内村鑑三全集25、岩波書店、651頁、4800円、1982.9.24
 
一九一九年(大正八年)六月より一九二〇年(大正九年)一二月まで
 
凡例………………………………………… 1
一九一九年(大正八年)六月―一二月
Glorious Days.光明の日…………………… 3
安全の地位 他……………………………… 5
安全の地位
排斥と説教
排斥と宣揚
教職心理
唯一の信仰
信じ難き信仰
十人童女の譬喩 馬太伝第二十五章一―十三節の研究……11
死後の生命……………………………………17
人類最初の平和会議 創世記第十一章一―九節の研究……24
ダビデの牧羊歌 詩篇第二十三篇の研究…31
基督教界革正の必要…………………………36
排斥日記………………………………………42
『人道の偉人 スチーブン・ジラードの話』……44
『模範的実業家 スチーブン・ジラードの話』はしがき……45
American Money and Gospel.米国人の金と其福音……46
平和来 他……………………………………48
平和来
基督者の義
文学者の信仰
神の愛 約翰第一書四章七―十二節の研究……52
人類の堕落と最初の福音 創世記第三章の研究……58
独逸の復活 他………………………………70
独逸の復活
教会
Faith and Institution.信仰と制度………72
健全なる宗教…………………………………74
天国の市民と其栄光…………………………78
信仰の三角形 約翰第一書の根本教義……84
希望と聖徳 約翰第一書二章廿八節―三章三節……90
所謂「再臨説の粉砕」に就て………………96
山上雑話………………………………………98
『日本及日本人』の質問状への回答…… 100
God is Faithful.神は誠信なり………… 101
神第一 他………………………………… 103
神第一
神人交通の途
霊肉の関係
聖書無謬説に就て………………………… 106
主の祈祷と其解釈………………………… 110
知識の本源………………………………… 124
屍のある所に鷲集らん…………………… 131
清秋雑感…………………………………… 134
秋来る……………………………………… 136
Death the Beautifier. ………………… 137
信仰と神学 他…………………………… 138
信仰と神学
赦さるゝ時
満腔の満足
モーセの十誡……………………………… 141
 モーセの十誡総論
 十誡第一条第二条
 十誡第三条
 十誡第四条
 十誡第五条
 十誡第六条
 十誡第七条
 十誡第八条
 十誡第九条
 十誡第十条
 律法と福音
煩慮と平安 腓立比書第四章四―七節の研究…… 206
賛成の辞…………………………………… 210
Greeting from Switzerland.瑞西大家の同情…… 212
拾珠録(1) 哥林多前書第一章より … 214
美はしき死 小出義彦君を葬るの辞…… 218
〔座古愛子著『父』〕序文……………… 221
『信仰日記 附歌こゝろ』……………… 223
『信仰日記』に附する自序…………… 224
The Will of God.神の聖意……………… 226
唯信ぜよ…………………………………… 228
拾珠録(2) ……………………………… 230
一九二〇年(大正九年)
I Cor. I. 30 Paraphrased.哥林多前書一章三十節の解訳…… 235
美術としての人生 他…………………… 237
美術としての人生
神の聖意
宗教とは何ぞや…………………………… 239
Reconstruction and Conversion.改造と改心…… 242
余輩の立場 他…………………………… 244
余輩の立場
基督教と幸福
宗教の二種
罪の赦し…………………………………… 248
完全なる救拯……………………………… 254
ベツレヘムの星…………………………… 262
信仰復興の真偽…………………………… 270
誹る者と誉める者………………………… 274
Emancipation.解放 ……………………… 276
水と霊 他………………………………… 278
水と霊…………………………………… 278
信仰と知識……………………………… 279
ダニエル書の研究………………………… 282
 但以理事第一章之研究
 但以理書第二章の研究(上)
 但以理事第二章の研究(下)
 但以理書第三章の研究
 但以理事第四章の研究
 バビロン城の覆滅
  但以理所第五章の研究
 獅子の穴に入れるダニエル
  但以理所第六章の研究
慾と患難…………………………………… 333
現状と希望………………………………… 336
Democracy and Christ.デモクラシーとキリスト…… 338
聖霊の降臨に就て………………………… 340
理想と実際………………………………… 344
講演の困難………………………………… 347
Unity of the Bible.聖書の単一 ……… 348
総て善し 他……………………………… 350
総て善し
文学者の基督教
ペンテコステの出来事 使徒行伝第二章の研究…… 354
信と行……………………………………… 361
Paul a Samurai.武士の模範としての使徒パウロ…… 362
潔と愛……………………………………… 364
教会建設問題……………………………… 365
約百記の研究……………………………… 368
 第一講 約百記は如何なる書である乎
 第二講 ヨブの平生と彼に臨みし患難
     約百記第一章二章の研究
 第三講 ヨブの真実
     約百記第三章の研究
 第四講 老友エリパズ先づ語る
     第四章、五章の研究
 第五講 ヨブ再び口を啓く
     第六章、七章の研究
 第六講 神学者ビルダデ語る
     第八章の研究
 第七講 ヨブ仲保者を要求す
     約百記第九章の研究
 第八講 ヨブ愛の神に訴ふ
     約百記第十章の研究
 第九講 紙智の探索
     約百記十一章、十二章の研究
 第十講 再生の欲求
     約百記第十四章の研究
 第十一講 エリパズ再び語る
      約百記第十五章の研究
 第十二講 ヨブ答ふ(上)終に仲保者を見る
      約百記第十六章の研究
 第十三講 ヨブ答ふ(下)遂に仲保者を見る
      約百記第十七章の研究
 第十四講 ビルダデ再び語る
      約百記第十八章の研究
 第十五講 ヨブ終に贖主を認む
      約百記第十九章の研究
 第十六講 ゾパル再び語る
      約百記第二十章の研究
 第十七講 ヨブの見神(一)
      約百記第三十八章の研究
 第十八講 ヨブの見神(二)
      約百記第三十八章の研究
 第十九講 ヨブの見神(三)
      約百記第三十八章の研究
 第二十講 ヨブの見神(四)
      約百記第三十八章三十九節より四十二章六節に至るまでの研究
 第廿一講 ヨブの終末
      約百記第四十二章七節以下の研究
基督再臨の二方面………………………… 491
The Test of Faith.信仰の試験………… 497
第弐拾年号 他…………………………… 499
第弍拾年号
信者か人か
イエスの誡
救拯の確証
基督教の競争者
『研究第二之十年』……………………… 504
序言……………………………………… 505
再版の序文
再版に附する序……………………… 509
Forgiveness of Sins.罪の赦し………… 510
善きサマリヤ人…………………………… 512
夏期雑感…………………………………… 514
想秋録……………………………………… 517
『山上の垂訓に関する研究』…………… 518
緒言……………………………………… 519
Not to Be a Christian.基督信者たらざらん事を…… 520
誤解の恐怖 他…………………………… 522
誤解の恐怖
聖書道楽
イスカリオテのユダ…………………… 523
ベタニヤのマリヤ
新約聖書大観……………………………… 526
 
 
基督再臨の兆……………………………… 545
『モーセの十誡』………………………… 551
はしがき………………………………… 552
基督教宣伝と日本文化…………………… 553
Goho, A Confucian Missionary.儒教宣教師呉鳳…… 565
信仰と迫害 他…………………………… 568
信仰と迫害
財界の王と信者
必ず聴かるゝ祈祷
神の道と人の道…………………………… 572
America and Japan.米国と日本………… 576
栄化の順序 他…………………………… 579
栄化の順序
単独の幸福
直覚と実験
平康と患難
信者の静養………………………………… 583
近代人の聖書観…………………………… 584
悲歎と慰藉………………………………… 586
『東京朝日新聞』の質問への回答……… 590
敬愛する木村君…………………………… 591
Japanese Christianity.日本的基督教… 592
年末の辞 他……………………………… 594
年末の辞
結婚の神聖
天然と神
ベツレヘムの星
パウロとバプテスマ問題
婚姻の意義………………………………… 598
希伯来書に於ける永久性………………… 602
永生の意義………………………………… 604
一致協力の基……………………………… 606
別篇
付言………………………………………… 609
社告・通知………………………………… 612
参考………………………………………… 617
Biographical Record of Graduates and Former Students. 1920.…… 617
 
一九一九年(大正八年)六月―一二月
 
(3)     GLORIOUS DAYS.光明の曰
                         大正8年6月10日
                         『聖書之研究』227号
                         署名なし
 
      GLORIOUS DAYS.
 
 The times are hard,the days are dark,the churches are corrupt,and the pastors are sleeping;but thank God,the people are awakening to the Light of the Gospel.God is owning Japan as His own;He is callingher to Himself, directly without the instrumentality of churches and their hired ministers. The sons and daughters of Japan are awakening to their sense of responsibility;and despising the help of missionaries and churches founded by foreigners,are entering the service of the Gospel. The new days of true religious revival are at hand.Japan is becoming a Christian nation,independently,by her own children. Oh,glorious days! We are going to see the days of the national assimilation of Christianity, as was done in the case of Buddhism,in the days of Honen,Shinran and Nichiren.
 
(4)     光明の日
 
 時は困難である、日は暗くある、教会は腐敗して居る、牧師は寝つて居る、然れども神に感謝す 国民は福音の光に目醒めつゝある、神は日本国を御自身の有として要求し給ひつゝある、彼女を御自身に招き給ひつゝある、直接に、教会と其雇教師の手を経ずして。日本国の男子女子等は其責任を覚りつゝある、而して宣教師と外国人に由て設けられ且つ育られし教会との補助を拒絶しつゝ福音宣伝の業に就きつゝある、真の信仰復興の日は近づきつゝある、日本国は全然独立して彼女自身の子等に由りて基督教国と成りつゝある、あゝ光明の日よ、我等は日本人が国民として基督教を同化するの日を見んとしつゝある、恰かも法然、親鸞、日蓮の日に於て彼等が仏教を同化せし如くに。
  過去四十年間、昼望み、夜夢みつゝありし日は終に来た、日本は霊に目醒《めさ》めて、外国人の手を藉ずしてナザレのイエスを其救主として仰ぐ日が到来した。
 
(5)     〔安全の地位 他〕
                         大正8年6月10日
                         『聖書之研究』227号
                         署名なし
 
    安全の地位
 
 自分で択んで従事したる伝道でない、神に余儀なくせられて就いた此職である、故に人は何人と雖も之を我より奪ふ事は出来ない、亦我れ自身と雖も之を廃《やめ》んと欲して廃る事が出来ない、我れ我が職に忠実にして世界は総掛りとなりて寸毫たりとも我を動かす事が出来ない、「神は我等の霊魂を生存《ながら》へしめ、我等の足の動かさるゝ事を許し給はず」とあるが如し(詩篇六十六篇八節)、神の定め給ひし地位に立ちて我に競争者あるなし 所謂運動の必要あるなし、「汝(神)に選ばれ汝に近づけられて大庭に住《すま》ふ者は福ひなり」とあるが如し(同六五篇四節)、実に神に選ばれて我は狭き競争場裡に働く者に非ず、広き大庭に住ふ者である、斯くて他に対して寛大であり得る、敵に対して忍容であり得る、大なる平安は我心の底に宿り、巨浪《おほなみ》我身を掩ふも我衷に平穏の隠所《かくれが》がある、神に択ばれ彼に遺されたのである、人は我を如何ともする事が出来ない、然り神の据え給ひし磐に当る者は陶工《すゑつくり》の器具《うつはもの》の如くに自《みづ》から己《おの》が身を打砕くであらう。
 
(6)    排斥と説教
 
 教会の監督牧師長老等は能く余輩を排斥する事が出来た、然し乍ら余輩に代て聖書を講じ福音を説く事が出来ない、彼等の内に数多の神学博士あるに非ずや、然るに其一人たりと雖も余輩の去りし高壇に登りて余輩が為せし丈けの事をすら為し得る者がない、是れ確に彼等が神に棄られし証拠ではない乎、排斥運動は誰にも出来る、|然り排斥運動の達人は悪魔である〔付△圏点〕、然れども神に愛せらるゝ者のみが能く有効的に連続して福音の真理を講ずる事が出来る、心に聖霊を宿すにあらざれば感謝と歓喜と満足とを以て聖書を連続的に講ずる事が出来ない、噫余輩の排斥者よ、汝等何故に余輩の去りし高壇を充たす能はざる乎、汝等の福音は何所に在るや、国民は神の言を聞くの饑饉に苦しみつゝあるに非ずや、排斥運動のみが汝等の能事なるや、噫我等は汝等の口より出づる生命の言を待ちつゝある、汝等之を有せざる乎、然らば汝等の職を去れよ、噫バアルの預言者等よ、我等は汝等の奮起を俟ちつゝある。
 
    排斥と宣揚
 
 歴史有て以来未だ曾て有力教会の排斥に遇はずして新宗教の興りし例あるを聞かない、猶太教の排斥に遇ふて基督教興り、天主教の排斥に遇ふてプロテスタント教興り、英国々教会の排斥に遇ふてメソヂスト教、バプチスト数等の新信仰が興つた、其他我国に在りても浄土宗日蓮宗等の興りしも皆然らざるはなし、而して余輩幸にして我国今日の組合教会、メソヂスト教会、日基教会等の排斥に遇ふて自身、新信仰出現の栄誉に与りつゝあるに(7)非ずやとの感を懐かずんばあらず、微弱なる是等の諸教会、之を有力教会と称するの甚だ不当なるを知ると雖も、彼等の排斥も亦多少新信仰の興起を援けざるに非ず、是等の諸教会も亦神の聖手の内に存して或る種の善事を為しつゝある、彼等は光を排斥して光の宣揚を援けつゝある、「光は暗《くらき》に照り暗は之を暁らざりき」とある(約翰伝一章五)、或は言ふ「暁らざりき」は「抑へざりき」と訳すべしと、然り暗は光を抑へんと欲して却て之を揚げつゝあるのである。
 
    教職心理
 
 基督教青年会の高壇は素々基督教を講ずる為に設けられたる者である、然るに今や其の基督教の為に用ゐらるゝ事極めて稀にして、芸術の為に、政談の為に、殖産の為に、然り時には仏教の為に、神道の為に用ゐらるゝを常とする、基督教青年会に於て基督教は弱くして基督教以外の者が強くある、而して其聖壇が常に汚されつゝあるに関はらず監督牧師神学博士等が之に対して未だ曾て一回も非難の声を挙げしことあるを聞かず、然るに偶々余輩が之を利用して、一年有半に亘りて連続的に其の上より聖書を講ずるや、彼等は異口同音「蜂の巣を突きたるが如」くに余輩を排斥し、余輩が終に之を去らざるを得ざるに至て彼等は始めて平安を得たり、奇異なるは是等教職輩の心理状態である、彼等が嫌ふ者にして他人に由て伝へらるゝ基督教の如きはない、|基督教青年会の高壇の尺八浄瑠璃の演奏の為に用ゐらるゝ事を拒まざる牧師監督等は余輩が之を聖書講演の為に用ゐる事を拒むのである、奇なる哉〔付△圏点〕。
 
(8)    唯一の信仰
 
 信仰は多種ではない、唯一である、米国人の信仰あるなし、英国人の信仰あるなし、日本人の信仰あるなし、又商人の信仰あるなし、労働者の信仰あるなし、農家の信仰あるなし、官吏の信仰あるなし、華族の信仰あるなし、平民の信仰あるなし、信仰は唯一である、信仰は之を懐く者の人種又は職業又は階級に由て異らない、信仰の貴きは之が為である、信仰は唯一なるが故に之に由て四民平等、四海皆兄弟たるを得るのである、然らば唯一の信仰とは何である乎、余は之を加拉太書第二章二十節に於て見る、曰く、
  我れキリストと偕に十字架に釘けられたり、最早我れ生けるに非ず、キリスト我に在りて生けるなり、今我れ肉体に在りて生けるは我を愛して我が為に己れを捨し者、即ち神の子を信ずるに由りて生けるなり
 是は信仰であるよりは寧ろ実験である、実験より出る信仰である、此信仰の有る者が信者である、此信仰の無い者は信者でない、信者はすべて此信仰の上に立ち、此信仰に由て生くるのである、而して此信仰は学問に由て得らるゝ者でない、聖霊の働きに由り神の賜物として信者の心に起る者である、故に貧富、智愚、上下の差別なくすべて神の択み給ひし者の心に起る者である、而して信仰であつて学説でない、「如何でも可い者」でない、信仰であるが故に生命である、故に死を以て守るべき者である、キリストと彼の十字架、是れなくして基督教は無い、基督教は倫理でない道徳でない、慈善でない社会改良でない、政治でないデモクラシーでない、キリストと其十字架を基礎とする救済と希望と歓喜とである、而して此信仰がありて凡の書き行為《おこなひ》が自づから湧出るのである、此信仰がありて学者は善き学者たり得べく、労働者は善き労働者たり得べく、各自其職に在りて最も完全に(9)其職務を果たし得るのである、実にパウロは「我れキリストと彼の十字架に釘けられし事の外は何をも知るまじ、と意《こゝろ》を定めたり」と言ひて万事を言尽したのである。(鉄道ミツション集会に於て述べし所の大意)
 
    信じ難き信仰
 
 キリストは再び臨り給はないと云ふことは誰にでも出来る、是れ何等の信仰をも要せずして何人も言ひ得る所である、故に不敬虔の不信者、不信仰の教会信者等は何の憚る所なくしてキリスト再臨の如き到底有るべからざる事なりと唱ふ、然し乍ら難きはキリスト再び臨り給ふと言ふことである、是れ強き確信なくして言ふ能はざる事である、縦し迷信であるとするも心に大に期する所なくして唱ふる能はざる事である、「キリスト再臨せず」と、斯く唱ふれば安全である、彼は容易に臨り給はない、世も亦再臨を信ぜず之を望まない、世の信ぜざる事を我も亦信ぜずと言ふ、如何なる信仰的弱虫と雖も斯く唱へて何の憚る所はないのである、善事は遅滞し易し、宇宙最大の善事たる基督再臨の遅滞し易きは勿論である、而して此遅滞し易き善事の到来に関し失せなんとする信者の希望を維持するのが教師の職務である、然るに教師自から進んで主は臨り給はず彼を待望むは迷信なり再臨の希望の如きは之を抛棄するに如かずと云ふ、斯くして教師は其職務を抛棄するのである、彼は自身信仰的努力に堪ゆる能はず、故に自身先づ信仰を去りて他に亦去らんことを勧むるのである、信じ難きを信ずるのが信仰である、望み難きを望むのが希望である、然るに信じ難きが故に信ぜずと言ひ望み難きが故に望まずと云ふ、然らば信仰も希望もあつたものにあらず、茲に至て宗教は化して政治となり、人はたゞ見ゆる所にのみ従つて歩めばそれで安全なるのである、然し乍ら政治は宗教の用を為さない、人の霊魂は深き強き信仰を要求する、彼は信仰(10)の努力を喜ぶ、信じ難きを信じ望み難きを望まんと欲する、アブラハム神を信じければ神は其信仰を義とし給へりと云ふ、キリストの再臨、信じ難きは勿論である、然し乍ら之を信じ得て感謝し、望み得て聖潔《きよめ》の霊の我に宿りしを知るのである、迷信と云ふ、然り、|信ぜざる者の立場より見てすべての信仰は迷信である〔付△圏点〕、我等は己れに「迷信」の護るべきあるを感謝すべきである。
 
(11)     十人童女の譬喩
        (三月九日) 馬太伝第二十五章一−十三節の研究
                    大正8年6月10日
                    『聖書之研究』227号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 イエスの終末観を伝ふる馬太伝二十四五両章中に三個の譬喩がある、其第一は僕の譬喩である(廿四章四十節以下)、第二は十人童女《じうにんのむすめ》の譬喩である(廿五章一−十三節)、第三は委ねられし銀の譬喩である(同十四−三十節)、而して新約聖書全体の教ふる所より見て是等の三譬喩は全人類に関する最終審判を示すものと解する事が出来ない、三者は孰れも特に|基督者に対する審判又は恩恵の譬喩である〔付○圏点〕、僕とは「時に及びて糧を彼等に与へさする為に立てられたる」者にして換言すれば信者を導くべき教役者である、故に第一の譬喩は牧者に対する審判である、委ねられし銀とは凡ての信者各自に委ねらるゝ相異なりたる宝にして彼等が其総勘定を為さゞるべからざる日が来るのである、故に第三の譬喩は信者各自に対する審判である、而して此二者の中間に在る|十人童女の譬喩は信者を団体として見たる教会に対する審判である〔付○圏点〕、童女を教会の意に解するに就ては聖書中多くの根拠がある(哥林多後書十一の二、黙示録十四の四等参照)、|牧者教導者の審判〔付○圏点〕と|教会の審判〔付○圏点〕と|信者各自の審判〔付○圏点〕、之れ馬太伝二十四五章に亘る三個の譬喩の内容である。
 「其時天国は燈《ともしび》を執りて新郎を迎へに出づる十人の童女《むすめ》に比《たと》ふべし」といふ(廿五章一節)、茲に所謂「天国」(12)とは何の意である乎、之を探らんが為には馬太伝十三章を参照すべきである、十三章に於ても亦「天国は何々の如し」と言ひて七個の譬喩が列挙せらるゝのである、而して七譬喩は譬喩集に非ずして一の歴史である、基督教会の歴史を七個の譬喩を以て綴りたるものである、故に天国とは天国其者に非ずして|天国の福音が地上に於て経過すべき歴史〔付○圏点〕の謂ひである、十人童女の譬喩亦然り、キリストの十字架より其の再臨に至るまで即ち所謂異邦人の時又は教会時代の歴史に関する譬喩である、「天国の福音の地上に於ける経歴を何に比へん乎、そは燈《ともしび》を執りて新郎を迎へに出づる十人の童女の如し」といふのである。
 パレスチナ地方に於いては結婚に際し或る特別の場合には新婦の許に新郎を迎ふる事今も行はるといふ、こは士師記十四章に示さるゝが如くサムソンの時代に於て既に其例を見たる古き風俗にしてイエスの当時も之に類したる事実があつたのであらう、彼の譬喩は常に事実を根拠とするものである、而して新婦が新郎を迎へんとするに当りては美はしき童女凡そ十人を選びて之を己が代理者として迎へに出でしむるのである、彼等は何れも其手に燈を携帯する、燈とは我国に於ける古代のカンテラの如く棒の尖端《さき》に燈の心を附して之に油を注ぎたるものである、然るに童女等の中には智《かしこ》き者あり又愚かなる者がある、其智き者は燈と共に油を器に満たして之を携ふるも愚かなる者は感興の余り油を忘れ蒼皇としてカンテラのみを担うて出で行く、斯くて彼等は待てども新郎来らず、皆仮寐して眠る、夜半ばにして忽ち声あり曰く「新郎来れり!」と、即ち彼等みな起きて燈を整へんとするに智き者の火は点ぜらるゝも愚なる者の燈は消えて点かない、茲に於て彼等は智き者に其油を分たん事を請ふも聴かれず、依て之を買はんとて往きし間に門は閉されて復た入る事が出来ないとの譬喩である、イエス始めに此卑近なる例を捉へて語り出せし時彼の面《おもて》には微笑が漂うて居たであらう、然しながら語りて此処に至り「我誠に(13)汝等に告げん、我は汝を知らず」と言ひし時彼は実に権威ある預言者と成り給うたのである。
 十人の童女は十の教会である、十とは地上に於ける完成の数なるが故に十の教会は神の許し給ひし丈けの凡ての教会を意味する、|燈〔付○圏点〕とは何ぞ、|教会の機関又は制度としての外形〔付○圏点〕である、或は礼拝或は事業或は信仰箇条等の如き皆之に属する、油とは何ぞ、|此譬喩の重点は油にある〔付○圏点〕、油の有無に由て童女等の運命が分るゝのである、信仰上の外形たる燈の中にありて之に光を与ふる油は果して何である乎、聖書に於て油の最も明白なる意味は|聖霊〔付○圏点〕である、「汝義を愛し悪を憎む、是故に神即ち汝の神は喜びの油を以て汝の侶《とも》よりも愈りて汝に注げり」(ヘブル書一の九)、「此ナザレより出でたるイエスは神より聖霊と才能《ちから》を以て|油〔付○圏点〕を注がれ云々」(行伝十の卅八)、又キリストとはメシアの希臘訳にしてメシアは「油注がれたる者」の意である、凡ての基督者も亦彼に在て油を注がれたる者である、故に油は聖霊を代表すと見るは最も適当なる解釈である。
 十の教会あり、皆新郎を迎へんが為に立つ、而して共に信仰的外形たる燈を携ふ、然れども智き者と愚かなる者とあり、智き者は衷に聖霊の油を有するも愚かなる者は之を有せず、新郎来る事遅くして彼等は悉く仮寐に耽ける、やがて「新郎来れり」との声響くや聖霊の油ある者は之を迎ふるも油なき者は迎ふるを得ずと、譬喩の大意は之である、而して教会の歴史は明白に其真実を証明するのである。
 |教会は本来新郎を迎へんが為に起りしものである〔付○圏点〕、基督再臨の信仰を嘲らんと欲する者は嘲るべし、然しながら初代の教会が此信仰を以て起りたるの事実は之を如何ともする事が出来ない、新約聖書中最も旧き書翰はテサロニケ前書である、初代教会の実状を探らんと欲する者は先づ此書に就かなければならない、而して此書は始よりして曰ふ「汝条信仰に由て行ひ愛に由て労し|我等の主イエスキリストを望むに由て忍ぶ〔付○圏点〕」と、また「汝等偶像(14)を棄て神に帰して活ける真の神に事へ|其子の天より来るを待つ〔付○圏点〕」と、|若し基督再臨の信仰なかりせば基督教会は興らなかつたのである〔付○圏点〕、教会歴史の世界的権威たるアドルフ・ハーナックの如きは自ら再臨の信仰を有せざるに拘らず尚其冷静なる学者的立場より此事を断言して憚らないのである。
 十の教会は皆新郎を迎へんが為に燈を執つて立つた、然しながら新郎は来らない、百年五百年又千年二千年を経れども新郎は未だ来らない、斯くて小き童女等の皆仮寐したるが如く|教会も亦〔付○圏点〕挙|つて睡眠の状態に陥つた〔付○圏点〕、其|半《なかば》が醒めて居つたのではない、再臨信者も然らざる者も共に眠つたのである、十字架又は聖霊等に就ては忘れざるも再臨は之を忘れたのである、美はしき十人の童女、其智き者も愚かなる者も皆燈を手にして眠りしが如く凡ての教会は洗礼晩餐式祈祷会慈善事業等を共にしつゝキリストの再臨を忘れて了つたのである。
 然るに夜既に更けて暗黒其の絶頂に達し将さに明け初めんとする頃「新郎来りぬ」との声は響きて、均しく眠れる童女等の中智き者と愚かなる者とは判然相分たるゝのである、|キリスト再び来り給ふ時教会は劃然二個に区別せらる、聖霊の油を有する者と之を有せざる者と、二者は左右に区別せられ、而して前者のみが彼を迎へ得るのである〔付○圏点〕、再臨を嘲る者よ、汝等之を嘲るは可なり、然れども若しキリスト果して再臨して此処に立ちたらば如何、其時之をユダヤ思想なりと言ひ得る乎、其時は神学も教職も教沈も何の用あるなし、唯彼を迎へ得る乎或は迎へ得ずして周章狼狽する乎二者其一あるのみである、故に再臨信者は曰ふ、再臨の時迄待たんと、教会の真偽は其時に至て判明するのである。
 新郎は未だ来らない、然しながら注意すべきは五十余年前より基督教界に於て響きつゝある高き叫びである、最も優秀なる学者等が祈祷を以て聖書を研究したる結果、基督教信仰の根本は基督の再臨にあり、之なくして真(15)の教会あるなしと唱ふるに至つた、聖書註解者中知識と信仰との健全を以て称せらるゝ有名なるランケの註釈(一八六三年版)に依れば其頃よりして多くの神学者が再臨を高唱するに至つたのである、此叫びは果して何である乎、|之れ「新郎来れり」との声ではない乎〔付○圏点〕、然らば即ち時勢は既に暗黒の絶頂に達したのである、而して今日迄教会は悉く眠りたるも今や何処よりともなく「新郎来れり」との叫びは聞えて人々皆醒めんとしつゝあるのである。
 此声を聴いて既に多くの人は眠より醒めた、彼等は再臨の信仰を抱きてより聖書を全く新なる書と見、新生の喜びに似たる経験を繰返しつゝある、米国の如き常識の発達したる国に於て昨年五月に開かれたる費府《ヒラデルヒヤ》の再臨大会は近時稀に見る盛会であつた、其壇に立ちし者は狂熟の人に非ずして冷静なる学者であつた、而も三日間寸刻の弛緩をも感じなかつたといふ、又十一月の紐育大会も同様である、当夜は戦争中飛行機襲来を恐れて久しく実行したる電燈の禁令を解かれし第一夜にして市民の心自ら浮き立ちたる折なりしに拘らず、カーネギー会堂に会衆充満し其溢れたる部分は更に他の会堂に之を収容したりといふ、然るに他方に於ては又幾多の神学者教役者等が口を極めて再臨の信仰を罵りつゝある、或は之を迷信と呼び或は猶太思想と称して反対を試みつゝある、実に「|新郎来れり」との声に由て基督教会は二個に分裂したのである〔付○圏点〕、再臨の信仰は教会を両断する信仰である。
 反対者は何故之を信ずる事が出来ないのである乎、蓋し彼等に油なきが故ではない乎、|彼等に燈の外形のみありて之に永遠の光と熟と生命とを与ふる聖霊の油なきが故ではない乎〔付△圏点〕、或時人は各唯一人となりて神の前に引出さるゝ事がある、其時信仰上の外形は一も自己の心を満足せしむるに足らない、教会への出席、伝道金の寄附、慈善事業又は伝道事業等を数へて自ら慰めんと欲するも少しも慰むる事が出来ない、誠にジョン・バンヤンの言(16)ひしが如く仮令地獄に落つるとも我等は唯だ顔を挙げて我為に十字架につきしイエスキリストを仰ぐのみである、神が我等の為に備へ給ひし十字架の贖を信ずるより外に我等の義とせらるゝ途はないのである、而して之を信じて聖霊の油を豊かに受けたる者はキリストの再臨を聞いて決して之を嘲らない、再臨反対者は油を有せざる者である、彼等は再臨の時に至りて愚かなる童女の如くに狼狽するであらう、然しながら其時油を有てる者は之を頒つ事が出来ない、|神は聖霊の油のみは之を余分に与へ給はない〔付○圏点〕、其人一人に足る丈けである、我等は各自神に求めて充されなければならないのである。
 新郎は未だ来らない、尚ほ暫し油を買ふべき時がある、「何故糧にもあらぬ者の為に金を出し飽く事を得ざるものゝ為に労するや、我に聴き従へ、さらば汝等|美《よ》き物を食ふを得、油をもて其の霊魂を楽しまするを得ん」と(イザヤ書五十五の二)、眠れる者よ、速に醒めて往きて汝の油を買へ、然らずんば時既に過ぎて終に復た如何ともすべからざるに至るであらう、十人童女の譬喩は談笑の間に之を語り得ると雖も其中に無限の教訓がある、人の運命に就て教ふるものにして之よりも深きものを考ふる事が出来ない。
  |附言〔ゴシック〕 再臨と非再臨、再臨信者と非再臨信者、「新郎来れり」との声に由りて基督教会は劃然と両分せられたのである、是れ主の教へ給ひし所であつて人は之を如何ともする事が出来ない 両者の間に合同は不可能である、教会の政治家にして聖書を究めて此事を覚るならば彼等は無益の調停を試みないであらう。
 
(17)     死後の生命
        (三月十六日) 前号所載『パウロの復活論』の序論として講じたる所
                    大正8年6月10日
                    『聖書之研究』227号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 ヨブ記に曰ふ「人もし死なば又生きんや」と(十四の四)、今より二千五百年乃至四千年前に書かれし此古き書の一言は|今尚凡ての人の問題である〔付○圏点〕、我を遺して去りし愛する者は何処に往しや、我自身の生命も亦三四十年の後にして終るのである乎、他の問題は解決せられたるも独り此古き問題のみは解決せられない、古来幾多の賢哲出でゝ之を解かんと試みたるも今尚依然として一大疑問である、然らば斯かる不可解の問題は之を抛棄して更に有益なる他の問題に移らん乎 死後生命問題の研究は断然之を廃止せん乎、然れども斯く決心するや否や此問題は直に復た我等に迫り来るを如何せん、親しき者の死の面《かほ》を見て何人も之が果して永遠の別離なる乎、再び彼又は彼女と相見る時はなき乎と疑はざるを得ない、其他人生に於ける多くの不公平なる事実の如き、之に対する何等かの解決があるのではない乎、死後の生命果して如何、之を棄てんと欲して棄つる能はず、問題は千古に亘るの疑問である。
 然しながら|近代人は此問題に就て甚だ冷淡である〔付○圏点〕、彼等は或は曰ふ、現世に於て正義を行ひ真理を信ずる事を許さるゝ以上、人生必ずしも未来を要せず、一日の生涯を高貴《ノーブル》ならしむれば即ち足ると、或は曰ふ、現世生活の(18)安楽を享受せんと欲すれば其途備はれり、何ぞ不確実なる来世の幸福を希はんと、かくて彼等の人生観は現世的にして彼等の宗教は地的である、今日の基督教会中明白なる来世観を示すもの幾許ありや、其講壇より説く所は所謂倫理的福音に非ずんば社会問題国際間題の類である、実に現世的思想は現代の一大風潮である。
 来世は果して有る乎無い乎、之に関して記憶すべきは聖書が来世の存在を論議せざる事である、|基督教にありては神の存在又は来世の存在は既定の事実である〔付○圏点〕、イエスの其弟子等に教へて「天に在ます我等の父よ」と言はしめ、又はラザロと富者との死後の運命を語り給ひし時の如き、父なる神の存在と死後の生命の存在とは之が説明を要せずと為し給ひし事明瞭である、彼の生涯は常に来世と幕|一重《ひとへ》を隔てゝ相列つて居つたのである。
 来世の存在を否定せんと欲すれば種々なる議論を以て之を証明する事が出来る、或は来世を知らざる者の間にも尊敬すべき人あり、来世を信ずる基督者の中にも卑しき人なきに非ずといふが如きは其一である、或は身体ありての霊魂なり、身体衰へて霊魂も亦衰ふ、誰か身体を離れたる霊魂を見たるやといふが如きは其二である、或は人類は極小動物より徐々に進化したる者なり、其進化の階梯の何処に於て霊魂が身体に入りしやといふが如きは其三である、或は小児は無心にして母の胎より出づるに非ずや、霊魂の有無の如きは大人の閑問題なりといふが如きは其四である、斯の如くにして其結論を下して言ふ事が出来る「故に霊魂あるなし、故に来世あるなし」と。
 |然し乍ら斯の如き有力なる反対論あるにも拘はらず来世の存在は万人の熱望である〔付○圏点〕、若し何人か明白なる説明を以て来世の存在を立証する者あらんには凡ての人が之を傾聴せん事を欲するのである、但し近代人の要求する所の説明は聖書の言の如きではない、是に於てか近代的方法を以て此問題を説明せんと試むる者あるに至つた、(19)例へばフレデリック・マイヤーは心理学研究協会報告中に多くの証拠を載せて曰く「今より数十年の後には何人も自ら実験的に死者と語り得るに至らん」と、又有名なる学者W・L・ウォールカーは共著『霊と受肉』中に曰く「余は妻の死後彼女と交通したり」と、勿論之等の経験は少数者に限られたる事にして未だ以て確証とするには足りない、然し乍ら説明の如何に論なく、来世問題は人類の心の根柢に植付けられたる観念である、若し来世の観念なくば凡ての宗教はないのである、其存在を否定せんとする反対論あるに拘らず遂に此観念を抛棄する能はずして古来人類の多数が来世を信じ之を熱望し来りし事実は何を示す乎、|その人類の輿論又は根本的思想なりとの事実其著が来世存在に関する強力なる証明の一である〔付○圏点〕。
 来世の存在は之を科学約に実験する事が出来ない、然し乍ら純然たる科学者の立場より之を弁護したる者は尠くない、オクスフォード大学の教授にして世界的医学者たるウィリアム・オスラーは『科学と死後生命』中に曰く「医学の立場よりすれば死後生命の存在を否定するは之を肯定するより以上の根拠を有せず」と、又有名なるプラグマチズム哲学の権威ウィリアム・ゼームスは『人間永生論』中に論結して曰く「脳は思想を作成する機関に非ずして之を濾過し整理する機関に過ぎず」と、彼等は学者として真面目に霊魂又は来世の存在を信ずるのである、余をして初めて来世の信仰を実見せしめたる者も亦一人の学者であつた、想起す一八八五年の秋余は米国アマストに赴き有名なる博士シーリー先生を訪うた、時は既に夕方であつた、先生はまづ余に尋ねて曰く「貴下は何時彼を信じたる乎」と、而して次に壁間の額を指《ゆびさ》して曰く「見よ彼女は余の妻なり、二年前に天国に往きて今や彼処に余を待ちつゝあり」と、余は其時博士の眼中熱涙の浮び出づるを見た、誰か学者の所説を以て患夫愚婦を導く為の方便 做す者ぞ、明日あると均しく来世あるを信じたる学者は古来決して少数ではないので(20)ある。
 |宇宙の存在は合理的なり〔付○圏点〕といふ、然り物みな存在の目的がある、然るに独り人類の知的生命のみは其目的を有せざるが如くなるは何故である乎、|知識は其の進むに従ひて益々知識慾を増進する、かくて研究又研究、知識に知識を加へて遂に或所に至れば人は〔付○圏点〕遽然|として葬り去らるゝのである〔付○圏点〕、然らば人生程不合理なる者は無いではない乎、心理学者ヴント先生老齢九十に及びて尚青年と共に其研究を続くるが如きは畢竟無益である乎、否然らず、|幕の彼方に於て尚研究の途があるのである〔付◎圏点〕、|現世は人の限なき知識慾を充さんが為には余りに短小である〔付○圏点〕、来世の存在を認めずしては人生の円満なる解釈を下す事が出来ないのである。
 又|神は愛なり〔付○圏点〕といふ、之れ最も深き真理である、然るに|人は神に似たる性格を備へんと欲して苦闘幾十年、漸くにして稍完全なる生涯に入らんとする時に当り〔付○圏点〕忽焉|として打ち砕かるゝが如きは残虐の極ではない乎〔付○圏点〕、斯の如くにして神は愛なりと言ふとも如何で之を信ずる事が出来やう乎、ニイチエは曰うた「宇宙とは斯かるものである、貴きものを作つては又之を破壊する所に宇宙の本性がある、永遠の還元(eternal recurrence)である、愛も死も限なく循環するのである」と、果して然る乎、我等は彼れニーチエの晩年に於ける発狂の原因の何処にありし乎を知らない、然し乍ら斯かる哲学が人をしてパウロ又はルーテル等の如く翼を張て天を翔る歓喜の生涯を送らしむる能はざるは何よりも明瞭である、十年二十年の努力を経て育成したる子女ほど母に取て貴きものはない、然るに之をしも棄てゝ顧みざるが如きは何の愛である乎、若し天然と人類との凡ての努力が破壊に終らん為であると言ふならば人生は絶望である、神は決して愛ではない、我等は来世の存在に由てのみ人生を此の大なる不合理より救ふ事が出来るのである、神は愛である、故に来世は必ず有る。
(21) 故に若し宇宙の合理的存在を信じ又神の愛を信ぜん乎、来世の存在をも亦之を否定する事が出来ない、道理に訴へて見て死後の生命を肯定するは之を否定するよりも強き主張である、然しながら理論は暫く措き我等をして之を感ぜしめよと言ふ乎、来世は果して之を感ずる事が出来る乎、|死後の生命は如何にして之を実験する事が出来る乎〔付○圏点〕、勿論数学の方式又は試験管を以て之を実験する事は出来ない、然れども何処にか我等をして今直に永生を実験せしむる途はないのである乎。
 曰く有る、汝永生を実験せんと欲する乎、即ち|今より汝の自己中心的生涯を棄てよ、而して幾分なりともキリストに倣ふ生涯を送れよ、然らば明日より必ず来世を確信するに至るであらう〔付○圏点〕、死後の生命を嘲る者は誰ぞ、自己の利益をのみ追求し世を恐れ人を憚る政治家実業家宗教家輩ではない乎、然れども人の前にキリストを言ひ表はし彼の名の為に恥辱と迫害とを受け正義の為に世界を敵として戦ひキリストの為に十字架に上る人は、自己の生命の決して死と共に終らずして永遠のものなる事を確信せざるを得ないのである、|神の与へ給ふ死後の生命はキリストの有し給ひし如き生命である〔付○圏点〕、故にキリストに似たる愛と犠牲との生涯を送る者は即ち現世にありて既に死後の生命を実験する者である、問題は研究の問題ではない、実行の問題である、大哲学者が其学間の蘊蓄を傾けて来世の存在を否定する傍《そば》にありて職工たると学生たると教役者たると平信従たると主婦たると子女たるとを問はず、何人も今日直に来世の確信を獲得する事が出来るのである。
 然しながら若し自ら之を実験し得ざるならば|我等は又或時他人の生涯を見て之を感得する事が出来る〔付○圏点〕、其肉体は全身破壊の状態にありて而も絶えず歓喜と希望とに溢れ常に人類を愛して生くる人の如き其生命は永遠に朽ちざるものではない乎、余は先日教友古崎|彊《きよう》君の死せんとする時彼を平塚海岸の病室に見舞つた、余は如何にして(22)彼を慰めん乎を思ひ前夜より特別の祈祷を続けて準備を為した、然るに到り見れば其朝既に一度び脈絶えたる病人が死の床に在りて莞爾として微笑し余を迎へて歓喜と感謝との言を繰返すのみである、彼は己が胸を指して曰うた「此処に平和の王国既に成れり」と、彼は又目前に迫れる己が死に就て諧謔を交へて語つた、余は其状を見て深く感ぜざるを得なかつたのである「此生命が如何にして死すべき乎」と、之を死すべしと言ふは微弱なる説である、斯る生命は決して死せずと言ふは其れよりも遙に有力なる解釈である。
 死後生命の存在は斯の如くに之を証明する事が出来る、然しながら如何に証明すると雖もそは遂に一種の冒険たるを免れない、|死後の生命は信仰を以てする冒険である〔付○圏点〕、恰もコロンブスのアメリカ発見の如きである、彼の企図も亦大なる冒険であつた、然れども夢に基く冒険に非ずして信仰に基く冒険であつた、彼は地球の形状より推して海の彼方には必ず或る陸の存在すべきを信じたのである、故に彼は何人の反対をも恐れず己を疑ひて殺さんとする者ある尚其信仰を動かさずして遂に目的地に達したのである、死後の生命も亦然り、之を宇宙の合理的存在と神の愛と自己の実験とより推して死の彼方に必ず或る陸の存在すべきを信ぜば仮令何人の反対に遭遇するとも其信仰を動かす事なくして進むべきである、勿論来世の状態の委細に至ては今より之を知る事が出来ない、コロンブスも亦彼処に如何なる樹と草と鳥獣との在るべきかを知らなかつた、然し乍ら唯だ人の住むべき陸ある事を確信して彼は船を進めたのである、来世は常に讃美歌を歌ふ所である乎、金剛石と金銀とを以て飾りし所でぁる乎、我等は之を知らない、然れども唯其処に我等の永遠の住所あるを信じて疑はないのである。
 詩人テニスン其の晩年に歌つて曰く「我れ一人にて大海に乗出すも彼処に水先案内ありて我船を導き遂に或る陸に着かしめん」と(”Crossing the Bar”)、之れ即ち死後生命の冒険にして彼の信仰であつた、而して独り彼の(23)みではない、ソクラテス然りパウロ然りダンテ然りルーテル然り、|古来世界に於ける最大偉人の大多数は皆之を信じたのである、実に来世の存在は人類全体の輿論である〔付○圏点〕、或る天主教僧侶の言ひしが如く仮令他の事は悉く誤るとも人類全体の信じたる来世の存在のみは誤まるべからずである、故に我等は此信仰の下に安んじて自己の船の進路を定めん事を欲する者である。
 以上は死後の生命に関し聖書を離れて試み得べき最上の論証であると思ふ、然し乍ら人の説明は以て来世の実在を立証するに足りない、永生は神の賚賜である、而して神の啓示《けいじ》に由りてのみ死後生命の実在と性質とを明にする事が出来る、神の言なる聖書の教示《しめし》に由らずして来世を語る事は出来ない。
 
(24)     人類最初の平和会議
        (四月廿七日) 創世記第十一章一−九節の研究
                    大正8年6月10日
                    『聖書之研究』227号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
  全地は一の言語《ことば》、一の音《をん》のみなりき、茲に人々東に移りてシナルの地に平野を得て其処に住めり、彼等互に言ひけるはいざ瓦を作り之を善く焼かんと、遂に石の代りに瓦を獲、灰沙《しつくひ》の代りに石漆《ちやん》を獲たり、又言ひけるはいざ邑《まち》と塔とを建て其塔の頂を天に至らしめん、斯くして我等名を揚げて全地の表面に散る事を免れんと、ヱホバ降りて彼人々の建つる邑と塔とを観給へり、ヱホバ言ひ給ひけるは見よ民は一にして皆一の言語を用ふ、今度に之を為し始めたり、されば凡て其為さんと図る事は止め得られざるべし、いざ我等降り彼処にて彼等の言語を淆《みだ》し互に言語を通ずる事を得ざらしめんと、ヱホバ遂に彼等を彼処より全地の表面に散らし給ひければ彼等邑を建つる事を罷めたり、是故に英名はバベル(淆乱《みだれ》)と呼ばる、こはヱホバ彼処に全地の言語を淆し給ひしに由てなり、彼処よりヱホバ彼等を全地の表に散らし給へり(一−九節)。
 「全地」 全地球ではない、其時代に周知せられたる世界である、主として西方アジア即ちパレスチナ及びアラビアの北方ユーフラテス河の西境地方である。
 「一の言語一の音」 国語全体として一なるのみならず単語其他の組立に於ても一。
(25) 「東に移り」「東に向て」か「東より」か判明らない、「東」は固有名詞である、単に「東方」の意ではない。パレスチナより東方に当るメソポタミア地方即ちチグリス、ユーフラテスの沿岸である。
 「いざ」 go to 又は now といふが如く或事に着手せんとする時の呼び掛けの語である。
 「石の代に瓦を獲」 メソポタミア地方は恰も我国の上総九十九里の沿岸又は尾張平原の中央等の如く石に乏しき所である、故に石の代りに瓦即ち煉瓦を作つたのである。
 「灰沙の代りに石漆を獲たり」 昔は石を固むるに灰沙を用ゐた、其代りに「石漆」即ち今のアスファルトを獲たのである、アスファルトは今日尚シナルの野、殊に死海の海底より多量に産出せらる。
 「邑」 大なる都である、人類の巣窟又は大家族ともいふべき集団である、我国の多くの都会の如き町村の集合体の如き者ではない。
 「塔」 バビロンの塔は「ヂクラート」と称し其巨大なる事到底我国の所謂塔の如きではない、仏国のアイフル塔も比較するに足りない、例へば東京神田区の一街を土台として其上に建設したる人工的の小丘である、従て其都の見えざる数十里の遠距離より塔のみは之を望見するを得べく以て人の注意を惹かんと欲したのである、バビロン地方には今も尚ほ此「塔」の遺物たる煉瓦の堆積が遺つて居るといふ。
 「天に至らしめん」 原語に「至らしめん」の字なし、バビロン人如何に無学なりしと雖も塔を作りて天に上らんとはしなかつた、否塔の築造其事が彼等に深き知識ありし事を証明する、「天を指して」又は「天を以て」の意ならん、多分十二宮の図を塔の頂に掲げたのであらう。
 「我等名を揚げて云々」 功名を立て偉力を示し我等こそはかゝる強大なる国民なる事を全世界に現はし以て(26)一致団結せんと欲したのである.
 「ヱホバ降りて云々」 邑は建てられ塔は成らんとす、人は其中央集権の目的を達せんとす、神は上より之を見、若し之を放任せんには彼等今後何を企つべきか図るべからざるものあるを憂へ給うたのである。
 「我等降り」 聖書に於て神は初より「我等」と言ひ給ふ、神は勿論多数ではない、独一無二である、然しながら三位一体である、父なる神と子なる神と聖霊なる神とである。
 「彼等の言語を淆し云々」 神は彼等の建てたる邑又は塔を壊たんとは言ひ給はない、邑と塔とは其儘存つたであらう、然しながら神彼等の言語を乱し給へば彼等は忽ち散乱して邑の建設を中止せざるを得ざるに至つたのである。
 「是故に其名はバベル(淆乱)と呼ばる云々」 「バベル」は「バビル」にして「神の門」である、バビロン人は此意味に於て名を附したのであらう、然るにバビロンに対して悪感を有するヘブル人は自己の立場より之を「淆乱」と呼んだのである。
 |注意すべきは「ヱホバ降りて云々」に至る迄一も神の名を見ざる事である〔付○圏点〕、いざ邑と塔とを建て「我等」の名を全世界に揚げて合同せんといふ、神の為ではない「我等」の名誉「我等」の幸福「我等」の勢力の為である、|天地を造りし神を蔑《ないがしろ》にして合同せんと欲したのである、故に神は之を散乱せしめ給うたのである〔付○圏点〕、近代の智者は之を評して言はん、神は何故人類の功名を嫉むや、何故広量大度に出でざるやと、神若し父なる神に非ざりしならば彼は彼等の言の如くに為し給うたであらう、然しながら父なる神を離るゝは即ち子の滅亡である、之れ彼等の上に神の大なる聖手の降りし所以である。
(27) 而して神は破壊者なると共に又建設者である、|彼は神を離れたる人類の計画を破壊し給ふ、然れども又直に自ら備へ給ふ所の結合を始め給ふ〔付○圏点〕、バベルに人の言語を乱して之を全地の表面に散乱せしめ給ひし神は、セムの後より長き系統を経て遂にアブラハムをカルデヤのウルより呼び、彼に由てイスラエルの歴史を始め、更にイエスキリストの降誕と再臨とに由り最後に人類の真正なる和合一致を実現せんと欲し給ふのである、故に創世記第十一章に於てバベルの記事に尋ぐものはセムの伝である(十節以下)、|之れ人類の計画に基く合同に代ふるに神の計画に基く統一を以てし給ふ事を教ふるものである〔付○圏点〕。
 近代の註釈家(例へばドライバー氏)は曰ふ、此記事は之を歴史的に見る能はず、人類の言語が一なりしといひ神之を乱し給へりといふも言語の成立又は混乱は爾《しか》く容易に行はるゝものに非ずと、然らば此記事は一の譬喩又は小説に過ぎずして其深き意義は著るしく減殺されざるを得ない、勿論全世界が一の国語を有したる時代は今日殆んど想像すべからざる太古の事である、然しながら此処に所謂「一の言語」とは斯の如き意味ではない、こは|大勢力家の出現に基く国語の統一〔付○圏点〕である、例へば露西亜中に幾十種の言語ありしに拘らず彼得《ペートル》大帝及び之に続きし幾多の英傑の出現により一億数千万の民が遂に一の言語を用ゐるに至りしが如くである、而して創世記十章八節及び十二節に於て之が説明を発見する事が出来る、ニムロデなる大英傑出現して独裁君主となり大なる城邑を建設して其国民の言語を統一したのである(或は曰ふニムロデは人名に非ず、其語源「ムラード」は謀叛を意味す、即ち彼は神に対する謀叛人、偽基督なりと、以て其非凡の英傑なりしを知る)、然らば「言語を乱す」といふも亦国語を忘却せしむる事ではない、露国の帝室倒れてウクライナ、ポランド、シベリア等皆各別の語を使ふに至るが如く、|国家の分裂〔付○圏点〕の意である、又言語の同一は思想の同一又は主義の同一を意味する、其生活の根柢破(28)壊せられて思想及び主義に分裂を生ずるは歴史上の事実である、故に創世記の記事は大体に於て之を歴史的に解釈すべきである。
 功名の発揚、権力の振暢、実業の繁栄、而して世界の統一、之れ皆佳き事である、古代の英傑ニムロデ之を図り爾来稀世の英雄チヤーレマン、ペートル、ナポレオン等皆之を図つた、然るに彼等の事業の悉く失敗に帰せしは何故である乎、彼等の為す所凡て佳かりしと雖も唯一つ欠くる所ありしが故である、|彼等は一言も神の名を唱へざりしが故である、バベルに於ける人類最初の平和会議の混乱に終りし所以は全く此処にあつた〔付○圏点〕、平和は可なり、聯盟は可なり、|然れども世には神の定め給ひし唯一の平和聯盟の途あるのみ、之を除いて決して永久的平和永久的聯盟あるなしとは聖書の明白に教ふる真理である〔付△圏点〕。
 翻て思ふに、今回の巴里に於ける平和会議は如何、余も亦之を歓迎したる者の一人である、然しながら先づ解し難きは会議地として巴里を選定したる事である、戦前の巴里は世界腐敗の中心にして実に近世のバビロンであつたではない乎、此処に万国の政治家等相集りて世界の平和と人類の合同とを議しつゝあるのである、而して彼等は如何にして之を議しつゝある乎、嘗てフランクリンが費府に於て米国の独立を議せんとせし時彼は会衆一同に告げて曰うた、斯かる大問題は神に祈らずして之を議する能はず、故に毎朝教師を招き祈祷を以て会議を始めんと、福ひなる哉北米合衆国、斯の如くにして成りしものがかの有名なる独立宣言書である、之れ世界の曾て作りし最も完全なる合同の議決書である、|然るに巴里に於ける平和会議が祈祷を以て開かれたりとは内外の新聞電報の一言も報ぜざる所である〔付○圏点〕、ロイド・ジヨージ又はウイルソンは熱心なる基督者なりと聞く、然るにも拘らず彼等が世界十五億の民の合同平和を図る重大事件を議せんとするに当り神の名キリストの名の下に祈祷を(29)以てせざるは何を示すのである乎、巴里に於て独逸の事自耳義の事戦争の事経済の事其他何事を語るも自由である、然しながら唯ヱホバの名のみは禁物とせらる、神を抜きにして人類の合同を計る、之れ豈バベルの会議に酷似して居るではない乎、故にヱホバの神は四千年前と同じく今回も亦「いざ我等降り彼処にて彼等の言語を淆し互に言語を通ずる事を得ざらしめん」と言ひ給ふであらう、|巴里に於ける平和会議も亦人類最初の平和会議と同じく混乱に終るであらう〔付△圏点〕、試に昨今の新聞電報を見よ、而して之を数月前に現はれたる世界の大なる期待と対比せよ、国際聯盟を以て理想の実現と做し大統領ウイルソンを以て人類の救主と做したる者は今何処にある乎、自ら名を揚げて合同せんと欲したる国民等の却て全地に散乱せんとする徴候が既に見ゆるではない乎、平和会議は何故に爾く我等を失望せしめたのである乎、其説明は明白に聖書の中に示さるゝではない乎、之を東京にて語るも未だ足りない、余輩は之を巴里の中央に於て叫びたく欲ふ、|実に〔付◎圏点〕禍|なるは神に祈らずして聯合を作らんと欲せし政治家教師等である、彼等は二十世紀の今日再びバベル会議の〔付◎圏点〕覆轍|を踏みつゝあるのである〔付◎圏点〕。
 而してこは独り国際問題に限らない、個人間の平和然り、教会の合同然り、我国に於ける教会合同の未だ実現せざるは何故である乎、余は虞る教会の名士一堂に会合して互に其利害を譲らんとするも合同は永久に成立せざる事を、|教会合同の秘訣は祈祷にある〔付○圏点〕、会議に先だちて祈祷会を開き合同の主唱者たる教会の先輩より姶めて一同自己の罪を悔改め互に主の名に由て相赦さんと欲する時一条の法則なくして合同は直に成立するであらう〔付△圏点〕。
 而して合同の要件はたゞヱホバを迎ふる事にあるのみ、其他に何の条件をも要しない、各々其住む所の家を異にするも真実の合同を妨げないのである、バビロンの英傑は先づ国民の言語を統一せんと欲した、然しながら|神は言語の統一を要求し給はない〔付○圏点〕、ペンテコステの日聖霊降りて使徒等の大説教を始めたる時彼等は諸国の言語を(30)以て語つた、神は会衆の言語を統一せずして却て使徒等に異なりたる言語を学ばしめ給うたのである、又黙示録七章九節に曰ふ「此後我見しに諸国諸族諸民諸|音〔付△圏点〕の中より誰も数へ尽す能はざる程の多くの人白き衣を着、手に椋梠の葉を持ち宝位《みくらゐ》と羔の前に来りて立てり、彼等大声に呼はり曰ひけるは云々」と、依て思ふに天国に於ても亦諸国の民皆其特異の言語を以て神を讃美するのであらう、而して言語は寧ろ其異なる所に美はしさがある、和合一致を妨ぐるものは言語ではない、教会の合同を妨ぐるものは教派ではない、|教派は其儘にて可なり、唯心を一にして神を崇めよ〔付○圏点〕、然らば教会の真実なる合同が成るであらう、主の前に跪きて平和を議せよ、然らば完全なる国際聯盟が成るであらう。
 
(31)     ダビデの牧羊歌
        (二月二日) 詩篇第二十三篇の研究
                    大正8年6月10日
                    『聖書之研究』227号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
  ヱホバはわが牧者なり、われ乏しきことあらじ、ヱホパは我をみどりの野にふさせ、いこひの水浜《みぎは》にともなひたまふ、ヱホバはわが霊魂《たましい》をいかし名《みな》のゆゑをもて我をたゞしき路にみちびき給ふ、たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも禍害《わざはい》をおそれじ、汝我とゝもに在せばなり、汝の笞《しもと》汝の杖われを慰む、汝わが仇のまへに我がために筵《えん》をまうけわが首にあぶらをそゝぎ給ふ、わが酒杯《さかづき》はあふるゝなり、わが世にあらん限りはかならず恩恵と憐憫《あはれみ》とわれに添ひ来らん、我はとこしへにヱホバの宮にすまん。
 詩篇第二十三篇は旧約聖書中の真珠である。信者にして此詩が其口より自ら流るゝ様に出で来るに非ずんば未だ深く聖書を味うたとは言へない。此篇は新約聖書に於ける「主の祈り」と共に信者が常に心に銘じて誦すべきものである。
 第二十三篇は其の冒頭に言ふ「ヱホバは我牧者なり」と。是れ全篇の主《おも》なる題目である。|聖書を学ぶ秘訣は其冒頭の数語の深き意味に注意する事である〔付○圏点〕。創世記第一章第一節に旧約書の全部が含まれ、詩篇第一篇第一節に詩篇全体の序文があり、又馬太伝第一章第一節にキリストの福音が総べて説かれてある。而して此考を以て「ヱ(32)ホバは我牧者なり」の一句を読むに、原語にては僅かに四字なれど各皆重き意味の語なる事が判かる。牧者とは何ぞ。イエスも自らを牧者に譬へられしが如く牧者と羊とは聖書中に於て深き意義を有する。而してダビデは自ら牧者であつた。サムエル前書第十七章以下には彼の牧者生活の詳細を載せて居る。 彼は或時其愛する羊群が獅子と熊に襲はれしを奪ひ返へせし話もある。故にダビデは羊を牧ふの苦心其他之に関する全般の事情を弁へて居つた。故に彼が歌うて「ヱホバは我牧者なり」と言へる時彼の全生涯の実験が此の数語に織り込まれて居るのである。ベテロ前書二章二十五節にも「霊魂の牧者」なる語がある。
 牧者の損さを知るには羊の愚かなるを知るを要す。抑も羊を飼ふには杖と笞《しもと》とが必要である。羊は集合的に動き雷同的に振舞ふ。故に一疋にても群を離るれば全体忽ち四散する。治め難きものにして羊の如きは無い。此れ牧者の苦心の存する所である。
 此の如く羊に必要なるは善き牧者である。我等人生に必要なるは善き牧師である。国の政治を行ひ地方を治むるにも牧民官を要する。善き牧民官のあると否とは人民の休戚に大関係がある。況んや霊魂の場合に於てをや。「我が霊魂を活し聖名の故に我を義しき路に導く」ものは果して誰であるか。
 我等は実に善き牧者を要する。今の世の牧師果して我が望みをみたすや。悉く然らずである。|然れども唯一人の牧師あり、ヱホバは其人である〔付○圏点〕。ヱホバあるが故に我れは善き牧師なきを悲しまない、仮令悪しき数多の牧師ありと雖、其の最後の頂上にはヱホバなる大牧師あれば我等は失望しないのである。
 「我が」と言ひ、「われ」と言ひて、「我等」或は「クリスチヤン」と書かざるは注意すべき点である。是れ決して神を独占する意味に非ず。|各自が独りで特別に実験すべき事であるからである〔付○圏点〕。ヱホバが各自に取りて特別(33)に実験さるべき大牧師なる事は、此のダビデの独自の実験によりて示されて居る。「我が」又は「われ」と言ひて単数にて書かれたる所に特に力があり望みがある。一般的《ゼネラライズ》にさるれば意味頗る薄弱となる。之を単数にて語りて初めて友に向つて語るが如き信頼と親密とを表はすのである。
 又「ある」「なり」とはヘブライ語希臘語にて大切なる文字である。特に語気や意味を強めるために用ゐられる断定の言葉である。此れまた深く味うべきである。更に第一節に曰く「我れともしき事あらじ」と。蓋しヱホバを牧師として仰げば最早何等の欠乏を感ぜぬのである。人間には欠くる所が多い。感情濃かなれば知識足らず。知識増せば信仰冷へ、意志強ければ愛を欠く。此れ実に人間の弱点である。然し乍らヱホバは総べて此等を備へ給ふ。愛と知識と感情と意志と皆完全に有ち給ふのである。故にヱホバを仰げば我が要求は総べて満たさるのである。
 第二節ヱホバは我を緑の野に臥させ、憩の「水浜《みぎは》に伴ひ給ふ」と、緑の野は我が日常の食物を作る畑である 憩の水浜は我が命の水を供給し、休息を与うる所である。ヱホバは我が食物にして同時に命の水である。ヱホバを信ずる者は他に休息を要せない。現代人は休息を山に求め海に漁《あさ》り夏には避暑冬には避寒せざれば神経衰弱を病むと言ふ。然し乍ら休みは山になく海に無し。ヱホバに頼めば憩ひ自ら成るのである。書斎にあり労働場にありて十分に休み得るのである。今のクリスチヤンが外に休みを求めて止まないのは頼むべき憩ふべき真の牧者が無いからである。
 第三節「我が霊魂を活かし、聖名の故を以て我を義しき路に導き給ふ」と。「活かし」は復活である。萎《なへ》たる霊魂を新たにする事である。新しき希望と力とを与ふる事である。而して此の復活したる霊魂を悪魔の手に委ね(34)ず。神の聖名の栄えを顕はすために使はんとて義しき路に導き給ふのである。単に救ひ出し新生命を吹き込むのみならず、此れを義しく導き使ひ給うのである。
 第四節「縦ひわれ死の蔭の谷を行《あゆ》むとも云々」とある。「死の蔭の谷」は死に臨み神の側に在るを確めたる言葉と言ふよりも、寧ろ吾人の日常生活に当箝る言葉である。ヘブライ語に相似たる二語がある。ツアルマベースとツアルムートと言ふ。前者は「死の蔭」を意味し後者は「薄暗き場所」の意である。此節は後者の意に解するが適切である。即ちパレスチナの暗き谷間多き平地に於ては獅子其他の猛獣が其間に匿れて度々羊を襲ふのである。我等の日常生活は恰も暗き谷間に近く彷徨ふ羊の生涯と似て居る。思はざる所に恐るべき誘惑が現はれ迫害が起りて我等を悩ます。然し乍らヱホバに倚り頼むものはかゝる禍害《わざはひ》を恐れない。神は如何なる時も我側に在りて我等を守り総べての必要なるものを与へ給ふからである。
 かくの如く神は我等の要求を容れ休養を賜ひ慰めを与へ給ふ、読むで此所に至れば神は只有難き一方である。浄土真宗の唱ふる弥陀と殆んど異る所がない。然し乍ら聖書の特色は此後にある。基督教の神は単に憩ひを与ふるのみでない。憩ひの後に直に活動を要求する。馬可伝第九章にもある如くイエスがペテロ、ヤコブ、ヨハネを伴ひて変貌の山に登りし時、ペテロはイエス、エリヤ、モーセのために庵りを結むで静かに潔き生涯を送らんと言ふた。然るにイエス此れを聞き給はず、山を下りて其所に待つ数多の人の救ひに急ぎ給ふたのは、基督教が活動的であり積極的である善き証拠である。故に「ヱホバは我を義しき路に導き給ふ」と言ひて其中に戦ひがある。此世と戦ふに必要なる休養既に終はつた後は、直に出でゝ義のために戦へと言ふのである。而して敵と戦ふに当つてはヱホバの助け必ず至る。即ち「汝の笞なんぢの杖われを慰む」(四節)と言ふ。笞も杖も敵を防ぐために用(35)ゆるものである、「慰む」とは助くるの意である。然し乍ら笞には更に他の意味が有る。罰を加へる事である。人が過誤に陥つた時は笞を用ゐて此れを矯《たゞ》すのである。即ち第四節は単に外部の敵を防ぐのみならず、若し自ら過ちに陥つたならば神が笞を加へて罰を下し給ふ必要がある事を言つたのである。愛濃ければ笞愈々厳し、我等は内なる敵を懲らす時に神の笞の有難さを能く知る事が出来る。
 第五節より全く題目が一転する。「汝わが仇の前に我がために筵を設け云々」と。人生は戦である。戦前に曝露しつゝ与へらるゝ糧《マナ》こそ真の御馳走である。休養に非ず享楽に非ず。戦はんがための奨励である、慰安である。心|急《せわ》しき中にヱホバの御馳走を得て直ちに次の戦を戦ふのである。我が首《かうべ》には油|濺《そゝ》がれ我が酒杯は満ちてあふる。我が勇気は倍せざるを得ない。我が足は進まざるを得ない。
 最後に第六節は二つに分たる。先づ「わが世にあらん限りは必ず恩恵と憐憫とわれに添ひ来らん」と、此れヱホバに倚り頼むものに現世の慰安豊かなるを歌へるものである。次に「我れはとこしへにヱホバの宮にすまん」と。此れヱホバを待ち望むものに来世の希望動かすべからざるを示せるものである。此世に在りては種々の悩みの中にヱホバの恩恵と憐憫とに慰められ、此世を去つては永へにヱホバの側に天国の生活を送る。此れ基督者の特権である。
 ヱホバに飼はれヱホバに養はれ、総べてヱホバにょりて生き働き遂に永への生命に入る。基督者の拠所はヱホバ、ヱホバ、ヱホバである。詩篇第二十三篇はダビデの宗教的自覚を歌ひたる最も美はしき詩である。此篇が詩篇中の雄篇と称せらるゝは実に当然である。
 
(36)     基督教界革正の必要
                         大正8年6月10日
                         『聖書之研究』227号
                         署名 内村鑑三
 
  五月十三日夜東京基督教青年会館内開催基督教界革正大演説会に於ける演説の大意
 
  汝等は地の塩なり、塩もし其味を失はゞ何を以てか故の味に復さん、後は用なし、外に棄てられて人に践まるゝのみ(馬太伝五の一三)。
  汝等唯然り々々否々と言へ、之より過ぐるは悪より出づるなり(同三七)。
  あゝ 禍なるかな偽善なる学者とパリサイの人よ、そは汝等|※[行人偏+扁]《あまね》く水陸を歴巡《めぐり》て一人をも己が宗旨に引入れんとす、既に引入るれば之を汝等よりも倍したる地獄の子と為せり(同二三の一五)。
  又此世に効《なら》ふ勿れ、汝等神の全く且善にして悦ぶべき旨を知らんが為に心を変へて新にせよ(羅馬書一二の二)。
  凡そ世にあるもの即ち肉体の慾眼の慾又勢より起る驕傲《たかぶり》、之等は皆父より出づるに非ず世より出づるものなり、此世と其慾とは過ぐるものにて神の旨を行ふ者は限りなく存《とゞ》まるなり(約翰第一書二の一六、一七)。
 今より四十二年前即ち明治十年に余は七百噸の小汽船玄武丸に搭じて品川湾を発し北海道に向つた、而して其(37)翌年札幌に於て基督信者と成りし頃より余の胸中に一の大なる期待があつた、|そは基督教が日本国を救ふべき唯一の力なりとの自覚が何時か国民の中に発生するに非ずやとの事であつた〔付○圏点〕、爾来余は石狩平原の林中にありて幾度びか之を夢み且之が為めに祈つた。
 四十年は短きが如くして長かつた、然れども神の聖旨は働きつゝあつた、|余の旧き夢は今に至りて遂に事実と成りて現はれつゝあるのである〔付○圏点〕、見よ今夕の此光景を、基督教界の革正を標榜する演説会に於て青年会講堂の記録が曾て示さゞりし程の多数の参集を見るは何を示すのである乎、少くとも東京に於ける基督者の多数は今日の我国基督教界革正の必要を認むるの証明ではない乎、而して独り基督者のみならず国民の多数が純清なる基督教を求めつゝあるのである、今や純福音に対する要求は国民的である、|国民の深大なる不安を除却すべきものは仏教に非ず在来の道徳に非ずして唯キリストの福音あるのみとの自覚は今日日本全国に〔付○圏点〕磅※[石+薄]|たる機運である〔付○圏点〕、余輩の小なる伝道の実験が明白に其事を証明するのである、近時国内各地方に於て伝道するに当り到る所其会場を充す丈の会衆を見ざるはない、純福音の提供せらるゝ処に聴衆欠乏の嘆を聞かない、聖書を手にして之を如実《ありのまゝ》に説く処に教勢不振の声は挙らない、実に近来の如き伝道 好機会は余輩の未だ曾て経験せざりし所である、一人の求道者を発見する事は伝道者に取て大なる歓びである、然るに咋今多数の男女の踵を接して余輩の門を叩く者がある、伝道は今や最大の快楽である、そは何の故である乎、蓋し国民の最大要求に応ずる事業となりしが故である。
 国民の要求既に斯の如し、然るに之に応ずべき教会の状態は如何、多数の国民は其周辺を囲みて「与へよ与へよ」と叫びつゝあるに拘らず不思議にも教会は其声に応ずる事が出来ない、東京市中教会又は講義所の数凡そ百(38)ある、而して其中二三を除く外は日曜日毎の出席者平均二十名内外に過ぎずといふ、彼等は種々なる方法によりて振興の策を講ずるも尚且つ微々として振はないのである、教会然り、神学校亦然り、広大なる土地に宏荘なる建物を並べ基金数十万円教師内外十数人を蓄へて其養成する所の生徒の数は僅かに十指を以て数へ得るに過ず、而も之等少数の生徒中卒業後伝道に従事する者更に寥々たりといふに至ては驚かざるを得ない、|世は福音を与へよと叫ぶも教会と神学校とは全く之に応ずる事が出来ないのである〔付○圏点〕。
 教会は唯に外よりの要求に応ずる能はざるのみならず其内側に又た解すべからざる現象がある、教会は愛の家なりとは何人も信ずる所である、恰も家庭が不完全なる家族の集合たるにも拘らず愛の故に温き休息所たるが如く教会も亦斯くあるべき筈である、然るに事実は如何、|教会は果して愛の充つる世界である乎〔付○圏点〕、否冷|かなる所にして教会の如きはない〔付○圏点〕、こは自ら教会内にある者の何人も熟知する事実である、現に此席に列せる松村介石君の如き今日其信仰に於ては全然余輩と異なるものありと雖も君は確かに誠実の士にして曾ては教会の光であつた、然るに君をして教会に在るに堪へざらしめたる責任は何処にある乎、其他同じ実例は決して少くない、光を愛する人にして教会より駆逐せられたる者は甚だ多くある、之れ抑も何故である乎、之れ教会が暗き冷き場所と化したるが故ではない乎、|愛を以て充つべき教会が陰険なる狐狸の〔付○圏点〕住家|となれるが故ではない乎〔付○圏点〕。 教会の腐敗は明白なる事実である、而して其の茲に至りし所以を考ふるに|異端〔付●圏点〕と|俗化〔付●圏点〕との二大理由を挙げざるを得ない、異端とは何ぞ、|神の明白なる真理に従はざる事である〔付○圏点〕、余輩の初て福音を受けし頃信仰は極めて簡単なるものであつた、其一は聖書を特別の意味に於て神の言と信ずる事であつた、余の四十年間の信仰生活に幾多の変遷ありしと雖も此一事は一日だも之れを疑はなかつた、然るに近来余輩は驚くべき奇怪事を発見したのであ(39)る、不信者又はユニテリアンならばいざ知らず、|明白なる|正統派《オルソドクス》|の信者殊に教師が「聖書は特別の意味に於て神の言に非ず」と断言して憚らないのである〔付○圏点〕、例へば昨年五月有力なるメソヂスト教会の牧師白石喜之助氏はユニテリアンの機関誌たる『六合雑誌』に「基督教界現下の迷妄」と題する論文を掲げて次の如き言を述べた、曰く「基督再来の思想は古来幾度か基督教界を禍したる迷妄である、使徒時代には此迷妄の為に聖書に示すが如く生業を擲ち労作を放棄し云々、夫れ聖書は天啓なるに相違ない、然し其天啓たるや論語の天啓たると其性質に於
て異なる所はない〔付△圏点〕」と、驚くべし聖書の天啓たるは論語の天啓たると其性質に於て異ならずとは! 而して|更に驚くべきは斯かる大異端が足下に於て公然唱導せらるゝには拘らず教会の監督の一言之を取締りたるを聞かず教会内一人の立ちて之を責めたる者あるを聞かない事である〔付○圏点〕、日本メソヂスト教会監督平岩博士は余が無教会主義者なるの故を以て青年会講壇を余に提供するの非を鳴らしたる由なるも|監督は何故其職権を以て己が教会内の異端責めないのである乎〔付△圏点〕、斯の如き監督を戴く教会は禍なる哉である、又本年一月メソヂストの機関雑誌『神学評論』に現はれたる富永徳麿氏の基督再臨反対論の如きも亦其一例である、氏は其論を結んで曰ふ「聖書の言なりとて信ぜずともよし、基督の教にありたりとて信ぜずともよし」と、問ふ然らば氏は何を信ぜんとするのである乎、教会内に異端横行して何人も之を怪まない、|実に彼等に取て教会は信仰よりも大切なるものである〔付○圏点〕、曾て余の地方伝道に赴きし時汽車中一人の組合教会派の米国宣教師に遭遇した、彼は余の何人なるやを知るや余に問うて曰く「貴下は教会に関して特殊の思想を有すと聞く、乞ふ之を承はらん」と、依て余は問を以て之に答へて曰うた「教会と信仰と二者何れが貴き乎」と、又「貴教会の先輩海老名彈正氏と無教会の余と信仰に於て孰れが正しきや」と、而して彼れ宣教師が余の信仰の正しきを認むるも教会内に於ける信仰上の異端を憂ふる事をせずし(40)て教会に対する余の態度のみを責めんとする者なるを知りしが故に余は最後に彼に向て断言した「貴下の如き憐むべき教会を有する人々は余の無教会主義に就て質問するの資格なし」と、|教会乎信仰乎、余の無教会主義は或は誤謬であるかも知れない、然しながら信仰の事に於ては余は決して彼等の如くに謬らない〔付○圏点〕積りである、信仰は教会よりも遙に重要である、異端は革正すべき第一の問題である。
 次には教会の俗化である、|利益を獲んが為に此世と妥協す、教会は之を当然の事と言ふ、然し乍ら余輩は之を称して俗化と言ふのである〔付○圏点〕、明年我国に於て開催すべき世界日曜学校大会が其後援者として知名の不信者たる大隈侯、渋沢男等を戴くが如きは其一例である、諸君是は果して俗化ではない乎、然り確かに俗化である、俗化は教会の腐敗である、不信の富豪に依頼し彼等に依て貯へられたる金銭の寄附を仰いで以て伝道資金に充つるが如きは俗化の最も甚だしきものである、(茲に留岡幸助氏が曾て古河市兵衛氏より寄附金を受けた時の実例を述べた)、今や紛々たる教会の俗臭は既に鼻を衝いて到る、誰か此処に革正の必要なしと言ふ者がある乎、|信者は何れの教会に属するも可なり、然れども願はくは異端を信ずるを〔付○圏点〕罷|めよ、願はくは貧しと雖も清き生涯を送れ、而して温き愛を以て一団となり以て俗化せる教会の革正に力を尽せ、之れ実に余輩の切望である〔付○圏点〕。
  |附言〔ゴシック〕 教会は俗化して居る、其事は明白である、而して其事を最も能く知る者は余輩に非ずして教会々員彼等自身である、曾て或る大教会に在りて長く教職を執りしが、其俗化に堪へずして近頃之を去りて官職に就きし者が、余輩の革正演説を聴いて言ふたさうである、「|論者の攻撃は激烈である、然し乍ら腐敗の表面に触れしに過ぎない、実際の俗化は遙にそれ以上である、〇〇〇〇〇教会の俗化の如き既に其骨髄に達して居る〔付△圏点〕」と、是れ教会の内情を熟知する者の表白である、教会に之を弁明するに足るの確信ありや、若し試に「|教会(41)俗化調査会〔付○圏点〕」なる者を設け、公平に冷静に俗化の事実を調査するならば如何、是れ牧師監督等に所謂人身攻撃を加ふるのではない、民の牧者としての彼等の行為を責むるのである、余輩は彼等を追窮して死に至らしめんと欲するのではない、彼等をして福音宣伝の途を改めしめて人の霊魂を救ふに当て有効ならしめんと欲するのである、而して彼等の俗化腐敗を責むる者は余輩ではなくして彼等の事業其物である、彼等の教会である、彼等の神学校である、彼等の機関雑誌である、教勢行詰りは彼等が掩はんと欲して掩ふ能はざる所である、信者は先づ自己を悔改め然る後に他を悔改の歓喜に導くことが出来る、其如く基督教会は光づ自己を潔めて然る後に社会を清むる事が出来る、余輩が革正を叫ぶは之が為めである、教会が実に世を救ふの機関とならんが為である 而して今の教会は其機関でないのである、教会革正は神の声であると同時に亦社会国家の要求である、教会は革正を叫ぶ余輩を悪んで止まない、然れども自から革正《あらた》めざれば教会は自づから滅ぶるであらう。
 
(42)     排斥日記
                         大正8年6月10日
                         『聖書之研究』227号
                         署名なし
 
 排斥したのではない、排斥せられたのである、五月廿七日東京基督教青年会より余輩の許に使者を遣はし「今日限り」依嘱の聖書講演を断はるとの事であつた、何故かと問へば「其理由は申上げられぬ」と云ふ、然らば聴衆に其旨を告ぐる必要もあれば次ぎの日曜日丈け之を開く事を許されたし、若し青年会主催の下に開く能はずば料金を払ふが故に講堂を余輩に貸与せられたしと申出しも応ぜず、其理由如何と問へば「申上げられず」と云ふ、「理由は申上げられず、只今日限り断はる」との事であつた、是れ勿論紳士を遇するの途に非ず、又「汝等何事を行ふにも愛を以て行ふべし」との聖語を以て標語となす東京基督教青年会の取る途と思はれざる故に特に人を会長江原素六氏の許に遣はし其意見を聞正したる所、青年会の行為を悉く是認すとの答でありし故に、茲に交渉を断念し余輩の取るべき途を取つた、予て斯かる事あらん場合に処する為に交渉し置きし大日本私立衛生会の講堂を借受くる事に定め之を申込みし所、直に快諾を得たれば直に其旨を六百有余の聴衆に通知した、斯くて青年会との関係は断然絶えて我等は尠からざる平安を覚えた、過去五ケ月間随分多くの心配と遠慮とを為した、主義と信仰とを全然異にする教会の牧師、執事、長老等と会合せざるを得ずして尠からざる不快を感じた、然し今は自由の身となつた、我等同志一同勇み起つた、五月廿九日の夜交渉断絶した夜は近頃になき安眠を貪りし夜で(43)あつた、我等は排斥せられて心窃に我等を排斥せし人々に感謝せざるを得なかつた、而して教会は我等を排斥せしも世間は案外にも我等に同情した、新聞紙は探訪者を送りて我等の立場に就て尋ねた、『東京朝日新聞』と『万朝報』とは長き記事を掲げて我等の事業を紹介して呉れた、而して恰も宜し『内村全集』が盛んに読まれ始められたる時に際したれば求めざりし世間の同情は我等の上に集つて来た、斯くて六月一日が来た、関係断絶後、丸ノ内なる内務省前日本衛生会に於て開かれたる第一回の講演は盛なる者であつて聴衆堂に溢れ、入口を閉ぢて入場を謝絶するに至つた、最も緊張したる而かも静粛なる会合であつた、会終て例に由り献金籠を調べし所、勿驚金壱千〇六拾参円と云ふ記録破りの高を得て一同感謝の涙を浮べた、|福音終に丸ノ内に入る〔付○圏点〕、其先鋒の名誉に与りし者は余輩である、神が我等を此に連れ来り給ふたのである、我等の排斥者は実は我等の援助者である、我等は如何に計画しても斯う旨くは行かない。感謝である、大感謝である!!
 
(44)     『人道の偉人 スチーブン・ジラードの話』
                          大正8年7月1日
                          単行本
                          署名 内村鑑三述
 
〔画像略〕初版表紙151×107mm
 
(45)     はしがき
 
 此話は明治四十三年六月四日、今井樟太郎君永眠四週年に際し、東京市外柏木今井館に於て私が述べし所の者であります。今、其第二十一週年に際し、之を別冊と成して、知友に頒つ次第であります。本当の実業家はジラードの如き者であらねばなりません。今日の日本人は善き教師として彼に学ぶの必要があると思ひます。
  昭和二年五月二十日           今井氏遺族に代り 内村鑑三
 
(46)     AMERICAN MONEY AND GOSPEL.米国人の金と其福音
                         大正8年7月10日
                         『空事之研究』228号
                         署名なし
 
     AMERICAN MONEY AND GOSPEL.
 
 IT is said that America is golng to spend more money on foreign missions than it spent on the World−War. Very generous for America;but as far as Japan is concerned,we wish to be spared from the said charity. America has money,but little or no true Gospel;and American gospel preached with American money does veritable,yea infinite,harm to the world.May God give more Gospel and less money to America.Next to German militarism,nothing,I believe,does more harm to the cause of true religion than American money. Woe,woe to the world,if it is to be flooded with American gospel with the push of American money. May God save us all from both!
 
     米国人の金と其福音
 
 新聞紙は伝へて曰ふ米国は近き将来に於て世界戦争の為に消費せし以上の金額を世界伝道の為に消費せんとすと 米国に取り寔に寛大なることである、然し乍ら日本だけは其大慈善の恩恵より免れんことを欲する、米国に(47)金は有る、然し真の福音は有るか、無しである、米国人の金を以て米国人の福音を伝へられて全世界は大害毒を、然り永遠に消えざる大害毒を蒙らざるを得ない、祈る神が米国により多くの福音に併せて|より〔付傍点〕尠く金を与へ給はんことを、余の知る範囲に於て独逸人の軍国主義を除いて他に米国人の金ほど真の宗教の進歩を妨ぐるものはない、若し米国人の金を以て彼等の福音を播布せられんには世界は寔に禍なる哉である、祈る神が全人類をして米国人の金と其福音との禍厄より免れしめ給はんことを。
  神ラオデキヤの教会に書贈りて言はしめ給はく「汝自ら我は富み且つ豊になり乏しき所なしと言ひて実は悩める者憐むべき者又貧しき者なるを知らざれば……………我れ汝を我が口より吐き出さん」と(黙示録三章一六、一七節)。
 
(48)     〔平和来 他〕
                         大正8年7月10日
                         『聖書之研究』228号
                         署名なし
 
     平和来
 
 平和は来た、対独講和条約の調印が済で茲に五年間に渉りし世界戦争は終結を告げた、寔に慶すべき賀すべき事である、サンマルコ聖堂の鐘は鳴り響いて全世界は再び剣を鞘に収めて鋤犂の業にと就きつゝある、何物か之に勝りて喜ばしき事あらんやである。
 然し乍ら是で戦争が廃《や》んだのではない、一時休んだ丈けである、戦争は猶ほ続くのである、軍艦は盛んに造られつゝある、師団は新たに設けられつゝある、国際聯盟は成りしと雖も誰一人として戦争の全廃を信ずる者は無い、此の戦争は済んだ、然し更に大なる戦争は起りつゝある、英米戦争である乎、英民族対拉典民族の戦争である乎、其事は判明らない、然し乍ら這般《こたび》の戦争よりも更に更に大なる戦争の起りつゝあるは預言者の言を待たずして明かである。
 国と国との戦争と、民族と民族との戦争とに加へて階級と階級との戦争が起りつゝある、此世は依然として戦争の衝衢《ちまた》である、物価は益々騰貴する、生活は益々困難になる、随て競争は益々激しくなる、人が生命を呪ふ(49)時が来りつゝある、「斥候《ものみ》よ夜は何時ぞ? 斥候答へて曰ふ朝来り|夜また来る〔付○圏点〕と」(イザヤ書廿一章十一、十二)然り、平和来り戦争また来る、暗黒は猶ほ地を去らない、人類が其造主を忘れて自己の幸福を求めつゝある間は戦争は決して彼等の間に絶えない、父を離れしが故に兄弟相互に害ふのである、神に対する叛逆の刑罰として人類は戦争に苦しむのである、此叛逆が癒さるゝに非ざれば真の平和は地上に臨まない、神を除外せし這般の平和も亦永く続く者でない、巴里に結ばれし平和条約も亦バベルの塔と同一である、其結果たる国民の結合に非ずして其離散である、交戦国の悔改を以て始まらざりし此平和会議が失敗に終るは火を睹るよりも瞭である。
 然らば我等は何を為さん乎? 時を獲るも時を獲ざるも平和の福音を唱へんのみ、人をしてキリストに由りて神と和がしめ、而して永久に破れざる平和を地上に来たさんのみ、キリストのみ真の平和の主である。
 
    基督者の義
 
 「基督者《クリスチヤン》他なし義人なり」と云ふ者がある、即正義の人でさへあれば其人の信仰は怎《どう》であらうとも其人は基督者であると云ふ、即ち儒教信者たる可なり、仏教信者たる可なり 無神論者たる亦可なり、正義を愛し之を行ふ者は凡て基督者であると云ふ、寔に道理らしき見方である、世に正義の士に非ずして自ら基督者なりと称する者あるが故に斯くの如き意見が行はるゝのである、然し乍ら義人必しも基督者ではない、基督者は勿論義人である、然し凡の義人は基督者ではない、基督者は義人の一種である、自分の義を行ふ者ではない、神の義を行ふ者である、而して神の義は正義人道と称するが如き倫理学上の義ではない、彼が遣はし給ひし御子イエスキリストである、イエスは神に立られて基督者の義となり給ふたのである(コリント前書一章三十節)、故に若し基督者《クリスチヤン》に義があ(50)るとすれば夫れはイエスを信ずるの義である、是れパウロの所謂「神の人を義とし給ふ義」であつて此世に儔《たぐひ》なき義である、而して信者に在りては神の此の義を信ずる事、それが彼(信者)の義である、此を措いて他に基督者の義あるなしである、基督者《クリスチヤン》は義人であると云ふはイエスキリストと彼の十字架を信ずると云ふ事の外に無いのである、然らば基督者は此世の義人以下の義人であるかと云ふに決してさうではない、自ら義人たらんと欲せずして神に義とせられし基督者は義務として義を行ふ者に非ずして性質として義を愛する者である、彼は聖書の霊に由て再び生れし者であるが故に義は彼の自然性と成るのである、故に彼は努めて義を求めざるも義は自然的に彼より流れ出るのである、斯くして彼は道義の範囲を脱して道義以上の動機に因て義を行ふ者と成つたのである、故に外より彼を見て普通の義人と多く異なる所なしと雖も、衷より彼を見て彼は全然別種の義人である、基督者は神に由て生れし者であつて神の子である、故に神の聖きが如く聖くなりつゝある者である、基督者は日に日に神の子イエスキリストを仰瞻るに由て其義を己が所有と為しつゝある者である。
 
    文学者の信仰
 
 当にならぬ者とて文学者の基督教の信仰の如きはない、彼等は基督教に接して之を歓迎する、之に憧憬る、其美的一面を視て之に引附けられる、然れども一朝其厳格なる道徳的要求に会ふや之に耐へ得ずして忽ち之を棄去るを常とする、文学者にして忠実なるキリストの僕として其一生を終る者は甚だ稀である、彼等は自由を愛すると称して如何なる律法《おきて》にも耐ゆる能はず、正直を貴ぶと称して如何なる信仰をも懐《いだ》くことが出来ない、彼等は放縦の人たらんと欲し、思想に於ても行為に於ても何等の拘束をも受けざらんと欲す、而して斯かる人等に基督教(51)が解らないのは勿論である、|義に基く愛〔付○圏点〕の宗教である、故に厳格なる義の要求に応ぜずして基督教の愛を覚ることは出来ない、罪を罪としで認め、罪の価は死なりと信じて、自身罪の子たる以上、死の刑罰を価ひする者なるを承認してのみ初めて基督教の有難さが解るのである、然れども是れ大抵の文学者の為す能はざる所である、彼等は夫れが為めに基督教を去て、他に彼等に都合好き人生哲学に走るのである、文学者は律法なき福音、条件なき愛を要求して止まないのである、故に十字架を中心とする基督教に耐へ得ないのである、必竟するに文学者は思想の人であつて実行の人でない、好楽の人であつて奮闘の人でない、筆執る人であつて槌や鶴嘴や鋤を手にする人でない、故に大工の子なるナザレのイエスの教は解せんと欲して解し得ないのである、文学は基督教を解せんと欲する者の択むべき|最悪の途〔付△圏点〕である、医学も工学も理学も農学も然り亦法学も、人をキリストの福音に導く途として優《はるか》に文学以上である、宗教は実験である、人生の深き事実である、宗教は行つて、闘つて苦んで信ずる事が出来る、考へて、夢みて、楽しみながら解する事は出来ない、文学者は批評家、劇作家、小説家、然り、特別の場合に於ては詩人と成る事が出来る、然れども十字架を負ふてキリストに従はんが為には、彼等は余りに繊弱である、繊美《デリケート》である、勇気が足りない。
 
(52)     神の愛
        (五月四日) 約翰第一書四章七−十二節の研究
                    大正8年7月10日
                    『聖書之研究』228号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 約翰第一書は多くの貴き真理を教ふる書翰である、殊に基督者が其標語とする「神は愛なり」との語は此書の中に三度び繰返さるゝのである、故に神の愛に就て知らんと欲して此書に勝るものはない、然しながら使徒ヨハネは茲に神の愛に関する教義を論述して後世に伝へんと欲したのではない、|彼は当時の或る境遇に迫られて筆を執り之に応ずるに永久的真理を以てしたのである〔付○圏点〕、故に此書を解するの心的準備として其境遇の如何なるものなりし乎を知るを必要とする、凡て記者の性質と其境遇とを知る事は聖書研究上極めて緊要である、此書も亦之等の事情を明かにするに由て数多の疑問を除く事が出来る。
 ヨハネの此書を認めたるはキリストの死後凡そ六七十年の頃であつた、当時基督教会は漸く発達して|既に大なる異端が其中に侵入した〔付○圏点〕、之を名けて Gnosticism と言ふ、其大意に曰く「神は光である、故に神を知らんと欲する者は亦神より特別の光に接しなければならない、而して神の光に接するに二の途がある、其一は哲学即ち|知識〔付△圏点〕である、其二は|神秘的黙示〔付△圏点〕である」と、斯くて彼等の間に知識階級又は黙示階級なるものを生じ之に与らざる者は神の子に非ずとの思想が起つたのである、蓋しエペソ其他小亜細亜地方は其地理上半希臘半東洋的の場所な(53)るが故に希臘の哲学思想と東洋の神秘思想とが混淆して遂に斯かる異端を作成したのであらう、|然るに此間にありて独り老使徒ヨハネは明白に主張したのである、曰く「之れ信仰の真正なる試験法に非ず、又イエスキリストの教にも非ず、斯の如きは大なる異端である〔付○圏点〕」と、彼は自ら名誉ある十二使徒の一人なりしに拘らず当時の神学者哲学者神秘家等に対して|平信徒の強き弁護者〔付○圏点〕として立つたのである。
 神に由て生れ且神を知る者は哲学者ではない神秘家ではない、然らば何人である乎、ヨハネは言うた「そは|義を行ふ者〔付○圏点〕である、|兄弟を愛する者〔付○圏点〕である、而して又|イエスキリストの肉体となりて来り給へる事を信ずる者〔付○圏点〕である、然らざる者は皆異端である」と、茲にヨハネの排斥したる異端は初代基督教会に行はれし異端にして又何れの時代にも行はるゝ異端である、我等自身も亦屡々異端に陥らんとするの危険がある、即ち或は自己の研究に由て神の光を探れりと為し其研究に与らざる者を憐まんとするが如き、或は山野を跋渉して特殊の黙示を受けたりと為し其黙示に接せざる者を蔑まんとするが如き之れである、而して斯の如き思想を抱く者は多くはキリストの神性と其受肉と其復活再臨等を信じない、然れども彼等若し哲学と神秘思想とを以てヨハネ先生の許に至らん乎、彼は一喝を加へて曰ふであらう「汝等は兄弟を愛する乎、汝等は神の誡を守りて義を行ふ乎、汝等は神の子の肉体を以て降臨したる事を信ずる乎、|凡そ兄弟を愛せず義を行はずイエスの神性を信ぜざる者は基督者ではない〔付△圏点〕」と、之れ即ち約翰第一書の根本教義である。
 ヨハネは既に此事を説き尽して四章七節以下に至り簡単に之を括約した、故に其短き数節の間に約翰第一書中の真理は更に濃厚なる形を以て表されたのである。
 「愛する者よ」 人類全体ではない、自己の弟子、自己の牧したる教会の信者等に対して言ふ。
(54) 「我等互に相愛すべし、愛は神より出づればなり」 彼は先づ我等互に相愛すべしと言ひて基督者相互の愛に訴へた、然しながら基督者の愛の源泉は各自に又は此世に在るのではない、偽預言者は此世より出でし者なるが如く基督者は神より出でたる者である(五、六節)、而して神は愛である、故に基督者の愛は神より豊かに流れ出づるのである、基督者は自ら愛するに非ず、神に由て愛せしめらるゝなりとの意である、勧奨《すゝめ》を為すと共に徳の源泉を指示したのである。
 「凡そ愛する者が神に由て生れ又神を知れるなり」 誰が神に由て生れし者即ち神の子である乎、誰が神を知る者である乎、之れ当時の大問題であつた、博学の士等が此問題の為に激しき議論を闘はした、其時に当りヨハネは一言にして曰うたのである「|誰が? 愛する者が其れである〔付○圏点〕、愛せざる者は仮令如何なる学者宗教家又は監督と雖も神の子ではない、又神を知れる者ではない」と。
 「愛せざる者は神を知らず、神は即ち愛なればなり」 今より数年前或る有識の仏教徒が余を訪ね来りて余に曰うた「抑も基督教の愛は無我の愛なる乎はた絶対の愛なる乎」と、余は之に答へて曰うた「無我か絶対か余は之を知らず、然れども|貴下若し基督教の愛の何たるかを解せんと欲せば貴下の有する最も大切なる者を貧者に与へよ〔付○圏点〕、然らば自ら分明ならん」と、ジョージ・エリオットの小説中にダニエル・デロンドなる人物がある、彼はユダヤ人であるが神を知らずして唯金銭のみを貯へた、其深き慾の為に家庭を有つ事さへ之を嫌うた、彼れ年老いて巨富を作りしも遂に心の平和を獲る能はず、或夕商業よりの帰途日暮れて路傍に輝く者を発見し金塊かと之を抱き上ぐれば何ぞ図らんそは一人の金髪の嬰児であつた、而して其嬰児の笑顔を見るや彼の心中に初めて愛が起つた、即ち之を携へ帰り乳母を傭うて養育するに及び彼は次第に神の愛を知りて美はしき残生を終つたのであ(55)る、実に神の生命、其根本中心が愛なるが故に愛する者のみ能く神を知る事が出来る、|自ら愛せずして神を知らんと欲するも到底不可能である〔付○圏点〕。
 次にヨハネは|神の愛の如何なるものなる乎〔付○圏点〕を説明せんとして曰うた「神は其子即ち生み給へる独子を世に遣はし我等をして彼に由て命を得しむ、是に於て神の愛我等に顕はれたり」と、曾て有名なる教育家ホレース・マンが教育の貴重なる所以に就て言うた事がある、教育を受くる者が我子ならば其為に凡てを犠牲に供し得るに非ずやと、然り子の故に教育も亦貴くある、世に貴き者にして子の如きはない、若し子の為ならんには全世界を棄つるも惜しからずとは凡て真実なる親心である、人は子を失うて其最も貴き者を失ふのである、然るに神は其子而も独子を棄て給へりと言ふ、而して之れ我等をして生命を獲得せしめんが為であると言ふ、|犠牲の極致である、神の有し給ふ最高最大の愛の発現である〔付○圏点〕、其深き意味は己が子を失ひし経験ある者にして初めて稍之を解する事が出来る。
 更に曰く「我等神を愛すと言ふ事に非ず、神我等を愛し我等の罪の為に其子を遺して挽回《なだめ》の祭物《そなへもの》となせりと言ふ事之れ即ち彼の愛なり」と、|神は本来愛すべき者である、故に我等之を愛するは当然の事にして怪しむに足りない、然しながら驚くべきは神が愛すべからざる我等を愛し給ふ事である〔付○圏点〕、我等の如く神を斥け神を嘲り神に敵する穢れたる罪人を神は愛し給ひて、唯に愛するのみならず之に生命を獲しめんが為に其独子をさへ棄て給へりと言ふ事、之れ最も驚くべき愛である、而して神の愛とは即ち斯の愛を言ふのである(羅馬書五の七、八参照)。
 愛は情であるといふ、情は人之を支配する事が出来ない、故に情の愛は自ら受働的交換的である、彼れ我を愛せん乎我も又彼を愛す、彼れ我に背かん乎我も亦彼に背く、斯かる交換的の愛と雖も美はしくないではない、然(56)しながら之れ人の愛であつて又動物の愛である、犬の其子を愛し獅子の牝獅子を愛するも皆同じ情の愛である、神の愛は然らず、我に逆ひ我を鞭うち我に棘《いばら》の冠を被らせ我を十字架に釘けし者を愛し之が為に祈り之が為に生命を捐つ、|愛は茲に至て情に非ずして意志である〔付○圏点〕、神の愛は最も貴き意志の愛である。
 「愛する者よ、斯の如く神我等を愛し給へば」 神は斯かる驚くべき愛を以て我等を愛し給へば我等は之に対して如何にすべき乎、「我等も亦神を愛すべし」である乎、否ヨハネは曰うた「|我等も亦互に相愛すべし〔付○圏点〕」と、神は悪むべき嫌ふべき罪人我等に対し神として用ゐ得べき最大の愛を以て愛し給うたのである、其の愛たるや余りに偉大にして我等は到底之に応ずる事が出来ない、勿論如何なる奉仕も祭事も以て之に酬ゆるに足りない、然らば如何にせん乎、曰く兄弟を愛すべしである、|兄弟互に相愛する事之れ神の愛に対する我等の応酬である〔付○圏点〕。
 「未だ神を見し者なし、我等もし互に相愛せば神我等の衷に居りて彼を愛する愛を我等の衷に完うす」 神秘家は屡々見神の実験を提唱する、然しながら我等に見神以上の実験がある、我等若し互に相愛せば神自身我等の中に宿り神を愛するの愛を完成して審判の日に懼なからしめ給ふのである、之が為には何等の素養をも地位をも要しない、老若男女、学者無学者の別を問はない、唯「我等若し互に相愛せば」である、実に常識に富みたる大真理である、恰も山中の湖水の如く深くして而も底まで見透す事の出来る真理である。
 基督的愛《クリスチヤンラヴ》とは即ち之である、今若し此愛を以て我等各自を審判かれなば如何、先づ余自身の場合に於て余は或は次の如くに言はるゝであらう、曰く汝は多く聖書を講じたり、又大に世の腐敗を憤れり、又多少の慈善を為したり、我れ皆之を記憶す、然れども汝は我が汝を愛したる如くに汝の兄弟を愛したる乎、汝を偽善者と呼び国賊と嘲り汝を土芥視し蛇蝎視したる者を愛したる乎と、而して余は之に答へて唯「主よ此罪人を赦し給へ」と言ふ(57)の外を知らない、同じやうに諸君各自も亦審判かるゝであらう「何時は洗礼を受けたり、教会に加入せり、伝道事業に参加せり、其資金を寄附したり、然れども汝の事業を妨げ汝の名誉を傷つけんとしたる者を悪まざりし乎、汝の存在に関はる悪計を巡らしたる者を呪はざりし乎」と、実に我等の愛する能はざる者は随所に多いのである、然しながら我等は神の我等を赦し給ひし其愛を以て亦彼等を赦さんと欲する、我等の胸中にある一切の怨恨を棄却して彼等の為に祈らんと欲する、斯くして兄弟相互の愛を以て真に神の子たるの実を挙げん事を欲する。
 
(58)     人類の堕落と最初の福音
        (五月十一、十八日) 創世記第三章の研究
                    大正8年7月10日
                    『聖書之研究』228号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 創世記第三章の記事は興味ある物語なるも其中に我等各自の信仰と深き関係を有する大なる真理あるなしとは近世人及び近代の註解者等の称ふる所である、彼等は曰ふ「之れ何処にもある女と蛇との譚《はなし》に過ぎない、世界の古き記録は皆此種の物語より始まる」と、例へばメキシコの如き文明より離隔したる国に於ても女と蛇とに関する口碑あり、又バビロンの如き古代の文明国に於ても樹下に佇立せる女の傍に蛇あり其頭を擡げて之と語るといふ古き物語あり、其他支那に於ても所謂陰陽の観念ありて諸の悪は陰性たる婦人より来ると見るが如き皆同一の思想より出づ、ヘブル人の思想も亦之と異ならない、創世記第三章は此の人類共通の古き観念を描けるものであると言ふのである、然しながら斯の如き解釈は恰も善悪を知るの樹の果《み》を食ふと同じく人をして識者たらしむるに足らんも之をして霊的道徳的に向上せしむる事は出来ない、創世記第三章の解釈は信仰の程度如何に由て異なる、|深き信仰を以て之を読みて其中に偉大なる真理ある事を知るのである、実に此一事の中に基督教の全体が含まれて居ると言ふ事が出来る〔付○圏点〕、故に或人は之を呼んで the proto-evangel(最初の福音)と称したのである。
 「ヱホバ神の造り給ひし野の生物の中に蛇最も狡猾《さが》し、蛇婦に言ひけるは云々」 事実である乎譬喩である乎、(59)明白に識別する事が出来ない、然しながら|之を原語にて読む時は其困難の大部分を解き去る事が出来る〔付○圏点〕、蛇の腹語 Nachash(ナカシュ)は其字義よりすれば「|光る者〔付○圏点〕」又は「|悧巧さうに見ゆる者〔付○圏点〕」の意である、即ち一見して博識多才、世事に精通し人心の機微を穿つが如き者を「ナカシュ」と言ふ、其註解を得んと欲すれば哥林多後書十一章十四節を見よ、「サタンも自ら光照《ひかり》の使の貌《かたち》に変ずるなり」と、|アダムとエバとの前に現はれたる蛇即ちナカシュは光明の使の貌に変じたるサタンである〔付○圏点〕、故に之を訳語にて蛇と読まずして寧ろ原語のま、「ナカシュ」と読むを可《よし》とする、而してサタンが光明の使の貌に変じて来りて人を試むる事あるは我等の信仰生活に於て屡々実験する所である、風采揚り学識秀でたる光明の士《ひと》に誘はれて遂に恐るべき淵に陥る事が多い、人類の始祖を誘ひたる者も亦斯かる「光る者」「悧巧さうに見ゆる者」であつた、即ちサタンがナカシュの貌を以て現はれたのである。
 然しながら「野の生物の中」といひ「腹行ひて云々」と言ふが故にナカシュは蛇を代表する者たる事は疑ひがない、蛇其者には非ざるも蛇の如き者である、而して|ナカシュを以て蛇を代表せしむるは宇宙を詩的に観察したる思想である〔付○圏点〕、宇宙は一の大なる詩である、万物は霊界の表現である、ウオルヅヲルス、ブライアント等の詩人は能く此事を了解した、彼等は万物の中に或る霊の具象を認めた、而して我等も亦時として詩人と成るのである、世に陰険なる人物を称して狸といふ、狸は実は愛すべき動物である、然しながら此称呼に深き意味がある、狸は日の光を喜ばない、彼は好んで暗き穴に潜る、故に陰険なる人物を狸と呼ぶは天然の詩的解釈である、其如く|野にある蛇も亦或る一の霊の表現である〔付○圏点〕、蛇が人を誘ひたりと言ふ、詩である、而して深き真理である。
 |人殊に婦人は何故に蛇を嫌ふ乎〔付○圏点〕、こは動物学上説明すべからざる現象である、動物学者の言ふ所に由れば動物(60)の運動方法として蛇の運動ほど美はしきものはないといふ、然るに何故之を嫌ふのである乎、蛇の中には毒蛇あるが故である乎、然しながら蛇の種類数百の中有毒のもの僅かに十二三種に過ぎない、若し毒の故を以てすれば虫にも毒虫あり魚にも毒魚がある、然らば何故である乎、之れ興味ある問題である、或る学者は曰ふ、人は今日迄多くの動物と闘ひしも其最も困難なりしは蛇との關ひであると(蛇は門を閉づるも之を防ぐ能はず、壁間の小孔等より侵入し来りて人を害する、印度又は台湾等に於ては今尚ほ蛇の為に死する者年々数万に上る)、此説明は甚だ有力なりと雖も未だ十分なる理由と為すに足りない、蛇と婦人との間には何か我等の解する能はざる深き理由ありて斯の如く甚だしき反目を来したのである、而して此点に於ても亦創世記第三章は大なる参考資料を供するものである。
 然しながら最も重要なる事は蛇が何で有つた乎の問題ではない、|ナカシュが如何にして人類を誘ひし乎〔付○圏点〕の問題である、之れ独りアダム、エバの遭遇したる問題なるのみならず又我等自身の遭遇する問題である、サタンは来りて先づ疑問を発して曰うた「神真に汝等園の凡ての樹の果は食ふべからずと言ひ給ひしや」と、サタンの人を誘ふや常に疑問を以てする、而して人は之に対して「然り」又は「否」を以て答ふれば足る、然るにエバはサタンに答へて曰うた「我等園の樹の果を食ふ事を得、されど園の中央に在る樹の果をば神汝等之を食ふべからず又之に※[手偏+門]《さは》るべからず、恐らくは汝等死なんと言ひ給へり」と、之を二章十六七節と対照するに「又之にに※[手偏+門]るべからず」とは神御自身の言ではない、エバが己の想像より附け加へたる言である、又神は「恐らくは」と言はずして「必ず」と言ひ給うたのである、|即ち知るエバは神の言其儘を引かずして或は之に附加するに自己の想像より出づる解釈を以てし或は〔付○圏点〕妄|に之を修正したる事を、エバがナカシュに乗ぜられたる所以は此処にある〔付○圏点〕、ナカシュ(61)婦に言ひけるは「汝等必ず死ぬる事あらじ、神汝等が之を食ふ日には汝等の目開け汝等神の如くなりて善悪を知るに至るを知り給ふなり、」と ナカシュはエバの態度より察して其の誘ふに足るを思ひ大胆にも言うたのである、神の之を禁じたるは神自身の地位を独占せんが為めにして汝等に対する愛ではないと、茲に於てエバは其樹を見れば食ふに善く目に美はしきが故に遂に全く誘はれて神に逆くに至つたのである、試に之を我等各自の実験に比せよ、ナカシュ来りて先づ或る疑問を発し我等の之に応ずるを見るや甘言を以て歩一歩我等を誘ひ遂に全く信仰を失墜せしむるに至る、実に能く真を穿ちたる記述である。
 ナカシュは又イエスキリストの許に来りて彼を試みた、然しながら彼は唯聖書の言有の儘を以て答へて之を撃退した、馬太伝第四章は創世記第三章と著るしき対照を為すものである、|エバは何故に失敗したる乎、彼女は聖書の言に修飾改訂を施したるが故である、イエスは何故に成功したる乎、彼は聖書其儘を以て立ちしが故である、而してサタンの誘惑を撃退する唯一の途は此処にある〔付○圏点〕、人は自己の意志を鞏固にして以て誘惑を排斥せんとするも能はない、唯聖書の言を繰返してのみ確実に之を撃退する事が出来る、聖書の言が如何にして斯の如き力を有する乎は説明するに甚だ困難である、然しながら長き信仰生活を続くる者は皆知るのである、|聖書中の或る一節一句が屡々人の霊魂を危機より救ひ出す事を〔付○圏点〕、之に反し人をしてナカシュの誘惑に陥らしむるの途を開くものは聖書の言を疑ひ或は之を変へんとするの異端である。
 次に善悪を知るの樹とは如何、樹が如何にして善悪を知らしむるのである乎、都市の住民は此事を解するに困難である、然しながら山中の民に取て樹の如く大なる意義を有するものは少い、|一本の樹の上に多くの歴史が繋《かゝ》つて居る〔付○圏点〕、其萌芽、其新緑、其紅葉、其落葉、皆人生との間に深き関係が有る、余輩の忘るゝ能はざるものは青(62)年時代に北海道に於て親みし樹である、彼等は多年余輩を教へ又慰めたる旧友である、今日と雖も窓前に繁る一樹の欅は余輩に取て朝となく夕となく深大なる慰藉である教訓である、|善悪を知るの樹と言ふ、天然との交通の経験に富む者は能く其消息を解する事が出来る〔付○圏点〕。
 「園の凡ての樹の果は意《こゝろ》の儘に食ふ事を得、されど善悪を知るの樹は其果を食ふべからず」と、園中の樹幾万本、而して其中唯一本の果のみは食ふ事を禁ぜらる、人の人たる所以、其の神と異なる所以は此処にあるのである、人は他の事に於ては凡て自由である、|然しながら唯一事に就ては絶対的服従を守らなければならない、此唯一の服従ありて初て人の価値がある〔付○圏点〕、偉人とは誰ぞ、才能絶倫の人ではない、神の前に絶対服従を守る人である、曾てアイザック・ニュートンは曰うた、「基督教の起否は但以理書を神の言として受くるか否かにあり」、と以て彼の如き大科学者にも唯一つ信じて疑はざる者ありしを知る事が出来る、若し人にして一も信ずる所なく服従する所なきに至らん乎、即ち彼は人にして人ではない、人たるの品格は既に彼より落ちたのである、斯かる人の光輝失せたる顔色は其事を裏切つて余りがある、|信徒即ち之れ善である、叛逆即ち之れ悪である〔付○圏点〕、神は園中幾万本の樹の中唯一本を禁じ給ふ、而して之に信従して人に善の善たるものあり、之に叛逆して悪の悪たるものがある、|堕落とは人が其唯一の服従を失ふ事である〔付○圏点〕。
 然らば今日に於て善悪を知るの樹とは何である乎、他の物は皆意のまゝに食ふを得るも唯之のみは食ふべからず、若し之を食はゞ必ず死なんと言はるゝものは何である乎、初代に於ける|樹〔付○圏点〕は今日に於ける|書〔付○圏点〕である、神は我等に唯一書を与へ給うた、而して我等は他の哲学文学又は歴史科学等何れに対して自由の判断を下すも可なり、唯此書に現はれたる神の言に対してのみは絶対的信従を守らなければならない、然らずんば我等は必ず死すべき(63)である、「若し此書の予言の言に加ふる者あれば神此書に記《しる》す所の災を以て之に加へん、若し此書の予言の言を削
る者あれほ神之をして此書に記す所の生命の樹の果と聖き城《まち》とに与る事なからしむ」とあるが如しである(黙示録二二の一八、一九)、|我等が善悪を知るの樹は聖書である、之のみは食ふべからず唯其儘に信じて受くべきものである〔付○圏点〕。
 アダムとエバとは善悪を知るの樹の果を食ひてより己が裸体なるを知り之を耻ぢて無花果の葉を綴りて裳を作つた、彼等は何故裸体を耻づるに至つたのである乎、思ふに此時人類に大変化が臨んだのであらう、人類には初め極めて貴きものがあつた、其時裸体は耻づべき状態ではなかつた、美術家の要求するものにして裸体の如きはない、天然美は此処に最も善く現はるゝが故である、又今日と雖も裸体の毫も耻辱に非ざる場合がある、テニソンの詩に歌はれたる或る少女の場合の如きが其れである、少女は圧制君主の女《むすめ》であつた、彼女の父なる国王は或時人民に誓つて日うた、若し婦人にして裸体の儘馬上城下を乗廻る者あらば圧制の法律を悉く撤廃せんと、然るに彼女は民を救はんが為に自ら裸体の姿を馬上に現はして街区を巡つた、民皆感激し其日は謹んで帷《カーテン》を垂れれ遠慮した、或る一人私かに之を見んと欲したれば忽ち天より火降りて彼は盲目と成つたといふ、而して悪法は翌日悉く撤廃せられたのである、此場合に於て裸体は決して耻辱ではなかつた、然らば|人の之を耻づるは何故である乎、蓋しナカシュに誘はれて堕落したる結果穢れたる名誉心に訴ふる所あるが故である〔付○圏点〕、羞耻の念は多くの場合に於て己が醜態を蔽はんとする卑しき心である、アダムとエバは善悪を知る事が出来た、然しながら善を行ふの力、悪を避くるの力は之を有たなかつた、|既に自己の汚穢を知る、然れども之を脱する能はず、此処に於てか之を蔽はんと欲す〔付○圏点〕、衣服は斯の如くにして出来たのである、今日男も女も衣服衣服と呼びて自己を飾らんとする(64)は此思想より起つたのである、而して人の宗教道徳、其凡ての制度儀式は皆衣服である、斯かる多くの衣服を以て身を蔽はんと欲するは即ち|人が其赤裸々の姿を以て神の前に出づるに堪へざるを感ずるが故である〔付○圏点〕。 人は堕落して茲に神の定め給ひし福《さいはひ》を失うた、人類の始祖アダムの堕落に由て罪は全人類の傾向となつたのである、此世は罪の世である、我等は此世に来りて罪を犯さゞるを得ざる世界に来たのである、勿論我が罪に就て我に實任がある、然しながら恰も前|独帝《カイゼル》及び前政府の行為に関し独逸国民全体が其責任を負ふが如く|人類の代表者の罪に関し人類全体が連帯して其責任を負はなければならない〔付○圏点〕、初の一人の代表せし事が後の人類の全体に及ぶは神の定め給ひし法則である、然らば神は無慈悲の神である乎、|否神は人類の罪を犯すや否や直に救贖の途を開き給うたのである、創世記第三章に此福音的半面がある〔付○圏点〕、之を知つて神の如何に恩恵に富み給ふ神なるかを知るのである。
 「彼等園の中に日の涼しき頃歩み給ふヱホバ神の声を聞きしかばアダムと其妻即ちヱホバ神の面《かほ》を避けて園の樹の間に身を匿せり、ヱホバ神アダムを呼びて之に言ひ給ひけるは汝は何処に居るや」と、|神は茲にアダムを捉へて叱責し給うたのではない、失はれし子を尋ねて之を救に導かんとし給うたのである〔付○圏点〕、故に八節以下は路加伝第十五章と並読すべきである、彼にありては父は帰り来りし子を抱きて歓び迎ふ、此にありては神は未だ帰らんとせざるアダム、エバを迎へん為め自ら之を尋ね給ふ、「汝は何処に居るや」とは「|汝の今の立場は何処に在るや〔付△圏点〕」との意である、アダムと神との間には久しく父子の美はしき関係があつた(アダムは其九百三十年の一生中久しき間神の前に罪なき生涯を送つたのである)、然るに一朝彼の罪を犯すに及んで此関係断絶したるが故に父は子の帰り来るを待たずして自ら往いて之を尋ねたのである。
(65) 「ヱホバ言ひ給ひけるは誰が汝の裸なるを汝に告げしや、汝は我が汝に食ふ勿れと命じたる樹の果を食ひたりしや、アダム言ひけるは汝が与へて我と共ならしめ給ひし婦《をんな》彼れ其樹の果を我に与へたれば我食へり、ヱホバ神婦に言ひけるは汝が為したる此事は何ぞや、婦言ひけるは蛇我を誘惑して我食へり」と、アダムは答へて曰うた、我をして罪を犯さしめたる者は我妻なり、而して妻は汝の与へ給ひし者なるが故に罪の責任は実は汝にあるなりと、エバは答へて曰うた、我を誘惑したる者は蛇なりと、|実に自ら責任を負はんと欲せざるは罪人の特徴である〔付○圏点〕、彼等は曰ふ、責任は我にあらず、親にあり、教師にあり、社会にあり、神にありと、|然しながら何人よりも自己の責任の重きを感じて「最も悪しき者は我なり」と言ふに非ざれば罪人と神との関係は回復しないのである〔付○圏点〕、今より十余年前一人の出獄人が出獄の当日余を訪ねて来た事があつた、彼は先に二友人と共に或る外人を欺きし為め二年の禁錮に処せられしが判決申渡の当時既に基督者と成りたる彼は自己の罪の重きに比し此処刑を以て言ふに足らずと為し直に服罪して今や其刑期を終つたのである、然るに共謀の二人は刑の重きを争ひて其時尚ほ控訴中であつた、救はれたる者と救はれざる者との相違実に斯の如しである。
 而して我等各自が皆此経験に遭遇するのである、或は野外に於て或は山中に於て日の涼しき頃神は独り我等を見舞ひ「汝は何処に居るや」と尋ね給ふ、其時自己を省みれば何の頼むべきものあるなく身は唯穢れたる裸体である、「誰が汝の裸なるを汝に告げしや」、親か、祖先か、社会か、斯る説明は神の前にありて何等の弁護にも値しない、|我等は神に発見せられて罪人の宣告を受くるのみである、之れ人生の最も辛き経験である、然しながら神の前に凡ての弁護の尽きたる時イエスキリストの十字架を示されて茲に我が救を認め以て一切の罪を赦されるのである〔付○圏点〕 之れ即ち基督者の信仰的実験である。
(66) 「ヱホバ神蛇に言ひ給ひけるは汝之を為したるに由て汝は凡ての家畜と野の凡ての獣よりも勝りて詛はる、汝は腹行ひて一生の間塵を食ふべし」と、神はアダムとエバとに対しては先づ質問を発して以て其申開きを為すの特権を与へ給うた、然るに彼等を誘ひたるナカシュに対しては初より裁判である、|人に対しては救贖の途を開きナカシュに対しては刑罰の宣告を下し給ふ〔付○圏点〕、之れ悪魔の罪は所謂聖霊を涜すの罪に当り救はるべき時を過ぎたる赦さるべからざる罪なるが故である、故に彼は最早や直立して面相接するの態度を取る能はず|裏面より陰険に人を〔付○圏点〕陥|るゝの生涯に定めらる〔付○圏点〕、曰ふ「汝は腹行ひて一生の間塵を食ふべし」と、即ち天然を詩的に解釈し蛇の性質を以て悪魔の生涯を説明したる語である 而して其意味に於て悪魔が蛇なる事は人の皆知る所である、かのゲーテの傑作『ファウスト』に於て悪魔が甘言を以てファウストに言ひ掛くる時之を撃退するの力を有せずと雖も「|蛇よ蛇よ《シユランゲシユランゲ》」と叫びしは能く人の実験を描ける者である。
 悪魔は蛇である、裏面より陰険なる手段を以て人を惑はさずんば已まない、然しながら神は永久に蛇を生かして置き給はないのである、「又我れ汝と婦の間及び汝の裔《すゑ》と婦の裔との間に怨恨《うらみ》を置かん、彼は汝の頭を砕《くじ》き汝は彼の踵《くびす》を砕かん」、|蛇と婦の〔付○圏点〕裔(単数なり、即ち|婦の生む或る特別の子)との間に限なき戦が続き終に婦の裔に由て蛇は其頭を砕かれんとの約束である、蛇の其頭を砕かるゝは即ち人類の救贖の完成する時であつて死が生に呑まるゝ時である〔付○圏点〕、知るべしナカシュに対する神の此語は人類救贖に関する大なる約束なる事を、|之れ実に人類最初の福音である〔付○圏点〕、人類が罪を犯すや否や直に之を取除くべき方法が設けられたのである。
 「又婦に言ひ給ひけるは我大に汝の懐姙《はらみ》の苦労を増すべし、汝は苦みて子を産まん、又汝は夫を慕ひ彼は汝を治めん」、神は男女を創造すると共に生めよ繁殖《ふえ》よと言ひ給ひしが故に子を産む事が罪の結果に非ざるは明白で(67)ある、然しながら|懐姙出産の苦労の増したる事は罪の結果である〔付○圏点〕、坐食して労働せず不自然なる生涯を送れる婦人に出産の苦労多きを知らば思ひ半ばに過ぐるものがあらう、文明は甚だしく婦人の懐姙出産の苦労を増したのである、又夫婦は神の※[藕の草がんむり無し]《あは》せ給ふもの家庭は神の定め給ひしものなるに拘らず「彼は汝を治めん」と言ひて圧制虐待の行はるゝに至りしも亦人の罪の結果である。
 「土は汝の為に詛はる、汝は一生の間苦労して其れより食を得ん、土は荊棘《いばら》と薊とを汝の為に生ずべし、又汝は野の草蔬《くさ》を食ふべし云々」、人の食物として最も完全なるものは果実《きのみ》である、其種類を選びて之を食はゞ肉又は殺類を取るの必要なくして最も健全なる健康を維持する事が出来る、こは現に或る人々の実行せる所である、而して神が最初に人類に与へ給ひし食物は肉類に非ざるのみならず穀類にも非ず果実であつた、然るに之を棄てゝ穀類を選ぶに至りし原因は此処にあつたのである、又|薊は天然に発生しない〔付○圏点〕、人の耕作を廃したる時即ち土地乾燥して何の用をも為さざるに至りし時に繁茂するものである、故に薊の発生は罪の結果である、米国ボルチモア華府間鉄道沿線に荊棘と薊とを以て蔽はれたる数哩に続く原野がある、かの沃饒《よくねう》を以て聞えたるヴァージニア地方の野に如何にして斯るものが発生したのである乎、他なし煙草耕作の結果である、地を殺すものにして煙草の如きはない、其耕作に由て地力を消耗し尽したる後に沃野は薊の原野と化したのである。
 罪の結果に由て幾多の禍は人類の上に臨んだ、然しながら人類は神に呪はれたのではない、婦の裔は終に蛇の頭を砕かんとの約束ありて人類に大なる希望があつた、アダムは之を解し之を信じたのである、故に「アダム其妻の名をエバと名けたり、そは彼は凡ての生けるものゝ母なればなり」、|彼女より出づる者が真の生命の供給者たらん〔付○圏点〕との意である、即ち知るエバは希望の名なるを、|罪は女を通して来た、然しながら救も亦女を通して来る〔付○圏点〕(68)のである、人類の希望は女にある、其の〔付○圏点〕裔《こ》|にある〔付○圏点〕、何故に特に女の裔と言ふ乎、救主イエスキリストは父によらず処女《をとめ》より聖き霊に由て生れ給ふが故である、「生《いのち》の母」と言ひ「婦の裔」と言ふ、其中に人の霊魂の要求する最も深き真理がある。
 「ヱホバ神アダムと其妻の為に皮衣《かはころも》を作りて彼等に着せ給へり」、彼等は初め自己の裸体なるを知るや自ら無花果の葉を綴りて裳を作つた、然るに今や神は獣《けもの》を殺し其の皮を以て彼等を蔽ひ給うた、|無花果の葉の裳は己の義である〔付○圏点〕、己の修養工夫儀式道徳である、|皮衣は神の屠り給ひし羔の贖ひである〔付○圏点〕、アダムとエバとは自己の作りし無花果の裳を纏うて神の前に立つ事が出来なかつた、然しながら神の備へ給ひし皮衣を着て赦されたる罪人として神に受けられた、我等も亦然りである、己の義に代ふるに羔の贖を以てして初て神に受けらるゝのである。
 神は又彼等を園より逐ひ出し「ケルビムと自ら旋転《まは》る焔の剣を置きて生命の樹の途を守り給ふ」とある(「自ら旋転る」は「凡ての途を塞ぐ」と読むべし)、斯くて永遠の生命の道は塞がれてアダムとエバとは其特権を失つたのである、彼等若し罪を犯さゞりしならば永遠に生くる事が出来たのである、然るに|罪の結果人は必ず死せざるべからざるに至る〔付○圏点〕、人は果して永久に生かしむる能はざる乎、医学者の最大野心は其処にある、有名なる露国の動物学者メチニコフ百二十歳生存説を称へしも先年自身七十五歳を以て死して其説の不可能を立証した、人は千代もと祈るも生くる能はず、生命の樹の途は塞がれたのである、|然しながら神は更に他の途を開きて我等の為に大なる恵を備へ給うた、即ち羔の皮衣を着せらるゝ者はキリスト再び現はれ給ふ時新しき体を賦与せられて永遠に生くる事が出来るのである〔付○圏点〕、|再臨の恩恵はエデンの失敗を償うて余りがある〔付◎圏点〕。(69)哲学者ライプニッツ曰く「人類の進歩を促したる者にしてアダムの堕落の如きはない」と、大いなる逆説《パラドクス》である、然しながら真理である、|人の罪を犯すや其刹那に神は救贖の途を開き給うたのである〔付○圏点〕、誠に罪の増す処には恩恵も弥増せりである、創世記第三章に此絶大なる福音がある、誰か之を以て考古学上の資料たるに過ぎずと言ふ乎、人類最初の福音はアダムの堕落を伝ふる創世記第三章に示されたのである。
  附記 婦の苗裔《すゑ》がナカシュ(蛇)の頭を砕く時は何時か、彼が十字架に上り人類の罪を贖ひし時であるか、さうではないと思ふ、神の子の贖罪の死に由て悪魔は大打撃を受け致命傷を負ふた、然し彼はまだ死んだのではない、彼は今猶ほ生きて居る、而して人を欺き彼を生命の源なる神より離絶しつゝある、今はまだ暗黒の時代である、悪魔(蛇)が猛威を揮ふ時代である、而して婦の苗裔(seed である、単数である、婦の生みし一人の子である)、彼が蛇の頭を砕く時は来りつゝある、「平安の神汝等の足の下にサタンを速に砕くべし」とある其時は来りつゝある(ロマ書十六章二十) キリストの再臨が其時である、聖書は其|創始《はじめ》の書に於て再臨を予言して居る、創世記三章は黙示録十九章と相照らして読むべき者である。
 
(70)     〔独逸の復活 他〕
                         大正8年7月10日
                         『聖書之研究』228号
                         署名なし
 
    独逸の復活
 
 独逸は敗北した、鉄血宰相ビスマルクの大計画は茲に菫花一朝の夢として消えた、而して独逸は如何にして復活するを得るであらう? 其敵の聯合国は言ふ「国家を民主化してゞある」と、独逸人自身は言ふ「国民を社会主義化するに由て」と、然し若しルーテルやメランクトンをして言はしめたならば彼等は確に言ふたであらう「独逸人をして其父祖の信仰に還らしめて」と、民主々義と云ひ社会主義と云ひ、同じく人間の主義である、之を採用して国家も社会も終に滅びざるを得ない、人類を活かす途は唯一つある、それは智者には愚かなる者と見做さるゝ十字架の福音である、之を信じて個人も活き国家も活くるのである、而して独逸は此福音を受けしが故に興つたのである、而して之を失ひしが故に亡びんとしつゝあるのである、余輩は独逸が英米の民主々義に傚ふ事なく、又自国の社会主義を採ることなく、旧き十字架の福音を信じて再び興らん事を祈る。
       ――――――――――
(71)    教会
 
 日本の社会全体は今や教会を嫌う、今や教会に斥けらるゝは社会に迎へらるゝの途である、今や教会に棄てられて何の損する所はない。
 
(72)     FAITH AND INSTITUTION.信仰と制度
                         大正8年8月10日
                         『聖書之研究』229号
                         署名なし
 
     FAITH AND INSTITUTION.
 
 CHURCHES as we find them in Europe and America are Christian doctrines institutionalized.Institutions are Roman,as doctrines are Greek, while Christianity is essentially faith,and faith is Hebrew. Political Romans and their European and American descendants can comprehend faith only ln forms of institutions. Not so Orientals.Orientals can comprehend faith as such,apart from forms,and are in this respect akin to Hebrew prophets and Christian apostles.The work remains to Orientals in general,and it may be,to Japanese in particular, of deinstitutionalizing Christianity,and thus of freeing invisible faith from visible institutions.(I hear American and British missionaries saying to all these:Vague,Visionary!)
 
     信仰と制度
 
 欧米人の教会なるものは基督教の教義を制度化したる者である、制度は羅馬性のもの、教義は希臘性のもの、(73)基督教は実質上信仰であつて信仰は希伯来性のものである、政治的の羅馬人と彼等の後裔たる欧州人と米国人とは制度の形体を以てするにあらざれば信仰を解し得ない、然し乍ら東洋人は彼等と異なる、東洋人は信仰を信仰として制度の形体より離れて解することが出来る、此点に於て東洋人は希伯来の預言者並に基督教初代の使徒等と質を同うす、茲に於てか一大事業の東洋人全体に残りあるを覚ゆ、或は特に日本人に残るのであらう、即ち基督教を非制度化するの事業、見えざる信仰を見ゆる制度より解放するの事業是れである(余輩の此言に対し英米宣教師が「漠然たり、空想也」との批評を試むる、其声の余輩の耳朶に響くを感ず)。
 そは見ゆる所の者は暫時的にして見えざる所のものは永久的なれば也(哥林多後書四章末節)。
 
(74)     健全なる宗教
                         大正8年8月10日
                         『聖書之研究』229号
                         署名 内村鑑三
 
  七月十六日夜京都平信徒信仰革正会の催しに係る講演会に於て述べし所の大意
 
〇健全なる宗教は|第一〔ゴシック〕に主観的でなくして客観的である、内省的でなくして仰瞻《かうせん》的である、人は己《おの》が内を如何程探るとも其内に真善真美を発見する事は出来ない、「善なる者は我れ即ち我肉に居らざるを知る」とパウロは曰ふた(ロマ書七章十八節) 心の底を掘り尽すとも其所に神を看出す事は出来ない、「我」は何処までも罪の我である、「心は万物よりも偽はる者にして甚だ悪し」とあるが如し(ヱレミヤ記十七章九節)、心理の解剖精細を極むるとも之を以て神と真理とを織出す事は出来ない、神は我が外に在ます、我が衷に在まさない、我は彼を我が衷に探るを廃めて我が外に探るべきである、|我が義、我が聖、我が贖は十字架に釘けられしイエスに於て在る〔付○圏点〕、其所に彼を仰瞻て我は我が求むる神を視、我が欲する平安を獲るのである、内省的宗教は不健全である、虚である、空である、労多くして無益である、信仰の目的物を我れ以外、十字架上のキリストに於て求め得て我が希望は充たされ、我は新たなる力を獲て鷲の如く翼を張りて昇り、走れども疲れず、歩めども倦まざるに至る(イザヤ書四十章三一節)。
(75) ○健全なる宗教は|第二〔ゴシック〕に批評的でなくして信頼的である、信頼すべき神の言を有し、之に縋りて惑はない、経典なくして宗教はない、聖書若し神の言ならずば基督教は何に拠て立つ耶、聖書神言説は説として多くの非難すべき点があらう、然し乍ら信仰の実験として之を否定する事は出来ない、|信者は其実験に由りて聖書は其一言一句尽く神の言なるを識るのである〔付○圏点〕、|実験を以て聖書に臨む時に其冠詞〔付△圏点〕一箇《ひとつ》|も前置詞一箇も変更する事は出来ない〔付△圏点〕、信者の実験に現はれたる聖書は完全無欠の神の書である、而して之あるが故に信者は之に信頼して迷はず、世論を排し人言を斥けて奮然として進むのである、聖書を批評し之を取捨して健全なる信仰の有り得やう筈がない、聖書は信仰の拠りて立つ磐である、人は之に由りて審判かるべき者であつて之を審判くべき者でない、「凡の人を偽とするも神を真とすべし」である(ロマ書三章四) 凡の書を偽りとするも聖書を真とすべしである、而して其証拠は明白である、聖書のみ時代と共に変らない、哲学は変り神学は廃る、然し聖書のみは廃らない 聖書を嘲けりしミル、スペンサーの哲学は今は何処に在る乎、ダーウインの進化説さへ古びつゝあるではない乎、何れの書か聖書の如くに永久に新鮮なる耶、何人も聖書を批評する事が出来る、然し乍ら聖書を批評して自身何の益する所はない、聖書を批評して聖書は其批評家に何の新たなる力をも加へない、聖書は神の言として信受すべき書である、而して之を信受して其意味は判明り、其|勢力《ちから》は給《あた》へらる、聖書が神の言たる証拠は此に在る、而して聖書を斯くの如くに見るは決して迷信ではない、最大の聖書学者は此立場より聖書を見たる人である、オリゲン、クリソストム、アウガスチン、ルーテル、カルビン、ベンゲル、デリッチ、ルートハート、是等は皆な此立場より聖書を見たる人々である、神の言を神の言として見てのみ其正当の解釈あるは当然である、神の言を人の言として見て其解釈を誤るは是れ亦当然である、聖書無謬説は善男善女の迷信ではない、是は信ずるに充分の理由あ(76)る説である、実に無謬の聖書があつてのみ徹底せる基督教の信仰がある、能力ある健全なる信仰は謬りなき神の言として聖書に頼る信仰である。
〇健全なる宗教は|第三〔ゴシック〕に明確なる来世観を有する宗教である、言あり曰く「人の信仰は其終末観に由て定まる」と(A man's belief is determined by his eschatology)、未来如何、万物の終末如何、其問題が定つて信仰が定るのである、而して聖書は明白に其事を示すのである、聖書は倫理道徳の書ではない、宗教の書である、宗教の書であるが故に預言の書である、殊に世の終末に関する預言の書である、聖書の倫理道徳なる者は其終末観を基礎とし背景として説かれたる者である、所謂「山上の垂訓」なる者も単《たゞ》の倫理道徳ではない「人を議する勿れ、恐くは汝等も亦議せられん」とあるは未来の裁判を予定しての訓誡《いましめ》である(馬太伝七章一)、「汝等審判れざらんが為に人を審判く勿れ」と訳すべきである、何々を為すべし「汝の父は明顕《あらは》に報い給ふべし」とある(同六章四−六)、「明顕に」とは未来の裁判を指して云ふのであつて是れ亦聖書の終末観に基く実際道徳の訓示である、実に聖書の終末観を離れて聖書は解らない、聖書は近代人が為すが如くに道徳の為に道徳を論じない、聖書に所謂純道徳なるものはない、勿論浅薄なる利害の為に道徳を説かずと雖も、然れども善悪の永久的結果を離れて道徳を論じない、パウロは「主の畏るべきを知るが故に人に勧む」と言ふた(コリント後五章十一節)、是れ神のいるべき審判を前に見ての言である、福音は単に神は愛なりとの音信《おとづれ》ではない、現れんとする神の憤怒《いかり》より免かるゝ為に彼が設け給ひし避難の途の宣伝である、「神キリストにありて世を己れと和がしめ其罪を之に負せず」と云ふ(同十九節)、此「和らぎ」に由りて罪人は現はれんとする義の審判より免かるゝ事が出来るのである、如斯くして聖書の終末観が解らずして聖書は解らない、故に聖書を解らんが為に先づ第一に知るべき者は其の明かに示(77)す所の終末観である、馬太伝の第二十四章である、路加伝の第二十一章である、羅馬書の第八章である、哥林多前書の第十五章である、テサロニケ前書の第四章である、同後書の第二章である、|殊に黙示録全部である〔付○圏点〕、現に米国シカゴ市ムーデー聖書学校に於て第一に学生に課するは黙示録の研究であると云ふ、博士ジヨンソンの言に「書を読まんと欲する者は先づ第一に其最後の一章を読むべし」と云ふことがあるが、聖書に於て殊に然りである、旧新六十六巻の聖書を解するの鑰《かぎ》は其最終の書なる黙示録に於てある、之を黙示録と訳したのが抑々其誤解の初である、The Book of Aoocalypse は|顕明録〔付○圏点〕である、キリストが顕れ給ひて万事を明にし給ふ其経路の預言的記録である、之を明解し緊握してのみ健全なる信仰が有るのである。
 
(78)     天国の市民と其栄光
        (五月廿五日)
                    大正8年8月10日
                    『聖書之研究』229号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
  我等の国は天に在り、我等は救主即ちイエスキリストの其処より来るを待つ、彼は万物を己に従はせ得る力に由て我等が卑しき体を化へて其栄光の体に象らしむべし(ピリピ書三章廿、廿一)。
 之れ我等の熟知せる美はしき言である、然し乍ら之を其前後の関係より見て更に深き意味を知る事が出来る、パウロは此処に特に天国の市民と其栄光とに就て語らんと欲したのではない、彼が或る他の事を言ふに当り序《ついで》を以て述べたる此言が却て最も重要なる教訓として人の心に訴ふるに至つたのである。
 ピリピ書第三章の初に於てパウロは歓喜の福音を述べつゝあつた、然るに彼は何を憶ひ出せしか、如何なる悪しき報知《しらせ》の彼に達せしものあるか、其第二節より突然激語を放つて居る、而して斯く彼の心を動乱せしめたる原因は二つあつた、|教会内に於ける二種の基督者が彼を悩ましたのである〔付○圏点〕、パウロの此書を認めしは多分紀元後六十四五年の頃にしてキリストの昇天後未だ四十年にも成らなかつた、然るに驚くべし此時既に教会内に党派を生じて純福音を乱す者が出たのである、其第一は|ユダヤ的基督者〔付○圏点〕であつた、即ち基督教会に入り乍ら依然として旧き習慣を守り割礼を重んじ之に由らざれば救はれずと言ひてパウロを苦めたる人々である、パウロは彼等を呼び(79)て「犬」と称し、若しユダヤ的信仰が救の為に必要ならば我こそ最初に救はるべき筈ではなかつた乎と言ひて彼等と闘つた、告ぎに其第二派は彼が十八節以下に説く所の者である、「キリストの十字架の敵多ければなり、彼等の終は滅亡《ほろび》なり、己が腹を其神となし己が羞辱《はぢ》を其|栄《ほまれ》となす、彼等は唯世の事をのみ思へり」と、之れ所謂|逸楽派〔付○圏点〕である、彼等は神の愛を信じ基督教の美しきを賞讃すと雖も素と自己の哲学的思想より又は社会改良の必要より基督教に入りし者なるが故に、キリストの為に十字架を負はざるべからざるに至つては乃ち之を逃避するのである、パウロは此種の人々を責めて彼等は己が腹即ち胃腑《ゐのふ》を神となす者なりと言うた、斯の如く彼が一方に於て「犬」と呼び他方に於て「十字架の敵」と称して激しく之と闘ひたる二派の者は|何れも異邦人又は教会外のユダヤ人に非ずして教会の内部に在りて異端を唱ふる基督者であつたのである〔付○圏点〕。
 而して|十字架の福音は常に此両極端を敵として左右に有するのである〔付○圏点〕、儀式的信仰と社会的信仰、人の救はるゝは多くの誡律を守りて己を潔くするにありと為すユダヤ派と、キリストの如き厳格なる生涯を排し、及ぶ限りの快楽を享受するを以て神の聖旨に適へりとなす逸楽派と、此二派は何れの時代の教会にも在る、彼等の主張する所は全然相反するが如しと雖も、其の|自己又は肉を中心として十字架の福音を空しくせんとするに於ては二者同一である〔付○圏点〕、故にパウロは屡々十字架を高唱して此両派と闘つた、「人は十字架を信じて救はるゝなり」とはユダヤ派に対する彼の答弁であつた、「我等は十字架を負うて此世の敵とならざるべからず」とは逸楽派に対する彼の誡告であつた。
 ピリピ書第三章に於ても亦彼は此両派に反対したる後自己の立場を明かにして言うた、曰く「|我等〔付○圏点〕の国は天に在り」と、即ち|我等〔付○圏点〕は此世のものにあらず、此世は我等の籍を置く処に非ずと、|一言以て彼等と絶縁したのであ(80)る〔付○圏点〕、此強き一言に由てパウロは自らユダヤ派又は逸楽派と何の関与もなき事を明白にしたのである、「国」とは市民権の意味である、パウロはタルソに生れたるユダヤ人なるも彼の父は何かの功蹟ありて羅馬の市民権を有した、故に彼は周囲の人々に対し「汝等はヘブル人又はギリシア人なるも我等は羅馬人なり」と言ひて政治上に於ける自己の特権を表白し以て彼等との立場の相違を明かにする事が出来たのである、然しながら|政治的に羅馬の市民りし彼れパウロは信仰的には天の市民であつた〔付○圏点〕、羅馬人としては凡ての事羅馬の法律命令習慣に従はざるべからざるが如く基督者としては凡ての事天国の法律命令習慣に従はなければならなかつた、彼の一切の利害(interest)は繋《かゝ》つて天国に在つたのである、故に曰ふ「我等の国は天にあり」と、以て俗化派又は儀式派と全然其関係を絶つに足るのである。
 然し乍ら斯く言ひてパウロは尚其の言ひ足らざるを覚えた、彼は之に加へて|キリストの再臨と信者の栄光〔付○圏点〕とを一言せざるを得なかつた、ピリピ書第三章の主題よりすれば彼は其事を茲に附加せずして済んだであらう、然しながら仮令《たとへ》主題に関係なしと雖も己が心に充ち満てる大なる真理を発表すべき機会あらば之を発表せずして已む能はざりしは彼れパウロの習慣であつた、此点に於てグラッドストーンの如きも亦彼に似て居つた グラッドストーンが英国宰相としての演説に恰も大学講堂に於ける学者の講演に類するものがあつた、政治上の問題を論ずるに当り事もし美術文学詩歌等に関聯せん乎、乃ち彼は自己の深き研究を説いて憚らなかつたのである、故に或人之を評して日く「彼の演説は川を渡らんとするに舟を以てせず悠々其上流に溯りて土地産物等を調査するが如し」と、パウロ亦然り、|彼は自己の心を擾乱したる教会内の異端に対し警誡の語を発するの序に最も美はしき語を以て其心中に充溢せる深き真理を吐露したのである〔付○圏点〕。
(81) 「我等は救主即ちイエスキリストの其処より来るを待つ」我等の市民権は上にある、此世は我等の国ではない、我等は今敵の中にあるのである、然り敵は教会の外にある又其内にある、我等は彼等と激しき戦を続けつゝある、我等の戦は敗北に終らんとするが如くに見ゆる、然し乍ら何時迄も斯くして在るのではない、|やがて天より大なる援兵〔付○圏点〕――救手|我等の爲めに降るのである、救手とは誰ぞ、イエスキリストである〔付○圏点〕、彼は一度び死して葬られたりと雖も三日目に甦りて天に昇り今尚生きて居給ふのである、而して或る時到らば彼が我等の救手(原語「ソーテール」は「救主」よりも寧ろ「救手」と訳するを可とす)として必ず彼処より来り給ふのである。
 「彼は万物を己に従はせ得る力を以て云々」、彼れイエスキリストは孔孟又は釈迦よりも偉大なる人物なりとは何人も認むる所である、然しながらパウロは言ふ、|彼れは単に偉人又は聖人ではない、彼に由て万物が造られたのである、彼に由て万物が〔付○圏点〕存《たも》|つ事を得るのである〔付○圏点〕(コロサイ書一章十六、十七)、|彼は万物を己に従はせ得る力を有する者である〔付○圏点〕と、基督者と称する者にして此事を信ずる者果して幾許ある乎、若し之を信じ得るならば奇蹟の如きは実に当然の事である、彼は一言の下に嵐を鎮めたりといふ、何の不思議かあらん、彼は五のパンを以て五千人を養ひしといふ、何の疑問かあらん、彼は死者を甦らしめたりといふ、何の不合理かあらん、唯に地球のみならず日も月も幾万の星も、然り|全字宙が彼の〔付○圏点〕釘打|たれたる手の中に存するのである〔付○圏点〕、之を信ぜずして基督者と言ふ事は出来ない、若し各自の信仰を試験せんと欲せば此事を以てせよ、パウロは之を信じた、故に彼はキリスト来りて「我等の卑しき体を化へて其栄光の体に象らしむべし」と言ひて十分なる論拠を有したのである、尋常の人物が来りて此事を為すべしと彼は言はない、万物を己に従はせ得るイエスキリストである、彼が来りて我等の身体の栄化を行ふべしとのパウロの主張は論理上に於ても何等の誤謬を存しないのである。
(82) 茲にパウロは「身体」の事に就て云為して居る、而して独り此処のみではない、「噫我れ悩める人なる哉、此死の体より我を救はん者は誰ぞや」といひ(ロマ書七章廿九)、「キリストを死より甦らしゝ者は其汝等に住む所の霊をもて汝等が死ぬべき|身体〔付△圏点〕をも生かすべし」といひ(同八章十一)、「我等も自ら心の中に歎きて子と成らん事即ち我等の|身体〔付△圏点〕の救はれん事を待つ」といふ(同廿八)、|彼は何故に斯く屡々「身体」の事を口にするのである乎〔付○圏点〕、宗教は霊魂の事である、身体は医家の領域に属する、然るにパウロの切りに身体の事を言ふは彼の信仰が肉的なりし故である乎、否彼が身体の救を力説するに深き理由があつた、生命の要素中身体ほど御し難きものはない、霊魂の変化は大なるも身体は霊魂の欲する所に副はない、即ち|身体救はれずして霊魂も完全なるを得ないのである〔付○圏点〕 故に特別に救を要するものは身体である、キリスト降りて此身体を栄化する時我等の救拯は初めて完成するのである。
 昨秋米国大統領ウヰルソン出でゝ大なる希望を世界に提供した、彼は万国の民を一家族と成して永遠の平和を実現せんと欲したのである、何人も其高遠なる理想を尊敬せざるものはなかつた、然しながら惜むらくは彼に一の違算があつた、我等の|罪の身体を如何〔付○圏点〕、此罪の身体の改造なくして平和の喜びは地に臨まない、パウロの高唱するが如く我等の救手なるイエスキリスト天より降り来り万物を己に従はせ得る力を以て我等の卑しき身体を化へて彼の栄光の復活体に象らしめ給ふ時真の平和は初て実現するのである、之れ聖書の繰返し教ふる所である、其時を待たずして自ら之を成就せんと欲する者は何人も深刻なる失望に陥らざるを得ない、ウヰルソン亦然りである、彼が曩に提出したる大理想の実行の不可能漸く明白ならんとする今日、彼の心中果して浩歎なきを得る乎、|余は思ふ今に至て彼も亦其母より伝へられたる古き新約聖書の真理の謬らざる事を痛感したであらうと、理想家の失望は皆此真理を解せざるより来る〔付○圏点〕、若し自己の力を以て世界を改善せんと欲せば何人か失望に赴かざら(83)ん、然れどもパウロは曰うた、理想は必ず実行せらる、但し我に由てに非ず代議士に由てに非ず平和会議に由てに非ず、|天より来る教主イエスキリストに由てゞある〔付○圏点〕、彼が万物を己に従はせ得る力を以て我等の身体を復活栄化せしむる時我等の理想は遺憾なく実行せらるゝのであると。
 故にキリストの再臨は人類の理想実現の唯一の途である、再臨を信ぜずして高遠なる理想の実現を信ずる事は出来ない、再臨を信ぜずして俗化せざる聖き生涯を維持する事は出来ない、キリスト自ら教へて曰く「汝等腰に帯し火燈《ともしび》を燈《とも》して居れ」と(ルカ伝十二章卅五)、之れ再臨の信仰と信者の現世に於ける生活との離るべからざる関係を説きしものである、何故基督者の間に徒らに儀式を重んずるユダヤ派又は肉慾を充さんとする逸楽派を生ずるのである乎、彼等は天を仰いで教主キリストの其処より来るを待ち望まないからである、|天的信仰の持続はキリストの再臨を信ずるに由てのみ可能である〔付○圏点〕。
 人或は再臨の信仰を以て其人の|学説〔付△圏点〕であると言ふ、然しながら再臨は学説ではない、|信仰〔付△圏点〕である、|学説は之を譲らん、信仰は一歩も譲るべからず〔付○圏点〕である、神の言たる聖書が明示する所のキリストの再臨は動かすべからざる我等の信仰である、曾て有名なるリンコルンの米国大統領たりし時彼は奴隷廃止の必要を切言し「凡て相争ふ家は立つべからず」との聖書の言を引いて之を主張した、然るに彼の反対者なるダグラスが神の言を否定して「否相争ふ家も立つ事を得」と言ひし時彼は答へて日ふた「然らば争論は余と余の政敵との間に在るに非ず、彼と聖書との間に在り、余は余の答弁を聖書に譲らん」と、斯く曰ひて彼は断然彼等と絶つたのである、聖書の言は最後の決定者である、我等は聖書がキリストの再臨と信者の栄光とを明言するが故に一切の失望に打勝ち疑はずして唯之を待ち望むのである。
 
(84)     信仰の三角形
        (六月一日) 約翰第一書の根本教義
                    大正8年8月10日
                    『聖書之研究』229号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 約翰第一書は新約聖書の末尾に近く収録せらるる一小書翰に過ぎない、其説く所も単純なるが如くにして而も必ずしも明瞭ならざるの観がある、然しながら少しく注意して本書を研究せん乎、其中に最も深遠なる三大真理を発見する事が出来る、約翰第一書の根本教義は「信仰の三角形」にありと言はゞ簡単にして適切なる命題たるを失はないであらう。
 信仰の三角形とは何ぞ、
 一、神は義しき者なれば|神の子は義しからざるべからず〔付○圏点〕、
 二、神は愛なれば|神の子は神の我等を愛する愛を以て相互に愛せざるべからず、
三、|イエスキリストは神の独子の肉体を取りて現はれたる者〔付○圏点〕なれば彼を人としてに非ず神として信ぜざるべからず、
此三である、|此三を行ひ之を信ずる者が基督者である〔付○圏点〕、之を行はず之を僧ぜざる者は唯に基督者でないばかりではない偽基督であると言ふのである。
(85) 先づ第一に|義〔付△圏点〕に就ては曰く「汝等は主の義《たゞしき》を知るに由て義を行ふ者の皆主の生む所なるを知るなり」と(二章廿九)、神の義は何人も之を知る、然しながら神の生む新たる神の子は義を知る者ではない又之を論ずる者ではない、|神の義しきが如くに義を行ふ者が其れである〔付○圏点〕と言ふ、又曰く「凡そ彼に居る者は罪を犯さず、凡そ罪を犯す者は未だ彼を見ず未だ彼を識らざるなり、罪を犯す者は悪魔より出づ、そは悪魔は初より罪を犯せばなり……凡そ神に由て生るゝ者は罪を犯さず そは神の種其衷にあるに因る、彼れ亦罪を犯す事能はず、そは神に由て生るればなり」と(三章六−九) 即ち神の子たる者は義を行はざるべからず、罪を犯すべからず、罪を犯す者は神の子に非ずして悪魔の子であると言ふ、果して然らば我等各自は如何、真の基督者は何処にある乎、誠に之れ罪人の心に大なる痛みを感ぜしむる強き言なりと雖も使徒ヨハネは何の憚る所なく堂々として之を主張するのである。
 第二に|愛〔付△圏点〕に就て彼は曰く「光に居ると言ひて其兄弟を憎む者は今なほ暗《くらき》に居るなり、兄弟を愛する者は光に居りて己を躓かする者衷になし」と(二章九、十)、光明に接したりとて喜ぶ人よ、汝等は己が側《かたはら》にある隣人を愛する乎と彼は言ふのである、而して此一言の前には多くの神学者も黙せざるを得ないであらう、又曰く「愛する者よ、我等互に相愛すべし、愛は神より出づればなり 凡そ愛ある者は神に由て生れ又神を知れるなり 愛なき者は神を知らず、神は即ち愛なればなり」と(四章七、八)、其他至る所に於て彼は同一の趣旨を繰返すのである。
 義を教へ又愛を教ふ、以て足れりである、他は信仰箇条の問題である、而して信仰箇条は学説の一種である、何ぞ其異同を問はんと、之れ多くの基督者の唱ふる所である、然し乍らヨハネは義と愛とを教ふるを以て満足しない、第三にキリストが特別の意味に於て神の子なりとの信仰箇条に就て彼は曰く「それ我等が聞き又目に見……我手※[手偏+門]りし所のもの即ち元始《はじめ》より在りし生命《いのち》の道《ことば》を汝等に伝ふ……即ち原《も》と父と共に在りし者にて云々……(86)我等は父及び其子イエスキリストと同心たり」と(一章一−三)、キリストは生命の道即ち神の如き実在者人格者である、彼は原と父と|相対して〔付○圏点〕在りし者である(父と「共に」は正訳でない、希臘語の pros である、「相対して」である、内裏と后との雛壇上に相対するが如きである)、又曰く「父と子とを拒む者は即ちキリストに敵する者なり、凡そ子を拒む者は父をも有たず、子を受くる者は父をも有てり」と(二章廿二、廿三)、キリストを知りし者は神を知りし者であると言ふ、如何なる偉人に就ても斯く言ふ能はずである、之れキリストのみ神と相対して在りし者なるが故である、又曰く「凡そイエスキリストの肉体となりて来り給へる事を言ひ表はす霊は神より出づ……凡そイエスキリストを言ひ表さゞる霊は神より出づるに非ず即ちキリストに敵する者の霊なり」と(四章二、三)、キリストの神性を信ぜざる者の中にも所謂善人はあるであらう、然しながら聖書は茲に明言するのである、|キリストが永遠の実在者にして処女マリアより生れし神の子なる事を信ぜざる者は基督者に非ざるのみならず、斯る人は神の敵である〔付○圏点〕と、而して其最も著るしきは五章二十節である、曰ふ「神の子既に来り我等が真理者《まことのもの》を知るの智慧を我等に賜へるを知る、我等真理者にあり、即ち其子イエスキリストにあり、|彼は乃ち真神〔付△圏点〕また永生《かぎりなきいのち》なり」と、誰か聖書にキリストは神なりとの明言なしと言ふ乎(此所に「彼は」とあるは神の事なりとの解釈は前後の関係より見て明かに不当である)、「彼は乃ち真神なり」とヨハネは断言するではない乎。
 神の義と神の愛と、之に加ふるにイエスキリストは真の神が肉体を取りて我等の間に生れ給へる者なりとの信仰、之れ即ち信仰の三角形である、而してヨハネは更に之を二段に|適用〔付○圏点〕して論じた。
 其一、|光に歩むとは如何〔付○圏点〕、義を行ふ者、彼が光に歩む者である、兄弟を愛する者、彼が光に歩む者である、イエスキリストは神の子の肉体を以て来りし者なる事を信ずる者、彼が光に歩む者である、然らざる者は凡て暗に(87)歩む者である。
 其二、|神に由て生るとは如何〔付○圏点〕、換言すれば「神の子」とは如何、人は皆神の子なりと言ふ乎、然らば造化何物か神の子ならざるである、特別の意味に於ての神の子とは凡ての人ではない、義を行ふ者、兄弟を愛する者、イエスキリストの神性を信ずる者である。
 |義〔付△圏点〕である、|愛〔付△圏点〕である、而して|キリスト神性の信仰〔付△圏点〕である、三者は互に相関聯する、其一を欠いて他は在る事を得ない、|義を行はずして愛する能はず、愛せずして義を行ふ能はず、イエスキリストの神の子なるを信ぜずして愛し又は義を行ふ事は出来ない〔付○圏点〕、信と義と愛と、三者相倚つて初めて完全なる宗教を成すのである、人は屡々基督教の中心は愛の一点にありと想像する、然しながら愛よ愛よと言ひて義を怠り信を軽んぜんには愛其者が我等を堕落せしむるのである 神の子キリストの生涯を見よ、彼の一度び義を顕はし給ふや雷電霹靂の勢を以て叱咤し給うた而して此峻烈なる義の発現あるに由て彼の愛は赫々として光輝を放つのである、神は屡々我等をして苦き杯を飲ましめ給ふ、我が神は残酷なる神に非ずやとは信仰の生涯に於て幾度びとなく発せらるゝ声である、然しながら神の義を知りてこそ真に能く神の愛を味ふ事が出来る、神は義である又愛である、愛である又義である、然らば義と愛とを以て足る乎、否、其上に尚ほ信の必要がある、而して信とは尋常の信仰ではない、神と相対してありし者が肉体を以て世に降れりとの信仰である、此信仰なくして義と愛とを行はんと欲するも能はずである、之れ我等の実験の証明する所である。
 近頃我国の思想界に最も欠乏せるものは何である乎、曰く|道徳的深刻味〔付○圏点〕である、之なきが故に一朝世界の思想に接触するや若き男女等自己内心の大なる動揺を禁ずる能はず、乃ち相率ゐて滔々たる北欧文学の渦中に溺れん(88)とするのである、然らば道徳的深刻味の最大なるものは何処にある乎、|我等の罪の為め、然り我が罪の為め神の子自ら肉を取て降り十字架につかざるを得ざりしと言ふ、何者か之よりも深く我が罪の恐ろしさを教ふるものぞ〔付○圏点〕、神なるキリストの十字架を信じて初めて最も深刻なる罪と義とを鰐する事が出来る。
 愛に就ても亦然うである、日本人が好んで止まざる浄瑠璃の如きは切りに愛を語りて已まない 然しながら|天下何処にか神は其独子を賜ふ程に我等人類を愛し給へりといふが如き深刻なる愛がある乎、愛の何たる乎はキリストの誰なる乎を知て初めて之を解する事が出来る〔付○圏点〕、神の子である、原と神と相対して在りし者である、真の神である、彼が肉体を以て我等の間に宿り十字架の死を遂げ給うたのである、愛とは実に斯くの如きものである、キリストは神の子なりとの信仰は我等の愛の為に絶対に必要である。
 余輩は外国宣教師の或者に対しては必ずしも尊敬を表する事が出来ない、然し乍ら教養ある幾千の紳士が故国を棄てゝ或は東洋諸国に或は阿弗利加内地に其他隔絶せる異域に進入し甚大なる不便と苦痛とを忍びて十年二十年五十年其生涯を終る迄福音宣伝に従事しつゝあるは寔に驚くべき事実である、|彼等をして斯くも深く異国人の霊魂を愛せしむる所以のものは何である乎〔付○圏点〕 余輩は未だ我日本より遣《おく》られて蒙古西蔵印度等の土人の為に其一生を献げたる宣教師あるを聞かない、我等に託せられたる朝鮮人を我兄弟姉妹として愛し得る者果して幾人ある乎、神の子イエスキリスト我が為に十字架に上り給へりと信じて初めて彼等に対する深き愛を抱く事が出来る、然らずして彼等の為に責任を感じ生涯彼等と共に苦まんとするが如き愛は到底之を期待する事が出来ない。
 西洋文明の最善なるもの欧米文学の最深なるものは皆此信仰より出たのである、先般其護生百年祭を行はれし詩人ホイットマンがリンコルンの死を歌ふの詩、又は戦に斃れたる一青年の死屍に近づき静に彼が面上を蔽へる(89)布片《ふへん》を掲げて凝視多時遂に感慨に堪へずして「噫兄弟よ、噫キリストよ、キリストの顔貌《かほ》いま茲にあり」と叫ぶが如き、又はかの有名なるテニスンの追悼歌《インメモリアム》発端の一語の如き、キリストの神性を信ぜずして如何ににして其の深き意義を味ふ事が出来やう乎。
 我等は深刻なる愛を欲する、我等は深刻なる義を欲する、然れども徒に大声疾呼して愛と義とを説くも全く無益である、神の子イエスキリスト自ら肉体を取て我等の間に宿り我等の罪の為め十字架の恥辱と苦痛とを受け給ひしを信ずる迄は深刻なる愛と義とは決して起らない、故にキリストの神性は学説ではない、信仰である、道徳である、生命である、然り之れ|人生の最も貴きものゝ根柢である〔付○圏点〕、若し何人か此問題の如何を顧みず唯相提携して社会の改善に尽力せん事を求めん乎、余輩は断然として之を拒絶すべきのみ、誰か我父に就き大なる誤解を有する者と共に手を携へ得る乎、イエスの神の子なるを信ぜざるは我が生命に関する問題である、愛と義とは此信仰を根柢として立つのである。
 
(90)     希望と聖徳
        (六月八日) 約翰第一書二章廿八節−三章三節
                    大正8年8月10日
                    『聖書之研究』229号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 「小子《をさなご》よ」 ヨハネ自ら既に老年なるが故に斯く言ふ。
 「恒に主に居るべし、其の顕はるゝ時に我等懼るる事なく其臨る時に其前に耻づる事なからん為なり」 彼の顕はれ給ふ時がある、其時我等彼の前に出でゝ耻ぢざるやう準備せざるべからずとの意である、|新約聖書に於ては凡ての道徳はキリストの再臨に関聯する〔付○圏点〕、単に基督者は潔くあるべし罪を犯すべからずとは言はない、審判の時を目前に置いて之を勧むるのである。 「汝等は主の義《たゞしき》を知るに由て義を行ふ者の皆主の生む所なるを亦知るなり」 我等の救主は義しき者である、故に義を行ふ者が神に由て生れたる者なるを知るのである、如何なる思想を有する乎に由らず、義を行ふ乎否乎に由る、之れ凡ての平信徒の解し得る常識である、而して此一節中注意すべきは「主の義を|知る〔付△圏点〕」といひ「亦|知る〔付△圏点〕なり」といふも二箇の異なる語を用ゐる事である、前者は自|ら知る〔付○圏点〕の謂であつて後者は|実験に由て知る〔付○圏点〕の意である、神の義しき者なる事に就ては説明又は実験を要しない、聖霊に由て直覚的に之を知る、然るに人が神の子なるか否かは其人が義を行ふか否かにょり長き交際に由て実験的に之を知るのである。
(91) 「汝等見よ」 特に語を更めて「見よ」と言ふは或る驚くべき事を語らんとするのである。
 「我等|称《とな》へられて神の子たる事を得、之れ父の我等に賜ふ何等《いかばかり》の愛ぞ」 之を原文の儘に「我等神の子と称へられん為に父は何等の愛を我等に賜ひしぞや」と直訳して更に能く其意味を解する事が出来る、|我等今神の子と称へらるゝは唯に斯く称へらるゝのみではない、此名に伴ふ実がある、神の子と呼ばるゝに足る丈の権能を父より賜うたのである〔付○圏点〕 即ち聖潔《きよめ》の霊の如き、神を知るの知識の如き、神の愛を以て相互を愛するの愛の如き皆其権能である、之れ父の我等に賜ひし何等の愛なるかを考へ見よといふ、我等平常此事を忘れ勝ちである、然し乍ら基督者と呼ばるるは決して無意義ではない、小事ではない、世の智者権者等一朝大なる蹉躓に遭遇し心中何の頼む所なくして惨憺たる失望に陥る時独り基督者には動かざる千歳の磐《いは》ありて之に頼むを得るのである、誠に我等神の子と称へらるゝに足る権能を有するは父の我等に賜ひし如何ばかりの愛ぞである。
 「世は父を知らず、之に由て我等をも知らざるなり」 寧ろ原文の儘に「世は|彼〔付△圏点〕を知らざりき、之に由て云々」と読むべし、此湯合に於て「彼」とは父よりもキリストである、又「知らず」とは実験的に認めざる事である、即ちヨハネは言うたのである、「世の人は我等基督者の真価を認めない 何となれば彼等は我等の主イエスキリストの真価を認めないからである」と、何故此処に之を言ふの必要がある乎、蓋し基督者は自ら神の子たる権能の偉大なるを知ると雖も世は全く之を認めず軽侮嘲笑の眼を以て彼等を迎ふる事は人生の大なる事実なるが故にヨハネは一言之が説明を加へざるを得なかつたのである、彼は其原因を明瞭に指摘して言うた「世は彼を知らざればなり」と、「彼」である、我等の救主なるイエスキリストである、世若し彼を認めしならば我等をも認めたであらう、然しながらせは彼を解せず彼を軽侮したるが故に亦我等を解せず我等を軽侮するのである、|我等の運命(92)は教主の運命と同一である〔付○圏点〕、然らば却て名誉なる哉世より卑めらるゝ事! 感謝すべき哉彼と共に斥けらるゝ事!
 「愛する者よ」 斯く基督者が皆救主と同一の運命を荷ひ共に世より卑めらるゝ事は又|彼等相互の繋ぎを一層堅くする所以〔付○圏点〕である、故に此処に「愛する者よ」と言ひて兄弟姉妹の関係の前よりも更に密なるものあるを表はす。
 「我等今神の子たり」 前に述べたる所を再び明確に断定したのである、我等いま世より卑めらる、其れあるに拘らず我等は確かに神の子であると、世が我等を偽善者と呼び迷妄家と称する時白髪の老先生の我等の肩を叩きて此言を発するあらば如何に喜ばしく感ずるであらう。
 「後如何、未だ現はれず」 今既に神の子たりと雖も斯かる卑しき体を纏ひし儘にて何時迄も存在すべき筈ではない、基督者には未だ現はれざる未来がある。
 「現はれん時には必ず神に肖んことを知る」 「其」或は「彼」と読み得る、「|彼の現はれん時〔付△圏点〕」である、基督者は霊に於ては既に神の霊を宿すも体に於ては今尚弱くして罪を犯し易き者である 然しながら斯かる状態が終局ではない、|遂には我等の休も亦神の子に〔付○圏点〕適|はしき者とせらるゝ時が必ず来る〔付○圏点〕、其時は何時ぞ、「彼の現はれん時」である、|今は陰れて在り給ふイエスキリストが其栄光の体を以て現はれ給ふ時〔付○圏点〕である、其時には我等も「必ず|彼〔付△圏点〕に肖ん事を知る」である、彼の栄光の体に我等の休も肖るのである、之れ神の言たる聖書の権威ある明言であつて又神の霊を宿せる者の深き欲求に応ずる希望である。
 「そは我等其の真の状《さま》を見るべければなり」 既にキリストの霊を我が衷に宿せば次第に聖化せられて遂には(93)彼の姿に肖たる完全なる者となり得べしとは多くの人の抱ける思想である、然しながら事実は果して爾うである乎、信仰の生活を送る事数十年にして尚キリストの姿と相肖ざる事甚だしくパウロと共に終生「此死の体より我を救はん者は誰ぞや」との声を発するは凡ての基督者の経験ではない乎、実に彼の現はるゝ時までは我等は完全に彼に肖る事が出来ないのである、然らば彼の現はるゝ時に至つて如何にして彼に肖る事が出来る乎、曰く|彼を〔付○圏点〕眼《ま》|の当り見るが故である、見る事は肖んが為に必要である〔付○圏点〕、尊敬すべき教師の著書又は書翰を通じて受くる感化よりも一度び彼に面接して獲たる印象は遙かに深大である、子は母と相見て其清き愛を実験せざるを得ない(孤児の最大不幸は衣食の不足ではない、親の面《かほ》を見る能はざる事にある)、偉人に接して家に帰る時其面上に漂ふ新しき光輝《かゞやき》の家人をして怪ましむるものがある 誰か篤信の基督者の貴き死の床に侍して天よりの恩恵に与らざる者があらう乎、況んや栄光の主を眼前に拝するの実験に於てをや、其の如何ばかり大なる聖化を我等に及ぼすべきかはモーセ又はパウロの経験に徴して之を察する事が出来る、モーセはヱホバに召されてシナイ山頂に上りしが彼処にて「人が其友に言ふ如くにヱホバモーセと面を合せて言ひ」給うた、故に「モーセ其の律法の板二枚を己の手に執りてシナイ山より下りしが其の山より下りし時にモーセは其面の己がヱホバと言《ものい》ひしに由て光を発《はな》つを知らざりき」とある(出埃及記卅四章二九)、パウロがダマスコに至らんとする途上にて復活のキリストを見る事を許されし一瞬問は実に彼が全生涯を一変せしむるに足るの恩恵であつた、我等も亦何時か之に勝るの恩恵に与るのである、|時到らば我等は復活体を賦与せられ面と面とを〔付○圏点〕対《あは》|せて栄光のキリストと相見る事を許されるのである、其時は独り我等の体の彼に肖たるものとなるのみならず霊に於て精神に於て気質に於て行為に於て完く彼の在るが如くに聖化せらるゝであらう〔付○圏点〕、故に曰ふ「凡て我等|※[巾+白]子《ほおほひ》なくして鏡に照《うつ》すが如く主の栄《さかえ》を見、栄(94)に栄いや増さりて其同じ像《かたち》に化《かは》るなり」と(コリント後書四章十八)、彼の再び現はれ給ふ時我等其の真の状を見その栄光を眼の当りに拝するが故に我等自身も其同じ像に化せられて彼に肖たる完く聖き者と成るを得べしとは聖書の伝ふる最も深き真理であつて又基督者の唯一の希望である、寔に|人生最大の幸福は相見る事にある〔付○圏点〕 親子又は夫婦の相見んが為めには阿弗利加内地の蛮土に赴くをも難しとしない、況して基督者が日夜其心に慕ふ所の栄光の主と相見んが為には此世に於ける一切の患難も之に勝ち得て尚余りあるを覚ゆるのである。
 「凡そ禅に由れる此望を懐く者は其潔きが如く自己《みづから》を潔くす」 「神に由れる」は原文に従ひ「|彼〔付○圏点〕に由れる」と読むべし、キリストに由れる希望である、批評する者或は曰ふ「再臨の希望は詩としては甚だ美はしきも実生活に何の要あるなし」と、然しながら|希望は決して単に詩又は歌として存らない、希望は直に人の実際的行為に現はるゝのである〔付○圏点〕、キリスト何時か再び来り給ひ我等皆必ず彼の台前に立たざるべからず、願はくは其時に耻ぢざるものと成らん事をとの切なる希望を抱きて初めて我等に自己を潔くせんとの真正なる努力が生ずる、之れ理論の問題に非ずして事実である、再臨の信仰に反対する者に幾多の有力なる主張がある、然しながら彼等の生活に自己を潔くせんとする最も厳粛なる熱心を見ざるは何故である乎、之れその希望抜きの生活なるが故ではない乎、|若し我等と〔付○圏点〕幕一重|を隔てゝ栄光の主彼処に在り、やがて幕の掲げらるる時彼自ら現はれて我等の一切の心意と言行とを〔付○圏点〕審判|き給ふと知れば如何〔付○圏点〕、父は近日外国より帰らむと開いて留守中母の大なる憂なりし子は自ら慎み励むのである、こは決して卑しむべき子供心ではない、希望より来る奮励である、基督者に取ても亦然り、主の現はれ給ふは何時である乎、我等彼の前に立ちて総勘定を為すべきは何時である乎、彼の栄光の姿を拝し我等も亦彼に肖たる者となるべき其時は何時である乎、或は今宵であるかも知れない、然り或は今であるかも知れない、此(95)大なる希望を明確に抱きて我等の生涯は一変せざるを得ないのである、彼の潔きが如くに自ら潔くせんと欲せざるを得ないのである、故に|来世の希望は単に来世の希望として存しない、翻て現世に迄侵入し来り希望其ものが現在に於て我等を潔むる力となるのである〔付○圏点〕。
 こは小問題なるが如くにして小問題ではない、此世の多くの人々が思はざる打撃に遭遇するや恰も洪水に押し流さるゝが如く頼む所なき者となるは一に彼等の胸中来世の希望が其地位を占めないからである、来世の希望なくして如何にして罪の世に忍耐と勇気とを以て充ちたる生活を送り得る乎、再臨の希望なくして如何にしてキリストの命じ給ひし諸の律法に堪へ得る乎、|我等をして地上に在りて天的生活を実行せしむる唯一の原動力は再現すべきキリストに対する希望にある〔付○圏点〕、故にヨハネと全く其気質を異にせしパウロも亦同一の言を以て我等を教へて曰うた「既に汝等キリストと共に甦りたれば天に在るものを求むべし、キリスト彼処に在りて神の右に坐し給へり、汝等天にあるものを念ひ地にあるものを念ふなかれ、それ汝等は死にし者にて其命はキリストと共に神の中に蔵《かく》れ在るなり 我等の命なるキリストの顕はれん時我等も之と共に栄の中に顕はるゝなり」と(コロサイ書三章一−四)、其他新約聖書中に於ける同じ意味の数多き語は一々之を挙ぐる事が出来ない、|基督者の聖徳はキリスト再臨の希望より来るとは聖書全体が強烈に主張する所の深き真理である〔付○圏点〕。
       ――――――――――
 不敬虔と世の慾とを棄てゝ謹慎《つゝしみ》と正義と敬虔とをもて此世を過し、幸福なる望即ち大なる神我等の救主イエスキリストの栄光の顕現を待つべきを我等に教ふ(テトス二の一三)。
 
(96)     所謂「再臨説の粉砕」に就て
                         大正8年8月10日
                         『聖書之研究』229号
                         署名 一記者
 
〇『内村全集』発行書店警醒社の発行にかゝる富永徳磨氏著『基督再臨説を排す』の同書店の新聞紙広告文に曰く(著書の広告文は著者自身の筆に成るのが日本今日の習慣であるとの事なれば此広告文も或ひは此著者自身の作なるべし)
  世を惑はし基督教を誤る再臨説に向つて、著者独特の徹底せる論理と鋭利なる筆鋒とを以て大痛撃を加へたるもの。獅子全力を罩めて兎を搏ちし如く再臨説は全然粉砕し尽されて痕跡だになし。
と、寔に揮つたる広告文であつて、其意味たるや『内村全集』読むべからずと云ふと同一である 商売上より見れば自殺的の広告文である、一方に於ては「永久的価値を有し、子孫に伝ふべき明治大正の大産物」と広告し置きながら他の一方に於ては「世を惑はし基督教を誤る云々」と云ふ、孰れが本当であるか読者は嘸かし迷ふ事であらう。
〇以上は著者と其著書とに関する事柄である、然し乍ら茲に解決すべき極めて重要なる問題がある、其第一は再臨「説」は果して世を惑はし基督教を誤る者である乎、若しさうであるならば聖書こそ其書である、基督再臨は余輩が初て唱へた者ではない、基督に由て唱へられ使徒に由て唱へられたる信仰である(「説」ではない信仰であ(97)る)、新約聖書は二十五節毎に一回基督再臨に就て語て居る。新約聖書は果して「世を惑はし基督教を誤る」書である乎、若しさうならば今日直に之を棄つるに若かずである。
〇発行書店の広告文に依れば著者独特の徹底せる論理と鋭利なる筆鋒とに由り「再臨説は全然粉砕し尽されて痕迹だになし」と、憐むべき再臨説なる哉、僅々六十頁足らずの小著述に由て「粉砕し尽されて痕迹だになし」とは扨も扨も憐むべき哉、斯かる薄弱なる「説」を信じて基督教の中心なりと唱道せし多くの聖徒、コロムウエル、ニユートン、ファラデー、ゲス、ガウソン、ゴーデー、デリツチ等の諸先覚者は憐むべき哉 此著者の此著述に由て日本に於ける内村中田等の再臨説は「粉砕し尽されて痕迹だになし」と言ひ得やう、然し乍ら之に由てパウロ、ペテロ、ヨハネの再臨「説」、其他数知れぬ聖徒の再臨「説」を粉砕し尽したりと言ひ得る乎、是払尠くとも余輩に取りては大々的疑問である、若し此著者と警醒社書店とが去る五月下旬米国費府に於て開かれた世界再臨信者大会に於て此言を発したならば会衆は何と答へたであらう、紐育のハルドマン博士、ジョンス・ホツポキンス大学外科学教授ケリー博士、其他数多の学者と信者とは何んと答へたであらう乎、「再臨説は粉砕し尽されて痕迹だになし」とよ、大に有りである、大勢力大信仰として世界を動かしつゝある、駝鳥は頭を砂中に埋めて自身安全なりと想ふであらう、然し猟犬は彼を逐ひつゝありて彼は終に打殺さるゝであらう、信仰の価値を定むる者は神学者ではない、平信徒である、余輩は神学者に問はずして平信徒に訴ふるであらう。
 
(98)     山上雑話
                         大正8年8月10日
                         『聖書之研究』229号
                         署名 内村生 記
 
 余輩と教会との間に横たはる溝渠は益々拡大しつゝある、今やすべての点に於て余輩と教会とは全然無関係となりつゝある、是れ悲むべき事の如くに見えて実はさうでない、斯くなりてこそ余輩は全然意を決して教会を背《うしろ》にして所謂不信者社会へと進入する事が出来るのである、パウロとバルナバとがユダヤ人に対ひて「我儕移りて異邦人に向ふべし」と言ひしが如くに余輩は教会の教師、監督、神学者、其他の役人等に対ひて言ふのである「余輩移りて不信者に向ふべし」と(行伝十三章四六節) 余輩は断然意を決した|余輩は自今再び教会革正を唱へざるべしと〔付△圏点〕、教会を愛したればこそ其革正を唱へたるなれ、既に全然之と関係を絶つに至て最早此上其革正を唱ふるの必要はない、教会の神学者は言ふ余輩の説く基督教は|世を惑はし基督教を誤る〔付△圏点〕者であると、真に有難い、故に余輩に来る勿れ、余輩を信ずる勿れ、彼等との分離は余輩の望んで止まざる所である、氷炭豈共に語るべけんやである。
〇余輩と教会との関係は絶えた、然し乍ら之に由て余輩と非基督信者との関係は益々親密になりつゝある、余輩は多くの善き信仰の友を我国仏教徒の間に有つ、日本人は元来宗教的の民である、明治大正の日本人を以て其深き宗教性を量ることは出来ない、日本人は元来斯んな無宗教なる不敬虔の民ではない、宗教的には全然無意識な(99)りし薩長の政治家に由て建設せられし日本の社会は日本人の立場より見ても最も劣等なる社会である、日本人全体が一時は僧侶と化したる時代がある、其点に於て日本人は欧米人と異なる所はない、数百千年にお亘る深き信仰的素養があつてこそ日本人は其今日の世界的地位に達する事が出来たのである、而して|感謝す此旧き宗教的日本の未だ全然消滅し去らざる事を〔付○圏点〕、或ひは神道、或ひは仏教と、其形体は異なれども其底には此深い宗教的日本が潜んで居るのである、而して余輩が愛し且つ信頼する者は此隠れたる日本である、余輩が我国今日の基督教会なる者を離れて「移りて向ふべし」と云ふは此純正なる信仰的日本である、余輩は慧心、法然、親鸞の弟子等の間に余輩の信仰の友を求めんと欲するのである、而して単純なるイエスの福音は終に彼等の信受する所となるべしと信ずるのである、余は今手にサイズ氏著『黙示録講義』を持ちつゝある、而して之に由て慧心僧都の著『往生要集』を想出《おもひいだ》さゞるを得ない(那須火山の中腹に於て内村生記)。
 
(100)     〔『日本及日本人』の質問状への回答〕
                        大正8年8月15日
                        『日本及日本人』763号
                        署名 内村鑑三
 
      本社の質問状
        奸商を死刑に(|仏国の物価調節方策〔付△圏点〕)
    食料供給任務に関係ある各省長官は現在の高き生活費につき緊急引下げ手段を断行することに議定したり代議院議員中には暴利を貪るものに対し極厳の処分を加へんことを要求するもの多く代議院にては審問の結果買占又は暴利獲取運動の罪証ある各種一切の投機行為を死刑を以て処罰するの法律案既に提出せられたり(七月十一日巴里電報)
  右は最近巴里電報の報ずる処に有之候処我国に於ても暴利を貪る奸商の横暴は無標準なる物価の暴騰を来し国民生活は刻々に危機に瀕し緩漫なる暴利取締令の如きは殆ど寸効なき有様に有之候処将来我国に於ても暴利奸商の徹底的取綿方法として死刑処分を規定するの必要生ぜざるか、並に奸商死刑処分の可否に就きて御高見御示し被下度御依頼申上候。
 
 拝啓、奸商を死刑に処する事小生は大賛成に有之候。同時に政治界の佞人、奸物、偽君子等悉く死刑に処し候はゞ、国家の大幸福に有之間敷や、伺ひ申上候。匆々頓首。
 
(101)     GOD IS FAITHFUL.神は誠信なり
                         大正8年9月10曰
                         『聖書之研究』230号
                         署名なし
 
     GOD IS FAITHFUL.
 
 GoD is faithful.Oh blessed words! He changeth not. Whatever He planneth He accomplisheth. He,not We,not our wills or resolutions or endeavours,called us into the fellowship of His Son Jesus Christ.Therefore we are safe;our salvation is assured.“Faithful is He that calleth you, who will also do it”.“He who began a good work in you,Will perfect it until the day of Jesus Christ.”Then,neither men nor devils,nor governments nor Churches,nor kings nor bishops,nor powers celestial,nor powers terrestrial,nor the whole creation itself, shall be able to separate us from love of God,and make His plan of salvation concerning us failure and abortion. Because God is faithful,is our hope of salvation sure,in spite of all our unfaithfulness, errors, imperfections,and even of occasional sins and backslidings. I Cor.1:9.
 
(102)     神は誠信《まこと》なり
 
 神は誠信なりと云ふ、祝ふべき哉此言や、神は誠信なり故に渝《かは》り給はない、彼は其計画し給ひし事を必ず実行し給ふ、|彼〔付○圏点〕が我等を其子イエスキリストの交際《まじはり》に召き給ふたのである、然り|彼〔付○圏点〕である、我等自身ではない、我等の意志又は決心又は努力ではない、故に我等は安全である、我等の救拯は保証されたのである、「汝等を召く者は誠信なり彼れ此事を成し給はん」とあるが如し(テサロニケ前五章廿四)、又「汝等の心の中に善工《よきわざ》を始めし者之を主イエスキリストの日までに全うすべし」とある(ピリピ書一章六節)、然るが故に人も悪魔も政府も教会も帝王も監督も天の権能も地の勢力も、然り全宇宙其物も、我等を神の愛より絶《はな》らせ、我等の救拯に係《かゝは》る彼の御計画を失敗無効に終らしむる事は能ない、神は誠信である、故に我等が救はるゝ希望は確実《たしか》である、我等の不信、誤謬、不完全、度々犯す罪、陥る堕落、凡て之あるに関はらず我等が救はるゝは確実である。
 
(103)     〔神第一 他〕
                         大正8年9月10日
                         『聖書之研究』230号
                         署名なし
 
    神第一
 
 基督教は先づ第一にディビニチー(神性)である、然る後にヒユーマニチー(人性)である、先づ第一に神を愛する事である、然る後に人を愛する事である、先づ第一に神政である、然る後に帝政又は民政と称するが如き此世の政治である、基督教に在りては神が第一にして人が第二である、信者は先づ第一に神の国と其|義《たゞしき》とを求め、然る後に其結果として此世の凡の美物《よきもの》は彼等に加へらるゝのである、此順序を転倒して基督教は無いのである、而して欧米今日の基督教は此の無に等しき基督教である、〔即ち人本位の基督教である、社交的基督教と称して先づ人を愛して然る後に神を愛せんとし、改良されたる社会に於て神の国の実現を見んと欲する基督教である、偽《いつはり》の基督教である、故に基督教の目的を達し得ざる基督教である、|先づ第一に神〔付○圏点〕、神と和らぎ、神に服ひ、神を愛して、然る後に地上の平和、社会の完全、人類の幸福を期待する事が出来る、我等は此重大事に関して欧米人に傚はずして直に聖書に学ぶべきである。
 
(104)    神人交通の途
 
 神と人との関係は直接の関係に非ずして間接の関係である、神の子にして人の王なるイエスキリストを通うしての関係である、イエス言ひ給はく「我は途なり誠なり生命なり、人もし我に由らざれば父の所に往くこと能はず」と(ヨハネ伝十四章六)、神はキリストに在りて人を迎へ、人はキリストに在りて神の所に往く、神人交通の途唯此一途あるのみである、然るに現代の人は言ふ「是れ神人交通の途を制限する者なり、神は宇宙の広きが如く広し、人の彼に到らんと欲す、豈キリスト一人にのみ由らんや」と、是れ或は哲学なるべし、然れども聖書の基督教に非ず、聖書の基督教はキリストである、彼を離れて真理も生命も無いのである、而してキリストは個性《ペルソン》である、一人の人である、彼に由りて神は人に臨み人は神に到るのである、而してキリストに由らざる神人交通はすべて失敗である、欧米諸国に於てキリスト抜の「広き基督教」の唱へらるゝ此時に際し、我等は彼等欧米人に傚はずして直に聖書に学ぶべきである。
 
    霊肉の関係
 
 「先づ経済的慰安を供《あた》へよ、然らば心霊的にも亦平安なるを得べし、人は第一に肉にして第二に霊なり、故に肉に足りずして霊に充《みつ》ること能はず、肉の要求を充すは是れ霊の要求に応ずるの途なり」と、以上は社会民主々義者《ソシヤルデモクラット》の叫びにして又現代人全体の叫びである、而して基督教会も亦之に和し、社会運動是れ基督教なりと称し、所謂「飲食の事に仕ふる」を主として福音宣伝を軽んず(行伝六章二節)、然れども聖書は明白に示して曰ふ(105)「神の国は飲食に非ず唯義と和《くわ》と聖霊に由れる歓楽《よろこび》にあり」と(ロマ書十四章十七)「衣食足りて礼節を知る」と云ふは儒教であると同時に又純然たる物質主義である、「困苦《くるしみ》も迫害《せめ》も飢餓《うゑ》も裸体《はだか》も我らを我主イエスキリストに頼《よれ》る神の愛より絶《はなら》すこと能はざるを我は信ず」と云ふのが基督教である(同八章三五節)、聖書の示す所に依れば霊は主にして肉は属である、人は霊に充ちて肉に足ることを知るのである、神より出て人のすべて思ふ所に過る聖霊に由れる歓楽《よろこび》は人生のすべての悲痛《かなしみ》に勝得て余あるのである。
 
(106)     聖書無謬説に就て
                      大正8年9月10日・10月10日
                      『聖書之研究』230・231号
                      署名なし
 
○今や聖書無謬説は基督再臨説と共に教会神学者の嘲笑の好題目である、「聖書丸呑にすべからず」とは学者らしく見ゆる彼等の勧告である、書を読んで尽く之を信ずれば書なきに若かずとの諺は彼等が聖書に適用して憚らざる所である、往昔《むかし》は聖書を弁護するのが神学者の職務であつたが、今は聖書の誤謬を捜索《さがす》のが彼等の能事であるやうに見える、而して牧師神学者等の聖書攻撃に対する平信徒の聖書弁護は現代教界の一奇観である。
〇|先づ第一に注目すべきは聖書其物が自箇の無謬を唱ふる事である〔付○圏点〕、茲に能く知れ渡りたる章句を挙げんに、イエスは「律法と予言者」即ち吾人が今日旧約聖書と称する者の神的権威に就て述べて言ひ給ふた「我れ誠に汝らに告げん天地の尽きざる中に律法の一点一画も遂《とげ》つくされずして廃ることなし、是《この》故に人若し誠の至《いと》微《ちいさ》き一を壊《やぶ》り又その如く人に教へなば云々」と(馬太伝五章十八節)、聖書無謬説は之よりも強い言辞を以て唱ふる事は出来ない、若し之は旧約聖書に就て言ふたのである新約の無謬弁護にならないと言ふ人があるならば、聖書最尾の言なる黙示録末章末節の言は最も明白に新約聖書中最要の一書たる此書の絶対的無謬を裏書する者である、曰く
  我れ此香の預言の言を聞く者に証《あかし》を為す、若し此書の預言の言に加ふる者あれば神此書に録す所の災を以て之に加へん、若し此書の預言の言を削る者あれば神之をして此書に録す所の生命の樹の果と聖城《きよきまち》とに与るこ(107)と莫《なか》らしむ
と、是は強い言である、呪詛《のろひ》を以て聖句変更を禁じたる言である、「此書一言一句尽く神の言なり、之に加ふべからず、之を削るべからず、其一点一画を加減する者は宇宙の重きが如き重き刑罰に処せらるべし」との言である、而して聖書の終尾に書加へられたる此言は単に黙示録に就てのみ記されたる者であるとは思へない、即ち黙示録の此結尾の言は聖書全体の結尾と見るが当然であると思ふ。
〇イエスが「天地は廃《うせ》ん然れども我言は廃《うせ》じ」と言ひ給ひし其言を伝ふる新約聖書が無謬の書であると見るは無理ならぬ事である(馬太伝廿五章三五)、使徒ペテロは明白《あきらか》に新約の言の神の言にして永久変らざる者なることを証明して居る、
  汝らが再び生れしは壊《くつ》べき種に由るに非ず、壊べからざる種即ち窮なく存《たも》つ所の神の活ける言に由るなり、それ人は既に草の如く其栄は凡の草の花の如し、草は枯れ其花は落つ、然れど主の言は窮なく存つなり、|汝等に宣伝へられたる福音は即ち此言なり〔付○圏点〕
と(ペテロ前一章二三)、新約聖書神言説、其永久的価値、而して其必然の結論として起る其無謬説を証明する者にして之よりも確実なる者はない。
〇其他聖書の自己証明に就て述ぷべき事は饒多《あまた》ある、聖書は明白に自箇の神性と無謬を証明する、而して公平なる聖書学者は聖書の此自己証明を否定しない、然るに現代の神学者等は曰ふ「イエスは爾か信ずるも吾人は信ずるに及ばず、聖書は爾か唱ふるも吾人は之に服ふに及ばず、基督教の真理は他《ほか》に在り」と、茲に於てか問題は「余輩対彼等」の者たらずして「聖書対彼等」の者たるに至るのである。 〔以上、9・10〕
(108)〇イエスは聖書を如何に観たまひし乎、信者の聖書観はイエスのそれに由て定まるのである。
〇イエスは聖書を最上の真理と認め給ふた、故に曠野《あれの》の試誘《こゝろみ》に於て悪魔と争ひ給ふや彼は論理に訴へずして神の言なる聖書を引き給ふた、曰く「人はパンのみにて生る者に非ず、唯神の口より出る凡の言に由ると|録されたり〔付○圏点〕」と、彼又日く「主たる爾の神を試むべからずと|録されたり〔付○圏点〕」と、又曰く「主たる爾の神を拝し惟之にのみ事ふべしと|録されたり〔付○圏点〕」と、「録されたり、聖書に録されたり」と、是がイエスの唯一の論鋒であつた、彼は道理に訴へて悪魔の論鋒を挫かんと為し給はなかつた、唯聖書の言を引きて悪魔の誘惑を退け給ふた、而して是れ彼に取り亦我等に取り最上の論法である、此の場合に於て聖書の言に勝る剣《つるぎ》あるなしである(撒母耳前書廿一章六節)、「それ神の言は活きて且つ能あり、両刃《もろは》の剣よりも利く、気《いのち》と魂また筋節骨髄まで刺《とほ》し剖《わか》ち心の念と志意《こゝろざし》を鑒察《みわく》る者なり」とあるが如し(希伯来書四章十二)、人の言に此能力はない、然れども聖書の言に此不思議なる能力がある、之を以てのみ能く誘惑者《いざなふもの》を撃退する事が出来る、少しも変更を加へざる聖書の言其儘に此不思議なる除魔《まよけ》の能力が在る。
〇イエスは聖書は一言一句神の言であると信じ給ふた、彼は其一点一画に於てすら天地の重きを認め給ふた、故に彼の論証は往々にして其一語の上に築かれた、復活の事に就いて学者とパリサイの人等と争ひ給ふや、彼は出埃及記三章十五節の言を引きて曰ひ給ふた「我はアブラハムの神イサクの神ヤコブの神なりとあるを未だ(聖書に於て)読まざる乎」と(馬太伝廿二章三二)、此場合に於て死者の復活を証明する者は単に「なり」の一語である、神はアブラハムの死後四百年、モーセに此言を告ぐるに方て「我はアブラハムの神なりき」とは曰ひ給はなかつた、「なり」と曰ひ給ふた、英語に訳して云へば waa とは曰ひ給はなかつた、am と曰ひ給ふた、「我は今尚(109)アブラハムの神|なり〔付○圏点〕」と曰ひ給ふた、故にアブラハムは今尚生きて居らねばならぬとはイエスの論法であつた、僅に「なりき」と「なり」との差である、然し乍ら其間に天地の差がある、而して聖書の此の短かき一語の上にイエスは其復活論を築き給ふたのである、僅に一語である、助動詞として用ゐらるゝ「ある」isの一語である、乍然神の言である、故に其上に信仰を築く事が出釆るとは此場合に於けるイエスの論拠であつた、彼は聖書の一言一句を神の言として信じ給ふたのである。
〇イエスは又己が神性を聖書の一語を以て証明し給ふた、彼は詩篇八十二篇六節を引証して曰ひ給ふた「汝等は神なり」と、而して其一言よりして己が神なる事を証明し給ふた(約翰伝十章二三節以下)、彼は此時語を加へて曰ひ給ふた「聖書は毀《やぶ》るべからず」と(同三五節)、聖書は完全の書なり、其一部分たりとも之を毀つべからず、恰も完全なる美術品の如し、其一片を欠いて其完全を期すべからずとの意なるが如し、彼は又曰ひ給ふた「天地の廃るは律法の一画の廃るよりも易し」と(路加伝十六章十七)。 〔以上、10・10〕
 
(110)     主の祈祷と其解釈
         (六月十五、廿二日)
                    大正8年9月10日
                    『聖書之研究』230号
                    署名 内村鑑三速 藤井武筆記
 
 「主の祈祷」は基督者の何人も口にする所である、世界に知られたる語として斯の如きはない、其の人類の歴史に及ぼせし感化力に言ひ尽すべからざるものがある、世界に於ける最大の思想最大の文学は実に此簡単なる「主の祈祷」であると言ふ事が出来る。
 曾て米国第二期大統領たりしジヨン・アダムスは其後久しく上院議員として奉公した、彼は或時国事を議せんが為め華府に赴き一旅館に多くの政治家と同宿した事があつた、一同将に寝《ねむり》に就かんとする時偉人アダムスは独りベットの上に俯伏し恰も母の膝に頼《よ》れる小児の如き態度もて声を発して「主の祈祷」を始めた、何処《いづこ》も同じく崇厳《さうごん》の念に乏しき政治家等之を聞いて怪しみ彼に問うた、アダムス乃ち答へて曰く「之れ余が母の膝下にて教へられし主の祈祷である、爾来余は未だ曾て此祈祷を献げずして寝に就きし事がない」と。
 実に基督者《クリスチヤン》は皆祈る、祈らざる者は基督者ではない、然るに或は曰ふ者がある「我は心中にて祈るも之を口に発せず」と、恰も祈る事が偽善者の所為なるが如き口吻である、誤謬之より大なるはない、人皆心中に願がある、基督者が其心中の願を父に向て発表するもの之れ即ち祈祷である。
(111) 然らば祈祷は如何なる態度と如何なる言語とを以て為すべき乎、馬太伝六章五節以下は此問題に就て我等に教ふるものである。
 第一、|如何なる場所にて祈るべき乎〔付○圏点〕、「汝祈る時は厳密《ひそか》なる室に入り戸を閉ぢて隠れたるに在す汝の父に祈れ」、祈祷は父との秘密の会話である 故に人の見えざる所にて祈るべきである、然らばとて勿論共同の祈祷を怠るのではない、共に為す祈祷あり又各自厳密なる所にて為す祈祷あり、而して交際の最も親密なるものは人の見えざる所にての交際なるが如く|祈祷の最も深きものも亦隠れたる所に在ての祈祷である〔付○圏点〕、或は住宅内に特別の一室を定めて、或は山上に於て林中に於て河畔に於て、凡て人の見えざる所ならば何処にても可なりである、斯く祈祷の為に定めし場所ほど美しき印象を人に残すものはない、余輩の記憶に止まれる最も美はしき地は皆祈祷の場所である、祈祷の森、祈祷の小丘、祈祷の川端である、試に何人にも聞えざる原野の中央に立ちて大声を発して父に祈れ、日光又は函根の山中深く分け入りて己が胸底の願を悉く祈り見よ、祈祷の果して聴かるゝ耶否耶の問題を離れ、|斯る祈祷其者が如何に我等の心を聖むる乎〔付○圏点〕又神の如何に我等に近く在すを感ずる乎を実験するであらう。
 想ひ起すは余輩の青年学生時代である、始めて祈祷の何たるかを知りてより同信の友等皆毎夜外に出でゝ各自己が祈祷の場所を選定した、彼処には誰も居るまじとて到り見れば、何ぞ図らん既に其所にて祈れる友あり、又或時友を尋ねて其室に入れば独り卓上に俯して祈れるを発見する事も度々あつた、斯の如き経験が相互の親密を助けし事如何ばかりなりしかを知らない、殊に其友に対して疑惑を抱き居りし場合の如きは却て自ら耻ぢざるを得なかつたのである、|祈祷の場所を有せざる人、隠れたる所に在て独り祈る事を知らざる人は最も憐むべき人(112)である〔付△圏点〕。
 次に|如何なる言語を以て祈るべき乎〔付○圏点〕、「汝等祈る時は異邦人の如く重複語《くりかへしごと》を言ふ勿れ」、願ふ所の聴かれんが為には幾度びか叩頭して其言語を反覆せざるべからずとするは凡俗の思想である、浅草観音又は本願寺等に於ける普通の祈の如何に重複語多きかを見よ、かの浄土宗の如き優秀なる宗教に於てすら弥陀の称号の反覆に重きを置くのである、天主教にも亦ローザリーなるものがある、之れ祈祷の数を算へんが為の珠数の一種に外ならない、或る天主教僧侶が仏教国に赴きて珠数を見るや「悪魔は祈祷の方法までを真似たり」と言ひしとの事である、然しながら|基督者の祈祷は意味深長にして言語簡潔なるを貴ぶ、徒らに重複語を発するは父の喜び給はざる所である〔付○圏点〕、斯く言へばとて必ずしも長き祈を斥くるのではない、曾て或る宣教師(彼れは余の教会観に対する大なる反対者であつた)が余の問に答へて彼が一日中僅かに二十分を祈祷の為に費すにさへ大なる困難を感じ其間屡々悪魔の妨害を受くと言ひし時、余は彼に告げて曰うた「余輩の同志の中には毎日少くとも三時間を祈祷の中に過す人がある、彼が早朝祈祷の座に臨むや心中爽快にして小児の遊山を喜ぶが如し、|彼の衣服は常に膝の部分より〔付○圏点〕截断|す〔付○圏点〕とは其姉なる人の言である、誰の衣服が祈祷の為に截断するに至る乎」と、長き祈祷を非とするのではない、無意味なる語の反覆を誡むるのである、短くして強き語を以て我等は神に近づくべきである。
 最後に|如何なる状態に於て祈る可き乎、此問に対して教へられしものが即ち「主の祈祷」である〔付○圏点〕、先づ之を大体に於て見るに初に「|天に在す我等の父よ〔ゴシック〕」との呼び掛けの辞あり、終に「|国と権《ちから》と栄は窮なく汝の有なればなりアメン〔ゴシック〕」との総括の辞がある(此一句は或は後に教会にて作りし祈祷の語の挿入せられしものならんとの説がある)、而して其間に六又は七の祈願がある、即ち「我等を試探《こゝろみ》に遇せず」と「悪より拯出し給へ」とを二簡の祈願と見(113)る時は総べて七である、聖書に於て三は天に係る数、四は地に係る数にして七は完全を表はす数である、|七句より成る主の祈祷中天又は神に係るもの三、地又は我等の肉と霊とに係るもの四〔付○圏点〕、前半は天的にしで後半は地的である、|神に関する祈は先にして我等に関する祈は後である〔付○圏点〕、「主の祈祷」を学ぶに当りまづ此区別を知らなければならない。
 祈祷の第一は「|顧はくは聖名を崇めさせ給へ〔ゴシック〕」である、普通の祈は皆自己の事を以て神に迫る、神に関しては我等の祈を要せず、我等苦める者貧しき者こそ祈らざるべからずと言ふ、然しながらイエスの教へ給ふ所は全然之と異なる、我等の祈の第一の題目は神でなければならない、|神の〔付○圏点〕聖名|の万民に崇められん事、之れ基督者の祈祷の第一条たるべきである〔付○圏点〕。
 次に「|聖国を臨《きた》らせ給へ〔ゴシック〕」と言ふ、神の国が此地上に来臨せん事である、|天は天として〔付○圏点〕存|らず、地は地として〔付○圏点〕存|らず、天が地に来りて此所に実現せん事〔付○圏点〕である、一国又は一社会の為の祈ではない、全地球全人類に関する祈である、初は神が天に在すも其聖名の崇められん事を祈る、然し乍ら遂には神の天より地に降臨し給はん事が我等の第二の祈願たるべきである。
 「|聖旨の天に成る如く地にも成させ給へ〔ゴシック〕」、唯に神の国の地上に来臨するのみならず、次に|其感化が各自に及び神の〔付○圏点〕心意《こゝろばせ》|が各自の心意となり各自が〔付○圏点〕実|に神の子とならん事〔付○圏点〕を祈る、仮令キリスト来りて完全なる政治を行ひ社会の罪悪を悉く除き給ふとも各自が神の心を以て己が心とするに非ざれば其恩恵に与る事が出来ない、故に地に降りし神が更に各自に入り込み之を全く占領し給へと祈るのである、此祈ありて「聖国を来らせ給へ」との祈も初て完成するのである。
(114) 斯の如く先づ神と天とに関はる祈である、而して後に我等の霊に関はる祈である、我等の祈祷は之を以て始まらなければならない、「天に在す我等の父よ」と言ひて直に自己に関する願を繰返すが如きは基督者の祈祷ではない。
 次に「|我等の日用の糧を今日も与へ給へ〔ゴシック〕」、茲に「日用」と訳せられたる語は大なる難語である、其の果して何を意味するかは聖書学者の頭脳を砕くも未だ明解を下す能はざる所である、然しながら其如何に拘らず明白なるは「|糧」とはパン〔付○圏点〕なる事である、之を霊的の糧又はキリスト又は聖霊等の意に解する者あるも、此単語の意味は誤なくパンである、即ち|我等はパンに関して神に願ふ事を許さる〔付○圏点〕、生計問題決して神の顧み給はざる所ではない、特に現今の如く世界に亘りて食糧の欠乏を告ぐる時に当り此事を我等の祈祷の中に加ふるを得るは誠に大なる恩恵である、但し「我等の糧を|今日〔付△圏点〕与へ給へ」である、明日又は明後日、子々孫々に至る迄の財産ではない、今日之を与へ給へと祈りて衣食住も亦神聖なる祈祷の題目となるのである。
 「|我等に負債《おひめ》ある者を我等が赦す如く、我等の負債をも赦し給へ〔ゴシック〕」、|罪の問題〔付○圏点〕である、体を離れて再び霊に帰る、神に我等の罪を赦されん事は来るべき聖国を迎ふるが為に必要なる準備である、罪を赦されずしてキリストの聖国の一員となる事は出来ない、罪を赦されずして未来の恩恵を受くる事は出来ない、而して神に罪を赦されんが為には自ら先づ我が敵を赦さなければならない、「汝もし礼物《そなへもの》を携へて壇に往きたる時彼処にて兄弟に恨まるゝ事あるを憶ひ起さば其礼物を壇の前に置き先づ往きて汝の兄弟と和らぎ後来りて汝の礼物を献げよ」とある、神に祈らんと欲せば先づ兄弟と和睦して其罪を赦すべきである、|我が衷に赦すべからざる怨恨を懐きながら神に祈るは神を穢すの最も甚だしきものである〔付○圏点〕、祈祷は其前に適当なる準備を要する、教会内に言ふべからざる罪悪の充つ(115)る時如何に祈るも主は之を聴き給はない「我等に罪を犯す者を我等の赦す如く我等の罪をも赦し給へ」である、或る天主教信者の子放蕩堕落の結果友人と争ひ遂に殺さる、加害者直に其父の許に走りて自己の罪を告白したる時父の曰く「我之を赦す、唯願はくば我と共に主の祈祷を唱へよ、我も神に我が罪を赦されん事を欲するが故に汝の罪を赦して汝と共に祈らん」と、実に貴き信仰である、斯の如き人が真に基督者である。
 以上は過去の罪である、然しながら罪は後にあり又前にある、我等の前に当りて我等を罪に陥れんとする幾多の試探がある、故に「|我等を試探に遇せ給ふ勿れ〔ゴシック〕」と祈る、父兄を離れたる青年に取て又は腐敗せる実業界政治界等に立つ者に取て此祈は殊に適切である、|此世は悪の世である〔付○圏点〕、試惑|の世である〔付○圏点〕、我等に罪を犯さしめんとする試惑はあらゆる方面より絶えず我等に迫り来るのである、如何にして之に打ち勝つ事が出来る乎、唯「我等を試探に遇せ給ふ勿れ」と祈るのみである、余自身も今日まで幾度びか斯の如き実験を有つた、其時は何事をも為さず唯英語にて記憶したる此祈を高声に唱へて以て危機を脱する事が出来たのである、曰く“Lead me not into temptation!”と。
 「|悪より救ひ出し給へ〔ゴシック〕」、悪とは|悪者〔付○圏点〕である、|悪魔〔付○圏点〕である、万一試惑より脱るゝ能はずして之に陥らん乎、願くは悪魔の手より我等を救出し給へとの意である、即ち|試惑に遇ひし場合〔付○圏点〕に関する祈である、我等は不幸にして或時試惑に陥る事がある、然しながら其場合に於ても死に至るの罪あり又死に至らざるの罪がある、全く悪魔の虜囚《とりこ》とならずして尚其の手より救出され得べき程度に在る事がある、故に一歩を進めて悪魔の有と成り了らざるに先だち試惑の穴の中よりなりとも我等を救出し給へと祈るのである。
 或は又此祈を前の祈と同じ種類のものと解する事が出来る、「我等を試探に遇せ給ふ事なく悪魔の手に陥らし(116)め給ふ事なかれ」と、 ち更に強き語を以て同じ祈を繰返したるものと見る事が出来る。
 「父よ」と言ひて始め「我等」と言ひて終る、神を以て始め人を以て終る、天を以て始め地を以て終る、ベンゲル曰く|祈祷とは地にある人が天にある神に縋り付き以て神を天より地に伴ひ来る事である〔付○圏点〕と、実にさうである、而して祈祷中の祈祷は「主の祈祷」である、其願ふ所七項、天に関するもの三、地に関するもの四、聖名に就て祈り聖国に就て祈り聖旨の各自に普及せん事を祈り、終に我等の体と霊とに就て祈る、ベンゲル又曰く「|山上の垂訓は主の祈祷を〔付○圏点〕布衍|したるもの〔付○圏点〕に外ならない、又ペテロ前書の如きは最も能く主の祈祷を骨子として記されし書である」と、主の祈祷は常にキリストの精神であつて又使徒等の精神であつた、キリストの教訓も使徒等の書翰も又其日々の交際も皆此精神を以て成されたのである、故に|主の祈祷の各句を基礎として其上に基督教の大〔付○圏点〕体系《システム》|を建設する事が出来る〔付○圏点〕。
 注意すべきは普通の祈の中に数多くして主の祈祷の中一も見当らざる語ある事である、何である乎、曰く「|我〔付△圏点〕」である、人は祈らんとして切りに「我」「我」といふ、然れども主は唯「|我等〔付△圏点〕」の為の祈を教へ給うたのである、之れ必ずしも自己の為の祈を禁じ給うたのではない、聖書の中にも「神よ罪人なる我を憐み給へ」との祈がある、然しながら|普通の場合に於て祈は会衆の全体に亘らなければならない〔付○圏点〕、家庭に於て全家族が恵まるゝに非ざれば我は恵まれないのである、集会に於ても亦然り、全員共に恩恵に与からん事を願ふ、|我〔付△圏点〕一人の糧の与へられん事ではない、|我等〔付△圏点〕の糧の与へられん事である、|我〔付△圏点〕一人の聖められん事ではない、|我等〔付△圏点〕の聖められん事である、基督者の祈祷は高きは天に在す神に関し低きは地に在る我等一同に関する、|神を第一に聖国を第二に、而して最後に各自共同の事を祈る〔付△圏点〕、之れ神の最も喜び給ふ所の祈祷である、試に斯の如き祈祷を献げん乎、「アーメン」と言ひ(117)て頭を上ぐる時我等の胸中言ふべからざる神の子らしき歓喜に溢るゝであらう、而して矢の的に中りし如く我等の願ふ所神の心に中りしを感じ其必ず聴かるべきを確信するであらう、主の祈祷の精神を以てして祈祷会は振はざるを得ない。
 以上は其大意である、更に個々の語句に就て見るに|一点一画の〔付○圏点〕贅疣《ぜいいう》|あるなく前置詞一箇も之を欠く事が出釆ない〔付○圏点〕、誠に神の示し給へる完全なる祈祷なる事を知る。
 「天に在す我等の父よ」は原語の順序に依れば「父よ、我等の、在す、天に」である、即ち|先づ我等の口を衝いて出づる語は「父よ」である〔付○圏点〕、「アバ父!」、我等は万物の造主にして宇宙の支配者たる神に祈らんとして実は己が父に向て祈るのである、而して彼は我一人の占有する父ではない、「|我等の〔付○圏点〕」父である、信者全体、世界全体の父である、神を「父」と呼び「我等の」と呼びて宗教の半は略ぼ言ひ尽さるゝのである、次に「天に在す」と言ふ、意味の最も強き語は文章の最初に来り之に次ぐものは最後に来る、故に「父よ」に次ぎて強き語は「天に」である、「天に在す父」とは如何、此所に於て「天」は|複数〔付○圏点〕の形に用ゐらる、短き祈祷の中後に単数に用ゐらるゝ語を此所に特に複数にて記したるは意味なきものと見る事が出来ない、「|諸天」に在す父〔付○圏点〕である、|在さゞる所なき父〔付○圏点〕、宇宙の何処にも在し給ふ父である、世界の万有を充たし無限の力を蓄へ給ふ父である、故に|何事をも成就し給ふ父〔付○圏点〕である、如何なる祈にも応じ給ふ父である、「天に在す」の一語の中に此荘大にして而も愛情に富みたる深き意義がある。
 既に「父よ」と呼びて神を我等に最も親しき者として之に近づく、神は誠に我等の父にして我等を限なく愛し給ふ、然しながら我等は親しみの余り彼に狎るべからずである、|愛の父は同時に亦聖き父である、故に我等は其(118)聖きを認めて其〔付○圏点〕聖名|を崇めなければならない〔付○圏点〕、「願はくば聖名を崇めさせ給へ」、斯くて|愛を以て始まりし祈祷は義に移る〔付○圏点〕のである、二者は一対である、其一に偏して神と我等との関係は義しくある事が出来ない。
 |主の祈祷の中心は第三句「聖国を来らせ給へ」にある〔付○圏点〕、其意義如何、普通に解せらるゝ所に由れば教会が次第に発達して社会に勢力を振ふ事であるといふ、例へば多数の基督者を議政壇上に遣《おく》るが如き又は禁酒禁煙等の社会事業に成功するが如き類である、或は之を一層霊的に解して家庭又は社会に基督教の徐々として浸潤する事を意味すると言ふ。
 然るに近来に至りて斯の如き解釈の誤謬なる事が明瞭になつた、均しく「来らせ給へ」と言ふも希臘語に於ては「連続的に徐々として」来らせ給へと言ふと「一時に俄然として」来らせ給へと言ふとの間に動詞の「時」の区別がある、前者の場合に在ては present imperative(現在命令)を用ゐ後者に在ては aorist imperative(日本語に無し)を用ゐる、此所に「聖国を来らせ給へ」は即ち其後者に属するのである、「願はくば聖国を|即刻〔付○圏点〕降し給へ」である、|此世を急激に奇蹟的に神の国たらしめ給へ〔付○圏点〕との祈である、而してこは独り文法の問題ではない、|神の国が顕現的に不意に来るとの思想は聖書中に充ち満る真理である〔付○圏点〕、人の子は盗人の夜来るが如くに来らんと言ひ、瞬く間に天開けて人の子雲に乗り来るを見んと言ひ、電《いなづま》の東より西に閃くが如くに来らんと言ひ|キリストが其国を以て来り給ふ事は常に急激的変化として示さる、神は再びキリストを降し此悪しき世を彼の手に収めて奇蹟的に彼の〔付○圏点〕有|たらしめ給ふのである〔付○圏点〕、故に「主イエスよ来り給へ」と言ふ(黙示録廿二章二十)、之れ人類最大の希望である、キリスト自ら之を教へ弟子等亦皆之を信じた、近代人は此思想を排斥すと雖も聖書がキリストと神の国との俄然的来臨を明白に教ふるの事実は如何ともする事が出来ない、而して此所に「聖国を来らせ給へ」と言ふ(119)は即ち此の大なる希望に関する祈祷である。
 人は言ふ世は徐々として進化すべし、東京市中幾百万の市民も遂には神を膚するに至るべしと、果して然る乎、試に巴里倫敦シカゴ等の堕落を見よ、人類の努力に由て此世が果して改善せらるゝか否かは大なる疑問である、|今日迄教会の手に由て幾多の社会運動は試みられたりと雖も其の人生を益する所は寧ろ之を毒する所に及ばなかつた〔付○圏点〕、曾て我国に於て基督教の先達者等相集り一箇の基督教大学を起さんと欲して政府に建言し北海道北見に土地を贖うて学田を設置した事があつた、然るに其現状は如何、学田は其後最も悪辣なる地方政治家の手中に落ち為に幾千の人の霊を傷つくるに至つたのである、斯の如きは僅に英一例に過ぎない、同様なる多数の実例は我国にあり又米国にあり英国にあり世界至る所に於てある、|此世が教会の社会運動に由て改善せらるべしとの希望は今や全く消滅したのである〔付○圏点〕、然らば基督者は失望すべき乎、否彼は鼻より息の出入する人に頼まない、彼は全能の神に頼む、|神は何時か天より地に降り人類の|持剰《もいぇあま》|せる此世に己が国を建設して自ら之を支配し給ふのである〔付○圏点〕、之れ神の確《かた》き約束にして聖書の根本的思想である、而して主の祈祷の中心も亦此キリスト再臨に関する祈にある、曰ふ「聖国を来らせ給へ」と、然り主イエス自ら降り給うて其大なる力に由り奇蹟的に我等の世を占領し而して之を彼自身の国として治め給へである、此解釈はクリソストム以来有力なる聖書学者の唱へ来りし所であつて余輩も亦公平なる聖書研究者としての立場より之を主張せざるを得ない。
 地に関する祈祷中最も興味あるは「我等の日用の糧を今日も与へ給へ」である、「日用」の糧とは如何、こは聖書中に於ける大なる難語の一である、希臘語にて epiousion《エピウーシオン》と言ふ、此字は唯主の祈祷中にのみ用ゐられ聖書以外の古典に於ても見当らない、学者は其意味を採らんと欲して甚だしく頭脳を悩ましたるも未だ明確なる解釈を(120)下すに至らない、或は「日用の」若くは「必要の」糧なりと言ひ、或は「明日の」糧なりと言ひ(少しく語を変ずる時は斯く読む事が出来る)、或は「天よりの」奇蹟的食物の意なりと言ひ、或は「来世の」パンの意なりと言ふ、然しながら一文章中最も重要なる語は最初にあり之に次ぐものは最後にありとの原則よりすれば「日用の」と訳せられたる語の意義如何に拘らず我等は此一節の祈祷の精神を見逃さざる事を得る、何となれば原語の順序に従ふ時は「与へ給へ、我等に、我等の糧を、日用の、今日も」であつて特に重要なる語句は「与へ給へ」と「今日も」である、即ち食物の性質如何は暫く措き|我等はまづ「与へ給へ」と言ひて生活問題の解決を神に仰ぐ〔付○圏点〕、此問題を以て神に祈るは決して悪しき事ではない、|但し「今日も」である、今日は今日を以て足る、今日必要なる糧を神に求め而して其れ丈けのものを賜はりて以て満足すべきである〔付○圏点〕、明日以後の糧を求むる勿れ、生活問題の困難は明日又は来月又は十年の後若くは子孫の代に至る迄の糧を今日獲んと欲するより起る、財産を貯へ其利殖を計らんとするが故に人心に不安は絶えないのである、若し今日の糧を今日与へ給へと祈りて其の与へらるゝ所を以て我が福祉《さひはひ》足れりと為し復た明日の事を思ひ煩はざるに至らば如何、今日現在の食糧に欠乏する者は極めて少数である、故に「今日与へ給へ」と祈るは些小《わづか》を願ふが如くにして些小ではない、日々に此祈を以て神に頼り求むるに至らば大なる平安は其心に臨みて生活問題は悉く解決するであらう、若し三百万の東京市民が皆之を祈り得るに至らば現に喧《かまびす》しき不平怨嗟の声は忽ち消滅するであらう。
 「日用の」糧の解釈に就ては余は之を「|上よりの」糧〔付○圏点〕と読まんと欲する、英国現代の聖書学者ブルリンジヤ氏の如き此説を唱へ附言して曰く「之れキリスト自身の創作し給ひし語なり」と、上よりの糧即ち|天よりのマナである、基督者の糧は之を何処より獲得するも皆神よりの賜物である〔付○圏点〕、此点に於て世人と我等との間に大なる差別(121)がある、世人は自ら労作して其糧を産出すると言ふ、然しながら我等に取ては糧は凡て天よりのマナである、故に日々に之を神より賜はり而して其賜はる所を以て満足するのである、曾てイスラエルの民は曠野《あれの》にありてマナに由て養はれた、彼等は各自食ふ所に準《したが》ひて朝毎に之を集めた、若し必要以上に貯へんとする時はマナは忽ち腐敗したのである、我等に於ても亦然り、日毎に必要なる糧を上より与へらる、若し必要を超えて明日以後の糧を貯ふる時は必ず腐敗するのである、然らば近世経済学を如何せんと言ふ乎、経済学の運命何ぞ憂ふるに足らん、神を信ずる者の祈はたゞ「天よりの我等の食物を今日も与へ給へ」である。
 斯くの如く我等の糧は自ら稼ぎたるものではない、皆神よりの賜物である、|故に感謝なくして之を受くる事が出来ない〔付○圏点〕、基督者の食事の美はしさは其処にある、キリストも亦世に在る間食前には必ず感謝し給うた、レムブテントの名画に、質素なる食卓上パンの幾塊ありて若き大工が仕事着の儘々父母の側に天を仰いで立てるがある、之れ即ちイエスキリストの食前感謝を描きしものである、基督者は必ず感謝を以て食事すべきである、感謝なくして此恩恵を受くるは甚だ卑しき事と言はざるを得ない、余は今より四十年前信仰生活に入りて後久しからざる頃一人の善き兄弟を其東京の下宿に訪ひ共に食事せんとして未だ感謝する事を知らず其兄弟より注意せられて初めて之を学んだ、其日の深き印象は今尚歴然として余の記憶に存する、而して其日は実に最後であつた、爾来今日に至る迄曾て一回たりとも感謝なくして食事に就きし事がない、余の家族亦然り、逝きし我家の少女の如きも其最後の食事に至る迄感謝して之を受けた、何故ぞ、|天よりのマナなるが故である〔付○圏点〕、「我等の天よりの糧を今日も与へ給へ」と祈りて感謝せざらんと欲するも能はないのである、|感謝は信仰の発表である〔付○圏点〕、余は往年某地に出張して旅舘に宿泊せし時余の食前感謝が動機となりて給仕に出でし人の信仰を導くに至りし事がある、又米国に在(122)りし当時食前感謝を怠れる基督的家庭に招かれて独り之を励行し為に其家庭の信仰に一刺戟を与へたる事もあつた、|感謝を怠るは信仰減退の徴候である〔付△圏点〕、感謝せよ、憚らず声を発して神の恩恵を感謝せよ。
 「主の祈祷」と普通の祈祷との間に天地の差がある、前者は神の命じ給ふ所である、故にこは祈祷と言はんよりは寧ろ|信者の心の状態である、常に祈るべしとは常に此心の状態に於て在るべしとの意に外ならない、信者の願望《ねがひ》である、斯くあれかしである、然らば|此願望は何時成就する乎〔付○圏点〕、曰く|聖国の来りし時〔付○圏点〕である、其時「主の祈祷」は完成せらる、ベンゲル曰く「主の新祷は遂に讃美の歌に変らん〔付○圏点〕、其時は唯各節の動詞を変化せしむれば足る、即ち
   天に在す我等の父よ、
   聖名は崇められたり、
   聖国は来れり、
   聖旨は天に成る如く地にも成れり、
   我等の罪は赦されたり、
   試探は絶えたり、
   悪魔は滅ぼされたり、アーメン、ハレルヤ
と、真に美はしき歌である、之れ神に対する讃美の極致である。
 「国と権と栄は窮なく汝の有なればなり」の一句は後世教会の人の註《グロス》として附記せしものが本文中に挿入せられしならんといふ、路加伝に此句なく又多くの原本にも欠けたるより見れば多分其説が真であらう、然しながら(123)思想其者は甚だ貴くある、国も之を支配する権力も之に伴ふ栄光も皆人の有に非ずして神御自身の有であると言ふ、而して神より国を我等に賜はるのであると言ふ、|我等が建設する国ではない〔付○圏点〕、我等の力我等の栄光ではないい、|凡てが神のものであつて我等は皆之を彼に仰ぐのである、斯く一切を父に委ねたる〔付○圏点〕幼心|の美しさは「主の祈祷」の全体の調子である〔付○圏点〕、故に唯に共祈の言の深き真理であるのみではない、其祈の態度も亦大なる教訓である、我等は聖国の来る時まで日々此祈祷を以て心とすべきである。
 
(124)     知識の本源
        (六月廿九日)
                    大正8年9月10日
                    『聖書之研究』230号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
  ヱホバを畏るゝは知識の本なり(箴言一章七節)
 「ヱホバ」と言ひ「畏る」と言ひ「知識」と言ひ「本」と言ふ、何れも九鼎の重みある語である。
 |知識〔ゴシック〕 或は智慧といふ、之に特別の意味がある、今や知識と言ふも天然科学あり哲学あり歴史あり倫理あり其他各種専門の学問がある、然しながら昔時のユダヤに在りては我国に於けるが如く単に智慧と言ひて|凡ての智慧を綜合したるもの〔付○圏点〕を指したのである、故にソロモンが「ヱホバを畏るゝは智慧の本なり」と言ひし時彼は単に実際的常識的の知識を意味しなかつた、今日の語を以て言へば「ヱホバを畏るゝは天然科学の本なり、哲学の本なり、倫理道徳の本なり、一切の学問又は教育の本源なり」と彼は教へたのである。
 |本〔ゴシック〕 或は「始」である、但し「終」に対する「姶」ではない、終りに至る迄の原理である、英語にて the first principle 又は the root principle 又は fundamentals といふが如く基礎的原理である、ヱホパを畏るゝは一切の知識の基礎的原理なりといふ。
 |畏る〔ゴシック〕 「恐る」ではない、長者を長者として尊ぶ心である、|謙遜の心を以て畏れ敬ふ事である〔付○圏点〕。
(125) |ヱホバ〔ゴシック〕 単に「神」と言ふと異なる、特別の意味に於ての神である、アブラハム、イサク、ヤコブに顕はれ遂には|イエスキリストの父〔付○圏点〕として示されたる神である。
 「ヱホバを畏るゝは知識の本なり」、|聖書に現はれたる神を謙遜の心を以て畏れ敬ふ事が凡ての哲学科学の根本的原理である〔付○圏点〕との意である、果して然うである乎、何故ヱホバを畏れずしては真の知識を獲る事が出来ない乎、勿論現代の博士教授等は之を一笑に附するであらう、然しながら聖書の言が真理である乎、或は博士の言が真理である乎、こは重大なる問題である、我等は其間に判決を下さなければならない、而して之を判決せんが為には世界に於ける学問の歴史に訴へ、人生の事実を基礎として論定しなければならない。
 問ふ|世界に於て知識の最も進歩したる国は何処である乎〔付○圏点〕、何国が世界の学者国である乎、支那か、印度か、波斯か、之等の諸国にも大学者を産出しなかつたではない、然しながら学問を以て世界を指導する国は彼等ではない、何処ぞ、英国である、独逸である、仏国である、米国、伊国、又は加奈陀である、而して之等の諸国は|皆基督教の感化の最も顕著なる所〔付○圏点〕である、|基督教の普及せざる国に学問の旺盛なるを見ない〔付△圏点〕、キリストの福音の受け入れらるゝ所、ヱホバの神の畏れ敬はるゝ国に於て最も深くして貴き知識の供給せらるゝ事実は之を香定する事が出来ない。
 更に進みて均しく基督教と言ふも旧教と新教との別を見ん乎、旧教に幾多の貴きものあり新教に最も厭ふべき弊風なきに非ずと雖も大体に於てヱホバを畏るゝの心は旧教国よりも新教国に於て盛である、而して十六世紀に於けるルーテル、カルビン等の宗教革命は唯に信仰上より全欧洲を二分したるのみならず亦知識の上より之を二団に分つた、|今や基督教国中知識の盛なる国と然らざる国との別がある〔付○圏点〕、前者に属するものは何処ぞ、其第一は(126)ルーテルの国なる独逸である、戦争前に至る迄近世の学問の粋を集めたる所は実に此国であつた、而して戦敗の結果或は又此国に却て優秀なる学問が勃興するであらう、次は英国である、英国の学問は実際的にして浅薄なりといふ、或は然らん、然れども国民に知識の普及せる国にして英国の如きはない、之に次ぐものは北米合衆国であつて、仏国又は伊国又は葡萄牙、西班牙等は到底以上の諸国に及ばない、寧ろ瑞西《スヰツル》の一部又は丁抹《デンマルク》又は露国の一部等に於て知識の進歩著るしきものあるを見る、而して之れ皆新教の原理の行はるゝ所である、カーライル曰く「プロテスタント問題は知識の光明を受くるか否かの問題なりき」と、|ヱホバを畏るゝの心は新教国に於て盛である、知識の探究も亦新教国に於て盛である〔付○圏点〕、故にヱホバを畏るゝは知識の本なりとの提言は之を国民の信仰と知識とに対する関係より見て其の誤らざる事を知る。
 国民として然り、|個人としては如何〔付○圏点〕、世界に於ける知識の先導者となりし者は誰である乎、キリストを知らず或は彼に逆らひし人の中にも大なる学者ありしに拘らず|世界の知識の根本を作りし者は尚且キリストを畏れし人であつた〔付○圏点〕、近世哲学の祖は|デカルト〔ゴシック〕である、デカルトなくんば今日の哲学はなかつたのである、彼は新哲学の礎石を据えたる人である、而して彼をして其大思想を編み出さしむるに至りし動機は何処にあつた乎、|神の存在を動かすべからざる根柢の上に置かん〔付○圏点〕との熱心が其れであつたではない乎、デカルトより神に対する畏敬の心を除いて何物をも剰さない、彼は熱心なる基督者であつた、たとへ彼の有神論には多くの誤謬ありしとするも此偉大なる哲学者が万物の造主の存在を証明せんが為に一の根柢を発見して其上に建設したる哲学は人類を益したる事幾許なるかを知る事が出来ない。
 |ベーコン〔ゴシック〕も亦其一人である、彼の品性には幾多の欠点ありしと雖も彼も亦深き基督者《クリスチヤン》であつた、ヱホバを畏る(127)ゝ心なくして彼の大著述は決して成らなかつたのである。
 若し近世科学の祖先と称せらるゝ|アイザック・ニウトン〔ゴシック〕をしで我国今日の学者等の前に立たしめ而して彼自身の学問の根柢に就て語らしめたならば如何であらう乎、彼等は此偉大なる科学者の抱きし迷信(彼等の所謂)を聴いて驚愕するであらう、然しながらニウトンの大発見の根柢は確かに其単純にして且深遠なる信仰に於てあつたのである。
 恐るべき学者は|ライプニッツ〔ゴシック〕であつた、全字宙の知識を一箇の頭脳中に収めたる者にして彼の如きはない、而して彼は熱心なる基督者であつて又深遠なる神学者であつた。
 此問題に就て忘るべからざるはカントである、彼の尚壮年時代に在りし時彼をして世界人類の大問題に逢着せるを感ぜしめ決然として奮起せしめたるものは何であつた乎、彼が或時ヒューム哲学を読み「若し此哲学にして真ならんには我が父母の信仰は崩壊すべし、こは必ず建て直さゞるべからず」と痛感したる其責任の自覚であつた、故にカント大哲学も亦信仰の産物たるを免れない。 斯の如くにして世界に聳ゆる学問の高峰を瞥見する時は|其最高の〔付○圏点〕巨漢《ジヤイアント》|等は皆雲を衝いて天の高きに達し親しくヱホバとの交通を有する者である〔付○圏点〕、真に深くして博き知識を獲るの本源はヱホバを畏るゝの心に於てのみ在る。
 而して基督教の真理は必ずしも之を世界又は国民の歴史にのみ探るを要しない、各自の心中亦明白なる実験の存するものがある、ヱホバを畏るるは知識の本なりと言ふ、国民に於て然り、学者に於て然り、又各自に於て然り、今之が例として何人の実験を挙げん乎、如かず余自身の事を言はんには、何となれば自己の経験は最も確実(128)なる事実であるからである、而して余も亦器の大小の差こそあれライプニッツ、カント、デカルト等の大先生と同じ種類の感化を受けたのである、|ヱホバを畏るゝ心は唯に余の道徳を高め余の霊魂を清めたるのみならず余をして真正の学者たらしめたのである〔付○圏点〕、何人も真正の学者たる事が出来る、学者とは何ぞ、所謂物識りと称する百科辞典の代用物ではない、|真理を其れ自身の価値に於て知る人、真理を真理其物の為に貴ぶ人〔付◎圏点〕、斯かる人が真正の学者である、真理を真理以外の者の為に知り便宜の為め又は利益の為に之を枉げんとするが如き者は決して学者ではない、仮令世界の政治論を悉く研究すると雖も之を一国に適用するに当りて多少の緩和を施さんとする者は学者に非ずして政治家である、学者は真理を真理其者の為に貴ぶ、故に苟も宇宙の真理なりと信ぜん乎、之を何人にも何処にも適用せんと欲するのである、利害と便宜とを排して真理はたゞ神の為に貴しと做す所に学者の学者たる所以がある、而して|ヱホバを畏るゝに非ざれば人は此種の学者たる事が出来ない〔付○圏点〕、ヱホバを畏れずして或は厨房用具の小発明に由り政府の特許権を獲得する事は出来るであらう、然しながらニウトンの研究したるが如き星斗と星斗とを結び付け宇宙を呑吐する底の大発見は其心深くヱホバと交はる者に非ざれば到底不可能である。
 人の知識はヱホバを畏るゝに由て更に貴きものとなる、ヱホバを畏るゝ者に取て天然を探るは父の美しき庭園を逍遥する事である、木の葉の萌え出づる所、禽烏の巣を営む所、蟻の食を漁る所、一として深き感興を促さゞるはない、故に探究又探究遂に其尽くる所を知らない、彼等は何時まで経つても尚学界の小児である、誠にニウトンの言ひしが如く其一生涯を費して学びし所は僅に大海の岸に立ちて二三の礫《こいし》を拾ひしに過ぎない、前途に開く真理の海は無限である、従て彼等の知識欲も亦無限である、其生涯を繰返す事十回又は二十回に及ぶも尚足(129)らざるを覚ゆるのである、之に反してヱホバを畏れざる人々が其|年歯《ねんし》未だ五十に達せざるに早く既に知識欲の減滅を示すを見ば思ひ半に過ぐるであらう、本当の信者は死に至るまで学生である。 故に|知識欲の勃興は〔付○圏点〕改信《コンヴホルジヨン》|の最も確実なる徴候の一である〔付○圏点〕、キリストの福音は何の素養もなき男女を化して貴ぶべき学者たらしむ、余の識れる東北地方に於ける某盲婦人の如きは晩年に至る迄いろはをも解せざりしに拘らず福音に接してより聖書研究の熱心を起し即ち点字に由て之を学び爾来数年ならずして驚くべく聖書に精通するに至つた、世上之に類似の実例は決して乏しとしない、|ヱホバを知るは知識欲勃興の秘訣である〔付○圏点〕、知識は霊的である、故に頭脳のみを以て之を獲得する事は出来ない、真理を真理の為めに貴ぶ所の真正なる学者たらんが為には霊的準備の必要がある、即ち我等の霊を以て宇宙の霊に結合しヱホバの神を畏るゝの心を起すに由て知識は滾々として湧き出づるのである、而も独り自己の専門に属する知識のみではない、神の造り給ひし凡ての事物に関して深き興味を有するに至るのである。
 ヱホバを畏るゝは知識の本なりと、之れソロモンの言である、然しながらソロモンよりも大なる者イエスキリスト現はれて知識の本源は更に一歩を進めた、曰ふ「イエスは神に立てられて汝等の智慧と為り給へり」と(コリント前書一章三一)、キリストを知るは知識の本源たるに止まらない、|キリスト彼自身が我等の智慧である哲学である、神はキリストを立てゝ我等の哲学と為らしめ給うたのである〔付○圏点〕、我等はイエスキリストを知るに依てヱホバの神を知るのみならず又同時に宇宙の原理を知り真正なる意味に於ての哲学者となるのである、今や我等の周囲に紛雑なる思想問題あり国際間題あり労働問題あり物価問題がある、如何にして其中心的真理を捕捉する事が出来る乎、日くイエスキリストを知るべしである、フェアベルンの言ひしが如く彼の十字架の釘に刺されし双手《さうしゆ》(130)の掌中に全宇宙が存在するのである、|真理の中心は神の子イエスキリストに在る、彼を知り彼を信ずるは凡ての知識と教育との根源である〔付○圏点〕。
 
(131)     屍《しかばね》のある所に鷲集らん
         (八月三日柏木聖書講堂に於て)
                    大正8年9月10日
                    『聖書之研究』230号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
  ロトの妻を憶へ、凡そ其生命を助けんとする者は之れを失ひ若し其生命を失はん者は之れを存つべし、我れ汝等に告げん、其夜二人同じ床に在らんに一人は執られ一人は遺さるべし、二人の婦共に磨ひき居らんに一人は執られ一人は遺さるべし、彼等答へて曰ひけるは主よ此事何処に有るや、彼等に曰ひけるは屍の在るところには鷲集らん(ルカ伝十七章三二節以下)。
 イエスの再び来り給ふ時は急激である、不意である、故に我等は其時到らざるに先だち世に対する慾を悉く棄て去りて直に天に挙げられ得べき準備を整へなければならない、「ロトの妻を憶へ」、彼女はソドム滅亡の日に逃れんとして躊躇ひ後を回顧みたれば忽ち「塩の柱」となつたのである、彼女何故に後を回顧みたる乎、思ふに宝石か或は衣類か、何物か彼女自身の生命よりも重しとする物が有つたのであらう、而して之を助けんと欲したるが故に己が生命を失うたのである、「凡そ其生命を助けんとする者は之を失はん」である、|後ろに我が慾心の残れるものありて我は回顧みざらんと欲するもはない、世に|執着《しうぢやく》|痕跡だも無きに至て我等は初て回顧の必要を知らないのである〔付○圏点〕、キリストの再臨に対する我等の準備は此世に関する慾心の絶滅にある。
(132) 「其夜……一人は取られ一人は残されん」、取らるゝ者は福なる哉、|取らるゝは携へ挙げらるゝ事である〔付○圏点〕、之れ此世に何の執着をも留むる物なく後を回顧ずして直に去り得る準備ある者のみ与かる事の出来る恩恵である、仮令「同じ床に在る」同胞と雖も「共に磨《うす》ひき居る」同業者(伝道の如き精神的事業をも含む)と雖も其準備の有無に由て全く上と下とに相分たれざるを得ない、故に此最後の瞬間的なる救拯に漏れざらんが為に何人も今より不断の準備を為すの必要がある。
 「屍のある所には鷲集らん」、之れ聖書中大難関の一である、普通に解せらるゝ所に由れば此句は本来ヱルサレム滅亡の予言中に属すべきものなるを此処に附合せしめたのであるといふ、斯の如くに見て或る種の解釈は可能である、即ち屍は腐敗物である、鷲又は禿鷲は腐敗物を食する審判の動物である、而して羅馬人の旗章《はたじるし》は鷲である、故に此場合に於て屍は腐敗したるユダヤ人にして鷲は之を滅ぼさんとする羅馬人なりと見る事が出来る。
 然しながら以上の解釈は仮説に基くものに過ぎない、ルカ及びマタイの二人共此一句を他の部分より剥奪し来りて此所に接合したりといひ、キリストが鷲なる語を以て羅馬の軍勢を意味し給へりといふは何れも聖書中に何等の根拠を有せざる想像である、聖書の言は之を其前後の関係と聖書中の他の部分とに照して解釈するに如かず、而して茲にイエスの此言を発し給ひしは「|主よ何処に〔付○圏点〕」との弟子等の質問に答へんが為であつた(原文に「此事」「あるや」の語なし)、「其夜一人は取られ一人は残さるべし」、「主よ何処に?」、取らるゝ者は何処に取らるゝのである乎、曰く「屍の在る所に!」、然り其所に「鷲」は集るのである、屍とは何ぞ、|十字架の上に屠られしイエスの体ではない乎〔付○圏点〕、屍必ずしも腐敗物ではない、殊にユダヤ人の如く日々幾百頭の犠牲を神に献げし民に取て屍の語に却て潔き聯想がある、イエス自身も亦「我肉を食ひ我血を飲む者は永生あり」と教へ給うた、彼は誠に(133)「世の始より殺され給ひし羔」である、|屍とは我等の罪の為に犠牲となりしイエスの体である〔付○圏点〕。 
 次に「鷲」とは如何、聖書に在て空の鳥は常に悪しき者を表はすに拘らず「鷲」の語には善き意味がある、恰も獅子と言ひて之を猛獣の意に解せず力ある王の地位を代表せしむるが如く(黙示録五章五)鷲も亦|其強き翼と鋭き眼と敏き感覚との故を以て屡々基督者を代表するに用ゐらる〔付○圏点〕、かの「ヱホバを待望む者は新なる力を得ん、又|鷲〔付△圏点〕の如く翼を張りて昇らん、走れども疲れず歩めども倦まざるべし」(イザヤ書四十章終)と言ふが如きは直に取て以て本節の註解と為す事が出来る、こは即ち神の子がキリスト再臨の日に於て受くべき恩恵の予言である、|其日彼等は鷲の如く翼を張りて上り而して我等の罪の犠牲として天の祭壇に献げられし貴き屍イエスキリストの体の許に集まるのである〔付○圏点〕、「主よ何処に」、「屍のある其所に鷲集まらん」、基督者の希望を簡潔に表す語として之よりも美はしきものを知らない。
  附言 屍と鷲とに就き確信を以つて此解釈を主張したる者の中にクリソストム、オリゲン、ジエローム、アウガスチン、ルーテル、カルビン等の雄将がある
 
(134)     清秋雑感
                         大正8年9月10日
                         『聖書之研究』230号
                         署名 主筆
 
〇|余は常に思ふ余に若し二十人の子女ありとするも余は其一人をも宣教師学校に送らざるべしと〔付○圏点〕、宣教師は信者を作らんとする、故に作り得ないのである、信者を作り得ないのみならず|最大の偽善者を作るのである〔付△圏点〕、自分は偽善者なりと知りながら偽善を行ふ者は其偽善を悔改むる機会がある、然し乍ら自分は立派なる信者であると思ひながら偽善を偽書と知らずして行ふ者が其偽善を認めて排斥せんとするに至るは殆んど望むべからずである、而して宣教師は信者を作らずして|信者の役者〔付△圏点〕を作つて悔改の機会最も尠き第二種の偽善者を作るのである、斯かる信者は能く歌ひ能く祈り能く勧め能く泣く、然れども|イエスキリストの心〔付○圏点〕に至りては、彼等は其初歩をも知らないのである、人の心霊上の危険にして之より大なる者はない、パウロの所謂「敬虔《つゝしみ》の貌《かたち》あれど実は敬虔の徳を棄《すつ》」とは此種の心的状態を指して云ふたのであると思ふ(テモテ後書三章五)、信仰の貌ありて信仰の実なき者、信仰を芸術として習得して信仰其物を実得せざる者、信仰を社会の舞台に演ずる者、信者の役者、是れ宣教師学校の作る所謂「信者」である、余は余の子女が斯かる基督信者たらんよりは寧ろ純然たる不信者たらん事を欲する、不信者を信者となす希望がある、乍然信者の役者を真正の信者と成さん事は殆ど不可能であると云ひて差支がない 今日まで最も多く余を悩ました者は無神論者でもない偶像信者でもない、宣教師学枚に在りて「信(135)者」とせられし「信者」である。彼等は信仰に就て万事《すべて》を知つて居る、故に何も知らない、彼等は余の兄弟であり姉妹であると思ふて居る、然れども彼等は余の最悪の敵である、余が嫌ひ忌む者にして彼等の如きはない、余は彼等と信仰の根柢を異にして居る、洵に習慣的に基督教を学びて之を異教徒に伝へんとする外国宣教師に子弟を委託するに勝る危険はない、是れ霊性の破壊である、余は多くの辛らき経験を嘗《なめ》し結果として此不祥事を表白せざるを得ない。
〇多くの浅薄なる偽《いつはり》の基督教に接触して余は旧き日本道徳を慕はざるを得ない、余は時には叫ぶのである I would rather be a aheathen than be a Christian(余は寧ろ基督信者たらんよりは寧ろヒーズンたらん)と、然し乍ら余は基督信者として余の生涯を終るであらう、欧米の似而非《にてひ》なる基督信者に傚はずしてキリストと彼の直弟子に従ひて単独にして厳正なる信仰の道を辿るであらう、哲人キルケゴールに傚ひ万止むを得ずんば余一人丈けなりとも真正《まこと》の基督者《クリスチヤン》たらんとの覚悟を以て余の最善を試むるであらう、偽らざる日本道徳の上に固き基督教の信仰を築くであらう、日本武士がキリストの僕と成りし者と成るであらう、米国の商人や労働者が宣教師となりて我国に伝へし基督教を信ずること無くして、武士らしきタルソのパウロが伝へし武士的基督教の誠実なる信者たるべく努力するであらう、宣教師的基督者たるは日本人として恥辱此上なしである。
 
(136)     秋来る
                         大正8年9月10日
                         『聖書之研究』230号
                         署名なし
 
 秋が来た、余輩の活動が始まる、余輩の反対者の活動も始まる、万事《すべて》が善事《よきこと》である、之に由て真理は益々闡明せらる、神の栄光は益々揚る、人は皆不完全なる者、頼りにならぬ者と証明せられて人々は各自神と直接関係に入るべく余義なくせらるゝのである 「凡の人を偽とするも神を真とすべし」である、縦し余輩自身が世を迷はす者基督教を誤る者と見做さるゝも若し神の真理が世に受けらるゝに至らば余輩の満足此上なしである、余輩は自分を広告する為に働かない積りである、福音宣揚の為め犠牲として使はるゝならば感謝此上なしである。
 
(137)     DEATH THE BEAUTIFIER.
                         大正8年10月10日
                         『聖書之研究』231号
                         署名なし
 
 What is more beautiful than Death,than Christian Death? It is Heaven opening unto Earth,Or Earth passing unto Heaven.Earth would be a dismal place indeed,always enveloped in black clouds,were it not for Death. But Death rends the cloudy envelope,and gives us glimpses of the Infinite Azure above,and makes us know that after all Earth swims as a speck of darkness in the infinite sea of light. Here we are under the firmament,prisoners in a veritable abyss,from which Death delivers us into the freedom of Vastness above.There they are,and we follow them,only a pinch of pain which we call Death separating us from them who never shall die. Death is a sanctifier,a deliverer,a beautifier. Men call him King of Terrors;but in fact,he is an angel,the greatest of all the gifts of God,save One,the Conqueror of Death.
 
(138)     〔信仰と神学 他〕
                         大正8年10月10日
                         『聖書之研究』231号
                         署名なし
 
    信仰と神学
 
 信仰は詩である、歌である、音楽である、思索ではない、議論ではない、然ればとて思索し難い者ではない、余り深くして思索し尽すこと能はざる者である、故に信仰は之を表はさんと欲して自《おのづ》ら断言するのである、曰く「我れ信ず」と、哲学は之を称して独断的主張《ドグマチズム》と云ふ、然れども信仰は自個を説明せんと欲して能はないのである、信仰は生命其物の声である、故に自から歌ひ且つ躍るのである、其点に於てプラトーもパウロもアウガスチンも一致して居る、彼等の哲学又は神学と称する者は近代人のそれとは全く異なり詩歌の一種であつて組織的思惟の結果ではない、ルーテル曰く「神学は音楽の一種なり」と、完全の調和、無限の歓喜、宇宙と人生とが一団となり、理性と霊性とが一致して躍り喜ぶ所に本当の神学がある、斯くて基督者《クリスチヤン》は各自其知識の程度に随ひ神学者である、彼は自己を神の独子イエスキリストの立場に於て見るが故に万事万物を調和的に観るのである、「万物彼に由りて存つことを得る也」。
 
(139)    赦さるゝ時
 
 罪は罪を罪と認むる時に赦される、神が罪に対して加へ給ふ刑罰を正当と認むる時に赦される、罪は神を怨んで赦されない 彼の慈愛を疑ふて赦されない、義の神の義を認めて赦される、神は其無限の愛を以てするも罪を罪と認めざる罪人を赦す事は出来ない、ヨブが自己の無辜を弁護しつゝありし間は艱難は彼より去らなかつた、彼が謙下りてヱホバに向ひ「我は自から了解《さとら》ざる事を言ひ、自から知らざる測り難き事を述べたり……是をもて我れ自から恨み、塵灰《ちりはひ》の中にて悔ゆ」と言ひし時にヱホバはヨブの艱難《なやみ》を解きて彼れを旧《もと》に復《かへ》し給ふた(約百記四二章)、人は如何に義しき人なりと雖も神に逆《さから》ふ事は出来ない、己が罪を認めて神の赦免《ゆるし》を求むる迄である、我は我が罪の為に罰され亦我が父母祖先又社会の罪の為に罰せらる、我は神を恨むべきでない、正当の刑罰として之に当るべきである、而して我に此本当の悔恨の心の起りし時に神は其の憐愍《あはれみ》を現はし給ふて我が罪を赦し、我心に歓喜《よろこび》の膏を注ぎ給ふ。
 
    満腔の満足
 
 詩人ゲーテは自己に問ふて言ふた「我に是等の悲痛と歓喜とありしは何の為めぞ」と、而して彼は斯く自己に問ふて自己に答へ得なかつた、人生の悲痛と失望と煩悶と是れ何の為ぞと、人は何人も人生の終末に近《ちかづ》いて此問題の解決に甚《いた》く困《くるし》めらるゝのである、而して此問題に対して満足なる解決を有する者は唯|基督者《クリスチヤン》あるのみである、「是れキリストを知らんが為なり」と答へて彼は満腔の感謝を言表して除す所がないのである、人生の此悲痛、(140)此失望、此懐疑、身を斫《きら》るゝが如き耐へ難かりしすべての患苫、是れ彼に取りては意味なき者ではなかつた、之に充分の報償《つぐなひ》があつた、彼は無益に苦しんだのではない、彼が得し者は失ひし者を償ひ得て余りあるのである、彼は神の栄の光輝その質の真像《かた》なるキリストイエスを知る事が出来た、実に彼れキリストを知ることは神御自身を知る事である、故に彼を知ることは真の生命である(約翰伝十七章三節)、キリストを知らんが為の患苦と思へば如何なる患苦も患苦ではない、実に此の事に関するパウロの実験はすべての基督者の実験である。
  実に然り、我れ我主キリストイエスを知る事を以て最も優れる事とするが故に凡のものを損となす、我れ彼の為に既に此等のものを損せしかど之を糞士の如く意へり、是れキリストを得て信仰に基きて神より出る義、即ち律法に因れる己が義に非ず、キリストを信ずるに因れる所の義を有てキリストの中に居り、彼と其|復活《よみがへり》の能力を知り、その死の状に循ひて彼の患苦に与り、兎にも角にも死たる者の内より甦へる事を得んが為なり(腓立比書三章八節以下)。
 キリストを知る為の患苦である、彼の患苦に与りて彼と栄光を共にする為の患苦である、此目的を達するを得てすべての患苦は損害に非ずして利得である、キリストを知るの歓喜に比べて我が失ひし此世のすべての歓喜、すべての満足は之を糞土と称して可なる者である、主イエスキリストは人生問題の惟一の解決である、彼を知るを得て患苦の意味が明瞭に成るのである。
 
(141)     〔モーセの十誡〕
                    大正8年10月10日−9年1月10日
                    『聖書之研究』231−234号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
     モーセの十誡総論 (九月廿一日)
 
 聖書は創世記を以て始まり黙示録を以て終る、而して創世記の伝ふる所は天地万物の創造である、黙示録の教ふる所は天地万物の完成である、其創造より其完成に至る迄之を悉く一書の中に蔵む、世界何処にか復た斯る書がある乎、然しながら聖書中また一の重要なる領域又は区劃がある、神の創造し給ひし天地万物を其完成に達せしめんが為の手段たるものがある、之れ即ち基督教である、然り基督教は手段である、|宇宙の完成に関する神の聖旨を成就せんが為の一の手段である、故に聖書が悉く基督教ではない、基督教は聖書の一部である、然しながら最も重要なる部分である、神は基督教を除いて宇宙を完成し給はない、基督教は言ふ迄もなく聖書の中心である。
 然らば|基督教の根柢〔付○圏点〕は何である乎、福音の本源は何処にある乎、答へて曰くモーセの十誡である、基督の福音はモーセの十誡を以て始まつたのである、基督教の何たる乎を学ばんと欲して基督教のみを探ることは出来ない、薔薇の花の高き香のみを嗅ぐも以て其美を賞するに足りない、溯つて其幹と根とに注目せよ、|基督の福音の〔付○圏点〕真髄(142)を味はんと欲せば宜しく其根柢たるモーセの十誡を学ぶべきである〔付○圏点〕。
 今試に基督教とは何ぞと問はゞ多くの人は答へて「愛の教なり」と言ふであらう、而して基督教は実に愛の教である、然しながら愛とは何である乎、愛とは徒らに赦す所の情の愛である乎、否、|基督教の愛は情の愛ではない、義の愛である〔付△圏点〕、此事を明解せんが為には基督教の愛は何処より始まりし乎を知るの必要がある、「|神は愛なり」との福音は〔付○圏点〕素々|峻厳なる律法より始まつたのである〔付○圏点〕、「汝……すべからず……する勿れ」との律法を其根源として発し来つたのである、故にモーセの十誡の研究は基督教の根本の研究である、之を解せずして基督教を解する事は出来ない、十誡の精神を学ばずしてキリストの愛を知る事は出来ない、今や誤りたる福音の切りに宣伝せらるゝ時に当り基督教の根本に溯りて其性質を明かにし以て信仰の基礎を建て直す事は刻下の急務たるを失はない。
 之を呼んで「モーセの十誡」といふ、然しながら勿論モーセの十誡に非ずして|神の十誡〔付○圏点〕である、神がモーセを以て伝へ給ひしものである、出埃及記又は申命記に記さるゝ如くモーセがシナイ山上親しく神と相接して神より直接授与せられしものである、初め神は之を二枚の石板に刻みてモーセに渡し給ふた、モーセ之れを受けて山より降れば豈図らんイスラエルの民は彼の兄アロンに迫りて金の犢を造らしめ之を拝して居つた、モーセ其状を見て忽ち偉人の義憤を発し二枚の石板を地に擲ちて之を破砕した、茲に於て神は再び山上に於て前の如くにして彼に与へ給うたのである、此十誡を刻める石板は純金をもて蔽ひし櫃《はこ》の中に蔵められ其上には両端に相対して二箇のケルビムが配置せられ而して両ケルビムの面《かほ》は各々下方に向ひて此十誡の石板を注視せしめられた、而して両ケルビムの間よりヱホバは其民イスラエルに語り給ふた、斯て十誡の石板は聖所に置かれてモーセと共に曠野《あらの》を(143)進みヨシュアに守られてカナンの地に入つた、然るに紀元前凡そ六百年の頃に及びバビロン王ネブカドネザル之を携へて東に帰りし以来遂に其行方を知らないと言ふ、然し乍らネブカドネザル壬は決して無智蒙昧の人に非ざりしが故に彼は徒らに之を破壊しなかつたであらう、モーセが神より授けられし十誡の石板は今も尚純金にて蔽はれたる櫃の中に在りてメソボタミアの野の何処《どこ》にか埋没して居るであらう、若し今回の戦争の結果メソポタミア地方を占領したる基督教徒の手に由て此貴き遺物の発掘せらるゝが如き事あらば蓋し世界最大の発見である。
 モーセの十誡は神の十誡である、然るに神学者等は曰ふ、「世に絶対的存在者たる神の授け給ひし十誡なるものゝ在るべき筈がない、モーセの十誡は即ちモーセの十誡である、其前にも後にも亦十誡があつたのである、多くの十誡中今より三千三四百年前に成りたる者が即ちモーセの十誡である」と、曾て英国の或る学者が「神の十誡」説を撃たんとして曰うた事があつた「汝等はヱホバ其十誡を石の板に刻み給へりと言ふもヱホバの神豈石工ならんや」と、然りヱホバの紙は石工ではない、然しながら誰が石工を造つたのである乎、石工を造り給ひし神が何故石工の為し得る事を為し得ないのである乎、彼等神学者の反対論に対しては此一言を以て答ふれば足る、若し夫れ十誡の内容の如何に貴きものなるかを知らばヱホバ自ら之を石の上に刻み給ひし所以を悟るに難くないであらう、妄りに十誡を軽んずるを已めよ、幾千年来イスラエル律法の根柢として又基督的福音の本源として尊敬せられたるモーセの十誡は之を学びて後に其価値を定むべきである。
 法律は勿論社会生活上最も重要なる条件である 而して古来世界に優秀なる法律は其数尠しとしない、就中法律の模範として新紀元を作りしものが五六ある、其一はモーセより後るゝ事凡そ千五百年にして希臘に出でたるドラコーの法律である、彼の法律は血を以て書かれたりと称せられ其の厳格なるを以て名がある、後又百年に(144)してソロン出でアテンスに有名なる憲法を布いた、ソロンの憲法はドラコーの法律と共に法制史上に看過すべからざる貴重なる産物である、後に至り羅馬に大法律家ジャスチニアン出でゝ完備せる羅午法を制定した、更に近世に及びて世界の国民を支配するに大なる感化力を有したるものは確かにナポレオン・ボナパートの制定に係る法律である、斯の如く数種の優秀なる法律ありて世界に於ける今日の法制の基礎を作れりと雖も、|其時代に於て又其性質に於て遙かに之等諸法律を凌駕するものは実にモーセの律法であつた〔付○圏点〕、其時代に於ては欧洲最古の法律に先んずる事尚千五百年即ち今より三千三百乃至四百年前である、其性質に於ても亦モーセ律に驚くべき特徴の存在する事は法学者を俟たずして明かなる事実である。
 先づ其大体の形態《かたち》に就て見ん乎、之れを伝へたる最も古きものは出埃及記第二十章である、故に此章に記されたる通りに石板の上に刻まれしものであるかも知れない、然しながら申命記第五章六節以下又は第六章四節以下又は第十章四節以下等に於ては少しく趣を異にするより察して、石坂の上に刻まれし言語は此中の主なる要点のみなりしに非ずやと言ふは根拠なき想像ではない、思ふにモーセ律の根柢たるものは斯の如き詳密なる規定に非ずして|神は簡潔なる力強き言語を以て其要点のみを綴り給うたのであらう〔付○圏点〕、有名なる東洋学者エ※[ワに濁点]ルドが石の上に刻まれし言として推察したる十誡全文は左の如くである。
 一、汝我|面《かほ》の前に我の外何物をも神とすべからず。
 二、汝|自己《おのれ》の為に何の偶像をも彫《きざ》むべからず。
 三、汝の神ヱホバの名を妄りに口に上ぐべからず。
 四、安息日を憶えて之を聖潔く守るべし。
(145) 五、汝の父と母とを敬ふべし。
 七、汝姦淫する勿れ。
 八、汝盗む勿れ。
 九、汝その隣人に対して虚妄の証拠を立つる勿れ。
 十、汝その隣人の家を貪る勿れ。
      (出埃及記廿章一−十七節 申命記五章六−廿一節)
 希伯来語の貴きは深遠なる思想を簡潔なる語を以て発表し得る所にある、故に霊魂の事道徳の事又は神の事を言はんと欲して希伯来語に勝るものはない、其の強き一語の中には我等の二三語を包含せしむる事が出来る、而して右の十誡中多数は極めて簡単なる言語である、「汝殺す勿れ」と言ひ「汝姦淫する勿れ」と言ひ「汝盗む勿れ」と言ふが如き何れも僅かに二語を以て言ひ表はさる、即ち「汝殺す勿れ」は Lo tirzah《ローテイルツアー》である、其他何れも皆 Lo「勿れ」の字を以て始まり而して力ある短き語が之に続いた、故に二枚の石板上此強き Lo の語が儼然として羅列したであらう、斯る律法を手に執りてモーセがシナイ山より下り之をイスラエル全民衆の目前に発表せし時の厳粛さは能く之を想像する事が出釆る、十誡実は十語(ten words)である、十語を中心として綴られし簡単にして強烈なる律法である。
 十誡の区分如何に就ては従来基督教界に少からざる議論があつた、其何れの箇条までが第一の板に書かれたのである乎、十誡を大別して|神に対するの義務と人に対するの義務〔付○圏点〕とに分ち得る事は殆ど疑を容れない、故に二枚(146)の板の中第一には前者を第二には後者を記されたるものと想像する事が出来る、然らば何れ迄が神に対する義務であつて何れよりが人に対する義務である乎、此問題に就て久しく行はれたる誡釈は|アウガスチン〔付○圏点〕の意見であつた、彼は以上に掲げたる十条中初の二条を第一誡として以下順次に繰上げ最後に第十誡として「汝隣人の妻を貪る勿れ」の一条を附加し(申命記五章廿一節)、而して其第一乃至第三の三条を神に対するの義務と為し第四乃至第十の七条を人に対するの義務と為した、又アウガスチンに先だち有名なる歴史家|ヨセファス〔付○圏点〕は自ら猶太人たるの立場より一種の区分を世に提供した、即ち前掲十条中第四迄が神に対するの義務にして第五以下が人に対するの義務なりとの説である、而して後世プロテスタント諸教会は多く此説を採用したのである。
 斯る幾多の区分法あるに拘らず別に又何人も排斥する能はざる明白なる区分法がある、そは即ち十誡を別ちて前後各五条と為し|前五条は神に対するの義務にして後五条は人に対するの義務〔付○圏点〕なりと做すものである、此区分法は甚だ単純なるのみならずモーセの律法中五条又五条を合せて十条たらしむるの習慣あるに由て一層確かめらるゝのである、然らば「汝の父と母とを敬ふべし」との条項は何故第五に来るのである乎、こは人に対するの義務ではない乎、答へて曰く|モーセ律に於て父母を敬ふの義務は神に対するの義務である、人なる父母を神の代表者として見る〔付○圏点〕の思想であると、イスラエルの民は古来固く此思想を執りて動かなかつたのである、|誰か言ふ基督教に忠孝道徳なしと、基督教の根柢たるモーセの十誡中父母を敬ふの義務は神に対する義務の中に包含せらるゝではない乎〔付△圏点〕、|基督教道徳を以て孝道に冷淡なりと為す者は未だ基督教の本源を知らざる者である〔付○圏点〕、モーセの十誡は「汝の父母を神の代表者として敬ふべし」と教ふるのである。
 「汝|我が〔付○圏点〕面《かほ》の前に|我〔付○圏点〕の外何物をも神とすべからず」といひ「|我れヱホバ汝の神〔付○圏点〕は嫉む神なれば云々」といひ(147)「|汝の神ヱホバ〔付○圏点〕の名を妄に口に上ぐべからず」といふ、「我」である、「ヱホバ」である、「神」である、即ち知る|モーセ律法の第一条は神に関する規定なる事を、神の観念なくして法律の観念あるなし〔付○圏点〕、先づ神に対する宗教心ありて然る後に法律の遵奉がある、之れユダヤ法上動かすべからざる根本観念である、世界何れの法律か其第一条に神を言ふものが有る乎、宗教に冷淡なる者は法律家に多い、然るに独りモーセ律は法律の根柢を宗教に置きて未だ神を識らざる者は法律を語るべからずと為すのである。
 道徳に関して亦然り、倫理学者の思想は法律家に比して少しく真面目なりと雖も神を重んぜざるの風に至ては撰ぶ所がない、彼等の倫理は全く宗教を加味せざるの倫理である、然しながら|モーセ律に由れば道徳も亦神より
出づるものである〔付○圏点〕、神を認めて初めて人の道徳がある、道徳の根柢も亦神である。
 |宗教なくして道徳あるなし、道徳なくして法律あるなし、神の観念は道徳と法律との基礎である、真の神を認めずして個人も社会も国家も存立する能はずと、之れモーセの十誡の精神である〔付○圏点〕、然るに近代の法制は民主々義を主張して神を顧みない、二者果して何れが真である乎、法律道徳の根柢を神に求むる三千数百年前のモーセ律と、神抜きの現代の法制と、果して何れが真である乎、事は審判の日に至て悉く判明するであらう、何れにせよモーセの十誡は社会生活の根柢を正しき神の観念に措く者である。
 
     十誡第一条第二条 (九月廿八日)
 
 十誡は之れを前後の各五条に半切して神に対するの義務及び人に対するの義務と見る事が出来る、而して少しく注意して各条の順序を観察すれば神又は人に対する我等の心の態度が自ら其間に明示せらるゝのである、先づ(148)人に対するの義務を見よ、「汝殺す勿れ」「汝姦淫する勿れ」「汝盗む勿れ」、之れ皆人の|行為〔付○圏点〕を以てする罪に対する誡めである、「汝その隣人に対して虚妄の証拠を立つる勿れ」、言を以て隣人の名誉を傷くる勿れとの意である、即ち之れ|口〔付○圏点〕を以てする罪に対する誡めである、「汝その隣人の家を貪る勿れ」、未だ行為に出でざる心中の罪に就て言ふ、即ち之れ|意思〔付○圏点〕の罪に対する誡めである、行為を以て隣人を侵害せず、言語を以て侵害せず、また之を侵害せんとする悪意をも抱かざる事、|行為〔付○圏点〕と|言語〔付○圏点〕と|意思〔付○圏点〕、隣人に対する完全なる義務は此三に於て在る、而して同じ事が亦神に対するの義務たる初の五条中に現はるゝのである、「汝我が面の前に我の外何者をも神とすべからず」、「汝自己の為に何の偶像をも彫むべからず」、之れ何れも信仰の問題即ち|意思〔付○圏点〕に関する誡めである、「汝の神ヱホバの名を妄に口に上ぐべからず」、即ち|言語〔付○圏点〕に関する誡めである、「安息日を憶えて之を聖潔く守るべし」、「汝の父と母とを敬ふべし」、即ち|行為〔付○圏点〕に関する誡めである、神に対して誡実なる意思と言語と行為とを以て仕ふべし、隣人に対しても行為と言語と意思とを以て侵害を与ふる勿れと言ふ、聖書は屡々斯の如き修辞法を用ゐて我等をして真理の記憶に便ならしむる。(修辞学上の Introversion である。)
 |一、汝我が面の前に我の外何者をも神とすべからず〔ゴシック〕、「|我が面の前に〔付○圏点〕」とは如何、或は曰ふ、此一語に深き意味あるなし、何れの国語にも此種の添附語ありと、然し乍ら神が「我が面の前に」と言ひ給ふ時に之を無意義とする事は出来ない、我等皆主の台前に出づる時は即ち彼の面の前に立つ時である、故に「我が面の前に我の外何者をも神とすべからず」と言ふと「我を除きて他に何者をも」と言ふとの間には多少の相違なきを得ない、恰も余が此壇にありて語る時「余の面の前に何人も立つべからず」と言はゞ単に「余を除きて何人も」と言ふと少しく其意義を異にするが如きである、「余の面の前に」とは余と聴者諸君との間の関係に就て言ふのであつて其他の関係(149)に於て他の人が此処に立つと否とを問はないのである、其の如く「汝我が面の前に我の外何者をも云々」と言ふは|ヱホバの神とイスラエルの民との関係に就て言ふ、他の国民が如何なる神を有する乎は暫く之を問はないのである〔付○圏点〕、当時何れの国にも神があつた、モアブにはケモスあり、埃及にはラーあり、アッシリアにはアッシュルあり、バビロンにはベルあり、フィニシアにはマルカスがあつた、乍然之等の者が果して神なる乎否乎は暫く措いて之を問はずして、唯汝等イスラエルが我が前に立つ時は我の外何者をも神とすべからずとの意である、故に此教を受けたるイスラエル人がモアブ人の家に至る時は「汝等の神は神に非ず」とは言はなかつた、唯「我等の神はヱホパなり、我等はヱホバの前にありて他の何者をも拝せず」と言うたのである、即ち宗教学上の所謂 Monolatry(拝一神教)にして Monotheism(唯一神教)ではなかつた、但し|此思想が遂にはヱホバのみ真の神にして彼の外に神あるなしとの唯一神教に帰着すべきは勿論である〔付○圏点〕、故にヱレミヤ、ダニュル等預言者は皆之を高調して「神は唯ヱホバのみ、其他の神は風の如く有りて無き者なり」と主張するに至つたのである、モーセは何故に初より明白に之を唱へなかつた乎、蓋し唯一神教其ものは当時未だ民衆の直に受け入れ難き大真理なりしが故に寧ろ思想上必然此処に帰結すべき信仰を以て始めたのであらう、ヱホバの面の前に彼の外何者をも神とせずしてイスラエルは結局彼れヱホバのみを宇宙に於ける唯一の神として拝せざるを得ざるに至つたのである。 現代の人は神の有無に就て論ずる、故に彼等の前に此思想は必ずしも重要なるものでない、乍然モーセの時代に於ては斯の如き重大なる問題はまた他に無かつたのである、何となれば当時何人も神の存在を信ぜざる者なく各国皆異なりたる神を信じ就中其勢力全世界を風靡したる埃及又はバビロンの神が真正なる神として尊敬せられたるが故である、此時に当り恰も今日の暹羅又は葡萄牙の如き小国イスラエル出でゝ「我等の拝するヱホバの(150)神のみが宇宙万物を造り給ひし唯一の神なり、其他の神は神に非ず皆空の空なる者に過ぎず」と唱へしは誠に驚くべき提言であつた、其の之が為に如何に大なる勇気を必要としたるかは余輩の如き異教国に於ける初代の信者の少しく想像し得る所である、国民皆在来の各種の神を信仰する時に当り社会上何の勢力なきいと小き我等如き者が「我等の信ずるイエスキリストの父のみが真の神なり、他は皆空に均し」と断言するは甚だ大胆なる行為であつたのである。
 加之此のモーセの提唱は|人類の思想上に於ける大なる進歩革命〔付○圏点〕であつた、当時何れの国にも皆神あり、希臘には希臘の神、フィニシアにはフィニシアの神、埃及には埃及の神、アッシリアにはアッシリアの神、其他バビロン、波斯、印度等にも皆特有の神があつた、埃及研究の大家レヌーフ(Renouf)は曾て埃及の神々の表を編成せんと欲したるも其数余りに多くして遂に断念するに至つたと言ふ、|之等無数の神々が皆人類に向て其崇拝を要求する間に立ちて独り偉人モーセが「イスラエルよ、汝等は汝等を埃及の地より救ひ出せしヱホバの外何者をも神とすべからず、彼のみが宇宙に於ける唯一の真の神なり」と叫びし時イスラエルは実に一躍して大思想に接したのである〔付○圏点〕、我等を支配する神は唯一なりと言ふ、是れ|思想の根本的統一〔付○圏点〕である、思想分裂して人に活動あるなし、我等の内心が或は利慾或は名誉或は恐怖等の為に分裂せしめられ僅に其一部を神に委ぬるに過ぎざる時其の何れに服従すべきかを知らずして徒らに躊躇逡巡せざるを得ない、然るに真の神は唯一にして彼のみが我等の全心を支配し凡てのもの彼に由て統一せらるゝを信ずるに及び初めて真個の活動が始まるのである、イスラエルは本来頭脳の明晰なる国民である、其中より選出せられしモーセは偉大なる学者であつた、彼は当時の世界文明の中心たりし埃及に於て優秀なる教育を受くること四十年、後又アラビヤの野に退きて羊を牧ふ事四十年なりし(151)と雖も英才彼の如き者果して其間|曠野《あらの》にのみ彷徨したであらう乎、或は疑ふ彼は進んでバビロンに赴きて其文明を研究し其知識を探求したらん事を、兎に角其時代に於て獲得し得べき一切の知識を所有したる者は彼れモーセであつた、而して今其人より「ヱホバのみが宇宙に於ける唯一の真の神にして其他に一も神なるものなし、埃及又はバビロンの神は神に非ず、我等は唯ヱホバにのみ服従を奉るべし、彼が自己の存在の中心にして又社会国家宇宙の中心なり」との思想を伝へられてイスラエルは忽ち永遠の真理に接し万国の民に勝るの国民となつたのである、爾来歴史は変遷に変遷を重ね埃及バビロン等の諸国皆倒れて其神は悉く葬り去られたるに拘らず独り世界の尊敬を集めて今に至る迄我等を支配する者は三千三百年の昔偉人モーセの伝へたるヱホバの神あるのみである、この宇宙唯一の神の存在は実に我等の信仰の根本である。
 「ヱホバを畏るゝは知識の本源なり」、然り|唯一の神ヱホバを信ずるは唯に信仰の根本なるのみならず又知識の根底である〔付○圏点〕、科学も哲学も茲に至て初めて可能となる、昔は六十乃至七十の元素を認めたる化学はラヂウム発見以来単一の元素を認むるに過ぎず、哲学も亦多元論より二元論に進み更に一元論に帰着して漸く満足するに至つたのである、所謂絶対者といひ実在者といひ本体又は実体といひて他者に俟たず自ら永遠の存在を保つ者を認めずしては哲学は始まらないのである、人をして真正の学者たらしむるものは|神は一也〔付○圏点〕との思想(Unity of God)である、之を知つて万物に対する科学的興味は湧然として起る、之を知つて凡ての天然は調和したる一大音楽と化するに至る、何故にユダヤ人中より世界的学者を輩出したる乎、何故に学問の探究は基督教国に於て旺盛なる乎、他なし唯一の神の信仰が知識の根底なるが故である、茲に於てか知る、|一神論の提唱者モーセは大信仰家なると共に又大哲学者なりし事を〔付○圏点〕。
(152) 更に之を実際問題に就て見ん乎、|此思想ありてこそ文明は存在し得るのである〔付○圏点〕、若し今日尚ほ昔日の如く各国皆其特異の神を奉ぜんには国際聯盟又は人道主義等を説く者あるとも何人か之に応ぜん耶、|神は一なり、人類は皆唯一の神の子なりとの思想ありて初めて人類相互の親密なる同情を生ずる〔付○圏点〕、神は一なるが故に人類は皆兄弟である、故に相争ふべからず、故に相互の最善を計らざるべからず、心を尽し精神を尽し意を尽して神を愛すると共に又己の如く隣人を愛せざるべからずと、凡そ人類の思想の貴きものは皆此思想より出づるのである、かのクラッドストーンがアルメニア人虐殺の報に接するや「是れ我が兄弟の不幸ならずや」と叫びて英国議会を動かしたる大なる義憤は何処より発したのである乎、之に反して我国民の多数者が印度の饑饉の惨状を報ぜらるゝも冷然として相関せざるの風あるは何が故である乎、憐むべき異国の同胞を救はんが為には己が食を節し財を傾くるも厭はざるの精神はヱホバの神が唯一の神なりとの思想なくしては起らないのである、試に世界の伝道会に赴き見よ、国内の識者階級に属する者数千人相集りて未開國の民の為に熱祷を献げ同志中健康と教育との最も優れたる人々を選びて「汝は往いてアフリカの土人に福音を伝へよ」、「汝は何処に云々」と言ひて彼等を遠く派遣するのである、其熱烈なる愛他の精神は天地万物の神は一なるが故に万人は兄弟なりとの思想を除いて何処より来るであらう乎。
 |二、汝自己の為に何の偶像をも彫むべからず〔ゴシック〕、既にヱホバの外何者をも神とせずして勿論其偶像を彫む筈はない、然しながら真の神のみを拝する時にも人は偶像を造り易くある、故に一切金銀銅鉄木石を以て我等の崇拝物を造るべからざる事を誡めたのである、偶像禁止に対しては常に一種の反対論が行はる、曰く「何れの宗教と雖も偶像を以て神と為すものあるなし、たゞ人類が崇拝の目的物を欲するは自然の要求である、故に信仰を助けんが為
(153)に或る目標《めあて》を造るのみ」と、此説はモーセの時代に既に埃及又はバビロンに於て唱へられたのである、而して多年埃及の教育とバビロンの文学とに親みたるモーセは勿論之を熟知して居つたのである、然るにも拘らず彼はヱホバより示されたる此偶像崇拝に対する誡めを以て信仰上の重大問題と為して之を其民に伝へたのである、若し偶像を拝するに非ず之を以て代表せらるゝ神を拝するのみと言ひて事足るならば斯の如き誡は狭隘にして無益なる思想と言はなければならない、|然しながら事実は証明するのである、人の偶像を拝するや直に偶像其者が神と成る事を〔付○圏点〕、こは古来万国の実例の均しく証明する処である、故に十誡第二は誠に能く偶像崇拝の心理を穿ちしものである、試に我等の周囲を見よ、世界の開明首府の一と称せらるゝ東京に於て最も腐敗したる部分は何処である乎、|偶像を拝する所之れ腐敗の〔付○圏点〕巣窟|である〔付○圏点〕、国内に於て亦然り、偶像の神を祀る地方に最も多く不潔が行はるゝのである、偶像崇拝の動機は之を如何に説明すると雖も其の結果に於て信仰堕落の階梯たるの事実は如何ともする事が出来ない、故にヱホバの神はモーセと予言者とイエスと使徒とを以て明白に伝へしめ給うた、曰く「神は霊なれば之を拝する者は霊と真とを以てすべし、像《かたち》を以てする勿れ」と、偉大なる教訓である、之ありて初て純なる信仰あり初て清き家庭と社会とがある、|霊的の神に対する霊的の崇拝〔付○圏点〕、茲に宗教の根本がある、茲に基督教の力がある、基督者の相集まるや一片の像の之に加はるなく一葉の画の之を助くるを要しない、唯其中に在りて充ち給ふ霊なる神を拝するのみ、|信仰が何等かの形を要求するは既に堕落の第一歩である〔付○圏点〕、神は造主である、故に造られたる何者を以ても之を代表せしむる事が出来ない、基督者は常に全人類中の少数者なるに拘らず世界を動かすの勢力を有するは其信仰の全く霊的なるに由るのである。
 十誡第二に続きて「我ヱホバ汝の神は嫉む神なれば我を悪む者に向ては父の罪を子に報いて三四代に及ぼし我(154)を愛し我が誡命を守る者には恩恵を施して千代に至るなり」との語がある、「嫉む神」とは如何、之れ神を嘲る者の屡々我等の前に提出する問題である、然しながら「嫉む」は必ずしも悪しき意味のみではない、善き意味に於て「嫉み」は|愛の集中〔付○圏点〕である、何故に嫉む乎、|余りに強く愛するが放である〔付○圏点〕、而して神は実に|熱愛者〔付○圏点〕である、ヱホバの「嫉み」は即ちヱホバの「|熱心〔付○圏点〕」である、「万軍のヱホバの|熱心〔付○圏点〕之を成し給ふべし」といふ(イザヤ書九章七節)、|彼自身が我等を救はんとして其独子を捐て給うたのである、故に彼は又我等の一切の精神と〔付○圏点〕心意《こゝろばせ》|とを要求し給ふ、若し彼に対する我等の愛を濫用して之を彼以外の者に帰せん乎、彼れヱホバの神は堪へ難しとして怒り給ふのである、斯てこそ彼は真に頼るべき神である〔付○圏点〕、嫉まざるは熱愛なきに由る、其意味に於て夫は嫉みある夫、妻は嫉みある妻たらん事を欲する、嫉みは熱愛である、而してヱホバは|熱愛其者〔付○圏点〕である、故に彼は嫉み給ふ、嫉む迄に我等を愛し給ふ、感謝すべきはヱホバの大なる嫉みである。
 罪は之を三四代に及ぼし恩恵は之を施して千代に至るなりと云ふ、罪は三四代、恩恵は千代、モーセの神を称して残忍無慈悲の神と云ふ者は誰ぞ、神は罪は之を罰せでは措き給はない、然れども之を一人に注集せずして数人をして分担せしめ給ふ、父の罪の故に子をして苦まし給ふと雖も其家を絶ち給はない、是れ確かに恩恵たらざるを得ない、遺伝は生理的事実である、而して其内に神の深き恩恵が宿るのである、神は罪人の絶滅を好み給はざるが故に其罪を三四代に分配して其軽減を計り給ふのである、子たる者は又父祖の罪を担ふて神に対する一家連帯章任の実を覚り、神御自身が人類全体の罪を己れに担ひ給ひし其大御心の幾分かを知るを得て稍々神に肖たる者と成る事が出来るのである、神が罪を三四代に及ぼし給ふには種々と深き理由がある。 〔以上、10・10〕
 
(155)     十誡第三条 (十月五日)
 
  |汝の神ヱホパの名を妄りに口に上ぐべからず〔ゴシック〕 ヱホバは己の名を妄りに口に上ぐる者を罰せでは措かざるべし(出埃及記二十章七節)。 ヱホバの名に関する誡めである、斯かる誡めが十誡中の一条として掲げられしには深き理由が無くてはならない、而して能く其意義を研究して我等は此一条も亦人類の為に最も重要なる誡訓たるを知るのである。
 ヱホバの名を妄りに口に上ぐべからずと言ふ 即ち神又はキリストの名は之を尊重して無意味に口に発すべからずとの謂である、凡て名を屡々口に称ふる時は次第に其貴さを失ひ終には其名を以て表はさるゝ者自体が貴からざるに至るのである、実に Familiarity begets contempt.(親近は侮蔑を生む)である、人に対して然り、神に対して亦然り、日常の交際に於て口を開けば必ず聖名を称ふるが如き人は神に関して浅薄なる思想を有する人である、|然るに之を解せずして先づ名に親まば神に近づくに至らんとの予想より人をして切りに聖名を称へしむるは宗教々育上の一大誤謬と言はざるを得ない〔付△圏点〕、試にかの日蓮宗に於ける所謂御題目又は浄土門の念仏等の実状を見ば蓋し思ひ半ばに過ぐるであらう、南無妙法蓮華経といひ南無阿弥陀仏といふ、孰れも簡単なる一語の中に深遠なる信仰の凡てを籠めたるものである、然るに此名を妄りに口に上て無意味なる反覆を継続するに由り遂に殆ど何等の価値をも有せざるに至るのである、基督教に於ても亦同じ、神、基督、天国、永生等の語を濫用して屡々之を口に上ぐる時は初は其名が卑しきものとなり終には其名の代表する者自身が価値を失ふに至る、故に単に此点より見るも名を貴ぶ事は小事の如くして実は甚だ大事である。
(156) 更に進んで名とは如何なる性質のものなる乎を知るに及び此誡めの一層深き理由を解する事が出来る、名は果して輕き問題である乎、日本語に於ける仮名の「ナ」は「泣く」又は「鳴る」等の語に用ゐらるゝ最も軽き音であると言ふ、若し然らば名を「ナ」と言ひて軽視するは怪むに足りない、而して名実相副はざるが如き場合には名を棄てゝ実を選ぷべきは勿論である、然しながら名は決して等閑に附すべきものではない、少くとも神は古より名を軽く見給はないのである、神初めにアダムをアダムと名けエバをエバと名け又アブラムをアブラハムと改名し給ひしには深き意義があつた、イサクと名けヤコブと名け又イエスと名けしにも皆深き意義があつた、シモンをペテロと呼びしも同様であつた、サウロをパウロと改めしも亦必ずや深き理由があつたのであらう、名は実に一言以て其人を代表するものである、西諺に日ふ Nomen est omen と、然り|名は〔付○圏点〕証兆《しるし》|である預言である而して又歴史である〔付○圏点〕、処女マリアの子を名けてイエスと言ふ、之れ神よりの告知に従ひし命名であつた、「イエス」即ち「ヨシユア」は「ヱホバ救ひ給ふ」の義である、而して此名は果して彼の証兆にして預言であつた、彼の三十余年の地上に於ける生涯上其昇天後今日に至る迄二千年間の世界歴史とは明かに其名の誤らざりし事を証明するのである、斯くて彼の名の中に表はれし預言は成就して歴史と成つた、今や我等に取てイエスの名はイエス自身と同一である、名は人の外に現はれたるものに外ならない、故に名を貴ぶは人の天性である、商人は其名の保存せられんが為に財産を犠牲にするを厭はない、武士は其名の汚されざらんが為には生命をも賭するのである、殊に名はイスラエル人の場合に於て貴くあつた、彼等は短き一二語より成る名を以て人の何たる乎を表現せしめたのである、名は彼等各自の預言にして又其歴史であつた。
 神は其の造り給ひし人にさへ適当なる名を与へて以て其人を代表せしめ給ふ、然らば御自身の名を「ヱホバ」(157)と称して之をモーセを介し又イスラエルを通して世界万民に示し給ひしには深き意義あるを疑ふ事が出来ない、
  モーセ神に言ひけるは、我れイスラエルの子孫の所に往きて汝等の先祖等の神我を汝等に遣はし給ふと言はんに、彼等もし其名は何と我に言はゞ何と彼等に言ふべきや、神モーセに言ひ給ひけるは|我は有て在る者なり〔付△圏点〕、又言ひ給ひけるは汝かくイスラエルの子孫に言ふべし、|我有り〔付△圏点〕といふ者我を汝等に遣はし給ふと、神又モーセに言ひ給ひけるは、汝かくイスラエルの子孫に言ふべし、汝等の祖等の神アブラハムの神イサクの神ヤコブの神|ヱホバ〔付△圏点〕我を汝等に遺はし給ふと、是は永遠にわが名となり世々にわが誌となるべし(出埃及記三章)。
 「我は有て在る者」、「我有りといふ者」、之れ即ち「ヱホバ」である、而して「是は永遠に我名となり世々に我が誌《しるし》となるべし」と言ふ、乃ち知る此短き一語(希伯来語にて僅かに四簡の子音を以て表さる)の中に神の凡てが包含せらるる事を、アブラハムの神イサクの神ヤコブの神にしてモーセに顕はれ給ひし神、又イエスキリストとして我等に顕はれ給ひし神を一言以て代表せしめん乎、曰く「ヱホバ」である、「ヱホバ」が神の証兆であつて預言であつて歴史である、神の性格と其事業との全部が此語の中に示さるゝのである、然らば何の研究か「ヱホバ」の名の研究よりも重大ならんやである、抑も「ヱホバ」とは如何なる意義である乎、「有て在る者」とは如何なる存在者である乎。
 「|有て在る者〔付△圏点〕」、之を英語にて“I am that I am”と言ふ、「昔在り今在り後在る全能者」である(黙示録一章八節)、即ち存在の根柢にして始なく終なき者である、他の者は無くとも之のみ在る者である、「有て在る者」、永遠の存在者、唯一の存在者、the Being 之れ即ち「ヱホバ」である、他の何者に就ても此名を附する事は出来ない、(158)山川、湖海、天地、曰星、又は我等人類其他万有は皆|被造物《つくられしもの》である、皆姶あり終ある者皆無限の過去を有せざる者にして又未来に消滅し得べきものである、然るに仮令万有は悉く消滅し去るとも独り我等の信ずるヱホバの神のみは永遠の存在者である、彼のみは「有て在る者」である、故に彼の名を「有て在る者」と称して少くとも哲学上合理的なる貴き定義と言はざるを得ない。
 然しながら近来学者研究の結果此定義の未だ尽さゞるものあるを発見するに至つた、英国に於ける旧約聖書学の泰斗たるS・R・ドライバー(彼は高等批評家の一人なりと雖も慎重にして深遠なる学者である)、W・R・スミス(高等批評家中左党と称せられ教会より駆逐せられたる学者にしてセミチク語の大権威)、及びA・B・デビツドソン(スコツトランドの産にして学者たると同時に能く平信徒の心を解したる人)の三大学者が期せずしてヱホバの意義に関する新研究に於て一致したのである、即ち希伯来語の Ehyeh asber ehyeh は I am that i am(有て在る者)では尚足りない、“I will be that I will be”(在らんとして在らんとする者)である 其動詞を未来の意義に読むべきであると言ふ、勿論「在る者」に非ずんば「在らんとする者」たる能はざるも単に「在る者」ではない、徐々として「在らんとする者」である、「在る」は essence である、心髄である、「在らんとする」は phenomena である、発現である、化成である、而して「ヱホバ」の語源は「在る」よりも寧ろ「成る」の意であると言ふ、限なく己を顕はし給ふ者〔付○圏点〕、昔在りし、今在り、後在らんとする者、斯かる者がヱホバの神であると言ふ、独逸に於てもデリツチ、エ※[ワに濁点]ルトの二大学者が此説を主張した、斯の如くにして学者研究の結果ヱホバの名は更に深遠なる意義を発揮し来つたのである。
 |ヱホバは永久に「在らんとする者」である〔付○圏点〕、今日のヱホバは明日のヱホバではない、明日は今日よりも更に大にして貴く、明年は今年よりも更に大にして貴く、斯くて十年又百年、永遠に亘り限なき真理と恩寵とを人類に現示し給ふ者である、換言すれば|彼は永遠に約束して而して之を実行し給ふ神〔付○圏点〕である、I will be that I will be 在らんとして在らんとする者、斯く在らんと言ひて最後に之を実現し給ふ者、斯の如き者がヱホバの神である、故に彼はアダムに現はれしよりもノアに至て更に深く己を顕はし、アブラハムには更に貴く、モーセには更に大に、イザヤ ヱレミヤ、ダニエル等には更に明かに、而してイエスキリストに於て一度び完全に現はれ給うた、而も人の之を認むる能はざるや又使徒等を通して更に遠大なる約束を我等に遺し給うたのである、実に在らんとして在らんとする神である、新しき真理と恩寵とを限なく現はして何処に至るも尽くる所を知らざる神である、恩寵も其終局に達して行き詰りては最早や恩寵ではない、然るにヱホバの神は恰も深山を辿つて紅葉を望むが如く一峰尽くれば又谿を隔てゝ新なる峰の眼前に開展するあり、絶景は勝景に継ぎて果つる所を知らざるの類である、彼は恩寵を以て恩寵に加へ約束を以て約束に加へ限なく之を実行し給ふ、故に其名をヱホバと言ひて神の凡てを言ひ表はすに足るのである。
 ヱホバの神は在らんとして在らんとする者である、|然らば彼は一度びキリストとして此世に降り大なる恩寵を人類に施し給へりと雖も事は茲に終つたのではない、彼は更に新しき恩寵を我等の上に加へんと欲し給ふ〔付○圏点〕、宇宙万物の復興我等の身体の栄化、愛する者との再会、之れ皆彼の約束である、|而して此約束を実行せんが為にキリスト再び来り給ふと言ふとも何の怪むべき事がある乎、之れ誠に「在らんとして在らんとする」ヱホバの神に〔付△圏点〕適|はしき行為である〔付△圏点〕、故に「ヱホバ」の名の中に神の凡てが包含せらるゝのある、貴き哉「ヱホバ」の聖名、此名は妄りに之を口に上ぐべからずである、ヱホバの聖名は福音其ものと均しく之を尊重すべきである。
(160) 「ヱホバは己の名を妄りに口に上ぐる者を罰せでは置かざるべし」と言ふ、其何故なるかは別箇の問題として神又はキリストの名を貴ばず不誠実の心を以て無意味に之を口に上ぐる者が神に罰せらるゝ事実は疑ふ事が出来ない、然らば如何にして罰せらるゝ乎、|貴き名を妄りに口にする者には其名先づ意義を失ひ終には神御自身が彼の心中より消え去り給ふ、之即ち覿面の刑罰である〔付○圏点〕、世に恐るべき刑罰にして斯の如きものあるなし、聖書を繙くも其意義を解する能はず祈祷を献ぐるも唯形式たるに止まり凡ての貴きものが其心に訴へざるに至らば其惨憺たる事如何ばかりぞ、神の我等に加へ給ふ最大の刑罰は之である、而して現に基督教国の民にして此罰を負へる者は決して尠くない、米国に於ける多くの青年若くは紳士が其雑談又は遊戯の間に聖名を濫用する事如何に多きかを知る者は彼等の為に痛歎せざるを得ない、彼等は再びキリストに導かるゝの見込なき信仰上の堕落者である、信仰堕落して聖名を濫用し、聖名を濫用して信仰益々堕落す、悪魔は人をしてヱホバの名を妄に口に上げしむると共に、之を妄に口に上ぐる者は更に甚だしく悪魔の手中に陥るのである、故に信者よ注意せよ、伝道者よ殊に注意せよ、子女を教育する者よ最も注意せよ、意味なくして聖名を口にする勿れ、心より出でずして形式的なる祈祷会を開く勿れ、一度び聖名の口より発せらるゝ時は粛然として敬虔の念溢るゝが如くに在らしめよ、「父よ願はくは聖名を崇めさせ給へ」。
 
     十誡第四条 (十月十二日)
 
  |安息日を憶えて之を聖くすべし〔ゴシック〕、六日の間|労《はたら》きて汝の一切の業を為すべし、七日は汝の神ヱホバの安息なれば何の業務をも為すべからず、汝も汝の子息息女も汝の僕婢も汝の家畜も汝の門の中に居る他国の人も然り。
(161) 七日の中一日を安息日として特別に記憶して之を聖守すべしとの誡めである、而して「凡て之を涜す者は必ず殺さるべし、凡て其日に働作《はたらき》を為す人は其民の中より絶たるべし」と言ふ(出埃及記卅一章十四節)、誠に厳粛なる法則である、イスラエルの人々曠野に在りし時或人安息日に柴を拾ひ集めたる為め遂に営《えい》の外に曳き出されて石にて撃ち殺されたりとは聖書中に明記せらるゝ事実である(民数紀略十五章卅二節以下)、何故に安息日聖守は爾く重要なる問題である乎、之を十誡の一に掲げ、之を犯すを以て偸盗《ゆとう》姦淫殺人に均しき罪と為し、其人を死罪に附せざるべからずとするは何故である乎、若し斯の如き法律を以て今日の我国に臨まんには三百万の東京市民と雖も其多数は死罪を免れないであらう、否独り我国に限らない、欧米基督教国に於ても近来安息日聖守は文明の進歩を阻害すと做し之を猶太人の律法と称して排斥する者多からんとするの傾向である、然るにも拘らず基督教の根柢たるモーセの十誡は儼然として其第四条に安息日聖守の誡を掲げ以て之を永遠不変の法則たらしむるのである、思ふに十誡の研究中最も困難なるものは此問題であらう、安息日果して之を度外視して可なる乎、若くは之を聖守せざるべからざる乎、近代人の称ふる所正しき乎将たモーセの教ふる所真なる乎。
 之を安息日問題と言ふ、即ち第七日(土曜日)に一切の業務を廃し家族僕婢を始め家畜に至る迄之に休養を与へ而して会堂《シナゴク》に赴きて律法を学び以て此日を聖別するのである、之れ現に今も尚篤信の猶太人の実行する所である(基督者の間にありて土曜日安息日が如何にして日曜日に変更したる乎には自ら理由がある)、然しながら安息日問題は独り日を以て終らない、第七月(我等の十月半より十一月半迄)、に安息月あり、第七年に安息年あり又七年七次の後第五十年に|喜びの年〔付△圏点〕と称する大安息年がある、其第七年は|地の休息年〔付○圏点〕にして即ち地を鋤きて後に播種せずに置くのである、又其第五十年には唯に土地を息ましむるのみならず其時迄継続せる|一切の貸借関係を消(162)滅〔付○圏点〕せしむるのである、即ち借金の証書は之を無効とし身を売りし者は其自由を回復し土地を抵当に附せしものは悉く其返還を受くるのである、|モーセ律によれば凡てのユダヤ人は土地の所有者であつた〔付○圏点〕、何人も己が家族に食糧を供給するに足る丈けの土地を有せざる者はなかつた、蓋し土地は空気又は日光と同じく人類の生存上欠くべからざる必要物なるが故に万人に対して其享有を保証したのである、素より事情に由ては土地を抵当に附するを許すと雖も之が為め遂に其所有権を喪失して幸福の基本を剥奪せらるゝ事を防止せんが為め四十九年を過ぐれば必ず一旦其所有者の手中に之を返還せしめたのである、之れ実にモーセ律の卓抜なる社会政策であつた、今や土地所有者は極めて少数にして而も社会改造の声徒らに喧囂たるの時に当り若し此モーセ律の如き法律が実行せられたりとせば如何、社会問題の根本的解決は其辺より始まるのではあるまい乎、故に安息日問題は単に第七日に業務を休むのみの問題ではない、其中に第七年の耕地休息なる農業経済上の大問題がある、又第五十年の土地所有権回復なる社会政策上の大問題がある、之を知らずして安息日間題の重要を十分に理解する事は出来ない。
 「安息日を憶えて之を聖くすべし」と言ふ、「憶ゆる」は「|憶ひ回す〔付△圏点〕」である、即ち知るイスラエルは此時初めて安息日に就て学びしに非ず、シナイ山上十誡を授けられし以前既に之を識りし事を、Sabbath《サバース》の原語サパートは「罷める」「抑へる」又は「休む」等の意である、而して此語は決してユダヤ特有の語ではない、ユダヤよりも遙に古き文明を有するバビロンにも既に「サバツー」なる制度があつた、少くとも|七日を以て一の紀元とするの思想は人類全体に通有のもの〔付○圏点〕なるを拒む事は出来ない、我国に於ても古来病気療養其他に一週《ひとまはり》を以て一期とするの風あり 又女児の七歳男子の二十一歳に達するを祝するの習慣あり、殊に著るしきは七日中一日休息の旧慣の所々に於て行はるゝ事である、茨城県加波山麓地方に於て古より七日中一日畑に出でて労作すべからざる日あ(163)り、田植時等已むを得ざる場合には特に時間を制限して之を許す事あるも然らざる場合に若し此習慣に違背する者ある時は村民挙つて制裁を加へたりとは先年余が同地方に赴きて親しく聴取したる所である、又明治の初年一時毎月一六の日を以て休日と定めたる事あるも其の社会生活に適合せざるより久しからずして日曜日休息に復旧したる等の実例を以て見るも|安息日又は之に類する制度は人類の社会組織上若くは身体の生理的組織上自ら発達し来りし天然の法則とも称すべきものなる事を知る〔付○圏点〕、安息日は実に人類通有の原始的制度である、故にイスラエルが此月を「憶えて」之を聖く守るべしと命ぜられし時には決して彼等の耳に新しきものではなかつたのである、旧き安息日は之を憶ひ回して特に神の定め給へる日として之を聖く守るべきである。
 「六日の間労きて汝の一切の業を為すべし」 安息日は休息の日である、然しながら息むは労かんが為である、息めよ、但し息まんが為に労けよ、若し労かずして唯毎日息まんには却て苦痛の極である、我国に所謂隠居なるものゝ状態が其事を証明する、労かざる者は安息の何たる乎を解しない、真に息まんと欲する者は大に労くべきである、真に一日を聖く息まんが為には六日の間孜々として労かなければならない、|労作は休息の為め、休息は又労作の為〔付○圏点〕である、互に手段にして同時に目的である、一日の安息日を聖く守りし者にして初て新しき力に充ちて次の六日の労作に移る事が出来る。
 「七日は汝の神ヱホバの安息なれば何の業務をも為すべからず、汝も汝の子息《むすこ》息女《むすめ》も汝の僕婢も汝の家畜も汝の門に居る他国人も然り」、我国に在ては静粛なる安息日を味ふ事甚だ困難なるも外国に於て学び得べき最も善き事の一は清党《ピユーリタン》主義の人々に由て守らるゝ安息日である、新英洲《ニユウイングランド》の山中等に於ては多分今も之を目撃し得るであらう、月曜日の朝より土曜の夜に至る迄は激烈なる労働を継続するも一度び土曜日の午後十二時の鐘声を(164)聞かん乎、乃ち一切の労働は休止せらる、斯くて日曜日の朝に至れば満目の光景前日と一変するのである、其朝起床も例日より遅く食後暫時にして会堂の鐘讃美歌の声に合せて鳴り響くや彼方の家此方の門より聖書を手にせる男女老幼相携へて出でゝ会堂に向ふ、而して讃美あり音楽あり説教あり終て家に帰れば既に正午を過ぐる半時計りの頃である、此日新聞又は郵便の運ばるゝなく汽車も亦其度数を減じ商店は閉鎖せられて窓懸《カーテン》を垂れ平日街上を蔽へる群衆の黒き塊団も全く撤去せられて町の一端より他端迄を透見する事が出来る、誠に粛然として別世界に在るの思ひがする、夕には再び会堂に集りて心静かに讃美祈祷を献げ帰りて感謝の中に寝《ねぶり》に就くのである、斯の如きが往年余の滞米中に実見したる安息日聖守の都市の光景であつた、殊に美はしきは日々使役せらるゝ牛馬の此日は野に放たれて自由に馳駆する事である、|之等の状態が入の心身に及ぼす感化力の如何に大なるものある乎〔付○圏点〕は之を実験せずして能く解することが出来ない、若し世に快美なる所ありとせばそは安息日の聖守せらるる社会である、故に曾て有名なる英国の宰相ヂスレリー卿は言うた「神の賜物中の最大なるものは安息日である」と、之れ安息日の聖守を社会的に実行したる者の何人も共鳴せざるを得ざる言である、単に此点より見るも安息日に関する一条を十誡中に加へられたる理由を解する事が出来る。
 然しながら更に進んで安息日問題中土地の休耕並に貸借関係の一掃等を包含するを知らば其の国家社会に取て如何に重大なる問題なるかを思はざるを得ない、我国の国家的問題中最大なるものゝ一は|土地生産力の維持〔付○圏点〕である、凡て土地は之を使用して或る程度以上に及ぶ時は全く用を為さゞるに至る、其好き実例は米国ボルチモア、華府間鉄道沿線の野に於て之を見る事が出来る、世界に珍らしき沃饒《よくぎよう》の地が多年煙草耕作に由て酷使せられし結果全然其生産力を消耗したのである、我国に於ても亦大に其傾向を見る、近年農家の金肥使用の激増したるは(165)何故である乎、米価の暴騰停止する所を知らざるは何故である乎、|こは孰れも土地虐待の結果其生産力を消失したるが故ではない乎〔付△圏点〕、土地に休養を与へざるの刑罰に恐るべきものがある、若し此儘にして顧みざらんには終には如何に資本労力を投ずると雖も地は一物をも生産せざるに至るであらう、而して土地の生産絶滅すると共に社会は其生活の根柢を破壊せらるゝのである、故に神は既に三千三四百年前モーセを通して人類に命じ給うた、曰く「汝六年の間汝の地に種播き其実を穫り入るべし、但し第七年には之を息ませて耕さずに置くべし、而して汝の民の貧しき者に食ふ事を得しめよ、其余れる者は野の獣之を食はん、汝の葡萄園も橄欖園も斯の如くなすべし」と(出埃及記廿三章十節、十一節)、恩恵土地に及び七年に一年の安息を給して以て其生産力を永久に保存せしむ、茲に至て安息日問題の重要を知るべきである、之を守らずして土地の死滅を促すの罪は飲料水に毒を投ずるの罪と異ならない、然らば其罪に擬するに死刑を以てするとも何ぞ苛酷と称すべきであらう乎、加之第五十年には失はれんとしたる土地所有権の完全なる回復を保証せらるゝあり、|斯くて安息日制度の中に此世に関する一切の問題が包含せらるゝのである〔付○圏点〕 身体の休養あり、神の記憶あり、牛馬の解放あり、土地の休息あり、負債の免除あり、自由の回復あり、之れ実に|神の造化を尊ぶの制度である〔付○圏点〕、故に余は曰ふ「安息日は|宇宙の祝日〔付△圏点〕なり」と。
 最後に一言すべきは安息日聖守が労働の功程又は身体の健康に及ぼす影響である、多くの学生又は商人等は安息日聖守の美はしきを認むるも之に由て競争場裡の敗者たらん事を疑ひ且虞るゝのである、然し乍ら事実は其反対を証明する、余輩の青年時代札幌農学校に在りて基督者となりし時の誓約の主なる一箇条は安息日の聖守であつた、而して在校中基督者たる同志六七は仮令試験中と雖も堅く之を守り続けた、然るに卒業の日に至て明白に(166)なりし注意すべき一現象は級中の上席は悉く安息日聖守者の占むる所となりし事である、安息日の聖守は決して競争上の劣敗を促さない、否却てそは労働能率増進の原因である、健康維持の秘訣である、活力保存の要件である、かの近時滔々として神経衰弱症に悩む者多きが如き其原因の一は安息日聖守を知らざるに在るのではない乎、瑞西の思想家ヒルティ之を言ふ、余輩も亦同意である、十誡の一に掲げられし安息日の聖守は実に労働問題社会改造問題其他各方面に於ける大小数多の難問題の根本的解決者である。
 
     十誡第五条 (十月十九日)
 
  |汝の父母を敬へ〔ゴシック〕、こは汝の神ヱホバの汝に賜ふ所の地に汝の生命の長からん為めなり(出埃及記二十章十二節)。
 嘲る者は曰ふ「基督教何ぞ、親には不孝、君には不忠、而して国家的観念の皆無、之れ即ち基督教である」と、世の多くの人が之に類する思想を有するは実に奇と謂ふべきである、何ぞ知らん基督教の根本たるモーセの十誡は其一条として「汝の父母を敬へ」との誡めを掲げ而も之を二枚の石板中第一の中に属せしめて|父母を敬ふの義務が神に対する義務〔付○圏点〕の一なる事を明示するのである、「汝の神に対するの心を以て汝の父母に仕へよ」と、斯く教ふる基督教は果して不孝不忠の宗教である乎。
 或は曰ふ「基督教に『孝』の字なし、之れ其の孝道を欠くの一例証である」と、余は答へて曰ふ「何故我国語にも『忠孝』の字を有せざる乎」と、其文字なきの故を以て其道なしと言ふ事は出来ない、英語に「孝」の字なく已むを得ず Filial piety なる語を以て之に充つるも其語勢弱くして到底我国民に於けるが如き「孝」の思想(167)を表はすに足りない、殊に pious の語の如き今は所謂「御信心」と称する嘲弄の意味に用ゐらるゝ事が多い、故に余は自ら一字を創作して Filiality と言ひ以て孝の字に充つるのである、然しながら英語た果して孝の字が無い乎、否 piety(ラテン語の pietas)其ものが孝又は忠を表すに足る深き貴き語である、|凡て上長者に対する敬愛恭順を称して〔付○圏点〕pety |と言ふ、故に孝道も忠君も愛国も皆此一語中に包含せらるゝのである〔付○圏点〕、此字を軽き意義に解するに至りしは偶々信仰の堕落を表明するに過ぎない、英語に孝の字なしと言ふは謬である、孝道は初め神に対する奉仕として教へられ而して爾来真正の基督教国民の間に重んぜられて今日に至つたのである。
 汝の「父母」を敬へと言ふ、|聖書に於て「父母」とは包括的の意義を有する語である〔付○圏点〕、子を生みたる父と母とは勿論父母である、然し単に其れのみではない、凡て|祖先〔付○圏点〕を称して亦父といひ母といふ、例へば「我等の父アブラハム」若くは「我等の父(複数)アブラハム、イサク、ヤコブ」と言ひ或は「アブラハムの子にしてダビデの子なるイエスキリスト」と言ひ(馬太伝一章一節)、若くは「汝等はサラの子たるなり」と言ふが如き(ペテロ前書三章六節)、皆其実例である、希伯来人の語として父母とは父母並に祖先の謂であつた、故に「汝の父母を敬ふべし」と言ひて同時に「汝の祖先を敬ふべし」の意義を含むのである。
 加之|すべて己の上に立ちて己を指導又は支配する者〔付○圏点〕も亦之を父と呼んだ、正義と慈悲とに富みたる帝王皇后を称して国父国母と言ふは単なる詩的称呼に非ずして事実を表明する言葉である、其意味に於てダビデ、ソロモン其他の諸王はイスラエルの父であつた、又|師弟の関係〔付○圏点〕に就ても此語を用ゐる事あるは聖書の明示する所である、約翰第一書二章中に「父老《ちゝ》よ」「壮者《わかもの》よ」「孺子《わかきこ》よ」と言ふは一家の父子を指して言ふに非ず師弟を意味して斯く呼んだのである。
(168) |故に「父母を敬ふべし」との一語の中に唯に生みの父母に対する敬愛のみならず、我等を支配する主権者並に我等の霊魂を導く〔付○圏点〕師傅|に対する〔付○圏点〕畏敬の義務をも包含するのである、「汝の父母を敬ふべし」、之を換言すれば「凡て上長者に対するに敬愛を以てせよ」である、而して|老人に対する尊敬は聖書の教ふる重要なる教訓の一である〔付○圏点〕、「白髪の人の前には起ち上るべし、又|老人《としより》の身を敬ひ汝の神を畏るべし、我はヱホバなり」(利未記十九章卅二節)、「老人を責むること勿れ、之を父の如くし………老いたる婦を母の如くし云々」(テモテ前書五章一、二節)、「白髪は栄の冠なり、義しき途にて之を見ん」(箴言十六章卅一節)、其他ソロモン王が其母の己れの許に至るや起ちて迎へて之を拝したるが如き(列王紀略下二章十九節)、又ブジ人エリフが年長者を憚りて自己の意見の開陳を差控へたるが如き(ヨブ記卅二章四、六節)、皆同じ事を教ふるものである、之に反して|世の堕落の一特徴は上者に対する尊敬心の衰退、老人に対する若者の〔付○圏点〕驕傲《たかぶり》にある〔付○圏点〕、「童子《わらべ》は老いたる者に向ひて高ぷり云々」(イザヤ三章五節)、|何故に然る乎、凡て老者又は上長者〔付○圏点〕は神の|代表者として神の声を我等に伝ふべき者なるが故である〔付○圏点〕、父母を敬ふ精神の淵源は実に此処に在るのである。
 次に「敬ふべし」とは如何、所謂「敬遠」と称して「敬」の字を浅薄なる形式的敬礼の意に用ゐるに至りしは人心の大なる堕落を示す、「敬ふ」は素々甚だ重き意義の語である、英語にて之を honour といふ、|神に対するが如き心を以て衷心より敬愛し畏敬する事〔付○圏点〕である、イエス曰く「我は吾父を尊ぶ」と(約翰伝八章四十九節)、「尊ぶ」即ち「敬ふ」である、神を尊ぶの心を以て汝の父と母とを敬ふべしとの誡めである。
 「こは汝の神ヱホバの汝に賜ふ所の地に汝の生命の長からん為めなり」、父母を敬ふ者は其酬ゐとして長寿なるべしとの意である乎、或は然らん、然し乍ら父母に孝なる者必ずしも長命ならず、不孝者必ずしも短命ならず、(169)肉体の生命の長短を決する者は独り道徳問題のみではない、遺伝又は衛生状態等も亦与て力があるのである 然らば「汝の生命の長からん為め也」とは如何、此問題に就き余の研究したる限りに於て最上の説明と認むべきは之を国民的に解釈するにある、即ち|孝道を重ずる国民は永く其地に存在して繁栄すべし〔付○圏点〕との義である、此語は将にカナンの地に入らんとするイスラエルの民に向て神の告げ給ひし所にして、従て「汝の神ヱホバの汝に賜ふ所の地に云々」とは彼等若し孝道を重んずるの民たらばカナンの地に入りし後永く其処に存続繁栄すべしとの謂なりと做すは適当なる解釈と称せざるを得ない、余の曾て米国アマストに学びし時聖書学教授博士フィールド先生余に語て曰く「忠孝を重んずる国民が長く其国土を維持すべしとの真理は余が日本及び支那の歴史を読みて初めて明解したる所なり」と、誠に|忠孝の精神は東洋国民の特性として神の賦与し給ひし恩恵である〔付○圏点〕、之あるが故に我等の愛する此国は長く存続繁栄を保ちつゝあるのである 之に反して父母又は上長者に対する尊敬の心薄くして常に反抗的態度に出づる国民は到底長く其土に安堵する事が出来ない、之れ神の定め給ひし大なる掟である、而して又唯に国家として然るのみならず、個人としても亦然り、仮に二青年ありとして、其一人は父母を思ふの心篤く他は然らずして甚だしく個人主義なりとせん乎、青年を滅ぼさんとする恐るべき誘惑の渦中に立ちて二者何れが果して安全であるべき乎、少くとも余自身の実験に徴して父母を憶ふの心が幾度びか青年を危険より救出すの事実を疑ふ事が出来ない、蓋し上者に対する尊敬服従の中に万物調和の精神がある、故に統治者に信頼して国家社会又は家を憶ふの念篤き者の胸中に深き平安が宿るのである、かの欧米の社会に近時頻々としてストライキ其他の大なる騒擾を醸すは何故である乎、其原因の一は彼等に「父母を敬ふ」の精神の欠如せるが故ではない乎、彼等は切りに帝政を排斥して民主々義を謳歌する、民主々義或は可ならん、然し乍ら彼等の上長者に対(170)する敬愛畏敬の念の稀薄なるは驚くべきである、其大統領に対し其大学総長に対し其家長に対し其老者に対して彼等は敬意を表する事を知らない、斯の如くにして北米合衆国の国運果して長久なるを得る哉否哉、大なる疑問である、此点に於て我等日本国民に重き責任がある、我等は我等の特別なる国民的情性として与へられし忠孝の精神を保存し更に之を聖化して以て世界に伝へなければならない。
 然らば如何にして上長者に仕ふべき乎、神に対するの心を以てすべしと言ふも実際上に於て甚だ困難たるを免れない、何となれば上長者彼等自身が人間にして誤謬多き者なるが故である、然しながら其れあるに拘らず我等は父母を以て神の代表者として之を敬はなければならない、此点に於て|イエスが其父母に対して取り給ひし途は直に之を我等の模範と為す事が出来る〔付○圏点〕 其一は路加伝二章四十八節以下に記さるゝ出来事である、彼は齢十二の時父母を離れて独りヱルサレムに留まり父母の彼を尋ねて帰り来るに会するや彼等に告げて曰く「何故我を尋ぬるや、我は我父の事を務むべきを知らざる乎」と、|即ち彼は唯一の条件の下に其父母に仕へたのである、父なる神に対するの奉仕〔付○圏点〕之れである、彼は父母の子たると共に又神の子である、故に其の神に対するの奉仕は父母をして之を認めしめざるを得ない、然しながら此一事だに認められん乎、乃ち満腔の尊敬を以て一切父母に服従したのである、故に彼は斯く答へし後父母に伴ひ帰りて神と人とに益々愛せられつゝ成長したのである、其二は約翰伝二章三節以下に記されたるカナの婚筵に於ける彼の態度である、其時彼は母の言に答へて曰く「婦よ汝と我と何の与《かゝは》りあらんや」と、一見非礼の言である、然しながら斯く言ふと共に彼は直に母の要求に副ふ所の奇跡を行ひて以て大に彼女を喜ばしめたのである、乃ち服従である、但し|神と我との関係の承認を要めたる上の服従である、此関係は必ず承認せられざるべからず、然る上は万事に就て服従せざるべからず〔付○圏点〕である、而して彼れイエ(171)スの如何ばかり孝心厚き人なりし乎は彼の十字架上に於ける最後の態度の明白に示す所である、「イエス母と愛する所の弟子と旁に立てるを見て母に曰ひけるは婦よ之れ汝の子なり、又弟子に曰ひけるは之れ汝の母なり」(約翰伝十九章廿六、廿七節)、之が全人類の救拯の大責任を負うて死せんとするイエスの最後の語なりしを知らば誰か彼の深厚なる孝心を讃美せざるを得やう乎、父母をして我の神に対する直接の関係を明白に認めしめよ、然る後父母に対して絶対に服従せよ、之れ基督教の孝道である。
 十誡第五条は誠に深遠なる教訓である、而して此教訓の真義を開明し其誤まらざる適用を指示するの責任は思ふに西洋人の上に非ずして我等東洋人の上にある、上者に対する尊敬の心は神が特別に東洋人に賦与し給ひし者である、故に此心を神に奉るに於て我等は真個の基督的奉仕の実を挙げ得るであらう、斯くて|孝道問題に就ては西洋人の貢献し得ざる所を東洋人−日本支那朝鮮の基督者が基督教の為に貢献するであらう〔付○圏点〕、斯く云ひて勿論私は忠孝は西洋人の中に無いとは云はない、君に対する多くの誠実なる尊敬と奉仕、父母に対する最も美はしき孝養、私は其実例を西洋人の中に見た、キリストの福音が誠実に信受《うけ》られて真個の忠孝として現はれざるを得ない、忠孝他なし、上者に対する誠実の表現である、人を誠実ならしむる福音が彼を不忠不孝に成しやう筈がない。 〔以上、11・10〕
 
     十誡第六条 (十月廿六日)
 
 十誡第一乃至第五条は神に対するの義務にして第六条以下は隣人に対するの義務である、神に対するの義務は|心〔付○圏点〕を以て始まり|言〔付○圏点〕に進み|行〔付○圏点〕を以て終つた、隣人に対するの義務は|行〔付○圏点〕を以て始まり|言〔付○圏点〕に及び|心〔付○圏点〕を以て終る、各条何(172)れも簡単にして明確である、我等の隣人に対する責任、之に対して取るべき態度が種々なる方面より明示せらるゝのである、「汝殺す勿れ」といふ、隣人の|生命〔付○圏点〕を重んぜよとの誡めである、「汝姦淫する勿れ」といふ、隣人の|家庭〔付○圏点〕を重んぜよである、「汝盗む勿れ」、隣人の|所有〔付○圏点〕を重んぜよである、「汝その隣人に対して虚妄《いつはり》の証拠《あかし》を立つる勿れ」、隣人の|名〔付○圏点〕を重んぜよである、其生命と其家庭と其所有物と其名と、之等を重んずるに由て人の最も貴重なるものが 悉く保護せらるゝのである。
 |汝殺す勿れ〔ゴシック〕
 之を積極的に言へば汝隣人の生命を重んぜよである、而して生命は勿論重んずべきものゝ第一である、世に何物か生命よりも貴ぶべきものが有る乎、「人もし全世界を獲《うる》とも己が生命を喪はゞ何の益あらんや」である、生命は実に人其者である、故に恰も十誡第一条中に神に対する義務の凡てが包含せられしが如く、生命に関する誡たる第六条中に隣人に対する一切の義務が包含せらるゝのである。
 汝殺す勿れ、生命を重んぜよと言ふ、然しながらそは仏教の訓ふる如く如何なる生命をも奪ふ勿れとの意味ではない、事の是非は暫く措き、モーセは斯の如き教を伝へなかつたのである、イスラエルの民は牛又は羊又は鳥を犠牲《いけにえ》として神に献げた、又家畜は其時代の最大の財産たりしに徴するも彼等が肉食を禁ぜられざりし事を知る、又かのトルストイの唱へたるが如く戦争死刑其他如何なる場合に於ても人を殺すを非としたのではない、神の誡に従はざる者は終に地上より絶滅せらるゝも之を弁護する能はずとは旧約聖書の明かに教ふる所である、故に汝殺す勿れといひて絶対的に何物をも如何なる場合にもの意ではない、之を英語にて言へば Thou shalt not kill.に非ずして Thou shalt not commit murder.である、汝殺人罪を行ふ勿れである、即ち汝の怨恨の為め又は私慾の(173)為め又は不注意の為め人を殺す勿れとの誡である。
 然しながら|此誡の由て出づる所は生命が何物よりも貴重なるの事実に在る〔付○圏点〕、人命の如何ばかり大切なるかを知らずして此誡の意義を解する事は出来ない、実際上多くの場合に於て人の生命が甚だしく軽視せらるゝのである、然れども或時一人の生命が全宇宙よりも重き価値を以て我等の心に訴へ来る、子を失ひし親の如き場合が其一例である、仮令他人より之を見て何の価値なき子なりと雖も其親に取ては一人の彼を失ふ事は全世界を失ふに勝るの損失である、彼を獲んが為には何物を犠牲に供するも惜まない、否之が為には自己自身をも捐てん事を欲するのである、|貴重なるものは実に親心に於ける一人の子の生命である、而して神は此心を以て我等人類を造り給うた、神の心に於て一人の生命の貴からざるは無い〔付○圏点〕、彼も貴し此も貴くある、故に神は全宇宙を棄ても失はれたる人の生命を獲んと欲し給ふのである、茲に於てか「汝殺す勿れ」との誡の重き所以を覚る事が出来る。
 此誡の詳細なる適用は出埃及記第二十一章十二節以下に掲げらる、其規定は今日より之を見て粗雑なる古代法律の趣きを免れざるに似たりと雖も、而も其中に最も注意すべき二三の事実がある、
  人もし相争ひて妊める婦を撃ち其子を堕りさせんに、別に害なき時は必ずその婦人の夫の要むる所に従ひて刑せられ、法官《さばきびと》の定むる所を為すべし、もし害ある時は生命にて生命を償ひ云々(廿二、廿三節)。
  牛もし男或は女を衝きて死なしめなばその牛をば必ず石にて撃ち殺すべし……但し其牛の主は罪なし、されど牛もし素より衝くことを為す者にして其|主《ぬし》之が為に忠告を受けし事あるに之を守り置かずして遂に男或は女を殺すに至らしめなば其牛は石にて撃たれ、其主も亦殺さるべし(廿八、廿九節)。
 妊婦を撃ちて堕胎せしめ而して其子死したる時は生命を以て生命を償ふべしと言ふ、即ち|尚ほ胎内の児たるに(174)関はらず其生命は百歳の寿を保ちし者の生命に均しき価値ありと為すのである〔付○圏点〕、又危険性を帯べる飼牛に就き忠告を受けたるに拘らず適当の監護方法を講ぜざりし為め人を殺したる時は飼主は死刑に処せらると言ふ、即ち|生命に関する不注意の罪を罰するに厳刑を以てしたのである〔付○圏点〕、胎児の殺害と過失に由る殺人、何れも最重の罪として遇せらる、以てモーセ律の生命を重んずる事如何に大なるかを知るべきである、而して斯の如き思想の今より三千五百年前に属するものなるを思はゞ何人も驚嘆を禁ずる事が出来ない。
 「汝殺す勿れ」、我等は此言を聞いて全く自己に関係なき古き誡めを聴くの心地がする、我国に於ける源平時代又は北条時代等の如き殺人の頻々たりし時勢に於ては知らず、今日文明の世に最も適用少き法律は此一条である、我等は屡々各種の罪を犯すも殺人の罪に関してのみは自ら安んじて可なりとは現代の多数人の思想である、然しながら事実は果してさうである乎、|若し律法家モーセがその生命を重んじて已まざるの精神を以て二十世紀の今日に出現したりとせば、彼の鋭き眼光は果して何処に迄届いたであらう乎〔付○圏点〕、十誡第六条は今日果してモーセ時代に於けるが如く、否或る意味に於ては更に多く其適用を見ない乎、戦争問題を別とするも現今平和の世に於て殺人の誡は果して不必要である乎、近時米国よりの報知に由れば同国に於て殺人罪の盛なる事未だ曾て今日の如きはなかつたといふ、牢獄は皆満員にしてその凶徒中に多数の殺人犯者を見るといふ、|紐育一州に於て行はるゝ殺人罪は全英国に於ける其れよりも多数である〔付△圏点〕、而もその方法の残酷無慈悲なる殆ど聞くに堪へない、|殺人決して文明の社会に珍らしき罪ではない、汝殺す勿れとの誡めは今日に於ても亦最も必要である〔付○圏点〕。
 又斯の如き殺伐なる殺人罪を別とするも他の意味に於ける殺人罪は亦現在盛に行はれつゝあるのである、モーセ律は|堕胎〔付△圏点〕の罪を誡めて一人の胎児を死せしむるは人を捉へて剣を以て其胸を刺すに均しき罪悪なりと做した、(175)然るに今日世界何処にか此罪の行はれざる処がある乎、多くの産科医又は産婆が其一指を以て天使の如き児を屠《ほふ》りつゝあるのである、曾て米国ミルウォーキ市に於て或る医師の多年開業の後歯科医に転じたる者があつた、彼の自ら告白したる処によれば其原因は有力者より堕胎を迫らるゝ事の多きに堪へざりしに因るといふ、此種の殺人罪は我国に於ても亦頻々として実行せられつゝある、人の注意を惹かざる所に於て日々幾百の生命が殺されつゝあるのである、然らば神が雷電《いかづち》と喇叭の声との間より降し給ひし「汝殺す勿れ」との誡律は三千五百年後の今日に於て尚其深き意義を失はないのである。
 現時世界の視聴を集めつゝあるものは労働問題である、余輩は勿論此問題に関する素人である、然し乍ら茲に一事の明確なるものがある、|今日に至る迄資本家又は工業主にして〔付○圏点〕辜|無き男女工の生命を奪ひしもの〔付○圏点〕幾許《いくばく》|ぞ〔付○圏点〕、欧米に於ては夙に此事実に注意を払ひ工場法を施行したりと雖も尚之を実際に就て見れば恐るべき弊害の絶えざるを知る、例へば紡績工場又は刃物製造工場の如き綿若くは臼の粉末四方に飛散して盛に職工の肺臓中に浸入し数年の後多く之を斃すに至る、斯の如くにして幾人の青年男女の生命が企業家の為に犠牲に供せられつゝあるかを知らない、或は先年の我国に於ける鉱毒事件の如き亦其一例である、渡良瀬川沿岸の地一帯は鉱毒の侵す所となりて其害を飲食物に及ぼし為に幾万の民を痩せしめ嬰児は母乳を吸ふ能はずして其死亡率激増したのである、一人の資本家が自家の懐を肥さんと欲して数万の民を殺しつゝある、多くの工場主が貴き生命を犠牲にしてその工業の繁栄を計りつゝある、之れ豈明白なる殺人罪ではない乎、|誰か知らん最終審判の日主の前に引かれて此重き罪に問はるゝもの今日の立派なる紳士ならざらん事を〔付○圏点〕、其他近頃文明諸国に於て到る処盛に行はるゝ飲食物の混和の如きも大なる罪悪である、安価にして有害なる材料(酒精、塩酸又は硫酸等)を混和して人を欺き以て其生命(176)を損ふ、之れ亦十誡第六条の違反たるを脱れない。先年米国の未だ戦争に参加するに至らざりし頃各種の工業会社は競うて戦時品の製造に従事した、蓋し之れ最大の営利方法であつたからである、かくて多くの株主は短日月の間に莫大なる富を積んだのである、然しながら彼等の生産品に由て幾多の罪なき独墺の父母が其愛する独子を失うた、|誰かその株主の子女の手を飾りし〔付△圏点〕指環|が無辜の青年の血の値ならざりし事を知らう乎〔付△圏点〕、神の審判は必ず其処にまで及ぶのである、福なるは当時断乎として戦時品の製造を拒み之が為には事業の廃滅をも辞せずと為したる二三の製造工場である、彼等は審判の日に於て必ずや神の豊なる祝福に与かるであらう。
 其他我国に於て最も多しと称せらるゝ結核病患者自身及び其周囲の人々の不注意に由て恐るべき悲劇は醸されつゝある、台所を預る婦人の怠慢に由て自家の愛する者の生命は損はれつゝある、殺人決して我等に関係なき誡めではない、仮令直接に人を殺さずと雖も間接に此罪に与かる場合は甚だしく多いのである、而して神は必ず之をも審き給ふのである。
 更に進んで主イエスの教に至らば誰か之を免るゝ事が出来やう乎、「古の人に告げて殺すこと勿れ、殺す者は審判に与らんと言へる事あるは汝等が聞きし所なり、されど我汝等に告げん、凡て故なくして其兄弟を怒る者は審判に与らん、又其兄弟を愚者《おろかもの》よといふ者は集議に与らん、又|狂妄《しれもの》よといふ者は地獄の火に与らん」(マタイ伝五章廿一、廿二節)、ヨハネも亦曰うた「凡そ兄弟を憎む者は即ち人を殺す者なり」と、又之を其反面より説いて曰く「我等兄弟を愛するに由り既に死を出でゝ生に入りし事を自ら知る」と、我等は果して兄弟を憎まない乎、之を愚者よといひ狂妄よと呼ばない乎、或る場合には或人の存在其ものを呪ふが如き事がない乎、之れ皆生命を重んぜざるの罪である、即ち殺人の罪である、カインのアベルを憎みし其意志が殺人罪の根源であつた、|言ふこと(177)勿れ我は殺人の罪のみは之を犯さずと、神は審判の日に於て我等の自等予想だもせざる此罪にさへ我等を問ひ給ふのである、一人の兄弟を憎みし時に我等は此恐るべき罪を犯したのである〔付○圏点〕。
 然しながら讃むべきかな、神は我等をして此罪を赦され且之より免かれしむるの途を開き給うた、|キリストの十字架〔付◎圏点〕は即ち其れである、彼処に我等の唯一の希望がある、|十誡の律法に責められて我等は皆キリストの十字架に来らざるを得ない〔付○圏点〕、福音は実に律法の完成者である。
 
     十誡第七条 (十一月二日)
 
 |汝姦淫する勿れ〔ゴシック〕
 其語は甚だ美はしくない、其響きは耳に最も不快である、曾て紐育に於ける有名なる長老教会の牧師が余に告げて曰うた「十誡第七条は之を公開の席上に於て講ぜざるを可とする、何となれば多くの悪しき暗示を与ふるの虞あるが故である」と、余は此の申分に重き理由のある事を認むる、然しながら其れにも拘らず此一条の研究は極めて緊要である、何となれば此誡の教へんと欲する所は|家庭の神聖〔付△圏点〕にあるからである、「汝姦淫する勿れ」、之を換言すれば「|汝隣人の家庭を尊重せよ〔付○圏点〕」である。
 生命の貴さを知つて初めて殺人の罪の重きを知る、其の如く|家庭の如何に貴きものなる乎を解して初めて姦淫に関する誡めの由て来る所以を解する事が出来るのである〔付○圏点〕、然るに多くの人は生命に就て知らざると同じく家庭に就て解する所亦甚だ浅薄である、|家庭即ちホームとは何である乎〔付○圏点〕、そは人の宿泊所である乎、財産の所在地である乎、近親の集合所である乎、之等の条件に由てホームの観念の尽きざる事は言ふ迄もない、ビスマーク或時(178)歎じて曰く「英国人に羨むべきものがある、ホームの詞即ち之である」と、寔に the home は英語特有の美はしき語の一である、ホームは或る特別の institution(制度)である、此中に少くとも一の神聖なる観念を包含するのである、ホームは唯に家ではない、又娯楽の機関ではない、又生活の本拠ではない、之等各種の要素を外にしてホームに一の欠くべからざる条件がある、何である乎、曰く|其中にヱホバの神の宿る事〔付◎圏点〕之である、夫あり妻あり子あり又或場合には老人あり若くは異国人もある、然しながら彼等凡ての中心に一の本尊がある、即ち神である、而して家長は之を代表し主婦は彼を助け二人によりて神の恩恵を全家族に頒ち一同挙つて神を崇むる所、其処に真のホームがある、故にホームは最も厳格なると共に又最も慈悲深き所である、堅きこと鉄の如くにして同時に美はしきこと花の如き所である、真のホームの如何なるものなる乎は之を実見せずして解する事が出来ない。
 然らばホームは何処にある乎、|ホームは素とイスラエルに始まり而して基督者が之を継続して今日に至つた、真正の意味に於けるホーム、スヰートホームなるものは地上未だ曾て其他に現はれたる事がない、|旧約聖書は一面より之を見ればイスラエルのホームの歴史である〔付○圏点〕、アブラハム、イサタ、ヤコブよりイエスに至るまでのホームの歴史である、若し他国の歴史ならんには如何、政治と戦争と文学と哲学と法律と外交との歴史は有るであらう、然しながら一人の男子が一人の婦人を愛し一人の婦人が一人の男子に仕へて共に偕に神を崇むるホームの歴史は何処に之を認むる事が出来る乎、試に我国に於ける奈良朝又は平安朝時代のホームを描かば果して如何であらう乎、我国民の愛誦する百人一首の歌集中ホームの破壊者の如何に多きかを見よ、而してこは独り我国のみではない、希臘又は羅馬の歴史亦同様である、其間に在りて独り異彩を放てるものはイスラエルの歴史である、聖書は冷き道徳の書ではない、美はしきホームの物語である、アブラハムは如何に深く其子イサクを愛した乎、彼(179)の妻サラは其夫に仕へて如何に忠実であつた乎、彼等は如何にして其子の為に妻を迎へた乎、アブラハムの僕は如何にして遠く其故国に使し奇しき摂理により井の傍にて水汲みに来れる少女リベカに遭ひ之を主人の子の佳※[藕の草がんむりなし]《よきとも》として選びて金の耳環と手釧《うでわ》とを彼女に贈り、而して相携へてカナンの地に帰りし乎、又イサクが如何にして黄昏《ゆふぐれ》に野に出でゝ駱駝に乗り来れる彼女を迎へ之を己が母の天幕に携へ至りし乎、凡そ斯の如き記事を綴りしものが聖書である、聖書其者の中に小説以上の小説がある、聖書が我等に真のホームを提供するのである、聖書ある所にホームあり、聖書なき所に未だ真のホームの起りし事を聞かない(創世記廿四章)。
 故に貴くして美はしきものはホームである、之れ|神の恵に由て築かるゝ聖き愛の結合〔付○圏点〕である、財産も名誉もホームの貴さには及ばない、若し何人か此恩恵を傷くる者あらん乎、其損害は死を以てするも之を償ふ事が出来ない、|隣人のホームを破壊するの罪は他の何物を破壊するの罪よりも重大である〔付○圏点〕、故に曰ふ「汝姦淫する勿れ」と、即ち隣人のホームを破壊する勿れである。
 「姦淫」を斯の如くに解釈して其意味甚だ明白である、姦淫とは単に淫行の謂ではない、十誡第十条に「汝その隣人の家を貪る勿れ、又其妻を貪る勿れ」とあるが如く「貪る」は「盗む」の意志的方面にして第十条は第七八両条を更に根本的に誡めたものである、即ち知る盗むに物あり又人あり、|隣人の妻又は夫を盗むは盗罪中の最も重きもの〔付○圏点〕なる事を、而して此処に所謂「姦淫」は即ち此種の加害的罪悪である、之に由て人の神より賜はりし最も神聖なるものを破壊するのである、|隣人の妻を盗む勿れ、其夫を盗む勿れ、夫婦たる者の聖き愛を破壊する勿れ、之を一言にして曰ふ「汝姦淫する勿れ」と〔付○圏点〕。
 |歴史は此意義に於ける姦淫の顕著なる実例に富む〔付○圏点〕、例へば文覚上人(俗名遠藤盛遠)は源渡《みなもとわたる》の妻袈裟を慕ひ、(180)高師直は塩谷高貞の妻を偸んだ、トロイ王プリアムの子パリスはスパルタ王メネラウスに客たりし時其妻を奪ひて帰りしより遂に有名なるトロイ戦争を惹起《ひきおこ》し希臘全土聯合してトロイを攻むる事十年に及んだ、然しながら姦淫の最も好き実例は聖書中にある、之を犯したる者はダビデ王である、彼は己が配下の将ヘテ人ウリアの妻バテセバを辱めたる後故意にウリアを激戦の巷に遣りて戦死せしめ而してバテセバを奪うて己が妻と為したのである、彼女は実にソロモンの母であつた、悪むべき姦淫の罪は歴史上決して稀なるものではない(撒母耳後書第十一 十二章)。
 過去に於て然り、|現在に於て亦然り〔付○圏点〕、誰か此罪を以て歴史上の遺物と為す乎、先年一時欧洲人士の興味の中心となりたる或小説があつた、著者は北欧の文学者にして其描く所は明白なる姦淫であつた、即ち或る人他人の妻を慕ひ其到底成るべからざる恋の為に奮闘努力して遂に目的を達したる事実を露骨に写せしものである、斯の如き罪悪の記事が小説として又演劇として数多の紳士淑女の賞観する所となつたのである、彼等は曰うた「事の悪しきは之を知る、然れども我等の問ふ所は善悪ではない、不可能事の遂行に現はれたる人の意志の力である」と、然しながら彼等は其小説を読み其演劇を見て果して単に意志の力のみを感じたであらう乎、彼等は実は言を巧みにして姦淫の罪を喜びつゝあるのである、有名なる欧洲の社会主義者マクス・ノルダウの著「虚礼」の如きも其一例である、彼は曰うた「文明社会に最も多く行はるゝ虚偽は結婚である」と、又近来の所謂過激主義者中にも驚くべき思想がある、過激派は虚無党を以て始まりし者である、而して虚無党の始祖と称へられしミケル・バクニンの告白に曰く「迷信の第一は神である、第二は権利、第三は法律、曰く何曰く何、而して次に結婚である、一人の男と一人の女とが互に終生束縛せらるゝが如きは最大の錯誤である」と、彼等は家庭を呪うて之を破壊せ(181)んと努めつゝある、而して斯の如きは独り彼等社会主義者に限られたる思想である乎、余輩は決して爾か思はない、家庭を念頭に置かざるの風は今や全社会に瀰漫しつゝある病弊である、曾て米国の読書界を風靡したる「第八年目」と称する小説があつた、そは或る教育ある婦人の結婚後八年目の経験を記せしものであつた、彼女は曰ふ、結婚は其最初に於て甚だ甘く実はしくあつた、然しながら子を産むの頃よりして漸く煩累を感じ遂に八年目に至りて其の破壊せざるべからざるを知つたと、而して此書が多くの人に愛読せられたのである、家庭を以て厭ふべき束縛なりと為し仮令他人の夫又は妻たりとも真実を以て之を慕はゞ何の悪しき事かあらんと言ふが如き思想の近時殊に教育ある社会に浸潤しっゝあるを見る、今年一月我国に於て起りし或る不祥事に対し全国の同情翕然として注ぎしは何を示すのである乎、事は十誡第七条の明白なる破壊の曝露たりしに拘らず却て上下の同情を集むるが如きは実に奇怪至極である、|今や世界何処に於ても家庭は其根柢より破壊せられつゝある〔付○圏点〕、此時に当り「汝姦淫する勿れ」との誡めの必要なるは三千五百年前のイスラエルに於けると何等異なる所は無い。
 イエスは曰ひ給うた「婦を見て色情を起す者は中心既に姦淫したるなり」と、|姦淫の罪も亦殺人の罪と同じく其本質は心中の腐敗に於てある〔付○圏点〕、故に此罪より脱れんと欲せば先づ我等の|情の潔めらるゝ事〔付○圏点〕を要する、|情育〔付△圏点〕を怠りて此罪の廓清を期する事は出来ない、如何にして青年男女の情を潔むべき乎、これ父兄の慎重に講究すべき大問題である、由来我国社会の風習にして情育を妨ぐるものが甚だ多い、服装の如き音楽の如き読物の如き皆然り、純潔なる基督的家庭に於て青年に対する二個の禁物がある、其一は観劇である、人或は曰ふ演劇必ずしも不可ならず、ハムレツトもマクベスも皆劇に非ずやと、然しながら多くの家庭破壊が劇場より始まるは事実の証明する所である、青年の情育上観劇の決して奨励すべきものに非ざるは何よりも明確《たしか》である、其二は|小説〔付△圏点〕である、小説(182)にも亦美はしきものが無いではない、然しながら此名を以て幾多の堅き家庭の破壊せられたるを知らば子弟の手に小説を委ぬるの危険に堪へない、劇といひ小説といひ其中に稀に偉大にして善美なるものありと雖も畢竟するにその net result(勘定し上げたる結果)は十誡第七条の罪への誘導である、故に古来多くの模範的家庭には必ず厳正なる半面を存した、今より百余年前に出でたるジヨナサン・エドワードは其神学の厳格なるを以て聞えし人である、彼は曰うた「悔改めざるものは小児と雖も地獄に入らん」と、彼れの此神学は今日最早や棄てゝ顧みられずと雖も、彼の子孫として数へらるゝ二千五百余の米国人中多数の有力なる説教者又は文学者又は弁護士、副大統領、社長、市長等社会の枢要の地を占むる紳士を生みたるのみならず其中未だ曾て一人の犯罪者を出せし事なきの事実は何等かの真理を語るものではない乎、然しながら子弟の情育上最も重要なるものは勿論その積極的方法にある、即ち|イエスキリストを迎へて家庭の主人公たらしむる事、彼をして各自の心中最も深き処に宿らしむる事〔付△圏点〕之れである、家長も主婦も子女も僕婢も皆彼の勢力に服し彼の悦び給ふ所のみを為さんと力むるに至らば家庭は厳格なると同時に温き所となりて心よりの笑声が屡々其中より揚るであらう、而して清き快楽の之に伴ふありて朝より夕まで感謝を続くるを得るであらう、茲に至て観劇も小説も最早や青年の心を惹かず、十誡第七条の罪より脱るゝ事困難ならざるに至る、情を潔め家庭を聖むる唯一の途はナザレのイエスを迎ふるに在る。
 情育と共に父兄の重大なる責任に属するは子弟の結婚問題である、此の一事を誤りて愛すべき青年男女を地獄の火に投ずるの虞れがある、殊に我国の如き社会に在て其困難と危険とは一層深大である、故に世の父兄たる者は祈を以て其子弟の為に佳※[藕の草がんむりなし]を求め彼等を導きてその幸福を計らなければならない、情育と媒介とは十誡第七条に伴ふ実際問題として父兄の考慮すべき重大なる問題である。
 
(185)     十誡第八条 (十一月九日)
 
 |汝盗む勿れ〔ゴシック〕
 |隣人の所有即ち財産を尊重せよ〔付○圏点〕との誡めである、凡そ人の世に生るゝや必ず「我|所有《もの》」と呼ぶ所の物がある、之を法律上に於て権利と称し宗教上に於て神の賜物と称する、例へば空気、日光、食物等之れである、之を取得するは生存の権利にして従て之を各自の正当なる所有と言ふ事が出来る、具体的に其範囲如何を定むるは至難なるも神が適当と思惟して我等各自に賜ひし恩恵の存する事は確実である、此恩恵は神聖なるものにして之を他人より犯さるべからず又他人に対して之を犯すべからずである。
 故に「汝盗む勿れ」と言ひて其意義余りに明白にして論を俟たざるものゝ如く見ゆる、然しながら|世に普通なる罪悪にして盗む事の如きはない、文明は如何に進歩し社会組織は如何に完成するも此罪は決して絶滅しない〔付○圏点〕、「石川や浜の真砂は尽くるとも世に盗人の種は尽きせじ」とは国の東西を問はず時の古今を間はずして確かに事実である、我等各自が皆此害を被りし実験を有するのである、余は小著“How I Became a Christian”を書きし時西洋に於ける盗難に比し日本に於てその頗る安全なる旨を記して次の如くに書き加へた、曰く、「基督教国と称する西洋の家庭に在りて婦人が其腰に数多の鍵を垂るゝは一の奇観なり、我国に在ては鍵の必要なし、門戸を開放して安んじて眠る事を得」と、然るに先般或る独逸人は余に告げて曰うた「貴著の為に余は大なる損害を蒙れり」と、寔に偸盗の精神は何れの社会にも充ち満つるのである、我等は皆盗賊の巣窟中に在るのである、こは決して社会教育の幼稚なるが故ではない、偸盗の罪は文明と共に進歩する、欧米の警察界の出版物を見れば近来の(184)専門的偸盗の如何に巧妙にして且大規模なるかを知る、其方法は最も嶄新なる科学の応用である、例へば或種の瓦斯を用ゐば堅牢なる金庫と雖も之を破るの容易なる事宛もナイフを以て臘細工の箱に臨むが如しといふ、斯くして予防方法の発達は加害方法の進歩と相伴ひ二者常に競争の状態に於て在るのである、然らば|我等は如何にして盗まれざるを得る乎、曰く盗まるべき物を有せざるに如かず〔付○圏点〕、「蠹《しみ》喰ひ銹腐り盗人穿ちて盗む所の地に財を蓄ふること勿れ、蠹喰ひ銹腐り盗人穿ちて盗まざる所の天に財を蓄ふべし」とのイエスの教訓は永遠の真理である。
 偸盗は又|社会的罪悪〔付△圏点〕として盛に実行せらる。殊に窃盗強盗等は法律の規定する所に係るも不正の蓄財其他の社会的偸盗は却て|法律を利用して〔付○圏点〕行はるゝのである、今の不正の世に在りて大なる財産を作るは一種の盗を行はざれば能はずとは既に公然の秘密である、曾て聞く若し正当の方法を以てせん乎、一人が其生涯中に蓄へ得べき金額は凡そ十万弗を以て極度とすと、而して実際に於ても亦正直なる処世者にして未だ大財産を築きし者あるを聞かない、巨万の蓄財は必ずや不正の途に由る、彼等は即ち社会の財を盗むのである、今より三十年前米国の富豪ジエー・グールドは一億弗の資産を遺して逝いた、彼は如何にして此富を獲たるやを知らずと雖も之が為に自殺したる者少くとも六人に上りしと言へば以て其の如何に多くの人を苦めて成りし財産なるかを察する事が出来る、而して斯の如きは独り米国の富豪に限らない、世界各国の富豪皆然り、彼等は果して其莫大なる財産を神よりの賜物として受けたる乎否乎大なる疑問である、近来の物価の暴騰は何に由て来たのである乎、勿論其原因に種々あるべしと雖も素々利慾深き実業家が腐敗したる政治家と相結びて其富を増さんが為に商品の価格を引上げたるが故ではない乎、労働問題の起因如何、「見よ汝等が其田を穫《から》せし雇人に与へざる値は叫び其刈りし者の呼ぶ声は(185)既に万軍の主の耳に入れり」とある(ヤコブ書五章四節)、資本家が労働者を雇ひ自ら多大の利益を挙げながら之を彼等に頒たざる事が其原因ではない乎、彼等の行為は法律に牴触しない、彼等は社会に於て尊敬せらるゝ紳士である、然しながら|モーセ律に照して彼等は実は大盗賊である〔付△圏点〕、彼等に対して他の言を発するに及ばない、唯「汝盗む勿れ」を以て足る、カーライルが或時英国の宗教家等に勧めて言うた事があつた、「卿等よ、その説教と神学説とを廃めよ、英国を救ふの途は一あるのみ、我等をして洗足《すあし》のまゝ国の南端より北端まで声を揃へて『汝盗む勿れ』と叫びつゝ奔らしめよ」と、言は奇矯なるが如くに聞えて其中に大なる真理がある、実業家政治家等をして其盗みを止めしめよ、社会は必ず改造せらるゝであらう、物価の暴騰は停止し労働問題は解決するであらう、実業家に金銭の盗みあるが如く政治家に所謂地盤の盗みあり宗教家に霊的事業の盗みがある、何れも最も卑しき社会的偸盗の一種である、「汝盗む勿れ」との十誠第八条は今日決してその適用少き誠めではない。
 更に之を国家的罪悪として見ん乎、其害一層甚だしきものがある、所謂外交とは何ぞ、他国を盗む事の euphemism(言を美はしくして云ふ事)に過ぎない、一国が他国を盗む事は未だ重き罪悪として認められないのである、露独墺の三国聯合して波蘭を奪ひしは実に大なる偸盗であつた、而して独り彼等三国に限らない、世界各国が同じ罪を犯しつゝある、恰も富豪が国法を利用して社会的偸盗を行ひつゝあるが如く国家も亦国際法の保護の下に大砲と軍艦とを以て公然国家的偸盗を行ひつゝある、之を占領と言へば名称は盛なりと雖も盗は即ち盗である、罪は即ち罪である、故にコブデン、ブライト、グラッドストーン等は大胆に起ちて其非を鳴らしたのである、「汝盗む勿れ」、個人の有を盗む勿れ、社会の有を盗む勿れ、又国家として他国の有を盗む勿れである。汝の隣人の所有を尊重せよ、之を盗むこと勿れ、然しながら更に注意すべきは|神の有を尊重して之を盗まざら(186)ん事〔付○圏点〕である、個人的、社会的、国家的罪悪たる偸盗は又|人類的世界的罪悪〔付△圏点〕である、|人類は全体として絶えず神の有を盗みつゝある〔付○圏点〕、禅は自ら此美はしき世界を造り之を己が子の為に賦与し給うた、然るに人類は之を忘れ本来自己の有として之を使用しつゝある、此点に於て|全人類が盗賊である〔付△圏点〕、掠奪者である、彼等は天然と称して之を無主物の如くに看做し何人が占有支配するも自由であると云ふ、何人に対しても其責任を負はないと言ふ、之れ果して正しき思想である乎、全世界を盗賊の巣窟たらしめたる原因は此処に在るのではない乎、|万物は神の所有である〔付○圏点〕、神之を造り之を支配し給ふ、我等は神の恩恵に由り之を賜物として受くると雖も神の有を預けられたるに過ぎない、故に素より神聖なるものとして之を使用しなければならない、|世に「我が〔付○圏点〕有」|と称し得べき物は実は一物だも存在しないのである〔付○圏点〕、我が有する凡てが神の有である、此事実を覚りて一度び一切を神の聖手に返納する事、之を称して conversion(改信)といふ、我がものではない、神のものである、故に之を其正当なる所有主に返還すべきである、神の物を神に返すべきである、而して人が神の物を神に返す時に社会改造は根本的に行はるゝのである。 然るに事実は如何、人類は全体として今尚ほ神のものを私有しつゝある、神の造り給ひし美はしき世界を其聖手より奪ひつゝある、神の恩恵を思はずして自己のものとして之を使用しつゝある、即ち人類全体が神の所有を盗みつゝあるのである、予言者マラキはヱホバに代りてイスラエルの民を責めて言うた、「汝等は我が物を窃めり」と(マラキ書三章八節)、神は我等に対して亦斯く言ひ給ふ、我等も亦神の物を盗んだのである、之れ人類社会に現存する大なる苦痛の原因である、而して我等は之を神に返さんと欲しない、自己の為には吝みなく之を使用しながら神に献ずる事極めて稀である、斯の如くにして事は済むであらう乎、否、|神は盗人の手より己が物を(187)取り返さんとて必ず一度び我等の前に顕れ給ふ〔付○圏点〕、神は何時か全人類に対して必ず|万物の返還〔付△圏点〕(restitution of all things)を要求し給ふ、之れ即ち最後の日である、之れ即ちキリスト再臨の日である、其日来らば一切の物が其正当なる所有主に帰するであらう、人は己に属せざる物を何時迄も私有する事は出来ない、「汝盗む勿れ」と言ふ、必ずしも単に盗む事の罪悪なるを誡むる道徳的教訓ではない、其半面に於て人生の事実を語るものである、即ち「|盗むは無益なり〔付△圏点〕」との教である、何人か盗みし物を永遠に保持する事が出来やう乎、不正手段に由て獲得したる物は必ず之を奪還せらる、問題はたゞ時の如何にある、晩かれ早かれ凡ての物が其帰属すべき処に帰属するのである、例へば波蘭の運命を見よ、今より百数十年前露独墺の三国協力して弱き波蘭を分割したる時彼等は永久に之を己が有たらしむる事を期したであらう、然るに何ぞ図らん、今回の戦争に由て世界環視の中に三国は之を取り返されたのである、同じやうに富豪の不正手段に由て獲たる財産も亦必ず之を取返さるゝのである、我等が神の恩恵に背きて私有する一切の物も亦必ず神に由て返還せしめらるゝのである、茲に於てか知る|盗む事の如何に愚かなるかを〔付○圏点〕、信仰の進むに従て此の人生の大事実を感知する事愈々痛切である、故に神の与へざる物を我等の計画努力に由て獲得せんと欲する勿れ、無益なる競争に由て利益の増進を計る勿れ、神若し与へ給はずば仮令之を獲得するとも遠からずして其返還を迫らるゝのである、之に反して|唯神の許し給ふ領域を忠実に守り其命のまゝに従はん乎、必ずや我には我相応の物を加へ給ふのである〔付○圏点〕、我に相応なる所有《もちもの》、我に相応なる地位、我に相応なる事業の与へらるゝありて、我は他人の領域を侵害せず他人の所有を盗まず、而して自ら安全である平和である幸福である。
 斯の如くにして此誡も亦我等の各自に密接なる関係がある、今日の世界全体に対して最も適切なる応用を見る(188)のである、「汝盗む勿れ」、然り「盗をする者また盗をする勿れ、寧ろ貧者に施さんために励みて手づから善き工《わざ》を作すべし」である(エペソ書四章廿八節)、懶怠の生涯、他人をして働かしめて自身は坐して食ふの生涯、世の所謂幸福なる生涯、之れ皆な盗む生涯である、我等は今日直に之を廃すべきである。 〔以上、12・10〕
 
     十誡第九条 (十一月十六日)
 
 |汝其の隣人に対して虚妄の証拠を立つる勿れ
 此誡は本来裁判に於ける証人の責任に関するものである、往昔ユダヤに在ては裁判其他公事の決定は常に城邑の門の処に於て行はれた(ルツ記四章参照)、而して事件に関係ある者は証人として其処に呼出され之等証人の言に由て裁判の判決が下されたのである、従て証人たる者の責任は甚だ重大であつた、彼等にして若し偽証を為さん乎、無辜の隣人をして重き罪に陥らしむるの虞があつた、故に十誡第九条は隣人に対する義務の一として特に証人たる者の責任を誡めたのである、曰く「汝その隣人に対して虚妄の証拠を立つる勿れ」と。
 此意味に於ける偽証の実例は聖書中諸所に之を発見する事が出来る、馬太伝第廿六章五七−六八節はイエスに対する偽証の記事である、「多くの妄の証者《》あかしびと来れども亦得ず、後また妄の証者二人来りて曰ひけるは、此人先きに言へる事あり、我能く神の殿《みや》を毀ちて三日の中に之を建て得べしと云々」、此場合に於て彼等が立証したる言其ものは虚妄に非ざるもイエスの之を発したる真実の意味を以てせず、全く別個の精神より出でたる語として之を引用するが故に亦事実を誣《し》ふる偽証たるを免れない、其他使徒行伝第六章第八節以下はステパノに対する明白なる偽証にして列王紀略上第廿一章五−一四節はナボテに対する確実なる偽証である、彼等妄の証人は何れも其(189)悪むべき偽証に由て隣人の生命を奪ふに至つたのである。
 其の直接の目的は古代に於けるユダヤの法律を維持するにあつた、然しながら此誡の精神とする所は畢竟隣人に対して誤りたる証を為さゞらしめん事にある、此意味に於て惟りユダヤの裁判に引かれたる証人のみならず今日我等各自が亦其の適用の下に於て在る、我等は果して隣人を裁判かない乎、又は其の裁判かるゝ時之に対して虚妄の証を立てない乎、日々の新聞紙上に現はるゝ一人の人物を捉へて幾千の人々が裁判を下しつゝある、又は其裁判に参加して毀誉褒乾種々なる証を提供しつゝある、即ち我等各自が日々に裁判官となり証人となりつゝあるのである、殊に昔日平民は諸侯士族等を裁判く能はざりし時代と異なり今日文明の世に在ては何人が何人を裁判くも全く自由なるが故に至る所に於て各種の裁判又は立証の盛に行はれつゝあるを見る、此時に当り「汝その隣人に対して虚妄の証を立つる勿れ」との古き誡めを我等の普通道徳に適用せん乎、乃ち其意味する処は「|人を議すること勿れ〔付△圏点〕」と言ふと異ならない、更に之を約言すれば|悪評する勿れ〔付△圏点〕である、隣人の名を捉へて之を悪評する勿れである、然らば何人か敢て「我は此罪を犯さず」と言ひ得る者がある乎、|言を以て隣人の名を犯すの罪〔付△圏点〕、之を誡めたるものが十誡第九条である、而して之れ今日に在て最も普通に行はるゝ罪である、何人も自ら弁護する能はざる日常の罪悪である。
 何故に悪評は罪である乎、何故に人を議するは悪しき事である乎、其理由の説明は必ずしも容易でない、然しながら|一度此の罪の行はれざる社会に往いて見て其大なる罪悪たるを認めざるを得ない〔付○圏点〕、恰も禁酒の厳守せらるゝ社会に入りて初めて明白に飲酒の罪悪を感ずるが如くである、曾て或る英国の紳士が曰ふた事がある「余の生涯中他人に悪評を下せし事一二度あり、之を思ふ毎に堪へ難き苦痛を感ず」と、此人の如きは他人の悪評を口(190)に出さんとするも恰も盗まんとするの心を起すが如く堪ふる能はずして之を抑止するのである、斯の如き人の前にありては何人も他人の悪評を憚らざるを得ない、美はしきは斯かる悪評の行はれざる社会である、之を去つて普通の社会に入らん乎、悪評又悪評殆ど聞くに堪へない、|何ぞ知らん人を悪評するは即ち自己を悪化する所以なるを、人を議するは即ち自己の議せらるる所以なるを、試に次の安息日迄一回も悪評を口に上せずして過せ、然らば新しき光明の胸中に照り渡るを感ずるであらう〔付○圏点〕、四十年前余輩の札幌に於て初て基督者と成りし頃最も余輩を感化したるものはヤコブ書であつた、ヤコブ書は舌を慎むべきを教へて後更に曰く「兄弟よ互に謗る勿れ、兄弟を謗り或は兄弟を議する者は律法《おきて》を謗り律法を議するなり……汝誰なれば隣を議する乎」と(第四章十一、十二)、余輩は此教に基づき爾今決して悪評を口にせざるべきを相互に誓つた、|悪評の罪悪たるを感ぜざるは基督者の信仰の堕落である〔付○圏点〕、信仰の処女時代に帰らん乎、堪へ難きは人を議する事である、人を裁判きまた之に乗じて偽証を立つる事である、斯の如くにして信仰は堕落し愛情は冷却せざるを得ない、近時の教会の不振はその原因何処にある乎、信者の集会に於て兄弟に対する偽証の盛なるは即ち之が有力なる説明を供するものではない乎、人を議する者は基督者にして基督者に非ず、此罪悪の行はるゝ所に聖霊は宿らないのである。
 人生は複雑である深刻である、其の或る方面は人の目に映ずるも大部分は隠れて之を見る事が出来ない、衣服面貌其他外的生活は之を裁判き得るとするも其性質、境遇、家庭其他の内的生活|殊に各自の心中の秘密に至ては神とキリストとを除いて何人か之を知り尽す事が出来やう乎〔付○圏点〕、人の心の最も浅薄なるものと雖も神のみ之を知る、|人は他人を裁判かんと欲して実は裁判く能はざる者である〔付○圏点〕、其の裁判き得べき区域を有せざる者である、故に人の裁判は殆ど常に誤謬である、偶々公的生涯に立ちて自己に対する新聞紙其他の批評を見る時誰が斯かる思想を(191)有する乎と驚かざるを得ない、或は数年或は数月甚だしきに至ては数時の間人と共に在りて而して彼を知り尽せりと做し之に対して公然たる批評を下すが如きは人生を解せざるの最も甚だしき者である、人は人を裁判く能はず故に裁判くべからずである。
 然らば問ふ、人は各自に対して絶対に批評を加ふる事が出来ない乎、答へて曰ふ、智慧として又基督者的習慣としては絶対に之を加へざるに如かず、唯或る事に就ては已むを得ざるものがある、例へば青年男女を配して生涯の※[藕の草がんむりなし]《とも》たらしめんとするが如き場合に於ては自ら一種の証人たるの地位に立つを辞する事が出来ない、|然しながら斯の如き場合に於ても我等の立証し得る所は祈を以て知り得たる僅小の範囲に就てのみである〔付○圏点〕、即ち我が知る範囲に於て此事に就ては云々彼事に就ては云々と最も謙逢なる部分的判断を提供すべきである、|人は如何なる場合にも決定的全般的に他人に対する批評を断定してはならない〔付○圏点〕、之れ人たるの地位を忘れ神の領域を犯す所の大なる僭越の罪である、人の判断の正しきは其の最も謙遜なるものである、恰も疾病を診断するに当り軽々しき断定を避け自己の探知し得る部分に就て最善を尽さんとする医師の最も信顧すべきが如きである。
 或は曰ふ、人は人を議する能はず、故に裁判官と成るが如きは誤れりと、然しながら社会制度としての裁判は自ら其趣を異にする所がある、勿論裁判制度を以て絶対的に有効なりとは称する能はざるも、少くとも有益である、蓋し国家の官吏として天皇より委嘱せられたる権限を以て行ふ裁判は其目的とする所は公益にありて個人の利害には関係がない、故に比較的公平を保ち易くある、又必要なる多くの証拠を聚集し得るが故に判断の誤謬を防ぎ易くある、之れ其の個人の裁判と異なる所以である、加之個人に在りても亦或る裁判を為す事を許さるゝ場合がある、|公人の公事に関する場合〔付○圏点〕即ち之である、例へば為政者が明白なる非違を行ひ会社の重役が職務上の(192)不正を働き教会の監督が信仰上の誤謬を為したるが如き場合に於て其人の品性又は意思に立入る事なくして其公的行為を非難するは許されたる裁判である、但し公人の公事を批判するに当り其私事を摘発して之を貶《おと》さんとするが如きは最も誡めなければならない。
 斯の如く神の許しを得て批評を加へ得る公の範囲なきに非ずと雖も之を超えて人を議するは重大なる罪悪である、「見よ微火《わづかのひ》いかに大なる林を燃すを、舌は即ち火即ち悪の世界なり、舌は百体の中に備りありて全体を汚し又全世界を燃すなり」(ヤコブ書三章五六)、|新聞紙上一篇の悪評の人心を腐敗せしむる事如何に大なるかを見よ〔付○圏点〕、ライマン・アボット曾て曰く「世界中の最も悪しき新聞紙は米国の其れである、但し唯一の例外は日本である」と、実に米国又は我国の新聞紙が社会に流したる害毒は之を計る事が出来ない、|偽証は人の熱心を冷却せしめ人の〔付○圏点〕 generous spirit(|寛宏の精神)を萎縮せしむ〔付○圏点〕、之に由て愛心は失せ信顧は動き勇気は挫かる之に由て幾多の忌むべき社会的騒擾は醸さる、偽証は一種の黴菌である、其播かるゝや直に散布伝染して遂に全社会を破壊するに至るのである。
 然らば如何にして此罪より脱《まぬか》るべき乎、勿論之を慎むべきである、今日限り之を廃止せんと決心すべきである、然しながら単に口を慎むを以ては足りない、其心神を愛し而して人を愛しなければならない、|心より人を愛して偽証は口に上らんとするも能はない〔付○圏点〕、母はその悪しき子に就ても悪評を下すに忍びざるが如く兄弟に対する愛ありて偽証は自ら消滅するに至る、悪評の行はるゝは愛なきの確証である、愛せよ、心より兄弟を愛せよ、而して「地獄の火」たる苦《にが》き悪評の罪を其根より断絶せよ。
 
(193)     十誡第十条 (十一月廿三日)
 
  |汝その隣人の家を貪る勿れ、又汝の隣人の妻及び其僕婢牛驢馬並に凡て汝の隣人の所有を貪る勿れ〔ゴシック〕
 之を簡単に言へば「|汝貪る勿れ〔付△圏点〕」である、家といひ妻といひ僕婢牛驢馬といふは其目的物を列挙したるに過ぎない、十誡は此一条に至て最後にして且最深なる誡めに達したのである。
 「貪る」の意如何、普通に解せらるゝ所に由れば妄りに物を取り込む事を「貪る」といふ、即ち一物を得て足らず更に第二第三の物を取るの行為である、然しながら「貪る」なる語の本来の意義は行為に非ずして意志である、行為を生む所の心である、之を「むさぼる」と言ふ、即ち「ムザと欲る」の意である、妄に欲しがる事、飽く事を知らずして貪望する事、その意志を称して貪ると曰ふのである、英語の covet 亦然り、其語源はラテン語の cupidus にある、他人の物を妄に自己の有たらしめんと欲する欲心の謂である、新約聖書の原語たる希臘語に於ても亦同じ、pleonexia(貪る)は pleon echo(更に多く所有せんとする)より来る、乃ち取り込むの|行為〔付○圏点〕に非ずして取らんとするの|意志〔付◎圏点〕である。
 |依て知る十誡第十条は意志の罪に関する誡めなる事を〔付○圏点〕、隣人に対するの義務たる第六条以下に於て隣人の生命と其家庭と其所有物と其名との重んずべきを教へたる後最後に一条を加へて曰ふ「|汝の心に其念を抱く勿れ〔付○圏点〕」と、茲に至て誡めは内的となりて普通の法律の問はざる処に及ぶのである、|モーセ律は唯に人の行為を問ふのみならず更に溯つて其意志の聖からん事を要求する〔付○圏点〕、「汝姦淫する勿れ」とは隣人の妻を貪る心の行為に出でたる場合にして「汝盗む勿れ」とは其他の所有物を貪る心の行為に出でたる場合である、此両条の誡めに附加して更に罪(194)を其根本に於て絶たんが為め「汝貪る勿れ」と言ふ、即ち唯に盗まざるのみならず盗まんとするの欲を抱く勿れとの謂である、而して|十誡第六七両条に対し此追加の一条あるに由て我等は十誡全体を如何に解釈すべきかを知るのである、寔に「律法は霊なる者」である、故に之が解釈は霊的でなければならない〔付○圏点〕、凡ての罪の根源は心に於てあるが故に罪を誡めんと欲して心に及ばざるを得ない、十誡第十条は此事を教へて明白である、|之れ律法の理想を示すの語にして旧約より新約への過渡である、此一条あるに由て律法其者が霊化せられたのである〔付○圏点〕、以て此誡めの重要と其深遠とを知るべきである。
 貪心の罪の如何に恐るべきものなるかは新約に於けるイエス及び使徒等の教に由て明白である、「イエス人々に曰ひけるは戒心《こゝろ》して貪心を慎めよ」と(ルカ伝十二章十五節)、之を原語の語勢に従て曰はゞ「汝等注意せよ、|貪心を恐るべき敵と見て其攻撃に遇はざるやう注意せよ〔付○圏点〕」との反覆的誡告である、而して後に附言して曰く「汝等生命の為に何を食ひ身体《からだ》の為に何を着んとて思ひ煩ふ勿れ……たゞ神の国を求めよ、さらば之等の物は汝等に加へらるべし」と、聖書は又曰ふ「汝等世を渡るに貪る事をせず、有《もて》る所を以て足れりとせよ、そは我れ汝を去らず更に汝を棄てじと言ひ給ひたればなり」と(ヘブル書十三章五節)、乃ち聖書は半面に於て「貪婪《たんらん》は即ち偶像を拝する事なり」と言ひて(コロサイ書三章五節)、貪る心は人をして財《たから》の奴隷たらしむる事を戒むると共に、|他の半面に於て、之を神の恩恵と対照して其の全く無要なるを教へ以て貪る事の基督者の本質に反く所以を明白ならしむるのである〔付○圏点〕、恐るべき敵たる貪心を慎むの半面に於て大なる平和と満足とがある、神の加へ給ふ恩恵を以て足れりとする事即ち之である。
 凡ての罪の根源は意志に於てある、行為の罪は既に姙まれたる意志の罪の外部に発現したるものに過ぎない、(195)故に|意思の罪なる貪心は他の多くの罪との間に密接なる関係を有する〔付○圏点〕、隣人の妻を貪り而して之に併せて姦淫と殺人との大罪を犯したる者はダビデであつた(サムエル後書十一、十二章を見よ)、聖書が最も神の心に適ふ者として記述せるダビデ彼自身が最大の罪人であつたのである、此事実は又一箇の福音を伝ふる教訓たるを失はない、何となれば彼ダビデすら赦されて神に愛せらるゝの途開かれしならば我等も亦神の救に与かるの希望十分なるが放である、又列王紀略上第廿一章はアハブ王が貧しき者の葡萄園を貪り且彼を殺したるの記事を掲ぐ、貪心は多くの場合に於て他の罪を促すの動機である。
 貪婪の罪も亦最も普通の罪の一である、何人も之を犯さゞる者はない、就中商人の如きは口を開けば即ち貪婪を語る、殊に又之を国家的罪悪として見ん乎、一国が他国の領土を貪る事は従来の歴史上殆ど怪まるゝ所無きの状態であつた、然しながら|基督者たる者は此罪を口にだもすべからず〔付○圏点〕である、「聖徒たるに適ふ如く奸淫及び凡ての汚穢また貪婪を互に言ふ事だにする勿れ」とあるが如くである(エペソ書五章三節)、|唯に「むさぼる」べからざるのみならず〔付○圏点〕欲《ほ》|る事其事が既に罪の根である、隣人の物を羨みて之を欲しと思ふ其心が直に貪心と化するのである〔付○圏点〕、余の識る或女子にして福音を学ばん事を欲するの余り他人の聖書を羨みて遂に之を盗みし者がある、聖書すら然り、況んや其他の物に於てをや、他人の地位を羨みて虚妄の証を立つる紳士あり、隣人の土地を貪りて巨大の富を築く会社あり、上下貧富の別なく滔々として人心に瀰漫するものは実に貪欲の罪である。 然らば我等は何の欲をも抱くべからざる乎、否、|欲の許され得べき場合として少くとも二箇のものを考ふる事が出来る〔付○圏点〕、其一は|知識欲〔付○圏点〕である、神の我等に与へ給ひし驚くべき能力を以て神に属する万物を探らんとするの欲即ち之である、其二は|信仰欲〔付○圏点〕である、更に聖き人たらんと希ふの欲即ち之である、こは疑もなく正当なる欲望に(196)して凡ての基督者の抱懐する所である、偶々地位低く財産乏しき人にして其聖さに於ては実に羨むに堪へたる者がある、往年余の米国に在りし時或日人に伴はれて費府の貧民街を視察したる事があつた、其時一人の盲目なる黒人老婦ありて余の信仰上の実験談を聴くや自ら路傍の石段に昇り声を揚げて近隣の人々を麾《さしまね》き其歓喜を頒たんとするを見て余も亦斯かる人たらん事を希ひしは昨日の事の如くに覚ゆる、而して此種の欲は神の許し給ふ所である、而して之等二種の欲を除きて我等は如何なる欲をも抱いてはならない、何を着何を食ひ何を飲まん乎、其事に就て一切|欲《ほ》るべからずである、我等の求むべきものは唯神の国と其義とである、然らば凡て必要なるものは加へらるゝであらう、「汝貪る勿れ」、然り「|汝欲する勿れ〔付○圏点〕」である、無欲は聖書の要求する基督的生涯の一面である。
 無欲の生涯といふ、世に果して斯の如きものが有り得るであらう乎、之れ実に不可能に似て然も可能なる事実である、|無欲は可能である、我等の心にキリストを迎ふる時にのみ可能である〔付○圏点〕、曾て或人余の青年会に於ける講演を聴きて後帰途ゆくりなく帝国劇場の前を過り乃ち其感想を認めて余の許に致した、曰く「今は我れ自動車を駆て帝劇に遊ぶ者を見るも何の羨む所なきのみならず自己の歓喜に比して彼等の甚だ憐むべきを知り此恩寵を彼等にも頒たんとの念切なるものあり云々」と、余は此人が粗服を纏うて忠実なる労働に服し而して常に不相応なる寄附を為しつゝある事を知るが故に、その紳士淑女を見て忌まず羨まず却て自己の受けたる恩恵を分たんと欲するの基督的心情に対し深き同感を禁ずる事が出来ない、余自身の実験も亦同様である、余も曾ては他人の地位又は名誉又は財産等に対し時として嫌悪若くは羨望の情に堪へざる事がないではなかつた、而して自ら之を抑へんと欲するも抑ふる能はず、益々努力を加ふれば即ち愈々苦痛を増すのみであつた、然るに余をして遂に此欲念(197)を断絶せしめたるものは何であつた乎、|イエスキリスト余の心に宿り給うて真の生命が余の衷に湧き起りし時に余は初めて一切の欲念を棄つる事が出来たのである〔付○圏点〕、殊に神の有なる此天地が何時か我等基督者に嗣業《ゆづりもの》として必ず与へらるべきを知りし時に余は神の余に賜ひしものを以て衷心より満足する事が出来たのである、今や余に取ては神より受けたる此地位を何人とも交換せん事を欲しない、如何なる衣服食物住宅も余の心を惹くに足りない、世に最も福なる者は此身此儘を以てしてキリストに救はれたる自分である、故に復た羨まない、嫉まない、忌み嫌はない、さりとて勿論|懶惰《らいだ》に傾かない、否、我心に此満足の溢るゝありて目の欲耳の欲肉体の欲の我を妨ぐるものなく従て我が活動は一層旺盛である熱烈である、かくて神より賜ひし必需物《なくてならぬもの》を以て満足する者の生涯は唯歓喜と感謝あるのみである。
 「律法はモーセに由て伝はり恩寵と真理《まこと》はイエスキリストに由て来れり」とある、|モーセは「汝貪る勿れ」と言ひて罪を其根柢に於て絶つべきを教へ、キリストは我等に霊を注ぎて此誡を実行するの力を与へたのである〔付○圏点〕、十誡は十誡を以て実行する能はず、其第十条は十誡其者の不完全を表明する、然れども福なる哉此不完全を補うて十誡をして実行し得べきものたらしむる力はイエスキリストに在て我等に臨んだのである、十誡の理想は霊的聖潔にある、之を教ふるものは十誡第十条である、然しながら之を実行せしむるものは我等の主イエスキリストである、十誡第十条は実に旧新両約の結鎖《つなぎ》である。
 最後にモーセの十誡を以て試に|仏教の十誡〔付○圏点〕と比較せん乎、乃ち前者の価値の一層明白なるを知る、今仏教の十誡中最も普通に行はるゝ沙弥の十誡と菩薩の十誡とを掲ぐれば左の如くである。
       沙弥の十誡
(198)  (一)不殺誡 (二)不盗誡 (三)不婬誡 (四)不妄語誡 (五)不飲酒誡 (六)不食肉誡 (七)不邪見誡 (八)不毀誡 (九)不謗誡 (十)不欺誑誡
       菩薩の十誡
  (一)−(四)前に同じ (五)不※[酉+古]酒誡 (六)不説過罪誡 (七)不自讃毀他誡 (八)不慳誡 (九)不瞋誡 (十)不謗三宝誡
 乃ち知る仏教十誡は如何にして神に仕ふべき乎を教へず又一言だも父母を敬ふべきを誡めざる事を、其数多の条項はモーセ十誡第九条の分解に過ぎない、仏教十誡貴からざるに非ず、然しながら之を博大にして深遠なる倫理的観念より見てモーセ十誡の遙に優秀なるは何人も拒む能はざる所である、寔に其高きは天の上に迫り低きは地の底に達して包宇宙的である、而して之に加ふるにキリストの福音ありて道徳の上に立ちて道徳を実行し得べきものたらしむ、律法は偉大である、福音は更に偉大である。
       ――――――――――
     律法と福音 (十一月三十日)
 
  律法はモーセに由て伝はり恩寵と真理はイエスキリストに由て来れり(ヨハネ伝一の十七)。
 モーセの十誡は言其のものが偉大である、之を聞く者は唯に古代法律としての知的興味を喚起せしめらるゝのみならず其心に種々なる感想を懐かざるを得ない、或は従来自らを義しき者と做し我は殺さず姦淫せず盗まずと信じ又安息日聖守の如きは猶太思想にして父母を敬ふが如きは古き支那の教に過ぎずと見たる者が茲に新し(197)き福音に接したるを感じ、十戒の理想を以てすれば神の前に最も重き罪を犯せつ者は実に我自身なりとの感念を強くする者もあるであらう、或は更に一歩を進め斯の如き宏大にして深刻なる誡めを以て責められては如何ともする能はず、こは余りに過当の要求にして弱き人類の到底堪ふる所に非ず、抑もかゝる不可能事を実行せんとする事が誤謬である、十誡は理想である、而して人類は進化の途中に於て在る者にして今直に理想に到達せん事を期すべきではない、十誡必ずしも之を守るに及ばないとの思想を起す者もあるであらう、或は又自ら之を守り得ざるより却て此教へを説く者に就て思を致し彼自身が之を守らざるに非ずや、彼自身が殺人者姦淫者窃盗者にして彼自身が最大の罪人に非ずや、教師自ら守り得ざる誡めを我等が守らざるべからざる理由なし、若し之を守らざる者が滅ぶるならば教師を始め凡ての人が共に滅ぶるのである、然らば滅亡必ずしも悲しむに足らずと言ひて此問題の解決を逃避する者もあるであらう、斯の如く或はその罪を自己に負はんとし或は之を隣人に又は人類全体に帰せんとするも、その何れにせよ|十誡は人心に一大混乱を汾起せしめずんば已まないのである〔付○圏点〕、之れ実に十誡の性質上当然の事にして、若し此事なからんか、我等は其人の為に悲まざるを得ない、十誡は先づ万人に対する大問題の提起者である。
 而して之を守り得ると否とは暫く措き十誡は実に完全なる律法である、何人もその荘厳偉大を歎美せざる者はない、仮令之を以て余りに厳格なりと為し少しくその軽減を乞はんと欲するも|十誡は儼然として尺寸と雖も動かないのである〔付○圏点〕、然り十誡は動かない、恰も富嶽の巍々として千秋に聳ゆるが如く十誡も亦人の之を如何にせんと思ふに拘らず之を撤回せん事は不可能である、或は自ら実行し得るにせよ或は得ざるにせよ十誡は人類の理想である、社会の根柢である、神一度び之を我等に与へ給うてまた永遠に動かない、何人もたゞ之を承認し而して歎(200)美せざるを得ない。
 律法は賦与せられて之を動かす能はず、理想は提示せられて之を覆す能はず、荘厳にして偉大なる十誡は我等の前に立ちて其実行を迫る、然らば何人が之を実行し得る乎、|其一を守らんとすれば他は忽ち破れて如何ともする事が出来ない〔付○圏点〕、九門の閂《くわんぬき》を確保すれば他の一門より敵は侵入し来りて我が心中を占領するのである、曾て戦争最中に於ける独逸の苦心を描きし諷刺画に独帝カイゼル其手と足とを以て数多の門を抑へ以て敵を防ぐも顧みれば背後意外の方面の破るゝありて、遂に収拾する能はざるの状態を示したるものがあつた、十誡に対する人心の無力は略此類である、其の全部を守らん事は到底不可能である、古来一人の之を守りし者あるを聞かない、然らば各自互に相議りて之を迷信とし又は旧思想として葬り去らん乎、やがて独り神の前に立つ時聖くして固き十誡は依然として動かすべからざる権威を以て我等に迫り来るを如何せん、|斯くあらざるべからざる事は明白にして而も斯くある能はず此奇異なる心的状態に〔付○圏点〕※[手偏+齊]《をとしい》|れられて人類に深刻なる苦痛がある〔付○圏点〕、如何にして此苦痛より脱する事が出来る乎、十誡の権威を認めて而して之を守り得るの途は無い乎、或は少くとも次第に之を守り得るに至らしむるの途は何処かに開かれない乎、これ人類ありて以来人の力を以て解決し得ざる至難至大の問題である。
 パウロが羅馬書又は加拉太書に於て説かんとする問題は即ち之である、故に此両書翰を解せんが為には先づその問題を明白ならしむるの必要がある、問題の何たるを知らずして解答に接するは決して之を正解する所以ではない、学生は教師より授けられたる問題に臨み自ら之を解決せんとして能はずその難点の何処に存する乎を知悉して後或る暗示を与へられて始めて完全なる解答に達するのである、我等も亦人類の有する苦しき問題の如何な(201)るかを知悉しなければならない。而して後始めて此苦痛より脱るゝの途を学ぶ事が出来る、律法が我等の心中に提起する大問題を認めずして福音を解する事は出来ない。
 パウロは人類中の偉人であつた、其頭脳の偉大且明晰にして其信仰の熱烈且深遠なるは何人も及ばざる所であつた、若し世に完全に近き人ありとせばそは即ちパウロであつた、彼は何事を為すも第一位を下らざるべき人物であつた、彼をして政治家たらしめ又は哲学者たらしめなば彼は必ずや世界最大の政治家又は哲学者となつたであらう、此の偉大なるパウロ先生、世界人類の師表として仰がるゝパウロ先生が一度び自己の経験を語りて次の如き言を発したのである、
  それ律法は霊なる者と我等は知る、されど我は肉なる者にして罪の下に売られたり、そは我が行ふ所の者は我も之を善《よし》とせず、我が願ふ所のもの我之を為さず、我が悪む所のもの我之を為せばなり……若し我れ願はざる所を行ふ時は之を行ふ者は我に非ず我に居る所の罪なり、此故に我れ善を行はんと欲《ねが》ふ時に悪の我に居る此一の法《のり》あるを覚ゆ、そは我れ内なる人に就ては神の律法を楽めどもわが肢体に他の法ありて我心の法と戦ひ我を※[手偏+虜]《とりこ》にして我が肢体の中に居る罪の法に従はするを悟れり(ロマ書七章十四節以下)。
 律法の聖きを認め而も之を守らんと欲して守る能はず、我が願ふ所は之を行ふ能はずして却て願はざる所のものを行ふ、|我の中に二我あり〔付○圏点〕、理想を認めて之を追求する我と善を為さず悪を為すの我と、二者互に分離して相闘ふのである、パウロは此苦しき問題の解決に全力を傾注して最後の叫びを発して曰うた、
  噫我れ悩める人なる哉、此の死の体より我を救はん者は誰ぞや、
と、或ひは想ふ彼が三年をアラビヤの野に過したるは此問題の根本的解決を期せんが為ではなかつた乎、そは何(202)れにせよ彼が此一語に次で「是れ我等の主イエスキリストなるが故に神に感謝す」との歓ばしき声を揚ぐるに至る迄の間にパウロは確かに永き苦闘の歴史を有つたのである、而して之れ独りパウロのみの問題ではない、ルーテル、カルビン、ウエスレー、クロムエル、其他一切の基督者といふ基督者は皆一度は此経験を経たのである、此苦しき問題の解決に悩みし最後に神よりキリストの十字架を示され此処に完全なる救拯の途を発見して歓喜と感謝とに溢るゝに至りし者が即ち基督者である。
 パウロはまた同じ経験を他の語を以て述べて曰うた、
  我れ律法に由り律法に向ひて死ねり、是神に向ひて生きん為なり、我れキリストと共に十字架に釘けられたり、もはや我れ生けるに非ず、キリスト我に在て生けるなり、今我れ肉体に在て生けるは我を愛して我が為に己を捨てし者即ち神の子を信ずるに由て生けるなり
と(ガラテヤ書二章十九、廿節)、
 誠にさうである、|基督教の礎石又は其発足点は〔付○圏点〕此処に在る、基督教は之より出発し此上に建設せられなければならない、実際に於て人の基督教を研究せんとする動機に種々ある、或はその世界的宗教なるが故に之を学ばんと欲し或は社会を匡正するの具として之を用ゐんと欲し或は境遇上の苦痛より脱《まぬか》れんが為に之に頼らんと欲し又或は人生の矛盾を解釈すべき宗教哲学の一種として之を探らんと欲す、就中最も普通なるは不遇の境に於て自己の安心を求めんとする者と宗教の娯楽的研究を目的とする者とである、然しながらパウロの信仰の根柢は全然之等の動機と其趣きを異にした、そは境遇的に非ず社会的に非ず人類的に非ずして|個人的〔付○圏点〕また|倫理的〔付○圏点〕また|霊的〔付○圏点〕であつた、|彼は律法と自己との調和に苦んで其解決を得んと欲したのである〔付○圏点〕、玄に聖き律法のあるあり、之を守ら(203)ざるべからず、然れども守る能はず、之れ人類に取て永久の疑問である、守らざるべからざる律法と、守る能はざる自己と二者何れが果して真である乎、律法若し真ならば自己は滅びなければならない、如何にして滅びざるを.得る乎、如何にして神の律法に従ふを得る乎、真個の基督教研究は此処より始まるべきである、|此立場より見て新約聖書は極めて解し易き書である〔付○圏点〕、その羅馬書とその加拉太書と其他凡ての福音書又は書翰に於て示されたる重大なる真理は悉く之を解する事が出来る、キリストの処女降誕といひ其肉体復活といひその昇天その再臨といひ、すべて之等の信じ難き事実を信じ易からしむるものは羅馬書七章七節以下に於ける心の態度あるのみ、此門より入らずして聖書的信仰を抱く能はず、此門より入て福音を離れんとするも能はない、余をして過去三十有余年の間福音を説いて飽かざらしむるものは何である乎、曰く律法の問題である、|律法が余を追うてキリストの十字架に縋らざるを得ざらしむるのである〔付○圏点〕、たとへ今日限り福音を説かずと決心するも明日早く既に此問題の余に迫るありて再び福音に帰らざるを得ざらしむるのである、そは恰も食を廃せんとする決心の如く饑渇は余を駆りて其実行を不可能ならしむ、人は律法の問題を有する限り福音より逃るゝ事が出来ない、此出発点より出でたる者のみ能く新約聖書を解し得るのである。
 其途同じからざれば相共に語らずと言ふ、基督教に到らんとして其出発点を異にする者は共に救を語る事が出来ない、宗教哲学とよ、そは徒らに人をして高ぶらしむるのみにして毫も問題の解決を提供しない、家庭問題又は宇宙問題とよ、之に先だちて汝の霊魂の問題を如何にすべき乎、神の律法に接して之を守る能はざる倫理的問題を如何にすべき乎、罪の責任は果して社会又は祖先又は父母又は友人に於てある乎、否罪人は却て汝自身ではない乎、此事実を自覚し一度びはパウロと共に己が胸を撃ちて「噫我れ悩める人なる哉、この死の体より我を救(204)はん者は誰ぞや」との歎きを発したる者に非ずんば共に基督教を語る事は出来ないのである、之に反し律法に追はれて何処に其解決を得べき乎との深き苦悶を経たる人はその経歴素養の如何を問はず互に手を握り、衷心よりの祈祷を共にする事が出来る、詩人コレリジ曰く「人類の筆に成りし最大の書は羅馬書である」と、然しながら一度び自己を此立場に置かん乎、此世界最大の書なる羅馬書決して難解の書に非ず、若齢の婦女子も之を解するを得べく文字なき労働者も之を味ふ事が出来る。
 羅馬書を難解の書なりと言ふ者は其第七章の言を自己の声たらしめざる者である、何人も遭遇せざるべからざる律法の問題を回避せずして誠実に之を解決せんと欲する者に取ては新約聖書の全体が歓喜である感謝である、|律法は人をして福音に到らしむる唯一の途である〔付○圏点〕。
 然るに今時《いま》の基督教は何である乎、先づ第一に社会的である、基督教何ぞやと問へば今の基督教信者、殊に米国流の基督教信者は答へて曰ふ「社会的奉仕《ソシヤルサービス》」と、即ち社会本位の基督教である、「噫我れ悩める人なる哉」との声を発せざる基督教である、「噫不完全なる社会なる哉」と叫ぶ基督教である、故に今の基督教信者、米国流の基督教信者は新約聖書其儘の信仰を懐く事を厭ふのである、然り懐き得ないのである、社会的基督教にキリストの奇跡的出生、彼の復活、彼の昇天、彼の再臨等を信ずるの必要はない、彼等は神は愛なりと唱へて、神は如何にして其愛を表はし給ひし乎を問はない、彼等は天然の法則に応《かな》はずとの故を以て復活を信ぜず再臨を嘲ける、然し問題は天然のそれではない、良心のそれである、如何にして神の前に義とせられん乎、此深刻なる問題を倫理的に、実際的に、宇宙的に攻究すれば終に新約聖書が明白に示すが如き結論に達せざるを得ないのである、余は信ず米国が産ぜし最大の神学者はジヨナサン・エドワーヅであつた、然るに米国人は此偉人を斥けた、而し今尚(205)ほ此人を嘲けりつゝある、而して其結果が米国今日の状態である、我等は浅薄なる米国の基督信者に傚ひて其信仰的堕落に陥るべきでない、米国人今日の社会的基督教は偽の基督教であると言はざるを得ない。 〔以上、大正9・1・10〕
 
(206)     煩慮と平安
         (九月七日柏木聖書講堂に於て)  腓立比書第四章四−七節の研究
                    大正8年10月10日
                    『聖書之研究』231号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
  汝等常に主に在りて喜ぶべし、我れ又言ふならん汝等喜ぶべしと、汝等凡ての人をして己が柔和なる事を知らしめよ、主の来り給ふ事近し、何事をも思ひ煩ふ勿れ、唯事毎に祈をし感謝して願をし己が求むる所を神に知らしめよ、然らば凡て人の思慮《おもひ》に勝りて神の平安は汝等の心と意をキリストイエスに在りて守らん。
 「汝等常に主に在りて喜ぶべし」 之れ此数節の標語にして又ピリピ書全体の標語である、神を信ずる者に取ては凡ての事悉く働きて益をなすが故に如何なる苦痛の中にあるも尚喜びの状態に於て在るべきである、乍然勿論漫然喜ぶのではない、|主キリストに在りて〔付○圏点〕喜ぶべきである。
 「我れ又言ふならん」 同じ言を此処に繰返すの意ではない、|汝等に幾度び書翰を送るとも我れ又続いて言ふならん〔付○圏点〕との意である、歓喜が信者の心の状態に非ざる事を想像し得ざるが故に後にも亦我れ汝等に書き遣《おく》りて言ふならん、曰く「汝等喜ぶべし」と、而してパウロ彼自身の生涯が患難に充ちたるものなりしも其心の根柢には常に言ふべからざる歓喜があつた、基督者《クリスチヤン》は皆斯くあるべきである、歓喜なき人は基督者ではない、而も基督者《クリスチヤン》の歓喜は尋常《たゞ》の歓喜ではない 希臘語の Chara《カラー》(歓喜)は Charis《カリス》(感謝)と相似て居る、|感謝に出づる歓喜〔付○圏点〕である、(209)有難き嬉しさである。
 「汝等凡ての人をして己が柔和なる事を知らしめよ」 「寛容」と言ひては尽きない、人の我に与へし損害を容易く赦す事が寛容である、或は又所謂清濁併せ呑む事を寛容と称する、然しながらパウロの茲に言ふ所は此種の寛容ではない、「柔和」である、|悪は明白に之を悪と認むるも軽々しく怒らず辛辣なる心意を抱かざること〔付○圏点〕である、而して常に神に対する感謝を交へたる歓喜の状態に於てある者はたとへ如何に罵られ嘲けられ妨げらるゝとも斯の如き柔和なる精神を失ふ事が出来ない。
 「主の来り給ふ事近し」 基督者《クリスチヤン》は過去に於て既に大なる恩恵を受けたる者なるが故に其心の根柢は常に感謝に溢るゝ歓喜である、然るに之に加へて基督者には又未来の希望がある、主キリストの来り給ふ事之れである、其時一切の事は審判かれて是非善悪悉く判別するのである、故に彼の来り給ふ事近しと知りて柔和ならざらんと欲するも能はない、是故に|基督者の柔和に二箇の理由がある、過去の恩恵に対する感謝と未来の救拯に関する希望〔付○圏点〕とは相俟ちて彼をして柔和寛容ならしむるのである、恰も既に巨万の富を獲得し又新に大なる遺産を受けんとする者が些少の財物《ざいぶつ》を争ふの意を有せざるが如くである 然るに実際上信者の間に柔和寛容の欠乏甚だしく却て其反対の精神の盛なるは何故である乎、|他なし彼等に其罪を赦されたる過去の実験と其救を完うせられんとする未来の希望とが無いからである〔付○圏点〕、感謝なく希望なくして如何にしてか柔和なるを得ん、彼等の冷酷を責むるに先だち我等は其理由を発見して寧ろ同情を禁じ得ないのである。
 「何事をも思ひ煩ふ勿れ」 特に患難に臨みし時又は物資の欠乏を感ずる時等にのみ関する教訓ではない、「何事をも」である、現在の苦痛未来の配慮、此事彼事、其他人生一切の問題に就てゞある、「思ひ煩ふ」とは|思を砕(208)く〔付○圏点〕事である、平安は思想の統一である、思想を数多に分つが故に思ひ煩ふのである、人生憂慮の原因多し、然れども何事に就ても思を砕く勿れと言ふ。
 「唯事毎に祈をし感謝して願をし己が求むる所を神に知らしめよ」 神に対する祈祷の内容に三種ある、祈と願と求《もとめ》とである、「祈」とは神との交通である、必ずしも願を含まない、願よりも一層高くして広き語である、ジヨン・ウエスレーの祈祷の如きは願を含まざるものが多くあつた、「願」を為す時は必ず「感謝して」為すべきである、|感謝なくして願ふは神の喜び給ふ所でない〔付○圏点〕、先づ過去に於て受けたる大なる恩恵を感謝し而して更に「聖旨に適はゞ」と言ひて新しき願を為すべきである、パウロの願は常に感謝を伴うた、彼の書翰の如きも加拉太書を除く外は皆感謝を以て始まるのである、次に「求」とは彼事此事に関する個々の要求である、祈祷は多くの場合に於て「求」に至るを要しない、大体の「願」を以て足る、乍然或る場合に於て神の特殊なる援助を乞はんと欲する時には其一々の求を神の前に披瀝して之を神に告げ知らすべきである。
 「然らば凡て人の思慮に勝りて神の平安は汝等の心と意《おもひ》をキリストイエスに在て守らん」 唯事毎に祈祷せよ、「然らば神之を聴き給はん」である乎、否、パウロは斯く言はずして「然らば平安は汝等を守らん」と言うた、而して之れ実に深き信仰的実験の声である、真の|祈祷を以て神に近づく時神は必ずしも直に之を聴き給はない、乍然彼は更に大なる恩恵を以て酬ゐ給ふ、即ち心の平安である〔付○圏点〕、此平安は凡て人の思慮に勝る所のものであつて其れ自身が祈祷の聴かるゝ以上の恩恵である、而して此平安が「汝等の心と意とを守らん」と言ふ、守る者は神である、然るに之を平安に帰するは詩的の発表なりと雖も亦大なる事実である、神は我等に平安を降して我等を守り給ふのである、平安我が衷に在りて心意は統一せられ之を乱さんとする者あるも入る事を得ず、又たとへ其(209)の入り来ることあるも平安の為に圧服せられて直に消滅し終るのである、そは恰も妙薬の作用に由て毒素の浸入を防止し又は之を解消せしむるが如きである、而も之れ漠然たる平安ではない、「イエスキリストに在て」の平安である、|キリストを離れて恩恵は我等に臨まない〔付○圏点〕、歓喜も柔和も平安も凡て彼に在てゞある、故にパウロは口を開けば常に「主に在りて」と言ふ、之を措いて彼は何事をも語り得なかつたのである、人生の苦痛我に臨み来る時何人も先づ之を解決せん事を欲する、乍然|最大の幸福は問題の解決ではない、神より来る平安である〔付○圏点〕、たとへ問題は未だ解決せられずして存ると雖も主キリストに在る平安を与へられん乎、ハレルヤの歓呼は我衷より溢れざるを得ない、而して此経験を得たる者にして初めて実際問題も亦之れを根本的に解決する事が出来るのである、問題の解決は第二である、平安の獲得は第一である。
 
(210)     賛成の辞
                         大正8年10月10日
                         『聖書之研究』231号
                         署名 主筆
 
 田島君は日本基督教会の教師であつて余は無教会信者である、然かも我等信仰的交際を継続して茲に二十余年、互に助け慰め励まして今日に至つた、蓋し君は上州人にして余と同国である、住谷天来君を加へて我等三人、馬鹿正直の外に何の頼む所なくして基督教の宣伝に従事す、住谷君は漢学者、田島君は神学者、余は農学者である、三人稍惰性を共にし全く信仰を同うす、現代に在りて現代人たること能はず、旧き道徳を重んじ、義理に縛られ、基督教は聖書有の儘を信ぜんと努む、故にキリストの拝すべき神なるを信じ、彼の贖罪を信じ、彼の復活と再臨とを信ず、同時に又世界人類に対する日本人の重き宗教的使命を信ず、|我等は信ず、源信、法然、親鸞を生みし日本人は昔時の猶太人に亜ぐの宗教的国民にして、蓋し末の世に於ける世界教化の天職を以て造られし国民ならん〔付○圏点〕と、故に我等は欧米人より基督教を受けしも、彼等に傚はずして彼等以上、直に斯教の泉源に達せんとす、恰かも我国初代の仏教徒が支那より仏教を受けて遙に支那人以上に達せしが如くならんと欲す、基督教は旧き宗教を破壊して其あとに建設すべき者でない、新らしきは旧きを基礎として其の上に築くべきである、我等は源信、法然、親鸞を斃して之に代りて立たんとしない、彼等の事業を継続せんとする、或る意味に於ては我等は自から彼等の弟子なりと称して憚らない、然れども八百年後の今日、より深き、より広き真理に接したれば彼等の信仰(211)に大なる改良進歩を加へて之を我国民に、然り全人類に施さんと欲する、是れ彼等に対する無視ではない、義務である、我等は信じて疑はない、|浄土門仏教を永久に保存し、其恩沢を絶たざらんと欲せば、新約聖書の信仰をして其継続者たらしむるより外に途なきことを〔付△圏点〕、若し我国の仏教徒に此雅量あり、其の基督教徒に此謙遜と敬虔と確信とあれば我国の宗教問題は既に解決されたりと言ふ事が出来ると思ふ、イエスは言ひ給ふた「我れ律法と預言者を廃つる為に来れりと思ふ勿れ、我れ来りて之を廃るに非ず、成就せん為なり」と(馬太伝五章十七節)イエスに依てすべて善き者は完全に且つ永久に保存せらる、余輩の知る浄土門の仏教信者にして新約聖書の福音に接して己が信仰の如くに之を歓ぶ者尠からざるは余輩の此唱道の何よりも善き証明である、余輩は彼等に向つて余輩に降服せよと勧むるのではない、真理は終に茲に至るべしと明言するのである。
 
(212)     GREETING FROM SWITZERLAND.瑞西大家の同情
                         大正8年11月10曰
                         『聖書之研究』232号
                         署名なし
 
     GREETING FROM SWITZERLAND.
 
 The followingis from Professor Ragaz of Zurich University,Switzerland,to Pfarrer Iakob Hunziker,now of Tokio:Es ist schwer zu leben. Alle Hollengeister sind obenauf. Das partielle Scheitern des Wilsonschen Planes hat scheinbar dem Unglauben an die Idee vollig Recht gegeben.Nur Jesuiten und BoIscheWisten kommen in dieser Atmossphare zunachst auf ihre Rechnung.Dass ich nun dennoch alle Hoffungen festhalte,brauche ich Ihnen nicht zu sagen. Vielmehr sage ich:Gerade diese“ApokalypsIs”geht der des Guten d.h. den neuen Aeon,voraus.Utchimura durfte gerade mit seinem“apokalyptischen”Glauben der Wahrheit naher kommen als alle“Evolutionisten”.Konnten Sie ihm einmal einen Gruss von mir uberbringen, als von Einem,der sein Buch,“Wie ich ein Christ wurde”,zu seinen Erlebnissen zahle und der viel an ihn denke und von ihm erzahle als von einem der wahren“Stellvertreter Christi”auf Erden.
 
(213)     瑞西大家の同情
 
 博士《ドクトル》ラガツは瑞西《スイツル》国チユーリツヒ大学の神学教授である、人も知る如く同大学は有名なるストラウスを迎へ又イエス伝の大家カイムが教鞭を執りし学府にして欧洲大学中錚々たる者である、此伝統的地位に立つラガツ氏の権威推して知るべしである、博士近頃書を其友人にして今や宣教師として我東京に在住するヤコーブ フンチケル氏に贈り欧洲の近状に就き述ぶるに当り左の言を寄せられたりと云ふ
 今や生きるに困難なる時に有之候、有りと有らゆる地獄の霊は世に現はれて共感を逞くし居り候、ウイルソン案の坐礁は理想に対する不信の正当なる事を立証したるかの観を呈し候、只ゼスイツト派と過激派とのみが此の雰囲気の内に在りて最も勢力を占め居り候、然し私は其れにも拘らず凡の希望を確持し居る事は申上ぐるまでも無之候、寧ろ私は斯く申上たく候、即ち此顕現こそ善の顕現即ち新時代の先駆者なりとの事に有之候、内村君は実に其|顕現的《アポカリブチシエン》信仰に依り世の凡の進化論者よりも真理に近づきつゝあると信じ候、何卒私の敬意を彼に御伝へ被下度候、私は彼の著『如何にして基督信徒となりし乎』を私の信仰生活上の経験に数へ且彼に就き多くを思ひ、且又彼を以て地上に於ける基督の真の代表者と信ずる者に有之候。
 
(214)     拾珠録(一)
         哥林多前書第一章より
                         大正8年11月10日
                         『聖書之研究』232号
                         署名 内村鑑三
 
〇蓮月尼の名歌に曰く「言の葉の珠拾はゞや秋の夜の、月に明石の浦つたひして」と、而して歌人は言葉を拾はんとし、基督者《クリスチヤン》は真理を拾はんとす、余は毎日真理の宝庫なる聖書を探り、真理の真珠を拾ふこと度々である、自今之を拾集して之を読者に頒たんと欲する、蓋し「日々の生涯」の霊的半面と見て可らう。
〇哥林多前書第一章一節に「神の旨に由りて召されて使徒となれるパウロ……召されて聖徒となれる者に書を贈る」とある、パウロの使徒となれるも「召されて」である、コリント人の聖徒と成れるも「召されて」である、万事が神の善き聖旨より出たのである、信者に成りしも伝道師に成りしも自から択み、自から研究して、思索の結果として成つたのではない、神の旨に由り彼に余儀なくせられて成つたのである、故に我に誇る所何もあるなしである、而して真個の信者、真個の伝道師はすべて「召され」たる者である、明確なる神の「召し」を実験せざる者は信者の生涯の何たる乎を知らない。
〇同節に曰く「兄弟ソステネ」と、ソステネの事に就ては使徒行伝十八章十七節を見るべし、彼れ信仰の為にユダヤ人に杖打れ、キリストの弟子と成りし後はパウロの兄弟と成つたのである、而かも四海皆兄弟と云ふが如き(215)漠然たる意味に於ての兄弟ではない、キリストを知り其の死の状《さま》に循ひて彼の苦しみに与りて骨肉も啻ならざる深き霊の兄弟と成つたのである、若し教会が教会であるならば是は教会ではない家庭である、而して信者は同じ主に由りて生れし兄弟姉妹である、ソステネはパウロの同志でもなかつた、亦単に教友でもなかつた、兄弟であつた、嗚呼美はしかりし初代の教会よ、其時教会は家庭であつて信者は誠に実に兄弟姉妹であつたのである。
〇又曰ふ「コリントに在る神の教会」と、何故に特に「神の教会」と云ふ乎、世の会合より区別せんが為である、教会(ecclesia)は神より出て神に属する者である、世の所謂団体ではない、又社交的倶楽部ではない、神に聖潔められし聖徒を以て組織せらるゝ神の教会である、故に非常に貴い者である、斯かる教会に就てパウロは曰ふた「汝等は神の殿《みや》にして神の霊汝等の中に在すことを知らざる乎、若し人神の殿を毀たば神彼を毀たん、そは神の殿は聖き者なれば也」と(三章十六、十七節)、教会を此意味に解して無教会信者の有りやう筈はない、無教会主義は羅馬天主教会、英国々教会、何人が見ても腐敗堕落せる米国今日の諸教会に対して謂ふのである、神の教会に対して謂ふのでない|絶対に無い〔付△圏点〕。
〇曰ふ「|コリントに在る〔付○圏点〕神の教会」と、パウロ在世当時に在りてはコリントの市は腐敗堕落の中心であつた、恰も今日の巴里、倫敦、紐育、東京の如き者であつて、其の内に正義清潔の行はれやうとは何人も想はざる所であつた、当時人の淫楽に耽けるを「コリントする」Korinthiazesthai と云ふた程であるといふ、然るに此コリントにも聖徒が起りて神の教会が有つたのである、驚くべきは神の恩恵である、彼はコリントに於てすら彼の愛子を有し給ふた、然らば失望すべきでない、神の教会は(人の眼には見えざれども)倫敦に於て在る、紐育に於て在る、東京に於て在る、神は路傍の石をもアブラハムの子と成す事が出来る、コリントに於てさへ神の教会が起つ(216)た、我等は東京、横浜、名古屋、大阪、神戸等、其他腐敗の巣窟に就て失望すべきでない。
〇又曰ふ「キリストイエスに在りて潔められ」と、基督信者を称して「聖められし者」と云ふ(使徒行伝二十章三十二節、同廿六章十八節を見よ)、「聖められし」とは「世より聖別されし」の意である、其罪より潔められて神の所有となりしの意である、神の教会は「聖められし者」を家族として有つ家庭である、「聖められし」と云ふ、文法上の完了動詞(perfect tense)である、信者はキリストに在りて|既に聖められたる者〔付○圏点〕であるとの意である、今聖められつゝあるのではない、又後に聖められんとするのではない、キリストに在りて既に望められたのである、|信者の聖潔はキリストに在りて既に完了したのである〔付○圏点〕、彼れ御自身が言ひ給ひしが如し「我れ彼等(弟子等)の為に自己《みづから》を潔む」と(約翰伝十八章十七節)、信者はキリストに由り既に潔められたのである、彼等は自から己を潔うして神に受けらるゝのではない、信仰を以て救主の聖潔《きよめ》を己が聖潔となして神の子として認めらるゝのである、イエスは神に立てられて我等の聖潔となり給ふたのである(一章三十節)、我等の義と聖とは自己に於て在るに非ずしてイエスに於て在るのである、キリストイエスに在りて既に聖潔を完了うせられし者、それが基督信者である、福音の伝ふる所は道徳の唱ふる所と全く異なる、道徳は人に完全の実現を要求するに対して福音は直に完全を提供する、曰く「唯信ぜよ、信じて神の子の完全を汝の有とせよ、彼れ既に汝の為に自己を聖め給ひたれば、汝は彼を仰ぎ瞻る其刹那彼の聖きが如く己を潔くし得べし」と、此事たる倫理哲学の立場より見て荒唐無稽である、然れども信仰の立場より見て事実中の最大事実である。
〇又曰ふ「我等の主イエスキリストの名を※[龠+頁]《よ》ぶ者」と、信者はキリストに在りて聖められし者であつて又イエスの名を※[龠+頁]ぶ者であると云ふ、「名を※[龠+頁]ぶ」とは崇拝するの意である、創世記四章廿六節、約耳書二章三十二節等を(217)参考すべし、即ち|信者はイエスキリストを神として崇拝する者なりとの意〔付○圏点〕である、|基督教はキリスト崇拝である〔付○圏点〕、基督信者は神としてキリストに事ふる者である、キリスト神性論の根拠は茲にある、イエスは単にナザレ人イエスではない、万物彼に由りて造られ彼に由りて存つことを得る也とある神で在る(哥羅西書第一章)、孔孟釈基と称してキリストを聖人の一人として数ふる者は未だパウロのキリストを知らざる者である、我等今日の基督信者もイエスの名を※[龠+頁]ぶ者となりて初代の信者と信仰を共にする事が出来る、「彼等が石を以てステパノを撃《うて》る時彼れ祈りて曰ひけるは主イエスよ我霊魂を納《う》け給へ」と、斯くてステパノも亦イエスの名を※[龠+頁]びつゝ死に就いたのである(行伝七章五九節)。
〇第三節に曰く「恩寵と平康」と、行為不相応の報賞之を恩寵 charis と云ふ、我が受くるに当らざるものを賜はる、其れが恩寵である、而して神はキリストに在りて斯かる恩寵を人類に賜ふたのである、而して人は何人も信仰に由りて此恩寵に与る事が出来る、罪の赦免《ゆるし》である、永生の恩賜である、体の復活である、是れ皆な至大の恩寵である、而して神より恩寵が降て人に平康があるのである、平康は恩寵の結果である、「神より出て人の凡て思ふ所に過ぐる平安(康)は汝等の心と意《おもひ》をキリストイエスに在りて守らん」とあるが如し(腓立比書四章七節)、真の平安はキリストを以て現はれたる神の恩寵に与りてのみ来る、そは此恩寵たる義に基く恩寵であるからである、義の要求が完全に充たされずして真の平安はない、故に神はイエスを信ずる者の挽回《なだめ》の祭物《そなへもの》とし彼れ(イエス)を信ずる者を義として尚ほ自から義たり給ふたのである(羅馬書三章廿五、廿六節)、「恩寵と平康」信者の安心立命は善行とか修養とか称せらるゝ者に由て獲らるゝ者ではない、神は人の為に己が独子を捐給ひ、人は信仰を以て神の此絶大の恩賜《たまもの》を受けて茲に完全なる心の平康があるのである。
 
(218)     美はしき死
         小出義彦君を葬るの辞  (八月卅一日柏木聖書講堂に於ける葬式の席上に述べし所)
                         大正8年11月10日
                         『聖書之研究』232号
                         署名 内村鑑三
 
 小出義彦君の全生涯を表はすに最も適当たる語を選ばんと欲して余は之をテモテ後書五章一−八節に於て求めた、然るに今図らずも此数節は君の特愛の句として君自身の選択したるものなりと聞く、茲に於てか知る我等は確かに君の心を識りし事を、かくて君の友人の心は君自身の心と合体したのである。
 余は屡々多くの青年より其将来の方針に就て質問を受くる事がある、其時余は自己の信ずる所を以て勧告を為すを常とする、小出君も亦曾て此問題に関し長き書翰を寄せて余の意見を求めた、其書は余が将来に保存すべき少数の書翰の一に属する、而して余は他の青年に対して為すが如く君の為にも適当なる勧言を呈せんと欲して切りに考慮を巡らしたるも遂に之を発見するを得なかつた、文学? 法律学? 天然科学? 何れも確信を以て勧むる事が出来なかつた、然らば伝道? 之れ亦同様であつた、然らば君の為に何を勧むべき乎 余は之を決するを得ずして久しき間恰も君に負ふ所あるが如き感を免れなかつた、然れども今にして思ふにこは却て聖霊の告知《しらせ》であつたのである、君の此世に遣《おく》られしは何々学と称する専門学を修めんが為ではなかつた、又は聖書を研究して伝道者と成らんが為ではなかつた、|君は短くして美はしき信仰の生涯を送り以て我等を教へんが為に遣ら(219)れたのである〔付○圏点〕、君の前途の朦朧として見分け難かりし理由は茲に至て明白である。
 君の疾患進みて治癒の望み絶ゆるに至るや君の信仰は寧ろ奇しきばかりであつた、由来医師の難病と称する結核病は信仰の方面より見て一種の|恩恵病〔付△圏点〕である、之に由て霊魂は著るしく鍛へられ来世の生命に関する信仰を強むる事が多い、然しながら其間に自から程度の差がある、|死に面して毫末の恐怖を抱く事なくさながら幕を排して隣室に赴くと異ならざりしもの未だ君の如きを見ない〔付○圏点〕、死は実に君の前にありて全然無力であつた、何人も君に対して憚らず君の死に就て語る事が出来た、其病床に於ける最後の書翰といひ作歌といひ感想といひ皆君の異常なる信仰を証明せざるものはない、死に臨みて尚悠々顧みて意味深き戯言《ぎげん》を弄し感謝と希望とに溢れつゝ君の所謂「宇治川」を最も勇敢に渡り去つたのである、|噫君は我等をして此光景を望見せしめんが為に神より遣はされし人であつた〔付○圏点〕。
 或は又次の如くに考ふる事が出来る、神の君を遣り給ひしは|特に我等教友団の為〔付○圏点〕には非ざりし乎と、勿論君の生涯は日本の為め又全人類の為であつた、然しながら特に我等教友の愛を固うせんが為に君の一生涯は費されたりと言ふも君自身は満足して之を肯定するであらう、而して信仰の団体の健全なる発達は規則又は集会等外側の力に由るのではない、神の聖旨に適ふ真正の教会を作るものは|純美なる信仰を以てする死〔付○圏点〕である、死を以て信仰を試み死を以て福音を証明するの士続出して初めて信者の心を固く固く結合せしむるのである、我等の間にも既に古崎彊君あり松田寿此古君あり而して今又更に君を加ふ、我等の信仰と友誼とは強固ならざらんと欲するも能はない、|斯の如くして買はれたる〔付○圏点〕繋|ぎの貴きこと〔付○圏点〕幾何|ぞや〔付○圏点〕、彼等が其死を以て証明したる団体を自己の感情又は利害を以て破り得べきであらう乎、否之が為には大に忍び大に尽さなければならない、我等の団体は福音の(220)為の団体である、神の福音を更に高く広く発揚せんが為に使用せらるべき器具である、今や小出君我等の為に死して我等の負はせられたる責任は一層重大なりと言はざるを得ない。
 
(221)     〔座古愛子著『父』〕序文
                           大正8年11月30日
                           『父』
                           著名 内村鑑三
 
 「健全なる身体に健全なる霊魂宿る」とは真理である、同時にまた「病弱なる身体に健全なる霊魂宿り得べし」と云ふも真理である。神は霊であれば神の子たる人も亦霊である、人に在りては霊は主であつて体は属である。人は霊に於て強からんが為に体に於て強くなるを待つ必要はない、霊に於て直に神に接して霊を強くせられて体の弱きに勝つことが出来る。而して我信仰の姉妹の一人なる座古愛子は霊の強きを以て体の弱きに勝ち得た人の最も善き実例である。彼女は病床を終生の家とし定むる者である。然かも彼女は其中に在りて著者たり、歌人たり、伝道者たり、永久的事業の計画者たるのである。彼女は医学上の病人である、然かも精神上の健者《けんしや》である。後女は此世からして霊界の人たるの経験を有する最も恵まれたる人である。茲に彼女の新著又成る日本婦人にして然かも特別の教育なき人、然かも萎《なへ》たる身体を終生病辱に横たへる人、此人が既に二三の有益なる著述《ちよじつ》を為したる上に茲に亦此新著を産したのである。神の恩恵とは斯る事を成就げ得る者である、今は奇蹟の世に非ずと云ふ者は往て座古愛子を訪ふべしである。茲に此世のすべての大哲学を顛覆するに足る事実がある、余は彼女の故を以てイエスキリストの御父なる真の神を讃美せざるを得ない、茲に余の実見有の儘を記して序文に代へ
(222)  一九一九年九月一日      東京市外柏木に於て 内村鑑三
 
(223)     『信仰日記 附歌こゝろ』
                          大正8年12月8日
                          単行本
                          署名 内村鑑三著
〔画像略〕初版表紙 151×113mm
 
(224)     『信仰日記』に附する自序
 
 西洋に或る小説家があつて彼が Life of Nobody(何でもなき人の一生)と云ふ書を著はしたことがある、彼は之に由りて人の一生は何人のそれと雖も意味の無いものでは無い事を表明《あらは》さんとしたのである、実に人生其物が小説以上の小説である、深く之を究めて人生有の儘に勝る面白き記事はない、歴史と伝記、殊に自叙伝……詩も歌も、戯曲も小説も其興味は之に及ばないのである。
 余が茲に綴りしものは一箇年間に渉る余の生涯の記録である、平々凡々の記事であつて別に読者の血を沸すが如きものではない、然し偽りの記事で無い事だけは保証する、日本人にして基督教を信じ、教会又は宣教師と何等の関係を有せずして伝道に従事する者の一箇年間の生涯の記録として多少見るに足るべきものがあらう、勿論余は自己の生涯に就て誇らない、然り|誇り得ない〔付○圏点〕、唯日々の生涯の事実有の儘を記した、而して若し其有の健が何か真理を世に伝ふるならば此書の存在の理由があるのである、若し無いならば自から消滅すると信ずる。
 附録の『歌こゝろ』は歌人ならざる者の歌集である、歌の術ではない其心である、「何でもない者」が「何でもない者」を慰め又は励さんとて作つたものである、其心して読まれんことを望む。
  一九一九年十一月十日     東京市外柏木に於て 内村鑑三
 
(225)     〔目次〕
信仰日記 一名日々の生涯
附録 歌こゝろ
 誠信なる主
 紫竜胆に贈る
 異人の祖国
 関東平原の小春
 人生の詩
 復活の希望
 死に臨んで余の霊魂に告ぐ
 我れ最早懼れず
 夕暮の歌
 万物悉く可なり
 再会の希望
 恩恵と希望
 『世々の磐』
 『此身有の儘に』
 春の曙
 『我は王の子なり』
 キリスト信徒の交際
 病後の歓喜
 ペンテコステの歌
 美作伝道よりの帰途
 主は甦り給へり
 或時嵐山の桜を見て
 天国を望む
 『シロアムの細流』
 今年の秋
 我等は四人である
 今年のクリスマス
 建碑
 『其日其時』
 陸中花巻の十二月二十日
 春は来りつゝある
 二月中旬
 イエスを思うて
 エスペランザ
 桶職
 
(226)     THE WILL OF GOD.神の聖意
                         大正8年12月10日
                         『聖書之研究』233号
                         署名なし
 
     THE WILL OF GOD.
 
 “PAUL,an apostle by the will of God,”−NOT by his own choice,NOT by his resolution,NOT by his speculative study of Christian truth,but solely by the will of God,by His sovereign grace,by His election,“foreordained before the foundation of the world.”So is every Christian“born,not of blood,nor of the will of the flesh,nor of the will of man,but of God.”He is not“Christianized”by missionaries,but is pressed by the all-conquerlng,all-compelling will of God into His kingdom and its service. Oh,the sovereign will of God,stronger than my will,than my sin even! Nothing else made me a Christian;nothing else keeps me in the faith;nothing else will save me at last.“Thanks be unto God for His unspeakable gift.”−T Cor.T,1.
                      [UCor.T],15】
     神の聖意
 
 「神の聖意に由りて使徒となれるパウロ」と云ふ、パウロ自から択みて、又は己が決心に由りて、又は基督教(227)真理の思索的考究に由りてキリストの使徒となつたのではない、唯単に神の聖意に由り、彼の拒むべからざる恩寵に由り、世の基の置《すえ》られし前に定められし彼の予定に由りて使徒たる事を得たのである、パウロが爾《さう》であつた、凡の信者が爾である「斯る人は血脈《ちすぢ》に由るに非ず、肉情に由るに非ず、入の意《こゝろ》に由るに非ず、唯神に由りて生れし也」とあるが如し、信者は宣教師に由りて所謂「基督教化」されたのではない、彼は万物を己に服はせ、万事を統御し給ふ神の聖意に由りて彼の聖国にまで追込まれ、其奉仕のために徴発されたのである、嗚呼尊きは抗すべからざる神の聖意である、我が意志よりも強く、然り我罪よりも強し、之を除いて他に何物も余を信者に成したのではない、何物も余を信仰の道に留め置くのではない、又何物も最後に余を救ふのではない、「其の言尽されぬ神の賜物に由りて我れ神に感謝する也」である(哥林多後一章一節同九章末節)。
 
(228)     唯信ぜよ
                         大正8年12月10日
                         『聖書之研究』233号
                         署名なし
 
 或る時は無益に一日を送りて甚だ済《すま》なく感ずる、其時「主よ此無益なる僕を憐み給へ」と叫ばざるを得ない、事業なしの一日は失はれし永遠の一部分の如くに感ぜられる、然し乍ら翻りて思ふ、働くのみが人生ではない、労働に果しがない、人には労働以上の仕事がある、それは信ずる事である、「今我れ肉体に在りて生けるは我を愛して我が為に己を捨し者、即ち神の子を信ずるに由りて生ける也」である(ガラテヤ書二章十二節)、而して我等が屡々信ずる事を廃《やまえ》て唯単に働かんとのみ欲するが故に神は我等より労働の機会と能力と精神とを奪ひ給ひて我等をして何事をも為す能はざらしめ給ふのである、神は我等より先づ第一に信頼の心を要求し給ふ、依り頼む事は働く事よりも遙に善き事である、此事を知らずして近代の基督教は事業《ワーク》事業《ワーク》と云ひて信者を急立て彼を疲らかして終に彼を不信に陥れるのである、然し乍ら真正の基督教は仕事《ワーク》ではない、信頼で《フエース》である、信者は実は何事をも為さずとも可いのである、イエスは我等に代りて万事を成就げ給ふたのである、而して信者の為すべき事は先づ第一に彼れイエスを信ずる事である、基督教は儀式でない、亦|社会奉仕《ソシヤルサアビス》でもない、|基督教はキリストを信ずる事である〔付○圏点〕、「神の遣しゝ者を信ずるは其の(神の)工《わざ》なり」とあるが如し(約翰伝六章二九節)、此信仰があつてルーテル、カルビンの新教運動が起つたのである、今や事業事業と叫びて欧米の基督教は旧き天主教に還りつゝあるの(229)である。
 然り唯信ぜよ、而して信仰は最大事業である、「我等をして世に勝たしむる者は我等が信なり」である、信は自《みづか》ら働かんと欲せずして自《おの》づから働かざるを得ざらしむ、自己《おのれ》を神に引渡して彼をして我に在りて其聖旨を為し遂げ奉らしむ、信仰は静かなる活動法である、神が宇宙を造り給ひし方法である、近代人の所謂プロパガンダ(新聞政策)に非ず、アジテーション(社会運動)に非ず、静に待て神の霊に動かさるゝ途である、民主々義、世界改造の叫ばるゝ今日、我等は初代の信仰に立帰る必要がある。
 
(230)     拾珠録(二)
                         大正8年12月10日
                         『聖書之研究』233号
                         署名 内村鑑三
 
〇哥林多前書一章三節に曰く「我等の父なる神及び主イエスキリストより恩寵と平康を受けよ」と、神より出て人の与ふること能はざる恩恵と平康、是は「父なる神及びイエスキリスト」より出づる者なりと云ふ、聖父と聖子、同じく恩寵と平康との源である、二者が如何にして一者であり得る乎其奥義は解し得ずと雖も同一の恩恵と平康とが二者より一者として流れ出ることは確実である、茲に亦キリスト神性論の側面観がある、信者はイエスの名を※[龠+頁]ぶ者であると云ひ(前節)又恩寵は父なる神より出るが如くに主イエスより来ると云ふ、此イエスは人ではない、神である、拝むべき祈るべき神である。
〇約翰伝一章十七節に曰く「律法はモーセに由りて伝はり(与へられ)恩寵と真理はイエスキリストに由りて来れり」と云ふ、律法は|与へられ〔付○圏点〕、恩寵は|来れり〔付○圏点〕との事である、神はモーセを以て律汝を賜ひしと雖も、恩籠を下さんとするや|其子イエスを以て御自身世に来り給ふたのである〔付○圏点〕、新約の旧約よりも貴く、イエスのモーセよりも優れたる理由は茲に在る、「与へられたり」と「来れり」との差である、救拯の恩寵は単《たゞ》に上よりの命令に由りて与へらるゝものではない、神御自身が人の形体《かたち》を取りて我等の間に現はれ給ひて我等に賜ふものである、|恩寵は与へられしに非ずして来れり〔付○圏点〕と云ふ、「言《ことば》肉体と成りて我等の内に寄《やど》れり」との福音の真理は茲に在るのである。
(231)〇以賽亜書四十亜末節に曰く「ヱホバを|待望む者〔付○圏点〕は新たなる力を得ん、また鷲の如く翼を張りて昇らん、走れども疲れず歩めども倦ざるべし」と、「ヱホバを|待望む者〔付○圏点〕」と云ふ、「彼を信ずる者、」又は「彼の誡を守る者」と云はない、ヱホバを|待望む者〔付○圏点〕、彼の顕はれ臨り給はん事を|待望む者〔付○圏点〕は新たる力を得るのである、再臨の希望は単に希望としては存《のこ》らない、実生活に於ける能力として現はれる、実に希望是れ能力である、希望の無い所に永く続く能力は無い、再臨の希望を懐く者は未来の幸福を望むの切なるより現世の事を省ないと云ふ者は此希望の何たる乎を知らない者である、ヱホバを待望む者は実に新たなる力を得て、走れども疲れず歩めども倦まないのである、彼は常に望んで常に力を加へらる、希望が彼の詩であり歌であり、大なる慰藉であり、大なる能力の泉である、論より証拠である、再臨の信仰の無い所に愛は衰へ熱心は枯れる、キリストの再臨は有るも無きも信仰上何の得失なき事ではない、是れありて新たなる力は加はり、是れ無くして霊的生命の萎靡は免れないのである。
〇約翰伝四亜三二節三三節に曰く「イエス弟子等に曰ひけるは我に汝等の知らざる食物あり……我を遣しゝ者の旨に随ひ其工を成畢る是れ我が糧なり」と、|イエスは此所に霊的事業を為して肉的饑渇を癒し給ふたのである〔付○圏点〕、実に人はパンのみにて生る者に非ず唯神の口より出づるすべての言に因りて生くるのである、伝道はパンを獲るの途ではない、|パン其物である〔付△圏点〕、実に神の道を人に伝へて我霊は言ふに及ばず我肉までが充たさるゝのである、世に幸福なる事多しと雖も福音を説くに勝るの幸福は無い、実に我れ若し福音を説き得ずば禍ひなる哉である、是れ我がパンであり飲料《のみもの》であり生命である、是れなくして我は生きてゐる事は出来ない、是は不信者の知らざる食物である、最も確実なる滋養に富みたる糧である、イエスは伝道を食物となし給ふたのである、故に生命は捐ても伝道を廃ることは出来なかつたのである。
(232)〇詩篇第七十二篇は美しき歌である、然し之を再臨のキリストを讃ふる歌と見て其意味は一層深く味はれるのである、
   彼は苅取《かりとれ》る牧に降る雨の如く
   地を潤す白雨《むらさめ》の如く臨まん
   彼の世に義者は栄え
   平和は月の失るまで豊ならん(六、七節)
 是は如何なる王に就ても曰ふことの出来ない言辞である、永へに生き給ふ王キリストにのみ当嵌る言辞である、而して彼れキリストに就ては文字通りに事実である、彼が世を治め給ふに由りて地に臨む平和は月の失るまで豊である、即ち永久に続き永久に栄ゆる平和である、殊に彼の臨り給ふや、苅取る故に雨の降る如く、白雨の地を潤すが如くであると云ふ、再臨の恩恵的半面を言表して美の極といふべしである。
   彼の名は常に絶ず
   彼の名は日の久しき如く絶ることなし
   人は彼に由りて福祉《さいはひ》を獲ん
   諸の国は彼を福ひなる者と称へん(十七節)
 栄華の極を尽したるイスラエルの王ソロモンも人の子たるに過ぎなかつた、イエスは御自身を指して言ひ給ふた「夫れソロモンより大なる者此にあり」と、神の子にして人にあらざる王……彼の名は文字通りに日の久しきが如く絶ゆることなしである、此詩も亦再臨の信仰を以て読んで其意味は註解を俟ずして明かである。
 
  一九二〇年(大正九年)一月−一二月 六〇歳
 
(235)     I COR.T.30 PARAPHRASED.哥林多前書一章三十節の解訳
                         大正9年1月10日
                         『聖書之研究』234号
                         署名なし
 
     I COR.T.30 PARAPHRASED.
 
 “Of Him,”or rather“by Him,”−by His almighty Will and power,in contradistinction to your feeble efforts and fruitless endeavors,−“are ye in Christ Jesus,”−have you your new spiritual existence in Him,一“Who was made unto us wisdom from God,”−God-given life-philosophy and its realization,which is nothing else than our complete salvation,manifested in three successive stages of righteousness and sanctification and redemption. Christianity condensed into a single verse.All from God;Christ,our wisdom and power;and justification,sanctification and glorification as the blessed result of the conjoint actions of grace on God's part,and faith on man's.Praise God from whom all blessings flow!
 
     哥林多前書一一章三十節の解訳
 
 |汝等は〔ゴシック〕 基督者たるの特権に与りし者は。|神に由りて〔ゴシック〕 汝等の微弱なる努力と空き企図《くはだて》とに由るに非ずして、神(236)の能はざる所なき聖意と権力《ちから》とに由りて。|キリストイエスに在り〔ゴシック〕 彼に在りて新たに造られ、彼に在りて新たに霊的実在を授けらる。|彼は神に立られて汝等の智慧となり給へり〔ゴシック〕 世人に有るが如くに汝等にも亦人生哲学あり、而して彼れイエスは神より汝等に賜はりし人生哲学と其実現である。而して其哲学は|義と聖と贖と〔ゴシック〕の三階段を経て実現せらるゝ吾等の完全なる救拯に他ならず。以上は実に基督教を聖書の一節に縮約せし者である、総の善きものは神に始まりて神より来ると云ひ、キリストは吾等の智慧又権力なりと云ひ、而して神の側《かは》に在りては恩寵、人の側に在りては信仰の、神人共同の行動《はたらき》の祝すべき結果として吾等は初めに義とせられ、次に聖められ、終に栄を賜はると云ふのである、総の恩寵の源なる神を讃美せよである。
 
(237)     〔美術としての人生 他〕
                         大正9年1月10日
                         『聖書之研究』234号
                         署名なし
 
    美術としての人生
 
 美術の種類は一にして足りない、絵画も美術である、彫刻も美術である、音楽も美術である、然し乍ら最大最上の美術は人生である、最も美はしき生涯、それが最大の美術である、義しき、勇ましき、謙遜りたる生涯、何物か之に勝りたる美術あらんやである、而して是れ何人たりと雖も修め得る美術である、西洋の諺に曰く Beautiful is that beautiful does(美を為す事是れ美なり)と、敵を愛する事、人に対して寛大なる事、己に足りて他に求めざる事、是れ道徳である許りでない美術である、而してすべての美術は其修養に刻苦を要すると同時に其結果たるや楽しくあるが如くに、人生の美術も亦行ふに難しと雖も味ふて楽しくある、然りイエスを人生の模型として有つて我等何人もラファエル、ミカエルアンゼロー、ベートーベン以上の美術家たる事が出来る、楽しき哉此一生、我等努めて之を大絵画、大彫刻、大音楽となす事が能る、而して其報酬として無窮き生命に入る事が能る。
 
(238)    神の聖意
 
 自分に都合好き事が神の聖意ではない、大抵の場合に於て神の聖意は自分に都合|悪《あし》き事である、イエスは十字架に釘けられねばならなかつた、是れ彼に取り苦痛の極《きよく》であつた、故に彼は祈て言ひ給ふた「我父よ若し聖意に合はゞ此杯を我より離ち給へ」と、然し乍ら彼に関はる神の聖意の十字架にあるを覚り給ふや、彼は次《つゞ》いて言ひ給ふた「聖意に任せ給へ」と、パウロも亦自から好んで伝道に従事したのではない、「止むを得ざる也」と彼は言ふた、彼は神に強られて止むを得ず福音の使者と成つたのである、ヱレミヤが預言者となりしも然《さう》であつた、モーセが選民の首領となりしも然であつた、皆な止むを得ざるに出たのである、斉しく皆な自分に都合の悪い苦い事であつた、神の聖意は義務の命ずる所に在る、慾の欲する所に無い、「性来《うまれつき》のまゝなる人は神の聖霊《みたま》の情《こと》を受けず」とあるが如し、肉情に由て神の聖意を探る事は能ない、肉情に反く所、之を十字架に釘ける所、其辺に神の聖意はある(哥林多前書二章十四節)。
 
(239)     宗教とは何ぞや
                         大正9年1月10日
                         『聖書之研究』234号
                         署名 内村鑑三
 
  某月某日近県某地に於て為せる講演の大意
 
〇今や宗教は一種の流行物である、誰も彼も宗教に就て語る、内務大臣語り、教育家語り、博士語り、学者語り、学生語る、彼等は社会、国家、個人、尽く宗教無かるべからずと云ふ、然らば彼等自身は孰れの宗教を信ずる耶と問へば、孰れも「今や研究最中なり、確たる信仰あるなし」と答ふ、即ち彼等は自身宗教を信ぜずして社会国家に宗教の必要を説くのである、不真面目も亦甚だしい哉、宗教は自身之を信ぜずして其何たる乎を知る能はず、然るに自から知らざる者を他に勧めんと欲す、彼等の主張に力なきは言ふまでも無い、日本国の政治家学者等の宗教論は大抵斯んな者である、彼等は宗教の賛成家である、其保護者を以て自から任ずる者である、然れども己が罪を悔改めて神に縋りて其赦免を乞ふ誠実と謙遜とがない、我等信者は斯んな政治家等に賛成せられたればとて決して歓ぶべきでない。
〇抑々宗教とは何である乎、神信心ではない、後生願ひではない、宗教とは内務省の統計表に上げる事の出来るやうなる者ではない、政治、経済、宗教と称して、宗教を所謂人事の一と見るからこそ宗教の何たる乎が解らな(240)いのである、宗教とは何ぞ、|宗教とは内的生命である〔付○圏点〕、故に宗教は政治経済と全然性質を異にする者である、此世の人等の為す所の事は大となく小となく、高きとなく低きとなく、総て尽く外的である、名誉である、財産である、肉に関する事、人の評判に関する事である、是れが彼等の生命である、財産を矢ひ、名誉を奪はるれは彼等に生きて居る甲斐が無くなるのである、彼等は肉に於て楽まんと欲するのである、世に向つて威張らんと欲するのである、而して不幸一朝其途を絶たるれば彼等は生存の理由を失ふのである、而して其れは其筈である、彼等に外的生命の外に生命と称すべき者が無いからである、然し乍ら聖書に言へるが如く「人の衷には霊魂の在るあり、全能者の気息《いき》人に聡明《さとり》を与ふ」である(ヨブ記三十章八節)、人には外的生命の外に内的生命がある、肉体の生命の外に霊魂の生命がある、此世の何物を以てしても与ふることの出来ない生命がある、而して是れあるが故に人は特別に貴いのである、財産を奪はれ、名誉を剥がれ、縦し健康を失ひても猶ほ存る者がある、其れが内的生命である、而して其れを給《あた》ふる者が宗教である、故に宗教は此世に在る者であつて此世の属《もの》でない、直に神より人の霊魂に臨む者であつて政府も学府も、然り教会も寺院も与ふる事の出来る者でない。
〇|宗教は内的生命である〔付○圏点〕、此の生命がありて人は初めて自足的自動的の人と成るのである、此の生命なくして人は不平家たらざらんと欲するも能はずである、余の見たる大抵の場合に於て不平的社会主義は此の生命の欠乏に由り起つた者である、此の生命なくして又人の人生観は悲観的ならざるを得ない、彼の外的生命は何時か必ず終熄すべき者である、其点に於て政界財界の幸運児も其終る所は世の最大の不幸児と何の異なる所はない、死である、墓である、塵より出て塵に帰るのである、之を思ふて何人か人生を悲観せざらんと欲するも得んやである、然し乍ら茲に死して死せざる生命がある、而して之を得て人は初めて歓喜満足の人となるのである、内に充足せ(241)ずして外に全世界を己れ一人の有と為すを得ると雖も人は其心に於て満《みつ》る者となる事が出来ない、藤原道長、太閤秀吉、古河市兵衛等の生涯が此事を証明し得て余りあるのである。
〇然らば如何なる宗教が此の内的生命を人に供して間然する所ない乎、世の所謂宗教なるものゝ多数は此の生命とは何の関係なき者である、其れ等は此世の幸福を得るの途にして、政治経済と其目的を同うする者である、世に若し純然たる霊的宗教ありとすれば其れは新約聖書が伝ふる基督教を除いて他に無いのである、キリストの福音に接して人は初めて内的生命の何たる乎を知るのである、キリストは曰ひ給ふた「我は天より降れる生命のパンなり、若し人此のパンを食はゞ窮りなく生くべし」と(約翰伝六章至節)、而して是れすべてキリストを信じ彼の教訓《をしへ》に従ひて歩みし者の実験せし所である、聖書が示す所のイエスキリストを識りて人はすべて内に生くる人と成るのである、彼は己に永生を有し給ふ、故に之を人に与ふる事が出来る、イエスと共に生きて我等は別世界の人と成る事が出来る 宗教の何たる乎はイエスを識らずしては判明らない。
〇然らば単に宗教の必要を唱ふるを止めよ、基督教の賛成家たるは反て之を涜す事である、|進んで己が罪を悔改めて〔付△圏点〕謙下|りてイエスの弟子と成れよ〔付△圏点〕、而して自から内に充ちて歓喜満足の人と成りて然る後に宗教の必要を唱へよ、イエスの弟子たるは大政治家、大学者、大富豪たるに優さるの名誉であり又幸福である、|自身宗教を信ぜざる者は宗教〔付△圏点〕|を語るの〔付◎圏点〕|資格なき者である〔付△圏点〕。
 
(242)     RECONSTRUCTION AND CONVERSION.改造と改心
                         大正9年2月10日
                         『聖書之研究』235号
                         署名なし
 
     RECONSTRUCTION AND CONVERSION.
 
 CHRISTENDOM is speaking much about Reconstruction now-a-days.But Christianity has been preaching Conversion for nineteen hundred years. And Conversionis a deeper term and more fundamental affair than Reconstructin.Where there is Conversion, there is necessarily Reconstruction.And apostate Christendom, forgetting and drifting away from Christianity,is clamourlng for Reconstruction,Which is nothing but shallow and superficial form of Conversion.Asin times of old,these so-called Christian nations have forsaken the fountain of living waters,and in name of political economy and world-politics,are hewlng out cisterns,broken cisterns that can hold no water.But we will not imitate them, ――these so-called Christian nations,――and will persist in preaching Conversion and not Reconstruction,as did the holy founders of Christianity.――Jer.U.13.
 
     改造と改心
 
(243) 今や基督教国は|改造〔付○圏点〕を叫びつゝある、然し乍ら基督教は今日に至るまで千九百年の間改心を唱へて来た、而して改心は改造よりも意味深長の語であつて又遙かに根本的の事柄である、改心の起る所には必然的に改造が行はれる、而して堕落せる基督教国は基督教を忘れ之より離れて囂々として改造を要求しつゝある、改造何者ぞ、改心の外に現はれたる現像《かたち》に過ぎざるにあらずや、今も昔も異なることなく、所謂基督教国は活《いけ》る水の源を棄て、経済または世界政治の名の下に自から水溜《みづため》を堀りつゝある、即ち水を保たざる壊《やぶ》れたる水溜を穿ちつゝある(耶利米亜記二章十三節) 然れども我等日本の基督者は是等西洋の基督教徒等に傚《ならは》ぬであらう、我等は改心を説いて改造を唱へぬであらう、我等は基督教の建設者なる初代の聖使徒等に傚ひて旧き単純なる福音を固守し、社会改良世界改造を叫ばずしてキリストと彼の十字架とを説くであらう。
 
(244)     〔余輩の立場 他〕
                         大正9年2月10日
                         『聖書之研究』235号
                         署名なし
 
    余輩の立場
 
 余輩は帝国主義者でない、又は平民主義者でない、余輩は基督者《クリスチヤン》であつて基督主義者である、故に余輩は墺のスタイン、独のトライチユケーに従ひて帝国主義又は軍国主義を唱へなかつた、其如く今日マルクス又はクロポトキンに従ひて社会主義又は共産主義を唱へない、スタイン何者ぞ、トライチユケー何者ぞ、マルクス何者ぞ、クロポトキン何者ぞ、然りウイルソン何者ぞ、ロイド・ジヨージ何者ぞ、彼等はパウロの所謂「此世の論者」である、イザヤの所謂「鼻より息の出入する人」である、彼等に由りて世界の改まらない事は聖書の明白に示す所である、世界は人に由て改まらない、経済学者又は政治家又は軍人に由て改まらない、世界の改造は神御自身に由て行はる、彼が予め定め給ひし彼の独子にして真の代表者なる主イエスキリストに由て行はる、彼は万物を自己《おのれ》に服せ得る其大能に由り実に誠に世界を改造し給ふ、造物主のみ能く世界を改造することが出来る、自身をすら改むること能はざる者が全人類惣掛りとなりたればとて世界を改造することは出来ない、世界は帝国主義に由て救はれざりしが如くに平民主義《デモクラシー》に由て救はれない、独佚に由て救はれざりしが如くに米国に由て救はれない、(245)独逸皇帝《カイゼル》に頼りし者の恥を取りしが如くに米国大統領に望を繋ぎし者は失敗する、聖書の語に誤謬なき以上、世界と人類とは学者の学説や政治家の政策等に由て改造されない、基督教は民主々義ではない、二者を同視する者は未だ二者孰れをも知らざる者である、民主々義が其発達の極に達する時に基督教の真理が実現して世界は黄金時代に入るべしとは聖書の何処にも記《かい》てない、其反対に民主々義完成の時は此世の終末であると記てある、此事を忘れて基督教会の名を以て民主々義の勝利を祝し、世界の改造近きを唱ふる米国基督信者等の異端堕落は憤りて猶ほ余りありである、余輩は民主々義を斥けて今に至りて忠君愛国を衒ふのではない、|此世のすべての主義〔付○圏点〕を排して余輩の立場を明かにするのである。
 
    基督教と幸福
 
 人生の目的は幸福を獲るにある、基督教は幸福を与へる、故に基督教は良き宗教であると、斯の如くに基督教を伝ふる宣教師がある、又斯の如くに之を信ずる信者がある、然し乍ら事実は全く彼等の唱道と相反し、為めに彼等が失望し又棄数する場合が尠くない、基督教は幸福を与へない、多くの場合に於ては反て之を破壊する、キリストは決して彼の弟子等に幸福を約束し給はなかつた、「イエス其弟子に曰ひ給ひけるは若し我に従はんと欲する者は己を棄て其十字架を負ひて我に従へ」と(馬太伝十六章二四)、又「地に泰平《おだやか》を出さん為に我れ来れりと意ふ勿れ、泰平を出さんとに非ず、刃を出さん為に来れり……我よりも父母を愛する者は我に協はざる者なり、我よりも子女を愛する者は我に協はざる者なり、その十字架を取りて我に従はざる者も我に協はざる者なり」と(同十章三四節以下) 是れイエスが彼を信ずるの条件として其弟子等に要求し給ひし所である、真の信仰に患難(246)は伴ふ、幸福は随はない、是れ聖書の明に示す所であつて、真にイエスに従ひし者のすべて実験せし所である、実に人生の目的は幸福を獲るに非ず、神を識るにある、幸福は有るも可なり、無くも可なり、然れども神は識らざる可らずである、神さへ識るを得ば幸福の有無は意とするに足りない、而して真実の幸福は神を識るにある、神を識りて不幸も幸福である、彼を識らずして幸福も不幸である、我等はイエスキリストの御父なる真の神を識るを得て人世を超越して其幸不幸を意に介せざるに至る、祈る神我と偕に在して我身は最大不幸の裡に在りて我霊は最大幸福を楽まんことを、祈る我れ信仰に由りて此世の幸福に全然無頓着なる者とならん事を、信者は信仰を語るべきものであつて幸福を談ずべき者でない、「貪婪る事(幸福を欲求する事)に就ては互に語ることさへ為す勿れ」とは使徒パウロの訓誡《をしへ》である(以弗所書五章三節)、基督信者として欲を語る事、他人の幸福を羨む事、自己の不幸を歎つ事はすべて恥辱である、求むべきは神である、彼を示されて我は最大幸福を獲たのである。
 
    宗教の二種
 
 宗教に二種ある、二種以上はない、行為本位の宗教と信仰本位の宗教と是である、仏教は素々行為本位の宗教である、基督教は本来信仰本位の宗教である、然し乍ら同じ仏教の内にも禅宗の如くに鈍行為の宗教があるに対して真宗の如くに純信仰の宗教がある、而して又基督教に在りては羅馬天主教は行為本位の宗教であるに対して新教《プロテスタント》は信仰本位の宗教である、而して又同じ新教の内にもユニテリヤン教の如き純行為の宗教があるに対してカルビン教の如き純信仰の宗教がある、縦し又行為本位とまで行かざるもメソヂスト教の如くに行為重心の宗教があるに対して信仰本位と称すべからざるもツウイングリ教の如くに信仰重心の宗教がある、行為本位か信仰(247)本位か、行為に傾くか、信仰に傾むくか、行為を目的とするか、信仰を目的とするか、宗教多しと雖も其種類は以上の二種に過ぎない、而して余輩は二種何れの宗教を信ずる者なるかといふに、言ふまでもなく信仰本位の宗教を信ずる者である、余輩は本来信仰本位の基督教を信じ、信仰を以て起りしルーテル、カルビンの新教を信じ、而して又ユニテリヤン教に対し、英国々教に対し、英国々教の一派として起りしメソヂスト教に対し、欧洲に於てはガウソン、ゴーデー等に由て唱へられ、米国に於ては特にジヨナサン・エドワードに由て主張せられし信仰中心の宗教を信ずる者である 斯く言ひて余輩は真と善とは悉く余輩の側にありて偽と悪とは悉く行為本位の宗教に在るとは言はない、両者各長短得失がある、而して両者は愛を以て相互の短所を補ふべきである、然し乍ら余輩の傾向の全然信仰的なるは明白である、余輩は長い祈祷の必要を感じない、祈祷は一言にして足ると信ずる、余輩は奇跡の余輩の身に於て現れる事を求めない、イエスを信じ得し事を最大の奇跡と認める、余輩は熱信其物にさへ信用を置かない、余輩は唯十字架を仰ぎ瞻るを以て満足する、余輩の信仰はマルタ教に非ずしてマリヤ教である、主の足下に坐して其所に至大の平安を感得する者である(路加伝十章四二節)。
 
(248)     罪の赦し
         (十二月七日)
                    大正9年2月10日
                    『聖書之研究』235号
                    書名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 如何にして我が罪を処分せん乎、如何にして神と義しき関係に入らん乎、人生之に勝るの問題はない、老若男女を問はず何人に取りても其の生涯の根本問題は之である、此の問題の解決したる時人生問題が解決したのであると言ふ事が出来る、而して神は我等に律法を与へて我等をして罪の感覚を起さしむると共に亦罪の処分せらるべき方法をも提供し給うたのである、之を示すものは即ち利未記である、言ふこと勿れ旧約聖書は神の義を説いて罪の赦しを教へずと、罪の罪たるを我等に教ふる旧約聖書其ものが同時にまた罪の如何にして除かるべきかを訓ふるのである、福音は新約にあり又旧約にある、詩篇中の多くの詩は蜜に此ぶるも蜂の巣の滴りに此ぶるもいやまさりて甘き神の愛を伝へ、利未記は明白に罪の贖はるゝ途を予示する、然のみならず之を利未記に就て見れば|罪の贖ひに関する教訓は先にして〔付○圏点〕(初の五章)|罪其のものゝ指摘は後である〔付○圏点〕、先づ贖罪の途の備へらるゝありて然る後に罪の詰責がある、先づイエスキリストの十字架の立てらるゝありて然る後に罪の自覚を促さる、先づ完全なる医療の方法の設けらるゝありて然る後に疾病の摘発がある、之れ誠に恩恵の途である、我等はキリストの福音に接して初めて明確なる罪の観念を起すのである、若し然らずして救贖の途の備へられざるに先だち罪の感(249)覚を起されん乎、蓋し其の苦しみに堪ふる能はないであらう、故に律法《おきて》も亦罪の観念に添へて贖罪の方法を我等に提供するのである。
 「血を流す事あらざれば赦さるゝ事なし」と言ふ(ヘブル書九の二二)、|我等の犯したる罪の赦されんが為には必ず或者の血を流さざるべからず〔付○圏点〕とは利未記第一章の教ふる所である、何故に血を流すに非ざれば罪は赦されないのである乎、何故に神は我等より|血〔付△圏点〕を要求し給ふのである乎、罪は凡て之を悔改むるに由て赦さるべきではない乎、然るに神は我等の罪を犯したる時特に|血〔付△圏点〕を以て其代価を払ふ迄之を赦し給はずとは余りに残酷である 無慈悲である、之れ人間すら要求せざる事を神が要求するのである、我等はかゝる血を以て塗れたる福音を信ずる事が出来ないと、現代人殊に現代の基督者の多数が斯く主張するのである、然しながら先づ第一に注意すべきは|古来罪に関して最も深き経験を嘗めたる人は皆自己の悔改のみを以て足れりとせず、何人か我が為に我が恐るべき罪の凡てを荷ひ自ら血を流して我が為に苦しむありて而して彼と我とが特別の関係に入りし時に初めて我は罪の重荷より脱したのであるとの感を抱きし事である〔付○圏点〕、律法の厳粛なる権威を認め罪の罪たるを知りし者に取て、罪は実に堪へがたき重荷である、彼は昼も夜も神の前に立つ能はざるの苦みを感じ如何にもして之が説明を得んと欲して彼方に走り此方に奔る、而も何人も彼の為に之を解く能はず、医師は之を内臓の疾患に帰し教師は之を精神状態の変調と呼ぶ、然れども誰か知らん、此時彼の霊魂の根本問題が起つたのである、此問題を解決せずして彼は最早や生くる事が出来ないのである、而して既に同じ経験を握りし者より暗示を与へられて、|自己の胸中の苦悶のみを見詰むるを廃め仰いでイエスキリストの十字架を見し時に、重き荷物は彼の肩より落ちて人のすべて思ふ処に過ぐる平安が彼の心に臨んだのである〔付○圏点〕、ルーテル然りバンヤン然りクロムエル然り、神は何故に|血〔付△圏点〕を(250)要求し給ふ乎を知らず、然しながらイエスキリストが我が為に|血〔付△圏点〕を流したるに由て我が罪赦されたりとは心霊の深き実験である。
 更に問題とすべきは|罪は果して自ら之を悔改め得る乎〔付○圏点〕否かにある、我が過去に於て犯したる罪を回顧して痛悔の念を起す事は或は可能であらう、然し其故に今より後全く新しき生涯に入らんと欲するも能はない、|悔ゆるは可能である、改むるは不可能である〔付○圏点〕、我等の罪を一掃して新なる聖き生涯に入らんが為めには必ずや特別の力を要する、神の奇跡的助力なくして我が生涯を一新せんとする十分なる希望と確信とを抱く事は出来ない、然らば神は何を以て我等に此希望と確信とを抱かしめ給ふ乎、或人は曰ふ「天来の思想ありて我は神の限なく我等を憫み給ふを知り勃々たる勇気の心に充つるを感ず」と、然しながら|神の愛は〔付○圏点〕|思想〔付◎圏点〕|たるに止まらずして〔付○圏点〕|事実〔付◎圏点〕|たるを要する〔付○圏点〕、歴史的事実に基かざる神の愛の観念は我等をして新なる生涯に入らしむるに足りない、キリストの十字架を以て一箇の象徴《しるし》又は説明たるに過ぎずと称する人をして試みに路傍伝道を行はしめよ、集ひ来る労働者又は婦人老人等の心を動かすべき有力なる言語が果して彼の口より発せらるゝであらう乎、|十字架は象徴に非ずして事実である〔付△圏点〕、神の独子イエスキリスト我が罪を負ふて十字架の上に血を流し給へるは疑ふべからざる歴史的事実である、而して此絶大なる事実を認めて之を信ずる時に初めて真の悔改は我心に起り旧き罪を悉く棄て去りて理想に適ふ新しき生活を実行せんとする満々たる希望と確信とに溢るゝに至るのである、其説明は何人も之を提供する事が出来ない、恰も水は何故に透明なる流動体なる乎何人も之を説明する能はざるが如くである、然しながら説明の如何に拘らず事実は何よりも確かである、キリストの十字架が我等の罪を贖ふのである、十字架に由て深刻なる罪の自覚を生じ十字架に由て真正なる悔改を生じ十字架に由て真の歓喜と希望とを生ずる、キリス(251)ト十字架に上りて我等の為に其貴き血を流し給ひし事が我等凡ての救と成つたのである、之はこれ事実中の最大事実である。
 或は此福音を評して余りに血腥しと言ふ、然れども如何せん此事実を措きて何処にも神の愛を証明するもの無きを、或人田舎伝道を試みて神の愛を語り而も十字架を以て一種の象徴に過ぎずと説き去りし時聴衆の一人問うて曰く「然らば神御自身は人の罪の為に何の努力をも為し給はざりし乎」と、誠に愛は思想的ならずして事実的なるを要する、貧窮に苦しむ者の前に富者の口頭の同情は何の慰藉にも値しない、唯何人か来りて自己の額《ひたへ》に汗して獲たる金を捐てゝ彼の負債を償却する者ありて、彼れ貧者の胸中初めて言ひ難き感謝は湧き起るのである、近頃東京の郊外に於て河中に転落したる一生徒を救はんと欲して却て自ら溺死したる小学教師某氏の行動により全国の人心の動かされたる所以は何である乎、一に彼の同情が自己の生命を惜まざる事実的のものなりしが故ではない乎、宇宙万物の造主なる神の心には我等の見るを得ざる宏大無辺の愛がある、而して神は驚くべき方法に由り此愛を実現し給うたのである、即ち神は律法に照して人の罪を問はざるべからず、然れどもまた彼を救はざるべからず、茲に於て神自ら我等の為に十字架上の死を負ひ給うたのである、斯の如き絶大なる愛の音信《おとづれ》を聞いて我等罪人の心の奥底に大喜悦大満足を感ぜざるを得ない、一度び罪の観念に醒めたる者に取ては之より他に往くべき途は何処にも無いのである。
 人誰か罪の貴任より脱るゝ事を得ん、神の律法は儼然として犯すべからず、之を犯したるの罪は何時か其刑罰を受けなければならない、「凡て故なくして其兄弟を怒る者は審判に与らん」とある、兄弟を悪みし者は殺人に相当する審判を脱るゝ事が出来ない、若し今日尚ほ罪を感ぜずと言ふ乎、然らば|或時〔付○圏点〕全宇宙が動きて之を感ぜしむ(252)るであらう、最後の審判に類する恐るべき世界的出来事が我等に迫るであらう、又或時我等は唯一人神の前に引出さるゝであらう、而して大なる罪の責任を問はるゝであらう、其時我等を救ふ者は果して何である乎、如何なる方便又は説明を以てするも此責任より逃るゝ事は出来ない、進化論を提出して人は本来弱き者なるが故に罪を犯したるは已むを得ざるに出づと言ふも何の弁解とも成らないのである、然しながら|茲に唯一の逃れ途がある、神自ら我等に加ふべき刑罰を負ひて之を信ずる者の罪を赦し給ふとの事実即ち之れである〔付○圏点〕、古きイスラエルの場合に於て完き獣を神の殿の前に献げ其|首《かしら》に手を按《お》きて罪を告白し而して自己に代へて之を屠り壇の上に焼きて燔祭と為したるは即ち此犠牲を表象するものであつた、而して終に此祭事に由て表象せられし|事実〔付△圏点〕が我等に与へられたのである、神自ら選び給ひし罪なき羔を我等の為に提供し給うたのである、故に我等此羔の首に手を按きて己が罪を悔改め「エリ、エリ、ラマサバクタニ」の苦みは正《まさ》しく我等自身の受くべきものなるを認むる時神は此羔の苦しみの故に由りて我等の罪を赦し我等を子として扱ひ給ふのである、罪の赦しは唯此処にあるのみ、而して之れ素より実験の問題にして哲学的に之を説明する事は出来ない、然しながら最も確実なる実験である、此実験に由て人の新しき生命は始まるのである、余自身の感謝の生涯の出発点も亦此処にあつたのである。
 今より七八十年前米国アマスト大学に一人の青年があつた、彼は有名なる勉強嫌ひにして常に級中の殿を務めた、級の変る毎に彼も亦多くの学生と同じく古き書籍を後輩に売り渡したるが彼の広告文には多く uncut(紙を切らざる儘)と附記せられたる者があつた、彼の好む所はたゞ銃猟であつた、之が為に其父を歎かしむる事少くなかつた、或る秋の日彼は例によりて銃を荷ひ南に向つて小丘を降り実はしきフレッシュメン川の畔を歩んだ、其時彼の胸中「罪」の問題の苦みがあつた、此罪を如何せん、此重荷を如何にして卸さんと、之れ彼の煩悶であつ(253)た、然るに忽ち約翰伝の一節の彼の耳に響くものがあつた、曰く「それ神はその生み給へる独子を賜ふほどに世の人を愛し給へり、こは凡て彼を信ずる者に亡ぶる事なくして、永生《かぎりなきいのち》を受けしめんが為なり」と、彼は喜びの余り河畔の枯草の上にひれ伏して叫んだ「主よ感謝す、我が心中の苦悶は遂に取去られたり」と、斯くして彼の世界を動かすべき生涯が始まつたのである、此の青年こそは米国を四年間の内乱より救ひ出せし者はグラント将軍か彼かと謳はれし|ヘンリー・ワード・ビーチヤー〔ゴシック〕其人であつた、而して独り彼のみではない、すべて罪の赦しは神の独子キリストの贖ひを認めて初めて来るのである、然らずして他の如何なる方法を以てするも之を解決することは絶対に不可能である、今や社会に多くの問題がある、経済問題あり労働問題あり思想問題がある、然しながら其何れを以てするも罪の問題を駆逐する事は出来ない、罪は依然として執拗に我等を追ひ来る、死に至る迄我等を追ひ来りて離れない、|唯イエスキリストの十字架上の苦みを我が為めの贖ひと認めて之を信ずる時にのみ罪の苦悶は悉く取除かれて限なき歓喜と感謝とが我等の心に臨むのである〔付△圏点〕、何故に然る乎、其理由は余りに深遠にして之を説明するに困難である、然るにも拘らず実験は其事の真理を証明するのである、罪の問題に就て苦まざる此世の哲学者又は社会改良家は之を否定するであらう、然しながらビーチヤーと共に罪に関する深刻なる苦悶を経験したる者は何人も十字架上のキリストを仰いで「ハレルヤ、アーメン」の声を挙げざるを得ないのである、凡ての真正なる基督者は皆其実験を以て之が証明を提供するのである。
 
(254)     完全なる救拯
         (十二月十四日)
                    大正9年2月10日
                    『聖書之研究』235号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 律法は人をして罪を覚らしむ、人は律法に迫られて罪なき生涯を送らなければならない、然しながら人の努力を以て律法に従はんとするは全然失敗である、パウロ之を言ひルーテル之を言ひアウガスチン亦之を言ふ、独り彼等のみならず基督教の友と称する能はざるルソーの如きも亦同じ告白を為さゞるを得なかつたのである、茲に至て我等は律法を無意義として棄つる乎、然らずんば之を実行し得べき途を何処かに発見しなければならない、而して此困難なる問題に対して与へらるゝ唯一の解釈がある、そは哲学又は数学の解釈の如く論理を以て説明を下すに非ず、我等の霊魂の深き処に訴へて我等の良心を満足せしむる解釈である、何ぞや、曰く|神の子にして罪なきイエスキリストが我等の受くべき刑罰を我等に代つて自ら受け給へりとの事実即ち之れである〔付○圏点〕、之に由て初めて罪の赦しを実験し我等の心に大なる歓喜が臨み全く新しき生涯を開始するのである、事は自己の努力に由るに非ず、宇宙万物を造り且之を支配する神の力に由るのである、聖書は明白に之を教へ多くの基督者《クリスチヤン》は其実験を以て之を証明する、之は誠に実験の上に立つ真理である、人或は此真理を嘲りて古き古き福音なりと言ふであらう、然し新しきものが必ずしも貴いのではない、我等を救ひ我等の霊魂を委ぬるに足る所の真理は却て数千年(255)の久しき間夥多の人の実験したる真理でなくてはならない、且又真理は古しと雖も之を実験する者に取ては常に新しき教訓たるを失はないのである、徒らに新しきをのみ求むる者は今日続々として輸入せらるゝ安価なる哲学に赴くべしである、余輩はパウロと共に「キリストと其十字架に釘けられし事の外何をも知るまじと心を決め」たのである。
 罪の赦しはキリストの十字架に於てある、然しながら十字架は我等をして此処に止まらしめない、十字架に由て罪は赦されて而して事は終つたのではない、然らば|十字架の福音は我等を何処に迄運び往くのである乎〔付○圏点〕、此事に関して新旧約聖書の教ふる所は終始一貫せる大なる真理である、凡て真理は天然の法則たると霊界の法則たるとを問はず其原理は簡単にして其応用は宏大である、十字架の真理も亦甚だ簡単なりと雖も之を応用して基督的生活に関する深くして多方面なる真理を発生するのである、今若し十字架の福音が基督者《クリスチヤン》を伴うて何処に迄至る乎を知らんと欲せば|哥林多前書一痾三十節〔付○圏点〕を選ぶに如かず、学者が深き研究の結果|此短き一節中に基督教の福音の全部が包含せらるゝ〔付○圏点〕事を認めたのである、曰く「汝等は神に由てキリストイエスに在り、イエスは神に立てられて汝等の智慧と成り給へり、即ち汝等の義また聖《きよめ》また贖と成り給へり」と、是は|信仰を神の方面より説きたる〔付○圏点〕完全なる言である、此一節に合せて|信仰を人の方面より説きたる〔付○圏点〕羅馬書一痾十七節を読まん乎、基督者の信仰生活の両面を尽し福音の真理を網羅したるものと言ふ事が出来る、哥林多前書一章三十節と羅馬書一章十七節、此両書翰の此の初の二節に聖書全体の真理が籠つて居るのである、凡て最初の数言を以て先づ全体の思想を道破するは大文学の特徴である、創世記一章一節に新旧約全部を包含する教訓あり、馬太伝一章一節に新約全部を総括する真理あるが如くである、而して前掲の二節を補ふに羅馬書三章二十六節、同八章三十節、及びピリピ書二章(256)十三節等を以てせば其解釈は一層明瞭を加ふるであらう。
 聖書は或時は其全体を以て或時は其中の一章又は一節を以て之を講究すべきである、世界の植物を学ぶに或は全植物界を以てし或は南天の一枝を以てする事が出来る、宇宙を学ぶに或は億万里外の星を以てし或は顕微鏡を以てするも見る能はざるが如き微小なる分子中の電子と其運動とを以てする事が出来る、彼所に大宇宙あり此所に小宇宙あり、斯の如く宇宙の何れの一部を以てするも全宇宙を説明する事を得るは即ち宇宙の完全なる所以である、凡て神の造り給ひし完全なる組織体に非ずんば斯の如くなるを得ない、|聖書が或は新旧約の全体を以て或は馬太伝の一章を以て又は或る一節を以て均しく其福音の全部を説明する事を得るは即ち聖書が神の真理ならざるべからざる何よりの証拠である〔付○圏点〕、聖書中の何れの一節も之を取て神とキリストと義と聖と贖とに就て語る事が出来る、就中最も明瞭にして綜合的なるは哥林多前書一章三十節である。
 曰ふ「汝等は禅に由て云々」と、我等の基督者となりしは我が研究の結果に由るに非ず我が決心に由るに非ず、神に由てゞある、神の力に由てゞある、神の力が上より降りて我等をして基督者たらしめたのである、即ち|我等の今在る所の状態は神より出でたのである〔付○圏点〕、此所に用ゐられたる希臘語の ek は力の本源を示す語である、我等の罪を悔改むるに至りし其心が素々神の起し給ひしものであるといふ、之れ福音の普通道徳と異なる所以である、普通道徳はいふ「発奮せよ努力せよ」と、然しながら福音は曰ふ「汝等は神に由てキリストイエスに在り」と。「キリストイエスに在り」「在り」の一言に深遠なる意義がある、之れ日本語の到底言ひ表はし得ざる所である、日本語は感情を露はすに適して深き哲学的又は宗教的真理を陳ぶるに適しない、我国の文学詩歌の優なるものは皆感情の方面に於て在る、之に反し希臘原語を以て「汝等はキリストイエスに|在り〔付○圏点〕」といふ、其意味無量である、(257)「在り」とは|住み込む〔付○圏点〕の意である、恰も我等の地球上に住みて其の空気を吸ひ其の凡ての感化力に与るが如く基督者はイエスキリストに其身を托し彼の中に住み込み彼に在りて生き彼に在りて動き彼に在りて存在を保つの意である、|基督者は其存在を此世より脱してキリストなる霊的空気の中に移したのである〔付○圏点〕、彼の呼吸、彼の心的状態、然り彼の全存在がイエスキリストの中に在る、之れ決して解すべからざる秘密ではない、凡ての基督者の明確なる実験である、千九百年前のコリントの信者に向てパウロは言うたのである、曰く「汝等は汝等の存在をキリストの中に於て有す、而して其の茲に至りしは汝等自ら選びしに非ず、神の力に由るなり、神より運動始まりて汝等をしてキリストの中に住み込ましめたるなり」と。
 然らば基督者が其中に自己の存在を有する所のイエスキリストとは如何なる者である乎、答へて曰く「イエスは神に立てられて汝等の智慧と成り給へり、即ち汝等の義また聖また贖と成り給へり」と、茲に「智慧」の語を用ゐたるは当時コリントの識者等の切りに人生哲学を論議したるが故である、其原語 Sophia は「智慧」よりも寧ろ之を「哲学」と訳せば一層適切である、パウロは人生哲学を云為する此世の識者等に答へて曰うたのである「汝等に人生哲学ある乎、我等基督者にも亦之がある、基督者に哲学なし、福音は迷信なりと言ふ事勿れ、|イエスキリストこそは神に立てられて我等基督者の人生哲学と成り給うたのである〔付○圏点〕」と、而して彼は更に其の如何なる哲学なる乎を説明して「彼は我等の義なり聖なり贖なり」と言うたのである、之を聞いて哲学者等は笑うたであらう、彼等の哲学は自己の問題に関する事少く主として宇宙の問題社会の問題である、然しながら地球を解せずして天体を究むる能はず、宇宙の一部にして人類の一人たる「我」を知らずして哲学を語る事は出来ない、真正なる人生哲学の出発点は「我」に在る、而して「万物彼に由て造られ又彼に由て保つ事を得る」所の彼れイエ(258)スキリストが我等各自の義となり聖となり贖となり給うたのである、大なる宇宙と小なる我、其統一はキリストに於て在る、「頭上には輝く列星、心中には道徳の法則」と哲学者カントは曰つた、|我は宇宙の一部にして又其中心である、我自身の義たり聖たり贖たるキリスト、我が人生哲学たるキリストが同時に又宇宙の中心たるが故である、キリストと我との関係、此処に健全なる道徳の基礎がある、又真正なる哲学の出発点がある〔付○圏点〕。
 キリストは我等の|義〔付△圏点〕と成り給へりといふ、聖書に於て義とは広き意義を有する語である、之を一言にして曰へば|神と我との義しき関係〔付○圏点〕を称して義といふ、我等は皆神に背きし罪人である、故に律法を与へられて其実行を命ぜらるゝも之に従ふ事が出来ない、背ける者が先づ其罪を悔改めて父の許に立ち帰らなければならない、|罪人が神を父と仰ぎて其子たるの関係に入る事、万物の造主にして我等の父たる神と親しき接触に入る事〔付○圏点〕、此事を呼んで「義とせらる」といふ、而して義とせらるゝは|救拯の第一歩〔付○圏点〕である、先づ神が子として我を扱ひ給ふ所の態度に出でずして基督者の生活は始まらない、基督者の生活は学者の研究と同じく久しきに亘る日々の進歩である、然しながら其前に当りて踏み出すべき第一歩がある、恰も病者の健康に向はんが為には先づ熱より離れざるべからざるが如くである、熱より離れて直に健康を快復するに非ずと雖も健全に向ふの第一歩は此処にある、今に至る迄神の敵たりし者を今より後子として扱ひ給ふ事、神と義しき関係に入る事、即ち神に義とせらるゝ事、之れ我等の救拯の第一歩である、然らば如何にして義とせらるゝ乎、自己の道徳又は努力に由る乎、否唯だ主イエスキリストの十字架を仰ぐに由てゞある、我等の罪を荷ひし彼を信ずるに由てゞある、彼の義を我が義と認むるに由てゞある、故に曰ふ「イエスは汝等の|義〔付○圏点〕と成り給へり」と。
 神に義とせらるゝは罪人に取て最大の歓喜である感謝である、其の堪へ難かりし罪の苦悶を取去られて彼の心(259)は躍らざるを得ないのである、故に多くの基督者は此恩恵に重きを置くの余りまた他に及ぶの遑なくして基督教の救拯茲に尽きたりと做す、ルーテル主義又はカルビン神学の欠点は此処にあると言ふ事が出来る 然しながらイエスキリストは唯に我等の義と成り給へるのみならず又我等の|聖〔付△圏点〕と成り給うたのである、義とせられたる後に聖めらるゝの必要がある、病気の止められたる後に健康の恢復せしめらるゝ必要がある、|罪と絶縁したる後に新しき徳の力の我が衷に注入せらるゝ必要がある〔付○圏点〕、若し此事なからん乎、救はれたる者が真に基督者たるの実を挙ぐる事が出来ない、基督者と成りて尚ほ兄弟に対する悪評を其口に絶たざるが如き其一例である、之を一言すれば愛が成長しないのである、聖められざる基督者は愛なき消極的基督者として終る、聖書に所謂聖は単に罪より離るゝの意義ではない、|キリストに在る凡ての美はしき性質を我が〔付○圏点〕有|たらしむる事、殊に彼が我等を愛したるその深くして温き愛を我が愛たらしむる事〔付○圏点〕、之れが聖めである、故に此聖めに与りて、我等は悪に対しては恰も汚物に対するが如く努力に由らずして自《おのづか》ら之を回避し、善に対しては義務としてに非ず習慣性として卒先して之を実行するに至る、而して聖書の教ふる所によれば此点に於ても亦イエスキリスト彼自身が我等の聖であるといふ、彼に由て罪より洗はれ又彼に由て徳に進む、病根の除去もキリストの力である、健康の注入も亦キリストの力である、或は曰ふ「我等の義とせらるゝはキリストの力に由る、然れども聖めは我等自ら之を努めざるべからず」と、然しパウロの説く所は之と異なる、義とする者はキリストにして|聖むる者も亦キリストである〔付○圏点〕、我が義は何処ぞ、十字架上のキリストに在る、我が聖は何処ぞ、均しく十字架上のキリストに在るのである。
 我等の義にして又聖たるイエスキリストは更に我等の贖と成り給へりと言ふ、贖或は之を義と同じ意味に於て用ゐる、例へば醜業婦を魔窟より引出すが如く罪の奴隷たる者を解放して神の子たるの義しき関係に入らしむる(260)は贖である、然しながら之を義及び聖と並立せしむる時贖は|救〔付△圏点〕である、即ち|神が〔付○圏点〕原始《はじめ》|に人類を斯く為さんと欲し給ひし其状態に取戻す事である、人類が最初にエデンの園にありし時の状態に之を取戻して而して限なき生命を之に賦与する事である〔付○圏点〕、我等は十字架上のキリストを仰ぎて義とせられ又聖霊を受けてキリストの聖き状態に与らしめられなば以て足ると思ふ、然しながら神は之を以て満足し給はない、彼の我等に対する愛は我等の思を距るの遠き事東の西に於けるが如くである、彼は唯に我等を義とし聖とするのみならず更に進んで其結果を与へんと欲し給ふ、|彼は我等をして〔付○圏点〕真《まこと》|に彼の子たるに適はしき者たらしめんが為め我等の朽つべき身体をも朽ちざるものたらしめ而して其子の為に造り給ひし大宇宙を我等彼の子たる者の正当なる所有物として之を賦与せんと欲し給ふ〔付○圏点〕のである、此絶大なる恩恵を称して贖といふ、神は我等を此処まで携へ往かずんば已み給はない、而して此処に於ても亦キリストが我等の贖である、彼れ再び来つて死を亡ぼし我等をして新天新地に於て永遠|窮《かぎり》なき栄光に与らしめ給ふのである、救拯の事を以て我等各自の心中の問題又は家庭若くは社会の問題に於て尽きたりと為すは余りに低き観念である、親の心子知らずといふ、子は親の財産中此物彼物を獲んと欲し而して之を与へられて満足すると雖も親は然らず、其全財産を悉く子に譲らん事が彼の願である、神は我等に譲るに神相応のものを以てせんと欲し給ふ、即ち|天地万物が彼の〔付○圏点〕嗣業《ゆづりもの》|である、神はキリストに由て我等を此恩恵に与らしめ給ふのである〔付○圏点〕。
 然らば此絶大なる恩恵に対して|神の我等より要求し給ふ所は何である乎〔付○圏点〕、答へて曰く唯一のみ、即ち我等の|信仰〔付△圏点〕である、「神の義は之に現はれて信仰より信仰に至れり、録して義人は信仰に由て生くべしとあるが如し」(ロマ書一の十七)、神は我等を義として信仰より信仰に至らしむ、唯之のみである、如何にして義とせらるゝ乎、十字(261)架を仰ぎてキリストを信ずるに由てゞある、如何にして聖めらるゝ乎、キリストを信じて其霊に導かるゝに由てゞある、如何にして贖はるゝ乎、キリストを信じて其再臨を待つに由てゞある、徹頭徹尾信仰である、|信仰に始まりて信仰に終る〔付△圏点〕、之れ神の基督者より要求し給ふ所の|唯一の態度唯一の条件〔付○圏点〕である、此点に於て基督教の福音に法然親鸞の教と酷似する所がある、彼等が我国を救ひしは其信仰本位の単純なる福音に由てゞあつた、基督教の救拯も亦然り、義とは何ぞ、十字架のキリストである、聖とは何ぞ、昇天のキリストである、贖とは何ぞ、再臨のキリストである、神はキリストに在て我等を義とし彼に在て我等を聖め彼に在て我等に栄光を被《き》せ給ふ、之に応ずべき我等の態度は唯信|、信、信〔付○圏点〕である、神の立て給ひし主イエスキリストを信じて終まで之を信ずる事である、信仰また信仰、救はれて信じ失敗して又信ず、茲に我等の取るべき唯一の途がある、之れ既に幾千万人の実験したる所にして千九百年間の基督者の異口同音に「アーメン」を叫ぶ所である、信じて義とせられ信じて聖められ信じて贖はる、故に無益の努力を費すを已めよ、唯眼を挙げてキリストに注ぎ彼の再び来り給ふ迄信仰を継続せよ、然らば終に贖はるゝであらう、|キリストに在ての義、聖、贖と之に対する唯一の信仰、福音の全部は之を以て尽きて居る〔付○圏点〕。
 
(262)     ベツレヘムの星
         (十二月廿一日)
                    大正9年2月10日
                    『聖書之研究』235号
                    署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
 ベツレヘムの星と言へば凡ての基督者《クリスチヤン》の耳に最も美はしき響を伝ふ、未だ其意義の如何を知らずして既に無量の感慨を促さずんば已まない、語そのものが詩である歌である、然しながら事は唯に詩又は歌ではない、其中に深き真理がある、基督者は之を探りて神の与へんとし給ふ大なる恩恵に与かるべきである。
 神の子イエスキリストの降誕に際し天に常ならぬ星現れて東方の博士等之に導かれ遂にベツレヘムに至りて彼を拝したといふ、之を一種の童話と解し日曜学校の小児等が三人の学者に扮装してクリスマスの歌をうたひ銀の星を指さしつゝ星よ々々と言ひて進み行くが如きは興味多き遊戯なりと雖も、少しく之を常識又は学問に訴へん乎、甚だ怪しむべき伝説たるを免れない、否斯の如きは到底有り得べからざる事である、此種の記事は古代の思想即ち迷信を伝へたるものにして勿論信用を措くに足らないと、之れ多くの人の考ふる所である、而して凡て聖書中難解の記事に遭遇する時は之を古代の迷信と呼び又はユダヤ的思想と為して説き去らんことは極めて容易である、斯の如くして奇跡も復活も昇天も再臨も皆葬り去る事が出来るであらう、然しながら解釈の容易なるは必ずしも福ひなる所以ではない、之等の記事を除くと共に聖書は其力を失ひて聖書たらざるに至る、聖書が神の為(263)し給ひし事実の記録たる以上その奇跡の書たるは当然である、故に聖書中の記事は之を軽々しく迷信なりと断定せざるを可しとする、我等は先づ之を学問の立場より説明せん事を努力すべきである。
 注意すべきは|馬太伝第二章の記事の歴史的性質を帯ぶる事〔付○圏点〕である、多くの大家而も冷静なる学者が之を証明する、王ヘロデが人を遣はしてベツレヘム及び其地方の二歳以下の男児を悉く殺さしめたりと言ふが如きは吾人今日の立場より見て信じ難き事なりと雖も、ユダヤの史家ヨセフアスの筆に成りし当時の歴史殊にヘロデに就て詳記したるものを見るに彼は決してかゝる残虐を行ふに躊躇せざりし人物なるを知る、彼は我慾の為めには人命を奪ふを悼らず自己の妻子をも殺戮して其宮廷は悲惨を極めたるものであつた、斯の如き王にして此事ありしは毫も怪しむに足りない、馬太伝第二章の記事の歴史的真実は大体に於て之を拒む事が出来ない。
 然らばイエスの生れたる時新しき星の出現あり、之に導かれて東方(バビロンかペルシヤか印度か或は支那か)の学者等遙々ヱルサレムに赴き更に南六哩の地ベツレヘムに迄至れば乃ち星の告知悉く明白にせられて彼等は大なる歓喜を以て喜びしとの記事は果して事実である乎、或人は之を以て有り得べからざる事と做し星占の一種に過ぎずと言ふ、然しながら斯く断ずるは概ね星に就て学びし事なき人々である、今の人は多く星に就て知らない、彼等の学ぶ所は皆地の事である、経済学といひ採鉱学といふ、皆小なる地球に関する探索に過ぎない、然れども目を挙げて見よ、地上の花の衰へたる頃より漸く其光輝を増し而して地上より花の全く絶えたる冬の夜に至りて荘美の絶頂に達するかの天上の花を見よ、神は無限大の蒼穹にルビー、真珠金剛石其他何を以ても比すべからざる幾百万の宝玉を鏤め給うたのである、その我等の肉眼に映ずるもののみにても五千乃至六千を数ふるを得べく而もパウロの注意したるが如く彼星と此星と皆一々其栄光を異にし、青きあり黄なるあり赤きあり橙色な(264)るあり、東天燦然として輝きつゝ曙を待てる一箇の金星を望み見るだにハレルヤの声は自ら我等の口より湧かざるを得ないのである、之を一種の娯楽として見るも清くして有益なるは星の研究である、而して|古代の民が星を見て楽みたるは遙に今人よりも上であつた、殊にアラビヤ又はイラン高原(ペルシヤ)等天空爽快にして〔付○圏点〕晴朗|なる地方に於ては蓋し星の望見は万人の日々の話題であつたであらう〔付○圏点〕、今日二十世紀の書に現はるゝ星の名称の如き其多くはアラビヤ語である、例へばアルデバラン、アルゴール、アルタヤ等の「アル」は英語の the に相当するアラビヤ語の定冠詞である、以て彼等の天文学の進歩を窺ふに足る、彼等の問題は地の事に非ずして天の事であつた、新星の出現の如きは彼等の興味の焦点であつた、今日我等が七曜又は暦等に就き負ふ処大なる天文学の発見は実に現代の学者の功績に非ずして之を溯れば有史以前の時代に帰着するのである、学者の計算によれば暦の制定は少くとも四千年又は五千年の昔に始まるといふ、然らばモーセがイスラエルの人々を率いて埃及を出でし頃既に天体に関する清密なる観測が行はれて居つたのである。
 東方の「博士」といふ、語は今日の所謂博士を聯想せしむるも之れ偶然の配合に過ぎない、其原語|マガイ〔付△圏点〕はペルシヤ語である、即ちバビロンより更に東方に住みし文明人種の語である、而してマガイとは貴むべき人々であつた、彼等は先づ道徳宗教の事を究めなければならなかつた、又国政の善悪に就き王の諮問に応じなければならなかつた、又その道徳を根柢として天然の一切を研究しなければならなかつた、学問として当時最も進歩したる天文学は彼等の精通する所であつた、故に彼等は最古の文明国に於ける|預言者〔付○圏点〕また|宗教家〔付○圏点〕にして政治家以上の|政治家〔付○圏点〕たり加ふるに|天文学者〔付○圏点〕であつた、彼等は人と神との関係を究め道徳を中心としたる宇宙観人生観を有した、|彼等は天を見、人を見、自己を見、歴史を見、凡ての方面より神の如何にして人類を導き給ふかを観察したので(265)ある〔付○圏点〕、而して斯くの如きマガイが或時星の出現を望み之を其他の暗示と綜合して救主の世に出づべき時なるを覚つたのである。
 新星の出現は或る異変又は偉人の出生を表示すとは古来言ひ伝ふる所である、勿論星のみを以て判断を下す事は出来ない、然しながら|星といひ夢といひ之を全然無意義として排斥し去るは一顧を要する所でるる〔付○圏点〕、余自身に在ても嘗て余の生涯に関する余りに意味深き夢を見たる事ありて翌朝之を書き留め置きしに爾来幾多の浮沈ありしと雖も余の生涯は実にその夢の告知の如く実現したのである、ダニエル書に現はるゝネブカドネザル王の夢も亦一例である、星も亦然り、凡ての星の告知を無意義と為す勿れ、或事に於ては星の出現は我等に教ふる所あるを留保すべきである。
 天に在て光輝強き木星土星の二星は二十年に一回交会する事がある、其時燐然たる光輝は一層顕著である、而して有名なる天文学者ケプラーの計算に由れば此現象は常に大人物の出現と相伴ひしといふ、即ちモーセ、クロス王(イスラエルをバビロンより釈放したる)、チヤーレマン、ルーテル等の出生の時に此事が繰返されたのである、殊に最も注意すべきは羅馬建国の七四七年キリスト降誕に先だつ二年の時|此現象〔付○圏点〕(即ち木土二星の交会)|を呈する事一年中三回の多きに及びしといふ〔付○圏点〕、此事実はグリニッチ天文台の承認する所にして信仰の問題を離れて尚一箇の特別なる出来事であつた、而して長き研究の結果木星土星の交会と偉人の出現との関係を知りしマガイ等が此特別なる出来事に由り人類の期待したる救主の出現に想到したるは誠に自然である。
 又キリスト降世前百廿五年天文学者ヒッパルカス初めて星図を編製した、其動機は特殊の星の出現により天体の観察一変したるにあるといふ、然るに紀元百五十年埃及の学者プトレミーがヒッパルカスの事業を嗣ぎし時に(266)はその特殊なる星は殆ど光を滅失して居つたのである、依て知るキリストの生誕当時一箇の光輝ある星の現はれ居りし事を、今日迄此種の特別なる星の出現は前後二十七回に及び其最も著名なるは一五七二年より凡そ一年五ケ月の間北方に現はれたるものであつた、其光輝強烈にして日中尚之を望む事が出来たといふ、ベツレヘムの星とは或は斯の如き星ではなかつた乎。
 博士等は星の出現を見た、而してこの星の代表すべき人物の何処に在るかを知らんが為め彼等は之を望みつゝ出発した、蓋し或人の為に現はれたる星は夜の十二時に当り其人の頭上絶頂の所に在るべき筈なるが故に其果して何処なるかを探らんと欲したのである、昔時の天文学者の之を探りし方法は簡単であつた、即ち深き井戸を上より瞰下して中央にその星の影の立つ所を以て之を定むるのである、博士等ヱルサレムに迄到りしも未だ精確に決定する能はず、偶々ユダヤの学者等聖書の上より救主の出生のベツレヘムにあるべきを論じたるより更に其地を指して出発した、パレスチナの旅行は日中の暑気を避けて概ね夜間に行はる、博士等かの星の我が頭上に来るは何処ぞと之に導かれつゝ進みてベツレヘムに到り而して或る井戸の側に立ちて試に俯瞰すればかの星の影遂に立ちて其中央にあるを見る、茲に於て彼等雀躍して曰く「之なる哉之なる哉、茲に我が研究と黙示とが一致したのである」と。
  前に東の方にて見たる星彼等に先だちて嬰児の居る所(居る家に非ず其土地をいふ、即ちベツレヘムなり)に至り其上に止まりぬ、彼等此星を見ていたく喜び云々(馬太伝二章九、十節)。
 「いたく喜び」とは|極めて大なる喜びを以て喜べり〔付○圏点〕との意である、原語には「喜」の字を四つ連続してある、譬ふるに物なき大なる歓喜である、|予言者の歓喜と学者の歓喜との結合〔付○圏点〕したるものである、其一半は之を学者に(267)聞け、研究多年遂に其求むる所を発見す、何の歓喜か之に如かん、其一半は之を予言者に聞け、迷信狂妄を以て世より嘲けられしに拘らず終に其の予言の成就を見る、何の歓喜か之に及ばん、マガイ等は此大なる歓喜を以て喜んだのである、未だ救主其人に過はざるに先だち己が生涯の研究と予言との一致より来りし言ふべからざる歓喜を経験したのである。
 神が其独子を世に降すに当り果して特別なる星を出現せしめ給うた乎、今茲に此問題を詳論するの遑はない、然しながら星辰は素と神の造り給ひしものであつて、而してイエスは神の子である、天地の造主なる神が其子を遣《おく》らんと欲して新しき星を出現せしめ給ふた事何ぞ怪しむに足らんである、殊に古代の預言者たり道徳家たり天文学者たりし博士等が星に導かれて進み其の遂に己が頭上絶頂の所に来りし時言ふべからざる歓喜を以て喜びしとの事実は学問上如何にして之を否定する事が出来る乎、凡て聖書の記事は之を迷信と呼びて嘲笑するに先だち須らくまづ熟思せよ研究せよ、而して学問の証明する所によりその誤謬たるを確信する迄軽々しき批評を下すを已めよ、我等は学問の上に立ちて尚聖書の信ずべきものたるを明かならしめんと努力しつゝある、之れ信仰上決して卑しむべき事ではない、神の真理は一切の方面より之を証明し擁護すべきである。
 ベツレヘムの星は学問上証明し得べき事実である、然しながら暫く其問題の如何を離るゝも茲に学問を用ゐずして何人も解し得べき大なる教訓がある、|イエスキリストの世に生るゝや最初に之を認め而して彼に相見えんが為に黄金投薬乳香を携へ駱駝に跨り山河幾百哩の路を遠しとせずしてユフラテスを溯り沙漠を横断してベツレヘムの里にまで辿り着きしは果して誰であつた乎〔付○圏点〕、彼等は実に|東方の学者〔付○圏点〕であつた、|東洋人〔付○圏点〕であつた、当時学問は希臘にあり羅馬にあり、預言はユダヤに於てあつた、然るにも拘らず一人の西洋より来る者なくユダヤ人等亦救(268)主を迎へんとせざるに当り遙かに東方の学者が信仰と学問とに導かれて来りて彼を拝したのである、此一事実は聖書の明記する所にして何人と雖も疑ふ事が出来ない、|ユダヤ人は己の王を迎へず欧洲人は人類の救主を知らず、唯東洋人のみ之を知り之を迎ふ〔付○圏点〕、誠に東洋の名誉である、西洋の不名誉である〔付△圏点〕、而して此処に我等に関係ある深き真理が示さるゝのではない乎、イエスキリストの心を最も能く解する者は誰である乎、今日に至る迄其人は未だ現はれないのではない乎、聖書が東洋人の手に渡り彼等がその謙遜なる信仰と深遠なる研究とを以て之を解したる時にイエスは始めて遺憾なく人に解せらるゝのではない乎、我等は斯く言ひて東洋の為に誇らない、又西洋を侮蔑せんと欲しない、然しながら基督教の最も深き所は東洋人を待ちて始めて闡明せらるとは心ある西洋人の期せずして告白する所である、余輩は西洋人の信仰的会合に臨む毎に何かは知らず一種の物足りなさを感ぜざるを得ない、西洋の神学書に基督論を読む毎に何故此処に触れざる乎との感を禁ずる事が出来ない、東洋人には西洋人の有せざる独特の心理状態がある、恰も婦人が其鋭敏なる直覚に由て善悪を鑑別するが如きである、トルストイと並び称せられたる露国の大哲学者ソロ※[ヰに濁点]エフは共著書中に記して曰うた「西洋人の解し得ざる所を解するものは東洋人である、我等露西亜人は其間に立ちて仲介の労を執らなければならない」と、又有名なる米国の宗教家ホール博士の如き支那印度日本等を巡視して得たる感想を公にして曰く「東洋人は優秀なる霊的感能を有す」と、博士の如きは東洋人に望を嘱する事寧ろ多きに過ぎたりと言はる、茲に東洋人と言ひて必ずしも主として日本人を意味しない、否余りに模倣を好む日本人は却て小西洋人として終るに非ざるかの虞れがある、若し日本人ならずとせば或は朝鮮人或は支那人或は韃靼人或は蒙古人或は西蔵人であるかも知れない、かの詩人タゴールの如きは実に東洋人の代表者の一人である、誰か知らんタゴールの代表したる精神が最も能くキリストを解す(269)る所の心に非ざるかを、西洋の宣教師は日ふ教会に由らずしてキリストを知る能はずと、然しながら|東方の博士等は預言書に由らずシナゴグに由らず良心と天然とを以て伝へられたる神の啓示に由て神の子の出現を知り貴き贈物を携へてベツレヘムに向つたのである〔付○圏点〕、我等の胸中亦此博士等の精神がある、東洋人特有の天真なる心情と神の造りし天然とが相竢ちてイエスを我等に紹介するのである、我等は勿論聖書は不要なりと言はない、否聖書自身が其馬太伝の第二章に於て此事を我等に教ふるのである。
 知らず|キリスト再び来り給ふ時〔付○圏点〕最初に彼を認め彼を迎ふる者は何人であらう乎、西洋人殊に其神学者等は再臨の信仰を迷妄視して嘲笑しっゝある、然しながら東洋の基督者よ彼等の言に耳を傾くる勿れ、|我等は二千年前の東方の博士の如く神の我等に賜ひし特殊の霊感と天然の啓示と聖書の明言とに由り西洋人に先だちて再臨のキリストを認め我等の黄金と投薬と乳香とを携へて出でゝ彼を迎へ彼を拝するであらう〔付○圏点〕。
 
(270)     信仰復興《リバイバル》の真偽
                         大正9年2月10日
                         『聖書之研究』235号
                         署名 内村鑑三
 
  (スコーフィールド氏の論文に依りて草す)
 
 信仰復興《リバイバル》は始まりしと云ふ、誠に賀すべき事である、余輩も其恩恵に与らんと欲する者の一人である、余輩は其の益々盛ならん事を祈る、其の我国のみならず全世界を風靡するに至らん事を祈る、然れども信仰復興は真の者でなくてはならぬ、偽の者であつてはならぬ、而して聖書は明白に信仰の真偽を甄別するの途を伝へる、約翰第一書、之を称して信仰真偽甄別の書といふ、余輩は此書に依て信仰復興の真偽を甄別する事が出来る。
 其第一章六節に曰く「若し我等神と同心なりと言ひて暗きに行《ある》かば我等が言ふ所は※[言+荒]《いつはり》にして真理《まこと》を行ふに非ず」と、言《げん》と行《ぎやう》とである、偽の信仰は言である、真の信仰は行である、幾ら神と同心なりと言ひたればとて暗きを行かば其人の信仰復興は偽であると云ふのである、神と同体に成りたりと言ふ、神の霊を宿したりと言ふ、実に可し、然らば其必然の結果として汝は光明に行くべしと云ふ、汝の日常の生涯が其のすべての関係に於て公明正大ならざるべからず、然らざれば汝が実験せしと言ふ信仰復興は※[言+荒]なりと聖ヨハネは教へたのである。 同第八節に曰く「若し罪なしと言はば是れ自から欺けるにて真理我等に在るなし」と、我は罪より潔められ、(271)罪なる者今や我に在るなしと言ふ者あらん乎、斯る者は自ら欺けるにて真理其の衷に在るなしと聖ヨハネは教へた、人が其肉体に宿る間は何人たりとも全然罪を離れることは出来ない、其信仰如何に熱烈なるとも之に由て全然罪を取去ることは出来ない、人の為し得る事は罪を認《いひあら》はして神に之を赦して頂く事である、然らば彼は諸《すべて》の不義より潔めらるゝのである、不義よりである、罪よりではない、今日までに犯せし悪しき行為より潔められて罪なき者として取扱はるゝのである、論より証拠である、今や罪なしと言ふ者も依然として罪を犯すのである、真の信仰は今日直に全然罪なきに至る事ではない、罪を自覚し之を神の前に認はし、衷心より謙遜なる人となりて最終の救拯を待望む事である、聖ヨハネの言は簡単にして峻厳である「若し我れ今や既に罪なしと言ふ者あらば是れ自ら欺けるにて真理我等の衷に在るなし」と。
 其第二章四節に曰く「我れ彼を識れりと言ひて其誡を守らざる者は※[言+荒]人《いつはりびと》なり、真理其衷に在るなし」と、此場合に於ても|言〔付○圏点〕と|行〔付○圏点〕との対照である、神を識れりと|言ひ〔付○圏点〕、聖霊の宿る所となれりと|言ひ〔付○圏点〕て明白なる聖書の教訓《をしへ》を|実行〔付○圏点〕せざる者は※[言+荒]人である、故に其人の信仰は偽であると云ふ、読んで字の通りである、何の曖昧なる所あるなし、神を識れりと言ふか、其知識を実行に現はせよ、然り、其知識は実行に現はるべきであると云ふのである。
 同二章六節に曰く「彼(神)に居れりと言ふ者は彼(キリスト)の行《あゆ》みし如く行むべき也」と、同じく|言〔付○圏点〕と|行〔付○圏点〕との対照である、神我に在り我れ神に在ると言ふ者ある乎、其人はキリストの聖足の跡に従ふて行むべきであると云ふ、キリストの如く愛し、キリストの如く謙遜に、キリストの如く勤勉に、而して後に始めて神に居ると云ふ其霊的実験を確認する事が出来る。
 同第二章丸節に曰く「光に居ると言ひて其兄弟を憎む者は今猶ほ暗に居る也」と、福音の真髄を握れりと言ひ、(272)聖書の中心に達せりと言ふ者も其兄弟を愛せざれば今猶ほ不信者時代の暗黒に居るのであると云ふ、愛是れ光である、憎是れ暗である、福音の真理は哲学でないのは勿論、神学でもない、亦信仰告白でもない、|愛である〔付○圏点〕、兄弟を愛する事である、|兄弟を愛し得る者が聖霊を受けたのである〔付○圏点〕、聖書が解つたのである、真の信仰復興を経過したのである、愛! 愛が信仰の真偽を試す最も明確なる試験石である。
 要するに信仰は言《げん》ではない行《ぎやう》である、泣き、叫び、勧めたりとて未だ信仰に入つたのではない、信仰が行に現はれて始めて真の信仰に成つたのである、聞く先年英国|威斯《ウエールズ》に於て大|信仰復興《リバイバル》の起りし時、国内の債権者は債務者より返金を受くる事多く、民は勤勉になり、商業道徳は固く守られ、国内の牛馬までが優遇せらるゝに至りしと云ふ、是れが真の信仰復興である、|言ふ〔付○圏点〕ではない、行ふである、我は神と同心《とも》なりと|言ふ〔付○圏点〕のではない、光に行むのである、我は罪なしと言ふのではない、罪を認《いひあらは》はして神と人との前に謙遜の人となりて悔改の果《み》を結ぶのである、神を識れりと言ふのではない、其誡を|守る〔付○圏点〕のである、神に居れりと|言ふ〔付○圏点〕のではない、其聖子の行み給ひしが如くに行むのである、光に居ると|言ふ〔付○圏点〕のではない、其兄弟を|愛〔付○圏点〕するのである、信仰は斯の如くにして試さるべきである、信仰の試験に関する聖ヨハネの教訓は一目瞭然、小子《をさなご》と雖も之を見誤る事は出来ない、願ふ此たぴ我国に起りしと伝へらるゝ信仰復興も亦聖書の此明示に適ふ者たらんことを、然らば其結果は永久に亘りて尽きないであらう、然らざれば今日までに幾回《いくたび》となく繰返されし信仰復興と同じく、暫時にして其跡絶へ、其反動たる信仰衰退を齎すであらう。
 更に一つ注意すべき事がある、夫れは信仰の真偽を試すに明白なる聖書の言を以てして、自己の感情を以てせざる事である、「若し我等罪なしと言はゞ是れ自ら欺けるにて真理我等にあるなし」とあるは此事を教へるのであ(273)る、「罪なし」と感じ、又は「罪なし」と「実験」するも其感情と「実験」とは当にならないのである、頼るべき者は感情に非ずして真理である、聖書《みことば》の真理である、明白に聖書の言を以て裏書せられて我等の実験は信頼すべき者となるのである、|我等は実験を以て聖書を解してはならない、聖書を以て実験を解すべきである〔付△圏点〕、聖書は実験以上である、茲に於てか信仰復興に与る前に聖書の広き深き研究を為して置くの必要がある、聖書の言を以て養はれし霊魂に聖霊の火が降る時に真の信仰復興が起るのである、斯かる信仰復興は狂熱的でない、ウエスレーを以て起りしやうなる冷静にして永続的の信仰復興である。
 
(274)     誹る者と誉める著
                         大正9年2月10日
                         『聖書之研究』235号
                         署名 主筆
 
 余輩と余輩の信仰とを誹る者がある、又誉める者がある、而して不思議なる事には誹る者は信者の内に在て誉める者は不信者の内に在る、曩には教会の神学者富永徳麿君が警醒社書店出版の『基督再臨説を排す』と云ふ著書を以て痛く余輩を攻撃せられしは世の能く知る所である、而して今や富永君とは正反対の信仰を懐く基督信者にして余輩の信仰を以て慊ずとなし、甚く余輩を誹る者がある。彼が近頃余輩に寄せし言に曰く
  君の信仰(?)は形式的にして聴者又は読者をして奮起せしむる能はず、権威なく能力なき講演は恰かも浪花節、常盤津を聴くが如し、而かも浪花節を聞きて悔過自奮せしもの多し、借問す、君の講演を聞きて信仰を起せし者果して幾人かある……不信なる鑑三よ、己を捨て主の前に伏して祈れよ、神癒を信じないなど不敬の言を弄する勿れ、信じないのは実験が無いのである、信仰を以て求めないからである、主の前に傲慢があるのである、反省百番せよ、活眼を開いて聖書を読め云々。東京本郷台町熱信生(彼は本名を記載しない)
と、此を以て知る、余輩の激烈なる反対者は再臨を信ぜざる者の内よりも信ずる者の内に在る事を、昨日まで手を携へて再臨運動を共にせし者の内に余輩の講演は浪花節にも劣ると言ひて憚らざる者があるのである、基督教界とは斯る所である、四面皆敵である、予言者ヱレミヤが言ひし如くに「汝等各自其隣人に心せよ、何の兄弟を(275)も信ずる勿れ、兄弟は皆欺きをなし隣人は皆譏りまはれば也」である。
 爾うかと思へば世には又誉めて呉れる者がある、而して夫れが「兄弟」でもなければ「同志」でもないのは不思議である、余輩の近著岩波書店発行『信仰日記』に対する『東京朝日新聞』の批評に曰く
  基督再臨を高唱しつゝある著者の一咋年八月より咋年同月に至る満一年間の日記にしてその信仰生活を赤裸々に発表せるもの、感想あり、議論あり、哲理あり、詩歌あり、悉く著者の人格の露はれにして之を一貫するものは動かざる信念なり、その記する所は著者一年の生活に過ぎざるも内容は博大深遠哲人と膝を交へて人生を語るの感あり、一面より著者を中心とする再臨運動の裏面史とも見らるべし、附録「歌ごゝろ」は著者一流の精神訳になる泰西詩人の詩歌及著者の自詠を収む、就中「我等は四人である」の一篇の如きは詩と信仰との美しき結合を示す傑作といふも溢美にあらざるべし
と、信者に誹られて不信者に誉めらる、余輩の運命奇と謂ふべし、然し毀誉褒貶|何《いづれ》でも可いのである、余輩は悪名《あしきこゑ》あるも令聞《よききこゑ》あるも自分が真理と信ずる所を忠実に謙遜を以て述ぶれば夫れで職分は済むのである、余輩を審判く者は人ではない、神である、彼れ再び来り給ふ時に万事は明白に成るのである(哥林多前書四章五節)。
 
(276)     EMANCIPATION.解放 
                        大正9年3月10曰
                         『聖書之研究』236号
                         署名なし
 
     EMANCIPATION.
 
 EMANCIPATION is another of modern slogans. They cry for emancipation from social traditions,from militaristic prejudices,from religious restrictions.Some cry even for emancipation from Jehovah-God! But Old Christianity too has been preaching an emancipation for the last nineteen hundred years,viz. emancipation from sin. It says:Every one that committeth sin is the bondservant of sin‥‥If therefore the Son shall make you free,ye shall be free indeed.Truly,sin is the heaviest of all bondages,the source of all Other bondages.But modern men seek not this kind of emancipation;therefore they are bondservants,even though by Democracy,Socialism,and Labour Unions,they imagine they had emancipated tbemselves from all bondages. God has emancipated all who believe in Him from bondage of sin. Herein is true liberty. Emancipation must begin here;else it vanishes like cloud. JOHN [,34,36.
 
(277)     解放
 
 解放も亦近代人絶叫の一である、彼等は社会的伝習より、軍国的偏見より、宗教的拘束よりの解放を叫びつゝある、彼等の或者はヱホバの神よりの解放をさへ叫んで憚らない、然れども旧き基督教も亦過去一千九百年間解放を唱へ来つた、即ち罪よりの解放を唱へ来つた、曰く「凡て罪を行ふ者は罪の奴隷なり……是故に子もし汝等に自由を賜《あた》へなば汝等誠に自由を得べし」と(約翰伝八章三四、三六)、実に罪はすべての束縛の中に最も重きものにして、すべての束縛の因《もと》である、然れども近代人は此事を解せず彼等は罪よりの解放を要求しない、故に彼等は解放を叫ぶに関せず依然として旧の奴隷である、彼等は民主々義、社会主義、労働組合に由てすべての拘束より自己を解放したりと信じつゝあるも猶ほ依然として前の奴隷である。
  神は其子イエスキリストに在りて凡て彼を信ずる者を罪の束縛より解放し給ふた、真正の自由は茲に在る、解放が茲に姶まらずして其の忽焉として浮雲の如くに消去るは知るべきのみである。
 
(278)     〔水と霊 他〕
                         大正9年3月10日
                         『聖書之研究』236号
                         署名なし
 
    水と霊
 
 聖霊は神の生命である、而してすべての生命は火であると同時に又水である、即ち血を以て代表せらるゝ者である、血は水であつて熱である、水火相容れざるに非ず、水火相合して生命となるのである、故に神の生命なる聖霊は時には火として降り、又時には水として臨む、ペンテコステの火として臨み(行伝二章三節)、又ヘルモン山の露として降る(詩篇百三十三)、イエスがニコデモに告げ給ひし「人は水と霊とに由りて生れざれば神の国に入ること能はず」との深き意義は茲に存するのではあるまい乎(約翰伝三章五)、水は洗ふ水たるに止まらず活かす水である、休憩《いこひ》の水浜《みぎは》に伴ひ給ふて我が霊魂を回生《いか》し給ふと云ふ其水である(詩篇廿三)、又|斫《きら》れし木が水の潤霑《うるほし》に会へば即ち芽を発《ふ》き枝を出して若樹と異ならずと云ふ其潤霑の水である(ヨブ記十四章九節)、渇ける霊魂は聖霊の此水を飲ませられて生活《いき》て神の国に入るのである、而して此水と相対して霊は霊火である、汚穢を※[火+毀]尽す聖壇の火である、心の燈燭に火を点ずる天の火である、血は|流るゝ生命〔付○圏点〕であると云ふ其生命である、而して人は此霊と彼水とに由りて生きるにあらざれば神の国に入ること能はずと云ふ、実に深い真理である、人には各自(279)具備りたる性《しやう》がある、水の性の人がある、火の性の人がある、而して聖霊が水の性の人に降る時には火として降り、火の性の人に臨む時には水として臨む、熱せしむるの必要ある人がある、又鎮むるの必要ある人がある、而して神は各自の必要に応じて或ひは火を降し給ふ、又或ひは雨を降し給ふ、又同一の人に在りても熱を要するの湯合あり又潤霑を要するの場合あり、而して神は凍《こゞえ》たる者には煖を賜ひ、渇きたる者には水を賜ふ、神の賜物は千差万別である、我等は之を一種一類に制限してはならない、而して余輩自身の要求は火に非ずして水である、余輩は熱し易き者である、故に聖霊の冽水《れいすゐ》に浴して静寧沈着たらんと欲す、而して世には亦余輩と性を同うして要求を共にする者がある、余輩は彼等と共に休憩の水浜に伴はれて其所に心行くまでに天の活水を酌まんと欲す。
 
    信仰と知識
 
 信仰は火である、知識は燃料である、火があつても燃料がなければ焔は揚らず、燃料があつても火がなければ熱は起らない、火と燃料と両つながらあつて焔は揚り熱は継続くのである、其の如く信仰なき知識は黒き冷たき石炭の堆積《やま》の如きものである、路傍の石塊と何の異る所なく、唯徒らに場所を塞ぐに過ぎない、又知識なき信仰は枯革に燃つきし火の如く倏に消えて冷たき灰と化し去る、信仰あり知識ありて信仰は永続し知識は善用せらる、信仰を迷信と嘲ける学者、知識を無用と斥くる信者、両人とも自己を知らざる者である。〇然らば如何なる知識が信仰の善き薪となりて燃る乎との問に対し、|知識と云ふ知識は尽く信仰の火の燃料たり得べしと答ふる事が出来る〔付○圏点〕、其内最も有力なるは言ふまでもなく聖書知識である、聖書は単に信仰の書であるばかりでない、又知識の書である、聖書を知らずして信仰は起らない、又継続かない、聖書は全部之を知るを要す(280)る、単に馬太伝、約翰伝、羅馬書といふに止まらず、旧新六十六書全部を博く深く知るを要する、信者の滅多に読まざる以士喇書、尼希米亜記、以士帖書の如き皆な信仰の善き燃料たる事を忘れてはならない、多くの場合に於て聖書知識の欠乏が信仰熄滅の主なる原因である、聖書に精通して信仰の滅却する事は滅多に無い、而かも聖書は拾読しては足りない、継続的に組織的に読まなければならない、恰かも天然を学ぶが如くに聖書も亦探求研鑽を要する、聖書を深く知れば知る丈け信仰は堅くなり其火は熱くなる、祈祷丈けでは足りない、聖書の上に雪螢の功を積んで我等は信仰堅固の人と成る事が出来る。
〇然し乍ら信仰の燃料は聖書に限らない、凡の知識が信仰の薪となりて熱と光とを出す、文学、哲学、理学、化学、歴史、考古学、人類学、動植物学、地質学、天文学、何れも信仰の善き燃料たらざるは無い、信仰は神より出で神と同じく※[火+毀]き尽す火である、之を保つに全宇宙に関する大知識を要する、見よ大陽は地球に百三十万倍する大球なるが故に能く其光熱を保ちて億々万年に至ることを、小なる知識は大なる信仰を維持する能はず、信仰の大河となりナイヤガラの湿布となりて全地に轟かんと欲すれば之を養ふに五大湖を充たすに足るの水量なかるべからずである。
〇世に不幸なる事多しと雖も信仰と知識とが分離するが如き事はない、信仰は信仰、知識は知識、二者互に相関せずと言ひ做して二者共に衰萎し終に枯死す、知識のない信仰は迷信に走り、信仰のない知識は器械と化す、|二十世紀文明の茲に至りしは十八世紀に始まりし信仰と知識との分離の悲むべき結果なりと言はざるを得ない〔付△圏点〕、「神の合はせ給へる者人之を離すべからず」である、信仰若し妻なれば知識は夫である 而して夫婦は二《ふたつ》に非ず一体である、男を解する者は女、女を解する者は男である、男女を分離して人生は破壊されざるを得ない、知識(281)を解する者は信仰、信仰を支持する者は知識である、信仰、知識と離れて文明は其根柢より破壊せらる、世に恐るべき者にして信仰の無い知識と知識の無い信仰の如きは無い。
〇世界の暗黒を照して代々滅せざる明星は誰である乎、皆な信仰と知識とを多量に具へたる人であつた、パウロであつた、クリソストムであつた、アウガスチンであつた、トマス・アクイナスであつた、ルーテルであつた、ヵルビンであつた、ウェスレーであつた、アイザツク・ニユートンであつた、我師シーリー先生であつた、彼等は重き積荷を運ぶ大船の如き人であつた、故に風波に遭ふて動かず、人世の大海を坦路を歩むが如くに横断した、故に信ぜよ、疑ふ勿れ深く信ぜよ、同時に学べよ、恐るゝ勿れ博く学べよ、神は汝の信仰と共に汝の知識を要し給ふ、急ぎて浅薄なる信者と成る勿れ、高ぶりて不虔の学者となる勿れ、|汝の脳中に在りて神と宇宙とを合体せしめよ、汝の心中に於て信仰の熱火を以てすべての哲学と科学とを鎔解せよ〔付○圏点〕、信ぜよ学べよ、而して強き真の基督者《クリスチヤン》と成れよ。
 
(282)     〔ダニエル書の研究〕
                  大正9年3月10日・4月10日・5月10日
                  『聖書之研究』216・237・238号
                  署名 内村鑑三述 藤井武筆記
 
     但以理書第一章之研究 (一月十一日)
 
 但以理書は預言書中最も歴史的のものなるが故に之を解せんが為には地理及び歴史を併せ研究するの必要がある、凡て聖書は之を精神的に研究するに先だち其時代の種々なる事情を学ばなければならない、之れ神の言の中に蔵《かく》れ居る大なる霊的知識を探る為に必要なる準備である、故に先づ少しくユダヤとバビロンとの地理的関係に就て語らう。
 ユダヤは人も知る如く地中海とアラビヤとの間に挟まれたる小国であつた、其面積は漸く関東八州に加ふるに福島県及び宮城県の一半を以てするが如きに過ぎなかつた、而してバビロンはチグリス、ユフラテス両河の間の沖積層の沃饒なる土地に臨みユフラテス河の両岸に跨りて建てられし都であつて、其のユダヤの首府ヱルサレムとの距離は遠大であつた、即ち其間にアラビヤの大沙漠の横はるありて交通を不便ならしむる事太平洋以上であつた、故にヱルサレムよりバビロンに赴かんとする者は必ず北してカルケミシの渡場《わたし》に出で、其処よりユフラテス河を降るの外なかつた、其行程早くも四五十日を費したであらう、預言者ダニエルが囚へられて送られし途も(283)亦之であつたのである、而してネブカドネザル王の帝国の広さは実に当時の文明世界の殆ど全部に亘】つた、彼はバビロンに都してカルデヤ(一名シナルといふ、川中島の地)アツシリヤ及び其北方今の亜細亜土耳古の東部を領したのみならず南はフィニシア、ユダヤ、エドム、アンモンの諸邦より更にアツシリヤと共に当時世界の二大強国と併称せられたる埃及をも其配下に服せしめ、東はエラム即ち今の波斯の一部ザグロス山の東西全体を支配したのである、そは恰も今日欧米諸強国の一が全世界を統一したるが如き状態であつた、|小ユダヤと大バビロン、前者の捕虜が後者の帝王の前に引出されて其間に起りし事実を記録したるものが但以理書である〔付○圏点〕。
 茲に新研究の題目として特に但以理書を選びしは或は奇を好むが如くにも見ゆるであらう、近来聖書学の盛なるにつれ但以理書に就て種々なる思想世に行はれ、殊に此書の宗教的価値若くは少くともその歴史的価値を疑ふ者甚だ多きを知る、故に此書を講ずるに当りては之等学者の言説にも亦一顧を与へて疑はれたる問題を釈明するの必要がある、勿論こは甚だ困難の事業たるを免れない、然しながら一度び但以理書を講ぜずしては能く新約聖書を了解する能はざるのみならず、今日の如く世界改造の声高くして多くの人が不安の念を抱く時に際しては、|世界の将来如何人類歴史の終局如何の大問題に関する聖書の観察を明白ならしむるは正に刻下の急務である、而して之が為には但以理書を措いて他に其目的を達する事が出来ないのである、之れ余輩が多くの困難と反対とを予期するに拘らず余輩の有する信仰と知識とを傾注して此書の伝ふる真理を世に紹介せんと企てたる所以である。
 但以理書は聖書中最も疑はるゝ書の一である、若し新約聖書中に疑はしき書翰ありとせばそは所謂牧会書翰(テモテ前後書及びテトス書)である、多くの聖書学者は之を以て使徒パウロの作に非ずして後世の産物なりと做す、而して新約聖書中に於ける牧会書翰の地位を旧約聖書中に占むるものは但以理書である、此書も亦預言者ダ(284)ニエル又は彼の時代の人の作に非ずして遙かに後世の産物なりとは近代の学者の均しく称ふる所である、即ち彼等は但以理書の歴史的価値を否定し之を以て或る真理を伝ふる小説に過ぎずと做すのである、此問題は決して小なる問題ではない、若し但以理書が真実にダニエル自身の作なりとせば如何、彼は如何なる時代の人なりしか、ネブカドネザル大王の即位の年は紀元前六〇六年なりとは今日殆ど確定したる事実である、故に仮りに日本歴史の年代に誤差なきものとするも、そは神武天皇即位後五十四年の事にして極めて古き時代である、然るにも拘らずネブカドネザル王に就ては史蹟の徴すべきもの多きのみならず彼自身の記録さへ残存するのである、バビロンの古都を発掘すれば彼の名を印したる陶器あり彼の建設したる宮殿の石瓦あり彼以前アッシリア時代の記録ありて当時の事情に就て詳かに学ぶ事が出来る、故に但以理書にして若し真実の歴史ならんにはそは確かに今より二千五百年前の記録である、然らば単に歴史上より見るも其の貴さ如何ばかりぞ、我等が読む所の歴史は皆間接の記事たるに過ぎない、何人も楠正成の書きし歴史を読まない、然るに茲に神武天皇の王朝にありて君側に仕へし大官の自ら筆録したる歴史ありとせば其価値量るべからざるものがある、|紀元前六〇六年に即位せしネブカドネザル大王に侍して幾多の事蹟を挙げたる大政治家の手記〔付○圏点〕、之れが我等の研究せんとするダニエル書である、然るに近代の学者は之を否定しネブカドネザル時代より凡そ五百年後の作であると主張する、殊に此書が基督再臨の信仰と密接の関係を有するが故に再臨を信ぜざる者は殆ど皆此書の歴史的価値を疑ふのである。
 但以理書果して疑ふべき書である乎、その歴史的価値を肯定する者と之を否定する者と、学問上の軽重を此較すれば甲乙略々同等である、或は学問上よりするも甲説却て少しく有力ならずやとさへ思はる、然し但以理書弁護論者中一二の大なる権威ある事を忘れてはならない、其第一は有名なる|アイザツク・ニウトン〔ゴシック〕である、近世科(285)学の祖にして引力と二項式との発見者、此人なくして今日の理化学数学なしと称せらるゝ彼れニウトンが同時に又深き聖書学者にして、その Principia(科学の基本)を書きし同じ頭脳を以て但以理書と黙示録の註解を書いたのである、而して彼は但以理書に裁て何と言うた乎、曰く「|ダニエルの予言を否定する者は基督教を転覆する者なり、そは基督教はキリストに係るダニエルの予言の上に立つ者なればなり〔付△圏点〕」と、之れが大科学者ニウトンの言である、宇宙が一の法則を以て支配せらるとの、人の曾て考へたる最大真理を発見せし彼の但以理書観である、次に仏国第一流の東洋学者にしてアツシリヤ史埃及史の権威たる|ルノーモン〔ゴシック〕がある、彼は神学者ではない、宗教に冷淡なる学者であつた、然るに彼は曰つた「独逸派の学者が但以理書はダニエルの作に非ずと曰ふは速断なり、但以理書の記事はバビロン時代の歴史と符合する所多きが故に之を以て其時代の作とするは東洋学(Orientology)上最も妥当なる見解なり」(英訳 Chaldean Magic 第十四頁を見よ)と、知るべし|但以理書破壊者は概ね〔付○圏点〕神学者なるに対し|其弁護者には科学の世界的泰斗あり又冷静なる考古学者ある事を〔付○圏点〕、所謂聖書学専門家の反対決して恐るゝに足らず、平信徒にも亦彼等に対抗すべき権威がある、否所謂専門家は却て真理を誤る事が多いのである、かの西洋に於ける|日本の専門家〔付○圏点〕の如きは其一例である、彼等は日本に就て何事をも知ると称せらる、然るに彼等の日本に関する知識は概ね日本に於て発行せらるゝ英字新聞若くは旅行記等より獲得したるものにして往々我等の抱腹絶倒を禁ぜざるものがある、或は「名物」を解して、め=eye ぶつ=strike 即ち|目を撃つ〔付ごま圏点〕程著名なるの意なりといふが如き、或は加藤清正猛虎と闘ふの図に題して日本第一の皇帝神武天皇と言ふが如きは何れも余輩の見聞したる実例である、現代の事実に就て尚然り、況んや二千五百年前のバビロン歴史に関する「専門家」の知識に大なる誤謬あるは蓋し当然である、故に軽々しく学者の説に動かさるゝ勿れ、「霊《みたま》の情《こと》は霊に由て弁ふべ(286)し」、霊に由て記されたる聖書は霊に導かるゝ信仰家のみ能く之を解する、我等は直に神に教へられて却て専門的神学者を審判き得るのである。
 但以理書第一章はネブカドネザル王が初めてヱルサレムを攻めし時の記事を以て始まる、彼は其後再びヱルサレムを攻めて之を亡ぼしたのである、第一回の攻撃は紀元前六〇六年であつた、此時彼はヱルサレムより多くの宝物と人物とを運び去つた、人物中には建築師工学者等と共に又ユダヤの王室にありし王族及び貴族中容貌優美にして智慧秀逸なる四人の少年があつた、王は彼等を自己に近侍せしめんと欲したのである、彼等は先づ寺人長(支部の所謂宦官にして男性を失はしめられ宮中の内部を治むる職)に渡されて三年間知識と容貌とを琢磨せんが為にカルデヤの文学と学術とを学ばしめられ、又王の用ゐる飲食物を給せられんとした、之れ普通の場合に於ては大なる栄誉である 然しながら此処にダニエル等の最初の信仰の試練が行はれたのである、ダニエル此時尚僅に十四五歳の少年であつた、然るに彼は四人を代表して寺人長に答へて曰うた「我等はイスラエル人として食ふべき食物あり拝すべき神あり、律法に由て禁ぜられし食物、偶像に献げられたる食物は我等之を食する能はず」と、誠に大胆なる提言である、|亡国の捕虜が大国の宮殿に在て王の用ゐる食物を自己の信仰に牴触するの故を以て断然拒絶したのである〔付○圏点〕、之に対して寺人長が「汝等の面の同輩者と此して憂色を帯ぶるあらば我が首危からん」と情を以て訴ふれば、彼れダニエルは更に答へて曰うた「試に野菜と水とを我等に与へて十日間之を験せよ」と、而して験したる結果彼等の面上生色躍如たるものありしに由り寺人長は喜びて彼等の請を容れた、斯くて予定の期間を過ぎて彼等を王の前に召出したれば彼等はその智慧に於てカルデアの学者に優るゝ事十倍であつたといふ。
(287) 話は簡単である、然しながら|之をダニエルの全生涯に照して見て其意義誠に深長である〔付○圏点〕、若し此時ダニエルに斯の決心なかりせば如何、食物の如きは小問題に過ぎず、心中にヱホバの名を称ふれば足る、偶像に献げし物を食ふとも何の悪しき事かあらん、殊に国既に亡びて敵国に囚はれたる身なれば其王の命に背きて同じく囚はれたる幾万の同胞の上に禍を招くが如きは最も非なりと称してかの食物を受けたらば如何なる結果を生じたであらう乎、少くともダニエルの光輝ある生涯は存在せずして終つたのである、彼は「クロス王の元年まで在りき」とある、クロス王はネブカドネザル在位四十三年の後更に四代に及びし王朝を亡ぼして新に世界王国を建設したるペルシヤ王である、故に|ダニエルは王に歴仕する事前後五代、力を尽して国を治め民を益し而も其信仰に就ては何人にも譲らず、七十年の久しきに亘り世界無比の政治家的生涯を続けたのである、而して其萌芽は彼が少年時代に王命を拒絶して其飲食物を斥けたる信仰の闘に於てあつた〔付○圏点〕、此最初の小問題に勝ちたるが故に彼は又晩年獅子の穴に投入れらるゝも尚信仰の善き戦を闘つたのである、斯の如き試練《こゝろみ》は凡ての基督者に臨み来る、殊に我国の如き非基督教国に於て然り、青年の学校を終へて社会に出づるや先づ飲食物を以てする試練が始まるのである、宴席に於ける一杯の酒を甘受せん乎拒絶せん乎、問題は小である、親戚友人等は斯かる小問題に就て固守するの愚を笑ふであらう、然し乍ら其小問題の決定如何に由て実に青年の生涯の永遠的運命が分るゝのである。
 我等は又此一事の中に現はれたる|イスラエルの父母の子弟養育上の深き注意を認めざるを得ない、十四歳の辜《つみ》なき少年をして此決意を起さしめたるものは何ぞ、「子を其道に従ひて教へよ、さらば其老いたる時も之を離れじ」(箴言廿二の六)、彼等は母の懐にありし時よりヱホバに従ふの道を教へられしが故にネブカドネザル大王の前に出づるも之を離れなかつたのである、教育は学校に於て始まるのではない、|慈母の乳房より絞り出さるゝ信(288)仰〔付○圏点〕、其|が人の全生涯を定むるのである〔付○圏点〕、神より委ねられたる我等の愛する子女に何を与ふるとも、若し彼等に信仰を与へずんば最も重要なるものを与へないのである、信仰を与へて初めて安んじて子女を此不信の世に送り出す事が出来る、我等はダニエルの父又は彼の三友の母の何人なりしかを知らざるも、彼等の隠れたる涙が斯の如き少年を作つたのである。
 更に学ぶべきはダニエルの拒絶の態度である、彼は拒絶した、然しながら粗暴の言語を以て無益に人を怒らしめなかつた、彼は静かに提言して曰うた「願はくば十日の間我等を験せよ」と、此時に於ける彼の確信は異常なるものであつた、粗食果して美食に敵せざる乎、否「人はパンのみにて生くる者に非ず、人はヱホバの口より出づる言に由て生くる者なり」(申命記八の三)、神を信じ平安の心を以てする粗食は神に背き不信の心を以てする美食よりも遙かに健康を養ふに力ありとは彼の確信であつた、而して|人に真の確信ある時彼は徒らに他人を|offend(気を損ずる)するの必要を知らない〔付○圏点〕、ダニエルが独り此時のみならず後尚五代の王に仕へて死に至る迄此態度を失ふ事なく常に愛を以て平和を守りつゝ信仰を維持したるは全く勇者の確信より出でたる強さである。
 序に曰ふ|但以理書が特に我等に興味を与ふる所以はダニエル彼自身が他の多くの預言者と異なり政治家的預言者(statesman-prophet)たる事にある〔付○圏点〕、ヱレミヤエゼキエル等の預言者等は概ね宗教家の家庭より出でた、故に彼等の現世との接触に於ては到底ダニエルに及ばなかつた、ダニエルは預言者にして又政治家である、然り彼は真正なる政治家の典型である模範である、神を信じ主義に忠実にして七十年間一点の非難すべき所なき生涯を送つたのである、|基督者にして政治家たらんと欲する者は宜しくダニエルに倣ふべしである〔付○圏点〕、而して彼はその政治家としての立場より世界の終局に至る迄の未来を預言したのである、純宗教家の預言ではない、世界無比の政治(289)家の未来観である、但以理書の価値の特別にして其興味の津々として尽きざる所以は此処に在るのである。
 
     但以理書第二章の研究(上) (一月十八日)
 
 但以理書第二章の解説に先だちて少しく当時のバビロンの状態に就て学ぶの必要がある。
 今を距る二千五百年前のバビロン時代は決して人の想像するが如き野蛮時代ではなかつた、彼等は其過去に於て尚三千年乃至四千年の人類歴史と之に伴ふ人類の経験とを有した、故にバビロンは既に文化の進歩したる都会であつたのである、ネブカドネザル以後三百年の頃に出でたる希臘の歴史家にして其著述は今日に残存する最近世的の古代史なりと称せらるゝへロドータスが自ら往きて観察したる記事に由れば、バビロンの市街は四角形にして其一方の長さ今日の尺度に換算して十四哩ありしといふ、試に之を我が東京に比較せん乎、品川を起点として北方十四哩は赤羽を超えて(品川赤羽間電車線路十二哩)隅田川上流の彼岸に達すべく、其より東に十四哩すれば鴻之台の彼方に至り、更に同じ距離を南し又西すれば東京湾内尚ほ東京全市を容るゝに足る程の区劃を成すであらう、其面積略々東京の三倍に相当し倫敦よりも遙に大である、今より二千五百年前に斯の如き地区に多数の人類が集合して二階乃至四階の家屋を造り共に都会の市民たる生活を営みたるの一事を以ても其文化の程度を推察する事が出来る、市街を貫通するユフラテス河には長さ五百間幅五間の橋の架せらるゝあり、其構造は堅牢にして永久的であつた、又河底には隧道を穿ちて往来したのである、人は紐育市ハドソン河底の隧道を以て文明の産物なりと誇称するも二千五百年前のバピロンに既に此事が行はれたのである、又|市《まち》の四方には巨大なる城壁を築設し其長さ四十一哩幅八十五尺(十四間)、高さ三百三十五尺壁上四頭立ての馬車の二台並行するを妨げな(290)かつた、四方の城壁の各一方に二十五箇の門ありて其総数一百皆純粋なる真鍮を以て成る、加之ユフラテスの両岸に沿うて亦石造の堤防を築き其の縦横の道路との交叉点毎に真鍮の門が設けられた、又バビロン人の天文学は甚だ発達したるものにして彼等は其進歩したる光線学の利用により木星の周囲にある衛星の数をすら測定する事が出来たのである、其他建築物の荘大なりし事も亦注意に値する、ネブカドネザルの築きしベル、マルドク、ネボ等諸神の像の如きは奈良の大仏等の及ぶ所ではない、像の前に据えられたる卓子《テーブル》は長さ四十尺幅十五尺にして純金を以て成りベル神の坐像は高さ十八尺にして全部純金の大塊なりしといふ、ネブカドネザルの皇后は山国メヂアの出にして平原国の首都バビロンに来りて切りに山地を恋ひたりしかば王は彼女を喜ばしめんと欲して遂に平原の中央に人工的の山岳を築造した 其高さ凡そ六百尺、アーチ形にして数段を成さしめ、絶頂には大樹を生育せしむるのみならず、ユフラテスより螺旋《スクルー》の法に由て滔々として河水を揚げ、而して宮殿あり酒宴のホールありて王及び貴族等が遊楽を恣にしたのである、之れ真に所謂空中の楼閣であつた、以てバビロンの隆盛強大を想ひ見るべしである。
 信仰維持の難易は之を圧する力の大小に由る、小なる家庭又は会社の中に在りてさへ自己の信仰を守り得ざる基督者が少くない、然るに若きダニエルと其三人の友が小国ユダヤより携へられて移されたる所は即ち上述の如きバビロンであつた、彼等は其儼然たる真鍮の門を通り山脈の如き城壁の下を潜り長大なるユフラテスの橋を渡り仰いで空中の楼閣とベル神の金像とを眺め、耳目に触るゝ風物一として彼等を圧せんとせざるもの無きを感じたであらう、誠に境遇は悉く彼等の信仰に反対であつた、然るにも拘らず|此大偶像国の大都市に置かれて四人のユダヤ青年は其山中に在て学びしヱホバの神の信仰を堅く守つて動かなかつた〔付○圏点〕、彼等は其胸中にネブカドネザ(291)ル何ぞ、バビロン何ぞ、此世の文明何ものぞ、我等の心に宿りしヱホバの神の信仰は何者も之を破壊するを得ずと思意してバビロンの大路を悠々闊歩したのである。
 ネブカドネザルの名はネボ、クーヅル、ウーヅルより来る、即ち「ネボの神我が位を守らん」との義である、古きバビロンの歴史に此名稀れでなかつた、我等に取ては甚だ発音に困難なりと雖も彼の名は世界歴史上忘るべからざるものゝ一である、人もし世界の十大偉人を数へん乎、ネブカドネザルの名を逸する事は出来ない、ナポレヲン、シーザー、シャーレマン等の名と共に彼の名も亦永く記憶せらるべきである。
 但以理書第二章は有名なるネブカドネザル王の夢の記事である、王は或る不思議なる夢を見た、そは彼の曾て見ざりし夢であつた、茲に於て王は事の尋常ならざるを覚り予て雇傭せる凡ての学者を招集した、その階級は「博士、法術士、魔術士、カルデヤ人」と訳せらるゝも原語の意味は不明である、但し其中二三の当時の学問の性質より推察し得べき者がないではない、例へば魔除術《まよけ》を企つる人、又天体を観測し其異動によりて個人国家の運命を卜する星占学者、又死人と交通し得る sorcerer の類之れである、ネブカドネザルは世界帝国の大王として全国各地に大学及び図書館を設け又多数の学者を雇傭した、而して之等の学者に俸禄を給して之を養ひたる所以は斯の如き時の用に当らしめんが為めに外ならなかつたのである、故に王は彼等に問うて曰うた「朕は一の難解なる夢を見たり、今其説明を汝等より聴かんと欲す、也し夢は之を忘れたるに由り説明と共に夢共ものを朕に示せよ」と、誠に難かしき註文である、夢其者が不明にては学者等も如何ともする事が出来ない、然るに王は遂に承知しない、ダニエル書に現はれたるネブカドネザルの性格は能く真に迫り其面目躍如たるものがある、彼は実に人間らしき王であつた、彼は最初の世界帝国を築きし常識に富みたる大人物なると共に又古代の東洋風の圧制(292)君主であつた、彼は思つた、之等多数の学者を雇ひ置きしは斯かる場合に務めを為さしめんが為めではなかつか乎、彼等は人の解せざる事を悟り神の秘密を知ると言ふが故に之を扶養し来つたのである、然るに此の夢をしも解く能はざるならば彼等は全く無用の長物に過ぎない、今に至る迄彼等は我を欺き人類を欺いて居たのであると、茲に於て忽ち命を下して彼等を悉く殺さんと欲したのである、圧制と言へば勿論圧制である、然しながら王の立場にも全く理由なしと言ふ事が出来ない、学者が学問に無能なるを懲らしめんとしたのである、若しネブカドネザルをして今日あらしめば彼の前に戦慄せざる学者が果して幾人あるであらう乎。
 王の命令は伝へられてダニエルの許にも達した、時にダニエルは齢十八乃至二十の青年であつた、彼は王命を伝へし侍衛長に答へて曰うた「そは少しく王の早計に非ざるか、我は其の解答を奉らむ」と、此時に於ける彼の責任は重大であつた、唯に自己と三友人の生命のみならず幾多の博士智者学者等の運命が悉く彼の上に繋《かゝ》つたのである、若し但以理書が小説(殊に我国の小説)なりしならんにはダニエルは必ずや偶像信者なる博士等を殺さしめたる後独り赫々たる功名を表はしたであらう、然しながら彼は実にヱホバの僕であつた、|彼は命を受くると共に直ちに信仰上の三友人の許に至り、其事の重大なるを告げて彼と共に祈らん事を求めた〔付○圏点〕、かくてイスラエルの四人の青年はユフラテスの河畔かバビロン城の郊外か人無き所に幾日の間心を籠めて祈り続けたのである、我等も亦自己の属する団体にありて偶々重大事件の発生するや其責任を負はしめらるゝ事がある、其時先づ何を為すべき乎、祈祷である、唯に自ら祈るのみならず或は書翰或は電報を飛ばして信仰の友の加祷を求め若くは友と共に出でゝ祈るのである、斯の如くする事数日、遂に心中明確なる応答を与へられ之を携へて幾万人の前にも恐るゝ事なく立ち得るに至るのである、ダニエルは進んで此重大なる責任を荷うた、彼は唯神を信じて之を荷うた(293)のである、故に友と共に神に迫つたのである、而して或る夜遂に其秘密を示さるゝや直に王の許に往かずして先づ神に感謝し神を讃美した、曰く「永遠より永遠に至る迄此神の御名は讃めまつるべきなり、智慧と権能は之が有なればなり云々」と、其の栄光を神に帰して彼の心中復た一の煩慮あるなし、途は彼の前に開けて平々坦々たるものであつた、学ぶべきは実に此謙遜にして敬虔なる彼の態度である。
 ネブカドネザルの夢と其の解説といふ、神は果して夢を以て重大なる啓示を与へ給ふであらう乎、痴人夢を語る、旧きダニエルの夢物語の如きは之を学問の範囲外に駆逐せよと近代人は曰ふであらう、然し乍ら夢の研究は今日尚学界の大問題である、哲学者ベルグソンにも夢に関する大論文あり、殊に近来の Psychical Research(心理研究協会)は浩瀚なる年報を発行して夢の中りし事実を多く報告して居る、例へば或る汽船が大洋の中央《まんなか》にて破船したる時陸上の船員夢にて之を知り其の破船の場所をすら示されて直に航路を其所に向け往いて救助したりといふが如き、又或る婦人英国を発してブラジルに向ふ途中嬰児を遺して船中に死するやリヲ・デ・ジャネーロ市に在る友人之を夢見て船を迎へ嬰児を世話したりしといふの類である、之を心理学研究といへば深妙不可思議と做し、之を聖書の解釈といへば直に嘲笑するが如き軽薄なる態度に出づる勿れ、問題は|神が其〔付○圏点〕聖意|を人に伝へ給ふならば人の解し得べき方法を以てし給ふに非ざる乎にある〔付○圏点〕、我等が小児に意思を伝へんとするや必ず小児の解し得べき言語を以てする、小児に対し地球が回転すると言はずして「日が出で日が入る」といふも少しも怪むに足りない、神も亦斯の如き方法を以て我等人類に語り給ふのである、バビロンの時代に在て夢は人の最も重んじたるものであつた、故に神はネブカドネザル王に聖意を伝へんとして此途を選び給ひしは信ずるに難からざる事実である、其方法は一夜の夢なりしと雖も其内容は博大深遠であつた、世界人類の二千五百年の歴史の預言であ(294)つた、然らば夢なると否とを問はず何人も之を傾聴せざるを得ない。
 ネブカドネザルの見たる夢は一の大なる像であつた、偶像国バビロンに於て此夢を見たるは心理学の法則に背かない、像の頭は純金、胸と両腕は銀、腹と腿とは銅、脛《はぎ》は鉄、脚は一部は鉄、一部は脆き陶土であつた、而して見る間に一の大なる石塊の天然の山より転落し来りて其脚に衝突するや全像崩壊して粃糠《もみがら》の風に吹かるゝが如くに四散し、独り其石は世界大の山と成りて永遠に存在すと言ふのである、之が説明如何、ダニエルの解説を待たずして夢其ものゝ明白に示す所の真理がある、|像の頭部より脚部に至る迄其形の次第に分離し其質の益々悪化するに注意せよ〔付○圏点〕、像は何故に上より下に至るに従ひ漸次進化発達して遂に完全無欠の人として立たざる乎、何故に却て分離に分離を重ね悪化に悪化を続けて遂に行詰る頃人の努力に由らざる大なる石が之を破壊して自ら全地に充つるのである乎、|改造〔付△圏点〕か、|待望〔付△圏点〕か、|人の運動〔付△圏点〕か、|神の力〔付△圏点〕か、人類の将来歴史の終局は此二の一あるのみ、ネブカドネザルの見たる夢は此最大問題の解決を示すものである。
 
     但以理書第二章の研究(下) (一月廿五日)
 
 聖書を研究するに当ては大問題の解釈と共に之に附随する小教訓をも獲得しなければならない、恰も花束《ブーケー》を作るに顕著なる美花三四を中心として其周囲を幾多の小き花もて彩るが如くである、ネブカドネザルの夢に対するダニエルの解説を学ぶに先だち二三の注意すべき問題がある。
 其一は|ダニエルの謙遜〔付○圏点〕である、彼は多くの博士法術士魔術士カルデヤ人等の解くを得ざりし最も困難なる夢を独り自ら解き得るに拘らず王の前に出でゝ曰うた「我が此|示現《しめし》を蒙れるは凡ての生ける者に勝りて我に智慧ある(295)に由るに非ず、唯その解明《ときあかし》を王に知らしむる事ありて王の遂に其心に想ひ給ひし事を知るに至り給はんが為なり」と(三十節)、かくて己の深き謙遜を現はすと共に王の謙遜を勧むる所純然たる基督者の態度である、我等は仮令如何なる大任を負はしめられ如何なる成功を遂ぐると雖も言ふべき事は唯之のみ、曰く「我が為したるに非ず、キリスト此器を以て為し給ひしなり」と。
 其二は|神の〔付○圏点〕|人を〔付◎圏点〕|導き給ふ法則〔付○圏点〕である、ダニエルが王の一度び忘れたる夢を示されたるは確かに奇跡であつた、而して勿論奇跡を排斥して聖書を解する事は出来ない、神は或時は直接に其聖意を示し給ひ又或時は超自然的の奇跡を行ひ給ふ、然しながら|奇跡に自ら進歩あり順序がある〔付○圏点〕、神は直に大奇跡を行はず先づ小奇跡を以て始めて徐々として大奇跡に及び給ふのである、ダニエルの場合に於ても明かに然うであつた、其第一の奇跡は野菜と水とを以て美食者に勝る健康を維持したる事であつた、第二は即ち現在の場合にして前者よりは少しく大なる奇跡である、而して此後更に大なる奇跡が彼の上に臨んだのである、神は妄なる神ではない、我等を導くに法則を以てして歩一歩小より大に及び給ふのである。
 さてネブカドネザルの夢に対するダニエルの解説は次の如くであつた、曰く「金の頭は陛下御自身の国なるバビロンなり、次に銀の胸と両腕とは陛下に続て来る国にしてバビロンより劣り又分離したるもの、次に来るは銅の国にして腹と腿との如く初は一なるも後に二分すべく、次には鉄の国起りて甚だ強しと雖も之亦二分し殊に最後には十趾に分れて鉄の間に脆き陶土を交ふるに至らん、而して此所に至り天の神自ら永遠の国を建てゝ之を以て諸の国を打破り給はん」と、此解説はダニエルなる政治家的気質の人がバビロンなる偶像国に於て示されしものなる事を忘れてはならない、故に|その夢の形は全然バビロン的即ち偶像的〔付○圏点〕である、当時バビロン市中至る所(296)此種の偶像の建立せらるゝありてネブカドネザル王も日々之に目を触れたのである、従て彼が偶像を夢に見たるは心理学上の法則に合致する自然の事であつた、又ダニエルは預言者なりしも彼はエゼキエル若くはヱレミヤの如き宗教家に非ずして純然たる政治家であつた、故に|彼の説明は政治家的〔付○圏点〕であつた、若し同じ夢をエゼキエル又はヱレミヤをして解釈せしめば或は他の方面を他の語を以て説明したかも知れない、然しながら政治家ダニエルが之を現世的に解説したるは当然の結果である、其形はバビロン的偶像的にして其説明は政治家的現世的であつた 然しながら|其精神は徹頭徹尾ユダヤ人的にして基督者的〔付○圏点〕である、|世界の政治的将来に対する基督者的解釈〔付○圏点〕、之がダニエルの説明の我等に教ふる所である、政治家の職分、其理想は現世に於てある、世界の将来如何は彼等の最大関心事である、而して大政治家ダニエルがヱホバの神を仰ぐユダヤの国民としてエゼキエル、ヱレミヤ等と均しき大預言者の精神を以て此問題を解釈せんと試みたのである、然らば世界は果して彼の解釈の如くに成行きつゝある乎、人類歴史は果して彼の預言したる途を敢て進みつゝある乎、是れ実に至高の興味ある重大問題である。
 更に余輩をして一言せしめよ、|神は全世界全宇宙を支配するに唯一の法則を以てし給ふ〔付○圏点〕のである、宗教然り政治然り物理然り生理然り、宇宙万物を支配する法則は水一滴を支配する法則と異ならない、神が日本国を導くの途は我一人を導くの途と同一である、詩人ヲルヅヲス曰く「我若し一茎の草の生ふる法則を知悉せば全宇宙を解し得るならん」と、言は決して誇大ではない深き真理である、世に花一片又は指一本をすら知り尽したる者あるなし、之を知る者は即ち全世界を知る者である、|大政治家ダニエルはネブカドネザルの短き一夜の夢の中に人類全体の運命を観察した、バビロン以降世の終末に至る迄数千年に亘る世界歴史の変遷を彼は一眸の下に収めたの(297)である〔付○圏点〕、誠に日本国百年の将来を十語を以て示す事が出来る、歴史上一時代の出来事の中に凡ての時代の縮図を認むる事が出来る、恰も高山の巓に立ちて大河の流を望めば其水源より其河口迄を見透し得るが如くダニエルも亦一箇の像の中に全世界の政治的将来を悉く瞥見したのである、故に解説は簡単なりと雖も之を以て世界歴史の全体に適用すべきである。
 バビロンは最初の|世界王国〔付○圏点〕であつた、世界王国とは全世界を配下に置きたる国家を謂ふ、ネブカドネザル治世の第二年彼は唯一の競争国埃及を倒すに及び世界の文明国は彼一人の支配に属するに至つたのである、ネブカドネザル位に在る事四十有三年、後彼の一子二孫の三代を経て金の頭なるバビロン国は滅亡した、之に代りし世界王国は|ペルシヤ〔ゴシック〕であつた、然しながらペルシヤ王国はバビロン王国に比し其統一の薄弱なるに於て確に金に対する銀であつた、後二百余年にして歴山《アレキサンダー》大帝の|ギリシヤ〔ゴシック〕王国が代つて世界王国の地位を占めた、希臘王国は其地域広く其文明の進みたる点に於てペルシヤ王国に勝りしと雖も其結合力に於ては更に之よりも弱くあつた、故に之を銀に対する銅に比する事が出来る、次に起りしはローマ帝国である、此帝国は甚だ強大なりしと雖も其中央的権力は益々衰退して帝王の勢力は下民に移り最も平民的なる世界王国であつた、故に之を鉄に比する事が出来る、金国銀国銅国鉄国、之に相当するものがバビロン、ペルシヤ、希臘、羅馬である、而して此四大世界王国に各々適当なる代表者があつた、曰くネブカドネザル、曰くクロス、曰くアレキサンダー、曰くシーザー之である。
 シーザーを以て代表せられたる世界王国羅馬は果して既に亡びたのである乎、否|羅馬帝国は未だ亡びない〔付△圏点〕、現在の欧羅巴が尚羅馬帝国の継続である、羅馬の歴史を知らずして近世の西洋歴史否世界歴史を解する事が出来ない、今日我等を支配する法律は何ぞ、羅馬法である、カイゼルと称して世界の禍乱を招きたる者は誰ぞ、彼は自(298)らシーザーを以て任じたものである、独逸、伊太利、仏蘭西、西班牙、之れ皆羅馬帝国の後身である、羅馬は今尚亡びない、然らば現今の時代はネブカドネザルの見たる像の何れの部分に当るのである乎、金銀鋼鉄の時代は既に過ぎて今は其脚部の鉄と陶土との混合せる時代に入りつゝあるのである。
 然り時代は順を追うて既に此処に達したのである、初にバビロン王は完全なる独裁君主であつた、然るにペルシヤに入るや王族の一団ありて王を制御し所謂寡頭政治を行うた、更に希臘に至ては少数者の意見を本とする貴族政治となり、羅馬は建国の当初より平民政治であつた、シーザー彼自身が兵卒に由て選挙せられねばならなかつたのである、かくて「我即ち国家なり」との有名なるルイ十四世の言を正当に発し得べかりしものは唯バビロン王あるのみ、爾来寡頭政治より少数政治に、少数政治より平民政治に移りて、金の頭を以て始まりし像は既に鉄の両足に降つたのである、而して今や盛に我等の耳目を衝き来るものは何である乎、曰く解放、日く改造、曰く民主々義、曰く普通選挙と其期する所は一である、即ち|政治を中央的権力より分離して国民全般に及ばしめんとするのである〔付○圏点〕、斯の如くにして老若男女皆其欲する所を行はんとす、|之れ即ち鉄の間に陶土の混りし最下部の時代に到達したる徴候ではない乎〔付○圏点〕、かの露国に起りし過激派の如きに至ては殆ど其極に達したるものである、殊に其国は近頃迄専制君主ザーの支配したる所である、然るに晴天霹靂一朝にして頭足其地位を換へ、王子王女は王の面前に於て虐殺せられ王も亦屠り去られて今や政権は全く下層社会の掌握する所となつた、而して其勢力は益々強大にして東はオムスク、イルクツク、バイカルを超え南は印度土耳古トルキスタンの境に迄及ばんとするのである、否独り露西亜のみではない、過激思想は既に伊国に侵入し更に米国を襲ひつゝある、米国は自治の国にして最も整頓したる国なりとは人の信じたる所であつた、然るに何ぞ図らん昨年十一月の交《ころ》に起りし一事件は(299)全く此信任を裏切りて識者をして驚愕措く能はざらしめたのである、事ははボストン市に於ける空前の騒擾であつた、ボストンー清教徒《ピウリタン》の都にして米国に於ける最も健全なる思想の中心、学問の淵叢なるそのボストンの市《まち》に於て巡査の増俸運動より引続き彼等の同盟罷業が行はれた、彼等は自己の要求にして容られずんば某月某日の午後二時より警察事務を廃すべきを宣言した、此時ボストンの識者等は思うたであらう、多年自治に慣れて完全なる民主々義の行はるゝ我がボストン市である、エマソンとホーソンとを出した我がボストン市である、警官の罷業何の恐るべき事かあらんと、然るに見よ当日予定の時刻の近づくと共に市中幾千人の下層民は手に手に石又は棍棒《バツト》を携へて街頭に蛸集し来りて時の至るを待つた、而して時針一度び二時を指すや忽ち窓硝子を破り婦人を辱かしめ商店に突入し宝石衣服を強奪し乱暴狼藉至らざるはなかつたのである、噫之が基督教と哲学と文学とを以て築き上げたる自治の府たるボストンの出来事である乎、余は新聞紙上此報を得し時痛歎の余り家人に告げて曰うた「我が日本に於て果して斯の如き現象を見得るであらう乎、若し見たとすれば市民は義勇巡査となりて市の秩序を守るであらう」と、然しながら如何せん事実である、|文明の都府も皮一重を剥げば此乱脈である〔付○圏点〕、今日社会の秩序を維持するものは思想ではない信仰ではない基督教の感化力ではない唯警官の帯剣あるのみ、無政府的精神の最も深く且広く人類の脳中に浸潤したるは実に二十世紀の今日である、一朝制裁を撤廃せん乎世界を挙げて過激主義に化するであらう、斯の如くにして二千五百年前に於けるダニエルの未来観は誤らなかつたのである。
 |今や世界の人心に大なる不安がある〔付○圏点〕、全陸面の七分一を占むる大露国は過激派の跳梁に委ねられて平和と信頼とは地を掃うて去り、幾百億の国債は放棄せられ数枚のルーブル紙幣を以てして一片のパンを購ふ能はざるの状態である、而して同じ社会的亀裂は全地に行渡らんとしつゝある、之れ誠に世界の行詰りではない乎、此時に当(300)て人類を救ふものは果して何である乎、人は切りに解放を叫び改造を唱ふ、然しながら何人も解放又は改造に由て世界の救はるべきを信じない、之を叫び之を唱ふる者は確信よりするに非ずして他に往くべき途を知らざるが故のみ、現今我国に在て喧囂たるものは普通選挙の運動である、然しながら誰か普通選挙の実行に由て此国を完全ならしめ得る事を信ずる者があらう乎、否之に由て議会の完全に廓清せらるべきを信ずる者はない、世界は普通選挙又は解放又は改造に由て救はれない、世界は進化論者の称ふるが如くに徐々として改善せられない、否却て益々混乱しつゝある、今や誠に人心に大なる不安がある、|然りと雖も我等は知る〔付○圏点〕、|此大なる不安こそは最後の救の近づきつゝある前兆なる事を〔付◎圏点〕、現時の世界的混乱に尋ぐ者はネブカドネザルの復活ではない、歴山又はシーザーの再来ではない、|万物を己に従はせ得る力を有する主イエスキリストの再臨である、彼れ来りて此度こそ全世界に平和の王国を建設し給ふのである〔付○圏点〕、かのネブカドネザルの見たる夢に於て一の大なる石の人手に由らずして山より斫られて出で鉄と陶土との混淆せる像の双の脚を撃ち砕きて而して自ら大なる山と成りて全地に充ちたりしは即ち之である、金の頭を以て姶まりたる像は遂に鉄と陶土との混淆せる十趾に分裂して終る、然しながら此分裂と此悪化とは来らんとする大なる天然石の前兆である、世界の行詰りを歎くを止めよ、救の臨まんが為には斯く有らなければならない、|次に来るものは即ち人類の希望の実現である〔付○圏点〕。
 昔ユダヤに二人の愛国者があつた、彼等は共にヱルサレムが異邦人の為に蹂躙せられて全く昔日の面影を存ぜざるに至りし跡を訪うた、其時彼等の一人は涕泣して叫んで曰うた「噫神に選ばれたる我等イスラエルの首都は斯くも荒れ果てたる乎」と、然るに他の一人は楽しげに洪笑しつゝ答へて曰うた「否寧ろ喜ぶべし之れ聖書の預言の成就である、聖書には斯くあるべしと記さる、而して斯くありし後ヱルサレムは再び建て直さるべしと記さ(301)る、故に今の荒廃は畢竟最後の建設の前兆に外ならない」と、我等も亦然り、ネブカドネザルの金の頭がデモクラシーの陶土の脚迄堕落したるは憤慨悲哀不安に堪へない、然しながら此後に人の手に成らざる神の造りし大なる自然石が山より落下し来りてデモクラシーの双脚に衝突し而してネブカドネザル以来人の造りし一切の者が破壊せられて永遠の神の国が建設せらるゝのである、然らば過激思想何かあらん民主々義何かあらん、キリストの王国は目前に迫りつゝある、之れ誠に楽しき事ではない乎、ヱホバを讃美せよヱホバに感謝せよである。
 或は曰ふ「若し然らば我等は一切の活動を廃止し手を拱《こまぬ》きて待つべきのみ」と、斯の如き嘲笑の辞は多く神学者が卓上の論議より来る、然しながら事実は其反対である、ダニエルの生涯を見よ、後に此信仰ありしが故に他の政治家等の戦々競々として失望落胆を繰返せる間に彼れ独り儼然として立ちて二王朝五代の王に仕へ七十年間其最善を尽して世界の民を救ひ以て偉大なる政治家的生涯を終つたのである、|聖書を其儘に信じキリスト再び来りて神国を建て給ふ事を信ずる者と然らざる者との間に一の大なる差別がある、之を信ずる者は少くとも失望を知らないのである〔付○圏点〕、我事業失敗に帰すとも失望しない、世が我を認めずとも失望しない、仮令我一人となるとも失望しない、神の我を用ゐて為し給ふ事の必ず無益に終らざるべき確信あるが故である、キリスト再び来り給ふ時に其果を結ぶのである、故に人は解放を叫び改造を唱ふるも我等は顧みない、全世界が大なる不安に襲はるゝも我等は恐れない、我等はたゞ孜々として神の命じ給ひし事を力むるのみ、憐むべき人に冷水一杯なりとも与へん事を力むるのみ、預言者ダニエルは恐るべきバビロンの滅亡に遭遇するも尚其望を来るべきの国神に繋いで独り泰然として立つた、我等も亦然り、今より後或は驚くべき報知が我等に達するであらう、戦慄すべき事件が発生するであらう、然しながら我等は恐れない、之れ皆救の近づきし兆である、|故に全世界に大破壊の臨むことあ(302)るも我等は忠実に日毎の勤務に当りながら却てアーメンハレルヤを叫ぶのである〔付○圏点〕。
   王よ汝は諸王の王にいませり………汝は即ち此金の頭《かしら》なり、汝の後に汝に劣る一の国興らん、また第三の飼の国興りて全世界を治めん、第四の国は堅きこと鉄の如くならん、鉄は能く万の物を毀ち砕くなり、鉄の是等を悉く打砕くが如く其国は毀ち且砕く事をせん、汝その足と足の趾《ゆび》を見給ひしに一分は陶人《すゑものし》の泥土《つち》一分は鉄なりければその国は分裂したる者ならん、又汝、鉄と粘土《ねばつち》との混和《まじり》たるを見給ひたれば、その国は鉄の如く強からん、其足の趾の一分は鉄、一分は泥土なりし如く、其の国に強き所もあり脆き所もあらん、……この王等の日に天の神一の国を建給はん、是は何時までも減ること無らん、此国は他の国に帰せず 却てこの諸の国を打破りて之を滅せん、是は立て永遠に至らん、かの石の人手に由らずして山より鑿《きら》れて出で、鉄と銅と泥土と銀と金とを打砕きしを汝見給ひしは即ち此事なり(但以理書二章三六−四五節)。 〔以上、3・10〕
 
     但以理書第三章の研究 (二月一日)
 
 但以理書第三章はダニエルの三友人がネブカドネザル王の築きし像を拝せざりしが為め炉中に投入せられたるも神の助けに由りて救ひ出されたりとの記事である、事は真か偽か、歴史か小説か、我等は先づ基督者としての立場より其中に如何に深き真理の籠れるかを学びたる後徐ろに之を判決すべきである。
 茲にネブカドネザルの立てたる像は巨大なるものであつた、其高さ六十キユビト、其幅六キユビトといふ、一キユビトは一尺五寸乃至一尺八寸なれば此金像は少くとも高さ九丈、幅九尺あつたのである、我国に於ける奈良(303)の大仏は聖武天皇の代、天平十七年即ち紀元後七百四十五年の作であつてネブカドネザル時代より後るゝ事千三百年である、而して其高さ五丈三尺五寸、幅一丈六尺、之に要せし銅七十三万九千斤、錫一万二千斤、金六古五十二斤、水銀若干である、当時能く斯の如き建造物を築き得たる者は世界に二人ありしのみ、其一は日本皇帝にして他はコンスタンチノープルに君臨せし東羅馬皇帝なりとは或る歴史家の批評である、然るにネブカドネザルの築きし像は如何、其高さは殆ど奈良の大仏に倍し而も其全部が純金である、以て大王ネブカドネザルの勢力如何と彼に強要せられて尚此像を拝せざりし三ユダヤ人の苦衷如何とを察する事が出来る。
 バビロンには既に幾多の大像ありしに拘らず茲に又ネブカドネザルが新なる像を築きしは何故である乎、蓋し彼は先に夢にて一の大なる像を見其金の頭が自身を代表する者なる事を神より示されしにより神に関する観念が彼に起つたのではない乎、而して彼は素《も》と偶像国に人と成りし偉人なるが故に此の神を表現せんが為に新たに一の大なる像を築かんと欲したのではない乎、此像は之をベルともネブとも呼ばざるに注意せよ、|ネブカドネザルは誤つて霊なるヱホバの神を形に表はさんと欲したのである〔付○圏点〕、凡て偉大なる啓示を受けたる時は之を己が有する思想に由て表現せんとするは人の自然的心理である、我国に基督教の伝へらるゝや儒者は之を儒教的に、真宗信者は之を阿弥陀的に解釈せんとする、ネブカドネザルは偶像国の王であつた、故に彼はダニエルより伝へられし神を表さんと欲して大なる金像を以てしたのである、之れ憐むべしと雖も同情すべき思想である、正直なる偉人の牲椅を物語る一の材料である、古来世界を支配したる偉人は少くない、就中最も偉大なりしネブカドネザルは又最も愛すべき人物であつた、彼は正直にして自己の信ずる所を行ひ誤れば直に之を悔改めた、彼は意に満たざる時は怒つた、而して怒る人は信頗するに足る人である、カーライルは其英雄伝中マホメツトを評して曰ふ(304)「彼の愛すべきはかの額上の青筋にあり」と、ネブカドネザルも亦此種の人物であつた、彼は自己の思ふ所を直に其儘実行せんと欲した、彼が新しく己に伝へられたる神を万民に示さんが為に自己の理想に由て大なる金像を建設したるは又彼の性質を表はす好箇の材料である、聖書は人物の真相を描写するに於て実に完全無比である。
 彼は州牧、将軍、方伯、刑官、庫官、法官、士師及び州郡の諸有司を召集して其像を拝せしめたといふ、即ち大臣将軍牧民官裁判官警察官其他全国の官吏を召集したのである、民の既に拝する像に非ず新しき神の像を自己の権能に由り全国民をして受けしめんとの独裁君主の所為である、彼は奏楽と同時に一同伏して其像を拝すべきを命じた、茲に列挙せられたる喇叭、簫、琵琶、琴、瑟、篳篥等の楽器の名称の翻訳は甚だ不完全なるも古代楽研究の面白き参考資料である、喇叭は角の喇叭、琵琶以下は皆|絃《いと》の楽器にして最後に篳篥とあるはバビロン時代の楽器の名称として今日に残れるスンフヲニアである、此名は調和を意味しラテン語にてハーモニアといひ今は転訛してハーモニカと称せらる、バビロン時代のハーモニカとは羊又は牛の胃腑《ゐのふ》を乾製し之に管を貫きたるものであつた、即ち当時の音楽は皆吹奏楽又は絃楽にしてピアノ若くは太鼓等の如く叩くものはなかつたやうに見える。
 斯くの如き像の告成礼は今も之に類する事が度々行はる、即ち所謂銅像の除幕式之である、知事以下諸員皆出でゝ之に敬礼するのである、其の最も大規模にして全国的世界的なりしものがネブカドネザルの像の告成礼であつた、故に其儀式荘厳を極め何人も王の意を拒む者なく唯々として頭を像の前に垂れた、然るに茲に頭を垂れざる三人の者があつた、而して又自ら拝するが如き装ひをしつゝ実は彼等の挙動に注目せる佞人があつた、何時か彼等を陥れんと欲して其欠点を探索しつゝあつたのである、斯の如き輩が往いて王にかの三人の事を讒奏した、(305)王もし少しく深慮を有せしならば先づ讒奏者を詰責すべきであつた、然るに其心驕りし彼は憤怒に駆られ直に三人を呼び寄せて曰うた「汝等今一度奏楽の時に当りかの像を拝せばよし、然らずんば国の法令に従ひ火の炉に投げ入るべし」と、之に対する三人の答は勇敢にして又謙遜であつた、「陛下よ、此事に就ては我等答ふるに及ばず、我等の仕ふるヱホバの神はもし聖意ならば燃ゆる火の中より又陛下の手より我等を救ひ出し給はん、若し然らずしてたとへ我等は焼き殺さるゝとも陛下よ乞ふ諒せよ、我等は陛下の神に仕ふる能はず又陛下の築きたる金像を拝する能はず」と、彼等は斯の如く断言した、之を開いて王は怒らざるを得なかつた、そは唯に彼等が自己の命を拒みしが故のみならず更に他の理由があつた、王は彼等の拝するヱホバの神を自己の理想により形に表はしたのである、故に彼等が此像を拝するは当然ではない乎、王の申分は此処にあつた、然しながらイスラエルの三人はモーセの十誡第二条を信じて居つた、曰く「汝自己の為に何の偶像をも彫むべからず」と、然り|仮令ヱホバの神の偶像なりとも之を拝すべからず〔付○圏点〕である、彼等が断乎として之を拒みし所に深き理由があつた、今日の日本に於てもヱホバの神を何かの形に表はして拝せば基督教を国民化すると共に一面に於て基督者の心をも代表するを得べしと考ふる者が少くない、然しながらヱホバの神と雖も之を偶像として拝する時に信仰は其生命を失ふのである、今より二千五百年前に三人のユダヤ人がネブカドネザル王の前に立ちて此確信を維持したるは実に全人類に対する偉大なる貢献であつた。
 茲に於て王は怒り炉の火を常よりも七倍熱くしてシヤデラク、メシヤク及びアベデネゴの三人を其衣の儘に其中に投ぜしめた、然るに火は余りに熱くして彼等を運びし勇士自身焼かれて死したるに拘らず彼等三人は何の害をも受けず且王は|尚一人の神の子の如き者の彼等と共に火中に歩み居るを見た〔付○圏点〕のである、火が果して人を焼かざ(306)るか否かは別問題として茲に一二の注意すべき事実がある、其一は|彼等三人は此時自己の必ず救はるべきを予想せず却て死を決して炉中に入りし事〔付○圏点〕である、彼等は勿論神が自己を救ひ得る事を信じた、然しながら其れは聖意に適はゞである、|若し然らずとも〔付△圏点〕彼等は王の命に従ふ事が出来なかつたのである、生命は貴重である、然れども生命よりも更に貴重なるものがある、神の律法即ち之である、彼等は律法を守らんが為に生命を棄てんと欲したのである、我等も亦屡々之に類する試験に遭遇する、而して或場合には実際に於て焼かるゝのである、英国の殉教者ヒユウ・ラチマー及び其友人リドレーの経験の如きは其一例である、彼等二人は天主教徒の為めオクスフオード大学の門前にて焼き殺された、其時ラチマーは火中よりリドレーを呼んで曰ふた「見よ我等を焼きつゝある此火がやがて我が英国を焼尽すべき信仰の火と成るのである、故に喜んで焼かれん」と、かくて彼等は衆人の前に神を讃美しつゝ焼かれて死んだ、彼等の此覚悟が又ダニエルの三友人の覚悟であつたのである、神は或場合には驚くべき奇跡を行ひ給ふ、奇跡なくして基督教はない、然しながら三人が火に臨みし時彼等は神の必ず自己の為に奇跡を行ひ給ふ事を予期しなかつた、彼等は仮令焼かるゝとも断じて偶像を拝する能はずと決心したのである。
 又三人の火中に投ぜらるるや不思議なる現象が起つた、三人の他に尚一人神の子の如き容を為したる者の彼等と共に在るありて彼等は火の害より救はれたのである、之れ実に貴き信仰実験であつた、今日の基督者は火中に投ぜらるゝ虞れ尠しと雖も而も今日尚小ネブカドネザルは至る所に於て在る、政治界の領袖中にある、会社の重役中にある、官庁の上官中にある、或場合には小学校の校長中にすらあるのである、彼等は自己の勢力を張らんが為め若くは配下の服従を要求せんが為め種々なる偶像を拝せしめんとする、而して弱き基督者は何とか説(307)明を附して其要求に応ずるも、稀に或る基督者ありて己が頭を一寸垂るゝと否とにより其永遠の運命の定まるべきを信じ断乎として要求を斥くるのである、茲に於て小ネブカドネザル等も亦怒りて彼等を火中に投ぜんと欲する、現代のネブカドネザルの火は外より来らずして内より来る、即ち|食糧供給の断絶である、生活問題の圧迫である〔付△圏点〕、其時彼等基督者に餓死の危険がある、彼等は神必ず自己を救ひ給ふと言ひて自ら定むる事が出来ない、経済上の法則は彼等の上にも及ぷであらう、然しながら其れにも拘らず真正の基督者は断じて偶像の前に頭を下ぐる事が出来ないのである、外には友人と親族と新聞記者との反対あり、内には生活問題の危険ありて、唯一人ヱホバの聖名の為に立つ時其苦衷如何ばかりぞ、|斯の如き時に当り一人の神の子の容を為したる者我等と共に在るありて我等の手を取りて励まして曰ふ「恐るゝ勿れたとへ全国全世界が汝に反対するとも何かあらん、全人類が挙りて汝を圧迫するとも何かあらん、万物を己に従はせ得る我れ汝と共にあればなり」と、茲に真の平安がある自由がある感謝がある〔付○圏点〕、一朝各自の上に斯の如き運命の落ち懸りし時は試みよ、必ずや神の子イエス我と共に在りしが故に此恐るべき難関を通過するを得たりとの感謝の声を揚ぐるであらう、地方の基督者にして職に在る事数十年忽焉信仰の為に之を奪はるゝ者がある、其時何と言ひて彼を慰むべき乎、曰く「シヤデラク、メシアク、アベデネゴの経験に就て見よ、汝は決して単独にて此試錬に遇ふに非ず、一人の神の子必ず汝と共にあるなり、故に往け」と、斯く言ひて基督者を励ますに足る、|若し此試錬を恐れて逃るゝ者あらん乎、彼は即ち人類として有し得べき最上の友なる神の子を見るの機会を失うたのである、之れ誠に最大の損害である、生ける神の子を己が側に有ち得るの経験〔付○圏点〕……|此貴き経験は哲学の研究に由て来らない、神学の精通に由て来らない、唯死を決して信仰を維持するに由てのみ来るのである〔付○圏点〕、故に福ひなる者は我等苦めらるゝ基督者《クリスチヤン》であつて憐むべき者は却て万(308)歳を叫べる小ネブカドネザル等である、彼等の迫害を恐るゝ勿れ、信仰は信仰、生活問題は生活問題なりと言ひて之を免かるゝ勿れ、神の子を友として己が側に置くその名誉ある千載一遇の機会を失ふ勿れ、|基督教を最も能く解する者は誰である乎〔付○圏点〕、英国の大監督である乎、ケムブリツヂ又はシカゴ大学の博士である乎、否、|信仰の為に迫害を受けたる者こそ其人である〔付○圏点〕、火の中に在りて神の子の容を為せる者の己と共に歩みし経験を有してこそ神の何たるかキリストの何たるかを解するのである、此経験を有せる者は仮令如何なる階級に在り如何なる学位を戴き如何なる職権を握ると雖も遂にキリスト教を解する事は出来ないのである。
 但以理書第三章の記事は果して真である乎偽である乎、其問題を定めんと欲して或は用語の新旧を論じ或は特殊の楽器の時代に就て云々する学者がある、然しながら斯の如き研究は末節《すえ》である、|試に此三人に類する経験を嘗めよ、然らば誰か此記事の真実を疑ふものがあらう乎〔付○圏点〕、我等の信仰を彼等の立場に置きて此書は実に我が書である、高等批評何ぞ恐るゝに足らん、但以理書を偽作なりと言ふ者は未だ奇跡的に神より救はれたる経験を有せざる人である、若しダニエルの三友人に関する此記事が偽ならんには我等の信仰の根柢が動かざるを得ない、否、天地は動くとも神の言は動く能はずである、聖書が果して神の言なりや否やは神学上の問題に非ずして実験上の問題である、神は我等をして聖書を解せしめんが為め幾多の小ネブカドネザルを遣りて我等をして迫害の中に神の子と共に在るの経験を有たしめ給ふ、故に斯の如き機会の与へられし時は感謝して之を受くべきである、|神の子と共に火中に陥るは彼を離れて安全なるよりも遙に幸福である〔付○圏点〕。
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(309)    但以理書第四章の研究 (二月八日)
 
 此章の記事はダニエル自身の語ではない、ネブカドネザル王の勅諭である、王が自己の実験を以て大なる真理を学びたれば之を全世界に告知せんと欲して勅諭を発したのである、中に「至高《いとたかき》者人間の国を治めて自己の意《こゝろ》のまゝに之を人に与へ給ふ」との語三度び繰返さる(十七、廿五、卅二節)、此大なる真理を普く一切の者に知らしめ神を讃美せしめんとするを目的としたのである、故に曰ふ「我れネブカドネザル今は天の王を頌め讃へ且崇む、彼の作為《わざ》は凡て真実、彼の道は正義、自ら高ぶる者は彼能く之を卑くし給ふ」と(卅七節)、神は高き者を卑くし卑き者を高くし給ふ、之れ万人の覚知すべき人生の最大事実である、有名なる歴史の祖ヘロドタスが史筆を執りし動機は神が嫉みの神にして人の己より高くするを許し給はざる事を知らしめんが為であつたといふ、但以理書第四章に載せられたるネブカドネザル王の勅諭も亦同一の精神より出でたのである。
 注意すべきは此時に於ける王に対するダニエルの態度である、彼れ王の前に出て王の夢を聴き王の為に心に深く畏れた、昔時の国家は其存在王の一身に懸りしが故に王に禍の臨むは即ち国家の禍であつた、ダニエルは王の夢に於て来るべき世界の動乱を予見したのである、故に王が「汝懼るゝに及ばず」と言ひしに対し答へて曰く「陛下よ願はくは此事汝の敵に及ばん事を」と、以て大事件の発生を暗示し最後に王に勧めて曰うた「されば陛下よ我が諌を容れ義を行ひて罪を離れ貧者を憐みて悪を離れよ、然らば此禍或は陛下に及ばざらん」と、|但以理書の読者は注意して其中に現はれたるダニエル及び彼の三友人の信仰と其謙遜と其勇気とを学ばなければならない〔付○圏点〕、此処に於て亦然り、若しダニエルに卑しき心ありしならんには此時こそ王を抑ゆべき時にして王の上に己(310)が権力を揮ひて全国に勢力を張らんと企てたであらう、乍然彼は少しも自己を憶ふ事なく唯王を愛し王の為に懼れ敢て諌言を呈して憚らなかつた、茲に真個の忠臣がある、群臣皆王の側に在りて戦々競々ひたすら其意を迎へん事をのみ努むるに当り独り其顔色を犯して好意的忠言を奉りたるダニエルは誠に謙遜にして勇敢なる基督的紳士であつた。
 ネブカドネザル王が此夢を見たるは始めに像の夢を見たる時より三四十年後の事であつた、彼は先に強敵エジプトを平げて天下を一統したる頃、像の夢に於て己が王国の運命に就き神より警告を受けたが、爾来此時に至る迄の間に偉大なる事蹟を挙げた、彼は武勲に於て無比なりしのみならず内治に於ても亦卓抜なる帝王であつた、殊に彼の特別の技能は大建築大工事を起す事にあつた、彼の性質を学ぶに当り参考に資すべきは|我国の太閤秀吉〔付○圏点〕である、彼も亦武を以て我国を統一したるのみならず大建築に興味と鑑識とを有し、姫路伏見の堅城、法興寺の大仏等を建てゝ最後に難攻不落の大阪城を築いた、太閤の事業に十倍百倍せるものがネブカドネザルの其れである、彼の築造に係るバビロン城市は其規模の宏大と其構造の堅牢と其結構の荘麗とに於て驚くべきものであつた、殊に外敵の侵入に対する防禦法は至れり尽せりと称すべく当時の武器を以て幾万人の之を政むるあるも遂に陥落すべからざる堅城であつた、而して十四哩四方の廓内には大なる疏菜園を設けて敵の包囲幾年に亘るも食糧に窮せざるを期した、其他市街を飾りし彫刻又は門等皆荘麗なる建築にして、凡そ世界王国の首府たるに必要なる大工事は悉く之を完備したのである、|既に外は天下を一統し内は平和の設備を完成して位に在る事三十五年、大王ネブカドネザルは今や正に成功の絶頂に於てあつた〔付○圏点〕。
 人生の成功! 之れ万人の欲求する所である 天下幾千万の青年男女誰か成功を望まざらん、其生涯中に遂行(311)すべき事業を夢想して彼等は皆成功に憧るゝのである、曾て外国に“Success”と称ふ雑誌ありて幾十万の読者を有した、今日書店の店頭を飾る無数の雑誌亦一として成功の途を教へざるはない、之れ成功が凡ての人の欲望たるが故である、然るに茲に殆ど完全に成功したる人があつた、今日我国又は世界の成功者と雖も何人か彼れネブカドネザルに比すべき者があらう乎、彼は全世界を自己の有とし最大の都府と最大の宮殿とを築き而して国を統ぶる事既に三十有余年、顧みれば成功また成功、自己の生涯之れ成功の連続であつた、然り彼は成功者中の最大成功者であつた。
 |危険なるものにして人生の成功の如きはない〔付○圏点〕、若し我子に成功の連続のみありて一も失敗の臨むなくんば危険此上なしである、ネブカドネザル王が成功の絶頂に在りし時彼は即ち危険の絶頂に立つたのである、|彼の成功は彼をして専ら自己に頼らしめ自己を造りし神を忘れしめんとした、茲に於てか此恐るべき夢は大なる警告として彼の上に臨んだのである〔付○圏点〕、夢は一の大樹の運命に関するものであつた、地の中央に一本の高き樹ありしが次第に成長して天に迄達し世界を覆ふに至つた、然るに一人の警寤者あり来りて告げて曰ふ、此樹伐り倒さるゝ時あらん、而して其根の上の切株地に遺りて雨に曝されん、かくて七の時を経る迄野に存《のこ》らんと、而してダニエルは此夢に対し次の如き解釈を下した、曰く「陛下が今誇りつゝある所のバビロンの都府と国家とは悉く陛下の手より離れん、又陛下自身人たるの資格を失ひ獣と生活を等しくするの時来らん、故に大に誡めざるべからず」と。
 後十二箇月にしてネブカドネザル王は王宮の高楼に上り自己の造営に係るバビロン全市を観望して歎称の声を発して曰うた「此大なるバビロンは|我が〔付○圏点〕大なる力をもて建てゝ京城と為し之をもて|我が〔付○圏点〕威光を輝かすものならずや」と、眼前に展開せる自己の功業余りに偉大にして自ら誇らざるを得なかつたのである、見よ此荘観を、之こ(312)そ我が築造したる都府でない乎、今我が版図は北はザグロス山の彼方に至り西はアラビアの沙漠を超えてフイニシアに及び南は遠くエジプトを征服し文明世界の全部は我一人の有たるに至つたのである、如何に偉大ならずやとて彼の心は自負の念を以て充された、人或は之を評して僅かに十二箇月前にダニエルの警告ありしを彼は忘れたる乎と言はんも、若し他の人なりしならんには多分十二箇月をも待たなかつたであらう、然しながらネブカドネザル大王の此声を発すると共に大なる禍難は忽ち彼の身に及んだ、預言者の言は其儘に実現した、世界を己の有とせる大帝王が人間の分別力を失つて牛に類する者となつた、而して王は宮殿に在るを廃め匍匐して外に出で獣と共に青草を食ひつゝ七年の間露天の下に於ける生活を送つたといふ、而して七年を経たる後或時目を挙げ天を望みて祈りたれば又分別力突然に恢復して再び元の王位に帰り大臣諸有司等皆彼に仕へて威光大に増し加はつたといふのである。
 此記事の意味する所は何ぞ、人多く之を読んで驚く、恰も小児を喜ばしめん為の戯話の如く到底信ずべからざるものゝ如く見ゆる、然らば此処に又偽作の問題が起らざるを得ない、然しながら多くの学者が此問題を研究したる結果之に由て但以理書偽作論の証明たらしむる能はざるを知つたのである、ネブカドネザルの陥りし此精神状態は稀有の現象なりと雖も精神病学者の熟知する病気である、即ち獣の生活を模倣して全生涯又は或る期間継続する精神病であつて其実例は記録にもあり又現在もあるのである、但以理書第四章の記事を医学上より観察すれば此精神病の徴候を記述するの委しきに驚かざるを得ない、医学上其病名を Lycanthropy といふ、語源よりすれば「狼の人」即ち人が狼を模倣するの意である、邦語医学辞典には訳して「自信狼狂」といふ、然しこは「狼」に限らない、或は自ら信じて犬と做し或は猫、鶏、猿と做す、畢竟人間の或る精神状態に陥るや自ら人(313)間なるを思ふと同時に又他の動物なりと思惟するのである、ネブカドネザルの場合に在て其は「牛」であつた、|彼は世界王国の帝王なるに拘らず其精神に異状を来すや自ら牛なりと思惟して七年間牛に類する生涯を送つたのである〔付○圏点〕、或る医者の著述中自己の扱ひし患者の一人に自ら鶏なりと信じて人を見れば必ず羽搏《はゞたき》しつゝ鳴く者ありしを報じて居る、余自身も亦先年類似の実例に遭遇した事がある、余の米国滞在中白痴癲狂院に労働したる時であつた、余の扱ひし患者に十四五歳の小児にして全く猿の性質を有する者があつた、余は毎夜彼をベツドに入るゝ毎に其全身を彎曲して寝ぬる状態を見て人の寝態《ねかた》に非ざるを思はざるを得なかつた、彼の目といひ口といひ皆猿の如くであつた、殊に或時彼に自由を与へて其の為すに委せたれば彼の余に対する行動は平生余が彼に対する行動を其儘模倣するに過ぎなかつた、之れ亦同じ精神病の一種であつたのである、ネブカドネザルは斯種の精神病に陥つた、彼自身が牛なりと思惟して外に出て草を食み露に曝された、其身には毛を生じて鳥の羽の如くに成り爪は延びて鳥の爪の如くになつた、多くの医者は此記事を以てリカンスロピーに関する肯き記録の残存せる最良のものと做すのである、事実を実見せずして斯の如き記事を綴る事は出来ない、故に記事其ものが内容の歴史的真実の証明である、此点に関し蘇格蘭に於ける精神病学の泰斗ドクトル・ブラウンの著書は以て権威と為すに足る。
 凡ての病気は神の刑罰である乎、普通精神病の如きは斯の如く観察せられ今日尚ほ世界幾百万の精神病患者が神より棄てられたる者として扱はれつゝある、然し之れ確かに誤謬である、病気は或場合には刑罰たるの性質を有すと雖も普通の場合に於て斯く見る事が出来ない、少くとも治療上斯の如き見解を以てすべきでない、何人も我は精神病に罹らずと断言する事は出来ない、或は誤りたる投薬、或は高所よりの墜落、或は脳の過激なる使用(314)等皆精神病の原因たるを失はない、然し乍ら|ネブカドネザルの場合に在て此病気は刑罰に非ずんば警告であつた〔付○圏点〕、而して如何なる病気も之を警告として見る事が出来る、ネブカドネザル王に対する此警告は|全世界全人類に対する警告〔付○圏点〕であつたのである、|人は如何に偉なりと雖も神若し其手を〔付○圏点〕退《ひ》|き給はん乎忽ち無力とならざるを得ない〔付○圏点〕、仮令全世界を支配するネブカドネザルと雖も神は一瞬にして之を牛の如き者たらしめ給ふ、神の意に適はずば最も高き者が最も卑き者たらしめらろゝ事之れ人類の忘るべからざる大なる警告である、例へば学者ありて全生涯に亘り読書数万巻、其学識博大なりと言ふとも世界中毎年出版せらるゝ図書四五十万なるに比し実は言ふに足らず、殊に神若し一本のピンの尖端を以て其身体の一部を刺撃し給へば忽ち獣と均しき者に化するのである、偉大なる政治家として全国の尊敬を集むる者と雖も若し神の聖意に適はずんば今日唯今最劣等の人物となり犬、猿又は牛の列に迄降さるゝのである、此事を知つて我等は謙遜なる心を以て深く感謝せざるを得ない、|我等各自がネブカドネザルの如くリカンスロピーに罹らずして日々健全にして生活するを得る事其事が大なる感謝である〔付○圏点〕。或は此不平或は彼不満ありと言ふ、然れども試みに精神病院に入りて観よ、我等が彼等の如くならずして我等の頭に分別力の存《のこ》れる事其事が大なる感謝ではない乎、同事に此事は又我等に深き謙遜を教ふるものである、|人が其成功に誇る時は彼の墜落する時である〔付○圏点〕、世界最大の成功者ネブカドネザルがバビロンの壮観を俯瞰して「之れ我が力を以て建てしもの、我が威光を輝かすべきもの」と言ひし刹那に禍は遽然として彼の身に降つた、ヘロデ・アグリツパが敵を倒してヘロデ大王の国を譲受けロマより国に帰りてヤコブを殺しペテロを繋ぎ而してツロ及びシドンの者を引見して民より「汝は神なり」との讃辞を受け自らも爾か思ひし瞬間に彼は疫病に襲はれて息絶えた(便徒行伝十二章二十節以下)、又ダビデが其大臣ヨアブに命じて国中兵力に堪ふべき人口を算せしめイスラエル(315)より八十万ユダより五十万との報告を受くるや否や神の恚怒来りて彼は心大に苦しみ且つ国に三日間の疫病が臨んだ、ダビデといひヘロデといひネブカドネザルといひ、其嘗めたる経験は原理に於て同一のものであつた、彼等は皆自己の力に誇りし其時に墜落したのである、我等各自の数多の失敗も亦斯の如き時に起つたのではない乎、幸にして神は或は病気或は事業の蹉跌或は家庭の波瀾等思はざる警告を下して我等自身の力の誇るに足らざる事を知らしめ給ふが故に我等は再び分別力を回復して元の基督者《クリスチヤン》に復へるのである、此点に於て凡ての人がネブカドネザルである、小なる成功を誇りて神を忘るゝ小ネブカドネザルである「己が事業、己が軍功、己が研究、之を誇りて眼中敵なく神をさへ認めざる時に当り神は一杯の酒を以て歴戦の勇士を斃し一夜の変動を以て数億の資本の支配者を発狂せしめ給ふ、人は如何に偉大なりと雖も神の器具たるの外何物でもない、故に我等は己の力に恃む事なく謙遜以て神に仕ふべきである、而して我に分別力の存れる事、小なる仕事の与へらるゝ事、小なる家族の無事に今日あるを得る事につき深く神に感謝すべきである。
 近釆ネブカドネザルの如き粗雑なる高ぶりは甚だ減じたりと雖も、|高ぶりは次第に人類的たるに至つた、即ち栄光を神に帰せずして人類全体に帰し人類が神に頼る事なく己の文明に由て人道を行はんとする所謂人道主義又は人類崇拝主義〔付○圏点〕である、かくて野蛮時代は既に過去に属し永遠に再び之を見る能はずと信ぜられしは僅かに今より数年前の事であつた、然るに見よ其時|世界の基督教国が忽焉としてリカンスロピーに罹つたのである〔付○圏点〕、欧洲人が神を忘れて自己を偉なりと為したる其時にかの大堕落が起つたのである、実に英米独人等の間に交はされし激烈なる憎悪心と残酷なる行為とは我等の戦慄を禁ずる能はざる所である、「一億の金貨を入るべき桶は我等の間に無数に存在す」と誇りし米国人が恐るべきボストンの暴動を惹起したる獣的国民である事が判明した、成功は(316)我等の力ではない神の恵である、之を忘れて偉人も忽ち牛となり猿となる、誠に|人は謙遜の心なくして獣である動物である〔付○圏点〕、我等各自の五尺の体中皆斯の如き穢れたる素質を有するのである、茲に至て何人も主の前に謙遜ならざるを得ない、ネブカドネザル王は此真理を学ぶや直に勅諭を発して之を世界に布告した、故に国は彼の手より奪はれなかつた、大なる警告は彼をして謙遜ならしめた、若し彼の子孫も亦之を忘れざりしならばバビロン王国は亡びなかつたであらう、然るに彼の子孫は之を忘れて再び高ぶりの心を起したるが故にバビロンの大覆滅は襲ひ来つたのである、『驕傲《たかぶり》は滅亡《ほろび》に先だち、誇る心は傾跌に先だつ』である。 〔以上、4・10〕
 
     バビロン城の覆滅 但以理書第五章の研究(二月十五日)
 
 但以理書第五章は聖書中最も重要なる者の一である、殊に其記事の凄味に至ては世界文学中之に及ぶものはない、王の酒宴中宮殿の壁上或る手現はれて解すべからざる文字を書き王は之を見て戦慄したりといふ、シェークスピヤの傑作マクベスの曲に表はれし幽霊の物語も到底之には及ばないのである。
 但以理書は或る重大なる真理を伝へんが為に書かれたるものにしてダニエルの一代記又はバビロンの歴史ではない、故に其第一章より第五章に至る迄の間に既に数多の年月を経過して居るのである、第一章に於てダニエルは尚十五六歳の少年たり、第二章は二十歳前後、第三章は其後又五六年の事であつた、然るに第四章に至ては遙かに年|邁《すゝ》みネブカドネザルの功業略々完成したる時即ち彼が在位四十三年の最後より三四年の頃にてダニエルは既に齢六十に垂んとして居た、故に三四両章の間に殆ど四十年の隔りがあつた、第五章は更に後年の出来事である、茲に王べルシヤゲルはネブカドネザルの子とあるも之れヘブル語に所謂子である、|ヘブル語又はカルデヤ(317)語に在ては子孫を称して凡て「子」といふ〔付○圏点〕、恰も新約聖書の劈頭「アブラハムの子にしてダビデの子なるイエスキリスト」とあるが如くである、ベルシヤザルはネブカドネザルの血統を受けし者たるは疑なきも其幾代目の孫なりしかは明かでない、之を古き歴史と聖書の語句とより演繹するにネブカドネザルより二十二三年の後なりしを察する事が出来る、近来発見せられしバビロンの楔文字に由ればネブカドネザル王在位四十三年、次にアミル・メロダク之を継ぎ二年にして子リグリサルに位を譲り、其子ラバシ・メロダクなる幼帝は僅かに九ケ月にして簒奪せられ、其次に現はれし者がネブカドネゲル以来の大王ナボニダスである、彼はバビロンを支配する事十有七年に及んだ、而してベルシヤザルは彼の子であつた、故に王位継承の順序よりすればベルシヤザルはネブカドネザルより六代目である、然しながら大后出でゝネブカドネザルの事を彼に告ぐる時の口吻より察すればナボニダスの皇后は多分ネブカドネザルの女の一人であつたのであらう、然らばベルシヤザルは大王の孫である、此時ダニエルは既に八十に近き老年であつた、|大王死して二十年、王位の更代五人に及び今や大王の孫ベルシヤザルその父祖の余威を被てバビロンに君臨しつゝある〔付○圏点〕、俗に曰ふ「売家を唐様で書く三代目」と、初代創業者の功蹟の存否は多く三代目の如何に由て定まる、|バビロン帝国の浮沈を決すべき重き三代日の地位に当りし者は実にベルシヤザルであつた|、此事を知るは但以理書第五章の解釈上最も必要である、且又聖書研究の関ケ原とも称すべき但以理書の歴史的価値如何の問題に関しベルシヤザルなる人物の研究は重大なる関係を有したのである、曾てバビロンの発掘物中未だ一も此名を見ざりし頃但以理書破壊論者は彼を以て仮空の人物となし延いて但以理書其ものゝ偽作たる証拠と為したのである、然るに但以理書弁護論者が之に答へて「今少しく待て」と言ひし言は適中して古き記録中より遂に此名を発見するに至つた、かくてベルシヤザル論は其局を結びて今は何人も之を疑(318)はない、今は第五章の最後に表はるゝダリヨスに就て又同様の問題が繰返されつゝある、バビロンを亡ぼしゝはペルシヤ王クロスなりとは歴史家の信ずる所である 然るに此所にダリヨスとあるは如何、之れ但以理書弁護論者の前に提出せらるゝ難問の一である、然しながら此問題に就ても我等は又曰ふ、「待て」と、バビロンの古蹟は今日迄に多く発掘せられたりと雖も尚ネブカドネザルの宮殿の遺跡は三四の丘となりて未掘の儘に存して居るのである、其秘密を開くべき者は誰ぞ、今や其地は土耳古人より基督教国民の手に委ねられし故に世界の聖書学者は垂涎して待ちつゝある、彼等は自ら人夫を傭ひ鋤を携へ往きて之を発掘して|但以理書第五章三十一節の最初の説明者たるの名誉〔付○圏点〕に与らんと欲して待ちつゝある、学者に貴きは普通選挙労働問題等に非ずして斯る真理の探求である、而して先に問題たりしベルシヤザル論は既に終を告げた、考古学的趣味に富みしナボニダス王が楔文字《くさびもんじ》を以て瓦片上に其過去三千二百年間の歴史に関する記録を残したるが故に多くの事実が発見せられた、ベルシヤザルが彼の子にして父子同時に位に即きて国を治めたる事も亦其一である、故にダリヨス問題も亦明白に解決せらるゝ日が来るであらう、我等未だ触れざる材料に望を繋ぎて尚三四十年を待つべきである。
 ベルシヤザルは三十歳前後の若き王にして父ナボニダスと共に位に即いた、彼は淨薄にして無気力なる王であつた、其都はペルシヤ軍の囲む所たりしに拘らず弱将の常として一二の小勝利を祝賀せんが為め包囲中にありて大酒宴を開いたのであらう、彼は大臣貴族等一千人を其宏大なる宮殿に招いて淫楽に耽つた、宴酣なる時彼は其祖父ネブカドネザルがヱルサレムの宮より携へ来りて鄭重に保存したる祭事の器物を取り出さしめ、之を以て今日の醜業婦の如き者をして酒を飲ましめた、父祖の尊重したる物を殊更に愚弄して以て己の威力を示さんとするは軽薄漢通有の心理状態である、彼れベルシヤザルは思うたであらう「誰か我が堅城バビロンを陥るゝを得ん、(319)其城壁は三重にして上には高き櫓あり外には深き濠あり、之を破り得る者あらば試みよ、我が眼中敵あるなし、神も亦我を如何ともする能はず」と、然るに見よ、其荘大なる宮殿の壁上忽ち人の手現はれて何とも解し難き黒き文字を綴りつゝあるを、茲に於て先の英雄も忽ち猫の如くに萎縮戦慄し其腿の関節は弛るみ膝は相撃つに至つた、此時に当り唯一人の恐れざる者があつた、ベルシヤザルの母にしてネブカドネザルの女なる大后である、誠に平常柔弱にして危急の秋に却て勇剛なる者は婦人である、彼女は王に向て曰うた「汝は尚青年にして或は記憶せざらんも汝の祖父大帝の在位中一人のユダヤ人ありて幾度か帝の為に難問を解き危機を救へり、故に汝今彼を召ぶべし」と、依て思ふにダニエルは暫らく遠ざけられて居つたのであらう、然るに此時八十歳に垂んとする老預言者ダニエルは若々しき面色を以て王の前に出で来つた、王の彼に対する態度は傲慢無礼であつた、曰く「汝は我が祖父なる大帝がユダより曳き来りしユダの捕虜なる乎」と、此一言に由てダニエルは此青年の価値なき人物なるを知つた、而して王が「汝もしかの黒き文字を解き明さば紫衣金索を与へて汝を国の第三の牧伯(ナボニタス及びベルシヤザルに次ぐの位)となさん」と言ひしに対し、謙遜なるダニエルも此憐むべき王に表すべき敬意なしとして断然として答へた、曰く「汝の賜物は汝自ら之を取れ、汝の贈物は之を他人に与へよ、然れども我は汝の為に其文字の解明を与へむ」と、斯くて彼はバビロン大帝国の運命旦夕に迫れる事を宣告した、そは恰も先年トルストイが前露国皇帝に書を送り「陛下若し悔改めずんば露帝国は陛下の生存中に転覆せん」と預言したるに似て其れよりも尚権威ある態度であつた、而して彼の説明によれば其文字は「メネ メネ テケル ウパルシン」である、之を訳して「数へられたり、数へられたり、秤られたり、分たれたり」と言ふ、然しながらメネ、テケル、パルシンは何れも皆桝目の名である(ウは英語の and に当る)即ち或は「升、升、斗、半升」とい(320)ふか或は「貫、貫、匁、半貫」といふか、何れにせよ普通人の熟知せる語であつたのであらう、其語は平凡であつた、然しながら其意義は深遠であつた、預言者は此中に大なる真理を発見した、「数へられたり秤られたり分たれたり!」然り、時は来たのである、バビロンの滅亡は迫つたのである、ネブカドネザルの創めし大帝国は将にメデア=ペルシアの為めに分たれんとするのである、|ダニエルの解釈は独創的であつた、彼は此預言を神より示されたのである、「メネ メネ云々」の文字は唯之を発表すべき機会たりしに過ぎない〔付○圏点〕、余輩も亦預言者の精神を神より与へられなば此丸之内に設けられたる其々大会社に赴きて其社長重役社員等の所為を見、其処にある秤を取て「数へられたり秤られたり、此会社の運命は既に迫れり」と預言し得るであらう、ダニエルがバビロンの覆滅を知りしは他の材料に由てゞあつた、文字の解釈は彼に取て第二義であつたのである、而して彼の此預言を為すや即日ペルシアの軍勢バビロン城内に闖入し来りて酔へる君臣を屠り世界に此なき難攻不落の堅城は一夜の中に陥落したのである。
 以上は預言者の立場より見たるバビロンの終末である、同じ出来事を聖書以外の歴史家は如何に観察した乎、世界文明の最高潮に達したる大バビロンの滅亡を外側より如何に観察した乎之は興味ある問題である、希臘の史家ヘロドタスとゼノフヲン、バビロンの歴史家ベローサス又歴山時代のアビデナス等の記録に由て之を見るに、バビロンを陥れしクロスはバビロンの東方エラムの一部なる小国アンサンの王であつた 然るに此の取るに足らざる小王の一度び起つや疾風の如き勢を以て僅々二十年の間に世界に覇を称ふるに至つた、当時世界の列強としては言ふ迄もなく第一にバビロンあり、之に次で西北今の小亜細亜にリヂヤあり、北にメヂヤ即ち当時のマンダがあつた、然るにアンサン王クロス出でゝ忽ちリヂヤを屠りマンダを服せしめ最後にバビロンを抜かんとし(321)て迫つたのである、例へば今日希臘又はルーマニア等の小国俄然として奮起し二十年を経ぎる内に英仏を席巻《せきくわん》して更に北米合衆国をも攻めんとするが如き状態である、先にダニエルがネブカドネザルに向て繰返し警告したる「至高者《いとたかきもの》人間の国を治めて己の意のまゝに之を人に与へ又人の中の最も賤しき者を其上に立て給ふ」との真理が今やクロスに由て実現したのである、彼はペルシアのペルセポリスに都を築き之れを本拠としてバビロンに迫りつゝあつた、途中ギンデス川に差し掛るやクロスの車を牽きし馬にしてペルシヤの神アウラマヅダの神馬なりしもの一頭水に溺れた、茲に於てクロス王怒り先づ此の川を罰せんとて悠々として春より夏秋の候に亘りて三百六十本の小運河を穿ち以てギンデス川の水を分ちて之を消滅せしめた、而して後に彼はバビロンに向て進んだ、之を見し者は何人も思はざるを得なかつた「小人クロス何をか為さん」と、バビロン王ベルシヤザルが包囲の中に在りながら意とせずして宴楽に耽りし所以の一も亦此処にあつたのであらう、果してバビロンの防備は堅固にして之を陥るゝに甚だ困難であつた、但しクロスは曾て青年時代に此地に遊びて之を陥るべき途の何処にある乎を知つて居つた、そは一あるのみ即ち四角の城市の中央を貫通せるユフラテス川の水を低下せしむれば足る、此故に|彼は少許の兵を残して自ら上流に溯り先にギンデス川を消滅せしめたる技倆を茲に傾注して大ユフラテス川を無数の小川に分裂せしめた〔付○圏点〕、而して時来るや諸所の水門を悉く開きて其溢るゝ水をアラビヤの沙漠に吸はしめ、ベルシヤザル等の酒宴正に酣なる時突如として河底よりバビロン城内に躍り込んだのである、かくてバビロンは一夜の中に亡ぼされたりとは外側の記録が之を証明する事実である。
 但以理書第五章の最も良き註解は|黙示録第十八章〔付○圏点〕である、|後者は人類の物質的文明の最後の滅亡を語る、而して前者に現はれたる第一バビロンの覆滅は後者の預言である典型である、今日世人の謳歌する欧米文明又は基督(322)教文明なる物質的快楽主義の文明も亦其発達の極に達するや俄然として滅亡するのである〔付○圏点〕、見よ今日既にベルシヤザルの精神は基督教国に瀰蔓して居るではない乎、人類数千年の努力に由て成りし此文明が如何にして破壊すべき乎とは近代人の思想である、然し乍ら|神が第二のクロスを〔付○圏点〕遣《おく》|り給ふ時此盛なる文明も亦一夜の中に滅亡するであらう〔付○圏点〕、楔文字の示す所によれば今日人の珍重する銀行制度の如き其最も発達したるものが既にバビロンに於て行はれたのである、当時の瓦片に印したる帳簿又は切手類は今尚之を実見する事が出来る、思ふにバビロン人士は其財産をバビロンの国立銀行に委託して不安の何たるかを忘れたであらう、然るに一夜神命じ給うて「数へられたり秤られたり」との声何処よりともなく聞ゆるや三千年のバビロン文明は根柢より崩壊して信頼すべき銀行の受領証も一片の土瓦と化したのである、誰か今日の肉的文明も亦斯の如くにして滅びずと断言し得る者ぞ、誰か英蘭銀行又は米国々立銀行の銀行券の一夜にして反古に帰する日なしと断言し得る者ぞ、神は思はざる時小国アンサンの王を起して大帝国を覆滅せしめ給うた、其の如く彼は又我等の知らざる力を用ゐて遽然として此世界を覆滅せしめ給ふであらう、我等は現にその小なる実例を目前に実見しっゝある、今より数十年前露国皇太子ニコラス軍艦四隻を率ゐて我国に来り偶々津田三造なる者の為に傷害を被むるや全国の人心戦慄して此強大国の怒を恐れた、而して独り我国のみならず欧米諸強国皆大露帝国の前に畏怖しつゝあつたのである、然るに其現状果して如何、今日誰か露帝を憚る者ぞ、其ルーブル紙幣は僅に六銭を以て購はるゝではない乎、誠に物質文明の俄然的滅亡を預言する聖書の言は世の凡ての経済学者政治家の言に勝りて遙に確実である深遠である。
 茲に於てか我等は聖書の言に従ひて「大なるバビロンの中より出で」なければならない(黙示録十八の四)、|然らば我等は此のバビロン文明に頼るを止めて何に恃むべき乎、曰く聖書あるのみである〔付○圏点〕、――「千代経し磐」な(323)る聖書あるのみである、今より十年前に在ては基督者は平民主義を唱へて時代の進歩派を以て目された、然るに今は共産主義普通選挙等の論喧しくして基督者は却て時代遅れを以て評せらる、|基督者の立場は恰も海中に屹
立する磐の如きである〔付○圏点〕、干潮の時来らん乎、水は皆彼に向て曰ふ「何故其処に立つや、我等は大海に向て退く」と、而して水は皆引けども磐は独り儼然として立つ、やがて満潮の時来らん乎、水は又曰ふ「何とて斯くの如き処に止まるや、我等は皆岸に向て進む」と、而して水は進めども磐は依然として独り動かない、斯の如くにして干潮又満潮、幾度か之を繰返すであらう、然しながら|基督者は決して潮と共に進退しないのである。基督者はたゞ千代経し磐なる聖書に頼る〔付○圏点〕、之が為に或時は保守主義と嘲けられ或時は進歩主義と謗らるゝも顧みない、地の中心にまで達する千代経し磐なる聖書にのみ頼りて我等は永遠に動かないのである。
 視よ、此世の主義なる者の如何に短命なる乎を、忠君愛国が高唱せられ、基督教が非国家的宗教として帝国の大哲学者等に由りて叫び倒されんとせしは昨日の事であつた、而して今は如何、忠君愛国の文字其者さへが旧臭くして、人の之を口にするさへ恥づるに至つたではない乎 世は日々に其主義を葬りるゝある、帝国主義を葬りて後に平民主義を葬り、今や又デモクラシー又は共産主義を葬りつゝある、此事を知らずして時代清神に駆られ、現代人の主張を以て最も進歩せる思想精神なりと信ずるが如き、迷謬此上なしである、「数へられたり、秤られたり、分かたれたり」である、咋日まで隆盛を極めし独墺の帝国主義が此運命に遭遇せしのみならず、ウイルソン大統領に由て高唱せられ、一時は世界を風靡せんとせし米国流のデモクラシーも今は其全盛時代は既に過ぎて、秋風落漠、人の之を唱ふるさへ、時代後れの観を呈するに至つた、今や「解放」、「改造」の声甚だ喧《かまびす》しと雖も、之れ亦暫時の叫びである、「数へられたり、秤られたり、分かたれたり」である、其のまた遠からずして、沈黙に(324)附せらるゝは何よりも明白である、而して其間に在りて永遠に変らざるはキリストの十字架の福音である、
   うつりゆく世にも  かはらでたてる
   主の十字架にこそ  われはほこらめ
である、時代精神に誘はれて帝国主義、忠君愛国を唱へて面を赧くした哲学者あるに顧みて、我等はキリストの十字架を唱へて永久《とこしへ》の栄光を担ふべきである。
 
     獅子の穴に入れるダニエル 但以理書第六章の研究(二月廿二日)
 但以理書の研究上大なる歴史的難問題の一はダリヨスとクロスとの関係である、バビロンを陥れし者はペルシア王クロスにして彼の前にダリヨスなる者なしとは歴史の伝ふる所である、然るに但以理書はダニエルがクロスに仕ふるに先だちバビロンを攻めて其国を獲たるダリヨスに仕へたりと明記するのである、茲に於てか聖書と歴史との調和如何の問題が起る、今日迄聖書の弁護者たる地位に立ちし学者等は言ふ「ダリヨスはメデヤの王にしてクロスはペルシアの君主であつた、而してバビロンに代りし者はペルシアに非ずしてメデヤ=ペルシア聯立国であつたのである、両国の関係は恰も先般迄欧洲に存立せし墺※[曷の日なし]国の如くであつた、初めメデヤ王ダリヨス先づバビロンを攻めて之を陥れ後間もなくダリヨスの死するに及びペルシア王クロスが之を即いだのである」と、此説明は聖書以外に其根拠を有せず、然れども其当否は別とし東洋歴史の研究尚甚だ不十分なる時に当り歴史と一致せざるの故を以て直に聖書の記事を疑ふべきではない。
 先にダニエルの三友人がネブカドネザル王の為に罰せられし時は火中に投ぜられたるに拘らずダニエルの場(325)合には獅子の穴に入れられたるは何故である乎、近代の文学者は此処に但以理書の小説たる証拠ありと言ふ、即ち囚へられし四人のユダヤ人中三人は火中に投ぜられたる名誉ある歴史を有するもダニエルのみは何かの都合上名誉に与らざりしは小説として不完全なるを免れざるが故に特に彼が獅子の穴に投入れられたりとの物語を作りて之を補うたのであると言ふ、然しながら信仰の立場より見れば凡て神を信ずる者には必ず試錬が臨むのである、唯此記事の甚だ興味ある所以は|火に代ふるに獅子を以てせし事がペルシア人の思想を表現する〔付○圏点〕所にある、今も印度の孟買地方に残存せるペルシアの古き宗教即ち拝火教又はパーシー教によれば火を神聖なるものとして之を尊び罪人を罰するに火を以てするは其神聖を涜するものなりと称して火に代ふるに獣類を以てしたのである、バビロン王朝覆滅して後ダニエル又は其讒奏者に対する処罰方法が火刑より獣刑に移りしは能く此の間の消息を語るものである。
 又「メデヤとペルシアの廃《すた》ることなき律法」とあるは政法学上注意すべき文字である、一度び発布せられたる法律は王の権力を以て之を変更するを得ざらしめ以て王権に制限を附したのである、|之れアリアン人種の政治を以て始まりし事にして所謂立憲政体の濫觴である〔付○圏点〕、我国現下の問題たる普通選挙の如きも其第一歩を茲に発したのである。
 但以理書第六章を学ぶに当り我等はペルシア人と日本人との関係に注意せざるを得ない、余は當てローリンソンの『七大帝国史』中ペルシア歴史を読みて「これ日本歴史なり」と叫んだ事があつた、帝王の状態、婦人の隠然たる勢力等彼此類似の点が甚だ多くある、其古き文学も亦然うである、大和民族と称して今日に存れる我等日本人は二三の人種の混合したるものにして其一はペルシアより来れるアリアン種であるとは骨相学者の称ふる所(326)である、若し然りとすればダリヨス及びクロスを始めとし其他斯の如き卑劣なる方法を以てダニエルを除かんとしたる彼等ペルシア人は我等の祖先と同じ血を有したのであらう、誠に恥かしき次第である。
 バビロン帝国は既に滅亡したるが新王クロスは開明の君主なりしが故に直に敵国王に仕へたりしダニエルを抜きてメデヤペルシア国の高官に任じた、此時ダニエルは既に八十五歳を超えたる矍鑠たる老人であつた、王は国を百二十州に分ち其各州に知事を置くと共に知事の上に三人の監督官を立て就中一人を以て特に監督官中の監督官たらしめた、而して此地位に据えられし者がユダヤ人なるダニエルであつたのである かくて明晰なる頭脳と誠実なる心意との所有者たりし偉人ダニエルは英雄クロスの下に一躍して最高位の大臣となつたのである。
 上に厳正なる監督官ありて下に自《おのづ》から怨嗟の声起る、殊にダニエルは素とユダヤの俘虜である、而してヱホバの神を畏れ忠実恪勤苟くも私《わたくし》しない、之れ其配下諸官吏の堪へ難しとする所であつた、彼等は王より賜はる給料を以て満足せず収賄に由て富を作らんと欲するもダニエルの監督あるによりて之を果す事が出来なかつた、斯くの如くにして嫉妬と利慾と相結び如何にもして老骨の外国人ダニエルを葬り去らんとの念は凡ての高等官の心中に燃えて居つたのである、遂に或時親睦会か何かを機会として議は忽ちに成立した、彼等は不変の法律を以てダニエルを※[手偏+齊]《おとしい》れんと欲したのである、即ち爾後一ケ月の間に王以外の者に祈祷を為す者は不敬罪に問はれ死を以て罰せらるべしとの規定である、国の諸大官等此議決を以て王に迫つた、王は決して悪しき人に非ざりしも彼にも亦虚栄心ありて一ケ月なりとも己が神として扱はるゝを喜び直に此法律に署名した、斯くて事は定まつたのである。
 彼等反対者の策の茲に出でしはダニエルの行為に公私とも一点の隙なかりしが故である。|唯此八十有五の老翁(327)に就て乗ずべき所ありとせばそは彼が毎日三度びづゝ神に祈るの一事であつた、彼は之を隠れたる所に於てせず大臣官邸中西方ヱルサレムに面するところ其窓を開き公然衆人の前に於て之を為した〔付○圏点〕、彼のこの宗教の故に彼等はダニエルを※[手偏+齊]れんと欲したのである 事の報知は彼の耳の達した、此時に当り若し他の人なりせば難を避くべき幾多の方法があつたであらう、或は暫く祈祷を廃止したらば如何、そはダニエルに取て不可能であつた、母より教へられし日に三度づゝの祈を廃するよりは寧ろ死するに如かずとは彼の意思であつた、或はアラビヤの沙漠を経て窃かに逃れなば如何、そは勇者の堪へ難き事であつた、勇者は何を為し得るとも敵に後を見する事だけは出来ないのである 或は同士を糾合して叛したらば如何、以て君側の佞人奸物を一掃する事が出来たであらう、然しながら凡てヱホバの神を信ずる者は革命的運動を起す事が出来ない、一度びメデヤ=ペルシアの法律として発布せられたる以上之を破る事は出来ないのである、|茲に至てダニエルの取るべき途は唯一つであつた、彼は己れの信ずる儘を行ひて己が生命を救主なる神に委ぬるの他に途を知らなかつた〔付○圏点〕、彼の心は定まつた、即ち彼は平常の通り時の来ると共に西方の窓を開き高声を発してヱホバの神に向ひ祈り且讃美した。
 反対者等は皆之を窺つて居つたであらう、彼等はその現行犯を捉へて心に喜び直に王の許にダニエルを伴ひ往きて之を訴へた、王は初て自己の輕卒なる態度を覚りしも最早や如何ともする事が出来ない、若しネブカドネザル王ならんには仮令自己の署名したる法律と雖も悪法と認むれば直に之を破棄したであらう、然るにアリアン人種の思想には一の重大なる誤謬がある、彼等は多数の力を以て法律を作製し得べしと做すのである、法律は多数を以て作るべきものではない、神の定め給ひし天然の法則にして人の之を発見すべき者である、然るに王は多数の制定に係る法律を如何ともする能はず、遂にダニエルを獅子の穴に投げ入れしめて上より之に封印した、反対(328)者は歓声を発して曰うたであらう、「汝ダニエルよ今こそ獅子の餌食となれ、我等は明日より汝なくして呼吸するを得るなり」と、然しながら悲みたるは王であつた、彼は自己の尊重する大臣を獅子の穴に入れて其心少しも安んずる事が出来なかつた、当夜彼は音楽を聴かず酒食を摂らず睡眠を取らずして朝の来るを待ち明くるや否や直に自身穴の側に往きてダニエルを呼んだ、而して彼が不思議にも害せられずして生存せるを見、歓喜に溢れて彼を助け出し却て讒奏者等を其妻子と共に悉く穴の中に投じ獅子をして食ひ尽さしめたのである。
 獅子に害せられずして一夜之と共に在つたといふ、斯の如き事が実際に於て有り得るであらう乎、之を神の奇蹟と言はゞ素より論なしである、然し乍ら奇蹟は奇蹟なるも普通人に経験なき奇蹟ではない、之に類似の事は往々にして存在するのである、近来研究の盛なる|動物心理学〔付○圏点〕にその一部の説明がある、多くの動物は人の気質を鑑別する不思議なる能力を有するのである 或は鸚鵡の如き或は猛犬の如き屡々人を噛まんとするに拘らず或人に対しては一見して其温順なる性質を知り進んで其人に狎るゝのである、殊に興味あるは獅子である、西洋に獅子使ひと称する者がある、多くは妙齢の女子にして阿弗利加より来りし許りの獰猛《ねいもう》なる獅子を捉へ之に接吻して猫の如くに扱ふ、思ふにダニエルの場合に於ても心に罪なき彼の風采か何かの故に獅子は彼を害しなかつたのではない乎、かのイザヤ書十一章の預言の如く猛獣と人との間に平和なる関係の実現するは唯に猛獣の性質が一変するのみならず人の彼等に対する態度も亦変化し愛を以て充ち満つる至るが故である。
 信仰の故に受くる世よりの迫害、これ独り二千五百年前のダニエルに限られし事ではない、何処にも如何なる時にもある、殊に我国の如き非基督教国に於て然うである、過去五十年の我国基督教史上幾人の小ダニエルが小役人に由て※[手偏+齊]れられたるかを知らぬ、例へば地方の官庁又は学校等に少しく勢力ある基督者ある時は直に猜疑嫉(329)妬の目を以て見られ、何か欠点を捕へんとするも隙なきによりて遂に其宗教の故に穴に投ぜらるゝのである、即ち神社参拝又は仏事参列等を機会として基督者は度々其信仰を試みらるゝのである、然しながら之が為に仮令如何なる穴に陥るとも我等の取るべき途は唯一のみ、我等は神の戦を闘はんが為に世に遣《をく》られたのである、彼等に辱められつゝ自己の信仰を維持するは我等の基督者となりし理由である、失職止むを得ない、多数の反対如何ともする能はず、もし聖旨に適はゞ神は奇蹟を以て我等を助け給ふであらう、もし然らずんば我等の身は死すとも我等の霊は直に神の聖前に運ばれ時に至りて栄光の冠が我等に被せらるゝであらう、救はるゝも感謝、死するも感謝である、憐むべきは穴に投ぜられたる基督者に非ずして却て卑劣手段の遂行を以て事終れりとする世の多くの迫害者である。
 公衆の面前にて祈る事を耻づる勿れ、之れ決して偽善ではない、基督者の最も美はしき習慣である、ダニエルは多分五六歳の小児の頃之を其母より教へられたのであらう。而して老齢八十五に及び将に獅子の穴に投げ入れられんとするも尚此習慣を廃止する事が出来なかつた、米国第二次大統領ジヨン・アダムス後に上院議員となり議会開議中華府の旅舎に宿泊し夜毎に同僚議員の前にて床上に伏して「天に在《ましま》す我等の父よ」と高声に祈つた、而して彼等の之を怪しむに対し答へて曰く「こは我母の我に教へたる所、之を廃する能はず」と、諸君も亦或は大臣となり或は博士となるとも青年時代に学びし祈祷の習慣を怠る勿れ、之れ世人の前に基督者たる事を発表する最も好き機会である。
 我国にも幾多の信仰家があつた、就中最も偉大なりしは正教会のニコライ主教であつた、彼は文久元年青春二十幾歳にして我国に来た、その露国を発する時婚約せんとせし婦人あり、若きニコライ思へらく「今や二人の婦(330)人我が愛を求めつゝある、其一人は愛すべき日本である、我寧ろ我が妻として之を選ばん」と、かくて彼は徒歩シベリアを横断して函舘に来り伝道を始めた、然るに日本人は何人も彼の言に耳を傾けない、或時本国より「汝の若き夫人如何」と問ひ来りしに対し答へて曰く「我が美はしきフラウ(妻)は未だ眠より覚めず」と、彼は遂に其一生を我国の為に献げた、日露戦争の勃発するや露国公使館より後事を託されし墺国公使館は深く彼の身を気遣ひ来りて館内の一室に避難せん事を勧めた、然るにニコライは之を肯ぜず却て自己の書斎を門に近き所に移し行人の嘲罵の声を聞きつゝ静かに聖書の改訳に従事して其一生を終つたのである、彼も亦確かに近代のダニエルであつた。
 ダニエルが此試錬に遇ひし時彼は既に八十五歳の頃であつた、後二三年を出でずして彼は死したらしく思はる、先に彼尚ほ紅顔の少年としてネブカドネザルの王宮に携へられし以来試錬また試錬相尋いで彼に臨み今や将に墓に下らんとするに当り再び此烈しき試錬に遭遇したのである、疑ふ、神は斯く迄も愛する者を苦め給ふのである乎、青年時代既にかの試錬を経て今に至る迄信仰を継続したらば最早や之を苦むるに及ばないのではない乎と、然しながら明白なるは|基督者の生涯を続くる事百年ならば百年其試錬の絶えざる事〔付○圏点〕である、青年時代に始まりし試錬は世を去る迄終らない、否後に至て益々甚しきを加ふるのである、基督者は終迄キリストの証明者として戦はなければならない、ダニエルの生涯は此試錬に勝つに由てその最後の印を捺されたのである、彼にして若し此処に譲りしならば彼の全生涯が汚されたであらう。
 此の重大なる戦に於て敗れたる悲むべき実例は哲学者カントである、彼は言ふ迄もなく偉大なる先生であつた、然しながら其晩年の行動は惜みても尚余りがある、彼既に齢七十に達しその大著述を終りて世界に名を挙げし時(331)であつた 大王フレデリック死してフレデリック・ウヰリアム二世之を即ぎ大臣ベルネルを率て自由思想の圧迫を始めた、而して圧迫の潮は遂にケーニヒスペルヒのカント老先生を襲うた、一七九二年十月一日一篇の詔勅は彼に対して降つた、曰く「汝の称ふる所は普魯西政府の信仰と異る故に沈黙せよ、然らずば制裁を加へむ」と、其時もしカント先生にしてダニエルの如く真理の為に己の信ずる所を枉ぐる能はずと答へしならば独逸の哲学は一変したであらう、然るに先生は奉答して曰く、「臣は陛下に対して悪事を為したるを記憶せず、然れども御命令ならば向後宗教に関しては一切語らざるべし」と、遺憾此上なしである、其点に於て敬慕すべきはソクラテスであつた、彼の陥れられしは獅子の穴に非ずして毒薬の服用であつた、然しながら彼の行動はダニエルのそれであつた、彼は真理の擁護の為に毒杯を受くる事を拒まなかつた、而も其毒を盛られつゝある間にも弟子と共に盛に論議して已まず、やがて脚部より其身体の冷却し始むるや弟子をして試に之を抓《つね》らしめ毒物の心臓を犯すに至る迄泰然として問答を維続した、而して最後に一言を遺して曰く「薬神に一羽の鶏を献げんと欲して忘れたれば余に代つて之を献げよ」と、その従容たる死の様を読みて誰か感激せざる者があらう乎、冷静なるベーコンすらも之を読む時は自己の座に釘付けらるゝを感ずと言うたのである、ソクラテスの死は実にキリストの十字架に次ぐものであつた、彼の如きは真個の学者であつた。
 我等各自にも亦かゝる試錬が臨まんとしつゝある、余は之を余自身の問題として言ふ、余が基督者としての生涯の最後に大なる試錬の余に臨む時に当り諸君の祈を求めざるを得ない、願はくは其時余はカントたらずしてソクラテスたらん事を、願はくは獅子の穴を恐れて聖名を汚さざらん事を、スミルナの監督ポリカルプ火にて焼かれんとする時其敵彼を誘て曰く「イエスは救主に非ずと言へ、然らばかの火直に消滅せん」と、ポリカルプは之(332)に答へて曰うた「余は多年イエスの豊かなる恩恵に浴し来り今此老年に及んで如何にして彼を拒否する事が出来やう乎、かの火何ぞ、あれは昔エリアを天に運びし火車である」と、かくて彼は感謝して身を火中に投じて死したのである、我等も亦彼に傚はんと欲する、老預言者ダニエルの最後の試錬は凡ての基督者を激励すべき偉大なる教訓である。
 ダニエルは何処で如何して死んだか解らない、彼も亦モーセ、エリヤと同じく「神の人」であつて神の器具として使はれた者である、故に彼れ自身として貴からず、神の僕として尊くあつたのである、聖書は国民の歴史に非ず、又偉人の伝記でない、紙の御働きの記録である、故に聖書記者は紙の聖名の崇められんことを欲して己が名の揚らんことを忌んだ、ダニエルも亦モーセと同じくヱホバの葬る所となりて「今日まで其墓を知る人なし」である(申命記三十四章六節を見よ)、然し神は彼を忘れ給はない、キリストは「預言者ダニエル」と称して彼の言を引用し給ふた(馬太伝廿四章十五節)、人たる者の名誉此上なしである。 〔以上、5・10〕
 
(333)     慾と患難
         (昨夏那須山の麓に於て語りし所の一部)
                         大正9年3月10日
                         『聖書之研究』236号
                         署名 内村鑑三
 
〇提摩太前書六章八節以下に曰く「夫れ衣食あらば之をもて足れりとすべし、富まんことを欲する者は患難と罟《わな》また人を滅亡と沈淪に溺らす所の愚にして害ある万殊《さま/”\》の慾に陥いるなり、財《たから》を慕ふは諸の悪事の根なり、或人之を慕ひ迷ひて信仰の道を離れ多くの苦害をもて自から己れを刺《させ》り、神の人よ之を避けて義しき事と神を敬ふ事と信仰と愛と忍耐と柔和とを慕ふべし」と、廻り諄《くど》い文章である、然し乍ら強い深い透明なる言である、慕ふべきは富に非ず品性なりと云ふ、若し此言にして服膺せらるゝならば戦争は今日止み、怠業《サボタージユ》も罷工《ストライキ》も今日|廃《すた》れ、世は直に黄金時代に入ることが出来る、神学者の或者は是は使徒パウロの言に非ずと言ふ、然る乎否か余は知らない、然れども聖書の言にして一言一句深き聖き神の言なるを知る、是は人生の大事実を語る言である、骨をも刺《とう》す辛辣窮りなき言である。
〇衣食あるを以て足れりとなさず、夫れ以上に富まんと欲して人は利する所なくして其反対に患難に遭ひ罟に陥り滅亡と沈淪を身に招く、富まんと欲して利する所なく愚にして害ある万殊の慾に陥る、富まんと欲することの損失害毒大なりと謂ふべしである、幸福を得んための富は却て多くの不幸を招く、真正の幸福は紙を敬ふて足る(334)事を知る簡易生活に在る、富者に患難《なやみ》多し、彼は愚にして害ある多くの慾に苦しめらる、聖書の言は文字通りに真理である。
〇「財を慕ふは(金を愛するは)諸《すべて》の悪事の根なり」と云ふ、果して然る乎、財を慕ふてこそ産業あるに非ずや、財を慕はざる所に企業心なし、随つて冒険なし、進取開発の活動なし、故に「財を慕ふは諸の|善事〔付○圏点〕の根なり」と云ふべきに非ずや、慾の在る所に文明が在る、財を慕ふの心なくして商業も工業も農業もあつた者に非ず、人に此心があればこそ経済学が有るのである、世に荒唐無稽の言多しと雖もパウロの言として伝へらるゝ聖書の此言の如きはないと言ふ者があらう。
〇然し乍ら「凡の人を偽とするも神を真とすべし」である、凡の経済学を偽とするも聖書を真とすべしである、財を慕ふ心、金を愛する心富まんと欲する心、是れ個人に在りても国家に在りても諸の悪事の根本である、此心あるが故に諸の悪事を総括したる戦争が国家間に起るのである、財を慕ふ心、此心が人を無慈悲になすのである、此心が旺なるが故に物価は騰貴し、社会の平安は乱れ、人と人とは相背きて互に相|窘《くる》しめ相殺すのである、此世の悪事を其源に溯りて究め見よ、尽く財を慕ふ心に発するを見るのである、故にイエスは教へて言ひ給ふたのである「戒心《こゝろ》して貪心《たんしん》を慎めよ」と(ルカ伝十二章十五) パウロも亦言ふたのである「貪婪は即ち偶像を拝する事なり」と(コロサイ書三章五)、独逸が世界に覇たらんとせしも貪心である、英国が世界の商権を握らんとしつゝあるも貪心である、米国が勘察加《カムサツカ》樺太に垂涎しつゝあるも貪心である、何の為の軍備拡張か、何の為の艦隊増設か、貪心からである、財を慕ふ心からである、此心が戦争を生み、世界を血の海と化して止まないのである、「財を慕ふは諸の悪事の根なり」、経済学は何と言ふとも聖書の此言は永久の真理として変らないのである。
(335)〇「或人之を慕ひて迷ひて信仰の道を離れ」、財を慕ひて信仰を棄つ、「デマス此世を愛し我(パウロ)を棄てテサロニケに往けり」とあるが如きは其一例である(テモテ後四章十節)、財を慕ひてキリストを棄て或ひは商人となり或ひは政治家となり或ひは学校教師となりし教会の牧師、伝道師神学学者等は我国に於ても尠くない、或ひは独立を愛すると称し、或ひは政界を潔むると称し、或ひは自由を愛すと言ふ、名目は様々である、然し原因は他に在る、貪心は美はしき名目の下に信者を誘ふのである、貪婪は即ち偶像を拝する事である、財を慕ふて信仰の純潔を守ることは出来ない、寡欲は信仰第一の条件である。
 
(336)     現状と希望
                         大正9年3月10日
                         『聖書之研究』236号
                         署名なし
 
 余輩を誹る者がある、余輩を誹る者を誹る者がある、基督教界は相も変らず修羅の街《ちまた》である、近頃某地に長の間忠実に伝道せし某老教師より余輩の許に巻紙長さ一間半余の書簡を送られ、其内に余輩の知ると知らざると、過去二三十年問に渉る基督教界巨細の観察を寄せられた、其内に左の一項があつた、
  富永君の悪口罵詈実に小生を刺激せしこと少からず、併し彼の著書を見れば彼の信仰の度合判明す、殊に近著『神学体系』など何だ、宗教哲学のよせあつめ、何所に彼の神学系の論拠ありや、鋏と糊さへあれば生命なき神学生、遊仕事には妙に有之候、彼は少し文学の才と知識慾とあるを、〇〇〇〇の法王に見ぬかれ、変則的に牧師となりし者、已に法王様から謀反か破門か、今は独立にて基督教やら仏教哲学やら、何にせよ彼の Conversion は実に疑はしきものにて、再臨論に対しての暴言に畔上君を立しめしは小生の身代りと感謝罷在候云々
と、何の事やら能くは解らない、其内に余輩の解し得ざる多の術語がある、多分罪の無い戯語と見て可いのであらう、之を読みて余輩の如く全然教会外に立つ者に取りては奇異の感なき能はずである、余輩自身に取りては富永君の攻撃は不意の暗打であつて実は一時は大に惑はされたのである、然し今は落附き、幾干《いくら》撃たれても驚かざ(337)るに至つた、何れにしろ基督教界の現状が斯んなであつて、基督教が日本国に於て進歩しないのは少しも怪しむに足りない、牧師相互に助けんとせずして相互に貶し相互に其伝道事業を毀たんとして居るのである、而かも余輩の知る所に由れば是は今日に始まつた事ではない、其源因は遠く慶応明治の初年に於てある、依て余輩に茲に一大希望がある、其れは基督教界の有志者に依て||基督教界革正祈祷会〔ゴシック〕を連続的に開催せん事〔付○圏点〕である、先づ第一に自己の罪を主の前に懺悔して相互の罪を赦し、然る後に基督教界全体の革正《あらたま」》らん事を祈る事である、斯くなしてこそ真正の革正運動は始まるのであると信ずる、今や他を非難排斥すべき時ではない、一斉に主の福音を説くべき時である、日本人が福音を要求するに熱烈なる今日の如きはない、余輩は人が余輩に就て何と言ふとも構はない、唯何人に由りてゞもキリストの福音の盛に宣伝へられん事を祈る、|基督教界革正祈祷会、革正祈祷会〔付○圏点〕である、演説会ではない、賛成者は無きか、有らば知らせよ共に祈らん。
 
(338)     DEMOCRACY AND CHRIST.デモクラシーとキリスト
                         大正9年4月10日
                         『聖書之研究』237号
                         署名なし
 
     DEMOCRACY AND CHRIST.
 
 THE WORLD is not saved by Democracy,nOt even by President Wilson's Democracy. Democracy at its best is a political prlnciple,and as such it is inert,mechanical and spiritually inefficient. The world is not saved by a prlnciple,but by a person;not by an aggregate of persons,but by an almighty,all-knowlng,all-loving person. The resurrected,living Christ is the only hope of the world. He alone,Who is able even to subject all things to Himself,can recreate the world into a new earth wherein dwells righteousness. Not Democracy but Christ;not Reconstruction,but Recreation;not the League of Nations,but gathering of all nations at the feet of the reappearing Christ for judgement and guidance,――this is the scheme of the world's salvation,and there is no other.
 
     デモクラシーとキリスト
 
 世界はデモクラシーに由て救はれない、縦し其れが大統領ウイルソンの唱ふる所たりと雖も之に由て世界は救(339)はれない、デモクラシーは其最善の者なりと雖も政治上の主義たるに過ぎない、而して主義といふ主義はすべて生気なく機械的にして霊的に無能である、世界は主義に由て救はれない、人に由て救はれる、人の集合に由て救はれない、全能全智にして衆《すべて》の人を愛する人に由て救はれる、世界が救はるる唯一の希望は死して甦り今生き給ふ所のキリストに於て在る、万物を自己に服はせ得る能力を具へ給ふ彼のみ能く此世界を化して義の宿る新らしき地と成すことが出来る、デモクラシーに非ずキリストである、改造に非ず再造である、国際聯盟に非ず万国が将さに再び現はれんとし給ふキリストの足下に集ひて其|審判《さばき》と指導とを受くる事である、世界救拯の途は茲に在る、之を除いて他に在るなしである。
 
(340)     聖霊の降臨に就て
                         大正9年4月10日
                         『聖書之研究』237号
                         署名 内村鑑三
 
 聖霊は能力である、慰藉である、清潔《きよめ》である、而して又|聡明《さとり》である、然り先づ第一に聡明であつて然る後に他の恩恵を持来す者である、神は人を導くに方て先づ其理性に訴へ給ふ。
  人の衷には霊魂のあるあり、全能者の気息(霊)之に聡明を与ふ(ヨブ記三二章八節)。
 人の人たるは其霊に在る、而して霊の特性は其理性に在る、故に神は人を動かすに方て先づ其理性を動かし給ふ、理性を通うして彼を強くし、慰め又潔め給ふ、聖霊は不思議なる不可解の能力としては臨み給はない、聡明の霊として臨み給ふ、我等に事物の理を示して我等をして神の聖旨に服はざるを得ざらしめ給ふ、神が時に奇蹟を行ひ給ふは我等を驚かさんがためにあらず、我等をして更に深く神の聖旨を覚らしめんが為である、神は混乱《みだれ》の神に非ず調和の神である、彼の為し給ふ所は尽く合理的である、而して聖霊は人の理性に訴へて彼をして調和の人たらしめ給ふ、慰藉と云ひ能力と云ひ清潔と云ひ此大調和の結果である、ヱホバ曰ひ給はく「いざ我等共に議論《あげつら》はん、汝等の罪は緋の如くなるも雪の如く白くなり、紅《くれなゐ》の如く赤くとも羊の毛の如くにならん」と(イザヤ書一章八節)、議論せん、理に訴へて争はん、而して汝にして理に服し之を解し得ば汝の罪は潔められんとの意である、神は理に訴へて人を潔め給ふ、奇蹟的と称へて不可解的に彼を潔め給はない。
(341)  彼れ即ち真理の霊の来らん時、汝等を導きてすべての真理を知らしむべし(ヨハネ伝十六章十三節)。
 聖霊は慰訓師《なぐさむるもの》であると同時に真理の霊である、信者を導きてすべての真理を知らしむる霊である、唯理由なくして不思議に慰め給ふのではない、慰藉の理由を示して慰め給ふのである、故に其慰藉は暫時的でない、永久的である、万物の理に合《かな》へる慰藉である、故に神と共に変らざる慰藉である、「キリスト我等の罪の為に死し、又聖書に応ひて葬られ第三日に甦り給へり」と云ふ、其内に深い真理がある、而して聖霊に由り其真理を示されて信者は慰められ、歓び、力附けらるゝのである、神は人より盲目的信従を要求し給はない、合理的服従を要求し給ふ、彼れ御自身が道《ロゴス》であり給ふが故に道に従ひ人を救ひ導き且つ救ひ給ふ。
 道理と云ひて勿論乾焼無味の数理又は哲理ではない、更に深い道理である、神の心である、宇宙を抱容し之を透徹する真理である、而して之を解し得るに至て人は之に従はざるを得ざるに至るのである、而して聖霊は此了解を我等に起し給ふ、「聖霊は万事を究知《たづねし》りまた神の深き事を究ね知る也」とあるが如し(哥林多前二章十節)、聖霊のみ能く我等を導きて万物の中心的真理に到らしめ給ふのである。
 ペンテコステの日に於ける聖霊の降臨は此実験であつたのである、此日使徒等に聖霊が降りて大光明が彼等に臨んだのである、此日彼等に初めて十字架の意味が解つたのである、彼等は既に目に奇蹟を見、耳に神言を開きしと雖も、此日に至るまで其意義が解らなかつたのである、彼等は教師に難問題を提出されし生徒の如くに其解釈に苦んだのである、然るに此日忽然として聖霊の降臨を受けて其明瞭なる解釈に接したのである、茲に於てか彼等に確信起り、確信の結果として勇気湧き、天下何者も彼等の奮起活動を妨ぐる者なきに至つたのである、聖霊は使徒の場合に於ても先づ聡明の霊として降つたのである、彼等は不可解の不思議なる霊に動かされたのでは(342)ない、聡明の霊に接して神の深き事を究ね知つたのである、使徒等の活動も亦すべての人の活動と同じく新智識新光明を以て始つたのである、奇蹟と云へば奇蹟である、然し万物の法則に合へる奇蹟である、使徒等は無意識に不思議なる能力に接したのではない、明瞭なる意識を以て上よりの光明に接したのである、彼等は此日、キリストの御生涯の明白なる解釈に接したのである、故に歓んだのである、叫んだのである、新らしき力の注入を受けたのである、而して其異常なる歓喜は地上に類の無い者ではない、コロムブスが新大陸を発見した時にも、ニユートンが宇宙運行の原理を発見した時にも、所謂ペンテコステ的の歓喜があつたのである、即ち新発見に由りて生命の中心を刺激され、歓喜と希望と勇気とが油然として湧き出たのである。
 余輩も亦幸にして幾回《いくたび》か斯かる聖霊の降臨を受けた、余輩が聖書の示せる神を真の神と認むるを得し時が其一である、罪を示さるると共に十字架上に完全なる罪の赦しを認むるを得し時が其二である、キリストの再臨を信ずるを得し時が其三である、其他にも猶ほ小降臨と称すべき者に接した事は度々ある、而して聖霊の降臨は既に終つたと思はない、更に大なる降臨があると信ずる、「聖霊は汝等を導きて|すべての真理〔付○圏点〕を知らしむべし」とあれば、余輩の場合に於ても此後と雖も引続き降臨があると信ずる、而して彼れ臨み給ふや先づ第一に教師として臨み給ふ、先づ第一に余輩の理性に訴へて神に関し永生に関し新光明を与へ給ふ、而して|最善の光は乾きたる光である〔付ごま圏点〕と云へば聖霊も亦乾きたる清き光を与へ給ひて余輩の暗を照らし、余輩の霊魂を其根柢に於て強め給ふ、聖霊の降臨を受けて余輩は迷信家と成るの虞はない、人を迷信家となす者は神の霊ではない、神の霊は人を基督者《クリスチヤン》となして更に進んで彼を常識の人、哲学者、科学者と成す者である、聖霊はルーテルに臨んで彼を改革者となし、ニユートンに臨んで彼を科学者となした、聖霊の降臨は人を伝道師と成すためにのみ必要でない、彼を政治家と(343)なす為にも、科学者となす為にも、哲学者となす為にも必要である、聖霊を称して、「智慧聡明の霊、謀略才能の霊、知識の霊、ヱホバを畏るるの霊」と云ふ(イザヤ書十二章二)、何人か此霊を要せざらんや、人はすべて聖霊を受けて各自其業に就く事が出来る、すべての人は智慧聡明の霊を要し、すべての政治家は謀略才能の霊を要し、すべての科学者と哲学者とは知識の霊を要し、すべての基督者《クリスチヤン》はヱホバを畏るるの霊を要す、「聖霊よ降りて、昔の如く、奇《くすし》き聖業を、顕し給へ」である。
 
(344)     理想と実際
                         大正9年4月10日
                         『聖書之研究』237号
                         署名 内村鑑三
 
〇道徳は理想であると同時に実際である、理想を実際に応用せしめんと欲して道徳があるのである、道徳は数理の如き元理ではない、故に公式《フオーミユラ》を以て表はさるべき者でない、道徳は時と場合に由つて違ふ、小児の道徳がある、青年の道徳がある、壮年の道徳がある、老年の道徳がある、其れと同じやうに黒人の道徳がある、黄人の道徳がある、白人の道徳がある、|時と境遇に処して最も善く道徳の理想を表はしたる者、其れが道徳である〔付○圏点〕、同一の理想をすべての場合に於て同様に実現せんと欲して道徳は行はれざるのみならず、社会は之が為に終に破壊せらる、聖き神の律法も神の定め給ひし天然の法則に循ひて之を行はざれば神の聖旨を為さない。
〇「人各々其妻を有つべし、女も各々其夫を有つべし」と云ふは理想である(哥林多前七章二節)、人は何人も此理想に従ひ一夫一婦を実行すべく努むべきである、然れども此理想を行ひ難き時代があつた、凡て信ずる者の父なるアブラハムは斯かる時代に生れて此理想を実行し得なかつた、然れども此れが為に姦淫罪を以てアブラハムを責むる者は無い、ダビデの場合も同じである、彼が他人の妻を奪ひしは赦すべからざる罪であつた、然し乍ら一人以上の妻を有つ事は|彼の場合に於ては〔付△圏点〕罪でなかつた。
〇如斯くにして道徳は相対的である、絶対的でない、其終極は一であるが之に達する途は種々様々である、故に(345)我が遺徳を以て他人を秤る事は出来ない、我が為すべき事必ずしも他人の為すべき事でない、そは我と彼とは境遇を異にし、遺伝を異にし、神の賜ひし恩恵を異にするからである、我が彼に就て断言し得るは「彼れ若し我の境遇に在らば我が為すが如くに彼も為すべしである」と云ふに止まる、神は我の境遇に循ひて我を審判き給ふが如くに、彼の境遇に循ひて彼を審判き給ふ、曰く「凡そ律法なくして罪を犯せる人は律法なくして亡び、律法ありて罪を犯せる人は律法に照《よ》りて審判を受くべし」と(羅馬書二章十二節)、神は公平である、我等も人を審判に当りて神に倣ふて公平でなくてはならない。
〇神の律法を直にすべての人の上に行はんとして多くの害毒が生じた、所謂基督教国に於て最も厭ふべき偽善の普く行はるゝは全く是がためである、未だ野蛮性を脱却せざる欧米人の上に基督教道徳を実行せんと欲して偽善の跋扈は免がれないのである、基督教国今日の憐むべき社会的状態は此誤謬りたる道徳観の結果であると言はざるを得ない、欧米人は基督教道徳を施すに今猶ほ道徳的に余りに幼稚である、彼等は今猶ほ基督教に導かるべき程度に於て在るのである、彼等の境遇、彼等の惰性は基督教を距る今猶ほ甚だ遠くある、然るに基督教会は彼等を改善するに先だちて基督教道徳を以て直に彼等に臨んだのである、無慈悲此上なしである、欧米人は教会に無理を強ゐられたのである、故に前には大偽善者と化し、後には教会に叛き、無神論者となり、過激派と化したのである、欧洲を今日の混乱状態に陥いれし者は教会其者であると称へらるゝも弁護の辞に窮するのである。
〇道徳は相対的である、故に人を導くに方て自分を其人の立場に置いて彼を導くべきである、公式に由らず実際に由り、彼の能力の範囲内に於て神の律法を実現すべく彼を助くべきである、我等はパリサイの人の如くに高きに座して命令を下してはならない、自から低きに下り、|救はんとする人の立場に立ち〔付△圏点〕、其手を取り其足を運びて(346)彼を理想へと導くべきである、而して是れ我等の救主イエスキリストの取り給ひし途である、彼はサマリヤの婦《をんな》を導くに方て彼女の不倫を責めて彼女に不可能を強ゐ給はなかつた、彼は彼女の能力に応じて彼女を生命の泉へと誘ひ給ふた、イエスは最大の道徳家であつた、故に|人に応じて〔付○圏点〕道徳を教へて誤らなかつた、道徳は|より〔付ごま圏点〕低きより|より〔付ごま圏点〕高きに導く道である、之を伝ふるに父の威厳と母の慈悲とを要する、我等は道徳を父の厳命とのみ解してはならない。
 
(347)     講演の困難
                         大正9年4月10日
                         『聖書之研究』237号
                         署名なし
 
 聖書講演聴衆の一人端書を以て余輩に書送つて曰く「但以理書を|講〔付○圏点〕ずるは|易〔付○圏点〕し、|守〔付○圏点〕るは|難〔付○圏点〕し云々」と、実に其通りである、如何なる真理と雖も守るは講ずるよりも遙に難くある、然れども「但以理書を講ずるは易し」と云ふ者は未だ自分で之を講じた事のない者である、実際に之を講じて見て其の如何に難い乎が解る、世界の大学者が熱血を注いで解せんと試みて解し得ざりし此書を、聖書智識に乏しき我国の聴衆に少しなりとも之を解らしめんとする其努力……其如何に難き乎は知る人ぞ知るである、実に但以理書の講義を聴くは易し、講演者を批評するは易し、然れども人の前に誠実を以て之を講ずるの困難……易しと称する者は自身之を試み見よ、然る後に其難易を口にせよ、人情浮薄の今の日本人の内に在りて道徳宗教を語るの不愉快は自身其任に当り得ざる多くの批評家の批評に身を曝す事である、是れキリストの愛に励まされずしては到底当り得ざる業である。
 
(348)     UNITY OF THE BIBLE.聖書の単一
                         大正9年5月10日
                         『聖書之研究』238号
                         署名なし
 
     UNITY OF THE BIBLE.
 
 Is the Bible a literature or a book? It is a literature,says the modern criticism;it is a book,says the Christian experience. To the Christian, the Bible is a slngle book,aS certainly as is Hamlet or Divina Comedia.The author is one,the plan is one,the spirit is one,and the truth is one. The Bible is a cosmos,a unity in diversities,a barmony in discrepancies,a perfection in imperfections. He who lived the Bible,and not merely read it,knows that it is so. Apart from orthodoxy, by the sheer force of loglcs of experiences,he is compelled to believe that it is so. Not a word is to be added unto it,nor a word is to be taken away from it.
 
     聖書の単一
 
 聖書は文集なりや将た亦一書なりや? 文集なりと近代の批評は言ふ、一書なりとクリスチヤンの実験は言ふ、クリスチヤンに取りては聖書は単一の書である、恰もシェークスピヤの『ハムレツト』又はダンテの『神曲』が(349)単一の書なるが如しである、聖書の記者は唯一人である、即ち神御自身である、随つて其方案は一である、其精神は一である、其伝へんとする真理は一である、聖書は一の宇宙である、差異の中の一致である、不調の中の調和である、不完全の中の完全である、聖書を単に読みしに非ずして之に由て生涯せし者は確に其の一書なるを知る、所謂正統教会の唱ふる教義を別として、実生活の実験の論理の示す所に従ひて、彼は其の一書なるを信ずべく余儀なくせらる、聖書は完全なる神の書である、之に一言たりとも加ふる事が出来ない、又之より一言たりとも削る事が出来ない(黙示録廿二章十九−廿一節)。
 
(350)     〔総て善し 他〕
                         大正9年5月10日
                         『聖書之研究』238号
                         署名なし
 
    総て善し
 
 他人は知らず、信者に取りては、少くとも余一人に取りては、曾て在りし事は総て尽く在る必要の在りし事である、悲哀《かなしみ》も歓喜《よろこび》も、疾病も健康も、損失も利得も、失敗も成功も、敵も味方も、死も生も、身に臨りし事はすべて尽く臨る必要のありし事である、其一を欠いて余は今日あるを得なかつたのである、神に導かれし余の生涯は全部彼の御計画に由りて行はれし生涯であつた、実にパウロの言ひしが如くに 「凡の事は神の旨に依りて召かれたる神を愛する者の為に悉く働きて益をなすを我等は知れり」である、去れば何も侮るに及ばない、何も悲むに及ばない、何人も恨むに及ばない、余に多くの哀哭《なげき》を供《あた》へし人も余に必要であつたのである、病の床に費せし多くの時日も余に必要であつたのである、余を去りし弟子、余を裏切りし友人、彼等も亦余に必要であつたのである、余に臨みし神のすべての恩恵を総計して余は余の生涯の終りに於て言ふであらう、「万事万物一として善からざるはなし」と。
 
(351)    文学者の基督教
 
  兄弟よ我れ曩に汝等に至りし時に言と智慧の美《すぐ》れたるを以て汝等に神の証を伝へざりき、そは我れイエスキリストと彼の十字架に釘けられし事の外は汝等の中に在りて何をも知るまじと意《こゝろ》を定めたれば也……我が言ひし所、また我が宣べし所は人の智慧の婉《うるは》しき言を用ゐず唯|霊《みたま》と能の証を用ゐたり、そは汝等の信仰をして人の智慧に由らず神の能に由らしめんと欲へば也(哥林多前書二阿一−五節)
  そは神の国は言に在るに非ず能に在ればなり(同四章二十節)。
  我等の福音汝等に来りしは只言に由りてのみならず能に由り聖霊に由りまた篤き信仰に由りて也(テサロニケ前書一章五節)。
 キリストの福音は儀式にあらず伝説に非ず信仰箇条に非ず、去ればとて又主義に非ず思想に非ず、理想に非ず、福音は儀式家の行ひ得る者に非ず、又思想家の考へ得る者に非ず、必竟するに基督教は思想に非ず、文学者又は哲学者が如何に努力するも思索し得る者に非ず、基督教を思想又は理想と見るの害毒は之を儀文又は信仰箇条と見るの害毒に劣らない。
 哲学者オイケンは「基督教は理想なり」と言ひて大なる誤謬を伝へたのである、又神学者プフライデレルは其『基督教発達史』に於て詩人ゲーテを基督者の中に数へて大なる間違を伝へたのである、基督教は理想でない、詩人ゲーテは基督者でない、所謂基督教国に於て、すべての善き事、すべての美はしき思想、すべての敬ふべき行為が基督教と同視せらるゝに至りしは大なる錯誤である、基督教は大なる理想を生んだ、然し乍ら基督教は素々(352)理想ではない、イエスは思想家でなかつた、使徒等は文士又は哲学者でなかつた、プラトー又はアリストートルを解せんとする心を以てしてイエスと其使徒等とは到底解し得ない。
 福音は言《ことば》を以て伝へらる、然れども言に非ず能力である、|聖霊に由る〔付○圏点〕能力である、而して之に由て起る篤き信仰である、聖霊の恩賜に与らずして福音は解らない、基督教は神に解らして戴く事であつて、自分で考へて解る事でない。
 詩人ゲーテは代表的近代人であつた、彼は大詩人であつて又大哲学者であつた、彼は又審美学の泰斗であつた、然し乍ら彼は基督者《クリスチヤン》でなかつた、彼は罪の何たる乎を知らなかつた、故にキリストの十字架に因る罪の赦しを実験しなかつた、彼は能く基督教の外面の美を探り得た、然し乍ら其中心の真理に触れなかつた、彼はキリストの賞讃家であつた、其|奴僕《しもべ》でなかつた、彼に取りキリストは理想の人であつた、己が霊魂の救主ではなかつた、彼は福音を批評した、福音に従はんとはしなかつた、近代人の模範たるゲーテは自己は最後まで自己の所有《もの》として保有した、詩人テニソンの如くに Our will is so ours to make it thine(我が意志は我が有にして爾神の子に献げんが為のものなり)とは彼れゲーテには到底言ひ得なかつた、必竟するに詩人ゲーテは或る人が評せしが如くに A great pagan(大なる異教信者)であつた、基督教国に生れ、其感化の中に成育せしと雖も、自身基督者と成り得なかつた者である、彼は其教養に於ては基督教的であつた、然れども其信仰に於ては純然たる希臘羅馬のペーガンであつた、ゲーテを発達せる基督者《クリスチヤン》として伝へし歴史家プフライデレル彼れ自身が基督者でなかつたのである。 ゲーテが爾《さう》であつた、エマソンが爾であつた、トルストイが爾であつた、イプセンが爾であつた、其他欧米の大詩人大文学者の多数が爾であつた 又今猶ほ爾である、彼等はキリストの讃美家にあらざれば其|敬慕者《アドマヤラー》である、(353)其信者ではない、其奴僕ではない、彼等は先づ自己《おのれ》を虚うして神の子の十字架の下に罪の赦しを祈求《もとめ》たる者ではない、故に彼等は聖書を其儘に解し得ない、却て聖書をして己が意見に従はしめんと努むる、而して己が聖書の解釈に「ナザレのイエスに由て唱へられし最初の基督教」の名を附して之を世に提供する。
 近代人が嫌ふ者にしてタルソのパウロの如きはない、彼等はキリストの福音の曲解者としてパウロを咎責《きうせき》する、キリストとパウロとを離間して自己をキリスト正解者の地位に置かんとする、彼等は罪の自覚と其赦しとの無き基督教を創作せんとする、然れども彼等の努力は悉く失敗に終る、彼等は自身平康を獲る能はず勿論世を救ふ事が出来ない、彼等の痛撃に遭ひしパウロはキリスト第一の正解者として存し、彼等文士は跡から跡へと後進の葬り去る所となる。
 近代人は欧米人なると日本人なるとの別なくキリストの福音を己が思想の内に箝込《はめこ》まんとする、而して斯の如くにして成りし彼等の基督教なるものは信ずるに易くして行ふに楽である、孰も罪の悔改の辛らき実験を経過するの必要なき基督教である、故に浅くして弱くある、彼等に取り基督教は修飾物である、美はしき思想である、文明社会に於ける交際の要具である、然れども血を以て争ふべき真理でない、余輩は迷信を嫌ふ、然れども近代人の基督教に較べて迷信は遙かに愛すべきものである、迷信は少くとも誠実である、一生懸命である、近代人の宗教の道楽の一種なるに較べて天地の差がある。
 
(354)     ペンテコステの出来事
         使徒行伝第二章の研究
        (四月十一日東京大手町大日本衛生会講堂に於て為せる講演の要点である)
                         大正9年5月10日
                         『聖書之研究』238号
                         署名 内村鑑三
 
〇「ペンテコステ」(希臘語 Pentekostte)は|第五十〔付ごま圏点〕を意味する語にして「五十日祭」又は「五旬節」と訳するを得べく、猶太三大国祭の一である、旧約聖書の処々に「七週《なゝまはり》の節筵《いはひ》」と記されたるものは之である、過越節《すぎこしせつ》より第五十日目即ち全七週後に守らるゝ祝祭である、これ小麦の収穫祭にして其初穂を献ぐる祭儀であり猶太二大農祭の一に当るのである、「汝七週の節筵即ち麦秋《むぎかり》の初穂の節筵を為し、又年の終に収蔵《とりいれ》の節筵をなすべし」とある(出埃及記三十四の二二)、そして此猶太の農祭の名が特に今日の基督教徒に特殊の親しみを有するのは使徒行伝の第二章の記事に基づくのである、即ちキリスト復活後のペンテコステ祭日に於て、聖霊が使徒を初め弟子たちの上に降りて巨大なる結果を惹き起したといふ事実に依るのである、故に今日基督教国に於ては基督復活祭より第七回目の日曜日をペンテコステの日として之をホィットサンデー(Whitsunday)即ち聖霊降臨祭日と称す、今年は五月二十三日に当るのである、乍併使徒行伝二章に記さるゝ聖霊降臨の記事を説明するのは必しも其の日を待つを要さないのである。
(355)〇使徒行伝を読んで吾人の注意せねばならぬ一事がある、使徒行伝と云へば読んで字の如く使徒たちの行蹟を伝ふる者であつて即ち|歴史〔付○圏点〕である、そして歴史とは言ふまでもなく外部に現はれたる事件の記録である、即ち内に隠れたる或物が外に現はれて、目以て見るべく、耳以て聴くべく、手以て触るべきに至つたのが歴史の事実である、故に歴史は真理、理想、或は教理とは全く性質を異にせるものである、後者は永久不変であるが前者は時と処とに依て異なるものである、けだし永久不変なる真理は歴史の開展の底に重く沈むものであつて、それが時と処により種々の形を取つて外部に現はれて史的事実となるのである、故に史的事実は常に同一なるを得ない、勿論同一なる場合が全然ないとは云はぬ、しかし不同は寧ろ常であつて同一は寧ろ稀である、歴史は繰返すと云ふのは、歴史の底を流るゝ原理の同一を示す語であつて同一事件の反覆を意味する語ではない。
〇使徒行伝は歴史である、故に其記事を永久不変の型と見てはならぬ、聖霊は一にして永久不変であるが聖霊が信者を通して働き給ふ道は時により場合によりて異なるのである、|ペンテコステの日の聖霊降臨は其時と其場合に其形を以て行はれたのであつて、之を以て永久変らざる聖霊降臨の模型と見るべきものではない〔付○圏点〕、「俄に天より迅風《はげしきかぜ》の如き響ありて彼等が坐する所の室に充てり」と云ひ、「焔の如きもの現はれ岐れて彼等各人の上に止まる」と云ふ、いづれも是れ歴史である、そして歴史として研究すべき事柄である、しかし不変の型として見るべきものではない、此一事を知るは聖書の史的部分を学ぶ上に於て最も必要である、殊に聖霊降臨の如き事を学ぶ時に於ては是れ忘るべからざる大切なる事である、史実と真理を混同する者の世に甚だ多きは悲むべきことである、我等は此二つを厳密に区別して初めて聖書の解釈に於て謬りなきを得、又信仰生活に於て過ちなきを得る。
〇然りペンテコステの出来事は一度――そして恐らくは一度のみ――起りし史的事実である、併し乍ら象徴的《シンボリカリー》に(356)は二三の貴重なる真理を伝ふるのである、第一は「焔の如きもの現れ|岐れて〔付△圏点〕彼等各人の上に止る」(三節)の一句である、即ち聖霊は一であるが其の降るや|岐れて〔付△圏点〕別々に各人の上に注がれて各個人に異りたる力を与ふるのである、所謂リバイ※[ワに濁点]ルと称して万人を同様なる霊的歓喜の状態に入らしむるものは、その間もなく霧散消失して跡を止めざるに依て其不健全なるを知るに足るのである、真の聖霊降下は|岐れて〔付△圏点〕各人の上に止まるのである、各人に別々の賜を与ふるのである、此点を明示せるものは哥林多前書十二章及び十四章である、「賜は異なれども霊《みたま》(聖霊)は同じ………或は霊によりて智慧の言を賜り、或は同じ霊によりて知識の言を賜り、或は同じ霊によりて信仰を賜り、或は同じ霊によりて病を医す力を賜り………」と云ふ、聖霊降臨てふ重大問題に於ても他の問題に於けると等しくパウロは我等の依り雷むべき権威である。
〇次に「是に於て彼等は聖霊に満たされ其聖霊の言はしむるに随ひて異なる国々の方言《ことば》(国語)を言ひ始めたり」と四節にあるは何を標象《シムボライズ》するか、|是れ福音の遂に世界万代に伝へらるべきことを標示したものである〔付○圏点〕、地の端、山の奥までも「和平《おだやか》なる言を宣べまた善き事を宣ぶる者の」姿を見ん日を予表したものである、併し乍らペンテコステの日に於て弟子たちが突如として種々の国語を以て語りしとは真に是れ驚天動地の大奇跡である、その説明は種々の点より為し得るも、要するに神が斯かる事を為す能はずと云ふ事は出来ない、そして此奇跡の奥には大なる真理が隠れてゐるのである、それは|福音は世界各国民各自の語を以て与へらるべしとのことである〔付○圏点〕、又進んでは福音を知り又は他に伝へんとする動機が世界各国の国語を研究せんとする最大最強の動機なることを示すのである。
〇言語学と云へば今日重要なる学科であるが之は元来福音宣伝を動機として起れる者である、今や聖書は五百(357)乃至六百の国語に翻訳せられ居ると云ふ、如何なる書物が斯くの如き多くの翻訳を贏ち得たであらうか、もし聖書を英国の語に於て与へ福音を其国の語を以て伝へんとの動機がなかつたならば各国語研究の動機は極て微弱なるものとなるであらう、我アイヌ人種の如き今や其数一万二千人を超えぬ小人種である、然るにも係らずバッチエラー氏の如き学者が其一生をアイヌ語研究に献げ以て言語学上に大貢献をなしたる如きは、畢竟この小人種に福音を伝へんとの動機に出でしものである、其他南洋諸島の諸語の如き僅に人口三千乃至五千以下位の土人の言語なるにも係らず宣教師が其言語を学び、其言語に聖書を翻訳し、其言語を以て福音を宣伝する、是れ即ち福音宣伝が各国語研究の最大動機なるを示すものである、|もし今日の旺盛を致せし言語学の歴史より基督教宣教師の貢献を除く時は、恐くはその最重要部を切り取ることゝなるであらう、乃ち知る言語研究の元来福音宣伝を源として起りしものなることを〔付△圏点〕。
〇以上の如く考ふる時、ペンテコステの大奇跡は歴史なる故同一の形に於ては再現せざれど形を異にし精神を一にして今迄に常に起り今も尚起りつゝあるのである、ペンテコステのかの日に於てよりは|より自然的に、且より深く、又より広く〔付ごま圏点〕今も尚起り後ち尚起るのである、是れ真正のリバイ※[ワに濁点]ルである、ペンテコステそのまゝのリバイ※[ワに濁点]ルは今に於て望むことは出来ぬ、併し内的に同一であつて外的に同一ならぬリバイ※[ワに濁点]ルは今も尚ほ盛に再現しつゝあるのである。
〇次に聖霊降下の意義について述べよう、ペンテコステの日の聖霊降下は二大事件を惹き起した、第一は使徒等が其時から福音宣伝者となつたことである、第二はエクレージヤ即ち教会の成立せしことである、甲は外に向つて福音宣伝の洪波を起せしこと、乙は内に向つて愛に於て一団となりしことである、即ち外への開張と内への結(358)合――これが聖霊降下の直接の結果であつた、此時以前にも使徒等は良き信者であつた、然るに此時よりは単に良き信者たるに止まらずして、内に充溢して外に拡がる信者となつた、以前は各自個々別々にイエスの弟子であつた、然るに此時よりは相倚つて心霊的一家族を形成するに至つた、この二の大変動は極て明白に使徒行伝第二章に記さる、(甲は其殆ど全部に亘りて、乙は末尾の数節に於て)。
〇さらば茲に一問題が起る、彼等に此変化を与へたものは何かと、それは勿論聖霊降下である、併し問題は尚ほ残る、如何やうなる聖霊の働きが然かなせしかと、只漠然聖霊降下と云ひ、たゞ焔の如く風の如くと云ふは当らない、|聖霊が降り臨んで彼等を理性的に開導するにあらずば右の如き大変化は起らない〔付○圏点〕、神は人を導くに親が子を導くが如くする、即ち|我等に道を示し了解を供す〔付○圏点〕、そして之を与へられて今日まで複雑なりし難問題が見事に解決せられ凡てが統一せらし時かの二大変動が起るのである、一言にして云へば|思想の統一〔付○圏点〕起りて初て外への開張、内への団結が始まるのである聖霊降臨といふて之を|感情的〔付ごま圏点〕にのみ考ふるは誤謬である、そして先づ感情的に始まりしものは其感惰の減退と共に必ず消散するのである、真の聖霊降下は寧ろ|知的〔付ごま圏点〕である、そして|知的了得〔付ごま圏点〕の上におのづから生起する感情である、「聖霊は衆理を汝等に教へ………」、「真理の霊来らんとき汝等を導きて凡ての真理を知らしむべし」と主は教へ給ふた。
〇使徒等に右の二大変動起りしは其思想の統一行はれし為である、彼等はユダヤ人にして旧約聖書を能く知り、主と三年の生涯を共にして幾多の驚異に触れ、メシヤと信ぜる主が十字架に釘けられて呆然たる時その復活に会し、四十日彼等と共にありて遂に昇天せるを拝す、実に僅の年月間に驚心駭目の絶大事に連続的に接したのである、大問題は大問題に続いて彼等の心霊に|ひた押し〔付ごま圏点〕に押しよせたのである、彼等が唯驚倒したのみで其意味を正(359)知する能はざりしは当然である、然るに茫然として佇める彼等の上に聖霊一度降りて不可解なりし事柄の意味が悉く明瞭となつたのである、何故に神の独子が人の形を取つて世に降らねばならなかつたか、何故に十字架に上らねばならなかつたか、何故の復活か、何故の昇天か、これを予言者の言と自己の立場と全人類の運命とに相関聯せしめて見る時其意味は悉く明白となりて、一の荘大宏博なる宇宙哲学、人生哲学が彼等に与へられ、かくて彼等の心中に存せし混乱錯雑が一朝にして統一されて彼等は清々しき歓喜の中に其身を浸したのである、これペンテコステの出来事の|内的説明〔付○圏点〕である、此説明の誤らざるはペテロの説教によりて明かである、彼は予言者ヨエルの言を引き又ダビデの詩を引用して之に新註解を与へてゐる、これは旧約聖書の意味がイエスの生涯の出来事と関聯して初て明瞭となつたのである、そして彼は今やイエスが旧約に於て予言せらるゝキリストなることを明知し、「既に神はイエスを甦らせ給へり我等は皆その証人《あかしびと》なり」と云ひ「されば凡てイスラエルの全家よ、汝等が十字架に釘けし此イエスを立てゝ神これを主となしキリストとなし給ひしことを確に知れ」と結んでゐるのである。
〇ペンテコステの出来事の意味を知らんには身をペテロ等の位置に置かねばならぬ、我等は旧約聖書を読み且新約聖書にイエスの生涯を学びて初て身をペテロ等の位置に置き得る、かくて人生の幾多の難問題に触れて血涙こも/”\降る時一度イエスの事が解れば凡ての事が解るのである、其時複雑を以て苦みし我等に思想の統一行はれて歓喜心に充つるに至り、そして外への伸張、内への団結てふ二大変化を起し得るのである、故に聖霊降臨の恵みに浴せんとならば先づ使徒等に起りし問題を我心に起さねばならぬ そして其問題を我心に起すには聖書研究てふ唯一の道による外はない、即ち旧約聖書を知り又イエスを学ばねばならぬ、然るに此順序を経ずして唯漠然(360)聖霊の慈雨に浴さんとするは、如何に哀泣熱祷を以て父に迫るも事は無効に帰するのである。
〇人何人か懐疑なからう、人生の矛盾は万人の感ずる所、人生其者が最大疑問物である、しかも一度神より力を得んか遉がの大スフィンクスも跡なく解決せらるゝのである、抑も聖書を学び基督教に接せし人に於ては人生問題が却て複雑となり峻峭となり易い、しかし其時神の霊降らば難問悉く融け去りて只感謝のみ残るのである、されば人々聖霊の降臨を祈り求むべし、されど深く且多く之に与らんとせば当然の順序を踏むを要す、かくて知識より知識に、信仰より信仰にと我等は進んで已まざるを以て目的とすべきである。
〇ペンテコステの出来事は歴史である、故に其儘これを今日再現せしむることは出来ない、しかし誰人も今形を異にして性質を等しくする恵みに浴することが出来るのである。
 
(361)     信と行
                         大正9年5月10日
                         『聖書之研究』238号
                         署名なし
 
 信を求めて信と共に行を与へられ、行を求めて信をも得ず亦行をも得ない、宗教の黄金時代は信が高唱せられて行に無頓着なる時代である、其時に信は燃て行は挙る、之に反して行が絶叫せられて信が軽視せらるゝ時に信の起らざるは勿論、行も亦挙らない、信は本である、行は未である、信の真偽を試す者は行である、然れども行が重く視られて信が軽く見らるゝ時に、信は失せて同時に又行も消ゆるのである、信、信、信である、勿論自己を信ずる事ではない、奮励して熱信に燃《もゆ》る事ではない、静かに信ずべき者を信ずる事である 茲にすべて人の思ふ所に過る平安がある、同時に又た流れて尽ざる能力の泉がある、実に信が最大の行である、「神の遣しゝ者を信ずるは其|工《わざ》(行)なり」とあるが如し(約翰伝六章二九節)、|絶対的信頼〔付◎圏点〕、自己の信仰にすら信《たよ》らざる信仰、何処までも信る信仰、此信仰がありて宇宙が動くのである、そは其時に我は神と偕に働き知らず識らずの間に神の動かす所となるからである。
 
(362)     PAUL A SAMURAI.武士の模範としての使徒パウロ
                         大正9年6月10日
                         『聖書之研究』239号
                         署名なし
 
     PAUL A SAMURAI.
 
 PAUl a Jew and a disciple of Jesus the Christ,was a true samurai,the very embodiment of the spirit of Bushido. Said he:It were good for me rather to die,than that any man should make my glorying void. I Cor.T],15. He preferred death to dishonour,to dependency,to begging for whatever cause. Again he said:The love of money is the root of all evil.I Tim.XT,10.Commercialism, in his view,was the cause of all evil,individual,soCial and national. Then,none was more loyal to his master than Paul was to his,not even Kusunoki Masashige. Independent,moneyhating,loyal,――Paul was a type of old samurai,not to be found among modern Christians,both in America and Europe,and alas also in samurai's Japan.
 
     武士の模範としての使徒パウロ
 
 猶太人にしてイエスキリストの弟子なりしパウロは真正の武士にして武士道の精神を体現したる者であつた、(363)彼は曰ふた「我が誇る所を人に虚くせられんよりは寧ろ死《しぬ》るは我に善き事なり」と(哥林多前九章十五)、彼は乞求《きつきう》依頼の恥辱を忍ばんよりは寧ろ死ん事を欲した、彼は又言ふた「財を慕ふは諸の悪事の根なり」と(提摩太前六章十節)、彼の見る処に由れば今日所謂商業政策即ち商売根性は諸悪の原因であつて、個人を毒し社会を腐らし国家を亡す者であると、更に又パウロ程其|主《きみ》に対して忠なる人はなかつた、我楠正成と雖も其君に対してパウロがキリストに対して忠なりしが如くに忠でなかつた、パウロは独立であつた、金銭を賤んだ、主に対して忠であつた、斯くて彼は古《いにしへ》の武士の模範であつた、彼の如きは米国に於ては勿論の事、欧洲諸国に於ても、近代基督教信者の内に見る事が能ない、然り武士道の本場たる日本に於ても見る事が能ない。
 
(364)     潔と愛
                         大正9年6月10日
                         『聖書之研究』239号
                         署名なし
 
 「神の旨は汝等の潔からん事なり」とあり(テサロニケ前書四章三)、「人もし潔からずば神を見ることを得ざるなり」とある(希伯来書十二章十四節)、実に其通りである、然し乍ら「婦の産し者いかで清かるべき」である(約百記廿五睾四節)、清潔は欲《ねが》ふ所なれども其途は難いのである、而して其途は唯一である|愛である〔付○圏点〕、神と人とを愛して我等は潔からざらんと欲するも得ないのである、愛は潔《けつ》を行ふ為の積極的方法である、博士《ドクトル》チャルマースの所謂 Expulsive power of new affections(新らしき愛の駆追力)を利用してのみ潔は完全に行はるゝのである、潔は貴しと雖も消極的なるが故に愛の積極的なるに及ばない、「父の我を愛し給ふ如く我れ汝等を愛す、汝等我が愛に居れ」とイエスは言ひ給ふた(約翰伝五章九)、基督者《クリスチヤン》の清潔の秘訣は茲に在る、「我が愛に居れ」、「我が愛を汝等の間に行へよ」、斯くして律法は完成《まつとう》せられ、凡の汚穢《けがれ》は除かれて信者は雪の如く白くせらる、愛に因らざる潔は不完全である、愛の泉なるキリストの血のみが凡の罪より我等を潔くする。
 
(365)     教会建設問題
                         大正9年6月10日
                         『聖書之研究』239号
                         署名 内村鑑三
 
○人は余に問ふて曰ふ「君は何時何処に如何《どう》して教会を建んとするのであるか」と、此問に対して余は時々答ふるに言辞なくして苦しむ、余はキリストの福音を唱ふること茲に四十年であるが今に猶ほ教会を建つるの見込がないのである、然し翻つて思ふ、教会を建るの必要果してあるやと、而して聖書は今時《いま》の基督信者と異なり教会建設の必要を以て信者に迫らないのである、聖書は明白に教へて言ふ「主イエスキリストを信ぜよ然らば汝及び汝の家族も救はるべし」と(行伝十六章三一節)、「教会を建よ」とは何処にも言ふて居ない、而して主イエスは教会の首長であると同時に霊魂の救主である、彼は彼の聖父と同じく手にて造れる所の教会堂に居たまはない(同七章四八節)、彼は言ひ給ふた「人もし我を愛せば我言を守らん、且つ我父之を愛せん、而して我等(父と我)臨りて彼と共に在るべし」と(約翰伝十四章二三)、パウロも亦教へて言ふた「神の殿《みや》は即ち汝等なり」と(哥林多前三章一七)、依て知る真の教会の人の霊魂なることを、神は手にて造れる会堂に居たまはず彼を愛する人の霊魂に宿り給ふ、真の教会は彼が聖め給へる霊魂である、而して聖書に依て明白に其事を教へられて余は教会を建るの必要を認めないのである、然り余は福音を唱へつゝある間に真の教会を建つゝあるのである、「神の殿(教会)は即ち汝等信者なり」と、祝すべきかな此言や、此言ありて|教会無しの基督教が〔付○圏点〕在り得るのである、人が霊魂の(366)深き所に於てイエスの聖名を※[龠+頁]びまつる所に、其処に真正の教会があるのである、斯くて余は今、人の霊魂の衷に神の言を語りつゝ聖き教会を建つゝある、是が余の建得る教会であつて又神の要求し給ふ教会である、キリストを愛し|其言を〔付△圏点〕|守り〔付▲圏点〕聖父の愛する所となりし者、聖父と聖子とは臨りて彼と共に在し給ふと云ふ、而して余も亦余の伝道の経験に於て幾回か斯かる臨在を目撃せしめられたのである、余も亦少しく教会建設に成功したりと云ひて強ち不遜を語るのではないと思ふ。
〇元来宗教は寺院又は教会の事ではない、霊魂の事である、神と人とに対する心の態度の事である、神を愛し得る乎、神を愛するの必然的結果として人を愛し得る乎、此問題が完全に解決せられて余は単に手段方法の次位問題と成るのである、鹿の渓水《たにがは》を慕ひ喘ぐが如くに人の霊魂は活ける神を慕ひ喘ぐのである、彼等はピリポと共に言ふ「主よ我等に父を示し給へ然らば足れり」と(約翰伝十四章八節)、伝道の必要は茲に在るのである、|父を示すに在る〔付○圏点〕、父を示して霊魂の渇を癒すに在る、而して是れ教会なくして行ひ得る事である、実に多くの場合に於て教会は父を示すがため|妨害〔付△圏点〕である、故に多くの聖者は特にイエスキリストの御父なる真の神を示さんがために教会を離れ、所謂「営《かこひ》の外」に出 教会の※[言+后]※[言+卒]《そしり》を負ひつゝ父を人に示したのである(希伯来書十三章十三節)、曾てはルーテルも此事を為した、ウェスレーも此事を為した、近世に到りてF・W・ロバートソンも此事を為した、彼等の伝道の目的は教会建設に於て無くして「父を示す」に在つた、而して神の恩恵に由りて彼等は著しく此事に於て成功した、|父を示す事〔付◎圏点〕、我等の猶罪人たる時、其子をして我等の為に死なしめ給ひし父、我れ此父を我同胞に伝へずして止むべけんやである、キリストの愛に激《はげま》されて起る此熱心、我にも亦是れなからざらんやである、伝道が若し人類的熱情に促されて起る業《わざ》でないならば我は之に従事するを耻とする、|愛に燃えて福音を〔付△圏点〕|説く〔付▲圏点〕|時に(367)我が眼中に教会なく、組織神学なく、信従を迫る信仰箇条は無いのである〔付△圏点〕。
〇一人の小女がナザレのイエスを救主として迎へし時に余は彼女の霊魂の内に神の教会を築いたのである、一人の青年がイエスの愛に激されて彼の勇気、彼の清潔、彼の愛を幾分なりと己が有となし、更に進んで彼の為に其百年の齢を譲らんと決心せし時に余は亦茲に一大教会を起したのである、|キリストの福音を万人の実験と為さん事〔付○圏点〕、是れ伝道の目的である、恰も日を万人の上に照らし、雨を万人の上に降さんとするが如く、伝道は如何なる制限をも許さゞる業である、哲学者が其提唱する真理の万人に納《うけ》られん事を欲するが如くに、詩人が其吟誦する思想の万人に歌はれん事を求むるが如くに、基督者《クリスチヤン》は其喜ばしき救拯の音信《おとづれ》を万人に伝へんと欲するのである、|斯くて基督者は詩人哲学者と階級を共にすべき者であつて、監督、宣教師、僧侶、神主、祭司等宗教者と類を同うすべき者でない〔付△圏点〕、教会は大抵の場合に於ては制限である 之に空気の自由なるが如き、光の無涯なるが如きが無い 余は福音の光に接して、小なる星と成りしが如くに感ずる、余は光を放たざるを得ない、而して放光の方向に制限はない、無教会主義は余に特別なる主義ではない、真理の特性である、余が教会を建つる時に余の信仰は結晶し、余の伝道は其前進を阻止せらるゝのである。
〇然《さら》ば輝かん哉星の如くに、嘯かん哉風の如くに、人の霊魂の内に現今神の聖書を以て眼に見えず手にて造られざる神の教会を建ん哉、英米流の教会信者等が之に対して何と云ふとも。
 
(368)     約百記の研究
                    大正9年6月10日−10年1月10日
                    『聖書之研究』239−246号
                    署名 内村鑑三述 畔上賢造記
 
     第一講 約百記は如何なる書である乎 (四月二十五日)
 
〇約百記の発端は一章、二章にして、十九章がその絶頂たり、それより下りて四十二章を以て結尾となす、併し此四つの章を読みしのみにては足らず、その間に挟まる各章を読むは恰も昇路《のぼりみち》及び降路に於て金銀宝玉を拾ふが如くである、故に四十二ケ章全部に心を留めねばならぬのである。
〇注意すべきは|約百記の聖書に於ける〔付○圏点〕位置である、凡て聖書中に収めらるゝ各書の位置を知るは其書の研究上大切なる事である、先づ新約聖書を見るに馬太伝より使徒行伝までは「歴史」、最後の黙示録は「預言」にして、その間に挿まる使徒等の書翰は「霊的実験の提唱」とも云ふべく「教理の解明」とも称すべく、又は簡単に「教訓」とも名くべきである、歴史と預言は教会及び人類の外部の状態に関し、教訓は個人の内界に関するもの、外より教へ又内より教ふるのである、そして此事は旧約聖書に於ても同様である、その三十九書中、初の十七書は歴史、終の十七書は預言、そして其間の五書即ち約百記、詩篇、箴言、伝道之書、雅歌は心霊的教訓である、そして約百記が|此教訓部の劈頭第一〔付○圏点〕に位するに注意せよ、抑も創世記を以て始まりし歴史はイスラエルを通して伝(369)へられし神の啓示を載するものである、而してそれが最後の以土帖書を以て終るや茲に|約百記を以て一個人の心霊を以てする啓示〔付○圏点〕が伝へられたのである、茲に新なる黙示が伝へられたのである、神の教示が全く別の道を取るに至つたのである、即ち個人の実験を通して聖意が此の世に臨んだのである、歴史と預言とは過去と未来に於ける国民又は人類の外的表現に依りて聖意を伝ふるもの、之れに対して教訓は神と霊魂との直接関係そのまゝの提示である。
〇神は外より探り得べし又内より悟り得べし、神を歴史に於て見、従つて神の教を国民的、社会的、政治的に見るも一の見方である、されど之のみに止まる時は浅薄に陥り易い、これを個人心霊の堅き実験上に据えて初てその真相を穿ち得るのである、かゝる実験の人が集まる処おのづから外部的に神の国は成立するのである、そして史的勢力となるのである、我等は我内界に不抜の確信を豊強なる実験の上に築き、そして又同時に其外的表現に留意すべきである、外にのみ走りて浅薄になる虞あると共に内にのみ潜みて狭隘となる嫌がある、いづれにせよ旧約聖書に於て此個人的沈潜の深みを伝へし第一が約百記であることは忘るべからざる点である。
〇約百記を心霊の実験記と見る上に於て注意すべきは巻頭第一の語である、「ウヅの地にヨブと名くる人あり」と記さる、ウヅとは異邦の地である、|実に旧約聖書は其歴史部を終へて教訓部に入るや劈頭第一に異邦の地名を掲げ異邦人ヨブの実験を語らんとするのである〔付○圏点〕、これ真に今人の驚異に催することである、ウヅの地とは何処なるかに就て諸説あるも|そのパレスチナの中になきこと〔付△圏点〕は明かである、そして之をアラビヤ沙漠の北部地方(全沙漠の三分の一又は四分の一)の総称と見るを正しと思ふ、然る時はヨブの住みし村又は町は何処ぞといふ問題が次に起る、沙漠の最北部即ちパレスチナに接近せる辺と云ふ学者もある、併し沙漠の中央に近きヂュマまたはショ(370)フ(Duma;Dschof)であるとの説を余は採るのである、羊七千駱駝三千と云ふ如き大群の家畜を養ひ得んには広き緑野を要するのである、そしてヨブの外にも彼に匹敵する又は彼に近き豪農が住んでゐたことゝ当然推定せらるゝが故に、かゝる緑野の充分ある地はヂュマの他にはないのである、さればヨブの住みし地はパレスチナより見て純然たる異邦であつたのである。
〇此事は何を我等に示すのであるか、|イスラエルは神の選民たりと雖も神を求むるの心はイスラエルの独占物ではない、人は各個人直接に神を求むるを得、神は各個人の心霊にその姿を顕し給ふ、此意味に於て国籍民族の区別は全く無意味である〔付○圏点〕、そは実に個人的なるが故にまた普遍的である、故に神を求むる者を猶太人に限る要はない、異邦人にて宜いのである、|否異邦人の方が却て宜しいのである〔付△圏点〕、約百記が異邦人ヨブの心霊史を掲ぐるは神を求むる心の普遍的なるを示すと共に、神の真理の包世界的なるを示すのである、実に各個人の――従つて全人類の――実験を描かんとせば其主人公を猶太人以外に求むるを得策とするのである、而して旧約聖書はその教訓部の劈頭に異邦人の心的経験を記載して以て其人類的経典たることを自証してゐるのである、げに聖書ほど人類的の書はないのである、聖書を以て猶太思想の廃址と見るは大なる誤謬である、その然らざるを証するものは少なくないが約百記の如きはその最たるものである、されば約百記は特に普遍的の書物である、特に国家なきアラビヤ人中より其主人公を選びて、誰人と雖も、苟も人である以上は、神を知り神の真理を探り得ることを示したのである、約百記が特殊の力を以て吾人を惹く所以の一は茲にあるのである。
〇神の選民たる誇りの中に住み居たる猶太人中、異邦人を主人公として斯る大信仰を開説したる約百記作者があつたのである、その如何なる人なりしかは今之を明にし難しと雖もその大胆なる態度とその自由なる魂とは羨む(371)べきである、同時にまた人生最高の実験を異邦人の実験として描きたる此書の如きを尊重し、之を聖書中に正経として加へたる猶太人の心の広さを我等は見落してはならない、げに此民ありて此著者ありと云ふべきである。
〇人は何故に艱難に会するか、殊に義者が何故艱難に会するか、これ約百記の提出する問題である、これ実に人生最大問題の一である、そして此問題の提出方法が普通のそれと全く異り居るが此書の特徴である、先づ一章全部と二章前半を見よ、ヨブに大災禍臨みて産は悉く奪はれ子女は悉く殺され、身は悪疾に襲はれ最愛の妻さへ彼を罵るに至つたのである、かくて彼は唯独り苦難の曠野に坐して此問題の解決を強ひられたのである、実に彼は生涯の|実験〔付○圏点〕――|殊に悲痛なる実験〔付○圏点〕――|を以て問題を提出せられたのである〔付○圏点〕、教場に於ける口又は筆に依る問題の提出及び其解答ではない、哲学上の問題や文学上の問題の如く思想を以て提出され思想を以て答ふるものとは全然性質を異にする、ヨブは患難の連続を以て患難の意味てふ問題を提出せられそして事実的の痛苦、煩悶、苦闘を以て之に答へざるを得なかつたのである、彼の如き敬虔なる信者がかの如き大苦難に会したのである、これ果して愛なる父の所為として合理なるか、神に対する我信仰は誤謬ならざりしか、寧ろ世に神なきに非ざるか、もし神在りとせば義者に患難を下し給ふは何故か――凡そ之等の疑問が彼の心霊を圧倒すべく臨んだのである、実に彼は実験を以て大問題を提出せられ実験を以て之に答へしめられたのである、故に約百記全体に活ける血が通つて居るのである、火と燃ゆる人生の鎔炉に鉄は鍛へられんとするのである、文学の上の遊戯ではない、生ける人間生活の血と火である、是れ約百記の特徴である、此事を心に収め置かずしては此書を解することは出来ない、約百記は美文でない、霊魂の実験録である。
〇約百記が世界第一の文学なることは古来よりの定説である、之を単なる文学書として審美心或は思想愛好心よ(372)り研究するも全く無効には終るまい、併し乍ら是れ信仰的立場に於て初て充分に了解せらるゝ書である、我等は此書を研究する時先づ著者に対して深き同情と尊敬とを抱かねばならぬ、由来此書は文学書又は思想書として著されたものではない、著者自から書中に記す如き大苦難に会はずとするも、少くも之に似たる苦難に逢ひて其実験の上に此書を著したものと見ねばならぬ、故に之を文学とし又思想として研究する時は一の謎として終るのみである、身自ら人生の苦難に会し、悲痛頻りに心に往来するを味ひ、しかも神を信ずる信仰と我苦難との矛盾に血涙止めあへざりし人――此種の人が深き同感と少からぬ敬意とを以て此書に対する時は、此書を理解し得るのみならず、此書より得る処少なくないのである。
〇今日までに約百記の註解は少からず現れた、而も其の多くは之を以て不可解の書となすのである、此書を美はしき仏文に移したるルナンの如きは聖書学者として又約百記研究者として有名なる人なるにも拘らず、約百記の真意を捕捉することを得なかつたのである、其他此書の研究者は概ね古代の習慣、思想等の考古学的研究に心を奪はれて此書の神髄を捉へ得ないのである、これ研究の態度が正しからぬためである、之を実験的に解さんとせずして思索的に解さんとする時は、如何なる学者にも此書は不可解の謎として残るのである、自分をヨブの位置に置き苦闘努力以て光明を得んとせし者には此書は決して不可解の書ではないのである、無学者と雖も老人小児と雖も此心を以てせば約百記を解し得るのである、聖書はその何れの書と雖も読者に斯る態度を要求するものであるが約百記の如きは格別にも然るのである。
〇実験を以て与へられし問題を実験を以て解かんとしてヨブの苦める時、エリパズ、ビルダデ、ゾパルの三友人現れ各々独特の思想と論法とを以てヨブを慰めんとする、かくて世に普通の解釈は皆与へられしもそは却て彼を(373)苦むるのみであつた、其時青年エリフ仲裁者として現る、エリフは学識経験に於ては三人に劣れども同情に於て優れるため稍やヨブの心を柔ぐるに於て成功する、最後にヱホバ御自身現れて親しく教示する、しかも此教示中直接ヨブの疑問を解くべき答は一も与へられて居らぬのである、義者に臨む苦難の意味については一言も答ふる所ないのである(三十八章以下を見よ)、これ不思議と云ふほかはない、然るに尚ほ不思議なるはヨブがそれに全く満足し我罪を認めて全き平安に入りしことである、問題の説明供せられざるに彼の苦みが悉く取去られしとは真に不思議なる事である、初から問題を提出しないならばそれで宜しい、然るに之を明かに提出しながらその解答を載せぎるは実に怪しむべきことである。
〇しかし解答は与へられずして与へられたのである、実に神を信ずる者の実験は之に外ならぬのである、苦難の臨みし説明は与へられざれど大痛苦の中にありて遂に神御自身に接することが出来、そして神に接すると共に凡ての懊悩痛恨を脱して大歓喜の状態に入るのである、ただ神がその姿を現はしさへすれば宜いのである、ただ直接に神の声を聞きさへすれば宜いのである、それで疑問は悉く融け去りて歓喜の中に心を浸すに至るのである、其時苦難の臨みし理由を尋ねる要はない、否苦難そのものすら忘れ去らるゝのである、そして唯不思議なる歓喜の中に凡てが光を以て輝くを見るのみである。
〇今日基督信者の実験も亦これである、彼に取つては之が患難苦痛の唯一の解釈法である、友人等の提供する種々の説明も彼に何等満足なる解答を与へない、或は人生の長き実験より或は深き学識より或は温き同情より彼を慰むれども何れも問題の中心に触れない、かくて彼の煩悶いよ/\加はる時遂に父はキリストに於て其姿を現はし其光彼を環照《めぐりてら》し、此光の中に凡ての懐疑や懊悩がおのづと姿を収めるのである、そして凡てを失ひても之を(374)糞土の如く思ひ得るに至るのである。
〇因に記す、約百記は文学書にあらずして而も世界最大の文学書である、世界の大文学中約百記を手本として作られしものは少なくない、ゲーテのフハウスト、ダンテの神曲、シェクスピヤのハムレット、カアライルのサアター・レサアタス(Sartor Resartus)プラウニングのイースタアデー(Easter Day)とラビ・ベン・エズラ(Rabbi Ben Ezra)等はそれである、又現代英の文豪たるG・H・ウエルスの『不死の火』(Uudying Fire)の如きも約百記を手本とせる作物である、以て約百記の大を知るべきである。
 
     第二講 ヨブの平生と彼に臨みし患難 約百記第一章二章の研究(五月二日)
 
〇約百記は今日の語を以てせば劇詩(Dramatic Poetry)と名づくべく又|叙事詩〔付○圏点〕(Epic)と称すべきものである、劇詩と見るも舞台に上すべき性質のものではない、希臘人の如くに風景的観念に豊かならぬ猶太人の作なれば之を舞台に演ずる時は簡単にして無味なるを免かれぬ、ヨブの平生、天国に於ける神とサタンとの問答、ヨブに臨みし災禍、三友人の来訪、ヨブ対三友人の長い論争、エリフの仲裁、最後にヱホバ御自身の垂訓とヨブの慚改感謝――これにて大団円となるのである、これでは劇としては余りに無味である、故に之は舞台に上すために書いたものでないことは明かである、併し劇作に甚だ乏しき猶太文学のことなれば、約百記雅歌等を其中に加ふるも可なりと思ふ。〇ヨブは実在の人物か想像の人物かは一の問題である、そして余はヨブを実在の人物と信ずる者である、その本名がヨブなりしか如何は不明なるも少くとも此人は実際に存し此人の味ひし経験は事実的に起りしものと余は認(375)めるのである、慥かに約百記は或確実なる事実を根拠とせるものである、もとより斯る作品の常として其光景、その対話等に著者独特の修飾あるは当然ながら此作が或事実の詩的表現であることは疑ふべくもない、而して此作の主人公と著者とは別人なるべきも、著者は謂ゆる文学者の列に加へらるべき人に非ずして、主人公ヨブと似たる経験を持ちし所の敬虔摯実なる人なりしは明かである、然らずしては斯る大作を生み出し得べき筈がない、|神を畏れ悪に遠ざかりしヨブの実伝を、ヨブと等しき実験を持てる或人が自己の実験に照し又詩的外衣に包みて提示せしもの〔付○圏点〕、これ即ち約百記である、故に吾人はヨブに対して敬意を表すると同時に著者に対しても亦同一の敬意を払はねばならぬのである。
〇之より本文に移らう、一章一節に「ウヅの地にヨブと名くる人あり、其為人完く且正しくして神を茂れ悪に遠ざかる」とある、「為人全く」とあるも是れもとより人より見ての完全であつて神より見ての完全ではない、完全の程度は見る人の目に依て異なる、日本にて品行方正位の程度を以て比較的完全と見るは低き見方である、古昔の猶太人の謂ゆる完全は絶対的完全ならずとするも、今日の我国の如きよりは遙かに高き道徳的標準に照らしての完全であるに注意すべきである、第一章に表れたるヨブ、殊に三十一章に表れたる彼を見れば彼が如何なる程度に於て完全なりしかを知り得る、かゝる人が今日我等の間にあらば社会は之を完き人と見、教会は之を完全なる信者と見るであらう、併し乍ら聖書の立場より見ればヨブの完全は絶対の完全にあらず、更に完全なるを要する所の完全であつたのである、これ約百記に現はれたる悲劇の生ずる所以である。
〇此完全なるヨブの生涯も亦完全であつた、「その生める者は男の子七人、女の子三人」と云ふ完全なる家庭であつた、「その所有物《もちもの》は羊七千、駱駝三千、牛五百|※[藕の草がんむりなし]《くびき》、牝驢馬《めろば》五百、僕も夥しくあり」と云ふほどの富の程度であつ(376)た、そして其家庭は未婦兄弟姉妹相和して平和漲るの状態にあり、特にヨブが其子の教育に於て誤らず、祭壇を設け自ら祭司の職を取りて子女の赦罪のため燔祭を献ぐる如き凡てが完全の状態であつた、即ち富足り家栄え家訓行はれ敬神の念盛なりと云ふべき有様であつたのである。
〇試みにヨブを今日の社会に立たせて見よ、その富は何百万、外に出でゝは多くの有力なる会社の社長又は重役たり、内に在りては子女の教育に於て全く、牧師の任に当りて過たざる人たるであらう、不幸にして我国に此種の人は殆んどない、富者は多けれども神を畏るるの信仰なきは勿論、我生みし子をすら治め得ざるもの比々皆然りである、まして家に在て牧師の職を取り得る者の如きは到底見出し得ぬ処である、併し是れ世に皆無の事象ではない、欧米諸国に於ては少数ながら此種の人が実存するのである、ヨブの如き人を今日我国に於て見ざる事は必しもヨブが架空の人物たる証左とはならない、併し乍らヨブの完全は神より見ての完全ではない 更に大なる完全に彼を導くべく大災禍は続々として彼を襲つたのである、かくてヨブの悲歎起る、しかし是れ同時に神の恩恵の現れである。
〇次に問題となるのはヱホバ対サタンの問答である、或時サタン、ヱホバの前に現はれ、ヱホバ先づサタンに向つて語りサタン之に答へ斯くてヨブに災禍は臨むに至つたのである、一章及び二章の此対話は其表面の意味に於ては甚だ明瞭であつて何等の註解をも要さないのである、しかし今日の人には斯る事果して在り得るやとの疑問が起るのである、人類に下る災禍は果してサタンが神の許可を得て起こす所のものなるか――これ今日の人の疑問とする処である、彼等は言ふ凡ての疾病は神より刑罰として降りしものにあらず、其他の禍にもそれ/”\天然的又は人間的原因あり、之を天に於て神の定め給ひし所と見るは誤れりと。
(377)〇併し乍ら天上に於けるヱホバ対サタンの対話の実否如何は姑く別として、吾人基督者の実験に許ふる時は此記事が其究竟的意味に於て至当なるを知るのである、此記事を見るにヱホバ対サタンの対話は偶然に発せしものではない、ヱホバより先づサタンに向つて「汝心を用ひて我僕ヨブを観しや、彼の如く完く且正しくして神を畏れ悪に遠ざかる人世に非ざるなり」と言ひかけたのである、ヨブの清浄はヱホバの充分認め且喜べるところ、故にヱホバより先づ問題を提出したのである、これヨブに起りし災禍が其究竟の原因をヱホバに置くことを示したのである、基督者は自己に臨みし一切の事件が聖意に基づくことを其実験の上に認むるものである、「凡ての事は神の旨に依りて召かれたる神を愛する者のために悉く働きて益をなすを我等は知れり」(ロマ書八の二十八)とのパウロの言は即ち基督者の実験である、余自身について言へば、病に罹りし時の如き之を神より直接に来りしものとは思はず他の原因が明かに認めらるれど、後に回顧すれば其中に深き聖意を認めざるを得ないのである。
〇然り神を信ずる者に於ては自己の生涯に臨みし凡ての出来事に必ず道徳的価値があるのである、そして宇宙人生の凡ての出来事は其究竟的原因を聖旨に置くと見るを正しとするのである、然り万事万物の本源を握る者は神の御手である、これ近代人と雖も必しも否認せんと欲する所ではあるまい、直接の原因と見ると間接の原因と見るとの差別こそあれ、原因の原因に溯れば凡ての災禍の源は約百記の茲に記す所に外ならぬのである、即ち地に起る凡ての出来事は源を天に置くのである、近時の心理学が漸く此辺に着目して有形世界と神秘世界の関係に想到せし如きは一段の進歩と称すべきではあるが、然し是れ古より神を信ずる者の実験し来つた所に過ぎぬのである、この古き実験を今に至つて心理学者が初て研究の主題としたのである。
〇かくてヱホバとサタンとの対話の結果サタンは神の許可を得て愈よヨブに災を下すのである、その災は前後二(378)回に分たる、前の災は彼の所有物に関するもの、後の災は彼の生命の脅威である、そして前の災は四回に彼に臨んだ、其第一回にはシバ人のために牛と牝驢馬が奪はれ少者《わかもの》が殺された、第二回には「神の火天より降りて羊及び少者を焚きて滅ぼ」した、第三回にはカルデヤ人が駱駝を奪ひ少者を殺した、第四回には大風のために子女十人悉く死した、かく彼の所有物悉く失せしも彼は「我れ裸にて母の胎を出でたり又裸にて彼処に帰らん、ヱホバ与へヱホバ取り給ふ、ヱホバの御名は讃むべきかな」と言ひて「此事に於てヨブは全く罪を犯さず神に向ひて愚なる事を言は」なかつた、忍耐深きヨブよ。
〇第二章に進みてはヱホバとサタンとは第二回目の対話に入るのである、ヱホバはヨブを称揚しサタンは之に対して言ふ「皮をもて皮に換ふるなれば人は其一切の所有物《もちもの》をもて己の生命に換ふべし、されど今汝の手を伸べて彼の骨と肉とを撃ち給へ、さらば必ず汝の顔に向ひて汝を詛はん」と、|皮をもて皮に換ふ〔付ごま圏点〕とは古い諺であつて其意味は不明である、しかし多分A・B・デー※[ヰに濁点]ッドソン氏の言ふ如く、|肉を以て肉に換ふ〔付ごま圏点〕と云ふと等しく、人は己が生命を全ふせんためには骨肉の生命を犠牲に供するをも厭はぬとの意であらう、故にサタンの此語は「人は己が生命を全うせんためには何物をも犠牲にせんとする者にして、生命は彼の最貴重物なれば若し神ヨブの生命を脅《おびやか》すあらば彼必ず神を詛はん」と云ふ意味に解すべきものであらう、かくてサタンはヱホバの許しを得てヨブを撃ちヨブは癩病の襲ふところとなつたのである、茲に於てヨブは自己生命の脅威を感ずるに至つたのである是れ後なる災である。
〇サタンの此申出は人間を譏り又神を譏りしものである、先には云ふ「ヨブ豈求むる所なくして神を畏れんや……されど汝の手を伸べて彼の一切の所有物を撃ち給へ、さらば必ず汝の顔に向ひて汝を詛はん」(一の九−十(379)一)と、後には言ふ「彼の骨と肉とを撃ち給へ、さらば汝の顔に向ひて汝を詛はん」と、けだし神を畏るゝ如きは要するに物質的恩恵を希求する人間の賤しき動機より発せしもの、故に物を失ひ生命を脅さるゝや人は必ず不信に墜つと、これサタンの人間観である、而して人に対するサタンの此譏りは神に対する譏りをも含むのである、即ち人類なるものは利慾中心の生物にして決して善そのものゝために善を求むる如きことなしと主張して、この人間を造りし神自身をも利慾的存在者と貶したのである、サタンは斯く信じサタンの子等亦かく信ず、かゝる場合に於いて神はサタンに対し又此世に群生する彼の子供らに対して「否! 世には利慾を離れての信仰あり、善のために善を追求する信仰あり、神は物質的恩恵の故に崇むべき者にあらず、神は神御自身の故に崇むべきものなり」との事を示す要がある、之を立証せんためにヨブは用ひられたのである、我等今日の基督者も亦此真理を証明せんために奉仕すべきである、自己の生涯を以て自己の信仰の物質を超越せる至醇なるものなることを立証すべきである、前後数回の大災禍に会して静かに之に堪へて尚信仰の上に立ちしヨブは我等の最上の模範である。
〇しかも遂に最大の災がヨブに臨むに至つた、そは彼の妻の離反である、「時にその妻彼に言ひけるは汝は尚も己を完うして自ら堅くするや神を詛ひて死ぬるに如かず」と二章九節は語る、人生に禍多し、而もヨブの如き清き家庭を営める人に於ては妻の離反は最大の禍であると云ふべきである、産を悉く失ふも宜しい、子を悉く失ふも或は堪へ得やう、悪疾に襲はるゝも亦忍び得やう、しかし寂しき人生の旅路に於ける唯一の伴侶《とも》たる妻が自ら信仰を棄てしのみならず進んで信仰放棄を勧むるに会して彼の苦痛は絶頂に達したのである、我等は深き同情を彼に表さねばならぬ、併し一方またヨブの妻を以て悪しき女となすべきではない、彼女は普通の婦人の堪へ難きを堪へ来つたのである、財産を失ひ地位を失ひ子女を悉く奪はれて彼女は尚夫と信仰を共にして来た、最後に夫に(380)不治の悪疾臨むに至つて遂に信仰を棄つるに至つたのである、されば彼女に対しても亦深き同情を表さねばならぬ、財産の一部を失ひてすら夫に信仰の放棄を勧むる謂ゆる基督教婦人が此世には少なくない、彼等に此してヨブの妻の優れること幾許ぞ、さり乍ら彼女も遂にサタンの罟《わな》に陥りてヨブは全く孤独の人となつた、茫々たる大宇宙にたゞ一人の孤独! その寂寥、その苦痛果して如何であつたらうか、察するに余りありと云ふべきである。
〇此事次第に世に知れわたりて遂に遠隔の地にあるヨブの三友人の耳に達した、通信機関不充分なりし当時のことゝて其間早くも一年は経過したと見ねばならぬ、その問に此処に記されざる多くの苦痛がヨブに在りしことは後章に至つて知れるのである、産を失ひ悪疾を得て今はヨブを信ずる者世になく、今までの敬慕者も嘲笑者と変り、友として頼るべき者もなき悲境に彼は陥つたのである、然るに茲に三人の良き友があつた、テマン人エリパズ、シュヒ人ビルダデ、ナアマ人ゾパルがそれである、彼等は互に離れ居りしもヨブの災禍を伝へ聞きて或時某所に会して相談の結果共にヨブを訪ふ事となつた、ヨブと此三人とは其社会的地位、その学識、その信仰(霊的経験)を等しくしてゐた、彼等は沙漠の海数百哩を遠しとせずして来たのである、各々従者を随へ、又友情に厚き人々のことゝて多くの見舞品などを携へ、沙漢の舟と称ばるゝ駱駝に乗りて急ぎ来つたのであらう、沙漠の旅は夜に於て為すものなれば、或は明月煌々たるの夕、或は星斗爛干たるの夜、一隊の隊旅《キヤラバン》が香物《かうもつ》の薫りを風に漂はせながら悩める友を見舞はんと鈴打ち鳴らして進む光景は実に絶好の画題である、そして今日まで度々画題として用ひられたのである、何れにせよヨブに三人の真の友ありて世が彼を棄つるも彼を棄てなかつたのである、誠に欲しきは真の友である、かくてヨブは全く不幸ではなかつたのである。
〇やがてエリパズ、ビルダデ、ゾパルの三人はウヅの地に来た、そしてヨブの所に来り見れば往日《さき》の繁栄、往日《さき》(381)の家庭、往日の貴き風采悉く失せて今は見る蔭もなく、身は足の跖《うら》より頂まで悪しき腫物に悩み土瓦《やきもの》の砕片《くだけ》を以て身を掻きつゝ灰の中に坐する有様であつた、三友人の驚き果して如何、「目を挙げて遙かに見しに其ヨブなるを見識《みし》り難き程なりければ斉《ひと》しく声をあげて泣き、各々おのれの外衣《うはぎ》を裂き、天に向ひて塵を撒きて己の頭の上に散らし、乃ち七日七夜彼れと共に地に坐しゐて一言も彼に言ひかくる者なかりき」と二章の末段は語るのである。
〇かくて友人の来訪に会してヨブの心にも亦一変動が起つたのである、患難は其当時に於ては堪へ得る、又敵や無情の人に対しては忍耐を持続し得る、しかし乍ら我心を知る友人と相会する時涙は初て其堰を破つて出で来るのである、患難に於ける此心理を知りて初て約百記の構想を知り得るのである、三友人はヨブの此心理を察し得ざりし故に真正面より彼の論理に向つて突撃したのである、かくて三章以下に記さるゝヨブ対三友人の議論は始まるのである。
 
     第三講 ヨブの哀哭 約百記第三章の研究(五月九日)
 
〇ヨブの哀哭は約百記の到る処にあれど、第三章はその哀哭の最初であり且その最も代表的のものなるが故に此章の研究は甚だ有意味なのである。
〇さて此の章の研究に当り注意すべきは五章十九節の「彼は六つの艱難《なやみ》の中にて救ひ給ふ、七の中にても災禍《わざはひ》汝に臨まじ」の語である、ユダヤにありては七は完全を意味する語であれば|六〔付○圏点〕は|未完〔付ごま圏点〕を示す辞である、故に七の艱難とは艱難がその極に至つたことを意味するのである、今ヨブの場合を見るに事実上六の艱難は既に臨んだので(382)ある、牛と牝驢馬全部及び僕若干、羊全部と僕若干、駱駝全部と僕若干、子女全部、健康、妻と六回に分つて之等を失つたのである、第四以下の艱難の如きは可成《かなり》手痛きものであり第六の如きは其最たるものであつた、けれども禍《わざはひ》は尚ほ六に止まつてゐた、もし更に之に加へて第七の災来る時ヨブの艱難はその極に至るのである、そして若し尚ほ来るべき艱難があるとすればそれは|友の離反〔付△圏点〕である、或場合に於て妻よりも尚ほ能く人の心を知るものは真の友である、妻が彼を解し得ざるも友が彼を解し得ば宇宙間尚ほ一点の光が残るのである、もし此最後の光まで失せ去つた時は即ち第七の艱難が臨んだのであつて、茲に艱難は其完全に達し、宇宙は暗黒となるのである。
〇ヨブの曩の地位を以てしては彼は寧ろ友の多きに苦しんだであらう、しかし之等の友は皆彼の零落と共に彼を離れたであらう、けれども彼は少くともエリパズ等三人は彼の心を解し得ると思つてゐたに相違ない、案の如く三人は遠きを厭はずして彼を見舞ふべく来た、凡ての人に棄てられたるヨブは如何に三人の来訪を歓んだであらうか、遙かに三友を望み見し時彼の心は天にも昇るべく躍つたであらう、併しヨブに又或危惧がないではなかつた、そは彼等三人も亦或は彼の真の心を解し得ないではあるまいかとの疑であつた、それは青空に一抹の黒雲を望み見て雨の襲来を虞るゝ旅人の心と同じ虞れであつて、心より払はんとするも払ひ得ない一種の雲影であつた。
〇一方エリパズ等三友は来り観て想像以上の悲惨なる光景に先づ吃驚《きつきよう》し同情と共に一種の疑の起るを防ぎ得なかつたのである、多分彼等は途中ヨブについて種々の悪評を耳にし之を打消しつゝ来りしも、疑もなくそれは或|暗示《ヒント》を彼等に与へたに相違ない、そして彼等愈よ来り見ればあまりに陰惨なる有様よ! あまりに大なる変化よ! 町の外に逐はれて乞食の如く坐し悪腫全身を犯す其惨状よ! 疑ふヨブ或は隠れたる大罪を犯して此禍を(383)受けしにあらざるか、彼れ信仰に堅く立ち行ふ所正しからんには斯まで大なる禍に会する道理なきにあらずやと、同情のみが彼等の心を占領したらんには彼等は直にヨブに近いて篤き握手をなし以て慰藉の言を発したであらう、然るに如何に其驚き大なりしとは云へ七日七夜地に坐して一語をも発しなかつたと云ふのは、彼等の心に同情のほかに右の疑が撞頭してゐた事を示すものであると思ふ。
〇そしてヨブは三友の態度表情に依て彼等の心に潜む此疑――即ち彼に対する批難――を直覚したのである、彼等は遂に彼の頼むべき友ではなかつた、彼の虞れつゝあつた事が事実となつて今目前に現れた、かくて最後の頼みの綱も愈よ切れたのである、禍は六を以て終らず愈よ七に迄至つたのである、即ち彼の艱難は其極に達したのである、為に洪水の如き悲痛が彼の心を満たすに至りそれが自ら発して第三章の哀語となつたのである、これ決して余一人の憶測にあらず深き約百記研究家幾人も認むる所である、斯る推測を二章と三章の間に加へずば三章に於けるヨブの信仰の急変を説明する道がないのである、産を失ひ子女悉く死せし時も彼は「われ裸にて母の胎《たい》を出でたり又裸にて彼処《かしこ》に帰らん、ヱホバ与ヘヱホバ取り給ふ、ヱホバの御名は讃むべきかな」(一の二一)と云ひ、また妻が信仰放棄を勧むるに会しても「汝の言ふ所は愚なる女の言ふ所に似たり、我等神より福祉を受くるなれば災禍をも受けざるを得んや」(二の十)と述べて静に信仰の上に堅立してゐた、そのヨブが友人の来訪に会して突然三章の痛歎を発して我運命を詛ふに至るは、必ずそこに彼の心理状態の急変を促す或誘因があつたに相違ないのである、そして其誘因を友の離反の直覚と見るは唯一正当の見方であると思ふ。
〇第三章は三段に分ちて見るべき者である、第一段は一節−十節であつて呪詛《のろひ》の語である、悲歎の極ヨブは何物かを詛はざるを得なかつた、そして他に詛ふべき何者をも有せざる彼は、遂に我生れし日を詛つたのである、こ(384)れ注意すべき点である、普通の信者は斯る際は神を詛ひて信仰を棄てる、信者ならぬ者は或は社会を詛ひ先祖を詛ひ父母兄弟を詛ひ友を詛ふ、しかしヨブは斯る心理状態に入らなかつた、彼は到底我神を詛ふことは出来なかつた、又他の者を詛ふことを得なかつた、故に其生れし日を詛つたのである、極端なる患難に会しても神を詛はず、神を棄てず、又神の存在を疑はず、こゝに彼の信仰の性質の優秀なることを知るのである。
〇一節−十節の此呪詛の語の如何に深刻痛烈なるよ! 其中二三難解の語を解せんに、八節に「日を詛ふ者レビヤタンを激発《ふりおこ》すに巧なる者これを詛へ」の語がある、「日を詛ふ者」とは日を詛ふ術者のことである、「レビヤタン」は日月蝕を起す怪獣であつて「レビヤタンを激発すに巧なる者」は此怪獣をして日月蝕を起さしむる魔術者のことである、故に八節の語は術者をして良き曰を詛ひて悪日となさしめ、魔術者をして普通の日を日蝕の日となし普通の夜を月蝕の夜となさしめんと願つたものである、古代に於ては日月蝕を不吉と見たのである、次に九節の「東雲《しののめ》の眼蓋《まぶた》」は東雲を美婦人の起床に譬へての語である、曙の美は此世に於ける最上の美とも云ふべきもの、殊に古代文学には之を讃美した麗はしき文字が多いのである。
〇十節までに於て激越の調を以て生れし日を詛ひしヨブは十一節−十九節に於て死と墓とを慕ふ心を述べたのである、実に人は苦痛の極に至るや死して一切を忘るゝ休安《やすみ》を懐ふに至るのである、しかし乍ら死せんとするも死し得ざる彼、墳墓を尋ね獲んとするも獲ざる彼は二十節以下に於て依然たる悲調を以て神に迫るのである、その辞切々人の心を動かさずば止まぬのである、併し彼の友は此哀哭に接してヨブを以て信仰的堕落者と定め彼を責めるのである。(因に記す、ヨブの此死を慕ふ語と似たるものを聖書中に求むれば耶利米亜記二十章十四節以下の如きはそれである)。
(385)〇ヨブ己が生れし日を呪ひ又死と墓とを慕ひてやまぬ、然らば彼は何故に自殺を決行せざりしかとの疑問起る、一度我生命を絶たば絶対の休安に入り得るのである、彼の如き死を慕へる者に於ては是れ最上の、且最捷径の問題解決法ではないか、マシュウ・アーノルドの作なる「エトナに於けるエムペドクレス」(Empedocles at Etna)は此意味を表したる劇詩である、エムペドクレスが人生を不可解となして遂にエトナの噂火口に身を投げ以て最後の解決を計つたことを述べたものである、是れ世に数多き事である、何故ヨブは此道を採らなかつたのであるか、実に死が最上の道なりと思はるゝ場合は慥かに在るのである、トマス・フードの詩「悲歎の橋」(Bridge of Sighs)の如きは一貧婦の自殺を描けるものであつて、之を読んで誰人も其自殺の同情すべき者なるを思ふのである、又我が『平家物語』に於ける三位通盛の妻小宰相の自殺の如きも此類である、実に或場合には自殺が最上の、そして最美の道と見ゆるのである。
〇しかしヨブは自殺しようとは思はなかつたのである、聖書は徹頭徹尾自殺を否認してゐるのである、旧新両約聖書を通じて自殺を記述せるは唯だ四つのみである、其一はギルボア山に於けるサウルの自殺、其二はイスカリオテのユダの死である、其三はアヒトペルの場合(サムエル前書十七章一以下)其四はジムリのそれである(列王紀略上十六章十八)、孰れも信仰を失ひし者の自殺である、人生の禍悉く臨みて死を懐ふや切なりしヨブすら自ら生命を絶たぬのである、十一節−十九節を熟読せよ、そこに彼の死を慕ふ心は痛切に表はれ居れど自殺せんとの心は微塵も出てゐないのである、「何とて胎より出でし時に気息《いき》絶えざりしや……然らば今は我れ偃《ふ》して安んじ且眠らん」とありて、彼は生れて直に死せしならば今墳墓にありて如何に安けき哉と歎いたのである、彼は今此所に墓に行き度しと望んだのではない、又「斯る者は死を望むなれども来らず」とあるは彼が|自然死〔付ごま圏点〕を求(386)むれど得ざるを悲みし語であつて、自殺と云ふ観念が彼の心に全然なかつたことを示すのである、彼は自殺の罪なることを能く知つてゐたのである、彼れもし此時自殺せしならば自身が後の大歓喜に入る能はざりしのみならず、約百記の現はるゝ筈もなく従つて永久に之を以て人を慰むることも出来なかつたのである、実に至大なる不利益であつたと云はねばならぬ、我生命を愛擁し之を善用して自他を益すべしとは聖書の明白なる教訓である、問題が行きづまりしとて自殺を選ぶが如きは聖書の精神に反し又父の聖旨に背く行為である。〇しかしながら尚ほ云ふ人があるであらう、約百記、耶利米亜記の如きに死を慕ふ言辞ある以上は、そして聖書が斯る言辞を平然として其儘載せ居る以上は、自殺を奨励せざるとするも少くとも自殺を是認するものにあらざるかと、しかし是れ一部を以て全部を蔽ふものである、一度旧約聖書を去て新約に入らんか此種の陰影は毫も認め難いのである、例へば哥林多後書四章八節以下のパウロの言の如きを見よ、之を幾度繰返して読むも其偉大なる言辞たるを感じない事はないのである、日々死に面する如き迫害にありて生命と勇気に充溢してゐる其心理状態は実に驚異に値するものではないか、之をヨブの哀哭と比して霄壌の差ありと云ふべきである、しかし此理由を以てヨブを貶することは出来ない、この大なる差異はキリストを知ると知らぬに基因するのである、キリスト降世以後に生れしパウロはキリストを知れる故にかの大安心あり、キリスト降世以前に生れしヨブは未だキリストを知らざる故にかの大哀哭があつたのである、そして此キリストを暗中に捜索せんするが即ちヨブの苦闘史である、|約百記一巻四十二章、要するに是れキリスト降世以前のキリスト探求史である〔付○圏点〕、実に悲痛なる探求である、故に悲痛なる文字を衣としたのである、又キリスト出現前のキリスト探求史なる故に或意味に於て救主出現の予表であり、又福音以前の福音であるのである。
(387)○寔に人の苦痛は人の慰藉を以て慰めることは出来ない、人の千言万語も此点に於ては何等の益ないのである、たゞ主イエスキリストを知りて凡ての苦難に堪へ得るのである、ヨブの苦闘が進でパウロの救主発見に至つて苦痛は苦痛でなくなるのである、キリストが心に宿るに至つて人の慰藉を待たずして苦痛に堪へ得るに至るのである、一度パウロの如き心を我に実得し得ば凡ての難問題が難問題でなくなるのである、最も不幸なる人さへ最も幸なる人となり得るのである、然るに世には不幸に会せしため|信仰的自殺〔付○圏点〕を遂げし人が少なくない、是れ肉体的自殺と相選ばざる忌むべき事である、我等はキリストに縋りて凡ての悲痛艱苦に勝つべく努めねばならない。
○ヨブの此哀哭の真因如何、第六の禍までは彼を歎かしめず第七の禍来つて彼の哀哭生じたと前に説明した、併し第七の禍即ち友の誤解は此哀哭を爆発せしめし誘因たるに過ぎない、他に彼の悲痛の深き原因があつたのである、それは|神に棄てられしとの実感で〔付○圏点〕あつた、彼は此種の災禍続々として降るに会してヱホバの真意を測り得なかつたのである、之等の禍を受くべき丈の罪科彼にあらざるに神は何故に彼をのみ斯くも苦しむるか、多分神は彼を棄て彼を離れ去りしなるべしと、是れ彼の心の底に潜みし懐疑であつた、そして三友の彼を正解せざるに会して此懐疑は奔流の如く心の表に現はれて彼の口より大哀哭を発せしめたのである、病の真因に穿ち得ざる庸医の見舞に接して患者の病苦は倍加し独り自ら解決を得べく突き進んだのである。 〔以上、6・10〕
 
     第四講 老友エリパズ先づ語る 第四章、五章の研究(五月十六日)
 
〇約百記四章五章の記す所は第三章のヨブの哀哭に対するエリパズの答である、エリパズ等三友人はヨブの不信的哀哭に接して彼等の推測の過《あやま》たざりしを知り、半ば彼を憐むの同情心より半ば彼を責むるの公義心――神に対(388)する義務の感――よりして彼に向つて語らんとするのである、そしてエリパズは最年長者の故を以て先づ口を開き、其長き人生の経験に照らしてヨブを諭さんとするのである。
〇彼れ先づ口を開いて云ふ「人もし汝に向ひて言詞《ことば》を出さば汝これを厭ふや、さりながら誰か言はで忍ぶことを得んや」と、以て神の道のためには弁ぜざるを得ずとの彼の意気込を知るべきである、而して三節より五節までに於て彼は先づヨブを責めて云ふのである、汝曾ては人を誨へ人を慰めたるもの今禍に会すれば悶え苦しむは何の態ぞと、如何にも傍観者の言ひさうな冷かな言葉である、苦難にある友に向て発する第一語に於て斯く訶詰の態度を取るは冷刻と云はねばならぬ、併し是れ彼の罪と云ふよりも寧ろ当時の神学思想の罪である、此事は六節以後に於て益す明白となるのである。
〇六節に曰ふ「汝は神を畏こめり、是れ汝の依穎む所ならずや、汝は其道を全うせり、是れ汝の望ならずや」と、これ特に注意すべき語である、茲に当時の神学思想が遺憾なく表はれて居るのである、エリパズはヨブの信仰の性質を語りて誤らざりしのみならず、エリパズ自身も亦(他の二友も勿論)此信仰の上に立つて居たのである、|我れ〔付△圏点〕神を畏るゝ事に依頼み|我れ〔付△圏点〕神の道を守る事に望を置く、|我が〔付△圏点〕敬虔|我が〔付△圏点〕徳行これ|我が〔付△圏点〕依頼む処|我が〔付△圏点〕望のかゝる所なりと、即ち|我の無価値を認めて専ら神に依頼むにあらず、我の信仰と行為に恃みて其処に小なる安心と誇りの泉を穿つのである〔付△圏点〕、我信仰の純正と我行為の無疵とに恃む、これ何の時にもあるオーソドクシー(所謂正統教)である、ヨブは此心理状態にありし故に災禍来りて忽ち懐疑の襲ふ所となり、エリパズ等は此状態を出でざりし故にヨブを慰め得なかつたのである、ヨブの苦闘は要するに此誤想より出でゝ新光明に触れんが為の苦闘である、即ち凡の真人の経過する苦闘である。
(389)〇七節−十一節も亦右と関聯せる思想として約百記解釈上注意すべきものである、「請ふ想ひ見よ、誰か罪なくして亡びし者あらん、義き者の絶たれし事いづくに在りや、我の観る所によれば不義を耕へし悪を播く者は……みな神の気吹によりて滅びその鼻の息によりて消え失す」と云ふは是れ亦実に当時の神学思想である、罪を犯し不義を計る者は皆亡び失せ、義しき者は禍その身に及ばずして益す繁栄致富するに至ると云ふのである、即ち人の成敗栄辱を以て其人の信仰及び行為の善悪に帰するのである、エリパズは斯くの如き既成観念に照してヨブの場合を見たのである、故に見るに忍びざるヨブの惨落を以て何か隠れたる大罪の結果ならんと思ふより外なかつたのである、故に斯く語りて明かにヨブを罪に定むると共に彼をして其罪を懺悔せしめて禍より救はんと計つたのである、深切なる、併し冷刻なる友よ! (十節十一節は獅子の猛きも亡ぶることあれば不義者の亡ぶる如き当然のみとの意を表はしたのである、茲に御子、猛き獅子、少き獅子、大獅子、小獅子と五種の獅子を記してゐるが原語に於ては孰れも別々な語を用ひてあつて老少種別等に応じて種々の名の付けられてあつた事が分る、これ獅子が比較的人家に近く棲息してゐた時代に於て人々が此動物の習性を熟知して居たことを示すものである)。
〇十二節−二十一節は有名なる幽霊物語にして文学的立場より見てシェークスピヤの悲劇マクベス中のそれと比肩すべき者と云はれて居る、是れエリパズが天地鬩として死せるが如き深夜に於て或霊に接しその語りし語を茲に取次いだのである、これ彼の実験談か或はヨブを諭さんための技巧なるか、何れにせよ斯る演劇的態度を以て悩める友を諭さんとするは真率に於て欠くる所ありと云はねばならぬ、しかし乍ら斯く描き出す時は聴者の心に深き印刻を与ふ事は云ふまでもない。
〇而して彼が霊より聞きし言の主意は「人いかで神より正義からんや、人いかで其造主より潔からんや、……是(390)は(人は)朝より夕までの間に亡び顧る者もなくして永く失逝《うせさ》る」と云ふにある、人の神より潔からざること、人命の寔にはかなき事――これをエリパズはヨブに告げんとしたのである、即ち彼は人の罪と弱きとをヨブに想起せしめて自ら正しとする彼の反省を促し、以て彼を懺悔の席に坐《すは》らしめんとしたのである、普通の道徳家の為す所である。
〇エリパズの語は尚ほつゞいて五章に記されてゐる、二節−七節は愚者の必滅を説く、けだし災禍は悪の結果なりとの思想の一発表である、「災禍は塵より起らず艱難《なやみ》は土より出でず」と六節にあるは、災禍艱難の理由なくして起るものにあらずして必ず相当の原因ありて神より下し給ふものとの意である、そして七節の「人の生れて艱難を受くるは火の子の上に飛ぶが如し」とは火の子が上に飛ぶを本性とするが如く人の艱難を受くるは其本質上免かれ難きことであるとの意である、いづれも是れエリパズの抱ける既成観念の発表である。
〇進んで八節に於て「もし我ならんには我は必ず神に告求め我事を神に任せん」と云ふ、これヨブの信仰の不足を責めた語である、そして九節−十六節に於ては美しき言辞を以て神の異能を描いてゐる、天然と人事に対する神の支配は実に鮮かに書き記されてゐる。(十節に|雨を地に降らし水を野に送り〔付ごま圏点〕とありて、之を以て神の不思議なる業の一としたる如きは、沙漠の住民の立場としての見方であつて約百記の舞台を知るに足る語である)。
〇十七節以下はエリパズの艱難観として注意すべき所である、十七節に曰ふ「神の懲し給ふ人は幸福なり、されば汝全能者の※[人偏+敬]責《いましめ》を軽んずる勿れ」と、彼は人に臨む艱難を以て罪の結果と見、従つて之を神よりの懲治と做したのである 既に是れ懲治である、即ち同一の罪を重ねざらしめんがための警めである、されば是れ愛の鞭である、故に若し彼にして一度悔改めんかその禍は取除かれ其上尚ほ神の保護と愛抱は豊かに下るのである、「神は(391)傷け又|裹《つゝ》み、撃ちて痛め又その手をもて善く医し給ふ」のである、故に懲治を受けたる者は饑饉に於ても救はれ戦に出でゝも死せず、地の獣にも襲はるゝ事なく、天地万有と相和ぐに至り、衣食住に於て欠くる所なく、子孫相つゞいて此世に栄え、長寿の幸福を享受するに至ると――是れエリパズの語る所である、この観念もとより完きものではない、併し乍ら慰藉の語として慥かに貴きものである、富貴繁栄長寿等の此世の幸福を以て神の恩恵の印と做す見方は依然として存すれど、患難を以て懲治と見、この懲治に堪えし者の上に各種の恩恵相重なりて下るを説く辺は、文も想も相伴つて美はしと云ふべきである、然り是れ慰藉の言として慥かに貴きものである。
〇以上を以てエリパズの第二回演説は終つたのである、その内容について考察を下す前に此場合の事を今日の事に喩へて考ふるは甚だ便利である、先づヨブを以て今の教会の信者とせんに彼れ信仰及び行為に於て欠くる所なく模範的信者として教会員の間に大に推称せられ、その家また富み且栄えて居た、依て教会員等は彼の栄達を以てその良信仰の賜物なりと見做してゐた、然るに何事ぞ一朝変事起りてヨブの繁栄忽ち消え失せ、身は零落して乞食の如く、体は人の厭ふ病毒の犯す所となつた、教会員等呆然として為す所を知らず、一人として其所由を解し得る者がない、凡ての会合は彼に関する噂又は批評を以て充たさるゝに至つた、彼の如き篤信家にも斯かる大災禍の臨むは神の存在せざる証拠にあらざるかと疑ふ者さへ現はれた、或は神は存在すれど必しも愛の父にあらざるならんなどゝ云ふ者もあつた、併し大多数の賛成を以て全会の輿論となつたのは、|彼が何か隠れたる罪を犯したゝめに此大災禍が神より下つたのではあるまいかと云ふ〔付△圏点〕老牧師の推測であつた、茲に於てか代表者数名を選びてヨブを見舞はしめ其痛苦を慰むると共に其罪を懺悔せしめて、再び神の恩恵に浴せしめんとの議が全会の(392)賛成を得た、斯て三人の委員が挙げられた、甲は老牧師エリパズ、乙は壮年有能の神学者ビルダデ、丙は少壮有為の実務家ゾパルであつた、三人到り見ればヨブの実状は思ひの外に惨憺たる有様であつた、彼等は彼等の推測の誤らざりしを今更の如く感じた、一方ヨブはまた彼等の沈黙の中に彼等の心中の批難を知りて悲歎一時に激発した、然るに彼等はヨブの哀哭の語に接して其言辞に囚へられて其心裡を解する能はず、益す彼等の推測の正当なりしを悟り、茲にヨブを責めて其|私《ひそ》かなる罪を懺悔せしめ以て彼を旧の恩恵の中に引き戻さんと計つたのである、そして年長と経験との故を以て老牧師エリパズ先づ口を開き、全数会の輿論を提唱して第一回の訶詰を与へたのである、――かく考へて此場合を今日に活かすことが出来るのである。
〇而してエリパズの語りし処は如何、その中に美はしく且正しき思想を含まざるにあらず、されど要するに是れ当時の神学思想の発表たるに過ぎない、即ち災禍は罪のために起りしもの即ち上よりの懲罰であると云ふのである、而して事実かくの如き場合少からざるはエリパズならぬ我等も亦人生に於て数多たび観取する処である、然らば何故ヨブは「然り!」と之に応じて其罪を告白しなかつたか、何故六章に於て其友の推定に対して激しき憤懣を放つたのか、彼の此憤懣こそ寔に愚なるものではあるまいか?
〇否然らず、罪は災禍の源たることあれど災禍は悉く罪の結果ではない、|もし然りとせばキリストは如何〔付○圏点〕、パウロは如何、その他多難の一生を送りし多くの優秀なる基督者は如何、苦難迫害を以て其一生涯を囲まれたるキリストは彼が犯せる罪の結果を受けたのであるか、罪とはキリストと全くかけ離れた者ではないか、パウロ以下多くの信徒は勿論イエスの如き聖浄完全の人ではない、併し乍ら彼等の受けし苦難災禍がその罪の結果でないことは明々白々の事実ではないか、然らば凡て人の受くる災禍苦難をその犯せる罪の結果と見ることは出来ない。
(393)〇苦難に三種あるを我等は知る、第一は罪の結果として起るものである、これ神の義に放て当然然るべきものである、第二は神より人に下りし懲治としての苦難である、これ愛の笞である恵の鞭である、これまではエリパズも知りヨブも亦認めてゐる、然るに茲にヨブもエリパズも他の二友も知らぬ苦難がある、これ第三のそれであつて即ち|信仰を試むるために下る苦難である〔付○圏点〕、故に此苦難に会するは特に神に愛せらるゝ証左である、浅き人は第一のみを知り、これより進める人も第二を併せ知るに止まる、しかし最も注意すべきは第三である、此三を併せ知らずして苦難は解らない、ヨブは第三を知らぬために苦むのである、故に彼の苦闘は此新原理を発見せんがための苦闘である、そしてエリパズ等三友の言辞の肯綮に当らず且その同情の不足せるは是れ亦第三種の災禍を知らぬからである、そしてヨブの場合が此第三種のものであることは第一章の天国の場が之を暗示してゐるのである、茲に信仰を試むるための苦難の襲来は予示されてゐるのである、然れども誰人か天国の光景を知らん、茲にヨブの苦みあり三友の迷が在るのである。
〇ブレンチウス(Brentius)曰ふ、|人が患難に会したる時は其患難を以て其人を審判くべからず其人格を以て其患難を審判くべし〔付○圏点〕と、けだし患難の意味は人の人格に依て異なるのである、十字架に釘けられし二盗賊はその罪の当然の報としての死である、しかし同じく十字架に釘けられしイエスは其正反対である、故に我等が人の受けし災禍苦難を以て直に其人を判定するは大なる誤である、其人の人格に依て其苦難の意味を制定すべきである、苦難にも幾つも意味がある、人により場合によりて異なつてゐる、一様の既成観念を以て凡ての場合を蔽ふことは出来ない、故に艱難を以て人を審判かず其人格を以て其艱難を審判くべきである。
 
(394)     第五講 ヨブ再び口を啓く 第六章、七章の研究(五月二十三日)
 
〇前にも説きし如くエリパズ等は禍は罪の結果なりとの既成観念を抱き、この観念を以てヨブの場合を判定し以てヨブをして其罪を認めしめんとしたのである、彼等はかくしてヨブを其災禍より救ひ得ると信じた、そして年長のエリパズ先づ此意味を以て五章六章の語を発しヨブをして其隠れたる罪を告白せしめんと計つた、ヨブもとより己を以て完全無疵とはしない、併し乍ら此度の災禍が或る隠れたる罪の結果なりとは彼に於て全然覚えなき事であつた、故に彼はエリパズの訶詰に接して憤然として弁明せざるを得なかつた、これ第六章に載する所である。
〇一節−四節は友に対する不満の発表と己の立場の弁明である、「願くは我|憤恨《いきどほり》の善く権《はか》られ、我|懊悩《なやみ》の之と向ひて天秤《はかり》にかけられんことを」と云ふは友の観察の浅きを責めし語である、「さすれば是れは海の沙よりも重からん、かゝればこそ我言|躁妄《みだり》なりけれ」とあるは苦悩大なるため前の哀哭も我れ知らず躁妄に陥つたのであるとの意である、ヨブは自己の哀語の乱調を明かに認めて居たのである、これ苦悩に重く圧せられし心の琴のおのづからなる乱奏であつた、然るに友は之を悟らずしてヨブの哀々たる心の呻《うめき》を言句の末に於て判定する、これヨブの大なる不満であつた、故に此語を発したのである、「それ全能者の箭わが身に入りわが魂その毒を飲めり、神の畏怖《おそれ》われを襲ひ攻む」と四節は曰ふ、これヨブが其苦悶の理由を示して我立場を弁明したのである、神は今や我敵となりて我を撃ちたるかと、これ彼の暗き疑であり又その懊悩の原因であつたのである。
〇五節−七節は友の言の無価値なるを冷笑した語である、「淡き物あに塩なくして食はれんや、卵の蛋白《しろみ》あに味あ(395)らんや」と云ふは、謂ゆる乾焼無味沙を噛むが如しと云ふ類の語であつて、エリパズの言に対する思ひきつた嘲罵である。
〇友今や頼むに足らず、友の言は徒らに我を怒らするも一毫の慰藉をも我に与へない、然らば我願ふ所は依然として死の一のみと、かくて八節−十三節の語となつたのである、「願くは我求むる所を得んことを……願くは神われを滅すを善しとし御手を伸べて我を絶ち給はんことを」と彼は只管に死を希ふのである、前説せし如く彼は死を願へどもそれは神が己を取り去り給はんことを願つたのである、決して不自然なる自殺を望んだのではない、自殺など云ふことは彼の思ふだにしない所であつた、これ大に注意すべき点である。
〇十四節−三十節は友の頼み難きを述べし言として頗る有名である、文学的意味に於ても価値と名と共に高く西洋の文学書に屡々引用せらるるものである、先づ十四節に於て友の同情心の不足を責めて軽き脅迫を与へ、十五節−二十節に於ては友を沙漠の渓川《たにかは》に譬へて、生命を潤ほす水を得んとて其処に到る隊客旅《くみたびびと》(Caravan)を失望慚愧せしむるものであるとなして居る、げに当時のヨブの心を語るべく此比喩は適切である、人生の沙漠に生命の水を求めつゝあつたヨブは偶々三友の来訪に接して恰も隊客旅《カラバン》が遙かに渓川を望見せし如くに感じた、そこには必ず彼の求むる水があると思つた、然るに愈よ近づきて彼等の態度を見又その語に接するや期待は全然裏切られて、我渇を医すべき水は一滴も見当らないのである、ヨブの失望察すべきである、故に二十一節に於て「汝等も今は虚しき者なり」と彼は友人等に対し先づ総括的断定を下して後ち、激語を重ねて彼等を責むるの已むなきに至つたのである。
〇二十四節の「我を教へよ然らば我れ黙せん、請ふ我の過てる所を知らせよ」とは彼の心の切なる願そのまゝの(396)発表である、同時に又之を為し得ぬ友の無能を責めた語である、二十六節には「汝等は言《ことば》を規正《いまし》めんと想ふや、望の絶えたる者の語る所は風の如きなり」とある、ヨブは自己の語る所が風の如く秩序も聯絡もなくして取るに足らぬものなることを自認して居たのである、これ望の絶えたる彼としては自然のことである、然るに斯る者の語の言葉尻を捉へて是非の批判を下すは何の陋ぞと責めたのである、友人等は言語表面の意味のみを見てその誤謬をたゞさんとしたのである、かくては「言を規正」むるに止まつてヨブ自身を規正むる事は少しも出来ないのである、是れ謂ゆるオルソドクシー(正統派)の取る態度である、徒らに死文死語に執して相争ひ自己を正しとし自己の定規を他に加へて是否の判定を加へるのである。
〇二十七節の「汝等は孤子《みなしご》のために籤をひき、汝等の友をも商貨《あきなひもの》にするならん」は人身売買の罪をも犯すに至らんとの意である、ヨブが斯く友を責めしは余りに峻烈なりと評さるゝであらう、併し是れ感情激発の語であれば普通の批判の標準を以て之に対すべきではない、併しながらヨブの言必しも全然誤謬と云ふことは出来ない、前にも云ふた通りエリパズ等三友人は謂ゆるオルソドクシーの徒である、而して|オルソドクシーは其信条その神学の擁護のためには或時は如何なる罪をも犯して憚らない〔付△圏点〕のである、抑もオルソドクシーなるものは或真理の一群を信仰箇条と定めて動かざるものである、もし之等の真理を真正の意味に於て受得信奉すれば是れ理想的の状態であつて、斯かるオルソドクシーは貴むべきものである、然るに此一群の真理を固定の教条として相伝的、非実験的に丸呑にし自ら信条の純正を以て誇り、人に強ゆるに之を以てし、又人を批判するに之を以てし、もし人の信仰又は行為にして自分等の信条と相反する時は直ちに彼を不信非行の罪人《つみびと》として排去せんとする、これ謂ゆるオルソドクシーである、彼等はその教条その神学を凡ゆる他のものゝ上に置くのである、故に其教条その神学の(397)ために凡ゆる他のものを犠牲に供して厭はぬのである、その結果は知らず識らず恐ろしき罪をも犯すに至るのである、ヨブは二十七節に於て三友のオルソドクシーの恐ろしさを説いたのである、約百記の著者は此言をヨブに発せしめて或は当時のオルソドクシーを責めしものではなからうか。
〇かくてヨブは二十八節以下に於て強き語を以て自己の無罪を主張してゐる、「此事に於ては我れ正し、我舌に不義あらんや、我口悪しき物を弁へざらんや」とは彼の友に答へし最後の語である、実にヨブは罪の故ならずして禍に逢つたのである、然るに友は罪の故なりと固く信じて彼を責むるのである、故にヨブは怒つて己の無罪を高唱せざるを得なかつたのである。
〇友は人にして神ではない、友に満全を望むことは出来ない、友より得る所には限がある、故に友に過大の要求をなすべきではない、此事をヨブは今学んだのである、彼は余りに友を信じ過ぎてゐた、友を以て全く己と等しきものと思ひ、友は我衷心を悉く了解しくれるならんと予期してゐた、然るに此予期は裏切られて彼は大なる失望を味つた、そして初めて友の頼み難きを悟つたのである、初め彼は妻に背かれ茲に又友に誤解せられた、夫婦の関係と云ひ友の関係と云ひ何れも是れ人と人との関係であつて、神と人との関係ではない、もし完全の妻を得また完全の夫を得て人生の幸福を計らんとならば直に失望の襲来となる外はない、人は完全なるものでない、故に全然依り顧むべきものではない、人には先天的の制限がある、能く此事を知つて人がその妻、その夫、その友に対して過大の要求をなさゞる時、其処に寛容と理解と平和と愛とが自由の流れ口を得て茲に幸福なる夫婦、幸福なる友人関係が生れるのである、而して此事がヨブに解り、最後に至つて彼が遂に神のみを惟一の真の友として持つに至つて彼は幸福と安心の絶頂に達し、我に同情足らざりし三友のためにも祈る程になり得たのである。(398)(第四十二章を見よ)
〇人に満全を望みて後ち失望し而して人を怨む、これ我国人の通弊である、失望のあまり信仰より堕つる者さへある、これ出発点に於て全く誤つて居たゝめである、人は頼むべからず頼むべきは父なる神と子なるキリストのみである、人に頼らず神を友としキリストを友として初めて全いのである、かゝる状態に入りし人のみ他《ひと》に対し、夫に対し、妻に対し、子に対し、友に対して正しき関係を保ち得るのである、先づ神に頼みて然る後に人に頼む、其時に人は信頼するに足る者となる。
〇ヨブは七章に於ては神に対して訴ふる処あつた、これ第三章の反覆であつて依然死を希ふ語である、しかし其間にヨブの思想に進歩がある、三章と七章を仔細に比較して見れば此事が解る、けれども容易くは解らない、これが約百記の実験記たる証拠である、実験そのものゝ提示なるが故に、即ち人生の事実そのまゝの記載なるが故に其れに徐々たる思想の進歩が隠れて存して居るのである、勿論著者の筆の巧妙をも認めないわけには行かない、併し実験の上に立ちての文藻なる故の巧妙である、空虚の上に如何に巧なる想像の橋を架するも斯くの如くなることは出来ないのである。
〇一節−十一節は逃れ難き人生の苦悩を深刻なる語を以て述べたものである、十二節以下は神の手の彼の上に加はりて離れざるを厭ひ、死の早く来らん事を望みしものである、「人を如何なる者として汝これを大にし、之を心に留め、朝ごとに之を看そなはし、時わかず之を試み給ふや 何時まで汝われに眼を離さず我が津を咽む間も我を捨て置き給はざるや」とは彼の神に対する切々たる哀訴である、故に彼は「我を捨ておき給へ」と願ひ、又「われ生命を厭ふ、我は永く生くることを願はず」と歎くのである、実に是れ神を篤く信ずる者の叫である、彼は大(399)災禍に会するも毫も神の存在を疑はない、たゞ神が我を撃ち我を苦しめ我を試み我の上に監視の眼を弛めぎるを呟きて神が我より離れんことを願ひ、死の早く来らんことを望むのである、これ実に信仰家の苦悩である、その哀々として吾人の心に迫り来る理由は茲にあるのである。
〇或人言はん、かく苦悩を重ぬるよりは神を棄つるの勝れるに如かずと、寔に然り、神を離れ神を忘れ、神の存在を否定する時はヨブの此苦悩は薄らぎ問題の解決は容易となるのである、寔に然うである、併し乍ら神を棄て神を否定する時人生は全然無意味となるを如何、神を棄てゝ問題の解決を計るは最捷径である、けれども是れ人生を無意味とするの結果に帰着するのである、故に人生 重んずる者は斯かる解決法を計り得ないのである、|是非とも神を保持して其上に立ちて問題の解決を計らねばならない〔付◎圏点〕、神を棄てざる時この苦難の降れる意味は如何、神の存在と罪なくして降る災禍とは両立し難き二現象である、この二つを何とかして両立せしめずしては問題の解決には達しない、茲にヨブの特殊の苦悩が存するのである、而して又そこに特殊の貴さも存するのである。
〇神を父としキリストを主とする信仰の上に立ちて人生の矛盾を解かんとす、茲に我等の特別の苦心困難が存するのである、信仰を棄つれば問題は忽ち解ける、しかし斯くては人生は無意味となり、我は貴き生の消費者となり、人生の失敗者と堕するに至るのである、故に人として活きんためには是非とも信仰を保持せるまゝにて難問題の解決に当らなければならない、茲に困難があり茲に苦悶懊悩が生れる、しかし人生を愛重するものは如何なる代価を払つても信仰の上に立ちての解決を計り、神の為し給ふ所の正しきを証さなくてはならぬ、若きミルトンは Justify the ways of God to men と言ひて、神の為し給ふ所を人の前に正しと証するを以て其一生の標語となした、我等も亦苦悶を以て信仰の上に立ちて解決を計り、新しき光明に触れ、我のため、人のため、人類のた(400)めに計らねばならない、これは唯一真正なる人生苦難の解決法である、而して神は斯くの如き解決法を我等に命じ、かくの如き解決を我等より求め給ふのである、故に苦難と痛苦は我等に満全の光と幸福とを与へんとする天使である、我等は此事を忘れてはならない。
 
     第六講 神学者ビルダデ語る 第八章の研究(五月三十日)
 
〇第八章を研究する前に少し前講を補ふ必要がある、七章十七、八節の「人を如何なる者として汝これを大にし之を心に留め、朝ごとに之を看そなはし時わかず之を試み給ふや」なるヨブの言は詩篇八篇より引用せるものと思はる、併し彼に於ては神の愛を嘆美せし語であるのに是に於ては神の眼の己より離れぬを呟きしものである、ヨブは何故かゝる悲声を発したのであるか、是れ神に対する呟きであるのみならず其内容たる頗る不道理であると云はざるを得ない、故に或人は曰ふ、ヨブの病気は癩病の一種なる象皮病にして此病は精神の異常を起しやすきもの故彼は斯かる故なき迷想を抱くに至つたのであると、併し乍ら健全なる人にして神が罪の故を以て我を苦しむるとの霊的実感を味ひし人が少なくない、アウガスチンの如き、バンヤンの如きは其最たるものである、事は前者の『懺悔録』及び後者の『恩寵溢るゝの記』に於て明かである、彼等は罪の苦悶の故に心の平安を失ひて悲痛懊悩の極、神に向つて何故かくも我を苦むるかと呟いたのである、さればヨブの呟きは決して彼の病の徴候ではない、多くの真面目なる人の霊的実感として起りし事である。
〇そして誰人と雖も神に対して此呟きを抱ける間は神を離れないのである、神を棄てゝ了へば此呟きも失せる、さはれ斯くては人生の失敗者たるの否運に会するを如何、人生を愛する以上神を保ち居りて難問題の鮮決に当ら(401)なくてはならない、故に苦難懐疑の中にありて神を保たんとの努力に歩む時その努力の一変態として神に対する呟きの起る事がある、之は善き事でない、しかし全く神を棄つるよりは呟きつゝもカミを保つを優に勝れりとする、而して此呟きのある間は神との関係が絶えぬのである、故に再び呟きなくして神を信じ得るに至る見込があるのである。
〇ヨブは右の如き呟きを以て其哀語を終へた、これに対して此度はシユヒ人ビルダデが語るのである、三友順次に語り之に対してヨブは一々返答する、(ヨブの語には三種ある、甲は|友に〔付△圏点〕直接答ふる語、乙は|神に〔付△圏点〕訴ふる語、丙は|己に〔付△圏点〕語る語即ち独語である)、そしてヨブは友の攻撃に逢ふ毎に進歩する、されば其語る内容が一段々々光明に向つて進むのである、友に責めらるゝ毎に彼の苦痛は増す、しかし其度ごとに少しづゝ新光明に触れる、かくして一階又一階と進展の梯子を踏みて遂に最後の大安心境に到るのである、然らば最初エリパズの責むる所となつた時ヨブは如何なる新光明に触れたか、それは六章七章の彼の答に於て明かなるが如く(一)友の頼むに足らぬことを悟り(二)神に対する誤想より離れ始めたのである、彼が斯く神に対して呟くのは其抱ける神観の誤謬に基するのである、神は信仰に立ち義を行ふ者に物質的恩恵を下し然らざる者に災禍を下すと做せし如きは明かに彼の神観の誤謬を示すものである、かく神を正解し居らざりし故呟く必要も起つたのである、神をその真性に於て信受せる者いかで呟くの必要があらうか、故に彼は神に向つて呟きつゝ其神が真の神にあらざるを学びて、次第に真ならぬ神より離れて真の神に近づくに至るのである そして其第一歩が此時すでに彼に始まつたのである。
〇第八章のビルダデの言を調べてみやう、先づ一節−七節を見よ、茲にビルダデの神学思想は遺憾なく表はれて居る、四節に於て彼は「汝の子供かれ(神)に罪を獲たるにや之をその愆《とが》の手に付《わた》し終へり」と云ふた、彼はヨブ(402)の子等の死はその罪の当然の報なりと断定したのである、彼もとよりヨブの子等の罪を見たのではない、たゞ罪を犯したに相違なしと断定したのである(罪を獲たる|にや〔付△圏点〕と想像的の言語を用ひたのは単に用語上の礼儀たるに過ぎない)、彼は災禍は必ず罪の結果であるとの神学思想を以て凡ての場合を照らす神学者である、故にヨブの子等も当然或重き罪を犯して其罰を受けたものに相違ないと断定したのである、そして彼は進んで「汝もし神に求め全能者に祈り、清く且正しうしてあらば必ず今汝を顧み汝の義き家を栄えしめ給はん……」と云ふ、即ち彼はヨブも亦罪の結果なる災禍に苦めるものとなし、死せる子は逐ふべからず少くとも生ける汝は正《せい》に帰り義を行ひ以て物質的恩恵の回復を計れと勧めるのである、無情なる浅薄なる神学者よ!〇十人の子を悉く失ひ身は此上なき困苦の中にある友に向つて此言をなすの如何に無情なるよ! 汝の子の死は罪の故なりと告ぐ、斯る言を以てして争でヨブを首肯せしむるを得よう、もし罪の故を以てせば我こそ我子等より先に死すべきものであると親の心は直に反駁するではないか、この人情の機微をも知らずして直に我神学的断定を友の頭上に加へて得々たるところ正にその神学の純正を誇る若き神学者そのまゝと云ふべきである、彼の言は恰も学舍にて学びし既成の教理を其|筆記帳《ノート》を見て繰返すが如くである、これ余が彼を「神学者」と名づくる所以である。
〇八節−十節に於て彼は己の断定の支持者として古人を引くのである、これ亦いかにも学者らしき態度である、今日に於て云へば「何某曰く……、何某曰く……」と頻りに大家の権威を以て自説を維持する類である。
〇十一節−十九節は自然界の事象を三度引例して神に悖る者の必滅を主張したのである、十一節に「蘆あに泥なくて長びんや、葦《よし》あに水なくして育たんや」とありて、此二つの植物が水辺に生ずるものなることを示してゐる、(403)「蘆」と訳せるはパピラス(papyrus)であつた、是れエヂプトにありてはナイル河の水辺、パレスチンにありてはメロム湖の周辺に生ずる草である、之を以て古代人は紙を製したのである、英語にて紙をペエバー(Paper)と呼ぶはパピラスより出でたのである、日本訳聖書に又「荻」と訳せしは寧ろ葦《よし》と訳すべきもので是れ亦水辺に育つ草である、十二節に「是れその青くして未だ苅らざる時にも他の一切の草よりは早く枯る」とあるは旱魃来りて水退くや此の二つの草が忽ち枯るゝことを云ふたのである、この両節の如きは古代博物学の資料として値あるものである、而して十三節に「神を忘るゝ者の道は凡て斯くの如く悖る者の望は空しくなる」とありて、神を忘れ道に悖る者は旱魃時の此の二つの草の如くその繁栄一朝にして消え失すとの意を述べてゐる、これ第一の引例である。
〇次の十四節には「その恃む所は絶たれ、その倚る所は蜘蛛網《くものす》の如し」とありて、神を忘れて他の物に頼ることの空しきを述べてゐる、彼が営々として名誉、財産、地位等を積み重ねて之に依頼むは恰も蜘蛛が其|網《す》を金城鉄壁として頼めるの類であると云ふのである、これ第二の引例である。
〇十六節−十九節は神を忘るゝ者を再び或草に例へたのである、「彼れ日の前に青緑《みどり》を呈《あら》はし、その枝を園に蔓延らせ、その根を石堆《いしづか》にからみて石の家を眺むれども、もし其の処より取除かれなば其の処これを認めずして、我は汝を見たる事なしと言はん……」とある、これ多分一夜に育ちて忽ち頭上を蔽へりと云ふヨナの瓢《ひさご》の類であると思ふ、忽ちに成長して全園を蔽ふに至り、其の勢威人を驚かせど一度根を絶たば枯死して跡を止めない、凡て神を忘るゝ者の運命は斯くの如く其繁栄は一夜の夢の如きものであると云ふのである、これ第三の引例である。
〇ビルダデは右の如くに説きて、ヨブ神を忘れ道に悖りしために其繁栄一朝にして失せたのであると主張したの(404)である、故に二十節以下に於てはヨブが罪を悔い正に帰りて再び神の恩恵に浴さんことを勧めてゐるのである、「それ神は完き人を東て給はず……(汝もし神に帰らば)遂に哂笑《わらひ》をもて汝の口を充たし歓喜《よろこび》を汝の唇に置き給はん」と云ふて居る。
〇ビルダデの説く所に多少の真理がないではない、しかし此場合にヨブを慰むる言としては全然無価値である、彼の苦言も唯ヨブより哀哭の反覆を引き出したのみに終つた、神の言であると云ふ聖書に斯く友に対する無情なる語あるを怪む人があるであらう、しかし之は此種の場合に此種の言を友に向つて発することの無効なるを記して、読者に言外の警めを与へたのである 艱難にある友に向つては斯くの如く語るべからずと教へたのである、同様に一夫一妻を明白に主張する聖書がアブラハムの一夫多妻を記したのは、彼の一夫多妻が彼の凡ての苦痛災禍の種となつたことを記述して、一夫多妻の害を事実的に示し、一夫一妻の利を間接に教へたのである、聖書は文字の表面のみを読むべきものでない、その裏面に其真意の蔵せられある場合が少なくないのである。
〇ビルダデはオルソドクス(正統教会)の若き神学者である、彼はその真理と信ずる所を場合も考へず相手の感情をも顧慮せずして頭から述べ立てたのである、恰も一の学説を主張するが如くに其論理を運ばするのみであつて、実際問題に携はるに当つて必要なる気転や分別は其影すら無いのである、最初にヨブの子等の死を以て罪の結果のみと一挙に論断し去る如きは相手の心を少しも察せざる無分別の言と云はねばならない、その神学思想の幼稚なるは時代の罪として已むを得ずとするも、其信条を確定不変の金科玉条となし之を以て凡ゆる場合を説明し去り、之がためには相手の感情の如きは勿論何を犠牲に供するも厭はぬと云ふ其心持、その態度そのものが全くの神学者のそれである。
(405)〇右の如きビルダデの態度及びそれと大同小異なるエリパズ、ゾパル等の態度は何れも排すべきである、約百記は此事を其数訓の一として教へるのである、そして彼等三友が教理を知るも|愛〔付○圏点〕を知らざるは斯かる態度を生みし原因である 愛ありてこそ教義も知識も生きるのである、愛ありてこそ人を救ひ得るのである、愛なき知識は無効である、此事を約百記は文字の裡に暗示して居るのである、これ約百記の大文学たる徴証の一である。
〇諸君もし約百記八章に併せて哥林多前書十三章を読まば思ひ半に過ぐるものがあるであらう 殊に其初めの三節に於て如何に広き知識も、如何に強き信仰も、如何に盛なる行為も愛を含まざる時は全く空であると説けるは恰もビルダデを責むるが如くではないか、彼に種々の長処があつたかも知れぬ、しかし其説く所が明かに示す如く彼は神の愛を能く知らず、又事実が示す如く友に対して真の愛を抱き得なかつた、是れ彼の凡ての長処モヨブを慰むるに於て全く無効であつた理由である。
〇まことに愛なくば凡てが空である、愛はキリストの福音の真髄である、再臨の信仰と雖も之を既定教理の一となし之に照して人を審判くが如きは謂ゆるオルソドクシーにて余の採らざる所である、これ真理の濫用又は誤用であつてビルダデの流を汲める者である、再臨は神の愛を最も能く示すものである故に之を信ずと云ふが健全なる信じ方である、聖潔《きよめ》の真理と雖も亦同様である、神の愛を第一前提として其上に立ちし教理にして初めて値あるのである、又伝道も人を愛するがための伝道たるに至つて初めて真の伝道となるのである、此愛を根柢とせざる時徒らに純福音と誇称するも無効である、無効であるのみならず大なる害を伴ふのである、然るに愛を心に置かずしてたゞ教理のために教理を説く者が世に甚だ多い、是れ教理のためには何者を犠牲とするも厭はぬ心を生み易きものであつて、|愛〔付○圏点〕の反対なる|憎〔付△圏点〕を喚び起し、無数の害悪を生むに至るのである、如何なる教理を説き如(406)何なる伝道に従ふもそれが愛の動機より出でしものでなくてはならぬ、余の此の小なる伝道の如きも亦父の愛を示さんため、又人の魂を愛するがためでなくてはならぬ、諸君の此処に参集し来るも亦父の愛を尚ほ深く知らんため、そして人に対する我愛を増さんがためでなくてはならぬ、然らずしては此集りを幾度なすも無効である、げに愛の不足を描く約百記八章は愛の必要を我等に教へてやまぬのである。
〇愛である、然り愛である、愛ありての神学である、愛ありての教会である、愛ありての伝道である、愛なくして如何なる知識も、如何なる熱心も害ありて益なき者である、然るに嗚呼、ビルダデ流の神学何ぞ多き、憤慨に堪へない。 〔以上、7・10〕
 
     第七講 ヨブ仲保者を要求す 約百記第九章の研究(六月六日)
 
〇ヨブの友三人はヨブに臨みし災禍を彼の隠れたる罪の結果と誤断した、そして年長のエリパズ先づ之をヨブに覚らしめんとて第一回の勧告を試みしも徒労に終つた、之を見たる若きビルダデは|あからさま〔付ごま圏点〕にヨブの罪過を断定して彼に肉迫した、ヨブは益す心を痛めるのみであつた その様恰も庸医が病を誤診して初め普通薬を用ひて無効なりしや更に劇薬を病者に服せしめし如く、病は平癒せざるのみか益す重る一方であつた、併し乍ら友人の誤解と難詰はヨブの思想を刺戟し、神を知らんとする熱情を益す高めし故、却て彼を光明に向つて導く原動力となるのである、此事を知るは約百記の主部(発端と結末を除きし部)を解する上に於て最も大切である。
〇前講に於て述べし如く、ヨブの語は友に対する語と己に対する語と神に対する語の三様に分たれる、九章十章のヨブの語の中、九章一節−二十四節は友に対する返答、九章二十五節−三十五節は己に対する語(即ち独語)、(407)十章全部は神に向つての愁訴である、そして九章前半の友に対する答は友の神観の批評とでも称すべきものである、神は善人を栄えしめ悪人を衰へしむるとはビルダデ等の神観であつた、之に対してヨブは答へるのである「神が果して斯くの如きものならば世の此状態は何の故ぞ、善人却て衰へ悪人却て栄えつつあるにあらずや」と、二十四節には「世は悪しき者の手に渡されてあり、彼れまた其|裁判人《さばきびと》の顔を蔽ひ給ふ、もし彼ならずば是れ誰の行為なるや」とある、是れ世に悪人の跋扈するを神の業なりと認て神を嘲りし語である 併し真の神を嘲つたのではない、友人の称する所の神を嘲つたのである、即ち友人の提唱する神観の誤謬を指摘したのである、此世の凡ゆる不公平、義人に臨む災禍−これ必賞必罰の神の為す所としては全く不可解である、友人等の抱く神観を以てしては到底此世の実相を解し得ない、故に彼等の信ずる如き神を彼は信じ得ないと云ふのである、九章前半は文字直接の意味に於ては神を責むるが如くにして褻涜の極と云ふべきも、実は友の提唱する神観の誤を指摘したものであつて畢竟するに友を責めた語である。
〇ヨブ対三友人の対話を読むに凡ての点に於てヨブの彼等に勝つてゐることは明かである、信仰は勿論知識に於ても彼は彼等以上である、三友の信仰と知識を合するも尚ほヨブ一人に匹敵し得ないのである、故に三友の語にも見るべきものが少なくないが約百記の中枢は云ふまでもなくヨブ自身の言である、三友の難詰の語はヨブより大真理を喚び出したといふ点に於て有意味ではあるが、その価値に於ては到底ヨブ自身の語とは比較し得べくもないのである。
〇九章のヨブの語の中には彼の広き知識が表はれてゐる、五節六節には彼の地文学の知識が窺はれる、「彼れ(神)山を移し給ふに山知らず、彼れ震怒《いかり》をもて之を覆《くつがへ》し給ふ」は火山の爆発を形容せし語、「彼れ地を震ひてその所を(408)離れしめ給へば其柱ゆるぐ」は大地震を描きし語である、次の七節−九節は彼の天文学の知識を示す語である、九節は「また北斗、参宿《しんしゆく》、昴宿《ばうしゆく》及び南方の密室を造り給ふ」と云ふ、北斗は大熊星座(北斗七星)、参宿はオライオン星座、昴宿はプライアデス星座である、孰れも七つの重なる星を有する星座である、南方の密室は赤道以北の住民には見る能はざる星を総称したものであらう。(之と三十八章三十一、二節とを併せて当時の天文知識を知る良資料となる)。
〇又第十二章に依ればヨブは生理学にも通じてゐたのである、真に彼は其時代の最も深く且広き知識を有して居たのである、約百記作者は学識と信仰とに於ける当代の最優者を主人公として、其煩悶と最後の勝利とを描かんと努めたのである、約百記の大作たる理由の一は慥に茲に在る、試に今日世界のあらゆる知識に達し居る人が宗教的大煩悶を味ひ、遂に翻然一切を棄てゝ父なる神に帰服せしといふ心的経過を描きし小説又は脚本あらば、これほど現代の人に強く訴ふるものはあるまい、げに広博深遠なる知識の所有者なりしヨブは最後に其知識を悉くヱホバの前に投げ出して「我は罪人なり」との痛切なる叫びを発したのである、無学者の輕き煩悶と浅き解決ではない、大学者の重き煩悶と深き解決である、その煩悶の深刻なりしと共に其勝利は絶大であつたのである。
〇九節に於て星辰界の神秘を述べたるヨブは十節に於て「大なることを行ひ給ふこと測られず奇《くす》しき業を為し給ふこと数知れず」と云ふ、当時の幼稚なる天文知識を以てすら神の聖業の驚異すべきを知る、まして今日の進歩せる天文知識を以て宇宙の精妙荘美を知る我等は益す造化の神を讃美すべきではないか、然るに事実は之に反して科学の進歩は却て神を駆逐する傾きを生じ、今日の科学は人を神に導くものでなくして神を否定せしむるもの(409)となつた、これ実に痛歎すべき事であつて理想の状態の正反対である 近世の科学者中にてもニュートンの如き敬虔なる信仰家ありと雖も、其多くは仏の天文学者ラランドの類である、彼れラランドは一生涯を天体観察に献げた人であるが、彼は言ふた「余の望遠鏡に神の映りし事なし、故に神は在る者に非ず」と、現今の所謂基督教国の科学は大抵は無神論の味方である。
〇九章前半は神に対する強き疑の語である、これ無神論者の言に似たるものである、併し懐疑は決して信仰を否定するものではない、大なる懐疑のある所ならずしては大なる信仰の光は現はれない、黒烟の濛々として立ち昇る所に一度火が移れば焔々天を焦す猛火を見るに至る、ヨブは九章の如き深き懐疑の黒烟に閉ぢ込められたるが故に遂に信仰の火これに移りて霊界の煌火※[陷の旁+炎]々として昇り、大光明は彼に臨み又彼を通して世に臨んだのである、故に懐疑は貴いものである、知識のない所に懐疑はない、知識の少ない所に懐疑は少ない、ヨブの如き深き性質の人に広き知識備はりて天の城を攻略せんとする如き激烈雄大なる懐疑が起つたのである、しかも此懐疑の黒煙に天の霊火移りし故遂に最終章に示すが如き光輝赫々たる大信仰に入つたのである。
〇次に九章の二十五節−三十五節はヨブの己に対する独語である、己の憐れさを愍む語である、邦訳聖書に於て見るもその|悲哀美〔付ごま圏点〕に富める哀哭(Lamentation)たるを知り得るのである、二十四節までの友に対する語は天地を挑むが如き元気充盈せるものにて恰もバイロンやニエチエの一篇を読むやうであるが、之に反して二十五節以下は沈痛悲寥なる哀語である、その対照著しと云ふべきである、しかし実は二十四節以前に於ても我を愍む語が見えるのである、即ち二十、二十一節に曰ふ「たとひ我れ正しかるとも我口われを悪しとなさん、たとひ我れ全かるとも尚われを罪ありとせん。我は全し、然れども我は我心を知らず、わが生命《いのち》を賤む」と、而して是れバイロ(410)ン、ニエチエ等の近代文士の云ひ得ざる所である、大字宙を前にしての此|謙卑《へりくだり》は彼等になきものである、ヨブの此言たるパウロの 「我れみづから省るに過《やまち》あるを覚えず、然れども之によりて義とせられず、我を審判く者は主なり」(コリント前四の四)と其精神を一にするものであつて、神を畏るゝ者の魂より流れいづる語である、ヨブに此心あり又二十五節以下の如き己に対する失望ありし故に遂に最後の救に洛し得たのである 是れやゝもすれば自己を神となさんとする近代文人とヨブとの著しき相違点である。
〇「わが日は駅使《はゆまづかひ》(早馬使《はやうまづかひ》、駅丁)よりも迅く、徒《いたづら》に過ぎ去りて福祉《さいはひ》を見ず、其走ること葦舟の如く、物を攫まんとて飛びかける鷲の如し」との悲歎の語が二十五、六節にある、我日の過ぎ去る事の早きを陸上、水上、空中の最も早きものに比したのである、今日に於て自動車、汽船、飛行機を挙ぐるが如きものである、(葦舟は速力早き舸舸にして今日も南米秘露国に於て用ひられてゐる)。
〇二十七節−三十一節は我病の苦痛を訴へし語なると共に又我が心霊の苦悶をあり/\と述べしものである、かく見てその生《いき》々した発表たるを知るのである、「われ雪水《ゆきみづ》をもて身を洗ひ、灰汁をもて手を潔むるとも、汝われを汚らはしき穴の中に陥いれ給はん、而して我衣も我を厭ふに至らん」の如きを見よ、肉体の汚れと共に心霊の汚れを歎きしものたること明かである、「雪水」は沙漠地のことゝて雪のある時にのみ水を充分有ち得るからの語である、「灰汁」は天然曹達(natron)即ち天然に存する結晶せる曹達である、之を石鹸の如く使用するのである。
〇三十二節以下は約百記中に於ても最も注意すべき語の一である、「神は我の如き人にあらざれば我かれに答ふべからず、我等|二個《ふたり》して共に審判に臨むべからず」と三十二節に言ふ、ヨブは神と己との間に充分なる交通の道なきを歎じたのである、そして三十三節にては「又我等の間には我等二個の上に手を置くべき仲保《ちうほう》あらず」と云(411)ひて、彼は神と己の間に仲保者のなきを遺憾としたのである、「仲保あらず」と云ふは仲保を欲する心を示した語である、欲しきものが無き故にその無きを歎いたのである、ヨブの此叫は神の探究におのづと伴ふ仲保要求の最初の声である、旧新約全体に於て之より以前に此声はないのである、その声は短く且微かである、しかし人の本性より出づる重大なる叫びである、人の心の深みより生るゝ人類本具の叫である、そして此要求は世界大となりて遂に満たさるべきものである、高等動物の眼の如きは頗る精妙なるものであるが生物進化の流を溯つてみれば其初現は一黒点、一核子たるに過ぎないのである、しかも此|微《かすか》なる原始ありてこそ後の完き発達あるのである、そして十九章二十五節に至れば「われ知る我を贖ふ者は活く、後の日に彼れ必ず地の上に立たん」と云ひて仲保者出現の確固たる希望を歌つてゐるのである。
〇而してヨブの仲保要求の完全に充たされたるは勿論イエスの降世に依てである、かの微かなる叫が遂に此大なる実現にまで進化したのである、新約聖書は云ふ「それ神は一位なり、又神と人との間には一位の|仲保〔付○圏点〕あり、即ち人なるキリストイエスなり」と(テモテ前書二の五)、又云ふ「もし人罪を犯せば我等のために父の前に|保恵師〔付○圏点〕あり、即ち義なるイエスキリスト」と(ヨハネ一書二の一)、又云ふ「新約の仲保なるイエス」と(ヘブル十二の二四)、此新約的大事実はその初現をヨブのかの語に於て発したのである、約百記には斯くの如き貴き語が処々に在る、そは恰も砂中に真珠を拾ふが如くである。
〇同じ意味に於て我等は又九章二節に注意すべきである、そこに「人いかでか神の前に義しかるべけん」とある、義人なし一人も有るなしとのことである、ヨブは之をその最も深き意味に於て云ふたのではないとするも、茲に新約の中心問題が存してゐるのである、彼は単なる失望の声として之を発せしも実はこれ神と人とに提出せられ(412)し最重要の問題なのである、宇宙の中心問題とも云ふべき重大問題がその発芽をヨブの語に於て有したのである、見よ「人いかでか神の前に義しかるべけん」と、げに是れ此世に於ける最も難き問題の提出ではないか、人は罪に生れ罪に育ち罪に歩みて、如何に発奮努力するも神の前に己を義しくすることは出来ない、併し乍ら人義たらずして永生を獲得することは出来ない、神徒らに人を義とする時はみづから義たり得ぬを如何、茲に問題は至難中の至難として現れたのである、併し乍ら人より見ての至難は神より見ての至難ではない、彼は遂にその独子を世に降し給ふて罪人を義とすると共に又自ら義たるの道を拓き、遂に千古の難問を解決したのである、而して此難問題は実に約百記の九章二節にその源を発したのである。
〇約百記は種々の大問題を暗示的に提出して之に対して多少の解決を試みてゐる、しかし其全き解決は勿論新約に於て在るのである、かの有名なる法王グレゴリー七世(ヒルデブランド)は特に約百記を愛読せしと云ふ、その理由は此書の中に聖書中の真理が悉く含まれ居ると云ふにあつた、凡て基督教の大真理は約百記の中に発芽して居る、而もそれが暗示《サツゼスチヨン》の形に於て問題として提出されてゐる、凡て大著述の特徴は論証的なるよりも暗示的(suggestive)なるにある 以て約百記の大を知るべきである。
       ――――――――――
 
     第八講 ヨブ愛の神に訴ふ 約百記第十章の研究(六月十三日)
 
〇九章前半は友に対する語、後半は自己に対する語である、そして沈黙暫時の後ヨブは第十章の語を発して神に訴ふる処あつたのである、前述せし如く九章前半の彼の語は友の神観の不備を指摘したものである、彼は友の提(413)唱する所の|神学の神、教会の神〔付ごま圏点〕に反抗したのである、そして別に真の神を発見せんとする努力に入つたのである、第十章は即ち此努力の発端を示したものと云ふべきである、抑も時代の神学思想に反抗して、別に我魂の飢渇を医やすに足るべき神を見出さんとする苦闘は必しもヨブに限らない 他にも類例が多いのである、凡そ深刻摯実なる魂の所有者は皆さうであつた、故に十章に於けるヨブと九章前半に於ける彼とは全然その心の姿を異にしてゐる、十章に入りても彼の説く所は依然として旧き神ながら而も其中に新しき神観が発芽してゐるのである。
〇ヨブは先づ「わが心生命を厭ふ、されば我れ我憂を包まず言ひ表はし、わが魂の苦きによりて語《ものい》はん」との発語を述べて後ち痛刻なる語を以て神と争はんとするのである、二節−七節は何故われを苦むるかと神に向つて不平を並べし箇処である、「われ神に申さん、我を罪ありとし給ふ勿れ、何故に我と争ふかを我に示し給へ」と云ひ、「何とて汝わが愆を尋ね我罪を調べ給ふや」と云ふ(二節及び六節)、彼は神に苦めらるゝが如く感じつゝあつたのである、実に彼は神が己を拷問にかけて居ると思つたのである、即ち神は予め彼を罪ありと定め而して拷問を以て彼を苦めて彼に罪を自白せしめんとして居ると思つたのである。
〇凡そ拷問なるものゝ起る理由が二つある、罪ありと推定せらるゝも罪の自白に接せずしては不正確なる故罪人を糺弾し以て其罪を自白せしめんとするが第一の理由である、人命は明日を期し難きもの故早く罪を定めんとするが第二の理由である、これ人が人を審判くに当つて拷問の起る理由である、甲の理由は人間知力の有限であつて、乙の理由は人間生命の有限である、故に拷問は有限てふ壁に取囲まるゝ不完全なる人の間の関係の上に生起する事象である、されば無限を以て特徴とする神――無限の知力と生命とを有する神――に於ては何等人を拷問にかける必要がないのである、然るに今神が我を拷問にかけて苦めつゝあるは何故であるかとヨブは神に向つて(414)迫るのである、四節に「汝は肉眼をもち給ふや、汝の観給ふ所は人の観るが如くなるや」と云ふは神の知力は人のそれの如く有限なるかとの問であつて、「否然らず神の知力は無限なり、故に拷問を用ひずして人に罪あるか無きかを知る、然るに我れにのみ拷問を用ふるは何故ぞ」と詰つたのである、五節の「汝の日は人間の日の如く、汝の年は人の日の如くなるや」は神の生命が人のそれの如く有限なりやとの問であつて「否然らず無限なり、さらば何ぞ人を拷問にかける要あらんや」との詰問を含む語である、即ち人と人との間に拷問の起り得る二つの理由は神と人との間に於ては全然消滅するとヨブは主張するのである、然るに此の理由なき拷問を神が我に向つて加ふるは全く不可解である、「汝は既に我の罪なきを知り給ふ」然るに何の故のこの拷問ぞとヨブは神を責め且怨んだのである。
〇次には八節−十二節を一段として読むべきである、「汝の手われを営み我を悉く作れり、然るに汝今われを滅し給ふなり」と八節は云ひ、九節は八節の反覆と云ふべく、又十節−十二節は「汝は我を乳の如く斟《そゝ》ぎ牛酪の如くに固め給ひしに非ずや、汝は皮と肉とを我に着せ骨と筋とをもて我を編み、生命と恩恵とを我に授け我を顧みて我息を守り給へり」と云ふ、乳の如く斟ぎ牛酪の如くに固め云々とあるは「乳産製造業」の盛なる地方にて初めて云はるゝ形容語である アラビヤ人、韃靼等牧畜業の盛なる地方に於ては獣乳が主要なる食物であるため之を種々の物に製するのである、神が人を造るに乳の如く斟ぎ牛酪の如く固め皮と肉とを着せ骨と筋とをもて編むと云ふは胎内に於ける発生を語つたもので、当時の発生学(Embryology)の知識を示すものである、勿論幼稚不充分ながら九章の天文学と相対して茲に古代生理学の一端が見ゆるのである、実に神は斯く人を母の胎内に造りしのみならず、之に生命と恩恵とを授け、之を顧みて、恰も母が其子の寝息を守るが如くに人の息を守るのである、(415)又育てられたのである、然るに神の所作にして愛養物なる我を何故に彼は斯まで苦め且滅さんとするのであるかと、ヨブは依然として神に向つて肉迫するのである。
〇九章に於て神の宇宙創造及び支配を述べて高遠なる想像を筆に上せたるヨブは、茲に繊細微妙なる造化の一面にその豊かなる描写力を向けたのである、心憎きまでに美はしき筆なる哉! 想像の翼を張つて天の高きに達し又地の深きを穿つ、高遠と細微と伴ひ莊大と優美と並立す、まことに得難き筆、古今独歩の大文学と云ふべきである。
〇人間発生の叙述としては十、十一節の不正確なるは云ふまでもない、文字直接の意味に於ては勿論近世科学の承認を得ることは出来ない、併し乍ら言ふ所の精神に至つては近世科学と雖も敢て抗議を提出し得ないのである、宇宙万物を神の所作《しよさく》と見る時一個の人を獲るまでの其準備、其努力果して如何、神なる思想を外より入るるは科学の拒む所なる故姑く科学者の筆法を用ひて「天然」なる文字を用ふるも事は同一である、即ち今日の科学に基き宇宙万物の進化生成を認め其上に立ちて進化の永き歴史を想へ、漠々たる大虚の中に散乱せる物質は一団又一団相集合して遂に無数の天体を形造るに至り、我太陽生れそれに附随する数百の遊星現はれ、初め火と熱せる地球も漸次冷却して漸く生物の育ち得るに至つた、それまでには無限に等しき永き年を経過したであらう、地球生成以後人類が之に住み得るに至りし迄には三億五千万年乃至七億万年を経過せしと科学者は算す、その間の変遷は如何であつたか想像にもあまる事である、そして単細胞生物の発生より進化又進化の幾億万年を経て、一重又一階の過程に整然たる秩序の道を一歩づつ踏み上りて遂に人類の発生となつたのである、それまでの「天(416)然」の努力奮闘は実に想像に余る絶大なるものであつた、そして神を信ずる者に於ては神の此凡ての努力、此凡ての準備、此凡ての時が人類生成のために費されたるを知る時は、勿論その人類と云ふ観念の中に己をも加へざるを得ないのである、即ち父が我一人のために之だけの準備と労苦を為し給ひしことを認めざるを得ないのである。
〇然るに世人の人を見るは之と異つてゐる、政治家はたゞ民を民衆てふ一団として見、経済学者は数を以てのみ人を見、軍人は恰も将棋の駒を動かすが如き考を以て部下の兵に臨むのである、かく個人の認められざる社会にありては我等も亦人を軽んじ又自ら軽んぜんとする、然るに一度ヨブの見る処を以てせんか、人一人が神の絶大なる努力の結果として現はれたるものにして一人は大宇宙全体と匹敵するのである、而して是れ単にヨブ一人の思想に止まらず又約百記一書の主張に止まらずして実に聖書全体の教ふる処である。
〇神の心をこめての所作なる人を何故神は苦むるかとヨブは神に迫つたのである、そして我等キリストの救に浴して永遠の生命を信ずる者はヨブの此詰問に対しては永生の真理を以て之に答ふるを最上の途とする、即ち「|神はその所作にかかる忠誠なる魂を決して棄てず、たとへ一時彼を苦しむることあるも、而して彼の生命断たるることあるも、神は復活の恵を以て彼を起し永遠の生命を彼に与へて彼をして最後の且永久の勝利を獲しむ〔付○圏点〕」と答へるのである、そして之に関してはキリストの復活、その永生賦与の約束等確実なる証拠を提供し得るのである、是れキリスト以後に生れし我等の幸福である、げに人生の苦痛惨禍は幕一重の彼方なる永生を以てせずしては根本的に慰められ得ない、たとへば多年苦心撫育せし子女を失ひたる母親の心の如き、復活再会の希望に依らずして何に依りてか慰め得よう、そして単に婦人のみに限らず男子も亦同様である、今日まで多くの知力優秀なる男(417)子が此事を信じて大に慰められたのである、近時の欧洲に於てサー・オリ※[ワに濁点]ー・ロッヂやロムブロゾーの如き大科学者が競つて心霊現象を以てする来世問題の研究に没頭する如きは見逃すべからざる事柄である、さり乍ら|来世問題についての最大権威者はキリストである〔付◎圏点〕、彼の復活ありて来世問題は完全に解かれたのである。
〇しかし乍ら此時のヨブはその詰問に対して未だ明確なる解答を得なかつたのである、故に彼は十三節以下に於てまた呟きと哭《なげ》きとに入るのである、「もし頭《かうべ》をあげなば獅子の如くに汝われを追打ち……汝はしば/\証する者を入れかへて我を攻め、我に向ひて汝の怒を増し新手に新手を加へて我を攻め給ふ」とヨブは神の迫撃盛なるを怨じ、そして十八節以下に於てはまた死を慕ふ心を哀々たる文字を以て発表するのである、十八、十九節に於てヨブは此世に生れ来りしを悲み次に二十節に於て言ふ「我日は幾何もなきにあらずや、願くは彼れ(神)姑らく息めて我を離れ、我をして少しく安んぜしめんことを」と、ヨブは我生命の終近きを感じ其前の少時日の間神の迫撃の手が己の上に来らざらんことを願つたのである、憐むべきかなヨブ! 彼は神に攻められつつありと感じて、死ぬる前数日間なりと神がその手を緩め給はんことを乞ふたのである、その心情まことに同情すべきではないか、そして彼は最後に言ふ「我は暗き地、死の蔭の地に往かん、この地は暗くして晦冥《やみ》に等しく死の蔭にして区別《わかち》なし、彼処《かしこ》にては光明《ひかり》も黒暗《くらやみ》の如し」と、これ世を去つて陰府《よみ》に往かんとの心を言ひ表はしたものである、けだし旧約時代に於ては死者は陰府(Sheol)てふ暗黒世界に住むと信ぜられて居たのである。
〇今第十章全部を心に置きて考ふるにヨブは|義の神に対して愛の神〔付○圏点〕を求めて居るのである、八節−十二節に於て彼が神の愛護を述べたとき彼の心に愛の神は曙の光を発し初めたのである、|神は義たるに止まらず又愛なり〔付○圏点〕との観念が此時彼の悩める心に光明として臨み初めたのである この曙光が発展して真昼の輝きとならば神の愛は悉(418)く解り来世の希望は手に取る如く鮮かとなるのである、しかし乍ら之は急速に発展すべきものではない、ちらと輝いた曙光は一先づ消えてヨブはまた元の哭きに入つたのである、さはれ曙光は慥かに現はれたのである、これ見逃すべからざる点である。
〇神を義と見るは不充分である、ためにヨブは解決点を得ないのである、故に彼の神観は是非とも一転化を経ねばならぬ、|第一の神のほかに第二の神を認めねばならぬ〔付△圏点〕、義なる神のほかに愛なる神を認めねばならぬ、そしてヨブは十章に於て愛なる神を認め始めたのである、神を義とのみ見る時人の心は平安を得ない、罪を罰し悪をたゞし規律を維持するをのみ神の属性と見做す時、人は我罪の報を怖れて平安を得ない、此時キリストを通して愛の神を知るに至れば、神観一転化を経て赦免の恩恵を実感し以て光明に入るのである、しかしキリストを知らぬヨブは独りみづから愛の神の捜索に従はざるを得なかつた、義の神と愛の神とが人の魂の中に於て平均を取るに至つて初めて人の心は安定するのである、それに至るまでは苦闘である、ヨブは今此苦闘の道程に於て在る、それは恰も車を峻坂に押し進めるが如くである、二歩進みしかと思へば一歩退く、ヨブは十章の八節−十二節に於て愛の神の一端に触れしも十三節以下また後退《あとすさり》するのである、しかし凡そ光明接受に向つて進む道程は常にこれである、此微細なる点を過たず描きし約百記は偉大なる書と云はざるを得ない、同時に此吾が人生の確実なる実験を背景とせる劇詩なる事を知るのである。
〇因に記す、十章八節−十二節に似たる箇処を旧約中に求むれば左記の如き代表的のものがある、何れも旧約中の新約的曙光と云ふべきものである。
  ヱホバが己を畏るゝ者を憐み給ふことは父が其子を憐むが如し(詩百三編十三)
(419)  女その乳児《ちのみご》を忘れて己が腹の子を憐まざる事あらんや、たとひ彼等忘るゝ事ありとも我は汝を忘るゝことなし(イザヤ四九の十五)  我等の尚ほ亡びざるはヱホバの仁愛《いつくしみ》によりその憐みの尽きざるに因る……(哀歌三の二二以下)。
〇約百記十章と併せて読むべき者は詩四十二、三篇である、「わが魂は渇ける如くに神を慕ふ、活ける神をぞ慕ふ」、しかし神は容易に見えない「何れの時にか我れ行きて神のみまへに出でん」と歎く、然れども神の見えざる時は静かに神の見ゆる時を俟ち其希望の中に活くべきである、「あゝ我魂よ、汝何ぞうなだるゝや、なんぞ我衷に思ひ乱るゝや、|汝神を待ち望め〔付○圏点〕、われに聖顔《みかほ》の助けありて我れ尚ほ我神を讃め称《たと》ふべければなり」と三度繰返さるゝに注意せよ(四十二篇五節と十一節と四十三篇五節とに於て)、望は達せられずしては満足しない、しかし望の達せられぬ間は望のある事その事が慰めである、「汝神を待ち望め」と我魂に告げつゝ、静に待つ者は幸なるかな、ヨブは愛の神を探りて未だ得ず僅にその一端を捉へてまた之を放す、暗黒は尚霽れやらず光明は未だ照り亘らない、しかし願は必ず充たさるゝ時が来るのである。
〇疑問あり煩悶ある時直ちに解決し得べきものではない、たゞ必ず神より解答を賜はる時あるべしと信じて希望を以て今の痛苦を慰むべきである、急ぐ勿れ、慌てる勿れ、|神を待ち望め〔付○圏点〕、静に待望せよ、これ暗中に処する唯一の健全なる道である。
――――――――――
 
(420)     第九講 神智の探索 約百記十一章、十二章の研究(六月廿日)
 
〇我等の研究は次第に進みて今やヨブの獲たる最大真理に近よらんとして居るのである、此際特に約百記研究全体について一言の注意をし度い、|抑も約百記了解の困難なる理由の一はそれが余りに多くの真理を含んで居るに在る〔付○圏点〕、一見平凡なるが如き辞句が或重き真理を暗示し居る場合が甚だ多いのである故、それを見落さぬためには細心の注意を要するのである、約百記に限らず聖書全体に亘りて、その記者たちの語法が我等のそれと根本的に相違せるは忘るべからざる事である、我等は順序を整へ論理を辿りて組織的に結論に導き、彼等は前後の関係を顧慮せずして続々として真理を提示する、恰も宝の匡《はこ》を開きて手当り次第に宝石を取り出すが如くである、これ余りに多く真理に充てるがためである、さり乍ら本講演はむしろ大体の経過を本流に於て探るを目的とし、支流又は分流に探究の舟を乗り入るゝ場合は甚だ少ないのである。
〇エリパズは初め実験に徴して「神は善なり」と説き、次にビルダデは所伝《つたへ》によりて「神は義なり」と主張す、そして孰れもヨブの撃退する所となつた、茲に於てか最年少のゾパル現はれ天然学上より「神智測り難きこと」を述べる、これ第十一章である、然るに前述せし通りヨブは信仰に於て知識に於て遙かに三友を凌駕せる故ゾパルの振廻す天然知識位にて怯むべき筈がない 直ちにその豊富なる知識の庫を開いて逆襲的にゾパルに答へるのである、これを載するは十二章である、そして彼の語は尚ほ続いて十三、四章となり、かくてヨブ対三友人の第一回問答は決了するのである。
〇まづ十一章に於てゾパルの語を見よ、一節−三節は彼の言《ものい》はざるを得ざる理由を述べたものであつて、ヨブの(421)言説に対して起したる青年ゾパルの憤りはさながら見るが如くである、而して四節より本論に入りて云ふ「汝は言ふ、我教は正し、我は汝の目の前に潔しと、願くは神|言《ことば》を出し、汝に向ひて口を開き、智慧の秘密を汝に示してその知識の相倍するを顕はし給はんことを、然らば汝知らん神は汝の罪よりも軽く汝を処置し給ふことを」と、然りヨブが自ら正を以て居りて罪なしとせるは過つてゐる、併しゾパルは言ふのである「神もし其智慧の大なるを示し給へばヨブは己の智慧の足らざるを知り、且己に降りし禍はその犯せし罪の報以下なることを知るに至るであらう」と、即ちゾパルはヨブを以て大罪を犯せるものと見做し、受けし災禍の如きは罰として頗る寛大なものであると主張したのである、友を責める言として峻烈を超えて寧ろ残酷と言ふべきである、ヨブを大罪人と見做し彼の災禍を以て罪の当然の報と見る点に於て、ゾパルは他の二人と全く同一の誤想に陥つて居たのである。
〇七節−十二節に於てはゾパルは全能者の測り難き深智を歌つてゐる、「その高きことは天の如し、汝なにを為し得んや、その深きことは陰府の如し、汝なにを知り得んや、その量は地よりも長く海よりも闊し」と、彼は神の大智を讃へつゝヨブの誇を責めてゐるのである、又「彼れもし行きめぐりて人を執へて召集め(即ち裁判官が巡回して犯罪人を捕へ集めて裁判する如くし)給ふ時は誰か能く之を阻まんや、彼は偽る人を書く知り給ふ、又悪事は顧ることなくして見知り給ふなり」と言ふ、これ亦神を讃美しつゝヨブを|罪人〔付ごま圏点〕とし|偽る人〔付ごま圏点〕とし|悪事を犯せる者〔付ごま圏点〕として批難した語である、「虚しき人は悟性なし、その生るゝよりして野驢馬の駒の如し」と云ふが如き余りに不当なる悪口と云ふべきである。
〇かくヨブの禍を罪の報と定む、故に当然十三節以下の忠言となるのである、「手に罪のあらんには之を遠く去れ、悪を汝の幕屋に留むる勿れ、さすれば汝顔をあげて※[王+占]《きづ》なかるべく、堅く立ちて懼るゝ事なかるべし、即ち汝|憂愁《うれへ》(422)を忘れん……汝の生き存《ながら》ふ日は真昼よりも輝かん……汝は何にも恐れさせらるゝ事なくして伏し休まん……」と、即ち罪を去れ然せば幸福臨まんと云ふのである、最年少なるゾパルも亦依然として時代の神学思想に囚はれてゐたのである。
〇二十節は改訳して「されど悪しき者は目くらみ遁れ処を失はん、その望は死なり」とすべきである、悪しき者は来世の生活を厭ふ、これ罪の罰を懼るゝからである、故に悪しき者の望は死(絶滅)であると云ふのである、此語はヨブが頻りに死を希ふ心を表はし居たるに因して発したものである、ゾパルはヨブを罪人となし愚者となし又悪しき者となすのである。
〇此のゾパルの語に対するヨブの答は十二章に載せられてゐる、彼は若き友がその抱ける知識と思想とに照らして無遠慮に彼を批難するに会して、憤激の情は一転化して冷き笑となり、皮肉の言葉を並べて相手を翻弄せんとするのである、彼は未熟なる知識を糧とせる乳臭児の襲撃を受けて、知識の事ならば我れいかで汝に譲らんやとて、暫し病苦と悲境とを忘れて嘲弄的逆襲に出たのである、劈頭の「汝等のみまことに人なり、智慧は汝等と共に死なん」とある語を初とし以下凡てに此冷笑的気分が漲つてゐるのである。
〇「誰か汝等の言ひし如き事を知らざらんや」とヨブは言ふ、ゾパルは新知識の所有者を以て自ら任じ新説の提唱をなすが如く思ひて意気揚々として舌を揮ふ、之に対してヨブは右の如く答へるのである、今日|新説〔付ごま圏点〕と称し|革命的思想〔付ごま圏点〕と唱へて得々として或は之を口にし或は之を筆にす 併しヨブの此答を借りて我等は「誰か汝等の言ひし如き事を知らざらんや」と言はんとする、畢竟かの新説と称するもの概ね旧説の|焼き直し〔付ごま圏点〕たるに過ぎない、その内容とその精神に於て何等の相違あるに非ず唯外衣と装飾とを異にせるのみである。
(423)〇六節は之を改めて「掠奪《かすめうば》ふ者の天幕は栄え、神を怒らする者は安泰《やすらか》なり、彼等は己の手に神を携ふ」とすべきである、これ即ち悪人の繁栄と安泰を世に通有のこととして述べたのである、げに「彼等は己の手に神を携ふ」るのである、彼等は自己の抱く思想、自己の信ずる教義、自己の選ぶ行動、悉く真正妥当にして最も能く真理に適へる者と做す、彼等は自己中心の徒である、自己の凡てが神に適ひ、神は凡てに於て己の味方であるとなす、即ち彼等は己を悉く棄てゝ神に随はんとするに非ず、己を悉く立てゝ神をしてそれに随はしめんとす、否神がそれに随ひ居るとなすのである、これ最大の自己中心である、実は最も「神を怒ら」するものである、彼等の類は世に甚だ多く而して富み栄え且安らかである それに此して義しき者の悲境に沈淪せるは何の故ぞとヨブは疑ふのである。
〇七節−十節は言ふ「今請ふ獣に問へ、さらば汝に教へん、天空の鳥に問へ、さらば汝に語らん、地に言へ、さらば汝に教へん、海の魚も亦汝に述ぶべし、誰かこの一切《すべて》のものに依りてヱホバの手の之を作りしなるを知らざらんや、一切の生物《いきもの》の生気《いのち》及び一切の人の霊魂共に彼の手の中にあり」と、天地万有を通して造化の神を認むる心を言ひ表はしたものである、ヨブは精密周到なる天然観察によりて天然を通して神の心を学んだのである、野の獣、空の鳥、海の魚、地上のもろ/\の植物、いづれも彼に神を示した、彼が各地に旅行して自然科学上の豊富なる知識を貯へたる人なることは三十章以後に於て明かである、実に彼は健全なる路を経て大なる神を学びつつあつた人である。
〇今日基督信徒が自然研究を遺却して徒に新著新説に走り、変り易き理論を以て自己を養はんとするは愚の骨頂である、雀の雌雄を知らず不如帰の無慈悲を悟らずして新しき神学説を喋々するも何の効ぞ、魚類の如き凡(424)て面白く鰻の如き最も不可解なる生物である、心を潜めて一小天然物を観よ、そこに神を知ること深きを加ふるではないか、凡ての天然物は我等に神の測り難き穎智を教ふ、故に天然研究は神を信ずる者の娯楽であり又責務である、ヨブの如きは熱心なる天然研究に依りて信仰の養成をなしつゝあつたのである、勿論この研究のみにて人は救はれるのではない、しかし是れ救の基礎とし準備として役立つことは疑ない、|神の著はせし書物に二つある、甲は聖書、乙は自然界(全宇宙)である〔付○圏点〕、両者を知りて初て神を知るに於て全い、自然研究の効大なりと云はねばならない、之を軽んずる時は造化の神を能く知ることは出来ない、神の探究と称して徒らに悩中に思索を繰返すは労して効なき業である、むしろ神の作物について直接に神を学ぶべきである、|神の作物たる聖書と天然〔付○圏点〕、この二を学びて初めて神を知り得又益す深く彼を知り得るのである。
〇十一節−二十五節は七節−十節と其精神を等しくする、彼は天然物を通して神の全智全能を学び、是は此世に臨む神の支配を通してその測り難き智と抗し難き能力とを知るを述べてゐる 「智慧と権能とは神にあり、智謀と頴悟《さとり》も彼に属す」る事を此世の各方面にわたりて実証してゐる、辞句の意味は説明せずして明かである。
〇十一章と十二章を通ずる問題は|神智の探索〔付○圏点〕である、それについて記さるゝ凡てが貴き真理の提示たるは明瞭である、天然を通し人事に徴して神智神能の絶大を知るほか尚ほ一事を知らずしては、我等の神に関する知識、又救に関する知識は不充分である、尚ほ一事とは即ち|罪の自覚〔付○圏点〕である、ヨブが己を以て正しとなすは大なる過誤である、この誇り彼にありて彼は未だ救はれず彼の知識は不具である、彼れ我罪の自覚に達し(勿論友の想像せる如き有形的罪悪の意にあらず)神の前に己を卑うするに至つて彼の救は成立し、彼の知識は全きに至るのである、それまでは暗中の彷徨である、しかし光明に向つての暗中の彷徨である。
(425)○天然を以て神の権力《ちから》を知る事が出来る、歴史を以で彼の智慧を量る事が出来る、或る程度までは人智を以て「神の深き事を窮め、全能者を全く窮むる事が」出来る(十二章七節)、然し乍ら神の心に至ては天然も歴史も我等に教ふる所がない、|神の心〔付○圏点〕に関する知識に至ては我等は全然神の啓示に待たなければならない、神は其独子を賜ふ程に世の人を愛し給へりと云ふ事は人間の智慧を以てしては到底解らない、天然研究貴しと雖も神の如何なる者なる乎は之に由ては解らない、而して神の智慧を知悉した所で神の心が解らずして神に関する最も大切なる事は解らない、ヨブと彼の友人とは今日まで神の智慧に就て大に学び且つ知る所があつた、而して今や神より直に神の何たる乎、其|神心《かみごゝろ》の何たる乎を教へられつゝあるのである、最も貴きは此の知識である。 〔以上、8・10〕
 
     第十講 再生の欲求 約百記第十四章の研究(六月二十七日)
                                   〇第十二章より第十四章にわたるヨブの言の中第十二章は前回に学びたれば、今回は第十三章について一言せしのち第十四章に就いて専ら学び度いのである。
〇十三章に於てはヨブはゾパル等に対して逆襲的態度に出づるのである、「汝等が知る所は我も之を知る、我は汝等に劣らず、然りと雖も我は全能者に物言はん、我は神と論ぜんことを望む、汝等はたゞ※[言+荒]言《いつはり》を造り設くる者、汝等は皆無用の医師なり、願くは汝等全く黙せよ、然するは汝等の智慧なるべし」と云ふ如きは明かにヨブの此態度を示すものである、尚ほ十三章の中にて大切なる句は十五節である、邦訳聖書には「彼れ我を殺すとも我は彼に依頼まん、たゞ我は我道を彼の前に明かにせんとす」とある、此語の前半は寔に美はしき心情を示した語(426)として有名であるが実はそれは誤訳である、「彼れ我を殺すとも我は彼を待ち望まず」と改訳すべきである、かくて十五節の意味は「我は飽くまで我無罪を神に訴へん、そのため彼に殺さるゝに至るも敢て厭はず」と云ふに在る、彼は勇気を揮ひ起して此強き語を発してみた、しかし神よりは何等の反響がなく友は皆かれを誤解してゐる、そして己の中には此勇気を持続せしむるだけの力がない、一度起せし勇気は忽ち消滅せざるを得ない、恰も重病人が卒然として敵の其前に立つに会し、憤然として一旦起ち上りしも自己自身に力なきため直に倒るゝが如くである、第十四章以後のヨブの語には慥かに此心持が見えて居るのである。
〇十四章は約百記中最も重要なる章の一である、神と争はんとして己の無力を悟りしヨブの悲歎は|壮大なる悲哀美〔付ごま圏点〕となつて此章に表はれて居る、彼は自然界の諸々の物象に此して人間の果無さを描き出づるのである、茲にも亦約百記作者の優秀豊富なる天然観察者なることを知るのである。
〇「女の産む人は其日少なくして艱難《なやみ》多し」と一節は曰ふ、人は誰人と雖も女より生れしものであれば|女の産む〔付△圏点〕人と殊更に言ふ必要はないとも云へる、しかし此語には深き意味がある、女は体も心も弱きものである、故に「女の産む人」と記して万人の弱き事が暗示せられたのである、実に女の産む人は其日少なくして艱難多しである、クロムヱルの如きナポレオンの如き人類中の最強者と雖も実は弱き女の産みし弱き人の子たるに過ぎない、彼等の生涯は明かに此事を示してゐる、げに人は皆弱き者である、此事を知らずしては我等は真の同情を人に向つて起すことは出来ない。
〇二節には「その来ること花の如くにして散り、その馳すること影の如くにして止まらず」とある、此節の後半は人の生涯を風強き日に砂原を走る雲の影にたとへたものである、是れ亦約百記の舞台を示す語である、四節の(427)「誰か清き物を汚れたる物の中より出し得る者あらん」は女より生れし人の到底清くあり得ぬを説いたのである、かくヨブは人間の弱く果無く汚れ居る事を説きし後「その日既に定まり、其月の数汝により、汝これが区域《さかひ》を立てゝ越えざらしめ給ふなれば、之に目を離して安息《やすみ》を得させ、之をして傭人《やとひびと》の其日を楽しむが如くならしめ給へ」と訴へてゐる、彼は絶望中の僅の安息を希つたのである、その心情や洵に同情すべきである。
○次に見るべきは七節――十二節である、「それ木には望あり、たとひ※[石+欠]《き》らるゝとも復た芽を出して其枝絶えず、たとひ其根地の中に老い幹土に枯るゝとも水の香《か》にあへば即ち芽をふき枝を出して若樹《わかき》に異ならず」と羨み、それに比して「されど人は死ぬれば消失す、人|気《き》絶えなば安《いづく》に在らんや」と歎くのである、げに木には望あり、そは復活し又復活す、※[石+欠]らるゝとも復た芽を出し枝をひろげる、桑の如き櫟の如き態と※[石+欠]りてその生命を永久に新鮮ならしむる者さへある、パレスチナに於ても橄欖の如きは斯くして之を老衰より少壮によび戻し得るのである、樹には復活あり人には復活なし――是れヨブの悲歎であつた。〇植物に再生あるに比して人に之なきを歎き或は之あるを望む、これ印度、スカンデナビヤ等の各国の古文学に共通せる思想である、ヨブ亦植物に再生ありて人に之なきを歎く、しかも此|悲歎《なげき》たる実はこれ復活再生の希望の初現とも云ふべきものである、この悲歎の裏面に此希望が起りつゝあつたのである、抑も植物は人間以下のものである、然るに神は之をしも再生せしむ、況して神の心を籠めての所作なる人に於ておや……とは当然此の悲歎と形影相伴ひて起るべき推定である、根地の中に老い幹土に枯るゝ樹木も水の香にあへば忽ち若樹として再生するが如く、人は其体地の中に枯れ其魂土に帰するも一度神の霊の香に会はんか忽ち復生し再び若くして地の上に立つに至るであらう……と黒雲の中に光明《ひかり》は隠見するのである。
(428)〇第十一、第十二節も同じく悲歎である、「水は海に竭《つ》き、河は涸れて乾く」とは砂漠地にて常に目撃する現象である(海とは真の海ではない、池の如く凡て水の溜れる処を云ふのである)、「かくの如く人も寝ね臥してまた起きず、天の尽くるまで目覚めず睡眠《ねむり》を醒まさゞるなり」とは死後陰府に於ける生活を描いたもので、陰府の生活は忘却睡眠を特徴とすと猶太人は考へてゐたのである、「天の尽くるまで」は永久にの意である、天は永久に尽きずとの思想より出でた句である。
〇次は十三節――十七節である、「願くは汝我を陰府に蔵し、汝の震怒《いかり》の息むまで我を掩ひ、我がために期《とき》を定め而して我を念ひ給へ」(十三)とは再生の欲求の発表である、ヨブは今神の怒に会へりと信じてゐる、故に世を去りて陰府に降らば神が彼を其処に保護してその怒息みし後に於て彼を再生せしめんことを欲つたのである。次の十四節の前半は挿入句である、「人もし死なばまた生きんや」は人死ぬも再生すべきかとの問題の提出である、此時ヨブは直ちに「然り再生す」とは答へ得なかつた、彼は此大問題を提出したまゝに放置して十四節後半より直ちにまた前節の欲求に帰つて了つた、恰も天よりの閃光のごとく此問題は突如として彼に起り又突如として彼を去つた、それは恰も雲の切れ目より一瞬間日光が照りしが如くであつた、そして之に対しての「然り」といふ答は約百記の最後に至つて現はれるのである、洵に文学として絶妙である、そして是れ亦実験の上の作たるを証《あかし》するものである。
〇十四節後半――十七節は少しく改訳せねばならぬ、即ち「我は我|征戦《いくさ》の諸日の間望み居りて我|変更《かはり》の来るを待たん、汝我を呼び給はん而して我れ答へん、汝必ず汝の手の業を顧み給はん、其時汝は我の歩みを数へ給はん、我罪を汝うかゞひ給はざるべし、わが愆は凡て嚢《ふくろ》の中に封ぜられ汝わが罪を縫ひこめ給はん」と訳すべきである、(429)言ふ所もとより漠然たるを免れない、さり乍ら復活の欲求に於て甚だ大なるものがあり且何等かの形に於て再生のあるべき事の予感が見えるのである、未来の或時に彼の上に或変動来り、神と彼と相呼ぶに至り、神彼の業を顧み歩みを数へて彼を愛護し、神彼の罪を窺はず、愆と罪を抑へて外に出でざらしむと云ふのである、想の大、言の美まことに三歎すべきである、是れキリスト以前に生れし摯実なる心霊の来世探究史として見逃すべからざる箇処である。
〇ヨブは再生の欲求に於て盛なれどそれは未だ再生の希望となつたとは云へない、欲求と希望とは大に異なる、甲はたゞの願ひ乙は我確実なる未来の事の望である、欲求には正しきあり悪しきあり、来世の欲求の如きは正且善なる者である、必しも自己のためにのみ来世を望むにあらず、神の義の完全なる顕照を熱望する時自己を離れて人に深刻痛切なる来世希求が起るのである、而して此欲求の充たさるゝ事が確実となるとき其欲求は進で希望となつたのである、|来世の欲求の上に神の約束加はりキリスト復活の信仰重なりて茲に来世の希望となるのである〔付○圏点〕、欲求は漠然にして不正確、希望は確乎として正確である、恰も男女間の思慕が初め|欲求〔付ごま圏点〕たる間は不慥なれど後進みて婚約成立となりて初めて|希望〔付ごま圏点〕と化して確実になるが如くである。
〇ヨブの此欲求は人類全体の欲求である、人には誰人にも来世の欲求がある、神はキリストを通して永生の下賜を約束し給ひしのみならず、其キリストを復活せしめ給ふて以て彼に従ふ者に確実なる永生の希望を与へ給ふたのである、かくて来世の欲求は希望と化したのである、そしてキリストの十字架あるが故に我等の愆は凡て嚢の中に封ぜられ罪は縫ひ込めらるゝのである、かくの如くにして此処にヨブの願ひし処は遂に或時実現せらるゝのである、実に感謝すべき事ではないか。
(430)〇然るに十八節以後に於てはヨブに起りし光明の一閃は消えて再び哀哭に入るのである、「それ山も倒れて終に崩れ巌も移りて其処を離る、水は石を突ち浪は地の塵を押流す、汝は人の望を絶ち給ふ」とヨブは依然として豊富なる自然観察の知識を借りて人間の運命を歎くのである、自然界の変動が目に見えざる如くにして而も徐々として行はるゝが如く人の生命も亦徐々として絶たるゝと云ふのである、「汝は彼を永く攻めなやまして去り往かしめ、彼の面容《かほかたち》を変らせて逐ひやり給ふ、その子貴くなるも彼は之を知らず、卑賤《いやし》くなるも亦これを暁《さと》らざるなり、たゞ己みづから其心に痛苦《いたも》を覚え己みづから其心に哀《なげ》くのみ」と云ふ、是れ死者は陰府にありて此世の成行を感知し得ず、半醍半眠の中に唯自己の痛苦否運を感ずるのみとの時代信念を背景として読むべき箇処である、げに痛切悲愁なる魂の呻きである。
〇今十四章を全体として視るに光明既に臨めりと云ふことは出来ない、全体を蔽ふものは依然たる暗雲である、而し黒雲を透して電光が閃くが如くに光明は一度又二度隠見するのである、かくて最後に黒雲悉く晴れて全天全地光明を以て輝く時が予想せらるゝのである、凡て信仰進歩の順序はこれである、初より全光明を一時に望むべきものではない、まづ懐疑の暗雲に閉ぢこめられて天地晦冥の間に時々光明の閃光に接し、その光明次第に増すと反比例して暗雲徐々として去り、遂に全光明に接するに至るのである、此順序を逐ふて過たざるは約百記の実験記たる証拠である、そして我が信仰の性質の漸次的進歩にある事を知るは自己のために必要であり、又人に向つて福音を説くに当つて必要である、かの一夜にして人を光明に入れんとする如き伝道法は此心理的事実を無視するものであると言はざるを得ない。
〇来世的光明の徐々として彼に臨みしは何に因るか、是れ彼に降りたる禍、禍のための痛苦、痛苦の極の絶望に(431)因るのである、「来世の希望は那落の縁に咲く花なり」との語がある、大苦難、大絶望、恰も死に瀕する如きを心に味ふ時そこに咲く花は来世の希望である、我愛する者の死に会して之を独り彼世に送る、そして自身の心また死の如き寂寥悲愁に会して那落の淵に臨めるが如くである、然るに見よ其時脚下に咲ける美花は来世の欲求であり、進では又来世の希望である、これを摘み来つて我心に植え我に永遠の希望の抜き難きもの生れて、再会の望を以て我残生を霑《うるほ》すに至るのである、患難は人生最上の恵みである。
       ――――――――――
 
     第十一講 エリパズ再び語る 約百記第十五章の研究(九月十二日)
 
〇茲に夏期休暇を終へて約百記研究を再開するに至りしは我等の歓びとする所である、余は今年中又は来春までに於て約百記講演を完了せんと希図してゐる、これ講者に取りても聴者に取りても明かに一の記録《レコード》を造ることである。
〇今日は第十五章を研究するのであるが其前に二三の雑感を述べ度い、過ぐる数年間欧亜の天地を荒らした世界戦争が幾百万人の生命を戦場の露と化した後、戦争と動乱とは尚ほ世界の各地に於て行はれつゝあつて新たに何万何十万の生命が断たれたのである、あゝ人類は今に至るも尚ほ戦ひつゝある、世は依然として涙の谷である、此事を思ふて我等に無限の哀愁《かなしみ》なきを得ない。
〇次に新星出現について余は感ずる所あつた、余は八月二十一日の夕より此新星を見たのであるが、新星とは云ふものゝ、凡て恒星より此地球まで光のとゞくには少くも数年を要するのである故、これは今より幾年又は幾十(432)年以前に現はれし新星が今に至つて初て見えたに過ぎぬのである、この新星に接して余は「茲に大なる異象《しるし》天に現はる」(黙示録十二章一節)の一句を想起した、これ吾人々類に対して何事かを教示する異象と見て意味深くある、天文学者の説によれば新星とは暗星(光の消えし星)が大速力を以て漠々たる空間を航行中他の星と激突して高熱を生じ爆発燃焼せしものであると云ふ、勿論各天体は広漠なる宇宙間に浮動せる者故天体と天体の衝突が頻々として起ると云ふ事はない、同時に何時それが起るかも知れぬと云ふ虞がある、我地球の如きもかゝる衝突に会して忽ち燃焼し新星と化すると共に地上の生物悉く焼死するの悲運に何時逢ふかも計られぬのである、聖書に云ふ所の「世の終末《おはり》」は或は斯くの如き事情のもとに起るものであらう、「其日(主の日 世の終)に天大なる響ありて去り体質悉く焚毀《やけくづ》れ地と其中にある物みな焚尽《やけつく》さん、かくの如く凡てのもの鎔《とか》されん……神の日には天燃毀れ体質焼鎔ん、されど我等はその約束に因りて新しき天と新しき地を望み待てり、義その中に在り」(ペテロ後三章)と云ふ、此時地は悉く燃え去るのである、万物は痕形もなく虚空に向て消え去るのである、凡ての物焼毀れ、燃尽し、燃毀れ、焼鎔けるのである、あゝ恐るべき世の終 万物の終極よ! 併し乍ら我等は神の恵を確信する、主の約束に信頼する、その時新しき天と新しき地は出現して、義その中に在る理想の社会は起るのである、我等その事を望むが故に今や世界はその終末に向つて急走しつゝあるも我等は恐れないのである、「すでに之を望み待てば汚《しみ》なく疵なく主の前に安然《やすらか》に在らんことを務」むるのである。
〇此度の新星は幾年又は幾月ほど其光を地球まで放つかと云ふのが問題であつて、少くも半年や一年は其光輝を保つと思はれしに、日に光を減じて今や肉眼を以ては殆んど見る能はざるに至つたのである、すべて新宗教、新神学の類はこれである、その出現の時に当つては大なる光を放ち以て一世を風靡するが如く見える、其時我等の(433)信ずる基督教の如きは其光甚だ薄く見えるのである。併し仮すに暫くの時日を以てすれば足りる、三年、四年、又は十年を出でずして新宗教の光は忽ち薄れゆきて世の噂にすら上らぬ程になる、然るに福音は依然として世を照す光として止まるのである、されば我等は此永久に新しくして且輝光を放つ福音を学ぶために聖書研究の必要ます/\大なるを思ふのである。
〇これより再び約百記の研究に入らんとするに当つて約百記全体の綱目を掲げて研究の便に供する、即ち左の如くである。
 
        約百記綱目
 
  発端………………………………一、二章
  ヨブ対友人………………………三章−三十三章
  ヨブの独語………………………三章
  |論戦第一回〔付○圏点〕
   エリパズ語る…………………四、五章
    ヨブ之に答ふ………………六、七章
   ビルダデ語る…………………八章
    ヨブ之に答ふ………………九、十章
   ゾパル語る……………………十一章
    ヨブ之に答ふ………………十二、十三、十四章
  |論戦第二回〔付○圏点〕
(434)   エリパズ語る………………十五章
    ヨブ之に答ふ………………十六、十七章
   ビルダデ語る…………………十八章
    ヨブ之に答ふ………………十九章
   ゾパル語る……………………二十章
    ヨブ之に答ふ………………二十一章
  |論戦第三回〔付○圏点〕
   エリパズ語る…………………二十二章
    ヨブ之に答ふ………………二十三、二十四章
   ビルダデ語る…………………二十五章
    ヨブ之に答ふ………………二十六−三十一章
   エリフの仲裁…………………三十二−三十七章
   ヱホバ対ヨブ…………………三十八−四十一章
   結末……………………………四十二章
 
○約百記は右の如き結構の上に成立つものである、三回の論戦の経過を見るにヨブは次第に其論陣を進め三友は次第に萎縮退嬰するの形がある、論戦すゝむに従つてヨブの語が次第に長くなる傾きあるに反して三友の語は次第に短くなり、第三回戦の最後に現はるべきゾパルは遂に姿を見せないのである、此時青年エリフ両者の態度に憤りを起して現はれて仲裁を試み、最後にヱホバ御自身ヨブを諭してヨブに平安臨み、そして結末となるので(435)ある。
〇今全巻四十二章を左表の如く分類することが出来る、之に依て見るにヨブの語りし所は併せて二十章に亘るも、三友の語は全部にて九章に過ぎず、之にエリフの語を加ふも尚ほ十五章を出でないのである、もし彼等節の数による分類表を作らば更に興味あることであらう。
 
  項目  章の数
 発端   2
 エリパズ 4
 ビルダデ 3
 ゾパル  2
 ヨブ   20
 エリフ  6
 ヱホバ  4
 結末   1
  総計  42
 
〇約百記の主部はヨブ対三友の論戦である、此論戦は十四章までに於て第一回を了へて十五章よりは第二回に入るのである、論戦の主題は簡単なれども人生の深き疑問に関す、即ち患難は凡て罪悪の結果なるか如何、義しき者に患難の下る理由如何の問題である、三友は患難災禍を以て罪悪の結果とのみ見る時代思想の中に呼吸せる人、故にヨブに続々として臨みし禍は彼の罪悪を証明するものと堅く思ひて動かなかつた、されば彼等は先づ間接に此事を暗示してヨブをして其理由を認めて悔改めしめんとしたのである、ヨブ一度其罪を自認して告白せば災禍は忽ち彼を去つて倍旧の物的恩恵かれを見舞ふならんと彼等は考へたのである、誠に彼等は時代思想の子であつたのである、故に第一回戦に於ては彼等は成るべく穏かなる語を以てヨブを責め、彼等に責めらるゝヨブは却て(436)真理の閃光を浴びつゝ徐々として光明の域に向つて進むのである、さり乍ら一方彼はまた友等に対しては頗る頑強の態度を持し自己の無罪を主張して敢て降らず、却て無罪なる彼を虐ぐる神を惨酷無慈悲なりと呼号するのである、茲に於て三友は彼を頑冥不霊となして憤りを発し、此度は陣容を改めて間接射撃を罷めて直接射撃に入つたのである、これ即ち第二回戦である。
〇そして第二回戦の火蓋を真先に切つたものは例に依つて長老のエリパズである、この十五章を前の彼の語即ち四、五章と比較するとき其語勢、その態度に大なる相違あることが認められる、間接より直接に、静穏より峻酷へと彼は変つたのである。
〇一節−十一節はヨブを驕慢者となして直接に向けたる批難の矢である、けだし第一回論戦に於けるヨブの最後の答には彼が己を以て三友に優れりとなす自信が漲つてゐる、「我は汝等の下に立たず、誰か汝等の言ひし如き事を知らざらんや」と云ひ、又「汝等が知るところは我も之を知る、我は汝等に劣らず」と主張し、そして「汝等は皆無用の医師《くすし》なり、願くは汝等全く黙せよ、然するは汝等の智慧なるべし」と嘲る、ヨブの之等の言に彼等はその誇を傷けられ、そしてエリパズはその返報としてヨブを責めるのである、先づヨブを以て智者にあらずと断じたるのち、「まことに汝は神を畏るゝ事を棄て其前に祈ることを止む」とて彼を不信者となして責め、次に「汝の罪汝の口を教ふ……汝の口みづから汝の罪を定む、我にはあらず汝の唇汝の悪きを証す」と云ひてヨブの罪を肯定してゐる。
〇七節−十一節は自らを智しと做すヨブの誇を挫かん為の語である、「汝あに最初に生れたる人ならんや、山よりも前に出来しならんや云々」とあるは、神の世界創造に当つて其相談相手たりし天使ならんやとの意を伝ふる語(437)である、ヱホバ神まづ天使を造り彼を相談相手として天地万有を造れりとは、いつとはなしに古代人間に起りし伝説であつたのである、「我等の中には白髪の人及び老いたる人ありて汝の父よりも年高し」とあるは老齢の権威を以て年少者に臨むものである、これ年長者の智慧は年少者に優るとの先有観念の生みし語である、併し乍らエリパズの此態度は心霊問題に関しては全然不合理なる態度である、心霊のことに於ては人は一人々々独立である、神と彼と二者相対の上に心霊問題は生起する、年齢の権威も地位の権威も此間に圧迫の力を揮ふことは許されない、老人なるが故に其智壮者に勝つと云ひ監督《ビシヨプ》なるが故に其信仰平信徒に優ると云ふが如きは、而して斯くの如く言ふて己を立て他を倒さんとするが如きは過《あやま》れるの甚しきものである、許しがたき背理である。
〇次の十二節−十六節は「人は如何なる者ぞ、如何にして潔からん、女の産みし者は如何なる者ぞ、如何にして義しからん」との意味を述べて、みづからを義しとするヨブの反省を促した語である、十節は「罪を取ること水を飲むが如くする憎むべき穢れたる人」なる語を以て人間其者の性質を説明してゐる、渇く者はおのづから水を取る、これ其本然の必要に促されてゞある、その如く人が罪を取るは其本性上然る所であつて人は到底罪人たる境涯より脱し得ぬと、これ此語の暗示する所である。
〇十七節よりエリパズの論歩は一転する、先づ言ふ「我れ汝に語る所あらん、聴けよ我れ見たる所を述べん、是れ即ち智者|等《たち》が父祖より受けて隠す所なく伝へ来りしものなり、彼等にのみ此地は授けられて外国人《とつくにびと》は彼等の中に往来せしことなかりき」と、これ祖先伝来のまゝにて何等外国の影響を受けざる雑りなき鈍の純なる教を説かんとの意である、恰も我日本に於て日本古来の道にして何等外来思想を混へざるものと称せらるゝものが一部の人々に此上なく(何等格別の理由なくして)尊信せられ居る如く、エリパズは祖先の教の其儘に伝へ来りしものを、(438)唯雑りなき祖先の教であると云ふだけの理由の下に神聖視して、茲に説き出さんとするのである。
〇然るに斯の如き前振《まへぶれ》を以て勿体らしく説き出されし真理なるものは何等貴きものでないのである、説く所は二十節より三十五節に亘れども要するに是れ悪人必衰必滅てふ陳腐なる教義の主張に過ぎぬのである、「悪き人は其生ける日の間つねに悶え苦しむ……其耳には常に怖ろしき音きこえ平安の時にも滅ぼす者これに臨む……彼は富まず、その貨物《たから》は永く保たず、その所有物は地に蔓延《ひろが》らず……邪曲なる者の宗族《やから》は零落《おちぶ》れ、賄賂の家は火に焚けん」と云ふ、即ち悪人は苦悶を以て一生を終へ困窮失敗の中に世を去り其家族も亦零落すと云ふのである、同時に此語は苦悶困窮失敗零落は凡て罪悪の結果であるとの意味を含んで居るのである。〇エリバズの此所説は果して人生の事実に合つて居るであらうか、否! と我等は叫ばねばならない、罪悪の巷に物慾の毒酒を汲む人決して悉く苦悶、失敗の果を苅り取らない、悪は必しも困窮零落の母ではない、神を嘲る悪人にして成功又成功の一路を昇る者は決して少なくない、神を畏れず人を敬はざる不逞の徒にして何等の恐怖煩悶なくして一生を終る者は寧ろ甚だ多い、|罪を犯し悪の莚に坐して平然たるが即ち悪人の悪人たる所以である〔付△圏点〕、悪人の特徴は煩悶恐怖を感ぜざる所に在る、ジヨン・バンヤンの作たる The Life and Deatb of Mr.Badman(悪人氏の生死)は或意味に於て『天路歴程』以上の傑作であると思はれるが英人自身はあまり此書を貴まないのである、これ此書の価値が彼等に解らぬからである、此書の主人公たる悪人は神を信ぜず道に背く悪人にして而も事業は成功し、身は栄達し、子女悉く良縁を得、艱難痛苦等に少しも襲はれず、何等の苦痛なく恐怖なくして大満悦を以て此世を送る、然るに読者は彼れ恐らくは死に臨んで大煩悶に陥るならんと予期しつゝ読み進むに、其死また甚だ平安にして彼は安らかなる大往生を遂げるのである、彼の生に死に苦悶又は恐怖又は患難又は失敗の(439)陰影すらない、そして是れ実に本当の悪人の特徴である、真の悪人の生死は実に斯くの如くである、バンヤンは人生の事実に深く徹せし人なる故かくの如き真正なる観察をなし得たのである。
〇之に反して十八世紀の大文豪にて信仰の人たりしドクトル・ジヨンソンは死の床に大なる苦悶を味ひしと云ふ、これ或は地獄に落ちざるかとの憂慮に悶えたのであつて、此種の苦悶は却て其人の心の醇真と信仰の霊活を語るものである、恐怖苦悶は其人の心霊的に目ざめたるを示すものである、神を知らざる時我等に真の恐怖なく痛烈なる煩悶はない、怖るゝ事、悶ゆる事それは神に捉へられた証拠である、そして救拯と光明へ向ての中道の峠である、悪人は却て恐怖を味はず善人は却て之を味ふのである、虚人は却て苦悶を知らず真人は却て之を味ふのである、然るに浅薄なるエリパズは伝統的教義の純正を誇りて之を盲目的に抱くのみにて、活ける人生を視る深みと真心とを欠いてゐる、これ我等の大に考ふべき事である、又人を慰めんとするに当つて充分に注意せねばならぬ事である、我等はくれ/”\もエリバズ等三人の心を学んではならない。       ――――――――――
 
     第十二講 ヨブ答ふ(上) 終に仲保者を見る 約百記第十六章の研究(九月十九日)
 
〇約百記研究に先ちて一の所感を述べ度い、路加伝十七章二十節以下に神の国に関するイエスの教がある、パリサイ人の問に対しては主は「神の国は顕れて来るものにあらず、此に見よ彼に見よと人の言ふべきものにあらず、それ神の国は汝等の衷にあり」と答へた、これ此世の不信者に対するイエスの答として初めて其真意が解るのである、之を再臨反対のために用ふる如きは背理の甚しきものである、世の人は宗教を社会運動として見る、「神の(440)国は何れの時来るか」とのパリサイ人の質問は即ち宗教を外部的顕勢と見ての問である、彼等は外部的に勢威を張るものに非ずしては之を宗教として認めないのである、之に対してイエスは神の国は顕れて来るものにあらずと答へたのである、神の福音は人の注意を惹く為の行列を作つて来るものではない、其勢力を誇示するための外部的運動として現はるべきものでない、然るに世の俗人のみに止まらず基督教徒と称する者の中にさへ福音を外部的に考へ、此世の権勢や財力の前に拝跪して其援助の下に大運動を為すを以て得意とするものがある、これ昔もあり今もある大迷誤である、神の国は此処彼処に見ゆべきものに非ず人の内心に深く存するものであると主は答へて、まづ福音の非社会的性質、外部的無勢力を教示したのである。
〇然るに二十二節以下の弟子に教ふる聖語を見るに、最後の日に於ける神の国の外的顕栄が少しも疑ふ余地なく明確に予示されてゐる、電光《いなづま》の天の彼方より閃き天の此方に光るが如く最後の日は突如として来る、これ行列的示威運動の類ではない、神みづから行ひ給ふ天地宇宙の変動、改造、完成である、人の子はその絶大なる権能を以て来り彼の敵は悉く滅びて神の国は其充溢せる栄光を以て万ての眼の前に顕はれるのである、この時のみが神の国の外部的顕栄である、然し乍ら其時至る前に当つて「人の子必ず先づ多くの苦を受け又此世の人に棄てられ」るのである、そして彼の弟子も亦然るのである、最後の顕栄の日まではイエスと彼を信ずる者とは世の嘲笑、誤解、迫害の中に住みて、心の中に神の国を抱くも外部的勢力として現はれぬため無力微弱賤劣なる者として蔑視されるのである、世より斯く見らるゝ者が真の基督者なのである、神の国は勢力誇示ではない、外部的運動ではない、先づ我衷に細き神の声を聞き、我魂天なる父と静かにして深き交通に入りしもの、此者が真のキリストの弟子である、他は俗人にして信者の衣を纏へるものである、今や福音が社会的運動として見られんとする(441)時我等は特に此一事を深く思はねばならない。
〇之より約百記第十六章の大意を語らう、第十五章の二回戦開始に於てエリパズは先づヨブを罪人として責め、次に罪悪の結果として必ず恐怖煩悶患苦零落の臨むべきを説いた、之に対してヨブは先づ一節――五節に於て友の忠言の無価値なることを主張するのである、「斯る事は我れ多く聞けり」は汝等の反覆語に倦きたとの意である、「汝等は皆人を慰めんとて却て人を煩はすものなり」は原語を直訳すれば「汝等は人を苦しむる慰者《なぐさめて》なり」となる、慰者とは名のみで実は人を苦め煩はす者であるとの意、強き嘲りの語である、次に「もし汝等の身わが身と処を換へなば……口をもて汝等を強くし、唇の慰藉をもて汝等の憂愁《うれへ》を解くことを得るなり」とあるは我と汝等と位置を代へなば我は立派に汝等を慰め得んと云ふのでもある、其半面に三友の慰藉が徒らに安価なる口と唇の慰めに過ぎぬことを暗に嘲つたのである。
〇抑も「慰め」とは何を指すか、『言海』を見るに邦語の「むぐさめ」は|なぐ〔付ごま圏点〕より出た語であつて(風が|なぐ〔付ごま圏点〕」(凪)の類)「物思ひを晴らして暫し楽む」を意味すると云ふ、他の事に紛らして暫し鬱を忘れると云ふのが東洋思想の「慰め」である、されば東洋人は或は風月に親み或は詩歌管絃の楽みに従ひて人生の憂苦を其時だけ忘れるを以て「慰め」と思つてゐる、従て尚ほ低級なる「慰め」の道も起り得るのである、|正面より人生の痛苦と相対して堂々の戦をなさんとせず、之を逃避して他の娯楽を以て我が鬱を慰めると言ふのは洵に浅い、弱い、退嬰的な態度である〔付△圏点〕、聖書的の「慰め」は決して此種のものではないのである。
〇英語に於て「慰め」を Comfort と云ふ、勿論|慰め〔付ごま圏点〕と訳しては甚だ不充分である、fort は「力」の意である故 Comfort は「力を共にする、力を分つ」を意味するのである、抑も人が苦悩するのは患難災禍に当りて力が足ら(442)ざるためである、其時他より力を供することが即ち Comfort である、故に真の力を供するのが真の Comfort である、然らざるものは Comfort ではない、殊に天父より、主イエスより此力を供せられるのが基数的の「慰め」である、かくの如き力を供給する慰めが真の慰めである、ヨブの三友の慰めの如きは寧ろ力を奪ふ慰めであつたのである。
。六節−十七節に於てヨブは復た神に対して恨みの語を述べてゐる、或は神を「彼」と呼びて「彼れ怒りて我を掻裂き且窘しめ、我に向ひて歯を噛鳴らし我敵となり目を鋭《と》くして我を看る……彼は我を打敗りて破壊《やぶれ》に破壊を加へ、勇士《ますらを》のごとく我に奔《は》せかゝり給ふ」と恨み、或は神を「汝」と呼びて「汝わが宗族《やから》をことごとく荒せり、汝我れをして皺《しわよ》らしめたり」と怨じて居る、其語法の不統一は却て情感の熾烈を語るものである、実に六節−十七節の全体にわたる神に対する怨恨は其語調と其感情と共に激越痛烈を極めてゐる、而してヨブはその最後に於て「然れども我手には不義あるなく我祈祷は清し」と主張して依然として己の無罪を高調し、此の罪なき彼を撃つ神の杖の無情を怨んでゐる。
○此怨語を聴きゐたる三友はヨブを以て神を謗る不信の徒となしたのである、そして凡て斯る語を傍より冷かに批評する者は彼等と判断《おもひ》を同じうする外はない、併しながら事実は彼等の思ひと異なる、神に対して怨の語を放つは勿論その人の魂の健全を語ることではない、併し|是れ冷かなる批評家よりも却て神に近きを示すものである〔付○圏点〕、かく神を怨みて已まざるは神を忘れ得ず又神に背き得ざる魂の呻きであつて、やがて光明境に到るべき産《うみ》の苦みである、神を離れし者又は神に背ける者は神を忘れ去る者であつて神を怨み得ないのである、神に対する怨言は絶望懊悩の極にある心霊の乱奏曲である、斯の如き悲痛を経過して魂は熱火に鍛はれて次第に神とその真理に近(443)づくのである、これ心霊実験上の事実である、この実験なき浅薄者流は之を解し得ずしてエリパズ等の過誤を繰返すのである。
〇十七節までに於てヨブは三友を嘲り神を怨んだ、今や三友人は彼の友でなく神も亦彼の友ではない、茲に於て彼は訴ふるに処なくして遂に大地に向つて訴ふるに至つた、これ十八節である、「地よ我血を掩ふ勿れ、我|号叫《さけび》は休む処を得ざれ」と云ふ、彼今や無実の罪を着せられて不当の死に会はんとしてゐる、彼の無辜なる血は地に流れんとしてゐる、彼の死後に於て彼の血は彼の不当の死を証明するであらう、故に地に向つて血を蔽ふことなく何時までも之を地に止めて其の血の号叫をして永久に終熄すること無からしめんことを求めたのである、「汝の弟の|血〔付○圏点〕の声地より我に|叫べり〔付○圏点〕」と兄を殺したるカインにヱホバは言ふた(創世記四の十)、ヨブは死の近きを知り且その不当の死なることを一人も知るものなきを悲みて、我血をして我無罪を証明せしめんとて地に後事を托して、綿々たる怨を抱いて世を去らんとするのである、これ絶望の悲声であつて理性の叫ではない、然し乍ら人の心は何か訴ふる所を要求するのである、人は何かに我の証人となつて貰ひ度いのである、溺るゝ者は藁にも縋ると云ふ、人は神にも友にも棄てられしと感ぜし時は大地に向つて訴へ、我血に向つて我の証人たれと願ふのである。
〇然るに十九節に至つてはヨブは一転して我証人の天に在ることを認めてゐる、「視よ今にても我証となる者天にあり、わが真実を表明《あらは》す者高き処にあり」と云ふ、今まで神を怨みながら茲には我証人即ち我の無罪を知るもの天にありと云ふ、其処に明かなる矛盾がある、併し心霊の実験としては却て此事は真である、恰も航海者が海上暴風雨に会して船は難破し身は将に溺れんとして「海よ我を記せよ」と叫びて絶望の悲声を発するかと思へば、(444)忽ち暗雲風に開けて雲間に星辰の燦《きらめ》くを見て其処に微かなる希望を起すが如き状態である、悲壮の叫びである、痛烈なる要求である、微かなる併し打ち消し難き希望である。
〇二十節に言ふ「わが友は我を嘲る、されども我目は神に向ひて涙を注ぐ」と、友には理不尽なる嘲笑を浴びせられて其誤解を解くの道なし、茲に於て神に向ひてたゞ目の涙を注ぐのみと、哀切の極である、無限の感情が此一語の中に籠つてゐる、言ひ知れぬ深刻、たとひ難き崇高が此一節に於て感ぜられる、他の文籍に類例なき偉大なる語である。
〇彼を誤解し彼を難詰し彼を侮蔑する友を全く忘れ得ぬは何故であるか、「我友は我を嘲る」と云ひて友の嘲笑を何時までも気に掛け居るは如何、そは友の誤解嘲笑は彼にとりて浅からぬ手傷であるからである、恰も針を以て心臓を刺されし如く彼の心は之がために激痛を起したのである、故に忘れんとして忘れ得ないのである、併しながら友に棄てられて全く己一人となりし時、茫々たる宇宙間たゞ神と我のみあるの実感に入りて初めて神と真の関係に入り得るのである、而して後また友誼を恢復して之を潔め得るのである。
〇二十一節は「願くは|彼れ〔付○圏点〕人のために神と論弁し、人の子のために之が友と論弁せんことを」と言ふ(人の子とあるも人と同じである)、神には撃たれ友には誤解せらる、自ら自己の為に弁明するも些の効なく、神の我を苦むる手は弛まず友の矢は益す頻《しげ》く来り注ぐ、茲に於てかヨブは己のために神と論弁し又友と論弁して彼の無罪の証を立つる一種の証人を要求するのである、「彼れ」とは即ち此者を指したのである、実に人は自身神に訴へ自ら友と争ふも力足らず我に代りて此事をなす証者《あかしびと》を切に求めるのである、これ難局に処しての人間自然の要求である、人は己の無力を覚るとき強くして能ある我の代弁者を求めざるを得ないのである、|この証者は弱き人類の一員で(445)あつてはならぬ、同じく弱き人にては此事に当ることは出来ない、故に人以上の者でなくてはならない、故に神の如き者でなくてはならない、しかし神自身であつてはならぬ、人の如き者にして我等の弱きを思ひやり得る者でなくてはならぬ〔付○圏点〕、|神にして神ならざる者、人にして人ならざる者、これ即ち神の独子たるものである〔付◎圏点〕、|他の者ではない〔付○圏点〕。
〇ヨブの証者要求は即ちキリスト出現の予表である、魂の深度に於てヨブは神の独子を暗中に求めて、人心本来の切願を発表したのである、げに独子を求むるは人心おのづからの叫である、而してこの要求はナザレのイエスを独子として信受して初て満たさるゝのである。 〔以上、10・10〕
 
     第十三講 ヨブ答ふ(下) 遂に仲保者を見る 約百記第十七章の研究(九月廿六日)
 
〇約百記第十七章の研究をなす前に於て以賽亜書四十六章について一言所感を述べ度い、先づ一節、二節には左の如く記してある。
  ベルは伏しネボは屈む、彼等の像は獣《けもの》と家畜《けだもの》との上に在り、汝らが擡げあるきしものは疲れ衰へたる獣の負ふ所となりぬ、彼等は屈み彼等は共に臥し、その荷となれる者を救ふこと能はずして己れ捕はれゆく。
 ベルとネボとは共にバビロニヤの偶像である、今やバビロニヤは富国強兵を以て誇り其偶像も皆勢威隆々たるの感がある、さり乍ら一度東方の強ペルシヤの来り犯すあらば如何、其時は今まで万民を伏さしめ屈ましめたる偶像は忽ち伏し屈む外はない、民は獣と家畜とをして之を背に載せて担ひ行かしむるであらう、今まで民はその偶像を擡げ歩いて年毎の祭をなした、然るに今は之を疲れたる獣に負はせて落ちゆく有様である、そして民は遂(446)に疲れ倒れて其荷物とせし偶像を救ふ能はずして之と共に敵人の手に捕はるゝに至るのである、偶像は木石である、祭の時は之を担ぎて騒ぎまはり、敗戦に会しては獣の背に乗せて共に逃れんとするも遂に疲れて共に敵人の手中に帰するに至るものである。
〇之に対してヱホバの神は如何、彼は預言者の口を通して其民に告げて言ふ。  ヤコブの家よ、イスラエルの家の遺れる者よ、腹を出でしより我に負はれ胎を出でしより我に擡げられし者よ、皆われに聴くべし、汝等の年老ゆるまで我は変らず、白髪《しらは》となるまで我れ汝等を負はん、我れ造りたれ
ば擡ぐべし、我れ亦負ひ且救はん。(三、四)
 |偶像は人の担ふもの〔付○圏点〕、|神は人を担ふものである〔付◎○圏点〕、偶像信者はその偶像を担ぎて行列をなし以て其宗教の勢力誇示をせんとする、彼等はみづから其神を担ひて一種の示威運動をなすのである、そして基督教徒までが神を担ぎまはり其勢威を誇示して以て福音宣播に忠なりと思ひ易いのである、|種々の手段方法に依り福音の力を外部的に現はして、神の国を拡張せんとする普通の伝道法の如きは実はこの異教的精神の産物である〔付△圏点〕、しかし事実は我等が神を支へるのではなくして我等が神に支へられるのである、我等が神に負はれ神に擡げられ神に救はれるのである。
〇世には飽くまで自力に立ちて神を担ふ人が甚だ多い、自力に依る信仰的修養、自力に依る神国拡張――これ等は無効に終るのみならず遂には過労心痛のため自身の疲憊廃滅を惹き起すものである、しかし真の信仰はたゞ神に抱かれ、育てられ、恵まれ、護られ、救はるゝ信仰でなくてはならぬ、そして自力によらず神に力を与へられて力に充つる信者とならねばならぬ、神より力を与へらるればこそ、白髪となるまでも彼に負はるればこそ、中(447)途の挫折なく益す力より力に進むのである、古来偉大なる伝道者、偉大なる基督信者は皆この秘義を自得したものであつた、我等は偶像教徒の如く神を担はんとせずして、神に担はれんとすべきである。
〇さて約百記十七章を見るにそれが十六章の継続なることは明かである、殊に十六章の十八節より十七章九節までは一の思想を伝へてゐるのである、十六章二十二節は「数年過ぎ去らば我は還らぬ旅路に往くべし」と言ふた、そして十七章一節は言ふ「わが息は已に腐り、我日すでに尽きなんとし、墓われを待つ」と、彼は斯かる悲境にありて十六章末尾の如く地に向つて訴へ又天の証者に向つて訴へた、そして茲に十七章三節に於て「願くは質《ものしろ》を賜ふて汝みづから我の保証《うけあひ》となり給へ、誰か他《ほか》に我手を拍つ者あらんや」と呼ぶのである、これ深く注意すべき一節である。
〇哥林多後書五章は先づ終の日に於ける信徒の栄化(永生賦与)を述べ次に五節に於て「それ此事に応ふ者と我等を為し給ふ者は神なり、彼れ聖霊《みたま》を其|質《かた》として我等に賜へり」と云ふ、質とは|手附金、見本〔付ごま圏点〕の意である、後に賜ふ栄化の契約の印として今聖霊を賜はるのである、我等は之を賜はりて契約の確立を信じ得又後に賜はる者の見本を接受するのである、されば「質」とは後に実行さるべき事を今確く約する所の確証である、十七章三節のヨブの願は彼の死後に於て神が彼の無罪を証明する約束の確証を今賜はらんことを願ふのである、彼は今や罪の故ならずして死せんとしてゐる、友はそれを罪の故と断定して彼を貴めてゐる、併し神は彼の無罪を知り給ふ、然り神のみが彼の無罪を知り給ふ、我亡きのち我の無罪を証し給ふものは神である、これヨブの暗中に望み見た燈火である、故に彼は神のこの証の確証を今与へ給はんことを願ふのである、神が彼の死後必ず彼の無罪を証明するとの約束の印(商業上の契約ならば手附金)を今神より得たしと望んだのである。
(448)○ヨブは神が罪なき彼を苦めつゝある事を認めて之を怨じながら今また同一の神に無罪の証明を求めてゐる、其処に明かに思想上の矛盾がある、由来仲保といふ観念は思想上の矛盾の上に成立する観念である、神は罪を悪む神なるが故に人が罪を犯した場合には人を責めなければならぬ、彼は人を罰して霊界の秩序を維持せねばならない、彼は已むを得ずして――実に已むを得ずして人の敵となるのである、此時人の側よりして仲保者を要求する心は当然起らざるを得ない、「人のために神と論弁」する者即ち弁護者を要求せざるを得ない、而してかゝる仲保者はたゞの人にては力足らず|神自身でなくてはならぬ〔付○圏点〕のである、同一の神が我を責め且我ために弁護す、同一の神が我を苦めそして我のために証すると、その明白なる矛盾あるにも係らず人は神に向つて我ための証明《あかし》、論弁、仲保を望むのである、神以外の者に向つては到底起らない二つの相反せる望を神に向つては起すのである、茲に明なる矛盾があると共に又茲に霊界の秘義がある、又人心の機微がある、そして此矛盾せる、然れども牢乎として抜き難き要求はキリストの出現に依て完全に充たさるゝに至つたのである、それ迄は暗中の光明探索である。
〇回教の経典たる『コーラン』に曰ふ「神と争ふ時の最後の逃げ場所は神御自身なり」と、|まことに人は神と争ひて苦むとき其我を苦しむる神の所へ往くほかに逃げ場所はないのである〔付○圏点〕、イエスを称して最大の無神論者と云ふ人がある、そは彼が此世に於て遺したる最後の語が感謝をも平安をも伝へずして「我神我神何ぞ我を棄て給ふや」と彼の大失望を語つてゐるからである、しかし此哀切なる悲声が彼の魂の咽喉を絞りて出でたるがために多くの患難悲痛にある人々が彼によつて救はるゝのである、失望痛苦懊悩にありて神を疑ひて離れんとする人がイエスの此大悲声に接して、この深刻なる内的経験に於て彼と己と霊犀相通ずるを知り、彼に頼りて神を見出し神に還るに至るのである、かくして「最大の無神論者」が我等を真実の――空理に依らぬ実験上の――有神論者と(449)するのである、そは「最大の無神論者」は実は最大の有神論者であるからである。
〇五節は言ふ「友を交付《わた》して掠奪《かすめ》に遭はしむる者は其|子等《こども》の目潰るべし」と、ヨブが三友人に向つて、余を苦しむる汝等はその子等の眼潰るるの報《むくい》に会ふべしと告げたと云ふのである、併し此節については説が多い、ヨブは今まで可成り激しく友に責められ自分も相当に逆襲する所あつたが、未だ曾てかゝる呪咀に類するやうな語を発しなかつた、彼が今に至つて此種の語を発するは彼のために惜むべき至りである、否彼が斯かる語を発したと云ふのは甚だ疑はしきことである、故に之を改めて「汝等は友を敵に交付して掠奪に逢はしむ而して彼等(友)の子等は目潰るべし」と訳する学者がある、然る時は汝等は友を苦め其子供をして目潰れるほどの災に陥らしむとの意となるのである、六章二十七節の筆法と照り合せるとき此見方の方が正しいやうに思はれる、我等はヨブが悪を以て悪に酬いたと見たくはない、万一然りとせば我等はそれを学ばぬやうに力めねばならぬ。
〇次に注意すべきは第九節である、「さりながら義しき者は其道を堅く保ち、手の潔浄《いさぎよ》きものは益す力を得るなり」とある、之を英語改訂聖書に於て
   Yet shall the righteous hold on his way
   And he that hath clean hands shall wax stronger and stronnger.
と読む時その偉大なる言たるを知るのである、この一節が失望の語と失望の語の間に挿まれあるため之をヨブの言と見ずして、次章のビルダデの語の誤入と見る学者がある、しかし前後関係なくして突如として現はれ又突如として隠れたる事が却て此語の純正を証するものである、ヨブは大苦難の真只中にありて前後左右を暗黒に囲まれつゝ一縷この光明を抱いたのである、以て此語の偉大さを知るのである、これ人生の根柢に於ける彼の確信の(450)発表である、罪のためならずして大災禍に逢へる彼がその大災禍の中にありて正と義の勝利を確信したのである、ヨブの偉大よ! また約百記々者の偉大よ!
〇我等は如何なる場合に処しても此信念を失つてはならない、凡てを失つても此信念を失つてはならぬ、「義しき事のために責めらるゝ者は幸なり」と主は教へ給ふた、迫害屈辱に逢ふも正義公道に立てりとの確信あらば我の勝利は確実である、今や北米合衆国は有色人種を窘めて明かに国祖清教徒の自由平等の大信条に背いてゐる、彼等はその優秀なる軍備を以て他国を屈服せしめ得るかも知れぬ、併しながら彼等は明白に神の真理に背いて果して安きを得るであらうか、彼等に向つて約百記の此語を提示するとき恐らく彼等は耻羞に顔を蔽ふであらう、明白なる非理を立て通して勝つも実はこれ敗るゝ事である、又彼等に窘めらるゝ者と雖も自身正に立ち義に歩めるの確信だにあらば負けるは即ち勝つであつて少しも恐るゝ処ないのである、神は最後まで義の味方であつて悪の敵である、われらの求むべきは義に歩むの生涯である、自身神の道に立ち正義公道の命ずる処に歩むの覚悟あらば我等は即ち大盤石の上に立つて安らかなのである。
〇碩学老デリッチは此一節を評して「暗黒中に打ちあげられし狼煙《のろし》の如し」と云ふた、光明は暗黒を破つて一度輝きしも復た忽ち消えて再び暗黒となつた、十節以後の痛切深刻なる悲哀の発表を見よ、その辞惻々読む者の心をうたねば已まぬのである、人の弱さとして是れ実に已むを得ないのである、さはれ失望中に一閃の希望ありて約百記が失望の書にあらず希望の書たることを知るのである、|一閃また一閃、遂に暗黒悉く去つて光明全視界を蔽ふ処まで至るが約百記の経過である〔付○圏点〕。
〇暗中に一閃の狼煙ひらめき又忽ちもとの暗黒となる、これ人の魂の真の実験である、人間心霊の歴史として約(451)百記の優秀は茲に在る、人の霊魂の産《うみ》の劬労《くるしみ》は実にこれである、かゝる道程を経て進歩するのである、されば約百記の実験記たるは益す明かである、第二回論戦に入りてはヨブの失望は第一回論戦の時よりも一層深くなつたやうに思える、併し其間に光明の閃燿次第に著しくして徐々として進展の階段を攀づるのである、独りヨプに限らず凡て心霊の悩みは之であつて同一の経過を経て遂に救に入るのである。
       ――――――――――
 
     第十四講 ビルダデ再び語る 約百記第十八章の研究(十月三日)
 
〇第二回論戦はエリパズに依て開始せられ、それに対してヨブは十六章と十七章を以て報いた、されば此度はビルダデの語るべき場合となつたのである、彼は却々《なか/\》の学者である、頭脳明晰にして組織だつた宇宙観、人生観を有せる人である、故に彼の言ふ所は常に理性的にして其論理は整然たるものである、彼の如き明晰にして鋭敏なる頭脳の所有者には、ヨブの返答中に前後矛盾の点甚だ多きことがすぐ分るのである、故に彼はヨブの返答中その所言を打ち破らんと頻りに頭脳を働かせ居りて、いよ/\ヨブ口を閉づるや猛然としてヨブの弱点を衝いて肉迫したのである、その論法の整然たる、その用語の簡潔にして有力なる、さすがのヨブも彼の攻撃に逢ひては大にたぢろいたのである。
〇そしてビルダデの如き論理の一面を以てのみ物を見る人にヨブの前章の言が愚劣と見えたのも誠に已むを得ないのである、実際ヨブの返答は論理の上に於ては不可解の極である、神に訴ふるための弁護者として神を見、神を怨みつゝ其神に対する仲保者を神に於て求めんとするのである、神を敵とし又味方とし、神を罵り又神に憐み(452)を乞ふ、これ理性と論理に於ては迷妄の極である、しかし乍らその迷妄の中に心霊の切なる要求が潜んでゐる、その愚劣の中に魂の哀切なる呻きが聞える、その矛盾の中に霊的光明は見えつ隠れつするのである、しかし乍ら心浅き三友には此事は解らない、殊にビルダデにはヨブの論理的欠陥のみが見えるのである。
〇二節より四節まではヨブに対するビルダデの正面攻撃である、ヨブの嘲りの言が彼を怒らしたのである、四節に曰ふ「汝怒りて身を裂く者よ、汝のためとて地あに棄てられんや、磐あに其処より移されんや」と、如何に怒を以て激語を放つとも其ために地は棄てられず磐は移らない、神を挑むが如き大なる言を発するも汝の言を以て地を破壊し磐を移らしむる事は出来ないと云ふのである、即ち無益なる空言を慎めとの意である、ビルダデの此ヨブ攻撃は、殊に第四節の如きは罵詈の語としては簡潔雄勁にして正に独創的の警句と云ふべきである、されど余はヨブに代つて答へん、一の信仰が能く世界を動かすことあり、神よりの力われに臨めば我に為し得ざること一もなし、ビルダデよ汝の言は過れりと。
〇五節以下「悪人」を主題として整然たる論理の下に簡潔明快なる語を行《や》る、まさにビルダデが得意の壇場である、五節より十二節までは悪人滅亡の次第を順序正しく描きたるものである、先づ「悪き者の光は消され、其火の焔は照らじ、その天幕の内なる光は暗くなり、そが上の燈火《ともしび》は消さるべし」と曰ふ、悪人が零落の第一歩を踏む時は其家の中より何となく光が消えて家が暗くなるやうに感ぜられるものである、次には「またその強き歩履《あゆみ》は狭まり、その計るところは自分《みづから》を陥しいる、即ち其足に逐はれて網に到り、又|陥※[こざと+井]《おろしあな》の上を歩むに索《なは》その踵《くびす》に纏《まつは》り罟これを執ふ」とある、今まで胸を張つて堂々と歩みし者が胸を狭くし下を俯して悄然として歩むやうになる、そして自己の計画が自己を滅ぼす結果となりて自分の張つた網に自分が捕へらるゝやうになる、悪人の失敗は人(453)の計画に破らるゝに非ず自身の計画を以て自身を滅すのである、次には「怖ろしき事四方に於て彼を懼れしめ、その足に従ひて彼を追ふ」そして「その力は饑え、其傍には災禍そなはり……」と以下二十一節までつゞく、かくして悪人衰退滅亡の状態は簡勁に、順序正しく描き出されたのである、誠にビルダデ独特の筆法である。
〇十三節に「その膚《はだへ》の肢《えだ》は蝕壊《くひやぶ》らる、即ち死の初子《うひご》これが肢を蝕壊るなり」とあるを見れば、この悪人必滅の主張が明かにヨブを指したものであること確実である、「死の初子」とは死の生みし者の中最も力あるものゝ意にて癩病を指したものであらう、十四節には「やがて彼はその恃める天幕より曳離されて懼怖《おそれ》の王のもとに逐ひやられん」とある、家を失ひて流浪し遂には死するならんとの意である、「懼怖の王」は死を指したのである、其上「彼に属せざる者かれの天幕に住み……彼の跡は地に絶え彼の名は街衢《ちまた》に伝はらじ……彼はその民の中に子もなく孫もあらじ……之が日(審判を受けし日)を見るに於て後に来る者は駭《おどろ》き先に出でし者は怖ぢ恐れん」 これ実に悪しき者の最後である、かくビルダデは悪人の運命を断定的に描述して最後に確信の一語を加へて言ふた「必ず悪き人の住所は斯くの如く、神を知らざる者の所は斯の如くなるべし」と。
〇以上ビルダデの悪人必滅論はヨブの場合を指したものであること云ふ迄もない、ヨブが今難病に悩み、子女悉く失せ、死目前に迫り、其跡地より絶たれんとするの悲境にある時、悪しき者の受くる運命はその如しと説くは明かにヨブを「悪しき者」となしたのである、これ汝は正に此悪人なりと暗示したのであるが、その暗示は殆ど明示と云ふべき程のものである、ビルダデは実に残酷にも剣を以て悩めるヨブの心臓を突き指したのである。
〇人は能く「ヨブの苦み」と云ふ、そして産を失ひ妻子を失ひ難病に悩む類のことを意味する、併し是れ果して(454)「ヨブの苦み」であらうか、彼は凡ての災禍には堪へたのである、産を失ひ子女を失ひ身は業病の撃つところとなりても彼は之に堪へたのである、彼の苦みは他に在つたのである、神は故なくして彼を撃つた、神は彼を苦しめてゐる、彼の信ずる神は彼の敵として彼を攻めてゐる、ために彼の信仰は今や失せんとしてゐる、彼の最も信頼する者が彼の敵となつた、ために彼は此者を離れんとして居る、併し乍ら失せんとしてゐる信仰を思ひきつて棄てゝしまふに堪へない、離れんとしてゐる神を一思ひに離れてしまふ事は出来ない、失せんとするものを保たんとし離れんとする者を抑へんとす、茲にヨブの特殊の苦みがある、即ち暗中にありて強ひて信仰を維持せんとする苦みである、此事を知らずして約百記を解することは出来ない。
〇かくヨブは苦んでゐる、その孤独の苦みを察し得ずして友は頻りに彼を責めることに没頭してゐる、そして十八章のビルダデの言はヨブに対する可成り激しき攻撃である、或は病毒のために身体の腐蝕するを云ひ、或は死が近く臨むと云ひ、或はその跡悉く絶たるゝと云ふ、まことに毒を含める強き皮肉である、この語を聴き居る間のヨブの心中如何、友は敵と化して其鋭峻なる論理を武器として彼を責めたてる、友の放つ矢は彼の心臓に当つて彼の苦悩は弥増るのみである、この時ヨブの苦悩悲愁は絶頂に達したのである。
〇故にビルダデに答へしヨブの十九章の言はヨブの此心理を知りて後ち読むべきものである、此章に於てヨブは初めて友に向つて「我を憐め」との哀音を発するに至つたのである、今まで一歩も友に譲らざりしヨブも遂に我を悩ます内外の敵の鋭さに圧迫されて友に憐みを乞ふに至つたのである、彼の心事また実に同情すべきではないか。
       ――――――――――
 
(455)     第十五講 ヨブ終に贖主を認む 約百記第十九章の研究(十月十日)
 
〇論理整然たるビルダデの攻撃に会してヨブ答ふるに語なく、その悲寥は絶頂に達して遂に友の憐みを乞ふに至る、これ十九章一節−二十二節である、一節−六節に於ては友に対する不満を述べ、七節よりは悲痛極まる哀哭の語を発する、まづ神かれを撃ちしことを述べ、次には「我を知る人々は全く我に疎くなり」し有様を精細に描きて、知人、兄弟、親戚、友人、僕婢、妻さへも我を離れし現在の寂寥孤独を呻くが如く訴ふるが如く述べてゐる、彼はビルダデの辛辣なる攻撃に会して茫々たる天地の間に唯一人なる我の孤独を痛刻に感じたのであらう、されば彼は二十一、二節に於て言ふ「わが友よ汝等われを恤《あは》れめ、我を恤れめ、神の手われを撃てり、汝等何とて神の如くして我を責め我肉に※[厭/食]《あ》くことなきや」と、友の無情を怨じ又その燐みを乞ふのである、今までは友の攻撃を悉く撃退したる剛毅のヨブも遂に彼等の同情、憐愍、推察を乞ふに至る、その心情まことに同情に値するのである。
〇十九章を見るに二十二節と二十三節の間に何等の間隔もないが実は此間に一の|休止〔付○圏点〕(pause)を置いて読むべきものであらう、ヨブは二十二節までの語を発して友の同情を乞ひ茲に暫く発語《ことば」》を止めて三友人の顔を見まもつて居たことであらう、そして彼等が如何なる態度を以て彼の言に対するかを見てゐたのであらう、彼は心中ひそかに彼等の変化を予期してゐたのである、然るに三友の容貌は少しも和がないのみか却て傲然として彼を見下す其態度にヨブは彼等の心を斯く読んだであらう「汝遂に憐愍を乞ふに至つたか、さらば何故早く其謙遜を示さなかつたのか、汝早く謙遜を示せば我等他に言ふべき事があつたのである」と、実に三友はヨブの哀切なる懇求(456)に接しても依然としてヨブを圧する態度を取りて、庇護同情を少しも現はさうとはしなかつた、ヨブは三友の此心を知りて悲憤が胸中に渦まき立つを感じた、彼は此時此世にありて絶対の孤独境に入つたのである、併し乍ら物窮れば道おのづから通ずる、此時今まで友の顔を見つめつゝあつたヨブは急遽として眼を他に転ずることが出来た、そして遙か彼方を望み見るを得た、かくて二十三節以下の語が発せられたのである。
〇二十三、四節には三つの願が記されてゐる、第一は「望むらくは我|言《ことば》の書き留められんことを」である、第二は「望むらくは我言|書《ふみ》に記されんことを」である、第三は「望むらくは鉄《くろがね》の筆と鉛とをもて之を永く磐石《いは》に鐫《え》りつけ置かんことを」である、之は友の無情に失望して今の人の誰人にも訴ふるの無益を悟りて後世に知己を求めんとの心より出でし言である、先づ我言の書き留められんことを望み、次には書物に記されて遺らんことを望み、最後には其言が鑿を以て磐に刻まれて其中に鉛を流しこんで永久に遺らんことを望む、思想は順を逐ふて強まるのである、かくして彼が己の言を後世に遺すときは必ず彼の罪なきに受けし災禍を認めて彼の同情者、弁護者、証人となるものが出づるであらうとの期待を抱いたのである、(王の功績などを石に刻みて其永久に伝はらんことを期する風は古代東方諸国に於ては盛であつたと見え、今日時々この種の石が発見せられて歴史学及び考古学上の有益なる資料となる事がある)。
〇併し此願を発しつゝある時ヨブに又一の思想が起つた、よし磐に我言を刻して後世に遺すも後世の人も亦人である、現代の人と同様に、又彼の三友と同様に人である、然らば友を後世に求めんとするは焦土に樹木を求めんとする類であつて全く無効であると、かくヨブは心に思つた、ために失望が再び彼を襲はんとした、その時忽焉として二十五−二十七節の大思想が彼に光の如く臨んだ、後世に訴ふる要なし我の弁護者、我の証者、我の友は(457)|今天に在り〔付○圏点〕との新光明が今や此世に於て又人の中に於て道窮まりたる彼に臨んだのである。
〇二十五−二十七節は左の如くである。
  25われ知る我を贖ふ者は活く、後の日に彼れ必ず地の上に立たん、26わが此皮此身の朽ちはてん後われ肉を離れて神を見ん、27我れみづから彼を見奉らん、我目かれを見んに識らぬ者の如くならじ、我心これを望みて焦《こが》る。
 「我を贖ふ者」は我の弁護者(我を義なりと証して我の汚名を濺いでくれる者)の意である、この者が今活きてゐる事を我は知る――我は確信する――と云ふのである、彼は存在し居るのみならず|今活きて活動し居り〔付○圏点〕、我の味方たり我正義の保護者であると云ふのである、これ実に暗中より探り出したる強烈なる信仰の珠玉である、そして「後の日に彼れ必ず地の上に立たん」とは此弁護者が他日地上に出現するとの予感である、そして二十六節に於ては「わが此皮此身の朽ちはてん後われ肉を離れて神を見ん」とて死後に神を見んとの確信を発表し、二十七節には「我れみづから彼を見奉らん」と之を反覆強調し、次に「我目かれを見んに識らぬ者の如くならじ」と三度繰返して其確信を発表してゐる、最後の語は神を我友として認識せん(今日の如く敵として相対する如きことあらじ)との意味を言ひ表したのである。
〇この偉大なる語の最後に「我心これを望みて焦る」とあるに注意すべきである、我を贖ふ者は後日地上に現はれんと云ひ、死後われ神を見んと云ふ、実にこれ偉大なる希望である、彼は此の聖望心に起りて心の琴の高く鳴るを感じた、此語を発しつゝある時彼の心は九天の上にまで挙げらるゝを感じた、この大希望を以て熱火の如く彼の心は燃えた、彼の心は湧きたつた、大歓喜は彼の全心に漲つた、故に彼はこの心に燃える熟き望を言ひ表は(458)して「我心これを望みて焦る」と云ふたのである。
〇この語の中に注意すべき二三の思想がある、第一は|贖ふ者は神である〔付○圏点〕と云ふ思想である、二十五節と二十六節を併せ見れば此事は明瞭である、第二は此の贖ふ者が地上に現はると云ふ思想、第三は或時に於て人が神を見る眼を与へられて明かに神を直視し得るに至るとの思想である、第一はキリストの神性を示すもの、第二はキリストの再臨、第三は信者の復活及び復活後に神を見奉ることを示すのである、絶望の極この三思想心に起る時――否この三啓示心に臨むとき――絶望の人は一変して希望の人、歓喜の人となるのである。
〇近世の神学はその本文批評を武器として右の如き見方を破壊せんと頻りに努力する、本文を改訂して右の如き意味を除き去らんとするのである、しかし福音的信者は之を承認しないのである、救主の神性、その再臨、信者の復活をヨブの右の語に読みて過らないと思ふ、そして之を以て必しも新約的意味を強ひて旧約聖書の解釈に用ひたと難ずべきではない、ヨブは己の義を証するもの地上に一人もなきを悟りて遂に神に於て之を求むるに至つたのである、即ち彼は心の自然の動きに追はれて贖主の観念にまで到達したのである、彼に限らず何人にても彼の場合に立ちて光明探求の心を棄てずば終に茲に至るのである、|之を特殊の天啓と見ずとも人間自然の要求と見れば少しも怪むを要さない〔付○圏点〕、今日基督者の中に再臨復活等の信仰を喜び受くる者多きはそれが我本来の要求に合致するからのことである、信者は神学を求めず信条を要せず、たゞ魂の中におのづと湧き出づるものにして同時に天父より啓示さるゝものを求むる、即ち己の要求と上よりの啓示と相合致せし所の真理を要するのである。
〇次に見るべきは二十八、二十九節である、ヨブが上述の如き心理的過程を経て遂に贖主を発見するに至るや友に対する彼の態度は一変したのである、前には「我を恤れめ我を恤れめ」と友に哀願せしに今は友を審判くに室(459)つた、「汝等もし我等いかに彼を攻めんかと言ひ、また事の根われにありと言はゞ剣を懼れよ、忿怒《いかり》は剣の罰を来らす、かく汝等遂に審判のあるを知らん」とは即ち其語である、もし三友等あくまでヨブを罪ありとしてヨブを如何にして攻めんかと腐心するならば、心せよ神の恐るべき審判臨むに至るであらう、神は遂に或時ヨブの無罪を証明すると共にヨブを苦めし三友を罰し給ふであらう、怒の剣を以て攻め給ふであらうと、かくヨブは三友に威圧的警告を与へたのである、|ヨブは新光明に接せしため屈辱の極より一躍して勝利の舞台に登り、友等を眼下に見るに至つたのである〔付△圏点〕、屈辱より栄誉に、敗北より勝利にとヨブは一瞬の間に大変化を経たのである、それは光明に接せしためである、僅か一章の間に此大変化が潜んでゐるのである。
〇第十九章は実に約百記の分水嶺である、依て我等は茲に今までの経過を回顧して四五の真理を学び度いのである、第一、ヨプは議論にては度々負けた形で茲まで至つたのであり、殊に十八章に於てはビルダデのために手痛く撃たれたのである、然るに其間彼は常に実験を積みつゝありて、遂に十九章に至りてその霊的実験の高調に達するや見事なる勝利を占めたのである、ビルダデのために最後の大敗衂をなした如く見えし其瞬間実に新光明は彼に臨みて主客顛倒の態を表はし、三友は勿論彼自身すら予期せざりし真理の把握に依りて彼等を見事に撃退したのである、負くるは必ずしも負くるにあらず、勝つは必ずしも勝つにあらず、これ注意すべき第一点である。
〇第二に見るべきはヨブの信仰が徐々として進歩せし事である、先づ「贖主」のことを見るに九章三十三節には「また我等(神と人と)の間には我等|二個《ふたり》の上に手を置くべき仲保あらず」とありてたゞ仲保者のあらんことを切望してゐる、然るに十章十九節に至れば「視よ今にても我証となる者天にあり、わが真実を表明《あらは》す者高き処にありしと云ひて証者の天にあることを暗中に悟り初めしを示す、そして十九章に至つては遂に贖主の実在を確信す(460)るに至り、それが神にして他日地の上に立つことを予知するに至る、「われ知る」と云ひて其確信の言たるを言ひ表はしたのである、而して此信仰の進歩は「来世存在」のことに於ても亦同様である、十四章十四節に於ては「人もし死なばまた生きんや」と来世問題を一の疑問として提出せし有様であつたが、再生の要求彼に根ぶかくして遂に十九章に至つては二十六節の如き明白なる来世信仰を抱くに至つたのである、かくヨブは友の攻撃に会へば会ふほど益す明かに、益す高く、益す深く信仰の境地に入るのである。
〇第三にはヨブの苦痛に会ひし意味が解るのである、神が彼に堪へ難きほどの災禍痛苦を下せし目的が解るのである、それは|贖主を示す〔付○圏点〕にあつたのである、ヨブは苦難を経て贖主を知るに至りその苦難の意味がよく解つたのである、キリスト出現以前のヨブにありて此贖主のことは暗中に模索せし宝であつた、今日の我等に於ては此贖主をイエスに於て認めて全光の中に見る珠玉である、|人生の目的如何〔付○圏点〕、何故の苦悩、何故の煩悶懊悩ぞ、|それはキリストを知らんため〔付○圏点〕である、而してキリストを知り、その贖罪《あがなひ》を信じ、その再臨を望み、そして自身の復活永生を信じ得るに至るときは我等も亦ヨブと共に叫んで言ふ「我心これを望みて焦る」と、人生の凡ての苦難は此希望と此信仰とを以て償ひ得て余りあるのである。〇第四に信仰は由来個人的のものである、社交的又は国家的又は人類的のものではない、ヨプは独り苦みて独り贖主を発見し「|我れ〔付◎圏点〕知る……」と云ふに至つた、誰人もヨブの如くあらねばならぬ、我等は人類と共にキリストを知るのではない、一人にてキリストを知るのである、今日の人はとかく一人にて神を知らんとせず社会と共に国家と共に世界万国と共に神を知らんとする、これ大なる過誤である、かゝる謬見より出発するがために今日の信者には信仰の浅い者が多いのである、我等はヨブの如く独りみづから苦みて遂に「|我れ知る〔付○圏点〕我を贖ふ者は活く」(461)と云ひ得るに至らねばならぬ。
〇第五に此の救主再臨の希望は己に対し、他人に対し、万物に対する態度を一変せしめるものであることを知る、此光に触れしため今まで失望の極にありしヨブに根本的の変化が臨んだのである、絶望の底より希望の絶頂に上り、悲愁の極より歓喜の満溢に至つた、そして友に対するその態度の変化の著しきは実に驚くべきほどである、我を罵る友――罪なき我を罪ありとして責める友――親友なる我に無情の矢を放つ友に向つてさへ「我を恤れめ、我を恤れめ」と屈辱的な憐愍を乞ふに至つたほどのヨブが、此光に接して後は友の上に優越なる地歩を維持して、正は我にあり曲は彼等にありとなして、彼等に向つて堂々たる威圧的警告を与ふるに至つたのである、実に一瞬の前と一瞬の後との此大変化は驚くべきものである、そしてヨブの場合に於て然るが如く我等の場合に於ても然るのである、この新光明、新黙示に接して我等は全く別人となるのである。
       *
〇我等は以上の如く約百記を発端より十九章まで学び来つた、そして今日は約百記の絶頂たる十九章を研究し、且また全体にわたりて四五の注意を述べ終へた、かくて我等は既に約百記といふ高山の絶頂を極めたわけである、ヨブは既に苦痛の果を受けて人生の秘義を悟りその目的は達せられたわけである、約百記著者が普通の文士ならば茲で約百記を終局とすべきであつた、然し乍ら著者は十九章を以て擱筆しなかつた、此信仰の絶頂に達しても尚その後に学ぶべき多くの事があるのである、恰も山の頂きを極むるも尚之を越えて向側を下りつゝ種々の新しき風光に接するが如くである、かくて約百記は十九章を以て終らずして尚ほ其後に今迄よりも多くの二十三章を附加して、遂に全巻四十二草を以て完了するに至つた、ヨブは信仰の絶頂に達して已むべきでなかつた、信仰に(462)依て友に勝つは決して最善の道ではない、ヨブは尚ほ学ばねばならぬ、約百記は尚ほ続かねばならぬ、之を十九章を以て終へずして四十二章まで続けたる著者の天才と慎慮は大なるかな。
 
     附録
 二十三節以下の言を発するに方りてヨブの態度に左の如き変化ありし者と見て、其意味を解する事が容易になると思ふ。
 
 ヨブ暫らく三友人の面を眺めつゝありしが、少しも同情推察の色の現はれざるを視て取りければ、彼の面を友人等の面より反け、遙かに遠方を望み、独り声を揚げて曰ひけるは
  嗚呼我言の書き留められんことを、
  嗚呼我言の書籍に記されんことを、
  嗚呼鉄の筆と鉛とをもて永く磐石に※[金+雋]つけおかんことを、
 斯く言ひて少時く黙し、眼を転じ天を仰いで言ひけるは
  我は、然り|我は〔付○圏点〕知る我を贖ふ者は活く、
  後の日に彼れ必ず地の上に立たん、
  我が此の皮此の身(自己を指して言ふ)の朽果ん後、
  我れ肉を離れて神を見ん、
(463)  我れ自から彼を見たてまつらん、
  我が眼彼を見奉らん、識らぬ者の如くならじ。
   嗚呼之を望みて我が心衷に焦る。
 斯く言ひて後、ヨブ再び其面を三友に向けて儼然として言ふ
  汝等「若し我等如何に彼を攻めん乎」と言ひ、
  又「事の根源我に在り」と言はゞ、
  剣《つるぎ》を懼れよ、忿怒は剣の罰を来らす、
  斯くて汝等遂に審判のあるを知らん。 〔以上、11・10〕
 
     第十六講 ゾパル再び語る 約百記第二十章の研究(十月二十四日)
 
〇ヨブは十九章に於て大なる啓示に接して光明全心に漲るに至り、今は友の上に優逸なる信仰の地歩を占むることゝなりて、今までは友に撃たれつゝありしに今は威迫を以て友に臨み得るに至つた、一瞬にして局面は一変し彼は勝利者として鮮かに現はれた、故に約百記は十九章を以て終尾とすべきでないかと思はれる、然るに著者は以後に二十三箇章を加へて尚大に読者を教へんとするのである、まことに不思議な事である。
〇そして約百記のみに限らない、聖書に於ては他にも此種の事がある、以賽亜書の如きはその第五十三章の救主予言を以て光明の絶巓に達したのである、然るに之を以て以賽亜書は終らずして六十六章まで続いてゐる、又新約聖書は約翰伝の十三章−十七章を以て絶頂に達せりと見らるゝにも係らず、之れを以て終らないのである、其(464)理如何や
〇けだし吾人は信仰の絶頂に攀ぢ登り希望の全光明にその身をひたすと雖も之を以て充分ではないのである。尚吾人に学ぶべきものが残つて居るのである、「それ信仰と望と愛と此三つの者は常に在るなり、|此中最も大なる〔付○圏点〕ものは愛なり」と云ふ、我等は尚ほ愛について学ばねばならぬのである、されば約百記は十九章を以て終つてはならぬのである。
〇十九章の最後を見よ、其処にヨブは明かに友に勝つてゐる、しかしそれは信仰による勝利ではあるが愛による勝利ではない、故に之は最上の勝利ではない、ヨブは信仰に由て友を蹴破《しうは》して終るべきではなかつた、愛を以て|友を赦して終るべきであつた〔付○圏点〕、彼は尚ほ此上学ぶ所があつて遂に愛を以て友を赦し得るに至らねばならぬ、即ち愛による勝利の域に達せねばならぬ、彼は四十二章に至つて真に友を愛し得るに至つたのである、それまでの道程を我等は二十章以下に於て学ぶのである、約百記が十九章を以て終るべくして終らなかつた理由は茲に在る、故に二十章のゾパルのヨブ攻撃は実に辛辣非礼を極めたもので、十八章のビルダデの攻撃に勝るも劣らぬものであるが、之に対してヨブは甚だ平静であつて決して激語を以て酬いず、遂には進で自己を罪人となし友を赦し得るに至るのである。
〇これよりヨプの学ぶべき事は其終局に於て愛であるが、その中道に学ぶべき二三の重要なる事柄があつたのである、先づ知るべきは「摂理」のことである、神は如何に人間を――又人間社会を導きつゝあるか、義人と悪人とに対する神の態度如何、義人に患難を下す神の摂理の意味如何、之をヨブは学ばねばならぬ、一言にして云へば神を認めて上の人生問題の解決を得ねばならぬ、次ぎには自然界の事、世界宇宙の秘義を学ばねばならぬ、即(465)ち宇宙問題を研究せねばならぬ、ヨブは十九章に於て自己心霊一個の問題をその根原に於て解きし故、これからは眼を広く世界に放つて人生問題、宇宙問題の研究に従はねばならぬ、かくして自己心霊の問題、自己以外の世界宇宙の問題など凡そ世にある大問題を解き終へて、遂に己を苦めし友を赦し得る愛にまで到達するのである、われらは二十章以後の研究に当りては上述の事を深く心に留めて置かねばならない。
〇二十章のゾパルの語は十八章のビルダデの語と同じく悪しき人の滅亡を描いたものである、即ちヨブの目下の惨苦及び来らんとする滅亡を以て悪の結果と断定したのであつて、時代思想の罪とは云へ如何にも峻酷であると云はねばならぬ、その中十九節に「こは彼れ(悪き人を云ふ、暗にヨブを指す)貧しき者を虐げてこれを棄てたればなり、たとひ家を奪ひとるとも之れを改め作る事を得ざらん」とあるが如き、貧者を虐げ其家を奪ふ罪悪をヨブに帰したのであつて理不尽なる批難と云ふべきである。
〇又二十四、二十五節の如きは文章美の点より注意すべき語である、「かれ鉄《くろがね》の器を避くれば銅の弓これを射透す、是に於て之をその身より抜けば閃く鏃その胆より出で来りて畏怖《おそれ》これに臨む」とある、これ神が悪人を撃ち給ふ事を比喩的に述べたのであつて、其描くが如き書振の鮮かなること比類少きを思はしめる。
〇又二十七節には「天かれ(悪人)の罪を顕はし地興りて彼を攻めん」とある、これ十九章二十五節にあるヨブの言たる「われ知る我を贖ふ者は活く、後の日に彼必ず地の上に立たん」に対する嘲笑的皮肉である、我れを贖ふ者が後必ず地の上に立たんとのヨブの大信仰の披瀝に対して、天はヨブの罪を顕はし地は興りてヨブを攻めんと云ふ(明かにヨブとは云はず、しかし勿論ヨブを意味するのである)、まことに毒を含める嘲笑の語である、ヨブが霊界神秘の域に独り神と交はりて得たる黙示は、心なき友のために斯くも汚されんとするのである。
(466)〇実に二十章のゾパルはヨブに対して毒ある矢を放つたのである、併し今日のヨブはむはや昨日のヨブではない、彼は今や黙示の深かきに接し信仰の絶巓に登りて、遙か下に友の陋態を眺むるの余裕を抱いてゐる、故に友の毒矢は彼を怒らせない、故に彼は二十一章に於て決して激語を以てゾパルに酬いない、たゞ静かに彼等を諭さんとするのである、そして遂には斯かる嘲笑を以てヨブの信仰に対せしほどのゾパルをも容易く赦し得て、みづから手を伸ばして彼等と握手するに至つたのである。
〇|されば我等の学ぶべきは愛である、我等は信仰を以て人に勝ちて満足してはならない、これ未だ人を敵視することである、愛を以て人に勝つに至つて――即ち愛を以て敵人の〔付○圏点〕首《かうべ》|に熱き火を積み得るに至つて初めて健全に達したのである、信仰よりも希望よりも最も大なるものは愛である〔付○圏点〕。
 
     第十七講 ヨブの見神(一) 約百記第三十八章の研究(十一月廿一日)
 
〇余は約百記の絶頂たる十九章を講じて後ち病を得数回この講壇を休むの已むなきに室つた、詩人バイロンは大なる天才であつたが三十八歳を以て此世を去つた、或人此事を評して彼はその発見せる真理のあまりに大なるため殪れたのであると云ふた、余は自ら真理を発見したためではないが約百記十九章までに含まるゝ真理の余りに大なるに接して病を得たのである、依て余は最初の計画に変更を加へ、二十章以後を逐章研究することを罷めて最後の数章のみを講ぜんと欲する、即ち「第三回論戦」と「エリフ対ヨブ」の条を歇めて最後の「ヱホバ対ヨブ」を講演の題目とするのである。
〇ヨブは十九章に於て希望の絶頂に達した、そして二十章以後に於ても種々の貴き事を示されるのである、三友(467)人は依然として彼の攻撃に全力を尽せどもヨブは従来の如く激せず、受けた攻撃の主意を自分一己の事とせず之を人類全体の大問題として考察する、例へば神の支配する此世に於て善人にして衰ふる者あり悪人にして栄ゆる者あるは何故ぞ等の疑問に対して、之を人類共通の問題として答ふるのである。
〇三友のヨブ攻撃は依然として続けどもヨブに何等教ふる所なく、次に青年エリフ堪りかねて仲裁の語を発し(三十二−三十七章)それは多少ヨブを慰むる所あつたが勿論ヨブに充分の満足を与へずして、ヨブは唯沈黙を以て之に応じたのみであつた、|けだし最後の問題はヨブが直接神の声を聴くことである〔付○圏点〕、彼はみづから父の御声に接せずしては満足しないのである、彼は此神秘境を味はずしては其霊魂に真の平安を得ることは出来ぬのである、人の声は人を救ふことは出来ぬ、神の声のみ人を救ひ得るのである。
〇ヨプの此願は十三章に示されてゐる、「視よ我目これを尽く観、我耳これを聞きて通達《さと》れり、汝等が知る所は我も之を知る、我は汝等に劣らず 然りと雖も|我は全能者に物言はん我は神と論ぜんことを望む〔付○圏点〕」(一−三節)とある、又三十一章三十五節には「あゝ我の言ふ所を聴き分るものあらまほし(我|花押《かきはん》茲にあり、願は全能者われに答へ給へ)」とある、ヨブは神の声を聴かんことを熱望したのである、そして此熱望は次に希望となり確信となつてゐる、「我が此皮此身の朽ちはてん後われ肉を離れて神を見ん、我自ら彼を見奉らん、我目彼を見んに識らぬ者の如くならじ我心これを望みて焦る」(十九の二六、二七)とある、ヨブは他日神と相対して語るべき時ある事を確信するに至つたのである、既に此熱望を達すべき時来るとの確信に達した以上は或は既に充分であると云ふ人があるかも知れぬ、しかし約百記著者は詩人である、詩人であると共に又信仰問題の精髄に達した人である、故に最後に至つてヨブに神を示すのである、茲にヨブの切なる望は鮮かに遂げられて彼に大なる満足が臨むのであ(468)る。
〇見神の実験と叫ぶ人がある、又見神の実験記の記されしものがある、しかし如何なる見神であるかゞ問題である、ヨブの見神の実験如何、彼は如何様に神に接し如何様に其声を聞きしか――それが問題である、そして之を記すものは三十八章−四十一章である、これがヨブの見神の実験記である、或はこれを読みて其無価値を称する人もあらう、しかし是れ真の見神実験記である、人もし信仰と祈祷の心とを以て之に対せば之が真の見神記なることを認め得るであらう、徒らに之を貶するが如きは敬虔の念乏しく真摯に於て欠くる所の態度である。
〇三十八章一節に云ふ「茲にヱホバ大風の中よりヨブに答へて宣はく」と、「大風の中より」と云ふは如何なる状態を指したのであるか知る由もないが、ヱホバの声は兎角人の道が窮つた時に聞ゆるものである、此世の人々が全く窮するに至つて茫然自失為す所を知らざるに至る時ヱホバの声は預言者の口を通して聞ゆるものである、三友人の批難の語もエリフの慰めの語も共に問題を解くに足らず、ヨブは光明に触れしも未だ直接父に接するを得ずして深き遺憾を心に抱ける時、こゝにヱホバは人間の造る大風の混乱の中よりその声を発し給ふのである。
〇その声に云ふ「無知の言詞《ことば》をもて道を暗からしむる此者は誰ぞや」と、「道」とは神の御計画、世界を造り給ひし時の御精神と云ふ意である、神は光明の道を以て世界を造り且導き給ふ、然るに強ひて心中の懐疑を以て其道を暗くするものは誰ぞと云ふのである。
〇次に「汝腰ひきからげて丈夫《をとこ》の如くせよ、我れ汝に問はん、汝われに答へよ」とありて次に左の如く言ふ。
  地の基を我が置ゑたりし時なんぢ何処にありしや、汝もし穎悟《さとり》あらば言へ、汝もし知らんには誰が度量を定めたりしや、誰が準縄《はかりなは》を地の上に張りたりしや、その基は何の上に置かれしや、その隅石は誰が置ゑたりし(469)や(四−六節)
 是れ神が世界を造りし時汝はその計画に参与せしかとの問であつて、造化の秘義に関する人間の無知を諷せし語である、「地」と云ふも勿論当時の地文学に循つての語であつて地球を意味せず地を扁平なものと見ての言である、故に「地の基を我が置ゑたりし時」と云ふのである、「誰が度量を定めたりしや、誰が準縄を地の上に張りたりしや」は地の目方、長さ、幅等を汝が与り知るや、人智の微弱なる到底これを知る能はず、たゞ地を造りし神のみ知るとの意である、六節も同様の主趣の語であつて「基」と云ひ「隅石」と云ふは何れも地を扁平体の大建築物と見ての言ひ方である。
〇人は地――己が脚を立てつゝある所の地についても斯く無知である、之を知るは神のみ、造化の秘義、摂理の妙趣は人智の把握の外に在る、徒らに小なる知力を以て神の宇宙について是非得失の論議をなすは空しき極であるとの主意である、今日の科学に於ては地球の長さ、幅、目方も正確に知られてゐる(太陽や月のそれさへ知られてゐる)、故に約百記の此言は何等肯綮に当らないと云ふ人があるかも知れぬ、しかし是れ愚かなる批評である、数千年前の約百記なるが故にかく論じて人間の無知を充分明示し得たのである、もし今日約百記が作らるゝならば他の難問を提起して人間の無知を証し得るのである、人知の進歩と人は叫べども未だ人に知られぬ事は宇宙に夥しく存するのである、そして咋《さく》の知識は今すでに非なるが常である、人は地に関してすら未だ甚しく無知である、約百記の此言はその精神に於て今なほ有効である。
〇次の第七節に言ふ「かの時には晨星《あけのほし》あひともに歌ひ、神の子たち皆歓びて呼はりぬ」と、地の造られし時天の星と天使との合唱歓呼せしことを云ふ、まことに荘大なる言である、あゝ如何なる合唱なりしぞ、あゝ如何なる(470)歓呼なりしぞ、人の合唱、人の歓呼すら荘大高妙を極むることあるに之はまた類なき合唱歓呼――晨星声を揃えて歌ひ、神の子たち皆歓び呼はるの合唱歓呼である、人は宇宙の創造に参与せずして少しも此事を知らない、そして今いたづらに其貧弱なる智嚢を絞りつくして宇宙と造化の秘義について知らんとし、少許の推測の上に喋々し喃々する、実に憐むべきは人の無知である、知らずや地は人の思ふが如くにして現はれ出でたのではない、思ふだに心躍る所の荘大と云ひ厳粛と云ひ優美と云ふも到底云ひ尽し得ぬ所の光景の中に造られたのである。
〇然り地は斯かる大讃美の中に勇しく生れ出でたものである、既に斯る地である、神が造り且治め給ふ斯る地である、斯る讃美の中に生れて神に治めらるゝ此地である、そして斯くの如き地に生を享けたる人である、さらば人よ無益なる不平や疑惑を去れ、諸星と天使との大讃美大歓呼の中に生れし地に住みて心に讃美の歌なく歓呼の声なくして生くるは酔生夢死である、小さき理知の生む悶えと疑とを去りて星と共に、天使と共に、神と其造化とを讃美しつゝ意義あり希望ある生を送るべきである。
〇あゝ人は無智にして造化の秘義を知らぬ、そして独り悶えてゐる、然るに人の立つ所の地の造られし時に於て全宇宙の讃美歓呼があつたのである、神は地と其上に住む人を空しく造つたのではない、されば我等は地を見て其処に神の愛を悟るべきである、そして安ずべきである。 〔以上、12・10〕
 
     第十八講 ヨブの見神(二) 約百記第三十八章の研究(十一月廿八日)
 
〇第三十八章の一−七節は前講の主題であつた、造化の妙趣の中に神を悟るべしと云ふが其根本精神である、七節には「かの時には晨星相共に歌ひ、神の子ども皆歓びて呼はりぬ」とある、八−十一節は之を受けて言ふ
(471)  8海の水流れ出て、胎内より湧き出でし時誰が戸を以て之を閉ぢこめたりしや、9かの時我れ雲をもて之が衣服《ころも》となし、黒暗《くらやみ》をもて之が襁褓となし、10これに我|法度《のり》を定め関《くわん》及び門を設けて、11曰く之までは来るべし、茲を越ゆべからず、汝の高浪こゝに止まるべしと。
 海は動揺常なきものにして到底人に御し得ぬものとは古代人の思想であつた、黙示録第二十一章は新天新地の成立を描きし者であるが、その第一節には「われ新しき天と新しき地を見たり、先の天と先の地は既に過ぎ去り、|海も亦有ることなし〔付△圏点〕」とある、海既に無しは旧世界の混乱不安動揺既に去れりとの意であらう、又約百記七章十二節に「我あに海ならんや、〓《わに》ならんや」と海を〓に比較せる如きも古代人の此思想を語るものである、かくの如く海は人力の到底御し得ぬものである、然るに神は此海を造り給ひそして易々と之を制御しつゝある、以て我等は神の力の偉大なるを知るべきであると、これ八節−十一節の大意である。
〇そして八節−十一節は海を以て嬰児に譬へ、海の創造を嬰児の出産に譬へて美妙なる筆を揮つたのである、海なる嬰児が母の胎内より湧き出でゝ浩々蕩々将に全地を蔽はんとした時、戸を以て之を閉ぢて氾濫を防ぎしは誰であるかと八節は問ふ、けだし此御し難き力を制御せしは神に外ならずとの意である、次に九節は此海てふ嬰児に対して「雲を以て之が衣服となし、黒暗を以て之が襁褓となし」たのは神であると云ふのである、要は海を蔽ふ衣であり黒暗は之を包む襁褓であるとは真に絶妙なる形容であると思ふ、そして単に形容たるのみならず、恐くは渺茫たる大洋の中に幾日かを送る航海者に取りては、約百記の此語が宛然《さながら》に事実なるが如く感ぜらるゝであらう、昼は満天の漠々たる雲が海を蔽ひ夜は底しれぬ暗黒が海を包む光景を親しく観て、此形容の荘大、優美にして且如実なるを悟り得るのである。
(472)〇そして此御し難き奔放自在の海に対して「法度を定め関及び門を設けて」之に向ひて「之までは来るべし茲を越ゆべからず、汝の高浪こゝに止まるべし」と命じ給ひしは実に造物者なる神である、洵にその蔵する無限のエネルギーに押し立てられて沖天の勢を以て陸に向つて押しよせる時は恰も陸を一呑みにするかと思はるゝ程である、然るに見よ「我法度」は儼として其処に立つ、神は「関及び門」を其処に設け給ふて過《あやま》らない、我等は海岸に立ちて脚下に襲ひ来る丈余の浪が忽ち力尽きたるが如くに引退くを見て、約百記の此語の妙味を悟り得るのである、我等は九十九里ケ浜の渚に立ちて寄せ来る太平洋の高浪を見て其強烈なる力に驚く、このエネルギーを利用して電力を起さしめんと計案しつゝある人がある、それ程の力を以て寄せ来る浩波も打ち破り難き或力に刺せらるゝ如くに其儘後退するのである、神は実に或制限を設けて人の御し得ぬ海を御し給ふのである。
〇約百記の此見方に対しては今日の科学者に種々の批評があるであらう、併し今日の進歩せる自然科学と雖も其幾多複碓なる研究を以てして畢竟《つまり》は約百記と同一の言を発する外はないと思ふ、有名なる独逸の科学者フムボルトは科学者は自然現象を説明し得るも其意味を解く能はずと云ふた、巨大なる太平洋をして全地を蔽はしめざるやう之を囲みて陸地の大堤防が儼として存するを見る、我日本島の如きは其堤防の一部であると見られる、南氷洋を囲みて同様なる陸の堤ありと探検家は云ふ、洵に神は海の大動揺を或範囲に止めて人畜をして安じて地の上に住ましむるのである。
〇人の御し難き海に堤を設けて之を制するは神である、海は動揺それ自身である、人は各人難問題を抱いて苦む、その時人の心は一の海である、動揺混乱底止する所を知らない、併し人の御し難き海を神は御し給ふ、我等より熱誠なる祈の出づる時神はその大なる御手を伸ばして海を制し給ふ、かくて我等の衷の海は止まるのである。
(473)〇又今の世界は寔に混乱擾雑の海である、社会の腐敗は底なきが如く、世界の表は紛乱を以て充たされてゐる、世界大乱一度収まりし如くにして実は収まらず、戦の噂は噂を生みて今や全地大洪水に溺れんとするが如く見ゆる、我等の憂慮も何等の効果なし、我等の努力を以て全地の大海を抑ふることは出来ない、我等は唯熱心に祈るのみである、しかし神は此祈を記憶し給ふ、混乱の海を制する力は彼にのみ在る、神は全地を呑まんとする海に対して「之までは来るべし、茲を超ゆべからず、汝の高浪こゝに止まるべし」と言ひ給ふ、実《げ》に彼は人の御し難き海を御し給ふ、彼は地の上に其支配権を持ち給ふ、此事を知りて自身としては力なき我等にも大なる安心がある。
〇一世紀前かの大ナポレオンは世界をその飽くなき欲望の餌食たらしめんとした、併しウヲルターローの一戦は遂に彼の此暴威を刺した、人は皆之を評して英普聯合軍、殊に英軍司令官ウヱエリントンと普軍司令官プルーヘルの力に基くと云ふ、独り仏の文豪※[ヰに濁点]クトル・ユーゴーは云ふた、神は此朝二三十分間の小雨を降らしナポレオンの勢威を挫いたのであると、けだし此朝の小降雨が仏軍大砲の轍を汚しその為に進軍の予定が数十分後れた、ために仏学は普軍到着前に英軍を破るべくして破り得なかつたのである、朝の小雨なくば常勝将軍ナポレオンは其異常なる軍事的天才を以て見事に敵を破り得たであらう、かくて欧洲全土は彼の暴威の下に慴伏したであらう、しかし乍ら神は地を治め給ふ、時あつてか其大なる御手を揮つて人力の制し得ぬ海を制し給ふ、彼の力は永遠に絶大である。
〇次に見るべきは十二−十五節である、先づ言ふ「汝生れし日より以来《このかた》朝《あした》に向ひて命を下せし事ありや、また黎明《よあけ》に其所を知らしめ之をして地の縁《ふち》を取《とら》へて悪き者を地の上より振落さしめたりしや」と、これヱホバが其|能力《ちから》(474)をヨブに示すのであつて、即ち人力の到底及ばぬ所に彼の力の存することを示すのである、黎明来ると共に暗黒の悪者どもは忽ち姿を消す、其様恰も絨毯の四隅を取らへて之より塵を払ひ退けるが如くであると云ふのである、神は朝に命を下し黎明に其所を知らしめて、其造り給へる宇宙に妙なる活動を与へつゝあるのである。
〇続いて十四節は云ふ「地は変りて土に印したる如くになり、諸々の物は美はしき衣服の如くに顕はる」と、これ黎明の光景を描きたるものである、この形容の真なるを知るためにはアラビヤの砂漠に到らねばならぬ、或は大洋の真中に於ける黎明を見ねばならぬ、或は我国にありても真夏に富士山の絶頂に於て雲なき空に日の出を見る時は此語の真なるを知り得るであらう、即ち日が東の地平線を破りて出づると共に今まで暗黒なりし全地は急遽として光明《ひかり》の野となり、山川風物さながら土に印を以て押したるが如く姿を現はし、地上の万物は美はしき衣服の如くに出現すると云ふのである、これ実に美尽し真極まれる朝の光景の絵画である、ヨブは度々アラビヤ砂漠に於ける此種の朝の光景に接して、その絶妙なる詩趣に酔ふたことであらう、今や彼は之が神の為し給ふ所なることに初めて気がついたのである、此事汝に可能なるかと詰問されて彼は神の霊能の前に首を垂れざるを得なかつたのである。
〇次の十五節は言ふ「また悪人は其光明を奪はれ、高く挙げたる手は折らる」と、これ亦朝の形容の一部である、暗黒の間悪人はその悪を擅にし其手を高く挙げて悪に従ふ、しかし東天を破りて日出づるや彼等はその武器とする暗黒を奪はれて其悪を断たるゝのである、神は日を以を悪を逐ひ給ふ、神は朝を世に現はして悪人を撃ち給ふ、神の力は絶大である。
〇八節より十五節までを通読せよ、其処にヨブの見神が現はれてゐる、彼は海を見、海を制する陸を見、また黎(475)明の荘大なる光景に接せしこと一再に止まらなかつた、併し此時までは其処に神を見なかつたのである、そして此時になつて初めて其処に神を見得たのである、神の造りし荘大なる宇宙とその深妙なる運動、神の所作と支配、そこに神は見ゆるのである、海を制する力に、又黎明の絶美の中に彼は明かに見ゆるのである、人は之を無意味に看過する、併し信仰の眼を以てすれば其処に神は見ゆるのである、然り其処に神は明かに見ゆるのである。
〇一人の人を真に知らん為めには其の人の作物を見るを最上の道とする、もし文士ならば彼の著作を見れば其処に其人の真の姿が見える、肉眼を以て彼を見る事は却て彼を誤解する道となる、少くとも彼を正解する道ではない、神を見ることは決して肉眼を以て彼を見ることではない、真に彼を見んには彼の所作物たる宇宙と其中の万物を見るべきである、その中に彼の真の姿が潜んでゐる。
       ――――――――――
 
     第十九講 ヨブの見神(三) 約百記第三十八章の研究(十二月五日)
 
〇地の事、海を刺する事、黎明の事を述べて其処に神の力を見るは三十八章一節−十五節の骨子であつて前回の講演の主題であつた、今日は十六節以下について語らんとする、十六節より三十八節までは自然界の現象を幾つも掲げて、之を起す神智の不可測を示し、之が根源を知らざる人智の狭小を示すのである、各節について精細に説明すべき時を有たぬ故その中の二三について語らう。〇十六節には「汝海の泉源《みなもと》に至りしことありや、淵の底を歩みしことありや」とある、海水の湧起する源と深き水底は人の達し得ざる所である、其処に於て永遠に隠されたる秘密を探り得ざる人智の弱さを見よとの意である、(476)十八節には「汝地の広さを看究めしや、もし之を尽く知らば言へ」とある、これ亦地の広さの知られざりし時に於ては人智の極限を有力に示す語である、二十四節には「光明の発散《ひろが》る道、東風の地に吹きわたる所の路は何処ぞや」とある、光は東より忽ち全視界に広がり東風は忽ち吹き来つて地を払ふ、光と風の通り来る東の路は何処ぞ、誰人も之を知らずと云ふのである、其他の各節いづれも同一意味を伝ふるものであつて、自然界の諸現象を起し得ず又究め得ざる人間の無力を指摘して、神の智慧と能力とを高調したのである。
〇次に注意すべきは三十一、二節の有名なる語である。
  汝|昴宿《ばうしゆく》の鏈索《くさり》を結ぷや、参宿の繋縄《つなぎ》を解くや、汝十二宮を其時に従ひて引き出だすや、又北斗とその子星《こぼし》を導くや。
 邦訳聖書には各成句《クローズ》の結尾を「得るや」と訳してあるが寧ろ右の如く訳すべきものである、空気清澄にして夜ごとに煌々たる満天の星辰を仰ぎ得たるアラビヤ地方に住みて、ヨブは如何に天を仰いで星を歎美しつゝあつたことであらう、隊商《カラバン》に加はりて沙漠の夜の旅を続けし時の如き彼の心は天に燦く星の神秘に強く打たれたことであらう、そして斯く星天の美妙を歎称しつゝありし彼の心に、恰もアブラハムに向ひて「天を望みて星を数へ得るかを見よ」と告げ給ひし如く、神は此時此言を下し給ふたのである、彼は神の諭告《さとし》として此時特に強くこの言を聴いたのである。
〇この語は約百記が各国の語に訳せらるゝと共に人々の注意を惹きて、崇高麗実の語として名高きものとなつた、各国の人々に天文思想を喚起せし点に於て此語に及ぶものはあるまいと思ふ、寔に約百記に於て此美はしき文字に接して天を窺はんとする心を起すは当然である。
(477)〇九章九節にも既に北斗、参宿、昴宿の語があつたが今また此三つが出で尚その他に十二宮が出でたのである、約百記の読者は天文について少くとも之位は知つて居らねばならぬ、之だけの星を知るも大なる夜の慰めとなるのみならず神の御心を知るに於ても益せらるゝ処少なくない、実に天然は聖書以前の聖書である、其中に神の御心が籠つてゐる、只人の心浅くして之を悟り得ざるを遺憾とするのである。
〇先づ参宿とはオリオン星座(Orion)のことである、支那にては二十八宿の一として参宿と云ふ、日本にては「三つ星」と称し来りしものである、中央に三星の一列に並ぶあり之を遠く囲む四の星あり、孰れも強き光を放つ星にして巨星の一群として他に類例なく、古来各国の人の注意を惹きしも当然である、ヨブは幾千年前アラビヤの曠野に此星を仰ぎ見て神の能と愛とを懐《おも》つたのである、我等今日此星を仰ぎ見て同じく神を懐ひ古人と心相通ずるの感を抱かざるを得ない、次に昴宿はプライアデス(Pleiades)のことで、オリオンの西北方に見ゆる小星の一群を云ふのである、日本にては之を「スバル星」と云ひ来つた、これ|縛る星〔付ごま圏点〕の意であつて幾つもの小星が連なりて一団をなし居るを以て名けたのであらう、又|六連星《むつれぼし》とも云ふ、これ普通の視力ある人に六つだけ星が見ゆるからである、併し実は沢山の星の集団なのである、参宿と昴宿は甚だ解り易くして特色があるため古代より人の注意を惹いたのである。
〇「汝昴宿の鏈索を結ぶや、参宿の繋縄を解くや」とは何を意味するか、古代人は凡て天象を動物に擬へたもの故、「結ぶ」「解く」等の語を用ひたのであると云ふのが普通の見方である、併しそれだけでは文意は充分明かとならず従つて註解者は大に苦心し来つたのである、而して最近の天文学上の新原理が極めて鮮かに此語を解し去るのは誠に面白き一事実である、「昴宿の鏈索を結ぶや」と云ふは昴宿の各星を繋ぐ無形の連鎖ありと考へ、それ(478)を結びつゝあるは造物者にして到底人に不可能なりとの意味を言ひ表はしたのである、また「参宿の繋縄を解くや」は参宿の各星の繋ぎを解きつゝあるは神にして人間の為し得る処にあらずとの意である、故に若し昴宿の各星は永久に結ばれ参宿の各星は次第に分離しつゝありとすれば、此語の意味は頗る的確になるのである。
〇そして不思議な事には最近の天文学上の新学説が此事を語りつゝあるのである、宇宙には二大星流ありて凡ての星は二大星流の孰れか一に属して流動しつゝありとは最近の学説である、即ち宇宙の凡ての星は二大系統に別れて全虚空を運動しつゝあるのである、かくの如き星の運動の結果、昴宿の各星は孰れも同一方向に動きつゝあるため全団が一となりて流動しつゝあるわけにて其繋ぎ永久に不変であるが、参宿の各星は別々の方向に動きつゝあるため五万年の後には遂に分散し去るべしとの事である、(フラムメリオンの如き天文学者は明かに此事を断定してゐる)、約百記著作の時代に於て昴宿の永久的不変と参宿の漸々的分散とが天文学上に解つて居たとは断じ難い、併し最近に発見せられたる此事を以て約百記の此語を鮮かに解き得ると云ふは面白き事である。
〇「汝十二宮を其時に従ひて引出し得るや」とは何を意味するか、「十二宮」とは謂ゆる黄道十二宮にして地球より見て太陽の通る道に当る十二の星座を指すのである、そして其現はるゝ期節は各々異なるのであるから「其時に従ひて引出し得るや」と云ふたのである、又「北斗と其子星を導き得るや」とは北斗七星が北極星の周囲を廻りつゝあるを捉へて、汝この事を為し得るやと問ふたのである、即ち十二宮の各星を其時に適ふやう誤りなく東方に上らしめ且北斗七星を北極星の周囲に動かす事の如き、到底人力の為し得ざる処にして其処に全能者の力と智慧を認めざるを得ずとの意味である、(今日の人にして十二宮の名を知れる人、又これを天に於て認め得る人が幾人あるか、数千年前の天文学の侮るべからざると共に、ヨブが信仰家なる外に又天然学者なりし事を知るの(479)である)。
〇ヨブは右の如く天の星を見た、彼は人力の及ばざる其処に神の無限の力と智慧とを見た、人の小と神の大とを知つた、彼は星夜に独り天を仰いで其処に神を見た、神と彼と只二人相対して前者の声は燦く神秘の星を通して後者に臨んだのである、是れ彼の実験的に味ひし聖境にての聖感であつた、星を見るも何等感ずる所なしと云ふ人もあらう、併しそは其人の低劣を自白するだけのことである、|星を見て神を見る〔付○圏点〕の実感が起らざる人にはヨブの心は解らない、|神の所作を見て神を知り得ぬ筈がない〔付○圏点〕、我等は彼の作物たる万象に上下左右を囲まれて呼吸しつゝある、さればそれに依て益々神を知らんと努むべきである。
〇三十八節を以て無生物の列挙は終り三十九節より動物のことに移りて其儘次の三十九章に及ぶのである、既に神の第一の所作なる無生物を見終へたれば之よりは其第二の所作たる生物に及ぶのである、その委しきは之を次回に譲らう。
〇神の造り給ひし万物に囲繞されて我等は今既に神の懐にある、我等は今神に護られ、養はれ、育てられつゝある、神を見んと欲するか、さらば彼の天然を見よ、海を見よ、地を見よ、曙を見よ、天の諸星を見よ、空の鳥、野の獣を見よ、森羅万象一として神を吾人に示さぬものはない、我等は今神を見つゝある、たゞ神を見て居りながら自ら其事を知らぬのである、併し乍ら少しく心を開き眼を深くすれば我等が今神を見つゝある事を悟るのである、万象の中に神を見る、これヨブの見神の実験にして又我等の最も確実健全なる見神の実験である。
 
(480)     第二十講 ヨブの見神(四) 約百記第三十八章三十九節より四十二章六節に至るまでの研究(十二月十二日)
 
〇次回を以て約百記研究を終へんため今日は三十八章三十九節より四十二章六節までの大意を語らう、三十八章の一節より三十八節までは宇宙の諸現象の中に神の頴智と力を認めたものであつたが、三十九節以下四十一章までは生物界に於て神の頴智と愛を――殊に愛を強く――認めたものである、各動物の特徴を誠に能く捉へし文字である、今日の動物学者は多分之に何等の価値をも見出さぬであらう、併し若し我国の動物画家たる応挙に此文字を示したならば、彼は大に喜んで是れ真の動物描写であると云ふであらう、恰も日本画が僅少の線を以て描きて自然物を躍如たらしむるが如く、数語を以て各動物を読者の前に躍らせるのである。
〇先づ第一に獅子を挙げてあるが是れ此動物が当時の人の生活に甚だ近かつた事を示すのである、次には鴉を挙げ、三十九章に入りては山羊、※[鹿/七]鹿《めしか》、野驢馬、※[凹/ひとあし]《のうし》(野牛即ち野生の牛)、舵鳥、馬、鷹、鷲を挙げて各の特徴を述べ、神の与へし智慧による各動物の活動を記して人智の之に関与し得ぬ弱さを示してゐる、其一々の叙述について述べる時なきを遺憾とするが、十九−二十五節の馬(軍馬)の描写の如きは最も美はしきものである、カアライルは其『英雄崇拝論』中に此の馬の描写に対して大なる讃辞を呈してゐる、アラビヤの勇壮なる軍馬の姿は活けるが如くに描かれて居るのである、聖書註解者よりも寧ろ騎兵として実戦に臨みし人は、此描写の真に迫れるを知るであらう、(読者は約百記を開いて自ら此処を読まれ度し)。
〇尚ほ一例として三十八章末尾の鴉の記事を見るに「また鵜の子神に向ひて呼はり食物なくして徘徊《ゆきめぐ》る時鴉に餌を与ふる者は誰ぞや」とある、洵に簡単なる数語である、併し意味は浅くない、神は鴉を養ひ給ふとは詩篇に度(481)々出づる思想であり、又主イエスは「鴉を思ひ見よ稼《ま》かず穡《か》らず倉をも納屋をも有たず、されども神は尚ほ之等を養ひ給ふ」と云ふた(ルカ伝十二の二四)、鴉は人に嫌はるゝ鳥である、この鴉を神が養ひ給ふと云ふ処に意味がある、「鴉に餌を与ふる者は誰ぞや」と神はヨブに問を発して、鴉をさへ養ひ給ふ神の人に対する愛と護りとを彼に悟り知らしめたのである。
〇以上の如くヱホバは諸現象を引き又動物を引きて、神智神力の無限と、人智人力の有限とを教へた、そして次の四十章を見るに「ヱホバまたヨプに対へて言ひ給はく、非難する者よヱホバと争はんとするや、神と論ずる者よ之に答ふべし」とある、併し既に人の無智、無力を充分に悟りたるヨブは「あゝ我は賤しき者なり、何と汝に答へまつらんや、唯手を我口に当てんのみ」と云ふ外はなきに至つた、毅然として友に降らざりしヨブも今は神御自身の直示に接して此謙遜の心態に入るに至つたのである、しかも彼の悟りし所は尚ほ足らざりしと見えヱホバは尚ほ教へ給ふたのである。
〇ヱホバは又大風の中より左の如くヨブに言ひ給ふた。
  汝わが審判を棄てんとするや、我を非として己を是とせんとするや、汝神の如き腕ありや、神の如き声にて轟きわたらんや、さらば汝|威光《いきほひ》と尊重《たふとき》とをもて自ら飾り、栄光《さかえ》と華美《うるはしき》とをもて身に纏へ、…………高ぶる者を見て之を悉く鞠《かゞ》ませ、また悪人を立所に践みつけ、之を塵の中に埋め之が面《かほ》を隠れたる処に閉ぢこめよ、さらば我も汝を讃めて汝の右の手汝を救ひ得るとせん。
 若しヨブに神の如き力あらんか、もし倨傲者《たかぶるもの》と悪人を即坐に打砕く腕あらんか、神も亦ヨブが自ら己を救ひ得ることを認むるであらう、併し乍ら事実はその正反対である、神は絶対の力であるにヨブは絶対の無力である、(482)かくても尚ほヨブは自己を是とし神を非と做し得るであらうか、神の審判に対して呟き得るであらうか、――かく神はヨブに告げヨブは自己の心に問ふた、彼の魂は益す砕くるのみであつた、彼は謙《へりくだ》るより外に行き道がなきに至つた。
〇次に又ヱホバは二の動物を挙げてヨブに教ふる所があつた(十五節以下)、先づ出づるは|河馬〔付○圏点〕である(十五節より廿四節まで)、次に出づるは|〓〔付○圏点〕である(四十一章全部)、これ熱帯地方にありては最も怖ろしき二の動物である、ヱホバはヨブに向つて汝かゝる怖ろしき生物を御し得るやと云ふのであつて、神の力と人の無力が益す強く示されるのである。
〇一度謙遜に達せしヨブは右の如く再び大風の中より出づる神の声に教へられたのである、茲に於て彼は遂に四十二章二節−六節の語を発せざるを得ざるに至つた。
  我れ知る汝は一切の事を為すを得給ふ、又如何なる意志《おのしめし》にても成す能はざるなし、無知をもて道を蔽ふ者は誰ぞや、斯く我は自ら了解らざる事を言ひ、自ら知らざる測り難き事を述べたり、請ふ聴き給へ、我れ言ふ所あらん、我れ汝に問ひまつらん、我に答へ給へ、われ汝の事を耳にて聞きゐたりしが今は目をもて汝を見奉る、是をもて我れ自ら恨み、塵と灰との中にて悔ゆ。
 先づヨブは神の全能を讃美し、次に己れ無知にして神の摂理に暗き陰影を自ら投じたる不明を耻ぢ、これよりは全然神に服従せんとの意を表はし、以後神と彼との間に直接なる思想の伝達あらんことを希ひ、最後に五節、六節の著しき語を発したのである。
〇「われ汝の事を耳にて聞きゐたりしが今は目をもて汝を見奉る」と云ふ、ヨブは今まで神を知つて居ると思つ(483)てゐた、けれどもそれは真に神を知つて居たのではない、神について聞いて居たに過ぎなかつた、神に関する知識を所有してゐたに過ぎなかつた、然るに今や万象を通して神を直観直視するの域に至つたのである、彼の歓び知るべきである、かく神を事実上に見て其の全能を悟るや自己の無力汚穢は何よりも痛切に感ぜらるゝに至り、騎慢にして自己に頼りし既往の浅墓さは懺悔の種とのみなつた、されば最後に彼は「是をもて我れ自ら恨み(自己を諱み嫌ひ)、塵と灰との中にて悔ゆ」と悔改の涙を出すに至つたのである。
〇以上約百記三十八章以下の「ヱホバ対ヨブの問答」について茲に二三の注意を述べ度いと思ふ、(第一)茲に各種の現象と動物に裁て記されて植物に関して一言も云はざるは何故であるかと批評家は問題を起すであらう、思ふに是れ約百記が沙漠を舞台とせるためであらう、ヨブは植物に乏しき沙漠の住人として神の力を植物に於て充分に窺ふことは出来なかつたのである、約百記は慥にこれ「沙漠文学」である。
〇(第二)或人は抗議を提出して云ふであらう、ヨブは天然物を見て神を悟り得しならんも今の時代に於て煩悶苦悩せる人に向つて「鴉を見よ、馬を見よ」と云ふも何等の効果あるべからずと、そして今や悩める人に向つては教会に行けとか、宗教書類を読めとか云ふのが普通である、さりながらヨブの三友人は当時の神学を以て彼に迫つて失敗に終つた、もし此上希臘羅馬の哲学を以てするも到底彼に満足を与へ得なかつた事は明かである、人の言を以てしては到底ヨブを安心せしむるを得なかつたのである、此時破は神の所造物に於て神を拝するを得て自己の罪を懺悔するに至り、ために事は喜ばしき解決を告ぐるに至つたのである、そして此事は今日と雖も変るべき筈がない、|苦悶者の真の行き湯所は教会にあらず、教師にあらず、宗教書類にあらず、神の所作物たる自然の(484)万物万象である〔付△圏点〕、それに親みて神を見且己の真相を知り以てヨブの如き平安と歓喜を味ふに至るのである、約百記は此事を教ふる書物である。
〇英の天然詩人ウヲルヅヲス、彼は少時より天然を熱愛せしと雖も而も初より天然を以て悉く足れりとした人ではなかつた、少壮にして彼は社会の改善に心を労し、一度は仏国革命に投じて我理想の実現を計りし英気勃々たる青年であつた、しかし彼は遂に文化世界の中に真理と生命を求むるの無効なるを悟りて、カムバランドの片田舎に退きて天然世界の中に神の御手を拝し人生の本趣を見たのである、彼が天然を讃美したのは唯天然を讃美したのではない、彼は天然に於て神を讃美したのである、我等また彼に倣ふべきである。
〇(第三)ヨブの最初よりの言に依て見るに彼はもとから天然に親める人である、然るに今に至つて天然を示されて神の前に平伏するに至りしは何故か、これ明かに一の難問題である、殊に今日の聖書註解者にとつては然うである、彼等は思ふ、人生問題は天然物などを以てして解き得るものにあらず故にヨブに此事ありしは不可解であると、余は思ふ|是れヨブの味ひたる患難痛苦が彼の天然を見る眼を変へたのである〔付○圏点〕と、彼れ異常の災禍に逢ひ且友の理不尽なる攻撃に会し、幾多の悲痛なる経験を嘗めて自己が砕かれて自己が新しくなり、かくして天地万有を見る眼が全く一変したのである、余は斯く説明するより外に道なしと思ふ、年少にして謂ゆる青雲の志を以て燃ゆる時眼中天然物なきを常とする、併し乍ら人生の実相に触れ幾多の経験を味ひて疑義重く心を圧するに至る時、其時ヨブの如く天然の中に神と福音とを認むるに至り以て大なる慰藉を得るのである。
〇然らば右の如くヨブの眼を変へしものは何なるかとの問題が起る、その問題を解くものは十九章に於て彼の達せし|希望〔付○圏点〕の高頂である、彼時ヨブは既に心に於て、信と望とに於て神を見たのである、然るが故に天地の万象に(485)対して新しき眼を張《みは》るを得るに至つたのである、|彼の受けし苦難、彼の抱きし希望、これが彼の天然観を変へたのである〔付○圏点〕、かくして遂に神を事実に於て見るに至つたのである。
〇(第四)ヨブは最後に至つて神の何たるかを知つた、彼は神を宇宙の主人公と知つた、従つて自己は神の僕であると知つた、それで問題は解けたのである、人は能く云ふ「我は宇宙の主宰者たる神を信じ自己がその僕たるを知る」と、しかし口で斯く云へばとて真に心から信じ居るか如何は問題である、その証拠には少しく苦難にでも逢へば愛の神に似合はしからずと称へて忽ち神を疑はんとする、これ神の主宰者たるを真に知らざると共に自己の其僕たるをも真に知らぬのである、僕は絶対に主に従ふべきもの、主人には主人の心がある、主人の為す所が今不可解なりとて直ちに抗議を心に抱くが如きは自己の僕たるを知らぬものである、神の摂理を認め己を神の僕と信ずる上は、苦難災禍我を襲ひ来るとも「御心をして成らしめ給へ」と云ひて静かに忍耐すべきである、これ僕たる者の執るべき唯一の道である、ヨブは此信仰に達して真の安心に入つたのである、人もし神の絶対智と絶対力を悟り己を力なき神の僕と認むるに至る時は、人生の凡ゆる境遇に処してそれを御心となして安んじ得るのである、「御心をして成らしめよ」との黙従に入り得るのである。
 
     第廿一講 ヨブの終末 約百記第四十二章七節以下の研究(十二月十九日)
 
〇雅各書第五章十一節に曰く「汝等曾てヨブの忍びを聞けり、主いかに彼に行《な》し給ひし乎その終末《おはり》を見よ、即ち主は慈悲深く且つ矜恤《あはれみ》ある者なり」と、まことに其通りである。
〇ヨブの終末を記す約百記の結末を語る前に既往を回顧するに、ヨブの異常の災禍に逢へるを三友人は罪悪の結(486)果と見、此罪を告白し憾悔せば禍は自ら去るべしと做して経験と神学と常識とを以てヨブを責める、しかもヨブは罪を犯せし覚なし、と称して強硬に友の言を斥ける、青年ヱリフ亦ヨブに説く所ありしも効果少く、茲に己の力も他人の力もヨブを救ふ能はざるに至つてヱホパの声遂に大風の中に聞える、ヱホバは彼に其所造にかゝる万有を指示しヨブは茲に心に平安を得るに至る、彼が斯く天然を見て平安を得しは単に天然に教へられたるに非ず、種々の苦悩の経験を味ひて遂に十九章二十五−二十七節の大希望を抱くに至りしため、神に対する見方が変りて天然に対する見方も変つたのである、かくしてヨブは遂に四十二章の劈頭に記さるゝ大告白を発するに至つたのである、「我れ知る汝は一切の事をなすを得給ふ」と云ひ又「われ汝の事を耳にて聞きゐたりしが今は目をもて汝を見奉る、是をもて我れ自ら恨み、塵灰の中にて悔ゆ」と云ふ、されば約百記は茲を以て終結とすべきではないかと思はれる。
〇然るに約百記は茲を以て終らずして七節以下ヨプに物的幸福の臨みしことを記してゐる、最後に物的幸福を描かずして唯ヨブが「塵灰の中にて悔い」しまゝにて、即ち孤独と病苦のまゝに放置して約百記全体を悲劇《トラヂデー》となした方遙かに大文学らしくあると云ふ人があるであらう、近頃の文学者の如きは人生の悲痛を描きて悲痛を以て終るを以て人生に徹底したのであると考へて居る、併し乍ら大文学の多くは決して悲劇を以て終らないのである、ダンテの神曲の如きは其著しき一例である、原名 Divina Comedia は「聖なる喜劇」の意である、悲痛を以て終るは不健全の印である、喜びを以て終つて真に人生に徹せる健全なる文学と云ふべきである、勿論ヨブは霊魂の聖境に入つたのであつて其上に何等此世の幸福を望まなかつたのであるが、約百記を茲まで読み来りし人は何れも此処を以て終つては満足出来ぬのである。
(487)〇先づ七節八節を見よ。
  ヱホバ是等の言葉をヨブに語り給ひて後、テマン人エリパズに言ひ給ひけるは我れ汝と汝の二人の友を怒る、そは汝等が我に就きて言述べたる所は我僕ヨブの言ひたる事の如く正しからざればなり、されば汝等牡牛七頭、牡羊七頭を取りて我僕ヨブに至り汝等の身のために燔祭を献げよ、我僕ヨブ汝等のために祈らん、われ彼を嘉納《うけいる》べければ之によりて汝等の愚を罰せざらん……。
 かくヱホバの審判三友人の上に下つて其愚は明示せられたのである、彼等は論理に於て精確なりしも其根本思想に於て全然愚妄であつたのである、之に反してヨブは所論支離滅裂なりしも其精神に於て正しく、その心は三友よりも却つて神と真理とに近かつたのである、理論の正確にして徹底せるもの必しも真理を体得せるに非ず理論の不正確にして乱れがちなる者必しも真理より遠きにあらず、理論周到にして知識正確なる神学者の言説却て福音の真髄を外れ、無学にして発表に拙なる一平信徒の信仰却て福音の中心的生命に触る、これ往々にして我等の見る所である、今や神の判定エリパズ等の上に臨みて其愚妄は明瞭となつたのである。
〇さてエリパズ等は命ぜられし如く燔祭を献げ、ヱホバはヨブを嘉納るゝに至つた、其時ヨブは三友人のために祈つた(九、十節)、見よ彼は三友の凡ての悪罵と無情とを赦して彼等のために祈るに至つた、この大なる愛は如何にして生れしぞ云ふまでもなく「是をもて我れ自ら恨み塵灰の中にて悔ゆ」との彼の大なる謙遜の結果である、愛は謙遜に伴ふ、|大なる謙遜に入りし彼は大なる愛を現はし得たのである〔付○圏点〕、己に矜誇《たかぶり》ある時は愛に於て充分なるを得ない、我心神の前に深く謙《へりくだ》だるに至て無情なる友をも、又敵をも愛し得るのである。
〇ヨブ此高き境地に入るに至つてヱホバが彼に災禍を下せし理由は全く消失した、されば「ヱホバ、ヨブの艱難《なやみ》(488)を解きて旧に復し而してヱホバ遂にヨブの所有物《もちもの》を二倍に増し給」ふた、ヱホバは斯くして彼を恵み給ふた、「是に於て彼の凡ての兄弟、凡ての姉妹、及び其もと相知れる ども悉く来りて彼と共に其家にて飲食を為し且ヱホバの彼に降し給ひし一切の災禍につきて彼をいたはり慰め、また各々金一ケセタと金の環一箇を之に贈れり」と十一節に在る、ヨブの病中は傍《そば》に寄りつく事だにしなかつた兄弟姉妹知友たち、今ヨブが病癒えて昔日以上の繁栄に入るや、俄に彼の家を訪ふて飲食し、既に慰めいたはる必要なきヨブを慰め労り、又銀一ケセタと金の環一箇を彼に贈つたとある、人情の浮薄さ東西古今別なきを思つて微笑まるゝのである。(金一ケセタとあるは|銀〔付○圏点〕一ケセタの誤訳である、ケセタは多分銀貨の名であつたと思ふ、一ケセタは寧ろ少額の貨幣であつたと思はれるが斯かる際に習慣として贈られた額であつたのであらう)。
〇十二節は彼の財産の二倍となりし事を記し(第一章と比較せよ)、次に十三−十五節に言ふ。
  又男子七人、女子三人ありき、彼れ其第一の女《むすめ》をエミマと名け第二をケジアと名け第三をケレンハツプクと名けたり、全国の中にてヨブの女子等はど美しき婦人は見えざりき、其父之に其兄弟たちと同じく産業を与へたり。
 女子の名のみ挙げそして其女子が全国に比《たぐひ》なく美しく且男の子同様産業を分与せられたと特記したのは、女子をば特別に貴ぶ当時の風習の表現として注意すべきである、エミマは「鳩」を意味し、ケジアは「肉桂(香料として)」を意味し、ケレンハツプクは「眼に塗る化粧薬の角《つの》」を意味す、原名に於ては孰れも優雅な名であつたことゝ思ふ、「この後ヨブは百四十年生きながらへて其子其孫と四代までを見たり、かくヨブは年老い日満ちて死にたりき」と十六、十七節は語りて約百記は大団円となる、実に悔改後のヨブは此世の幸福と云ふ幸福を以て見舞は(489)れたのである。
〇人は苦難に会ひし後謙遜と悔故に達すれば必ずヨブの如く此世の幸福を以て恵まるゝであらうか、或人は約百記の始と終とのみを読みて物的恩恵は必ず悔改に伴ふべきものとなし、前者に於て足らざるは後者に於て足らざるに因ると考ふ、従つて災禍の下るは其人の信仰足らざるためであると見做す、かくなつては三友人と全く等しき愚妄に陥つたのである、見よヨブは決して物的幸福を願つたのではない、彼は此世の事は全く忘れて唯霊に於て生きんと努めたのである、そして今苦難の中にある其儘にて歓喜の人となつたのである、故にヨブは最後の物的幸福に入ることなくして充分幸福であつたのである、故に之はなくも宜かつたのである、故に約百記は物的恩恵が悔改に伴ふことを教へた書であると做す人あらば是れ大なる誤りである。
〇ヨブは所有物に於て前の二倍となり家富み子女栄えて長寿と健康とを恵まれて、其境遇に於て完全なる幸福を享受するに至つた、故に或人は言ふヨブは前の苦難を悉く忘るゝほどの幸福に入つたのであると、果して然るか、ヨブは後の繁栄幸福の故を以て悲痛極まりし過去を全く忘れ得たであらうか、否! と我等は叫ばねばならぬ、誰か子を失ひし親にして新たに子を賜はるも前の悲痛を忘れ得ようか、一人の子を失ひて十人の子を新たに賜はるも其損失と悲哀を忘るゝことは出来ぬのである、これ誰人に於ても然る所である、ヨブは後の繁栄にありても必ず過去の災禍苦難を想起したことであらう、去りし妻のこと、失ひし子のこと、雇人のこと、其他身の病苦と人の無情、いづれも彼の心に深く食ひこんだものであつて到底忘るゝを得ない事である、故に彼は新しき幸福に浴せしために旧き禍を忘れて満足歓喜に入つたのではない、十九章に記さるゝ「我れ知る我を贖ふ者は活く後の日に彼れ必ず地の上に立たん、我この皮此身の朽果てん後われ肉を離れて神を見ん、我れ自ら彼を見奉らん、我(490)目彼を見んに識らぬ者の如くならじ、我心これを望みて焦る」との大希望に入りし故ヨブに満足と歓喜が臨んだのである、之に比すれば物の恵みの如きは数ふるに足らぬのである。
〇初めのヨブの繁栄と後の繁栄との間に或る大なる相違があることを我等は認める、初は信仰が己にありて神に事へて正しき故この幸福を以て恵まれて居ると彼は考へた、即ち自己の善き信仰と善き行為の結果としての物的繁栄を認めた、これ権利又は報賞として幸福を見たのである、然るに今は何等値なき自分に全く恩恵として幸福の与へられし事を認むるに至つたのである、実に此差別は天地霄壌も啻ならざる差別であつて、ヨブは大苦難の杯を飲みしために遂に斯の如き霊的進歩を遂ぐるに至つたのである、今日を以て云へば前の状態は不信者のそれであつて後は信者のそれである、不信者は物の所有を以て正当の権利と考ふ、故にそれに於て薄き時は不平が堪へない、併し信者は僅少の所有物を以て満足する、これ一切自己の功に因らず全く神の恩恵に因ると思ふからである。 〔以上、大正10・1・10〕
 
(491)     基督再臨の二方面
         (四月十八日摂津西之宮に於ける講演の要点)
                         大正9年6月10日
                         『聖書之研究』239号
                         署名 内村鑑三述
 
  帖撒羅尼迦前書四章、羅馬書八章十一節、哥羅西書三章三節。
 
〇基督再臨には内外の二方面がある、哥林多前書十五章五十節以下、帖撒羅尼迦前書四章十三節以下、殊に黙示録に表はれたるものは外よりする再臨である、即ちキリストが上より此世に来臨して神に従ふ者に大恩恵を施し、神に逆ふ者を悉く鞫き給ふと云ふことである、そして其事は聖書に明記しあることにして、聖書を信ずる者は誰人と雖も拒否し得ざる大教理である、実に再臨とは神の子が天の万軍を率ゐ其栄光を以て此地に再び臨み来ると云ふことである、普通基督再臨として唱へらるゝことは重に之れである、即ち|外的再臨〔付○圏点〕である、そして之については吾人は聖書に記さるゝキリスト及び使徒等の言を以て信仰の根拠とする外ないのである、キリストは其未来観及び約束として度々之を説いた、パゥロは曰ふ「視よ我れ汝等に|奥義を告げん〔付△圏点〕、我等悉く眠るにあらず我等皆終の※[竹/孤]の鳴らん時瞬く間に化せん」と、彼は単に「奥義」を告げんと云ふのみ別に其証明を与へないのである、又曰ふ「われら|主の言によりて〔付△圏点〕汝等に告げん、主の臨《きた》らん時に至り活きて存《のこ》れる我等は直に眠れる者よりは先だ(492)ゝじ」と、即ち彼の主張はたゞイエスの言に根拠を置くのみである、されば外的再臨の信仰は聖書の言を信ずるだけのことにて他に之を完全に立証する道はないのである。
〇乍併この聖書は又再臨の他の方面について語るのである、是れ即ち|内的再臨〔付○圏点〕である、けだし基督再臨とは唯外的の出来事にあらずして信者の中に既に起れる霊の働きの外に現はるべきものである、換言すれば再臨には内外の両方面があつて、内なる方面は信者の心霊内に築かるゝものである、羅馬書八章に於てパウロは曰ふ「もしイエスを死より甦らしゝ者の霊汝等に住まばキリストを死より甦らしゝ者は|其汝等に住む所の霊を以て〔付△圏点〕汝等が死ぬべき身体をも活かすべし」と、また哥林多後書一章に於て曰ふ「彼れ(神)また我等に印し且|質《かた》として霊《みたま》を我等の心に賜へり」と、前者は聖霊我等の心に住みて遂に我等を復活せしむるを云ひ、後者は我等に住む聖霊は天の嗣業《ゆづり》の質(英語 earnest 即ち|手附金〔付ごま圏点〕の意)であるを云ふ、かくて信者は聖書の権威に依て再臨を信ずるに止まらず己が衷に聖霊の証明を有して、内外両方面より再臨を窺ひ得るのである、|されば基督再臨は或部分までは彼の実験し得る〔付○圏点〕ことである、即ち彼の衷にやどる霊――自己が消え失すとも失せざる霊――彼の所有物、彼の肉体、彼の意志そのものさへ覆へされんとする時も尚ほ彼を支ふる霊――即ち彼の心に宿る聖霊――これ勿論彼の死と共に死する者ではない、更に進で死せる肉体をも化して栄光の体とする力を持つものである、此霊が彼の心に宿る以上は彼は心中に確実なる復活の証明を有するものであり、そして復活は直ちに再臨と関すること故彼は我衷に再臨の証明を有することゝなるのである。○かくて再臨は確実なる希望として基督者の心中に存するのである、再臨を外的事件としてのみ見る時は事が余りに絶大であり、ために吾人はそれに圧迫せられて心の平衡を失ひ易く、信仰が極端に傾き易い、併し之に内的(493)証明を加ふる時は再臨の信仰に固き基礎が供せられて吾人は冷静に之に対し得るに至る、されば外なる再臨観に内なる再臨の実験を加へて再臨は最も深く且健全に味はるゝのである。
〇此事を最も能く説明するものは天然である、今や陽春の好期に会して万花その美を競ひつゝあるは我等の目睹する所である、そして春の来方《きたりかた》に亦内外の両面があるのである、太陽の天頂に近づくに因り温度の高まり来る事は春の来る所由なるは云ふまでもない、しかしそれのみでは春は来らない、之に応ずる生命の既に地に準備せられありて内外相伴つて春は来るのである、|砂漠に春の来らざるは温度高まり来るも之に応ずる生命が地にないからである〔付△圏点〕、外なる再臨あるも之に応ずる為の内なる霊の準備なくば砂漠に春の来らざる如く再臨の効果は挙らないのである、地上に於ては秋既に過ぎて冷き死の冬に入るや生命は既に内部に兆して春の到来に備へてゐる、外部に於ては凋落を極むる時地下に於ては生命の根益す深くして春や遅しと待つてゐるのである、而して一陽来復忽ちにして春来るや之に応じて茲に新き天と新き地を見るのである、再臨も亦同様である、キリストは聖書に示す如く慥に再び来る、そしてこの外的再臨の予表たる内的再臨は信者が我心霊の内界に於て実感する所である、神の霊われに注がれて我内部に新世界の礎石の築かるゝを確実なる霊的実験として抱く、これ再臨の内的半面である、故にもし地下に於ける生命の建造を春到来の証拠となし得べくば、信者の衷に築かるゝ此内的再臨はかの外的再臨の証拠と称する事が出来るのである。
〇基督再臨の信仰を内的半面に於てのみ抱く時は其美は失せ、心霊の躍動なく希望の霊燿なく為に心霊そのものが萎縮するに至るのである、故に健全なる再臨信仰は外よりの再臨と内なる霊的実験との二を合せた者でなくてはならぬ。
(494)〇之に関聯して注意すべきは再臨と贖罪の関係である、再臨を信じて贖罪即ち罪の赦免を信ぜぬ人がある、是れ内的建設の不充分を示すものにて危険を伴ふものである、又再臨を信ぜざれど赦免を信ずる人がある、かゝる人は早晩再臨を信ずる処まで進む人である、此種の人は未だ再臨の信仰に達せざるを悲むと雖も決して再臨の教義を嘲るやうな事をしない、之れを嘲る人は必ず罪の赦免の実験を有せざる人である、|再臨はもと/\赦免の実験より出づるもの〔付○圏点〕、罪の赦しが主の十字架にあることを認むる人は必然復活をも再臨をも信じ得るに至るのである、そして赦免の実験に立ちて再臨をも信ずる人は、再臨を望めども之に対して空しき焦燥の態度を執るやうなことはないのである、即ち徒らに架空の計算の上に再臨の時期を定むるやうな事はしないのである、かゝる事をする者は内に霊的実験の基礎を有せざる人たちである、我衷に既に霊の質(手附金)を与へられたる者は再臨後るゝも敢て意としないのである、その早きを望まざるにあらねども早からずとも其安心に変りはない、我衷に再臨の確証を抱くものは再臨が我が欲するが如く近き将来に起らずとも敢て慌て騒がないのである。
〇尚ほ|再臨に消極的、積極的の両面を見ることが出来る〔付○圏点〕のである、前者は再臨を以てキリストの審判施行と見るのである、聖書に記されある顕現的教訓(Apocalyptic teachings)なる者は重に此方面である、そして是れ明かに聖書の記すところ、我等これを信ぜざるを得ないのである、キリストの再臨は地上人類の最後の審判を起すものなることは聖書の明示する所にして我等の確信する所である、そして普通一般に唱へらるる再臨は多くは此消極的方面である、之を信ずるは篤き信仰に依ること勿論なるが、更に之に対して|再臨の積極的半面〔付○圏点〕があるのである。
〇積極的半面とは如何、抑も再臨の時キリストの行ひ給ふ審判は再臨の最終の目的ではなく目的に達する予備である、再臨を以て罪人に対する審判の機会とのみ見るため多くの人が再臨を怖れ其の遅延せんことをのみ祈るの(495)である、併し乍ら聖書は悪人の審判として再臨を伝へず、|再臨の最後の目的は悪人に対する刑罰にあらずして義人の彰栄である〔付△圏点〕、神に順ふ者が最後の栄光を着せらるゝことである、是れ聖書に数多く明示せらるゝ所である、殊に黙示録二十一章及び二十二章の如きは極て明瞭に此事を記してゐるのである、先づ二十章十一節以下を見るに「われ白き大なる宝座と之に坐する者とを見る、地と天と其前に遁れて再び留まるべき所を得ず、彼等各々其行に循ひて審判を受けたり……凡て生命の書《ふみ》に記されざる者も亦火の池に投入れられたり」とありて茲に恐るべき審判――即ち再臨の消極的方面――が描かれて居るのである、然るに廿一章に入れば光景一変「われ新しき天と新しき地を見たり、先の天と地は既に過ぎ去り海も亦有ることなし、われ聖き城なる新しきヱルサレム備へ整ひ神の所を出でゝ天より降るを見る、その様は新婦《はなよめ》その新郎《はなむこ》を迎へんために飾りたるが如し」とありて前章と大なる対照をなすのである、先づ大審判行はれ後に人類の最大理想行はる、乃ち知る|審判は新ヱルサレム建設の準備に外ならず従つて再臨の目的は人類栄化に外ならざる事〔付○圏点〕を。
〇然らば之に依て如何やうの恩恵が人類に下るのであるか、もとより凡て羔の宝血によりて贖はれたる者は栄に与るのである、しかし神は信者を個人々々に救ふに止まらない、彼が彼等に賜はる恩恵は遙かにそれ以上である、之について考ふべきは黙示録の廿一、二章に記さるゝ「城《まち》」のことである、「大なる城、聖きヱルサレム」と記さる、邦訳聖書に|城〔付○圏点〕とあれど城は敵を防ぐ所にして当らず、寧ろ|市〔付○圏点〕と訳して稍々原意を伝ふるに足るのである、されど之にても不充分なるを免れない、原語は polis《ポリス》にて英語 politics(政治)は此語より出でたのである、そして polis《ポリス》とは簡単に云へば「完全なる社会」の意である、されば天より降る新しきヱルサレムと云ふは「神が最後に実現し給ふところの完全なる社会」の意である。
(496)〇此事を心に置きて黙示録の廿一、二章を読めば其の意味は益す明瞭となりその美は益す加はるのである、「われ大なる声の天より出づるを聞けり、曰く神の幕屋人の中にあり、神、人と共に住み、人、神の民となり神また人と共に在して其神となり給ふ也、神かれらの目の涙を悉く拭ひとり復死あらず悲み哭き痛み有ることなし……」と言ふ、即ち完全なる社会ありて神の恩恵完全に現はれ凡ての涙が拭はるゝと云ふのである、人は己一人救はるとも其救は殆ど無価値である、|凡ての兄弟と共に救はれてこそ救は初て救たるのである、神は聖められし霊魂を以て最後に全く聖き社会を造り給ひ、以て個人並に人類に対して最大最終の恩恵を施し給ふ、これ真正の救である、之を離れては個人の救もないのである〔付○圏点〕、再臨は万物完成の時である、喜ぶべき事、讃美すべき事、感謝すべき事である。
 
(497)     THE TEST OF FAITH.信仰の試験
                         大正9年7月10日
                         『聖書之研究』240号
                         署名なし
 
     THE TEST OF FAITH.
 
 A man is saved by faith, and faith is tested by love. A man is saved by faith which loves.He is saved noy by creeds, not by rites and ceremonies,not by church-membership, not by any external or intellectual means, but by faith which works by love.“we know that we have passed out of death into life,because we love the brethren.”We are assured of our salvation when we love.“He that loveth not abideth in death.”Faith which loves not is not true, even though it is most orthodox and most Biblical. Love is the test of faith,as it is of theology,and of all our thinkings and doings. We learn and believe ultimately TO LOVE. Only that is true which makes us to love.I John,V,14.
 
     信仰の試験
 
 人は信仰に由て救はれ信仰は愛に由て験さる、人は愛する所の信仰に由て救はる、彼は信仰箇条に由て救はれ(498)ず、儀式と儀礼に由て救はれず、教会員たることに由て救はれず、其他如何なる外的又は如何なる知的手段に由ても救はれない、唯愛に由て行く所の信仰に由てのみ救はる、約翰第一書十四節に曰へるが如し「我ら兄弟を愛するに由て既に死を出《いで》て生《いのち》に入りしことを自ら識る」と、我らは愛する時に我らの確に救はれたるを知る、実に「愛せざる者は今尚死の中に居る」とあるが如し、愛せざる信仰は真ならず、縦し其信仰が正統教会の全然是認する所であり、又聖書の言に悉く合《かな》ふ所のものたりと雖ども、愛せざる信仰は偽はりの信仰である、愛は信仰を験し又神学を験し、又すべての思想と行為とを験す、我らが学び又信ずるは必竟愛せんが為である、我らをして愛せしむるもの、其もののみが真理である。
 
(499)     〔第弐拾年号 他〕
                         大正9年7月10日
                         『聖書之研究』240号
                         署名なし
 
    第弐拾年号
 
 本誌此号を以て第二百四十号に達す、而して月刊雑誌に在りては第二百四十号は第二十年号である、而して二十年は人の一生の大部分であつて、余輩の場合に於ては其最も大切なる部分であつた、『聖書之研究』は余輩の一生の事業である、余輩は之を成さんが為に世に生れ来つたのである、今より四十三年前、北海道札幌に於て、初めてキリストの福音を信ぜし時に、「余は福音を日本国に伝ふべし、然れども教会又は外国宣教師の援助には一切頼まざるべし」との余輩の青年時代の決心と誓約とが今や事実となりて現はれたのである、他人より見れば採るに足らざる微々たる事業である、然れども余輩自身に取りては血と涙との事業である、余輩は之が為には斯世のすべての物を拗棄た、余輩は基督教をして外国人の宗教たらずして日本人の宗教たらしめんと努力した、余輩は強き愛国心に駆られて聖書の研究に従事した積である、『聖書之研究』は余輩が日本国に献げ得る最上の貢《みつぎ》である。
 
(500)    信者か人か
 
 ルーテルが言ふたことがある「基督信者たる者基督信者に非ず」と、流石はルーテルの言であつて深く玩味すべき言である、基督信者は人の霊的に最も上進せる者、神の子であり、人らしき人である、故に彼は人たらんとする以外に何の特権をも亦特徴をも要求せざる者である、基督信者はキリストの如き人である、而してキリストは人の子であつた、即ち「人」THE MAN であつた、人たらんが為にはユダヤ人なるとサマリヤ人なると、割礼を受くると受けざると、教会に入ると入らざるとは毫も失格の理由とならないのである、The Christian is God Almighty's gentleman.「基督信者は全能なる神の認め給ふ紳士なり」と云ふ、実に然り、此意味に於ての紳士たり得る以上は、教会又は宣教師等に信者として認められざる事の如きは毫も顧るに足りない、我らは神の子イエスに傚ひ、|基督信者ならざる基督信者〔付○圏点〕、即ち地に在りては自ら賓旅《たびびと》なり寄遇者《やどれるもの》なりと言ひて天の彼方に家郷《ふるさと》を尋ぬる者となるべきである。
 
    イエスの誠
 
 イエスにも亦誡があつた、彼は言ひ給ふた「若し汝等我を愛するならば我誡を守るべし」と(約翰伝十四章十五)、而して亦其誡の何たる乎を述べて言ひ給ふた「我が汝等を愛する如く汝等も亦互に愛すべし是れ我が誡なり」と(同十五章十二)、依て知るイエスの誡の斯世の宗教家の誠と全然異なる事を、斯世の宗教家は誡めて言ふ「汝等此事を為すべし又彼事を為すべからず、此儀式に列るべし彼の儀礼に与るべし」と、然るにイエスは判然(501)と言ひ給ふた「汝等互に相愛すべし是れ我が誡なり」と、斯して斯世の宗教家等は重く且つ負ひ難き荷を括りて人の肩に負《おは》するに対して、イエスは唯一事を其弟子より要求し給ふ、即ち「汝等互に相愛すべし」との事是れである、実に使徒ヨハネが言ひし如く「その誡は難からず」である(約翰第一五章三節)、愛するは難くない、楽しくある、誡と云へば苦行難業を聯想せしむると雖も、イエスの誡のみは享楽である、彼は汝等互に相愛すべしと誡めて律法の誡を変へて愛の勧告と成し給ふた。
 
    救拯の確証
 
 信者は何人も救拯の確証を握らんと欲す、曰ふ「我が救はれし確証何処に在る乎」と、而して或者は之を強烈なる霊的印象に求め、或者は水のバプテスマ又は教会の承認に認む、然れ共是れ孰れも頗るに足らざる証拠である、救はれし確証は唯一つである、愛し得る事である、「我ら兄弟を愛するに因りて既に死を出て生に入りし事を知る、愛せざる者は死の中に居る」とある(約翰第一四章十四)、愛する乎、其人は確に救はれたのである、愛せざる乎、其人は未だ救はれないのである、彼がバプテスマを受けし事も、リバイバルに与りし事も、眩きばかりの天よりの光明に接せし事も、彼が愛するに至るまでは確に救はれし証拠にならないのである、基督者《クリスチヤン》は何者である乎、此の教義、彼の教理を信ずる者ではない、愛する者である、愛し得る者である、敵を赦し、仇恨《うらみ》を懐かず、寛き温き心を以て彼を愛し得る者である、信仰箇条も何も要つたものでない、|愛する者が信者であつて愛せざる者が不信者である〔付△圏点〕。
 
(502)    基督教の競争者
 
 今や基督教に代はらんとし、又は基督教を凌駕せんとする主義信仰が数多唱へらる、日蓮主義あり、大本教あり、太霊道あり、ニイチエ主義あり、文化主義あり、社会民主々義あり、孰れも基督教を排し、取て之に代はらんとして居る、彼等或ひは其目的を達する乎も知れない、併し乍ら基督教は千九百年間に渉る世界的歴史を有す、故に取て之に代はらんと欲する者は基督教以上の歴史的経験を有するを要す、日蓮主義をして倫敦又は巴里又は紐育《ニユーヨルク》に於て叫ばしめよ、大本教の「お筆先き」を少くとも英仏独の三国語に翻訳し、以て文明人士の批判に委ねしめよ、ニイチエ主義は未だ百年の歴史を有せず、故に其効力は未だ以て之を基督教と比較する能はず、其他文化主義、社会民主々義等皆な然り、彼等は基督教に比べて年齢に於て小児である、人類は未だ幼稚、彼等如き者に全然信頼することは出来ない、而して余輩の実見せし所に由れば彼等の生命は至て短かくある、余輩の短き生涯の間に幾多の主義が起て又倒れ、生れて又死んだのである、中江兆民の無神無霊魂主義は彼の著書と同じく一年有半以上の生命を有たなかつた、報徳宗は大政府の後援ありしに拘はらず今や人の顧る者殆ど無きに至つた、ウイルソン大統領のデモクラシーも今や人の之を口にする者さへ無く、世界改造又は人類解放の声も亦今や将に消えんとして居る、日蓮主義が果して世界的勢力たり得るや、未だ試みられざる試験である、時は最良の試験石である、人類は欺き難き裁判官である、二千年の長き間、全人類に試験せられて、主義と信仰とは其真価を認めらるゝのである、而して余輩の信ずる基督教は此の試験を経過したる者である、「それ人は既に草の如く、其栄は凡て草の花の如し、草は枯れ其花は落つ、然れど主の言は窮なく存つなり」と謂はれし其言である、四千年(503)前にアブラハムを以てカルデヤのウルに始まり、世界歴史の中心として今日に至りし者である。
 
(504) 『研究第二之十年』
                          大正9年7月20日
                          単行本
                          署名 内村鑑三 著
〔画像略〕初版表紙191×132mm
 
(505)    序言
 
 基督教の聖書は如何に見ても世界最大の書である、而して此書をして我日本人の書たらしめん事が余の生涯の目的また努力また祈願であつた、余は余の生涯の大部分、然かも其最善の部分を此事の為に費した、勿論事実は理想に及ばざる事遠しと雖も、余が此事のために努力も犠牲も惜まなかつた事は事実である、而して此書は此努力の一部分である、前に『研究十年』を出し、今之に次ぐに『第二之十年』を以てす。
  我等が年を経る日は七十歳に過ず、或は壮にして八十歳に至るも、其誇る所は唯勤労と悲哀とのみ、その去り往くこと速にして我等も亦飛去る(詩篇第九十篇)
 然れども此短き人生の間に少しなりとも世界最大の書なる聖書と最美の国なる日本国の為に尽すを得て余は生き甲斐のある生涯を送りしやうに感ずる者である。 
  大正九年(一九二〇年)六月二十八日    内村鑑三
 
    例言
 
一、此書は明治四十三年(一九一〇年)十一月より大正八年(一九一九年)十二月に到るまでの間に於て、雑誌『聖書之研究』に掲げられし研究的論文中より、比較的に価値ありと信ずるものを択みて之を一書となせしものなり。
(506)一、論文発表の年月並に掲載の雑誌号数は目次に於て之を録したり。例へば「イエスの系図 一九一四、一六二号」とあるは、該論文は千九百十四年(大正三年)一月発行第百六十二号より転載せりとの意なり。
                     著者誌
 
〔目次〕
基督に関する研究
 イエスの系図一九一四、一 一六二号
 自己に関するイエスの無能
  一九一一、一二 一三七号
 キリストの神性に関する新約聖書の明言
  一九一五、一一。一九一六、二 一八四、一八七号
 約翰伝の示せるキリスト
  一九一五、六 一七九号
 猶太の祭事とキリスト
  一九一三、一一 一六〇号
 我等の万事なるキリスト
  一九一四、二 一六三号
 義なるキリスト 一九一七、五 二〇二号
 
信仰に関する研究
 信仰の必要と其性質
  一九一一、二 一二八号
 信仰の強弱 一九一五、二 一七五号
 恩恵の解 一九一四、六 一六七号
 信者の三大知覚 一九一五、一二 一八五号
 加拉太書第五章五節の研究
  一九一六、一二 一九七号
 約翰第一書三章一、二、三節の研究
  一九一七、一 一九八号
(507) アブラハムの信仰
  一九一三、一〇、一一、一二 一五九、一六〇、一六一号
 パウロの信仰 一九一三、一二 一六一号
 基督教の大問題 一九一一、一〇 一三五号
 
聖書に関する研究
 新約聖書に現はれたる思想の系統
  一九一〇、一二 一二六号
 新約聖書の預言的分子
  一九一一、五 一三〇号
 聖書の預言的研究
  一九一八、一、二 二一〇、二一一号
 聖書の読方 一九一六、一一 一九六号
 馬太伝と路加伝 一九一二、七 一四四号
 約翰伝は何を教ふる乎
  一九一四、九、一〇、一二 一七〇、一七一、一七三号
 腓立比書の通読 一九一二、九 一四六号
 ステパノの演説 一九一五、四 一七七号
 ピリボの伝道 一九一五、五 一七八号
 羅馬教会の建設者
  一九一八、一〇 二一九号
 造化の教訓 一九一四、二 一六三号
山上の垂訓に関する研究
 第一 取除くべき三個の誤解
     一九一四、三 一六四号
 第二 最大幸福=心霊の貧
     一九一四、三 一六四号
 第三 平和の祝福
     一九一四、三 一六四号
 第四 信者と現世
     一九一四、四 一六五号
 第五 天国の律法
     一九一四、五 一六六号
 第六 馬太伝第五章二十八節の真意
     一九一二、八 一四五号
 第七 天国の宗教
     一九一四、五 一六六号
 第八 信者と蓄財
     一九一四、五 一六六号
 第九 目の善悪 一九一四、六 一六七号
 第十 悪の処分 一九一四、五 一六六号
(508) 第十一 祈祷の効力
         一九一四、五 一六六号
 
(509) 〔『研究第二之十年』再版 大正15年2月20日刊〕
 
    再版に附する序
 
 此書成りて茲に六年、漸くにして初版二千部を売尽し再版を見るに至つた。其の需要たるや至つて僅少であるが、然し年を経るもその絶えざるを見て感謝する。人の思想は大天才のそれと雖も野の花の如く、朝に咲いて夕に散る。永久に存るものは唯神の思想を伝ふる聖書のみである。此書小なりと雖も幾分なりとも聖書の了解を助くる者なるが故に幾分なりとも其永久性を附与せられしことゝ信ず。聖書を日本人の書と為さんとの半百年の努力空しからずして、聖書が事実上日本人の書と成りつゝあるを目撃して感恩の念に堪えない。栄光限りなく聖書の神にあらんことを。
  大正十五年(一九二六年)二月十五日    内村鑑三
 
(510)     FORGIVENESS OF SINS.罪の赦し
                         大正9年8月10日
                         『聖書之研究』241号
                         署名なし
 
     FORGIVENESS OF SINS.
 
 SALVATION begins with forgiveness of sins. No forgiveness,no salvation;therefore, no Christianity.All that is true and good and beautiful in Christianity,begins with forgiveness of sins.God forgiving our sins in Christ, and we by faith accepting His forgiveness,and forgiving others as He forgave us,――this is the beginning of our Christian life in all its manifold significances.Reconstruction,the New World,united churches and the heavenly Jerusalem are possible as sure consequences of repentance and forgiveness of sins. When nations sit at the feet of Christ,and implore forgiveness of their sins,then tbe true reconstruction of the world begins,and not till then. Politics,economics,and ethics cannot take the place of forgiveness of sins,aS dynamics for individual and social revolutions.
 
     罪の赦し
 
(511) 救拯は罪の赦しを以て始まる、罪の赦しなくして救拯なし、故に基督教あるなしである、基督教に在る凡ての真なる事、凡の善き事、凡の美はしき事は罪の赦しを以て始まる、神、キリストに在りて我等の罪を赦し給ひ、我等信仰を以て其赦しに与り神が我等を赦し給ひしが如くに他を赦して、茲にキリストに在る我等の生涯は姶まり、凡の方面に於て其意義を実現し得るに至る、人類の理想たる改造、又新らしき世界、又一致せる教会、又天より降るヱルサレム、是れ皆な悔改と罪の赦しの必然的結果として成立し得るものである、凡の国民がキリストの十字架の下に跪き其処に彼等の犯せし罪の赦しを乞ふ時に、其時に世界の真の改造は行はる、而して其時にあらざれば決して行はれない、政治も経済も倫理も、個人的並に社会的革命の原動力として罪の赦しの代理を為すことは出来ない。
 
(512)     善きサマリヤ人
                         大正9年8月10日
                         『聖書之研究』241号
                         署名なし
 
 爰に一人の教法師あり、自己《みづから》を義とせんとてイエスに曰ひけるは「我が隣人とは誰なる乎」と、イエス答へて曰ひけるは「或人ヱルサレムよりヱリコに下る時強盗に遇へり、強盗その衣服を剥取て之を打擲き瀕死《しぬばかり》になして去りぬ、斯る時に或る祭司此路より下りしが之を見過《みすぐし》て行けり、又レビ人も此に至り進み見て同じく過行けり、或るサマリヤ人旅して此に来り之を見て憫み、近よりて油と酒を其傷に沃ぎ之を裹みて己が驢馬に乗せ、旅館に携往《つれゆき》て介抱せり、次日《つぎのひ》出る時銀二枚を出し館主に予へ、此人を介抱せよ、費用もし増さば我れ帰る時汝に償ふべしと曰へり、然れば此三人の内誰か強盗に遇ひし者の隣人なりと汝思ふや」と、彼れ曰ひけるは其人を憫みたる者なりと、イエス曰ひけるは「汝も往きて其如く為よ」と(路加伝十章二九−三七節)。
〇隣人とは誰ぞ、同志とは誰ぞ、兄弟とは誰ぞ、必しも同国人ではない、必しも宗教家ではない、異邦異教の人なりと雖も、憫む人、愛の行為に出る人、其人は隣人であり、同志であり兄弟である、ユダヤ人はサマリヤ人を賤視《いやしん》だ、悪鬼に憑れたる民であると思ふた、然るに主イエスは彼の理想の善人を此のサマリヤ人の内に視たまふたのである、善は何人に依て行はれても善である、而して神は時々自己を神の前に義とする所謂宗教家を去り給(513)ひ、異教徒として賤視めらるる民の心に宿り彼等をして正教徒以上の善行を為さしめ給ふ。
〇使徒ヤコブ曰く「人善を行ふ事を知りて之を行はざるは罪なり」と(雅各書三章十七節)、義を見て為ざるは勇なき也ではない、善を知て之を行はざるは罪なりと云ふのである、祭司とレビ人とは善と知りつつ之を見過した、然るに異教のサマリヤ人は善を行ふの機会を与へられて喜んで之に応じた、主イエスは属するの教会なき異邦異教の民の内に此|真善〔付○圏点〕を認め給ふた、貴きかな主イエス!、彼は真に異教徒の弁護者、無教会信者の救主である、彼は「汝も往きて其の如く為よ」と言ふの外、何をも命じ給はなかつた、彼を喜ばし奉る事はたゞ愛を行ふ事である。
 
(514)     夏期雑感
                         大正9年8月10日
                         『聖書之研究』211号
                         署名 主筆
 
〇|夏と冬〔ゴシック〕 夏は夏として善くある、冬は冬として善くある、春は春として善くある、秋は秋として善くある、日本は日本として善くある、米国は米国として善くある、英国は英国として善くある、独逸は独逸として善くある、物の善悪は物其ものに由て極まらない、之に対する我等の態度如何に由て定まる、神を信じて物として善ならざるはなきに至る、神を信じて夏の暑さに堪ふるを得べし、冬の寒さに堪ふるを得べし、英国人の気儘勝手に堪ふるを得べし、英国人の自尊傲慢に堪ふるを得べし、神を信じ、永生獲得の権利を賦与せられて、我等はすべての事を忍び、すべての人に耐ふることが出来る。
〇|人生の旅行〔ゴシック〕 人生は旅行である、我等各自は或る目的地に向つて旅行するのである、而して我等は途中多くの人に遭遇する、之を称して旅伴《りよはん》と云ふ、或は短き距離の間、或は遠き距離の間、或は目的地に達するまで、我等は彼等と同行するのである、或は車を共にし或は舟を共にす、而して共に在る間は我等と彼等とは旅伴であつて友人である、我等は彼等に対し出来得る限りの親切を尽さざるべからず、自己を愛するが如くに彼等を愛せざるべからず、然れども目的地は旅人各自に由て異なる、下ノ関まで行かんと欲する者は神戸に下車する者に対して「汝も亦我と同じく下ノ関まで行かざるべからず」と言ふことは出来ない、然れども、彼が神戸に達するまでは(515)我は彼に対して為し得る限りの誠実を尽さざるべからず、同車時間の長短は我れ之を定むる能はず、然れども人、我と同車する間は我は彼に対して友人たるの義務を果さざるべからず、人に会ふて復た離れ、友を作りて亦失ふ、人生の悲歎之よりも大なるはなしと雖も、然し是れ我等各自の罪にあらず、人生其物の然らしむる所である、但我等は人として、殊に基督者《クリスチヤン》として、我等が人生の旅行に於て遭遇するすべての人に対し、我等の最善を竭すべく努力せざるべからず、一年間の友人に対しても十年間の友人に対するが如くに、然り終生の友人に対するが如くに、同一の好意を表し、同一の誠実を尽さざるべからず、人生は旅行である、善行は義務である、我と舟車を同うする者に対して、期間の長短を間ふを要せず、基督者《く》は其主の如くに、善きサマリヤ人の例に傚ひ、報酬を無視し友人関係の永続を度外視して、為すべきの善を為さざるべからず、人、我と共に在る間は我が友人である、我は彼に対し我が最善を竭すの義務を有す、其他の事は我が関する所に非ず。
〇|師弟の関係に就て〔ゴシック〕 余は人が何時までも余の弟子として有らんことを欲しない、彼が余より学び得る丈けを学びし以上は、余より離れ、独立して神の器として働かんことを欲する、是れ余に対する不信に非ずして却て義務である、余は余の弟子を作らんが為に伝教するのではない、神の器を作らんが為に彼に役《つか》はるゝのである、但し余は余を通うしで道に入りし者が余を離るゝとも余を敵視さざらんことを欲する、余も亦一時は彼等に取りて必変なりし者である、今や用なきに至りしとて彼等に敵視せらるゝの理由はない、余も亦永久に余の弟子に縛られない、然り縛られてはならない、余も亦「此|牢《をり》にあらざる別《わかれ》の羊を有《もて》り」である(約翰伝十章十六節)、「彼等をも引来らん」が為に余は遺はさるゝのである、永久の師は惟一人である、即ちイエスキリストである、我等は彼の為に合ひ彼の為に離る、合ふも彼の為である、離るゝも彼の為である、キリストの教に「永久の先生」なる者は(516)ない、使徒パウロが曰ひし如くである、「或はパウロ或はアポロ或はケパ……是は皆な汝等の属《もの》なり、汝等はキリストの属、キリストは神の属なり」と(哥林多前書三章二二節)、而してキリストの為に合ひキリストの為に離れて我等は何時か復た彼に在りて合はざるを得ない、離れるのは暫時である、此世に於てゞある、ヨルダン河の彼岸《かなた》、光り輝く讃美の里に於て、師は一人にして弟子はすべて兄弟であれば、我等は彼処に会ふて復た離れず、集りて再たび散ぜざるのである。
 
(517)     想秋録
                         大正9年8月10日
                         『聖書之研究』241号
                         署名なし
 
  東京市内大手町の聖書講演会は来る九月十二日(第二日曜日)午前十時を以て開きます、引続き約百記を講じます、秋風肌に滲《しみ》る頃、ヨブと共に信仰の頂天に攀登り、其処に此世ならぬ霊界、風に吹かれたく欲ひます、聖書をして日本人の国民的経典たらしむるの実を挙げんことを期します。
〇今年は米国合衆国の建設者清党祖先が太西洋を横断して初めて彼国に上陸せし第三百年紀であります、是はコロムブスの西大陸発見に勝さるとも劣らざる世界歴史上の大事件であります、依て神若し許し給はゞ来る十一月を期して紀念演説会を設け、此出来事の意義を我国人に伝へたく欲ひます、清党の精神を我国人に鼓吹するは目下の急務であると信じます、真個の自由と愛国心とは聖書より出るものでありまして、此事を実現したる者が清党祖先であります、彼等の歴史を学ぶは活ける聖書の研究であると同時に、又生ける社会問題の研究であります、ミルトンの詩として誦《そら》んぜられ、レムブラントの絵画として賞美せらるるカルビン主義の聖書的信仰が新デモクラシーの基礎を据たのであります。
 
(518)     『山上の垂訓に関する研究』
                           大正9年8月15日
                           単行本
                           署名 内村鑑三
 
〔画像略〕初版表紙188×126mm
 
(519)    緒言
 
 馬太伝所載キリスト山上の垂訓は基督教道徳の根本である、随つて基督教を学ばんと欲する者は先づ之を明かにするの必要がある、此小著は此目的を以て大正元年(一九一二年)以来数回に亘り雑誌『聖書之研究』に掲載せし註解的論文を纏めて一書となしたる者である、基督教研究の一助たるを得ば感謝である。
  大正九年(一九二〇年)八月九日             内村鑑三
 
第一 取除くべき三個の誤解
第二 最大幸福=心霊の貧
第三 平和の祝福
第四 信者と現世
第五 天国の律法
第六 馬太伝第五章廿八節の真意
第七 天国の宗教
第八 信者と蓄財
第九 目の善悪
第十 悪の処分
第十一 祈祷の効力
 
(520)     NOT TO BE A CHRISTIAN.基督信者たらざらん事を
                         大正9年9月10日
                         『聖書之研究』242号
                         署名なし
 
     NOT TO BE A CHRISTIAN.
 
 LUTHER said a very deep thing,When he said:He who is a Christian is not a Christian.The Christian is not a special set of people,but a man par excellence.Jesus was not a Christian, but a Son of Man, THE MAN.Christianity,aS ordinarily understood,is a segment of Humanity,nOt Humanity itself;and to be a Christian is to be a sectarian,and not a man.Oh then not to be a Christian! Said a prophet:The LORD hath shewed thee,O man,What is good;and what doth the LORD requlre of thee,but to do justly,and to love mercy,and to walk humbly with thy God? (Micah vi,8.)To be a man,a man like the Lord Jesus Christ,that is to be a Christian.An unmanly Christian is a veritable antichrist.
 
     基督信者たらざらん事を
 
 ルーテルが曾て言ふたことがある、曰く「基督信者たる者は基督信者に非ず」と、是は実に深い言である、基(521)督信者は一種特別の人ではない、|人らしき人〔付ごま圏点〕である、イエスは基督信者でなかつた、彼は人の子であつた、即ち人であつた 普通解せらるゝ所に依れば基督教はユーマニチー(人たるの道)の一部分であつてユーマニチー其物でない、循つて基督信者は教派の人であつて人其者でない、然らば我は基督信者たらざらん事を欲ふ、預言者言へるあり曰く
  人よ、彼(ヱホバ)さきに善事《よきこと》の何なるを汝に告げたり、ヱホバの汝に要め給ふ事は唯正義を行ひ憐憫を愛し謙遜りて汝の神と偕に歩む事ならずや
と(米迦書六章八節)、人たる事、主イエスキリストの如き人たる事、其事が基督信者たる事である、人らしくない基督信者は真個のアンチキリスト即ち偽せキリストである。
 
(522)     〔誤解の恐怖 他〕
                         大正9年9月10日
                         『聖書之研究』242号
                         署名なし
 
    誤解の恐怖                          
 誤解せられざらん事は不可能である、此世は素より誤解の世である、故に如何なる真理、如何なる人たりと雖も誤解せらるゝが当然である、主イエスキリストが誤解せられた、パウロが誤解せられた、ルーテルが誤解せられた、而して今尚誤解せられつゝある、彼等は世人に由てのみならず彼等の弟子と称する者等に由て誤解せられた、又今尚誤解せられつゝある、我等縦し完全の人たるを得、完全の真理を宣伝ふるを得るとも世の誤解を免かれないのである、然れば誤解を恐れずして進むべきである、時を得るも時を得ざるも真理と信ずる事を大胆に唱へて進むべきである、社会の誤解、教会の誤解、信者の誤解、不信者の誤解……彼等は人である、故に正当に人を解する事が出来ない、「我を審判く者は主なり」である(コリント前書四章四節)、世に愚人多しと雖も世の誤解を恐るゝ者の如き愚人はない、而かも斯る愚人は甚だ多いのである、我れ自身が動もすれば斯る愚人と成るのである、警むべきである。
 
(523)    聖書道楽
 
 聖書研究は動もすれば聖書道楽に変じ易くある、而して今日の所謂聖書研究は多くは聖書道楽である、聖書の文字的研究、考古学的考証、註解書の蒐集、聖書学者優劣の闘議、曰くゴーデー、曰くマイヤー、曰くデリッチ、曰くランゲと、然れども聖書は此の如くにして識ることの出来る書ではない、聖書は迫害の血を以て書かれたる書である、故に迫害の血を以てするにあらざれば解する事の出来ない書である、書斎に籠り、字典と文法を相手に其意義を探らんと欲するも無効である、勿論知識有るは知識無きに勝ると雖も、知識は実験の代用を為す事は出来ない、信仰の為に戦はずして聖書は解らない、福音の為に迫害《せめ》らるゝ事、其事が聖書最善の註解である、此苦痛を経ずして註解書は山を為すとも聖書は解らない、聖書道楽は最も悪しき道楽である、是れ聖物を弄ぶの類である、故に之に適応する神の刑罰を免れない、心霊的傲慢が其れである、真理を解せざるに解したりと思ふが其れである。
 
    イスカリオテのユダ
 
 彼はイエスに好く肖た人であつたらう、十二使徒中唯一のユダヤ成育の人であつたから殊に聖書に明るく世事に通じ、時には実際問題に就て其師に忠告する程であつた(約翰伝十二章四節)、使徒等の内に在りて彼に対する彼等の信用の如何に厚かりしかは彼に彼等が使徒団共有の金嚢を託せしに由ても判明る、彼は温厚であつた、篤実であつた、同情心に厚くあつた、故に団中イエスを除いては彼が第一人者であつたに相違ない、後に至つてこ(524)そ彼等の内の一人は彼に就て「彼は貧者を顧《おも》ふに非ず窃者《ぬすびと》なり」と断言せしと雖も、それは彼の反逆の事実が現はれて後の事であつた(六節)、使徒等は最後まで彼れユダを信じた、イエスが「汝等の内一人我を売《わた》すなり」と言ひ給ひし時に彼等各自は「主よ我なる乎」と問ふて、よもやユダが其人なりとは信じ得なかつた、実にイエスのみ惟りユダの何者なるを知り給ふた、而して彼れ時にユダに関する彼の意見を洩し給ひしや、ペテロもヨハネもアンデレも答へて曰ふたであらう「師よ、酷なり、彼は斯る悪人に非ず」と、然れども師の見る所は真であつて弟子の見る所は間違つて居た、ユダは終にイエスを其敵に売した、彼は実に悪魔即ち淪亡《ほろび》の子であつた、イエスに最も好く肖たる彼はイエスの第一の敵であつた、イスカリオテのユダがアンチキリストであつた、偽キリストであつた、キリストに肖て彼と相併んで其栄光を奪はんとした、ユダの反逆は彼の失望に起つたものである、彼は弟子等を欺き得た、然れどもイエスを欺き得なかつた 而してイエスに己が本性を看破せられて、失望憤怒の極、かの怖るべき行為に出たのである、而してユダの族《やから》は今も尚絶えない、真の信仰の在る所には必ずイスカリオテのユダが居る、而して彼を判別するの困難は今も昔と異ならない、|ユダはイエスに最も好く肖たる者である〔付△圏点〕、イエスと優劣を争ふて人を己に引寄《ひきよす》る者である、「此世は禍なる哉、……礙《つまづ》く事は必ず来らん、然れど礙を来らす者は禍なる哉」とイエスの言ひ給ひしは此事に就てである(馬太伝十八章七節)。
 
    ベタニヤのマリヤ
 
 イエスは詩人テニソンの所謂「強き神の子」であつた、故に彼が為し得ない事は何もなかつた、彼は五箇《いつゝ》のパンと二尾の魚とをもて五千人を養ひ得た、彼は生来《うまれつき》なる瞽者《めしひ》の眼を開き得た、死せるラザロを復活《よみがへら》し得た、海の(525)大風を静め得た、天地万物は彼の命に従つた、|然しながら彼に唯一つ為し得ない事があつた、それは自己の為を計る事であつた〔付○圏点〕、彼の敵が彼を嘲けりて「人を救ひて己が身を救ふ能はず」と言ひしは事実であつた、イエスは人類を救ひ得しも御自身をば救ひ得なかつた、而して亦彼の周囲の人等も彼を犒はんとは為なかつた、彼等は思ふた、イエスは強き神の子である、故に人を救ふ者であつて人に救はるべき者ではない、彼は人の供する慰藉を要し給はない、彼の喜び給ふ事は人の助けられん事であつて、御自身の慰められん事ではないと、斯くて世全体は勿論の事、彼の弟子等までも彼御自身の慰に就ては心を配らなかつた、然るに爰にマリヤ一人、衆と異なりイエス御自身の慰安に就て思慮《おもひ》を運らした、彼女は其蓄へし価《あたへ》高き香膏《にほひあぶら》を携来《もちきた》りて之をイエスの首《かうべ》に斟《そそ》いだ、之を見て弟子等は怒つて言ふた「此|麋費《つひえ》は何故ぞや、若し之を売らば多くの金を得て貧者《まづしきもの》に施すことを得ん」と、斯くて弟子等は何処までも人の事を思ふて師の事を思はなかつた、其事に就て彼等は全然マリヤと見る所を異にした、然るにイエスはマリヤの此行為を非常に嬉しく感じ給ふた、故に彼は言ひ給ふた「彼女は我に善事を行へる也、貧者《まづしきもの》は常に汝等と共に在り、然れど我は常に汝等と共に在らず云々」と、茲にマリヤ一人は世を慰むるイエス御自身を慰めんとした、貴きは婦《をんな》の心である、公人としてのイエスを崇《あが》むる者は多かつた、然れども私人としての彼を慰むる者は甚だ稀であつた、而してベタニヤのマリヤが此少数中の第一人者であつた、彼女に対する彼の感恩の念を述べんとてイエスは言ひ給ふた「天下何処にても此福音の宣伝へらるゝ処には此婦の行《なし》し事も亦紀念の為に言伝へらるべし」と、名誉此上なしである(馬太伝二十六章六−十三節)。
 
(526)     新約聖書大観
         是は去る七月廿三日より廿五日に至るまで三日間に渉り箱根強羅に於て開かれたる平信徒夏期修養会に於て為せる講演の大意である。
                大正9年9月10日
                『聖書之研究』242号
                署名 内村鑑三 口述 畔上賢造 筆記
 
    第一回 四福音書
 
〇題して新約聖書大観と云ふ、これ新約聖書の大骨子について語らんとするのである、事は甚だ困難であるが亦甚だ重要である、凡そ聖書は一節について、又は一章について、又は一書について研究する事が甚だ大切であると等しく全体について総括的の研究をするのも亦甚だ大切である、そして後者に最も適せる者は聖書学者ならずして寧ろ平信徒である、余亦平信徒の一人として平信徒の立場よりの見方を茲に述べんとするのである、故に此講演は「平信徒の観たる新約聖書」と題することも出来るのである、問題は広く且大きい。
〇新約聖書を多年愛読せし者は其各書に一として無用のものなきを知る、そは各の書が各の場合に於て自己に適切なることを実験上味ふからである、之を天然に譬ふれば新約聖書は恰も箱根や日光の如きものであつて、塩原や伊香保のやうに単調ならず、山あり噴火口あり温泉あり湖水あり瀑布あり 多趣多様容易に人を飽かさない(527)のである、我等は一生の間聖書の各処を周り歩きて倦怠を感ずることはない、その各書は或は我等の知に、情に、意に、或は喜憂楽苦の各の場合に必ず訴ふる処あるのである、実にかゝる書は世界広しと雖も聖書のみである、これ平信徒実験上の真理であつて、神学者が之に反対するも不信者が之に怪訝の眼を向くるも、事実は事実であつて打消し難いのである。〇然し乍ら玄に一問題が起るのである、新約に二十七書ありて幾人かの著者の筆に成れる別々の集輯書である、一人の作ではない、然るにそれが恰も一人の作なる一書の如き働きをなすは何故であるか、茲に数名の彫刻家が各々首、胴、手、足等を彫み之を合せて一の活ける美術品を作るとせば人誰か其無謀に驚かぬ者があらうか、且二十七書中には信ずるに足る者あり又足らぬものありと云はれてゐる、従つて其価値も一様でないと云はれる、例へば約翰伝の如きは一の小説の如きものであると做す学者あり、パウロの作として伝へられある書翰中に於て以弗所書や牧会書翰の如きは大に疑はれて居るのである、次に著作の年代より云へば帖撒羅尼迦前書最も早く共観福音書の如きは紀元六十五−七年の間に成りしもの也と云ふ、殊に約翰伝の如きは紀元百年前後の作であると云ふ、然る時われらは四福音書の記事をどこまで信ずべきかと云ふ問題が起るのである、甚しきに至つては福音書中真にイエスの発せし語と認めらるべきものは僅かに七語に過ぎぬと云ふ学者さへ在るのである。
〇かくの如き学者の疑に対して平信徒の心は如何なる方向に動くであらうか、浅き者は附和雷同を好むも深き実験に立つ者は之に反撥抗議するのである、その実験の上にイエスの神性、復活、昇天、再臨の約束等の記事を真と認めざるを得ないのである、これ之等が信仰の不可分的部分なるがためである、平信徒はその実験とその本心の要求とに照らして学者の誤謬を正すべきである、本講は神学者の推断に対する平信徒の弁護である。
(528)〇聖書の各書がその著作年代の順序を逐ふて排列されずして現存の如く編纂せられあるは大に意味のあることゝ思ふ、著作年代を逐ふて排列せらるゝ時は聖書全体の意味が朦朧となる、然るに現存聖書の如き排列は甚だ有意味である、先づ馬太伝の劈頭にイエスの系図を掲げて彼の由て来る所を示し黙示録の最後にイエス再臨の喚求を載す、此一事を以て見ても新約聖書の統一ある一書なるを知るのである、之を全体として見ればイエスの由来、降誕、宣教、死、復活−教会の成立、発達、腐敗−教会及び全人類の審判と云ふ順序を逐ふて記されて居る、かく見る時新約聖書全体が一の完全なる書たるを知るのである。
〇四福音書が最初に載せられあるは意味深きことである、先づ福音を学ぷに当つて最初に学ぶべき事はイエスの言行である、イエスの言行は歴史的に第一でありしと共に心理的にも第一でなくてはならぬ、最初に書翰又は黙示録を置くは読者を惑はすことである、福音書は是非とも新約の第一に立つべきものである、而してイエスの伝が四種あるは亦大に考ふべきことである、或は曰はん四を要せず全きもの一を要すと、然し是れ難きを望むことである、フルードのカアライル伝の如きは優秀無比のものと見做さるれど尚多くの遺憾ありと云ふ人が少なくなかつた、一を以て完きを望むことは出来ない、幸にイエスにありては其言行を伝ふるもの四ありて各彼の一方面を伝へ、この四を合せて一の完全を現はすのである、実に幸なるは主イエスキリストが四人の理想的なる伝記者を有した一事である。
〇先づマタイは自身が純粋の猶太人にしてメシヤ出現の待望に住み、その待望のメシヤをイエスに於て見出したる人なる故、その著はせし馬太伝は猶太人に向つてイエスの救主たるを証明せんとの目的より生れしもの、されば徹頭徹尾ユダヤ式である、斯くイエスが猶太人の理想実験者たるは慥かに彼の一面の事実である故馬太伝の存(529)在また甚だ大切である、然し之だけにては勿論足らない、乃ちマコは羅馬人の立場より馬可伝を著はしたのである、かの公的精神に充溢れ完全なる政治を以て理想とせし羅馬人の立場よりイエスを見れば、彼は完全なる君王《カイザル》にして神の力を世に施し勝利の連続を以て一生を貫きし人である(馬可伝は好んで直ちにと云ふ語を用ひてゐる、これイエスの力の無碍神速なる発揮を意味するのである)、公的精神に立ちしマコより公的精神に立ちし羅馬人に向つて公的精神の完全なる実現者としてのイエスを伝ふ、これ馬可伝である。
〇猶太人あり、羅馬人あり、そして次に希臘人があつた、彼は人情の美を知り人の本性の自然さを貴び、情あり涙あり、文芸美術を愛好する優雅の民であつた、ルカは希臘人にして希臘的教養を豊かに抱ける人であつた、彼はこの希臘人の立場よりイエスを観て、情の人、美の人、人道の人として描いた、故に優美にして慈光に富む路加伝が生れたのである、又路加伝が婦人と小児との福音書と称せらるゝ理由も茲に在る、前の二福音書になき記事の路加伝に在る者の如き希臘入にして医者たるルカの此心持を説明するものである、例へば『善きサマリヤ人の話』の如き如何にも彼の好んで採用しさうな材料ではないか、彼は此材料を発見して如何に飛びたつ歓びを以て「これこそ我福音書に取り入るゝべき珠玉である」と叫んだことであらうか、実に彼はイエスを世界人類の救済者として描くを目的として殊に其慈愛、その恩寵、その|やさしさ〔付ごま圏点〕を強調したのである。
〇猶太人、羅馬人、希臘人、これ当時の三大民族であつた、そして共観福音書は各々此中の一民族の立場に立ちて其民族のために著はされたものであれば、共観福音書ありて当時の三大民族に教ふるに於ては充分であつたのである、然し此三福音書を読みて茲に新たなる一間題が生起せざるを得ない、そは此のイエスの本性如何の問題である、アブラハムの子、ダビデの子にて足るか、人類の完き代表者にて足るか、完全無疵なる人、罪を犯さゞ(530)りし人と見て足るか、人類の道徳的及び宗教的の理想と見て足るか、或は進んで彼を全人類の崇拝すべき神と見るを選ぶべきか、抑もイエスの本性如何、人として生れ人として生き且死したるナザレのイエスを単に人類の一員と見て足るか、共観福音書に高貴無比なる彼の聖姿を拝せし後我等は彼の本性について如何の考察を下すを正しとすべきか、これ等の疑問に答ふるものはヨハネの著はしたる約翰伝である。
〇約翰伝は民族の囲ひを脱け時間空間を超え、絶大なる宇宙的哲学観の立場よりしてイエスの本質を語れるものである、劈頭まづ「太初《はじめ》に道《ことば》あり、道は神と偕に在り、道は即ち神なり」と断ず、時間を超越せし太初に於ける空間を超越せし世界を想ひ、そこに父と子の偕在を見、そして此子が時来つて「肉体となりて我等の間に宿れ」るもの是れ即ちナザレのイエスであると云ふ、げに荘大神秘なるイエス観である、約翰伝は斯くイエスの本質を高く且深く観て記されたるイエス伝である。
〇以上の如くにして四福音書ありてイエスは猶太的、羅馬的、希臘的、人類的の四方面より描かれて完全に描かれたのである、故に今日まで人として其伝記の上に最も完全に記されたるはイエスである、長き伝記は他に甚だ多い、また一人の伝を幾人かの記者が記したのも少なくない、しかし四福音書の如く四人の完全なる伝記々者が其|主人公《ヒーロー》の特徴を四方面より観察して之を記し、以て完全なる一人として之を示す者は他にないのである、我等は此の四福音書あるがためにイエスの全体を知ることが出来、彼を知り己が罪を知り而して救を知るに至るのである。
〇世の信者と称する者にしてイエスを知らぬ者少からぬは何の故ぞ、救の源はイエスを知るにある、信仰の源はイエスを知るにある、彼を学ばずしては福音的生命の門戸をすら潜《くゞ》り得ぬのである、先づ馬太伝に依てイエスの(531)道徳を学び馬可伝に依てイエスの能力を知り、次に路加伝に於てイエスの恩恵《めぐみ》を味ひ、最後に約翰伝に於てイエスの本性を悟る、かくしてイエスを知ること全きに至るのである、凡て生命の源はイエスに在る、我等は先づ四福音書に帰りて充分に源を養はねばならない。
〇イエスを知りて遂に救に浴するを得るに至り、救に洛すれば外部的活動は自ら表はれざるを得ない、イエスを知りて救に浴せし使徒等は外部的活動の舞台に入りて福音を猶太に、希臘に、羅馬に、世界に弘布するに至つた、かくて使徒行伝と書翰とは当然現はれざるを得ない、これ次回講演の主題である。
 
     第二回 使徒行伝と書翰
 
〇イエスの言行は四福音書に記されて完全に伝へられて居る、之を読みて其美はしきに撲たれ之のみにて足ると做す人がある、近世の「パウロよりイエスに還れ」と云ふ叫の如きはそれである、パウロはイエスの単純を化して複雑となせし人、神学と教会との創始者にして有形無形の圧抑を人の魂に加へた人である、そして現今の基督教は実は是れパウロ教である、故に我等は此パウロの支配を脱してイエスに帰り彼にのみ依て生命の至純に汲むべきであると云ふのである、此種の人々の唱ふる処に由れば神性、贖罪、復活、再臨等はパウロの創造した教義であつて全くイエスの与り知らぬ所であると云ふのである。
〇果して四福音書のみを以て事は足るか、これ吾人の慎慮考究すべき問題である、先づ我等を苦しむることはイエスの誡の実行難である、「己の如く汝の隣を愛すべし」と言ひ、「汝|施済《ほどこし》をする時右の手の為す事を左の手に知らする勿れ」と云ひ、「天に在す汝等の父の完きが如く汝等も完くすべし」と云ふ、いづれも是れ貴き誡めである、(532)我等衷心より之を実行せんと欲し完全なるイエスの姿を前に置きて偏に彼に倣ひて完全ならんと欲する、然るに理想は茲にあれど事実は茲に至らない、これ凡ての基督者の心を悩ますることである、而して若し四福音書のみを以て足れりとする時は、我等は此重荷を課せられて而も之を取り去る道はないのである。
〇更に進んでパウロの創造せしと云はるゝ贖罪、復活、再臨等の教義が吾人本性の深き要求に合し霊魂の飢渇を医すは平信徒の実験上に確実なる事である、これ等は勿論福音書以外に於て其充分なる解明《ときあかし》を有つものである故此意味に於て福音書以外を不用とするは甚だ困難である、然のみならず之等の教義は四福音書にあるイエスの言行に於て明に其萌芽を発せるものなる故、之を全然無視すると云ふ事は四福音書そのものの解釈上にも無理を生ずるのである、故に四福音書の外にも必要なる文書ありと考へ、それに依て我等が教へらるゝと共に更にそれに照らして福音書の記事の意味を益す明かに悟ると云ふが最も健全なる道である、而して余は斯く信ずる者である。
〇例へば羅馬書の如きは如何、世界最大の書と云ふべき此書を我等は不用として無視し得るであらうか、此書の唱ふる所について如何なる批評をもなし得べしと雖も此書なくしては福音は解らずと断定し得るのである、或場合に於ては此書さへあれば福音書なくも可なりと云ひ度きほどである。
〇以上の如く考察する時吾人は福音書即ちイエスの言行のみを以て足れりとすべきでない事がわかる、まことにイエスの事業はその生時を以て終つたのではない、即ち四福音書を以て終つたのではない、彼の事業は更に別の道をとつて進展し、使徒行伝となり、更に羅馬書以下の各書翰となりて現はれたものと見るべきである。
〇之に就て先づ見るべきは馬可伝一章一節である、此節は実は此福音書の題名にして単に「神の子イエスキリストの福音の|始〔付△圏点〕」と記されて居るのである(邦訳聖書の|これ〔付○圏点〕と|なり〔付○圏点〕は除くべきである)、この「始」とは何を指すか(533)ゞ問題である、二節以下に記さるゝヨハネの運動を指すと做す人あり其他種々の説あるも、既に此語が題名の一部である以上之を以て馬可伝の内容全部を指したものと見るべきである、即ち著者マコの見る所に依れば馬可伝の内容即ちイエスの言行は福音の|始〔付△圏点〕なのである、果して然らば福音は福音書を以て尽きないのである、福音書所載の記事は福音の全部にあらず其「始」たるに過ぎないのである。
〇同じ意味に於て注意すべきは使徒行伝一章一節である、之を原語の通りに訳せば「テヨピロよ我れ既に前書《まへのふみ》を作りて凡そイエスの行へる所教へし所の|始〔付△圏点〕を録《しる》し」となる、「前書」とは路加伝を指すのであれば路加伝と使徒行伝との著者なるルカは路加伝の内容を以て「イエスの行へる所教へし所の|始〔付△圏点〕」と見たのである。
〇約翰伝十四章二十六節は「我が名に託りて父の遺はさんとする訓慰師《なふさむるもの》即ち聖霊は衆理《すべてのこと》を汝等に教へん……」とのイエスの約束を載せてゐる、之と等しき事が十五章二十六節、十六章八節等に記されて居る、これイエスが生前に教へし所にては足らず昇天後聖霊を以て更に教へんとの意味であつて四福音の後篇を予想する語である、尚ほ二十一章にはイエスが岸に立ちて指揮し弟子たちをして大漁獲を為しめし奇跡が載つてゐる、彼が共に舟に乗らざるは従来の奇跡と異なる点である、そして此世に於けるイエスの言行終りて聖霊の活動将に始まらんとする此過渡期に於て此奇跡ありしは決して無意味ではないと思ふ、是れ以後の神国発展にはイエスが直接その衝に当らずして弟子たちが聖霊の指導を受けて之に当るべき事を象徴的に教へたものではあるまいか。
〇されば神の国は決して福音書を以て終つたのではない、イエスの働きを弟子たちが継承して使徒行伝及び書翰の出現となつたのである、先づ使徒行伝を見るにそれが甚だ面白き書たるは万人の認むる所である、此書については之まで学者の研究絶えず今なほ種々の研究が現はれるのである、その各章一として興趣の豊かならぬはなき(534)中にも、十七章に記さるゝパウロの典獄いぢめの場面の如き(三十七節以下)は偉人の諧謔味を伝ふるものとして無限の味あり、二十六章に記さるゝアグリツパ王の面前に於けるパウロの大演説の如きは今尚ほ読者の血を湧かしむる大文字である、使徒行伝の史的価値について学者間に種々の異説あるも兎に角その偉大なる書たるは明瞭である。
〇使徒行伝の骨子は一章八節に記さるゝイエスの語なる「されども聖霊汝等に臨むに因りて後汝等力を受けヱルサレム、ユダヤ全国、サマリア及び地の極にまで我証人となるべし」なる一句の中に在る、聖重の活動によりて(在来の如くイエスの直接の活動に依らずして)弟子たちが力を得て、エルサレムよりユダヤ、サマリヤ、異邦まで福音を宣播した事績を記すものが使徒行伝である、此一節は実に使徒行伝を圧搾せしものであり、使徒行伝は此一節を開展せしめたものである、されば此書は大体から云へば聖霊の外的活動の記録であつて、其内的活動の記録たる書翰と相対するものである、彼が思想たるに対して是は歴史である、而して使徒没後の基督教史は実に使徒行伝の続篇であつて今日の基督者は尚ほ此続篇に筆を染めてゐるのである、キリスト再び臨《きた》るまでは彼は其代理者たる聖霊を以て世にその業をなす、此意味に於て使徒行伝は未だ完結せず尚ほ執筆せられつゝあるのである。
〇使徒行伝は聖霊活動の歴史である、聖霊の活動なくして一事として貴き事は起らない、余は現今の基督者が聖霊降下を祈求することの極めて大切なることを痛感するものである、我等基督者は此罪悪世界に対して一団となりて奮闘せざるべからざるに、内を顧て不和、分争、弛緩の著しきに慨歎せざるを得ない、|実に聖霊接受の稀薄こそ現代基督者の最大欠点である〔付△圏点〕、或は自己を無力微弱と卑下して一大偉人の出現を待つと云ふ者あらんも其の
(535)遂に百年河清を待つの類として終らざるを誰か保し得べき、むんろ自身まづ聖霊を祈り求めて人のため、同胞のため、国のため、世界人類のために働かんと力むべきである、此心なく此行なくして基督信者たるも何の効ぞ、其名に対して塊づべきではないか、我等もし熱心に祈り且努めてやまずば或意味に於て自己自身がパウロたりペテロたり得るのである、ガリラヤの漁民、タルソの学究召されて一度聖霊を注がるゝや「ヱルサレム、ユダヤ全国、サマリア及び地の極にまで」福音を弘通せしむべく働く、その働きを記したものが使徒行伝である、我等亦霊感に魂を揺り動かされて全世界教化の業の一部を担当すべきではないか、諸君に此大なる聖望なきか、余は混乱の洪波に漂ひつゝある日本民族、支那民族、印度民族……黄色人、白色人凡てのために信者一人々々奮起せんことを熱望せざるを得ない。
〇使徳行伝の次に新約聖書を占むるは書翰である、その中重なるものは使徒パウロの書翰である、そして羅馬書以下腓利門書までの十三書翰は全部彼の作であつて、他の使徒の書翰は其後に載せられて居るのである、其中牧会書翰の如きは大に疑はれつゝあれど其れは暫く別問題として、彼の書翰が著作の年代に従はずして排列せられあるは大に意味あることゝ思ふ。
〇即ち先づ羅馬書は各個人が如何にして救はるゝかを教へたものであつて救済そのものゝ純粋なる発表として凡ての最初且基礎たるべきものである、まことに悔改、赦免、救拯は如何なる意味に於ても第一に立つべきものである、個人の救は実に凡ての貴き事の根源である、他を救ひ世を救ふと云ふも自ら先づ救はれずしては空言たるに過ぎない、羅馬書が書翰部の第一に在るは頗る有意味であると云はねばならぬ。
〇悔改めて義とせらるゝ者はおのづから相会して兄弟的団体を作る、これ即ちエクレーシヤである、召し出され(536)たる者の会合の義である、之を「教会」と訳せるは拙悪である、英語にて之を Church と云ふは「神の家」の義であつて日本語の「教会」にまさる万々である、このエクレーシヤにつきて最も良き教を垂るゝは哥林多前書及び後書である、その会員の踏むべき道、その教師の採るべき態度等凡そエクレーシヤに関して実際上に必要なる種々の教が此両書に載つて居るのである。
〇次に加拉太書は羅馬書と相補足するものであつて史的外衣の下に救済の根本義を説いたものであるが、史的なるだけそれだけエクレーシヤと関係せる所深き故これを哥林多書の次に置くは合理である、そして次の以弗所書は此エクレーシヤの本質を説示せるものにてキリストの体《からだ》として之を見、腓立比書はエクレーシヤと其数師との間に起れる美はしき心情の関係を示し、哥羅西書はエクレーシヤの首《かしら》たるキリストの本質を明かにす、以下概ね此類である。
〇即ち新約聖書の書翰部は個人心霊の救拯より出発して信仰生活に必要なる各方面の教訓を載せたるものである、これ単にその記者等自身の教ではない、実に聖霊が彼等を通して我等に教ふるのである。
〇我等は右の如くに使徒行伝と書翰とを解せんとするものである、そして茲に我等は尚ほ一問題の残留せるに気がつくのである、そは四福音書に於て早く既にイエス自身の未来事に関する予言少からず在るのみならず、更に使徒行伝及び書翰に至つて使徒たちの確実なる希望としての予言ありて、その希望の熾烈強固にして精気横溢せる到底これを無視し去るを得ないのである、これ即ち世の終末、キリストの再臨、新天新地出現の予言である、その云ふ所によれば伝道成功して教会膨大するや内部に種々の罪悪、過誤、異端行はれ一般社会も亦溷濁汚敗を極め、遂にキリスト再臨して審判を加へ、救ふべき者を救ひて永遠の生命に浴せしむるのである、教会が思ひし(537)ほど完全の場所にあらざるは摯実なる魂の人を大に失望せしむるものである故、何等かの希望を以て此失望を打消すは霊的生命の維持上に極て肝要である、これ即ちキリストの予言に立脚せる再臨の希望であつて之を主として取扱ひたるが新約最後の黙示録である。
〇|信望愛〔付○圏点〕の三は信者の生命の必須なる部分である、そして新約聖書を此三項目の下に大別して四福音書の中心を|信〔付○圏点〕と見、使徒行伝と書翰を|愛〔付○圏点〕の提唱と見、黙示録を|望〔付○圏点〕を語る物語と見るは大体に於て誤らないと思ふ、右の中其一をも欠くことは出来ない、福音はこの三脚の上に立ちて初めて安全又完全である、然らば黙示録を怪奇の文字として排し去ることは出来ない、新約聖書全部が大切であつて其中に無用なるものは一もない、殊に黙示録の如きは望《ばう》の説明者として四福音書及び書翰と相並んで主要なる地位を占むるものである。
 
     第三回 黙示録
 
〇聖霊の活動に因る福音の弘通を以て足れりとし之にて世界の黄金時代来るべしと信ずべきか、少くとも福音書、使徒行伝、書翰は此種の世界観を我等に提供しないのである、先づ馬太伝十三章二十四節−三十節を見よ、世の終まで麦と稗子《からすむぎ》とが共存し最後の時に至て初めて稗子は焚かるゝといふのである、稗子は外形甚だ麦に似たる草であつて殊に其成長の初に於ては寸分異らないのである、ために之を見分ることは難しい、従つて収穫の時まで之を存し置くを万全の策とする、義人と悪人とは其外形に於て甚だ相似て共に世の絡まで此世に存する、「収穫《とりいれ》まで二つながら長《そだ》ておけ」である、然らばイエスは此世に最後まで善悪の併存する事を予言したのである、是れ実に福音の宣播さるゝこと盛ならば遂に世界悉く救はれて此世は黄金世界となるべしとの通俗的普通の見解を真(538)向より打破する思想である、|世の終までに世は聖化さるべしと曰はず〔付○圏点〕|世の終の後に新世界生るべしと云ふのである〔付◎圏点〕、同一の終末観が四福音書の各処にあるのである。
〇その他羅馬書八章を見よ、哥林多前書十五章を見よ、帖撒羅尼迦後書を見よ、其処に世界の終末−キリストの再臨−新天新地の出現が明示せられ居るではないか、そしてパウロが其生涯の終に方て書きし書翰に至つて此色の益す濃厚となる傾きあるに注意すべきである、其一例として提摩太後書四章一節−八節の如きを見よ、キリストの再臨と審判の観念は其処に明白に表はれて居るのである、パウロの書翰以外にも此事は明記されてゐる、彼得後書三章の如きを見よ、終の日に於ける不信の徒の嘲笑、主の忍耐、されど盗人の夜来る如く突如として起る主の再臨、その時の万物の敗壊を述べ、十三節に至つて「されど我等は其約束に因りて新しき天と新しき地を望み待てり、義その中にあり」と記してある、世界の漸々的聖化ではない、万物の敗壊である、|然る後の新天地である〔付○圏点〕、これ聖書の屡ば明示する世界未来観であつて通俗的未来観とは絶対に相違せるものである。
〇かゝる未来観が福音書や書翰に散見せるのみにて聖書が終らば我等は聖書の不完全を思はざるを得ない、四福音書にては足らずして使徒行伝と書翰を要する如く、使徒行伝と書翰にては足らずして他に之を補ふものを要す、即ち書翰に示されし世の終末を鮮かに、生々と、且豊かなる内容を以て描き出づるものを要す、是れ即ち黙示録にして世の終より新天新地に至るまでの経過を詳述したものである、かくして聖書の出せし問題の解決を聖書みづからが与へるのである。
〇然れば黙示録は其位置より云ふも其思想より云ふも聖書の結論である、凡そ如何なる書に於ても結論は極て大切なるものである、之を除いて其書の根本精神を明知することは出来ない、独り奇しむ彼聖書に於てのみ人は何(539)故に結論たる黙示録を無視するのか、聖書より之を除けば聖書は不完全となる如く、信者の思想より此書を除けば彼の信仰は不完全となるのである、基督者は是非とも黙示録を敬読しなくてはならない。
〇人が此の書に躓く理由の一は黙示録と訳せられし其名である、黙示とありて如何にも神秘的に聞えて解し難く感ぜられるのである、これ英語 The Revelation の訳字ならんも原名 Apokalupsis《アポカルプシス》(Apocalypse)は「顕現録《けん/”\ろく》」とでも訳すべき文字である、隠れ居るものが次第に現はるゝ事を意味するのである、一章一節に「これイエスキリストの黙示」とあるは「これイエスキリストの顕現」と改むべきものであつて、今や天に在りて父の右に坐し人の眼に見えざる彼が次第をなして現はるゝことを意味するのである、かく見れば此書が必しも神秘不可解のものでないことが解るのである。
〇此書を解釈するに其内容を既成の出来事と見る学者と未成の出来事と見る学者と二通りある、前者を Preterist(過去解釈者)と云ひ後者を Futurist(未来解釈者)と云ふ、前者は黙示録の預言は今日までに既に実現せられたるものと見る、此派の学者には日露戦争の預言も此書に在ると做す人がある程にて、黙示録の預言を悉く今までの世界史に宛て箝めるのである、之に反して後者は此書の預言を以て尚未来の事を示したものとなすのである、余は後者に倣ひて黙示録を以て世の終末前後の状態の預言と見る者である、此見方は黙示録を文字通りに解し得るの便を与ふるものであつて、平信徒に取つては寔に簡単便利なる見方である、たゞに簡単便利なるのみならず是れ最上の見方であると余は思ふ。
。黙示録の大意は一言にして尽すことが出来る、世は次第に堕落し行きて遂に最悪の状態に至り其時神の審判行はる、七の封印開かるゝ毎に審判又審判相重なりて世に臨み、遂に悪人は悉く除かれ悪は悉く失せ神を信ずる者(540)は救はれて、茲に壊敗し去りたる世界の跡に新天新地出現し、其処に神を信ずる者は永久の歓びに入ると云ふのである、これ明かに黙示録に示す処であつて昔の熱心なる信者は此儘これを信じ得たのである、今や之を信ぜざるは普通の事の如く見做さるゝ程に人々は冷淡となつた、しかし右の如き終末観が聖書の最後にある重要なる一文書に明記せられあるは誰人も否定し得ぬことである、反対者と雖ども聖書の未来観が右の如くである一事は否定し得ないのである、そしてイエス及び使徒たちの未来観も之であつたことは少しも疑ひ得ないのである、而して今の反対者は之を当時の時代思想の罪に帰して排し去らんとし、又は時代思想の衣を脱いで之を現代風に見るべしとなす、これ果して正しき道であらうか、もとより我等と雖も何等の準備なくして直ちに黙示録の言を其儘受けいれよと迫るのでない、それを受け得んために相当の思考を要し信受の根柢たるべきものを要するのである。
〇先づ基督者の実験に訴へて此事を考へて見よう、初め信仰に入り進んで十字架を認めて罪の赦しの恵に洛し、己を己のものとせずして己を神に献げんとの心を起すに至るは普通の順序である、併し乍ら努力数年静かに己を省みる時果して如何であらう、神に己を献ぐると云ふも果して全然献げて居るであらうか、罪の尚は我に残れる事何ぞ多き、心の汚れ行の悪は尚ほ甚だ多い、かゝる状態を以て果して我等は満足し得るであらうか、我等の心には現状を打破して完全に達せんとの冀欲《きよく》が我本性の願として熾烈ではないか、我信仰足らざるが故に此不満と此冀欲とが存すると云ふか、然らばルーテル、ウェスレー等偉大なる信仰家も尚我信仰の不充分にして罪の残れるを歎じたのは何故であるか、げに己に対する不満は真の基督者の特徴であり従つて完全への冀欲も亦同様である、而して此完全の実現せらるゝはキリスト再臨に因て起る新天新地に於てゞある、故に我完成の願ひ切々たる基督者に取つては再臨の福音は霊の渇を医す天与の甘露である。
(541)〇又我等は自分一人救はれて満足する者であるか、こは余りに利己的である、我等は兄弟たちと共に救はれんことを欲する、愛する者と再会せんことを望む、人類の一員として人類と共に救はれんことを願はざるを得ない、更に進んで我等は自然界と共に救はれんことを欲する、「万の受造物《つくられしもの》は今に至るまで共に歎き共に苦むことあるを我等は知る」、そして「受造物の虚無《むなしき》に帰せらるゝは其の願ふ所」ではない、彼等の「切望は神の諸子《こたち》の顕はれんこと」である、かくて再臨に因る新天新地は即ち自然界の救拯完成である、げに我等は一人にて最後の栄化に入るを願はず人類と自然界と皆相携へて最後の完成に入るを願ふ、全宇宙の救拯とは此事を云ふのである、そして是れ黙示録の描き出す所、聖書全体の我等に与ふる大希望である。
〇世界は漸々改善せらると云ひて黙示録的終末観に反対する人がある、世界の進歩とその漸次的完成は果して予期し得べきことであらうか、交通の進歩等謂ゆる物質的文明の発達は誰人も認むる所であるがそれと反比例に人類は多くの貴きものを失つたのである、人心の荒敗今日の如き甚しき時代が曾て有つたであらうか、世界大戦乱はその予期に反して世界に平和と改善とを齎らさずして淆乱と醜悪とを持ち来つたのである、今や紛々たる争闘は随処に行はれて腐敗と憎悪は人心の深底にまで達したやうに思はれる、各国今や戦備に汲々たる有様であつて更に大なる世界戦乱の生起は予言者を俟たずして明かなる事である、世界は益す悪化せんとす、基督教会の力を以てするも此世を聖化することは出来ぬのである。
〇然らば如何、我等の働き無効ならば寧ろ懶惰放逸を選ぶべきではないか、否然らず、怠る勿れ、又失望する勿れ、主イエス再び此世に臨るまで此腐敗世界の真只中にありて福音の城を守れ、そして腐敗世界の中より神を信ずる者を獲んと努力せよ、戦は著しいであらう、涙が我糧たることもあらう、痛恨骨に徹することもあらう、し(542)かし間もなく汝はキリストを拝し得るが故に、そして其時凡ての困苦辛痛は償はれて余りあるが故に、その時までの暫時を忍耐して働け、彼を待望しっゝ働け、此大なる希望の中にありて働く時は此世に於ける苦闘も亦楽しきものとなるのである、茲に於てか知る再臨の希望は信者を無活動ならしむる者にあらずして却て彼の活動を強め且深めるものである事を。
〇数十年にして日本全国を基督化するを得べしとは明治初頭の信者等の期待であつた、而して今や果して如何、信者の数は多少殖えしは事実であるが之を日本の全人口に比例して誠に云ふに足らぬ少数ではないか、想起す今を去ること三百年前の七月二十二日、百〇三人の英国清教徒は僅かに百八十噸のメーフラワ号に乗じて大西洋の荒波に向つて解纜し、十二月二十一日に米大陸プリマスに上陸した、彼等は本国の信仰圧迫を逃れて心霊自由の天地を北米の荒野に求めんとしたのである、彼等は自由と正義の行はるゝ完全なる神の国を新大陸に築かんことを理想とした、彼等の理想は果して遂げられしや如何、三百年後の今日もし彼等の一人が甦つて今の米国を見たりとせば其感果して如何であらうか、彼は電気とガソリンを以てする今の物質的文明に驚愕の眼を張《みは》るであらう、同時に聖書を棄てゝ顧みざる彼等の信仰と道徳の現状にも驚愕の眼を張るであらう、そして驚愕の次には深き失望が彼等を襲ふであらう、彼等が其生命を賭し心魂を枯らして努めたる新社会の理想は彼等の子孫に依て蹂躙し去られたのである!
〇然らば失望は世のためを計る基督者の唯一の報酬であるか、或意味に於て然り或意味に於て然らず、もし基督再臨の希望を抱かずば失望を味ふのみである、世は最後まで悪の存する所である、稗子は麦と共に世に茂つてゐるのである、終りに至らずしては稗子は焚かれないのである、併し乍ら人の力に因らず神の大能を以てする最後(543)の世界完成あれば我等何をか怖れ何をか失望せん、たゞ忠実に、歓びて且忍びて真の麦の播種に徒はんのみである。
〇黙示録は三年半にして審判結了し新天地出現すると云ふてゐる、この世界最後の大事件がかゝる短時日に於て果して終了するであらうか、然りと我等は答へる、天然物に訴へて之を考ふるに天然は準備は長くも完成の急激なるを示してゐる、桜樹は一年間花を開く準備をしてゐるが春風駘蕩の好期に会すれば突如として一時に爛漫の美花を開く、完成は急激であつて準備は徐々である、我等は完成の急遽たるに会するも予め期する処なる故当然の事として怪まないのである、北海道の春は突如として起る、これ特にその嬉しき理由である、しかしその準備は短くなかつたのである、赤道直下にては暁は最も暗き時である、そして突如として日輪出で光は急遽として照り渡るのである、之を人事に照らして考ふるも一時に救に入る人の多き如き、聖霊が長き準備をなし居りし故に彼の悔改が急激に起るのである、宇宙の完成は急激に起り短時日間に終了す、しかも其準備は長いのである。
〇最後に黙示録二十章十一節より二十一章四節までを見よ、審判を受けて死と陰府と火の池に投入れらるゝ者無数、而して後「新しき天と新しき地」生れ「聖き城《まち》なる新しきヱルサレム」現はれ「神人と共に住み人、神の民となり神また人と共に在して……彼等の目の涕を悉く拭ひとり復死あらず哀み哭き痛み有ることな」き状態に至るのである、かくて、「前の天と前の地は既に過ぎ去り」、「前の事すでに過去」るのである、げに新天新地、完全なる社会、これ吾人の望みてやまぬ天国である。
〇かゝる理想の実現はもと/\神の大能の所動に因るとは云へ吾人亦之を切望し又そのために努力すべきである、恰も子が或物を造らんとして努力しつゝある時父遂に子の望む物を――更に良き物を――みづから子に与ふる(544)如く、我等が理想社会を獲んと信仰的に努力しつゝある時神は之を更に完全なる形に於て我等に与ふるのである、此事を期待せるが故に我等は益す努力するを得、又此|望〔付ごま圏点〕ありて信も愛も強められるのである。
〇以上の如くにして聖書全部を信、愛、望として理解信受して我等の悟りは全く歓びは充実するのである、この三者は是非とも基督者になくてならぬものである。
       *     *     *     *
〇如斯くに見て新約聖書は一書である、合集ではない、之を新約聖書文学と称して其真意を誤り易くある、勿論人に由て書れし書である、然し乍ら人が自分で書き、自分で編纂したる書であると思はれない、何者か人以外の者が彼等をして書かしめ彼等をして編纂せしめしやうに見える、新約聖書は如何《どう》して成りし乎、其事は判明らないとして、今日吾人の手に存する者の二十七書に非ずして唯一書である事は、長く之を霊的に嗜読せし者の疑はんと欲して疑ふ能はざる所である、各書は其置かれし位置に於て読んで最も明かに其意義を発揮するのである。
〇聖書は人に由て書かれたる書ではない、神御自身が聖霊に由て書き給ひし書であるとは旧い説であるが、真理に最も近い説である、近代人は之を一笑に附して顧ずと雖も、基督者の実験は之に裏書きしてその真理なるを証明するのである、「聖書は皆な神の黙示なり」とある(テモテ後書三章十六節) 英語を以て言ふならば Every Scripture is God-inspired 聖書各部は神のインスピレションなりと、而して各部が爾であるが故に全部が爾である、聖書は伝へられし其儘に読んで意味が最も明瞭、解するに至て易く、且つ意義深長、興味|湧《わき》て尽ざるの書と成るのである。
 
(545)     基督再臨の兆《しるし》
                      大正9年9月10日・10月10日
                      『聖書之研究』242・243号
                      署名 研究生
 
  イエス橄欖山に坐し給へる時弟子ひそかに来りて曰ひけるは何れの時此事あるや、又爾の来る兆と世の末の兆は如何なるぞや、我等に告げ給へ(馬太伝二十四阿三節)。
〇余輩が基督再臨を唱へてより茲に三年、然るに再臨は未だ行はれず世は依然として旧の世なるが故に、教会の神学者と社会改造論者等は余輩を嘲りて曰ふ「キリストが約束したりと云ふ其臨るは何処に在るや、万物皆な開闢の姶と何の変る所なきに非ずや」と(彼得後書三章四節) キリスト未だ来らず故に永久に来らざるべし、彼が再び来ると云ふは霊的に人の心に来るに外ならず、彼が復活体を以て天に昇りし如く再び来るべしと信ずるが如きは世を惑はし基督教を誤る者なりとは彼等の所謂基督再臨説排斥の声である、実に彼等の再臨説攻撃は多くは福音的基督教の攻撃である、彼等は基督再臨を否認せんが為には福音主義が拠て立つ根本義を否認するのである、キリストの神性、罪の贖ひと其赦し、キリストの復活と其昇天、彼等は明白に是等の根本教義を否認して、彼等の称する基督教なる者を築かんとするのである、斯くして再臨の事に就てのみ彼等と余輩とは信仰を異にするのではない、神とキリストと罪と贖ひと赦しと復活と永生と来世と、福音の中枢的真理に就て信仰を異にするのである、故に彼等にして若し基督者《クリスチヤン》ならん乎、余輩は基督者でないのである、余輩にして基督者ならん乎、余(546)等は基督者でないのである、道同じからざれば相共に語らずである、余輩は再臨に就てのみならず基督教其物に就て彼等と語るの必要なく、亦語るも何の益するなしである、故に余輩が此処に又他の処に於て再臨に就て語るは彼等を説伏せんが為ではない、同人の信仰を強めん為である、キリストの復活と昇天を信じ、聖書の明示に循ひ彼の再臨を待望む者の、其の信仰、其の希望を強め且つ確めん為である。
〇キリストは未だ来り給はない、世の終末はさう早く来るものではない、然れども「彼の来る兆」は年毎に益々明白に現はれつつある、聖書は幾回か繰返してキリストの再来を予言すると同時に明に再来の兆を示して居る、而して人類の歴史は聖書の明示に循ひ其道程を進めつゝある、而して昨年より今年に渉りて再来の兆は最も鮮かに世界歴史の上に現はれた、余輩は其の多くに就て語らない、其最も顕著なる三つに就て語る、即ち|民主主義の発達である、教会の腐敗堕落である、ユダ国の再建である〔付○圏点〕。
〇言ふ迄もなく民主々義の発達は過去三年間の著しき現象である、対独世界戦争は民主々義の現化なる北米合衆国の参戦に由り全然此主義の勝利に終つたのである、「世界をして民主々義に適合せしめん為」とは米国人の戦声《ワークライ》であつた、而して彼等は美事に其目的を達した、世界と人類とは此大戦に由て民主化せられた、是れ人類の大進歩であると言ふ、進歩か否か余輩は知らない、然れども聖書の予言の大実現なる事は明白である。民主政治が人類最後の政治なる事は聖書の明かに示す所である、試に但以理書第二章を見ん乎、其|啓示《しめし》たるや誤らないのである、過般の大戦争に由て民主々義は長大足の進歩発達を為したのである、即ち過激主義《ボルシエビズム》の出現を見たのである、民主々義を其極端にまで持運びし者が過激主義である、王なし、首長なし、人は相互の同輩であるの他に何等の指導拘束を認めずと云ふのが此主義である、聖書が明に示す所の「凡て神と称ふる者又人の拝む所の者に敵し之(547)より超《すぎ》て己れを尊し」とする所の主義である(テサロニケ後二章四節)、而して此主義一たび露国に於て勢力を握るや、欧洲全体は其威嚇の下に置かれたのである、スラーブ人種は既に帝政の下に在りて欧洲文明を脅《おびおやか》せしと雖も、今や過激化せられて何者も之に当る事能はざらんとして居る、ウイルソン大統領の目的は|達せられ過ぎて〔付△圏点〕民主々義は過激主義にまで進化したのである、然し乍ら驚くに及ばない、神に反きし人類は其往くべき所にまで往きつゝあるのである、斯くなりてこそ神の預言は実現されつゝあるのである、キリストは未だ臨らない、然し乍ら臨らんとする前兆は過激主義の実現に照らして見ても明かである。 〔以上、9・10〕
 教会は世が終末《おはり》に近づくに循つて愈々向上し愈々聖化せられて天国を地上に実現するに至るべしとは普通一般に信ぜられ又唱へらるゝ所であるが、聖書は其正反対を教へ、事実も亦聖書の教ふる所を証明するのである、教会は芥種《からしだね》の如く、其始は小なれども忽ちにして大なる樹となりて天空《そら》の鳥即ち悪魔来りて其枝に宿るべしと云ひ、又教会は麪種《ぱんだね》の如く、異端の麪種を三斗の粉《こ》の中に投ずれば悉く脹発《ふくれいだ》して全体が異端を信受するに至るべしと云ふ(馬太伝十三章参照)、パウロはエペソの教会の長老等に離別の言として述べて曰ふた「我が去らん後に此群(教会)を惜まざる暴《あら》き狼汝等の中に入らん、亦汝等の中よりも弟子等を己に従はせんとて悖理《よこしま》なる言を言出す者起らん、此故に汝等警誡せよ」と(行伝二十一章)、彼は又曰ふた「末世《すゑのよ》に患難の日来らん……其日至らば人々たゞ自己を愛し……神よりも佚楽《たのしみ》を愛する事をせん……夫れ人、真の教を容れず耳を悦ばしむる言を好む時来らん、彼等耳を真理より背け奇《あやし》き談《はなし》に向ふべし」と(提摩太後書三、四章)、キリストの再臨を嘲ける教師教会の内に起るべしと云ひ、(彼得後書三章)、「神を敬はず、神の恩恵を易《かへ》て私慾を放縦にするの縁となし、惟一の主なる神と我等のゝ主イエスキリストを棄る者数人潜に教会に入れり」と云ふ(猶太書第四節)、使徒ヨハネは末世の教(548)会の模範としてラオデキヤの教会に就ける主の言を記録《かきしる》して曰ふた。
  我れ汝が冷かにもあらず熱くもあらざることを汝の行為に由りて知れり、我れ汝が冷かなるか或は熱からん事を願ふ、汝既に微温くして冷かにもあらず熱くもあらず、是故に我れ汝を我が口より吐出さんとす、汝自ら我は富み且豊になり乏しき所なしと言ひて実は悩《なやめ》る者、憐むべき者、又貧しき盲目なる裸体《はだか》なるを知らざれば我れ汝に勧む汝富をなさん為に我より火にて※[火+毀]《やき》たる金を買へ、又己が裸体の耻の露はれざらん為に白衣を買ひて纏へ、又見ることを得ん為に目薬を買ひて目に塗れ云々(黙示録三章十五節以下)
と、而して黙示録は特に愛すべきキリストの新婦《はなよめ》たるべき教会が、終に恵むべきバビロン、世界を汚す大淫婦となりて審判を受くるに至る其筋途を示したる書である 斯の如くにして新約聖書全体が末期に近づくに循ひ教会の腐敗堕落し行く状態《ありさま》を預言して少しも憚らないのである。
 而して事実如何と云ふに聖書が示す通りである、教会内に異端の盛なる実に今日の如きはない、三十年前にキリストの神性を拒むとの理由を以て余輩を異端視し、ユニタリヤンの名称を附して余輩を追放せし教会は、今や自身ユニタリヤン以下となり、キリストの神性の如き信仰の必要箇条として全然顧みざるに至つた、今や基督教は社会事業の一種と化した、キリストが何人であらうが、来世が有うが無からうが、聖書を神言と信じやうが、信じまいが、そんな事は如何でも可《よ》いやうになつた、三十年前に余輩を鞫きし教会は今や聖書を以て余輩に鞫かるゝ者となつた、而かも彼等は自己の変信に就て恬として恥づる所なく、反て進歩を誇り博学を衒ふ、福音的聖書的なりと言ひて正教を誇りしメソヂス教会、又は組合教会、又はバハプチスト教会は、今や十字架の福音に代へて所謂倫理的福音 Ethical Evangelism を唱へ、「聖書の丸呑み」と称して聖書神言の信仰を嘲ける、教会は今や(549)社会改良の機関としてのみ其価値を認らる、社会改良を目的とする者は、今や何人も|端書一通を以て〔付△圏点〕教会員と成ることが出来る、神、キリスト、贖罪、復活、再臨、審判……そんな事は今や教会殊に米国の教会の意を留むる所ではない、余輩は四十年余りの信仰的生涯の間に、教会、殊に米国の教会の、其信仰を転倒一変するを目撃した。
 而して今の教会の能力は何か、信仰に非ず、聖霊に非ず、|金である〔付○圏点〕、今の教会、殊に米国の教会より金を取除いて何が残るか、若し米国又は英国にして財政的に破産せん乎、其|主《おも》なる教会は精神的にも破産するを免かれない、|今の教会はラオデキヤ教会有の儘である〔付△圏点〕、彼等は言ふ「我は富み且豊かになり乏しき所なし」と、然れども信仰の立場より見て「実は悩める者、憐むべき者、又貧しき者、盲目《めくら》なる者、裸体なる者」である、彼等は熱くもなければ冷めたくもない、微温くある、故にキリストの口より吐出されんとして居る、彼等が嫌ふ者にしてキリスト再臨の信仰の如きはない、故に力を極めて之を嘲笑排斥する、其理由は明白である、全然現世的なる彼等の信仰は再臨の信仰が喚起する熱信に耐へない、彼等は何よりも冷静を貴ぶ、審判の事に関しては彼等は昔時《むかし》の偽の預言者の如くに平和なき時に平和、平和と叫ぶのである。
 今の教会を称して「世を汚す大淫婦」と云ふならば彼等は大に怒るであらう、然し乍ら羅馬天主教会が一時は大淫婦となりて世を汚せし事は人の能く知る所である、而して多くのプロテスタント教会が世と淫を行ひつつあるは是れ亦否認すべからざる事実である、「淫」とは正当なる夫を離れて他男と親しむ事である、教会が神を離れて此世と親しむ時に姦淫を行ふのである、デモクラシイーを高唱し、国際聯盟を強調し、此世の政治家実業家等に倣ふて事を為し業を遂げんとする時に彼等は淫を行ふのである、之に反し世を詰責し、世と対抗して闘ふ時に(550)世は潔められて教会の恩恵に与るのである。
       *     *     *     *
 教会今日の腐敗堕落は実に歎ずべきある、然れども是れキリスト再臨の前兆であつて万物復興の予徴である、牧師は政治家と実業家に頼り、神学者はキリストの再臨を嘲けりて、彼等は不知不識の間に聖書の預言を実現しつつあるのである、彼等の俗化、其嘲笑は共に聖書の言に応はせん為のものである、故に喜ぶべきである、世の光たる教会が暗《やみ》と成り、暗黒其極に達して、然る後に黎明は近づき、義の太陽は昇るのである、教会現下の堕落をキリスト再臨の兆と見て、失望は希望に変し、悲歎は感謝と化し、憤慨は喜楽と成るのである、「アメン主イエスよ来り給へ」である。 〔以上、10・10〕
 
(551)     『モーセの十誡』
                          大正9年9月20日
                          単行本
                          署名 内村鑑三述
 
〔画像略〕初版表紙186×127mm
 
    (552)    はしがき
 
 此書は大正八年秋、十回に渉り、東京丸之内大日本私立衛生会講堂に於て、日曜日毎に余が為せる聖書講演の筆記録を集めて一書と成せる者である、筆記は法学士藤井武君に由て君が余と行動を共にせられし間に成りし者、発行は岡山県後月郡明治村松本郷一君の援助慫慂に由て実行を見るに至りし者である、此書若し多少たりとも読者を益することあらば、其功績は以上両君と余との三人の間に之を分つべきものである。
  大正九年(一九二〇年)八月三十日  東京市外柏木に於て 内村鑑三
 
十誠 総論
十誠 第一条
十誠 第二条
十誠 第三条
十誠 第四条
十誠 第五条
十誠 第六条
十誠 第七条
十誠 第八条
十誠 第九条
十誠 第十条
律法と福音
 
(553)     基督教宣伝と日本文化
                          大正9年10月1日
                          『太陽』26巻11号
                          署名 内村鑑三
 
    『一』
 
 此事を述べるに就ては最初に私自身の日本の基督教界に於ける立場を一言したい。私は明治十一年に信者になつたのであつて、日本に於ける基督信徒としては最も古い一人である。即ち初め北海道札幌に於て、有名なるウイリヤム、エス、クラークの遺して往いた基督教に接したのであつて、それ以来四十三年間ずつと信仰を続けて来た。けれども私は所謂基督教会なるものとは誠に関係が薄い。第一に我国には幾多の基督教会はあるけれども、私は其の何づれにも属して居ない。故に自分は独立信者であるとも言ひ得るし、又は無教会信者とも目することが出来る。日本では基督信者の最も古い一人と認められて居るけれども、自分には教会と云ふものは無い。従つて殊に外国宣教師のうちには私を嫌ふ者が少くない。自然私は彼等との関係は殆んど皆無である。勿論補助も受けないし、又何等の援助にも与らない。基督信者といへば大抵外国人の補助を受けるか、或は外国人の思想を受けついで居るやうだが、私自身及び少数の同志は其の点は潔白である。故に私の観察は今日の日本の基督教会と云ふ点から云ふのとは少しく異なつて居ると思ふ。
 
(554)    『二』
 
 基督教の宣伝は私の観る所にては日本では失敗であつたとも言ひ得るし、又成功であつたとも言ふことが出来る。先づ其の失敗の方を言ふと、其の事実は随分ある。今日迄内外の教師が随分力を注いで伝道したけれども、其の信者の数は至つて少ない。プロテスタント即ち新教信者の数は多分二十万人を超えないのみならず、其の基督教を信じた者も永く其の信仰を維持して行かない。私自身の経験に於て観ても、今日迄伝道して信者になつた者で其の信仰を棄てた者が数へる事が出来ないはど多い。殊に教育ある者、上流社会、或は資産家階級は、到底基督教的の厳格なる道徳的要求には耐へられないと見えて、五年、十年、十五年と経つと大抵棄教するが例である。若し日本の社会で今日名を成して居る人々に就て一度信じて今棄てゝ居る人々の名簿を作つたならば、其の数は実に夥しいのである。官吏、或は殊に外交官、新聞記者、文芸家、教育家等は堕落信者を以つて充ち満ちて居る。此の点から考へると、日本に於ける基督教宣伝は確かに失敗であつた。殊に知識階級、上流階級が失敗であつた。此事を想ふと実に失望の感に絶えない。
 併し之れは基督教其のものゝ罪でない事は明白である。之れは全く信者の意思の薄弱の成した所であることは事実である。|此事は基督教の恥にあらずして、全く背信の徒の恥であり、延いては日本国民の恥である〔付△圏点〕。一度び信じたものを容易く棄てると云ふ事、基督教の其の厳格なる道徳的要求に応じ得ないと云ふ事は、正しく国民の恥辱と言はざるを得ない。故に此等の失望的事実あるに拘らず、私共は決して失望しないのである。
 
(555)    『三』
 
 更に其の成功的半面を観るならば、又大に私共を励ましむるものがある。即ち日本人にして真に基督教を信受して、十年、或は二十年、或は三十年、五十年一日の如く信仰を維持し、多くの迫害に耐へて、而して国の為め民衆の為めに尽して居る者が又日本国中に少なくない。其の実例を私共は沢山知つて居る。多くの主もなる男女の中に幾らもある。或は農家、或は商家、或は製造家、或は時には銀行家、又稀れには官吏等の階級のうちに、実に世界何れの地に往いても恥づることのない信仰及び信仰より起る人格を有つて居る者が少なくない。之れは疑ひなき事実であつて、此の方面から観たならば基督教は日本人に適せずとか、或は日本人は薄志弱行で到底基督教的道徳に応ずる能はずと云ふ非難攻撃は理由なきものである。
 而して全体より言へば、基督教は大体に於て平民的の宗教労働社会の宗教、手と足を以つて働らく人の宗教であつて、所謂思想家、文学者等に弄ばるゝ宗教ではないのだから、之を信受したる階級が実際家の階級であつて思想家でないと云ふことは、基督教の特徴より考へて観て当然の事である。故に此等知識階級の堕落信者輩の行為は、我等伝道に従事して居る者には少しも苦痛を与へない。之れは当然然かあるべき事である。而して之を信受したる階級は当然信受すべき階級が信受したものであつて、此点から言ふと基督教は既に日本人の間に根強く植ゑ付けられ、既に|日本人の宗教〔付◎圏点〕となつたものであることは疑ひない。
 或人は、日本の基督教は全く外国人の補助で立つて居るのであつて、其の補助を撤廃すれば消滅すると言つたが、成程斯かる基督教は無いのではない。ある事は知つて居る。けれどもそれ以外に外国人の補助等に関係なく、(556)日本人が日本の基督教として信じて居るものが確かにある。之れは決して外国の補助の有無に依つて存在し或は存在を失ふものではなくして、特志なる日本人の存する限り存するのである。|故に基督教を外教と観る時期は既に過ぎ去つたのである、仏教も一度びは外教たりし事ありしが百年足らずにして日本人の宗教となりしが如く、基督教も既に日本人の宗教となつた事は疑ひないことである〔付○圏点〕。
 而して斯かる独立の日本人的基督教は、外国人からは補助を受けず、いづれかと言へば彼等に嫌はれ、同時に日本人から外教視され、又は国体を毀つものだとか、又は日本特有の道徳に反するものだとか言はれて同胞の間に嫌はれしに拘らず、其の信仰が今日の如く固く地盤を作るに至つたことは、日本人の名誉であり、基督教の力であると信ずるのである。
 
    『四』
 
 扨て其の基督教が日本の文化に如何なる影響を及ぼしたかは、頗ぶる重大問題で、一片の談話では尽されない。けれども二三の事は何人が観ても明かに分かるのである。私は前に日本人の文士、芸術家、思想家中に堕落信者の多い事を述べた。併し此等堕落信者といへども嘗つて受けし信仰的感化を全然脱却する事は出来ない。而して彼等の行為言辞は悉く基督教より彼等が受けし感化の深甚なる事を示して居る。此事は今日我が思想界を支配して居る人々の経歴を調べて見れば能く分かる。其の名を指すを憚るが、之れは明々白々の事で何人も少しく日本の文芸界の事情に通じて居る者は悉く知つて居る。
 私は嘗つて我が文学界に於て有名なる或る人に告げた。『君は今基督教を棄てゝ反対をして居るけれども、君(557)をして今日の地位を得せしめたのは矢張り君が嘗つて学びし基督教ではないか、君が若し基督教信者の実験が無かつたならば今日の地位には達しないのだ、のみならず君の思想を最も能く解する者は基督教を知らない普通の読者であるか、決してさうではない、君を最も歓迎する者は基督教信者ならずんば、一度び君と同じく信じて棄教した者である、君の文芸的生涯の栄えるのは全く基督教のお蔭である、それを忘れて基督教を攻撃するのは、子供が自分を産んだ母親をなぐるやうなものだ。』と言つたら、一言も返辞が無かつた。
 斯くして基督教の背信者は自身棄教者となり乍ら、基督教を日本に伝へ又伝へつゝあるのである。日本の新聞紙、雑誌、新聞小説、著述等に基督教の思想感化の現はれないものはない。愛、自由は云ふ迄もなく、人類的観念、ヒューマニチー、労働問題其のものが直接間接に基督教から来たもので、斯かる問題は決して仏教儒教等から出たものでないことは明白である。必ずしも堕落信者とは言はない。熱心なる信者にして日本の思想界を導きつゝある者も亦少なくない。斯くして信者に依り又背信者に依り基督教の思想は自づと日本を感化し来り、又感化しつゝあるので、其の勢力は何人も否むことは出来ない。
 試みに例を挙ぐれば、『人はパンのみを以つて活くるにあらず』とか、『与ふるは受くるよりも幸ひなり』とか、『神は愛なり』とか云ふやうな言葉其のものが皆な基督教の聖書から来たものである。或は近頃頻りと用ゐられる『福音』と云ふ言葉がある。売薬商なぞが己が製造にかゝる薬の広告等に『病者の福音』なぞと能く使つて居るが、此の言葉は何処から来たのであるか。日本の社会は基督教を嘲りつゝ其の基督教の思想のみならず言葉までも採用しつゝあるのである。此事たる日本のみならず世界何処でもさうであるが、殊に著しく日本の社会に多く見るのである。
 
(558)    『五』
 
 次に教育の方面から言つて見ても、是れ亦著しい感化を及ぼして居る。基督教主義の学校は今日まで日本では成功はしなかつた。同志社と慶応義塾と此べると、後者が成功して居る。早稲田大学に比べ得べき基督教主義の学校はまだ無い。併し是れ亦基督教の罪とばかりは言へない。未だ基督教教育の需要が日本に無いのである。
 併し乍ら男子の教育を離れて女子の教育に至つては全く基督教主義の教育に先を制せられて、日本人はその後に従つて行きつゝある。女子教育に就ては確かに基督教は日本の率先者である。尤も其の教育には非難すべき点は沢山ある。故に私自身は一人の女子を有つて居つたが、それを学校へ送るについて、基督教の学校へ送らずに日本人の普通の女学校に送つた。併し全体より観察すれば基督教の女学校が日本の普通の女学校又は仏教家の女学校に優つて居ること、又一般日本人が女子教育の必要を認めたる数十年前に基督教の方で此の事業に著手したことは争へない。此の点は日本人が幾ら頑張つても及ばない。
 又児童教育たる日曜学校に就て観てもさうである。今や我国で日曜学校の必要を感じて大に奨励して居るが、矢張り基督教教育の後を追つて居るものであるは明白である。日曜学校は全く基督教に始まつたものである。その総ての制度及び教育の方法等が悉く基督教の発見にかゝるのである。故に両本願寺等仏教徒の方でやつて居る日曜学校の教授方法を見るに、其の手段方法は笑ふべき程に基督教のやつて居るのを採つて居る。今少し独創的の意見があつて欲しいと思ふ程に基督教のものを真似て居る。此点に於ても基督教は確かに日本の文化を益して居る。
 
(559)    『六』
 
 又慈善事業を観るに、昔の日本にも慈善事業は無かつたではない。けれども之を組織立つた事業として行なつたのは矢張り基督教である。不良少年感化事業、出獄人保護事業、孤児院、或は監獄改良事業等、組織立つた慈善事業は総て是れ基督教の行なつたものである。禁酒運動、廃娼運動の如きも然りである。或は救世軍の行なつて居る貧民救助事業の如きも全く基督教の事業である。今日仏教徒の方でも之をやつて居るけれども、日本の仏教徒が総がかりでやつても山室軍平一人でやつて居るのに及ばない。基督教のやつて居るものを除いては、日本には之れぞと云ひて世界に紹介すべき独創的の慈善事業を見ることは出来ないのである。
 更に進んで国家並に社会組織の上より観て最も重大事たる家庭改造の事に就ては、基督教を俟たずしては到底行はれないと言ふも過言ではない。日本の普通社会には基督教社会に見る如きホームと云ふものは無い。ホームと云ふ文字を如何に訳したらよいか、其の訳語すら適当なものを見出されない。ホームと云ふは家庭とも違ふ。ホームは楽しい処、清い処、神聖なる処、即ち一種特別なる制度の現はれであつて、基督教に依らずして真個のホームの実現を望むことは出来ない。若し私の言ふ言を疑ふならば、基督教徒以外に於て日本の何処に果してそれがあるか示して貰ひ度い。宏壮なる住宅はある。厳格なる家庭もある。或は種々娯楽機関の備はつた家庭もある。けれども|クリスチヤンのうちにあるやうなホーム〔付○圏点〕、さう云ふ楽しき清きホームが日本の社会の何処にあるか。是れ亦基督の感化に依つて日本に於て徐々と現はれつゝあるのであつて、|日本の社会改造は日本人の建設するホームより始まるべきであることは是れ亦明白である〔付◎圏点〕。
(560) 我れにホームを与へよ!! ホームは新しき国家を促進する。ホームの無き処には社会も国家も無い。そのホームを清くするは即ち基督教であつて、又今現に清くしつゝあるのである。之れに対照して今日の日本の社会に不良少年の多い事を顧みよ。今日の如く日本の青年男女の堕落した時はない。是れ日本にホームの無い何よりも明白なる証拠であつて、若し此の現象が継続するとすれば、日本国は外敵の襲来を俟たずして内より滅ぶるは確かである。|誰れか我等に清き楽しきホームを与へ得るものぞ。本願寺が与へ得るか。実業家、政治家、或は官憲の下に在る教育家が与へ得るか、香々決して与へ得ない〔付△圏点〕。只だ神の遣はし給ひし其独子ナザレのイエスを信ずる事に依つて初めて実現し得るのである。故に他の事は問はず、健全なるホームを実現する為めにも基督教は日本の国家社会に必要欠くべからざるものである。
 
    『七』
 
 其他政治上に現はれた基督教の感化に就て言ふならば、之れは至つて微弱なもので今日特に言ふ程のものは無い。けれども之れにしても政治家のうちで稍々異彩を放つて居る者は誰れか、最も能く平民の権利を考へ、最も健全に其の発展を図りつゝある者は誰れかと云ふと、早い頃では第一帝国議会衆議院議長中島信行あり、次で同じ議長片岡健吉がある。それから議員に江原素六あり、又現に島田三郎、根本正等がある。此等に依つて考へて見ても、文明的思想を実行せんとする者は概ね基督教信者、或は一度基督教信者であつた者である。其の点から考へて見ても基督教は日本の政治に何等関係を及ぼさないと言ふことは出来ない。
 之を日本の他の所謂政治家に対照して観るならば、其の言ふ所は大なりといへども其の行為の実に鄙劣なる、(561)日本人自身をして噴飯の念に堪へざらしむること彼れが如きは、基督教信者のうちには先づ無いと言つてよい。時には基督教の教師が政治家に堕落して甚だ如何はしい行為に出づる事があるので、総ての基督教の政治家を弁護することが出来ないことは歎ずべきであるが、併し大体に於て基督教の政治家が日本の政治界に好き感化を及ぼして居ることは疑ひない。
 
    『八』
 
 次に今日の基督教の伝道に就て少しく述べて見たい。今日日本に於ては基督教の伝道は殆んど実が挙らないと言つてもよい。教会はいづれもさびれ切つて居つて之を復興する策に汲々として居る今日の状態から言ふならば、日本の基督教は今日は衰頽時代にあると言つてもよい。けれども此の事実は必ずしも日本人が基督教を要求しないと云ふ証拠にはならない。それは聖書会社の事業に就て見ても分かる。|人は驚くであらうが、今日日本に於て所謂汗牛充棟も啻ならず日々出版物が出づるに拘らず、何が一番よく売れるかと云ふと、基督教の聖書が一番である〔付○圏点〕。幾ら印刷しても日本人の今日の要求に応じ切れないのである。之を疑ふならば京橋区尾張町の米国聖書株式会社支店を訪問すれば直ぐ分かる。如何に彼等が全力を尽して印刷しても間に合はないのである。斯かる売行きよき書物は外には無い。之れは勿論二十万人足らずの信者のみの要求ではない。日本の全社会が之を要求して居るのである。即ち教会以外に於て基督教を要求して居る者の非常に多いことは疑ひない。
 又私の無教会の伝道事業も頗る有望を極めて、到る処歓迎せられ、少しく広告すれば数百人或は千人位の聴衆を得ることは至つて容易い。のみならず西洋人の思想を称して基督教と為して之を伝へる伝道は歓迎せられない(562)けれども、聖書の基督教そのものを伝へるときは誰れが伝へても之れに応ずることは実に熱心である。私は一咋年来柏木の隠退を離れて東京の真中に行つて伝道して居るが、今日まで未だ嘗て聴衆不足の感を起したことはない。此の状態は多分後々迄続くであらうと思ふ。
 
    『九』
 
 今や真正の日本人は基督教的思想、基督教的文明、基督教的社会事業、基督教的哲学なぞ云ふことに就て聴かんとは欲しない。さう云ふ事を聴かんと要求して居る者は東京其他の都会に於ける一小部分のやうである。即ち遊惰的生涯を送つて居る所謂堕落文学者の類ひであつて、信頼すべき正直なる日本人は純粋の基督教を求めつゝある。彼等は天国に就き、天国の救ひに就き、或は未来の裁判等に就いて聴かんとして居る。之を説くと喜んで迎へる。故に今や基督教の諸数師も大に此の事について目を醒まして来た。彼等は日本人の要求に応ずるには基督教の思想や哲学を唱へるのは間違ひであることを知つて来たのである。
 |日本人は元来宗教的国民である〔付◎圏点〕。宗教的観念の深いことは世界第一である。此の事は我国に於て神社仏閣の盛んなること、及び全体の国民が神仏を尊敬する念の非常に強いことを見ても能く分かる。然るに古い宗教は最早彼等を導き、之を感化する実力を失つたので、今や日本人は何か他にその信仰的要求を満足せしむる宗教を求めつゝある。只だ今日迄政府殊に文部省の方針が基督教に反対し之を排斥したから之を受けることは出来なかつたが、併し霊魂の要求は如何なる大政治家といへども如何とも出来ない。|而して私の見る所にては、日本人はまた厭々ながら基督の福音に化せられつゝあるが、一度び心より基督教を信じた暁には、日本国は世界第一の基督教(563)国となつて、日本は世界を導くに至るであらうと考へるのである。
 今や日本は此点に於て実に大切なる時期に於て在る。けれども甚だ有望である。今は日本人は外国人に頼る必要はない さればとて宗教、道徳の観念には全く欠乏せる、伊藤博文、井上馨、山県有朋と云ふやうな政治家の教導を仰ぐ必要は寸毫もない。今より神が日本人に下し給はんとする生命の福音を受けるならば、日本人は最良の基督教信者となつて、其の感化を全人類に及ぼし得る時機に在ると信ずる。其の考で私は喜びに満ちて伝道に従事しつゝあるのである。
 
    『十』
 
 終りに日曜学校世界大会の事に就て一言したい。此の大会は其の事自身としては実に慶すべき事である。而して基督教信者の立場より言へば、我国の基督教の実力を世界に示す最もよき機会たるを疑はない。併し其の採りし手段方法に至つては大に異存なきを得ない。何故に斯かる純粋の基督教の大会を開くに当り、基督教と何等関係無き大隈侯、渋沢子、阪谷男と云ふが如き純粋なる此の世の人達の援助を受けたか私には分らない。之れは甚だしく純宗教的の運動を壊すもので其の悪結果は私の反対を俟たず自づから現はれて来ることは明かである。
 日本の宗教家も言つて居る。天海和尚は、徳川家康から三十万石のお墨附を貰つて、直ちに之れを面前で焼き棄てた。而して言つた、『出家は三界無庵、樹下石上を宿とす』と。斯かることは今日の文明世界に於ては行はれずといへども、併し何も宗教を講ずる上に於て大金を投じて大講堂を建てる必要は無い。之を為さんが為めに不信者の寄附を仰ぎて虚勢を張るが如きは、宗教其のものに対する侮辱であつて、其の結果の好良でないことは(564)明かである。宗教伝播を斯かる俗的手段に訴へることは米国あたりの俗衆のやることで、其の点に於て米国の宗教の腐敗は言語に絶して居る。其の米国の信者の為すことを日本人が学んで日本の中央で施したことは最も恥づべく歎ずべき事である。
 今日迄斯かる方法で之れに類したる大会を日本で開いたことは両三度あるが、孰れも開会の当時は盛大を極めたけれども、その閉会を告ぐるや直ちに教界の衰頽を来した。此度も必ず同じ結果に終るであらうと思ふ。潔白を愛する日本人は基督教を信ずる者と信ぜざる者とを問はず、斯かる手段方法を厭み嫌ふのである。日本基督教界の率先者が又再び斯かる手段で斯かる会合を東京で開いたことは実に痛歎せざるを得ない。(談)
 
(565)     GOHO,A CONFUCIAN MISSIONARY.儒教宣教師呉鳳
                         大正9年10月10日
                         『聖書之研究』243号
                         署名なし
 
     GOHO,A CONFUCIAN MISSIONARY.
 
 GOHO,a Confucian,was a missionary to the natives of the Alisan district of Formosa. While he lived with them,by his teaching and influence,he made the practice of head-hunting,common to all Formosan natives,to cease from among his chosen tribe. One day,however,the inherited instinct reviving among them,the natives asked their teacher,permission to cut one head,and that the last. Goho remonstrated,but in vain. At last he said:“All rigbt,you shall have it. To-morrow about this time,a Chinaman is coming in scarlet robe,and his head you
shall cut.”They were glad,and eagerly waited for the morrow. At the stated hour,the Chinaman appeared,as predicted by the missionary. The natives sprang upon him,cut his head,and carried it in triumph to their village. And lo! the head was no other than their beloved missionary's! The deed cut into the quick of their hearts. They now saw the evil of head-hunting. They really had their last head. Since then,alone among the Formosan natives,they of the Alisan district know no head-hunting.Goho,a Confucian missionary,by laylng down his life,abolisbed head-hunting from among his na(566)tive converts. So,and so only are all sins abolished from among mankind. Without shedding of blood,there is no remission of sins.Heb.\,22.
 
     儒教宣教師呉鳳
 
 呉鳳は支那の儒者であつて台湾阿里山土人の間に伝道した、彼れ其地に在りし間に、其教訓と感化とに由りて、台湾土人共通の悪弊たる首狩の習慣をして、彼が択んで教へんとせし蕃社の内に無きものたらしめた、然るに一日彼等の間に遺伝的本能の復活せしにや、彼等は彼等の教師に迫りて一箇の首を獲るの許可を得んとした、是れ彼等が獲んと欲する最後の首であつて、爾後は断じて再び之を求めじとの事であつた、呉鳳は強く反対した、然れども聴かれなかつた、彼は終に曰ふた、「可し、明日今頃一人の支那人は朱《あけ》の衣を纏うて此地に来るであらう、汝等其首を斬るべし」と、土人は躍り歓んだ、而して今や遅しと明日の到るを待つた、其時刻に到り教師の予言に達はず一人の支那人が現はれた、土人は彼の上に飛懸り、其首を斬り、之を掲げて其村に凱旋した、而して視よ、彼等が斬りし首は呉鳳先生の首其物であつた、悲歎悔改彼等の骨髄に徹した、彼等は始めて首狩の悪事なるを覚つた、彼等は実に最後の首を獲た、其時以来今日に至るまで、台湾土人の内に、阿里山土人のみは首狩の悪風を知らない、儒教宣教師呉鳳は其生命を捐て彼の土蕃の信者の内より首狩の罪を絶つた、斯くして、然り、|斯くしてのみ〔付○圏点〕すべての罪は人類の内より絶たるゝのである、即ち希伯来書九章二十二節に謂へるが如し 曰く「血を流すことあらざれば赦さるゝ事なし」と。
 註 若しイエスが此実話を聞き給ひしならば、さぞかし喜び給ふたであらう、彼は之を引いてパリサイの人、(567)民の学者等を教へて言ひ給ふたであらう「汝も亦往いて此の如く為すべし」と。
 
(568)     〔信仰と迫害 他〕
                         大正9年10月10日
                         『聖書之研究』243号
                         署名なし
 
    信仰と迫害
 
  凡てキリストイエスに在りて神を敬ひつゝ世を渡らんと志す者は窘《せめ》(迫害)を受くべし(テモテ後書三章十二節)。
 迫害と云へば今の信者は昔あつた事で今は無い事であると思ふ、然し乍ら世が罪の世である間はキリストに在りて神を敬ひつゝ世を渡らんと志す者は何人も迫害を免かれないのである、迫害は基督信者の附随物《つきもの》である、世の迫害する所となりて彼は真正の信者と成りし事を識るのである、迫害を受けざる信仰は偽りの信仰である、社会に歓迎せられ、貴顕紳士の後援に与る我国今日の基督教信者の如き、聖書の此言に照らして見て真の信者にあらざる事は最も明白である、真心を以てキリストを信じて世の迫害を受くるが当然である、嗚呼迫害なき信仰、其伝道資金は如何に豊富なるとも、其聖書知識は如何に深遠なるとも、迫害を受けずしてキリストは解らず、其生命の頒与にあづかる能はず、迫害は信仰の実証、其向上発達の必要条件である。
 
(569)    財界の王と信者
 
  茲にソドムの王アブラムに言ひけるは人は我に与へ物は汝に取れと、アブラム、ソドムの王に言ひけるは、我れ天地の主なる至《いと》高き神ヱホバを指して言ふ、一本の糸にても鞋帯《くつひも》にても凡て汝の所属《もの》は我れ取らざるべし、恐らくは汝我れアブラムを富しめたりと言はん(創世記十四章廿一−廿三節)。
 ソドムの王は財界の王である、アブラムは神の子である、財界の王神の子に対つて物を与へんと言ひし時に、神の子は断然之を拒絶して言ふた「一本の糸にても鞋帯にても凡て汝の所属は我れ取らざるべし、恐らくは汝我れ神の子アブラムを富しめたりと言はん」と、神の子は神御自身之に給与し給ふ、彼は財界の王より何物をも受くるの要なし、アブラム、ソドムの王より物を受けて彼は彼の神ヱホバを辱しむるのである、神はアブラムを富ましめて喜び又誇りとなし給ふ、然るに神に依らずして財界の権者に頼む、是れ神を辱しめて財神を崇むるに等しき行為である、「汝等神と財《たから》(マムモン=財神)とに兼ね事ふること能はず」との教訓は亦斯る事をも教ふるのである、然るに今の基督信者は如何? 殊に米国並に米国流の基督信者は如何? 彼等はアブラムの如くにソドムの王の饋給《おくりもの》を拒み斥くる乎、否な否な、彼等は之を歓迎する、歓迎するのみならず哀求する、彼等は石油王、鋼鉄王、馬鈴薯王等の寄附を受くるを以て大なる利益、大なる名誉なりと信ずる、彼等はソドムの王等に富《とま》しめられて会堂を建築し、伝道を拡張する、此意味に於て彼等は決してアブラハムの子ではない、凡て信ずる者の父なるアブラハムは彼れ猶ほアブラムと称《よば》れし頃、断然ソドムの王の饋給を斥けた、「汝等もしアブラハムの子ならばアブラハムの行《わざ》を行ふべし」とイエスは言ひ給ふた(約翰伝八章三九節)、ソドムの王の寄附を斥けてこそ真にア(570)プラハムの子である、財界の王等の補給に与からずしてこそアブラハムに臨みし神の祝福は今日の基督信者にも臨むのである、神と財神《マムモン》、ヱホバとソドムの王、彼等は二者其一を選むべきである、「汝等の心を浄くせよ二心《ふたごころ》の者よ」と使徒ヤコブは彼等に言ふであらう。
 
    必ず聴かるゝ祈祷
 
  汝等若し我に居り又我が言汝等に居らば汝等の凡て欲《ねが》ふ所は求に徒ひて与へらるべし(約翰伝十五章七節)。
  我等が凡て求むる所は彼より受く、そは其|誡《いましめ》を守りて其悦び給ふ所を行へば也(第一書三章二十二節)。
 祈て必ず聴かるゝ祈祷《いのり》がある、其れは神の聖旨《みこゝろ》の成らん事を祈る祈祷である、神の聖旨は必ず成る、其聖旨を祈求《ねがひ》として我等の捧ぐる祈祷は聴かれざるはない、茲に於てか人は言ふ、神の聖旨は必ず成るとならば人が之を祈るの必要はない、人は祈らずとも神は其聖旨を成し給ふと、爾でない、神は人と共に働かんことを欲ひ給ふ、彼は彼の聖旨を人の欲求として成さんと欲し給ふ、父は子を措いて独り自ら事を為さんと欲はない、子をして父の事業に携はらん事を欲ふ、而して子と栄光を分たん事を欲ふ、天父も亦同じである、彼は彼の聖旨が人の祈祷として彼に達し、之を成して人をして神と栄光を分たんことを欲し給ふ、実に愛の神として然《さ》もあるべきである、故に祈るは我が名誉である、神の聖旨を我が祈祷として捧ぐるを得て名誉此上なしである、而して我が意《こゝろ》神の聖旨と一致し我が祈祷は神の御計画と一致して成就せられざるを得ないのである、故に信者は祈るのである、先づ第一に我が意の神の聖意と一致せん事を祈るのである、而して神の聖意を我が意と成して我が祈祷は必ず聴かるゝ祈祷となるのである、「爾国《みくに》を来らせ給へ、爾旨《みこゝろ》の天に成る如く地にも成らしめ給へ」と云ふ祈祷である、此祈(571)祷は必ず聴かれる、感謝である、神が日本国を化して聖国と為し給はん事、異端が滅びて正教が興らん事、信者の間に伏在する凡て悪むべき事凡て忌み嫌ふべき事の排除せられん事、聖書が国民の経典たるに至らん事、信者が互に相愛して神の栄光の暗き此世に揚らん事、是等の事を熱信以て祈り求めて聴かるゝ事は必然である、聴かれないのは祈求《もとめ》ないからである、「我等が凡て求むる所は彼よく受く」、文字通りに真理である、然らば祈らん哉、然り祈らん哉。
 
(572)     神の道と人の道
          岐阜県中津川と長野県上松とに於て九月一日と二日と二回、少数の信仰の友等に為せし勧言《すゝめ》である。
                         大正9年10月10日
                         『聖書之研究』243号
                         署名 内村鑑三
 
  汝等すでに聖霊《みたま》に由り真理《まこと》に循ひて霊魂《たましひ》を潔め偽りなく兄弟を愛するに至りたれば、潔き心を以て互に篤く相愛すべし、汝等が再び生れしは壊《くつ》べき種に由るに非ず壊べからざる種即ち窮なく存《たも》つ所の神の活ける道《ことば》に由るなり、
   それ人はすべて草の如し
   其のすべての栄は草の花の如し
   草は枯れ其花は落つ
   然れど主の道は窮なく存つなり
  而して汝等に宣伝へられたる福音は即ち此道なり。
            (彼得前書一章廿二−廿四節)
〇基督者《クリスチヤン》は如何なる者である乎? 偽なく兄弟を愛する者である、而かも自分の修養努力に由て愛する者ではな(573)い、聖霊に由り福音の真理に循ひて霊魂を潔められたる結果として如此くに兄弟を愛するを得るに至りし者である、基督者の特徴は茲に在る、偽なく、即ち私心と悪意とを混へる事なくして兄弟を愛する事に於てある、此愛がなくして他《ほか》の者は何があつても基督者ではない、思想あり神学説あり奇跡を行ひ病を癒されし実験ありと雖も、此の偽りなき潔き愛がなくして彼は基督者でない、使徒ヨハネが言ひし通りである、「我等兄弟を愛するに因り既に死を出て生《いのち》に入りし事を識る」と(約翰一書三章十四) 基督者《クリスチヤン》と成りし確証、確に救はれし証拠は茲に在る、潔き偽はらざる愛の無き所に真の基督教は無い、熱信あり、神学あり、活動あり、広き聖書知識あり、奇跡あり、病を癒すの能力あるも、偽りなく兄弟を愛するの愛なき所にキリストの福音は無い。〇故に基督者の先づ第一に為すべき事は「潔き心を以て互に篤く相愛す」る事である、我等が基督者たる事を自覚し、亦此事を世に示すの途は之を措いて他に無いのである、「汝等若し互に相愛せば之に由りて人々汝等の我が弟子なることを知るべし」とあるが如し(約翰伝十三章三五)、パウロも亦教へて言ふた「汝等相互の労を任へ、斯くしてキリストの律法《おきて》を全うすじ」と(加拉太書六章二節)、基督教が神の真理であると云ひ、宇宙唯一の宗教であると云ひ、万世不朽の道であると云ふは、潔き偽はりなき愛を説きて、人をして之を行はしむるからである。
〇「汝等が再び生れしは」と云ふは「汝等が偽りなく兄弟を愛するに至りしは」と云ふと同じである、我等兄弟を愛するに因りて既に死を出て生に入りし事を知る、再生とて別に神秘的の事でない、実際に目撃し且つ実行し得る事である、而して我等|基督者《クリスチヤン》に此再生の変化を起せし者はキリストの福音である、即ち「壊べからざる種即ち窮なく存つ所の神の活ける言」である、キリストの愛の福音、愛を説きて愛を起す所の福音、是は壊べからざる種即ち原理(英語に訳して云ふならば principle)、而して窮なく存つ所の者、世と共に変らざる者、而して亦神(574)の活ける言である、単に美はしき玩味すべき真理ではない、活動する真理である、人と社会とに大変化を起さゞれば止まざる真理である、窮りなく存ちて活動する者、其れが神の言である、福音の真理である、此言、此真理に接して我等|基督者《クリスチヤン》は再生の奇跡に与つたのである、即ち霊魂を潔められ偽りなく兄弟を愛するを得て死を出て生に入つたのである。
〇キリストの福音の真理は此の如き者である、然れば人の道は如何、人の唱ふる主義主張は如何、哲学者の哲学組織は如何、社会主義者の社会改造説は如何、所謂新道徳、新宗教の運命は如何、
  それ人はすべて草の如し、其のすべての栄は草の花の如し、草は枯れ、其花は落つ
である、長い事はない、暫時の生存である、やがて消えて了ふ者である、或ひは十年、或ひは三十年、五十年、長くて百年又は二百年、之を「窮りなく存つ主の道」に較べて見れば実に槿花一朝の夢である、旧きは措いて問はず、新らしきに就て見よ、西洋舶来の新主義としては、ニイチエ主義、ウイルソン大統領の新デモクラシー、クロポトキンの共産主義、カール・マルクスの資本論、而して我国に起りし種々雅多の新宗教、黒住教、金光教、天理教、是等は皆な草の如くにして生え、草の花の如くにして栄え、而して後に草の如くに枯れ、草の花の如くに落ち又落ちつつあるのである、曾つては中江兆民『一年有半』を著はし無神無霊魂を唱へて洛陽の紙価を高からしめた、然し今日誰が此の書を読まんとする、此書の運命は其題目の如くに一年有半にて尽きて了つたのである、又帝国大学総長文学博士加藤弘之氏は『日本国の国体と基督教』を著はし、斯教を罵り又嘲けり、戦ひを基督教徒に挑み彼等の心胆を寒からしめた、恰かもペリシテのゴリヤテがイスラエルの民に戦を挑みしが如くであつて、天下之に当る者一人も無き有様であつた、然れども今日は如何、誰が此書を読む者がある乎、著者の名さ(575)へ今や忘れられんとして居るではない乎、之に反して基督教の聖書は盛んに売れて居る、刷つても刷つても世の要求に応ずる事が出来ない、加藤博士が淫婦マリヤの生みし私生児と唱へしイエスの名は此日本国に於てさへ人類最高の理想の対象として益々崇められつつある、「それ人はすべて草の如し、其すべての栄は革の花の如し」である、大文豪、大博士の著書も旧き聖書に較べて見れば露の間の朝顔、誠に果無き者である、然らば何をか懼れんやである、大本教又は太霊道又は新日蓮主義、是れ亦「窮りなく存つ所の神の活ける道」と其栄光を競ひ得べき乎、真理を審判く者は「時」である、時は今日まですべて人の道を葬り去つた、時に超越し、時に勝つことの出来る者は唯「窮りなく存つ所の神の活ける道」即ち我等の手にする聖書に示されたるキリストの福音の真理のみである。
〇故に懼るゝ勿れ、動く勿れ、我等は此|道《ことば》を守りて我等の信仰を全うすべきである、是は全世界に渉り、過去六千年の長き間、人類歴史の中心として其存在発達を続けて来た者である、是れのみが「干世経し磐」である。
 
(576)     AMERICA AND JAPAN.米国と日本
                         大正9年11月10日
                         『聖書之研究』244号
                         署名なし
 
     AMERICA AND JAPAN.
 
 IN 1853,America said to Japan:“Oh,do not live in seclusion. Open your doors,and I will introduce you to the world.” So Japan followed America's advice. In 1920,the same America,in conjunction with her Anglo-Saxon neigbbours,Canada and Australia,says to the same Japan:“Oh,do not come to our shores.I dislike you;I am afraid of you.Keep yourselves to your country.You are a menace to the peace of the world.”A strange inconsistency,but not strange,for self-ishness behaves always in this way. Moral,in prophet Jeremiah's words:
   Take ye heed every one of his neighbour, and trust ye not in any brother:for every brother will utterly supplant,and every neighbour will walk with slanders. And they will deceive every one his neighbour,and will not speak the truth:they have taught their tongue to speak lies,and weary themselves to commit iniquity. Thine habitation is in the midst of deceit;through deceit they refuse to know me,saith the LORD.(Jer・H,4−6).
 Through deceit,these so-called Christian nations refuse to know the LORD. It is their apostasy(577) from their fathers'God that makes them to deceive their fathers' friend and brother.
       ――――――――――
   TO JAPANESE CHRISTIANS IN CALIFORNIA.−Take joyfully the spoiling of your possessions,knowing that ye yourselves have in beaven a better possession and an abiding one.――Heb.I,34.
 
     米国と日本
 
 一八五三年のことであつた、米国は使節を遣はして日本に言はしめた、曰く「オー君よ、何時までも鎖国状態に在り給ふ勿れ、門戸を開き給へ、僕は君を世界に紹介せん」と、日本は此友誼的勧告に応じて其通りに実行した、然るに一九二〇年の今日に至りて同じ米国が今度は同民族の加奈太並に濠洲と共同して同じ日本に向つて言ひつゝある、曰く「アヽ君よ、我が国土に来る勿れ、余は君を好まず、余は君を恐る、君は宜しく君の国内を止まるべし、君は世界の平和を脅《おびやか》す者なり」と、是れ実に驚くべき矛盾である、然れども驚くに及ばない、是れ自己中心主義の人が常に取る途である 之に由て学ぶべきは預言者ヱレミヤの左の言である。
  汝等各自其隣に心せよ、何れの兄弟をも信ずる勿れ、兄弟は皆な欺きをなし、皆な譏りまはればなり、彼等は各自其隣を欺き且つ真実を言はず、其舌に※[言+荒]《いつはり》を語る事を教へ、悪を為すに疲る、汝の住居は詭譎《いつはり》の中にあり、彼等は詭譎のために我を識ることを否めりとヱホバ言ひ給ふと(耶利米亜記九章四−六) 詭譎の故に是等の所謂基督教国はヱホバの神を識らんことを拒む、彼等は彼等の祖先の神を去りしが故に、彼等の祖先の友たり兄弟たりし国を欺くに至つたのである、神に対する彼等の不信が隣(578)邦に対する彼等の欺詐として現はれたのである。
       ――――――――――
  |加洲に於ける日本の基督信者に告ぐ〔ゴシック〕 汝等人の汝等の財産を奪はんとするを喜んで忍べよ、そは汝等は己がために天に於て愈美《まさり》たる常に存つべき財産あるを知れば也(希伯来書十章三四)。
 
(579)     〔栄化の順序 他〕
                         大正9年11月10日
                         『聖書之研究』244号
                         署名なし
 
    栄化の順序
 
  汝等視よ我等神の子と称へらる……愛する者よ我等今神の子たり、後如何、未だ現はれず、然れど識る彼れ現はれ給はん時に、我等の彼に肖んことを(約翰第一書三章一、二節)。
 初めに神の子と称へられ、次に神と子と成され、終に神の独子なるキリストに肖たる者とせらる、信者栄化の順序は是れである、初めに罪人其儘にて、我等たゞ信ずるに由りて神の子として扱はる、而して後に聖霊に潔められて実質的に神の子と成され、終にキリスト再び現はれ給ふ時に復活昇天して今や聖父《ちゝ》の右に坐し給へる彼に肖たる者とせらる、初めに資格を賜はり、次に霊性の聖化に与り、終りに霊体を授かりて救拯を完成せらる、「義また聖また贖」とパウロが唱へしと同じである、二者の間に信仰の要点に関して相違はない、先づ信仰に由て義とせられ、聖霊に由て潔められ、再臨に由て復活せしめらるとは新約聖書記者通有の教義である、ヨハネは聖霊の臨在を唱へて基督の再臨を信ぜずと言ふは謂なき事である(コリント前一章三十節)。
 
(580)    単独の幸福
 
  時まさに至らん、今至りぬ、汝等散りて各人《おの/\》その属する所に往き、たゞ我を一人残さん、然れど我れ独り在るに非ず、父我と偕に在るなり(約翰伝十六章三二節)。
 イエスは単独であつた、故に万人の友であつた、彼が若し使徒団の師、ヨハネ、ベテロ、アンデレ等の友であつたならば、彼は単独でなかつたと同時に、又人類の友たり得なかつた、彼は少数者の友たり得るには余りに神的であつて、又余りに人類的であつた、而してイエス一人に限らない、凡て神と人とに対して熱情に燃えし人はイエスの如くに単独であつた、詩人ダンテは中古時代の欧洲文壇に立て惟《たゞ》の一人であつた、コロムウエルは淋しき人であつた、リンコルンは常に自己の孤独を歎じた、彼等は皆一階級又は一教派又は一党派を友とするには余りに偉大であつた、故に単独ならざるを得なかつた、友多きを以て誇る人は幸福である、然し乍ら友なきを以て歎く人は更に幸福である、人は惟一人となつて万人を友とし得るのである。
 
    直覚と実験
 
  イエス曰ひけるは我が為す事を汝今知らず、然れど後知るべし(約翰伝十三章七節)。
 約翰伝並に約翰書に於て「知る」と云ふ字に二箇ある、其一はアイドー(eido)であつて、他はギノスコー(ginosko)である、アイドーは直覚の意であつてギノスコーは知覚の義である、自己の霊又は聖霊に由て知るのがアイドーであつて経験又たは研究に由て知るのがギノスコーである、而してイエスは爰に言ひ給ふたのである、我(581)が為す事を汝今知ら(アイドー)ず、後知る(ギノスコー)べしと、真理を今直覚する能はず、後経験に由りて知るべしとの事である、詩人や預言者の言を凡人は直覚する能はず、長き経験に由り漸くにして知るのである、弟子は直に師の言を信ずる能はず、故に往々にして彼に反抗して強て自説を行はんとする、然れども後に至り多くの辛らき経験に由りて師の誤らざるを知るのである、先覚者の直覚を聞きて之に躓かざる者は福である。
 
    平康と患難
 
  我れ此事を語りしは汝等をして我に在りて平康を得させんが為なり、汝等世に在りては患難を受けん、然れど懼るゝ勿れ我れ既に世に勝てり(約翰伝十六章三十三節)。
 信者に平康がある、患難がある、而して又患難に勝つの能力がある、彼の平康は「我に在り」と云ひてイエスに於て在る、イエスを離れて在るのではない、君子は自己を以て足れりとすと云ふが、信者は自己を以て足れりとせずイエスを以て足れりとする、平和と云ひ、平安と云ひ、平康と云ふも、是れ信者に取りてはイエスに於てのみある者である、「汝等我に在りて平康を得ん」である、徒らに平和平和と云ひて平和は得られる者ではない、「凡て労れたる者また重きを負へる者は我に来れ、我れ汝等を息ません……我に学べ、汝等心に平安《やすき》を獲べし」と宣給ひし者に於てのみ真の平康は在るのである(馬太十一章廿八節以下) 世に平康を求むる者多きも之を獲ざるは、之を獲べき所に於て獲ないからである。
 信者に平康がある、其れは主イエスに於てある、信者に患難がある、其れは此世に於てある、「汝等世に在りては患難を受けん」とある、イエスに在りては平康、世に在りては患難、其れが信者の生涯である、「世は父を識ら(582)ず是に由りて我等をも識らざる也」とあるが如し(第一書三章一)、信者は聖父《ちゝ》を識らざる此世に在りて患難を免かるゝ事は出来ない、患難のないのは信仰のない徴候《しるし》である、自己中心の世と神中心の信者との間に調和のありやう筈はない、然し悲むに足りないのである、イエスは既に世に勝ち給ふたのである、彼は世をして自己《おのれ》に勝たしめて世を審判き給ふたのである、愛! 其れが此悪の世に勝つ能力である、自己を迫窘《くるし》める世を愛して之に勝っ事が出来るのである、イエスは既に此能力を以て世に勝ち給ふた、彼を信ずる者も亦彼の如くに同じ能力、即ち愛を以て此不信の世に勝つ事が出来る、故に世に在りては患難ありと雖も、イエスに在りては永久の平康があるのである。
 
(583)     信者の静養
                         大正9年11月10日
                         『聖書之研究』244号
                         署名なし
 
 基督信者は静養すればとて唯ブラ/\と遊では居ない、彼は勿論身心の活動を休止する、然し乍らそれと同時に信仰の活動を始める、神を仰ぎ瞻る、彼に依り頼む、心を静にして依り頼みて彼より力の給与に与らんとする、而して斯く為して微妙なる力の何処よりかして己れに加へらるゝを覚ゆる、斯かる場合に於て基督者が己に繰返して誦《そら》んずるは預言者イザヤの左の言である。
  汝等立かへりて静かにせば救を獲《え》
  平穏《おだやか》にして依り頼まば力を得べし(三十章十五節)。
  ヱホバを俟望むものは新たなる力を得ん、
  また鷲の如く翼を伸《のば》して昇らん、
  走れども疲れず歩めども倦《うま》ざるべし(四十一章三十一節)
 信者に取りては静養は人に対する休止であつて、神に対する活動である。
 
(584)     近代人の聖書観
                         大正9年11月10日
                         『聖書之研究』244号
                         署名なし
 
 米国オハヨー洲オバーリン大学新約聖書文学教授神学博士E・I・ボスワース氏 Prof.Edward l.Bosworth,D.D. の近著『羅馬書註解』に依れば、羅馬書は明かにキリストの再臨を教ふるの書であつて、其事を疑ふの余地はない、再臨を根本思想と見ずして羅馬書は解らない、然し乍ら近代人は再臨を信ずる事は出来ない、近代人は進化の理に基づく宇宙万物の完成を信じ、神の子の再臨に因る新天新地の出顕を信ずる事は出来ない、故に羅馬書の再臨主張の書なる事を疑はずと雖も、再臨其ものは既に近代人の思想の中より撤去せられたる者であると、実に正直なる告白である、斯く言ふ方が聖書は再臨に就て語らずと言ふよりも遙に公平である又正直である、茲に於てか我等はパウロに依らん乎、近代人に依らん乎との実際問題が起るのである、近代人、パウロを教へん乎、或はパウロ、近代人を教へん乎、問題は此に帰着するのである、近代人は大胆である、彼等は千九百年間の人類の信仰的権威に反対してまでも自己の信仰を維持せんとする、|而して近代人に関し最も不思議なる事は、彼等が斯くも公然と明白に、既に信ずるの価値なき思想を伝ふると称する其聖書を、せ界第一の書、又は人類最上の経典として仰ぎ戴く事である〔付△圏点〕、是れ信ずるに最も難い事であつて、之を明白なる偽善と称して何故に悪い乎、余輩は甚だ其解明に苦しむのである、羅馬薯は明かにキリストの再臨を伝ふ、然れども再臨は誤謬である、迷信で(585)ある、近代人は之を信ずる事が出来ないと、「可なり」と余輩は答ふるのである、然らば羅馬書を棄てよ、棄てるのが正直である、学者らしくある、爾《さう》しないで、迷信を教ふと唱へつゝ聖書の至上権を唱ふる近代神学者の為す事は余輩の到底解し能はざる所である、正直と云ふ点より言へば英国の無神論者チヤーレス・ブラッドロー、米国の非基督教者ロバート・インガーソルの方が近代的神学者よりも遙かに敬ふべき信頼すべき人である。
 
(586)     悲歎と慰藉
                         大正9年11月10日
                         『聖書之研究』244号
                         署名 内村鑑三
 
  其独子なる五歳の童子を喪ひし母親を慰めんとて語りし言辞《ことば》の大意である。
 
〇馬太伝二章十八節は預言者ヱレミヤの言を引いて曰く
   歎き悲み甚く憂ふる声ラマに聞ゆ
   ラケル其|児《こども》を歎き其児の亡《なき》に由りて慰を得ず
と、此は母が其児を喪ひし時の悲歎の声である、「歎き悲み甚く憂ふる声」であつて、世に之に勝るの悲歎の声はないのである、「其児の亡に由りて慰を得ず」と云ふ、宇宙万物、何物も彼女を慰むるに足りないのである、悲歎の極悲痛の極、之を味ふて始めて「人生の歎」の何たる乎が解るのである、而して此場合に於て母を慰むるに足る唯一事がある、|其子を〔付○圏点〕復活《いきかへ》|して再び之を彼女の手に附す事である〔付○圏点〕、イエスがヤイロの娘を復活して之を両親の手に与へしやうに、亡き児に再び生命を吹込みて之を母親の懐に返す事である、此事を為し得ば彼女を慰むる事が出来る、之を為さずして全世界を彼女に与ふるとも傷める彼女の心を癒す事は出来ない。
〇而して斯る場合に際して、聖書は、然り、惟り聖書のみ彼女を慰め得るのである、其れは約翰伝第十四章一−(587)三節に載する所のイエスの言葉である。
  汝等心に憂ふる(歎き乱るゝ)勿れ、神を信ぜよ亦我を信ぜよ、我父の家には第宅《すまひ》多し、然らずば我れ予て汝等に之を告ぐべき也、我れ汝等の為めに所を備へに往く、若し往きて我れ汝等の為に所を備へば復た来りて汝等を我に受くべし、我が居る所に汝等をも居らしめんとて也
と、実に深い強い言葉である、神の子の此言葉に由りて今日まで数知れぬ人が其悲歎の極に於て慰められたのである。
〇「汝等心に憂ふる勿れ」、歎き乱るゝ勿れ、神を信ぜよ又キリストを信ぜよ、神は人を造り、彼に恩愛の情を供して、彼を癒す能はざる境遇に陥れて、其れで晏如たる者ではない、悲痛のある所には慰藉がある、児を喪ひし母親をさへ慰め得るの途は備へられてある、ラケルは其児の亡に由りて慰を得ずと云ふべきでない、慰を得るの途は人に由らず神に由りて備へられた、彼女は心に歎き乱れてはならない、神を信ずべしである、又其遺はし給へるキリストを信ずべしである。
〇「我父の家には第宅多し」と云ふ、天父にも亦其家族を容るゝ為の家がある、ホームがある 其れは一軒の家ではない、天の里である、天の国である、広い美しい別の世界である、而し其内に多くの第宅がある、見すぼらしき家屋ではない、荘大なる第宅である、地上に在りては貴族や富豪が住んで居るやうなる第宅である、然かもそれが多くあると云ふ、住宅払底の今日、何人か天国の此状態を聞いて心を惹かれざる者があらう乎、天国には大きな家が沢山に有ると云ふ、其れ丈けで大なる福音である、天国は少数の義人善人、聖人潔士、教界の名士のみが往く所ではない、其所には宏大なる第宅が許多あると云ふ、然らば我も亦往き得るの希望がある、辜なき小(588)児は歓んで其所に迎へらるゝに相違ない、天国に入り得る者は人が思ふよりも遙かに多数であるに相違ない、キリストは告げ給ふた「我父の家には第宅多し」と。
〇父は其子の為に家に多くの第宅を築き給ふた、而して彼等を其所に迎ふる為に準備が必要である、罪に生れ罪に成長《そだち》し人は、何人も生れし儘にて聖き父の家に往く事が出来ない、茲に於てか神の子イエスが我等の罪を担ひ之を十字架の血にて潔め、「我等の為に前駆《さきがけ》して其所に入る」の必要があるのである(希伯来書六章二十)、イエスは贖はれし人の代表者として父の家に還りて我等が之に入る為の途を開き、同時に又我等に之に入るの資格を供へ給ふた、イエスの死と復活と昇天とに由りて人が天国に入る其準備が欠くる所なく供へられた、謙下りて神を信ずる者に今や彼所《かしこ》に聖父の家族の一人となる途と資格とが備へられた。
〇イエスは我等の前駆として其処に入り給ふた、而して其処にて惟我等を待ち給ふのではない、準備成りし後には「復た来りて汝等を我に受くべし」と告げ給ふた、如斯にして基督教にも亦仏教に於けるが如くに|来迎〔付○圏点〕があるのである、而してイエスの来迎に二種ある、其一は再臨の時の来迎である、其時「生て存れる我等は彼らと偕に雲に携へられ空中にて主に遇ふべし」とある其来迎である(テサロニケ前書四章十七節) 其二は各人死して肉を離れて霊界に入る時の来迎である、此事たる死後の実験に属するが故に、其方法状態に就て我等は知らない、然し乍ら来迎のある事其事は死の床に侍《はんべ》りし者の幾回《いくたび》か実見せし所である、死者は或者に迎へられて生者を辞して往くの状態を示す、或ひは手を伸して或者の手に渡らんとするが如く或ひは「もう往きます」と言いて確然《はつきり》と告別の辞を述ぶ、信者は独り淋しく知らざる国に往くのではない、死の河を渡らんとする時、或者が彼を迎へ、彼の手を取り彼の歩を助けて河の彼方へと渡渉するやうに見える、「我れ来りて汝等を我に受くべし」とのイエス(589)の言は何等の実験に徴すべき所なき言ではない。
〇父のホームに多くの第宅がある、之に入るの準備が成つた、而して之に入らしめんとて主御自身の御|出迎《でむかひ》があると言ふ、而して斯く明確と言ひ給ひし者は偽はる事能はざる誠真《まこと》の神である、「汝等此事に関して神を信ぜよ亦我を信ぜよ」とイエスは言ひ給ふた、然らば我等は信ずべしである、信じて耐へ難き悲歎を脱すべきである、愛児を父の御手に渡したのである、其所に彼は我手に在るよりも遙に安全である、ラケルは其児を喪つた、然し其児は亡びたのではない、天の父のホームに迎へられて、其多くの第宅の内に寛ぎたる自由なる生涯を続くるのである、而して軈て復た彼が彼女の手に渡たさるゝ時が到来するのである、而かも不安極まる此涙の谷に於てゞはない、父の家に於てゞある、「我が居る所に汝等をも居らしめんとて也」とイエスは言ひ給ふた。
 
(590)     〔『東京朝日新聞』の質問への回答〕
                          大正9年11月18日
                          『東京朝日新聞』
                          署名 内村鑑三
 
    一、愛読記事の種類
    二、婦人子供学生等の喜ぶ記事
    三、希望又は註文
 
一、小生は東京朝日新聞の二十年来の読者に有之候、其理由は御紙《おんし》は最も無害なる新聞紙なりと思ふが故に有之候《おれありそろ》
二、現世との関係甚だ尠き小生に取りては新聞紙は用の至つて尠き者に有之候、故に小生が興味を以て読む者は第一に講談に之あり、海外電報又甚だ有益に有之候
三、正義に由つて堅く立つ新聞紙を欲し候、然し斯かる者は現今の日本に於ては望んで益なき事と存じ候
 
(591)     敬愛する木村君
                       大正9年12月9日
                       『東京朝日新聞』広告欄
                       署名 内村鑑三
 
 御平安を賀します。此たびは貴著「自然科学と人生問題」御送り下され誠に有難く存じます、之は我が同窓中君ならでは著はす能はざる書でありまして、今日之を見るを得るは小生の喜びであり又旧農科大学の名誉であります、何れ時を得てユツクリと拝読致さんと存じます、
 小生の理想も亦 Evangelical Christianity と Natural Siences との関係調和に在ります、勿論無理に調和させんと思ひません 然し調和は之を認めざるを得ません 而して小生の見る所を以てしますれば、矢張り Sience は Religion の hand-Maid でありまして、調和は Maid の方から申出でなければならないと思ひます、聖書を以て自然を解釈する方が自然を以て聖書を解釈するよりも遙に確実なる途であると思ひます、但し Sience を抜きにする聖書解釈は全然当てにならない者であると信じます、我日本に於て本当の Religion と Sience との調和を計りたいと思ひます、何れにしろ Vulgar American Christianity は真平御免であります、匆々敬具
 
(592)     JAPANESE CHRISTIANITY.日本的基督教
                         大正9年12月10日
                         『聖書之研究』245号
                         署名なし
 
     JAPANESE CHRISTIANITY.
 
 Japanese Christianity is not a Christianity peculiar to Japanese. It is Christianity received by Japanese directly from God without any foreign intermediary;no more,noless.In this sense,there is German Christianity,English Christianity,Scotch Christianity,American Christianity,etc,;and in this sense,there will be,and already is,Japanese Christianity.“There is a spirit in man:and the inspiration of the Almighty giveth him understanding.”The spirit of Japan inspired by the Almighty is Japanese Christianity.It is free,independent,original and productive,as true Christianity always is.
 No man was ever saved by other men's faith,and no nation will ever besaved by othe rnations'religion.Neither American Christianity nor Anglican faith,be it the best of the kind,will ever save Japan.Only Japanese Christianity will save Japan and Japanese.
 
(593)     日本的基督教
 
 日本的基督教と称ふは日本に特別なる基督教ではない、|日本的基督教とは日本人が外国の仲人を経ずして直に神より受けたる基督教である〔付○圏点〕、其の何たる乎は一目瞭然である、此意味に於て独逸的基督教がある、英国的基督教がある、蘇国的基督教がある、米国的基督教がある、其他各国の基督教がある、而して亦此意味に於て日本的基督教がなくてはならない、然り既に有るのである、「人の衷に霊魂のあるあり、全能者の気息之に聡明《さとり》を与ふ」とある(約百記卅二章八節)、日本魂が全能者の気息に触れる所に、其所に日本的基督教がある、此基督教は自由である、独立である、独創的である、生産的である、真の基督教は凡て斯くあらねばならない、未だ曾て他人の信仰に由て救はれし人あるなし、而して又他国の宗教に由て救はるゝ国ある可らずである、米国の宗教も英国の信仰も、縦し其最善の者たりと雖も日本を救ふ事は出来ない、日本的基督教のみ能く日本と日本人とを救ふ事が出来る。
 
(594)     〔年末の辞 他〕
                         大正9年12月10日
                         『聖書之研究』245号
                         署名なし
 
    年末の辞
 年は去らんとす、感謝である。年は来らんとす、感謝である。今年も亦善き事があつた、感謝である。悪しき事があつた、感謝である。万事万物が感謝である。何故に然る乎? 神の聖旨が成つたからである、彼の栄光《みさかえ》が揚つたからである。我が為の生涯ではない、神の為の一生である。彼の聖旨の成らんが為には我は如何なつても可いのである。神は主人であつて、我は僕である。僕は自分は如何なつても、主人の事業さへ挙れば、夫れで歓ぴ且つ満足するのである。神は年々歳々其聖業を進め給ふ、而して今年も亦一年丈け聖旨は成り、栄光が挙つた、故に感謝である。我が不幸、我が損失の如き、問ふべきでない。況んや尠からざる幸福の我が身にも臨みしに於てをや。
 
    結婚の神聖
 
 結婚は我が為めなりと新しき人は言ふ、結婚は我れ以外の者の為なりと旧き人は言ふ、我が家の為なりと旧き(595)日本人は言ひ、我が神の為なりとクリスチヤンは言ふ、クリスチヤンは結婚して己が恋を遂ぐるに非ず、神の聖旨に従ふのである、恋愛其者は神聖に非ず、神の聖旨に従ふて初めて神聖と成る、而して神と義務とに従ふて成りし結婚はローマンチックならずと雖も鞏固であつて比較的に幸福である、阿弗利加宣教師デビッド・リビングストンの結婚の如き、緬甸宣教師アドニラム・ジャドソンの結婚の如きは此類であつた、彼等の結婚の動機は主として「福音の為の協力」に於てあつた(腓立比書一章三節) 結婚を人生固有の権利と見るは大なる誤謬である、固有の権利ではない、与へられたる特権である、恋愛も一度は之を神と義務との祭壇の上に捧げて其の聖むる所となるのである、恋に由て成りし家庭に苦痛多し、幸福なるホームは恋の産物にあらずして義務の成果である、近代人は恋を過重視して自ら択んでホームの幸福を斥けつゝある。
 
    天然と神
 
 太陽は神ではない、然し乍ら神は太陽を以て我等を照らし給ひつゝある、水は神ではない、然し乍ら神は水を以て我等の汚穢《けがれ》を洗ひ給ひつゝある、火は神ではない、然し乍ら神は火を以て我等の不潔を焼尽《やきつく》し給ひつゝある、天然は神ではない、然し乍ら神は天然を以て我等を支へ、我等を養ひ、我等を護り、我等を教へ導き給ひつゝある、斯くして我等は天然に接し、天然の内に生存して、神に接し、神の御懐《おんふところ》の内に生存しっ1あるのである、寔に我等は我等の日常の生活に於て「彼に頼りて生き又動き又在ることを得る」のである(行伝十七章二八節) 我等は天然に囲繞せられて地上に存在すればとて神と離れて在るのではない、神がモーセに言ひ給ひしが如くに、我等が立つ此処は聖き処である(出埃及三章五) 我等は地の上に住みて神の聖殿に居るのである、信仰の眼を(596)以て見れば地其物が神の造り営める所の基ある京城《みやこ》である、其意味に於て我等は千年期の到来を俟つに及ばない、新らしきヱルサレムの天より降り来るを望むに及ばない 今時《いま》、此地の上に在りて既に業《すで》に神の京城に在るのである、地をして天たらしめざる者は地ではない、我等の裡に宿る罪である、罪を除かれて地其物が既に天である、花の野に咲くは神の微笑《えみ》である、露の朝日に輝くは父の顔《かんばせ》である、風の枝《こずえ》を払ふは彼の囁《さゝや》きである、日毎の糧は彼の肉である、滴る果汁《しる》は彼の血である、ヱホバは其聖殿に在し給ふ、而して我等も亦彼に事へて聖殿に在りて彼に仕へまつるのである。
 
    ベツレヘムの星
 
 ベツレヘムの星は当時特に現はれし新星なるや、或は木星が土星と交会して輝きし者なるや、今に至て確知する能はず、然れども信仰の眼を以て見て凡の星がベツレヘムの星である、今や宵空を販す金星が夫である、暁天を飾る木星が夫れである、参宿が夫である、昴宿が夫である、諸の天は神の栄光を現はして愛と希望とを告ぐる者である、「かの時には晨星《あけのほし》相共に歌ひ、神の子等皆な歓びて呼はりぬ」と云ふ(約百記卅八章七節) ベツレヘム郊外歓呼の声も亦此声に非ずして何ぞや。
 
    パウロとバプテスマ問題
 
  我れ神に謝す我れクリスポとガヨスの外、汝等の中一人にもバプテスマを施しゝ事なし、此《こ》は我名に託りてバプテスマを施すと人に言はれん事を懼れたれば也、我れまたステパナの家族にバプテスマを施せり、此外(597)には我れ人にバプテスマを施しゝこと有るや否を知らず(哥林多前書一章十四−十六節)
 パウロはバプテスマを賤視《いやしめ》なかつた、彼れ自身がアナニヤと云ふ人(彼は平信徒であつたらしくある)よりバプテスマを受けた(行伝九章十八) 然し乍らパウロがバプテスマを救拯の必要条件と見たか、其れが問題である、若しバプテスマが人の救拯に必要であるならば、何故に熱信パウロの如き者が成るべく之を避けんとしたか、不思議に堪へない、「此外には、我れ人にバプテスマを施しゝ事有るや否を知らず」と云ひ、「キリストの我を遣はしゝはバプテスマを施させん為に非らず福音を宣伝へしめん為なり」と言ふ(十七節) 彼は人に「バプテスマを施す者」Baptizerと言はれん事を非常に嫌ふたらしく見える、彼は始終一貫して人の義とせらるゝは行為《おこなひ》に由らず信仰に由ると唱へたが、バプテスマを受けざれば救はれずと唱へた事は一回も見当らない、而してパウロの如き性質の人がバプテスマの式に救霊的必要条件を認めたりとは何しても思はれない、彼は如何に見ても儀式を重要視する教会者《エクレジヤスチツク》ではなかつた、彼は霊の人であつた、「夫れ見《みゆ》る所の者は暫時にして見ざる所の者は永遠なり」と言ふた人であつた(後書四章十八) 斯る人が羅馬天主教会や英国々教会の教職等が唱へるやうにバプテスマの式を以て救霊上必要条件と信じたと云ふ事は心理学的に観察して不可能である、バプテスマを受くるは好し、受くるは受けざるよりも好からん、然れども受けざればとて神の救拯に与かる能はずと言ふを得ず、我れ自身は福音を宣伝ふるを以て満足し敢て進んでバプテスマを授けんとせずと云ふのが此問題に対するパウロの態度であつたと思ふ、換言すればパウロはバプテスマ問題に就ては無頓着であつた、彼は其れに優さるの重要問題を有て居た、|キリストと彼の十字架〔付○圏点〕、其れさへ信じ得るならばバプテスマは受くるも可なり、受けざるも敢て問はずと云ふのが彼の立場であつたと思ふ。
 
(598)     婚姻の意義
                         大正9年12月10日
                         『聖書之研究』245号
                         署名 内村鑑三
 
    哥林多前書十一章二−十三節 以弗所書五章二十二−二十四節
  凡ての人の首《かしら》はキリストなり、女の首は男なり、キリストの首は神なりと汝等が知らんことを願ふ。
  婦《つま》なる者よ主に服ふが如く己の夫に服ふべし、そはキリスト教会の首なるが如く夫は婦の首なればなり、キリストは身の救主なり、されば教会のキリストに服ふ如く婦も凡てのこと夫に服ふべし。
〇人種平等、上下無差別、男女同権と云ふが如き思想は元来東洋の産にあらずして西洋より輸入せられしものである、そして斯かる思想は西洋より輸入せられしものである為め、之を以て西洋に行はるゝ基督教思想と見做す人が我国には少くないのである、しかも基督教を信ぜざる人のみに止まらず之を信ずると称する人の中にさへも、此種の西洋思想と基督教思想とを混同して両者を同一物と思へる人が少からず在るのである、かゝる状態であるが故にニーチェの思想、カアルマルクスの思想、クロポトキンの思想までをも悉く基督教の産物と思ふ人もある有様である、誤れるの甚しきものと云ふべきである。
〇基督教思想は聖書に明白に表はれ居る思想であつて、多くの点に於て所謂西洋思想とは趣きを異にせるものである、故に西洋にては社会主義、男女同権等の思想の鼓吹者は基督教に対して激烈なる攻撃を加ふるを常とする、(599)マルクス、ニーチヱ、クロポトキン等は人の知る如く激烈なる基督教反対者である、以て謂ゆる西洋思想と基督教とが氷炭相納れぬものであることを知るのである。
〇他の問題は茲に問はずとして、男女間題については聖書の説く所は西洋人、殊に米国人の教ふる所とは正反対である、聖書は決して米国流の男女同権を唱へない、聖書は明かに云ふ「女の首は男なり」と、又云ふ「男は女のために造られしに非ず女は男のために造られしなり」と、又云ふ「教会のキリストに服ふ如く婦も凡てのこと夫に服ふべし」と、これ女は男に対して全然服従すべしと云ふのであつて、男女同権といふ思想とは全く相反するものである。
〇由来聖書の教ふる所は天然の教ふる所と揆を同じくする、宇宙万物は千姿万態各々相異つて居てしかも其間に一の明白なる秩序がある、もし此秩序破るれば宇宙は淆乱に陥るのである、万物おの/\其定められたる地位を守りて正しき順序を保ち、ために宇宙は調和の宇宙として存するのである、男女の関係亦然り、夫は夫たり婦は婦たりして、即ち主たる者は主たり従たる者は従たりして初て完全なる家庭――その結果として完全なる社会と国家――が生るゝのである 女は男に従ふべきもの、男は女の首である、これ人の社会に当然存在すべき秩序順序である、聖書の教ふる所は天然の教ふる所と同一である。
〇果して然りとせば女は男の奴隷なるか、否然らず、「女の首は男なり」と教ふる聖書は又「男の首はキリストなり」と教ふ、故に婦は夫に対する絶対的服従を要求せらるゝと共に、夫は亦キリストに対する絶対的服従を要求せらるゝのである、故に婦は夫に其身と自由とを全然引き渡すと雖も、夫は斯く引き渡されし身と自由とを己の我意のま1に使用することは許されない、夫は婦より自由を委託されて之を神のために保護し且使用するの更に(600)重き責任を委ねられたのである、故に婦は夫に其自由を捧げて夫の之を聖用するに於て、自由を引き渡して却つて之を全うするのである、結婚の意義は実に茲に存する、一人の女が一人の男に全部を献げ、男は之を受けて之を神のため又彼女のために護り之をその潔められたる形に於て彼女に附与するの義務を持たせられるのである、茲に結婚の意義とその美とは存する、之なくして真の結婚はないのである。
〇結婚はルソーの謂ゆる社会契約(social contarct)ではない、両者の利便を計る為に暫時的契約を結ぶことではない、これ実に神にありて一体となることである、今や謂ゆる西洋思想のために家庭はその根柢より覆へされんとする時に当り、我等聖書の明白なる教訓に従ひて良家庭――従つてまた良社会、良国家――の建設に当るべきである。
〇「凡ての人の首はキリストなり、女の首は男なり、キリストの首は神なり」と云ふ、これパウロの謂ゆる「凡ての事その次序《ついで》に循ふ」である、この秩序を離れては調和もなく平和もない、女は其選びし男に向つて其の全部を委ねんとの決心なくば寧ろ結婚せざるを可とする、又男は女より貴重なる委託を受けて之を神聖に保護せんとの考なくば是れ亦結婚せざるを可とする、男に身を委ぬるが女の名誉にして、その委託を受けて之を保護するが男の名誉である、かくて女は其自由を全うし男も亦己が自由を全うするのである。
〇これ東洋思想にして東洋思想にあらず、西洋思想にして西洋思想にあらず、まことに然うである、男女同権は西洋思想の誤である、男尊女卑は東洋思想の誤である、女の首は男であり男の首はキリストであると、かく云ふて東西両洋の思想を超越して神の黙示に達したのである、婦は夫に其自由を引き渡して却つて之を全うする、夫は妻より自由を引き渡されて之を「キリストの僕」として聖く用ふる、しかし是れ決して男女同権ではない、あ(601)くまで女の首は男、男の首はキリストである、また女の首は男なりとて是れ男尊女卑ではない、男の首はキリストなれば男はキリストの僕として女を卑むることは許されない、女より全部を託されて之を神聖に用ひねばならぬのである、神の黙示は人間の思想以上にして円満無謬である。
〇女は己の自由を男に献げて之を全うし、男は又己の自由をキリストに献げて之を全うする、服従すべき者に服従して初めて自由は全うせらるゝのである、服従すべき者に服従せざる事は表面自由なるが如くに見えて実は自由を喪失することである、我等は聖書の此明かなる教訓に循ひて結婚すべきである。(一九二〇年十月廿八日星野鉄男対大石みその結婚式に於て述ぶ)
 
(602)     希伯来書に於ける永久性
                         大正9年12月10日
                         『聖書之研究』245号
                         署名なし
 
 第一、|永久のキリスト〔ゴシック〕。神は御子に就て「神よ、汝の御座は世々限りなく」と言ひ給ふ(希伯来書一章八節)。参照(希伯来書一章九−十二、十三章八、黙示録廿二章十二−十四、約翰伝八章五八、十二章卅四、ミカ書五章二)。
 第二、|永久の救〔ゴシック〕。「キリストは己に順ふ者の為に永遠の救の原《もと》(創造者)となり給へり」(五章九節)。参照(約翰伝五章廿四、十章廿八、三章十六、十八、卅六、羅馬書五章廿一、六章廿三、テモテ前書一章十五、十六)。
 第三、|永久の審判〔ゴシック〕。六章二節にあり。参照(約翰伝五章廿八、廿九、哥林多後書五章十、路加伝十四章十二−十九、哥林多前書三章十一−十五、羅馬書十四章八、一〇)。
 第四、|永久の贖罪〔ゴシック〕。「己が血をもて只一度至聖所に入りて永遠の贖罪を終へ給へり」(九章十二節)。参照(ヱペソ書一章七、二章十三、ロマ書三章廿四、ペテロ前書一章十八、十九、ヨハネ伝一章七)。
 第五、|永遠の御霊〔ゴシック〕。「まして永遠の御霊により云々」(九章十四節)。参照(創世記一章二、ヨハネ伝一章卅二、ペテロ前書三章十八、ヨブ記廿六章十三、二十三章四、ルカ伝一章卅五、使徒行伝二章卅三、ロマ書一章四)。
 第六、|永久の嗣業《ゆづり》〔ゴシック〕。「召されたる者に約束の永遠の嗣業を云々」(九章十五節)。参照(ペテロ前書一章五、コリント前書九草廿五、ペテロ後書二章四、九、十七、三章七、黙示録二章廿七、詩十六編十一)。
(603) 第七、|永久の契約〔ゴシック〕。「永遠の契約の血によりて云々」(十三章廿節)。参照(七章廿二、八章六、九章廿、十章十六、十七、十二章廿四、黙示録十一章十九)。
 
(604)     永生の意義
                         大正9年12月10日
                         『聖書之研究』245号
                         署名 内村
 
 永生即ち限りなき生命とは語その者が背理を合んでゐる、我等知る所にては生命は皆暫時的瞬間的である、世に最も脆きもの又はかなきものは命である、同時に世に最も美はしきものは命である、又人間の実生活を見よ、最も美はしきものたる人命は最も脆きものではないか、之に対して限りなく保つものは無生物である、岩、山、鉄、花崗石等謂ゆる金石の類は不朽である、然し之等は生命に比して価値少ないのであること云ふまでもない。
 金石は永久的であつて生命は瞬時的である、これ宇宙の通理である、然るに御自身限りなき生命たる神は、この限なき生命を彼を信ずる者に賦与せんと云ふのである、美なる生命たる花は瞬時的のものである、然るに美はし花が限りなく其美と色沢とを保つにも此すべき恩恵を神は彼を信ずる者に与へんとするのである、自然界に於て生ある者は必ず死し生なきものは永く保つ、然るに神はこの法則を破りて限りなく保つ生命を我等に与へんとす、何ものか之に勝る賜物があらうか。
 永久的生命とは考へ難きことなる故永生とは時間的に見るべからずして性質的に見るべき思想であると近頃の学者は言ふ、即ち永生とは感覚以上の生命のことにて別に|永久的の〔付△圏点〕生命の意にあらずと云ふ、即ち永生問題より「時」の観念を排逐せんとするのである、これ大なる誤謬である、永生は感覚以上の生命たるには相違なけれど(605)又時間的に|限りなき〔付ごま圏点〕生命たることも慥である、神御自身は億々万年の存在を継続する星よりも永く存在す、即ち限りなく存在し而して同時に生命である、茲に於て永生即ち限りなく保つ生命なるものが万事万物中の最上最美最優のものたるを知るのである、そして神御自身はそれであつて、又神が彼を信ずる者に賜はるものがそれである、永生とは斯くの如き有難き賜物である。此者が彼を信ずるものに与へらると約束せられたのである。
 
(606)     一致協力の基
         (九月九日今井館に於ける祈祷会に於て所感として述べし所である)
                         大正9年12月10日
                         『聖書之研究』245号
                         署名 内村鑑三
 
  汝等姶の日より今に至るまで偕に福音に与るに由り我れ汝等を思ふ毎に我が神に謝す(腓立比書一章三、四節)。
〇「偕に福音に与る」と云ふ、福音の恩恵を偕にしたと云ふ事ではない、偕に福音の為に尽瘁したと云ふ事である、受動的ではない、活動的である、希臘原語にて云ふ所の
  〓〓 〓〓 〓〓 
であつて、英語を以て云ふならば
  Your cooperation towards the Gospel
である、パクロは茲にピリピの信者に書贈りて
  福音伝播を援くる為の汝等の一致協力に就き神に感謝す
と言ふたのである。
〇「福音伝播を援くる為の一致協力」と云ふ、基督信者の一致協力の基は茲に在るのである。ピリピの信者はパ(607)ウロの事業を援けんとしたのでない、又はパウロ彼自身の為に彼を授けんとしたのではない、キリストの福音の伝播を援けんために一致協力してパウロと彼の伝道事業とを助けたのである、彼等の眼中教会あるなしパウロ先生あるなし、唯キリストと彼の福音とがあつた、而して其伝播を計つて彼等はキリストの聖名を称ふるすべての人に対し、殊に伝道の衝に当るパウロに対し熱誠ならざらんと欲するも得なかつた、福音を守り之を拡める為の一致協力であつた、故に竪き潔き協力であつた、而してパウロは斯る協力を愛し、之がために神に謝したのである。
〇然れども世には福音の堅き潔き基礎の上に立たざる一致協力がある、即ち己が属する団体の為にする一致協力がある、又は団体の頭の為にする一致協力がある、而して基督信者の一致協力が茲にまで堕落する時に、其は甚だ破壊され易くある、福音以外の者の為にする一致協力は実は自己の利益を目的とする一致協力であつて其物其れ自身が既に不和離反である、而して外面に一致協力を装ふ昔しの基督信者の内にも斯る不純不潔の動機に由りて集つた者の有つた事は明確である、同じ腓立比書の第二章廿一節に於てパウロは曰く
  多くの人(多くの信者)は皆な己が事のみを求めてイエスキリストの事を求めず
と、即ち多数の信者は教会(団体)の事を求め教会の頭なるパウロの事を求め、己が勢力、己が立場の安全を求めて、キリストと其福音の事を求めなかつたとの事である、而して斯る状態の必然の結果として多くの背信者が出たのである、提摩太後事四章十節以下に記してある人たちの場合が其実例である。
  デマス此世を愛し我を棄てテサロニケに往けり……銅匠《かぢ》なるアレキサンデル多く我を害せり……彼れ甚しく我等の言に敵《さから》ひたり云々
(608) 福音を主眼とせざる信者の成行は概ね如此し。
〇我れキリストの福音に接するを得て、死より出で生に入る事が出来た、我れ之を人に与へずして止む能はずと云ふが基督信者活動の動機である、真理は伝播的である、独り之を楽しむの真理は真理でない、伝道の熱に燃えざる信者は信者でない、而して此熱に駆られて信者は一致協力するのである、自己を守る為ではない、団体の安全と勢力とを計る為ではない、神の聖旨に従ひ一人たりとも多く我が与りし福音の恩恵に与らしめん為に、其熱心に駆られ、其愛に励まされて信者は一致協心するのである、|故に伝道心の燃えざ所に信者の堅き一致協力は無い〔付△圏点〕 其の反対に分離がある、離叛がある、時を獲るも獲ざるも、凡ての手段方法を尽くして一人たりとも多くキリストの福音の恩恵に与からしめんと焦慮する伝道心の燃ゆる所に、批評は止み猜疑は失せ、兄弟相互の欠点は掩はれ、信者は努めずして一団と成て動くのである、「福音の為にする一致協力」、求むべきは此一致である此協力である、信者は福音の旗幟《はやじるし》の下に立ちて堅き強き団体と成るのである、嗚呼、熱き伝道心、是れ我と世と我が属する団体との救ひである、是れなくして凡て、失敗である、破壊である。
 
(609)     別篇
 
 とし子
 「主の御再臨を信ずるに至りしまで」への付言
           大正9年1月10日『聖書之研究』234号
 内村生曰ふ、余の愛するとし子より左の書面が来た、之をひとりで楽しむのは余りに惜しいから之を勝手に茲に掲ぐる事にした、彼女が余の此行為を赦さんことを願ふ。
〔末尾に〕
 とし子にまうす、余は御身がキリストの再臨を信ずるに至りしを喜ぶ、まことに此信仰をいだきてのみ基督教がわかつたといふ事が出来る、再臨の信仰は第二の改信であるともいはれる、其喜び其感謝は初めて真の神を認めし時のそれに異ならない、御身が今手の舞ひ足の践む所を知らない歓喜の状態に於て在ることは余の充分に解し得る所である、然し乍ら御身の信仰に一つ間違又は不足がある、それは御身のキリスト観である、キリストは「罪を犯さなかつ時の人と同じ人」であると言ふては足りない、彼は「アダムの罪の故に更に又神が|作り〔付△圏点〕給ひし独子」ではない、キリストは神の子である、神が|生み給ひし〔付○圏点〕者であつて作られし者ではない、其事は聖書の明に示す所であつて疑ふの余地がない、キリストは第二のアダムであると録してある、然し乍ら「第一の人は地より出て土につき第二の人は天より出たる主なり」とある、(哥前一五 四七)、余は御身が更に一歩を進めて「神が其独子を給ふほどに世の人を愛し給へり」と云ふ言を更に深き意味に於て解するに至らんことを祈る(鑑三)。
 
(610)  藤井武「天然美に対する預言者の同情」への付言
           大正9年3月10日『聖書之研究』236号
 内村生評、美はしき預言の美はしき解釈である、実にイザヤとヱレミヤとはヲルヅヲス、ブライアント以上の天然詩人である、信者は彼等に傚ふてすべて天然詩人たるべきである。
 
  浦口文治「コールが丘の印象」への付言
           大正9年3月10日『聖書之研究』236号
 編輯生白す、余は我国有数の英文学者にしてシェークスピヤ学者なる浦口君を基督再臨信者の内に算へ得るを喜ぶ、再臨の信仰たる之を浅くも見る事が出来る亦深くも見る事が出来る、而して世に之を嘲笑する者多きは之を深く見ないからである、深く之を見て其の最も合理的なる宇宙観又人生観なる事が判明する、詩人ブライアントの如き深遠なる天然詩人の時に此信仰を表明するに足る語調を洩らせしは其内に深き天然的真理が在するからであると思ふ、余は浦口君に望む君が君の該博なる英文学の知識を以てして「英文学に現はれたる基督再臨の信仰」なる一文を草せられ我等再臨信者一同を教へられん事を。余は又君の米国堕落観に同意する、余も亦君と均しく米国を熱愛する者の一人である、故に其堕落に対する余の悲痛も亦強烈である、神よ米国を恵み給へである。
  肥前しげ子「悲哀より歓喜まで」への付言
           大正9年4月10日『聖書之研究』237号
 編者曰ふ、是は婦人の声であつて、而も男らしき真実の声である、此世の智者等が知らざる所に斯かる霊的戦争が闘はれ、勝利が収められつゝある、伝道は空しき業ではない、物資を与へず、境遇を更《かへ》ずして、人を其儘に幸福なる者とならしむる者は神の道である、基督教は日本人に用なしと唱ふる者は誰乎。
 内村生曰ふ、茲に又新たに信仰の妹一人を増し加へられて神に感謝する、「汝が有つ所の者を固く保ちて汝の冕を人に(611)奪はるゝ勿れ」である(黙示録三章十一節)、信仰を固むるに深き博き聖書知識と確実なる実験とを要する、而して信仰の実験は此世の精神と闘ふに因て獲らる、「生命を賜《あた》ふる者は霊なり肉は益なし」(約翰伝六章六三節)である、我妹の此二節を忘れざらん事を祈る。
 
  R・E・スピヤア「キリストの再臨(上)」への附記
           大正9年7月10日『聖書之研究』240号
 再臨の信仰は引続き之を説かざるべからず、此信仰なくして伝道の熱心は失する、文教会に瀰漫する紛々たる俗気を排除する為に之に勝さるの信仰はない、キリストは再び臨り給ふ、是れ聖書が創世記より黙示録に到るまで明々白々に示す所である、此の信仰ありて詩人の詩、預言者の預言、使徒等の伝道があつたのである、我等は再臨の信仰が多くの迷信に走り易きを観て其唱道を怠つてはならない、デリツチ、ゲツス、ゴーデー等の先哲の跡に従ひ、合理的に、聖書的に、冷静に、強烈に此信仰を学び且つ唱ふべきである、キリスト再臨の希望起りて信仰は復興せざるを得ない。(主筆)
 
(612) 【大正8年7月10日『聖書之研究』228号】
    那須山下に来遊を促す    内村生
 夏が来ました、私は七月下旬より九月中旬まで栃木県那須温泉松川屋方に居る積であります、其間土曜日と月曜日を除くの外は大抵毎日一時間づゝ聖書の講義を致す積りでありますから近県読者諸君には御休養旁々御来聴を願ひます、下野教友会の好意に依り十名より多からざる方々に一週間交代にて無料にて座敷を提供する事に成つて居ます、但し食費は御自弁の事、尚又一週間以上御滞在御希望の方には旅館に於て御宿泊御自由であります、是は夏期修養会と称すべき程の者ではありません、夏期休養会と称して可なる者であります、清き天然の内に成るべく聖き家庭的生涯を送りたく思ひます、道は東北本線黒磯駅に御下車、それより四里九町、馬車人力車乗合自働車の便があります、那須火山の麓、関東平野を瞰下し、宏闊の気を養ふには最も好適の地であります、人なる教師を目的とせずして、自由の天然と交はらん為に御来遊あらん事を御勧め致します、無料座敷を使用せんと欲せらるゝ方は順番を定むる必要がありますから予め御来遊の時日を明記し、宇都宮市大工町宝積寺銀行支店内下野教友会宛御通知を願ひます。
 
 【大正8年9月10日『聖書之研究』230号】
    御面会に就き謹告
 小生訪問者の面会は日、月、土三曜日を除くの外毎日午後三時より四時までの間に限り候間左様御承知被下度候、但し在宅は保証不仕候、尚又御一身上の御相談は一切御断り申上候。
  一九一九年九月         内村鑑三
 
    謹告
 小生信ずる所あり、警醒社書店出版『内村全集』第壱巻第五版を以て発行並に発売中止致し候、尚新たに時期を見計らひ他の方法を以て発行致すべく候間左様御承知被下度候。
  一九一九年九月         内村鑑三
 
(613) 【大正8年11月10日『聖書之研究』232号】
    集会と出版
〇毎日曜日午後二時より東京丸之内大手町内務省正門前大日本私立衛生会講堂に於て内村鑑三主任、柏木兄弟団世話人の任に当り、聖書講演会を開き、総て誠実を以て聖書を研究せんと欲する者の来聴を歓迎致し候但し敬意を表するに足るの服装を着する事と、応分の献金を為さるゝ事とは予め御承知相成り度候、目下毎会殆ど満堂の聴衆あり、為めに来聴者は成るべく早く着席するの必要有之候。
〇来る十二月七日は神の民なるイスラエル即ち猶太人の為めに祈るべく定められたる安息日に有之候。読者諸君が本号掲載の中田重治君寄稿の主旨に循ひ此日特に彼等の為に祈られんことを御勧め申上候、東京に於ても之が為に特別の会合催さるべく、其節は何かの方法を以て広告仕るべく候。
  東京市外柏木九一九            聖書研究社
 
 【大正8年12月10日『聖書之研究』233号】
    クリスマス広告
〇又クリスマスが来りました、本誌発行以来第二十回のクリスマスであります、孰れも皆感謝のクリスマスでありました、今年も亦同じであると信じます、本誌と共に二十回クリスマスを守られたる読者が尠くありません、二十年間の変らざる信仰上の御交際、実に貴くあります、世は変りますがキリストは昨日も今日も何時までも変りません、而して彼を信ずる私供も何時までも変りません、信仰の進歩はあります、然し変化はありません、キリストは神の子であります、崇むべき者であります、今や天に在りて聖父《ちゝ》の右に座し給ひ後に再び顕はれ給ふ者であります、彼を信じ彼を待望みて私供は世と共に動きません、私供は今年も亦静かなる歓ばしきクリスマスを守りて此信仰と希望とを確実にしやうと欲ひます。
 
(614) 【大正9年1月10日『聖書之研究』234号】
    新年の辞
 謹で新年を賀し奉ります、又例年の通り多数の読者諸君より賀状を送られまして誠に有難く存じます、茲に厚く御礼を申述べます、其内貴き信仰的実験を書送られし者尠からず、甚だ喜ばしく存じます、年賀状は之を廃するに及ばずとして、之を意義ある者と成したくあります、第一に之を年末に書くを止めて、年始状であるが故に年の始に書くことに致したくあります、而して旧年の感謝と新年の希望とを述べて相互を慰めたくあります、「謹賀新年」は余りに無意味であります、我等信仰的友人の間に在りては斯かる虚礼は廃したくあります。
〇今年も引続き東京丸之内大日本私立衛生会講堂に於て(内務省正門前)毎日曜日午後二時より本誌主筆の聖書講演会を開きます、読者諸君の御来聴を望みます、東京市中に講壇を設けてより茲に第三年に成ります、神の御導きに由り益々盛んに成りつゝあります、地方の諸君にして出席し難き方々も中央に於ける此聖業の為に|毎日曜日同時刻〔付○圏点〕に特に御祈り被下んことを願ひます、斯くして我等全国の同志は祈祷の一団を作りて聖書《みふみ》を|民族的経典〔付◎圏点〕と成さんことを期したくあります、恩恵今年も亦裕に諸君の上に加はらんことを祈ります。
 
 【大正9年4月10日『聖書之研究』237号】
    面会並に通信
 土曜日は講演準備の為に、日曜日は講演其者の為に、月曜日は講演の疲労を癒す為に、御面会は出来ません、御来訪を御控へ下さい、其他の日に於ては午後四時より五時までの間に御面会致します、|但し御一身上の御相談に応じません〔付△圏点〕。
〇御書面に対し一々御返辞する事は出来ません、私には(何人にも同じであります)神と公衆とに対する義務があります、私が錮人的交際に使用し得る時間は至て尠くあります。
〇聖書研究社に対する雑誌書籍の注文又は発送の催促を親展として私に御申越しに成る事は一切御断はり致します、研究社には別に事務所が設けてあります、社用はすべて研究社宛に願ひます。          内村鑑三
 
(615) 【大正9年7月10日『聖書之研究』240号】
    雑報
 東京市内大手町の聖書講演会は六月二十七日を以て一先づ閉会しました、来る九月十二日(第二日曜日)午前十時を以て再開します。
〇七月二十三日より二十五日まで三日間に渉り相州箱根強羅星氏別荘に於て、長尾半平氏主幹の下に、基督教平信徒の夏期修養会が催されます、私も其講師に依頼され、聖書講演を致す筈であります、来会者にして特に宿泊を要する方は同会より招待を受けし者に限るそうでありますが、其必要なき者は会場の許す限り、来聴を歓迎するとの事であります、久振りにて山上野花鮮かなる所に聖書を語るの機会を与へられて感謝に堪えません。
〇夏は天然研究の好時期であります、必しも山川に遊び珍獣怪魚を探るに及びません、家に在りて晴夜に星を覗き、又は池中に金魚の常性を窺ひ、庭に雀の生活を究むるも可なりであります、要は暫らく人と自己とを離れ、天然を通うして直に天然の神に接する事であります、心の洗濯を為すに之に優りて良き途はありません、私も此夏は秋の空に現はるゝ星座の観察を遂ると同時に原生動物学の複習を為さうと心掛けて居ります。(内村鑑三誌す)
 
 【大正9年9月10日『聖書之研究』242号】
    東京聖書研究会広告
毎日曜日午前十時より東京丸之内、内務省正門前大日本私立衛生会講堂に於て内村鑑三主任講師として聖書講演会を開く、来会者は敬意を表するに足るの服装を着し、旧新両約聖書並に讃美歌を携帯し、又応分の会費を負担するの心得あるを要す、講演会に関連して讃美歌練習会、祈祷会、特別聖書研究会、星之友会等の集会あり、主として出席すべき教会を有せざる人たちに霊的生命を供給するを以て目的とす。
  大正九年九月            東京聖書研究会
 
(616) 【大正9年11月10日『聖書之研究』244号】
    謹告
 小生事眼並に咽喉の過度使用よりやゝ強度の脳疲労を起し候に就ては、自今書く事と語る事とは大に減少致さゞるを得ず、就ては読者諸君よりの御書面に対しては万々止むを得ざる場合の外は御返辞仕らず、且又受持講壇の外は一切登り不申候間左様御承知被下度候。     内村鑑三
 
 【大正9年12月10日『聖書之研究』245号】
    祝福の辞
 歳将さに暮れんとするに際し、主イエスキリストの恩恵と神の愛と聖霊の交際、我が愛する三千七百の読者諸君と偕にあらんことを祈る。併せて来らんとする新なる歳に於て、諸君が我等と共に福音の為に苦しみ、又堪へ、又協力せられんことを希ふ。
  一九二〇年十二月
 
    謹告
 多数読者諸君より病中の御見舞を被り候段茲に厚く御礼申上候 〇中央聖書講演会は十二月十九日(第三日曜日)を以て一先づ閉会致し、更に一月十六日(第三日曜日)を以て開始致候間左様御承知相成度候 〇小生未だ病気全快に至らず引続き静養の必要有之候に付き、年末年始の会合にはすべて出席仕らず候間不悪御承知願上候 。一月号雑誌印刷の都合上例月より発行四五日遅るるやも計り難く、右預め御承知置き被下度候。匆々敬具
  大正九年十二月             内村鑑三
                     聖書研究社
 
(617)  BIOGRAPHICAL RECORD OF GRADUATES AND FORMER STUDENTS.1920.
                        1920年
 
 NAME,ADDRESS,AND FAMILY RECORD
 1.Namein full
    First name   Middle name   Surname
    Kanzo             Uchimura.
 2.Permanent address(Either home or business,to which communications from this office should be sent)
919 kashiwagi,Tokio,Japan.
 3.Name amd address of some one who will habitually know your address Tokio Post office.
 4.Class Fraternities(including honorary societies)1887
 5.Family record
   Full maiden name of wife
    Her residence before marrlage
    Her scbool or college
    Date of your marrlage
 No use of mentioning a Japanese family matter, Certainly no American can understand it, and will take any interest in it.
    Children:[Give(1)full name,(2)date of birth,
   (3)names of husbands of married daughters,
   (4)degrees your children have received from Amherst or other colleges,(5)date of death if deceased.]
 One son, now studying Medicine in the lmperial University of Tokio, Japan. he expects to receive no degree from Amherst or from any other American collefe.
  6.Stock from which you sprang(both father and mother)
 Japanese samurai.
  BUSINESS AND PROFESSIONAL RECORD
 1..Present occupation[State specifically the nature of your business or profession. Do not,for example,state merely“teacher”but“teacher of Latin, RoxburyL atin School,Boston,Mass.”;(618)not merely“mamufacturer”but“general manager of Union Iron Works,Scranton,Pa.”;not merely“lawyer”but“1awyer――member of firm(or clerk in offce)of Reed and Craig,14 Wall St.,New York City.”]
independent Christian teacher, has no connection what-ever with any church oe missionary society.
  2.Occupations 1895 to date(the last Biograpbical Record was published in 1895)
  3.Books written or edited;articles or papers contributed to press or periodicals.(Copies are requested for the College Library if not already presented.)
 Wrote about twenty-five books;two of them in English, which were translated into several European languages;very unpopular however in America, and no Englishman will read them.
 EDUCATIONAL RECORD
 1.PreIparatory schooIs attended
 2.Degrees received from Amherst or any other college,university or professional scbool,With dates
 Only honoured with B.S.in 1887.No degree since then from any institution.
 3.Name of college,university or professional school at which you have studied without receiving a degree,with dates
WAR RECORD
 1.For the purpose of confirming our present record and brinlging it up to date,Please state your war record,giving such details as you think important. Use last page(supplementary data)if necessary.
Have no war record whatever. Indeed, I hate war,and wrote and spke against it when Japan entered into war with Russia and also with Germany. My conacience will condemn me if I ever receive “war-honour”from any country or government.
 2.Give the following facts:
    Rank at time of entrance into service  Branch of service
(619)  Promotions and Commissions
Shame to fight, man against man. No good ever came out of war.
   Organizations with which you served Company Battalion Regiment Brigade   Division
   Honours and decorations
Shame to receive such honours and decorations.
 3.Service rendered as a civilian
 
PUBLIC RECORD
1.offices held since 1895
 [State(1)Trustee or Director,Or high officer,of Educational or Public Institutions,Or Foundations(2)member in American or foreign literary or scientific societies of high standing;Fellow or officer of such societies(3)civil offices held in town,state,or nation,or under foreign governments(4)offices held in Church or other Religious Organizations.]
 
SUPPLEMENTARY DATA
 
     〔2023年8月5日(土)午前10時10分、入力終了〕