内村鑑三全集34日記三、岩波書店、580頁、4700円、1983.9.22
日記三
目次
凡例
一九二六年(大正一五・昭和元年)……………………………………………三
一九二七年(昭和二年)…………………………………………………………一三七
一九二八年(昭和三年)…………………………………………………………二六九
一九二九年(昭和四年)…………………………………………………………四〇三
一九三〇年(昭和五年)…………………………………………………………五三七
日記三 【一九二六年(大正一五年)一月より 一九三〇年(昭和五年)三月まで】
(3) 一九二六年(大正一五年・昭和元年) 六六歳
一月一日(金)晴 小さき新人の我家に臨みしが故に至つて賑かなる新年である。一同祈祷を以つて食饌に就いた。大いに為さんと欲するの聖欲を以て第六十六回の新年を迎へ得し事を感謝する。ゼカリヤ書第九章を以て今年の読書を始めた。
シオンの女よ大に喜ぺ、
ヱルサレムの女よ呼はれ、
彼は義しくして救拯《すくひ》を施し、
柔和にして驢馬に乗る。
我れヱフライムより戎車《いくさぐるま》を絶ち、
ヱルサレムより軍馬を絶たん。
彼れ万国の民に平和を宣せん。
其政治は海より海に及び、
河より地の極《はて》に及ぶべし。
再臨のキリストを歌へる歌にして新年を迎ふる為の適当の言葉である 〇夜七時二十分、千葉県海保竹松君と共に岡山県津山に向ひ東京駅を発した。四年振りの関西旅行である。
(4) 一月二日(土)晴 朝九時半神戸に着いた。一ノ谷の神田君夫妻の出迎を受けた。少憩の後、下関行列車に乗替へ、一時岡山着、此所にも亦友人の出迎を受けた。中国鉄道に乗替へ、午後四時過ぎ十五年振りにて三たび津山の地を践んだ。土地の旧友森本慶三君の客となつた。
一月三日(日)雪 地は高く、山陰道に隣し、風雪時々襲来し、寒気強し。午後二時、森本君の建設にかゝる津山基督教図書館の開館式が行はれた。参会者二百人余り、かの地には珍らしき盛会であつた。自分も一場の演説を試みた。此は基督教図書館なりと雖も、基督教なるが故に全般的である。基礎的知識の供給を目的とするが、若し指導宜しきを得ば、其発展の無限なることを述べた。地方には稀れに見る宏壮なる建築物である。森本君の之が為に資を投ずること十二万円余、我が同志の一人が茲に此の信仰の果を結ぶに至りしを目撃して感謝に堪えなかつた。態々遠路来り会するの充分の価値があつた。海保君は関東教友を代表して同行したのである。
一月四日(月)晴 朝八時津山を発し、途中誕生寺駅に下車し、法然上人誕生の地を訪問し、我国福音的宗教の開祖なる僧源空に対し尊敬を表した。住職漆間徳定氏の優遇を受けて有難かつた。十二時岡山着、午後は公園並に旧城を遊覧し、夜は同志と信仰を語り、土屋修治君の客と成りて安き一夜を過した。
一月五日(火)小雨 朝九時半岡山発、一時明石着、再び神田君に迎へられ、一ノ谷の君のホームに客と成つた。昔の戦場は今は静かなる休養所である。此所に一日の完全なる休息を与へられて感謝であつた。
(5) 一月六日(水)晴 朝八時一ノ谷を辞し、十一時京都に到り、旧友中村弥左衛門君の墓を見舞うた。又薬王寺山に登り、新島襄氏並に我家の主婦の兄なる岡田寛の墓碑に対し尊敬を表した。
一月七日(木)晴 朝九時東京駅に着いた。家に帰れば赤ん坊は沢山の笑みを以て迎へて呉れた。数百通の年賀郵便が待つてゐた。内に茨城県稲敷郡高田村根本益次郎君の年賀が最も有難かつた。曰く「当村最貧窮者七名に先生の名を以てメリヤスのシヤツ一枚宛施捨致し候間不悪御了承被下度候」と。疲労一時に発し、床に就いて休んだ。
一月八日(金)晴 終日疲労の駆逐に努力した。久振りにて聖書を静読した。耶利米亜記第廿九章に霊魂安息の糧を得た。数年振りにて関西を訪れて感じた事は、第一に文明の関東よりも遥に進んで居る事である。第二に信者の信仰の全体に冷えて居る事である。純信仰は滅多に見当らず、信者は相互の欠点を指摘し、人格の向上品性の完全を以て信仰唯一の標準と見てゐるらしくある。曰く「彼の人格に怪しむべき点あり、担がれざるやう注意せられよ」と。曰く「彼女の行為に擯斥すべき点多し、交際を避けられよ」と。孰れも旧来の外国宣教師流の基督教であつて、是れでは信仰の復興は甚だ覚束ないと見て取つた。自分は会ふ人毎に、自他の腹の中を探る事を廃めて、十字架上のキリストを仰瞻て彼に潔めていたゞく事を勧めた。我が教へ子の一人よりの年賀の辞に左の一首があつた。
足らざるは十字架故に赦しあひ
愛に溢るゝ柏木の子ら。
凡ての信者が此く在りて欲しい。生命に溢るゝ時に他を非難するの暇がない。
(6) 一月九日(土)晴 雑誌一月号を発送した。久振りにて筆も執れ、読書も出来た。恐ろしいのは伝道旅行である。一回の旅行に少くとも一週間は潰れる。一地方が得んが為には自分と全国とが失ふのである。今年は一月早々十日間が潰れた。止むを得ないとは云ふものゝ考ふれば悲しくなる。まだ跡始末に数日かゝる。此日女高師生徒の第二回感話会を開いた。第一回に数等優さる会合であつた。
一月十日(日)晴 本年第一回の会合を開いた。朝は満員、午後は七分の会衆であつた。朝は馬太伝廿六章四七-五六節、約翰伝十八章一-一一節に依り「イエスの逮捕」に就て述べた。暗らきユダと光るイエスを対照して語つた。午後は英訳聖書の元祖ウイリヤム・チンデールの生涯に就て語つた。自分の講堂に於て述ぶるの如何に易きかを覚えた。他の教会と比べて見て我が会衆の如何に克く訓練されてゐる乎を実感せざるを得ない。此日又在独逸若き内村より愉快なる通信あり、国の内外に信仰の友の多きを知り、此世界に於ける我が肩幅の広きを感じた。
一月十一日(月)晴 外国へ手紙を書いた。又久振りにて英文の論文を書いた。まだ英文を書くことを忘れないことが判明つて嬉しかつた。近頃に至り自分を了解して呉れる者の、日本人よりも外国人に多きを知り、自分の為を計るならば日本文を書くことを廃めて英文を書くことの優されるに気附いた。然し自分の為でないから仕方がない。嫌はれ誤解され賤しめらるゝと知り乍ら下手な日本文を書くのである。
一月十二日(火)曇 ルツ子デーである。独りで墓地へ行き、花を供へ、彼女の墓石に手を按いて彼女の霊魂(7)の安全の為に祈つた。熊本に於てはリツデル嬢が彼女を記念して癩病患者に一日の糧を供へて呉れる筈である。彼女逝いて此に十四年、自分は健全にして主の名に由りて大事業を計画する事が出来て感謝である。生者は死者の分をも尽さねばならぬ。自分はまだまだ沢山に働かねばならぬ事を自覚する。夜、札幌宮部君の見舞を受けた。久振りの面会である。半年会はなければ話が積んで山をなす。明治八年来の人生の同伴者である。さうあるのが当然である。
一月十三日(水)晴 暖かい日であつた。夜、講堂に於て我等の一人なる理学博士大島正満氏の双生児に関する研究の講話があつた。問題は教育宗教の根本に関はるものであつて、大に我等の思想を刺戟した。生物学の結論が信仰の根本に衝突するは止むを得ない。其間に在りて信仰を守るのが信仰の信仰たる所以である。然し之を守るに方つて唯信仰にのみ拠つてならない。学問の奥に入つて学問を以て学問を信仰化せねばならぬ。そこに信仰生活の興味がある。
一月十四日(木)曇 赤ん坊が二三日留守になり家が急に淋しくなつた。其代りに大分にペンが動いた。相変らず百科辞典の通読が不用時間の最も善き使用法である。
一月十五日(金)晴 平静の一日であつた。近頃或る所に於て或る牧師より自分の或る知人の品行に就き容易ならざる悪評を聞きしが故に、驚いて或る友人に依頼して其真偽を調べて貰ひし所、全く事実に反せしことが判明つて安心した。基督教会の牧師は全体に思ひ切つたる悪評を立てる者である。多分人の善悪に就て牧師の批評程当にならぬ者はあるまい。そして此は惟り自分一人の経験ではないと思ふ。此点に就き牧師諸君は充分に注意(8)して貰ひたい。
一月十六日(土)曇 ヱレミヤ研究に於て偉人の死に就て考へた。ヱレミヤに限らず、イザヤ、エゼキエル、パウロ、ペテロ、ヨハネの死に就ても聖書は何の録す所がない。彼等が如何にして死せし乎は聖書記者の関せざる所であるやうに見える。而してさうするのが当然である。神の御用を終へた後に彼の僕は唯静かに消えて了へば可いのである。「ヱホバはその愛しみ給ふ者に寝《ねぶり》を与へ給ふ」とある(詩百廿七篇二節)。人の注意を引くやうな葬式や墓碑は全然無用である。神の人は凡てモーセの如くに死たいものである(申命記三十四章) 〇独過より又復嘉き通信があつた。シユワイツエル、スピールマイエルと云ふが如き大家が我が同情者であるを知つて非常に嬉しかつた。我が一子が我に代つてルーテルの国に駐在するやうなものである。父子の名誉此上なしである。
一月十七日(日)曇 午後晴。集会朝夕共に変りなし。朝はエペソ書一章一-十四節に依り「キリストに在りて」の中心的真理に就て講じた。午後は百五十余名の青年男女に向ひ、ヱレミヤ記第四章に由り「適中せざりし預言に就て語つた。相変らず静粛なる、而かも充実せる集会であつた。之をも亦聖霊に充たされたる集会であると称して可からうと思ふ。我等は教会を組織せざれども教会に劣らざる敬虔と熱心とは有ると思ふ。説教は厳格なる福音主義のそれであつて、其点に於ては無教会の我等は遥かに教会以上であると信ずる。
一月十八日(月)晴 沢山に赤ん坊と遊んだ。最も善き休養である。我が意が彼女に通ずるらしく、最も愉快である。彼女に併せて世の凡ての赤ん坊に就て思ふ。殊に保護者なき赤ん坊に就て思ふ。彼等の幸福を計るは神が最も喜び給ふ所であるに相違ない。イエスが「是等のいと小さき者に為せるは我に為せる也」と云ひ給ひしは(9)意味深長である。自分も以来一層世の凡ての赤ん坊の為に尽さねばならぬ事を最も切実に感ずる。
一月十九日(火)雨 朝はヱレミヤ記に依りてエヂプトを研究し、午後は或る教友より朝鮮に於ける山林事業に就て聞き非常に面白かつた。其他一人の兄弟と、亦他に一人の若き姉妹とが信仰を起せし経歴を聞き強き感に打たれた。神は一人の信者を此世より取り給ふ時に、必ず之に代りて他に新たに信者を起し給ふやうに見える。信仰の系統は絶えないやうに見える。神は「自己を証し給はざりし事なし」である(行伝十四章十七節)。一人斃るれば他が起ちて之に代る。斯くて信仰の灯は地上に於て永久に絶えないと思へば大なる安心且感謝である。
一月二十日(水)晴 愈々三月より英文雅誌を出す事に決心した。世界に向つて我が信仰を唱へんと欲する。唯一回で廃めになつても悔いない。此事につき同胞の日本人には既に尽す丈け尽した。今よりは外国人に尽さんと欲する。「我はギリシヤ人及び異邦人にも負へる所あり」である(ロマ書一章十四節)。キリストの十字架の福音が今や所謂基督教国に絶えんとするに方て、自分は唯安閑として傍観することは出来ない。茲に全力を注ぎ我が生涯の最後の努力として、予ねて学び置きし英文を以つて日本に在りて全世界に向つて簡短にして深遠なる神の子の福音を伝へんと欲する。神よ、弱き我を助けて我をして此大業を果たさせ給へ。
一月二十一日(木)晴 寒気強し。仕事が余りに多いので又復信頼の生涯に移つた。行為ではない信仰である。神をして自分に在りて働いて戴くのである。然らば山をも移すことが出来る。セカセカ働くを以つて能事とするアメリカ教に落附いてはならない 〇青森県の或る曹洞宗の若き僧侶の質問的訪問を受けた。彼の誠実 解を愛せざるを得なかつた。仏教界にも時には敬愛すべき人物がある。日本の宗教界は多望である。斯かる人達が(10)福音の真理を握るに至らば世界は日本人の教化を受くるに至るであらう。彼と自分は一面して善き友人であることを感じた。
一月二十二日(金)晴 寒気引続き強し。今の日本に於て自己の事業は是れ国家の事業である。自己に尽すは是れ国家に尽すの途であると信じて自己の事業に賛成を迫る人が随分と多い。実に厄介な人達である。彼等は自己あるを知つて他人あるを知らず、国も神も凡てが自己を拡張した者であると思ふ。故に彼等に遠慮と云ふものがない。彼等は大胆不敵、自己の主張要求を以て他人に迫る。彼等は近代人の好模範である。此かる人が婦人の間に屡々見当るに至つては実に不愉快千万である。如何に見ても世は末の世である。キリストの再臨が待たるる。
一月二十三日(土)晴 新聞紙に左の記事を見た。
米国上院議員ハイラム・ジヨンソン氏は米国の国際司法裁判所参加反対者に加はつた。右は戦時中流布されたドイツが死体を煮て人油を採つたと云ふ宣伝が英国カーテリス将軍の告白によつて真赤な偽となつた様に、戦時の宣伝が無価値であること。その他ベルギーに於けるドイツの暴行に就て虚説が一般に流布されたやうなことに氏が愛想をつかしてゐるからである(ナウエン廿一日発帝通)。
戦時中の英米人の虚偽宣伝は明白なる事であつて今に至つて之を憤るは抑々遅くある。然るに我国に於ても基督教会の先導者までが是等の明白なる虚偽を信じ、凡ての事に於てドイツを貶し、デモクラシーの英米を謳歌したのは今に至つて見て見苦しき次第である。英米も亦他の所謂基督教国と同じく国としては他国を教ゆるの資格を失つた者である。自己の反対者に就て虚偽を宜伝し、之を斃すの技術に至つては、世界中多分英米人に勝さる者はあるまい。そして日本の基督信者までが此望ましからざる技術を英米人より学びしに至つては憂へても尚ほ余(11)りがある。|虚偽宣伝に最も巧みなる基督教国民〔付△圏点〕……嗚呼神よ、爾は何時まで此かる事を許し給ふ耶!
一月二十四日(日)晴 朝は馬太伝廿六章五七-六八節等に依り「祭司の前に立てるキリスト」に就いて話した。題目が偉大なるに対して我が精神状態が之に添はざりしが故に甚だ不満足なる講演であつた。午後は青年百人余の集会であつて、馬太伝十三章三八節「畑はこの世界なり」に就いて語つた。基督教は世界的宗教であるが故に、世界的精神を以て之に対するにあらざれば其了解は不可能なる事に就て述べた。鮒やメダカは池に生長するが、鯖や鰹は大洋でなければ生存する事が出来ない。其如くに或る宗教は一国内に其繁栄を遂ぐることが出来るが、基督教は之を世界的に取扱はざれば、其了解感化を望むことは出来ないと述べた。自分に取りても甚だ気持好き講演であつた。まことに世界人に成らざれば基督教は解らず、又基督教に依らざれば本当の世界人を造ることは出来ない。世界を相手にして働かざれば基督信者と成りたる甲斐がない。
一月二十五日(月)晴 近頃切に感ずる事は六十五歳位ゐで老人と思つてはならぬ事である、自分の仕事は今から始まるのであつて、今日までが準備と見るのが本当である。此の点に於て学ぶぺきは大倉喜八郎、浅野総一郎、渋沢栄一等の諸氏である。彼等は此世の人達であるが、老に負けざる点に於て敬服の外はない。金儲けの為に長命する必要は少しもないが、神の御こゝろを世に伝ふる為には百年の生命も決して長くはない。
一月二十六日(火)晴 昨日来大なる興味を以てリビングエージ雑誌に載せられたるジユリアン・ハツクスレーの「最近の進化説」並にチエムバース百科辞典に於けるゲデス教授の寄稿に成る「進化論」の長篇を読んだ。(12)大体に於て進化説が宇宙創成並に存続に関する最も完全なる説明である事を疑ふことは出来ない。故ブライアンが為した如くに、正面より絶対的に進化説に反対するは今日の科学其物に反対するに異らない。然し乍ら進化説は未だ完成した学説でない、其内に多くの不可解の点が残つて居る。而已ならず進化説を採用するもキリストの福音を棄る理由は一もない。殊にゲデス教授の進化の見方の如き、進化論其物を福音化するものであつて、如此くに見たる宇宙は実に聖書以外の聖書であると言はざるを得ない。孰れにしろ聖書はやはり神の言であつて天然は彼の御仕事である。二者は深い深い所に於て全然一致する。其一致を見る能はざるは浅い聖書知識であつて同時に又浅い科学であると言はざるを得ない 〇新聞紙は財政困難より東本願寺の破滅に瀕するを伝ふ。同情に堪えない。然し乍ら僧親鸞の唱へし信仰は大谷家が弊れたればとて消ゆる者でない。否な其反対に、之が為に反つて勃興すべき者である。此世の富や権力に依て立つ宗教は斃れるが当然であり、又宗教其物の為に幸福である。大政府の後援や宝物、寺院、生仏《いきぼとけ》等に依て維持せらるゝ宗教は悉く亡びて了ふがよい。本統の宗教は其後に興る者である。寺院の敗滅は教会のそれと同じく反つて歓迎すべきである。
一月二十七日(水)晴 暖房に苦しんだ。悪い石炭の煙を沢山に吸うた。日本人には矢張り火鉢と行火と火燵とが最も善き煖体法であると思ふ。冬の朝、寒い部屋で第一に聖書を読むは殊に気持好くある。最大の快楽は簡易生活にある 〇沢山に英文を書いた。日本文を書くよりも遥かに楽である。そして少数なりと雖も之に由て友を世界に求むることが出来ると思ふと更らに一層愉快である。
一月二十八日(木)時 給理大臣加藤高明氏の薨去の報に接して驚駭の感に打たれた。日本国の大損失である。今年の政治界ほさぞかし騒々しい事であらう 〇新潟県新潟師範学校長宗像鴨四郎君の訪問を受けて楽しかつた。(13)君は熱心なる基督信者であるのみならず、自分と全然信仰の質《たち》を同うする信者である。斯かる人が選《え》りも選らんで新潟師範学校長と成りしとは実に不思議である。新潟は自分が明治廿一年、米国より帰国早々旧北越学館仮教頭として赴任し、其所に組合教会並に其所属の米国宣教師十一人を相手にして信仰の為に大に戦つた所である。時は京都同志社並に其校長故新島襄君全盛の時代であり、加之前の日本女子大学校長故成瀬仁蔵氏が、其時は信心なる基督信者であり、宣教師の弁護者として立ちし時なれば、自分の苦戦甚だしく、終に敗れて東京に舞戻るべく余儀なくせられた。自分は誤つて居たか知らざれども、誠実一杯を尽した積りであつたが、衆寡敵せず、論争は全然自分の敗北に終つた。然るに星霜茲に四十年、北越学館は取毀されて其跡に建られたのが今の新潟師範学校である。そして其官立学校に在りて過去六年間、今日に至るも尚ほ大胆に基督教の信仰を標榜して六百有余の師範生を指導薫陶しつゝあるのが宗像君である。君は自分の著書並に機関雑誌に依り其信仰生活を送りつゝあるとの事であれば、自分に代つて自分が四十年前に新潟県人に施さんと欲せし教育を今施しつゝあると云ふて差支がない。実に不思議である。全国に百有余の師範学校があるとの事であるが、其内より宗像君が特に択まれて、北越学館の跡に建られし新潟師範学校の校長として奉職せられつゝあるとは実に不思議である。自分が教会並に宣教師の誤解猜疑の内に在りながら独り熱涙を流して祈りし其松原の間に建られし学校に於て自分の同志の一人が熱心に其信仰に基ゐする教育を施しつゝあると聞いては、事が余りに劇的であつて、何んと云ふて此事実を説明してよいか解らない。偶然と云へば偶然である。然し自分は摂理と言ひたい。何も故人や教会を恨らんでゞはない。其時彼等は勝つたのであつて自分は負けたのである。然し四十年後の今日神は自分の反対者と自分との間を裁判《さば》いて下さつたのである。成瀬君は基督敦の信仰を棄て死し、同志社に於ては今は福音主義の信仰は余り盛んでないと聞く。然るに神の恩恵に依り自分は不完全ながらも今尚ほ信仰を続ける事が出来、そして自分の同志の一人が古い戦場に於て自分の信仰を唱へつつあると聞く。人生は実は如此きものであらう。今より百年(14)を経ば神は自分の正しかつた点は之を完全に弁護して下さるであらう。負けても宜しい、唯祈つて待つてさへ居ればよい。実に感慨無量である。死んだ肉の父に知らせてやりたい。涙が零れる。
一月二十九日(金)曇 新聞紙は加藤高明氏の生涯の事実に就て記す所がある。之を読んで自分が氏と同時代の人として感ずる事は、氏は不幸なる誠にお気の毒の人であると云ふ事である。氏が岩崎弥太郎に発見せられてキリストに発見せられざりし事が抑々氏の不幸の初めである。若し氏が自分の如くに政治界や外交界に入らずしてキリストの僕として其福音を以つて日本国に尽したならば、氏自身の為に、又日本国の為に如何に幸福であつたらう。今より一年|経《たゝ》ない内に日本人は全く氏を忘れるであらう。実に太 して短い者は政治家の生涯である。然るに加藤氏の生涯を羨む日本人の多いには驚かざるを得ない。
一月三十日(土)曇 書棚よりエライシヤ・ムルフホードの『神の共和国』を取出し、之を復読して強き感に打たれた。自分が初めて之を読み了つたのは一八九八年一月四日と記してある、即ち今より二十八年前である。此書の成つたのは一八八一年で今より四十五年前である。然れども其価値は今に至るも少しも減じない。聖書知識とシエークスビヤ研究とヘーゲル哲学との上に成りし大神学系統である、今日之を読んで新生命の我が中心に加はるを感ず。五十年前には米国にも此んな偉い人があつた。今日の米国人の書いたものには眼を触れない自分の如きも此著者の如き大米国人の前には膝を屈して其の教を仰がざるを得ない 〇柏木女子青年会の会合を開いた。来会者三十名。今後女子青年の為に大に尽すことに定めた。
一月三十一日(日)曇 朝はイザヤ書四二章一六節、ヨハネ伝廿一章一八節等に依り、「神に導かれし生涯」に(15)就いて話した。午後はヱレミヤ記第五章を講じた。二度の説教で疲れはするが、然し神の道を述べるのであつて、幸ひこの上なしである。何を止めても此の事だけは止められない。
二月一日(月)晴 東京に行いた。大震災に焼けざりし住友銀行東京支店を見せて貰つた。多分此世の宝を託するに足るの建築物であらう。他に二三の友人を訪問した。偶にはバビロンに行くのも悪くはない。
二月二日(火)晴 九段向山堂の四畳半の裏座敷に於て英文雑誌ジセパン、インテリジエンサーの第一回編輯会議を開いた。会する者は山県五十雄君、山本供平君、自分の三人であつた。三十年の昔に帰つたやうな心持がした。忙しい事である。然し非常に愉快である。家に帰つて夜遅くまで研究誌の校正を為した。
二月三日(水)曇 無為無生産の一日であつた。英文の原稿をタイプに打つて貰つた。ムルフホードの『神の共和国』に目醒ましい思想に接しつゝある。こんな大著述を有する米国の宗教家等が、教会の、伝道のと小問題に齷齪《あくそく》しつゝあると思ふと不思議に堪へない。|基督教は宗教に非ず、神殿を壊つて後に神の子顕はる〔付△圏点〕との思想の如き、遠大にして米国人より出たるものとは思はれない。
二月四日(木)晴 終日原稿書きに従事した。
二月五日(金)晴 山県君主催の下に市内淡路町多賀羅亭に於て英文雑誌『インテリゼンサー』の披露晩餐会が開かれた。来賓二十五名、何れも当代有名の英文記者であつた。内に頭本元貞、武信由太郎の両君の此の道に(16)於ての老練者もあつた。そして両君が自分と同じく旧札幌農学校の出身であるは不思議である。席上山県君と自分とは今回の企計《くわだて》の、第一に世界に向つて日本特有の基督教の信仰を唱へ、第二に同じく日本の最善を細介するにある旨を述べた。今や英語が日本人の第二の国語となりつゝある兆候が此夜の会合にて明かに見えた。
二月六日(土)晴 W・H・ベネツト著『耶利米亜記講解』の再読を了つた。初読は今より二十六年前の一九〇〇年十一月九日角筈に於て了つた。「学んで而して時に之を習ふ亦|説《たのし》からずや」である。新著々々と唱へて新著述にのみ眼を曝すは決して誉めた事でない。旧著述を再読三読して得る所多大である。ベネツトの此講解の内に自分の無教会主義を賛成するやうな節が沢山に見当つた。教会は何故に此事に就て自分のやうな弱者を責めずして、自分と同じ事を言ふ大家を責めないのである乎。何れにしろ三百七十二頁をユツクリと読んで大に我が信仰を強められた 〇赤ん坊が義憤を発し之を宥めるに困難した。赤ん坊なるが故に之をダマさうと欲ふが故に悪くなる。赤ん坊と雖も人である、故に之に対するに誠実を以てせねばならぬ。誠実を以て之に同情して其正当の不平を癒すことが出束て嬉しかつた。
二月七日(日)曇 朝は「ピラトの前のキリスト」に就いて述べた。洪牙利国の大画家ムンカツキーの画筆に成りし同題の大絵画の写しに依り説明を助けた。伊藤一隆君は今より殆んど四十年前に紐育に於て実画を見し其感恕を述べ、大に会衆の感激を起した。午後も亦満員の盛会であつた。「世界伝道の責任」と題して語つた。此日咽喉を痛め、講演は二回とも振はなかつた。残念であるが止むを得ない。
二月八日(月)曇 休み半分に昨日の朝の講演を原稿に書いた。書く方が語るよりも気が落附いて遥かに楽で(17)あり又精確である。筆はたしかに口に優るの器である。書く事をなさずして語つてばかりゐる説教者は最も有効なる伝道法を逸する者である 〇夜、永井直治君並に田島進君の訪問を受けた。永井君は浅草教会の牧師であつて、其の一生を希臘語新約聖書の校訂に費した篤志の研究家である。同君研究の結果の二三を聞かせられて感興措く能はざる所があつた。或は遠からずして日本人のみの手に由て成れる日本訳聖書の発行を見るに至るやも知れぬ。誠に愉快なる事である。
二月九日(火)晴 梅が咲出し春日和であつた。昨秋来預言書の復習を始め、エゼキェル書とヱレミヤ記を終りたれば、今日はイザヤ書を始めた。イザヤはやはり預言者の王である。彼は信仰の上に立つ哲学的大政治家である。近代史に於けるグロチウス又はエ※[ワに濁点]ルトの如き人である。而かも遥かに彼等以上である。イザヤ書を読んで我等は世界に十人とは現はれざりし大偉人に接するのである。青年時代より此大教師に親むを得し自分の幸福を感謝せざるを得ない。墓に入るまでの幸福である 〇自分の如き者に金を周旋して呉れと申込む者がある。地面の売物があるから買はん乎と相談に来る者がある。マツシウ・アーノルドは「人生十分の九は正義である」と曰うたが、今の日本人に取りては|人生百分の九十九は金である〔付△圏点〕やうに見える。聖書の意味を聞きに来る者は殆んどない。然れども金銭的援助を乞ひに来る者は随分と多い。情けない世の中である。
二月十日(水)雨 久振りの膏雨である。其の有難さよ。以賽亜書二-四章を読み大なる感動を受けた。三章五節の如き日本今日の有の儘である。四章二節以下は甚大の慰めである。こんな言葉は他にはない。ダンテ、ゲーテ等を知らずともイザヤを知れば充分である。何故《なぜ》世人はもつと多く以賽亜書を読まないのであらう乎。
(18) 二月十一日(木)曇 紀元節である。市中には建国祭が行はると聞く。自分はイザヤ書第五章を研究した。愛国者とは斯くあらねばならぬ。イザヤに較べて自分の如きは到底愛国者の部類に属する者にあらざる事を強く感じた。|真の愛国者は正義の為に国を憎み得る者であらねばならぬ〔付△圏点〕。「然かはあれどヱホバの怒は止まずして尚ほその手を伸べ給ふ」と言ふ(廿五節)。預言者の愛国心に較べて見て日本人の愛国心の如き児戯と称して差支がない。
二月十二日(金)晴 今より二十六年前、本誌発行の時代に於ては、「研究」 の名は甚だ不人望の名であつたが、今や「研究」は流行の一となつた。今日の新聞紙の広告に現はれた名丈けでも、「人類学研究」あり、「鑑鏡の研究」あり、「教育制度の研究」あり、「星の研究」あり、「小唄研究」がある。他に「鶏の研究」、「株式之研究」と云ふ雑誌のあるを知る。今や「聖書之研究」と云ふは流行を逐ふ賤しい名であるやうに聞こえる。社会とは常に此んな者である。始めに嘲けつて後に自から之に従ふ。故に我等は「社会は大俗人である」と云ふのである。社会は導くべし、傚ふぺからず。社会は何子爵何男爵と云ふが如き大俗物と見て間違のない者である 〇午後塚本と共に浅草教会牧師館に永井直治君を訪問した。新約聖書本文校合並に翻訳に関する同君の努力を示され驚嘆せざるを得なかつた。此かる所に此かる篤学の人あるを知りて我国基督教の将来に関し大なる希望を懐かせられた。行々《いく/\》は日本人の力に由て日本文の聖書を「米国」とか「英国」とか云ふに非ずして日本聖書会社が出版するに至らねばならぬ。そして永井君は既に其必要に応ずるの準備を為せる人であると思ふ。
二月十三日(土)晴 平凡の一日であつた。
(19) 二月十四日(日)半晴 朝夕共に盛会であつた。然し自分の講演は振はなかつた。午後の集会に瑞西国バーゼル市万国伝道協会書記ハンス・アンシユタイン君の出席傍聴ありたれば、之を機会に同君の演説を乞ひ、我等の一人なる河面《かうも》仙四郎君に通訳の任に当つて貰つた。協会の歴史並に目下従事しつゝある所の事業の大略を語つて貰ひ甚だ有益であつた。協会へ寄附の為に献金を募りし所、百二十円余を得たれば、之に共有の伝道金の一部を加へて直に瑞西に送ることにした。演説終へて後に同君に日本風の夕食を供へた。自分の外に河面、塚本の両君卓を共にし、欧洲の事情につき多くの珍らしき事を聞かされ、非常に愉快であつた。小なる我等の事業も亦世界的である事を熟々《つらつら》感ぜしめられた。
二月十五日(月)晴 春の暖かさであつた。全日を友人訪問に費した 〇「愛知県の田舎、一読者より」として左の如きハガキが達した。
乱筆御赦しを乞ふ。只今十字架の道「ゲツセマネの苦祷」を読みました(午後十一時)。涙は仲々止まりません、戸外に出て思ふ存分泣きました。あゝ此身を捧ぐる外になし!! 伝道者たれ!! 此一生涯の強い確信を与へられし事を感謝致します。此五月に加洲の或神学校へ入学のため渡米致しますが、十年程『聖書之研究』を愛読して居りますから何卒御安心下さい。今度の英文雑誌は私の教科書になる事でせう。右感謝まで、涙ながらに!
斯んな感化を及ぼさうと思ふて書いたものではないが、神が之を用ひて此若き兄弟を斯くも強く動かし給ひし事を感謝する。
二月十六日(火)晴 北風強し。静かなる一日であつた。以賓亜書六章の研究に強く我心を刺戟せられた。神(20)の人は此心を以て世に臨まねばならぬことが克く判明つた。それにしても今の愛国者や伝道師を眼中に置いてはならぬ。成るべく人との交際を避けて神と多く交はり、神の声を聞いて之を人に伝へねばならぬ。
二月十七日(水)晴 聖書を研究すると歳が若くなる。此世の事に関係すると年を取る。国家、社会、教会、孰れも面倒なる問題である。一方に善ければ他方に悪い。公平であれば四方より攻撃せらる。殊に議論するのが厭だ。然し悪い事は悪いと云はざるを得ない、茲に於てか止むを得ず議論になるのである。孰れにしろ成るべく静にして置いて貰ひたい。私的に自分を使はんとせずして真理と人顆との為に自分の残る生涯を送り得るやう注意して貰ひたい。
二月十八日(木)曇 以賽亜書第八章を研究した。偉人イザヤに引かされざるを得ない。唯日本訳の余りに微弱にして預言者の大信仰を伝ふるに甚だ不適当なるを遺憾とする。
二月十九日(金)曇 市内九段向山堂内英文雑誌インテリジエンサー社へ校正の為に行いた。牛込停車場に降り、富士見町を通りて九段坂まで往復共に歩行いて今昔の感に堪えなかつた。四十年の昔に還つたやうな気持がした。自分はまだ生きて居るのである乎と思うた。然し神と真理と人類との為である。恐るゝに足りない。「汝の齢に順ひて汝に力を与ふ」と主は言ひ給うた。頗る善い雑誌が出来さうである。
二月二十日(土)半晴 梅日和であつた。講堂に於て相木女子青年会の第一回集会を開いた。来会者五十人余り、東京女子大、女高師、女子英学塾、学習院、仏英和等の諸学校が代表せられて甚だ盛会であつた。塚本は哥林(21)多前書十三章を、自分はブライアント作「水鳥に寄す」の英詩を講じた。女子青年の知識欲の旺盛なるに驚いた。
二月二十一日(日)晴 朝四時半赤ん坊の泣き声に起され、母と祖母とを助けて彼女の不平を癒してやつた。国を救ふも赤ん坊を宥めるも其根本の精神に於ては同一であることが解つた 〇朝は「神の子の苦難」と題し、キリストの十字架の死に就て語つた。語るに最も困難なる題目である。故に説教せずして唯馬太伝と路加伝と約翰伝の記事を読んだ。一同強き感に打たれた。まことに神の子の死の状《さま》である。神々《かう/”\》しとは実に此事を言ふのである。十字架の前に凡ての高ぶりを棄て平伏せざるを得ない。午後は詩篇第百二十七篇第一節に依り「信仰と建築」と題して語つた。信仰なき東京人に復興は困難なる所以を述べた。最も充実せる一日であつた。
二月二十二日(月)曇 疲労の月曜日である。赤ん坊の子守役を務めて疲労を癒した。
二月二十三日(火)雨 ジ∃ージ・アダム・スミスの以賽亜書請解に第二十八章の解釈を読んで今更ながら感に打たれた。|オリバー・コロムウエルが預言者イザヤの最も好き解釈者である〔付○圏点〕との著者の意見に満腔の賛成を表せざるを得なかつた。何んと言ふてもスミスは近代稀れに見る旧約聖書学者である。彼はエ※[ワに濁点]ルトの後を受けて最も深く預言者の心を探つた人であると思ふ。スミスは反オルソドツクスであるなどゝ評する人は彼の心の深き所に宿りしキリストの霊を看出す能はざる者であると思ふ。自分も今日まで彼を了解し得ずして彼を誤解せし者の一人でありしことを茲に告白する。今日再び彼の第二十八章の解釈を読んで之に英文を以て記入して言うた Thanks to George Adam Smith in the name of Thomas Carlyle(トマス・カーライルに代りて茲にジヨージ・アダム・スミスに感謝す)と。結婚問題や其他の此世の問題を持込まれて困らせらるゝ今日此頃、如此き荘大なる(22)思想に接して、暗らき貧弱なる日本に在りながら、明るき天の聖者の国に在る乎の如くに感ずる。
二月二十四日(水)曇 計画を立てゝ働かずばならず、去ればとて計画にして成功する者は滅多にない。事情や境遇(等しく神の命と見てよからう)に余儀なくせられて為す事のみが成功するやうに見える。我等は偵察を放つて神の聖意を探りつゝ進むのである。人生は油断を許さぬ、去らばとて自から運命を作らんとしてはならない。「急がずに、休まずに」である。
二月二十五日(木)晴 英国有名の聖書研究雑誌『エキスポジトル』の廃刊を聞いて驚き且悲んだ。廃刊の理由は「維持困難」に在ると云ふ。然し乍ら英国の如き基督教国に於て斯かる有力なる宗教雑誌が維持困難の故に廃刊するとは、日本に在る我等には到底解し得ない。|其主なる理由は其最後の主筆たりしドクトル・モフハトの福音的信仰の欠乏に於て在るのではあるまい乎〔付△圏点〕。我等は仆れても福音的信仰欠乏の結果として仆れたくない。成功失敗は問題ではないが、信仰冷却は重大問題である。願ふ神の恩恵に由り研究誌が最後まで十字架贖罪の信仰の維持者として其使命を完うせんことを。
二月二十六日(金)晴 今日も亦或る田舎の若き婦人にして信仰を起せし者の結婚問題を持込まれ其の処分に窮した。彼等に対し深き同情なき能はずである。今日の日本に於て基督教の信仰が無いのみならず普通の法律観念さへない。日本人の大多数は未だ人権の重んずぺきをさへ知らない。より高き生涯に入らんとする若き婦人等に対し同情を懐く者は殆んど無い。村長も小学校長も彼等の味方と成つてやらない。実に憐れな社会状態である。(23)自分としては彼等を全能者の聖手に委ねまつるほかに彼等を助くる途を知らない。実に辛らい事である。今日までに幾度もあつた例である。日本に於ける伝道の困難は此辺に在る。
二月二十七日(土)曇 孫女の為にお雛様が飾られた。罪のない美くしい習慣である。唯其内に偶像的分子の在るに困まる。又飲酒の習慣を標榜する器具の在るに苦しむ。到底偶像的飲酒国の習慣である。万事が其の汚染を被らざるを得ない、困つたものである 〇大正十四年我対外収支計算なる者を見るに、支出は六億九百万円で、収入は四億七千七百万円である。而も支出の内に外債利払及償還金の一億五千万が有り、収入の内に外債の一億三千二百万円がある。即ち新たに外債を起して旧外債の利子を払つたのである。まことに憐むべき身代である。若し之が大帝国の身代に非ずして一個人の家計であるとすれば、身代限りは目前に迫つて居るのであつて、心細い次第である。而かも日本人の内に斯かる危険状態に於て在る者が沢山に在る。即ち新たに借金して旧い借金の利子を払つて居る者が沢山に在る。之では国も亡ぶれば家も亡ぶ。然るに滅亡を恐れて謹慎する者はなくして、皆な目前の安楽を漁りて其日々々を送つて居る。此儘で行けば日本国の経済的破滅は確実である。実に恐ろしい事である。然し斯く警告したればとて真面目に耳を傾けて聴く者は一人もない。困つたものである。
二月二十八日(日)晴 午前は二百人、午後は百七八十人の来会者があつた。午前は馬太伝二十七章四十五節以下のエリエリラマサバクタニの聖語に就て述べた。其完全なる註解は詩篇第二十二篇であると信ずるが故に、其篇を朗読し之に略註を加へて説教に代へた。実に意味の深い言葉である。聖書を以て聖書を註解するより他に途がない。午後は耶利米亜記第七章を講じた。若しヱレミヤが今の基督教界を観るならば同一の激烈なる言を発するであらうと曰うた。「ヱホバの殿《みや》なり、ヱホバの殿なり、ヱホバの殿なり」と云うた当時のユダヤ人と、「基(24)督教会なり、基督教会なり、基督教会なり」といふ今日の基督信者とよく似て居る。預言書を真面目に読んで、今日の欧米の教会並びに所謂基督教国を許す事は出来ない。
三月一日(月)曇 久振りにて横浜に行いた。カピテン山桝の案内にて岸壁繋留の外国船数隻を見た。其内に英あり、仏あり、米あり、パナマあり、其何れもが優秀船であつて、我国に之に匹敵すべきものはないと云ふ。多くの事を考へさせられた。物質的に見たる日本の貧弱国たるは否むことは出来ない 〇京都白川に卜居する山口菊次郎君よりの書翰に曰く
代はれば変る世の中、昔時淡水魚中の王として高価なりし鯉は今日百匁三十五銭にて、魚の最下に位する泥鰌の百匁五十銭に及ばず。蓋は高価の鯉にて利せんと各地盛に養魚場に鯉を養ひし生産の過剰ならん。今日大学や専門学校卒業生の剰余と均しく世の需要は中学又は小学卒業者の引張凧なるが如し。人間と云へ魚類と云へ上下顛倒せり。混沌たる思想の善化せざるも故なきにあらずと存候。『大阪毎日』紙上に曰く、今年の大学専門学校卒業生から住友が九十二名採用するに申込一千名、其他之に準ず。而して本年学士と称し得られる者の数四万人に上ると、学校教育が生活の方便にならぬ頂点に達したり云々と有之候。沈思黙考致候。
面白い観察である。「第一に金、第二に金を得る為の学問」との立場より施し来りし日本の教育が茲に至りしは面白い現象である。|金に為つても為らないでも〔付○圏点〕真理を知る為に施されし教育ならば、此悲境に至らずして済んだのである。
三月二日(火)曇 混乱多忙の一日であつた。校正、オルガン直し、他に雑多の用事を持込まれ、随分と頭脳(25)を悩ませた。読書はセイス教授のペンに成りしヒツタイト論一篇を読みしに止まる。自分も時には一個の世話焼き爺《ぢゝい》と化せざるを得ざるを悲しむ。
三月三日(水)曇 桃の節句である。孫女の為に雛を飾つてやり、赤飯を炊いて祝うた。三十年来我家に臨みし初めての春であつた 〇金井清君蕗固より帰り、其実況に就て話して呉れ、非常に面白かつた。労農蕗国は人類の歴史に於ける未曾有の冒険的大試験である。多分遠からずして大失敗として終るであらう。然し一度は行つて見る価値のある試験である。共産党の誠意に対してほ尊敬を払はざるを得ない。金井君の南露旅行談は殊に面白かつた。裏海横断、トルキスタン鉄道旅行等は古代史研究に趣味を有する自分に取つては甚だ羨ましかつた。然し坐して友人の旅行談を聞いて之を我が研究に資する事が出来て感謝である。
カスピヤン アラル オクザス シルダリヤ
砂の都の跡ぞ恋しき。
三月四日(木)半曇 以賽亜三十章を以て此日を始めた。不相変忙しい日であつた。英文雑誌インテリゼンサー第一号が出た。是で二個の雑誌の主筆と成つたのである。老いて益々旺なりと云はん乎、或は無謀なりと云はん乎、自分には判断が附かない。然し乍ら老年に及びて新たに雑誌を発行して家に孫が生れしに等しき喜びであることは事実である。何れにしろ家の内も外も賑かなことである。是で生涯の内に雑誌を発行した事が三度である。第一は明治三十年に『東京独立雑誌』を、第二に同三十三年に『聖書之研究』を、而して第三に今年今日に The Japan Christian Intelligencer を。斯くて自分の生涯に於て主なる仕事は雑誌発行であつたのである。悪い仕事ではない。我が救はるゝは仕事に因るのではないから、之で一生を終りたればとて悲しむに足りない。
(26) 三月五日(金)雪 神戸より楽器技師を招き在米友人の寄附に成る大オルガンを修繕して貰ひし所、今日仕上がつて嬉しかつた。是で先づ楽器に不足が無くなつて感謝である。此日市内インテリゼンサー社に於て小《さゝ》やかなる初号発行祝賀会を開いた。我等の祝賀会は勿論同時に感謝会であつた。「ヱホバ建たまふにあらざれば建つる者の勤労は空し」である。彼に建てゝ頂くのである。我等は道具たるに過ぎない。
三月六日(土)晴 家族に咳を病む者多し、自分も其一人であつて困難した。用事は多くして目が眩むやうである。世は暗黒であつて援助と慰藉を求むる者は無数である。日本人特有の信義は絶えんとし、人々殊に青年は己が利益を求め、得れども喜ばず、得ざれば怒る。彼等に裏切らるゝと知りつゝ為すぺきの善を為さねばならぬ。毎日の新聞紙は悪事と不信行為とを以て充つ。議会は党争止まずして混乱である。|唯赤ん坊と遊ぶ時のみ天国の平和がある〔付○圏点〕。
三月七日(日)雪 泥濘に拘はらず三百人以上の来会者があつた。朝は「キリストの死と埋葬」に就て、午後はテモテ後書三章に依り「世界の現状と基督敦」と題して語つた。余り満足なる説教ではなかつたが少しなりとも純福音を語つたと思ふ。
三月八日(月)晴 孫女の写真を撮る為に母と祖母と自分と三人附添にて市中に行いた。鍛冶橋外森川写真館主人の常に変らざる熱誠を罩めたる撮影を受けて愉快であつた 〇英文雑誌が出て責任が増して困難でもあれば亦愉快でもある。京都ドクトル佐伯よりの左の書簡の如き大に我意を強くする。
(27) 陳ば今回は可驚御奮発を以て英文基督教雑誌御発行の由、日本人でさへ英文でなくては読めぬと云ふ幾百千の人、米国にはありと云ふ今日、又加之地の端《はし》にまで伝道せよと命じ給ひし主イエスの仰せに対しても誠に相当はしき御企にて、近頃気味善き一大現象と感佩の至りに不堪候。小生も購読者の一人となりて又之を汎く英米諸邦に在る友人にも購読勧誘仕るべく候。
願ふ友人の此期待に背かずして潔き正しき雑誌を継続し得んことを。
三月九日(火)晴 昨夜大に感ずる所あり、今朝は四時に起きて英文の原稿を書いた、そして夜に到るまで書き続けた。
三月十日(水)雨 三年振りにて三越に行いた、不相変虚栄の市である。此世の人等が金を欲しがるは無理でない事を知つた。帰つて以賽亜書三十一章を読んで別世界に在るを感じた。
三月十一日(木)晴 雑誌第三百八号を発送した。永久に好きものは矢張り聖書である。之に依て同志を求め、之に依て国を立直す。此は試めされし途であつて、最も確実なる途である。何を廃めても之れ丈けは止めることは出来ない。倍加運動よ社会事業よと云つて騒ぐ者は騒ぐが宜い、自分は聖書一点張りで、|永久を期し〔付ごま圏点〕、国を救ひ世界を動かすであらう。
三月十二日(金) 朝は日本文の原稿書きに従事した。午後はインテリゼンサー社に行いた。以賽亜書三十一章とナイル河の地理を研究した。赤ん坊が留守になり家がヒツソリした。小犬のパロが肺炎に罹り家畜病院に送つ(28)た。神の愛を以て人にも獣にも対さねばならぬ 〇|近頃切に感ずる事は日本に離間者の多い事である〔付△圏点〕。大抵の騒動は離間者の煽動に由て起る。自分の経験に由るも自分に反き去りし者は大抵離間者の術中に陥つた着である。そして|離間者が基督信者殊に教会信者に多い〔付△圏点〕と聞いては更らに驚く、然し如何ともする事が出来ない。斯う云ふ社会又教会である。悪評、讒誣、離間が彼等多数の食物である。彼等は是れなくしては生存し得ないのである。そして離間さるゝは不愉快であるが、然し堪えられなくはない。一人の友又は弟子を奪はるれば、神は之に代りて|より〔付ごま圏点〕善き友又は弟子を下し給ふ。此事を実験して我等は言ふ「サタンよ勝手に離間せよ、汝は我より神が許し給ふ以上の者を奪ふことは出来ない」と。
三月十三日(土)半晴 久々振りにて英国雑誌『第十九世紀』を手にした。是は具翁やハツクスレーが議論を闘はした雑誌である。之を手にして今昔の感に堪えない。其二月号に植物学の大家D・H・スコツト氏が植物学の立場より進化説を主張する論文を読んだ。教会の基督教に反対するのが此雑誌元来の特徴であつて、今も尚ほ之を継続するを見る。第二十世紀の今日生物各種特別進化説を痛撃するを見て、今尚ほ英国に於て此説を頑固に維持する者あるを知る。進化説を主張するに方りて教会在来の信仰を多少なりとも嘲けらねばならぬとは自分等には到底解らない。
三月十四日(日)雨 朝夕共に盛会であつた。朝はキリスト伝の最後として「キリストの復活」に就て講じた。六ケ敷い問題である。然し信仰の立場より見て必要欠くべからざる箇処である。キリストの復活を信じ得ずして基督教が与ふる最大の慰藉は得られない。午後は耶利米亜記第八章を講じた。忙はしい一日であつた。
(29) 三月十五日(月)半晴 昨日の働らきに甚く咽喉を痛め、半日床に就いて休んだ。東京附近の或る読者より左の如きハガキが達して嬉しかつた。
三月号『不用人間』、金言なる哉、至言なる哉、実に斯くも的確に現代の急所を突ける言無之候。毎度三十銭の研究誌にて御教育を受くる事数々、幾百円の書籍代を払ひて何等の価値なき時、僅少の代価の研究誌は実に人類の至宝、自分の生命の糧に有之候。
さうかと思へば合本二十冊余に対し百円以上の代価を同時に払込んで来る読者もある。如何に見ても研究誌は不思議なる雑誌である。
三月十六日(火)晴 寒気再来。和英両文の原稿を大分書いた。自分に取り原稿を作るは借金を返すと同じである。毎月期日が来れば原稿を催促される、其時是れが無ければ耻をかかせられる。それ故に何時原稿取りが来ても恐れないやうに準備して置かねばならぬ。今日の所和文の方は四ケ月分位ゐは準備してある。英文の方はまだ始つた計りであるから貯蓄も至つて尠ない。然し是とても遠からずして二三ケ月分の貯蓄を為し置くの必要がある。サーと云うて狼狽するやうでは駄目である。常々弾薬を豊富に溜めて置かねばならぬ。如此くにして何年も続いて滞りなく雑誌を発行する事が出来るのである。曾て故植村正久君に言うたことがある「僕は未だ曾て原稿日に原稿を揃へなかつた事と、印刷屋の勘定日に勘定を怠つた事はない」と。同君は凡ての事に於て自分を嫌はれたやうであるが、此事丈けでは自分に感心されたやうに見受けた。何れにしろ過去三十年間此習慣を続け来つた。ペンが自分の手から落つるも最早遠いことではあるまい。其時まで之を続けたいものである。
三月十七日(水)晴 以賽亜書二十二章十五-二十節が今日の慰藉であつた。今日の日本人の家庭にして紊乱(30)してゐる者の多きを知つて驚いた。何時の間に此んなに紊れた乎想像に苦しむ。それにしも有島武郎は悪い例を遺したものである。今や許多《あまた》の有島事件が社会の各方面に於て演ぜられつゝある。此分で進み行けば日本の近き将来に深く憂ふぺきものがある。
三月十八日(木)晴 肩が凝りてペンが執れず、咽喉が痛んで話しが出来ず、只呆然として一日を送つた。唯久振りにてゴーデーの書に目を触れ、信仰の光を混乱せる心の中に投入れられ、蘇生の感があつた。旧いとは云へ此先生に本当の信仰があつた。今の神学者等の書いた物を読んで唯頭脳が眩惑せしめらるゝのみである。只少しく学者らしくなる計りであつて、其外に何の得る所がない。人類の最善は第十九世紀を以つて言尽されたのではあるまい乎。第二十世紀に入りて世はハツキリと末世に入つたやうな感がする。
三月十九日(金)曇 英文原稿を携へてインテリゼンサー社へ行いた。一同の元気旺盛である。世界改造の希望漲る。然し元気や希望で事が成るのではない、神の大能に由て成るのである。我等は神の御計画を宜ぶるに過ぎない、而して祈つて共成就を待つのみである 〇昨夜巣鴨に大火あり七百余戸焼けた。不安極まる世である。殊に花の都の東京は然りである。
三月二十日(土)雪 東京としては珍らしき大雪である。柏木女子青年会の例会である。雪と諸学校の卒業準備にて出席者二十四五名に過ず。自分は女学生等と共にブライアントの「森の讃美歌」を読んだ 〇近頃仕事が多い為に神を信ずることが尠いので困まる。少しく油断すると自分も事業宗の米国人に成つて了ふ。事業は実は成つても成らないでも宜しいのである。|神の遣はし給へる其独子を信ずる事〔付○圏点〕、其事が信者の唯一の事業であらね(31)ばならぬ。事業は之を風に委ね自分はキリストの十字架をさへ仰いで居れば可いのである。願ふ今復此の旧き福音に還らんことを。
三月二十一日(日)曇 集会変りなし。此日婦人九人(多くは女学生にして卒業して国に帰る者)男子一人に、彼等の懇請に従ひバプテスマを施し、伊藤一隆、青木庄蔵、長尾半平等の長老諸氏に立会つて貰うた。以弗所書五章三二節「キリストに在りて神汝等を赦し給へる如く汝等も互に赦すべし」との言を条件として簡短なる式を施した。三位の名は用ひなかつた。使徒行伝二章三八節、同十九章五節等に依り単に「主イエスキリストの聖名に由て」バプテスマした。一同強き感に打たれた。斯かるバプテスマは自分も受けたしと云ふ者が他にも在つた。勿論聖公会などには全然認められない式である、然れども我等はイエス様が此席に在し給ふことを疑ひ得なかつた。
三月二十二日(月)曇 東京高等女子師範学校本年度の卒業生にして我が聖書研究会々員なる者の送別懇話会を開いた。総数十四人、例年以上の多数である。同校本年度の本科卒業生は凡てゞ九十一人であつて、其内十四人が研究会員であるとは注意すべき事実である。又理科卒業生二十一人中、何れかの教会に出席して基督教を求めざる者は僅かに六人であると聞く。而かも入学当時教会出席者は僅かに三人であつたが、卒業の今日は六名を除くの外は悉く信者又は求道者に成つたのであると云ふ。文部省直轄の学校にして其数師は一二人を除くの外は悉く不信者又は不信者よりも遥かに悪しき背教者であるにも拘はらず、斯くも多数の卒業生が信仰を懐いて母校を出るとは実に不思議である。文部省も、不信者又は背教者達も、キリストの福音の拡張を妨ぐることは出来ないと見える。
(32) 三月二十三日(火)半晴 桜井ちか子女史の愛孫倉辻明毅君永眠の報に接し、本郷弥生町に遺族を訪問し同情を表した。倉辻君は有望の若き音楽者であつて、大手町時代に幾度も我等を助けて呉れた。老女史は北海道時代よりの信仰の友であつて、彼女に対し深き同情に堪えなかつた 〇新聞紙は引続きいやらしき記事を以て満つ。疑獄、収監、自殺と云ふ類である。世は日に日に暗黒の密度を加へつゝある。此時に際し我等の間には聖き天国の歓びがある。一昨日バプテスマを受けし少女の一人よりの感謝の書面の一節に曰ふ
イエスキリストに合ふ為にバプテスマを受けた私は三月廿一日、之が記憶すべき新生の日であり、又命日でございます。此世の生命欄から黒わくをつけられた日であります。心の中だけで此世を去つたのではありません、誰が見ても此世の人ではなくなるのであります。此日は確かに死亡の日であります。あゝ併し私はこの死の峠をいつ越えたかを知りません。確かに先生の御手が私の頭にかゝつた瞬間に越えたのではないと思ひます。峠を越えた印にうけたバプテスマだつたと思ひます……昨日の朝の集会に罪の赦しの福音を承はりまして「キリストに在りて神汝らを赦し給へる如く汝ら互に赦すぺし」、之が私たちに残された為すべき事であることを知りまして感謝に堪えません云々。
他にも之と同じやうな感謝に充溢れたる書面が達した。自分の耳には其時に歌つた第百三十七番の讃美歌がまだ響いて居る。
つみのこの身は いま死にて
きみのいさほに よみがへり
きよきしもべの かずにいる
そのみしるしの バプテスマ
(33)帝国議会の議員や復興局の役人などは此聖き歓びは少しも知らないのである。
三月二十四日(水)半晴 春寒未だ去らず不愉快である。今日は結婚事件が三箇あつた。結婚は人生の最大事件である、殊に近代人に取り然りである。結婚に対して自分の意見を徴せられて何んとか答へずばならず、さりとてドクトル・ジヨンソンやトマス・カーライルの結婚観を以て答へた所で近代人は到底承知しない。何故に日本の武士道に由り|もつと〔付ごま圏点〕簡短に解決しない乎、自分には少しも解らない。今日の日本人の結婚問題程|くどい、いやらしい〔付ごま圏点〕者はない。
三月二十五日(木)晴 今や猫も杓子も洋行する。聞く虚栄の市《まち》仏国巴里には五千の日本人が滞在すると。我等は此上西洋文明を輸入する必要はない。既に輸入せし物を消化して我等自身の新文明を作るべきである。殊に基督教を研究する為に欧米に行く必要はない。欧米自身が今や東方より新光明の来らんことを待ちつゝある。今日欧米に基督教を求むるは暗黒の裡に光を探ると同然である。論より証拠である、基督教研究の為に洋行して不信者と成つて帰つて来た者は随分多い、慎むべき事である 〇訪問客の多い日であつた。其内で最も楽しかつたのは千葉県鳴浜村の海保竹松君であつた。君の農村改良の意見並に試みは大に自分の同情を惹いた。今や問題は信仰箇条でない、|信仰実行〔付○圏点〕である。信仰はいくら深く理想はいくら高くとも実行を以て試みられざる信仰は執るに足りない。我等は殆んど三十年間鳴浜村に伝道を試みて、今その実行を見るに至りしを感謝せざるを得ない。まことに一村を救ふの途は全国を救ふの途である。
(34) 三月二十六日(金)曇 雪を見た、不順の気候である。例年の通り柏木日曜学校の生徒等が自分の誕生日を祝ふて呉れた。今月二十四日で満六十五歳である。神の恩恵に由り健康で楽しき仕事に毎日を送ることが出来て感謝の至りである。イザヤ、プラトー、カントと云ふやうな大先生に教へられながら、希望の光に充されて老年を送るの楽しさよ。青年時代より壮年時代を終るまで人生の暴風は激しく身に当つたが、老年に入りてより浪は静まつたらしく、至つて平穏の航海を続けつゝある。今日も亦楽しく研究雑誌四月号の編輯を終つた。
三月二十七日(土)晴 寒気強し。基督教会に於ては信者の|奪り合ひ〔付ごま圏点〕が今猶ほ依然として行はる。善き信者が出来れば他の教会に奪らるゝの虞れが甚だ多い。日本武士の為すを恥とする所の事を英米人並に英米流の基督信者は為して少しも咎めないらしくある。自分等には到底解し得ないことである。彼等は之を称して|伝道上の帝国主義〔付△圏点〕と云ふさうであつて、之を実行することを別に悪いと思はないらしくある。然し是れでは教会の衰へるが当然である。若し神が斯かる行為を祝福し給ふならば彼は神に非ずである。何れにしろ気持の悪い事である 〇チエムバース百科字典第七巻が丸善より配達になつた。其内よりマタイ伝、マカ伝、ミルトン、パウロ、パレスチン等の諸項を読んで大に得る所があつた。
三月二十八日(日)晴 集会変りなし。学期の替り目にて多くの旧き顔は消えて多くの新らしき顔を見る。悲しくもあり嬉しくもある。此日は久振りにて講演を休まして貰ひ、真の休日らしく感じた。塚本と畔上とが立派に代理を勤めて呉れた。自分は何時止めても後は大丈夫であることが判明つて感謝であつた。
(35) 三月二十九日(月)晴 甥姪の誕生日を祝し併せて姪の高女卒業を祝する為に家族一同と共に某所に会食した。嗣子は嬰児が代理した。滅多に為さゞる団欒である。甥姪を我家に引取つてより茲に十年、先づ差したる落度なくして保護者の責任を充たし得たことを感謝する。実に重い責任である 〇政治界は大阪松島遊廓事件を以て揉めてゐる。復興局疑獄事件が進行最中なるに茲にまた新たに醜事件が現はれて、日本の社会は頭の巓《いたゞき》より足の蹠《うら》に至るまで健全なる所なきに至つたのである。悔改めざる日本国に引続き審判《さばき》が臨みつゝある。其底止する所は何処なる乎判らない。神の正義の審判が行はれつゝあるのであると思へば感謝である。
三月三十日(火)晴 |此日八人の訪問客があつた。其内八人までが結婚問題を齎らして来た〔付△圏点〕。自分は聖書学徒であつて結婚媒介人に非ずといくら断つても彼等は承知しない。彼等は結婚に余りに熱心であつて、他人の困るを顧るの余裕を持たない。自分は唯事の善悪を判断する事が出来る、其他を知らない。そして自分が纏め得た結婚は未だ曾て一度もない。近着の百科全書にミルトン小伝を読んで彼が大詩人でありしが故に此世の事に就て最も拙劣であつたとの事を知つて大に自己を慰めた。詩人、哲学者、預言者等が此世の事に拙劣なるは当然である。此世の事に巧妙なる宗教家達にはミルトン、プラトー、イザヤ等の心は判明らない。|俗人に馬鹿にされる者でなければ神の高い深い事は判明らない〔付△圏点〕。然るに天の事を語るべき使命を授けられたる者を捕へて地の事を行はしめんとする此世の人等の浅ましさに驚く。然れども彼等は地の事に一生懸命なのである、故に強く彼等を責めない。
三月三十一日(水)晴 勘定日であつた。結婚問題は一もなかつた。主として雑誌校正に従事した。塚本、畔(36)上、石原、自分と四人揃うて甚だ賑かであつた。柏木に信仰は在るが神学的知識が無いと云ふ人ありと聞いて少しく片腹が痛かつた。神学はない乎も知らぬが聖書は少し知つて居ると思ふ。そして又神学の代りに神学以外の事を知つて居ると思ふ。日本に於ける実際伝道に神学の用は至つて尠い。
四月一日(木)晴 春が終に来た。心を寛《ゆるや》かにする必要がある。それには人生の悪事を思はずして善事を思ふ必要がある。赤ん坊は笑つてゐる、桜は咲かんとしてゐる。学者は俗事を度外視して研究に従事してゐる。プラトーやカントの心を以て真理の探求に従事すれば人生は永久の春である。斯く思うて今日も亦比較的に幸福なる一日を送つた。
四月二日(金)晴 古いゴーデー著『聖書の研究』を持出し之を読んで大に能力を加へられた。彼は聖書学者でありしのみならず哲学者であつた。彼の宇宙人生の説明に偉大にして深遠なるものがある。現代に於ては到底見る能はざる本当の神学者である。我等の此『聖書之研究』が瑞西人なる此老先生に負ふ所如何に多かりしよ。ゴーデー先生微りせば此雑誌は斯くも長くは続かざりしと云うて差閊がない 〇今の時代に不平人間の多き事よ。殊に少しく教育ある青年に於て然りである。彼等は其心に於て堪え難き不満を蔵《かく》す。斯かる人達が次の時代を作る乎と思へば実に恐ろしくある。
四月三日(土)雨 田村直臣君の牧する巣鴨教会設立五十年記念感謝会の催しあり、自分も出席して一場の感想を述べた。明治初年の多くの活ける歴史に接して感慨無量であつた。但し過去を顧みるは基督信者の快しとせざる所である。パウロと同じく我も亦「後に在るものを忘れ、前に在るものを望み、神がキリストイエスに由り(37)て上へ召して賜ふ所の褒美を得んと標準《めあて》に向ひて進むなり」である(ピリピ書三章十三、十四節)。過去は如何《どう》あつても可い、善事は凡て未来に於て在る。我等の目前に無限の希望を蔵する無限の未来が置かるゝを思へば、過去を顧るの必要は無くなる。自分は小なる預言者として無限の未来を望みつゝ一生を終らうと思ふ。
四月四日(日)晴 麗はしい復活祭日であつた。但し当研究会に於ては例に由て祭礼は行はなかつた。然し朝も午後も多く復活に就いて語つた。自分は朝は路加伝一章二六-三八節、同二十章三四-三六節、列王下六章一三-一八節等に由り「天使の存在」に就いて話した。話すに甚だ困難なる題目であつた。午後は羅馬書八章一八-二三節に由り「復活の意義」に就いて講じた。此日同じ集会に於て一つの讃美歌を二度歌ふのブマを演じた。後に之を知つて非常に恥かしく感じた。百三十人程の聴衆の一人が自分に一寸注意して呉れゝば避くることの出来る間違であつた。然れども其人の一人も無つた事を知つて非常に情なく感じた。先生が知らずして為す間違を正さんとする勇気を有つ人の一人もない事を知り、是では弟子と云ふ者の全く頼りにならない事が感ぜられて非常に悲しくあつた。然し自分の為した間違である、人を怨む事は出来ない。
四月五日(月)晴 友人某に招かれ伊豆湯河原に行いた。温泉に浸るも愉快であつたが、友人の清話を聞くは更に愉快であつた。我が日本には剛毅の人は全く絶えたと思うたが、茲に其一人を発見して大に我が志を強うした。
四月六日(火)半晴 彼に伴はれて熱海に遊んだ。伊豆半島の春景色は我心を奪はれん計りであつた。海に瀕する山の傾斜面に桜花が松の緑に交りて咲く所は世界に二とは無き景色であつた。午後湯河原の旅宿に帰り、計(38)らずも徳富蘆花君の訪問を受けて非常に嬉しかつた。
四月七日(水)晴 友人に伴はれ馬車を駆りて真鶴港に遊んだ。其附近の貴船神社境内にて相模湾を望みながら弁当を認めた。久し振りのピクニツクである。旅宿に帰り蘆花君に昨日の訪問を返した。君の口より直に往年のトルストイ訪問談を聞き非常に面白かつた。自身翁に会せしが如くに感じた。翁は蘆花君に告げて曰うたとの事である「|日本は何故に今や衰亡に瀕せる西洋文明を採用しつゝあるか、日本は西洋文明に依らず、自から新たに文明を作るぺきである〔付△圏点〕」と。是れ翁が今より二十年前に発せし言であつて、意義深き忠告であつたと言はざるを得ない。蘆花君は日本唯一のトルストイアンである。君ありしが故に日本は此第十九世紀の大預言者に固く結ばれた。我等は此事に就き君に深謝せざるを得ない。
四月八日(木)晴 午後二時柏木に帰つた。多くの郵便物が待つて居た。英文雑誌に対し海の内外より多くの反響が達した。其発行が電報を以て紐育イブニングポスト紙に報ぜられし事を知つた。如此くにして既に世界の注意を惹くに至つて愉快であつた。
四月九日(金)半晴 南風強く塵埃揚る。我が聖書研究会婦人会員中の最年長者吉川義子刀自永眠の報に接し、原宿に彼女の遺骸に対し告別の敬意を表した。彼女は美はしき信仰の持主であつた。大手町以来の熱心なる会員であつて、彼女の老顔を聴衆の内に見るは自分に取り大なる慰藉又奨励であつた。彼女は備後福山の人であつて二十年以上の聖公会所属の信者であつた。然れども数年前に東京に移られてよりは日曜日毎に我が集会に出席せられて大なる満足を感ぜらるゝやうに見受けた。我等は彼女を呼ぶに「吉川のお老母《ばー》さん」の名を以てした。余(39)は一日彼女に問ふて曰うた「お祖母さん、私の説く所と貴女の教会の説く所と其根本に於て違う所はありません、貴女は何故貴女の教会に出席せずして私の集会に来られます乎」と。時に彼女は笑を含んで曰うた「先生少し違ゐます。教会の説く所に生命がありません、貴君は同じ事を説かれますが、其内に生命があります」と。彼女は自分より九歳の年長者であつて今年七十五歳であつたと記憶する。天国の実在を信ずること己が故郷の実在を信ずるが如く、常に歓喜を以て死に就いて語られた。斯かる次第であれば今彼女の遺骸に別を告げたが、少しも死別れたやうな感じは起らなかつた。多分聖国に於て我を迎へて呉れる者の内に、際立て見える者は我が愛する吉川のお老母さんであらう。まことに福ひなる事である。唯然し今日以後我が聴衆の内に彼女の姿を見る能はず、我が講演のオルソドキシーを保証して呉れる者の無くなりしことを悲しむ。聖公会の監督や其他の教職は我を拒否するも、吉川老姉の如き平信徒の我が信仰に裏書して呉れる者のありしを知つて我が志を強くせしこと幾何《いくばく》なりし乎を知らない。世に貴き者とて老熟せし信仰婦人の如きはない。彼女の霊永へに主の国に在りて安かれである。
四月十日(土)曇 久振りにて読書気分になり、イザヤ書三十七章、ヱレミヤ記九章の研究が出来て楽しかつた。我が幸福はすべて我が小なる書斎に於て在る。一歩我家の門を出づれば限りなき危険は我が前に横たはる。教会は人を集めんが為に我を看板として使はんとする。人は皆な我を利用せんとして我を助けんとしない。黙示録廿二章十五節に曰く「犬及び魔術を為す者、凡て※[言+荒]言《いつはり》を好みて虚妄《いつはり》を行ふ者は城の外に在り」と。「城の外」を「家の外」と読んで事実其通りである。油断ならぬ世の中とは日本今日の状態である、殊に油断ならぬは基督教会である 〇四月号成る、例に由り感謝と祈祷を以て発送した。
(40) 四月十一日(日)晴 桜花満開、麗はしい春の聖日であつた。市内は花見客と航空ページエントとに賑はつた。飛行機の東京襲撃が演ぜられつゝあつた。内では朝は「悪魔の存在」に就て、午後は耶利米亜記第九章に就て語つた。悪魔の智慧と力とに当るに聖書の外に武器なしと語つた。まことに神と其聖言に頼りて「患難《なやみ》を受くれども窮せず、詮方《せんかた》尽れども望を失はず、迫害《せめら》るれども棄られず、跌倒《たふさ》るれども亡びず」である(哥林多後四章八、九節)。悪魔は偽はりの兄弟となりて我等の間に入り来り、我等の内を紊し、我が羊を奪ひ去るも、我は神に依りて強しである。斯くして多くの厭な事があるも、希望と感謝とを以て日々を送ることが出来て大感謝である。
四月十二日(月)晴 昨日の講演に対し左の如き反響が達した。
前略、本日の研究会上の御話「悪魔の存在」之程私に恐怖を感じさせたものは今まで只の一度もありません。御話聞き居る内、目の前に悪魔の影が見え、憎らしさの余り拳《こぶし》を幾度か振上げました。幸ひ其悪魔に勝つの武器を最後に頂きましたので、勇気と悦びに満ちて帰りました。
悪魔! 彼は実に恐ろしい奴である。彼は立派の信者の形を取りて聖徒の間に現はれ、彼等をキリスト並に相互より離間し、其団合を破壊して悦ぶ。今年に入りてより我が団体も亦如此くにして善き二三の羊を彼れ悪魔に奪ひ去られた。其事を目撃する我が心の辛らいことよ。而かも羊は奪ひ去らるとは知らないのである。悪魔の驚くべき奸智は其処に在る。
四月十三日(火)晴 肉の父の命日である。例年の通り謹んで之を記念した 〇新たなる興味を以て創世記第一章を研究した。如何に見ても驚くべき記録である。神の言として見るより他に途がない。之に科学的価値なしとの近代人の申分は取るに足りない。之を天文学並に地質学と併せ読んで深遠の意義がある。此事に関する瑞西(41)の学者アガシ、ギヨー、ゴーデー等の教導を感謝せざるを得ない。彼等の名を記述するさへ深い歓喜の種である。
四月十四日(水)晴 北風にて寒し。藤本医学博士再婚し、其結婚式を司つた。新夫人は所謂信者に非ずと雖も貞淑なる日本婦人なるが故に、茲に我等の信仰に循ひ、喜んで此式を挙げた次第である。勿論聖書あり祈祷あり|酒無き〔付△圏点〕結婚式であつた。今日までに我等の同志が所謂不信者を迎へて、其婦人達が熱誠なる信者と成りし実例が|いくつ〔付ごま圏点〕もありたれば、今回の事も亦同一の結果に終る事と信ずる。「善人是れ信者」と見る方が、「教会の人是れ信者」と見るよりも遥に正確である。
四月十五日(木)晴 塚本と共に千葉県山武郡鳴浜村本須賀に往いた。海保竹松君主唱の農村組合倉庫落成祝賀会に出席し一場の演説を為さんがためであつた。来会者四百人以上あつた。自分の演説に対しては屡々「ノー」の声が揚がつて随分と困まらせられた。禁酒を実行すれば毎年何十万円と云ふ金が浮揚ると云へば「ノー」とやられる。自治独立は宗教に基礎を置く所の精神修養に待たねばならぬと云へば「ノー」と来る。「ノー」と云ふ為の「ノー」であつて弁明の為しやうが無きには困つた。後に聞けば此日聴衆の多きは彼等が自分の演説を聴かんが為に来りしに非ずして自分の後に演ぜられし浪花節を聞かんが為であつたとの事で、村落に於ける自分の価値の如何に尠きかを示されて大に覚る所があつた。帰途東金町に信仰の友の一団を訪問し、此は聖き会合であつて、失望は感謝に変じ、桜咲く春の夕暮れの汽車に乗り、夜遅く相木に帰つた。
四月十六日(金)晴 過去十年余り柏木団の一人として親交を続け来りし所の福田襄三君、今回明治学院神学部を卒業したれば、更らに神学研究を続けんが為に今日渡米の途に就かれた。君は今は神学士(B・D)であり、(42)教会公認の教師であれば、其点に於ては遥かに我等以上である。或は我等の一人として独立伝道に従事せらるゝならんと期待せしも、今回教会に入りて其公認教師と成られしことは君の為に計り却て幸福なりし事と信ずる。教会の立場より見たる無教会団体は甚だ不安なる所であれば、福田君の如き教会関係の深き者が我等の仲間を去り教会と行動を共にせらるゝ事は無理からぬ事である。
四月十七日(土)晴 聖書に孤児を顧みよと教へてあるが故に自分も出来得る限り孤児を顧みた積りである。然れども今日まで孰れも不結果に終り痛歎の至りである。孤児は導くに最も困難なるものである。自分と雖も生みの父の代理を為すことは出来ない。然るに孤児よりは生みの父の愛を要求せらるゝのである。そして之に応ずる能はずとて彼等の叛き去る所となる。斯んな辛らい役目はない。時に之を思ふて人生に失望する。
四月十八日(日)曇 朝は満員の集会であつた。パウロ伝研究の第一回として使徒行伝第一章十五節以下を「人の選びと神の択び」と題して講じた。午後は八分の集会であつて、耶利米亜記第九章の後半部を講じた。諸学校の新学年の開始に由りて我が研究会の会員が急に増した。殊に著しき現象は上流社会の青年男女にして其親達は基督教を賎しめ又は棄てし人たるに拘はらず競うて我が教を聴かんとて集り来る者の多き事である。斯くして神は小供に信仰を起して親達の不信に報ひ給ふ。不信の日本に於ても勝利はやはりヱホバの神に帰する。有難い事である。
四月十九日(月)晴 英文雑誌の原稿を作らんとして苦心した。外国より強き反響ありて愉快であつた。我等の国は此世に在らずと雖も広き世界は狭き日本よりも善くある。又在独逸の内村医学士より興味多き書翰と彼地(43)製作の小品を送り来りて尠からず家庭の歓喜を促した。嫌な事は沢山あるが快き事も亦尠くない。
四月二十日(火)晴 南風強く、塵埃揚り、不愉快なる日であつた。単に赤ん坊の健康が案ぜられた。此日また強く神に倚《たよ》るの必要を感じた。自分が努めた所で何も為し得ない、唯全能者に依頼みて、彼をして自分に在りて自分の為すべき事を為して頂くべきである。斯くして自分は老いても能力の不足を感じないのである。自分に省みて自分が担ふ責任は到底負ひ切れない、然し乍ら「汝の齢に循ひ我が恩恵汝に伴ふべし」と誓ひ給びし神に依頼みて我は死に到るまで有効的に働くことが出来る。何時になりても懐くべきは信頼の福音である。
四月二十一日(水)晴 後藤子爵が六十九歳の高齢を以て我が政界の浄化運動を開始されしと聞いて同感に堪えなかつた。其成功は甚だ覚束なしと雖も、氏の意気に対しては き尊敬なき能はずである。政治は国民を改むるにあらざれば革むる能はず、そして国民は其霊魂を救はるゝにあらざれば浄化されず。後藤氏は源を浄めずして流れを浄めんとするのであれば、事の成らざるは殆んど明白である。然し試むるは試みざるに勝さる。氏の為に成功を祈る。
四月二十二日(木)晴 英文四枚を書きし外に何事をも為し得なかつた。只上よりの能力を待望むばかりである。
四月二十三日(金)晴 自分と殆んど同齢の人にして家産を作つて今や死を待つ者があり、爵位を得んとて奔走する者あるを聞いて感慨に堪えない。自分も若し神が御用の為に捕へて下さらなかつたならば同じ運命に終つ(44)たのであらう。全く神の恩恵である。時には貧を歎き、不遇に泣いた事があるが、今となりて見れば是等凡てが彼が自分を世より絶ち、キリストの国に引き寄せ給ふ途であつたのである。実に感謝である。自分が選らんで取つた途ではない、神に余儀なくせられて入つた途である。禍ひなる哉成功者又幸運者と言はざるを得ない。財産も要らない、爵位も要らない、只キリストと共に幾分なりとも十字架を担はせられ、彼の聖名の為に困しむ事が出来て大感謝である。
四月二十四日(土)雨 八重桜満開である。歯痛で悩んだ。柏木女子青年会の婦人連と共に前回に引つゞきブライアントの『森の讃美歌』を読んだ。肉は病み霊は悩むことありとも、為さねばならぬ事は如何にかして為すことが出来て感謝である。義務と思へば辛らくあるが、特権と思へば楽しくある。人生実は神の恩恵に浴する事である。神より能力を賜はりて其御業に従事せしめらるゝ事である。「ヱホバは仁愛、公義、公道を行ひ給ふ者である」と云ふ(耶利米亜記九章二四節)。彼は我等を待たずして是等の事を行ひ給ふ。我等は只彼が行ひ給ふ事に少しく参与さして頂くまでゞある。彼の公義の大流に我が小舟を浮べて之と共に流るゝ事を許して頂くまでゞある。
四月二十五日(日)曇 朝は二百五十人、午後は百五十人余の出席者があつた。午前はピリピ書三章一-十一節に由り「パウロの家柄」と題して語つた。午後はテモテ前書六章十節に由り「金銭を愛するは諸悪の根本なり」と云ふ事に就いて話した。歯痛に悩むに拘はらず平常通りに語ることが出来て感謝であつた。此日九州福岡市に於ては『聖書之研究』読者九州大会が開かれた。之に対し自分よりは「キリストゴジシンタイカイヲツカサドリタマハンコトヲイノル」と打電せしに、「セイカイニテカミノサカエアガリシヲカンシヤス」との返電があ(45)つた。
四月二十六日(月)雨 雷鳴り、雹降り、風暴れ凄い日であつた。歯痛と疲労とにて終日床に就いて休んだ。引続き小間題にて悩まさる。然し乍ら我が心には大問題が横たはる。それは此世の問題に非ず、人に関はる問題に非ず、神と宇宙と実在とに関はる問題である。只斯かる問題に就て語る人なきを悲しむ。今や話題と云へば低いツマラナイ此世の問題である。家計整理とか農村改良とか云ふのが其最良の部分に属するのである。宗教問題と云へば会堂建築、教勢拡張位ゐが其の頂上である。「汝の住居は俗人の中に在り」である。願ふ今日と雖もソクラテス、プラトー、アリストテレス、カント、ヘーゲル、フイヒテ等と共に此世の人等とは全然別の世界に棲息せんことを。
四月二十七日(火)晴 人生最も辛らい事は子を育てゝ其子の叛く所となる事である。之に類して辛らい事は弟子を教へて其去る所となる事である。幸にして第一の不幸には遇はないが、第二の不幸には幾度も会うた。そして幾度《いくたび》会うても辛らさは少しも減じない。子は幾人有つても其一人を失ふは一子を失ふが如くに辛らくあるが如くに、弟子は幾人有つても其一人を失ふは一人弟子を失ふが如くに辛らくある。然し是れ亦人間通有の経験であつて、自分計りが免かるゝことは出来ない。そして又人間の経験は神御自身の御経験である。
ヱホバ語り給ふ、言あり曰く、我れ子を養ひ育しに彼等は我に叛けり。牛はその主を知り驢馬は其主人の厩を知る、然れどイスラエルは識らず、我が民は暁らざるなり
とある(イザヤ書一章二、三節)。そして我等に臨みし辛らき経験に由り、幾分なりとも神の御心を推察し奉る事(46)が出来ると知りて、我が痛みの無益ならぬを知る。そして我自身が彼に叛きまつりし者の一人でありしを知りて、我は我に叛きし者を悉く赦さねばならぬ事を暁る。斯くして神を信じて凡ての辛らい事が感謝に終るは実に感謝すべき事である。
四月二十八日(水)晴 独逸ミユンヘン市有名の出版業者にてヨハネス・ミユラー、アルベルト・シユワイツエル等の著書を出版するA・アルバース君より友情に充ちたる書面が達し非常に嬉しかつた。此んな温かい手紙を近頃受取つた事はない。書面は特に『英和独語集』Alone with God and me を読んで其感想を述べしものであつた。「|此書を読むはバツハの音楽を聞くやうであつた〔付○圏点〕」との事である。自分としては是れ以上の讃辞を受くることは出来ない。さすがは独逸人である。彼等は深く考へる民である。自分は沢山に書を著はしたが、独逸人程自分の真意を解して呉れた者はない。英人は全体に東洋人を見くだし、米国人には霊魂の深い事は全然解らないと称して可なりである。自分は自分の思想を独逸人に解つて貰ふ為に英文に綴つたのであると思へば不思議に堪えない。アルバース君はアルプス山の尭スタルンベルゲル湖の畔の森の中にて余の小著を手にして一日を費したりと云ふ。実に親切なる読方である。斯かる読者を一人得る為に一書を出版する充分の価値がする。余の一子が今や独逸に在りて余の為に多くの友人を作りつゝあるは、彼に取り其父に対し最大の孝養である。人生は悪い事ばかりでない、時には斯んな聖い嬉しい事がある。自分の一生は神に恵まれたる一大ローマンスと見るが適当であると思ふ。
四月二十九日(木)雨 咽喉痛にて昨夜来発熱し今日は床に就いて休んだ。思ひを欧洲アルプス山の北麓に向けて馳せた。床中彼地の友人に送らんが為に一篇の英詩を草した。日本に於て到底世界的の大運動は起らない。(47)日本人はそれが為には余りに狭少である。世界人類を思ふの心はやはり西洋人に有つて日本人に無い。実に歎かはしい事である。然し同志を広く世界に求むることが出来て感謝である。
四月三十日(金)晴 寒風依然として去らず珍らしい天候である。昨日よりはやゝ快し。近頃京城に移りし我が若き同志の一人より左の如き通信があつた。
京城の日曜日の朝の電車は聖書讃美歌を手にした朝鮮の人の多く乗り合せますことは著しい事でございます。然し日本人の教会に行つて見まして讃美歌持たぬ人、甚しきは聖書も讃美歌も持たぬ人があり、聖書も新約丈けの人が非常に多く、又入口に立つて世話してゐらつしやる方が、入つて来る人に「讃美歌あげませうか」と言つてゐらつしやる御親切には聊か呆れた事でした。
若し信仰の事に於ては、今日の所、全体に、日本人の方が米国人よりも善くあるならば、其如く朝鮮人の方が日本人よりも善くあるやうに見える。日本の信者は|なまいき〔付ごま圏点〕で、聖書は知らないくせに知つて居るやうな風をして、教会に行くにも聖書を持つて行かない。我が研究会を訪れる人で聖書を持つて来ない者は大抵は教会信者である。誰が此んな悪い風儀を作つたのであらう乎。教会の牧師達に依つて此悪風を改めて貰ひたい。
五月一日(土)晴 漸くにして温い風が吹いて来て気持が快くなつた。再び元の仕事に就く事が出来て感謝である。今日血圧を計つて貰ひしに一〇八であつて、自分の年齢としては至つて低く、其方面に於ては先づ以つて安心である。
五月二日(日)晴 集会変りなし。自分は咽喉未だ全癒せず、主なる講演は塚本と畔上に為して貰ひ、自分は(48)僅かの感想を述べ、最後の祈祷を捧げしに止めた。今日も亦十人余りの入会者があつた。若し我等の集会が教会であるならば純然たる平民教会であつて、有給的教師又は芸術的音楽者は一人も居ない事を高調した。我等の間に職業的神学士なく、孰れも純然たる平信徒であることは柏木の一大特徴である。斯んな嬉しい事はない。Rev.は日本語でほ「坊主」と訳する。そして坊主の宗教程厭らしきものはない。
五月三日(月)晴 英国炭坑夫総同盟にて強く心を動かされた。是は由々しき世界の大事件である。其結果として労資の世界的大争闘が起らぬとも限らない。一大戦争が終つて更らに又より大なる戦争が起りつゝある。罪の悔改より来らざる平和が長く続きやう筈がない。
五月四日(火)晴 米国帰りの或る読者の訪問を受け、彼地に於て『聖書之研究』が多くの|悪事〔付△圏点〕を為しつつあると聞いて甚だ不愉快であつた。其人はメソヂスト教会所属の信者であるとの事であつた。余輩の不思議に思ふは、何の善事を為さず唯悪事をのみ為しつゝある乎の如くに報ぜらるゝ此雑誌が初号以来|許多《あまた》の読者を彼地に有し、そして今猶少しも減ずるの兆候なく、又斯く報ずる人自身が其読者である事である。若し悪い雑誌であるならば今日直に購読を止めて貰ひたい。殊に|教会関係の人達には余輩より進んで廃読を勧告する〔付△圏点〕。是は教会に関係なき人達を目的に発行する雑誌である。日本人が日本人にアツピールする雑誌である。半日本人の教会の人達に喜ばれないのは勿論である。
五月五日(水)晴 イザヤ書三十四章同三十五章を以つて此日を始めた。偉大なる章である。小樽新聞より北海道並に札幌に関する感想を徴せられ、忌憚なく之を述べて後に至つて不愉快に感じた。然し心に思ふ事は外に(49)之を言表はすが忠実である。之に由て札幌と絶縁しても惜しくはない。唯不思議なるは世に自分と札幌との関係が非常に深い者である乎の如くに思ふ人の多い事である。然しそれは事実でない。過去四十年間札幌は自分の事業に対し何等の同情を表した事はない。唯一二の旧友が友誼的同情を表して呉れたまでゞある。其他の事に於て札幌と自分とは赤の他人である。
五月六日(木)晴 四ケ月程かゝつて漸くG・A・スミス著『イザヤ書講解第一巻』の再精読を了つた。自分の知る範囲に於て最良のイザヤ書註解である。全巻四五二頁中ツマラナイ頁は一頁もない。エ※[ワに濁点]ルドの聖書知識にカーライルの精神を加へた者である。註解書と云へば全体に乾燥のものであるが、此註解書丈けはマコーレーの歴史を読むが如くに面白くある。再読して三読したくなる。人に教ゆる事を止めて自分独り学んで居たならば、さぞかし楽しい事であると思ふ。何れにしろ旧著の復読の方が新著の熟読よりも面白く成りしを見て、自分も老人の階級に入りし事に気附かざるを得ない。
五月七日(金)雨 末世の福音宣教師独逸人A・コツフと云ふ人の訪問を受け、友誼的訪問と思ひ、胸襟を開いて談話する内に普通の宣教師的根性を発揮し、自分に向ひ自家宗義の宣伝を始めたれば直に退出を乞うた。実に呆れたる次第である。人を初めて訪問して未だ交際をも重ねざるに宗義宣伝を始むるとは紳士道の上より見て無礼である。而かも西洋の宣教師は斯かる事を為すを少しも耻としない。|宗義の真偽は問題でない、礼節の問題である〔付△圏点〕。まだ三十歳になつた計りの青年伝道師が、年長者の自分に向ひ、斯かる態度に出るとは日本人としてはとても許す事が出来ない。斯かる宣教師の下に立つ日本の信者諸氏が彼等が日本に在りては斯かる無礼を再び演ぜざるやう忠告せられん事を望む。|何れにしろ宣教師の訪問程厭な者はない〔付△圏点〕。今日は独逸人と云ふので騙された(50)のである。斯んな宣教師が居る以上は日本に基督教の拡まらないのは少しも怪しむに足りない。
五月八日(土)晴 使徒行伝問題に頭を悩ましてゐる。諸家が何れも説を異にしてゐる。自分としては今猶チユービンゲン学派の首領F・C・バウルの解釈を棄てる事が出来ない。何れにしろ行伝を文字通りに受取る事は信仰上の大危険である。聖書学上の大問題である。
五月九日(日)晴 集会変りなし。朝は使徒行伝九章に依り「パウロの改信」に就いて語つた。語るに甚だ六ケ敷い問題であつた。午後は耶利米亜記第十章の前半を講じた。昨日口中の手術を受け終日床に就いて休んだが、今日は平日通り講壇に立つ事が出来て感謝であつた。義務を果すに足るの力は与へらるゝものである。健康を害ふを懼れて義務を怠るべきでない。神は必要なる力を賜ひて義務を遂行し能はしめ給ふ。有難い事である 〇札幌独立基督教会牧師金沢常雄君よりの書簡に曰く
……札幌の俗化も最早救ひ難い程度であります。クラーク先生は泣き給ふでせう……クラーク先生の胸像の除幕式を行ふは恰かも予言者の碑を建るが如きであります。何んとなれば今や大学内に同先生の信仰も精神も忘れられ棄られて居るからであります。云々
自分も同感である。それが故に自分は今回の五十牢記念祭に出席せざる事にした。たゞの「お祭り」である。学者や志士の出席すべき所でない。嗚呼堕落せる哉我が札幌よ。
五月十日(月)晴 雑誌五月号を発送した。久振りにて藤井武君の訪問を受けて嬉しかつた。君の基督教会観察が自分のそれと全然符合するに驚いた。此上は教会と断絶するより他に途がないと語り合うた。宣教師が自分(51)等の発行する英文雑誌を甚《いた》く嫌ふと聞いて至極く尤もであると思うた。然るに是は在朝鮮の宣教帥の一団が之を歓迎すると聞いて之にも亦驚いた。今や彼等を案内して日本内地を視察しつゝある総督府外事課の小田君より笹子発の左の電報が達した。
御寄贈下されしジヤパン・クリスチヤン・インテリゼンサ、朝鮮外人教育家内地視察団員に渡せし所、皆な感心して拝読し、即座に購読申込者五名あり、帰鮮の後申込む者多数あり、御好意を深く感謝す、小田
と。長い電報である。之に由りて凡ての宣教師が我が敵にあらざるを知りて嬉しかつた。
五月十一日(火)曇 パウロの故郷たるキリキヤ並にタルソの地理歴史に就いて読んだ。此地ありて此人あるは当然である。
五月十二日(水)雨 アムンセンは彼の飛行船ノルゲ号にて北極を目ざして進みつゝある。近代の快事とは此事である。英国の総罷業にて世界全体が気を腐らしつゝある際に、此の壮挙に由りて全世界の人気を引立つゝあるアムンセンの功績は絶大なりと謂ふべしである。
五月十三日(木)曇 若きダヌンチオ作『クオヴアデイス』の活動写真を見た。其規模の大なるに驚いた。如此くにして教会や宣教師に依らずして活動写真に由て基督教は広く我国に宣伝せられつゝある。然し劇化せられたる基督教の初代歴史である。そして又伊太利人の作であれば天主教的趣味を帯ぶるは止むを得ない。勿論事実はそれとは大に異つてゐたに相違ない。若し自分が監督したならばもつと事実らしき画を写したであらうと思うた。何れにしろ一度見て置く充分の価値ある活画である。
(52) 五月十四日(金)曇 寒気加はり復び炬燵を作つた。好本督君英国より帰り友人四人と共に君と会食した。英国並に欧洲の近況に就て聞き大に学ぶ所があつた。アムンセン北極横断飛行に成功せりとの新聞記事を読み、人類の為に祝せざるを得なかつた。此は世界の平和的征服であつて、人類の確実の所得である。シーザー、ナポレオン、モルトケ将軍の功績は到底此一探険家のそれに及ばない。アムンセン万歳、彼の外にナンセンを産ぜし小邦那威万歳である。
五月十五日(土)曇 寒気引続き強し。未だ曾て見しことなき不順の気候である。口中治療の為に何事も成らず、毎日無為に暮らして居る。
五月十六日(日)晴 集会変りなし。朝は「異邦伝道の開始」と題し、使徒行伝十三章に由り、パウロの伝道旅行の大略並に其第一節の意義を講じた。午後は哥林多後書二章十七節に由り、常に正直を語るの困難と、正直なり得るの途に就いて語つた。即ち正直であらねばならぬと思ふ丈けでは正直たる事が出来ない。パウロの如くに「誠実《まこと》に由り、神に由り、神の前にキリストに在りて」のみ常に正直たる事が出来ると語つた。講演の結果如何は知らずと雖も、講師に取り講演其物は常に愉快である。聖書研究会が教会化せられずして、常に純然たる研究会として存せん事に努力する。それが教会化せられた時は、それが死んだ時である。信仰団体が栄えんが為には今日の教会と絶交することの必要なるを益々切に感ずる。
五月十七日(月)晴 又複無為の一日であつた。善き説教を為さんと欲すれば神に祈る、然れば善き説教を為(53)すことが出来る。善き論文を書かんと欲すれば神に祈る、然れば善き論文を書くことが出来る。準備々々と称して準備丈けでは善き説教も出来ず、善き論文も書けない。何事も祈りである。善き書籍を求めんと欲して神に祈る。善き品物を購はんと欲して神に祈る。「汝等我を離れて何事も為す能はざるなり」である。そして祈りの特権の我に在るあれば、我は如何なる責任を担ふても恐れない。
五月十八日(火)晴 今日も亦自分では何事も為す能はず、神が自分を以て為さんと欲し給ふ事のみが成るのである事に気付いた。斯んな事は既に能く判明つてゐべき筈であるのに、今日に至つて新たに教へられねばならぬとは自分の鈍きに呆れざるを得ない。「人は凡て生れながらにして天主教徒である」とは西洋の諺であるが、自分が何か為さねばならぬと焦せる点に於ては自分も亦天主教徒であり、米国人であることを否むことは出来ない。願ふ本当のプロテスタントと成りて、自分の計画や努力に一切|倚《たよ》らざるに至らん事を。
五月十九日(水)晴 引続き口中の治療にて悩まさる、然し健康を得る為の苦痛なるが故に我慢する。歯の為には少年の時より困難した。一生涯の悩みであつた。然し自分に取りては其必要があつたのであると信ずる 〇此人はと思ふ人が信者にならず、また信仰を棄てる。此んな人がと思ふ人が信仰に堅く立つて動かない。信仰の事は実に意外である。誰が信者であつて、誰が不信者なる乎は後に成つて見なければ判明らない。但し信仰を説くの必要なる事丈けは確かである。神に依て用ひられて|或人〔付○圏点〕を益せずしては止まない。然し予想と事実とが余りに違ふが故に度々ビツクリする。
五月二十日(木)曇 今日は医師の都合にて口中の治療を休み、一日の慰安を得た。依て朝より夜に至るまで(54)ペンを手にして働き、沢山に英文原稿を書いて楽しかつた。又四月二十五日に九州福岡に於て開かれし九州読者大会の委細の報告が達し、之を読んで涙がこぼるゝ程嬉しかつた。ヤツパリ九州人であると思うた。東北人や北海道人の到底及ぶ所でない。国を思ふの念はヤツパリ九州人の内に最も強くある。維新の際に九州人が日本の天下を取つたには充分の理由がある。日本の精神的革命も亦九州人を以つて始まるのであらう。自分の如き今日まで東北、北海道に嘱目したりし者は今に至つて目が醒めた。東北並に北海道の駄目な事が今に至つて判明つた。今より東北より西南に眼を転ずるであらう。北海道に与へんとせし精力を九州に注ぐであらう、そして残る短き生涯に於て今日までの失敗を償ふであらう。思へば無理も無いことである。九州は日本立国の基である。日本の文化は九州より始つたのである。九州は首頭《あたま》であつて東北は尻尾《しつぽ》である。北海道の如きは尻尾の端である。近頃北海道に大失望せる此際、九州より此の善き報知に接して、新たに世界を発見したように思ふて愉快極まりなしである。
五月二十一日(金)雨 朝日新聞英文附録 Present Day Japan なるものを見て驚いた。実に厖大なる英文雑誌である。我が英文雑誌インテリゼンサーとは克くも異《ちが》つて居る。彼の紹介する日本が真の日本である。商売と快楽の追求の外は何もなき日本である。正義も武士道も有つたものではない、全然米国化されたる日本である。そして惟り朝日新聞のみでない、凡ての日本人が外国人に紹介せんと欲する日本は同様の日本である。実に厭になつて了ふ。此上精神的日本と云ふが如き者を紹介せんと欲する事の如何に馬鹿らしき事よ。
五月二十ニ日(土)雨 或る教会通より東京諸教会衰退の状況を聞いて驚き且悲んだ。有力なる教会にして無牧なる者尠からず、而して之を充たさんと欲して候補者を得る能はずとの事である。外国宣教師は何百人も居(55)るが彼等は何の用をも為さない。求道者は盛んに起るも彼等を迎へて教ゆるの教師が無い。基督教が漸く国民に歓迎せらるゝに至りし頃には之に応ずるの準備が無いとは実に情けなき状態である。如斯くにして教会は消滅して他に精神的に日本を救ふ途が開かるゝのではあるまい乎。
五月二十三日(日)雨 集会変りなし。朝は行伝十三章一-一二節に由り「パウロのクブロ島伝道」に就て語つた。午後は男女青年二百人余りに対し耶利米亜記第十章後半部を講じた。雨天に関はらず聴衆には殆んど変化がなかつた。
五月二十四日(月)雨 口中の治療其他にて障害多きに拘はらず、終に雑誌六月号を書き上げて感謝であつた。如何に見ても自分が作る雑誌ではない、「或る他の者」が自分を使つて作り給ふ雑誌である。もはや満二十六年に近づきつゝある。政府や教会より俸給を受けて為した仕事で無いことを思ふて一層有難くある。官吏や教会者には独立信者の有難味は解らない。月々俸給を貰はなければ不安心のやう人には神の活きて居たまふ事は解るまいと思ふ。生活の安定を保証せらるゝに非れば働くことの出来ないやうな米国流の基督信者には到底自分が経過し来つたやうな人生の快味は解し得られないと信ずる。
五月二十五日(火)曇 左の書面が達した。
拝啓、貴雑誌『聖書の研究』初号よりの読者でありました私の父(丸山玉次郎)は五月号を最後の日の前日まで読み、去る十七日永年の疾病のため永眠いたしました。亡父の意志を継いで私は継続して貴誌に依つて行きたいと存じてゐます。貴誌に由り神の摂理の致す所を感じ、永年の信仰の読物として最後まで手にしてゐ(56)た貴誌に卸し、私が亡父に代り感謝と共に御礼申上ます。長野県豊科町丸山秀樹。
実に感慨無量である。二十六年間の誌友を失つたのである、そして彼の遺子が継いで読者たらんと欲するのである。大感謝である。
五月二十六日(水)半晴 忙がしい事である。雑誌並に出版物の校正は続々とやつて来る。新たに原稿を作らねばならぬ、旧い原稿を訂正せねばならぬ。少女は来つて心の苦痛を訴へる、之をも聞いてやらねばならぬ。其他種々雑多の用事がある。其間を窃んで哲学や聖書研究書類を読む。午睡も貪る。唯知る全能の父が我を助け又護り給ふ事を。今日は特に北海道十勝嶽爆発に関する記事を読み、強く我心を痛めた。天然と見れば天然である。警告と見れば警告である。此天災が有つても無くつても北海道人は悔改めねばならぬ。況して有つたに於てをや。
五月二十七日(木)半晴 十勝嶽爆発に次ぎ秋田県男鹿半島北浦町に於ける貯水池決潰の惨害があつた。又今朝青森地方には強震があつたとの事である。昔しの予言者をして言はしめたならば是れ神の大なる警告である。然し近代人はそんな事を信じない。彼等は天災を恐れても罪を悔改めやうとは為ない。今日は日本海々戦々勝第二十一回紀念日とて東京は其祝賀にて持切つた。
五月二十八日(金)曇 英文雑誌に対し西洋人の読者より続々と同情の書面が達し甚だ愉快である。さすがは西洋人である。彼等は自己を攻撃されても正当なる攻撃は喜んで受け、又攻撃した人を尊敬する。余の宣教師嫌(57)ひなるを承知しながら余を信頼して呉れる宣教師の在るを聞かされて甚だ済まなく思うた。宣教師の内にも正しい、真に日本を思ふ人の在る事は事実である。何れにしろ英文雑誌は善き企計《くわだて》であつた。之に由つて敵と味方とが判明し、今後西洋人の間に尠からず真の友人を得ることが出来て、彼等と共にキリストと日本との為に働くであらう。
五月二十九日(土)雨 我が言ふ事を聞かずして反抗し、後に到つて失敗し、終に我に援助を乞ひし者、今日までに随分多くあつた。そして今猶ほ聴容れずして反抗する者が絶えない。彼等の反抗を目撃する事が大なる苦痛である。然し如何ともする事が出来ない。反抗は近代人の生命である。殊に宗教道徳の教師に反抗する事を英雄的行為なりと彼等は思ふ。斯かる場合に於て我等はパウロに傚ふて「斯くの如き者をサタンに交《わた》す」より他に途がない(コリント前書五章五節)。実に辛らい事である。
五月三十日(日)雨
盛んになりつゝある。大雨に拘はらず午前と午後とにて四百人の来会者があつた。殊に午後の青年組が会毎に盛んになりつゝある。午前は行伝十三章十三-四一節に由り「ピシデヤのアンテオケに於けるパウロの伝道説教」に就いて語つた。午後は「日本最初の新教宣教師」と題し、琉球那覇に八十年前に上陸せし洪牙利人ベルナド・エアン・ベテルハイムの略伝に就いて述べた。|我が札幌同窓の一人志賀重昂君が北の方札幌の五十年祭に行かずして、南の方琉球に往いて此英雄的宣教師の上陸紀念会に臨んで呉れた事を厚く同君に感謝せざるを得ない〔付○圏点〕。クラーク先生は偉らいがベテルハイムは先生よりも遥かに偉らくある。今より八十年前に単独、帆船で琉球に来つて伝道し、琉球語に聖書を訳した此洪牙利生れの猶太人にしてキリストの僕たりし人の功績は実に偉大なるものである。旧い宣教師の内には斯かる人があつた。尊敬せざるを得ない。今は居ない。
(58) 五月三十一日(月)曇 梅雨の空である。月末の支払日である。世に金を要求する者の多きに驚く。今や金銭慾は正当の慾として認められ、何人も此慾を充たさんとして少しも耻ない。今や実際に金を獲る為の人生である。然し此間に在りて「金銭を愛するは諸悪の根なり」との聖書の教に服従して世を渡るは甚だ興味多くある。此事を為し得なければ基督信者でない。希伯来書十三章五、六節が非常に有難くある。
六月-日(火)曇 夏服準備のために何を衣んかと思ひ煩ひ、甚だ不愉快であつた。咋朝発行の『大阪毎日新聞』に、『創基五十年の北海道帝国大学』との題下に左の記事が見えた。
内村鑑三氏は、五十年祭に出て来なかつた。聖霊「行く勿れ」と告げたんだらう。詰襟で化学の教師のやうな、しかして、|らんらん〔付ごま圏点〕と眼を光らせる予言者が列席せず、政治の倫理化を説く後藤子が上客では、この学校も平凡になつた云々
と。まことに聖霊が自分に今度は札幌に行く勿れと命じ給うた。そして行かないで善い事をした。行けば大なる耻をかく所であつた。日本全国の が札幌丈けには精神的偉力が存つてゐると思うた。然るに平々凡々、俗人以下に俗化した事を見て失望した。札幌は其精神を失ふて其存在の理由を失うたのである。然し乍らクラーク先生を遣り給ひし神は存在し給ふ。彼は今後更にクラーク先生、又は先生以上の人を遣りて我が愛する札幌を復興し給ふと信ずる。旧い人達には望みが絶えた。然し神は必ず新らしい人を起して北海道に関する我が半百年の祈祷を聴き給ふと信ずる。「夜は既に央《ふけ》て日近づけり」である。俗化は既に其極に達したれば、義の太陽は遠からずして我が愛する札幌の空にも昇るであらう。
(59) 六月二日(水)半晴 此日末永敏事対中島静江の結婚式を司つた。末永は角筈時代よりの弟子であつて、医学者として米国に十年留学し信仰を守つて今日に至つた者である。中島は過去八年間の忠実なる聴講者であつた。純粋なる信仰的結婚であつて、彼等の幸福と共に我等一同の幸福を祈つた。
六月三日(木)半晴 我等両人、鎌倉扇ケ谷に江原万里と彼の家庭を訪問した。一日の善き休養であつた。
六月四日(金)晴 午後七時二十分東京駅発にて大阪に向ふ。好本督君同車す。久々振りの大阪行きである。
六月五日(土)晴 朝七時廿四分京都駅に下車す。友人の迎ふ所となる。山口菊次郎君の案内にて新設のケーブルカーを利用し、比叡山に登る。何等の足労なくして四明ケ嶽に達す。久々振りにて平安城と琵琶湖とを足下に望む。昔ながらの偉観である。序に延暦寺を訪ふ。伝教大師、弁慶、護良親王、法然、日蓮等の古事を想はせらる。自分には寺院よりも森林が慕はしくある。正午少し過ぎ下山し、下加茂にドクトル佐伯を訪問し昼飯の接待に与る。又同志社に海老名弾正君を訪問した。旧友と談ずるの感あり、時の移るを忘れた。明治十六年同君を上州安中に訪問した時の事を回想した。今より四十三年前である。君は今年七十歳、自分は六十五歳である。信仰の方面を異にすると雖も、全生涯を日本国とキリストとの為に費した事は同一である。今や旧友或ひは逝き、或ひは引退するに際し、猶ほ健康を恵まれ、青年時代の志望を懐いて変らざるを相互に祝した。三時半京都駅を発し、四時半大阪着、直に中之島公会堂に開かれたる故今井樟太郎永眠二十年記念会に出席した。故人の旧知関係者にして招かれし者八十余名、自分はチーフスピーカーの任に当り、故人の事業精神並に志望に就いて述べた。一同晩餐の饗応に与る。会終りて後兵庫県蘆屋に行き、今井家の客と成つた。多事の一日であつた。
(60) 六月六日(日)晴 午後三時大阪天満教会に於て故今井樟太郎の為に記念講演を為した。「回顧五十年」と題して語つた。他人が自分の聖書研究に同情せざりし時に、独り後援者と成つて呉れし故人の友誼を回想した。来会者三百人以上あり、気持好き集会であつた。閉会後、「聖書之研究」読者有志の晩餐会を堂島ビルヂングに催うした。出席者二十人、各自感想を述べ、是れ又有益なる会合であつた。此夜ス蘆屋今井家の客と成つた。
六月七日(月)晴 今井家主人に案内せられ、甲山の麓甲陽公園に遊んだ。阪神人の娯楽機関の完備せるに驚いた。彼等が金を欲しがるのは無理でないと思うた。夜七時半より蘆屋教会に於て演説会を開いた。牧師長谷川敞君司会の下に「伝道成功の秘訣」と題して語つた。来会者三百人、昨日以上の気持好き会合であつた。会後又復読者会を開きしに、四十人余の出席者あり、感想祈祷尽きず、別れを惜んで散会した。
六月八日(火)晴 朝八時蘆屋を発し、大阪にて特別急行に乗換へ、名古屋常治君と同車し、東海道の初夏の風景を眺めながら、夜八時半東京駅に着いた。九時過ぎ家に帰り、先づ第一に孫女の安否を問うた。今日初めて寝返が出来たと聞いて嬉しかつた。友は天下到る所に在る。京都も大阪も神戸も皆な我が交友の領分である。日本全国が我がホームである。神が賜ひし大なる特権である。
六月九日(水)晴 旅の疲れにて何事をも為し得ず、只鬱々の内に一日を送つた。他人を益せんと欲すれば自分が損せざるを得ない。外出演説は後《あと》の結果が恐ろしくある。
(61) 六月十日(木)晴 雑誌第三百十一号を発送した。三百号以来既に第十一号に達した。何時になつたならば終るものにや。記者も倦まず読者も倦まない。福音であるからである 〇旅の疲れ少しく癒え、今日はまた読書が始まつた。旅行中は伝道師気分で、家に帰つて故の学者気分に成る。自分に取りては学者に成つた時が幸福の時である。
六月十一日(金)晴 室内八十六度の暑さであつた。今度大阪へ往いて見て、日本の首都が震災の結果として東京より大阪に移つた事が解つた。東京は今は単に思想(理窟)の都であつて、実行に於ては到底大阪に及ばない。大阪に於て信仰は盛んであるとは言ひ兼ねるが、然し十万円の会堂を建んと欲して、相談は直に纏まり、寄附金は直に集まる。東京に於ては三万円の会堂を建つる事は随分困難である。而已ならず、議論百出して相談は容易に纏らない。そして実行の大阪に於て、議論の東京に於てよりも信仰は確実であるやうに見受た。随つて思想の悪化も大阪の方が東京程甚しくない。何れにしても日本国の為に賀すべきである。関東や東北や北海道が悪化しても、関西なり九州なりが比較的に健全であれば、それ丈け日本国が健全なるのである。そして近頃に至り、『聖書之研究』が急に関西、四国、九州に於て読者を増した事は著しい事である。
六月十二日(土)晴 驟雨あり。疲労未だ去らず、生産的には何事も為し得なかつた。只マクギフハアト著『使徒時代史』中、パウロに関する数十頁を読み、啓発せらるゝ所尠からず。此日独逸老大哲学者ルードルフ・オイケン氏が或る友人に書を寄せて英文雑誌インテリゼンサーに対し深厚なる同情的理解を表する言を読んで尠からず力附けられた。昨日或る友人より在横浜の米国宣教師の一団は内村が書いたものとあれば、其何たるに拘はらず一切眼を触れないと聞いて少しく不快に感ぜし折なりければ(彼等が此くするは尤もなりと雖も)、老大哲学者(62)の同情は一層有難く覚えた。我と偕なる者は我に敵する者よりも大なりである。
六月十三日(日)雨 冷たき、鬱陶敷き厭な天気であつた。それにも拘はらず講堂は朝も午後も殆んど満員であつた。自分は朝は使徒行伝第十四章に由りパウロのガラテヤ伝道の大意に就いて話した。午後は過る日摂津蘆屋に於て為せる講演を繰返した。不相変楽しき聖日であつた。多数の青年男女に福音を吹込むに優さる幸福はない。之を為すは政府の大官又は教会の大監督たるに勝さるの名誉又功績である。パウロとバルナバは「弟子等の心を堅くし、其の常に信仰に居らんことを勧め、又|多くの艱難を歴て我等が神の国に至る可きことを教ふ〔付△圏点〕」(二二節)とあるが、自分等も同じ事を勧め又教へつゝある。
六月十四日(月)雨 引続き陰鬱の天候である。マクギフハートの『使徒時代史』に、ヱルサレム会議に於けるパウロの立場に関する著者の説明を読み、同情同感に堪えなかつた。著者が今の教会に対する自分の立場を弁明して呉れて居るのではない乎と思うた。三十年前の米国には如此き思ひやり深き学者があつた。今の米国人と来たら話しに成らない。二者の間に隔世の感があるやうに思はれる 〇引続き多くの悩める人等より悲しき書面を受取る。彼等は自分を煩悶治療の専門医であるやうに思うてゐるらしくある。聖書を研究せんと欲するのではない、目前の悲痛を癒して貰ひたいのである。彼等の内に有夫の婦人多きは著るしき事実である。今日の日本に於て家庭が如何に紊乱して居る乎が察せらる。
六月十五日(火)晴 引続き大なる興味と同情とを以て『使徒時代史』を読んだ。パウロの伝道成功の秘訣は演説説教に於てあらずして、個人としての接触に於てあつたとの説に全然同意せざるを得ない。使徒行伝は伝道(63)歴史であるが故に公的行為に就て記す所が多くして、私的行為に就て述ぶる所が尠い。故に行伝のみに由て初代伝道の有様を知らんと欲して、我等は大なる誤謬に陥るの危険がある。そして教会は全体に此危険に陥つたのである。米国宣教師が自分の早い頃の伝道を嘲けりて「火鉢伝道」と称せし、其伝道法がパウロの主なる伝道法であつたのである。彼等が若しハーナクやマクギフハートの書を精読したならば、自分と同じ様に座談的伝道を試みたであらう。米国に於ても学者は宣教師とは違うたる意見を懐いてゐる。
六月十六日(水)晴 西洋では聞かないで日本に於て盛んに行はるゝ事は|老人が若手に担がるゝ事である〔付△圏点〕。日本に於ては此事の為に身を亡した老人が沢山に有る。西郷隆盛、犬養毅、箕浦勝人、句仏上人等は皆な此災禍に罹つた者である。実に恐るべき事である。「大将」と呼ばれ先生と崇められつゝある間に、|つまらない〔付ごま圏点〕人に担がれて、彼等の犠牲となりて身を亡すのである。|日本は悪い国である。名を挙げ功を立た後に、後輩に担がれて其亡す所となる危険のある国である。此国に在る者は死んで墓に入るまでは安心は出来ない〔付△圏点〕。
六月十七日(木)晴 「東北を日本の尻尾」と詈りたりとて、東北の友人より小言が来た。之に対して左の一首を以て弁解した。
愛子《いとしご》を尻尾のはしと詈りて
責めねばならぬ親の苦しさ。
東北に誠実がある、然し見識がない。愛国心と世界観念とが非常に欠乏する。
六月十八日(金)晴 五月二十二日独逸ミユンヘン発、若き内村より彼のフラウヘの手紙の一節に曰く、
(64) 此間アルバースさんにスキ焼を御馳走した。そのアルバースさんから手紙が来て、お父さんから手紙を貰つたと云つて大喜びであつた。丁度ストラスブルグのシユワイツエルの留守宅を訪問しに行く日に受取つたから皆んなに手紙と写真を見せて来るとか書いてあつた。誠によい人である。
斯くて独逸も、今は仏蘭西領のアルサスローレーンも我国と同然である。友人は世界到る所に在る。今日は又、我が海軍の士官と水兵が死を目して英船ネープルス号の乗組員全部七十三人を救ひし記事を読み日本国の為に祝した。日本人は戦争に計り強いのではない、|人を救ふ為にも強いのである〔付○圏点〕。之に引替へて昨年大西洋に於て日本汽船来福丸が遭難した時に、或る英国船が之を知りながら救はざりしに較べて、日英孰れが実際的に基督教国である乎、大なる疑問である。イエスが「善きサマリヤ人」の例を引きてユダヤ人を誡め給ひしやうに、彼が今在し給ふならば「善き日本水兵」の例を引きて、常に基督数的国民なるを以て誇り我等を賤視《いやし》め来りし英国人を責め給ふであらう。
六月十九日(土)曇 梅雨の空である。左の如き書面が達した。
私は土佐の山の中で貧しい生活をして居るものであります。毎月の『聖書之研究』誌を待ち兼ねてゐて、むさぼる様に拝見して居ります。山奥の貧しい私を研究誌と天然とがどんなに慰め、力づけて下さるかわかりません。こんな山奥でキリストを信ずる事が出来まして何んぼう嬉しいか知れません。涙がこぼれます。『大阪毎日新聞』で先生の写真を拝見しまして嬉しさの余り失礼をもかへり見ず書きました。御赦し下さいませえ。
イエスは曰ひ給うた「汝等貧しき者は福ひなり、神の国は即ち汝等の所有なれば也」と。四国の山の中にて貧しき生括を営みてキリストを信ずる者は、束京の中央にて文化生活を送りながら神とキリストに関し許多《あまた》の疑を懐(65)く近代人よりも遥かに福ひである。
六月二十日(日)半晴 我家の純正を維持する為に尠からず苦心した。此悪しき世に在りて悪魔は小なる隙間より入つて来る。油断はならない。集会は滞りなく済ました。朝は「割礼問題」と名づけて使徒行伝第十五章の大意を述べた。パウロの論争は我が論争である。所謂ヱルサレム会議は自由福音が制度的基督教と衝突した第一の場合である。故に其中に無限の興味があるのである。牛後は路加伝十章二五節以下に依り、此たび英船ネープルス号の船員全部を救ひし日本海軍々人を善きサマリヤ人に擬《なぞら》へて語つた。我も聴衆も感極まつて泣かざるを得なかつた。
六月二十一日(月)曇 好本督君の英国帰還を送る為の送別会をインテリゼンサー社員一同と共に丸ビル九階精養軒食堂に於て催した。内に大阪の山本忠美君も加はり甚だ愉快なる会食であつた。四囲騒然たる大食堂の一隅に卓に就いて山県五十雄君が比較的に長い感謝の祈祷を捧げた。是れ多分此食堂が開かれて以来の始めての事であつたらう。隣室の酒場に於ては日本の貴婦人が一人でホヰスキーを飲んで居る際に我等は感謝の食事を共にした。米国に傚ひたる此バベルの塔の階上に於て我等は信仰を言現はして憚らざりしを感謝する。
六月二十二日(火)晴 鸚鵡のローラに善き烏籠を買うてやつた。彼の喜び又家族一同の喜びである。彼れ南米より我家に来りてより茲に十有五年、然るに未だ本当の鳥籠の内に棲《すま》つた事がなかつた。今日初めて籠らしき籠の内に飼つて貰ひ、彼は大得意である。鳥も十五年偕に居れば愛する家族の一人である。彼が眼の色を変へ翼を伸ばし、クツクツと唸《うな》る其声を聞くからに彼の飼主までが嬉しくなる。善き慈善を為して楽しくある。
(66) 六月二十三日(水)曇 南米コロムビヤ国の地理歴史を読んで大なる興味を覚えた。此は日本人に取り善き発展の地ではあるまい乎。日本本国に三倍する国土を有し、而かも其人口は僅かに七百万に過ず。物産豊富、赤道に近く位ゐすると雖も、地高きが故に気候温和にして文明生活に適す。我が同志の或者が斯かる地に往いて我が理想を実現して貰ひたい。外にエクワドルあり、ペルーあり、ボリビヤあり、南米の太平洋海岸丈けでも日本人発展の地は充分である。世界は広し、失望は無用である。
六月二十四日(木)晴 英文雑誌の校正を為し、邦文雑誌の編輯を為した。前者は神と|国〔付○圏点〕の為である。後者は神と|貧者〔付○圏点〕の為である。貧者は独り在りて他に神の福音を聴く機会を持たざる者を指して云ふ。主として地方に在る単独なる無教会信者を指して云ふ。『聖書之研究』は主として彼等を目的として発行せらるゝ雑誌である。教会信者、基督教男女青年会員、其他すべて浮気なる浅薄なる人達には読んで貰ひたくない。
六月二十五日(金)晴 高等教育を受け、外国にまで行いて研究を積みし日本人にして、今に至つて羅馬天主教会に入る者があると聞いて驚く。而かも彼等の内の或者が数年又は十数年余の聖書講演に列し、自から余の弟子を以つて任ずる者であると聞いては更に驚く。彼等の言ふ所を聞くに、「内村先生の説く所と天主教会の説く所と其|差異《ちがひ》は紙一枚である」と。実に驚くべき誤解である。余自身は二者の間に天地の差の在る事を知つて居る。此事に関し近頃余の許に来りし無学の一少女の方が是等学士連よりも遥によく事理を解して居る。彼女が余に書き送りし書簡の一節に曰く
柏木の楽しいお集りのある事は露知らずして私も今少しにて天主教会に|は入〔付ごま圏点〕る処でありました。私共の家か(67)ら二丁程はなれて天主教会が御座います。此一月より二月の中旬まで父が病気を致さず、その後養生の面倒を見がてらに温泉にも参らずに居りましたならば、まことの福音も心得ずに今頃は|ろざりお〔付ごま圏点〕をかぞへつゝ暮さねばならぬ事と相成り、まことにあぶない処で御座いました。此事思ひめぐらし神様の御めぐみに唯有難く感謝致します。
「智者|安《いづ》くに在る、学者安くに在る、此世の論者安くに在る……神は智者を愧しめんとて世の愚かなる者を選び給ふに非ずや」である。
六月二十六日(土)曇 古我貞周君朝鮮旅行より帰り、京城に於ける『聖書之研究』読者の名簿録を示して呉れた。之に依ると読者は凡て四十八名であつて、其内に中学校高等女学校の教師が十人あり、牧師(組合、日本基督、日本メソヂスト、ホーリネス、救世軍)が十二人、其他官吏、会社員、法院判事、中枢院勤務等で多数は所謂中流以上の人達である。余の知る在京城の読者にして古我君の名簿に録してない者があるが故に尚此他にも有る事は確である。之に由て見るに『聖書之研究』は諸教派諸階級に行渡つて居る。誠に喜ばしき事である。若し自分が京城に行くことが出来て、読者会を開くならば、さぞかし楽しき集会を持ち得る事であらう。
六月二十七日(日)晴 本学年最後の聖日であつた。朝は満員、午後は百六十人の集会であつた。朝は約翰伝四章廿四節に就て説教した。「霊と真とを以て霊なる神を拝せざるべからず」と云ふ事に就て語つた。「真」とは此場合に於ては「誠実」又は「実行」であると云うた。実行是れ有力なる祈祷である。此祈祷を以てするにあらざれば聖霊の恩賜に与る能はずと云うた。意味は平凡であつたが、必要なる説教であつたと思ふ。午後は加拉太(68)書三章一-三節に依りて「新教と旧教の区別」に就て述べた。天主教会の人々が「内村は紙一枚にて天主教に来るべき人である」と云ふとの事を聞いて、其全然然らざる理由を述べた。余と天主教との差は紙一枚所か、二者の間に天地の差がある。余が今の新教会を嫌ふ理由は新教なるが故に非ずして、新教でありながら旧教化しつゝあるが故である。余は新教諸教会に入来りし天主教的精神並に行為を攻むるのであると云うた。畢竟するに、自己の幸福や安全を欲する者は天主教に行くぺし。自己は地獄に落されても神の正義の成らんことを欲する者に非ざれば、余輩と偕に歩む能はずと云ひて会員全体の決心を促した。今や所謂知識階級の人々にして新教を去りて旧教に走りし者あるに際し、此警告を発するの必要がある。去る者は去るべし、余輩は彼等を止めんとしない。然し乍ら内村と天主教とは近い者であるやうに思ふは大なる誤解である。余はルーテル、ツヰングリ、カルビンと偕なる者であつて、天主教にプロテスト即ち反対する者である。余は死すとも天主教に入らない、天主教に入る位ゐならば基督信者にならなかつた。本学期最後の講演として誠に気持の好きものであつた。
六月二十八日(月)曇 バビロンに行いた。書籍を買ふ為に。他に用は無い。恐ろしい所である。自分の如き者も中元と暮には支払に少しは忙がしい。但し世人の如くに塵埃《ほこり》を浴びて奔走するの必要なき事を感謝する。
六月二十九日(火)晴 久振りにてルーテル伝を読み気が清々した。彼は最も徹底したる信仰の所有者であつた。パウロの福音を解せし第一人者であつたらう。パウロの直弟子と雖もルーテル程彼を解し得なかつたであらう。ルーテルはパウロの再来と称して可なる大信仰家であつた。自分も今より四十年前に此信仰を聞いて起つた者である。然るに教会に此信仰なく、為めに彼等は自づと旧い道徳教に|あともどり〔付ごま圏点〕する虞れがある。|唯キリストを信ずるに由てのみ救はる〔付△圏点〕と云ふのである。実に大胆極まる信仰である。今の教会者や宣教師などの到底信ずる(69)ことの出来ない信仰である。願ふ全世界が我に反対するも我はルーテルの信仰に立ち得んことを。
六月三十日(水)雨 休暇が来りしやうに思はれ、ペンを投じて読書に耽つてゐる。今日は使徒時代史を百頁程読んだ。多くの六かしい問題を提供せらる。時に或びは信仰を動かさるゝ事ありと雖も天主教徒や聖公会々員に成りて一定の信仰箇条を奉戴するよりも遥かに増しである。|自由研究に由てのみ活きたる信仰は得らる〔付○圏点〕。
七月一日(木)曇 主イエスは我が義、我が贖、我がすべてゞある。彼は単に我が発生ではない。彼は我に神たるの価値ある者である。近代主義者に此事が解らない。彼等は歴史的に彼を知らんと欲して信仰の深みに達し得ない。教会にも反対であるが、モデルニズムにも反対である。
七月二日(金)曇 引続き使徒時代史研究。パウロに対する同情が益々厚くなり、自分もやゝ彼と同一の立場に在る事が判明つて大に慰められた。
七月三日(土)晴 那須利三郎翁東北巡遊より帰り、山形県鶴岡に於ける諏訪熊太郎君の伝道ぶりに就き委しく伝へて呉れ、涙がこぼるゝ程嬉しかつた。前号に於て為せる「東北は日本の尻尾なり」との暴言は取消さねばならぬ。神は到る所に福音の善き証明者を有し給ふ。人の力ではない、神の能である。聖霊に由り、イエスを主と呼びまつる事が出来て我等に他に何の資格なきも彼の善き証明者と成ることが出来る。人生何が幸福なりとて救主イエスを発見して福音の役者となりしに優さる幸福はない。其意味に於て諏訪君は最も恵まれたる人である。
(70) 七月四日(日)雨 朝丈け集会を催うした。来会者堂に満ちた。塚本はコリント後書五章二節に就て講じた。自分は同四章十六節以下に就て少し計り感ずる所を述べた。世には逆境のどん底に在り、病は癒されず、内外の迫害は止まざるに拘はらず、信仰は益々進み、伝道心に燃ゆる兄弟姉妹の在る事を述べた。竟《つま》る所信仰は境遇の結果ではない、聖霊の働らきである。病が癒されて信ずるのではない、癒されずして之に勝ち得て余りあるのである。基督教は境遇改善の途でない、|外なる境遇に超越する衷なる力である〔付○圏点〕。其点に於て真の福音と近代式の米国流の基督教との間に天地の差がある。我が信仰の兄弟姉妹の内に、最も気の毒なる境遇に在りながら、讃美の声高らかに、日々の生涯を送り他に歓びを分ちつゝある者の有るを知りて感謝に堪えない。福音は古い昔の事でない、今働らく能力である。まことに神は今、昔よりも遥かに著るしく此世に於て働らき給ふ。
七月五日(月)曇 基督教会はパウロの教の誤解より起つたものであるとのマクギフハト氏の説に同意せざるを得なかつた。パウロの信仰は余りに深くして、之を解し得る者は極くの少数者であつた。而かも彼の人格が余りに偉大なりしが為に、何人も其感化を蒙らざるを得なかつた。茲に於てか人は彼の教を誤解しつゝも彼の記臆を留めんとした。斯くして成つたものが教会の教義であつて、信仰の自由を束縛する強き縄となつた。まことにパウロに取り迷惑千万と云はざるを得ない。パウロを正当に解するならば今日の教会は有り得ないのである。近代の歴史的研究に由て此事が明白に成つて有難くある 〇山形県の或る信仰の友が多くの困難の内に在りながら喜んで村落伝道に従事しつゝあると聞きたれば、左の一首を送りて彼に対する我が同情を表した。
苦しみは内と外より寄せ来るも
讃美は高し出羽の村里
之と同時に、本誌前号掲載の「東北は日本の尻尾なり」との暴言を取消す。
(71) 七月六日(火)半晴 雑誌校正を待てども来らず、故に読書の外に孫女と遊んだ。むつかしい歴史研究のあいまに小児と遊ぶは何よりも好き楽しみである。
七月七日(水)曇 札幌より金沢常雄君の来訪あり、如何にして最も有効的に北海道に於てクリスチヤンとしての使命を果たさん乎との問題に就て相談を受けた。結局我等は教会制度を離れ、個人個人に独立し信仰を養ひ、又相互に助け励まし、成るべく静かにイエスの弟子たるの途を歩むべしとの議に一致した。堕落を極めたる北海道にも少数の神に選まれたる者が在る。彼等を教へ導くのが我等の責任である。御役人や此世の勢力者等はどうなつても可い。然し「神の赤子」を棄てはならない。我等ほ是等の「貧しき者」の為に生き又働かなければならない。斯く語りて感謝を以つて別れた。
七月八日(木)晴 久振りにて羅馬書が恋しくなり、其第十章を通読して大なる慰めと力とを得た。殊に第九節が有難かつた。「汝もし口にて主イエスを言表はし又心にて神の彼を死より廻らしゝを信ぜば救はるべし」と。「心に信じ口に表はせば救はるべし」と云ふのである。仏教の言葉を藉りて云ふならば信じて発する「南無」の一言にて救はるぺしと云ふのである。さうなくてはならない。研究も修養も要つたものではない。|信、表〔付○圏点〕、簡短の極である。之に由て聖霊が降る。行為が自づから出来る。平安と歓喜は茲に在る。感謝の極みである。
七月九日(金)晴 大なる興味を以てマクギフハト著『使徒時代史』を読み了つた。其六七二頁を一字余さず精読した。近頃此んな面白い書を読んだことはない。其パウロ観の如き満腔の同情を表せざるを得ない。此著を(72)為した故に著者が教会裁判に訴へられたと云ふのだから驚く。彼の属した米国長老教会と云ふのはそんな教会である。自分の如きも若し教会に属してゐたならば勿論異端論の故を以て訴へられたに相違ない。然れども此書が多数の識者に由て読まるゝ書であるを知つて著者を訴へし教会が多数の帰依を失ひつゝあるは明かである。異端の故を以て自分を責むる宣教師連は先づ此書を読んで見るがよい、彼等自身の立場が如何に脆弱なるを覚るであらう。自分と雖も凡ての点に於て著者と一致する能はずと雖も、然れども大体に於て著者の観察の誤まらざるを承認せざるを得ない。今日の教会が学者の裁判に於て其根本の立場を否認せられしは誤りなき事であると思ふ。
七月十日(土)晴 雑誌第三百十二号が出た。昨年三百号祝ひを為してより茲に満一年である。或ひは四百号に達するのであるかも知れない。驚くべきものは聖書である。他のものは滅びても是れ丈けは亡びない。どう考へても自分は善き仕事を択んだのである 〇栃木県人の或る部分の道徳心低落の実例を聞かされて慨歎に堪えなかつた。斯くまで低いとは今に至るまで知らなかつた。或点に於ては日本人中最低の民であると云うて可からう。然し彼等の内にも神に択まれたる少数の民あるを知つて感謝に堪えない。失望の中の感謝である。
七月十一日(日)晴 畔上と共に講壇を勤めた、来会者二百五十余名。今年は夏期転地の企なく、為に心が至って平安である。朝起きて小児を乳母車に乗せて犬のパロと共に近所を散歩する。午後は涼風に吹かれながら読書する。小児の笑顔と学者の思想とありて我が日々の生涯は至つて幸福である。
七月十二日(月)晴 好本督君の慫慂に因り支那伝道参加を復活する事に決し非常に嬉しかつた。斯かる事は結果を目的としては為すことは出来ない。「汝のパンを水の上に投げよ」との教に従ひ、成功を眼中に置かずし(73)て従事すべき事である。それにしても世には助けられたい人が多くして、助けたい人の尠ないには失望する。世界伝道参加と云ふやうな事を持出しても之に応ぜんと欲する者は滅多にない。「我が事業を助けて呉れ」「我が教会を助けて呉れ」と云ふ者のみである。実に厭に成つて了ふ。
七月十三日(火)半晴 今日も亦一二の教会問題を持込まれて困らせられた。教会はどう見ても厄介物である。今や「教会と云ふものは無い方が宜いのではありますまい乎なー」との言を度々教会の人達より聞く。彼等の多くが教会を持余してゐる容子である。教会は彼等の進歩を妨げ発展を阻害する。実に気の毒千万である。然し乍ら自分より進んで教会を廃せられよと勧めることは出来ない。駄目とは知りつゝも頼まるれば|教会は教会として〔付ごま圏点〕助けて上げねばならない。辛らい|つとめ〔付ごま圏点〕である、然し辞する事はない。教会は今日まで未だ曾て一回も自分を助けて呉れた事はないが、自分は今日まで幾回も教会を助くるべく余儀なくせられた。そして教会に不信者扱ひにせらるゝのだから面白い。
七月十四日(水)晴 庭前の木蔭に椅子を据へ、涼風に吹かれながら読書した。思ひを二千年の昔に馳せ、聖徒の努力を想像し、同情の念を禁じ得なかつた。神学的キリストと歴史的イエスとの区別を認めざるを得なかつた。前者は参考として価値ある者、後者は直に傚ふべき者である。イエスは教会並に神学の創作者にあらざりし事は何よりも明白である。
七月十五日(木)晴 気温九十度に達し暑い日であつた。俗用を弁ぜんが為にバビロンに行いた。プリマス兄弟派の宣教師某氏の訪問を受けた。相方の注意に因り事無きを得て感謝であつた。自分は勿論プリマス派の信条(74)に服する者にあらざる事を明白に述べた。欧米人は何れも生れながらのセクタリヤン(宗派者)であれば我等東洋人は自己の立場を守る必要からして、彼等欧米宣教師に接しておのづから宗派者たらざるを得ないと述べた。実際の所、宣教師に基督信者として目せらるゝ事は大なる迷惑である。彼等に信者として認められない事が真の信者たる何よりも善き証拠であると思ふ。
七月十六日(金)晴 暑気引続き強し。支那伝道参加を回復し、今日前年同様の金額を支那内地伝道会社に贈り、非常に気持が好かつた。之にて甘粛省蘭州と山西省平陽とに於て引続きクリスチヤンの医師が我等に代つて支那人に医療を施して呉れる次第である。神が此小慈善を継続すべく我等の志を励まし、又必要なる此世の財貨を賜ひし事を深く感謝する。
七月十七日(土)晴 引つゞき暑い日であつた。少し計りの読書を為した外に他に何も為し得なかつた。一人の来客もなく、只孫女と遊んだのみであつた。E・F・スコツトの『第四福音書論』並にR・ゼーベルグの『黙示とインスビレーシヨン』に多くの黙想の資料を供せられた。
七月十八日(日)晴 集会変りなし。畔上が「聖書知識の制限性」と題して語りたれば、自分も之に対して所感を述べた。聖書は天然の事、哲学の事、其他の事に就き示さゞる事甚だ多しと雖も、然し神の何たる乎に就ては明示して余りがある。我等は宇宙万物の根本にして其支持者なる神が我等を愛する父であることを明示されて他に何ものをも知らんと欲しないのであると述べた。
(75) 七月十九日(月)半晴 久振りにて片瀬江之島に遊んだ。相も変らざる俗地である。唯空気が新鮮なる丈けであつて他に何の善き事もない。多くの社会的研究を為して帰つた。我家に優さる所あるなしである。
七月二十日(火)晴 引きつゞき暑い日であつた。過去五十日間沢山に高等批評系の書を読み、益する所も甚だ多かつたが、損する所も亦尠くなかつた。然るに今日は計らずも宗教改革時代の偉人の伝記を読み、故《もと》の福音的信仰に立帰ることが出来て嬉しかつた。批評は壊つこと多くして建つる所は殆んどない。冷酷無慈悲なる宣教師の教会を壊つには益があるが其他に何の益する所がない。我が信仰はやはり改革者のそれである。基督教の中心点をパウロの羅馬書に於て見る信仰である。其処に我が信仰を据える時に我が霊魂が安全である。之に比べて見て近代の神学者が提供する信仰の如き、之を信仰と称する丈けの価値もない。ルーテル、メランクトン、ハイデルブルグ教義問答の著者等の信仰が慕はしくある。
七月二十一日(水)曇 久しく自分の講演を聴きし人にして近頃反抗の態度に出し者が、其友人に書き贈りたりしと云ふを聞くに、「僕がクリスチヤンに成るも成らぬも僕の勝手である」と。斯く言ひ得る所を見ると、此人は未だクリスチヤンに成らなかつたのである。人は欲《この》んでクリスチヤンと成ることは出来ない、成らざらんと欲するも成らしめらるゝのである。人は全能者に余儀なくせられてクリスチヤンに成るのである。信仰の此秘密が解らずして信仰を語ることは出来ない。成るも成らぬも勝手であると云ふ人は未だ成つた事のない人であつて、多分一生涯成らずして終るのであらう。信者に成らうと欲へば成れると思ふ人の如き、自分の講演会には一切来て貰ひたくない。
(76) 七月二十二日(木)曇 在留の米国人が英文雑誌に載せたる自分の論文を読んで怒つてゐると聞いた。然し自分の攻撃を待つまでもない、米国今日の状態は実に言語同断と云ふより他はない。東京朝日新聞ニユーヨーク特派員十九日発の電報は大略左の通りである。
驚くべき殺人事件がテキサス州フホートウオースの教会で行はれた。それはフランク・ノリスと呼ぶ進化論反対運動(フハンダメンタリスト派)の急先鋒で同地の有名なる牧師が去る土曜日神聖な教会の中で政見を異にする同地の有力者チツプを三発のピストルで銃殺した事件で流石の米国人もあつけに取られた。然も牧師は即日保釈を許され、日曜日には血なまぐさい殺人の現場であるその教会に集まつて来た無慮六千の善男善女に説教を試み、これに感動して悔ひ改めた男女が五名あつた。そして説教が終ると多くの信者はこの人殺し牧師の前にぴざまづいてその手にキツスし、あるひは感激のあまり彼を抱擁するといふ奇妙な光景が見られた。更にこの殺人事件の報が伝はるとニユーヨークの第一浸礼教会では早速殺人牧師ノリスに招待状を発して説教を頼み牧師は来月一日当地に乗り込んでくるといふ騒ぎである。
勿論新聞電報のことであるから其全部を信ずることは出来ないが、然し之に類したる事の他に在りしことを知るが故に、之を全然無根の報道として棄ることは出来ない。事茲に至つて米国の基督教は堕落の|どん〔付ごま圏点〕底に達したと云ふぺきである。基督教在つて以来斯んな乱暴の行はれたことはない。我等は米国の為に泣き、基督教の為に慨歎に堪えない。
七月二十三日(金)曇 午後大雷雨があつた。空気は清まり炎熱は去り、暫時に天地が一変したかの如くに感じた。夏の東京に在りても斯かる恩恵が下る。衆人と共に苦しみ又喜ぶ其愉快は特別である。
(77) 七月二十四日(土)曇 涼風吹き快き暑中の一日であつた。ゴーデー先生のコロサイ書論を読み、又復旧き信仰に立帰ることが出来て嬉しかつた。歴史的イエスを知つた丈けでは感謝と歓喜とはない。宇宙万物を其聖手に握り給ふ今在まし給ふ救主イエスキリストを信じ、彼を心に宿し奉るまでは信仰らしい信仰はない。近代の批判的聖書研究は沢山の事を教ゆるが、此根本的真理を伝へない。其内に在りて深き学識の立場より活ける主キリストを伝へて呉れるゴーデー先生は実に我が大なる恩人である。今日まで幾度か此瑞西国の先生に援けられしことよ。自分がキリストの国に往いて深き感謝を表さねばならぬ人の内の一人はたしかにゴーデー先生である。人世実は真のキリストを示して呉れた人に勝さる恩人はないのである 〇此日、三十年前に名古屋に於て知己に成りし米国美普教会の宣教師U・G・モルフ氏の訪問を受けて嬉しかつた。彼は愛蘭系の米人であるが故に、アングロサクソン族の英米人の如くに傲慢でなく、能く日本人を解し、我等に対し深甚の同情を懐き、見るからに気持の好きキリストに在る愛する兄弟である。米国宣教師の内に斯かる人がある乎と思へば意外に感ずる。彼の今日の訪問は友誼的訪問であつて、普通の米国宣教師が為すが如くに余に説法せんが為でなかつた。まことに珍らしい宣教師の訪問であつた。我等は数回固き握手を交へて再会を約して別れた。モルフ君は今は米国ワシントン州に在りて彼地の日本人を援け、彼等の為に闘ひつゝあるのである。
七月二十五日(日)曇 蒸暑い日であつた。朝は塚本と共に講壇に登り共に旧約ホゼア書第二章を講じた。今日も亦珍らしい外国宣教師の訪問を受けた。彼は我が南洋委任領土に伝道する独逸宣教師エルネスト・ウルリツヒ君であつた。厚い福音的信仰を有し、さすがは独逸人丈けありて教養深く、博き同情の人であつた。一面して主に在る愛すぺき兄弟であることが判明つた。依て此機会を利用し、世界伝道協賛会を代表し、少額の寄附を為して、我等に代つて南洋人に伝道して呉れるやうに彼に依頼した。美はしき信仰的交際であつた。ウルリツヒ君(78)の容貌までが南洋土人化してゐるを見て感激に堪えなかつた。宣教師たる者は斯くあらねばならぬ。日本にも斯かる宜教師が欲しくある。
七月二十六日(月)半晴 用事一先づ片附き、休養を得んが為に例の浅間山麓沓掛に来た。柏木とは打つて変つた静粛の地である。星野温泉の主人の熱き歓迎を受けて有難かつた。多分今年も亦此所で善き休みが得らるゝであらう。山田|鉄道《かねみち》君が同道して呉れた。今夜より柏木に於ては夏期講演会が開かる。若い人達に本城を委ねて自分は出養生をするなどゝは勿体なき次第である。
七月二十七日(火)晴 軽井沢に行いた。相変らず虚栄の市の夏の都である。沢山の宣教師の遊んでゐるのを見た。二里を隔て沓掛は静粛の里である。此所に在りて自分の為にも他人の為にも克く祈る事が出来る。夜、山荘の静けさにウイリヤム・チンデールの略伝を読んで感じた。彼はルーテルと同時代の人であつて、ルーテルが独逸に為した事を英国に為した。チンデールは英国民に英語聖書を供した、そしてそれが故に殉教の死を遂げた。英国民の今日あるは決して偶然の事でない。斯かる愛国者が出て、国民の良心を其の根本に於て潔めたからである。彼れチンデールの生涯は余が今日軽井沢に於て見た多数の英米宣教師のそれのやうな安楽呑気な生涯でなかつた。彼は全生涯を誤解と冷遇と嫉視との内に終つた。そしてルーテルの独逸語聖書に優るも劣らざる英語聖書を英国民の為に作つて、永久に彼等の福祉を計つた。偉大なる人よ。英国民の大恩人であつて、全人類の誇りである。
(79) 七月二十八日(水)半晴 スコツトランド国最初の宗教改革者パトリツク・ハミルトンの伝を読み、大に学ぶ所があつた。彼は二十四歳にして殉教し、革正運動の基礎を築いた。英国と云ひ、蘇国と云ひ、斯かる尊き聖徒の血を以て救はれたのである。之に較べて、日本の基督敦の如き、児戯の類であると言はれても仕方がない。自分の一生の如き、チンデールやハミルトンのそれに較べて、何の価値もない事が判明る。国に真の宗教を供するは容易の事でない。唯聖書知識を供した丈けで国は救へない。其為に生ける犠牲と成らねばならぬ。貧困や迫害を歎《かこ》つ位ゐでは到底キリストに在りて国を救ふ者と成る事は出来ない。それにして 福音の為に少しにても苦しむ事が出来て感謝の至りである。
七月二十九日(木)雨 著書の校正に全日を送つた。チンデール、ハミルトン等の伝記を読み、福音の為に苦しむの必要を切実に感じた。福音を説く丈けでは国をも民をも救ふ事は出来ない。キリストに傚ひ民の罪の為に購ひの血と涙とを流さねばならぬ。キリストの苦難の欠けたる所を補はねばならぬ。彼の霊を宿して此罪の世に在りて苦しむのが当然である。パウロが曰ひしが如くに「生くるはキリスト」である。(ピリピ書一章廿一節)。人生を楽しむ為の生命に非ず、自身小なるキリストとなりて自分相応の十字架を担ふて世の罪を購ふ為の生命である。
七月三十日(金)晴 朝は沓掛滞在中の東京府第五高等女学校の生徒五十余名に対し基督教の話を為した。基督教は人をして其罪を知らしめ、彼をして心の根柢より謙遜ならしむる為に必要であると説いた。「さう説かるれば私も信者に成りたくありますが、然し実際に拝見したる基督信者の方々は他人の非行を挙ぐる事に熱心であつて、かゝる方々はどうして神様の前に出て祈祷なさるゝ乎、私には其事が解りません。斯かる実例を沢山に示(80)されて、私は信者に成りたくも成り得ないのであります」とは生徒監の某女史の感想であつた。彼女に対し厚き同情なき能はず、又彼女が信者に成り得ない充分の理由があると思うた 〇午後七時軽井沢に行き、彼地集会堂に於て井上伊之助君の台湾生蕃伝道後援会の催しに係る集会に出席し講演の役を務めた。来会者二百余名、内に十名程の外国人(宣教師ならん)を見受けた。土人教化の必要並に福音宣伝の幸福に就き一時間程話した。斯くて朝は所謂不信者に対し、夜は所謂信者に対して語つた。そして自分に取りては不信者に語るは楽しくあつて信者に語るは辛らくあつた。純日本人の誠実に訴ふる方が外国式の基督信者に語るよりも遥かにコンジニアル(意気適合)である。然し友人井上伊之助君の事業を助けると思ひ我慢して行つた。其結果として後はガツカリと疲れた。教会の人々に向つて語ることは成るべく免して貰ひたくある。此夜東京帝国大学の小野塚博士の山荘に客と成つた。
七月三十一日(土)晴 朝八時軽井沢を発し帰途に就いた。車中東京の或る日本基督教会の牧師某君と席を隣にし、種々《いろ/\》の事を聞いた。其内に故植村正久君が自分を嫌はれし事、又其理由を聞かされて故人に対し同情に堪えなかつた。遠からずして君も我も主の台前に立つことであれば、其時に万事は明白に成るであらう。植村君に対し殆んど終生の尊敬を払ひ、君と共に日本今日の基督教をして全然外国人の手を離れて独立ならしめんと欲し、多くの友人の忠告を退けて屡々君に提携を申込みし自分が、何故に斯くまで同君に嫌はれし乎、自分には今尚ほ未解の問題として残るのである。然しどうでも可い。万事は聖旨である。君をも亦誰をも怨まない 〇午後二時柏木の家に帰り、孫女の笑顔に接してすべての問題が解けた。「嬰児の如くに成らざれば天国に入る能はず」。茲に大神学博士以上の大教師が我が為に備えられたのである。
(81) 八月一日(日)晴 室内九十四度と云ふ本年第一の酷暑であつた。それにも拘はらず朝の集会に二百名近くの出席者があつた。自分はピリピ書一章二一節「我が生けるはキリスト、死するは我に益なり」に就いて説教した。午後より夜にかけての暑気甚だしく、唯之に耐ゆる外に何事も為し得なかつた。然し多くの人の為に福音を説く為に山を下り来り、彼等と苦熱を共にする事の大なる精神的満足なるを感じた。
八月二日(月)晴 昨日来「黒色青年聯盟」と肩書きしたる三人の訪問を受けた。無政府主義を唱道する為の運動費を寄附せよとの事であつた。自分は基督教の教師として斯かる運動に携はる事は出来ないと述べても容易に承知せず、彼等の要求を謝絶するまでには随分の努力を要した。世には色々の聯盟があると見える。教会聯盟があり、基督教青年聯盟がありて自分は何の関係もなく、時々其図々しさに困らせらるゝが、今日は又黒色青年聯盟に困らせられた。然し何れの青年聯盟も寄附金募集に熱心なる丈けは変りないと見える。自分が是等の人々に対して言ふ事は唯次ぎの一事である。即ち「諸君も私と共に日本人である、故に誠実と独立とを重んじ、諸君の主義方法に賛成し得ざる者の援助を求め給ふ勿れ。諸君の動機《モーチーブ》は諒とする、然し方法は私のそれとは正反対である」と。斯くして彼等の日本人の良心に訴へて彼等の要求を免して貰ふ。然し時々彼等に釣込まれて彼等の使役する所となりて臍《ほぞ》を噛んで悔ゐる。
八月三日(火)晴 暑中の校正日である。苦悩の一日であつた。然し印刷者のそれに此ぶれば軽き苦悩である。読む人は暑中の雑誌製作の苦痛を覚えて貰ひたい。ペンを執る者、活字を組む者、流汗滂沱たりである 〇午後六時半激震があつた。又復現世の不安を感ぜしめられた。
(82) 八月四日(水)晴 暑熱去らず堪え難き苦痛である。小児高熱を発し、苦熱以上の苦痛である 〇内村医学士より独逸オーベルアメルガウ発の絵ハガキに左の如く記してあつた。
……今日は受難劇を以て聞ゆるオーベルアメルガウ訪問、雨に降られ乍らも大いに愉快さを感じます。質樸なる風俗も米人の金に大分不純になりて来たとか。行く所としてアメリカ人の拝金宗に犯されざる所なし、なげかはしき事に存じます。
アメリカ人の金、全世界を亡びに導きつゝあるものは之である。何れの国の愛国者も凡て之を排斥せんとして居る。恐るぺき者は之である。
八月五日(木)晴 小児の病気快方に向ひ、稍や愁眉を開いた。弱き幼なき者の苦しむを見るは自分が苦しむより遥かに辛らくある。斯くして神が我等の罪に苦しむ状を見たまふ其御心が察せらるゝのである。「其独子を賜ふ程に世を愛し給へり」と云ふが即ち此御心であると思ふ。
八月六日(金)半晴 雑誌八月号の校正を終つた。初刊以来此んな暑い校正を為した事はない。殊に家族と共に小児の看護を為しつゝありし間に為せし校正であつて特別に骨が折れた。例に由つて例の通り「校正恐るべし」である。
八月七日(土)曇 昨日小雨あり、今日は久振りの清涼の一日であつた。新聞紙は相変らず厭な記事を以つて充つ。争議又争議である。国は国と争ひ、民は民と争ふ。何時また世界戦争が始まる乎判らない。内にも外にも人は人の敵である。支那人は支那人の敵である、日本人は日本人の敵である。基督信者までが相互の敵である。(83)今日此際ゴーデー先生の「エペソ書論」を読み非常に有難く感じた。神のエクレジヤに於てのみ本当の平和と一致とがある。そしてそれが今日の所謂基督教会でない事は明白である。
八月八日(日)半晴 朝の集会に二百名余の出席者があつた。塚本が「イエスに対する悪口」と云ふ題にて話した 〇独逸ミンヘン市の出版業者A・アルバース君より第二回の書簡が達した。十三頁の長文である。自分が彼に送りし手紙と孫女と共に撮りし写真とがロマン・ロランド、ニイチエ夫人(彼女は今や八十歳の老齢であると云ふ)、其他ストラスブルグ、バーゼル、ベルン等の知名の文士思想家等の間に持廻はられしとの事である。欧洲に在りては出版業者は著者と対等の交際を為す者であれば、アルバース君に由て自分が欧洲の大文学者達に紹介されつゝある次第である。アルバース君は又深い思想家であつて、同時に最も忠実なるキリストの僕である。彼は言ふ「実体は宇宙に非ず、我等クリスチヤンの衷に宿り給ふイエス・キリストなり」と。彼は又全般的基督教を排し、具体的基督敦を称揚する。彼は曰ふ
具体的基督教はタルソの猶太人パウロの基督教である。阿弗利加カルタゴの修辞学者アウガスチンのそれである。独逸マンスフエルトの百姓の子ルーテルのそれである。丁抹国コペンハーゲンの敬神家を父母に持ちしキルゲゴーのそれである、而してまた日本人たる内村のそれである。
と。まことに名誉の至りである。アルバース君の如き人に、以上の人等と共に併び称せらるゝは教会より神学博士の称号を貰ふよりも遥かに大なる名誉である。「|信〔付○圏点〕孤ならず必ず有隣」と称すべき乎。
八月九日(月)曇 今日もまた涼しい日であつた。斯かる日があるから下界の人は助かる。高知県の某地より左の如き通信があつた。
(84) ……常に田舎に居る私共に対し此上なき喜ばしき福音を御伝へ下さる事を深く感謝致します。当地は小さい村落で幸か不幸か煩瑣な教会や、それに関する何物もありませんので、只月々送らるゝ貴誌によつて一同が養はれて居ます。一週三回づゝ同信六七名の者の家を廻り持ちで集会し、常に主と先生とが中心にて慰まれてゐます。
余輩は他にも斯かる集会の在るを知つて居る。大教会は作り得ずと雖も、斯かる小集会が出来れば充分である。初代のエクレジヤ(教会)なるものが斯かる集会でありし事は新約聖書が明かに示す所である。本誌は主として斯かる人達を目的として発行せらるゝものであつて、余輩は教会の人達に嫌はるゝ事を反つて喜ぶ者である。
八月十日(火)晴 久振りにてテモテ前書全部六章を精読した。偉大なる書である。パウロが書いた乎否は別問題として、聖書の中に含まれて少しも耻かしからぬ書である。之を羅馬天主教会や英国聖公会の制度を維持する為の書と見るが故に厭になつて了ふと雖も、斯かる書でない事は平信徒の常識を以つて一読して明かである。一章十二-十七節、六章十一-十六節の如き実に雄大と称せざるを得ない。
八月十一日(水)晴 引続き暑い日であつた。テトス書を通読した。雑誌第三百十三号を発送した 〇基督教界の人物の一人として植村正久氏小崎弘道氏と併び称せらるゝの苦しさよ。自分は元々そんな者ではない。自分はレベレンド(教師)ではない、自分は只一人のイエスの弟子である。自分は教会を作らんとしてキリストを信じたのではない、自分一人が救はれんと欲して信じたのである。そして其信仰を告白したる結果として多くの人々に教師として仰がるゝに至りしは自分に取り不幸此上なしである。自分が宣教師に遠ざかるは主として|彼等に愛せられざらんが為である〔付△圏点〕。宣教師に愛せられて彼等の教会に引込まれて其坊主に為られん事を恐れてゞある。自(85)分はアモス、ヱレミヤ流の信者である。何よりも教職たるを恐れ且忌み嫌ふ者である。
八月十二日(木)晴 又復暑い日であつた。テモテ後書を読みし外に何事も為し得なかつた。苦熱と闘ふが唯一の仕事であつた。
八月十三日(金)晴 小児の病を癒さんが為に家族四人打揃ひて浅間山麓の山荘に来た。久振りにて涼風に触れて一同蘇生の感があつた。此所にまたペンが動くであらう。避暑の為の避暑は勿体なくして自分には為し得ない。病を養ふ為か仕事をする為かである。願ふまた此涼しき所に於て我主の為に何事か為し得ん事を。
八月十四日(土)晴 山荘清涼の一日であつた。校正、文通、読書を為した。神の聖意と云ふ事に就て考へた。何事も人の意志が成るのではない。縦令帝王の意志たりと雖も、又は議会の決議に現はれたる国民の意志たりと雖も、それが成るのではない。成るものは神の聖意のみである。縦し自分が全力を尽すと雖も人一人を信者に成すことは出来ない。自分は唯祈つて神が彼に信仰を起すを待つのみである。|人の無能に対して神の全能がある〔付○圏点〕。そして人は思ひ煩ひて其生命を寸陰も伸べ得ざるが故に、彼は憂慮を去つて唯祈つて待望むべきである。茲に於てか毎日新聞紙を読んで世の成行を推測するの如何に馬鹿らしき事なる乎が解る。それよりも聖書を読んで神の聖意を識るの遥かに優されるを知る。
八月十五日(日)晴 山荘に簡短なる聖日の礼拝を行うた。来会者二十五名程、内に東京富士見町教会の関係者が多かつた。讃美歌祈祷の後にエペソ書第二章を読み、其十四節以下に就いて感想を述べた。信者は一体であ(86)るに止まらず新らしき一人である、One new man であるとの大なる真理に就て語つた。我等は何を廃しても聖日の祈祷讃美を廃する事は出来ない。教会関係の如き問ふ所でない。
八月十六日(月)半晴 高原の霊気に励まされて近頃に珍らしき程働くことが出来た。自分の人格や品性に慄らずして自分を去る者多き由を聞かされて斯かる人達に対して気の毒の感に堪えなかつた。此国に理想的人物を漁りて止まざる人の多きを歎ぜざるを得ない。何故に直に神にして人なるキリストイエスに到りて無上の満足を感じないのである乎。自分の如き者を完全の人なりと思うて頼り来りし事が其人達の不覚ではない乎。自分は自分の著書に由りて自分の罪人なるを表白したる外、自分の完全を表明した覚えは更らに無い。故に自分に頼る人には今日直に自分を去つて貰ひたい。|唯日本人として君子の道に順つて去つて貰ひたい〔付△圏点〕。自分の要求する所は唯それ丈けである。
八月十七日(火)霧 休養の一日であつた。塚本東京より来り、山田鉄道偕に在り、浅間山麓柏木と異ならず。原稿、校正、通信等平常の通りに行はる。唯苦熱の闘ふべきなく、万事よく捗り至つて幸福である。軽井沢とは掛けはなれ、近代人、ブルジヨア、宣教師の悪感化は少しも蒙らない。先づ以つて恵まれたる境遇である。
八月十八日(水)雨 軽井沢に行つた。又復熊本のミス・リツデルの款待に与かつた。幾度会うても謙遜なる偉らい婦人である。彼女が英国婦人であり聖公会の信者である事を忘れる。彼女がたゞ日本二十万人の癩病患者の母である事のみが自分の目に映ずる。少しなりとも彼女の事業に参与する事が出来て感謝である 〇リツデル女史を辞して故島田三郎氏の遺族を訪ひ、茲に小婦人会が開かれ、信仰と日本の教化とを語り、七時沓掛の山荘(87)に帰つた。軽井沢に清き義しき一面のある事を疑ふことは出来ない。
八月十九日(木)半晴 昨夜大雨、今日冷気到る。日本の現状につき多くの恐るべき事を聞かせらる。若し此儘にて進行せば亡国の外はない。然し神在まし給ふ。今日まで導き給ひし彼は此先きも導き給ふ。クリスチヤンは社会を社会としてのみ見ない、神が導き給ふ者として見る。社会以上の勢力の働らきを望み且信ず。故に社会の悪事を聞かされても心を落さない。
八月二十日(金)曇 高原の冷気去らず、却て低地の幸福を思ふ。手紙書きが重なる仕事であつた。是れ又為さねばならぬ事である。手紙を書いて一人に語るよりも原稿を書いて万人に語るの優さるを思ふことありと雖も、又一人一人に語らねばならぬ場合がある。手紙を書くために時々山に来る必要がある。
八月二十一日(土)曇 長野在留加奈太メソヂスト派の宣教師ダニエル・ノルマン氏の依頼に由り夜七時半より軽井沢日本人教会に於て講演を為した。来会者堂に満ち二百四十人有つたとの事である。五十年前の札幌に於けるウイリヤム・S・クラークの伝道に就て述べた。序に日本の基督教は主として日本政府が招聘せし外国教師に由て伝へられたものであつて、外国派遣の宣教師に由て伝へられたものは其次ぎに位ゐすべきものであるとの事を述べた。故に縦し今日外国宣教師が悉く日本を去るとも日本に於て基督教は決して消えない、日本の基督教は支那印度等のそれとは異なり、日本人の基督教であつて外国人の基督教でない事を語つた。宣教師に頼まれながら斯かる講演を為して気の毒に思うたが事実であるから止むを得ない。一時間半の講演を聴衆は動きなき注意を以て聴いて呉れた。日本の軽井沢に在りて「日本人教会」と云ふが如き、実に気持の悪い事である。
(88) 八月二十二日(日)半晴 昨夜軽井沢友人の家に一泊し、朝沓掛に帰り、例の通り朝の礼拝を行うた。出席者二十人、塚本司会し、我が意に適ふ外人臭味のなき会合であつた。
八月二十三日(月)曇 内に在りて原稿書きに従事した。歴史は預言であると云ふ事に就て考へた。預言は国民人類に関はる神の聖意である。そしてそれが事実として現はれたるものが歴史である。歴史は人の行動でない、神の聖意の実現である。そして其聖意を前へ以つて伝ふる者が預言者である。
八月二十四日(火)半晴 自働車一台を雇ひ、之に家族一同六人を乗せて霧の軽井沢に行き、宣教師並に東京人の夏の都なる此町の盛況を見せた。一同一度見た丈けで沢山である。我等は斯かる所に止まるを欲せずとの感を懐いて沓掛の山荘に帰つた。柏木が東京の郊外であるが如くに沓掛は軽井沢の田舎である。それ丈け不便で、精神的に清潔である。
八月二十五日(水)半晴 昨夜大雨、今朝霽る。山荘に在りて雑誌編輯自分受持の分を終る。孫児は遊びに疲れて側に安々と寝て居る。裏山の小屋に於ては塚本は遠近の教友五六人を相手にして聖書の講義を為して居る。 〇南洋瓜哇在住の教友加藤長次郎君山荘に訪来り、彼地の風土物産等に就き種々と話し呉れ、大なる興味を覚えた。殊に島民三千五百万が、マレイ人支那人アラビヤ入の別なく、日本人を尊敬し、亜細亜の独立興隆を日本の先導に期待しつゝあるとの事を聞いて感激に堪えなかつた。日本は日本の為に重要なるのではない、亜細亜の為に然かあるのである。西には支那あり、南には馬来群島ある日本は大に其方面に発展すべきである。
太平洋の此(89)岸に此楽土あるに、何を好んで排斥を犯して彼岸に伸びんとする乎。ジヤバ、スマトラ、ボルネオ、セレベス、ニユーギニー、ハルマヘラ等、其多くは未墾の地である。世界は広くある。神を信じて世界を家とすれば、日本人発展の余地はまだ幾らでもある。
八月二十六日(木)晴 久振りの晴天である。或人に何れの職業が信仰維持に最も困難である乎と問はれたれば、|伝道である〔付▲圏点〕と答へた。まことに伝道に従事して信仰を落さない人は偉らい人である。多分伝道界ほど霊的悪事の行はるゝ社会は他にあるまい。其点に於て政治界商業界は遥かに増しである。伝道師が相互を嫉み苦しめるを見ては堪へられない。若し之が基督教であるならば直に之を棄てたく思ふとの観念が起る。自分の如きも幾たびか此誘惑に襲はれた。そして今日と雖も教役者界に出て信仰の動揺が始まる事が屡々ある。基督教の教師と成りて単純の信仰を維持する事の出来るは全く神の恩恵に由る。最も同情を表すべきは伝道師の立場である。彼は何人よりも自己の信仰を維持する為に戦ふ者である。
八月二十七日(金)晴 新聞紙は左の海外電報を載す。
ハーバード大学名誉総長チヤールス・ウイリヤム・エリオツト氏は二十三日当地(メイン州ノースイースハバー)に於て逝去した。行年九十二歳。
感慨に堪えない。是で古い米国は全く去つたのである。残るは今や全世界を毒しつゝある新しい米国である。自分はエリオツト氏に唯一回東京三田四国町の惟一協会に於て会うた事がある。氏はユニタリアン教会の巨頭であつて、自分とは信仰を異にする人であつたが、然し氏に対し深い尊敬を払はざるを得なかつた。詩人ローエル、(90)同ロングフエロー、改革者ガリソン、哲学者ジヨン・フイスク、説教師パーカー、ヘール等の偉人を出せしユニテリヤン教は決して賎しむべき者でない。自分の如き多くの善き感化を彼等より受けたる者である。茲に彼等の最後の代表者たるエリオツト氏の訃に接し、遥かに新英洲の山河に向つて深厚の弔意を表せざるを得ない。
八月二十八日(土)晴 高原の温度室内にて八十四度。人生有難い事は多くあるが、最も有難い事は神が在まし給ふと云ふ事である。神在まし給ふが故に正義は必ず成り不義は必ず敗る。善は必ず賞せられ悪は必ず罰せらる。政治家の政略の如き省みるに足りない。神は厳格に公平であり給ふ。余の短かき生涯に於てすらビスマークや伊藤博文の如き世界的大政治家と称せらるゝ人々の政略が全然失敗に終るを目撃した。議会の決議の如き何の効力もない。|神在まし〔付○圏点〕給ふ。実に誠に有難い事である。
八月二十九日(日)晴 天晴れ、爽快なる初秋の一日であつた。米国コロムビヤ大学経済史教授シムコ※[ヰに濁点]ツチ氏著『イエスの了解に就て』を読んだ。イエスを歴史的に了解せんと努めし最善の試みであると思ふ。イエスの時代を精知し、其内に彼を置いて見て、彼を明瞭に解することが出来る。其他の了解はすべて神学的であつて、之に一致の有りやう筈はない。そして我主イエスを解する為の史料の比較的に豊富なるを神に感謝せざるを得ない。ジヨセフハスとアポクリフアとはイエスを解するに方て必要欠くべからざる資料である。之を度外視してイエスと其福音を解することは出来ない。シムコ※[ヰに濁点]ツチ氏の書は暗示に富める小著述である。さすがは露西亜人であつて、其見方が新鮮で且深淵である。米国人なぞの到底及ぶ所でない 〇礼拝を行うた。来会者四十人、塚本司会し、自分はコリント前書九章十六節以下に就いて語つた。真の同情は自己が他に成りて考ふる事である。彼を客観して自己の主張確信を以て臨むが如き、決して彼を救ふの途でない事を述べた。大なる真理を語つたと思(91)ふ。
八月三十日(月)半晴 敵に勝つの唯一の途は之を愛するにある事を今更ながらに感じた。敵を憎んで彼は依然として敵として存するのである。英仏が独逸に勝つて益々独逸を恐れるの類である。愛は勿論服従でない、又妥協でない。愛は心に悪意を懐かず、敵の最善を計り且祈る事である。敵意を懐く事が大なる苛責である。我等は愛を以て敵意を逐出《おひいだ》し、先づ自己に勝ちて然る後に敵に勝つべきである。
八月三十一日(火)半晴 山荘は困雑する。八畳に六畳に四畳半に三畳と云ふ小屋である。其内に幼児を中心に七人の家族と同宿者とが集まる。其内にまた時々来客を迎へる。其内に在りて読書校正編輯をする。幼児の寝た時に一家静寂に入る。談話は凡て低声にて行はる。其時が執筆黙想に最も善き時である。山荘生活は簡易生活である。天幕生活に少しく勝さるに過ぎない。愛の養成に最も適してゐる。一年一度之を行ふは肉体の為のみならず霊魂の為に好くある。石油鑵にて竈を作り其内に山より拾ひ来りし枯木を燃《たき》て、土釜を以て米を炊て一同食するあたり、実に理想的である。隣りの軽井沢で外国人や上流社会の人達がコツクを伴ひ来りて都料理に文化生活を営むに較べて、浅間山麓の我等の生活はやゝ原始的であつて、それ丈け清潔である。
九月一日(水)晴 大震災第三周年である。沓掛に於て一回、軽井沢に於て一回、小集会を開いて記念した。感慨無量であつた。神を信じて災禍を転じて福祉となすことが出来ると述べた 〇軽井沢の市街に於て英国宣教師某に会うた。彼が自分を子供扱ひにするを見て憤慨した。英国人の傲慢無礼は今に始めぬ事であるが彼等を相手にして基督教の伝道の絶対的に不可能なるを感じた。我等日本の信者は協力して是等の宣教師に一日も早く日(92)本を去つて貰はねばならぬ。彼等が日本に在る間はキリストの聖名が汚さるゝのみである。
九月二日(木)曇 露人シムコ※[ヰに濁点]ツチのイエス観を読みて大なるインスピレーシヨンを得し後に、また露人ニコラス・アルセニーフの『神秘主義と東方教会』に於て大なる光明に接しつゝある。ロシヤ人は東洋人に最も近い西洋人である。故に最も能く東洋人を解する。彼等は東洋人の如くに感ずる。彼等の基督教は英米人のそれと異なり、東洋人の信仰を表現して誤らなない。今や露西亜帝国の破壊に由りて、高貴なるロシヤ人が全世界に散乱し、其高貴なる思想と信仰とを広く人類の間に散布しつゝあるは神の大なる摂理と称せざるを得ない。恰かも四百五十年前に東羅馬帝国の破壊に由りて東方文化が西欧に移り、文芸復興、宗教改革を起したと同じである。露西亜革命に其意味に於て文明的意義がある。我等は此際大にロシヤ人に学び、新文明を作り、新信仰に入るべきである。英米人の物質的文明、機械的信仰には我等は既に厭き果た。
九月三日(金)霧 引続きアルセニーフの希臘正教会の根本精神に就て読んだ。英米宣教師に由つて半亜細亜的迷信として伝へられし此教会に、深い慕ふべき神秘的真理の存するを教へられて、意外に感じたと同時に、爾《さ》うあるべきが当然であると思うた。唯万事の簡潔を愛する大和民族が正教会の表号的複雑に堪え得るやが疑問である。正教会が日本人の間に栄えん為にはピユーリタン的単純を採る必要があると思ふ。
九月四日(土)雨 暴風雨であつた。雑誌校正を了つた 〇正教会の教義に循へば、キリストの施し給ひし救は全人類全宇宙に及ぶ救であつたと云ふ。自分も度々さう思うた。若し信者の為のみの救であつたならば、誰が信者である乎との問題が起り、終に何人も救はるゝ者なしと云ふに至る。万人救済説は我が救を保証する為にも(93)必要である。キリストの復活を以つて宇宙万物の改造が始まつたと見て、基督教の宇宙的意義が明かに成つて有難くある。西欧の基督教は救を個人に限るの傾きがあつて、それが為に信者を偏狭ならしめた事は事実である。
九月五日(日)晴 二十人余りの同志と共に聖日を守つた。馬太伝十一章二十五節以下を主題として感想を述ぺた。敵を愛し、自己を識りて慾と名誉に死するが唯一平安の途であると語つた。
九月六日(月)半晴 午後大雨。小諸に行いた。病床の小沼五兵衛君を見舞うた。同君方にて木村熊二君に会うた。木村君今は八十一歳の高齢である。耳は聾せしと雖も元気は旺盛である。国を思ひキリストを愛するの情に至つては純武士的である。君はたしかに基督教界の元老である。君に対し我国の信者全体が挙つて尊敬を表すべきである。
九月七日(火)曇 秋の講演の準備を始めた。相変らず面白くある。いつに成つても変らぬは聖書の真理である。之に永久の興味がある。斯かる仕事を神より与へられて感謝の至りである。墓に入る日まで興味の衰へざる仕事である。実に有難くつて耐《たま》らない 〇瑞西ゼネバ在留、政務官前田多門君よりの書面に曰く
……外国に対し誇る所少き吾日本の事物中、是のみ(英文雑誌インテリゼンサー)誇りを以て示し得るを大なる喜びと致居候。但し示されたる外人は、初め吾が示すものが歌麿にあらず、広重にあらずして、彼等のものと自信して居る基督教其物を日本の自慢として、特にその為に雑誌まで作りて、見せつけらるゝに会ひ、一寸驚きを感ずる様に御座候得共、よく理由を説明致し内容を見せ候後は成程と納得仕候。
まことにさう有るぺきである。基督教の西洋逆輸出は我等の予ねて計画してゐた所であるが、然し小規模なりと(94)雖も、少しく行つて見れば、その決して容易でない事が判明る。然し逆輸出は早晩やらねばならぬ事は疑を容れぬ。
九月八日(水)晴 無事平穏の一日であつた。宿の主人曰く「内村さんの御弟子になれば生涯は無難だ、然しうまい事には当らない」と。明言と謂つべし。但しうまい事に当つてもまずい事に当つて之を失ふ虞がある。而して又うまい事に当らないとも限らない。自分の弟子を以て任ずる人の内に商売栄え、地位の益々高き者もある。さう|けなし〔付ごま圏点〕たものでない。内村宗に帰依すれば事業は必ず失敗とは限らない。成功した場合もある。考へて貰ひたい。
九月九日(木)晴 軽井沢に近江八幡のボリス君を訪うた。英文雑誌に対し深き同情を表して貰ふて有難かつた。今や英米人中基督教を棄てゝ仏教に|あこがる〔付ごま圏点〕ゝ者多しと聞いた。斯かる人達に対し我等日本の基督信者より基督教を説いてやるの必要がある。それにしても自国に基督教の崩れつゝあるを知らずして、我等に之を教へんと試みつゝある宣教師の心が解らない。
九月十日(金)曇 蒸暑し。沢山に原稿を書いた。了解を以て羅馬書九-十一章を読んだ。解るやうで解らず、解らないやうで解るのが人生である。凡ての生命が然りである。ハツキリと理学的に説明し得るものは生命でない。勿論人生でない。其心持を以て是等の三章を読めば其意味は明瞭である。
九月十一日(土)半晴 無為の一日であつた。為さねばならぬ事を為す時に成功がぁり、為す必要のなき事を(95)為す時に失敗多きことに就いて考へた。何事も為すべく余儀なくせらるゝまで待つて為すが成功の秘訣である。
九月十二日(日)半晴 秋晴れの麗はしき日であつた。浅間八ケ嶽より雲霧去りて、其雄姿を仰ぐを得て爽快であつた。此日久振りにて何の集会もなく、自分に取り完全の安息日であつた。大なる興味を以て Hastie's Theology of the Reformed Church を読んだ。著者の英国々教会(聖公会)の批判が痛快であつた。ツヰングリ、カルビンの精神を以て始まりたる日本基督教会、組合教会、バプチスト教会等に、ヘスチー氏が此書に於て主張するが如き精神があつたならば、自分も彼等と行動を共にする事が出来たであらう。カルビンが設けし制度のみが在つて、其精神が失せて了つたことは実に痛歎の至りである。
九月十三日(月)晴 山荘の温度八十七度〔約30.6度、入力者注〕に達し、稀れに見る暑さであつた。終日原稿書きに従事した。万人救拯説に大なる慰安を感じた。〔約37.6度〕
九月十四日(火)晴 山を去る準備にて多忙である。一ケ月の粗住、粗衣、粗食は一同に取り善き習練であつた。参考書とては皆無であるが、聖書がある丈けで説教も出来れば雑誌も書ける。孫女の健康を気遣ふ外に何の心配もなく、まことに福ひなる日であつた。山を下れば多くの厭な事が待つてゐる。然し福音を説きつゝ之に当るのであるから心配はない。然し変貌の山に於てペテロが主に曰ひしが如くに「主よ此所に居るは善し」である(馬太十七章四節)。
九月十五日(水)半晴 午後大雨。朝八時家族と共に山荘を引払ひ、午後二時柏木の家に帰つた。家を離れて(96)より三十三日、不在中の重なる出来事は無政府主義者の襲撃を数回受けし事と、飼育のカナリヤ鳥が死んだ事であつた。其他はすぺて平安であつた。不足だらけの山荘を去りて我家に帰りて殿様の御殿に帰つたやうに感ずる。殊に書斎に入りてテーブルに対する時は地上の天国である。
九月十六日(木)曇 老哲学者オイケン永眠の海外電報を読んで悲んだ。彼は自分の如き者にまで深き同情を表して呉れた。『余は如何にして基督信者と成りし乎』の独逸訳の出し時に、第一に之を読んで呉れた者の一人は彼であつた。又今年英文雑誌『インテリゼンサー』を出せし所、之に対してまた深厚の同情を表して呉れた事は本誌読者の能く知る所である。彼は近代に於ける唯一の基督教的哲学者であつた。齢八十歳にして大業を遺して逝いた。実に尊敬すべき人である。弔電を其遺族に送り、遥かに哀悼の意を表した。
九月十七日(金)大雨 雨を犯して英文雑誌社に行き、久振りにて編輯会議を開いた。その徐々として識者の同情を得つゝあるを見て喜んだ。数は少しと雖も其感化は多分『研究』誌以上であらう。まことに感謝の至りである。
九月十八日(土)曇 秋に入つて早々訪問客の襲来が始まつた。「西田天香とは如何なる人か先生の御意見を伺ひたい」と云ふ者、朝鮮に於て或る女学校を米国宣教師の手より独立したれば、其基本金募集に応じて呉れと云ふの類である。日本に純粋なる「訪問」なるものは滅多にない。大抵は自己の為に計る為の訪問である。故に厭に成つて仕舞ふ。何故に世界人類の為に相談に来ないの乎。
(97) 九月十九日(日)晴 麗はしい秋晴れの聖日であつた。朝は畔上と、午後は塚本と高壇を共にした。朝は来会者二百五十人、空席なしの盛会であつた。自分は「理想の実現」と題し、イザヤ書二章、九章、十一章に依り人類の理想の「ヱホバの熱心之を成し給ふべし」とある通り、神の大能に由り実現さるべき事に就て語つた。午後は百五十人、「聖書の全体」に就て述べた。創世記第一章と黙示録の終りの二章とを読み、聖書が永遠に始まり永遠に終る書である事を述べた。今秋第一の例会であつて相変らず気持の好い集会であつた。会員には何の通知を発せざりしも各自待ち設けたりとの気分を以つて争ふて出席した。自分に取りても三十年以上も継続し来りし此集会が今秋も亦勇み進んで之を始むる事が出来て感謝此上なしである。「ヱホバを俟望む者は新たなる力を得ん、また鷲の如く翼を張りて昇り、走れども疲れず、歩めども倦まざるぺし」とは此事であらう(イザヤ書四十章三一節)。
九月二十日(月)晴 久振りにて疲労の月曜日である。巣鴨宮下に田村直臣君を訪うた。不相変基督教界の現状につき多くを聞かせられた。聞く事凡て意外ならざるはなしである。此社界には依然として寛容もなければ罪の赦しもない。兄弟相苦しめ、相排斥するの状態である。是では教勢の振はぎるは無理はない。我等は「営《かこひ》の外」に出て我等の信仰を維持するまでである。
九月二十一日(火)半晴 朝鮮京城高橋慶太郎君より左の如き通信があつた。
昨日(十七日)当地に於て『聖書之研究』読者会を基督教育年会社交室に於て開き申候。会する者二十九名(内鮮人五名)、官吏あり、教員あり、牧師あり、救世軍士官あり、医師あり、会社員、銀行員、商人、理髪店主など、内村先生と研究誌とを中心として、祈り、歌ひ、語りて尽きず、中には第一号よりの愛読者も二(98)三あり、何れも研究誌によりて励まされ、慰められ、力附けられたる者、教会教派を超越して集まれる者、全く研究誌の力に候。再会を期し感謝の裡に散会致し候。
九州読者会に次いで朝鮮読者会開かる。此次ぎは何処にや。斯くして到る所に読者会を見るに至つて、落着いたる精神的復興が全国に始まるのではあるまい乎。何れにしろ感謝すべき事である。
九月二十二日(水)雨 孫女正子の第一回誕生日である。先づ少額の金を鎌倉保育園に送り、保育者なき孤児達に我等の喜びを頒つて貰つた。余《あと》は日本流に強飯《こはめし》をふかし、家族一同之に与りて彼女の強健なる成長を祈つた。
我家にをさなき者の生《でき》てより
天下の幼児《えうじ》は悉く我が孫として見ゆ。
そして彼等が生長する頃には日本国は如何《どう》なるであらう乎との心配が毎日我が胸に浮ぶ。|孫を愛するの愛は此国を善く為さんとするの努力に終らねばならぬ。是等の愛すべき幼児の為に善き国を遺して逝かねばならぬ〔付○圏点〕。
九月二十三日(木)雨 両雑誌の原稿成作で多忙である。日本人に向つてキリストの福音を説き、欧米人に向って基督教殊に非戦的平和の実行を要望する。日本人は憐まざるを得ずと雖も、欧米人は之を怒らざるを得ない。彼等欧米人は基督教を信ずると称して之を行はない。彼等は戦争を罪悪なりと認めず、公々然と之を行ふて耻ぢない。彼等が戦争を止むるまでは我等は彼等の遣はす宣教師を公然と斥けて可なりである。
九月二十四日(金)雨 正教会祭司某君の懇請に由り辞するに途なく、雨を冒して茨城県の或る村落へ講演に行いた。正教会所属の信者の催しにかゝる講演会ならんと早合点して行きしが自分の誤りであつて、実は普通の(99)村の青年会であつた。雨を冒して村の小学校に集り来りし遠近の人々凡そ四百人あつた。「宗教と人生」と云ふ題にて話した。宗教の何たる乎に就て諭ずるに方て余りに熱心に成りしが為に、聴衆中の老人達より「|あれでは我等に洗礼を授けて教会に引込む手段に成るから止めて貰ひたい〔付△圏点〕」との抗議が出た。自分は勿論そんな心算で言うたのでない、唯宗教を説いた丈で、特に自分の宗教を説いたのでないと弁解したが容れられなかつた。然らば「禁酒」でも説かん乎と申出た所、「それは猶更ら困まる」との事であつた。宗教は困まる、禁酒も困まるとの事故、自分も甚だ困まつて止むを得ず「土壌を愛するの愛」と云ふ事に就て語り、それで先づ無事に閉会することが出来た。実に風変りの講演会であつた。自分の長い生涯に於て斯かる講演会に臨んだ事は今度が初めてゞあつた。然し決して無意味でなかつた。日本今日の社会状態を能く語るものである。宗教禁酒の必要は感ずるが余り強く言ふて貰ひたくない。殊に村会議員と云ふやうな有力者の感情を害して貰ひたくない。何事も通俗的に穏便に行つて貰ひたいと云ふのである。実に微温《ぬるま》つこい、不徹底的な、懶惰な精神である。斯んな事で改革の実の挙らないのは勿論である。之に由て見ても、日本全国殊に其東北が亡国の危険に瀕してゐる事を認めざるを得ない。実に堪え難き悲歎である。此事を思ふて其村に長居する心も起らず、疲れるとは知りつゝも其日の内に家に帰つた。幸に汽車中に、往きも復りも米国レフホームド教会宣教師ミラー君と席を隣にし、米国の近代思想、並に同君の我国に於ける長い年月の実験談を聞き、大に教へられ、十時間の汽車旅行を有益に過すことが出来て感謝であつた。今後我が講堂以外に於ける説教講演は成るべく丈け為さゞるぺしとの決心を一層強くした。
九月二十五日(土)半晴 昨日の講演旅行にて大分に疲れた。宗教を聞けば洗礼を授けられて教会に引込まれるのではないかとの心配を村民にまで起させるやうに為した人達は誰である乎。欧米宣教師に使役せられて信者狩集めに従事する我国の職業的伝道師等ではあるまい乎。斯くて彼等は自己も天国に入らず、亦人々の前に天国(100)の門を閉づる者である。我等は此事につき村人を責むるよりも是等の浅慮なる伝道師等を責めざるを得ない。伝道は人を救ふ事であつて教会員を作る事でない。沃饒なる神の畑を荒す者は是等の職業的伝道師である。福音の為に、日本国の為に是等の人々に反省を促がさゞるを得ない。
九月二十六日(日)半晴 午前午後とも凡そ二百人の集会であつた。午前は詩篇百三十三篇、馬太伝十八章十九、二十節につき「団合一致」の幸福につき、午後は創世記の大意に就て語つた。「我が家」に於て語るの如何に易く、如何に楽しき事よ。外に講演して身心を労するよりも遥かに益である 〇今や社会に於て不思議なる事件が起りつゝある。三十五年前に自分を不敬漢と罵りて社会に訴へし帝大名誉教授、貴族院議員、文学博士井上哲次郎氏が不敬漢として一部の人より攻撃せられ、社会の問題と成りつゝある。それは同氏が其著書に於て三種の神器に関し不敬的意見を述べてゐる故であると云ふ。事の可否は知らずと雖も、変れば変る世の中である。三十五年前に誰が、井上哲次郎氏が不敬漢として日本の社会より攻撃せらるゝ時が到来すると思うた乎。然し是が世の中である。今日の忠臣が明日の国賊である。井上氏は三十五年後の今日、人に不敬漢として責めらるゝ事の如何に不愉快なる乎を覚られたであらう。同氏に対し同情に堪へない。
九月二十七日(月)晴 復たび夏が来た。室内温度八十度。来客多し。内に麑児島県徳之島に十年間独立伝道せる小沼(元松本)太平君があつた。彼地に於て福音が根ざせる実見談を聞いて非常に楽しかつた。教会や宣教師に無視せられつゝある間に斯くも確実なる伝道上の功績の挙るを見るに至つて感謝の至りである。神は我等を以てしても亦或る永遠性を帯びたる善き事を為し給ひつゝある。多分他の所に於ても同様の事が為されつゝあるので(101)あらう。
九月二十八日(火)晴 三菱造船会社技師桝本重一氏は本月廿三日山陽線に起りし鉄道大椿事の犠牲者の一人であつた。彼の家は日蓮宗であるが、彼の妻は基督教信者であり、彼れ自身が亦過る一ケ年程頻りに求道心を起し、自分の著書を読み、自分を慕ひ呉れしとの理由に因り、諸友人の勧めに由り、自分が其葬儀を務むることになり、市ケ谷教会牧師金井為一郎君と共に、今日午後二時より青山会館に於て基督教式の葬儀を行つた。三菱、海軍省、鉄道省関係の会葬者多く、会衆四百人余りあつた。自分は路加伝十三章一-五節に由り「災難是れ神の警告」なりと云ふ事に就て語つた。知らざる人達に対し、知らざる人に代つて語ることであれば随分と骨が折れた。然し一には犠牲者全部三十八人の葬儀を行ふと思ひ、二には信仰の立場に堅く立ちて動かざりし未亡人の志を遂げん為に、出来得る限りの力を注いで此六ケ敷き任務に当つた。そして金井牧師並に唱歌の任に当られし若き兄弟姉妹達と協力して滞りなく責任を果たす事が出来て感謝であつた。是れ亦神と日本国とに対し為さざればならぬ義務であつたと思ふ 〇帰途上渋谷に此たび八十八歳の生みの母を喪はれし旧友松村介石君を訪れ、君に対し深厚の同情を表した。今より二十年前に、余の父が眠りし時に、松村君は海老名弾正君と共に招かざるに駈つけて呉れた。そして自分と共に墓地まで棺の前に歩んで呉れた。其事を思ふて、今日松村君に会ふて胸が一杯になり、咽んで声が出なかつた。親の死目に際し表して貰つた同情は生涯忘れる事が出来ない。今日は松村君に対し|いさゝか〔付ごま圏点〕恩を酬ゐた次第である。
九月二十九日(水)晴 四五日来の連続の講演説教で大いに疲れ、何事も為し得なかつた。唯沢山にベルグソン哲学を読んで休養に代へた。近頃に至り益々教会の宗教の無能を感じ、其神学者等に由て書かれたる書籍を読(102)むことの全く無用なるを覚り、教会以外の学者の書いた書物を読みたくなつた。其点に於てオイケンやベルグソンの方が、神学者よりも遥かに有益である。又近頃に成り孟子を読出し、是れ亦非常に面白くある。最近哲学を読んで感ずる事は、其の何れもが行為を重んじて知識を軽んずる事である。行為に資する為の知識であつて、知識を得る為の行為でない。是れ主イエスの教へ給うた所であつて哲学は唯此旧い教義を科学的に証明するまでゞある。
九月三十日(木)雨 引続き多忙である。老いたればとて人は許して呉れない、色々と面倒の事を持込んで来る。自分を学者として取扱つて呉れる者は滅多にない。人を救ふ為の牧師か宣教師であると思ひ、学問以外の事を持込んで自分を困らせる。此世は到底俗世界たるを免れない。厭になつて了ふ、然し仕方がない。
十月二日(金)曇 人あり北海道某地より来る。キリストの再臨ありて今日本の或る宮様となりて在し給ふ。先生宜しく此事を唱へ、大々的政治運動を始むべしと云ふのであつて、純然たる宗教狂である事が判明つたから、静に諭して帰した。恐るべきは再臨の教義である。此教義程多く狂人を出したものはない。日本に於て再臨を説くは甚だ危険である。此深き美はしき教義は当分の間我国人に秘め置かねばなるまい。実に慨歎すべき事である。
十月二日(土)晴 ボイス・ギブソンの著に由りオイケン哲学を復習した。実に解し易き偉大なる哲学である。本質的に基督教哲学である。基督敦に哲学的基礎を与へた者と云ふ事が出来る。宇宙の本体は理想を行つて知る事が出来ると云ふのである。爾うなくてはならない。斯かる哲学者であつたが故に、自分の如き者の書いたもの(103)を興味を以て読んで呉れたのである。感謝に堪へない。
十月三日(日)晴 麗らかなる秋晴れの聖日であつた。朝は八分、午後は殆んど満員の集会であつた。朝はヨハネ伝七章七節其他に基き、「知と行」に就て語つた。行は確実に知る為の途である。単に知つて而して後に行ふに非ず、行つて而かして後に知るのである。又行ふて神に接して其援助に与るのであると云ひて、オイケン哲学の原理の説明を試みた。午後は青年男女二百余名の集会であつて、堂は鋭気を以て盈つるの感があつた。前回の創世記につゞき今日は出埃及記の大意並に中心的実理を紹介した。殊に此書に由りモーセ伝を学ぶの必要を力説した。自分までがアマスト時代の若さに返つたやうに感じた。青年に聖書を説く程人を若返らする事はないと思ふ。モーセの生立並に青年時代に就て述べて自分は今日|すつかり〔付ごま圏点〕若返つて仕舞つた。
十月四日(月)晴 平穏の一日であつた。外には種々の混乱のあるを聞く、然し幸にして目下の所、我等同志の間は平和である。平和の破るゝ場合は大抵は教会関係より来る。教会は争闘、紛糾、混乱の巣である、之に接して我等は其悪影響を蒙らざるを得ない。我等は君子の交際を求むる、そして教会は何んであつても君子道の行はるゝ所でない。今日も某教会の教師某君の訪問を受け、彼の教会の内状を聞かされて身の毛がよ立つ程恐ろしく感じた。
十月五日(火)晴 九州某地の日本メソヂスト教会牧師某氏と朝鮮咸興道某地の長老教会牧師某氏と相前後して来訪し、大に学ぶ所があつた。朝鮮人の方が日本人よりも遥かに真剣である。日本人は政略に長け、最も容易《たやす》く最も多くの信者を作らんと欲して、其手段方法を聞かんと欲するに対して、朝鮮人は今日まで自分の著書より(104)受けし利益に就て感謝し、併せて将来の友誼的指導を求めた。日本の教師は如何に見ても此世の才子であり、朝鮮の牧師はキリストの福音に生きる聖徒である。信仰的に見て朝鮮は日本内地よりも遥かに有望である。九州に在りては教会員は僅に三十人でありて米国宣教師の指揮を仰ぐと云ひ、朝鮮に在りては教会員は三百人であつて、外国宣教師よりは全然独立せりと云ふ。二者の間に雲泥の差ありと謂ふぺし。
十月六日(水)雨 蒸暑いいやな日であつた。出埃及記に就て考へた。荘厳偉大なる書である。其記事を歴史的事実と見るが正当であると思ふ。救は凡て神より出づ。我等は自分で何事も為す能はず、然れども神が為し給ふ場合には驚くべき事を為し給ふ。紅海の横断、マナの雨降は少しも不思議でない。聖書学者の学説を離れて聖書を解する事の如何に美はしきことよ。
十月七日(木)曇 昨夜々半より今朝にかけて、ヘスチー著『レフホームド教会の神学』の第四章を読んだ。我が信仰の根本を強められた。レフホームド教会の承継者たる「日本基督教会」の教師達に此信仰があつたならば、彼等が瑣細の事に就き争ふを止めて、世界人類の霊化の為に其全力を注ぐに至るであらうと思うた。彼等の凡てに此書の一読を勧めざるを得ない。
十月八日(金)雨 久振りにて会心の聖書研究に入る事が出来て楽しかつた。自分には、政治は勿論の事、社会改良、慈善、伝道までが向かない。何れも多少現世味が混《まじ》るからである。唯聖書の研究のみが出世間的で、清潔で、神聖である。義侠心に駆られて時々此世の事に携はりて恒に後悔する。聖書以外の事を以て此世を益せんとするが、自分が恒に陥る過である。
(105) 十月九日(土)雨 孫女の病気で心配した。老夫婦附添ひにて赤十字社病院に行いた。彼女を護る天使が天に在りて天父の聖顔を見てゐるとは知りながらも心配に堪へない。此は多分嬰児の安全を計るために神が我等の心に植附け給ひし本能であらう。在独逸内村医学士より善き音信があつた。
十月十日(日)晴 朝は百六十人、午後は二百人の集会であつた。朝は使徒行伝十五章「ヱルサレム会議」に就て、午後は利未記大意に就て講じた。孰れも力の要る講演であつた。両回の塚本の講演も有力であつた。我等の集会に於て歌は拙劣で、又別に社会事業らしきものは行はないが、聖書の講義丈けは優秀であると思ふ。万事に於て優等たる事は出来ない、唯神の言丈けに於ては豊富ならんことを期す。そして此目的を達し得て感謝の至りである。
十月十一日(月)曇 雑誌十月号を発送した。第一号が明治三十三年の発行であつて、今月で満二十六年である。今日は民数紀略の初めの半分十八章を通読した。まことに荘厳偉大なる書である。之を読んで身の震ふを覚ゆ。此書に依て神の畏るべき者である事が教へらる。キリストなる巌の影に隠れたくなる。そして此畏れが起らずして十字架の有難味は解らない。
十月十二日(火)晴 民数紀略の終りの半分を読んだ。偉人モーセに対し甚大の尊敬と同情と無き能はずであつた。旧約聖書の研究は我が青年時代を想ひ出さしめ、我が余生を全部此為に送らんとの慾を呼び起さしむ。今より後は個人並に地方に対する奉仕は断然之を謝絶し、墓に入る日まで此研究に我が残余の生涯を費さんとの決(106)心を起した。
十月十三日(水)晴 民数紀略の研究に多大の興味を覚えた。二十年間も書架に仕舞ひ置きしブユーケナン・グレーの該書註釈が今に至つて用を為し、自分に取りては多くの新らしい見解を得て嬉しかつた。高等批評と云ふて決して侮つてはならない。多くの困難い問題が之に由て解決せらる。民数紀略の面白味を知らない者は未だ聖書の貴さを味はうた事のない者である 〇札幌より宮部博士の来訪あり、連れ立ちて旧い同窓の一人なる渡瀬寅次郎君を其病床に見舞うた。祈祷を共にして別れた。五十年前の事が思ひ出されて三人涙を禁じ得なかつた。人生の夕暮に近づいてキリストの福音ほど我等を力づくるものはない。
十月十四日(木)晴 百万長者に成りたい者、爵位を貰ひたい者、貴族院議員に成りたい者、実に世は様々である。而かも斯かる者がキリストの名を以て呼ばるゝ人達の内に在ると聞いて更に驚く。然し乍ら自分の如きも今は幸にして斯かる物を求めざるに至つたが、素々斯かる賤しき望を懐かざる者ではなかつた。唯神の恩恵に由りて之を求めざるに至つたのである。何事も恩恵である。恩恵に由らざる自分も亦、利慾の人、虚栄の奴《やつこ》であつた。消え行く影を逐ふ人達を見る毎に、自分に降りし恩恵の大なりしを感謝せざるを得ない。
十月十五日(金)曇 英文雑誌『インテリジエンサー』十月号に自分が書いた「基督教と仏教」と題する短文が強く読者に訴へたと見え、知名の人達より同意賛成の辞を受取りつゝある。基督教と仏教とは同じく亜細亜に起つた宗教であつて愛と無抵抗主義とを根本とする。故に二者は相互の敵に非ずして、其反対に強き味方である。両教徒は互に手を携へて、西洋の侵略に当るべきである、即ち愛を以て凡ての事に争闘を事とする欧羅巴=亜米(107)利加主義に当るぺきであると云ふのが論旨である。斯くて自分は宣教師並に基督教会とは益々遠かりつゝある間に、他の方面に於て貴き強き同志を得つゝある。今や西洋殊に英米が東洋を排斥しつゝある時に、東洋人は愛を以て結合し、西洋人の無礼傲慢に応ずるの必要がある。問題は基督教対仏教ではない、東洋対西洋である。而かも悪を以て悪に抗するのでない、善を以て悪に勝つのである。
十月十六日(土)雨 陰鬱ないやな日であつた。朝四時に起き英文原稿を書いた。英語を以て我が思想を言表はす事を忘れないで有難つた。此日久々振りにて隣家の中田重治君の訪問を受けた。多くの珍らしき話を聞いた。内に同君が植村、田村、松村、内村の、世間で云ふ「基督教界の四村」を読み込みし大和歌一首があつた。左の如し
植〔付○圏点〕替《かへ》は過ぎて|田〔付○圏点〕は苅りおさめられ
松〔付○圏点〕はみどりに|内〔付○圏点〕は有福
まことに名歌である。ホリネス教会監督中田君ならでは作り得ぬ歌である。植村君は逝き、田村君は日本基督教会に帰復し、松村君は道会に栄え、内村は有福に暮らす、之で基督教界は平穏無事である。但し内村の有福と云ふは意味が不明である。彼が大地主と成つた事でないに相違ない。或は中田監督紹介の伝道寄附金には成るべく応ずるやうに努めて居るが故に、同君が自分を有福と見て取つたのかも知れぬ。或は教会宣教師よりは厘毛の補助を受けないが故にさう見られるのかも知れない。然し何れでも可い、常に生活の困難を訴ふる事なくして、恩恵の生涯を続ける事が出来て感謝である。此世の所有の高は別として内村は実に「有福」である。主イエスが何々は「福ひなり」と云ひ給ひし其意味に於て有福である。中田監督は好き歌を作つて呉れた。たゞ田村君の|田〔付○圏点〕が旧き日本基督教会に苅り収められた事は残念至極である。同君をして独立独歩の生涯を終らしめたかつた。然し(108)今と成りては仕方がない。残るは松村と内村である。二人丈けは教会に降参せずして終るであらう。一首を作つた。
植〔付○圏点〕さりし|田〔付○圏点〕面《おも》に秋の風吹きて
みどりは深かし|内〔付○圏点〕の|松〔付○圏点〕ケ枝
十月十七日(日)曇 午後晴。集会変りなし。午前はガラテヤ書二幸に由り、前回の使徒行伝十五章を補はんが為に「ヱルサレム会議の裏面」に就て述べた。牛後は「民数紀略の大意」に就て語つた。思ふやうに語り得ずして残念であつた。然し語るは語らざるよりも遥かに増しである。「我れ若し福音を宣べ得ずば禍ひなる哉」である。
十月十八日(月)晴 「米国人は日本人に宗教を教へ得る乎」と題する英文を書き終つた。「教へ得ず」と結んだ。之を英文雑誌の来月号に載せて外国人に示すであらう。如此くにして我が所信を世界に向つて発表する事が出来て感謝である。之も不完全ながらも英文を書く事を習つて置きしお蔭であると思へば有難い。
十月十九日(火)晴 疲労去らず、何事も為し得なかつた。唯古哲プラトーの有神論を読んで其壮大なるに驚いた。二千二百年後の今日、人類を教へて愆《あやま》らない。大なる思想を世に提供するは大なる事業である。米国流の大活動のみが大事業でない。今日の所謂基督教界の如き其点に於て到底昔の希臘人に及ばない 〇今日も亦『東京朝日新聞』の押売りに会ふて困難した。購読しなければ夜来て家を打毀すぞと云ひて脅迫する。是が帝都今日の状態である。気持の悪い所である。
(109) 十月二十日(水)晴 プラトーの倫理論に就て読み大に力附けられた。人は皆な神の傀儡である、王たり工たり択ぶ所はない、唯各自の役割を善く演ずべきであると。まことに其通りである。汝は斯く為さゞるぺからずと他人の世話を焼いてはならない。王たる者は忠実に王たるぺきである、商たる者は忠実に商たるべきである。唯各自の上に神が在して其の聖意を遂ぐるが為に使はれてゐる事を忘れてはならない。異教の哲学者の教ふる所は遥かに欧米宣教師等の教ふる所に優さる。読むべきは矢張り古書である。
十月二十一日(木)晴 四時間を賛し仏国製ヴイクトル・ユーゴー作『レーミザラブル』の映画を見た。悲劇の連続であつて心臓の痛みを感ずる程であつた。大作ではあるが其人生観は全然ラテン人種的で、随つて羅馬天主教的である。新教的の壮健なる所が欠けてゐる。然し乍ら映画の技術に驚くべき者がある。年毎に著るしき発達のあるを見る。之を能く用ひれば大なる教育機関である。
十月二十二日(金)晴 両雑誌の編輯に全日を賛した 〇孟子に左の言を読んで感じた。
城郭全からず、兵甲多からざるは、国の災に非ざるなり。田野|辟《ひら》けず、貨財|聚《あつま》らざるは国の害に非ざるなり。上に礼なく、下に礼なければ、賊民興りて、喪《ほろぶ》ること日なけん矣。
偉大なる言である。聖書の教を待つまでもない、二千二百年前の東洋に此教があつた。然るに之を顧ずして今日に至つたのである。「賊民興りて喪ること日なけん」の言を読んで我国の将来が憂慮に堪へない。
十月二十三日(土)晴 引続き小児の養育に困難する。僅か二貫三四百匁の体躯の健康を維持せんが為に我が(110)脳漿を絞らる。人間の生命の如何に貴きかゞ判明る。小児が無事に成長するは全く神の恩恵に依る。祈らざるを得ない。
十月二十四日(日)半晴 集会変りなし。唯如何なる理由にや朝の集会の出席者が二三十人減じた。一は午後の会に廻はつたのと、二には少しく会員資格を厳重にした為に退会者を生じた故であらう。そうであれば反つて感謝である。朝は使徒行伝十六章一-十一節を「福音欧洲に渡る」と題して講じた。午後は民数紀略十三章十四章に現はれたる信仰生涯の危機に就て語つた。二回とも気持好き集会であつた 〇雑誌『日本及日本人』十月十五日号に東京帝国大学名誉教授学士院部長貴族院議員正三位勲一等井上哲次郎氏が皇室に対する不敬の故を以て諸方より痛撃せらるゝを読んで不思議に感じた。其内に左の言をさへ見た。
神武天皇即位以来二千五百八十六年、其の間時の汚隆世の治乱なきにあらざれども、未だ嘗て祖宗の聖徳を誣罔し奉りしものあるを聞かず。又未だ嘗て、神器の威尊を冒涜せるものあるを聞かず、其の之あるは実に彼の哲次郎のみ云々
と。多分日本臣民として之よりも強い攻撃を加へられたる者はあるまい。然るに此井上哲次郎氏こそ明治の二十四年頃、自分を第一として基督信者全体の不敬の罪を天下に訴へた人であつた事を知つて実に今昔の感に堪へない。三十五年前の日本第一の忠臣愛国者が今日の日本第一の不敬漢として目せらるゝとは信ぜんと欲して信ずる能はざる不可思議である。自分の如き井上氏の痛撃に会ふて、殆んど二十年の長き間、日本全国に枕するに所なきに至らしめられし者に取て、井上氏今回の不敬事件は唯事とは如何しても思はれない。何にか其内に深い意味があるやうに思はる。斯く言ひて今日井上氏に対し怨みを報ひんと欲するのでない。自分の場合には痛撃は壮年時代に臨んだのであつて、之に由りて蒙りし傷を癒すの時があつた。然し井上氏の場合に於ては老年に於て之が(111)臨んだのであつて、傷を癒すの時の甚だ短きを思ふて、其事丈けは氏に対し深き同情無き能はずである。願ふ井上氏が此際男らしき学者らしき態度に出られ、立派に此難局を切抜けられんことを。
十月二十五日(月)半晴 他人の妻と情死する事が今尚流行する。有島は厭な例を遺して逝いた。毎日ラヂオを以て浄瑠璃や清元を聞かされる民が斯かる行為に出るは怪むに足りない。|姦婬とは特に他人の妻又は夫の愛を奪ふ事である〔付△圏点〕。人に対する罪として是れ以上のものはない。近代人は知らず識らずの間に罪の此どん底に陥りりつゝある。慨歎の極みである。
十月二十六日(火)晴 木村清松君世界一周旅行より帰り、其訪問を受け、種々の実見談を聞き、面白く且有益であつた。大抵は自分が想像した通りであつた。世界は善くなりつゝあるか悪しくなりつゝあるかは判明らないが、神が活きて在して、其聖意が行はれつゝある事は明かである 〇長き間病に悩める或る信仰の友より左の如き言を贈つて来た。
病を治す為に信仰をもつのでなく、信仰をもつ為に病が与へられたのである事をハツキリと天父に由つて解らされてからもう一年を経ました。絶対的信頼と従順との生活の有難さ楽しさも次第に深く知りつゝあります云々。
此は最も健全なる信仰である。斯かる信仰を賜はるは優かに病を治して戴く以上の幸福である。我も人も斯かる信仰に入りたくある。
(112) 十月二十七日(水)晴 不養生を為し、昨夜は睡眠を失ひ、今日は何事も為し得ず、貴き一日を無益に過して甚だ済まなく思うた。摂生は大なる義務である。肉体を傷めるは霊魂を汚がすに劣らざる罪悪である 〇或る地の或る婦人より左の如き感想が達した。
私が『聖書之研究』を愛読いたす様になりましてから彼是十五年程になります。……私は母の信仰により十歳の時に小児洗礼を受け、十八歳の時に信仰告白を致しまして〇〇日本基督教会の会員に成りました。其後『聖書之研究』を愛読致す前までは私の信仰は生温いものでありました。が研究誌を読んで居ります内に段々と私の信仰が変つて参りました。今までの生温い曖昧であつた事が神様に対して何とも申訳のないと云ふ様になりまして、私の魂に夜が明けまして美しい太陽が昇つて参りました。そして本当に十字架上のヱス様を仰ぎ見る事が出来ました。それ以来云々
と。以上は自分に取り有難い証明である。自分を以て「既成教会の破壊者なり」と云ふ神学博士の方々に斯かる実例を参考して貰ひたい。
十月二十八日(木)雨 台湾某地に明治大学出身の「学識高大」の某教会伝道師台湾人某氏と云ふが在る。其人が其附近に居る本誌読者の一人に語りし事は左の通りであつたと云ふ。
ハーそれだからいけない。あの人の雑誌を私も昨年まで読んでゐたが、どうしてもいけないから廃読して了つた。あの人は聖書を大に誤つてゐる者である。教会に排斥された結果あの人は無教会といふ異説を立たものである。あの人の説は実に冒涜が甚だしい。聖書に依ると古来教会はあつたものである。内村は其旨に背いてゐる。それは内村が元教会と衝突した為に基づく。決してあの人の説を信じてはならない。
と。そして尚沢山に自分を攻撃したとの事である。朝鮮に於ても同じ攻撃を加ふる宣教師並に伝道師が沢山ある(113)と朝鮮人某氏より聞いた。今に至つて自分で自分を弁護しない。唯幾たびか本誌で言うたやうに、|教会の信者達は成るべく此雑誌を読まざるやう自分より彼等に勧告する〔付△圏点〕。『聖書之研究』は主として教会外の人に聖書知識を供給するを以て目的とする。故に教会の人達には成るべく読んで貰ひたくない。教会に排斥さるゝ事は自分の最も幸福とする所である。
十月二十九日(金)曇 ヨシユア記を読み大なる力を得つゝある。聖書を素読する丈けで充分である。別に註解書は要らない、殊に旧約聖書に於て然りである。聖書に神の聖意を読んで此世の事はどうでも可くなる。新聞紙は唯目を通うす丈けであつて、注意を惹くに足る記事には一も見当らない。
十月三十日(土)半晴 校正と講演準備とにて相変らず多忙であつた。今日家族の者に語つた、西行法師は「願くは花の下にて我れ死なん、その|きさらぎ〔付ごま圏点〕の望月のころ」と歌つたが、自分は講壇の上か、テーブルに対しペンを以て原稿を作りつゝある間に死にたいと。多分神は自分の此願を納れて下さるであらう。如何でもよい問題であるが、語つた事を記して置く。
十月三十一日(日)快晴 聖日にして天長節である。朝は七分通り、午後は満員の集会であつた。使徒行伝十六章と、申命記大意とを講じた。殊に午後の青年本位の集会が愉快である。人に何んと評せられやうと、自分自身には毎日曜日の集会が無間の幸福である。縦し此上五十年の活動期限が与へられやうとも、自分の為さんと欲する仕事は尽きないと思ふ。差当り来年の末までの講演の題目は既に定まつてゐる。
(114) 十一月一日(月)晴 市内に於ては汎太平洋学術会議が開かれつゝある。目下の自分には関係の無い問題が議せられつゝあるが故に、自分が傍聴に出かける必要はない。然し斯かる重要なる会議が我が国に於て開かるゝに至りしは祝すべき事である。日本人は学術に於ても欧米人の後に落つべきものでない。必ずや西洋の学者の気が附かざる所に気が附き、世界の知識に大なる貢献を為すであらう。
十一月二日(火) 晴 朝早く起きてヨシユア記を読み了つた。勇ましい書である。殊に十三章一節に感じた。「ヨシユア既に年邁みて老いたりしが、ヱホバ彼に曰ひ給ひけらく、汝は年邁みて老いたるが尚ほ取る(征服す)ぺき地の残れるもの甚だ多し」と。我等各自も亦年老いて尚征服すべきものゝ甚だ多きを感ず。然れども神は我が後に来る人達を以てして征服を完うし給ふと信ずる 〇伊藤一隆氏と共に再び旧同窓の一人たる渡瀬寅次郎氏を彼の病床に訪うた。コリント前書十五章五十節以下を読み、祈祷を共にして辞し去つた。過去五十年が夢のやうに浮んだ。明治十年は昨日であつた、そして我等各自の此世の仕事を終へて神の召しに応ぜねばならぬ時が近づいた。然し自分はヨシユアと共に曰ふであらう、「他人は知らず、我れと我家とはヱホバに事へん」と(約書亜記廿四章十五節)。
十一月三日(水)晴 雑誌『日本及日本人』十一月一日号に又複文学博士井上哲次郎氏に対し多くの攻撃文が載せてあるが、其内に左の言を見た。
元来曲学阿世で来た男で、基督教攻撃も人気取りの為にし、学者として生命が長かつたのも巧みに泳いだからである。云々
嘗つては我が国体擁護と忠君愛国の学説を専売特許にしたる井上博士、今は反つて国体を冒涜する不敬を以(115)て世に問はれんとするに到つたのは、何んたる皮肉であるか。併し偽物は何時か終に其化の皮を表はす。彼の国体擁護と忠君愛国の議論は売名の為めであり、曲学であり阿世であつた事が今更ら顕然と剔抉されたのは痛快至極だ。
三十五年前には不敬の故を以て井上博士に痛罵嘲弄せられし我等基督信者は語らんと欲して語るを許されず怨みを呑んで今日に至り、或は眠りに就きし者もあつたが、今日に至り我等ならずして、前きには博士と共に我等を迫害せし人等が、今や彼に対して前述の如き言を発するを見て、我等は自己を弁護するに及ばず、弁護は之を「時」に委ぬれば足るとの事を益々切に感ぜしめらる。敢て茲に井上博士に対し歯を以て歯に報いんとするのでない。唯博士の知るが如くに、人生にネメシスなる者があつて、縦令微弱なる基督信者なりと雖も、時到れば其無罪は無罪として認めらるゝことを茲に告白する次第である。
十一月四日(木)曇 夜雨。十一月号の校正を終つた。トルストイ論文集の中より、「無抵抗に就て」、「宗教と道徳」、「宗教と道理」、「何故に人は自己を痲痺する乎」、「殺す勿れ」の五篇を読んだ。何れも大論文である。論旨明晰なること水晶の如しである。其内に幾度か「教会クリスチヤン」なる詞の使はれてゐるを見た。「教会信者」なる詞は自分が初めて作つたものであると思うたが、自分よりも遥か前に杜翁が使つてゐるを見て大に心を安んじた。彼に在りても「教会クリスチヤン」は悪い者である。彼は|基督教の最も悪い敵は基督教会である〔付△圏点〕と言ふて居る。故に此事に就て余を攻撃する教会の人達は先づトルストイ翁を攻撃すべきである。トルストイ論集を読んで何人も教会を尊崇することは出来ない。
十一月五日(金)晴 知人友人の間に病人が多い。同窓の渡瀬寅次郎君、同志の山口菊次郎君、何れも重態で(116)ある。其他病院に在る者、病床に臥する者挙げて数ふべからずである。疾病必しも罪の結果ならずと雖も、少くとも神の警告たるは明かである。疾病の由て来りし原因を探りて大に覚る所がある。そして其原因を取除いて大抵の場合に於て疾病を癒すことが出来ると思ふ。
十一月六日(土)曇 忙がしい日であつた。札幌時代の旧友伊藤一隆、宮部金吾の両君我家を訪ひ、自分と三人鼎座して今や危篤の状態に於て在る渡瀬英次郎君の万一の場合に於て我等の採るべき途に就て協議した。結極自分が旧友を代表して責任に当る事に議決し、其旨を夫人に通じた。斯かる協議を為さねばならぬに至りしに由て、我等の生涯の夕暮の近づいた事を知らしめらる。悲しい職務であるが、然し避け難き責任である。
十一月七日(日)半晴 集会変りなし。朝は「ピリピ書の一瞥」と題し、該書の要点を講じた。是は前回の行伝十六章のパウロのピリピ伝道の研究を補はんが為であつた。午後はヨシユア記の大意を講じた。此書を読んだ事のある人の尠い聴衆に説明するのであつて甚だ骨が折れた。前週は多く此世の俗事を持込まれ、それが為に心の平安を擾され、今日は思ふやうに熱心が注がれずして残念であつた。聖書を講ずるに方て、俗事に携はる程悪い事はない。
十一月八日(月) バビロンに行いた。長らく求めつゝありしリス・デビズ著「仏教時代の印度史」を探し当てゝ帰つた。其他は全く無益の一日であつた。国と社会の事を思ふ時に我心は混乱する。自分の完全なる平和は聖書の研究に於てのみある。然るに旧友や教会信者等が度々此平安より自分を引出して多くの苦痛を与へる。悪い人達である。
(117) 十一月九日(火)晴 近頃切に感ずる事は、日本人が依然として宗教家を馬鹿にする事である。彼等が宗教を必要とする時は、一生に唯二回ある。青年時代に苦学する時と死に臨んで平安を求むる時である。其他の時に於ては彼等は宗教を無視し、厄介物視し、成るべく之に携はざらんと努む。斯かる次第であれば、彼等に道を説くは甚だ気の進まぬ事であるが、然し神の命であれば止むを得ない。大抵の場合は無効であると知りつゝもキリストの霊に強ひられて之に従事する。
十一月十日(水)曇 汎太平洋会議を傍聴した。人類学部の講演が面白かつた。
十一月十一日(木)雨 青山学院講堂に於て農学士渡瀬寅次郎氏の葬儀が行はれた。自分は札幌時代の旧友を代表し一場の感想を述べた。君は自分と同窓同信の友であつたが、自分の伝道には何の興味をも有たれなかつた。東京在住四十年間、一回も自分の集会には出席せられなかつた。然し自分は君に対し此最後の義務を尽すことが出来て感謝である。然し惟り渡瀬君に止まらない 札幌の同窓にして自分の事業に同情を表して呉れた者は四五人に過ぎない、其点に於て渡瀬君は決して例外でなかつた。日本人全体が宗教家を要するは唯最後の場合である。そして自分が斯かる怨言《こゞと》がましき事を書き列ぬるを見て、彼等が異口同音に「彼は宗教家に応《ふさは》しからざる言を発す」と言ひて自分を責むるを能く承知してゐる。然し徳不徳は別として自分は茲に感慨有の儘を書き記さざるを得ない。但し札幌同窓が今日に至り自分を使ふて呉れる事を感謝する。
十一月十二日(金)晴 昨日の葬儀にて疲れた。官界、実業界、宗教界の何百人と云ふ人達に対し自分の誠実