である、之を通過して彼方の光明に出し時の愉快は如何計りであらう、此事を思ふて我心は躍立のである。
 
(233)    文字の排斥
 
 今や宗教と云へば哲学と云ふが如く思想である、而して思想は文字である、文字は書籍である、故に修養は主に書を読むことである、伝道は主に書を作ることである、真理は主に書を以て伝へらると思はるゝからである、然し乍ら宗教は思想ではない、霊的生命である、故に文字を以て伝へらるゝ者ではない、信仰であり希望であり愛である宗教は霊的努力を以て伝へらるゝ者である、「人若し彼(神)の聖意に従はんと欲せば此教の神より出づるか又我れ己に由りて言ふなる乎を知るべし」とあるが如しである(約翰伝七章十一節)考へて会得《わか》るのではない、行つて見て判明るのである、人を離れ、世を棄て、身を忘れて見て神が判明るのである、然るに今時《いま》の人の如く世を棄て得ず教会を離れ得ずして万巻の書を読むとも基督教のABCすら会得らないのである。
 
    基督伝の探究
 
 善き基督伝を示せと言ふ、然り基督伝は無数である、ルナンの基督伝あり、ストラウスの基督伝あり、カイムの基督伝あり、ファラーの基督伝あり、其他数へ来れば日も亦足りないのである、各々其長所と短所とがある、伝記として最も完全に近きはカイムのそれであらう、近世に於ける最大の基督伝は独逸に於てに非ず、英国に於てに非ず、勿論米国に於てに非ず小なる山間の瑞西に於て成つたのである、カイムの見たるキリストは最大の人である、歴史家の立場より見てナザレのイエス以上の人物を此世に於て見る事は出来ないのである、カイムは大歴史家であり、又哲学者である、而して其筆を献げてイエスを最大人物として画いたのである、歴史的大著作(234)として多分当分の間カイムの基督伝以上の者は世に出ないであらう。
 然し乍らカイムを読みたらばとてキリストは解らない、然り、カイムを読んでキリストが却て解らなくなるのである、而して同じ事がルナンに就てもストラウスに就ても言ふことが出来る、余輩は近世の基督伝にして余輩をして満足せしめ得る者に未だ見当らないのである。
 最も書き基督伝を示せと言ふ、然り四つある、其第一は馬太伝である、第二は馬可伝である、第三は路加伝である、第四は約翰伝である、最も簡潔にして最も完全、其中にイエスキリストの人格と神性とが躍如して居る、四伝は其主人公を四方面より見たる者、人がキリストに就て知り得る限りは是等の四著に由て言ひ尽さる、汝実にキリストに就て知らんと欲する乎、是等の四著を読むべし、繰返して何回も読むべし、幾年も継続して読むべし、而して其内に不可解の所あらば汝の生涯の実験が汝に其善き註解を供するまで待つべし、ルナンの伝ふるキリストは偽のキリストである、カイム、ファラー又頼るに足らず、唯四福音書のみ真のキリストを伝ふ、我等は之等以外に基督伝を求むるの必要を見ない。
 
    米国の参戦 平和主義者の大失望
 
 米国も亦戦争に参加し、其ジョルダン博士までが平素の非戦論を擲ちて挙国一致の群に加はり戦争を賛くるに至りしと云ふ、茲に至りて全世界は真暗黒と化したのである、「是は戦争に対する戦争である」と云ふ、数百年の間基督教を学び来りし欧米人等は戦争に由て戦争を絶滅し得ると信ずるのである、独逸人も亦曾て斯く信じたのである、而して斯く永久的平和を獲んがために軍備を完成して終に今回の戦争を惹起したのである、「剣を取る(235)者は剣にて亡ぷべし」とのイエスの言は永久の真理である、独逸は剣を取て立つたのである、故に今や剣にて亡びつゝあるのである、其他の諸国も亦同じである、戦争を以て戦争を絶たんとして戦争は絶たれずして更らに新たなる而して大なる戦争が起るのである、余輩預言者ならずと雖も、世界平和を標榜する此戦争の後に更らに此れ以上の大戦争の起るべきことを預言して憚らないのである。
 真の平和は如何にして世に臨みし乎、罪を知らざりし神の子が罪の故に人類を罰することなく、却て自ら其罪を負ひて十字架に上りし時に人類の罪は根本より絶たれたのである、其如く若し茲に基督的国家がありて戦争の罪悪を人類の間より絶たんと欲するならば神の子キリストが取り給ひし途を取るより外に方法は無いのである、即ち自らは戦争に関はらずして交戦国の蒙りし損害を担ひ、彼等に代つて苦しみ且つ失ひ且つ償ふべきである、斯くてこそ初めて預言者の預言せる救世国の聖職を果たすことが出来るのであつて、其の栄光此上なしである(以賽亜書第五十三章参照)、而して今の時に方りて此聖職に当り得る国は北米合衆国を除いて他に無いのである、若し米国にして其参戦に由りて消費すべき数百億弗の金を投じて交戦国相互の損害賠償の任に当り、自らは何の要求する所なくして此世界的戦争を買取りしならば(此事を称して贖罪と云ふ)交戦国は其罪に耻ぢて剣を折り砲を鎔かして再び戦争《たゝかひ》を習はざるに至るであらう、然るに事茲に出ずして自ら冤仇《うらみ》を懐いて戦争の禍中に投じて米国は地球の表面より戦争を絶滅するの好機会を逸したのである、余輩此事を思ふて米国のために痛惜の感に堪へないのである。
 或ひは言ふであらう、斯かる事を今日の米国に要求するは小児に力業を要求するが如きであると、或ひは爾うである乎も知らない、然れども若し米国にして此大任に当り得ずんば他に之に当り得るの国家は無いのである、(236)残念ながら日本国は此任に当り得ない、其他西班牙、和蘭、瑞西等其任に堪へ得ないのは言ふまでも無い、惟り米国のみは此人類的大任を果たし得るの地位に在り、又其能力を有つたのである、然るに今や既に此聖職を放棄したのである、歎じても猶ほ余りありである。
 想ひ見る今より数百千年の後、キリストの福音が今よりも更らに深く広く米国人の中に信ぜられ、其上院と下院とが米国人の権利を議する所に非ずして人類の幸福を論ずる所となり、其大統領は政治家又は経済学者であるよりは寧ろ信仰の人神の人であるに至り、米国人が挙りて其祖先の神を崇め其聖意を行ふを以て存在の目的となすに至らん時、若し今日の如き戦禍の再び人類を見舞ふことあらん乎、北米合衆国は人類の罪を自国の罪と認め、自から悔ひ自ら責めて其神より賜はりし無限の富を献げて世界戦争の損害を償ひ茲に戦争を根本的に絶滅して其祖先の神の栄光を揚ぐるであらう、清教徒の神、ウイリヤム・ペンの神は忍耐強くあり給ふ、彼は更に数百千年待ち給ふであらう、而して縦し米国人は終に彼の命に服はずと雖も、終に再び其聖子を遣《おく》り給ひて戦争を絶ち平和を来し給ふ、而して誰か知らん彼れ再び現はれ給ふ時には彼れ御自身が白堊館を占領し給ひて万国を号令し給はざるなきを、米国今回の参戦は平和主義者に取り大なる失望である、そは米国の取りたる此歩武に由り地上に於ける戦争の寿命が更らに長められたからである。
 
(237)     義なるキリスト
                         大正6年5月10日
                         『聖書之研究』202号
                         署名 内村鑑三
 
  四月廿二日諏訪湖畔に於ける本誌読者の会合に於て述べし所
 
  其日ユダは救を得、イスラエルは安《やすき》に居らん 其名は「ヱホバ我等の義」と称へらるべし(耶利米亜記廿三章六節)。
  汝等は神に由りてキリストイエスに在り、イエスは神に立られて汝等の智慧また義また聖また贖となり給へり(哥林多前書一章卅節)。
〇キリストは単に我等を義とする者に非ず、我等の義である、而して我等の義であるが故に我等を義とする者である、我等はキリストに義とせられて神の前に立つのではない、キリストを我等の義として神の審判に堪へ得るのである、世に義人あるなし一人もあるなし、昔し然り今猶然りである、而して義人ならずして神の前に立つことは出来ない、故に人と云ふ人にして一人も神の前に立ち得る者はないのである、然るに茲に一人の義者があつたのである、即ち義なるイエスキリストである(約翰一書二章一節) 彼れのみは聖父の完全きが如き完全き人であつて聖父の喜び給ふ者、其聖意に適ふ者であつた、彼は神の子であつて又真の人であつた、彼に在りて義は完全(238)に行はれたのである。
〇我等は不義の子である、神の子と称へらるゝに足らぬ者である、然るに神は我等を憐み給ふ 其窮りなき憐愍に因り其独子を降し給ひ彼をして完全き人たるの生涯を送らしめ義を完全に行はしめ給ひ、而して彼を人類の代表者として受け給ひ、彼に在りて人類を赦し、之を義とし聖め且つ贖ひ給ふた、神は今やキリストに在りて人類を視給ふのである、神の眼中に今や罪に死たる人類あるなく、唯義に生きたる人の子即ち人類の代表者なるキリストイエスあるのみである、茲に於てか人は自己の罪に死たることゝキリストの自己に代りて義を完行うし給ひしことを自覚し且つ自白すれば其時直に救はるゝのである、我等は既に贖はれし世に於て在るのであれば贖はれしことを自白する時に直に贖はるゝのである、我等は今より奮闘努力して義を完行し神の前に立つの資格を作るの必要はないのである、縦し又斯る資格を作らんと欲するも到底作り得ないのである、我等は信仰に由り今直にイエスの義を我等の義となすことが出来るのである、我等イエスを信じて神はイエスに在りて我等を視たまひ、彼の義を我等の義として認め給ふのである、恩恵の極とは此事である、我等不義の子であるにも関はらずキリストイエスを信ずるの故を以て、彼の義を我義とする事が出来て神が義なるイエスを扱ひ給ふ其扱ひを自分に受くることが出来るのである、「イエスは神に立られて汝等の義となり給へり」と云ふ、イエスが信者の義である、我等の志操、品性、善行、皆以て神が我等より要求し給ふ義に合ふこと能はず、我等は我等の罪の故に附され我等が義とせられしが故に甦らされたるイエスを以て我等の義となして恐懼《おそれ》なくして聖父の台前に立つことが出来るのである。
〇イエスは我等の義である、我等は自分で織出《をりいだ》せし義の衣を着けて王の婚筵の席に出るのではない、イエスを我(239)が義の衣として着て王の請《まねき》に応ずるのである(馬太伝廿二章)、是れこそは潔くして光ある細布《ほそきぬの》の衣であつて「此細布は聖徒の義なり」とある其義の衣である(黙示録十九章八節)、之を除いて他に王の客たるに堪ふるの礼服は無いのである、善者も之を着て王の前に出るを得、悪者も亦之を被りて聖筵に与ることが出来るのである(馬太伝廿二章八−十二節) 信者はイエスに在りて神に到り神はイエスに在りて信者を接け給ふのである、神は人より完全の義を要求し給ふて之をイエスに於て得たまうたのである、而して人はイエスに在りて神の此要求に応ずることが出来るのである、斯くして神はイエスを信ずる者を義として(義人として扱ひ給ひて)尚自から義たり給ふのである(羅馬書三章廿六節)、是れ新約聖書の明かに示す所の教義である、人は其品性に由り、人格に由り、善行に由りて神の前に義とせらるべしとは今人の唱ふる所であつて聖書の教ふる所ではない。
〇イエスは信者の義である、然るに現時の基督信者は之に対して言ふのである、若し然らば人は神の恩恵に慣れて安じて罪を犯すに至るべし、故に恩恵は恩恵として存し其他に人の側に於る奮闘努力を主張せざるべからずと、寔に信と行とを折衷せる慧き言のやうに聞える、然れども是れ神の義の何たるかを知らざるの言である、而して又如斯くにして信も行も挙らないのである、信は単純なるを要す、行を混じたる信は不純なるが故に微力である、而して信を混じたる行は信なき行と変じ易くなる、而して信を離れて行は無効に帰するのである、信は単純にして能力あるのである、我が義を離れ神の子イエスの義を我が義と信じて我が信は興り行も亦挙るのである、是れパウロ以来アウガスチンを経てルーテルに至り、又彼等に由りてすべて信仰に由りてイエスの義を己が義として受けし者の実験せし所である、信と行とを併せ説いて信は冷へ行は衰ふ、行を離れたる信を説いて信は興り行も亦之に伴ふ、是れ人類の信仰史の斉しく証明する所である、欧洲に於てはルーテルとカルビン、我国に於て(240)は法然と親鸞、彼等は斉しく行を離れたる信を説いて死せる宗教を復活せしめて新光明を霊界深き所に放つたのである。
〇我等の義は我等の救はるゝに関係なしと云ふならば我等は義を行はないであらうか、然らず、我等は実に救はれんが為に義を行はんとしない、我等をして救拯を獲さしむるものはイエスの義である、我等の義は我等を神の前に義とするに足りない、然れども既に神の子に由りて神の前に義とせられて我は今や心を安んじて人の前に自己を義とするの行為に出ることが出来るのである、即ちイエスに由りて神に対する我が大負債を償還し得て、人に対する我が小負債を容易く還し得るに至るのである、此世の所謂道徳はすべて人に対する道徳である、我が隣人に対して我が負ふ所之を称して道徳又は義務と云ふのである、然るに不信者の場合に於ては神に対するの負債の重きが故に人に対する負債を償ふの余裕がないのである、常に良心に責められながら人を愛し其要求に応ずることが出来ないのである、然るに神に招かれて彼が其聖子に在りて行ひ給ひし罪の贖ひ即ち負債の償還の恩恵に与るを得て我が負債は著るしく軽減せられ、其結果として我は容易く人に対する義務責任を果し得るに至るのである、基督者が行を離れたる信を高唱するに関はらず、此世の善行に於て常に不信者に勝る所あるは全く是れがためである、人は何人も彼が自覚すると否とに関はらず神に対して大なる債務を負ふ者である、之を果たさずして彼は重荷を担ふ者である、故に必然的に陰欝であり、厭世的であり、快々として人生を楽しみ得ないのである、然れども一朝神が其子を以て人類の神に対する負債を悉く拭ひ給ひしを覚り、自分も信じて其恩恵に与るを得て、彼の担ひし重荷の大部分は取除かれ、残る少部分は容易く之を担ひ得るに至るのである、信興りて行亦挙るの説明は此辺に有るのであると思ふ。
(241)〇然し事は茲に止まらないのである、神に対する負債償却と同時に大なる特権と栄光とが我等に加へらるゝのである、呪詛《のろひ》の我等を離るゝと同時に恩恵は我等に臨むのである、イエスの義を我が義となして彼の栄も亦我が栄となるのである、イエスに臨みし復活と昇天と永生との栄光が我にも亦臨むのである、栄光はすべて義の附随物である、イエスの義がありて彼に臨みし栄光があつたのである、人は生れながらにして復活し得る者ではない、義の結果として、或ひは其報賞として、復活するのである、イエスが復活し給ひしは彼が義を完行うし給ふたからである、而して我等は信仰によりてイエスの完全なる義を我が義となすを得てイエスに臨みし復活永生の栄光が亦我にも臨むのである、嗚呼大なるかな神の愛、罪人なる我にも亦復活永生の恩恵が臨むと云ふ、而して其臨むに明白なる理由があるのである、完全なる義の結果として臨むのである、而かも罪人の場合に於ては之に与るの資格が無いのである、故に神は其独子を遣り彼をして罪人に代りて(彼等を代表して)義を完全に行はしめ彼等をして信仰に由りて其義を己が義となして彼の義に伴ふ栄光に与からしめ給ふと云ふ、此事を覚りて我等はパウロと共に叫ばざるを得ないのである、
  或ひは死或ひは生、或ひは今在る者或ひは後在らん者、或ひは高き或ひは深き、また他の被造物は我等を我主イエスキリストに由れる神の愛より絶《はなら》すること能はざる也
と(羅馬書八章三八、三九節)。
〇此大感謝と大歓喜とがありて我等は善事に活動せざらんと欲するも得ない、曾てクロムウエルが言ふたことがある「我れ既に神より大金の前払《さきばらひ》を受けたれば大に彼のために尽さゞるべからず」と、而して此感恩の念に励まされて英民族の自由は起つたのである、感恩の念に励されずして大事は挙らない、単に理想を逐ふてゞはない、(242)又義務に逐はれてゞはない、感謝の念に励されて基督教国に於けるすべての大事は為されたのである、大なる絵画、大なる音楽、大なる建築、大なる慈善、其他永久的に人類を益し且慰むる大なる事業ばすべてキリストに由て罪の縲※[糸+曳]を解かれ、衷に自由なる者と成りて歓喜と感謝とに溢るゝの結果、自から善行と成りて外に現はれたる者である、神は人より功績を求め給はず、人に恩恵を施して人に由りて功績を挙げ給ふ。
〇イエスは我等の義である、信者の義の宝はイエスと偕に神の中に蔵れて在る、恰かも大銀行に大金の彼の名義を以て預けて在るが如しである、而して「有《もて》る者は予へられてなほ余あり、有たぬ者はその有る物をも奪はるゝ也」であつて、既にキリストに在りて神の前に完全なる義を有る信者は義の追求に焦燥らざるが故に却て多くの義を為し、正義正義と叫びて義の追求に日も亦足らざる此世の道徳家教会信者等は常に義に渇するが故に却て義を行ひ得ないのである、我れ以外、我が救主に於て我義を有て、我は義に於て富める者となりて、更に其上に善行の義を加ふる事が出来る、即ち我信仰に由て得し大義の上に更に我行為に由て得し小義を加ふることが出来る、此世の所謂正義、人道、道徳是れ皆神の眼の前には小義である、我等は神の大義なるキリストイエスを我有となして容易く是等の小義を行ふことが出来る。
〇キリストは我等の智慧であり義であり聖であり贖であると云ふ、「智慧」とは今日の言辞を以て言へば哲学である、而して哲学は字宙と人生との解釈である、而してキリストは信者の哲学即ち宇宙人生の解釈である、即ち哥羅西書一章十五節以下十八節までに於て有るが如しである、我等基督者にも亦哲学がある、我等の信仰は哲学を避くる者ではない、縦し哲学の上に立つ者に非ずとするも少くとも哲学と併立する者である、而かも其《そ》はカント哲学、オイケン哲学、ベルグソン哲学と称するが如き者ではない、キリスト哲学である、万物彼(キリスト)に(243)由りて存つ(成立する)ことを得る也と唱ふる者である(哥羅西書一章十七)
〇キリストは我等の義であり聖であり贖である、我道徳であり宗教であり救拯である、キリストに在りて神に対して我が為すべきことはすべて為されたのである、我は我が不義の此儘、キリストを信じて神の義者として彼の前に立つことが出来るのである、我は我が汚穢の此儘、キリストを信じて神の聖者として彼の前に立つことが出来るのである、我は未だ救はれたる者に非ずと雖も、キリストを信じて既に救はれたる者として神に取扱はるゝのである、完全なる救拯は神より出て信仰に由りて我有となるのである、是れユダヤ人には礙づく者ギリシヤ人には愚なる者である、然れども召されたる者には最大の真理、最高の哲学である、真正の基督教は是である、人の義を混へざる神の義を説くが故に人が義を怠らんことを恐れて、救拯の条件として信仰と共に行為の必要を説く者の如きは神の道を淆乱す者である、今時の教会の基督教が微温くして徹底せざるは其信仰が単純ならずして複雑なるが故である、神の義をキリストに於てのみ求めずして、之を補ふに人の義を以てせんとするが故である。
 
(244)     エマオの出来事
         復活の証明
                   大正6年5月10日
                   『聖書之研究』202号
                   署名 内村鑑三 述 藤井武 記
 
  路加伝第廿四章自十三節至卅六節四月八日(復活日)柏木聖書講堂に於て
 新約聖書の記事に由ればイエスが復活体を以て弟子等に現はれ給ひし事前後十二回であつた、其中三回は四福音書の記事に関係なきものである、即ちダマスコへの途上に於けるパウロと、石にて撃たれし時のステパノと、パトモス島に於ける使徒ヨハネとの実験が其れである、其他の九回は悉く四福音書の記す処に係るのである、即ち最初にマグダラのマリア等の婦達に現はれ、次にシモンペテロ、次にエマオに至る途すがら二人の弟子に、次に弟子等の集まれる処に現はれ給うた、之れ皆一週の初の一日に於ける出来事であつた、次に又一週日の後曩に偶々不在なりし為め主の出現を疑ひたるトマスに現はれ、次に程経てガリラヤに下り湖畔に於てペテロ等に、又山上に於て十一の弟子等に、次に兄弟ヤコブに現はれ(哥林多前書十五章七節)最後に彼等を導きてベタニヤに至り手を挙げて祝すると共に彼等を離れて昇天し給うた、以上は四福音書の記事を綜合しての順序である、而して其孰もが独特の意義と価値とを有する貴き事実である、就中其光景を最も明瞭に描写したる者が路如伝第(245)廿四章に於けるエマオの出来事の記事である。復活果して信じ得べき乎、之れ昔よりの古き問題である、而して終に之を信ずる能はざる者が多いのである、カイムの基督伝の如きも此一事のみは之を信ずる能はずと称して居る、殊に近世教育を受けたる者にして復活を聖書の記事通りに信ずる者は甚だ稀である。
 然し乍ら先にも一言せし如く我等は先づ路加伝の記事の歴史的価値に注意しなければならない、自ら医師にして科学者たるルカが「我も初より凡ての事を詳細に考究《おしたづね》たれば次第を為して汝に書き送り汝が教へられし処の確実を暁らせんと欲へり」と緒言して筆を執つたのである、此序文の直下に来りしイエスの奇跡的出生の記事は之を荒唐無稽の語として斥くべきではない復活の記事に就ても亦同様である、同じ序文を亦此処に附して読むべきである。
 然し乍ら更に有力なる証明者は実に記事其ものである、他の記事はいざ知らず、エマオの出来事の記事に至ては之を前後より截断し又は復活に関する凡ての疑問の前に曝すも其叙述の余りに事実らしきを如何ともする事が出来ない、時はイエスの十字架に釘られしょり三日目である、弟子二人エルサレムより三里余なるエマオ村を指して歩みつゝあるのである、彼等の話題は自然此一事に集中せざるを得なかつた、然るに途中より一人の旅人の自ら近づきて一行に加はるあり 彼が「汝等歩みつゝ互に哀み語り合ふ事は何ぞや」と問ひしに対し其一人のクレオパといふ者却て之を怪み反問して曰うた「汝はエルサレムの旅人にして独り此頃有りし事を知らざる乎」と、而して語を続けてイエスの人格と其死と其墓の空虚なりし事とを説明した、思ふに之等はヱルサレムに於ける当時の輿論であつたのであらう、然るに旅人は曰うた「心の鈍き愚かなる者よ、汝等預言者の凡て言ひたる事を信ずる能はざる乎、キリストは之等の難を受けて其栄光に入るべき必要あるに非ずや」と、而して彼は旧約聖(246)書に就て註解を加へキリストの死と復活との必然なる所以を論じた(如何に偉大なる註解であつたらう)、やがて目指す村に到着したるに旅人は往き過ぎんとする様子なれば彼等勧めて家に宿らしめた、然るに彼れ却て自ら主
人の席に就き感謝してパンを擘《さ》き彼等に与へた、此時二人の眼卒然として開け其の主である事を識つた、然し又忽ち其目に見えなくなつた、「彼等互に曰ひけるは途間《みち》にて我等と語り且聖書を解き開ける時我等が心|熱《も》えしに非ずや」と。
 見よ其記事の溌剌として生気躍動せるを、寸毫も粉飾の痕を止めず、徹頭徹尾真率にして自然である、実験に由るに非ずしてかゝる活文字を綴る能はざるは著述を事とする者の何人も熟知する処である、記事の内容の真偽は先づ記事其ものに由て之を批判する事が出来る、かの経外聖書中にも主の復活の記事を掲ぐと雖も其の全く架空の想像に過ぎざる事は一見して明瞭である、事実の根拠なくして光景を描かんとす、漠然として暗中模索に終るに非ずんば徒らに奇矯に失し到底実感を誘ふに足りない、之に反し苟も鏗爾たる実験に就て語らん乎、無知無識の徒と雖も其言説自ら活溌々地の趣を備へ聞く者をして感動せしめずんば已まない、エマオに於る復活のキリストの出現に関するルカの筆の如きは聖書中に於ても最も生々たる描写の一である、或る希臘人嘗て余に語つて曰く「哥林多前書第十五章の復活論は之を原語に於て読む時は其の読者に訴《アツピール》ふる異常なる力のみを以てして其の真理たるを証明するに足る」と、路加伝第二十四章十三節−卅二節も亦同様である、かゝる記事は何等註解を俟つを要しない、一読以て其力を感知する事が出来る、故に人或は説を為して曰ふ「二人の弟子中記者の其名を明記せざる一人は実にルカ彼自身であらう」と、此推定の当否を知らずと雖も記事其ものに真実を証明するの力あるは疑ふ事が出来ない。
(247) 而して復活は実に基督者を活かしむるの原動力である、基督者の信仰を今日迄維持せしめたるもの殊に其生気を失はざらしめたるものはキリスト復活の事実であつた、キリスト若し復活し給はず従て現在し給はざるに於ては信者は如何にして其信仰を維持し得べき乎、キリスト若し死したる過去の教師に過ぎざるならば信者は何処より其生命の供給を受くべき乎、キリストの復活を認めずして信仰の冷却は之を防ぐ事が出来ない、之に反してキリスト今生きて現に此処に在り給ふと信じて初めて信仰は燃ゆるのである、「我は世の終まで常に汝等と共に在るなり」と告げ給ふ活ける教主に仕へて初めて力ある生活を営み得るのである、或る人の我が前に在すあるを認め「噫我主イエスキリストよ」と呼びて彼に縋る時に人の心は熱せざるを得ない、彼の為に責任を負はざるべからずと感ずる時に人は最も厳粛とならざるを得ない、試に是の如き信仰を有する人の眼の輝き若くは其の手の握り方に注意せよ、其特殊の光と力とは彼が決して死者に仕ふる者に非ざる事を証明するであらう。
 独逸に於ける心理学の権威バウマン氏は近頃最も興味ある観察を公にした、曰く「今回の大戦は独逸人を駆りてニイチエより新約聖書に逐ひやれり」と、蓋し平常無事の日に在りては人は専ら知識のみに訴へて自己が真個の要求の何たる乎を解せずと雖も一朝戦争の如き局に当らん乎、眠れる良心も感情も遽然として活躍し来り至深の要求を自覚するのである、其時最早やニイチエは彼の満足に値しない、其時唯一の新約聖書が彼の全心に訴ふるに至るのである、其時こそ彼が復活を味解し得るの時である、イエスは我が為に甦り給ひ彼に由て我も我が愛する者も亦甦るのであると信じて口いふ能はざる無限の慰藉を感ずるのである。
 近世哲学に注意すべき一特徴がある、従来真理探究の方法は全く物質的知識的であつた、目にて見耳にて聞き手を以て触れ顕微鏡を以て覗き而して後に頭脳に入りたるものを以て真理であると為した、従て学問と信仰とは(248)常に敵対し其和合は非常なる難事であつた、然るに近来に至り学者の態度は一変した、ダーヰン、スペンサー、ハクスレー等不信の学者は去りて基督教の味方たるオイケン、ベルグソン等が之に代つた、ベルグソンの説く処は何ぞ、彼は人間の頭脳が真理を解するの職能を有せざる事を断言するのである、頭脳は以て死物を組立て或る特殊の作用を為すを得べきも以て真理を解する能はず、真理獲得の為に必要なるものは人の生来自然に具有する intuition(感能)である、かの婦人の心中に発達せる鋭敏なる直覚性が男子の知識よりも貴き力であると、之れベルグソンの主旨である、オイケンの説く処は何ぞ、彼も亦頭脳を以て真理を解すべからざる事を主張するのである、彼は曰ふ「真理は実行を以て之を獲得すべきのみ」と、是の如くにして近世哲学の二大権威は均しく頭脳の重んずるに足らざるを明かにし、或は微妙なる感能に由り或は献身的なる実行に由りて初めて真理を獲得すべしと論ずる、是の如くにして今や哲学も亦新約聖書の弁護者である、復活の真理の如きは勿論頭脳以上知識以上のものを以てせずんば解する事が出来ない、哲学は古来幾変遷を経て近時漸く其事を覚りつゝあるのである、思ふに哲学は将来尚幾変遷を重ぬるであらう、然し乍ら神の言は変らない、新約聖書の旧き真理は人類の長き実験に由て益々其確実を増し往くのみである。
 然り之を実験よりすれば復活こそは実に我が救の中心である我望を繋ぐ力である、嘗て或人の言ひしが如く人生は至る処厚き鉄の塀を以て囲まる、唯一路遥に高く清く自由なる別界に通ずるの途がある、何ぞや、曰くキリストの復活である、若し其門を閉ぢん乎、我等は又旧の狭き牢獄に帰るの外ないのであると、キリストの復活は我等が唯一の望の綱である。
 
(249)     復活と赦罪
                         大正6年5月10日
                         『聖書之研究』202号
                         署名なし
 
 若しキリスト甦らざりしならば汝等の信仰は徒然《むなしく》汝等は尚罪に居らんとある(コリント前十五章十七)即ちキリストの復活は神が人類の罪を赦し給ひし証拠である、死は罪の結果として人類に臨んだのであつて罪が除かれて同時に死が除かれたのである、故に復活を赦罪より離して考へてはならない、罪の恐ろしきは死に於て現はれ、義の貴きは生に於て現はる、而してキリストは完全に義を行ひ給ひて罪を滅すと同時に死を除き給ふたのである、斯くて此号掲ぐる所の「義なるキリスト」と「復活の証明」との二問題の間に密接なる関係のある事が解る、復活は完全なる義の結果と見てのみ合理的に解する事が出来る。
 又曰ふ「イエスは我等が罪の為に附され又我等が義とせられしが為に甦らされたり」と(羅馬書四章廿五節) イエスの復活は我等の罪が赦され我等が既に彼に由て義とせられし結果であると云ふのである人類の罪が赦されし結果として其代表者なるイエスが甦らされたのである。
 
(250)     彼等と我等
                         大正6年5月10日
                         『聖書之研究』202号
                         署名なし
 
 彼等は愛国心なきを以て我等を貴む、然れども彼等は自分の利益のためには常に国家を利用し、時には国家を欺きもする、博士ジョンソン曰く「愛国は悪人の最後の隠場所なり」と、又哲学者スペンサーは曰く「利己心を拡大せし者之を愛国心と云ふ」と、
〇彼等は我等より正直を要求する、而して我等は喜んで其要求に応ぜんとする、然るに彼等は我等が彼等に対してのみ正直にして彼等の相手に対しては正直ならざらん事を欲す、主人に対しては正直なれ然れど顧客に対しては正直なる勿れと云ふ、斯くて彼等の称する正直なる者は其愛国心と同じく自分本位の正直であつて正直とは称すべからざる者である。
〇彼等は正義を頌揚する、其の他人に対して励行せられんことを主張する、然し其の自分に対して励行せらるゝや「過激」を絶叫して止まない、彼等は他人に対しては厳なれと云ひ、自分に対しては寛なれと云ふ。
〇国家を利用し正義を利用する彼等は神を利用し仏を利用する、彼等に取りては宗教も亦処世の一方便に過ぎない、斯くて彼等と我等とは根本を異にする、故に万事に於て衝突を免れないのである。
 
(251)     湖畔の会合に就て
                         大正6年5月10日
                         『聖書之研究』202号
                         署名なし
 
〇四月廿二日諏訪湖畔に於ける本誌読者の会合は楽しき集合《あつまり》であつた、時恰かも春は南信の天地に臨み、春の日は琥珀の光を放ちて湖面に輝き、梅と桃と桜とは同時に開きて一年に二度とはない天気であつた、裏山に登りて四方を眺むれば眼下に鵞湖の千歳の水を湛ふるあり、日本アルプスは遥に西方に連なり、甲斐の駒ケ嶽は東南に、八ケ嶽は東北に、春まだ寒く雪の肩掛《シヨール》を掛けて聳えた、此所に立ちて西行法師の慰藉の一首を誦す、快極りなしであつた、
   春を待つ諏訪の渡りもあるものを
     いつを限りに解けぬつらさぞ
〇余輩の招きに応じ湖畔に会せし者はすべて四十四名遠きは伊那より、穂高より、甲府より、又芬蘭土より遣られし宣教師の此会合を助けらるゝあり、我等は単純なる福音を語つた、イエスの義を述べた、是は基督教の大乗なりと一人の兄弟は言つた、是は余が故国に於て聞きし福音である、之を此所に日本の兄弟の口より聞いて感謝すと芬蘭土の兄弟は祈つた、我等は教会論を闘はさなかつた、イエスの霊に充たされて闘はすの気に成り得なかつた、単一なる心を以て彼の前に出て信者はすべて一体ならざるを得ない。
(252)〇此会合に於て余は二十六年前、東京本郷東竹町の会堂に於て余が知らず識らずの間に播きし種の生長して実を結びつゝあるを見た、又十七年前に角筈独立女学校に於て語りし言辞の善き行為《おこなひ》となりて多くの人を恵みつゝあるを知つた、実に天上の会合に於ても斯くあるであらうと思ふた、播くべき者は福音の種である、我等は何処で如何にして其の生長つかを知らないからである、世には政府の官吏、又は会社の役員たらんことを希《こひなげ》ふ者|許多《あまた》ありと雖もキリストの僕となりて福音の宣伝に身を委ねんと欲する者は尠い、斯る人々は官吏たり役員たるの安全を知りて、福音士たるの幸福を知らないのである、一人の霊魂を救ふを得たりとの回顧は人をして其死の床に就 時に無限の平安を覚えしむるのである。
 
(253)     CHRISTIANITY AND WAR.基督教と戦争
                         大正6年6月10日
                         『聖書之研究』203号
                         署名なし
 
     CHRISTIANITY AND WAR.
 
 Dr.T.Chalmers:“The mere existence of the prophesy,‘They shall learn War no more’,is a sentence of condemnation on War.”
 Sydney Smith:“God is forgotten in War;every prlnciple of Christianity is trampled upon.”
 John Wesley:“Shall Christians assist the Prince of Hell,who was a murderer from the beginning,by telling the world of the benefit or the need of War?”
 Adam Clarke:“War is as contrary to the spirit of Christianity as murder.”
 Robert Hall:“War is nothing less than a temporary repeal of the principles of virtue.”
 
     基督教と戦争
 
 ドクトル・チヤルマース曰く「彼等は再び戦争の事を学ばざるべしとある預言其物が戦争非認の宣告なり」と。
 シドニー・スミス曰く「神は戦争に於て忘却せらる、基督教の凡の教義は蹂躙せらる」と。
(254) ジヨン・ウェスレー曰く「基督者たる者は世の始より人を殺す者なる地獄の主を幇助て戦争の利益又は必要を唱ふべけんや」と。
 アダム・クラーク曰く「戦争は殺人罪丈けそれ丈け基督教の精神と相反す」と。
 ロバート・ホール曰く「戦争は道義の一時的廃止に外ならず」と。
 而して先哲の斯く唱へしに拘はらず戦争は基督教会に由て賛成せられ、監督は軍旗を祝福し、牧師と伝道師とは「戦争の必要」を説いて得々たり、戦争非認の事に於ては今の基督教会は遥に社会主義者に及ばず、彼等は斯く為して 「地獄の主《きみ》を幇助け」つゝあるのである。
 
(255)     〔哲学と宗教 他〕
                         大正6年6月10日
                         『聖書之研究』203号
                         署名なし
 
    哲学と宗教
 
 哲学をして宗教の代用を為さしめんと欲する人がある、然れども哲学は宗教の代用を為すことは出来ない、哲学は人生の説明である、人生其物ではない、宗教は生命其物である、生命の最も高い者である、「我は生命なり」とイエスは言ふた、是れソクラテスもプラトーもスピノーザもカントも言ひ得ざりし所である、イエスは生命を供した、哲学者は生命の説明を供した、両者の間に名と実との相違がある、哲学若し宗教の代用を為し得べくば生理学は食物の代用を為し得るのである、然れども人は食物が如何にして消化さるる乎、其説明を聞いて養はるゝのではない、食物を食して養はるゝのである、哲学に高遠なるものがある、深邃なるものがある、然れども其中に生命のパンはない、而してキリストは天より降れる生るパンである、人若し此パンを食らはば窮なく生くべしと云ふ(ヨハネ伝六章五一) 而して総て大なる哲学者は此事を認めた、哲学をして宗教の代用を為さしめんとするは小哲学者の為す所である。
 
(256)    神の有無
 
 神は有りと云ひ又神は無しと云ふ、而して有ると云ふ証拠も無ければ又無いと云ふ証拠も無いのである、神は有ると信ずる者は有ると信じて宇宙万物を解釈し、神は無しと信ずる者は無しと信じて其人生観を作るのである、世に神の存在を論理的に説服せられて信者と成りし者は一人も無いのである、信仰は論理の事ではない、意志《ウイル》の事である、信ぜざるを得ざるが故に信じ、信ずるを得ざるが故に信じないのである、理学の泰斗にして英国のケルビン卿の如く又マクスウェルの如くに熱心に神を信じたる者がある、独逸のヘツケルの如く、日本の加藤弘之氏の如く無神を唱へて得々たる者がある、若し議論の強弱を以て謂ふならば有神無神優劣なしである、然れども信仰の力は遥に懐疑のそれに優る、カーライル曰く「此世に於て為されし大事業はすべて信仰の力に由る」と、学者は教室又は書斎に在りて無神を唱ふる事が出来る、然れども平民は人生の事実に当りて神の実在を認めざるを得ないのである。
 
    最善か最悪か
 
 十字架の福音はユダヤ人には礙く者ギリシヤ人には愚かなる者、然ど召されたる者には神の大能また智慧なりと云ふ(コリント前一章二十三節) 然り「召されたる者には」である、「信ずる者には」である、信者に取りては十字架の福音に優りて善き者あるなく、不信者に取りては之に優りて悪き者はないのである、ニイチェが基督教を以て「世界中最悪物」と称したのは能く不信者の心を言ふたのである、実に信ぜざる者に取りてはキリストの(257)福音よりも悪き者はないのである、信ずる乎、信ぜざる乎、此一事に由て福音の真価が定まるのである、信ずる者には最善の物、信ぜざる者には最悪の物、キリストに服ふ乎、彼に敵する乎、信ずる者は主として彼に事へ、信ぜざる者は敵として彼に抗《さから》ふ、而して信仰は求めて得べからず、強ゐて伝ふべからず、「父もし引かざれば人よく我に就《きた》るなし」とキリストは言ひ給ふた(ヨハネ伝六章四四) 神に由らずして基督教は解らない、而して神に召されて哲学も科学も我が信仰を毀つ事は能ない。
 
    真理の証明
 
 暗黒の世を化して光明の世となす事は出来ない。闇黒は全地を蔽ひ真暗は諸民を蔽ふと云ふは現今《いま》の時を指して云ふのである(以賽亜書六十章二) 此時に方て光明の子たる信者と雖も此世を化して光明の世と成すことは出来ない、然り、光の主《きみ》なるイエスさへも自己を暗黒の手に附し給ふたのである、然れども我等は暗黒の裡に在りて光明の証明者たることが出来る、暗黒は何れの処に存すると是を譴責することが出来る、此世の王等とその牧伯《つかさ》と祭司と民等との前に堅き城、鉄《くろがね》の柱、銅の牆となりて罪を罪とし、科を科として之を糺明することが出来る、神の我等に命じ給ふ所は社会の改良ではない、正義の証明である、イエス御自身が忠信なる真理の証者であつた(黙示録三章十四節) 而して初代の信者はイエスの証及び神の道のために首斬れたる者であつた(同二十章四節) 暗黒を攘はんと欲して我等の事業は失敗に終らざるを得ない、然れども光明の証明者として苦みて我等は多少世を照らす事が出来る。
 
(258)    戦場に於ける聖書
 
 或る戦場に於て或る英国の兵卒が或る独逸の兵卒を銃剣を以て刺殺した、独逸の兵卒は気息将さに絶えんとする時彼のポケツトより一冊の約翰伝を取出し、之を自分を刺殺せし英国の兵卒に渡して言ふた「之を取りて食ひ且つ飲み而して永久に生きよ」と(彼は多分馬太伝廿六章廿六節以下のキリストの言を記憶して居つたのであらう) 而して斯く言ひて彼は瞑目した、神は田舎を作り人は都会を作ると云ふ諺のあるやうに、神は霊魂作り人は国家を作るのである、人と人と相対して四海皆兄弟である、戦争は国家が国家と相対する時に而已起るのである、自己を刺殺せし敵に対して最後の一言として「永久に生きよ」と言ふ、キリストの霊が確に此独逸の一兵卒の心に宿つて居たのである、若し同一の霊が総の国王、総の政治家、総の新聞記者、然り総の宗教家等の心に宿つて居たならば此戦争は決して始まらなかつたであらう、縦し又始まつても直ぐ終つたであらう、然り、今日直に終るであらう。
 
    偽の預言者
 
 偽の讐者とは悪人ではない、国家の利益のために神の正義を曲る者である(本誌第八八号を見よ) 而して斯かる預言者は何れの代にもあつた、而して今も猶ほ在るのである、其哲学的権威を以て独逸国の立場を弁護する哲学者オイケンは偽の預言者である、平素の非戦論を擲ちて米国の参戦を賛成する博士ジヨルダンは偽の預言者である、其他英国のすべての監督と米国の多数の宗教家とはすべて尽く偽の預言者である、預言者は夢を語(259)り詐偽を預言すと云ふはヱレミヤの時に限らない(耶利米亜書廿三章参照) 今の時も亦それである 今や国家万能の時代である、而して神の真理までが国家の利益に供せらるゝのである、「預言者は偽はりて預言をなし我民は斯る事を愛す」と云ふ(同五章卅一節) 此預言者ありて此民ありである、総て輿論に由りて其説を支配せらるゝ者は偽の預言看である、総て真理よりも国家を愛する者は偽の預言者である、総て神よりも人の面を懼るゝ者は偽の預言者である、而して嗚呼多い哉 偽の預言者!
 
    非戦の声
 
 瑞西国ツーリッヒ大学神学教授 L・ラガーツ氏は熱烈なる非戦論者である、彼は戦乱の欧洲に在て筆に舌に盛に戦争の非と愚と平和の是と理とを唱へつゝある、聞く氏の主筆に成る雄誌 Neue Wege は多く独仏の塹壕内に於て読まれつゝありと、彼の賛成者の中に多くの新進の学者が在る、彼の声は欧洲人の心の深き所に響き、彼の主張に由りて欧洲の天地に新紀元の到来が期待されつゝある、唯彼に就て最も奇怪なる事は彼の最も激烈なる反対者が教会の牧師であると云ふ事である、彼は国を売り王に反く者として基督教の教師等に攻撃されつゝあるのである、然し敢て怪しむに足りない、今回の米国参戦に就ても最も熱心なる賛成家は米国の牧師たちである、今や平和運動に最も熱心なる者は常に基督教の大敵を以て目せらるゝ社会主義者であつて教会と牧師とは概ね軍旗の祝福者、戦争の奨励者である、古今東西変ることなしである、キリスト再臨の時に先づ第一に審判るゝ者は誰であらう乎。
 
(260)     平和の朝と戦争の夜
         以賽亜書廿一章十一、十二節の解釈
                         大正6年6月10日
                         『聖書之研究』203号
                         署名 内村鑑三
       ドマに係はる預言
   人ありセイルより我を呼びて言ふ、
   夜番《よばん》よ夜は何時ぞ、夜は何時ぞと、
   夜番答へ言ふ、朝来る夜又来る、汝若し尋ねんと欲せば尋ねよ、汝帰りて来るべし、
〇ドマは不信国エドムである、セイルは其首府である、夜番は時勢の観察者なる預言者である、此場合に於てはイザヤである、夜は世の暗黒である、朝は平和の曙である、謂ふ意《こゝろ》は不信国の民、使者を預言者に遣《おく》りて問ふて曰ふたのである、此混乱は何時まで続くのであるか、夜は今何更ぞ、平和の曙光は見ゆるかと。
〇此尋問に対して預言者は答へて言ふたのである、朝は来る、光は臨む、然れども永くは続かない、昼は暫時にして又夜となると、而して彼は更に語を加へて言ふたのである、「汝若し尋ねんと欲せば尋ねよ、汝帰りて来るべし」と。〇預言者の此追加は一種の謎語《なぞ》である、其意義を知るに難し、然れども探る能はざるに非ずである、「尋ねんと欲(261)せば尋ねよ」と言ふ、知らんと欲せば我に問ふ勿れ、自から尋ねよ、自己に問へよ、自から内に省みよ、暗黒の臨む其理由を探れよ、之れを外に尋ぬる勿れ、衷に探れよ、外なる暗黒は衷なる暗黒の反影なるを学べよ、而して帰りて来れよ、帰るべき者に帰りて然る後に我が許に来れよ、悔改めて神に帰れよ、而して後に我に来れよ、其時汝は光明の到来に就て再び我に問ふの必要なかるべし、其理由は汝自身に於て判然たるべし、汝神に反きたれば暗黒は汝を去らざるなり、神に帰りて朝は倏ち汝に臨みて永久に汝を去らざるべしと、是れ此謎語の意味であると思ふ。
〇ドマは不信の世である、其所謂文明国である、欧羅巴と亜米利加とである、而して之に加はりし自余の国である、彼等若し使者を遣はして預言者イザヤの時局に関する意見を聞かしめしならば預言者は同じ言辞を以て答ふるであらう、曰く
  朝来る夜又来る、汝若し尋ねんと欲せば尋ねよ、汝帰りて来るべし、
と、平和は来らざるに非ず、然れども今日の状態を以てしては平和は来るも永くは続かざるべし、独墺は之を圧伏するを得べし、然れど戦乱の夜は平和の朝に次いで来るべし、之を人類最後の戦争と想ふは非なり、戦争を以て戦争を絶つ能はず、戦争の起りし理由は此国彼国の横暴に非ず、文明国全体の誤れる信念に在り、此信念を改めざる限りは戦争の夜は永久に地上を去らざるべし、罪は此国に非ず又彼国に非ず、人類全体に在り、殊に自から基督教国と称し世界の指導を以て任ずる国に在り、人類は今や戦争の罪を相互に嫁して自から己を罰しつゝあるなり、斯くして彼等は平和の朝を招きつゝ実は永久の戦乱の夜を迎へつゝあるなり、嗚呼愚かなるエドムよ、愚かなる独逸よ、愚かなる英国よ、愚かなる米国よ、汝等は使徒等と預言者等との書《ふみ》を読むこと茲に数百千年に
 
(260)     平和の朝と戦争の夜
         以賽亜書廿一章十一、十二節の解釈
                         大正6年6月10日
                         『聖書之研究』203号
                         署名 内村鑑三
       ドマに係はる預言
   人ありセイルより我を呼びて言ふ、
   夜番《よばん》よ夜は何時ぞ、夜は何時ぞと、
   夜番答へ言ふ、朝来る夜又来る、汝若し尋ねんと欲せば尋ねよ、汝帰りて来るべし、
〇ドマは不信国エドムである、セイルは其首府である、夜番は時勢の観察者なる預言者である、此場合に於てはイザヤである、夜は世の暗黒である、朝は平和の曙である、謂ふ意《こゝろ》は不信国の民、使者を預言者に遣《おく》りて問ふて曰ふたのである、此混乱は何時まで続くのであるか、夜は今何更ぞ、平和の曙光は見ゆるかと。
〇此尋問に対して預言者は答へて言ふたのである、朝は来る、光は臨む、然れども永くは続かない、昼は暫時にして又夜となると、而して彼は更に語を加へて言ふたのである、「汝若し尋ねんと欲せば尋ねよ、汝帰りて来るべし」と。〇預言者の此追加は一種の謎語《なぞ》である、其意義を知るに難し、然れども探る能はざるに非ずである、「尋ねんと欲(261)せば尋ねよ」と言ふ、知らんと欲せば我に問ふ勿れ、自から尋ねよ、自己に問へよ、自から内に省みよ、暗黒の臨む其理由を探れよ、之れを外に尋ぬる勿れ、衷に探れよ、外なる暗黒は衷なる暗黒の反影なるを学べよ、而して帰りて来れよ、帰るべき者に帰りて然る後に我が許に来れよ、悔改めて神に帰れよ、而して後に我に来れよ、其時汝は光明の到来に就て再び我に問ふの必要なかるべし、其理由は汝自身に於て判然たるべし、汝神に反きたれば暗黒は汝を去らざるなり、神に帰りて朝は倏ち汝に臨みて永久に汝を去らざるべしと、是れ此謎語の意味であると思ふ。
〇ドマは不信の世である、其所謂文明国である、欧羅巴と亜米利加とである、而して之に加はりし自余の国である、彼等若し使者を遣はして預言者イザヤの時局に関する意見を聞かしめしならば預言者は同じ言辞を以て答ふるであらう、曰く
  朝来る夜又来る、汝若し尋ねんと欲せば尋ねよ、汝帰りて来るべし、
と、平和は来らざるに非ず、然れども今日の状態を以てしては平和は来るも永くは続かざるべし、独墺は之を圧伏するを得べし、然れど戦乱の夜は平和の朝に次いで来るべし、之を人類最後の戦争と想ふは非なり、戦争を以て戦争を絶つ能はず、戦争の起りし理由は此国彼国の横暴に非ず、文明国全体の誤れる信念に在り、此信念を改めざる限りは戦争の夜は永久に地上を去らざるべし、罪は此国に非ず又彼国に非ず、人類全体に在り、殊に自から基督教国と称し世界の指導を以て任ずる国に在り、人類は今や戦争の罪を相互に嫁して自から己を罰しつゝあるなり、斯くして彼等は平和の朝を招きつゝ実は永久の戦乱の夜を迎へつゝあるなり、嗚呼愚かなるエドムよ、愚かなる独逸よ、愚かなる英国よ、愚かなる米国よ、汝等は使徒等と預言者等との書《ふみ》を読むこと茲に数百千年に(262)して未だ此単純なる理をさへ解し得ざるなり。
〇汝等戦乱の起りし原因を尋ねんと欲する乎、之を尋ねよ、之を汝等の手に在る聖書に尋ねよ、神が汝等に遣り給ひし預言者等に尋ねよ、カント、トルストイ、ジヨン・ブライト等に尋ねよ、殊に汝等の良心に尋ねよ、而して汝等の父祖の神に帰れよ、富富と称して何よりも先づ此世の富を追求むるを廃めて汝等の霊魂の父なる神に帰れよ、汝等の倚頼む文明は汝等を滅亡に誘ふ者なり、汝等の誇る学術は汝等をして塵に着かしむる者なり、汝等の政治経済法律は汝等の生命財産を保護するに過ず、汝等の美術文学は汝等に一時的慰安を与ふるに止まる、汝等は総のものを有すれども唯一の必需《なくてなら》ぬものを有せず、故に帰れよ、汝等の霊魂の父に帰れよ、而して癒されよ、充足する者となれよ、而して衷に満足る者となりて外に貪らざる者となれよ、然らば朝は来りて夜は再び来らざるべし、汝等の欲する戦争の絶滅は如斯くにして行はるべし、然れども汝等が帰らざる間は、悔改めて汝等の父なるヱホバの神に帰らざる間は、汝等の宣戦の理由は如何に立派にして如何に公明正大なりと雖も、戦乱は汝等の間より絶たれざるべし。
〇今や暗黒全地を蔽ひ真暗諸民を蔽ふといふ状態である(六十章二節) 而して世は暗黒に厭きて預言者に向て叫んで止まず「夜番よ夜は何時ぞ、夜は何時ぞ」と、而して預言者の此叫びに応じて答ふる所は昔も今も変ることなし、曰く「朝は来る夜も亦来る、汝尋ねんと欲せば我に尋ぬる勿れ、己に尋ねよ、悔改めて父に帰れよ、然る後に我に来れよ、我れ汝に誨ふる所あらん」と、然れども彼等は預言者の声に聴かないのである、彼等は他を責めて己に尋ねないのである、彼等は悔改を異邦の民に勧めて自己は悔改の必要を感じないのである、故に暗黒は永久に彼等を去らないのである、斯くして彼等は正義人道の名に由て戦争を宣告して自から己れの不信を罰し(263)つゝあるのである。
 
(264)     ヤイロの女と余の女
         路加伝研究の一節
                         大正6年6月10日
                         『聖書之研究』203号
                         署名 内村鑑三
 
 会堂の宰《つかさ》ヤイロは使者をイエスの許に遣はし死に瀕する其小女を救はん事を請ふた、イエスは其請を納れヤイロの家へと其歩を運び給ふた、而して途上小女は既に死したるの報に接し、ヤイロの落胆するを見て彼を慰めて言ひ給ふた、「懼るゝ勿れたゞ信ぜよ、小女は痊べし」と、終に其家に到り家人の死し小女の為に哭哀むを見て言ひ給ふた「汝等哭く勿れ彼女は死たるに非ず寝たる耳」と、而して室に入り死し小女の手を取り「タリタクミ、小女起きよ」の一言の下に小女を蘇生らして之をヤイロと其妻とに与へ給ふた、夫妻の歓喜は如何計りなりしぞ(路加伝八章四十節以下)。
 余も亦曾て死に瀕せる小女を痊さん事をイエスに請ふた、余は余の祈願の切なる事に於てヤイロに劣る所はないと信じた、而して余の祈祷の結果として、余も亦余の耳に「懼るゝ勿れたゞ信ぜよ、小女は痊ゆべし」との声を聞いた、然し乍ら余の請は終に納れられなかつた、余の小女は死んだ、彼女は寝りたるに非ず実に死んだ、タリタクミの玉音は余の小女のためには発せられなかつた、茲に於て大なる疑問は余の心に湧いた、聖書は荒唐《いつはり》を語るのではあるまい乎、或ひは余に信仰が無いのではあるまい乎と、而して不信の世は余の信仰を笑ふた、薄(265)信の信者は余の信仰の不足を責めた、斯くて余は身の内外より攻められて余の其時の立場は最も憐れなるものであつた、余は心窃に叫ばざるを得なかつた「嗚呼余は基督教を信ぜざりしものを」と。
 然し乍ら神の霊は其時強く余の衷に働いた、余は終に余の懐疑に勝つことが出来た、イエスは矢張り余の祈願を納れ給ふたのである、余の女も亦死たるに非ず寝たる耳、故に余も亦懼るゝに及ばず唯信ずべきである、幸にして余の小女の場合に於て彼女の臨終に明白なる不死の兆候があつた、是は確かに余と余の妻との薄信を助けんために神が特に下し給ひし休徴であつたのである、然し乍ら縦し此兆候がなかつたにしろ彼女の死せざる事は確実である、其証拠は何処に在る乎と言ふに、第一にイエス御自身の復活にある、第二に彼の御約束にある、第三に余の信仰にある、実に「証を作すものは三つなり」である(ヨハネ一書五章八節) 此三大証明ありて余は余の小女の死しに非ず単に寝りたる事を確かに信ずるのである。
 ヤイロは福なる人であつた、然し乍ら余はヤイロよりも福なる人である、ヤイロの女は蘇生したに過ぎない、余の女は復活するのである、而して蘇生と復活との間に大なる相違があるのである、蘇生は旧き肉体の復生である、復活は新しき霊体の賦与である、前者は再び死ざるを得ない、後者は復た死あらずである、而して復活の堅き御約束に与りて(神の場合に於ては約束は之に与りし者の権利である)蘇生の恩恵の如きは実は如何でも宜いのである。
 「懼るゝ勿れ唯信ぜよ」と、然り主よ余は信ず、爾は必ず爾に求むる者の祈願を斥け給はざることを、爾の約束の天地は変るとも渝らざることを、余は殊に聖霊の証を信ず、「証を為す者は霊なり霊は真実なれば也」とある(ヨハネ一章五章七節) 神の霊は余の信仰を確証して言ふ「汝の信ずる所は真実なり、イエスは汝の女をも痊(266)すべし」と、而して聖霊《みたま》の証は確実である、余は之を信じて余の女《むすめ》の全癒即ち復活を待つべきである、而して斯く信じて余の疑は晴れ大なる平和は余の心に臨んだ。
 実に聖書がイエスが施し給ひし奇跡的治癒に関する記事を載するは、人が之に由てすべての疾病を彼に由て癒されんことを教へんが為ではない、イエスは肉体の医師として世に臨み給ふたのではない、新生命の供給者として現はれ給ふたのである、彼の何たる乎、彼の与へ給ふ恩恵の何たる乎は此世にては能く判明らないのである、地上に於ける彼の御生涯は一種の比喩に過ぎないのである、ラザロの復生、ヤイロの女の蘇生、是れ皆之に似たる或る他の大なる事実の予兆に過ぎないのである、総の信者は此世に在てラザロの如くに甦らされないのである、然れどもキリストの再び顕はれ給ふ時に総の信者はラザロよりも遥かに確実なる意味に於て甦へらさるゝのである、ヤイロの女の場合も亦同じである、総の信者の女はヤイロの女の如くに死より甦へらされないのである、然し乍ら来らんとする祝すべき復活の朝に於ては総の信者の女は彼等の祈祷に応じてヤイロの女よりも遥かに確実なる意味に於て復活の恩恵に与かるのである、此事を教へんが為めの福音書の記事である、此事を解せずして、我女も亦ヤイロの女の如くに蘇生せんことを祈求ふ、浅慮此上なしである。実にヨブの信仰が総の信者の信仰である、
  我れ知る、我を贖ふ者は生く、後の日に彼れ必ず地の上に立ん、我が此皮此身の朽果ん後我れ肉を離れて神を見ん
と(約伯記十五章廿五、廿六節) 「我れ知る」である、単に「信ず」ではない、既に成りし事として知るである、我が贖罪者は生きて在し給ふ、我が此皮此身は朽果んも然れども我れ此肉を離れて我が救の神なる彼を見奉ら(267)んと、実に偉大なる信仰である、而して真の信者は自分に就ても亦自分の愛する者に就てもヨブの此信仰を懐くのである、キリストは今日と雖も我等の切なる請を斥け給はない、而して我等の請ふが儘を聴き給はざる場合には之れ以上に聴き給ふのである、我等の祈求を聴かざるが如くに見せて我等の衷に堅き信仰を起し給ふ、而してやがて其信仰に応じて蘇生以上の恩恵なる復活の恩恵を以て我等に報ゐ給ふ。
 世の所謂識者等は余の此言を以て「自信の妄想なり」と評するであらう、或ひは爾うであるかも知らない、然れども信仰は霊魂の確実なる実験である、是れ自から起さんと欲して起す能はざる者である、哲学の言を藉りて言ふならば是れ何よりも確実なる自己意識の確実なる実験である、而して此実験あるが故に基督者は其愛する者を取去られて神を疑はないのである。
 
(268)     精神と身体
                         大正6年6月10日
                         『聖書之研究』203号
                         署名なし
 
 精神《ソール》がありて身体《バデー》があるのである、身体は精神の物的表現である、恰かも人体ありて之を包むの衣服あり、服装は之を作る人の精神の表現なるが如しである、其如く血気ありて肉体があり聖霊ありて霊体があるのである、人の精神が一変して其服装も一変するが如く、彼は新たなる生命を受けて新たなる体を与へらるゝのである、基督者復活の説明は此辺に在るのである、彼は聖霊の恩賜に与りて彼の生命が一変したのである、彼の旧き肉体は以て彼の精神を表現する能はざるに至つたのである、「聖霊の初めて結べる実を有る我等は自ら心の中に歎き我等の身体の救はれんことを俟つ」とのパウロの言は信者の此状態を言ふたのであると思ふ、即ち新らしき精神は旧き身体に堪へ難くなりて新らしき身体を与へられんと欲する其切望の情を述べたる言であると思ふ、而して此希望は無益でないのである、新らしき精神を与へられて之に相当する新らしき身体を与へられない理由はないのである、精神の在る所には必ず之に相当する身体がある、「聖霊の結べる実」即ち聖霊に由て新たに生命を受けて其生命はやがて其れ相当の身体を以て現はれざるを得ないのである、是が即ち霊体である、復活体である、故に信者は復活の希望を懐きて故なき希望を懐くのではない、彼は既に新生を受けたのである、故に其当然の結果として之に相当したる身体の賦与を俟望むのである、「我等此幕屋に居りて款き天より賜ふ我等が屋《いへ》を衣の如く着(269)んことを深く欲《ねが》へり」とあるは此希望を云ふたのである(コリント後五章二節) 如斯くにして復活と云ひて此旧き肉体が蘇生する事ではない、是れ信者の最も欲はざる事である、復活は新たなる生命に相当する新たなる身体を以て活くる事である。而して是れ信者に取りては空望ではないのである、「彼(神)霊(新生)を其|質《かた》(予証)として我等に賜へり」とあれば我等信者は其当然の結果として臨るべき復活即ち霊体の賦与を俟望むのである。
 
(270)     相互の了解
         四月二日箱根堂ケ島開催朝鮮基督教青年修養会に於ける講演の大要
                         大正6年6月10日
                         『聖書之研究』203号
                         署名 内村鑑三
 
 人が人を解する事は最も難い事である、其情性が解り、遺伝が解り、経歴が解りたればとて人は解らない、神に象りて造られたる人は何人と雖も無限的に深くある、「人の衷には霊魂の有るあり、全能者の気息人に聡明《さとり》を与ふ」とある(ヨブ記卅二章八節) 全能者ならでは人の人たる霊は解らないのである、親は其子を解する能はず、子は親を解する能はず、夫婦相解せず、兄弟相解せず、人は其霊魂の父なる神にのみ完全に解せらるゝのである(哥林多前書十三章十二節参考) 斯かる次第であれば一国民が他国民を解せんと努むるが如き、或ひは西洋人が東洋人を解せんと力むるが如きは無謀の努力と称するも可なりである、其隣人をさへ解し得ざる者が争で他国人を解するを得んや、人類の半分なる西洋が争で他の半分なる東洋を解し得んや、然り、人は何人も自己をさへ知り得ないのである、実に自己を知り得る者は哲人である、而して哲人と雖も唯僅かに消極的に自己を知り得るのである、人は自己を知らず、近親を知らず、隣人を知らず、況んや外国人をや、況んや人類をや。
 然らば人は到底人を解し得ないのである乎、然らず、其過去を究めて解し得ず、現在を査べて解し得ない、然れども其未来を知りて稍々彼を解することが出来る、人の過去は無限的に複雑である、到底之を究め尽すことは(271)出来ない、彼の祖先、血統、境遇、誰か之を知り悉すことが出来よう、若し人の過去(歴史)を知るに非ざれば彼を解するを得ずと云ふならば世界の歴史家が総掛りとなりて調査するも一人の小児を解することが出来ないのである、而かも人が人を解せんとするに方て常に此不可能の途を取るのである、若し能く其歴史を解し得ば人と国とは解し得べしと思ふのである、然し乍ら人は如斯くにしては到底解し得ないのである、如斯にして解し得たりと思ふ解釈は全然誤解に終るのである、所謂人物研究又は国民研究の総てが誤謬である理由は茲に在るのである、人の何たる乎は過去或ひは過去の結果たる現在に於て非ずして、自己の達せんと定めし未来に於て在るからである。
 人は如何にして人を解し得る乎、彼と目的を共にして彼を解することが出来る、彼の遺伝を知るを要せず、彼の国民性、彼の人種的傾向、其他彼に関はる種々雑多の問題を究むるを要せず、彼の到達せんと欲する最後の目的の何たる乎を知て彼を解することが出来るのである、人生の目的に一致して人はすべて兄弟姉妹となるのである、最終の目的の前には人種もなければ遺伝もないのである、目的は異人種異国民を鎔解して一団と成すのである、我が友は誰ぞ、我兄弟は誰ぞ、必しも我が国人ではない、必しも我青年時代の友ではない、同教会の会員ではない、我と情性を共にする者ではない、我と目的を共にする者である。我が達せんと欲する所に達せんと欲する者である、最終の目的を共にして我は彼の過去又は現在を知らんと欲しないのである、彼は我と共に同じ理想の実現を目的として進む者なるが故に彼は我が同伴の友であり、骨肉の兄弟以上の兄弟である。
 然れども目的にも種々ある、政治上の目的がある、社会上の目的がある、学問上の目的がある、美術上の目的がある、孰れも人と人とを結ぶに方て強き大なる力である、然れども是等の目的たる部分的又は中間的の目的に(272)過ぎないのである、循つて其結束力たるや最強のものであると言ひ得ないのである、人生最終又は最大の目的は別に有るのである、其れは言ふまでもなく信仰上の目的である、何を信ずる乎、何者を信ずる乎、之に由て宇宙人生に於ける人の立場は定まるのである、「何処に往かんと欲する乎」、「何者を主として仰ぐ乎」、此問題が定まつて人の方向、運命、価値は定まるのである、而して信仰を共にする者、信仰の目的物を共にする者、彼等は最も深き意味に於て友人であり、又兄弟であるのである。
 茲に於てか加拉太書三章二十八節に於けるパウロの言辞の意味が能く解るのである、
  斯かる者の中にはユダヤ人又はギリシヤ人、奴隷又は主人、男又は女の分なし、蓋汝等皆キリストイエスに在りて一なれば也
と(哥羅西書三章十一節参考) 「キリストに在りて一なれば也」と云ふ、羅馬帝国の下に統一せられたるが故に一なるのではない、又同一の家に棲み同一の主人を戴くが故に一なるのではない、キリストに在るが故に一なるのである、世に異なりたる人種とてユダヤ人とギリシヤ人(欧羅巴人)との如きはない、パウロ在世の当時より千九百年後の今日と雖も彼等は判然たる異人種として存在し、如何なる政治的権能を以てするも二者の調和合体を見ることは出来ないのである、今や全世界に一千二百万人のユダヤ人は存在し、自からは国家を成さずして、欧洲人(ギリシヤ人)の作りし国家の下に富裕なる生活を営みつゝありと雖も、而かも彼等は依然としてアブラハムの裔なるユダヤ人であつて、ギリシヤ人とは全然調和しないのである、「ユダヤ人問題」なる者は文明国孰れの国に於ても存し、如何にして之を解決せん乎とは大政治家の脳漿を絞る大問題である、然れども茲に一つ此難問題を解決して余りあるの途があるのである、其れはイエスキリストである、彼に在りてユダヤ人とギリシヤ人とは(273)一になるのである、此氷炭相容れざるが如き二人種が一体となることが出来るのである、キリストに在りて彼等は完全に相互を了解し得るに至るのである、有名なる教会歴史家ネアンデルの如きは其好き一例であるユダヤ人なりし彼が一朝イエスキリストの僕と成りてよりは、最も好く欧洲人の心を解し得るの人と成つたのである、他の方法を以てしては到底壊つことの出来ない二者の間を隔つる高き堅き墻壁もキリストの福音を以てしては容易に之を撤廃することが出来るのである。
 「汝等皆キリストイエスに在りて一なれば也」とある、「一人なれば也」と訳するも差支は無いのである、而して此場合に於て原語の〓は爾う訳すべき詞《もの》であらう、信者はキリストイエスに在りて一体即ち一人であるとは新約聖書全体の示す所である、以弗所書四章十三節に
  我等をして皆同じく神の子を信じ之を知り、全人《まつたきひと》(全き一人)即ちキリストの満足れる程と成るまでに至り
云々とあるが如く、我等信者は人種を異にし、情性を異にし、生立を異にしながら神の子を信ずるに由りて全き一人と成るのである、単に信仰を共にし目的を一にするに止まらない。一人となるのである、男女が夫婦となりて一体となるが如くに、其れよりも更に深い意味に於て全世界の真の信者はキリストに在りて一人となるのである、シーザーもナポレオンもビスマークも夢想する能はざりし事をイエスキリストは我等信者の中に行し給ひつゝあるのである、キリストイエスに在りて日本人も、朝鮮人も、支那人も、印度人も、英国人も、独逸人も、墺国人も、露国人も、一体然り一人であるのである。茲に骨肉も啻ならざる親密があるのである、茲に於て誤解は不可能である、完全なる了解は当然である、而して其理由は明白である、信者は相互をキリストに於て見るからである、信者に取りてはキリストは我であり彼であり又汝である、信者は相互に於て国民性又は遺伝又は過去(274)の歴史を見ない、現今在し給ふ生けるキリストを見るのである、故に彼等は合体せざるを得ないのである、
  彼(キリスト)は我等の和《やはらぎ》なり、二者を一となし、冤仇《うらみ》となる隔の墻を毀ち、律法の中に命ずる所の法《のり》を其肉体にて廃せり、そは二者を己に聯ね之を一の新しき人に造りて和がしめ
云々とあるパウロの言辞は文字通りに真理である(以弗所書二章十四) キリストイエスに在りては異人種同化問題の如き之を口にするの必要さへ無いのである。
 四海皆兄弟であると云ふに人は今猶ほ人の敵である、同人種にして同宗教なる英国人と独逸人とは今や不倶戴天の讐敵である、日人は鮮人を解せず鮮人又日人を知らず、誤解に加ふるに冤仇《うらみ》、憎悪に加ふるに復讐、而して如何にして之を除かん乎とは政治家外交家を悩す大問題である、而して其完全なる解決は唯一つあるのである、人々をしてイエスキリストを知らしむるにある、天が下に之を除いて他に世界平和の途はないのである、而して神の備へ給ひし此途を取るまでは世界に争闘は絶えないのである、而して我等の目前に行はるゝ悲惨の戦争は人類が此途を取らざる必然の結果として生じ来りし者である、人はキリストに在りて相和ぐまでは、兄弟猶仇敵である、況んや異邦人をや、況んや異人種をや。
 余は朝鮮人中に善き信仰の兄弟を有つて居る、余は彼等と相会して我等は異人種である事を忘れる、我等の言語の能く相通ぜざるに関せず我等は心の深き所に於て最も明かに相互を了解する、我等の使ふ舌の言語は異う、然れど霊の言語は異はない、我等は同じ詩と歌と聖霊に由りて作れる賦とを以て互に相教へ相勧める(哥羅西書、三章十六節)、我等の根本的生命は一である、我等の最大問題は同じである、我等相対して人種を忘れ、歴史を忘れ、境遇を忘れて、唯言ひ尽し難き神の恩賜なる主イエスキリストを頌《ほ》めまつる。
(275) 余は信者は一体であると云ふた、然し信者とは教会員を云ふのではない、教会員は個々別々である、聖公会員は組合会員の敵であつても兄弟ではない、長老教会員はメソヂスト教会員と相軋る、所謂基督教界なる者は欧洲列国と称するが如き競争嫉視の巷である、其所に愛もなければ平和もない、今時《いま》の所謂基督教会なるものは神の国の戯画《カリケチユア》に過ぎない、人を誤まる者にして教会の如きはない、英国に聖公会あり独逸にルーテル教会ありて今や其会員は戦場に相互を屠りつゝあるのである、茲に於てか我等は基督教を基督教会と離して考ふるの必要がある、キリストは人をして一体たらしむるに関はらず教会は今日まで人をして分離せしめた、我等は教会を離れてキリストに在りて一体然り一人たるべきである。
 
(276)     〔貪婪の世 他〕
                         大正6年6月10日
                         『聖書之研究』203号
                         署名なし
 
    貪婪の世
 
 今や金銭を以て買ひ得られない物はない、金銭を以て新聞紙を買ふ事が出来る、然り新聞紙は尽く売物である、而して新聞紙を買ふて輿論を買ふ事が出来る、輿論を買ふて政治家を買ふ事が出来る、政治家を買ふて国会を買ふ事が出来る、国会を買ふて国家を買ふ事が出来る、而して国家と共に其学者の学説を買ふ事が出来る、其宗教家の説教を買ふ事が出来る、而して斯くして民の良心までを買ふ事が出来る 疇昔は悪魔は剣を以て世界を奪《と》つた、現今は彼は金を以て世界と其内に在る総ての物を買う、然れども茲に一人の金を以て買ふ事の出来ない者がある、それは死して甦り今や聖父の右に座して万物を治め給ふ忠信なる真理の証者イエスキリストである、悪魔は世界を買ひ得ると雖も世界の上に在る彼れ主イエスを買ふ事が出来ない、又彼に倚頼む霊魂を買ふ事が出来ない、政府、教会、国家、世界を買ひ得る悪魔もイエスの証者のみは之を買取る事が出来ない。安心は茲に在る。
 
(277)    此世此儘
 
 此世は此儘で宜いのである、之よりも善くならずとも宜いのである、之よりも悪くなつても宜いのである、神は其独子を以て既に之を己に贖ひ給ふたのである、即ち之を己に買戻し給ふたのである、此世は既に神の所有《もの》である、神は其善き聖意に循ひて之を処理し給ふのである、彼の定め給ひし時に於て之を潔め改造め、造化の始めに於て彼が企て給ひしが如き福《さいはひ》なる世と成し給ふのである、人も悪魔も今や神の此|聖謨《せいぼ》を妨ぐることは出来ないのである、キリストが十字架の上に「事竟れり」と言ひ給ひし時に此事の成就は確定められたのである、故に我等は此世の改良進歩に焦慮るに及ばないのである、人の力を以てする此世の改善に限りがあるのである、文明の進歩は其極に達するも死を滅すことは出来ないのである、而して死が存して此世は決して幸福なる世ではないのである、然れども神は終に死をさへ滅し給ふのである(コリント前十五章廿六) 我等は信じて其福ひなる時の到来を待つべきである。
 
    真のバプテスマ
 
 教会は言ふ水のバプテズマを受けざる者は基督信者に非ずと、余輩は言ふ水火のバプテズマ即ちキリストの聖名の為に迫害のバプテズマを受けざる者は基督信者に非ずと、而して姦悪の此世に在りて誠実にキリストを信じて或種の迫害は避くべからずである、迫害を受けざる者は基督信者に非ずと云ひて誤らないのである、而して世には水のバプテズマを受けて迫害を受けざる所謂信者が沢山居るのである、之に反して水のバプテズマを拒みし(278)もキリストの聖名の為に堪え難き迫害を受けし彼の後従者が尠くないのである、而して余輩は信じて疑はないのである、天国に入るの機会は前者よりも後者に遥に多いことを、縦し又水のバプテズマに救拯の力があるとするも、それはバプテズマ式其物にあるに非ずして、之を受けしに由りて身に迫害を招くに至る其事に於てあるのである、式が霊魂を救ひやう筈はない、霊魂の苦闘を通うして臨む神の恩恵のみ救拯の能力であるのである。
 
(279)     〔左近義弼著『国字としてのローマ字』〕序
                       大正6年6月13日
                       『国字としてのローマ字』                            署名 内村鑑三
 
 日本語は ローマ字を以て書かれざるべからず,若し然らずば 日本語は 終に死んで了うであらう。縦し死なないにしても 日本の文明は それがために阻害せられて 日本国其物の存在が 危くせらるるであらう。さうして 日本語が ローマ字を以て 書かれ得ない理由は無いのである。欧洲に在りては ハンガリー語とフィンランド語とは 日本語と同じくアルタイ系の語であるにかかはらず 立派にローマ字を以て 書かれて すべての文明的言語と思想とを同化しつつある。日本語も 二者の例に傚ひ ローマ字を以て 立派に文明的言語の中に仲間入りすることが出来る。左近義弼君は 独創的にして勇気に富み,茲に 日本国の興亡にかかはる此大問題の解決を試みんと欲す。余は 君が単独の力を以て 能く此大事業を完成し得やうとは 思はない。然し乍ら 君の如きは 確かに解決を試むるの資格を有する人である,而して 日本人,否な,世界人は 此事に関する君の意見を聞いて 大に利益せられざるを得ない。殊に注意すべきは 左近君の目的の 是に非ずして 彼に在る事である。君は ローマ字体の日本語を完成して,然る後に 君の終生の事業に就かんとするのである。君の志望や 遠大である。余は 神が 君の此試みを祝福し給はんことを祈る。
                    内村鑑三
 
(280)     〔忘罪 他〕
                         大正6年7月10日
                         『聖書之研究』204号
                         署名なし
 
    忘罪
 
 神はすべての事を記憶し給ふ、宇宙の大より細胞の小に至るまで彼の記憶に留まらない者はない、然れども神は唯一事を忘れ給ふ、人の罪は之を忘れ給ふ、彼は言ひ給ふた「我れ彼等の不義を赦しその罪をまた思(記憶)はざるべし」と(耶利米亜記卅一章卅四)、又言ひ給ふた「我れ彼等の不義を恤み其罪と悪とを意《こゝろ》に記《と》めざるべし」と(希伯来書八章十二)、神は其子の十字架に於て人類の罪を拭ひ去り給ふたのである、驚くべき恩恵とは此事である、神は其記憶以外に人類の罪を赦し給ふたのである、神は我等の真実《まこと》の友人が我等の悪事に就て聞く事を肯はざるが如くに我等の罪を思ひ出し給はざるのである、彼は人類の罪を取去り給ひしに留まらず之を忘れ給ふたのである、然れども健忘のために忘れ給ふたのではない、其子の功《いさほし》のために忘れ給ふたのである、キリストイエス其十字架を以て神と人との間に立ち給ひて人の罪は罪として神の聖座《みくらゐ》に達しないのである、故に人も亦自己の罪を去りて今日直に父なる神に帰るべきである。
 
(281)    進化と自顕
 
 結果に対して原因あり結果は原因に超越する能はずとは思想上の自明理である、然るに天然を観るに天然に在りては結果は原因に超越してゐるのである、天然は物質を以て始まるとして生命は物質に超越してゐる、其の巧妙なることに於ては雑草の種一粒は全地と其岩石の総とを合せたるものに超越してゐる、同じく人間の小児一人は其智能を具備することに於ては動植物全体よりも遥に上に居る、更らに又|基督者《クリスチヤン》の最徴者《いとちいさきもの》は人類全体よりも遥に霊妙なる者である、依て知る天然は常に自己を超超しつゝあるを、即ち結果は常に原因を超越しつゝあるを、是れ天然が自存的物体に非ざる証拠に非ずして何ぞ、天然に在りて天然以上の或者が顕はれつゝあるのである、天然は自から進化しつゝあるのではない、神が天然を通して御自身を顕はし給ひつつあるのである、天然の進化に終局がある、然れども神の自顕は無窮である、故に神が死者を甦らし給ふと聞くも我等は敢て驚かないのである。
 
    妨害を恐れず
 
 人は何人と雖も自から信者に成らんと欲して成ることが出来ない、信仰の妨害は余りに多くある、社会の妨害がある、国家の妨害がある、肉親の妨害がある、我身の妨害がある、世と肉とは神を憎み福音を斥くる其心よりして総の手段方法を尽して人の信仰に入るを妨ぐるのである、而して之に加へて教会、神学者、監督、牧師、伝道師等の妨害がある、彼等はキリストの聖名を称へながら多くの聖名に背く行為を以てして人が信仰に入るの(282)礙《つまづき》となるのである、高潔の人は彼等所謂教役者の為す所を見て到底彼等の奉ずる基督教を信ずることは出来ないのである、然し乍ら神に択まれし者は自から信者に成らざらんと欲するも能はないのである、彼は総の妨害を排して信者に成るのである、彼は信者に成るべく神に余義なくせらるゝのである、彼は世に背き、自己に背き、肉親に背き、教会を斥けてキリストに到り其僕婢に成るのである、全宇宙も彼が信者に成ることを妨ぐることは出来ないのである、世に真の信者にして自から欲んで信者に成つた者は一人もない、信者は神に新たに造られたる者である、彼は陶人《すゑものし》が其心のまゝに器を作るが如くに信者に作られたる者である、何故なる乎彼はその理由を知らない、然れども彼は生れながらして肉の子なりしに拘はらず今は霊と真実を以て神を拝し得るに至つたのである、而して彼は自己《おのれ》に省て其|奇跡《ふしぎ》に驚かざるを得ないのである、彼は今は智者学者が信ぜんと欲して信ずるを得ざる事を信じ得るに至つたのである、「是れヱホバの成たまへる所にして我等の目にあやしとする所なり」である(詩十八篇二三)、何にも基督教証拠論の問題ではない、信ずべく余義なくせられて信じたのである、基督教に対し反証は幾干でも挙ぐる事が出来る、若し神が我衷に新たなる心を創造り給ふに非ずば教会の神学者等が総掛に成りて我を説伏せんとするも能はないのである、信者に成るべく定められたる者は成る、定められざる者は成らない、我等は安心して可なりである。
 
(283)     戦争廃止に関する聖書の明示
                         大正6年7月10日
                         『聖書之研究』204号
                         署名 内村鑑三
 
〇今や智者は尽く戦後の経営に就て語る、曰く戦後の経済、戦後の教育、戦後の外交と、彼等は戦争の何時か終るべきを知る、然れども何時、如何にして終るべき乎、其事に就ては彼等は謹んで「智者の沈黙」を守りて語らない、彼等は平和の愛好すべきを知るも如何にして之を持来らすべき乎、其事に就ては語らない。
〇而して戦争を終らしむべき途としては此世の智者等は戦争を以てするより他に之を知らないのである、智者ウードロー・ウィルソン君ですら米国の参戦に由て戦争を終らしめ茲に平和の幸福を人類の間に見んと欲するのである、暴を以て暴に易ふ、戦争を以て戦争を終らしむ、此事に就ては疇昔の周の武王も今時《いま》の米国のウィルソン君も其所信を異にしないのである。
〇然れども余輩が幾度も繰返して言ひしが如くに戦争は戦争を以てして終らないのである、其正反対に戦争は新たに戦争を作るのである、今の欧洲戦争なる者は千八百七十年に独逸が欧洲の平和を目的として起したる戦争の結果である、而して其普仏戦争なる者は大帝ナポレオンの下に仏国が独逸を蹂躙せし結果として起つた者である、今日の欧洲戦争の罪を悉く独逸一国にのみ帰するは大なる不正である、此戦争の責任は欧洲全体、否、世界全体の担ふべき者である、カインがアベルを殺して以来すべて流されし血が湛つて茲に血河の堤防の大決潰を見る(284)に至つたのである、言ふ日清戦争の遠因は太閤秀吉の朝鮮征伐に在りと、而して日露戦争は日清戦争の継続である、而して日露戦争なくして今日の世界戦争は無つたのであれば、文禄年間の日本人も亦今日の大戦争に責任なき能はずである、実に恐るべきは戦争である、戦争は当《その》戦争を以て終らない、更らに戦争を起して数百千年に及ぶ、神の恚怒《いかり》が戦争の上に宿るは之れがためである、戦争は人を殺す事であると云ふは単に当面の敵を殺すことに止まらない、未来永劫に渉り知ると知らざると衆多の人を殺すことである、世に矛盾多しと雖も平和の為に戦ふと云ふが如き矛盾は無いのである、平和は戦争に由て決して来らないのである、世に明白なる事とて此事の如きは無いのである、此事に就てはクロムウェルも、ワシントンも、リンコルンも、グランドも皆んな間違つて居たのである、神の眼より看て秀吉も、クロムウェルも、ワシントンも、自個当面の敵を殺して今猶ほ人を殺しつゝあるのである。〇故に世界の最富国米国の参戦に由て戦争は終らないのである、其反対に之に由て茲に新たにより大なる戦争が始まつたのである、世界は之に由て少しも光明の域に向て進まないのである、其反対に暗黒は益々全地に遍くあるのである、米国の参戦に由て人道は進歩したのではない、後戻りしたのである、茲に更に大なる戦争の因が作られたのである、実に今は戦後の経営を語るべき時ではない、戦争の準備を談ずべき時である、大西洋が血の海と化した後に太平洋も亦撃沈船を以て埋まるのであらう、ラインが血の河と成りしやうにミシシピも亦紅き流水《ながれ》と成るのであらう、米国は世界の平和を夢みて戦争に参加して全世界を戦場と化しつゝあるのである。
〇然らば如何にして戦争を終らしむるを得る乎、戦争を廃めてゞある、イエスの言に循ひ剣を鞘に収めてゞある、愛を以て暴に易へてゞある、非戦を以て戦争に易へてゞある、戦争の度数を減ずれば減ずる程其れ丈け戦争(285)を減ずるのである、戦争の区域を縮むれば縮むる程其れ丈け戦争は止まるのである、戦争は情熱の猛火である、故に成るべく之を衰退せしむるの必要があるのである、故に実に平和を愛する者は戦争に就ては何事に拘はらず反対すべきである、縦令一言なりとも戦争賛成の言を発すべからずである、縦令一票なりとも戦争賛成の為には投ずべからずである、平和を愛する者は言ふべきである、「他人は知らず我れ自身に関しては我はすべての事に就て、すべての場合に於て戦争に反対す」と。
〇非戦はすべての場合に於て唱ふべきである、然れども戦争は非戦に由り止まないのである、我等が非戦を唱ふるは之に由て戦争が止まると信ずるからではない、聖書の明白に教ふる所に循へば戦争は人の力に由ては止まるべき者ではない、戦争は世界の輿論が非戦に傾いた時に止むのではない、又斯かる時は決して来らないのである、戦争は神の大能の実現に由て止むのである、戦争廃止は神が御自身の御手に保留し給ふ事業である、是は神の定め給ひし世の審判者《さばきびと》なるキリストの再臨を以て実現さるべき事である、此事に関して聖書の示す所は明白である。
   斯くて其剣を打かへて鋤となし
   其鎗を打かへて鎌となし
   国は国に向ひて剣を挙げず
   戦争の事を再び学ばざるべし
とあるは単に世界平和の理想を述べたのではない(以賽亜書二章四節以下、米迦書四章三節以下)、「斯くて」とありて此理想の実現さるべき其理由が述べられたのである、世界の平和は成る、而かも戦争に対する戦争に由りてゞはない、外交術の成功に由りてゞはない、平和思想の普及に由りてではない、ヱホバが諸々の民の間を鞫き、(286)衆多《おほく》の民を戒め給ふからである、即ちヱホバ御自身が世を治め給ふに方て此喜ばしき理想が事実となりて行はるべしとのことである、平和の君の降臨ありて平和の実現があるのである、又言ふ
  ヱホバは地の極までも戦争を廃めしめ、弓を折り戈を断ち戦車《いくさぐるま》を火にて焼き給ふ
と(詩四十六篇九節) 此場合に於ても「ヱホバは」である、政治家ではない、外交官ではない、人なる平和運動者ではない、「ヱホバは」である、又言ふ
  其日には我れ(ヱホバ)彼等(我民)のために野の獣、空の鳥及び地の昆虫《はふもの》と誓約《ちかひ》を結び、又弓箭を折り、戦争を全世界より除き、彼等をして安らかに居らしむべし
と(何西亜書二章十八節)、「我れヱホバ」である、弓箭を折り、戦争を全世界より除き去る者は彼である、其他聖書の示す所はすべて此類である、世界の平和は主の降臨を以て到るとの事である、聖書は此事を高調して止まない。
〇然らば信者は何故に非戦を唱ふべきである乎、非戦の行はれざるを知りながら非戦を唱ふるの必要なしと云ふ者あらん、然らざるなり、信者が非戦を唱ふるは現世に於て非戦の行はるべきを予期するからではない、其の神の欲み給ふ所なるを信ずるからである、若し実行を期せん乎、廃娼も之を唱ふるの必要はないのである、禁酒禁煙亦然りである、現今の世に在りて罪悪の絶ゆる時とては之を望むも益なしである、然れども我等は之に反対して止まないのである、不義は之を断ち得るも断ち得ざるも如何なる場合に於ても反対すべきである、若し廃滅を期するに非れば反対すべからずと云ふならば世の罪悪にして我等の反対すべき者は一として無いのである、信者は事の成否を見て之を為さないのである、神の聖意に通ふことは之を為し、通はざる事は之を為さないのである、(287)而して戦争はすべての罪悪を総括したる考である、罪悪是れ戦争なりと謂ふも少しも過言でないのである、神を愛する者は其本能性として戦争を鎌ふのである、何にも聖書の此章彼節を引証するの必要は無いのである、彼の全身全霊は即決的に戦争を排斥するのである。
〇而已ならず非戦の唱道は主の降臨を早めるのである、彼を此世に請待し奉るに適当の準備が要るのである、而して其準備とは平和の福音の宣伝に外ならない、「天国の此福音を万民に証《あかし》せん為に普く天下に宣伝へられん、然る後に末期《おはり》到るべし」とある(馬太伝廿四章十四) 神は福音を以てすべての人を審判き給ふのであれば(羅馬書二章十六節)普く福音を宣伝ふるは審判開始の前提として必要である、而して福音宣伝とは今時の宣教師等に由て為さるゝが如く当らず障らずの平凡理を宣伝ふる事ではない、今の世に在ては非戦は福音の最要部分である、「罪に就き義に就き審判に就き世をして罪ありと暁《さと》らしめん」ためには是非共罪の中の罪なる戦争の罪に就て暁らしむるの必要がある(約翰伝十六章八節)、言ふまでもなく福音の半面は罪の詰責である、而して第二十世紀に於ける人類事に文明国の犯しつゝある最大の罪は戦争である、戦争を詰責《せめ》ずしてキリストの福音を説くことは出来ない、戦争を許容して基督教は其根本より壊《くづ》れて了ふのである、社会事業も外国伝道も有つたものではない、戦争は人道の破壊である、基督教の香認である、戦争の認容と福音の宣伝とは同時に行はるべからざる者である、疇昔使徒ヨハネは言ふた「※[言+荒]者《いつはりびと》とは誰か、イエスを言ひてキリストとせざる者ならずや」と(約翰一書二章廿一)、其時イエスの神性は世の実際問題であつたのである、今時我等は言ふのである「※[言+荒]者は誰ぞ、イエスを信ずると称しながら戦争を可とする者ならずや」と、今や人の信仰の真偽を試すに彼の奉ずる信仰箇条を問ふの必要はないのである、今や何人も如何なる信仰箇条なりとも之を信奉することが出来る、今や信仰の試験石は戦(288)争である、戦争を非とする者は信者である、可とする者は不信者である、凡の善は愛の一字に含まるゝが如くに凡の悪は戦争の一語に包まるゝのである、詩人カウパーは心に痛を感ずることなくして虫一疋を践潰す者を彼の友人の中に算へざりしとの事であるが、其如く我等は今の時に方て戦争を認容する者の名は之を我等の友人の名簿より刪除すべきである。
〇戦争は非戦の唱道に由て廃まない、我等は其事を能く承知して居る、其如く飲酒は禁酒の唱道に由て止まない、然かも我等は禁酒を唱へて止まない、廃む廃まないの問題ではない、正か不正かの問題である、義か不義かの問題である、而して戦争は不正である、不義である、罪悪の絶頂である、故に非戦を唱ふるのである、而して非戦を唱へて我等はバプテスマのヨハネの如くに主の為に道を備ふるのである、故に我等の非戦の声もヨハネの悔改の声の如くに野に呼べる人の声である(馬太伝三章三)、少数者の声である、世と教会とに嘲けらるゝ声である、然かも之を叫ばずして主は其義き審判を行ひ給ひ得ないのである、義が義として行はれ、不義が不義として絶滅せられんがためには一度明かに義の義たると不義の不義たることが唱道せらるゝの必要があるのである、不義として認められざる不義は之を不義として定むることが出来ない、現世に於ける正義唱道の必要は茲に在るのである、来世に於けるキリストの審判を賛け奉らんがためである、而して此巽賛の任に当るは信者の大名誉である、今の時に方り世と教会とに嘲けられながら戦争の罪悪を唱ふること、余輩は之に優るの名誉を想像することは出来ない、是は実に我等の名誉であつて又我等の救拯に関はることである、今や基督教を説くも石にて撃たるゝの虞はない、此時に方りて我等は非戦を唱へて社会に斥けられ教会より追はれて我等の救拯を完成すべきである、実に今の時に方りて預言者の唱へし祝福は非戦を唱ふる者の上に裕に宿るを見るのである、
(289)  歓喜《よろこび》の音信を伝へ、平和を告げ、善き音信を伝へ、救を告げ、シオンに向ひて汝の神は統治め給ふと言ふ者の足は山の上にありて如何に美はしき哉
と(以賽亜書五十二章七節)、平和を告げて主の降臨統治を待望むこと、邪曲なる此世に在りて信者の為すべき事は特に此事である。
〇キリストの再臨といふが如きは漠然たる迷信めきたる事のやうに思はれる、然し乍ら是なくして人類の希望は悉く画餅に帰するのである、若し大能の神、永遠の父、平和の君と称へらるゝ者が自から人類の間に降りて公平と正義とを以て国々の間を審判き給ふに非ずば世界平和の到来は到底望み得ないのである、世界平和に関はる人の計画は悉く画餅に帰するのである、カーネギーの寄附にかゝる平和宮の建築|竣《おは》ると同時に此世界戦争は始つたのである、「人々平和無事なりと言はん其時亡滅忽ちに来らん」との聖書の言は常に事実となりて現はれたのである(テサロニケ前書五章三節) 政治家等に由て平和手段が最も盛に施さるゝ其時に、亡減的の大戦乱は常に国民の間に臨んだのである、今より後百人のカーネギーが現はれ、百棟の平和宮が建築され、百人のルート、ウィルソン等世界平和の斡旋者が現はるゝと雖も、自己中心を根本とする此世に戦争の絶ゆる時とては永久に来らないのである、而して此事を看て取りし世の思想家は今や往々にして世界歴史の立場よりしてキリストの再臨、或は之に類する現象を待望むに至つたのである、英国の社会学者 E・A・ウードハウス氏が近頃 A World Expectant『世界の希望』なる書を著はし、混乱せる目下の世界の整理は未だ曾て生れしことなき大人物の出現に待たざるべからずと論ぜしが如きは其一例である、又露国の詩人にして大思想家なるウラヂミール・ソロ※[ヰに濁点]エフが老トルストイ伯の筆法を以て大胆に明白に此欧州大戦争の終る所は聖書の明示する世界人類の大審判の開始で(290)あると唱道せしが如きは確かに世界思想の一傾向として見るべきである(War progress and the End of History, by Vladimir Soloviev)。
 
(291)     伝道の今昔
                         大正6年7月10日
                         『聖書之研究』204号
                         署名なし
 
 使徒行伝を読むに使徒等の伝道には手段方法なる者はなかつた、彼等は神の導きの儘に働き唯其信仰を宣ぶるのみであつた、今時の教会の伝道は全く之と異る、其殆ど全部が人の設けし手段方法である、方法なき伝道と方法のみの伝道、神に助けらるゝ伝道と神を助くるの伝道、伝道の今昔を思ふて余輩は感慨の念に堪へない。
 
(292)     『復活と来世』
                         大正6年8月5日
                         単行本
                         署名 内村鑑三 著
 
〔画像略〕初版表紙183×125mm
 
(293)     緒言
 
  一たび死ることゝ死て審判を受くることゝは人に定まれる事也(希伯来書九章二十七節)。
  人もし死ばまた生きんや(約伯記十四章十四節)。
  キリスト死を廃《ほろぼ》し福音を以て生命と壊《くち》ざる事とを明著《あきらか》にせり(提摩太後書一章十節)。
 人の一生に於て死は最も確実なる事である、而かも彼は死して死するに非ず、而して死後如何に就てはキリストの福音のみ之を明著にした、死は人生の最大問題である、而してキリストの福音のみ之に満足なる解決を供する、此書は過去数年間、余が死に就て考へ、又之に就て人を慰めんとして語りし言を蒐めて作りし者である、若し死を慰むるの一助となるを得ば幸である。
  一九一七年七月二十日
                           著者
    〔目次〕
  【括弧内の文字は本論掲載の『聖書之研究』号数並に其発行年月なり】
 
祝すべき死(一四一号、明治四五年四月)
忌避乎通過乎(一四六号、大正元年九月)
死すべき時(一六三号、大正三年二月)
ヤイロの女(一七〇号、大正三年九月)
如何にして復活する乎(一八一号、大正四年八月)
(294)復活と其状態(一六八号、大正三年七月)
死の慰藉と復活の希望〔原題「死の慰藉」〕(一六五号、大正三年四月)
未来の裁判(一四四号、明治四五年七月)
来世獲得の必要(一五八号、大正二年九月)
我等は来世に就て若干を示されし乎(一九七号、大正五年十二月)
艱難と刑罰(一三九号、明治四五年二月)
義者と患難(一四七号、大正元年十月)
聴かれざる祈祷(一五八号、大正二年九月)
安心立命の途(一六八号、大正三年七月)
 
  附録
 
死に勝つの力(一五九号、大正二年十月)
永生と不滅(一七三号、大正三年十二月)
死と罪(一五五号、大正二年六月)
我れ病める時に(一三三号、明治四四年八月)
今世対来世(一七八号、大正四年五月)
 
(295)     EMERSON ON THE BIBLE.
                         大正6年8月10日
                         『聖書之研究』205号
                         署名なし
 
 Emerson is still a misunderstood man in America. Probability is that American churches classed him with Unitarians and Pantheists because they could not understand him. What he said of tbe Bible shows his genuine insight into its divine worth. Said he:“The most orlglnal book in the world is the Bible. It is in the nature of things that the highest orlglnality must be moral. Shakespear presupposes the Bible and the prophets;Isaiah does not presuppose Shakespear or Honer. The Bible came out of a profounder depth of thought than any other book,”(The quotations sent by Bishop M.C.Harris,copied from Emerson's Journals).
 
 
(296)     当然の窮乏
                         大正6年8月10日
                         『聖書之研究』205号
                         著名なし
 
 狐は穴あり 天空《そら》の鳥は巣あり 然れど人の子は枕する所なし(馬太八の二十)、弟子は其師の如く僕は其主の如くならば足りぬべし、若し人主を呼びてベルゼブルと云はゞ況して其家の者をや(仝一〇の二五)、我等は多くの艱難を歴て我等が神の国に至るべき也(行伝十五の二十二)、キリストの此世に於ける生涯は不遇艱難迫害の生涯であつた、世は彼を置くに堪へなかつた、故に彼を斥け困しめ、而して終に彼を殺した、而して斯の如くにキリストを扱ひし世は今猶依然として旧の世である、悪魔は其主である、暗黒は其勢力である、今の世も亦昔の世と斉しくキリストを置くに堪へないのである、キリストにして今再び現はれ給はん乎、世は挙て彼を排斥し、彼を逐ひ彼を窘め、彼を殺さずしては止まないのである、基督教国と基督教会とは彼を崇むると称すれども実は彼を憎むのである、彼等は自己の影像にキリストの名を附して之を拝するに止まり、真正のキリストは彼等の心の奥底より之を忌嫌ふのである、世が世である間は人の子は枕する所がないのである、而して凡て彼の真正《まこと》の弟子は彼と同じく不遇、窮乏、艱苦の生涯を送らざるを得ないのである、信者は奸悪の此世に在りて之と妥協せずして平和の生涯を送り得ないのである、羔は世の始より殺されて今に到るのである、世対羔の戦争は継続して今猶止まないのである、然るに視よ、所謂基督教国に在りては皇帝はキリストの御父なる真の神の聖名に託《よ》りて其位(297)に即くのである、而して基督教会の監督は帝王の宮殿に等しき監督館に任して僧徒の上に教権を揮ふのである、キリストに枕する所なき此世に在りて彼の弟子を以て自から任ずる者が冠を戴き錦を纏ふのである、暗黒が勢力たる此世に在りて勢力を揮ふ者は暗黒の子供であつて光明の子供であるべき筈はない、然るに事実如何と問ふに光明の子供なりと称する者が暗黒の此世に在りて勢力を揮ひ又揮はんと欲するのである、今時の基督教会なる者が総て偽の教会である最も明白なる証拠は彼等が此世に在りて勢力を渇望する事に於てある、我儕の国は天に在りである、信者が勢力を揮ふべき所は彼処に在るのである、彼処に彼等は諸邦《くに/”\》の民を治むる権威を賜はり、主と偕に鉄の杖をもて諸邦の民を牧《つかさど》るのである(黙示録三の二十六)、然れども我儕此処に在りて恒に存つべき城邑なし惟来らんとする城邑《みやこ》を求むである(希伯来書十三の十四)、此処にては不遇彼処にては得意、此処にては窮乏、彼処にては富裕、此処にては僕、彼処にては王、聖書が瞭《あきらか》に示す信者の生涯は是である、神は今の世を悪魔に服はせて来らんとする世をキリストに服はせ給ふたのである(希伯来書二章五節参考)、此世に在りて信者に患難《なやみ》多きは当然である、此世に在りて信者は衣食あらば之をもて足れりとすべしである(提摩太前六の八節)、信者に不似合なるものにして此世に在て満足れる生活を営むが如きはない、壮宏なる監督館、高価なる教会堂、位階と勲章、避暑地の別荘(預言者アモスの所謂「夏の家」亜麼士書三章十五節)是等は皆な此世に在りてはベルゼブルと呼ばれ、枕する所なかりしナザレのイエスの弟子に有り得べからざる者である。
 
(298)     預言者イザヤをして今日在らしめば
         以賽亜書十三章より廿三章までを読みて感ずる所
                         大正6年8月10日
                         『聖書之研究』205号
                         署名 内村鑑三
 
 若し預言者イザヤをして今日世に在らしめたならば彼は偉観を呈したであらう、彼は神の預言者として甚く万邦を責めたであらう、彼は今の監督牧師伝道師の如くに一国を貶して他国を揚《あげ》るが如き事を為さないであらう、神は偏視《かたよ》る者にあらず、神の預言者亦然りである、イザヤは先づ第一に自分の国のユダヤを責めた、次に其姉妹国のイスラエルを責めた、隣邦のシリヤ、モアブ、エドムを責めた、当時の強大国のアツシリヤとエジプトとを責めた、海上の勢力たるツロを責めた、遠き南方のエテオピヤを責めた、彼れ在世当時の開明国にして彼の「預言」即ち詰責の言を蒙らざる者はなかつた、彼は実に万邦の預言者であつた、身は※[草がんむり/最]※[草がんむり/爾]《さいじ》たるユダヤ国の一市民であつたが、職は世界の裁判官であつた、彼は建てゝ又壊つた、彼の前に人は皆な風の吹き去る粃糠《もみがら》であつた、彼は言辞を以て偉大であつた、彼は神に代りて語りて思ふがまゝに万邦を鞫いた。
 イザヤは紀元前第八世紀の人であつた、我が神武天皇即位前更らに百年前に此世に出た人であつた、然れども彼の勢力たるや世界的であつた、彼の感化力たるや永久的である、彼にして若し紀元後第二十世紀の今日に世に出ん乎、彼は同じ権威を以て万邦を責めたであらう、彼は今より五年前、又は十年前、欧洲大戦乱が未だ人の予(299)想にだも上《のぼ》らざりし時に全世界を警誡して言うたであらう、
   汝等泣号ぶべしヱホバの日は近づけり、
   全能者より出る敗亡《ほろび》来らんとす、
   是故にすべての手は垂れ
   すべての人の心は消えゆかん……
   視よヱホバの日は到れり、
   苛《から》くして忿恚《いきどほり》と激しき怒を以て来れり、
   全地を荒し其中より罪人を絶滅《たちほろぼ》さん、
   天の諸の星と星の宿《やどり》とは光を放たず、
   日は出でゝ暗く月は昇りて輝かざるべし、
   我れ其罪悪のために世界を罰し、
   其不義のために悪人を罪し、
   驕れる者の誇りを止《とゞ》め、
   暴ぶる者の傲慢《たかぶり》を低くすべし
と(十三章六−十一節)、過去半百年間に渉り、人類は、殊に其開明人種は、殊に基督教国と称する国々の民は、其造主なる神を忘れ、文明と称して肉の快楽のみ維れ求め、神の属を奪て己が用に供し、富源と称して天然を盗用し、哲学に耽り、科学を弄び、美術を楽しみ、恩恵に与りて謝することをせず、全能の神を斥けて智識万能(300)を唱へ、信仰を嘲けりて「力の福音」を唱道した、茲に於てか「ヱホバの日」は全地に臨まざるを得ない、此国彼国を罪せんがためではない、全世界を罰せんが為である、「我れ其罪悪のために世界(全地)を罰し」とある、独墺と云はず、英仏と云はず、全欧洲、全米国、全亜細亜が其造主なる神を蔑 にし、文明の美名の下に自己中心主義を以て生活を営み来つたのである、忿恚と激しき怒とは彼等の上に臨まざるを得ないのである、神の心を以て心とする預言者の心に大戦争は預知せられたのである、此文明ありて此戦争あり、十九世紀文明の当然の結果として二十世紀の此大戦争は臨んだのである。
 人類全体、殊に基督教国全体を詰責せし預言者は更に眼を転じて国々を詰責したであらう、彼は先づ第一に己が本国を責めたであらう、彼は今の愛国者の如くに己が国の罪とあれば悉く之を蔽ひ包み、敵国の罪と云へば尽く之を曝露するが如き事を為さなかつた、彼は先づ第一に自国を責めて然る後に他国に及んだ、
   あゝ罪を犯せる国、不義にて充てる民、
   悪を行ふ者の裔、道を乱る種族《やから》……
   全頭は病み全身は疲る、
   足の跖《うら》より首《かうべ》の頂に至るまで健全なる所なく唯創痍と打傷と腫物とのみ云々
と(一章四−六節)、万邦尽く罪あり我国最も甚しと預言者は曰ふのである、而して自国の罪を感ずること最も鋭敏なる預言者の声であるが故に彼が他邦を責むる其言が聴かるゝのである、而して国人が神国なりと称して世界に誇りし自国を責めて完膚なからしめし彼は昔のモアブ、エドム、シリヤ等の小邦を責めしが如くに今の白耳義、賽爾比《セルビヤ》、黒山国《モンテネグロ》、勃牙利《ブルガリヤ》、羅馬尼《ルーマニヤ》等の小邦を責めたであらう、彼は小邦なりとて其罪を仮借しないであらう、彼は(301)自耳義を責むるに彼等が阿弗利加コンゴーに於て其黒奴を虐待せし事を以てしたであらう、彼は預言者アモスが「ギリアデの孕める婦を剖たり」と云ひてアンモン国の罪を責めしやうに、土人の小児に爆裂薬の団子を飲ましめて其腹中に入りて破裂するを見て楽めりとの事を以て自耳義国を責めたであらう(亜磨士書一の十三)、独逸は白耳義を虐待した、預言者は独逸を憤らざるを得ない、然れども白耳義も亦無辜ではない、彼も亦弱き助けなき阿弗利加土人を虐待した、公平なる預言者の眼は亦彼に向て忿らざるを得ない、勃牙利然り、賽爾比亦然りである、罪は強者に於てのみ有るのでない、弱者に於ても亦有るのである、若し預言者イザヤをして今日在らしめしならば彼は英米の宗教家が為すが如くに小邦を憐むの余り其明白なる罪悪を蔽ひ匿すが如き事を為さないであらう、彼はモアブに対して揚げし声を賽爾比に対して揚げたであらう、其敗亡の状態を述べし後に言ふたであらう
  モアブの女輩《むすめら》(民等)はアルノン(国境を流るゝ河の名)の津《わたり》にあたりて彷徨ふ鳥の如く、巣を逐はれたる雛の如くなるべし
と(十六章二節)、彼は南方の山国エドムに対して述べし言を巴爾幹半島の山国黒山国に対して述べたであらう(廿一章十一、十二節)、ダマスコに関はる預言は白耳義に関はる預言であらう(十七章)、其他伊太利に対し、羅馬尼に対し、土耳古に対し、勃牙利に対し、適当の預言があるであらう、彼は能く各国の弱点を摘指し、其罪を責めて悔改の途を教へたであらう。
 イザヤは勿論普魯西の軍国主義を憤つたであらう、彼はアツシリヤを責めし峻厳の言を以て普魯西を責めたであらう、アツシリヤ王サルゴンセネケリブに対して叫びし言を以て独帝《カイゼル》に対して叫んだであらう、彼は武力を以てする征服の全然無効に帰するを述べたであらう、彼は軍国主義の独逸の近き将来に就て預言したであらう、(302)曰く
  暴虐を施せる者如何にして息みし乎
  ヱホバは悪人の枚を折り給へり、
  有司(官僚)の笞《しもと》を挫き給へり、
と(十四章五節)、軍国主義の代表者なるカイゼルに対して彼がアツシリヤ王セナケリプに対して告げし言辞を其儘繰返して言ふたであらう、曰く
  汝の怒り狂ふ事と汝の傲慢《ほこ》る所の事上りて我(ヱホバ)耳に入りたれば、我れ環《わ》を汝の鼻につけ、轡を汝の唇に施して汝を元|来《き》し道に引還すべし
と(列王紀略下十九章廿八節)、而して預言者の此言を聞きし独逸の哲学者神学者等は甚だしく怒るであらう、然れども正義に勇敢なるイザヤは哲学をも神学をも恐れないであらう、彼はオイケンとハルナツクの権威を排し、軍国主義の体現者を扱ふこと漁夫が鰐を扱ふが如くであらう、曰く「我れ環を汝の鼻に附け、轡を汝の唇に施し云々」と。
 而して独逸を責めしイザヤは同様に英国を責めたであらう、而してアツシリヤに対せし態度を以て独逸に当りし預言者はツロに対せし態度を以て英国に当つたであらう、ツロは疇昔の商業国であつて海上の権力であつた、其運命如何、預言者は曰ふた、
   タルシシの諸の舟よ泣号べよ……………………
   ツロは大なる水を渡来るシホルの種物と
(303)   ナイル河の穀物とによりて収益を得たり、
   ツロは諸の国の集ふ市なりき、
   其商人は王侯其貿易者は国の貴族なりき、
   ヱホバ手を海の上に伸《のべ》て国々を震《ふるひ》動かせり、
   ヱホバ詔命《のり》を下し其|保砦《とりで》を壊《こぼた》しめ給ふ、
   タルシシの舟よ泣号べよ汝の保砦は砕れたり
と(二十三章一−十四節)。
 斯くてイザヤは万国を裁判くであらう、然れども神の預言者なるが故に鞫くのみに非ずして慰むるであらう、神の忿恚は殺すために臨むのではない、活かすために来るのである、イスラエルの敵なるエジプトもアツシリヤも終には神の国と化すべしとの事であつた、
   万軍のヱホパ之を祝して言ひ給はく、
   我民なるエジプト我手の工《わざ》なるアツシリヤ、
   我が産業なるイスラエルは福いなる哉
と(十九章廿五節)、罪の刑罰として此大戦争は世界に臨んだ、然し乍ら之に由て世界が滅びんが為ではない、之に由て救はれんが為である、軍国主義は之に由て独逸より除かれ、商売根性は英国より絶たるゝのである、
  其貿易と其獲たる利潤とは聖められてヱホバに献げらるべし
とあるが如く、此大戦乱の終る所はキリストの再臨か否ずば之に類する福祉《さいはひ》の到来である(廿三章十七節)。
 
(304)     亜細亜の七教会
                      大正6年8月10日・10月10日
                      『聖書之研究』205・207号
                      署名 内村鑑三 述
 
     エペソ教会(七月一日)
 
 黙示録は一の書翰である、使徒ヨハネ将に当時の教会に臨まんとする大迫害を目前に控へ之に堪ふべき信仰を励まさんと欲して綴りたる長き書翰である、而して其の第一章九節より第三章終に至る迄は書翰中又一小書翰を成すものである、即ち亜細亜の七教会に宛てたる書翰である、多分全体に対する序文の如くして之を添附したものであらう、故に其文体も自ら平明である、之を解する事は黙示録全体を解するの手引として甚だ有益である。
 当時の亜細亜とは今日の所謂亜細亜大陸の謂ではなかつた、現在の土耳古帝国に属する西方亜細亜の一小部分を指して亜細亜と言うたのである、東洋西洋と言ふも亦同様であつた、即ちイージア海両岸の狭小なる土地の称呼であつたのである、然し乍ら狭小なりと雖も枢要の土地であつた、殊に其のエペソの如きは東西両洋の物貸の集散地にして当時最も重要の地位を占めたる都会であつた、而してパウロが其伝道の為めに全力を注ぎたるは之等の地方であつたのである、彼は実に稀有なる地理学的炯眼を備へて居た、由来事を成す者に鋭敏なる地理眼を有する者が尠くない、ナポレオン、太閤秀吉の如き皆然りである、秀吉が関西にありては大阪に着眼し関東にあ(305)りては小田原を棄てゝ千代田城を選びたるが如き史家の嘆称する処である、其目的は全然之を異にすと雖もパウロも亦福音を宣伝するに当り何れの土地を選ぶべきかを能く弁へて居つた、彼はイージア海の西岸にありてはネアポリス、アンピポリス等の小都会は棄てゝ之を顧みず専らピリピ、アテンス、コリント等中枢の地を選択して此処に深く福音の根を植え付けた、故に彼の福音は遂に動かすべからざるものとなつたのである、就中パウロの最も力を傾倒したるは東岸エペソであつた、彼は夙に東西両洋接触の要路に当れる此地の地位を看破し其一日を惜むの身を以て前後三年の長日月を茲に費したのである、使徒行伝中最も興味ある記事は実に彼のエペソ伝道である、彼が是の如くにして福音宣伝の為めイージア海の両岸枢要の地点を選定したる事がやがて吾人今日の救拯の基となつたのである、パウロの偉大なる所以は其の伝道の熱心に在るのみではなかつた、彼は其の伝道に一定の大計画を樹立し以て世界永遠の救拯を確保したのである。
 而してパウロのエペソ伝道に由り福音は亜細亜の諸地方に普及し幾多の信者団体即ち教会が成立した、パウロ死して後三十年、使徒ヨハネ又此地に来りてパウロの播きたる種子に灌《みづそゝ》いだのである、ヨハネはパウロの創設に係る諸教会中代表的と見るべき七教会を選びて之に対し書翰を贈つたのである、亜細亜の七教会は即ち全世界の教会の代表者である、ヨハネの書翰は畢竟前者を通して後者に宛てたる者である。
 黙示録一章九節十節の示すが如くヨハネ嘗てパトモス島に流され居た、或る安息日(主の日)彼は一の霊的実験を有つたのである、其の「※[竹/孤]の如き大なる声」とは十二節に「我れ身を転《かへ》して我に語れる声を観んとし云々」とあるに由て明かなるが如く耳に聴ゆる声に非ずして所謂感応である、而して彼が身を転して見たる「人の子の如き者」とは十三節以下の記す処に由れば恰も鵺を見るが如く異形の者の如く見ゆる、乍然其の果して何者なる(306)やは聖書を読みたる人の直に判断し得る処である、「人の子の如き者」、旧約の語である(但以理書七章十三節) 「其身には足まで垂るゝ衣を着、胸には金の帯を束ね」、祭司の長の服装である、「首と髪とは白きこと羊の毛の如く雪の如く」、但以理書に所謂「日の老いたる者」であつて始なく終なく永遠までも存する者の解である(但以理書七章九節) 「目は火焔《ほのほ》の如く足は炉に焼くる真鍮の如く声は大水の響の如し」、預言者又は審判者である、「両刃の利剣その口より出で面は甚だしく輝く日の如し」、之れ亦右に同じ、即ちヨハネの後に立ちし者は祭司の長にして永遠に生くる者、預言者にして又審判者である、故に彼は曰ふ「我は首先《いやさき》なり末後《いやはて》なり、我は生ける者なり 前に死にし事あり、視よ我は世々窮りなく生きん アメン」と。
 「七の星」「七の燈台」とは何ぞ、天に星あり地に燈台あり、天の暗きに照る燈台は星である、地の暗きに照る燈台は教会である、天にありては星として輝き地に在りては燈台として輝く、之れ即ち教会である、故に星は天に於ける教会の代表者である、プラトー哲学に於ける理想の如し、物皆な理想あり、其の見えざる理想の代表者として此世の見ゆる物は存在するのであると、其如く教会も亦天に於て代表者を有す、而して教会が.神に護らるゝ所以は其代表者が神の前に在りて神に護らるゝからである、是れ当時の人々の思想であつた、彼等は神直接に自己を護り給ふと言ひて其間に思想の欠陥を感じたのである、彼等は自己の代表者なる使者が天にありて自己に代り神の恩恵を受くるに由り自己も其恩恵に浴するのであると為したのである、又彼等の祈求も亦其使者を通して初めて有効に神に到り得ると信じたのである、其関係は誓へば今日外国に駐在する大公使の如くであつた、外国人が我が代表者たる大公使を保護するに由り彼等は亦我を保護すと為すが如き思想である。
 「右の手に七の星を執り又七の金の燈台の間を歩む者」(二章一節) 天に在る教会の代表者を右の手に支へ地(307)に在る教会を司り給ふ者である、教会を保護し之を導く者である、教会の首長、信者の指導者、権威あり同情ある者である、神に非ずんばキリストたらざるを得ない。
 「汝エペソの教会の使者に書き贈るべし」(同節) 使者とは今日の語を以てすれば精神又は代表者である、エペソの教会には又自ら其歴史的精神があつた、従て最も良く此精神を体得せる代表者があつた、単にエペソの教会に書贈ると言はゞ語義聊か漠然たるを免れざるも其の精神又は代表者に贈ると言ひて其の表示する所甚だ適確である、或は曰ふ使者とは監督の謂であると、然れども当時既に監督と称するが如き職務を有するほど判然たる教会組織を存したるや否やは疑問である、故に寧ろ之を具体的の職名と見ずして抽象的の意味に解するを可とする。
 而して神は先づエベソ教会の特長を数へ立て給うた、曰く「我れ汝の行為と労苦と忍耐とを知る、又特に汝が悪人を容るゝ能はざる事と曩に偽使徒を看破したる事とを知る云々」と、エペソ教会は健全なる団体であつた、彼等は悪人を容るゝに堪へなかつたのである、悪人入りて後之を教会裁判に訴へ以て駆逐するは既に晩し、信仰の燃えたる団体は始より悪人の入るを容さないのである、恰も健康の体は毒素を排斥して其感化を受くる事なきと同様である、エペソ教会は其の状態に於て在つた、パウロの創設以来三十年、信仰の妨害特に旺なりし初代に在りて能く之を維持し来つたのである、而して神は之等の特長を悉く記憶し今や其代表者に言を贈らんとするに方り先づ之を列挙し給うたのである、此世の教師は信者の短所のみを指摘して已まない、然れども神は深く其長所を洞察し給ふ、是れ人を遇する真の途である。
 エペソの教会は強健であつた、然し乍ら彼等に唯一つの欠点があつた、即ち其の消極的なる事であつた、「汝(308)初時の愛を離れたり」と、初時の信仰は初恋と同じく熱愛である、生ける神を慕ふの情に燃ゆるのである、然るに年久しくして信仰生活に慣るゝや熱情は失せて忍耐之に代り信仰は変じて主義と化する、是に至りて自己の立場を守らんが為め又不信者に対して戦はんが為めに其の努力する所は堅しと雖も美はしき情あるなく熱き涙あるなし、之れ信仰の堕落である、故に曰ふ「汝何処より堕ちしかを憶ひ悔改めて初の工《わざ》を行へ、然らずんば汝の燈台即ち教会其ものを取除かん」と、而してエペソ教会の此欠点は今日に於ても亦多くの教会の事実である、彼等も亦主義を棄てゝ信仰に帰らなければならない、恪守を棄てゝ初恋に帰らなければならない。
 「然れども汝に一の取るべき事あり、ニコライ宗の人の行為を悪む事なり」と、ニコライ宗とは何ぞ、或は曰くノスチツク派(信仰を智識的に解釈せんとする一派)の別名なりと、然し乍ら最も首肯すべき解釈は其字義より来りし者である、曰く「ニコ」は征服なり、「ライ」は平信徒又は俗人の意なり(英語の laity を参照せよ)、ニコライ宗即ち平信徒征服宗なりと、換言すれば僧侶階級の跋扈である、蓋し信者は自ら為すべき事を為さずして之を教師に委ねんと欲し教師は斡旋尽力を好みて切りに牧者の労を取らんと欲す、是に於てか前者の屈従と後者の圧制とを馴致するは自然の勢である、故に古来懶惰なる教会にしてニコライ宗の発生を見ざる者あるなし、ヨハネの当時に於ても亦既に其萌芽を見たる事はパウロの牧会書翰の証する処である、然し乍ら健全なる教会は最もニコライ宗を悪む、良き教会とは信者全体を根本とするの教会である、エペソ教会は此種の教会であつた、故にニコライ宗の萌芽を発見するや直に之を摘抉し去つたのである、而してニコライ宗はキリストも亦之を許し給はない、「我も之を悪めり」とある、黙示録に此語を止むるは我等の感謝すべき処である。
 「勝を獲る者には我れ神の楽園にある生命の樹の実を食ふ事を許さん」と、書翰の終末は悉く恩恵の約束であ(309)る、而して注意すべきは七教会に対する約束の悉く来世的なる事である、曰く楽園の生命の実云々、第二の死の禍害云々、其他皆此類である、今人は徒らに現世の実益を欲し「徳は得なり」と称して道徳と利益との一致を説く、然し乍ら聖名の為に迫害を忍ばんとする者に取つて此世の繁栄の如きは約束として余りに低劣である、報償《むくゐ》を来世に望まずして信者の心は安んじない、此約束あるに由て彼は初めて満足するのである。
 「爾死に到るまで忠信なれ、我れ永生の冕を爾に賜《あた》へん」とは聖霊《みたま》が預言者を以てすべての教会に告ぐる所である、而して今日の我等信者も亦神の此約束の言に接するのである、信仰は忍耐である、信者は此世に在りて善物を約束せられたのではない、此世に在りて忠信にして来世に在りて冕を賜はるのである。
 
     スムルナ及びペルガモ教会(七月八日)
 
 書翰第二はスムルナの教会に宛てたる者である、其大体の構成に於てはエペソの教会に宛てたる者と異ならない、此書翰も亦之を教会の使者即ち教会の精神又は代表者に贈れる者である 而して「首先未後のもの死にて又生きたる者是の如く言ふ」と、昨日あり今日あり永遠までも在る者、死は其人に在ては無に等しき者なるイエスキリストである、彼はエペソの教会に於けるが如く亦スムルナ教会の為したる凡ての善き事と其の苦痛とを知るのである、而して尚ほ来らんとする患難に就て彼等を励まし最後に其勝利に対する約束を以て言を終るのである。
 スムルナの教会に臨みし患難は如何なる種類のものである乎、今日より之を明かに知るに由なしと雖も其のイエス御自身又はパウロに臨みし患難に類似するものたるや疑が無い、イエスはユダヤ人より訴へられて羅馬の官(310)吏の為めに十字架に釘けられ給うた、パウロも亦ユダヤ人の訴ふる処となり遂に羅馬に於て殉教の死を遂ぐるに至つた、スムルナの教会も同様の患難に遭遇したのである、彼等に対しても亦ユダヤ人が其告訴人となつたのである、然り彼等は自ら称してユダヤ人なりといふ、然し乍ら「実はサタンの会《シナゴグ》の者」である、彼等は羅馬政府の下に属する多くの国民中最も基督者に近き者なるに拘らず却て其の最も悪しき敵であつた、基督者を訴へたる者は大抵の場合に於てユダヤ人であつた、彼等は基督者に似て非なる者なりしが故に之を嫉視して已まなかつたのである、而して羅馬政府も亦基督教の勢力を恐れユダヤ人の告訴を採用して基督者を所罰したのである、告訴者ユダヤ人あり所罰者羅馬政府ありて基督者の迫害は絶えなかつたのである、我国に於ける天草の騒動の如きも其例に漏れなかつた、此時も亦天主教を徳川幕府に訴へたる者は彼等に最も近き和蘭人若くは天主教徒中の所謂犬であつたのである、幸か不幸か今日我が国の信者は此種の患難に遭遇せざるが故に之を以て対岸の火災視するかも知れない、然し乍ら真の信仰を抱く者に対しては必ずや何処かにユダヤ人の地位に立つ者がある、又羅馬政府の地位に立つ者がある、そのユダヤ人の地位に立ちて我等を訴ふる者は誰ぞ、仏教徒か、神主か、否、却て我等に近き者である、我等の友人の如く信仰の兄弟の如くに見ゆる者が却て我等を裏切るのである。迫害の迫害たる所以は此処に在る、而してスムルナの教会に臨まんとする患難は即ち此種の患難であつた。
 是に於てか之を慰むるの辞に曰く「汝等十日の間(或る時期の間)患難を受くべし、汝死に至る迄忠信なれ、さらば我れ生命の冕を汝に与へん……勝を得る者は第二の死の禍害を受けず」と、神は此患難より直に我等を救出し給はないのである、神は死に至る迄我等を敵に渡し給ふ、而して第一の死は之を免るゝ事が出来ないのである、然りと雖も第二の死の禍害は之を受けざるなりと、思ふに今日の信者は是の如き慰藉を以て慰藉たるに値せ(311)ずと為すであらう、彼等の重きを置く所のものは第二の死に非ずして第一の死である、然し乍ら信仰の深き経験を経たる者は何人も知るのである、血を以て播かれたる種子に非ずんば其根堅からざるを、現に我国に於てもスムルナの教会に似たる迫害を忍びて能く其信仰を維持し来れる実例があるのである、徳川幕府の初世の頃九州大村に於て信者数十人一時に磔刑に処せられた、而して迫害は其末世に至るまで継続せられ、多くの悲惨の経験を嘗たる者がある、然るにも拘らず彼等の中其の迫害に堪へて遂に信仰を棄つる事なく今尚ほ生存する者があるといふ、実に基督者の最後の慰藉は第二の死の禍害を受けざる事に在るのである。
 是の如くスムルナの教会はエペソの教会と共に責むべき所少く甚だ優秀なる教会であつた。次に来るものはペルガモ教会である、ペルガモは羅馬帝王崇拝の思想の盛なりし処である、初め羅馬は分裂したる世界を統一し中央集権の実力ある政府を建設したるも尚ほ一の大欠点あるを免れなかつた、即ち国民の信仰の中心を欠如したのである、一帝国に糾合せられたる多数の国民を統一すべき宗教を欠如したのである、是に於てか政府は已むを得ず信仰に代ふるに帝王崇拝《アポテヲシス》を以てした、帝王崇拝とは羅馬皇帝を神として崇め其像を彫み之に供物を献ぐるのである 而して政府は国土統一の必要上之を以て全国民に強ゐ拒む者に対しては厳罰を以て臨んだのである、亜細亜に於ける帝王崇拝の中心地はペルガモであつた、ペルガモは亜細亜に於ける政庁所在地にして其地には帝王の神殿があつた、故に其の市民は現実に之が累拝を強要せられたのである、然し乍ら基督者に取ては神は唯一のみ、イエスキリストの父即ち是れである、此の真神に対する崇拝を移して帝王に帰するが如きは勿論彼等の堪ふる能はざる処である、之れ必ずしも帝王に背坂するに非ず政府を侮辱するに非ず、其の信仰上必然の態度に過ぎない、かくてペルガモの信者は政府と衝突せざるを得なかつた、彼等は帝王崇拝者流より国賊(312)の汚名を被せられ剣戟を以て迫害せられつゝヱホバの神に対する真の崇拝を擁護したのである。
 「我れ知る汝が住む処は即ちサタンの座位《くらゐ》のある所なり」と、皇帝を以てサタンと称す、語は過激なるに似たるも然らず、サタンとは反基督《アンチクリスト》即ち凡てキリストの場所を代り取らんとする者の謂である、此意味に於て帝王崇拝の対象たる羅馬皇帝は実にサタンであつた、パウロの伝道当時にありては羅馬帝国は基督教の味方たりしも今や変じて其敵となつたのである。
 ペルガモの信者は此敵と戦うて勇剛であつた、彼等の中のアンテパスなる者帝王崇拝を拒みて虐殺せられたるにも拘らず彼等は其信仰を棄つる事をしなかつた、之れキリストの嘉し給ふ処である、然し乍ら彼等に数件の責むべきものがあつた。
 「汝等の中バラムの教を保つ者あり、先にバラム、バラクに教へて礙く物をイスラエルの民の前に置かしむ、即ちバラクをして彼等に偶像に献げし物を食はせ姦淫を行はしめたり」、事は民数紀略に詳かである(廿二−卅一章) 預言者バラム、モアブ人の王なるバラクに勧めモアブ婦人を以てイスラエルの民を誘ひ遂に其の神を棄てゝ偶像を拝せしめた、ペルガモの教会中にも之に類する者があつたのである、姦淫とは即ち婦人の貞操を棄つるが如く真の神を棄てゝ神ならざる者に仕ふる事である、信仰上の姦淫である、ペルガモの信者の中にも帝王崇拝に対する妥協を主張する者が出たのである、而して彼等は言うたであらう、敵は崇拝の何たるを知らざる者である、故に暫く譲歩するに如かず、やがて事の分明すべき時は来らんと、然し乍らヨハネの如く是を是とし非を非とし黒白を峻別して一点の紛更を許さざる性格に取ては妥協は堪ふる能はざる処であつた、彼は信仰を曖昧にせむよりは寧ろ死を択んだであらう、彼はバラムの教の如きは極力之を排斥せざるを得なかつたのである。
(313) 又曰ふ「汝等の中にニコライ宗の教を保つ者あり」と、バラム教と共にニコライ宗は生る、二者は心理学上相似たるものである、信仰衰へて偶像崇拝を入れんとするの時は即ち僧侶階級起りて平信徒を圧服せんとするの時である。
 「勝を獲る者には我れ蔵しあるマナを与へん」と、迫害を恐れて妥協せん乎、事は乃ち已むのである、然し乍ら戦つて勝利を獲ん乎、「蔵しある」即ち世人の知らざるマナは与へらるゝのである、そは如何なるマナぞ、語を以て説くべからず、唯だ迫害に堪ふるの経験を嘗めたる者のみ之を知る、外なる宝は悉く之を失ふとも内なる恩賜は愈々豊かに加へらるゝのである。
 「又白石の上に新しき名を記して之に与へん、之を受くる者の外に此名を知る者なし」と、難解の辞である、然し乍ら近時考古学者セイス、ラムセー氏等の発掘探究の結果に由れば往年亜細亜の民多く呪符を記せる白石を所持したりといふ、蓋し之に由て疾病災難を免れ又は天国に赴くに方り悪魔退き門扉自ら開放すといふが如き迷信に出でたのである、されば白石を獲て之に呪符を記入せられん事は当時の人々の希求であつた、ヨハネは此迷信を拉し来り之に新しき意味を附与したのであらう、彼は日ふ「我も亦白石を与へん、我も亦或る名を之に記して与へん、こは新しき名にして此名を以てすれば必ず天国に入るを得」と、而してヨハネの言は勿論迷信ではなかつた、此石此名は今日我等も亦切望する処のものである。
 是の如くに研究し来れば千八百年前のペルガモに於ける信者の状態を略々察知する事が出来る 彼等は帝王崇拝の市に特別なる迫害に遭遇した 彼等の多数は生命を賭して之と戦つた、然し乍ら彼等の中にもバラムの出づるありて切りに妥協譲歩を主張した、又同時に僧侶階級の跋扈が始まつた、其時使徒ヨハネ神の使と為りて儼(314)然之を誡め薦むるに単純なる信仰を以てした、而して迫害に勝ち得る者に対しては人の知らざるマナと新しき名を記せる白石とを与へん事を約束した、信仰の維持の困難なる何れの時何れの地に在ても同様である、然りと雖も勝を獲る者には必ず大なる約束の与へらるゝ者がある、されば勇めよ迫害の中に在るの兄弟! 〔以上、8・10〕
 
     テアテラ教会(七月十五日) 約翰黙示録二章十八節以下
 
 七教会の所在地は各其位置及び状態を異にし又其特産物を異にする、エペソは亜細亜の首府《メトロポリス》にて女神ヂアナ(アルテミス)の殿《みや》あり参詣人多く迷信の盛なる処であつた、スムルナは貿易地たり、ペルガモは政庁の所在地たり、而してテアテラは工業地であつた、使徒行伝に「紫布を售《あきな》ふ市《まち》云々」とあるは他の典拠に裁て見ても誤なき事実である(行伝十六章十四節)、布とは羅紗及び織物の謂にして紫は各種の染色を意味する、即ちテアテラは染織工業を以て有名なる市であつた、近来の調査に由れば此市の近傍を流るゝ小川の水質特に染色に適し之を以て染めたるものは光沢強く且褪色せざるの特長ありといふ、其原料なる茜草《マツダー》もテアテラ附近に夥しく産出するのである、従て染織の業甚だ盛にして当業者多く隆盛の市であつた、而して之等多数の織物職工、染物屋等の間に尠からざる基督者が起つたのである。
 彼等も亦大体に於て健全なる信者であつた(十九節)、然し乍ら彼等に一の欠点があつた、「かの自ら女預言者なりといひて我が僕を教へ之を惑はし姦姪を行はせ偶像に献げし物を食はしむる婦ヱザベルを容れ置ける」事之れである、茲に云ふヱザベルとは誰人を指したのである乎、今日知らんと欲して研究の資料あるなし、然れども(315)之を二様に解する事が出来る、之を以て一婦人と解せん乎、彼女は曾て選民イスラエルを苦めたる異邦の女ヱザベル(『旧約十年』七十九頁以下参照)の如く、テアテラ教会に於ける偽の信者にして其才能と学識とを以て一般の信者を惑した者であらう、而して当時東方の風習として婦人の地位は蔑まれたるに拘らず新約聖書中勢力ある婦人の出現に関する記事多きは著るしき事実である、ピリポの女四人皆預言したるが如きは其一例である(行伝廿一章九節)、現今に在りてもかのイリー夫人の創始に係る基督教科学《クリスチヤンサイエンス》の如きは米国に於て無数の信者を有するのである、才媛の人を動かす勢力侮るべからず、ヱザベル若し一人の婦人なりしとするも事は決して怪しむべきではない、然し乍ら其れよりも一層真理に近き解釈はヱザベルを以て党派の名称と見るに在る、西洋の国語に於て党派は女性を以て表はさるゝのである、但し党派か婦人か、今に於て之を決定すべき歴史的材料はないのである。
 「所謂サタンの奥義」(廿四節)とは何ぞや、蓋しヱザベルなる党派又は婦人は神の奥義と共にサタンの奥義をも伝へ以て人をしてサタンに勝たしめんと主張したのであらう、悪に勝たんが為には悪を知らざるべからずとは此世の慧き人々の常に唱ふる処である。
 ヱザベルは又「姦姪」を行はしめたといふ、姦姪即ち偶像との調和である、テアテラの偶像は何であつた乎、或は所謂婬祠の類であつたかも知れない、兎に角古き偶像教の牢乎として抜くべからざる習慣を成すものがあつた、而して之と戦ふは社会の輿論と戦ふ事であつた、之れ信者の苦痛である、斯る時に際しては必ず或る悧巧者が現はれて偶像との妥協を弁護せんとするのである、然れども聖ヨハネは喝破した、曰く「之れ偽預言者である、彼女及び彼女に属く者、共に悔改めずば大なる苦難の中に投入れられむ」と、而して実にヱザベルの教は既に消(316)滅して痕跡をも止めず、之に反してヨハネの福音は全世界に今日猶盛んに宣伝せらるゝのである。
 昔時の民は自己の崇拝する神の像を其の使用する銀貨の上に彫刻した、而してそのテアテラの銀貨に彫られしものは太陽の像であつた、即ち其目には光を発し足は逞ましき荘厳なる姿であつた、ヨハネは直に此の迷信を取て曰うたのである、「神の子其目は火煽《ほのほ》の如く其足は真鍮の如くなる者かくの如く言ふ」と、汝等の拝するかの荘厳の姿を有する者こそ実は我等の真の救主である、故に汝等彼に来るべし、さらば再臨の日に及び「諸邦の民を治むるの権威」を与へられんと。
 
     サルデス、ヒラデルヒヤ及びラオデキヤ教会(七月廿二日) 約翰黙示録第三章
 
 サルデスは亜細亜に於ける旧都である、史家は曰ふ其の建設は紀元前千二百年の頃であつたと、乃ち我国歴代の記録に誤なかりしとするも尚ほ神武天皇時代より旧き事凡そ六百年である、而して紀元前五百六十年の頃此地にクレーソスと称する有力なる王が住んで居つた、彼は当時世界一の富豪であつた、或る希臘の哲学者が彼と会見した時其の積み累なれる宝を示されて「然れども之より尚貴きものあり」と答へしとは有名なる話である、従てサルデスは富みたる都であつた、然し乍らヨハネの時に在ては此市は所謂旧都として僅かに過去の歴史の為めに存在するに過ぎなかつた、旧都の特徴は旧習旧慣の尊重である、習慣にして破れん乎、其他の存在の理由は消滅するのである、京都然り、奈良然り、サルデスも亦同様であつた、新しき信仰は旧き歴史の為めに圧倒せられて直に化石した、「汝に生ける名ありて其実は死ぬる事を知る」と(三章一節)、実にサルデスの信者の状態を眼前に見るが如くである、福音は唱へられざるに非ざるも信仰は既に冷却して又活気あるなし、然れども此の(317)憐むべきサルデスの信者の間にも「尚ほ数人未だ其衣を汚さゞる者あり、彼等は白衣を着て我と共に行まん」(四節)、少数なりと雖も真信者ありて存するのである、旧都必ずしも絶望すべからず、教会全体の睡《ねぶ》れる間にも尚ほ二三者ありてイエスの為めに真個の立証を為すのである。
 ヒラデルヒヤはサルデスの南東に位し近傍一体葡萄の産地にして人情質朴なる地方であつた、故に其数会は農村在住者の代表者と見る事が出来る、而して七教会中ヒラデルヒヤに宛てたる書翰のみは推奨の辞を以て充され一も詰責の言を見ない、「勝を獲る者をば我が神の殿の中の柱となさん」と(十二節)、此預言は遂に実現した、他の諸教会の多く異教に走りし間に独りヒラデルヒヤは堅く其信仰を守り遂に基督教嫌ひを以て聞ゆる史家ギボンをして其名著羅馬史中に「周囲の地皆敗頽したるに拘らず、ヒラデルヒヤは基督教の柱石となれり」と断言せしむるに至つたのである、其の言句に至る迄黙示録の記事と符合する処あるは注意すべきである、此の如くにして古ききヒラデルヒヤの市は今日に及んだ、千八百年の昔使徒等の蒔きし種より生えたる樹が幾多の迫害に遭遇するも亡びずして今日尚存続しつゝあるのである、此一事以て基督教の特質を語るに足る、本来ガリラヤの田舎を其揺籃の地として成長したる基督教は特に田舎に適する教であつた、神の言にして一度び農村に受け入れられん乎、そは容易に消滅しないのである、適当なる方法を以て行はれたる農村伝道は必ず永続するのである、ヒラデルヒヤの歴史は農村伝道者に取て絶大の慰藉である。
 ヒラデルヒヤの名は素と此市を建てたる王の名であつた、王の名ヒラデルフアスを女性に改めて町に附したのである、而してヒラデルフアスとは Philo adelpbos 即ち兄弟相愛の義である、後ウリアム・ペンが自己の理想の市に附するに又此名を以てした、之れ即ち今日の有名なる費府にして其鉄鋼蒸汽機関等の諸製造業を以て(318)世界屈指の大都会である、然し乍ら費府の名の更に喧伝せらるゝ所以は其の盛なる慈善事業に於てあるのである、信仰維持の古きヒラデルヒヤと人道普及の新しき費府、彼は亜細亜に在りて使徒ヨハネの預言に適ひ、此は米大陸に在りて「兄弟相愛」なる古き命名の精神を実現す、亦奇と言ふべきである。 七教会の最後はラオデキヤである、ラオデキヤはコロサイ、ヒラポリスの二市と共にルカスと称する小河の両岸六里四方の間に立ちたる都会である、かゝる狭隘の地域に三大市の鼎立したるは即ち其地方が富の集合地たりし証蹟にして其主たる原因は貿易の中心に当れるが故であつた、ラオデキヤには古代より大なる銀行があつた、「汝自ら我は富み且豊かになり云々」とあるは此事実を暗示するのである、又或種の鉱石の粉末を以て目又は耳の薬剤を製し之を四方に鬻ぐ事恰も我国に於ける越中富山の如くであつた、「目薬を買ひて云々」とあるは之を諷するのである、又テアテラの如く織物業の盛なる土地であつた、「白き衣を買ひて云々」は此事実に基くのである、之等ヨハネの使用したる語句は孰れも当時の歴史を語るものである、彼は能く土地の事情を精察し其特別の状態に応じて最も適切なる発表方法を採つたのである。
 而してラオデキヤ教会に対する書翰中「我れ汝が冷かにもあらず熱くも有らざる事を汝の行為に由て知れり云々」なる冒頭の一句は何人も之を自己の信仰状態に照応せしめて深く記憶に印する処なるが、之れ亦ヨハネが其土地特有の事情を捉へ移して以て信仰状態に擬したのである、ラオデキヤの対岸ヒラポリスは温泉地であつた、従てルカスの水は其生温きを以て有名であつた、其如く信者の状態も亦微温的であつた、温泉湧きて遊客は集ひ閑談多くして迫害は来らず、かゝる境遇に在ては信仰は心《ハート》を去て頭《ヘツド》に移り勝ちである、血と涙との経験を味はざるが故に徒らに哲学的思索 speculation を弄ぶのである、哥羅西書に現はれたるコロサイ信者の信仰状態は其(319)事を証して余りある、ラオデキヤの教会も亦同様であつた、市の裾を洗ふルカスの河水の生温きが如く彼等の信仰も亦微温くして冷かにも熱くもなかつた、後久しからずしてラオデキヤの名は遂に教会歴史中より消え失せたのである、艱難なくして熱き信仰あるなし、迫害に遭遇して信者の熱心は益々加はる、之れ教会と個人とに通ずる原則である。
 エペソ、スムルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ及びラオデキヤ、七教会には各其地位と職業とに応じて特別の艱難と誘惑とがあつた、而して信仰の状態も亦之に応じて種々の形を取つた、亜細亜の七教会は世界の教会の代表者である、使徒時代より主の再臨の時に至る迄全世界の凡ての教会の信仰状態は必ずや七教会の何れかを以て表はさるゝのである、故にヨハネの勧奨又は警告の辞は直に我等自身に対して之を適応し得るのである。
 或は曰ふ、七教会は単に一時代の諸教会を代表するのみならず又基督教会の歴史的順序を表はすと、此解釈に由ればエペソ教会は教会が初めて十二使徒の手を離れたる初代を代表し、爾来迫害時代あり、偶像崇拝時代あり、宗教改革時代あり、而して最後に廿世紀今日の微温的信仰時代を代表する者がラオデキヤ教会である、而して第四章以下に記さるゝ審判は即ち今回の大戦争であると、こは有力なる解釈たるを失はざるも過去千八百年間の歴史を以て劃然七教会の順序に排列せんとするが如きは必ずしも正鵠を期する事が出来ない、寧ろ何れの時代たるを問はず地上に於ける教会の諸種の形態を代表する者と見るを以て最も明白なる解釈としなければならない、故に亜細亜の七教会は又今日の諸数会である、第四章以下の大裁判は又我等に臨まんとする警告である、第六章の預言の如きは過去五十年間の世界歴史に於て甚だ適切なる実現を見るのである。 〔以上、10・10〕
 
(320)     汝等も亦去らんと意ふ乎
         (約翰伝六章六十六−七十一節)
         去年七月三十日長野県小諸町に於ける南北佐久郡旧新信者懇親会席上講演大意
                         大正6年8月10日
                         『聖書之研究』205号
                         署名なし
 
 約翰伝第六章は此福音書中イエスのガリラヤ伝道を記せる唯一の章である、然し其中に頗る重大なる意義を蔵して居る、即ち茲にイエスと此世の人との関係が明白になつたのである、此時迄多くの人が種々なる動機よりしてイエスを信じた、或人はイエスに頼りて羅馬より独立し以て旧きユダヤ王国を建設せんとの愛国的精神より彼を信じた、十二弟子の一人なるカナンのシモンの如きは其一例である、カナンとは地名に非ず、カナ党即ち愛国党又は独立党の事である、此党派に属せしシモンは全く政治上の動機より彼に従つたのであつた、又或は今日の社会主義者の如くイエスによつて社会人生の凡ての疾苦を拭ひ去らんとて彼に来りし者もあつたに相違ない、又イエスに於て直に完全なる道徳を得、神の前に穢なき者とならんと欲する倫理上の動機よりして来りし者もあつたであらう、更に下つては本章の初に記されたるテベリヤ湖畔のイエスの奇蹟(大麦のパン五と小さき魚二とを以て五千人を養ひし)を見て単にイエスに依り肉の救済に与らんと欲して来りし者も多かりしを察する事が能る、実に多くの人が彼に従ひしと雖も其動機は区々として一ならなかつたのである、然るに此時に方り彼等は皆失望(321)した、イエスが己の天職の何たる乎を示し給ひし時彼等は悉く失望したのである、「若し人の子の肉を食はず其血を飲まざれば汝等に生命なし、我が肉を食ひ我が血を飲む者は永生あり、我れ末《おはり》の日に之を甦らすべし云々」(五十四節以下)と聞いて彼等はイエスにより一も自己の目的を完うする能はざるを発見した、イエスの来りしは国家を救はんが為ではなかつた、而して之れ愛国者の失望であつた、又此世を改良せんが為ではなかつた、之れ社会改良家の失望であつた、我肉を食ひ我血を飲まざれば永生なしと、之れ道徳家の失望であつた、況んやパンと魚とを求めし者の失望は言を俟たない、故に彼等は一人去り二人去りて遂に殆ど悉く去つたのである、イエスは之を見て失望し給ひし乎、否、「汝等も亦去らんと意ふや」と、之れ失望の声の如く聞えて実はさうではない、其翻訳に少しく誤がある、「汝等も亦去らんと意ふや」に非ず、「汝等も亦去らんと意はざるや」である、即ちイエス御自身より退去を促し給うたのである、汝等も亦何故に去らざると、汝等も遂に余の霊的の教を解する能はじ、故に汝等も亦彼等と共に去らずやと、これイエスの真意であつた、イエスは人望によりて己の信仰を維持し給はない、イエスは独り立つて事業を完うし給ふ、必しも十二使徒の助を要求し給はないのである、故に数多の人の去るを見て彼等にも亦退去を促し給うた、然し此時弟子の中には真の信仰の萌芽があつたペテロは、弟子を代表して言うた、  主よ我等は誰に往かんや、永生の言を有てる者は汝なり
と、
此語はイエスに少からぬ満足を与へた、然しながら此語を聞き給ひし時にも十二人中にすら尚一人の悪魔ある事を見脱し給はなかつた、「我れ汝等十二人を簡びしに非ずや、然れど其中の一人は悪魔なり」と、知るべしイエスの眼中彼の教を解したる者の如何に少数なりしかを、其自ら解したりと思ふ者の中にも彼を敵に附さんと(322)する悪魔があつたのである、イエスと此世との隔絶は霄壌も啻ならざるものであつた。
 此事は決して単なる古き物語ではないのである 今日の我国に於ても亦同様の事が見らるゝのである、基督教の我国に伝へられてより未だ六十年に過ぎざるも既に多数の人がキリストを信じた、教会の名簿に記さるゝ信者の数のみを以てしても決して少くない、其他隠れたる信者をも合せ算ふるならば多分二三十万に達するであらう、然しながら其等多数の信者中今日真にイエスを信じて世の前に憚る処なく「我はイエスの僕なり」と表白し得る者果して幾何あるであらう乎、多くの人がイエスを信じたけれども又多くの人が彼を棄てたのである、彼等が初めイエスを信じたる動機は種々であつた、基督教に依て日本国を世界第一国たらしめんとの愛国的動機より信じた者も多かつた、之に依て腐敗せる社会を救済し人事万般の改善を計らんとする社会的動機に出でた者も少くなかつた、又我国旧来の道徳を以てしては個人の理想に達する能はざるによりイエスの完全高潔の教に従ひて己の身を潔くせんとする道徳的精神よりする者もあつた、其他或は肉の恩恵に与らんと欲する数多の階級もあつた、かゝる人々が国人中にありしとは言ふだに耻づべき事なるも事実は蔽ふべからず、宣教師の浅慮より早く信者を作らんが為め慈善を以て人を誘ひし実例は決して乏しくないのである、或は又宣教師によりて西洋の学問智識を吸入せんと欲したる多くの青年学生もあつた、此の如く彼等のイエスに来りし動機は種々雑多であつた、然しイエスの彼等に与へんとし給ふものを得んが為に彼を信じた者とては極めて寥々たるものであつた、彼等は漸くイエスの教が自己の要求に応ぜざる事を知つた、イエスに頼りて必ずしも国興らず、必ずしも社会革まらず、必ずしも一躍して聖人君子となる能はず、此身の幸福智識亦彼に由りて必ずしも獲得すべからざる事を知つた、彼等は茲に失望した、かくて彼等は福音に躓いたのである、数多の人がイエスを信じて数多の人が彼を去つたので(323)ある、帳簿上には多くの信者を留むる教会も出席者は極めて少数なるが如き状態を呈するに至つたのである。
 此事を見給ふイエスは恐らく今尚残れる我等少数者に向つて「汝等も亦去らんと意ふや」と退去を促し給ふかも知れない、其時我等も悲哀の情に禁へない、多数の兄弟は既に我等を残して去つて終つた、而して今や我等自身の信仰すら甚だ危険状態に在るの時忽ち「汝等も亦何故去らざる」とのイエスの催告の声を聞いては実際に於て我等も亦去りたく意ふ事なきに非ずである、然しながら退いて考ふるに我等彼を去つて何人に往くべき乎、或は古き孔子に帰らん乎、人動もすれば言ふ、孔子はキリストに此して遥に実際的である、殊に我等東洋人の思想に能く適合する、キリストを崇むるの余り孔子を貶するは大なる誤である、儒教に生れたる我等は又儒教に帰るべきであると、然し我等は能く知るのである、儒教の我等に与ふるものは基督教の与ふるものと此すべくもない事を、仮に死の問題を取つて見ん乎、之れ何人も遭遇せざるべからざる最も確実なる人生問題である、而して孔子は日ふ「未だ生を知らず焉んぞ死を知らん」と此語を抱いて死に対する時我等は己を慰むる能はず、勿論死せんとする他人を慰むる能はず、死に対して儒教の教は全然無勢力である、其他に至ても略々同様である、儒教は実際的なりと雖も其浅薄なる到底基督教と同日の談ではない、我等はイエスを去つて今更孔子に帰る事は絶対に出来ないのである、然らば仏教は如何、仏教は哲学的である、仏教は深遠にして複雑なる思索を満足せしむる、余も近来少しく仏教を研究して見た、然しながら其結果余は基督教を棄てゝ仏教に赴くの不可能なるを発見したのである、余にして若し仏教に帰るべくばそは多分浄土宗又は浄土真宗であらう、これ其他力主義とキリストの贖の教とが酷似する処あるからである、然し試に浄土真宗の頼みとせる三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)を繙きて之を新約聖書の約翰伝又は羅馬書と対比せんか、何人も其幼稚なるに驚かむ、浄土宗及び浄土真宗(324)の拠て立つ処は唯無量寿経中法蔵比丘の四十八願中の第十八願あるのみである、これ此大なる宗派の把有せる唯一の恩恵の語である、然るに見よ新約聖書中には斯種の語は随所に横はつて居る、かゝる一語の中に仏の慈悲を求めし法然親鸞の深き心を察する時は同情に堪へない、建物は宏大なるも基礎は実に微弱である、新約聖書の教ふる処は遥に広くして遥に深くある、単に慈悲の一事を以て見るも真に人心を満足せしむる教は仏教に非ずして基督教にあるのである、されば今に至て如何にして新約聖書を棄てゝ三部経に帰る事を得やう乎、然らば或は社会主義に帰らん乎、或は又ニーチエに帰らん乎、社会主義に就ては言ふを須ゐない、ニーチエ彼何者ぞ、ニーチエ一言以て之を説明する事が出来る、福音を去りて元の旧き倫理に帰りたる者、之れニーチエである、律法を廃して恩恵に頼りしパウロを嫌ひ、律法を以て最も貴しとなし律法を毀つは人生を毀つなりといふ、ニーチエは未だ基督教の根本を知らないのである、如何にして我等彼に帰る事を得やう乎、其他論じ来れば今日提供せらるゝ新旧の諸教一として基督教に取て代るべきものあるを知らない、其事は余の言を竢たずして諸君自身の既に感ぜらるゝ処ならん、故にイエスを去りし者は心中常に寂寥に堪へざるを覚ゆるのである、屡々 昔懐しく想ひ出づるのである、実にペテロの言ひし如く「我汝を去て誰に往かんや」である、永生の言を有てる者はイエスである、人心の最も深き処に満足を与ふる者は彼を措いて他に一もないのである、故に我等今日熟考すべきである、彼に失望したるは其人の罪ではない、彼に対する誤解の罪である、彼の与へんと欲する最大最美のものを得んとせずして、徒に其副産物のみを期待したるの罪である、彼の我等に与ふるものは彼の肉である彼の血である、之を飲み之を食うて真の生命は我等に臨むのである、此事を知つて彼を信ずる者は再び彼を去る事は出来ない、加之曩に期待したる凡ての善きものも亦間接に臨み来るのである、故に余は偏に勧む、此際諸君考一考再び(325)イエスキリストに帰り来り彼の忠実なる僕となりて永生の恩恵に与らん事を。
 諸君の去りし罪は必ずしも之を諸君のみに帰すべきではない、責の一半は教師自身之を分たねばならぬかも知れない、教師の言行が諸君をして躓かしめたかも知れない、之れ教師たる者の深く悔ゆべき処である、殊に福音を純粋なる形に於て提供せずして俗人に入り易からしめんとしたる事が因を為したるは事実である、然し今は何人をも責むるの時ではない、今は唯イエスの提供し給ふものゝ何たるかを明白に認めて直に再び彼に来り其救に与るべきの時である。 【右講演終りて後旧き信者の実験談を聞き更に左の注意を附言した】
 諸君の話を聞きて耳障りに感ずる語が二ツある 第一は「自分」といふ事である、「自分」が信じ「自分」が努め「自分」の努力足らずして「自分」が信仰を棄てたといふ、いかにも信仰が「自分」の事なるが如くに聞ゆる、思ふに諸君より信仰の退却したる主たる理由は其処にあつたのであらう、「自分」は何事をも為す能はずである、凡ては神に為して戴くのである、「自分」を無くする事之れ信仰の初である、神が「自分」に代つて凡てを為し給ふ事、之れ信者の生涯である、「自分」といふを止めて「神」「神」「キリスト」「キリスト」といふに至らば蓋し新しき信仰が起るのであらう、基督教を道徳と見て「自分」の努力に竢たば何人も失望に終らざるを得ない、パウロ、ルーテルと雖も自己に頼りしならば早くキリストを棄てたであらう、彼等の偉大なる事業は全く「神」に頼りしが故に成つたのである、信仰は人格の問題ではない、我等の中最も弱き者が真の信仰を獲得するのである。
 第二は「基督教」といひてキリストの教を高調する事である、諸君の信じたるは皆な「教」である、「教」は主(326)義である、文字である、儀文である、死物である、恰も社会主義といひ何々主義といふと異ならない、之に生命はないのである、福音は「教」又は儀文を基礎としない、キリストの福音はキリスト御自身である、生けるキリストである、そのキリストを信じ其キリストに導いて戴くのである、基督教の信仰は我対教ではない、我対人である、キリストといふ今尚生きたる、力ある、宇宙万物を己が手に握り同時に我等に無限の同情を寄する友人を有つ事である、之れが信仰である、故に若し基督教を目標とせずキリストを目標とし基督教信者たるを止めてキリスト信者たらんとせば必ずや信仰一変せん、今日迄の諸君の失敗の基は或は其処にあつたかも知れない、文字の別は微小である、然し、事実は天地の差である。
 
(327)     教会と戦争
                         大正6年8月10日
                         『聖書之研究』205号
                         署名なし
 
 英国の大思想家 H・G・ウエルス氏近頃激語して曰く「組織せる基督教(教会を指して謂ふ)は世界を今日の難局より拯ふ能はず、神の国以下の者は此事を為す能はず、而して時は近づきつゝあり」と、実に教会の無能は今や益々明白になりつゝある、教会はバプテスマを施し信者を製作して、組織的団体を作りて此世に多少の勢力を揮ふことが出来た、然し罪悪の絶頂なる戦争を止める事が出来なかつた、又止めやうとも為なかつた、少数の孤児を養ふ事は出来たが許多の孤児を作る事を妨ぐる事が出来なかつた、教会は全体に戦争に賛成して此世の王等と其罪を頒つた、故に神は今や教会を棄て給ひつゝある、而して教会に竢たずして直に「神の国」を降して世界を今日の難局より拯はんと為し給ひつゝある、而してウエルス氏の言ふが如くに、其時は近づきつゝあるのである、人の失敗は神の機会である、人の組織せし教会が無能に終りし時に神の国が現はれて彼の栄光は揚るのである。
 
(328)     JOHANNINE THOUGHTS CONDENSED.約翰思想の精髄
                         大正6年9月10日
                         『聖書之研究』206号
                         署名なし
 
     JOHANNINE THOUGHTS CONDENSED.
 
 Loveis of God;God is love.
 Love manifested in good works is righteousness;its opposite is sin. Love intellectually viewed is light;its opposite is darkness.
 Love viewed as a moral quality is truth(truthfulness);its opposite is falsehood(lie).
 Jesus is the Son of God's love:he is the light of the world;he is the truth itself.
 Christians as God's children must love;i.e. must do good works,must shine,and must be always and forever true.
 
     約翰思想の精髄
 
 若し聖約翰の思想を煮詰めて見たならば左の如くに成るであらう。
 愛は神より出ず、神は愛である。
(329) 愛の善行として現はれたる者が義である、其反対が罪である。
 愛を智的に観たる者が光である、其反対が暗《くらやみ》である。
 愛を徳性として観たる者が真である、其反対が偽である。
 イエスは神の愛子である、世の光である、彼は真実其物である。
 基督者は神の子供である、故に愛すべきである 即ち、善行を為すべきである、暗き世に在りて輝くべきである、常に永久に真実たるべきである。
 愛は約翰思想の中心である、律法の全部である。
 
(330)     〔不断の努力 他〕
                         大正6年9月10日
                         『聖書之研究』206号
                         署名なし
 
    不断の努力
 
 必しも大著述を為すに及ばない、小著述にて足る、我は我が見し真理を明瞭簡単なる文字に綴りて之を世に示すべきである。必ずしも大事を為すに及ばない、小事にて充分である、我は神に遣《おく》られて世に来りし以上は彼の造り給ひし此地球を少しなりとも美くなして天父の許へと還り往くべきである。 必しも完全なるを要せず、不完全なるも亦可なりである、我は毎日毎時我が為し得る最善を為して患雑《なやみ》多き此世に少しなりとも慰藉と歓喜とを供すべきである。
 「汝己のために大事を求むる勿れ」と預言者ヱレミヤ其弟子バルクに訓へて曰ふた(耶利米亜記四五章五節)、大事のみを為さんと欲する者は終に何事をも為さず、完全のみを求むる者は何の得る所なくして竟る、何事をも為さゞるは悪事を為すのである 実に偉大なるの一面は小事に勤《いそし》む事である、完全なるの半面は不完全に堪る事である、大なれ小なれ、完全なれ不完全なれ、我が手に堪る事は力を竭して之を為すべきである(伝道之書九章十節)。
 
(331)     聖書の育児法
 
 愛は怒る又叱る、怒らざる愛は偽の愛である、少くとも浅き愛である、子を持てる親は育児の道として左にイスラエルの智者の言を聞くべし、
  鞭を加へざる者はその子を憎むなり、子を愛する者は時に之を懲戒む(箴言十三章廿四節)。
  子を懲すことを為ざる勿れ、鞭をもて彼を打つとも死ぬことあらじ、もし鞭をもて彼を打たばその霊魂を陰府より救ふことを得ん(同廿三章十三十四節)。
  鞭と詰責《いましめ》とは智慧を与ふ、任意《こゝろのまゝ》になし置かれたる子はその母を辱かしむ(同廿九章十五)。
  主はその愛する者を懲しめ又すべて其|納《うく》る所の子を鞭てり、誰か父の懲しめざる子あらんや、衆の人の受くる懲戒もし汝等に無くば汝等は私子《かくしご》にして実子に非ず(希伯来書十二章六−八)。
 斯かる聖書の明訓あるに関はらず多くの親は愛を誤解し、鞭を惜み又は之を恐れて其愛子の霊魂を陰府に下すのである、実に鞭を加へざる親は其子を愛するに非ずして之を憎むのである。
 
    信仰の共同的維持
 
 信仰は単独で維持することの出来る者ではない、其理由は信仰は自分一人の事でないからである、信仰は神を信ずる事である、而して神は万人の父である、故に彼を信じて彼に従ひて万人を愛せざるを得ないのである、実に信仰を単独《ひとり》で維持するは愛を単独で維持するが如くに困難である、愛する相手が無くして愛は成立しない、(332)其如く信仰を行ふ目的物が無くして信仰は之を持続することが出来ないのである、実に信仰は愛の半面である、故に単独で在り得る者でない、神を信ずると云ふ其事其れ自身が既に共同親交の意味を通ずるのである。
 世に勿論単独で維持することの出来る信仰が無いではない、単純なる哲学的又は数学的真理に対する信仰は之を単独で維持することが出来る、二に二を合すれば四なりとの真理は単独で永久に之を信ずることが出来る、然れども道徳的又は宗教的真理に対する信仰は全然其れと質が違うのである、神は愛なりと信じて我れは単独で其信仰を楽しむ事は出来ない、愛は己の利を求めざる也、人の益を図る也である、神の愛なるを信じて我も亦彼に傚ひて愛せざるを得ない、而して愛は之を施すに人を要するのである、愛は之を物に施して足りない、愛は之を己の如き人に施して始めて満足する、茲に於てか神を信ずるの信仰は之を維持するに神の子供なる人を要するのである、我は我が信仰維持の必要に駆られて我と情性を同うする人を需むるのである。
 斯く日ひて余輩は「故に信者たる者は其教籍を現在の或る教会に置かざるべからず」とは曰はない、現在の教会の多数は愛の団体ではない、野心の団合である、彼等は政党が政権を己が手に握らんと欲するが如くに、教権を広く世に張らんとする、教会はキリストの聖名を唱ふるの外、其精神に於て此世の政党と何の異なる所はない、其事は彼等が憚らずして為す所を見て明かである、彼等は互に相中傷する、排斥する、陥※[手偏+齊]する、其教敵とあれば之を追窮せざれば止まない、多くの佞人と奸物とは其内に跋扈する、最も醜悪なる競争は其中に行はれる、而して斯かる団合の中に入りて真の信仰は破壊せられざるを得ない、世に真信仰の稀なる所とて現在の教会の如きは無いのである、故に基督教国到る所に於て多くの信仰に燃えたる信者、愛に熱したる基督者《クリスチヤン》は教会を去て他に愛と信仰との活動を求むるのである。
(333) 然し乍ら言ふまでもなく教会とは元来斯かる者ではなかつた、教会を kirche 又は church と称ふは kuriakon 即ち「主の家」の意である、即ち教会は元来キリストの家庭である、彼を家長として戴いたる彼に贖はれし者の愛の団欒である、世に楽しき者とて実はクリヤコン即ち主の家の如きは無い筈である、此は寔に地上の天国である、真信仰の活動地である、相互に愛して愛せられ、而して又相共に父なる神に愛せられて彼を愛し奉る所である、聖詩人の歌ひしが如く
   視よ兄弟《はらから》相睦みて共に居るは
   如何に善く如何に楽しきかな、
   首《かうべ》に濺がれたる貴き香油《あぶら》鬚に流れ、
   アロンの鬚に流れて其衣の裾に及ぶが如く、
   又ヘルモンの露降りて
   シオンの山に流がるゝが如し、
   ヱホバは彼所に福祉《さいはひ》をくだし、
   窮《かぎり》なき生命を与へ給ふ、
との事を事実として実験することの出来る所である(詩篇百三十三)、而して斯かる所は求めて得られざるに非ずである、信仰の兄弟姉妹相集まる所に斯かる聖所は実現するのである、其所に上下智愚の差別は全然無いのである、其中に唯主イエスキリストを崇むるの信仰があるのみである、而して兄弟相愛し相援けて我等は我等の信仰の著るしく昇騰するを覚ゆるのである、万巻の書を読破しても得られざる大光明の我胸裡に臨むを実験するので(334)ある、聖霊は特別に信者が愛を以て集まる所に臨むのである、斯る場合に於ける彼等の祈祷は特別に聴かるゝのである、今夏の家庭団欒会の如き其一例であつたと思ふ。
 
    患難の配布
 
 人々に臨む患難は種々様々である、而して各自に臨む患難は其人に取り必要欠くべからざる患難である、彼を潔め彼を錬へ、彼をして神の前に立ちて完全なる者と成らしむるために是非共臨まねばならぬ患難である、如斯くにして或人は家庭の患難を要し、或人は疾病の患難を要し、或人は失恋の患難を要し、或人は貧困の患難を要し、或人は失敗落魄の患難を要するのである、人各自の悩む疾病《やまひ》に循ひ特殊の薬を要するが如くに各自の欠点を補ふために特殊の患難を要するのである、患難は前世の報ではない、来世の準備である、刑罰ではない、恩恵である、我は我に臨む特殊の患難に由りて楽しき神の国に入るべく磨かれ、また飾られ、完成うせらるるのである、然れば人は何人も彼に臨みし患難を感謝して受くべきである、是れ無意味に彼に臨んだのではない、臨むの必要ありて臨んだのである、我等をして暫く苦難《くるしみ》を受けし後にキリストに在る窮なき栄に入らしめん為に臨んだのである(彼得前書五章丁十節)。
 
    活神の要求
 
 イスラエルの詩人は曰ふた「我霊魂は渇ける如くに神を慕ふ、活神《いけるかみ》をぞ慕ふ」と(詩篇四二篇二節)、我は我が生命の中心に於て饑渇くが如くに神を慕ふ、活神をぞ慕ふと、実に我が慕ふ所の者は宇宙の真理ではない、人生(335)の理想ではない、完全なる哲学ではない、崇高なる神学ではない、神である、活ける神である、愛を以て我を励まし、能を以て我を助け得る神である、イサクが其父アブラハムに対せしが如くに「父よ」と呼掛くれば答へて「子よ我れ此に在り」と曰ひ給ふ活ける父なる神である(創世記廿二章七節) 我は哲学的真理に厭果た、聖書の文字的解釈に倦疲れた、我は、神を慕ふ、活ける神をぞ慕ふ、而して感謝す 斯る神の在し給ふ事を、而して又彼の我が叫号の声を聴き給ふ事を、今や人は人の敵であり、基督教世界は二箇の陣営に分れ、一は他の殲滅を計りつゝある、斯る時に際して「人の援助は空し」である(詩篇六十篇十)、帝王も法王も、政府も教会も頼むに足らず、只管に活ける神をぞ慕ふ。
 
(336)     文明の成行
          黙示録第六章の研究 (七月廿九日千葉県鳴浜村に於ける講演の大意)
                         大正6年9月10日
                         『聖書之研究』206号
                         署名 内村鑑三
 
 羔その一の封印を開きし時我れ観しに活物の一《ひとつ》雷《いかづち》の如き声にて「来れ」と曰ふを聞けり。「羔」は人類の運命を主り給ふ主イエスキリストである、「封印」は世界の将来に関はる秘密である、「活物」は現世《このよ》の精神である、「来れ」とは「出来れ」との意であつて将さに現はれんとする馬と其|騎者《のりて》とに対して発せられし呼出の言辞である、謂ふ意は主キリスト允可《ゆるし》を与へ給へば歴史の舞台は自づから開展し、世界の精神は其欲する所を述べて声を揚げて「出来れよ」と曰へりとのことである。
  二、我れ観しに一疋の白馬を見たり、之に乗れる者弓を携ふ、且冕を与へられたり、彼れ常に勝てり、又勝を得んとて出行けり。
 活物の声に応じて出来りし者は白馬であつた、騎者は弓を携へ、冕を戴き悠々として無人の地を往くが如く、戦はずして勝ち、攻めずして取り、世は彼を迎へて彼は容易に世界を征服した、而して白馬は文明の表号である、彼は平和的勝利者である、彼は科学を以て平和的に天然を征服し、地を居心宜き所と成した、発明に次ぐに発明を以てし、天然の資源を開発し、来世を待たずして現世に於て楽園を実現した、今や神に頼るの必要あるなく、(337)頼るべき者は人の力である、今や宗教を究むるの必要あるなく、究むべき者は理化学である、経済は信仰に代り、哲学は道徳を否定し、人は万物の首となりて、科学は天然に勝つの武器である、人類は第二十世紀の初期に入りて科学万能時代に入りて天然征服完了の域に達したのである、文明の白馬は実現して其騎士は勝利の冕を戴き、勝利より勝利へと其の征服の業を進めたのである。
  三、又第二の封印を開きし時我れ第二の活物の来れと曰ふを聞けり。
 白馬に乗れる者の平和的征服が未だ完了を告げざる時に預言者は第二の封印の開かるゝを見た、而して第一の場合と同じく此世の精神を代表せる活物の一が「出来れ」と叫びければ茲に又一疋の馬が現はれたとの事である。
  四、茲に一疋の赤馬出来れり、之に乗る者地の平和を奪ひ且人々をして彼此《たがい》に相殺さしむる権《ちから》を予へられたり、彼れ又巨なる刀を授けらる。
 其の現はれし馬は赤馬であつた、即ち平和を表号する白色に代へて血と戦争とを表号する赤色の馬であつた、之に乗る者は戦士であつた、今次の世界大戦争に於て称へらるゝ所の War Load《ワー ロード》即ち戦主であつた、戦争国の盟主であつた、彼は第一の場合とは正反対に剣を執り人を殺す者であつた、彼に由りて全地の平和は奪はれ、人類は彼此に相殺した、彼に授けられし者は実に巨なる刀であつた、巨砲であつた、巨艦であつた、精巧なる機関銃であつた、魚形水雷であつた、其他の大仕掛の殺人具であつた、而して是が平和的征服者を乗せた文明即ち白馬の後に出来つたのである、白馬は何時までも其勝利を継続しなかつた、彼の後に大戦争の赤馬が現はれた、文明の後に戦争、科学を以てする天然征服の後に人類全体が参与する世界的大戦争、是れ神が預言者に示し給へる出来事の順序であつた、而して実際に事実として現はれたる歴史の成行である。
(338)  五、又第三の封印を開きし時第三の活物の「出来れ」と曰ふを聞けり、我れ観しに一疋の黒馬を見たり、之に乗れる者手に権衡《はかり》を持てり。
 赤尾の後に黒馬が現はれた、其騎士は手に権衡を持ちたりと云ふ、白は平和の色、赤は戦争の色、而して黒は饑饉の色である、黒馬に乗れる者の手に権衡を持てるは食料品の欠乏に由る食物の制限を意味するのである。
  六、我れ彼の四《よつつ》の活物の中に声あるを聞けり、曰く銀十五銭に小麦五合、銀十五銭に大麦一升五合、又油と葡萄酒を傷ふ可らずと。
 戦争に伴ふて饑饉来る、其理由は言はずして明かである、而して食物は制限せられざる可らず、曰く人一人に対し一日にパン何オンス、砂糖何ガラム、家一戸に対し一週間に肉何斤、馬鈴薯何貫目、一週間に肉無きの日何日、脂肪無きの食何回と、政府に糧食大臣なる者の椅子は設けられ、国民は其量る権衡に循ひて糧食を給せらる、「曰く銀十五銭に小麦五合、銀十五銭に大麦一升五合」と、物価は騰貴して茲に至る、露国米国の大平原を以てするも人類を養ふに足るの食料を産する能はず、世界到る所に食品欠乏し、物価騰貴は其底止する所を知らない、又曰ふ「油(橄欖樹)と葡萄酒(葡萄樹)を傷ふ可らず」と、食料欠乏し飲料又欠乏す、油を産する橄欖樹と葡萄を産する葡萄樹とは甚だ貴重なる物となり之に特別の保護を加へて大切に保存するに至るとのことである。
  七、又第四の封印を開きし時第四の活物の「出来れ」と曰ふを聞けり。
 世界的戦争の結果として人為的饑饉到来し、物価の騰貴底止する所を知らず、而かも戦争は之がために熄まず、窮乏は之がために減ぜず、人類の憂患は其進行を継続して終に死滅に達せざれば止まず、茲に第四の封印の開かるゝを見る。
(339)  八、我れ観しに一疋の灰色(蒼白)の馬を見たり、之に乗れる者の名は死といふ、陰府その後に随へり、彼等刀剣、饑饉、死亡及び地の猛獣をもて世の人の四分の一を殺すの権《ちから》を与へられたり。
 黒馬の後に現はれたるは灰色即ち蒼白色の馬である、即ち死其物である、彼が殺せし者を収容せんとて陰府其後に附随ふと云ふ、而して死は陰府と協力して刀剣と饑饉と猛獣と其他の死因とが殺せし者を収容して其数世界の人口の四分の一に達すべしと云ふ、人類の全滅には達せずと雖も、其最良の四分の一に及ぶと云ふ、実に悲惨の極、酸鼻の極である、而かも何人も之を阻止することが出来ないのである、文明を以て始まりし人類の運命は其最良の四分の一の殄滅《てんめつ》を見ずしては止まずとのことである。
 
  羔其第一の封印を開けば白馬現はれ、第二の封印を開けば赤馬現はれ、第三の封印を開けば黒馬現はれ、第四の封印を開けば蒼白色の馬現はれたりと云ふ、平和を標榜する文明に続いて流血の戦争出来り之に伴ひて饑饉到り、而して文明人種の殄滅を以て終ると、是れ黙示録の此言の示す所である、而して過去数年間の世界の出来事が聖書の此言を証明するのである、人類の進歩に由り世に再び大戦争を見ることなかるべしとの識者の唱道に反し世界未曾有の大戦争は忽焉として地上に臨み今や世界人口四分の一を亡さずしては止まざる状態に於て在るのである、富豪の計画に成りし平和宮は将さに落成を告げんとせし時、平和の白馬は世界の舞台より退きて戦争の赤馬の代る所となつた、而して饑饉の黒馬は流血の赤馬の後に随ひて現はれ、文明国孰れも其民の食物を権衡を以て制限するに至つた、而して此後に現はるべき者は灰色の馬である、蒼白《あをじろ》の死である、而して露国の如きに在りては彼は既に現はれた、而して其他の国に在りても亦現はれんとしつゝある、支那と暹羅を除いて今や世界(340)の四分の一は交戦状態に於て在ると云ふ。
 文明は平和を以て始まり、戦争と死滅を以て終る、其点に於てキリストの福音の正反対である、福音は争闘を以て始まり平和と生命とを以て終る、「地に泰平を出さん為に我れ来れりと意ふ勿れ、泰平を出さんとに非ず、刃を出さん為なり」と曰ひ給ひしイエスは実に平和の君であり永生の供給者であつた(馬太伝十章三四節)、文明は平和を約束して戦争を持来し、福音は戦争を約束して平和を持来す、初めに白馬、後に赤馬と黒馬と灰色の馬、其れが此世の文明である、初めに十字架、後に平和の椶櫚の枝と聖徒の白衣《しろきころも》(黙示録七章九節)、此れがキリストの福音である、此世の文明の平和の中に戦争の因《もと》が蔵れて居る、キリストの流し給ひし赤き血の中に永久の平和が宿つて居る、愚かなる世は文明の平和を求めながら実は戦争の因を作りつゝあるのである、十九世紀に於て結びし文明の果は二十世紀に於て戦争となりて爆発した。聖書の黙示が今や歴史の事実となりて現はれつゝあるのである。
 
(341)     御殿場講演
                大正6年9月10日
                『聖書之研究』206号
                署名 内村鑑三 口述 中田信蔵 筆記
 
     第一回 初代信者の親睦 使徒行伝一章一節−十一節、同二章四十四節以下
 
 使徒行伝は如何なる書であるかと言ふにこれは路可伝の続にて「我すでに前の書を作て」云々の「前の書」は則ち路可伝を指して言ふたのである、路可伝はキリストが伝道を始められた記事にて使徒行伝は其結果を記したものである。
 而して其ヱルサレムに始まりて羅馬に終る間に三つの階段があつた、其一はヱルサレム時代にてペテロが主となりて働き、其二はアンテオケ時代にてステパノの迫害を以て始まりバルナバとパウロが主となりて働き、最後が羅馬時代であつて勿論パウロが主である、パウロはアンテオケを中心として働き後に羅馬に移つたのである、去ればアンテオケ時代は基督教がヱルサレムより羅馬に移る過渡期であつて吾等は是に就いて大に学ぶ所がある、今日基督教が米国より日本に移ると言ふにも昔エルサレムより羅馬に移りし時の如く、亦米国より直ちに日本に入るものではなく其間にアンテオケを二つも三つも要するのである、相当の年代を要し、パウロの如き人をも要し、多くの変化を経て移るのである、若し今日の宣教師等が此事を知つたならば現在の如き結果には達しなかつ(342)たであらう。
  信者はみな一処《ひとつところ》に集りて諸《すべて》の物を共にし、産業と其所有を鬻《うり》て各の用に従ひ之を分与へぬ、日々心を合せて殿《みや》に在りまた家に於てパンをさき歓喜と誠心をもて食を同《とも》にし、神を讃美し、すべての民に悦ばる、主救はるゝ者を日々教会に加へたまへり(二章四十四節以下)。
 これ基督教史の春日《はるのひ》であつて平安和楽坦々たる希望の大路を進むの趣がある、吾等の生涯にも時には斯る時がある、「産業と其|所有《もちもの》を鬻りて分与へ」たと言ふ事の如き是を読みて直ちに疑問を起せば起るので、果して斯くの如き事が出来るであらうか、或は果して、是が善い事であらうか等の問題が起るが、畢竟斯る疑問は見えざる主を見ずして経済的にのみ見るからである、これは単に経済的社会的の問題ではない、信仰を以てのみ解る事である、若し活きたるキリストが吾等を支配し給はゞ斯る境地に至るので、必ずしも文字通りに解するを要せず、キリストの霊に充たされたる時は財産の念の如きは自ら絶ゆるのであつて斯かる事は誰にも出来るのである。
  信者はみな心を一にし意《おもひ》を一にして誰一人その所有を己が物と云ふことなく凡て之を共に有り(四章卅二節)
と言ふが如きも亦同じである、之を完全なる社会組織と見ては決して善い事ではない、神の恵の結果として当然此所に至るのである、社会主義者の中に往々美はしき悲しき事を見るがキリストを抜にして人の智識方法を以てのみ社会を改めんとするからで其志たるや甚だ嘉すべきも其道は全く誤つて居るのである、吾等の理想郷を米国に建てんか或は遠く墨西哥に建てんか、これ出来る事でもあらんが又出来ない事でもある、吾等の真の理想郷とは神に全部を御任かせ申しキリストの聖霊を蒙りて其下に集団する事である、吾等今茲に団欒会を催すと雖ども単に団欒が目的にては団欒は成らず又先生が主に成りて団欒は成らない、イエスが吾等の目標であつて別に指導(343)者を要せず団欒は自ら成るのである、軍隊に軍旗ある如く吾等にも亦標幟がなくてはならぬ、然り吾等の標幟は活きたるイエスである、如何にせば団欒が成るであらうか、親睦が結ばるるであらうか、是には家を要する音楽を要する文学を要すると人は言ふがこれ無益の事にて、吾家庭に於て主イエスを認めば団欒は厭でも成るのであ
る、一家主イエスの聖名を聞けば襟を正すの家は必ずや同時に和楽の家である、信仰なくして如何なる道を講じ如何なる音楽を備ふるも真の団欒は決して成らない、吾等の団欒会に於ては先生が居る故にとか愉快なるが故にとか或は旧知と会するが故に集るとかの考を根本より除かねばならぬ、唯「イエス在し給ふ」との考が第一であり第二であり又第三であらねばならぬ。
 「パンをさき」云々は今日の教会の晩餐式ではない、今日一定の式となりては異様の感を起さしむるがそれは元々式ではなく恰も握手の如きものにて相互の温情の発露である、吾等も又背後の山に登り此意味に於ての晩餐式を行ふて主を記憶したいものである。
       ――――――――――
       使徒行伝概要
  第一期 ヱルサレム時代、中心的人物ペテロ、第一章より第七章まで。
  第二期 アンテオケ時代、中心的人物バルナバ、第八章より第十二章まで  第三期 ローマ時代、中心的人物パウロ、第十三章より第二十八章まで。 以上独逸聖書学者バウムガルテン・クルシウス(一七八八生、一八六〇死)の使徒行伝解剖に由る。
 
(344)     第二回 伝道地の撰択 使徒行伝第十五章卅五節以下
 
 福音をヱルサレムより羅馬に伝へし主人公はパウロであつて彼は前後四回の旅行を以て此事を成就たのである、而して今日の研究の記事は其第二回伝道旅行に関する記事である、第一回伝道旅行はパウロの予備伝道と名け得可く、之によりてパウロは伝道の如何なるものであるかを知つた、第二回伝道旅行の中心はギリシヤであつた、初めパウロは希臘の首都アデンスを志したが、意に添はずして是を捨て、隣のコリントに伝道した、志望は専らアデンスにありしも事情は彼をコリントに赴かしめた、第三回伝道旅行の中心はエペソであつて此所は彼の三年の努力を傾注せし重要の地である、第四回は則ち羅馬伝道である。
 卒然として使徒行伝を読む時は恰も日記の抄出の如くに思はれてそれに何等一貫したる目的がない様であつてこれが此書を読むものに興味を与へぬ一の理由であるけれども、前に大聖書学者バウムガーテン独逸に出で、使徒行伝の主意を掴む事の出来ない事を大なる遺憾とし、深き研究を重ねて遂に前述の如き結果を得たのである、これに由りて此書又吾等に親しきものとなつた、誠に大なる発見である。
 茲に注意す可きはこれ迄は「バルナバ及びパウロ」とありてバルナバは年齢に於ても閲歴に於ても先輩にて常に彼が主にてパウロは従であつたが此所に彼等の間に「激論」を生じて相別るゝ事になつて後は全くパウロが主である、而して其激論の因《もと》は第二回伝道旅行にマコを伴ふか否かと言ふ一見実に些々たる事にあつたのである バルナバは前にヱルサレムに於てパウロを主の弟子等に紹介し以て世に出でしめた人、其他所々に種々の事に於て多年の恩誼を受けたパウロの先輩である、今や些々たる事の為に此恩人と争ふは情誼を欠いた事の様であるけ(345)れども実は然うではない、キリストの僕は争ふ可き時は如何なる場合と雖ども如何なる人と雖も争はねばならぬ、何時も温顔平和と言ふ訳には行かぬ、自身の為に激論する様の事があつてはならぬが神の事に就ては或時は激論を要するので譲らんとして譲る事の出来ない事があり又断乎として袂を別たねばならぬ事もある、殊に世界的大伝道の途に上るパウロの此場合の如き実に止むを得ぬのである、事は単にマコを伴ふか否かの小なる問題ではなくて実に伝道方針の相違であつたのである、バルナバを先にしては到底パウロの大伝道は出来なかつたのである、真にこれ激論《はげしきあらそひ》である、争ふ事は如何に激しきも永く是を心に蔵して相含むと言ふが如きものではなく、事決すれば足れりにて直ちに忘れて光風霽月心中何の痕跡も止めない、後に至りて再びマコが忠実にパウロの為に働いた事を見てもパウロの激論が如何なるものであつたかが知らるゝのである(提摩多後四章十一)。
 バルナバとパウロと相別れて後パウロは世界的伝道者となりて驚天動地の働きをなし、バルナバは愈小さくなりて歴史面より退かざるを得なかつた理由は明白である、バルナバは情に負けて己の故郷なるクプロ島に入りて故郷のために労し、パウロは故郷に入りはせしも之を通過せしに止まり全世界に志して発足した事に由りて解る、一は志天下にあり、一は区々たる故郷の情実より離るゝ事が出来なかつた、今日と雖ども此二種の人が存するので吾等パウロとバルナバより多く学ぶ所がある、茲にパウロは老先輩と別れて只一人のシラスを伴ふて第二回伝道旅行の途に上つた、齢は四十余、血気の盛り、希望満々、天下已に眼中になき彼の意気思ふ可しである、吾等の生涯にも又斯の如き時がある、困難は山程あるも此時全世界は吾領分となるのである。
 斯くてパウロはスリヤ キリキヤを経てルステラに至りテモテを伴ひ行かんとして彼に割礼を授けた、先にテトスの場合に割礼を拒みしパウロが何故に今テモテの時には許せしか疑問の存する所である、説明する者はテト(346)スは純異邦人なれどもテモテは半異邦人なるが故に之を許したと言ふが多少の説明にならぬ事はない、又パウロは政治家にて数回政略を試みし事あれば之も亦彼の政略と見て可なりとの説もある、然し是れ深き穿鑿を要せざる事と思ふ、十二節に至りて始めて「我儕」なる語があるが多分ルカが一行に加はりて三人になつたのであらう、「幻に見たり」と言ふはルカ自身来りてマケドニヤに渉りて我儕を助けて下さいと請ふたのであらう、これが誠に此|語辞《ことば》の自然に適ふ美はしき説明であると思ふ、トロアスは欧羅巴への渡り口であつてパウロは此所に立ちて遙かに欧羅巴の天を望んだ事であらう、固より甚だ遠き距離ではないが交通の便進まなかつた当時に於ては猶今日吾等が太平洋岸に立ちて米国を望むと同じであつたらう、此海を渡りて欧羅巴大陸に吾此福音を伝へんとして流石のパウロも内心躊躇する所があつたであらう、寧ろ之を見合せて内地に伝道せんとして神に拒まれたのであらう、トロアスより出発してサモトラケ、ネアポリス等を通りしも是等を顧ずしてピリピに至り此所に数日止まりて伝道した、次には又区々たる小邑アムピポリス及びアポロニヤを顧ずしてテサロニケに至つた、吾等今日何の気もなく尋常の事の如く読過するけれども少しく注意する時はこれ実に驚く可きパウロの大英断であつて亦彼の地理的慧眼に敬服せざるを得ないのである、福音を伝ふるに又地理を知る事は極めて大切の事である、吾等動もすれば内に養ふに専らにして斯る方面の事を軽視する弊に陥り易き事に注意せねばならぬ、パウロは実に此点に於ても又稀に見る大手腕と巨眼とを有したので聖霊の助けと彼の大英断よく相伴ふて世界を風靡するを得たのである、これバルナバには到底出来ざりし事であり又今日吾等の難しとする所である、パウロの目的はアデンスであつて其他の場所は深く顧みなかつたのである、而かもアデンスは彼を受けなかつた為にコリントに転じたのである、彼の太閤秀吉の如きナポレオンの如き名将はよく戦のために地の利を撰んだものであるが吾パウロは(347)キリストのためによく地の利を撰みて誤らず情実に囚はれずして奮闘したのである、凡そ人間としてパウロ程情に強き人はなかりしも而も少しも情実に囚はれず断乎として地の利を取つた事は実に偉観である、同情又同情、甲地信者のためにも尽したし乙地信者も援けたしと各所に力を割きて遂に大に為す所なくして生涯を終る如き永久に挽回す可らざる損失である、好漢バルナバ惜むらくは情実に纏《まと》はれ故郷に入りて又天下に尽す能はずして生を終へし事永く後世の戒とす可きである、勿論故郷の為めに尽すもよし小邑の為に労するも可なれども宜しく眼を大局に注ぎて福音を全天下に普からしめねばならぬ、今日欧洲の野に両軍互に死力を尽して要地々々を占領すると同じである、或地を措いて要所々々に伝道すると言ふ事はこれ軈て津々《つゝ》浦々全世界至らぬ隈なく徹底せしむる事である、思ふにパウロの一行四人旅館に於て彼地此地と種々評議もあつた事であらうがパウロは一切これに耳を藉さず大目的の雅典並に羅馬に志して進んだのである。
 
     第三回 ピリピ伝道 使徒行伝第十六章
 
 パウロの数日足を止めたるピリピは帝国の大道エグナシヤ道の通りにありたる主要の教会にて羅馬の殖民地であつた、殖民地とは其時代の言葉にて当時マケドニヤは半開国であつたゝめ恰も現今吾国にて朝鮮の各地に日本町を造る如くに軍人や功労あるもの等を所々に殖民せしめて羅馬の市民権を与へたので、ピリピは市民権所有者の建設した都会であつた、小都会ではあつたなれども欧羅巴伝道の第一歩は実に此地に於て行はれたので後日になつて見れば大なる出来事であつた。
 安息日に河の浜《ほとり》なる祈祷をする所にゆきて語つたとあるが、ユダヤ人は何所に行くも至る所に会堂《シナゴグ》を建てたの(348)であるが会堂が出来なければ一定の場所を撰み安息日毎に其所に集りて共に祈り又聖書を読んだのである、美はしき風習である、パウロの伝道方法は常に会堂に行きて説教する事であつた故ピリピに於ても又其祈祷の所に行き其所にてルデヤといふ神を敬ふ篤信なる婦人に会つたのである、ルデヤは紫布を售《あきな》ふテアテラの邑の商人であつた、紫布とは単に紫色と言ふ訳ではなく染物を代表した語であつて当時テアテラは染物を以て有名なる工業都会であつた、而して此所は所謂亜細亜の七教会の一の在つた所である、ルデヤ自身は異邦人なれどもモーセの説きしヱホバの神を信ずるものにてパウロの説教に由り主イエスを信じ一家バプテスマを受け一行を其家に招じて伝道の便を与へた、福音を欧羅巴に始めて伝へたのはパウロであつて地はピリピである、而して信者の第一人は婦人ルデヤであつた、今や欧米各国仮令名義だけにしても信者たらざるなきより見れば重大の事である、イエス先に始めて伝道団を組織して伝道の途に上るや第一に其費を献ぜしものは女であつた、主の足に値《あたへ》いと貴き香油を注ぎし者も亦女であつた、これ一面基督教を説明するものにて欧米に於て基督教を罵る語として「信者の七割は女である」と言ひ、「吾教会の信者の六割は男である」と言ふ語は教会の誇りの語となつて居る程に福音は多く婦人に信ぜられ易きものである、日本に於ては男子の数が多いけれども後日福音が普く行き亘れば.亦婦人の方が多くなるであらう、福音は殊に婦人の心に深く訴ふる性質を有して居るので、婦人ルデヤが欧羅巴信者の第一人であり、欧羅巴最初の教会がルデヤの家であつた事はこれ特筆大書す可き事である。
 「卜筮《うらなひ》をする霊に憑れたる婦」とは奇態に感ぜられる語であるが日本に於ても斯る類の事は多くある事にて卜筮をなす女は沢山ある、西洋にてはパイソン蛇が神の使と称せられて居る、卜筮は概ね此蛇使がなすので卜女は蛇と共に薄暗き室内に住み人の乞に応じ蛇に由りて卜ふのである、今人は多くこれ笑ふ可き迷信であると言つ(349)て事を済ますが、事実は単に迷信とのみにては済まぬ事があるのである、此事は吾等に種々の問題を提供するの
で偶像を拝するのは思想の幼穉なるに由るか将又悪魔の崇拝であるか、人以上の或る悪しき霊があるとすれば偶像崇拝は単なる思想の幼穉に非ずして悪魔の崇拝である、而して其霊たるや決して聖きものでなく神の霊によれば去るものである、卜筮の霊と予言の霊とは似て非なるものにて予言の霊は神より下るものである、而して卜筮の霊を排斥して是に代ふるに予言の霊を以てする事は伝道の一である、何地も同じく卜筮は甚だ盛んであつて学問智識を以てして到底之を斥くる事は出来ない、東京市内に住める某卜筮爺の如きには大臣行き博士行き政治家も実業家も行き其怪しき卜筮に由りて事を決するので所謂国家の大事は往々裏長屋の卜筮爺に由りて決せらるゝ事今日も猶昔女王クレオパトラの決心が蛇使に由りて決せられしと同じである、パウロが欧羅巴伝道の最初第一に逢着せしは此卜筮者であつた、吾等亦今日何所に至るも必ず之と衝突するので、或は大山様あり御嶽行者あり其他種々のものありて多くの人がそれによりて衣食するので福音を伝ふるに当りて是と衝突する事は免る可らざる事である、而してこれは単に卜筮者と衝突するに止らず社会全体と衝突するので、昔パウロが踏みし道は今日亦吾等が踏まねばならぬ道である。
 少しく委しく聖書を研究するものは誰でも気の付く事であるが此所に(二十節)上官(strategoi)と言ふ語は使徒行伝に特別の語である、恰も吾国の官制に於て今の知事の称が始め府のみに用ゐられ県に於ては県令と言ひし時代のあつた如くにて何の記録にても其中に県令と言ふ事があればそれは明治の初代より中頃迄の時代を示すものである、「上官」と言ふ語は原語にはこれ羅馬の二人の知事(duumviri)の称であつて殖民地に二人の知事を置く(350)を要せし或特別の時代を示して居るものにて以て此記事が信頼す可き当時の記事である事を知るに足るのである、ロマ人の受くべからず行ふ可らざる習俗を伝ふる者であるとてパウロを訴へし時上官が何の調査もなく直ちに衣を剥《はぎ》て杖《むちう》たしめたとはよく実情を示したものにして今日吾国に於て不敬を犯せしものがあつたと想像すれば稍解るのである、何の調査の余裕もなく自己の忠義の志を現はし其事に無関係なるを示すために直ちに是を迫むるので此際法の適用を誤るとも他の事に就ては彼是言ふも事苟不敬に関する場合には決して是を咎めないので誠に安全である、多くの人は羅馬の法官は極めて注意深きものであつて調査なくして杖つ如き事は断じてある可らずと言ふが斯の如き消息は書斎裏の研究者には解らぬ事にて事実の経験を有するものにはよく解る事である、パウロとシラスは斯る境地に陥り杖れ牢獄に投ぜられて全く逃る可き途はなかつたけれども唯一つ祈祷の途があつた、獄裏に桎《あしかせ》をかけられ乍ら夜半祈祷をなし神を讃美した、「奇なる囚人哉」と同囚者は耳を傾けた、不思議にも此時地震があつて獄の基礎ふるひ動き門は悉く啓けて彼等の械繋《なはめ》はとけたと言ふのである、而して此地震は其地全体のものではなく此獄舎に限られたる特別の出来事と見る可きである、学者の種々調査せし所に由るも当時の年代に於てピリピ地方に震災の形跡はないとの事である 何事にも学理的説明を得ざれば満足する事の出来ないものは、当時の獄舎は極めて古きものにて此時恰も自然に崩壊したのであらうと言ふけれども斯の如き例はペテロの場合にもあつたので其儘に信じてよいのである、獄吏は此有様を見て囚人脱走の罪を怖れ自殺せんとして危くパウロに止められたので此事が又重ねて地震が一般的のものでなく特別のものであつた事を証明して居る、獄吏は人間以上の力の顕現を目撃して驚き自身の罪を思ふて戦慄《おのの》きパウロとシラスの前に俯伏《ひれふ》して「救れんために何を為す可きか」と教を乞ふた、信者のなす可き事は唯一イエスを信ずる事のみである、斯くて獄吏は直ちに(351)信じて一家バプテスマを受けたのである、これに由りて見てもパウロの信仰が如何に簡短なものであつたかゞ知られる、今の教会に於ては洗礼を受くるに長き準備を以てするを常とするがパウロの洗礼は斯くも早かつたのである、果して斯の如き事があり得るであらうかと言ふものがあるが斯る事実は今も猶あるのである、一度福音を耳にするや否や碌々解りもせずして直ちに洗礼を受て得々たる如きは元より誤りなれども必然に長き準備を要するものとするは亦誤りである、此場合パウロが早まつたのでなく吾等の福音が簡単になれば斯るものとなるのである、獄舎に不思議の出来事あり、獄吏と家族とは信者になつたと言ふ事を聞き上官恐怖を抱きてパウロを出獄せしめんとした、今迄黙して何事も言はなかつたパウロ先生此時一言なかる可らずと、羅馬の市民権あるものを罪を定めずして杖つた事の不法を詰り上官自ら来るべしと出獄の命を拒みて動かなかつた、ピリピは羅馬の殖民地なれば市民権を犯せし事は重大の問題にて是を上告さるれば自己の運命にも関する事なれば上官大に懼れて自ら獄舎に至り出獄を懇請した、パウロはユダヤ人にて羅馬の市民権あるは其父祖が功労に由りて与へられたものであらう、当時市民権は実に貴きものにて多大の権利伴ひ社会上種々の特権があたので先に杖たるゝ場合の如き吾等であつたならば疾《とく》に其証を示して苦痛を免れたであらうがパウロは今まで之を示さなかつた、社会上政治上の事には市民たる特権を用ゆる事をせず福音の為に杖たるゝをよしとしたので此場合に之を用ゐたのは只一寸有司を困らせて見たゞけの事にて信仰上道徳上如何の問題ではない、偉人パウロの綽々たる余裕の致さしめたる一場の好謔《たはむれ》に過ぎぬ、茲にも彼の風格の一端が窺はれる、上官の請に由り悠々として獄舎を出でたる彼は門前にシラスを顧みて呵々大笑した事であらう、彼は四角四面厳粛一方にて近づく可らずと言ふ類の人物ではなくて其生涯には偉人特有の子供らしき無邪気なる滑稽が屡あつたのである、斯く見るでなければ此事の活きた説(352)明とならない、パウロが羅馬市民の特権を容易に用ゐなかつた事は官尊民卑の思想猶抜けやらぬ吾国の如きに於ては大に学ぶ可き所である、或人は有ゆる特権を利用するを以て福音伝播の最良法となし吾教会には勅任官何人あり、某実業家ありと吹聴して得々たるを見るがこれ最も非福音的である、パウロの特権は今の人より見れば伝道上の便宜此上なしであるが彼は是を用ゐなかつた、今の教会者流はパウロの伝道を何と解するであらうか、獄舍を出て彼等は再びルデヤの家に入り兄弟等に勧をなして出立した。
 
(353)     今年の夏
                         大正6年9月10日
                         『聖書之研究』206号
                         署名 内村生
 
〇今年の夏は稀れに見る暑い夏であつた、然し幸にして暑気に負けることなくして秋を迎ふることを得て神に感謝する、今年は避暑を為さなかつた、家に在りて多少の仕事を為した、友人の内に病人多くして多少彼等を慰むることが出来た、二人の死者があつた、其一人の葬式を司どつた、実に家に在て善くあつた、暑を山か海かに避くるは快くあるが衆人と共に暑に苦しむは更らに快くある、我主は曰ひ給ふた「我を遣はしゝ者の旨に随ひ其業を成し畢るは是れ我が糧なり」と(約翰伝四章三四節) 衆人と苦熱を共にすること是れ我が避暑なりと云ふことが出来る、基督信者に取りて不愉快なることゝて我れ独り楽んで他は悉く苦しむことである、衆と共に楽んでこそ真の楽みはあるのである、其点より考へて今年の夏は余に取り最も満足なる夏であつた、苦熱も之を同胞と共に感受すれば苦しくなくなるのである。
〇御殿場東山荘に於ける家庭団欒会は七八分の成功であつた、但し之に我が休養を得んと欲せし期待は水泡に帰した、何しろ四十余人の老若男女の家長と成つたのであれば一通りの苦心ではなかつた、仮令一週間たりとも彼等の霊魂と肉体との安全を託されたることであれば其責任たるや頗る重大である、斯る時に方て余は在米時代の白痴院奉公の利益を感ぜざるを得ないのである、共同生活の必要第一は便所の清潔にありとの先師ドクトル・ケ(354)ルリンの教訓は斯る時に方て其大真理を発揮するのである、先づ便所を清潔にせよ、然らば他は自から清潔なるべしである、霊魂の先生であればとて肉体の事を怠ることは出来ない、殊に家族の内に数人の小児と嬰児とがあつたのである、彼等が疾病に罹らざらん事は家長の最大の注意を要することである、而して我等の注意空しからずして我等の携へし数種の薬品が之を用ゐる機会なくして全部其儘之を持帰ることの出来しは実に大なる感謝であつた。
〇余は団欒会の家長として余の助者なる坂田佑君と共に最後まで残つた、余が若しモーセであつたならば坂田君はヨシユアであつた、余等は最後の婦人と小児とが会場を去るを見届けて然る後に退去した、而して彼等は御殿場駅より汽車に乗じて帰り、余等は徒歩箱根山道を超へて帰途に就いた、途上長尾峠より富士を眺めしも雲に掩はれて見えず唯芦の湖の鏡の如くに初秋の日光を反射するを見て喜んだ、二人は今や責任其肩より落ちて山の小鹿の如き自由の身であつた、純福音と心理学と二重人格と催眠術とに就て語りながら仙石原を通過した、底倉に湯浴し、昼食をしたゝめ、国府津より汽車を取りて夜十時家に帰れば家族の者は既に旅装を好き家を斉へて余の帰りを待つて居つた。
〇団欒会の疲労を全く除くために栃木県の教友に招かれて三日間彼地の山気に触れた、而して疲労は全然取除かれて家に帰れば要事は山の如くに余を待つて居つた、余の佳※[藕の草がんむりなし]《とも》は彼女の母の病を看護《みと》るべく余の不在中に京都へ行いた、斯くて又秋の仕事が始まつた。
 
(355)     ABILITY TO LOVE.愛し得るの能力
                        大正6年10月10日
                        『聖書之研究』20ア7
                        署名なし
 
     ABILITY TO LOVE.
 
 “Love is of God;and every one that loveth is begotten of God,and knoweth God.”A great and wonderful saying! He that loveth is of God,Whether he be called a Unitarian,a Rationalist,a Heretic,or a Heathen;and he that loveth not is NOT of God,Whether he be called a Christian,an Orthodox,a Reverend,a Missionary,a Theologlan, a Presbyterian,a Methodist,a Congregationalist,or an Episcopalian. Love is the test of life,and whatever be a man's confessions and professions,he only is of God and Truth who loves unfeignedly and spontaneously.Ability to love is the greatest attainment of life;it is the unmistakable sign of the possession of eternal life.I Jobn,Y,7.
 
     愛し得るの能力《ちから》
 
 「愛は神より出づ、凡そ愛する者は神に由て生れ且つ神を識る也」とある、実に大なる驚くべき言である、「凡(356)そ愛する者は神に由て生る」、其人のユニテリヤンと称はるゝ乎、又は偏理論者、又は異端論者、又は異教徒と称はるゝ乎は問ふを要せず、凡そ愛する者は神に由て生れたのである、之に反して愛せざる者は、縦令其人は基督者、又は正統信者、又は教職、又は宣教師、又は神学者、又は長老教会員、又はメソヂスト教会員、又は組合教会員、又は聖公会員と称はるゝとも、凡そ愛せざる者は神に由りて生れたのではない、愛は人生の試験石である、人の世に対して告白し又は宣言する信仰箇条は何であるとも、唯偽らずして自発的に愛する人のみが神と真理とに由て生れし者である、愛することの可能るのは人生最大の取得である、是は永生獲得の誤りなき証拠である(約翰第一書六章七節)。
 
(357)     〔全信の道 他〕
                         大正6年10月10日
                         『聖書之研究』207号
                         署名なし
 
    全信の道
 
 信じて救はれて、救はれて自から己を潔くするのではない、信じて救はれて信じて潔くせらるゝのである、信仰を以て姶まつて信仰を以て終るのである、キリストは我等の義(救)また聖(潔)であると云ふ(哥林多前一章三〇)、基督者の信仰生活は半信半行ではない、全信無行である、我が恵信僧都は此信仰状態を歌ふて曰ふた
   夏衣ひとへに西を慕ふかな
     裏なく弥陀に頼る身なれば
と、我等の信仰の目標はキリストである、彼に在りて善と徳との蓄積《たくはへ》はすべて蔵《かく》れあるのである、彼を仰いで悔改起り、彼を仰いで善行成り、彼を仰いで完成せらるゝのである、信仰の道は一筋である、故に単純である、
  人の義とせらるゝは律法の行に由るに非ず、キリストを信ずるに由りて義とせられんが為にイエスキリストを信ず、蓋律法の行に由りて義とせらるゝ者なければ也(加拉太書二章十六)
 真正の基督教はキリスト万能主義である、彼を離れて普通道徳其物さへも無いのである。
 
(358)     愛するの至福
 
 人は我を愛して呉れずとも可い、我はキリストに在りて人を愛することが出来る、而して愛するの快楽は優《はるか》に愛せらるゝの快楽に優る、神が我等に賜ふ最大の賚賜《たまもの》は彼の聖霊である、而して此霊は特に愛するの霊である、此霊を受けて人を愛するを得て我等は人として達し得る最大の幸福に達するのである、我等は欲んで人に愛せらるゝことは出来ない、然れども己が欲《この》むがまゝに人を愛することが出来る、愛は全く我が自由の中に在る、而して此愛するの自由が最大幸福である、而して此幸福が基督者《クリスチヤン》の有《もの》であるのである、与ふるは受くるよりも幸福である、愛するは愛せらるゝよりも幸福である、神は其日を善者にも悪者にも照らし、雨を義者にも不義者にも降せ給ふて此福ひなる状態に於て在り給ふのである、人に愛せらるゝを以て幸福となす者が不信者である、愛するを以て幸福となす者が信者である、基督者《クリスチヤン》は神の子であつて己を憎む者までを愛して彼の特性を表はすのである。
 
(359)     ルーテルの為に弁ず
                         大正6年10月10日
                         『聖書之研究』207号
                         署名 内村鑑三
 
 今や全世界は独逸国に対して総攻撃を加へつゝある、同時に又独逸人なるルーテルの宗教改革事業を紀念しつゝある、実に真理は地方的に非ずして中央的である、国家的に非ずして世界的である、人種的に非ずして人類的である、ルーテルは純粋なる独逸人なりしも純粋なる基督者なりしが故に斯くも全世界全人類の同情を惹きつゝあるのである、実にルーテルを産《うみ》し独逸は福なる国である、世界的偉人を生みて独逸は世界的国家となつた、縦し今度の戦争に於て敗北するともルーテルの独逸は永久に亡びない、英国は海を制し、仏国は陸を刷し、独逸は空を制すとは詩人ハイネの唱へし所であつた、而して「空」とは単に空気を指して謂ふのでない、空を制すとは飛行機航空船を以て空界を横領すると云ふことではない、「空」は思想である、精神である、霊魂である、独逸は空を制すとは独逸は人類の思想を制し、精神を制し、信仰を制すと云ふことである、英国をして海上の王たらしめよ、仏国をして陸上の権威たらしめよ、然れどもルーテルの独逸は此地ならぬ空界の覇者たらしめよ、而して若し独逸にして其天職に忠実なりしならば今回の戦争は起らなかつたであらう、独逸が英国と世界の覇権を争ふに至て彼は大に堕落したのである、金と銀とは之を英国に譲れよ、而して汝は霊界の王たれとは天が独逸に命じたる所である、而して偉大なる独逸人の理想はすべて茲に在つたのである、哲学者フィヒテは彼等を代表して曾(360)て彼の国人に告げて言ふた、
  肉体の武器を以て勝たんと努むる勿れ、汝の敵に対して霊的威厳を以て堅く立つべし、心と道理の王国を建設せよ、而して粗暴なる物質的勢力を以て世界を支配する者を征服せよ
と、実に偉大なる理想である、而してレッシングもカントもゲーテもヘーゲルもすべて此理想を懐いたのである、歴史家ランケはビスマークの政略に由り独逸が尨代なる世界的勢力となりつゝあるを見て歎じて言ふた、
  万事は破壊されつゝあり、今や何人も商売と金銭との外は何事も語らず
と、斯くしてルーテルの独逸は堕落したのである、明星は天より隕たのである(イザヤ書十四章十二節)、霊界の王たる者が地上に権を争ふに至て恥辱《はぢ》と患苦《なやみ》とを取りつゝあるのである。
 然れども神は独逸を愛し給ふ、而して余輩も亦独逸を愛する、哲人ノーバリスは言ふた、「哲学はパンを焼く能はず、然れども神と自由と永生とを供す」と、而して独逸は余輩に此神と自由と永生とを供《あた》へたのである、米国は世界にパンを供し、英国は鉄と石炭とを供するに対して独逸は宗教と哲学とを供したのである、実に貴き供給である、人はパンのみにて生くる者に非ず、鉄と石炭とは無くとも可なり、然れども神と自由と永生とは無かる可らず、而して貧しき粗樸なる独逸は其霊的偉人を以て此|必需物《なくてならぬもの》を供したのである、哲学の事は茲に言はずとして宗教の事に於て余輩は素々独逸信者である、殊にルーテル信者である、ルーテル教会の信者ではない、ルーテル信者である、ルーテルを以て伝はりし信仰を懐く者である、ルーテルは余輩の存在の枢要なる部分である、キリストと其使徒とを除いてルーテル程余輩を感化した者はない、ルーテルは余輩の肉の肉である、骨の骨である、ルーテル微りせば余輩の今日は無つたのである、そはルーテルに由て余輩はキリストを発見することが出来(361)たからである、余輩はウェスレーを専敬する、然れどもウェスレー信者であると云ふことは出来ない、ムーデーを嘆美する、然れどもムーデー信者であると云ふことは出来ない、英米の信者に多く負ふ所がある、然れどもルーテルに負ふ所は優にそれ以上である、其故如何となれば、ルーテルは余輩に信仰の絶対的価値を教へて呉れたからである、ルーテル以外の宗教家は(多分我国の親鸞上人を除いては)信仰を補ふに多少道徳を以てした、人は信仰に由てのみ救はるとは彼等の断言し得ない所である、然れどもルーテルは大胆に爾か断言したのである、人の救はるゝは行為に由らず信仰にのみ由ると、而して彼は此真理を発見して真の自由と平和と歓喜とに入つたのである、聖書は始めより終りまで信仰の書である、新約聖書は殊に然りである、信仰は聖書の中心点である、信仰の立場に立て見て聖書は一の調和せる完全体として見ゆるに至るのである、信仰と望と愛とありて其中最も大なる者は愛なりと雖も、罪に汚れし人に取りては信仰ありての愛であつて、愛ありての信仰ではない、信仰は信仰生活の根である、花は根よりも美しくあるが根が無くして咲く者ではない、其如く愛は信仰の結ぶ果であつて信仰なくして実る者ではない、罪人は信仰に由て罪其儘、善なく義なく愛なく、汚穢《けがれ》其まゝ、疵其まゝ神の愛に入ることが出来るのである、是れ実に絶大なる福音である、以て懦者をして起たしむると云ふては足りない、罪人をして神に往かしむる福音である、此福音に接して如何なる罪人も「起ちて我父に往かん」と曰ひてすべての恐怖を脱して父の許へと走り往くのである、而してルーテルは残りなく此福音を実験して滲々《しみじみ》と其有難さを感じたのである
 今律法(道徳)の外に神の人を義とし給ふこと現はれて律法と預言者とは其|証《あかし》をなせり、即ちイエスキリストを信ずるに由りて其義を神はすべての信者に賜ふて区別《へだて》なし……神はその血に因りてイエスを立て信ずる者(362)の挽回《なだめ》の祭物《そなへもの》とし給へり、蓋神忍びて已往の罪を寛容《ゆるやか》にし給ひしことに就て今其義を彰さんため、即ちイエスを信ずる者を義として尚自ら義たらんためなり(羅馬書三章廿一節以下)
 ルーテルはパウロの此言を読んで躍つたのである、実に然り、実に然りと叫んで彼は聖書を己が胸へと押し当たのである、オルスハウゼンは曰ふ、羅馬書第三章はプロテスタント教の本城なりと、而してルーテルは此城に楯籠りて己が霊魂の永久的安全を計りしと同時に全世界に対ひて信仰改革の戦端を開いたのである。
 ルーテルの改革事業を評して曰ふ者がある、「彼は素より粗暴なる僧徒《モンク》である、随つて彼の宗教改革なる者は彼の破壊性より出たる破壊的事業に過ぎない」と、然れど是れルーテルと彼の信仰とを知らざる者の言である、ルーテルは暴徒ではなかつた、彼は心からの紳士であつた、彼に学殖があつた、彼の粗大なる身体の裏《うち》に優しき心が宿つて居た、彼は音楽を好んだ、又花と鳥と小児とを愛した、若し彼をして彼の天性が要求する生涯を択ましめしならば彼は寺院に聖書と鋤と笛とを友とする静粛なる生涯を選んだであらう、彼の改革事業なる者は彼に取りては止むを得ざるより出たのである、故に改革の渦中に在りて彼は度々預言者ヱレミヤの言を以て叫んだのである
  ヱホバよ、汝我を誘ひ給へり而して我れその誘《いざなひ》に従へり、汝我を執へて勝ち給へり、我れ日に日に人の笑となり人々皆我を嘲ける(耶利米亜記二十章七節)
と、ルーテルは改革を択んだのではない、彼は神に執へられて改革の渦中に投ぜられたのである、又彼の信仰の性質より考ふるも斯くあるべきである、彼はイエスキリストと彼の功績《いさほし》に於て彼のすべてを有つたのである、彼の義も望も功績もすべて彼イエスに於て在つたのである、キリストを信ずるに因る救拯を発見せし以後のルーテ(363)ルに事業を焦慮るの必要は更に無かつた、彼の事業は既に成つたのである、彼の救主が彼に代りて十字架上に既に完全に之を成就げ給ふたのである、彼は今は之を信じ信仰を以て之を己が有とすれば可いのである、彼の煩悶は既に去つた、大事を就げて神に賞られんと欲するの欲望は失せた、彼は満足《みちたれ》る平和の生涯に入つた、今よりは聖書の研究と愛の行働《はたらき》とに其平和の一生を送らんとは彼が定めし生涯の方針であつた、世に無害なる者とて実はルーテルの如きは無つた、人生の問題は残りなく完全に且つ満足に解釈され、恐怖は去り歓喜は来り、殊にサクセン侯に招かれてウィテンベルヒ大学に教鞭を採るに至りし後は、彼の霊魂に於ても肉体に於ても何の欠乏する所なく、彼は齢三十五歳に達して茲に始めて人生の春に遭遇したのである。斯くてルーテルは改革を要求しなかつた、然れども教会と欧洲とは之を要求したのである、而して改革はルーテルよりして始まつたのでなくして、ルーテルに触れて改革は始まつたのである、ルーテルが教会を壊したのではない、教会はルーテルに当つて壊れたのである、全欧洲を足下に置きし羅馬教会は今は生命の去りし大なる形骸であつた、之に対して坑夫の子なるマルチン・ルーテルには活ける真の信仰があつた、教権対信仰、物力対精神、茲処にも亦歴史の舞台の上にピラトに対してキリストが立つたのである、而して衝突は相方より挑まざるに始つたのである、赦罪券売買の事が戦闘開始の機会となつたのである、事の己に関せざる間はルーテルは沈黙を守つた、然れども問題の彼に委ねられし小羊に迫るに及んで彼の良心は彼に黙認を許さなかつたのである、然れども彼は直に罪悪を攻撃しなかつた、唯教理上の問題として之を識者の判定に訴へたのである、彼がウィテンベルヒの城内教会の門扉に掲げしと云ふ九十五箇条の論題《テーシス》は読んで字の如く神学上の論題に過ぎなかつた、然し乍ら明白なる誤謬は之を示した丈けで倒れるのである、議論を闘はすまでもなく、罪を疑問に附して罪は罪として現はれて罪に定めらるゝのである、(364)教会の誤謬は何人も之を認めしも全欧洲に在りて惟りルーテルのみ誤謬を誤謬と呼ぶの勇気を有つたのである、当時《そのとき》今時《いまのとき》と同じく人は安全第一を唱へて己に危害の及ぶべき場合には明白なる誤謬と知りつゝも何人も智《かしこ》き沈黙を守つたのである、然るにルーテル一人、彼は余りに正直なりしが故に、余りに良心が鋭くありしが故に、彼は自己の安全を顧みず前後を忘れて(愚かなるルーテルよ)無謀にも黒を称んで黒と云ひ、白を指して白と云ふたのである、而して其事が羅馬法庁を怒らしたのである、ルーテルの明白なる事実の説述が教会に取りては大なる攻撃として感ぜられたのである、茲に於てか「異端、反逆」の声がルーテルに対して揚つたのである、恰も小児が柱に其頭をブツけて柱を叱るの類である、柱が小児を撃つたのではない、小児が柱に当つたのである、浮虚の大教会が充実せる小ルーテルに当て砕けたのである、然るに教会は罪をルーテルに帰して己が空乏を蔽はんとしたのである、ルーテルは信仰を以て磐なるキリストに頼りしが故に磐の如くに堅くあつた、教会は此世の勢力に頼みしが故に信仰失せて土器の如くに脆くあつた、十六世紀の宗教改革は教会の土舟がルーテルの信仰の磐に当つて砕けたまでの事である、大事と云へば大事である、然れども事は至て簡単である、詩人ローエルが言ひしが如く
   勇敢なるルーテル否《ノー》と答へければ
   其否に触れて全欧洲は動揺《ゆるぎ》たり
である、ルーテルの羅馬教会に対する正直にして渾身の精力を罩《こめ》たる「香」、其能力ある「否」に由りて全世界は一変したのである。
 称して「ルーテルの宗教改革」といふ、然れどもルーテル自身は知つたのである、而して又ルーテルを知る者(365)は知るのである、是はルーテルの改革ではなくしてキリストの改革でありしことを、キリストがルーテルに在りて成し給ひし改革である、故に斯くも有効で斯くも遠大であつたのである、ルーテル如何に偉大なりしと雖も斯かる事業は為し得なかつた、而して又ルーテルの偉大なりし理由は特に茲に在つたのである、当時ルーテルに優さる多くの学者はあつたのである、エラスマスもロイクリンも優かにルーテル以上の学識であつた、然れどもルーテルのみキリストに在りて死せる人であつた、彼れのみノーバリスの所謂 Selbsttoedtung(自己消滅)を自己に実験したる人であつた、「最早我れ生けるに非ず、キリスト我に在りて生けるなり」とは彼が彼の衷心の声として発することの出来たものである、故にキリストは斯人を選びて其大事業を成し給ふたのである、ルーテルの衷に彼れ以上の大能者を認めずして彼の改革事業は解らない、ルーテルを見るに種々の見方がある、然れども自身罪を自覚してキリストに之を赦されし者のみ此偉人を解する事が出来る。
 
(366)     復又贖罪に就て
                         大正6年10月10日.
                         『聖書之研究』207号
                         署名 内村
 
 贖罪は余の懐く思想ではない、余の奉ずる教義ではない、余の署名せし信仰箇条ではない、余の実験である、余の依て救はれし理由である、余の信仰の土台石である、之れなくして余に安心はないのである、余の信仰は徒然《むなし》くして余は尚ほ罪に居るのである、余は勿論余の善行に由て救はるゝのではない、余の悔改に由て救はるゝのではない、亦余の信仰に由て救はるゝのでもない、余は神がキリストに在りて成就げ給ひし罪の消滅に由て救はるゝのである、実に救済は少しも余が側《かは》に於て在るのではない、全然彼の側に於て在るのである、余の心理的状態に由るのではない、彼の代贖的行為に因るのである、キリストは余が猶ほ罪人として在りし時に余の為に死に給ふたのである、余の救済は余の未だ識らざりし時に余のために既に成就げられたのである、而しで余は単に其救済を認めて之に入つたに過ぎないのである。
 
(367)     若しルーテルが日本に生まれたならば?
                         大正6年10月10日
                         『聖書之研究』207号
                         署名 内村生
 
〇若しルーテルが日本に生れたならば? と問ふ者がある、余輩は此問に答へて曰ふ「ルーテルは日本に生れない、そは今日の日本に彼の生れ出る必要がないからである、神は用なき人を国に送り給はない、今日の日本にルーテルを出すもそは無用の長物である、ルーテルは十六世紀の欧洲に必要であつたのである。彼を接《うく》るの準備が欧洲人に成つてルーテルは独逸ツーリンギヤの森林蔭暗きアイスレーベンの町に生れたのである、ルーテルを迎ふるのは容易の業ではない、彼は単なる精神家ではない、勿論神学者又は哲学者ではない、ルーテルは良心の人である、神の前に義たらんと欲せし人である、而して此奇異なる欲望がありてのみルーテルを迎ふることが出来るのである、単に社会の改良を求めて、又は旧制度の破壊を欲してルーテルを迎ふることは出来ない、ルーテルを迎ふるに欧洲人は千一百年間に渉る良心の苦闘を経たのである、所謂中古暗黒時代なる者は夫れである、此長き期間に於て欧洲人は深遠なる良心問題の解決に向て大なる進歩を為したのである、彼等の外面は暗黒であつたが、彼等の内部に天の光明が輝いたのである、ベルナード、アクイナス、アンセルム等はルーテル以前既に霊界の大燈台であつた、而して暗夜の曙に近づくに及んでダンテ出て鶏鳴暁を告げ、ウィクリフ、フッス、サボナローラ等出て改革の先鞭を附けたのである、而して是等偉人の攻究せし問題は経済問題に非ず、社会問題に非ず、(368)又単に道徳問題に非ず、信仰的良心問題であつたのである、而してルーテルは最後に完全に且つ簡明に此問題を解決して欧洲人の良心に大なる慰安と満足とを供したのである、此苦闘があつて此慰安があつたのである、此苦闘が無くして此慰安は要求されないのである、欧洲人が彼等の大恩人としてルーテルを迎へし理由は彼等の魂の深き所に数百千年に渉る此言ひ難き苦難があつたからである、然るに翻つて今日の日本を見るに十六世紀の欧洲人が有つたやうな心霊的要求は更らに無いのである、人は如何にして神の前に義たるを得ん乎、是れ日本人に取りては没交渉の問題である、如何でも可い問題である、今日の日本人に取り最大の問題と云へば生活問題である、而して之に伴ふ経済問題と政治問題、外交問題と殖民問題、教育問題と倫理問題、其他すべてが肉に属する問題である、地上の問題である、人と人との問題である、如何にして活きん乎、如何にして社会に認められん乎、如何にして世界的勢力たるを得ん乎、今日の日本人が其全注意を払ふ問題はすべて是れである、而して是れ皆孰れもルーテルには何等の興味をも与へざりし問題である、彼は斯かる問題の解決を齎らして世に臨んだのではない、彼の専門は人と神とに関はる問題であつた、人は如何にして神の前に義たるを得ん乎、是れ.当時の欧洲人を悩ませし最大問題であつて、ルーテルは此問題を鰐決して間然する所なかりしが故に大恩人大改革者としで彼等に迎へられたのである、今試に彼が此解決を斎らして日本に臨んだとせよ、日本人は彼に於て何の善き所、何の偉大なる所を認めないのである、「人は十字架に釘けられしキリストを信ずるに由て神の前に義とせらる」と彼の唱ふるを聞いて日本の智者と学者等は、アテンスの学者等がパウロを迎へしが如くに、戯笑《あざけり》を以て彼を迎へるであらう(使徒行伝十七章)、曰く是れ一の fiction(仮定)に過ぎない、実際の生涯に何の関係もなき問題である、信ずるも可なり信ぜざるも可なる問題である、我等焦眉の問題は他に在ると、斯く曰ひて彼等はルーテルを離れ、彼(369)の信仰問題解決の如きは之を忘却暗裡に葬り去るであらう、実にルーテルの信仰の如き、今日の日本人に取りては胃病患者に対する脳病特効薬の如き物であつて、何等の要求なき物である。
〇然し乍ら若し天然の何かの錯誤に由りルーテルが今日の日本に生れ来りしとすれば如何、其場合にはルーテルは社会の舞台に現はれずして済んだであらう、而して彼は彼の望み通りの生涯を送り、聖書研究と天然と慈善と之に加ふるに彼に委ねられし小羊一群の霊魂の世話(Seelensorge)とを以て静かなる楽しき一生を送つたであらう、斯くして九十五箇条の論題の提出なく、法王の破門状の焼棄なく、ライプチッヒの大討論なく、ヴォルムスの大会議なく、アウグスブルグの信仰告白なく、ルーテルの生涯は実に洋々たる春の海を渡るが如きものであつたらう、而して是れ彼に取りては無上の幸福、最大の満足であつたであらう、然し乍ら神は其愛する者に斯かる贅沢を許し給はないのである、ルーテルは闘ふべく生れたのである、故に彼を要せざる今日の日本の如き国に生れ来らないのである、彼は十六世紀の独逸に生れ来り、霊魂の平康《やすき》に関はる天よりの大福音を齎らし、神に恵まれ民に歓ばれ、悪戦苦闘を経て後に、エリヤの如くに火車に乗りて彼の父の国へと還つたのである(列王紀略下二章を見よ)。
〇ルーテルを今日の日本に於て見ることは出来ない、然れども数百年の後に彼を此国に迎ふる準備を今より為すことが出来る、我等は日本人に良心問題を提出し、彼等をして徐々に其解決に近づけしむることが出来る、西洋の諺に曰ふ Be right with God, and all will be right(神と義しき関係に入れよ、然らば万事に於て可なるべし)と、政治、経済、殖産、工業、教育、倫理、社会、国家是れ皆実は枝葉の問題である、人が人たる以上は彼は神の子として神と義しき関係に入らなければならない、而して此関係が成立して他は自から完備するのである、而(370)してルーテルは欧洲人の此根本問題を解決して茲に彼等のために進歩の大紀元を開いたのである、ルーテルは欧洲人を神との義しき関係に導いて彼等を思想の開発者、天然の征服者、地上の王者となしたのである、ルーテルが欧洲文明の中心的人物たるは是れが為である、彼はキリストに由り活ける神を紹介して眠れる欧洲を覚まし、文明を其すべての方面に於て進めたのである、日本人も早く此事が解らなければならない。
 
(371)     〔古き福音 他〕
                         大正6年10月10日
                         『聖書之研究』207号
                         署名なし
 
    古き福音
 
 キリストは我が為に、我に代りて死たまへり、神は彼に在りて我が罪を赦し給へり、而して我が救はれし証拠として彼は彼(キリスト)を甦らし給へりと、是れ新約聖書の明白に示す所であつて福音の真髄である、我はキリストに真似て聖徒となるのではない、我は努力して我が救済を獲得するのではない、我は神に縋りて我が救済を哀求するのではない、我が受くべき罰は既に受けられ、我が科《とが》は既に赦され、我死は既に取除かれて永生は既に我がために備へられたのである、他力仏教の言を以て曰ふならば「願行は菩薩のところにはげみて感果はわれらがところに成ず」るのである(安心決定)是れ天然の法則に戻《もと》りて愛の奇跡である、我等は既に贖はれたる世界に在るのである、而して信ずれば其時、其贖、其救を我有となすことが出来るのである、パウロ、ルーテル、親鸞等をして起たしめし者は此簡単にして深遠なる真理である、「キリスト我罪の為に解《わた》され又我が義と為られしがために甦へらされたり」とある。
 
(372)    小児としての信者 ルーテルは如斯き信者
 
 信者は神の小児である、其事は左の聖語に由て明かである、
  イエス曰ひけるは我れ寔に汝等に告げん、汝等改まりて嬰児《おさなご》の如くなるにあらずば天国に入るを得じ(馬太伝十八章二節)。
  彼(キリスト)を接け其名を信ぜし者には能を賜ひて之を神の子(小児)と為せり(約翰伝一章十二節)。
  汝等視よ我等称へられて神の子(小児)たることを得云々(約翰第一書一章十一節)。
 信者は神の小児である、アバ父よと呼ぶ子たる者の霊を受けたる者である(羅馬書八章十五節)、故に小児らしきは彼の特性の一である、彼に自己の意志あるなく、聖父の意志を以て意志とする、彼は唯信ずる者である、頼る者である、唯聴て従ふ者である、小児中の最も小児らしき者である、故にパウロは言ふたのである「汝等愛せらるゝ小児の如くに神に効ふべし」と(以弗所書五章一節)。
 斯くてすべての善き信者は小児であつた、パウロもルーテルも、コロムウェルもムーデーも、我がシイリー先生も皆小児であつた、彼等の偉大なる人格と該博なる知識と強健なる意志とは彼等が小児らしきことを妨げなかつた、彼等は日々の糧を父に仰ぎ、日々の教導を彼に求め、愛せらるゝ小児の如くに彼に効はんと努めし者であつた、故に彼等にあどけなき所があつた、嬉々として恩恵を楽しむ所があつた、彼等は怒つた、又泣いた、彼等は喜怒哀楽を面に表はさないと云ふ東洋の豪傑の如き者でなかつた、彼等は又容易に人を信じた、故に人に欺かれ易くあつた、世に容易きことゝて彼等を欺くが如き事はなかつた、彼等は容易に人の善を信じて容易にその悪(373)を信じなかつた、故に世は彼等を与り易き者と思ふた、彼等は水晶の如くに透明であつた、故に彼等の心事を探るは至て易くあつた、彼等は老いたる小児であつた、老いて老いざる者であつた、真に信者は小児である、何時までも変らざる小児である。
 
    大胆なる信仰 ルーテルの信仰は是れ
 
 信仰に小心なるものと大胆なるものとがある、神を恐れ、罪を犯さんことを懼れ、只管に神の前に疵なき者と成らんと自から努む、是れ小心者の信仰である、神を愛し、罪に怖《おぢ》ず、十字架上のキリストを仰ぎ瞻て己に省て自から神前に義たらんことを力めず、是れ大胆者の信仰である、神と我と相対する時、我は小心者たらざらんと欲するも得ず、キリストを介して神と相対する時、我は大胆なる者と成る、「死の刺《はり》は罪なり、罪の能は律法なり」と云ふ、而してキリストは「手にて録《しる》しゝ所の我らを攻むる現条《いましめ》の書、即ち我らに逆ふもの(律法)を塗抹し、之を中間より取去り、釘を以て其十字架に釘け給へり」とある(哥羅西書二章十四)、斯くしてキリストに在りて罪の恐怖は全く取除かれたのである、我れ彼を介して神と相対して我罪は刺となりて我を刺さず、又神はキリストに在て我を看たまふが故に憎むべき我は愛すべき者として彼の聖眼に映るのである、茲に於てか我は大胆なる者となりて審判の座に堪ふるのである、実に神はキリストの故に我を罪し得ないのである、キリストは千代《ちよ》経し磐として我を囲み、忿恚《いきどほり》の過行くまで我を其懐に匿し給ふのである(以賽亜書廿六章二十節)、然《さ》れば我等何をか恐れんである、「神もし我と偕に在さば(我が味方たらば)誰か我に敵せん乎」である(羅馬書八亜三一節)、キリストに在りて神と和ぎて我は中心より人と和ぐのである、而して愛に恐怖なしである、神の子に罪を除かれて我(374)は無限の宇宙に青天白日の身と成つたのである、親鸞は曰ふた「縦令我れ百人千人の人を殺すとも弥陀の慈悲に頼みて成仏するを得」と、我も亦然りである、惟恨む殺し得ざる事をである、殺しても信ずれば救はるゝのである、然れども信ずるが故に殺し得ないのである、罪が罪たらざるに至て罪を犯し得なくなるのである、茲に大なる安心がある、罪が罪として認められざる安心に加へて罪を犯すことが益々困難になるのである。
 
(375)     宗教改革を迎へし国と之を斥けし国
                         大正6年10月10日
                         『聖書之研究』207号
                         署名 主筆
 
 ルーテルに由て宗教改革が姶つて欧洲の天地は大混乱に陥つたのである、茲に亦キリストの福音は平和を持来さずして剣を持来したのである、子は父に背き女《むすめ》は母に背き※[女+息]《よめ》は其姑に背いたのである(馬太伝十章三五節)、平和の福音は茲に亦基督教国を割りて二箇の陣営となしたのである、改革を迎へし国と之を斥けし国、二者は犬猿も啻ならざる讐敵と化したのである、同じくキリストを信ずると称する民が茲に最悪の同胞戦争を始めたのである、今日我等が目前に見る欧洲大戦乱の前型は之を四百年前の改革戦争に於て見るのである、唯欧洲人は今は殖民地と世界貿易のために戦ひ、昔は信仰と主義のために戦ひたるの別がある丈けである、欧洲人は元来戦争の民である、戦争は彼等の生命である、戦争を経ずして彼等は進歩の階段を昇ることが出来ないのである。
 改革を迎へし国は之を大別すれば独逸、丁抹、那威、瑞典、和蘭、葡萄牙、伊太利、墺地利、仏蘭西、半ば之を迎へ半ば之を斥けしは英国、瑞西、蘇格蘭、之を斥けし国は西班牙、波蘭土、洪牙利であつた、勿論之を迎へし国(新教国)の中にも多くの之を斥けし者(旧教徒)があつた、又之を斥けし国(旧教国)の中にも尠からざる之を迎へし者(新教徒)があつた、試みに和蘭の如き国に就て見るに其東部は新教国であつて西部は旧教国であつた、夫れが後には分れて今日の和蘭、白耳義となつたのである、ルーテルを産みし独逸に於ても羅馬天主教(旧教)は(376)今日猶ほ大勢力である、北方普魯西亜の新教国なるに対して南方の巴威里《バワリア》は旧教国である、ツウィングリを生みカルビンの働きし瑞西でさへ判然と新教州と旧教州とに区別せらるゝのである、然し乍ら世界歴史の局面より見て新教国と旧教国との区別は判然たる者である、独逸は何人が見ても新教国である、伊太利は何人が見ても旧教国である、第十六世紀の宗教改革を迎へし国と之を斥けし国とは之を世界地図の上に見て一目瞭然である。
 而して過去四百年問の歴史に照らし見て二者の国運消長は如何、アルプス山の北面、土地は瘠せ、民は無学、その当時野蛮視されし独逸は新福音の光輝に接してより忽焉として眠より覚めたるが如く、大哲学者現はれ、大文学者起り、科学に工芸に全世界を風靡するに至つた、之と相対してアルプス山の南面伊太利を見んに、土地は肥え、民は智く、希臘羅馬の文明を承けて当時の文化の中心なりし国は衰退に衰退を加へ、パヂュア、ボログナの大学は昔日の影を留めず、無智と迷信とは全国に普くして、マチニ、ガルバルヂの蹶起を待て漸く第一等国の末席を贏ち得たと云ふ次第である、又之を北海の小邦蘇格蘭に就て見ん乎、土地は磽地《いしぢ》多くして耕紜に適せず、民は僅に五百万(今日の計算である 改革当時は百万余)、而して常に南隣の圧迫を受けて純然たる自主の民たる能はず、然るに此国にジヨン・ノックス出てゼネバ湖畔に大カルビンより直に改革の精神を受け、故国に帰りて之を其民に伝へしより、茲処に真理の烽火は上り、自由は起り、思想は湧き、霊に於ても肉に於ても五百万の蘇格蘭人は三千万の英蘭人を圧し、又後者を通うして全世界を圧するに至つた、謂ふ其の人口の比例を以てして蘇格蘭ほど世界的大人物を産せし国なしと、ワルター・スコットは小説界の王である、デビッド・ヒュームは近世哲学の開祖である、リビングストンは阿弗利加大陸の開発者である、スチープンソンは蒸汽機関の発明者である、トマス・カーライルは新教主義の上に築ける新理想主義の唱道者である、其他世界的に偉大なる蘇格蘭人の(377)名を挙げんには日も亦足りないのである。彼等の一人を人類に供へるは国家の大名誉である、然るに蘇格蘭は其狭き耕作面と少き人口の中より数十人の世界的大人物を生んだのである、而して何が蘇格蘭をして斯く偉大ならしめたのである乎、若し蘇格蘭より其「改革精神」を引去るならば残る所は平々凡々のケルト人種の性格である、蘇格蘭が精神的に英国を支配し、愛蘭が其反対に英国の支配を受くる理由は何に在る乎、二者同人種であつて同語の民である、而かも一は主であつて他は従である、而して主なる者は改革を迎へて元始の福音に接したのである、従なる者は之を斥けて旧き教会に属したのである、明暗の分るゝ所、栄辱の岐るゝ点、歴史の板面に大書せらるゝ此事実は、走卒と雖も之を読んで誤らないのである。
 又之を西班牙に就て見よ、西班牙は改革反対の闘士であつた、羅馬天主教会に忠勤を抽《ぬきん》でし民にして西班牙人の如きはなかつた、而して四百年前の西班牙は世界の最大勢力であつた、西半球の大半を領土として有し、欧洲に在ては莱因河口の諸邦、独墺の大部分、伊太利の大半は其支配の下に在つた、ヴォルムスの大会に於てルーテルと相対して立ちしカール五世は此大国の主権者であつて、旧信仰の宣誓せる保護者であつた、然るに此西班牙は今は如何成つた乎、何処に西班牙を恐るゝ国が有る乎、ドン キホーテの著者セルバンテスを除くの外、西班牙人にして今日猶人類の敬崇を惹く者はあるか(二三の美術家は別として)、西班牙はルーテル、カルビンの唱へし福音を斥けて霊に於て死して肉に於てまで亡びた、其世界的領土は悉く失ひて今や僅かにカナリヤ鳥の囀るカナリヤ群島を残すのみである、其哲学文学に見るべきものなく、宗教は中古時代の迷信、唯僅に其西部バルセロナ地方に於て時々社会主義者の騒擾を見るのみである。
 嗚呼我が日本よ、汝はキリストの福音を如何せんとする乎、北欧諸邦の如くに之を迎へんとする乎、或ひは南(378)欧諸邦の如くに之を斥けんとする乎、独逸たらんと欲する乎、伊太利たらんと欲する乎、蘇格蘭たらんと欲する乎、西班牙たらんと欲する乎、今やルーテル、カルビンの唱へし福音は汝に提供されつゝあり、而して汝の選択如何に由て汝の永遠の運命は定まらんとす、此世界的大記念日に際して我は復又熱誠を罩めて汝の為に祈らざるを得ず。
 
(379)     PRAYER AND FORGIVENESS.祈祷と赦免
                         大正6年11月10日
                         『聖書之研究』208号
                         署名なし
 
     PRAYER AND FORGIVENESS.
 
 I had a man whom I hated. I desired to forgive him, but I could not;and I was unhappy. Then I remembered the Saviour's words:Love your enemies and pray for them that persecute you. I went at once to prayer,and prayed that God's richest blessings might rest with him whom I called my enemy. And behold,a great change came over me,and I began to love him from the bottom of my heart. And I became happy too,and I felt largeness and freedom such as I never felt before. Great are the blessings of prayer. By it,both we who pray,and they for whom we pray,are blessed at the same time. We save ourselves by praying for our enemies.
 
 
     祈祷と赦免
                                    我に我が憎む人があつた、我れ彼を愛せんと欲して愛することが出来なかつた、然れど憎むは我に取り甚だ不快であつた、我は我が心の平静を得んがために彼を愛したく思ふた、然れども不可能つた、時に我眼は聖書の一(380)節に触れた、曰く「汝等の敵を愛し汝等を詛ふ者を祝し憎む者を善視《よく》し虐遇迫害《なやめせむ》る者の為に祈祷るべし」と(馬太伝五章四四節)、我は聖書の此言に循ひ直に脆いて我が憎み嫌ふ其人の為に祈祷つた、而して視よ、其人は我に取り愛すべき者となつた、我は彼のすべての欠点を恕した、彼が我に対して犯せしすべての罪を忘れた、我は心より彼を赦し得て大なる平和は我が衷に臨んだ、誠に敵を赦すの最も善き途は彼の為に祈るにある、人を憎むは憎む我自身の大なる不幸である、愛に優るの幸福はない、我等は心に一人の敵をだに留め置くべきでない、而して敵を駆逐するの方法は彼を亡すに非ずして彼の為に祈祷にある、祈祷を以て敵を友と化して彼も生き我も生くるのである。
 
(381)     宗教改革の精神
         十月卅一日夜東京神田基督教育年会館に於ける講演の草稿                         大正6年11月10日
                         『聖書之研究』208号
                         署名 内村鑑三
 
 新文明又は新世界又は新時代は一五一七年十月三十一日を以て生れたのである、一千九百二十年前、ユダヤのベツレヘムにナザレのイエスが生れ給ひし日を除いて、此日は世界的に最も大なる一日である、詩人ローエルの一句を以て言へば此日
   勇敢なるルーテル「否な《ノー》」と答へければ
   其「否な《ノー》」に応じて全欧洲は動揺ぎたり
である、一四五三年の東羅馬帝国の滅亡を以てに非ず、一四九二年のコロムブスの新大陸発見を以てに非ず、一四五五年のグーテムベルグの印刷機械の発明を以てに非ず、一五一七年のルーテルの羅馬法王庁発売の赦罪券反対を以て近代史は始まつたのである、此年此日を以て余輩が今日信奉するプロテスタント教は始まつたのである、而して此年此日を以て近世哲学と近世思想、近世科学と近世文学、代議政体と新国家其他近代人が享有する凡の制度文物は始まつたのである、祝すべきは実に此日である、記念すべきは実に此日である、人類が在らん限り永久に忘るべからざるはマルチン・ルーテルがヴイッテンベルヒ城内教会の門扉に其九十五箇条の論題を掲示せし(382)此日である。
 歴史上此大運動を称して単に「改革」といふ、実に欧洲の天地に臨みし最大の改革であつた、単に一国又は一方面の改革でなく、文明世界全般の改革であつた、故に之を称して The Reformation 即ち「唯一の改革」といひて誤らないのである、有名なる英国法理学者ジェームス・マッキントッシが言ひし如く近世の代議政体なる者は元来人の義とせらるゝは行為に由らず信仰に由ると云ふルーテルの信仰を以て始まつた者であると云へば、過去四百年間の政治歴史も亦其発端は第十六世紀の大改革に於て在つたのである、斯くて大改革は之を孰れの方面よりも見ることが出来る、之を単に思想上の改革と見ることが出来る、又は政治上の改革と見ることが出来る、之をまた教養上の改革と見ることが出来る、文芸復興《ルナサンス》の一方面と見ることが出来る、独逸民族の拉典民族に対する反抗と見ることが出来る、「大改革」は複雄せる大運動であつた、茲に中古時代は過去つて新時代が始まつたのである、全欧洲は其すべての方面に於て新生を遂げたのである。
 然し乍ら新生は宗教を以て遂げられたのである、第十六世紀の大改革は実に宗教的改革であつたのである、而して宗教的改革でありしが故に欧洲を其根本より改めたのである、実に宗教は人生の一方面ではない、其根柢であつて其全般である、宗教に於て誤りて人は其全生涯に於て誤るのである、政治が改まりて宗教が改まるのではない、宗教が改まりて政治が改まるのである、其他文学科学芸術悉く然りである、制度文明悉く結果である、而して宗教のみ惟り其源因である、而して夫れは其筈である、宗教は人の霊魂に関する事であるからである、宗教は霊的生命である、すべての活動の根本である、故に謂ふ Be right with God and all will be right と、神と義しき関係に入るべし、然らば万事に於て正しかるべしと、神との関係即ち宗教が正されて万事が正されざるを得(383)ないのである、而して第十六世紀の大改革は特に宗教的改革なりしが故に其感化は全般的であつて其結果は永久的であるのである、ルーテルは特に宗教家なりしが故に此大改革の原動力となることが出来たのである、若し人文の改革なりしならん乎、ルーテル以外に人があつたのである、エラスマスは彼に優さるの希臘学者であつた、ロイクリンは彼に優さるの希伯来学者であつた、然れども改革は彼等を以て始まらなかつたのである、若し芸術の改革なりしならん乎、ラフハエルあり、ミケルアンゼローあり、レオナルド・ダ・ヴインチありて永久不滅の傑作を世界に供したのである、然れども改革は彼等を以て始まらなかつた、第十六世は傑物輩出の時代であつた、何れの方面に於ても英雄天才現はれて歴史の舞台を飾つた、然るに特に信仰家ルーテルを待て大改革は始まつたのである、人類はやはり宗教的動物である、宗教はやはり人生の最大問題である、野人ルーテル独り其心霊の奥深き所に宗教上の大問題を解決して全世界は彼に由りて改まつたのである、偉大なる哉宗教!
 茲に於てか何人も更らに問はんと欲するのである、ルーテルをして斯かる大改革の率先者たらしめし其宗教信仰は如何なる者でありし乎と、その基督教でありしことは言ふまでもない、然れども基督教も亦多種多様である、ルーテルは如何なる基督教を以て人類の進路を一変せし乎、勿論彼より先きに、又彼と時代を同うして、彼に等しき或ひは彼れ以上の宗教家があつた、聖ベルナード、聖フランシス、聖トマス・アクイナスは皆な霊界の明星であつた、又ルーテルと殆んど時代を同うして伊国フローレンスのジロラモー・サボナローラは其熱心に於て、其勢力に於て、其勇気に於て少しもルーテルに譲らざる改革者であつた、然るに彼等の唱へし改革は悉く中折して新時代は彼等の孰れを以てしても始まらなかつた、何が故にルーテル独り彼の改革を以て成功せし乎、是れ何人も知らんと欲する所である。
(384) 此問に答へてルーテルの宗教改革は聖書の再発見を以て始まつたのであると言ふのが普通である、然し乍らルーテル以前に聖書は無視せられたと言ふは大なる間違である、改革以前に聖書の研究は有つた、サボナローラの如きは書き聖書学者であつて彼は殉教の前者まで詩篇の註解に従事した、宗教改革は聖書に由て行はれし事業であると云ふ事は出来ない、聖書の内に潜める或る大真理の発揮に由りて為されし大運動である。
 而して其大真理たるや寔に簡単にして単純なる者であつた、それは人の義とせらるゝは信仰に由りて律法《おきて》の行《おこなひ》に由らずと云ふ単純なる真理であつた(羅馬書三章二八節)、語を換へて言へば羅馬書並に加拉太書の再発見であつた、更らに語を換へて言へばパウロの信仰の復興であつた、此単純なる真理の発見並に高調に由て旧欧羅巴は倒れて新欧羅巴は興つたのである、羅馬天主教会は勿論悪い教会ではない、之に多くの弊害の伴ひしは他の教会に弊害の伴ふと同然である、此世の制度にして弊害の伴はざる者とては古今東西未だ曾て有ることなしである、然れども中古時代の精神は律法の実行に於て在つたのである、其長所も茲に在り其短所も亦茲に在つたのである、而して中古の精神を最も善く実現したる羅馬天主教会は其長所と短所とを最も善く実現したのである、而して此精神にして永久に持続せられん乎、人類は何時までも未丁年者の状態に於て存らなければならないのである、律法は神より人に臨みし命令である、之に恩恵が伴ひ又刑罰が伴ふた、如何にして神の律法を厳守して其約束の恩恵に与り、其詰責の刑罰を免がれん乎とは中古時代の最大問題であつた、而して此問題の解決に追窮されて欧洲は一大寺院と化したのである、キリストは恐るべき裁判人、福音は厳密なる律法、而して之を厳密に守るにあらざれば地獄に落ちて永久滅えざる火の中に苦しまざるべからずと、欧洲人に熾烈なる未来観念と鋭敏なる良心とがありて千一百年間に渉る中古時代があつたのである、而して此観念と良心とが多くの迷信を起すの因となりて僧(385)侶階級に乗ずるの機会を供したのである、欧洲人は余りに神を畏るゝの結果、律法の縛る所となり教会の囚ふる所となつた、此敬神、此良心、此未来観念は孰れも貴き者であつた、之を棄つることは出来ない、之を束縛より釈放し、霊魂に自由を供して其無限の発達を計るの必要があつたのである。
 而して此自由は既にキリストに由つて供せられた、而して最も深刻に此自由を感じ最も鮮明に之を意識し最も確実に之を獲得した者は使徒パウロであつた、彼の福音は神がキリストを以て彼を信ずる者に賜ひし此自由の宣言である、羅馬書は特に此自由に就て論ずる書である、加拉太書は此自由の由来と律法との対照に就て論ずる書である、其他彼の書簡十三通は孰れも此自由に激《はげま》されて作りし者である。
  今律法の外に神の人を義とし給ふ事は顕はれて律法と預言者は其証をなせり、即ちイエスキリストを信ずるに由りて凡て信ずる者に賜ふ神の義なり、之に何等の差別あるなし、そは人は皆既に罪を犯したれば神より栄光を受くるに足らず、只キリストイエスの贖罪《あがなひ》に頼りて神の恩恵を受け功績《いさほし》なくして義とせらるゝ也、神はイエスを立てその血によりて信ずる者の和解《なだめ》の祭物《そなへもの》とし給へり、是れ神忍びて己往の罪を赦し給ひし事に就て今其義を顕さんため、又イエスを信ずる者を義として自から義たらん為なり、然らば誇る所何処に在るや、在ることなし、何の法に由る乎、行の法か然らず、信仰の法なり、故に我思ふに人の義とせらるゝは信仰に由る、律法の行に由らず(羅馬書三章二一−二八)
 所謂るパウロ思想の真髄は茲に在る、是れが解らずしてパウロは解らない、而してパウロは能くキリストの犠牲の意義を解したのである、然るにパウロの此信仰は後世の教会の忘却埋没する所となり、時に聖アウガスチンの如き之を復興せし者ありと雖も教会全体は復びパウロ以前の律法教に帰りてイエスが攻撃して止まざりしパリ(386)サイ教を新らしき形状に於て継続したのである、実に中古時代は律法時代であつた、千一百年間律法に囚へられて欧洲人は恐怖と暗黒の裏《うち》に蟄伏したのである。
 然るにルーテルは茲に神の恩恵の選《えらび》(羅馬書十章五節)に由りパウロに由て伝へられし此自由の福音に接したのである、人の義とせらるゝは律法の行に由らず信仰に由ると聞いて彼の全身は躍つたのである、和解の祭物は既に彼のためにイエスの血によりて献げられしと聞いて重荷は彼の肩より落ちて人のすべて思ふ所に過ぐる平和は彼の心に臨んだのである、羅馬書と加拉太書とは彼の特愛の書となつた、其中に彼は彼の心の実験を読んだ、其一言一句が彼に取りては「然り然り」であつた、
  我れキリストも偕に十字架に釘けられたり、もはや我れ生けるに非ず、キリスト我に在りて生けるなり、今我れ肉体に在りて生けるは我を愛して我が為に己を棄し者、即ち神の子を信ずるに由りて生くる也(加拉太書二章廿節)
 ルーテルの一生はパウロの此の一言を以て言悉す事が出来るのである、中古時代の産たりし彼れルーテルは律法の励行に由て神の救に与からんと欲した、彼が教会の課せし難行苦行を厭はざりしは之が為であつた、然るに今や
  手にて録しゝ所の我らを攻むる規条《いましめ》の書、即ち我らに逆ふもの(律法)を塗抹《ぬりけ》し、之を中間より取去り、釘を以て其十字架に釘け給へり(哥羅西書二章四節)
と聞いて彼は全然律法の束縛より脱出したのである、斯くて古き聖書はルーテルを導きて律法の奴隷の軛(加拉太著五章一節)より脱せしむると同時に教会の圧制と中古時代の暗黒とより脱せしめたのである、実に簡単なる(387)真理である、然れども此真理が一度びパウロを以て世界を救ひしやうに再びルーテルを以て欧洲を救つたのである、キリストの十字架、彼が其上に万人の為に流し給へる血……ルーテルは之を信じて先づ自から救はれ、然る後に機会到来して神に用ゐられて全欧洲を救ひ新時代と新世界を開始するの道具となつたのである。
 宗教改革の精神は是れである、ルーテルの信仰である、人の義とせらるゝは律法の行に由らず信仰に由ると云ふ其信仰である、此信仰を以て彼は先づ自から中古時代と絶ちて新時代に入つたのである、而して彼の先導に由りて欧洲は中古の暗黒を離れて近世の光明に入つたのである、勿論是れ丈けで改革事業は挙つたのではない、是れ以外に多くの他の精神、他の動機の之を幇助《たす》くる者があつた。然し乍ら改革運動を所謂文学復興の一方面と見るは大なる間違である、欧洲は希臘羅馬の古典に由て救はれたのではない、希伯来人の聖書に由て救はれたのである、十六世紀の大改革は文学者に由て起されし思想の改革ではない、信仰家に由て興されし良心の改革である、其他当時の経済状態、政治状態は大に此運動を助けた、然し乍ら其原動力は他に在つた、欧洲人、殊に独逸民族の信仰的実験に於て在つた、此運動が此に根ざしたからこそ、火を以てするも之を焼くことが出来ず、水を以てするも之を滅《け》すことが出来なかつたのである。
 キリストの血ルーテルを救ひ、彼を以て欧洲を救ひたりと聞いて現代人は笑ふであらう、「然らば欧洲は迷信を以て救はれたりし乎」と、然れども果して迷信である乎、羅馬書三章は果して迷信を語る者である乎、是れ果して所謂パウロのユダヤ思想である乎、文学的批評家は然りと答ふるであらう、然し乍ら樹は其果に由て知らるゝのである、ルーテルの信仰の如くに人類を其根柢に於て全般的に且つ永久的に改革せし文学的思想又は哲学的真理は何処に在るや、キリストの十字架と之を仰瞻て救はるゝと云ふ是は思想ではない、実験である、理論ではな(388)い、生命である、宇宙と人生の中心点は茲に在るのである、博士フェヤベーンが言ひしが如く「キリストは其血潮滴るゝ掌の中に万物の秘訣を握り給ふ」のである、人は此中心点に触れて始めて自覚するのである、国民も亦此中心点に触れて始めて真の自己存在に入るのである、人の真の誕生日は彼が母の胎内を出し日ではない、彼がキリストに接した日である、十字架上のイエスを其救主として受けし日に、其日に人も新たに生れ国も新たに興るのである、斯くて、近世哲学、近世科学其他の近世の大産地はルーテルの信仰を以て始まりたりと云ふ事が出来る、欧洲の新文明はルーテルの単純なる福音的信仰を以て始つた者である。
  凡そ神に由りて生まるゝ者は世に勝つ、我らをして世に勝たしむる者は我らの信なり、誰か能く世に勝たん、イエスを神の子と信ずる者に非ずや(約翰第一書五章四、五)、
然り、今も猶然りである、霊が肉に勝ち、愛が武力に勝ち、全人類が更らに復び再生の実を挙げんが為には、イエスを神の子と信ずるの必要があるのである。
 
(389)     ユダと我等
                         大正6年11月10日
                         『聖書之研究』208号
                         署名なし
 
 編者曰ふ、我等はすべてカリオテ人ユダである、我等は彼と共に我等の師にして主なるイエスキリストを売り又売りつゝある者である、ユダは我等を代表して神の子を其敵に附したに過ぎないのである、然し乍ら其事はユダの大罪を輕減しないのである、神の子を十字架に釘けし罪は人類全体の担ふべき者であつて又罪に生れし人たる者の各自の担ふべき者である、ユダがイエスを売つたのである、我も亦此罪を犯したのである、ユダ憎むべしである、我も亦憎むべしである、ユダは我等の中の一人なりと云ひて彼を庇うてはならない、我等はユダに対する厳格を以て自己に対しなければならない、我はユダと同じく罪人の首である、而かも神の恩恵は之をしも救ふて余りあるのである。
 
(390)     アテンスに於けるパウロ
         使徒行伝十七章 (九月十六日並に廿三日両回に渉る講演の大意)
                大正6年11月10日
                『聖書之研究』208号
                署名 内村鑑三 口述 中田信蔵 筆記
 
 此章はパウロがアテンスの学者の前に於て述べたる演説の入つたものにて哥林多前書十三章及十五章等と共に有名の章である。ルカは非凡の歴史家であつて単に事実を記せしに止まらずよく其主意を伝へて居る、歴史を書かんとする者又読まんとする者は宜しくルカに学ぶ可きである、去れば史学の大家モムセンは使徒行伝を嘆賞して模範的歴史であると言つた。イエスの伝道の初めの記事が福音書であつて使徒行伝は其続きを記したものである、イエスの伝道は終つたのでなくナザレの寒村に始まりし教は猶太全国に拡まりアンテオケに至り希臘に至り遂に羅馬の中心に入り今も続いて全天下に拡まりつゝあるのでルカに余命あらば羅馬を中心として彼は使徒行伝第二篇を書いたであらふ。
 パウロの羅馬行は多分タルソに隠れたる頃よりの望であつたであらふ、今日に於ては尋常の事の様にも思はるゝが当時に於ては実に夢の如き望であつたのである、彼の日蓮が一度京都に入りて法華経を説かんと冀《ねが》いながら遂に果す事が出来なかつた事抔より思ふもパウロの羅馬行が如何に遥かなる望であつたかゞ思はれる、而も望は遂に事実となつたのである、ナザレより羅馬に至るには幾段の階段があり進歩があつたのでルカの筆はよく是を(391)伝へて遺憾がない。凡そ歴史に二種ありて、其一は単に事実の驢列であつて乾燥無味読むに堪へない、他の一は極端に粉飾に勉め事実を犠牲として小説的に記せし太平記源平盛衰記の如き類であつて信を置く事が出来ない、一は正史にして一は稗史、前者は年表式無味、後者は架空の想像を以て飾られたものである、而もルカには正史なく稗史なく、正史にして稗史、事実と興味とを共にしたものである、後世のカーライルの史筆が稍是に類したものである、不幸にして吾日本には斯る歴史家なく吾等は興味を以て誤りなき吾国史を読む事が出来ぬ。人生の事実は元より興味の多いものにて事実は常に小説に勝りて面白いのでこれを有の儘に綴りて女も子供も聞いて心の深き所に訴へらるるのである、ルカに斯る歴史の書けたる事が彼に聖霊の加はつた事を示すのである、普通の人に出来る事ではない、少しく文筆に携はるものにはよく解る事である。事実を簡単に筆にすればそれが充分おもしろいので、何人にも実験のないものはなく、其実験を有のまゝに語る人が真の信者であり又文章家である、本章の如きは其好き適例にてパウロがアテンスに行きし記事の如きは実におもしろい記事である。
 アムピポリス、アポロニヤ等は相当の都会であるけれども例に由りてパウロは大切の場所を目指して進み是等の邑々を顧るの遑なく単に通過したのみである、テサロニケには会堂あり此所に暫時足を止めて聖書を論じキリストの復活を説いた、続々として信仰に入るものが生じ猶太人の妬みに由りて騒擾《さはぎ》が起つた、信徒等の好意により辛《やうや》く騒擾の中より脱してベレアに去り此所にても又会堂に行きて道を伝へた、此所の人々はテサロニケの者よりは性情よくパウロの説く所を傾聴して熱心に聖書を研究し多の人が信じて其勢は貴族社会に迄及んだ、猶太人来りて此所にも又騒擾を起せし故パウロは再び兄弟等の計らひにてシラスとテモテをベレアに残して単身アテンスに往つた、ルカは多分ピリピに残つたのであろふ。アテンスは希臘の都にて当時文化の中心地パウロの長く(392)冀ひし地である、一度此所に福音を伝へんとは実に彼が多年の願望であつた、今や満々たる希望を抱いて此地に入る感無量であつたらう、彼はベレアに残したるシラスとテモテを待つ間市中を散歩し市民が挙りて偶像に事ふる有様を見て甚く心を痛ましめたのである、当時アテンスの偶像は美術の精を尽せしものにて美の神とか芸術の神とか言ひて今日吾等の見る如き殺風景のものではない。
 人はアテンスに入りて先づ宏壮華麗なる市街の美観に驚き燦然たる文芸美術を嘆賞して措かざるも、パウロはアテンスに入り第一に偶像崇拝の有様を見て其心を痛ましめた、彼に美術を観るの目はありしも是に囚はれずして民の心の腐敗を嘆く、美術家や考古学者の嘆賞する所も信者には嘆きの材料である、普通の人は其文化に囚はれ哲学者は此派彼派の哲理に囚はれ芸術家は稀代の彫刻絵画に心を奪はるゝが常なれどもパウロは是等一切のものに心を奪はれず只管に偶像崇拝に心を痛め日々会堂又は市に於て遇ふ所の人と論じたのである、此所にも彼の熱誠なる風格が現れて居るのを見る。市とは今日の物品売買の場所の謂ではなくて当時人々集りて政治上や学術上の議論をなす所であつて此所に政治家来り学者来り宗教家集りて甲論乙駁盛んなものであつたらふ、大胆なるパウロは此所に往きて偶像崇拝の非を論じ彼独特の福音を述べたのである。当時の哲学者に二派ありて一をエピクリアン派と言ひて今日の快楽派に当り他をストア派と言ひて前者の反対に極端なる制慾主義にて今月の禅宗がよく之を代表して居る、此世に囚はれたものと此世を卑めるものとで双方共に真理ではなく実は双方共此世に囚はれたものであつて神を知らないものは此二つの外に往く可き所はないので何れの時代にも此両派はあるのである。吾等又動もすれば或はストア派と見られ又エピクリアン派と見らるゝのである、ヨハネ野に蜜を食ひ蝗虫《いなご》を食とすれば人は直ちにストア派と言ひイエス弟子の招に応じて筵席に座すれば忽ち目を側てゝエピクリアン派を(393)以て目さるゝが、パウロの立場より見れば双方共に誤つて居るのである、肉の事強ち卑む可きでなく家庭の生涯の如きは捨つ可きものではないが同時に又囚はれてはならぬ、而も其宜きを得んとて吾等の工夫努力は無功であつて、唯復活のイエスを信ずる事に由りてのみ総ては解決さるゝのである。パウロが斯く論ぜし時ストア派の学者もエピクリアン派の学者も双方一面の真理あるを説かれて吾味方と思へば又然うではないのに失望して果は此|※[口+繆の旁]※[口+周]者《さいずるもの》何を言はんとするかと嘲つた、※[口+繆の旁]※[口+周]者とは原語は「種拾ひ」と言ふ意にして鳥が草種を拾ふより生ぜし語で所謂「聞き噛り」、「拾ひ読み」等の謂ひである。而して又或人は異なる鬼神を伝ふる者の如くであると言つて彼を引つれアレオ山に往きて其説を裁判する事となつた。アレオ山は市の中心にあり東京の愛宕山の如きものにして山の上の石を刻みて腰掛とし名高き学者や国家に功労あるものが裁判人となりて学説の是非を論じたと言ふ学問上の裁判所である、此裁判人となるものは智識経験に秀でたる国家の功労者にて少くも六十歳以上のものであつたとの事にて今日米国上院議員を挙るとも及ばざる人物の叢林であつた。而して其頃アテンスの一般市民の智識の秀でたる事は今日の伯林や巴里の市民も遠く及ばない事は今に遺れる当時の脚本類が頗る高尚なるものにて一般者がよく之を嗜み得た事に由りても知らるゝのである。白髪の老学者有識の市民幾千百人坐して学説の是非を論判せし当時の偉観盛況思ふ可しである、パウロは何等の後援者あるなく一人の友人もなく単身此市民此学者の前に立つて彼の福音を述べたのである、彼の生涯に於て此場合程六ケしい事はなかつた、今の吾国の大学教授連の前に立ちし以上の困難である、彼は幾度か王侯貴族の前に立ち祭司権官に対して福音を述べ自己を弁護するの困難を敢てしたなれども何れも此世の権者であつたが、今や彼の前に在る者は高遠なる真理の研究に生涯を委ねし最高の大学者達であり、週囲には智識に秀で批評に長じたるアテンスの市民が耳を側てて居るのである、(394)学者と文明人は此「※[口+繆の旁]※[口+周]者」の説を笑殺せんと構へて居る、茲に彼の大演説は始められた、聖霊の援助あるに非れば単なる大胆を以てしては出来ぬ事である、演説は二時間三時間或は四五時間にも渉つた大演説であつたらふ。本章廿二節以下は抄訳であつて彼の雄弁を偲ぶには足らないけれども其思想の偉大は窺はれるのである。此大演説を斯くも簡単に書き約めて而も要点を漏さぬルカの技量は真に敬服す可きものである、新約聖書全体が基督教の精神を約めて書いたものにて些の冗漫がないがルカの筆は又特別にて精錬簡潔堂に入つたものである。
 パウロは開口先づアテンス人の敬神の念に訴へて彼の福音の前提とした、鬼神を敬ふ云々(廿二節)は寧ろ敬神の意を言つたので今日吾等の間に言はれて居る鬼神の意ではない、パウロの如く人の感情に注意し礼儀を重んずる人が対者を侮辱する如き語を用ゐない事は確かである。「敬神の念厚き諸君に諸君の祭壇を捧げたる諸君の所謂『識らざる神』を示さん」と説き起したのである、論法実に巧妙である、これ最もよき訴へ方にて熱心と熟錬の結果でなければ出来ない事である。当時雅典に於ては人間の数よりも偶像の数の方が多つたとの事にて人の知れる限り名のある限りの神を造つたが猶足らなくて一の祭壇を設けて「識らざる神」にと刻書して置いたのでパウロは散歩の途上に是を見たれば取つて以て福音を説くの材料としたのである。宇宙を創造し給へる天地の主たる神は手にて造れる殿に住み給ふものでなく又物に乏しき事なければ人の手にて事《つかへ》らるゝものでない事を説き、進んで凡ての民を一より造り給ひし事を説いた。此に「一の血より」とあるは単に「一より」或は「一元より」と言ふ可きであらう。人には固より差別はないので人種各異れりと思ふは誤りである 国は所を異にし時を異にし盛衰あり興亡ありと雖も人類は元之神に由て一元より造られし者であると、是希臘人には新説であつた、彼等は希臘人は一なりと思ひしも天下万人同一の人種とは考へ得られなかつた事とてパウロの説の大胆なるに驚いた、(395)当時の希臘人のみならず今日の欧米人にも解らぬ事にて彼等は白人と黄人とは別のものであり黒人と同一にはなれぬものと思つて居る。先年米国に在りし頃よき信者たる某紳士と地方に旅行して白人と黒奴と全然住居を別にし堅く犯すを許さない状態を見て怪みて是を其紳士に問ひ糺せしに彼は「寧ろ偶像信者となるも黒人と同じにはなれず」と当然の事の如くに答へて平気であつたのに驚いたつたが此一事以て一般の意向を知るに足るのである、パウロが人類一元を断言せしは非常に大胆の事であつてこれ信仰を離れて単に哲学者の言とするも千古に伝はる可き偉大の言である、彼はこれを政治上の便宜のために述べたるのでなく神の真理なるが故に人の受くると受けざるとに関せず躊躇する所なく述べたのである。
  我儕の父は皆同一なるにあらずや、我儕を造りし神は同一なるにあらずや云々(馬拉基書二章十節)
とは預言者マラキの早く唱へし所である、国民はこれ神が造り給ひし全人類の一部分であつて唯住ふ所と興亡の時を異にするのみである、今日世人がこれを信ずる事が出来たならば多くの国際問題は解決され欧洲の野を血に染める様な目下の惨劇も演ぜずして済んだであらふ、而も悲い哉此事が解らなくて栄ゆる時に在るものは忽ち驕りて全世界の支配を托されしと信じ他の領土を犯さんとして屡々平和の天地を修羅の巷と化せしむるのである、凡そ如何なる国民と雖ども又如何なる英雄と雖ども神の定めし所と時とを犯す事は出来ぬ、国の領土に限りあり、栄ゆる時に限りがある、斯く言はゞ吾国の所謂忠君愛国家は怒りて言ふであらふ、吾国の隆盛は天壌と共に窮りなく世界を支配するの時が来るであらふと、併し乍らこれは独逸人も言ふ所であり世界中の軍国主義者の何れも言ふ所であつて争ひの起る基である、世人は興亡盛衰は天運の循環にして運命の然らしむる所であると言ふがこれ決して偶然の事ではなく、人をして神を探り求めしめん為である、国の興亡も人の盛衰も一として無意味に行(396)はれるものではない、興るに時あり衰ふるに時あり、吾等は是に由りて神を探り求めねばならぬ、去ればと言つて神は天上高く遥かなる所に在して探るに難きものではない、遠いも近いもなく神は吾等の中に在し、吾等は魚の水中に在るが如く神の中に在るものにて神を離れては寸刻もある能はず神を離れての存在は考へる事の出来ない事である。
  我儕は彼に頼りて生また動また存《ある》ことを得なり云々(廿八節)。 これ哲学者の語である、斯る歴史上哲学上の深き所をパウロ先生は何時何所に於て学んだのであらふか知りたく思ふ、「爾曹の詩人たちも云々」と言ふ詩人とはクリアンテス、アラタス等を指して言つたのであらふ、殊にアラタスはパウロと同国人であつたれば彼は子供の頃より其詩を暗誦した事であらふ。パウロの偶像攻撃の仕方は吾等の学ぶ可きものである、誤りは飽く迄正すも礼を失はず彼等の哲学を引き文学を引き高尚優雅なる語を以てして対者をして些の悪感を起さしめない其態度の立派さ仰ぐ可く、今の浅薄なる伝道師抔が僧侶の頭がどうとか法衣がどうとか頻りに悪口を放ちて仏教を攻撃し得たりと得意顔なるに比して正に雲泥の相違である 徒らに詈る事をせず対者の思想に訴へて撃つ、柔かではあるが深いのである。彼先にアンテオケに於は田舎人の語を以てよく彼等の心情に訴ふるの演説をなし、今学者の前に立ちては臆する所なく彼等の語を以て吾主張を述べて居る、彼は地方人に対しても学者に対しても政治家祭司何人に対してもよく彼等に訴ふる恰適の演説が出来た、彼は哲学者にも政治家にも容易になり得たであらふが而もそれらを顧ずして福音宣伝に生涯を献げたのである。パウロは諄々として偶像崇拝の非を論じ罪の悔改を説き義の鞫を説き進で主イエスの復活を説いた、これ人の罪の赦されたる証として大切の事にて哲学問題ではない、パウロの考にては死は罪の赦されない何よりの証拠で復(397)活は赦された実証であるのである、今人は復活を哲学問題として研究せんとするが為に如何に努力するも解らないが一度是を罪の赦の道徳問題として見る時はよく解るのである、道徳心鈍く復活は唯死者の甦りとのみ見、此半生理的事実の証明が立たなければ基督教が立たないと云ふならば基督教は誠に不安の者なれどもこれは罪の赦の実証として何人にも解る道徳問題である。憐む可し彼パウロの至る所必ず衝突が起る、人の思想を刺撃するからである、アテンス人は今迄は傾聴して居たが復活の言を聞いて或ものは嘲笑し、或ものは後日再び聴く事にせんとて去つて了つた。彼は始め宇宙万物に訴へて神の何たるかを説き、次に万国の歴史に訴へて神が全人類を造りて住ふ所と盛衰の時を定め給ひし事を説き、次には哲学に訴へて天下万人の兄弟である事を説いた、天然を以て、万国の歴史を以て、哲学を以て神を紹介し、最後に黙示に訴へて復活のキリストを紹介した、学者たちは天然の事、歴史の事、哲学の事は喜んで之を聞いたがキリストの復活の事に至つては全く解らず僅かにデオヌシオ、ダマリス、外数人の信ずるものがあつたのみで何れも嘲笑軽侮憐む可きものとしてパウロを遇したのである、彼にして若し天然、歴史、哲学の事を語るに止めたならば博学広量の大家として学者の称賛を得たであらふ、今の伝道師は怜悧にして彼等の談を茲に止めて復活を語りて学者の嘲笑と世との衝突を買ふの愚をなさないのである、而して世人は其博学に感じ自身亦これに誇るのであるが、パウロには復活を言はないならば言はない方がよいので此事を言はんがための演説であつたのであれば衝突は分明つて居つたが躊躇する所なく是を説いたのである、果して衝突は直ちに起つたが此所に又数人の信者を得たのである、これを止めたならば衝突は生ぜずして称賛を博したではあらふが此信者を得る事は出来なかつたのである、これ吾等の学ぶ可き所にして昔も今も衝突を避けて信者は出来ないのである、今の伝道者は多く哲学を語り歴史を語りて拍手喝宋を得て足れりとするが彼等の紹(398)介するキリストが天然のキリストであり歴史のキリストであり哲学のキリストであつて復活のキリストでないならば彼等の伝道は何でもない実に空しき事である。多くの人が様々の批評をしてアレオ山を下つた事であらふ、之を聞いたパウロの感は如何であつたか記してはないが此後彼は此学者|市《まち》を捨てゝ商業地なるコリントに行き再びアテンスに入らず爾後コリントが彼の希臘伝道の中心となつた、之によりても彼のアテンスに対する印象を知る事が出来る、パウロは学者町のアテンスに呆れ果たのである。
 
(399)     環視と仰上
         十月七日京都佐伯氏方に於て為せる講演の大意
                         大正6年11月10日
                         『聖書之研究』208号
                         署名 内村鑑三
 
 不信者の生涯は平面的である、彼の援助はすべて側面より来る、彼を囲繞する人より来る、人よりの援助にして絶たれん乎、彼は直に死するのである、故に孤独は彼の最も恐るゝ所である、彼は周囲の人と繋がりてのみ生存することが出来るのである、旅は道伴《みちづれ》世は同情と云ふ、平面的に同情者の多い者が勢力の多い者である、故に不信者は事を為さんと欲するに方て必ず此世の同情を求むるのである、即ち援助を彼の側面に於て探るのである、成るべく広く援助を仰いで彼は力を己れに加へんとするのである、社会と国家、政府と教会、是れ皆地上に平面的に存在する者であつて、不信者は是等の平面的勢力に頼りて自己生活を強くし、事を為さんと欲するのである。
 信者の生涯は垂直的である、彼の援助は上より来る、彼は人よりの援助を絶たるゝも猶ほ他に頼《よ》る所がある、故に彼は孤独を恐れない、彼は交際を愛するも而かも交際に由て生存しない、彼は直に神に依て生存する、彼は周囲を環視《みまは》さない、上を仰ぐ、彼は多数の同情を得て強くなるのでない、上より聖霊《みたま》を注がれて新なる力を得るのである、彼は社会以外、国家以外、政府以上、教会以上に力の供給所を有のである。
 信仰とは他の事ではない、此垂直的生涯である、肉の側面的生涯に加ふるに霊の垂直的生涯を以てする事であ(400)る、而して後者の益々盛んになるに対して前者の益々衰ふる事である。
   我れ山に向ひて目を挙ぐ、
    我が援助は何処より来るや、
   我が援助はヱホバより来る、
    天地を造り給へるヱホバより来る、
此《こ》は信仰の声である、不信者が政権に頼り、此世の同情に頼り、多数の賛成に頼るに対して信者は山に向ひて目を挙げて天地を造り給へるヱホバより援助を仰ぐのである(詩篇百廿一篇)、又パウロが「我等四方より患難《なやみお》を受くれども窮せず、詮かた尽くれども望を失はず、迫害《せめ》らるれども棄られず、跌倒《たふさ》るれども亡びず」と曰ひしも亦彼に社会以上周囲以外に頼る所があつたからである(哥林多後四章八、九節)、イサクの子ヤコブ父母の膝下を離れ、独り異郷を指して旅立てる時、日暮れて途遠く、世に頼るべき者なきに到れる時、「彼れ夢に梯の地にたちゐて其巓の天に達するを見、又神の使者の其れに昇り降《くだ》りするを見たり」とあるは是れ彼が茲に信仰的生涯に入れるを示す言辞である(創世記二十八章十二節)、信仰他なし、天との直通である、不信者時代に在りては只側面的生涯をのみ営みし者が信仰に入りては新たに垂直的生涯を営み、地より養分を摂取すると同時に更らに又天より生命を吸収するに至るのである。
 新科学の教ふる所に依れば地球を包囲するに大気あり、而して大気を包囲するに虚空がある、然れども虚空と称して単に生気なき活動なき所ではない、所謂虚空は力の充実する所である、若し何等かの方法により此大気以外の虚空より其充実する力を地上に引来るを得ん乎、人類は地上に在りて永久に力の不足を感ずることなかるべ(401)し、縦し地上の石炭を焚尽す時到ると雖も(而して斯かる時は一度は必ず到るべし)人類は虚空より其充実する力を仰いで永久に力の不足を感ずることなかるべしと、是れ瑞典国の学者アーレニウスの唱ふる所であつて敬聴するに充分の価値ある学説である、地球は死せる冷たき暗黒の空間を漂流して居るのではない、活気充満し光輝爛々たる虚空を回転して居るのである、其如く人は単に地に由てのみ養はるべき者ではない、彼は又天より生気を受くべき者である、地球が生気横溢せる虚空に包まるゝが如くに人は神なる無窮的生命に懐かれつゝあるのである、「我等は彼の中に生き又動き又在ることを得るなり」とパウロが曰ひし如くである(行伝十七章二八節)、単に彼の周囲より力を仰いで彼は完き人たること能はず、彼は又上より力を仰ぐべきである、而して上より来る力が真の生命である、人よりにあらず人に由らず、地よりに非ず地に由らず、社会よりに非ず社会に由らず、政府よりに非ず政府に由らず、教会よりに非ず教会に由らずして人は直に上より力の供給を得て強くなることが可能るのである、而して神は此力の蓄積所であつて信仰は之を獲るの途である、人たるの特権は茲に在る、下等動物の其周囲より滋養を摂るの外に途なきに対して人は天より力を仰ぐの特性を具備せられたのである、宗教と云ひ信仰と云ひ祈祷と云ひ上よりの力を仰ぐ途である、人はパンのみにて生くる者に非ず、神の口より出るすべての言辞に由て生くるのである、神より出づる力、是れが人たる者の真の力又生命である、而して是れ社会も国家も供給することの可能るものではない、清き謙遜なる心を以て神に祈求《もと》めてのみ獲ることの可能るものである。
 明白なる此事実あるに関はらず今や人はすべて他の動物と等しく平面的生涯をのみ営みつゝある、人は地上の動物として地の産物を以て其すべての慾求を充たさんと為しつゝある、完全なる社会組織に由りて、又は鞏固なる国家的団結に由りて、人たるの完全なる発達を遂げんと為しつゝある、第二十世紀の人は、然り其基督信者ま(402)でが、上を仰がずして周囲をのみ環視しつゝあるのである、彼等は「我が援助は何処より来る乎」と己に問ふて、我が援助は社会より来る、政府より来る、議会より来る、政治家より来る、此世の成功者より来ると答へつゝあるのである、故に彼等は如何なる事業を計企るにも先づ「運動」に従事するのである、近代人の「運動」なる者は其側面的生涯の活動である、成るべく丈け多く周囲の勢力を自己に吸収して自己の為さんと欲する事を為すことである、頼む所は人の賛成である、社会の助力である、すべてが側面的である、横に周囲より我に流れ来るものゝ要求である、竪に上より我に降り来るものゝ祈求でない、「運動」は実に卑むべき事である、殊に信仰を標榜する者の従事する所となりて「運動」は背信である、然り罪悪である、「運動」に由りて建たる会堂、「運動」に由りて成りたる会館、「運動」に由りて行はるゝ慈善事業、是れ皆アメーバが周囲の泥水より養分を摂取して生くると等しき方法に由りて成りし事業にして人たる者の事業としては甚だ貴からざるものである。
 側面的生涯のほかに生涯あるを知らざる近代人に取りては祈祷は奇怪事である、彼等の見る所に依れば人の生命は其周囲との相対的適合であれば彼は彼の境遇以外に注意を払ふの必要は無いのである、彼に援助が来るならばそは総て彼の側面より来るのであれば、彼が上を仰いで援助を求むるが如きは真面目の沙汰とは思はれないのである、近代人は習慣として祈祷する事がある、然れども祈祷の実力は之を信じない、祈祷に由て事を為さむとは彼等の全然為さゞる所である、疇昔のイスラエル人は
   疾者《はやきもの》競走に勝つに非ず
   強者戦争に勝つに非ず、
   智者食物を獲るに非ず、
(403)   慧者財貨を得るに非ず
といひて智慧と能力とは之を人以外に求めしと雖も近代人は全く然らずである(伝道之書九章十節)、不信なるナボレオン大帝は曰ふた「摂理は常により強き軍隊の方に在り」と、近代人は祈祷を戦闘力としては算へない、コロムウエル麾下の将官は其兵卒を励まして「我等善く祈りて善く戦ふべし」と云ふたが、今や戦争は単に金の事、数の事、機械の事、軍略の事であつて是れ皆な前以て計算し得る事である、
   天より之を攻むる者あり
   諸の星其道を離れてシセラを攻む
と云ふが如きの信念は之を毛頭たりとも近代人の内に見ることは可能ない(土師記五章二十節)、神我と共に在して我は全世界よりも強しと言ふが如きは単に狂信家の言として受取らるゝのである、今や頼むべきは世界の輿論、世界の聯合である、是れありせば必勝は我有である、計算はすべて平面的である、垂直的でない、周囲を見る、上を仰がない、上よりの力は無き物として勝敗を判定する。
 而して単に戦争の事に止まらない、商売の事、政治の事、学究の事は勿論の事、宗教の事、信仰の事までが総て悉く平面的に計算せらるゝのである、伝道の成功は之が為めに費さるゝ金の額に由て計算せらる、人の基督者《クリスチヤン》と成るは上よりの力が臨むからではない、周囲の感化力に由るのである、基督的家庭あり、基督的教育を施し、基督的人格に接せしめ、其他有と有らゆる基督的境遇が備えられて基督者は自から起る者として信ぜらる、近代人は言ふのである「人は他の生物と等しく境遇の産である、彼の境遇を離れて彼は生存しないのである、彼の生命も信仰も道徳もすべて彼の周囲より彼に注入《つぎこま》れしものであつて、彼の周囲の感化《インフルエンス》を離れて彼なるものは無い(404)のである」と、茲に於てか近代人の眼中に「人よりに非ず人に由らず」と云へるパウロの如き基督者は全然認められないのである。
 然れども祈祷は伝道最大の勢力である、祈祷に比べて金力も権力も云ふに足りない、信者の熱き祈祷に応じて聖霊は人の心に降るのである、大なる伝道は祈祷のみを以て行ふことが可能る、名もなき一人の信徒の祈祷が大伝道会社の為す能はざる事を為すのである、近代人は平面的人生をのみ解して祈祷の実力を忘却したのである、彼等は万事を組織的に為すも祈祷のみは之を偶発的に為すのである、然れども若し基督者が神より直に力を授かるの秘術を知らないならば彼は人の中に在りて最も憐むべき者である、信仰が若し上より直に智慧と能力とを引来るの途でないならば取るに足りない者である、若し周囲の感化力以上に人を化するの途がないならば伝道は絶望的事業である、然し爾うではない、祈祷は山を動かすの能力である、桑の樹に命じて海に入れと命ずれば終に其如く成ると云ふ能力である(路加伝十七章六節)、今や人生の万事が平面的であり、計算的であり、交際的である時に際して我等は大に垂直的生涯を励行し、神の大空より直に彼の大能を地上に呼来《よびきた》るの途を講ずべきである。
 
(405)     大盛会
                         大正6年11月10日
                         『聖書之研究』208号
                         署名なし
 
 十月卅一日夜東京神田青年会舘に於けるルーテル紀念会は大盛会であつた、会する者千五百余名、階上階下一杯の人であつた、日独戦争進行中此偉大なる独逸人を紀念して我等の心に言ひ難き広さと暖かさとを感じた。
 
(406)     PROPHECY OF PEACE.
                         大正6年12月10日
                         『聖書之研究』209号
                         署名なし
 
     PROPHECY OF PEACE.
 
 “Peace on earth, and good will among men.”So sang angels when the Holy Babe was born in Bethlehem. But peace there is not now in the world,in the Christian part of it, twenty centuries after the memorable night. But peace there will be, because angels announced it,and God promised it through His prophets. Peace there will be when He shall appear again, and then shall be fulfilled the sure words of prophecy which said:Behold, thy King cometh unto thee:He is just, and having salvation:and He shall speak peace unto the(European and American)heathen:and His dominion shall be from sea to sea. So we rejoice, though the darkness covers the earth,and gross darkness the people.
 
(407)     聖書と戦争
                         大正6年12月10日
                         『聖書之研究』209号
                         署名なし
 
 欧米の基督信者等は聖書を以て宗教道徳の標準となし、聖書に拠りて一夫一婦を唱へ、聖書に拠りてバプテスマを施し、聖書に拠りて聖餐式を守る、而して若し聖書の言に反く者があれば非聖書的なりと称して其人を責める、然し乍ら戦争の事に就ては彼等は敢て聖書的ならんと欲しない、聖書は明白に戦争を禁ずるに関らず彼等は大仕掛に之を行つて憚らない、斯くして彼等は小事に聖書的にして大事に非聖書的である、若し聖書の言を以て言ふならば彼等は孑子《ぼうふり》を漉して駱駝を呑む者である、(馬太伝廿三章廿四)、若し聖書が戦争を許すと云ふならば聖書は如何なる罪悪をも許すと云ふ事が出来る、然るに今や独逸に於ては勿論のこと、聖書的なりと自ら称する米国に於ても第一流の牧師と神学者とは聖書に拠りて戦争の義を唱へつゝある、斯くて是等の牧師神学者等は弱き者を責むるに強くして強き者を責むるに弱くある、彼等は輿論に反し聖書に拠りて戦争を非とするの勇気を有たない。
 
(408)     平和の預言としての天使の告知
       路加伝二章十四節
                         大正6年12月10日
                         『聖書之研究』209号
                         署名 内村鑑三
 
 人類に賜はりし平和に関する多くの預言の中に、最も大なる者はイエスの誕生に際し、天使の一団がベツレヘムの郊外に羊を牧ふ者に伝へし讃美の歌であつた、
曰く
   最高き所には栄光神にあれ
   地には平和
   人には恩恵あれ
と、是れ天使が神の子を人の子等に紹介する言辞であつた、神の子が世に臨む理由、彼の事業の性質、其の結果が茲に明瞭に且つ簡短に示されたのである。 人には恩恵あれ 是れ聖子降臨の理由である、「恩恵」と訳されし eudokia は「好意」の意味である、神が人類に対し好意を懐き給ふが故に降臨が行はれたのである、而して神の好意は人の好意と異なり熱愛である、「婦その乳児を忘れて己が胎の子を憐まざらんや、縦《たとひ》彼等忘るゝことありとも我は汝を忘るゝことなし」と云ふ其心である(以賽亜書四九章一五節)、此種の好意が神に在りて其独子の降臨があつたのである、神の子の愛肉と聞いて奇異なる神学説のやうに感ぜらるゝが、神は其独子を降し給ひし程に世の人を愛し給へりと聞いて降臨は愛の奇跡として有り得べきことゝして信受せらるゝのである、神光あれと言ひ給ひければ光ありきとあるが如く彼「人には恩恵あれ」と言ひ給ひければキリストの降臨があつたのである。
 神に此熱愛あり、而して人之を認めて改悔信徒の実を挙ぐるに至て茲に地に平和があるのである、平和は人類相互の妥協を以て成立する者ではない、父なる神を相共に愛するより来る者である、神を離れて真の平和はない、キリストは人類唯一の平和の繋《つなぎ》である、縦ひ不完全極まる今日の国際的平和と雖も是れキリスト降世以前に世に有つた者ではない、神がキリストを以て人類を恵み給ひし其必然の結果として幾分かの真の平和が地に臨んだのである。
 地に人類の間に平和が臨んで、最高き所に栄光神にあるのである、神は限りなく独り栄光を以て御自身を纏ひ給ふと雖も、人類が恵まれて地に平和が臨む時に更に著しく其栄光を増し給ふのである、人類の幸福は神の栄光である、地に平和の臨む時に天に栄光は輝くのである、之に反して地に戦乱の続く時に天も亦憂愁の雲に覆はるゝのである、一人の罪人の悔改めし時に天に於て大なる歓喜《よろこび》が有る、況して地に平和の臨みし時に於て大なる栄光揚らざらんやである、恩恵人に行はれ平和地に臨み、栄光天に揚る、世界を威伏してに非ず、人の子を愛し、彼等を救ひて、神は栄光を御自身に取り給ふのである。以上は天使の歌ひし讃美歌の意味である、而して是れ讃美歌であつて又預言であつた、神は必ず人類に関はる其書き聖旨を成就し給ふとのことであつた。
 然れども事実は如何? 紀元の一千九百十七年の聖誕節に於ける世界人類の状態は如何? 天使の此預言は充たされし乎、北米合衆国大統領ウィルソンが去る十一月十二日バッファロー市に開催中の労働組合大会に於て為し(410)たりと云ふ演説の中に左の如き言があつたとの事である、
  平和論者は感情に於て嘉すべきも暗愚蒙昧の徒なりと信ず。
  真の平和は戦争の勝利によりて初めて招来する事を得べし云々。
と(東京朝日新聞の通信に依る)、世界の平和国を以て自から任ずる北米合衆国の大統領にして此言あり、他は推して知るべしである、開闢以来今日程世界の乱れたる時はない、「今は暗黒の勢力なり」とは実に一九一七年クリスマス当時を指して言ふた事である乎のやうに思はれる、今や平和の国は少数であつて、戦争の国は多数である、而して最も強く戦争の必要を唱へて居る国は所謂基督教国である。
 「平和論者は嘉すべきも暗愚蒙昧の徒なりと信ず」と、若し大統領ウィルソンの此言を同じく米国の大政治家にして大平和論者なりしチャールス・サムナーが聞いたならば何んと言ふであらう乎、彼は猛りし獅子の如くに其大雄弁を揮つて言ふであらう「暗愚なり蒙昧なり我が問ふ所に非ず、我は神の言に拠り我が良心の命ずる所に従つて立たん、我は信ず戦争に由て事を為さんと欲する国は|卑しき《イグノーブル》国なり」と、若し又同じ米国のクエーカー詩人ホヰッチヤーが大統領ウィルソンの此言を聞しならば如何? 彼は新たに「イカボーテ」の歌を作りて之を大統領に送りて己が弁護の辞となすであらう、「イカボーテ」、「栄光イスラエルを去れり」の意である、栄光北米合衆国を去れりと称すべきか、平和国の大統領平和論者を嘲けり、戦争の利益を唱へて「栄光米国を去れり」である(撒母耳前書四章二十一節を見よ)。
 米国大統領の言は重くある、然れども聖書の言は更に重くある、而して戦争と平和の事に関して聖書は米国大統領の正反対を語るのである、大統領が「平和論者は暗愚蒙昧の徒なり」と言ふに対して聖書は「平和を求むる(411)者は福なり其人は神の子と称へらるべければ也」と言ふ、大統領が「真の平和は戦争の勝利によりて初めて招来するを得べし」と言ふに対して聖書は「人の怒は神の義を行はず」と言ひ、又「凡て剣《つるぎ》をとる者は剣にて亡ぶべし」と言ふ、余輩の解し得ざることは基督教的文明の精華を享けたりと称する米国の主権者が斯くも聖書と相反する言を発して全国民の拍手喝采を受くる事である、然し乍ら其事其れ自身が今や真暗黒が全世界を覆ひつゝある何よりも好き証拠である。
 然し乍ら神の言は誤らないのである、彼が預言者を以て語り給ひし言は何時か事実となりて現はるゝのである(以賽亜書二章一−五節を見よ) 而して彼が又天使をして彼の聖子の降誕を告げしめ給ひし言も亦事実となりて現はるゝ時が来るのである、地には全般的平和が臨みて天には栄光が輝くのである、天使は茲に単に希望を述べたのではない、神に由りて預言したのである、而して其の預言はキリストの地上の御生涯に由て半ば充たされ、又彼の再臨の御約束の実行に由て全然充たさるゝのである、完全き平和が水の大洋を覆ふが如く全地を覆ふの時が来るのである、「平和の君」は事実的に平和の君であり給ふのである、「我れ速に臨らん」と彼れ言ひ給ひたれば完全き平和も亦人が思ふよりも速に来るのである、「復た死あらず、哀み、哭き痛み有ることなし」と云ふ状《さま》は平和の君の再臨と共に地上に実現せらるゝのである、其時彼れ公平を以て万民を鞫き、地は聖誕節《クリスマス》の夕の如き全き静謐に帰るのである。
 故に我等は驚くべきではない、縦ひ地移り海鳴り山は動くとも、神の約束は堅く立て動かず、平和を国家より望み政治家より求むるが故に我等は失望するのである、余輩も亦一時は世界の平和は米国の平和的行動に由て来る者と思ひ、其希望の充たされざるを見て失望した、然し乍ら失望は希望の先駆であつた、今や基督者《クリスチヤン》として平(412)和を国と人とより望まずして神より望む、而して神の約束は立て動かずである、聖誕節は再臨の第一歩である、既に降り給ひし主は再び臨み給ふのである、而して彼が預言者と天使とを以て告げ給ひし言を完全に残る所なく実行し給ふのである。
   大に喜べよシオンの女《むすめ》よ、
   呼はれよヱルサレムの女よ、
   視よ汝の王汝に臨る。
   彼は義くして救拯を賜はり、
   柔和にして驢馬に乗り給ふ、
   牝驢馬の子なる駒に乗り給ふ。
   我れエフライムより兵車を絶たん、
   ヱルサレムより軍馬を絶たん、
   戦争《いくさ》の弓も亦断たるべし。
   彼れ国々の民に平和を宣べん、
   其|政治《まつりごと》は海より海に及ばん、
   河より地の極《はて》にまで及ばん。
とある(撒加利亜書九章九、十節)、此預言も亦其前半は既に充たされた其後半も亦充たさるべくある、「神の勅命《みのり》は既に降れり、是を毀つの権威《ちから》あるなし」、我等は戦争最中に四回《よたび》聖誕節《クリスマス》を迎へて茲に平和到来の希望を新たにする。
 
(413)     信仰の階段
         約翰第一書四章七−十二節研究  十一月十五日神奈川県秦野町読者会に於ける講演の要点
                         大正6年12月10日
                         『聖書之研究』209号
                         署名 内村鑑三
 
 信仰の三階段は望信愛である、新約聖書に在りては望は使徒ペテロに由て代表され、信は使徒パウロに由て、愛は使徒ヨハネに由て代表さる、信仰の初期に在りては彼得前書最も強く信者の心に響き、次ぎにパウロの書簡尽きざる興味を供し、終りに約翰書永遠の真理となりて存す、望を以て不足を感ずる時期あり、信又永久の休息たる能はず、愛に達して始めて変らざる満足あり、信仰は愛に達せざれば完全なる能はず。
 中古時代の羅馬天主教会はペテロを首長として戴きし教会であつて望を主張した、其次ぎに現はれしプロテスタント教会はパウロに傚つて起りし教会であつて信を高調した、最後に起るべき教会はヨハネを師とする教会であつて愛を実行する者でなくてはならない。
 個人の信仰に於ても同じである、始めに美はしき希望の時代がある、次ぎに熱心に燃ゆる信仰の時代がある、終りに静かなる愛の時代に入る、此三時代を経過して信仰は完成うせらるゝのである。
 使徒ヨハネの時代に既に愛を欠ける信仰があつた、其時既に歓喜に躍る信仰があつた、研究を積める信仰があつた、瞑想に耽ける信仰があつた、然れどもヨハネの立場より見て孰れも不完全なる信仰であつた、故に彼は言(414)ふたのである、
  我等互に相愛すべし、愛は神より出ればなり、凡そ愛する者は神に由りて生まる且つ神を識るなり、愛なき者は神を識らず、神は即ち愛なれば也
と、即ち使徒ヨハネは言ふたのである、汝等の中に神に由りて生れたりと言ひて歓喜雀躍する者がある、然れども歓喜に満ちたればとて未だ神に由りて生れたりと云ふことは出来ない、愛ある者が神に由りて生れたのであつて、我等兄弟を愛するに由て神より生命を賜はりしを知ると、即ち今日の言葉を以て言ふならば我等リバイバルに与り、歓喜に溢れ、ハレルヤを叫びたればとて未だ再生の恩恵に与りたりと云ふ能はず、兄弟を愛し得るに至て始めて聖霊の恩賜に与りしを知ると、即ち真の信仰は感情ではない、愛である、清き温かき強き愛を受けて我等は実に神に由りて生れ其子となりしを知ると。
 使徒ヨハネは又言ふたのである、汝等の中に神を知る者ありと云ふ、然れども神に関する知識を積みたりとて、それで神を識れりと云ふことは出来ない、神を知るの知識は神学の研究ではない、聖書の研究ではない、神学を究むること如何に深く、聖書を覈ぶること如何に精しくあるとも我等相互を愛せずして神を知ることは出来ない、神は文字ではない、又理論ではない、愛である、故に愛なき者は神を知らずと、実に今日に於ても神学の造詣深き者にして未だ神の何たる乎を知らない者がある、聖書研究に一生を委ねし者にして愛の何たる乎をさへ知らない者がある、神学者にして神学論を闘はすに巧にして全く神を知らない者がある、神を知るの途は唯一である、神に愛せられて其愛を以て相互を愛する事である、教派相争ひ教師相攻むる今日の教会者等は聖書を翳して異端を攻めつゝある間に神より遠く離れつゝあるのである、神を知らんと欲する乎、神学校に学ぶに及ばない、キリ(415)ストに傚ひ、愛の生涯を送りて深く神を知ることが出来る。
 使從ヨハネは又言ふたのである、汝等の中に神を見たる見ありと云ふ、瞑想の裡に恍惚として神の姿を拝し奉りたりと云ふ者がある、即ち見神の実験を有すと云ふ者がある、然れど神を見ることは出来ない、世に未だ曾て神を見し人は無い、然れども神を心に宿すの途がある、それは相互を愛することである、「我等もし互に相愛せば神我等の衷に居りて彼を愛するの愛我等の衷に完全せらる」、目に神を見ることは出来ない、然れども見神以上の実験を有つたことが出来る、我等相互を愛して神を心に宿し奉ることが出来る、兄弟を愛して神の殿となることが出来る、栄光此上なしである、然れども其途たるや簡単である、愛することである、人を愛することに由りて人として与り得る最大の栄光に与ることが出来る。
 神より生命を賜はるの途は愛、神を知るの途は愛、神を見るの途は愛、愛は律法を完全するに止まらず信仰を完全する。
 望信愛の中に最も大なる者は愛である、愛を以て万事は尽きるのである、然し乍ら愛は直に之に達することは出来ない、望と信とを経過して始めて之に到ることが出来る、愛の単純を唱へて望と信とに由らずして直に愛を獲得せんと欲するも能はずである、愛は単純である、然れども鍛錬されたる単純である、愛は一足飛に之に達することは出来ない、愛の単純を唱へて望と信とを軽蔑する者は真の愛を有つことは出来ない、愛とは何ぞ、使徒ヨハネは答へて曰ふ「神我等を愛し我等の罪の為に其子を遣はして挽回《なだめ》の祭物《そなへもの》とせり、是即ち愛なり」と。
 
(416)     信仰と行為
                         大正6年12月10日
                         『聖書之研究』209号
                         署名なし
 
 人の救はるゝは行為に由らず信仰に由る、然れども信仰は行為に由て強くせらる、信仰を強くする者にして行為の如きはない、信仰は単に福音を聴いた丈けでは強くならない、読書又聖書の研究、必しも信仰を強くするの途でない、信仰を強くする唯一の途は信じて之を行ふ事である、救はるゝための信仰である、信仰を強くするための行為である、行為は救拯に直接の関係はない、然れども間接の関係がある、而して行為を救拯の近因と見ずして遠因と見て一方に於ては行為を誇るの危険より、他方に於ては行為を怠るの危険より免がるゝ事が出来る、信仰は感情に非ず、学識に非ず、実験である、神と相識るの実験である、故に彼に傚ふて愛し、彼の為に戦ひ、彼と共に苦みて獲らるゝ者である、信仰の善き戦闘を経て得し信仰に由りて我等は救はるゝのである、人は信仰に由りて救はれ、信仰は行為に由りて支えられ且つ強くせらる、行為なくして信仰は終に滅《きへ》て了ふのである(雅各書二章十八節)。
 
(417)     ルーテルの遺せし害毒
         附 第二宗教改革の必要  (十一月十一日柏木聖書講堂に於て)
                         大正6年12月10日
                         『聖書之研究』209号
                         署名 内村鑑三
 
 ルーテルは多くの功績を遺した、世界と人類とは彼に多く負ふ所がある、同時に又彼は尠なからざる害毒を遺した、其事を認むるは彼の功績をして完全からしむる為に必要である。
 ルーテルは不幸にして改革に成功した、而して成功其事が其中に失敗の意味を含むのである、真の成功は失敗である、キリストの御事業が其の善き実例である、彼は十字架に挙げられて万人救済の途を開き給ふたのである、其他パウロの事業、許多《あまた》の殉教者の事業は失敗せしが故に成功したのである、然るにルーテルは其改革事業に於て成功した、而して彼の失敗の因は茲に在つたのである。
 ルーテルは羅馬天主教会なる大勢力を斃さんと欲して二個の勢力に頼つた、其第一は政権であつた、其第二は聖書であつた、而して政権聖書二つながら彼と彼の後徒者とを禍ひしたのである。
 塞遜《サクセン》侯フリドリッヒはルーテル終生の保護者であつた、侯の庇保微りせばルーテルの生命すらなかつたのである、ルーテルの事業は彼れと侯との共同事業と称するも可なりである、ヘッセの方伯フイリップも亦ルーテルの崇拝家であつて、時に彼の護衛の任に当つた、其他独逸国多数の王公貴族はルーテルの味方として起つた、ルー(418)テルは半ば独逸貴族の愛国心に訴へて彼の改革事業に成功したのである、而して災禍の因《もと》は茲に在つた、此時教権の大部分は羅馬教会より独逸政府に移つたのである、法王の神聖が否認せられて国王の神聖が是認せられたのである、爾来ルーテル教は独逸、瑞典、那威、丁抹等の国教となり、其教義は政府に由て制定せられ、其牧師は政府の任命する所となり、其現世的なるに於て旧の羅馬天主教と何の異なる所なきに至つた、哲学者カントを圧して彼が言はんと欲する所を言はしめざりし者は此ルーテル教会であつた、熱烈の思想家キルケゴードをして終生其攻撃の鉾を斂めざらしめし者も亦此ルーテル教会であつた、而已ならず、普露西亜王家をして今日の勢力あらしめ、カイゼルの神聖を唱へて国を挙げて其命に服従するに至らしめし其原因は之をルーテルの改革事業に於て見る事が出来る、ルーテルは前門の狼を逐はんがために後門の虎を呼来つたのである、而して狼去つて後に虎は猛威を達しうして家人を威嚇して止まないのである、ルーテルが政権を用ゐて宗教改革を行ひし結果としてカイゼルは法王に代つて起つたのである、法王は之を斃すべくあつた、然れどもカイゼルは之を起すべくなかつた、ルーテルの宗教改革は半ば成功であつて半ば失敗であつた、此世の王公貴族をして宗教事業に携はらしめてルーテルは四百年後の今日まで拭ひ難き大なる害毒を遺したのである。
 羅馬天主教会に対して戦ふに方てルーテルが採て起し第二の武器は聖書であつた、是れ正当の武器でありしことは言はずして明かである、然し乍らルーテルが聖書の使用法を誤りし結果として後世に大なる害毒を遺せし事も亦見逃すべからざる事実である、聖書は神が人を義とし給ふ唯一の途を伝ふる書として永久的に貴くある、聖書を措いて他に此途を伝ふる者はない、然し乍ら聖書も亦人に由て書かれし書である、故に人に在るすべての不完全は亦之を聖書に於て見るのである、言語其物が不完全なる者である、其上に謄写の不完全がある、伝達の不(419)完全がある、縦し又本文は完全なりとするも其解釈に不完全は免がれないのである、故に聖書は神の言なりと称して如何なる意味又は程度に於て神の言なる乎は、是れ誤り易き人間の何人も判定することの出来ない事である、然るにルーテルは無誤謬的教会を斃さんと欲して無誤謬的聖書を以て之に当つたのである、而して聖書は教会よりも遥かに大なる信仰的権威であるが故に、ルーテルの攻撃は其功を奏して羅馬教会は之に由りて致命傷に等しき重傷を負ふたのである、然し乍ら聖書果して無誤謬なる乎、是れ未だ解決されざる問題である、ルーテル彼自身が聖書に誤謬のあることを認めたのである、彼が雅各書を称して「禾稿《わら》の書簡」なりと云ひしは其一例である、彼の見る所に依れば信仰の功徳を讃へし羅馬書と加拉太書とは「金の書簡」、之に次いで銀の書簡、宝石の書簡あり、而して行為《おこなひ》の功徳を唱へし雅各書は之を価値なき「禾稿の書簡」と称して可なりとの事であつた(コリント前三章十二節)、其他ヨナ書に就て、ヨブ記に就てルーテルは毀貶的批評を下して憚らなかつた、然るに教会の羈絆を免がれんがために彼は聖書に拠つたのである、而して誤謬なき教会に代るに誤謬なき聖書を以てした、是れ戦術としては確に巧なる者であつた、然し乍ら比較的真理は絶対的真理の代用を為さないのである、「拝すべき者は一なり唯神のみ」である、其如く「絶対的真理は一なり唯神のみ」である、聖書貴しと雖も神ではない、聖書を絶対的真理と見て茲に偶像崇拝の一種なる聖書崇拝(Bibliolatory)が起らざるを得ないのである。
 而してルーテルに由て此偶像崇拝が始まつたのである、即ち聖書崇拝が始まつたのである、而してすべての偶像崇拝が多くの恐るべき害毒を持来すが如くに聖書崇拝も亦多くの恐るべき害毒を流したのである、先づ第一にプロテスタント教会が四分五裂したのである、第一にカルビン派とルーテル派とが起つたのである、又ルーテル派の中よりフィリップ派(メランクトン派)が出て内輪喧嘩を始めたのである、而して分離は分離に次ぎ、宗派は(420)宗派より出て、底止する所を知らないのである、而して各宗派孰れも其根拠を聖書に置いたのである、ソシナスがキリスト非神性を唱ふるに方ても聖書に拠て唱へたのである、実に聖書の言に拠て如何なる神学説をも唱ふることが出来るのである、誤謬なき聖書あり而して信者は何人も各自の判断に従ひ之を解釈するの権利を有すと云ひて何人も教派を立つるを得べく、又何人も法王たり監督たり得るのである、茲に於てかプロテスタント教内に激烈なる宗派戦が始つたのである、而して其戦争は四百年後の今日猶ほ止まないのである、今や新教内に六百有余の教派ありて各自聖書に拠りて自己を讃へ他を貶《しりぞ》けつゝあるのである、メソヂスト教会とバプチスト教会、組合教会と長老教会(日基教会)、其他有りと有らゆるすべての新教会……メソヂスト教会の中にも又自由メソヂストあり、監督メソヂストあり、カナダメソヂストあり、長老教会の中にも亦南長老派あり、カムパーランド長老派あり、其他之を算へん乎、日も亦足りないのである、而して注意すべきは是等多数の新教々派が何れも「我れこそは聖書の正当の解釈に由るキリストの真の教会なり」と唱ふることである、其点に於て彼等各自がルーテルに傚ひ聖書に拠て立つのである、新教諸教会にして聖書に拠て立たざる者とては一もないのである、彼等は其信仰箇条に於ては西と東と異なるが如くに相異なる所ありと雖も、聖書に拠ると云ふ一事に於ては新教六百有余派は其主張を一にするのである、是れ実に奇異なる現象である。
 ルーテルとカルビンとは自由を標榜して起つた、然れども彼等は自分に求めし自由を他に施し得なかつた、彼等は聖書を以て自分の自由を獲て同じ聖書を以て他人を縛つた、カルビンは異端の故を以て西班牙人にしてゼネバの市に客たりしセルベートスの焼殺を是認した、而して之を聞きしメランクトンは書をカルビンに寄せて此事の神意に適へることを伝へた、セルベートスは悪人ではなかつた、唯カルビン、メランクトン等と聖書の解釈を(421)異にしたまでゞある、カルビンは聖書に拠り良心の許可を得て此事を為したのである、然れども異端の故を以て人の生命を奪ふは大なる罪悪たるは日を睹るよりも明かである、ルーテルには之れほどの過失はなかつた、然れども之に類する者はあつた、彼はアナバプチストと称して極端の信仰自由を主張する者を憎むこと羅馬教徒を悪むよりも甚だしく、彼等の或者が領主に対して反乱を起すに方ては彼は貴族の味方となりて残忍を極めたる鎮圧法を是認した、「柔和なるメランクトン」も亦聖書に由て無辜の血を流した、クラウツ、モルレル、パイスケルなる三人の平信徒を詰問し、彼等が熱心に神を信じキリストを崇むる者なるを認めしと雖も、赤児のバプテスマ其他二三の点に於て聖書の見解を異にせるの故を以て彼等を異端の徒と認めたれば、大聖書学者の此鑑定に基き有司は是等無辜の信者を死刑に処したのである、而して当時のプロテスタント教徒の間に猜疑、嫉妬、憎悪の如何に甚だしかりしは左の事実に由ても能く判明るのである。 波蘭土の貴族にしてジョン・ラスコなる人があつた、彼れ英国に渡り其処に新教の教義に接し、カルビン主義の信者となつた、而して彼を中心として倫敦在留の外国人にして同主義を奉ずる者が一団を作り、一個の教会を起したのである、然るに羅馬教主義の女王マリー王位に即くに及びて新教徒に対し劇烈なる迫害起りたればラスコの一団は止むを得ず外国船二般を雇ひ、之に会員一同を乗せて英国の地を離れたのである、而して彼等の目指す所は独逸、丁抹、瑞典等の新教国であつた、彼等は思ふたのである、カルビンの徒とルーテルの徒と小事に於ては聖書の見解を異にすると雖も、其信仰の大要に於ては同じくプロテスタント教徒である、故に迫害に遭ふて彼等の許に走る、是れ兄弟の援助を藉る事であつて当然の事であると、斯くて彼等は大なる希望を懐いて倫敦を出帆したのである、時は晩秋の頃であつて北海の波荒く、船内多数の小児と老人とありて一行の憂慮に堪へ(422)難き者があつた、彼等は先づ丁抹国の首都コペンハーゲンに碇泊した、此所はルーテル教の盛なる所であつた、然るに一行は上陸さへをも許されなかつた、彼等はカルビン主義を奉ずる者、故に新教徒たりとも接《う》くる能はずとの事であつた、此所を逐はれてラスコの一団は独逸国沿岸ロストック市を試みた、此所をも逐はれてヴィスマル、レーベックを試みた、然るに此所にも亦彼等を迎ふるの愛心はなかつた、止むを得ずバルチック海を去り再び丁抹国を一周し、エルべ河口を溯りハムブルグ市のルーテル教徒に援助を求めた、然れども此所にも亦彼等を接くるの暖かき心は無かつた、彼等は更らにエムデンを試みた、而してエムデンは冷淡ながらも暫時彼等を受けた、此事を聞きしカルビンは特に書を独逸の新教徒に寄せて同情すべき此等亡命者の一団を接待せんことを求めた、然れども聴かれなかつた、彼等が新教徒たることは彼等がルーテル教徒に迎へらるゝ便宜とは少しもならなかつた、聖書は明白に「遠人《たびびと》を接待《もてな》す事を忘るゝ勿れ」と教へ(希伯来書十三章二)、又「若し機会あらばすべての人に善を為すべし、信仰の友には別けて之を為すべし」と告ぐるに関はらず(加拉太書六章十節)、独逸のルーテル教徒は是等の聖語には眼を触れず、聖餐式の事バプテスマの事等に就て聖書の見解を異にするの故を以て彼等に倚来りしカルビン派の新徒を斯くも冷遇虐待したのである、此一事は以て第十六世紀宗教改革の暗黒的半面を例証して余りあるのである。
 而して此憎むべき精神は今猶絶えないのである、今日の新教徒はカルビン、ルーテルの遺伝を受けて今猶相互を排※[手偏+齋]して止まないのである、彼等は疇昔のユダヤ人の如くに聖書に拠りて相互を殺して神に事ふると意《おも》ふのである(ヨハネ伝十六章二)、世に冷たき所とてプロテスタント教会の如きはないのである、此所に信仰は有つても愛はない、聖書は読まれても兄弟は愛されない、ルーテルの徒はカルビンの徒を斥け、ウェスレーの徒はノック(423)スの徒を嘲り、外面に共同一致を唱へて内部に嫉妬の刃を懐く、而して此憎むべき精神は外国宣教師、殊に英米宣教師に由つて我等日本人の間に伝へられたのである、カルビンがセルベートスを焼き、ルーテル教徒がカルビン教徒を逐攘ひし精神は是等宣教師に由て日本の基督信者に伝へられ、日本に於ても亦新教徒は彼等の欧米の教師に傚ひ、相互の鼻先に聖書を突附けながら彼の異端を責めて我が正教を誇りつゝあるのである、日本に於ても聖書を以て幾多の冷酷、幾多の無慈悲、幾多の背信、幾多の争闘が新教徒相互の間に行はれつゝあるのである、欧洲に於て聖書を以て羅馬法王を斃せし後に、同一の聖書に拠りて「ゼネバの法王」又は「ウィッテンベルヒの法王」が起りし如くに、極東の日本に於ても新教宣教師の感化を受けて幾多の小法王が其小なる基督教界に起りつゝあるのである。
 然れども是れ勿論聖書の罪ではない、聖書濫用の罪である、而して聖書は明かに其濫用を警めて居るのである、
  文字の旧きに由らず霊の新しきに由りて事ふ(ロマ書七章六)
  文字に事ふるに非ず霊に事ふる也、そは文字は殺し霊は生せば也(コリント後三章六)
 文字に由りて聖書の文字たりと雖も人を殺すのである、ルーテルとカルビンとメランクトンと、其他彼等に後従せし新教の神学者等は聖書の文字に事へて相互を殺したのである、活かすための聖書は権威を其文字に置かれて殺すための道具と化したのである。
 然らば我等は今何を為すべき乎、新教の害毒を知りたれば旧教に帰るべき乎、否な、否な、然らずである、我等信仰に由りて福音に帰りし者、「何ぞ弱き賎しき小学に帰りて復たび之が僕たらんや」である(加拉太書四章九節)、然らば我等はルーテル、カルビンに止まるべき乎、是れ又然らずである、我等は彼等よりも遥に創始《はじめ》に帰り(424)てパウロ、ヨハネに到るべきである、然り直に主イエスキリストに到るべきである、我等はルーテルに傚ふては足りない、キリストに傚ふべきである、キリストはルーテルの如くに政権に由りて改革を行ひ給はなかつた、キリストは政権の棄つる所となりて十字架に釘けられて人類を救ひ給ふた、其点に於てハッスとサボナローラとはキリストに似てルーテル以上の改革者であつた、キリストは亦聖書を重じ給ひしと雖も其文字に囚はれ給はなかつた、彼は能く律法と預言者との精神を解し給ふて自由に聖書を解釈し給ふた、キリストは教敵に対して親切であり給ふた、反逆者ユダをさへ救はんとて最後まで努力し給ふた、彼は喜んで異教徒を迎へ給ふた、曾て一回も信仰箇条の故を以て人を責め給はなかつた、斯くしてキリストとルーテルとの間には雲泥の差があるのである、我等はルーテルを真似て完全き基督者《クリスチヤン》たることは出来ない。
 人の義とせらるゝは律法の行為に由ず信仰に由る、其事は事実であり、又真理である、然し乍ら其信仰たる愛に由りて働く所の信仰たるを要するのである(加拉太書五章六節)、第十六世紀の改革者等は信仰より愛を引抜いて大に誤りたるのである、信仰丈けでは神は解らない、随て愛を抜去りたる信仰は人を神の前に義とするに足りない、カルビンの徒とルーテルの徒とは聖書の文字に由りて神を知らんと欲して大に誤りたるのである、而して其誤謬を正す者が又聖書其物である、約翰第一書四章七、八節に曰く
  愛する者よ我ら互に相愛すべし、そは愛は神より出れば也、凡そ愛する者は神に由りて生まれ、且神を知るなり、愛なき者は神を知らず、神は即ち愛なれば也
と、此聖語を以て改革者等を評して彼等の信者たるの価値は大に減ぜられざるを得ないのである、聖書を研究した丈けでは神は解らない、其教示に従ひ人を愛して始めて神が解るのである、異端の徒を焼殺して神が喜び給ふ(425)のではない、彼等を助け教へ導きて神に善《よし》として認めらるゝのである、独逸のルーテル教徒はラスコの一団を逐攘ひて全然聖書に反きつゝあつたのである。
 茲に於てか我等は第二の宗教改革を要するのである、ルーテルの行ひし以上の改革を要するのである、信仰の上に愛を加ふる改革を要するのである、加拉太書ならで約翰書に由る改革を要するのである。勿論信仰抜きの改革ではない、信仰を経過して然る後に愛に到達せる改革である、ルーテルの改革を改革する改革である、我等はルーテル以上の改革者たるべきである、而して神は斯かる改革を我等日本の基督信者の中より要求し給ふのではあるまい乎。
 
(426)     ルーテルとニイチエ
         ルーテル記念会に於ける演説の一節
                         大正6年12月10日
                         『聖書之研究』209号
                         署名 内村鑑三
 
 ルーテルとニイチエとは酷似《よくに》たる性格である、前者は第十六世紀の模範的独逸人であつて、後者は第十九世紀の夫れである、二者共に熱誠で勢力家で簡潔にして強烈なる独逸語を操つるに長じて居た、生来のルーテルとニイチエとは同型同格の人であつた。
 然し乍ら酷似たる彼等は其生涯の目的に於て、其事業の性質に於て、其思想の根底に於て、全然異様の人であつた、ルーテルは信頼の人でありしに対してニイチエは努力の人であつた、ルーテルは自己以外の或者に頼りて闘ひしに対して、ニイチエは自己の中に無限の勢力の潜在するを感じた、ルーテルは自己の弱きを覚つた、ニイチエは自己の強きを知つた、ルーテルの理想は我れ弱き時に強しと言ひし使徒パウロであつた、ニイチエの憧憬は如何なる拘束にも堪ふる能はざりしゼウスの子ヂオニサスであちた、内的生涯の相異りたるルーテルとニイチエとの如きはない、外に酷似たる二人は内に判然たる反対性であつた。
 イエスキリストを「サバオスの神、彼の外に神あるなし」と称びしルーテル、自ら非キリスト又は反キリスト又は第二のキリスト(Antichrist)を以て任ぜしニイチエ、人の本性はキリストに対する其態度に由て定まると云(427)へば、ルーテルとニイチエの各自其キリストに対する態度の北極の南極と相反するが如くなるを見て、二者其実在の根底に於て全然相容れざるの人なることが解るのである、ニイチエは曰ふた
  或人曰く(彼はキリストとは言はない)……或人曰く「平和を好む者は福なり、其人は神の子と称へらるべければ也」と、然れども我(自分を指して云ふ)……我は曰ふ「争闘《あらそひ》を好む者は福なり、其人はオーヂン(軍神)の子と称へらるべければ也」と
 此言を発せしニイチエは勿論キリストの敵であつて又ルーテルの敵である、而して又余輩の敵であると云はざるを得ない、而かも此人が今時の独逸人の代表者であるのである、ニイチエを其哲学者と仰ぎし独逸人が今回の行為に出しは敢て怪しむに足りない、ニイチエに由りて彼等はキリストの御父なる真の神を去りて自からオーヂン即ち軍神の子供となつたのである。
 然し乍ら神は今猶独逸人を愛し給ふ、而して愛の鞭として此大戦争が彼等に臨んだのである、而して此鞭に由りて彼等は再びルーテルの神に帰りつゝあるのである、心理学者バウマンは言ふた(彼れ自身が独逸人である)、
  此戦争に由て独逸人はニイチエの著書より新約聖書に帰りつゝあり
と、即ち独逸人は此戦争に由りてニイチエより聖書を彼等に与へしルーテルに帰りつゝあるのである、ルーテル乎ニイチエ乎、「静かにして信頼《よりたの》まば能を得べし」と云ひしルーテル乎、「戦争と勇気とは隣人を愛する愛よりも優かに大なる事を為せり」と云ひしニイチエ乎、ルーテルに依りキリストを救主として仰ぎしに由て興りし独逸はニイチエを師として亡びざるを得ないのである、再び独逸を救ふ者はルーテルである、彼が再び旧き単純なる十字架の福音を以て独逸に現はれて茲に復た根本的の大改革が行はるゝのである、而して惟り独逸に止まらない、(428)日本も爾うである、ニイチエに学んで日本人も亦独逸人の陥りし誤錯《あやまり》に陥らざるを得ない、愛か憎悪《にくみ》か、平和か戦争か、キリストかオーヂンか、ルーテルたらん乎、ニイチエたらん乎、日本人も亦此撰択を為すべく余義なくせられつゝあるのである。
 ニイチエは力の福音の宣伝者であると云ふ、斯く云ふ者はキリストの福音は力の供給者にあらずと云ふのである、然れども是れ福音の大なる誤解である、福音は大なる力の供給者である、「神の国(此場合に於ては福音を意味す)は言に在るに非ず能に在り」とパウロは言ふて居る(コリント前四章二十節)、而して是れルーテルの実験したる所である、福音は彼に取りては単に議論又は教義ではなかつた、実力であつた、而して彼は充分に此実力を実験したのである、斯くしてニイチエのみが力の福音宣伝者ではない、ルーテルも亦然りである、而してルーテルは力を力説したるに止まらず之を実行したのである、其点に於てルーテルは遥にニイチエ以上である、ニイチエは力の力強き力説者であつた、而して彼が果して力の実現者でありし乎、大なる疑問である、ニイチエにルーテルが独りヴォルムスの議会に於て立ちし実験はなかつた、世界の権威を前に控へて「我れ此所にあり、我れ他に為すの途を知らず、神我を助け給へ、アーメン」と言ひて良心の命ずる所を守りしルーテルの実験はニイチエには無かつた、ルーテルの行為に徴して彼は確に力の人勇気の人であつた、其点に於て彼はニイチエに優さるも劣るの人でなかつた、ルーテルは実にニイチエの理想の人であつた、而かも彼は基督者《クリスチヤン》であつた、而してルーテルは此力此勇気をキリストと彼の福音より得たのである、力と勇気とはニイチエの専有物ではない。
 而して実際は如何、ニイチエは自己の担ひし重荷に堪へずして早く仆れたるに反してルーテルは
  然れども一人の聖者《きよきもの》の我等の為に戦ふあり
(429)と言ひて終生戦争を続けたのである、ルーテルに臨みし力はニイチエに在りし力よりも遥に強且大であつた。
  Durch Stillesein und Hoffen werdet ihr stark sein(静かにして待望まば汝等力を得べし)
是れルーテルの標語であつた、彼が力を得るの秘訣は茲に在つた、而してニイチエは此秘訣を知らなかつた、故に彼は力を求めて之を獲る能はずして斃れたのである。
 然り、救済《すくひ》はニイチエに於て在らずしてルーテルに於て在る、ルーテルの信仰に於て在る、ルーテルが崇めニイチエが嘲けりしイエスキリストと其十字架に於て在る、独逸は今やルーテルの再現を要するのである、而して日本も亦彼の出現を要求する、イエスキリストを除いて他に天下の人の中に我等の依頼みて救はるべき名は今も猶ないのである(行伝四章十二)。
 
(430)     罪の赦し
         (十一月十一日柏木聖書講堂に於て)
                         大正6年12月10日
                         『聖書之研究』209号
                         署名 内村鑑三
 
 罪の赦しは基督教独特の教義である、神は人の罪を永久に覚え給はず、之を忘れ、之を赦し、之を拭ひ給ひたれば、人も亦相互の罪を残りなく赦すべしとは基督教が特に力を罩めて説く所である、此事たる長く斯教に接せし者の敢て異《あやし》とせざる所なれども、少しく意を留めて他の宗教を窺ひ見んに、意外の感に打たれざるを得ない、基督教以外の宗教に在りては復讐は罪悪としては認められないのである、而已ならず、不倶戴天、臥薪嘗胆は美徳として認められ、是れありてこそ忠孝仁義の道が完全に行はるゝことゝ思はるゝのである、人類の歴史の大部分は復讐の歴史である、殊に我国の歴史は爾うである、日本歴史より復讐の精神を取除いて其骨子が取除かるゝのである、源平の争ひと云ひ、南北朝の闘ひと云ひ、其因を尋ぬれば仇恨※[女+冒]嫉より出たる復讐の精神である、「頼長、忠通を嫉み之を法皇に※[言+潜の旁]す、帝之を悪みて忠通を親近す、然れども法皇を憚りて志の如くする能はず、居常欝々として久しきを積みて疾を成す」と、是れが保元の乱の因《もと》である、而して之に次いで平治の乱が起り、其結果として源平の争ひが有つたのである 讃岐の院其志の成らざるを憤り給ひ、「舌を※[齒+昔]《か》み血を出し軸書して曰ひ給はく、願くは大魔王と為りて天下を擾乱せんと、歯を切《くいし》ばり、目を瞋《いから》し、惨悴骨立ち、居常忿々たり」とある、(松苗著『国史略』に依る)、而して斯かる鬱忿は之を日本歴史全体を通うして見ることが出来る、而して日本歴史に限らない、世界各国の歴史が夫れである、英のエリザベス女王が朝臣某を恨んで曰ふた言がある、曰く「神は汝を許すとも朕は断じて汝を許す能はず」と、仇恨、争闘、※[女+戸]忌、忿怒、是れ東西古今の歴史である。
 然らば神の選民たるイスラエルの歴史は仁愛、喜楽、慈悲、平和の歴史でありし乎と云ふに決して爾うでないのである、旧約聖書も亦復讐の精神を鼓吹して憚らないのである、約書亜記、士師記等の復讐の事実を以て充つることは何人も知る所である、士師記第一章四節以下に於ける左の記事の如きは其一例である、
  ユダ上り往きベゼクにてカナン人とペリジ人一万を殺し、又ベゼクに於てアドニベゼクに行逢ひ之と戦へり、然るにアドニベゼク逃れ去りしかば其跡を追ひて之を執へ其手足の巨擘《おほゆび》を斫《き》り放ちたれば、アドニベゼク曰ひけるは七十人の王等曾てその手足の巨擘を斫られて我が食几《だい》の下に屑を拾へり、神我が曾て行ひし所を以て我に報い給へる也と、イスラエル人等之を曳きてヱルサレムに至りしが其処に死ねり
 茲に慈悲と赦免とは其痕跡だも見ることは出来ない、斯かる記事を神の聖書の内に見て我等は驚かざるを得ない、而して更らに進んでヱホバの慈愛を歌ひし詩篇を見るに其内にも亦復讐の精神が漲つて居るのである、其第五十四篇七節に曰く
  ヱホバはすべてこの患難より我を救ひ給へり
  我が目は我が仇に就ての願望《ねがひ》を見たり
と、又其百十八篇七節に曰く、
  ヱホバは我を助くる者と偕に我が方に在《いま》す
(432)  此故に我を憎む者に就ての願望を我れ見ることを得ん
と、而して「仇に就ての願望」とは言ふまでもなく仇に就ての悪意である、災禍《わざはい》の其上に臨まんことである、即ち敵を呪ひての言である、只詩なるが故に言辞が軟かなるまでの事である、而して敵を呪ひし言として最も深刻なるは詩篇百三十七篇八、九節に於ける左の一句である、古今東西の文学に於て仇恨を言表はせし言にして之よりも深刻なる者はあるまい、曰く
   亡さるべきバビロンの女よ、
   汝が我に為しゝ如く汝に報ゆる者は福也
   汝の嬰児《みどりご》を取りて岩の上に打附る者は福也
と、仇恨を晴さんがために敵の嬰児の岩に打つけられて砕かれんことを願ふ、無慈悲の極とは此事である、多分バビロニヤ人がユダヤに攻入たる時に此事を為したのであらう、然ればとて神を信ずる者が此事の敵に為されんことを祈るは許すべからざる事である。
 其ほかダビデが死せんとするに方て其子ソロモンに遺言せし所を見るに復讐仇恨の精神を以て充ちて居る、彼は彼の老臣ヨアブとシメイとの彼の死後に誅戮せられんこと、「其白髪を安然に墓に下らしむる勿れ」と遺言した(列王紀略上二章五−九節)、而して是れが「ヱホバの意《こゝろ》に適ひしダビデ王」の為せし所である、実に報復の精神は旧約の精神である、其中に利未記十九章十八節の
  汝仇を復へすべからず、汝の民の子孫に対して怨を懐くべからず、己の如く汝の隣を愛すべし
と云ふ一言の挿入せらるゝありて曠野《あれの》に清泉の迸るを見るが如き感ありと雖も、是れ旧約全体の精神にあらざる(433)事は一目瞭然たりと言ふことが出来る、故にキリストが彼の出現以前の選民の道徳を一括して「汝の隣を愛して其敵を憎むべしと言へるは汝等が聞きし所なり」と言ひ給ひしは実に其通りである、旧約の教ゆる所に順ひて我等敵を憎みたればとて敢て罪を犯したりとは感じないのである、「ヱホバよ我は汝を憎む者を悪むにあらずや……我れ甚く彼等を悪みて我が仇とす」とはイスラエル詩人が公言して憚らざりし所である(詩篇百三十九篇二一節)、而して此言に則りて天主教徒とプロテスタント教徒とは相互を憎み、又今日欧洲の戦場に於て独逸人と英国人とは相互を憎みつゝあるのである、旧約聖書を文字通りに神の言として受けて我等何人も敵愾の精神に燃えざるを得ない。
 然れども一たび旧約を去りて新約に入らん乎、我等は此事に関して新天地に臨みし感がするのである、約翰黙示録を除くの外は新約聖書全体が罪の赦しの精神を以て溢れて居る、赦せ、赦せ、赦せと新約は繰返して言ふ、
  汝の隣を愛して汝の敵を憎むべしとは汝等が聞きし所なり、然れど我れ汝等に告げん、汝等の敵を愛し、汝等を迫害する者の為に祈祷せよ、斯くするは天に在す汝等の父の子とならんためなり、彼は其日を善人にも悪人にも照して、雨を義者にも不義者にも降し給ふなり(馬太伝五章四三節)、
  ペテロ来りてイエスに曰ひけるは主よ幾回《いくたび》まで我が兄弟の我に罪を犯すを赦すべきか、七回《なゝたび》までか、イエス彼に曰ひけるは七回とは言はず七回を七十倍せよと(同十八章二十一節)、
其他路加伝六章二七、二八、三一、三五節、同十七章三−四節の如き亦同一の教訓を伝ふる者である、而して使徒も亦主の精神を受けて同一の事を教ふるのである、以弗所書四章三一、三二節に於けるパウロの教訓に日く
  汝等すべての很毒《にがきこと》、恚忿《いきどほり》、喧噪《さわぎ》、謗※[言+賣+言]《のゝしり》を己より去るべし、互に仁慈《いつくしみ》と憐恤《あはれみ》あるべし、神キリストに在りて汝(434)等を赦し給へる如く汝等も互に赦すべし
と、ペテロは教へて曰ふ
  彼(イエス)罪を犯さず又その口に詭譎《いつはり》なかりき、彼れ罵られて罵らず、苦しめられて劇しき言を出さず、只義を以て鞫く者に之を委ねたり、彼れ木の上に懸けられて我等の罪を自から己が身に負ひ給へり(彼得前書一書二二−三)、
其他すべて此調子を以て語る、イエスは己を敵に売りしイスカリオテのユダを救はんとて終りまで努力し給ふた、彼は又己を十字架に釘けし人等のために十字架の上より祈りて言ひ給ふた「父よ彼等を赦し給へ、彼等はその為す所を知らざるなり」と(路加伝廿三章三十四節)、福音は特に罪の赦しの福音である、神が人の罪を赦し人が相互の罪を赦さん為の福音である、我等相互の罪を赦し得ずして我等神に就き、キリストに就き、聖書に就き、来世に就き 何を信ずるとも我等は基督者《クリスチヤン》でないのである。
 
 以上は罪の赦しに関する教訓である、然れども其実行如何? 罪の赦しは言ふに易く且つ美はしくある、然れども行ふに難くある、罪は心の傷である、我等神に対して罪を犯して彼の心を傷け奉るのである、人、我に対して罪を犯して我心に傷を負はせたのである、而して罪の赦しは心の傷の癒しである、而して傷は只言辞で癒ゆる者ではない、傷を癒すに外部の治療と内部の勢力とが要る、罪の赦しも亦同じである、罪は赦さんと欲して赦すことの出来る者でない、之を為すに適当の治療と勢力《ちから》とが要る、而して治療とは神がキリストを以て行ひ給ひし罪の贖ひである、而して勢力とは神が我等の祈祷に応へてキリストを通して我等に与へ給ふ聖霊即ち赦罪《ゆるし》の霊であ(435)る、外に在りてはキリストの十字架を仰ぎ瞻て、内に在りては赦し得るの勢力を神より賜はりて人を完全に赦すことが出来るのである、我れ欲《ねが》ふて赦し得るに非ず、祈りて赦し得るのである、我れ聖霊に在りて強くなるを得て我に対して罪を犯せし人を我が欲《おも》ふが儘に赦すことが出来るのである、強健なる者の傷の早く癒ゆるが如く信仰強き者(霊力に充つる者)は容易に人の罪を赦すことが出来る、怨恨欝忿は貧弱の徴候である、宥恕寛大は強者の業である、我等内に霊を以て充たされ神に在りて強くなるを得て容易に我が心の傷を癒すを得、人の我に対して犯せし罪を赦すを得るのである。
 赦し得んが為に祈るべきである、又祈りて赦すべきである、敵を赦すの最も善き方法は彼の為に祈るにある、「汝等の敵を愛し、汝等を迫害する者の為に祈祷せよ」と教へ給ひてイエスは我等に人を赦すの最も善き途を教へ給ふたのである、我れ我が敵の為に祈りて我の彼に対して懐ける很毒と恚忿とは除かれ、之に代りて春風駘蕩、仇恨の堅氷を解かすに足るの温雅は我心に臨むのである、仇恨の苦《にが》きを懐きて長く不快を感ずるの必要はない、直に祈祷の坐に近づき、我が最も憎しと思ふ人の為に祝福を祈りて、完全に彼を赦して我も亦完全の幸福に与るべきである、歳将さに暮れんとす、我等の心の衷に一人の敵をも存すべからずである、我等基督者《クリスチヤン》として罪を赦すの能力を神より賜はり、又我に負債《おひめ》ある者の負債を免じ、神に赦され人を赦して貸借なしの心の帳簿を以て新年を迎ふべきである。
 
(436)     〔感謝のかず/”\ 他〕
                         大正6年12月10日
                         『聖書之研究』209号
                         署名なし
 
    感謝のかず/”\
 
 茲に又旧き一年を送らんとして我等は感謝に堪へない、今年も亦吉凶交々我等に臨んだ、然れども我等彼を信ずる者に取りては吉も凶も悉く感謝の種である 愛する者の失せしは天の戸の我等のために開かれんためである、友の離れ去りしは残る友を更らに深く愛せんためである、産を失ひしは天に財を積まんためである、其他すべて如此しである、信者に吉凶は無い、すべてが吉である、彼は神なる最大善を求め得て彼の生命其物が大吉となつたのである、生きて居る事其事が既に感謝の種である、而して宇宙何物も此感謝を彼より奪り去ることは出来ない、而して又特に感謝すべきは此誌の益々善き読者を加へられて年と共に益々広く其恵まれたる天職を果たし行く事である、人よりに非ず人に由らずイエスキリストと彼を死より甦へらしゝ父なる神に由りて立られたり
と信ずる此誌は過去十八年間の其経歴に由りて此信念の誤らざるを示された、神の聖業《みしごと》を成すに方て政権や教権を藉るの必要は少しも無い、祈祷丈けを信頼《たより》にして我等は善き有力なる伝道を成すことが出来る、而して今より後、此小なる雑誌を始めとして、日本、然り東洋全体を通うして人には何人にも倚ることなく唯神の援助をのみ(437)仰ぐ聖き事業の将来益々起らんには、本誌の栄光此上なしである、今や世界の活動的中心が太平洋岸に移りつゝある此時、神が我等を以て第二の宗教改革を起し給はんことを祈るは決して僭越の行為ではないと思ふ。
 
    最善の最後
 
 信者の生涯は始めは悪くして終りは善くある、終りに近づく程益々善くある、生命の夕暮になるばなる程彼は何物か彼の心の奥深き所に結実しつつあるを感ずる、人あり彼に其生涯の中に最も愉快なりし時は何時乎? と聞くならば彼は常に「今なり」と答ふるのである、而して彼の最後《ラースト》が最善《ベスト》である、恰も年末のクリスマスが彼に取り最も喜ばしき期《とき》であるやうに、彼の生涯の終りが彼に取り最も感謝多き時である、而て彼が特別に感謝して止まざる事は、彼の生涯の計画が悉く失敗であつて、彼の計画に反せし神の御計画が彼の身に於て成つたことである、「是故に我れ懦弱《よわき》と凌辱《はづかしめ》と空乏《ともしき》と迫害《せめ》と患難《なやみ》に遭ふを楽みとせり」、信者には斯んな感謝があるのである。
 
(438)     余の今年の読書
                         大正6年12月10日
                         『聖書之研究』209号
                         署名 内村
 
 余が今年読みし書籍の中で比較的に面白かつたのは、聖書に関しては D・A・ヘイス著『約翰と其の書物《かきもの》』、C・H・M 著『出埃及記註解』、R・H・チヤールス著『旧新両約問思想発達史』等であつた。哲学に関しては W・T・ジヨーンス著『人間霊的上進論』H・リヒテンベルグ著『超人の福音』、H・W・カール著『真理問題』等が最も面白く読まれた。科学に関しては T・A・トムソン著『科学入門』は特に有益に感じた、余は科学の研究に従事せんと欲する青年に特に此書を勧めたく思ふ、丸善にて得られる、価は僅に七十銭である、A・ミーク著『魚類移転論』は余をして再び青年時代に若返らしめた、余が天然学を抛棄して以来茲に三十年、胸に溢るゝ平康は余を駆りて再び天然に帰らしめ、茲に旧時の専門を手にして錦を故郷に衣るの感がした。其の他余の机上、露国詩人にして哲学者なるソロヴィエフ著『戦争と進歩と歴史の終局』なる書が余に読まれんとて待ちつゝある、是が余の新年の読物であらう。
 
(439)     別篇
 
  〔付言〕
 
  中田信蔵「栃木県読者会の記」への付言
           大正5年11月10日『聖書之研究』196号
 内村生白す、狭間田の地たる秋に好し春に好し、山桜と野躑躅とが丘と林とを飾る頃我等再び此所に会せんと欲す、其時を俟つ。
 
  宮川巳作「第四福音書の歴史的価値」への付言
           大正6年1月10日『聖書之研究』198号
 編者曰ふ、此篇冷静なる神学的研究なりと雖も亦実際的信仰に深き関係なき事に非ず、読者が其の心して精読せられんことを望む。
 
  藤井武「壊るゝ幕屋、着せらるゝ家」への付言
           大正6年2月10日『聖書之研究』199号
 内村生曰ふ、昨年の今月号に於て不幸にして贖罪の事に関し藤井君と信仰を異にせざるを得ざりし余は今年の今月号に於て君と主キリストの再臨の事に関し信仰を全然共にすることを得るを深く神に感謝する。
 
  「第弐百号に対する読者の所感」への付言
           大正6年3月10日『聖書之研究』200号
 余輩の懇望に応じ既定の期日までに姓名又は所感文を送られし読者諸君は総数百十九名なりき、茲に諸君の好意を深謝(440)し併せて余輩の唱ふる福音を恥とせざる勇気を諸君に賜ひし父なる神を讃美し奉る、紙面に限りあり諸君の所感文を悉く掲ぐる能はざるを遺憾とす、其内稍々代表的なりと信ずる者を載せて諸君全体に代りて語らしめたり、諸君の諒察を乞ふ。
 *印を附せるは初号よりの読者として通告ありし方なり。
 
 以上の外に農家の読者としては左の諸君より姓名御通告並に感想文御寄贈に与りまして茲に厚く御礼を申述べます、
  備中 *松本郷一君  常陸  萩原 晃君
  上野  清水喜平君  甲斐  古屋惣市君
  信濃  服部久治君  信濃 *小山英助君
  甲斐  加々美山貫右君 上総 板倉英市君
  下野 *鈴木保一郎君 下野  塩野純一君
  信濃 *小松繁司君  美作 *森本慶三君
  羽前  諏訪熊太郎君 石狩 *浅見仙作君
  信濃  寺島喜悦君
 
 商家としては外に左の諸君より姓名御通知並に感想文御寄贈に与り謹んで御礼を申上げます
  東京 新聞販売業   *石川徳太郎君
  越後 雑業、郵便局長  品田豊作君
  常陸 マニラ麻玉問屋 *佐藤※[立心偏+旬]次郎君
  常陸 油問屋     *野村桂之助君
  京都          海老恒治君
  下野 書籍販売業    大川英三君
  東京 印刷活版業    池田芳太郎君
  信濃 染物業      松島縫治郎君
  青森 銀行員      島田兵四郎君
  羽前 時計商      阿部銑太郎君
  北見 米穀雑貨商   *広沢惣吉君
  信濃 瀬戸物商    *小沼勇次郎君
  越後 質商      *広川徳太郎君
 
 工人としては外に左の諸君より証言《あかし》を送らる
  石狩 炭坑事務員    太田建五郎君
  石狩 同        中東光五郎君
  陸中 鉱山業      村田幸七郎君
 
 教育家として外に左の諸君より熱愛に充ちたる感想文を送りて余輩を励まさる、本誌の読者に教育家の多きは余輩の意外とし且つ感謝する所である。
(441)  安房 *今 竹男君 常陸 *桜井卯之吉君
  駿河 *西岡虎造君   天塩 *倉賀野為男君
  陸中 *照井真臣乳君  陸中 *工藤善太郎君
  信濃 *望月直弥君   東京 *三補修吾君
  松山  岡田修一君
 
 内村生白す、旧き誌友に茲に再会す、歓喜に堪へず。
 
 編者曰ふ、聖公会内に横田君の外に熱心なる誌友数名あるを余輩は知つて居る。
 
 伝道者としては外に左の諸君より感想文御寄贈に与り有難く奉存ります。
  東京 救世軍士官(農学士) *逢坂信※[五/心]志君
  大阪 救世軍士官       中根峰吉君
  浜松 メソヂスト教会伝道師  中村勝次君
  上野 原市教会牧師     *大田九之八君
  信濃 ルーテル教会伝道師   高島貞久君
 
 内村生白す、斯くて又神が私の娘を取り給ひし訳が一層明白になりました.
 吏員としては更らに左の諸君より公明なる信仰の証明を送られて感謝に堪へず。
  駿河 水産試験所技手  久米二次君
  札幌 北海道庁技師   石沢達夫君
  下関 税務署員     飯岡房太郎君
  武蔵 郵便局長     三田留紀君
 
 左の両兄より懇切なる祝詞を送らる
  京都  ドクトル   *佐伯理一郎君
  佐世保 海軍軍医大監 *糟谷利三郎君
 
 左の諸君は御職業を明にせず、我誌の読者にして信仰の友なるの御通報に与り歓喜に不堪候。
  京都  金谷重義君  讃岐 片山茂君
  神戸  梅川祐君   阿波 吉岡謙吉君
  横須賀 富岡敬義君  信濃 満島大星君
  大連  神山哲三君  信濃 太田喜代松君
  岐阜  小林太四郎君 石狩 関口友吉君
  下総  諸岡兵吉君  相模 原弥平君
  静岡  望月藤吉君  武藏 鈴木善司君
(442)  長門 *岩村養和君  陸中 山内融三君
  摂津 山田有萱君   福岡 谷田一郎君
 
  「海外の同情」への付言
           大正6年3月10日『聖書之研究』200号
 近頃左の意味の書簡余の手許に達した、実に快心の極である。
 
  畔上賢造「ユダヤ民族を懐ふ」への付言
           大正6年5月10日『聖書之研究』202号
 内村生曰ふ、ユダヤ民族今や世界に一千二百万人を算す、欧米到る所に財界に文学界に政治界に大なる勢力を有す、日露戦争の際日本国に大なる財政的援助を与へし紐育市のシツフ氏はユダヤ人である、文豪としてはハイネ、作曲家としてはメンデルゾン、哲学者としてはスピノーザ、政治家としてはビーコンスフイルド孰れもユダヤ人であつてアブラハムの裔である、過去四千年間人類の精神的最大勢力たりしユダヤ人は確に神の選民である。
 
  京都 浦口文治「横幅ある人生」への付言
           大正6年9月10日『聖書之研究』206号
 内村生白す。茲に久方振りに浦口君の寄送文を迎ふるを得て喜びに堪へない、君ならずして此事を如此くに述ぶることは出来ない、実にエリヤ伝の最善の註解である。
 
  浦口文治「カリオテ人ユダの心理」への付言
           大正6年11月10日・12月10日『聖書之研究』208・209号
 編者曰ふ、ユダ研究はペテロ研究、ヤコブ研究、ヨハネ研究、パウロ研究と共に問題中の最大問題たるキリスト研究のために必要である、此編亦キリスト研究のために資する所甚だ多きを疑はない。 〔以上、11・10〕
 編者曰ふ、是はまことに精細にして有益なる研究である、以てキリスト神性論の善き根拠となすに足る。但しユダに対する同情の余りに多き嫌ひなきや、彼は窃者なりと言ひて第(443)四福音記者は彼れユダの暗黒的一面を喝破せしに非ずや、再考を煩はす。 〔以上、121・10〕 
 
(444)     〔社告・通知〕
 
 【大正5年12月10日『聖書之研究』197号】
   祝詞
 茲に本誌発行以来第十七回のクリスマスを迎へまして感謝に堪へません、我が愛する読者諸者も亦感謝に満るクリスマスと希望に溢るゝ新年を迎へられんことを祈り上げます。
  一九一六年十二月         内村鑑三
                  聖書研究社
 
 【大正6年1月10曰『聖書之研究』198号】
   年賀の辞に代へて
〇多数の読者諸君より新年の賀辞御送り被下れまして有難く存じます、当方よりは別に賀状を差上げません 茲に誌上に於て諸君の御平康を祝します。
〇本年の年賀状第一等は之を北海道のK・Y君に奉らざるを得ません、彼は主筆の同窓の友にして四十年間の信仰の兄弟であります、彼は年頭に左の語を寄せられました、
  力ヨリ方ニ進ミ遂ニ各シオンニ至リテ神ニ見ヘンコトヲ アーメン
と、実に力ある語であります、私共は之に対し「然り アーメン」と応へざるを得ません、我等は各自力ある者とならなくてはなりません、「神の国は言に非ず能に在り」であります、弱くしては叶ひません、能力ある者とならなくてはなりません、而して「各自遂にシオンに至りて神に見へんことを」と、我等同信の友の目的は茲に在ります、能力の欲しき理由は茲に在ります、罪に勝ち自己に勝ちて神の国の善良なる市民と成らんが為めに聖霊の能が欲しいのであります。
〇本年三月(今より二ケ月後)に至りて本誌は第弐百号に達します、我等に取り大なる感謝であります、此際読者諸君に於て御一人に附き四百字より多からざる所感文御送り被下候はゞ誠に幸福であります、猶又第一号よりの読者諸君に於ては御宿所御職業御年齢を加へて御姓名丈けなりと御送り被下るやう偏へに願上げます。
〇又申上げます、本年一月十二日は故内村ルツ子永眠第五週年に当ります、今より其当時を回想しまして感慨に堪へませ(445)ん、而して逝きし者を思ふたぴ毎に想ふは存る信仰の友であります、死者は生者を繋ぐ最も強き愛の綱であります、彼女は逝きて私共の愛の領域は大に拡張せられました、而して今猶ほ拡張せられつゝあります、茲に重ねて友人諸君の厚き御同情を感謝します。
〇唯一事は何よりも明かであります、今年も亦恩恵の年であります、而して此恩恵は各自シオンに至りて神に見へまつる時まで続きます、感謝、感謝であります。
  千九百十七年一月             内村鑑三
 
 【大正6年2月10日『聖書之研究』199号】
   謹言
〇次号即ち三月号は第弐百号に有之候、別に祝賀会を設けず候、唯少しく頁数を増して感謝の意を表すべく候。
〇読者諸君の所感文は御一人に付き四百字以内とし二月廿五日までに落手するやうに御発送相成りたく候、是は必しも本誌に掲載する為には無之候、此時に際し記者と読者との心的関係を一層濃厚になさんが為に有之候、殊に第一号よりの読者諸君に於ては御姓名に添えて御住所御職業御年齢を御知らせ被下候はゞ大なる福幸に有之候、勿論多数の同情を得て懌《よろこ》ぷ訳には無之候、唯真個の友人の在所《ありか》を知らんと欲する次第に有之候。
〇小生毎月下旬殊に二十五日以下は雑誌編輯にて多忙に有之候間止むを得ざる場合の外は御訪問御控へ被下たく候。
  一九一七年二月          内村鑑三
 
 【大正6年3月10日『聖書之研究』200号】
   本誌の発行部数
 本誌は其第一号に於て三千部を発行し第二号は二千五百部第三号以降二千二百部となり一時『新希望』と改題したる頃千八百部まで下りし事あるも未だ曾て其以下に出でた事はない、爾来漸次増加して千九百となり二千となり遂に二千百部に至りて継続する事数年であつた、然るに過去両三年の間又々逓増の萌しあり、やがて二千三百となり目下毎月二千四百乃至二千五百部を印刷してゐる、而して本社は一切無代配布を為さず又進呈は万已むを得ざる場合に限り之を為すに止(446)まる、故に前記の部数は全部代金を以て読者の購ふ処たるを知るべきである、嘗て或る仏教雑誌が物数奇にも印刷所の判取帳を書き抜いて世に公にした事があつた、其時本誌の発行部数は七百と記されて居た、然し之本誌の新刊毎に秀英社印刷工場より市内の某販売店へ配達する部数であつたのである、疑ふ者は宜しく秀英舎第一工場に就て聞くべし、余輩は素より部数の多きを誇らず又其少きを悲まず、唯第二百号発刊に際し事実有の儘を読者に報道して参考に供するのみである。
 
 【大正6年4月10日『聖書之研究』201号】
   記念号追加
 第二百号原稿〆切後に所感文を寄送せられし諸君左の如し、*印を附するは初号よりの読者也。
  信濃          *片山佳子君
  東京 牧師        高橋房太郎君
  千葉 農村長      *海保竹松君
  静岡 製茶会社支配人  *原崎源作君  
  米国羅府        *小葉竹綱次郎君
  東京 理学士植物学専攻 *鈴木限三君
  石見           生越実造君
  米国桑港 印刷業    *斎藤恒吉君
  大阪           大屋左一君
  摂津           松本誠一君
  台湾           古谷はる子君
  日向          *永田猪之介君
  石狩 雑貨商      *古田喜代二君
  磐城 日基教会独立伝道師 杉山元治郎君
  上野           富沢亀角君
  東京 官吏       *永井久録君
 
   会合に付き謹告
〇神若し許し給はゞ来る四月二十二日(日曜日)午前十時より長野県諏訪郡下諏訪町亀屋旅館に於て小生出張聖書講演並に本誌読者懇話会相開き候に付き附近の読者諸君には成るべく御出席相成度候、尚又出席御志望の方は前日までに同町高島貞久氏まで御申込に相成度候、諏訪湖畔の此会合のガリラヤ湖畔のそれに傚ふ者ならんことを御祈り被下度候。
〇栃木県氏家町在狭間田に於て今春再び会合を開くべき由予告致し置き候処種々と差支を生じ候に付き右会合は延期致し候に付き左様御承知被下度候。
(447)〇東京市外柏木九一九今井館に於て毎日曜日午前十時より聖書の講演有之候、本誌を一年以上に渉りて購読せられし方は御来庁差支無之候、但し予め小生の許諾を得られたく候、読者にあらざる人、殊に教勢視察のための宗教新聞雑誌記者の来庁は固く御断はり申候。
                   内村鑑三
 
 【大正6年7月10日『聖書之研究』204号】
   夏期団欒会開催に付き
 神若し許し給はば来る八月十六日より一週間静岡県御殿場基督教育年会夏期学校常設館東山荘の一部分を借受け、『聖書之研究』読者夏期家庭団欒会を開催仕るべく候、場所は東海道線御殿場駅より東へ二十丁余、金時山の麓に位し富士を正面に眺め、林中の一閑地に有之候、吾等此所に会し、毎日朝は一度聖書を講じ、午後は談じ又は遊び、夜は歌ひ且つ祈りて早く眠に就き申すべく候、夏期学校にては無之、家庭団欒会に有之候、此奸悪の世に在りながら数日間なりとも少しく天国の生涯に似たる生涯を送らんとの企図に有之候、依て左の条件に従ひ御来会あらんことを我が愛する読者諸君に御勧め申上候。
  一、来会者は二年以上本誌を購読せられし方に限る事、但し御家族御同伴御随意の事。
  二、宿泊料一人に付一日金八十五銭、寝具一切供給、外に会費として一円御収めの事。
  三、八月十五日夕食より開場、同十六日午前九時開会の事。
  四、各自旧新約全書並に讃美歌御持参の事。
  五、来会御希望の方は八月十日限り当聖書研究社まで御申込の事、但し一度御申込ありし以上は容易に御変更なきやう御注意の事。
  六、伝染性の疾病に悩まるゝ方は申上ぐるまでも無く御来会御遠慮被下るゝ事。
 天父の祝福裕かに此会合の上に加はり、来り得る者も来り得ざる者も、等しく其恩恵に浴せんことを御祈り被下たく候。
  千九百十七年七月         内村鑑三
                柏木聖書研究会委員
 
(448) 【大正6年8月10日『聖書之研究』205号】
〇『余は如何にして基督信者となりし乎』独逸訳 Wie ich ein Christ wurde は売切れになりました、当分御需めに応ずる事は出来ません、但し『代表的日本人』同訳 Japanische Charakterkoepfe は猶ほ少部数残つて居ます、一冊に付き郵税共金壱円にて御需めに応じます。
〇紙価騰貴を重ね止まる所を知りません、書籍の代価も終に引上げざるを得ません、但し既刊の書籍は成るべく其儘に据え置き、新刊の物より幾分引上げやうと思ひます、予め御承知を願ひます、然し紙価がいくら騰貴しても神の聖語の停止るやうな事はありません、紙の饑饉は来ても「エホバの言を聴くことの饑饉」は来ないと信じます(亜磨士書八の十一)、其辺は安心して可なりであると思ひます。
〇『伝道之書一名至上善の探求』は絶版になりました、其内増補改版して再び世に出す積であります、シイリー先生著『真理と生命』はまだ残つて居ます、識者に基督教の何たる乎を知らするに最も善き書であります。正価十五銭。
 
 【大正6牛9月10日『聖書之研究』206号】
    読者の愛心に訴ふ
 本誌の読者諸君にして此世の財貨を以て神に事へんと欲せらるゝ方は其使用法に就て当方に御問合せ被下らんことを願ひます、神の御事業は一にして足りません 大事小事、之を為すに力を要します、而して諸君は神が諸君に賜ひし物を再び彼に献げて其御事業に参与することが出来ます、今や敵国に在りて辛酸を嘗めながら聖書研究を継け居る同志があります、万事を神に委ねて独り福音宣伝に従事し居る者があります、盲人伝道のために援助を求むる盲人があります、其他伝道上慈善上為すべき事は沢山あります、私供同志は勿論援助の到来を待て事を始めません、然し乍ら求めざる援助の到来に遭ふて神を讃美し奉ります、「施しは之を強て為すべからず、蓋神は喜びて施しを為す者を愛し給へばなり」とあります(哥林多後九章七節)、若し諸君の中に喜んで私供の此|愛訴《アツピール》に応ぜられんと欲する方がありますならば私供は喜んで御納《おうけ》を致します。
               主の名に由りて    内村鑑三
 
(449) 【大正6年10月10日『聖書之研究』207号】
    感謝
 読者諸君の御愛心に訴へました所、今日まで人員に於て十二名、金額に於て弐百四拾八円五拾銭の御寄送に与り感謝に堪へません、早速送るべき所に送りました、清算は後より致します、此上とも御後助を願ひます。(内村)
 
 【大正6年11月10日『聖書之研究』208号】
    社告数件
 感謝 読者諸君の中より今日までに二十一名、総計三百三十七円五拾銭の御寄附御送り被下感謝に堪えず候、其中より今日までに二団体三個人へ二百八十五円を贈り候所何れも深く感謝致し居り候、猶贈りたく思ふ所他に多く有之候間神が諸君に命じ給ふ範囲に於て御寄附被下らん事を願上候。
 御礼 十月一日東京地方大暴風雨に就ては多数の読者諸君より御見舞の御書面に与り厚く御礼申上げ候、幸にして損害至て軽微に有之候間御安心被下度候。
 値上 諸物価騰貴して止まず、止むを得ず本誌も亦来年度より一冊売金拾五銭、六冊分前金八拾銭、十二冊分壱円五拾銭に値上致し候間右様御承知相成度候、但し今年中に前金御払込の方は従前通りにて宜しく有之候、不足はすべて有志の特別寄附を以て償ひ申候。
 品切 『旧約十年』目下品切に有之候。
                  聖書研究社
 『デンマルクの話』一名『信仰と殖林とを以て国を救ひし話』近頃地方の或る郡役所より多部数註文ありたり、聖書研究社が官衙より其出版物の註文を受けしは之を以て嚆矢とす、蓋し此小冊子の殖産上実用を認められたるに由るならん、此小著に由て苗木の山林に植えられし者、内地に於て又朝鮮に於て既に数千万本に達せしならんと信ず、余輩は此地に希望を繋ぐ者に非ずと雖も、然かも亦神の造り給ひし美しき此地を幾分なりと更に美しくするの事業に携はるを得し事を感謝して止まず、願ふ本誌読者諸君を始として、世の信仰と殖産との間に深き関係あるを知る有志諸君が益々多く此書を利用せ(450)られ、霊魂の救済と共に国家救済の実を挙げられん事を、聞く若し日本国の山野にして其殖林を完成するを得んか日本政府は国民の納税に待たずして之を支持するを得べしと。一冊に附き金六銭、五十冊以上の御註文に対しては五銭の割合にて発送可仕候。
  東京市外柏木九一九(振替東京七四九八) 聖書研究社
 
 【大正6年12月10日『聖書之研究』209号】
    祝詞
 茲に又感謝の旧年を送り感謝の新年を迎へんとして居ります、世界は今猶戦争の最中でありますが我等イエスを信ずる者の心はベツレヘムの夕の如くに静であります、我が愛する『聖書之研究』読者諸君よ、我等此時に潔《きよ》くして剛《つよ》く静にして深く、感謝と希望に満ちてクリスマスを祝し又新年を迎へやうではありません乎。
  千九百十七年十二月           内村鑑三
                     聖書研究社
 迫而 此号を受取らるゝ友人諸君に対しては別に年賀状差出し不申候間左様御承知被下度候。
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 女中を雇入れたし、十八歳以上三十歳以下の者にして身体強健、正直にして労働を愛し、少くとも三年間勤続せんと欲する者は本人年齢、父兄職業を記入し直に自筆を以て申込まれたし、確実なる保証人を要す、勿論相当の手当を給す。
        東京市外淀橋町柏木九一九 内村
 
(451) 〔参考〕
     宗教改革の意義
      (十月十日於京都大学青年会)
                      大正6年10月25日
                      『基督教世界』一七七七号
                      署名 内村鑑三
 
    ■改革の範囲
 四百年前、ルーテルによりて火蓋を切られたる宗教改革は、勿論|誰人《たれびと》も認むる如く宗教改革たるは疑を要しないけれども、唯にそれは単なる宗教改革とのみ見る事は不可能である。実にこれは世界の人事百般の大変革の一時期であつて、太古に溯つて、イエスキリストが二千年前に世に出現して、新生命の宗教を鼓吹して、一大新時代を劃したるが如く、ルーテルに於てもまた第二の一大新時運を誘導したと申して差支ない。此事は歴史によりて多くを究むる必要はない。只普通の歴史書、乃ちスイントン氏の英国史位を閲《けみ》するに於て足れりである。されば此改革は、たま/\一僧侶によりて、指導せられたるも、必ずしも宗教的方面の改革のみに留まらずして、実に政治、哲学、文芸、科学、殖産興業に亘りたるものにして、今日吾日本に於て、あらゆる方面の人々が、各其修むる道に於て、ルーテルの宗教改革を紀念しつゝあるは、決して無意義なる事にあらず、有るべき当然の事である。されば此宗教改革は実は世界の一大刷新運動であつたのである。由来歴史家は、近世史の初まりを、或はコンスタンチノーブルの陥落せる一千七百五十三年となし或はコロンブスの亜米利加を発見せる一千四百九十二年に置き、或はグーテンプルグが印刷機を発明せる一千四百三十六年とすると雖も、真の意義ある近世の序幕は千五百十七年とすべきで、乃ち十月卅一日は近世黎明の鐘の突き鳴らされたる当日としなければならぬ。
 
     ■改革の意義
 改革とし云へば世人は直ちにそは、今迄沈滞と膚敗と積弊とに擁塞されたる中に、誰人か猛り立ちて、熱烈に痛快に、大斧鉞を振つて、是等盤根を断絶し去つて、進んで新天新地を、此に開闡すべしと思ふ。然らば此宗教改革も、果して斯くの如き挙に出でたる者なるか、極めて然らずである。吾人は宗教改革を論ずる前に、先づ以て二つの準備的事実を究め(452)なくてはならない。そは一に改革の前、史家の所謂、欧洲暗黒時代、迷信時代、神秘時代なる一千一百年間の歴史を精観せなくてならない。こは彼のダンテのデバイン、コメデーの中に収めて描かれ、且つ弁護せられてある処で、少くとも中世紀の研究は彼の書を研究すべきである。然るに、実に中世一千一百年間は、将に生るべき、大改革の嬰児が、胎内にありて、苦悶し、生長しつゝありし時なるを知る事が出来る。第二は怪僧サボナローラの伝を考察する事である。彼はルーテルより一歩先に出で、然して所謂、世人の思惟するが如き改革をなしたる者である。猛烈なる勢を以て羅馬教会の悪弊に斧鉞を振ひ、自らキリストの予言者として立ち、フローレンスの元首となり、大に新理想を以て統治を開始したのであつた。然し乍ら彼の改革は失敗に終つた。彼が四十八歳にして火刑に処せられし後は、折角の改革の理想は跡形もなく消え去つて仕舞つた。然らばルーテルの宗教改革はサボナローラの如き者であつたか、決して左様でなかつた。彼の改革は所謂改革の意味を毫も有せず、唯々ルーテルの基督《キリスト》に帰れる単純なる信仰が、不思議にも改革なる結果を齎し、しかも成功せしめたるのみである、さればルーテルの改革の意味は、その上キリストが破壊したる、忌むべきパリサイ主義に今は自ら陥没して醜体を演じつゝある基督教より遁れて、カーライルの所謂、簡単なるキリストを信ずるの信仰に立帰りたることにして、基督教の根本的変革、信仰の確立によれる、基督教の新生、また甦生であつた。
 
     ■ルーテル其人
 羅馬法王は諸王の王であつた。西王《さいおう》も、伊王も、仏王も、悉く法王の前には一言の否認をもなすことが出来なかつたのである。絶対の主権は彼にあり、譬へ如何なる欠陥ありとも法王の命に対して、ノーと叫び得るものは全欧に一人も無き筈であつた。当時余りの積醜に、或は耐へ兼ねて法王に反抗したる一二の人あつたと雖も、そは実に何等の反響をも起さず、刑殺さるゝ事は当然と看過されつゝあつたのである。其時神が命じて、自らノーと叫ばしめ、世が和して轟然と反響して、こゝに一大奇蹟は顕現せられた。一千四百八十三年、中部独逸の片田舎、森の木陰のアイスレーベンに十一月十日ルーテルなる一怪童が生まれた。恰も父は少々の蓄財をして山を求め、此地に来つて石割を初めたる処であつた。マルチ(453)ンの日に生れたるの故を以て其名をマルチンと命じた。無学なる父母は勿論頑強なる旧教信者であつた。マルチン長じて十三の時高等教育を受くる為めマチブルグに出されたが、充分なる学資とても無かつた。されば「狐には穴あり、空飛ぶ鳥には巣もあるに吾等キリストの奴《しもべ》には宿るべき家もない」と、悲しげなる歌を謳つて、街人《がんじん》に憐れみを乞ふたのである。其時、有名なる貴婦人より非常な同情を受け、其家庭に宿ることをも許されて、初めてルーテルは家庭と云ふ者の幸福を感じたと云ふことである。然してヱルフルトに転じた。其大学に於て哲学論理学等を学んだ訳であるが、元来人生其物に興味を有するルーテルは、そこにて希臘羅典の文学を修めた。殊に羅典文学は、彼の最も好愛した処の者である。斯くて同大学を三十七番で卒業した。父は非常に喜んだ、どうかして自分の子を上流社会に出したいと云ふ希望より、マルチンに法律家となる様に勧めた。さればマルチンは進んで法律学を講究せんとしつゝあつたのであるが、恰も二十二歳、卒業後間もなく、突然寄宿舎を遁げ出して、オーガスチンの寺院に隠れたのである。こはルーテルにとりて非常なる変転であつた。斯くて一年にして、普通の僧侶となつた。
 
     ■ゴツド、コンシヤスネス
 僧侶となつて以来最も忠実に其修業を努めた。然して其身の救はれんことを冀求した。こゝに於て最も興味あり是非穿鑿せざるべからざる事は、当時のルーテルの内面生活である。彼は元来、生立賤しき平民の児であつたけれども、其良心の鋭敏なりし事は驚くべきである。されば絶えず取るに足らざるが如き、人世瑣々たる問題に就きても責任と罪悪とを感じて、大に悩まされたのである。史家は彼の隠遁を以て大雷雨に曠野《こうや》を行き、親友が惨死したるに遭つたからだと云ふが、それは定かに明《わか》らない。また羅馬教会の方ではルーテルは非常なる罪悪を犯し、遂に耐へられざりしが故に、寺院に遁れ入つたと云ふけれども、これにも何の根拠もなく、唯ルーテル攻撃の為の想像のみである。何れにせよ、良心の鋭敏と、罪悪に対する苦悶とは、古今を通じて偉大なる宗教家、思想家に屡見る処である。バンヤンは神に自己の罪の見られんことを恐れて、日光を避けて常に街の日蔭の方を恟々として通つたと云ふ。これをバンヤンの脳髄が病的異状を来して居た者とすれば、矢張りルーテルも同様であつたらう。ビーチ(454)ヤーも亦良心鋭敏なる、罪に悩みたる人である。アンドバーのフレツシユメン、リバーの辺りを狩猟の帰り、夕日を浴びて物思ふ時、「神は愛也。キリストは汝の罪を恕せり。」との神感に打たれたるは、矢張りルーテルと同様なる懊悩の結果であつた。必ずしも大宗教家を要しない、吾等凡俗の中にも、折々この事実を見聞する事である。こは実にゴツド、コンシヤスネスとも名くべき、人類にあり得べきことにして青年期に於て異性を恋ひ慕ふにも優りて、鹿の渓水を喘ぎ求むるが如く、神を追ひ求むる、人生快美なる事実である。この感、未来の宗教改革者ルーテルに強かりし事は、別に不思議とも感ぜられざる事である。かくてルーテルは苦悶に身体も痩た。其時一人の親愛なる友人、スターピツツは常に彼の傍《そば》近くあつて、彼を導いた。聖書に記されたる、峻しき罪の譴責に、遣る瀬なく懊悩するルーテルを見ては、罪を罰することを記され居ると共に、また其反対に罪の恕さるべき事を記されたりと懇に教へた。当時聖書は寧ろ僧侶と雖も、手にしないのが普通であつたが、ルーテルは内心の要求に責められては、聖書を取りて精読した。サムヱル前書の第一章を読みては可憐なる神に愛でられしサムヱルを見て全く己が神に呼ばるゝ如く感じ、進んでポーロの書簡を読みては、羅馬書、加拉太書等によりて、大に信仰の眼を醒まされた。かくて尊き心の記録セオロジカ、ゲルマニカを読みて慰められ、セント オウガスチンを究むるに至りて、全く眼は開かれた。吾より完全になりて神に受け入れらるゝ者に非ず、神より愛され、神より赦さるゝによりて、吾等は神に受け入れられるのだ 工によらずして恩寵によるのである。只キリストを信ずるの信仰によりてのみ義《たゞし》とせらるゝのであると云ふことに、偉大なる和平を得た。かくて凛烈たる寒気に氷結せられたりしルーテルは、一変して春風花野を渡る歓喜の人となつた。
 あはれ、惟《おもむ》みれば、一千一百年間の中世紀の煩悶は、ルーテルが三十年の前生涯によりて縮演せられ、遂に其栄光ある解決を見るに至つたのである。
 其後彼はサキソニーの選帝侯の命により、ウエツテンブルグ大学の教授となつた。さり乍ら何等人生に恐るべき程の敵と、冀求する程の栄誉とを有せなかつた。選帝侯が博士の称号を無理に贖ひ与へたけれども、それに対して彼は御礼一つも云はなかつた。ルーテルに取りて、東西古今を通じ、人生最大の問題は、神を父と仰ぐことにして其解決はまた全ての(455)開決であつたのである。不思議なる哉、この一僧侶の意識は、軈て実際に於て、今この大なる改革の実を結ぶに至つたのである。
 欧洲の新時代を画し、宗教に、政治に、哲学に、文芸に、科学に、殖産興業に、改革の黎明を与へし者は、無名の一僧侶ルーテルにして、而して彼の意識の全部を支配せるものは其簡単なる新約聖書の一頁、乃ち羅馬書第三章にありしことは、驚くべくも、また痛快なることである。
 将に此大改革を目して、羅馬書第三章によれる改革となすも、不当ならざるを知る訳である。
 
     ■ルーテル改革の将来の価値
 さればこの宗教改革は、ゴツド、コンシヤスネスの盛に蓄蒸せられて居た欧洲に於て、しかもあの時代であつたから成立したものゝ、日本の如く、其意識の地慣しの出来て居ない、かゝる問題に苦しむ者の甚だ罕なる国に於ては、起り様はないのである。然れども人類全般として考へて見る時に、世界の将来に就いて考へて見る時に、或る人々の云ふ如く、ルーテルの宗教改革は、最早其使命が終つて、新世界及び新時代は、新改革者ニーチエによりて支配せらるゝものとして、全くキリストによる救の道を放棄すべき者であろうか、余輩はこれを国家について見るに、独逸の某学者が声明せる如く「若しもこの戦争が、善き結果を齎すとせば、そは乃ちニーチエより離別して、再び新約に帰り、ルーテルに帰ることなるべし」と云へる説を固く信じ、全欧を嘗て救済したる十字架は、今も尚また繰返して幾度か全欧を救済すべきを信じ、是を個人に於て見ても、永遠に吾等の救済は、キリストによれる恩寵の救なるを信ず。果して種々の哲学が人類に平和を与へしか、ニーチエの哲学を信奉したる人々にして、輝ける顔をしたる者、何処にか在る。試みに基督教信仰を捨てたる人々に尋ねて、君の最も幸福なりし時は何時であつたかと問はゞ、直に答へて、「罪を悔改めて、ヰリストの御名によりて救に入りし当時なりし」と、異口同音に述ぶるであろう。幸福必ずしも人生の最上世界とは定め難かろう。さり乍ら真理ある処には、幸福の反映を見る事は常である。
 全世界は過去に於けるが如く、現在も将来も羅馬書第三章に於ける、信仰に依れる救済によりて改革すべきであると固く信ずる。(文責在記者)    
〔2023年3月19日(日)午前10時10分入力終了〕