内村鑑三全集24、岩波書店、675頁、4800円、1982.8.24
 
一九一八年(大正七年)一月より一九一九年(大正八年)五月まで
 
凡例………………………………………… 1
一九一八年(大正七年)
祝福の辞〔佐藤繁彦著『若きルーテル』序文〕…… 3
Happy New Year.新年を祝す ……………… 4
一九一八年を迎ふ 他……………………… 6
一九一八年を迎ふ
愛の濫費
武士道と基督教
聖書の預言的研究…………………………… 9
婚姻問題 哥林多前書第七章………………19
信者の実際問題………………………………24
一月十二日……………………………………39
新年雑記………………………………………40
Three Great Moments.信仰の三大時機……43
信仰と希望 他………………………………45
信仰と希望
希望と愛
余がキリストの再臨に就て信ぜざる事共…47
平和の告知 路加伝第二章十四節の研究…50
聖書研究者の立場より見たる基督の再来…56
身体の救………………………………………63
パウロの独身観………………………………68
再臨号…………………………………………70
批評の標準……………………………………72
A Narrow Christianity.狭き基督教………74
完全なる救 他………………………………76
完全なる救
再来の意義
望の理由
世人と神人
見神の恩恵……………………………………82
七福の解………………………………………85
馬太伝に現はれたる基督の再来……………89
万物の復興 羅馬書第八章自十六節至廿五節……97
基督信者と其希望 彼得前書第一章自一節至五節…… 101
末の日を待て……………………………… 105
イスラエルと教会………………………… 108
夢と謎……………………………………… 110
教友の再興を祝す………………………… 112
The Lord's Return in Browning.ブラウニング詩集に於ける基督の再来…… 113
贖罪と再臨………………………………… 116
復活と再臨………………………………… 118
基督再来を信ぜし十大偉人……………… 124
世界の平和は如何にして来る乎………… 130
信仰の三階段……………………………… 137
世界の最大問題…………………………… 143
多忙なりし三月…………………………… 149
A Strange Fact.奇異なる事実 ………… 152
何の恥辱ぞ 他…………………………… 154
何の恥辱ぞ
判決的問題
智識と信仰
嘲笑者
審判と公義と平和
信ずる者と信ぜざる者
世界と共に醒めよ………………………… 161
聖書の証明 基督再臨に関する主なる聖語…… 163
基督再臨の欲求…………………………… 168
基督の復活と再臨………………………… 173
花の四月…………………………………… 186
Belief.信仰とは何ぞ …………………… 189
三条の縄 他……………………………… 191
三条の縄
ホエルホメノス
猶太亜的思想なりとの説
乗雲の解(聖書を戯謔る基督教の教師等に告ぐ)…… 195
再臨信者の新祷として見たる主の祈祷 馬太伝六章九―十三節研究…… 199
約翰伝に於ける基督の再来……………… 205
天然的現象として見たる基督の再来…… 210
基督再臨の証明者としてのユダヤ人…… 218
杜鵑花の五月……………………………… 225
平信徒の大奮起…………………………… 228
Wanted:Preachers.福音士の要求……… 229
死の覚悟 他……………………………… 231
死の覚悟
戦後の世界
再臨の有無
教会と信仰
再臨と闇黒
ノアの洪水 創世記六章より八章まで、馬太伝廿四章三七―三九節、路加伝十七章二六、二七節、彼得後書三章三―一三節… 236
理想的聖書翻訳者………………………… 241
聖書の預言とパレスチナの恢復………… 242
イエスの変貌 馬太伝十七章一―八節… 249
ラザロの復活 約翰伝第十一章………… 255
霖雨の六月………………………………… 261
Power of Prayer.祈祷の効験…………… 264
再臨と聖霊 他…………………………… 266
再臨と聖霊
万国の霊
播者と穫者
身体の救拯
再臨の恩恵と其の時期
舌の害毒
馬太伝第廿六章六十四節に就て………… 273
石川繁子を葬むるの辞…………………… 278
無教会主義の利益………………………… 284
懼る勿れ…………………………………… 285
ソルーベツコイ公の十字架観…………… 286
馬太伝第十三章の研究…………………… 292
北海道訪問日記…………………………… 299
再臨と聖書………………………………… 309
A Congregational View.組合教会の再臨観…… 310
神の奴隷 他……………………………… 312
神の奴隷
再臨と贖罪
ヱルサレム大学の設置…………………… 314
馬太伝第一章第一節……………………… 318
絶大の奇跡 約書亜記十章一―一五節… 323
Personal Visible Coming.具体的再臨… 327
信仰と実行 他…………………………… 329
信仰と実行
人と真理
祈祷の題目
信者の生涯
真正の合同
人の性
再臨の高唱
再臨信者
再臨と聖書
詩人カウパーの再臨歌…………………… 336
再臨と豊稔………………………………… 337
羅馬教会の建設者 羅馬書第十六章の研究…… 341
トロアスに遺せし外衣 テモテ後書四章九節以下…… 349
『基督再臨問題講演集』〔目次のみ収録〕…… 352
Book of Comings.来臨の書……………… 354
聖書の大意………………………………… 356
曠野の慰安 何西亜書二章十四―廿三節研究…… 360
聖書全部神言論…………………………… 367
イエスの政治観と経済観………………… 381
Christmas 1918.一九一八年のクリスマス…… 382
基督再臨を信ずるより来りし余の思想上の変化…… 384
詩篇第一篇の研究………………………… 392
詩篇第十九篇の研究……………………… 398
左近義弼君に謝す………………………… 407
 
一九一九年(大正八年)一月―五月
Genesis I:1.創世記一章一節 ………… 411
平和の到来………………………………… 413
創世記第一章第一節……………………… 414
イエスの系図に就て(馬太伝第一章の研究)…… 419
聖書と基督の再臨………………………… 428
地上再会の希望…………………………… 433
地理学的中心としてのヱルサレム……… 437
再臨と伝道………………………………… 440
再臨信仰の実験…………………………… 444
年賀状……………………………………… 449
The Aim of the Second Coming.再臨の目的…… 451
イエスの自証……………………………… 453
万民の関はる大なる福音………………… 455
大家の証明………………………………… 462
国家的罪悪と神の裁判 亜麼士書一章二章の研究…… 464
イエスの母マリア 路加伝第一章の研究…… 471
平和の到来 路加伝第二章の研究……… 477
大阪大会評………………………………… 483
稀有の信仰………………………………… 484
Premillennialism in Japan.…………… 486
余の信仰…………………………………… 487
聖書と現世………………………………… 488
腓利門書の研究…………………………… 492
宗教と科学 創世記第一章の研究……… 504
My Religion.余の宗教…………………… 516
完全き救 他……………………………… 518
完全き救
十字架の信仰
二種の信者
人種的無差別
其日其時
イエスの終末観 馬太伝第二十四章の研究…… 524
時感二三…………………………………… 541
ユダの理想婦人 箴言第三十一章十―卅一節の研究…… 543
青年会館使用問題につき『時事新報』への寄書…… 549
God's Love.神の愛 ……………………… 551
聯盟と暗黒 他…………………………… 553
聯盟と暗黒
応じ難き注文
愛と義
福音と予言
教会と予言
パウロの復活論 哥林多前書第十五章の研究…… 557
教会対余輩………………………………… 584
教会と余輩………………………………… 589
『内村全集 第壱巻』〔序文・目次のみ本巻収録〕…… 590
自序……………………………………… 591
〔再刊(『慰安と平安』)の序文〕はしがき…… 595
 
別篇
付言………………………………………… 597
社告・通知………………………………… 603
参考………………………………………… 609
勇敢なる信仰の生涯…………………… 609
真善美の摂取と消化…………………… 611
基督教徒箱根修養会聖書講演………… 613
日本婦人と基督教……………………… 617
滅亡の日来る時………………………… 620
禁酒禁煙に関する所感………………… 623
 
一九一八年(大正七年) 五八歳
 
(3)     祝福の辞〔佐藤繁彦著『若きルーテル』序文〕
                          大正7年1月10日
                          『若きルーテル』
                          署名 内村鑑三
 
 ルーテルは世界的大偉人の一人である、彼を知るは世界と人類とを知るために必要である、故に文明国孰れの国に於てもルーテル学者が必要である、而して我国に於ても其必要がある、而して余は其一人を佐藤繁彦君に於て見て大に余の心を強くした、此小著勿論君が我国に貢献せんとする大著作の質《かた》たるに過ぎない、余はルーテルに就て大に君より学ばんと欲する者の一人である、裕かなる祝福君の生涯の事業の上にあれ。
              東京市外柏木聖書研究社に於て 内村鑑三
 
(4)     HAPPY NEWYEAR.新年を祝す
                         大正7年1月10日
                         『聖書之研究』210号
                         署名なし
 
     HAPPY NEW YEAR.
 
 Happy New Year! But why“happy”Not because another new year has come, but because THE DAY is approaching,even the day of restitution of all things. Truly happy and thankful,especially this year, because now is salvation nearer to us than when we first believed,and the night is far spent and THE DAY is at hand,as witnessed by the progress of the world-war, the capture of Jerusalem, and other unmistakable slgns of the times. The coming of the Lord is no metaphor;it is the greatest historical event, and every new year is“happy” to the believers, because it is an approach to that dreadful event, fraught with all blessings.
 
     新年を祝す
 
 茲に又新年が来た、其事は何を教ふる乎? 其事はパウロの左の言の真理なるを教ふる、
  汝等時を知る、今は眠《ねぶり》より覚むべき時なり、そは初めて信ぜし時よりも今は我等の救近ければ也、夜既に更(5)けて日近つけり、故に我等暗黒の行《わざ》を去りて光明の甲《よろひ》を衣《き》るべし
とある其言である(羅馬書十三章十二、十三節)、信者は時を知るかの特別の時を知る、世が其|終結《おはり》に達して主が再び顕はれ給ふ其時を知る、而して其恐るべくして又祝すべき時は年一年と近づきつゝあるのである、而して茲に又新年を迎へて其時の更に近づきしを知るのである、新年は旧年の繰返ではない、新年は新天地の接近である、其到来の予告である、故に厳粛なるべき時である、眠より覚め、暗黒の行を去りて光明の甲を衣、以て新郎《はなむこ》の入来を待つべき時である、世界戦争酣にしてヱルサレムは選民の手に渡らんとしつゝあり、孰れも時の休徴《しるし》にあらざるはなし、万物一変して我等が完全に救はるべき時は近づきつゝある、信者は其|意《こゝろ》を以て新年を祝すべきである。
 
(6)     〔一九一八年を迎ふ 他〕
                         大正7年1月10日
                         『聖書之研究』210号
                         署名なし
 
    一九一八年を迎ふ
 
 茲に紀元の第千九百十八年を迎へて神に感謝する、此年を去る満四十年前、余は齢十七歳にして始めてキリストの福音に接し、其時余は神に誓ふて言ふた、
  神様、私は今貴神と貴神の独子なるイエスキリストを信じます、而して独り之を信ずるのみならず之を日本全国に伝へます、然し私は外国人には頼りません、私は日本人として我国を貴神に携《つ》れ来ります
と、此誓は為すに易くして守るに難くあつた、一方に於ては信仰を維持するに難くあつた、外には骨肉の反対あり社会の圧迫あり、内には思想の懐疑ありて幾度か信仰を抛棄して不信の敵軍に降参せんとした、而して他の一方に在りては邦人の我信仰に対する同情至て薄く、宣教師と彼等の教会に頻らずして福音を此国に伝ふることは不可能事の如くに思はるゝ時があつた、然れども神は力を余に与へ給ふた、兎にも角にも余は今日まで余の青年時代の信仰を維持する事が出来た、余は猶福音を信ずる、寧ろ旧式の基督教を信ずる、余の孤立は余を駆て偏理主義の信仰に逐ひやらなかつた、余は又外国宣教師並に彼等の教会の補給を受くることなくして余の伝道を続く(7)ることが出来た。斯くて神は余の誓を受け給ふた、而して又余の祈求に応じて或る程度まで余をして余の青年時代の理想を実行することを得しめ給ふた、今や同信の友は海の内外に散在し、余の理想は彼等に由て実顕されつゝある、夢は既に事実となりて現はれた、勿論我れ既に得たりと云ふに非ず、亦既に完成うせられたりと云ふに非ず、或ひは取ることあらんとてたゞ之を追求むるのである(腓立比書三章十二)、然し乍ら後《あと》を顧て途は度々《たび/”\》険しくあつた、夜は度々暗くあつた、而して幾度《いくたび》か独り寂寥に堪へなかつた、然し夜は既に明けた、是より恩恵の光は加はりて昼の正午《まなか》に達するのであらう、回顧すれば明治の第十年、秋将さに暮れんとする頃、札幌郊外、藻岩山の麓に独り首《かうべ》を低れて余の若き心に神に誓を立てし日は実に福《さいはひ》なる日であつた、神は永久に其日を祝し給はん。
 
    愛の濫費
 
 愛と深切とは必しも人を善に感化しない、或る場合には彼を悪に感化する、恰かも暖き日光が蝋は之を軟ぐるも粘土は之を硬くすると同じである、同じ湿潤《うるほひ》の雨は麦をも生長せしめ亦|稗子《からすむぎ》をも生長せしむるが如くに愛は善人を善化して悪人を悪化する、実に危険なる事にして愛を悪人に施すが如きはない、故に主イエスは言ひ給ふたのである「犬に聖物《きよきもの》を与ふる勿れ、又豚の前に真珠を投与ふる勿れ、恐くは足にて践み、振り反りて汝等を噛みやぶらん」と(馬太伝七章六節)、愛は人の悪を思はざれば悪人たりと雖も其亡ぶるを欲《この》まない、然れども愛の濫費はない事ではない、主イエスさへも其愛を以てユダを救ひ得なかつたのである、人の救はれざるは愛の不足に由る場合もあらう、然れども神の愛を以てするも救ひ得ない場合があるのである、忘恩と叛逆とは悪魔の特性で(8)ある、彼と彼の眷属とは愛に接して反て之を怒るのである、其高ぶりの心の挫かれしを憤りてゞある、慎むべきは愛の濫費である。
 
    武士道と基督教
 
 我等は人生の大抵の問題は武士道を以て解決する、正直なる事、高潔なる事、寛大なる事、約束を守る事、借金せざる事、逃げる敵を遂はざる事、人の窮境に陥るを見て喜ばざる事、是等の事に就て基督教を煩はすの必要はない、我等は祖先伝来の武士道に依り是等の問題を解決して誤らないのである、然れども神の義に就き、未来の審判に就き、而して之に対する道に就き武士道は教ふる所が無い、而して是等の重要なる問題に逢著して我等は基督教の教示を仰がざるを得ないのである、基督信者たる事は日本武士以下の者たる事ではない、先づ上杉謙信たり、加賀の千代たりて然る後に更に其上に信望愛の美質を加へらるゝ事である、模範的猶太人たりしヨハネやパウロが模範的基督者たるを得たのである、武士道を棄、又は之を軽ずる者が基督の書き弟子でありやう筈が無い、神が日本人より特別に要求め給ふ者は武士の霊魂《たましい》にキリストを宿らせまつりし者である。
 
(9)     聖書の預言的研究
                      大正7年1月10日、2月10日
                      『聖書之研究』210・211号
                      署名 内村鑑三
 
 
 聖書は道徳の書ではない、預言の書である、預言に伴ふ道徳の書である、聖書の預言を顧みずして其道徳は解らない、聖書を誤解する主なる原因は其預言を離れて其道徳を解せんとする事に在る、其預言に重きを置いて読みて聖書は一変するのである。
 預言は歴史観である、世は如何に成行くものである乎、神は如何に人類を処分し給ふ乎、其事を語るのが預言である、而して聖書に特別の歴史観があるのである、実に此歴史観がありたればこそ聖書は成つたのである、聖書は歴史である、而かも単に過去を語る歴史でない、過去現在未来を通うして一貫する宇宙人類に関はる神の聖謨の実現に就て語る歴史である、最も興味ある歴史である、而かも普通の歴史とは全然趣きを異にする歴史である、信仰の眼を以てするにあらざれば解する能はざる歴史である、故に其正解に神の指導を要するのである、而して此指導の任に当りし者が神の預言者である。
 イエス御自身が最大の預言者であり給ふた、彼の使徒等も亦其師に従ひて預言者であつた、彼等は単に信望愛の人道を述べたのではない、時と時の休徴とに就て述べて之に応ずる道を述べたのである、今試にイエスの山上の垂訓に就て見んに、是れ決して単純の道徳でない事が判明る、是れトルストイ伯が言ひし如く人道の粋を述べ(10)たる者ではない。
  心の貧しき者は福なり、天国は即ち其人の有なれば也
とある(馬太伝五章三)、其前半は道徳であつて其後半は預言である、天国獲得を基礎として説かれたる教訓である、若し天国にして有らざらん乎、此教訓は其権力を失ふのである、イエスは茲に道徳のために道徳を説き給ふたのではない、天国に入らんが為の道徳を説き給ふたのである、故にイエスの此教訓は天国の何物なる乎を知つて能く解する事の出来るものである。又言ふ
  天地の尽きざる中に律法の一点一画も遂《とげ》つくさずして廃ることなし
と(五章十八)、是れ亦明白に預言である、天地の終には尽くる者なるを云ふ、パウロが「夫れ此世の形状《ありさま》は過逝《すぎゆく》なり」と云ひ(哥林多前七章三十一節)、ベテロが「神の日には天|燃毀《もえくづ》れ、体質|焚鎔《やけとけ》ん」と云ひしは此事を指して云ふたのである、聖書は宇宙の無限的進化を説かない、之に終焉のあることを唱ふ、律法は此世に応ずる為の道である、故に此世限りのものであると同時に亦此世のあらん限り有効なる者である、イエスは茲に天地の有限を述べて律法の真価を示し給ふたのである。又言ひ給ふた、
  我れ汝等に告げん、凡て故なくして其兄弟を怒る者は審判に干らん、又其兄弟を愚者よと言ふ者は集議に干らん、又|狂妄《しれもの》よと言ふ者は地獄の火に干るべし
と(五章廿二)、是は単に人を怒る勿れ罵る勿れとの教訓ではない、来らんとする大審判を預言しての教訓である、神は最後に世を審判き給ふとは聖書の明白に示す所である、審判は想像ではない事実である、悪人を威嚇する為の仮定説ではない、神の聖意に定め給ひし必然起るべき出来事である、「人の子己の栄光をもての諸の聖使を率(11)来《ひきゐきた》る時は其栄光の位に坐し、万国をその前に集め、牧羊者の綿羊と山羊とを別つが如く彼等を別ち、綿羊を其右に、山羊を其左に置くべし」とある其畏るべき出来事である(廿五章三一節−三三節)、此事あるが故に人は相互を侮るべからず愛を以て相敬ふべしとイエスは茲に教へ給ふたのである、神の審判を無視して、或ひは之を説明し去りて、イエスの此教訓の権力《ちから》は失するのである、神を畏るゝは主として其審判を畏るゝのである、審判かざる神は畏るゝに足りない、パウロは「我等主の畏るべきを知るが故に人に勧む」と言ふた(哥林多後五章十一)、審判を抜去りて福音の根底が毀《くず》るゝのである、「審判に干らん、集議に干らん、地獄の火に干るべし」と云ふ、「集議」とは三位の神と聖使との集議である、「汝等聖徒の世を審判かんとするを知らずや」とある其事である(同前書六章二)、地獄の火に就ては茲に言ふの必要はない。イエスは又三度繰返して言ひ給ふた、
  然らば隠れたるに鑒《み》たまふ汝の父は顕明《あらは》に報い給ふべしと(六章四節以下)、是れ又疑いも無く預言である、「顕明」は此世に関する事ではない、「彼れ顕はれ給はん時(我等)必ず神に肖んことを知る」とある其事である(約翰第一書三章二)、此世に於て為せる隠徳は彼世に於て明徳となりて顕はるべしとの事である、是れ実利主義の低き道徳であると言ふ者がある乎、然れども高低の問題ではない事実の問題である、必ず斯くあるべしとの預言である、善行は必ず神と全宇宙とに認めらるべしと云ふ預言である、而して善人は其善行を認められんがために死後の復活を要し、聖徒も亦神の審判に干与し善を善として認めんがために同じく復活を要するのである、キリストの再臨と、聖徒の復活と、最後の審判とを不問に附してイエスの此垂訓の意味は解らない。又主の祈祷文に曰ふ、
  爾国《みくに》を臨《きた》らせ給へ……国と権能《ちから》と栄光《さかえ》とは窮《かぎ》りなく爾の有なれば也
(12)と、是れ又明白なる歴史観に基づく祈祷《いのり》である 爾国を臨らせ給へとは此世を感化して天国の如き聖き所と成らしめ給へと云ふ事ではない、聖書に在りては此言辞に特別の意味がある、マランアーサ、主よ臨り給へと云ふと同じである(哥林多前書十六章廿二)、天使が使徒等に告げて「汝等を離れて天に挙げられし此イエスは汝等が彼の天に昇るを見たる其如く亦臨らん」とある其事である(行伝一章十一) 彼れ再び臨りて世を統治め給ふとは聖書を一貫しての教示《をしへ》である、而して信者の望《のぞみ》なる者は此事の実顕に外ならない、爾国を臨らせ給へと祈りて信者は其切なる望の実現を祈るのである、イエスの歴史観を以てしてのみ此祈祷が出たのである、復活と審判と約束に因る新しき天と新しき地との実感とを除いて此祈祷は微弱なる活力《ちから》無き祈祷と成るのである、「国と権力《ちから》と栄光《さかえ》とは窮《かぎ》りなく爾の有なれば也」と云ふ、此世の国を指して云ふのではない、此世に在りて神は其無限の権力を揮ひ給はない、又此世の人は神とキリストとに無限の栄光を帰し奉らない、此世は神を斥けて神ならざる者を主権者として仰ぐのである、神が権力を揮ひ給ふ所は他に在る、我等は其事を知るが故に此世に悪者の跋扈を見て礙《つまづか》かないのである、我等は日々の祈祷に此事を加へて我等の失せ易き希望を新たにする。イエスは又言ひ給ふた、  人を議する事勿れ、恐くは汝等も亦議せられん、汝等が人を議する如く己れも議せらるべし、汝等が人を量る如く己れも量らるべし
と(七章一、二)、是は汝等が人に為すが如く人も亦汝等に為すべしといふ事ではない、我等が人に為す如く神も亦我等に為し給ふべしとの事である、使徒ヤコブの言ひしが如く「憐む事をせざる者は審判かるゝ時また憐まるゝこと無し、衿恤は審判に勝つなり」と云ふ事である、「議せられん」とは「集議に干からん」と云ふと同じである、大なる審判を眼前に置いて見て始めてイエスの此言の権力が解得るのである。イエスは最後に山上の垂訓を結ん(13)で曰ひ給ふた、
  凡て我がこの言を聴きて之を行ふ者は磐の上に家を建し智人《かしこきひと》に譬へられん、雨降り、大水出で、風吹きて其家を撞《うち》たれども倒れざりき、そは磐をその基礎《いしずゑ》と為したれば也。
  凡て我がこの言を聴きて之を行はざる者は沙の上に家を建し愚なる人に譬へられん、雨降り、大水出で、風吹きて其家に当りたれば終に倒れてその傾覆《たふれ》大なりき
と(七章二四−二八節)、是《こ》は最も著るしい言である、之を暗喩《メタフホー》又は詩的想像と見ることは出来ない、言は確に絵画的である、然れども画の背後に何にか活きたる事実がなくして斯かる活劇を画《ゑが》くことは出来ない、イエスは或ひはノアの洪水を追想して言語を以てする此絵を画かれたのであるかも知れない、然し夫れのみでない事は彼の他の言に照して見て瞭かである、末の日に大なる患難《なやみ》臨むべしとは彼が繰返して告げ給ひし所である、「其時大なる患難あり、此《かく》の如き患難は世の始めより今に至るまで有らざりき、又後にも有らざるべし」と(廿四章廿一節)、是は実に試練の日である、其日|各人《おの/\》の工《わざ》の如何を試みらるべし、金か銀か木か禾稿《わら》か、「夫日《かのひ》之を顕はすべし」とパウロは言ふた(哥林多前三章十二以下)、是は神の忿恚《いきどほり》の日である、而して救拯とは其一面に於て此忿恚より免かるゝ事である、此日の恐ろしさを知り給ひしが故にイエスは其身を棄て避難の途を備へ給ふたのである、ノアの洪水其物が此最後の大洪水の予兆たるに過ぎない、「イスラエルよ汝の神に会ふ準備をせよ」と預言者が叫びしは此患難の日を預想してゞある(亜麼士書四章十二)。
 如此くにして山上の垂訓は決して純道徳の宣言ではない、其中に確固たる預言的基礎がある、山上の垂訓は又山上の預言である、預言を背景として見たる新道徳の宣言である、其深刻なる、其絶対的なる、其完全を求めて(14)些少の瑕瑾たりとも之を容赦せざる、是れイエスが人生を未来永劫まで透視して宣べ給ひし教示《をしへ》であるからである、之を此世の道徳と見て其実行は不可能なりと言ふ外はない、トルストイに倣ひ人は何人も此道徳に準じて行ふべしと言ひて我等は人に無理を強るのである、乍然イエスの立場に己を置い見て山上の垂訓は決して無理の要求でない事が解明る、柔和なる者(践つけらるゝ者との意)は福なりと聞いて我等は能く其意を解し得ない、此世に在りては践つけらるゝ者は決して幸福ではない、然し乍ら「其人は地を嗣ぐ事を得べければ也」と聞いて我等はイエスの此宣言の意義を能く会得する事が出来るのである、時到れば神は此地を獰猛なる此世の軍人政治家等の手より奪ひて之を柔和なる人の手に渡し給ふと云ふのである、而してイエスは能く此事あるを知り給ひしが故に大胆に「践つけらるる者は福なり」と言ひ給ふたのである、是れ大預言者にあらざれば到底発し得ざる言である、純道徳としては人生の事実と余りに矛盾する言である、然し乍ら必然到来すべき世態改変を目前の事実として見たまひしイエスの立場に己を置いて見て、是は決して行ふに難い道徳でない事が解明る、山上の垂訓を解するにイエスの歴史観が必要である。 〔以上、1・10〕
 信者が愛誦して止まざる聖書の一段は羅馬書第十三章第八節以下である、是は聖アウガスチンをして聖き生涯に入るべく最後の決心を取らしめし聖語として有名なる言葉である、
  汝等互に愛を負ふの外何物をも人に負ふ勿れ、そは人を愛する者は律法を完うすれば也、……愛は隣を害はず是故に愛は律法を全うす、此の如く行《な》すべし、我等は時を知る、今は眠より党むべきの時なり、そは信仰の初より更に我等の救は近し、夜既にふけて日近づけり、故に我等暗黒の行《おこなひ》を去りて光明の甲を衣るべし、行を正しくして昼歩む如くすべし云々
(15)是は愛を勧め行を正すの言であるは明白である、人を愛して律法を全うし行を正しくして昼歩むが如くすべしとは其の信者に教へんと欲する所である、然れども何故に斯く為すべしと言ふのである乎、其事を知るのがバウロの此言の意味を知る上に於て最も大切である、而して彼は明白に其事に就て言ふて居るのである、茲に「此の如く為すべし」とあるは原語に在りては唯「此れ」とあるのみである、「此く為すべし何故なれば」の意である、愛を行ひて律法を全うすべし、何故なれば、更に進んで暗黒の行を去るべし、何故なればと言ふのである、善行の動機、其理由は此に在るのである、而して其理由とは何ぞ、「曰く夜は既に更けて日は近づけり、今は眠より覚め、寝衣を脱して正服を着すべき時なり」と、即ち茲に道徳の預言的理由があるのである、茲にも亦預言の基礎の上に道徳が築かれたのである、此場合に於ても亦預言を取除いて道徳は存らない、単に愛せよ慎めよとの勧告《すゝめ》ではない、終末は近し、天地万物今や将さに一変せんとす、主の日至らんとす、我等皆なキリストの台前に立つべきの時は目前に迫れり、故に慎めよ、愛に歩むは是れ誡《いましめ》なりと云ふ其誡に循ひて愛せよと云ふ勧告である、キリストの再臨、死者の復活、万物の復興と云ふが如き預言的事実を背景として読むにあらざれば判明せざる訓誡である、預言を離れて聖書の道徳を説くの困難はパウロの此言に照らして見ても明かである。
 同じく第十四章第十節に曰く
  汝何ぞ其兄弟を審判くや何ぞ其兄弟を藐視《かろんず》るや、我等は皆なキリストの台前に立つべき者なり
と、茲にも亦明かに道徳が預言に由て支持せられたのである、審判く事は悪事である、我等は兄弟を藐視てはならない、何故か、審判く者は他に在るからである、而して彼は速かに其審判を実行し給ふからである、大審判者の大審判を目前に控へながら我等は私《ひそか》に人を審判くに及ばないのである、何故に人は他《ひと》を審判くのである乎、自(16)分が審判くにあらざれば審判は行はれずして過ぎんと思ふからである、故に悪評を下し、輿論に訴へ、時には教会に訟へてまでも兄弟を貶《おと》さんとするのである、愚かなる者よ、汝如何なれば他人の僕を審判くや、僕は其主人に対してのみ責任あるに非ずや(四節)、主が其僕を審判き給ふ時は近し、故に汝等其兄弟を審判くに及ばずと是れパウロが茲に審判又は批評に就て教ふる所である、而してイエス御自身の教へ給ふ所も之と同じである、「人を議(審判)すること勿れ、恐くは汝等も亦議せられん」と(馬太伝七の一)、単に議する勿れ批評する勿れとの訓誡《いましめ》ではない、より大なる審判人に譲せらるゝの危険あれば議する勿れとの忠告である、純道徳の宣言ではない、将さに現はれんとする事実に基く警告である、イエスは単に大教師ではない、神より人類の審判を委ねられ給ひし大審判官である、故に彼の警告に千釣の重味があるのである、之を威嚇《おどし》と言ふ者があれば言へ、然れども罪の必然の結果を語るは預言であつて威嚇ではない、終末の大審判は勧善懲悪のために設けられし仮説ではない、事実中の大事実である、「一たび死る事と死て審判を受くる事とは人に定まれる事なり」とある(ヒブライ書九章の二七)、人に確定せる事は此二事である、死ぬ事と死にて後に審判かるゝ事と、他の事は凡て不明なれども此事丈けは必定何人にも臨み来る事である、而してイエスと其弟子等とは此事に基いて其教を宣べたのである、故に其説く所に力があつたのである、近代人の所謂純道徳の其説の美《うるは》しきに拘らず人を化するの力なきは、彼等に此事実を視るの眼、即ち預言の力がないからである。
 聖書に在りては預言は警告の基礎であり又慰藉の理由である、来らんとする終末《おはり》の審判は恐るべき事にして又歓ぶべき事である、真理に順はず不義に就く者には報ゆるに忿と怒とを以てし、耐へ忍びて善を行ふ人には栄光と尊貴《とうとき》と平康《やすき》とを以てすとある(ロマ書二章六以下)、審判と云へば恐ろしく聞ゆれども審判の一面は義の顕耀《げんえう》で(17)ある、栄光と尊貴の附与である、而して聖書は幾回《いくたび》となく審判の美的半面を宣て信者を慰めて居るのである。
 其最も顕著き例は約翰伝第十四章一−三節に於けるイエス訣別の辞である、第三節に曰く
  若し往きて我れ汝等の為に所を備へば又来りて汝等を我に受くべし、是れ我が居らん所に汝等をも居らしめんとて也
と、此は明白に預言である、而してイエスが其再来を預言したる言辞であるとはルートハート、マイヤー、ウェストコット等の碩学の斉しく唱ふる所である、イエスの此訣別の辞に信者に取り無限の慰藷の籠る理由は此再来の預言に存するのである、「汝等心に憂ふること勿れ」と云ふ其理由は此に在るのである、主イエスが再び来りて我等を迎へ、彼の在し給ふ所に我等をも居らしめ給はんと云ふ其預言即ち約束に存するのである、此預言が無くして此訣別の辞に何の慰藉も無いのである、主と再会の希望あり、彼と共に永住の希望ありと聞きて信者は死に臨んで無限の慰藉を覚ゆるのである、約翰伝は霊的文書である、故に来世の再会の如きは其伝ふる所に非ず、又来りて汝等を受くべし云々の辞はペンテコステの日に於ける聖霊の降臨を示すに過ずと云ふ解釈はイエスの此言辞に籠る慰藉の意を著しく減少する者である。
 預言を以て信者を慰めたる有名なる言は亦之を哥羅西書第三章二−四節に於て見る、
  汝等天に在るものを念ひ地に在るものを念ふ勿れ、犬れ汝等は死し者にて其生命はキリストと偕に神に蔵《かく》れ在るなり、我等の生命なるキリストの顕はれん時我等も彼と共に栄光の中に威はるゝ也
信者は天の事を念ひて地の事を念ふてはならない、其故如何となれば彼は地に対しては既に死たる者であつて、其生命は今やキリストと偕に神に蔵れてあるからである、然し永久に蔵れてあるのではない、キリストが其栄光(18)の復活体を以て顕はれ給ふ時に信者も亦同じ栄光を以て顕はるゝのである、其事を念ふて彼は地に在る肢体の慾、即ち汚穢《をくわい》、邪情、貪婪《たんらん》等に其思念を濁してはならない(五節)、天と未来とを有する信者は地と現在とに囚はれて低き卑しき生涯を送つてはならないとの意である、預言を以て高き思想と清き生涯とを奨めたる貴き言である。 〔以上、2・10〕
 
(19)     婚姻問題
         哥林多前書第七章 (十二月九日)
                         大正7年1月10日
                         『聖書之研究』210号
                         署名 内村鑑三
 
  (『信者の実際問題』の続きとして述ぶ)
 
 本章は講壇の話題に上る事甚だ稀なりと雖も各人の生涯に至大の関係を有する重要問題を論ずる者であつて而も其解釈は甚だ困難である、加之其の古来基督教国の法律習慣に影響する所深大なるが為め此一章に向て傾注せられたる学者の脳力に測るべからざるものがある、実に其一言一句が悉く論争の種であつて今日尚激しき議論が闘はされつゝあるのである、故に未だ之が最後の解決を提供する事は出来ない、然し乍ら婚姻問題の細目に関する応用如何の論は暫く之を措き其の根本的精神に至ては学者の間異論の余地なきものあり、従て茲に之を研究し了解する事が出来る、但し此の根本的精神は之を本章中の片言隻句に探つてはならない、斯くするは恐るべき誤解を招くの基である、婚姻問題の根本精神は之を本章の全章に探らなければならない、否之を哥林多前後書の全体、新約聖書全体、否更に進んで創世記以降黙示録に至る迄の聖書全体に探つて初めて此問題に関するキリストの聖旨を知る事が出来るのである。
(20) パウロが本章に於て論ぜんとするの主旨は独身生涯の美を称ふると共に結婚を奨励せんとするにあつた(一−七節)、彼は先づ其題目を掲げて曰うた「汝等我に書き送りし男の女に近づかざるを善しとすとの問題に就て言はんに」と(一節)、蓋し独身生涯はイエス之を実行し給ひパウロ自身及び使徒の多数も亦之を実行した、故に彼は自己の信ずる独身の美はしさを曩にコリントに於て高調したのであらう、然るに彼を尊敬し彼の教ふる所は何事にも服従せんと欲したる彼の弟子等は亦争うて彼の独身生涯を模倣したのであらう、斯くして当時のコリントに在ては独身は信者間の一流行となつたのである、是に於てかパウロは独身美なりと雖も決してより聖き生涯に非ざるを教へて結婚を奨励するの必要を感じたのである、彼は曰うた「各々神より己の賜を受けたり、此は此の如く彼は彼の如し」と(七節)、独身の賜を受けたる者あり、結婚の賜を受けたる者あり、各感謝して之を受くべし、救の問題とは自ら別である、結婚するは罪を犯すに非ず、結婚せざるは特別に聖きことに非ずと。
 次に彼は数段に分ちて各種の境遇に在る男女に対し其の取るべき途を教へた、其一は未婚者及び※[釐の里が女]婦《やもめ》に対してゞある(八、九節)、曰く「若し自ら制する事能はずば婚姻するも可し云々」と。其二は既婚者にして夫妻共信者たる場合である(十、十一節)、曰く「妻は夫に別るゝ勿れ、かく命ずるは我に非ず、即ち主なり、夫も亦妻を去るべからず」と、対手は信者にして事は明白なる主の教なるを以て彼は敢て「命ず」と言うたのである、而して十一節の「若し別るゝ事あらば云々」は恰も離婚禁止に関する主の言として共観福音書に載せらるゝものゝ中馬太伝特有の「若し姦淫の故ならで」の一句と同じく後人の追加と見るが適当であらう。其三は夫婦の一方の不信者たる場合である(十二−廿四節)、曰く「不信なる妻又は夫共に居らん事を願はゞ之を去る勿れ、若し自ら離れ去らば其離るゝに任せよ、之れ神の我等を召し給へる平和に入るの所以である」と、而して彼は更に人各々其信(21)仰に召されし時の地位を棄つるに及ばざるを述べて以上の所論を覆説した、彼は曰うたのである「信者となりて社会上の地位を変更するに及ばず、奴隷にて召されたる者は奴隷の儘にて在るべし、割礼ありて召されたる者は割礼を廃する勿れ、其の如く不信なる夫又は妻を有して召されたる者は之と離別する事勿れ」と。其四は処女の処分である(廿五−卅八節)、当時処女の処分に就ては父が其全責任を負うた、而してパウロも亦之を認めた、彼は今日の所謂女権拡張論に与しなかつたのである、此問題に就て彼は曰く「我未だ主の命を受けず、故に自己の見解を述べん、今は災の時なり、世の終は直ちに至らん、されば処女の父たる者は其考を以て処分すべき也」と、彼は此世の終末《おはり》の近きを予想しつゝ論じて居るのである、故に彼に取ては処女を嫁せしむるは之を患難に遭遇せしむると同様であつた、而して之れ彼の「忍びざる」処であつた、故に寧ろ結婚せしめざるを善しとすと言うたのである、但し之が為に時過ぎて不幸を招かんと思ふ者に対しては彼は結婚を奨めたのである、最後に彼は夫の死後に於ける妻の再婚に就て一言する所があつた(卅九、四十節)、之れ神学者論争の焦点である、然し乍ら「唯主にある者にのみ適くべし」とは実は意訳である、原文は「唯主に於てのみ」である、パウロは任意の再婚を許し唯不信者に嫁する事のみを禁じたのではない、彼は唯主の聖旨にのみ従ふべきを教へたのである、而して実際上初代信者にして不信者に嫁したるの実例少からざるは近頃ハルナツクの研究により明白なる事実である。
 以上パウロの所論を了解せんが為に注意すべき二箇の事実がある、第一は本書翰の性質である、是れ当時のコリント信者に宛てし親展書であつた、従て凡ての親展書と均しく万人に了解せられんが為のものに非ずして唯其受信人の之を了解するを以て足れりとしたのである、其の二千年の後に至る迄凡ての基督者に由て熟読せられ恰も神の直接の黙示の如く結婚問題の全部を解決せんが為の根拠とせらるゝが如きはパウロの夢想だもせざりし処(22)である、第二はパウロの人生観である、彼はキリストの再臨の近きを信じた、娶る者も娶らざる者と異なるなき時の速に来るべきを信じた、故に彼に取て結婚問題は甚だ軽きものであつたのである、此世の永続を予想し千代八千代と祈る者の心事はパウロの解せざりし処である、此のパウロの人生観を知らずして彼の結婚論を窺ふ事は出来ないのである。
       ――――――――――
 附言 哥林多前書第七章を文字通りに解して甚だ穏当ならざるものがある、此章丈けを以て見てパウロの結婚観は甚だ陋劣なる者であると言はざるを得ない、「淫行を免かるゝため人各其妻を有ち云々」と言ひ(一節)、「若し自ら制すること能はずば婚姻するも可なり、そは婚姻するは熾《も》ゆるよりも愈《まさ》れば也」と言ふ(九節)、即ち制慾の安全弁として結婚せよとのことである、若し其為の結婚であるならば高潔の士女は結婚すべからずである、結婚する事は自己の薄志弱行を表白する事であつて耻辱此上なしである、而して是れ明白に仏教思想であつて「汝等婚姻の事を凡て貴《たふと》め云々」とある聖書の言と相容れないのである、サバチエー其他の聖書学者がパウロを責むるに結婚論の粗暴なるを以てしたるは理由なきに非ずである、而して此事に関し余輩の弁護はパウロの此言たる彼がコリントに在る教友に宛たる親展の中に在る者にして局外者の能く其機密を窺ふべきに非ずと言ふが第一である、第二はパウロに他に彼の結婚観なる者ありてそは甚だ高遠なる者なりしとの事である、同じ書翰の中に於て彼は「凡の人の首《かしら》はキリストなり、女の首は男なり、キリストの首は神なり」と言ひて男女の関係の其根拠の聖き三位に於て在ることを述べて居る、其他以弗所書五章廿二節以下に於ける夫婦観の如き人の能く知る所である、要するに偉聖パウロと雖も時には軽快ならざるを得なかつたのである、彼を以て荘重一方の人と見るは(23)大なる間違である。彼は此場合結婚問題を普通一般の立場より見たのである、而して此見地に一面の真理の存することは何人も首肯する所である、淫行を免かれんための結婚ではない、然し乍ら正式の結婚が淫行を免かれしむる事は確である、而して此事たる聖書を解する上に於て善き注意を吾人に供《あた》ふる者である、パウロの此言を他の言より孤立せしめて解する時に大なる不快を感ぜざるを得ない、然し乍ら聖書全体の教示に照らし合はして其内に又有益なる真理の一面を発見するのである、使徒ペテロがパウロに就て「彼の書《ふみ》の中には解し難き所あり、無学なる者、心の堅からざる者、之を強解して自から敗亡に至るなり」と言へるは如此き言に就て言ふたのであらう(彼得後書三章十六)。
 
(24)     信者の実際問題
                   大正7年1月10日
                   『聖書之研究』210号
                   署名 内村鑑三口述 藤井武筆記
 
     婦人の服装問題 哥林多前書第十一章自二節至十六節 (十一月十八日講演の大意)
 
 哥林多前書の大半(第六章以下)は信者の実際生活に関する教訓である、当時コリントの教会内に於て起りし種々なる実際問題に関する質疑に応じてパウロの与へたる極めて明快なる解決である、事は千九百年前の特殊なる事情に属する者多しと雖も之が解決の精神は直に採て以て今日我等の日常生活に之を適用し得るのである、聖書は素より凡百の実際問題に対し一々其解決を掲げない、然し乍ら聖書は少くとも其「解き方」を教ふる、即ち其解決の原理を供するのである、聖書が二三の問題に就き福音の精神を以て之を如何に解決すべき乎を教ふる時は其原理を応用して一切の問題に及ぼす事が出来るのである、哥林多前書十一章の如き亦其一例である、今日の教会に於ける婦人の態度に関し其の我等に教ふる所甚だ適切なる者がある。
 パウロの伝道によりコリントの地にも男女の信者より成る団体が起つた、彼等は本来自由を愛するギリシア人である、而してパウロは自由の福音を高調したる使徒であつた、後者の教が能く前者の気風に適合する所ありしは誠に自然の教である、彼等は溌剌たるパウロの声に耳を傾けて其の本来の自由思想の一入煽揚せらるゝを感じ(25)た、殊にかの「信者の中にはユダヤ人またギリシア人或は奴隷或は自主或は男或は女の別なし、そは汝等皆キリストイエスに在て一なれば也」といふが如き思想は彼等の歓んで迎へたる所であつた(加拉太書三章廿八節)、或は男或は女の別なし、然り男女は同等である、男、女に勝るに非ず、婦人男子に劣るに非ず、殊に神の前に集る時に於て然りとは彼等の中の一派の好んで唱へたる所であらう、是に於てか其間に所謂新婦人なる者を生じ祈るに当りて慣例の※[巾+白]子《ヴエール》を脱し素顔の儘にて男子の前に出る者もあつた、其れに対して世間よりも兎角の非難が起つたであらう、又教会内に於ても識者は私かに顰蹙し婦人の貞淑を失ふの非を論ずる者もあつたであらう、或は之を非とし或は之を可とす、論争教会内に於て之を解決するに由なく終に何人か之をパウロに訴へて其裁断を求むるに至つた、乃ちパウロ今や此問題に対し答ふる処あらむとするのである。
 彼れは先づ言を発して曰うた「兄弟よ、汝等凡ての事に於て我を記念《おも》ひ且我が汝等に伝へし如く其|伝《つたへ》を守るに因りて我れ汝等を嘉《ほ》む」と(二節)、パウロは幾多の誤錯を犯したるコリント信者を誡めんと欲して、而も先づ大体に於て之を嘉賞したのである、之れ正に愛児に対する慈父の態度である、然し乍ら進んで本論に入らんとするや忽ち辞色儼然一咳して曰ふ「然れども」(※[ギリシヤ文字])と、之れ三節冒頭の重要なる一語である、(邦訳聖書に此語を脱落したるは誤謬たるを免れない)、自ら値せざる推賞の辞に忸怩たるを禁ぜざりしコリント信者等は此一語に至りて互に相顧み而して粛然襟を正したであらう、知らずパウロ先生何をか説かんとする、
  凡ての人の首はキリストなり、女の首は男なり、キリストの首は神なり(三節)、
と、驚くべき哉パウロの論法、婦人の※[巾+白]子《かほおほい》を蒙るの可否如何の如き小問題に答へて婦人対男子 男子対キリスト、キリスト対神の関係に迄溯及したのである、而して之れ実にパウロ独特の論法である、彼は如何なる問題と雖も(26)必ず之を福音の第一原理迄拉し来らずんば止む事が出来ないのである、彼の前に出でゝは小問題も遂に小ならず、尋常茶飯の些事も之を宇宙人生の根本問題に結合するに非ずんば解決しないのである、コリント教会に於ける婦人の一作法の如きは今日我等と何の関する所なき閑問題に過ぎない、然し乍ら何人か之を提げてパウロに訴ふる所ありしは誠に感謝すべき事である、何となれば之に由て我等をしてパウロの男女関係に関する根本思想を瞥見することを得しめたからである。
 パウロは先づ男女の関係をキリスト及び神に対する関係に訴へて曰うた、「キリストにも首あり即ち、神なり、凡ての人にも首あり即ちキリストなり其の如く女にも亦首あり即ち男なり」と、之にて問題は解決するのである、女若し其首として男を戴くべき者ならば其の教会に於ける態度如何の如き自ら明白である、何となれば男女同等なるに非ず、「男は神の像《かたち》と栄なれば其首に物を蒙るべからず、女は男の栄なれば之を蒙らざるべからず」(七節)、「凡て男は首に物を蒙りて祈祷を為し或は預言する時は其首即ちキリストを辱しむるなり、凡て女は首に物を蒙らずして祈祷又は預言を為す時は其首即ち夫を辱しむるなり」と(四、五節)、之れ論理上奇なるが如くなるも事実は動かすべからずである、男は神の像にしてキリストの代表者である、故に教会に於て男子の説教する時彼はキリストを代表して之を為すのである、王が平民の前に出づるに特殊の儀礼を要する筈なし、其身其儘が即ち礼式である、神我等の前に出で給ふ時には神御自身の儘にて威厳が足りるのである、凡て長者が目下の者に見ゆる時は常に爾うである、男子の祈祷を為し或は預言するも亦然り、其首に物を蒙る事なく威厳を以て臨むを以て却て適当の礼儀と為す、然るに婦人に在ては全然其地位を異にするのである、「そは男は女より出でしに非ず、女は男より出でたればなり、又男は女の為に造られしに非ず、女は男の為に造られしなり」(八、九節)、之れ創世(27)記の教ふる所にして神の人を造り給へる順序である、女は男の為に造られ従て其首として男を戴くべき者である、「是故に女は天使の故によりて首《かしら》に権を有つべき者なり」(十節)、国民の元首を戴くが如く女も亦必ず其首に主権を戴くべき者である、女の主権とは何ぞ曰く男である、夫である、而して之を戴くの徴として首に物を蒙らざるべからず 夫に対する尊敬服従を表するの標徴として※[巾+白]子を蒙らざるべからずといふのである(英訳聖書に「権能の印」とあるを参考せよ)「天使の故によりて」とは何ぞ、学者の解釈は多様である、然し乍ら明白なる一事は信者集会の席上列なる者決して人のみではない事である、二人三人主の名によりて集る時キリストも亦必ず其中に在り給ふ、而して天使も亦其所に加はるのである、我等の愛する既に聖められたる者も亦来り会するのである、故に曰ふ「我等かく許多の見証人《ものみびと》に雲の如く囲まる」と(希伯来書十二章一節)、目にこそ見えざれ、キリストあり天使あり又幾多の聖徒あり、荘厳なる者にして実に信仰的集会の如きはない、此所に列なるは王の宮殿に召さるゝよりも大事である、果して然らば服装の如きも亦之を軽視する事が出来ない、殊に婦人にして苟も其貞淑に欠くる所あるが如きは容すべからざる態度である、「是故に女は天使の故によりて首に権能の印を戴かざるべからず」、此の点に於て厳粛苟もせざる天主教会の慣行は正に新教諸数会の他山の石とすべきである。
 初めにキリスト及び神に対する関係に訴へたるパウロは次に又之を普通の礼儀又は常識に訴へて曰うた「汝等自ら弁ふべし、女物を蒙らずして神に祈るは宜しき事なる乎」と(十三節)、之を我国今日の語を以てすれば「女教会に出て細帯の儘にて祈つて宜き乎」と言ふが如くである 次に彼は更に天然に訴へて曰うた「男もし長髪《あがきかみ》あらば恥づべき事なりと汝等自然に知るに非ずや、されど女もし長髪あらば其栄なり、そは※[巾+白]子《かむりもの》の代りに之を賜ひたればなり」と(十四、十五節)、「汝等自然に知るに非ずや」、「自然が汝等に之を知らしむるに非ずや」である、(28)黙示に俟つの要なしとの謂である、女に長髪あるは※[巾+白]子の代りとして天然が之を賦与するのである、即ち一には以て男に対するの服従を表せしめ二には婦人の職分の発動的に非ずして受動的なる事を教ふるのであると、美はしき詩的思想である、髪の多からん事を欲するは婦人の天性である、而して其の然る所以は之れ「自然の※[巾+白]子《かほおほひ》」であるからであると、パウロ自ら妻子を有せざりしと雖も婦人の服装に関する彼の思想は甚だ健全なるものであつた、
 論じ来りてパウロは最後に猶一言を附加せざるを得なかつた、彼は今エペソに在りて筆を執りつゝ海を隔てし対岸コリントの地に思を馳せて如上の理論の到底彼等の容るゝ所とならざるべきを想像した、故に彼は曰うた「縦ひ争ひ論ずる者ありとも此の如き例は我等にも亦神の教会にも有る事なし」と(十六節)、論ぜんと欲する者は悉に論ぜよ、然れども一事は確実である、即ち此の如き不貞の例は我等の間にも神の真実なる教会の中にも絶えてある事なしとの意である、此の重き千鈞の一語を以て茲に彼の※[巾+白]子《ヴヱール》論は終つたのである。
 パウロの立論は徹底的である、故に彼れは常に論歩を極端にまで推及して其事理を明白ならしめんとする、此処にも亦彼は女其首に物を蒙らざるべからざるを論じて曰うた、「こは薙髪と一にして異なる事なし、女もし物を蒙らずば髪を剪るべし、されど之を剪りまた薙《そ》る事若し女の恥づべき事ならば物を蒙るべし」と(五、六節)、若し※[巾+白]子を蒙らざるならば寧ろ薙髪するに如かず、其れが悪しくば乃ち※[巾+白]子を蒙るがよしと言ふ、貞淑謙遜なる服装を薦むるの辞にして此の如く強きはないのである。
 パウロの論理には必ずしも是非すべき余地が無いではない、然し乍ら男女関係の根本問題に関する彼れの思想は全体として極めて健全にして且深刻である、彼は勿論婦人を奴隷視する東洋思想の如きを容認する者ではない、(29)彼は明言して居るのである「されど主に在ては男は女に由らざることなく女は男によらざる事なし、女の男より出でし如く男は女に由て出づ、而して万物皆神より出づるなり」と(十一、十二節)、主に在ては索より兄弟姉妹である、男女互に相頼り相助けざるなし、然も其れあるに拘らず神の定め給ひし地位は之を奈何ともする事が出来ない 女が其首に男の権能を戴くべきは動かすべからざる順序である、かの社会主義者の男女同権論又は西洋の一部に於て唱へらるゝ女権拡張論の如きはパウロの教に反するの甚しき者である。之れを単純なる服装問題として見れば論ずるに足らざる些事なりと雖も実は※[巾+白]子云々の問題ではない、男女の地位に関する問題である、婦人の貞淑(modesty)と男子の威厳(dignity)とに関する問題である、又信者の集会の性質に関する問題である、即ち家庭上交際上の大問題である 信仰の集会は天使の故によりて最も荘厳なるものである、故に茲に臨む者は必ず相当の礼儀正しき服装を為さゞるべからず、集会を指導する男子はキリストを代表する者である、故に彼は自ら一種の威厳を以て臨むのである、婦人は男子の栄である、故に外に出づるや必ず男子の主権に対する尊敬服従を表するの態度を失ふべからずである、此の如くにして信者の団体は初めて聖められ厳粛と平和と愛とを維持する事が出来るのである。
   附言 パウロの女性観は宣教師のそれとは全然違う、前者は寧ろ日本人の女性観に近くある、米国宣教師の伝へし所謂「基督教的女性観」は最も非聖書的なる女性観である。
 
     信者の訴訟問題 (十一月二十五日) 哥林多前書第六章自一節至十一節
 
 コリントに於ける信者間の訴訟問題に関しパウロは教へて曰うた、「汝等相互の間に口事《くじ》ある時之を基督者(聖(30)徒)の前に訴へずして不信者(義しからざる者)の前に訴ふる者ありとは果して真実である乎、抑信者は終末の日にキリストと共に世界を審判き得る者ではない乎、否唯に世界のみではない、天使と雖も若し神に逆らはゞ信者は是をしも審判き得るのである、即ち未来の霊界すら尚ほ彼が審判の対象となり得るのである、況んや此世の事をや殊に金銭の貸借名誉の回復等の如き小問題をや、然るに汝等の中には不信者をして汝等の問題を審判かしむるとは何ぞや、不信者が信者相互の関係を了解する事は不可能である、信者間の問題に関しては不信者は本来無に均しき者である、汝等此世の事を審判かんと欲してその無に均しき不信者をして審判の座に坐らしむるのである乎」と(邦訳聖書に第四節「是故に汝等若し此世の事を審判かんとせば教会の中にて卑微しき者を審判の座に坐らしめよ」とあるは意訳である、原文には「教会の中にて」なる文句はない、「汝等の中無に均しき者をして云々」である、教会の中の最小者をして審判の座に就かしめよといふも必ずしも放漫の言ではない、「我れ童子をもて彼等の君とし嬰児に彼等を治めしめん」と預言者イザヤは言うた、嬰児時には却て最も正しき判断者である 然し処に於ては以上の如く直訳するを可とする)。
 蓋し当時希臘の地には羅馬法行はれコリント信者間の訴訟も亦之を普通裁判所に提出したのであろう 而してパウロは先づ彼等が斯く不信者に訴ふるの非を痛撃したのである、彼等は訴訟提起の方法に於て誤まつて居つた、然し乍らパウロをして言はしむれば方法如何の如きは抑も枝葉である、彼等の誤謬は其信仰の根本に於て在るのである、問題は何人に訴ふる乎ではない、何故に訴ふる乎である、既にパウロは更に進んで言うた、「汝等互に相訴ふるは既に之を訴ふるの前に於て信仰に欠陥があるからである、汝等は互に兄弟たるの事実を忘却したのである、何ぞ兄弟を訴ふるよりも寧ろ自己を悪しとせざる乎、何ぞ欺かれたる儘に甘んじて之を受けざる乎」と、是(31)れ誠に兄弟喧嘩を審判かんとする親の態度である、若し真実の兄弟たらば訴ふる事其事があり得べからざる事である、然るに之を敢てするは未だ福音を解せざるが故なりと言ふのである、然し乍らパウロは単に自ら不義を受けよ欺を受けよと勧むるのみではなかつた、彼は更に一歩を進めて言うたのである、「噫汝等不義を為し欺を為す、兄弟にも亦之を為せり」と(八節)、信者にして若し其兄弟に対し訴訟を提起する者あらん乎、彼は自己に不義と欺瞞とを引受くるのみではない、彼は却て自ら攻撃的態度に出で以て兄弟を犯すのである、是れ畢竟兄弟に対して我より不義を行ひ欺瞞を行ふに外ならないと、語は激烈にして普通の見地より之を解するに難しと雖もパウロの愛の立場よりすれば極めて明白深遠なる真理を含むのである、其の論法を是の如く極端迄追究せずんば止む能はざるはパウロの特徴である。
 次に彼は義しからざる者の神の国を嗣ぐ能はざるを説いて種々なる罪を列挙した、是れ何も訴訟問題に関係なき事の如く見えて実は然らず、其間に深き関係がある、汝等皆不信者なりし時是の如き罪を犯したのである、然れども今や「主イエスの名により且我等の神の霊によりて洗滌はれ潔められ又義とせられ」て新しき人と成つたのである、故に汝等の人生観は一変せざるべからず、昔の罪の社会の観念を以て汝等相互間の事を律すべからず、所謂法律といひ裁判所といふは罪の社会を律せんが為めのものである、果して然らば信者間に訴訟を起すが如きは根本的の誤謬に非ずやと言ふのである。
 訴訟問題に関するパウロの教は今日我等の間に於て如何なる程度迄実行し得べき乎、昔者法律といへば罪の世にのみ行はるゝものと做し財を天に積む者の関与すべからざるものゝ如く考へたのである、故に教会内の争論を審判せむが為めには特に教会裁判所を設けた、こは簡単なる委員会の如きものにして、週に一回之を開きて凡て(32)の口事《くじ》を決し赦すべきは赦し旧き疵を悉く忘れかくて安息日には全く貸借なしに新しき喜びを以て相会したのである、是れ美しき習慣であつた、然し乍ら今日の法律は是の如きものではない、法律は凡て人と人との正当なる関係である、単に罪悪のみに関するに非ず正義を発揚し維持せむが為の者である、法律学も亦神の道の研究である、故に基督者と雖も或場合には法律に訴へざるべからざる事があるのである、但し其動機に至ては此世の人の起訴すると全く異なる、利慾の為に非ず復讐の為に非ず、正義の為である、嘗て遺産の分割問題に関しイエスに訴へたる者に対し彼は答へて曰ひ給うた「人よ誰が我を立てゝ汝等の裁判人また物を分つ者と為せしぞ、戒心《こゝろ》して貪心を慎めよ、それ人の生命は所有の饒かなるには因らざる也」と(路加十二の十三以下)、又或時罪を犯したる兄弟に対し和解を試むべきを教へて曰ひ給うた「もし兄弟汝に罪を犯さば其の独り在る時に往きて諌めよ、若し汝の言を聴かば其兄弟を獲べし、もし聴かずば両三人の口に由て証《あかし》をなし凡ての言を定めんが為に一人二人を伴ひ往け云々」と(馬太十八の十五−十七)、是の如きが基督者の精神である、彼は常に兄弟の愛に訴ふべきである、然れども義を立てんが為め法律によるを最善の方法と認むべき場合に限り基督者も亦裁判所に出訴する事があるのである、之れ実に万已むを得ざるの場合である、聞く近頃倫敦にありて専心貧民児童の教育に従事せる高潔なる英人某氏或人の為にいたく其名誉を毀損せられ遂に之を出訴した、判決は勿論彼の勝利に終つた、然し乍ら損害要償の為に彼の請求したる処は僅に一片(二銭)に過ぎなかつた、彼は唯正当なる名誉の回復を以て満足したのである、彼には敵を苦めんとするの心を毫末も存しなかつたのである、彼の如きは真に能く英国の法律を活用したる者といふべきである、而して基督者の訴訟は常にかくあるべきである、パウロ自身すら「我はカイゼルに上告せん」と曰ひて法律に訴へし場合がある(行伝廿四章十一節)、法律其物は決して悪しき者ではない、(33)只之を用いる心の善からん事を要する。然らば多額の取引を有する商人の如き場合に在て其被害を如何にすべき乎、曰く此場合に於ても其精神は動がないのである、而して訴訟問題を斯く見る事は溯りて取引其ものに対する我等の注意を一変せしむるのである、其点に於て訴訟問題は戦争問題と酷似して居る、戦争始まりて非戦論起るに非ず、戦争をして開始せざらしむるやう予め準備する事、之れ真の非戦論である、故に戦争は始まらないのである、此法則は亦之を訴訟問題に応用すべきである、訴訟をして開始せざらしむるやう予め準備するの必要がある、取引を為すに際し訴訟を提起し得ざるの覚悟を以て周到なる注意の下に之を為すの必要がある、然らば訴訟は起らないのである、訴訟問題に関する哥林多前書中の半章は同時に又強き戦争反対の本文《》テキストである。
 
     身の清潔 (十二月二日) 哥林多前書第六章十二節以下
 
 パウロは信者の訴訟問題を説き終りて今や結婚問題に及んだ、結婚問題は人生の大問題である 然れども其の人生の機密に亘る所多きが為め普通教会等に於て之を説く事を避くるを常とする、然し乍ら人誰れか結婚問題に遭遇せざらん 之を高く聖き問題として講究し置くは自身の為め又子女朋友の為め極めて必要である。
 事は結婚問題である、然し乍らパウロは例により人を誘うて其の根本問題に溯らしめずんば止まない、故に彼に就て此問題を了解するは即ち男女関係の凡てを了解するのである。
 コリントの信者が此問題を以てパウロを煩はすに至りし所以は何である乎、曰く不信者社会普通の誤りたる道徳観と自由福音の濫用との合致である、不信者の社会にありては何人も思ふのである、人は本来男女に造らる、故に淫慾も亦飢渇と均しく自然の肉慾である、淫行必ずしも罪悪に非ずと、彼等は仮令外観を慎むと雖も一朝飲(34)酒其他の原因により外側の制裁を離れん乎忽ち其胸中の最も腐敗したる所を吐露するのである、而して時には公然之を宣言して敢て憚らないのである、不信者に取ては「食は腹の為め腹は食の為め」なると同じく「身は又淫の為め」であるのである、之れ時と所との如何を問はず凡て罪の世に普通の観念である、殊に当時のコリントに至ては此点に於て腐敗を極めたるの地であつた、コリントは羅馬と亜細亜との貿易の中心に当り東西両洋往復の船客は必ず一度び此地に下船した、而して彼等は此処に旅中の乱行を恣にしたのである、又彼等をして堕落せしむべき凡ての機関が此地に備へられたのである、斯かる処へパウロの福音は入り来つた、彼の福音は自由の福音であつた、主イエスキリストの贖ひにより一切の罪は亡ぼされたりとは彼の高調したる処であつた、故に今や罪は罪にあらず己が身を穢すも亦可なりとの観念をコリントの信者の間に生ずるに至つた。
 之れ言ふ迄もなく自由の福音の濫用である、故にパウロは先づ其誤解を正して言うたのである、「凡ての物我に可ならざるなし、されど凡て益あるに非ず、凡ての物我によからざるなし、されど我れ凡の物其一をも我主と為さしめず」と、「凡の物我によからざるなし」とは嘗て彼の教へたる言であつた、然りキリストに由て贖はれたる者は何を為すも可なり、彼は其の自由を有するのである、然し乍ら其一と雖も之を彼の主と為さしむるに至て彼の自由は即ち消滅するのである、自由の福音を受けたりと称して罪の奴隷とならん乎、自由は最早や彼の身に於て在るなし、故に汝等罪の為に束縛せらるゝ勿れと 是れパウロの序言であつた。
 次に彼は淫行と其他の肉慾との根本的相違を論じて曰うた、「食は腹の為め腹は食の為なり、されど神は此も彼も滅ぼすべし、身は淫の為に非ず主の為なり、主は又身の為なり、神既に主を甦らせ給ふ、又其能力を以て我等をも甦らすべし」と、此語を解せんが為にはパウロ一流の身体構造観を知る事を要する、パウロの見解に由れ(35)ば肉(sarx)と身(soma)とは全然別物であつた。我等の身体を囲繞せる外包は即ち肉である 之眼を以て見、手を以て触れ得べき部分である、然し乍ら肉の内に更に身なるものがある、肉若し体ならば身は体の精である、肉は時至らば神之を滅ぼすべし、然れども身は永久に存ち得るのである、身は復活せしめらるるのである、キリストを宿し得る者は即ち此身である、主の来りて住み給ふ所、「聖霊の殿」之が身である、而して姦淫は肉の罪に非ずして身の罪であるといふ、「人の凡て行ふ罪は身の外にあり、されど淫を行ふ者は己が身を犯すなり」(十八節)、飲食衣服是れ皆身の外なる肉に関する罪にして深く顧みるに足らず、腹は食の為めなりと称するも亦可なり、然れども「身は淫の為に非ず、主の為なり、主は又身の為なり」、故に淫を犯すは身を犯すのである、身を犯すは主を犯すのである、由て知る淫行の罪の其他の罪と根本的の差違ある事を。
 パウロの人体観の正否に就ては学者素より説があるであらう、然し乍ら彼が淫行の罪の重大性を強調して他の罪と全然範疇を異にする特殊のものと為すに至ては人生の実験上拒むべからざる事実である、諸の他の罪は人の品性に関らず或は之に関はる事鮮少なるに反し、独り姦淫の罪は然らず、是れ人の性格を犯すの罪である、其の存在の奥底を損ずるの罪である、其の生命の根本を危うするの罪である(「淫を行ふ者は己が身を犯すなり」とは之を原文より直訳して「身に喰ひ込むの罪を犯すなり」と言ひて更に能く其語勢を表はす事が出来る)。
 姦淫を犯す者に聖なる問題を味解するの能力が消滅する、他の方面に於ては如何に優秀なりと雖も斯かる者の眼に神の事イエスキリストの事復活の事等深奥なる霊的真理は終に封ぜられたる謎である、否彼等は大美術の真価を直観するの明をすら失ふのである、姦淫を犯す者に道徳的意志力が消滅する、事ありて彼が最後の決断を要する時正義の為に否《ノー》の一言を発する事が何うしても出来ない、万障を排して自己の理想を遂行せむとするの決意(36)を為す事が出来ないのである、斯かる者の事とする処は畢竟|策略《ポリシー》に過ぎない、従て其人生観歴史観も亦極めて浅薄である、歴史の背後に潜める正義の偉力を洞察する能はず、大事件の転機となりたる真個の原因を看取する事が出来ない、又姦淫を犯す者に雄弁が無い、雄弁とは何ぞや、自己の道徳的人格の発揚である、衆人に向て堂々其所思を吐露す、これ道徳的人格なくして能はざる処、而して淫行者に是あるなし、其の雄弁を有し得ざるや実に当然である。
 古来稀世の天才にして唯此罪に関し身を持する事緩漫なりしが為め其力を失ひたるの実例は決して尠くない、其の最も覇者なるは仏蘭西革命の大立物ミラボーである、彼は凡の点に於て世の偉人の一人たりしに拘らず大事の彼が身に迫るや常に自己の無力を発見し失望の裡に倒れて了つたのである、而して其原因は即ち此一点に於て在つた、旧約聖書中の偉人サムソンも亦好適例である、彼れ婦人と近づき居る時は不思議にも常に其怪力の消滅せるを発見したのである、其地類似の小実例に至ては之を随所に見受ける事が出来る。
 是に於てか如何にして此罪を避け得べき乎の問題を生ずる、パウロは之に対して消極積極両様の解答を与へたのである、曰く「汝等淫を逃げよ」と(十八節、「避けよ」よりも寧ろ「逃げよ」である)、之れパウロの教へたる消極的方法である、人或は曰はん「何故に罪と戦はぎる、信者は信仰の善き戦を戦ふべきに非ずや」と、然し乍ら「逃げよ」と曰ひしパウロの一言は実に人生の深き実験を語るのである、他の罪は知らず独り此罪のみは戦つて之に勝つに非ず、逃げて之に勝つのである、其故如何、他なし此の罪のみは之に悦楽を伴ふが故である、殊に此罪の盛なる社会の表裏に瀰漫し人心の深所に浸潤し滔々として無垢の青年を呑み去らずんば止まざるの勢である、危険なる者にして此罪に囲繞せらるる青年の如きはない、故に逃げよ、速に其座を立つて去れよ、山中毒(37)蛇に遭遇したるの心を以て急ぎ去つて安全なる場所に移れ、之れパウロ教である、又旧約聖書中創世記箴言等の繰返し薦むる所の誡である。
 パウロは更に積極的の解答を与へて曰うた、「汝等基督者にありては既にキリストに由て贖はれたる者である、今やキリスト汝等の身に来り住み給ふのである、汝等の身は神の聖殿である、故に神聖である、故に汝等身を以て(「身に於ても霊に於ても」に非ず)神の栄を顕はすべし」と、深い哉パウロの教訓、彼は恐るべき姦淫の罪を論じ而して之に打勝つべき秘訣を教へて肉体神聖論を唱へ我等の肉体を以て神の栄光を顕はすべしと結んだのである、彼れパウロの教ふる所に依れば我等が肉体を以て神の栄光を顕はす事の可能なるのみならず肉体を以てせざる時は此の貴き道徳美《モラルビウテイ》の発揚は終に不可能なりと言ふのである。
 世に青年に対して身の清潔を教ふるの言は多し、然し乍ら何の教か能く其実現を期する事が出来る乎、此間に在りて独りキリストの教のみ確実に青年を悪魔の把握より拉し去る事が出来るのである、何となれば斯教のみ姦淫の罪の真に恐るべき所以を示すと共に肉体を以てする神栄顕彰の途を教ふるが故である、姦淫は実に罪悪中の罪悪である、人の生命の根本を毒しキリストとの交通を破壊する最大罪悪である、然れどもキリストに近づくに由てのみ此勢力を我が身より家庭より社会より駆逐する事が出来る、世の青年よ、此罪の傷痍の如何に深刻なる乎を知れ、而して唯主イエスキリストに来つて安全に其毒手より救はれん事を努めよ。
 パウロは曩に兄弟相愛を説いて信者間の訴訟問題を根本より解決した、其の如く今や男女関係の神聖を説いて結婚問題の源頭を明白にしたのである。
 青年よ、キリストに来りて身を潔めよ、之を除いて他に身を潔うする途はない、道徳も愛国も此事に就ては甚(38)だ徹弱である、我国の政治家に鑑みよ、キリストのみ能く汝等を聖くし給ふ。
 
(39)     一月十二日
                         大正7年1月10日
                         『聖書之研究』210号
                         署名なし
 
 一日は永遠の瞬間である、一人は人類の一滴である、然れども生《うみ》の父と母とに取りては一人の子は全人類だけ貴く、之を失ひし日は永遠に忘るゝことは出来ない、是れ我が子であり又我が日である、明治四十五年一月十二日は我等に取ては斯日である、斯日我等の愛する一人の少女は我等を去りて我等の天地は一変した、斯日聖国の門は我等のために開かれた、斯日我等の心は抉剔《えぐら》れて其傷口より天の安慰剤《バーム》は我等の霊魂に注入《つぎこま》れた、斯日我等の同情は拡大せられて全世界の子を有《もち》し親の心を知ることが出来た、然り更に進んで斯日我等は其独子を与へ給ふほどに世の人を愛し給へりと云ふ天の父の御心を幾分なりと測り知ることが出来た、斯日は辛らき日であつた、同時に又最も恵まれたる日であつた、斯日彼女が地に死して天に生れしと同時に我等も亦彼女の跡を逐ふて稍少しく天の人と成る事が出来た、斯日あつて以来我等の斯世との関係が一層薄くなつた、我等は永遠に一月十二日を忘れない。
 
(40)     新年雑記
                         大正7年1月10日
                         『聖書之研究』210号
                         署名 内村生
 
□茲に又新年を迎へた、『賀正』、『謹賀新年』、『平素の疎遠を謝し貴家の万福を祈る』、斯かる文字を活字を以て印刷したる葉書が幾百通となく余輩の家を見舞ふて呉れた、世には斯かる見舞を受けざる家もあることを知れば余輩は此世に在りても亦幸福なる者であると云はねばなるまい、併し乍ら何故に活字を以て書く乎、何にか他に書くことはない乎、何故に自筆を以て真情有の儘を一言なりとも書遣《かきおく》らぬか、殊に神を信じキリストを愛する者が平々凡々世人の習慣に傚ひて満足する事が出来る乎、甚だしきに至ては余輩の家より程遠らぬ所に住ゐ時には余輩の門前を過ぐる者が『平素の疎遠を謝す』と云ふは是れ偽善の言なりと称すべきではあるまい乎 余輩は年賀状を好む、然れども其の意味ある者たらん事を欲す、『詩と歌と霊《みたま》に感じて作れる賦とを以て互に相教へ相勧め、恩恵《めぐみ》に感じて、心の中に神を讃美して』新年を迎ふべきでない乎(コロサイ書三章十六節)、異邦人の如くに毎年同一の言を繰返すべきではないではない乎。
□勿論余輩に送られし年賀状の皆んなが皆んな通常一般のものではなかつた、奉書に自筆美事に『奉賀新正』と書かれ、其下に幼者を最初に、長者を最後に自署せられし或る謙遜なる華族の人の年賀状には尠からず余輩の心を動かされた、其他山形県のS・K君の
(41)   みめぐみの春野をわたる旅なれば
     一里塚こそげにも嬉しき
又は茨城県のS・J君の
   残りなくすぎにし年の罪をすて
     望みの光仰ぐけふかな
又は岩手県のM・T君の
   真清水の夏につめたく冬ぬるき
     さまもてこの世われ渡りなん
等は何れも諸氏の真情の底が窺はれて甚だ嬉しくあつた、又在布哇愛読者某が送られし左の一句は余輩をして腹を抱へて笑はしめた。
   入智慧《ニイチエ》は人を惑捏《ワグネル》ぐらゐにて
     みなとけんじは慊らぬやつ
□余輩の新年の楽は蓄音器を通うじて世界の大音楽を聴くことである、カルベー女史は『マルセーユ』の曲を聴かして余輩の血を湧かしめジュリヤ・カルプ女史のメンデルゾン作『エリヤ』中の一節『オー主に在りて休めよ』の演出は余輩をしてホレブ山上に預言者と共に『静かなる細き声』を聴くの感あらしむ、又波蘭土声楽家マルセヲ・ゼムブリッヒ女史が余輩のために愛蘭土人の哀歌たる『夏の最後の薔薇花《ばら》』を歌ひ呉れる時は恨み綿々として、尽きざる感がして、此歌ある限りは愛蘭土人の英国に対する怨恨《うらみ》は尽きず英国人又枕を高うして眠る能はざ(42)る其精神が能く聴取れる、音楽の威力又恐るべきである、余輩蓄音器より流れ出る此声を聞いて同情の涙の袖に滴るゝを禁じ得ない、其他偉人リンコルンが常に其秘書記官をして歌はしめしと云ふ『懐《なつかし》くも浮ぶ思』の一曲、詩人テニソンの辞世『砂洲を過《すぎ》る』に楽譜を附せし者、殊にハンデル作『メシヤ』を歌ひし者十余曲は余輩を慰め力附けて尽きる所がない。□然し乍ら最も貴きものは歌に非ず楽に非ず愛より出たる活働である、之れなくして神の愛を識ることは出来ない、而して余輩の場合に於ては活働と云へば書くことか語ることである、依て新年早々余輩相応の活働の幕を開かばやと思ひ、我国基督教界に於ける大活働家の二人中田重治木村清松の両君に謀り三人協同して一九一八年第一安息日を期して東京神田青年会館に於て『聖書の預言的研究演説会』なる者を開いたのである、来り会する者千二百余人と註せらる 問題はキリスト再臨を中心的真理として見たる聖書の研究である(余は未だ曾て余自身に取り斯かる満足なる演説を為したる事はない、風邪に患《なや》む躯《むくろ》を演壇に運んで一時間以上語り続けて少しも疲労を感じなかつた、而已ならず、風邪は抜け去りて尚百|度《たび》千度語りたく欲ふた。
 
(43)     THREE GREAT MOMENTS.信仰の三大時機
                         大正7年2月10日
                         『聖書之研究』211号
                         署名 K.U.
 
     THREE GREAT MOMENTS.
 
 A great moment in my life was when I found myself,or rather,was found by God,−to be a sinner. For years,my supreme effort was to make myself pure and holy before Him. Another great moment was when I found my righteousness,not in me, but in Him who was crucified for my sins. For years,I tried to realize in myself and others the gospel of Jesus Christ and Him crucified.A third,and perhaps the last great moment in my life was when I was shown that my salvation is not yet,and that when Christ shall appear again, then,and not till then,shall I be like Him.Conviction of sins, salvation by faith, and hope of His comlng,−these were three steps by which my soul was lifted to the joy and freedom of the heavenly vision.
 
     信仰の三大時機
 
 余の生涯に信仰の三大時機があつた、其第一は自己を発見せし時であつた、寧ろ神に発見せられし時であつた、(44)自己が罪人たることを発見せられし時であつた、其の後当分の間余の最上の努力は自己をして神の前に清且つ聖なる者たらしめん為に向けられた。其第二は余が余の義を発見せし時であつた、而かも余自身に於てにあらず余の罪の為に十字架に釘けられ給ひし彼に於て之を発見せし時であつた、余は其の後当分の間イエスキリストと彼の十字架の福音を自他に於て実現せんと努めた。其第三にして多分最後の時機は余が余の救拯は未だ完成せられたるに非ず、キリスト再び顕はれ給はん時に、其時に至て始めて、余は彼に肖たる者と成る事を示されし時であつた。罪の自覚、信仰に由て救はるゝ事、キリスト再臨の希望……以上は余の霊魂が天国瞻望の歓喜と自由とに達するまでの三大階段であつた。
 
(45)     〔信仰と希望 他〕
                         大正7年2月10日
                         『聖書之研究』211号
                         署名なし
 
    信仰と希望
 
 キリストを信じて彼と共に重き十字架を担はざるを得ない、十字架の伴はざる基督教は偽の基督教である、而して患難《なやみ》多き真の基督教を信じて其|報賞《むくい》は今世に於ては確固《かた》き希望である、来世に於ては窮なき生命である、而して希望は羞を来らせずとありて神が信仰の報賞として賜ふ希望は最も確実なる賜物である、実に今世に在りては希望は生命である、希望ありて生くるの甲斐あり、希望ありて働く動機あり、希望ありて思想の統一あり、希望ありて光明ありである、人世何物か希望なき生涯に勝りて憐むべき者あらんや、希望は生命の無限的延長又増大である、我れ死するに非ず生きてヱホバの事跡《みわざ》を言表さん(詩篇百十八の十七)、此希望を懐かしめられんが為には患難は厭ふべきに非ず、藤原道長、伊藤博文の栄達を以てするも、此希望を懐かずして墓に下らん乎、人は生れざるに若かずである、神を信ずるの報賞は今世にありては十字架に伴ふ確実の希望である、而して来世に在りては窮りなき生命である。
 
(46)    希望と愛
 
 患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生じ、希望は愛を生ず(ロマ書五章三−五)、我れ我が救拯を確証せられて人を愛せざらんと欲するも能はず、我は永生を約束せられて太だ富める者となりて自から他に施さんと欲するの心を生ず、衣食足りて礼節を知ると云ふ、永生を約束せられて満足を知り、其結果として愛を行ふ、愛は生命の充溢である、百歳に充たざる生命のほかに生命と称すべき生命を有せずして人誰か能く他を愛し得んや、我れ無窮の生命を確証せられて我は大胆になり、寛大になり、仁慈たるを得るのである、愛は之を義務として説いて起らず、生命を約束せられて生ず、キリスト死を廃《ほろぼ》し福音を以て生命と壊《くち》ざる事とを著明《あきらか》にして彼を信ずる者の心の中に大なる愛を起し給ふたのである(テモテ前一章十節)、所謂「倫理的福音」と称して永生を著明にせずして愛を勧むる者は人に不可能を説く者である、我等に希望を供《あた》へよ、然らば我等は勧められずして愛すべし、実に希望は愛の母である。
 
(47)     余がキリストの再臨に就て信ぜざる事共
                         大正7年2月10日
                         『聖書之研究』211号
                         署名 内村鑑三
 
〇余は今はキリストの再臨を信ずる、然し乍ら再臨を信ずる人々が之と共に信ずる凡《すべて》の事を信じない、例へば余はキリストが何年何月何日と時日を定めて再臨し給ふとは信じない、其事に就てはキリストの明訓がある、彼は言ひ給ふた「其日其時を知る者は唯我父のみ、天の使者も誰も知る者なし」と(馬太伝廿四章三六)、今日まで為されしキリスト再臨の時日の計算は悉く誤算であつた、最近に於て多くの再臨信者は昨年九月十七日に其事行はるべしと信じ彼等の内其準備を為した者もあつた、然れども其日も亦其事なくして過ぎた、有名なる聖書学者ベンゲルさへも此事に就ては大なる誤算を為した、彼は彼の該博なる聖書知識に基き一八三七年を以てキリストの再臨あるべしと推定した、而して其事なかりしが為に一時は彼の聖書知識の全部までが信用を失した、神は再臨の時日を秘し給ふ、而して神の秘し給ふものを人が探らんと欲してはならない、我等は神の定め給ひし時に必ず再臨があると信ずる、其事が今年あらうが明年あらうが、十年後にあらうが、百年後にあらうが、或ひは更らに遠く千万年の後にあらうが我等の関する所でない、余はキリストが我れ必ず汝に臨るべしと約束し給ひし其貴き御約束を以て満足する、彼が「我は速に臨らん」と言ひ給ひしは或ひは不意に臨らんとの意である乎も知れない、縦し又千年二千年の後であるとするも千年を一日の如くに見做し給ふ神の眼より見て之を「速に」と称し(48)ても少しも差支はないのである、余自身は時の休徴より察して再臨は頗る迫りつゝ と思ふ、然し是れ余の観察に過ぎない、其日其時は唯天父のみ之を知り給ふ、天の使者等も何人も知る者はない、而して知らざるが福である、知らざるが故に勤《いそし》みて待望むのである、神が御自身を愛する者に約束し給ひし人の眼未だ見ず人の耳未だ聞かざる大恩恵大栄光の出現を待ち望む事、之に優さるの快楽はない、待つは子たる者の取るべき態度であつて彼に取り大なる特権、大なる幸福である、余が今特に祈求めて止まざるものは忍んで待ち望むの心である、是れさへあれば余は墓に下りて千年万年余の救主の再臨と之に伴ふ余の身体の復活を待つことが出来る。
〇余は又多くの再臨信者が為すが如くに黙示録第二十章六節に「彼等(信者)は神とキリストの祭司となりキリストと共に千年の間王たるべし」とある記者の言葉を文字其儘に解することは出来ない、黙示録は表号的《シムボリカル》文書である、其中にありては三は天の数であつて天の事を示し、四は地の数であつて地の事を示す、其他此書に在りては数字は或る原理を示すのであつて、数を示すのではない、此事は註解者の大抵一致する所であると信ずる、故に此所に千年とあるが故に百年を十倍する千年であると解するは頗る危険なる解釈法であると思ふ、又信者がキリストと共に或る年限の間王たるべしと云ふは再び此地に現はれて其政権を握ることである乎頗る疑問である、熱心なる再臨信者にして此事を信ぜざる者は尠くない、再臨其事が超現世的事実である、其結果として現世其儘の統治が行はれやうとは思へない、少くとも余は此事に就ては無知を告白する、此事に関する余の立場は米国ケンタツキー洲ルイスビル市の学者フランク・M・トマス氏の著 THE COMING PRESENCE(再臨論)に現はれたるものと同じである。
〇余は又成る再臨信者が為すが如くに所謂「神癒」を信じない、勿論再臨を信ずる必然の結果として思想は統一(49)せられ、信仰は高めらるゝに由り、祈祷は自から熱心を加ふるに至るが故に、肉体の健康も亦自から増進するに至るは余の疑はざる所である、然ればとて医術は悪魔の発見なりと唱へ、医療は不信の罪なりと称するは余の同意する能はざる所である、余はキリストの再臨を以て天然に反する事なりと信ずることは出来ない、是れ又天然の要求する所、パウロの言辞を以て言ふならば「受造物《つくられたるもの》みづから敗壊《やぶれ》の奴《しもべ》たることを脱《のが》れ、神の諸子《こたち》の栄《さかえ》なる自由に入らんことを許されんとの望を有《たも》たされたり」とある其事である(ロマ書八章二十一)、故に天然の法則に従つて疾病《やまい》を癒さんと努むる近世医術は其原理に於て決して神の聖意に戻る者でない、勿論之に多くの弊害の伴ふのは余と雖も十分に認むる所である。
〇キリストの再臨とはキリスト御自身の再臨である、是は聖霊の臨在と称する事とは全然別の事である、又之と同時に死せる信者の復活があり、生ける信者の携挙があり(テサロニケ前書四章一七節)、天国の事実的建設が行はる、即ち再臨がありて天国が現はるゝのであつて、人類の自然的進化、又は社会の改良、又は政治家の運動に由て神の国は地上に現はるゝのではない、余は今は此等の事を疑はずして信ずるを得て神に感謝する、即ち余は今は所謂 Pre-millennlalists(先づ再臨ありて然る後に神の国の出現ありと信ずる者)のl人で.あつて Post-millennialists(再臨は神の国の完成の後にありと信ずる者)の一人ではない。
 
(50)     平和の告知
         路加伝第二章十四節の研究  (去年十二月廿三日聖書講堂に於て)
                   大正7年2月10日
                   『聖書之研究』211号
                   署名 内村鑑三口述 藤井武筆記
 
 本年の聖誕節《クリスマス》に就き顕著なる一事がある、ベツレヘムの邑の上に絶えて見ざりし十字架の旗の翻る事是れである、こはキリスト生誕以来嘗て唯一度ありしのみの事であつた、彼の生誕当時パレスチナの地は既に羅馬帝国の配下にあり、後つゞいて回教徒の手に移り爾来久しく聖地は異教信者の蹂躙に委せられた、千〇九十一年十字軍の結果一度び基督教徒の手中に恢復せられて前後百年余り維持せられたるも再び土耳古人の奪ふ所となりて遂に今日に及んだのである、然るに今年今月十一日聖地は久しぶりに基督教政府の下に帰属しヱルサレム又はベツレヘムに於て其軍隊の保護の下に聖誕節が守らるゝに至つた、是れ実に著るしき事実である、パレスチナの地が再ぴ神の選民に復帰せん事は聖書の明白に預言する所である、而して其事の実現はキリストの再臨と密接なる関係を有するのである、之れ所謂時の休徴である、神は堅く其約束を守り世の変遷に拘はらず之を実行し給ふ、神は既に四千年の間猶太人をして此世に存続せしめ給うた、而して今や亦其地を回復せしめんとし給ふのである、世界に撒布せる千二百万のイスラエル民族が再び父祖の国に帰るの日も決して遠くはないであらう、かくて神のアブラハムに約束し給ひし所は悉く実現するのである、而して後に主イエスキリストは再び臨み給ふのである。
(51) イエスの生誕は之を地上の出来事として見て極めて微小なるものであつた。布にて包まれし一嬰児の槽《うまぶね》の中に臥させられたに過ぎない、然し乍ら之を天上より見て嘗て宇宙にありし最大の出来事であつた、此時実に万民の救主が生れたのである、是故に天使は牧羊者に臨んで大なる喜びの音信《おとづれ》を伝へ衆多《あまた》の天軍は現はれて天使と共に神を讃美して曰うた、
  天上《いとたかきところ》には栄光神にあれ、地には平安、人には恩沢あれ、
と、寔に救主の生誕に適当なる讃美の歌である、天には栄光、地には平安、人には恩沢、何の詩か之よりも美はしきものがあらう。
 然り語は極めて美はしくある、然し乍ら事実は如何、事実は果して此詩の如くあるであらう乎、天上の事は暫く措き地には果して平安がある乎、否此美はしき讃美歌の歌はれしより以来未だ嘗て其語の実現を見た事がないのである、イエスの生誕と共にヘロデの迫害は始まり二歳以下の嬰児は悉く殺されて家々より悲痛なる叫びの声が挙つた、イエスはヨセフとマリアに伴はれ飄然埃及の地に逃れた、爾来人の子は枕するに処なく而して其最後は十字架であつた、之に尋ぎしものは使徒等の受けし迫害であつた、実にイエス自ら「我が来りしは地に平和を出さんが為に非ず、刃を出さんが為なり」と宣べ給うたのである、而して彼の宣言の通りにイエスの在る処必ず分裂は之に伴うたのである、人の胸中に於て然り、家庭に於て然り、国家に於て然り、而して紀元の第千九百十七年なる今年の聖誕節ほど地に平安の欠如せる時はないのである、今や全欧全米全亜細亜が戦争状態に於てある、殊に其基督教国がさうである、我等に対して幾多の宣教師を派遣せる米国の如きに至る迄国を挙げて戦争熱に心酔して居るのである、近頃米国の友人より余の手許に届きし書翰の如きは官憲に由て開封せられ検閲済(52)の捺印を施してあつた、かの自由と平和とを愛する米国にして個人の信書に小刀《ナイフ》を入れざるべからざるに至るとは実に驚くべき事である、之れ正に北米合衆国建国以来未曾有の珍事である、又先般米国の或る教会に於て配布したる一|小冊子《パムフレツト》を見るに曰く「此戦争は神《ゴツヅ》の戦争《ウオアー》である、昔は神自ら奇跡を以て悪を懲膺《こら》したるも今や之を為し給はず、禅は嘗て紅海にパロの軍勢を沈め給ひし如く今や北海にカイゼルの軍隊を葬り給はない、今や正義の武器は信仰に非ずして大砲である」と、然り今の世に貴ばるゝものは大口径の巨砲である、ダイナマイトである、潜航艇である、平和とは敬虔《パイアス》なる空想《ドリーム》に過ぎない、戦争なくして何の進歩ぞ、何の幸福ぞ、ニーチエは曰うた「或人曰へり平和を好む者は福なり、其人は神の子と称へらるべければなりと、然れども我曰はん戦争を好む者は福なり、其人はオーヂン(軍神)の子と称へらるべければなり」と、ベルンハーデーも亦曰うた「此世に於て最大の善事を為したるものは愛に非ずして戦争なり」と、此時に当り地の平和を謳ふ者は誰ぞ、そは空想としては好し、娯楽としては可なり、然れども実際社会に対しては平和の声は何等の権威をも値しないのである。
 人には恩沢あれ(又は人の中には好意あれ)といふ乎、之れ亦真実に非ず、今日凡ての人の上に神の恩沢ありと考ふる能はず、人相互の間の好意の欠乏は勿論である、却て其反対が事実である、見よ英米人の独逸人を悪み独逸人の英米人を呪ふ其心の激烈さを、彼等は基督教は愛なりと教へながら自ら悪魔の心を抱く者である、詩人ダンテ其神曲地獄篇中悪魔を描いて深刻を極む、即ち悪魔は絶えず六個の顎《あご》を動かしてイスカリオテのユダ、カシアス、ブルータス等叛逆者を噛み又常に六葉の翼を翻して冷風を煽り之を世界に送りつゝある、而して此風の吹き到るや人々皆互に相悪むのであると、詩人の歌ふが如く憎悪の念は実に悪魔の吹き込む所の精神である、而して今や全世界が此精神を以て充されて居るのである。
(53) されば「地には平和人の中には好意あれ」とひて全く事実に適合しない、否世界の過去及び殊に其原状は却て之が反対を証明するのである、「地には戦争人の中には悪意あれ」である、而して実に天軍の此の讃美歌を以上の如く訳するは正訳ではないのである、是を原語にて読みて明白なる他の訳を附する事が出来る、曰く
  天上《いとたかきところ》には栄光神にあれ、
  地には平和恵まれたる人の中にあれ
と、即ち知る天軍の歌ひし題目は天地人の三に非ずして天地の二なる事を、又平和は万人に在るに非ずして恵まれたる人にのみ在る事を。
 然らば所謂「恵まれたる人」とは誰である乎、茲に「恩沢あれ」と訳されたる原語は或は馬可伝一章十一節に「汝は我が愛子我が悦ぶ所の者なり」と訳せられ、或は馬太伝三章十七節に「此は我心に適ふ我が愛子なり」と訳せられたると同語であつて神の聖旨に通ふの意である、神の満足し給ふの意である、故に天軍の讃歌は之を言ひ換へて「天には栄光神にあれ、地には平和神の悦び給ふ人の中にあれ」と謳ふ事が出来る、而して神の悦び給ふ者は其独子イエスキリストである、又凡てキリストに於て在る者、キリストの性を受けたる者である。
 而して斯く読みて此歌は全然事実に符号するのである、平和は地にあるなし、然れどもキリストの霊を宿す者の衷に於て在る、之れ何よりも確実なる事実である、世界は悉く戦乱の中に苦むと雖も独りキリストに由て結ばれたる兄弟の間には藹《あい》々たる真個の平和が存するのである、趣味の友又は利害の友の間の平和は破れるであらう、然れども神の悦び給ふ所の信仰の友の間に平和は永遠に動かないのである、人種の如何を問はず年齢の如何を問はず職業の如何を問はない、今や欧洲の天地に国は国と戦ふと雖も両軍の兵士中陣中相|見《まみ》えて堅く手を握り(54)「吾が兄弟よ」と言ひて共に聖誕節を祝し得る幾多の基督者があるのである、キリストを迎へずして如何に努力するも永久の平和を獲得するの途あるなし、之に反して唯彼をだに迎へん乎、真の平和は従て臨み来るのである。
 然り平和は恵まれたる人の中にある、平和は基督者の心霊に於て在る、然しながら唯其れのみに止まる乎、天軍の讃歌の意味する所は独り現在の事実に止まる乎、否、平和は現に基督者の心中に於て在り、而して又後には全世界に於て在るのである、「視よ汝の王汝に来る、彼は正義《たゞ》しくして救拯を賜はり柔和にして驢馬に乗る、……我れエフライムより軍車を絶ちヱルサレムより軍馬を絶たん、戦争の弓も絶たるべし、彼れ国々の民に平和を諭さん、其政治は海より海に及び河より地の極《はて》に及ぶべし」(撒加利亜書九章九、十節)、キリスト再び来り給ふ時平和は水の大洋を蔽ふが如くに全地を蔽ふに至るのである、今は少数信者の心霊的事実たるに過ぎざる平和が其時全世界の歴史的事実として実現するに至るのである、而して基督者の最後の希望は一に繋《かゝ》つて此点に存するのである、キリストに関する神の預言は既に悉く充されたるに非ず、否其最も重大なるものが尚ほ充されずして存つて居るのである、基督者は今尚ほ充されざる大希望の中に在るのである、而も此希望は漸く充されつゝあるのである、ヱルサレムの回復、猶太人の帰国等は皆其前徴である、かくて終に平和の主自ら平和を此地に齎らし給ふのである、平和は人間の努力に由て来るに非ず、主イエスキリスト之を齎らし給ふ、我等は唯信じて之を待つべきである。
 是故に人よ、徒らに此世の風声に心動かさるゝ事勿れ、露独講和委員の会商何かあらん、元帥ヒンデンブルグの戦略何かあらん、首相ロイドジョージの演説何かあらん、大統領ウイルソンの教書何かあらん、平和は彼等の努力に由ては決して来らないのである、真の平和は主イエスキリストの掌中に在るのである、政治家は悉ままに(55)樽俎接衝を力めよ、新聞紙は好むが儘に時局の観察を報ぜよ、然れども我等基督者は之に関しないのである、我等は千九百年の昔ベツレヘムの空に現はれし天軍の歌に神の聖旨を探るのである、而して眼を挙げて来るべき栄光の主を待ち望むのである、彼来り給ふ時新天新地は建設せられて真の平和は海より海に及び河より地の極にまで及ぶのである。
 平和、平和、世界の平和、是れ夢ではない、事実である、而かも軍隊と外交とに由て来る者ではない、神の子の再顕に由て来る者である、我等は忍んで其時を俟つ者である、マランアーサ、主よ臨り給へ!
 
(56)     聖書研究者の立場より見たる基督の再来
        (一月六日東京神田青年会館に於て)
                  大正7年2月10日
                  『聖書之研究』211号
                  署名 内村鑑三 口述 藤井武筆記
 
 余が基督信者となりて以来年を閲する事茲に四十、此間余の従事したる仕事は種々なりしと雖も終始一貫して余を離れざりしものが唯一つある、聖書の研究之れである、聖書を完全に了解せむ事、殊に人をして註解書に拠るの要なく自ら聖書を手に取りて之を完全に了解せしめむ事、是れが余の冀望《アムビシヨン》であつた。
 然し乍ら宗教は素と余の副業であつた、余の本業は何ぞ、天然学であつた、余の知識の基礎は自然科学を以て築かれたのである、故に聖書以外に余の精読したる書は極めて多くあつた、就中有名なるダーヰンの『種の起源《オリジン、オフ、スピーシス》』は余の再読三読したるものであつた、万物は徐々として無限に進化すとの観念は余の脳底に深く刻み込まれた、ダーヰンの師ライエルも亦同じ事を教へて呉れた、天地は六日の間に神の手より創造せられたるに非ず、今日吾人の周囲に起りつゝあると同じ進化の作用を継続する事幾億万年にして漸く宇宙は形成せられたのであると、是の如きが余の天然観の根底であつた。
 後米国に渡りてより余は万国史の研究に耽つた、想起す一八八五年の秋余の隻手《かたて》にギボンの羅馬史五巻を抱き着のみ着の儘アマスト大学総長シーリー先生の許に馳せ付けたる事を、余は幸にも先生の親切に由て大学の講義(57)に列する事が出来た、其第一回はモース博士の歴史の講演であつた。而して博士曰く「歴史は人類進歩の記録なり」と、此言を聞いて余は思うた、是ある哉、人類の発達も亦天然の発達と異ならずと、即ち余の歴史観と天然観とが茲に全く一致したのである。
 斯の如くにして進化論を基礎とする余の知識は一層堅きものとなつた、其間にありて余は又一方に於て孜々として聖書を研究した、アマスト大学は当時最も優秀なる宗教学校にして余の之を選びたる理由も全く其処にあつたのである、然るに学生等は信仰に熱心ならず、余に取ては何よりの糧なりし毎朝の祈祷会に於て彼等は奇怪にも私かに学科の予習を為し甚だしきに至ては金銭貸借の勘定を為す者さへあつた、然し乍ら余は独り聖書の研究に没頭した、一日に二時間を聖書の為に費す余の生活は同窓諸生の珍とする所であつた、而して恩師シーリー先生は余の最良の指導者であつた、先生は或時余に教へて曰うた、
  徒らに自己の内心のみを見る事を廃めよ、貴君の義は貴君の中にあるに非ず、十字架上のキリストに在るのである
と、此一言は余の信仰に大革新を起さしめた、而して熱烈なる愛国者としてアマストに入りたる余は単純なる福音的信者《エ※[ワに濁点]ンゼリカルクリスチヤン》として其地を出でた、シーリー先生の此一言なかりせば多分今日の余はなかつたであらう。
 爾来余は聖書の研究を以て余の天職と做し帰国後今日に至る迄余の全力を傾注して此事に当りつゝあるのである、余が最後の一円を抛つ迄廃する能はざる最も完全なる仕事は之を措いて他に無いのである、之が為には余は多くの註解書をも読んだ、余は又自己の天然学歴史学の蘊蓄を尽くして聖書解釈の為めに用ゐた、然し乍ら此の熱心なる努力を以てして尚ほ解すべからざる何者かゞ聖書中にある事を余は発見したのである、多くの註解者の(58)説明する能はず余の素養亦之を解明する能はざる何者かゞ聖書の中にありて余を苦むる事多年であつた、或時は余は思うた、余は終に聖書を解せずして死するに非ずやと。
 更に又余に迫り来りし一の大問題があつた、方今の世界問題即ち是れである、誰かいふ世界の問題の如きは我の深く関する所に非ずと、イエスキリストを信ずる者に取ては世界の苦痛はイエスの苦痛であつて又我が苦痛である、幾億の同胞が戦争の渦中に苦みつゝある世界の現状は真正の基督信者の心を昼となく夜となく悩ましむる大問題である、知らず平和は如何にして来るのである乎。
 之を進化論的天然学又は歴史学の立場よりすれば平和は必然到来すべきである、人類の進歩に由て戦争は早晩絶滅すべきである、而して既に其徴候少からずと称せらる、嘗て露国の経済学者プロツホ、世界戦争不可能論を公にして武器又は経済等の方面より之を主張した、尋いで露国皇帝の主唱により万国平和会議は引続き和蘭|海牙※[ヘーグ]に於て開かれた、米国のカーネギー氏率先して此挙を援助せんが為め三百万弗を出資し壮大美麗なる平和宮を建設した、其各室の装飾は各国美術の粋を以てし我日本政府も亦高貴なる西陣織物を提供して之に充てたのである、かくて平和宮は将に完成を告げんとする一九一四年七月升一日、俄然世界未曾有の大戦争は勃発したのである、之れ抑も何を意味する乎、平和条約の締結により多くの戦争は之を避け得べしとは平和論者の主張ではなかつた乎、而して既に三十有余の戦争が此方法に由て予防せられしといふ、嘗て瑞典那威の間戦端を開かんとしたる時両国の社会主義者等挙て戦争に加はらずと決議したるが為め皇帝オスカーの心を動かして終に戦ふに及ばざりしは人の祝したる所である、然らば今回の戦争も亦何故同様に之を避くる事が出来なかつた乎、各国の社会主義者等は何故愛国者と変じて了つた乎、斯くて有史以来最も無意味なる最も悪辣なる且最も悲惨なる、殆ど人類(59)社会の根底を毀たんとするが如き此大戦争の始まりしは何故である乎、敢て問ふ読者諸君の心中之が為めに大なる懐疑は曾て起らざりし乎、少くとも余には其れが起つた、一九一四年七月卅一日以後の数日間は余の信仰に関する大なる試錬の時であつた。
 嘗て英の哲学者ハーバート・スペンサー進化論を以て世に立ちし時偶々南阿戦争起りて英国民みな熱狂した、彼れ其状を見て歎じて曰く「斯の如きは英国人の野蛮的退化《リバーバリゼーシヨン》である」と、然り、而して今回の戦争に亦同様の命名を為さんと欲すれば野蛮的退化、邪教的退化《リベーガニゼーシ∃ン》等幾多の文字を以てする事が出来る、唯此間に在りて余が一縷の望を繋ぎしものは米国の態度であつた、然るに事実は果して如何、往年の平和国今や平和の為めに力むる事を為さずして却て野蛮化の魁を為しつゝあるのである、余は慨歎の余り余の主宰する小雑誌『聖書之研究』を以て米国に対し、余の痛惜の情を述べて置いた、然るに在米の一友人之を英訳して彼国の多くの新聞に寄稿したる処悉く握り潰されて一も紙上に掲載せられず、中に『紐育基督教ヘラルド』のみは親切にも謝絶状に添へて其原稿を余の許に転送し来たのである、而して今や米国の新聞紙に平和論の掲載せられざるは実に当然である、何となれば米国は今正に発狂状態に於てあるのである、其唯一例を示さん乎、大統領ウイルソン氏先般全合衆国の諸教会に布令して曰く「何月何日を期して一斉に米軍勝利の為の祈祷を為すべし」と、其事既に基督信者の拝する神の何たる乎を弁へざる大なる誤謬である、然し乍ら事は此処に止まらなかつた、其所定の当日或る南部に於ける人民教会《ピープルスチヤーチ》の一牧師は何故か命ぜられたる祈祷を為さなかつた、茲に於て教会員等の憤怒其極に達し彼等は忽ち教壇上に躍り上りて牧師を捕へ之を自働車に載せて市外の平原中に驀進し一の枯木に彼の四肢を縛して拍手喝宋罵詈を浴せて立ち去つたとの事である、噫是れ果してかのワシントン、リンコルンの建設したる自由の米(60)国である乎、諸君は此事を聞いて人類の為め又自己の為め之を憤慨せざる乎、之れ実に狂乱の沙汰ではない乎、米国の堕落茲に至りて人類の望みは最早断絶したりと言はざるを得ないではない乎、開戦当初ハーバード大学前総長エリヲツト博士書を某新聞に寄せて曰く「今次の戦争に由て基督教会の無能は曝露せられたり」と、而して教会が其努力に由て平和を来さむとは余の到底信ずる能はざる処である、今や平和の出現を期待すべき所は地上何処にも見当らないのである。
 斯くの如くにして余の学問の傾向と時勢の成行とは余をして絶望の深淵に陥らしめた、余は茲に行き詰つたのである、一咋年夏独り暑を日光に避けて余の心中此問題のあるあり、人知れず之が解決に苦んだ、其時偶々米国の友人より『日曜学校時報《サンデースクールタイムス》』一部を送つて来た、此雑誌は往年余の購読したる所なりしも其の常にキリスト再臨を主唱するにより厭うて之を廃したのである、然るに此時久し振りに遠路風雨に曝されて余の許に届きたる号を披見すれば其劈頭に曰く「キリストの再臨は果して実際的問題ならざる乎」と、余は新なる感興を以て之に対した、而して試に読下すれば行一行余の心に訴へ再読三読余をして然り然りと点頭首肯せしめた、斯くてこそ世界問題も余が内心の問題も悉く説明し得るのである、愚かなりし哉久しき間此身を献げ自己の小さき力を以て世の改善を計らんとせし事、こは余の事業《ビジネス》ではなかつたのである、キリスト来りて此事を完成し給ふのである、平和は彼の再来に由て始めて実現するのである。
 而してこのキリストの再来こそ新約聖書の到る所に高唱する最大真理である、馬太伝より黙示録に至る迄試に此真理を教ふる辞句に附印せん乎、毎葉其の数行を見ざるはない、聖書の中心的真理は即ち之れである、是を知つて聖書は極めて首尾貫徹《コンシステント》せる書となり、其興味は激増し其解釈は最も容易となるのである、是を知つて聖書研(61)究の生命は無限に延びるのである。
 現時《いま》の学者は多く此事を信じない、然し乍ら最も有力なる学者にして其冷静なる学者的立場より堂々として此真理を立証したるものが少くない、今其二三の例を挙ぐればボストン浸礼教会の牧師たりしA・G・ゴルドン著『視よ彼は来る《エクシ ヴエニート》』の如きは既に普く人の知る処である、而も此書は決して通俗的著述ではない、其中に深き知識と博き学問とがある、又|経外聖書《アポクリフア》研究の専門大家たるR・H・チヤールス著『新旧約間の思想並に信仰の発達』中に曰ふ「聖書は素と顕現的書物《アポカリプチツクリテラチユア》である」と、所謂 appcalyptic とは隠れたる者の不意に現出するの意味であつて再臨を表はすに最も適当の語である、次に剣橋《ケムブリツジ》大学教授F・C・ブルキツトは其著『福音の歴史及び其相伝』を以て有名である、彼の聖書研究は明晰鋭利を以て知らる、此人にして此言あり、曰
  神御自身が此世に現出し給ふといふ顕秘録記者等の新時代の理想は、是れ基督教のたゞの装飾に非ずして、其熱心を喚起せし中心的原動力たりとの事を我等(学者)は徐々と看取しつゝあり
と、キリスト再臨の如きは基督教の装飾物に過ぎず、貴ぶべきは再臨其事に非ずして其中に含める霊的真理であるとは近代の神学博士等の好んで主張する所である、而して余は是等錚々たる諸学者の前に斯学の権威ブルキツト氏の此言を提供して彼等の再考を促さゞるを得ない。
 而して此事たる決して学者の立証に竢つ迄もないのである、聖書自身が其証明者である、諸君試に聖書を繙いて左の諸節を熟読せよ、キリストの再臨を信ぜずして其の美はしき語は悉く無意味に帰するのである、之に反して再臨の光に由て照されん乎、言々句々皆躍動し聖書中また矛盾を存せざるに至るであらう。
 (約百記十九章廿四−廿七節、詩篇第一篇、馬太伝中山上垂訓及び其廿五章、羅馬書八章十八−廿五節、哥林多(62)前書七章同十五章等)。
 
(63)     身体の救
        (一月十三日)
                   大正7年2月10日
                   『聖書之研究』211号
                   署名 内村鑑三口述 藤井武筆記
〔入力者注、今まで○△◎等の圏点は無視してきましたが、やはりある方がいいと考え直し、遅まきながらここからその注記を付けることにします。〕
 
  我等も亦自から心の中に歎きて(神の)子と成らんこと、即ち身体の救はれんことを俟つ(羅馬書八章廿三節)。
  我等の国は天に実在す、我等は救主の其処より来るを待つ、即ちイエスキリストなり、彼は万物を己に従はせ得る力に由て我等が卑しき体を化《か》へて其の栄光の体に象らしむべし(腓立比書三章廿、廿一節)。
 美はしき語である、而して多くの信者は好んで之を誦《そらん》ずるのである、然し乍ら彼等は果して此語の意味を解して居る乎、之を信じて而して愛誦するのである乎、抑も其の美はしきは何故である乎、|蓋し驚くべき真理が其中に含まれて居るからである〔付○圏点〕、神の恩恵に与るに非ざれば解すべからざる極めて深遠なる真理が其中に含まれて居るのである、|之を其字義通りに解して〔付○圏点〕以て自己の信仰の基礎と為すは信者に取て最も重要なる事である。
 凡そパウロの文体の常として一も贅言駄句あるを見ない、此語に於ても亦さうである、彼は先づ曰うた「我等の国(又は市民権)は天に実在す」と、自己の国籍を重んじ我が市民権は之を日本に於て或は英国に於て保有す、我が安全幸福は凡て此国家に繋るのであるとは今日文明国人の常に唱ふる所である、昔時のピリピ市に於ても亦同様であつた、殊に此市は羅馬の植民地にして異邦人中羅馬の市民権を有する者を移植して屯田制度を布きたる(64)ものなるが故に彼等は常に豪語して曰うたのである、「我は此地の土着人に非ず、我が市民権は海の彼岸羅馬の地に在り」と、是れ実に彼等が衷心の誇りであつた、而してパウロは幾度びか斯かる言をピリピ人の口より聞いたであらう、否パウロ彼自身も亦羅馬の市民権を有する一人であつた、然るにも拘はらず彼は彼等と相対して言うたのである、「汝等の市民権は海の彼岸にあり、然れども我等基督信者の市民権は彼方天に於て実在す」と、即ち之を当時の語と対照して最も能く其の強さを知る事が出来る。
 而して初代信者の信仰は実に之であつた、彼等は自己の一切の利害関係の繋る処を天に於て有つたのである、「我等の国は彼処《かしこ》に在り」と彼等は天を指して明白に断言したのである、此信仰に全く弊害を伴はなかつたではない、然し乍ら此信仰あるに由て彼等の人生観は最も非俗的非現世的となつた、|彼等をして此世と断絶せしめ富も権力も寸毫彼等の心に訴へざるに至らしめしものは此信仰であつた、彼等をして奴隷たると主人たるとの別なく貧富男女の差別なく凡て主にありて相愛する兄弟姉妹たらしめしものは此信仰であつた〔付○圏点〕。
 然るに現代人の信仰は如何、現代の基督信者必ずしも天の事を思はざるに非ず、然れども彼等は畢竟半天半地的である、恰も商人が甲乙両銀行に其財を托するが如く此方にして破産せん乎尚ほ彼方のあるあり以て其の心を安んずるの類である、斯の如くにして不徹底ならざらんと欲するも能はない、|寔に不徹底は現代信者の一大特徴である〔付△圏点〕、彼等の来世観は甚だ曖昧である、彼等の現世に期待する所は甚だ多くある、彼等は国人に愛国者として迎へられんとする、社会事業を挙げて世人の讃辞に与からんとする、彼等は此世と共に進化せんとする、故に希望を此世に繋ぎ、此世の市民たるを以て大なる特権なりと信ずる、熱くもなく冷たくもなく不徹底極まる者にして現代の基督信者の如きはない、此時に当りパウロ其他初代信者と共に自己のインテレスト(利害)を悉く彼処(65)に移し憚らずして「我等の国は天に在り」と断言し得る者は果して何人である乎。
 然し乍ら斯く言へばとて我等に取て植民地の如き此世と天の市民たる我等との間に全然何等の関係も無いと言ふのではない、此世の主権者は植民地を治めんが為に自ら首都を去つて其地に到る事無しと雖も我等の救主は我等の本国より此地に来り臨むのである、救主とは誰ぞ、イエスキリストである、我等は今や彼の来るを待ち望む、此世に於ける我等の生涯は無意味のものに非ず、是れ実に|大なる待望の生涯〔付○圏点〕である、然り我等の生涯は待望の生涯である、パウロ始め新約聖書記者等は皆斯く教ふるのである、我等の救拯は決して既に完成したのではない、人或は救拯又は救済と言ひて単に悪行者を真人間と化せしむるが如き事実を意味する、而して曰ふ我は救はれたりと、或は更に他人をも救はんと欲すと、然し乍らパウロに在りては救拯とはかゝる小問題の謂ではなかつた、救拯とは何ぞ、曰く霊魂と共にする|身体の救〔付○圏点〕である、
  たゞ此等のものゝみならず聖霊の初めて結べる実《み》を有てる我等も自ら心の中に歎きて子と成らん事即ち|我等の身体の救はれん事を俟つ〔付○圏点〕(羅馬書八章廿三節)。
 唯に霊を救はるゝのみならず進んで身体をも救はるゝ事である、即ち霊に降りし豊かなる恩恵が更に身体に及びて之を朽ちざる聖きものと化せしめ、自由なる霊が真理を行ふに何の故障なき機関と成らしむる事之れである、霊の最も深き欲求を十分に発展せしめ且之を為すに由て窮なき歓喜を感ぜしむる所の自由にして完全なる身体たらしむる事之れである、換言すれば此「卑しき体を化へてキリストの栄光の体に象らしむる」事之れである、是に至りて我等は始めて神に肖たる者となり(約翰書三章二節) 真の意味に於ての神の子と成るのである、是れ即ち救拯である、而して万物を創造し且之を支配するの力を有するイエスキリストが天より来りて此事を実現し給(66)ふのである、其時迄我等の救拯は完成しない、我等は今は霊の質《かた》即ち見本を受けたるのみ、時到らば神は此質に従ひて凡ての約束を充たし給ふ、我等は今正に其時を待ち望むのであると、パウロの救拯観は実に斯の如きものであつた。近代人はかゝる説を聞いて必ずや笑うて言ふであらう、是れ紳士淑女の知識階級に通用せざる論である、身体の救に何ぞキリストを要せむ、医者を以て足ると、然し乍ら使徒パウロは爾う信じなかつた、其他の新約聖書記者等も亦爾う信じなかつた、而して凡て真正なる基督信者はキリストに由る身体の救ひ以下を以て満足しないのである、何となれば彼等は其の霊の欲求を達成せんが為に身体の不完全を痛感するからである、不十分なる健康は善を行ふに尠からざる障碍たるを病者は知る、破損したる楽器は音楽家をして大なる苦痛を感ぜしむ、我等の不完全なる身体も亦到底霊の望に応ずるに足らないのである、信者は過去を顧みて自己の進歩を認むと雖も之を継続する事尚ほ五十年百年にして果して如何なる境地迄到達し得る乎、此身体にして一変せざる限りは畢竟五十歩百歩のみ、|現在に比して全く性質を異にする完全なる身体を賦与せらるゝ時始めて真の発展あり真の自由があるのである〔付○圏点〕、我等は皆かゝる超人《ユーベルメンシ》たらん事を希ふのである。
 而して聖書は教へて曰ふ救主イエスキリスト来りて此事を実現せむと、斯くてこそ宗教は力ある宗教となるのである、イエスキリストは唯に我等の心を潔め給ひしのみならず、時到らば再び来りて此の卑しき身体をも其栄光の体に象らしめ給ふと知つて我等は最早や卑しき行為に安んずる事が出来ないのである、基督信者の善行は此希望より来るのであ冬、人或は日はんパウロ斯く唱へてより既に千九百年なるもキリストは未だ来らざるに非ずや、其時の到来は果して何時である乎と、|然し乍ら信じて待つは子たる者の特権である〔付◎圏点〕、好き土産を携へて帰り来らんとの父の一言を信じて児は只管に待ち望む、茲に言ふべからざる福《さいはい》がある、信ずる者が天父の約束の実現(67)を待つが為には千年二千年或は一万年と雖も永からず、|待望其事が大なる喜びである〔付○圏点〕、やがて思はざるの時盗人の如くに彼は帰り来らむる、故に卑しき行為《おこない》を棄てゝ大なる希望の中に善行を力む、是れが真正なる基督信者《クリスチヤン》の生活《ライフ》である。
 初代の信者互に相睦む事篤かりしは何故である乎、之れ決して「汝等相愛すべし」との誡言《いましめ》に由るのみではなかつた、|之れ其の希望を共にしたる事に由るのである〔付○圏点〕、故国を去る事遠き異境に在りて偶々同国人と相見えん乎、其懐かしさ言ひ難きものがある、蓋し其国を共にするの一事が彼等をして互に近づかしむるのである、信者は此地に在りて互に其国を共にし又其望を共にす、国は何処ぞ、彼処天に於てある、望は何ぞ、救主キリスト再び其処より来りて此卑しき身体に代へ御自身の復活体に似たる栄光の体を被《き》せ給ふのである、|信者皆均しく此国籍を有し此希望を有して相愛せざらんと欲するも能はない〔付○圏点〕、|信者の相愛も亦再臨の希望の産物である〔付◎圏点〕、愛せよと言ひて愛する能はず、望むべき大なる賜を与へられて愛は自ら湧き来る、之を評して実利主義と言はゞ言ふべし、然れども斯く言ふ者自身が決して此法則より漏るゝ事が出来ないのである。
 信者は既に救はれたる状態に在ると思ふは大なる誤謬である、既に救はれたるに非ず、更に大なる救を待ち望みつゝあるのである、霊の救拯に加ふるに身体の救拯ありて始めて完全に救はるゝのである、我等は大なる待望の中に在る、故に又潔き待望的生涯を送るべきである。
 霊の救ひは既に此世に於て始まつた、而して来世に於て身体の救ひが行はるゝのである、人格は霊と体とより成る、霊と体と両ながら救はれて救ひは完成せらる\のである。
 
(68)     パウロの独身観
        (去年十二月十六日前号所載「婚姻問題」の続として述ぶ)                   大正7年2月10日
                   『聖書之研究』211号
                   署名 内村鑑三口述 藤井武筆記
 
 人類の家庭的生命は素とユダヤ人を以て始まつたのである、世界何れの国に於ても家庭を中心とするの歴史を見ない、或は国家を中心とし或は主権者を中心とするの歴史は甚だ多しと雖も其の家庭を中心とするものに至ては独り之をユダヤに於て見るのみである、アブラハム、イサク、ヤコブの歴史は全く家庭の歴史であつた、父子の関係の如きアブラハムとイサクとの間に於て之を其の最も美はしき形態に於て見る事が出来る、アブラハム将にイサクを燔祭として献げんとする時「イサク父アブラハムに語りて|父よ〔付○圏点〕と曰ふ、彼答へて|子よ〔付○圏点〕我茲にありといひければ云々」(創世記廿二章七節)、父よと呼べば子よと応ふ、其簡単にして深刻なる父子の情愛は実にユダヤ独特のものである、夫婦の関係亦然り、「ヤコブ七年の間ラケルの為に勤めたりしが彼女を愛するが為に之を数日の如くに見做せり」といふが如き其消息を伝へて遺憾なしである(創世記廿九章廿節)、若し之を新約聖書中に探らんと欲せば乃ち彼得前書三章一−七節を見るべし、ヘブライ人の家庭生活は茲に歴然と描かれて居るのである、妻は夫に従ひ夫は妻を愛し父子の間上下の別儼然たりと雖も亦能く融和親睦し凡ての関係に於て神聖なりしは之れユダヤ特有の家庭生活の状態であつた。
(69) さればパウロが独身生活を主張するに至りしは決して家庭的生命の蔑視より来りしに非ざる事は確実である、自身ユダヤ人として生れユダヤの家庭に於て成長したる彼れパウロ如何にして家庭の神聖を認めざるを得やう乎、此点に於て彼の思想は仏教又は中古時代の天主教僧侶の間に於て行はれたる如き誤まりたる家庭観と全然其範疇を異にするのである、男女同棲を以て罪悪と見るが如きはパウロの毛頭与せざりし所であつた、故に若しかゝる誤解を生じたる場合には彼自身幾度びか家庭の神聖を唱へたのである(提摩太前書四章三節参照)。
 然らば何がパウロをして独身生活を主張せしめたのである乎、其理由は全く他にあつた、|キリストの再臨近しとの信仰が即ち其れであつたのである〔付○圏点〕、キリスト直に再臨し給うて此世の状態は悉く一大変化を実現するのである、其日には娶る者も娶らざる者の如く成るのである、故に結婚問題の如きは深き注意を要せずと、是れパウロの考であつた、即ち明白なる事実はパウロの独身論が彼の確乎たるキリスト再臨の信仰より来りし事である、此処に立脚せずして彼の結婚論の凡てを解する事が出来ない、否彼の全思想を解する事が出来ないのである、パウロの人生観の中心点は実に茲にあつたのである、従てパウロに取て結婚は近世人に於けるが如き重大問題ではなかつたのである、同時に又独り結婚のみならず其他の事に関するキリストの絶対的命令も之を普通の社会に応用せんと欲すれば殆ど不可能と認めらるゝもパウロの信仰の立場に於て見れば極めて容易の事であつたのである、キリスト再臨の信仰がパウロをして我等の解し難き多くの言を発せしめたのである。
 
(70)     再臨号
                         大正7年2月10日
                         『聖書之研究』211号
                         署名 内村
 
 此号は終にキリスト再臨号と成つて了つた、人は此事に就て種々と批評を下すであらう、然し構はない、余はキリストを信じて満四十年後の今日此事を信じ得るに至りし事を神に感謝する、之に由て聖書は解し易き骨の折れざる書と成つた、其事丈けが既に大なる恩恵である、余が再臨を信じ得ると否とは別問題として、之を聖書の中心的真理として認むるに由て、聖書が首尾一貫する書と成ることは疑ふに余地なき事実である、余は聖書研究者の一人として長年月の間有名なるドクトル・マイヤーの註解書を用ゐ来つた、彼は聖書解釈《エキゼジーシス》の王《キング》と称せらるる人であつて、マイヤーを読まずして聖書の解釈を語る可らずと言はるゝ程の人である、然し乍ら彼の新約聖書の解釈は大冊二十巻より成り、文体は簡潔にして重苦しく、之を読むことは余に取り(何人に取りても然りと信ず)尠からざる苦痛であつた、然るに何ぞ計らん、聖書の中心的真理を発見してより、彼れドクトル・マイヤーの註解書も亦解し易き味ふべき書と成つた、而して驚く勿れ、此老聖書学者、感情はすべての形態《かたち》に於て之を忌嫌ひ、論理と歴史と言語学とに由りて聖書の意味を抽《ぬ》き出さんとせし此学者も亦彼の聖書学者の立場より見てキリストの再臨を使徒等の信仰の中心として認めざるを得なかつたのである、此点に於てマイヤーはゴーデー以上である、前者に後者の信仰の熱情なしと雖も之に代へて学究的確信がある、ドクトル・マイヤーは約翰伝第十四章(71)三節に於て確にキリストの再臨を認める、羅馬書第八章十六節−廿五節に於て亦然りである、余は彼の註解書を蔵する三十余年にして今日始めて之を|楽読〔付○圏点〕することが出来た、此事たる余に取り多大の恩恵である、余はキリストの再臨と称するが如き感情を高め易き問題に就て之を感情家より学ばんと欲しない、マイヤー又はデリッチの如き冷静にして学究の範囲を脱せざる人より学ばんと欲する、而して頼るべきは世界|第一流の学者〔付○圏点〕である、彼等は大抵の場合に於て余輩を真理に導いて誤らないのである。
〇キリスト再臨の信仰は余の無教会主義を徹底せしむ、此世に勢力を得し教会は総てキリストの再臨を排斥す、羅馬天主教会を始めとして、英国聖公会、メソヂスト教会、バプチスト教会、組合教会、長老日基教会、悉く此信仰を蔑視する、而して其理由は明白である、再臨の信仰は現世的教会の根柢を絶断るからである、信仰の起るや再臨の信仰が熾であつた、信仰の衰ふるや此信仰も亦衰ふ、ウエスレー自身は再臨の高唱者であつた、然るに今のメソヂスト教会は此信仰を嘲けり笑ふのである、|キリストの再臨を信じて我等は根本的に教会と異なるに至る〔付△圏点〕、而して此事たる余自身に取り大なる幸福である、余は今日まで教会と信仰を共にして(大体に於て)行動を異にした、是れ余に取り大なる苦痛であつた、乍然今日よりは|信仰行動〔付〇圏点〕両ながらを異にするを得て余の立場は明白になつたのである、教会に嫌はれ悪まれ斥けられて余の救拯は完成せらるゝのである、ハレルヤ。
 
(72)     批評の標準
                         大正7年2月10日
                         『聖書之研究』211号
                         署名 内村
 
 或人が或る宣教師学校の文科の教授に明治大正の著作にして後世に伝はる者は何であらう乎と問ふたら教授は答へて曰うた「独歩又は夏目氏の作であらう」と、内村の作は如何と問ふたら彼は曰うた「さあ彼は狭い所でやつて居るので世間に広く行渡らずに終るであらう」と、余は此問答を或人より聞いて甚だ喜んだ、聖書には明かに書いてある「狭き門より入れよ、沈淪《ほろび》に至る路は広く其門は大なり、是より入る者多し、生命に至る路は狭く其門は小さし、其路を得る者少なり」と、キリストの弟子の立場より見て狭い事、多くの人に読れざる事は善き事であつて感謝すべき事である、然れども宣教師、殊に米国宣教師の伝へし基督教は之とは正反対の事を教ゆる、|彼等に取りては多数の賛成は真理唯一の証明である〔付○圏点〕、彼等は多数の声是れ神の声なりと信ずる、余は斯く言ひて余の著作に永久的の価値があると自から信ずるのではない、余は教授の批評は正鵠《せいこう》に当りたる者であると思ふ、乍然注意すべきは彼の|批評の標準〔付△圏点〕である、是れ全然米国式である、宣教師式である、某々の書は何十万冊売れたり、故に大著述なり云々とは宣教師並に宣教師的信者の口より軽々と流れ出づる言である、而して余輩宣教師ならで、直に聖書より、又は宣教師の嫌ふ又宣教師を嫌ひしトマス・カーライルより基督教を学びし者は彼等と全然批評の標準を異にせざるを得ない、此点に於ては余輩はニイチエに同情して宣教師に反対する、ニイチエの、其剛勇なる、其非俗的なる点に於て余は宣教師よりも遥かにニイチエの(73)著作は彼の在世中極く少数の読者に由てのみ読まれた、其或者の如きは僅かに七十部を印刷して其半数以上は読まれなかったとの事である、而かもニイチエの著作は後世に存つた、而して当分存るであらう、ニイチエと 師、其剛勇なる、其非俗的なる点に於て余は宣教師よりも遥かにニイチエを愛する、余と主義方針を異にする者にして宣教師の如きはない、殊に近来米国より遣《おく》りこさるゝ宣教師に至ては、余は彼等と何等の一致点をも発見する能はざるを悲む、現世は顧るに及ばず、唯来らんとする神の国と其義とをのみ追ひ求むべきである。
 
(74)     A NARROW CHRISTIANITY.狭き基督教
                         大正7年3月10曰
                         『聖書之研究』212号
                         署名なし
 
     A NARROW CHRISTIANITY.
 
 The Christianity of modern Europe and America is narrow and cramped,because it is concerned entirely with this worid, and takes little or no account of the Great Beyond.It tries to build its philosophy(“theology”they call it)upon the things and experiences of earth,excluding heaven as mystical and uncertain. Not so the Christianity of the New Testament.Its chief concern is with heaven, not with earth;with the future, not with the present. It says clearly and definitely that the things that are seen are temporal, but the things that are not seen are eternal. The Christianity of Christ and His apostles is entirely different in tone and genius from that of modern Europe and America;and we of Asia, the home of the true origlnal Christianity, will resolutely look away from its narrow modified form, and seek the original which is broad and roomy as the azure sky above our heads.
 
(75)     狭き基督教
 
 近代の欧洲並に米国に於て行はるゝ基督教は狭くして狭々困敷《せゝこましく》ある、其理由は其関はる所全然此世に限られて大なる未来に注意を払ふこと甚だ尠いからである、彼等は地の事物を基礎として其神学を築かんと欲し、天の事は神秘的なり信頼するに足らずと称して措て之を問はない、然れども新約聖書の基督教は全然之と異る、其の主《おも》に関はる所は天であつて地ではない、来世であつて現世ではない、新約聖書は明白に確然として云ふ「夫れ見ゆる所の者は暫時的にして見えざる所の者は永久的なり」と、キリストと其使徒等の基督教は近代欧米人のそれと全然其調子と精神を異にする、而して我等真個の元始的基督教の本源地たる亜細亜に起りし信者等は意を決して此の狭き変態的基督教より面《かほ》を反けて我等の頭上に高く拡がる碧き空の如くに広々としたる元始の基督教を探るであらう。
 
(76)     〔完全なる救 他〕
                         大正7年3月10日
                         『聖書之研究』212号
                         署名なし
 
    完全なる救
 
 物がある、心がある、唯物ばかりではない、唯心ばかりではない、宇宙は物と心とである、理想としては一元論であるが実際としては二元論である、体がある、霊《たましい》がある 人は体と霊とである、体のみを救はれて人は救はれない、霊のみを救はれて彼は救はれない、|体と霊と二つながら救はれて彼は完全に救はるゝのである〔付○圏点〕、信者は聖霊に由て此世に在りて其霊を救はれ、再来のキリストに由て、来世に於て其体を救はる、斯くして霊と体と二つながら救はれて彼は完全に救はるゝのである、パウロは此真理を伝へて言ふた「聖霊の初めて結べる実を有る我等も亦自ら心の中に歎きて(神の)子と成らんこと、即ち我等の身体の救はれん事を俟つ」と(ロマ書八章二十三)、身体の復活は霊魂の救を完成うするために必要である、人は霊と体とであれば、新らしき霊に合《かな》ふ新らしき体を与へられて始めて完全なる人即ち神の子と成ることが出来るのである、キリストの再来と信者の復活とありて救は完成《まつとう》せらるゝのである。
 
(77)    再来の意義
 
 「再来」と云ふ文字は人を誤り易くある、原語に之を parousia《パルーシア》と云ふ、臨在の意である、英語の ptrsence《プレゼンス》である、来らん(未来)ではない、来りつゝあり(現在)である、イエスは今来りつゝあるのである、而して最後に明白に人《ペルソン》として来り給ふのである、来ると云ひ顕はると云ふ、隠れたる者の顕はるゝの意である、進化と云ふと多く異ならない、英語に進化を evolution《エボルーシヨン》と云ふは捲込まれたる者の開展するの意である、キリストは復活し昇天して人の目より隠れ給ひてより再び其栄光化されたる身体を以て世に臨み給ひつゝあるのである、而して時充つれば其自顕は極度に達して彼が天に昇り給ひし其状態を以て再び地に顕はれ給ふのである(使徒行伝一章十一)、故に再来はキリストの自顕であると同時に又地の進化である、地が彼を迎ふるに足る者と為されて彼は之に臨み給ふのである、万物の完成は神の造化の目的であつて又我等人類の理想である、而して再来は此目的の成就、此理想の実現に外ならないのである。
 
    望の理由
 
 汝等の衷《うち》にある望の縁由《ゆゑよし》を問ふ人には柔和と畏懼《おそれ》を以て答を為さん事を恒に備へよ(彼得前書三章十五節)
〇「望」とは特別の望である、イエスキリストの甦り給ひし事に由りて信者の心の衷に起りし「活ける望」である(一章三節)、即ち「我らの為に天に蔵《をさ》めある朽ず汚《けが》れず衰へざる嗣業」を賜はるとの望である(四節)、「末《おはり》の時に顕はれんとする救を得る」の望である(五節)、「汝等イエスキリストの顕はれ給はん時に称讃《ほまれ》と尊貴《たふとき》と栄光《さかえ》を得(78)るに至らん」とある其の望である、即ち|キリスト再臨〔付○圏点〕の望である、万物の復興、身体の救の望である、新約聖書が直接間接に四百八十余回も繰返して宜《のぶ》ると云ふ基督信者独特の望である。
〇「縁由」とは希臘語の logos 英語の reason であつて今日の邦語を以て言へば「理由」である、事の実験的又は知識的説明である、迷信又は教権的信仰に対して用ゐる詞である、故に「望の縁由」と云へば望の由て起りし理由、之を心に懐く理由、其実験的説明、科学的又は哲学的弁証等を云ふのである、即ち基督信者は彼等独特の望を抱くに適当の理由なくして之を懐くに非ざることを示すのである、我等の主イエスキリストの顕はれ給ふ事は巧《たくみ》なる奇談《あやしきはなし》ではないのである(後書一章十六)、之には深き理由があるのである、第一に聖書之を明示し、第二に我霊之に応答し、第三に天然之に賛同し、第四に歴史之を説明するのである、神の真理である以上は局部的真理に非ずして全般的真理であるべき筈である。
〇「望の理由を問ふ人には答を為すの準備をせよ」と云ふ、誠に適当なる勧告である、然れども其事たる容易の事でない、学問の幼穉なりし使徒時代に於て容易でなかつた、況んや今日に於てをやである、余輩は勿論信仰は智識に由るとは言はない、信仰は意の事であつて智の事ではない、故に知識的に証明せられて起る者ではない、「人の衷には霊魂のあるあり、全能者の霊気之に解悟《さとり》を与ふ」とありて信仰は人の霊が神の霊に触れて起る者である(約百記卅二章八節)、然れども神に由りて起る者なるが故に合理的ならざるを得ない、「夫れ神は淆乱《みだれ》の神に非ず調和の神なり」とある(哥林多前十四章三十三) 彼が信者に賜ふ活ける望に宇宙人生と全然調和する所がある筈である。
〇信者に大なる希望がある、其希望は信者に限る希望に非ずして宇宙の希望である、又人類の希望である、信者(79)の希望は宇宙人類の希望に他ならないのである、故に信者は其の衷にある希望を問ふ人には柔和と畏懼(敬虔《つゝしみ》)とを以て答ふることが出来るのである、而して斯く為すは彼の信仰を維持するが為にのみ必要であるのではない、他《ひと》に信仰を勧め希望を供ふる為に必要である、信者は学究を怠つてはならない、彼が神の子である以上、宇宙万物、彼に関係のない者は一もない筈である、彼は聖書に依るは勿論すべての思想、すべての学術に達して彼の衷にある望を保ち、益々之をして鮮明ならしむべきである、希望の宣伝は勿論必要でである、然れども其れと同時に、又其れに先だちて希望の理由の研究は更らに必要である、我らの希望をして理由ある希望たらしめよ、科学を以てし、哲学を以てし、歴史を以てして弁明し得る希望たらしめよ、希望は熱し易し、熱して狂し易し、故に冷静なる研究を要す、而して敬虔《つゝしみ》ある聖書の研究者はすべて知るのである、信者の心に懐く希望の最も厳密なる研究に堪ふる希望なることを、信者は誠にキリストの顕はれ給ふことを信じて巧に仕組まれたる奇怪なる説を信じたのではない、「夫れ受造物《つくられしもの》の切なる望は神の諸子《こたち》の顕はれん事を俟《また》る也」とありて是れ万物の叫びの声なることを知るのである(ロマ書八章十九節)、又「噫我れ困苦《なやめ》る人なる哉、此死の体より我を救はん者は何ぞや、是れ我らの主イエスキリストなるが故に神に感謝す」とありて是れ又すべて困苦る良心の声なることを知るのである(同七章廿四節)、天然学と心理学、文学と歴史、其究極は終に茲に到らざるを得ないのである、キリスト再来は聖書の中心的真理である、故に又宇宙の中心的真理である、我ら其の深き研究を怠りて可ならんや。(二月二十日柏木今井館に於けるキリストの再臨を信ずる信者三十余名の会合の席上に於て述べた所)
 
(80)    世人と神人
 
   ヱホバよ聖手《みて》をもて我を人より援出《たすけいだ》し給へ
   己《おの》が享《う》くべき者を此世にて享け
   汝の財貨《たから》にて其腹を充たさるゝ
   此世の人より我を援出し給へ
   彼等は多くの子に飽きたり
   その富を嬰児《をさなご》に遺《のこ》す。
 
   然れど我は義にありて聖顔を見ん
   目覚《めさむ》る時|容光《みかたち》をもて飽足ることを得ん。
               (詩篇第十七篇十四、十五節)
〇茲に世の人と神の人と、不信者と信者とが明白に判別さる、世の人は此世に於て享くべき物は悉く之を享け、財貨も位階《くらゐ》も欠くる所なく、肉に属ける善物《よきもの》を以て其腹を充たし、己れ一代に栄華に誇るのみならず多くの子孫を設けてその有余る富を左右を弁《わきま》ひ得ざる嬰児にまで遺す彼は実に世の幸運児である、君に寵せられ、人に崇められ、富貴に飽足りて墓に下る、彼は実に人に羨まるゝ人世の成功者である、「汝の財貨にて其腹を充たさる」とありて実に神御自身の愛子であるかの如くに見ゆる。
(81)○然れども神の人は全然之と異る、彼は此世に在りて其享くべき物を享けない、彼は貧しくある、賤しくある、彼に子宝尠く、又之に譲るべき遺産あるなし、若しヱホバが彼に賜ひし此世の財貨を以て称はん乎、彼は神に棄てられたる者、預言者の所謂見るべき美はしき容《すがた》なし慕ふべき艶色《みばえ》なしである、世人の立場より見て神の人は無きに等しき者である。〇然れども神の人に世の人に無き者がある、彼に位階なくして王者に近づくの資格なしと雖も義に在りて神の聖顔を拝するの特権がある、彼の衣は金襴を打ちたる礼服ではない、神の賜ひたる義の衣である、彼は之に身を纏ふて王の王なる神の台前に立ち其聖顔を拝するの特権を有するのである、而して事は此に止まらない、彼は目覚むる時に神の容光をもて飽足ることを得ると云ふ、目覚むるとは言ふまでもなく墓の中に寝《ねぶ》りて後に復活するを云ふ、彼は死後に復活して飽足るまでに神の聖姿を拝しまつるのである 実《まこと》に栄誉の極、幸福の至である、此特権と栄光とありて彼は他に何物をも要めないのである、彼は今暫らく様々の艱難《なやみ》に遇ふて憂へざるを得ずと雖も却つて喜びを為すのである(ペテロ前一章六節)、彼の宝は神、彼の衣は義、彼の特権は神の聖顔を拝するのそれ、一たび墓に下り、其中に寝ること暫時にして復たび覚めて寝覚《ねざ》め澄《すゞ》しく容光に飽足るの光栄は彼の有である、彼と此と、世の人と、神の人と、信ぜざる者と信ずる者と、其間に天壌の差がある、今世にありて栄ゆる者、来世に在りて輝く者、地上の成功者と天上の光栄者、あゝ読者よ汝は二者孰を択まんとする乎。
〇旧約聖書は復活を説かずと云ふは誤りである 茲に「目覚むる時」とあるは明かに其れである 「容光」とあるは「其|容貌《すがた》変り其面日の如く輝き其衣は白く光れり」とある新約の語を以て解釈すべき者である(マタイ伝十七章二) 復活体を以て再び顕はれ給ふ栄光の主を拝するの意である。
 
(82)     見神の恩恵
                         大正7年3月10日
                         『聖書之研究』212号
                         署名 内村鑑三
 
  愛する者よ我ら今神の子たり
  後如何、未だ露はれず
  彼れ露はれ給はん時には必ず我らの彼に肖んことを知る、
  そは我ら彼の真の状《さま》を見るべければ也。
                 (ヨハネ第一書三章二節)
○愛する者よ 我が信仰の兄弟姉妹よ、同一の父に由りて生れ、同一の生命を共受する者よ、患難を共にし、希望《のぞみ》を共にし、国を共にして、今は賓旅《たびびと》又は寄宿者《やどれるもの》として暫時此世に滞留する者よ。
〇我ら今神の子たり 我ら今既に神の子たり、既に子たるの霊を受けて子たるの性を賦与せられたる者である、我らは既に神の子たるの確証を握る者である、聖霊みづから我らの霊と偕に我らが神の子たる事を証する(ロマ書八章十六節)、其事に就て寸分疑ふ所はない。
〇後如何未だ露はれず、我ら今既に神の子たり 然れども後如何未だ露はれず、我ら今既に神の子たりと雖も此の状態にて永く存続する者にあらず、我らは今既に衷に神の子である、後に至りて亦外に神の子らしき者となるの(83)である、我ら今既に霊に於て神の子である、後に至りて亦体に於て神の栄光を被せらるゝ者となるのである、其事は未だ露はれない、我らの子たることは今や霊に隠れて肉に露はれない、然れども衷なる者が外に露はるゝ時は必ず到来するのである。
〇彼れ露はれ給はん時には 彼れ、我らの救主イエスキリスト、彼は今猶隠れて居たまふ、我らは今彼を見ずして愛して居るのである、然れども彼は十字架の上に死んだのではない、彼は甦りて天に昇りて父の右に坐し給ふのである、而して彼は何時までも|見えざる主〔付○圏点〕として在り給ふのではない、彼が露はれ給ふ時が到るのである、弟子らが彼の天に昇るを|見たる〔付○圏点〕其如く彼は又来り給ふのである(行伝一章十一)、|見えざる主が見ゆる主となる時が到るのである〔付○圏点〕、再来と称して彼が再び婦《おんな》の胎に宿りて世に臨み給ふといふ事ではない、一たび隠れ給ひし彼が再び露はれ給ふ事を云ふのである、如何なる方法に由る乎我らは示されない、然れども彼の必ず露はれ給ふ事は聖書の明白に示す所である。
。我らの必ず彼に肖んことを知る 一たび人の眼より隠れ給ひし主が再たび露はれ給ふ時がある、其時我ら彼を待望む者は彼に肖たる者となるのである、第一に彼の摂り給ひしが如き栄光の体(復活体)を被《き》せらる、第二に鏡に照らして見るが如くに朦朧《おぼろ》に彼を見るに非ずして面を対《あは》して相見るを得るが故に我らの心も亦彼が潔くあるが如くに潔くなるを得るのである、我が霊に於て彼に肖ることを得、亦我が体に於て彼に肖ることを得るのである、今や心に於て彼を念じ霊に於て彼と交はるに止まると雖も彼れ露はれ給はん其時には友が友と面を対して語るが如く相共に語るを得るのである、あゝ如何なる時ぞ、我らの救の完成うせらるゝ時は其時である、我らが昇天せる主イエスに肖る時に我らは完全の意味に於て神の子と成ることが能るのである、聖書は人の救と称して曖昧の(84)事を教ふるのではない、明確《はつきり》としたる事を教ふるのである |昇天せるキリストに肖る事〔付○圏点〕、其事が聖書の教ふる救である、而してヨハネは其事を此所に教へパウロも亦之に和して同じ事を教ふるのである、即ち「夫れ汝らは死し者にて其|生命《いのち》はキリストと偕に神の中に蔵《かく》れ在るなり、我らの生命なるキリストの露はれん時我らも彼と偕に栄光の中に露はるゝ也」と(コロサイ書三章三、四節)。
〇そは我ら彼の真の状を見るべければ也 信者はキリストに肖る者と成る、其訳は彼は或時彼を神の子たる真の状に於て見ることが能るからである、|見ることは肖るために必要である〔付黒ゴマ点〕、信ずる丈けでは足りない、百聞は一見に如かずである、主を見奉るを得て始めて彼の弟子たるの実を現はし得るに至るのである、我ら今は主より離れて居り、聖書に於て彼に就て読み、信仰の師より彼に就て聞く、然れども常に靴を隔てゝ痒を掻くの感なくんばあらずである、我ら彼を見奉らんと欲するや切なり、我らの信仰如何に強くあるとも信は信にして見《けん》ではないのである、信は信者が地上に寄宿《やど》れる間の見の代用に過ぎない、信は暗夜に於ける灯火の如き者である、其用甚だ大なりと雖も日光の輝々《きゝ》たるには遥に及ばないのである、而して義の大陽の昇る時に信は見に化するのである、シユラムの女《むすめ》は其恋人に会ふて彼の跡を逐ふの用なきに至るのである(雅歌)、主を其真の状に於て見奉る事、其事は信者の歓喜の極《きはみ》である、我らはピリボに傚ふて言ふのである「我らをして主を見ることを得しめ給へ、然らば足れり」と(ヨハネ伝十四章八)、而して真の意味に於ての|見神〔付○圏点〕の恩恵が我らに降るとのことである、此事を知りて我らはパウロと共に言ふのである「そは或は死、或は生、或は高き、或は深き、我らを我主イエスキリストに頼れる神の愛より絶《はなち》する事能はざる也」と(ロマ書八章三十八) 神に此約束あり信者に此希望ありて人世は涙の谷に非ず、又死は幽暗《くらき》に入るの門に非ずである。
 
(85)     七福の解
                         大正7年3月10日
                         『聖書之研究』212号
                         署名 内村鑑三
 
  別稿「馬太伝に現はれたる基督の再来」の増補として読まれたし。
 
 馬太伝五章山上之垂訓発端の言辞《ことば》は左の如くに配列して見て其意味が一層明瞭になるのである、
  心の貧き者は福なり、       天国は即ち其人の有なれば也。
  哀む者は福なり、         其人は安慰《なぐさめ》を得べければ也。
  柔和なる者は福なり、       其人は地を嗣ぐ事を得べければ也。
  饑渇く如く義を慕ふ者は福なり、  其人は飽く事を得べければ也。
  矜恤《あはれみ》ある者は福なり、 其人は矜恤を得べければ也。
  心の清き者は福なり、       其人は神を見る事を得べければ也。
  平和を求むる者は福なり、     其人は神の子と称《となへ》らるべければ也。
  義のために責めらるゝ者は福なり、 天国は即ち其人の有なれば也。
 以上に「福なり」と云ふ言辞が八次《やたび》繰返されてある、而して第十一節に続いて「我が為に人汝等を罵り……其(86)時は|汝等〔付○圏点〕福なり」とあるが故に全部を総称して|九福〔付○圏点〕と云ふを常とする、然し乍ら最後の「福なり」は「汝等は」とありて特に弟子等を指して云ふものなるが故に之は前の「者」又は「人」と云ひて一般の人を指して云ふものより区別して読むのが本当であると思ふ、而して又残る八福の中に第一と第八とは「天国は即ち其人の有なれば也」と云ひて同一の祝福を宣ぶるが故に第八は第一の高調的重複と見るべき者であると思はれる、依て見る|九福〔付○圏点〕は実は|七福〔付◎圏点〕であることを、七は希伯来人に取り天の数であつて完全の数である、七福は神が人に降し給ふ完全の祝福である、|世人に其欲する肉の七福あるが如くに、信者にも亦其求むる霊の七福があるのである〔付○圏点〕。
 以上之を上下両段に列記したるが、上段は信者の描写であつて、下段は天国の記述である、信者とは如何なる者かと云ふに第一に心の貧しき者(心より自己に頼まずして紙に依頻む者)、第二に哀む者(自他の罪を哀む者)、第三に柔和なる者、第四に饑渇く如く義を慕ふ者、第五に矜恤ある者、第六に心の清き者、第七に平和を求むる者、即ち之を総称すれば|義者〔付○圏点〕、神に義とせられし者、其故に世に悪まれ人に責めらるゝ者であるとの謂である、而して信者の描写と相対して天国の記述がある、第一に之を天国と総称す、キリストが天より降りて之を建設し給ふ者なるが故に斯く称す(但以理書七章十三節参照) 第二に完全なる安慰の供《あた》へらるゝ所、第三に地上に建設せらるゝ国、第四に義の充溢する所、第五に矜恤を以て審判の行はるゝ所、第六に神の聖顔を拝することの能る所、第七に信者が神の子と称せられて其特権に与かる事の能る所である、信者とは上段に示すが如し、天国とは下段に記すが如し、上段の示す資格を有する者は下段の記す恩恵に与るを得べしと云ふのである、所謂希伯来人の聯語的記述法であつて、単一の真理を多方面より観察して其内容を明かにしたるものである。
 茲に於て天国の何なる乎が明かに示されたのである、|天国は単に霊的状態ではない〔付黒ゴマ点〕、地に建設せらるゝ国であ(87)る。哲学者コムトの理想せしが如き完全なる人の社会である、而かも肉の人に由て組織せらるゝ社会ではない、神の子等を以て其市民とする国である、之を統《すぶ》る者は哲学者の称する「霊的勢力」ではない、神の栄の光輝《かゞやき》その質の真像《かた》なる主イエスキリストである、天国に於て神の子等は彼に於て神を見奉り、神は又彼に在りて聖国を照らし給ふのである、天国は又公平なる審判の行はるゝ所である、其所に矜恤を以て他を審判きし者は矜恤を以て審判かるゝのである、雅各書第二章十三節に言ふが如しである、天国は又飽満の所である、而かも食物の飽満ではない、義の飽満である、飽くまでに義を以て心を満たすことの能る所である、依て知るイエスが伝道の首途に於て教へ給ひし事は使徒ヨハネが最後に述べし所と異らざる事を、天国とは「新らしき天と新らしき地」とである、「目の涙は悉く拭ひ去られ復た死あらず哀み哭き痛みあることなき」所である(安慰) 「渇く者には価なしに生命の水の源にて飲む事を許さる」ゝ所である(飽満)、「凡て潔からざる者と憎むべき行を為す者、或は※[言+荒]《いつはり》を言ふ者は必ず此に入ることを得ず、唯羔の生《いのち》の書《ふみ》に録されたる者のみ入るなり」とありて真の審判の行はるゝ所である、而して「我れ彼の神となり彼れ我が子と成るべし」と云ひ、「僕等《しもべども》神の面を見、神の名彼等の額に在るべし」とありて真の見神が行はれ、罪の子が神の子として認めらるゝ所である(約翰黙示録第廿一、第廿二章を見よ)。
 斯くの如くにして山上之垂訓は単に純道徳を説いたる者ではない、其発端より天国を説いたる者である、天国に附随して道徳を説いたる者である、之を低い道徳と称する人があれば其れまでゞある、然れども聖書の記事は明白にして誤解を許さないのである、山上之垂訓は其発端より天国を説き、来世を説き、復活を説き、審判を説き、信者がキリストの再来と称し来りし者を説くのである。
(88) 始めに「天国は即ち其人の有なれば也」と云ひて終りに同一の言辞を繰返して云ふ、是れ最も大切なる事なるが故に特に聴者の注意を惹かんが為めに重複して云ふたのである、信者は主観的には自己に省みて心の貧しき者、然れども客観的には神の備へ給ひし十字架上のキリストを仰瞻て義者である、而して天国は特に彼の有であるとの事である。
   附言 以上の如くに所謂|九福〔付○圏点〕を七福に解せし者は聖書註解者の王《キング》と称せらるゝドクトル H・A・W・マイエルである、真に正当なる解釈であると思ふ、他にベーコン、ヴェルハウゼンの二学者も他の理由よりして之を七福に解して居る、勿論此解釈に対して多くの異論が唱へらる、今茲に之を掲げない、斯かる事に於てはマイエルの権威に九鼎の重みがある。 The International Critical Commentary に於て W・C・アレン氏は「天国」なる文字を終末的の意味に取て居る、氏の如き純批評家にして此文字を此意味に解するを見て福音書記者の原意の此に在りしことを確むることが出来る、読者にして英語を解し得る者は同註解書序論第六十七頁以下に於て其詳細を探るべきである、冷静なる聖書学者が却て旧信仰の味方をなすは真に痛快の事である。
 
(89)     馬太伝に現はれたる基督の再来
        (二月十日神田青年会館に於て)
                    大正7年3月10日
                    『聖書之研究』212号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 余はクリスチヤンとなりてより四十年後の今日程思想の充溢を覚えたる時はない、此頃自分乍ら何やら若返りしやうに感ずるのである、従来此処彼処部分的に余の心中にありし聖書が今や全部自己の有となつて其何れの頁を繙くも限なき感興を惹き起すのである、されば茲に其一例を語りて以て余が最近の心的状態と問題の性質とを明かにせんと欲する。
 昨日は珍しき好天気であつた、厳冬去つて春既に来るの感があつた、余は一日の休養を欲して久振りに市へ出た、市は余に取ては何の用あるなし、唯だ書店を要するのみ、此日も余は例の如く一書店に入りて何か近頃の問題に関係ある良書はなき乎と漁つて見た、而して偶々米国の学者 A・M・ラム氏の小著『微光、一名再来の徴候』と題する書を手に入れた、著者に何等学位其他の肩書を冠せざるより推して多分良著ならんと想像したのである、次に余は茲を去つて更に他の一書店に立ち寄つた、主人の応接を待つ間の小閑を偸み余は店頭にある古き英国百科辞典の一冊を抜いて基督再来論の一章を繙読した 筆者は有名なる教会歴史の大家 A・ハーナツクである、ハーナツク自身の信仰は人も知る如く正統的《オルソドツクス》ではない、然し乍ら彼は世界第一流の学者である、而して信頼すべき(90)は彼の如き一流の学者である、彼等は自己の信仰の故を以て真理を蔽はない、彼等は其深邃なる研究の結果自己の信仰如何に論なく真理は真理として之を明白に提唱するのである、ハーナツク亦然りである 彼は短き四頁の中に最高の学者的権威を以て断じて言ふ「再来は基督教の根本教義たり、再来思想なくして基督教は起らず、一切の教義は之に関聯す、然るに今日迄此信仰の棄てゝ顧みられざりしは|教会の俗化したるが故のみ〔付△圏点〕、再来の信仰の衰微する時は即ち教会の腐敗したる時にして前者の熱烈なる時は即ち後者の健全なる時なり」と、而して最後に又繰返して曰ふ「福音と再来との間には密接不離の関係あり」と、斯学の権威ハ氏の此言は蓋し神学者教役者等の必読すべき文字であらう。
 余は更に歩を転じて上野公園に向つた、時未だ花季ならざれば俗物の蝟集を見るなく満園静寂にして風光絶佳であつた、多くの過去が余の脳底に浮び出でた、彼処に友と共に祈りし杜《もり》あり 此処に進化論を闘はしたる丘あり、余は暫し青年時代に立ち帰つた、かくて余の足は自ら動物園の前に出でた、乃ち自身大なる小児となりし積りにて入りて諸動物を観察した、豹は其幼児を抱きて臥し兎は餌《えじき》を食んで戯る、熊あり狐あり狸あり、余は深き興味を以て彼等を観た、而して帰途には鴬谷停車場に一人の教友を訪ね彼が為しつゝある良き伝道の消息を聞いて喜んだ。
 この動物園の逍遥は余をして以賽亜書の大預言を想ひ起さゞるを得ざらしめた、「狼は小羊と共に宿り、豹は小山羊と共に臥し、犢|牡獅《をしゝ》肥えたる家畜共に居りて小き童子に導かれ、牝牛と熊とは食物を共にし、熊の子と牛の子と共に臥し、獅は牛の如く藁を食ひ、乳児《ちのみご》は毒蛇の洞に戯れ、乳離れの児は手を蝮の穴に入れん、かくて我が聖き山の何処にても害ふ事なく傷《やぶ》る事なからん、そは水の海を蔽へる如くヱホバを知るの知識地に充つべけれ(91)ばなり」と(十一の六−九)、こは果して文字通に解すべきである乎或は一個の美はしき譬喩に過ぎざる乎、余は試に碩学の此事に関する説明を聞かんと欲して家に帰りて余の書斎に存する多くの註解書を披見した、其第一はオツクスフォード大学教授チーネの註解である、彼の研究は今は稍古しと雖も彼は疑ひもなく今猶ほ信頼すべき権威である、彼も亦自ら正統派の信仰を有せざるに拘らず此事に関する多数の学者の所説を列挙し就中独逸の旧約聖書学者ネーゲルバツハが之を文字通りに解せざるべからずと做せる説を紹介して而して曰く「余の説も亦然り!」と、次はフランツ・デリツチである、彼の名は若きデリツチのそれと共に父子相並んで学界に喧伝せらる、彼には深き信仰あり温き愛あり而して豊なる常識あり、其研究亦新式ならずと雖も該博なる原語の引証に由て単純なる福音を教ふ、而して彼も亦曰ふ「之を文字通りに解すべし」と。
 チーネ、デリツチ等の如き権威者の解釈にして斯の如しとせば我等は深く考へなければならない、勿論今の動物学者は之を聞いて笑うて曰ふであらう、「愚なる哉、此の如きは動物の構造の許さゞる所である」と、果して然る乎、現代の大哲学者ベルグソンの教ふる処に由れば生命は無限に変化し進化するといふではない乎、生命の発展何処に至る乎之を予想する能はず 人は人以上の者となり宇宙は漸次霊化すべしとは彼の主張ではない乎、されば進化の終極に於て以賽亜書の預言の文字通に実現すべき事も亦学者の立場より見て之を斥くる事が出来ないのである、知るべし、基督再来の一笑に附すべき迷信的教義にあらざることを、碩学の其真理を認むるあり、我等は敬虔の態度を以て其研究に当るべきである。
 若し聖書中に何か一つ其の最も頻繁に語る所の真理ありとせばそは基督の再来である、新約聖書中直接に又間接に再来に言及する所実に|四百八十箇所〔付○圏点〕の多きに及ぶと云ふ、故に新約聖書が何物かを我等に教ふるならば即ち(92)此事を教ふるのである、然るに多くのクリスチヤンは聖書を貴ぶと称し乍ら之を読まない、彼等は屡聖書中の一句を捉へ以て重大なる問題の解決に供せむとする、天主教徒が使徒ペテロに基づく教会の権威を主張するの根拠は一に馬太伝十六章十八節に在るのである、果して然らば聖書中之を繰返す事四百八十回にして或る所にては両三章引続き之を論ずるが如き大問題を如何にして看却し去る事が出来る乎、若し之をしも信ぜずといふならば須らく聖書を棄つべきである、|聖書を薦むるは再来の真理を薦むるのである、故に再来の真理を厭ふ者は聖書を抛つに如かず、而して聖書抜きのクリスチヤンと成るに如かないのである〔付△圏点〕。
 馬太伝はキリストの語を知るに最も確実なる資料である、此書が新約聖書の劈頭に置かれたるは感謝すべき事である、ルナン曰く「古来人類を感化したる書にして馬太伝の如きものあるなし」と、而して此馬太伝中明白に再来を説くの語のみを挙ぐるも尚ほ次の如きものがあるのである、
  我誠に汝等に告げん、汝等イスラエルの村々を廻り尽さゞる間《うち》に|人の子は来るべし〔付○圏点〕(十の廿三) 人もし全世界を得るとも云々……|それ人の子は父の栄光を以て其使たちと共に来らん〔付○圏点〕、其時各自の行に由て報ゆべし(十六の廿七)
 変貌の記事〔付○圏点〕(十七章) 是れ再来の前兆と見て初めて能く解釈し得る事実である、クリソストムの如きは斯く解したのである。
  我まことに汝等に告げん、我に従へる汝等は|世改まり人の子栄光の位に坐する時〔付○圏点〕汝等も十二の位に坐してイスラエルの十二の支派《わかれ》をさばくべし(十九の廿八)
 若しそれ廿四、廿五の両章の如きは「汝の来る兆《しるし》と世の末の兆はいかなるぞや」との問題に対しキリストの答(93)へ給ひしものであつて即ち全然再来の問題である、もし此処に再来なしといはゞ何と言ひて之を弁護し得べき乎、
  其時人の子の兆天に現はる〔付○圏点〕、又地上にある諸族はなげき哀み且つ|人の子の権威と大なる栄光をもて天の雲に乗り来るを見ん〔付○圏点〕(廿四の三十)
  十人の童女の喩〔付○圏点〕(廿五の一−十三)
  千銀の喩〔付○圏点〕(同十四−卅)
  人の子己れの栄光をもて諸々の聖使を率ゐて来る時はその栄光の位に坐し云々〔付○圏点〕(廿五の卅一)
 而して特に注意すべきは廿六章六十一節である イエス此時祭司の前に引出され種々なる妄《いつはり》の証を立てらるゝとも黙然として答へず、最後に祭司の長立ちて「汝キリスト神の子なるか、我汝を活ける神に誓はせて之を告げしめん」と曰ひたるに対し答へて曰ひ給はく
  汝が言へる如し、且我れ汝等に告げん、此後人の子の大権の右に坐し|天の雲に乗りて来るを汝等見るべし〔付○圏点〕
と、而して言此処に至るや祭司の長其の衣を裂き「此人は褻涜《けがし》の事を言へり、何ぞ外に証拠を求めんや」と叫びて直に彼を死に定めたのである、|知るべしイエスの死を決定したるものは実に此一語に在りし事を〔付○圏点〕、されば此事たるイエスに取ては彼の生命を賭したる最大問題であつたのである、人其の生命を賭するの問題より重大なるもなし、|再来はイエスの死を以て守りたる真理中の大真理であつた〔付◎圏点〕。
 人或は曰ふ純粋なる基督教は山上之垂訓に在り彼処《かしこ》に教義あるなく奇跡あるなしと、故に基督教を最も簡単に伝へんと欲する時常に選ばるゝものは山上之垂訓である、而して此山上之垂訓にのみは再来思想を含まずと言ふ、果して然る乎、「天国〔付○圏点〕に於て至《いと》微《ちいさ》き者と謂はれん……天国〔付○圏点〕に於て大なる者……天国〔付○圏点〕に入る事能はじ」といひ「審判(94)に干らん、集議に千らん、地獄の火に干らん」といひ、「隠れたるに鑒《み》給ふ汝の父は明顕《あらは》に報ゐ給ふべし」といひ、「我を呼びて主よ主よといふ者尽く天国〔付○圏点〕に入るに非ず云々」といふが如きは是れ再来の思想に非ずして何である乎、然らば山上之垂訓も亦此思想を以て充ち満つるものと謂はざるを得ない。
 而して其最初の所謂「美訓」も亦然りである、「美訓」は純道徳であるといふ、然し乍ら注意すべきは|聖書に於ける道徳の教訓は大抵再来の思想と関聯して説かれてある事である〔付黒ゴマ点〕、「心の貧しき者は福なり」、之れ純道徳である、然し之れ丈ではない、何故に福である乎、曰く「天国は其人のものなればなり」、此の理由より離して彼《か》の道徳を解する事が出来ないのである、「哀む者は福なり」、何故? 「其人は安慰を得べければなり」、此世に於てに非ず哀む者は此世に於て十分なる安慰を得る事が出来ない、天国に於て初めて全き安慰を得るのである、「柔和なる者は福なり」、何故? 「其人は地を嗣ぐ事を得べければなり」、然り我等の踏める此の堅き地である、此地が時至らば獰猛なる者の手より移されて柔和なる者に与へらるゝといふのである、以賽亜書十一章の文字通りに実現する日が即ち其時である 「饑渇く如く義を慕ふ者は福なり」何故?「其人は飽く事を得べければなり」、亦此世に於てに非ず、彼国に入りてゞある、「矜恤ある者は福なり」、何故?「其人は矜恤を得べければなり」、矜恤とは雅各書二章十三節に所謂「審判かるゝ時亦憐まる云々」の意味であつて聖書中の術語の一である、「心の清き者は福なり」、何故?「其人は神を見る事を得べければなり」、見神とは漠然たる精神的経験の謂ではない、其事の何たるかは黙示録最後の二章に徴して明白である、「和平《やはらぎ》を求むる者は福なり」、何故?「其人は神の子と称へらるべければなり」、単に良きクリスチヤンとなるの謂に非ず、神の子の栄誉を荷はせらるゝのである、其栄光の冠を被《き》せらるゝのである、而して最後に「義しき事の為に責めらるゝ者は福なり」といひて又「天国は即ち其人の有(95)なればなり」と繰返して居る、聖書は希伯来人の筆に成りしものなれば亦之を希伯来思想を以て読まなければならない、而して希伯来の文章に於て聯語《パラレリズム》は其特徴である、又七なる数は神の数にして完全を示すのである、美訓は通常之を九福〔付○圏点〕と称するも良き聖書学者は是れ亦七福〔付○圏点〕にして而も|一思想を聯語を以て反覆したるものなり〔付○圏点〕と説明する、九福の第九は「汝等〔付黒ゴマ点〕云々」と其人称を異にするを以て之を他と離すを可とすべく又其第八の後半は明白に第一の繰返しである、故に「心の貧しき者」以下「和平を求むる者」に至る迄を以て七福〔付○圏点〕と解するに如くはない、而して此七段は同一思想の敷衍である、即ち何れも其前半に於てクリスチヤンの何たる乎を定義し其後半に於て天国の定義を与ふ、|美訓畢竟信者と天国との関係を教ふるものに外ならないのである〔付○圏点〕。而して馬太伝に於て「天国」と「神の国」とは判然区別せらる、前者は卅二回後者は四回用ゐらるゝも其意義は全く異なる、「神の国」と言へば唯に天国のみならず心の状態も亦其中に含まるゝのである、
  神の国〔付○圏点〕と其義きとを求めよ(六の卅三)
  若し我れ神の霊に由りて鬼を逐出しゝならば|神の国〔付○圏点〕はもはや汝等に至れり(十二の廿八)
  富者は天国に入る事難し、又汝等に告げん、富者の|神の国〔付○圏点〕に入るよりは駱駝の針の孔《め》を通るは却て易し(十九の廿四)
  是故に我れ汝等に告げん、|神の国〔付○圏点〕を汝等より奪ひ其|果《み》を結ぶ民に予へらるべし(廿一の四三)
 是れ皆な路加伝に「神の国〔付○圏点〕は顕はれて来るものに非ず……夫れ|神の国〔付○圏点〕は汝等の衷に在り」(十七の廿一)と言へると同様に解すべきである、然るに「天国」とは是の如き霊的状態に非ず、希臘語に於て天国とは長き語にして「幾多の天の国」を意味す、而して其起源は但以理書七章十三節の「人の子の如き者雲に乗りて来り……之(96)に権《ちから》と栄と国とを賜ひて云々」に在るのである(万国批評的註解中アレン氏馬太伝註釈参照)、天国〔付◎圏点〕|は即ち人の子雲に乗りて来る時に実現すべき其具体的の国である〔付○圏点〕、「天国は其人の有なれば也」とあるは斯かる国の事を謂ふのである。
 故に聖書は始より|地的天国〔付○圏点〕の実現を教ふるのである、是れ解するに難き真理なりと雖も亦人心の最も深刻なる要求に応ずるの真理である、見よ美はしき此地は悉く利己心の化体たる富豪等の手に帰して心の貧しき者哀む者柔和なる者は生涯寸地を獲る能はず、若し世が此儘にて終るべくば義者の悲憤此上なしである、然れどもイエスは其弟子等に曰ひ給ふのである「忍び待て時到らば我再び来らん、人の手に藉《よ》らず万物を己れに服《したがは》はせ得る能力を有てる我れ……我れ万物を一変し新天新地を実現して之を義者に与へん」と、実に斯くあれかしである、斯くてこそ我等の心に感謝が充つるのである。
 饑渇く如く義を慕ふ者、矜恤ある者、心の清き者は此世に於て蹂躙らる、平和を求むる者は決して此世に於て神の子と称へられない、然し乍ら来るべき天国に於て彼等は必ず神の子たるの冠を戴き共栄光と権利とに与る事が出来るのである。(別稿『七福の解』参照)
 
(97)     万物の復興
         羅馬書第八章自十六節至廿五節 (一月廿日)
                    大正7年3月10日
                    『聖書之研究』212号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 「我れ思ふに今の時の苦しみは我等に顕はれん栄に此ぶべきに非ず」(十八節)パウロは茲に苦しみと言ひ栄と言うて居る、「今の時の苦しみ」とは人世普通の艱難をいふのである乎、伊那パウロの場合に於て「苦しみ」とは単に其れ丈けの意味ではなかつた、使徒時代の信者には特別の苦痛が附き纏うたのである、即ち迫害である、而して独り使徒時代のみならず此世は常にキリストに敵するが故に今日と雖も世に対して明白なる基督信者的態度を取る者には亦必ずや同じ迫害が臨み来るのである、今や多くの信者は信仰に十字架は附き物なりと聞いて驚く、然し乍ら之れせの迫害絶えたるが故に非ず、信者自ら之を避くるが故である、クリスチヤンがクリスチヤンたるの行為を為す時は必然之に添へて適当なる苦痛を伴ふ、キリストと其栄を共にせんとする者が亦其苦しみを共にすべきは当然である、故に信仰進むに従ひ苦痛も亦進む、迫害を味はざる今日の信者の耳にパウロの此語は特別の響きを有せずと雖も当時の信者に取ては非常なる慰藉の語であつたのである、今の時の苦痛は大なり、然れども之を後に顕はるべき栄光に比する時は言ふに足らずと、栄光とは何ぞ、是れ亦尋常一様の栄光ではない、天地万物の復興と之に伴ふ信者の顕栄《げんえい》即ち是である。
(98) 天地万物(受造者)は虚空《むなしき》に帰せらると云ひ敗壊《やぶれ》の奴隷なりと言ふ(十九 二十)、解し難きが如くにして然らず、少しく自然人生に就て考察を費したる者は其の真実たるを疑はないのである、春来りて花は咲き蝶は舞ふ、美はしきは天然である、然れども見よ、蝶の裏に厭ふべき毛虫ありて葉を噛み枝を枯らすではない乎、猛鳥は小禽を捉へ野獣は家畜を襲ひ毒蛇は行人を悩ますではない乎、育成栽培幾百日にして漸く蕾を破りしと思ふ間もなく花は慌しく泥土に委するではない乎、ゲーテの歎じたる如く天然中の逸美たる婦人の容色も漸く二年を保たず身体美の極度に達するや忽ち其敗壊の始まる事かの力士の全盛時代の甚だ短きに徴しても明かである、学者ハツクスレー曰く「天然は完成するや否や破壊す」と、寔に天然物は敗壊の奴隷《しもべ》である、美はしきが如くにして其中に堪ふべからざる悪を蔵し完全なるが如くにして実は極めて不完全である、虚空に帰せられたるは之れ受造者の真相である。
 何故天然は斯く虚空に帰せられ敗壊の奴隷として存《のこ》つて居るのである乎、パウロ曰ふ其れには理由ありと、即ち「之に帰せしむる者に因る」のであると、天然を虚空に帰せしむる者は人である乎、或は然らむ、親の罪の子に顕はるゝが如く天然の首たる人の罪が万物に顕はれたのであるかも知れない、然し乍ら之を帰せしむる者を神と見るは更に満足なる解釈である、即ち神は人類と共に万物を救はんと欲し前者の救拯の完成する迄暫く後者を不完全の儘に置きて待ち給ふのであらう。
 而して敗壊の奴隷たるは天然自身の堪へ雜しとする処である、虚空に帰せられて天然の衷に大なる苦痛がある、天然も亦かの盛装せる貴人の如くである、彼のみは苦痛を解せざるが如くに見えて実は然らず、美はしき皮一重を剥げば其下には言ふべからざる苦しみを宿して居るのである、天然も亦救を待ち望む、而して天然の救は我等(99)の救と共に成就す、故に天地万物は神の諸子《こたち》の出現即ち基督者の救が其霊より体に及びて外側に顕はるゝ時を待ち望むのである、其時天地万物が我等と共に神の諸子の栄なる自由に入る事を許さるゝのである(廿一−廿三節)。
 故に我等が救を得たるは望に由るのである、既に救はれたのではない、望の中に救はれたのである、望既に実現せば最早や望ではない、望とは目的物の未来に存する事を意味する、我等の救の完成は未来に存す、聖霊我が衷に宿りて我れ神の子たるを得しは即ち救はれたるなりと雖も救は之を以て完成したるに非ず、其の完成せらるゝ時は何時ぞ、我等の身体の救はるゝと共に亦天地万物の救はるゝ時である(廿五、廿六節)。
 事は極めて重大且深遠である、然し乍ら救若し是れ丈けのものでないならば其は救ではない、試みに現在の状態を以て救拯は終れりとせよ、その不完全なる事如何ばかりぞ、人は自己一人の救拯を以て満足する能はず、自己と共に妻子隣人否全人類の救拯を要求するのである、又人類のみの救拯を以て満足する能はず、人類と共に禽獣虫魚否天地万物の救拯を要求するのである、独り我等の心中より悪の消滅するのみならず全人類全宇宙より其の消滅するに及びて始めてハレルヤアメンは我等の口に上るのである、而して聖書はかゝる救拯を我等に約束するのである、或る時迄待たば神は必ずキリストを以て完全なる救拯を為し給ひ我等の愛する者は再び我等に返され、我等の聖き霊に適合ふ敗壊なき身体は与へられ又天地万物は改造せられて此新たなる身体を以て生活するに適する新天新地が実現せらるゝのである。
 以て聖書の教ふる所の救拯の如何に宏大無辺なるかを知るべきである、之に比較して今日の所謂救済事業の如きは抑も何ぞや、或は一人の心中より悲哀が消失したりといひ、或は一工場の資本家が労働者に対して親切を増したりといひ或は一農村が改善せられたりといひ、或は仮に一国の民に平和が臨みたりといふとも神の我等に約(100)束し給ひし完全なる救拯に比しては殆ど言ふに足らざる小事件である、我等の救拯は全宇宙のそれと共に完成せらる、此思想を抱きて人は全世界に福音の立証を為さんと欲する大野心を起さゞるを得ないのである、人の人格は其理想に由て異なる、エマソン曰く「汝の車を星に繋げ」と、然れどもパウロの如きは自己の理想中に全宇宙を抱擁したのである、而して彼の心に此希望の溢るゝありて全地は彼の伝道の区域となつたのである、又此理想を抱きて人は万物に対し無限の同情を寄せざるを得ない、自己一人救はるゝに非ず、全人類全宇宙と運命を共にするのである、是に於てか小なる自己中心の信仰は消滅して我が宗教は同時に又万物の宗教となるのである。
 
(101)     基督信者と其希望
         彼得前書第一章自一節至五節 (一月廿七日)
                    大正7年3月10日
                    『聖書之研究』212号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 今や基督教と言へば何れが其純粋なるものであるか判明らない、此時に当り原始に之を説きし人の教を学ぶは極めて必要である、而して其目的の為に最も適当なるは彼得前書である、ペテロ自ら深き学問を有せざりしが故に其伝へたる所も亦単純にして平易であつた、されば一度び読者の心を当時の信者の立場に置かん乎、容易に之を解する事が出来る、殊に初めて信仰に入りし人々に取て最も愛読すべきは本書である、然るに其の余りに単純なるが為に之を慊らずとして去つてパウロに赴く者多しと雖も、始めてイエスの福音を解したる人はパウロに非ずしてペテロであつたのである、人或はペテロのパウロに劣るが如くに考ふる者あるもそは今日パウロの書き物のみ多く残存せるに基づく誤解である、最初の信者間に在りて最も尊敬せられたるはペテロであつてパウロも亦彼に負ふ処が多つたのである、かの加拉太書に於てパウロがペテロにも教を受くる処なしと主張する其言が即ちペテロの教会の柱石たりし事を証するのである 而して彼はパウロの如くに贖罪律法等の論を闘はさず単刀直入人の直感に訴へたのである。
 彼が書翰の発端に於て自己を紹介するの辞は甚だ簡単である、曰く「イエスキリストの使徒ペテロ」と、彼は(102)パウロの如くに長々しく自己の特権を叙述しなかつた、謙遜なるペテロ! イエス在世の当時は何事にも差し出でゝ自己を首位に置かれん事を欲し又篤く自己を信じて「獄に迄も死に迄も汝と共に往かんと心を定めたり」(路加廿二の廿三)と言ひし彼れペテロは鶏鳴三回の苦《にが》き経験に由て遂に全く自己を信ぜざる最も謙遜なる使徒となつたのである。
 書翰の名宛は「ポント、ガラテヤ、カパドキア アジア、ビテニアに散りて処《とゞま》れる者」であつた ポント以下の諸州は今日の亜細亜《アジヤ》土耳古《トルコ》の北半部にして素と甚だ豊饒《ほうぜう》の地である、而して其地方に「散りて処れる者」即ち diaspora《ヂヤスポラ》とは固有名詞である、猶太人には本国に残留せる者あり国外に散在せる者あり、其後者を称して diapora といふ、其数今日凡そ千二百万と称せらる 本国に在る者は極めて少数である、而して当時パウロは異邦人に対する伝道者たりペテロは猶太人の為の使徒であつた、彼得前書は其猶太人中の国外居住者に送られたる書翰である、恰も今日東京より書翰を発してカリホルニア、ヲレゴン、アイダホ、ネバダの諸州に散在せる日本の信者に送ると言ふが如きである。
 次に彼は信者の定義を与へて曰うた、「父なる神福音に順はしめイエスキリストの血に灑がれしめんとして其予め知り給ふ所に従ひ霊の聖潔を以て選び給ひし人々」と、語は長しと雖凡ての信者の当然信ずる処である、神はその如何なる神たるを問はず凡て自己と縁遠き者近づくべからざる者と思惟せる時に方り神は唯に救主なるのみならず又|我等の父なり〔付○圏点〕との提唱は驚くべき福音であつた、「イエスキリストの血に灑がれしめんとして」とは旧約の語である(出埃及記廿二章参照)モーセ曠野にてイスラエルの民に血を灑ぎ以て神の子たるの印と為した、然し乍ら基督信者に灑がるゝの血は牛羊の血に非ずしてイエスキリストの宝血である、之に由て神の国に入(103)るの特権を受けたる者が即ち信者である、「予め知り給ふ所に従ひ選び給ひし云々」、之れ所謂予定である されど予定とは神学上の理論ではない、信仰上の実験である、而して之を信仰上の実験と解して信者は何人も予定を疑はないのである、神を嫌ひし罪の子が神に順ふに至りし其|濫觴《はじめ》が自己に在らずして神に在りとの事実である、此事実を超えて徒らに揣摩憶測するは我等の為すべき分ではない、我等は唯神の聖旨に由て聖徒となりしを信ずるのみである、次に注意すべき語は「霊の聖潔《きよめ》をもて云々」である、聖潔《せいけつ》か聖別か是亦神学論として知識的に解すべからず、而して信仰の実験を以て之を解する時は其意味は明白である、即ち聖別は単に聖別のみを以て終らず、之を別つと共に必ず潔めは始まる、然れども聖潔は又完全なる聖潔に非ず、毒素は尚ほ心根に遺留せらる、|聖潔の完成は身体の救拯の時に在るのである〔付○圏点〕。
 基督信者とは何である乎、洗礼を受けたる者である乎、教会に出入する者である乎、否、ペテロは曰ふ、「神の聖旨と霊の聖潔《きよめ》とに由て選ばれし者是れ即ち信者である」と、以て此と彼との観念の相違を知るべきである。 かくて二節を以て挨拶の語を終り三節より頌栄の詞が始まる、曰く「讃むべき哉神、我等の主イエスキリストの父」と、神は万人の父なりとは近代人の思想にして又古代希臘哲学者の思想であつた、然し乍ら初代信者に取て神は|イエスキリストの父〔付○圏点〕であつた、而して信者はキリストの僕たるが故に亦彼の父を自己の父と呼ぶ事が出来たのである、神が特別の意味に於て我等の父たるは彼が先づキリストの父たるが故である 「彼れ其大なる矜恤を以て我等を再び生み」とは曩に「予め知り給ふ所に従ひて選び」と言ひしと同じく神の愛心に由て新なる生命に入らしめ給ふ事である、然らば新なる生命に入るとは何ぞ、日く「イエスキリストの復活に由て活ける望を得させ」らるゝ事是れである、「活ける」といひ「望」といふ、何れもペテロ特愛の語である、世に「死せる望」な(104)るものがあるであらう乎、素より此の如き語あるなし、然れども其事実は極めて多くある、凡て達せられざるの望はみな死せる望である、青年に之れ有り老人に之れ有り、人の懐ける凡百の希望は多く之れ死せる望に過ぎない、|此間にありて唯イエスキリストの復活に由て与へらるゝ希望のみは必ず成就さるべき活ける望である〔付○圏点〕、此希望を抱きて人は全く過去の不徹底なる生涯を棄て前途に確実なる目的を定むる事が出来る、舟が共進路を定めて他を顧みざるが如く信者をして其不動の目標に向ひ直進せしむるものは一に此希望である、之皆な実験を以てのみ解すべき語である、而してペテロは更に其希望を説明して曰うた「亦我等の為に天に蔵めある朽ちず汚れず衰へざる嗣業を得しめ給ふなり」と、「再び生み」といひ「活ける望を得させ」といひ而して又斯く曰ふ、前言を繰返し乍ら更に深き意義を添加するは之れ希伯来人特有の文体である、信者が神の聖旨に由て選ばれし其目的は今は隠れある永久の栄光を後に得させられんが為であるといふ、初代信者の信仰は此処にあつたのである、彼等に取て|基督教は大なる恩恵なると共に亦大なる約束であつた〔付○圏点〕、彼等は現代人の如くに「現生《げんなま》」を要求しなかつた、彼等は主の復活に由て父より約束せられたる未来に受くべき大なる恩恵を待ち望んだのである、|待望を離れて基督教の信仰あるなし〔付○圏点〕、信者の特別に美はしきは其待望の態度にあるのである、約束の成就を待ち望む事其事が大なる特権である、故に必ずしも成就の日の速かならん事を欲せず、|真に父を信ずる子に取ては寧ろ待たせらるゝを以て喜びとなす、十年可なり百年可なり五百年可なり〔付黒ゴマ点〕、|否千年を一日の如く見給ふ神の約束を信じて我等は墳墓の中に待ち望む事一万年と雖ども敢て長しとしないのである〔付○圏点〕。
 
(105)     末《をはり》の日を待て
          一年間に二女一男を失ひし或る不幸なる寡婦を慰めんとて葬式の席上にて語りし所  〔この篇よりゴシックの部分の注記をつけました、入力者注〕
                    大正7年3月10日
                    『聖書之研究』212号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 余は今日迄多くの葬式を司つた、然れども未だ嘗て今回程の難問題を提供せられた事はなかつた、過去一年間に二女を失ひ今又嗣子たる唯一の男子を召さる、是れ世に絶無の事とは云ふべからざるも而も神に信頼せる者に取て大なる疑問を促さゞるを得ない、主イエスは嘗てナインの町の門外に寡婦の独子の葬式に遇ひ深き憐憫を感じて手づから柩に触れ「少き者よ我汝にいふ起きよ」と言ひ給ひしかば死者起きて言《ものい》ひ始めぬ、是に於てイエス彼を其母に渡し給うたといふ(路加伝七章)、果して然らば彼は今日何故同じ寡婦の唯一《ひとり》の男子を同じやうに起して之を其母に渡し給はないのである乎、茲に解くべからざる疑問がある、災難は不信者にも臨み信者にも臨む、神に信頼するが故に是を免るゝ事が出来ない、神は信者の熱き祷を聞き流し其愛する独子をも見殺しに為し給ふのである乎、神は人が悪魔の手に翻弄せらるゝ時冷眼以て之を看過し給ふのである乎、抑も神なる者は全然存在しないのではあるまい乎。
 誠にかゝる稀有の苦難に遭遇して人は無神論に傾かざるを得ない、然し乍ら此大なる疑問に対してイエスキリスト自ら答を与へ給ふのである 曰く
(106)  凡て父の我に与へし者を我れ一をも失はず、|末の日に之を甦す〔ゴシック〕は即ち我を遣はしゝ父の意なり(約翰伝六の卅九)
  凡そ子を見て之を信ずる者は永生を得、|我亦之を末の日に甦すべし〔ゴシック〕(同四〇)
  我に来りし人は|末の日に我之を甦すべし〔ゴシック〕(同四四)
  我が肉を食ひ我血を飲む者は永生あり、|我れ末の日に之を甦すべし〔ゴシック〕(同五四)
 即ちキリストは言ひ給ふのである、「暫く悪魔をして思ふが儘に其暴威を振はしめよ、死をして愛する者を携へ去らしめよ然れども汝等の祈祷は聴かれざるに非ず、神の力は失敗に帰するに非ず、待て、末の日迄待て、其日には我れ我を信ずる者を悉く復活せしめて之を汝等の手に渡すべし、最後の成功は我に在り」と、然り万物を己に服はしむるの力を有する主イエスキリストが斯く約束し給ふのである、彼には之を約束するの特権がある、此信じ難き約束も彼の口より出でたるが故に空白には非ずして動かすべからざる真理たる事を我等は信ずるのである。嘗て或る露国の将軍が土耳古兵と戦うた時の事であつた、敵軍を全滅せしむるの計略を設けて之に向つたけれども部下の愛すべき幾十人の士卒は続々敵弾に曝されて斃れた、此状況を見て憂虞の余り将軍の処置を詰る者があつた、将軍答へて曰く「待て」と、而して敵軍の或る所迄攻来るや一斉に砲列を放ちて遂に予定の通り之を全滅せしめたといふ、キリストの行動も亦之に類するのである、彼れ来りしより千九百年、此間既に幾千万の人が信仰を以て斃れた、幾多の人が彼の処置を詰つた、然し乍ら彼は尚ほ曰ひ給ふのである「待て、最後に我れ再び降りて一令の下に彼等を復活せしめん、汝等の望は其時悉く充さるゝのである」と。
 寡婦の祈は必ず聴かる、其涙は悉く拭はる、イエスキリストは立派に勝利を収め給ふのである 然し乍ら今日(107)|直《たゞち》にではない、時到りてゞある、時到らば彼は信者に朽ちざる栄光の体を与へ其望を悉く充たし給ふ、ナインの寡婦の実例は此真理を教へんが為め特に目前に於て之を実現し給うたに過ぎない、愛する者今直に渡さるゝに非ず、然れども後必ず返し与へらる、大なる恩恵は未来に於てある、我等は唯其約束を信じて待つのである、「それ信仰は望む所を疑はず未だ見ざる所を憑拠《まこと》とするもの也」(希伯来書十一の一)、神の我等に与へ給ふ恩恵は既に悉く降れりと思ふは大なる誤である、末の日に最も大なる恩恵が与へらるゝのである、而して此約束あればこそ如何なる災難に遭遇すと雖も之に打ち勝つ事が出来るのである、人生の意義は之より外にはないのである。
 此大なる約束を受けて尚且之を望まず却て小なる肉体の健康や商売の繁昌を求むる者があるべきであらう乎、彼と此とは其大小到底此ぶべくもない、若し末の日に復活と永生とを与へらるゝならば此世に於ける愛子の死や事業の失敗の如きは之を忍び得て余あるのである、否、かの大なる恩恵に与らんが為には自然の情に逆ふ災難の多きを厭はず、如何なる不幸も来らば来れ、我等は「待て」と言ひ給ふキリストの約束を信じ末の日の復活と永生とを望んで自ら慰むるのである、今や幾多の不義と無慈悲とは世界を蔽ふと雖も信者はキリストの約束を抱きて凡ての懐疑に打勝ちつゝあるのである。
 身寡婦にして一年以内に二女一男を失ふ、実に堪ふべからざるの悲みである、如何にして之を慰むべき乎、|末の日に我之を甦すべし〔ゴシック〕との福音以下のものを以てしては到底之を慰むる事が出来ない、唯|彼れ再び来り給ふ時〔付○圏点〕悪魔の凡ての力は滅ぼされて信者は限なき栄光に与かり、愛する者は悉く返し与へらる、其日を待ち望むに由てのみ今の悲みに打勝つ事が出来るのである。
 
(108)     イスラエルと教会
         (別稿『民族と使命』に附して言ふ)
                         大正7年3月10日
                         『聖書之研究』212号
                         署名なし
 
〇イスラエルは其完全なる代表者ヨセフの子イエスを以て其使命を果たせしに止まらず又民族全体として其天職を成就すべくある、イスラエルは未だ亡びない、亡びない而已ならず今猶強健の民である、彼は国土として寸地を有せずと雖も全世界に瀰漫して世界を家となしつゝある 彼の子孫は減退せずして増進しつゝある、何れの民族と雖も彼れイスラエルの如くに偉人傑物を産出したる者はない、而して此世が化してキリストの国と成る時はイスラエルが化してキリストの僕と成る時である、「イスラエルの人悉く救はるゝを得ん」とパウロが言ひし通りである(ロマ書十一章廿六)、イスラエルは暫時神に棄られしに止まる、是れ福音の異邦人に到らん為であるとパウロは言ふた(同三十節)、神は選民にかゝはる其約束を忘れ給はない、彼等は強健に存在して預言者の言の事実となりて現はるゝを待ちつゝある、イスラエル全体が神の理想に合《かな》ふ伝道師として働く時は来りつゝある、選民の存続とキリストの再現との間に密接なる関係がある。
〇以賽亜第四十二章の言は移して以て之を現今の基督教会に当箝る事が能る、其責任の大なる神の彼等より期待し給ふ所の重き亦斯くの如しである、然るに教会は今や聾者たり瞽者たるのである、彼等は今や此世と妥協して(109)「偶像に頼み之に向ひて汝等は我等の神なりと云」ひつゝある、教会は平和の時には平和を叫び戦争の時には戦争に賛す、故に「此民は掠められ奪はれて皆穴の中に囚はる」、富豪に賤視《いやしめ》られ政治家に嘲笑せらる、憤慨すべき事にして此の如きはない、然れども教会に対しても神は其約束を忘れ給はない、彼は言ひ給ふ「今我れ子を生まんとする婦の如く叫ばん……盲者をその未だ知らざる大路《おほぢ》に行かしめ云々」と、神は今や自から起ち給ひつゝある、教会の内外に彼の選び給ひし者を起して其聖旨を遂げ給ひつゝある、而して斯くして世を救ひ又教会を醒まし給ひつゝある 預言者の言は今も猶ほ文字通りに真理である。
 
(110)     夢と謎
                         大正7年3月10日
                         『聖書之研究』212号
                         署名なし
 
 我ら何事を為すにも新聞紙の記事に載せられ、教会の評判に挙げらるゝやうな事を為してはならない、最も高き事、最も深き事 最も尊き事は社会と教会との其真価を認め得ざる事であるが故に、我ら社会に認められ、教会に容れらるゝ時には、低き賤しき事を為しつゝありと心に定むべきである。而して天の事を語りて地の事を語らず、霊の事を語りて肉の事を語らず、来世に就て語りて現世に就て語らざる間は社会と教会とは我らを顧みず、我らの為すことに何等の注意をも払はない、是れ我らの幸福であつて、我らは彼等に認められずして静かに且つ有効的に我らの存在を続ける事が出来る 願ふ我ら永久に無価値物《ニヒツヴユルヂゲ》として存在せんことを 迷信家視せらるゝこと誠に善くある、狂人扱ひせらるゝこと誠に幸ひである、世に恵まれたることゝて政治家、宗教家、新聞記者等に誤解せらるゝに優る事は無い、|真理の真珠は海の底に在る〔付○圏点〕、我らは何時までも夢を語るべきである。謎を語るべきである、我らは恒に世人の解し得ざる事を語つて独り喜び又少数の「暗黒の宝」を探る者を歓ばすべきである。
〇哲学はパンを焼く能はず、然れども神と自由と永生とを供すと云ふ、哲学然り、況んや宗教をや、然れども現時の宗教は哲学にも及ばないのである、現時の宗教問題と云へば神でも自由でも永生でもない、社会問題である、(111)慈善問題である、聯合軍慰問々題である(其事其れ自身は勿論善き事なれども)、「目覚むる時|容光《みかたち》をもて飽足る事を得ん」との詩人の希望を述ぶるも宗教家は之に注意しない、慰問使が白堊殿に於て大統領に延見されたりと聞けば其れが宗教的大問題となるのである、現時の宗教、殊に基督教の標準の茲に在るを知るが故に、余輩は夢と謎とを語りて甚だ安全であるのである、キリストの再来、万物の復興、身体の救、……新聞記者等は其文字の意義さへ解らない、政治家と宗教家とは余事に忙はしくして斯かる問題に傾くる耳を有たない、茲に於てか余輩は益々安全である。
 
(112)     教友の再興を祝す
                           大正7年4月5日
                           『教友』1号
                           署名 内村鑑三
 
 「教友」は都合上休刊して居りしも此度復活して喜悦に堪えない、「聖書之研究」誌発刊以来十八ケ年を閲し其間に多くの読者が国の内外に亘りて愈加はるに至り記者と読者との関係益親密となるに伴ひ読者間の親密も益加はり読者双互の間に交通機関の必要起るは当然の事である。
 神の御《おん》導きに由り「研究誌」が吾|同胞《どうばう》の中に在りて鞏固にして神聖なる霊的兄弟団を造るに至りし事は実に感謝の至りである、これ教会堂や信仰個条を以て建てられたる教会の意味に於ての教会に非ずして霊と誠を以て造られたる愛の兄弟団たるが故に其外面に何等の形を有せざるだけそれだけ内容に於て堅実なるを認めざるを得ない。願くは此小なる月刊教友誌によりて内に在りては南台湾の端より北樺太の北端に至る迄又外に在りては太平洋の両岸並に紐育、倫敦、巴里、羅馬、瑞西《すゐつる》に散在する誌友の間に温き愛を送り又之を受くるの機関たらん事を祈る。
 余自身は外に「研究誌」の編輯其他伝道の多端なるありて直接に之に携る能はずと雖ども常に是が為に祈り又誌友の間に愛の関係をして益深からしむる様勉めんと欲す、読者諸君又余の為にも祈を吝み給はざらん事を冀ふ。
 
(113)     THE LORD'S RETURNIN BROWNING.
         ブラウニング詩集に於ける基督の再来
                              大正7年4月10日
                              『聖書之研究』213号
                               署名なし
 
      THE LORD'S RETURN IN BROWNING.
 
           Wanting is−What?
           Summer redundant,
           Blueness abundant,
           −Where is the blot?
       Beamy the world,yet a blank all the same,
       −Framework which waits for a picture to frame:
       What of the leafage,What of the flower?
       Roses embowering with naugbt they embower!
       Come then,complete incompletion,O Comer,
       Pant thro' the blueness,perfect the summer!
          Breathe but one breath
          Rose-beauty above,
(114)         And all that was death
           Grows life,grows love,
            Grows love!
 
     ブラウニング詩集に於ける基督の再来
 (訳者曰ふ、自由にして大胆なりし詩人は余輩の此自由にして大胆なる意訳を許すであらう)
 
   欠如する者あり−何乎?
   初夏に葉緑滴り、
   穹蒼に日光漲る、
   −汚点何処にかある?
  天地は光明に満つ然れども空白なり、
  聖像を迎ふる殿堂たるに過ぎず、
  葉緑何かある花綵何かある?
  花冠ありて之を戴く者あるなし、
  然《さ》らば来り給へ来るべき者よ、
  来りて此不完全を完成し給へ、
(115)  碧空を充実し緑野を完美し給へ、
  此の花園に生気を吹入れ給へ、
   然らば死せる万物は
   生命を受けて起き愛を以て栄えん、
   然り愛を以て栄えん。
 
(116)     贖罪と再臨
                         大正7年4月10日
                         『聖書之研究』213号
                         署名なし
 
 贖罪と再臨との間に密接なる関係がある、再臨は贖罪の結果であると云ふ事が出来る、主は御自身が贖ひ給ひし者の救を完成《まつとう》せんがために再び臨り給ふのである、而して信者は主に贖はれし其結果の身に於て実現されんがために彼の再臨を待望むのである、「人もし潔らずば主に見ゆることを得ざる也」とある(希伯来書十二章十四節)、誠に其通りである、然れども如何にして潔かることを得ん乎、キリストの贖罪に由てである、彼れ其身に於て我等に代りて罪を滅し給ひしが故に我等は潔かることを得るのである、我等の義また聖(潔)また贖は彼に於て在るのである、我等は彼を仰瞻て救はるゝのである、之を除いて他に救はるべき途はないのである、然り潔めらるべき、又潔かるべき途はないのである、余輩は再臨を高唱して贖罪を忘却したのではない、否な否な決して爾うではない、贖罪の必然の結果を説かんがために再臨を高唱するのである、キリストの贖罪は聖霊の内在に始まつて身体の救に終るべき者である、然り贖罪の結果は人類の改造を以て尽くるものではない、宇宙万物の復興にまで及ぷ者である、キリストは其十字架の死を以て人類を贖ひ給ひしと同時に万物を贖ひ給ふたのである、「そは父すべての徳をもて彼に満しめ其十字架の血に由りて平和をなし、万物即ち地に在る者天に在る者をして彼に由りて己《おのれ》と和《やはら》がしむる事は是れ其の聖旨に適ふことなれば也」とあるが如しである(哥羅西書一章十九)、主は再臨に(117)由て彼が十字架上に於て遂げ給ひし大なる救の果《み》を収めんとし給ひつゝあるのである、再臨なくして贖罪は半成の業である、主は我等の心の中に始め給ひし善工《よきわざ》を完成《まつとう》せんがために再び臨り給ふのである、「人もし潔らずば神に見ゆることを得ざる也」、然り「人もしキリストの贖罪に与らずば再臨の彼を迎ふることを得ざる也」である、贖罪である、然り贖罪である、贖罪の結果たる再臨である、説くべきは此二大教義である、平信徒の心に訴ふる者にして之よりも強くして且つ深き者は無いのである。
 
(118)     復活と再臨
                         大正7年4月10日
                         『聖書之研究』213号
                         署名 内村鑑三
 
 イエスは復活し給ふた、彼は霊に於てのみならず体に於て復活し給ふた、アリマテヤのヨセフが彼に供しまつりし墓は空虚となつた、基督教は此事実の上に起つた宗教である、キリストの復活、即ち彼の体の復活を否定して基督教は其土台から崩れるのである、即ちパウロの言ひしが如しである、
  若し死より甦ることなくばキリストも亦甦らざりしならん、キリスト若し甦らざりしならば我等の宣《のぶ》る所|徒然《むなしく》、又汝等の信仰も徒然からん(哥林多前書十五章十三、十四節)、
  若し死し者甦る事なくば神キリストを甦らしむることなかるべし、若し死し者甦る事なくばキリストも甦ること無りしならん、若しキリスト甦らざりしならば汝等の信仰は徒然、汝等は尚罪に居らん(同十五、十六、十七節)、
キリストの復活なくして(而して復活と云へば身体の復活を云ふのである、キリストに在りて霊魂の復活する必要はなかつたのである)、……キリストの復活なくして使徒等の唱へし福音なく、亦基督信者の信仰はないのである、|復活抜きの基督教は基督教ではない〔付黒ゴマ点〕、パウロは他の使徒等と共に此事を明白に茲に記述して居るのである。
 キリストは其身体を以て復活し給ふた、而して其復活体を以て今尚存在し給ふとは聖書の亦明に示す所である、(119)彼は栄光化されたる人の身体を以て父の許に還り給ふたのである、而して時到れば其身体を以て再び現はれ給ふとは是れ亦聖書の明かに示す所である、基督教の奥義は此に在るのである、キリストは其復活に由て朽ざる人と成り給ひて、彼が其復活体を以て再び現はれ給ふ時に同質の身体を彼を信ずる者に賦与し給ふとは新約聖書が明かに示す所である。
 死より甦りし者が再び現はると云ふのである、キリストが再び生れ給ふと云ふのではない、ナザレのイエスが朽ざる身体を以て再び来ると云ふのである、キリストの再臨を嘲ける者は聖書を知らずして此明白なる区別を為し得ないのである、キリストの再臨は復活せる(|身体に於て〔付△圏点〕)キリストの再臨又は再現である、是れ怪しむに足りない事である、復活せるキリストは四十日の間幾度となく弟子に現はれ給ふたのである、其如く彼は最後に|すべての人〔付○圏点〕に現はれ給ふべしと云ふのである。
 故に|再臨問題は復活問題に懸るのである〔付○圏点〕、復活を信じ得る者は再臨を信ずるに何等の困難をも感じないのである、そは今既に復活体を以て在る者が再び同体を以て現はるべしと云ふに何の不思議もないからである、故にすべてキリストの復活を信ずる者は疑はずして彼の再臨を信ずべきである。 然るに事実は如何にと問ふに、復活を信ずると称する多くの信者等は再臨は之を信じないのである、否な、信ぜざるに止まらず之に反対するのである、然れども是れ最も不合理なる反対である、然れども余輩は翻つて思ふ|彼等果して復活を信ずるのである乎〔付△圏点〕と、彼等再臨の反対者等は果してアリマテヤのヨセフの墓よりイエスの身体の出し事を信ずる乎、余輩は大に疑ひなき能はずである、彼等はイエスは死に由て肉的状態より脱して霊的状態に入れりと説く、然れども是れイエスに限らず人たる者の何人も死に由て入る所の状態である、死は或る意味に(120)於て何人に取りても霊化である、而して復活もし霊化であるならば、特別にイエスの復活を説く必要はないのである、霊化の意味に於てならば釈迦も孔子もソクラテスも、ゲーテもシエークスピヤもダンテも、然りすべて死せる人は復活したのである、若し爾うならば「キリスト死より甦りて寝《ねぶ》りたる者の復生の首《はじめ》となれり」と云ひて何の意味をも為さないのである(哥林多前書十五章二十節)、然し乍ら聖書の明かに示す所に由ればイエスの甦りは単に霊化ではなかつたのである、彼の身体の甦りであつたのである、四福音書中最も歴史的なりと称せらるゝ路加伝の記者は其第二十四章三十六節以下に於て左の如くに録して居る、
  此事を語れる時イエス自ら其中に立ちて曰ひけるは汝等安かれと、彼等駭き懼れて彼等が見る所の者を霊ならんと思へり、イエス曰ひけるは汝等何ぞ駭くや、何ぞ心に疑ふや、我手我足を見よ而して我なるを知れ、我を摸《なで》て視よ、霊は我が在るを汝等が今見る如く肉と骨とを有せざる也、斯く曰ひて其手足を示せしに彼等喜べども猶ほ信ぜず異める時にイエス茲に食物ある乎と曰ひければ灸《あぶり》たる魚と蜜房《みつぶさ》とを与ふ、彼れ之を取りて其前に食せり
と、又キリストの再臨に就ては甚だ冷淡なりと称せらるゝ約翰伝記者は其第二十章第二十六節以下に於て彼(キリスト)の復活体に就て左の如くに録して居る、
  八日を経て後また弟子等室の内に在りけるがトマスも彼等と共に在り門を閉ぢたるに拘はらずイエス来りて其中に立ちて曰ひけるに汝等安かれと、遂にトマスに曰ひけるは汝の指を此《こゝ》に伸べて我手を見よ、又汝の手を伸べて我|脅《あばら》に刺せよ、信ぜざる勿れ信ぜよと、トマス答へて彼に曰ひけるは我主よ我神よと、イエス彼に曰ひけるは汝、我を見しに由りて信ず、見ずして信ずる者は福なり
(121)と、福音記者等の是等の言に由りてイエスの復活の何である乎が明かである、是れ単に霊化ではなかつた、明かに身体の復活せし者であつた、福音記者等の明白なる記事にに由ればイエスは人類の罪のために刺されし其傷の痕を以て(実に名誉の傷痕である)復活し又昇天し給ふたのである。
 是れ勿論肉情の人に取りては信ずるに甚だ難き事である、然し乍ら是れ聖書の明かに記す所であつて使徒等の固く信ぜし所、又彼等の伝へし福音の拠て立ちし所の根本義であつたのである 此意味の復活を指してパウロは言ふたのである「キリスト若し甦らざりしならば我等の宣る所は徒然又汝等の信仰も徒然からん」と。
 |信ずるに難くある、然れども之を信ずるを得てこそ信者たるを得るのである〔付○圏点〕、キリストの復活を単に霊化又は精神化と称するに何の努力をも恩恵をも要しないのである、然れども此信ずるに難き事を信ずるを得しが故に我等は喜び又神に感謝するのである、基督教は単に人の道理に訴へて彼をして之を信ぜしむることは出来ない、基督教は|神の啓示〔付○圏点〕である、而して神の直接の啓示に接してのみ信ずる事の出来る者である、故にキリストはトマスに曰ひ給ふたのである「見ずして信ずる者は福なり」と、即ち恵まれたる者なりとの意である。
 キリスト再臨の反対者よ汝は果してキリストの復活を信ずる乎、汝は果して復活せるキリズトに肉あり骨あり傷痕あるを信ずる乎、汝は人に対つて福音記者等の此等の言を説明するに方て記事其儘に之を説明し得る乎、或ひは「非科学的」、或ひは「非合理的」ならんことを懼れて之を「霊的」に説明し去らんとする乎、反対者よ汝此事に就て明白に余輩に告げよ。
 反対者よ汝は今日まで何何となく死者の葬式に列し或ひは之を司りて何回となく哥林多前書第十五章を読みしならん、汝は如何なる意味を附して之を読みし乎、是れ余輩の汝より聞かんと欲する所である、汝は筆者(又は(122)口述者)パウロの言として之を読みし乎、或ひは汝自身の言として之を読みし乎、「凡《すべて》の肉同じ肉に非ず、人の肉あり、獣《けもの》の肉あり、鳥の肉あり、魚の肉あり」云々の言を読みて汝は如何なる説明を附して之を人に伝へしや、殊に最後の段を読むに方て汝は明確に之を了解して読みしや、汝は曖昧ならずしてパウロの此言を汝の言として読み得し乎、
  視よ我れ汝等に奥義を告げん、我等尽く寝《ねぶ》るには非ず、我等皆な終末《おはり》のラツパの鳴らん時忽ち瞬間《またゝくま》に化せん、そはラッパ鳴らん時死し人甦りて壊《くち》ず、我等も亦化すべければ也、此壊る者は必ず壊ざる者を衣、死る者は必ず死ざる者を衣るべし、此壊る者壊ざる者を衣、此死る者死ざる者を衣ん時、聖書に録して「死は勝《かち》に呑れん」とあるに応《かな》ふべし、オー死よ汝の刺《はり》は安くに在るや、オー陰府よ汝の勝は安くに在るや、死の刺は罪なり罪の力は律法なり、我等をして我主イエスキリストに由りて勝を得しめ給ふ神に感謝す。
 若しパウロの此|勢力《ちから》ある言を文字通りに解し得るならば何故にキリストの再臨を聞いて之を嘲けるや、余輩は驅る汝は今日までパウロの此言を繰返して汝自身を欺き又聴者を誤りつゝありし事を、キリストの復活を信じ終未の日に於ける信者の復活を信ずる者が(注意せよ聖書の明かに示す所に依れば|復活は身体の復活なる事に〔付○圏点〕)何故にキリストの再現と之に伴ふ信者の復活を嘲ける乎、余輩は其理由を知るに困しむ、余輩の推察にして誤らずんば|是等再臨の嘲笑者は復活を信ずると称して実は之を信じないのである〔付△圏点〕、彼等は自己の復活観を聖書の復活観に代へて之を他人に伝へつゝあるのである。
 余輩は奇跡を信ぜずキリストの奇跡を否定し其復活を否認するユニテリヤン教徒が再臨に反対するを見て少しも異まない、是れ当然あるべき事である、イエスはヨセフの子なりと云ひ、復活は非科学的なりと唱へ来りし者(123)が再臨亦非科学的なり迷信なりと云ふを聞くも余輩は少しも異まない、然し乍ら余輩が怪んで止まざる事はオルソドツクスなり福音的なりと称する者が再臨を耳にして嘲笑の声を掲ぐる事である、汝科学的信者たらんと欲する乎、然らば科学的に徹底せよ、キリストの復活をも否定せよ、而して汝の教職を去れよ、大胆にユニテリヤン教徒となれよ、何ぞ男らしからざる、徒らに人類の民主化、社会政策を説いて汝の信仰を曖昧に附する勿れ、|徹底的に科学的なれ〔付△圏点〕、余輩はユニテリヤン教徒に対しては尠からざる尊敬を表す、そは彼等余輩と全然信仰を異にすと雖も其信ずる所に矛盾なければなり、然れども不徹底にして曖昧なるオルソドツクス信者と福音主義者等とに対して余輩は尠からざる不快の感を懐かざる得ない、再臨を「迷妄」なりと云ひて嘲ける者は復活に対しても同一の嘲けりを発すべきである、彼等果して之を為すの勇気ありや。
 
(124)     基督再来を信ぜし十大偉人
                         大正7年4月10日
                         『聖書之研究』213号
                         署名 内村鑑三
 
 余輩がキリストの再来を高唱するとて余輩を怜んで呉れる者がある、余輩は実に彼等に怜まるるが如き迷妄の徒であらう、然し乍ら世には余輩よりも優かに偉大なる人々の中に此信仰を懐きし者があつた、今茲に其十人丈けを掲げやう。
 其第一は|オリバー・クロムウエル〔ゴシック〕である。彼は何麼見ても英民族中第一人者である、彼れ徴りせば今日の英国も米国もなかつたのである、今や世界を民主化せんとて闘はれつゝある此戦争の主眼たる民主々義はクロムウエルの努力に由て確実に英民族の有となつたのである、而して此のクロムウエルが熱信なるキリスト再来の信者であつたのである、又彼の麾下に立ちて自由の敵を殲滅せし有名なる鉄甲軍《アイロンサイズ》は主に再来信者を以て組織されたる者であると云ふ、有名なる『天路歴程』の著者ジヨン・バンヤンの如きは其一人であつた。
 其第二はクロムウエルの秘書官の役を務めし大詩人|ジヨン・ミルトン〔ゴシック〕である。天才に於てはシエークスピヤに及ばなかつたであらう、該博なる事に於てはゲーテに劣つたであらう、然し乍ら其通徳的に深くして熱くして堅くありし事に於てはミルトンは優に彼等以上であつた、ミルトンは基督教詩人として第一位を占むべき者である、而して此人も亦彼の自由の戦友と同じく堅き再臨信者であつた、クロムウエルとミルトン、彼等は今日の日本の(125)教役者等に怜まるべき人物ではなかつた。
 其第三は|アイザツク・ニユウトン〔ゴシック〕である。彼が近世科学の建設者中最大の者でありしことは何人も認むる所である、第一等の数学者にして理学者、彼を称するに「迷妄」を以てする者は自個の迷妄を証する者である、然るに此大科学者が単純なる基督者であつて疑はずしてキリストの再来を信ずる人であつた、何んと奥床しいでない乎、引力説と二項式の発見者にして微分積分の完成者がキリスト再来の信者なりしとは!
 其第四は|マイケル・フハラデー〔ゴシック〕である。彼は近世電気学の率先者中主たる者である、全く自修の人であつて彼の発見に係る理化学上の原理は今猶動かすべからざる者である、而してフハラデーも亦ニユートンと同じく単純にして熱心なるクリスチヤンであつた、彼は Sandemanians と称するキリスト再来を高唱せし小数派に属し、其忠実なる信者として彼の一生を送つた、世界最始の電気ダイナモを作りしフハラデーが熱心なる再来信者でありしと聞いて人は意外に思ふであらう。
 其第五は|ヤコーブ・ベーメ〔ゴシック〕である。彼は科学者に非ず其反対に神秘家であつた、而かも最も愛すべき敬ふべき人であつた、彼に由て神秘主義《ミスチシズム》は聖化された、彼の死は死の記録中最も美はしき者であつた、彼は死に臨んで美はしき天の音楽の鳴り渉るを聞いた、彼は家人を枕頭に招いて之を聞かしめんとした、曰く「汝等此音楽を聞かざる乎」と、彼は終に窓の戸を開かしめて近隣の人をして等しく之を聞かしめんとした、曰く「斯くの如きの音楽、我れ独り之を楽しむべからず」と、而して斯かる人がキリストの再来を信じたりと聞いて何人も異まない、神秘家は真理の直感者である、彼の唱ふる所に大なるオーソリチーがある、ベーメは其名の示すが如く独逸人である。
 其第六は|チンチエンドルフ伯〔ゴシック〕である。彼は独逸ピーチスト(神聖派)の頭梁の一人であつて聖市ヘルンフートの建(126)設者、モラビヤ派世界伝道の主脳として有名である、此基督教的大紳士は言ふまでもなくキリスト再来の高唱者であつた、彼の歌に事業に此信仰は明白に表はれて居る、而して過去三百年間に於て基督教的信仰の純潔なる者にして彼れチンチエンドルフ伯のそれに優つた者はなかつた。
 其第七は|アウグスト・フランケー〔ゴシック〕である。彼亦神聖派の一人であつてキリスト再来の高唱者であつた、慈善家にして神学者、彼の建設に係る孤児院は世界的に有名である、メソヂスト教会の始祖ウエスレーは大に此人に負ふ所があつた、フランケーの先輩はスペーネルであつてハレー大学の建設者と称せらる、キリストの再来を迷妄なりと嘲ける者はハレー大学の起源を索ねて自個の迷妄を攘ふべきである。
  因に曰ふ、哲学者カントの両親も亦敬虔なる神聖派の信者であつた、哲学者自身は福音主義の信者ではなかつたが、彼を育てし家庭は再来を待望せし家庭であつた、カント哲学の英国のヒユーム哲学、仏国のボルテーヤ哲学と全然其素性を異にして神を敬ひ聖徳を重んずる者なるを知る者は、其泉源の如何なる信仰に於てありし乎を知るであらう。
 其第八は英国の|ジヨージ・ムラー〔ゴシック〕である。世界最大の孤児の友であつて、我国の石井十次氏を起たしめしも此人であつた、ムラーはプリマス派の熱信家であつた、而してプリマス派の中心は其キリスト再来の信仰に於て在るのである、彼れムラーの信仰より此の信仰を除いて信仰なる者はなかつたのである、独逸に於てはアウグスト・フランケー、英国に於てはジヨージ・ムラー、揃ひも揃ふてキリスト再来の信者であつて大なる孤児の友であつた、再来の信仰は迷妄ではない、実際的真理である。
 其第九は|トレゲレス〔ゴシック〕である。プリマス派の信者と云へば悉く熱狂家の如くに思はれるれども、茲に冷静なる(127)学者として此人があつたのである、新約聖書原文校訂の業に従事せし者は皆な善くトレゲレスの名を知るのである、注意深き精密なる聖書学者として彼は錚々の聞えある者である、而して彼も亦キリスト再臨の信者であつたのである。
 其第十は|ベンゲル〔ゴシック〕である。ベンゲルを知らずして新約聖書の解釈を語るべからずである、彼は実に近世聖書解釈の祖先である、彼は特にキリスト再来の高唱者であつた事は著名なる事実である、彼は再来の一八三八年に有るべきを計算して其当らざりしが故に大に嘲笑家の嘲笑を招いた、然れども誤算は誤算である、人、何人か誤算なからざらんや、殊にキリストの再来なる歴史的最大事件に関して誤算は最も有り易き事である、然れどもベンゲルの聖書解釈の原理は誤らなかつた、彼の GNOMON(解釈指南)は永久的大著作である、嘲笑者は須らく三年の時日を消費して此書を消化すべきである、彼等にして若し其忍耐と脳力とあらば彼等は再び嘲笑を敢てしないであらう。
 尚之に加へて余輩は米国の神学者にして聖書学者なる|モーセス・スチュアート〔ゴシック〕の名を掲げんと欲する、彼は現今の米国宗教家とは全然其素質を異にし、該博であつて深遠であつて、厳正であつて殊に硬骨であつた、彼は終生ドクトルの称号を拒んで之を受けなかつた、該博の智識に加へてナザレのイエスの謙遜なる弟子であつた、而して熱く昇天せるイエスの再び来りて世を統治め給ふ事を信じた、かの俗化堕落せる米国にも一時は斯かる信者があつた、モーセス・スチュアートを以て代表せられし米国神学者は健全にして尊敬すべき者であつた、而かも彼の裔は今は絶えんとし残りし者は金主々義と民主々義との謳歌者のみである。
   序に曰ふ、キリスト再来の信者に非ずして其嘲笑者なる者は米国現時代表的神学者シカゴ大学神学部長ド(128)クトル・シエラー・マツシウである、彼は近頃一書を著はし縦横に此信仰を罵倒して居る、我国の嘲笑者にして更らに其嘲笑を継続せんと欲する者はマ博士に就て更らに嘲笑の材料を得べきである、題して“Will Christ Come Again ?”(基督は果して再び釆る乎)と云ふ、一本を購ひて読みて攻撃の武器とせよ、余輩は反対者に此武器を紹介してらない。
       *     *     *     *
 以上十人である、余輩は其数を十倍することが出来る、然し今は十人で充分である、クロムウエルとミルトン、ニユートンとフハラデー、ベンゲルとトレゲレス、フランケーとムラー、彼等の如何に偉大なりし乎を知る人に取りては是れ重き証明である、彼等の今日の我国の新神学者等に怜まるべき人物でない事は世界の挙りて知る所である、怜む者怜まるべきではない乎、余輩はクロムウエル、ミルトンと共に新神学者等に怜まるゝ事を以て大なる名誉なりと信ずる 余輩は独り嘲けらるゝのではない、是等の福音の大証明者等と共に嘲けらるゝのである、基督教は素々此世の智者達者より嘲けらるべき宗教である、其建設者の奇跡的出生、其奇跡に満ちたる生涯、其復活昇天再来を信ずる宗教である、嘲けられずして何ぞやである、嘲けられざる基督教は奇怪しき基督教である、かの「科学的」にして「合理的」なる基督教は世に嘲けられざる代りに罪人をして悔改めしむるに於て何の効果なき基督教である、此世の学者等の立場より見て|凡ての宗教が〔付○圏点〕迷信である、激烈に嘲けられてこそ宗教は宗教たる其真価を発揮するのである、嘲けられて我は始めて真理を握りし実証を得るのである。
   附記 ニユートンが単純なる聖書其儘を信ぜし基督者なりしことは多くの学者を礙かせた、彼等は如何しても其説明を得ることが出来ないのである、然し乍ら余輩を以て見れば是れ決して解し難い事ではない、(129)ニユートンは深い科学者でありしが故に能く科学の能力を知つたのである。科学を以て知り得る事と知り得ざる事とを知つたのである、故に彼は科学を正当に利用して之を以て其勢力範囲以外の事に立入らなかつたのである、故に彼の心は常に平和であつて彼の頭脳は常に明晰であつたのである、彼は究むべきは学者として究め信ずべきは信者として信じたのである、故に彼は常に幸福であつたのである、フハラデーの如き亦同型の人であつた、理学者チンダール一夕彼と夕飯を共にし大化学者が燻製の鰊一尾とパン数片とより成る其簡単なる食膳の上に発せし熱信なる感謝の辞に一驚を喫したりと云ふ、大科学者は大なる小児である、彼等はパウロと共に信ずべきは凡ての事を信じ得るのである、彼等は実に恵まれたる人等である、而して最も怜むべき人は科学の何たる乎を知らずして、科学、科学と唱へて科学を迷信する宗教家等である。
 
(130)     世界の平和は如何にして来る乎
         (三月三日東京神田基督教育年会館に於て)
                    大正7年4月10日
                    『聖書之研究』213号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 基督再臨に関する演説会の其回を重ぬるに従ひ興味を減ずる事なく依然として多数の来聴を見るは喜ぷべき事である、而して既に彼方此方に於て多少の反響あり、殊に一部人士の公然たる反対の声を挙げたるを多とせざるを得ない、素より彼等ユニテリアン派の人々がキリストの再臨を信ずる能はざるは当然の事である、然しながら怪むべきは斯派《このは》と余輩との中間に立ちて其旗幟を不鮮明ならしむる多くの牧師神学者等の態度である、彼等は此問題に関して聖書を如何に解釈せんと欲する乎、新約聖書中に反覆叙説数百回の多きに上る此問題を曖昧模糊の裡に葬り去る事は出来ない、「然り」乎、「否」乎、教役者たる者は今や須らく其一を明白に選択すべきである。
 而して此事に関し余輩に対して下されたる批評は少からずと雖も其最も興味あるは|余輩のキリスト再臨の提唱を以て窮余の活路を求めんとするにあり〔付△圏点〕と做す所のものである、蓋し此批評当らず且当れり、若し其所謂「活路を求む」とは新聞記者又は代議士の言ふが如く「糊口に窮したる」の謂なりとせば其言たる賤劣にして且虚妄である、然れども或る他の意味に於ては又一面の真理を語るものと為さゞるを得ない、何となれば|余は糊口に窮せざるも聖書の解釈に窮したのである〔付○圏点〕、余の従来の信仰のみを以てしては最早や聖書に就て語るべき事が尽きたの(131)である、余は近頃に至り幾度びか『聖書之研究』誌を廃刊せんと欲した、殊に宇宙人生に関する大問題の余に迫り来るや余は遂に行き詰つたのである、然るに驚くべし其時に当り久しく余の心中に subconsciousness(自覚以下の感覚)として潜在せしものが突如躍動し来りし為め茲に忽ち活路は開かれたのである「然り之が為に余は一変し余の心中に思想は湧出するに至つた、聖書は其創世記より黙示録に至る迄大なる光明を発し其他余の今日迄読み来りしものが皆な蘇生した、加之従来余の思想の傾向に合致せざりし形而上学に関する頭脳も亦新たに開けて近時余が哲学書数十頁を繙かざるの日は稀れである、余は又甚だ演説を好まざりしに拘らず今や独り東京のみならず関西に又北海道に遠征を試み幾百回の講演をも辞せざらんとしつゝある、即ち|余をして此の如くならしめたるの意味に於て再臨の信仰は実に余の為めに活路を開いたのである〔付○圏点〕。
       *     *     *     *
  未の日にヱホバの家の山は諸の山の巓に堅く立ち、諸の嶺よりも高く挙り、凡ての国は流の如く之につかん、……ヱホバは諸の国の間をさばき多くの民を攻め給はん、かくて彼等は其剣を打ちかへて鋤となし其鎗を打ちかへて鎌となし、国は国に向ひて剣を挙げず、戦闘の事を再び学ばざるべし(イザヤ書二の二−四)。
  ひとりの若者我等の為に生れたり、我等は一人の子を与へられたり、政事《まつりごと》は其肩にあり、其名は不思義なる戦士また大能の神、永遠の父、平和の君と称へられん、其政事と平和とは増し加はりて窮りなし、且ダビデの位に坐りて其国を治め今より後永遠に公平と正義とをもて之を立て之を保ち給はん、万軍のヱホバの熱心之を成し給ふべし(同九の六、七)。
  シオンの女よ大に喜べ、ヱルサレムの女よ呼はれ、視よ汝の王汝に来る、彼は正しくして救拯を賜はり柔和(132)にして驢馬に乗る……我れエフライムより戦車を絶ちエルサレムより軍馬を絶たん、戦争弓も絶たるべし、彼れ国々の民に平和を諭さん、其政治は海より海に及び河より地の極《はて》に及ぶべし(ゼカリア書九の九、十)。
 今より十数年前|紐育《ニユヨーク》に於て非戦会議が開かれた事があつた、各派の人々之に加はりユダヤ人も亦多く出席した、其中の一人なる或るラビが会議の席上に於て立つて曰うた「二千七百年の昔我等の預言者イザヤが『彼等は其|剣《つるぎ》を打ちかへて鋤となし云々』と世界の平和を預言してより戦争廃止の理想は深く人類の心に植付けられ爾来種々なる反対は常に絶えざるに拘はらず人類は今日尚其理想を棄つる事が出来ないのである」と、実に然りである、預言者の言は夢に似たるも夢に非ず、之れが人類の理想である、何時かは斯くならざるべからずと何人も翹望するのである、語るべきは夢である理想である、方便は人之を忘れん、然れども理想は之を忘れない、理想は深く人類の心底に潜みて子々孫々に流るゝのである、かくて平和の理想も亦世々相伝へて今日に及んだ、西洋の文学之を謳ひ日本の論客之を論ずるのである、平和は実に人類の最も切なる理想である。
 平和は人類の理想である、聖書は明白に之を教ふる、然し乍ら聖書は唯に理想を教ふるのみではない、|如何にして此理想を実行すべき乎〔付○圏点〕、平和実現の手段方法、之れ亦聖書の教ふる所である、聖書を読みて其示す所の真理の前後を截断するは甚だしき誤解である、「心の貧しき者は福なり」、何となれば「天国は即ち其人のものなれば也」、二者相待て初めて完たし、其の如く「彼等は其剣を打ちかへて鋤となし……国は国に向ひて剣を挙げず、戦闘の事を再び学ばざるべし」、|如何にして然る乎〔付○圏点〕、曰く「ひとりの人我等の為に与へられん」である、「エフライムより戦争を絶ちヱルサレムより軍馬を絶たん」、|如何にして乎〔付○圏点〕、曰く「視よ汝の王汝に来る、彼は云々」である、知るべし聖書は万国の平和を説くと共に亦之が為めに|或一人の来臨〔ゴシック〕を告ぐる事を、紙は必ず永遠の平和を降し給(133)ふ、之聖書の明示する第一の真理である、神は其手段として万物を己に服はせ得るの力を有する其子を降し給ふ、之れ聖書の明示する第二の真理である、平和は来らん、然れども人類の平和運動に由てに非ず、|ひとりの人我等の為に天より降りて之を齎すのである〔付○圏点〕、聖書の教ふる所は此くの如くである。然らば世界に平和を来すの方法は他に無いのである乎、其方法として三のものを考へる事が出来る。
 |其第一は戦争である〔付○圏点〕、戦争の為の戦争に非ず、戦争を廃止せんが為め即ち平和を来さんが為の戦争なりとは今回の戦争に就て屡々聞く所の声である、殊に米国の如きにありては此理由の下に凡ての平和論者は沈黙を守り国民は挙て戦争の為に熱狂しつゝある、其或る教会より発行せし小冊子《パンフレツト》に曰ふ「昔は神は紅海にパロの軍勢を沈め給へり、然れども今や神の審判は大口径大砲にあり」と。
 果して然る乎、然らばかの世界最大の巨砲を有する独墺は如何、彼等は神に代りて世を審判く者である乎、ナポレオン嘗て曰へるあり「摂理は常に強き軍隊の側にあり」と、誠に危険にして且薄弱なる議論と言はざるを得ない、今は沈黙せる米国の平和論者ジヨルダン博士が戦前毎年スタンフォード大学に於て為したる講演に於て彼は独逸のガドケの言を引きて繰返し説いて曰うたのである「戦争は戦争を廃する能はず、却て之を生む」と、而して博士の此言は疑ふべからざる真理である、戦争は決して戦争を以て終局に達せず、日清戦争は日露戦争を生み日露戦争は又今回の戦争の誘因を成したのである、日露役中最大の死傷者を出したる沙河の会戦を評して「文明とは此の如きものなり」と嘲りし人があつた、而も之を以て到底今回の戦争に比ぶる事は出来ない、戦争は徒らに戦争を拡大せしむるに過ぎないのである、博士又日ふ「戦争に勝つは之に敗るゝよりも不幸なり」と、然り羅馬、仏蘭西等の歴史みな之を証明す、戦争は遂に平和を来すの手段ではないのである。
(134) |第二は外交又は平和運動である〔付○圏点〕、然しながら外交の如何に無能なるかは人のよく知る処である、政府使節を他国に派遣し其国の官民争うて之を歓迎す、饗宴は饗宴に尋ぎ接待は接待に加はる、かくて両国親善の声耳に喧しき時に当り何ぞ図らん翌日電報は伝へて言ふ、……(事実は決して盟約に伴はない)、外交とは畢竟此類のものに過ぎない、試に海牙《ヘーグ》平和会議の歴史を繙き見よ、此会議の主唱者は露国前皇帝であつた、而して露帝を慫慂したる者は平和に恋々たりし英国女王※[ヰに濁点]クトリア陛下であつた、女王は戦争を悪む事甚だしく嘗て再び決して宣戦の詔勅に署名せじと決心した、然るに後英国民熱狂して南阿の二小共和国を窘迫《いぢ》めんと欲し女王に対して宣戦の署名を強要せし為め老女王の心を痛むること甚しく遂に其余生を短からしむるに至つたと云はれて居る、此女王の勧誘と経済学者ブロッホの平和論とに促されて成りし海牙平和会議は果して何を為した乎、一八九九年及び一九〇七年の両度に亘る会議の結果議決せられし処を今日より見れば実に滑稽である、曰く「風船上より弾丸若くは爆裂物を投下する事を禁ず」と、曰く「毒瓦斯の使用を禁ず」と、曰く「ダムダム弾の使用を禁ず」と、此の如き議決は今日何人が之を信ずるであらう乎、独逸の飛行機は毎週の如くに倫敦市の上空を見舞ひて幾多無辜の婦女老幼を殺戮して居るではない乎、而して之に対し英国の飛行概も亦同じ復讐を試みて居るではない乎、毒瓦斯は盛に使用せられて二十世紀の欧洲の天地に古きアツシリア歴史の残忍暴虐を繰返して居るではない乎、列強の外交官一堂に集り三鞭《シヤンパン》を抜いて平和を議するの結果は概ね此の如し、実に笑ふに堪へたりである、|誰か外交に由て世界の平和の到来すべきを信ぜん〔付△圏点〕、外交は一時の緩和策たるに過ぎないのである。
 |第三は基督教会である〔付○圏点〕、然しながら教会も亦戦争を防止するの力なき事は前のハーバード大学総長エリオツト博士の言ひしが如くである、博士の日く「基督教会は今回の戦争を防止する能はざりし事に由り自己の無能を曝(135)露せり」と、嘗て瑞典那威両国の間将に干戈を交へんとするや、教会は何の為す所なく纔に社会主義者の戦争参与拒絶の議決に由て事なきを得たのである、|基督教会は此点に於ては社会主義者にも及ばないのである〔付△圏点〕、教会は常に四分五裂す、それが一団となつて行動する事既に至難事である、況んや国民の戦争熱に酔ふ時に当り声を揃へて平和を唱へ非戦を叫ぶが如きをや、先般|紐育《ニユーヨルク》の一新聞に戯画《ポンチエ》を掲載した、時はクリスマスの頃であつた、諸教会の牧師集まりて新しき讃美歌を習ふ、歌に曰く「地には|戦争〔付△圏点〕、人には|悪意〔付△圏点〕あれ」と、而して彼方に風彩の揚らざる一人の教師は古き讃美歌なる「地には|平和〔付△圏点〕 人には|恩恵〔付△圏点〕あれ」を歌ひて衆人の為に蹴出されつゝあるのである、一片の戯画其中に深き真理を蔵するのである、基督教会が一団となつて戦争を防止し世界の平和を来さんといふが如きは実に痴人の夢である。
 平和は戦争に由て来らず、外交に由て来らず、教会に由て来らず、然らば平和は遂に来らざる乎、人類の最も切なる理想たる平和は遂に来らざる乎、かの戦慄すべき戦争は如何にして絶滅するのである乎、何人も之を知る者がないのである、人は徒らに|戦後〔付○圏点〕の教育、|戦後〔付○圏点〕の経済を云々するも|戦争其もの〔付○圏点〕を如何にして終熄せしむべきかを知らない、而して戦争は戦争を生み禍害は禍害を生みて今や全世界は行き詰らんとして居るのである、かの預言者イザヤの理想は遂に夢に過ぎないのである乎、万国の平和は永遠に実現しないのである乎、否な、決して然らず、|平和は神御自身之を降し給ふのである〔付◎圏点〕、神は其独子を再び世に遣《おく》りて彼の肩の上に世界の統治を置き給ふのである、而して彼が宇宙万物を己に服はせ得るの力を以て永遠の平和を此世に実現するのである、平和は独り彼に由て来る、彼を信ぜずして平和論を唱ふるも畢竟之れ一の囈語に外ならないのである。
 世界の平和は如何にして来る乎、|人類の努力に由て来らず〔付○圏点〕、|キリストの再来に由て来る〔付◎圏点〕、神の子再び王として(136)来る時人類の理想は実現するのである、諺に曰ふ「男子の職分は出でゝ戦ふにあり女子の職分は家に在りて泣くにあり」と、然れども若し此の如き状態にして永続せば神の造化は失敗に終るのである、然れども神はキリストの再来に由て遂に戦争を廃止し人の眼の涙を悉く拭ひ給ふのである、キリストの再臨は実に世界問題唯一の解決である。
  内村生曰ふ、余の唱道と正反対の議論を見んと欲する者は雑誌『新人』三月号に於ける海老名弾正君の「世界恒久の平和は如何にして来る乎」を読むべし、知るべし『新人』記者の余の信仰を罵倒して得々たるを、彼は「内村氏の平和論」と云ふ、何故に「聖書の平和論」と云はざる乎、余は此事に関し聖書が明かに示して居る事を説いたに過ぎないのである。
 
(137)     信仰の三階段
         (三月十日午前大阪天満基督教会創立四十年紀念会に於ける講演の大意)
                    大正7年4月10日
                    『聖書之研究』213号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
  それ神は預じめ知り給ふ所の者を其子の状に効はせんと預め之を定む、こは其子を多くの兄弟の中に嫡子たらせんが為めなり。又預め定めたる所の者は之を召き召きたる者は之を義とし義としたる者は之に栄を賜へり(羅馬書八章廿九、卅節)。
 余は大阪天満基督教会とは甚だ縁故の深き者である、過去十二年間に亘り余の此教会に於て講演を為す事凡そ十回、而も余は未だ曾て大阪市中他の場所に於て講演を試みた事がない、然るに今又来りて此教会創立四十年の記念会に臨むは奇縁と称せざるを得ない、此時に当り余は特に祝賀の意を表せんが為に来るも亦不可なかつたであらう、而して更らに奇なるは今年は余自身に取つても亦信仰生活に入りてより第四十年に相当する事である、即ち余の基督教的生活と此教会とは其齢を共にするものといふべく、四十年の信仰生活を続けし者が四十年間主の加護の下に存在したる教会に来りて其記念会を祝するを得るは不思議なる紙の導きである、然らば余は茲に如何なる語を以て祝意を表すべき乎、他なし余自身の四十年の信仰生活の概要を述ぶるに如かない、事は余一個人に係はるが如くなるも余の基督者としての実験は又凡ての基督者の実験である。
(138) 余は今日特に羅馬書第八章に就て語らんと欲す、瑞西《スヰツツル》の聖書学者にして世界に有名なる F・ゴーデー曰く「若し聖書を※[者/火]詰むるならば之を羅馬書となすを得べく羅馬書を※[者/火]詰むるならば之を其第八章となすを得べし」と、即ち彼は羅馬書八章の中に聖書全体の意義を探り得べしと做すのである、而して其第廿九第三十の両節の如きは其事を示して余りがある、信者の信仰的生活の概様は此中に明示せらるゝのである。
 神は如何なる聖旨を以て人を召して信者と為し給ひし乎、之を教ふるものは即ち第廿九節である、神は人類を愛するの余り自ら心に定め給ひし者を其子キリストの状に傚はせんとて予め之を選び給うたのであるといふ、即ち御子キリストをして唯一人の子たらしめずして彼と共に多くの兄弟を作り給ひ彼をして其中に嫡子たらしめんが為めであるといふ、神は何故或人を選び或人を選び給はざる乎、之を人の側より窺うて量る事が出来ない、然しながら神の側に在りては其の信者を選び給ふや必ず之をしてキリストと同じ性質のものたらしめん事を其の最後の目的とし給ふ事を茲に明示されたのである。
 神の此目的は如何にして実現したる乎、その経路を示すものは即ち第三十節である、曰く「定めたる者は之を召き、召きたる者は之を義とし、義としたる者は之に栄を賜へり」と、即ち知る茲に|召き〔付○圏点〕又|義とし〔付○圏点〕又|栄を賜ふ〔付○圏点〕の三階段ある事を、而して之れ信者各自の生涯に於ける実験に照して解するを得るの事実である。
 先づ余自身が召かれたるの実験を有するのである、明治の初年諸種の事情に促され当時尚ほ外国の如くに思惟されたる北海道札幌に赴かざるを得ざるに至りし其事既に余が神に導かるゝの途であつた、彼地に至るや有名なる米国の基督教的科学者W・S・クラーク氏在るありて既に道を伝へられたる其圏内に入りし事之亦召きの一であつた、加之多くの信仰の友を与へられ共に道を研究し得るに至りし事亦然りである、然し乍ら之れ皆外側(139)の召《まね》きにして之に加ふるに内側の召きがあつた、神は御自身に就き多くの事を余の心中に教へ給ひし後遂に或時余の何物なるかを明かに示し給うた、余は其時まで世の腐敗を歎き人の罪を憤り大に社会を改め国を救ひ罪悪に反対し正義を唱へん事を期したのである、然るに神は余の心に臨みて言ひ給うた、曰く「|汝こそ其罪人である〔付△○圏点〕」と、そは恰もダビデ王がナタンに対し或人の罪を怒りし時ナタン答へて「汝こそ其人なれ」と言ひしが如くであつた(サムエル後書十二章七節)、之れ余に取りて最も痛き経験であつた、然し乍ら今にして思へば其時こそ真に余が神の召きに与りたる時であつたのである、爾来偶々此召きに与らざる所謂基督信者あるを見る毎に此経験を有する事の如何に福なりしかを思はざるを得ない、斯の如く神は内より外より其驚くべき摂理と聖霊の導きとを以て余を衆人の中より召き給うたのである、其理由は量り難しと雖も召かれたるの事実は之を疑ふ事が出来ない。
 召かれたる後の余は如何であつた乎、此召きに応じて之に応はしき生涯を送らざるべからずと、之れ余の決心であつた、されば其時迄余の胸中にありし国家社会人頬等に関する問題は悉く消滅して唯如何にして余自身を神の前に義しき者と為さん乎、此悩める人を如何にせん乎の問題のみが残つたのである、故に余は此最大問題を解決せんが為に微なりと雖も日本政府の官吏たりし当時の余の地位を抛ち父母兄弟友人の反対をも顧みず国を去て米国に渡つた、而して彼地に至りても余は或病院の看護人となり最下層の病人殊に白痴小児等を救護し最も低き労働に従事したりしは即ち一に「如何にして自己を神の前に義とせん乎」との努力に外ならなかつたのである、当時余の渾身の努力は何等かの方法を以て聖書に示すが如き聖《きよく》して義しく、自己を離れたる人たらんと欲するにあつた、然し乍らかゝる努力は終に無益に終つた、余は自己を聖くせんと欲すれば欲する程却て自己の汚穢《けがれ》を認めたのである、外側の行為を聖めんとすれば内心の醜悪は愈々明かになつたのである、善を行へば善を誇るの(140)心起り、余は到底高ぶりの人、罪の子たるを免れざる事を知つたのである。
 斯くして失望の極に達したる時余の場合に於てはアマスト大学前総理シーリー先生が余の指導者であつた、即ち人の義とせらるゝは行為《おこない》に由るに非ず、信仰に由る事を余は姶めて彼より教へられたのである、「汝の義とせらるゝは汝の努力に由るに非ず、汝自身如何に自己を聖めんと欲するも望むる能はず、汝の義は汝自身に於てあるに非ず、汝の罪の為め其身を十字架に釘けられ給ひしかの主イエスキリストに於てあるなり、故に自己の努力を抛棄し唯彼を仰ぎ見よ、然らば救はれん」と、此事を知つて余の重荷は忽ち余の双肩より落ちたのである、神の前に自ら義人たらんとのみ焦りし余は是に於て眼を挙げて十字架上に宝血を流し給ひしキリストを仰ぎ依て以て義とせられたのである、即ち既に召かれたる余は今や義とせられたのである、余は茲に救拯の第二階段を登つたのである。
 此福音は余に取て実に貴重なるものであつた、余は之を聞きて又他を聞くの必要を知らなかつた、之だにあらば帰国して我が同胞に福音を宣伝するに足ると、斯く考へて余は再び友人等の忠告に耳を傾けず男躍して帰朝の途に上つた、而して爾来既に三十年シーリー先生より教へられたる此福音が今尚ほ余の宣伝する福音として存するのである、此以上また如何なる光の余に臨むとも余は此貴き福音を非認する事は出来ない、余自身が罪人なる事、而してキリストに由て義とせられたる事、此三階段は余の既に経過せし処にして仮令如何なる事情ありとも再び之を下降する事は出来ないのである。
 然しながら余は此処にも亦永く止まる能はざる事を知つたのである、余はキリストに由て義とせられたりと雖も而も未だ完全に救はれたる者ではない、之れ事実の証明する処である、試に余の伝道の結果を見よ、余が精神(141)を尽し心意《こゝろばせ》を尽して為したる伝道と雖も失敗は多くして成功は少し、福音を伝ふる事幾千人にして信じたる者は少数である、信じて之を維持する者に至ては更に極めて少数である、其他余の伝道の結果として見るべきもの甚だ少し、之をしも余の福音宣伝の結果なりと思へば余は失望せざるを得ないのである、又之を自己に就て考へん乎、素より福音に接して余は大に聖められたのである、其事は自己一人に顧みて之を知り難しと雖も偶々四十年前の旧友にして神を信ぜざりし人々に遭遇する時彼我の間顕著なる相違の存する事を感知せざるを得ない、福音を信ずるの結果の偉大なるは実に明白である、然りと雖も比較の標準を人に取らずして神の子イエスキリストに取らん乎、乃ち到底余を以て彼に比する事は出来ないのである、神の余を召き給へる目的は其子の状に傚はせんが為めなりとあるに拘らず、彼の状と余の現状との差は天壌も啻ならざるものである、是に至て余は再び失望せざるを得ない、福音の他人に及ぼせる結果と其自己に及ぼせる結果とは相俟ちて余をして大なる不安を感ぜしむるのである、神は召きたる者を義とし、義としたる者には栄を賜ふとある、|余は召かれ且義とせられたりと雖も未だ栄を賜はらないのである、即ち余の救拯は未だ完うせられないのである、かくて余は更に信仰の第三階段を上らざるを得ない〔付○圏点〕。
 然らば栄は何時之を賜はるのである乎、そは現世に於てゞはない、次の世に於てキリスト再び顕はれ給ひ我等に栄光の体を与へ彼れの国を此世に建設し給ふ其時我等は栄に入るのである、事は未だ未来に属す、然れども現在に於て之を認め之を信ずる事が出来る、信者は未だ栄光を賜はらざるも神必ず之を賜ふ事を今日此処に於て確信する事が出来るのである、故に現世に於ける信仰的生活の階段としては|希望〔付◎圏点〕を以て其第三段と為すべきである。
 而して此|希望〔付◎圏点〕を確められて信仰は更に大発展を為すのである、義とせられし事素より大なる福音である、然し(142)乍ら義とせられし者が更に其身体の復活並に栄化を被り其霊の完全なる聖潔《きよめ》に与かり殊に復興せられたる万物の中に置かれて神の栄光を仰ぎ見るを得んとの大希望を抱かせられて人生はまた一段の大発展を為さゞるを得ない、余は信仰生活を始めてより四十年後の今日に至り此恩恵に接するを得て感謝に堪へざる者である。
 神は人類を愛するの心より之をして御子キリストの状《かたち》に傚はしめ以てキリストの弟分たらしめんと定め給ふ、之れ神の御心に於ける信者選択の目的にして所謂神の予定である、而して神の此目的が人類の実験として現はるゝ時に茲に信仰の三階段を生ずるのである、即ち始に召《まねき》あり、次に義とせらるゝあり、終に栄を賜はるあり、神は先づ外側の境遇と内心に於ける罪の自覚とを以て我等を召き給ふ、次に我等が多くの無益なる努力を重ねし後十字架上に於けるキリストの贖罪を認むるに由て我等を義とし給ふ、而して最後に末の日に於て我等に栄を賜ふ事を確実なる希望として認めしめ給ふのである、神の予定は永遠の過去である、其|発現《はたらき》たる召きと義とせらるゝとの実験は即ち現在の事実である、而して其結果たる栄光の賜与は之れ永遠の未来である、羅馬書第八章の此短き両節の中に永遠の過去より永遠の未来に亘る信者の運命が明示せられたのである、最後の一段は現世に於て実現せず希望として存《のこ》る、然れども此希望たるや極めて確実なるものである、パウロが茲に「栄を賜|へり〔付○圏点〕」と言ふは畢竟其の|必然の未来〔付○圏点〕なるが故に既定の事実として之を言うたのであらう、而して実に此希望あるに由て我等は救を得たのである、故に曰ふ「我等が救を得るは望によれり」と(廿四節)。
 されば余は切に望む、此教会に於ても亦教会全体としても此信仰の階段を辿られん事を、殊に未だ来らんとする世に於ける栄光を認めざる者は今日此大なる栄光を認めて感謝と歓喜との生涯に入られん事を。
 
(143)     世界の最大問題
         (三月十三日夜京都基督教育年会館に於ける講演の大意)                    大正7年4月10日
                    『聖書之研究』213号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 世界の最大問題とは何である乎、其中に種々なる問題を含むと雖も畢竟するに|世界最大人物出現の問題に帰着するのである〔付○圏点〕、政治といひ経済といひ外交といひ究極する所人物の問題に外ならない、カーライル嘗て曰く「歴史は偉人の伝記である」と、是れ蓋し深き真理である、世界より其偉人を除けば実は歴史がなくなるのである、日本より其の天智天皇、藤原鎌足、源頼朝、北条泰時等の如き人物を除けば日本歴史は存在しない、西洋に於ても同様である、歴史は其偉人に由て形成せらる、クロムヱル、ワシントン、ビスマークといふが如き善にせよ悪にせよ偉人ありて始めて世界歴史があるのである。 而して此事は哲学より見て亦然りである、哲学最後の帰結は|人格説〔付○圏点〕(personalism)である、人格は生命の最後且最高の顕現である、生命の其極に達したるもの即ち人格である、故に万物が最高の人格に逢して其進化の極に達するのであると言ふ事が出来る。
 故に何れの方面より見るも世界の最大問題は世界を統御し之を統一するに足る完全の人物は如何にして出現する乎に於てあるのである、近頃余は二冊の著るしき著書に接した、一は蘇国《スコツトランド》の学者E・A・ヲードハウスの著(144)“The World's Expectant−Stuy of Great Possibility”(世界の欲望−大なる可能事の研究)である、而して此書の論ずる所亦此処にあるのである、世は今日の如く乱れて其帰着する処を知らず、旧文明は破壊せられて新文明は未だ起らず、全人類は暗黒の裡に彷徨ふ、是に於て人類の要求する者は此難時に処するに足るの大人物の出現なりと唱ふるのである、著者は基督信者ではないやうに見ゆる、故に彼はキリストの再現を説かない、著者自身の立場は嘗て我国に於て米人オルゴツト氏に由て唱へられし theosophy(霊智学)に於てあるもの1如くである、而もかゝる人が斯かる説を唱ふるのみならず、此書の示す処によれば英国内に於て同一の説を唱へ同一の希望を抱く者数多ありて彼等が一の協会を組織し『|星の告知《ヘラルド・オフ・ゼ・スター》』と称する機関雑誌を発刊して居ると聞いて如何に彼国に於ても亦世界的大人物の出現を翹望しつゝある乎を知る事が出来るのである。
 余の接したる第二の著書は之よりも遥に偉大なるものである、露国の詩人にして哲学者たる|ウラヂミール・ソロ※[ヰに濁点]エーフ〔ゴシック〕の著述である、ソ氏といへば世界的声名を有する思想家にしてトルストイと共に並び称せられたるものである、其思想の深遠なるに於ては恐らく遥かに杜伯以上であらう、斯人数多の著述を為したる後彼に尚ほ一の抑ふる能はざる大思想があつた、彼は常に曰うたのである、「我にして此思想を発表するに非ざれば死する能はず」と、而して彼は遂に此思想を発表した、而して之を発表したる後齢四十二にして千九百年に此世を去つたのである。
 此書近頃『戦争、進歩並に歴史の終末』なる題目の下に倫敦大学に由て英訳せられ且出版せられた、之に由て見れば著者は宗教家と称すべき人に非ずと雖も|彼は大胆且明白にキリストの再来を唱ふるのである〔付○圏点〕、彼は此世の決して戦争に由て救はるべきものに非ず又外交に由て革《あらた》まるべきものに非ずして|キリスト再び此世に現はれての(145)み人類は最後の栄光に入るべきものなる事〔付◎圏点〕を唱ふるのである、余が近年読みたる書中かゝる大胆且深遠なる思想の提唱に接した事はない、其|戯曲的力量《ドラマチツクパワー》に至てはシエークスピアに匹敵するか若くは其以上とも言ふべきであらう、此の露国大思想家の唱導がキリストの再来にありたりと知つて其事のみを以ても此問題の決して一笑に附すべきに非ず大に沈思黙考すべきものなる事を知るであらう。
 斯の如くにして歴史の方面よりするも哲学の立場よりするも又社会全体の心底の慾求よりするもはた又深遠なる思想家の理想よりするも茲に世界的最大人物の出現するに非ざれば世界は遂に救はれずとの結論に帰着せざるを得ない。 然らば世界の最大人物とは誰である乎、|言ふ迄もなくナザレの人イエスである〔付○圏点〕、此人以上の人物の世にあるべくもあらざる事は人類の輿論の既に定めた所である、詩人ゲーテの如く決して熱心なる信仰家と称する能はざる人さへも此事に就ては同一の事を幾度ともなく繰返して居るのである、彼の語にして人口に膾炙せらるゝものに曰く
  智識は如何に進歩するとも学術は其極に達するとも人類は決してかの四福音書に輝く基督教の完全なる道徳美に達する能はず
と、其他有名なる歴史哲学者エワルド又ほシエリング等数ふるに遑なき世界的大思想家も皆完全なる人といへばイエスキリストを除いて他に無き事を認めて居るのである、故に若し世に完全なる人の出現する必要ありとせばイエスキリストが再び現はるゝより他に途がないのである。
 |完全なる人に宇宙の勢力が賦与せられて初めて世は完成に達するのである〔付○圏点〕、完全なる人のみでは足りない、之(146)に宇宙の勢力が賦与せられなければならない、又宇宙の勢力のみでは足りない、若し之を不完全なる人に賦与せん乎、危険此上なしである、宇宙の勢力を己の為にあらず神の為め人類の為に使用して誤まらざる人、其人は誰である乎、今日の世界を見るに実は此人物が居らない、独帝《カイゼル》、ヒンヂンブルグ、マッケンジー、ロイドジョージ、ウイルソン、ジヨッフレー、クレマンソー、彼等はみな大人物たるに相違なし、然れどもその世界統御の任に当るべき人物に非ざる事は何人が見ても明白である、世界統御の立場より考ふれば之等の大立物も皆俗に所謂「団栗の背比べ」に過ぎない、是に於てか遥に彼等以上に卓越して彼等を命令し一令の下に彼等をして其争闘を止めしめ而して予言者の唱へしが如き完全なる平和を地上に齎すべき人物が出現しなければならない、其人は果して何人であるべき乎、之等大人物の上に卓越する事恰も富嶽の函嶺山系の上に卓越するが如き大人物は誰である乎、|即ち神の子にして人の王なる彼れナザレのイエスを除いては他にないのである、故に若し世界最大人物の出現を要求するといふならば聖書に示す如きキリストの再来を要求するより他に途がないのである〔付○圏点〕。
 余輩の唱道するキリストの再来は之を種々の方面より主張する事が出来る、或は聖書に繰返せる明言より或は天然進化の理法より或は敗壊に苦しむ万物の叫びより或は平和を欲求して已まざる人類全体の声より之を唱ふる事が出来る、而して又茲に世界最大人物の出現の要求より此問題に接触する事が出来るのである、之を迷信なり非科学的なり非合理なりと評する浅薄なる宗教家輩は誰である乎。
       *     *     *     *
 余輩のキリスト再来の唱導に対する非難攻撃の中には「非科学的」なりとの声を多く聞くのである、而して此声を発する者は誰なるかといふに科学の何たるかに就ては智識の甚だ乏しき神学者牧師伝道師其他宗教事業に従(147)事するの輩である、然しながら真に科学を研究したる者は能く科学の真価を知るのである、科学は素より甚だ貴きものである、之に由て人類の幸福の著るしく増進したる事は何人も疑はない、然し乍ら科学は或事に就ては何物をも我等に教へないのである、科学は我等に神の有る事、霊魂、心意、自由、生命等に就ては何の教ふる処がないのである、若し非科学的なりといふならば宗教其物が非科学的である、道徳其物が非科学的である、自由其物が非科学的である、科学の立場よりすれば原因なき結果あるべからずといふ、然るに人には自由意思なるものありて原因なき結果があるのである、科学は如何に之を説明せんと欲するも能はない、如何にして人が其手を挙げ得るか、其事さへ科学者には判明らないのである、斯の如くにして科学の範囲の甚だ狭きを知る者は余輩が宗教的信仰を発表するに対して非科学的なりとの声を発すべからずである、而して科学を学びし人即ち真個の科学者はかゝる反対の声を挙げないのである、|非科学的呼はりを為す者は実は未だ曾て蛙一匹を解剖したる事なき所謂神学校出の神学者並に伝道者輩である〔付△圏点〕 彼等の非科学的呼はり程価値の無いものはないのである、諸君宜しく彼等の声に耳を傾くるなく彼等の言を信ずる事なきやう勧告す、再臨は非科学的なりと称する輩が信者の葬式を司りて哥林多前書第十五章を朗読するのである、然らば復活は科学的である乎、若し復活を信じ得べくば何故再臨を信じ得ないのである乎、非科学的なりといひて再臨を排斥する者は同一の理由を以て復活をも排斥すべきである、思ふに彼等は実は復活をも信じないのであらう、故に今後彼等が葬式に於て哥林多前書第十五章を読む時には諸君宜しく彼等の言を偽善者の声と見て之に耳を傾くべかちずである。
   附記 和蘭国神学大家ファンオステルジー曰く「識者にして基督再臨を信ぜんと欲せば大なる勇気を要す」と、而して彼は該博の智識を以て再臨の高唱者であつた、再臨は単に再臨問題ではない、歴史問題であ(148)る、宇宙問題である、実は之よりも広い且つ深い問題はないのである、随て之を嘲ける人の脳髄の空乏の程度が窺ひ知らるゝのである。
 
(149)     多忙なりし三月
                         大正7年4月10日
                         『聖書之研究』213号
                         署名 主筆
 
 去る三月は近来になき多忙の月であつた、三日即ち第一日曜日には午後七時より神田青年会館に於て聖書予言的研究第三回演説会を開いた、聴衆千三百余名、愉快なる会合であつた、木村清松君司会し、藤井武君「人の子及び王としてのキリスト」なる題目の下に講じ、余は「世界の平和は如何にして来る乎」に就て演じた、戦争に非ず外交に非ずキリストの再来に由て来ると結論した、演じて後に心が清々とした。
〇同九日午前八時半中田重治君と共に大阪に向て東京駅を発した、静岡に於て木村君の我等の仲間に加はるありて甚だ賑かなる汽車旅行であつた、午後八時半大阪駅に着し、赤穂義士の如くに三人別れて各自其迎へらるゝ家に宿した、余の迎へられしは永広堂本店今井氏であつた、是は大阪に於ける余の常設の本陣である、新主人は旧主人の精神を享けて今は余の堅き信仰の友である、此家に四日間余は其家庭の人となつた。
〇十日、日曜、午前十時より大阪天満基督教会に於て説教した、来聴者四百余名、題は「信仰の三階段」、羅馬書八章廿九、三十両節の研究的説教であつた、召され、義とせられ、栄を賜はると、午後の演説の序言であつた。
〇同日午後二時より同教会に於て中田、木村の両君と共に聖書予言的研究演説を為した、来聴者六百余名、殆んど満堂の盛会であつた、余は又|年長役《としよりやく》として殿《しんがり》を務めた、題は「キリスト再来の欲求」、羅馬書八章十四節以下二(150)十三節までの研究的演説であつた、信者は其信仰の報賞として改造されたる宇宙を賜はるとの提唱であつた、大阪の兄弟に対しては少しく不向の議論であつたと思ふ、然し余自身に取りて之よりも大なる問題はない、余は彼等に余の最善を供したのである。
〇一日二回の説教演説を為してガツカリと疲労《くたびれ》た、翌十一日は僅に半人前の人間であつた、故に大阪に留らずして大和巡りと出掛けた、法隆寺を訪ふた、丹波市に天理教本山を見舞ふた、基督教の宣伝者が日本仏教濫觴の地と新神道発祥の場所とを訪ふたのである、実に奇異なる因縁である、興味多き一日の巡遊であつた。
〇十二日午後二時より天満教会に於て在大阪基督再来信者の祈祷親睦会を開いた、会する者四十余名、小なりと雖も恩恵に充ちたる会合であつた、我等は茲に「日本基督教希望団」なる者を作ることを発表して会衆一同の賛同を得た、大阪の兄弟等は五名の委員を設けて大阪支部設立に着手せられた、感謝、感謝。
〇十三日午前大阪を辞して京都に向ふた、旧友便利堂主人に迎へられて其客となつた、午後七時より三条通り基督教青年会館に於て両氏と共に演説会を開いた、会衆千二百、ラツパとピヤノとに合はして神を讃美して後に演説に移つた 三人精神を尽して演じた、余の題は「世界の最大問題」、最大人物の出現に外ならない、而して最大人物はイエスキリストに外ならないと云ふのであつた、心地快《こゝちよ》き会合であつた、三十六峯悉く我等に賛成したやうに感ぜられた。
〇十四日、昼は京都に留まり要事を弁じ、夜九時中田君と同車して帰途に就いた、翌朝柏木に帰りて凱歌を揚げた、ハレルヤ、是れで三府の運動が終つた、二三日休みながら読書に耽けつた、ベリー氏著「自由思想発達史」を読始めた、中々面白い、さうする中に原稿日が来た、書籍を投じて筆を取つた、書く丈け書いた、此次ぎは神(151)戸だ。
○廿九日独り東京を発した、沿道桜桃の真盛り、平家物語の海道下りを読みながら西下した、夜九時神戸着、神戸女学校に泊つた、翌卅日其卒業式に臨み腓立比書四章八節に就て述べた 〇卅一日復活祭日に神戸青年会に於て基督の復活と再来に就て演説した、会衆千五百、満堂総起立して余の信仰に賛成を表せられた、夜本誌読者の親睦晩餐会を開いた、門司、鳥取、岡山等より態々出席せし者あり、熱心に溢るゝ会合であつた、本誌読者は再臨運動の中堅となりて闘ふであらうと誓ふた、四月二日朝帰家、三日の東京再臨信者親睦会に出席した。
 
(152)     A STRANGE FACT.奇異なる事実
                         大正7年5月10日
                         『聖書之研究』214号
                         署名なし
 
     A STRANGE FACT.
 
 It is a strange fact that we who have never been in favour with missionaries,and have not received a sen of help from them and their churches in our Christian work of many years,now stand for plain, simple Biblical Christianity,while thos ewho attack and mock us as superstitious,unscientific and unreasonable are those who were taught and brought up by missionaries,and are now honoured among them as true teacbers of Israel. A strange fact,but not inexplicable,we believe! It was unto babes that the primitive faith was first revealed,and not unto the wise and understanding;and if it was so in days of old,why not now in these latter days? “Yes,Father,for so it was well-pleasing in Thy sight.”
 
     奇異なる事実
 
 茲に奇異なる事実がある、余輩の如く常に宣教師に嫌はれ、長年月に渉る余輩の伝道に於て曾て一銭たりとも(153)彼等並に彼等の教会より援助を受けし事なき者が今や単純なる聖書的基督教を高唱するに対し、迷妄なり非科学的なり不合理的なりと叫びて余輩を攻撃し又誹謗する人々の宣教師に由て教へられ且つ育てられ而して今猶ほ教会の信頼すべき教師として彼等の間に崇めらるゝ者なる事、此は誠に奇異なる事である、然し乍ら奇異なる事であるが解し難き事ではない、始めて福音の世に唱へらるゝや之を示されし者は所謂赤子であつて智者達者ではなかつた、而して若し疇昔さうであつたならば況して末の世なる今日に於てをやである、誠に主の宜《のべ》たまひしが如く「父よ然り此くの如きは聖旨に適へるなり」である(馬太伝十二章廿五、廿六節)。
 
(154)     〔何の恥辱ぞ 他〕
                         大正7年5月10日
                         『聖書之研究』214号
                         署名なし
 
    何の恥辱ぞ
 
 今の時代に於て基督再臨を説くが如きは恥辱なりと云ふ者がある、或ひは然らん、然れども外国宣教師の給するパンを食ひながら神学を講ずるは恥辱にあらざる乎、政治家の尻尾に附いて社会運動に従事するは恥辱にあらざる乎、富豪の家に出入して会堂建築費の寄附を乞ふは恥辱にあらざる乎、恥辱に種々ある、|而して屈辱俗化の恥辱は迷信の恥辱よりも遥かに大である〔付△圏点〕、迷信は憐むべし、然れども俗化は憎むべし、然るに迷信を憐む者は俗化を憤り得ないのである、然り自身俗化より脱し得ないのである、其機関雑誌に売薬と化粧品との広告を掲げて恥とせざる者が争で他人の迷信を怜むの資格あらんや、余輩は批評を歓迎す、攻撃を辞せず、唯余輩の敵の勇者ならんことを要求する、外国宣教師のパンを食ふ者に独立信者の心は解らない、政治家紛ひの宗教家に基督再臨は勿論、信仰の事はすべて解らない、先づ第一に恥づべきことは俗化と屈辱のパンを食ふ事とである、万事は悉く其後である。
 
(155)    判決的問題《テストクエツシヨン》
 
 信ずる乎信ぜざる乎、受くる乎斥くる乎、茲に大問題は提出せられたのである、イエスは其生命を賭して御自身の再臨を主張し給ふたのである、「我れ汝等に告げん此のち人の子大権の右に坐し天の雲に乗りて(雲の上に)来るを見るべし」と(馬太伝廿六章六三節以下 路加伝廿三章六九節参考) 之を迷信として排斥せん乎、猶太亜的思想として説明し去らん乎、或は将さに現はるべき事実として信受せん乎、人はイエスの此唱道に対して三者孰れにか其態度を決定せざるべからずである、問題は余りに明白にして応答は曖昧を許さないのである、而して斯かる明白なる問題に対して妥協は不可能である、信ずる乎信ぜざる乎、|真理は妥協せず判明す〔付○圏点〕、或ひは此問題のために教会は分離し、親友相分れ、骨肉相離るゝに至るやも知れず、然れども止むを得ないのである、斯くして信者は惰眠より醒され、聖俗判別して福音は其真光を放つに至るであらう、敢て問ふ、汝は此問題に対して如何に答ふるや、是《エース》か否《ノー》か、我に聞かせよ、明白に聞かせよ。
 
    智識と信仰
 
 智は信仰の代用を為さない、人の救はるゝは信仰に由る、智識に由らない、然れども智識は貴き物である、軽んずべからずである、智識の有るは優かに無きに勝さる、智識を誇るは罪悪である、然れども無智は名誉ではない寧ろ恥辱である、智能は神が人類に賜ひし大なる賜物である、我等は之を磨き善く之を用ゐて神の善き器具《うつは》たるべきである、智識を以てして我等は|より〔黒ゴマ点〕深く|より〔黒ゴマ点〕広く神を識ることが出来る、智識は信仰の最善の証明者で(156)ある、広き智識の上に立ちたる信仰は容易に毀《くづ》れない、堅固なる信仰は聖書、天然、歴史の上に鼎立する、智識は殊に迷信を排斥するために有効である、キリスト再来の如き迷信を醸し易き信仰を維持する上に於て健全なる智識は特に必要である、宇宙は神の愛より出たる智識の作である、之を解するに愛と智識とが必要である、故に曰ふ「汝等勤めて信仰に徳を加へ徳に|智識を加ふべし〔付○圏点〕」と(彼得後書一章五節)、世に謙遜なる智識に優さりて美はしき者はない。
 
    嘲笑者
 
 嘲笑者がある、不信者の中にあるは勿論、信者の中にある、神学者、教師、伝道師等の中にある、然し其事は敢て怪むに足りない、聖書は明かに其事に就て示して居る、彼得後書三章三節以下に曰く
  汝等先づ第一に此事を知るべし、終末の日至らば嘲笑者《あざけるもの》出来りて言はん「主の約束し給ひしと云ふ其臨る事何処に在るや、列祖の寝《ねむり》しより以来《このかた》万物は開闢の始より其儘継続して今日に至るに非ずや」と……然れども汝等我が愛する者は此一事を知らざるべからず、即ち主に在りては一日は千年の如く、千年は一日の如くなる事を、主がその約束し給ひし所を為すに遅きは或人が遅しと思ふが如くに非ず、一人の亡ぶるをも欲《この》み給はず、万人の悔改に至らんことを欲みて我等を永く忍び給ふ也……然れど我等は其約束に順ひて新しき天と新しき地を望み待つ、義其中に在り
と、嘲笑者は言ふ万物は其進化を継続して今日に至り、而して永久に之を継続すべし、世の終末と称する事の如き、是れ進化の理に反し到底有るべからざる事なりと、然れども我等信者は爾う信じないのである、我等は世の(157)進化を進ぜずして神の約束を信ずるのである、而して神の約束は神の宇宙観に基く者であつて必ず事実となりて実現する者である、世は進化しない、世は依然として原始《もと》の世である、罪の世である、其足は血を流さんが為に疾く、残害《やぶれ》と苦難《わざはひ》は其途に遺れりといふ世である、斯かる世は審判と復興とに由てのみ救はるゝのである、而して斯かる救は世に臨みつゝあるのである、然れども希望は延期され易くある、延期さるゝのではない、希望の余りに切なるが故に其実現の延期さるゝが如くに見ゆるのである、無限性を有し給ふ神の立場より見て千年は一日の如くである、神に時はない、時の観念は有限性の人にのみ有る者である、人より見て千年は長しと雖も神より見て千年は一瞬間である、神は「我れ速に来らん」と言ひ給ひて二千年を経過するも猶来り給はずと雖も彼は其約束に反き給ふたのではない、神より見ての「速か」である、神より見ての「近し」である、「時の子供」なる人より見ての「近し」ではない、而して子は父の心を以て万事に対すべきであれば、我等召されて神の子たるの素質を賜はりし者は亦彼の心を以て世の終末を待っべきである、千年決して遅からず、万年亦耐え難きに非ず、|主は必ず臨り給ふ〔付○圏点〕、速かに臨り給ふ、想ふよりも速かに臨り給ふ、故に嘲笑者の我等の待望を嘲けるに拘はらず我等は歓んで待望むのである、小児が其慈父の長途の旅行より帰り来るを待望むが如くに、我等の長兄にして救主なるイエスキリストの彼が一たび其血を以て贖ひ給ひし此地に再び帰り来り給ふを待望むのである、而して此世に在りては此待望こそ我等の生命である、此待望ありて我等は凡ての苦難《なやみ》に勝ち、墓に臨んで失望しないのである、「我等は其約束に順ひ新しき天と新しき地を望み待つ、|義其中に在り〔付○圏点〕」、我等信者は神の約束に信頻する、新天新地が政治家輩の経綸に由りて実現しやうとは思はない。
 
(158)    審判と公義と平和
 
 審判がありて公義があり公義がありて平和があるのである、公義の無き所に平和なく、審判の行はれざる所に公義は無い、而して審判は善悪の判別である、善が公的に賞せられ悪が公的に罰せらるゝ事である、衷なる善人が光明を被せられ、衷なる悪人が幽暗に駆逐るゝ事である、而して此顕明なる審判が行はれて真の公義が行はれ、其結果として真の平和が臨むのである、而して審判は痛き事、英一面より見て無慈悲なる事である、然れども審判を排除して平和は無い、所謂現代道徳は審判を嫌悪し之を排斥するが故に其要求して止まざる公義と平和とを得る事が能ないのである、之に反して神の子等は審判を恐れず反つて之を歓迎する、彼等は言ふ
  ヱホバの審判は真実にして悉く正し、是を黄金《こがね》に較るも、多の純清金《まじりなきこがね》に較るもいや優りて慕ふべし、是を蜜に較るも、蜂の巣の滴瀝《したゝり》に較るもいや優りて甘し、
と(詩篇第十九篇九、十節)、又言ふ
  我れ憐憫と審判とを謳はん、ヱホバよ我れ爾を讃歌はん、
と(同百一篇一節)、又言ふ
  ヱホバは審判の神にましませり、之を俟望む者は福なり、
と(以賽亜書三十章十八節)、如斯くにして神の審判は慕ふべき者、味ふべき者、讃美すべき者、祝福すべき者である、神の厳正なる審判を歴ずして地にも人にも真の幸福は永久に臨まないのである。
 然るに此世に於て完全なる審判は行はれない、善人は悉く賞められずして悪人は悉く罰せられない、「世界の歴(159)史は其審判である」と云ふと雖も、歴史の審判たるや甚だ疎漏をたるを免かれない、神がキリストを以て世を審判き給ふまでは真の審判は行はれない、随て真の平和は人の間に臨まない、黄金時代は最後の大審判を歴て後に来る、故に信者は恒に祈て言ふのである「主よ来り給へ、地と人とを審判き給へ、而して永久の平和を与へ給へ」と。
 
    信ずる者と信ぜざる者
 
 終に再臨を信ずるに至る信仰がある、到底之を信ずる能はざる信仰がある、再臨の教義は人の信仰を試むる為の最も良き試験石である。
 国家社会人類のために基督教を信ぜし者は基督再臨を聞て怒て之を斥くる、全世界が審判かるると云ふのである、文明が詛はるゝと云ふのである、地は焚尽《やけつ》き天は燃毀《もえくづ》れると云ふのである 国家人類の為に斯教を信ぜし者が争《いか》で斯る教義を信ずるを得んや、是れ彼等に取り確に亡国的教理である、非基督教的迷妄である、社会を詛ひ文明を蔑視《なみ》する此教義が彼等に痛撃せられ其排斥する所となるは敢て怪しむに足りないのである。
 聖なる神を懼れ、自己の罪悪に戦慄し、「噫我れ困苦《なやめ》る人なる哉、此の死の体より我を救はん者は誰ぞや」と叫び、我が罪の為に十字架に釘けられ給ひし神の子を仰瞻て「是れ我等の主イエスキリストなるが故に神に感謝す」と言ひて福音を信ぜし者は基督再臨と聞いて歓喜措く能はず全身全霊を投じて之を信受するのである、彼等に取りては是れ誠に福音である、是れなくして福音は福音に非ず、真理の此値高き真珠、之を見出さばその所有を尽く売りて之を買ふのである(馬太伝十三章四六)。
(160) 国家社会の敗頽を歎き之を済はんと欲して基督教を信ぜし者は基督再臨を聞いて憤然之を排斥し誹謗嘲笑す、己が罪を歎き滅びんとする己が霊魂を救はれんと欲してキリストの十字架に縋りし者は其再臨を聞いて新婦《はなよめ》が新郎を迎ふるの熱心を以て之を歓迎す、之を斥くるも迎ふるも各自の信仰の素質に因る、政治的基督信者 哲学的基督信者、言語学的聖書学者、社会的基督信者、是れ等は基督再臨を喜ばず、之を聞いて或ひは嘲けり或ひは憤ふる者である、之に反して心霊的基督信者、聖書的基督信者、己が罪を前《さき》にし社会の罪を後にする基督信者、是等は基督再臨を聞いて感謝と歓喜とに堪へないのである。
 信仰は前にして議論は後である、人は己が信ぜんと欲する如くに信ずるのである、斥くるも信ずるも其人の信仰に因る、研究の結果に因るに非ず、己が霊魂の欲せざる者を斥け、其の欲する者を信受す、之を迷妄と称するは之を要求せざるに因る、之を真理と称するは之を渇望して止まざるに因る、社会の罪か、己が罪か、社会革正か、自己悔改か、二者孰れか重くして孰れを前にすべき乎、此問題を解決して基督再臨問題は容易に解決せらるゝのである。
 斯かるが故にカルビン主義の信仰は基督再臨を信ずるに易く、ユニテリヤン主義の信仰は到底之を受くる事は出来ない、而してアルミニヤン主義の信仰を懐くメソヂスト教徒は此較的に罪の感覚鈍きが故に此問題に対して甚だ冷淡である、概して言へば基督再臨の信仰は個人的信仰の燃る時に栄え、教会の信仰の社会的に傾く時に衰ふ、所謂近代人が此信仰を忌嫌ふは|彼等の不真面目なる心的状態が彼等をして之を要求せしめないからである〔付△圏点〕。
 
(161)     世界と共に醒めよ
                         大正7年5月10日
                         『聖書之研究』214号
                         署名なし
 
 余輩も亦言ふ「世界と共に醒めよ」と、世界は独逸の軍国主義の非人道的非基督教的なるを覚れり、故に挙りて其撲滅に従事しつゝあり、其れと同時に世界は亦独逸の自由神学の非聖書的にして基督教の根本を毀ち信仰道徳を其根底より覆へす者なるを覚りつゝある、近世の独逸神学と独逸政策とは関係の無き者ではない、Like priests, like people(此宗教家ありて此国民あり)である、歴史的に聖書を研究すると称して其根本義を破壊するに至りし独逸自由神学の罪は決して軽からずである、|世界の基督教信徒たる者は此時に方り独逸軍国主義を排斥すると同時に又非聖書的にして非基督教的なる近世の独逸批評的神学を排斥すべきである〔付△圏点〕。
 斯く言ひて余輩は独逸国民を悪み其の単純なる霊的信仰に反対する者ではない、信仰の事に於て余輩は独逸人に負ふ所が多くある、敬神信教の念に於て独逸人は優かに英米人以上であると信ずる、然れども近世の独逸神学なるものは是れ害物と称せざるを得ない、而して是れ亦多くの独逸人の悲んで止まざる所の者である、余輩はアドルフ・ハーナツクの自由神学あるに対してヘルマン・クレーメルの福音的神学あるを忘れてはならない、悪むべきは心《ヘルツ》に於ては基督教を信ぜんと欲するも頭脳に於ては之を信ずる能はずと公言して憚からざる独逸神学校出の神学者等の態度である、而して此神学は英米の宗教界を毒し而して我日本国の基督教会をも毒しつゝあるので(162)ある、所謂独逸神学他なし、聖書を以て宇宙人生を解釈せんと為さずして、人の智識と哲学とを以て聖書を解釈する者である、聖書本位か、哲学本位か、近世独逸神学は明かに哲学本位である、人の立場より神を評する者である、聖書よりも文明を重んずる者である、而して聖書の立場より見て是れ大なる異端なる事は言はずして明かである。
 而して基督の再臨を嘲けるシカゴ大学の神学は明かに独逸神学である、而してエール大学の神学、ハーバード大学の神学、ボストン大学の神学等、是れ亦多くは独逸神学である、而して是等の米国神学校を通うして独逸神学は我日本に流込み、今や公然と福音主義を標榜する我国の諸教会に於て唱へられつゝある、余輩福音的真理のために之を憤慨せざるを得ずである。
 世界と共に醒めよ、然り世界と共に独逸神学を排斥せよ、単純なる聖書的基督教に還れよ、生意気に科学的又は哲学的基督教を唱へて福音の真理を毀つ勿れ、何故に教師と信者とに希望と平和と活気なきや、何故に高価なる会堂のみ建築されて其内に聖霊が漲らざるか、独逸神学の中毒である、聖書を批評的に見るの結果として其偉大なる真理が見えずなつたからである、醒めよ、醒めよ、聖書を文字通りに信ぜよ、奇跡を信ぜよ、復活を信ぜよ、昇天を信ぜよ、再来を信ぜよ、昔時の独逸人の如くに聖書の言のまゝを信ぜよ、世界と共に醒めて近世独逸の軍国主義に反対すると同時に近世独逸の神学に反対せよ。
 
(163)     聖書の証明
         基督再臨に関する主なる聖語
                         大正7年5月10日
                         『聖書之研究』214号
                         署名 内村鑑三
 
 基督の再臨は余輩の信仰ではない、聖書の信仰である、余輩は之を高唱して聖書の高唱する所を反響するに過ぎない、最も有力なる基督再臨論は聖書其物である、故に其論拠を探らんと欲する者は先づ第一に聖書に往かざるべからずである、聖書を措いて再臨を論ずるも無益である、之を信受するも排斥するも先づ此事に関し聖書が明示する所を精読して後の事である、新約聖書丈けにても直接間接に再臨に就て記述する所は実に|四百十八箇所〔付○圏点〕の多きに及ぶと云ふ、余輩は今茲に悉く之を列記する事は出来ない、然れども其内最も顕著なる者を指示して読者精読の用に供せんと欲する、乞ふ一日の閑を取り、左手に新約聖書を持ち右手に色鉛筆を採り、余輩が示す聖語に画線し、熟読精読して|然る後に〔付△圏点〕此重要問題に対する各自の態度を定められん事を。(表中特に顕著なる者には圏点を附し置けり)
 馬太伝〔ゴシック〕 三章七節より十二節まで 〇五章三節より十二節まで 〇同十八節 〇六章十九節より廿一節まで 〇|七章廿一節より廿七節まで〔付○圏点〕 〇十二章卅六、卅七節 〇同四十節より四十二節まで 〇|十三章全体〔付○圏点〕、殊に其三十節、三十九節より四十三節まで 〇|十六章廿七節〔付○圏点〕 〇十七章イエス変貌に関する記事、一節より八節まで 〇(164)|十九章廿八節〔付○圏点〕 〇廿三章卅七節より卅九節まで 〇|廿四章廿五章全部〔付○圏点〕 〇二十六章二十九節 ○|同六十四節〔付○圏点〕。
 馬可伝〔ゴシック〕 八章卅四節より卅八節まで 〇|十三章全部〔付○圏点〕 〇十四章廿五節 〇同六十二節。
 路加伝〔ゴシック〕 一章卅三節 〇六章廿節より廿六節まで 〇九章廿六、廿七節 〇十二章八、九節 〇|同卅五節より四十八節まで〔付○圏点〕 〇十三章一節より五節まで 〇同廿二節より三十節まで 〇|十七章二十節より三十七節まで〔付○圏点〕 〇十八章七、八節 〇十九章十一節より廿七節まで 〇|二十一章全部〔付○圏点〕 〇二十二章十六節、十八節、廿九、卅節。
 約翰伝〔ゴシック〕 十一章に於けるラザロ復活の記事参考 〇|十四章一節より三節まで〔付○圏点〕 〇十七章廿四節 〇廿一章廿二節。
 使徒行伝〔ゴシック〕 |一章十八節〔付○圏点〕 〇三章廿一節 〇十七章三十一節 〇二十四章十五節。
 羅馬書〔ゴシック〕 二章五節より十一節まで 〇五章二節 〇|八章十七節より二十五節まで〔付○圏点〕 ○|十三章十一節より十四節〔付○圏点〕まで 〇十四章十−十二節。
 哥林多前書〔ゴシック〕 一章七、八節 〇|四章五節〔付○圏点〕 〇七章廿九−三十一節 〇十一章廿六節 〇十三章十二節 〇十五章廿三節 〇同五十節以下 〇十六章廿二節。
 哥林多後書〔ゴシック〕 五章一節より十節まで、殊に第十節に注意せよ。 加拉太書〔ゴシック〕 一章四節 〇五章五節 〇六章九節。
 以弗所書〔ゴシック〕 二章四−七節 〇四章三十節。
 腓立比書〔ゴシック〕 一章六節 〇三章十一節より十四節まで 〇|同二十、二十一節〔付○圏点〕 〇四章五節。
 哥羅西書〔ゴシック〕 一章五節 〇同廿三節 〇同廿七節 〇|三章四節〔付○圏点〕。
(165) 帖撒羅尼迦前書〔ゴシック〕 一章三節 ○同十節 〇二章十九節 〇三章十三節 ○|四章十三節より十八節まで〔付○圏点〕。 ○五章一節より十一節まで ○廿三節。
 帖撒羅尼迦後書〔ゴシック〕 一章七節 〇|二章一〔付○圏点〕−|十二節〔付○圏点〕。
 堤摩太前書〔ゴシック〕 六章十四、十五節。
 堤摩太後書〔ゴシック〕 |二章十一〔付○圏点〕−|十三節〔付○圏点〕 〇四章一節 〇|同八節〔付○圏点〕。
 提多書〔ゴシック〕 |二章十一〔付○圏点〕−|十三節〔付○圏点〕。
 希伯来書〔ゴシック〕 |九章廿八節〔付○圏点〕 〇十章廿三−廿五節 〇同三十六、三十七節 〇十二章廿七、廿八節 〇十三章十四
節。
 雅各書〔ゴシック〕 |五章一節より九節まで。
 彼得前書〔ゴシック〕 |一章全部〔付○圏点〕、殊に五節、十三節 〇三章九、十節 〇四章七節 〇同十三節 〇五章一節 〇|同四節〔付○圏点〕 〇同十節。
 彼得後書〔ゴシック〕 |三章三節より十三節まで〔付○圏点〕。
 約翰第一書〔ゴシック〕 |二章廿八節〔付○圏点〕 〇|三章二、三節〔付○圏点〕。
 猶太書〔ゴシック〕 十四、十五節 〇廿一節。
 約翰黙示録〔ゴシック〕 全書が基督再臨に関はる記事である、特に|再臨の福音〔付○圏点〕と称すべき書である、其内更らに寂著なる者を列記すれば、一章七節 〇三章三節 〇同十、十一節 〇六章十五−十七節 〇十一章十五節 〇十六章十五節 〇二十章十一−十五節 〇廿一章全部 〇廿二章十六、十七節 〇同二十節等である。
(166) 以上は大略に過ぎない、若し旧約聖書の証明を列挙せんには日も亦足りないのである、聖書中如何なる教義か斯くも饒多《あまた》の証明を以て支持せらるゝ者あらんや、若し基督再臨が聖書の特に伝へんと欲する教義に非ずと云ふならば聖書は饒多の虚偽を伝ふる書なるが故に直に之を棄つるに若かずである、若し試みに聖書中より基督再臨に関する記事を刪除するならば其大部分、而かも重要なる部分が刪除せらるゝのである、|再臨信仰の維持は聖書保全の為に必要である〔付○圏点〕、再臨を否定し又は嘲笑する者に対して余輩は問はんと欲す「汝聖書を如何せんとする乎」と、若し再臨が迷妄ならば聖書は迷妄の書である、故に今日直に之を棄つるに如かずである、|再臨を斥けて聖書を保持せんとするは智識的正直を重んずる者の為す能はざる所である〔付△圏点〕、正直の人は漫に全般的冗弁を弄して真理の精確を覆はんとしないのである、信者は正直であるべきである、信仰の教師は殊に然りである、聖書の録《しる》す所の重要の記事を迷妄なりと称して聖書を世界第一の書として世に推薦するは是を正直の人の業と認むることは出来ない。
 而して単純にして偽はらざる人は再臨に関する聖書の記事を読みて疑はずして之を受くるのである、再臨の真理も聖書の伝ふる他の真理の如くに嬰児《をさなご》の心を以てするにあらざれば解し得ざる者である、即ちイエスの言ひ給ひしが如くである「我れ誠に汝等に告げん、もし改まりて嬰児の如くならずば天国に入ることを得じ」と(馬太伝十八章三節)、而して信仰の嬰児は平信徒である、其大人は教師神学者である、純正なる平信徒は疑はずして聖書の言其儘を受くるに反し、近代神学に其思想を淆《みだ》されたる神学者等は之を受くる能はざるが故に種々に曲解して説明し去らんとするのである、|改まりて嬰児の如くになりて聖書を読みて基督再臨は其儘信ずることの出来る真理である〔付○圏点〕。
(167)       ――――――――――
 
     正誤
 前号第十頁上段に使徒行伝一章十|八〔付○圏点〕節とあるは十|一〔付○圏点〕節の誤りである、此一節は再臨信者の金科玉条の一であつて彼の見遁すべからざる者である、「汝等を離れて天に挙げられし此イエスは汝等が彼の天に昇るを見たる如く亦来らん」とある、文字は明瞭にして誤解を許さないのである、聖書の言に権威がある以上は此言は之を其まゝ信ぜざるを得ない、何処に何時来り給ふかは分らない、然し乍ら主が再び来り給ふこと其事は明白である。
 
(168)     基督再臨の欲求
                    大正7年5月10日
                    『聖書之研究』214号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
                                   
  (三月十日午後大阪天満教会に於ける講演の大意、羅馬書八章十四−廿三節の研究)
 
 羅馬書の第八章は基督教を収縮したるものである、若し聖書が金の指環ならん乎、羅馬書は其宝石にして其第八章は宝石の尖頭である、故に此短き一章の中に宇宙人生に関する最も重要なる真理が包含せられて居なければならない、而して実に其十四節乃至二十二節の如きは確かに其れである。
 此の数節は宇宙の希望と人類の希望と両ながら之を簡単明瞭の語を以て示すものである、十四節に曰ふ「凡そ神の霊に導かるゝものは是れ即ち神の子なり」と、「導き」と言へば素より外界よりの導きを意味する、然るに其次節に至て又曰ふ「汝等が受けし霊は奴《しもべ》たる者の如く再び懼を抱く霊に非ず、アバ父よと呼ぶ子たる者の霊なり」と、依て知る外界より我等を導き給ふ神の霊は又我等信者の衷に存して我等をして子たらしむるの霊なる事を、即ち|外なる霊の導きに与ると共に又内なる霊を賜はりたる者〔付○圏点〕、是れパウロが基督信者に就て下したる定義である、而して彼は又曰ふ「聖霊自ら我等の霊と共に我等が神の子たるを証《あかし》す」と(十六節)、我等が神の子たるの証明は外にあり又内にあり、信者は自己が神の子とせられたるの事実を其生涯に臨みし奇しき摂理と合せて自己の霊(169)に感ずる神の霊の実験とに由て知るのである。
 信者は神の子なりと言ふ、然しながらパウロは更らに進んで曰ふ「我等もし子ならば又後嗣ならん」と(
節)、即ち嗣ぐべき何物かを有する所の者なりとの義である、神は我等を子と認むるのみを以ては足らず、我等も亦神に子と認めらるゝのみを以ては足らない、子とせられたらんには其実証がなくてはならない、而して其れには相応の賜物を受けなければならないのである、人其の子に向て汝は我が子なりと言ひ子は親に向て我は汝の子なりと言ふとも其の果して子たらんが為には之が証拠を要するのである、故に「我等若し神の子たらば又|後嗣《よつぎ》たらん、必ずや或物を譲受くべし」と言へるパウロの言は誠に適当である。
 「即ち神の後嗣にしてキリストと共に後嗣たる者なり」と(十七節)、キリストが神の後嗣として受くべき物其物が亦我等の受くべき物であるといふのである、親の子に譲るや必ず親相応のものを以てす、富豪ならば富豪相応、貧者ならば貧者相応、其所有と位地との程度に応じて譲物を為すのである、親が其子を己が子として認むるの証拠は此処にある、其如く神も亦神相応の物を其子に与へ給うて神が真に我等の父たるの証拠と為し給ふのである。
 然らば神は我等に何を賜ふ乎、問題は是れである、神既に我等に霊を賜ひたりと雖も霊のみにては足りない、神の霊は我等の霊と共に我等が神の子たるの証明を為すと雖も霊其者は未だ以て嗣子の受くべき賜物の全部とするに足りないのである、抑も神の其子に賜ふ遺産は何である乎、パウロは茲に此問題を解決せんとするのである。
 然しながら彼は直ちに其事を語らない、彼は殊更に問題を転じて暫らく天地万物に就て語るのである、曰く「それれ受造物《つくられしもの》の深き望は神の子等の顕はれん事を待てるなり云々」と(十九節以下)、受造物とは今日の語にて之(170)を言へば|宇宙〔付○圏点〕又は|天地万物〔付○圏点〕である、而してパウロは言ふ「天地万物は現在にありては敗壊《やぶれ》の奴《しもべ》である」と、又曰ふ「天地万物は今に至る迄人類と共に歎き且苦む」と、即ち天然其ものが甚だ不完全なるものにして而も其の完全に達せん事を深く待ち望みつゝあるといふのである、而して少しく天然を観察したる者は皆な此結論に達せざるを得ない、通常物の理想は之を自然に取る、人工は不完全なり天然は完全なりと言ふ、誠にソロモンの栄華の極みも野花一輪の装ひに及ばないのである、然りと雖も天然其物が実は甚だ不完全たるを免れない、見よ待望一年にして漸く蕾を破りし桜花は三日見ぬ間に忽ち散り失するのである、人の家庭の如き亦之を天然の現象として見て其の快楽の暫時にして悲哀の直に之に臨み易きを認めざるを得ない、美はしき山野の間に毒草あり毒蛇あり毒虫あり、又人の健康と生命とを奪ふ黴菌あり、動物界に於ける生存競争あり、天然其物が敗壊の奴隷にして極めて不完全のものたるは何人も之を認めざるを得ざるの事実である、パウロの言ふ所は文字通りに真理である。
 天然は不完全である、然しながら不完全なるは独り天然のみである乎、否な、人類全体も亦不完全である、加之信者其ものも亦不完全である、不完全なる人類あり、而して不完全なる天然あり、彼《かれ》の完成を待ちつゝあるが如く此も亦完成を待ちつゝある、人類と天然、信者と万物、其の不完全なる状態を共にし其悲歎と労苦とを共にし其終局の希望を共にす、此は彼の顕現を待ち彼は此の完成を望む、其事は果して何を示す乎、曰く|人類の完成せらるゝと同時に天然も亦完成せられ而して其の完成せられたる天地万物が完成せられたる人類に賦与せられんとするのである〔付○圏点〕、故に曰ふ「己の子を惜まずして我等凡ての為めに之を付せる者はなどか彼に添へて万物をも我等に賜はざらんや」と(卅二節)、然り万物である、完成せられたる宇宙、完成せられたる天地万物である、而して神の子たり其後嗣たる者の受くべき譲物は即ち是れであると彼れパウロは言ふのである、実に荘大なる思(171)想と称せざるを得ない。
 「たゞこれ等のものゝみならず、聖霊の初めて結べる実を有てる我等も自ら心の中に歎きて子と成らん事即ち我等の身体の救はれん事を待つ」と(廿三節)、之に由て見れば我等が霊に於て潔められたるは聖霊の初穂たるに過ぎない、|真実の意味に於て神の子たるに至るは救拯の結果が身体に迄及ぶの時である〔付○圏点〕、身体其ものが朽ちざる者となりて始めて収獲の時は来るのである、是れ即ち信者の完成である、而して信者の斯の如くにして其救を完うせらるゝと同時に万物も亦其救を完うせられ、|茲に栄光の天然、完成せられたる宇宙が出現し而して其れが神の遺産として子たる信者に賦与せらるといふ〔付◎圏点〕、其思想の雄大にして深遠なる誠に驚くべきである。
 パウロが此書を認めし時彼は何処に在りし乎、エペソ乎コリント乎或はカイザリヤの牢獄であつた乎、何れにせよ彼は此時甚だ貧困の身であつた、全地は羅馬皇帝に属し彼れパウロの掌中には自己の所有と称すべき一物も無つたのである、然るにも拘はらず、彼は自ら神の子なるが故に又其後嗣たるを知り而して最後には全世界と其中にある万物とが羅馬皇帝に属せずして自己の有に帰すべきを信じて疑はなかつたのである、宜なるかな貧漢パウロの向ふ処世界に敵なかりし事。
 此の世は所謂現し世である、汚れたる世界である、敗壊と患難との奴隷である、然しながら此世は我等の棄つべきものに非ず、我等の救拯の完うせらるゝ時此世の救拯も亦完うせられ茲に完全なる宇宙が完全なる神の子に与へらるゝのである、基督信者の希望は之より以下たる事が出来ない、|神の造り給ひし驚くべき宇宙万物が永久に悪人の手中に存し神を嘲る者の所有に帰すべき筈がないのである、世界が彼等の蹂躙に属するは暫時の事である、時到らん乎、天地万物一切の受造物は忽ち彼等の手より奪はれて真実なる神の子に与へらるゝのである、完(172)成せられたる全宇宙、是れが神の後嗣の譲受くべき遺産である〔付△圏点〕。
 今ま大阪の市に来りて其殷富を見るに此世の勢力の盛なるに驚かざるを得ない、日本の富は不信者の手に委ねられて居るのである、宇宙万物は神とキリストとを知らざる者の支配に属して居るのである、然しながら己の子をも惜まずして之を我等信者の為に付せる者はなどか之に添へて万物をも賜はざらんやである、此殷富、此美しき陸と海、此宇宙万物が之よりも遥に美化されたる形に於て我等に賜はるべしとは聖書が教ふる所の中心的真理である、人の思想として之よりも荘大なるものがある乎、我等の受くべき賜物として之よりも偉大なるものがある乎、キリストに於ける救の遂に此処にまで至るべきを知つて我等は唯驚歎し讃美するの外はないのである。
 約翰の黙示録第十三章の終に曰ふ「此獣の数目《かずめ》の義を知る者は智慧あり、才智ある者は此獣の数を算へよ、獣の数は人の数なり、其数は|六百六十六なり〔付○圏点〕」と、六六又六、之れ人の状態なりといふ、希伯来人に取て七は完全を表はすの数である、故に六は完全に近くして之に達せざる者である、人の数は誠に六六六である、個人然り社会然り天然亦然り、然れども神の定め給ひし時到らん乎、六六六は一変して七七七となるのである、キリスト再び来り給ふ時信者は復活し万物は復興し而して復興の万物が復活の信者の手に渡され、かくて神の後嗣は其受くべき相当の遺産を受くるのである、キリストの再臨は人生と全宇宙に関する最大問題である。
 
(173)     基督の復活と再臨
                    大正7年5月10日
                    『聖書之研究』214号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
  (三月三十一日神戸基督教青年会館に於て、又四月七日及び十四日に渉り東京神田三崎町会館に於て述べし講演の大意である)。
 
     第一回
 
 今や信仰の復興は全世界に磅※[石+薄の旁]《はうはく》たる新機運である、再臨の高唱は聖霊の導きに由る運動である、我国に於て此運動の開始せられたる此機会に当り堅くキリストの再臨を信ずる若き有為の士にして海外より帰朝する者少からざるが如きは実に不思議なる摂理と言はざるを得ない、曩には神戸に於ける集会に際し余を訪ね来れる一旧知があつた、彼は二十年前高等商業学校卒業の後久しく倫敦其他に勤務し近頃帰国したる好本|督《たゞす》君である、余は過ぐる復活日の朝彼と共に蘆屋川の畔を逍遥し有名なる汐見の桜の綻び初むるを眺め小丘に登つて暫らく信仰談を交はした、然るに驚くべし彼は再臨の信仰に燃えて居るのである、之を見て余は感慨禁ぜず、脚下一帯の松原に続く茅渟の海を隔てゝ遠く淡路島を望む所に二人は共に篤き祈を献げた、而して生来臆病過ぐる程謙遜なりし彼が其日の午後に於ける集会の席上余の講演終るや直に壇に上つて熱心なる信仰の証明を為したのである、此時に方(174)りて此事あるは果して何をか意味する、然るに今又茲に均しく新帰朝者たる平出慶一君の信仰と知識とを兼備せる有力なる再臨論を聴くを得て歓喜に堪えない、此の如きは確かに神の摂理であつて我等の事業が神の特に命じ給ひしものなるの証拠と言ふべきである。
 而うして此運動は決して独り日本に於ける小運動ではない、英国及び米国に於ても同様の運動ある事は人の既に知る所である、然るに近時教友|河面《かうも》仙四郎君(君は開戦に先だつ二年独逸に留学し爾来敵国を脱出するの機を逸して遂に最後迄残留し漸く昨年十一月許可を得て瑞西国バーゼル市に移つたのである、即ち君は戦時中の独逸の真相を知れる我国唯一の権威《オーソリチー》である)……河面君よりの音信に由れば独逸に於も亦此戦争の結果新神学は破壊若くは逆行を始めキリスト再臨の信仰著るしく勃興しつゝあり、殊に此運動は嘗て再臨信者の団体たるピーチスト(Pietist)に由て建設せられしハレ一大学を中心として行はれつゝあるとの事である、又前述好本君が牛津大学某教授に会見したる時の教授の言に曰く「余の基督教は今日まで道理的なりしに今や信仰的となりつゝあり」と、之等の言はかの心理学者バウマンの指摘せる「今回の戦争は独逸の青年を駆りてニーチエの著書より新約聖書に赴かしめたり」との事実と相待ちて欧洲に於ける精神界の大勢の那辺に存するかを示すに足るのである、今やキリスト再臨の信仰は実に聖霊の指導に基く世界の機運である。
 キリストの再臨は其の復活との間に密接なる関係を有する、若し復活を聖書の示すが儘に信ずる事を得ば亦再臨をも信ぜざるを得ないのである、而して復活節は既に一週間前に過ぎ去れりと雖も天文学者ウルム、ウーデマン等の努力に成る計算に由ればキリストの十字架に釘けられ給ひたるは紀元後三十年の四月七日(太陽暦)であつたといふ、即ち彼は千八百八十八年前の今月今日十字架に上り給うたのである、而して三日目なる四月九日の朝(175)に於て復活し給うたのである、依て知る今日は彼の復活に就て学ぶに最も良き安息日なる事を、故に余は茲に哥林多前書第十五章に記されたる彼の復活をパウロの語るが儘に聴かんと欲する、是れ余輩の言に非ずしてパウロの言である、我等は暫らくパウロの書翰の受信人たる立場に立ちて本草を熟読すべきである。
 彼は先づ曰うたのである「兄弟よ曩にわが伝へし福音を更らに又汝等に示す、汝等は之を受け之に頼りて立つ、汝等徒らに信ぜずして我が伝へしまゝを堅く守らば此福音に由て救はれん」と(二二節)、此処に「徒らに」と言へるは「早まりて」又は「能く究むる事なくして」の意である、福音の真髄を能く究むる事なく復活再臨等の事を知らずして早まりて之を信ずる者は決して尠くない、千九百年前のコリントの教会に於ても爾うであつた、今日の日本の教会に於ても亦爾うである、単に神は愛なりと聞きたるが故に、又は基督教は家庭社会の救済上有効なりと認めたるが故に信者となりたる者の如き皆な此類である、而して教会も亦此の如き人に洗礼を授けて敢て憚らないのである、甚しきに至ては神の存在をも信ぜずして唯だ正義が最後の勝利者たるを信ずるの故に洗礼を授けられたるの実例がある、然し乍らパウロは此の如き人々に対して明言したのである、曰く「我が伝へし儘を守らずば救はれず」と、蓋し彼の語の適中する信者は古今東西に其数甚だ多いのである。
 次ぎに彼は言うた「我が第一に汝等に伝へしは云々」と、「第一」とは時の順序に非ず、「最も重要の事は」の意である、彼は茲に信仰の根本的教義の何たる乎を示さんとするのである、而してパウロが謂ふ所の根本的教義とは果して何ぞ、そは社会改善である乎、又は正義の承認である乎、又はキリストは人類の理想なりとの事である乎、否な、否な、パウロに取て最も重要なる問題は近代人の高唱する是等の事ではなかつた、「キリスト聖書に応じて我等の罪の為に死に、又葬られ、聖書に応じて三日目に甦り、ケパに現はれ後に十二弟子に現はれ給ひ(176)し事なり」と(三−五節)、|キリストの死と我等の罪との密接なる関係、其復活、其顕現、是れパウロの称して基督教の根本的教義と做したる所のものである〔付○圏点〕。
 而してパウロの説く所の甦りとは身体の復活なる事は「葬られ」云々の語に徴して明白である、|室的復活に非ずして肉体の復活である〔付△圏点〕、キリストは其葬られたる身体を以て復活し而してケパに現はれ後に十二弟子に現はれ「次に五百人以上の兄弟に同時に現はれ次にヤコブに現はれ次に凡ての使徒に現はれ最後にパウロ彼自身にも現はれ」給うたのである、而して基督教の根本教義は茲にありと彼れパウロは茲に明言して居るのである。
 然るに多くの基督者は今日果して此事を信ずるや否や、近代に於ける基督教歴史の大家レーキ教授の復活論に曰く「抑も復活の信仰の起源はマグダラのマリアがキリストの墓に香物《かうもつ》を献げんとして赴きたる時其墓の空虚なるを発見したるに始まる、然るにマリアはヒステリー症の婦人にして粗忽の余り墓を誤まつて空虚の墓を見舞まつたのである」と、果して然らば基督教は素と一癖婦の錯誤の上に築かれたものに外ならないのである、学者の説概ね此の如しである、彼等は曰ふ「肉体の復活の如きは科学的雰囲気の間に棲息する近代人の信ずる能はざる所である」と、然し乍ら彼等の科学とは果して何である乎、世に価値なきものにして神学者の科学論の如きはないのである、而して彼等の解釈の如何に係はらずパウロは明白に肉体の復活を宣伝し尚附加して言ふのである、曰く「されば我にもせよ、彼等にもせよ、宣べ伝ふる所は斯の如くにして汝等は斯の如く信じたるなり」と(十一節)、実に論旨炳然として日を睹るよりも明かである。
 是の故にキリストの肉体の復活を信ぜざる者は聖書を棄つるに如かず、パウロの説く所は一点の疑を容れないのである、然るにも拘はらず黒を白と解釈せんとするは近代人の心理状態である、彼等は自己の思想を以て他人(177)の思想を強うるに巧みである、余は斯く信ずるが故に汝の論も亦斯く解せざるべからず、汝も亦斯く信ずるに相違なしと言ひて自己の思想を他人の説中に読み込まんとするは彼等の癖である、嘗て詩人ブラウニングの晩年其名声大に揚がりし頃であつた、彼は一夕倫敦街頭「ブラウニング研究会」の貼札《はりふだ》あるを見、試みに入つて其状況を視察した、偶々論題に供せられたるものは彼の戯曲の或ものであつた、会長は所謂新しき婦人にして其周囲に多くの小学者が坐して居た、而して甲論乙駁交々立ちて所説を述ぶるに一も彼自身の意味する所に当る者がなかつた、是に於て老詩人自ら一会員たるの風を装ひ「其意味は斯の如く簡単明白なり」と説明するや忽ち全員の大反対を招いた、而も老詩人は譲らずして弁ぜしかば、已む事を得ずして会長は可否を起立に問ひしに|詩人の賛成者は詩人自身の外一人もなかつたといふ〔付△圏点〕、復活論や再臨論も亦実に其の如くである、パウロの言ふ所簡単明白なるに拘はらず強弁曲解相尋で起り若し之を起立に問はゞ立つ者は彼れ筆者パウロ唯一人であらう、然れども事実は如何ともする事が出来ない、我等の信ずると否とに拘はらずパウロやヨハネやペテロの説きたる基督教の根本教義は肉体の復活にあつたのである、|アリマテヤのヨセフの献げし墓の空虚なりし事を信ぜずして基督教の信者と称する事は出来ないのである〔付○圏点〕。
 パウロは又曰ふ「若しキリスト甦り給はざりしならば我等の宣教も空しく汝等の信仰も亦空しからん……若しキリスト甦り給はざりしならば汝等の信仰は空しく汝等尚ほ罪に居らん」と(十四、十八節)、キリストの復活なくば伝道あるなし、信仰あるなし、救拯あるなし、罪の赦あるなし、復活なくして汝等の信仰は無効である、復活なくして汝等尚ほ罪の中に居るのであると、而してパウロには之を言ふの十分なる道徳的理由があつた、彼は其れを羅馬書四章の終に於て説明した、日く「キリスト我等の罪の為に付され我等の義とせられしが故に甦り(178)たり」と、即ち|復活は我等の罪の赦されて義とせられし証拠である〔付○圏点〕、何となれば復活なくんば我等は皆死せざるべからず、而して死は我等が罪人なるの唯一の証拠である、人の罪を証明するものは此欠点彼短所に非ず、人の皆死せざるべからざる事其事が何よりの証明である、故に若し罪の赦あらば必ずや死せざる人とせられなければならない、然るにキリスト先づ復活し給ひ而して自己の復活を以て凡ての信者の復活を約束し給うたのである、茲に罪の赦の明白なる証拠がある、若し此復活の希望なからん乎、罪の赦の証明何処にかある、復活なくんば救拯はないのである、復活なくんば信仰は無効にして宣教の内容は空乏となるのである。
 噫、之れ果して今日の福音である乎、社会改良を以て基督教の根本義となし、会堂建築を以て宣教上の最大事となし而して不信者に媚を呈して建築の資金を募集す、彼等は再臨の信仰を嘲けりて慨かはしき事なりと言ふも真に憤慨すべきは実に彼等自身の此の如き陋態ではない乎、復活を信ぜず再臨を信ぜずして義を行ふ事は出来ない、故にパウロは最後に強き警告を発して曰うたのである「汝等欺かるゝ勿れ、悪しき交際《まじはり》は善き風儀を害ふなり、汝等義に於て醒めよ、罪を犯す勿れ、汝等の中に神を知らざる者あり、わが斯く言ふは汝等を辱めんとてなり」と(卅四節)、誘惑せらるゝ勿れ、教会の教師信者にして復活再臨等を嘲笑する者あらば之と交際を為す勿れ、汝等の諺にも爾か言ふにあらずや、汝等宜しく義に於て醒めよ、我れ斯く言ひて汝等を怒らしめ以て覚醒せしめんと欲するのであると、以て初代信者の如何に復活再臨等の信仰を重んじたるかを知るべきである。
 過る日余は或る欧洲中立国の基督教会の監督に遇うた、彼は善き人にして或事に於ては彼と余とは善き友人であつた、然るに彼は余に問うて曰うた、「さて貴下はよもやキリストの処女降誕復活昇天再臨等を信じなさるまいな」と、此時迄打ち寛いで居た余は此意外の質問に接して直に襟を正しうした、而して漸く温まらんとする友情(179)を犠牲にするは忍びざりしと雖も其為に余の返答を曖昧にする事は出来なかつた、余は思ひ切つて明瞭に答へた、曰く「余は信ず《アイ・ビリーブ》」と、是に於て彼は又尋ねた「何故に之を信ずる乎」と、余は再び答へた、曰く「キリストは余の心に奇跡的変動を与へた、余は此奇跡を行ひし人の復活と其人に由る信者の復活とを信ぜざるを得ない」と、基督教国の教会の監督にして神学の博士たる人が余に向てかゝる質問を発するのである、而して之れ今日の基督教界の大勢を示すものである、彼等は基督教を信ずと称して実はパウロ等の根本的教義と做したる所のもの即ち是なくして福音なしと做したる所のものを排斥するのである、彼等は曰ふ、復活再臨等を信ぜん乎、近世文明を如何せんと、然しながら余は言ふ、|聖書を如何せん、近世文明は棄つべし、然れども聖書は之を棄てる事が出来ないと〔付△圏点〕、然り、聖書は近世文明よりも遥かに貴くある、而して聖書は明白に復活再臨等を以て宇宙の大真理と做すのである、パウロ、ヨハネ、ペテロ等の伝へたる純福音は之等の真理の上に立つて居るのである。
 
     第二回
 
 再臨の信仰に関する余輩の運動を評して基督教界に於ける放火なりと称した者があるとの事である、余輩の運動にして若し放火ならんには現在の我国宗教界には何か燃ゆべきものがあるに相違ない、即ち我国の教会はパウロの据えたるが如き千歳の磐を基礎として其上に金銀宝石を以て建てられたるものに非ざる事を示すのである(コリント前書三の十二)、木草禾稿《きくさわら》を以て建てたる家は神の言に由て焼き尽さるゝのである、而して余輩の運動は余輩自身の運動ではない、余輩は再臨を唱へ平和を唱へ復活を唱へて唯だ聖書の註解を試みつゝあるに過ぎない。
(180) 再臨信仰反対論者に対して余は茲に権威ある二学者の言明を紹介せんと欲する、其一は独逸の大聖書学者フランツ・デリッチである、十九世紀に於ける聖書学者にして彼の如く深遠且該博なるはなかつた、彼は其のイザヤ書第五十三章の研究中に曰く「如何なる言語学を以てするも本章を解すべからず(而して彼自身は稀有なる語学者であつた)、髑髏山上に立てられたる十字架の下に於て読むに非ざれば此章を解する能はず」と、彼の如きは実に学問と信仰との和合したる偉大なる学者であつた、而して彼れデリッチがキリスト再臨を信ずるの理由に曰く「余は再臨信者なり、イエスも亦爾か在り給へり」と、其二は基督教会歴史に関する世界最大の権威《オーソリチー》たる有名なるアドルフ・ハーナック博士の再臨研究の一節である、博士曰く「初代の基督信者は福音と再臨とを同一視せり、キリストの再臨を離れて福音あるなし、而して彼等は此信仰の変更せられん事に大反対を表せり、故に若し現時の学者にして再臨説中より一二の真理を抽出《むきだ》し而して再臨其事を信ぜざらん乎、是れ初代の信仰を蔑視するものに外ならず、単純なる初代信者に取ては斯の如く重大なる問題は他に存ぜざりしなり」と、F・デリッチとA・ハーナック、再臨の嘲笑者は須らく先づ此二大学者の言に耳を傾くべきである、而して尚ほ対抗し得べくんば即ち之を試むべきである。
 而して初代信者に取て再臨の前提を為し且つ其根本を為すものは復活であつた、哥林多前書十五章の前半に於てパウロの論じたるが如く復活は罪の赦しに関する唯一の確実なる証明であつたのである、何となれば罪の証拠は死にあり、故に若し罪を赦されなば必ずや死したる体は復活せざるべからず、然るにキリストは復活し給へり、我等も亦彼に傚ひて復活せしめらると、是れ初代信者の信仰であつた、而して復活を信ずる者に取て再臨は決して難問題ではない、優活昇天せるキリストの再来は最も信じ易き真理である。
(181) パウロは復活と罪の赦しとの関係を論じたる後更らに進んで復活に対する反対論を一掃せんと試みた、彼の所論の委曲は茲に之を述ぶるの遑なしと雖も其の論拠何処にある乎は明白である、彼は反対論中二個の疑問を認めた、一に曰く「死人如何にして即ち何の力に由て甦るべき乎」と、二に曰く「如何なる体をもて来るべき乎」と、(|来る〔付○圏点〕べき乎の一言に彼の信仰の閃きを瞥見する事が出来る、即ち彼は復活したる信者のキリストと共に顕はれ来るべきを確信したるが故にかゝる不用意の問にも其意義を漏らしたのである)、是れ決してパウロの当時に於けるコリントの信者のみの質問ではない、今日の信者而も基督教会の教師までが此疑問を提出するのである、之れ千九百年前の質問にして又現在の質問である、而して多くの信者は之が解答に窮し学問的の説明は避けて触れざらんと欲する、然しながらパウロは斯かる難問題の解決を少しも躊躇しなかつた、彼に取て復活の真理は余りに費重なりしが故に敢て自己の有する一切の知識を以て之を解釈せんと試みたのである。
 パウロの智識的解釈は今日より之を見て或は不完全であるかも知れない、然しながら注意すべきは当時の人の決して我等の想像する如く無学に非ざりし事である、今に存ぜる古代希臘の戯曲は此事を証明して余りがある、試に今日之を倫敦又は東京に於て上劇するも其思想高尚に過ぎて到底一般人士の理解する所とならないであらう、然るに二千年前の雅典《アテンス》に在りて老幼男女皆な之を賞観したのである、而してパウロの論敵はかゝる人々であつた、彼の所論旧しと雖も之を一笑に附すべからずである。
 又た彼が自己の有する凡ての学問を以て復活を説明せんと試みたるは復活其ものゝ疑ふべからざる事実なる事を示すのみならず、凡て此種の問題に関し科学的説明を試むるの決して不可ならざる事を教ふるものである、信者は多く学問を恐れ非科学的不合理的等の批評を聞いて最も心を痛む、然しながらパウロの如きは然らず、彼は(182)飽く迄も復活の真理なるを確信するが故に、即ち其の断じて迷信に非ざる事を確信するが故に之を理性に訊《たゞ》し科学に訴へて其の宇宙の大真理なる所以を明かにせんと欲したのである、我等も亦彼に傚ひて自己の信仰を自己の有する凡ての哲学科学を以て証明しなければならない、学問上の説明といへば直に之を抛棄して科学者の手に一任せんとするが如きは誠実なる信者の態度と称する事が出来ない。
 第一、如何にして復活する乎、パウロ曰く「愚かなる者よ」と、「考へざる者よ」との意である、考へざる者よ、汝等日常目前の事実を知らざる乎、汝等種子を蒔きしに非ずや、而して蒔きたる裸粒《はだかつぶ》より美はしき青草の生ずるを見しに非ずや、此簡単なる事実を如何、復活の真理も亦斯の如しと彼は言ふのである。
 生命は如何にして造らるゝ乎、是れ永遠に亘りて解くべからざる奥義である、秘密である、我等は唯其作用を知るのみ、誰か化学実験室に於て生命を造る事を得む、人類の有する一切の知識を以てするも尚ほ生命中の最下等なるアミーバ一個を製造する事が出来ないのである、然り生命は秘密である、然し乍ら事実である、之を説明せんと欲して説明する能はず、神の存在を証明せよといふ乎、然らば汝の父の存在を証明せよ、否汝自身の存在を証明せよ、馥郁たる梅ケ香は何処より出づる乎、何人も之を知らずと雖も而も其香を疑ふ者はないのである、音楽家ハイデン墺国|維納《ウヰーン》に於て将に死せんとする時偶々人ありて彼が其思想を何処より得たるやを問ふ、ハイデン乃ち死の床に在りて天を指し答へて曰く「見よ彼処より!」と、詩人ウオルヅヲルスは壁上一茎の草を歌うて宇宙の秘密其中に在りと叫んだ、カーライル曰く「汝奇跡を知らずといふ乎、然れども余は嬰児の生れ且育つを見たり、之れ豈大なる奇跡に非ずや」と、復活も亦然り、汝復活を信ぜずといふ乎、然らばかの種蒔きを見よ、一※[米+果]の穀粒より或は三十倍或は六十倍或は百倍の実を結ぶに非ずや、若し此を信ずるならば亦彼をも信ずべきで(183)あると、パウロの所論決して薄弱なりと言ふ事が出来ない。
 第二、如何なる体を以て来る乎、答へて曰く「体に種々あり、凡ての肉同じ肉に非ず、人の肉あり獣の肉あり鳥の肉あり魚の肉あり、又其の光栄即ち美的状態も同じからず、天上の物の光栄は地上の物と異なり、日の光栄あり月の光栄あり星の光栄あり、此星は彼星と光栄を異にす、死人の復活も亦斯の如し」と、(今日の神学者にして星の光栄の一々異なるを知る者果して幾人かある、パウロは彼等よりも遥に優秀なる天文学者であつたのである)、観じ来れば神は無限の手段方法を有し給ふ、而して凡ての生命に其れ相応の体を賦与し給ふ、天的生命には天的光栄を有する体を、地的生命には地的光栄を有する体を賦与し給ふ、|然らば潔められたる霊には又英霊相応の体を賦与し給はざらんやである〔付○圏点〕、生物学者は或は分析の結果を指摘して「凡ての肉皆同じ」と曰ふかも知れない、然し乍ら神は同じ肉を以て或は尊き或は卑しき体を造り給ふのである、人の肉と獣の肉と其成分は均しとするも其光栄に至ては全然異なる、されば神の肉を処し給ふや其種類は決して我等の知る所の体のみを以ては尽きない、神は天使には天使の体を与へ潔められたる霊には其れ相応の体を与へ給ふのである。
 生物学上生命に関する学説に二つある、其|機械主義《メカニズム》説は曰ふ「体ありて生命あり」と、其|活力主義《ヴアイタリズム》説は曰ふ「生命ありて体あり」と、而して前説は漸く衰へつゝある、|凡そ生命あらん乎、即ち適当の体なかるべからず〔付○圏点〕、神若し新らしき生命を賜はん乎、即ち亦適当の体を賜はなければならない、霊と体と結合して初めて個人の存在あり、体なくして霊のみを考ふる事は出来ない、|愛する者の死は何故に悲しき乎、若し霊は体を離れて恰も牢獄より解放せらるゝに均しくば死は却て喜ぶべきではない乎、然らず、人として体を有せざるべからざる者が之を離るゝ時に無限の悲哀を覚ゆるのである、復活は人の普通の情に訴ふる深き真理である〔付△圏点〕。
(184) 或人は曰ふ、キリスト霊的に我等に宿れば即ち足ると、果して然る乎、余等夫婦は愛する一人の女《むすめ》を失ひてより彼女が余等の内心に宿れるを知る、彼女と余等との関係は今や彼女の生時よりも更に密接である、然し乍ら斯《かゝ》るが故に余等は最早や彼女と面相接するの時を希はざる乎、聖霊の内在は素より信者の喜びである、然れども若しかのエマオへの途上二人の弟子の前に主の現はれ給ひしが如く今此処に我等の前に其姿を顕はし給ひたりとせば如何、宇宙万物を其手に保つ所の慈悲恩恵の主イエスキリスト今此処に立ちたりとせば如何、其歓喜と感謝とは正に無限である、友あり遠方より来る又説しからずや、霊の交通のみを以ては足らず、何時か山河百里を超えて彼の来り会する時友情の喜びは其極に達するのである。
 霊あるも体なくして完全なる個人ではない、キリストの霊を受けたる者は亦之に相応するの体を与へられて初めて完成せらるゝのである、而して其時は即ちキリスト再臨の時である、再臨ありて信者の復活あり、復活ありて愛する者の再会がある、パウロ、ペテロ、ヨハネ、アウガスチン、ルーテル、クロムウエル等に、又嘗て共に祈りし多くの兄弟姉妹等に面と面と相合せて遇ふ事を得る其日の歓喜平安感謝は果して如何ばかりである乎。
 今の人は口を開けば必ず肉体の事を言ふ、日々の新聞紙上肉体に関せざるの記事幾何ありや、都市の街頭肉に関せざるの店鋪幾何ありや、肉体は実に近代人の最も重んずる所である、|然るに独り宗教に於ては肉体を排斥して顧みざるは何故である乎〔付△圏点〕、肉体の救拯は人類の実際的要求である、而して又聖書の明示する真理である、|聖書は霊魂の不滅を説かない、所謂霊魂不滅は基督教思想に非ずして希臘哲学思想である〔黒ゴマ点〕、|聖書の高唱する所は却て肉体の復活である〔付○圏点〕、而して肉体の復活ありて初て霊魂の不滅は完うせらるゝのである。
 最後にパウロは復活及び再臨の信仰と此世に於ける事業との間の深き関係に就て一言した、曰く「されば我が(185)愛する兄弟よ、確《かた》くして動く事なく常に励みて主の業を努めよ、汝等其労の主にありて空しからざるを知ればなり」と、再来なく復活なくんば此世に於ける事業伝道皆な無効である、然れども復活ありて失敗を憂へず、無限の忍耐と待望とを抱き得るのである。
 
(186)     花の四月
                         大正7年5月10日
                         『聖書之研究』214号
                         署名なし
 
 二日朝神戸より帰つた、凱旋したと云ふても宜からう、彼地に於ける復活再臨演説会はどう見ても大盛会であつた、殊に其夜の読者親睦晩餐会と云ふたら「我れ未だ曾て斯かる会合に臨みし事なし」と云ふ底の者であつた、来会者の五分演説は後から後へと尽くる所がなかつた、孰も皆な感謝と歓喜とであつた、「聖書的信仰に還らん、始めて基督教の何たる乎を知れり」と云ふの類であつた、九時半閉会を宣して何人も解散を惜んで止まなかつた、関西の地に善き単純なる福音的信仰がある、其点に於て関東は関西に及ばないやうに見える、基督教は素々平民の信仰である、特に平信徒《レーマン》に由て維持せらるべき信仰である、故に信仰の事に於て関東人の理窟ぽいのは関西人の実際的なるに及ばないのである、関東覚むべし、関西奮進すべしである。
〇三日市外大山園に於て再信信者の郊外親睦会が開かれた、花はまだ少し早かつたが麗かなる良き春の日であつた、会する者五百余名、パウロの所謂「肉に循《よ》れる智慧ある者多からず、権能《ちから》ある者多からず、貴き者多からざる也」であつた、|勅任官は其中に一人も居なかつた〔付△圏点〕、其れ故に誠に恵まれたる会合であつた、余は斯かる人々と行動を共にするのであると知て実にクリスチヤンらしく感じた、教会堂に化粧室を備へざるを得ないやうなる人々と余は信仰の道を辿りたく無い、キリストの再臨を待望む者は此世に於ては枕する所だに無き者である。
(187)○七日第二次第一回再臨問題研究演説会を神田三崎町バプチスト中央会堂に於て開いた、来会者五百五十余名と註せられた、青年会館に於ける千名以上に比べて少しく寂寞く感じれた、然し恩寵溢るゝ会合であつた、新帰朝者平出慶一君の再臨弁護は実に立派なる者であつた、余は此際此弁士を神が我等に与へ給ひしを感謝した、余自身は神戸に於て述べしと同じ「基督の復活と再臨」に就て演じた。
〇十二日横浜に行き米国聖書会社に於て聖書販売人の一団に対し、聖書の貴き事と之を扱ふに普通の売品を以てすべからざる事とに就て自分の実験に照らして語つた、聖書売りは伝道師の一種である、故に其一挙一動聖書的ならざるべからずと述べた、帰途電車中に同会社副支配人アウレル氏と落合ひ聖書と再臨信仰に就て語り甚だ楽しく且つ有益であつた。
〇十四日、第二回演説会を三崎町に開いた、前回に優さるの盛会であつた、来聴者六百乃至七百名、余は三井芳太郎、車田秋次の二君と共に演壇に立つた、三井君が主の再臨を信ずるの結果、終に組合教会と離れざるを得ざるに至りしことを述べし時に全会衆の同情は君に向つて注がれた。
〇二十一日第三回演説会を同所に開いた、アウレル君の再臨信仰の証明あり、坂田祐君「再臨の信仰と実践道徳」に就て述べ、余は「約翰伝に於ける基督の再臨」に就て演じた、此日来会者堂に満ち七百名乃至八百名と註せられた、回を重ぬるも聴衆の興味は少しも衰へないやうに見える、此日余は蓄音器を用ゐハンデル作「メシヤ」中の三節を奏ぜしめて余の前回の講演を補はんとした、然るに器機の小なるが為に其発する音の甚だ振はざりしを遺憾に思ふた。
〇二十八日八重桜も既に散り始めて春既に闌なる安息日であつた、第四回の講演会を開いた、聴衆は前回よりも(188)多かつた、石川鉄雄君と共に講壇に登り「天然的現象として見たる基督の再臨」と題し春らしき問題に就て述べた、非科学的なりと誹らるゝ時に方り少しく天然科学の方面より此問題に就て述ぶるを得しは大なる感謝と満足とであつた。
〇茲に大感謝を以て花の四月を終る、杜鵑花の五月も亦恩恵の月であると思ふ、五月廿六日には横浜市基督教青年会館に於て演説する筈である、遠近誌友諸君の祈祷と来聴とを願ふ、近頃は筆も多忙なれば舌も多忙である、栄光たゞ彼にのみあれ。
〇五月三日四日柏木の一団エマオ会(帝大出身法学士を以て組織せらる)会員の信仰発表演説会が本郷大学青年会館に於て開かれた。
 
(189)     BELIEF.信仰とは何ぞ
                         大正7年6月10日
                         『聖書之研究』215号
                         署名なし
 
     BELIEF.
 
 BELIEF is not an intellectual act. It is not a result of careful investigations. Belief is an apprehension of truth with our whole being. Belief is therefore instantaneous. Psychologlcally,it is an act akin to a man's falling in love with a woman. He sees and believes. God speaketh,and a man believes in His words. God calleth,and a man responds by saylng:Here I am;send me.We cannot with all our arguments make a man a believer. All we can do is to confirm the beliefs of a believer.It is not necessary to be convinced by arguments in order to believe. We can believe against belief as we hope against hope. Belief is sweet reasonlng;it is a man's falling in love with God and His truth.
 
     信仰とは何ぞ
 
 信仰は理智的行為ではない、信仰は注意深き研究の結果ではない、信仰は吾人の生命の全部を以てする真理の(190)暁得である、故に信仰は瞬間的に起る者である、心理学的に之を言ふならば信仰は男女間に起る恋愛に等しき動作である、人は見て直に信ずるのである、神語り給ひて人は直に彼の聖語を信ずるのである、神召き給ひて人は直に彼の聖召《みまねき》に応じて言ふのである「我れ此に在り我を遣《おく》り給へ」と、吾人は吾人の有するすべての議論を用ゐて一人の人を説服して彼を信者と為すことは出来ない、吾人の為し得る事は信者の信仰を堅うするに止まる、信ぜんが為に吾人は議論を以て説服せらるゝに及ばない、吾人は希望に反して望むが如くに信仰に反して信ずる事が出来る(羅馬書四章十八節)、信仰は楽しき美はしき論証である、信仰は神と彼の真理とに対して恋愛に陥ることである。
 
(191)     〔三条の縄 他〕
                         大正7年6月10日
                         『聖書之研究』215号
                         署名なし
 
    三条の縄
 
 聖書は歴史であり、実験であり、預言である、即ち伝道之書第四章十二節に言へるが如く|三条の縄〔付○圏点〕である、故に容易く断ことが出来ない、聖書は過去に根ざし、現在に働らき、未来を望む、永遠の書なる聖書は昔あり、今あり、後あらん者である。
 試に馬太伝一章一節を以て例証せん乎、「アブラハムの裔《すゑ》にしてダビデの裔なるイエスキリスト」とある、其中に歴史があり、実験があり、預言がある、イエスがアブラハムの裔にして又ダビデの裔であるとは明白なる歴史である、而して其歴史的事実の中に深き心霊的教訓がある、イエスはアブラハムの信仰とダビデの罪とを身に体して生れ給ひし者である、イエスの身に在りて信仰は罪に勝ちて凡て彼を信ずる者の救拯は完成うせられたのである、而して又アブラハムはすべて信ずる者の父でありダビデは選民の王である、而して其裔なるイエスはやがて万国の民の中より凡て信ずる者を集めて聖国を建設し給ひ、其上にダビデの如くに王となりて神の民を治め給ふのである、如斯くにして新約聖書劈頭第一の簡単なる言辞の中に歴史、実験、預言の明白なる三様の意味があ(192)るのである、是れ特に注意すべき事である。
 所謂高等批評は聖書を主として歴史的に研究するが故に其霊的意義を見遁し易く、其預言的指示に注意しない、其反対に聖書を霊的にのみ解釈して其歴史と預言とを顧ざる者は楼閣を雪上に築くの危険に居る者である、而して又聖書の預言にのみ熱中して歴史と実験とを軽んずる者は常識の軌道を脱して迷信に陥いり易くある、神の書なる聖書を学ぶに方て慎むべきは観察の一方にのみ偏せざらん事である、永遠の磐なる聖書は歴史、実験、豫言の鼎足の上に立つ者である、三者其一を欠いて聖書の解釈は偏頗ならざるを得ない、イスラヱルの智者コーヘレス曰く「三条《みすじ》の縄は容易く断《たゝ》れざる也」と、聖書は過去の歴史、現在の実験、未来の預言なる三条の綱を以て縒られたる縄である、其永久に断れざるは其れが為である。
 
    ホ エルホメノス
 
 ホ エルホメノスとは希臘語である、「渠《か》の来りつゝある者」との意である、連続《ひきつゞ》いて来りつゝある者との意である、終末《おはり》に及ばざれば来らざる者ではない、今既に来りつゝある者である、然ればとて際限《はてし》なく来りつゝある者ではない、時到れば御自身来り給ふて審判を行ひ救拯を完成《まつとう》し給ふ者である、再来とは終末に至らざれば来り給はずとの意ではない、然ればとて徐々として来りて止み給はずとの意ではない、今霊を以て来り給ひつゝある者は終に体を以て現はれ給ふとの意である、再来の中に霊的臨在は含まれてある、恰かも復活の中に霊魂不滅が含まれてあると同じである、|再来は臨在を延長したる者である〔付○圏点〕、而して再来の終局が永遠の臨在即ち再臨である。
 キリストは預言者等の待望みしホ エルホメノスである(来るべき者、馬太伝十一章三節を見よ)、彼は既に、一度(193)び来り給ふた、彼は再度び来り給ふ、彼は聖霊に由りて今既に信者の衷に宿り給ふ、而して末の日に於て其栄光体を以て現然《あらは》に地上に現はれ給ふ、故に曰ふ「今|片時《しばらく》ありて来る者(ホ エルホメノス)来らん」と(希伯来書十章三七)、来りつゝある者来らんとの意である、再来信者は霊的臨在を拒む者ではない、之を確実に実験するが故に其必然の結果たるべき具体的顕現を待望む者である。
 使徒パウロ、ピリピに於ける信者に書を贈りて曰く「汝等の心の中に善き工《わざ》を始めし者、之を主イエスキリストの日までに全うすべしと我れ深く信ず」と(腓立比書一章六節)、神は聖霊を以て今既に其善き工を我等の中に行ひ給ひつゝある、而して之をイエスキリストの顕はれ給ふ時に至て全うし給ふのである、再臨は救拯の結末である、之れなくして我等の救拯は完成せられないのである、ホ エルホメノスである、来りつゝある者である、故に最後に完全に顕はれ給ふ者である、我等は或人の如く現在を高唱するの余りに未来を忘却しないのである、否な、未来の完全に現在の不完全を慰め、神キリストにありて上へ召し給ふ標準《めあて》に向ひて進むのである(同三章十四節)。
 
    猶太亜的思想なりとの説
 
 キリスト再臨は猶太亜的思想なり基督教的思想に非ず、故に基督信者は之を信ずるに及ばずと言ふ者がある、然し果して爾うである乎、若し猶太亜系統の信者に由て唱へられしが故に猶太亜的思想であると言ふならば基督教其物が素々《もと/\》猶太亜人より出たる者であるが故に猶太亜的思想である、猶太亜的思想たる必しも真理に非ずとの証拠にならない、多くの尊き真理は猶太亜人より出たのである、エホバと云ひ、キリスト(受膏者)と云ひ皆な猶(194)太亜的思想である、天地の尽きざる中に律法の一点一画も遂げつくさずして廃ることなしとイエスの言ひ給ひし律法は猶太亜人の尊崇する律法である、故に若し猶太亜的思想なるが故に之を排斥すると云ふならば基督教其物を排斥せざるを得ない。
〇然し乍らキリストの再臨は単に猶太亜的思想としてのみ之を観ることは出来ない、之は単に猶太亜人にして基督教を信じたる者の思想ではない、|キリスト御自身の思想であり又確信であつたのである〔付○圏点〕、「人の子己れの栄光をもて諸々の聖使《きよきつかひ》を率ゐ来る時はその栄光の位に坐し云々」と言ひし者は他の人ではなくしてイエス御自身であつた(マタイ伝廿五章三十一)、学者と長老の集れる中に立ちて祭司の長の問に答へて「我れ汝等に告げん、此のち人の子大権の右に坐し天の雲に乗りて(雲の上に)来るを汝等見るべし」と言ひて彼等の憤怒を買ひ死刑を宣告せられし者は是れ又イエス御自身であつた(同廿六章六四節以下)、イエスは再臨を唱へない、猶太亜人たりし彼の弟子等が彼に就て又は彼に代りて之を唱へたのであるとの説は福音書全体を壊つにあらざれば維持することの出来ない説である、新約聖書は明白にキリストの再臨をイエスの確信又使徒等の信仰として我等に伝へる、故に新約聖書を改作せざる限りキリストの再臨は其明示する(尠くとも)重要なる教示《をしへ》として之を受取らざるを得ない、黙示文学の権威《オーソリチー》なるカノン・チヤールスの如きすらイエス御自身が自己の再臨を信じ給ひしことを唱へて憚らないのである。
 
(195)     乗雲の解
         (聖書を戯謔《あざけ》る基督教の教師等に告ぐ)
                         大正7年6月10日
                         『聖書之研究』215号
                         署名 内村鑑三
 
〇基督再臨の信仰を戯謔る者は彼が雲に乗りて臨り給ふといふ事を戯謔るを以て常とする、彼等は曰ふ、雲は湯気の集団《かたまり》である、人いかでか湯気に乗るを得んやと、斯く言ひて彼等は自身が神の書なりと唱へ来りし聖書を戯謔ると同時に亦彼等の信仰の科学的なるを衒ひつゝあるのである。
〇然し乍ら若し彼等が少しく注意して彼等の聖書を覈ぶるならば彼等は自己の戯謔の甚だ理由なきことを発見するであらう、聖書記者は彼等の思想を表はすに方て其文字を択ぶに用意周到であつた、彼等は近代人が思ふが如くに非科学的思想に走らなかつた、聖書の誤謬を指摘して得意たる今時の神学者牧師等は少しく注意して彼等の聖書を覈ぶべきである。
〇今聖書に就て之を見るに馬太伝廿四章三十節の日本訳に「人の子の天の雲に乗り来るを見ん」とある、然し乍ら原語の聖書に「乗り」なる文字は無いのである、故に英訳聖書は単に coming on the clouds of heaven(天の雲の上に来る)と訳して「乗り」なる文字を省いて居る、馬可伝十三章廿六節に於ては日本訳聖書すら「乗り」なる文字を省き単に「人の子の雲の中に現はれ来るを見ん」と訳して居る、路加伝廿一章廿七節に「雲に|乗り〔付○圏点〕来る」(196)とあるも此場合に於ても馬太伝同様「乗り」なる文字は之を原語に於て見ることが出来ないのである、黙示録一章七節の場合も同様である、如斯くにして「雲に|乗り〔付○圏点〕」とあるは訳者の意訳に過ずして原記者の記したる所ではない、マタイもマカもルカもヨハネも人の子雲に|乗りて〔付○圏点〕来るとは記さなかつたのである。
〇然らば彼等は何んと記したのである乎、先づルカより始めんに、彼は「人の子は雲を纏ふて来る」と記したのである、彼が此場合に用ゐし文字は希臘語の前置詞 EN である、此前置詞に「纏ふ」又は「衣る」の意味がある(文法家の所謂 EN of investiture)而して此事を明白に記表《かきあら》はしたる者が黙示録十章一節である、曰く「我れ一人の強き天使の雲を|衣て〔付○圏点〕天より降るを見たり」と、同じやうにルカは人の子は雲に乗りて来ると記いたのではなくして雲を|衣て〔付○圏点〕来ると録したのである。
〇馬可伝十四章六十二節の場合に於て記者の用ゐし文字は前置詞の META であつた、而して此詞の意味は「偕に」とか、又は「中に在りて」とか云ふべき者なるが故に、日本訳聖書に於ても「乗り」なる文字を省いて単に「雲の中に現はれ来る云々」と意訳したのであらう、如斯くにしてマカの記きし所はルカの録せし所と少しく異るも、両者共に「雲に|乗り〔付○圏点〕て」とは明記しなかつたのである。
〇然らばマタイは如何にと云ふに、彼は前置詞の EPI を用ゐたのであつて是れ或ひは「乗りて」と意訳して差支ない詞であらう、然し乍ら彼と雖も「乗る」とか又は「坐する」とか云ふ文字を用ゐざりしことは前に述べたる通りである、「雲の上に来る」とはマタイの録したる所である、而して「上」と訳されし原語の EPI に又|統御〔付○圏点〕又は|統率〔付○圏点〕の意味がある、故にマタイの記きし文字を「雲を|統率〔付○圏点〕して来る」と意訳するも文法上何等の差支は無いのである。
(197)○黙示録一章七節の場合は馬可伝十四章六十二節の場合である、故に「雲に乗りて」と云はずして「雲の中に現はれ」と訳すべきである、同じく希臘語の META である、「偕に」又は「其中に在りて」の意である。
〇如斯くにしてルカは「雲を|衣て〔付○圏点〕来る」と云ひ、マカとヨハネとは「雲の|中に〔付○圏点〕来る」と云ひ、マタイは「雲の上に」又は「雲を|率ゐ〔付○圏点〕て来る」と云ふ、孰れも「雲に|乗り〔付○圏点〕て」とは云ふて居ない、勿論「乗りて」と明記したりとて敢て迷信視するに及ばずと雖も、而かも注意深き聖書記者等は斯かる瑣細の事に至るまで之を等閑《なほざり》に附せざりしを見て、我等は其記事の信頼すべく、其使用せし文字の軽々しく看過すべき者にあらざる事に今更らながらに気が附くのである。
〇然らば「雲」とは何である乎、雲とは理学上の湯気の集団であるか、若し爾うであるとしても少しも差支は無い、水の上を歩き給ひしキリストが雲に乗り来り給ふと聞いて信者は少しも怪まないのである、余輩は雲は雲にあらずと唱へて聖書の弁解に努むる者ではない、然し乍ら「雲」とあるが故に直に湯気の集団であると解するは余りに平凡なる見方である、預言は未来の透察であるが故に自から詩的である、表号的である、預言の明確の意味は其実現の時に至らざれば判明しない、雲とは理学上の雲である乎、或ひは雲に似たる或者である乎、今日之を判定することは出来ない、然し乍ら聖書の他の記事と照合して吾等は略その何たる乎を推測する事が出来る、而して希伯来書十二章一節に「許多の見証人《ものみびと》に|雲の〔付○圏点〕如く囲まれ云々」の言辞あるを見て、又は猶太書第十四節以下に「視よ主其聖き万軍と偕に来りて衆人《すべてのひと》を鞫き云々」の言辞あるを見て雲必しも雲にあらざる事を知るのである、主は聖き万軍に雲の如くに囲まれて来り給ふのではあるまい乎、而して其事が聖書記者等が人の子雲と偕に、或ひは雲を率ゐて、或ひは雲に纏はれて来り給ふと録したる事ではあるまい乎、天の万軍の聖衆に囲まれて来り(198)給ふことを|雲に囲まれ〔付○圏点〕て来り給ふと言ふと雖も余輩は其間に何等の悖理をも認むる事が出来ない、是れ確かに詩的解釈である、然し乍ら詩的ではあるが空想ではない、|主の具体的に来り給ふ事は確実である〔黒ゴマ点〕、而して馬太伝廿五章卅一節に於て主が「人の子己れの栄光をもて諸の聖使を率ゐ来る時は其栄光の位に坐し云々」と言ひ給ひたりと録しあるを見て余輩の此解釈の当らずと雖も遠からざるを思ふのである。
〇如斯くにして日本訳聖書に「人の子雲に|乗り〔付○圏点〕て来る」とあるが故に基督再来を信ずるは迷妄なりと戯學るは不注意極まる行為であると思ふ、|世に見苦しき事とて基督教の教師等の聖書攻撃の如きはない〔付▲圏点〕、彼等は宜しく深く聖書を覈べて之を弁護すべきである、軽々しく聖書を戯謔りて自己の立場を覆すべきでない。
 
(199)     再臨信者の祈祷として見たる主の祈祷
         馬太伝六章九−十三節研究 (五月十九日大阪天満基督教会に於ける講演の一部)
                         大正7年6月10日
                         『聖書之研究』215号
                         署名 内村鑑三
 
〇主の祈祷は基督信者の祈祷の模範であつて彼が毎日繰返す所の者である、而して何ぞ知らんや是れ基督再臨信者の祈祷と見て其意味の最も明白になる事を。
〇|天に在す我等の父よ〔ゴシック〕 天とは後にいふが如く地に対して云ふのである、天とは霊界を指して云ふのではない、聖旨《こゝろ》は必しも霊界に於て行はれない、天とは神の聖旨の完全に成る所であつて或る場所《ローカリチー》を指して云ふのである、其何処である乎を知らない、只此地でない事丈けは明かである 〇「父よ」と云いて「神よ」と云はない、又「我等の父よ」と云ふ、キリストの父であつて又信者の父である、彼は言ひ給ふた「我は我が父即ち汝等の父に昇る」と(約二十の一七)、我等の父の家は天に在るのである。
〇|願くは爾名《みな》を尊崇めさせ給へ〔ゴシック〕 爾名を聖めさせ給へ、聖き者として尊ませ給へ、権威ある者として崇めさせ給へ、此祈祷は後《あと》に「爾旨の天に成る如く云々」とある如く「天に於けるが如く地に於ても」の句を附して為すべきである、即ち「願くは天に於けるが如く地に於ても爾名を専崇めさせ給へ」と、神の聖名は天に於ては尊崇めらる、然れども地に於ては尊崇められない、地に於てはイエスキリストの父の聖名は今や軽んぜられ、嘲けられ、辱し(200)めらる、是れ彼の威権が地に於て行はれざる最も明白なる証拠である、地は今や其主人たる神に叛きて其名を辱しめつゝあるのである、而して全地が其正当の君たる神を君として崇むるに至らんことをと祈る、而して是れ「彼が鉄の杖を以て列国《くに/”\》を牧《つかさ》どり給ふ」時であるは我等の知る所である(黙十二の一五)、聖名の尊崇は神の威権に係はる大問題である、愛の普及と称するが如き道徳問題とは其性質を異にする、「王其国に臨りて其名の民の間に尊崇められんことを」と云ふが如き祈祷である。
〇|爾国を臨らせ給へ〔ゴシック〕 「国」とは希臘語の basileia《バシライア》即ち王国である、而して王国は王(basileus《バシルース》)ありて始めて成立する者である、故に爾国を臨らせ給へと云ふは「国王を送り給へ」と云ふか、又は「王よ臨り給へ」と云ふと同じである、而して是れ基督信者の口を以て唱へらるゝ時に基督再臨の祈祷たるは何人が見ても明かである、|殊に「臨り」と云ふは俄然的来臨の意である〔付○圏点〕、即ち旧約馬拉基書三章一節に謂ふ所の「汝等の求むる所の主、即ち汝等の悦楽ぶ契約の使者|忽然〔付○圏点〕其|殿《みや》に臨らん」とある其事である、「臨る」と云ふ言辞の中に「忽然」と云ふ意味が含まれてある、「爾国を臨らせ給へ」と云ふは現代人が思ふが如く「人類全体が教会の指導の下に徐々として基督信者と成らんことを」と云ふが如き事ではない、キリストは人の知らざる時に|忽然と臨り給ひて〔付△圏点〕其国を建設し給ふとは聖書全体の明かに教ふる所である。〇|爾旨の天に成る如く地にも成らせ給へ〔ゴシック〕 原語を直訳すれば「爾旨をして成らせ給へ天に於けるが如くに地に於ても」となる、此祈祷の中に特に注意すべきは「成らせ給へ」と云ふ言辞である、是れ文法に所謂|命令法《イムペレチーブ》である、「命じて爾旨をして成らしめ給へ」と意訳して差支ない者である、而して是れ王の来臨に因り権威宣揚の結果として実現する事たるは明かである、即ち王の名の崇められん為に彼れ臨り給ひて其命令の行はれん事をとの祈祷(201)である、何処までも王の来臨を乞ふの祈祷である、聖霊の内在に加ふるに大王の天地万物の上に来臨し給ひて之を一変して義の王国を建設し給はんことを求むるの祈祷である、以塞亜書二章十節以下廿二節まで等と対照して解すべき祈祷である。
〇以上は神に係はる祈祷である、以下は信者に係はる祈祷である、神に係はる者三つ、人(信者)に係はる者三つ、而して之に最後の頌讃の辞一句を加へて七つ即ち完全の祈祷となるのである。
〇|我等の日用の糧を今日も与へ給へ〔ゴシック〕 此祈祷を文字の儘に解して其意義は甚だ解し難くある、主は他の所に於て(而かも直ぐ後に)「生命の為に何を食ひ何を飲まんとて思ひ煩ふ勿れ」と教へ給ふた、然るに此所には日用の糧を我等に与へ給へと祈るべしと教へ給ふと云ふ、其間に確に矛盾がある、勿論糧の為に祈るは悪しき事ではないとして信者が自己の為に祈るべく教へられし三ケ条の中に其一ケ条が肉体の糧の為であるとは甚だ受取り難き事である、之には何にか他の意味がなくてはならない、之れ基督信者に取り応はしい祈祷でなくてはならない、而して再臨信者の祈祷として見て其意味が明瞭になるのであると思ふ。
〇此祈祷の中に難解の辞が一つある、それは「日用」と訳せられし希臘語の epiousion《エピウーシオン》である、是れ何を意味する辞なるや言語学者と雖も今に至るも解らないのである、之を「日用」又は「日毎」と訳せしは拉典訳聖書に由るのであつて原語の確実なる意味ではない、或は「明日」の意なりと云ひ、或は「上より降る」の意なりと云ふ、其の孰れが真《まこと》正しきや判定することは出来ない、信者が日毎に復誦しつゝある祈祷文の中にも斯かる難解の辞あるを知つて聖書研究の容易ならぬ事であることが判明る、然し乍ら此辞を別として祈祷全体の意味は解するに難くない、「糧」は確かに肉体を養ふための糧である、之を或人の云ふが如くに「上より降る霊のマナ」と解すべき(202)でない、又「今日」といふ辞も其意味は明白である、故に祈祷の意味は「今日といふ今日此肉体を養ふための糧を我等に与へ給へ」と云ふことである、而して信者は何故に斯かる祈祷を毎日繰返さなくてはならない乎、|彼は明日を知らざる今日限りの者であるからである〔付○圏点〕、主は何時来り給ふ乎|判明《わから》ない、今日か今日かと彼の来臨は待たるゝのである、斯かる心の状態に於て在る者は明日又は明年に対し肉の準備《そなへ》を為すの必要はないのである、信者は「今日と云ふ今日に必要なる肉の糧を与へ給へ」と祈りて日に日に主を俟望むのである、|糧の要求ではない〔付○圏点〕、
〜|慾の制限の要求である〔付◎圏点〕、「明日の事を思ひ煩ふ勿れ、明日は明日の事を思ひ煩へ、一日の苦労は一日にて足れり」とある主の教訓の実行の要求である、天空《そら》の鳥を養ひ給ふ天の父が其子を養ひ給ふは必然である、糧の与へられん為に父に祈るの必要はない、|唯我等の糧の要求の今日以上に渉らざらんこと〔付○圏点〕、是れ信者の特に祈るべき事である、此祈祷の意味を解せんと欲せば須らく路加伝第二十一章第三十四節に記せるイエスが其の弟子等に与へ給ひし警誡の辞を参照すべきである、曰く「汝等自から心せよ、恐らくは飲食に耽り、世の煩労《わづらひ》にまとはれて心鈍り、思ひがけなき時に、かの日(基督再臨の曰)羂《わな》の如く来らん」と、而して此事あらんことを知るが故に信者は日に日に祈るべきである「願くは今日、今日丈けの糧を我等に与へ給へ」と、|信者の〔付△圏点〕陥り|易き危険は糧の与へられざらんことではない、明日又は明年又は子孫の事を思ひ煩ひて、世の煩労にまとはれて主再臨の日に於ける〔付△圏点〕救拯|の好機を逸せん事である〔付△圏点〕。
〇|我等に負債《おひめ》ある者を我等が免《ゆる》す如く我等の負債をも免し給へ〔ゴシック〕 是れ如何なる場合に在るも信者の為すべき祈祷である、然し乍ら前後の関係より見て是れ特に終末《おはり》の審判に備ふるための祈祷であることが判明る、其直ぐ後に「天に在す汝等の父も汝等の罪を|免し給はん〔付○圏点〕」、「|免し給はざるべし〔付○圏点〕」とありて孰れも未来動詞である、今免すは後免され(203)ん為である、今免さずば後に天使等の集議に干らん、地獄の火に干るべし(五章廿二)、今兄弟と和らがずば、後「訟ふる者汝を審官《しらべやく》に附し、審官また汝を下吏に附し、遂に爾汝は獄《ひとや》に入れられん」(五章廿五)、実際に人の罪を赦すの動機にして主再臨の希望の如く強き者〔付△圏点〕はない、今日までに幾多の怨恨は此希望の起りしが故に取除かれたのである、今日の基督教会内に多くの不和怨恨の蟠まりて解けざるは其内に此希望がないからである、論より証拠、基督再臨を霊的にのみ解釈し、其具体的実現を嘲ける者に敵を赦すの心乏しく、仇恨、争闘、※[女+戸]忌、分争は彼等の間に絶えないのである。
〇|我等を試誘《こゝろみ》に遇せず悪より拯出し給へ〔ゴシック〕 是れ甚だ解し難い祈祷《いのり》である、試誘は悪い事ではない、之に由て信者の信仰は益々堅められ且つ高めらるゝのである、雅各書一章二節以下に言へるが如し、曰く「我が兄弟よ若し汝等|各様《さま/”\》の試誘に遇ば之を喜ぶべき事とすべし、そは汝等の受る信仰の試みは汝等をして忍耐を生ぜしむるを知れば也云々」と、又曰く「忍びて試誘を受くる者は福なり、蓋試誘を善しとせらるゝ時は生命の冕を受くべければ也」と(同十二節)、然るに主は茲に「我等を試誘に遇はし給ふ勿れ」と祈るべしと教へ給ふ、是れと彼れとの間に大なる矛盾が無くてはならない、而して其明白なる解釈は本誌前号に於て中田重治氏が『主再臨の光をもて見たる聖句』の中に示されし通りである、信者に遇ふべき試誘がある、而して又遇ふべからざる試誘がある、而して遇ふべからざる試誘は基督再臨の時に不信の世に臨まんとする試誘である、黙示録三章十節に言へる「地に住む人を試みんが為に全世界に臨まんとする試煉」である、此試誘を遁るべき事に就てはイエス御自身が弟子等に告げて教へ給ふた、曰く「汝等|警醒《つゝし》みて|此臨まんとする凡の事〔付△圏点〕を避れ又人の子の前に立ち得るやう常に祈れ」と(路廿一の卅六)、而して「我等を試誘に遇せず」との祈りは此祈りに他ならないのである、如斯くにして再臨信者の祈(204)祷としては此祈祷に深き意味がある、然れども再臨を信ぜざる者に取りては主の教へ給ひし此祈祷は解する甚だ困難《かた》い者である。〇「悪より拯出し給へ」とある「悪」とは|悪者〔付○圏点〕であつて悪魔である、終末の日に於て悪魔の誘惑の一層強烈になるが故に爾か祈るの必要があるのである。
〇|国と権《ちから》と栄は窮りなく爾の有なれば也〔ゴシック〕 国は神の国であつて基督の再臨に由て地上に建設せらるゝ者、権は国を建立し又維持するの力、栄は万物を己れに服はせ得る権を揮ひ給ふの結果として聖国に顕はるゝ栄光である、是れ皆父の有であると云ふ、父ならでは為す能はず又有せざる者であるとの意である、父のみ国を建つるの能を有し給ふ、故に此父に対ひて「爾国を臨らせ給へ」と祈る、父のみ此国を治むるの権を有し給ふ、故に此父に対ひて「爾旨の天に成る如く地にも成らせ給へ」と祈る、父にのみ窮りなき栄光存して彼れのみ能く我等をして其子の栄光の状に象らしめ給ふ、故に此父に対ひて我等を聖め給へ、悪者より拯出して聖国の民たるの栄光に与らしめ給へと祈るのである、|国〔付○圏点〕と云ひ|権〔付○圏点〕と云ひ|栄〔付○圏点〕と云ひ皆政治的の言辞である、人の子が再び天より降り来りて地上に建設し給ふ義の王国に適用するにあらざれば意味を成さゞる言辞である。
〇如斯くにして主の祈祷は再臨信者の祈祷として見て意味最も明瞭なる者である、単に之を霊的に解釈せんとして其或る部分は意味を作《なさ》ず、或る他の部分は意義甚だ微弱なる者となる、天国は近づけり、我等項を伸して之を俟望んで此祈祷は自づから我等の心より湧出るのである、主は勿論|今時《いま》と雖も我等と偕に在し給ふ、然れども彼が再び顕はれ給ふ時に我等の歓楽《よろこび》は充たされ、其時外なる万物は内なる霊に和して信者の希望は完成うせらるゝのである。
 
(205)     約翰伝に於ける基督の再来
         (神田三崎町バプチスト会館に於て 四月廿一日)
                    大正7年6月10日
                    『聖書之研究』215号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 キリストの再来に反対する者にして約翰伝に拠る者が甚だ多い、故に約翰伝に於ける再来思想に対しては十分なる注意を払ふの必要がある。
 今茲に約翰伝を以てする再来反対論の代表者として海老名弾正君の所論の一節(四月四日発行基督教世界所載)を紹介する、但し余は決して此問題を以て余の多年の知人たる同君と論争せんと欲する者ではない、勿論君と余との間に個人的怨恨の如きは毛頭之を存しない、又之を存すべからずである、余は唯反対論者中の代表者として君を拉し来り而して君の説に照して聖書の示す所の真理を闡明せんと欲するに過ぎないのである。君は曰ふ
 
  所が其中に此問題に対して深遠なる説明を試むる者が出て来た、かのヨハネ伝は即ち夫れである、ヨハネ伝にはキリストの再来を否定しては居ないがしかし此問題は精神的に解すべきものであつて即ち神の霊が我心に溢れて清くなり高くなり我等が平安を得るに至るは之れキリストの霊が我に来るに由るのであるとして居る、ヨハネ伝記者は此意味に於てキリストは精神的に我等に来り給ふのであつてキリストの心と我心と一致する事に由て其現在を自覚するといふ方面を明かにして来た、此立場から見ればキリストが雲に乗りて来るといふ思想の如きは浅薄なるユダヤ教思想の継承であつて基督教本(206)来の思想ではない、基督教本来の基督観は神の子キリストの清く高き霊に於てキリストと結ばるにあるのであつてそこに即ち神の国が出来るのである、故にキリスト再臨の信仰は異端の信仰にして須くクリスチヤンの捨つべき妄説であると主張するに至つたのは一大見識と言はねばならぬ。
 
 こは少しく過言たるを免れない、約翰伝記者は決して基督再臨の信仰は異端の信仰……妄説であると|主張〔付○圏点〕しては居ない、而も大体に於て斯く論ずるの理由が無いではない、キリストの再来を霊的に解するの思想は確かに約翰伝中に之を認むる事が出来る、例へば其第十四章十八、廿三、廿八節の如き又は第五章廿四節以下(本節に就ては別個の解釈の余地なきに非ざるも)の如きが其れである、故に以上の反対論には一応聖書的根拠ありといふべきである。
 されば先づ反対論者に十分の地位を譲りて約翰伝には彼等の論ずる如く爾かありとしやう、而して後余輩は敢て問はんと欲するのである、|然らば彼等は果して其他の点に就ても同様に約翰伝を〔付△圏点〕信憑|するのである乎〔付△圏点〕と。
 約翰伝はキリストの神性を明言するに於て又その奇跡を高唱するに於て絶好の書である、曰ふ「道《ことば》は即ち神なり」と、又曰ふ「トマス答へて彼に曰ひけるは我主よ我が神よ」と、之等の明白なる言辞は之を曲解すべきやうもない、奇跡に就ても亦同様である、五千人の饗応の如き明白に奇跡として記さる、殊にラザロの甦生《よみがへり》に至ては其の驚くべき奇跡たる事一点の疑をも容れないのである、然るに反対論者は曰く「約翰伝は歴史に非ずロゴス思想に基づく哲学的小説なり」と、而して彼等はイエスの神性問題奇跡問題復活問題等に就ては約翰伝を全然無価値の書として敢て顧みないのである。
 |若し約翰伝にして無価値の書ならん乎、何故に独り再臨問題に関してのみ其権威を認めんとする〔付○圏点〕? 加之(207)彼等の言ふ所によれば純粋なる基督教を求めんと欲すれば共観福音書に赴かざるべからずと、然るに再臨を詳説するものは実に共観福音書ではない乎、自己に利益ある時は何物をも取て之を利用し其一度び自己を利する所なきに至るや直に之を抛棄するは実に現代人の一特徴である、而して自由神学者の聖書に対するの態度は即ち之れである、斯の如きは豈に不誠実の極ではない乎、|再来思想無きが故を以て約翰伝を信ずるならば即ち同書に明言する所のイエスの神性と奇跡と復活とを信ぜよ、然らば遂に亦再来をも信ずるに至るであらう〔付○圏点〕。
 翻つて問ふ、|約翰伝は果してキリストの再来を唱へざる乎〔付△圏点〕、此問題に答へんが為には更に関聯して研究すべき他の問題がある、即ち約翰書及び約翰黙示録の著者如何の問題である、約翰書は約翰伝の序文又は附録として同一記者に由て書かれたるものならんとは多くの聖書学者の一致する所である、黙示録に至ては一時反対説甚だ有力なりしに拘らず近時之も亦行き詰りの状態に陥れりとは再来反対論の驍将マシウ博士の言である、而して基督教会に於ける伝説は三書を以て均しく使徒ヨハネの著作なりとする、三書が其根底的思想に於て相関聯するものなるの事実は之を疑ふ事が出来ない。
 誰か黙示録に再臨なしと言ふ乎、黙示録は実に再臨の福音とも称すべき書である、而して約翰書も亦其第一書二章廿八節、三章二節三節等に於て明白に再臨を唱ふるのである、故に若し教会の伝説の如く此二書共に約翰伝記者の著作なりとせば彼には再臨思想が充実して居つたのである、果して然らば約翰伝独り再臨思想を欠如するものと言ふ事が出来ない。
 而して約翰伝第十四章一節乃至三節はキリストの再来を説くものなりとは神学思想を以てせざる平信徒の純粋なる解釈であつて而も又聖書註解の王《キング》と称せらるゝH・A・マイヤーの説明である、マイヤーの一言容易に嘲け(208)る事が出来ない、彼は最も冷静にして乾燥せる頭脳を有する学者である、而して約翰伝の此場所を彼の如くに解釈する学者としては彼の他に尚ほカルビン、ルートハルト、ホフマン、ヒルゲンフエルト、エワルド等がある、又近時ロバート・ロー氏は其好著「|生命の試験《テスト、ヲブ、ライフ》」(約翰書註解)中に論じて曰く「ヨハネが高唱する所のキリストの内在はやがて其外的|顕現《バルーンヤ》を以て完成すべきものである」と、其他第六章卅五節以下に於て五度び繰返されたる「我れ末の日に必ず之を甦らすべし」の語の如き、又第廿一章廿二節に於ける「我若し彼が存《ながら》へて我が来るを待つを望まば云々」の語の如き再臨を以て之を解するに非ざれば意味を為さないのである、又第十一章に於けるラザロの甦生の如きは末の日に於ける復活の実物教育とも称すべき者にして再臨に関する最も良き事実的証明である、加之暫らく彼言此語を論ずるを已めて|約翰伝全体の思想を大観せん乎、之れ即ち復活的生命の福音であつて其終局は必ずや基督の再臨に至らざるを得ないのである。約翰伝に於ける再臨の記述の比較的僅少なる所以は其の補充的福音書たるの性質にあるのである〔付○圏点〕、約翰伝の成りし頃既に共観福音書は教会内に流布せられて居つた、故に著者は之を補充せんと欲して筆を取つたのである、約翰伝がイエスのガリラヤ伝道に就て記す所甚だ簡略にして主としてユダヤ伝道を伝ふるは之が為めである、教義に裁ても亦同様である、再臨の事は既に共観福音書の重複して高唱したる所であつた、故に著者は自ら堅く之を信ぜしと雖も本書に於て詳説するの必要を認めず寧ろ之と相対してキリストの霊的臨在を唱道するの急務なるを感じたのである、且又著者自身の立場より見て彼は既に黙示録を著はして遺憾なく再臨を描写したるが故に再び之を繰返すの必要なかりしのみならず、読者の側に於ても重きを再臨に置くの余りキリストの霊的臨在を軽んずるの傾向あるを認めたれは其弊を矯めんと欲して殊更に霊的福音を唱へたのである、同じ事実がテサロニケ教会に対するパウロの伝道に於て在つた、パウロ曩に彼等に対(209)し再臨を高唱したるの結果信者が多くの誤謬に陥りたるを見て之を補はんが為に記したるもの即ち今日吾人の有するテサロニケ後書である、故に後書は前書の補充的書翰と見て其意義明白である、約翰伝と黙示録との関係亦然り、前者は後者の補充的著書である、此事実を知つて約翰伝に再臨の記事を掲ぐる事少き所以を容易に解決する事が出来るのである、然るに此明瞭なる解決を棄て他に種々なる解釈を試みんと欲すれば混乱は混乱に尋ぎ疑問は疑問を生みて尽くる所を知らないのである。
 近時E・F・スコツト氏は其著『第四福音書の研究』中に於て論じて曰く「ヨハネと雖も時代の子である、其父母の思想より全然離脱する事は困難である、故に彼自身は再臨を信ぜざりしも偶々旧き伝来の信仰が露出したに過ぎない」と、学者の詭弁とは斯んな者である、率直なる実験に拠る平信徒は斯かる学説に耳を傾けない。
 
(210)     天然的現象として見たる基督の再来
         (神田三崎町バプチスト会館に於て 四月廿八日)
                    大正7年6月10日
                    『聖書之研究』215号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 再臨研究演説会を始めたるは冬の最中の事であつた、爾来東京及び関西を通じて此会を繰返す事茲に十回、冬は去りて春は来り桜花は開きて又既に散り失せたりと雖も独り再臨問題に関する興味は依然として変らない、是れ此問題の決して余輩同志の運動に由て起りし者に非ずして神の提供し給ひし大問題なるが故に人心に触るゝ事極めて深き証明である。
 而して此問題が世の注意を喚起する事多きに従ひ余輩に対する反対の声も亦益々大である、或は新聞に或は雑誌に或は余輩の許への投書に於て種々なる悪罵冷評は余輩に向て浴せ掛けらるゝのである、素より余一個の短き生涯に於ても世人の罵詈讒謗を受くるは今に始まりし事ではない、否此点に就ては余は日本に於て少くとも最も多き経験を有する者の一人であると思ふ、今より三十年前余は幾多の宣教師諸君より異口同音に「彼はユニテリアンなり」と嘲けられた、其結果として余は米国に於て有せし多くの信仰の友人を失つた、|然るに怪しむべし当時斯の如く余を嘲けりし人にして今や或は自らユニテリアンとなり或は全く信仰を失ひし人が少くないのである〔付△圏点〕。後数年余は又他の悪罵を受くるに至つた、曰く「乱臣賊子不敬漢」と、是れ日本全国民が余に被らしめたる汚名(211)であつた。北は北見より南は薩摩に至る迄余を呼ぶに此名を以てせざるものはなかつた。恰も余に対して国賊呼はりを為す事が其人の愛国心を証明するかの如き観があつた、其結果余は宿るに家なく遂に時に変名を用ゐるの已むなきに至つたこともあつた、然るに如何、|後数年にして所謂教科書事件の勃発するや曩に余を国賊と罵りし幾多の教育家が恥づべき収賄罪に問はれて続々と獄に投ぜられたのである〔付△圏点〕、知るべし余を呪ひし者却て自ら呪はるゝの結果に陥りし者多きを、然らば即ち今や余輩の再臨の信仰を嘲りて迷妄と言ひ非科学的と呼び亡国的非基督教的と做す者甚だ多しと雖も此際何の弁護をか要せん、暫らく時を待てば事実は判明するのである、|曩に余輩を嘲りてユニテリアンと言ひし者自らユニテリンとなり国賊と呼びし者自ら国賊となる、されば今余輩を罵りて非科学的と言ふ者よ、乞ふ注意せよ汝等却て自ら非科学的の行為に出でゝ耻辱を招かざらん事を〔付△圏点〕。
 茲に題して「天然的現象として見たるキリストの再来」といふ、必ずしも再臨の科学的弁護を為さんと欲するのではない、然しながらキリスト再臨の如き宇宙の大問題は諸方面より光を投じて之を明かならしむべきである、天然的現象として見たる再臨も亦聖書が示す所の明白なる事実の一である、
  荒野《あれの》と湿ひなき地とは楽み沙漠は喜びて番紅《さふらん》の花の如くに咲き輝かん、盛に咲き輝きて喜び且喜び且歌ひ、レバノンの栄を得カルメル及びシヤロンの美はしきを得ん、彼等はヱホバの栄を見我等の神の美はしきを見るべし……そは荒野に水湧き出で沙漠に川流るべければなり、焼けたる沙は池となり湿ひなき地は水の源となり野犬の臥したる住所《すみか》は芦葦《あしよし》の繁り合ふ所となるべし(イザヤ書卅五草)。
  我れ思ふに今の時の苦は我等に顕はれん栄に比ぶべきに非ず、それ受造者の深き望は神の子等の顕はれん事を俟てるなり、そは受造者の虚空《むなしき》に帰らせらるゝは其願ふ所に非ず、即ち之を帰らする者に因れり、又受造(212)者自ら敗壊《やぶれ》の奴たる事を脱れ神の子等の栄なる自由に入らん事を許されんとの望を有たされたり(羅馬書八章十八節以下)。
  天使生命の水の河を我に示せり、其水|澄徹《すきとほ》りて水晶の如し、神と羔の宝座《くらゐ》より出づ、城《まち》の衢の中及び河の左右に生命の樹あり、十二種の果を結び一種を月毎に結ぶ也、その樹は万国の民を医《いや》すべし(黙示録廿二章一、二節)。
 宗教の目的は人類の救拯にあり天然の如きは其及ぶ所に非ずとは普通の見解である、然しながら聖書の説く所は之と異なる、|聖書は神が人類を救ひ給ふと同時に時到らば万物をも改造し給ふ事を教ふるのである〔付○圏点〕、此の呪はれたる地球、此の山川草木禽獣、此の宇宙万物が遂に贖はれて聖者の住むに適当なるものとせらるべき事を予言するのである、前掲羅馬書八章十八節以下に於てパウロが論ずる所の大問題は即ち之れである、彼は曰ふ「信者は神の子なるが故に又其後嗣である、然らば神の彼等に譲り給ふべき遺産は何である乎、曰く此世界である、時到らば此世界が改造せられて信者に賜はるのである」と、実に荘大なる思想である、パウロ此時カイザリヤの牢獄か又は旅中の仮寓に於ける貧寒の身であつた、多分彼の所有としては蔽衣《へいい》二三着の外何も無かつたであらう、然れども彼は欧羅巴亜細亜阿弗利加の大陸も遂に悉く改造せられて信者に賜はるべきを確信したるが故に恰も羅馬大帝国を自己の有の如くに見て縦横に馳駆したのである、而して此の全世界の改造の実現するは言ふ迄もなくキリスト再来の時である。
 預言者イザヤも亦使徒パウロと同じく天然の改造を明白に預言した、前掲イザヤ書第卅五章の如きは其一例である、而して彼れの偉大なる預言を解せんが為には読者自ら身をパレスチナの地に運ばなければならない、彼は(213)曰ふ「砂漠は喜びて番紅の花の如くに咲き輝かん、……砂漠に川流るべし云々」と、此語は我邦の如く一の砂漠を有せざるのみならず殆ど不毛の地とては無く苟も土あらん乎即ち産物ありといふが如き国に於て之を解釈するに困難である、然しながらイザヤの国土パレスチナは然らず、南にシナイ半島の沙漠あり、ヨルダンを超えて東にアラビヤ大沙漠あり、アラビヤの広袤は露西亜を除きし欧洲大陸の全体に当り我が日本国の十一二を其中に包容し得ると言へば其の如何に大なる乎を想像し得るであらう、而して此のアラビヤの大部分が唯だ沙より成る不毛の山と谷と平原とである、又かのサハラの沙漠の如きに至ては其面積正に米国四十有八州に匹敵するといふ、其他|戈壁《ゴビ》の沙漠ありトルキスタンの沙漠あり世界に於ける沙漠は決して僅小なるものではない、近来仏国等に於ては是等の不毛地に関する利用策を講じつゝありと雖も幾多の広大なる沙漠は依然として地表に存続して居るのである、而してイザヤの如きは其生涯中常にかゝる沙漠を実見して居つたのである、然るに彼は憚らず高唱して「沙漠は番紅の花の如くに咲き輝かん」と曰うた(茲に云ふサフランとは多分水仙の意ならん、即ち特に水を要する植物である)、又「沙漠に川流れ緑滴り人口繁殖の巷と化せん」と曰うた、之を霊的に解せば其れ迄なるも預言者の言は明白にして曲解を許さない、神万物を贖ひ給ふの預言たる事は疑ふべからずである。
 然らば万物の改造は果して可能である乎、アラビヤの沙漠は果して豊饒の沃土と化し得るであらう乎、勿論神の力を以て能はざる事あるなし、然しながら神は天然の改造を行ふに方り多く天然的方法を以てし給ふ、故にキリスト再来に基づく万物の改造も亦天然的現象として見て其の不可能に非ざる所以を知らば一層之を信じ易くなるのである。
 試に地図を披き見よ、アラビヤの北方に裏海あり、裏海の北方に大陸を隔てゝ北氷洋がある、而して裏海に(214)棲息する動物中北氷洋産に酷似するものが少くないのである、例へば※[魚+尋]《てうざめ》又は海豹《あざらし》の類之れである、依て知る、裏海と北氷洋と二者嘗ては一度び接続し居たる事を、此推定は聖書研究上幾多の暗示を与ふるものである、初めイスラエルの民幾十万モーセに率ゐられて埃及を出でし後久しくシナイ半島に流浪した、其間彼等は如何にして食物を得たる乎、朝毎に天よりマナを与へられたりと雖もそれのみではあるまい、即ち当時のシナイ半島は今日に此し更に沃饒の地であつたのであらう、然るに一朝裏海北氷洋間の土地隆起するや従来北氷洋より送られし湿潤の空気は遮られてシナイ半島に達せず、遂に此所に沙漠を現出したるものと思はる、海北に土地隆起して海南の沃土忽ち沙漠と化したのである、然らば沙漠に再び川流れて番紅の花の如くに咲き輝かしむる事何の困難かあらん、神若し之を欲し給はゞ必ずしも特別の奇跡を行ふを要せず、唯だ裏海北氷洋間の土地を今一度び陥没せしむれば即ち足る、然らばパレスチナ南方の沙漠は再び化して緑野となるであらう。
 アラビヤ然り、サハラ亦然り、サハラ沙漠利用策は学者為政家の大問題である、而して其の或る部分は海面より低きが故に之を開鑿して海水を誘導し沙漠中に湖水を造れば可なりと做す者あるも事困難にして実行せられない、然しながら地の或る所は下り或る所は上る事あるは極めて多き事例である、地質学者の説明に由れば日本と朝鮮、又北海道とサガレン島とは嘗て連接し居たる事ありといふ、故にサハラの一部を陥没せしめて沙漠に川を流れしむるが如きは神に取ては極めて容易の業である。
 更に類似の一現象を求むれば濠洲大陸の成立が其れである、学者は曰ふ或る大なる隕石落下し来りて地球に衝突し半ば埋没したるもの即ちかの濠洲大陸であると、而して地軸が軌道に対して廿三度半の傾斜を為せるも亦此大隕石衝突の結果なりと説く、然らば地表に大陽熱を受くるの厚薄あり春夏秋冬の別あり沃野沙地の差あり其他(215)種々の変化を生ずるに至りし所以は一隕石の落下にありと見ることが出来る、知るべし神の世界を改造し給ふ方法の甚だ単純にして且容易なるを。
 聖書が教ふる所の事実を人の智慧に訴へて「斯くあるべし」、「斯くあるべからず」と決するは笑ふべき迷誤である、人の寿長くして百歳を超えず人類の歴史的生命亦僅かに六千年に過ぎない、然るに夜々《よな/\》我等の眼に映ずる星の中には其光線の六千年を費して漸く此地球に到達するものありといふ、即ちアダム、エバの時代の光を今日姫めて我等が望みつゝあるのである、斯の如き短小の経験を以て永遠の預言を批判せんとするが如きは恰も独逸小話にある蜉蝣《かげろう》の決議と何の選ぶ所がない、或時蜉蝣中の学者間に会議が開かれた、而して一学者は立て曰うた「諸君或る古書に此池の水面氷結して周囲の緑草皆枯死する時ありと記せり」と、然るに満場一致之を駁して曰く「迷妄々々」と、斯くて二時間以上の生命を有せざる蜉蝣等は一年間の事実を解する能はずして之を否決し去つたのである、聖書は実に神の言である、故に永遠より永遠に亘るの真理を語る、如何にして之を浅薄なる人間の智慧と経験とに訴へて否決し去る事が出来やう乎、聖書若し沙漠に花咲かんと言はゞ誠に爾かあるべしである、聖書若し宇宙万物の改造を預言せば誠に爾かあるべしである。
 聖書はキリストの再臨を以て俄然的出来事として示して居る、或は「ラツパ鳴らん時瞬く間に云々」といひ或は「盗人の来る如く」といひ、或は「電の東より西に輝く如く」といふ、然るに天然の進化は漸進的である、故に聖書の示す世の終末に於て我等に臨むと云ふ大変動は天然の理法に背くと言ふ者がある、果して然る乎、天然現象中にも俄然的変化多きに非ざる乎、諏訪湖の堅氷は一夜の中に融解するではない乎、石狩又は北見の野に春は蒼皇として来り昨日迄の積雪皆消えて忽ち福寿草は開き達摩草は笑ひ蝶は飛び蛇は動くではない乎、赤道直下(216)を走る船舶の甲板上に立ちて日出を待つ時|真闇《くらやみ》中突如として太陽の躍り出づるを見るではない乎、或は又青年子女の所謂青春期に其心身俄然として一変するではない乎、生物学上に於ても近来の進化論は俄然的進化を認むるに至つた、ダーヰンの説によれば何事も急変を許さず唯徐々として恰も河水が岩角を切り砕きつゝ遂に谿谷を造るが如くに進むのみである、然るに近頃和蘭の学者ドヴリースの研究によれば徐々的変化の外に急変的進化ありて天然物を造出すには後者却て力ありといふ(mutation theoly)、故にパウロがダマスコへの途上に於ける一日の経験に由て忽ち回心したるが如き、或は余が四十年の信仰生活の後一朝にして再臨信者となりたるが如き少しも怪しむに足りない、新現象が突発する事は決して天然の理法に背かないのである、而して神は或時に至り急激的に全世界を改造し給ふのである。
 世界の改造が天然的現象として見て不可思議ならざるのみならず、天然其ものが既に大なる預言である、今朝の如き美はしき朝は再臨の時を彷彿たらしめざるを得ない、かの富士山上の日出に際し甲信駿武一帯の山々が荘美なる旭光中に涵《ひた》されたる絶景の如きは其儘に一の預言である、之に類する栄光の天然が遂に実現するのである、教友清水繁三郎君のメキシコより寄せたる最近の書信の一節に曰く(君は勿論故国に起りし再臨運動を知らずして筆を執つたのである)
  当地にて手近く聳え候所のオバント山の独立安固の容姿と其谷間を超えて繁る森に暁将さに到らんとする時の景色は面白く、谷間は白らみ山の裾と森の樹々は淡く濃く青く、涼気身に沁みて爽かに義の太陽を迎えんと致しては暗黒は去りて|主は来り給ふ、斯く来り給ふ〔付○圏点〕かと思はしめ候
と、然り美はしき天然を見て主は斯く来り給ふかと思ふは信者自然の情である、而して主は実に斯く来り給ふの(217)である、かゝる栄光の天然の中へ栄光の身体を以て我等は臨むのである、天然其物がキリスト再来の預言である、故に深き同情を以て天然を観察したる者は自からキリストの再来を信じた、大詩人コレリツジの如き、カウパーの如き、プラウニングの如きは其れである、詩人ゲーテは曰ふた「我れ独り天然の中に立つ時に彼女の解放を待焦るゝ収監中の囚人なるを知れり」と、而して基督再来は人類救拯の時であると同時に又天然解放の時である。
 
(218)     基督再臨の証明者としてのユダヤ人
         (神田三崎町バプチスト会舘に於て 五月五日)
                    大正7年6月10日
                    『聖書之研究』215号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 基督再臨の如きは単純なる問題にして一回若くは二回の演説を以て之を説明し尽す事を得べしと想像したる者が尠くないであらう、然しながら余の此壇に立つ事前後八回にして嘗て一度びも同じ事実を繰返さゞるに尚ほ語るべき事は無限である、既に之を直接に聖書に訴へ又或は社会の現状に或は天然の進化に訴へて論ずる所ありしが今回は更に世界歴史の一面より窺ひて此問題を研究せんと欲するのである、若し機会あらば哲学の方面よりも之を論ずる事を得べく、殊に専ら聖書に拠らん乎、其創世紀よりして数十回、其イザヤ書よりして一年間の講演を続くるに足り、ヱレミヤ記エゼキエル書ダニエル書ヨプ記等を以てせんには到底時足らず、かのエステル書又はルツ記等の如き人の意外とする所のものに就てすらも之を再臨の光に照して多くの有益なる研究を為す事が出来るのである、是に於てか余輩は反対者に提議せんと欲する、|他なし反対者諸君果して何かの問題を〔付△圏点〕|提《ひつさ》げ|一月初旬より五月の終りに至る迄少しも興味を減ずる事なくして〔付△圏点〕斯種|の会合を続くる事が出来る乎〔付△圏点〕、社会改良可なり国家救済可なり若し其れが出来ると思はゞ乞ふ試みよ、加之再臨の光を有せざる人々の大欠点は聖書の尽きざる源より生命の水を掬む事を知らざるにある、彼等の聖書知識は極めて浅薄である、其の平常自ら読み又は(219)引用する所の聖句は甚だ狭き範囲に限られて居る、新約中にありても例へばテサロニケ前後書コロサイ書エペソ書又は羅馬書の九章乃至十一章馬太伝十三章廿四章廿五章及び黙示録の如きは封ぜられたる書なりとして殆ど之に触れない、若し旧約に入らん乎、全体としては之が歴史的参考書たるの価値を認むるに過ぎずして其の我等の日常生活に如何程の関係あるかを知らない者が多いのである、見よ再臨を嘲る雑誌に聖書を伝ふる事幾許ぞ、一二の聖句を利用して実は自己の論を進むるのみ、而して其大部分は政治経済小説又は小文学者の批評等に関する記事である、然しながら聖書を以て溢るゝ者にはかゝる余裕はないのである、之れ狭きが故ではない、大問題に就て語るべき事余りに多きが故である、再臨問題決して狭からず、是は維れ聖書の中心的真理である、従て人生問題字南開題の中心的真理である、再臨の光を以て往く所として知識の宝玉を発見せざるはない、此処にも彼処にもである、さながら春の野に出でゝ花を摘むが如く余りに目楽しくして何れを択ぶべきかを弁へざるが如くである。
 余輩は茲にキリスト再臨の証明者としてユダヤ人を提出せんと欲する、之れ或人には甚だ新らしき題目であらう、ユダヤ人と言へばイエスを産み又之を十字架に釘けたる人種にして今は亡国の民である、彼等には過去ありて未来あるなしとは多くの人のユダヤ人観である、ユダヤ人の将来と自己の信仰とに密接の関係ある事を知る者の如きは果して幾人あるであらう乎、然しながら再臨の信仰が我等に供《あた》ふる問題中ユダヤ人の歴史ほど興味あるものは無いのである、之れ実に我等の救拯に最も深き関係ある問題である、而して此事に関する聖書の本文は極めて多しと雖も仮りに其一二を挙ぐれば
  其日ヱホバは高き所にて高き所の軍兵《つはもの》を征《きた》め地にて地の諸の王を征め給はん、彼等は囚人《めしうど》が※[こざと+井]《あな》に集めらる(220)ゝ如く集められて獄中に閉ざされ多くの日を経て後|刑《つみ》せらるべし、|かくて万軍のヱホバ、シオンの山及びヱルサレムにて統べ治め且其の長老たちの前に栄光あるべければ〔付○圏点〕月は面《おも》あからみ日は耻ぢて色変るべし(イザヤ書廿四章廿一節以下)。
  其日汝等イスラエルの子等よ、ヱホバは打ち落したる果《み》を集むる如く大河の流よりエジプトの川に至る迄汝を一つ一つに集め給ふべし、其日大なるラツパ鳴りひゞきアツスリヤの地にさすらひたる者エジプトの地に追ひやられたる者来りて|ヱルサレムの聖き山にてヱホバを拝むべし〔付○圏点〕(イザヤ書廿七章十二節以下)。
  兄弟よ、我れ汝等が自己を智《かしこ》しとする事なからん為に此奥義を知らざるを欲《この》まず、即ち幾分のイスラエルの頑硬《にぶき》は異邦人の数盈つるに至らん時迄なり、而して|イスラエルの人悉く救はるゝを得ん〔付○圏点〕、録して救者《すくひて》はシオンより出でゝヤコブの不虔を取除かん、又其罪を赦す時に我が彼等に立てん所の誓は此れなりとあるが如し(羅馬書十一章廿五−廿七節)。
 即ち知る聖書はイスラエルの決して亡ぷる事なく遂に神が嘗てアブラハムに賜ひたるパレスチナの地に復帰し再びヱルサレムに都せん、而して救者其所に臨み親しく彼等を統べ治むるに至らんと預言するのである、イザヤが此語を発したるは紀元前凡そ七百年にして今より少くとも二千六百年前であつた、爾来今日に至る迄此語の預言する所は果して消滅したる乎若くは尚ほ実現しつゝある乎、若し前者ならんには聖書は価値なき書である、然しながら若し後者ならんには、即ち預言者の古く預言したる大事実が今日我等の目前に儼然として存在するならばそは驚くべき事であつて、聖書が大体に於て文字通りに歴史的事実として見らるべき事を教ふるものである。
 現在の独逸皇帝の祖フレデリツク大王と其侍医チムメルマンとの間に行はれし面白き会話が世に伝へられて居(221)る、大王はボルテールの弟子にしてルーテル教会に属すと雖も基督教に冷淡なる人であつた、而してチムメルマンは恰も秀吉に於ける曾呂利新左衛門の如くに大王に仕へたが彼は善き基督信者であつた、或時大王チ翁に問うて曰く「汝今日迄に幾人を殺したる乎」と(後者は医者なりしが故である)答へて曰く「決して少数に非ず、然れども陛下には及ばず」と(大王は七年戦争を戦ひしが故である)、或時大王又問うて曰く「汝が信ずる基督教の証拠何処にある乎」と、チ翁直に答へて曰く「陛下よ、ユダヤ人! ユダヤ人!」と、こは単にチ翁の頓智なりしのみならず確に深き真理であつた、|ユダヤ人は実に基督教の証明である〔付○圏点〕、彼等は弘く全世界に散布し何れの国と雖もユダヤ人を見ざる所はない、而して彼等が自己の生命よりも重しとするものは即ち旧約聖書である、旧約の一言一句は彼等に依て恪守せられペンテコステ逾越節《すぎこしのいはひ》又は割礼等は今に至る迄悉く実行せらる、而して彼等の最大の希望は実にメシアの出現である、|かゝる国民が前後四千年の間盛衰興亡の渦中に立ちて其堅固なる存在を失はず、アツシリアは滅びエジプトは倒れギリシャ羅馬は失せたるに拘らず独りイスラエルのみは今尚ほ強健なる民族として繁栄し其数千二百万、財権に知識に美術に世界の牛耳を握り最大勢力として存続しつゝあるのである、斯の如き事実は果して何事かを語らざる乎、目ある者は見るべし、若し他に奇跡なしとするも此の歴史上の一大事突こそは最も驚歎すべき大奇跡ではない乎〔付○圏点〕。
 ユダヤ人は其人口に比例して偉人を輩出したる事に於て世界第一等の人種である、何れの方面よりするもユダヤ人に遭遇せざるを得ない、哲学に於ては最大哲学者の一人たるスピノーザがある、彼は純粋のユダヤ人である、文学に於てはレツシングの傑作『賢者ナタン《ナタン、デル、ワイゼ》』の主人公たるモーセス・メンデルゾーンあり、又有名なるハイネがある、ハイネは独逸文学中最も人心の深所に触れたるものにして彼を以て独逸文学に対するユダヤ人の貢献は(222)尽きたりと称せられて居る、音楽に於てはメンデルゾンあり又ワグネルと比肩すべきマイエルベ−ルがある、後者の独逸音楽界を風靡したる頃ワグネル出でゝ音楽界よりユダヤ人を駆逐せんと欲し国王の援助を得て大音楽堂を作り意気揚々壇に上りし所其第一列に立ちてバイオリンを執りし二十人は悉くユダヤ人なるを発見し唯呆然たるの外なかつたといふ、其他新聞記者としては倫敦タイムスの巴里駐在通信員プロー※[ヰに濁点]ツツがある、彼は普仏戦争当時の大功労者であつた、又一時は大英帝国も其宰相としてユダヤ人を戴いた事があるのである、ビーコンスフイールド卿即ち之れである、近頃迄独逸の宰相たりしベートマン・ホルヱツヒ氏も亦ユダヤ人であるといふ、更に金融界に至てはロートシルトあり又シツフがある、シツフなかりせば我邦は露国と戦ふ事が出来なかつたのである(当時の日本公債の大部分に応募したる者は彼であつた、後我邦人中ユダヤ人の敵たる旧露国政府を謳歌する者あるを聞くや彼は怒て我邦より贈られし勲章を返納したとの事である)、有名な慈善家ヒルシも亦ユダヤ人である、世に慈善家多しと雖も彼の如く吝みなく出捐した者はない。
 ユダヤ人決して無為の人種ではない、独逸の新聞紙の多くは彼等の手中にある、露国の革命も実は彼等の手に由て行はれたとの事である、彼等の金力を以てせん乎、全パレスチナを贖ふ事も困難ではない、彼等の知識を以てせん乎、新たに建設せられんとするヱルサレム大学の何れの学科に就ても世界第一流の学者を網羅する事は容易である、強健なる国民は実にユダヤ人である、而して斯の如き国民が四千年の間幾多の迫害に耐へて今日迄存続し来りしのみならず、益々繁栄して世界最大の実力を掌握しつゝある其秘訣は何処に於て在るのである乎。
 之が説明として或人は健康上の理由を挙ぐる、即ち割礼は衛生上甚だ有益なりといふ、又ユダヤ人の豚肉を食せざるの風が彼等をして無病長寿ならしむるといふ、然しながら之をユダヤ人自身に聞けば理由は至て明白であ(223)る、何ぞ、曰く旧約聖書の恪守である、殊にメシアに対する待望である、彼等は未来を待ち望んで生くるの民である。彼等は実に夢想家《ドリーマ》である。然しながら此熱烈にして遠大なる希望を懐けばこそ彼等は四千年の迫害と患難とに打勝ちて今日に至り驚くべき事業を成し遂げつゝあるのである、|誰か待望の生活を以て無為無能と做す者ぞ、人の生命を護り且強むる上に於て最も有力なるものは其の希望である〔付○圏点〕、而してユダヤ人の歴史は之が為に最適の実例である。
 世に教主を待ち望んで其生存を続くる人種は二個ある、其一はユダヤ人であつて其二はクリスチヤンである、少くともクリスチヤンは爾かあるべきである、ユダヤ人はメシアを待ち望む、クリスチヤンは一度び墓に降りし後復活昇天して再び来るべきキリストを待ち望むのである、然しながらキリストを措いて他にメシアあるなし、故に二者の望む所は畢竟同一である、クリスチヤンとはメシア信者との意である(クリストはメシアの希臘訳なるに注意せよ)、メシアを待ち望まずしてクリスチヤンと称する事が出来ない、然るに自らクリスチヤンと称して却てキリストの再臨を嘲る者がある、彼等は言ふ「クリスチヤンは善事を行へば足る、何ぞ徒らに待ち望みて硝子窓に凭りかゝり其|鼻頭《はながしら》を扁平《たひらか》ならしむるを要せん」と(之れ米国に於ける或るメソヂスト教会の神学博士が其テサロニケ前書講義中に記したる文句であつて再臨信者が窓際に佇立し天をのみ望みて活動を為さゞるを嘲るの言である)、再臨の希望は果して人をして不活動ならしむる乎、|メシアを待ち望みて世界最大事業を成就げ又現に為しつゝある千二百万のユダヤ人は何を証明する乎〔付△圏点〕、一千の銀を受け取り往きて貿易を為さずして地に死蔵したる僕は主の帰り来りし時「外の幽暗《くらき》に逐ひやられ其処にて哀突切歯《かなしみはがみ》」すべきではない乎、現に単純なる再臨の信仰を有する平信徒の顕著なる特徴は其事業心の勃興ではない乎、然り再臨の大希望を抱く者は其日より立ちて(224)主イエスキリストの為め大活動を為さゞるを得ないのである、人をして正義の為の活動家たらしむるものは実に再臨の信仰である、希望なき国民は亡び希望なき信者は衰ふ、而して眠れる信者と教会を覚ます者にして基督再臨の信仰の如きはないのである。
 
(225)     杜鵑花の五月
                         大正7年6月10日
                         『聖書之研究』215号
                         署名なし
 
 杜鵑花の五月も亦前月同様多端の月であつた、其五日(第一日曜)には三崎町バプチスト会館に於て第五回講演会が開かれ、余は「基督再臨の証明者としてのユダヤ人」に就て述ぶる所があつた、来会者七百余名、是亦快心の会合であつた 〇十二日(第二日曜)第六回講演会を同所に開き、中田重治君と壇を共にし、余は「聖書の預言とパレスチナの恢復」に就て語つた、来会者堂に満ち、説者聴者《とくものきくもの》の熱心は高潮し来て此日其頂上に達したと云ふて可らう。
〇十七日夜神戸に向て出立した、是れ余に取り今年に入りてより第三回の関西行きであつた、旅行嫌ひの余に取り著るしき事である、翌十八日(土曜)午後七時より神戸基督教青年会に於て同所に於ける第二回再臨問題研究演説会を開いた、来会者九百余名、第一回に多く劣らざる会合であつた、大阪より余の旧き信仰の友にして聖公会に教職を執らるゝ藤本寿作君来りて援助を与へらる、神戸在住英国宣教師ウイルクス氏此夜来て又我等を助けらる、余は余が再臨の信仰を懐くに至りし理由、再臨問題是れ聖書問題なるを述べ大に聴衆に訴ふる所があつた。
〇十九日(第三日曜)、午後二時より大阪天満教会に於て同一の研究会を開いた、来会者六百余名、平出慶一君、藤本寿作君と高壇を共にし余は「再臨の光を以て見たる山上の垂訓」に就て述べた、殊に再臨信者の祈祷として(226)の主の祈祷の解釈を試みた、兄弟姉妹中新らしき光に接したりと云ひて喜んで呉れる者が多数あつた、単純なる聖書的基督信者の阪神地方に比較的に多きは感謝すべき事である。
〇二十日、再び神戸に引返し、夜七時半より日本基督神戸教会に於て説教した、来会者四百余名、新築の会堂に電灯|羞明《まぶし》いばかりに輝り渡り最も心地好き会合であつた、余はテサロニケ前書第一章に依り初代の教会は如何なる者なりし乎に就て語つた、彼等は信望愛の三脚の上に立つたと云ふた、而して望とは特に|基督再臨の望〔付○圏点〕であつて、此望なき所には深くして永続する信と愛とは無いと力説した。
〇二十一日京都に到り、午後七時半より京都基督教青年会の講堂に於て馬太伝第十三章の解釈を試みた、来聴者六百余、盛なりとは称すべからざりしも有益なる会合であつたと思ふ、今回の京阪神に於ける運動は主として教友青木庄蔵君の計画に由て成りし者であつた、若し之に多少の効果があつたとすれば其|報賞《むくい》は君に帰すべき者である、君は人も知る通り大阪の商人である、而かも終生を物資獲得に費すを好まず、茲に断然意を決し、余生を霊魂収穫の業に投ぜんとして起たれたのである、今回の運動を機会とし君並に君の同志に由て発起せられし|日本基督教平信徒信仰革正会〔付○圏点〕の趣意を掲ぐれば (一)我等は我国現時の宗教界信仰革正の必要を認め其実行を期す (二)我等は基督再臨を以て聖書の中心的真理なりと信じ其研究宣伝を期す (三)我等は信仰の事に関し平信徒の責任を自覚し協力一致して之を全ふせんことを期す等である、余は君並に同志の撓《たゆ》まざる忍耐に由り此目的の必ず達せらるゝを信じて疑はない、我等は最善を尽せば足る、之を完成し給ふ者は主御自身である、基督再臨の信仰は特に平信徒の懐く、又特に平信徒に受納れらるゝ信仰である、其宣伝は特に平信徒の責任である、今や同志の間に此信仰の上に立つ斯かる団体の成立するを見て余輩は心躍らざるを得ない。
(227)○二十三日朝柏木に帰つた、大分疲れた、然し感謝の疲れであつた、廿四日夜第一次再臨講演会終了式に出席した、月を閲する事五、会を重ぬること十、少き時は五百、多き時は千三百の聴衆を得て此会を終る事は感謝の極である。
〇二十六日横浜基督教青年会に於て同じ目的の演説会を開いた、中田、平出の二君と共に壇に登つた、是れ亦聴衆堂に満つるの盛会であつた、迷妄と言へば言へ、孰れの問題か能く斯くも永く斯くも多くの聴衆の注意を惹くを得んや、是れ自から平信仰の心に訴ふる問題である、故に我等の勝利は確実である、過去千九百年間の経験に徹し此信仰の平信徒の間に起る時に信仰は復興し教会は根本より革るを見るのである。
 
(228)     平信徒の大奮起
                         大正7年6月10日
                         『聖書之研究』215号
                         署名なし
 
 現代的神学者等の戯謔不虔に対し、聖書の威権を維持し、純福音的信仰を高唱する者は米国に在りては弁護士上りのフィリップ・マウロー 英国に在りては警視総監士爵ロバート・アンダーソン、独逸に在りては近頃世を去りし学校教師のF・ベテックスである、孰れも平信徒であつて、特別に神学を修めたる者ではなく、又教会に何等の教職を執る者ではない、然るに三者執れも其国の牧師神学者等を相手にして聖書其儘の基督教を高唱しつゝあるは実に奇異なる現象である、今より二千七百年前、牧者アモスがユダヤの曠野より出て聖都の祭司等にヱホバの言を伝へし以来、神は常に其聖旨を平信徒に伝へ給ひて聖職に在る者の異端を正し給ふのである、イエス御自身が平信徒であり、彼は又其使徒等を平信徒の間より選び給ふた、福音は素々平信徒の信仰である、其れが監督、牧師神学者等所謂教職の手に渡る時に福音は堕落せざるを得ない、其時に当りて平信徒が奮起して福音の純潔を復活せんとするは当然の事である、余輩は我国に於ても此事あらん事を欲ひ、又此事あらんとしつゝある事を見て中心より歓喜する者である。
 
(229)     WANTED:PREACHERS.福音士の要求
                         大正7年7月10日
                         『聖書之研究』216号
                         署名なし
 
     WANTED:PREACHERS.
 
 THE Gospel is chiefly and essentially preaching:Preaching the pure word of God:Preaching Christ and Him crucified. The Gospel is NOT education:it is NOT social reform:it is NOT participation in politics and diplomacy. And the modern Christian mission,departing from the old apostolic way,is depriving itself of“efficiency”they so much seek after. The word of God is a power:the greatest uplifting,purifying and enlightening power there is under heaven.And there is a famine in the land,not a famine of bread,nor a famine of knowledge,but of hearing the word of God;and should we not pray that God send us more preachers of His word, and less philanthropists who after all but “serve tables”?
 
     福音士の要求
 
 福音は元来伝道である、混合なき神の言を宣伝ふることである、キリストと彼の十字架に釘けられしことを宣(230)伝ふることである、福音は教育事業でない、社会事業でない、政治や外交に携はることでない、而して近代の基督教伝道は使徒等の取りし途を離れて事業を挙げんと欲して反つて之を挙げ得ないのである、神の言が大なる能力である、人を高くし潔くし智慧を与ふるの能力にして之に優る者全世界にあるなし、今や饑饉の此国に臨めるあり、そは食物の饑饉にあらず、智識の饑饉にあらず、神の言を聴くの饑饉である(亜麼士書八章十一、十二節参考)、然らば祈り求めんかな許多《おほく》の福音の宣伝者の遣られんことを、かの慈善家と称し肉体の必要を充たす者の如きは神の言の饑饉に苦しむ此国今日の民の要求する所の者でない、「十二人の者弟子等を召集《よびあつ》めて曰ひけるは我等神の言を棄て飲食の事に仕ふるは意《こゝろ》に適はず」と(使徒行伝六章二節)。
 
(231)     〔死の覚悟る 他〕
                         大正7年7月10日
                         『聖書之研究』216号
                         署名なし
 
    死の覺悟
 
 人は何人も死を覚悟せざるべからずと云ふ、然れども基督信者は死を覚悟するの必要はないのである、そは彼に死は無いからである、「キリスト死を廃ぼし福音を以て生命と壊《くち》ざる事とを著明《あきらか》にせり」とある(テモテ後一章十節)、信者は罪に死して死に死したのである、即ち死は彼に主たらざるに至つたのである(ロマ書六章九)、故に彼は死を覚悟するの必要なきのみならず死に就て思ふに及ばないのである、死は信者には無きものである、彼に暫時の寝眠《ねむり》がある、然る後に復活がある、携挙がある、斯くて後彼は永久に主と偕に在るのである、諸《すべて》の宗教は死に就て語ること甚だ多きに此べて基督教のみは信者の死に就て語る事殆んど皆無である、新約聖書はキリストの死に就ては諄《くど》い程語る、然れども信者の死に就ては語らない、実にキリストの死せるは「死の権威を有る者即ち悪魔を滅し死を畏れて生涯繋がるゝ者を放たん為なり」と録されてある(ヒプライ書二章十四節)、基督信者は死に勝てる者である、「死よ汝の刺は安に在るや、陰府よ汝の勝は安に在るや」と言ひ得る者である(コリント前十五章五五)、故に彼は小児が死を知らずして遊戯するが如くに死を忘れて活動すべき者である、彼は何時彼の(232)救主が再び臨《きた》り給ふて此身此儘栄光化されてエノクの如くに挙げらるゝやも知らない者である、「我等尽く寝《ねぶ》るには非ず、我等皆末のラツパ鳴らん時忽ち瞬間《またゝく》に化せん」とある(同五一節)、米国聖書学者スコーフィールド氏は齢七十を越えて未だ曾て一回も死に就て考へしことなしと云ふ、信者は既に永生を賜はりたる者である、故に死に就て考ふるの必要なき者である、信者が死に就て考へ且つ語る時は確かに彼の信仰の堕落である、強健なる信仰は強健なる身体と均しく死に就て考へない、而して若し止むを得ずして死に就て語る場合には栄光に入るの門として語る、「我が世を去る時近づけり……今より後義の冕我が為に備へあり、主即ち正き審判を為す者その日に至りて之を我に賜ふ、惟我れのみならず凡て彼の顕現るを慕ふ者にも賜ふ」と、是れパウロの最後の言である、「死」なる文字さへ其内にない(テモテ後書四章六以下)。
 
    戦後の世界
 
 今や智者は何人も戦後の世界に就て語る、曰く戦後の政治、戦後の宗教、戦後の殖産と、然れど彼等の中何人も如何にして戦争を終るべきかに就て語らない、又其途に就て知る者はない、彼等は戦後に黄金世界の現はるべきを夢想する、然れども戦争は果して戦争を※[揖の旁+戈]《とゞ》むるや是れ大なる疑問である、而して聖書はキリストの言として我等に伝へて云ふ「民起りて民を攻め、国は国を攻め、饑饉、疫病、地震所々に有らん、是れ皆禍の始なり」と(マタイ伝廿四章七) 歴史の終局は平和ではない戦争である、黄金時代ではない患難時代である、此戦争の後に更らに大なる戦争が起る、支那の分割、印度の処分太平洋の支配、其孰れもが世界戦争を起すに足るの原因である、新天新地は此罪の世が滅びて後に来る、其時までは来らない、「此等の日の患難《なやみ》の後……其時人の子の兆《しるし》天(233)に現はる」とある(同廿九節) 義者は拯はれ悪者は滅ぼされて後に天国は地上に建設せらる、政治、外交、宗教に由てに非ず、権威ある神の子の顕現に由て建設せらる。
 
    再臨の有無
 
 キリストは再臨し給はずと云ふ、然れども給ふも給はざるも議論の問題に非ずして事実の問題である、「今暫くせば来るべき者必ず来らん」とある(ヒブライ書十章三七節) 来る来らざるの問題である、其時に到らざれば解決し得ざる問題である、而して或者は聖書が明かに来ると示すが故に来ると信ず、或る他の者は聖書の明示するに関らず来ると信ずるの理由なきが故に信ぜずと云ふ、信仰は冒険の一種である、或ひは当るやも知れず当らざるやも知れない、「然ば主の来らん時まで時未だ至らざる間は審判する勿れ」である(コリント前四章五)、迷妄なる乎、非科学的なる乎、非合理的なる乎の判断は其時まで待つべし、但し禍なる哉主の実に来り給はん時には! 其時彼を待望まざる者は「ヱホバが起て地を震動ひ給ふ時、彼等は岩の隙《はざま》に行き、又は峻《けはし》き山峡《やまあひ》に入りて、其|震怒《いかり》と威稜《みいづ》の光輝《かゞやき》を避く」るであらう(イザヤ書二章廿一)、之に反して彼の顕現るを慕ふ者には「義の日出て昇らん、その翼には医す能を備へん、汝等は牢《をり》より出し犢の如く躍跳《おどら》ん」とあるが如くであらう(マラキ書四章二節)。
 
    教会と信仰
 
 昔は教会は信仰に由て立つた、人の属する教会に由て其信仰を判定することが出来た、今や然らずである、今(234)や何人も何を信ずるも彼の選む何れの教会に入りて其会員たり牧師たることが出来る、例へば「聖書の天啓たるや論語の天啓たると其性質に於て異なる所はない」と公言してメソヂスト教会に在りて其勢力ある教師たることが出来る、又「使徒等は当時の時代思想に囚はれし為か、主イエスの真意を誤解して居つた故に、今の時代に於て我等が其様な間違つた思想を受ける必要はない」と唱へて聖公会に在りて権威ある神学の教師たることが出来る、今や教会は其信者より特殊の信仰を要求しない、唯入会式の水のバプテスマと怠りなき出金とを要求する、其他は如何なる信仰を懐くとも監督は其異端を責めず、年会は其誤謬を矯めんとしない、聖書を弁護し信仰の純正を守らんとするが如きは今や教会の職務とする所でない、社会に勢力を得て文明の進歩に貢献するを得ば信仰の如何の如きは教会の顧みる所でない。
 
    再臨と闇黒
 
 キリストの再臨は之を説くべし、然れども世の腐敗と教会の堕落とは之を責むべからずと云ひて余輩に注文する者がある、余輩も亦此を為して渠を為さざらんと欲す、然れども主の余輩に此事を許し給はざるを如何せん、再臨は単に美はしき教義ではない、是は救拯であると同時に審判である、審判の必要があればこそ再臨の必要があるのである、而して罪悪の無い所に審判はない、而して審判の無い所に再臨は無い、腐敗せる屍のある所に審判の鷲は集まるのである、然るに腐敗は之を語る勿れと云ふ、是れ再臨は之を説く勿れと云ふに均しくある、世に審判くべきの罪悪なきに大審判者の来臨を説くの必要何処に在るや、嗚呼余輩も亦腐敗と堕落とに就ては語らざらんことを欲ふ、然れども闇黒を離れて光明を語る能はざるを如何せん、今や教会の堕落は甚だし、何人も能(235)く其事を知る、余輩も亦之を認むるが故に再臨の光を以て自己《おのれ》を慰め、又幾分なりと闇黒を排せんと欲するのである。
 
(236)     ノアの洪水
         創世記六章より八章まで、馬太伝廿四章三七−三九節、路加伝十七章二六、二七節、彼得後書三章三−一三節
                         大正7年7月10日
                         『聖書之研究』216号
                         署名 内村鑑三
 
〇ノアの洪水は歴史的事実である、是は曾て有りし事の事実の記録である、是は稗史《ひし》的物語ではない、叙事的英雄詩ではない、真面目なる事実の記録である、勿論其内に今日の科学又は史学を以てしては解し難い多くの事実がある、然れども是れあるが故に其事実なりしことを拒むことは出来ない、事実の解釈は後で附くであらう、主イエスが事実として認め給ひし此事は我等も亦其通りに之を受くべきである、「ノアの時の如く人の子の来るも亦然らん」と彼は言ひ給ふた、誠実の彼が彼の未来を小説に譬へ給ひしとは如何しても受取ることは出来ない、ノアの洪水に似たる伝説が古きバビロンの記録の中に存りあるとて聖書の記事を異邦の伝説の焼直しと見るの必要は更らにない、バビロン人の洪水譚は確かに小説である、厳正なる聖書の記事と比ぶべくもない、若し又強ゐて事実の科学的説明を求めんと欲するならば之を西方亜細亜裏海の流域に起りし地質的大変動の結果として見ることが出来やう、今其事に就て茲に論ずるの必要はない、唯記事の性質より見て之を歴史的事実として見るの最も適当なるを唱へざるを得ない、科学上より見たるノアの洪水に就てはJ・W・ダウソン著『地質学と歴史の接(237)蝕点』Meeting Place of Geology and History は多くの暗示を読者に与ふるであらう。
○ノアの洪水は歴史的事実である、故に多くの信仰的教訓を供へる、稗史小説亦教訓を与へないではない、然れども事実に優さる教訓はないのである、真面目なる文士は可成く小説を避けて歴史を語る、歴史は最上の倫理書である、文士然り況んや神に於てをや、神の教科書は天然と歴史である、聖書は最上の歴史である、最も厳密なる意味に於ての歴史である、聖書を小説化して聖書の権威は失はるゝのである、ノアはエリヤと同じく我等と同じ情をもてる人であつた、彼が大洪水に会際して有《もち》し実験、其実験が後世を教へて五千年後の今日に至つたのである、小説如何に巧妙なりと雖も此永久的価値を有ない、聖書の聖書たる所以は主として其の人類の実験の記録であるからである。
〇ノアは義人であつた、殊に信仰的義人であつた、彼は所謂聖人ではなかつた、完全無欠の人でなかつた、其事は創世記九章十八節以下の記事に由て見て明かである、爾《しか》あるにも関はらずノアは義人であつた「信仰に由りてノアは未だ見ざる事の示しを蒙り敬みて其家族を救はん為に舟を設けたり、之に由りて世の人の罪を定め又信仰に由れる義を受くべき嗣子《よつぎ》となれり」とある(ヒブライ書十一章七節) 斯くてノアも亦アブラハムと同じく神を信ずるに由て義とせられ、其の信仰の報賞として救拯の恩恵に与つたのである、而してノアの場合に於て神の言其儘を信ずるは容易の事でなかつたのである、神は其罪のために全世界の民を滅し給ふと云ふ、是れ信ずるに最も難い事である、愛なる神が其造り給ひし人類を滅し給ふ筈はない、殊に其罪たる必しも之を罪と認むるに及ばない、肉に伴ふ自からなる欠点と見て之を見ることが出来るのである、人類は進歩の途程に在る者である、故に不完全は其の免かる能はざる所のものである、然るに神は此不完全のために「其心の思念《おもひ》の凡て図る所の恒(238)に唯悪しきのみなる」故に之を滅し給ふと云ふ、如何に神の言なりとは云へ是れ信ずるに最も難い事である、殊に臨まんとする剪滅《ほろび》より免かれん為めに長さ四百五十尺余、幅七十五尺、高さ四十五尺余の大船を造るべしとの啓示《しめし》に接してノアの信仰は動揺ざるを得なかつたのである、世の嘲笑を招くの因にして之よりも大なるものはない、単《たゞ》に心に信ずるに止まらず社会注視の前に此大船を造るべしと云ふ、愚か狂か、若し彼れ在世当時に今日に於けるが如く智者識者があつたならば彼の企図は迷妄、非科学的、非合理的なりとの声の裡に葬り去られんとしたであらう、爾あるにも関はらずノアは信じたのである、順つたのである、嘲けられながら大船を造つたのである、而して神の審判と之に伴ふ救拯とを待望んだのである、ノアの偉大なるは茲に在つた、彼も亦聖書的偉人であつて|信ずるが故に〔付○圏点〕偉人であつたのである、彼も亦「ユダヤ人には礙く者、ギリシヤ人には愚かなる者」であつた、信仰と迷妄とは其外面に於ては何の異なる所はない、等しく非科学的であつて、等しく非合理的である、唯召されたる者のみ信仰の「神の大能また神の智慧」なるを知るのである、(コリント前一章二二節)其他ノアの信仰的実験に於て吾人今日の信者の大に学ぶべき所がある、実にノアの信仰はアブラハムの夫れ丈け大であつた、殊に不信の世に対して信仰を維持せし|勇気〔付○圏点〕に至ては吾人は寧ろ之をノアに於て学ばざるを得ない。
〇事実であり教訓であるノアの洪水は亦大なる預言である、大洪水は世の審判の模型である、洪水以前の世が茲に審判れて其終結を告げて新天新地が現はれしが如くに吾人の生存する今日の斯世も亦同じやうに審判れて之に代りて亦更らに新たなる天地が現はるゝのである、洪水以前の世が俄然的大禍難を以て滅びしが如くに文明を以て誇る今日の斯世も亦同じやうに滅びて其後に聖徒の治むる天国が現はるゝのである、「人の悪の地に大なると其心の思念のすべて図る所の恒に惟悪しきのみなる」とは今日も洪水以前と少しも異ならない、人類は神が造り(239)給ひし此地を己れに奪ひ之を己れに利用し神に栄光《さかえ》を帰せず又神の分を献げんとせず神を無きものとし扱ひ、又彼を愚弄し、而して言ふ「神は愛なり彼れ争で罪人を罰せんや」と、彼等は科学と哲学とに頼りて神の言を斥け、自己を以て神を審判き神に自己を審判かれんとしない、彼等は万物の自然的進化に信頼し神が奇跡を以て之に干渉し給ふを許さず、大なる審判の必ず彼等に臨むべしと聞くや戯謔を以て之を迎へ侮蔑を以て之を斥く、洪水以前の世界を拡大したる者が今日の世界である、其罪の絶大なる、其不信の深大なる、其|驕傲《たかぶり》の高大なる、人類の歴史に於て未だ曾て今日の如きはないのである、斯く言ふは人世を悲観するのではない、明白なる事実を語るのである、今時《いま》の世の腐敗と堕落とを知る者は宗教家に非ずして政治家である、哲学博士に非ずして実務家である、人世と直接の接触を保ちつゝある者は今や大なる審判の其上に臨みつゝあるを疑はんと欲して疑ひ得ないのである。
〇斯かる時に神は少数のノアを召き給ふのである、彼等に救拯の方舟の建造を命じ給ふのである、今や旧天旧地は去らんとし新天新地は現はれんとしつゝある、然かも人の努力に由てにあらず天然の進化に由てにあらず神の直捗の干渉に由て旧きは滅び新らしきは建てられんとしつつある、茲に於てか召れし少数者の忍耐と勇気との必要があるのである、ノアが当時代に於て神の言の善き証明者として立ちしが如くに召《まね》かれし小なる群は侮蔑と戯謔《あざけり》とを身に浴びながら福音証明の衝に当るべきである。
〇イエスはノアの原型である、神はノアを以て小なる始めの世を救ひ給ひし如くにイエスを以て大なる終りの世を救ひ給ふのである、イエスの方舟に入るを得る者は其十字架の血を以て贖はれし者である、而してノアの救拯が禽獣昆虫すべて生ける物に及びしが如くにイエスの救拯はすべての受造物に及ぶのである、ノアの方舟の中に(240)新天新地が含まれて有りしが如くにイエスの教会《エクレージヤ》の中に新らしき天と新らしき地とは含有せらるゝのである、大審判が斯世に臨んで其制度文物、其誇りとする文明の産物が尽く滅び失する時にイエスの方舟の中に在る者のみ存りて之を以て新たなる世界が造り出さるゝのである、天然に法則あるが如くに神の為し給ふ所にも亦法則がある、罪熟し、悪其極に達して審判臨み、悪者と其手の工《わざ》は滅さる、「然れど我等は其約束に因りて新らしき天と新らしき地を望み待てり、義その中に在り」とありて壊滅の中より新たに建設が始まるのである(ペテロ後三章十三) 斯くて世の終末は其絶滅ではない、其改造である、更らに善き世の建設である、神は此法則に従ひて宇宙を完成し給ふのである。
 
(241)     理想的聖書翻訳者
                         大正7年7月10日
                         『聖書之研究』216号
                         署名 主筆
 
 理想的聖書翻訳者は第一に深き信仰家であつて、キリストの十字架の救ひを充分に身に味ひし人でなくてはならぬ、第二に善き平民でなくてはならぬ、貴族や僧侶には聖書は解らない、第三に自国語を充分に善く解したる者でなくてはならぬ、而かも文字に拘泥せずして其|精神《スピリツト》を己が有となしたる者でなくてはならぬ、第四に伝道の実験を有する者であつて所謂霊魂の心理学を能く解したる者でなくてはならぬ、而して最後に聖書の原語を能く解したる人であつて、希臘、希伯来、アラミヤ及び其類似語を解する者でなくてはならぬ、得難きは実に理想的聖書翻訳者である。
 
(242)     聖書の預言とパレスチナの恢復
         (東京神田バプチスト中央会堂に於て 五月十二日)
                     大正7年7月10日
                     『聖書之研究』216号
                     署名 内村鑑三述 藤井武記
 
  されどイスラエルの山々よ、汝等は枝を生じ我が民イスラエルの為めに実を結ばん、此事遠からず成らん、見よ我れ汝等に臨み汝等を眷《かへり》みん、汝等耕されて種を蒔かるべし、我れ汝等の上に人を殖さん、是れ皆悉くイスラエルの家の者なるべし邑々には人住み墟址《あれあと》は建て直さるべし、我れ汝等の上に人と牲畜《けもの》を殖さん、是等は殖えて多く子を生まん、我れ汝等の上に昔時の如くに人を住ましめ汝等の初の時よりも勝れる恩恵を汝等に施すべし、汝等は我がヱホバなるを知るに至らん、我れわが民イスラエルの人を汝等の上に歩ましめん、彼等汝を有《たも》つべし、汝は彼等の産業《もちもの》となり重ねて彼等に子なからしむる事あらじ(エゼキエル書卅六章八−十二節)。
  万軍のヱホバかく言ひ給ふ、荒れて人もなく畜《けもの》もなき此の処と其凡ての邑々に再び牧者《かふもの》のその群を伏さしむる牧場あるに至らん、山の邑《まち》と平地の邑と南の方の邑とベニヤミンの地とヱルサレムの四周《まはり》とユダの邑に於て群再びその之を数ふる者の手の下を通らんとヱホバ言ひ給ふ(ヱレミヤ記卅三章十二、十三節)。
  然れども今は我れ此民の遺余者《のこれるもの》に対する事先の日の如くならずと万軍のヱホバ言ひ給ふ、即ち平安の種子あ(243)るべし、葡萄の樹は実を結び地は産物を出し天は露を与へん、我れ此民の遺余者《のこれるもの》に之を尽く獲さすべし、ユダの家及びイスラエルの家よ汝等が国々の中に呪ひとなりし如く此度は我れ汝等を救うて祝言《ほぎごと》とならしめん、懼るゝ勿れ、汝等の腕を強くせよ(ゼカリヤ書八章十一−十三節)。
 ユダヤ人の歴史は大なる奇跡である、其の今日迄幾多の迫害に耐へて四千年間の存在を続けし事が大なる奇跡である、其の聖書の預言に適ひてパレスチナの地を恢復しつゝある事が又大なる奇跡である、而して注意すべきはユダヤ人に関する此等の奇跡が今日我等の信仰に取て極めて深き関係を有する事である。
 |神は人をして大なる奇跡を信ぜしめんと欲する時屡々之に類する他の奇跡を実現して以て人の信仰を容易ならしめ給ふ〔付○圏点〕、処女《をとめ》マリア奇跡により聖なる子を生まざるべからざるを知るや其往いて訪れたるはエリサベツの許であつた、之れ後者の齢既に老い石女と言はれたるに拘らず亦マリアと均しく子を生まんとして居つたからである、エリサベツに其事あるを見てマリアは天使ガブリエルの己に告げし言を信ずる事が出来たのである、変貌の山の出来事の如きも亦其一例である、ヘルモン山上モーセとエリア顕はれてキリストと語る、何の為めぞ、他なし目撃したる弟子等をしてキリストの復活を信ぜしめんが為めの予備的奇跡であつたのである。
 基督者は絶大無比の希望を賦与せられて居る、即ちキリスト栄光の体を以て再来し給ひ信者は復活せしめられ世界万物は改造せられ彼等信者の手に委ねられんとすとの事である、之れ聖書の明かに預言する所である、然し乍ら事余りに遠大にして容易に之を信ずる事が出来ない、茲に於て神は之に類する他の預言を成就して以て基督者の希望を確実ならしめんと欲し給ふのである、|パレスチナの恢復に関する聖書の預言と其成就とは即ち是れである〔付△圏点〕、依て知るユダヤ人の歴史は実に我等各自の救拯と直接の関係を有する事を。
(244) パレスチナは嘗てユダヤ人の始祖アブラハムに与へられし地であつた、然しながら彼等は幾度びか其国を逐はれてパレスチナは常に異邦人の蹂躙する所となつた、アツシリア、バビロン、羅馬等の諸国相尋いで之を占領し遂に土耳古帝国の手に帰して現時に至つた、而してユダヤ人が最後に其故国を去りてより既に千八百年である、彼等は今や全世界に散乱して数多の国籍に属し自己の領土としては寸地をも有せず、旧都ヱルサレムの如きは全く昔日の面影を止めない、然るに聖書は明白に預言して曰ふ「ユダヤ人は再び故国に帰りてパレスチナの地を恢復せん」と、之れ果して有り得べき事である乎、斯の如きは殆ど人の想像する能はざる至難事である、英語に所謂 next to impossible(殆ど不可能)とは此事である。
 是に於てかユダヤ人間に自ら二派を生ずるに至つた、一派の者はパレスチナの恢復に関する聖書の明白なる預言あるに拘らず之を|靖神的の意味に解釈して〔付△圏点〕土地の問題の如きは顧みない、之に対し他の一派は確《かた》く神の約束を信じ聖書の預言を文字通りに解釈して只管其実現を待ち望みつゝある、二者の関係は恰も再臨に関する基督者の状態と酷似して居る、聖書を其儘に信受せんとする者と之を霊的に解釈し去らんとする者基督者の中に此二派がある、ユダヤ人の間にも亦此二派がある、|而して聖書の預言を其儘に信ずる者の信仰が多くの困難に遭遇するも決して衰へずして愈々堅固を加へつゝあるは実に著るしき事実である〔付○圏点〕。
 今日までキリスト再来の日の近きを信じて耻辱を招きし者が尠くないといふ、ユダヤ人にも同じ経験があつた、パレスチナを彼等に恢復すべきメシアとして出現したる者前後七人を数ふる事が出来る、其最も古きは紀元一一七年乃至一三八年に出でたるバールコクバであつた、事は勿論失敗に終つた、次で其れより凡そ三百年の後にクリート島のモーセなる者が現はれた、次は八世紀の頃に起りしシリア生れのセレーネであつた、次は彼れより三(245)十年後に現はれしペルシアのヲバヂヤであつた、次は一〇六〇年のダビデ・アルロイ、また一五三〇年のアビデ・ルーベンであつた、近来最も著名なりしは一六六六年に現はれたるスミルナ産のサバタイであつた、此時全世界のユダヤ人彼に迷はされ其或る者の如きは自から進んでパレスチナに帰来した、然しながら之も亦遂に失敗に終つた、是に於てか反対派は嘲りて曰ふのである、「最早や迷妄を信ずる事勿れ、ユダヤ人の使命は霊的に万民を指導するにあり」と。
 然しながら斯くも屡々苦き経験を重ねたるに拘らず多くのユダヤ人は依然として最後のパレスチナ恢復を信じて疑はないのである、彼等が逾越節の夜全世界にありて一斉に祈る所の祈祷文の一節に曰く「|主よ、我等今夕此処に在りて逾越節を守る〔黒ゴマ点〕、|願くは明年之をヱルサレムに於て守るを得ん事を〔付○圏点〕」と、彼等は実に四千年の久しき間斯く祈り続けて来たのである、たとへ幾度び失敗を重ぬるとも此希望は決して之を動かさないのである。
 而してユダヤ人問題の解決は常に欧洲政治家の心を悩ましたるものであつた、殊に再臨の信仰の復興するや必ずユダヤ人をパレスチナに復帰せしめんとするの運動が行はれた、其一例は有名なるオリバー・クロムヱルである、彼は確かに英人中第一位を占むる人物にして彼なくしては今日の英国も米国もなかつたのである、而して彼れクロムヱルは最も熱烈なる再臨信者であつた、故に其の政権を握ると同時に着手したるはユダヤ人の復帰運動であつた、之が為に彼は或はダビデの血統を引けるユダヤ人に非ずやとの疑を抱く者さへあるに至り或る外国に流浪せるラビ(猶太教の教師)の如きは自ら英国に渡りて彼れクロムウヱルの系図を調査したとの事である、然し彼は勿論普通のジヨン・ブル(英国人)であつた、彼をして此挙あらしめたる所以のものは其の再臨の信仰より出でたるユダヤ人に対する深き同情に外ならなかつたのである。
(246) ユダヤ人の復帰運動として最後に現はれたるものが一八九六年に起りし所謂シオン運動(Zionist Movement)である、此運動を始めたるテオドル・ヘルツエルは墺国の新聞記者にして早く猶太数を棄て劇作家として巴里に流浪して居つた、然るに当時仏国に於てユダヤ人に大なる迫害を加へし所謂「ドライフス事件」なるもの起るやヘルツエル憤慨措く能はず、之に刺戟せられて再び猶太的信仰を回復し、預言者の言の如くにユダヤ人をパレスチナの地に復帰せしめ、其王国を実現せんと欲し、“Der Judenstaat”(ユダヤ国論)を著はして其主張を発表した、是に於て多くのユダヤ人等は国家恢復の唯一の希望此処にありとして大に賛同の意を表し忽ち其の計画がシオン運動となりて現はれたのである、此運動に対しては内外に於て強き反対があつた、然し乍らヘルツエルは其四十五年の生涯を此れが為に献げ具さに辛酸を嘗め遂に身は熱心の故に焼き尽されて早折するに至つた、其惨憺たる苦心の下に存せし深き愛国的確信は誠に尊敬に値するのである。
 翻てシオン運動の実況を窺ふ時は驚くべきものがある、初め資本金二千万円を投じて猶太植民協会を設立した、(此運動とは直接の関係なきもヒルシ男爵出資の下に七千万円を以て組織されシナイとパレスチナとに植民するの目的を以て成立する国民的財団がある)、而して十万人のユダヤ人を募集して彼地に送つた、ユダヤ人は多く小売商又は仲買商に従事し農民としては既に全く実力を失へる者である、斯かる民の多数を以て植民を企つるが如きは殆ど無謀の挙なりとの非難もあつた、然るに其結果は著るしきものである、爾来今日迄二十一年問に道路は改築新築によりて面目を一新し、池沼の衛生状態はユーカリプタス樹の栽植に由て革新せられた(土着のアラビヤ人等は此樹を「ユダヤ人の樹」と称して驚嘆せりといふ)、土地の沃饒は人造肥料に由て復活し、加ふるに瓦斯及び石油櫻関のポンプを以てする灌漑に由てレモン及び蜜柑の栽培上殆ど奇跡に類する改善を見た、又近(247)来発見せられたる方法により黴菌の注射に由て鼠族を駆除したれば麦、大麦、果樹の収穫を激増した、従来一エークルの産出三百五十函の割合なりし蜜柑は七百五十函に上り従て地価も亦騰貴して前には一エークル六十円なりし土地は今は一躍三百六十円に上つたといふ、其他馬鈴薯、胡麻 麦、葡萄、シヤボテン等に就ても顕著なる結果を挙げて居る、以上は主として近着のヒツバート雑誌上に於けるラムバ氏の報告に依るものであるが之に由て見るも聖書に預言せられたるパレスチナの恢復は着々実現しつゝあるものと見なければならない。
 更にパレスチナは其地勢上将来世界の大富源たるべき要件を備へて居るのである、即ち其の死海(其水は二十五パーセント以上の塩分を含む)よりはやがて全世界の塩とポタースとを供給し得べく其のヨルダン河畔は水力電気の利用に由て世界第一の綿花栽培地たるに適し其のヨルダン以東の地は燐酸の大産地である、又死海は地中海より低き事千二百尺、ガリラヤ湖よりは六百尺の低地に位するを以て之を南方に掘鑿して海水を入るれば大船を浮べるに足るであらう、斯の如きの地に再びユダダヤ人を入れて繁栄の民たらしむる事は決して困難なりと言ふ事が出来ない。
 然りパレスチナの天と地とは再びユダヤ人を迎ふるに足る、然しながら最後に一の大問題の遺るものがある、何ぞや、曰く人である、土耳古人である、彼等は頑として此地をユダヤ人に譲らない、ヘルツエルに取ての致命傷も亦此難問題であつた、一九〇六年刊行の大英百科辞典にシオン運動を論じて曰く「此運動は到底成功するの見込なし、何となれば土耳古人を如何ともする能はざれば也」と、而して今より十二年前に於ける記者の此言は当時に在ては有力なる議論であつた、然るに見よ、昨年十二月ヱルサレムは遂に土耳古政府の羈絆を脱して英軍の手に帰したのである、而して其翌日英国外務大臣は議会に臨んで宣言して曰く「吾人はやがて之をユダヤ人に(248)返還せんと欲す」と、斯くて憾みを呑んで逝きしヘルツエルの望みは達せられんとするのである、惜むらくは彼れヘルツエルをして此言を聴かしめざりし事、今や大英百科辞典の記事正に顔色なしである。
 聖書はパレスチナの恢復を預言する、而してユダヤ人は之を信じてひたすらに祈り且待ち望んだ、失敗は失敗に尋いで彼等に臨んだ、然しながら彼等は唯聖書の預言に頼りて其望みを動かさなかつた、而して旧き預言は遂に成就せんとしつゝある、ユダヤ人は聖書の言の如くにパレスチナを恢復せんとしつゝある。
 |パレスチナの恢復に関して然りとせば再臨に関しても亦然らざらんやである、再臨の希望も亦幾度か失敗の経験を嘗めた、然し乍ら〔付△圏点〕|聖書の〔付▲圏点〕|預言は明白である、我等も亦ユダヤ人の如く唯聖書のみに頼る、而してパレスチナ恢復の時の近づきしを知つて一層再臨の信仰を堅くせざるを得ない、神は基督者に対してもユダヤ人に対するが如く其約束を忘れ給はないのである〔付△圏点〕。
 
(249)     イエスの変貌
         (東京神田バプチスト中央会堂に於て 六月二日) 馬太伝十七章一−八節
                     大正7年7月10日
                     『聖書之研究』216号
                     署名 内村鑑三述 藤井武記
 
 聖書は如何なる書なる乎を説かんと欲せば必ずや聖書を以てしなければならない、聖書を閉ぢて聖書を語らんとするは無益の労力を費すものである、ルーテル曰く「聖書の終る所は基督教の終る所である」と、然るに多くの基督者の中には聖書を重んぜずして「聖書には爾かあらんも我は之を信ずる能はず」と言ふ者がある、然らば実に此人を如何ともする能はずである、基督者の信仰又は実験は聖書を離れて之を語る事が出来ない、聖書を如何程迄重んずる乎に依て基督者の態度は自ら定まるのである、再臨を信ずるといひ又信ぜずといふ、然しながら事は単に再臨問題ではない、聖書問題である、再臨問題は今や進んで聖書問題に移つたのである、汝の聖書観を示せよ、然らば汝の信仰は明白ならん、聖書を如何に解釈する乎、イエスの変貌又はラザロの復活等の記事を如何に解釈する乎、之を客観的の事実と見る乎はた主観的の解釈を施さんと欲する乎。
 イエスの変貌及び之に関する凡ての出来事は今日我等の実験に於て見る事を得ざる現象である、或る高き山の上にてイエスの状変り顔は日の如く輝き衣は光の如く白くなれりといひ、モーセとエリヤ現はれてイエスと語れりといひ、雲より声ありて「之は我が愛《いつく》しむ子わが悦ぶ者なり、汝等之に聴け」と曰へりといひ、是れ皆近代人(250)の信ずる能はざる事実である、故に近代の聖書学者は種々なる解釈を試みて之を説明し去らんと力むるのである、英国の聖書学者にして世界的名声を有するW・H・ベンネツト氏の馬可伝に関する論文中に示せる説明の如きは其代表的なるものである、曰く「「高き山」とはシナイ山ならん、何となれば此れイエスの将にヱルサレムに赴きて非常なる苦痛を経んとする時なれば、彼は故《ことさ》らに歴史的聯想の伴へるシナイ山迄弟子等を伴ひて旅行したる|ならん〔付○圏点〕、而して時は多分夜なりし|ならん〔付○圏点〕、イエスはゲツセマネの園に於けるが如く一人進み出でゝ祈りし|ならん〔付○圏点〕、かくて熱き祈を献げつゝある時忽ち月光雲より漏れしか又は電光閃めきてイエスを照し其顔と衣とを純白に映出したる|ならん〔付○圏点〕、モーセとエリヤ現はれたりとはイエスが大声にて祈れる間にモーセ及びエリヤに就て語りし其声を弟子等が聞きたるに由る|ならん〔付○圏点〕、若し弟子等此二人の形を見たりとせば恐らくイエスは其夜弟子等の知らざる何人かと会見の約束ありて山上にて彼等と語りしに由る|ならん〔付○圏点〕、何にせよ弟子等は予てイエスを恐るゝ事甚だしく平常彼が祈祷の場に近づく事を許されざりしも当夜は彼の側《かたはら》にありて其の血を流すが如き熱烈なる祈祷を聴き恐怖の余り戦々競々たりしが為め聖書に伝ふるが如き印象を受けたる|ならん〔付○圏点〕」と、是れ有名なるベンネツト氏の変貌に関する解釈である(ゼ・エキスポジトル雑誌第十巻二二〇頁以下を見よ)。
 若しイエスの変貌にして斯の如きものならん乎 そは我等の霊の為めに果して何等の教訓を与ふるのである乎、加之此解釈の基づく所は一として仮説ならざるはない、高き山はシナイ山|ならん〔付○圏点〕といひ弟子等は恐怖の余り神経過敏なりし|ならん〔付○圏点〕といひ、イエスは祈の中にモーセとエリヤの名を呼び給ひし|ならん〔付○圏点〕といひ、殊に弟子等の知らざる或人と会見したりし|ならん〔付○圏点〕といふが如き之を常識ある平信徒に訴へて其の全く価値なき頭脳《ヘツド》の産物たるは明白である、斯る迂遠にして且根拠なき説明は到底人心の生きたる要求に応ずる事が出来ない、我等の貴き霊(251)は之を幾多の仮説を以て築き上げたる信仰の上に託する事が出来ないのである、|斯の如き曲折したる解釈を施さんよりは寧ろ是等の記事を全然葬り去るに如かずである〔付△圏点〕。
 何故に「ならん、ならん」と言ひて空しき仮説を重ぬるのである乎、何故に記事其儘を信じないのである乎、聖書は本来其儘に信ずるやうに書かれしものである、之を頭脳を以て了解せんと欲するが故に多くの仮説を要するのである、頭脳《ヘツド》を以てせず心臓《ハート》を以てせよ、知識を以てせず信仰を以てせよ、然らば何の仮説をも要せずして聖書の記事其の儘を信ずる事が出来るのである、而して其記事より大なる教訓を獲るのみならず是に由て聖書の他の部分も亦明白にせられ依て以て信仰を強められ希望を確かめられて我等の実際生活を一変するに至るのである、|聖書を神の言として其儘に信じて初めて之を霊の糧とする事が出来る〔付○圏点〕、是即ち我等の立場である。
 然らば変貌の記事が教ふる所の真理は何である乎、|先づ第一に変貌はイエスの復活即ち其の身体の栄光的変化の前表である〔付○圏点〕、而して又我等凡ての信者に及ぶべき最後の救拯の実例である、我等も亦何時かは変貌のイエスの如くに栄光化せしめらるゝのである、故に変貌を信じて復活を信ずる事は一層容易となるのである。
 今仮りに卑近なる一例を取らん乎、蚕児既に地の上を匍ふの時過ぎて新らしき生活状態に入らんとする時即ち其上簇の時期に於て試みに其体を観察すれば汚物悉く除去せられて全身透明なる黄金色を呈し栄光化せるを見るのである、イエスの身体も亦斯の如く次第に栄光化して遂に昇天すべきであつた、何となれば彼の生涯には絶えて罪なかりしが故である、人は始めより死せざるべからざる者ではない、死は罪の結果である、人若し全く罪を犯さゞりしならんには彼は死の苦き経験を通過せずして自然に復活の状態に移るべかりし筈であつた、然し乍ら凡ての人罪を犯したるが故に死は人類の運命となつたのである、唯イエスのみは罪を犯さなかつた、故に彼(252)のみは我等と共に死するの要なく其身体は自然に栄光化すべきであつた、而して変貌は実に此栄光化の発端である、彼の自然的昇天の近づきし徴候である、「かくて彼等の前にて其状変り其顔は日の如く輝き其衣は光の如く白くなりぬ」とある、然り、之れ罪なき身体に臨むべき当然の状態であつた、我等は茲に何の仮説をも設くる事なくして其儘之を信ずる事が出来るのである。
 然らばイエスは何故に此時昇天し給はざりし乎 路加伝九章三十一節の伝ふる所によればモーセとエリヤ現はれてイエスと語りしは「彼のエルサレムにて世を逝らんとする事」に就てゞあつたといふ、「世を逝らん」とは原語にて exodus《エキゾダス》即ち「通り抜ける事」である、希臘語の前置詞 ek《エツク》はapo《アポー》と異なり後者は或者を避くるの意あるに反し前者は|其中を貫通して過ぎ行く〔付○圏点〕の意を有する、イエスはモーセ及びエリヤと共に己が exodus に就て語り給へりといふ、即ち彼は本来死を避けて自然に昇天すべかりし筈なるに却てヱルサレムに於ける最も苦しき死を貫通して行かんとする事に就き語り給うたのである、イエスに取て死は避け難き事ではなかつた、彼は変貌の山より其儘昇天し得たのである、然れども彼は我等と最も深き同情的関係に入らんが為め殊更に死を通過するの途を選び給うたのである、是れ我等に取て無上の慰藉である、イエスキリスト我等の為に死せりといひて単に三十年五十年の生命を棄て給うたのではない、|死を通過せずして済むべき御自身を強ゐて死の中に投じ給うたのである〔付○圏点〕、イエスの犠牲の深き意味は全く此処にあるのである。
 然し乍ら其れのみではない、変貌の出来事よりして我等は更に福なる光を獲る事が出来る、|変貌山上の光景はキリスト再臨の時に於ける信者の状態の〔付○圏点〕tableau《タブロー》(|活人画)である〔付○圏点〕、パウロ曰く、「見よ、我れ汝等に奥義を告げん、我等は悉く眠るにはあらず、終のラツパの鳴らん時みな忽ち瞬く間に化せん、ラツパ鳴りて死人は朽ちぬ者に(253)甦り我等は化学するなり云々」と(コリント前書十五章五十一 五十二節)、又曰く「我等主の言をもて汝等に言はん、我等の中主の来り給ふ時に至る迄生きて存れる者は既に眠れる者に決して先だゝじ、それ主は号令と御使の長《をさ》の声と神のラツパと共に自ら天より降り給はん、其時キリストにある死人先づ甦り後に生きて存れる我等は彼等と共に雲の中に取り去られ空中にて主を迎へ斯くていつ迄も主と偕に居るべし云々」と(テサロニケ前書四章十五節以下)、主再び来りて信者を迎へ給ふ時既に眠れる者は復活せしめられ現に生くる者は其儘化せられて彼と共に相見る事が出来るのである、而して変貌のイエスを中心にモーセとエリヤ現はれて栄光の団欒を為したるは即ち其時の模範であつた、モーセは一度び死せし者である、故に彼は既に眠りし信者にして再臨の日に復活せしめらるべきものを代表するのである、エリヤは死せずして直に昇天したる者であつた、故に彼は再臨の日に生存せる信者にして其儘化せらべき者を代表するのである、二人が光れる雲の中にイエスと相会したるが如くに信者も亦眠れると醒めたるを問はず均しく栄光化せられてキリストと相会する其の福ひなる時が必ず来るのである、されば主の再臨を待ち望む者に取てイエスの変貌は最も感謝すべき慰安である。
 斯の如く変貌の記事を幾多の仮説を以て曲解せんには何等の意味を為さゞるに反し之を其儘に信ぜん乎、我等の霊を養ふべき極めて貴き教訓の与へらるゝあり、加之聖書の他の部分と照合して整然と裾音の枠の中に包容せらるゝのである、|変貌を信じて復活及び再臨は甚だ信じ易くなるのである〔黒ゴマ点〕。
 然し乍ら斯の如き信仰は知識より来るに非ず、頭脳は信仰を造る事が出来ない、復活又は再臨等を信じ得るの信仰には或る出発点があるのである、此出発点よりせん乎、必ず之を信じ得べく若し然らざらんには仮令研究に研究を重ぬると雖も遂に之を信ずる事が出来ないのである、然らば其所謂出発点とは何処である乎。
(254) 人は何人も遅かれ早かれ一度は神に遭遇せざるを得ない、神我が面前に現はれて「汝は何ぞや」との問を発し給ふのである、其時答へて「我は特別に悪しき者にあらず」と曰はゞ神は信仰に基づく恩恵を悉く撤回し給ふ、然れども神に我が罪を指摘せられて煩悶懊悩如何にすべき乎を知らず、寝食を廃して悲み涕を流して祈り「神よ、我は罪人の首なり、如何にして此罪を赦さるべき乎、願はくは我を憐み給へ」と曰ひて神の前にひれ伏さん乎、神は乃ちイエスキリストの十字架を示して「見よ、汝の永遠の生命は此処にあり、之を離れて汝の救はるべき途あるなし」と教へ給ふのである、而して斯く十字架を仰ぎて救拯の実験を経たる者のみが復活を信じ再臨を信ずる事を得るのである、|福音的信仰の出発点は罪の赦の実験に於て在る〔付○圏点〕、此実験を握らずして如何なる神学者と雖も聖書を其儘に信ずる事が出来ない、余は嘗て紐育の或る有名なるユニテリヤンの教師を訪ねた事があつた、幾多の談話を交はしたる後最後に余は此問題を提出した、果然其人答へて曰く「我に其実験あるなし」と、然り、ユニテリヤンと余輩との差別は三位一体又はイエスの神性等の神学問題に在るに非ず、十字架による罪の赦の実験に在るのである、神学論を以てせば彼等にも亦言ふべき事が尠くない、然しながら暫く論ずるを已めよ 而して心の聖き奥殿《おくでん》に入れよ、其所に於て十字架を仰ぎし乎否乎、之を仰ぎし者は信じ然らざる者は信じない迄である。
 故に再臨問題は一転して聖書問題に移り再転して罪の問題に帰着するのである、再臨を拒む者は聖書を拒み聖書を拒む者は罪の罪たるを否定し、十字架の贖罪的威力を否定する、贖罪聖書再臨は相関聯する問題である。
 
(255)     ラザロの復活  約翰伝第十一章
         (東京神田バプチスト中央会堂に於て 六月九日)
                     大正7年7月10日
                     『聖書之研究』216号
                     署名 内村鑑三述 藤井武記
 
 有名なる哲学者スピノーザ曰く「若し何人か余の為に約翰伝十一章に於けるラザロ復活の記事の真実を立証する者あらば余は余の立てたる哲学を破壊して基督者《クリスチヤン》となるべし」と、知るべしラザロ復活の一奇跡は其上に基督教を支ふるの力を有する事を、之れ実にキリストの行ひ給ひし最大の奇跡である、故に若し此事実を信じ得べくぱ他の奇跡の如きは悉く信じ得るのである、然るに理智を重んずると称する近代人は之を信ずる能はざるが故に如何にもして之を説明し去らんと欲し過去百二三十年来多くの註解が試みられたのである。
 就中最も巧みなるはパウルスの解釈である、彼は他の奇跡に対しても軽妙なる説明を下したるがラザロの復活に就ては曰く「ラザロは実は死したるに非ず、早まりて墓の中に入れられたのである、然るに喧騒なる周囲より脱れて静謐なる岩間に横はり冷風に面を吹かれて彼は徐ろに蘇生しつゝあつた、而してイエスは四辺の状況より彼の死せざる事を察知し乃ち墓前にて感謝の祈りを献げ然る後彼を引き出して外気に触れしめたれば忽ち呼吸を回復したるに過ぎず云々」と、斯の如き解釈は人の霊魂の糧として何等の価値をも有しないのである。
 更に有名にして一時世の賛成を博したるはルナンの解釈である、彼は曰く「此時弟子のイエスに対する信仰(256)漸く衰へ世の反対は益々加はりつゝあつた、故にイエスはベタニアにありてマルタ弟妹と共に弟子の信仰回復に就て議つた、然るに彼等の一人は提議して曰く我等の兄弟ラザロ病身にして殆んど死者に近し、されば彼を墓に入れて死せるが如くに装はしめ而して主往きて之を甦らしめ給はゞ如何と、イエスは素より其手段の甚だ悪しきを知りたるも弟子に対する愛心の余り彼等の救済の為には已むを得ずとして此策を採用し給うたのである云々」と、即ち彼れルナンはラザロ復活の大奇跡を以てイエスの善意に出たる狂言と見たのである、救済の目的の為には欺瞞的手段をも辞せずとは決して稀有なる事例ではない、今日宗教界に於て往々にして行はるゝ所である、殊に天主教に於て其弊の甚だしきものがあつた、ルナンは自ら天主教国にありて屡々かゝる事例を目撃したのであらう、而して其事の悪事なるを信ずる能はざりしが故に之をイエスの生涯に応用してラザロ復活の奇跡を説明せんと欲したのであらう。
 然しながら之を我等の明白なる良心に訴へ正義と公平とを愛する者の常識に訴へて斯の如き事は有り得べからずである、殊に神の子キリストに此事断じて有るべからずである、ルナンはイエスの品性をパウルスの説明より救はんと欲して却て彼を普通の天主教僧侶たらしめて了つたのである。
 近来に至り更に神学界の巨頭連即ちカイム、ホルツマン、ワイツゼツケル等の試みたる説明がある、彼等は何も其博学に於て我等の企及を許さゞる一流の学者である、彼等も亦ラザロ復活の事実を信ずる能はずして種々なる仮説を設けて曰く「ラザロとは実在の人物に非ず、其名は之を路加伝第十六章の貧者ラザロより引用したのである、其復活は之をヤイロの娘若くはナインの寡婦の子に起りし事実より取つたのである、蓋しイエス伝を編して死者の復活を加へずんば完成しない、預言者ヱリヤ等の生涯にすら死者を甦らしめたる事実がある、況んや(257)『我は生命なり復活なり』と教へたるイエスの生涯には此教訓を証明するの事実がなくてはならない、然るにヤイロの娘又はナインの寡婦の子の場合に在りては何れも死後直に行はれし奇蹟なるが故に尚不十分たるを免れない、更に大なる奇跡を以て補はなければならない、此必要に迫られて以上の材料を綜合し以て作り上げられたるものが即ちラザロ復活の物語である」と。
 若し所謂学問上の権威《オーソリチー》を求むるならば宜しく馳せて之等独逸神学の巨頭に赴くべしである、何人か敢て彼等の解釈に対抗する事を得ん、然し乍らラザロの記事を彼等の如くに解釈し去つて我等の信仰生活に何程の益を与ふるのである乎 彼等の説くが如くんば約翰伝十一章は学者の研究資料としてはいざ知らず飢えたる霊魂の糧としては全然無価値不必要のものと化して了ふのである、而して|独逸神学の害毒は実に茲に在るのである、聖書をして生ける霊魂と没交渉の書たらしむるのである〔付△圏点〕、而して此神学が米国に入り又米国を通うして日本に入り来りつゝあるのである。
 然らば余輩に向ひて汝は如何と問はれん乎、余輩は唯聖書有の儘に解釈するのみ、ラザロは死して四日目に甦らされたのである、イエス大なる力を以て「ラザロよ出でよ」と叫び給ひし時死者が墓の中より起き出でたのである、是れ聖書の明白に伝ふる所にして我等は斯く信ずるより他に方法を知らないのである、仮令カイム又はルナン又はパウルスの説明は如何にもあれ、神は我等の単純に聖書の記事其儘を信ずる事を許し給ふが故に感謝せざるを得ない。
 然しながら確信には必ず深き理由を伴ふ、我等の此の信仰に伴ふ所の理由は独逸神学者の其れに比して更に有力なるものである、先づ第一に記事其ものが内容の虚構に非ざる事を示すのである、凡て著述の経験ある者は知(258)る、実見に基づく記述と単なる想像に由る描写との間には判然たる区別の存する事を、ラザロの記事亦然り 例へば其二十一節に「マルタはイエス来給ふと聞きて出で迎へたれどマリアは尚ほ家に坐し居たり」と言ふが如き、其三十一節に「マリアと共に家に居りて慰め居たるユダヤ人その急ぎ立ちて出で往くを見、彼女は欺かんとて、墓に往くと思ひて後に従へり」と言ふが如き、又其三十五節に「イエス涙を流し給ふ」と言ふが如き何れも主題に関係なき記述であつて、若し此記事が何か目的ありての捏造なりとせば之等の些事を挿入すべき必要を見ない、然るに之を掲ぐる所以は其の実見の儘の記述たるにあるのである、|約翰伝第十一章の記事其者が事柄の真実を証明する好箇の材料である〔付○圏点〕。
 爾かのみならず斯く解釈する時はラザロ復活の大奇跡はイエスの生涯中最も重要なる資料として其前後の関係に適合し彼れの十字架に釘けらるゝに至りし原因に充当してイエス伝を完成するのである、若し此奇跡なくんば彼れの受難の動機を十分に説明する能はず、イエスの生涯に一大欠陥を生ずるのである、イエスは何故に十字架に釘けられたのである乎、其理由に外側のものあり、又内側のものがある、凡ての事に内外両面の理由がある、日々の新聞紙の報ずる所は多く外側の事柄に過ぎない、其裏面に尚ほ内側の原因がある、而して其れが外側の原因を機会として発露するに過ぎない、政党の争闘は内閣転覆の外側の原因である、然し乍ら其内側に或は小なる家庭問題等の潜むありて、真実の原因は却て其処に存するのである、イエスの十字架にのせられたるも亦さうであつた、其外側の理由は共観福音書に伝ふる所の事情であつた、即ち彼が総督の前に立ちて「汝の言ふが如く我はユダヤ人の王なり、予言者等の予言せしメシアなり」と明言したる其事に在つた、此一言に由て彼は国家的罪人と定められたのである、然しながら其他に尚ほ共観福音書の記載せざる内側の理由があつた、而して約翰伝は(259)共観福音書に対して補充的性質を有する福音書である、後者の掲ぐる所は之を略し後者の漏らす所は力めて之を補ふのである、共観福音書はイエスの受難の外側の理由を掲げて其の内側の理由を記さない、是に於てか約翰伝記者は此欠陥を補はんと欲して之を記載したのである、約翰伝記者の見解に由れば祭司の長、民の長老等がイエスを処分せんと欲したる最後の内面的理由は即ちラザロの復活に於て在つた、彼等は斯かる驚くべき偉力を顕はしたる者を放棄せんには自身の存在の根本を覆へすに至るべきを恐れたのである、而して斯の如くに解して始めてイエス伝に完き解釈を下し得るのである。
 然らば最後に問うて曰く如何にして死者を甦し得る乎と、之を説明すべきものは唯一つあるのみ、即ち|我等自身の心中に行はれたる大奇跡是れである〔付○圏点〕、此実験を有する者はラザロの復活を信ぜざるを得ない、彼の大奇跡を行ひし者は必ずや亦此の大奇跡を行ひ得べきである、然らずしてラザロの復活を証明する事は不可能である、聖書的信仰はかゝる者の抱き得べき特権である、其点に於て基督者のいと小き者も大哲学者スピノーザよりは大なりである。
 反対者或は約翰伝にキリストの再臨なしと言ひて之に拠る、然らばラザロの復活は如何、再臨なきの故を以て約翰伝を取る者は其中に明記せらるゝラザロの復活を如何に解せんと欲する乎後者に就ては約翰伝を以て虚構の文書なりと做す者は彼等ではない乎。
 ラザロの復活は実に再臨の日に於ける我等の復活の模型である、主イエス大声に呼はりて「ラザロよ、出でよ」と曰ひ給へば死者ラザロ欣然として墓より出でしが如く時来りて彼れ亦声高く我等各自の名を呼び給はゞ我等も亦悉く墓より起き出づるのである、信者の最後の希望は此処にある、ラザロの復活を信じて亦自己の復活を信じ(260)得るは誠に感謝すべきである。
 
(261)     霖雨の六月
                         大正7年7月10日
                         『聖書之研究』216号
                         署名なし
 
 二日半晴(第一日曜) 余の受洗四十年紀念日である、此日北海道札幌に在りて此日を紀念すべくありしも関西に於ける再臨運動の疲労未だ癒えず止むを得ず東京に止る事にした、午後二時より独り三崎町バプチスト会館に於て説教した、題は「イエスの変貌」、来聴者三百余名静かなる善き集会であつた、四十年前の今日を思ひ感慨堪え難きものがあつた 〇九日半晴(第二日曜) 朝柏木に於て「舌の害毒」に就て語り、午後三崎町に於てバプチスト宣教師アキスリング氏と共に高壇に登り、氏は完全なる日本語を以て、今日の教会の威権を失ふに至りし因の聖書に対する其敬虔の衰退せしに在るを痛説せらる、余は氏に次いで起ち大に氏の説に賛成し、其感権失墜の因の所謂独逸神学に在るを述べて氏の言はんと欲せし所を補ふた、更らに進んで「ラザロの復活」に就て語り聖書の記事其儘を信ずるの大に優される所あることに就て述べた、此日来聴四百余名、恩恵に充つる会合であつた
〇此夜本郷教会に於て、組合、聖公会、メソヂスト教会の代表者の基督再臨反対演説会が開かれた、同信の友にして之に臨みし者数十名、|皆再臨の信仰を堅められて帰つた〔付○圏点〕、斯かる会合の終に開かるゝに至りしことを喜んだ
〇十六日半晴(第三日曜) 朝柏木に於て以弗所書第四章に依り「信者の和合一致」に就て語つた、午後三崎町に於て平出慶一君の「基督再臨の反対論に答ふ」なる題目の下に述べられし有力なる説教を聴き、続いて余は登壇(262)して「ツルーベツコイ公の十字架観」に就て語る所があつた、老若男女悉く此哲学者の深き思想が解つたらしく、甚だ愉快であつた、来聴者五百余名もあつたらしく見えた、何れにしろ聯合運動終了後の最大盛会であつた、多くの反対者あるに拘はらず斯くも多数の余輩の唱道する聖書的信仰を要求する者あるを見て余輩は奇異の感に打たれざるを得ない、此日田村直臣君に会す、君近頃支那旅行より帰り大に余輩に教ゆる所があつた 〇二十一日雨、旧友伊藤一隆氏次男巌君の結婚式を司つた 〇二十三日半時(第三日曜) 今年上半年に於ける最後の聖書講演会を三崎町に於て開いた、前回以上の盛会であつた、アキスリング氏先づ登壇して氏特有の厳正なる日本語を以て「教会の充実」と題しキリストの新婦《はなよめ》たるに適ふ教会建設の必要を痛論し、而して之に達するの途として聖書の研究を第一に行ふべきを述べられた、其後を受けて余は登壇して「馬太伝第十三章の研究」を試み、聖書研究の如何なる乎に就て其の実例を示さんと試みた、之を以て本年東京に於ける第一次講演会を終つた、すべて十三回、関西に於けるそれとを合せて総計二十二回である、来聴者少きは三百人、多きは千五百人、少くとも一万人以上の人々に向つて神の言を講ずるの機会を与へられしことは感謝に堪えない、勿論此会は是で終つたのではない、秋風到ると同時に東京に於て大阪に於て再び繰返さるゝであらう、聖書を講ずるは余に取り最上の快楽である、是れ余が最後の気息を引取るまでの余の仕事であるであらう 〇二十五日夜 柏木今井館に於て聖書研究会員の親睦祈祷感謝会を開いた、此団体今は柏木兄弟団と称せらる、純粋なる平信徒の信仰的家族である 〇二十六日夜家の青年を伴ひ北海道に向て出発した、是れが多分余の最後の北海道行きであらう、今や余に取りては福音の門戸多く西南に開かれて余の生涯の終りの部分は其方面に向つて費されねばならぬやうに思はれる、四十年前に北海道に日本第一の独立教会を起し之を以て日本国は愚か全世界を救はんとの青年時代の計画は失敗(263)に終つた、然し乍ら之よりも遥かに勝さる大希望の余に供せられて余は感謝に堪へない、余が救ふのではない、キリストが再び来りて救ひ給ふのである、無教派的教会は美事に其時に実現するのである、余の青年時代の祈祷はやはり完全に聴かるゝのである、旅行鞄の中に運ばれし書物は黙示録詳解とベルグソン哲学論である、復たび旧き友なる北海の天然と交はるは無上の快楽である。
 
(264)     POWER OF PRAYER.祈祷の効験
                        大正7年8月10日
                        『聖書之研究』217号
                        署名 K.U.
 
     POWER OF PRAYER.
 
 DAVID C.BELL,an American merchant,and my life-long friend,has prayed every day for more than thirty years that I might believe in the Second Coming of Christ. And now that his prayers were answered,and God opened my eyes,and I came to believe in the Lord's Return,and all things became new to me,I cannot but believe in mighty power of prayer. No amount of theological arguments would have sufficed to convince me of the truth of this central Christian doctrine;and what arguments failed to do,God's Spirit in answer to the prayers of one of His saints accomplished in full. Wonderful are powers of prayers of faith! This is my answer to those who persistently ask me how I came to believe in the Second Coming of Christ.
 
     祈祷の効験
 
 米国の商人にして余の終生の友人なるダビツド シー・ベル氏は余がキリストの再臨を信ぜんが為に|一日も欠(265)かすことなく三十年以上祈り継けたと云ふ、而して今や彼の祈祷《いのり》が聴かれ神が余の霊眼を開き給ひて余は再臨を信ずるを得て万物余に取りて尽く新らしく成るに至りて余は祈祷の偉大なる効力を信ぜざるを得ないのである神学者の提供する如何なる議論も余をして基督教の此中心的教義の真理に関して確信を起さしむるに足らなかつたであらう、而かも議論の為す能はざる事をその聖者の一人の祈祷に応へて神の霊は成就げ給ふたのである、驚くべきは信仰の祈祷の能力である、以上は余に如何にして余はキリストの再臨を信ずるに至りし乎と問ふ者に対して余の与ふる答である。
  因に云ふ、D・C・ベル氏は元ミネソタ洲ミネアポリスの市民にして今は隠退して大平洋岸某所に在り、『聖書之研究』の今日あるは彼に負ふ所甚だ多し、而かも彼は余輩を助くるに此世の物を以てせずして信仰の祈祷を以てせり、是れ余輩が特に彼に感謝して止まざる所である。
 
(266)     〔再臨と聖霊 他〕
                         大正7年8月10日
                         『聖書之研究』217号
                         署名なし
 
    再臨と聖霊
 
 基督の具体的再臨を待つに及ばず、彼の高き潔き霊に接すれば足ると言ふ者がある、或は然らん、然れども再臨を望まずして高き潔き霊に接することが出来る乎、其れが問題である、「凡そ神に由れる此望(基督再臨の望)を懐く者は其の(神の)潔きが如く自己を潔くす」とある(約翰第一書三章の三節)、再臨の希望を懐いて清潔《きよめ》の霊に接することが出来るのである、神に由て起る此希望は空望として終らない、必ずや善き果を結んで信者をして聖霊を自己の霊に招かしむるに至る、論よりは証拠である、此希望の旺なる所に聖霊は溢るゝのである、之に反して此希望を排斥する所に其獲んと欲する高き潔き基督の霊は降らない、「それ有る者は予へられて猶ほ余りあり、有たぬ者はその有る物をも奪《とら》るゝ也」とあるが如し、再臨の希望を懐きて高潔の霊は予へられて猶ほ余りあり、此希望を有たずしてその有る霊をも奪る、信仰は理屈ではない実験である、信者は実験に由て再臨の希望に伴ふて聖霊の降臨あるを知るのである。
 
(267)    万国の霊
 
 去んぬる五月、余輩が日本東京に於て余輩の微力を以て基督再臨を唱へつゝありし間に、米国|費府《ヒラデルヒヤ》に於ては世界に未だ曾て有しことなき聖書研究の大会は同じく基督再臨を高唱せんがために開かれた、之に集ひし数万の信徒は皆な此の信仰を以つて燃ゆる者であつた、其の高壇に立ちて熱弁を揮ひし者は彼国屈指の宗教家であつた、基督再臨はすべての方面より攻究された、其間に熱狂と認めらるべき言説は少しもなかつた、総てが冷静であつて、静粛であつて、敬虔の念を以て溢れた、長老教会のチヤプマン氏、バプチスト教会のマイヤルス氏、ムーデー聖書学院のグレー氏、外科医学の世界的権威たるジヨンスホプキンス大学教授ケリー博士、是等が此会の指導者であつた、而して何人も彼等を目して迷妄の人と称することは出来ない、余輩は勿論彼等に奨められ彼等に真似て起つたのではない、然し乍ら彼等の唱道と余輩のそれと全然一致するを見て同一の聖霊の同時に東西両洋に於て働き給ひつゝあるを認めざるを得ない。
 
    播者《まくもの》と穫者《かるもの》
 
 基督再臨の信仰は余輩が始めて此国に於いて唱へたのではない、余輩に先だちて余輩に優る多くの聖徒が此信仰を此国民の間に伝へたのである、ガーヂナー女史は東京女子学院に於て、ツリスツラム女史は大阪プール女学校に於て、其生涯の熱血を注いで此真理を彼等の学生間に伝へた、内海漁民の使徒と称へられしカピテン・ビツケル氏も亦此信仰を唱へながら斃れた、故笹尾鉄三郎氏も亦始終一貫此信仰のために尽した、如斯くにして余輩(268)は己の労せざりし所を穫《から》んとて遣されたのである、他の人々労せしにより余輩は其労したる果を受けつゝある、実に彼は播き此は穫ると云へるは真理である、斯くて播者と穫者とは共に同じ主に在りて喜ぶのである(約翰伝四章三五−三八)、唯一事余輩の彼等に勝りて福なるあり、即ち彼等は平穏に此信仰を宣伝へ得しと雖も余輩は然らず、迷妄、亡国的、非合理的、非基督教的の誹謗は余輩に浴《あびせ》られて彼等に注がれなかつた、余輩はそれ丈け彼等よりも福である。
 
    身体の救拯
 
 人格は霊と体とである、霊のみではない、又体のみではない、霊が体に伴ふて完全なる人格があるのである、其如く霊のみを救はれて救拯は完全からず、霊と共に体が救はれて完全き救拯があるのである、故に霊の救拯を高調せしパウロは又「子と成らんこと即ち我等の身体の救はれんことを俟つ」と言ふた、身体の救拯は小事ではない大事である、身体が救はれずして救拯は半途にして終るのである、而して神はキリストに由りて信者に新らしき霊に適する新らしき身体を与へ給ふて其の救拯を完成し給ふのである、而して霊の救拯は今行はれて身体の救拯はキリストの再臨の時に行はるゝのである、「愛する者よ我等今神の子たり、後いかん未だ露はれず、其の現はれん時には必ず神に肖んことを知る」とあるが如し、我等今朽つべき此身体を有ちて神に肖んと欲するも能はず、万物を己に服はせ得る能を有し給ふ者に此卑しき体を其栄光の体に象らしめられて我等は始めて神の子即ち神に肖たる者となるのである。
 
(269)    再臨の恩恵と其の時期
 
 再臨は固より懼るべき事ではない、歓ぶべき感謝すべき事である、其時に信者の救拯は完成せらるゝのである、其時に万物は一変して凡て受造物は神の子の自由に入るのである、是は実に王がその子の為に設くる婚筵である、天地が歓喜を以て響き渉る時である、故に之を称して「救の日」と云ひ(哥林多後六章二節)、「主イエスの日」と云ふ(同一章十四節)、パウロは此日を指して言ふたのである「汝等の心の中に善き工《わざ》を始めし者之を|主イエスキリストの日〔付○圏点〕までに全うすべしと我れ深く信ず」と(腓立比書一章六節)、而して斯かる日を迎ふるに方て我等が歓喜を以てして恐怖を以てすべからざるは言ふまでもない、「マランアター主臨らん」とは歓喜の声である、故に我等は之を以て人を励ますべきである嚇《おどか》すべきではない。「我が来りしは世を審判かんために非ず世を救はんため也」とキリストは彼の初臨に就て言ひ給ふた(約翰伝十二章四七) 再臨亦然りである、再臨の目的も亦初臨のそれの如く世を審判かんために非ずして世を救はんためである、我等は再臨を人に説くに方て主の此目的を忘れてはならない、勿論恩恵として臨む再臨も亦他のすべての恩恵の如くに之を受くる者の如何に由ては刑罰として感ぜらるゝのである、太陽は光明を供せんために昇ると雖も蝙蝠《かはもり》※[鼠+晏]鼠《もぐら》の類には脅迫として感ぜらるゝのである、其如く救拯の日たるキリストの再臨は神に逆ふ者に取りては憤怒の日又は懲罰の日として感ぜらるゝのである、然れども懲罰は再臨の目的に非ず、神の栄光の天と地と其内に在る凡の物の上に現はれんが為に主は再臨し給ふのである、然るに主の此心を弁《わきまへ》ずして再臨の目的の主として世の審判に在るが如くに説くは大なる誤謬である、人の罪が神の恩恵を化して審判と成すのである、然れども恩恵は依然として恩恵である。蝙蝠※[鼠+晏]鼠の眼に映ずる者(270)として太陽を説くべからざるが如くに罪人の心に感ずる者の如くにキリストの再臨を伝ふべからずである、是れ大に注意すべき事である。
 人は基督再臨の時期を定めてはならない、「その日その時を知る者は唯我父のみ、天の使者《つかひ》も誰も知る者なし」と主イエスは明白に言ひ給ふた、(馬太伝廿四章三六) 基督再臨の時日の計算は今日まで尽く失敗に終つた、一九一七年九月十七日再臨あるべしとの予測も亦外れて多くの人の嘲笑を招いた、再臨の信仰を辱かしむるものにして其時日の計算の如きは無いのである、「主は近し」と云ひ、「彼れ戸の外に立ちて叩く」と云ふと雖もそは時日を定めて言ふたことではない、「近し」と云ふは神の眼より見ての「近し」である、而して「主に於ては一日は千年の如く千年は一日の如し」であれば(彼得後書三章八節) 再臨が今より千年後に行はるとするも之を称して「近し」と云ふことが出来る、抑々時の観念たる相対的である、世に絶対的の時はない、熟眠の十時間は短くして不眠の一時間は長くある、百年を以て長しと思ふ人間には千年は遠き未来である、然れども永遠に生き給ふ神には「時」なる者は無いのであつて千年は一日の如くである、而して我等も亦神の子と成りて永生を受くるに至つて我等の時の観念は一変するのである、神が「近し」と言ひ給ふのである、而して我等も亦神の心を以て彼の約束を解して「近し」と聞いて時の逼迫を唱へないのである、百年も「近し」である、千年も「近し」である、縦し万年たりと雖も我等は敢て「遠し」と言はないのである。|キリストは再び臨り給ふ〔付○圏点〕、我等は其事を知れば足りるのである、其時期の如きは我等の問ふ所ではない、明日臨り給ふも可なり、千年後に臨り給ふも可なり、唯毎日|今日臨り給ふ〔付○圏点〕如くに信じて彼を待ち奉るのである、而して此心を以て再臨を信じて我等は「近し近し」と叫びて騒がず又人を駭かさないのである、神の約束は確実である、「天地は廃《うせ》ん然れど我言は廃じ」とイエスは此事(271)に関して言ひ給ふた(馬可伝十三章三一)、而して詐ること能はざる彼の此約束に接して時の問題の如き我等の省る所でない、我等は日に日に「主よ臨り給へ」と言ひて慎んで彼の約束の実現を待望むのである。
 
    舌の害毒 (英文を以て記されたる古き手帳より)
 
○舌は小さきものなれども誇ること大なり、視よ小さき火いかに大なる林を燃すを、舌は火なり、悪の世界なり、舌は肢体の中にありて全体を汚し、又全世界を燃すなり、舌の火は地獄より燃出づ、……舌は抑へ難き悪にして死毒の充《みて》るもの也(ヤコブ書三章五節以下)。
〇完全なる人とは誰ぞ、能く舌を支配し、言に愆《あやまち》なくして全体に轡を置き得る者なりと使徒ヤコブは曰ふ、信者は福音の奥義を究むると称して信仰の此第一義を忘れてはならない、神、天国、救拯、贖罪、復活、再臨、孰れも皆な重要なる教義である、然れども己が舌を支配し得ずして彼の信仰は其第一義に於て欠けて居るのである、舌を慎む事は小事ではない、又易事ではない、彼の舌より平和、寛容、柔順、衿恤《あはれみ》の甘露が流れ出るに至つて彼は完全《かつたき》人たるを得るに至るのである。
〇希臘の哲人|ピサゴラス〔ゴシック〕は曰ふた「舌より受くる傷は剣より受くる傷よりも悪し、そは剣は体を傷つくるに止まれども舌は霊を傷つけ、又魂を傷つくれば也」と、実に舌を以て人を殺した実例は幾多もある、剣と銃のみが人を殺す機械ではない、舌も亦懼るべき殺人具である、「汝殺す勿れ」とは軍人のみに対つて発せられた誡ではない、牧師、伝道師、神学者、すべて多く舌を使用する者に対つて殊更に発せられし神の誡である。
〇波斯の哲人にして雅典《アデンス》に哲人ソロンを訪ひしアナカルシス〔ゴシック〕の言に曰く、「人に備はる器官にして舌よりも善き(272)者なし、又舌よりも悪き者なし之を善く用ゐて之よりも有益なるは無し、之を悪く用ゐて之よりも有害なるは無し」と、実にイザヤの予言もパウロの伝道も舌を用ゐての事であつた、亦バラムの呪詛《のろひ》もユダの叛逆《そむき》も舌を用ゐての事であつた、福音の美はしきは舌を以て宣べられ、胆《たん》の苦きも亦舌を以て伝へらる、信者は「互に詩と歌と霊に憑《よ》りて作れる賦とを以て語り合ひ」其他は成るべく語らざるを可しとす(エペソ書五章一四)。
〇羅馬の哲人|カート〔ゴシック〕曰く「吾人は他人の舌を支配する能はず、然れども己を潔《きよ》うして彼等の舌をして吾人を害はざらしむるを得べし」と、舌の害たるや大なり、然れども之を防ぐに足るの甲《よろい》あり、聖潔是れなり、聖潔を射通すの鏃《やじり》は無い、我れ自から潔くして毒舌も我が清浄を濁すことは出来ない、人は人なり我は我なりである 我はメセクに宿りケダの幕屋の傍に住むと雖も譎詐《いつはり》の舌は神に頼《よ》る我が聖き霊を傷くることが出来ない。
〇英国の哲学者|ベーコン〔ゴシック〕曰く「誹謗さるゝことに由て人は善くもならず悪くも成らず、世は之がために多少我等を誤解することあるも我等自身は依然として素の我等なり、然れども誹誹することは然らず、他《ひと》を誹謗することに由て我等自身堕落してより悪しき者となる」と、誠に懼るべきことは他に誹らるゝ事に非ずして他を謗る事である。
 
(273)     馬太伝第廿六章六十四節に就て
         (六月七日午後札幌独立教会内に設けられし該地教役者会に於て述べし所)
                         大正7年8月10日
                         『聖書之研究』217号
                         署名なし
 
  イエス彼に曰ひけるは汝が言へる如し、且我れ汝等に告げん此後人の子大権の右に坐し天の雲に乗りて来るを汝等見るべし。
〇此一節はキリストの再臨を論ずるに於て最も重要なるものである、之を我等再臨を信ずる者の側より言はん乎、此語はキリストの己が死を賭して発し給ひし最後の一言であつて其の重き事|比《たぐひ》なしである、彼は此語を発し給ひしが故に遂に死刑の宣告を受くるに至つたのである、何人に取ても其生涯に於ける最後の一言ほど重きを為すものはない、我等の主の場合に於ても亦爾うである、彼れの公然と発し給ひし此の最後の一言は実に彼の全生浬の主義主張を簡約して述べられたるものと言はざるを得ない、而して其一言の中に彼は明白に彼の再臨を唱へ給うたのである、再臨はキリスト御自身の信仰に非ずして彼の弟子等の信仰を彼の口を藉りて述べしものなりとの説は此一節に照して之を維持するに甚だ困難なる事明白である。
〇而して其事は再臨反対論者も亦之を認むるのである、彼等と雖も此一節の場合に於て之をキリスト自身の言に非ずして弟子等の思想をキリストに移して述べたるものなりと主張する事は出来ない、茲に於て彼等は此一節を(274)下の如くに解釈するのである、曰く「キリストは此処に再臨信者の述ぶるが如く俄然的来臨を述べたのではない、彼は|此後〔付○圏点〕人の子大権の右に坐し雲に乗りて来る云々と言うたのである、即ち彼は此語を以て此時以来連続的に来臨する事を述べ給うたのである」と。
〇「此後」 aparti《アプアルチ》 之れ彼等反対論者の高調して已まざる一語である、此後天の雲に乗りて来る云々である、即ちキリストは此時を始めとして何時迄も来り給ふといふのである、故にペンテコステの日に於ける聖霊の降臨も確かにキリストの再臨であつた、続いてヱルサレムの滅亡も亦キリストの再臨であつた、其他信者各自の心に臨みし聖霊の力、また罪の世に臨みし歴史的審判、是れ皆キリストの再臨である、之を措いて他に彼れの再臨を認むるの必要はない、キリストは明白に|此後〔付○圏点〕と言ひて、或る時を定めて特別に来るとは言ひ給はなかつたのである、故に此一節に於てキリストは自己の再臨を述べ給ひしと雖もそは再臨信者の唱ふるが如く号令と天使の長《をさ》の声と神のラツパを以て天より降り給ふといふが如き意味に於てに非ずと言ふのである、而して此解釈は一見して誠に明白なる説明なるが如くに見ゆる。
〇然し乍ら此点に就き少しく我等の研究を進むる時は反対論者の言ふ処に理由なきを発見するのである、今先づ之を馬可伝に就て見るに其第十四章六十二節に左の如き言がある、
  イエス曰ひけるは然り人の子大権の右に坐し天の雲の中に現はれ来るを汝等見るべし、
即ち馬太伝に於けるが如き|此後〔付○圏点〕(aparti)なる語は馬可伝の記事中には之を見ないのである、而して普通聖書学者の説く処によれば馬可伝は最も信穎すべきイエス伝であつて路加伝又は馬太伝は何れも馬可伝を根拠として書かれしものであるとの事である、故にイエス伝を論ずるに当り最も重きを為すものは馬可伝である、従て其立場(275)よりすれば此場合に於ても亦馬可伝の言を以て最も信頼すべきものと為さゞるを得ない 而して其の馬可伝に於ては論者の高調する|此後〔付○圏点〕(aparti)なる語が除かれてあるのである、若し他の場合ならんには論者は必ずや馬可伝の優勝権(priority)を維持するであらう、而して他の福音書の記事は馬可伝の記事を以て之を訂正するであらう、然らば何故此場合に於ても特に馬太伝の記事に重きを置きて馬可伝の記事を顧みないのである乎、若し歴史的に最も価値ある馬可伝に此後(ap arti)なる語が除かれてあるならば之を以てキリストの言と認むるが正当ではない乎、即ちキリストは「此後云々」と言ひ給ひしに非ず、単に「人の子大権の右に坐し天の雲の中に現はれて来るを汝見るべし」と言ひ給うたのである、而して此言に依れば再臨信者の信ずる如くキリストは未来に於ける或る特別の時を期して再び現はれ給ふの謂なる事を認めざるを得ない。
〇翻つて馬太伝の言に就て見ても必ずしも反対論者の論ずるが如くに之を解するの必要はないのである、aparti なる希臘語は此の場合に於て果して之を字義通りに「今より後」と訳すべき乎否乎、之れ疑問である、日本語に於ても「爾今」と言ひて或は之を未来といふが如き意味に於て用ゐらるゝ事がある、
言語は必ずしも其字義を以て解する能はず、其の用法(usage)に拠らなければならない、故に馬太伝註釈者として世界的|権威《オーソリチー》たるW・C・アレン氏の如きが其の万国批評的註解書馬太伝に於て此一節を論ずるに当り aparti の意味を定むるは困難(difficult)なりと言うて居るのである(同書二八四頁を見よ)、而して氏は此語を以て単に未来を意味するものと解しキリストは茲に彼が現在のメシアに非ずして未来のメシアなる事を述べ給うたのであるとの説明を下して居る、何れにせよ ap arti の一語は語学上より見て意味不明である、故に此一語に基づきてキリストの再臨観を決するは甚だ困難である。
(276)〇爾のみならず文法上より解して ap arti 即ち|此後〔付○圏点〕なる語は「天の雲に乗りて来る」との言に関聯せしめて解すべきか否か大なる問題である 聖書註解の王《キング》と称せらるゝマイヤーの如きは其の馬太伝註釈書第六版に於ては反対論者の唱ふるが如くにキリストは茲に其時以来の連続的再臨を語り給へりと述べたるが、其七版即ち彼自身の編纂に係る最後の新版に於ては之を訂正したのである、即ち彼は曰ふ「ap arti は厳密に言へば大権の右に|坐し〔付○圏点〕なる文字にのみ関す、天の雲に乗りて来るは其の結果なり」と(同書独逸原版四六九頁を見よ)、即ち彼の解釈によれば天の雲に乗りて来る云々は ap art とは直接の関係なき離れたる語である、而して之れキリストの或る時に至り特別に来り給ふ事を示す語である、其他英国に於ける近来の馬太伝学者たるマクニール氏の如きも之れと同様の解釈を下して居るのである、然るに之あるに拘らずマイヤーの旧解釈又は万国批評的註解書の馬可伝に於けるE・P・グールド博士の言(二七九頁)を引いて ap arti を「来る」なる文字に附して読む者あるも之れ最も権威ある註解者の取らざる処である。
〇故に馬太伝第廿六章六十四節の言を以てキリストが最終の日に特別に再顕し給ふ事を教へ給ひしに非ずと解する事は出来ない、馬可伝が其最も良き証明者である、而してマイヤー、マクニール等が其の蘊蓄せる学識の結果として述べたる最後の言が亦此事を教ふるのである、依て此一節の反対論者の解釈の如き連続的来臨を説くものに非ずして再臨信者の唱ふる俄然的再臨を教ふるものと見て謬なき事を知るのである。
〇斯く言ひて余輩は再臨以前に再臨なしと言ふのではない、聖書に於いてキリストの再臨を示す語として用ゐられしものに二つある、其一は elchomai《エルホマイ》であつて其二は parousia《パルーシア》である、前者は一般的の語にして英語の come と同じく彼れの来り給ふ事を意味する、即ち常に来り給ひつゝある又た終に来り給ふとの意味を通ずる語である、(277)故に若しキリストの再臨に関して常に此の erchomai なる文字のみが用ゐらるゝならば彼の再臨は或は連続的来臨に止まると言ひ得るかも知れない、然れども parousia の一言に至ては其意味を誤解すべくもないのである、parousia なる語の正当なる意義は近来の発見に係るパピラス(古代埃及産の紙の原料にして精製して文書に用ゆ)によりて明白となつた、即ち此語は|国王が其の領土に臨幸する場合〔付○圏点〕に於て用ゐられたる語であつて必ず王の個人的臨在を意味するのである、故に若し英語を以て言ふならば erchomai は coming(来りつゝある)と訳すべく之に対して parousia は arrival(到着)と訳すべきである(スーター著希臘文新約聖書字典一九四頁を見よ)、故にキリストの parousia と言へば其意義明白である、之れキリストの或は信者の心に臨み或は罪の世を審判くの意味に於ての来臨ではない、之れ王の臨幸である、其の到着である、キリストの場合に於ては彼の約束し給ひし如く其栄光の体を以て再び此地に臨み給ふ事を明白に示す所の語である。
〇此故に人の哲学的思想の如何は暫らく措き新約聖書の明白に教ふる処に由ればキリストは必ず再び時を定めて其身体を以て個人的に世に現はれ而して信者の救拯を完うし同時に罪の世の最後の審判を行ひ給ふのである、此一事に就ては何等疑を挟むの余地を存しないのである。
〇之を要するに馬太伝第廿六章六十四節を以てテサロニケ前書第四章又はコリント前書第十五章又はピリピ書第三章最後の二節等の明白に教る所のキリストの具体的個人的再臨を香定せんとするは到底不可能の事たるを免れない、そは文法的に不可能にして又聖書の他の部分に照合して不可能である、馬可伝の権威は此点に於ては正に判決的(decisive)なるものである。
   附言 「雲に乗り云々」の解釈に付ては本誌第二一五号五頁以下に就て其詳細を見られたし。
 
(278)     石川繁子を葬むるの辞
         (五月廿五日今井館に於て司式の際に述ぶ)
                         大正7年8月10日
                         『聖書之研究』217号
                         署名 内村鑑三
 
  此後我れ見しに、視よ、諸の国、族《やから》、民、国語《くにことば》の中より誰も数へ尽すこと能はぬ大なる群衆白き衣を纏ひて手に梭櫚の葉を持ち御座《みくら》と羔羊《こひつじ》との前に立ち、大声に呼はりて言ふ、「救は御座に坐し給ふ我等の神と羔羊とにこそ在れ」。御使皆御座及び長老たちと四の活物《いきもの》との周囲に立ちて御座の前に平伏し神を拝して言ふ、「アアメン、讃美、栄光、智慧、感謝、尊貴《たふとき》 能力《ちから
》、勢威《いきほひ》、世々限りなく我等の神にあれ、アアメン」。長老たちの一人我に向ひて言ふ「此白き衣を著たるは如何なる者にして何処より来りしか」、我言ふ「わが主よ、汝知れり」、彼言ふ彼等は大なる患難より出で来り羔羊の血に己が衣を洗ひて白くしたる者なり。此故に神の御座の前にありて昼も夜も其聖所にて神に事ふ。御座に坐し給ふ者は彼等の上に幕屋を張り給ふべし。彼等は重ねて飢えず、重ねて渇かず、日も熱も彼等を侵す事なし。御座の前に在す羔羊は彼等を牧《ぼく》して生命《いのち》の水の泉に導き、神は彼等の目より凡ての涙を拭ひ給ふべければなり(ヨハネ黙示録七章九節以下)。 造化の中最も美はしきものは人であります。人の中最も美はしきものは婦人であります。而して婦人の中最も(279)美はしきものは其青春時期であります。この美の極に達した者が忽焉として散り失せたといふ事は是れ人生の最大悲劇でありまして、又天然の最大背理(the greatest violence)であります。死は何れの場合に於ても我々に多くの感激を惹き起すのでありますが、然し今我々の遭遇しました石川繁子さんの死の如きは特に痛切に死の無慈悲残忍を感ぜしめるのであります。かゝる場合に際して問題は起らざるを得ません、「是でも宜いのである乎、かゝる事があつても神の存在並に其愛を信ずる事が出来るのである乎、是でも人生に道理的意義があるのである乎」と。
 此問題は世の姶より在つたのでありまして、而も今日と雖も未だ解決せられないのであります 而して其解決を得んと欲する苦し紛れに人類は色々の解釈を試みたのであります。或は死は凡ての生物に通じて起る現象であつて、独り人間のみが之に遭遇するのではない、故に之を生物に臨む必然的結果と見て諦める事が出来ると言ひます。或は仏法の如きは死を意味あるものと見ずして、唯之を忘却せしめんと致します。即ち死を思想の外に撤回せしめて、自己は思想的に超然と其上に立たしめんと致します。之を名づけて悟といふのであります。然しながら何れの解釈を試みましても、死は依然として旧の死でありまして、殊に妙齢女子の死の如きは一入其残忍を我々に感ぜしめるのであります。是に於てか「是でも宜い乎」“Is this right ?”の問題は、凡て死に就て与へられし多くの解釈の後に復た我々の心に帰り来るのであります。
 死を普遍視(universalize)し又は之を無視(speculate)するは何れも死の消極的解釈に過ぎません。然るに唯一つ死の意味を積極的に解したものがあります。それは即ちキリストの我々に示し給うた教であります。「彼は死を滅ぼし、福音をもて生命と朽ちざる事とを明かにし給へり」(テモテ後書一章十節)。之は事実であります。彼(280)れキリストに由てのみ死の意味が明白になつたのであります。即ち死は死に非ず、死にし者又甦へらされるのである、我々は死者と永久に別れたのではない、死者は亦生者と永久に離れたのではない、主イエスキリストを信ずる者は終の日に於てラツパの鳴らん時主の大なる呼声に応じて起き上り、再び主の許に相会する事が出来るのである、而して栄光の生涯を無窮に続ける事が出来るのであるといふ其の明白なる且つ力ある真理が我々に伝へられたのであります。
 而して此事を教へられて、死は最早や死ではなくなるのであります。此福音の光を以て見ますならば、今我々の目の前に一塊の灰として存る妙齢の女子石川繁子さんの死も決して我々に癒すべからざる苦痛を与へないのであります。繁子さんはキリストを信じて死して、我々を永久に去つたのではありません。我々は又彼女と相会する事が出来るのであります。彼女は前と少しも異ならず、否更に真実なる意味に於て今も我々の中の一人である事をキリストの福音に由てのみ証明せられ又之を確信する事が出来るのであります。万物を己に服はせ得る力を有ち給ひし主イエスキリストが幾度も繰返して「我に来りし者は我之を棄てず、終の日に我れ必ず之を甦らすべし」と言ひ給うたのであります。其声は信者の心の深き所に響きて、彼をして死に遭遇して其凡ての悲みに勝たしめるのであります。
 死後の細未に裁ては我々は明白に教へられません。繁子さん今如何にして在る乎、彼女の霊は今彼女の肉体を離れて如何なる状態に於て在る乎。我々之を明白には知る事が出来ないのであります。或は復活の朝まで眠つて居るのかも知れません。或は又我々の想像する事の出来ない方法を以て存在して居るのかも知れません。或人は此れなりといひ、成人は彼れなりと言ひます。然しながら我々は彼女を父なる神に委ねたれば最早や安心すべき(281)であります。彼女若し眠れるならば、父の懐の中に眠つて居るのであります。安心此上なしであります。恰も母の懐にある嬰児の如く、スヤ/\と眠つて静かに復活の暁を待ちつゝあるのでありませう。又若し或状態を与へられて我々の目を以ては見るを得ざる国に往きたりとせば、彼女は決して知らざる国へ往つたのではありません。試みに彼女がメキシコ又は南米等の遠き国へ往つたとして、若し彼地に我々の友人或は血肉が居るとすれば、勿論我々は彼等に紹介状を送つて、速き国に於ける繁子さんの生涯をして孤独ならしめざるやうに力めるのであります。よし又紹介状を送らざるにせよ、我々の心を能く知る彼地にある我々の愛する者は、勿論深き愛を以て彼女を歓迎するに定《きま》つて居ります。繁子さんが知らざる未来の国に往きしとすれば、其処に多くの友人が待つて居て、心より彼女を歓迎する事は必然であります。諸君の御承知の通り私自身今より六年前に殆んど同齢の娘を失ひました。若し彼女に手紙が届くならば、勿論手紙を送りて、今茲に我々の中の一人が其国に往くから十分の注意と親切とを以て之を迎へよと書き送るに相違ありません。しかし書状を送る事は出来ないけれども私の心を能く知つて居る私の娘は勿論大歓迎を以て彼女を迎へ、凡ての方法を尽して新しき国に於ける繁子さんの生涯を愉快なるものたらしめんと力むる事を知つて居るのであります 其他我々に先立ちて彼国に往きし我々の同信の友は皆其通りである事言はずして明かであります。故に若し繁子さん今眠るにあらずして、或る自覚的状態を以て他の国に往きたりとせば、彼女が決して独り淋しき処に迷つて居ない事は確実であります。斯の如くに見て彼女の未来に就て心配する理由はなくなるのであります。
 さて残りし遺族には如何でありませう乎。之れ亦神の御意みの下に善を持ち来して悪を持ち来さないのであります。先づ御両親に取て見て、人何人も齢を加ふれば此世に泥む事益々多く、此世を去るの苦痛を感ずる事益々(282)強いのであります。かゝる場合に我子の我に先立ちて神の国に往きし事を思ふ時、此世に対する執着は其れ丈け減じて、彼国を慕ふ心がそれ丈け増すのであります。即ち我子は我に先立ちて川を渡つたのである、彼女の瀬踏みしたる流を横切つて我も彼岸に達する事が出来るのである。牧羊者《ひつじかい》が羊を連れて川を渡らうとする時親羊は水に虞れて渡り得ません。其の時牧羊者は先づ子羊を取つて自分の手に之を抱いて流を渡るのであります。而して親羊は我子の取られしを見るや虞れを棄てゝ自分も後より従ふのであります。誠に繁子さんの死によりて其御両親の神の国に到る事を容易ならしむるは之れ確かな事実であります。
 我々の特に同情すべきは鉄雄君の生涯であります。君曩にはうら若き夫人を失ひ、今又妙齢の妹を失はれて、実に同情に堪へません。然しながら君と雖も亦神の此の御業に深き教訓を学ばなければなりません。或は君の立場より考ふれば、既に若き妻を取られし事にて試錬はもう沢山であると思ふかも知れない。然し神は我々に就き我々自身よりも能く知り給ふのであります 我々に臨む患難は既に足れりと思うてはならないのであります。我が衷に存する非望を除くは容易の事ではありません。苦痛の上に苦痛、患難の上に患難を加へられて、始めて我々はやゝ神の御心にかなふ者となるのであります。神が鉄雄君より要求し給ふ処は普通一般の人より深大なるが故に、斯くも悲みの上に悲みが重なつて来たのであります。若し鉄雄君にして神の其声を妹の死によりて聴かれしならば、君は実に恵まれたる人であります。
 其他兄たる錬次君姉たる菊子さん又は其主人たる金井君、其他の親戚友人も悉く繁子さんの死に由て大に教へらるゝ所があり、又教へられなくてはならないのであります。殊に又柏木兄弟団に取て考ふるも、此葬式がキリスト再臨の信仰を世に向つて高唱したる後に始めて起つたものである事を感謝せざるを得ません。私自身に取(283)ても今日迄数回の葬式を司りました。然し今回ほど確信を以て之を司る事の出来た事はないのであります。未来が明白になり、死者決して死せしに非ず、再会の希望確実なりと言ひて、己れを慰めて又聴衆を慰め得た事につき、今回ほど満足なる式を司つた事はないのであります。又此の若き婦人に対して全会一同の心に深き同情が起り、何の隔てもなく一堂に集りて、死者と其遺族とを慰むるに至つた事、之れ亦我々の間に起りし新信仰の賜でありまして、而も繁子さんの死が我々の此信仰を一層強くすると同時に、又今日迄離れ勝ちなりし我々相互の間を更に親密ならしめた事は実に感謝すべきであります。
 斯の如くにして数へ来れば、繁子さんの死は其関係者一同に取つての大なる恵みであります。死者彼女自身に取り恵みであるのみならず、亦遺りし親族友人凡てに取つて恵みであります。願はくは栄光限りなく三位の神に帰せん事をアアメン。
   序に申します、私は死者の為に祈ります、死者の為に祈る事は悪い事ではないと信じます 勿論如何に祈るべき乎を知りません、然し乍ら同じ神が同じ恵恩を続け給ひて我等再会の日にまで到らんことを祈ります、斯くて私は死者との聖き関係を維持します。
 
(284)     無教会主義の利益
                         大正7年8月10日
                         『聖書之研究』217号
                         署名なし
 
 無教会主義に多くの損失はあらう、然し之に又多くの利益が伴はないではない、其一は確に他の教会の信者を奪ひ来て之を己が教会に収容することの不能い事である、無教会主義は単に真理を主張する、而して人の真理を受けんことを要求するの外に何の要求をも為さない、人は教会に入るも可なり入らざるも可なり、故に又教会を去るも可なり去らざるも可なり、而して余輩自身の欲する所は彼が彼の今属する教会を離れざらん事である、パウロの言ひし如く「各人その召されし時に在りし所の分に止まるべし」である(哥林多前書七章二十節)、基督再臨の信仰に就ても亦然りである、之を信ずるに至りしが故に各自その所属の教会を去るの必要は更らに無い、聖公会、長老教会(日基)、浸洗教会等再臨を公表する教会に就ては殊に然りである、唯信ぜよ、信じて堅く立てよ、汝の今夜る地位を離るゝの必要更らに有るなし、余輩は福音宣伝者である、|教会荒し〔付○圏点〕では無い積りである。
 
(285)     懼《おそる》る勿れ
                        大正7年8月10日
                        『聖書之研究』217号
                        署名なし
 
  神アブラハムに言ひ給はく「|懼るゝ勿れ〔ゴシック〕 我は汝の干櫓《たて》なり又汝に賜はるべき大なる賚なり」と(創世記十五章一節)。
  神ヨシユアに言ひ給はく「|懼るゝ勿れ〔ゴシック〕 戦慄《おのゝ》く勿れ軍人《いくさびと》を尽く率て起《たち》てアイに攻登れ」と(約書亜八の一)。神ギデオンに言ひ給はく「心安かれ懼る勿れ汝死ぬることあらじ」と(士師記六章廿三節)。
  エリシヤ曰ひけるは「|懼るゝ勿れ〔ゴシック〕 我等と共に在る者は彼等と共に在る者よりも多し」と(列王紀下六章十六)。
  詩人日く「エホバ我方に在ませば我に恐懼《おそれ》なし人我に何を為し得んや」と(詩百十八篇六)。
  神 預言者イザヤを以てイスラエルの民に言ひ給ひけるは「|懼るゝ勿れ〔ゴシック〕 我れ汝と共に在り」と(以賽亜書四三章五)。
  イエス言ひ給ひけるは「|懼るゝ勿れ〔ゴシック〕 小さき群よ、汝等の父は喜びて国を汝等に加へらるべし」(路加伝十二章三二)。
 
(286)     ツルーベツコイ公の十字架観
         (東京神田三崎町バプチスト中央会堂に於て 六月十六日)
                    大正7年8月10日
                    『聖書之研究』217号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 ツルーペツコイ公とは其名の示すが如く露国人である、而して露国人中には往々にして深遠なる思想を抱く者がある、加之露国人の思想は東洋人殊に日本人の心に訴ふる処が多いのである、トルストイの如きは其最も好き実例である、彼は日本に於て尠からざる弟子を有するのみならず彼れに関する研究を目的とする雑誌すらも此国に於て発刊せられて居るのである、其他ツルゲネーフ、ドストエフスキー等みな日本人に迎へられつゝある、是れ果して何故である乎、仏国人曰く「露西亜人の皮一重を剥がば其下に亜細亜人を見るべし」と、然り露西亜人は欧羅巴人にして実は亜細亜人である、彼等には欧羅巴人の知識と理性とがある、然し乍ら同時に亦彼等には亜細亜人の惰性がある、露西亜人の思想が日本人に了解せられ易きは即ち此故である、キリストの再臨につき最も深き印象を余に与へたる者も同じく露西亜人たるウラジミール・ソロ※[ヰに濁点]エフであつた。
 ツルベツコイも亦其大体の精神に於てトルストイ若くはソロ※[ヰに濁点]エフと類似したる処がある、彼も亦西洋の学者にして同時に東洋の詩人である、故に西洋人の見ざる真理を我等に教ふるのである、而して露国の学者に就き敬服すべきは同一人にして哲学者たり政治家たり詩人たり且信仰家たる者多き事是れである、斯の如きは西洋人(287)中に多く見ざる処である、トルストイとソロ※[ヰに濁点]エフとは露国の産出したる二大哲学者であつた、然し乍ら彼等は又極めて能く社会の事情に精通し或る意味に於ては大なる政治家若くは社会改良家であつた、而して更に又深き信仰家であつた、彼等にして若し欧米に生れしならば必ずや偉大なる伝道者として其名を馳せたであらう、然しながら露西亜人たる彼等は単に一個の深き信仰を有する文士として終つたのである、ツルーベツコイも亦斯種の人である、彼れの政治家たる事は近頃の過激派に対する彼の運動に由て知る事が出来る、然も彼の論文に由て見る時は彼は同時に哲学者であつて又深き信仰家である、茲に紹介せんと欲する彼の十字架観の如きは明白に其事を証明するのである。
 十字架は基督者の信仰生活を代表する者である、主イエスは教へて曰ひ給うた、「若し我に従はんと思ふ者は己を棄て其十字架を負うて我に従へ」と、使徒パウロは叫んで曰うた「我れイエスキリストと彼れの十字架に釘けられし事の外は何事をも知るまじ」と、而して十字架とは肉を足下に踏《ふま》へ之を棄て之を去て唯霊の世界にのみ生くる事と解せらる、即ち肉又は此世は霊の敵である、故に霊を以て肉を征服して純粋なる霊的人物とならざるべからずと、是れ即ち普通基督者の十字架観である。
 然るにツルーベツコイの十字架観は之と趣を異にする、彼は勿論十字架の歴史的意義を否む者ではない、十字架は十字架である、即ち羅馬政府の実行したる最も残忍なる刑罰にしてナザレのイエスの殺戮せられたる其処刑方法であつた、故に十字架と基督教との間には歴史的に最も密接なる関係がある、古来十字架は基督教の精神を代表する表号《シムボル》として認められたのである、而してツルーベツコイは十字架に関する此歴史的事実を説明し去らんと欲する者ではない、然しながら彼は其以外に尚或る一の意義を十字架に於て認むる者である、十字架は唯に其(288)歴史的事実を示すのみならず又人生及び万物に関する深き真理を表はすものなる事を彼は指摘するのである。
 十字架は縦横二本の棒の交叉に由て成る、而して其横木の表すものは何ぞ、曰く「地」である、其縦木の表すものは何ぞ、曰く「天」である、|天なる縦木が地なる横木を貫きて之を上に携へ昇らんとする所に十字架の意義があるのである〔付○圏点〕と、是れツ公の十字架観の根本概念である。
 其の所謂「地」に属する者に我等の肉体がある、社会がある、文明がある、其の所謂「天」に属する者に信仰がある、渇仰《アスピレーシヨン》がある、而して人の宗教は二者の何れかに属するものである、基督教以前の宗教は概ね自然数にして「地」に関する者であつた、即ち此世を改善し社会を開発せんとする現世主義地的本位の宗教であつた、希臘哲学は其代表者である、我国に於て重んぜらるゝ儒教の如きも亦之に属する、治国平天下は其目的であつたのである、儒教は空想を説かずといふ、是れ其の現世主義なるが故に外ならない 然し乍ら之に対して又全然「天」的なる思想があつた、印度宗教は其の代表者である、即ち肉又は此世を以て霊の敵と見て之と戦ひ之に打ち勝ち之を征服し之を除却して唯だ一直線に天に向つて進まんとするの思想である、「地」的に非ずんば「天」的、純肉的に非ずんば純霊的、肉の外何事をも念はざる世の所謂英雄豪傑と霊の外何事をも念はざる所謂遁世脱俗の聖人君子、彼か此か、古来人類の思想は此二者の中の一を出でなかつたのである。
 然るにツルーベツコイ曰く二者共に誤まれり、人生横を以て尽きず又縦のみを以て足らず、政治経済殖産興業は人生の目的ではない、然れども此世を棄てゝ純粋なる霊的生活のみを営む事が人生ではない、神の此地を造り給ひしは之を棄てんが為めに非ずして之を天国と化せんが為めである、|故に肉は之を征服すべきに非ず霊を以て之を霊化すべきである〔付△圏点〕、|肉を代表する横木を貫くに霊を代表する縦木を以てしたる十字架は即ち此真理を示すも(289)のである〔黒ゴマ点〕、横木のみを以て十字架を成さず、縦木のみを以ても同じく十字架を成さない、|霊なる縦木ありて肉なる横木を地より天に挙げんとする所に初めて十字架の意義がある〔付○圏点〕、|而して此交叉点に於てイエスキリストは磔殺せられ給うたのである〔付◎圏点〕と、ツルーベツコイ公の十字架観は此くの如き者である、而して此説明は極めて深き真理を語るものと謂はざるを得ない。
 キリストは何故に十字架に釘けられ給うたのである乎、彼は神の心を心として同時に此地を棄て給はざりしが故である、此の物質的世界を彼の双手《さうしゆ》に抱きて之を天国に携へんとし給ひしが故である、家庭も社会も政治も産業も悉く之を神に献げ給ひしが故である、彼にして若し希臘思想に於て見るが如く現世又は肉体の幸福のみを念とし給はん乎、社会は必ずや喝釆を以て彼を歓迎したであらう、又彼にして若し印度哲学に於て見るが如く独り自己の霊的生活のみを維持し現世及び肉体と全然離絶し給はん乎、社会は彼を聖者と呼び哲人と称して尊敬したであらう、而して十字架は決して彼を見舞はなかつたであらう、然しながらイエスキリストに在ては人生の凡てが神に由て霊化せられ聖化せらるべきであつた、而して是れ実に此世の容す能はざる所であつた、茲に於てか印度宗教又は希臘哲学の嘗て遭遇せざりし十字架は独り彼れイエスキリストの運命となつたのである、基督教の基督教たる所以、其の凡ての他の宗教と異なる所以は此処にあるのである。
.再臨の信仰も畢竟するに此思想に外ならない、反対者或は曰くキリスト其の肉体を以て再び天より降るといふが如きは迷信であると、余輩も亦爾か言ふであらう、|誰が此講壇の上より斯の如き再臨説を唱へた乎〔付△圏点〕、余輩の唱導する再臨は純物質的の思想ではない、霊化せられたる体を以て復活昇天し給ひしキリストが再び其霊体を以て来り給ふと云ふのである、雨してキリストの復活は信者の復活の初穂である、再臨ありて凡ての信者は亦彼(290)の如くに其肉体を霊化せしめらるゝのである、而して信者の復活は万物の復興の初穂である、再臨ありて万物も亦霊化せしめらるゝのである、故に再臨は又純霊的思想ではない、肉を離れて霊のみ昇天するのではない、イエスの変貌を以て示されしが如く肉体の霊化である、此世の聖化である、宇宙万物がキリストの栄光を被りて天国と化するのである、十字架、復活、昇天、再臨等基督教の根本的真理は皆此思想の上に立つのである。
 肉のみに非ず又霊のみに非ず、霊を以て肉を聖化する事、是れ基督教の福音である、而して是れ十字架なくして実現し得る事ではない、霊の来りて肉を抱かんとするや必ず十字架を伴ふ、故に十字架は凡ての基督者の負はざるべからざる所である、基督者は自己一人の救拯を以て満足する事が出来ない、彼にして若し周囲を顧みる事なく独り天国に入らんと欲せば即ち唯平和あるのみである、然れども福音は之を許さない、|福音の性質は縦木を以て横木を貫き之を携へて天に昇るに在る〔付○圏点〕、基督者は此世の不信者の間に入り自ら血を流して彼等を天に携へ往かなければならない、家庭と社会と国家との一切を携へ往かなければならない、而して此所に必然十字架は実現するのである、十字架は霊と肉との交叉である、霊を以て肉を聖化すべき唯一の途である、主イエスキリスト此途を取りて全世界を救ひ給うた、我等も亦彼に倣うて此途を取らなければならない、ツルーベツコイ公の十字架観は実に福音の根本義を明かならしむるものである、実に深い貴い思想である。〔十字架の図と説明あり、省略〕
 横に広き地を表号する、殖産、工業、社会、政治、及び地と人とに係はる思想は凡て地に属《つけ》る者であつて横木を以て表号せらる、支那の儒教、希臘の哲学は是れである。
(291) 縦に高き天を表号する、霊、神、天、来世、永世、及び神と天と霊とに係はる凡の思想は天に属る者であつて縦木を以て表号せらる、世を離れて天に帰り、肉に死して霊に生くると称する修養の道は凡て是れである。
 縦に高き天が横に広き地を貫《つらぬ》きて之を上に挙げんとする者、是れが十字架である、基督の福音は十字架である、彼は縦木横木の交叉点たる十印に於て釘《くぎつ》けられたのである。
 
(292)     馬太伝第十三章の研究
         (東京神田三崎町バプチスト中央会堂に於て 六月廿三日)
                    大正7年8月10曰
                    『聖書之研究』217号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 聖書の研究は困難なる事業である、其の研究の結果窮なき生命の泉を掬むを得るも、茲に達する迄には大なる努力を要する、そは恰も金銀の採掘の如きである、金を以て身を装ひ銀を以て物を飾るは美はしと雖も之を採掘するは容易ならざる事業である、聖書も亦然り、其研究には人の知らざる苦心がある、聖書の一言一句を其前後の関係に照合して穿鑿し注意に注意を重ねて其意義を探究しなければならない、然しながら困難なりと雖も是れ最も貴き事業である、聖書研究の困難を解せず又其意義を解せざる者は動もすれば之を以て伝道事業と別視する者がある、彼等は曰ふ聖書学者は伝道を為さずと、又曰ふ最早や聖書を棄て起ちて国民を救へよと、然しながら聖書研究に勝るの伝道はないのである、聖書を措いて他に国民を救ふ途は何処にある乎、力むべきは聖書研究である、勧むべきは神の言の探究である。
 今茲処に馬太伝第十三章の講解を試みんとするは即ち聖書研究の如何なる乎に就て其例を示さんと欲するに過ぎない、説教者は多く聖書中の一句を題文《テクスト》として縦横に論を行る、之れ必ずしも悪しき事ではない、然しながら又或時は馬太伝若くは羅馬書等の全体に就て其の何を教ふる乎を説かなければならない、一書又は一章を題文と(293)しての説教も亦甚だ必要である、馬太伝第十三章は何を教ふる乎、之れ今日の題目である
而して此一章が一の大なる教訓を与ふるものなる事を明かにせんと欲するのである。
 馬太伝第十三章は七個の譬喩《たとへ》より成る、而して七は聖書に在て完全を示すの数である、七教会、七封印、七福、七日、七年又は四十九年等の如し、而して七個の譬喩の内容は左の如くである、
  第一 種蒔《たねまき》の譬喩
  第二 稗子《からすむぎ》の譬喩
  第三 芥種《からしだね》の譬喩
  第四 パン種の譬喩
  第五 隠れたる宝の譬喩
  第六 真珠の譬喩
  第七 網打の譬喩
 所謂高等批評家は曰ふ「馬太伝は順序を遂うて編纂せられし書ではない、イエスの事蹟又は教訓を其種類に由て撰択分類したる者である、故に山上之垂訓又は奇跡又は譬喩又は預言等を各々其題目の下に一括して記述したるに過ぎない、教訓相互の間又は譬喩相互の間には何等の関係なく唯雑然として籠中《かごのなか》に投入したるが如くである」と、果して爾うである乎、若し然らんには少くとも馬太伝は全く文学上の価値を有せざる書である、斯の如き粗笨なる編纂を為したるマタイは到底文学者としての資格を要求する事が出来ない、然しながら馬太伝の価値は人の能く知る処である、世界に有名なる文学者が此書を評して「人類に最大の感化を与へたる書」と呼び做し(294)て居るのである、斯かる貴重なる書の記事が雑然たる羅列に過ぎずして其相互の間に何の関係なく一貫して或る大なる真理を伝ふる処なしとは何しても受取る事が出来ない、換言すればイエスは茲に七個の譬喩を以て断片的に別個の真理を語り給ひしものに非ずして|本章全体が七個の譬喩を以てする一の大説教なる事を疑ふことが出来ない〔付○圏点〕、七は完全の数である、故に七個の譬喩は全体として一の真理を教ふるものであつて其相互の間に深き関係ありと見るは極めて適当なる解釈である、而して是れ本章を解するが為の第一の鍵《キー》である。
 次に注意すべきは七なる数の中に四と三との順序である、聖書に在ては四は地の数にして三は天又は霊の数である、而して見よ七個の譬喩中第一の種蒔は地に属《つ》ける事である、第二の稗子の成長亦然り、故に其第三第四も亦同様ならんと想像する事が出来る、終の三に至ては明白に天又は霊の事である、隠れたる宝の発見といひ真珠の発見といひ何れも地以上の事である、殊に最後の網打は即ち審判であつて神の自ら為し給ふ所である、四と三、地と天、是れ本章を解する上に於ての第二の鍵である。
斯くの如くに解し来れば本章の意義は略々明白である、即ち|種蒔を以て始まり網打を以て終る七個の譬喩は神の言の初めて地に蒔かれしより世の終に至る迄の福音史を預言したる大預言である〔黒ゴマ点〕、こは一個の仮説なりと雖も確実なる根拠に基づく仮説にして、而して七個の譬喩の内容は歴史上の事実と相俟ちて此説の謬らざる事を証明するのである。
 種蒔の譬喩の教ふる所はキリスト御自身の説き給ひし福音の其効を奏すること甚だ少き事実である、其或者は路傍に落ちて空中の鳥に啄まれ或者はパレスチナ地方通有の岩上土浅き地に落ちて直に枯れ或者は棘《いばら》の中に落ちで蔽はれ而して唯少数の者のみが沃地《よきち》に落ちて三十倍六十倍又は百倍の実を結ぶといふ、即ち之を一言すれ(295)福音の説かるゝや其の実を結ぶものは決して全体に非ずして僅かに其一小部分に過ぎないとの事である、之れキリスト御自身の実験にして又後の事実の預言であつた。
 然らば其沃地に落ちたる少数の種は健全なる発育を遂ぐる乎と言ふに、然らず、其中に稗子が現はれるのである、稗子とはパレスチナ地方に生ずる「チツァニア」であつて結実前は真の麦と区別する事が出来ない、故に農夫は之を引抜かずして収獲の時を待つといふ、即ち少数の麦の間には偽はりの麦が生存すべしと、之れ第二の預言である。
 次に来るものは芥種の譬喩である、此の譬喩は通常福音の膨脹力を示すものと解せらる、然しながら注意すべきは茲に来りて其枝に宿るといふ「空の鳥」は同じ本章の中に既に悪しき者の意味に用ゐられたるのみならず聖書の他の部分に在ても亦同様なる事である、或は「空中に権威を握る者」といひ凡て悪魔は上空に在りて人を狙ひ恰も鷹の小禽を攫《さら》ふが如くに人を攫ふとの思想がある、故に芥種の譬喩も亦前後の関係より之を見て寧ろ教会の俗化を表すものと解すべきである、而して之れ事実の証明する処である、キリストの教会は初めは微小なりしも次第に増大して遂に羅馬帝国の国教会となるに至つた、嘗てユーセビアス羅馬皇帝の卓側に坐し一座の光景を指して曰く「陛下よ約翰黙示録に所謂新しきヱルサレムとは即ち是れなり」と、然しながら教会の斯く増大して空の鳥を宿すに至りし其事が最大の不幸であつた、|空の鳥とは何ぞ、悪魔彼自身である〔付△圏点〕、前には福音の種を啄みし者が後には自ら教会に入りて勢力を振ふのである、而して教会は悪魔を迎ふれば一夜にして増大するのである、之れ独り欧洲に於ける事実のみではない、我国に於ても亦同様である、教会は芥種の如くに小さく基督者は必ず迫害を免れざりしは近き過去の事実であつた、然るに今や基督教は此国に於ても一大勢力と成りつゝある、富豪(296)之を迎へ政治家之に近づく、基督教会の牧師が総理大臣の許に出入するが如きは果して何の徴である乎、噫空の鳥は既に我国の教会にも来り宿つたのである。
 第四のパン種の譬喩は如何、パン種は感化力を表すが故に此の譬喩は福音の社会に対する感化力を示すものと解せらる、然しながら単に感化力ならば其反対も亦事実である、否むしろ悪魔の感化力は福音の感化力よりも更に顕著である、故に此譬喩の意味は他にありと見ざるを得ない。
 茲にパン種といひ又|婦《をんな》之を取り云々といふ、聖書に於てパン種は常に異端の意味に解せらる、キリスト自ら其弟子に対し「汝等パン種を慎めよ」と言ひ給ひしはパリサイ及びサドカイの異端を慎めよとの謂であつた(馬太伝一六の一二)、而して又聖書に於て婦と言へば大抵悪しき意味に用ゐらる、ヨハネがテアテラの教会に宛てたる書翰中「汝は……婦イエザベルを容れ置けり」とあるは言ふ迄もなく甚だ悪しき婦人であつた(黙示録二の廿)、加之古来異端は多く婦人の作出する所である、現今欧米に於て勢力を有する基督教科学《クリスチヤンサイエンス》を創始せし者はエヂー夫人である、霊智学を代表する者はベザント夫人である、再臨に関する異端第七日アドベンチストの開祖はホワイト夫人である、而して是等の事実の暗示する処は能く聖書の言に適合するのである、依て知るパン種の譬喩は教会内部に於ける異端の出現と其感化力とを示す事を、俗化したる教会に純福音は迎へられない、茲に於てか新神学者なる者現はれて俗物を喜ばすべき異端を唱ふ、而して信者皆之に感化せらる、教会の俗化時代に次ぐものは異端出現の時代である、是れ古今東西の教会歴史の均しく証明する所である。
 然らば福音の前途は全く絶望である乎、教会の歴史は悉く失敗である乎、否神は此暗黒中に更に光明を投じ給ふのである、教会を挙げて異端に心酔せる時神の選び給ひし少数者が隠れたる貴き宝を発見するのである、腐(297)敗したる群の中に尚聖き男女ありて此宝を発見し得るは実に感謝すべき恵みである、而して此事も亦歴史上の事実であつた、多くの註解者は隠れたる宝の譬喩を以てルーテルの聖書発見と解するに於て一致して居る、前四個の譬喩に就ては全然別様の解釈を取る学者も此点に於て一致する者が多い、隠れたる宝とは何ぞ、聖書である、神の言である、教会内に俗物跋扈し異端横行する時隠れたる聖書の発見があつた、而して発見者は之を胸に抱いて喜び仮令教会より破門せられ身を焚かるゝとも此貴き宝さへあらば即ち足ると做したのである。
 若し宝の譬喩にして果して聖書の発見ならん乎、次に来る真珠の発見の意味も亦之を探るに難くない、宝とは宝の一団の意味であつて函又は鞄等に蔵められたるものと見る事が出来る、然るに真珠は一個の宝である、即ち一団の宝の中更に貴き者である、始めに宝の発見あり、次に其中の更に貴き真珠の発見がある、|聖書中の最も貴き真理とは何である乎〔付○圏点〕。贖罪乎復活乎昇天乎、此点に就て我等は独断的であつてはならない、然しながらA・J・ゴルドン等の説たる真珠とは再臨の真理なりとの説明は侮るべからざる思想である、再臨を聖書の中心的真理と信じて之が為には自己の一切の所有を放棄するも顧みずと為す者は決して少くない、余自身に取ても再臨を信じて聖書全体が更に価値あるものとなつたのである、宝の発見に次いで真珠の発見がある、斯の如くにして俗化したる教会に光明は臨むのである。
 而して最後に網が打たるゝのである、善も悪も一度びは神の前に出でゝ火に焼かれ其価値を験《ため》さるゝ時が来るのである、真信者も偽信者も最後にはキリストの台前に立ちて大なる審判を受くる日が来るのである、聖書は近代人の考ふるが如き進化的審判を説かない、教会が徐々として発達進歩し遂に全世界を抱容する黄金時代を実現すべしと言ふが如きは全然聖書と相容れざる思想である、聖書は明白に善と共に悪の成長すべきを預言する、而(298)して最後に審判の行はるべきを預言するのである。
 斯の如くに解釈すれば七個の譬喩は全体として一貫したる大真理を教ふるものである、福音の種は蒔かるゝも之を受くる者は少数に過ぎない、而して其少数者中に更に偽の信者が入り来る、斯くて教会は俗化して富豪政治家等に近づき神学者は彼等に佞《おもね》りて異端を唱ふ、然れども悪魔の子等の間に又神の子現はれて隠れたる宝及び真珠を発見し依て死に瀕したる教会の復活がある、而して後に最終審判は行はるゝのである、故に馬太伝第十三章は一の大預言である、其中に死の半面あり又生の半面あり、暗黒あり又光明あり、神の深き真理が明白に伝へらるゝのである。
 而して独り本章のみならず馬太伝全体然り否聖書全体然り、聖書は個々の言を読みて其意義を誤り易くある、然しながら其全体を読みてキリストの精神の存する処を受けん乎、我等の霊を充実せしむると共に又之を寛容ならしめ深さと共に広さを与ふる事此書の如きは他に無いのである、聖書研究の秘訣は茲にある、是れ実に何物を以ても代ふべからざる貴き事業である。
   附記 近頃或人基督再臨の信仰を起し、歓喜抑へ難く、其所有の総額《すべて》を持来り曰く「今謹んで之を聖前に献す、願くは此福音宣伝の為に使用せられん事を」と 斯て「一の値高き真珠を見出さばその所有《もちもの》を尽く売りて之を買ふなり」とある聖書の言に合《かな》へり。
 
(299)     北海道訪問日記
                      大正7年8月10日、9月10日
                      『聖書之研究』217・218号
                      署名 主筆
 
〇五月下旬に行ふべく予告せられし北海道行きがイエスの霊に禁《とゞ》められて実行されず、為に多くの苦悶を招きしと雖も、禁められしは却て善き事であつたことは後で明白に解つた、然し之れがために余の違約を憤つて十数年来読み来りし雑誌の購読廃止を申込まれし兄弟もあつた程で、事は至つて苦痛の種となつた、予告は容易に為す者でない事を今度染々感じた。
〇六月廿六日午後十時半家の青年を伴ひ霖雨の中に東京を発した、上野停車場に我等を見送られし兄弟姉妹六七人あつた、車中混雑を極め、腰掛二尺四方が我等各自の其夜の宿であつた。
〇同廿七日、阿隈《あぶくま》川を渡る頃我等は霖雨圏を脱し久し振りにて碧空を見た、盛岡に至りて中央山脈に残雪を望み、尻内《しりうち》以北に群馬の放牧を眺め、午後青森着、直に比羅夫丸に乗込み、津軽海峡を渡つた、余は此海峡を渡りしこと今日まで幾回なるを知らず、然し乍ら今回ほど静穏なる海峡の水に浮んだことはない、竜飛、白神、中の潮《しほ》の難所も庭園の風景を望むが如くに過ぎた、九時函館桟橋に着けば虎渡《とらわたり》乙松君の我等を迎ふるに会ふた、此夜君の親切に由り函館に泊つた。
〇同廿八日、終日を汽車中に過した、火山湾、尻別河、羊蹄《しりべし》山、何れも我等の注意を惹いた、小樽港に近づけば(300)何れも昔し馴染の場所である、「あの漁村はお父さんの青年時代に伝道した所」、「あの山頂はお父さんの屡々登りて祈祷せし所」と同伴の青年は指教《をしへ》を受けた、銭函駅にて浅見福田両君の出迎を受け、手稲山の麓を走りて札幌駅に達すれば出迎は例に由て例の通り、「オーイ善く来た」との四十年来聞慣し声を耳にしては我れと自我《おのれ》を忘れて了ひ、大切の手鞄を車中に遺《おき》忘れて旧き札幌の市街へと飛出した、夜半に到り其鞄は漸く再び我手に帰した、其夜旧き演武堂の鐘を聞きながら寝に就いた、故人の霊我が傍に在るやうに感じた。
〇同廿九日、昔し懐しき所々を見た、大なる楡樹《エルム》は到る所に我を迎へた、何れも旧知の大木である、今や初夏の緑葉を以て茂り特別に我を迎ふるために盛装せし乎の如くに思はれた、幾回か其蔭に息ひ旧時の追想に耽つた、夜宮部教授の家に教友の感謝祈祷会を開いた、会する者三十余名、恩恵に満ちたる会合であつた、聖霊既に我等を動かし給ひつゝあるを感じた。
〇同三十日(第一安息日)、午前独立教会に牧師竹崎氏の「基督再臨の心理」と題する説教を聞いた、午後は多くの来客に接し、同七時より余自身が同じ独立教会の高壇より「基督再臨の聖書的根拠」と題し北海道に於ける第一回の講演を為した、来聴者四百余名、旧き会堂に空席は無かつた、茲に大問題は提出された、我が旧友は之を受くるや否や。
〇七月一日 午前更らに樹下逍遥を続けた、水清く蔭暗く、思出多き散策であつた、夜に入りてより又高壇上の人と成つた、題は「基督再臨の歴史的証明」来聴者は昨夕よりは少しく減じて三百五十余名、基督再臨は世界問題最後の解決なりと唱道した。
〇同二日、午前は訪問に忙はしく、夜に入りて三たび高壇の上に曝された、題は「基督再臨の天然的説明」、聴衆(301)は第一回よりも多く殊に其内に天然学の権威《オーソリチー》数名の余の言に耳を傾くるあり、此聴衆の前に此題に就て語る、余は未だ曾て斯かる難題を課せられたる事はない、然し聖霊は余を助け給ひたりと信ずる、基督再臨は迷信ではない、道理と科学に訴へ学者の前に唱道することの出来る問題である、我は福音を耻とせずである、我は基督再臨の信仰を恥としない、此信仰は未だ曾て一疋の蛙《かはづ》をすら解剖したことのなき新神学者、牧師、伝道師等には迷妄なり非道理的なり非科学的なりと云はれて排斥せらる、然れども終生を天然学の研究に委ねし理学者等には反つて大なる尊敬を以て迎へらる、豚の前に真珠を投ぐべからず、基督再臨の信仰は科学の何たると信仰の何たるとを知らざる現代の神学者等の前に提供せらるべき者でない。
〇同三日、朝鉄道馬車に乗り茨戸《ばらと》に到り、茲処に発動機船に乗替へ石狩河を下り石狩町に到る、旧知の此大河に浮びて懐旧の念禁じ難き者があつた、唯見る旧時の両岸の密林は斫排はれて満目一面の耕作地と化せしことを、故に余の旧友鮭魚にして此河に溯る者大に減少し、河の富として見るべき者今や将さに絶えんとす、神は天然を造り給ひて人は之を荒廃す、余は旧き石狩河の消去りしを見て憤慨に堪へなかつた、夕暮項河口東岸の八幡に到り製麻会社の社宅に客となつた。
〇同四日、朝五ノ沢より来りし教友の一団と会し祈祷と感謝を共にした、其内に児童青年二十余名あつた、山中の一村挙つて余の信仰の友である、而して全村の老若男女挙つて余に会せんとて此処まで来つたのである、愛すべき彼等と相対して余等二人は奇異の感に打たれた、誰か言ふ聖書の研究は此世の事業に関係なしと、茲処に全村挙つて聖書と鋤とに由て山を拓き野を耕しつゝあるではない乎、咋は天然学者に対して基督再臨を語り、今は其心詭譎《いつはり》なき労働の男女に対して同じ希望を説く、基督再臨は到底教師神学者等の信仰ではない、平信徒のみ能(302)く之を解し得る信仰である、後に海岸に行き沙丘にハマナスの香気を海風に混ずるを見た、見渡す限りの紫、北海絶景の一である、午後帰途に就く、夜札幌に同窓諸氏の饗応に与る。
〇同五日、樹下の逍遥を継続し札幌に休息す、友人の庭園の桜桃《チエリー》熟し、時々其下に到り手づから之をモギ取りて甘味を賞す、快感無量。
〇同六日、北海道帝国大学卒業式に参列す、旧札幌農学校が進化して茲に到りし者、余の如きも今や母校として大学を有つに至つたのである、為すべきは長命である、待てば自から努めずして大学出身者の一人として認めらるゝに至る、夜学士会晩餐会に出席す、総長閣下と卓上演説を闘はし、歓を尽くして帰る。
〇同七日(第二安息日)、朝独立教会に於て説教す、題は「信仰四十年」、札幌の地に始めて基督教的信仰を起してより基督再臨の信仰を起すに至りしまでの四十年間の信仰的経歴に就て述べた、時と所とは余の言を助けて感想続出して尽きざるを覚えた、午後在札幌教役者諸氏と会合して再臨に就て語つた、夜四十年前の同級同室の友にして今は科学的智識に於て世界的権威たる人と共に跪いてイエスキリストの聖名に由りて父なる天の神に祈つた、彼の深き博き智識は彼をして旧時の単純なる信仰を持続せしむるの妨害とならない、余は面前にニユートン、フハラデーを見るの感がした、我等は固き握手を重ねて別れた、我等四十年を経て良き友人であるばかりではない又固き基督者《クリスチヤン》である、神の栄光を顕はすを以て我等の生涯の目的となさんとの青年時代の誓約は今猶ほ我等の間に忠実に守られつゝある、Blest be the tie that binds、Our hearts in Christian Love!
〇同八日、朝多くの友人に送られて札幌を去つた、午後旭川に到る、茲処にも亦多くの友人の迎ふるあり、小林直三郎君の家に客となる、夜日本基督教会堂に於て講演す、札幌に於ける三回の講演を一回に約めし者であつて(303)甚だ不満足ならざるを得なかつた、而かも聴衆堂に満つるの盛会であつた。
○同九日、出発に先立ち青年会に於て有志の懇話祈祷会を開いた、雨の中に多くの友人に送られ旭川を去り、十勝に入り、夕暮に同国|直別《いよくべつ》に旧友黒岩|四方之進《よものしん》君を君の農場に訪ふた、君は鞍馬を停車場に遣《おく》りて余を迎へられた、十勝釧路の国境をなす直別川に沿ふて行くこと里余にして君の住家に達した、馬上遥かに望めば三人の戸口に立て余を迎ふる者があつた、彼等は君と夫人《ミセス》と令嬢とであつた、我等の握手は長く且つ固くあつた、夫人とは彼女結婚以来始めての会合であつた、当年の新婦《はなよめ》は今は老熟の主婦である、彼女は『聖書之研究』初号よりの熱心なる愛読者である、故に彼女と余とは過去十九年間毎月信仰談を交はしつゝあつたのである、十勝の山中、処女林の茂る所に旧友の会合が行はれて我等は時の移るを忘れた、時に村人十四五名の来り会するあり、茲に説教会は開かれ、讃美歌は小オルガンに合はして歌はれ、祈祷は捧げらる、主はたしかに我等の間に在し給ふた、林中夜静にして天使の羽撃《はゞたき》を屋外の梢に聞くが如くに感じた。 〔以上、8・10〕
〇七月十日 静かなる一夜を天然林中友人の家に過した、翌朝彼に伴はれて彼の領内を逍遥す、二里四方の神が造り給ひし其儘の山野である、余は未だ曾て他人の所有を羨みし事なしと雖も此広大なる天然の林のみは羨ましくあつた、余は其中の大木一本なりとも余の柏木の家の庭に運び来りたく欲ふた、然れども何をか恨まん、余の友人の所有は余の所有である、逍遥終りて後に我等は再び固き握手を交して別れた、実に北海の天然は偉大である、然れども神に恵まれて其中に信仰の生涯を営む我友の人格は更に偉大である、殊更に彼を訪はんがために千哩の旅行を試みる充分の価値がある、余は大なる感謝を以て直別の地を去つた、終日汽車旅行を続けて夕七時半北見野付牛に着いた、此所に又多くの友に迎へられ、米国宣教師ピヤソン氏の家に客となつた。
(304)〇同十一日 終日家に在て休んだ、北海道に生育し余も北見に入りしは今度が初てゞあつた、実に美はしき国である、三抱もある※[木+解]《かしは》の大木の庭樹《にはき》となりて遺るあり、元始時代の北海道を今猶ほ此所に見るを得て四十年前の昔に帰りし心地がした。
〇七月十二日 午前十時網走に向て出発した、十二時着、直に三眺山《さんてうさん》に登り、網走、能取《のとり》の二湖に合はせてオコツク海の水を眺め、特殊の風光に我眼と心とを歓ばした、夜網走ホーリネス教会に於て説教した、来会者百余名、題は「基督教は如何にして北海道に入りしや」、ニコライ パイソン、アンドルユース、デニング、バチエラー、ハリス、W・S・クラーク等の功績に就て述べた、日本全国に渉りて北海道ほど福音の感化の普き所はない、其れは其筈である、多くの貴き生命《いのち》は北海道のために与へられたのである、此所に伝道する若き伝道師等は此事を忘れてはならない。
〇七月十三日 朝発車前に基督再臨問題に就て語つた、野付牛に帰り有志の午餐の饗応に与り午後七時半日本基督教会に於て説教した、斯く応接に忙しくして碌な説教の出来ないのは勿論である、余の友人等は善く余を用ゐるの途を知らない、彼等は余より余り多くを得んと欲して何をも得ないのである、此日遠軽より二三の入来りて頻に余の彼地に到らんことを要求した、彼等の執拗甚だしく、余は殆んど困り果てた、事に田川大吉郎君の余の側に在るありて余は余の計画通りを実行する事が出来た、福音宣伝は快事である、然れども地方精神の度々之を妨ぐるあるは痛恨事であると称せざるを得ない、基督信者は先づ第一に神の為を思はざるべからず 第二に人類の為を、第三に国の為を、第四に地方の為を、而して最後に我が教会又は自己の為を思ふべきである、余は北見の為に北見に行いたのである、野付牛又は網走又は遠軽の為に北見に行いたのではない、然るに彼地の兄弟等(305)は己が地方を思ふこと余りに切にして北見を思ふこと甚だ薄きやうに見えた、是れ余が今回北見に行いて大に余の心を痛められし主なる原因であつた、「遠軽に来い」、「往ない」、其問題を以て終日困しめられた、大切な演説は妨げられた、余は一首の歌を遺して匆々北見を去るに決した
   うちむらを困らせにけり野付牛
     えんが軽くて早速《はや》く足走《あばし》り
〇七月十四日(日曜) 朝日本基督教会に於て牧師の説教の後を接て「十字架と再臨」に就て語つた、午後に『聖書之研究』読者会があつた、夜文説教した、説教又説教、分量は多くして精神は衰ふ、余の北見訪問は多く余の意に反した、三回に渉る力強き北見講演を野付牛に於て為さんとの余の計画は全く敗れて僅に断々《きれ/”\》の言を遺して余は北斗七星高き此地を去らざるを得ざるに至つた。
〇七月十五日 朝野付牛を発し、再び十勝、石狩の平野を横断し、胆振国追分に来りて一泊した、是からが真の休養である。
〇七月十六日、朝追分を発す、勇払、苫小牧、錦多峰《にしたつぷ》、白老、皆な昔しなじみの所である、唯見る昔の寒村の化して現代的工業地と成りしことを、正午頃登別温泉に到り、茲に二週間の疲労を拭はんとした。
〇十七日 登別滞在、多くの驚くべき天然的現象を見た、地獄谷と湯の池とは黙示録解釈のための善き材料である、登別は温泉として日本第一であらう、然し乍ら近世文明の既に其附近を襲ふあり、此地又汚されざるを得ないのである 隣室に近代的日本紳士の夜半絃歌を弄ぶあり、世に得難きものは真の静粛である。
〇同十八日 山を降り室蘭に到る、昔の漁村は今の大市街である、此所に軍艦用巨砲の製造所が建設せられたか(306)らである、繁盛《はんせい》と云へば繁盛である、殺人具製造の結果として現はれし繁盛である、悪魔の誇る繁盛であつて神の喜び給ふ繁盛ではない、苫小牧と云ひ、輪西《わにし》と云ひ、室蘭と云ひ、皆な破壊的掠奪的繁盛を表するものである、一首の歌を附した、
   蝦夷ケ島悪魔の子輩《こら》の手を脱《はな》れ
     神の栄に光る日を待つ
夜小汽船吹雪丸に乗込み火山湾を渡る。
〇同十九日 午前二時渡島国森に上陸、同四時大沼公園に到り半日を此天然的大公圍の内に消費す、駒ケ嶽の麓、八百八嶋を散布せる湖水を見る、日本は風景に富む国である、到る処山水明媚である、唯願ふ之に適ふ美はしき人物の有らんことを、美人丈けでは足りない、偉人が要る、蓴菜沼の美に対する駒ケ嶽の偉大が要る、前者は無きにしもあらず、然れども後者は見ること難し、日本国の風景は遥かに其人物に優る、十二時函館に到る、迎へられて旧友松下熊槌君の家に客となる。
〇同二十日 久振りに函館港を見舞ひ懐旧の念に堪へなかつた、明治十年の秋、始めて余の足跡を此地に印してより茲に四十有一年、世は変り余も亦変つた、然れども変らざるは神の愛と彼に在りて結びし友の心である、薬師山の麓より北面して遥かに思想を北海全道に馳せて一首の歌を禁じ得なかつた、
   石狩や十勝の森林《もり》の跡絶えて
     残りし友の心貴し
午後二時より函館区公会堂に於て「人格の教育」なる演題の下に一場の演説を試みた、来聴者二百余名、知名の(307)紳士淑女を其中に見た、更らに数日間此地に留まりて余の思想を述べたく思ふた、夜日本基督教会牧師館に於て有志茶話会を催し、キリスト再臨に就て語る所があつた。
〇同廿一日北海道に於ける余の最後の安息日であつた、午前虎渡乙松と君と共に湾を渡り対岸の当別に天主教トラピスト修道院を見舞ふた中古時代の欧洲風の寺院を今日我北海道に於て見るのであつて、実に珍貴と称せざるを得ない、聖ベルナードを其聖者として仰ぎ Laborare est orare(真正の礼拝は労働なり)を以て主義とす、旅人を接待《もてな》すこと懇切《ねんごろ》にして人をして天主教道徳の美的一面を窺はしむ、午後函館に帰り、夜メソヂスト教会に於て説教した、来聴者堂に満ち、福音を宣ぶるに好個の機会なりしと雖も余の身疲れて思ふ所を述ぶる能はざりしを悲んだ、夜半松下君の家を辞して帰途に就いた、別るゝに臨み君及び君の家族と真実なる祈祷を共にした、松下君は今は道会議長であつて、北海道第一の人物である、過る明治十五年旧開拓使に始めて水産科の設けらるゝや君は其事務官であつて余は其技手であつた、我等相別るゝ茲に四十年、再び相会して故の旧き友人であつた、我等は今信仰を共にし、最後の目的を共にし、救主を共にして同じ天の父に祈つた、余の今回の北海道訪問に於て獲し所甚だ多くありし中に松下君との友誼の復活は其大なる者の一であつた、斯くて余は君並に他の友人に送られて夜半再び比羅夫丸の船客となつた、我等は固き握手を以て別れた、船が桟橋を離れ、友人の影の電気灯下に失せし時に余は独り船側《ふなばた》に凭掛りて讃美の声に溢れた、北海道はやはり余の信仰の故郷である、全道到る所に余を迎ふる温き心がある、余は其内に一寸の土地を有せざるも全島が余の所有である乎の如くに感ずる、其夜波静にして月皎々たり、烏賊釣る舟の漁夫の篝火津輕海峡の波に映りて我が帰方《かへるさ》を照すが如くに見えた、此航幸にして船客少く、二等寝室全部余の有に帰して祈るも歌ふも余の自由であつた。
(308)〇七月廿二日 朝濃霧の中に青森に上陸し、上野行き汽車に移り、途中水沢に下車して岩手県の教友と会し、夜彼等に別れて暑き苦しき一夜を汽車の中に過し
〇七月廿三日 朝飯前に柏木の旧巣に帰つた、家の青年は余に先ずる二日既に家に在り、斯くて余に取りては稀有の長旅行を無事に終へて余は復た常時《いつも》のペンの人と成つた、旅行と講演とは為さざるも可なり、然れども雑誌は出さゞる可らず、残るは僅に七日、月末までに原稿を纏めざるべからず、雑誌、雑誌、月が満ちて凡が虧くる間は『聖書之研究』は出ざるべからず、雑誌は本業である、講演は副業である、余は副業のために本業を怠りてはならない、然れどもペン取る間に目を閉ぢて過ぎにし旅行の迹を顧みて余に善き回想なからざるを得ない、山と海とは見ざるも可なり、然れども温かき友の心は……余は時々多くの不便を忍びても、友の心は之を味はざるを得ない。 〔以上、9・10〕
 
(309)     再臨と聖書
                         大正7年8月10日
                         『聖書之研究』217号
                         署名なし
 
 基督再臨問題は聖書問題である、聖書の神的権威を認めて再臨を否むことは出来ない、故に再臨を戯謔《あざけ》る者は聖書を貶斥するを常とする、米国神学士にして或る宣教師学校に教鞭を取る日本紳士某の近頃基督再臨を罵倒するの言なりと云ふを聞くに、彼は言ふた
  聖書の権威の失はれた此時代に於て其やうな有難屋の言ふ事(基督再臨)を一も二もなく信じても此広い世の中に出ては通うらぬ
と、知るべし「聖書の権威の失はれ」て基督再臨は「有難屋の言ふ事」と成りしことを、又此信仰を戯謔る日本メソヂスト教会の牧師某は言ふた
  聖書の天啓たるや論語の天啓たると其性質に於て異なる所はない
と、而して聖書に関する斯かる信仰が福音主義を標榜する所謂正統教会に於て公然唱道せらゝを見て、余輩は再臨問題を以てする前に聖書問題を以て是等の教会と争ふの必要を認めざるを得ない、聖書の権威は果して失はれたる乎、聖書と論語とは果して同じ性質の書である乎、教会よ余輩に答ふる所あれ。
 
(310)     A CONGREGATIONAL VIEW.組合教会の再臨観
                         大正7年9月10日
                         『聖書之研究』218号
                         署名なし
 
     A CONGREGATIONAL VIEW.
 
 THE REV. DANJO EBINA,the leader of Congregational churches in Japan,Characterizes belief in the Second Coming of Christ as“destructive to national existence,unreasonable, unscientific,unbiblical and unchristian.”But, strange to say,Oliver Cromwell,to whom England owes its verye xistence, was a firm believerin this doctrine, as were also Sir Isaac Newton and Michael Faraday,the fomer, the father of modern physics,the latter, that of modern chemistry. And as for Biblical scholars of the foremost rank who upheld and taught this doctrine, they are too many to be mentioned. Certainly,Mr・Ebina's bold arraignment of this doctrine will be received with astonishment by the Christian world at large.
 
     組合教会の再臨観
 
 海老名弾正君は日本に於ける組合教会の指導者である、君が基督再臨の信仰を批判するの言に曰く、是れ亡国(311)的、非合理的、非科学的、非基督教的教義なりと、然るに不思議なことには英国を其亡国の悲運より救ひしオリバー・クロムウェルは此教義の固き信者であつた、又近世理学の始祖と称せらるゝアイザック・ニュートンと近世化学のそれと称せらるゝマイケル・フハラデーとは同じく基督再臨の熱き信者であつた、而して第一流の聖書学者にして此教義を維持し之を世に伝へし者は挙げて之を数ふべからずである、実に海老名君の此信仰に対する此大胆なる非難の言は驚愕《けいがく》の念を以て基督教世界全体に受けらるゝであらう。
 因に日ふ、基督再臨の信仰を評して亡国的なりと言ふ者は海老名君一人に限らない、シカゴ大学神学教授ケース氏の如きは米国に於ける再臨運動を以て独逸政府の指嗾に出でしものなりとの暴言を吐いて居る!!
 
(312)     〔神の奴隷 他〕
                         大正7年9月10日
                         『聖書之研究』218号
                         署名なし
 
    神の奴隷
 
 余輩は福音を信じたのではない、信ぜしめられたのである、自ら求めて神の子の受肉、其奇跡的生涯、其肉体の復活、其昇天、其再来を信じ得たのではない、信ぜしめられたのである、而して信ぜしめられて其真理なるを暁り之を世に伝へて憚らないのである、余輩は生れながらにして罪人である不信者である、余輩が信者たるを得しは神の恩恵に由るのである、余輩は神に強ひられて信者たるを得、強ひられて信仰を維持し、強ひられて終に救はるゝのである、余輩は基督信者に非ずと云ふ者は余輩に就て真実を語るのである、余輩は自ら択んでキリストの弟子となりしが如き価値ある者ではない、余輩は神の器具《うつは》である、手を伸べて人(神)余輩を束《くゝ》り意《こゝろ》に欲《かな》はざる所に曳き行かるる者である(約翰伝廿一章十八)、キリストの奴隷である、其器具である、憐むべき恵まれたる者である、余輩は名誉ある所謂基督信者ではない、余輩を神の手に委ねよ、彼は善きやうに余輩を処分し給ふであらう。
 
(313)    再臨と贖罪
 
 再臨を信ぜざる者は第一にユニテリヤン教徒である、第二にユニテリヤン教会を産《うみ》し組合教会信者である、第三にアルメニヤン主義のメソヂスト教会信者である、孰れも信仰よりも行為《おこない》に重きを置く信者である、神の子十字架上の死に信者の義と聖と贖とを認めざる者である、彼等が自己《おのれ》に頼ること多ければ多き丈け、斯世を重んずれば重んずる丈け、キリストの再臨を忌嫌ふのである、再臨の信仰は贖罪の信仰と密接なる関係を有し、後者を信受せずして前者を了得することは出来ない、「噫我れ困苦《なやめ》る人なる哉、この死の体より我を救はん者は誰ぞや」と叫びて十字架に縋りしパウロは「是れ我等の主イエスキリストなるに由て神に感謝す」と言ひて主の再臨を待望んだのである(羅馬書七章二四、二五)、罪の強き自覚と之に伴ふ十字架の救済を実験せずしてキリストの再臨は解らない、茲に於てか余輩は十字架上の贖罪を実験せざる彼等と再臨問題を以て争ふの全然無益なるを知るのである。
 
(314)     エルサレム大学の設置
         (八月四日)
                         大正7年9月10日
                         『聖書之研究』218号
                         署名 内村鑑三述
 
 カイロ−来電=ヱルサレムの近傍なるスコパス山に此度ヘブリユー大学の礎石横へられたり、是れ猶太民族主義運動の綱領中の最も重要なるものにして、パレスタイン英国遠征軍司令官アレンビー将軍、其他仏国伊国の将校を始め、パレスタイン猶太人、埃及猶太人及び各種団体の代表者之に列し、十二種族を象徴する十二個の礎石を以て定礎式を行ひ、ワイツマン博士其第一石を据ゑたり(『東京朝日新聞』八月四日所載)。我れわが群の遺りたる者をその遂ひはなちたる凡ての地より集め再び之を其|牢《をり》に帰さん、彼らは子を産みて多くなるべし、我之を養ふ牧者を其上に立てん、彼等は再び慄かず懼れずまた失せじとヱホバいひ給ふ、ヱホバいひ給ひけるは視よ我ダビデに一の義しき枝を起す日来らん、彼王となりて世を治め栄え公道と公義を世に行ふべし、其日ユダは救を得、イスラエルは安きに居らん、其名は「ヱホバ我等の義」と称へらるべし、此故にヱホバいひ給ふ、見よイスラエルの民をエジプトの地より導き出せしヱホバは活くと人々また言はずしてイスラエルの家の裔を北の地と其凡て逐ひやりし地より導き出せしヱホバは活くといふ日来らん、彼等は自己の地に居るべし(ヱレミヤ記廿三章三−八節)。
(315)  汝を苦めたる者の子等は屈《かゞ》みて汝に来り汝を蔑《さげ》しめたる者は悉く汝の足下に伏し、斯て汝をヱホバの都イスラエルの聖者のシオンと称へん(イザヤ書六十章十四節)。
 聖書全体を通じて示さるゝ三大事実がある、キリストを信ずる者の将来は其一である、神を信ぜざる者の将来は其二である、イスラエルの将来は其三である、信者は此世に於て多くの患難を経たる後キリスト再び栄光を以て現はれ給ふ時完全なる救拯を受くるのである、不信者即ち福音を受けざる者は最後の審判を受けて遂に滅亡に入るのである、而してアブラハムの子孫なるイスラエルは今は世界に散在すと雖も再びパレスチナの地に帰りて栄光の王国を建設しキリスト自ら之を統治し彼等を以て万国を治め給ふのである。
 信者の完全なる救拯と不信者の滅亡とは何れも事未来に属するが故に之を信ずる者は信じ之を信ぜざる者は信じない、然しながらイスラエルの運命は我等の間に存する歴史的事実にして之を如何ともする事が出来ない、目ある者は見るべしである、神は屡々我等の信仰を助けんが為め或る歴史的事実を以て我等を教へ給ふ、イスラエルに関する事実も亦是れである、復活又は審判といふが如き信じ難き事実を信ぜしめんが為めユダヤ人の運命を目前に現出せしめて之が証明と為らしめ給ふのである。
 ユダヤ人は多くの点に於いて恐るべき国民である、然しながら其の最も恐るべきは彼等が聖書の預言の証明者たる事にある、他の国民は亡びたるもユダヤ人のみは亡びない、彼等は世界の最大強国の間に在りて存続を維持する事既に四千年、其地は全く外国人の蹂躙に委ねられ彼等自身は全世界に散乱すると雖も而も今尚ほ強健なる国民である、而して彼等が再びパレスチナに帰り旧きダビデの王国を造らんとの聖書の預言は彼等の歴史に由て証明せられつゝある、是れ実に驚くべき事実である、千二百万のユダヤ人は我等の為に立てられたる福音の証明(316)者である、彼等に関する預言成就の事実を見て我等は亦我等に関する大なる預言の必ず成就すべきを信じ得るのである。
 イスラエルの復帰に関する最も驚くべき出来事は昨年十二月廿日に於けるエルサレムの恢復であつた、久しく異邦人の手に在りし聖都は遂に基督教国の手に移されたのである、而して其国の外務大臣は翌日議会に臨みてユダヤ人の代表者に送りし書翰を朗読した、書翰の要旨は遠からずしてヱルサレムをユダヤ人に還附すべしといふにあつた、之を議会に向て宣言したるは即ち全世界に向て宣言したると異ならない、此一大事実の故に一九一七年は実に世界歴史上永久に記念すべき一年となつたのである。
 ヱルサレムは既に土耳古人の羈絆を脱した、而して今朝の新聞紙上外国電報の伝ふる所によれば数日前其地に於けるヘブル大学の定礎式行はれたりといふ、かのシオン運動の重要なる計画中の一たりしヱルサレム大学は斯くて遂に建設の緒に就いたのである、之れ亦神の言を信ずる者の最も注意すべき出来事である。
 若し此ヱルサレム大学にして設立せられん乎、疑もなくそは世界第一の大学となるであらう、之に要する資金の如きはユダヤ人の出資を以てせば極めて豊富なるべく、有名なる米国スタンフオード大学と雖も到底比肩するに足らないであらう、然し乍ら大学設立に関する最大の困難は資金に非ずして人物である、世界何れの大学にありても適当なる教授の獲難きに悩まざるはない、然るに之をユダヤ人中より物色せん乎、其学科の何たるを問はず世界第一流の学者を網羅する事が出来るのである、哲学者ベルグソン、医学者エールリッヒ、其他学界の名星は相率ゐてヱルサレムに集るであらう、かくて知識の中心は伯林又は倫敦より旧きダビデの邑に移るであらう、
 苟も学問に志ある者は皆|笈《おひづる》を負うて此地に遊ぶであらう、初めて聖地《ホーリーランド》を訪ねてヨツパの港に上りし者は其(317)駱駝の糞に塗みれたる貧寒の光景を見て驚くのである、誰か此処に留学するの日あるべきを想像しやう乎、然れども今や其日は近づきつゝある、「汝を苦めたる者の子等は屈みて汝に来らん」と預言者の預言したる通りである。
 大学の建設はパレスチナ恢復の一歩に過ぎない、之に尋いで各方面の施設が行はるゝであらう、而して聖書の預言は遂に成就するであらう、イスラエルの復帰は此点より見て人類の将来に大関係を有する世界的問題である、神の計画の謬らざる事を証明する歴史的事実である。今やキリスト再臨の信仰は全世界の人心を動かし期せずして同種の会合が各地に開かれつゝある、我国に於ける運動は言ふ迄もなく其他英国に於て独逸に於て又アフリカ土人の間に於ても同様の運動を見たるが更に最近米国|費府《ヒラデルヒヤ》に於て開催せられし預言大会は未曾有の盛会なりしといふ、斯かる時に当りてユダヤ人の復帰運動は進捗しヱルサレム大学が其定礎式を挙げたるが如きは之を軽々に看過する事が出来ない、余は信ず大なる御手が彼方此方を総攬して驚くべき計画を実行しつゝある事を、茲に於てか我等の信仰は小なる個人の問題に非ずして世界的宇宙的問題である事が判明る。
 
(318)     馬太伝第一章第一節
         (七月廿八日柏木聖書講堂に於て)
                         大正7年9月10日
                         『聖書之研究』218号
                         署名 内村鑑三 述
 
 聖書は第一に歴史である、第二に霊的教訓である、第三に預言である、預言と歴史と教訓と、此の三条の糸を以て綯はれし縄が聖書である、故に聖書を解するには常に此三の事実に注意しなければならない、而して此事を念頭に置いて聖書を読む時は一見して無意義なるが如くに見ゆる文字の中にも深き意義を探る事が出来るのである。
 新約聖書の劈頭第一馬太伝第一章第一節に曰ふ「アブラハムの子にしてダビデの子なるイエスキリストの系図」と、而して茲にアブラハムよりイエスに至る迄の歴代の系図が掲げられてある、是れ勿論系図なるが故に第一に歴史である、イエスは肉体に由れば斯かる祖先を以て生れ給うたのである、而して彼は特にアブラハムの裔《こ》であつて又ダビデの裔《こ》であつた、換言すれば彼は神のアブラハムに向て約束し給ひし「汝の子孫に由りて天下の民みな福祉を受くべし」との約束とダビデに向て為されし「我れ汝の身より出づる汝の種子《こ》を汝の後に立てゝ其国を堅うせん」との約束とを身に体して生れ出で給うたのである。
 第二に此の系図の中に多くの霊的教訓がある、アブラハム イサクを生みイサク ヤコブを生み以下数多の人名が列記せらるゝも何れもたゞ誰、誰を生みと言ひて其の遂にイエスを産出すべき経路に当りし事実を示すに過(319)ぎないのである、之を其格個人自身に就て見ればみな幾多の波瀾ある長き生涯たるに相違なしと雖も神の子出現の系図として之を見れば彼等は一人のキリストを世に出さんが為の長き連鎖の一環たるの役を力むるに過ぎないのである、茲に於てか|人生の短きを知ると共に又一人の偉人を産出せんが為めの地位に当る事の甚だ貴き使命なるを思はざるを得ない〔付○圏点〕、又此系図中に特記せらるゝ三人の女性の名あり、而もそは決して名誉の名ではない、斯の如くイエスが其祖先の中に多くの罪人の名を算へて耻とし給はざりしはやがて彼が我等凡ての罪を負うて十字架に上り給ひし事実を暗示するものである。
 而して基督教の重要なる一特徴は実に此二の事実に於てある、基督教は霊的教訓であつて而も之を伝ふるに歴史を以てする者である、歴史を離れての教訓ではない、人稍もすれば聖書に欠点ありと称して之を新文明に適合すべき道徳的教訓に改造せん事を企つる者がある、かの西洋の所謂|倫理協会《エシカルソサイチー》の事業の如きは即ち之れである、|然れども単に真理を宣ぶると経歴を以て之を宣ぶるとの間には天地の差がある〔付△圏点〕、世に真理を語る人少きを憂へない、唯之を自己の確実なる経験を以て伝ふる人の僅少なるを悲むのである、実験を以てする福音の宣伝者、之れ方今の最大欠乏である、イエスの教に大なる権威ありて人を動かす事深かりしは即ち其真理の背後に潜みし彼の経歴の極めて貴かりしが故である、ユダヤ人中往々にしてイエスの教に新しきものなし、新約の真理は悉く旧約中に包含せらると言ふ者あるもナザレのイエス其人の経歴に至ては何者を以ても之に代ふる事が出来ないのである、|聖書は歴史を以て綴りし真理の記録である〔付○圏点〕、此点に於て聖書は論語又はプラトーの書等と根本的に其性質を異にするのである。
 然しながら霊的にして歴史的なる聖書は更にまた|預言〔付○圏点〕である、凡そ事物の過去と現在とを研究する事深ければ(320)自から其将来に就て示さるゝ処がある、一本の松樹に就て其成長の沿革と現在の生命とを学ぷ者は同時に其将来の発達をも卜する事が出来る、聖書も亦然り、其中に過去の歴史がある、現在の教訓がある、而してまた将来に関する預言をも含むのである。
 イエスキリストはアブラハムの裔にしてダビデの裔である、神のアブラハムに向て為し給ひし約束とダビデに向て為し給ひし約束とを共に身に体して生れし人の子である、之れ歴史上の事実であつて而して其中に極めて貴き霊的教訓がある、然し乍ら聖書の示す処は之を以て尽きない、彼はアブラハムの裔なるが故に彼に由て天下の万民悉く福祉《さいはひ》を受くべき筈である、然るに事実は如何、彼に由て既に多くの人は福祉を受けた、然れども未だ彼に由て恩恵を受けざる人は更に多数である、即ち知るアブラハムの約束は彼に在て其一部の実現を見たるに過ぎざる事を 若し夫れ彼がダビデの裔にして王として国を統治し給ふべしとの約束に至ては其の未だ全く実現せられざる事余りに明白である、彼は或は人類の理想である、或は多くの人の心霊の支配者である、然し乍らイエスキリストは未だ決して此世の王ではない、此世の王は今尚ほ彼に敵する者である、此世は今尚ほ悪魔の支配の下に在る、此世は今尚ほ暗黒である汚穢である、此事実は社会の実情に疎き宗教家教育家よりも寧ろ実際の衝に当れる政治家実業家の熟知し痛感する所である、彼等は皆曰ふ、今や社会の腐敗は其根柢を犯し到底人力の能く匡救し得る所ではないと、文明は進歩すると雖も世は革まらないのである、余過日北海道に旅行して室蘭を過り湾頭の光景を見て感慨に堪えざるものがあつた、往年貧寒の一漁村にしてアイヌ人が帆立貝を採集するの場所たりし地今は一変して繁盛なる市街と化して居る、而して其の茲に至りし原因は此地に巨砲製造所の取設けられたると之に必要なる鉄及び石炭運搬の為め鉄道の布設せられたるとに由るのである、即ち|開発は実は殺人具製造の為(321)めである〔付△圏点〕、而して所謂文明とは多く此類に外ならない、今の世は文明を誇ると雖も依然として悪魔の支配の下に在る、神の子キリスト自ら王として万民を統治し給ふ事の将来の預言たる事は言はずして明かである。
 故に馬太伝第一章第一節に於て歴史の事実あり霊的教訓あり之に加ふるに神の約束たる預言がある、「アブラハムの子にしてダビデの子なるイエスキリスト」と言ひて其簡単なる言の中に神の導き給ひし選民の永き歴史を読む事が出来る、又此の歴史を以て伝へらるゝ多くの深くして貴き教訓を味ふ事が出来る、更に後に至て神の必ず実行し給ふべき偉大なる約束を認むる事が出来るのである、斯くして此短き一節の中に新約聖書の全部が包含せらるゝと言ひて謬らないのである。
 聖書は霊と歴史と預言との三条の糸を以て綯ひし縄である、故に其一を取て他を顧みざる者は必ず偏狭に陥るを免れない、聖書を霊的にのみ解したる者の例はスヱデンボルグである、彼の如くに見る時はアブラハムは実在の人物に非ずして人格化せられたる理想に過ぎない、旧約の歴史は霊的事実を譬喩として書きし謎に過ぎない、然し乍ら斯の如くに解して聖書は人生を永久に深く感化するの書たらざるに至るのである、次に聖書の歴史の一面のみを探る者はかの高等批評家の類である、彼等は聖書を以て事実の羅列に過ぎずとし徒らに解剖の刀を之に加へて聖書が供《あた》ふる希望と信仰とを逸するのみならず遂にイエス又は使徒等の実在をさへ疑ふに至るのである、之に反し聖書の預言のみを高調する者は凡ての思想を未来に集中するが為め過去と現在とを忘れて迷信に陥り易き危険がある、キリスト再臨に関する熱狂的一派の如きは是れである、然れども聖書は霊的教訓のみではない、歴史的事実のみではない、預言的希望のみではない、三者鼎立し且並進して初めて動かすべからざる真理と慰安とを供するのである、我等の聖書研究の態度は常に此三方面を備へなければならない。
(322) 本年五月下旬東京に於て再臨に関する第一期運動の終局に近づきし頃米国|費府《ヒラデルヒヤ》に於て全く同一の目的を有する聖書の預言研究大会が開かれた、此集会は日本に於けるよりも遥に大規模にして来会者数万を算し費府の大音楽堂に満ち溢れたといふ、然し乍ら其大部分殊に会の牛耳を執りし人々は主として米国の長老教会及びバプチスト教会に属しかの預言を聖書研究上唯一の材料となせる第七日アドベンチスト一派の如きは之に参与せざりしものゝ如く見ゆる、長老及びバプチスト両教会は元来カルビン主義の信仰を有しイエスの神性と聖書の至上権とを確く執れる教派である、従て其れ等の人々に由て指導せられし此大会は毫も熱狂的の趣を帯ぶる事なく極めて冷静なる態度を以て深き真理の研究を為したとの事である、殊に興味あるは其第二日日の司会者としてドクトルハワード・ケリーを戴きし事である、ケリー博士は世界第一の外科医にして戦前は米国及び独逸の両大学に講座を有し一年を切半して両国に於て講義を授けたる人である、彼の最後の希望は一隻の病院船を艤装して世界中を廻航し自己のナイフを以て幾万の病者を救療せん事にあるといふ、斯《この》人にして斯会の指導者たり、以て問題の性質を知るべきである。
 我等も亦聖書の中に歴史と霊的教訓と預言との三者を探らん事を欲する、希望のみならず実験も亦我等の重んずる所である、実験のみならず知識も亦我等の貴ぶ所である、三者並行して神の言は初めて深き意義を発揮するのである。
 
(323)     絶大の奇跡
         (八月十一日)
                         大正7年9月10日
                         『聖書之研究』218号
                         署名 内村鑑三述
 
  約書亜記十章一−一五節
 
 ヨシュアはモーセの死後イスラエルを率ゐてヨルダン河を渡り悪しき民等を攻め堅城アイを陥れ更に山地ギルガルに進んだ、斯てイスラエルの勢力漸く四方に認められギベオンも亦之に款を通ずるに至つた、若しギベオンにしてヨシュアの手に入らん乎、パレスチナ全土がイスラエルに帰するであらう、此処に於てヱルサレムの王はいたく之を恐れ自ら盟主となりて隣邦諸国と同盟を結び而て共にギベオンを撃つた、ギベオン乃ち援兵をヨシュアに請うた、かくてヨシュアは軍を率ゐてギルガルより攻め上たのである。敵は大軍にして且つ戦に慣れたる精鋭の兵であつた、然しながらイスラエルは神の助に由つて遂に之を破つた、イスラエル敵を追うてベテホロンの降阪《くだりさか》に来り未だ之を尽す能はざりし時ヨシュア イスヲエルの目の前にて天を仰いでヱホバに祈つた、曰く「日よギベオンの上に止まれ月よアヤロンの谷に休らへ」と、而してヨシュアの此祈は聴かれ日は一日延びし間にイスラエルは悉く敵を破つた、而して此戦勝の結果全パレスチナがイスラエルに属するに至つた。
(324) 日と月との止まらんことを神に祈りてそれが聴かれたといふ、昔の信者は単純に之を信じた、然しながら現時の人は之を信じない、日月の止まりしとは即ち地球の運転の停止である、神いかに祈を聴き給へばとて斯かる奇跡を行ひ給はんや、若し実際地球の運転が停止したりとせば如何、一秒間に千三百|呎《フイート》の速度を有する地球にして急激に其運転を停止せんには敵も味方もなく人類は皆空中に跳ね飛ばさるべき筈である、故に日月の止まりしとは事実ではない、こは一篇の詩である、一日の中に二日の仕事を成就したるが故に日は止まりて一日延びたりと言ふたのであると。
 斯の如くに説明し去らば其れ迄の事である、然しながら若し此説明の如くならば聖書に此事を記して「是より先にも後にもヱホバ斯の如く人の言を聴き入れ給ひし日はあらず」といへる言は意義を成さない、一日中に二日又は三日分の仕事を為す事は何時の世にありても珍らしき事ではない、母は其児の病気を看護りて一夜に数日の労を取るのである、加之「イスラエルの目の前にて言ひけらく云々」とありてヨシュアが斯かる祈を献げたるは凡ての民の目睹したる事実である、故に之を信ずるの困難は暫く措き記事其ものゝ解釈としては茲に大なる奇跡の行はれし事を認めざるを得ない。
 而して前の非難に対しては種々の解答を提供することが出来る、地球の運転停止決して不可能ではない、疾走せる自働車も僅に二三秒の時を与ふればブレーキを懸けて静に之を止め得るが如く、学者の計算によれば発射の瞬間に於ける八ポンドの砲丸も若し四十秒の時を与ふれば六歳の小児をして之を抑へしむる事が出来るといふ、同じ理由により地球も亦若し神に与ふるに十八分の時を以てせば何等の反動をも感ずる事なくして之を停止する事が出来るのである、加之神は必ずしも地球を止むる事を要しない、空気の濃度を増加せは太陽をして動けども(325)動かざるが如くに見えしむる事が出来る、恰も北極地方に住めるエスキモー人等は太陽の水面に上るより十分以前に之を認めらるゝと同理である、故に神若しイスラエルの為に一日を延ばさんと欲し給はゞ其方法の如きは決して困難ではないのである。
 然り神は地球の運転をさへ停止し給ふことが出来る、又実に之を為し給ふのである、神は罪人を救はんが為には己の独子すら惜まずして之を十字架につけ給うたのである、然らば況んや地球の停止の如きに於てをや、己が霊を救はれたる実験を有する者に取ては斯かる奇跡は少しも怪しむに足らない、何となれば之れ知識の問題に非ずして信仰の問題なるが故である、強烈なる信仰の前には天然の法則の如きは有れども無きに均しいのである。
 而してベテホロンの戦は人類の目より見て小なりしと雖も之を神の目より見て最も重大なる戦であつた、此一戦の勝敗に由て神の曾てアブラハムに約束し給ひしパレスチナの地のイスラエルに帰すると否とが定まつたのである、パレスチナにして若し彼等に帰せざらん乎、乃ちイスラエルの歴史は一変したであらう、イスラエルの歴史にして一変せん乎、乃ち人類の歴史も亦一変したであらう、依て知る、ベテホロンの一戦は実に世界の運命を左右するの原因なりし事を、故に或る有名なる歴史家は此戦争を以て世界の大戦争の一に算へて居る、斯かる重大なる戦に当り神が特殊の奇跡を実現し給ふ事は誠に当然である、名将は人の気付かざる小なる村落を争うて多大の犠牲を悼まない、これ其攻落如何によりて全戦争の運命を決するからである、神は小なるベテホロンの一戦にヨシュアの祈に応へて日月をさへ止め給うた、之れ其勝敗如何によりて全世界の運命を決したからである。
 而して独りヨシュアの場合のみならず、我等各自に取ても亦同様である、我等にして若し自己を全く神に委ね神をして我等の生涯を司らしめん乎、我等一人の存在が全人類の為に必要なる事がある、斯の如き場合にあり(326)ては神は驚くべき奇跡を以て我等を助け給ふのである、問題は奇跡の大小にあるに非ずして自己を神に委ぬると否とにある、自己の為めに生きて人は恐怖を免れない、然れどもたゞ神の為に生くる時神は常に彼を護り給ふが故に最早や何の恐るべきものをも見ないのである。
 強き真の信仰は絶大の奇跡を信ずるに躊躇しない、信仰の衰ふる時に奇跡を信ずるの力が衰ふ、真の信者はすべて不可能事を遂行げた者である、彼等は言ふのである、「地球運転の停止我に於て何かあらん、我は其れ以上の奇跡を施されたる者である、神は我を救はんがために己が子を惜まずして之を与へ給ふた、此大奇跡を施されし我は如何なる奇跡と雖も容易く之を信ずることが出来る」と、奇跡を信じない宗教は弱い宗教である、斯かる宗教を以てして世をも人をも感化する事は出来ない。
 
(327)     PERSONAL VISIBLE COMING.具体的再臨
                         大正7年10月10日
                         『聖書之研究』219号
                         署名なし
 
     PERSONAL VISIBLE COMING.
 
 THE BARON ICHIZAEMON MORIMURA, an octogenarian convert to Christianity,is a man of keen common sense,as successful business men always are. Recently.when asked by somebody whether he believed in the Second Coming of Christ,he answered:“Certainly I do;if He doth not come,we Will go to Him and ask Him to come.”When asked further whether he believed in Christ'scoming again in flesh,he answered:“So much the better if He cometh in flesh.”The personal,visible coming of the Saviour is the desire of all unsophisticated Christians. Modern men may call it a gross superstition;but heart craves it,and yearns after it,and waits patiently for it.
 
     具体的再臨
 
  男爵森村市左衛門氏は齢八十歳に垂として基督教を信じたる人である、凡の成功せる実業家の常として氏も亦常識に富める人である、人あり曾て氏に氏はキリストの再臨を信ずる耶と問ひしに氏は答へて曰うた「余はた(328)しかに之を信ず、キリスト若し臨り給はずは我等は彼の許に到りて彼の臨り給はんことを祈求《もと》むべきなり」と、更らに氏はキリストが肉体を以て再び来り給ふと信ずる耶と問ひしに、氏は答へて言ふた「キリスト若し肉体を以て臨り給はゞ更らに宜し」と、キリストが御自身我等の眼に見ゆる身体《からだ》を以て臨り給はんことは凡て単純に彼を信ずる者の要求する所である、現代人或ひは之を大なる迷妄と称せん、然れども心情有りのまゝの信者は之を欲求し、之を渇望し、忍耐を以て之を期待するのである。
 視よ彼は雲に乗りて来る、衆《すべて》の目彼を見ん、彼を刺したる者も亦之を見るべし(黙示録一章七節)。
 
(329)     〔信仰と実行 他〕
                         大正7年10月10日
                         『聖書之研究』219号
                         署名なし
 
    信仰と実行
 
 信仰は理論ではない実行である、若し理論の上より見るならば贖罪は最も不道徳なる教義である、人の救はるゝは善行に因るに非ず信仰に由ると云ふ、善行を妨ぐる教義にして之に勝る者他にあるとは思へない、然るに事実は如何《いかに》と問ふに、善行を生ずる教義にして贖罪に勝る者は亦他にないのである、己が義を己が行ふ善行に於て見ずして之を神が己に代りて為し給ひし善行に於て求めて其人は義を行ふに最も勇敢にして人を愛するに最も切実なる者と成るのである、其如く人は其努力に由て世を革むる能はず、キリスト再び現はれ給ふ時に此世は化して神の国と成るのであるとの信仰は一見して凡の改革事業を妨ぐる教義なるが如くに思はれる、然し乍ら事実如何と問ふに其正反対が事実である、世を革むる精神にして神子再臨の希望に勝りて有力なる者はないのである、道徳を説く者必しも道徳を行ふ人に非ず、道徳を超越せる信仰に依りてのみ高き道徳を実行する事が出来る、贖罪再臨共に道徳家の眼には危険視せらるゝ教義である、然れども恐るゝ勿れ、此世の道徳家等に危険視せらるゝ是等の教義こそ実に人を救ひ世を革むるの真理なれ、神の智慧は人の眼に愚と見ゆる場合多し、再臨の教義の如(330)きはたしかに其一つである。
 
    人と真理
 
 人は人である、真理は真理である、真理の価値は之を伝ふる人の価値に由て変らない、神は時々尊からざる人を以て貴き真理を伝へ給ふ、カヤパは祭司の長にしてイエスの敵であつたが神は彼を以てイエスに就て「一人民の為に死ぬるは益なり」との大なる真理を語らしめ給ふた(ヨハネ伝十八章十四節)、神の眼より見てカヤパは卑しき人であつたが彼がイエスに就て語りし言は永久の真理である、又バラムは異教の預言者なりしと雖もエホバは彼を以てイスラエルの民を祝し給ふた(民数紀略二十三章九節)、バラムの不信はイスラエルの栄えある将来に就て大なる真理を預言する妨害とならなかつた、若し人の価値を云はん乎、ダビデは大なる罪を犯したる人であつた、然るに神は詩篇に於て彼をして深き貴き真理を語らしめ給ふた、ソロモンの生涯に厭ふべき事が多かつた、然れども其れが為に彼に由て書かれしと伝へらるゝ箴言と伝道之書とは永久的価値を失はない、若し神の真理を語る者は神が聖くあるが如く聖くあらねばならぬと云ふならば何人《たれ》が神の言を語り得やう乎、「誰か之に耐へんや」である、人は皆な汚れたる唇の者である、己れに顧みて我れこそは神の真理を伝ふるに足る者なれと言ひ得る者は一人もあるなしである、我等は人に由て神の言を聞くべしである、其人の如何は我等の問ふを要せず、神は御自身の僕を鞫き給ふ、人は人である、真理は真理である、我等は人の真価は神をして鞫かしめ、神が彼を以て我等に伝へんと欲し給ふその真理に謹んで耳を傾くべきである。
 
(331)    祈祷の題目
 
 我等は自分の為に祈る、自分の家族の為に祈る、自分の親友の為に祈る、自分の事業の為に祈る、是れ自然性の然らしむる所であつて敢て咎むべきではない、然し乍ら祈祷の題目は自分を以て尽きない、然り自分を以て尽きてはならない、基督者《クリスチヤン》の祈祷は世界の広き丈け其れ丈け広くなくてはならない、パウロは教へて言ふた「我れ殊に勧む、万人の為に※[龠+頁]告《ねがひ》、祈祷《いのり》、懇求《もとめ》、感謝せよ」と(テモテ後二章一節)、然り基督者は全世界の為に、全人類の為に祈るべきである、全世界より戦争の絶えん為に、全人類に平和の臨まんために、人の世が化してキリストの国と成らん為に祈るべきである、基督者は亦特に其敵の為に祈るべきである、我を悪み我が失敗と恥辱と死とを欲《ねが》ふ者の為に祈るべきである、又多くの堕落信者の為に祈るべきである、一たぴ救主イエスキリストを信ずるに因りて世の汚を脱れながら今復之に累《まとは》されて聖き誡命《いましめ》を棄てし人等のために深き熱き愛を以て祈るべきである、而して斯の如くにして我等の祈祷の区域を拡張して我等も亦其れ丈け自己を拡張するのである、広く愛して広く祈るに止まらず広く祈りて広く愛すべきである、我等は全世界全人類の救拯|幸福《さいはひ》を我等日々の祈祷の題目となして自身万人と共に救はるゝの資格を作るべきである。
 
    信者の生涯
 
 信者の生涯は始めに悪くして終りに善くある、始めに患難《なやみ》多くして終りに祝福《さいはひ》多くある、始めに無意味なるが如くに見えて終りに意味明白である、人は先づ旨酒《よきさけ》を出して終りに魯酒《あしきさけ》を勧むる 其反対に神は先づ魯酒を出し(332)て終りに旨酒《よきさけ》を勧め給ふ(ヨハネ伝二章十節)、義者の途は他日の如く愈々|光輝《かゞやき》を増して昼の正午《まなか》に至る(箴言四章十八)、神に義とせられし信者の生涯は其終りに近けば近く程光輝が増し加へらる、斯る人は水流《みづのながれ》のほとりに植ゑし樹の如く期《とき》に至りて其実を結び、其葉も亦凋むことなし、其為す所皆栄えんとあるが如し(詩篇第一)、神を信ずる生涯の其美はしき結果は之を其終りに至て見ることが出来る、不信者の生涯に其得意時代がある、雄心勃々たる期がある、然れども其終りは空乏である、悲哀である、風の吹き去る粃糠《もみがら》である、花咲きて実らざる棣棠花《やまぶき》の如き生涯である、信仰の生涯決して不幸の生涯ではない、耐忍びて其終りを待ちて其最も幸ひなる又最も恵まれたる生涯なる事を暁るのである。
 
    真正の合同
 
 合同がある又合同がある、氷結も合同なれば溶解も合同である、熱が冷《さめ》しが故の合同がある、熟が加はりしが故の合同がある、新たに信仰を得んと欲するが為の合同がある、既に信仰を得しが故に自から成る合同がある、合同其物は必しも善きものではない、政略のための合同、能率を増さんがための合同、社会的勢力たらんが為の合同、是れ皆低き悪しき合同である、愛に励まされての合同、同一の聖霊に動かされて努めずして自から成りし合同、合同既に内に熟して外に発表するに過ぎざる合同、其れが高き善き真の合同である、聖霊の春風信者の心を吹いて離隔の堅氷は解けて平和の海と成る、之に反して愛心零点以下に落下して氷塊を打接《だせつ》して一団と為すを得べしと雖も、成りし者は北洋に浮ぶ氷山、断面|輝々《きゝ》として近づくべからざる者である、我等は愛の和煦《あたゝまり》の解く所となりて一体と成るの時を俟つ、政略的必要に余儀なくせられて機械的に合同せんと為ない。
 
(333)    人の性
 
 基督教の立場より見て人の性は善なりと云ふは異端である、|人の性は悪である〔付△圏点〕、人の心はすべての物よりも偽はる者にして甚だ悪《あし》し、誰か之を知るを得んやとあるが如し(ヱレミヤ書十七章九節)、人の性は悪し、然れども光に命じて暗より照出しめたる神は此性を化して善に成し給ふのである、而して是れ単に教義ではない、事実である、イエスキリストに在る神の栄光を知るの光を与へられし者は皆己が生れながらにして暗黒の子でありしことを暁《さと》るのである(コリント後書四章六節) 人の裏《うち》に光がありて其光が増して終に光明の世界を出現するのではない、光、上より臨みて暗き世を化して光明の世となすのである、救拯は進化的でない、奇跡的である、教へられて光の子となるのではない、|新たに造られて〔付○圏点〕神の子となりて輝くのである、基督教の立場より見て神がその聖言《みことば》を以て為し給ふ聖霊の働きに由るほかに人を真個の善人と成す途はないのである。
 
    再臨の高唱
 
 再臨を説く勿れ聖書を講じ十字架の福音を説くべしと云ひて余輩に勧告して呉れる者がある、然れども余輩は其勧告に従ふ事は出来ない、再臨は聖書の中心的真理である、之を説かずして聖書を説くことは出来ない、殊に再臨は今の教会に嫌はるゝ教義である、之を説いて教会に嫌はるゝの利益がある、今や純潔なる信仰を維持せんとするに方て今の教会に愛せらるゝが如き危険はない、「凡の人汝等を誉めなば汝等禍ひなる哉」である、俗化せる今の教会に嫌はれてこそ我等に救拯は臨むなれである、神の真理は人に嫌はる、基督再臨が神の真理たる何(334)よりも善き証拠は今の教会の多数に嫌はるゝ事である、余輩之を説かざるべけんやである、之を説くが故に教会合同より除外せらる、幸福此上なしである、余輩は今は如何しても再臨の唱道を止むることは出来ない、益々之を高唱して余輩の立場を明かにせんと欲する、信じ難き此信仰、之を信ずるを得しを感謝し、之を説くを以て無上の栄誉なりと信ずる。
 
    再臨信者
 
 再臨信者は平信徒の内に多くして教役者の間に尠くある、外国人の内に在ては外国に派遣せられし宣教師の間に多くして故国に留りて教会を牧し神学を講ずる人の間に尠くある、即ち実務に当りて活動する人の内に多くして書斎に在りて思考する人の間に尠くある、長老教会、バプチスト教会、ルーテル教会等信仰本位の教会の内に多くして、救世軍、メソヂスト教会等社会事業に熱中する団体の間に尠くある、要するに再臨の信仰は思索的ならずして実際的信仰である、哲学的ならずして聖書的信仰である、現世的ならずして来世的信仰である、クロムウエルやチンチェンドルフの如き質の人の信ずる信仰である、所謂現代人には到底解し得ざる信仰である、まことに基督再臨を信ずる特別の利益は之に由て全然現代人の群《むれ》を脱し得るに在る。
 
    再臨と聖書
 
 再臨問題は聖書問題である、聖書全部を神の言なりと信じて基督再臨を信ぜざるを得ない、又再臨を拒否して聖書の大部分を拒否せざるを得ない、聖書は果して神の言である乎、或ひは神の言は聖書の中に在りて、聖所是(335)れ神の言に非ずと謂ふ乎、問題は茲に在るのである、而して再臨信者は聖書全部神言説を執り再臨反対信者は聖書部分神言説を主張する、再臨の信仰と聖書無謬説、是れ同一の信仰の両面に過ぎない、一を信ずる者は他をも信じ、一を排する者は他をも排す、欧洲に在りてはベンゲル、ガウスン、ゴーデー等の諸大家の再臨を信ぜしと共に聖書無謬説を固持せしに対し、現代聖書学者の多数の再臨と共に聖書無謬説を排し且つ嘲けるあり、聖書全部は神の言として之を信受すべき乎、或ひは其内に多くの猶太的迷妄あり時代的迷想あり故に之を排して其内に埋《うづも》れる真理の真珠を探るべき乎、問題は茲に在る、是れ実に信仰の関ケ原である、此か彼か、其間に妥協は不可能である、余輩は再臨問題が此究極問題を喚起し、信者各自が東西孰れかに其去就を決せざるを得ざるに至りしことを神に感謝する。
 
(336)     詩人カウバーの再臨歌
                         大正7年10月10日
                         『聖書之研究』219号
                         署名 内村鑑三 訳
 
 英国詩人カウパーは贖罪と再臨の信仰を歌ひて有名である、左に彼の有名なる Come then, and, added to Thy many crowns の一節を抄訳する。
  然らば臨《きた》り給へ、而して爾の戴き給ふ多くの冠冕《かんむり》の上に更らに一個《ひとつ》を加へ給へ、全地の王たるの冠冕を戴き給へ、爾のみ此冠冕を戴くの資格を有し給ふ、是れ固より爾に属する者、天地の成りし前《さき》より古き契約に由りて爾に属する者なり、爾は其後爾の血を以て再び之を己に贖ひ給へり、其価値以上の代価を払ひ給へり、爾の聖徒は王として爾を迎へまつる、爾の尊号は無窮の愛の泉に浸《ひた》されたる鉄筆を以て彼等の心に深く刻まる、然り爾の聖徒は王として爾を迎へまつる、而して爾の臨り給ふこと遅きが故に爾の敵は勇気を得て誇る、然れども若し彼等にして我等の永く待望みし爾の再臨の光に接せん乎、彼等は爾の稜威《みいづ》を恐れて、或ひは小山の懐に潜み、或ひは巌の洞に逃れて、其|屈《かゞ》める身を隠さん。
 
(337)     再臨と豊稔
                         大正7年10月10日
                         『聖書之研究』219号
                         署名 内村鑑三
 
 キリストが再び現はれ給ふて選民を以て世を治め給ふ時に、人はその剣を打ちかへて鋤となし、その鎗を打ちかへて鎌となすと云ふ、即ち其時世界の人はその武器を打ちかへて農具となすと云ふのである、即ち軍国主義を棄て農本主義を秉ると云ふのである、キリスト再現の結果として国は国にむかひて剣《つるぎ》をあげず戦闘《たゝかい》の事を再び学ばざるに至つて地は一大農園と化して元始の平安に還ると云ふのである。
 国の利益は全く是れなり、即ち王者が農事に勤むるにあるなり(伝道之書五章九節)、其反対に王者が農事に勤めずして軍事に勤め、軍事に数億を費して農事に数百万を投ずるに過ぎざるが如き、国の不幸此上なしである、理想の王は大将ではない大農である、而してイスラエルの理想の王メシヤは其民に命じてその剣を打ちかへて鋤となし、鎗を打ちかへて鎌となさしめ給ふ農事に勤むる平和の君である。
 抑々神が始めて此の地を造り給ひしや彼は園として之を造り給ふたのである、彼が人類の始祖アダムとエバとを置き給ひしと云ふエデンの園とは此全地に外ならないのである、|全地是れエデンである〔付○圏点〕、園である、農園である、彼は之を人類に与へて言ひ給ふたのである「生めよ、繁殖《ふえ》よ、地に満盈《みて》よ」と(創世記一章二八節)、而して「水には生物|饒《さは》に生じ」、「禽鳥《とり》は地に蕃息《ふえ》」て人類は豊満の中に置かれたのである、物資欠乏の如き是れ神の像《かたち》(338)に象《かたど》られて造られし人類には有るべからざる事である、人口百億に達すると雖も地は之を養ふて猶有り余るのである。
 神は地を園として、人を耕者《たがやすもの》(農夫)として造り給ふた、而して人が神を離れざる間は地は彼に凡て必需物《なくてならぬもの》を豊に供して彼は不足を感ずることがなかつた、然るに入神に背いてより相互《あひたがひ》の敵となり、茲に戦争始まりて、人は地を耕すことを怠りて相互を殺すことを勤むるに至つた、而して戦争は饑饉を伴ひ、饑饉は疫病を起し、地は荒廃に帰して人類は飢餓を叫ぶに至つた、荒廃の原《もと》は戦争である、戦争の原は不信である、而して人類が其造主なる神に帰り彼に父とし事ふるに至て其結果は戦争廃止である、荒廃せる地の恢復である、農事の隆興である、産物の豊満である、斯くて救者《すくひて》はシオンより出でヤコブの不虔を取除かん時に地は元始の圍と化し食物の不足の如き人類は之を口にさへ唱へざるに至るのである。
 予言者アモスは言ふた、
  エホバ言ひ給ふ、視よ日到らんとす、その時には耕者は刈者に相次ぎ、葡萄を踏む者は播種者《たねまくもの》に相継がん、また山々には酒滴り岡は皆鎔けて(膏)流れん
と、是れ神がダビデの倒れたる幕星を興し、その破壊《やぶれ》を繕ひ給ふ日、即ちダビデの裔なるイエスが再び現はれて世を治め給ふ時に事実となりて現はるゝ事であると云ふ(亜麼士書第九章十一節以下を見よ。) 予言者イザヤは言ふた、
  今や全地は休み平穏《おだやか》ならん、万物尽く挙げて歌はん、実《げ》に樅樹《もみのき》及びレバノンの香柏は汝の故により歓びて言はん、汝すでに仆れたれば樵夫《きこり》登り来りて我等を攻むることあらじ
(339)と(以塞亜書十四章、七、八節)、幽暗《くらき》の王なる悪魔仆れて光明《ひかり》の王が代て世を治め給ふ時に山の樹木までが歓びて声を放ちて歌ふであらうとの事である、悪政の結果は常に山林濫伐を以て現はる、レバノンの香柏が恐れし者にして当時の独逸皇帝《カイゼル》たるアツシリヤ王の如きは無かつた、軍国主義は田を荒らし又山を裸にする、キリストの再び臨り給ふ時に山と岡とは再び元始の密林を以て掩はれ、レバノンの香柏、蝦夷のトド松までが声を放ちて歌ふのである。
 予言者エゼキエルは言ふた、
  我れ汝等を救ひてその諸の汚穢《けがれ》を離れしめ、穀物を召して之を増し、饑饉を汝等に臨ましめず樹の果と田野《はたけ》の作物を多くせん、是をもて汝等は重ねて饑饉の羞を国々の民の中に蒙むることあらじ
と(以西結書卅七章廿九、三〇)、饑饉は恥辱である、饑饉は避くべからざる事ではない、二宮尊徳さへ言ふて居る、国に三年の不作に備ふる貯蓄なくして其国危しと、国民が軍事に傾くる注意を農事に傾けて饑饉は其迹を絶つに至る、神によりて諸の汚穢は除かれて穀物は増し、果実と野菜とは加はる、餞饉は天災ではない、人の罪の結果である。
 予言者ヱレミヤは言ふた
  ヱホバ、ヤコブを贖ひ彼等よりも強き者の手より彼を救出し給へり、彼等は来りてシオンの頂に呼はりヱホバの賜ひし麦と葡萄と油及び若き羊と牛とのために寄集《よりつど》はん、その霊魂《たましひ》は灌《うるご》ふ園の如くならん、彼等は重ねて愁ふること無かるべし
と(耶利米亜記卅一章十一以下)、ヱホバの施し給ふ救ひは霊魂の事であつて同時に又身体の事、又国土の事であ(340)る、彼は我等を我等よりも強き者即ちサタンの手より救出し給ひて麦と葡萄と油と家畜とを裕かに賜ふのである、斯くて山と岡とは灌ふ園と成りて之を賜はりし我等の霊魂も亦灌ひ且つ実るのである、内は外に和し、霊は地に合す、内なる感謝は外なる豊熟となりて現はる、人は地の産であつて人の救はるゝ時に地も亦其産を増すのである。
 イエスは言ひ給ふた「我は真の葡萄樹《ぶだふのき》我が父は農夫なり」と、|まことに神は最大の農夫にてまします〔付○圏点〕、而して我等彼の子と成りし者も亦農夫たらざるを得ない、軍人たり政治家たり所謂実業家たるは基督者たる素質《ジニアス》に適はない、人は固より地を耕す者として作られたる者である、故に農事に於て最大の快楽を有つ者である、キリスト再現の時に「曠野《あれの》と湿潤《うるほひ》なき地とは楽しみ、砂漠は歓びて番紅《さふらん》の如くに咲《はなさ》かん」と云ふ、其如く我等彼の臨るを待望む者は、待望みつゝある今日|自《おの》づから農を楽しみ、樹を愛し、他と我と糧食に足りて聖父の聖意に添はんとする、信者が喜ぶものにして豐稔の如きはない、彼は田野に豊熟の秋の黄金の波を漂はすを見て来らんとする世を偲て歓喜の声に溢るゝのである。
 
(341)     羅馬教会の建設者
         羅馬書第十六章の研究
                         大正7年10月10日
                         『聖書之研究』219号
                         署名 内村鑑三
 
  (九月八日及び十五日に亘りて)
 
 近代人の聖書観に曰ふ「聖書中には特に神の御心を伝へたる言あり、又然らざるものあり、聖書は神の言に非ず、神の言は聖書の中に在り」と、果してさうである乎、若し然らんには聖書の中には神の言ならざる者もあるのである、而して之を神の言と区別せんと欲して畢竟聖書を他の書と区別なき書たらしむるのである、聖書は其全体が神の言である、其の最も乾燥無味と思はるゝ言に至る迄皆神の言にして其中に深き真理を含むのである。
 聖書の或る部分が神の言に非ずして人の言なる事の一例として屡々引用せらるゝものは羅馬書第十六章である、本章は之を一読すれば単に人名の羅列に過ぎない、「誰に安きを問へ」と言ひて即ち今日の語を以てすれば「誰に宜しく」との挨拶の語の繰返しに過ぎない、斯かる日常の用語の間に何処に神の言がある乎、然しながら少しく之を研究すれば本章に現はれたる二十七個の人名が多くの真理を教ふる事を知るのである。
 第一にパウロは己が友人の名を指すや必ず其人がキリストの為に尽せし功労を挙ぐる事に注意すべきである、(342)然り功労である、而も国の為め又は社会の為めではない、又勿論我が為めではない、キリストイエスの為めの功労である、彼等各自が自己の地位に在りてキリストの為めに尽せし其功労をパウロは一々認め且覚えて居つたのである、此点に於て彼の目は頗る鋭敏であつた。
 彼は先づ此書翰を携へてコリントより羅馬に使ひせんとするケンクレア教会の女執事なるフイベに就て曰うた「汝等聖徒の為すべき如く主に由りて彼女を受け其求むる所は之を助けよ、彼女はもと多くの人を助け又我をも助く」と、主に在りて多くの人を助け又パウロをも助けたりとの紹介の一言を得て彼女は長途の旅行の末に羅馬の兄弟姉妹等に温く迎へらるべき期待を抱いて往く事が出来た。
 次にパウロは曰うた「乞ふプリスキラとアクラに安きを問へ、彼等はイエスキリストに属きて我と共に勤むる者なり、又わが命の為に己の頭を剣の下に置けり、唯我のみならず異邦人の凡ての教会も亦彼等に感謝せり、又其家にある教会にも安きを問へ」と、プリスキラ及びアクラの夫妻はコリントにて始めてパウロに遇ひて之を助け後又エペソに於て彼と共に信仰の為めに戦ひし染物星である、彼等は或時はパウロの伝へし福音を弁護せんが為め其生命を差出した事もあつた、又彼等は自己の家を開いて教会に使用した、即ち彼等はキリストの為めに其生命及び財産を挙げて之を提供したる信仰の勇者であつたのである、斯の如き夫妻は何処にありても甚だ稀有である、彼等は実に教会の名誉である、而してパウロが茲に彼等の名と共に書き加へたる数語は教訓の言を以てするより以上に力強き教訓であつた。
 彼は又エパイネトに就ても亦一言せざるを得なかつた、「彼はアジアに於てキリストの初めに結べる実なり」と、一町又は一村に於てすら始めてキリストの福音を信ずるの如何に困難なるかは経験ある者の能く知る所である、(343)今や我国に於ける基督者の数は十万を以て数ふるに至りしも最初に信者に成りたる人こそ特別に恵まれたる人である、其キリストの為の功名は戦争に於ける所謂一番槍の功名に比すべきである、而してエパイネトは小アジアに於ける最初の基督者たるの名誉を荷ひし人であつたのである。
 「我等の為に多くの苦労をせしマリアに安きを問へ」と、苦労即ち苦闘である、短き一言に過ぎずと雖も福音の為めに世より嫌はれし使徒等に対し特別の同情と配慮とを吝まざりし婦人なる事を表はして居る。
 「又我と共に囚人となりし我が親戚なるアンデロニコとジユニヤに安きを問へ、彼等使徒等の中に名声ある者なり、我に先だちてキリストに居りし者なり」と、親戚とは或は同人種の意ならんといふも之を文字通りに解するの明白なるに如かない、パウロの親戚の広かりし事は使徒行伝等に由て察する事が出来る、而して之等の親戚中既に彼に先だちて基督者となりし者ありて使徒等の中に名声を有したりといへば其事たる唯に其人々の価値を示すのみならず又パウロの生涯に就き多くの光を投ずるのである。
 其他アンピリアト、ウルバノ及びスタク等に就て各一言を加へたる後十節に至りて彼は曰うた「キリストに於て鍛錬なるアペレに安きを間へ」と、「聖書に精通せる」といふに非ず、「多年教会に出入して諸名士の消息に詳しき」といふに非ず、「キリストにありて経験を積める」である、即ちキリストにありて永く悪魔と戦ひ信仰の勝利を得たる人である、而して貴きは実に斯かる基督者である、此経験を有せずして如何に神学の知識に富むと雖も人を動かす事は出来ない、バンヤン或時一牧師の言説を聴きし後其感想を漏らして言うた事がある、曰く「彼は学者として優秀なるも未だ悪魔との闘ひに経験を有せざる人である」と、我等去り見ればパウロの如くキリストにありて鍛錬したる人なしと思はるゝも其パウロ自身の敬服に値ひしたる基督者が羅馬の教会に少からず存在(344)したのである。
 進んでペルシー(婦人)の名を挙ぐるに及び彼は特に「我が愛する」の語を避けて「愛せらるゝ」と言うた、之れ小事なりと雖も決して無益の礼義ではない、偉人パウロの細心なる紳士的注意は斯かる処に表はるゝのである、之れ真に尊敬を以て人を愛する者の態度である、而して之れ亦我等の聖書より学ばざるべからざる真理の一である。
 次に「主に選ばれしルポと其母とに安きを問へ」といひて彼は更に附言して曰く「彼が母は即ち我母なり」と、誠に深き情愛の籠りし一語である、母子共に主に選ばれ殊に母は老いたる良き信者であつた、而して彼女は己が子を愛すると共に亦パウロをも子の如くに愛したのである、パウロは此一老婦の親切を深く記憶して居つた、而して今や羅馬書中人類及び万物の救拯に関する最大問題を論じ来りし後其友人に挨拶せんとするや即ち斯かるデリケート(優雅)なる語を発したのである、彼の心は宇宙的問題を以て充つると雖も尚ほ一杯の水の親切をも忘れなかつたのである、之を我国今日の政治家等に比較して其差正に幾何である乎、堂々たる紳士にして婦人を侮蔑し老媼を無視するの罪や実に重大である、彼等はパウロの如きハート(心)の痕跡をだに有しないのである、パウロの偉大なる生涯は此一語の有りしに由て全く別個の方面より之を観察する事が出来る。
 人の名を指すや必ず其欠点を算ふるは之れ不信者の特徴である、パウロが其兄弟の名を挙ぐれば之に随ふ者は必ず其人の美点であつた、若し羅馬書第十六章が他に何の教ふる所なしとするも此一事は之を学ばなければならない、米国アマスト大学前総理シーリー先生の如きも亦此精神を有せし人であつた、或る日本人が先生を煩はして英語教師を雇入れんしたる時先生は自己の学生の美点を列記したる名簿を披きてこ之を紹介せられしといふ、(345)我が為したる些細の善事を認めらるゝは我に対する深き愛の表彰として人の感激する所である、而してパウロは其友人に対して斯かる愛を抱きし人であつた。
 第二に本章より学ぶべきは如何なる人々が羅馬教会の建設者なりし乎である、本章に列記せらるゝ二十七の人名中一も知名の教師の名を見ない、之れ皆今日の所謂平信徒である、而して一通の書翰能く彼等の間に回読せられしを思へば即ち彼等が一の団体を成したる事明白である、羅馬教会の建設者は実に平信徒であつた、当時に於ける世界の中心地に福音を伝へし者は染物屋なるプリスキラ及びアクラ夫婦等であつた、使徒パウロの彼地に渡るに先だち既に彼等平信徒ありて教会の地磐を作つたのである。
 又二十七個の人名中九乃至十を占むるものは婦人の名である、之れ亦著るしき事実である、当時婦人は力無き者の如く思はれて重視せられず事業は凡て男子之に当りし時独り福音の宣伝に於て多くの名誉は婦人に帰したのである、プリスキラといひマリアといひ又テルパイナ及びテルポサ姉妹、ペルシー、ルポと其母、之れ皆婦人であつた、殊に「プリスキラとアクラ」と言ひて妻の名を先にせるを以て伝道上に於ける彼女の功労の夫に勝るものありしを知るべきである、而して福音の宣伝に関し度々最も重要の地位に立ち欠くべからざる働きを為す者が婦人なる事は多くの事実の証明する所である。
 平信徒にして而も多数の婦人を数へし羅馬教会の建設者の中には又少からざる奴隷があつた、当時奴隷たる男女の間に良き基督者のありし事はピレモン書に徴しても之を知る事が出来る、而してラテン語学者の研究に由れば本章に記さるゝアンピリアト、ウルバノ、ルポ、ヘレマ、ピロロユ、ジユリア等は最も普通の奴隷名であつたといふ、然らば即ちパウロが「彼の母は我母なり」と言ひし老婦人も亦奴隷の母であつて所謂|裏店住《うらだなずまひ》の身を以て(346)偉人パウロの世話を為したのである、斯く世話を為したる婦人、彼女を己が母と呼びしパウロ、両者共に歎称すべきである、而して今日に於ても社会の下層に位する人にして真に能く神を識る者あるは我等の能く知る所である。 然らば初代の基督者は地位の低き者のみなりし乎といふに決してさうではない、之等の人名中に又貴族の名がある、アリストプロはユダヤの王族の名である、若し之が歴史上有名なるアリストプロならば彼はヘロデ大王の嫡孫にして羅馬帝室に仕へたる人である、而して彼の郎党の間に基督者のありし事は明白である、又若し之れがヘロデの孫なるアリストプロに非ずとするも均しく名門の家たりしに相違なく、而して其家の中に既に信仰が入つて居つたのである、次にナルキソは羅馬の有名なる高官の名である 彼はクラウヂウス皇帝の寵臣にしてアグリツパに嫉まれ殺害せられたる人である、而して彼の家にも亦既に基督者たる者があつたのである。羅馬教会は世界の中心に於ける最初の教会であつた、而して之を建設したる者は平信徒にして其中には多数の婦人あり又奴隷あり又名門の家人があつた、之等の人々相集まりて唯主に在りて一の霊的団体を作り而して使徒等の至らざるに先だちて自ら福音の証明を為しつゝあつたのである、以て基督教のジニアス(素質)の那辺に在るかを窺ふ事が出来る。 斯の如く聖書中最も無意義なるが如くに見ゆる一章にも事実を以てする深き教訓がある、神は唯に言のみを以て真理を伝へ給はない、聖霊を受けたるキリストの僕婢を以てする事実的教訓も亦聖書の伝ふる大なる真理である、羅馬書十六章は此意味に於て亦貴き神の言である、神の言は聖書の中に在るのではない、聖書即ち神の言である。
(347) 世に書は甚だ多くある、カーライルの書あり馬琴の書あり、之れ皆人の書きし書である、然れども此処に唯一の彼等と全然其性質を異にする書がある、即ち神御自身の書き給ひし書之れである、我等は斯の書を手中に握つて居るのである、然らばこれ誠に重大なる問題ではない乎、聖書が其一言一句皆神の言なることを信じて我等は始めて大胆であり得るのである、仮令僅小なる記者の誤謬又は翻訳の錯誤はありとするも聖書其者は之れ神の言である。
  附言 此時羅馬に羅馬教会は無かつた、然しプリスキラとアクラの家にある教会があつた、教会は会堂ではない、制度ではない、信仰箇条ではない、二人三人主の名に由りて集まる所に教会は在るのである、初代の教会は信者の家にあつた、殊に平信徒の家に在つた、アクラ夫妻は到る所に其家を教会の用に供したと見える、彼等はコリントに在りし時も羅馬に在りし時と同じく其家を教会となした(コリント前十六章十九) 其他ラオデキヤに於けるヌンパスの家にある教会があつた(コロサイ書四章十五節)、又ピレモンにも彼の家の内の教会があつた(ピレモン書二)、斯くて使徒ペテロが羅馬に入りて教会を建設する前に平信従たるアクラ夫妻の家に最初の羅馬教会があつたのである、此処に於てか羅馬天主教会の主張は全く立たないのである、パウロは羅馬に在る名ある信者を列記するに当りてペテロの名を挙げなかつた、是れベテロが羅馬教会の建設者でない何よりも善き証拠である、基督教の精神に背く者にして教主政治の如き者はない、而して聖書は其羅馬書第十六章に於て……注意せよ特に羅馬書に於て……羅馬教会の建設者中にペテロの名を掲げずして法王政治の根柢を転覆して居るのである、聖書に在りては其不語無言までが大なる真理を伝ふるものである、羅馬書にペテロの名をさへ留めずして彼が教会の首長たるとの羅馬天主教会の主張は根本より崩れて了ふのである。
(348) 「ルポと其母とに安きを問へ」とある其ルポはイエスの十字架を負はせられしクレネのシモンの子であるとは昔よりの伝説である(馬可伝十五章廿一節参照) 馬可伝は聖マカに由りて羅馬人のために羅馬に於て書かれたる福音書であるとの事なれば、彼は羅馬に在る兄弟ルポに対し特別の尊敬を払はんがために特に「アレキサンデルとルフ(ルポ)の父なるクレネのシモンと云へるもの」と詳細に記したのであらう、然りとすれば父が主イエスのために負へる恥辱が子を感動し彼れ亦主の善き僕となつたのであらう、而してルポの母と云ふはクレネのシモンの妻であつて、此関係よりして彼女がパウロを子の如くに愛せし其理由を窺ひ知ることが出来る、聖書の記す所は甚だ簡短である、然し乍ら其簡短なる記事の内に多くの歴史が含まれて居る、「天の下いづくにても此福音の宣伝へらるゝ処には此婦人の為しゝ事もその紀念の為に宣伝へらるべし」と主がマグダラのマリヤに就て言ひ給ひしが如くにクレネのシモンの名も亦其子ルポの名と共に期せずして聖書に由て永く世に伝へらるゝのである。 パウロは名家の子であつた、故に彼の親戚関係は広くあつた、ヱルサレムに於て彼を危険のうちより救ひし者は「パウロの姉の子」であつた(行伝廿三章十六節)、故に彼の親戚中彼に先んじてキリストの僕となりし者ありたりとの事は信じ難い事ではない、彼の如きは容易に新宗教を信ずる者ではない、而して彼の親戚中ナザレ人の徒となりし者あるを見て彼は如何に憤慨したであらう乎、然し乍ら是れ亦神が彼を捕へ給ふ一手段であつた、神は内より外よりタルソのサウロを其聖子に引附け給ふたのである。
 
(349)     トロアスに遺せし外衣
         テモテ後書四章丸節以下 (九月一日)
                         大正7年10月10日
                         『聖書之研究』219号
                         署名 内村鑑三述
 
 パウロ羅馬市にありて将に其最期の近づかんとせし時一書をテモテに送り彼を招くと共に附言して曰うた「汝来る時わがトロアスにてカルポの許に遺しゝ外衣を携へ来れ」と、事は甚だ小である、故にかゝる言が聖書の中に存するを見て人は或は曰ふのである「聖書若し神の言ならば何故外衣一枚に関する小事までを書き記すのである乎、聖書の一言一句みな聖霊に由て記されたりといふが如きは畢竟使徒等を尊敬するの余りに出でたる思想のみ」と、之れ今日広く行はるゝ説である。
 然し乍ら事は小なりと雖も此一言実に貴き一言である、パウロの生涯に就き又すべて神の為に仕ふる人の生涯に就き多くの書を以てするも能はざる真理を伝ふる言である、偉人としては世界第一流に任じキリストの為には其生涯中の三十余年を最も忠実に献げたる老使徒パウロ(彼は此時多分齢七十に近かつたであらう) 今や最後に牢獄に繋がれ死は旦夕彼に迫りつゝある、而して彼は遠く海を二つ超えたるトロアスに於ける旧友に書を送りて其処に遺せし一枚の外衣を携へ来れと委嘱するのである、之れ誠に意味深き事ではない乎、使徒行伝の記事に由れば羅馬にて多くの人彼を迎へたりといひ又羅馬書第十六章に由れば始めより多くの友人彼地に在りて其中に(350)は貴族又は富豪の家の者もありし事と察せらる、然るにも拘はらず今や彼の死せんとする時に当り一枚の外衣を彼に贈りて其老体をねぎらふ者が無かつたのである、彼は曰ふ「我が始めて裁判官に事由を陳べし時誰も我と共にせず皆我を離れたり」と(十六節)、独立伝道三十年にして此世の一切の物を失ひしのみならず最後には友人に至る迄みな彼を棄てたのである、而して之れ使徒パウロの生涯であつて又凡て真実に福音の為に立つ者の生涯である、彼等に友人無きに非ず、然れども遂に大迫害起りて信仰が一切の財産及び生命を賭すべき問題とならん乎、最後まで共に立つ者果して幾人かある、真実にキリストの為に力むる者の最後はパウロと同じく多くは孤独である。
 然しながら偉大なるはパウロであつた、彼は自己の命旦夕に迫ると雖も自ら少しも悲しむべき地位に在るとは思はなかつた、彼は平常の如く兄弟の事のみを思ひ又悠々として彼等の伝言を伝へた、曰く「トロピモ病あれば我れ彼をミレトスに留めたり」と(廿節)、又曰く「ユブルとプデスとリノスとクラウデアと兄弟みな汝に安きを問ふ」と(廿一節)、以て彼の心境を見るべきである。
 故にトロアスに遺せし外衣に関する一言はパウロの最後の状態を知るが為に最も貴き一言である、爾来今日に至る迄福音の為に迫害を蒙りし人にして暗黒にして湿気多き獄屋の中に苦みつゝ此一言に由て慰められし者幾人ありしかを知らない、かの貴き老使徒の晩年冬将に来らんとして一枚の外衣の身を蔽ふべきものなかりしを知らば我等はまた衣食の為に思ひ煩ふべからずである。
 英国の学者にして聖書無謬説を称へたるR・ハルデン曰く「パウロは将に此世の皇帝に斬られ彼世の王に受けられんとす、此世に於ては彼の老体に着るべき一枚の外衣なかりしも今や被せられんとする限りなき栄光の衣を(351)望みしが故に彼は肉の事を思ひ煩はざりしなり」と、然り主キリストの再臨を信じ栄光を前に望みつゝ生くる者は衣食の如きは唯神の与へ給ふものを以て感謝するの他を知らないのである、而して此真理を教ふるパウロの一言は是れ亦聖書中より除くべからざる貴き神の言である。
 パウロは外衣と共に「また書籍を携へ来れ、其の皮なるもの最も肝要なり」と書き送つた、今や羅馬の獄卒の剣己が首の上に触れんとする時に当り彼は遺せし書籍を取寄せて今一度之を読まんと欲したのである、以て彼の心のみならず其頭脳の偉大を知るべきである、神の光に接したる者は必ずや更に深き真理を獲ん事を欲する、無学を誇る者は未だ神霊を受けざる事を自ら証明する者である、|パウロは死に至る迄旺盛なる知識欲を失はなかつた〔ゴシック〕、而して「其皮なるもの」とは即ち皮に書きしものゝ謂ひにして書籍中特に貴重なる書籍である、此場合にありては多分聖書の事であらう、モーセの書乎、イザヤの書乎、〔何れにせよ死に際して今一度び之を研究せんと欲したる老人の心の偉大さよ。
 斯くの如き心を有せしパウロは誠に恵まれたる人であつた、而して是れ亦我等が聖書中の何処かに於て教へらるべき大なる真理である、此事に関するパウロの一言は是れ亦貴き神の言である。
 
(352)     『基督再臨問題講演集』
                         大正7年11月1日
                         単行本
                         署名 内村鑑三 述
 
〔画像省略〕初版表紙187×127mm
 
(353)聖書研究者の立場より見たる基督の再臨
馬太伝に現はれたる基督の再臨
七福の解
世界の平和は如何にして来る乎
信仰の三階段
基督再臨の欲求
世界の最大問題
基督の復活と再臨
約翰伝に於ける基督の再臨
天然的現象として見たる基督の再臨
基督再臨の証明者としてのユダヤ人
聖書の預言とパレスチナの恢復
再臨信者の祈頑として見たる主の祈祷
イエスの変貌
ラザロの復活
ツルーベツコイ公の十字架観
馬太伝第十三章の研究
  附録
平和の告知
身体の救拯
万物の復興
聖書の証明
基督再臨を信ぜし十大偉人
余が基督の再臨に就て信ぜざる事共
 
(354)     BOOK OF COMINGS.来臨の書
                         大正7年11月10日
                         『聖書之研究』220号
                         署名なし
 
     BOOK OF COMINGS.
 
 The Bible is a book of God's promises concernlng His comings. In the Old Testament,He promised through His prophets that He would come among men and save them. And He did come in His Son;but men rejected Him and crucified Him. Then God in His infinite patience promised in the New Testament through His apostles and evangelists that He would come agaln. And so the promise stands now.And as sure as He did come thefirst time,He will come the second time.His first comlng was a surety for His second coming;and as the prophecies concerning the first coming were all and literally fulfilled,so those concerning the second will be likewise fulfilled.
 
     来臨の書
 
 聖書は神の来臨に関する其の約束の書である。旧約聖書に於ては神は其の預言者を以て彼が人間の中に臨《きた》りて彼等を救ひ給はん事を約束し給ふた、而して彼は終に其の子に由りて臨り給ふた、然るに人間は彼を斥け之を十(355)字架に釘けた 然るに神は怒り給はず其の無限の忍耐を以て新約聖書に於て其の使徒福音師等を以て「我れ再び臨らん」と約束し給ふた、而して其の約束は今猶ほ約束として存するのである、而して彼が其の約束に違はずして初めに臨り給ひしが如くに彼は必ず再び臨り給ふのである、彼の初臨は彼の再臨の確証である、初臨に関する預言が尽く文字通りに実現せしが如くに再臨に関する預言も亦同じやうに実現するのである。
 汝強く声を揚げユダの邑々に告げて言へ「汝等の神臨り給ふ」と、視よ主ヱホバ能力《ちから》をもちて来り給はん、その臂《かひな》は統治《すべをさ》め給はん、賞賜《たまもの》は其の手にあり、労力《はたらき》の値《あたひ》はその前にあり(イザヤ書四十章九、十節)。
 
(356)     聖書の大意
         岡山大阪等に於て述べし講演の大意
                        大正7年11月10日
                        『聖書之研究』220号
                        署名 内村鑑三
 
 聖書を学ぶに方て先づ第一に其大意を知るの必要がある、聖書は六十六巻より成り千五百年間に渉り五十余人の記者に由て書かれたる書であるが然し始終一貫したる一巻の書である、是れ其の神の書たる何よりも好き証拠である、同一の神の霊が長年月に渉り異なりたる幾多の人を以て同一の主題の下に書かしめ給ふにあらざれば斯かる書の成りやう筈はない。
 聖書は文庫ではない、一巻の書である、故に其大意を知ることが出来る、聖書は人の救拯に関はる神の企図《くわだて》を記したる書である、創世記を以て始まり黙示録を以て終る、旧約新約の別ありと雖も二巻の書に非ずして一巻の書である、敢て問ふ其教へんと欲する所の大意は何んである乎。
 神は初めに人類を造り給ひて之をエデンの園に置き茲に其の神の子たるの実を挙げしめんと為し給ふた、然るに人類は神の聖旨に違ひ彼に背きまつり其心より神を逐ひて自身園より逐い出された、若し此時神が怒り給ひて人類を滅し給ひしならば夫れで事は済んだのである、然れども神は聖手の業を軽視《かるし》め給はず背きし人類を救はんとの企図を立て給ふた、「婦の苗裔《すゑ》は蛇の頭を砕くべし」と彼は約束し給ふた、「婦の苗裔」である、「男の苗裔」(357)ではない、「処女孕みて子を生まん、其名をインマヌエルと称へらるべし」である、即ち神御自身が人類の間に降り其|愆《とが》を除き其反逆を医さんと約束し給ふた、而して旧約三十九巻は神の此の御約束の繰返《くりかへし》であつたのである、即ち神は其の預言者等を以て繰返して言ひ給ふた「我れ来らん」と、「ヱホバ言ひ給ふシオンの女子《むすめ》よ喜び楽め|我れ来りて〔付○圏点〕汝の中に住めば也」と(ゼカリヤ二章十節)、又言ふ「シオンの女子よ大に喜べヱルサレムの女子よ呼はれ 視よ|汝の王汝に来る〔付○圏点〕」と(同九章九)、而して預言者マラキは旧約の主張を総括して言ふた「汝等が求むる所の主、即ち汝等の悦ぶ契約の使者《つかひ》忽然《たちまち》その殿《みや》に来らん、|視よ彼れ来らん〔付○圏点〕とヱホバ言ひ給ふ」と(マラキ書三章一節)、「我れ来らん」、「彼れ来らん」、旧約三十九巻の心髄は此短き言を以て尽きて居るのである。
 而して神は終に人の間に降り給ふた、イエスキリストを以て来り給ふた、イエスはダビデの裔にして又アブラハムの裔であつて神が始めにアダムとエバとに約束し給ひ又預言者等を以て選民に約束し給ひし者であつた、彼を以てエデンの園は回復せられ人類は其定められし栄光の運命に達すべくあつた、イエスを以て真正《まこと》の意味に於ての黄金時代は地上に現はるべくあつた、而して彼は之を成就するに足る充分の能力を自己《おのれ》に備へ給ふた、彼は多くの奇跡を行ひ給ふて物界も霊界も彼に服ふ者なる事を示し給ふた、然れども人類は其代表者たるユダヤ人を以て再び彼を斥けた、斥けたのみならず彼を十字架に釘けた、彼れ己れの国に来りしに其民は彼を接《う》けなかつた、茲に於てか神の人類の救拯に関はる御計画は美事に失敗に終つたのである、然れども人の罪は神の愛を毀つ事が出来なかつた、神は此時も亦滅亡の刑罰を以て人類を見舞ひ給はなかつた、人類の不信反逆に由て其の愛の御計画を破毀せられ給ひし神は其の無限の忍耐を以て再び約束を立て給ふた、曰く「我れ再び来らん」と、即ち「一たび来りて迷へる我民を救はんと欲したりしも彼等再び我に反きて我を斥けたれば我は更らに途《みち》を変へて我が目(358)的を達せん、我れ|再び来りて〔付○圏点〕我民を救はん」と、是れイエス御自身の発し給ひし言にして、又彼の使徒等を以て告げ給ひし言として新約聖書が明に我等に示す所である、「我れ来らん」との旧約の約束に対して「我れ|再び〔付○圏点〕来らん」との新約の約束が供《あた》へられたのである、実に旧|約〔付○圏点〕である新|約〔付○圏点〕である、前の約束と後の約束とである、聖書は約束の書である、「我れ来らん」と云ふが前の約束であつて「我れ|再び〔付○圏点〕来らん」と云ふが後の約束である、聖書は特に道徳の書なりと言ふ者は誰である乎、聖書は特に約束の書である、故に預言の書である、預言を離れて聖書は混乱の書と成つて了るのである。
 而して今は新約の時代である、「我れ|再び〔付○圏点〕来たらん」との約束の成就されつゝある時代である、而して基督者は其約束の成就を待望みつゝ生涯する者である、「我等は其約束に因りて新しき天と新しき地を望み待つ、義その中に在り」とあるが如しである(ペテロ後三章十三)、而して其約束の成就に就て我等寸毫の疑を挟むべきでない、先づ第一に記臆すべきは「我れ来らん」との前の約束の其成就までに四千年を経過したことである、神に在りては千年は一日の如しである、人に在りては彼の来ること遅しと思はれし時に、彼は其約束に違はずユダヤのベツレヘムに其御子を以て来り給ふたのである、故に「我れ|再び〔付○圏点〕来らん」との後の御約束も其成就までに二千余年を経過したればとて敢て少しも怪むに足りない、既に前例の示されしあり、我等忍びて余り遠からざる将来に於ける|神の再来〔付○圏点〕を疑はずして待ち望むべきである。
 而して第二に注意すべきは、前の約束の預言の文字通りに実現されし事である、イエスの一生は尽く「預言者に託《よ》りて言はれたる言に応《かな》はせん為なり」であつた、而して彼れ自己に関はる最後の預言の成就せしを目撃し給ひて「事|竟《おは》りぬ」と云ひて首《かうべ》を俯《た》れて霊を附し給へりと云ふ(ヨハネ伝十九章二八−三十節を詩篇六十九篇二一(359)節と対して見るべし)、後の約束の成就も亦其の如しであらう、旧約の預言が|初来〔付○圏点〕のキリストに於て文字通りに実現されしならば新約の預言も亦|再来〔付○圏点〕のキリストに於て文字通りに成就さるゝに相違ない。
        *     *     *     *
 聖書の大意は是れである、即ち「主来り給はん」とは旧約の主旨である、之と相対して「主|再び〔付○圏点〕来り給はん」とは新約の主旨である、「来り給はん」、「再び来り給はん」、是れ聖書の基音《キーノート》である 此基音に合はして読まざれば聖書は解らない、而して此基音に合はして読んで聖書は一大楽譜である、其中に高等批評が唱ふるが如き乱調は之を認むる事は出来ない。
 
(360)     曠野《あれの》の慰安
         何西亜書二章十四−廿三節研究
                         大正7年11月10日
                         『聖書之研究』220号
                         署名 内村鑑三
 
  一四 視よ我れ彼女を誘《いざな》ひて曠野に導き、其処に慰安《なぐさめ》の言を彼女に語らん。
  一五 而して彼処《かしこ》を出るや我れ直に彼女に葡萄園《ぶだうその》を与へん、アコル(患難《なやみ》)の谷を希望《のぞみ》の門として与へん、彼女は彼処にて歌はん、彼女の若かりし時、彼女がエジプトより上り来りし時の如くに歌はん。
  一六 其日には汝我をイシ(我夫《わがをつと》)と称《よば》ん、再びバアリ(我主)と称ばじとヱホバ言ひ給ふ。
  一七 そは我れ彼女の口よりバアルの名を取去り其名をさへ称《とな》へられざらしむべければ也。
  一八 其日には我れ我民の為に野の獣《けもの》と誓約《ちかひ》を立つべし、又空の鳥及び地の昆虫と誓約を立つべし、我れ又地より弓と剣《つるぎ》と戦闘《たゝかひ》を絶つべし、而して彼等をして安らかに居らしむべし。
  一九 我れ永久に汝を我に娶るべし、然り義と公平と慈愛と憐愍とを以て汝を娶るべし、実に我れ誠実を以て汝を娶るべし、而して汝ホバを識らん。
  二一 其日には我れ応へんとヱホバ言ひ給ふ、其日には我れ天に応へん、而して天は地に応へん 二二 而して地は穀類と葡萄と橄欖とに応へん、而して彼等はヱズレルに応へん。
(361)  二三 我れ我が為に彼女を地に播かん、而して憐まざりし者を憐み、我民ならざりし者を我民と称ん、而して彼等は言はん「我神よ」と。
〇ヱホバが其民を救ひ給ふ其経路を示したる言である、「彼女」とはイスラエルをヱホバの新婦《はなよめ》と見ての呼方である、彼女は一たび其新郎たるヱホバを棄去り不貞の罪を犯したりとは預言者ホゼヤの繰返して述ぶる所である。
〇「視よ」、注意せよ、「我れ」然り|我れ〔付○圏点〕エホバ自から進んで再び汝を我が新婦として娶らん云々、第十四章四節に「我れ彼等の反逆《そむき》を医し云々」とあるが如し、救拯はすべて神を以て始まるのである、人に自己をさへ救ふの力が無い、「汝等恩恵に由りて救はる、是れ信仰に由りてなり 己に由るに非ず、神の賜なり」とあるが如し、(エペソ書一章八節)、救拯の事に関し旧約の教ふる所は新約と異ならず(十四節)。
〇「彼女を誘ひて曠野に導き」 先づイスラエルを曠野に誘ひ其処にて慰安の言を彼女に語らんと云ふ、曠野は人なき寂しき所である、故に孤独の状態である、事業の失敗である、名誉の毀損である、肉親の死別である、即ち人生の砂漠である、而して神は其愛する者を斯かる所に誘ひ出して其処に慰安の言を彼等に語り給ふのである、人は楽園に在りて人の声に耳を傾けて神に聴かんとしない、然れどもエリヤの如くに独りホレブの曠野に彷徨ひて鮮かに神の静かなる細き声を聞取ることが出来るのである、救拯の第一歩は曠野の試誘《こゝろみ》である、其処に我罪を示され、神に接し、神の言を聞いて我等の救拯は始まるのである(十四節)。
〇信者は曠野に於て神の慰安の言に与り、其処に何時までも居るのではない、ヱホバは永久に其民を曠野に置き給はないのである、「夜はよもすがら泣きかなしむとも朝には歓び歌はん」である(詩三十篇五節)、曠野の滞在は暫時である、或ひは三年、或ひは五年、或ひは十年にして恩恵の救出が来るのである、而して彼所を出るや彼は(362)|直に〔付○圏点〕彼等に葡萄圍を与へ給ふ、曠野より葡萄園へ悲哀より歓喜へ、死海の浜よりシヤロンの薔薇畑《ばらばたけ》へ試誘を受けて善しとせられし信者は移さるゝのである、先づ曠野、然る後に葡萄園、園が先きにして野が後ではない、先づ十字架、然る後に冠冕である(十五節)。
〇「アコルの谷……希望の門」、アコルの谷の詳細に関しては約書亜書第七章、殊に其末節を見るべし、アコルの谷は患難《なやみ》の谷である、イスラエルの民が慚愧悔恨の紀念を築きし所である、然るにヱホバは此谷を変じて希望の門となし、而して之を彼の贖ひ給ひし民に与へ給ふとの事である、メラの苦《にが》き水を甘くなして之を其民に与へ給ひし神は患苦失望慚愧の谷を化して希望の門と成して之を信者に賜ふと云ふ、而して是れ神の約束し給ひし所であつて信者の実験する所である、我等は主の備へ給ひし救拯に入りて「凡の事(失敗患難慚愧悔恨等をも含む)……、|凡の事〔付○圏点〕は神の旨に依りて召《まねか》れたる神を愛する者の為に悉く働きて益をなす」を知るのである(十五節)。
〇「彼女は彼処にて歌はん」、イスラエルの民はアコルの谷に於て衣を裂き灰を被りて泣いた、然れども曠野の試誘《こゝろみ》を経て善とせられて後は涙の谷に於て希望の歌を唱へんとの事である、恰かも彼等は紅海を渡りて後に海の此岸に立ちてモーセの姉ミリアムに導かれて大なる讃美を唱へしが如くである(出埃及記第十五章)。
〇「其日には」 福いなる其日には、恵まれたる其日には、「汝我をイシと称《よば》ん、バアリと称ばじ」と、我が夫と称ばん我が主と称ばじと、夫妻の関係は主従のそれよりも遥に深くある、而してイスラエルは救はれてヱホバに対し主従の関係を脱して夫妻の関係に入るべしとの事である、イシーである、バアリーでない、我夫である、我主でない、信じてキリストは我が新郎となり我は彼の新婦となる、信ぜざる前に彼は恐るべき者、近づくべからざる者、我主、我審判者である、曠野に駆追《おひやら》れ其処に悔改の涙を流して我等は神とキリストとに対して新らしき関(363)係に入るのである、神は素より恐るべき者ではない愛すべき者である、彼をして我眼に恐るべき者たらしめし者は我裡に在る罪である、罪を除かれ反逆を医されて人は憚る所なくして神の宝座《みくらゐ》に近づくを得べく、アバ父よと称びて彼に縋るを得、我犬と称びてキリストの愛に浴する事が出来るのである、嗚呼ヱホバを我夫《をつと》として有つの特権、何ものか之に勝さるの福祉《さいはひ》あらんやである(十六節)。
〇主従の関係を離れて夫妻の関係に入る、ヱホバを主と呼びまつるを廃めて夫と称しまつる、イエスは其弟子に告げて言ひ給ふた「今より後我れ汝等を僕と称《いは》ず、そは僕は其主の為すことを知らざればなり、我れ前に汝等を友と呼べり我れ汝等に我が父より聞きし所の事を尽く告げしに因る」と(ヨハネ伝十五章十五節)、友たるは僕たるよりも遥に親しくある、而して妻たるは親密の極である、而して教会はキリストの新婦であるが如くに信者は神の妻たるに至ると云ふ、神と人との関係を語る言にして之よりも濃厚なる者はない(十七節)。
〇神との平和は天然との平和となる、神と和らぎて人は野の獣又空の鳥及び地の昆虫《はふもの》と和らぐに至る、天然を愛する者は誰ぞ、基督者である、聖フランシスの如き、詩人ウオルヅワスの如き、其の天然に対する熱き同情を神の愛に由て獲たのである、人類は天然を制服すると云ふ、制服ではない、馴致である、神を愛するの結果として天然を愛して之と和らぐのである、其時「乳児《ちのみご》は毒蛇の洞に戯れ、乳《ち》ばなれの児は手を蝮の穴に入れ」て安全なるを得るのである(十八節)。
〇神と和らぎて天然と和らぎ又人|相互《あひたがひ》と和らぐのである、戦争は人が神と和らぎて廃むのである、人は神を除外して相互と永久的平和に入ることは出来ない、戦争は人の神に対する反逆の結果として必然的に起りし者である、然るに今や神と和らぎて人は相互と和らがざるを得ない 「我れ又地より弓と剣と戦闘を絶つべし」と云ふ、神と(364)親しき関係に入りて敵愾の精神は根より絶たるゝのである(十八節)。
〇ヱホバの妻たるの資格を得て、即ち「点汚《しみ》なく皺なく聖にして瑕なき栄ある」者となりて彼は永久に彼女を娶り給ふと云ふ、義と公平と慈愛と憐愍とを以て彼女を娶り給ふと云ふ、娶るとは渝らざる夫妻の関係に入ることである、斯くして信者は永久に神の属《もの》となるのである、而して神は義と愛とを以て信者に対し給ふのである、愛を欠ける義ではない又義を欠ける愛ではない、義と其表現たる公平と、慈愛と其表現たる憐愍と、即ち神性の両方面を以て信者を御自身に牽附《ひきつ》け且つ懐抱《いだ》き給ふのである、「実に我れ誠実を以て汝を娶るべし」と言ひ給ふ、神の誠実を以てゞある、而して人の誠実の如くに言葉を以てする誓約ではない、事実を以てする約束である、神の娶る所となりて人は永久に彼の手を離るゝことは出来ない、是れ幾百万の信者の今日まで実験せし所である(廿節)。
〇「其日には我れ応へんとヱホバ言ひ給ふ」、其時には我れ彼の祈祷に応へんとのことである、神は天に応へ、天は地に応へ、地は地の産に応へ、地の産はエズレル即ち神の愛するイスラエルに応へんと云ふ、即ちイスラエルの祈求《ねがひ》は地の産と地と天とを通じてヱホバに達し終に彼の応ふる所となると云ふ、美はしき祈祷の連結である、即ちヱホバは天と地と地の産とを以てイスラエルを助け給ふと云ふ、曠野に逐ひやられ其処にヱホバの囁《さゝやき》に接せし結果は遂に此に到るのである(廿一、廿二節)。
〇恩恵に恩恵は加はりて神のイスラエルは遂に地に植えらるゝに至る、始めに地を逐はれし民は再び地に播かるゝに至る、人は地の産である 地と人との関係は母と子との関係である、人は地を去て天に行くべき者ではない、人は地と共に救はれて同じ栄光に入るべき者である、故に人に臨む恩恵にして地に播るゝに如く者はない 死に(365)由て失ひし体を再び与へられて人は其完全に帰るが如くに、逐はれし地に再び播かれて彼は其最上の幸福に達するのである、聖化されたる霊が栄化されたる体を衣せられ、而して改造されたる地に住ましめらるゝに至て彼の救拯は全うせらるゝのである、斯くして人は初めて神の民となるのである、住むに地なくして人は未だ「民」と称せらるべき者ではない、土地と人民とありて国家あるが如くに聖められたる地と人とありて神の国があるのである、ヱホバの妻は遂に其民となるべしと云ふ、親密より再び旧《もと》の疎遠に復るが如しと雖も然らず、妻たるの関係に民たるの特権が加へらるゝのである、始めに神御自身を我夫として有《もつ》て終に地を我有として賜はるのである、霊の恩恵の上に物の恩恵を加へらるゝのである、ヱホバを我夫よと称ぶの資格の上に更らに彼を「我神よ」と称ぷの特権を加へらるゝのである(廿三節)。
〇患難に始つて福祉に終る、始めに孤独の曠野に逐ひやられ其処に愛の囁を聞き、我が反逆の心を癒されて我主を夫として愛し得るに至る、斯くて涙の谷は歓喜の園と化し、アコル(患難)の谷は希望の門と成る、神と和らぎて天然と和らぎ、又人と和らぎて戦闘は止む、我は永久にヱホバの属となり、我が祈祷は尽く聴かるゝに至る、我は遂に地に播かれて之に根ざし、ヱホバは我の神となりて我は彼の民となる、一たび失ひし神を再び得て我は我が霊を救はれ又万物を賜はる、実に「神の己を愛する者の為に備へ給ひしものは目未だ見ず耳未だ聞かず人の心未だ念はざる者」である(コリント前書二章九節)、而して是れ神に召かれし者の等しく実験する所である。
〇余自身の実験として預言者ホセヤの此言は余を危急の時に救つたものである、其時余の眼が此言に触れざりしならば余は確に滅びたのである、「視よ、我れ彼女を誘ひて曠野に導き其処に慰安《なぐさめ》の言を彼女に語らん」と、l will allure her into wilderness, and will speak comfortably unto her. と余は英語に由て読んだ、余は其時それ(366)以上の言を読むの余裕がなかつた、夫れ丈けで充分であつた、然し乍ら三十五年後の今日に至て此預言の全部が徐々として余の実験となりて現はれしを認めざるを得ない、余の生涯のすべての幸福は其時に始まつたのである、余の伝道、余の天然学、余の非戦主義、然り余の基督再臨論はすべて其時に始つたのである、而して余に関はる預言者の預言は尽く成就されて唯一つが未だ預言として存るのである、即ち|余が地に播かるゝの預言〔付○圏点〕は今猶ほ希望として存るのである、而して此預言も亦事実として現はるゝを余は今は寸毫《すこし》も疑はない キリスト再び現はれ給ふ時に余は余の愛する此地と共に彼の救拯に与るのである、余は地を去りて天に行くのではない、地が天と化するのである、福音の福音たるは茲に在る、余の救拯と共に行はるゝ地の救拯である、余の霊が救はれ、余の体が救はれ、而して地と其中にある万物が救はれて救拯が完成せらるゝのである、感謝の極である、歓喜の極である。
 
(367)     聖書全部神言論
         (九月二十二日以降三回の日曜日に亘り東京神田基督教青年会に於ける講演の大意)
                    大正7年11月10日
                    『聖書之研究』220号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 基督再臨問題は更に一の大問題を喚び起した |聖書問題〔ゴシック〕即ち是れである、再臨反対論者は曰ふ「聖書が再臨を教ふる事は之を認むる、然しながら聖書は一言一句之を信ずべきではない、聖書の中に多くの謬がある、聖書の天啓たるは其性質に於て論語の天啓たると異ならない、二者は唯程度の差に過ぎない、パウロ、ペテロ又はヨハネ等は聖霊に由て主の再臨を信じたりと雖も聖霊の恩賜に与る者は独り彼等のみではない、我等も亦聖霊を受くるのである、而して我等は聖霊に由て再臨の迷妄たるを知るのである」と、是れ我国に於ける有力なる神学者若くは教役者の主張である、又聞く所によれば近頃諸教会の間に基督信徒合同問題の議せられし時合同より除外すべきものに関する一議案が提出せられたといふ、而して其の除外すべしとする四箇条中の二は基督再臨を信ずる者と聖書無謬を信ずる者とであるといふ、然らば即ち聖書有謬を信ぜずんば新に成らんとする日本の合同教会に加入するを得ないのである、而して斯の如き思想は唯に我国の信者のみならず基督教国の学者にして之を抱く者も亦決して尠くないのである、我国に於けるユニテリアンの指導者にして学者としても尊敬すべきクレー・マコーレー博士の如きは即ち其一人である、博士は近頃一書を公にして再臨の信仰を憤慨し聖書無謬説を攻撃したの(368)である。
 聖書は果して無謬ならざる乎、聖書全部が神の言に非ずして聖書の中に神の言あるに過ぎざる乎、教育ある近代人は曰ふ、神の言は聖書の中にある、然れども神の言ならざるものも亦多く其中にある、聖書には真理あり又誤謬あり、之を識別する事が聖書研究の目的であると、誠に今日聖書無謬を称ふるは甚だ困難である、恰も舟を焼きて戦に臨むが如く自ら退路を絶つの陣形である、故に近代人は此危険なる態度を避けて之を取らない、近代人の恐るゝものにして断言の如きはない、彼等は決して明白に然り又は否なと断言せずして必ず其半分を留保し置くのである、之れ蓋し最も安全なる方法である。
 然しながら聖書若し無謬に非ずと信ぜば何故に聖書有謬を主張せざる、聖書の中に神の言あるに過ぎざるならば明白に聖書有謬説を称へよ、而して汝の聖書を取り其中汝の誤謬と信ずる所のものを試に赤鉛筆を以て抹消せよ、然らば贖罪は猶太思想なるが故を以て抹消せらるゝであらう、復活は虚偽なるが故を以て、再臨は非科学的なるが故を以て、抹消せらるゝであらう、斯くて吾人プロテスタント信者の生命と恃む貴き真理は悉く聖書中より駆逐せらるゝであらう、而して後に残るものは何である乎、神の言は聖書に在り我が信仰の基礎は此処にありと言ひて而して披き見れば何ぞ知らん赤線縦横余す所たゞ表紙のみに過ぎざるが如きは実に天下の奇観ではない乎、然れども笑ふ勿れ聖書有謬説の帰着する所は畢竟するに之である。
 教会は果して聖書有謬説を以て立ち得る乎、古来聖書有謬を称へて立ちし教会の実例がある乎、果して何処にある乎、余は敢て之を問ふ、答へ得る者は請ふ答へよ、余は之を知らないのである、答ふる者或は曰はん、ユニテリアン教会あるに非ずやと、噫ユニテリアン! 彼等は果して何を為したのである乎、幾人の信仰の勇者が(369)彼処より生れたのである乎、福音の戦士として日本国を根底より動かすべき者は何処に在る乎、ユニテリアンよ、汝等は何を為しつゝある乎、汝等は信仰を有するのである乎、聖書有謬説を以て教会の立ち得べき筈がないのである、聖書に力あるは其の無謬なるが故である、|聖書若し無謬ならずんば聖書は神の言ではないのである〔ゴシック〕。 余は聖書無謬を信ずる、余は四十年の信仰生活の結果斯く信ぜざるを得なくなつたのである、然しながら之れ独り余のみの信仰ではない、此問題に就て苦む人を助けんが為めに余は茲に一二の証明者を紹介しやう。
 博士ハワード・A・ケリーは世界第一流の外科医産科医である、彼は欧米に於ける数箇の大学より最高の学位を受け又英伊独仏米其他諸国の学士会員たるの名誉を有して居る、戦争前にありては彼は半年を米国に半年を独逸に過して大学の講義を続けた、彼の著書は斯界の権威として世界の医学界に紹介せられたのである、此人近頃自己の信仰を発表して曰く「余は二十年来の苦闘の結果遂に動かすべからざる確信に達した、余は今や聖書が神に由て霊感せられたる言なる事を信ずる、そはあらゆる他の書と全然異なる意味に於て霊感せられたる書である」と、之れ世界に於ける医学の泰斗ドクトル H・A・ケリーの証明である。
 監督ウエストコットは世界的の聖書学者である、彼も亦自己の実験として語つて曰く「余が青年時代に聖書の研究を始めしは決して之を神の言なりと信じての立場からではなかつた、然るに久しき間の研究の結果其の普通の書と全然性質を異にする事を確かめたのである」と。
 ケリーと言ひウエストコットといひ彼等は決して迷信又は非科学等の言を以て臨み得べき人物ではない、而して彼等は自己の長き実験を以て聖書の終に神の言ならざるべからざる事を知つたのである、余も亦然り、余の生涯の経験の結果茲に至つたのである、之より他に逃路《にげみち》がないからである。
(370)  聖書は無謬である、其全部が神の言である、而して聖書無謬説には勿論其説明がある。
|第一、聖書のみが我等の罪を現はすのである〔ゴシック〕。聖書は曰ふ「汝は罪人の首なり、根底より腐敗したる者なり」と、聖書に非ずして何が此事実を教ふる乎、我等は唯聖書よりしてのみ此宣告を受くるのである、故に聖書を信ぜざる者には必ず一種の高ぶりがある、彼等は俯仰天地に恥ぢずと言ふ、然れどもパウロ、ルーテル、バンヤン等は天にも地にも自身にも恥ぢたのである、彼等をして此思想を起さしめしものは何である乎、人類をして其罪を自覚せしむるものは何である乎、シェークスビヤの書を読みて或は人情に精通するを得るであらう、然しながら自己が罪人の首たりとの大事実は之を聖書以外に学ぶ事が出来ないのである。
 斯く曰はゞ或は次の如くに答ふる人があるであらう、曰く聖書が神の思想を伝ふる事は之を認むるも其言には謬があると、こは有力なる議論たるを失はない、然しながら余は自身文章を書いて見て知つたのである、思想は言を離れて伝へらるゝものではない事を、余の文章が人を動かすならばそは余の思想が余の言を以て発表せられしが故である、力ある演説も聴者が之を他人に伝ふるに及び全然初の面影を存せざるは何故である乎、演説には演説者の人格が其中に籠つて居るからである、霊感(インスピレーション)は思想のみに止まらず必ずや言にも及ぶ、言なくして霊感はないのである、後世の基督伝の悉く力なきに反し独り四福音書のみ貴きは其言の貴きが故である。
|第二、聖書は変らない〔ゴシック〕。聖書は不死の書である、人の書にして死せざるものはない、殊に近時書の死期の如何に速なるかを見よ、紐育の書肆プツトナムの伝記中に曰ふ、米国に於ける著書の出版百冊にして再版に達するもの僅に五冊のみと、其他は皆初版にして消滅するのである、出版当初何万部を売り尽せりと称せられ一時読書(371)界を震撼するが如き書も十年の後には全く忘れ去らるゝものが多い、聖書若し神の書ならば永遠に亘りて世界万国の人の棄つる能はざる書でなければならない、「それ人は既に草の如く其栄は凡て草の花の如し、草は枯れ其花は落つ、されど主の言は窮りなく保つなり」と(ペテロ前書一章二四、二五) 然り人の書は悉く亡ぶと雖も聖書のみは亡びない、幾千年の間摂理に次ぐに摂理を以て保存せられ今日尚全世界の人が之を読むのである、世に変らざるものが二ある、其一はユダヤ人にして其二は聖書である、何が変るとも此二者は変らずして存続しつゝある、ユダヤ入は何故変らざる乎、神の民として或る大なる使命を有するからである、聖書は何故変らざる乎、神の言なるが故である、聖書に驚くべき活力の存する其事がその神の言たるの証明である。
 聖書の保存は殆ど完全である、聖書の原本にして今日に残存するもの凡そ二千部而して其相互の間に大体に於て何等の差違がない、之れ即ちペテロ、パウロ等の神より受けたる儘の言が残存したるが故である、然るに人の書にありては如何、太平記又は平家物語等今より漸く七百年前のものすら数多の版によりて全然別種の異本を生じて居るのである、人の書は人が之を変へる事が出来る、然れども神の書は之を変へんと欲して変ふる事が出来ないのである。
 故に聖書にありては其一言一句が重大なる問題となるのである、前置詞一箇の解釈如何に由て基督教の根本義に関係を及ぼす場合がある、曾て新約聖書原本の間に希臘文字の〓と〓との相異あるを発見し、二人の英国学者が当時の困難なる旅行を犯して顕微鏡を携へ遥々羅馬ヴアチカン宮に赴き其原本を調査した事があつた(テモテ前書三章第十六節に就て)、聖書若し神の言ならざりせば何を苦んでか斯かる労力を費すの必要があらう乎、誰がシエークスピア又は平家物語の一点一画を検べんが為めに殊更に外国迄出掛くるであらう乎。
(372) 所謂高等批評は聖書の編纂に就て種々なる説明を下すのである、創世記はモーセの書きしものに非ず或人の著作を本とし更に三四十人の手を経て我等に伝へられたるものなりといひ、アブラハムとは実在の人物に非ず、或る国民の代表者なりといひ、パウロの書翰中真に彼の筆に成りしものは僅に羅馬書コリント前後書及び加拉太書に過ぎずといひ、近来或る和蘭の学者は更に之等のものを悉く偽作なりと主張する、然しながら若し彼等の批評にして事実ならんには問題は一層不思義を増すのみである、何となれば凡ての書が消滅するに拘はらず独り何時迄も変らずして人類に最後の希望と光明とを供する其貴き書が何人の作たるや全然不明なりと言ふが如きは却て奇異の極致であるからである、聖書を神の書として解するに非ざれば此事実は遂に之を説明する事が出来ないのである。
|第三、聖書は驚くべく調和したる書である〔ゴシック〕。聖書の神の書たる事を否定する者は屡々其中の一部を指摘して之を非難せんとする、彼処は如何此処は如何、聖書の中に神の言として受取り難きもの頗る多きに非ずやといふ、例へばヨナが海中に投入れられて鯨に呑まれたりとは如何、鯨の咽喉は狭隘にして到底人を容るゝ能はず、故に斯かる妄誕を伝ふるヨナ書の如きは之を信ずるに足らずといふ、然しながら此の場合にありては翻訳の誤謬に過ぎない、原語は鯨に非ずして海中の或る大なる動物である、其他民数紀略、歴代史略、雅歌又は黙示録等は屡々教会より神の言に非ずとして排斥せられたる書であると言ふ、彼等は斯く聖書の此処彼処を排斥して実は聖書全部を見失ふのである、何故に彼等の目に聖書は調和したる書として映ぜざる乎、|他なし聖書の中心に自己を置きて之を見ざるが故である〔ゴシック〕、聖書をして自己を審かしめず自ら聖書を審かんと欲するが放である、先づ聖書をして我を審かしめよ、然らば聖書の中心に立ちて其大調和を発見し得るであらう、伊太利の或る有名なる寺院の天井に立派なる壁(373)画がある、入りて之を見るに像影錯雑混乱して殆ど其何の画たるやを解する事が出来ない、然れども一度び其の中心たる地位に立ちて之を仰がん乎、人物の姿態其他全幅の光景忽ち躍動し偉大なる天才の結晶として顕はれ来るのである、我等の聖書に対するも亦斯の如しである、学者は奇跡を厭ひ実業家は利慾の誡を聴かざらんと欲し而して聖書に臨むも遂に之を解する事が出来ない、|神の予言者又は使徒等をして聖書を書かしめたる其立場に自ら立ちて之を実験して初めて其の神の首たるを知る事が出来る〔ゴシック〕。
 瑞西の聖書学者ガウセン曰く「余は基智者となり神学生を教へてより幾十年にして未だ羅馬書を解する能はざりしが或日罪の意識に貴められて自ら立つ能はず、神に救はれずんば如何ともする能はざる立場に至りし時此難解の羅馬書は詩の如くに美はしきものとなりて現はれたり」と、是れガウセンの実験にして亦余の実験である、神学者は羅馬書を解剖して其第十二章以下は不用なりといひ、其第十六章はエペソ書に添附すべしなどゝ称するも、罪に悩むの実験に立ちて之を解すれば其中一の贅言あるなく其の真に貴き書なるを知るのである、其他雅歌の如きも亦同様である、篤信の学者デリツチの実験を以て之を読めば雅歌亦神の言たるを疑ふ事が出来ない。
 諸君試みに世界地図を披き見よ、其眼前に開展する所の陸と海とは果して何を意味する乎、彼処に云々の産物あり此処に云々の気候あり、水面は余りに広闊なるに過ぎ、沙漠は寧ろ之れ無きに如かず等散漫なる感想を浮ぶるのみにして此全世界の構造に大なる意味の存するを知る者の如きは蓋し稀有であらう、「神もし我に謀りしならば今少しく完全なる世界を創造し得たりしならん」とは独りスペインの皇族アルフオンゾの言のみではない、然るにペスタロツジーの弟子にして『パレスチナ地理』の著者なるカール・リツテルは世界地図を研究したる後驚歎して曰うたのである「世界の構成は実に完全無欠である、人類をして神の知識に達せしめんが為めに之より(374)も良きものを造る事は出来ない」と、茲に至て地理学は初めて活躍するのである、かのアーノルド・ギヨー氏の地人論の如きも亦此立場に於て観察したるものに外ならない、自己を世界の中心に立たしめ神の之を造り給ひし聖旨の那辺に在るかを知つて一箇の地球と其表面上の水陸とは悉く深き意味を発揮するのである。
 聖書も亦実に然りである、五十余人の著者に由り千五百余年の長きに亘りて編纂せられし書なりと雖も其中に驚くべき調和一致がある、神、イエスキリスト、罪、救等の立場より之を読まん乎、其創世記より黙示録に至る迄一字の棄つべきものあるなく正に完全無欠のコスモス(宇宙)なる事を知るのである。|第四、聖書は深遠にして尽きざる書である〔ゴシック〕。世に興味ある研究は二ある、其一は天然学であつて其二は聖書学である、神の造り給ひし天然は其一草一花又は一塊の小石に至る迄深き意義を寓して居る、何故に実を結ばざる花がある乎、何故に秋到れば紅葉を呈する乎、学者は之等の問題を知らんとして大なる試験器を運転しつゝ孜々として研究を続けて居るのである、而して実に神の造り給ひし天然は此努力に値するのである、其全部然り一部亦然り、或る植物学者の言ひし如くに葉は森に由て解すべく森は葉に由て代表せらる、森林の研究素より学者の一生を献ぐるに足ると同じく一片の葉の研究も亦生涯に亘つて尽きないのである、是れ神の造りしものゝ人の手に成りし物と異なる特徴である。
 聖書も亦其れである、誰か僅々六百頁の書の研究に一生を費す者があらう乎、然しながら聖書は生涯に亘りて之を研究すると雖も到底尽くる所を知らないのである、唯に聖書の全部が然るのみならず其一部亦然りである、聖書全部又は新約全部といふが如きは寧ろ広汎に失して研究の対象とするに適しない、恰も動物学の研究と言ひて其中の有脊椎動物、就中魚類、就中ひらめ、就中其二三種を選びて専攻部門となし得るが如く今や聖書研究(375)と言ひて新約聖書中の約翰文学、就中約翰書、就中ヨハネの思想を選び以て一生の研究に充つる事が出来るのである。
 聖書以外に斯の如き書がある乎、若し人の手に由て成りし書の五頁又は十頁の研究に全生涯を献ぐる者あらばそは狂乱の沙汰と言はざるを得ない、然しながら聖書のみは実に深遠にして探れども探れども尚ほ尽きないのである、ロイス(Eduard Reuss)著「新約聖書歴史」は彼の時代迄に書かれし聖書に関する無数の著書を其資料として掲げて居るが若し之等の書を蒐集せんには真に棟に充ちて溢るゝであらう、而して之れ皆一巻の聖書の為に書かれしものに外ならないのである。
|第五〔ゴシック〕、最後に余をして聖書の神の言たるを信ぜしむるものは|余の一生涯の実験である〔ゴシック〕。「人もし我を遣はしゝ者の旨に従はゞ此教の神より出づるか又己に由て言ふなるかを知るべし」と(ヨハネ伝七章十七節)、聖書は之を行うて見て其真に神の言たるを知る事が出来る、博士ケリーも其告白中に於て曰うた「余は学者として之を知る、学説には究極あり、其以上は唯実行に由て真否を知るのみ、故に余は聖書も亦之を実行して初めて其神の言たるを知れり」と、余も亦同様である、高等批評其他の議論を全く離れ四十年間之を読み続けて斯かる書の他に絶無なる事を実験したのである。
 余は聖書に由て始めて自己の罪人なる事を覚つた、而して自ら神の前に立ち得ざる者なるを知り苦悶の極に達したる時又聖書に由て「汝の罪赦さる」との声を聴いたのである、神は凡てを覚ゆるも唯罪のみは之を忘ると言ひ給ふ、此声を聴くに非ずんば罪人の心には決して平和が宿らない、ルーテルの救はれたるもスタウピッツの指導に由て此一言を聖書中に発見したるが故であつた、而して罪の赦しは聖書を除いて何処から之を聴く事が出来(376)る乎、図書館に入りて幾万の書を探るとも此言を聴く事が出来ない 独り神の言のみ之を我等に教ふるのである、而して此実験を握りし者に取ては高等批評の如き何ぞ恐るゝに足らんやである、アブラハムなる人物は実在せずと言ひ、ヨセフの記事は太陽に関する古話なりと言ふが如きは、聖書に由り罪の赦を実験したる者の前に一顧の価値をも有しないのである。
 故に聖書が神の言たる事を知らんと欲する乎、乃ち之を日々の糧として食ふべきである、聖書の味は自ら之を実験せずして解する事が出来ない、富士山頂の日出、戦場ケ原の秋色、其荘厳の気を味はんと欲せば先づ其地に赴き其気に触れなければならない、聖書も亦然り、先づ其雰囲気中に身を浸して十分に之を吸へよ、然らば一種特別の感覚を実験するであらう、毎朝何事を為すにも先だちてまづ聖書の一二章を精読せよ、然らば必ず言ふべからざる生命に触るゝであらう。
 我国に欠乏するものにしてホームの如きはない、潔く正しく楽しき家庭は何処にある乎、如何にして之を作り得る乎、数多き家庭雑誌を読んで良き家庭は出来ない、唯日毎に聖書を読みて之を作る事が出来る、聖書の空気が家庭の空気となり妻子より下婢に迄及ぶ時に初めて基督教的家庭が出来上るのである、更らに之れを国家社会の事に及ぼして亦同様である、毎年幾百万部の聖書を読む国民にして初めて潔く高き気風を作成する事が出来る、故に高等批評学者と雖も種々なる批評を加へ尽して最後に一言を附加せざるを得ないのである、曰く「斯く言ふと雖も聖書の聖書たる価値は少しも減ぜざるなり」と、彼等が此一言を加へずして已む能はざるは即ち聖書が個人と家庭と国家との生命の源たる事実を認めざるを得ないからである。
 聖書は実に生命の水である、此処に根を入れて其霊を養ふ者は流の畔に植えし樹の如く何時迄も萎まないので(377)ある、試に青年中毎日聖書を読む者と之を嘲る者との三十年後の状態を比較せよ、前者は齢進めども心愈々若く生気溌剌として常に新なる希望を抱くのである、之に反して後者は如何、其事業は成功するであらう、爵位と財産とには富むであらう、然れども彼の顔を見よ、「其面色皆青く変れるを見る」(ヱレミヤ記三十章六節) 彼の前途は黯然として暗いのである、聖書に親む者は然らず、米国の有名なる聖書学者スコフィールド氏今より数年前彼が齢七十五六の頃預言大会に出席して語つて曰うた「兄弟よ、余は最早や八十歳に近づきたるも未だ曾て一度も死に就て考へし事なし」と、キリストの言は誠に生命のパンである、之を食うて人はまた死を思はざるに至るのである。
 而して聖書は其一言一句の中に人の全生涯を一変するの力がある、「聖書は世界を変化せしめたる書なり」といふ、然り聖書は先づ個人の生涯を変化せしめて然る後全世界を感化するのである、個人の生涯中聖書の一句に由て支へらるゝの危機がある、其時若し其聖書の一句なかりせば彼は倒るゝの外ないのである、ルーテルにも此経験があつた、一人にして全世界を感化したる者にしてイエスキリストとパウロとに次ぐ者は蓋しルーテルであらう、彼あるに由て近世の文明世界は一変したのである、而して彼の生涯を感化したる者は何ぞ、羅馬書一章十七節後半の一句である、曰く「義人は信仰に由て生くべし」と、ラテン語にて唯四語に過ぎない、(Justus exfide vivet) 而も此一句が彼の伊太利旅行中或時彼の胸に臨みてマルチン・ルーテルの生涯は一変したのである、彼は能く其年と月と日と時とを記憶して居つた、其時より万物悉く彼に取て新になつたのである、宗教革命とは他なし、ボロニアの寺院の一夜ルーテルの胸に臨みし聖書の一句の力である。
 欧洲の思想を変ぜしものにしてアウガスチンの如きはない、ルーテルも彼に負ふ所深大であつた、現代の哲学(378)者オイケンは彼の為に特に一書を著はして居る、而して彼れアウガスチンを感化したるものも亦聖書の一句であつた、彼れ卅一歳にして尚放蕩の生活を続けたる時或日羅馬書十三章十三節以下を読みて卒然其生涯が一変したのである、此一句とアウガスチンの関係を除いて世界の宗教歴史を語る事は出来ない。
 顧みれば余の生涯にも亦重大なる危機があつた、其時何かの助けが来らざりしならば狂か自殺か余は到底起つ事が出来なかつたのである、其一日或は一時間は余の生涯中最も重大なる時であつた、余は恰も懸崖の一端に立つたのである、自ら如何ともする能はず、又之を何人にも謀る能はず、余は宣教師ハリス氏(今の監督)を訪ねて、山に入らんと欲する旨を告げた、彼は之を賛し余に許すに其蔵書中の二三を抜いて携ふる事を以てした、余は熊谷までの汽車に投じ北に向て進んだ、車中其一冊を繙き読んだ、然るに見よ或る頁の一端に記されし聖書の一句を、
  かるが故に我れ彼女を誘ひて荒野に導き至り其処にて慰安の言を彼女の耳に囁かん
と(ホゼア書二章十四節) 足れり! 此一言を解せんが為に、此恵みを受けんが為に、神は余を荒野に導き給うたのである、其処にて神は余の耳に慰安の言を囁き給ふのである、然り荒野は余が神より慰めらるべき場所であつたのである、神若し余を薔薇の花匂ふ楽園に置き給ひしならば余は決して此恵みに与るを得なかつたであらう、爾来余の荒野の生涯は十年又十五年間うち続いた、余は此事を深く神に感謝する、余が今に至り余の許に来りて苦痛を訴ふる多くの人を慰め得る所以は余自身が荒野に於て神より慰められたるの経験を有するからである、余は此聖書の一句を永遠に忘るゝ事が出来ない。
 其他或は「神は愛なり」といふが如き基督者に取て平凡といへば最も平凡なる言である、然しながら或る特別(379)の時此一言が人の心に臨みて如何に大なる事を為した乎、殊に此言が聖書の原語を以て響く時其意味最も深長である、「神」「愛」之れ何れも宇宙大の思想である、然し尚ほ第三語に注意せよ、曰く「なり」と、希臘文にありては「なり」(estin)の一語は之を附加すると否とに由て非常なる相違である、即ち自己の確信を注ぎ全心全力を籠めて断言する時に彼等は此一語を附加するのである、「神は愛なり」、然り確に愛なり、愛ならざるべからずと、故に最後の一句殊に大切である、之を除くべからずである、神は愛ならずんばあるべからずと権威を以て聖書は語るのである。
 英国の或る貴婦人が一年の中五人の子を失つた、子の死は一人にして既に沢山である、何を忘るとも是れ丈は忘れる事が出来ない、復活の朝先づ第一に遇ひたきは誰である乎、失ひし我子である、然るに此婦人は五人の子を失うたのである、斯かる時に悪魔は乗じて人を神より離れしめんとする、然れども此婦人は曰うた、「其れにも拘はらず尚ほ神は愛なり」と、此語を発し得たる彼女は聖書を全く神の言として読みたる信者である。
 聖書は実に神の言である、而して其れには以上の如き深き理由があるのである、知らず聖書を嘲り再臨を斥くる者に何程の理由がある乎、近日の東京朝日新聞は米国華府に於けるベルグソンの談話を伝へて曰ふ「キリスト再臨の如きは之を信ずる能はず」と、ベルグソンは実に鋭敏なる分析力を有する現代の大哲学者である、然しながら惜むらくは彼の著書中ナザレのイエスに対する尊敬を認むる事が出来ない、今より三四十年前にありてはスペンサーの哲学に謀反するは学界に謀反するが如くに思はれた、然るに現今何人が彼の哲学を読む乎、ミル、ベンサム等亦今は棄てゝ顧みられず、而して彼等を塵埃の中に埋めたる後彼等に嘲けられし聖書は独り不変の力を以て世界の人類に永生の望を賦与しつゝある、然らばベルグソン何ぞ恐れん、オイケン何ぞ恐れん、ニーチエ(380)何ぞ恐れん、十年の後彼等は悉く壇上より一蹴せられて聖書のみが依然として存続するであらう、嘗て聖書を神の言に非ずと言ひし学者ありて一時地の崩るゝ如き動揺を与へたる時聖書学者ベンゲルは叫んで曰うた「兄弟よ、安心して飲め、之れこそは永遠に尽きざる生命の水なれ」と、今や聖書の権威再び疑はれんとする時に当り余輩亦曰ふ「兄弟よ、安心せよ、聖書は全部神の言なり」と、而して惟りベンゲルに止まらず最も深く聖書を解したる人はすべて聖書無謬信者であつた、聖書有謬説を以てして世界は動かない、其最も良き証拠は今の基督教界の状態である。
 
(381)     イエスの政治観と経済観
                         大正7年11月10日
                         『聖書之研究』220号
                         署名なし
 
 イエスの政治観とは何ぞ、曰く「カイザルの物はカイザルに帰し(納め)また神の物は神に帰すべし」と(マタイ廿二章廿一)、彼の経済観とは何ぞ、曰く「何を食ひ何を飲み何を衣んとて思ひ煩ふ勿れ……汝等先づ神の国と其義とを求めよ然らば此等のものは皆汝等に加へらるべし」と(同六章三一節以下)、又曰く「戒心《こゝろ》して貪心《たんしん》を慎めよ、それ人の生命は所有《もちもの》の饒《ゆたか》なるには因らざるなり」と(ルカ十二章十五節)、パウロ亦之に加へて曰ふた「財を慕ふは諸の悪事の根なり、或人之を慕ひ迷ひて信仰の道を離れ多くの苦痛をもて自から己を刺《させ》り」と(テモテ前六章十節)、猶は此外に路加伝十六章九節、同十二章十六節以下廿一節までを見るべし、イエスの経済観は之を知るに難からず、現代の経済学なる者は悉くイエスの教示に戻《もど》る、イエスは生存競争を説かず、富国強兵を語らず、彼は明かに「人の生命は其所有の饒なるに因らず」と言ひて富の多少に由りて国と人との価値を定むる現代の社会組織に反対す、イエスの教訓其儘を恪守して現代の国家も教会も直に毀《くづ》れて了ふのである。(十月廿三日日誌参考)
 
(382)     CHRISTMAS 1918.一九一八年のクリスマス
                         大正7年12月10日
                         『聖書之研究』221号
                         署名なし
 
      CHRISTMAS 1918.
 
 “Peace on earth”;yes,but not now. Peace there is not yet on earth;what there is is not peace, but cessation of war,and that from exhaustion.Peace is the fruit of free active love,and peace there is only when Love Himself cometh to earth to reign. To Christians who love His appearing,Christmasis not retrospect,but prospect;not memorial,but hope. Peace has not come already,but it is coming;and a semblance of peace whicb mankind has bought at enormous cost to itself,is a promise,faint though it be,of the true everlasting peace which is coming with the coming of the Prince of Peace.Maran atha is our cry,now as always,―― till He cometh.
 
     一九一八年のクリスマス
 
 「地には平和」と云ふ、然り、然れども今は無い、平和は未だ地には無い、有るものは平和では無い、疲弊の結果止むを得ずして来りし戦争の終熄である、真個の平和は自発的にして活動的なる愛の結果である、故に愛の(383)神彼れ御自身が統治めんが為に地に臨り給ふ時に於てのみ初めて有るものである、故に彼の顕はるゝ事を愛する基督者に取りては聖誕説は回顧ではない待望である、紀年ではない希望である、平和は既に来たのではない、今来つゝあるのである、今や人類が莫大の代価を払ひて贏ち得し平和と称する者は平和の真似事である、平和の君主《きみ》の臨り給ふと同時に来らんとしつゝある所の真個永久の平和の微弱なる予兆に過ぎない、マランアタ(主臨らん)と我等は今猶ほ叫ぶ、而して我等は彼れ臨り給ふ時まで此叫びを続ける(哥林多前書十六章廿二節)。
 
(384)     基督再臨を信ずるより来りし余の思想上の変化
                         大正7年12月10日
                         『聖書之研究』221号
                         署名 内村鑑三
 
〇余の生涯に三度大変化が臨んだ、其第一回は余が基督教に由て始めて独一無二の神を認めた時であつた、其時余の迷信は根から絶たれた、熊野、八幡、大神宮と八百万の神々を懼れ且つ拝み来りし余は其時天地万物の造主を唯一の神と認め、茲に余の思想は統一せられ、混乱せる万物は完備せる宇宙と化し、余は迷信の域を去りて科学の人となつた、而して是は今より四十一年前の事であつた。
〇其第二回は余がキリストの十字架に於て余の罪の贖を認めし時であつた、其時余の心の煩悶は止んだ、如何にして神の前に義からんとて悶え因みし余は「仰ぎ瞻よ唯信ぜよ」と教へられて余の心の重荷は一時に落ちた、余は其時軽き人となつた、余は其時道徳家たるを止めて信仰家となつた、余は余の義を余の心の中に於て見ずして之を十字架上のキリストに於て見た、而して是れ今より三十二年前であつてアマスト大学の寄宿舎に貧と懐疑とを相手に闘ひつゝありし時であつた。
〇而して其第三回は過去一年間の事であつた、余はキリストの再臨を確信するを得て余の生産に大革命の臨みし事を認むる、是れ確に余の生涯に新時期を劃する大事件である、此事に就き余は「視よすべての事新らしく成れり」と云ふ事が出来る、茲に余は旧き世界を去りて新しき世界に入りし感がする、余の宇宙は拡り、余の前途は(385)展け、新たなる能は加はり、眼は瞭になり、余の生涯の万事が一新せしを感ずる、実に余の短き生涯に於て記憶すべきは明治十一年と、一八八六年と(余は西洋暦にて之を記憶する)と、大正七年とである、幸福なる哉余の生涯も亦向上のそれであつて退歩のそれでなかりし事や、今や茲に記憶第三の年を送らんとして余に言ひ難きの感謝なき能はずである。
〇|キリストの再臨〔付○圏点〕、言葉は至て簡単である、然し乍ら其意味は深遠である、其元理は根本的である、キリストの再臨は其一面は万物の復興である、又宇宙の改造である、又聖徒の復活である、又正義の勝利である、又最終の裁判である、又神政の実現である、人類のすべての希望を総括したる者、それがキリストの再臨である、故に此事が解つてすべてが解るのである、其反対に此事が解らずしてすべてが不明である、実に之を真理の中心と称して誤らないのである、聖書が此事に特に注意を払ふは当然である、そは是れ万物の帰する所、万事の究極であるからである。
〇|再臨を信ずるに由て余は初めて聖書が解し易き書となつた〔付○圏点〕、四十余年間読み続けし聖書を解するの鍵《キー》を賜はりて余は最大の賚賜《たまもの》を賜はりたるのである、聖書を解するは神を解し、天然を解し、人生を解し、自己を解する事である、故に人類は全身全力を竭《つく》して此書を解せんと努めつゝあるのである、聖書一冊を解せんが為に大学校は建られ、講座は設けられ、世界最大の智識は傾注せらる、然かも解する事が出来ないのである、カイムの耶蘇伝、バウル、プフライデレルの保羅伝、B・※[ワに濁点]イスの基督伝、バイシュラーグの新約聖書神学、其他サバチエー、ダイズマン、フォン・ゾーデン、ダールマンと、嗚呼余も亦全身全力を尽して是等大家の著書を渉猟して聖書を解し得んとしたのである、然るに終に解し得なかつた、否な懐疑は更に懐疑を増した、聖書は益々暗き書となつた、(386)何故に然る乎、|余が聖書の言其儘を信じ得なかつたからである〔ゴシック〕、信ずべき事を信ぜずして之を天然人生普通の実見を以て解釈せんと試みたからである、奇蹟は有つた事、イエスの肉体の復活は有つた事、其昇天は有つた事、而して彼の再臨も亦有るべき事と信じて聖書は解するに至て易き書となるのである、聖書の解し難きは其言語や地理や博物や歴史に於て有るのではない、吾人の実見に超越する神の啓示に於て有るのである、而して啓示を啓示なりに信ずるを得て、聖書は子が父の親書を解するが如くに解し易き書となるのである、キリスト再び臨り給ふと、文字通りに其事を信じて之を解するに何の困難は無いのである、之を時代的思想といへばこそ解釈の困難が起るのである、之を猶太的迷信といへばこそ説明の必要が生ずるのである、|再臨は文字通り再臨である、第二回の降臨である〔付○圏点〕、|連続的霊的臨在ではない〔付△圏点〕、白は白、黒は黒、聖書を謎として解せず之を普通の書を解するが如くに解して之を解するに何の困難もないのである、然り余が今日まで聖書全部を明白に解し得ざりしは余の語学が不足であつたからではない、|余に信仰が不足したからである〔付ゴマ点〕、幸にして神を信じ、キリストを神の子と信じ、彼の贖罪を信じ、復活を信じ、昇天を信じ得しと雖も彼の再臨に就ては之を文字通りに信ずるを得ざりしが故に聖書の重要部分が鏡をもて見るが如く只僅に昏然《おぼろ》に見えたのである、再臨信受以前の聖書は余に取りては半解の書たるに過ぎなかつた、故に其全部を楽み得なかつた、従て余の聖書欲は熾烈であつたと云ふ事が出来ない、余は四十年間聖書に縋り来りしと雖も(神の恩恵に由り)今日の如くに之を賞味し得なかつた、実に再臨の光を以て観て聖書は全然別の書となるのである、是れ惟り余の実験ではない、多くの人の実験である、再臨を信ぜずとも聖書を味ふ事が出来る、然れど聖書全部を味ふ事が出来ない、其真味を味ふ事が出来ない、「ダビデの子にしてアブラハムの子なるイエスキリスト」とある新約聖書劈頭の言に再臨の預言の籠るを見る、又「アーメン主イエ(387)スよ来り給へ」との言を以て終るを見て新約は再臨の預言を以て始まり其の待望を以て終るの書なるを知る、嗚呼余は終に聖書を解し得て余の生涯を終り得るを知て神に感謝する、幾囘か不可解の書として之を抛棄せんとせし此世界の書、|人類の書が終に可解の書として余の手に在るを見ては余の感謝と歓喜とは譬ふるに物なしである〔付○圏点〕、余は今や実に誠にルーテルの如くに「我が書」として聖書を懐くことが出来る、余はキリストの再臨を信ずる、故に聖書全部を神の言として受取る事が出来る。
〇|余はキリストの再臨が〔付○圏点〕解|つて人生が解つた〔付○圏点〕、人生の意味の解決の茲にある事が解つた、正義は最後の勝利であると云ふ、真に爾うである、「我れ速に至らん必ず報応《むくい》あり、各人の行ふ所に循ひて之に報ゆべし」と主は言ひ給ふた(黙示録二二章一二) 此世に在りては正義は勝つが如くに見えて勝たない、正義が勝ちしと思ふは束の間である、正義の背後に不義が居て正義の勝利は不義を行ふ機会として利用せらる、大統領リンコルン南北戦争を終へ奴隷制度に最後の止を刺して後に歎じて曰ふた「南北戦争は終つた、然し今より更らに大なる貧富の戦争は始まらんとしつゝある、黒人対白人の奴隷は廃んだ、然し貧者対富者の奴隷は今より益々甚しからんとす」と、今より四十八年前に独逸が仏国に勝ちし時に英米両国の民は欣喜して言ふた「新教国終に旧教国に勝てり」と、然るに其の同じ独逸が戦争勝利の元理たる軍国主義を発揮して世界の平和を危うせんとせしや英米二国は前に敗れし仏国に与して勝ちし独逸を潰して今や万歳を叫びつゝあるのである、而して軍国主義の独逸が斃れたりと言ひて世界は狂喜しつゝある間に米国は世界最大の海軍建造を議決して万国の耳目を驚かしつゝある、如斯くにして真の平和は何時地上に臨むのである乎、世界平和の擁護者を以て自ら任ずる米国ほど殺人罪の盛んに行はるゝ国はない、米国は世界最大の飲酒国又喫煙国である、他は推して知るべしである、人類は年と共に進歩すると云(388)ふは皮相の観察に過ぎない、道徳の事、信仰の事、然り人道の事に於ては人類はたしかに年と共に退歩しつゝある、如斯にして人生は今猶ほ大なる謎である、深く人生を味ひて誠実の人は何人も失望せざるを得ない、然し乍ら是れ人生を見るからの事である、人を見ずして神を見、人生を見ずして聖書を読む時に此失望は失《うす》るのである、「人の子己れの栄光をもて諸の聖使を率ゐ来る時はその栄光の位に坐し云々」とあるを読みて総の疑問《うたがひ》は解けるのである(馬太伝廿五章三十一節以下) 実にパウロの言ひしが如く「主の来らん時未だ至らざる間は審判する勿れ」である(哥林多前四章五節)、其時万事は決定るのである、其時正義は実に勝ち、平和は実に臨み、愛は実に人類の法則となるのである、「主の来らん時」其時である、其時に万事が判明するのである、福なる哉其日其時、其時の必ず来るを知りて人生に関はるすべての懐疑は余の心より除かれたのである、今や人類は如何に堕落しやうが、教会は如何に腐敗しやうが、偽善は如何に跋扈しやうが、不義が如何に横行しやうが余は失望しない、「我れ速かに至らん、必ず報応あり、各人の行ふ所に循ひて之に報ゆべし」と主イエスキリストは言ひ給ふ、余は彼の言を其儘に信ずる、それで充分である、人生の雲は今は霽れて万事は明白である、今は懼れず弛まず彼の命に従ひ事の成敗に頓着《とんちやく》せずして進む計りである、感謝である、実に感謝である。
〇|余はキリストの再臨を信じて死の悲痛を根本的に癒された〔付○圏点〕、テサロニケ前書四章十三節以下の言を文字通りに信ずるを得て死は信者に臨む一時的の出来事なることが判明り言ひ尽されぬ慰藉を感ずる、余と余の愛する者との未来は朦朧曖昧たるものではない、確然《はつきり》としたる者である、「それ主自ら天より降らん時、キリストに在りて死し者先に甦へり、後に活きて存る我等彼等と偕に雲に携へられ空中に於て主に遇ふべし、斯くて我等いつまでも主と偕に居らん」、聖書の此言を文字通りに信ずるを得て死は無《なき》に等きものとなるのである(再臨、復活、携拳、(389)再会、永生、……安心立命とは此事を謂ふのである、此の確実なる信仰なくして宗教は有つて無きが如きものである、嗚呼未来は暗黒ではない光明である、再会は疑問ではない確実である、我が祈祷が聴かれずして我より※[手偏+宛]取れし我が愛する者、我は彼等を永久に失ふたのではない、再会の日は定められたのである、其時のラプチュア(忘我的歓喜)、之を思ひて再臨の日が待たるゝのである、若し之が迷妄であると云ふならば詩も歌も美術も宗教も、美と云ふ美、善と云ふ善はないのである、聖書に「神の己れを愛する者の為に備へ給ひしものは目未だ見ず耳未だ聞ず人の心未だ念ざる者なり」とあるは斯の事を言ふのであると思ふ(イザヤ書六四章四節哥林多前二章九節)。
〇|再臨が解つて余は天然が解つた〔付○圏点〕、余は今日まで天然を愛して実は之を賤めたのである、物と云ひ肉と云へば賤しき者と思ひ之に超越し之を脱却するのが霊的生命の目的であると思ふた、余は余の愛する此地此天然と永久に別れて然る後に完全なる霊的生命に入るのであると思ふた、然し是れ大なる誤謬である、生命は霊と肉とであり、宇宙は天と地とである、余の救はるゝは余の霊と共に肉の救はるゝことであつて、又余の救は宇宙の完成と共に行はるゝものである、余は肉を離れ地より挙げられて救はるゝのではない、新らしき朽ざる体を与へられて新らしき大地に置かれて救はるゝのである、故に余の救は万物の完成と同時に行はるゝのである、其事を最も明白に教ふるものは羅馬書八章十八節以下に於けるパウロの言である、「受造物の切なる望は神の子等の顕はれん事なり」と云ふ、神の子等(信者)が自己の救はれん事を切望するが如くに天然も亦彼等(神の子等)の顕はれん事、即ち贖はれし霊が之に応ふ朽ざる体を以て顕はれん事を待望むのである、斯くて神の子等と天然とは其希望を共にし目的を共にするのである、「又受造物自ら敗壊《やぶれ》の奴《しもべ》たることを脱《のが》れ神の子等の栄の自由に入らんことを許(390)されんとの望を有《もた》されたり」とある、天然は今や「敗壊の奴」である、草は枯れ其花は落つと云ふ状態に於て在、然し乍ら是れ其定められし運命ではない、天然も亦神の子等の享くべき栄の自由に入るべきものである、不朽の生命は人を待つが如くに亦地をも待つのである、又言ふ「聖霊の初めて結べる実を有る我等も自ら心の中に歎きて(神の)子と成らんこと即ち我等の身体の救はれんことを俟つ」と、天地万物が信者が神の子として顕はれんことを切望するが如くに信者も亦其|身体〔付◎圏点〕が救はれてすべての受造物と共に不朽の生命に入らんことを俟つと云ふ、人と天然との間に切ても切れぬ関係がある、一は他を離れて栄の自由に入ることが出来ない、地は天に応ひ、肉は霊に応ひ、而して完成されたる人が完成されたる地を占領して而して後に初めて神が人を造りて之を地に置き給ひし其目的が達せらるゝのであると云ふ、偉大なる哉此天然観、此救拯観、信仰も茲に至て其絶頂に達するのである、実にキリストの十字架は単に罪人を救ふが為のものではない、是れ又天地万物を完成せんが為のものである、曰く「聖父《ちゝ》すべての徳を以て彼に満しめ、其十字架の血に由りて平和をなし、|万物即ち地上に在る者天に在る者をして彼に由りて己れに〔付○圏点〕和が|しむる事は是れその聖旨に適ふ事なり〔付○圏点〕」と(コロサイ書一章二十節)、キリストの十字架の血に由りて我も救はれ天然も救はると云ふ、曾て敬虔なる動物学者ルイ・アガシが彼が動物を切愛するの結果として動物の永久存在説を唱へて同学の徒の嗤笑《わらひ》を招いた事があるが然し是れ聖書的根拠の無い事ではない、動物の救と人間のそれとの間に或る明白なる相違はあらう、前者は多分種族的に救はるゝのであつて後者は個人的に救はるゝのであらう、然し乍ら十字架の血が其恩沢を動物植物其他万物に及ぼす事は確実である、天然も亦今日の儘にて終るものではない、「神の子等の栄の自由」に入るべく定められたる者である、詩人ゲーテは曰ふた「余は天然を見てその牢獄に捕はれたる囚人の如き者なるを観る」と、其の如何にして解放さるべ(391)き乎は詩人の知らざる所であつた、然し乍ら聖書は明かに解放の時と途とを示すのである、キリスト再臨の時に信者の救と共に此事が行はるゝのである、偉観此上なしである。
〇キリスト再臨の信仰は聖書を新しき活きたる書として余に与へた、余の為に人生の謎を解き死の悲痛を除いた、余と天然とを永久に結び、余をして贖はれし身体を以て完成うせられし天地に不朽の生命を享くるの希望を懐かしめた、是れ余に取りてはたしかに思想上の最大変化である、神は最も旨き酒を最後に余に与へ給ふた、余はすべての人が此の旨酒《うまさけ》を飲まん事を欲する、余は之を彼等に勧めざるを得ない、ハレルヤ!
 
(392)     詩篇第一篇の研究
         (十月廿日)
                         大正7年12月10日
                         『聖書之研究』221号
                         署名 内村鑑三 述
 
  幸福なるかな、悪者《あしきもの》の謀略《はかりごと》に歩まず、罪人の途に立たず 嘲ける者の座にすわらざる者は。
  彼はヱホバの法《のり》を悦び、日《ひる》も夜もこれを思念ふ。
  斯かる人は水流《みづのながれ》のほとりに植ゑし樹の如く、期《とき》に至りて其実を結び、其葉も亦凋むことなし、其作すところ皆栄えん。
  悪人は然らず、風の吹き去る粃糠《もみがら》の如し。
  然れば悪者は審判に堪へず、罪人は義人の会合《つどひ》に立つことを得ず。
  ヱホバは義者の途を知り給ふ、されど悪者の途は滅びん。
 「三根《みこ》の縄は容易く断《き》れざるなり」(伝道之書四の十二)、聖書は三根の縄である、歴史(過去)と実験(現在)と預言(未来)との三筋の糸を以て綯はれし縄である、故に聖書の註解は常に此三方面よりしなければならない、聖書は第一に之を歴史的に研究すべきである、第二に之を実験的に信者の日々の霊的生涯に適用して解すべきである、第三に之を未来の預言として観察すべきである、三者其一に偏せん乎、或は我等の心霊の要求に触れず或は(393)事実を無視し或は迷信に陥ゐるであらう、然れども歴史実験預言の三方面を具備して始めて聖書の真理を誤まらず看取する事が出来る。
 詩篇は其第三篇以下には皆明白に歴史を附記せるも第一第二の両篇には之を欠いて居る、茲に於てか学者は之に就て種々なる説を唱ふるのである、或人は曰ふ是れダビデが其初めの詩集五十篇の序文として記したるものならんと、又或人は曰ふソロモンが其父に対する尊敬を表せんが為め之を作りしならんと、又或人(例へばチーネ博士の如き)は曰ふダビデ又はソロモンより遥か後世に至りエヅラがダビデ全集の序文として添付したるならんと、之等の諸説は何れも確実なる根拠を有せざるものである、然しながら一事は明白である、即ち詩篇第一第二の両篇は詩篇全部又は其初の五十篇に対する序文として見られ得べきものなる事之れである、此両篇は詩篇を総括したるものにしてヱホバの律法と約束とを讃へたるイスラエルの信仰的実験の記録である。
 「幸福なるかな」、此語は原文に従ひ之を劈頭に訳出すべきである、斯の如き語法は或は日本語の文法に逆うであらう、然しながら聖書は神の真理を表はさんが為に文法を破壊するのである、詩人が詩百五十篇の第一鍵を打つ時|鏗爾《かうじ》として響き出づるは即ち「幸福なる哉」である、音楽家の技倆は其の力を籠めて叩く第一鍵の音響如何に由て略々之を察する事が出来る、福音の第一声は「幸福なる哉」である、「恵まれたる哉」である、山上之垂訓も亦さうであつた、「幸福なる哉心の貧しき者は」と、美はしき語である、恵まれたる者は誰ぞ、神に愛せらるゝものは何人ぞ、之を明かにするものが即ち福音である。
 「悪しき者の謀に歩まず罪人の途に立たず嘲ける者の座に坐《すわ》らざる者」、恵まれたる者は誰ぞと言ひて詩人は先づ消極的に之に答へたのである、聖書に於て悪者又は罪人に対する者は|善人〔付○圏点〕に非ずして義人〔付◎圏点〕である、善人の(394)語に堕落し易き意味がある、義人とは唯に人に対して義を行ふのみならず神の律法を守り神の心を我心とする人である、更に新約に入りては神と義しき関係に入りたる人即ち神に義とせられたる人である、而して|彼は先づ第一に罪を拒絶する者である〔付△圏点〕、初めに罪を拒絶して然る後に恩恵は臨む、先づ悪と絶たずして義人たる事は出来ない、恵まれたる者は何よりも先に罪を自覚し之と絶縁したる者である、|かの所謂広量大度と称して悪者と事を共にする者の如きは神の恩恵に与る能はざる者である〔付△圏点〕。
 「悪者」「罪人」「嘲者」といひ、「謀」「途」「座」といひ、「歩まず」「立たず」「坐らず」といふ、何れも同じ事の繰返しに非ずして三段の進歩を表はすのである、「悪者」とは英語にて the wicked 又は tbe ungodly 即ち獰悪又は無神論者等の意であつて凡てヱホバの心に逆ひ我心を行はんとする人の総称である、「罪人」とは罪を習慣性として犯す人である、「嘲者」とは更に進んで神、正義等に対して公然反対を試むる者である、又「謀」は説或は思想である、「途」は行である、「座」は之を確執する事である、而して之等の区別に応じて動詞にも亦三段の進歩がある、先づ悪者の説に聴きて「歩み」、次に興味を以て其前に「立ち」、終に其座に「坐り」込むに至る、悪魔の人を誘ふ径路を示して遭憾なしである、不良少年の堕落の順序も亦之である、罪は初より直に我等を捕ふるものではない、其の接近し来るや先づ香《にほひ》を以て之を覚る事が出来る、而して罪と絶つべきは実に此時である、悪者の謀に歩まず従て罪人の途に立たず嘲ける者の座に坐らざる者のみが神に恵まれたる幸福なる人である。
 「彼はヱホバの法を悦び日も夜も之を思ふ」、之れ義人の積極的半面である、大和言葉にてヱホバの「のり」と言ひて其意義の弛緩を感ぜざるを得ない、希伯来語の「トラー」は法律である訓誡である、ヱホバの律法又は神(395)の教全体である、故に又之を聖書の意に解する事が出来る。義人は唯に律法又は聖書を畏み之を重んずるのみならず|之を悦び楽み〔付ゴマ点〕日も夜も之を思ふ者である、律法を重荷と感ずる者は誰である乎、其裡に我等の罪の赦さるべき途が備へられてあるではない乎、如何なる書か羅馬書第三章又は第八章等に勝りて我等の心の深き所に訴ふるものがある乎、神の言を正しく解する者に取りては聖書こそ最も悦ぷべき宝である、彼は昼も夜も之を思ひ死ぬるも生きるも之を思はざるを得ない、恰も商人の行住坐臥たゞ金を思ひ政治家の造次顛沛にも政権を思ふが如くである、聖書は義人の全精神を惹くの力を有する者である。
 「斯る人は水の流のほとりに植えし樹の如く」、我国の如く水多き土地にありては樹の繁茂するが為め特に水流を要せざるもエジプト、パレスチナ南部又はアラビヤ等に於て樹と称すべきものは水流のほとりに植えらるゝ棕櫚である(かのエリコの町を称して棕櫚の町と言ふが如し)、而して生命の水に根ざせる義人を譬ふるに最も適当なるものは此棕櫚の木である。
 「期に至りて其実を結び」、神の言を悦び昼も夜も之に親しむ者は屡々隠退的信仰を以て謗らる、然れども見よ 時至れば神の言は彼等を動かして実を結ばしめるのである、|聖書は人をして活動的ならしむ〔付○圏点〕、聖書に親しみて人は福音の為に叫ばざらんと欲するも能はないのである、十字架の福音は個人を動かし家庭を動かし社会を動かし全人類を動かす、近世の大法理学者ジエームス・マッキントッシ曰く「過去四百年間の世界を改善したるものは人は信仰に由て義とせらるとの福音である」と、然り社会を改善するの力にして神の言に勝るものはないのである、かの徒らに実行々々と叫び改良々々と高唱して神の言を軽んじ十字架又は再臨等を嘲る教会が最も実を結ばざる腐敗したる教会である、之に反して最も善行に富む者は誰ぞ、単純に神の言を信じ之を悦び之を楽み昼も夜(396)も之を思ふ信者ではない乎、故に先づ聖書を与へよ、然らば聖書が個人を救ひ社会を救ひ国家を救ふであらう。「其葉も亦凋むことなし」、既に実を結ぶと言へば足る、何故葉にまで言及するのである乎、之れ或は意味なき詩人の言である乎、否な思想の簡潔なる発表にして聖書の言の如きはない、聖書には一の贅語をも存しないのである、故に葉も亦凋まずと言ひて決して無意義ではない、葉は樹の外観である、水流のほとりに植えし樹の唯に実を結ぶのみならず其葉も亦常に光沢を帯びて若々しきが如く神の言を悦び昼も夜も之を思ふ人はいつ迄も老ゆる事を知らないのである、頽齢六七十にして尚ほ青春の溌剌たる生気を失はず歓喜に充ちて生活するのである。「其作すところ皆栄えん」、人は曰ふ聖書のみに親むが如き者は失敗せんと、然れども聖書は曰ふ「斯る人は成功せん」と、何れが果して真である乎、乞ふ事実をして之を証明せしめよ、古来世界を動かしたる者にして十字架につけられたるイエスキリストの如きはない、ナポレオン其晩年に及び歎じて曰く「今や余の為めに死せんとする者一人もあるなし、然るにナザレのイエスの為には尚ほ幾千万の人が其生命を献ぐるのである」と。
 「悪しき人は然らず、風の吹き去る粃糠の如し」、ユダヤにありては穀倉《こめぐら》を風当り良き高地に造り其所にて箕を以て粃糠を除く、而して粃糠は強風吹き来れば忽ち散乱して跡を止めざるに至る、神の言に従はざる人は正に其如くである、彼等は暫く得意の境に在りと雖も一朝例へば経済界の大風吹き寄せん乎、忽焉として転覆するを免れないのである、之れ多くの人の自ら実験して知る処である。
 「されば悪者は審判に堪へず、罪人は義人の会合に立つ事を得ず」、神は常に審判を下し給ふ、今回の戦争の如きも確かに神の大審判の一である。而して神の言に其根を卸して深く生命の水を味ふ者は仮令大なる審判に遭遇し涙を流して悲む事ありと雖も更に新なる希望を獲得するに反し、悪者に取ては審判即ち最後である、彼等は倒(397)れてまた起つ事が出来ない、彼等は又義しき人の会合に立つ事が出来ない、其処に言ふべからざる不調和を感じ之に堪へずして自ら退去するのである。
 然しながら此処に謂ふ「審判」とは果して何である乎、英語にて the を冠する審判である、即ち或る|特別の審判最後の審判である〔付○圏点〕、凡ての人の検《ため》さるべき其審判である、悪者は或は此世の審判に堪ふるであらう、然れども最後の審判には堪ふる事が出来ない、又其時義人の会合の中に立つ事が出来ない、人生何の不幸か之に勝らんやである。
 「ヱホバは義者の途を知り給ふ、されど悪者の途は滅びん」、「知る」と言ひて単に上よりて見て之を知り給ふのみではない、其途を助け之を支へ之を成功せしめ給ふの意である、義者は決してヱホバの助けを失はない、然れども悪者は自ら神に反く、故に其途は滅亡の他にない。
 詩篇第一篇の此短き六節の間に義人と悪者との区別は最も明白に教へらる、永遠の智者より出づるに非ずんば到底此意味深長の言を作す事は出来ない、恰も街路に横はる一片の石魂の取りて之を砕き顕微鏡下に之を照す時は其中に大学者の一生の研究に値すべき真理を含むが如くである、神の造りしものは小なりと雖もみな永遠の真理を含むのである。
 
(398)     詩篇第十九篇の研究
         (十月二十七日及び十一月三日に亘り)
                         大正7年12月10日
                         『聖書之研究』221号
                         署名 内村鑑三 述
 
〇詩篇第十九篇は同第二十三篇と共に牧羊者の歌たること明白である、我国にありては牧羊者の生涯を知る事困難なるも彼等は夜々人なき山中にたゞ羊を友として宿り天を仰ぎつゝ黙想に耽るのである、殊にシリア地方に於ては大気澄徹天空晴明の季節甚だ長きが故に蒼窄を窺ふに最も適当である、されば「ヱホバはわが牧者なり云々」と歌ひし詩人が「諸の天は神の栄光を顕はし穹蒼《おほぞら》は其手の工《わざ》を示す」と謳うて少しも不思議はない、後年ベテレヘムの空に天軍現はれ天使と共に神を讃美して「天上には栄光神にあれ云々」と歌ひし時最も早 其声を聴きし者も亦「野に居りて夜間其群を守り」たる牧羊者であつた、詩篇の作者に就て明白ならざるもの少からずと雖も第十九篇が牧羊者ダビデの歌たる事は疑を容れないのである。
〇詩篇十九篇の前半は天然を歌ひ後半は神の律法を歌ふ、故に此詩は同じ詩人の口より出でたるものに非ずして二箇の詩を接合したるなりと言ふ者がある、然しながら之れ学者の机上の論である、天然と律法とは共に決して矛盾するものでない、其最も良き証明は哲学者カントの墓碑に刻まれし彼の有名なる言である、曰く「我が頭上には列星の閃くあり、我が心中には道徳の輝くあり」と、知るべし蒼穹の諸星と胸裏の律法とは均しく我を導く(399)同一の威力なる事を、道徳哲学者カント之を歌ひ牧羊詩人ダビデ亦之を歌ふ、天然と律法とは決して別物ではない。
〇「諸の天は神の栄光を顕はし穹蒼は其手の工を示す」、夜の歌である、「諸の天」とは天体の全部星座の一切を指す、牧羊者は澄み亘りし穹蒼を仰いで歎じて曰うたのである「天界全体が神の栄光を顧はし大空に輝く森羅万象が其みわざを示す」と、誠に天に顕はれたる神の聖業を知るは造化の偉大と我等の生涯の微小とを学ぶ為めに最も必要である、此点より見て天文学は福音研究の大なる準備である、神を学ばんと欲する者はまた深遠なる知識と優美なる文才とを兼ねたる英国の天文学者プロクター又は仏国のそれなるフラメリオン等の著書によりて造化の宏大無辺を学ぶべきである、世に太陽の大さを知る者果して幾人ある乎、其容積よりすれば地球の六百万倍にして若し地球の中心を太陽の中心に重ねんには地球より月までの距離は太陽の表面までの半に過ぎずといふ、夜々我等の頭上に輝く恒星中最も近き者と雖も其光の我等に達する迄には一秒時間十八万六千哩の速度を以て尚二十六年を要し、其遠きものに至てはアダム、エバの時代に消え失せたる光が漸く現今我等の眼に映じつゝあるのである、又太陽系全体が一日四十二万六千哩の速度を以て一の恒星の周囲を廻転しつゝありて、而も之等の星の相互の位地に何等の変化をも及ぼさない、其他或は星の数に就ては如何、嘗てヱホバ或夜アブラハムを外に携へ出し「天を望みて星を数へ得るかを見よ、汝の子孫は斯の如くなるべし」と約束し給うた、然るに天文学者中聖書を嘲りて曰ふ者がある、「古来星の数は屡々数へられたり、最も古きヒパーカスの目録には千〇八十を算したるが其後人の数へ得る星は六千〇四十八と定められたり」と、然れども近来望遠鏡貌に分光鏡の進歩により写真器に映ずる恒星の数は三千万に達し尚幾何を増すかを知る事が出来ない、而も其恒星の周囲に又幾千の遊(400)星がある、加之更に之等無数の星が各々相異なる栄光を有するのである、「此星と彼星と栄光を異にす」とパウロの曰ひしが如くである、赤き星あり青き星あり黄なるあり藍なるあり、幼きあり若きあり老いたるあり消えんとするあり、人各々其天賦の才を異にするが如く又ルビーとダイヤモンドとジヤスパーと珠玉各々其栄光を異にするが如く幾千万の星みな其栄光を異にするのである。
〇天界の宏大無辺、其栄光の燦爛微妙正に斯の如くである、然らば之を造りし神の偉大と其栄光とは果して如何、而して我等はキリストを信じて斯る神の子とせられたのである、神の子! 天地万物を造りし神の子! 其の如何に偉大なる事実なるかを思へ、凡ての天体と蒼穹に輝く森羅万象とを造りし神を父と仰ぎて我等は此無限の世界の中に生存しつゝあるのである。
〇「此日|言語《ことば》を彼日に伝へ此夜知識を彼夜に送る、語らず言はず其声聞えざるに其|音響《ひびき》は全地に遍く其言辞は地の極《はて》にまで及ぶ」親の学びし所を子に伝へ子は更に之を孫に伝ふといふが如し、「此日」といふも主として夜の福音である、而して星の我等に伝ふる福音は時間的空間的に無限である、然し乍ら其音響は如何にして進む乎、彼等は説教師の如くに口を開かない、其他何等の運動をも試みない、彼等は毎夜静かに蒼穹に其姿を顕はし語らず言はず黙然としてたゞ東より西へ進むのみである、斯の如きを繰返す事千年又千年、何人の己を顧みざるをも憂としない、誠に若し言説は銀にして沈黙は金ならば沈黙中の最大雄弁は神の造りし天然殊に星の伝ふる福音である、曾て米国の富豪ワナメーカー翁の第八十回の誕辰に当り翁の許に来りて米国人に何を教ふべき乎を尋ねし人があつた、其時翁は一冊の新約聖書を手にしつゝ答へて曰うた「他なし、たゞ星の如くなれ」と、即ち黙して輝くべしとの意である、実に深き真理である。
(401)○「神は彼処に帷幄《あげばり》を日の為に設け給へり」、以下昼の歌である、詩人が朝日を歌うて「神は太陽の為に幕を張り給へり」と言ひしを捉へてダビデは地球の廻転をさへ知らずと言ふ者がある、然れども注意せよ、ダビデ時代の人は天文の知識に於て決して現代の普通人よりも劣らなかつたのである、彼等の間に用ゐられたる暦の如きは大体に於て誤まらざるものであつた、何の星が何時何処に顕はるゝかを彼等は能く研究して居つたのである、勿論我等は詩篇の中に天文学を学ぶ事は出来ない、然しながら彼等の知識の決して笑ふべきものに非ざりし事は之を記憶すべきである。
〇「日は新郎が祝の殿を出づるが如く勇士が競ひ走るを悦ぶに似たり、其出で立つや天の涯よりし其運り行くや天の極に至る」、日出を譬へて新郎の新婦を迎ふるが如く選手の競走に臨むが如しといふ、真に適切である、男児青春二十有余其の心身正に発達の極に達して今や美しき新婦を娶らんとする時、又は壮漢七尺の巨躯を提げ威容堂々競走場裡に現はるゝ時確かに旭日の美観を髣髴せしむるものがある、諸君は曾て冬の朝海岬上より日出を望みし事ある乎、偉大なるものは実に日出である、其の水平線上に出づるに先だち東天漸く紅を呈し光景刻々変化する間に巨人(ジアイアント)はまづ其頭を擡げやがて其全身を波上に現はせばさながら床の間に大水晶を載せたるの観がある、而して後今や離れんとするが如くにして離れざる事少時、其間恰も太陽と地球と相牽き相追ふが如くである、而して其の遂に断然袂を別つや即ち堂々として昇り来る、其壮其美之を実見せずして味ふ事が出来ない、日没も亦然り、一夕武蔵野に出でゝ富士と函嶺山脈との間に沈み往く夕陽を望み見よ、偉大なる日輪の一日の労働を終へて今しも其姿を西山の後に没する時苟も詩想ある者は我知らずグードバイを唱へ或は双眼に涙を泛べて又明日の再会を期するのである、而して詩篇第十九篇は斯の如き時に之を読みて初めて其精神を解(402)する事が出来る、詩人ワルト・ホイットマン曰く「書は之を読む場所によりて其価値を異にす」と、汝の陰鬱なる書斎を出で洋上又は野外に於て日出日没の壮観に対しつゝ之を読むに非ざれば此詩を味ふ事は出来ない。
〇「物としてその和煦《あたたまり》を蒙らざるはなし」、偉大なる太陽、勇士の如く巨人の如く其威力を以て四辺を圧する義の太陽である、然しながら彼は同時に又恩沢淋漓たる恵の太陽である、物として彼の和煦を蒙らざるはない、彼は焼尽す火ではない、彼は厳にして亦優である、而して茲に天然を以て示さるゝ大なる福音がある、我等も亦キリストの霊を受けて彼の如くならなければならない、我等も亦義の為に強烈なると同時に最も温き情を以て隣人に和煦を蒙らしめなければならない。
〇詩人は星を歌ひ日を歌ひて天地万物の大と美とを讃へた、而して詩は茲に其一段を終つた、然しながら未だ之を以て終局に至らない、詩人の言は暫らく休みて音楽之に代りし後更に其調子を一変して詩人は再び歌ひ出づるのである、造化の讃美は詩人を駆りて更に偉大なる律法の讃美に赴かしむるのである。
〇注意すべきは神に対する詩人の呼び方の変化である、先には「神」と呼び今は「ヱホバ」と呼ぶその神と訳されしは希伯来語のエル又はエロヒムであつて、常に神の力を代表する時に用ゐらる、之に反しヱホバ又はヤーヴエは同じ神の恵を表はす時に用ゐらる、神が天地万物に現はるゝ時、彼はエルである、契約の神として我等各自の霊を愛するの関係に立つ時、彼はヱホバである、故に創世記に於ても明白に此区別を見る事が出来る、天地創造の神はエル又はエロヒムであつてエデンの園に於ける契約の神はヱホバである、詩人は先に星と太陽とに現はれし神を讃へてエルというた、而して今や其律法を讃へんとして即ちヱホバ云々と呼び代へたのである。
〇ヱホバの律法に関して詩人は六種の句を繰返して居る、之を左の如くに読みて一層力がある
(403)  ヱホバの法は完し、霊魂《たましい》を活き復らしむ、
  ヱホバの証詞《あかし》は確《かた》し、愚者を智からしむ、
  ヱホバ訓諭《さとし》は直し、心を欣ばしむ、
  ヱホバの誡命《いましめ》は聖し、眼《まなこ》を明かならしむ、
  ヱホバを惶《かしこ》み懼るゝ道は潔し、世々絶ゆる事なし、
  ヱホバの審判は真なり、悉く正し、
法、証詞又は訓諭、誡命等といひて同じ律法を種々なる方面より見たる語である、勿論律法は此六方面を以て尽くるのではない、此事に関し詩篇第百十九篇は良き註解を供するものである 而して以上の言は天体に就て述べたる言の継続として之を見なければならない、ヱホパの法は「完し」といふ、即ち天の完全なるが如くである、「霊魂を活き復らしむ」といふ、即ち連日の霖雨霽れて輝々たる日光を仰ぎ「物として其和煦を蒙らざるなき」を感ずるが如くである、「愚者(自己の愚を知るもの、心の貧しき者)を智からしむ」といふ、即ち「語らず言はず其声聞えざるに其音響の全地に遍く其言辞の地の極にまで及ぶ」を学ぶが如くである、「心を欣ばしむ」といふ、即ち「新郎が祝の殿を出づる」に似たる日を見るが如くである、「眼を明かならしむ」といふ、眼を日光に曝すが如くである、「世々絶ゆる事なし」といひ「悉く正し」といふ、太陽に由て日時を計りて毫も違算なきが如く、又日蝕の始期或は金星の太陽面通過時等の悉く正確に之を測定し得るが如くである。
〇詩人は天体の偉大と正確とに比して神の法も亦完全無欠なりと歌うた、「ヱホバの審判は真なり悉く正し」、実に有力なる信仰の表白である、此世に於て我等の理想の破壊せらるゝ事は多い 然しながら天体の運行の正確な(404)るが如くに神は必ず正しき審判を為し給ふのである、「ヱホバの法は完し、霊魂を活き復らしむ」、法とは何ぞ、之を詩人の時代迄に成りし旧約聖書又はモーセの五書と見る事が出来る、而して詩人は曰ふ「其聖書は天地万物の完全なるが如くに完全無欠である」と、然り聖書は無謬である、無謬なるが故に霊魂を活き復らしむる事が出来るのである、聖書全部神言論の唱道である。〇「之を黄金に較ぶるも多くの純精金に較ぶるも弥優りて慕ふべし、之を蜜に比ぶるも蜂の巣の滴瀝《したたり》に此ぶるも弥優りて甘し」、金に比べ又蜜に此ぶ、前者は質に就て後者は味に就てゞある、金は量少くして而も完全なるものである純精金とは更に之を鍛へ上げたるものである、而して聖書は之に比して一層完全無欠であるといふ、又蜜の甘きは蜂の聚集する花の種類に由て異なる、パレスチナの如く乾燥したる国に於ては香高き植物多きが故に蜜は特に純良なるものが収穫れらるゝのである、蜂の巣の滴りとは精製せざる儘の自然に滴る純粋の蜜の謂であつて甘きが上にも甘き蜜である、而して聖書は之に比して一層甘しといふのである。
〇天地万物の宏大無辺と神の法の完全無欠とを讃へたる詩人の言は尚ほ之を以て終らなかつた、彼にして若し今の学者又は詩人の如くならんには彼の歌は此処に至つて尽きたであらう、然しながらダビデは天体の観察者にして律法の讃美者なると共に又祈祷家であつた、彼は宇宙と福音とに由て現はれたる真理を直に己が小さき霊魂に適用した、この個人的(personal)要素を欠かざる事は詩篇を通じての貴き特徴である、世に天地の荘厳を説く人はある、律法の偉大を叫ぶ人はある、然しながら若し之を以て己が霊魂に適用する事なく自ら罪の悩みより救はれし経験に訴ふる所なくばそは全く意味なき能弁である、太陽の讃美は進んでわが霊魂の救に及ばなければならない、故に使徒パウロも亦其羅馬書に於て神の救ひを人類学上より歴史上より又哲学上より論じたる後一転して(405)「我」に移り「あゝ我れ悩める人なる哉」と叫んだのである、救贖は人類の問題にして亦我自身の問題である、造化の大と福音の美とは更に之を我が悩みの上に応用すべきである、是故に律法を讃へしダビデは引続き歌うて曰うた「汝の僕は之等に由て懲戒《いましめ》を受く、之等を守らば大なる報賞《むくひ》あらん」と。
〇「誰か己の過失《あやまち》を知り得んや、願はくは我を隠れたる愆《とが》より解き放ち給へ」、自覚せる罪は之を避けんと欲して避くる事が出来る、然しながら恐るべきは「隠れたる愆」即ち心中に潜在せる罪である、自ら知らざるの故を以て其責任を免るゝ事は出来ない、神より見て罪は人の知ると知らざるとに論なく罪である、かの自ら罪人たるを知らずして俯仰天地に恥ぢずと称し徒らに世の罪を憤る者の如きは最も憐むべきである、然らば知らざる罪は如何にして之を避け得べき乎、詩人は神に訴へて曰ふ「神よ我が罪を悉く知る能はず、願はくは我が知る能はざる罪を赦し姶へ」と。
〇「願はくは汝の僕を引止めて故意なる罪を犯さしめず、それを我が主たらしめ給ふ勿れ」、隠れたる罪はやがて「故意なる罪」と変ずるのである、故意なる罪とは言ふ迄もなく悪事と知りつゝ犯す罪である、而して罪は茲に至りて「我が主となり」て我を支配するに至る、我は罪の奴隷となり習慣として罪を犯すに至るのである。
〇「されば我は※[王+占]《きず》なき者となりて大なる愆より免かるゝを得ん」、「大なる愆」とは何ぞ、「故意なる罪」の益々増大したるものゝ謂である乎、或は然らん、然しながら其極は遂に唯一の大なる愆に達するのである、即ち神を神として認むる能はず神の権威を蹂躙し神なくして存在し得べしと思ふ状態之れである、之れ蓋し罪悪の絶頂である、基督者に取り恐るべき事にして此状態の如きはない、神の姿全く我が眼より消え失せ祈を献げんとして献ぐる能はざるに至りて我等は正に最大の不幸に陥つたのである、故に信仰生活の進むに従ひ我等の最も切なる祈(406)願は神と絶縁せざらん事にある、「願はくは我が罪を其発芽たるの間に摘み棄てゝ我をして汝と絶縁するの不幸に陥らしめ給ふ勿れ」と、之れ此数節の意味である。
〇「ヱホパよ我が磐よ我が贖主よ、我口の言我心の思をして汝の前に悦ばるゝ事を得しめ給へ」、口の言と心の思と二つ乍ら神の前に善しとして認められん事を祈る(聖書に於て「言」といへば「行」をも含む)、天地の偉大と聖書の完全とを知つて終に此祈祷を献げざるを得ない。
〇以上は其大意である、詩人は先づ造化の中に神を学んだ、而して真に造化を学ぶ者は皆其中に神を認むるのである、今より百年以前信仰の盛なりし時代に在ては偉大なる科学者の間に熱心なる基督者が少くなかつた、ニユートン、フアラデー等は其著るしき者である、彼等は顕微鏡又は望遠鏡の下に神を見たのである、有名なるハーバード大学の動物学者ルイ・アガシは学生を集めて海産動物の瀕海研究を為すに当り必ず先づ祈祷を以て之を始めたといふ、誠に造化の研究は聖書の研究と均しく神聖である、然るに現代の科学は如何、現代の科学に神あるなし 今や学者は天然を学んで其造主たる神を知らない、此時に当り科学に一大革命を起し、望遠鏡底に神を認め顕微鏡下に人道を発見するが如き真個の学問を復興せしむるの必要がある。
 
(407)     左近義弼君に謝す
                         大正7年12月10日
                         『聖書之研究』221号
                         署名 内村生
 
 十有余年前初めて左近君の論文を本誌に迎へてより余は君に負ふ所が甚だ多くある、余は聖書の研究上君に教へらるゝ所尠くない、殊に近頃君より玄米食の利益を学び、之を採用して我等日本人の食物問題の解決せられしを覚え感謝に堪へない、左近君は学究の人である、故に一見して信仰には冷淡の人であるかの如くに見ゆる、然し事実は決して爾うでない、君が今回本誌に投書して君が的確に基督再臨を信ずる事を告白せられしが如き、君の平生を知らざる者の異とする所であらう、然し是れ真実の左近君である、君は学の人である、よりは寧ろ情の人である、余は君が憚らずして今日の教会に甚だ不人望なる基督再臨の信仰を告白せられし事を君に感謝する、君は少数者と共に福音的真理の側に立つ事を恐れざる人である、余は神が此時に方り此国に君の如き深遠なる学問と単純なる信仰の人を遣り給ひし事を感謝する。
 
一九一九年(大正八年)一月−五月 五九歳
 
(411)     GENESIS I:1.創世記一章一節
                         大正8年1月10日
                         『聖書之研究』222号
                         署名なし
 
     GENESIS I:1.
“In th ebeginning God created the heaven and the earth.”The universe had a beginning,it will have an end;it,after all,is a time−phenomenon.God created the universe;it did not evolve itself.God created it;it was not a haphazard work;creation is a supreme effort with a definite end in view. God created the universe;therefore,it will not end in failure. The heaven is a perfect machinery;so will the earth be the home of the righteous and true. The meek shall possess the earth;not the strong and clever,as they do now. God's creation must endin perfection,in“new heavens and a new earth,wherein dwelleth righteousness.”In the very first verse of the Bible are contained all its promises,and all the hopes of mankind.
 
(412)     創世記一章一節
 
 「元始《はじめ》に神天地を創造り給へり」と云ふ。宇宙に元始があつた、之に終末《おはり》がなくてはならぬ。神が宇宙を造り給ふたのである。宇宙は其れ自身で進化して成つたものではない。神が宇宙を造り給ふたのである。是は偶然にして成つたものではない。造化は或る的確なる目的を以て為されたる最大努力の事業である。神が宇宙を造り給ふたのである、故に其れが失敗に終りやう筈がない。天界は完全なる機械である。其如く地球も亦義者と真人の住所とならねばならぬ。柔和なる者が地を嗣ぐであらう。強者と智者とは今日彼等が為すが如くに永遠に之を占領せぬであらう。神が造り給ひしものは完全に達しなければならぬ。新らしき天と新らしき地とが現はれて義が其内に行はるゝに至らねばならぬ。聖書の劈頭第一の語に其すべての約束と人類のすべての希望とが包まれてある。
 
(413)     平和の到来
                         大正8年1月10日
                         『聖書之研究』222号
                         署名なし
 
 戦争は止んだ、其意味に於て平和が来た、是は政治家と新聞記者等の謂ふ所の平和である、然し神が基督者《クリスチヤン》に賜ふ所の平和は爾んな者ではない、是れ「神より出て人の凡て思ふ所に過る平和」である(腓立比書四章七節)、是れ亦キリストが別《わかれ》に臨んで弟子等に約束し給ひし平和である、曰く「我れ平和を汝等に遺す、我が平和を汝等に予ふ、我が予ふる所は世の予ふ所の如きに非ず」と(約翰伝十四章二七)、深き充実せる平和である、此世の何物を予へられざるも充満《みち/\》て余りある平和である、英国の首相も米国の大統領も予ふることの出来ない平和である、平和と称ふては足りない、神の生命其物である、霊魂と身体の救拯である、斯物を予へられて人は初めて満足して凡の人に対して善意を懐き得るに至るのである、斯かる平和が地上に臨むまでは真の平和が臨んだのではない、「平和到来」して我等の伝道は止まない、人が自己《おのれ》の如くに他を愛し得るに至るまでは我等は平和は来れりと言はない。
 
(414)     創世記第一章第一節
         (一九一九年一月一日東京基督教青年会々館に於て述べし所)
                         大正8年1月10日
                         『聖書之研究』222号
                         署名 内村鑑三
 
〇「|元始《hじめ》に神天地を創造り給へり〔ゴシック〕」、実に偉大なる言辞である、之に勝るの言辞は天上天下他に有らうとは思はれない、五箇《いつゝ》の大なる言《ことば》より成る一節である、|元始、神、天、地、創造〔付○圏点〕、孰も巨大なる言辞である、五箇の大世界を以て形成《かたちづく》られたる大宇宙の如き観がある。
〇「|元始〔ゴシック〕」、何の元始である乎、勿論神の元始ではない、神は無窮であつて始もなければ終もない、故に元始と云へば云ふまでもなく天と地との元始である、即ち万有の元始である、此無窮なるが如くに見ゆる宇宙万物、之に元始があつたのである、故に終焉《おはり》があるのである、即ち此天地が無かつた時があつたのである、神のみが在まして他に何物も無つた時があつたのである、遠大なる過去、人は之を想像する事が出来ない、然し斯かる時があつたことは確実《たしか》である。宇宙は大なりと雖も一の製造物に過ぎないのである。
〇「|神〔ゴシック〕」 在りて在る者(I am that I am)、無窮の実在者、天地の在らざりし前に在りし者、何者にも造られざる者、父の父にして父を有ざる者、宇宙広しと雖も之を包含して之に包含されざる者、宏大無辺、憐憫《あはれみ》あり、恩恵あり、怒ることの遅き、恩恵と真実《まこと》の大なる者、是れが神である、名を附すべからざる者、然かも人の霊に最も近(415)き者、神と云ひて我等は無限を云ひ、凡の凡(All in All)を云ふのである。
○「|天〔ゴシック〕」 地以外のすべての物体を指して云ふ、月と日と太陽系に属するすべての遊星、蒼穹に輝く幾千万の星、星雲、星河、オライオン、プライアデス其他諸の星座、之を総称して天と云ふ、宏大荘美、之を叙述するに足るの言辞あるなしである。
〇「|地〔ゴシック〕」 人類の置かれし此地、直経僅に八千哩の小球なりと雖も、神の像に象られて造られし人を置かんが為に造られし宇宙の楽園、ベツレヘムのユダの郡中にて至《いと》小きものたるに拘はらず民を牧ふべき者の其中より出しが如くに、恒星遊星の中に在りて至小き星なりと雖も、神の子と称せられて万物を治むるの権能を与へられたる者、即ち人が其上に現はれたのである、地は量に於て小なりと雖も質に於て大である、宇宙広しと雖も地の如くに美はしき所はないのであらう、是れ神が其独子を降して御自身に贖はんと欲し給ひし者であつて、之を全宇宙の道徳的中心と見て誤らないのであらう。〇「|創造〔ゴシック〕」、無きものを有らしむるの意である、理想実現の意である、詩人が其思想を韻文に現はすが如き、美術家が其の理想を彫刻又は絵画又は楽譜に現はすが如き之れ皆な創造の類である、創造は製作であつて製作以上である、製作は既に有る物を以て未だ有らざる者を作ることである、創造は未だ無き物を世に出す事である、製作は機械師の事《わざ》であり創造は天才の業《しごと》である、意志と理想と技巧とありて創造は成し遂げらるゝのである、|工作の至極、之を称して創造と云ふ〔付○圏点〕と謂ひて誤らないと思ふ。
〇「元始に神天地を創造り給へり」、天地は自から出来たのではない、神が創造り給ふたのである、進化論と云ひて物質が自から現はれ、自から進化して天地万物と成つたのではない、|神が之を造り給ふたのである〔付○圏点〕、又神是れ(416)宇宙ではない、|宇宙は神に由て造られたのである〔付○圏点〕、神は宇宙と同体ではない、神は宇宙を造り之を支へ之を持続し、以つて彼の目的を達し給ふのである、聖書は巻頭第一に「元始に神天地を創造り給へり」と唱へてダーウインの進化論を排しスピノーザの汎神論を斥けたのである、宇宙は神の手《みて》の作である、自から出来た者ではない、勿論神ではない。
〇神に由りて造られし宇宙は言ふまでもなく完全である、精巧である、此の宇宙の中に在りて地球が彗星と衝突して破壊するやうなる事はない、如何に完全なる時計と雖も宇宙の完全なるが如く完全なる能はず、人の作りし機械は神の造り給ひし宇宙の真似事に過ぎないのである、又完全なる宇宙であれば人が之を気儘に使ふ事は出来ない、宇宙は一定の法則の下に造られし者であつて之を使ふには其法則に服従しなければならい、神の造り給ひし宇宙である、故に敬虔以て之に当らなければならない、ヱホバ其聖殿に在し給ふ、世界の人其前に静にすべしである、天地は神の聖殿である、ソロモンが一国の富を挙げて七年を費して建てしと云ふシオンの山の聖殿に勝るの聖殿である、人は其内にありて其造主を敬畏せざるべからず、然るに何者ぞ此聖殿の内にありながら劇場に在るが如きの感を懐き、酔酒放蕩の中に其生涯を送るとは、神の造り給ひし天地である、故に神の為に使用すべき者である。
  林の諸の獣、山上《やまのうへ》の千々の牲畜《けだもの》は我有なり 我は山の凡の鳥を知る、野の猛獣《たけきけもの》は我有なり 世界とその中に充るものとは我有なり
と言ひ給ひしが如くである(詩篇五十篇十−十二節)、然り金も銀も鉄も銅も山も林も野も原も而して其中に充る凡の物は悉く神の造り給ひしものであつて彼の有である、然るに人類は極めて少数者を除くの外は此簡単にし(417)て明瞭なる事を知らないのである、彼等は神の造りし物を我有と見做すのである、曰く|我が〔付○圏点〕山林、|我が〔付○圏点〕原野、|我が〔付○圏点〕家畜と、彼等は財産と称して之に対する己が権利を主張し、人の之を侵害するあれば腕力に訴へても之を守らんとする、彼等は皇帝《カイゼル》のものは之を皇帝に納むる事あるも神のものは之を神に納めんとしない、神の造り給ひし葡萄園を奪ひ其主人を殺し以て己が所有権を擅にするのである(馬太伝廿一章三三以下)。神「此等の悪人を甚く討滅し」給はざらんやである(四十一節)、神の造り給ひしものを己が有と見做す、戦争の起因は此に在るのである、盗賊相互に奪ひしものを争ふのである、|人類は盗賊である〔付△圏点〕、彼等は神の造り給ひしものを奪ひて之を相互の間に争ひつゝあるのである、人類が神の万物の所有権を認むるまでは戦争は止まない、彼等は神のものを奪ひし其罪の結果として相互に対して戦争を宣告し相互を屠り以て神に対して彼等が犯せし強奪の罪を相互の間に罰しつゝあるのである。
〇「元始に神天地を創造り給へり」、神は無暗に手当り次第に天地を造り給ふたのではない、或る明確なる目的を以て之れを造り給ふたのである、義と愛との神の造り給ひし天地であれば終に義と愛とを実現せざれば止まない筈である、|神の創造が失敗に終りやう筈はない〔付○圏点〕、彼が永久に之を悪人の濫用に委ね給うとは如何しても思はれない、彼は「此等の悪人を甚く討滅し期に及んでその果を納むる他の農夫に葡萄園を貸与へ給ふ」に相違ない(馬太伝廿一章四一)、故に今日の悪人の跋扈、不義不虔の横行、是れ暫時的のものであるに相違ない、「元始に神天地を創造り給へり」、故に終末に神之を己に収め給ふべし、神は己《おの》が造り給ひしものを己に奪還《とりかへ》さんとて臨り給ふ、之れを称して審判の日といふ、即ち神の勘定日である、万物の復興、義人の復活、悪人の討滅、天地の完成、是れ皆元始に神が天地を創造り給ひし其必然の結果として起るべき事である。
(418)〇「元始に神天地を創造り給へり」とは聖書巻頭第一の言辞である、「我れ必ず速に至らんアーメン、主イエスよ来り給へ、願くは主イエスの恩寵すべての聖徒と共に在らんことを」とは聖書の最終最後の言辞である、斯くして信仰を以て始まりし聖書は希望を以て終つて居るのである、「我等信仰に由りて諸の世界(天地万物)は神の言にて造られ、如此《かく》見ゆる所のものは見るべき物に由りて造られざるを知る」とある(希伯来書十一章三)、神に由る天地の創造は信者の信仰第一である、「我等の生命《いのち》なるキリストの顕はれん時我等も彼と共に栄の中に顕はるゝ也」とある(哥羅西書三章四節)、キリストの再顕と之に伴ふ信者の栄化とは彼等の最大希望である、初めに神に造られし万物は終りに茲に至らざるを得ない、神の造り給ひし天地、之が混沌に終りやう筈はない 天地は神の工作《みわざ》である、故に神の目的を達して主イエスの恩寵《めぐみ》をすべての聖徒に下すに至るや必然である、実に聖書巻頭第一の言辞の中に聖書の全部が包含《ふく》まれてあるのである。
 
(419)     イエスの系図に就て
         (馬太伝第一章の研究)
          十二月第二安息日クリスマス準備講演として青年会館に於て述べし所の大意
                         大正8年1月10日
                         『聖書之研究』222号
                         署名 内村鑑三
 
〇新約聖書は乾燥無味の系図を以て始つて居る、洵に人を引寄るには最も拙劣なる方法である、曰く誰、誰を生むと、而して其名が四十二の多きに達するのである、何故にイエスの山上の垂訓を以て始めざる乎、何故にパウロの愛の讃美を以て始めざる乎、アブラハム、イサクを生み、イサク、ヤコブを生み云々と劈頭第一に掲げて読者は之に辟易して神の言なりと称せらるゝ聖書を棄るに至るまい乎、是れパンを求むる者に石を与ふるの類ではあるまい乎、論語は「学んで而して時に之を習ふ、亦説ばしからず乎」を以て始まり、法華経、阿弥陀経、太平記皆な相応の美辞を以て始まる、然るに惟り新約聖書は「アブラハムの裔にしてダビデの裔なるイエスキリストの系図」と云ひて発音し難き人名の羅列を以て始まる、無愛相も亦甚だしからず耶である、書の何たる乎は其劈頭の一句に顕はると云ふ、果して然らば新約聖書は乾燥無味、読むに堪へざる書ならざる乎。
〇余は之に答へて曰ふ「実に然り」と、実に新約聖書の如何なる書なる乎は其劈頭の第一節に顕はれて居ると思ふ、砂礫も之を顕微鏡の下に検べて見れば其中に珠玉の美を見るが如く、馬太伝第一章も深く之を究むれば是れ(420)亦宝玉の言であつて実に神の真理を伝ふる者である、実にキリストの福音其物の性質が能く新約劈頭の此等の文字に現はれて居るのである、「我等が見るべき麗はしき容《かたち》なく、美しき貌《かたち》なく我等が慕ふべき艶色《みばえ》なし」とは預言者がキリストに就て語りし所である、而して此人が神の子にして真善美の極であつたのである、見るべき麗しき容なくして其内に宇宙の真理を宿す者、其れで神の子であつて又神の言である、「アブラハムの裔にしてダビデの裔なるイエスキリストの系図」を以て始まる聖書、其聖書が実に神の言である、見るに美しきは人の言である、慕ふべき艶色なきは神の言である、新約聖書の何たる乎は能く其劈頭第一の言に現はれて居る。
〇系図は伝記である、伝記は歴史である、而して明白なる系図を有しイエスキリストは疑もなく歴史的人物である、彼は小説的人物ではない、神話的性格ではない、彼は実在者であつて歴史的人物である、基督者《クリスチヤン》は自己の理想を画いて之を神として拝する者ではない、彼はアブラハムの裔にしてダビデの裔なるナザレのイエスを神の子として崇め且つ之に事ふる者である、系図を以て始まりし聖書は歴史的記事である、「巧なる奇談」を伝ふる書ではない、系図を以て始まる書は信穎するに足る、是れ詩でもない歌でもない、哲学でもない、勿論小説でもない、飾らざる事実有の儘の歴史である。
〇神の子が人の裔として世に臨りたりと云ふ、是又大なる福音である、彼は突然星の降るが如くに世に臨らなかつた、彼は人の家に生れ給ふた、即ち|神は歴史に入り給ふたのである〔付○圏点〕、神は即ち個々別々に人に顕はれ給はずして人類の中に入り給ふたのである、即ち神はキリストに在りて世(人類全体)を己と和《やはら》がしめ給ふたのである(哥林多後五章十九) 斯くてキリストの救済《すくひ》は世界的である、我は単独で救はるゝのではない、世界と共に救はるゝのである、然り、宇宙と共に救はるゝのである、故に世界の事、人類の事は「我れ」に関係なき事ではない、世(421)界歴史の中に己を投入れ給ひしキリストは前世界を化して己が有となすにあらざれば止み給はない。
○イエスキリストは第一にダビデの子である、神が預言者ナタンを以てダビデに告げ給ひし言は左の如し
  又ヱホバ汝に告ぐ、ヱホバ汝のために家をたてん、汝の日の満ちて汝が汝の父祖等と共に寝《ねむ》らん時に我汝の身より出《いづ》る汝の種子を汝の後に立て其国を堅うせん、彼れ我が名のために家を建ん、我れ永く其国の位を堅うせん、我は彼の父となり彼は我が子となるべし……汝の家と汝の国は汝の前に永く保つべし、汝の位は永く堅うせらるべし(撒母耳後書七章十一−十六節)。
 而して此約束に合《かな》ふて生れし者がナザレのイエスであつた、彼は真正《ほんとう》の意味に於てのダビデの「種子」であつた、ソロモンを以てしてに非ず、イエスを以てしてダビデの国を堅うせられ其国は永く保つのである、イエスに在りて神がダビデに約束し給ひし総の約束は成就せらるゝのである。
〇イエスは第二にアブラハムの子である、神が初めにアブラハムに約束し給ひし言は左の如くであつた
  茲にヱホバ、アブラハムに言ひ給ひけるは、汝の国を出で汝の親族に別れ汝の父の家を離れて我が汝に示さん其地に至るべし、我れ汝を大なる国民と成し汝を恵み汝の名を大ならしめん、汝は祉福《さいはひ》の基となるべし、我は汝を祝する者を祝し汝を詛ふ者を詛はん、天下の諸の宗族《やから》汝によりて祉福を獲ん(創世記十二章一−三節)。
 而して此約束を成就せんために生れし者がイエスであつた、アブラハムの真個の嗣子はイサクではなくしてイエスであつた、イエスに在てのみ「天下の諸の宗族は祉福を獲ん」としつゝある、彼れ再び現はれ給ふ時に万国は化して彼の民となるのである。
(422)〇如斯くにしてイエスはダビデの子であつて同時にアブラハムの子であつた、イエスに在りて神が選民に約束し給ひし総の約束が成就さるゝのであつた、イエスは真個のソロモンであつて同時に又真個のイサクであつた、イエスに在りて選民の理想は悉く且つ完全に実現せらるゝのである。
〇斯くして新約は旧約の続きである、新約は旧約に取て代はりて世に出でたる者でない、旧約の継承者として現はれたる者である、直に天より降りたるイエスキリストではない、アブラハムの子にしてダビデの子なるイエスキリストである、「我れ律法と預言者を廃《すつ》る為に来れりと思ふ勿れ、我れ来りて之を廃るに非ず成就せん為なり」と彼は言ひ給ふた、神は過去を重んじ給ふ、|彼は進歩を愛し給ふと雖も歴史を無視する革新を行ひ給はない〔付○圏点〕、基督教は猶太教より生れ出し者である、イエスはダビデの子であつて又アブラハムの子であつた、彼はモーセの律法に順ひ給ふた、預言者の言を重んじ給ふた、彼は旧約の預言と希望とを実行せんために世に出たる者である。
〇系図は一見して名の羅列に過ぎない、然れども名は無意味なる者ではない、|人の一生の事蹟を短縮したる者が名である〔付○圏点〕、名は最も簡単なる伝記である、ダビデと云ひアブラハムと云ひて其内に長い歴史がある、ワシントンと云ふ名の内に米国の起原史がある、西郷隆盛と云ふ名の内に日本の維新歴史がある、イエスの祖先を組成する四十二人の名の内にキリスト以前猶太亜歴史の全部がある、馬太伝一章一−十七節はアブラハムよりイエスに至るまでの猶太亜歴史の梗概《あらまし》である、曰ふ「此歴史ありて此人生れたり」と、而して此の歴史を詳かにせんと欲せば旧約三十九巻を繙かざるべからず、旧約の研究は新約を解するために必要である。
〇名の字義を知るに由て之を佩びし人(或ひは之を附せし其父母)の性格を覗ふ事が出来る、希伯来人の名に「ヨ」又は「ヤ」の音の多きは注意すべき事である、「ヨ」又は「ヤ」は「ヱホバ」の短縮である、アビア(|ヤ〔付○圏点〕)は(423)「ヱホバは彼の父なり」の意である、|ヨ〔付○圏点〕サパテは「ヱホバ鞫き給ふ」の意、|ヨ〔付○圏点〕ラムは「ヱホバは崇めらる」の意、ウツズ|ヤ〔付○圏点〕は「ヱホバの力」の意、|ヨ〔付○圏点〕タムは「ヱホバは正し」の意、ヘゼキ|ヤ〔付○圏点〕は「ヱホバの権能」、|ヨ〔付○圏点〕シア(|ヤ〔付○圏点〕)は「「ヱホバの癒し給ふ者」の意である、ヱホバを信ずる民の王の名として孰れも意味ある者である、其他レハベヤムは「民を大ならしむる者」アサは「癒す者」、アカズは「所有者」、マナセは「忘るゝ者」、即ち「罪を忘るゝ者」の意であつて孰れもヱホバに奉りし尊称を取て以て王の名と為したるものと思はる、人の理想は其名に現はる、殊に其子の名に現はる、ユダヤの王等の佩びし名の意味を覈べて見てダビデの家の如何に信仰の家なりし乎を察する事が出来る。
〇神の子イエスに系図があつた、神は彼をダビデの家に降し給ふた、神は其子を世に降すに方て適当の家を選み給ふた、斯くして神は家族主義を採り給ふ、個人主義に由り給はない、神の恩恵は家族に臨み其呪詛も亦家族に臨む、十誡第二条に曰く「我れヱホバ汝の神は嫉む神なれば我を悪む者にむかひては父の罪を子に報いて三四代に及ぼし、我を愛し我が誡命を守る者には恩恵を施して千代に到るなり」と(出埃及記二十章五)、是れ責任を家族に問ふの言辞である、儒教に「積善の家に余慶あり積不善の家には余殃あり」と言ふに能く似て居る、|罪は之を三四代に問ひ、義は其|報賞《むくひ》|を千代に及ぼすと云ふ〔付○圏点〕、家族主義であつて而かも恩恵本位である、罪は之を罰せずには措かず、然れども義は之を忘れずして其報賞を千代にまで及ぼすと云ふ、ヱホバを愛し其誡命を守りて家は永久に恵まるゝのである、聖書は英米人の唱ふるが如き極端なる個人主義を伝へない、神は「家の人」として人を扱ひ給ふ、彼は「救拯の角を其僕|ダビデの家〔付○圏点〕に立《たて》」たまへりと云ふ(路加伝一章六九節)、イエスは神の子としてのみならず又「先祖ダビデ王の位」を継ぎし者として神の前に貴くあつたのである。
(424)〇ダビデの家必しも善人の連続でなかつた、其家に亦多くの悪人が生れた、ダビデ彼れ自身が多くの罪を犯したる人であつた、今旧約の歴史に照らして見るにソロモンよりエホヤキンに至るまで十四代の王の中に比較的善人が七人ありて悪人が同じく七人ありしことを知る、今之を善悪二種に別ちて列記すれば馬太伝の記事を左の如くに改竄する事が出来る、
  善きソロモン  悪きレハベアムを生み
  悪きレハベアム 悪きアビアを生み
  悪きアビヤ   善きアサを生み
  善きアサ    善きヨサパテを生み
  善きヨサパテ  悪きヨラムを生み
  悪きヨラム   善きウツズヤを生み
  善きウツズヤ  善きヨタムを生み
  善きヨタム   悪きアカズを生み
  悪きアカズ   善きヘゼキヤを生み
  善きヘゼキヤ  悪きマナセを生み
  悪きマナセ   悪きアンモンを生み
  悪きアンモン  善きヨシアを生み
  善きヨシヤ   悪きエホヤキンを生む
(425)ダビデの子孫にして王として記さるゝ者総計十四人、其内善き王が七人、悪き王が七人である、又善き王必しも善き子を生まず、悪き王必しも悪き子を生まない、善き王より悪き子の生まるゝあり、又悪き王より善き子の生まるゝあり、而して是れ王家に限つた事ではない、何れの家に於ても爾うである、而して神は人の罪を罰して三四代に及ぼし、其信仰を賞して千代に及ぼし給ふが故に、結局善は悪に勝ちて信者の家は永久に栄えざるを得ないのである、アブラハムの家、ダビデの家に多くの悪人の生れざるにはあらざりしと雖も、神の恩恵は特に此家に宿りて終に此家よりして人類の救主は生れたのである、偉大なるは信仰の効果である。
〇積善の家に余慶あり信仰の家に恩恵絶えず、然れども人の善が積んで完全に達するのではない、|善の内に神が臨んで之を完成し給ふのである〔付○圏点〕、ダビデの家はヨセフに達して善き家ではあつたが完全の家ではなかつた、其内に神の子イエスが現はれてアブラハム以後数十代に渉りて蓄積せられし善が完成せられたのである、家然り人然り国然り人類然りである、人は其遺伝的善性に由ては完成せられない、即ち救はれない、彼に聖霊が降りてのみ完成《まつとう》せらる、国もさうである、人類全体もさうである、最後に神が臨り給ふにあらざれば完成せられない、完成者は人ではない、神御自身である、アブラハムの家に神の子イエスが生れて其家は完成せられたのである。
〇イエスはヨセフの子として現はれ給ふた、ダビデ王の子としてゞはない大工ヨセフの子として現はれ給ふた、即ち|アブラハムの家が衰落の極に達したる時に現はれ給ふた〔付○圏点〕、彼れ現はれ給ひし時に人は彼に就て日ふた「ナザレより何の善きもの出んや」と、又「彼は大工の子に非ずや」と、然れども神の現はれ給ふは斯る時に於てゞある、「神は驕傲者《たかぶるもの》を拒ぎ謙卑者《へりくだるもの》に恩《めぐみ》を予ふ」とあるが如しである、アブラハムよりダビデに至るまで彼等の家は世に所謂豪族であつた、ダビデよりヱホヤキンに至るまで子孫相嗣いで一国の王であつた、而してヱホヤキンより(426)ヨセフに至るまで彼等は庶民の間に下りダビデの裔は僻村の一労働者たるに至つた、而して此ヨセフの子としてイエスキリストは世に現はれ給ふた、豪族たること十四代、王家たること十四代、平民たること十四代、而して|平民の家に神の子は生れ給ふた〔付○圏点〕、神は遺伝を重んじ給ふ、然れども人が遺伝に頼るを許し給はない、「神は能く石をもアブラハムの子と為らしめ給ふなり」である(馬太伝三章九)、其子をダビデの家に遣《おく》り給ひしと雖も其家が平民となりし時に遣り給ふた、考ふべきは此事である、大統領リンコルンの言ひしが如く「神は特別に平民を愛し給ふ」である。
〇又注意すべきはイエスの系図中に四人の女性の記載せられしことである、タマル其一、ラハブ其二、ルツ其三、ウリヤの妻其四である、サラ、レベカ、レア等の名を省いて是等四人を記載せし其理由如何、彼等何れも名誉の歴史を有する者ではない、タマルの行為に就ては之を口にするさへ憚る所である(創世記卅八章)、ラハブはヱリコの娼婦であつた、ルツは異邦モアブの婦人であつた、而してウリヤの妻は奸婬の婦《をんな》であつてダビデと共に許すべからざる罪を犯したる者であつた、記者は何故に特更《ことさら》に斯かる婦人を択んで其名をイエスの祖先の中に列記したのである乎、其理由は知るに難くない、イエスを万民の救主として見たからである、殊に罪人の救主として見たからである、イエスは斯かる婦人を其肉体の祖先として有ことを耻とし給はなかつた、「税吏《みつぎとり》と娼婦《あそびめ》とは汝等より先に神の国に入るべし」と言ひ給ひし彼は娼婦を其系図の中に有《もち》て敢て恥とし給はなかつた(馬太伝廿一章三一)、「|品仰に由りて〔付○圏点〕娼婦のラハブは信ぜる者と共に亡びざりき」と希伯来書の記者は言ふた(十一章三一節)、然り「信仰に由りて」である、信仰に由りて娼婦も罪人も異邦人も聖なる家族の人となる事が出来るのである。
〇如斯くにして此は何れの方面より見るも驚くべき著るしき系図である、此は普通の系図ではない、主義のある(427)系図である、系図を以てキリストの福音を説く者である、決して乾燥無味の人名の羅列ではない、神の言であつて能く之を解して「教誨《をしへ》と督責《いましめ》また人をして道に帰せしめ又義を学ばしむるに益ある」言である(テモテ後三章十六)。
  附言 「イエスキリストの系図」と云ふ、茲に系図と訳せられし原語は Biblos geneseos である、之を英語に直訳すれば The book of genesis と成る、|創世記〔付○圏点〕といふと同じである、「イエスキリストの創世記」是を馬太伝全体の表題として見ることが出来る、キリストの生涯は地上三十三年のそれを以て終つた者ではない、彼は無窮にヤコブの家を支配し且其国終る事なき者なれば(路加伝一章三三節) 彼れの地上の生涯は其無窮の生涯の発端たるに過ぎない、故に馬太伝全部を称して「イエスキリストの創世記」といふも不当でないのである、若しマタイが茲に単に系図と謂はんと欲せしならば特に genealogia なる語を用うべきである(テモテ前書一章四節、テトス三章九節等参照)、Genesis は広い意味の辞である、系図も起原も出生も、更らに進んで生涯全体をも意味する辞である(ヤコブ書三章六節参照)、余は思ふ記者マタイの意は茲に在りて彼は特に此辞を選んだのであると、イエスキリストの起元録、其系図と誕生と成育《おひたち》と活動《はたらき》とに係はる記録、即ち|旧約の創世記に対する新約の創せ記〔付○圏点〕、是れが馬太伝である、キリストの系図を以て始まり、彼の昇天を以て終る、史家ルナンをして「人類を感化せし最大の書」と言はしめしは此書である、税吏たりしマタイは生れながらにして其頭脳は冷静であつた、彼は冷静に事実有の儘を伝へた、而して其事実有の儘が小説以上の小説、詩歌以上の詩歌であつた、馬太伝に由て世界は一変せられたのである。
 
(428)     聖書と基督の再臨
         (十一月八日)
                    大正8年1月10日
                    『聖書之研究』222号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 聖書の研究は余の一生の事業である、四十一年前ウヰリアム・S・クラーク氏より贈られし英語の聖書を手にして今に至る迄余の努力の全部は此唯一の書の為に献げられたのである、余は既に幾冊の聖書を読み破りしかを知らない、然しながら余の聖書に対する態度は基督再臨を信ずるに由て全然一変したのである、余は今茲に少しく其証明を為さんと欲する。
 馬太伝第五章十七節以下に曰く「我れ律法と預言者を廃つる為に来れりと思ふ勿れ、我れ来りて之を廃つるに非ず、成就せんが為なり、我れ誠に汝等に告げん、天地の尽きざる中に律法の一点一画も遂げ尽さずして廃たる事なし、是故に人もし誡のいと小き一を破り又其の如く人に教へなば天国に於ていと小き者と言はれん、凡そ之を行ひ人に教ふる者は天国に於て大なる者と言はるべし云々」と、こは少しく聖書を読みし者の何人も熟知する言である、而して余は従来其意味を次の如く解したのである、即ち「律法と預言者」とは勿論旧約聖書全体である、「成就」とは旧約の目的を精神的に成就する事である、「天地の尽きざる中に律法の一点一画も遂げ尽さずして廃《すた》る事なし」とは旧約の椅神的成就を詩的に言ひ表はしたに過ぎない、「人もし誡のいと小き一を破らば天(429)国に於ていと小さき者と言はれん云々」とは凡て教の小なるものにも注意を怠るべからず、然らば大なるものは自ら之を守り得るに至らんとの意であると。
 然しながら以上の如き解釈が馬太伝の語に対する明白なる解釈でない事は確実である、精神的といひ詩的といふが如きは之れ余の勝手に加へたる語であつて素々聖書の与り知らざる所である、然らば馬太伝の此の語の真実なる意味は何である乎。
 此事を解せんが為に大なる光を与ふるものは約翰伝第十九章廿八節以下である、「かくてイエス凡ての事の既に終れるを知り聖書に応《かな》はせん為に我れ渇くといへり、此処に醋《す》の満ちたる器皿《うつは》ありしかば兵卒ども海絨《うみわた》を醋に漬し牛膝草《ヒソプ》につけて其口に与ふ、イエス醋を受けし後言ひけるは|事終りぬ〔付○圏点〕、首《かうべ》をたれて霊を渡せり」と、「事終りぬ」とは十字架上の贖罪の完うせられたりとの意である乎、勿論其意味をも含むであらう、然しながら之を以て尽きない事は前後の語に照して見て明瞭である、「聖書に応はせん為に我渇くといへり」といひ「兵卒ども海絨を醋に漬し牛膝草につけて其口に与ふ」といひ「醋を受けし後いひけるは事終りぬ」といふ、依て知る、|彼の渇きて醋を受けし迄は未だ全く事終らざりしことを〔付○圏点〕、又其事の凡て聖書に応はんが為に起りしことを、詩篇第六十九第二十一節に曰ふ「彼等は苦き草を我が食物《くひもの》に与へ我が渇ける時に醋を飲ませたり」と、是れイエスの最期に関する預言の一である、而して彼は既に十字架に上りて成すべきを悉く成し給うた、又己が下衣《したぎ》の鬮に由て兵卒の間に分たれしを見て預言の成就を喜び給うた、又己が母を愛する弟子に託してもはや「凡ての事の既に終れるを知り」給うた、然しながら最後に尚ほ一事の存するものがあつた、聖書の一語の未だ充されずして存するものがあつた、彼は救主メシアとして之を充さゞるを得ない、|其渇ける口に苦き草につけたる醋を受くる迄は事は(430)未だ全く終らないのである〔付○圏点〕、彼は之を待つた、而して聖書の語は悉く実行せられた、可し、今こそ万事は終つたのである、故に彼は「事終りぬ」と言ひて其首を垂れ其霊を渡し給ふたのである。
 知るべしイエスに取りては旧約聖書の一点一画も己の身に於て実現せられずしては已む能はざりし事を、其預言の微小なるものと雖も悉く成就するを見る迄は世を去る事が出来なかつたのである、而て之イエスの聖書使用法の一例に過ぎない、彼は常に斯の如く聖書の一点一画を信じたのである、英一言一句を神の言と信じたのである、|聖書全部神言論の主張は決して余輩を以て始まつたのではない、其最初の提唱者は実にイエスキリスト彼れ御自身であり給うたのである〔付○圏点〕、近代人は或は此信仰を以て誤謬なりとするであらう、然れども誤謬なるにせよ然らざるにせよイエスキリストの斯く信じ給ひし事実は之を疑ふべからずである。
 而して此信仰を以て再び前掲の馬太伝の語に帰らん乎、其解釈は一変せざるを得ないのである、「律法と預言の成就」とは何ぞ、精神的成就のみではない、亦|文字通りの実現である〔付○圏点〕、「天地の尽きざる中に律法の一点一画も遂げ尽さずして廃る事なし」とは何ぞ、詩的形容ではない、イエスの全生涯に於て旧約の一点一画に至る迄其儘実現せれたのである、「人もし解のいと小きを破らば天国に於ていと小き者と言はれん」とは何ぞ、其最も良き註解は約翰黙示録の最後に記されたる言である、即ち「若し此書の預言の言を削る者あらば神之をして此書に録す所の生命の樹の果と聖き城《まち》とに与る事なからしむ」との言である、|聖書は其一点一画と雖も成就せられずして廃るべきものに非ざるが故に其いと小き一をも用なしと言ふ者は神の大なる恵に与る事が出来ないのである〔付△圏点〕。
 茲に至て余の信仰は極めて単純なる者となつたのである、聖書を余の小き頭脳に適合せしめんと欲するが故に其成る部分を削らざるべからざるの必要を見るのである、故に余は苦しき努力を要するのである、此の小き七百(431)頁の一書を解せんが為に何故余は余の書斎に転々せる数百册の書を耽読したのである乎、|其入り難きものを強ゐて余の頭脳に入れんと欲したるが故のみ〔付△圏点〕、聖書の一部を削るに好き思想を発見すれば余は之を大発見なりして喜んだ、然しながら何ぞ知らん斯くて余の頭脳に入りしと思ひし聖書は依然として余の有とはならなかつたのである、之れ実に長き苦しき実験であつた、然るに今や神の恵により余は聖書を此儘に呑んで之を我ものとするの態度に導かれたのである、之を我が中に入れんと欲せずして我れ其中に入るの態度である、茲に至て事は甚だ簡単である、聖書を解するに何ぞ数多の註解を要せん、聖書は聖書のみを以て之を解する事が出来る、余の今日迄使用したる幾百冊の参考書は概ね之に休職を命じ之を一箇の記念図書館と化せしめて了つたのである。
 真理は人をして自由ならしめ之に力の余裕を与ふる、余は聖書を其儘に信じて神の真理を解するの眼を開かれしより頓《とみ》に活動の人となつたのである、余の如き演説嫌ひが今春以来東奔西走幾十回の演説を試みたるは之が為である、余は本来博物学殊に魚類の研究に深き趣味を有したるが霊魂問題に悩まされてより之等の研究を悉く抛棄したのである、然るに今や幸にして子が父の書簡を信ずるが如くに聖書を信じ殊に従来不可解なりし基督の再臨を其儘信ずる事を得て余に多くの力の余裕が生じた、今や余は難問題より釈放せられたのである、余は咋今かの東洋魚類学の権威たるブレーク博士の如く齢五十有七にして再び魚類の研究を始め夜々鰻の産卵鮭の成長等斯かる問題につき思想を凝らして楽みつゝある、之れ全く聖書其儘を信じて生命と自由とを得たるが故である、然るに多くの人が聖書を有するに拘はらず力を獲得する能はず却て力を奪はれつゝあるは何故である乎、彼等はイエスキリストの聖書を信じ給ひし如くに之を信じないからである、天地の尽きざる中に聖書の一点一画も遂げ尽さずして廃《すた》る事なきを信じないからである、嘗て余の某地にて基督再臨を説くや聴衆の一人たりし古き信者は(432)最後に余に向て曰うた「あゝ先生、そはパウロの教ならん」と、然り、そはパウロの教にして而してまた聖書の教である、聖書の明白なる教なるが故に我等は之を信ぜざるを得ないのである、聖書の一点一画も遂げ尽さずして廃る事なし、基督の再臨は早晩必ず事実となつて現はるべきである。卑近なる一例を挙げん乎、穀類は神の人に賜ひし完全なる食物である、其中に凡ての滋養分が備へられてある、故に之を其儘に食はゞ不足なしである、然るに或は其色の黒きを厭ひ或は其質の堅きを忌みて玄米を精白にして用ゐるに至りしより人体を養ふの力を失うたのである、茲に於て多くの有害無益なる人工の料理を要求するのである、|玄米を其の玄なるが儘に用ゐよ、然らば又他に美食を欲せざるに至るであらう〔付○圏点〕、聖書亦然り、聖書の中に幾多の信じ難きものがある、再臨其一である、復活其二である、処女懐胎其三である、而して之を厭うて聖書中己が嗜好《このみ》に適する部分のみを食はん乎、そは到底人の霊魂を養ふに足りない、故に副食物として或は哲学或は社会学或は政治学或は経済学を求めんと欲する、斯くて益々霊魂の衰弱を加ふるのみである、|然れども単純に聖書を受けよ、其信じ難きものを其儘に食へよ、然らば聖書のみを以て霊魂の要求を悉く充たし之を養ひ之を強むるに足る〔付○圏点〕、而して他に何の要求をも存せざるに至るのである、之れ余の実験したる所である。聖書を信ぜよ、聖書の言其儘を信ぜよ。
 
(433)     地上再会の希望
         (十一月九日午後)
                    大正8年1月10日
                    『聖書之研究』222号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 我れ汝等に告げん、今より後汝等と共に新しき物を我父の国に飲まん日までは再びこの葡萄にて造れる物を飲まじ(馬太伝廿六章廿九節 馬可伝十四章廿五節 路加伝廿二章十八節参照)
 共観福音書記者等はイエスの最後の晩餐を記すに当り三人共此の一言を附加せずしては措かなかつた、イエスは茲に郎ひ給うたのである「之れ最後にして最後に非ず、今より後再び父の国にて汝等と共に葡萄にて造りたる新しき物(葡萄にて造れる物とは葡萄酒に非ずして葡萄の汁ならんとは有力なる解釈である)を飲む時あるべし、其時来る迄汝等は度々集ひて之を飲みて我が来るを待つべし」と、離別の辞として実に美はしきものである、若し我等自身の世を去らんとする時愛する友人に対して斯かる言を発したりとせば一層適切に其情趣を味ふ事が出来る、然しながら茲に一の大なる問題がある、今より後再び汝等と共に葡萄にて造れる新しき物を父の国にて飲む日ありとは如何、キリストの其霊を以て弟子等の心に宿り給ふ事は何人も之を信ずるも|死にたる者が今一度び杯を交はし得とは果して何の謂である乎〔付△圏点〕、惟ふに古来幾人の信者が此処に躓かなかつたであらう乎。
 余は試に之を余の書斎に於ける数多の無言の師に就て問うて見た、先づ蘇国の碩学にして註解者希臘語聖書《エクスポジトルスグリークテスタメント》(434)の筆者なるA・ブルース博士に問ふて見た、彼は曰ふ、之れ散文を以てせる詩にして感情を表はすものに外ならず、新しき物とは即ち聖霊の葡萄酒なりと、次に費府《ヒラデルヒヤ》聖公会神学校の希臘語教授にして万国批評的註解書《インタナシヨナルクリチカルコンメンタリ−》中馬可伝の記者なるグールド先生も亦此語の物的解釈に対しては大反対を唱へて居る、同じ註解書中馬太伝の記者アレン氏も同様、或点に於ては遥かに正統的《オルソドクス》なるプランマー氏の路加伝も亦全然同様である、之等諸先生にして既に然り、況んやカイム、プフライデレル、※[ワに濁点]イス等の解釈に至ては言ふ迄もないのである。
 斯の如く多くの権威ある学者が霊的解釈を維持するに対しまた明白なる物的解釈を主張する偉大なる学者がある、其第一は近世聖書研究の祖と称せられ未だ彼を知らざる者は共に聖書を語るに足らずと称せらるゝ先の独逸スツツトガルトの聖書学者ベンゲルである、其第二は聖書註解の王《キング》と呼ばれ深遠該博なる知識を有し多くの問題に就き最大の権威なるH・A・Wマイヤーである、其第三は尊敬すべき篤信の学者瑞西人Fゴーデーである、彼等は皆曰ふ、此語は之を文字通に解せざるべからず、イエス再び其弟子等と共に葡萄にて造れる新しき物を神の国に於て飲む時あるなりと。
 死にし者甦りて再び葡萄の汁を飲む時あるべしといふ、信仰問題としては単純に之を信ずるを得ん、然しながら学術上の問題としては如何、斯の如き事実は果して有り得るであらう乎、科学の立場より見て復活といひ再臨といふが如きは全く意味なき一篇の詩ではあるまい乎。
 |然り復活又は再臨は詩である〔付ゴマ点〕、|然れども偉大なる詩である〔付○圏点〕、|詩以上の詩である〔付◎圏点〕、“The return of Christ is the cosmical affair”(基督の再臨は宇宙的出来事なり)、神の造り給ひし宇宙は決して其力を消尽したものではない、神は宇宙に尚無限の力を貯へ給ふ、而してキリスト来り給ふ時此の力に由て我等の身体は救はれ世界万物迄が救(435)はるゝのである、再臨又は復活は決して学問上全く説明すべからざる出来事ではない、之を非科学的と嘲る者は大抵科学の知識に乏しき牧師神学者等である。
 今仮に東京全市に灯火を供する唯一の電気会社ありとせよ、其処に一人の技師あり今や蓄へられたる電気を放たんとして時を待ちつゝある、而して時到らん乎、スヰツチ一旋忽ち暗黒の街は化して光明の都となるのである、神も亦斯の如し、神は宇宙の中心にありて自己のエネルギーを限なく貯へ給ふ、而して人は其好むが儘に云為すと雖も神は黙して待ち給ふのである、やがて其時到らん乎、神は其の天使をしてスヰツチを一旋せしめ給ふ、而して見よ、全宇宙のエネルギーは発動し死者は復活し万物は復興し人の心未だ思はざる大なる事実が実現するのである、其時我等は復活体を以て再び地上に主キリストと相会し豊熟せる葡萄にて造りし甘き新しき汁を飲みて共に我等の救を感謝し神の恵を讃美するであらう、「今より後汝等と共に新しき物を我父の国に飲まん日」、然り、其日は確かに来る、之を信じて全宇宙は詩以上の大なる詩となるのである。
 嘗て仏国の一婦人マダム・クリエー、ラヂウムを発見せしより其有する驚くべきエネルギーが研究されつゝある、研究の結果に由れば豆大のラヂウムの中に含まるゝエネルギーは之を十分に利用せんには大列車をして地球を一週せしむるに足るといふ、而して凡ての物が皆ラヂウムに変化し得るといふ、即ち一片の石塊も亦このラヂウムたり得べしと、然らば宇宙に蓄蔵せらるゝエネルギーの総量は我等の想像し得ざる所である、神一度び此の無限の力を使用し給はん乎、死者の復活何かあらん、世界の一変何かあらん、死にたる後信者再び相会して葡萄にて造れる新しき物を共に飲む事何ぞ怪しむに足らん、神は此事を成すの力を有し給ふ、而して聖書は神の力を伝ふるの言である、我等は唯文字通りに之を解釈すべきのみ、之れ聖書の真正なる読方である、之れ聖書に対し(436)信者の取るべき当然なる態度である。
   附記 パレスチナの地は善良なる葡萄の産出を以て有名である、民数紀略十三章廿三節に曰く「彼等エシコルの谷に至り、そこより一房の葡萄のなれる枝を※[石+欠]《き》り取りて之を竿に貫き二人にて之を担《になへ》り」と、近頃の事であつた、ユダ人の此地に移住せる者に由て栽培せられし葡萄は之を世界第一と称せらるゝカリホルニヤ産の物に此べて更らに其上に位ゐせしと云ふ、改造後のパレスチナに於て信者が主と共に飲む果汁《しる》は斯る葡萄より成りし者であらう、又教会に於て執行せらるゝ聖晩餐式の意味は茲に在るのである、是れ過去に於けるキリストの功績を記念するための儀式ではない、未来に於ける再会を期するための祝宴である。
 
(437)     地理学的中心としてのヱルサレム
         (十一月九日夜)
                    大正8年1月10日
                    『聖書之研究』222号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 キリスト再び此世に降り給ふ時彼はヱルサレムを都として万国を治め給ふべしとは聖書の明かに預言する所である、然らば問ふヱルサレムは果して地理学的に世界の中心である乎。
 国に都あらば即ち其中心に無ければならない、日本の中心は東京である、明治の初年帝都を西京より東京に遷せしは賢明なる政治家大久保甲東の発案に係り維新の功業中最も有力なる者の一であつた、往昔蝦夷地方の未だ日本の一部と認められざりし頃はいざ知らず、今や東京が日本国の地理学的中心(幾何学的中心に非ず)たるは苟くも常識を備ふる者の何人も疑はざる処である、近時朝鮮の我が領土となりし以釆更に大阪遷都の議を生ずるに至りしも亦此の地理学的中心の如何を論ずるものに外ならない。
 顧みれば今より卅五六年前余の札幌農学校を出でゝ間もなき頃であつた、一日余は津田仙氏に伴はれて基督教を説かんが為に老将軍鳥尾得庵居士に会見した(余は其時漸く廿二三歳の青年であつた)、鳥尾将軍は仏教の熱心家にして基督教の大敵であつた、将軍は余の基督教諭を聴くや直に一言以て之を駁撃して曰く「|試に釈迦がパレスチナに生れたりとせば如何、然らば世界は今や仏教国たらん、基督と釈迦との相違は其出生地の相違のみ〔付△圏点〕」(438)と、流石に彼れ鳥尾将軍である、其観察決して凡ならずである、神の全世界を救はんが為に其独子を遣はし給ふや彼は印度の如き僻地を択び給はなかつたのである、イエスキリストのパレスチナに生れたる其事が彼の真に神の子たる好適の証拠である、神もし万国を支配せんと欲し給はゞ最も適当なる中心を選び給ふべきは当然の事である。
 古来世界の中心たる都は屡々遷移した、羅馬帝国は地中海に接する欧羅巴亜細亜阿弗利加の一部を包含したる所謂「地中海帝国」たりしが故に其時代に於ける世界の中心は言ふ迄もなく羅馬に在つた、其後黒海が羅尾帝国の一部に属するに至り都をコンスタンチノープルに移さんと欲したるも尚ほ羅馬を棄つる能はず、終に東西両都を生じたりと雖も世界の中心は依然として羅馬に存したのである、然るに年進みて南北アメリカ大陸の大発見あるや羅馬は東に偏侍《かたよ》りて最早や世界の中心たるに適せず、都は他に移転せざるを得ざるに至つた、少しく注意して世界地図を観察すれば之を水と陸との南半球に分つ事が出来る、而して|陸半球の中心は倫敦である〔付○圏点〕、米大陸の発見後世界の支配権は自ら陸半球の中心に移り倫敦は羅馬に代りて世界的の都府となつたのである、今や倫敦は世界の中心である、商業上に於ける勘定の如き皆彼地に於て決済せらる、我国所有の正貨幾億円も其大部分は之を彼地に貯蔵するのである。
 然らば世界の中心は倫敦に確定したのである乎、否更に新なる地方の世界に加はらんとする者がある、阿弗利加大陸即ち之である、阿弗利加は近来に至る迄一の暗黒大陸であつた、然れども爾来欧洲諸国の相競うて其の開拓に力めし結果今や欧洲全土に数倍する此大陸も亦漸く新装して出現せんとしつゝある、茲に於てか倫敦は最早や昔日の如き優勝の地位を保つ事が出来ない、況んや更に亜細亜大陸諸国の参加し来るに於ては世界の中心は必(439)ず之を他に求めざるを得ないのである、知らず世界の全地開発せられて到る処人類の住所たるに至る時其中心は果して何処にあるべき乎、万国を統治するに適する都は果して何処にあるべき乎。
 此の世界最後の中心はパレスチナを措いて他に之を求むる事が出来ない、パレスチナは世界を支配する咽喉である、今回の戦争に於て蘇士《スエズ》争奪の重視せられし所以も亦之が為である、而してパレスチナの中心はヱルサレムに在る、故にヱルサレムに君臨せずして全世界を統治する事は出来ない、|ヱルサレムは世界の地理学的中心である〔付○圏点〕、かの欧亜大鉄道の計画(スペインよりジブラルタルを潜りアフリカに出でエルサレムを経て印度に至る)の如き遠からず事実となつて現はるゝであらう、而してヱルサレムの地理学的中心たるの地位を益々明確ならしむるであらう、其他パレスチナ地方の生産力の大なる事も亦予想外である、小亜細亜の地甚だ豊饒にしてメソポタミアは其れ以上である、若しチグリス、ユーフラテス両河畔の沃野にして昔時の如き麦田と化せん乎、其産額計り知るべからざるものがあらう、現に近頃英国の或る優秀なる土木師はメソポタミア開拓案を起し其予算迄も調査したのである、之に伴ひてアフリカの開発完成するに至らば新世界の中心は必ずパレスチナ殊にヱルサレムに落ちざるを得ない、かくて羅馬より倫敦に移りし世界の都は遂にまたヱルサレムに移るであらう、万国を支配するに最も適当なる地位は実にヱルサレムである。
 故にキリスト再び来りて世界王国を建設し給ふ時彼は必ずヱルサレムに降り給ふであらう、「其日にはヱルサレムの前に当りて東にある所の橄欖山の上に彼の足立たん」(ゼカリヤ書十四章四節)、「そは律法はシオンより出でヱホバの言はヱルサレムより出づべければなり」(イザヤ書二章三節)。
 
(440)     再臨と伝道
         (十一月十日午後)
                    大正8年1月10日
                    『聖書之研究』222号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 基督再臨の信仰は伝道の熱心を消却せしむると言ふ者がある、若しキリスト来りて一切の事を成就し給ふならば我等に何の為すべき事あるなしとの謂である、然れども再臨を信じて伝道が出来ないならば古来此の信仰を有したる者は伝道を為さゞりしに相違ない、然るに事実は如何、|最大の伝道者はみな再臨の信者ではなかつた乎〔付○圏点〕。
 パウロは哥林多前書第十五章(此章は特に復活の章として知らるゝもパウロは茲に復活と共に亦|キリストの再臨〔付○圏点〕を教ふるのである)に於て「血肉は神の国を嗣ぐ能はざる」事即ち我等の肉体を以てしては天国に入る能はず其の必ず変化すべき必要ある事を論じ、次に「見よ我れ汝等に奥義を伝へん」と言ひて此事に関する神の黙示に移つた、而してキリスト再び来り給ふ時死者は復活せしめられ生者は死を経ずして此儘栄化せしめら 斯くて血肉に非ざる霊体賦与せらるゝの恩恵につき論じ来りし後、最後に高調して曰く「此故に」と、「其れだから」である、パウロの書翰に特有なる所謂 the great“therefore”(偉大なる「此故に」)である、「|此故に〔付○圏点〕わが愛する兄弟よ、汝等固くして動かず、恒に励みて主の工《わざ》を務めよ」と、キリストの再臨があり復活と栄化とがある、「|其れだから〔付○圏点〕汝等大に活動しなければならぬ」といふのである、再臨を信ずる者は伝道せずと言ふ者は誰である(441)乎、再臨の福音の宣伝者パウロをして言はしむれば此信仰こそ却て凡ての善行の動機たるべきものであるのである。
 試みにパウロの此語を原文に近き英語を以て表はせば左の如くである、
  "Therefore, be seated in the faith,
  and be not dislodged,
  and always overflow with the work of th Lord.”
 「信仰に座を占めよ、而して座を奪はるゝ勿れ、而して常に主の業を以て溢れよ」と、徒らに彼説此説を追うて迷ひ他人の言のみを聞くに急にして自ら坐する所を知らざるが如きは根本的の誤謬である、先づ自ら信仰の座を占めよ、パウロの如くにヨハネの如くに座して彼等の信じたる如くに信ぜよ、而して其座を逐はるゝ勿れ、何人が如何なる反対論を説くとも決して其座より動かさるゝ勿れ、復活の事再臨の事等凡て聖書の根拠に座を占めて動かさるゝ勿れ、然らば自ら活動せざらんと欲すとも主の業は常に我等に在りて溢るゝのであると。
 信仰に座を占めて動かされざるに至らば何故主の事業に溢るゝのである乎、其理由の如何は之を知らない、然しながら是れ理論の問題に非ずして事実の問題である、論者は曰ふ「再臨信者は社会事業に熱心たる能はず」と、然れども|事実熱心ならば如何せん〔付△圏点〕、前弁士の証明したる如く米国に於ける主として労働者より成る会員三百人の小教会に於て一日に五千六百弗の献金を得たるが如き再臨を嘲る教会の間に果して見得べき事例である乎、誰か言ふ再臨信者は伝道せずと、世にパウロほど大なる伝道を為したる者がある乎、曰く無し、世にパウロほど固く再臨を信じたる者がある乎、曰く無し、誠に不思議である、然しながら事実である、再臨の信仰に座を占めて動(442)かされざる者は自ら主の事業に溢れざるを得ないのである、個人として然り、教会として亦然り、如何にして教会を活動せしめん乎、〔醵金? 天幕伝道? 自動車説教? 又は飛行機を以てするパムフレツトの撒布? 之等の騒擾に由りて教会は一時其目を醒ますかも知れない、然れども又直に睡《ねぶ》るのである、|教会をして活動せしめんと欲せば須くキリスト再臨の信仰に其座を占めしめよ〔付△圏点〕、再臨を信じて動かされざるに至らば我国の教会と雖も必ずや大活動を始むるであらう。
 パウロは此事実を論じたる後少しく説明を加へて曰うた「そは汝等主にありて其の為す所の労《はたらき》の空しからざるを知ればなり」と、彼は或所にて「我れ福音を恥とせず」と言へば彼の如き偉人も時には福音を恥としたる事あるを推察し得るが如く、此所に「主にありて為す所の労の空しからざるを知る」と言へば彼も亦一度は己が伝道の無益の業ならざる乎を疑ひし経験を有したのであらう、而して真に伝道の為に心血を濺ぎし人にして誰か此|苦《にが》き実験を有せざる者があらう乎、福音を伝ふること幾千人、而して信仰を獲る者果して幾人ぞ、最も有望なる青年学生を選んで指導誘掖至らざるなく而して其の遂に世に出でゝ漸く一家の名を成すに至るや旧き信仰と情誼とは悉く其の棄つる所となりて亦顧みられず、昔日の親しき師弟今は宛然《さながら》路傍の人なるが如き者がある、伝道者の熱心を消滅せしめんが為には此種の事例一を以て既に足るのである、而も誠実なる伝道者にして斯の如き経験の数十又は数百を有せざる者はない、誰か之に対して「空し」との感を抱かないであらう乎、然り空し、我等の労は空し、我等之を歎かざるを得ない、此事に就て我等を慰むる者は何である乎、福音宣伝四十年にして一人の基督者を作る能はざるに当り我等の労の空しきを慰むる者は果して何である乎、パウロ答へて曰ふ「汝等主にありて其の為す所の労の空しからざるを知る」と、主再び来り給うてすべて汝等の労を彼自身の手中に受け給ふ、(443)汝等の涙を流し祈を以て為したる一切の事業は彼にありて悉く完成せらる、汝等の労は決して無益に非ず、故に心を安ぜよと、然り我等世にありて小き者に与へし一杯の水と雖も主必ず之を覚え再び来りて之に酬ゐ給ふのである、然らば何ぞ我等が伝道事業の空しきを憂へん、其の主にありて決して空しからざるを我等は確信するのである、伝道者の大なる慰藉は実に茲にある、若し之が伝道者の生涯ならずば彼等は何の希望を以て其事業を続くべきであらう乎、伝道の空しきに失望して其事業を廃する者は必ずや再臨の信仰を有せざる者である、主の再臨を信じて仮令挙国我に逆らはんとも我は伝道を廃する事が出来ない、伝道熱心の唯一の秘訣は再臨の信仰である。
 故に唯此福音を説かん哉である、我等の舌の顎《あご》に附く迄此単純なる福音を説続けん哉である。
 
(444)     再臨信仰の実験
         (十一月十日夜)
                    大正8年1月10日
                    『聖書之研究』222号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 余は如何にして基督の再臨を信ずるに至りし乎、如何なる書を読みて乎、又は如何なる思想の径路を経て乎、勿論余の此所に来る迄には種々なる書物をも読んだ、又思想上の或る径路を経たに相違ない、然しながら本来余の知識と信仰との性質に照して最も不似合なる基督再臨を信じ得るに至りしは抑も亦他に特別の理由があるのである。
 顧みれば明治十七年十一月余は米国に渡り翌年|華府《ワシントン》に赴いた、時に恰も全米国の慈善大会の開かるゝあり、余は拙き英語を以てする最初の演説を試みんが為に此大会に参列した、参会者一同は一日ガーフイールド聾唖大学に招かれ鉄道馬車に分乗して其地に向つた、車中垂れたる綱に倚り揺れ乍ら進みしが前には余よりも十歳ばかり年長と覚しき一紳士ありて余と語つた、是れ我等が四十年の友情を結びし発端であつた、翌朝応接室に於て相語ること数十分、其後彼が商用を帯びてボストンに来りし時街の角《かど》にて不図邂逅し互に手を握りし事あるのみである、然しながら此馬車中にて生れし基督的友情が遂に今日迄継続して余をして最も深き感化を受けしめたのである、彼の名は)David C.Bell《ダビツド、シー ベル》)と呼びミネアポリスの小き私立銀行の頭取にして久しく彼地プリマス教会(組合教(445)会)の会計係を勤めた、教師にも非ず神学者にも非ざる彼は最も常識に富みたる熱心なる基督者にして且固き再臨信者である、彼は其時以来深く余を愛し余の帰国せし後も常に書信を絶たない、而して彼は屡々余に贈るに基督再臨に関する書を以てしたのである、余は慚愧の至りながら多く之を読まず唯其中の一冊のみは今より十数年
前一読したるまゝ余の書箱中に投入して置いた、そはA・J・ゴルドン著『視よ彼は来る《エクセ、ヴ エ ニー》』であつた、然るに最近の世界戦争が動機となりて余の信仰に大なる動揺を始めし頃再び彼れベル氏より再臨に就て論じたる費府《ヒラデルヒヤ》の『日曜学校時報《サンデースクールタイムス》』を送つて来た、而して之を読んで余は驚喜した、余の人生問題宗教問題世界問題は再臨の信仰に由て悉く解決する事の出来る事を知つたのである、茲に於て余は書箱中の塵に埋もれし古きゴルドンの著書を取出して再読し愈々余の再臨信仰を強むるに至つた。
 余は其委細を綴つてベル氏に送つた、而して彼より直に其返書が来た、曰く「然る乎、終に君も之を信ずるに至りし乎、|余は告白す、三十一年前華府に於て相識りしより今日に至る迄未だ一日も君の為に祈らざりし日を覚えず〔付○圏点〕、パレスチナに遊びてヱルサレムの郊外死海の岸辺ガリラヤの湖畔に立ちし時もコンスタンチノプル ヘレスポント アテンスに宿りし夜も君の為に祈らざりし日とてはなかりき、而して|余は特に君が再臨の信仰を獲んが為に祈れり〔付○圏点〕、余は今カリフオルニアに在り、窓外に雲雀の囀る声聞ゆ、嗚呼余の長き生涯中今計の如く歓喜に溢れたる事あるなし、神は実に余の切なる祈を聴き給ひしなり」と。
 如何、誰が一人の為に此祈を献げた乎、|余をして再臨信者たらしめしものは実に余の基督的友人が卅年の熱心なる祈祷であつたのである〔付○圏点〕、此れ此事に就て問ふ者に対して余の与ふる唯一の答である、余の信仰は誠に祈祷の産物である、故に諸君も亦祈れよ、特に再臨に反対する者の為に祈れよ、議論ではない、祈祷である、|一人の友(446)の為に三十年間一日の例外もなく祈り続けなば必ずや遂に聴かるゝであらう〔付△圏点〕。
 次に余は如何にして此の講壇に立つに至りし乎、其事に就て述べやう、昨年十月卅一日は宗教改革四百年の記念日であつた、ルーテルに負ふ所最も大なる余は此際少しく彼の為に尽さゞるべからざる責任を感じた、依て余は当日東京諸教会聯合の同種の大会の後を受けて独り此講壇に立つ事に決した。
 余の責任は重大であつた、余は思うた若し今夜貧弱なる集会として終らんには何を以て天下に謝すべき乎と、余は祈つた、然し尚心配であつた、曇りし空を仰ぎながら水道橋停車場より会場に向て徒歩した、神保町の辺に来りし頃余は心配の余り路の片隅に立ち帽子を脱して神に祈り且誓うた「神よ願はくは今夜の集会をして汝の栄を顕はさしめ給へ、之を以て恵に充ちたるものたらしめ給へ、|汝若し此願を聴き給はゞそは汝が余をして書斎を出でゝ市中の講壇に立たしめ給はんとの証徴なる事を信ず〔付○圏点〕、余は謹んで其命に従はん」と、斯くて余は神に言質を取られたのである。
 会場に来りて見れば聴衆満堂熱誠を以て余を歓迎し豊かなる恵の中に珍らしき盛会を終る事が出来た、茲に於てもはや已むを得ない、既に言質を神に取られたる余は是より出でゝ働かざるを得なくなつたのである、依て余は更に中田兄と謀りて本年一月第一日曜以来各地に於て再臨講演会を開催し遂に今回の大会に至つたのである、故に之れ勿論余の計画に由て成つたのではない、初より神が余を使ひ給うたのである、余は実に余義なくせられて茲に至つたのである。
 最後に余は再臨の信仰の如何なる性質の信仰なる乎に就き一言せんと欲する、而して其事に就き余自身が一箇の標本である、余に取りて久しき間動かす能はざる一二のものがあつた、其一は人種的偏見であつた、今夏軽井(447)沢に於てハリス博士の余を宣教師に紹介せんとして述べたる如く余は確かに日本人中の日本人武士中の武士であつた、故に自《おのづか》ら一種の情意が余の衷に宿つた、余は素と西洋人に負ふ所多きに拘らず西洋人を好まなかつた、然るに今や斯く多数の宣教師諸君と共に主の前に集り全く人種又は国籍の如何を忘れて真に偽なき衷心より一致するを得たるは実に至大なる恩恵と言はざるを得ない、多少の人種的偏見は何人にもある、如何にして之を除却し得べき乎、曰く|再臨のキリストを信ぜよ〔付○圏点〕、然らば真の兄弟姉妹として手を握り得るに至るのである。
 次は宗派の問題である、余の嫌ひしものにして宗派の如きはない、若し今より二年前なりせば余は聖公会の制服を着けたる藤本寿作君を余の家の客として迎ふる事が出来なかつたであらう、然しながら余は今回同君を迎ふると共に言うた「今は聖公会の表象は余の目に入らない、余はたゞ其背後にある君自身を見るのみ」と、誠に再臨の信仰は宗派を超越せしむるのである、余は宗派に属する人に向て之を脱せよとは一言も勧めない、其儘にて可なりである、此信仰此希望を共にせん乎、宗派何ぞ顧みるに足らん、心の深き処に於て真正の合同が成立するのである、而して今回の大会は其最も好き実例である、恐らく宗派に関して毛頭懸念せざりし会合としては我国に於ては此会が嚆矢であらう、小なりと雖も合同の模範を我等は示したのである、|合同せんと欲する者よ、我等の如く再臨の福音に来れ、委員会を開きて可否を投票するに及ばず、新聞に広告して人の意見を問ふを要せず、条件を定めて評議を祝すを要せず、たゞ再臨のキリストを信ぜよ、主は一つ信仰一つ望み一つなるに至つて人の作り得ざる真正の合同は自ら成立するのである、合同問題解決の秘鍵は此処にある〔付△圏点〕、此点より見て又一の大なる使命の我等に係れるを知るのである。
 誠にキリストに於ける愛と望とを以て繋がれたる友誼は福ひである、今回の大会に於ける我等一同の熱心は如(448)何、而して茲に参列する能はざりし多くの友人も亦祈を以て我等を助くるのである、神戸女学院の座古愛子女史の病床に在て我等の為に祈り我等の大勝を信ずとの言を寄せられし外、電報を送られし人も亦少くない、斯る美はしき霊的交際は何処にある乎、此の広くして深き愛を味ふを得て余は語るべき言を知らない、之を表はさんには唯詩歌あるのみ、一米国商人の祈に応へて神は今余をしてかゝる活気満々希望洋々たる生涯に入らしめ車を引きて倒るゝ馬の如く福音を宣伝しつゝ倒るゝを辞せざるの幸福を与へ給ふ、何の言を以てか感謝すべき、人生の大幸福は之れがために我が生命を捐ても惜しからずと思ふ主義又は信仰を与へらるゝ事である、而して今や余にも此恩恵が下つたやうに思はれる、願はくは栄光永へに主に帰せん事を、アーメン。
 
(449)     年賀状
                         大正8年1月10日
                         『聖書之研究』222号
                         署名なし
 
 今年も亦例年の通り夥多《あまた》の年賀状を送られた、而して流石に再臨高唱後第一年のことゝて歓喜と希望に溢るゝものが尠くなかつた、実に再臨の希望があつて新年を祝する其訳が明白になるのである、世人がたゞ無意味に「謹賀新年」と曰ふ其深き理由は茲に在るのである、左に我読者諸君より寄せられし信仰的祝辞の五六を載せんに|福岡県の熊井佐兵衛君〔付●圏点〕は曰く   光り来ぬやがて明けなむ曙の
     初日の栄光《さかえ》待つぞ嬉しき
実に美しい歓ばしい言である、|香川県の片山茂君〔付●圏点〕は曰く
   歳毎に敗れ行く身は惜しからず
     生命にのまる日の楽しさに
此希望ありて生活難も容易く凌ぐことが出来る、|姫路の本沢清三郎君〔付●圏点〕は勅題「朝晴雪」に依り
   祷して心晴れ行く雪の朝
     天に雲なく地に塵なし
(450)と吟ぜられた、|相模鎌倉〔付●圏点〕に療養せらるゝ|小出義彦君〔付●圏点〕母子の感に曰く
   ひととせもすぎの戸明けて彼の君に
     まみゆる日こそ近づきにけれ(母)
   「其年」にあらずと誰か言ひ得べき
     望み新たに宿すこの年(子)
此希望ありて「病の床にも慰藉あり」である。
 |茨城県の佐藤恂次郎君〔付●圏点〕の述懐に曰く
   天降りなす君の聖姿《みすがた》しのびつゝ
     初春の空仰ぎ見る哉
其他|神戸のひさへ〔付●圏点〕姉の書面の中に「西は一ノ谷より東は生田の森の辺までの教友の方々の愛に充満《みちみち》し集りを与へられ……三十年来の求道者なる私も主の御再臨をいよ/\信じて始めて身の重荷を取り去られ候」等の喜ばしき言があつた 大戦闘艦某号の機関室よりは「私は贖罪の大歓喜に浴し伝道の勇気鬱勃として禁じ難く」との勇ましき言が送られ、或る退職高等官の人よりは「私は今年七十二歳にて候、然るに近頃馬太伝十章三四−三七を領会し得るに至り、現今の骨肉知友中にて私が赤子の如く最若者となりし事を御喜び戴度候」と申越された。
 
(451)     THE AIM OF THE SECOND COMING.再臨の目的
                         大正8年2月10日
                         『聖書之研究』223号
                         署名なし
 
      THE AIM OF THE SECOND COMING.
 
 The aim of His Second Coming Cannot be different from that of His First Coming.As in His First Coming,He came not to judge the world,but to save it,so it cannot be otherwise in His Second Coming.“As in Adam all die,so in Christ shall all be made alive.”But each in his own order:the Christian to his resurrection-life the Jew to his Messianic blessings;and the Gentile to the brightness of His glory. And all will be saved that God may be all in all.Judgement necessarily accompanies salvation;but judgement is an accompaniment,and not the aim.The Second Coming of Christ is a cosmic affair;all are interested in it,and all will be blessed by it.
 
     再臨の目的
 
 キリスト再臨の目的は初臨のそれと異なる所はない、彼れ初めて臨り給ひしや世を審判かん為にあらずして之を救はん為であつた、彼れ再び臨り給ふ時に亦同じであるに相違ない、「アダムに在りてすべての人の死る如くに(452)キリストに在りてすべての人は生くべし」とある(コリント前十五章二十二節改訳)、然れど各人其|次序《ついで》に順ふ、基督者《クリスチヤン》はその復活的生命に入り、猶太人はそのメシヤ的恩恵に与り、異邦人は主の栄光の輝に浴さしめらる、万人の救はるゝは神が万人の中にありて万事たらんが為である、審判は必ず救に伴ふ、然れど審判は救済の附随物であつて其の目的ではない キリストの再臨は宇宙的事件である、故にすべての人は之に関聯し、すべての人は之に由て恵まる。
   附言 基督再臨を単に教会問題となして基督信者にのみ係はる者と見るは大なる誤謬である、基督再臨は宇宙問題であり、人類問題であり、世界問題である、故に万人に訴へて其注意を喚起すべき問題である。
 
(453)     イエスの自証
                         大正8年2月10日
                         『聖書之研究』223号
                         署名なし
 
 主イエス橄欖山に坐し給へる時弟子来りて「爾の来る兆《しるし》と世の末《おはり》の兆は如何なるぞや」と彼に問ひまつりしに、彼れ詳細に之に答へて語を結んで言ひ給はく
  其時人の子の兆天に現はる、また地上にある諸族は哭《なげ》き哀み、且つ人の子の権威と大なる栄光をもて天の雲に乗り来るを見ん……我れ汝等に告げん此等の事尽く成るまで此世は廃《うせ》ざるべし、|天地は廃ん然れど我言は廃じ〔ゴシック〕
と(馬太伝廿四章、馬可伝十三章、路加伝廿一−)、天地は廃せん、然れども我言は廃せじ、我が|此言〔付○圏点〕は廃せじ、人の子の権威と大なる栄光を以て天の雲に乗り来るを見んとの|此言〔付○圏点〕は天地は廃るとも廃せじとの事である、実に著しき言である、イエスの倫理的教訓は廃せじとの事ではない、|再臨に関する彼の予言は天地は廃るとも廃せじとの事である〔付○圏点〕、イエスは熱心に駆《から》れて前後を忘れて斯る極端の言を発したのであらう乎、若し爾うであるならば彼も亦誤り易き人の一人であつて彼の言に絶対的価値はない、殊に天地は廃ん云々の如きは誇大も亦甚しからずやと言はざるを得ない、冷静イエスの如き者が己に信ずる所なくして斯る言を発しやう筈はない、言は隠喩《メタホー》でもなければ誇張でもない、事実有の儘である、天地は廃せん然れど我言は廃せじ、馬太伝二十四章は一字一句文(454)字通りに事実となりて現はるべし、其重きこと天地も之に此ぶべからずと云ふ、嗚呼イエスの弟子と称する者は果して能く彼の言を信ずる乎、彼等に取りて聖書の言は果して天地よりも重くある乎、イエスが天地を指して誓ひ給ひし言、之を時代思想又は猶太思想なりと称して削除して可なる乎、若し可なりとするならばイエスの言はすべて尽く信ずるに足りないのである、然らば聖書は読むに及ばず、イエスは教師として仰ぐに足りない、「天地は廃《う》せん然れど我言は廃せじ」、是れイエスの再臨に関する彼れ御自身の証詞であるを知て、再臨を疑ふ事の基督信者に取り容易ならざる事である事が判明る、キリストの明白なる言に由る再臨はたしかに基督教の中心的真理である。
 
(455)     万民に閑はる大なる福音
         一九一九年一月十七日大阪市公会堂に於て開かれたる関西基督再臨研究大会に於て為したる講演の原稿。
                         大正8年2月10日
                         『聖書之研究』223号
                         署名 内村鑑三
 
 天使これに曰ひけるは懼《おそる》ること勿れ、我れ万民に関はりたる大なる喜びの音《おとづ》れを汝等に告ぐべし(路加伝二章十節)。
  ヱホバはもろ/\の国の間を審判き、多くの民を責め給はん、斯くて彼等はその剣を打かへて鋤となし、その鎗を打かへて鎌となし、国は国にむかひて剣をあげず、戦闘《たゝかひ》の事を再び学ばざるべし(以賽亜書二章四節)。我れ新しき天と新しき地を見たり、先の天と先の地は既に過ぎ去り海も亦有ることなし……神、人と共に住み、人、神の民となり、神また人と共に在して其神となり給ふ、神彼等の日の涕を悉く拭ひとり復死あらず哀み哭《なげ》き痛みあることなし。(黙示録廿1章革一−四節)。
〇基督再臨は単に基督信者に関はる問題ではない、世界万民に関はる問題である、国といふ国、人といふ人にして此問題に対し深き興味を有たざる者とてはない筈である、戦争絶対的廃止に関はる問題である、更らに進んで人生のすべての悲哀、すべての苦痛、然り死其物の廃止に関はる問題である、如何なる問題か之にまさりて普遍(456)的なる者あらんや、基督再臨は単に宗教家の頭脳を悔ます閑問題ではない、万民の休戚に関はる実際問題である、此事が判明つて人は何人も此問題に対し甚大の注意を払はざるを得ない、吾人が此問題を提《ひつさ》げて大阪の地に臨むは敢て故なきに非ずである、戦争廃止に対し利害の関係最も深きは商人である、剣を打かへて鋤となし、鎗を打かへて鎌となし、大砲を鋳かへて蒸汽機関となし、軍艦の武装を解いて商船となすの時が到ると云ふ、是れ日本商人の都たる大阪に関係なき問題でない、若し此問題の及ぶ範囲の充分に了解せられん乎、全市は挙りて来りて吾人の言はんと欲する所に耳を傾くるであらう、富豪住友家も来るであらう、同藤田家も来るであらう、五千人を容るゝに足ると云ふ此大会堂も決して広きに過ぎないであらう。
〇今や全世界の注意を惹く者は大統領ウイルソンの提出にかゝる国際聯盟問題である、人類の利害休戚に関する大問題であるからである、然し乍ら其重大の程度に於ては基督再臨は国際聯盟の比にあらざるは曰ふまでもない、聯盟は戦争妨止に止まる、然れども再臨は戦争の根本的廃止を持来すのである、「国は国に向ひて剣《つるぎ》を挙げず、戦闘の事を再び学ばざるべし」と云ふ、戦争のみならず軍備の根絶である、而かも聯盟の如くに試験的の事でない、再臨は世界の最大の書なる聖書の明示する所にして神の約束である、必ず実現さるべき事である、故に国際聯盟よりは遥に重大にして最も確実なる事である、故に聯盟に注意を払ふ人類は其れ以上の注意を再臨に払ふべきである、而かも人の之を為さゞるは聯盟は人の計画であつて解し易く、再臨は神の御計画であつて解し難いからである、然れども天の地よりも高きが如く神の思念は人のそれよりも高く随つて再臨の効果は聯盟のそれよりも確実且つ徹底的であるのである。
〇新天地の実現、悲哀慟哭の撤去、死の絶滅、人、何人か此事を望まざらんや、単《たゞ》に此事を聞きてさへ身は舞ひ(457)心は躍るに非ずや、而して吾人は基督再臨を唱へて此大福音を齎らすのである、神が最後に人類に賜《あた》へんと欲し給ふものは此絶大の福祉である、人のすべて思ふ所に過る恩賜《たまもの》である、万物の造主にして人類の父なる神に応しき恩賜である、而して人は又此恩賜に与らずして満足しないのである、宗教の目的は死の撤去にある、「最後に滅さるゝ敵は死なり」とあるが如し、死が生に呑まるゝまで宗教の目的は達せられないのである、而して基督再臨は宗教最後の目的の実現である、単に社会が革まるのではない、家庭が潔《きよ》まるのではない、悪しき習慣が取除かれるのではない、涕が悉く拭はれるのである、死が無くなつて哀み哭《なげ》き痛むことが絶対的に無くなるのである、復活し給ひしキリストが再び顕はれて我等も亦彼が復活し給ひしが如くに復活し、彼が有《もち》たまふやうなる栄光の身体を賜はり彼が生き給ふが如く無窮に生くる事である、聖書が明に伝ふるが如くに基督再臨を解して何人も之を歓び之を望まざるはない筈である。
〇基督再臨を論ずる前に先づその何たる乎を知るが必要である、唯彼れ雲に乗りて来ると云ふ故に迷信であると曰ふ可きでない、先づ聖書は再臨に就て何を示す乎、其事を明にして然る後に其真偽を糺すべきである。
〇基督再臨と云へば神の審判を聯想するを常とする、而して再臨は其一面に於て審判であることは言ふまでもない、「夫れ審判は我が福音に言へるが如く神イエスキリストをもて人の隠微《かくれ》たる事を鞫かん日に成るべし」とある(ロマ書二章六節)、故に再臨は恐るべき事、人の善悪の判別する時、吾人が救はれて悪人が滅さるゝ時、故に成るべく遅からん事を望むべき事であるとは一般に信ぜらるゝ所である、然し乍ら是れ再臨の一面に過ぎない、再臨に歓ばしき他の一面がある、「我れ速に至らん必ず報応《むくい》あり」と主は言ひ給ふた(黙示録廿二章十二)、而して此場合に於て「報応」は確に「報賞」である、「夫れ人の子は父の栄光を以て其使者等と偕に来らん、其時各自の(458)行に由りて報ゆべし」とある(馬太伝十六章二七)、此揚合に於ても「報ゆべし」は同六章二節に於けるが如く善意に解すべきである、其他鞫くと云ふも必しも罪を鞫くの意に於て解すべきでない、「鞫く」に「支配する」又は「治むる」の意味がある、「汝等聖徒の世を鞫かんとするを知らざらんや」とある其場合に於て「鞫く」は確に「治むる」の意である、人の罪を定むる事が神の喜び給ふ所でない事は明かである、愛なる神が|特別に〔付○圏点〕罪を鞫くために其子を世に遣はし給ふ筈はない、神はキリストを以て人の隠微《かくれ》たる事を鞫き給ふは事実である、然し乍ら是れ鞫かん為の審判ではない、治めん為の審判である、即ち仁政を布て恵まんための審判である、「我れ衿恤を欲《この》みて祭祀《まつり》を欲まず」と言ひ給ひし者が争で特別に人の罪を鞫かんために再び世に臨り給はんや、再臨の目的は初臨の目的と異ならないに相違ない、初めて来り給ひし時に「我が来りしは世を審判かんために非ず世を救はんため也」と曰ひ給ひし者は再び来り給はん時に同じ目的を以て来り給ふに相違ない(約翰伝十二章四七)、審判の来臨に伴ふは確なれども審判が来臨の目的でない事は更に確である、主の来り給ふは救はんが為であつて鞫かんが為ではない、戦闘《たゝかひ》は止み、ヱホバの政治《まつりごと》は海より海に及び河より地の極《はて》に及び、涕は悉く拭はれ、哀み哭き痛むこと全然無きに至て再臨の目的は達せらるゝのである。
〇キリストは恩恵を万民に施さんために再び臨り給ふ、然し乍ら万民均しく同じ恩恵に与るのではない、恩恵は之を受くる人に由て異るのである、「其時|各自の行に由りて〔付○圏点〕報ゆべし」とある、而して聖書に循へば人類は三種に類別さる、其第一は基督者《クリスチヤン》である、第二は猶太人である、第三は異邦人である、是れ恩恵の立場より見たる人類の分類法である、而して人は各自彼の属する分類に順つて神の恩恵に浴するのである。
〇基督者と云ふは勿論教会信者ではない、水のバプテスマを受けし者必しも基督看ではない、世に自から基督者(459)と称する者の中に基督者ならざる者が沢山ある、基督者はキリストに由り神に贖はれし者である、其義を自分の善行に於て求めずして自分に代りて十字架に釘けられ給ひし者の贖罪の行為に於て認むる者である、即ち律法以外、道義以外、信仰の立場に置かれし者である、故に恩恵の立場より見て基督者は神の王族である、パウロの言を以て言へば神の世嗣にしてキリストと偕に世嗣たる者である(ロマ書八章一七節)、随てキリストの再臨の時に最大の恩恵に与る者である、携挙の恩恵其れである、「夫れ主号令と使長の声と神の※[竹/孤]を以て自ら天より降らん、其時キリストに在りて死し者先きに甦り、後に生きて存れる我等彼等と偕に雲に携へられ空中に於て主に遇ふべし、斯くて我等何時までも主と偕に居らん」とある其恩恵に与るのである(テサロニケ前四章一六、七)、即ち主が再び臨り給ふや彼が未だ地に到らざる先きに「空中に於て」彼に遇ひまつり其所に彼と偕に成り得るの資格を供《あた》へられたのである、即ち基智者は神が此地より得たまふ第一回の収獲であつて彼の眼に最善と認めらるゝ者である。
〇基督者に次で猶太人が来る、基督者は天に属ける者、故に地に属けるすべての民よりも神の目の前に貴くある、然れども地に属けるすべての民の中に猶太人は最も貴くある、猶太人は神の「宝の民」又「聖き民」、「ヱホバ汝の名誉《ほまれ》と声聞《きこえ》と栄耀《さかえ》とをして其造れる諸の国の人に勝らしめ給はん」とモーセが言ひし民である(申命記二十七章一九節) 而してキリストの再臨に由りて猶太人は此名誉、此栄耀に与るのである、神は猶太人を棄て給はない、其約束に従ひ再び彼等を見舞ひ、彼等を以て彼の心に定め給ひし事を世に行ひ給ふ、即ち律法はシオンより出、ヱホパの言はヱルサレムより出、彼れ其選民を以て諸の国の間を鞫き給ふ其時が至るのである、キリストは再び地上に現はれエルサレムを中心として世界を統治め給ふとは聖書の明かに示す所である、「其日にヱルサレムの(460)前に当りて東にある所の橄欖山の上に彼の足立たん……其日に活ける水ヱルサレムより出、その半は東の海に、その半は西 海に流れん……ヱホバ全地の王となり給はん」とあるが如し(ゼカリヤ書十四章四−九節)、又言ふ「その時ヱルサレムはヱホバの座位《くらゐ》と称へられ万国の民こゝに集まるべし、即ちヱホバの名によりてヱルサレムに集り重ねて其悪き心の剛愎《かたくな》なるに順ひて行《あゆ》まざるべし」と(ヱレミヤ記三−章十七節)、「その日には」「其時には」、彼の足ヱルサレムの東に当る橄欖山の上に立たん時には、ヱルサレムは世界の都となり、選民こゝに其王を奉じて万国の民を治むるであらう、人は此事を聞いて空想なりと言ひて笑ふであらう、然し乍ら是れ聖書の明かに示す所、其一点一劃までが事実となりて現はるゝまでは止まないのである、猶太民族は今猶ほ儼然として存つて居るではない乎、世界孰れの民か彼等の如くに天賦の才能に富み強健にして有為である乎、猶太人は四千年の光輝ある歴史を有し而して今日猶ほ其受膏者を待ちつゝある、而してキリストの再臨は基督者の永生の希望を充たすと同時に又猶太人の此希望を充たす者である、空中に於て栄化せる信者を接け給ふキリストは猶太人の間に臨み、ダビデ王の位に座し、彼等を治め給ひ又彼等を以て世界を治め給ふのである。〇人の子国を父に受け選民の上に王たり給ふ時に神がアブラハムに約束し給ひし福祉《さいはひ》は均しく万民の上に加はるのである、其時水の大洋を掩ふが如くにヱホバを知るの智識は全地を覆ふのである、其時多くの民相語りて言はん率《いざ》我等ヱホバの山に登りヤコブの神の家に往かん、神我等にその道を教へ給はんと(イザヤ書二章三節)、異邦は聖民に由らずして恵まれないのである、神其民を顧み給ふ時は恩恵が万民に臨む時である。
〇「ヱホバ万国を震動ひ給はん時に万国の願ふ所の者来らん」とある(ハガイ書二章七節)、キリストの再臨は万国の願ふ所の事、彼はダビデの苗裔《すゑ》にして猶太人の王、輝く曙の明星にして万民の希望の的である、彼れ臨りて(461)万民が恵まるゝのである、基督者は基督者として、猶太人は猶太人として、異邦人は異邦人として恵まるゝのである、而して恵まるゝは各自己れの為に恵まるゝのではない、全般のために恵まるゝのである、基督者はキリストと共に世を治めんがために恵まるゝのである、猶太人はメシヤの配下に異邦人を治めん為に恵まるゝのである、而して異邦人は彼等の救はるゝに由り栄光の父なる神に帰せん為に恵まるゝのである、恩恵は神より出て神に帰る、之に与りし者は我れ神の寵児なれば恵まれたりと言はない、神万民を恵まん為に我を恵み給へり故に我に臨みし恩恵は真実なりと言ふのである、キリスト再び臨り給ふ、信者よ歓べ、猶太人よ歓べ、異邦人よ歓べ、神の敵と称へられしエジプトとアツスリヤとまでが恵まるゝ時至らんとす、「万軍のヱホバ之を祝して言ひ給はく、我民なるエジプト、我手の工《わざ》なるアツスリヤ、我産業なるイスラエルは福ひなる哉」と、彼れ再び臨り給ふときに斯の如くになるのである(イザヤ書十九章二五節)。故に詩人は歌ふて曰ふた
   全地よ神に向ひて歓び呼はれ、
   その聖名《みな》の栄光を歌へ、
   その頌美《ほまれ》をさかえしめよ……………………
   と(詩篇六十六篇一、二)
 
(462)     大家の証明
                         大正8年2月10日
                         『聖書之研究』223号
                         署名 内村
 
〇英国組合教会の本山はマンスフイルド大学である、其総長はジヨン・A・セルビー博士である、我友|好本督《よしもとたゞす》君一昨年英国を去りて帰朝する前、博士を訪ふて聖書研究に関する意見を求めた、博士曰く「聖書に関し余の思想は近頃一変せり、第一余は従来の如く聖書を心霊的に解するを廃《やめ》て文字的に解するに至れり、第二余は今日まで読み来りし聖書註解書の多数は之を火に投ずるの勝れるを信ず、第三聖書正解の主《おも》なる途は文字其儘を読みて祈祷に由りて神より啓示を求むるにあり」と、流石はセルビー博士である、彼は我国の組合教会の指導者とは違ふ、聖書は心霊的に解すべからず文字通りに解すべしと、実に其通りである、救主の奇跡的出生、奇跡的生涯、復活、昇天、再顕、是れ皆な此譬的又は心霊的に解すべきではない、文字通りに、歴史的に、預言的に解すべきである、然らば聖書の意味は多くの註解を待たずして明瞭になるのである、聞く博士は今回の戦争に於て其一子を失はれしと、此事蓋し博士に新光明を供するに方て与りて力ありしならん、聖書註解書の多数は之を火に投ずるを可《よし》とすとは余も賛成である、余は之を焼ない、骨董品として之に隠居を命じた、|殊に近代の米国の神学者に由て著はされし註解書は無益と称せんよりは寧ろ有害である〔付△圏点〕 シカゴ大学、エール大学、ユニオン神学校等の教授等は信仰の何たる乎をさへ知らない、我等は彼等より生命の糧《かて》を求めて餓死するまでゞある、流石は英国であ(463)る、素々強き福音主義を以て始まりし組合教会が何時までも今日の如き俗化的状態を続くべきではない、コロムウエル、ミルトン等の信ぜし単純にして崇高なる福音に還る時が必ず来る、我国の組合教会は一時的変体に過ぎない、組合教会は福音教会である、余輩は組合教会の撲滅を願はない、其還元を祈る、昔時の清教徒の如くに聖書全部を神の言として受くるに至らんことを祈る、余輩は組合教会の将来に大なる希望を繋ぐ者である。
 
(464)     国家的罪悪と神の裁判
         (十二月一日) 亜麼士書一章二章の研究
                    大正8年2月10日
                    『聖書之研究』223号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 アモスは預言者中最も古き者の一人である、彼はヨエルと同時代にして所謂大預言者よりは遥に古き人であつた、而して此預言者即ち神の言を伝へて国民を警醒したる人の前身は何であつた乎、曰くテコアの牧者の一人であつた、即ち極めて卑き身分の人にして所謂土百姓であつた、斯かる者が出でゝ彼《あの》国此国の罪悪を列挙し最後に自国の罪悪を指摘して汝等神の刑罰を免る能はずと叫んだのである、試みに東京近郊板橋又は練馬の農村にありて日々疏菜類を扱へる者が其服装の儘にて市中の講壇に現はれ而して英米仏独等世界の大国の国勢を論じたる後「汝等日本国民も亦同様の罪悪を犯せるが故に神の裁判に与らざるべからず」と唱へたりとせば如何、必ずや狂を以て目せらるゝであらう、然しながらアモスは真に一個の牧者に過ぎなかつた、而も彼には唯一の確信があつた、即ち「我れヱホバに召されたり」との確信であつた、彼は此確信を以て立つた、而して預言者とは凡て斯の如き者である、狂なるが如くにして狂にあらず、神に召されて立ちて神の真理を伝ふ、是れ真正の預言者である。 テコアはヱルサレムの南凡そ二十哩の所に位し死海を瞰下する勝景の地である、アモスの当時ユダヤは南北(465)に二分し南方はユダヤと称してヱルサレムを都とし北方はイスラエルと称してサマリアを都とした、故にテコアより出でたるアモスは即ちユダヤの人であつた、然しながら本来一国たりし関係上南方の人も北方の民に対して深き同情を有し其運命につき共同の利害を感じて居つた、故にアモスも亦ヱホバに召かれイスラエルに就て預言せん為め北方の都に赴いたのである。
 然しながら彼は初よりイスラエルを責めなかつた、第一にダマスコ、次にガザ(ピリシテ)、次にツロ(ピニケ)、次にエドム、次にアンモン、次にモアブ、次にユダを貴めて|而して最後に自国に及んだ〔付○圏点〕、即ちイスラエルを中心として四方の国の罪悪を先づ責め然る後に自国の罪悪を責めたのである、牧者アモス素より所謂教育の人に非りしと雖も之れ彼の誠実の然らしめたる最も有力なる能弁術であつた。
 彼はダマスコ以下の諸国を責むる毎にヱホバの言として曰うた「汝に三の罪あり、四の罪あれば我必ず之を罰して赦さじ」と、既に数多の罪を犯したれども之を赦せり、然るに赦し得るだけ赦したる上に尚ほ罪を犯せるが故に今や之を赦す能はず罰せざるを得ずとの意である、即ち犯罪其極に達したれば赦すを得ずとの意である、アモス初にダマスコに就て之を言ひし時聴衆は拍手喝采して然り々々と叫び万歳を唱へたであらう、アモス更に南方に移りピリシテ人に就て之を言ひし時聴衆は又同じ態度を繰返したであらう、更にツロに移りて亦然り、エドム亦然り、アンモン、モアブ、ユダ亦然り、而して預言者アモス若し此処に至りて其預言を止めしならば彼は必ずや大なる賞讃を博し愛国者の名誉を贏ち得たであらう。
 然しながら彼は徒らに他国の罪悪を責めて自国につき沈黙を守るが如き愛国者ではなかつた、彼は自国の罪悪を指摘して之を責めんが為にヱホバより遣《おく》られたる預言者であつた、故に彼はダマスコ以下の諸国の罪を責めし(466)後引続き自国の罪を挙げて曰うた「ヱホバは公平なる神である、罪は何人の犯す所たり共之を罰せずして措き給はない、汝等ダマスコ罰すべし、ガザ罰すべしと言ふ乎、然らば|同様に汝等自身も亦罰せられざるべからず〔付△圏点〕」と、言此処に至りし時聴衆たるイスラエル人の驚愕と憤怒とは果して如何ばかりであつたらう乎。
 而してアモスの預言したる神の裁判は驚くべき者であつた、彼はエドムに就て曰うた「我れテマンに火を遣りボヅラの一切の殿を焚かん」と、又アンモンに就て曰うた「我れラバの石垣の内に火を放ち其一切の殿を焚かん」と、テマンは夙に開明の地にして智者多く(ヨブ記参照) 又アツシリヤ、アラビア間の隊旅《カラバン》の通路に当り商業の中心であつた、而してボヅラは岩石中に斫り込みて建てられし街にして最も要害の地であつた、恰もかのジプラルターの要塞が若し少許《すこし》の軍兵茲に籠り糧食に窮する事なくば如何に精鋭なる艦隊を以てするも之を抜く能はずと称せらるゝが如くボヅラも亦難攻不落の堅城と称せられたのである、アンモンのラバ亦然り、その到底外より攻陥する能はざる要害の地なりしは多くの実見者の言ふ所である、然るにアモスは憚らずして曰うた「テマン人よ、アンモン人よ、汝等若し悔改めずばヱホバの怒の火来りてボヅラとラバとを焚き尽さん」と、ラバ又はボヅラの市民等之を聴いて笑つたであらう、然しながら茲に預言者の大確信があるのである、若し国民にして其罪悪を悔改めずんば如何に強大なる陸海軍を貯へ如何に要害堅固の地を擁すと雖も必ず神の裁判によりて滅亡せんと、之れ餘言者の宣言である、而も何等の資格を有せざる牧者の一人の宣言である、実に偉大なる預言といはざるを得ない、|而して彼の預言の如くボヅラもラバも全然荒廃に帰したるは歴史上の事実である〔付○圏点〕。
 翻つて問ふ今回の大戦争は餘言者アモスの言に対して何等の註解をも与へなかつた乎、国家的罪悪に対し神の大なる裁判の降るに当ては何物も之に抗する能はずとの真理を我等に教へなかつた乎、勿論今の人は之を信じな(467)い、此世界を支配するものはヱホバの律法にして戦争の勝敗を決する最大原因は神の意思なりといふが如きは基督教的国民と雖も有せざる観念である、近来頻々として外国より来る電報を見るに其中に神を言ふものは一もない、却て米国より来る冊子の如きは神が歴史を支配したるは昔時の事なりといひ今は神に非ずして実力なり大砲なりといふ、果して然らば聖書を如何せん、聖書は国家的罪悪に対する神の裁判を教ふるものである、知らず今回の戦争に於て聖書の言は果して事実となつて現はれなかつた乎。
 思ふに此戦争は少くとも一事を我等に教ふるのである、|即ち嘗て波蘭の滅亡に与りし国家が此戦争によりて如何にして罰せられたる乎其事である〔付◎圏点〕、之れ甚だ興味ある問題である、余は思ふ波蘭の運命が今回の戦争の成行を決するに最も有力なりし原因の一ではなかつた乎と。
 波蘭は独墺露三国間に介在せる大国であつた、其面積は我国の凡そ二倍位であつた、然るに今より百二十三年前に此強大国は忽焉として亡びたのである、其滅亡の原因に朝鮮の末路に酷似する所がある、即ち国内に二党派ありて烈しく相争うたのである、而して隣国なる露独墺は少しも此国難を援助する事を為さず却て之を利用して自己の欲望を充さんと欲した、一七七二年独帝フレデリツク大王は露帝カゼリン二世に使節を派遣し更に墺国を之に加へて分割の議を調へた、斯くて三国共同して何の理由もなく波蘭の国土中優良の部分を割取したのである、之れ恰も白昼の強盗の類である、史家は曰ふ古来国家的罪悪の行はれたるもの多しと雖も波蘭の分割ほど理由なきものなしと、爾後二十余年にして又同じ事が反覆せられた、二党国内に相軋り独逸は其一党を援け露国は他の党を保護した、而して内政干渉を継続する内両国|相議《あひはか》りて再び分割を企て偶々墺国の仏国と葛藤を生じたるに乗じ一七九三年独露の二国之を分割したのである、茲に於て波蘭国内大革命の蜂起するあり志士コッシウスコ奮(468)然として立ちしも一敗地に塗れ遂に一七九五年波蘭全土は露独墺三国の為に悉く分割せらるゝに至つた、即ち露国は面積十八万一千方哩と人口六百万を、墺国は面積四万五千方哩人口三百七十万を、独国は面積五万七千方哩人口二百五十万を併呑したのである、此分割に就ては一の道穂的理由を発見する事が出来ない、而も口に人道を唱ふる者にして一人の此挙に反対したる者あるを聞かない、憐むべき波蘭国民は爾来恨を呑んで今日に至つたのである。
 敢て問ふ斯の如き事は果して之を容認し得るのである乎、国家学者は答へて言ふであらう、曰く「個人としては素より赦すべからざる罪悪である、然れども国家としては已むを得ない、国家的道徳は個人的道徳と異なる、国家は其れ自身の支配者である、故に個人の道徳を以て之を律する事が出来ない」と、而して独逸が露墺と共に此大罪悪を犯したる頃カント先生はケーニヒスベルヒ大学の講堂に於て日々大哲学大道徳を説きつゝあつたのである、然るに彼が此挙に対し一言の声を揚げたりとはカント伝中一言も記されない、カント先生然り況んや其他をや、|然れども神は此事を記憶し給ふたのである〔付△圏点〕、一千万人の波蘭人の涙は大帝国の王者政治家哲学者宗教家等の目に何の訴ふる処なかりしと雖も神は之を見給うたのである。
 百二十三年前波蘭分割に与りし露国の皇室はロマノフ家であつた、墺帝は有名なるマリアテレサの子ヨセフ二世にしてハプスブルグ家であつた、普王は今のカイゼルの七代の祖フレデリック大王にしてホーヘンツオルレルン家であつた、此三王家相合して何の理由もなく波蘭を分割窃取したのである、爾来百二十有三年国家学者は之を弁護し国民は沈黙を守りて今日に至つた、然るに見よ、今回の戦争は何を教ふる乎、露国先づ倒れ墺国之に尋ぎ遂には独国亦亡ぶ、波蘭窃取の三国が崩潰したのである、其皇室は何ぞ、同じロマノフ、ハプスブルグ、ホー(469)ヘンツオルレルンである、其場所は何処ぞ、同じ波蘭に於てゞある、初め露軍頗る優勢にして独墺領内に殺到するやマッケンゼン将軍出でゝ之を反撃駆逐し露軍再び進出すれば墺軍三度び之を逐ひ、かくて大軍の巨浪幾度か波蘭の地を往返したのである、|而して其旧き罪悪の故跡に於て往年の犯人たる三国共に滅亡の運命に会したのである〔付△圏点〕、之れ誠に恐るべき事実ではない乎。
 今回の独逸の滅亡に就ては種々なる説明ありと雖も遂に説明を下す能はざる事実がある、独逸の軍備は全世界を敵として戦ひ得るやうに編制せられて居つた、故に軍事上より言へば同盟の一角の崩壊の如きは数ふるに足らない、然るにも拘はらず其敗北の驚くべく脆きものありしは何故である乎、マルヌの戦に当り元帥ジヨッフルはその勝敗の原因を軍事上より説明する能はずと言ひしが今日フオッシユ将軍等の心事も亦同様であらう、心ある人は茲に必ず何等かの深き理由ある事を思はざるを得ないのである。
 然り茲に大なる理由がある、預言者アモスの言を以てすれば「露西亜よ墺太利よ独逸よ、汝等に三の罪あり、四の罪あれば我必ず之を罰して赦さじ」である、理由なくして弱国を弄ぶ、之れ赦すべからざる罪悪である、故に神は之を罰し給ふのである、而して神の手一度び動かば強大なる軍備と雖も之を如何ともする事が出来ないのである、世界を支配するものは神の意思である、故に之に従はざる国家は必ず大なる裁判を受けて粉砕せられざるを得ないのである。 露国に罪あり故に罰せられざるべからず、墺独に罪あり故に罰せられざるべからず、然らば英国は如何、英国も亦同様である、倫敦は世界中最も貧民多き都ではない乎、彼処にありて夜々眠るに所なきもの数十万を数ふといふ、支那人に亜片を売りて四億の民の道徳と健康との根本を損ひし者は誰である乎、其他彼国に就て多くの罪(470)悪を数ふる事が出来る、故に露独墺にして罪悪の為に亡びたるならば英国亦然りである。
 而して斯く説き来れば多くの日本人は之を聴いて然り々々万歳を連呼するであらう、然れども最後に汝等日本人よ、汝等に果して罪なき乎、汝等の富豪と政治家との堕落は如何、官吏社会の腐敗は如何、我等の姉妹は海外に大なる恥辱を蒙りつゝあるではない乎、然らば如何、同じ神は同じ罰を以て汝等にも亦臨み給ふであらう、神の世を裁判き給ふや決して人を偏視《かたよりみ》ない、日本人と雖も若し其罪を悔改めずば必ず同様に亡ぼさる1であらう、之れ聖書の明言する所にして又預言者アモス以来二千六百年間の歴史の証明する所である、故に我が愛する国民よ、深く省みる所あれ。
 
(471)     イエスの母マリア
         (十二月十五日)  路加伝第一章の研究
                    大正8年2月10日
                    『聖書之研究』m号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 欧米には堅き信仰があると共に又深き不信仰がある、聖書を破壊せんとする大なる懐疑がある、而も基督教の教師中にすら之を認むるのである、余は先般欧洲の某々中立国より来れる二人の神学者に招かれて福音に就て語つた事があつた、其中の一人は自国に於て会衆二千人を有する正統派教会の牧師にして最も有力なる宗教家であつた、然るに驚くべし彼等は声を揃へて余に問うて曰く「勿論貴下はイエスの処女マリアより生れたりと言ふが如き事実は之を信ぜざるべし」と、余は之等遠来の客に不快の感を与ふるに忍びなかつた、然しながら問題は余りに重大であつた、故に已むを得ない、余は明白に答へて曰うた「余は之を信ず、然り余は処女降誕のみならず凡ての奇蹟を信ず、イエスの復活、昇天、其再臨、余は尽く之を信ず」と、茲に於て教師は更に余に問うて曰うた「然らば請ふ其理由を述べよ」と、|基督教団の神学者が異教国に生れし余に対して之を要求するのである〔付△圏点〕、依て余は簡単に説明して曰うた「余の之を信じ得るに至りしは文学上又は哲学上からでない、歴史上又は生物学上より見てこは甚だ難問題である、然しながら|余は先づ余自身の心中に大奇蹟を行はれしが故に聖書中の凡ての奇蹟を信じ得るに至つたのである〔付○圏点〕、余は素と異教国に生れし者である、諸君は未だ異教国に生れし者の心的状態(472)を知らない、その状態にありし者が遂にキリストを信ずるに至りしは絶大の変動である、之に与らざる者の知るを得ざる大なる奇蹟である、而して余の心中に此大奇蹟を行ひし者が処女マリアよりキリストを生れしめ給へりと聞いて余は少しも之を疑ふ事が出来ない」と、誠に若し路加伝第一章の記事を科学者の立場より見て不可能事として之を排斥し去るならば其れ迄である、世に学問上の証明に由て信者となりし者は一人もない、イエスは処女マリアより生れ給へりといふ、如何にして之を信じ得る乎、頭脳《ヘツド》を以てに非ず、心《ハート》を以てである、|先づ己が心に大なる奇蹟を行はれて而して後に凡ての奇蹟を信じ得るのである〔付○圏点〕。
 然しながら説明は以て信者を作る能はずと雖も以て信者の信仰を強むるに足る、故に余は茲に少しく路加伝第一章の記事に就て信者の為に説明を施さんと欲する。
 第一に天の使来りてマリアに其懐胎を告げたりといふ、天の使とは何である乎、若し斯の如き者ある筈なしと言はゞ大なる謬である、天使と言ひて必ずしも単に使者の意味ではない、我等と存在の状態を全然異にせる或る実在物である、其物が特別の場合に人に現はるゝのである、アブラハムにも之が現はれた、サムソンの父母にも之が現はれた、故に独りマリアにのみ現はれたのではない、而してかゝる実在物の存在は果して之を思考し得ない乎、近刊のヒッバート雑誌は或る独逸人の幽霊に関する研究の結果を載せて居る、曰く幽霊は人の接触し得べき物質的実在物であると、記者は幽霊の体量を測定し其体内より排泄したる物質をも分析して顕微鏡検定を行へりといふ、而して百五十枚の写真と三百二十頁の論とを以て之を証明して居るのである、若し近世科学の立場より幽霊に関する斯程の研究を発表し得るならば況して天の使マリアに現はれたりといふも直に之を荒唐無稽として斥くべきであらう乎、既にラヂウムの発見によりて宇宙の構造に関する学者の思想一変したるが如く我等の目(473)を以て天使を見得べき状態に達する事も亦不可能と言ふ事が出来ない。
 第二に最も優秀なる頭脳を有し深遠なる学識と博大なる常識とを備へたる人にして堅く処女降誕の事実を信じ之を世に発表して憚らざりし人は決して少くない、而して彼等の信仰を知る事は我等自身の信仰に対する強き奨励たるを失はない、グラッドストン曰く「偉人の証明は大なる弁護なり」と、今茲に数氏の名を揚げん乎、グラスゴー大学の教授にして内外の尊敬を博したるゼームス・オル博士は其一である、博士の名著『基督教的宇宙観』の如きは基督教の立場より哲学問題を研究したる最も明快なるものと推賞せられて居る、次にオクスフォード大学のウヰリアム・サンデー博士は其二である、彼の新約聖書論は世界的権威として認められて居る、今回の戦争に関しても英国の立場を最も明白ならしめたる者は実に彼であつた、次に蘇国アバヂーンの学者ウヰリアム・ラムセー先生は其三である、彼は近東に於ける古代の事実に関する最大権威である、次に独逸エルランゲンの教授テヲドール・ツァーンは其四である、彼の新約聖書論も亦世界的権威と称せらる、其他伯林のゼーペルゲ博士あり、仏国のヅウメルゲーあり、牛津大学《オクスホード》のグリフィス・トマスあり、巴里に於て猶太人の立場より活動せるパスチユール・ヒルシあり、若しそれ米国ボルチモアの医家にして産科に関しては世界に於ける最高の権威たるハワード・A・ケリー博士が凡ての熱心を傾注して処女降誕の事実を確信し其信仰を世に発表せるの一事に至りては我等の信仰を強むる事至大なりと言はざるを得ない、此事に関する産科医の証明は神学者のそれに比して遥かに有力である、世界第一の産科医と雖も神の己が霊に対して施し給ひし奇蹟に照らして此驚くべき奇蹟を信ぜざるを得ないのである。
 第三に考ふべきは記事其ものである、路加伝第一章の劈頭に於て記者は序文を掲げて曰く「我等の中に成りし(474)事の物語につき始よりの目撃者にして御言《みことば》の役者となりたる人々の我等に伝へし其儘を書き列ねんと手を着けし者數多ある故に我も凡ての事を最初より詳細《つまびらか》に推し尋ねたればテオピロ閣下よ汝の教へられたる事の慥かなるを悟らせん為めに之が序を正して書き贈るは善き事と思はるゝなり」と、之を今日の語を以て言へば「最初よりの事実を研究して正しと思ふ所を書き贈らんとす」との意である、知るべし歴史家が自己の研究の結果として発表したるもの是れ即ち路加伝なるを、故に若し其記事を信ずる能はずば先づ其記者を信ずべきである、而して記者はケリー先生と同じく医家にして当時の学者であつた、言ふ勿れ千九百年前の科学の如き顧みるに足らずと、希臘時代の学問の進歩は驚くべきものであつた、哲学史学又は博物学等は当時既に其最上のものを産出したのである、ルカの受けたる教育は実に此程度のものであつた、彼の吸ひたる空気は決して迷信的のものではなかつた、而して彼は進歩せる科学者の立場に於て前記の序文を綴りたる後直に処女マリア懐胎の記事を掲げたのである、故に若し此記事にして真実ならずとせば如何、|自ら研究の結果なりと称して而も言下に荒唐無稽の語を発したりとせば如何〔付△圏点〕、其書悉く棄てゝ可なりである、然るに路加伝の世界に重んぜられて今日に至る迄読まるゝ所以は何処にある乎、之れ其記載する所の事実有の儘なるが故である。
 又記事其ものに毫も修飾の跡を見ない、記事の真偽は記事其ものに由て容易に鑑別し得る事は少しく著述の経験ある者の知る所である、路加伝は何の修飾なき記述である、エリサベツのマリアを迎へし時「福なる哉云々」の語口を衝いて出で、マリア亦之に対して美しき歌を歌ひたるが如き決して修飾の辞ではない、何人も感情の高調する時は其言ふ所直に詩となり歌となる、況んやエリサベツの如く又マリアの如く特別なる恩恵に与りし者に於てをやである。
(475) 最後に一言したきは記者ルカの性格である、彼は基督教の産出したる特有の性格を備へし人であつた、彼は学者にして常識に富み同時に極めて同情深き人であつた、彼の如きは真にキリストの感化を受けたるクリスチヤンドクトルであつたのである、或人路加伝を評して曰く「是れ婦人と小児と貧民との福音なり」と、実に路加伝を読みて其感を免るゝ事が出来ない、温き心を有したるルカは自ら婦人小児貧者の衷心に入り得たる人であつた、均しく基督伝を書くと雖も税吏マタイは正々堂々ヨセフの正系を辿り、同情の人ルカは先づ母マリアを捉へ婦人の心中機微の処に立ち入りて之を描く、正に同情の極致である、何人か人に同情して此深き所に迄到り得べき乎、古来多くの学者がマリアを以て淫婦と看做したではない乎、淫婦乎、将た聖き処女なる乎、凡て自ら穢れたる者は聖き者の真相を見る事が出来ない、|ドクトル・ルカは恵まれたる人であつた、キリストの霊彼に宿りて彼は処女の聖き心に分け入る事が出来た〔付○圏点〕、その深刻なる同情に対して我等は心よりの尊敬を禁ずることが出来ない、処女マリアの胸中を憶ふてルカは無限の同情に堪へなかつた、見よ一人の処女今や結婚の式に臨み生涯己が夫たるべき人の側に立ちて共に聖き家庭を作らんとする時其心中を占むるものは何である乎、決して所謂甘き幸福の感ではない、茲に厳粛なる処女の大決心がある、其眼には熱涙の滂沱たるを禁じ得ないのである、マリアも亦かゝる聖き処女心を以て稀有なる経験の中に立つた、神我を如何にせんと欲し給ふ乎、噫その大なる当惑《エンバラスメント》! 然るに神はエリサベツといふ己より遥に年進みて子なき婦人に子を産ましめ以て己の信仰を助けんと欲し給ふを知り彼女は馳せて山里に赴いた、其時彼女は思うたであらう「我が此の心誰にか語らむ、唯此老婦人あるのみ」と、而してユダの山里に到りザカリヤの家に入らんとすれば老婦エリサベツ門前に彼女を迎へて己が実験より出づる同情の語を以て彼女を慰めたのである、老婦の同情は処女の心の最も深き所に触れた、茲に於てか美はしき讃美(476)歌は湧然として彼女の唇より溢れ出でた、而してルカは此心に同情して之を我等に伝へたのである。
 先年我国学界の大権威たりし加藤弘之博士一書を著はして基督教を罵りキリストは淫婦マリアより生れたりと言ひし事があつた、若し博士の言ふが如くならんには基督教は私生児の教である、既に其根源にして潔からずば此教の感化する所みな不道徳を以て終るべき筈である、然るに何故基督教は家庭を破壊しないのである乎、何故却て基督教に由らずしては家庭は聖められないのである乎、何故基督教を嘲る者の家庭に不潔が多いのである乎、何故に儒教を以て家庭を潔むる事が出来ないのである乎、何故に処女懐胎を伝ふる聖書が最も潔き家庭を作るのである乎、答へ得る者は答へよ、之れ事実の提供する問題である、而して事実は最も強き証拠である、家庭を潔むる唯一の途は聖書にあるのみ、何故に然る乎、神は処女を以て聖き者を世に遣《おく》り給うたからである、処女マリア聖霊に由りて神の子を生んだからである、故に嘲る者をして嘲らしめよ、|加藤弘之博士の書今や全く塵に埋れて之を顧みる者一人もあるなしと雖もドクトル・ルカの書は二千年に亘りて今尚全世界を感化しつゝあるのである〔付△圏点〕、彼の筆に由て伝へられしイエスの母マリアの聖き物語はクリスマス毎に繰返されて幾千万の人を潔めつゝある。
  我国の或る医学雑誌はケリー博士が処女懐胎を信ずると聞いて頻りに博士の迷妄を歎きつゝある、勿論純医学の立場より見て此事の信じ難きは言ふまでもない、然し乍ら|我国医界の腐敗堕落其事は何を証明する乎〔付△圏点〕、聖き聖書の記事を信ずる能はざる事が茲に至らしめし原因の一でない乎、腐敗は不信医学の特徴なる事を忘るべからずである。
 
(477)     平和の到来
         (十二月廿二日)  路加伝第二章の研究
                    大正8年2月10日
                    『聖書之研究』223号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 過去四年間破壊撃沈等の血腥き話を毎日伝へたる世界戦争も遂に終熄して本年は再び平和のクリスマスを迎ふる事が出来る、而して人類は今や永遠の平和の到来を期待しつゝある、此時に当り我等戦争を悪む事最も甚だしき者は此期待に対し満腔の同情を寄せざるを得ない、然しながら斯かる重大なる問題に対しては断じて浅薄なる解釈を施すべからずである、我等は平和の如何にして来る乎に就き聖書の教ふる所を知らなければならない、而して之を知らんと欲して我等は人類の思想を以て聖書に臨んではならない、|聖書を教へんとする勿れ、聖書に教へられよ〔付○圏点〕、聖書は世界平和の到来を如何に見る乎、若し聖書の見る所人類の思想と反せんには我等は唯前者を取て後者を棄つべきのみである、今の人は余りに米国大統領其他人間の言を重んじて聖書を重んじない、是れ大なる誤謬である、聖書に服従せよ、聖書に※[手偏+虜]《とりこ》とせられよ、聖書は如何にして世界戦争の絶滅すべきを教ふる乎。
 平和の到来に関して我等に教ふる聖書の言の一は路加伝第二章に記されたる天使の歌である、之を訳して
   いと高き処には栄光神にあれ、
   地には平和、
(478)   人には恩恵あれ、
といふ、然し乍ら記憶すべきは之れ天使の来りて歌ひし歌なる事である、従てかの日本歴史に於て菅原道真の怨霊或る時雷鳴の間に天より七言絶句の詩を歌ひしといふが如く明瞭なる文章を為さゞりしものと見なければならない、天の使が短き時の間に大真理を伝へたのである、之を譬ふれば|天よりの電報の如きものである〔付○圏点〕、日々の新聞紙上に表はるゝ外国電報は発信者より受けたる主要なる語句を本として受信者が其意思を想像して之を文章に綴るのである、天使の歌も亦極めて簡潔なるものであつたであらう、ルカは聖霊に由り僅に十一字を以て之を翻訳し能く其儘を伝へたのである、即ち
   いと高き処には栄光神に、
   地の上には平和、
   人の中には好意、
と、而して古き写本には eudokia(好意)の次に s を附して eudokias としてある、然らば「恩恵の人」の意となり歌は三段よりも寧ろ二段に分ちて之を読むべきである、
   いと高き処には栄光神に、
   地の上には平和恩恵の人の中に、
その何れにせよ天より響きし語は皆荘重なるものゝみであつた、即ち「いと高き処」、「栄光」、「神」、「地」、「平和」、「人類」、「恩恵」、之である、之等の語の意味は文典又は辞書に由て解する事が出来ない、基督教の全体の精神より之を探らなければならない。
(479) 然らば平和とは何である乎、人の間に争ひ無きの謂なる乎、否基督者の思想としての平和は斯かる軽薄なるものではない、抑も我等が真に人と争はざるに至るは何時である乎、そは即ち我等が神と争はざるに至りし時である、故に基督者の平和とは唯に人と争はざるのみならず各自の心に大満足あるの意を有する、先づ神の恩恵我等の心に臨みて然る後に平和は来るのである、パウロの語として常に「恩恵と平和」(charis kai eirene)と並び称するは之が為である。
 然り神の恩恵我等に臨み我等の心に大満足ありて而して生ずるものが真の平和である、故に之を平和と訳するよりも寧ろ平|康〔付○圏点〕と訳すべきである、希伯来語のサローム、希臘語のアイレーネ、共に|平康〔付○圏点〕である、|心の健全なる状態〔付○圏点〕に於てあるの謂である、平和は如何にして来る乎、国際聯盟と其大海軍とに由て来らない、大統領ウヰルソンの努力に由て来らない、先づ神の救に与りて罪を除かれ我等の全心健康状態に復して即ち平和は臨むのである、先づ神に栄光あり其結果として地に救来りし時に即ち平和は実現するのである、故にマイヤーは此処に於て「平和」の訳語を斥け「地には|救〔付○圏点〕あれ」と訳して居る、聖書の謂ふ所の平和は平康である、健全である、救である。
 次に恩恵とは何である乎、eudokia と言ひて単に物又は霊を以て臨むの意ではない、此語に特別の意味がある、其の最も良き註解は馬太伝三章十七節等(同十七章五節、馬可伝一章十二節、路加伝三章二十二節、彼得後書一章十七節)の
  こは我心に適ふわが愛子なり
との語である、その「心に適ふ」と訳せられしは「恩恵」と同じ字を動詞として用ゐたのである、之を英語にて言へば well disposed である、神に「好く意《おも》はる」又は神「其の心を傾け給ふ」の意である、キリストは神の其(480)心を傾け給ふ者であつた、神に好く意はるゝ者であつた、神の心に適ふ者であつた、即ち神の恩恵を受けたる者であつた、而して独りキリストのみではない、我等も亦神の其心を傾け給ふ者たる事が出来る、子の親に背く時親は其心を之に傾けない、然しながら背ける子の親に帰順する時親も亦そむけたる顔を之に向くるのである 我等は神の心に適ふイエスキリストを信ずるに由て彼の如く神の心に適ふ者神に好く意はるゝ者神の其心を傾け給ふ者となる事が出来る、恩恵の人とは即ちキリストを信ずる者である、キリストに由りて神の恩恵に与る者、キリストに由りて神の其心を傾け給ふものである。
 故に「地には平康恩恵の人の中にあれ」と言ひて全く事実を歌ひしものである、神の子キリスト世に生れていと高き処には神に栄光があつた、而して同時に地には平康即ち救が臨んだ、誰に乎、彼に由りて神その心を傾け給ふ者にである、「地には救ひ神の心に適ふ者の中にあれ」と、単純である、明白である、勿論基督者は自身に神の愛を独占するものではない、恩恵は彼等を通して全人類に及ぶ、然しながら恩恵は先づ彼等に降るのである、救は先づ彼等に臨むのである、ベツレヘムの郊外に於て天使の牧羊者等に伝へたる歌はこの狭き意味に於てであつた。
 如何にして全世界に平和が臨む乎、先づ基督者に平和が臨みて然る後である、如何にして社会又は家庭に平和が臨む乎、先づ我自身に平和が臨みて然る後である、我自身の心に平和なくして徒らに平和平和を叫ぶも平和は世に臨まないのである、先づ我心に充溢する大満足大平康あて然る後に凡ての人との間に平和は来る、然らば如何にして我心に平和は臨むべき乎、自己の臍のみを注視して平和は我心に臨まない、神と平和を結び神の心を傾け給ふ者となりて姶めて我が衷に大満足が生ずる、如何にして神と平和を結ぶべき乎、我が為に十字架上に死に(481)給ひしイエスキリストを仰ぐに由りてゞある、先づキリストに由て神の心に適ふ者とならずんば平和は決して世に到来しないのである。
 平和は今何処にある乎、大戦争は終熄したりと雖も平和は未だ世界にあるなし、戦争止みて尚ほ道徳上の競争がある、商業上の競争がある、伝道上の競争がある、斯くして平和は未だ世界に臨まないのである、然らば平和は何処にも存在しないのである乎、否神の其心を傾け給ふ者の間には既に大なる平和がある、キリストの血によりて贖はれたる者が互に手を握る時に真正の平和、平和中の大平和が実現するのである、其時人種年齢男女職業地位教育等の差別は悉く撤廃せられて皆互に兄弟たり姉妹たるのである、誠に其の喜び言ひがたしである、斯かる平和は政治家の努力に由て来らない、唯イエスキリストの贖に由て来る、ヴエルサイユ宮殿に於ける平和会議に由て来らない、唯祈祷の座に於ける罪の悔改に由て来る、十字架により神と平和を結び神の心に適ふ者神に好く意はるゝ者神の心を傾け給ふ者となりたる人の間にのみ新しき平和は実現するのである。
 平和は独り基督者の間にのみある、然しながら此平和を味ふ事深ければ深き程我等は全人類の平和を愛せざるを得ない、キリストに由る平和を獲たる者は戦争を悪む事蛇蝎の如くになるのである、真の平和論者は絶対的非戦論者である、かの平時には平和を唱へ戦時には戦争を唱ふる者の如きは未だ神の賜ふ平和を味はざるの証拠である、先づ神の心を傾け給ふ者となりて自己の心に大満足を獲得せん乎、即ち至る処に新なる平和を実現せずんば已まない、先づ我等自身の心に臨みし平和は更に溢れて我等の周囲に流れ出でずんば已まないのである。
 故に先づ平和を各自の心に獲得せよ、而して至る処に平和の光を放てよ、キリスト世に降りて平和は地に臨んだ、即ち彼を信じて神の心に適ふ者の間に臨んだ、而して之れ全世界に臨むべき平和の源である、「いと高き処に(482)は栄光神にあれ、地には平和恩恵の人の中にあれ」である。
 国際聯盟に由て世界の恒久的平和が来ると思ふはそれこそ大なる迷信である、論より証拠である、国際聯盟は成らない、縦し成つても平和は来らない、虎や狼の如き自己中心の人類が如何に方法を講じたればとて愛の結果たる平和を実現しやう筈がない。
 「豹その斑駁《まだら》を変へ得るか、若し之を為し得ば悪に慣れたる汝等も善を為し得べし」である(エレミヤ記十三章二三)、外交術に由て世界の恒久的平和を実現せんとする政治家輩の短見憐むべしである、国際聯盟が失敗と失望に終るは何よりも明白である。
 
(483)     大阪大会評
                         大正8年2月10日
                         『聖書之研究』223号
                         署名 内村
 
 盛なる会合であつた、或る兄弟が歌ひし如く「三四百心配の坂通り越し、
今日の集会《あつまり》二千三百」であつた、集まりし人の数より言へば我国に於て未だ曾て見しことなき純信仰の会合であつたらう、我等は世界の平和とか国際聯盟とか云ふ問題を標榜しなかつた、我等は旧い迷信視さるゝ問題に就いて語つた、而かも大阪の市に於て三日間五回に渉り千人以上二千三四百人の人が集まつたのである、実に奇異なる現象である、主の為し給ひし所なりと云ふて間違なからう。
○然し乍ら余に多くの不満足があつた、厳粛の点に於ては大阪大会は遠く東京大会に及ばなかつた、一月十一日東京丸の内中央亭に於ける晩餐会は永久に紀念すべき者であつた、一月十九日大阪ホテルに神聖の空気が比較的に乏しかつた、又教会が余りに重視せらるゝの結果大会が稍軽視せらるゝの傾きがあつた、余は大阪大会は失敗なりきとは言はない、然し大に改良すべき点が見えたと言はざるを得ない。
 
(484)     稀有の信仰
                         大正8年2月10日
                         『聖書之研究』223号
                         署名なし
 
 「人の子臨らん時信を世に見んや」とある(路加伝十八章八節)、此場合に於て「信」とは神の存在を信ずる信ではない、又は正義の力を信ずる信ではない、キリストの再び臨らん時にも此種の信仰は人の間に盛に懐かるゝに相違ない、然らば其時其有無をさへ疑はるゝ所の信仰は如何なる信仰である乎、言ふまでもない「彼れ臨り給はん」と云ふ其事に関る信仰である、其信仰は益々減退して殆んど其跡を認め難きに至るであらうとの事である、人の子臨ること遅ければ、千年待つも来らず二千年待つも来らず、列祖の寝《ねぶ》りしより以来すべての物開闢の始と変ること無ければ、彼が再び臨ると云ふが如きは絶対的にあるなしと信ずる者益々多きを加へ、主が実際臨り給ふ時には彼を待望む者は寥々として数ふるに足らざらんと云ふ事である、|依て知る再臨の信仰の守るに甚だ難きことを〔付○圏点〕、其少数なるは主の予め告げ給ひし所である、是れ神の特別の能力《ちから》に由るにあらざれば信受するを得ず又固守するを得ざる信仰である、人の子初めて臨りし時も爾うであつた、「ヘロデ王之を聞きて痛む又ヱルサレムの民も皆然り」とある(馬太伝二章三)、聖都の市民は誰一人として彼を待望む者はなかつた、唯老いたるシメオンと、同じく八十四歳の※[釐の里が女]《やもめ》なるアンナとのみが彼を迎へ彼を見て歓んだのである 実に彼れ己が民の間に臨り給ひて其内に信を見たまはなかつたのである、初臨の時に爾うであつた、再臨の時に爾うであらう、極めて少数者(485)のみが彼を迎へまつるのであらう、初臨の時に民の学者や祭司等の中に一人として神の子を迎へまつりし者が無かりしやうに、再臨の時にも教会の牧師神学者等の中に一人として彼の降臨を待焦るゝ者はないであらう、ヱル
サレム全都が神子降誕と聞て愕き慄へしやうに倫敦、華盛頓、巴里、東京は痛み哭《かなし》み、其牧師等は聖書の語を引いて王や大統領の質問に答ふるの外に、他に之に応ずるの途を知らないであらう、「人の子来らん時に信を世に見んや」、然り今や既に其信を壊ちつゝある教法師等がある、況して其時に於てをや、我等此信仰の盛ならざるを敢て怪しむべきでない。
 
(486)     PREMILLENNIALISM IN JAPAN.
                         大正8年3月10日
                         『聖書之研究』224号
                         署名なし
 
 Since we declared our belief in the Second Coming of Christ a year ago,we have been attacked and adversely criticized by the following recognized leaders of Christian thought in Japan,viz:Rev.Danjo Ebina(Congregationalist),Prof.Dr,T,Sugiura(Episcopalian).Rev.K,Shiraishi(Methodist),Prof,E.H.Zaugg(Dutch Reformed),Rev.T.Tominaga(Presbyterian),Dr.Clay Macauley,Prof.Ryo Minami and Rev.S.Uchigasaki(Unitarians)and several otbers;while only one scholar of eminence,Mr.Y.Sakon(Methodist),declared himself as of the same belief as ourselves.We are quite sure that this belief is very unpopular among the leaders of Japanese Churches,But strange to say,a large number of lay-Christians are its earnest adherents,and a good number of secular papers take reverential attitude towards it. As far as church-authorities in the country go,the belief is condemned as“unreasonable, unnecessary,and injurious.”And we are those who are so condemned.Thank God!
 
(487)     余の信仰
                        大正8年3月10日
                        『聖書之研究』224号
                        署名 内村
 
 余の信仰は素々日本流の敬神愛国を以て始つた者である、それが余をイエスキリストの御父なる真の神に導いたのである、其神に事へんとして余に贖罪の信仰が起つたのである、而して贖罪の信仰が余に基督再臨の信仰を喚起したのである、斯くて余の信仰は素々日本的であつて猶太的であつて預言的であるのである、故に余の信仰に抵触する者にして羅馬的教会主義と希臘的純理主義との如きはないのである、教会者と神学者、パリサイの人と学者……余の信仰の素質に合はざる者として彼等の如きはない、余は日本人として率直を愛して廻り遠い議論を嫌ふ 余は猶太の預言者の流を汲んでパリサイの儀礼とサドカイの智略とを嫌ふ、余は単純を愛して複雑に耐へない、基督の十字架に余の義と聖と贖とを認め、彼の再臨の時に其実現を期待する、十字架の信、再臨の望、而して此の信と望とより生ずる愛、是が余の信仰である。
 
(488)     聖書と現世
                         大正8年3月10日
                         『聖書之研究』224号
                         署名 内村鑑三
 
     緒言
 
 茲に此欄を設けて試《み》る、若し必要があれば続ける、無ければ廃める、其目的は現世の為に現世を批判せんとするのではない、現世を以て聖書を研究せんとするのである、余は現世に就て語りて未だ曾て現世に容られたる事はない、其反対に現世に就て余の意見を述べし結果として幾回か国賊と呼ばれ逆臣と称へられた、故に早くより現世に就て語るを廃めた、余の肉の父の如きも世を去る前に決して再び現世に就て語る勿れと余に遺言した、余の領分は現世ではない来世である、余は現世に於て忠臣として又は義人として認められんと欲しない、唯余の生命《いのち》なるキリストの顕はれん時余も亦彼と偕に栄光の中に顕はれんと欲する(コロサイ三章四節)斯く言ひて余は勿論現世を軽んずる者ではない、然れども人各自其天職ありである、政治家あり、社会改良家あり、現世の革進を主眼とする宗教家あり、而して余は其の孰れでもないのである、|余の天職は聖書研究にある〔付○圏点〕、此書を自他に対して闡明するを得ば余の生涯の目的は達せらるゝのである、余は余の有する凡の智識凡の実験を以て此目的を達せんとする、聖者を以て現世を利せんとせず、現世を以て聖書を説明せんとする、聖書が目的であつて現世は手(489)段に過ぎない、「我国は此世の国に非ず」と余の救主は言ひ給ふた(ヨハネ伝十八章三十六節)、余の世界も亦此世界ではない、然し乍ら此世界の事実は余の世界なるキリストの国の事実を説明する、余が現世に対して興味を感ずるは此理由からしてゞある、此欄を設くるの目的も亦茲にある、読者の之を諒とせられん事を望む。
 
     国際聯盟
 
 名は美である、理論として之を嘆称せざる者はない、然れども果して実現するや其れが問題である、全世界が一団となりて恒久的平和を楽まんとするのである、誰か之を望まざらんや、然れども望むと獲らるゝとは全然別問題である、而して国際聯盟は人類の希望たるに相違なきも其|得有《とくいう》たり得べき耶其れが疑問である、問題は個人の完成と云ふと其性質に於て少しも異ならない、何人と雖も自己の完全ならん事を望まない者はない、又努力して完全に達し得ざる理由を発見する事が出来ない、然るに実際に於て完全に成る事が出来ないのである、||希望と実際〔付○圏点〕、之を人生の二律相反《アンタイノミー》と称せん乎、実に歯痒き次第である、然れども事実である、止むを得ない、人は完全を求めて達し得ない、世界は一家と成らんと欲して成り得ない、何故か、聖書は断案を下して言ふ「罪、人の衷《うち》に宿れば也」と、人は其造主なる神を離れ子として其父に反いた、故に罪に陥りて戦争其他のすべての災厄を其身に招いたのであるとは聖書の明に示す所である、「心は万物《すべてのもの》よりも偽はる者にして甚だ悪し 誰か之を知るを得んや」と預言者ヱレミヤは言ふた(ヱレミヤ記十七章九節)、|悪の中心は人の心に在る、心を改めざる限り悪は除かれない、偽はる心を有てる人類の上に如何に巧妙なる外交術を施すも平和と幸福とは来ないのである〔付△圏点〕、預言者は又言ふた「エテオピヤ人その膚《はだへ》を変へ得る乎、豹その斑駁《まだら》を変へ得るか、若し之を為し得ば悪に慣れたる汝等(490)も善を為し得べし」と、(仝十三章二三)、罪は今や人の生れつきの性として存《のこ》るのである、而して之を除くの困難は黒人の皮膚を白くし、豹の斑駁を除くが如くである、人力の到底為し得ざる所である、而して罪を除かずして罪の結果たる戦争を廃めんとするのである、之を不可能と称せざるを得ない、大統領ウイルソン如何に偉大なりと雖も、英相ロイド・ジヨージ 仏相クレマンソー如何に高潔熱誠なりと雖も人の罪を除く事は出来ない、而して罪を除かずして人類の間に恒久的平和を持来す事は更らに出来ない、故に国際聯盟の主張の高潔なるに関はらず其実現を疑ふ者は甚だ多いのである、之に由て戦争の廃止の如き到底望むべからずとは米国前々大統領ルーズ※[ヱに濁点]ルト氏前大統領タフト氏の唱へし所、又最近に至り米国輿論の指針《インデツキス》たる巴里紐育ヘラルド新聞の如きも国際聯盟案の実際問題としては其実現頻る困難なるを述べて其理由を摘指したのである、一時は平和到来を叫ばしめし国際聯盟も今は其の大なる約束を充たす能はざる事が愈々明白になりつゝある、之れ亦「我が希望を充さゞる渓川なり、テマの隊客之を望みしによりて愧恥《はぢ》を取り、彼処《かしこ》に至りてその面を赧《あか》くす」の類である(ヨブ記六章十五節以下)、戦争廃止、世界恒久的平和の計画は今に始まつた事ではない、今日まで幾回か計画されて幾何か失敗に終つた、其最近のものは一八一五年九月廿六日に当時の露国皇帝アレキサンドル第一世の主唱に由て結締せられし所謂「神聖同盟」であつた、而して英国を除くの他、欧洲諸国は尽く之に調印加入したのである、然るに其結果は如何なりしか、戦争は止まざりしのみならず世界の大戦争はすべて其後に行はれたのである、実にバベルの塔の建築を以て始まりし人類合同一致の計画は尽く失敗に終つた、而して其理由は明白である、|平和の基を置《すえ》ずして平和を実現せんとしたからである〔付△圏点〕、人類の間に平和の破れしは人類と其造主との間に平和が破れたからである、神に対する人類の此反逆が癒されずして平和到来を如何に計画するも、そは失敗に終るは火を睹るよりも炳(491)かである、戦争の原因の人の心に根ざせし罪に在ることを知つて之れを廃むるの能力は神に在て人に無い事が判明る、人が協議して世界に平和が臨むとは聖書の何処にも記《かい》てない、末の日にヱホバの家の山が諸の山の頂に堅く立ち、諸の嶺よりも高く挙りて後に、即ち神の権威が人の権威の上に立ちて後に戦争は絶対的に廃むと明記してある(イザヤ書二章二節)、故に国際聯盟にして実に此目的を達せんと欲する者ならばそは外交的条約に非ずして信仰的一致でなくてはならない、|即ち其会議は祈祷と各国の今日まで犯せるすべての罪の懺悔とを以て始まるべき者でなくてはならない〔付○圏点〕、ヱホバの聖名の尊崇《あがめ》られん事を欲せざる聯盟は永く続かない、其目的は必ず達せられない、|故に世界に信仰的大復興が行はれた後にあらざれば聯盟は実際的に行はれない〔付○圏点〕、福音宣伝は平和実現唯一の途である。
 
(492)     腓利門書の研究
                    大正8年3月10日
                    『聖書之研究』224号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
    其一(去年十一月十七日東京青年会に於て)
 
 編者曰ふ此文石川鉄雄君の筆記に成る深く君の労を謝す。又読者は之を読む前に必ず聖書の本文を精読するを怠りてはならない。
 腓利門書は量より言へば甚だ小なる書である。ギリシャの原文にては三百三十八字、英文改正訳にては四百三十九字、支那文の旧き訳にては五百七字、新しき訳にては六百字、日本訳聖書にては仮名まじりにて九百二十五字である。『聖書の研究』の一頁に載せ得るのである。然るに此の短かき腓利門書が、天地は廃《すた》れても尚廃れぬ価値のある書なのである。
 此書は其内容に於ても亦貧弱に見へる。羅馬書の如く、人の義は信仰によると言ふ如き大真理を伝へて居ない。又驚くべき奇躇や大教訓を掲げても居ない。主人には不義理をなし、金を窃みて逃げ来りたる一奴隷のために、其主人に対して宥恕《ゆるし》を求むるパウロの親展書である。私信である。故に此書がパウロによつて書かれたるを疑ふ学者が沢山有る。パウロは宇宙の大問題、信仰上の根本問題に就いて堂々と説く事あるべきも、悔改めたる一小(493)僕を主人に帰へすが如き小事に係はる筈無し。若し仮りにパウロがかゝる書を認《したゝ》めし事ありとするも、他の大書翰と並べ論ずべき性質のものに非ずと。かゝる議論は早くより教会内に行はれたのである。羅馬書第八章の如き、哥林多前書第十三章の如き福音こそパウロに適応しい書である。オネシモの如き奴隷のための親展書は不必要である。其中に何等の尊き真珠金剛石或はルビー等が有る筈は無いとの事である。
 果して然うであらうか。此書に神の言葉たる価値が無いであらうか、多くの学者は此書を研究して此書が大切な事を教へて居ると言ふ。此書無ければ重大な教訓が欠くると言ふ、ヂェローム、クリソストム、ルーテル、ゴーデー、サバチエー其他多くの人々は、此書が「完き宝玉」であると断言して居るのである。
 扨て如上の考へを以て此書を読むと能く解かるのである。先づ第一節「イエスキリストのために囚人《めしうど》となれるパウロ云々」パウロは牢獄につながれたるに非ず、恐らく自己の家に兵卒に監視されて居たるならん。而して人々彼れの説教を聞きたるものであろう。第二節によればピレモンはパウロの信仰の友、アピアはピレモン天人、アルキポは彼等の間に生れたる子であらう。又「爾の家の内の教会」とあるより見れば、ピレモンの家は大家にて多数の兄弟の集りを有したるものであらう。哥羅西書第四章はピレモンが富者なる事を記して居る。
 第九節第十節に於て、パウロは特に依頼したき事ありとて、オネシモの事を言ひ出したのである。「わが縲※[糸+曳]《なはめ》の中にて生《うみ》し子なるオネシモ」とは、即ちパウロが羅馬に囚はれ居る中、伝道によりて基督者となれるオネシモと言ふ意である。オネシモとは日本の名を当嵌むれば「益《エキ》太郎」とでも言はう乎。彼れは其名にそむきて、益なき者なりしが、今は真に益ある者となつたのである。立派な基督者に生れ変つたのである。故に再び主人たる汝の許に帰へす。願くは彼れを受けよ。彼れは我が心の情の籠れる者である。我が心其のものである。此の「心」(494)なる文字、原語では splanchna と言ひ、臓腑を意味するのである。即ち我が命の源なる内臓其者であると言ふ。何たる熱愛の言葉であらう。逃亡せる奴隷にしてパウロの伝道により改心せる者を其主人の許に帰さむとしてパウロ此を取なして我が心なりと言ふ。世に多くの信者ありと雖も、此みすぼらしき僕をかくも愛す、パウロに非ずんば到底思ひ及ばざる所である(第十一、十二節)。然かも哥羅西と羅馬との間を旅するには、当時一ケ月を要したのである。故にパウロが尋常の人ならば、オネシモを自分の家に置きて唯書翰にてピレモンに謝せば事足りたのである。然し乍らパウロは所謂「堅い人」であつた。一度は是非共主人たるピレモンの許に帰り其許可を得て来るに非ずんばオネシモを使ふを肯じなかつたのである。仮令一ケ月の長途と雖も意とせなかつたのである。義理堅き人パウロ此れ基督者に取つて大切な模範である。此れ実に尊き教へである(第十三、十四節)。第十五節よりパウロは愛と道理と人情とを以てピレモンを全然包囲攻撃したる形である。「彼れが暫らく爾を離れしは爾をして永遠《かぎりなく》かれを留め置き、此後彼れを僕の如くせず、僕に超るもの愛する兄弟と作《なさ》しむる為に非ざりしを知らんや」と。パウロは正面より言ひ切らず。遠攻《とうぜ》めにしたのである。我れ彼れを愛す。況んや主人たる汝彼れを愛せざる事あるべきか。彼れの離れたるは摂理なり。今帰るも亦然り。我れを受くる如く彼を受けよと。パウロの燃ゆるハートを見よ! 第十八節に至つて愈々濃やかなる愛を見るのである。若しオネシモに借金あらば、余の方に付け換へよと。此一事はパウロ自ら筆を取つて書いたのである。パウロは眼を病むで平生手紙を皆人に書かしたのである。然るに此点は他人に委せなかつたのである。パウロの此の心事を表はすに、此の方法を以てす。実に此れを愛の技術と言ふべきである。第十九節は重要なる言である。真の主にある友に対しては表門より訪ふのみならず、又心の裏門よりするのである。親展書を送るは公開状を発するとは事変るのである。故にパウロ(495)は多くは言はず。只一言「我必らず償はん、爾は身を以て償ふべき負債我れに在り、されど我之を言はず」と。此《これ》ピレモンをして如何に精神的にパウロに負う所ありしかを覚へしむるに十分である。第二十、二十一節にてパウロはピレモンが必ず彼れの勧めに服《したが》ふのみならず遂にオネシモを奴隷の境遇より解放して自由を与うるに至るべき様暗示して居る。第二十二節はパウロ自らピレモンの家に客となるべき時を祈祷によりて求めよと言ひ、其時オネシモに対して取れる処置如何によつてパウロの前に面目を失するが如き事無からしめんと周到なる用意を示して居る。最後にパウロと共に或る囚人《めしうど》となれる者、或は勤労《はたらき》の侶《とも》なる人々よりの挨拶を伝へ居るが、此等も尋常一様の「宜しく」に非ずして、主に在る者の心籠れるものなる事明白である。殊に第二十五節の「願くは吾主イエスキリストの恩恵常に爾らの霊と偕に在んことを」と言ひて、霊なる文字を用いたのは、ピレモンが富める者なるにより特に霊に重きを置いたのである。真に適切なる事と言ふべきである。
 扨て僅に三百三十八字の原文に含まれたる此書の大意は右の如くであるが、此れによりても此書が如何に深き神の言葉なるかの暗示を得るであらう。此書が教える所多々あるが|其の第一は、パウロの如き大伝道者大神学者大哲学者の半面否其人格の根底が、箇人に対する愛から成れる事是れである〔付○圏点〕。吾人が或はグラドストン、或は西郷隆盛の如き人の伝記を読む時、彼等が国家的人物、国民的偉人たる半面の外に、友情に富み愛に満ちたる人なるを知りて更に尊敬を増すのである。パウロも亦然りである。英の詩人コレリツジは言うた「ローマ書は人間に依て記かれし書の中、其意味最も深き者なり」と。此の思想深遠なるパウロの友情を知らんとせばピレモン書を見よ。此書は実にパウロが大伝道者たるのみならず、温かき心のクリスチャンなるを示すのである。此書微りしならばパウロの大切な一面が隠されてしまつたであらう。世には下女下男を虐待し乍ら福音のこと人道のことに(496)熱心な者がある。然し真のクリスチンは然うでは無い。箇人に対する温かき愛に溢れて居るのである。ピレモン書はコロサイ書の附随物である。多分同日に書いたものであらう。パウロはコロサイ書を書いてテキコに与へたと同時に、ピレモン書を書いて之をオネシモに托したのであらう。其コロサイ書は基督教の最難問題を論じて居る。キリストが宇宙万物の中心なりと言ふ六かしき問題に就いて書いたのである。英国の碩学フェヤベーン氏の書いた『基督教哲学』の第一頁にはコロサイ書の言葉を引用して居る。
 此れを以てもコロサイ書が深遠な教理を論じて居る事が判るのである。然るに此大文章を書いて後直ちにピレモン書が認められたのである。而して此書こそ美しき|友情の花《フレンドシツプ》である。此の如き手紙を書くものこそ真のクリスチャンと言へるのである。
 ピレモン書は此の愛と友情とを示して居る、此れ実に神の言葉では無いか、主人に金銭上の不義理をして逃げ来りたる奴隷を取りなすに、此の如き深き愛を以て記せるピレモン書は、キリストの愛を実験せし者に対しては直ちに神の書なるを合点《うなづ》かしめる。ルーテルが言へる如く「我等は皆神のオネシモである」。然るにキリストは自ら十字架に上り我等罪人のために、「彼等の不義は我が不義である、彼等の負債は我が負債である」と我等を神に取りなし給ふたのである。故に我等も亦主の愛に励まされて深き愛を以て罪を犯せる者に対すべきである。
 |第二 此書は信仰を以て人に対せよと教へて居る〔付○圏点〕。第五節に曰く、「蓋《そは》われ爾が愛と信仰をもて主イエスに向ひまた諸《すべて》の聖徒に向ふ事を聞けばなり」と。聖徒とは信徒の事である。愛と|信仰〔付ゴマ点〕とを信徒に向つて持つと言ふのである。此に於て反対する者がある。主に対して愛と信仰とを持つは至当なるが、信者に対して信仰を持つとは不審である。故に「信仰を以て主イエスに向ふが如く愛を以て聖徒に向ふ云々」の誤訳であらう。人間に向て信仰(497)を以てするなどは有るべからざる事であると言ふ者がある。然し其れは皮相なる考へである。|信徒は相互に対して信仰を持つ事が肝要である〔付○圏点〕。是れ実に辛らい事である。相互の愛が破れんとする時に信仰によつて此れが補はれ完うせられるのである。故にパウロはピレモンに勧めて信仰を以て兄弟に対せよと言つたのである。此言葉の深き意味は余自ら実験して明かに知つて居る。|実に余の信仰を助けて呉れた人は余を信じて呉れた人である〔付○圏点〕、余が如何に其人を罵るも、其人が余に対する信仰を持続して呉れた人である。余が誤つた場合にも世間の批難に対して「否々、彼れはそれで可いのである。(No,no,he is aoo right.) 彼は間違をするであらう。然し余は主に在る彼れを(him in Christ)信ずる」と言つて呉れた人程、余を助けた者は無いのである。信者相互に信仰を持つと言ふ。此れ程深い真理は無いのである。此の如き深い真理を教ゆるピレモン書は人の言葉では有り得ない、実に神の言葉である。
 |第三〔付○圏点〕に第六節を見よ。「我が祈る所は爾と共に信仰を有てる人汝等の中なる凡べての善事《よきこと》を知るに因り其信仰|功効《はたらき》をなしキリストの栄光を顕はすに至らんこと也」と。「爾と共に信仰を有てる人」とは誤訳である。英語の fellowship 希臘語のコイノニア koinonia は一致又は同心たる事である。即ち信仰の一致により我等のなせる凡べての善事が愈々広がると言ふのである、「汝等の中なる凡べての云々」は明かに「|我等〔付○圏点〕の中なる云々」の誤訳である。故に第六節の意は、我等が信仰によりて善を行へば、其信仰益々働きをなしてキリストの栄を顕はすに至らむ事を希うと言ふに在る。一言にして尽せば|然は善を生む〔付○圏点〕との意味である。施して見よ、善き業をなして見よ。其の美しきを知るのである。そして更に信仰を益すの助けとなるのである。かくの如くして信仰より信仰に、善より善へ無限に進む事を願ふと言ふのである。
(498) 此等の事柄を教ゆるだけにても、此の短かきピレモン書が、如何に大切なる書なるかゞ解かる。此一事だけでも尚数十回の講義にても足らざる程の深い教へを蔵して居る。是れを神の書と言はずして果して何と言はうか、然し是れではまだ尽きない、更らに次回に述べんと欲する。
       ――――――――――
 或入日く腓利門書は礼儀と恩恵とに充てる書翰である。是は恩恵を以て始まり恩恵を以て終る、『願くは汝等我等の父なる神及び主イエスキリストより|恩恵〔付○圏点〕と平康を受けよ』と言ひて始まり、『願くは我主イエスキリストの|恩恵〔付○圏点〕常に汝等の霊と共に在らん事を』と言ひて終る、斯て腓利門書は哥羅西書四章六節『汝等の言常に|恩恵〔付○圏点〕を用ゐよ』との語の善き註解であると。
 
     其二 (去年十一月廿四日)
 
 近世の聖書学に由ればパウロの書翰として存れる十三書中其多数は疑ふべきものなりと言ふ、たゞ僅に羅馬書哥林多前後書及び加拉太書の四書のみは信用を措くに足るも其他は悉く半信半疑にして就中全然信ずべからずとせらるゝもの三四あり、而して通常基督者のいたく貴ぶ所の腓立比書哥羅西書以弗所書も亦信頼するに足らずとせらる、然るに注意すべきは腓利門書である、腓利門書は哥羅西書と相関聯したる書翰にして後者の或る言は前者に由て之を解説する事が出来る(コロサイ書四章九節)、故に若し腓利門書にして真にパウロの書翰ならん乎、哥羅西書も亦然らざるを得ない、哥羅西書にして然らん乎、即ち腓立比書以弗所書亦然らざるを得ない、|茲に於てか知る新約聖書中重要なる三書翰の運命の懸つて此一小書翰の上に存する事を〔付○圏点〕。
(499) 此故に高等批評家等は力めて腓利門書を葬り去らんと欲した、然しながら此書の性質余りに私的にして大伝道者パウロが基督者としての私情を示す事余りに美はしきものあるが故に之を葬り去るは容易の事ではない、有名なる独逸神学者バウル(Baur)の如きは友の首を斬るの思ひを以て涙ながらに腓利門書を棄てたのである、其他の学者に至ては之を棄つるに忍びざる者が多い、殊に仏国のパウロ学者サバチエーの如きは熱誠以て此書を弁護して曰く「若し此書にしてパウロのものに非ずとせば即ちパウロの書なるものなきなり」と、爾来腓利門書のパウロの書たるを疑ふ者漸く少く今や高等批評家の多数は之を承認して憚らないのである、而して腓利門書の承認はやがて哥羅西、以弗所、腓立比書の承認である、斯くの如くにして一度び葬り去られたるもの皆再び回復せんとしつゝある、高等批評必ずしも排斥すべからずである、真個の高等批評は自己の崩壊したるものを再び建設するに至る、而して此事は平信徒に対する大なる慰安である、学者よ出でゝ汝の好むが儘に聖書を批評せよ、我等はたゞ黙して二十年又は三十年を待たん、汝の刀に由て砕かれたる者は又汝の手に由て接がれざるを得ざるに至るのである。
 ピレモンは裕福なる身分の人にして数多の家僕を有した、而してオネシモは其一人なりしが或る不義(多分窃盗の類)を行ひて逃れ羅馬に走りて偶々パウロに遇ひ遂に基督者となつたのである、パウロは彼が自己の親しき友人ピレモンの僕なるを知るやピレモンの自己に対して責任を負ふ所あるが故にオネシモをして代て尽さしめんと欲したるも彼は尚ピレモンの承諾を経ずして斯くするを好まなかつた(十一−十四節)、茲に於てかテキコを遣はすの序にオネシモをしてコロサイに帰り其主人と和睦したる上に再び来りて自己に事へしめんとするのである、当時羅馬よりコロサイ迄は凡そ一ケ月の旅路であつたであらう、近世に至りダイスマン氏汽車又は汽船を利用し(500)てパウロの足跡を踏みしも尚大なる困難を感じたりといふ、今より千九百年前に於ける羅馬コロサイ間の旅行は維新前に於ける東京長崎間のそれよりも辛かつたであらう、然るにパウロは自己に由て救はれし一人の僕に対して一旦帰りて旧主と和睦を結びたる上再び来りて我に事へよと言ふのである、その義理固きに於て殆ど度を超ゆと称せざるを得ない。
 惟ふに彼は余りに義理固いではない乎、爾かせずとも一書をピレモンに贈らば以て足るではない乎、然しながらパウロに取ては斯くして事は済まなかつたのである、彼は必ずオネシモを送還せずしては已む事が出来なかつた。|何となれば彼とピレモンとの間に存する神聖なる友誼は些少の不信と雖も其間に入る事を絶対に許さなかつたからである〔付○圏点〕、ヱホバの神は嫉む神である、熱愛は不信を容すに堪へない、主にありて結ばれし友誼も亦然り、パウロ対ピレモンの友誼は余りに神聖であつた、パウロ若しピレモンの旧僕を其主と和睦せしむる事なくして自己に事へしめんには此神聖なる友誼に欠陥を生ずるは脱かるべからざる結果である、是れ彼の到底堪ふる能はざる所であつた、加之オネシモとピレモンとの間の関係も亦神の為に必ず之を回復せしむべきであつた、此故にパウロは敢てオネシモを遠く其旧主に送り還したのである、而して之れ実に彼の為すべき事であつた、憶ふパウロとオネシモとの相談遂に決定せし其夜に於ける両人の対話果して如何なりしぞ、オネシモは旧主の許に送られざらん事を幾度びか歎願し又抗弁したであらう、之に対してパウロは或は怒り或は賺し或は慰めて終に帰還を納得せしめたであらう、有たまほしきは其記録なりと或学者の言ひしは宜《うべ》なる哉である。
 多くの人は曰ふ、友情《フレンドシツプ》の如き深く顧みるに足らず、其の成るが儘に成るのみと、然れども人生の経験の進むに従ひて学ぶ事は|友情の貴さ〔付○圏点〕である、一度び獲得したる友情は実に貴き宝である、こはあらゆる困難と犠牲とを冒(501)して保護し維持すべきものである、パウロはピレモンの信仰の友であつた、而して此友情は如何にしても彼の維持せざるべからざる者であつた、故に彼は斯如き犠牲を払ふ事を辞せなかつたのである 斯の如くにして維持せらるゝ基督的友情の貴さよ! こは決して此世限りのものではない、来世に至る迄携へ往くべきものである、従て其維持の為には細心努力するを要する、今日基督教会相互の間に信任甚だ薄き所以は何処にある乎、伝道師を採用せんとして踏むべき途を踏まず、其旧所属教会に何の交渉をも為さずして之を受入るゝが如きは少くとも其主なる理由の一ではない乎、斯の如くにして基督的結合を維持せんとするも不可能である、|友情維持の秘訣は不信の絶対的排斥にある〔付○圏点〕。
 オネシモは不義を犯したる者にして且奴隷であつた、我国には奴隷なかりしと雖も今日の娼妓は実際上に於て之に均しき者である、全然自由を有せず、毫も人権を認められず、其主人の所有物として恰も牛馬と同視せらるゝ極めて卑しき者、オネシモは実に斯かる者であつた、然るにパウロは彼を呼びて曰く「忠なる我が愛する兄弟汝等の中の一人なるオネシモ」と(コロサイ書四章九)、今日我等が社会の最下層の人にして基督者となりし者に此語を用ゐてさへ既に驚くべき事なるに、今より千九百年前人権の全く無視せられたる奴隷を捉へてパウロは斯く呼んだのである、而してパウロ彼自身は羅馬の市民権を有する高き地位の人であつた、知るべしパウロの人権観の正に如何なるものなりし乎を、今日自由を唱へ人権を叫ぶ人にして之を解する者果して幾人ある乎、|真の人権の観念は政治思想に由て生じない、均しくキリストに由て贖はれ共に永生を嗣ぐべき者となりて初めて此観念を生ずるのである〔付○圏点〕。先づキリストの霊を受けて自ら罪人の首たるを知り而してキリストの奴隷となるに非ずんば人権の何たる乎を解する事が出来ないのである。
(502) パウロは奴隷オネシモをキリストに導き依て何の社会改良をも唱ふる事なくして歴史上の難問として存せる持主と奴隷との関係を解決したのである、|彼は福音に由て叔隷の鎖を切断した〔付△圏点〕、而して社会改良とは実に是である、福音に由らずして人の運動に由て社会改良の実を拳ぐる事は不可能である、所謂廃娼運動は決して廃娼問題を根底より解決する途ではない、婦人も亦神に像りて造られし神聖なる者にして之を醜業に使用するが如きは罪悪の絶頂なる事を知るに非ずんば廃娼は完全に実行せられないのである、此点に於て茨城県湊町の椎木小六郎君の事蹟は好き模範を垂るゝものであつた、君は或る貸座敷業者の養子であつた、或時湊町有志の間に基督教攻撃始まり君も亦之に携はらんと欲して試に一巻の聖書を求め某地に赴きて之を繙読した、然るに驚くべし悪しき者は基督者に非ずして却て自己であることを覚つた、君は聖霊に導かれて此事を発見した、茲に於て基督教の反対者は翻然其の大なる弁護者に変じた、君は先づ醜業廃止を決心した、而して帰りて之を妻に語りて其承諾を得更に近親一同を説服した、此の報一度び伝はるや忽ち地方の大問題となり全町の反対を惹起すに至つた、幾多の迫害は君の身に迫つた、然しながら福音に促されし君の決心は遂に実現せられて其の養ひし二十人の娼妓は悉く解放せられた、斯の如きが真の廃業ではない乎、パウロがオネシモを自由にしたると同じ精神を以て椎木君は日本の奴隷を自由にしたのである。
 伝道は伝道なり然れども社会の改良を伝道に竢つが如きは余りに緩漫なりと曰ふ者があるかも知れない、果して爾うである乎、|基督者が社会事業に費す丈けの努力を若し救霊の為に傾注したらば如何、之れ社会改良の為め最も有効なる捷径ではない乎〔付○圏点〕、基督教国よ、汝等若し軍国主義を悪まば何故千五百万の人命と四千億の財産とを戦争の為に失はずして之を伝道の為に費さゞりし乎、徒らに独逸国民に屈辱を負はせ其面上に泥を塗りて快を叫(503)ぶが如きは果して基督者の為すべき所である乎、今や英仏相結びて独逸の滅亡を祝すと雖も嘗てフレデリツク大王の下に普国が仏国を挫きし時狂喜したる者は英国民ではなかつた乎、重ねて曰ふ欧米基督教国民よ、又世界凡ての基督者よ、汝等何故更に熱心に伝道に従事せざる乎、汝等腓利門書の教ふる所を学べ、ハレー大学教授フランケー曰く「ピレモンに宛てられたる唯一の書は世界の凡ての智慧に勝る事遥に大なり」と、此短き愛の書簡に示されたる精神を以て為さん乎、すべての社会問題、すべての国際間題は容易に解決せらるゝのである、不信者は曰ふ「基督教は世界を救ふに失敗せり」と、否らず、失敗せしに非ず未だ試みられざるなり、パウロの精神を以てしてのみ社会と国家とを其根本より革むる事が出来るのである。
  附言 腓利門書に現はれたるパウロは真個のゼントルマン(貴士)である、彼は礼儀を重んじ友人の感情を害せざらんと努めた、礼儀は儒教の事であつて基督教の事でないかの如くに思ふ人は深く此書を究むべきである。真理を説く以上は普通の礼節の如き省るに足らずと思ふ基督教の教師の多き今日の宗教界に於て此書は貴き教訓を与ふる者である。パウロの伝道成功の秘訣の、世の偉人等に小事と見做さるゝ此辺に在つた事に深く注目すべきである。
 
(504)     宗教と科学
         創世記第一章の研究
                     大正8年3月10日、4月10日
                    『聖書之研究』224・225号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 宗教と科学との関係殊に創世記第一章の研究は我国に於ても今より三四十年前には基督信者の最も興味を有したる問題であつた、然るに今は斯如きは古き問題|疾《とく》に過ぎたる問題とせられて顧みられない、大正八年の日本の青年に対して創世記第一章を講ずるが如きは近世思想の何たるを知らざる無学者の為す所である、現代の活問題は国際聯盟と万国平和とである、何を苦んでか.四千年の昔に帰りモーセの著書の如きに就て宗教と科学との関係を研究するの必要あらんやと、之れ現代人の声であつて又現代の教会の声である、現代の教会に於て創世記第一章の真面目に研究せられたる事実の如き余は久しく之を聞かないのである。
 然しながら れが果して真である乎、創世記第一章は果して我等に無関係なる古き記述に過ぎない乎、将た昔の信者の信じたる如くこは我等各自の信仰の根本に大関係ある貴き書である乎、暫く忘却せられたる問題なりと雖も今や更めて再び之を研究するの必要がある。
(505) 而して創世記第一章に対し二個の反対説がある、或は曰く「之れ古き希伯来人の神話に過ぎず、今日科学的に何等の価値あるなし、唯僅かに骨董品として之を扱ふべきのみ」と、或は又近世の聖書学者等は曰く「興味ある思想なり、バビロンの世界創造説をヘブライの信者が改訂したる者なり」と、かの有名なるF・デリツチが前独逸皇帝の前に於て Babel und Bibel(バベルと聖書)と題する講演を為したる事あるは人の能く知る所である、乍併若し彼等の説の如くならん乎、聖書は実に価値なき書であると言はざるを得ない、斯かる書を如何にして神の御言として信頼する事が出来やう乎、斯かる書を天地は廃《う》せても廃せざるものなりと言ふが如きは虚妄も亦甚だしと言ふべしである、然しながら余輩は爾か信ずる事が出来ない、馬太伝五章乃至七章に在る丈け貴きものが創世記にも亦在るのである、殊に其第一章の如きは驚くべき記録である、之を研究するに由て独り学問上貴重なる真理を発見するのみならず、又信仰上最も豊富なる大真理を獲得するのである。
 但し聖書を研究するに当りて深く注意すべきは聖書は斯く言ふに相違なしと自ら忖度すべからざる事である、聖書は果して何を教ふる乎、先づ公平に之を学べよ、而して後に之に対する自己の態度を定むべきである、聖書の言ふ所を自ら予定し聖書をして自己に賛成せしめんとするが如き現代人の態度は全く真理探究の途を誤まるものである。
 創世記第一章第一節に於て天地創造の大事実は宣言せられた(本誌第二百二十二号を見よ)、其第二節以下は神の如何にして之を創造し給ひし乎其順序に就て述ぶるものである、而して天に関しては第一節の言を以て尽き二節以下に於ては主として地の創造を説く。
  地は定形《かたち》なく曠空《むな》しくして黒暗《やみ》淵《わだ》の面にあり、神の霊水の面を覆ひたりき(二節)
(506)事は幾億万年の昔に属す、淵《わだ》といひ水といふも未だ淵あるなく水あるなし、然るにモーセは何故斯の如き文字を用ゐたのである乎、之れ所謂「モーセ讒謗文学」の由て起る所以である、インガーソル著「モーセ誤謬論」“Moses'Mistakes”等にも此事を指摘して非難して居る、然れども少しく誠実を以て考へよ、物あり而して未だ之を表はすべき語なし、此処に言者の苦心がある、例へば我国に於て今は「瓦斯」と称するも始め物ありて未だ語なく之を表はすに術なくして遂に外国語を其儘用ゐたのである、我等自身にも亦其類の事実がある、何の語を以てするも表現する能はざるものがある、我等の霊の如き即ち之である、霊あり然れども語る能はず、茲に於てか已むを得ず一字を充てゝ之を「霊」と言ふ、モーセも亦然り、天地創造の偉大を表はさんと欲して其語を得ず、依て自己の有するあらゆる語を以て之に充てたのである。
  地は「定形なく」又「曠空し」といふ、希伯来語にて「トーフ」及び「ボーフ」である、定形なきの意を積極的及び消極的両方面より表はしたのである、「黒暗淵の面にあり」といふ、真暗にして混沌たるの意である、外は定形なく内は混沌たりといふ、然れども此混沌の上に何物か之を覆へる者があつた、「神の霊水の面を覆ひたりき」と、恰も鶏の卵を擁《いだ》くが如く、母の児を抱くが如く、神の霊が地の混沌を包み居たりといふ、然らば此混沌は決して混沌を以て終るべきではない、必ずや其中より何物かゞ出現せざるを得ないのである。
  神光あれと言ひ給ひければ光ありき、神光を善しと見給へり、神光と暗を分ち給へり、神光を昼と名け暗を夜と名け給へり、夕あり朝ありき、是れ首《はじめ》の日なり(三−五節)。
 第一日は光の出現である、神光あれと言ひ給ひければ即ち光あり、定形なき時に先づ光現はれたのである、実に荘大なる事実である。
(507)  神言ひ給ひけるは水の中に穹蒼《おほぞら》ありて水と水とを分つべし、……即ち斯くなりぬ、神穹蒼を天と名け給へり、夕あり朝ありき是れ二日なり(六−八節)。
 第二日は天地の分別である、神真暗なる水を上下に別ち其中間に或る場所を生ぜしめ給うた、即ち地は下に天は上に而して空間(firmament)なるものが其間に出来たのである。
  神言ひ給ひけるは天の下の水は一処に集りて乾ける土顕はるべしと、即ち斯くなりぬ、神乾ける土を地と名け水の集まれるを海と名け給へり、神之を善しと見給へり、神言ひ給ひけるは地は青草と実※[草がんむり/(瓜+瓜)]《たね》を生ずる草蔬《くさ》と其類に従ひ果を結び自ら核をもつ所の果を結ぶ樹を地に発出《いだ》すべしと、即ち斯くなりぬ……神之を善しと見給へり、夕あり朝ありき、是れ三日なり(九−十三節)。
 第三日は地球上に於ける水と陸との区別である、神大洋及大陸又は島嶼を作り而して直に植生を発出せしめ給ふた、かくて地は緑樹青草を以て覆はるゝに至つたのである。
  神言給ひけるは天の穹蒼に光明ありて昼と夜とを分ち又|天象《しるし》の為め時節《とき》の為め日のため年の為に成るべし、又天の穹蒼にありて地を照す光となるべしと、即ち斯くなりぬ、神二の巨《おほい》なる光を造り大なる光に昼を司どらしめ小き光に夜を司らしめ給ふ、又星を造り給へり……神之を善しと見給へり、夕あり朝ありき、是れ四日なり(十四−十九節)。
 第四日は天体の出現である、神天に日月星晨あらしめよと言ひ給ひて即ち諸の天体現はれ従て四季を生じ又暦を編み得るに至つた。
  神言ひ給ひけるは水には生物《いきもの》饒《さは》に生じ鳥は天の穹蒼の面に地の上に飛ぶべしと……神之を善しと見給へり。(508)神之を祝して曰く生めよ繁息よ海の水に充てよ又禽鳥は地に蕃息よと、夕あり朝ありき、是れ五日なり(二十−廿三節)。
 第五日は水中及び空中の動物の発生である、神の言に従ひて大洋には魚類又は之に類する動物を空中には諸の鳥類を生じ、而して其羽翼の音聞えて地は益々美はしき所となつた。
  神言ひ給ひけるは地は生物を其類に従て出し家畜昆虫と地の獣を其類に従て出すべしと、即ち斯くなりぬ……神之を善しと見給へり、神言ひ給ひけるは我等に象りて我等の像《かたち》の如くに我等人を造り海の魚と天空《そら》の鳥と家畜と全地に匍ふ所の凡ての昆虫を治めしめんと、神其像の如くに人を創造り給へり……神其造りたる凡ての物を見給ひけるに甚だ善かりき、夕あり朝ありき、是れ六日なり(廿四−卅一節)。
 第六日は陸上の動物の発生と人類の創造である 神、地は生物を其類に従て出すべしと言ひ給ひて即ち家畜と爬虫(昆虫に非ず蛇類なり)と獣類とが造られた、又最後に神我等に象りて人を造らしめよと言ひ給ひて人類が創造せられた、而して人類の創造を以て造化は終局に達したのである、故に第七日に神は其|工《わざ》を竣《を》へて安息《やす》み給うたのである。
 姶に光の出現あり、次に天地の区別あり、次に水陸の区別あり併せて植物の発生あり、次に天体の出現あり、次に水中及び空中の動物の発生あり、最後に陸上の動物の発生及び人類の創造ありて然る後に神は安息に入り給へりといふ、誠に驚くべき記事である、試に之をモーセと同時代の他の人の思想と比較して其の如何に大なる霊感《インスピレーシ∃ン》なりしかを知る事が出来る、今日と雖も無学の農夫等の間には未だ地球の自転しつゝ太陽の周囲を廻転すといふが如き事実をさへ信ぜざる者が少くない、況んや今より四千年前に於てをや、モーセ時代の記録にして(509)天地創造を伝へたる者にバビロン人の説がある、曰く「始めタムテと称する巨大なる婦ありて世界を包めり、然るにベルと称する神来りて此婦を胴より二つに斬りたれば其上部は天に上りて日月星晨となり下部は地球となれり、次にベル神己が僚神を呼び来り自己の首を斬らしめ之より出でし血と土とを混じて万物を造れり云々」と、之を創世記の天地創造説と比較して其差果して如何、ベル創造説の如きはモーセの記事の前には全く問題とすべからずである。
 バビロンの天地創造説よりも遥かに優秀なるは我が国史の其れである、松苗著『国史略』は真摯なる日本歴史として今の文部省編纂の歴史の比ではない、而して其開闢説に曰く
  天地陰陽の未だ剖判せざる、渾沌たること※[奚+隹]子の如し、溟A《めいけい》にして而して芽を含めり、乃ち清軽なる者|※[石+薄]歴《はくれき》して天と為るに至て重濁なる者淹滞して地と為る、神聖其中に生るゝ有り云々
之れ大に美はしき思想である、然れども「神聖其中に生るあり」と言ふに至て其の希伯来思想との差如何に甚だしきかを認めざるを得ない、聖書は曰ふ「元始に神天地を創造し給へり」と、日本歴史は曰ふ「神天地の中より生る」と、神若し天地の中より生れたる者ならん乎、神は如何にして天地を足下に踏へて之を支配する事を得べき、天地創造説の中優秀なるものすら是れである、四千年前のモーセの思想は百年前の日本人の思想よりも遥に偉大且つ完美であつた。
 次に注意すべきは「創造」なる語の用法である、元始に神天地を「創造り」給へりと言ひ後には皆何々を「造り」と言ひ而して更に廿七節に至て又神其像の如くに人を「創造り」給へりと言ふ、「創造」は希伯来語の「バラー」にして「造」は「アサー」である、前者は特別の創造にして後者は大体の創造である、神元始に宇宙を造り(510)給ひし時には之を特別に創造し給うた、次に水陸又は天体又は埴生又は動物を造り給ひし時には大体の創造に過ぎなかつた、最後に己が像に象りて人を造り給ひし時には再び特別の創造を行ひ給うた、|即ち知る聖書は始より人に特別の重きを措く事を〔付○圏点〕、人を地上に存置して之を撫育する事が神の造化の目的であつた、此故に神は人を造るに当つて新しき造化を行ひ給うたのである、人は万物よりも貴しといふ、誠に然りである、一人の乳児はアラビヤ名馬百万頭に勝る、全世界を以てするも人一人の貴きには及ばない、然らば何人が此真理を教へたのである乎、聖書を措いて他に之を教ふる者は何処にもないのである。 〔以上、3・10〕
 
     其二(一月十二日)
 
 宗教と科学、創世記第一章の記事と近世の天然科学との調和、モーセの言と天文学動植物学との関係、之れ余輩の青年時代に於ける大なる疑問にして又熱心なる研究の題目であつた、之が為めには幾百冊の書を繙いた、、殊に瑞西の学者にして後米国に移住したるアーノルド・ギヨーの創世記第一章論、加奈陀の学者ドーソンの著等は余輩の最も精読したる所であつた、然るに今日の青年にして斯の如き問題を憂ふる者果して幾人ある乎、近世人は甚だ悠暢《のんき》である、彼等は宗教と科学との衝突の如きを意に介しない、彼等の或者は単に聖書の言を執りて学者の所説には一顧をも与へない、又或者は学問と宗教との調和の如き到底不可能なりと称して二者を別個に両立せしめんと欲する、又或者は近世科学に符合せざる聖書の記事を以て全く迷妄なりとして之を葬り去るのである。
 而して実にモーセの言中近世科学と符合せざるが如くに見ゆるものは少くない、例へば一日にして水陸の区別成り一日にして植生悉く出現し一日にして諸動物みな発生したりと言ふが如き之である、或人の計算に由れば(511)地球の成立には一億年又は三四億年又は十五億年以上を費せりと言ふ、石炭層の形成のみにても少くとも九百万年を要したりと言ふ、然るに之を一日と称するは如何、又例へば第四日に太陽と月と星との造られたりといふが如きも然うである、星の出現は地球の成立即ち水陸の区別よりも遥に以前の事に属するのである、また神植物を造り禽鳥を造り家畜と爬虫と獣類とを造れりと言ひて恰も幼稚園の小児の玩具を作製するが如き観がある、植物又は動物は神に由て直接に造られたものではない、自然の進化発達を経て今日に至りしものである、故にモーセの記事は進化論と天文学とに背く非科学的思想なりとして排斥せらるゝのである。 然しながらまづ考ふべきはモーセの時代である、今より四千年前、神武天皇が我等と相距る丈け更に以前に溯りて我等と相|距《さ》る人の筆に成りし天地創造説として果して斯の如き記事を想像し得る乎、試に聖書以外の天地創造説を見よ、かのバビロン伝説の如きは殆ど意味を為さず之を批評するの価値だになきものである、加之近世人は今日の科学を誇ると雖も今より四千年後に及びて今日の科学を批評する者は之を何と言ふであらう乎、モーセの記事は時代的に見て確に驚嘆すべき記事である。
 更に少しくモーセに対し同情ある観察を下さん乎、最初に光出現したりとの観念の如きは人の思想の到底及ばざる所である、光はたゞ太陽より来るとは今より百五十年前に至る迄人類普通の思想であつた、何人も太陽を離れて光を考ふる事は出来なかつた、何れの国民も神と言へば光を思ひ光と言へば太陽を思ひしが故に太陽を神として拝したのである、然るに言あり、曰く「太陽未だ造られざるに先だちて既に光ありき」と こは果して何人の言である乎、空想乎、諷刺乎、否之れ天よりの啓示《しめし》であつたのである、而して天然学者は漸く近来に至りて太陽以外に光ありとの事実に注意するに至つた、電気の光即ち是れである、所謂北光は電気の作用に由て生ずる光(512)にして太陽と関係なきものである、故に天地尚ほ混沌たりし時に方り先づ神光あれと言ひ給ひければ光ありきとは驚くべき思想である。
 モーセは天地万物発生の順序を示して曰うた、始に植物、次に動物、最後に人類と、而して動物中にありては先づ魚類あり次に鳥類あり次に爬虫と家畜と獣類ありと、若し地質学者をして種々なる標本の陳列に由て進化の順序を表はさしめば斯の如く簡単なる能はず其の境界複合して截然《さいぜん》と相分つ事が出来ないであらう、然しながら万物創造の大略を教へんと欲せばモーセの如くに言ふの他ないのである、其順序は真実にして其説明は最良である、故にモーセの言は大体に於て決して誤らずと言ふ事が出来る。
 かの四日目に日と月と星との造られたりと言ふに至ては一見非科学的の甚だしきものゝ如くである、然れども学者の研究に由れば地球は石炭の形成せらるゝ迄混沌たる状態にありしが石炭の形成と共に空気清澄となり初めて太陽の光之に達したりといふ、故に地球の立場よりすれば四日目に至て日と月と星とが出現したのである。
 勿論現今の緻密なる学問より言はゞモーセの記事中非科学的と見ゆるもの少からずと雖も之れ必ずしも其誤まれるが故ではない、未だ明白ならずと言ふに過ぎない、加之其の大体に於て正確なる事は之を疑ふことが出来ない、大体に於てモーセの記事は科学的である、然しながら聖書は本来科学の教科書ではない、聖書は天然に就ては其の道徳的又は信仰的方面を教ふるものである、神と天然との関係如何、神の子は如何に天然を見るべき乎、之れ聖書の明かにせんと欲する所である、而して此立場よりして我等は科学の示す能はざる多くの貴き真理を聖書より学ぶのである。
 「神光あれと言ひ給ひければ光ありき」、「神言ひ給ひけるは云々」と、之れ造化の一段毎に繰返さるゝ語で(513)ある、而して此語の中に極めて深遠なる真理がある、「神言ひ給ひければ」、然り始なく終なく一切の能力を己に備へ給ふ神云々と言ひ給へば即ち其事実現するのである、聖書に謂ふ所の言は唯の「言」ではない、希伯来語の「ダバール」に二重の意味がある、初に思想あり而して後に行為ある時之を称して「言」といふ、神光あれと言ひ給ふ時まづ神に光を造らんとの思想がある、而して之を行為に実現して即ち光が在るのである、信仰の立場より見て神の天地万物の創造は皆此順序に由て行はれたるものである、初に神に造化の思想あり、而して後に之を行為に実現して造化は成つたのである、造化の根源は神の思想にある。
 如何にして此事を知り得る乎、之を試験する能はず然しながら之を各自の信仰上の実験に由て知る事が出来る、神を識らずキリストを識らざりし余が如何にして今の光を有するに至りし乎、余自ら之を知らずと雖も或は余が銃を肩にして山野を跋渉したる時か或は余の睡眠中か何時か神の思想が余の心に臨んだのである、而して之に由て余はキリストの十字架が余の生命の源なる事を知つたのである、此事を説明せんとして何と言ふべき乎、「神此|罪人《つみびと》に光あれと言ひ給ひければ光ありき」といふの他なし、余の光も亦神の思想より来たのである、その如く天地万物の根源は神の思想にある、「神云々と言ひ給ひければ斯く成りぬ」である。
 「夕あり朝ありき之れ一日なり」と、或は之をユダヤ思想なりと言ふ、ユダヤ人の一日は日没より日没迄なりしが故である、然しながらユダヤ人の此観念は却て創世記の記事より来たのであらう、此語の深き真理を説明するものも又ユダヤ思想に非ずして各自の信仰上の実験である、或時我等の心に光臨みて之を照し歓喜と感謝を以て溢るゝ事がある、之れ朝である、然るに漸く進みて或所に至れば又暗黒に陥らざるを得ない、之れ夕である、其時神云々あれと言ひ給へば忽ち新なる光臨み来りて再び朝となるのである、キリストの贖罪は三十年間余を慰(514)めたる光であつた、然るに或る所に至りて余は之のみを以ては到底堪へ難きを感じた、其時余の心は暗黒の夕であつた、而して神又光あれと言ひ給ひければ茲にキリスト再臨の新しき光は余の心に臨んで余は再び輝く朝を迎へたのである、誠に夕あり朝ありき之れ一日なりである、詩人ホワイトの歌ひし如き人の初めて宵の明星を仰ぎし時の経験は我等各自も亦之を有するのである。 天地も亦然り、初め各種の植物発生して地はいと美はしくあつた、然しながら其の繁殖の極に達したる時は行き詰りの夕であつた、其時神動物あれと言ひ給ひければ動物出でゝ又新天地は開けたのである、之れ聖書の宇宙万物観である、夕あり朝ありき是れ一日なり 天地は此順序に由て創造せられ我等の小なる霊魂も亦此順序に由て救はる、彼を造りし神は同じ法則を以て此を護り給ふのである、大地球の発達の歴史を証明するものは我等の信仰の実験である、宗教と科学との調和は此処に之を発見すべきである。
 夕あり朝ありき、而して今は又夕に迫つたのではない乎、世界は再び暗黒に陥つたのではない乎、暴逆なる独逸は滅びて新しき平和は世に臨みつゝある、然しながら何よりも確実なるは之に由て黄金時代の実現せざる事である、或は恐る今年のクリスマスに至らざる以前全人類の大なる不平が勃発するのではあるまい乎、凡ての方面より観察して世界は今や夕に到りしの徴候顕著である、然らば世界は之を以て終るのである乎、否、神既に六度び光あれと言ひ給ひければ新しき光臨みしが如く神今一度び光あれと言ひ給ひて大なる新生命は我等に臨むのである、神の言に従ひて光出で植物出で動物出で最後に神又新しき生命あれと言ひ給ひて人類は生れた、今や人類の夕に達したる時神は必ず再び新しき生命あれと言ひ給ふであらう、而して我等の未だ実験せざる驚くべき大生命が世界に顕はれ出づるであらう。
(515) 余は今朝雑司ケ谷の地に愛する女の墓を見舞うた、墓地は益々繁昌しつゝある、多分今より五十年後には此堂に在る者亦みな墓の中に眠るであらう、而して命日毎に友人に由て其墓を飾らるゝのみを以て神の仕事は終るのであらう乎、始に神光あれと言ひて大なる努力を費して創め給ひし造化が遂に墓を以て終るのである乎、神若し神ならずとせば即ち已む、然れども神が神たる以上は人生は墓を以て終るべからず、造化の終局は其|元始《はじめ》の如く亦神らしきものでなければならない、故に聖書は曰ふ、「更に新しき日来らん、其日には神を信じて死したる者は新しき体を以て墓より起き出で新しき生命に入るなり」と、迷妄か非科学的か、然し乍ら是より以下のものを以て人は満足する事が出来ないのである、我等の信ずる神は生命の神である、故に彼は冷き土の中に我等を終らしめ給はない、「ラザロよ起きよ」と呼び給ひし同じ声が我等に掛かる時我等は栄光の体を以て甦るのである。
 造化は未だ完成に達しない、宇宙万物は其完成を待ちつゝある、而して宗教の目的は人をして限なき新生命を以て新しき天地に棲息せしむるにある、其時に於て神の造化は初めて完成に達するのである、創世記第一章の教ふる所は之である、そは唯に過去の事実の記録ではない、未来の恩恵の預言である、人類永遠の希望の約束である。 〔以上、4・10〕
 
(516)     MY RELIGION.余の宗教
                         大正8年4月10日
                         『聖書之研究』225号
                         署名なし
 
     MY RELIGION.
 
 I do not work;I believe.I do not pray;I believe.I do not sanctify myself;I believe.I do not prepare myself for beaven;I believe. Faith, which is believingin God's mercies and in the sacrificial death of His Son,――faith makes me work,faith makes me pray,faith sanctifies me,faith prepares me for heaven. My religion is all faith. There is no effort in it except it be an effort to believe.The Lord Jesus Christ is my wisdom from God,and righteousness and sanctification and redemption. He is my all. Indeed,for me to live is Christ. I by my faith let Him live and work in me,and myself become a believing automaton,a fit instrument of righteousness in His hand. All is so simple and so good.1 Cor.1:30.
 
     余の宗教
 
 余は働かない、唯信ずる。余は祈らない、唯信ずる。余は自己を潔めんとしない、唯信ずる。余は自から天国(517)に入らんと欲して準備を為さない、唯信ずる、神の慈愛と其聖子の代贖の死を信ずる信仰……其信仰は余をして働かしめ、祈らしめ、身を潔めしめ、天国に入るの準備を為さしめる。余の宗教の全部が信仰である。其内に努力はない、若し有るとすれば信ずるの努力があるのみである。主イエスキリストは神より来る我が智慧また義また聖《きよめ》また贖である。彼は余の万事《すべて》である。実に余に取りては生《いく》るはキリストである。余は余の信仰を以て彼をして余の衷にありて生き且つ働かしめ、余自身は信仰的自働機となりて彼の手に在りて義を行ふの宜き器《うつは》となりて働く。斯くて万事は甚だ簡単であつて且つ甚だ善くある(哥林多前書一章卅節)。
  最早我れ生けるに非ず、キリスト我に在りて生けるなり、今我れ肉体に在りて生けるは我を愛して我が為に己を捨し者、即ち神の子を信ずるに由りて生けるなり(加拉太書二章廿節)。
 
(518)     〔完全き救 他〕
                        大正8年4月10日
                        『聖書之研究』225号
                        署名なし
 
    完全き救
 
 余は義とせらるゝ事と潔めらるゝ事との間に区別を認むる事が出来ない、余に取りて二者共に信じて救はるゝ事の内に含まるるのである、余がキリストの十字架を仰瞻《あをぎみ》る時に余は義とせられて又潔められたりと信ずるのである、「イエスは神に立られて汝等の智慧また義また聖《きよめ》また贖となり給へり」とあるが如し(コリント前一章三十節)、神がキトストの十字架を以て施し給ふ救は完全の救である、其の内に義があり聖があり贖があり、すべての智慧と知識とがある、故に十字架を仰ぐに由て信者の救は完成せらるゝのである、我等義とせられんと欲する乎、十字架を仰ぐのである、聖められんと欲する乎、十字架を仰ぐのである、贖はれんと欲する乎、十字架を仰ぐのである、最も有効的に神と人とに事へんと欲する乎、十字架を仰ぐのである、復活に就き再臨に就き完き知識を得んと欲する乎、十字架を仰ぐのである、恩恵は様々なれども之に与る途は一である余の信仰は十字架万能の信仰である、而して是れ聖書的信仰であると思ふ。
 
(519)    十字架の信仰
 
 余は著述家ではない、説教師ではない、文学者ではない、哲学者ではない、科学者ではない、教育家ではない、慈善家ではない、然り義人ではない、善人ではない、勿論聖人ではない、世に認めらるべき何者でもない、|余はクリスチヤンである〔付○圏点〕、キリストに依頼む者である、彼の十字架を仰ぐより他に何の芸も能も才も徳もない者である、「我れキリストと偕に十字架に釘けられたり、最早我れ生けるに非ず、キリスト我れに在りて生けるなり、今我れ肉体に在りて生けるは我を愛して我が為に己を捨し者、即ち神の子を信ずるに由りて生けるなり」、パウロの此言は一言一句尽く余の言である、余は幾回《いくたび》此言を繰返しても尽きないのである、余の生涯を顧て余は誇るべく頼むべき一の事業をも有ない、唯|存《のこ》るはキリストの十字架を仰ぐ余の信仰である、是れのみが余の義であり聖《せい》であり贖《しよく》である、然り余の有する凡の凡である、此の信仰のみが余の取得である、之れなくして世に余ほど憐れなる者はないのである。
 
    二種の信者
 
 信者を全信者と半信者とに区別する事が出来る、全信者とは全部を神に献げたる者である、其十字架を負ひてキリストに従ふ者である、故に人を恐れず世を憚らず、命に至らんとて小さき門より入り窄《せま》き路を歩む者である、而して半信者とは全部を神に献げ得ず、アナニヤとサツピラの如く其幾分を蔵《かく》して之を己が儘に使用する者である(行伝五章)、人の面を恐れ世の批評を憚り、半ばキリストに従ひて半ば世に傚ふ者である、所謂基督教的文明(520)の恩沢に与らんと欲してキリストの十字架は之を避けんと欲する者である、心にキリストを信ずると称して口に之れを認《いひあら》はす事を憚る者である、而して救はるゝ者は尠しとあるが如くに全信者は尠くある、沈淪《ほろび》に至る路は闊《ひろし》とあるが如くに半信者は多くある、教会信者は大抵は半信者である、而して教会を嫌ふ信者の内にも半信者は尠くない、地位も名誉も富貴も幸福も、然り止むを得ざる場合には生命其物をも、糞土視する者に非れば全信者となりて神の国に入る事は出来ない。
 
    人種的無差別
 
 神の眼の前に人種的差別は無い、「神はすべての民を一の血より造り悉く地の全面に住ませ預《あらか》じめ其時と住む所の界とを定め給へり」とある(行伝十七章二六節)、人類の始祖は一対であつて諸民諸族皆な兄弟姉妹である、然るにカインが其弟アベルを殺せしに始まり人は神に反きし其結果として相互の敵となり茲に種族的又民族的又人種的差別、競争、嫉視が始つたのである、而して人種的差別の原因の茲に在るを知つて之を取除く事の容易でない事が判明る、之は政治的運動または外交的手腕に由て撤廃する事は出来ない、|神に対する反逆を以て始まりし差別は此反逆を癒されてのみ取除く事が出来る〔付○圏点〕。即ち人種的差別はキリストの福音に由てのみ撤廃する事が出来る、人が神と和ぐ時に彼は万人と和ぐのである、使徒パウロの曰へるが如し、
  斯《かゝ》る者(基督者)の中にはユダヤ人またギリシヤ人、或ひは奴隷或ひは自主、或ひは男或ひは女の分ちなし、蓋汝等皆キリストに在りて一なれば也(ガラテヤ書三章二八節)。
  此の如きに至りてはギリシヤ人とユダヤ人、或ひは割礼ある者と割礼なき者、或ひは夷狄《ゑびす》或ひはスクテヤ人、(521)或ひは奴隷或ひは自主の別《わかち》なし、夫れキリストは万物の上に在り、又万物の中に在り(コロサイ書三章十一節)。
 茲に今より千九百年前に人種的差別が全然撤廃せられた実例が示されたのである、バプテスマを受けてキリストに入り、キリストを衣たる者、彼に由りて新人《あたらしきひと》となれる者、彼等の間にはギリシヤ人とユダヤ人、夷狄とスクテヤ人の差別は無かつたのである、彼等は皆キリストに在りて一なりと云ふ、一であつた、勿論同等であつた 然れども其れには深き理由があつた、彼等は皆|キリストに在りて〔付○圏点〕一であつたのである、|キリストに在りて〔付○圏点〕のみ人種的差別は消滅するのである、|キリストに在りて〔付○圏点〕人の神に対する反逆は完全に癒され、随つて相互の間に存するすべての隔離は取除かるゝのである、|キリストに在りて〔付○圏点〕のみ四海は真に兄弟となるのである、天の下に此のほか別に救あるなしである、キリストを外にして別に人種的差別撤廃の途あるなしである、血は水よりも濃しと云ふが、霊は血よりも濃いのである、人キリストに在りて新たに造られて彼は民族人種を超越して神の子と成るのである、余は日本在留の支那人にして近頃キリストを信ずるに至りし者が余に告ぐるを聞いた、「日支親善と言ふもキリストに由らずして真の親善あるなし、余は彼に救はれて始めて日支親善の秘訣の那辺に存するかを知れり」と、実に至言と謂つべしである、東西両洋の間に存在する障壁を取除くの困難は至大である、而かも不可能ではない、「彼(キリスト)は我等(東西両洋の民)の和《やはらぎ》なり、二者を一となし、冤仇《うらみ》となる隔の籬《かき》を毀《こぼ》ち給へり、彼れ二者を己に聯ね、之を一の新しき人に造りて和がしめ、又十字架を以て冤仇を滅し、又之れを以て二者を一体となして神と和がしめ給へり」とあるが如しである(エペソ書四章一四−一六節)、キリストの福音に由てのみ人種的差別は完全に且つ根本的に撤廃せらる。
 
(522)     其日其時
 
 基督再臨の信仰を辱かしむる者にして再臨の時期を定むる者の如きはない、主キリストは弟子等に明かに告げて言ひ給ふた「其日其時を知る者は唯我父のみ、天の使者も誰も知る者なし」と(マタイ伝廿四章三六節)、而して天の使者の知らざる事を人が知らんと欲するのである、僭越此上なしである、然かも多くの人が再臨の日を知らんと欲し、之を計算し之を公表したのである、ウイリヤム・ホイストンはヨセフハス全集の英訳者として又大数学者として有名なる人であるが、彼は紀元一七三六年十月十二日に世の終末あるべしと公表し、為に倫敦の市民に大驚愕を起さしめた、而して勿論其事なかりしが為めに再臨の教義に対し世の大なる嘲笑を招いた、有名なる聖書学者ベンゲルも亦此事に関し大なる誤錯を演じ、彼も亦一八三七年にキリストの再臨あるべしと計算し、而して其の事なかりしが為に彼の名著『新約聖書|指南《グノモン》』は久しき間其価値を認められなかつた、モルモン宗の始祖ヨセフ・スミッスも「其日其時」を定めて恥を取り、カーライルの友人にして信仰的大天才と認められしエドワード・アービングも亦一八二五年に再臨あるべしと唱道して彼の正気を疑はれた、近頃に至りバクスターなる人あり『紐育基督教ヘラルド』紙上に一九一七年九月十七日に再臨あるべしと予言して恥辱を繰返し、又「牧師」ラツセル幾回か再臨を予言して当らず世の指弾する所となつた、実に再臨信者の慎むべき事とて再臨の日と時とを指定する事の如きはない、|再臨の信仰の貴きは其時日の定まらざるにある〔付○圏点〕 恰かも死の時日の定らざるが如しである、何時来り給ふか知らざるが故に信者は腰に帯して待望むのである、再臨の時日を知るは害ありて益がない、再臨信仰の害は主として此に在るのである、其時日を知りて(知ると称して)徒らに騒ぐ、再臨は固き信(523)念である、時の遅速の如き其関する所でない、|主は必ず臨り給ふ〔付○圏点〕、其事を約束されて他に問ふの必要が無いのである、其約束が我等を潔め、我等を高め、我等に感謝と歓喜と希望の尽ざる生涯を供するのである。
 
(524)     イエスの終末観
         馬太伝第二十四章の研究
                    大正8年4月10日
                    『聖書之研究』225号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
     第一回(二月十六日)
 
 馬太伝第二十四章は聖書中最も難解なると共に又最も重要なる一章である、故に此章を解する者は即ち聖書を解する者なりと言ふ事が出来る、而して此章を解せんが為には聖書中の他の部分を引照しなければならない、凡て聖書の言の解釈は常に他の言を以て之に照合するの必要がある、然らずんば其解釈浅薄に流れて神の真理を探る事が出来ない、之に反して真に深く聖書を解せん乎、其真理は我等の生命の中心に浸入し死と雖も之を消滅せしむる能はざるに至る、而して斯の如き解釈は聖書中随処の照合研究に由て獲らるゝのである、此点より見て聖書の研究は最も緊要の事に属する。
 馬太伝第二十四章の研究は二十三章より之を始めて二十五章に迄亘るを要する、二十三章はイエスの終末観の序言たるべきものである、彼はヱルサレムに上りて幾度びかパリサイ、サドカイの人々即ち当時の政治家宗教家学者等に教を説きしも遂に其受くる所とならず、力めて彼等と和睦して之を己に導かんとの彼の努力も全く無効であつた、是に於てか止むを得ない、イエスにも其忍耐の尽くる時が来たのである、彼の方より絶交を申渡すべ(525)き時が来たのである、彼は教師神学者等の前に独り立ちて偉大なる宣言を為し給うた、之れ即ち馬太伝二十三章の記事である。
 「噫汝等禍なるかな偽善なる学者とパリサイの人よ」と、イエスは此語を七度び繰返し給うた、試に今の教師等の前に彼自ら立ちて之を宣べたりとせば如何、誰かその激越の辞に驚かざるものがあらう乎、「禍なるかな」と翻訳にて之を読みて其強さは意味の上に於てのみ表はるゝも到底其原語たるアラミ語又は希臘語の響きを伝ふるに足りない、余は曾て或る希臘人が哥林多前書十三章のパウロの言を外国語の翻訳にて読みては其精神を解する能はずと言ふを聞いたが馬太伝二十三章も亦然りである、日本語よりも寧ろ英語は遥かに原語に近い、英語にて wo!(ウォー)希臘語にて ouai(ウーアイ)といふ、共に音である、堪へられず! との意である、凡そ絶交の辞として斯かる強烈なるものはあり得ない、茲に人の口より出でたる最も過激なる語がイエスに由て発せられたのである、彼の最も良き弟子等も亦時として悲憤慷慨堪へられずとの声を挙げた事があつた、而して実に神の熱愛は或る場合には斯かる過激の語を以て現はれざるを得ないのである。
 イエスの心の底より発したる此の痛烈なる憤慨の語の後に来りしものが三十七節以下である、「噫ヱルサレムよヱルサレムよ、予言者を殺し汝に遣はさるゝ者を石にて撃つ者よ、母鶏《めんどり》の雛を翼の下に集むる如く我れ汝の赤子《こども》を集めんとせし事幾度びぞや、されど汝等は好まざりき、見よ汝等の家は荒地となりて遺されん」と、此処に彼の「ウーアイ」を発したる深き理由がある、父が子を愛するの余りに堪へられずして叱咤したる後の涙の迸溢《ほとばしり》である、此愛ありて初めて真の攻撃を為す事が出来る、イエスの憤慨は全く愛の憤慨であつた。
 斯の如くにしてイエスとユダヤに於ける当時の指導者との間の縁は断絶した、而して此絶交はイエスの方より(526)宣告したるものであつた、然るに注意すべきは彼の最後の語である、「我汝等に告げん、主の名によりて来る者は福なりと汝等の言はん時至る迄は今より我を見ざるべし」と、汝等と我との関係は絶えたり、然れども之を以て終るに非ず、後に汝等再び我を迎ふる時あるべしとの謂である、恰も誠実なる夫が不貞の妻に渡す離縁状の如し、絶縁である、然しながら条件付きの絶縁である、後に又相結ばるべき希望を附しての絶縁である。
 而して|此処に明白なる基督再臨の宣言がある〔付○圏点〕、彼は敵に対する離別の辞として己が死したる後再び主の名に由てヱルサレムに帰来すべきを約束し給うた、彼は又同じ意味の言を以て其弟子と別るゝの辞と為し給うた、「我汝等に告げん、今より後汝等と共に新しき物を我父の国に飲まん日までは再びこの葡萄にて造れる物を飲まじ」と(馬太伝廿六の廿九)、其敵に対するも其友に対するも離別の辞としては均しく再臨の宣告である、依て知る、再臨の真否は暫く措き馬太伝中少くとも此二ケ所に於てイエス自ら明白に之を預言し給ひし事を。
 イエスは斯の如く其敵に対し過激の語を発すると共にヱルサレムの滅亡と己が再臨とを預言し給うた、是に於てか弟子等の心中幾多の疑問を発せざるを得なかつた、之れ二十四章に於ける弟子等の質問ある所以である、二十四章は二十三章を前提として見て能く其間の消息を探る事が出来る。
 彼等は先づヱルサレム宮殿の構造を見て其の果して荒地となりて遺さるゝ時あるべきかを疑つた、当時の宮殿はヘロデの建設に係り宏荘無比と称せられた、之に使用せし石の如き其|幅員《はゞ》二丈三四尺のものありしといふ、太閤秀吉の器量の大を示すべき大阪城の石と雖もヱルサレム宮殿の其には及ばなかつたのである、此宏荘なる建物の果して荒廃に帰する時あるべしとは彼等の想像し得ざる所であつた、然しながらイエスは之を前に置いて彼等に答へて曰うた「汝等凡て之等を見ざるか、我れ誠に汝等に告げん、此処に一の石も石の上に崩されずしては遺(527)らじ」と、其の大なる確信を見よ、人力を以て如何ともする能はずと見えし盛大なる宮殿を指して其完全なる荒廃を預言したのである、之れ真の信仰的勇者の言である、其衷心に於て深く神と交通する者に非ずんば斯かる大胆なる言を発する事は出来ない。
 弟子等は更に問うて曰うた「何れの時此事あるや、又汝の来る兆《しるし》と世の終の兆は如何なるぞや」と、二箇の質問である、第一宮殿の崩壊、換言すればヱルサレムの滅亡の時は何れぞ、第二汝の来る兆と世の終の兆とは何ぞ、|時〔付△圏点〕の問題と|兆〔付△圏点〕の問題である、而して此質問に対する答としてイエスの終末観は述べられたのである。
 再臨の信仰に反対する者或は曰く馬太伝二十四章の教へはヱルサレムの滅亡近づき猶太人の大困難切迫して国民的生命の行詰りし時に与へられたる者である、平和の世に在て再臨の信仰は何の要あるなしと、余の知人三並良君の余の著書に対して加へられたる批評も亦此立場に在るものである(『六合雑誌』二月号を見よ)、君は曰く「世界の大乱に激成せられて勃興した内村氏の再臨信仰も世界が平和となるにつれて再び以前の平静に復する事と思ふ、之は急に起つた狂瀾怒濤であるが、鏡のやうに平静となるべき世界は氏の心池にも旧の如く春風が静に吹きそめん事を希望する」と、即ち再臨の信仰が本来時勢の行詰りより起りしものなるが故に余の場合に於ても亦時勢の行詰りの終熄と共に此信仰は消滅すべしといふのである、こは興味ある観察である、然し乍ら時勢の行詰りは果して終熄したのである乎、世界は果して鏡の如くに平静となりつゝある乎、否な世界は今尚依然として行詰りつゝあるのではない乎、今より二ケ月前には人類六千年の理想の実現を以て期待せられし国際聯盟も講和会議の経過に徴すれば漸次其骨髄を失ひて殆ど紙上の形骸となりし観がある、強敵独逸は滅びたりと雖も更に恐るべきヴオルセビズム(過激主義の訳語は当らず多数主義なり)は勃興して陰然各国の根底を覆滅せんとしつゝあ(528)る、唯に露独両国の此主義の為に斃れたるのみならず英仏伊の諸国も其前に当りて戦慄し米国の如きは之を恐れて向後四年間移民の入国を拒絶するに至つた、カイゼル主義は軍隊と大砲とを以て之を抑圧するを得たるも思想は之を抑圧する事が出来ない、世界は今や普国主義に勝る恐るべき新強敵を迎へたのである、又所謂民族自決主義に由て波蘭とアルサスローレンとは独逸の羈絆を脱した、然らば同じ主義に由て愛蘭又は印度又は埃及も亦独立せんと欲せざる乎、敵国を刺したると同じ武器を以て欧米聯合国は今や自ら悩まされつゝある、而して之れ独り外国の事のみではない、我等各自にも亦多くの問題がある、食糧の不足、物価の騰貴、其他一々挙げて数ふる事が出来ない、斯の如くにして我等は今尚行詰りの状態に在るのではない乎、果して然らば時勢の行詰りより起りし信仰は今尚我等に取て重要である、若しユダヤ人がヱルサレム滅亡の近き時に当り基督再臨の信仰に由て慰藉奨励せられしならば全世界の窮迫を実見せる我等は更に大に此信仰の援助を求めざるを得ない。
 馬太伝二十四章はユダヤ人の危急存亡の秋に与へられたる教訓であると共に又|キリストの再臨に由り特にユダヤ人に臨むべき救に関する預言〔付○圏点〕である、聖書は全人類を分ちて基督者、ユダヤ人及び異邦人の三とする、而してキリスト再び来る時三者各々特別の恩恵に与るのである、其時基督者の受くべき恩恵は如何、既に死したる者は甦り生ける者は其儘栄化せられて共に空中に携へ挙げられ彼処にて主に遇ひ又愛する者と再会し限なく主と共に居る事が出来る、之れ実に信者歓喜の極致である、而して此の携挙の恩恵は唯だキリストの贖を信じ彼に由て義とせられたる者のみ之に与る、次にユダヤ人の受くべき恩恵は如何、現今の如く世界に散布するユダヤ人は再びヱルサレムに呼び集められて大なる審判に遭遇する、而して審判其極に達したる時キリストは彼等の王として降りて彼等を救ひ給ふ、最後に異邦人の受くべき恩恵は如何、キリストはヱルサレムに降り救はれたるユダヤ人(529)を以て万国を治め給ふ、其時恆久的平和と正義の政治と其他旧約聖書に預言せられたる凡ての理想が此地上に実現するのである、斯くてキリストの再臨により恩恵は全人類に臨む、然れども基督者には基督者として、ユダヤ人にはユダヤ人として、異邦人には異邦人として特別の恩恵が臨むのである、|而して馬太伝二十四章は主としてユダヤ人に関する預言である〔付○圏点〕、此事を知つて本章の意味は甚だ解し易きものとなる。
 斯く曰はゞ或は本章の研究を以て我等の救と関係なき閑問題の如くに思ふ者があるかも知れない、然しながらユダヤ人を救ふの恩恵は又我等を救ふ恩恵と同一のものである、我等は単独にして救はるゝのではない、神は基督者を救ふと共に世界万人を救ひ給ふ、故に他人の救は同時に我等の救の保証である、神は如何にしてユダ人を救ひ給ふ乎、之れ我等各自に至大の関係ある問題である、馬太伝二十四章の研究は勿論基督者に取て亦最も重要なる研究である。
 
     第二回(二月二十三日)
 
 馬太伝二十四章又は馬可伝十三章路加伝二十一章等に現はれたるイエスの終末観を解せんが為には先づ読者の心中大なる疑問を抱く事を要する、イエスは其弟子等より提出したるヱルサレム滅亡の時と彼の再臨の兆及び世の終の兆如何との質問に答へて「大なる患難臨み来るべし、地には戦争饑饉疫病地震あらん、天には日晦く月は光を失ひ星は空より落ちん、されど其時望みを失ふなかれ、我れ電の閃く如く天より降り来らん、而して神の国を地上に実現すべし」と宣言し給うたのである、此宣言は果して真実である乎、若し然らんには我等の人生観及び基督教観は全然一変しなければならない、多くの信者の基督教観は聖書に基かずして却て教師又は先輩の説に(530)基く、故に彼等は神の愛なる事又は我心に宿る事又は此世を導きて神の国たらしめ給ふ事を信ずるも終末観の如きは殆ど之を解しない、甚だしきに至ては基督教は社会主義なり或はデモクラシーなりと称する者がある、かくて教会に於て国際間題社会問題家庭問題は盛に研究せらるゝも聖書の中心的真理たる再臨問題は棄てゝ顧られない、然しながら再臨の信仰は果して時代思想に過ぎざる乎、イエスの終末観は基督教の重要なる一部を形成せざる乎、之を伝ふる聖書は謬なき神の言として受くべきものに非ざる乎、こは深刻なる懐疑と熱烈なる祈祷とを以て研究すべき大問題である、而して此問題の解決如何によりて我等の基督教観及び人生観は全く左右に相分るゝのである、故に咋年余輩の基督再臨を提唱してより以来我国の基督教界に思想上の大動乱を生じ教会は截然《さいぜん》として二分せらるゝに至つた、独り我国のみならず米国等に於ても亦同様である、同じ教会が二つに分裂するのである、プロテスタント教会中最も優勢なるバプチスト教会中にもシカゴ大学を以て代表せらるゝ再臨反対信者と南部地方に於ける再臨信者とがある、長老教会、聖公会、組合教会亦然り、実に馬太伝二十四五章を神の言として読む乎否乎に由て教会の黒白は判明すると言ふも過言ではない。
 而して馬太伝二十四五両章に対して凡そ四種の解釈が行はれる。
 第一|之れキリストの言に非ず又使徒マタイの書にも非ず、或るユダヤ教信者が世の終末の近きを感じ自己の感情を叙述せしもの〔付○圏点〕にして約翰伝に見るが如き霊的基督教思想と相反するユダヤ思想なり、たゞ其中に余りに美はしき言あるが故に馬太伝編纂者が之を採りて福音書中に輯録したるのみと、此説は今より五十余年前仏国の学者コロニー之を唱へ遂に瑞西の学者にして基督伝の最大権威と称せらるゝカイムの其著「ナザレのイエス」中に之を採用するに及びて多くの学者間に尊重せらるゝに至つた、例へばワイツゼッケル、プフライデレル、ルナン、(531)マンゴルト、ホルツマン、ヒルゲンフェルト等皆此説の賛成者である。
 然しながら若し此説の如くならんには世界の終末よりもまづ基督教の破壊である、仮令幾多の大学者の之に賛成するありと雖も此説は単純なる基督者の心的経験に訴へて其の最も貴きものを奪ひ去るものである、基督者各自には基督的良心《クリスチヤンコンシエンス》の在るあり、之れ聖霊の光に由りて聖書を研究するに方り第一の権威である、学者何者ぞ、智者何者ぞ、今より五年前に於ては世界中若し智者学者の多き国ありとせばそは独逸であつた、独逸ほど人生の事実につき精通したる国はなかつた、独逸ほど聖書の批評的研究の練達したる国はなかつた、誠に米国のシカゴ、エール、ハーハード諸大学又はユニオン神学校より独逸人の研究の結果を除かば後に何が残る乎、ユニオン神学校長嘗て曰く我等の神学は独逸より学べりと、誠に然うである、カイム其他前掲の諸大家は殆ど皆独逸人又は独逸系の学者である、故に若し知慧が人生に就て何かを教ふるものならん乎、独逸は今日の惨状を呈すべき筈がない、然るに世界中の智者を集めし国が四年半の間に最も憐むべき国と化せしは如何、独逸神学者の説如何なりとも之に我等の霊を委ぬる能はずとは今回の戦争の与へたる大なる教訓である、聖書を斥けて人の知慧に頻らんとする者に対しては我等は一言「かの独逸を見よ」と曰ひて之に答ふる事が出来る、単純なる基督者の実験は神学者の学説よりも遥に貴くある。
 第二此預言は勿論聖書の一部にして|ヱルサレムの滅亡を示すものなり〔付○圏点〕と、此説はヱルサレム滅亡の歴史に徴して甚だ有力なる解釈である、ヨセファスの記録によればヱルサレムはキリストの此言を発したる後三十六年余にして恰も茲に預言せられたるが如き状態に於て滅亡したりといふ、加之二十四章三十四節にヱルサレム滅亡の意を示すべき言がある、「我れ誠に汝等に告げん、之等の事悉く成るまで此民は廃《う》せざるべし」と、茲に「民」(532)と訳せられしは英語の generation 希臘語の genea にして「一代」の意を有する語である、即ち「之等の事の成就を現在生存せる人々の目を以て見るを得べし」との謂である、然らば其預言は近く四十年以内に起るべきヱルサレムの滅亡に関するものと見るは適当なる解釈である。
 然しながら此説は聖書の解釈を助くるも其権威を失墜せしむる、何となれば爾後四十年以内にヱルサレムは滅亡したりと雖もキリストは再臨せざりしが故に彼自身の預言は外れたりと言はざるを得ないからである、之れ聖書を神の言として受くる者の信ずる能はざる所である。
 第三にヱルサレムの滅亡に非ず|世の終に関する預言なり〔付○圏点〕と、genea を「代」と読まずして邦訳聖書の如く「民」と読まば此説を主張する事が出来る、「此民」とは言ふ迄もなくユダヤ民族である、而してユダヤ民族は未だ亡びざるが故に基督再臨の預言の成就は尚未来にあるを妨げない、ヱルサレムは一度び亡ぶるも世の終に至つて回復し而して再び大審判が之に臨むのである。
 ヱルサレムの滅亡か世の滅亡か、此研究の関ケ原と称すべき分岐点は genea なる一語の解釈如何にある、恰も馬太伝二十六章六十二節の aparti(此後)と均しく再臨信者を躓かしむる事多き一語である、聖書研究の困難は斯る点に存する、然しながら genea を「民」と読むは決して理由なき解釈ではない、第一此処に「|廃〔付△圏点〕せざるべし」と記されたる語は次節に於て「天地は|廃〔付△圏点〕せん、されど我言は|廃〔付△圏点〕せじ」とあると同一の語にして「全然消え去る」の意である、故にこれを「時代」に適用しては其の意義明確を欠くに反し「民族」に適用すれば世の終の滅亡を示すものとして妥当である、第二希臘語の genea 其ものが既にアラミ語の翻訳である、使徒等は果して此訳語を「代」の意に用ゐたるや否や、近頃エール大学教授トーレー氏使徒行伝の前半を試にアラミ語に還元したれば難(533)解の語句は多く除去せられたりといふ、genea も亦之をアラミ語に訳し返して見なければならない、而して現に七十人訳聖書中旧約の「民」の字に充つるに希臘語 genea を以てしたるもの数ケ所あるに徴すれば此場合に於ても亦「民」の意に解すべきに非ずやと思はる。
 此解釈に対しては権威ある学者の後援がある、有名なるゴーデー先生が八十年間の聖書研究の結果を発表せんとして筆執りし其最後の著述(馬太伝の研究)中に於てかの大聖書学者は此説を主張して居る、又彼と同じく篤信家にして博学の点に於ては彼を凌駕する均しく瑞西の学者ガウセンも亦同じ意見である、余輩は馬太伝二十四章を世の終に関する預言と見て謬らざるを信ずる。
 然しながら之を全然世の終にのみ関するものと見るは余りに局限せられたるの観なきを得ない、「其時ユダヤに居る者は山に遁れよ、屋上《やのうへ》に在るものは其家の物を取らんとて下る勿れ……汝等冬又は安息日に逃る事を免れん為に祈れ」(十六−廿節)と言ふが如きは全くユダヤ的の語調である、是に於て更に第四説ある所以である。
 第四|ヱルサレムの滅亡を預言すると同時に兼ねて世の終を預言するなり〔付○圏点〕と、此説に対しては或は遁辞なりとの非難あらん、然しながら斯の如きは必ずしも稀有の事ではない、殊に所謂預言心理学(Prophetic Psychology)の立場よりすれば最も容易に解し得べき事実である、例へば茲に一青年を訓誡せんとするに方り其当面の問題を論ずると共に熱情溢れて遂に彼が最後の滅亡を訓誡し更に当面の問題に復帰するが如きは蓋し日常普通の事例である、其の如くイエスも亦ヱルサレムの滅亡に就て語ると共に彼の心に世界終末観湧き来りしが故に話頭自ら之に転じ更に又ヱルサレム問題に復帰したのであらう、|人類の救主たる彼の如きにありては時事問題の常に絶対的終局的色彩を帯ぶるは誠に当然の事である〔付○圏点〕、而して我等の実際的経験も亦此事実を説明する、此点に於て我等日本(534)人は西洋人よりも聖書研究上甚だ有利なる立場に於てある、西洋人の頭脳は余りに定義を重んじ事物の判然たる区別を好むが故に斯種の消息を解するに困難である、彼か此か其一を択ばずんば已まない、然し乍ら聖書の預言は或る意味に於て日本画に類する、靉靆《あいたい》たる暈抹《ぼかし》の中に明確なる区別を存するのである、故に各自の信仰の実験と東洋の美術的思想とを以てして最も良く之を解釈する事が出来る、|馬太伝二十四章はヱルサレムの滅亡と世の終末との混淆的預言である〔付○圏点〕。
 
     第三回(三月二日)
 
 世の終末の審判等の問題を研究するに当りて先づ明白ならしむべきは聖書の如何なる書なる乎である、今日多く教会内に於て見るが如き聖書に対する不信は措いて問はず、之を己が霊魂の糧として貴ぶ人々の間にも二派の別がある、其一は聖書を以て神の書なりと為す者である、その謂《いひ》は聖書が単に神の言なりといふのみならず又|始終一貫したる書〔付○圏点〕なりといふに在る、自ら書を著はしたる経験ある者は知る、何処よりともなく一箇の思想我が脳中に躍出《やくしつ》し之を表現せずんば止む能はずして即ち筆を執るのである、故に其表現の完否は別として真正の著書には必ず始終一貫したる思想がある、聖書は新旧約六十六巻に分たれ其記者亦数十人の多きに上ると雖も神が聖霊に由て彼等をして書かしめたるものなれば徹頭徹尾一貫したる書 the Bible である、其中に何記何書何伝等の区分あるは恰も箇人の著書に章節の分類ありて各特殊の題目を有すると異ならない、創世記より黙示録に至る迄唯一巻の書であると、之れ古くより多くの信者の抱きたる観念である、然るに又他の人々は曰ふ聖書は一の文学なりと、文学とは何ぞ、数多の思想の収録である、日本文学又は英文学と言ひて仮令或る共通の色彩を有せざるに(535)非ずと雖も到底一箇の思想を以て貫徹せられたるものではない、聖書を聖文学 the Sacred Literature と称するは即ち之を一巻の書と見ざるの思想である、是に於てか所謂時代思想を云為し聖書の真理を以て時代の産物と見做さんとするに至る、聖書に関する近代の著書は多くは此立場に在る者である。
 二者孰れが果して真である乎、今此処に之を論議せん事を欲しない、然しながら唯一事の承知すべきは聖書は一巻の書なりとの思想に侮るべからざる理由ある事之れである、近代人は神が聖霊を以て前後千五百年に亘り二十有余の人をして一巻の書を書かしめたりとの説を聞いて一笑に附すると雖も余輩は彼等に対して下の如き人々の著書を推薦せんと欲する、
  |サー・ロバート・アンダソン〔ゴシック〕、彼は英国の前警視総監にして驚くべき常識を有したる実際家であつた、彼は勿論教師ではない、然しながら平信徒の立場に於て其晩年の生涯を専ら聖書の研究に献げ幾多の名著述を遺して最近に世を逝つた。
  |Å・J・ゴルドン〔ゴシック〕、彼はボストンに於ける浸礼教会の牧師として有名なるフイリツプス・ブルツクスと相対して立つた、而して雄弁に於ては後者を推さゞるを得ざるも福音的信仰に於ては前者は確かに後者の上であつた。
  |アーサー・T・ピヤソン〔ゴシック〕、米国の産みたる最大宗教家の一人である。
  |ウイルバー・チヤツプマン〔ゴシック〕、米国長老教会の牛耳を執りし人である。
  |C・l・スコフイールド〔ゴシック〕、近世に至り世界中の平信徒をして聖書を読ましむるに成功せし者である、彼は其完全なる聖書知識を以て聖書の全部を己が頭脳中に収めし観がある。
(536)  其他独、仏、瑞等の学者に之を求むればベンゲル、ガウセン、ツアーン、ゲス等挙げて数ふるに遑がない。
 聖書は実に一巻の書である、故に其の全体を通じて同一の思想を啓示する、世の終末の審判に関する馬太伝二十四章の教へは又聖書全体の教へである、殊に但以理書第九章は此問題の上に大なる光を与ふるものである。
 但以理書に就て学者の論議する所は甚だ多い、就中再臨反対者は屡々嘲りて曰ふ、再臨の信仰は但以理書より出づるに非ずやと、然しながら倫理的歴史的立場より書かれしイエス伝の最大権威と称せらるゝカイム曰く「イエスの最も愛読したるものは但以理書なり、之を名けてイエスの預言書と称するを得」と、以て但以理書の価値如何を知る事が出来る、此書を除いて新約聖書を解せん事は不可能である。
  汝の民と汝の聖き邑の為に七十週を定め置かる……汝|暁《さと》り知るべし、ヱルサレムを建直せといふ命令の出づるよりメシヤたる君の起る迄に七週と六十二週あり……其六十二週の後にメシヤ絶たれん……又一人の君来りて邑と聖所とを毀たん、……彼一週の間多くの者と固く契約を結ばん……斯て遂に其定まれる災害《わざはひ》残暴《あらさ》るゝ者の上に斟《そゝ》ぎ降らん(ダニエル書九の廿四以下)
 選民の救拯の為に七十週を定め置かる、その七週と六十二週との後にメシヤ絶たれん、而して最後に審判の一週ありと言ふ、当時のユダヤの計算法に由れば一週とは七年である、即ち七週四十九年と六十二週四百三十四年、ダニエルが啓示を受けてより略々此年数を経たる後にキリストは十字架に釘けられ給うた、而して尚其後に一週即ち七年の審判の時ありと預言せらる、然らば此審判の時代は歴史上如何に接続するのである乎、馬太伝二十四章の預言は但以理書の何れの時代に関するのである乎。
 此問題に対してスコフィールド、ゲーベライン等は答へて曰ふ「イエスのベテレヘムに生れし時東方の博士等(537)はユダヤ人の王として生れ給へる者は何処に在すやと言ひて尋ね来りしが如く彼は実にユダヤ人の王として出現し給うた、彼は預言者等の預言したる王国を建設せんが為に来り給うたのである、而して所謂山上の垂訓は彼の王国に行はるべき律法にして奇蹟は彼の王国の民たる者に与らるべき力であつた、然るにユダヤ人は彼を迎へなかつた、「彼己の国に来りしに其民之を接《う》けざりき」、彼等は己が王たるべきイエスを捉へ之を異邦人に渡して共に十字架に釘けて了つたのである、斯る民を以て天国を建設する事は出来ない、是に於てか神は断然選民を滅ぼし給ふ乎、若くは別に方法を立て二千年又は三千年の後を待ち再び選民を以て其本来の目的を遂行し給ふ乎、二者其一を選ぶの他なかつた、然るに神は慈悲深く忍耐に富み給ふ神である、彼はユダヤ人を滅す事を為さずして終の一週を後の時代に延引し給うた、而して其間へ挿入するに所謂「異邦人の時代」を以てし給うたのである(路加伝廿一の廿四)、異邦人の時代或は又之を教会時代といふ、「教会」の観念は初よりキリストの計画中にあつたのではない、彼が此世に神の国を建設せんとの計画を選民の不信の故に抛棄せざるを得ざるに至りて新に教会時代が始まつたのである、而して教会時代の終りし後に最後の一週は来る、|馬太伝二十四章は即ち世の終末の一週に関する預言である〔付○圏点〕」と。
 此解釈は誠に聖書を解し易からしむる説明である、斯く神の定め給ひし「時代」(dispensations)を分ちて聖書を読む時は従来我等を苦めたる多くの難問題を解決する事が出来る、馬太伝二十四章の外テサロニケ後書二章一節以下又は約翰黙示録(或学者は之を馬太伝二十四章の註解として見るべしといふ、後者は前者の縮図である)等は此延引せられたる一週に関する記事である、之に反しパウロの書翰の大部分は教会時代に関する書である、教会は十字架と終の一週との間に挿入せらる、ユダヤ人自からキリストを斥けたるの結果神の特別に造り給ひし者(538)が基督者である、換言すればキリストの十字架の功《いさをし》を信ずるのみに由て異邦人及びユダヤ人中より呼び出され而して終の一週の始まらんとするに先だちて其数は満ちキリストの新婦《はなよめ》として携へ挙げらるゝ者、之れ即ち基督者である、故に福音書に於ては馬太伝十六章に始めて「教会」なる文字を見るも之れ明かにイエスのユダヤ人に棄てられ給ひし後の思想である。
 馬太伝二十四章は世の終の時代に関する預言である、終に至て此世に戦争、饑饉、疫病、地震等あり、然る後キリストの再来ありて世は改まると言ふ、こは果して真実である乎、我等の理性に訴へて信じ得べき事である乎、近世科学は万物の徐々的進化を教ふるに拘らず人生豈独り其完成に先だちて大変動を要せんや、然しながら人生の事実は聖書の言の真実なるを証して余りがある、誰か自己の霊的救拯の実験を語りて我は自ら識らざる間に徐々として基督者となれりと言ふ者がある乎、少くとも余自身は然らず、自ら救はれんと欲して躁《もが》けば躁く程益々深く罪の底に陥り将に絶望せんとしたる時忽ち大能の手降りて余を救うたのである、世界は今や講和会議の結果新しき光を見るに至らん事を切望して已まない、仮に此希望は充さるゝとするも何故に二千万の人を犠牲としたる大惨劇を経ずして茲に達しなかつた乎、蓋し光明の前に暗黒の臨むは人の救はるゝ途なるが故である、其事は昔も今も変らない、ノアの時代にも洪水来りて世を滅ぼし然る後に新しき光は臨んだ、神の救の手に縋らんが為には人は先づ往く所まで往かなければならない、之れ人類の経験の示す事実である、イエスの終末観は進化論に背くと雖も人生の事実には背かないのである。
 「民起りて民を責め国は国を責め饑饉疫病地震所々にあるならん」と、平和の時代に之を読みて殆ど一笑に附せざるを得ない、然しながら誰か思はざる時に大戦乱の勃発するなきを保証し得やう乎、一九一四年七月米国の(539)或る平和主義の巨頭は数千の聴衆を集めて戦争絶対的廃止の日の切迫せるを宣告した、然るに何ぞ図らん爾後二週日を出でずして未曾有の世界戦争は開始したのである、人は今日の如き交通の発達と農学の進歩とを以てして世界に於ける一般的饑饉は有り得べからずと思惟するも事実は然らず、先般米国食糧大臣の作製したる地図に由て見れば今や全欧洲は饑饉状態に瀕しつゝある、就中甚しきは露西亜である、世界中最も豊富なる麦産地にして却て最も貧寒なる饑饉状態に陥る、神の饑饉を地に降さんとするや其の甚だ容易なるを思はざるを得ない、疫病亦然り、伝染病予防の方法は既に間然する所なきに似たるも流行性感冒は全世界を襲うて停止する所を知らず欧洲北米南米濠洲印度南阿等皆其害を蒙らざるはなく、本年一月十五日迄に之が為に斃れし者六百万を算へ、西域牙国バルセロナ市の如きは一日の死者千二百人に上りし事あり、誠に恐るべき世界的疫病である、而して我等は眼前に其害毒を目撃しながら今日の医学を以て之を如何ともする事が出来ないのである。
 避け得べき戦争も之を避くるを得ず、脱れ得べき饑饉疫病も亦之を脱るゝ事が出来ない、然らば地震は如何、地球は未だ全く冷却したるに非ず、地表より七哩の下は今尚真紅の火なりといふ、余を教へたる或る地質学者は常に曰うた「地球の中心は固体なる乎溶液なる乎余は未だ之を決定する能はず、一週中三日は彼ならんと思ひ四日は此ならんと思ふ」と、実に何人も地の変動に就て保証する事は出来ない、地震学の進歩の故を以て毫も安心すべからずである。
 愛の神は何故に斯かる患難を降し給ふ乎、何故愛児を撫育するの態度に出で給はざる乎、こは人間の申分である、神は決して何等警告を加ふる事なく人の罪深きに至て不意に之を陥るゝが如き無慈悲を行ひ給はない、幾度びか誡告に誡告を重ね忍耐に忍耐を加へて悔改を促し給ふ、然れども人の之を熟知して尚従はざるに当り神は(540)何時迄も慈母の態度を続けて可ならんやである、愛の神に忍耐の絶ゆる時がある、其時即ち滅亡忽ち世に至るのである。
 然らば神に従はざる者をして其往く所に往かしめん乎、而して我等は唯神の審判の降るを待たん乎、否神は人を造りて之に自由意思を賦与し給うたのである、故に今日未だ神に従はざる者と雖も明日或は悔改むるに至らん、之れ何人も予知する能はざる所である、而して神は「憐憫《あはれみ》あり恩恵あり怒る事遅く慈悲深くして災禍《わざはひ》を悔い給ふ者」なれば悔改者に対しては必ず其の定めたる滅亡を取消し給ふ、故に我等をして一人なりとも悔改に導かしめよ、出来得る限り被審判者の数を少からしめよ、伝道の意義は此処に在る、世の終末の切迫を知りて我等は愈々福音の宣伝に熱心なるべきである。
 
(541)     時感二三
                         大正8年4月10日
                         『聖書之研究』225号
                         署名なし
 
〇「余は斯る事を信ずる能はず」とは所謂近代人が聖書の明白に伝ふる教義に対して屡発する言である、余輩は斯る人等に答へて曰ふ「信ずる事の能ないのは君の不幸である、真理は君の反対に遇ひたればとて誤謬とはならない、余輩は君を信ずるよりは寧ろ聖書を信ずる」と、自負心の強き者とて近代人の如きはない。
〇メソヂスト教会の或る若き神学者にして近頃帰朝せし者基督再臨の信仰に就て余輩の仲間の一人に告げて曰ふた「そんな事を信ずる者は米国の識者中に一人も無い」と、余輩は之に答へて曰ふ「宜しい、米国人は今日まで数多の誤謬を我等日本人に伝へた、米国人の信ぜざる事必しも真理に非ずと云ふことは出来ない、|否な信仰的に最も浅薄なる米国人が信ぜざる事は却て真理に近しと云ふ事が出来る〔付△圏点〕、|否余輩は却て彼等の不信を憐み時を待て彼等の間に宣教師を遣《おく》りて彼等の迷妄を開くであらう〔付○圏点〕」と、然し乍ら米国の識者中基督再臨を信ずる者一人も無しと云ふは大なる虚偽《いつはり》である、余輩の知る範囲に於ても之を信ずる識者は決して尠くない、要は人に頼らざるに在る、米国人豈恐るゝに足らんや。
〇基督再臨を迷妄視する教会の状態を見るに其神学校は少しも振はず其生徒の数は教師の数よりも尠く、其伝道心たるや甚だ微弱にして神学者にして伝道に従事せずして実業界に入る者も尠くない、樹は其実を以て知らるで(542)ある。
 
(543)     ユダの理想婦人
         (二月九日)  箴言第三十一章十−卅一節の研究
                    大正8年4月10日
                    『聖書之研究』225号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 婦人問題は小問題に似て実は小問題でない。延いて男子問題となり、人類問題世界問題となる。近来婦人問題の論議盛んなるは偶然ではない。然らば聖書は婦人を如何に観る乎、是れ大に研究の必要がある。殊に基督教の婦人観を以てアメリカの婦人観と混同さるゝ今日に於ては此の区別を明白にするは大切である。アメリカの婦人観は基督教の婦人観ではない。吾等は聖書によりてのみ基督教の婦人観を知るのである。
 聖書の婦人に関する記事は一括されて居ない、全部に渉りて存する。是れ研究に不便なるが如くして実は大に研究を刺激するのである。先づ旧約に就いて見るも婦人を取扱へる記事頗る多きに驚く。支那に於ては女子と小人は養ひ難しと言ふも聖書は婦人を尊み神の前には男女全く平等なりとして居る。是れ基督教が他の宗教と異る点である。例へばアブラハムの妻サラはイスラエル人の理想婦人である。モーゼの姉妹のミリアムも亦然り。其他士師記には女預言者デボラの伝あり。サミユエル書には賢母ハンナの事蹟あり。従順貞淑のルツ、異邦人にして篤信のラハブ、列王紀略下第二十二章の女預言者ホルダ、尼希米亜《ネヘミア》記第六章第十四節の女預言者ノアデヤ、新約に見ゆるアンナ、使徒行伝にあるピリピの家にて預言する四人の女等皆有数の婦人である。殊に注意すべき(544)は旧約聖書三十九巻中二巻は婦人の伝記なる事である。即ちルツ記は従順なる女の模範を示しエステル書は女愛国者の伝である。かのユダのプリムの祭はエステルを紀念する盛儀である。此く観来ればユダヤ人に取りては婦人の地位に誠に尊いものがある。或は母として或は預言者として或は娘として夫々重大なる地位を占めて居る。
 箴言第三十一章第十節−第三十一節はユダの理想婦人を描けるものである、而して聖母マリヤも、ヨハネ ヤコブの母サロメも、洗礼のヨハネの母エリザベツも皆此箴言によりて育てられたのである。
 「誰れか賢《かしこ》き女を見出すことを得ん、その価は真珠より貴し。その夫の心は彼女を恃み、彼れの産業は乏しくならじ、彼女が存命《ながら》ふ間はその夫に善き事をなし、悪しき事をなさず、彼女は羊の毛を求め、喜びて手づから働く」。「真珠」とあるはルビー或は珊瑚なりと言ふ人がある。何れにもせよ最も美しき宝石よりも尊しと言ふのである。且つ注意すべきは此所に彼女が教育を要したと言ふ事は毫も記されて居ない。ユダの理想婦人は母又は妻であつて、所謂|老嬢《オールドミス》は例外であつた事は確かである。「彼女は夜の明けぬ先に起き、その家人に糧を与ふ、彼女はその手に捲糸竿《いとぐるま》を執り、その指に紡錘《つむ》を握る」、彼女は現代の教育あり我儘なる婦人の如く朝寝をしなかつたのである。勤勉にして努めて止まなかつたのである。素より今日に於ては捲糸竿を執るを要しない、紡錘を握る事は出来ない。然し乍らユダの理想の如く勤勉は現代婦人の理想でなければならない。且つ第十九節はユダの婦人が単に消極的に家事を治むるのみならず、積極的に自ら進むで其手にて織りし物を売つて家のためにしたと示して居る。此の如くして物を売るは毫も彼女の恥とせざる所であつた。日本の家庭に於ける奥様が只坐して命令のみするとは非常なる差異である。此れユダヤ人の稼ぎて儲ける偉大なる半面を伝ふるものである。
 「彼女は家人《いへのもの》のために雪を恐れず、そはその家人みな蕃紅《くれない》の衣を着れば也」 蕃紅の衣とは豊かなる衣服の意(545)である。勤勉にして常に心を生活に用ゆるが故に雪来るも凍《こゞ》へる恐れはないのである。又「彼女は商賈《あきうど》の舟の如し、遠き国よりその糧を運ぶ」と、或る註釈家はユダの婦人は外国より輸入せる物を家庭にて用ふと言へるが、こは余りに散文的なる解釈である。寧ろ遠き慮りによりて能く非常の時に備ふるの意に解すべきである、恰も日本に於ける山内一豊の妻に譬ふべきである。
 「田畝をはかりて之を買ひ、その手の操作《はたらき》をもて葡萄園を植う」と。此れ婦人の仕事として手に余まるものの如く思はれる。然し主婦に此心掛けがなければ何時までも借家住ひを免かれない。又吾等は実際二十余年も辛苦して金を貯蓄し夫のために借金全部を返済したる賢き妻の例をも知つて居る。
 以上述べたる所はユダの理想婦人の一面である。而して此れ決して小事でない。何となれば|信仰の独立の裏には常に家計の独立が伴うからである〔付○圏点〕。然し乍ら吾等は更に一歩を進めて考へなければならない。「彼女はその手を貧しき者に伸べ、その手を苦める者に舒ぶ」と。一方に蓄へ他方に与う。此れ常に相伴ふを要する。又実際真に同情に富める人は勤勉の人に多いのである。人生に於て怠ける者程慈善に冷淡なる者は無い。勤勉なる人は施しを好む。怠惰と不人情、勤勉と憐愍《れんみん》とは実に手を携へて行く。此対照中に霊的道徳的の深き意味が含まれて居るのである。カーライルが後年家庭を持つた時に、貧しき者に一シルリングの銀貨を施与した学生時代を追想して「余は今一度此楽しみを味ひたい。然し乍ら今や余の妻が余の代りに貧者に物を与へて呉れる。実に有難い事である」と其妻の同情に富めるを喜むだ佳謡がある。此の如き婦人こそ理想的の女である。
 「才能《ちから》と尊貴《たうとき》とは彼女の衣なり、彼女は後の日を笑ふ、彼女は口を啓きて智慧を述ぶ 彼女の舌に仁愛《いつくしみ》の教誨《をしへ》あり」女のよく気の附く所は衣服である。故に衣に譬へて婦人の徳を讃めたのである。才能と尊厳《マヂエスチー》とを兼備する女(546)性は自ら人の尊敬を受くる者である。此の如き婦人が我等の前に立つて口を開きたりとせよ。彼女の述ぶる所は神学に非ず、哲学に非ず。真の智慧である。理屈に非ず、議論に非ず。仁愛《いつくしみ》の言葉である。
 扨て最後にはユダの理想婦人の教育問題である。かゝる美しき性質を如何にして養ひ得べきかの問題である。「艶腰《つやゝか》は偽はりなり、美色《うるはしき》は呼吸《いき》の如し、惟ヱホバを畏るゝ女は誉めらるべし」と。|理想婦人養成の秘訣はヱホバを知る事是れである〔付○圏点〕。此れ聖書の明白に示す所である。教育とは中にあるものを引き出す事である。然し乍ら何がよき性質を引き出し得るや。ヱホバを知る事を措いて他にないのである。現代人は教育を喧《やかま》しく言ふ。而して曰く「神を信ずるは可なり。然れども智慧は他《ほか》より得よ」と。聖書は言ふ「ヱホバを畏るゝは智慧の始めなり」と。此点に於てヱホバは他の一切の神と異なる。ヱホバは知識である。此知識は他の学問が与ふる所の知識よりも根本的のものである。此知識は現代の教育の欠陥を悉く充すものである。大学教育は多くの害を教ゆる。然し乍らヱホバを知るの智慧は善き果をのみ結ぶのである。故に青年男女に必要なるは先づヱホバを知る事である。
 余は女子教育を廃せよと論ずる者で無い。然し乍ら植物学文学哲学がヱホバを知るの知識に代る力あるものとは信じない。ユダの理想婦人たるマリヤは貧しき普通の女であつた。然し現代の教育ある婦人の如何なる者よりも智慧に富み識見に勝《まさ》つて居た。故に此所に二人の子女ありて一方は女子大学に学んでヱホバを知らず他方は小学教育を受けしに止まるもヱホバを知りたりとせよ、彼等は三十年後に至りて如何《どう》なるであらうか。単に知識学問の点より見ても後者が遥かに前者を凌ぐは明白である。何となればヱホバを知る者は自発的に其知識を磨く途を見出し得るからである。
(547) 此の如き婦人を母として、其子達は彼女を尊敬せざるを得ない。此れを妻として其夫は彼女を愛せざるを得ない。故に「彼女の子等は起ちて彼女を祝す、その夫は彼女を讃めて言ふ『世に賢き女多し、然れども汝は彼等すべてに愈る』と」。
 最後に「その行為《わざ》の故をもて彼女を邑《まち》の門に誉めよ」と。此れ希臘哲学の婦人観と著しく異る点である。希臘の哲学者は言ふ、「女子には一切の仕事を為せよ、然れども公けに其功績を認むべからず」と。此れ婦人を粗末にする考へである。ユダの婦人観は然うでない。単に家庭に於て尊敬するのみならず、彼女を公けに町の門に誉め、其功績を世の前に推賞し、以て一般婦人の模範たらしめよと言ふのである。聖書は理想婦人を遇するには此の如くせよと教ゆるのである。
 右はユダの婦人観の大体である。此れに連関して思出さるゝは詩人ホイツチヤーの佳篇「雪籠《ゆきごも》り」Snow-bound である。余は咋夕の大雪の中を散歩しつゝ久し振りに其美しき数節を誦せざるを得なかつた。此詩は新英洲《ニユーイングランド》に於ける清教徒《ピユーリタン》の単純なる家庭生活《ホームライフ》を歌うたものである。余はこのホイツチヤーの詩に顕はれたる婦人がユダの理想婦人によく似たるを感ずるものである。神を知れる婦人の尊さと美しさを此所に見るのである。彼等は決して所謂新婦人ではない。然し深き智慧を有する。或は糸を捲き或は勤勉に働くは古き日本の女にも見る所である。
 然しユダの理想婦人は単に此所に止まらない。更に進むでヱホバを知り、ヱホバに頼る女である。此点は全く古い日本の女と異る。ヱホバを知るの智慧に満てる女、是れ最も完全に発達したる婦人である。
 以上に由て観ればユダの理想的婦人は米国の理想よりも遥かに日本のそれに近くある。夫を第一とし主として之に事ふるの点に於て日本婦人は米国婦人よりも遥かに聖書的である。彼得前書三章一節の示す「サラ、アブラ(548)ハムに服ひて之を主と称へしが如し」との教訓の如き日本婦人の能く解し得る所であつて、米国婦人に取りては却て大なる屈辱として感ぜらるゝのである。米国宣教師が日本人に伝へし多くの誤謬の内に婦人に関する誤謬が最も大なる者であると思ふ。米国婦人の理想を採用して日本の家庭は破壊されざるを得ない。
 
(549)     〔青年会館使用問題につき『時事新報』への寄書〕
                           大正8年4月16日
                           『時事新報』
                           署名 内村鑑三
 
      ◆内村鑑三氏より神田の青年会館使用問題に就き
      十四日本紙夕刊所載、無教会主義内村鑑三氏と小崎弘道《をざきこうどう》氏等組合教会側との、神田青年会館使用問題に就いて内村氏より左の如く寄書ありたり、
◆私は教会を認めます、然し乍ら腐敗せる、俗化せる、聖書が明白に教ふる教理に反対する我国今日の多数の教会をキリストの教会として認むる事は出来ません、事は私一個の問題ではありません、基督教真理の問題であります、延いて国家社会の問題であります、私は私の信仰に忠実ならんと欲して我国今日の基督教界に漲る暗黒に対し無頓著なる事は出来ません。
◆近時教勢不振は何人も認むる所であります、然るに幸ひにして昨年来青年会に於て開かれし聖書講演は多くの篤信家の注意を惹き、茲に近来未だ曾て見しことなき宗教的熱心の復興を見るに至つたのであります、此事たる洵に教界の慶事でありまして、其衝に当りし私等は心窃に先輩諸氏の賞讃を期したのであります、然るに何ぞ計らん今回の如き反対を見るに至つて、私は其意外に驚かざるを得ません、私の無教会主義者たる事は能く知れ渡りたる事であります、然るにも関はらず私は諸教会より招きを受けて今日まで幾回となく其高壇より説教演説を(550)為したのであります、現に今回私に対し特に反対の声を挙げられしと云ふ小崎牧師平岩監督も私を其教会に招いて講演又は説教を為さしめられし事があります、最近に至つては私は三崎町バプチスト教会の招きに応じて英語演説を為しました、私の無教会主義が果して危険なる者ならば何故今日まで私を教会の為に使ふたのであります乎。
◆私は去れと云ふならば何時なりとも青年会の高壇を去ります、|然し乍ら私に去れと云ふ者は神が私を以て為し給ひし丈け、又は其れ以上を私に代つて為すの責任があります〔付△圏点〕、今や数百の飢渇《うゑかは》きたる霊魂は真理を求めて日曜日毎に集ひ来りつゝあります、私の排斥者は彼等を満足せしむる自覚があります乎、東京市民の霊育は実に重大事であります、私は市民全体が一宗教に関はる小事として此事を看過せざらん事を望みます
  大正八年四月十五日
 
(551)     GOD'S LOVE.神の愛
                         大正8年5月10日
                         『聖書之研究』226号
                         署名なし
 
      GOD'S LOVE.
 
 “Herein is Love,”said St.John,“not that we loved God,but that God loved us,and sent His Son as a propitiation for our sins.”It is not wonderful that we love God,because He is lovable,but it is wonderful that God loves us who are unlovable. The lovable loving the unlovable,and sending His Son, His Only Begottem, that we might live through Him,−that is Love,God's Love.Men neve rlove in this fashion.Certainly it is a NEW commandment to love one another,i.e.to love as God loves us. Love as taught and manifested by Jesus Christ is not passion, but free action of good will.God loves us,poor,miserable,lost sinners,out of His sheer beneficent will.I John IV.10.
 
     神の愛
 
 使徒ヨハネは言ふた「我等神を愛せりと云ふ事に非ず、神、我等を愛し我等の罪の為に其子を遺して挽回《なだめ》の祭《そなへ》(552)物となせりと云ふ事、是れ即ち愛なり」と(約翰第一書四章十改訳)、我等が神を愛すればとて敢て驚くに足りない、そは神は愛すべき者であるからである、驚くべき事は神が愛すべからざる我等を愛し給ふ事である、愛すべき者愛すべからざる者を愛し、其生み給へる独子を遣はし我等をして彼に由りて生命を得しめんとし給ひし事、是れ即ち愛である |神の〔付○圏点〕愛である、人は決して如斯くに愛しない、洵にイエスの下し給へる「我れ汝等を愛する如く汝等も相愛すべし」との誡《いましめ》は|新しき誡〔付○圏点〕である(約翰伝十三章三四)、彼に由て伝へられ又顕されし愛は愛すべき者に接して起る熱情ではない、愛すべからざる者を愛せんとする善良なる意志の自由の発動《はたらき》である、神が我等憐むべき賎しむべき失はれたる罪人を愛し給ふ其愛は、単に彼の恵まんとする聖書の意志より出づるものである。
 
(553)     〔聯盟と暗黒 他〕
                         大正8年5月10日
                         『聖書之研究』226号
                         署名なし
 
    聯盟と暗黒
 
 国際聯盟耶さに成らんとす、然れども成るも成らざるが如し、之に由て世界の平和は来らない、戦争は止まない、死と罪とは依然として存し、此世は依然として涙の谷、死の蔭、悲哀の里である、而已ならず暗黒は滅することなくして愈々増しつゝあるやうに見える、縦し国家的戦争は止むとするも、階級的戦争は始まり、而して後者の残忍なる到底前者の此ではない、中欧同盟は斃れて拉典同盟は起らんとし、民族自決主義は愛蘭に、埃及に、印度に騒擾を生んで止まず、世界戦争に由て提起せられし問題は之に由て解決せられし問題よりも優《はるか》に多く、戦争後の世界は戦争前のそれよりも遥かに危険である、事、茲に至て、国際聯盟を平和の福音として迎へ、大統領ウイルソンを人類の教主として仰ぎし者は誰か、「之れ傷める葦の杖に倚頼めるが如し、若し人之に倚凭れなば其子を衝剃れん」とあるが如しである(イザヤ書三十六章六節)、平和は来る、然れども人に由ては来らない、神の定め給ひし平和の君に由て来る、彼が再び世に臨り給ふ時に来る、彼を待たず、彼を崇めずして如何なる平和会議も失敗に終るは明瞭である、デモクラシー何物ぞ、民(人)の為に民(人)に由て行はるゝ政治である、(554)(Government by the people for the people)、而して人類の平和は政治が神の定め給ひし王の王、主の主に由て神の為に行はるゝ時に来る(黙示録十九章十六)、其の人の政治たるの点に於ては米国の民本主義も独逸の帝国主義も何の異なる所はない、殊に真正の平和が戦争に由て来らざるは聖書の明に示す所である、若し戦争に由て起りし独逸が亡びしならば戦争に由て之を亡ぼせし米国も亦滅亡の悲運を免れないのである、民本主義の普及に由て世界改造、人類平和を計るが如き、迷妄之より大なるはなし、而して事実は聖書の明示を証明して余りあるのである、民主々義の米国の主唱に由りて成りし国際聯盟は世界人類の幸福を増さずして却て之を壊ちつゝある、余輩は単に聖書研究者の立場より斯く断言せざるを得ないのである。
 
    応じ難き注文
 
 教会側の注文に曰く、「カーライルの如く勇猛なれ、同時にフランシスの如く柔和なれ、而して君の一身に二者の美点を実現して完全なる人となりて福音の為に尽す所あれ」と、親切なる勧告である、然し乍ら応ずるに甚だ難き勧告である、カーライルの如くに成るは難くある、亦フランシスの如くなるも難くある、而して二者の長所を一身に収むるは是れ難中の最難事である、縦し亦此不可能事を実現し得るとするも其結果たるや愛すべき者に非ずして嫌ふべき者である、男は男として敬すべし、女は女として愛すべし、男女両性的人物に至ては人の之を唾棄するあるのみ、余輩若し教会側の注文を納れカーライルにフランシスを兼ねたる人とならん乎、先づ第一に余輩を唾棄する者は此注文を発せし教会なるべし、福音と預言とは真理の両面である、義憤なき所に真理はない、然り、憤怒の伴はざる愛は偽りの愛である、余輩は恐る教会不振の一因は余りに完全を要求するの結果(555)何物をも獲ざるにある事を。
 
    愛と義
 
 神は愛なりとは聖書の教ふる所である(約翰第一書第四章八節)、神は義なりとは亦聖書の示す所である(同二章廿九節)、神は愛である、故に憐み給ふ、赦し給ふ、恵み給ふ、神は義である、故に怒り給ふ、責め給ふ、罰し給ふ、神は義に在りて愛し給ふ、愛の故に怒り又鞫き給ふ、神の愛を離れて其義は無きが如く、神の義を離れて其愛は無い、聖なる哉、聖なる哉、聖なる哉、万軍の主ヱホバと天使等の歌ふを預言者イザヤは聞いた(イザヤ書六章)聖なる神は不義に耐へ給はない、故に彼は時に焼尽す火を以て世に臨み給ふ、神の愛、然り神の愛はキリストが縄を以て鞭《むち》を作り商人等を逐出《おひいだ》して神の殿《みや》を潔め給ひし時に顕はれた、「禍ひなる哉汝等偽善なる学者とパリサイの人よ」と七度繰返して耐へ難き悲憤を発し給ひし時に現はれた、愛に由りて怒ることは罪ではない、神は愛なるが故に其愛を顕はさんが為に時に義の為に怒り給ふ、愛よ愛よと言ひて神の義と其義憤とを避けんと欲する者は美の極なる神の愛其物に与かる能はざる者である。
 
    福音と予言
                                    禅の愛を伝ふる者、其れが福音である、神の義を伝ふる者、其れが預言である、而して預言は前にして福音は後であつた、前に預言の準備があつて後に福音の宣伝があつた、エリヤは先に来るべしである(馬太伝十七章十節)、彼れ来りて万事を改めて然る後にキリストは臨り給ふたのである、実に何れの時代に於ても預言者の準備(556)的出現なくしてキリストの臨在はなかつた、先にサボナローラ現はれて後にルーテルが出たのである、ノツクス出て蘇格蘭に道徳的大掃除を行ひしが故に彼国が長き年月の間全世界に純福音を供する其の淵源として存したのである、預言者の出ざる所にキリストの福音は栄えない、平和、平和と叫びて預言者の口を箝して神の聖霊は何時まで待つも降らないのである、何故に教勢は振はざる乎、何故に熱心は起らざる乎、罪の現はれんことを恐れて預言者の出現を妨ぐるからである、「エリヤは先に来るべし」である、彼れ来りて先づ罪を罪として現はして後に罪の赦しの福音は豊に著るしく降るのである。
 
    教会と予言
 
 腐敗せる教会の特徴は預言研究を嫌ふにある、彼等は神の裁判を恐る、故に裁判を高調する預言をばユダヤ人の時代思想なり、迷妄なり、非基督教的なりと称して之を避けんとする、腐敗せる教会にヨハネの黙示録は不用の書である、随て不可解の書である、テサロニケ前後書はパウロの終末観を伝ふる書としてパウロ研究の好資料たるの外、実際的に用なき書である、馬太伝二十四章の如き、路加伝廿一章の如きイエスのユダヤ的思想を窺ふの外、是れ亦信仰の養成上、実際的に有らずもがなの書である、腐敗せる教会は腐敗せる本願寺の如く神の慈悲に就て聞かんと欲して神の公義に就て知るを好まない、腐敗せる教会が社会事業に汲々たるは之に由て己が腐敗を忘れんが為である、彼等は不信者に対《むかつ》て悔改を勧むるも自から悔改むるの心を有たない、預言研究を怠り之を嫌ふ教会を探り見よ、必ずや其内に多くの耐へ難き腐敗の堆積するを見ん、預言は教会の健、不健を試す為の最良の試験石である。
 
(557)     パウロの復活論
         (三月二十三日より四月二十日迄五回の日曜日に亘り東京基督教育年会館に於ける講演の大意)哥林多前書第十五章の研究
                    大正8年5月10日
                    『聖書之研究』226号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 「人もし死なばまた生きんや」(ヨブ記十四章十四)、之れ千古に亘りて解けざる人生の疑問である、然し乍ら宇宙の合理的存在を信じ神の愛を信ずる者は亦死後の生命をも信ぜざるを得ない、加之凡て高貴なる生涯を送る者は自ら此生命を実験するのである、又世に斯かる生涯を以て死後の生命の証明を提供したる人は尠くない、故に以上の疑問に対して「然り人もし死なば又生くべし」とは古来人類多数の信仰である。
 然らば如何にして生くる耶、之に対する普通の解答は所謂霊魂の不滅である、曰く霊魂の肉体の中に在るや恰も烏の籠の中に在るが如く貴人の牢獄の中に在るが如し、之を脱して初めて自由の天地に逍遥する事を得と、而して斯く霊魂の不滅なる所以は其の性質の最も単純なるに在り、凡て単純なるものは壊滅せざればなりとは普通に唱へらるゝ説明である。
 此説明は屡々基督教の講壇よりも亦之を聞くのである、然し乍ら先づ明白ならしむべきは|所謂霊魂不滅論の決して聖書の教へに非ざる事〔付○圏点〕である、聖書は死後の生命如何との問に答ふるに決して霊魂の不滅を以てしない、所(558)謂霊魂不滅は希臘哲学より出でたる思想である、其淵源は主としてプラトーの綴りしソクラテスの語にある、而して中古時代に基督教神学がプラトー哲学と相抱擁するに及びて此異教思想は漸く基督教会内に輸入せられたのである。
 重ねて間ふ、人は死して又生きんや、聖書は明白に答へて曰ふ「然り|肉体の復活〔付○圏点〕に由て生くべし」と、基督教の死後生命は霊魂の不滅ではない、肉体の復活である、霊魂は勿論不滅である、然しながら基督教に於ける復活は霊魂の復活に非ずして肉体の復活なる事を知らなければならない、曰ふ「キリスト死して葬られ第三日に甦り云々」と、若し霊魂ならば何ぞ「葬らる」と言ふの必要あらん、又何ぞ「第三日」を待ちて甦るの必要あらん、其の意味する所肉体の復活にあるは文字の解釈上よりして既に明白である、仮令之を信ずるは難しと雖も聖書が肉体の復活を唱ふるの事実は之を疑ふ事が出来ない。
 而して肉体の復活を解せんが為には聖書心理学を知るの必要がある、聖書は人を如何なるものとして観る乎、パウロはテサロニケの信者に書を送りて其のキリスト再臨の日に凡ての点に於て欠くる所なからん事を祈りて曰うた「願はくは平安の神汝等の|全霊全生全身〔付○圏点〕を守りて我等の主イエスキリストの来らん時に咎なからしめ給はんことを」と(テサロニケ前五章廿三)、改正訳には「汝等の霊と心と体とを全く守りて云々」とある、霊(pneuma)と心(psyche)と体(soma)である、|人の生命は此三分性より成る〔付○圏点〕といふ、即ち霊的生命あり、心的生命あり、又体的若くは肉的生命がある、神との交通は霊的生命である、思想感情又は数理の観念等は心的生命である、飲食睡眠又は寒暑痛痒の感覚等は体的生命である、而して人の生命は此三鼎足の上に立つのである、|其一を欠きて生命は亡びざるを得ない〔付○圏点〕、人は霊であつて心であつて又体である、三者結合して茲に円満なる生命がある、然るに(559)罪の結果死は来りて人の体的生命を破戒するに至つた、故に完全なる救拯は必ずや体に迄及ばなければならない、霊と心と体と三者相共に救はれて初めて人類の救拯は完成するのである、希臘哲学の唱ふるが如く体は亡びて霊のみ不滅なるも以て生命を全うするに足りない、キリスト再び来りて体的生命を復活せしめ永遠の霊と心とに合せて不朽の体を賦与し給ふに由り始めて死後の生命は完全なるを得るのである。
 近代人は之を聞いて迷信と称するであらう、然れども思ひ見よ、未来の日に於て我等心の愛する者又凡ての貴き人々と霊又は心に於て相接触し得るは勿論なりと雖も其れのみを以て果して足るであらう乎、誰か子を失ひし母を慰めんと欲して「汝の子の霊魂は滅びず」との言を以て其涙を悉く拭ひ得べき乎、然しながら「彼は再び死せざる体を以て汝の面前に立つべし、何時か必ず再会の日あり」と言ひて初めて彼女の心に深き慰安と希望とを与ふる事が出来るのである、肉体の復活なくして人の要求は遂に充されないのである。
 「人若し死なば又生きんや」、聖書は答へて曰ふ「然り、肉体の復活に由て生くべし」と、而して聖書は之を証明するに理論を以てしない、|死後生命問題に対する聖書の解決は理論に非ずして事実である〔付○圏点〕、キリストの福音は茲に一の拒むべからざる事実を提供して永遠の生命を立証するのである、「キリスト死を亡ぼし福音を以て生命と壊《く》ちざる事とを明にせり」とあるが如く目を以て見、手を以て触れ得べき事実を以て之を闡明するのである(テモテ後書一章十節)、基督教に於ける来世問題は来世観に非ずして事実である歴史である。
 死後の生命を証明すべき事実とは何である乎、曰く|イエスキリストの復活〔付○圏点〕である、死して墓に葬られしイエスが三日目に甦つたのである、而して凡て彼を侶ずる者は又彼の如くに甦るのである、|彼の復活が信者の復活の証拠である〔付○圏点〕、彼の栄光の体が信者に賜はるべき不朽の体の模型である、故に信者の死後生命の存在は此一事実の上(560)に立つのである、若しキリストの復活にして虚偽ならん乎、基督教は其根柢より転覆せざるを得ない。
 聖書に掲げられたるキリストの復活に十二の場合がある、其中或は互に矛盾するが如きもの或は信ずるに難きものがないではない、然しながら之を綜合して見てキリストの肉体の復活なかりしと言ふは無稽の言である、冷静なる学者は歴史的考証の立場よりして此事を認めざるを得ない、例へば英国の学者スヰートの如き其著「受難後に於ける基督の顕現」(“Appearances of our Lord after His Passion”by H.B.Swete)中に曰く「事は今より千九百年前に属するが故に一見矛盾に類するものなしとせざるも大体に於て死したるキリストの復活を拒む能はず」と、聖書は此歴史的事実を以て死後の生命を証明するのである、故にパウロの復活論も亦キリスト復活の事実を以て其根拠とするものである。
 哥林多前書十五章は之を一読して其中に難解の節が少くない、蓋しパウロの思想余りに豊富にして之を吐露せんとするに当り彼は度々言語の不足を感ずるのである、其の最も好き実例はエペソ書第一章にある、此処に於て彼がキリストの恩恵を述ぶるや恩恵より恩恵へと進みて停止する所を知らず遂に一の動詞なくして全文を終つたのである、哥林多前書十五章も亦多少の言語の不足を示して居る、故に我等は自ら之を補うて読まなければならない。
  兄弟よ、先に我が汝等に伝へし福音を今又汝等に告ぐ(一節)
 パウロが其語を更めて「兄弟よ」と呼び掛くるは常に彼が特別に真面目なる態度を取る時である、重要なる問題に入らんとするに当り特に注意を喚起するの語である、「告ぐ」とは「告げ知らす」又は「想ひ起さしむ」又は「更に説明すべし」等の意を有する、其の何れなるやを定むる能はずと雖も少くとも一事は明白である、即ち(561)|パウロは茲に重大問題として先に伝へし福音を繰返さんと欲したのである〔付○圏点〕、知るべし復活は彼に取て基督教の根本問題なりし事を。
  こは汝等が受けし所之に由て立ちし所なり(同)。
 寧ろ「之に由て立ちて今日に至りし所なり」と読むべきである、汝等は肉体の復活を信じ之に由て今基督者として立つなりとの意である。
  汝等もし我が伝へし言を固く守り徒らに信ずる事なくば之に由て救はれん(二節)。
 「之に由て救はるゝなり」又は「救はれつゝある所のものなり」と読むべし、救は単に過去の事に非ず又単に未来の事に非ず日々に信者の心の中に行はれつゝある事を示す、今やパウロに多少の憂慮《しんぱい》があつた、そはコリントの信者中肉体の復活あるなしと言ひ出せし者があつたからである、故に彼は曰うた「汝等もし我が伝へし言を意味其儘に信ぜば救はるゝなり」と、先に彼れのコリント信者に復活の事を伝ふるや、彼は其語に曖昧なる所なきやう明白に之を|肉体の復活〔付○圏点〕として伝へたのである、然るに之を彼が伝へし言其儘の意味に於て信ぜずして|霊的復活〔付△圏点〕等の意に解する者あるは何故である乎、茲に至つてパウロは又一の疑問を抱いて曰うたのである「汝等は徒らに信じたるに非ずや」と、「徒らに」とは「深く究むる事なくして」の意である、肉体の復活が基督教の根本問題なる事を深く究めずして基督教を信じたるが故に汝等は復活を信ぜざるならんと言ふのである、而して実に今日の基智者の多数も亦深く究めずして信じたる者である、彼等は浅薄なる理由に由て容易に洗礼を受くるのである、故に肉体の復活が救拯の根本問題なるが如きは少しも之を知らない、彼等も亦徒らに信ずる事なくば之に由て救はるべき筈である。
(562)  わが汝等に伝へしは我が受けし所の事にて其第一は即ち聖書に応《かな》ひてキリスト我等の罪の為に死に、又聖書に応ひて葬られ第三日に甦り(三、四節)
 其冒頭に「誠に」を入れて読むべし、「我が受けし所の事」即ち自ら作りし事に非ず主キリスト及び其直弟子等より受けし所の事なりと言ふ、斯くパウロが基督教の根本思想として提出したるものは此二である、曰く|キリストの我等の罪の為め十字架に釘けられ給ひし事〔付○圏点〕、曰く|彼の我等に代て復活し給ひし事〔付○圏点〕、十字架と復活、之である、之なくして基督教はないのである、道徳問題に非ず哲学問題に非ず社会問題に非ず、|キリストの十字架と其肉体の復活、之が基督教の根柢である〔付○圏点〕、基督者とは即ち之を信ずる者である、而してパウロ其他初代の信者等は之を信じ之に由て救はれたのである、之に由て彼等は其心に深き平安を得たのである、知らず諸君の信ずる基督教は果して斯の如きものである乎。
 而して此二は共に「聖書に応ふ」所なりといふ、即ち旧約聖書に示す所なりといふ、パウロに取て真理の標準は道理ではなかつた、彼は「道理に応ひて云々」と言はずして唯「聖書に応ひて」と言うた、神の預言者に由て伝へ給ひし聖書の言を以て彼は自己の信仰の基礎と為したのである 而して旧約聖書中此事に関する重要なる預言はイザヤ書第五十三章、詩篇第十六篇、ヨナ書、ホゼア書第六章二節等である。
  ケパに現はれ後十二の弟子に現はれ給へる事なり、かく現はれ給へる後五百の兄弟の共に在る時亦之に現はれ給へり、其兄弟の中多くは今なほ世にあり、されど既に寝《ねむ》りたる者もあり(五、六節)。
 以下彼はキリスト復活の実証を挙げんとするのである、而して先づ其三を数へた、一はシモン・ペテロの実験である、二は十二弟子の実験である、三は五百人以上の弟子の実験である、学者の研究に由ればパウロの此書を(563)認めしは紀元後五十三年乃至五十六年にしてキリストの十字架に釘けられしより二十三年乃至二十六年の後なりといふ、若し余が茲に二十余年前の経験を述べて其事の極めて重大なるが故に之が証人として余の友十二人を挙げ更に五百以上の人同時に之を実験したりと言ひ且其多数は今尚生存するが故に往いて彼等に聞き訊すべしと言はゞ歴史的事実の証明としては甚だ強きものと謂はざるを得ない。
  此後ヤコブに現はれ又凡ての使徒に現はれ最後に月足らぬ者の如き我にも現はれ給へり(七、八節)。
 第二回の実証としてパウロは又三の場合を挙げた、而して其中の一は実に彼自身の実験である、当時コリントに於ける信者にしてパウロは肉体のキリストを見ざるが故に彼を使徒と呼ぶ能はずと言へる者ありしに対し彼は自ら復活のキリストを見たる事実を主張したのである、之れ言ふ迄もなくダマスコに至らんとする途中に於ける彼の実験であつた。
 復活のキリストを見たる実験に対し常に提出せらるゝ批評は所謂幻影説である、キリストは必ず復活すべしと信じたるが故に彼等は其幻影を見たるなりと言ふ、恰も天主教に於ける聖女マリア・テレサがキリストの刺され給ひし心臓を見る迄は死せずと誓ひ斎戒沐浴を続くる事多年遂に之を見て拝せりといふの類なりと言ふ、然しながらキリストの復活に関する実証として聖書に列挙せらるゝものは唯に一二の場合のみではない、当時教会の柱石たりしペテロ又は冷静にして最も常識に富める実際家たりしヤコブ等が単独に之を見たるのみならず、時には十二人時には五百人以上の人が同時に之を見たりと言ふのである、之れ到底幻影を以て説明し去る能はざる歴史的事実である、加之聖書中基督の顕現の場合は十二に及ぶもパウロは其中六を掲ぐるに過ぎなかつた、此点に於て我等は彼の頭脳の甚だ深大なるを知る、彼がキリスト復活の証人として引き出せし人物の中にマグダラの(564)マリア等の名を見ない、|彼は世界に訴へて何人も疑ふ能はざる最も信頼すべき場合のみを掲げたのである〔付○圏点〕。
  そは我れ神の教会を迫害せし故に使徒と称ふるに足らざる者にして使徒の中にいと小き者なればなり、されど我れ斯の如くなるを得しは神の恩恵に由てなり、我に賜ひし神の恩恵は空しからず、我は凡ての使徒よりも多く労《つと》めたり、こは我に非ず、我と共にある神の恩恵なり(九、十節)。
 パウロは復活の証人として十二使徒と共に自身を挙ぐるに及び忽ち一の問題に逢着した、彼は自ら使徒と称ふるに足らざるいと小き者なりと言ふのである(「月足らぬ者」とは其時代の通用語としてヤクザ者を意味したるならん)、事は復活問題に関係なきが如くにして実は然らず、多くの人が斯かる場合に自己の特権を誇らんとするに反し、彼れパウロは自ら卑下して凡てを神の恩恵に帰したのである、こは誠に彼の品性に対する裏書ではない乎、斯くも謙遜なる語を発し得る人の証明は少くとも傾聴すべきではない乎、人の誠実を証明するものにして其の謙遜の如きはない、パウロは勿論之を書かんと欲して書きしに非ず自ら彼の口を衝いて湧き出でたる語である、復活の如き重大なる問題を論じつゝ尚此一語を附加せずして已む能はざりし人は真に基督的謙遜を其心の奥底より味ひたる人である、此一語あるに由りてパウロの証明を強からしむる事甚大である。
  此故に我も彼等も斯の如く宣べ伝へ汝等も亦斯の如く信ぜり(十一節)。 復活の信仰に関しては我と他の使徒等との間に何の差別あるなし、汝等との間にも亦何の差別あるなしと、初代の基督教会は実に爾うであつた、ベテロ、ヨハネ、ヤコブ等皆復活を唱へ、コリント、エペソ、アンテヲケ等の信者皆之を信じた、而して彼等は此信仰に於て一致したるが故に世界の曾て見たる最強帝国羅馬に当りて能く之に打勝つたのである、今日の教会は如何、我等は果してパウロの如くに言ひ得る乎、組合教会にもあれメソヂス(565)ト教会にもあれ長老教会にもあれ其教師等皆キリストの肉体復活を宣べ伝ふと言ひ得る乎、又米国にもあれ独逸にもあれ日本にもあれ其信者等皆此の信仰に於て一致すと言ひ得る乎、若し爾か言ひ得るならば今日の如き諸教会なるもの在るべき筈なし、直に一団とならざるを得ないのである、教会の微弱を嘆ずるを休めよ、キリスト我等の罪の為に死し又葬られて三日目に甦りたる事を堅く信ぜば教会は忽ち活気横溢するであらう、パウロの伝道は其最も長き所に於て三年、短きは二週又は数日を出でざりしに拘らず到る処に於て強固なる教会の成立を見たるは何故である乎、彼は単刀直入事実を提唱したるが故である、弟子等の目撃したるキリスト復活の事実を高唱したるが故である。
  キリストは死より甦りしと宣べ伝ふるに汝等の中死より甦る事なしと言ふ者あるは何ぞや(十二節)。
 キリストの復活は福音の真髄である、之を信ぜざる者は基督者ではない、然るに「汝等の中或者は復活なしと言ふ、之れ抑も何事ぞや」と、「或者」とは多分当時の神学生又はアテンス大学卒業生の類であらう、基督教会内に斯の如き言を為す者あるを聞いてパウロは憤慨したのである、噫若しパウロ先生を煩はして今日の東京諸教会を巡視せしめたらば如何、「汝等の中或者は復活なしと言ふは何ぞや」と、此一喝に値せざる者果して幾人かある。
  もし死より甦る事なくばキリストも亦甦らざりしならん、キリストもし甦らざりしならば我等の宣ぶる所空しく又汝等の信仰も空しからん、且我等神の為に偽《いつはり》の証をする者とならん、我等神はキリストを甦らしゝと証すればなり、もし死にし者甦る事なくば神キリストを甦らしむる事なかるべし、もし死にし者甦る事なくばキリストも甦る事なかりしならん、もしキリスト甦らざりしならば汝等の信仰は空しく汝等は尚罪に居ら(566)ん、又キリストに在て寝《ねぶ》りたる者も亡びしならん、もしキリストに由れる我等の望たゞ此世のみならば凡ての人の中にて最も憐むべき者なり(十三−十九節)。
 若し肉体の復活なしとせば如何、然らば我等の伝道は空虚ならん、汝等の信仰も亦空虚ならん(空しとは内容なしの意)、我等は神に対し偽証を立つる者とならん、加之汝等の信仰は無効とならん(十七節に於ける「空し」は効果なしの意)、而して汝等は尚罪に居らん、又信仰を以て死したる者は寂滅したるならん、且又一切を棄てゝ之を信ぜし我等は人類中最も憐むべき者ならんと、実に重大問題である。
 若しキリスト復活せざりしならば何故に我等は尚罪に居るのである乎、|キリストの復活は神が凡て彼を信ずる者の罪を赦し給ひし何よりの証拠なるが故である〔付○圏点〕、罪の赦の証拠は罪に由て死したる体の完全に救はるゝ迄之を見る事が出来ない、而して我等各自の体の救拯は未来に属するも我等の為に死したるキリストは甦つたのである、之れ即ち彼を信ずる我等凡ての罪の既に赦されたる唯一の証拠である、此事実を措いて我等は何処に罪の赦の証拠を求むべき乎、之を各自の心理上の作用に訴へて我は何日何時何分に罪を赦されたりと言ふが如きは到底確実なる証拠と為すに足りない、主観的経験は或は幻覚或は感情或は病的現象ならざるを保し難い、|然しながら我等の罪の赦に関する誤まるべからざる証拠がある、我等の信ずるイエスキリストを神は死より甦らしめ給へりとの大なる事実即ち之である〔付○圏点〕、此歴史的大事実こそはプロテスタント信仰の根柢である、|故に若し彼の復活なかりしとせば我等の罪は未だ赦されないのである〔付○圏点〕。何故に我等の望たゞ此世のみならば凡ての人の中にて最も憐むべき者である乎、たとへ肉体の復活なくとも我等は尚福ひなる者ではない乎、今日の信者は斯く言ひて之を怪しむであらう、蓋し彼等は信者となりて棄てたるもの甚だ少く獲《う》るものゝみ多きが故である、然しながらパウロ其他初(567)代の信者に在ては信仰生活は即ち犠牲の生活であつた、彼等は此世の一切を棄てゝ唯天にのみ財《たから》を蓄へたのである、故に若し彼等の望此世のみならば世に彼等ほど憐むべき者はなかつたのである、之れ理論の問題に非ず、キリストの為に払ひし犠牲の程度による実験の問題である。
  されど今キリスト死より甦りて寝りたる者の復活の首となれり(二十節)。
 若し死者の復活なくば彼も空し此も空し我等は最も憐むべき者なり、「されど今キリストは死より甦れり!!!」、故に我等は最も福ひなる者なり、故に信仰を以て死したる者は寂滅せず、故に汝等の信仰は有効にして汝等の罪は既に赦されたり、故に我等は偽証を立つる者に非ず、故に我等の伝道も汝等の信仰も共に内容あるものなりと、斯くて|此一事実に由て失ひし者を悉く回復するのである〔付○圏点〕、之なくば我等は足より浚はれざるを得ず、然れども之あるに由て安全である、一切の希望は茲に繋がるのである。
 「寝りたる者の復活の首(初穂)となれり」といふ、ユダヤに於ても我国の新嘗祭に於けるが如く毎年の収穫中新穀一二束を初穂として神に献げた、之れ其年の全収穫たる幾千万束を悉く献ぐるの表象《しるし》であつたのである、キリストの復活も亦彼を信ずる幾百千万人の復活の初穂即ち表象であつた、彼の復活の中に我等凡ての復活は含まれて居るのである、パウロが屡々我等の復活を過去の事として語るは之が為である。
  それ人に由て死ぬる事出で、人に由て甦る事出でたり(二十一節)。
 「人に由て」とあるを「一人に由て」と読むべし、凡ての悪は一人に由て来り凡ての善も亦一人に由て来る、人生の善悪其根源は皆一人に在りといふのである、簡単なりと雖も深遠なる真理である、我等の心に臨みて品性を感化し個人性を変化するものは皆一人に由て来る、国に若し一人の真に神を信じ正義を愛する者あらば其国は(568)一新せざるを得ない、一人の孔子出で其感化を東洋全体に及ぼしたのである、人類を悪に導くも同様である、一人の代表者アダム出でゝ死は人類に臨み、一人の代表者キリスト出でゝ復活は人類に臨んだ、死と復活、堕落と救拯、人生の最大事件は共に一人に由て来たのである、故に我等の信仰も亦個人的である、我等は非個人的なる大勢力の運動の渦中に投じて共に流れんと欲する者ではない、唯一人ナザレのイエスの僕となりて彼に由て全き救を受けんと欲する者である。
  アダムに属《つ》ける凡ての人の死ぬる如くキリストに属ける凡ての人は生くべし(二十二節)。
 パウロは議論しヨハネは発表すとは人の能く唱ふる所である、然しながら必ずしも然うではない、ヨハネも時に理論に訴ふる事あるが如くパウロも真理を点々として滴《したゝ》らしむる事がある、本章廿一節乃至廿八節の如きは其れである、之を読みて恰も大なる詩を読むの感がある、一句又一句前後の脈絡なきが如くにして其間に深き精神的関係がある、「それ人に由て云々」と言ひて大なる思想の題目を提供したる後彼は曰うた「アダムに在て凡ての人の死ぬる如くキリストに在て凡ての人は生くべし」と、アダムの罪を犯したる結果として彼に在て全人類の死するが如くキリストの復活したる結果として彼に在つて凡ての人は生くるのである、但し彼を信ぜずして死したる者の運命如何は別個の問題である。
  されど各々其次序に従ふ、初はキリスト、次はキリストの来らん時彼に属する者なり、後彼れ諸の政及び諸の権威と能《ちから》を滅ぼして国を父の神に渡さん、之れ終なり、そは彼れ凡ての敵を其足の下に置く時迄は王たらざるを得ざればなり、最後に滅ぼさるゝ敵は死なり、そは神万物をキリストの足の下に置き給へばなり、万物を其下に置けりと言ひ給へる時は万物を其下に置く所の者は其中にあらざる事明かなり(廿三−廿七節)。
(569) 復活に順序がある、初はキリストである、彼は信者の初穂として既に千九百年前に復活した、次は彼の再臨の時彼に属する者(彼の家僕又は家族の意)即ち信者である、而して信者の復活の後新時代は始まりキリストは大なる力を以て諸の政及び諸の権威と能とを滅ぼし給ふ、之れ亦一朝にして成るに非ず、長き期間を要する事である(馬太伝廿四、五章、テサロニケ後書二章、約翰黙示録等参照)、斯くして彼は凡ての敵を足下に服し最後に死を亡ぼして終に国を父なる神に渡し給ふ、然る後永遠の完全なる天国が実現するのである、故に|信者の復活と最終審判とは同時に行はるゝのではない、其間にキリスト自身の統治の時代がある〔付○圏点〕、之に対して或る反対論者は曰ふ、然らば今一度びカイゼル主義の圧制時代が世に臨むのである乎と、否、却て神の目的に逆ふ所の凡ての命令と其権力とが彼に由て除去せらるゝのである、死其者迄が彼の滅ぼす所となるのである。
  万物彼に従ふ時は子も亦自ら万物を己に従はしゝ者に従ふべし(廿八節)。
 凡ての者は皆自己以外の力即ち外来の力に由て神に従はしめらる、我等が基督者となりしも亦さうであつた、之を余自身の実験に徴するに余は自ら奮闘努力して遂に神の僕となれりと言ふ事が出来ない、余の如き罪人――善よりも悪を愛し堕落の傾向十分に強かりし者が茲に至りし所以は全く聖霊の力に因る、余は恰も北海道の原野に於て野馬《のうま》を厩舎《うまや》に追ひ込むが如く聖霊の力に由て外よりキリストの中に追ひ込まれたのである、自ら神に従ふに非ず、内外の圧力に由るのである、而して之れ独り余の経験のみではない、バンヤン、クロムヱル、ルーテル等の実験みな然り、キリストが諸の政と権威とを滅ぼす時の方法も亦同様であらう、然るに|茲に唯一人凡ての者の取る所の途と全く別なる途を取りて神に従ふ者がある〔付○圏点〕、彼のみは自ら進んで神に従ふといふ、斯くてこそ彼は人類の王である其救主である、此処に彼と我等との根本的相違があるのである。(570)是れ神凡ての物の上に主たらん為なり(同節)。
 |万物の帰する所は如何〔付○圏点〕、人は死して死すべきではない、故にキリスト先づ復活して我等の復活の初穂となつた、之に由て彼れ再び来る時に我等も亦復活するのである、かくて新時代は始まり彼自ら凡ての権能を滅ぼし而して後国を父なる神に渡し自ら進んで神に従ふ、其最後の結果は如何、曰く「之れ神万物の上に主たらん為なり」と、思ふに聖書中若し短き一言の中に最大真理を含むものありとすれば之である、万物の帰する所、キリストの降誕と其十字架と其復活と其再臨との帰着は神が万物の上に主たらん事に在るといふ、其時に至て宇宙は完成するのであると云ふ、誠に凡ての哲学思想も之を以て尽くると言ふ事が出来る。
 然しながら「万物の上に主たり」とは意訳である、之を原語にて読めば「|神凡てに於て凡てたらん為なり〔付○圏点〕」である、「凡てに於て凡て」、之れ基督教の独特の思想である、凡そ神又は宇宙に関する人類の思想に二種ある、|其一は神を以て凡てとするものである〔付●圏点〕、曰ふ「各人皆神となる事之れ救なり、個性の差別を没却して川の海に注ぐが如くに各自が神の中に帰せざるべからず、善人も悪人も神に呑まれて茲に始めて調和あり」と、之れ即ち汎神的思想(Pantheism)にして印度哲学に由て代表せらるゝものである、或は爾《しか》く明瞭ならざるも例へば瞑想に由て神と融合し我なく人なく天なく地なく恍惚たる状態を以て救となすが如きは皆此思想に属するものである、又|其二は個人を以て凡てとなすの思想である〔付●圏点〕、個人は永久に神を離れて存在するを得と言ふ、然し乍ら基督教の教ふる所は之等二種の思想と全く相異なる、|基督教は神の全汎的なるを説くと共に又明白に個人性の存続を教ふる〔付○圏点〕、曰く「神凡てに於て凡てたらん為なり」と、換言すれば「神各自に在て凡てとならん為なり」(that God may be all in each)である、我は永久に我である、個人は何時迄も個人性を失はない、然れども|神は我等各自に在て一切(571)となり各自を通して働き給ふのである〔付○圏点〕、此の世に於て既に然り、若し茲に真実の教会なるものあらん乎、之に属する者は一人の例外もなく皆神の霊を以て充され其個人性を発揮しつゝ到る処に於て神の栄光を顕はすべき筈である、況んや完成せられたる神の国に於てをや、其時三倍一体の神は我等各自に在て一切となり之を通じて其大なる力を現はし給ふのである、之れ実に哲学の絶頂である、又歴史の終局である、又信仰の理想である、而して此理想に達せんが為に肉体復活の必要ありと論ぜし伝道者の偉大を想ひ見るべきである、パウロの終末観の茲にあるを知つて区々たる又は卑賎なる現世的観念は我等の胸中より一掃せられざるを得ないのである。
  若し死にし者全く甦らずば死者の為にバプテスマを受けて何の為にせんとする乎、彼等死者の為にバプテスマを受くるは何故ぞや(廿九節)。
 パウロは其論歩を進めて絶頂に達するに及び先に言はんと欲して言ひ遺せし事あるに気付いた、彼は若し復活なくば信者の実際生活の無意味無効となる事を一言附加せんと欲するが故に此処に至りて再び「もし死にし者全く甦らずば云々」と繰返したのである、こは修辞学上拙劣なりと雖もパウロの気質を示すと共に又此書翰がカント、ヘーゲル等の哲学の如き書斎の産物に非ずして彼の心中溶けたる鉄の如き熱誠より迸出《へいしつ》したるものなる事を示すものである。
 死にし者の為にバプテスマを受くるとは何の意なる乎、今より之を定むる事は出来ない、之が註釈は三十六種に上るといふ、其事の重大事に非ざるは明かである、或は曰ふ信仰を起したる後未だバプテスマを受けずして死する者ある時は彼が復活する能はざるべきを虞れて他の友人又は親戚の者が代て之を受くるの習慣ありしならん、パウロは勿論斯かる習慣に重きを置かざるも唯之を捉へて復活を証明せんと欲したるなりと、而して此習慣がパ(572)ウロより二百年以後の教会に於て行はれたりとの記録存する由なるも其の果してパウロ時代の習慣なりしや否やを知る事が出来ない、或は又曰ふ信者にして死せんとするに当り存れる友人又は親類中未だ信仰を起さゞる者の救の為に痛く憂へて眠れる場合あり、かゝる場合に其死者の感化力に促されて信仰を起しバプテスマを受くる事を死者の為にバプテスマを受くると言ひしならんと、こは誠に美はしき説明である、母が臨終の床に不信の子を呼びて「キリスト再臨の日聖徒復活の朝に再び汝に遇ひたし」と述べ子は此一言に促されて遂に信仰を抱くに至るが如きは決して稀有なる事ではない、殊に初代の教会に在ては愛の関係より死者の偉大なる最期が動機となりて信仰の伝播を助けたるの事実は甚だ多かつたのである、其他此事に関しては尚種々なる説明が下さるゝのである。
 然しながら其何れなるにせよ、パウロの茲に言はんと欲する所は復活ありてこそバプテスマに意味があるとの事である、而して実に|バプテスマは復活の信仰の表象である〔付○圏点〕、其事はバプテスマの形式に徴して明白である、バプテスマの形式は|浸礼〔付○圏点〕である、一度び水中に身を沈め然る後起き上るの式である、其意味する所は何ぞ、死して葬られ而して第三日に甦る事の表象に外ならない、キリストの復活及び之に基く我復活を信ずる信仰の表明である、|故に肉体復活の信仰は受洗の条件である、之なくして洗礼を授くるは全く無意味である〔付△圏点〕。
  又何の為に我等常に危険に居るや、我等の主キリストイエスに在て汝等につき我が有てる喜《よろこび》をさし誓ひて我日々に死ぬると言ふ、もし我れ人の如くエペソに於て獣《けもの》と共に闘ひしならば何の益あらんや、もし死にし者甦らずば飲食するに如かず、我等明日死ぬべき者なればなり(三十−卅二節)。
 |肉体の復活を否定するは福音の為に努力せんとする動機を挫く事なり〔付○圏点〕との意である、復活の信仰ありてこそ信(573)者に世を恐れざる心起り世との戦ひが始まるのである、若し肉体の復活なく従て来世の生命なくば此世に在て進んで迫害を受くるが如きは何の意義かあらんと、之れパウロの立場である、然るに近代人は曰ふ肉体の復活を信ぜざるも神の愛を信ぜば福音の為に努力すべき十分の理由あり、努力の動機を道徳心に訴へずして未来に於ける肉体上の出来事に訴ふるが如きは甚だ低しと、二者何れが正しき乎、之を議論に由て定むる事が出来ない、然れども各自の実験は明白なる証明を供するのである、我等が真に世を恐れず迫害を避けず福音の為めに強烈なる努力を続くるに至るは何時である乎、我等の中に復活の信仰起りて来世の観念の明確となりし時ではない乎、故にパウロも其実験に訴へて我がエペソにて闘ひし三年の努力は我に復活の信仰ありしに由ると言うたのである、こは凡て貴き生涯を送りし者の実験したる所である、然るに今日の教会を見よ、其講壇は何故に落莫として振はないのである乎、徒らに社会的奉仕を説いて復活来世を説かざるが故である、人の至深の要求に触れて其霊魂の底より生命の溢出《いつしつ》を感ぜしむるものにして復活の信仰の如きはない、教会に此信仰起りて初めて其復興を期待する事が出来る。
  汝等自ら欺く勿れ、悪しき交際は善き行を害ふなり、汝等醒めて義を行ふべし、罪を犯す勿れ、汝等の中神を知らざる者あり、我かく言ひて汝等を愧《はづ》かしむるなり(卅三、卅四節)。
 之を次の如く改訳するを可とする、曰く「汝等誘はるゝ勿れ、悪しき交際は善き品性を害ふなり(パウロより凡そ二百年前の希臘詩人メナンドルの語を引きしならん)、汝等義を以て(慨然として)酔より醒めよ、罪を犯すを已めよ、汝等の中神に関して無知なる者あり、我斯く言ひて汝等を辱かしめんと欲するなり」と、パウロ若し此語を以て今日の教会に臨まば如何、或は科学或は社会問題等に由て信仰を左右せらるゝは品性生命に関する問題で(574)あると言ふ、又復活を信ぜざるは罪を犯すなりと言ふ、又彼が斯る激烈なる語を発するは神の死者を甦らしむる力を有し給ふ事を知らざる者あるが故に之を辱かしめて眠より醒めしめんが為であると言ふ、実に愛より溢れたる警醒の声である、復活を信ぜず再臨を信ぜず世を怖れ人を恐れて左顧右眄しつゝある今の教会は此声を聞いて奮起すべきである。
 以上一節乃至三十四節に於てパウロは専ら復活の事実に就て語つた、今日の語にて言へば|復活の歴史並に預言〔付○圏点〕である、而して之を語つて彼が伝道者としての義務は終れりと言ふ事が出来る、然しながら彼は尚深くして博き学究の人であつた、故に今や更に進んで大胆にも|復活の理由〔付○圏点〕即ち|復活の科学〔付○圏点〕に入らんとするのである、而して彼の科学は決して卑しむべきものではない、彼の故郷タルソは夙に有名なる大学の在りし市《まち》であつた、或人は曰ふ、パウロの父は地位素養共に高き人なりしが故に其子パウロをヱルサレムに遣《をく》るに先だち必ずタルソの大学に入れたるならんと、又或人はパウロのタルソ大学在学中彼は多分有名なる哲学者アセノドーラスと同級又は知友なりしならんと曰ふ、兎に角彼が其時代の教育を受けたる人なる事は確かである、而して|教育も亦之をキリストの福音の為に使はずしては已まざりし者は彼れパウロであつた〔付○圏点〕、彼は自己の有する天然学を以て復活を説明せんと欲したのである、彼若し之を試みざりしならば我等は近世科学に対して復活を弁護するの重荷を負はせられなかつたかも知れない、然しながら|彼の試みし所は我等も亦之を試みるべきである〔付○圏点〕、我等も亦我等の有する天然学に訴へて復活の説明を提供すべきである、今や科学者と信仰家とは全く其室を異にし科学者は彼方に在りて顕微鏡を窺へば信仰家は此方に在りて独り聖書を探る、偶々信仰家にして科学者の立場に帰らんとする者あれば科学者は之を研究室の侵入と称し戸を閉ぢて入らしめざらんと欲する、殊に所謂神学者に至ては科学を恐るゝ事甚だし(575)く科学者の反対を聞く毎に戦慄するの状態である、然れども何ぞ恐れん、パウロは大胆に科学者の領域に侵入したのである、而して我等も亦彼に倣うて之を試みるに何の不可なる事があらう乎。
  人或は問はん、死にし者如何に甦るや、如何なる身体にて来るやと(卅五節)。
 人とは科学的知識を以て誇る或人である、彼等の質問は常に此二点にある、曰く|如何なる法則に由て甦るや〔付○圏点〕、曰く|如何なる状態を以て甦るや〔付○圏点〕と、而して今日此質問を発する者は概ね嘲笑的態度を以て来る、パウロ時代の科学は決して幼穉なるものに非ざりしが故に質問者の態度は略々同様であつたであらう、之れ彼が先づ「愚かなる者よ」と言ひて答ふる所以である。
  愚かなる者よ、汝が播く所の種まづ死なざれば生きず(卅六節)。
 パウロの答は甚だ簡単である、曰く汝等復活に反対する者よ、汝等は草木の種子の発芽を見し事なき乎、之を解する者は復活を解するなりと、学者之に対して或は曰はん、種子は死するに非ずと、然しながら種子を蒔く時は其中の微小なる胚子のみを遺して他の大部分は悉く分解するのである、而して分解は即ち死である、種子は悉く分解し唯其中微小なる或者のみ分解せずして存り其処より草木が発生するのである、如何にして麦が生ゆる乎、如何にして小なる罌粟粒《けしつぶ》の中より三尺有余の革が生ゆる乎、如何にして一粒の芥種より空の鳥を宿す程の大なる植物が出づる乎、又如何にして一箇の細胞中よりカント、シエークスピア、ナポレヲン等世界を呑むが如き大人物が出づるのである乎、誰か之を以て奇蹟に非ずと言ふ者がある乎、信者の復活も亦実に斯くの如しである、信者の中には或る死せざる生命がある、神は信者の死に於て彼の身体を蒔き而して其中より新しき生命を発生せしめ給ふのである、故にパウロは曰ふ麦の生ゆると異なる事なしと、之を近世科学に照して此解答は果して誤謬で(576)ある乎。
 ハーバード大学教授シェーラー氏嘗て一書を著はして曰く生命の保存の為には決して大なる物質を要せず、極めて微小なるものを以て足る、或る虫の卵の如きは其形極小にして而もシベリアの野に零下七十度の寒気の下に冬を過ごし春到れば即ち美はしき蝶を発生す、若し我等が五尺の体の中顕微鏡を以ても見る能はざる小細胞の中に我等の全人格全霊性を容れ得るものが遺らば其処より新らしき生命は発生すべしと、此説の如きはパウロの説明を助くる事至大である、思ふに復活の科学的証明は此処にあるのであらう、科学は決して信仰の敵ではない、二者は互に大なる援助者である、我等は力めて信仰と知識との和合を図るべきである。
  又汝が播く所のもの後生ゆる所の体を播くに非ず、麦にても他の穀にても唯粒のみ、然るを神は己の心に従ひて之に体を与へ種毎に其各々の形体を与へ給ふ、凡ての肉同じ肉に非ず、人の肉あり獣の肉あり、鳥の肉あり魚の肉あり、天につける物の形体あり地につける物の形体あり、天につける物の栄《さかえ》は地につける物の栄に異なり、日の栄あり月の栄あり星の栄あり、此星と彼星と其栄亦各々異なり(卅七−四十一節)。
 次に如何なる状態を以て復活する乎との問に対してパウロの博物学が現はれたのである、彼は曰ふ同じ物質を以て異なる物の作らるゝ実例は甚だ多し、肉を見よ、天体を見よ、彼星と此星とを見よ、神は同じ肉を以て種々なる肉を作り同じ物体を以て種々なる形体を作り同じ星を以て種々なる栄光を現はし給ふ、然らば又同じ物質を以て永久に死せざるものを作り得ざらんやと、此説明も亦大体に於て真理たるを失はない、神は同じ炭素を以て或は木炭を作り或は王冠を飾るべき数百万円のダイヤモンドを作り給ふ、又同じ細胞を以て或は黒人を作り或は白皙人種を作り給ふ、人体の最も醜き所より最も貴き所に至る迄皆同じ細胞の組織である、透明にして光輝ある(577)眼球の水晶体も黒き毛髪と同じ細胞を以て作らる、其他或は同じ鉄にして低廉なる銑鉄あり時計の弾機《ゼンマイ》等の如き高価なる鋼鉄あり、加之鉄中に含める大なるエネルギーは之を化して或は金成は白金たらしむるに至らんといふ、又小豆大のラヂウムは若し其力を悉く利用せんには長き列車をして地球を一週せしむるに足るべく而して我等が足下に踏む所の石塊も何時かはラヂウムと化し得べしとの事である、然らば神の貯へ給ふ力は実に無限なりと言はざるを得ない、其力を以て神は我等の為に永久死せざる体を備へ給ふ事に何の疑があらう乎、パウロの所論は大体に於て壊《くづ》れないのである、彼の用ゐたる材料は古しと雖も之を以て証明せられたる真理は決して謬らない、凡て聖書中近世科学と根本的に背馳し人の理性と全然相容れざるが如き記事は之を発見する事が出来ないのである。
 聖書の一事中人の信仰と知識とを含むものにして此の哥林多前書十五章の如きはない、此処に於てパウロは初は大歴史家であつた、彼は歴史家として最も重要なる歴史的感能に著しく富んで居つた、即ち徒らに事実を列挙する事なく唯何人も疑ふ能はざる中心的事実を提供して其上に議論を建設したのである、偉大なる歴史家又は良き弁護士の態度は常に之である、真理の中心を緊握して以て人に迫る、故に之を如何ともする事が出来ない、パウロが復活の実証として挙げたる六個の場合は孰れも堅き事実にして之を否定せん乎基督教を破壊せざるべからざるものであつた、此点に於て彼は第一流の歴史家たるの素質を有した、次に彼は予言者となりて世の終末を予言し万物の帰趣は神各自に於て一切となるにありと叫んだ、更に帰りて彼は偉大なる科学者となつた、種子の発芽を見よ天然の物体を見よと言ひて復活の原理を科学の立場より説明した、加之四十二節以下は彼が稀有なる人類学者なりし事を示す、茲に彼は人類の如何にして造られたりし乎を論ずるのである、而して其間に彼の語は(578)屡々大なる詩として現はるゝのである、|歴史家にして予言者、哲学者にして信仰家、科学者にして詩人、世に彼ほど偉大なる人は無かつた〔付○圏点〕、一人にして三四の偉人性を兼備したる者は実にタルソのパウロであつた。
  死にし人の甦るも亦斯の如し、朽つる者にて播かれ朽ちざる者に甦され、尊からざる者にて播かれ栄ある者に甦され、弱き者にて播かれ強き者に甦され、血気の体にて播かれ霊の体に甦さるゝなり(四十二−四十四節)。
 如何なる身体にて来るやとの問に対する解答であつて同時に又二句づゝより成る詩である、現在の体は朽つる者尊からざる者弱き者血気のものである、之れに反して復活の体は朽ちざる者栄ある者強き者霊のものである。
  血気の体あり霊の体あり、録《しる》して始の人アダムは生命ある魂となり終のアダムは生命を与ふる霊となると有るが如し、霊の者は先に在らず反て血気の者先に在りて霊の者後に在るなり、第一の人は地より出でゝ土につき第二の人は天より出でたる主なり、かの土につける者に凡て土につける者は似るなり、かの天につける者に凡て天につける者は似るなり、我等土につける者の状《かたち》を有つ、斯の如く後又天につける者の状を有たん(四十四−四十九節)。
 聖書心理学は人の三分構造を唱ふ、即ち肉と心と霊とである、此三者完全せずんば真の生命はないのである、而して茲に「血気」と訳せられたるものは其の「心」(Psyche)である、又「録して始の人アダムは生命ある魂となり云々」は誤訳である、「録して始の人アダムは生命ある血気となれりと有るが如し、終のアダムは生命を与ふる霊となれり」と改訳すべきである(終のアダム云々は旧約の引用に非ず)、始のアダムは「|生命ある血気〔付○圏点〕」となり終のアダムは「|生命を与ふる霊〔付○圏点〕」となると言ふ、此処にパウロの深き人類学がある、彼の見る所に由れば始め(579)て神に作られたる人アダムは血気を中心としたる人にして未だ霊を有たなかつた、彼には勿論肉体及び五感と種々なる慾とがあつた、又数理学哲学等を知るの力と道徳の観念とがあつた、故に血気の者必ずしも下劣ならず、彼も亦哲学者又は道徳家たる事が出来る、然しながら彼は終に基智者たる能はず、|天然性の人即ちアダムの性を有する者は特別の創造を経ずしては絶対に霊の人となる事が出来ないのである〔付○圏点〕、而して血気に貴きものなきに非ずと雖も之れ人類に特有のものではない、程度の差こそあれ猿も馬も皆之を具備する、或馬は五迄の数を算へ得ると共に白痴は二十以上を算ふる能はず其差僅かに五十歩百歩のみ、アダムは猿又は馬の有する性質を有したるに過ぎなかつた、彼は動物の最も発達したる者に過ぎなかつた、即ちパウロの説によれば天然性の人と動物とは其間に調和すべからざる差別を存しないのである、此点に於て彼の見解は却て遥かに近世科学的である。
 之に反して「終のアダムは生命を与ふる霊となれり」と言ふ、紙の独子イエスキリストは血気の人に非ずして霊の人であつた、彼は己を信ずる者に限なき生命を与ふるのである、而して|我等は彼を信じて初めてアダム的状態を脱してキリスト的状態に入るのである〔付○圏点〕、其時迄我等はアダムの如く「生命ある血気」たるに過ぎない、単に生くるといふのみ、飲食し睡眠し欲求し思索する、然しながら其れ丈けの事である、如何に大なる事業を成すと雖も以て新しき生命を提供する事は出来ない、其生涯は死と共に消滅するのである、然れども一度びキリストの霊を受けん乎、大なる活力は我等に加はりて自ら「生命を与ふる霊」となるのである、|真の基督者は単に生くる者に非ずして生命を与ふる者である〔付○圏点〕、彼に接する者は其身より生命の流出するを感ずるのである、而して終に或る時に至りて更に大なる活力は著しく彼の上に降り其体をも化して霊の体とならしむるのである、実に偉大なるパウロの人類学である。
(580) 「血気の体あり霊の体あり」といふ、血気又は霊を以て成るの謂ではない、血気に適はしき体と霊に適はしき体との意である、微弱なる血気にすら其に適応すべき体あらば況して優秀なる霊には其に適応すべき栄光の体がなくてはならない。
  兄弟よ、我之を言はん、血肉は神の国を嗣ぐ事能はず、又朽つる者は朽ちざる者を嗣ぐ事能はず、見よ我れ汝等に奥義を告げん、我等悉く寝るには非ず、我等皆終のラツパの鳴らん時忽ち瞬く間に化せん、そはラツパ鳴らん時死にし人甦りて朽ちず我等も亦化すべければなり(五十−五十二節)。
 奥義とは従来解せられざりし事にして新にキリストより示されたる真理を言ふ、パウロは五十節に至る迄主として死者の復活に就て語りしも最後に尚一言せざるべからざる事があつた、死者の復活に就ては旧約聖書中其暗示に乏しからざりしと雖も生ける信者の運命如何は全く奥義に属したのである、此故に彼は曰うた「或る時到れば主は復活体を以て天より降り給ふ、其時大なる力に由て天地は一変し死せる信者は復活せしめらるゝと共に、生ける信者は死を経ずして其儘栄化せしめられ、而して共に主の許に携へ挙げらるゝのである」と、之れ彼の屡々々明白に教へたる真理である。
  此朽つる者は必ず朽ちざる者を着、死ぬる者は必ず死なざる者を着るべし、此朽つる者朽ちざる者を着、此死ぬる者死なざる者を着ん時聖書に録して死は勝に呑まれんと有るに応ふべし、死よ汝の刺《はり》は何処にあるや、陰府《よみ》よ汝の勝は何処にあるや、死の刺は罪なり、罪の力は律法なり、我等をして我主イエスキリストに由て勝を得しむる神に謝す(五十三−五十七節)。
 朽る者とは朽ちたる死者である、死ぬる者とは死ぬべき生者である、朽ちたる死者は朽ちざる体に復活せしめ(581)られ死ぬべき生者は死なざる体に栄化せしめらる、其時死は勝に呑まれんとの預言者イザヤの預言は成就するのである、「死は勝に呑まる」とは死が其敵たる生に呑まるゝ事である、即ち知る|死は最後に至て唯に無効に帰せしめらるゝのみならず永遠不変の生命の呑む所となりて後者が前者に代て我等の運命となる事を〔付○圏点〕、故に死は最早其剣を以て生ける信者を刺さんと欲するも能はず、墓は其中に閉ぢ込めたる死せる信者を抑へて放たざらんと欲するも能はず、彼等は皆朽ちざる栄光の体に化せられて天に携へ挙げられ主の許に相集ふのである、「死よ汝の刺は何処にあるや、陰府よ汝の勝は何処にあるや、我等をして我主イエスキリストに由て勝を得しむる神に謝す」と、噫何の勝利かまた之に如かん、之こそ勝利の勝利感謝の感謝である、而してキリストを信ずるの結果は実に此処に迄至るのである、此驚くべき恩恵に比して区々たる社会の改善の如きは殆ど言ふに足りない、一人の伝道者パウロをして全世界を動かさしめたる所以のものは此偉大なる福音の信仰にあつたのである。
  此故に我が愛する兄弟よ、汝等堅くして動かず、常に励みて主の業を務めよ、そは汝等主にありて其為す所の労《はたらき》の空しからざるを知ればなり(五十八節)。
 信ぜざる者は曰ふ、復活再臨等の信仰は我等の霊的活動に何の用あるなしと、然しながら斯く言ふ者は自ら霊的活動の実験を有せざる事を証明するものである、再臨あり復活ありて始めて個人の永遠の生命あり愛する者との再会あり宇宙万物の救拯がある、故にパウロは曰うた「汝等此信仰の上に座を占め他をして之を動かしむる勿れ、然らば主の業を以て溢るゝならん」と、復活の信仰は冷たき死せる信仰ではない、活力に充ちたる生ける信仰である、|此信仰を堅く守りてこそ愛の事業を以て溢れざるを得ざるに至るのである、何となれば之を信ずるに由て我等がキリストの為にする〔付○圏点〕労《はたら》き|の無効に終らざる事を知るが放である〔付○圏点〕、「主の業」とは特に伝道である、而し(582)て人の打に無益の如く見ゆるものにして伝道の如きはない、奔走四十年幾千人の青年に福音を宣伝して存る者果して幾人ある乎、此一事を知るのみにても伝道の無効を感ぜざるを得ない、況んや嘲笑迫害其他あらゆる患難に遭遇するに於てをや、然るにも拘らず常に主の業を以て溢るゝ事を得るは一に此信仰あるが故である、我等の生命は之を以て終るに非ず、キリストは其手の中に未来永遠の生命を握り給ふ、やがて彼れ再び来り給ふ時に我等の事業を悉く顕はし金の冠を以て我等に酬ゐ給ふのである、然らば今日多くの人に斥けらるゝも何かあらん、嘲けられ唾《つばき》せられ国賊と呼ばれ偽善者と罵らるゝも何かあらん、我等も亦パウロの如く満々たる希望と凛々たる勇気とを以て活動する事が出来るのである、伝道の精神は全く此処にある、復活再臨の信仰を除いて人をして霊的活動に富ましめ能率ある事業に溢れしむるものは他に無いのである。
 約説 復活は肉体の復活である、キリスト肉体の復活を否定して新約聖書の基督教は其根柢より崩れて了うのである、而して復活は理論ではない、事実である、歴史的事実である、充分の証人に由て証明されし事実である、奇跡たるに相違ない、然し神に於て為し能はざる事ではない。奇跡である、然し天然界に類似のない事ではない、種子の発生するも奇跡である、如何なる学者も芥種が如何にして発生するか其理由を説明することは出来ない、又神に在りては能力は無限であつて資源も亦無限である、同じ炭素を以て黒き石炭と輝くダイヤモンドを造り得る神は同じ物質を以て朽る体と朽ざる体とを造り得ない理由はない、哲学の帰着する所は一元論であると云ふ、而して此一元よりして千姿万態の天地万物が成つたと云ふ、然らば神が聖められたる人の霊魂を被ふに之れに適応する栄光の体を以てし給ふと云ふに何の信じ難き所がある乎。又人頬学上より言ふもアダムは生《いく》る生命として見るを得べく、キリストは生命を供ふる霊として見るを得べし、生るは己に由る、即ち単に生るのである、(583)生命を供《あた》ふるは無窮に生き給ふ神に由る、故に死すべき肉体を活かし得べく、又生命を他に分与するを得べし、キリスト第二のアダムとして人の間に降り給ひて生は死に勝つたのである、而して其勝利の実現する時がキリストの再臨である、信者は固く此希望を懐いて救はるゝのである。
 
(584)     教会対余輩
                         大正8年5月10日
                         『聖書之研究』226号
                         署名なし
 
 四月十日発行『福音新報』は「市青年会の教役者招待会」と題し左の記事を載せたり
 
   去る三月二十一日東京市基督教青年会は、教役者懇談会を催したしとの趣旨にて、市内各派教役者百二十名に対して招待状を発したり。此に応ぜる出席者の数殆ど百名に近く、此に青年会関係者其他を加へて百十名を超過する状況なりき。斯る催に近来斯く多数の教役者の出席者ありしは珍らしきことなりとの評あり。
   讃美歌を歌ひ祈祷ありし後、同会理事世津谷鋭次郎氏青年会と各教会との関係を更に密にし且つ其同情と理解とを得たき為今夕の集会を催したりしなりと挨拶し、語を継いで青年会の各事業を述べ内村氏講演会の景況を報じ、更に今後内村氏を指導者とする市内各教役者の為の聖書研究会を催す計画ありと発表せらる。次に同会主事荒川哲二郎氏は青年会の理事職員諸氏を一々紹介し、終りて江原素六氏は起立して恐るべき過激派思想の蔓延を説き伝道の急務を説示せらる。終りて一同食事を共にせり。
   途中同会理事の一人なる小崎弘道氏は一寸申上度き事ありとて問題を呈出せられたり。今世津谷氏は日曜日午後の内村鑑三氏の聖書研究講演会は青年会の事業なりとの事なるが、内村氏は無教会主義者なり、現に組合教会中には氏に講演を依頼せし為教会の瓦壊を来したる事実あり。教会の同情を得んとする青年会が宗教部の事業を氏に托すは矛盾に非ずや。又教会にとりては大問題なり。敢て列席諸君の意見を問ふと会衆に意見を徴せらる。小崎氏の意見に対する賛成の意見出(585)しが、江原氏は起立し、其位の事は弁へ居れり。内村氏の其は青年会の事業に非ず、氏に会館を呈供する丈の事なりと弁明さる。此に対し世津谷氏に然るかと質問せしに語曖昧なりしも、青年会事業たるは明なり。其より甲立ち乙弁じ丙攻め司会者あれども無きが如く、場内は忽ち蜂の巣を突きたるが如く化したり。内村氏の為めに弁ずる三四の意見もありしが、大勢は内村氏の講演を現在の儘持続せしむるを好まざる有様なりき。終頃平岩 愃保氏は起つて、先頃よりの話を承れば、我等は何の為めに来会せしかを知るに苦しむ。今此儘にして帰らんか恰も狐に撮まれたるの感を去らんとするも得ず、古き事なるが世良田氏の会長時代某氏を招聘して講演会を開き、多数の聴衆を集め得たりしも、教会の反対を喚起し実に青年会の危機を醸したり、而して某氏の講演の結びし果は教会は勿論少年に取りても甚だ不利益なりき。今日も又然り。青年会が教会の同情を失ふは由々しき大事なり。故に何とか之を処理せられんことを望むと語らる。他に一二の意見出でなほ続かんとする模様なりしも、結局同会理事日疋信亮氏が責任を負ひ諸君の御満足の行く様に、此問題を処理すべければと再三の言明にて一同鎮静せり。云々
 
 内村生は此の記事に就て小崎、平岩の両先生に左の如く質問且つ答へざるを得ない。
 |小崎先生〔ゴシック〕に問ふ、余に講演を依瀬せし為め教会の瓦壊を来したりと云ふ其数会は何地の何教会なるや明かに指示を乞ふ、先生は又組合教会内に行はるゝ非福音的信仰が其衰退の大なる原因なるに気附き給はざる乎、又同志社事件が多くの信者の躓きとなり彼等をして組合教会を嫌悪するに至らしめし事を知り給はざる乎、|余は信ず組合教会を瓦壊する者は余の無教会主義に非ずして教会其物の異端と腐敗なる事を〔付△圏点〕。
 |平岩監督〔ゴシック〕に問ふ、先生は今に至り余の無教会主義を非難せらるゝも、先生が甲府メソヂスト教会に牧師たりし時に、植村正久氏の設立にかゝる日本基督教会講義所に圧迫せらるとの故を以て態々余を東京より招かれ三日間に亘り余をして先生の牧する教会の高壇に立たしめ先生の応援演説を為さしめ給ひし事を忘れ給ふた乎、其時余(586)が既に無教会主義者たりし事は先生が余を招くに先だち、無教会主義に対し予防演説を為されし事に由て明白ならずや(余は後に此事を在甲府の友人より聞いて甚だ不愉快に感じたりき、先生は余の福音的信仰を利用すると同時に余の無教会主義を避けんとし給ふたのである、卑劣極まる手段と称すべきである)、斯かる行為に出でし先生は今青年会に対し余と提携する勿れと勧むるの資格は無いと余は思ふ、先生明白に余に答ふる所あれ、余は又茲に先生に断はり置くべき事あり、余は最近に於て函館メソヂスト教会に於て、又軽井沢メソヂスト教会に於て其懇切なる依顧と歓迎とを受けて説教したり、又昨年来数回関西学院より招待を受けしと雖も未だ閑暇を得ずして之に応ずる能はず、|先生は宜しく先生が監督たるの職権を以て無教会主義者たる余を招きし是等の教会又は学校を譴責して可なり、余自身は自今先生の監督権を尊重し、先生の許可なくしては決してメソヂスト教会に於て講演又は説教を為さゞるべし、余は如斯にして其依頼を謝絶するの善き理由を得て幸福此上なしである〔付△圏点〕。
 越へて四月十日夕刊『時事新報』は紛擾の顛末を掲げ、小崎牧師の言として「要は内村氏が教会を認むるか否かに依て決せらるる問題です」と報じたれば、余(内村生)は左の寄書を同新聞に送りて教会に対する余の立場を明かにせり。
 
   私は教会を認めます、然し乍ら腐敗せる、俗化せる、聖書が明白に教ふる教理に反対する我国今日の多数の教会をキリストの教会として認むることは出来ません。事は私一個の問題ではありません、基督教真理の問題であります。延いて国家社会の問題であります。私は私の信仰に忠実ならんと欲して我国今日の基督教会に漲る暗黒に対して無頓着なることは出来ません。
   近時教勢不振は何人も認むる所であります。然るに幸にして昨年来青年会に於て開かれし聖書講演は多くの篤信家の注(587)意を惹き、茲に近来未だ曾て見しことなき宗教的熱心の復興を見るに至つたのであります。此事たる洵に教界の慶事でありまして其衝に当りし私等は心窃に先輩諸氏の質讃を期したのであります。然るに何ぞ計らん今日の如き反対を見るに至つて私は其意外に驚かざるを得ません。私の無教会主義者たる事は能く知れ渡りたる事であります。然るにも関らず私は諸数会より招きを受けて今日まで幾回となく其高壇より説教演説を為したのであります。|現に今回私に対し特に反対の声
を挙げられしと云ふ小崎牧師平岩監督も私を其教会に招いて講演又は説教を為さしめられし事があります〔付○圏点〕。最近に至つては私は三崎町バプチスト教会の招きに応じて英語演説を為しました。私の無教会主義が果して危険なるものならば、何故今日まで私を教会の為に使ふたのであります乎。
   私は去れと云ふならば何時なりとも青年会の高壇を去ります。|然し乍ら私に去れと云ふものは神が私を以て為し給ひし丈け、又其以上を私に代つて為す責任があります〔付△圏点〕。今や数百の飢渇きたる霊魂は真理を求めて日曜日毎に集ひ来りつゝあります。私の排斥者は彼等を満足せしむる自覚があります乎。東京市民の霊育は実に重大事であります、私は市民全体が一宗教に関はる小事として此の事を看過せざらん事を望みます。
 
 問題は他の日刊新聞の注意を惹き、四月十六日夕刊『万朝報』は其論説欄に於て「内村氏と教会」と題し左の如く論じたり。
 
   内村鑑三氏の青年会館に於ける日曜説教は昨年来毎会々衆場に溢るる盛況を呈し、本邦基督教界のレコードを造りつゝあり、之に対して教会派は卑劣なる妨害を試みんとす。何故に教会派は自ら其説教を振はしむる能はざるか、基督教と云はず仏教と云はず、宗教は教義よりも之を説く人の力なるを解せざるか。
 
 又四月十八日発行の『国民新聞』は是れ又其論説欄に於て「宗教家の本色」と題して左の如く論じたり。
 
   基督教の中心たり、骨子たるものは、基督再臨の信仰に在り。個人に斯の信仰あれば、其の人に輝く希望あり、教会に(588)斯の信仰あれば、其の教会に不尽の生命あり。
   神田青年会館に於ける内村鑑三氏の日曜講演が、聴衆|毎《つね》に堂に満ち、一回は一回と、霊気の加はり行くに反し、牧師生活の人に司らるる多数の教会が、百方手段を尽して、尚且つ不振を嘆ずる所以は、知り難からず。前者が基督再臨の信仰を緊握し、全心全力を傾けて之を高調し、後者が之を遺《わす》れて、徒らに世間との調和に急なるが為めのみ。
   近頃、有力なる某々の牧師等、内村氏の青年会講演に異議を挟めりとか聞く、是れ自家頭上の蠅を逐はずして、他人頭上の蠅を逐はんとするものに非ずや。諸君宜しく先づ基督教の中心骨子を緊握せよ。而して全心全霊を傾けて、之れを高調せよ。然らば其の教会は振興し、其の信者は活気に満たん、復た何ぞ他の成功を嫉視せんや。
 
(589)     教会と余輩
                         大正8年5月10日
                         『聖書之研究』226号
                         署名 内村
 
 余輩は教会を悪まない、之を愛する、愛すればこそ今日まで機会ある毎に之を助けた、余輩は霊南坂教会を助けた、本郷教会を助けた、番町教会を助けた、中央会堂を助けた、富士見教会を其前身五番町教会の時に於て助けた、南総竹岡教会は余輩が勧めてメソヂスト教会に入らしめたる者である、余輩は平岩愃保君を助けん為に甲府に至り三日問に亘り君の牧せる甲府メソヂスト教会に説教した、余輩は神の前に証して偽らない、余輩は是等の教会に貸す所があつて借る所のない事を、敢て問ふ是等の教会は余輩を助けし事がある乎、教会よ、余輩をして斯く自己に就て述るを赦せよ、余輩が今日教会を信ぜざるに至りしには深き理由が有て存するのである、教会が若し余輩が今日まで教会を愛し助けし丈け其れ丈け余輩を愛し助けしならば教会と余輩との乖離は今日の如くに成らなかつたであらう。
 
(590)     『内村全集 第壱巻』
                           大正8年5月15日
                           単行本
                           署名 内村鑑三
 
〔画像略〕初版表紙192×126mm
 
(591)     自序
 
 『内村全集』成らんとすると云ふ、世に不思議なる事もあるかな。
 余の生涯に於て余は種々の事を試みた、余は地理学者とならんとした、天然学者とならんとした、殊に魚類学者とならんとした、更に進んで教育家と成らんとした、万々止むを得ずんば伝道師と成らんとした、然れども執筆者《ふでとるもの》となりて書を著して之を世に供せんとする事は余の夢想だもせざりし所であつた、然るに事実は余の予想に反して著述は余の一生の主なる事業となつた、余は量に於ては曲亭馬琴よりも亦頼山陽よりも多く書た、洵に預言者ヱレミヤの曰ひしが如くに「人の途は自己に由らず、且歩行む人は自らその歩履《あゆみ》を定むること能はざるなり」である(耶利米亜記十章廿三節)、余は自ら択みて著述家となつたのではない、「或る他者」に余儀なくせられて余は此途を歩行んだのである、是れ主の為し給へることにして我等の目に奇《あやし》とする所である(馬太伝廿一章四十二節)。
 器《うつは》は土器である、故に歳と共に多少の進歩をなせしと雖も粗雑拙劣なるを免れない、然れども之を使用し給ひし霊は神の聖霊でありしと信ずる、故に永久に聖くして変らざる者である、願ふ読者の意を器に留められずして之を通して響き給ひし「彼」の声に耳を傾けられんことを。
  一九一九年四月十六日
                    東京市外柏木に於て 内村鑑三
 
(592)    例言
 
 本集は内村鑑三の全著作を纏めることを目的として編纂せられたるものである。故に載する所は概ね嘗て著書或は雑誌に於て一度――その或者は先づ雑誌に次に著書に於て二度――世に出でしものである。
 本集は内村鑑三、畔上賢造の二人に於て旧稿を改竄、編輯、校正せるものである。故に凡ての責任は二人の分担するところである。
 本集は毎年二巻乃至三巻を発行し、数年を以て完了せらるゝ予定である。
 各巻の頁数は六百頁内外とし、一巻には成るべく同性質のものを収める方針を以て編輯せられたのである。
 本集の中に収められたるものにして既に著書として世に出でしものは、当分従前通り単行本として発行せられるのである。
 
     〔目次〕
 著者満五十年の肖像
 著者の原稿
 自序
 例言
 
   基督信徒の慰
(593) 自序
 改版に附する序
第一章 愛する者の失せし時
第二章 国人に捨てられし時
第三章 基督教会に捨てられし時
第四章 事業に失敗せし時
第五章 貧に迫りし時
第六章 不治の病に罷りし時
 
   求安録
 自序に代ふ
  上篇
悲歎
内心の分離
脱罪術――其一 リバイバル
脱罪術――其二 学問
脱罪術――其三 天然の研究
脱罪術――其四 慈善事業
脱罪術――其五 神学研究
忘罪術――其一 ホーム
忘罪術――其二 利欲主義
忘罪術――其三 オプチミズム
  下篇
罪の原理 
歓びの音 
信仰の解 
楽園の回復 
贖罪の哲理 
最終問題 
 
   宗教座談
 口啓き
第一回 教会の事
第二回 真理の事
第三回 聖書の事
第四回 祈祷の事
第五回 奇蹟の事
第六回 霊魂の事
(594)第七回 復活の事
第八回 永生の事
第九回 天国の事(上)
第十回 天国の事(下)
 
   伝道之精神
 
 自序
 再版に附する序
|第一 伝道之精神〔ゴシック〕
 其一 衣食の為めにする伝道
 其二 名誉の為めにする伝道
 其三 教会の為めにする伝道
 其四 国の為めにする伝道
 其五 神の為めにする伝道
 其六 人の為めにする伝道
|第二 理想的伝道師〔ゴシック〕
 第一 体格竝に気質
 第二 智育
 第三 実験と鍛錬
|第三 如何にして今日の乱麻に処せん乎〔ゴシック〕
(595)
   はしがき
 
 此書は曾て内村全集第一巻として発行した者である。而して全集発行中止と共に絶版した者である。然るに其内容の多少人心を益する者あるが故に、其再刊を望む者あるを知る。依て茲に改題して再び之を世に提供する次第である。
  大正十二年四月十八日            内村鑑三
 
(597)    別篇
 
  〔|付言〔ゴシック〕〕
 
  F・ゴーデー 藤井武訳
 「受肉以前に於けるロゴスと神との関係」への付言
           大正7年1月10日『聖書之研究』210号
 
 |附言〔ゴシック〕 イエスを神の子として接けん乎接けざらん乎、彼を接けて救はれん乎、斥けて亡びん乎、人類の最大問題は今猶是れである、国家に取り個人に取り之に勝るの重要問題はないのである、聖詩人は此事に就て述べて言ふた
   子に接吻《くちつけ》よ恐《おそら》は彼れ怒を放ち汝等途に亡ん、
   その忿恚《いきどほり》は速に燃ゆべければなり、
   すべて彼に依頼む者は福なり、
と(詩第二篇十二)、接吻は服従敬崇の表《しるし》である、子即ち神の子イエスの台前に跪き彼を主とし崇めまつりてのみ真個の幸福は有るのである、而して子を斥くるの結果は実に恐るべきものである、「彼れ怒を発し汝等途に亡びん」とある、今回の欧洲大戦乱が其最も顕著き実例である、自から基督教国と唱ふる欧洲の諸国は或ひは表面にイエスを嘲笑し、或ひは隠然彼に叛いたのである、彼等は疇昔《むかし》の異邦人と等しく「神の真を易《かへ》て偽となし造物主よりも受造物を崇めまつりて之に事ふ」るのである、是故に神の忿恚は速に燃えて此世の創始より曾て有りしことなき此大惨劇が彼等の上に臨んだのである、而してイエスの誰たる乎を知て彼を斥くるの罪の重大なる事が解明《わか》るのである、イエスが若し偉人の一人であるならば夫れまでゞある、然し乍ら彼れ若し果してヨハネやパウロが唱へし如き者ならん乎、イエスを斥くるは最大の不敬罪である、造物主の尊厳を冒し宇宙の帝座を涜す罪である、之に当るの刑罰は只滅亡あるのみである、而して忍耐に富み給ふ神は時に其怒を放ち給ふて聖子の尊厳を維持し給ふのである、「如(598)此く我等主の畏るべきを知るが故に人に勧む」とパウロは言ふた(哥林多後五章十一)、イエスの神性を論ずるは神学的興味に駆られてゞはない、人生の実際的最大問題の解決を援けんがためである、イエス果してロゴス(道《ことば》)である乎、「見ることを得ざる神の状」である乎、若し然あらざれば可し、然し若し然あらん乎! 嗚呼我同胞よ、汝等は国家問題の真髄はイエスの神性問題なりと聞て更らに愚者の嘲笑を続けんとする乎、世に真面目なる問題にしてイエスの紙性問題の如きはない。(主筆)
 
  中田重治
 「主再臨の光を以て解すべき聖句」への付言
           大正7年5月10日『聖書之研究』214号
 |内村生謹評〔ゴシック〕 以上は実に良き註解である、多分是れ以上の註解はあるまい、狐は政治家を表はし、空天《そら》の鳥はサタンと其眷属とを表はす、政治家に其隠るゝ穴がありサタンに其棲む巣がある、穴は国である、博士ジヨンソンの言へる「愛国は醜類《スカウンドレル》最後の隠場なり」とある其愛国である、政治家なる狐は愛国なる暗き穴に隠れて其野心を行ふのである、ヘロデ、ピラト其他の政治家はすべて此類である、而してサタンは偽基督である、其眷属は偽宗教家である、彼等に巣がある、其巣は教会に於て在る、「天国は芥種の如し人之を取りて畑に播けば万の種よりも小けれども長《そだ》ちては他の草より大にして空天《そら》の鳥来り其枝に宿る」とあるは此事を示すのである(馬太伝十三章三 二)、教会が勢力を得るに至りてサタン来りて其枝に宿るべしとの意である、而して今や多くのサタンの眷属は来りて教会に巣を構へて居るのである、かく不敬虔なる聖書の批評家、聖書の明示する教義を取扱ふに嘲笑諧謔を以てする神学者と聖書学者、其他信仰の事には全然没交渉なる所謂宗教家(実は政治家)、彼等は皆な教会に巣を作るサタンの眷属である、而して教会は彼等に巣を供し餌《えじき》を給し尊き「イスラエルの師」として彼等を仰ぐのである、斯かる世に人の子は枕する所なきは当然である、彼は今猶教会以外神学校以外に在し給ふ、而して我等少数の彼を慕ひまつる者は彼の※[言+后]※[言+卒]《そしり》を負ひて営外《かこひのそと》に(教会外に)出て彼と共に苦《くるしめ》を受くべきである(希伯来書十三章十三節)。
 又「主の祈祷」は再臨を待望む信者の祈祷と見てのみ其意義を明かにする事が能る、現に「試誘に遇せず云々」の一句(599)の如き再臨の予言と合はして解するに非れば意味を為さないのである。
 
  藤井武「教会の地位に就て」への付言
          大正7年6月10日『聖書之研究』215号
 主筆曰ふ、{如斯に見て現時の諸教会の偽りの教会である事が明白である、斯世の政府の与ふる勲章を得て喜ぶが如き教会は終に主の口より吐き出さるゝ者である。
 
  畔上賢造「罪を贖はれし者の心の歴史」への付言
          大正7年7月10日『聖書之研究』216号
 主筆曰ふ。若し此人が此信仰を更らに進むるならば彼はキリストの再臨をも信ずるに至るであらう、再臨も亦贖罪と同じくユダヤ思想ではない、贖罪に由て個人が救はるゝやうに再臨に由て人類と万物とが救はるゝのである、故に贖罪論の権威なるパウロは堅く再臨を信じ、贖罪の詩人たりしクウパーは又再臨の詩人であつた、解つて見れば再臨も贖罪の如くに迷信ではなくして大真理である、是れが解つて聖書は始終一貫せる書となり、光明と歓喜とは心に溢れる。
 
  浦口文治「改訳再改録」への付言
          大正7年9月10日『聖書之研究』218号
 附記 改正訳は確に改正訳である、その多くの点に於て従来の和訳に優るは言ふまでもない、然れども余輩をして遠慮なく其短所を摘指せしむるならば、余輩はその主として|文字の優雅に過ぎて初代信者の強健硬直なる信仰を言表はすに甚だ不適当なるに在る〔付△圏点〕と言はざるを得ない、其点に於て従来の和訳は改正訳に優る所があると思ふ、畢竟するに完全なる聖書の翻訳は文字訳にあらずして精神訳である、文法的には多く正確を欠きしルーテルの独逸訳が世界第一を以て称せらるゝは全く此理由に帰するのである、聖書翻訳の第一要素は修辞ではない信仰である、国に大信仰の起る時に聖書の大翻訳が出るのである。(主筆)
 
(600)  畔上賢造「贖罪の信受」への付言
           大正7年9月10日『聖書之研究』218号
 主筆曰ふ 基督再臨の信受も亦贖罪の信受と其性質に於て何の異なる所はない、是れ亦悟性を以てのみ批判せらるゝ時は甚だ不確実なるものである、是れ亦信受すべきものであつて理解すべきものでない、然れども一たび信受せんか真理中の最大真理である、贖罪と復活と再臨、基督教は此の三脚の上に立つ者であると余は信ずる。
 
  畔上賢造「羅馬書研究(十一)」への付言
           大正7年10月10日『聖書之研究』219号
 |附言〔ゴシック〕 内村生言ふ、畔上君の霊筆能く此難事を解し易き者たらしめしを感謝する、余も亦君の説の如く第十三節以下を以てパウロ|改信前〔ゴシック〕の実験なりと信じ来つた、然るに近年基督再臨を信じ得るに至て之を彼の|改信後〔ゴシック〕の実験と見るの適当なるを認むるに至つた、肉に対する霊の戦争は改信を以て熄むものではない、肉が肉として存する間は「肉の欲は霊に逆らひ霊の欲は肉に逆らひ」である(ガラタヤ五章・十七)、故にパウロは言ふたのである「我が願は世(肉)を去りてキリストと共に在らん事なり是れ最も善き事なり」と(ピリピ書一章廿三)、「我れ内なる人に於ては神の律法を喜べども我が肢体の中に他の法ありて我心の法と戦ひ云々」の実験は信者と雖も……然り信者のみ……持つ実験であつて、之を彼の改信以前に限ることは出来ない、信者の生涯は肉に対する霊の戦争の生涯である、パウロはダマスコへの途上復活せるキリストに会ふて此戦争を終へたのではない、彼は其後二十余年を経て猶は言ふたのである「我が戦ひは空を撃つが如きに非ず、己の体を撃ちて之を服せしむ」と(コリント前九章二 七節)パウロと雖も猶ほ世を去るまでは己の肉体を撃ちて之を霊に服せしめんとて戦ふたのである、然らば「あゝ我れ悩める人なるかな、この死の体より我を救はん者は誰ぞ、我等の主イエスキリストに由るが故に我れ神に感謝す」と言ふは何を意味する乎、余は是は再臨のキリストを指しての言なりと思ふ、我を肉より救はん者は誰ぞ、再臨のキリストである、彼は其時我に新らしき霊に適する体を与へ給ひて我をして現世に於(601)ける霊対肉の戦争より免かれしめ給ふと、救はまことに其時に行はるゝのである、「我等が救を得るは望によれり」である(八章二四)、即ち我等は希望の充たさるゝ日を期して完全に救はるゝのであるとの意であると思ふ、神は現世に於て我等に救拯の契約を下し給ふたのであつて、其実現は之をキリスト再臨の日に待つべきであると思ふ、而して此希望が現世に於て肉の欲に勝つ大なる勢力であるは言ふまでもない。
 
  ハワード・ケリー「医家の証明」への付言
           大正7年11月10日『聖書之研究』220号
 附言 以上に依て見てケリー先生は聖書無謬説を信じ、又先生の産科婦人科の泰斗たるの立場よりしてキリストの場合に於ける処女懐胎を信じ、又「キリストは地より去り給ひし其如く地を治めんため再び栄光を以て来り給はん、余は彼の帰来を日々に待ち望む者なり」と曰ひて明かにキリストの再臨を信ずる事が判明る、斯くて科学の泰斗は教会の教師等が迷妄なり非科学的なりと誹りて止まざる教義をば信じて憚らないのである、信仰は信仰である、説明し得る事を信ずるは信仰ではない、信仰は説明し得ざる事を信じ得る事である、而かも信仰は道理に反く者ではない、道理と両立し得る者である、而して或る程度までは道理を以て説明し得る者である、ケリー先生の如き初代使徒等の信仰其儘を信受する者あるを見て余輩は大に自分等の信仰を強めらるゝものである、余輩を非科学的なりと呼ぶ者もケリー先生を迷信呼はりする事は出来ない、先生は其科学的信用を賭して此大胆なる証明を為したのである。
 三条の信仰は併行する、基督再臨を信ずる者は聖書無謬説を信じ同時に又キリストの神性を信ずる、聖書に拠て基督再臨に反対するは甚だ困難である、所謂近代思想に由て之に反対することは出来る、然し乍ら聖書の言を引いて反対することは出来ない、而して米国代表的神学者なるS・マッシウ博士が再臨信仰の大反対者であつて同代表的科学者なるケリー博士が其大信仰者であることは最も注意すべき対照である。
 
(602)  石川鉄雄「聖書が示す歴史上の事実」への付言
           大正8年1月10日『聖書之研究』222号
 編者曰ふ、聖書は無誤謬の書であつて、歴史的にも科学的にも誤らない書であることは愈々明白になつて来た、然し乍ら其無誤謬たるを認るに罪の自覚より出たる信仰を要する、而して其無誤謬たるは学者の発見に因り後日に至りて明白になるのである。
 
  R・W・デール
 「今は眠より醒むべきの時なり」への付言
           大正8年1月10日『聖書之研究』222号
 編者曰ふ、茲に訳出せるは十九世紀末期に於ける英国組合教会の首領R・W・デール氏の説教の一部分である、以て氏の信仰の現今の組合教会のそれと大に趣きを異にせるを見る。
 
  青木庄蔵「関西再臨大会に就きての感想」への付言
           大正8年2月10日『聖書之研究』223号
 編者曰ふ、青木庄蔵君は大阪の実業家にして我国組合教会柱石の一人である、昨年の始めより余輩と再臨運動を共にせられ、其実際的方面に於て余輩は君に待つ所多大である、余輩は神が益々多く此兄弟を用ひ給はん事を祈る。
 
  畔上賢造「約翰伝解説序論」への付言
          大正8年4月10日『聖書之研究』225号
 内村生曰ふ、余は畔上君を勧めて君をして此問題につき筆を執らしめた、君は必ず多くの点に於て読者に満足を与へるであらう、余も畔上君も神学校に聖書学を修めたる者ではない、然し其処に我等の強味があると思ふ、是は平信徒の約翰研究である。
 
(603)    〔社告・通知〕
 
 【大正7年4月10日『聖書之研究』213号】
   北海道に在る誌友諸君に謹告す
 恩寵豊かに諸君の上に在らん事を祈り候
 陳ば今年|六月二日〔ゴシック〕は小生が明治十一年同月同日に札幌創成川の畔《ほとり》に於て当時の函館在留の米国宣教師、今の日本メソヂスト教会名誉監督M・C・ハリス博士より学友六名と共にバプテスマを受け基督信者たるを誓ひし満四十年に当り申候、依て此感謝すべき日を記念せんが為に神若し許し給はゞ小生自身札幌に赴き、其処に創成川の流れ清き畔に於て聖き感謝の祈祷を捧げたく存候、就ては北海道に在る誌友諸君に於て此拳を賛成せられ、成るべく多く同月同日を期して札幌の地を訪はれ小生と祈祷を共にせられんことを偏へに願上候、当日は恰かも満四十年前同様安息日に当り候に付き石狩原野に緑葉萌る頃、雲雀と山鳩との声に合せて諸君と共に神を讃美致したく存候、而して後数日札幌に留まり旧交を温むると同時に旧くして常に新らしき福音を唱へ、後又成るべく広く全島を巡遊し成るべく多くの誌友を其御住居の地に於て訪問し、又神が途を備へ給ふ限り函館、小樽、旭川等枢要の地に於て贖罪と復活と再臨との福音を唱へたく存候、此等の事に就て小生は多く諸君の御援助を期待致し候、切に乞ふ諸君主に在りて小生を迎へられ小生をして諸君と共に主の善き働きを為すを得さしめ給はん事を、委細は在|石狩町浅見仙作君〔付○圏点〕まで申上げ置き候に付き同君と御相談且つ御協力願上候 匆々
  一九一八年四月 東京市外柏木に於て内村鑑三
 
  角筈大火に付き多数の読者諸君より御見舞の御書面に与り茲に厚く御礼申上げます、幸にして無事でありますから御安心を願ひます。
                  聖書研究社
                   内村鑑三
 
 【大正7年5月10日『聖書之研究』214号】
   基督再臨問題の研究に就て
 基督再臨問題を研究せんと欲する者に取り必要欠くべからざる書はブラックストン著、中田重治君訳『|耶蘇は来る〔ゴシック〕』で(604)ある、其或る部分に就ては読者の首肯し難き点無きにしも有らざるべきも、其大体に於て再臨の聖書的根拠を闡明して誤らざるは何人も承認する所である、此書は欧米諸国に於て広く愛読せられ既に数十万部を売り尽したりとの事であつて、近頃中田君に由て簡明なる日本文に翻訳せられ多くの信者に貴き光を供しつゝある、定価五拾銭、郵税六銭である、版元は東京市外柏木東洋宣教会であるが、読者の便宜を計り本社に於て取次ぐ事とした、本誌所載の記事に合せて此書を読まれなば読者の益する所多大であると信ずる、又英文を以て此問題を研究せんと欲する者に余輩は A.J.Gordon 著 Ecce Venit(視よ彼は来る)を推薦する、希望者には一冊に付金二円十銭にて注文に応ず、但し外国より取寄するに二箇月余の日子を要す。
 
                  聖書研究社
 |謹告〔ゴシック〕 五月十八日神戸青年会、同十九日大阪天満教会、同廿一日京都平安教会に於て本誌主筆の演説あり。
 
    「聖書之研究」の現状に就て
 
 読者の知らるゝ通り「聖書之研究」は其拡張の為に広告的手段は一も取りません、然るに近来に至り其発行部数大に増加し、三月号と四月号とは各三千部を印刷して殆んど其全部を売り尽しました、是れ神の大なる御恵みと信じ感謝して居ります、私供は購読を人に強うる事は勿論、依頼する事も勧誘する事も致しません、然れども読者諸君の之を他に紹介し且つ購読の便宜を供せられん事を願ひます、沙翁が言ひし通り「我等は我等の愛する友人に由て広告せらる」でありまして、(We are advertized by our loving friends.)私供は高い広告料を払ふて新聞紙に広告せずとも私供の友人が私供の事業を広告して呉れるのであります、而して此方法に由て「聖書之研究」は今日の発行部数に達したのであります、読者にして或は百部、或は五十部、或は二十部と頒布の労を取て呉れる者があります、諸君が此方法に由り更らに本誌の拡張を計つて下さるならば私供の大なる幸福又感謝であります。(本誌は決して「恵送」致しません)
                  聖書研究社
 
 【大正7年5月31日『北海タイムス』】
 小生義六月二日を以て札幌に罷在るべく主幹の雑誌を以て(605)予告致し置き候所中央に於ける伝道手放し難く依て不得止北海道行は一時中止仕候に付此段関係諸君に御通告致候也
  大正七年五月廿五日     東京 内村鑑三
 
 【大正7年6月10日『聖書之研究』215号】
〇本誌主筆六月上旬北海道に行くべく予告せし所、中央に於ける運動手放し難く中止の止むなきに至れり、但し夏期休養のため彼地に赴くの計画なり。
〇再臨問題研究講演会は五月最終日曜日を以て一先づ終了せり、神若し許し給はゞ夏期の休養を終りて後に再び東京大阪(或は神戸)の両地に於て之を復活継続すべし。
 
 【大正7年7月10日『聖書之研究』216号】
○今年の夏は別に夏期学校のやうな者は開きません、大に休養して秋期の活動を待ちます、一月以来の運動に由りて同志一同大に元気附きし事は確かであります。
 
 【大正7年9月10日『聖書之研究』218号】
 謹告 小生儀同志と共に来る九月二十二日より毎日曜日午後二時より東京神田美土代町青年会館に於て聖書講演会相開き候間有志諸君に於て御来聴相成度候 敬具。
                   内村鑑三
 
    聴講注意録
○私用を持込みて講師を困しめては可ません、殊に開講前二時間は彼に絶対的静粛を供するの必要があります、彼は聴衆一同の有であります、彼を自分一個人のために用ゐてはなりません。
〇十歳以下の小児を伴来《つれきた》りては可ません、是れ小児に取り無慈悲であります、聴衆に取り迷惑であります、而して又大抵の場合に於て講師に取り大なる妨害であります、西洋に在りては小児同伴の聴講は禁物に成つて居ます。
〇批評又は冷《ひやか》しの為の聴講は全然差控ゆべきであります、是れ全会の熱心を冷《ひや》す事でありまして大なる罪であると言はざるを得ません、自己修養の為にあらざる新聞雑誌記者等の来聴は固く謝絶致します。
〇各自相応の寄附を為す積りで御出席なさい、無代価の真理は真理として存りません、聴講無料は講師には無害でありま(606)すが聴者には有害であります、代価を払ふて聴ふと欲はないやうな講演は聴かない方が可あります。
                  内村鑑三誌
 
 【大正7年10月10日『聖書之研究』219号】
   基督再臨研究東京大会
 神若し許し給はゞ来る十一月八日九日十日の三日間に渉り東京神田美土代町東京基督教青年会に於て基督再臨研究東京大会を開き候に付き同信の諸兄姉方に於ては奮て御来会相成度候、我等此会合に於て相互の親睦を厚うし同時に再臨の大問題に就き之を諸方面より研究致したく存候、我国内外の諸名士は此問題に関する各自の蘊蓄を披瀝せらるべく、而して又近き将来に於て開かるべき全世界基督再臨信者大会へ我国同信者の代表者を送るべき準備を為したく存候、此信仰は以て人種教派等の離隔を取去るに足る充分の勢力なりと確信致し候、或ひは神は今の時に当り此使徒時代の信仰を復活し給ひて基督教の世界的復興を計り給ふに非ずやと考へられ候、我全国同信の諸兄姉に於ては此際特に此会合の為に御熱祷を加へられんことを偏へに願上候。敬具
  千九百十八年十月
                    A・オルトマンス
                    W・P・バンカム
                発起人 クラゲツト女史
                総代  内村鑑三
                    中田重治
                    沢野鉄郎
 
    演説の依頼者に告ぐ
 僕の咽喉は弱くして一週に一回以上の講演は甚だ困難であります、出来ない事はありませんが後で非常に疲れます、且又演説は大に執筆を妨げます、故に執筆を主なる業となす者は演説は成るべく控へるの必要があります、此辺特に御推量被下まして、演説講演の御依頼は僕の健康又は事業を妨げざる範囲内に於て願ひます、演説はいくらでも出来る者ではありません、世に演説程勢力を消費する事はありません。
                   内村鑑三
 
 【大正7年12月10日『聖書之研究』221号】
 |歳末の辞〔ゴシック〕 茲に又恩恵の一年を送らんとして居ます、感謝
(607)の至りであります、私自身に於きましては今年は五十六回の講演演説を為し一回の聴衆平均三百人として一万七千人余の人々に福音を語ることが出来てまことに幸福の至りであります、多分明年は是れ以上の働きを為す事が出来るのであらうと思ひます、『新規播直し』であります、聖書なる神の言葉を人間の智慧を混《まぜ》ずして我国民に与へなければなりません、読者諸君の御共働を願ひます、願くは楽しきクリスマスと喜ばしき新年、諸君の上に来らんことを、アーメン。
  一九一八年十二月              内村鑑三
                        社員一同
 
    雑誌定価引上げに付き謹告
 行数を増し頁数を減じて試みて見ました、然るに編輯上甚だ困難であります、五号二十四行詰めでは振り仮名を附する事も出来ず点を施す事も出来ません、矢張り二十行詰めとなすの必要があります、又読者の側から見ても余り押詰めたる配字は読むに甚だ気持好くないと思ひます、又一方紙価現今の状態より観ましても平和来《へいわらい》は物価の低落を持来《もちきた》しません、其反対に更らに騰貴の兆候が見えます、依て止むを得ません、甚だ厭《いや》でありますが思切て|定価を引上げます〔付○圏点〕、諸君許して下さい、我等は商売の事に甚だ不案内であります、然し如何なる場合にも借金は致しません、而して此際に方り定価引上げは借金の厄難を免かるゝ為の唯一の途であります、呉々も許して下さい、|自今毎号四十八頁乃至五十二頁となし〔付○圏点〕、|一冊に付き定価弐拾銭 一年分前金弐円 半年分同壱円拾銭 外国弐円五拾銭〔ゴシック〕と改めます、但し今日まで既に御払込み又は御送金の分に対しては御追加に及びません、此規則は此号御落手の日より御実行の事に願ひます、敬具。
  一九一八年十二月              聖書研究社
 
    我等の会合に就て
〇基督再臨研究東京大会に対し厚き御同情を御表し被下、祝詞又は祝電を御送り被下候所の諸君に対し茲に発起人一同に代り篤く御礼申上候。
〇神若し許し給はゞ来る|大正八年一月十七日より三日間に渉り〔ゴシック〕|同種の大会〔付◎圏点〕を|大阪中之島大阪市公会堂〔ゴシック〕に於て開催仕候間遠近の同信諸君に於ては奮て御来会相成度候、東京同様、然り東京以上の恩恵の此大会の上に降らん事を今より御祈り被下(608)度候、其詳細に就ては大阪天王寺石ケ辻五三〇七藤本寿作又は京都御幸町二条青木庄蔵に就て御問合せ相成度候。
〇毎日曜日午後二時より東京神田美土代町青年会に於て内村鑑三主任の下に聖書講演会を開きつゝ有之候に付き同志の諸君には随意御来聴相成度候、但し各自必ず聖書並に讃美歌御持参の事。
 
 【大正8年1月10日『聖書之研究』222号】
    聖書講演広告
 毎日曜日正午後二時より東京神田美土代町基督教青年会々館に於て同青年会主催、内村鑑三主任の下に聖書講演会を開き候に付き同志の諸君には御随意御来聴相成度候、但し各自必ず聖書並に讃美歌御持参相成度候
 
 【大正8年4月10日『聖書之研究』225号】
 近火御見舞を謝す、全部無事に有之候。
                       聖書研究社
                        内村鑑三
 
 【大正8年5月10日『聖書之研究』226号】
 来る五月十三日午後七時より森村市左衛門氏其の他平信徒の発起に由り神田青年会館に於て|基督教界革正大演説会〔ゴシック〕を開く、有志の来聴を望む。
 
(609)  〔参考〕
 
    勇敢なる信仰の生涯
                         大正7年1月10日
                         『聖書之研究』210号
                         署名 中田信蔵記
 
  大正六年十一月十二日東京柏木聖書講堂故高井伝市君追悼会に於て内村先生の述べられし大要を記す
 欧洲戦乱の犠牲となりて教友高井伝市君はビスケー湾の波に沈んだ、彼は雲州松江在大蘆村の農家に育ちしも鬱勃たる野心は此小天地に満足する事が出来ず年少家を辞して神戸に出で英国帆船の水夫となりて海上生活に入り、後汽船|ナバリノ〔ゴシック〕号に転じて津々浦々殆んど至らぬ所なく世界を幾週《いくまは》りかした、航海者の怖るゝ南米南端ホーン岬を帆船にて五度周航したとの事を以ても彼の航程の如何なる者であつたかゞ知らるゝ 先年紐育にてキリストの福音に接し程なく吾『聖書之研究』誌の熱心なる読者となり或は東、或は西、或は南米より或は北欧より常に歓ばしき通信を寄せられ彼の在る間坐して世界の風物に接するの心地がした、船員の生活は概して乱暴なるものであるが高井君は各国人寄り集りの此水夫に長となりよく彼等を御して常に宜しきを得た、|所謂基督教国に育てられし乗組員にして基督信者は一人もなく日本の高井伝市君唯一人が信者であつた〔付ゴマ点〕、嘲辱誘惑の中に常に主に鎚りて堅く信仰を持して動かなかつた、船の港へ着するや多数の水夫中家郷へ通信の郵便切手の金を所持するものなく高井君は常に其供給者であつたとの事である、歳月を経るに従つて船長以下全船員の尊敬する所となり愉快なる海上生活を続け数年前其乗船が北海道小樽港に着せし時彼にも又故国を慕ふの念生じ休暇を得て上陸し先づ第一に吾社を訪はれた、満身維れ元気とも言ふ可き見るから心地よき無邪気なる好青年其言葉は共書信の如く多年外国水夫中に在りて日本語を用ゆる機会なかりしため半英半日の奇なる変体語であつたが其語る所は愉快なる海上の実験談であり其信仰は単純にして美はしきものであつた、彼は「上陸の目的は唯二つ先生と母とを訪ふ事のみ是を遂ぐれば陸上に用事なし」と言ひて直ちに去つて又世界の人となつた、昨年浦塩に来りし時余は彼に高等船員たる準備のため帰国を勧め彼は是に従ふ事となりしがこれは余の誤りであつた、彼は飽く迄水上に働く可きもので暫時た(610)りとも陸上に止まるは極めて不適当のものであつた、自身も是を知りて今春再び海上生活に入らんとの事に付直ちに之に賛成した、間もなく沢丸の運転士となり同船が伊国政府に傭はるゝと共に同国に赴き戦時勤務に服した、其最後の通信は「今や軍需品を満載して危地に向つて出帆す、思ふに或は此世に於ける最後の通信ならんも一歩先ちて聖国《みくに》に於て先生を待たん」との意味のものであつた、程なく同船の遭難の報を聞きて一度驚き又彼が一隻のボートを指揮して出でしとの事に一縷の望を繋ぎ何れの地よりか其通信に接し得る事と今日迄待ちしも遂に彼の言は事実となつた、彼はよく吾研究社を心に留めて最後迄書信を寄せしのみならず出発に際して家に遺せし遺言状の中にも吾社の事業を援くる為に寄附金を贈る事があつた由にて其令兄より送金された。
 家郷を出でしより彼の生涯は全く冒険の生涯にて遂に冒険を以て此世を終つた、帆船の航行、ナバリノ号乗組談も珍とす可きものであつたが沢丸以来冒険は愈佳境に入つた、而して期待せし冒険談を此世に於ては遂に聞くを得ない事になつて誠に痛心の事ではあるが併し彼は空しく大西洋の波に沈んだものではない、彼は彼の運命を只一隻のボートに托して渺漫たる大洋に心細く樟し出でたものではない、キリストイエスに依り宇宙を創造し万物を主宰し給ふ神に運命を托したものである、是に勝りて安全の生涯はない、高井君今や本望成就して主の許に召された、思ふビスケー湾の高波にボートを指揮して出でし勇敢なる青年高井君は為す可きだけを為し了し神に感謝の祈祷を捧げ其血色よき顔に輝く希望を湛へて此世を去られたであらう、而して今や主の御許に於て其書信の如く吾等を待つて居るであらう、茲に勇敢なる生涯は聖き優さしき信仰を以て終りし事を神に感謝する。
 
(611)     真善美の摂取と消化
         (三月三十日神戸女学院卒業式に於ける講演の大要)
                        大正7年5月5日
                        『教友』2号
                        署名 内村鑑三 口述
 
  兄弟《けいてい》よ、終に我之を言はん。凡そ真実《まこと》なる事凡そ敬ふべき事凡そ公義《たゞし》き事凡そ清潔《いさぎよ》き事凡そ愛すべき事凡そ善称《よききこえ》ある事総て如何なる徳如何なる誉にても汝等之を念ふべし(ピリピ書四章八節)
 パウロといへば全体に熱心なる人であるだけ狭い人のやうに思はれる。此人に由て基督教の教義殊に贖罪又は復活等が高唱せられたのであつて、彼はイエスよりも遥に狭い人物である。故に我等はパウロを去つてイエスに往かなければならないと言ふ声を能く耳にするのである。然るに彼パウロの書きしものを見るに彼は決して偏狭な人間ではなくして、却て同情の深き且智識の博き所謂|世界人《コスモポリタン》であつた事がわかる。而して其事を最も明かに示すのが此ピリピ書四章八節である。
 之に由て見れば、真理は何処にあると雖も、正義は何人に由て行はると雖も、其他凡ての美徳又は善行が何れの社会に属すると雖も、悉く之を念ふべしといふのである。茲に「念ふべし」とは原語にて「手帳に書き込む」といふやうな意味であつて、即ち「聞き棄てにするな」「取つて思想の材料とせよ」との事である。故にパウロの此語を我等の場合に適用するならば、たとへ真理又は公義が仏教に於てあるも神道に於てあるも或は我等クリスチヤンの普通蔑視する天理教に於てあるも、之を聞き棄てにすべからず、宜しく取て思想の材料とせよといふのである。実に人の思想の広度《ひろさ》を表はしたるものにして此語の如きはない。若し我等の目を広く開き耳を鋭くして聞かば、天下|何処《いづく》にか真理なく公義なき所あらんやである。而してパウロは教へて曰ふ、真善美は何処《いづこ》にありと雖も悉く之を摂取して己が思想の材料とせよと。恰も蜜蜂が原野を渉猟して蜜を探るに方り花を択ぶに及ばず、如何なる花と雖も若し蜜あらば之を収めて貯蓄の資とせよといふが如くである。クリスチヤンには此の|何処に至るも真理を吸収するの力《ユニブアーサルアブソルビングパワー》がなくてはならない。
 パウロは此処に真善美を六段に説いて居る。その中真実なる事及び敬ふべき事は主として宗教的真理である。公義き事(612)及び清潔《いさぎよ》き事は道徳的善行である。愛すべき事(人の心を引付くる事)及び善称《よききこえ》ある事(耳によき響ある事)は審美的美事である。即ちパウロの意味する所は凡て善き事といふ善き事は一切之を摂取せよといふのである。独り西洋の美点にのみ憧るゝなかれ。日本の家庭にも亦多くの善事がある。我等が母や祖母より受けたる教訓の中にも多くの貴き真理があるのである。而して之等のものも亦之を思想の外に撤回する勿れとパウロは薦むるのである。加之彼は更に以上を総括して曰く「すべて如何なる|徳〔付○圏点〕如何なる|誉〔付○圏点〕にても云々」と 徳といひ誉といひパウロの常に避けて用ゐざりし語であつた。何となれば之れギリシア哲学者の語にして不信者の道徳を意味するからである。然るに彼は今殊更に此語を用ゐて、たとへ不信者時代の徳又は譽と雖も亦之を棄つべからざる事を明かにして居る。此語は西洋諸国の如く永く基督教の感化力の下にありし人々にはよく分らない。然しながら我等日本の信者に取ては甚だ適切である。即ちパウロの教ふ処によれば我国の古き文学例へば平家物語太平記源平盛衰記等に記されたる道徳理想の如きも決して之を聞き棄てにすべからず、宜しく取て我等の深き思想の材料としなければならない。誠に同情と常識とに富む教訓である。
 而してか⊥る語を発したるパウロは所謂「教育を受けたる紳士《ぜんとるまん》」であつたのである。教育なき人はかゝる思想を抱く事が出来ない。教育の目的は限なき宇宙万物に係る知識を得る事にあるのではなくして、我等に見る目と聞く耳と而《そ》して消化するの力とを与ふる事にある。学校に在りて無数の事実《ふあくと》を学びつつある間に此の目と耳と心とが作られつゝあるのである。而して之を以て万事万物に向ひ、真理正義は其何処にあると何人に由て称へらるゝとを問はず悉く摂取するに由て、真の意味に於ける世界人《コスモポリタン》となる事が出来るのである。故にパウロの言は之を教育者の理想として認むる事が出来る。
 然しながらパウロの此教訓は更に他の語を以て補足しなければならない。若し真善美は何処《どこ》にあると雖も之を摂取するに止まり、之を消化して我|有《もの》とするの力なくんば、恰も多食して胃病に悩むと同じく、世に所謂大風呂敷の人たるに過ぎない。基督教可なり仏教可なり天理教可なりといひて、然らば汝は何を信ずるやの問に答ふる能はざる人の如きは其類である。真理は何処《どこ》にあるも之を求むべし然れども如何にして之を消化せん乎、之れ第二の大問題である。而《しか》して之を消化(613)するの力は世に唯一《たゞひとつ》あるのみ、一の外にはないのである。即ち神の子にして唯《ゆゐ》一の世界人たりし我等の主イエスキリストの精神である。之を以てして消化し得ざる世界思想はないのである。キリストの精神を以て臨まん乎、真善美は何処《どこ》にあるも之を摂取して我有と為し得ると共に悪思想は悉く之を排斥する事が出来るのである。我国の武士道に世界的価値あるを認め、又は日蓮、鷹山、尊徳等の世界的人物なるを認めた者は誰であつた乎、言ふ迄もなく少数のクリスチヤンであつた。之れ即ちキリストの精神を以てしたからである。同時に此精神を以てせばニーチエの如き基督教反対の論も亦決して恐るゝに足りない。キリストの精神を漲らしてのみ最も博く最も自由にして且最も強健なる思想を養ふ事が出来る。基督教の信仰は実に教育の根本問題である。
 
  〔基督教徒箱根修養会聖書講演〕
                          大正7年8月15日
                          『聖潔之友』619号
                          署名 内村鑑三氏
  第五回 講演会(七月卅日午後三時)
     再臨と聖書研究
 北海道に於ける私の再臨講演は毎会暑気甚しき日に際して大なる聴衆を得、今日も此暑気酷烈なる日に又多くの諸君と此処に相会するは私の大いに歓ぶ処であります。札幌に於ける講演会は世界的に名声を博せる学者達を前にして講演をなす次第でありましたが故に、私の有てる信仰と知識の凡てを放出して掛らなければならなかつた丈けに、骨の折れたことも一通りではなかつたのでありますが亦愉快なことも一通りではありませんした。自分は再臨の信仰を耻とせず、此学界のオソリチー連を前にして天然、歴史、社会万般のことを再臨の光りを以て説き明すと、友人にして四十年間相互に信仰談を続けて居つた或る博士が、光りに触れて内村君祈らうぢやないかと卅年振りに罪を悔改めて、祈り出しました。此(614)で以て見てもよく非科学的だ、非合理的だとよく云はれたものだと思はれる。又同旅行に於て再臨に対する反対もよく知ることを得た機会に接しましたが、反対者の多くは、再臨説に反対する前にもつと聖書を読んで来なければ話にならんと云ふことを教へられたのでありますが、或人の云ふのには、再臨のことは学者たる貴君方には解るが、我々の平《ひら》信徒には解るものでないと云つた人がある。此れは御挨拶で一国に住んで居つて、学者ならば解るだらうが、私平民には法律などは解るものですかと云ふと同じで又或る人は、其れはパウロが云つたことではありませんかと云つて斥けた 又甚だ奇異に感じたることは曩《さき》に我等を異端者呼りしたメソヂストの或る牧師に逢つて話して見ると自分は各々自分の経験に拠る信仰にあらざればと信じ難しと云ひ聖書よりは自分の考が進んで居ると云つて聖書を斥けるやうな論法を御出になつた人がある。其れで私の思つたことは、再臨を説く前に何々牧師だと云つて居る人々に聖書を先きに教へて、其れから説いてかゝらねば駄目だと云ふことが解りました。或る人が聖書中再臨のことが何処にさう八釜敷く書いてあるかと云つて尋ねたことがありますが、抑々新約聖書の開巻劈頭馬太伝の第一章の一節から、黙示録最終の文章中即ち『此事を証《あかし》する者いひけるは我必ず速かに至らんアメン主|イエス〔付傍線〕よ来り給へ』と再臨の文字を以て始まり再臨の文字を以て終る。されば其中間にある文字は是れ皆な再臨を説く文字ならざるはなしと謂つてもよい位である。されば馬太伝第一章の一節『|アブラハム〔付傍線〕の裔なる|ダビデ〔付傍線〕の裔《こ》|イエス、キリスト〔付傍線〕の系図』と云ふことが如何に再臨の意味を現はして居るかと云ふことに就ては少しく考へなければならない処である。大凡、聖書を見るに三つの方法を以てせねばならん。即ち聖書を|歴史的に、心霊的に、預言的に〔付○圏点〕見ねばならんことである。或る有名なる人が|キリスト〔付傍線〕の系図だけを見て、此れなればと云つて信仰に入つたと云ふことがある。系図のなかには、血をも受継いだことは勿論で信仰をも思想をも受け継いだ事は瞭かである。主の系図に就て見ると|ラハブ〔付傍線〕と云ふ娼婦の血、|ダビデ〔付傍線〕の姦淫したる汚れたる血をも主は受取つて下さつて十字架に磔《つ》いて下さつたと思へは一層感謝の念に充されざるを得ない。独逸では英、米で用ゐて居る高等批評と文字が無い 彼等はこれを歴史的研究と云ふ語を以てして居る。即彼等は聖書を歴史的にのみ解したから違つたのである。聖書の研究は前述の歴史的、(615)心霊的、預言的の三筋の綱によつて組まれてゐなければならないのに彼等は一方に偏して終つた。神の約束は|アブラハム〔付傍線〕より|ダビデ〔付傍線〕と成就されてゐるが|キリスト〔付傍線〕が王として全世界に君臨し諸国の民に大なる祝福を与ふるとの約束は再臨の日にあらざれば充されたと云ふことが難い。文学者乃至は美術家は|キリスト〔付傍線〕の理想を説くが未だ王としての基督の約束が成就せられてゐない。然し系図は之れが実現されることを預言してゐる。
 基督は未《ま》だ世の王として君臨して居給は無い 此度北海道に行つて驚くことは卅年前の室蘭と云ふ処は、蝦夷が帆立貝を送り出す処であつたのが立派な市が出来ると同時に英国と日本との協同で大砲を造る製鉄所が出来其隣りの苫小牧製紙場では政治家がやりそくなつた事を羅列する新聞紙を造る為に深林はどん/\伐採される 天然も栄《さかえ》の状態に帰る為に主の再臨を俟望んでゐる。神の約束は壊《こわ》つべからず、之は必ず成就すべき大事件である。聖書は初より終迄主よ来り給へと再臨に就き物語つてゐる。(文責在記者)
 
  第六 聖書講演会(七月卅一日午前九時)
 司会者 小原《をはら》十三|司《じ》氏
 講演者 内村鑑三氏
 リバイバル唱歌六十四番をも讃美せり。
 
     再臨宣伝の注意
       腓一〇六、哥一〇十四
 ある人は主|イエス、キリスト〔付傍線〕の日と主の日とを混じ易い。我儕はそれを区別すべし。旧約の主の日は大なる審判の日を意味して居る。新約の主|イエス、キリスト〔付傍線〕の日は主が我儕の心の中《うち》に始め給ひし工《わざ》を完成する日である。我儕は此二者を区別する必要がある。彼《か》のセブンスデーの人々は再臨を恐ろしい審判の日として世に紹介する。私共は聖書に此二つの思想がある事を否定する事は能きぬ。しかし再臨の日は我儕の救が完ふせられる日である。扨て此信者の恵まるゝ日と、不信の罰せらるゝ日とが同時に起るとしても又別に起るとしても我儕は躓く必要が無い。譬へば太陽は人類及草木に対しては実に祝福である、だが太陽の昇る事はモグラや其他の夜(616)の事を好む動物には詛《のろひ》である。さりとて私共は主の日の恐しさを不信者に説く事は無益である。私共はセブンスデーの如く人を驚かして信者を造る必要は無い。例せば無神論者|インガソール〔付傍線〕は有名な厳格な牧師の子であつた。無神哲学者|ニツチエ〔付傍線〕の如きも又これに類したる境遇に居つた人である。されば此事を説くに只人を驚かした丈けではいけ無い。
 我儕は再臨が愛の神より出たる最大の善き日である事を知るべきである。殊《とく》に恐ろしき日として伝へるのはいけない。
 
    再来の時期
 彼後三〇三−八。主の再臨の時機に就ては不明である。主は近し、速かに臨り給ふとある。|彼〔付○圏点〕後書も希伯来書も再臨の人の思に比して遅かりしために鈍《にぶ》れたる心を引締めんために書かれたものである 時の遠近は各自に由つて又其状態に由つて違ふ。健康の時は十時間も早くすぎて仕舞ふ。だが病人に取つては一時間は恐しく永い。病人を看護する時にも一時間は実に永い。時の長短はこちらの心の状態で違ふ。此の如き例は多くある。怠惰なる人には日は永い。時の問題其人の状態に由つて異なつて来る。時間は時計|計《ばか》りで計《はか》る事は能きぬ。再臨の近き遠きは信仰状態に由りて違ふ。科学上の遠近は神の智に由らざれば分らぬ。主は近しとは来年又は三年後の事では無い。昨年の九月十七日の世の末だと言はれた。此日には人々が驚いた。|ベンゲル〔付傍線〕は一千八百三十八年に主が来り給ふといつた。しかし其時再臨が無かつたために其他の保有すべき聖書註釈上の信用さへも失つた。我儕《われら》があざけられるは此点にある。これは人間の事ではならぬ。神に取りては一日は千年の如く一日の如くである。私共が人を信ずる時には其言で沢山である。財産を譲る事であれば、父が善い時に譲つてくれる。それを疑つて時間の事を八釜しくするはいけない。父が凡の事は善くなる安心せよと言はれたらば実に安心である。
 |イギリス〔付二重傍線〕に|マイヤー〔付傍線〕(?)といふ将軍があつた。彼は善き家庭を造つて居つた。彼れある時|ロンドンブリツジ〔付二重傍線〕といふ東京で言へば日本橋といふ様な繁華の処で午前の十時に其子供と落合ふといふ約束をした。子供は其父の約束を信じて遊んで俟つて居つた。処が父は来客があつたのですつかりそれを忘却して終つた。彼が其約束に留意したのは夜の十時頃であつた。だが主人は来客に其意を告げて子供に遇ひに往くと言出(617)した。客は大いに驚いて誰が今頃迄其父を俟つ様な事は無いと反問した。将軍は家庭習慣として決して約束を違へぬ事を注意し、直に馬車を駆つて約束の場所に往つた すると子供は案の如く父を俟つて居つた。将軍は直ちに其子を抱いてこれに接吻したと言ふ。我儕が再臨を俟つ態度もかくあらねばならぬ。人間の方で何年何月でなければならぬといふ様な事は慎むべきである。
 私の友でいつも北海道に来れ/\と切に招いてくれる人があつた。此度私が再臨運動のために北海道に行くと言ふてやつたのに今度は何とも挨拶をし無い。其処で私はプログラムを変更して更に要求の切なる関西地方に往つた。処が友人中では内村は変節漢であるとて雑誌の購読をも中止した者があつた。しかしそれと反対に『かく旅程を変更されたのは我儕が氏を迎ふるに熱心の足らざるものなり』とて更に同志を糾合して此運動の為に準備をした。それがために此度は意外なる成功を収める事が能きた。我儕は主を迎ふるに彼等の如くあるべきである。未だ主の約束の成就を見ずとも既に臨り給ひしと同様に思ふて彼の再臨を俟つべきである。(文責在記者)
 
     日本婦人と基督教
                          大正7年9月1日
                          『婦人画報』151号
                          署名 内村鑑三
 
    日本婦人の美点とする処
                                    私も最初は、日本婦人といへば、世界各国の婦人に此べて、甚だ劣つた、小さなものであると思つてゐました。それが私の誤りであつたことを覚つて以来、私は世界の文明諸国の婦人に此べて、我日本婦人は甚だ優れた幾多の美点を持つてゐることを思はずにはゐられなくなりました。これは私の真実の告白であります。
 即ち日本婦人の美点とするところは、第一に勤勉、第二に倹約で、その生活が男子に比べて実に質素なることであります。而もこれらの特長の上に更に輝いて居るものは、忍耐力の強いことゝ、犠牲の靖神に富むことであります。
 この自己に需むるところ尠く、夫並に子供等に与へんとするところ多き、そのけなげなる精神は、実に日本婦人の誇るべき美点で、私は母に於て祖母に於て、又多くの知人の家庭(618)に於て、数多く見た事実であります。西洋婦人とてもこれに類する者が幾多あるにはありますが、我国婦人はそれが彼女自身の天性の然らしむるところなので、この事については神に感謝せねばならぬところであると思ひます。
    外国宣教師の日本女子教育
 けれども、斯く美点を備へた日本婦人も、教育せずに、あるがまゝにあらしめたならば、決してその美点を発揮させることは出来ません。その教育に於ては、体育も必要でありませうし、智育も必要でありませうが、そのうちでも何よりもすぐれて必要なのは徳育、即ち霊の教育であります。そしてその霊育には何が最も適切であるかといへば、それはキリスト教であらねばならない、と思ふのであります。
 今日までの日本婦人の精神教育の率先者は、キリスト教の宣教師でありました。長崎、神戸、横浜のやうな開港場に来た外国宣教師が各々立派な女学校を設立して、そこで我が国の婦人に初めて構神教青を施した功績は、誰しも見逃すことの出来ない事実であります。私は先頃久し振りに関西の或るキリスト教の女学校に招かれて行きまして、その設備の完全であるのを見て、私立女学校にしてよくもかく完備してゐるものだと一驚を喫しました。この点に於ては、外国宣教師の労苦に対して私共の深謝するところ少なくないのであります。併しながら、それと共に見逃すことの出来ないことは、外国人によつて施された日本女子教育上の一大欠陥であります。
 
    外国人に解らぬ家族制度
 元来外国婦人、殊に米国婦人の如きは、日本人の人情習慣を解することが難く、日本婦人の本質を知らないで教育を施すものですから、教へることが徹底しないで却つて悲しむべき結果を招くのであります。ですから外国人自身は善良な教育を施したものと思つても、受けた側では、僅かに西洋文明の外面だけを取り入れたばかりで、その深いところに接することが出来ず、ために日本の道徳までも紊すやうな意外な悪結果を生ずることがあります。これは世人に、キリスト教なるものを誤解せしむる一つの原因であります。
 一例をあげますと、元来外国人は日本の家庭を解する力がありません。ことに女子教育の任に当る彼等の多くは独身婦人《ミス》でありますから、日本の夫婦関係とか家庭とかいふものが(619)解らう筈がありません。娩に英米婦人に取つては、結婚は絶対に自由で、個人主義によつてすべてが解決されるのであります。然るに日本の結婚は男女個人間の関係であるよりは寧ろ、家庭と家庭との関係であります。この点などは米国の社会組織と日本のそれと大なる差別の存するところであります。米国人の立場から見れば、個人以外に恋愛の問題を考へようとはしないので、それがまたキリストの観方であると思つてゐます。併しながら、キリスト教には個人主義ばかりでなく、国家主義もあれば、家庭主義もあり、民族主義もあるので、米国人の考へるやうに個人主義がキリスト教の総てゞは決してないのであります。ですからキリスト教と米国教とを混同して考へられては甚だ迷惑な次第で、我が国に於て外国宣教師より精神教育を受けた婦人が、往々道を誤るのは、多くこの米国教に帰因するところが少なくないのであります。
 
    誤れる個人主義の基督教
 それならばキリスト教によつて女子を教育するのはよくないかといふに、決してさうではありません、寧ろ日本婦人の美点を一層発揮させるものであると思ひます。語を強めていへば、キリスト教でなければ日本婦人の本質を真に発揮せしめる方法はなからうと思ふくらゐであります。一例をあげますと、誤つたキリスト教の感化を受けた婦人は、未亡人となつて後自分は夫に嫁したもので家に嫁したのでないといふやうな考へから、夫の親や子供をも捨てゝ他に嫁ぐやうな極端な個人主義を行ふことがありますが、然し純正なキリスト教の感化によつて人格を鍛えあげた婦人は、常人では迚も辛抱し切れないやうなむづかしい家庭にあつて、心中少しの苦悶もなく、いつも平和に家族と相親しみつゝ自分の職分を立派に行つて参ります。これはキリスト教が家庭的の日本婦人をしてより一層その本質を発揮せしめるからであります。この平和なる心、他を抱合するやうな温情は、日本婦人の犠牲に富む美しい本質を益々良くするもので、これ愛を根本とするキリスト教の感化でなくて何でありませう。
 
    武士道を更に基督教化し
 世界中で最も尚ぶべきものは武士道であります。その武士道のキリスト教化されたものは、より一層尚ぶべきものである、といふのが私の持論であります。それと同じやうに、世(620)界の婦人で最も尚ぶ可きものは日本の婦人で、キリスト教化された日本婦人は一層貴いものであります。
 キリスト教が外教であるといふやうなことを顧慮する時代は既に過ぎ去りました。此の教へが世界の教へ、人類の教へ、すべての宗教のなかで最も高く深く大なるものであるといふことを知ると共に、我が国民の上に、婦人の上にこの教へを施して、世界第一等の国民を造る本源としたいものであります。ですから誤れるキリスト教、浅薄なるキリスト教、例へば個人主義的のキリスト教の如きものを女子教育の最善なものと思つてゐる外国宣教師には、日本婦人の特質をよく研究して貰ひたいし、これらの誤れる教へによつて感化された女子の行為をのみ見てキリスト教の全般を知らない人には、その誤見を捨てゝ共に我が国の婦人をより完全に教導するために、正しい愛に基くキリスト教の必要なることを覚つて貰ひ度いのであります。
 
     滅亡の日来る時
                          大正7年9月13日
                          『護教』
                          署名 内村鑑三氏
 
  汝らは主の日の盗人の夜きたるが如くに来ることを、自ら詳細に知ればなり。人々の平和無事なりと言ふほどに、滅亡にはかに彼らの上に来らん、姙める婦に産の苦痛の臨むがごとし、必ず遁るゝことを得じ。されど兄弟よ、汝らは暗に居らざれば、盗人の来るごとく其の日なんぢらに追及くことなし、それ汝等は、みな光のこども昼の子供なり。我らは夜に属く者にあらず暗に属く者にあらず。されば他の人のごとく眠るべからず、目を覚して慎むべし。 テサロニケ前書第五章
 凡ての物は皆進化する。然し聖書の中には何事も不意に来る、と録されてある。私は信者になつてから四十年の長い経験のうちで、此の二点を調和させることが出来なかつた。
 天地間のあらゆる進歩は、かの地震学に於ても大森博士の如き権威を出し、幾年かの後の地震をも予測する事が出来る様になつて、何事も不意に来ないといふ事を語つて居る様に(621)見える。殊に近世科学を学んだものは、凡ての物が進化的に来ることを胸に刻むでゐる。そして今迄は色々に何とか解釈をつけて来た。けれども聖書の中にはダマスコに於けるパウロの如き、神の働きが不意に来ることを教へて居る。これらの事はもつと平易に書いて貰はうと思うても、聖書は夫を許さない。
 神様があることをなさる時は、初めに徐々の進化をあらはしなさる。然し大なるステツプをなさる時は不意になさるのが例である。理論は兎に角事実に於て、紙は不意に「汝わがもとに来れ」と仰つて私共をお捉へになる。諸君のうちには、曾て「何年何月何日私は神に救はれた」といふ様な証を、聞かれた方があらう。何事もそう/\順序的にはゆかないのである。我々は冬になつて氷の張ることを知つてゐるけれども、夫が三十二度を過ぐる時、又春が来て夫が解ける時に不意の変化を認める。北日本に住む者は春より夏になる時、秋より冬に至る時、特に自然の推移の速かなことを教へられるだらう。
 和蘭の学者ド フリースは、ミユーテーシヨン、セオリースに於て、物事の不意に来ることをも認め新しい進化を唱へてゐる。
 聖書は又かく言ふ「人々の平和無事なりと言ふときに滅亡、にはかに彼らの上に来らん」と教へる。学問にそむかうが哲学に背かうが、事実は如何する事も出来ない。あの神戸の暴動の実見者の話にかの鈴木商店の主人が、自分の身を危しと言うて東京に逃れて来た。そして宿を求めに行つた所が何処の宿でも「どうぞ御免下さい」と言うて宿泊を断はられ、止むなく興津にいつたけれども、東京と同様であつたと言ふことである。
 彼程の富があるに関はらず、一夜のうちに我々貧乏人と同様な扱ひ、否夫にも増した扱を受けなければならなくなつた。無事なり、平和なりといふ時に亡びが来たのである。何億円かの所有者が不意に亡ぼされ、「凡て金」なりといふ近世文明が破れたのである。
 世界第一の皇帝と言はれ、一億七千万人の死活の鍵を握つてゐた露国皇帝其の人が、一ケ年立たぬうちに彼自身が人に捉へられ、辺土に送られて遂にあの様な最後に終つた。無事平穏、露帝万歳といふ時に、露帝自身不意に亡ぶの日が来た。是は恐るべき事実である。(622)一商店 一皇帝のみではない。世界中が亡ぶ日の来ることに頓着なく、皆安心してゐるのだ。地質学者は、皆進化的に来た此の世界は決して亡びないと思うてゐる。然し前二者に照して見て、如何して此の世界が亡びないと言へよう。
 この偉大にして美しい世界を、誰が支配してゐるか、義人か、聖人か、否神をおそれぬ自己中心者が支配してゐるのではないか。私はかつて或る豪農と語りながら、畑道を歩んでゐた。私は其の人に色々な質問をした。誰が彼に此の土地を与へるのか、誰が彼に陽や雨を与へるのか。土地にしても陽や雨にしても、亦彼のつくる所の米にしても神様がなさる事である。けれども此の美しい自然を頂いて居る地主等が神様に何を献げてゐるだらうか。
 基督者《くりすちやん》である其の人は、他の人よりも其の土地に対する感謝をより多く献げてゐるには違ひない。然し神様の与へ給うた国にある人々が、神様の前に献げて居る物の如何に少いか、思ひ半ばに過ぎないであらう。神様の御用の為に金を集める時は、数千円の金を集めるにしても容易ではない。けれども西伯利亜出兵と言へば、千万円の金は立どころに出来るのではないか。
 無事なり、平和なりと言ふ時に、亡びは来る.聖書は事実である。我々は準備せねばならぬ、おどかすのでない。悔改めなさひと言ふのではない。
 神の愛と罪の救を自覚して、亡びの日|来《きた》るとも主を信じたる僕となり、新しき王国が来た時に聖なる民となつて義を其の胸に宿すことが出来る様に祈らなくてはならない。(軽井沢日本人教会に於ける説教概略 文責伊藤生にあり)
 
(623)     禁酒禁煙に関する所感
                           大正8年5月1日
                           『国の光』311号
                           署名 内村鑑三
 
 私自身は禁酒主張者であるのは最も好い経験を有するからである、私の基督信者となりて以来茲に四十一年であるが、其れ以来一滴の酒を飲まざりし為め非常なる幸福を得た、此の四十年の間に重き病気に罷りたることも二三回あつたけれども何時も禁酒せるが為めに薬の効能もあつて危険を免れたのである、家庭幸福の大部分は皆禁酒の結果に基かざるはない、普通に家庭平和の根本は何かといへば禁酒すること、一夫一婦の清潔を守ることゝに由つて得らるゝ幸福であると信ずる、私が今日の家庭幸福は青年時代より此の禁酒の実行によつて得たる賚ものであつて、私の代になつては盃は勿論燗鍋徳利など一切の酒器は影をも留めないやうに破壊放棄した結果として此の最大幸福を得たのである。
 然らば此の四十年来禁酒を実行したことは容易なことであるかといへばどうして/\なか/\容易なことではない、神の特別の力を仰がずして此事を為し得らるゝものではないと断言せざるを得ぬ、若も神を信ずるの信念なくして禁酒を実行せんとするか、非常の困難を来すのみならず仮令努力するも失敗に陥る外はないといふ経験を私は深く味ひ得たるものである、故に禁酒は神の道を信ずると同時に行はるべきものであつて信仰を離れては行ひ難きものであるから、福音の信仰と禁酒の事と併行せぬとならぬ、即ち禁酒は信仰の結果であると自らが信ずるから之を自分に実行するばかりでない他にも及ぼさんとするのである、只禁酒々々といふても根蔕《こんてい》なき禁酒は功力甚だ薄いと思はるるから真正に禁酒を感ぜしむるには信仰の必要を深く思ふのである。
 這度《このたび》米国に於て国家的禁酒を大胆に断行したといふことは米国の道徳心が然らしめたるものであつて、只経済的、社会的で茲に至つたとは思はれぬ、其通徳心の発達は何れより来れるかといふと、一千九百年間のキリストの福音によつて養成せられたる其信仰の流れが存在して居つたからである、之を離れて禁酒を実行せんとしても決して行はるべきものではない、国家的禁酒は米国に於ける神の道に由つて作り上げられたる結果に外ならぬのであるから、若も神の道を離れ信仰を怠りて禁酒を為さんとせば、社会の改良も経済の道も行は(624)れず道徳の流れが其源を涸らされて水なき川の如くなるは必然の理勢である、即ち信仰なければ道徳の原動力が涸渇して役に立たぬと思はるゝ 如何にして米国の如く国家的禁酒を実行することが能ようか、我国にても禁酒に就ては凡ての手段を講ずることは固より必要ではあるが、先以て酒といふ大蛇を截るの武器は基督教の聖書に在る真理精神である、此の福音の利器を除いては外に何物もないと思惟して居る。
 私自身禁酒を主として居るが先づ此の聖書を以て日本国民的教科書として信仰を促し、只社会的、経済的にのみ重きを置かず、国家的永遠の幸福を期して信仰に因つて道徳を増進し而して禁酒を励行せしめなば必ず成功ある結果を見るは信じて疑はざる所である、斯の如くにして禁酒と基督の福音とは離るべからざるものなるに拘らず、私の見聞する所に由れば基督信者にして禁酒の必要を説き之れを励行せしむべき責務のあるものが其実行を怠り段々と禁酒を守るの構神が薄らぎつゝあるは慨歎に堪へざる次第である。
 其の一二を挙れば基督信者にして来客に酒を呈するものが珍らしくない甚しきに至つては之を飲みて恥とせず、其最も甚しきに至つては身を教職に置きながら酒盃を挙げて害毒を見認《みと》めぬといふものに至る、是は実に非常な事であつて大に戒めざるを得ぬと思ふ、私は考ふるに社会の為め国家の為め真正の幸福を望む基督信者たるものは各自厳密に禁酒を実行せざるを得ぬ、特に教職に在るものは尚更己自身が実行するのみならず、凡ての場合に於て禁酒を勧め飲酒を戒めざるを得ぬ、此問題は決して小問題ではない 社会改良、国際聯盟を叫ぶよりも順序として甚だ切要なる大問題である、若も此の問題の実行が出来ぬものであるならば何うして社会改良とか国際聯盟とかいふ彼《かれ》の問題を実行し得ようか、有名なる教師の家庭に於て其子の放蕩の為めに世間に耻を晒して居るものがある、是等の事は其元たる他の原因ではない皆飲酒を罪悪と見認めぬ所より生ずる結果であると思はる。
 私は亦禁酒とともに禁煙を主張するものである 何となれば喫煙は飲酒の姉妹と見るべき罪悪である、私も時には小問題と見て之れに触つたことが一二度もあつたが、其れは私が不眠症を煩へる時友人の勧めに依りて之れを試みたることあるも、後に及んで身体に非常の害毒であることを悟つたのであるが、此の極めて小なるが如きことが道徳上大なる関係を有するのである、私の家は幸ひに酒は四十年前全廃し煙草は(625)二十年間禁止し、爾来煙草の烟りが一たびも家内に立ち登つたことなく酒の臭が一回も室内に漾《たゞよう》たことのない実に幸福な家庭であつたから人々にも此事を励行せしめたい。
 要するに福音と禁酒禁煙とは併行すべきものであつて禁酒禁煙のなき基督信者は甚だ危殆である代りに福音の信仰なき禁酒家は最も危殆である。
 序に一言して置きたいものは飲酒と喫煙と関聯して害を生じ易きものは劇場観覧、活動写真見物、小説耽読、安息日を守らぬの類は皆福音信者の慎戒すべきものである。(完)
 此の感話の終りに内村先生曰ふ 私は図らずも大なる禁酒宣伝の媒介を為したものがある、其れは何かといふと当時|種々《いろ/\》の新聞にも記載せられてあつたが、一子《せがれ》祐之が第一高等学校に於て野球の選手とせられんことを某氏《それがし》より相談を受けた、其時私は、第一学問勉強を妨げぬ事。第二安息日を厳守する事。第三|団体《チーム》禁酒の三箇条を誓約し置かば選手たらしむるも宜しと回答を与へしに第一第二の件は即時に承諾せられたが第三の団体《チーム》禁酒の一箇条即答なり難しとて去りたるが、其後三週間許経つて其れでも宜しいというて遂に伜を選手とすることを許してやつたが、其れが為め基督信者の選手者両三名皆禁酒し、野球競技後の宴会に固く禁酒を実行され、勝利の結果第一高等学校生に禁酒の実績が挙り、多くの禁酒学生を出したりと伝へられた、是は必竟厳粛なる家庭の慣習より誓約が行はれて思はざるに禁酒運動を助成したのであると一笑せられた。(校閲を経ず 責は記述者に在り)
 
      〔2023年5月21日(日)午前9時45分、入力終了〕