内村鑑三全集8、岩波書店、600頁、4600円、1980.12.22
 
1900年(明治33年)
目次…………………………………………1
凡例
1900年(明治33年)
新年に際して佐渡人士に告ぐ………………3
憂国者の新年 他……………………………5
  憂国者の新年
  新世紀を迎ふ
  二たび新年に入る
  社員の変動
日本に於ける外交の困難……………………12
新年の感………………………………………14
『小独立国』の新年…………………………16
罵詈の命 他…………………………………18
  罵詈の命
  盲目の民
  軟躰動物国
  日本に於て富を作るの法
  清濁の別
  早熟の弊
  悪むべき基督教徒
我が今年の計画 他…………………………24
  我が今年の計画
  新思想を得るの途
時の兆候………………………………………26
年賀状…………………………………………29
虚偽的基督教徒………………………………31
偉人と読書(読書に関する古今偉人の格言)……34
  第一回〜第十二回
燈前沈思 他…………………………………70
  燈前沈思
  真理の実用
炉辺時事談……………………………………74
『道』…………………………………………77
百姓演説 人と人……………………………80
救はれざる人の心中 他……………………85
  救はれざる人の心中
  救はれし者の心中
名貸し商売……………………………………87
怒るまいぞ(新福音)………………………89
The Japanese Sympathy for England ……91
今日此頃 他…………………………………93
  今日此頃
  君子国に於ける正直の価値
  正義の賛成
英国に対する日本人の同情 他……………95
  英国に対する日本人の同情
  正義と腕力
基督教界の諸先生に告ぐ…………………102
近火…………………………………………104
現世の真価 他……………………………106
  現世の真価
  『行儀見習』
文久生れの感………………………………110
不平家を慰む………………………………114
『宗教座談』………………………………116
  口啓き
  宗教座談
第一回〜第十回
闇裡の光明…………………………………200
百姓演説 金と幸福………………………201
思想と文士と報酬 他……………………206
  思想と文士と報酬
  責任と能力
正直なる愚人 他…………………………210
  正直なる愚人
  『小独立国』の宗教
摂理の事……………………………………213
伝道の決心…………………………………227
神の愛するもの 他………………………229
  神の愛するもの
  平民の定義
  平民主義の真相
  破壊者
第三年期に入る 他………………………235
  第三年期に入る
  『自由党』
  支那主義
  人の愛と幸福
東洋の大地震………………………………242
我の物 他…………………………………245
  我の物
  我の事業
  聖憤
我を作る二元素……………………………247
予定の事……………………………………249
独立雑誌の最後……………………………265
『偉人と読書』〔単行本表紙〕…………267
故黒田清隆伯………………………………268
帰来録………………………………………272
主義の腐れ易き社会………………………274
秋の初陣……………………………………276
宣言 他……………………………………282
  宣言
  主義と主我
  耻辱と栄光
  ガラス的人物
  万全の策
  最も大なる慈善
  本誌の性質
  基督教と師弟の関係
  片々
聖書の話……………………………………290
  聖書と花
  聖書と宝石
基督教の真髄………………………………322
怕ろしい世の中……………………………325
東京独立雑誌廃刊の真因…………………327
誤解と疑察…………………………………330
創世記第一章―第八章……………………332
夏期講談会…………………………………429
北信侵入日記………………………………433
罵詈の注文…………………………………437
好ましからざる人物………………………439
『興国史談』〔目次・序文のみ本巻収録〕……441
  自序
  参考書目
  再版の序文
  再版に附する自序
社会小観……………………………………447
  日本人と金銭問題
  米国人の友誼
  現世の地獄=日本
  国家と家庭と個人
  義理
警世の発刊に際して友人松村介石に告ぐ……459
教界近状……………………………………461
住谷天来訳『英雄崇拝論』書評…………462
日々の生涯 他……………………………463
  日々の生涯
  余の敵人に謝す
  余の望む所
  最も善き聖書の註解
  天恩
  辛らき事三つ
  無感覚
本誌の発行に就て…………………………470
公開演説の効力……………………………473
或人に告ぐ…………………………………475
角筈村の今日此頃…………………………477
「研究」雑誌難産の実況…………………479
久し振りの日曜……………………………482
小善録………………………………………484
  小善の快楽
埋葬の辞……………………………………488
永生 他……………………………………491
  永生
  偉行
  表白
  クリスチヤンの勇気
  死生の別
  我の祈願
  真理
  宗教と政治
  救済
  目前の義務
  自救の難
  人の善を念ふの益
  基督信徒の敵
  敵人に対する基督教徒の態度
三たび信州に入るの記……………………497
独立苦楽部…………………………………503
宣教師大会…………………………………504
札幌独立教会………………………………505
十五銭では高いといふの説………………507
新聞紙の無勢力……………………………509
沈黙国………………………………………511
怕るべき者…………………………………513
高野事件……………………………………515
日本人の敵…………………………………516
小新聞たるの名誉…………………………517
余の学びし政治書…………………………519
  其一 聖書
  其二 コロムウエル伝
神の愛と人の愛 他………………………531
  神の愛と人の愛
  聖き捧物
  我儕の意志
  罪人の宗教
  罪人の伝道
  罪人の神
  我と神
  聖者の力
  名実の間係
  隠退の快楽
  クリスマス
詩篇第二十三篇……………………………537
聖誕告知の解………………………………548
国と人とを救ふ者…………………………557
別篇
  〔付言〕…………………………………………559
  〔社告・通知〕…………………………………561
 
(3)     新年に際して佐渡人士に告ぐ
                    明治33年1月1日
                    『佐渡新聞』
                    署名 東京独立雑誌主筆内村鑑三
 
 佐渡は北海の一孤島なりとて自から心に蔑しみ給ふ勿れ、佐渡は日本国の一部分にして又宇内の一要点なり、殊に西比利亜鉄道は本年を期して全通せんとするに当りて佐渡の島が日本国の休戚に関する要点となるは諸士の心に留むべき事なりとす。
 諸士亦た目下我国に於て称する政治家なるものに多く信を置く勿れ、彼等の多くは自利を画する者にして宇内の大勢に顧みて国是を定むるの明と心とを有せず、国家を彼等の手中に任しては其衰亡は免るべからず、余は諸士が新年と共に無智無謀の政治家の排斥に従事せられん事を望む。
 広く世界智識を求められよ、佐渡の繁栄は佐渡一国の事のみを思ふて達し得べきものに非ず、佐渡は人類全体の進歩と共に開明の域に達し得る者なり、狭隘なる我国の文部省教育が如何に国民を盲目漢に為せしかを思ふて、諸士は新年と共に新智識の開発に勉められんことを望む。
 余は能く佐渡新聞の主筆森知幾君を知る、君が今は故郷に在りて余が曾て君と共に語りし主義の為めに尽力せられつゝあるを聞て甚だ悦ぶなり、余は又少しく佐渡の山水を知る、余は其辺海に鰊魚を移殖せんと試みし者の(4)最初の者なり、余は佐渡の山水と共に其人心の益々壮美ならんことを願ふ。
    明治三十三年一月 東京角筈村に於て
 
(5)     〔憂国者の新年 他〕
                    明治33年1月5日
                    『東京独立雑誌』54号「感慨録」                    署名なし
 
    憂国者の新年
 
   『門松は冥途の旅の一里塚
      目出度もあり目出度もなし』
 新年になりたればとて必しも目出度き事を語るの要はなかるべし、目出度き事なきに目出度事を語る是れ幇間者流の為す所なり、目出たからざる事多き今日余輩は世俗に傚ふて祝辞慶語を放たんとはせず。
       *     *     *     *
 第十四議会なるものは開会中の由なれども余輩は其議事を読まんともせず、蓋は国利民福が彼等軟弱議員の討議に依て来らんとは決して信ぜざればなり、彼等の議するところ区々たる小事にあらざれば紛々たる醜事のみ、帝国議会なるものは今や日本に有て無きも同然のものたり、此無能議会有て余輩は慶語を放たんと欲するも得ず。
       *     *     *     *
 暦は新に年は革まれり、然れども民心は依然として革まらず、人は朽果つべき肉躰的快楽の外に形而上の無限(6)の喜楽あるを知らず、本願寺の門跡すら賤妓を落籍せしめて妾となすの今日余輩の慶賀すべき事は何処にある耶。
       *     *     *     *
 然り余輩は新年に入るも歓ぶ者に非らずして寧ろ悲しむ者なり、慶する者に非ずして弔ふ者なり、汝太平を謳はんとする者は謳へよ、余輩は真面目に我国の今日を想ひ見て歎声を揚ぐるの動機を一つも余輩の心中に発見する能はざるを奈何せん。
       *     *     *     *
 
    新世紀を迎ふ
 
 第二十世紀は来れり、余輩は謹んで之を奉迎す。
 余輩は勿論その如何なる世紀なるやを知らず、然れども之に就て唯だ一事を知る、即ち其過去の世紀の連続にして均しく進歩の世紀なること是なり、歴史は其大勢に於て決して逆流せず、二十世紀は過去六千年間の人類苦争の結果を全滅に帰せしむるの世紀にあらざるは瞭かなり。
 進歩とは勿論真理の進歩を謂ふなり。幸福の増進、智識の普及、自由の拡張、正義の勝利、是れ皆な進歩の現象なりとす、人類は新世紀の来ると共に※[さんずい+氣]車に乗るを歇めて徒行せざるべし、亦た書を燬て剣を事とせざるべし、亦た憲法政治を廃して君主独裁政治に回らざるべし、亦た道徳と宗教とを棄てゝ腕力と譎詐とに頼らざるべし、世に獣的時代の回復を予言する者ありと雖も余輩は断じて其説に同せず。
 猶ほ拓くべきの亜細亜大陸あり、其西北部一千三百四十万方哩は露人の手に依て人類の幸福なる住所と化せ(7)られんとしつゝあり、松花江沿岸六十万方哩の満州の泳野は今世紀間に於て一大麦園と成るを見ん、支那は保全せらるゝも或は果た分割せらるゝも今世紀の未だ其半ばに達せざる前に新文明は其広漠たる土地を襲ひ、鉄路数条崑崙の嶺を貫き揚子江の流を横ぎり、東洋思想を其根拠の地に破砕し、以てクロンウエル、リンコルンの唱へし自由平等の大義を天山以東大平洋に至るまでの地に布くに至らん、喜麻拉亜以南の二大半島は或は其迷信的仏教を廃し、或は其僧族的婆羅門教を棄て、理に合ふて然かも情に深き人類的教理を信ずるに至らん、土耳古若し其迷を解かずんば亡さるべく、波斯若し其愚を覚らずんば分たるべし、亜細亜若し自から改めずんば他の革むる所とならん、『時』は愛国的怠慢を許さず、第二十世紀は亜細亜の運命を決するの世紀ならむ。
 南阿に新共和国興りて黒人大陸の悉く英人の手に落つるを許さゞるべし、濠洲に新合衆国起りて人類の自由は更に一層の鞏固を致さん、両米の地既に自由の郷土となりてより茲に一百年、其再び強圧の手に渡されざるべきは勿論なり、第二十世紀は四大陸に跨る自由の蕃殖を以て開かるゝなり、其第十九世紀の始めに於ける半大陸の占領に此して如何なる進歩ぞや。
 第二十世紀は貴族制度の全滅か若くば著しき減殺を以て終るならん、蓋は進歩は権力の普及等分に外ならざればなり、権力が貴族を去て平民に移る時に進歩あり、英蘭二国の宗教改革の如き、仏国の革命の如き、日本の維新の如き一として此現象にあらざるはなし、新たに貴族制度の定めらるゝは確かに国家の退歩を示すなり、特権を有する貴族の進歩は人類全躰の退歩に異ならず、第二十世紀は過去六十世紀の大業を継ぎて貴族制度を剿絶するに至らん。
 国民的差別の減除の如きも新世紀に於て起るべき現象の一なるべし、人は其奉ずる主義に依て別るべきものに(8)して地理的位置又は人種的差異に因りて団躰を異にすべきものに非ず、最終の勝敗は善人と悪人との間に決せらるべきものにして、一国民と他の国民との間に争はるべきものにあらず、前世紀の末期に於て熾んに唱へられし愛国心なるものは今世紀の終りに於て空しく世の嘲弄物として葬られん。
 若し夫れ社会が要する他の改革に至りては土地所有権廃止の如き、通貨制度革除の如き資本家に対する利益制限の如きは其主もなるものなるべし、而して千五百年間の苦争の後に奴隷制度を禁歇し三百年間の流血を以て教権政権を両つながら覇者の手より回複せし人類は残余の弊事陋習をも全く除かでは止まざるべし。
 然れども其之を為すの法方は先づ吾人自身を革むるに在り、剣に依り党を結ぶの法方は他の弊習と共に棄却すべきものなり、第二十世紀は更に一層の精神的世紀なるべし、愛と真理とに基かざる改革は改革の如くに見えて改革にあらず、仁は身を殺して為すべきもの豈に他を害して行はべきものならんや、吾人は新世紀に於て嘗て詩人の夢想せし愛の実力を試めさんと欲す。
 
    二たび新年に入る
 
 本誌の世に現はるゝや曾て或る肥後人が評せし如くに「大形寥々の冊子、薄紙を格子に賠付したるが如きもの」なりき、余輩の敵人は其失敗を予言しき、余輩の友人は其夭折を憂慮せり、殊に余輩が前持主の手を離れし際の如き余輩の世事に暗きを見て余輩の知人にして余輩の前途を危ぶまざるものはなかりき、余輩と雖も勿論討死を覚悟して此戦闘に臨みし事なれば、余輩の失敗を預言する者あるを見ても余輩は些しも驚かざりき。
 然れども如何なる理由にや東京独立雑誌は未だ死滅せざるなり、啻に死滅せざるのみならず、歳と共に弥々成(9)長の兆を示せり、数千の読者は今も尚ほ誠実に余輩の事業を賛し、余輩も亦未だ余輩の言はんと欲する所を言ひ尽せしとは思はず、余輩は尚ほ数年の生命の本誌に賦与せらるゝを信ず、余輩は尚ほ懼れずして余輩の戦闘を継続せん。
 
    社員の変動
 
 佐藤迷羊氏は已むを得ず余輩を去れり、然れども彼は永く余輩の友人として、又本誌の寄書家として存するならん、彼に代りて入来りし者は記者の実弟なる内村達三郎なり、彼は彼の史的観察と十数年間に渉る教育上の実験とを以て読者に見ゆるならん、意ふに彼が遒勁の筆は読者の喜ぶ所なるべし、彼の主義亦た本誌のそれと異ならず。
 西川光二郎氏は又新たに余輩の執筆軍中に投じ来れり、余輩は喜んで彼を迎ふ、彼が先天的平民主義者なるは彼の数回の投書が既に彼自身を読者に紹介せし所なり。
 事務員雪野生は一(ト)廉の文学者なり、彼は謙遜の余り多く筆を採らず、然れば余輩は時に彼を慫慂して彼の強健なる思想を紙上に吐露せしむべし、美登里亦た侮るべからざる文才を有す、而も彼又謙を守りて出でず、余輩亦た彼をも刺激するの義務あり。
 素見生は亦た新社員の一人なり、彼は古本道楽を以て名あるのみならず、又永き教育上の実験を有し、諧謔に富み、余輩と均しく薩摩人と肥後人とを嫌ふ、其一たび意を決するや千里の林をも直貫して走る底の勇気を備ふ、彼は筆の人と称せんよりは寧ろ行の人なり、然れども彼も亦本誌に彼の豊富なる諧謔を放つを怠らざるべきは彼(10)が余輩に約する処たり。
 寄書家には永井久録氏あり、彼や記者に劣らざるの不平家、余輩の到底彼に及ばざる所あり、彼は今東京附近の某山中に潜めり、余輩切に彼を招けども出で来らず、然れども山奥の隠棲より流れ出る彼の清列なる警語は俗間多々の腐腸を洗滌して余りあらん。
 中村諦梁氏は仏教学者なり、仏教十二傑伝の稿は彼の手に在り、彼今病を褥中に養ひ筆を中止すと雖も其起て我が誌上に現はるゝの日は新仏教が普く読者に伝へらるべゝの時なるべし、余輩は彼と宗教を異にするもの、而かも酷だ彼の真率を愛し、彼の熱誠を尊敬す、余輩は本誌を以て彼をして彼の理想的仏教を我国に流布せしめん事を願ふて已まざるなり。
 白星子の韻文は或ひは解し易からざらんも深厚なる彼の心情は悲しめる者平かならざる者を慰むる所あるべく、臥城子の平民歌は余輩の歌はんとする所を歌ひ、児玉花外子は彼の悲痛の感慨を以て吾人を泣かすべし、梧軒子の高韻亦た余輩の常に喜ぶところ、彼が回を重ねて新希望を読者に供し、余輩の悲調に歓調を和するあらん事を余輩は切望に堪えず。
 若し夫れ本誌の古株たる主筆と武江生一名&生に至りては共に一層の腕力を奮ふ所あるべく、苦言に嘲罵に、或は歴史、或は天然学、或は世界智識、或は雑壇に彼等の有らん限りの智嚢を傾注すべし、余輩は歳と共に齢を重ぬる者に非ずして反て之を減軽せんと欲する者なれば、年一年墳墓に近くに従ひ段一段の大言壮語を発するあらんとす、蓋し傍若無人とは余輩の事なるべし、余輩は日本の法律が許す限り活動し四方八面に敵を受けん又敵を作るも決して意となさゞるべし、其笞つべきは笞ち(筆を以て)、殺すべきは殺さん(同じく筆を以て)、本誌は(11)泛々たる社会の鼻息を窺はん為に生れ来りし者にあらず、余輩は『悪まれ児世に憚かられ』の俗諺の如くならん、然かも憚るゝと好かるゝと余輩に於て何の関はりあらんや、唯だ一直線に余輩の目的とする処に向て猛進するあらんのみ。
 
(12)     日本に於ける外交の困難
                    明治33年1月5日
                    『東京独立雑誌』54号「時論」
                    署名 内村鑑三
 
 余は未だ嘗て外務大臣となりし事なし、亦た為らんと欲する者に非ず、然れども二三回外交の衝に当りし事あれば、日本国の外務大臣となりて外国と対峙するの地位に立つ人を深く推察する者なり。
 第一回は越後新潟に在りて某私立学校に教頭たりし際に十一人の外国宣教師を相手に闘ひし事ありき、余は不肖ながらも北越の同胞百万人の威権を重んじ彼等宣教師の暴慢を抑へんとせしも如何せん余の同胞なる越後人士は党を結び互に相鬩ぎつゝあり、余と余の敵手たる外国人とを自党の為に利用せんことをのみ謀り敢て日本人の権利を主張せんとはせず、為に余の憂国的企図は全く画餅に帰し、其結果余は新潟を去らざるを得ざるに至り、又余の長たりし学枚は再び外人の手に落ちて終には廃校の悲運に陥れり、当時余は心に決して曰く「余は終生日本の外交官とはならじ」と。
 第二回目は万朝報に英文記者たりし時にありき、余が幾回となく余の国人の為に弁じ彼等外人の非を矯めんとするや、日本に於て発行する十有余種の外字新聞は筆鋒を揃へて余を攻撃すれども日本国中百余種の同胞新聞記者にして一人も余の為に声援を揚げし者なく、自由党の機関新聞は進歩党を罵り、進歩党亦た自由党の失敗を挙げ得意然たる等何時もながら蛸牛殻上の争に汲々たる計り、彼等の中一人の来りて余の対外的筆鋒を援けんとせ(13)し者なかりき、余は幾回か重囲の中に陥り、終に彼等外人に歩を譲らざるを得ざるに至れり。
 斯くて余の実験する所に依れば日本人は強敵に対して一致結合するの民に非ず、彼等は朝鮮人乃至支那人に対しては挙国一団となりて傲然として当る事あるも、英人又は米人或は露人等に対しては向ふを張るの勇気なく互に責を他に嫁し、自身は白々しくも批評家の地位に立ち無責任の言辞を弄して当局者を責むるのみ、如斯勝手放題の民を後楯にして列強と対峙せんとする我国の外務大臣の地位は決して羨むべきものに非ず、故に余は将来如何なる境遇に立つことあるも日本国の外交官とはならざるべし、余は信ず余と均しき経験を有するの士は亦た余と同じき意念ならんことを。
 
(14)     新年の感
                    明治33年1月5日
                    『東京独立雑誌』54号「思想園」                        署名 角筈生
 
〇余輩に新年の感とて別にあるに非ず、余輩に取ては今年も去年も来年も、過去も現在も未来永遠も少しも異なることなし、始なき終なき神を信ずる者は「時の変」なるものより全く救い出されし者ならざるべからず。
〇新年が來りたればとて急に新しき人となり得るものに非ず、更生は新年と共に来る者に非ずして何時にても断乎たる決心より来るものなり、昨年の一月一日に革進を期したる我国の政治界、教育界、道徳界は其年末に至りて如何なる状態を呈せしぞ、強固なる意志の決行に依らずして新年をして吾人を新たならしめんとす、是れ薄志弱行者の夢想するところ、新失望を作るの種たるは言はずして明かなり。
〇年と共に企画し、年と共に失望す、新年宴会に盛んなる希望を述べて、忘年会に女々しき懺悔を語る、是れ俗人の常習なり、吾人は決して彼等に傚ふべからず。
〇余輩の歓喜は松飾りと共に起らず、屠蘇一杯に国民の蘇生は来らじ、吾人は生命の泉源に達して始めて熙々たる永久の春光を迎ふるを得るなり、此春光に逢はずして青歳佳節は語るべからず。
〇然れば一陽来復と共に新生命を尋ね求めよ、浮気なる此社会と汝の去就を倶にする勿れ、此春或は汝の最終の春なるやも計るべからず、今にして直に汝の浮虚の生涯を革むるに非ずんば、汝は終生永久の春光の何物たる乎(15)を知得ざるべし、歓喜なき生涯は則ち死せる生涯なり、人生は春を以て始まり春を以て終るべきものなり、汝願くば再び春を迎ふるの必要なき春を迎へよ。
 
(16)     『小独立国』の新年
                    明治33年1月5日
                    『東京独立雑誌』54号「雑壇」
                    署名 独立生
 
〇四隣太だ静寂なり、唯だ四五の友人炉を囲んで時事と人生とを談るあるのみ。
〇禁酒禁煙の『小独立国』に籠城する事なれば、客の訪ふあるを敢て屠蘇を振舞ふ心配を要せず、唯だ刻移れば焼餅を盆にして彼の消化力を試めすのみ、故に俗人は之を怕れて我等を訪はず、我等も亦彼等を嫌へば一層厳密に我等の『国法』を実施して彼等の出入を制限す。
〇机上に横たはる新刊物と外来雑誌は我等に万邦の状勢を報じ来る、我儕の同情は南阿のボーア人に在り、我等は日夜彼等の成功を祈りて已まざるなり、『小独立国』の主なる談柄は南阿に於ける真正の小独立国の建設なり、彼は強慾飽くなき英人に囲まる、恰も我等が英人に類する、(然も其胆力の絶無なる)薩肥人種の抑圧の下にあるが如し、我は彼に同情を寄せざらんとするも得ず。〇我等の新年宴会は八百松の楼上に於てせず、植半に於て開かず、※[木+國]林の下、竹叢の裡、群雀※[口+喜]々として新陽に囀ずる処に我等の質素なる親睦会は催さるゝなり、※[身+應]てランプは点ぜられ同輩団座して『百人一首』を争ふや堂屋殆んど張り裂けんとす、是ぞ我等の無酒無煙の懇宴にして赤心を吐露し真情を通ずるの効果に至りては、銀燭の下杯盤の間にオベツカを陳述する有髯無情の族輩が到底量り知る所にあらず。
〇『小独立国』は広漠たる日本帝国内に僅々千五百坪余の領土を有する※[草がんむり/最]爾たる国なるが此国の習慣は日本国の(17)それと異なり、『国』内には酒と煙草は禁ぜられ、鄙猥なる談話の如き若し之を口にするものあれば、社会(『小独立国』の)制裁甚だ厳なり、斯『国民』は悪魔と貴族とを仰がずして在天の真神を拝せん事を努め、一週に三たび必ず聖書を研究す、然かも外国宣教師の如きは其内に出入する事全くなく、従て宜教師的基督教徒の如きは俗人に均しき待遇を以て此民に迎へらる、我等は日本国の法律を重んじ、謹んで其国躰を奉戴し、其課する煩雑なる諸税を納むるの外は、凡て其汚穢なる社交的習慣を斥け、其紊乱せる風紀に感染せられざらん事を努む、即ち『小独立国』は改造せる新日本国の小模範を以て自ら任ずるものにして、我等は千五百坪の此小国より十五万方哩の大帝国を感化せんとする大計画を懐く者なり。
〇神と共にすれば我一人は世界よりも大なりとかや、まこと彼と共にすれば千五百坪の小国も十五万方哩の帝国より※[しんにょう+回の下の横線なし]に大なり、日比谷原頭の蛙群何を議決したればとて彼等には宇宙の法則の一点一画をすら変更するの権能と勢力の有るなし、『小独立国』の炉辺会談に一種侮るべからざるオーゾリチーあるを知らん。
 
(18)     〔罵言の命 他〕
                    明治33年1月15日
                    『東京独立雑誌』55号「感慨録」                        著名なし
 
    罵言の命
 
 声あり、曰く『罵れよ、罵れよ、汝罵て弛む勿れ、是れ腐敗死に至らんとするの社会なり、其全癒の希望は単に痛罵にあり、罵るべき者を罵らずば天罰或は汝自身に及ばん、汝罵詈の言の過激に渉らんことを恐るゝ勿れ、蓋は汝若し世界の凡ての言語より罵詈の語を借り来りて此民を罵るも未だ悉く其罪悪を数へ尽すこと能はざればなり、是れ偽善の民なり、虚飾の民なり、無情無慈悲の民なり、汝宜しく人道の為めに罵るべし、然り汝の愛する斯民の為めに罵るべし』と。
.我即ち答へて曰く『我之を勉めん』と。
 
    盲目の民
 
盲目の民とは智識なきの民を称ふるに非ずして、智識を有しながら之を使用するの意志を有せざる者をば云ふなり、是れ所謂『明き盲目』なる者にして、世に憐むべく悲しむべき者にして彼等の如きはあらず、憲法は制定(19)せられて自由は日々に減退し、軍備は拡張せられて国権は年毎に萎縮し、富を有しながら国民は饑餓に泣く、是れぞ真正の盲目の民にして之に過ぐる悲観の他にあるなし。
 
    軟躰動物国
 
 太平洋の沿岸は無脊椎動物の発達を以て有名なりとは動物学者の余輩に報ずる所なるが、其西北隅に位する島帝国に於ける軟躰動物の近頃の発育に余輩の耳目を驚かすに足るもの多し、其政治家は強硬主義を執ると称する者と雖も、其外皮の一枚を剥ぎ見れば紛ふべきなき無脊椎動物にして主義なる硬骨の彼等の躰躯を支ふるなく、小笠原島に棲息するとか聞ゆる章魚の類の如く、試に利刀一下彼等の身に及べば一固形物の刃尖に触るゝあるなし、其教育家は口々に尽忠の臣なりと呼称すれども一滴の黄金液を注げば溶解し得ること海鼠、蛞蝓の如く、其文学者や哲学者の輩は皆な烏賊、田螺に類する軟躰なるは云ふまでもなし、其干城たる軍人すら今や利剣を内に蓄ふ麒麟、犀、象の伍を脱して唯だ外面に刺針を装ふ※[虫+榮]螺の族たる者あるに至りては実に悲歎の極と言はざるを得ず、有脊椎硬骨動物の繁殖は該帝国に於ける目下の急務と謂ふべし。
 
    日本に於て富を作るの法
 
 日本今日の社会に於ては富を作るの法たる、国民の弱点に乗ずるの一途あるのみ、其狭隘なる道徳心を利用して忠君愛国を説き家産を作る国学者あれば之を上梓して暴富を極むる出版社会あり、其傲慢心に附込み富国強兵を看板に掲げ国家的教育を授くと呼号し盛大を致す私立学校あり、此秘法を以て学者と教育家と新聞記者等とは(20)公然富を作れども国民の道徳は日に萎微して衰退に陥り、衰退は即ち堕落となり、今や明治の代三十三年を加ふるに至りて国民の道徳は其初年に此し三十三倍の下落を来すに至り、而かも堕落の速度猶ほ弥々甚しからんとす、学者と教育家と政治家と新聞記者とが国民の膏血を吸尽し終にまた乗ずべきの弱点なきに及んで国家は最後の死滅の声を揚げんかな。
 
    清濁の別
 
 腐敗せる社会に於て最も良く成功するものは自身己に腐敗せるものなり、現社会に於て最も多数の党員を有する政党、最も多くの発兌数を有する新聞雑誌、最も多くの信徒を有する寺院と教会、最も多くの学生を有する学校等は総て腐敗せる者と見て可なり、斯の如き社会に在ては失敗は反つて純潔の証にして、人望なきを以て高潔の徴候と看做すべきものとす。
 
    早熟の弊
 
 齢未だ四十に達せざるも早く既に革進々歩を叫ぶを止めて、老成を気取り建設や修養を唱ふ、是れ支那学を以て養成されし我国に於ける時論記者の僻習にして余輩は深く彼等の早熟を憫まずんばあらず、余輩はグラッドストンの如く青年時代に於ては保守主義を唱ふるも老ふるに従つて益々革進主義を唱ふべく、余輩が現世の戦闘を終へて永遠の墳墓に入らんとする時は大声疾呼急進主義を唱ふべきものとす、世に忌むべきものにして老爺根生の如きはあらじ、殊に若翁根性に至ては其醜陋、以て較ぶべきものなし。
 
(21)       *     *     *     *
 
 己れ青年を煽動して終に今日の地位に至りながら、他に青年を励ます者あるを見れば之を称して青年を煽動する者なりと謂ふ、依て知る彼が嘗て青年を煽動せしは一に彼が今日の地位を得んが為めなりしを、彼等は煽動を目的とせざる活真理の宣伝の何たるを知らず、故に彼等は活動せる者を見れば其何人たるを問はず青年の煽動者と呼称す、彼れ老耄せる隠居連中は既に専重すべき青年の血気をば忘却したるなり。
 
       ――――――――――
 
    悪むべき基督教徒
 
〇実に迷惑至極なるは基督教徒の訪問なり、彼等の多くは外国宣教師に由て乞食化せられし者なれば彼等は何物か乞ふ所なくして決して余輩を訪問せざるなり、或は人生問題の解釈を乞ふ者あり、或は家政整理の途を教へられん事を乞ふ者あり、或は説教又は演説を乞ふ者あり、或は宗教雑誌への投書を乞ふ者あり、乞ふ事なければ決して余輩の門戸を窺ふ事なき彼等も乞ふ事あれば鉄面皮にも何時たりとも訪ひ来るなり、余輩は茲に彼等に告げん、余輩は教会又は伝道会社より俸給を受けて安閑と此世に棲息する牧師伝道師の類にあらざれば彼等は濫りに余輩に来りて余輩を煩はし余輩の貴重なる時間を奪はざらん事を。〇余輩は屡々本誌に於て表白せし如く我国の基督教会なるものに何等の関係なき者なり、余輩は目下我国に在留せる外国宣教師中に一人の友人を有せざる者、亦た有せんとも欲せざる者なり、余輩は自から大工の子なりしナザレのイエスの弟子と称して耻とせざる者なれども、我国に於ける現時の基督教徒なる者と同一視せらるゝ事を(22)以て甚だ迷惑に感ずる者なり。
〇見よ、彼等無主義無信仰の徒、権門勢家とあれば頭を垂れ腰を曲げて其賛成と補助とを乞ひ、世に捨てられ人に卑しめらるゝ者とあれば之に種々の悪名称を附して彼等の社会より排斥す、彼等は真心を以て神を信ずる者を迎ふる事を為さず、此世に勢力を持つ人の迹を追求する者なり、彼等の勢力が日々に衰退して今日は殆んど全く俗人の信用をさへも失ふに至りしは公義人道の為めに深く祝すべき事ならずや。
〇其奉ずる主義の如何を問はずして何人をも友とせんとする点は殆んど娼婦の行為に異ならず、姦夫たれ、無神論者たれ、貪慾の輩たれ、其少しく社会に頭角を現はす者に対しては待つに紳士の礼を以てし、之に講演を依頼して俗衆を惹かんとし、其賛助を求めて虚勢を張らんとす、是れなん若し基督教の特徴とならば基督教とは如何に卑しむべきものなるぞ。
〇汝等聖き名を涜す者よ、汝等は基督教徒にあらざる也、汝等は民衆を蠱惑するの徒なり、汝等は此国に於ける基督教の伝播に大妨碍を与ふる者なり、汝等は何故に一日も早く汝等の某者が為せし如く藩閥政府に降て其御用記者とならざる、或は銀行の番頭と成りて高き俸給を楽しまざる、或は相場師となりて堂島、蠣殻町に輸贏を争はざる、汝等狐狸の族にして綿羊の装を為すが故に余輩は甚しく汝等を悪むなり、若し汝等にして汝等の真性を顕はさん乎、余輩は返て汝等を憐れまん。
〇基督曰ひ給はずや、『我父の家を貿易の家とする勿れ』と、然るに汝等は神の教会と青年会と学校とに於て属従を教へ、依頼を勧む、汝等は神の力に勝つて金の力を信じ、信仰篤き者に勝つて勢力有る者を貴ぶ、汝等は度量広きを誇て俗人と結び、社会改良を口にして奇利を射んとす、基督教は確かに汝等に因りて辱められ、汝等(23)在るが故に人類の救済は遅滞せらる、汝等曷んぞ速に神の家を去て汝等の旧棲なる俗寰に帰らざる。
 
(24)     〔我が今年の計画 他〕
                    明治33年1月15日
                    『東京独立雑誌』55号「思想園」                        署名 角筈生
 
    我が今年の計画
 
〇我は敢て金を儲けん事を計画せざるべし、儲けんと欲して儲けし金は我は盗み取りしものと見做すべし、我は唯だ大胆に勇壮に正義を行はんと欲す、之を行ふに因て我に与へらるゝものを以て満足せん、是れ我が正当の所有に属すべきものなればなり。
〇我は我が過去の失敗を顧みて我の不遇を歎かざるべし、我は単身我が前に在るものを見て一直線に前進すべし、我は永久に現世に存在する者に非れば残る歳月の間に我は一つなり も多くの善を為さん事を努むべし。
〇我は我に関する他人の批評に意を留めざるべし、我は元来神の僕にして人の奴隷にあらざれば神命惟れ重んずべく紛々たる褒貶に惑ふが如き事あるべからず、我は傍に人なき里に在るの心を以て神命の儘に猛進せんと欲す。
〇我は決して失望せざるべし、縦し悪人跋扈するとも我は現世の救済を望んで已まざるべし、生々の神が宇宙を主宰し給ふに世の腐敗に失望するが如きは、我の努めて為すべからざる事なり。
(25)〇我は世の人望を博せん事を計らずして人を愛せん事を努むべし、我は我が愛心の増長して我が敵をも能く愛し得るの程度に達せん事を希ふ。
 
       ――――――――――
 
    新思想を得るの途
 
 悉く慾念を絶てば新思想は清泉の如く噴出す、富貴を致さんとするの慾、人望を得んとするの慾、人に愛好せられんとするの慾、事業に成功せんとする等の雑多の慾念を絶て、何物も余輩の心志を抑圧するものなければ、思想は滾々として湧出でゝ止まる所を知らざるが如けん、社会の反対を怕れて、人の批評を憚かつて、吾人の心志は束縛せられて高想妙思の其内より生るべき筈なし、先づ慾念の羈絆より脱して吾人は始めて自由の人となりまた思想の人とは成り得るなり。
 
(26)     時の兆候
                   明治33年1月15日
                   『東京独立雑誌』55号「時論」
                   署名 小憤慨生
 
〇徳富猪一郎氏は今は全く平民主義を捨て公然と貴族を弁護し、市原盛宏氏は第一銀行の副支配人となり、金森通倫氏は米穀取引所の理事の一人となり、而して彼等のアルマメートル(母校)なる同志社大学なるものは気息奄々として人その有るや無きやを疑ふ、基督教的人物の製出を以て目的とせし斯校にして多く此種の人物を出す、余輩が故新島襄氏の人物に就て疑を置くに至りしも亦た全く理由なきに非ず。
〇政府に依て衣食する忠君愛国論者、外国宣教師に依て衣食する基督信徒、本願寺に依て衣食する仏教徒は均しく皆怪しき人物なり、若し彼等の総ては狐狸の類に非ずとするも彼等の多数は之に類似する者なる事は余輩の信じて疑ざる所也。
〇世に憐むべき者の中に教育の方針を誤られたる者の如きはあらず、彼は実に終生の不具者となりし者なり、彼は彼の教師に依て人生を誤解せしめられし者にして、彼は之が為に宇宙万物の敵と成りし者なり、人に頼るを教へられて神に頼るを教へられず、自身に有り余るの潜勢力の有るを教へられずして、何事も他力に依るの秘訣を授けらる、余輩は世に乞食的博士学士の如き悲観あるを知らず。
〇無宗教的教育とは無主義無節操の教育なり、智識を授けて之を使用するの霊魂を授けざる教育なり、即ち兵卒(27)に良き武器を授けて彼の勇気を鼓舞せざるが如き教育なり、読者若し余輩の此言を疑はゞ今日我国に存在する夥多の蒟蒻的博士学士の類を見よ、彼等を智識的機械と称すべし、意思を有する人類とは称すべからず。
〇議会既に児戯たり、其議決せる法案の亦た児戯たるは怪しむに足らず、而して議会の児戯たるは之に依て代表せらるゝ国家の児戯たるを証し、併せて国家の依て以て建つ根本的思想の亦た児戯たるを顕はす。
〇代議政躰は行政権監督を目的として素まりしものに非ず、代議政躰は一種の高尚なる人生観を以て素まりしものなり、之に行政権の監理を委ぬるに至りしが如きは抑も末なり、其本なくして其末を全ふせんとせし我国の議会が無為無能、殆んど見る影もなきに至りしは当然の事なり。
〇若し其父祖の功労に依て授かりし位階を剥奪し、其着せるフロツクコートを剥ぎ取り、其胸間に着けたる勲章を奪ひ、天然有の儘の裸体となして我国新華族の或者を吾人の前に立たしめしならば彼等は如何に滑稽的実在物ならん、希臘の哲学者が曾て言ひし「羽毛を有せざる二本足の動物」とは蓋し此等裸体の新華族を意味してならん、其脳を割き見れば其内に智識あるなく、其心臓を抉り見れば深情の其中に貯へらるゝなく、其腸は腐り、其骨は軟化し、只見る一個の肉塊、之を砕いて田園の肥料となすの外、広き宇宙に何の用もなきものならん、惟り悲しむ是等糞塊に等しき者に貴族の名称を奉り、彼等を養ふに秣草を以てせずして佳酒美肉を以てし、彼等を囲ふに獣圏を以てせずして宮殿に等しき高屋を以てする国民の実に憐むべき者なる事を。
〇物価騰貴は確かに亡国の一兆候なり、日本国民は外国に対して其強を装はんが為に上下拳て饑餓に迫らんとしつゝあり、世に虚栄《ヴアニチー》程高価なるものはなし、万骨枯れて一将功成るにあらずして、国民餓えて国威海外に揚るとは日本今日の状態をば称ふにぞなん。
(28)〇日本国は敵軍の来襲に依ては決して仆れざるも、食物の欠乏に依て仆るゝ事もあらん、偽人跋扈し、貴族紳商悉く国内の甘汁を吸ひ尽して民衆は空腹の故を以て終に食物を敵国に借るの悲境に陥らざるとも保し難し、現に或る外国雑誌の如きは日本に於ける物価騰貴の此機会を利用して、日本人日用品供給の為に一大財団を起すべしと其国人に勧むるに至れり、実に寒心すべき事にこそ。
〇前代未聞なりと伝ふる露国の西比利亜鉄道は来る今年を以て全通せんとし、其我国に隣せる満州の沃野六十万方哩(日本帝国の四倍大)は挙て耕地とならんとする今日に際して日本の帝国議会は何を為しつゝある乎、曰く高利貸取蹄法案、曰く腐敗議員出席停止決議案と、世界の地理と歴史とに暗きものは実に幸福なるかな、文明の光輝四隣に逼り来るの時に際して家内の鼠征伐に汲々たるは羨ましき程の盲目漢と謂ふべし。
〇欧米各国に於ける識者間の目下の大問題は南阿に於ける英杜戦争なり、そは是れ大強国の運命に関する大問題にして、其結果如何に由て世界勢力の権衡に大動揺を起すべければなり、然るに東洋の文明国たる日本国に於ける目下の大問題は横浜埋立事件なり、醜類排斥問題なり、彼に在ては世界問題を以て大問題となし、我に於ては党派的問題を以て大問題となす、「日本国は其れ自身にて一寰宇を形造る」との或る愛国者揚言は能く其国民の注意を惹く大問題の性質に依て証すること得べし。
 
(29)     年賀状
                    明治33年1月15日
                    『東京独立雑誌』55号「雑壇」
                    署名 角筈生
 
 友人は年毎に減少する事と思ひしに計らざりき今年は二百本余の年賀状を受けたり、是も雑誌編輯に従事する功徳の一つなりと思へば余り悪しくは感ぜざるなり、先づ其内最も著しきものゝ二三を挙ぐれば
 最も円満にして優麗なりしは自由党の名士「世界之日本」主筆なる竹越与三郎君の賀辞なりとす、其文に曰く
  朝来万象雍和四海を迎ふ、伏して老台の万福を惟ふて慶暢に堪へず、茲に恭しく歳端の賀辞を奉る再拝
 以て明治文躰の好標本として後世に伝ふべし、氏が当時第一流の交際家たるは此辞に照して明かなり、但し此文は活版に附せられしものなれば之を余一人に送られし好意と思へば己惚《ウヌボレ》の絶頂なるべし。
 実に意外なりしは文学士高山林次郎君の雇主なる博文館主人大橋新太郎氏よりの賀状なりとす、しかも氏は余に二通の賀状を寄せられたり、一つは活字摺のものにして余の青山なる旧寓へ宛てられ、他のものは氏の親筆に成りしものと覚しきものにして角筈なる余の本宅へ宛て送られたり、勿論余の如き乱臣国賊は此愛国的大出版会社と今日まで何の関係のありし事なしと雖も、去りとて余は未だ曾て同館に対し悪意を懐きし事なければ此二個の賀状に対し余は恭しく茲に氏が余に送られし好意に応酬する所あらんとす。
 次に最も意外に感ぜしは日本女子大学校創立事務所成瀬仁蔵君よりの賀辞なりとす、氏は十有二年の昔越後(30)新潟に在て外国宣教師と与し、余が基督教主義を執らざるとの故を以て痛く余を苦しめし人なり、今は氏自身は基督教には甚だ淡白なる人にして、大和の豪族土倉某と倶に、我国の貴顕紳士を語合ひ女子大学設立に尽瘁せらるゝ由なれども、余は十年来の氏の醜敵にして一も氏より賀状を受くるの理由を発見する能はず、氏と余とは過去も現在も行動の方針を全く異にする者、氏が外国宣教師に与みせし頃は余は氏と彼等とに反対し、氏が貴顕と紳士とに頼らるゝ今日、余は亦た氏と彼等とに反抗する者なり、余は氏の事業の如きものゝ此国に於て栄えざらん事を願ひ、氏も亦た余の事業の如きものゝ旺盛ならん事を望み給はざるべし、余は氏が余に寄せられし賀詞の何の意に出しものなるやを知るに苦しむ。
 然れども是れ纔に一二の例外たるのみ、他の二百余通は友人同士よりの真情を伝へしものにして、殊に読者諸君より特別に寄せられし賀儀の如きは余の深く感謝する所のものなり、余は茲に一々諸士の姓名を揚げずと雖も、深く之を余の心肝に銘し、以て余の今年中の慰藉となさんと欲す。
 
(31)     虚偽的基督教徒
                     明治33年1月25日
                     『東京独立雑誌』56号「時論」                         署名 角筈生
 
 余輩の目撃する処に依れば神の存在をも碌々解せず、罪の事、基督の事をも少しも解せざるに自から基督教徒なりと称する者あり、彼等に問へば曰く何教師の牧する何教会の信者なりと、然るに彼等は牧師ならざる余輩の許に訪来りて此等の初歩的教義に就て尋問す、即ち彼等は単純なる根本的教義すら解せざるに僭越にも自から基督教徒と称して世に立つ者なり、彼等は即ち明白なる偽善者なり、彼等が先づ自から基督信徒たらざるを表白せざる以上は余輩は彼等に何物をも教ふる能はざるなり、既に一種の詐偽の罪を犯しつゝある彼等自称基督教徒が神の存在、基督の贖罪を解し得ざるは勿論の事なり。
       *     *     *     *
 世に理解力を以てのみ宗教を解せんとする愚人の多きは悲しむべき事なり、彼等は宗教を神学と混じ、之を究むるに法律学或は動物学を修むるの心を以てす、彼等は宗教の何物たるをを知らず、故に彼等は終生宗教を解し得ざる者なり、惟り異しむ世の宗教家なる者が、此単純なる理をすら解せずして、少しく宗教を口にし、社会改良を唱ふる者あれば喜んで彼を迎へ、彼に洗礼を授けて、彼の姓名を彼の会員名簿に記入し以て得々然たるものあるを。
(32)       *     *     *     *
 余輩は大なる神学者にして今は米相場師とまで堕落せし者あるを知る、余輩は基督教的哲学者にして今は公然と無神論を唱へて憚からざる博士あるを知る、余輩は基督教的政治家にして悪に与みし善に逆ひて恬として耻ぢざる人あるを知る、即ち知る宗教は学問にあらざる事を、神は頭脳を以て理解し得るものにあらざる事を、理会力を以て得し宗教はまた理会力を以て棄つるに至らん、日本国に今日夥多の堕落基督信徒のあるは、彼等の宗教なるものが心裡の聖殿より入りしものに非ずして、彼の残忍にして傲慢なる頭脳より入りしものなればなり。
       *     *     *     *
 彼等は余輩に『神の存在の証拠を与へよ』と迫る、余輩は即ち彼等に斯く答ふるあるのみ、『我に汝の父の存在の証拠を示せよ、若し汝は父なくして生れし者なりと信ずるならば我は汝の狂を笑はんのみ』と、浅薄汚穢なる彼等は神の存在を以て宗教問題なりと考ふ、彼等は其単元的真理なるを知らざるなり、単元的真理の証明を要する如きは数学に於ても宗教に於ても教ゆべからざる者なりとして排斥すべきのみ。
       *     *     *     *
 余輩斯く彼等に答ふれば彼等また曰ふ『然らば我は救はれざる者なる乎、我れ救はれずとならば神は甚だ不公平なる者ならずや』と、彼等は己れの救はれざるを以て神の罪に帰せんとす、彼等は自己の不完全を責めんとはせず却つて神を怨む、如斯して神の存在を知らんと欲す、彼等の到底済度し難きものなる事は復た言はずして明かなり。
(33) 先づ己れの罪を悔ゆる者は神を識るを得ん、神を知識的に理会して然る後に行を改めんと欲する者の如きは終に神を識るを得ず、また行ひを改むるを得じ、神とは実に如斯ものなり、神は懶け書生の玩弄物にあらざれば彼を講らんと欲する者は宜しく応さに謙譲自遜の心を以てすべきなり。
       *     *     *     *
 俗的基督教徒の或者近頃余輩に問ふて曰く『君の学枚にはフハント(基本金)は幾許ある乎』と、余輩は彼に答ふらく『無限なり、同志社は二千万円を有すと聞く(其多分は外国人と我国の貴族とより募りしもの)、然かも余輩は造物主に頼る外に一物を有せず』と、時に彼等は呆然たりき、卑しすべき俗物、彼等は神を信ずると称して実は金力を信ずる者なり、金力に依て代表されざる神は彼等に取ては、価値なきものなるが如し、俗醜の極たるもの実に憎むべし、接近すべからず。
 
(34)     GREAT MEN AND READING.
     偉人と読書
     (読書に関する古今偉人の格言)
                   明治33年1月25日一5月15日
                   『東京独立雑誌』56−67号
                   署名なし
       第一回
       ソクラテス
       (希臘の哲人)
 
 他人の著書によりて汝自らの発達を計る為めに汝の時を用ひよ、斯くして汝は彼等が苦心惨憺漸くにして達し得たる結果を容易に収め得べし、
 
       シセロ
       (羅馬の有名なる政治家)
 
 汝の書籍に縋れよ、而して我よく是を読破して我がものとなし得ることに就て失望する勿れ、吾人若し此事を成し得ば、富に於てはクレサスに優り、全世界の(35)高楼及び国土を白眼視得べし、
 
       セネカ
      (羅馬の政治家にして哲学者)
 
 如何に多くの書を蔵するかは汝の名誉に非ず、唯だ如何に好き書を蔵する乎を以て汝の誇りとすべし、
 普く古今の著書を渉猟せんよりは、数篇の好著述を熟読するの優れるにしかず、
 
       プルターク
       (有名なる羅馬希臘の英傑伝著者)
 
 吾人は食物を欲するの念を以て書籍を思はざるべからず、即ち最も味好きものを得んとせずして最も滋養多きものを要むべきなり、二者孰れも禁ずべきものに非るも、吾人の寧ろ要むべきものは後者にあり、
 
       クインテリアン
       (羅馬の脩辞学者兼批評家)
 
 凡ての善き著書は勉励以て読まるべきものなり、而(36)して一回終まで読み畢らば更に姶より繰返すべきものなり、
 
       使徒ポーロ
       (基督の弟子)
 
 そは従前より録されたる所は皆な我儕を訓へん為めに録されたる也、
 
       ペルシヤ人の諺
 
 智者は愚者の心中を知る、何となれば彼も一度は愚者たりしことあればなり、然れども愚者は遂に智者を知ること能はず、何となれば彼嘗て智者たらざればなり、
 彼等曾て彼等の智者に問ふに彼が学に達せしの途を以てす、彼答へて曰く「余は知らざることは之を人に問ふを耻とせざりき」と、
 
       リッチヤード ド ベリー
       (英国の愛書家)
 
 書中に於て吾人は死者の生者と異らざるを見る;書(37)中に於て吾人は将に来らんとする事を預知す、書籍は教鞭笞杖を用ひず又叱責憤怒することなくして吾人に教ふる良教師なり、汝若し彼等に近けば彼等は曾て眠れることなし;汝若し研究上彼等に糺すことあれば彼等何事も匿すことなし;汝若し彼等を誤解することあるも彼等敢て不平を曰はず;汝無智なるも彼等決して汝を嘲ることなし、 〔以上、1・25〕
 
       第二回
 
       ペトラーク.
       (伊太利の文豪)
 
 余に友人あり、彼等と共に在るは余に無限の喜楽なり、彼等は齢を異にし国を異にす、彼等或は朝に在て或は戦場に於て功を立て、且つ彼等の博学の故を以て高く名誉を博したり、吾人彼等に接し之に交るは容易なり、そは彼等は常に余の用をなさんと欲し余は余の好むがまゝに或は彼等を招いて余の傍に坐せしめ、或は之より彼等を去らしむるを得ればなり、彼等は決(38)し余を煩さずして直に余が彼等に聞かんと欲する質問に対して答ふるなり、彼等の或者は余に語るに過去の出来事を以てし、或者は余に示すに自然の秘密を以てす、或者は余に如何にして生涯すべきかを教へ或者は如何にして死すかを示す、或者は其快談を以て余の煩悶を去り、余の精神を楽ましめ或者は余の心に忍耐の念を与へ余に余の慾心を抑ゆる為に必要なる教訓を供し、余をして自身以外に願ふ処なからしむ、一言すれば彼等は余の前に凡ての学術科学とに達するの途を開き而して余は亦凡ての緊急の場合に於て彼等の給する報道に安心して頼るを得るなり、凡て是等の奉仕の報酬として彼等は単に余の弊屋の一隅に於て彼等が静かに息んが為めに適宜の一室に於て彼等を留め置かんことを余に要求するのみ、
 
       マキアベリ
       (伊太利の政治家又歴史家)
 
 夜来れば余は余の家に帰りて余の書斎に入る、(39)………余は古人の古風の殿に入り其処に彼等の慈愛に富める歓迎を受け、余に適し余が余の生涯の目的として追窮する糧を以て自から養ふ、此数時間は人生の悲惨はもはや余を悩まさず、余は凡ての苦悶を忘れ;余は貧を恐れず;何んとなれば余は余の身を余が今語りつゝある人に托したればなり、
 
       アスカム
       (英国の学者)
 
 余は知る、遊園に於ける世人の遊戯なるものは余がプラトーに於て得る快楽に比すれば実に影の如ききものなるを、嗚呼、思慮なき人達は真の快楽の何物なるを知らず、
 
       リプシユス
       (和蘭の政法学者)
 
 セネカを読む時に余は人生の凡ての幸不幸を忘れて不老不死の山の頂にあるの思ひあり、
 
(40)       ジヨン リリー
 
 汝の書斎を充たすに書籍を以てするは汝の財布を充たすに金を以てよりも汝に取ては遙に似合はしき事なり、 〔以上、2・5〕
 
       第三回
 
       ベーコン
       (英国の哲学者)
 
 弁難攻撃の為め,或は軽信仮定の為め、若しくは談話議論の種を得ん為めにせずして熟慮考察の為めに読書すべし、読書は円満の人を作り,討議は実用の人を作り,著述は正確の人を作る、
 読書に徒事する時,人其心に定めし問題の何たるに関せず,彼は其為めに特別の時間を設くべきなり、
 
(41)       サミユエル ダニエル
       (英国の詩人又歴史家)
 
 嗚呼、恵まれし文字よ!汝は過去の時代を悉く一巻の中に収め、人をして衆生と共に居らしむ、汝に由て吾人は逝きにし人と語り、死せしも未だ尚滅せざる者をして吾人の会議に列席せしむ、
 
       アラゴンのアロンゾー
       (西班牙の皇太子)
 
 古き木は焼くに良く、古き葡萄酒は飲むに良く、古き友人は信ずるに良く、而して古き書は読むに良し、
 
       英国古代の謡歌
 
 アヽ我に書物と静かなる樹陰《こかげ》を与へよ、
 我は其何処にあるを撰ばず;我が頂に青葉の風に耳《さゝ》やく語あるも, 或は週囲に市街の声を聞くも可なり。
 唯我をして独り安らかに、
 新と旧とに就て読ましめよ;(42)そは我に取ては楽しき善き書を読むは、金を蓄ふるに優ればなり、
 
       ジヨセフ ホール
       (英国の僧侶又諷刺家)
 
 然れば勉学の結果智識の自覚とは如何に一層愉快なるものなるぞ? 一度び之を味ひし者は之に比べて人世の凡ての他の快楽を容易に放棄するを得るなり、行け汝俗物等よ、行て我等の蒼顔と貧困と不遇とを哂へよ、汝等無学なるにあらざれば汝等の如くに気楽なる能はじ;汝等学を求めざるにあらざれば汝等は斯くも我等を軽視せざるべし;我に取ては我は汝等と栄を争はんと欲せざるのみならず我は無学の富豪たらんよりは寧ろ獰猛なる獣類たらんと欲する事を公言するを憚からざるなり、
 如何なる智識の世界は封ぜられて此筺中にあるよ! 開函果して余は其余を失望せしむるものなるや将亦た余を慰むるものなるやを知らず;此中余の到底知る能はざるもの多きを思へば余は失望せざるを得ず;然れども此種々雑多なる事柄が却つて余が知らざる可らざ(43)る事を余に教ふるの好き援助たるを思ふて余は自から慰むるなり、 〔以上、2・15〕
 
       第四回
 
       ヘンリー ピーチヤム
 
 徒らに其蔵書に誇りて空しく五車の珍に得々たるも、而かも其胸中些の智識なき人の為を学ぶ勿れ。万巻の書を蔵しながら之を利用せざる者は、譬へば枕辺に煌々たる燈火を燈しながら眠に就く小児の如し、
 
       ロバート バルトン
       (英国の僧侶又文学者)
 
 凡そ戸内に於て精神を修練し之を休養する法にして、勉学程普通にして凡ての人に適用せられ、且つ懦弱と鬱憂とを去るに適せるものはなし。勉学の快楽の大な(44)るや、人学ぶこと多ければ多き程更に学ばんとする念熾なり、生命長ければ長き程智識の神と親むこと密なり、
 
       レオー アルラーシウス
       (希臘の医師兼哲学者)
 
 実に若し余に読むべきの書なからんには、即ち多くの有名なる人の著書に欠くるならんには、余に取ては太陽の光も昼も生命其物も楽なくして苦しきものならん;そは書籍の価値と其楽しみとに比すれば、富貴も快楽も其他世人の欲する凡てのものも寧ろ卑むべく且つ価値なきものなればなり、
 
       ウリヤム ウォラー
       (英国々会派の将軍)
 
 余の書斎に在りて余は確かに賢人の外誰人とも言を交へず;然れども一度戸外に出れば余は俗物と語を交(45)へざらんと欲するも得ず。余は此処にありて、遙かにエンドル*の地まで旅行することなくして凡ての時代の最も俊れたる霊と、最も博識なる哲学者と、最も賢き経綸家と、最も偉大なる将軍とを呼起し、彼等をして余の用を為さしめ得べし、
 
       フランチェスコ ヂ リオハ
       (西泛牙の詩人兼歴史家)
 
 小さき平和なるホームは凡て我が必要と希望とを満たして余りあり。更に之に加ふるに書と友とを以てせば是を幸福とは云ふなり、
 
       トーマス ブラウン
       (英国の医師兼文学者)
 
 余は余よりも博学なる人を妬まず、唯だ余よりも浅学なる人を憫む、
 
       トーマス フラー
       (英国の説教者兼著者)
 
 汝若し外にありて遊戯又は事業を有せざれば、退い(46)て汝の書斎にある皮の衣着たる正直なる古き人〈書籍)を友とすべし。彼等は汝に供するに優れたる鬱散の術を以てせむ、
   *旧約聖書撒母耳前書第二十八章七節以下を参照せよ 〔以上、2・25〕
 
       第五回
 
       ジヨン ミルトン
       (英国の詩人)
 
 書籍は精薬を容るゝ壜の如し、其中に之を生みし者の活ける智能の精と粋とを保存す、善き書は大家の貴き生血にして永劫未来の為めにこゝに香料を以て其こゝに貯蔵されしものなり。
 絶えず書を読みながら之と同等若くは之に優るの精神と判断とを以て読まざる者は、未だ尚ほ不定不確の中にある者なり;彼等は書籍の上に於ては該博なるべけれども、自身に於ては浅薄なり。
 
(47)       クラレンドン公
       (英国の政治家兼歴史家)
 
 彼が成さんと欲する事に就て少しも熟慮せざる人は何事をも善く為し能はざるべし;又熟慮するの外何事をも成さざる者は何事をも成さゞる者と見て可なり。
 
       ベンジャミン ウヰチコート
 
 少しの時間を善く利用する為に未来永劫にまで利益を得る事あり。
 善き書は神自身を代表する恩人たることあり。
 
       ジル メナージ
       (仏国の批評家)
 
 借り受けたる書籍が稀に其持主に返さるゝ理由は書籍を留め置くは其内容を記憶に留むるよりも易ければなり。
 
(48)       ロシュフゥーコー
       (仏国の学者)
 
 智識の心に於けるは健康の身躰に於けるが如し。
 
       ベッドフホード公
       (英国の政治家)
 
 かの黄金の朝の時間を借りて之を汝の書籍の上に消費せよ。
 
       リッチヤード バクスター
       (英国の宗教家)
 
 人を善且つ智《さと》くなすものは多くの書を読む事にあらずして僅かの書を善く読む事なり。
 何人も凡ての事を学ぶ為の時間を有せざれば、賢き人は最も肝要なるものに彼の注意を傾くべきなり。
 
(49)       バルトリン
       (丁抹国の医師兼文学者)
 
 書なかりせば神は黙し、正義は眠り、自然科学は進歩を止め、哲学は跛に、文学は聾い、而して万物は闇黒の中に埋没せらるべし。
 
       ウヰリヤム テムプル
       (英国の政治家)
 
 無籍は俚諺の如く其主なる価値を其経過し来りし時代の極印と尊敬とより受く。 〔以上、3・5〕
 
       第六回
 
       フランソワ シャルポンティエー
       (仏国の著述家)
 
 余はハインシアス*の言として伝へらる、下の辞に笑ひながらも同意せざるを得ず、彼は和蘭人本来の無(50)邪気を以て述べて曰へるやう『余はプラトーの著を読むに当て快楽と熱心とを感ずること甚しく、此哲人の著書の一ペ−ジは確かに葡萄酒十杯を飲むの酔を以て余を動かすなり』と。
    *(ハインシアスは和蘭の政治家にして歴史家なり)
 
       アイザック バロー
       (英国の数学者兼神学者)
 
 アリストートルが筆を以て世界を教化せしはアレキサンドルが剣を以て之を圧服せし丈け有名なる事実に非ずや? 前者は後者よりも多く人の話談に上るに非ずや? 世は此軍人の武勇よりも此哲人の学問に負ふ所多きに非ず也?
 
       ロバート サウス
       (英国の宗教家)
 
 有害の書を公にせし人は言はゞ彼の墓に降て尚ほ罪悪を犯しつゝある者なり、彼は彼れ自身腐蝕しつゝあ(51)る間ぶ尚も世人を腐敗しつゝあり。
 
       ブルーエヤ
       (仏国の著述家)
 
 書籍若し汝の精神を鼓舞し、貴き且つ勇ましき感情を以て汝を励まさば;汝此事を判断するに他の標準を求むる勿れ、是れ善き書にして善き著者の手に成りしものなり。
 
       ジェレミー コリヤー
       (英国の神学者)
 
 人常に読むことに依て賢くならんもせば是れ常に食して強くならんとするが如し 書籍をして吾人の用を為さしめ、心に健全と活気とを供せしむるものは吾人の思惟と消化力となり。
 
       チヤルス ブラント
       (英国の諷刺家)
 
 如何なる耳学問と雖も読書の如く教化に有効なるはなし;そは文字に現はれたる議論は言葉に現はれたる(52)ものに比して心に消化し易く且つ能く其真意を通じ得べければなり、言葉は其言ひ様、調子或は手真似に依て事物の単純を損ふの恐あり;又其発音の急激なるがために聴く者に其告げられし事に就て熟慮するための充分の時間を供せず。 〔以上、3・15〕
 
       第七回
 
       ジヨーセフ アヂソン
       (英国の論文家)
 
 書籍は大なる天才が人類の為めに遺せる遺産にして、代々に伝へらるゝものなり。
 
       ヘンリー フィールヂング
       (英国の小説家)
 
 吾人が書籍の為めに腐敗せらるゝは友人の為めに腐敗せらるゝが如く易し。
 
(53)       チエスターフィールド公
       (英国の政治家にして文学者)
 
 懦弱無智なる読者を楽しません為めに、懶惰なるにあらざれば貧乏なる著者に依て公にせられたる区々たる無益の書の上に汝の時間を少しなりとも費す勿れ、斯る種類の書は毎日吾人の週囲に蜂の群がるが如くに群集す、此点に於ては智識は恰も権力の如し、最も多く有する者は更に多く得んとの願望を起す、智識は之を有するに依て吾人を飽かしめず、反て吾人の希慾を増す、斯の如きは他の快楽に於て稀に見る所なり。
 
       サミュエル ジヨンソン
       (英国有名の文学者)
 
 青年は毎日五時間づゝ書を読むべし、而して斯くして多量の智識を得べし。 全躰の原理は書籍より得ざるべからず、談話に依て吾人は組織立つたる智識を得る能はず。
 手に執て容易く炉辺に持運ばれ得る書は是れ凡てに(54)比べて最も良き書なり。
 智識に二つの種類あり、一は吾人自身に一問題を知るにあり、然らざれば之に関する説明の何処にある乎を知るにあり、若し吾人或る問題に就て研究を遂げんと欲せば、吾人の先づ第一に為すべき事は何れの書が之に就て説諭し居るやを知るにあり。
 
       デビツド ヒユーム
       (蘇格蘭の哲学者)
 
 余は成功を以て教育の普通の順路を通過し、夙に文学に対する情熱に襲はれたり、而して此情熱たるや余の生涯を支配するものとなりて、余に快楽を供する大なる泉源となれり。
 
       ゴールドスミス
       (英国有名の詩人)
 
 余が始めて善き書を読む時に余は恰かも新らしき友人を得しの思あり、曾て一読せし書を再読する時は余は旧友に再会するが如くに感ずるなり。(55) 〔以上、3・25〕
 
       〔第八回〕
 
       ジヨン ムーア
       (蘇格蘭の医士兼文学者)
 
 読書を嗜むの最大利益は屡々吾人を悪友の中間より遠くるにあり 何となれば家に在つて常に必ず善き友を得能ふ人は外に出て悪き人と共に歩み且つ止まるの要なければなり、
 
       ギボン
       (英国の歴史家).
 
 吾人をして書を読むに或る一定の方法を以てせしめよ、而して吾人が勉学に依て達せんとする一の目的点を定めしめよ、読書の用は吾人の思考力を補ふにあり、
 
(56)       ウイテンバツハ
       (独逸の哲学者)
 
 如何なる職業如何なる事業と雖も若し読書せんとする志だにあらば、必ずや毎日多少の読書時間を之に従事する者に与へざるものあるなし。
 
       ジヨン ヱイキン
       (英国の医士兼文学者)
 
 嘗て地上に住せし大人賢者の霊を喚び起し、彼等をして最も興味ある問題に就て吾人と語らしむるの権能吾人に存すると仮定せよ、是れ吾人に取りて無量の特権にあらずや、何者の快楽か之にしかんや、然るに吾人は好く整頓せる書斎に於て実に此大特権を楽しみつゝあるなり、吾人はゼノフーオン及びシーザーより彼等の遠征に就て聞き、デモセネス及びシセロをして我が前に懸河の.雄弁を揮はしめ、ソクラテス及びプラトーをして我が前に哲理を講ぜしめ、ユクリツド及びニユートンより直に数理の解析を聞くを得るなり、
 
(57)       ゲーテ
       (独逸の文学者)
 
 此世に在て善事を為さんと欲する者は非難攻撃に従事すべからず、吾人は毀つよりは寧ろ建設すべきなり。
 
       ウイリヤム ゴツドウイン
       (英国の文学者)
 
 書籍は人間に取りて最も栄誉ある総てのものゝ蓄積所なり、文学は其内容よりいへば人間界と動物界との間に横はる一大分界線なり、故に万物は読書を好む人の掌中にあり。
 
       ジヱアン パウル リヒテル
       (独逸の文学者)
 
 学者は更に倦怠を感ずることなし……心の此新婚室に於ては(吾人の書斎は斯く名くべし)、総ての時と総ての所とより集め来りし美音を蔵する此音楽室に於て(58)は、美学的并に哲学的の快楽は殆んど吾人の撰択力を威圧するに足る。 〔以上、4・5〕
 
       第九回
 
       アイザック ヂスレーリイ
       (英国の文学者)
 
 時には自ら記者なるを忘れてたゞ人たるを思ふ著者は吾人の愛読すべきものなり、己が肺腑の情を筆に写す者は必ずや人の肺腑に訴ふ。
 
 読者は文章の供する快楽は凡て其作者に依るものと思ふべからず、何んとなれば書が快楽を供せんが為めには読者自身も亦之に何にか寄贈する所なかるべからざればなり、世には読書慾なるものありて、作者の之を読者に与へ能はざるは最も熟練したる料理人が客人に食欲を与へ得ざるが如し。
 
(59)       オルヅオス
       (英国の詩人)
 
 願くは祝福は彼等の上にあれかし、而して亦永久の讃賞も、
 我等により高き愛とより高き配慮とを与へし者の上に、
 即ち天上より呼び来りし歌を以て我等をして、地上に在て真理と聖き快楽との所有者たらしめし詩人の上に!
 
       チヤーレス ラム
       (英国の文人)
 
 余は白状す余は食事の時の外に一日の中に二十回程も神に対て感謝を述べんと欲ふなり、余は愉快なる散歩をなさん為めに家を出る時に用ゆべき感謝文を要し、又月下の逍遥、友人との会合、難問題を解釈せし時等に用ゆべきものをも要す、何故に吾人はかの精神上の快楽を吾人に供する書籍の為めに感謝せざるや、何故にミルトンを読む時にシエークスピヤを読む時に感謝(60)せざる乎、又スペンサーの詩を誦する前に感謝の会を開かざる乎?
 
       ランドール
       (英国の詩人兼批評家)
 
 智者の書きしものは吾人の子孫が決して空費し得ざる惟一の富なり。
 
       ウィリヤム ハツリット
       (英国の批評家)
 
 詩人の句は深く吾人の血液中に浸潤す、吾人若くして詩を読み、老いて尚ほ之を記臆す、吾人は詩中に他人の身の上に起りし事を読んで、我身の上に起りし事の如くに感ず。
 若し演劇は吾人に示すに人類の仮面と世間の粧飾とを以てするならば、書籍は吾人を其精神にまで導き、吾人の前に開くに吾人々生の秘密を以てす、書籍は吾人の存すべき最始のものにして亦最終のものなり、凡ての快楽中の最も親密なるものにして又最も直接なるものなり。(61) 〔以上、4・15〕 
 
       第十回
 
       チヤンニング
       (米国の宗教家兼文学者)
 
 心の正しき意志の強固なる人、即ち真の思想家の著はしたる好著作を選ぶべし、彼等は徒らに他人の言に修飾を加へて之を反覆する事を為ずして、自身言はんと欲する所を語り、以て赤誠溢るる計りの人に安慰を供す、然れば此種の著述は快楽を得んが為めに走読すべきものにあらずして確乎たる注意と真理を愛敬するの心とを以て読むべきものなり。
 
       バイロン
       (英国の詩人)
 
 言語は実物なり、而して一滴の墨汁も露の如く思想の上に落る時は、其結果、数千、或は数百万の人をして熟考せしむ、
 
(62)        ショペンハウエル
       (独逸の厭世哲学者)
 
 著作の十分の九は人々の嚢中より一二弗の金を奪ひ去らんとするより外の目的を有せず、而して著者と出版者と印刷者とは此目的を以て協同するなり。
 
       ジョン ハーシェル
       (英国有名の天文学者)
 
 余の意見に依れば小説は其最も高尚なるものに於ては曾て発明せられし文明の利器中最も有力なるものの一なり、一度此種の佳作を味ひし者は容易に読書を廃せざるべく、又それ以下の智識上の特権を以て満足せざるに至るべし、
 
       ジュリアス ヘヤ
       (英国の牧師兼論文家)
 
 額に汗して心も身体の如く其パンを食ふべきなり(63)(努力して読まざれば真理を得難きの意)
 
       トーマス カーライル
       (英国の歴史家兼論文家)
 
 願くは神の祝福、フィニシヤ人なりしカドマス、或は何人なりとも書籍を発明せし人の上にあれかし。
 復読する毎に新しき興味を供せざる書は一読の価値だも有せざる書なり。
 近世に於ける真正の大学校は書籍を蒐集せし所なり
 
 肺腑より出たる書は必ずや他の肺腑に達するなるべし;此目的に達せんが為めには凡ての文飾凡ての著述術は言ふに足らざる細事のみ。 〔以上、4・25〕
 
       第十一回
 
       ブロンソン アルコット
       (米国ノ教育家兼哲学者)
 
 好き書は好き友の如し、数少くして選択を要するも(64)のなり、其選択愈々厳にして其親交愈々深し。
 プルタークの書を蔵せざる書斎は完全なるものに非ず、余は之を読む時に何人も彼以前に又彼以後に伝記なるものを著はせしこと無く又彼一人が伝記者の名を受くるに足るの資格を有する者なるかの如くに感ず。
 
      リットン卿
      (英国の政治家兼小説家)
 
 余は大憂の身に迫るときに小説又は流行の軽薄文学に身を寄する人あるを知れり、是れ実に大病を癒すに香水を以てせんとするの類なり、心の真に重き時に平易なる読書は何の用をも為さず、余は聞くゲーテは彼の愛子を失ひし時に彼には全く新科目なりし科学の攻究に身を委ねたりと、嗚呼彼は心理作用を最もよく解する良医なりと言ふべし(心の傷を癒すに足るものは小説の楽読に非ずして却て科学の攻究にありとの意)
 
      ヱマソン
      (米国の文学者)
 
 善き文章の創作者に次ぐ者は最初に之を引用する者(65)なり、書を読む人は多くして其一節を引用し得る者は尠し、一人の之を為すや否や之を引用する者は東西に起るべし。
 書籍の与ふる利益は読者の識別力如何に依て異る、深遠なる思想と感情とは例へば金鉱の如し、同等の思想と感情とを有する人が之を発見し之を公にするまでは永く地中に眠るものなり。
 
      リッチヤード コブデン
      (英国有名の政治家)
 
 余は社会の種々なる状態を目撃せり、又職業上又快楽を得んために余の心思を奮興せしむる多くの方法を試みたり、然れども余は正直に又良心の許可を得て汝等に告るを得べし、即ち余の曾て知りし最も清き快楽は汝等何人と雖も之に接するを得るものにして、吾人の炉辺に於て書籍を透して聡明の人と語り過去の偉人と親交を結ぶ事是なるを。
 
(66)       サミユエル パルマー
       (英国ノ美術家)
 
 世に書籍の如きものあるなし、鬻がる凡てのものゝ中に比較外に廉価なるものにして 凡ての快楽の中に精神に疲労を感ぜしむる事の最も尠きものなり、彼等は場所を塞ぐこと至て少く使用せられざる時は沈黙を守る、然れども吾人一度之を手にすれば、彼等は曾て地上に住せし最も勝れたる人を其最も勝れたる時に於て吾人に紹介するなり。 〔以上、5・5〕
 
       第十二回
 
       ウェンデル ホルムス
      (米国の医師兼文学者)
 
 余は書籍を愛す。余は其内に生れて其内ちに育ちたり。故に余は書籍と共にある時は馬丁が馬と共にある時の如き安慰を感ず。
 
(67)       シオドア パーカー
      (米国の神学者兼文学者)
 
 汝を益すること最も多き書は汝をして思考せしむること最も多き書なり。平易なる読書は学に達するに最も難き途なり。然れども大思想家の産せし大著述は是れ真と美とを以て満載されたる思想の大船なり。
 
      ジヨン ブライト
      〈英国有名の平民的政治家)
 
 余は社会が余に供し得る最も勝れたる勲章の類よりも書籍を以てよく満たされたる愉快なる一室を択ぶ者なり。
 余の意見に依れば労働者の家族に与へらるべき凡ての幸福の中書籍を愛するに優れるの幸福はなかるべし。読書より来る家庭の感化は多くの誘惑と罪悪とより人々を救ふものなり。
 
(68)       ジヨン ラスキン
      (英国有名の文学者兼美術批評家)
 
 人生はいと短く、其静かなる時は僅少なり、然れば吾人は之を価値なき書を読むために空費すべからず、凡そ文明国にては価値ある書籍は印刷鮮明にして価格又正当、各人の容易に購求し得るものならざるべからず。そは吾人何人も   を要せざれば、吾人の要する丈けの書は鮮明に善良なる紙の上に印刷され且つ堅固に綴られたるものならざるべからず。
 
 全躰より言へば汝が汝の読書を詩歌、歴史、博物の諸書に止め、小説并に戯曲の類を避けるならば、之に依て汝の心は愈々健全なるに至らん。
 
 世に我等何人たりとも読まざるべからざるの書あり而して余は汝に告げんとす、汝若しホーマー、プラトー、イースキラス、ヘロドータス、ダンテ、シエクスピヤ并にスペンサー(詩人)を読むべき丈け読み悉すならば汝は其左右に書籍を拡げて無限の読書を継続する(69)に及ばず。 〔以上、5・15〕
 
(70)     〔燈前沈思 他〕
                    明治33年2月5日
                    『東京独立雑誌』57号「思想園」                        署名 角筈生
 
    燈前沈思
 
〇国を治むる事は左程の難事にあらず、難事とは蓋し我意を支配するにあり、慾を抑ふるにあり、位を軽んずるにあり、心の富を楽んで身の栄光を耻とするにあり、英傑は政治家の中に求むべき者に非ずして反つて小農小賈の間に尋ぬべき者なるは全く之が為めなり。
〇余は目下十数名の小女を統治する者なるが、之を為すは恰かも大国を治むるが如くに困難なり、若し余の心裡に一片私慾の存するあらん乎、繊弱なる小女子と雖も容易に余の命を重んぜざるなり、然れども余にして先づ余の心より私慾を根絶せん乎、余は真正の意味に於て彼等の牧者となり、余は彼等を愛し、彼等も亦能く余の声を聴くなり、余は確信す、此無私の心を以てすれば、大帝国の治に臨むも之を御するに何の難き事やあらんと。
〇信仰は単一ならざるべからず、深遠ならざるべからず、広大ならざるべからず、而して確固たらざるべからず、狭隘にして自国以外に出でざる信仰の如きは抑も我国を救ふに足らざるのみならず、亦た我自身をも救ふに足らざるものなり、単一、遠大、確固の信仰を有するに至らん事こそ余の唯一の熱望なれ。
(71)〇余は神を信じ、救主を信じ、奇跡を信ず、蓋は神なく、救主なく、奇跡なくしては此世は救はるべしと信ずる能はざればなり、若し単に自然と人為とに依て斯国が救はるべしとならば余は全く失望せざるを得ず、然れども余は世に石を変じてアブラハムの子と成すを得る全能の神在りと信ずれば、彼の奇跡に依て能く斯偽善国も真正の君子国とならざらんやとの希望を懐く者なり。
〇カーライル曰く『余は未だ死人の復活せし奇跡を見し事なしと雖も新たに人の世に生れ来るの奇跡を幾回か目撃せり』と、偉人の生出は確かに奇跡なり、然り奇跡の最も大なるものなり、文部省と数万の偽善的教育家はよく一人の人物を作り出すこと能はず、然れども神若し意に称はゞ立ち所に数百千人の偉人を斯国に出す事を得ん、余は日夜に偉人の輩出を祈りて息まず。
 
       ――――――――――
 
    真理の実用
 
〇真理を人に伝ふるは偉大なる事業なり、昔はイエス基督、ヤコブの井の傍にサマリヤの婦と語り、彼女に伝ふるに精神的宗教の奥義を以てせり、彼女は直に走り帰て眼に救世主を視しを同郷の人々に伝へければ、村人挙て新福音に接するを得たりと、人或は少女に真理を伝ふるを以て実に小事なりと做す者あれども、余輩は彼等の中或はルーテル、或はクロムエル、或はリンコルンを哺育する者あらんを信ずれば、彼輩に授くるに余輩の有する最善最実の教義を以てするを怠たらず。
〇偉大なるは真理の勢力なり、是れ一粒の芥子の如し、之を地に播く時は凡百の種よりも微小なれども、既に播(72)いて萌え出れば凡百の野菜よりも大且つ巨にして、空の鳥其蔭に棲むほどに成り行くなり、国を興すの途、文明を作るの方も人心に真理を植え付くるより他にあるべからず。
〇我に真理あり、又我が真理を聴くの人ありせば我は既に大事業家と為りし者なり、其人の何人たる乎は我の関する所にあらず、路傍に彳む乞丐たれ、未だ一丁字を解せざる小女たれ、神の形に像られて造られたる以上は、我は之に真理の注入を努めて、其決して無益の業にあらざるを知る、我に取て最も悲しむべき事は我に君寵のなき事にあらず、亦た貸財の施与すべきものなき事にも非ずして、我は我が生命を賭しても之を他に伝へんと欲する程の真理と確信との我が心裡に存せざる事なり、既に之あらん乎、我は富に於ては陶※[さんずい+猗]に優り、位に於ては大臣の上にあるなり。
〇世に義人なし、一人もあるなし、人として此世に生れ来りし者にして神明に対して罪人ならざるはなし、国王然り、僧侶然り、男児然り、婦女然り、若し人に帰するに完全無欠の性を以てするものあらば、蓋は確かに偶像崇拝の一種と云ふべし、羅馬人の皇帝崇拝、天主教徒の法王崇拝、英米人の婦人崇拝は皆な之を行ふものゝ品格を毀損し、其徳性の堕落を来らし、其智能を鈍らし、終には心身の束縛を招きて、国家の滅亡、社会の壊乱を呼ぶことゝなり了るなり、人は悉く神に対しての罪人にして、而して神の救済を要する者なるを知りてこそ、吾人は始めて人生の大秘義を解せりとや謂はん。
〇既に一個の義人を留めざる人世より理想的人物を求めんと欲す、是れ英雄崇拝なる迷信の依て興る一大源因にして、多くの誤解と、失望と、災禍とは此病的人生観に伴随し来る、彼の天女を婦人の間に求めて失恋せる可憐の男子、無私無慾の標本を政党の首領に望んで耻辱の淵に沈淪する政治家、法主を活仏として拝し、一たび其獣(73)慾漢なるを悟りて疑惑の衢に彷徨する宗教家等は、皆神を知らず、人生の真訣を解せざるより救ふべからざる此悲境に陥りし者なり、人動もすれば真理なるものゝ無用を喋々する者あれども、余輩は真理欠乏の故を以て幾多の衆が絶望の奈落に永遠の死を悲みつゝあるを知るが故に、余輩の力の在らん限り、余輩の知り得し総ての真理を余輩の同胞に頒たずして息まんや、是れ余輩が天と人とに対する最大の義務なりと信ずればなり。
〇人の失敗するや彼は方法を錯りしを悔いて、絶へて其精神に誤謬ありしを覚らず、奚ぞ知らん誤謬的方法の実は誤謬的精神に起因するものなる事を、意志先づ錯雑して適正なる計画の出で来るべき筈なし、明瞭なる意思は智慮ある方法を生むものなるは何人も理解し得るに非ずや。
〇若し真正に人生を解釈し得ん乎、吾人の執るべき方針、吾人の従事すべき事業は求めずして吾人の前に現出し来らん、前途の崢エを歎ち資力の足らざるを患ふるが如きは未だ人生の何たるを知らざるの証左と見るべきなり。
 
(74)     炉辺時事談
                     明治33年2月5日
                     『東京独立雑誌』57号「雑壇」                         署名 独立生
 
〇如何です、政治家達、此寒天に二人挽の人力車で大臣の訪問、実業家の会合等に御奔走で少しは此金甌無欠の君子国も改善の途に就きましたか、此聡明なる国民は国事を挙げて諸君に委ね、諸君より望むに政治法律は勿論、教育、道徳、宗教に至るまで人生万般の改革を以てします、若し神様が諸君の心中を知り給ふやうに国民が諸君の御技量を知りますならば彼等は決して如斯宏大なる注文を諸君に為さないに相違ありませんが、然し幸にも諸君は神ならぬ此国民の間に御生れなさりましたから諸君の金縁眼鏡とフロツクコートとドラ声と虚勢とを以て胡魔化的に威張て此世を御渡りなさる事が出来るのは諸君に取ては御芽度の限りと私は諸君に御祝ひ申上ます
〇又偖も宗教家諸君、諸君の御寺と教会とは如何です、宗教法案が議会を通過されては大変なりと騒ぐやうでは民衆済度は甚だ覚束ないではありませんか、宇宙の大道なるものは政治家輩に左右せらるべき者でない事は諸君も御承知でせうが、私などは万一政府が宗教を厳禁しやうが余り苦には致しません積りでございます、曾てフランクリンが申しました通り政府の保護を受けるやうな宗教は無用の宗教となりしものであるから返て世の中から消へて了つた方が宜いとの事でありますが、実に爾うでして、諸君の唱道する仏教なるものは日本に於ては既に不用物となりし者であるとの事は諸君の御運動に依て私共には能く分りました。
(75)〇又基督教会の先生方に申上まて、諸君はイツモながら宣言のみなさりまして、一つとして勇ましき御生涯を御示しになりませんが、如何です明治も第三十三年になりましたから少しは正気に御成り遊ばしては、親睦会だとか、歓迎会だとか、追悼会だとか、共励会だとか云ふて遊び事ばかりなさつて、正気真面目に罪悪と戦ひ、神に頼て独立を全ふせられなければ諸君も矢張り浮女《うかれめ》同然の生涯を送り遊ばしては、愚図々々すると天国ならぬ他の処へ行きますぞ。
〇次に教育界の諸先生達、十有余年の諸君の御勤労に依て無数の忠臣愛国者を御製作になりましたのは諸君の御功労と深く日本国に代て諸君に御礼申上ます、斯くも国民一同が金力を賤しみ、虚栄を白眼視するに至りましたのは全く諸君の薫陶其宜しきを得たからでして、諸君も邦人今日の道徳的状態を御覧遊ばしてサゾかし御満足でございませう、承はれば国家教育の先導者たる文科大学長文学博士井上哲次郎氏には先般万朝報へ英文の書翰を寄せられしが、僅かに四十七行の英文中に二十余の文法的誤謬がありしのみならず、其文躰と云ひ、思想と云ひ、実に能く日本の教育家を代表する者なればとて或る西洋人の如きは之を本国の新聞に送りて日本人の智識の程度を彼等の国人に紹介したとの事でありますが、実以て日本国の名誉ではありません乎、之も元々基督教国の文明を斥けられ、国粋の美を挙げんとて枕草紙、源氏物語の攻究を青年子弟に勧められし先生方の御骨折の結果と思へば諸君の御尽力も大抵ではございません。
〇シテ又新聞記者諸君に申上ます、諸君のお庇陰を以て国民の思想も大分高まり来り、当時は輿論なるものは失せて迹なきに至り、紙上唯一の読物とは回向院に於ける相撲の勝負とまでに成り上がりましたのは是又甚だ結構なる事ではありません乎、日本国今日の理想的英雄は實は乎重盛又は楠正成ではなくして、常陸山、梅の谷、荒(76)岩、小錦、鳳凰等の力士であるとは英雄崇拝も日本国に於て其絶頂に達したと申されやうと思ひます、彼等肉有つて学と徳とに欠くる者、若し牛が人間と成つて生れ来りましたならば明治時代の日本に崇拝されるだらうと思ひます、昔時は埃及に於てアピス崇拝なるものがありまして白色無垢の牛に国民全躰が崇敬を奉つたそうですが、アピスも今は明治の今日日本人と成て生れて来なかつた事をサゾかし悔いて居りませう。
〇実に何事も賀すべき事計りです、政治と云ひ、宗教と云ひ、教育と云ひ、文学と云ひ、一として間然する所はありません、是で露西亜が目下新造しつゝある軍艦を悉く旅順港に集めまして、今年中に西比利亜鉄道を落成させて今日既に太平洋附近に集合しつゝある十一余万の陸兵に更に二三十万を加へましたならば、少しは面白き問題も出て来て政治家、新聞記者其他の諸君達も更に一増の御多忙を御感じになりませう、先づそれまでは御安心で何を御喋べりなさろうが、何をお書きなさろうが、誰も諸君を御咎め申す者はありませんから、今の間は御随意に御運動遊ばされて御蓄財が専一だと存じます。
 
(77)     『道』
                    明治33年2月15日
                    『東京独立雑誌』58号「感慨録」                        署名 独立生
 
    道とは何ぞ
 
 道とは空々漠々、雲に駕して天空に飛昇するが如きものに非ず、明理正確、是々、非々、否な々々、然り々々、是れ道なり、是より以外のものは邪道なり、然り、罪悪なり。
 汝盗む勿れ、虚言を吐く勿れ、姦淫する勿れ、人を敬ふて之を利用する勿れ、ヽヽヽヽヽ道とは実に斯の如きもの、決して曖昧糢糊を許さず、その明瞭疑ひなきこと天日も及ばざるなり。
 故に道に達するの途は他にあらず、大胆に真直に此明大なる途を歩むにあり、彼の工風を凝らすとか称し禅堂に結坐して幽裡を夢み、或は学海を跋渉するとか唱へて空理を闘はすが如きは決して道に達するの途に非ず、酔ふては賤妓の膝に枕しながら覚めては禅榻に凭れて清風に臥すと云ふ輩、或は懶坐して囲碁の遊戯に神の吾人に賜ひし貴重無極の時間を徒消しながら半睡の間に悟道を語る者の如き、如何んぞ神の意志にして人類の律法たるべき純清潔白なる此宇宙の大道に達し得んや。
 道を識るは真面目の業なり、是れ正に斎戒沐浴して探るべきものなり、是れ読書して求むべきものに非ずして、労働して然る後に得べきものなり、是れ瞑想して幽暗裡に究むべきものに非ずして、刮目して白日赫々の下に尋(78)ぬべきものなり、蓋は道は心の属《もの》にして脳の属に非ざればなり、実行の属にして冥想《スペキユレーシヨン》の属に非ざればなり。
       *     *     *     *
 悟道を以て技術の一種と見做すが如きものは実に悪魔なり、彼は之に依て道徳を実行界以外に駆逐し、滔々世人をして仁慈ならざるも賢人なりと思はしめ、勤勉ならざるも君子なりと称せしむ、夫れ俳優に在りては実徳に欠くる処あるも其技に長ずるあれば名優たりと謂ふを得べし、然れども人は不品行なれば如何に工風を凝すも道徳家たるを得ざるなり、彼の禅学を修めし人にして譎計詐術に富み、真理を口にしながらも人を災禍に誘導するを以て意とせざる一種の悟道者あるは、吾人の此言の不当ならざるを証し得て余りあるなり。
       *     *     *     *
 道は直に良心に訴ふべきものなり、徒らに査覈的趣味を惹起すものゝ如きは道と称せらるべきものにあらず、道の直に喚起すべき感は吾人の罪に関する羞耻の感なり、故に先づ吾人に深き悔改の念を喚び起さゞる道は邪道なり、是れ真の道には非ず、吾人を精神的に傲慢ならしむるもの、吾人の過失を蓋ふに迷理の細網を以てするものは、吾人が真正の悟道に達するの途を遮断する毒霧と云ふべし、伊太利人の諺に曰く『より善き者は善き者の敵なり』(il meglio e il nemico del bene.)、道の大敵は喃々として道を語るも真個に道を説き得ざる者なり、即ち道を以て道の躰面を汚損するものなり。
       *     *     *     *
 偽学者、悪人、懶漢、俗物者流が彼等の良心に大苦痛を感ずることなくして楽しみ得るの道を慎めよ、幾多の奸物の良心に魔睡薬の効力を奏する禅宗、幾多の偽善者と軟骨漢に痴情的愛心を注入して安心立命を夢想せしむ(79)る宣教師的基督教、東洋豪傑を気取り、能く飲み、能く戯れ、能く国事を談ずるも、米一粒をも実際的社会に供給し得ざる幾多の徒に尚ほ達士偉傑の誤想を起さしむる老壮の末学ヽヽヽヽヽヽヽ是等は皆な人を蠱惑するものなり、国を亡すものなり、真理の進歩発達を碍ぐるものなり、甚しい哉自ら僭して道と呼び、宗教と唱へ漫に貴重なる名称を濫用する事や、吾人孜々として真理の聖域に達せんと志しつゝある所のもの、豈彼等の美名に眩迷されて吾人の霊魂を其誘惑的指導に任ずべけんや
 
(80)     百姓演説 人と人
                     明治33年2月15日
                     『東京独立雑誌』58号「雑壇」                         署名 角筈生
 
 眼あり、鼻あり、二本足で羽がなければ人は人たるに相違ない、彼は猿に非ず、馬に非ず、亦た牛にも非ざる事は動物学者の鑑定を竣たずして直ぐ分る、然も人にも幾等か種類がある、孔子も人なれば我国の政治家も人である、二万巻の書を読み尽せしと云ふグラッドストンも人なれば東京日々新聞、京華日報の外は些しも他の文字に眼を触れないと云ふ人々もある、それ故に先づ人の種類を調べて見なければ四千万有ろふが五千万有ろふが別に驚くには及ばない、支那には四億万の人が有るそふだが其多分は豚の類であるとは能く日本の愛国者の唱ふる所である、カーライルはシエクスピヤ一人は英国に取ては二億五千万の人口を有する印度帝国よりも貴いと云ふたが実に爾うだらふと思ふ。
 能く我輩の聞く所だが、日本の人口は四千万余であつて、英国のそれよりも多く、仏国とは殆んど同数で、僅かに独逸に劣り、又伊太利に勝ると云ふことである、是は勿論頭の数を算へて曰ふたのに相違ない、成る程人口が四千万あれば四千万人前の米を食ひ、大凡そ五十年置き位には四千万本の石塔を建てるに相違ない、然もそれで必しも日本は英、仏、独、伊と同等の国であるとは云へない、見給へ日本に滞留する欧羅巴人は僅々二千人に過ぎないけれども九個の日々新聞を支へて居るではないか、又信洲の軽井沢、野州の日光、山城の比叡山等彼等(81)白哲人種の避暑場に於ては毎年百人余の欧米人が集合すれば直に特別郵便配達は開かれ、通運会社は夏期出張所を設け、西洋食品店、西洋洗濯星等は勃々として起り、宛がら一市街が開かれしの観があるではないか、即ち彼等の百人は我等日本人の二千或は三千人の消費力を有し、彼等日常生活の状態は平均我国の勅任官以上の資格あることを示して居るではないか。
 それだから人にも色々種類があると云ふのである、我も人なり彼も人なりなどゝ威張ても駄目だ、彼は一日少くも一円の料理を食て居るのに我は十銭で食て行けるやうでは彼は我の十人分の人であると云はなければならない。
 然も是は単に肉躰の方面から云ふた計りであるが、智識の程度から云ふても欧米人の四千万は決して日本人の四千万の比べ者ではない、見給へ、日本に雑誌らしい雑誌が幾個あるか、殆んどないと云ふても宜ひ程ではないか、そふして有る者とては実に微々たるもので、若し少し六ケ敷ひ事を書けば直きに売れが止まると云ふて、芸者の写真を入れたり、文学博士の投書を請ふたりして子供騙しのやふなもの計りで漸く支へて行くのではないか、彼の博文館の太陽雑誌が英のコンテンポラリー、米のフホーラム、伊のヌオバアントロヂヤに対比するものだと云ふたら耻かしくて穴へでも這入つて仕舞ひたい程である、日本では雑誌の購買力が足らない計りではない、其読解力もないのである、四千万人が寄つてたかつて漸くサツと少年世界や中学新誌の類を四五万冊消化しつゝあるのである、実に憐むべき有様ではないか。
 然し是も亦宜しい、人はパンのみを以て生きるものに非ずとのことなれば米の飯を食はふが麦のパンを食はふが、それは彼の人格に取つて左程大切なことではない、日本にも大抵毎日精養軒や帝国ホテルの西洋料理を食つ(82)て居る華族や御用商人等があるけれども、去りとて彼等の中に一人のグラツドストンのやふな政治家やピーポデーのやふな慈善家が有るとのことは聞いた事はない、亦た智力の点に於てもそふだ、伊太利には自分の姓名さへ書けないものが幾千万と云ふ程沢山あると云ふに日本には七ケ国の外国語を誤謬なしに(?)解し得ると云ふ文学博士井上哲次郎氏のやふな人もある、一日の中に百一発の博士を製造し得る日本国は決して無学文盲の国と云ふことは出来まい。
 故に若し我輩が日本に人がないと云ふならば西洋料理を食ふ人がないと云ふのではない、又博士学士の類が居らないと云ふのではない、言ふまでもなく人の人たるは彼が西洋料理を食ふて居るからではない、又金縁眼鏡にフロックコートを着けて居るからではない、若し爾ふならば猿でも牛でも馬でも豚でも国会議員となるの資格を備へて居ると云はなければならない、若し又帝国大学を卒業して、それから大学院に入り、文部高等官の間を奔走し、外国に留学を命ぜられて然る後に博士の称号を奪ひ取ればそれで人となる事が出来るならば、幇間でも、泥棒でも、骨も良心も何んにもない腰抜け野郎でも、少しく常識を備へたる者は立派の博士となる事が出来て、終には分科大学長位まで攀ぢ上ることが出来る、之れを見ても人の貴き所以は彼は食する食物に依るのでなく、また彼の名を冠する位階称号に因るのでない事が分る。
 人の人たるは勿論仁慈相愛の性を備へて居るからである、之を備へたる者を人と云ふて之を備へて居らない者は獣類と類を同ふする者である、目があり、鼻があり、足が二本で、それに被らするに大礼服を以てすればそれで人間が出来たと思へば大間違ひだ、其上に、或は夫れなくとも、心に神の大慈を感じ、人生の真意を解し、神の前に謙遜なる者と成つて人に対して恩恵深き者と成つて始めて人間となるのである、それまでは、金が有らふ(83)が、位があらふが、学問があらふが人の人たる資格を備へた者ではない。
 日本には此資格を備へた者は幾人居るか、之が最も大切なる問題である、日本に四千万の人口があるには相違ない、即ち四千万の口があつて、毎日米の飯を噛み砕いて居るには相違ない、然し若し茲に人ありて貧民学校でも建てやふとする時に、衆人に率先して其事業を助けんとする人は幾人あるか、芸者に十円の纏頭を与ふるに少しも躊躇しない紳士は幾人でもあろふけれども私立学校に喜んで五円の金を寄付する者は幾人もない、愛国者の評判を取らん為めに日清戦争の時に二三万円の金を政府に献納した者は少しはあつたが、戦争を利用して幾十百万の金を儲けた御用商人でさへ資金を投じて一中学校を建つた人はない、即ち日本人の間には人類を愛する動機からして国の為め、社会の為め、同胞の為めに尽さんとする人は殆んどない、故に日本の金持ちより金を釣り出さふと思へば其利慾心に訴ふるに非ざれば其名誉心を動かすより外に方法はない、純粋なる愛人的慈善事業などは我輩まだ日本人の中に見た事はない。
 然るに此事を知らないで日本にも四千万の人口があるから其中に人類的大事業が起るべき筈だと思ふて、頻りに奔走して居る人があるのは笑止千万だ、之は丁度猿の群中に入て教育事業の必要を説くと同然で到底行はるべき事ではない、人らしい人が居ないんだものを、其中から人の事業らしき事業の起つて来ないのは勿論だ、世には人を見る力のない者が沢山あるものだが、此日本国に於ては有志家才子などゝ持囃さるゝ人に大抵この技倆が欠けて居ると思ふ。
 それだに依て日本の今日に在ては学校や病院を作ることよりは先づ人を作ることが第一の必要だ、人のない間はいくら金があらうが学問があらふが人らしい事業は何んにも出来ない、四千万口ではいけない、四千万人に成(84)らなければならない、見給へ和蘭は僅かに四百万人の小国なれども日本国に五六倍もある殖民地を有し、其他有名なるレイデン大学を始めとして百五十余の大中学を有つのみならず、下民保育の方法に至ては万国之に及ぶものはないとのことである、また瑞西は山中の小国であつて其人口は僅かに三百万程であるけれども、人らしき人の多い為めにや、其自由制度は世界中最も完全なるものであるとの事である、人一人は猿百万疋よりも貴ひやふに、真理を愛し、神と人とを敬ふ人は上等料理を食ふて其余には賤女に戯るゝにあらざれば野外に鳥獣を猟して天然の美を毀損するの外、何の芸なき我国の華族の如き者の千百万人よりも貴ひと云はなければならない、勿論動物学上より云へば英国のグラッドストンも人であつて、我邦の小山久之助氏も同じく人である、又統計学上より云へば二者共に政治家であるには相違あるまい、然も全能全智の神の眼より視給ふ時には我国の小山久之助と英国のグラッドストンとは同一の人で同一の政治家とは認められまいと思ふ、頭数さへ備はればそれで議会が組成されるものだと思ふは大間違いだ、議会にも色々の種類がある、南米ブラジルの林中には猿が相集つて会議するそふだ、そうして若し猿の議会なるものがあるならば、猿のやうに毛は生へて居らぬが、猿の如き心を有つ二本足の動物の議会もあると云ふ事が出来る。
 それだに依て人を作らなければ何んにも出来ない、学校も出来ない、政府も出来ない、人ならざる人の作つた文字は大抵女郎文学だ、人を作ることを努めないで、教会を作らふとか、社会を作らふとか、国家を作らふとか云つて※[敝/心]《あせ》つて居る人が多いには実に愕然《びつくり》仰天だ。
 
(85)     〔救はれざる人の心中 他〕
                    明治33年2月25日
                    『東京独立雑誌』59号「思想園」                        署名 角筈生
 
    救はれざる人の心中
 
 何となく悲惨なり、春来りて花は咲くも其栄華の時期の短きを思ふては飛花凋落の歎を発し、枝頭に佳禽の囀づるを聞きては鴛鴦の契り長からざるを恨み、明月に対しては孤独寂寥の懐を述べ、江河に臨んでは流水の逝きて復た帰らざるを哭す、風籟は悲哀の曲を奏し、波濤は苦痛の声を揚ぐ、物として彼に死あるを告げざるはなく、事として彼に無常を伝へざるはなし、彼に歓喜なきに非ず、然れども彼の常性は悲哀なり、彼は激憤し或は悲歌す、之を洩らすの術は逸興と遊宴とにあらざるはなし、彼幼にしては父と母とを怨み、長じては兄と友とを怨み、老ひては子と社会とを怨む、癒すべからざる彼の心中の悲哀は之を他に遣るの途なければ彼は其原因を他人に帰し、以て聊か彼の憂愁を減殺せんことを努む、彼は終日終夜に幸運の彼の身に到来せざるを喞ち、他人を以て凡て彼に勝りて幸福なる者と考へ、彼自身は世に在るものゝ内最も不幸なる者と思念す、彼は実に謝恩の念を欠ける者にして、彼の口に賛歌なるものなく、彼の心に湛へ難きの喜楽あることなし、世に憫むべきものにして救はれざる人の如きはあらじ、噫世間何ぞ斯種の人の多きや。
 
(86)    救はれし者の心中
 
 其中に閑日月ありと云ふも足らず、寧ろ歓楽の永遠に渉るものありと云ふべし、彼は朝暾に対しては欣喜の声を揚げ、新月の西天に懸るを見ては希望心裡に動く、碧空の際りなきは彼の福祉の限りなきを示し、青山の巍々たるは彼の希望の確固たるを証す、彼は雪を見て彼の心の其の如く白からんを願ひ、雨に会して神恩の其の如く豊かならんことを欲す、彼は風の蕭々たるに神霊の形なくして反りて効験の著しきを思ひ、彼は波に漂ふも世路難を意とせずして彼岸に神の天国を望む、彼は死を怕れずして反りて之を喜ぶ、蓋は是は彼に取ては新生涯に入るの門なればなり、彼は身の不幸を悲しまずして反て之を楽しむ、蓋は是れは彼をして一層彼の神に近づけしむるものなればなり、彼は今世に生れ来りしを悔ゐず、蓋は彼は此処に天の救済に与かり、自己を自覚するを得て神恩の無窮なるを認識するを得たればなり、彼は他人を羨まず、蓋は彼は彼の心に足りて他に求むる所なければなり、彼は他人を恨まず、蓋は神が彼に下せし恩恵は他人が彼に加へし害を償ふて尚ほ余りあればなり、彼は死を急がず、蓋は彼に取りては此世は天国の一部分となりたればなり、彼は労働を愛し、善業を愛し、勤学を嗜む、彼に取りては生命は喜悦の連続にして寤より寝に至るまで賛歌は断えず彼の口にあり、彼は夢に無窮の栄光を夢み、覚めては麗鳥と共に希望を唱ふ、彼は宇宙を解し、歴史を解し、万有は凡て調和を以て一中心点の周囲に回転するを見る、彼は祷るも一も求むる所なくして唯だ感謝を述ぶるあるのみ、歓喜、希望、感謝、是れ彼の生命其物にして、彼は今は老朽死に抵るの肉躰の中に宿るものなるを覚らず、
 世に羨むべきものにして救はれし人の如きはあらじ、然れども噫世間如斯の人能く幾人かある。
 
(87)     名貸し商売
                     明治33年2月25日
                     『東京独立雑誌』59号「雑壇」                         署名 笑肥生
 
 金貸しあり、夜具蒲団貸しあり、礼服貸しあり、馬車人力車貸しあり、是れ皆な正直なる商売として目せらるゝが、照代の世の有難さ、今は名貸し商売の盛に行はるゝに至れり。
 他人の著述に位階又は学位附きの名を貸して其の利益の分配に与かる貴族と官吏と学者とあれば、外国人の建てし学校に名を貸して些少の補給に与かる基督教信者あり、会社に名を貸して株券の贈与を受ける政治家の如きは言はずもがな。
 代議士たるの貴きは之に由て国政に参与するの特権を附与せられしが故のみにあらずして、之を片書に利用して或は鉄道会社を、或は埋立会社を自身は一文なしにて起す事を得るの勢力を与へられたればなり、学士の称号の貴きは之に深き学識の伴ふが故に非ずして、之を片書に利用して或は出版会社に雇はれて其機関雑誌に愚論を吐露しても世の排斥する所とならず、或は地方の中学校に教鞭を執て年俸八九百円の俸給に有附く事を得ればなり、外国人より洗礼を受けて基督教信者となるは之に依て霊魂永遠の救済に与かりしが故のみに依る者に非ずして、「土着の信者《ネチーブコンバート》」なりとの故を以て、或は一躍して数万円の財産を有する宣教師学校の名義校長となりて日本紳士録に其名を記入せらるゝに至り、或は病院に長たり、教会に牧師たるを得てボーイ、コツクの類より尊敬を(88)仰ぐに至ればなり。
 蓄財の第一途は名を売るにありとの事なれば、一度び其価格の定まるや、之を貸与して優に一家を支ふるに足る、金と夜具蒲団とは之を貸して紛失するの虞ありと雖も、名に至ては是れ無形の財産にして、之を持つは数百千円の公債証書を所有するに勝る也。
 嗚呼名なる哉、名なる哉、貴族の列に加へんとの相談を受けて「我に寧ろ上等の烟草一箱を与へ」との言を以て之を斥けしトーマス、カライル、終生単純なるミストルを以て此上なき名誉と信ぜしグラットストーンの如きは、今日の日本人の眼より見れば馬鹿者の骨頂と称せざるべからず、博士は少くも二千円の価値あり、学士は八百円、宣教師学校の校長とあれば M、A の学位を得るは容易にして、少しく牛馬の忍耐を継続するを得ば D、D(神学博士)の聖号も得難からず、名を貸して渡世する者は幸福なるかな、彼は正直なる労働に従事せずして餓死するの患なければなり。
 
(89)     怒るまいぞ(新福音)
                     明治33年2月25日
                     『東京独立雑誌』59号「雑壇」                         署名 独立生
 
 怒るまいぞ、怒るまいぞ、如何なる事がありとも怒るまいぞ、怒るは健康に害あるのみならず又た財政にも害あり、笑ふ門には福来るとの事なれば、余輩は如何なる場合に於てもニコ/\然として此世を経過すべきなり。
 偽善者国政を握るも何にかあらん、余輩は彼等に向て憤怒を発すべからざるなり、之を為して余輩或は不敬の罪を以て糺さるゝに至るやも計られず、余輩は唯福笑して天下を彼等の為す所に任かし、以て余輩の安全と健康とを画すべきなり。
 神の教会は幇間者流の手に委ねられ、同一の口を以て讃美歌と阿諛と虚言とは唱へらるゝも、余輩は決して怒るべからざるなり、之を為して余輩は過激家を以て評せられ、終には無神論者を以て遠けらるゝに至るべし、余輩は此場合に於ても笑て肥るの政略を取り、愚物先生に大聖人の称号を奉り、以て余輩と余輩の家族との安全と幸福とを計るべきなり。
 余輩に度量大海の如きものなかるべからずと云へば、余輩は泥海を飲み、魔界を消化し、鼓腹して以て「仁慈寛容」を謳歌すべきなり。
 以上は余輩が近頃基督教の或る先生より聞くを得たりしものなり、之を聞ひて余輩は新福音に接せしの感あり(90)たれば記して以て之を余輩の読者に分つ、但し之を服膺するとせざるとは読者諸君の意気如何に依るものとす。
 
(93)     〔今日此頃 他〕
                     明治33年3月15日
                     『東京独立雑誌』61号「雑壇」                         署名 角筈生
 
    今日此頃
 
 今日此頃の愉快さよ、厳冬は去て鶯は早や既に庭前に来て朝毎に春の希望を歌ひつゝあり、近隣の梅林は悉く香を発ち、余輩をして杖を曳いて一々之を訪問するに遑なからしむ、朝は太陽に先んじて起き、東天の黄金色を銅盥の底に映しながら斎戒沐浴の礼を終へ、簡単なる祈祷に学生一同を食に就かしめ、室に帰て伊太利文一句を誦すれば余の朝餉は既に卓上にあり、之を終へて倫敦電報を手に取り、数滴の涙を南阿なるブーア人の為めに流し、正義必勝の信を固め、書斎に入て日々の業に就ば過去六千年間の歴史は余の眼の前に開るゝあり、之に全注意を奪はるゝ事一時間余にして、筆と紙とを以てする余の戦争は始まるなり、独り机に対して喜憂交々起り、室内は紙片散乱して時に或は小関ケ原の観あり、午後は不相変の散歩、落合の鏡橋より西の方甲武鉄道の土堤を経て十二社熊野神社の森を遠望するの辺は余の特愛の風景なりとす、斯くて身を外気に曝して胃の腑に大なる空虚を生じ、「空腹は最も書き健胃剤なり」とのドンキホーテ物語に於けるサンコパンザの言を思ひ出し、麁餐に山海の美味を感ずれば、六時半の鈴鳴に伴はれて、教室に入り少女に倫理と宗教とを語る、一時間にして又室に(94)帰れば懐敷《なつかし》きランプは余を迎へ、余に尚ほ寝前二時間の読書筆硯の快あらしむ、斯くて幸福なる一日を終て又も簡単なる感謝と共に眠に就けば明朝の希望は余の心を満たして、余をして床中に覚えず「人生是喜楽」の声を放たしむ。
 
    君子国に於ける正直の価値
 
 曾て拝金宗国と称せらるゝ米国に在りし時、彼国に於ては正直は一ケ月百弗(二百円)の価値ありとの事を聞きしが、東洋の君子国たる日本に於ては今日の処、正直は一銭一厘の価値もない、人は彼の有する公債証書又は株券等に依て価値を定められ、彼が正直なる事は彼に価を附ける処ではない、反つて之を減ずるものである、素早く切廻つて、虚言をつくべき時について、物事に余り屈托しないことは君子国今日に於ける最も価ある行為である、我輩は勿論金銭の価値がないとて正直は捨てない積りだが、去りとて君子国今日の状態は決して結構なものではないと思ふ。
 
    正義の賛成
 
 正義は賛成する計りではいけない、正義は賛成して之を行はなければならない、正義の賛成は誰でもする、悪魔でもする国会議員でもする、然し之を行ふ者は滅多にない、我輩の主張とても爾ふだ、之を賛成して貰ふ丈けでは余り有難くはない、之を大胆に実行して貰はなくつては詰らない、然し正義を賛成して不義を実行する者の多いには実に困まる。
 
(95)     〔英国に対する日本人の同情 他〕
                   明治33年3月25日
                   『東京独立雑誌』62号「感慨録」
                   署名なし
 
    英国に対する日本人の同情
 
 肥後生れの或る文士にして薩長政府の謳歌者某、南阿に於けるブーア軍の敗衄を聞いて其同僚に告げて曰へるやふ「独立雑誌社は何んぞ此際トランスバールに向け弔電を発せざるや」と、彼の意蓋し彼が英軍の勝利を予期せしに(而して何人か此事を予期せざりし者ぞある)果して其の如く成り行きしを見て斯く嘲笑を発せしなるべし。
       *     *     *     *
 然り、余輩はブーア人に向けて弔電を発する事あらんも、彼の児玉某の顰に傚ふて英国女皇に向け祝電を発するが如き愚をば為さゞるべし、我国滞留の英国紳士某此事を聞き窃に笑ふて曰く「余は児玉なる人を憎みはせじ、然れども彼に向つて別段に感謝の意を表するの必要を感ぜず」と、英人の度量実に嘉みすべきかな。
       *     *     *     *
 ロバーツ元帥十二万の精鋭を率ひて南阿の土民兵三千を生擒にす、之を聞くや祝電を発して英国の勝利を賀す、是れ豈に常陸山が小児を捻り潰したればとて彼に向て仰々しく祝辞を与ふるの類ならずや、斯かる場合に於ては(96)捻り潰されし小児に向け弔辞を呈するこそ普通人情に適合したる行為ならずや。
       *     *     *     *
 日本人固有の仁慈義侠の性を殆んど全く放棄せし明治今日の日本人中にブーア人に同情を寄する者の多からん事は余輩の曾て予期せざりし所なり、藩閥政府に屈伏し、非理と知りながらも増税案に賛成し、罪悪と気附きながら獰奸淫猥の輩を戴いて国家的罪悪を犯しつゝある今日の日本人が、弱くして義しきブーア人を斥けて、強くして不正なる(此場合に於ては)英国に媚びつゝあるは決して怪しむに足らざるなり、内治の精神は亦実に対外の精神なり、内に強者に阿ねり弱者を圧する輩が外に対しては弱者に同情を表し強者の暴悪を責め得るの理あらんや、日本人今日の英国に対する追従は理の最も睹易きものなり。       *     *     *     *
 抑も日本人は何が故に英国に向つて同情を表するや、是れ彼等が南阿戦争の因て起りし原を究め、是非正邪の別を明かにし、而して後英国の処置を以て正当なりと信ずるが故の行為なる乎、例を都下幾十種の日刊新聞の論説に見よ、其一二を除くの外は皆な悉く英国方にして、其彼等が英を賛するに於ても一定の意嚮あるなく、唯だ異口同音に此の際英国を賛して他日の報答を万一に僥倖せんとするものにあらずや、曰く「英国は我に利益ある友人なり」と、曰く「英国は世界の最強国なり、其感情を害ふべからず」と、曰く「英にして敗れん乎、倫敦に於ける金利は暴騰し、我貿易を妨げ、亦我国注文の軍艦製造を遅延せしむる虞れあり」と、即ち彼等は皆な利と不利とに依て彼等の百般の事件に処する者なり、彼等の此の行為に徴しても正義人道の念てふものゝ今や微塵ほども彼等の心底に跡を留めざる事を知るべし。
(97)       *     *     *     *
 実に怕るべきものは今の日本人の心事なり、彼等は利益あるものとさへ見れば悪魔と雖も往きて結托し、与みして利益なきものと認むれば天使と雖も之を追払ふ、彼等は日常利不利を以て大小を打算す、彼等は交際の方針に於て然かするもの、唯り英国に対してのみ然かするものにあらざるなり。
       *     *     *     *
 然れども憐れにも彼等は未だ英人の性格を知らざるなり、英人腐敗すと雖も未だ彼等の如くには腐敗せざるなり、ミルトンを誦しオルヅオスを暗んずる英国民は未だ全く阿諂追従を好むの民にはあらず、抗すべきの理由を以て抗せん乎、彼等は反つて彼等に抵抗する者を敬するなり、彼等の強に媚び彼等の富に服するが如きは、是れ反て英人一般の好意を買ふの法には非ざるなり。
       *     *     *     *
 今日彼等に同情を表し置きて他日彼等の吾人に対する同情を買はんとす、是れ名は同情なれども実は卑劣なる商売根生にして同情の名を附すべからざるものたり、若し個人間の交際に於て我の富栄を目的に我に同情(?)を表する徒あらん乎、我は反つて彼の卑劣を怒り、彼の面に唾棄すべきにあらずや、高貴なる国民も亦た爾かせざらんや。
       *     *     *     *
 英国に元来正義愛国の士多し、今や彼等に国家の存在を賭しても正義を実行せんとせし故グラツドストン氏の勇気と信仰なしと雖も、彼等の中には此戦争の終局を告ぐるを待ちて大に現政府に迫らんと用意しつゝあるもの(98)あり、ジエムス、ブライスは過日議院に於て述べて曰く「戦争に勝ちて後の英国の状態に憂慮すべき事多し」と、英国若し永き未来にまで其栄光を継続すべき国ならんには(余輩は切に斯くあらん事を希ふ)、英国民が挙つて此
不義の師を起せしサリスベリー、チヤムバーレン輩の罪を間ふの時は来らん、而して英国民が自己の罪過を悔ふる時は其嘗て罪過を犯せし際に彼等に向つて同情(?)を表したりし虚偽の友人を賤しむる時にして、吾人は其際に及んで如何にして再び彼等の歓心を買はんとするや。
       *     *     *     *
 言あり曰く「英人信ずべし、英国信ずべからず」と、国家は即ち国民の組織するものなれども国家の行動は必しも国民の意思のある処を代表するものに非ず、殊に英国の如き憲政の美は殆んど其極度に達せんとする国柄に於ておや、政府をして無能力ならしむるは憲政の美果の一なるは政法学者の屡々唱道する所なり、政府に依頼する事の至て少き英人は亦政府を以て其意思を発表せんとは努めざるなり、是れ英国の政府が常に英人一般の良心以下の行為に出づる理由なりとす。
       *     *     *     *
 英国政府に依頼して愚を演ぜし実例は最近史に於ては千八百六十年に於ける丁抹国と千八百七十八年に於ける土耳古の失策なりとす、前者は英国の援助を頼んで妄りに独墺の二強と兵を交へ其予期せし援助の到らざるが為めに戦敗れて空しく邦土の三分の一を失へり、後者も亦英国の後援を恃んで露国と戦ひ殆んど国家壊滅の厄運に瀕せり、「英人信ずべし英国信ずべからず」英国を頼んで露なり仏なりに当らんとする者は復た丁抹、土耳古の轍を履まざるべからず、豈深く戒心する所なかるべけんや。
(99)       *     *     *     *
 然れども才子の輻輳する現今の日本国は決して余輩の此言に聴かざるべし、彼等は一度は英国に依頼して何事をか仕出来かさゞれば息まざるべし、然り彼等は今日こそ英国の歓心を買ひ置くの好時機なりと信ずるなり、行けよ偽善者輩、汝等の思ふが儘に此の美麗なる父祖の国を処置せよ、而して他日不義に賛せし天罰が汝等の頭上に臨む時、汝等の俗智に富みし事を悔ひよ。
 
    正義と腕力
 
 余輩は正義は最終の勝利者であると確信して居る、然し正義が勝利を得るの方法は世人の期する処とは全く違ふて居る、正義は決して腕力に訴へて勝つ者ではなひ、正義は常に負けて勝つものである、是れ正義の正義として顕はれん為であつて、若し正義が正義以外の力を借りて勝つならば世に正義の実力を信ずる者は無きに至るであらふ、丁度義人が貧に居り世に窘められて姶めて其光輝を放つやうに、正義も腕力の保護する所なきに至つて始めて其真正の価値を顕はすものである。
       *     *     *     *
 昔時より今日に至るまで正義が腕力を以て勝つた例はない、ソクラテスは雅典の共和国中で最も義しい人であつたが、時の勢家の毒殺する所となつた、然し正義は之が為に負けて仕舞は為なかつた、負けない所ではない、正義は彼の死に依て一層の勢力を得た、若しソクラテスが死なゝかつたならばプラトーもセネカも世に出でゝ大胆に正義を唱へなかつたであらふ、希臘文明なるものゝ中に正義と云ふ観念を最も多く注入したものは実にソク(100)ラテスの死であつた。、
       *     *     *     *
 基督の生涯も亦た同じ事である、ユダ人とピラトとは潔白なる彼を十字架に釘けて殺して仕舞つたが、ユダヤと羅馬とは間もなく滅亡して基督の勢力は今日年に月に増進しつゝある、若し基督がモハメツトのやうに兵を起して羅馬を平げたら何ふであつたらふ、基督教なるものは早く既に消へて仕舞つたに相違ない、実に世には義人ほど強いものはない、亦た正義を亡す為に義人を殺すが如き拙劣なる方法はない、正義は義人の死に依て其根拠を一段固くする、義人が殺される毎に正義は凱歌を揚げるものである。
       *     *     *     *
 不義が常に腕力を恃むは其不義なるを知るからである、若し正義と覚らば腕力を用ふるの必要はない、腕力を以て正義を強ひんとする者は世間に往々あるが、之は未だ正義の何者たるを了解しない者である。
       *     *     *     *
 基督教国の民でありながら是しきの事が解らないとは実に驚くの外はない、爾ふして今は彼等の中の基督教の教師までが「腕力の福音」を唱へて居る、紐育にライマン、アボツトと云ふ組合教会の牧師が居るが、彼などは盛んに基督教伝道の為に非律賓群島の征服や、南阿二共和国の鎮圧を唱へて居る、我国に於ても彼の説を信じて居る基督教の教師は大分に居るそふだ、実に呆れたものでは無いか。
       *     *     *     *
 然し我々は決して恐るゝに足らない、正義は依然たる正義であつて、縦し負けても正義である、勿論我々の普(101)通の人情として我々は正義が腕力に訴へても勝たん事を望むけれども、是は正義其物の為を思ふての冀望ではない、正義の為を思へば正義は一度潰される方が宜い、是は正義必勝の方法であるからである、俗人には未だ不義に負けて世に勝つと云ふ大真理は解らない、是は基督教の奥義であつて畢竟は人類の救済とか、社会の改善とか云ふ事も皆な此深い真理の中に籠つて居るのである。
       *     *     *     *
 基督が殺されて基督の教が起り、和蘭の良民二十余万人が西班牙王の虐殺する所となつて、和蘭共和国なるものが起て、亦た夫れが間接の原因となつて、英国には清党の革命戦争が起り、米国にも独立戦争が起つて、夫れが為に世界の形勢は全く一変した、西班牙を潰したものは一昨年の米西戦争に於ける米国ではなくして、実は四百年前に西班牙人が殺した二十余万の無辜の民である、暴力を以て義人を圧した時に不義の権力は其衰亡の途に就くのである。
       *     *     *     *
 英吉利とても同じ結果を見るに至るであらふ、彼の如き強大なる国家は腕力を以ては到底之を潰す事は出来ない、然し神は英国の強を挫かん為にトランスバールのやうな小国を起して、之に正義を唱へしめて、而して後に英国の潰す所とならしめ給ふのである、英国勝ち杜国破れて而して後に杜国の唱へし自由独立の主義は普く世界を感化するに至り、英国は其天の定めし壊滅の境に臨むのである、余輩が斯く云ふのは今や杜国の運命の旦夕に迫るのを見て負惜みに云ふのでない、是は確乎動すべからざる歴史上の事実であつて、而かも亦た人生の一大秘義であると信ずるからである。
 
(102)     基督教界の諸先生に告ぐ
                     明治33年3月25日
                     『東京独立雑誌』62号「雑壇」                         署名 角筈生
 
 春光稍や見るべくして時漸く花期に入らんとす、諸君幸に健在なりや、余輩今突爾として諸君に告げんとするものあり請ふ暫く聴け、諸君何ぞ再び資を信徒間に募りて貴顕招待会を催ふさゞる、回想す昨年諸君が一たび此無上の妙案を帝国ホテルに試みてより、諸君の事業は頓に旺盛の域に進み、今や諸君の教会は信徒を以て溢れ(?)、諸君の学校は学生充満して教場の狭隘を告げ(?)、諸君の青年会に信仰復興は炎々として燃上り(?)、諸君の新聞雑誌は天下の同情と賛成とを惹きて、市上の紙価為めに暴騰するに至らんとす(?)、過去一年間の好成績実に以上の如し、アヽ諸君何ぞ百尺竿頭一歩を進め、更に奮発する所あり大々的成功を得る事を講ぜざる! 予輩は茲に至りて少しく鄙見のある所を陳せんと欲するなり、先づ今年の貴顕招待会の会場は帝国ホテルを借らずして両国橋畔の亀清楼に於てするを可とす、是れ一は諸君の招待に応ずる貴顕紳士の更に一層饒多ならん為にして、二には亦た彼等に諸君の意を伝ふるに於て尠からざる便益あらんを以てなり、諸君の彼等を過する宜しく度量大海を呑むが如くならざるべからず、決して平素の細心に疑惑する底の事あるべからざるなり、心苦しき法衣などは脱却してお蚕ぐるみの時装に更へ、諸君の胸襟を披いて、杯盤献酬の間に彼等と歓笑すべきなり、興を助けんが為には妓をも招くべく、幇間をも命ずべし、嘗て為したる如き席上自家の教義(?)を語り客情をして転(103)た寂寞たらしむるの失態を慎むべし、話題は単に社会問題に止め、株券の高下を談し、外資輸入の事をも謀り、注意して日常百般の状態より如何せば各自の生計が高進せらるゝ乎の問題をも義すべきなり、其宗教上の事に及んでは最後に能く彼等意向の所在を問ひ置き、他日諸君が運動奔走する時に当て円活に弁じ得らるべきに注意するを要す、余輩は堅く爾か信ず、若し諸君にして幸に余輩の言を納れ、軟風嫋々墨堤の桜花白雲を疑ふの時、佳辰を卜して(成るべく日曜日を可とす)亀清楼上に第二回基督信徒貴顕招待会を張らんには、朞年を出でずして日本全国は諸君の宗門に帰し、奇運大に到りて政治界に財界に其他諸君を竢つ椅子の累々として生じ、諸君の威信伝へずして行はれ、世は現在の儘にして全く天国と為り了するの感あるが如きに至らん。
 春光疾きこと飛梭の如し、依違為めに空しく好機会を逸するなからん事を謹んで告ぐ。
 
(104)     近火
                    明治33年3月25日
                    『東京独立碓誌』62号「雑壇」
                    署名 角筈生
 
〇去る廿日午後六時三十分本社編輯所の隣地なる日本基督教会角筈講義所より火事が始つた、本所は風下に当りし事とて一杯に火の子を蒙り、憐れにも此小独立国の本部も烏有に帰せんとせしも、幸に近隣諸友と消防夫との尽力に依て火災の難を免かるゝを得しは実に有難かりし。
〇然し最も気毒なりしは余の書棚に安坐せしカーライル、ダンテ、モツトレーの諸師なりし、余は火事と聞くや、先づ本誌第六十三号の原稿を取り出したり、若し之を失はん乎、或は少くも一回丈けは読者諸氏と相見えざるに至らんことを虞れたり、然し原稿を懐にして後は余は全力を前記諸先生の立退に注ぎたり、家具衣類は全く灰燼に帰せしむるも諸先生丈けは之を救はんと努めたり、余にして若し諸先生なくば余は盲人となりしなり。
〇諸先生は庭上に投げ出されぬ(諸先生余の無礼を許せ)、而して余の友人は之を受取りて危難以外の処に持運びたれば諸先生の中一人も異変なきを得たり、然れども翌日になりて一々諸先生の玉躰を※[手偏+僉]し奉れば、カーライル先生のコロムウエル伝は甚く泥に塗れ、海外より近着のモツトレー先生の如きもミスボラシキまでに汚され、価格大凡其半を減ぜられしは実に情けなかりき、ダンテ先生の二冊物も日本角筈の泥土を蒙りて彼の伊太利的美貌を失へり。
(105)〇基督教会よりの出火に斯くも独立雑誌の編輯局を荒されしは常々余輩が我国に於ける牧師伝道師等基督教会の高徳を悪口せし果報なりと思へば余輩は別に致し方なし、殊にカーライル、ダンテの諸先生迄が此火事の為めに此汚辱を蒙りしは、諸先生が常に余輩を教唆して教会と教役者とか称する西洋風の僧侶とを攻撃せしめしが故に諸先生が蒙りし刑罰なりと思へば諸先生に於ても別に憤怒し給ふ事はなかるべし、然れども師たる諸先生と弟子たる余輩とは幸にして無事なるを得たれば師弟相共に更に一層の精気を養ふて、世の凡ての醜類に当る所あらんと欲す。
〇日本国に住しても基督教会を隣家に持ちては何にやら米国の寺町にでも住むやうな心地するなり、火事を出して隣家に害を加へても牧師先生が来て正式の謝辞一言を述べるではなく、只末派の信徒一人を送りて教会は貧乏なりとの故を以て儀式一片の謝辞を述べしのみ、之も常々より余輩が普通の人とは認めざる基督教徒の行為なりと思へば深く怪しむには足らざるべけれども、去りとて世には支那道徳にも劣る基督教ありと思へば余り心地好くは感ぜざるなり。
 
(106)     〔現世の真価 他〕
                    明治33年4月5日
                    『東京独立雑誌』63号「感慨録」                        署名なし
 
    現世の真価
 
 現世は俗人に属し、過去と未来とは義人に属す、過去に在ては俗人は其本性を看破せられ、獰奸邪智の者として、国の賊として、人類の敵として歴史の面上に汚辱を留む、未来に在ては彼は神の台前より放逐され、常闇の域に悪魔と共に居り、痛哭切歯して彼の俗人たりしを歎く、彼が現世に於て半百年間の娯楽を夢みるを得たるは、過去と未来とに於ける彼の永久の羞辱を償はんが為めの上天の恩恵に由らずんばあらず。
       *     *     *     *
 牛羊の将に屠られんとするや、屠者先づ之を養ふに膏腴の餌料を以てし、其筋を肥し、其肉を豊にし、爾る後に之を屠殺す、天が現世に於て俗人を恵むも亦た此の如し、彼れ現世以外に厘毫の価値なき者、彼の身躯に血と膏との加へらるゝや、彼は幾何もなくして屠場に導かる、若し俗人にして彼の富貴の何が為に彼に許さるゝを知り得る者ならんには、彼や恐懼戦慄して一夜の安をさへ楽しみ能はざるべし。
       *     *     *     *
(107) 現世に於て勢力を得る者は禍なるかな、現世に於て人望ある者は禍なるかな、現世に於て成功する者は禍なるかな、現世に於て義人と称ばれ忠臣愛国者として崇めらるゝ者は禍なるかな、現世に於て君寵を恣にし位高く勲重き者は禍なるかな、現世に於て法主、監督、坊主、宣教師の類に熱信家なりと誉めらるゝ宗教家は禍なるかな、此故に現世に於ては不人望なるを好しとす、逆臣国賊として追窮せらるゝを好しとす、失敗するを好しとす、位無く爵もなきを好しとす、パリサイ的宣教師の輩に神を涜す者として斥けらるを好しとす、蓋は現世に於ける窮迫の状態は未来に於ける栄光の徴にして、吾人は現在に襤褸を纏ふとも、過去と未来とに於て王冠を戴くを得べければなり。
       *     *     *     *
 若し俗人たるの悲運を歎ずる者ならんには、是れ俗人に非ざるなり、俗人の俗人たるは其俗人たるを自覚し能はざるに存す、彼は俗人たるを以て天理に適ふものなりと信じ、俗以外の士を以て例外奇異の者なりと做す、恰も旦ありて夕を知らざる蜉蝣の如く、俗人は其短生涯の前後に永遠無窮の生命あるを知らず。
       *     *     *     *
 現世に勢力を得んと欲して何事も堕落せざるはなし、読者の数を増さんと欲して雅誌と新聞紙とは堕落し、王侯貴族の賛助を得んと欲して学校と教会とは堕落し、忠臣愛国者として世に目せられんと欲して教有家は堕落し、領土を拡めんと欲して国民は堕落し、俗人の嗜好に投ぜんと欲して美術と文学とは堕落す、現世と堕落とは二者相離るべからざるものにして、希望を現世以外に置かずして高貴なる事あるなし、神聖なる事あるなし。
(108) 要は全く現世を棄るにあり、権力を卑しむにあり、俗人を憎むにあり、希望を堅く現世以外に繋ぐにあり、蓋し現世は志士に満足を供するの処にあらず、是れ其供せんとする栄華と快楽とを放棄して以て天上の更に大なる栄華に与らんが為めの試錬所たるに外ならざるなり。
       *     *     *     *
 世を救ふの途は真理を信じて其為に斃るゝに在り、成功と勝利とを現世に期して其救済は望むべからず、世に救済事業の挙らざる所以は其之に従事する者に失敗の大覚悟なければなり。
 
    『行儀見習』
 
 青年男子は株式会社の役員たらんと欲し、青年女子は貴族の家庭に仲働きとならんと欲す、悲しむべきかな。
       *     *     *     *
 貴族の家庭に奉公するを『行儀見習』と云ふ、『行儀』なる文字の濫用も爰に至て其極に達せりと謂ふべし、若し我国今日の貴族の家庭に於ける奉公を行儀見習と称ふべくんば、何故に〇〇〇に奉公するをも然か称せざる、其淫猥を教へ、不義不徳を伝ふるに於ては二者何の異なる所かある、余輩は世人が其名の美なるが為に幾多の無垢の婦女子を貴族の家庭に投ずるを見る毎に悲歎に堪へざる者なり。
 『行儀』とは白粉塗抹術の修練なり、芝居見物法の研究なり、俳優の面相批評学なり、而して研究此に止まりて身に大侮辱を被むるに至らざれば幸福なり、貴族の家庭に於ける行儀見習とは之より以上のものにあらざるなり。
(109)       *     *     *     *
 貧家の家庭に女王となるは貴族の家庭に妾婢と成るに勝る、然るに貴族国の悲しさには世の婦女子たるものゝ慾望は貴族の庶子の母たらんとするに在りて、貧家の家庭に正子を育まん事にあらず、婦女子も爰に至りては其天使の如き職分を棄て牧場に於ける牝牛牝馬の類に化したる者と称ふべし。
 
(110)     文久生れの感
                     明治33年4月5日
                     『東京独立雑誌』63号「雑壇」                         署名 角筈生
 
〇僕もね今年は数へ年で四十に成つたものだからね、東洋流で云へば初老に入つたのだそうだ、然し僕なぞはね、日本に生れたけれども東洋人でも日本人でもないからね、四十位で老人には成らないよ。
〇僕の居つた米国などではね、男は三十までがボーイ(小供)でね、三十から五十までがヤングメン(青年)さ、五十に成つて漸く一人前の人となり、夫れから七十までが、働き盛りだと云ふよ、老とか翁とか云はれるにはね、少くとも七十に成らなければならないよ、僕も此事丈けは米国人に傚はふと思ふて居る。
〇然しね、実際日本人の早く老人に成るには驚くよ、僕の知つて居る人なぞでね、四十に成ると確かに老人に為つた人は大分あるよ、彼等は大学を卒業してからと云ふものは滅多に本なぞは手に取らない、勿論文学士は文学の本を見るし、工学士は工学の本を読むさ、然し夫れはね彼等が商売がら已むを得ずに読むので、何も霊性の修養を目的に読むのではない、素と/\彼等に智識を永遠に求めんなぞと云ふ考へはない、只だ此世で彼等の学士又博士の位地を保たんとするばつかりに過ぎないのさ、だから目的通りの学位が得られて、望み通りの月給が取れると、夫れで彼等は勉強を一切息めて仕舞ふ、彼等は晩酌と云ふ悪ひ習慣で貴重な夜間を潰したり、また交際々々と云つて彼等の金と時間とを大方消費して仕舞ふよ、彼等でもね一人分の人間だから、まさかに交際と(111)勉強とを一緒に遣る事は出来ないからね、元来は書物に使ふべき金を皆んな酒代にして飲んで仕舞ふのよ。
〇金は得なければならんし、学問は足らないさ、だから彼等は種々に巧んで金を取らふとする、彼等は自分の肩書附きの名を本屋に貸して、著はしも為ない本の上前を刎ねるし、一週時に三十時間とか四十時間とか云ふ時間を方々の学校で切売して教授料の百か百五十の金を儲けるよ、僕の知つて居る米国帰りの哲学のドクトルで、一日の中にナショナルの第三リーダーを三度教へる人がある、主義は何であらふと、目的は何であらふと、ソんな事には頓着しないで金に成ると来たら何んな雑誌や新聞紙にても筆を取る文学者がある、文科大学出の学士に博文舘で飯を食ふて居る者の沢山あるのは全く之が為めさ、彼等は何でも他人が目を附けない西洋の雑誌や著述を矢鱈に引出して来て、何か独創の意見でも発表するやうに麗々と書き立てる、爾ふして何うか、斯うか月々百円足らずの金を儲けて漸く彼等の「文士」の地位を維持して居るよ、一躰彼等は学問で世を渡るのでなふて、才気で以て胡麻化すのだから、彼等の注意の十分の八以上は交際とか何とか云ふ事に費やしてさ、たツた残りの一分か二分を読書に費すのよ、彼等は実に先天的の俗物で生れながらの老人である。
〇元来目的の小さい者は早く老衰するものだよ、此小さな島国に生れて、其国民の輿望を得る位で満足すると云ふ了見だからね、四十にも成ると老ぼれて仕舞ふのは当然の儀さ、また政府の賞賛に預つて、五位とか、四位とか云ふ、狐か鷺と同様な名誉が得られると、夫れで小躍して喜ぶやうな者共が早く学問を廃めて仕舞ふのも最も至極さ、彼等でもまさかに早く老人に成り度いと云ふのでは無からふけれどもね、彼等の小慾から自然に爾う成るのさ、彼等は実は公債証書の一二万円もあればそれで彼等の総ての希望を充たす事の出来る小慾の者共だからね。
(112)〇早く安気に成つて居食《ゐぐい》が為たひとは、下は芸者屋の老母より上は歴々の貴顕方博士学士達までの唯一の希望である、人生最大の目的は彼等に取ては忠臣愛国者として仰がれながら大政府の保護の下に安楽に老年を送らんとするにあり、楽隠居の生涯は彼等の最も羨む生涯であつて、若し働かずして楽隠居にして置いて呉れる者があれば、彼等の多数は歳はまだ三十でも二十でも楽隠居になることを辞さないだらふ。
〇以上が先づ普通日本人の生涯だと思ふが、僕なんぞは有難い事に生涯は聞いても怕ろしい、世の中で何が苦しい乎と云つてね、書物が読めなくなる程苦しい事はなく、亦た何が恐ろしいと云つてね、働く事の出来なくなる程恐ろしい事は無いと思ふよ、死ぬのは何時死んでも宜しいが、鎧を着けた儘で討死したいと思ふのさ、何も西行法師のやうに如月の花の盛りに死にたいと云ふのでもないがね、世の悪人原や俗物共と戦闘しながら死にたいと思ふよ、僕も此点は聊か正成兄弟と同感だ、七度び人間に生れ変つて国賊ではない、俗物共を鏖穀にして見たい。
〇青年よ、青年よ、何歳に成つても青年よ、縦令ひ此世に三千年生き長らへて見た所でね、我々の思ふ所を皆んな成し遂げる事の出来るものではない、若しも我等の四十か五十の短かい生涯で、目的が達せられるなぞと思ふようならば、夫れは飛んでもない了見違ひと云ふ者だ、人生の全部が先づ我々の小学校時代であつて、我々は死んで姶めて本当の生涯を始める者であるから、七十に成らふが八十に成らふが、我々は常に青年の希望を懐くべきである、頭に白毛の生へて来るのは老人に成つた徴ではなくして我々が希望の域に近づいて来た兆候であるから我々は冬の仕舞に春の木の芽の萌すを見て喜ぶやうに、歳を経る毎に益々若くなるべきである、若くなるとは勿論伊藤侯や、井上伯のやうに青年時代の不品行を継続すると云ふ事ではなくして、智識を愛する益々篤く、労(113)働を愛する愈々切なる事である。
 
(114)     不平家を慰む
                     明治33年4月15日
                     『東京独立雑誌』64号「雑壇」                         署名 角筈生
 
 世に悪人もあれば善人もある、悪魔も居れば天使も居る、無慈悲貪慾の人もあれば、憐愛無私の人もある、暴風雨の日もあれば、晴空一塵を留めざる日もある、人の死ぬ日もあれば人の生るゝ日もある、悲しき時もあれば喜ばしき時もある、闇黒もあれば光明もある、我等は決して失望すべきでない。
 死を以て物の終結だと思ふのは間違だ、物の終結は死でなくして生である、悪を以て世に最も強きものであると想ふのは間違だ、世に最も強きものは悪にあらずして善である。我等は何も此国一ケ国に生れて来たものではない、此国に善人と同情者とがなければシベリヤ流竄中のロシヤ人の中にも、故国防衛中のトランスバール人の中にも我等の友人は沢山居る、我等は又何も此世界にのみ生れて来た者ではない、我等は此世に於ては殺さるゝとも他の世に於て復活することが出来る、詩人ミルトンは彼を窘しむる圧制家に対ふて云ふた、「汝は実に余の生命を奪ふの権を有す、然れども余も亦汝の如き者を卑むの権を有す」と、我等は腕力を以て俗人に抵抗する事は出来ない、然かし我等は心よりして彼等を卑しむ事が出来る、我等は確かに彼等よりも強い者である。
 彼等には金と位とがあり、我等には神と思想とがある、彼等は新聞紙を読んで喜ぶも我等は詩を読んで慰む、彼等は銃猟と称して天然を損ふて快となすなれども我等は野花を手に取て天然と共に語る、彼等に飲酒の友あり(115)て我等には精神の友がある、幸福なる者は決して彼等に非ずして我等である。
 夫れだから我等は喜ぶべきである、感謝すべきである、我等は世を憎むべきではなくて返て之を憫むべきである、我等は及ぶべき丈け彼等の為めに尽すべきである、不平家は実は我等に非ずして彼等である、酒と淫とに耽けるに非れば愉快を此世に得る能はざる彼等こそ実に大の不平家である。
 此社会に対て不平を唱ふが如きは我等が未だ真の幸福の何たる乎を解さないからである、我を大臣に為して呉れぬとか、我にも博士の号を呉れぬとか、我が文章を高価に買ふて呉れぬとか云ふて、不平を唱ふるやうでは未だ人生の旨い所を味ふことは出来ない、そんな不平家は極めて下等の不平家であつて、我等の相手と為すに足らない、国王の子は乞丐が誉めて呉れないとて気に留めない、神の子は俗人の称賛を以て別に有難いものとも思はない。
 「我等は(天の)王の子供である」、故に貴公子の態度を以て俗人を憫れんで遣らなければならない、然るに彼等が我等を戴いて呉れぬとて不平を唱へるやうでは我等は既に「王子」たるの特権を放棄した者である。
 
(116)     『宗教座談』
                       明治33年4月22日
                       単行本
                       署名 内村鑑三 述
 初版表紙185×126mm
 
(117)   口啓き
 
 私は教師でも牧師でも神学者でも何んでもありません、私は唯の普通の信者であります、故に私の申す事に何にも深い事や六ケ敷い事のないのは勿論であります、私は茲に宗教研究とか比較宗教とか申して宗教を学者的に論究致さうとするのではありません、私は私の信仰有の儘を御話し致さうと思ふのであります。
 宗教は事実であります、議論ではありません、信仰の事実なくして宗教は義諭することの出来るものではありません、此座談の如き実に取るに足らないものでありますが、然し之とても亦事実無しの宗教談ではない積りで御座います。
  明治卅三年四月十六日    東京市外角筈村に於て 内村鑑三
 
     目次
  第一回 教会の事……………………………………………………………一一八
  第二回 真理の事……………………………………………………………一二五
  第三回 聖書の事……………………………………………………………一三三
  第四回 祈祷の事……………………………………………………………一四一
(118)  第五回 奇蹟の事…………………………………………………………一四八
  第六回 霊魂の事……………………………………………………………一五六
  第七回 復活の事……………………………………………………………一六四
  第八回 永生の事……………………………………………………………一七三
  第九回 天国の事(上)……………………………………………………一一
  第十回 同上(下) ………………………………………………………一八九
 
     宗教座談
 
    第一回 教会の事
 
 私の宗教を御尋ねですか、私の宗教は勿論基督教で御座います、私の考へますには、此二十世紀文明の時代に生れ来まして若し私共の信ずべき宗教がありと致しますれば基督教を措いて他には無いと思ひます、私は如何なる場合がありますとも土耳古人や、波斯人の信ずる回々教を信じやうとは思ひません、亦た深い哲理を含むとか申されまして我国人の多数に非常に称賛される仏教も此新世紀に適用して、我と我社会とに新生命を供するに足るの宗教であるとは私には如何しても考へられません、其他の神道や「国家教」なるものゝ宗教としては殆んど(119)何等の価値なき事は私の申すまでもない事であります、然りとて今の日本の上流社会の人のやうに全く無宗教なるは私の迚も堪えられない処で御座いまして、私に取りましては宗教は生存の必要品とも申すべきもので御座いますから、私は私の良心と智識と精神的要求とを最も多く満足させる処の基督教を信ずるので御座います。
 然し私の基督信者なるは私自身が爾う認めて居るまでゞ御座いまして、何にも何れの教会か或は教師より信者たるの免許を受けたからでは御座いません、現に日本に在留する或る有名なる監督さんは私の曾て属して居りました或る基督教会の神の教会にあらざるを証拠立てん為めに、私如き者の名を其会員名簿の中に留めし事を以て一理由と為されたそうでありまして、彼の監督先生の眼に映ずる私は勿論基督信者ではなくして、矢張り『呪はれし者』『悪魔の子』、無神論者、又は偶像信者の一人なるに相違ありません、爾うして此監督さん計りではありません、多くの他の宣教師、神学博士達にして私を基督信者と認めない人は沢山あると考へます、然し私はそんな事は少しも気に留めません、私は素とより人の意に適はんが為に基督を信ずるのではありませんから、他人からどんなに云はれやうとも夫れは私の信仰上には何の関係もない事で御座います、何にも私は監督さんに救はれて天国に行かふと思ふ者ではありませんから、監督さんに見棄てらるゝ位の事に私は何の痛痒をも感じません、元来安心立命は教会又は教師の認可などに依て来るものではありません、そんな事で心配するやうでは未だ基督を信ずる者とは言はれませんと思ひます。
 斯う云ふ次第で御座いますから私には私の出席すべき教会はありません、私は実に此世に於ては無教会信者の一人で御座いまして、其点に於ては詩人ミルトンと同様の地位に居るものです、勿論普通の人情として孤独は決して望ましいものでは御坐いません、日曜日毎に教会に集つて兄弟姉妹と喜楽を共にするのは実に楽しい事であ(120)るは私も能く知つて居ります、然りとて人は其確信を枉げてはなりません、彼に取りては霊魂は教会よりも大切なるものでなければなりません、爾うして若し私の教会に出る事が反つて私の品性を汚し、之に依て私の信仰を破毀するの嫌がありと思ひますれば私は断然之に出入する事を止めるまでゞ御坐います、私は断言して憚りません、私が今日我国にある基督教会なるものに出入せざるの理由は私が寄席や劇場に一切出入致さないと同一の理由で御坐います、即ち今の教会なるものは道徳的に私を害するものと信ずるからであります、何故爾うであるかは私は茲には言はれません、然し貴下方が少しく意を留めて今日の教会なるものゝ内外を御観察なさりますならば、私の此断言の決して過激の言ではない事を御認めになるだらふと思ひます。
 私は勿論完全無欠の者では御坐いません、私は神の前に立てば実に罪人の頭領《かしら》であると云はなければなりません、斯く申すは私は法律上の罪人であると云ふのではありません、私は未だ水道鉄管を偽造して百万の市民を欺いた事もなく、私は私の職権を利用して受負師と結托して奇利を占めた覚えも御坐いません、私は無経験と無識との故を以て多くの間違を致しましたけれども、未だ曾て心中に計画して他人に害を加へんとした覚えは無い積りです、然し是は単に私が人と社会とに対する私の無罪を表白するまでゞあつて、全能全智の神様に対しましては私は深い罪人で御坐います、そして私の罪人たるは私も凡ての人類と均しく生れながらの私慾の人であるからで御坐います、私は神の救済に与かる前は名誉を愛し、虚勢を張るを好み、人の上に立つを喜び、敵手の失敗を聞いて喜び、怒り易き、宥恕なき、実に憫むべき者でありました、然るを神は其限りなき恩恵を以て神の子にして人類の主なるイエス、キリストに依て私の為めに救済の途を開かれました、故に私は感謝しつゝ日々其恩恵に沐浴して居る者で御坐います、然し斯く申せばとて私は既に完全無欠の人と成つたと云ふのではありません、罪(121)に依て生れし私の事なれば私が天の使のやうな純白無垢の人と成り得るは尚ほ永き後の事でありまして、多分私の肉躰が腐敗に帰した後の事であらふと思ひます、然し快復時期の既に私の心中に始まりし事は私の毫も疑はない処であります、私は確かにイエス、キリストの医癒の力を感じます、彼の恩恵に接して私の心に存する私慾の念は確かに消散減却しつゝあります、故に私は私の徳を以て誇る事は出来ません、若し私に之がありまするならば是は私の心の中に働くキリストの恩恵の結果で御坐いまして私自身の躬行実践の結果ではありません、私の考へまするに基督信者は生れながらの君子とは申されません、彼は救はれし罪人たるまでゞ、先天的の徳行家ではありません、謂はゞ神の救済に与かりし道徳的患者で御坐います。
 斯う云ふ有様ですから私が教会へ出ないのは、私は純正潔白の君子であつて、他の基督信者なる者は私に勝るの悪人であると思ふからではありません、否え、決して爾う云ふ訳では御坐いません、私の考へまするに今の教会に於てのみならず世間一般に私に勝るの生れ附きの善人、生来の君子淑女は沢山居られる事と思ひます、私は彼等と道徳上の競争を為さふと思ふ者ではありません、私は彼等の社会改良事業、慈善事業、教育事業に就ては常に感服の意を表して居るものであります(全躰の上より観察して)。
 私が当今の基督教会なるものを嫌ふ主なる理由は夫れが罪悪の救済力に欠乏して居るからで御坐います、即ち教会たるものゝ天職を忘れて交際場の一種、或は慈善倶楽部の一種か、然らざれば教法国の一種と成つて居るからであります、私の考へまするに教会なるものは心霊上の罪人を救ふの場所でありまして、必しも内外人の交際を計り、慈善事業を奨励するの場所では御坐いません、其勿論懶惰僧侶の養育所でない事は云ふまでもありません、然るを救霊以外の事を教会の事業と致しますから其内に俗気を醸し、俗物の横行を招くに至るのであると思(122)ひます、誰が見ても失敗と認めし貴顕招待会のやうな事を敢て為せしが如きは其実例であつて、人の霊魂を救ふ事と内外の貴顕紳士を帝国ホテルに招待する事とは何の関係あるかは私の今以て解する事の出来ない次第であります。
 罪より救はれんと欲する者は公式のやうなものを好みません、彼は唯だ切に神の『細き優しき声』を聞かんと欲する者でありまして、彼の名を新聞紙に広告されて之を外国の伝道本部にまで通知せらるゝやうな事を嫌ふ筈で御坐います、彼が虚栄虚勢を憎むは勿論で、彼は幾百の懇親会、幾千の公開演説会、幾万の慈善音楽会に勝つて一の静粛なる祈祷会を愛する者であります、彼は公衆の前に社会改良を述べ立つて拍手喝采を博するよりも彼の心の中に限りなき神の恩恵を黙念する事を愛する者で御坐います、彼は基督教が上流社会に歓迎されたればとて別に喜ばない筈であります、彼は寧ろ一人の罪人が罪を悔ひて神の懐中に帰りし事を聞いて喜ぶべき筈であります、然るに我国目下の基督教会なるものは如何なる者で御坐いますか、私の観察が誤りでありますか、或は事実が私の観る通りでありますか、私も過去二十年間我国の基督教徒とは多少交際を為し来つた者でありますが、二十年間の私の経験は私をして私の霊魂の救済を全ふせんが為めに、私の神と同胞とに対する私の義務を尽さんが為めに、私は今の基督教会なるものとは全く絶縁せねばならぬやうに立至りました、是れ実に悲しむべき事でありますが、実に亦た已むを得ない次第で御坐います。 爾う云ふと或人は申します、「足下は新たに宗派を創立せんと企てる者である」と、然しそれは決して爾うではありません、宗派を立てるとは野心家の事業で御坐います、既に私慾を殺さんが為に基督に来りし者が宗派創設の野心を逞ふせんとするが如きは以ての外の事です、他人に宗派設立の野心を帰する人の如きは未だ基督教(123)の何たる乎を知らない人であります、人は勿論何人も伝道者の一種で御坐います、彼の心に伝ふべきの道を蔵せざる人は実は人にして人ではありません、況してや基督信徒に於ておやです、不肖私の如き者でも心に一真理を感受せし以上は私も之を他に伝ふるの義務を有して居ります、此職務たる是れ私が法王又は監督の如き者より受けたる者では御坐いません、是れ私が一個の人間として天より直ちに受けた任務で御坐います、然し私は道を伝ふるに当て、宗派の創設や、教会の建立を目的として之に従事致しません、私の伝道なるものは敬神愛人の動機より出づべきものであつて、夫れ以外の動機より出でし伝道を私は真の伝道とは認めません、私は私の主義などを伝ふべき者に非ずして私の心に感ぜし神の道を伝ふべき者で御坐います、私は私の教会の拡張を計るべきであらずして、地上に於ける神の国の建設を計るべきであります、真理の伝播と政治家の政治運動とは全く別物であります、故に「教勢拡張」の如き熟語は私の字書の中には留めない積りで御坐います。
 私は真理伝播を目的とする者でありますから可成丈け宗教的儀式を避けます、私は未だ曾て人に洗礼を授けた事はありませんし、又生涯決して授けまいと思ひます、爾《さう》して私が之を避けるは私が其特権を監督又は教師会から受けないからではありません、私は人間として神より直接に真理を授けられ、其伝播の特権を有つて居るものでありますから、亦た之を授かつた以上は之を他人に伝ふるの特権を有つて居ります、爾して若し洗礼が真理伝播上必要のものならば私も之を施すの特権を持つて居るものだと思ひます、然し実際は私は決して洗礼などを施しません、夫れは一つは人の疑察を避ける為めで、一つは私は其必要を認めないからで御坐います、私は伝道者(真正の意味に於て)とならん事を欲する者で御坐いまして、洗礼を施す者(baptizer)たらんと欲する者ではありません、洗礼は何人にも施す事が出来ます、我国に於ても外国宣教師の七百人も滞在して居るそうでして別に邦(124)人の牧師達を加へたならば洗礼を授けるの職権を有たるゝ人は二千人有余もありませふ、斯う云ふ時に当ては吾人の努むべき事は真理を伝ふる事で御坐いまして洗礼を施すことでは無いだらふと思ひます、実に若し幸にして私の伝へし真理に依て人が彼の罪を悔ふるに至り、爾うして洗礼の必要を感ずるより之を施されんと欲する者があるならば、私は喜んで何人なりとも彼の好む教師に就て此聖式に与からん事を彼に勧むる者であります、私は彼が監督教会に入らふが、メソヂストに入らふが、組合教会の会員とならふがそんな事は少しも構ひません、彼が罪を悔ひて神の救済に与りさへすれば夫れで沢山であります、私の職務は真理伝播以外には渉りません。
 斯う云ふと亦私の非難者は申します、「夫れは爾うとして実際足下は一宗派を立つるに至ります、足下のやうに他の教会を御嫌ひになる方に由て道を聴きし者は決して其等の教会に入る筈はありません、足下は巧言を以て足下の新派創立を弁解するのであります」と。
 或は爾うかも知れません、然し若し爾うなれば夫れは決して私の罪ではありません、イエス、キリストを始めとして凡て真理と人類とを愛した者は決して宗派創設に従事致しませんでした、然るに其伝道の結果として基督教なる新宗教が興つたではありません乎、メソヂスト派の設立はウエスレーの目的ではありませんでした、然しメソヂスト派なるものは興つて世界に大なる善を為しつゝあるではありません乎、斯うして見ると宗派創立を目的としない宗派創立は決して悪い事ではないではありませんか、悪むべき遅くべきものは人為的宗派であります、神為的宗派、即ち自然の勢に依て成りし宗派は決して悪いものでは御坐いません、故に若し私にして一宗派を開くが如き原動力と成るを得ましたならば、是れ私に取て無上の栄誉の事であつて、真に道を愛する人は此事に就て大に私を祝して呉れる筈ではありません乎。
 
(125)    第二回 真理の事
 
 或人は亦私に向て申します、「足下は何かと云ふと直ぐに真理々々と仰やいますが、一躰真理とは何う云ふもので御坐いますか、足下計りが真理を有つてお出でなさいまして他の人は一切有たないやうに仰やいますのは何んだか少し御高慢の様に承はれますが、夫れは一躰何う云ふもので御坐います乎」と、
 成程私が真理を有つて居て他の人が之を有たないから私が之を伝へて遣らふと云ふは一寸と聞くと高慢のやうに聞へます、然し此事は基督教で云ふ真理なるものは何う云ふものであるかを知れば直きに解る事だと思ひます。
 基督は自身を指して『我は真理なり』と仰せられました、又は『真理は汝を自由に為さん』と申されました、即ち字義上から申しますれば真理は真理で御坐いまして、『我は真理なり』と云はれしは実以て傲慢の絶頂と云はなければなりません、然し基督の云はれし真理なるものは区々たる哲学上の真理を云はれたのでは御坐いません、元来我々の霊魂を救ふに足るの真理は大学の講演に出席して教授先生より伝授せらるべきものでは御坐いません、基督教の真理とは黄白を投じて買ふ事の出来る秘伝でもなければ、亦た学問上の攻究を積んで始めて悟り得らるゝやふなものでもありません、亦た禅室に結坐して幽思を練つたり、或は深山に蹈入り苦行して発見し得るやふのものでも御坐いません、基督の真理なるものは至つて簡易なるもので御坐いまして、之を知るは実に容易い事であります、即ち之を知るの困難は一に心意の状態如何に依るのでありまして、一反心を翻して斯くと悟れば夫れで得らるゝ真理で御坐います。
 左様でありますから、私が真理を得たりと申したとて、私は別段私の学問を誇るのでは御座いません、亦た私(126)の徳行や、私の修養を誇る訳でもありません、私の申す基督教の真理なるものは結局基督の教へ給ひし人生観であつて、夫れは普通の智能を具へて居るものには誰にでも理解の出来る真理で御座います。
 扨て其真理は如何なるものである乎と云へば先づ一寸と斯んなもので御座います、
 (第一) 人は凡て罪人なる事、即ち前にも述べた通り人は凡て私慾を趁ふ者であつて、神の前には不浄不潔なるものであるとの事で御座います、人性堕落説は素より基督教の執つて動かざる説であります、斯く申せばとて人には善性がないと申すのでは御座いません、人は元来善に作られたもので有りまするから彼は堕落したればとて決して彼の本然の善性を全く失ひません、彼は猶だ神を追ひ求めるの心を有つて居ります、彼は彼の目下の堕落を悲しむの心を有つて居ります、然しながら是等の事は彼が堕落せざるものたるの証拠にはなりません、丁度病人が健康を想ひ病苦を悔いたとて彼の病人でない事の証拠にならないと同一であります、殊に今我々の観察を個々の善人と称せらるゝ少数の者の上に下さずして世界全躰若くば社会一般の上に下すならば此事は能く解るだらふと思ひます、御覧なさい、人も社会も皆な徳に進むに難くして悪に退くの易きを、善人が徳を全ふせんと欲すれば彼れは克己して健闘せざるを得ざるに引替へて、小人が悪を為さんとすれば彼の進路は甚だ易くして彼れに賛成するものが沢山居ります、是は何も日本今日の社会の状態のみでは御座いません、世界各国到る処何処も同じ事であります、人は悪を好んで善を嫌ふものなる事は少しく人生の何たる乎を解した人には十分了解の出来る事であらふと思ひます。
 夫故に基督教では或る哲学者の云ふやふに、悪とは不完全と云ふ義で、丁度小児が歩行き得ないやうなものであるとの説は断然之を排斥します、基督教の唱ふる罪悪なるものは道徳的の罪悪で御座いまして、決して疾病の(127)類でもなければ亦た発育の不完全でもありません、罪悪とは罪悪であつて意志の許諾を得て行ふた罪悪をば云ふので御座います。
 斯う申すと直きに抗論が出て来ます、「然らば東西すら知らぬ無邪気の小児は何うするか、亦た自然と悪い境遇の内に成育せられた者は何うするか、小児の罪を責むるならば宜しく其親たるものを責むるが可い、社会の罪人を責むるならば先づ社会其物を責むるが可い、親の罪や、社会の罪を無辜のものに帰するのは甚だ残酷ではないか」と。
 成る程最もらしい理屈であります、然し斯う云はれて見ると世には罪人なる者は一人も無くなるやうに思はれます、若し単に境遇が吾人の罪を作りしものとすれば、責むべきは境遇であつて人では御座いません、然し甚だ奇態な事は斯くも罪悪的境遇の出来た事であります、純清無垢の小児(若し此の如きものがありとすれば)を其中に投じて置けば自然と無私無慾の聖人と成るやうな社会は世界広しと雖も何処にも御座いません、啻に日本に於て無い計りでなく、欧羅巴でも、米国でも何処にも有りません、或は生活に何不自由のない貴族の家庭にある乎と尋ぬるに決して爾うでは御坐いません、無い処ではなく貴族の家庭の腐敗は世界孰れの国に到るも有名の事で御座います、若し家庭の清潔を云ふならば寧そ貧民の家庭の方が比較的に宜しう御座います、昔時より最も暴虐を極めた人は宮殿の裡に育ちし王侯の族より出ました、若し境遇が善人を作るものならば聖賢君子は常に華族紳商の内より出さふなもので御座います、なれども夫れは丁度正反対であります、故に人の善悪は強ち其境遇に因るものでない事は明白な事であると思ひます。
 亦た小児も左様であります、小児に罪がないとは事実ではありません、小児は唯だ罪を犯すの力がない計りで(128)あつて、彼は其力の附き次第罪悪を犯すものであります、今日帝都に勉学の目的を以て集合する幾万の青年の状態を御覧なさい、試に彼等の下宿屋に於て為す談話を聞いて御覧なさい、之を聞くさへ耳朶が穢がれると思ふ事があります、然し彼等も十六七年程前までは愛らしい小児であつたので御座います、彼等は其当時は慾を知らない、邪淫を知らない、実に無邪気な小児でありましたが、然し追々と成長して種々の能力が加へられて今の青年となつたので御座います、往昔ソクラテスは善人を作るの法として小児を社会より全く遮断する事を其弟子達に話したそうでありますが、夫れを実行する事は実際出来ない計りでは御座いません、実行した処が善人の出来ないのは確かであらふと思ひます。
 斯う申すと又質問が起ります、「夫れならば人間は、何《ど》うして罪人に為つたのですか、若し世に一人も義人が無いとならば、義人と云ふものこそ不自然の者であつて、罪人は反つて自然の者であるではありません乎」と、
 若し果して爾うならば実に大変で御座います、罪悪とは抑も避くべからざる天然自然のものであるとならば、教育も道徳も何の必要がなく全く地を払ふやうに為ります、然し人類の常識はそんな事を許しません、彼は罪悪の原因を哲理的には解し得ませんけれども罪悪の実在する事を認めて居ります、罪悪を哲理的に説明する事が出来ないから之を匡正する事を為ないのは、丁度祖先伝来の肺病に其原因の不明なるが故に治療を加へないと同一で、其結果は両者共に死に終るまでの事であります。
 扨て罪悪の起原に就ては昔から種々の説があります、或人は人類の始祖が罪を犯したに依て其罪が遺伝して人類全躰に行き渡つたのであると申ます、此説は近世まで普通基督教徒間に行はれたものでありまして、全く基礎のない説とも思はれません、或は此世に存在する人は此世以外に於て曾て生を有せし者であつて、既に此世に臨(129)む以前に罪悪を犯したものであるとの説もあります、是は独逸の神学者にしで有名なるジユリウス、ミユルレル氏の唱へし説であつて随分強い議論の上に建てられたる説であると思ひます、其他種々の学説がありますけれども私は今茲に神学を研究しやうとして居るのでは御座いませんから喋々と之を述べ立てません、私は唯だ人生の事実有の儘を述べさへすれば宜いのであります、基督教の唱ふる人類堕落説は人生の大事実であつて、之を疑はんと欲したとて疑はれません、之を疑ふは徒らに永く迷路に徨ふ事で御座いまして、生涯中に回復の出来ない大損害を招くに至る事で御座ります。
 (第二) 基督教の伝ふる第二の真理は基督の降臨であります、基督は神の子であります、即ち彼は此世以外より降臨せられし者で御座いまして、世には無私無慾、清絶、純絶、己を後にして神を前にする先天的の義人が一人も居りませんから、神は人類をして其本性に立還らせんが為めに特別に此人を送つたとの事で御座います、此事も一寸と聞くと何だか変な話のやうに聞へます、全躰人以上の人があらふとも思はれず、亦た有るとしても彼が此世に来らふとも思はれません、然るに人格以上の性を具へた人が人類を其堕落より救はん為めに此世に臨み来つたとは全く受取り難い説のやうに思はれます。
 然し之が基督の尊い理由であつて、若し人生に此の如き人の降臨がなかつたならば人生とは何と希望のすくないものではありません乎、丁度基督の降世頃の事でありましたが、希臘羅馬の社会の腐敗が殆んど其絶頂に達して、政治家も、教育家も、文学者も、哲学者も各々手を尽す丈は尽して見たが其腐敗を防止する事が出来なかつた時に、或る羅馬の哲学者が「若し天の神が直に人類の中に降来り給ふに非ざれば其救済の希望はない」と申しました、若し人の力に依て此罪悪世界が救はれるものならば、そんな人は何処に居りまするか、病人は病人を救(130)ふ事は出来ません、不義の人が他人の不義を治す事の出来やう筈は御座いません、社会全躰が腐敗して居る時に其一分子たる人が立て之を救ひ得やう筈はありません、若し救ひ得るならば彼は社会の力に依て救ふのではありません、社会以上の力、即ち神の力に依て救ふのであります、故に社会を救ふに社会其物に頼らなければならぬとならば、社会救済事業などゝ云ふ事は到底出来ないことで御座います、今の人が社会の罪を社会に訴へて何等の反応も無いのを見て失望に陥るのは全く之が為めであります。
 故に若し社会以上即ち人以上の人が此世に降つて来ないならば我々が此世を憂ふるとも如何ともする事が出来ません、其場合に於ては我々は独り世を退いて己を潔ふするか、左もなければ悲憤絶望の極、世と奮闘して討死するまでゞ御座います、爾うして之は真正の宗教を信じない憂国家の常に執る方針であります、若し全智全能の神が直に此世に降り来りて我々の救済事業を助け給ふにあらざれば、我々とても或は坊主となつて深山に入るか、壮士となつて自暴自棄して死んで仕舞ふか、二者孰れか其一を取らなければなりますまい。
 然し此完備したる宇宙はそんな不完全なる社会の状態を許しません、若し神が降り来り給ふの必要がありますならば、彼は必ず降り来り給ひます、宇宙も人類も総て愛と云ふ土台の上に造られたもので御座いますから、人類が其罪悪の結果として神の降臨を要するやうになりますれば神は其栄光の玉座を離れて人類の中に降り給ふて彼等を救ひ給ひます、人類とは斯くも貴く、斯くも神に愛せらるゝもので御座います、神の降臨とは人類の翹望する所であつて、之を聞いて我々は始めて満腔の歓声を放つべきでは御座いません乎。
 斯う申しましても基督が人類の希望する神であるか無いかを定むる事は勿論出来ません、仏教信者は釈迦牟尼こそ其人なれと信じて居ります、私は今茲で神学論に立入て基督神性論を述べません、夫れは他日の事と致して(131)今日は唯だ基督教が以て真理として世に宣伝する処の真理有の儘に就て言ふたまでゞ御座います。
 (第三) 基督教の伝ふる第三の真理は基督の贖罪と云ふ事であります、即ち十字架上の基督の死に由て人間の罪が贖はれ、此の贖罪の恩恵に与かりし者は神より無辜の者として認めらるゝと云ふ事であります、是は又非常に奇態な教義でありまして、多くの人々を躓かせるもので御座います、啻に基督を信じない者計りでは御座いません、之を信ずると云ふ人でも此教義を信じない人が沢山にあります、彼等は斯う申します、「如何に神の子なればとて他人の罪を負ふ事の出来るものではない、人は各自に其罪を負はねばならぬ者である、若し他の者が之を負ふ事が出来るとならば世に責任など云ふものは無くなつて仕舞ふ」と、亦たユニテリヤン派の人々は申します、「基督は何にも死んで我々の罪を消す為めに此の世に来られたのではなくして、高尚潔白なる生涯を送られ我々に潔き生涯の例を遺されて、夫れで我々を救はれるのである」と申します、亦た「死は人を救ふものに非ずして之を為すものは生なり」などゝも申します、其他基督教の贖罪の教義に対しては種々雑多の異論が御座います、然し私は未だ此教義を棄る事が出来ません、成る程贖罪の教義を取除いても他に基督教に立派な教訓は残つて在るに相違ありません、然し爾うすると聖書と云ふ書はマルツきり自家撞着の書となつて仕舞います、夫れはまだしも宜いとして、前へに述べました基督の救済なる事が殆んど全く実の無い事になります、救済とは勿論罪より救はれると云ふ事であります、そして罪より救はれるとは罪を免されると云ふ義で御座いまして、罪を免されるには之を贖はなければなりません、贖はれずして免されるやうな罪は罪にして罪でないのみならず、贖はずして免すやうな神は神にして神では御座いません、罪とは世に能く云ふ「若い時の出来心」位な遣り損ひではありません、罪とは神の定め給ひました宇宙の大法則を犯した事で御座いまして、実に恐ろしい事で御座います、凡て(132)此世に在りし者は何人も罪を犯した者でありますから、今また罪を犯した迚左程恐ろしい事を為たやうには思ひませんが、聖い神の眼から見給ひました時には世には罪ほど恐ろしい、亦た穢らはしい物は御座いません、神を敬はずして自己を貴び、誇り、怒り、慾に耽り、名利を追求めて、人は人たるの特権を放棄するに至り、其結果として彼の眼は神の栄光を見る事が出来なくなり、彼の心は限りなき愛を感ずる事が出来ぬやうになり、終には彼の精神は痲痺して肉躰の死と共に消失するに至るので御座います、斯くも恐しいものでありますから人間は何うしても罪より救はれなければなりません、即ち心の中より罪の念が消えて我々が其罰を被らないやうにならなければなりません、勿論斯うなるには我々が悔改めをせなければなりません、然し悔改めのみでは罪は全く赦されません、亦た実際を申しますと赦されない罪は悔改むる事の出来ないもので御座います。
 罪と其贖ひの事は非常に六ケ敷い問題でありまして、到底茲で充分に御話し申す事は出来ません、然し唯だ一事だけ基督信者の疑ふ事の出来ない事があります、是は即ち贖罪の事実で御座います、如何の理由かは夫れは神学上の問題と致して置きまして、神の子基督が我々の為に十字架上に贖罪の血を流がされしと云ふ事を聞き且つ之を信ずるに至りますると、罪なるものは始めて我々の上には力なきものとなり、我々は罪を悪み、義を愛し、今日までは何となく遠ざかつて居た神を真に我々の父として認め得るやうになり、生涯が光沢を生じて楽しくなり、死が恐ろしく無くなり、我々の仇敵までが愛すべきものとなり、非常な変化が我々の心中に起るに至ります、若し是れが単に迷信の結果であると冷評する人があれば夫れまでゞあります、然し一度び贖罪の恩恵を感得したものはアウガスチンのやうな推理学者でも、グラツドストンのやうな博学な人でも、誰でも彼でも之に優る真理は宇宙間にまた無いと申します、罪と云ふものは人世に非常に深く浸み込んだ痼疾であつて、之を取除くの法も(133)亦容易に人間の学問を以て解釈し得るものでは御座いませんと見えます、然し基督教には確かに之を其根底から刈除するの途があるので御座います。
 尚ほ此外にも基督教の伝ふる真理は大分ありますが、先づ前申しました三者が一番大切なものであらふと思ひます、それで斯うして見ますると基督教の真理なるものは世人の所謂真理とは大分違ひまして、決して区々たる学問上の真理ではなく、事実上、夷際上の真理である事が分ります、即ち是は真理と申さんより寧ろ福音と申すべきものでありまして、真理には相違ありませんが、我々の智力を満足するに先つて我々の心、即ち我々の全身に幸福を来たす音信《おとづれ》で御座います、故に之を信ずると云ふは之を説明すると云ふのではなくして、丁度飢餓に迫る者が食物に有り附いた時のやふに、懐疑に懐疑を重ねて人生の巷衢《ちまた》に徨ふて居た者が我を救ふの唯一の人生観として抱懐するに至るものであります、爾うして此のやうな偉大なる恩恵に与かり得る事は是亦我々の自ら誇るべき事でなくして、此恩恵は神が我々微々たる者を憐み給ふ余り、我々の愚昧をも咎めずして我々に降し給ひし黙示に依りしものでありますから、我々は感謝して之を受け奉ると同時に、亦た及ぶの丈けの微力を尽して之を他に伝ふる義務のある事を覚る次第で御座います。
 
    第三回 聖書の事
 
 今回は聖書の事で御座います、之も随分六ケ敷い問題であります、否え、別に六ケ敷いのでは御座いません、人が寄つて集《たか》つて六ケ敷くしたので御座います、基督教は何う云ふ宗教である乎と云ふ事が解りさへすれば、聖書は亦た如何なる書である乎と云ふ事を知るに左程六ケ敷くは無いと思ひます。
(134) 先づ第一に私は聖書は何んで無いかに就てお話しを致しませふ、
 第一、聖書とは世に謂ふ所の経文では御座いません、即ち之を読んだとて夫れで功徳があるといふ書物では御座いません、聖書とても矢張り人の手を以て書かれた書でありますから、其中に書いてある真理を除いては書物其物は他の書物と少しも異なつたものでは御座いません。
 第二、聖書は到底解し難い書では御座いません、聖書も亦た矢張り他の書物と同じやうに世人に読まれんが為めに書かれたものでありますから、適当の方法と精神とをさへ以てすれば必ず解釈し得るの書でなければなりません、聖書を以て到底解し得られぬ書と観ずればこそ之を神様の守札のやうに何にか其内に不思議な利益のあるものゝやうに思はれるので御座ひます。
 第三、聖書は神が書いた書物では御座ひません、聖書は矢張り我々と同等の人が書いた書物であります、故に之を以て毫未も無謬無欠の書と見る事は出来ません、時には年代の齟齬して居る所もありませうし、人名の書き間違もありませうし、偶には聞き悪ひ言語の使つて有る事もあります、亦た文法上の錯誤も大分御座いませふ、或人々が聖書を以て神が人間の手を執て、丁度学校の先生が小児の手を執つて手習を為せるやふに書かれたるものであると思ひますのは、此の尊重すべき書物を反つて汚すことであります。
 第四、聖書は科学、又は文学、又は歴史の書では御座いよせん、勿論その中に其書かれし時代の科学をも窺ふ事が出来ます、亦た歴史の参考書としては聖書は最も価値あるものゝ一つで御座います、殊に美文としては聖書は世界の文学中で第一位を占めて居るものであります、然しながら聖書は科学、文学、歴史等所謂世の智識なるものを目的として書かれた書物では御座いませんから智識を目的として此書を研究致しますると甚だ失望致しま(135)す。
 第五、聖書は一人の人が書ひた書物ではありません、亦た一時代に成り上つた書でも御座いません、多人数に依て幾百の星霜を経て成つた書物でありますから、随つて其の文躰も雑多であり、其記者の着眼点も種々で御座ひます、夫れでありますから聖書は寧ろ聖書文集、又は聖書文庫とでも云ふべきもので御座いまして、之を単に聖書と云つて一冊の書物のやふに思ふと其註釈上に大分混雑を感じます。(希臘語で聖書をば Biblia《ビブリヤ》と申しますが之は即ち文集の意だそふであります)。
 以上の事項を心中に留めて置きますると聖書に関する私共の思考が幾分か明白になると思ひます。
 夫れならば聖書とは何んな種類の書である乎と申しまするに先づ斯うで御座ひます、
 (甲) 聖書は神の霊に感じた人の書いた書物で御座ひます、此感化を受けて書く時には平々凡々何人も知つて居る事柄でも全く新らしき意味を以て書かれるもので御座ひます、聖書が普通の古代史のやうに見へて実は全く別物であるのは全く之が為めであります、神の心を以て宇宙人生の万事万物を観察した其結果が聖書と成つて現はれたので御座います。
 (乙) 聖書は神の聖意を人類に伝へんが為めに書かれた書であります、是れが即ち其記する所が度々我々の思ふ所と趣向を異にする理由で御座います。
  エホバ宣給はく我が思は爾曹の思と異なり、我が道は爾曹の道と異なれり、天の地より高きが如く我が道は爾曹の道よりも高く我が思は爾曹の思よりも高し、(以賽亜書第五十五章)
 其使用してある文字の全躰に平易である事や、其語調の全躰に平民的である事は確かに普通一般の著述家の筆(136)になつたものと異なつて居る証拠であると思ひます、殊に其中に含んで居る倫理道徳の観念は全く人の思想外に出で、先づ一度は之に向つて大反対を試みなければ之を信ずる事が出来ない程のもので御座ひます。
 (丙) 聖書は人類の救済に関する神の行動と其順序とを述べた書であります、前にも述べました通り人類全躰は神を離れて罪悪の中に沈淪しつゝある者で御座いますから、神は原始《はじめ》より其救済の途を設けられました、元来此途と申すものは世の始を以て始まり、亦た世の終を以て終るもので御座いますから、聖書の記事は人類の歴史と併行して居ります、神は如何にして人類を救ひ給ふか、又我々人類は神が聖書に於て示された方法に則つて如何にして同胞を救はん乎、と云ふやうな事柄に就ては聖書は最も明瞭に我々に教へて居ると思ひます、然し前にも申上た通り聖書にある救済法は我々の夫れとは全く異なつて居ますから、我々が全く世俗より離れざる以上は聖書の救済法を以て真正唯一のものと認むる事は出来ません。
 (丁) 聖書は一名之をイエスキリストの伝記と云ふても可いと思ひます、其旧約書なるものはキリストが此世に生れ来るまでの準備を述べたものであつて、新約書はキリストの此世に於ける行動や或は直接にキリストに接した人の言行等を伝へたものであります、若し聖書の中から基督と云ふ人物を取除いて見るならば丁度|穹形《ゆみがた》の石橋より枢石《かなめいし》を引抜いたやうなもので御座いまして、其全躰が意味も形像《かたち》もないものとなるだらふと思ひます、聖書の解し難いのは其文字の六ケ敷いのではなく、亦た理論の込み入つて居る訳でもなくして、実に基督が其枢石である事が解らないからで御座います、夫れ故に一度び基督と彼の真意とが解りさへすれば聖書程面白い書は世の中に亦と無く、又是ほど読み易ひ書は無いやうになると思ひます。
 (戊) 一言にして申しますれば聖書は神に就て書いた書であります、即ち神の本性、神の意思、神の権能、神(137)の慈愛と云ふやうな事柄は聖書が最も明白に、亦最も真実に我々に教へて呉れる所のものであります、勿論他にも是等の事項に就て記載したる書が無いのでは御座いません、然し些の曖昧模糊たる事無く、恰も天日を仰ぎ睹るが如き明瞭を以て神を吾人に伝ふる書は外には決してありません、聖書は其冒頭に『如是我聞』とは曰はずに、『神曰ひ給ふ』と申します、聖書は神の存在を証拠立てんとは為さずに『原始に神あり』と申します、聖書は其文躰に於て直感的なる計りでは御座いません、其伝ふる真理に於ても決して想像的や推理的ではありません、人として面前《まのあたり》神を見た者はありませんが、聖書の記者は皆な心に直接に神を感じた者であります、夫れ故に神を知らんと欲するならば此聖書に頼るの外は御座いません。
 聖書とは即ち斯う云ふ書であります、神の事を人が伝へた書であります、人が伝へたのでありますから其中に多少の欠点が無いとは申されません、然し神の事を伝へたのですから非常に貴い書で御座います。
 聖書は勿論崇拝すべき書ではありません、基督信者は日蓮宗の信者が題目を法華経に向つて唱へるやうに、聖書に対して神に向つて奉るやうな尊崇を奉つてはなりません、縦令ひ聖書が貴いとは云へ是は人手に依て成りしものであつて決して神ではありません、或人が聖書を日本の神々の守札のやうに思ふて、之を懐中して居れば何か悪魔でも除けられるやうに思ふて居るのは大間違で御座います、聖書は何も脚下《あしのした》で踏むべきものではありませんが、然りとて神棚に上げて香花を奉るべき筈のものでも御座いません、聖書は矢張り神の造り給ふた天然と同じやうな物でありますから、我々は之を利用して我々の救済を全ふすべき筈のもので御座います、聖書を利用しないで之を崇拝する者は神が人類に賜ひし此賜物を無用にする者であります、世には聖書崇拝なる者がありますが、其神の聖意に戻り、矢張り罪悪の一種たる事は偶像崇拝にも劣りません。
(138) 然らばとて亦た此書は神の聖意を伝ふるものでありますから、我々は非常の敬虔の念を以て之を読まなければなりません、書は即ち書なるには相違ありませんが非常に貴い書であります、少くとも非常に真面目なる人々の書いた書でありますから、我々も亦た之を読む折には新聞紙や小説を読むの心を以てしてはなりません、啻に謹しまねばならない計りではなく、世の所謂批評眼なるものを以て唯だ其欠点を発見せんとするやうな卑劣な根性を以てしてはなりません、世間には宗教学者と申す面白半分に宗教を研究せんとする者があります、彼等は比較宗教とか唱へて、自身を全く宗教以外に置ひて、釈迦や基督の宗教に是非の批評を加へて大学者振る者であります、然し彼等が宗教を理解し得ないは勿論で御座ひます、基督教が如何に平易なればと申して我国今日の文学博士位に解剖し得らるゝものではありません、聖書とは其記者が心血を絞つて書いたもので御座います、真面目の人のみが真面目の人の作を評する事が出来ます、偽哲学者輩には聖書は勿論凡て世界の大文学なるものは決して解りません。
 斯う申すと或人は云ひます、「夫れならば聖書は何うして読んだらば宜いのであります乎、之を崇拝してはならないと云ひ、爾うかと申せば又之を読むに敬虔の念を以てせねばならぬと云ふ、然らば我々は何を標準として聖書を読めば宜しいの乎」と。
 聖書は神の事を書いた書でありますから勿論神以下のものを標準として読む事は出来ません、然し神に就て書いたものであるから神其物では御座いません、夫れ故に聖書を真正に読まふと思へば我々は直接に神の感化を受けねばなりません、神は聖書よりも大なる者であります、故に聖書に書いてない事をも神は我々の心に告げ給ふ事が御座います(約翰伝第十六章十三節を参考なさい)、我々は先づ直接に神より聞かねばなりません、我々の真(139)正の教師はイザヤやヨハネやパウロではなくして天の神彼自身であります、先づ祈祷を以て直に神に接し、直に神の言辞《ことば》を心に受けませんならば我々は聖書は即ち神の言辞であると云ふ事が解りません。
 即ち我々は聖書以上の判断を以て聖書を解さなければなりません、然し此判断は我々の智識ではなくして神より我々が直接に受くる事の出来る光明であります、此光明なくして聖書を読めば我々は聖書の奴隷となるか、左もなければ其文学的批評家となりて其内に示してある大切の真理を少しも解せません。
 爾うすると又或人は申します、「若し神は聖書なくして知り得るものならば我々が聖書を読むの要は何処にある乎」と、一寸と強ひ反対論のやうに聞へます、然し斯く云ふ人は未だ神は人類に取ては第一に確実なる実在者であると云ふ事を知らない人であります、世に神ほど我々に近いものは御座ひません、神に較べて見れば我々の妻子脊族は皆な遠い姻戚であります、神に教へられずして我々は外物何一つとして知る事が出来ないのみならず、我々自身をさへ自覚する事が出来ません、聖書に如何程神があると書てあらふが、神が直接に我々の心に自顕し給ふにあらざれば我々は神を知る事の出来ないものであります、我々は何も聖書の語に依て神を信じたのでは御座ひません、聖書が我々の実験する事を書き示して居るから我々の信仰が確められたのであります、凡て書物と云ふものは何んな書物でも我々に新らしき真理を教へて呉るものではありません、我々に最も多く利益を与へて呉れた書物とは我々の実験を最も多く確めて呉れた書で御坐います、実に我々の智識なるものは同意者を得て始めて確定するものであつて、殊に神に関する智識は此の同意を要する事の一層多いものであります、聖書が我々に取て無上の経典たるの理由は他の書物が決して与へて呉れぬ賛成と同情とを我々に供給するからで御座います。
 我々は勿論新らしい事実を他の人から聞く事が出来ます、我々は生れながらにしてアブラハムやイサクの歴史(140)上の事実を知る事は出来ません、又我々が救世主として仰ぐ耶蘇其督の生涯に関する簡略なる事柄でも之を聖書に於て読まなければ他に知るの途はありません、其歴史上の事実を知るは又大に我々の信仰を確める事であるは今改て言ふまでも御座いません、然しながら歴史上の事実は真理ではありません、神は愛なりとの真理は聖書が之を伝ふるが故に我々が之を信ずるのではなくして、我々が既に斯くあらん、斯くもあれかしと念じつゝありし時に幸にも此天来の啓示に接したから、我々の予ての希望が満たされしやうに感ぜられて飛立つ計りに喜で之を信ずるので御座います、神は聖霊を以て直に我々の心に顕はれ、聖書を以て彼の自顕を補ひ給ふのであります、縦し聖書が無いとしても我々は神を知る事が出来ます、然し明白に彼を認むる事は出来ません、聖書なしに神を見るのは丁度朧月夜に月を見るやうなものでありまして、見る事の出来ない事はありませんが、唯だボンヤリと見へる丈けで御坐います。
 神とは実に斯う云ふ者であります、神を知るのは他のものを識るのとは違ふて居ます、即ち唯一の実在者たる神は彼を知てのみ識り得る者であります、神を知て神を識るとは何んだか迂回極まる語のやうでありますが、然し神を知る法とては唯だ此一途あるのみで御坐います。
 左様でありますから我々は聖書を研究致しますが、其伝ふる真理の註解に至ては一に神の示顕を待たねばなりません、例へば約翰伝第三章十六節に『それ神は其生たまへる独子を賜ふほどに世の人を愛し給へり此は凡て彼を信ずる者に亡ること無して永生を受しめんが為なり』と書いてありますが、此聖語を文法的に解剖しやうが、或は哲学的に説明しやうが夫れは夫れまでゞありまして、我々が其意味が解つたとは申されません、然し何時《いつ》か神の聖霊が我が心に降りて、我れ我が罪の深きを覚ると同時に神の愛の限りなきを知つて、約翰の記るせし(141)此の聖語の事実其まゝである事を信ずるに至るので御坐います、故に神の恵に与からんと欲する者は未だ之に与からざる時と雖も能く聖書を読んで置かねばなりません、何故なれば聖書に暗くして此実験を有つ事がありましても其人は其事の事実である乎否やを確める事が出来ません、聖書は神に接する時の我々の実験録とも云ふべきもので御坐いますから、之に明るくある時には我々の進歩が非常に早う御坐います、そして一体に聖書を知らざる者の神に関する智識は実に遅々たるもので御坐います。
 斯く見ればこそ聖書の聖書たる価値が解かるのであると思ひます、聖書を神と同等のものと見たり、或は聖書以外に神の言辞は吾人に降るものでないと思ふたり致しますれば、聖書は我々に取て非常に窮屈な書物となり、其結果たる我々が聖書を嫌ふやうになり、終には神までを棄るやうに立至る事があります、聖書を崇拝するのみで之を利用する事を為ない者の罪の結果は何と恐ろしいものでは御坐いませんか。
 まだ聖書に就て申上たい事は沢山御坐います、然し夫れは後日の事と致して置きまして、今日は唯だ其何物であるかと云ふ事と、亦た是を読みまする精神と方法とを申上げたまでゞ御坐います。
 
    第四回 祈祷の事
 
 私は祈祷を致しまする、大抵毎日朝晩二度致しまする、或る時は終日祈り続けまする、私の祈祷は多く黙祷で御座います、即ち独り黙つて心の中で祈念するのであります、私は前にも御話し申しました通り教会へは出席致しませんから別に正式的には祈りません、然し私の家族や学生を集めて祈ります時には矢張り声を出して祈ります、又或る時は私は遠く人なき里に往つて蒼空を頭に戴き、山野を前に当てゝ独り声を揚げて祈る事も御座いま(142)す、此折には私の祈祷の声を聞き居る者とては天上に在す神の外は中空に翔る鷲鳶の類と枝頭に囀づる小鳥計りであります、私は独りで郊外へ散歩に出懸る時は大抵斯う云ふ祈祷を致します。
 然らば私は何んな事を祈るかと申しまするに、私は私自身の幸福を祈りません、家内安全だとか、商売繁昌だとか云ふやうな気儘勝手の祈祷は基督教の神の聴いて下さる祈祷でない事を私は知つて居ります、私の神は其人の何商売に従事し居るかに関はらず、多くの賽銭をさへ捧げて祈る者には利福を与ふるとか云ふ大黒天のやうな神様では御座いません、又は子孫七代の福分を取て我が一身に加へて下さると云ふ聖天のやうな神様でも御座いません、又は仇を呪咀する為め丑刻詣の祈願に耳を傾けらるゝと云ふ金毘羅のやうな神様でも御座いません、私の神はそんな劣等なる神様とは全く違ひます、即ち義と愛との神でありますから、我の私慾を念ひ、他人に害を与へるやうな祈願は一切聴いて下さりません、只夫れ計りではなく、此の如き祈祷を為す者には反つて厳罰を加へ給ふ神であります。
 私の祈祷の大部分は祈願では御座いません、私は先づ満腔の感謝を以て私の祈祷を始めます、私は斯くも麗はしき宇宙に生を給ひし事に就て私の神に感謝致します、私は私に良き友人を給ひし事に就て、私に身を委ぬべき事業を与へ給ひし事に就て、私に是非善悪を判別して正義の神を求むる心を与へ給ひし事に就て、殊に私が神より離れて私利私慾をのみ追求せし時に当て私の心に主イエス、キリストを現はし給ひて私の霊魂を其救済の途に就かしめ給ひし絶大無限の恩恵に就て深く感謝致しまする、さうして感謝の念が私の心に溢れまする折には私は路傍に咲く菫莱の為めに感謝致します、私の面を吹く風の為めに感謝致します、亦た朝早く起き出でゝ東天に黄金色の漲る時などは思はず感謝の讃美歌を唱へる事も御座います、夫れ故実に或時は私の祈祷は始めから終りま(143)で感謝のみで了る事があります、亦た恩恵の身に余つて別に祈るべき事のない事も度々あります、夫れでありますから之を祈祷と云ふよりは寧ろ感謝と云ふ方が適当だとも思ひます。
 然し何分弱き私の事でありますれば私にも矢張り願ひ事が御座います、感謝を了へた後に私は私の心中に存する祈願を私の神の前に述べまする、私は先づ神の正義が此世に勝つて世の不義不徳が凡て失敗に終らん事を祈ります、私は勿論私の愛する日本国の為めに祈ります、之は実に私の祈祷の大眼目でありまする、其真正の君子国となりて人類の進歩と改善とに大に貢献する所あらん事は常に私の念頭を離れない祈願で御座います、私は亦た殊に神が私の国人の中より多くの義人を起し給はん事をも熱心に祈ります、爾うして私は神は確かに日本国を恵み給ふと信じまする故に、夕暮静に西に向つて独り河辺で祈りまする時などは、遙に富士山の魔はしき姿を見て、私の国の将来に就て失せなんとする私の希望を快復する事が度々御座います、斯う云ふ美はしい国を我等に授け賜ひし天の神は何時か一度は此国を聖き天国のやうな国に為さずしては歇み給はざるべしと私は密かに思ひます、斯くして私は新聞紙上で読みし社会の罪悪を私の神の前に訴へまして、其救済の希望と約束とを私の心に受けて感謝致しまする。
 私は勿論私の従事して居る事業の為めに祈りまする、然し私は必ずしも成功をば祈りません、成功すると失敗するとは私は全く之を神の聖意に任かせまする、私は只だ夫れが神の名を汚すに至らざらん事をば祈ります、私は夫れが多くの私の同胞を裨益するに至らん事を祈ります、素と々々私の事業なるものは私自身を利せんが為めに起したものでありませんから、私は偏に私の神に祈るに其創業当初の精神と目的とに適はん事を以てします、私は亦た私と共に身を犠牲に供して私の従事する事業に従事して居る私の同僚の為に祈りまする、私は私の不明(144)の為めに彼等が失敗に終はらざらん事を切に祈ります、之は実に或時は私に非常の熱心を喚び起す祈祷の題目で御座います、私は私自身の決心を以て世の輿論に反いて唯だ私の神を信じて、私の今従事する事業に身を投じた者でありますから、其為めに私が失敗致さうとも夫れは覚悟の前で御座いますけれども、不肖なる私を信任して私と浮沈を共にする五六の友人が私自身の不明不信の故を以て若しもの事失敗耻辱に終らん事は私の考へても堪えられなひ所で御坐います。
 私は又私の憐むべき家族の為めに祈ります、彼等も亦た憐むべき弱き私に頼るものであつて、私は唯だ神より来る慰めの外には彼等に何の楽をも供する事は出来ません、彼等に芝居を看るの快楽はありません、彼等に寄席遊山や其他世間有り触れの娯楽は一つもありません、彼等は只管に私に頼り、朝から晩まで、一週の始めより終りまで、唯だ同胞の為めに善を為さん事をば心懸けて、節倹を守つて家計を支へ、無きも同然の産を割いて他人に施して居ります、然るに其報酬として彼等が受くるものは私よりの折々の叱責位で御坐ひます、私は之を思ふ時には心が張り劈くる計り憐れに思ふ事が御坐います、然し私共は当初から志士が戦場に在るの心持を以て今日の職に在る者でありますから、此やうな事に余り心を痛めてはならないと思ひます、故に私は独り私の神の前に語りまする時は、神が私の家族を恵み給ふて彼等の上に豊かなる神の祝福を垂れ給はん事を偏に祈るので御坐います。
 私は又私の友人の為めに祈ります、時々は其名を指して祈ります、特に彼等の中で義の為めに迫害を受くるもの、又は貧の為めに苦しむ者の為めに祈ります、又た或る時は私と同主義の者の為めに祈ります、私は今白状致します、私は或時は英国の故グラツドストン氏の為めに祈りました、又は南阿共和国の為めに祈りまする事も度々(145)あります、総じて人類全体の上に関係を及ぼす事件と人物との為には私は熱心を濺で祈りる積りで御坐います。
 終りに私は私自身の為めに祈ります、私は先づ神が私の心を開ひて、段々と神の真理を私に示されん事を祈りまする、私は勿論私の罪の赦されん事を祈ります、私の心が雪の如く潔白にならん事を祈ります、私は実に弱き者でありまして罪と知りつゝも度々罪に陥る者でありますから、神が斯の如き足らざる者をも永久見捨て給はずに真理より真理に私を導き、今日は昨日より、明日は今日よりと、次第に私を完全の域に近づけ給はん事を祈ります、私は実に或る時は到底私如き者は神の救済に与かるの価値なき者であるとの失望の念を起しまして、二三回も祈祷を廃するに至る事もあります 然し亦た思返して神の許に至つて其赦免を乞ひます、私は爾う云ふ時には人の居らない場所へ往つて声を揚げて神の赦免を乞ひます、爾うすると神は私の懺悔の心を受け納れ給ひて私の心に平和を給ふと同時に再び其過を繰返すまいとの決心を私に与へ給ひす。 私は亦私の智識の研磨を祈ります、学問の上達を祈ります、然し是れは私の名が世に高まらんが為めでは御坐いません、私が一層深く天然の美妙を悟り得て神の真意を解するに至らんが為めであります、又或る時には私は私の身躰の健康を祈ります、是は永く此世に存在して肉躰の快楽を続けん為では御坐いません、神の命じ給ひし職業に妨碍《さまたげ》なくして従事する事が出来き、且つは一人なりとも多くの人に善事を為さんと思ふからでありまする、或る時は苦し紛れに神が私に金を賜はん事を祈つた事もありました、然し是とても決して佳味を口にしたいとか、或は美服を着たいとか云ふ為めに祈つたのでは御坐いません、資金の欠乏する為に見す々々善事業の為し遂げ得ざるのを見る折に、神が何等かの方法を以て之を私に賜はん事を祈つたのであります、然し後で良く考へて見まして是は大変に馬鹿気切ツたる祈願であつた事を私は発見しました、神は何時でも私の要する丈けのものは金な(146)り物品なり私が祈らずとても私に与へ置き給ふものでありますれば、私が必要と思ふた時は必しも必要のあつた時ではなくして、資金の欠乏が反つて私の独立心を喚起し、精神的に一層深く神に頼るの念を私の心に生じ、以て私が神の栄光を世に顕はす為めに反つて好機会となつた事も御坐います、夫れでありますから私は当時では金の為めに祈る事は全く廃めました。
 私の祈祷とは先づ斯んなものであります、其観音堂や水天宮の前で世間普通の人々が為す祈祷とは全く異なるものである事は一聞して瞭然だらふと思ひます。
 然し茲に又一ツの疑問が出ます、「祈祷とは実際に効のあるものである乎」と、又「若し我々の祈祷を聴く神がありとするも之に対して我々の祈願を述べたればとて其応験の証は何処にあるや」と、菅丞相の歌なりと言伝へまする『心だに真の道に叶ひなば祈らずとても神や守らん』などの語は度々祈祷反対論の為めに引出さるゝものでありまして、私共のやうに祈祷に多くの時間を費す者は反つて無益の事を為す者のやうに思はれます。
 然し祈祷反対論は多くは基督信者(真正の)の祈祷の如何なるものなる乎を弁へないで起るものであります、元来我々基督信者は神の聖意《みこゝろ》の就らん事を祈るべき者で御坐いまして、決して我々の私意私慾の行はれん事を祈るべき筈のものではありません、故に我々の祈祷は必ず聴かるべき祈祷であります、基督信者(真正の)は彼の祈祷に於て神の行為を預言しつゝある者で御坐います、彼は決して成し難き事を神より要求する者ではありません。
 夫れでありますから私共の云ふ祈祷なるものは祈願ではありません、之は何も祈らなくては得られないから祈るのではありません、神は愛の父でありますから、何も私共が彼に要求せずとも、私共に必要のある時には私共の祈祷を竢たずして凡ての物を私共に賜ふもので御坐います、抑も祈祷とは私共の天真の溢れ出たるものを云ふ(147)のであります、即ち私共の心中に堪へ切れぬ感謝の情の発して言語と成つて現はれたもので御坐います、亦或る時には包み切れぬ憂悶の情の溢れて涙となりしもので御坐います、若し是を祈祷と申すのが躓きの石となりまするなれば是を詩歌と申しても宜しう御坐います、即ち基督信者の祈祷とは神の前に演ずる詩文であると云ふても決して不都合はありません、夫れで真正の文学者は原稿料を稼ぐ為めに詩や文章を作らないやうに、真正の基督信者は福利に与からん為めに祈祷をば致しません。
 私共は天の神は私共の父であると信じまする、神とは天に高く留まつて唯だ人間の運命を支配する丈けの無情無感覚の者ではありません、神は私共に取ては凡ての物の中最も近い者でありまして、私共の父母妻子や親友と雖も神の近きが如くに近い者ではありません、故に私共は度々此神と談話し、此神に私共の憂苦を伝へ、又或る時は彼の援助を乞ひ、彼の威徳を頌し、彼の偉業を讃へたく思ふのであります、是は天然自然の至情でありまして、神を識つて居りながら彼と語らないのは丁度父を識つて居りながら父と話を為ないやうなもので御坐います、私共が神に祈る時は私共が此世の凡ての煩累を離れて彼と一緒に在る時でありまして、祈祷は私共の為すべき当然の事であると考へます。
 世には祈祷を為さない人があります、然かも沢山ありまするが、私は斯う云ふ人程憐れな人々は世にまた無いと思ひまする、彼が力として頼むで居る友人とても何時変心して彼を見棄るに至るやも知れず、彼の属する政党や会社の類も何時解散の非運に会ふかも知れず、彼の愛する父母妻子とても何時までも彼と共に在る者ではありません、此の広大無辺の宇宙に生れて来ながら、際限ある死んで仕舞ふ人より他に頼るものゝ無い人々は何んと寂しい者では御坐いません乎、彼の億万里外より光を放つ星は私共に永久の希望を供するものではありません乎、(148)我等は孤児のやうに独り此広き世界に生れ出でゝ、宇宙何処に到るとも我等の友や我等の父として我等を導き我等を慰むるものは無いと云ふのでありますか、縦し君寵が身に余りて、位人臣を窮めたればとて死に臨んだ時は何の役にも立ちません、我等人たる者は皆一度は我等が此身に於て犯したる罪を負ふて、公明不偏の天の裁判官の前に立たねばなりません、其時に我等の位階勲章は何の役に立ちます乎、亦た其時我等は誰に弁護を頼みます乎、若し死することなき全智全能の神が我等の父でないならば、我等は此世に生き長らへて居る心地の為ない者ではありません乎、私は祈等の愚を云ふ人々こそ実に愚かな憐れな者であると思ひます、私共が祈等を為すのは私共が此世以外にも生命を有するの証拠でありまして、此生命があればこそ私共は死ぬのを別段に恐れないので御坐います、夫れでありますから私は少しの間でも祈等を廃める事は出来ません、早晩私の唇が閉ぢて物を云ふ事の出来ないやうになる時が来ります、其時には私は此世の最終の一言として私の神に祈等を捧げる頼りで御坐います。
 
    第五回 奇蹟の事
 
 孰れの宗教にも奇蹟なるものがあります、仏教にもあります、回々教にもあります、或は釈迦が中天を翔つて父の病を見舞つたとか、或はモハメツトが粘土を以て小鳥を造り、之に向つて手を拍つたれば土製の小鳥に魂が這入て、真の鳥と化して飛去つたとか、其外にも尚ほ種々奇妙なる話がありまする、そして基督教にも亦た之に似寄た話がありまするから、私共が此宗教を信じて居ると申しますと世間の人々は私共の迷信を哂ひます、現今のやうに学術の進歩したる世に生れて来て奇蹟を信ずるなどゝは以ての外の事であつて、別して欧洲風の新教育(149)を受けたるものが之を信ずるなどゝは沙汰の限りであると評する人々も御座います。
 私の知つて居る農学士何某と云ふ人がありますが、其人は化学が専門で唯今では或る製油会社の技師を致して居りまするが、其人が或時私に爾う申しました、「私は化学者であるから到底ゴツド(神)などを信ずる事は出来ない」と、化学専門家のマイケル、フハラデーのやふな人は熱心なる基督信者でありましたが、夫れは英国の事で日本の事ではありません、日本では一般に学者となれば宗教を放棄せねばならないやうに思はれて居ります。
 左様ですから私が今茲に基督教の奇蹟を信ずると申しますると私は時世後れの者のやうに学者先生方に思はれます、或は先生と云はれずとも少しく中学校位で理化学の教授でも受けた者は直きに私に向つて申します、「若し奇蹟が本当ならば自然の法則は如何する」と、科学と宗教とは到底一致すべからざるものであるといふ説は今では巻煙草を吹かしながら社会の進歩を彼れ是れと申す者の誰でも口にする所で御座います。
 然し私は確かに奇蹟を信じます、或る一つの理由を以て信じます、私は基督がカナの酒宴に於て水を変じて葡萄酒と為したと云ふ話は信ずべからざる事柄であるとは思ひません、又は五のパンと二の魚とを以て五千人の人を飽かしめたとの事も之を信ずるに足る理由があると考へます、其他亦た基督が生来の盲者《めくら》の眼を開きしとか、ベタニヤに於てラザロと云ふ人を死より蘇生《よみがへ》らせしとか云ふ話も信ずべき大理由のある事だと思ひます、基督教の聖書の中に信じ難い奇蹟はある乎も知りません、(馬可伝五章にある悪鬼が豕の群に入りしとの話の如きもの)然し奇蹟全躰に就ては、殊に奇蹟があると云ふ事に就ては、私の決して疑はない所で御座います。
 然らば奇蹟とは元来何う云ふものでありますか、先づ第一に其事を定めて置かねばなりません、
 第一奇蹟とは奇話ではありません、
(150) 何にも奇《ふし》ぎな業でない事を観察者の謬見からして奇蹟と認めたものでは御座いません、是はトーマス、カーライルの説でありまして私の全く採らない所で御座います、カーライルは聖書記者の誠実なりし事を疑ひませんでした、然し彼は彼の国人なる哲学者ヒユームと同じく記者の科学的修養に信を置きませなんだ、カーライルの考へにては聖書の奇蹟は矢張り普通一般の出来事と同然でありまして、たゞ師に対する弟子等の熱心からして之を奇蹟と認むるに至つたのであるとの事であります、然し若し爾うならば奇蹟なるものは無いのでありますから、其真偽を喋々するの必要はありません。
 第二 奇蹟は奇術ではありません、
 奇術は手品師の為す業で御座いまして、之は多くの修業を積んで人の眼の届かない間に種々の奇《ふしぎ》なる事を為すのであります、結局奇術は之を演じまする者の手練に依るものでありまして、別段に人力以上、自然以上の力を要するものでは御座いません。
 第三 奇蹟とは進歩せる学術の応用ではありません、
 之は基督が彼の時代の人に先んじて蒸※[さんずい+氣]、電信等の秘密を知つて為した事柄では御座いません、ワツトの蒸※[さんずい+氣]機関の発明や、モールスの電信の発明や、ヱヂソンの電話器の工風や、近時ではレントゲン氏の]光線、マルコニ氏の無線電信と云ふ如きものは実に人目を驚かしたものであります、けれども是等は私の申す宗教上の奇蹟とは何等の関係も御座ひません、米国の有名なるユニテリヤン派の神学者故フリーマン、クラーク氏の云はれたやうに、我々も学術の進歩に依て終には基督の為せし奇顔を再演するを得るやうに至るであらうとの説は、私の首肯する事の出来ない説で御座います。
(151) 第四 奇蹟とは威嚇に出でたものでは御座いません、
 威嚇《をどし》とは世の野心家が人心を収攬せんが為めに用ゆる計略でありまして、是は道徳上決して誉むべき手段では御座いません、悪魔が来て基督を罪に誘はんとした時に此計略を勧めました、悪魔は基督を聖京に携へて行き殿堂の頂上に立たせて置いて申しました、『爾もし神の子ならば己が身を下へ投げよ』と、其目的とする処は偏に基督をして此冒険的行為に依て人望を博せしめんとするのでありました、然し基督はそんな不正な勧誘には応じませんでした、彼は悪魔に答て斯う申しました、『主たる爾の神を試むべからず』と、若し基督の奇蹟なるものが民衆を説服する為めに為した計略でありましたならば、其有無の問題は扨置き彼も亦三百代言的政治家の一人であつたと云なければなりません、人心を収攬するとか云ふ東洋的英傑なるものは基督教の着眼点より見る時は極く劣等の人物で御座いまして、基督信徒の申しまする偉人《グレートメン》なるものは爾んなものではありません。
 然らば奇蹟とは何であるかと云ふに、奇蹟とは神の事蹟であると云ふまでゝ御座います、即ち人を造り宇宙を造り給ひし神が為し給ふ業《わざ》であると云ふ訳であります、人間には奇蹟は出来るものではありません、(特別なる神の援助を得るに非ざれば)、何故なれば彼自身の位置が自然界の一部分であるのみならず、彼は彼の堕落に依て彼の能力の大部分を失ひましたからです、我等は元来天然以上のもので御座いましたけれども、我等が神を離れて自己に頼り出しましてより我等は天然の奴隷と為り下つた者で御座います、然し神は己の造つた天然を自由にする事が出来ます、神が宇宙の運行を早めやうが、遅らせやうが、夫れは時計師が時計の指針を自由にする事と同然で何も驚くには足らない事であると思ひます。
 全躰天然界を以て変更すべからざるものと見做すのが大きな誤謬《あやまり》で御座います、自然の法則とは数理学の規則(152)や道徳上の命令とは其性質を異にするもので御座います、宇宙何処に到るとも二と二と合せて五となる処があらふとは思はれません、亦虚言を吐いても善と云ふ処があらふとも思はれません、然しながら太陽が一時間後れて没しても夫れが為に真理も道徳も全く失せて仕舞ふとは申されません、勿論造物主は非常の理由なくしては其定め給ひし順序を変へません、然し変ふべき理由があつて之を変ふるは神に取ては決して不徳義なる所為ではありません、若し神にして其造り給ひしものを自由にする事が出来ない位なれば、神とても矢張り造化の支配を受くる者であつて、之を支配するものでは御座いません。
 故に若し神がありとすれば亦た奇蹟もあるに相違ありません、神の能力を以てして人間以上の事の出来ない筈はありません、神を信ずると云つて奇蹟を信じない人は実際神を信じない人であると私は考へます。
 基督とは伺う云ふ人でありますか、基督とは人の罪を赦す為めに此世に降られた人であります、亦た罪を赦すとは前にも述べた通り罪の念を我々の心より取払ふ事で御座います、是は到底人間の能力で出来る事ではありません、若し茲に誰か私が神に対して犯した罪を赦すと云ふ人がありますれば私は其人の僭越を嘲ります、人の罪を赦し得る者は唯だ神のみであります、基督が神なりとの最も確実なる証拠は彼が人の罪を赦し得る一事であります、故に此特権を有して居らるゝ基督が奇蹟を行ふ事の出来しは勿論で、奇蹟を為し得ないやうな救主は真正の救主ではありません。
 罪を赦すの権力と奇蹟を行ふの実力とは相伴ふて居るものである事は基督御自身の認め給ふた事であります、今路加伝第五章第十七節以下を御覧なさい、  一日イヱス教を為せる時パリサイの人と教法師、ガリラヤの諸郷及びユダヤ、エルサレムより来て此に座し(153)ぬ、彼等の病を医すべき主の能力《ちから》顕はれたり、或人|※[病垂/難]瘋《ちゆうぶ》を患みたる者を牀に載せて舁き来り之を家に入れイヱスの前に置かんと欲へども、群集にて舁入るべき方なかりければ屋上に升り瓦を取り除けて其人を牀のまゝ衆人の中へ鎚《つ》り下しイヱスの前に置けり、イヱスその信あるを見て患者に、人よ爾の罪赦さると曰ひければ、学者とパリサイの人々心に思出けるは此褻涜を言ふ者は誰ぞ神より外に誰か罪を赦すことを得ん、イヱスその意を知て答へ曰ひけるは、何を爾曹心の中に論ずるや、爾の罪赦さると曰ふと起て歩めと言ふと孰か易き、それ人の子地にて罪を赦すの権威ある事を爾曹に知せんとて、遂に※[病垂/難]の人に我爾に告ぐ起て牀を取り家に帰れと曰ひければ、その人衆人の前にて直に起て臥し居たる牀をとり神を崇めて己が家に帰りぬ、衆人皆駭きて神を崇且大に怖れて曰けるは我儕今日|奇異《ふしぎ》なる事を見たり。
 基督は此処に彼の救主たる事を『奇異なる事』即ち奇蹟を以て証拠立てられたのではありません乎。
 然し若し一歩を譲り世間一般の人が云ふやうに奇蹟は全く無いものとすれば如何ですか、是は取りも直さず宗教上の信仰を其根本より破毀することであると思ひます、宗教が世に存在する理由、即ち私共が之を要求するの理由は、其内に超自然的、超人間的の勢力があるからで御坐います、若し自然以上に私共の頼るべき勢力が無ひとならば、私共は科学さへ研究すれば別に宗教を学ぶの必要は御座いません、若し又人より外に頼むべきの存在者が無いとならば私共が如何程人世の無情を唱へても無益の事であります、人の天性が自づと宗教を要求する所以は彼に自づと超自然的の勢力、即ち奇蹟のある事を信ずるの本心があるからでは御座いません乎。
 奇蹟は無い事だと云ふのですか! 爾うならば大海の真中に在て大風波を巻き、怒濤山を築く時に我々は風と濤との威力に屈服し、終に悲鳴一声海底の藻屑となつて失せるのでありますか、宇宙広しと雖も其中に風を支配(154)するの権は無いのですか、海を縛るの力は無いのですか、我々人間たるものは水を怕れ、火を怕れ、風に屈し、山に畏ぢて蹙々として一生を終るべきでありますか、彼の信仰のない人が黒雲の山の端に懸るを見れば暴風の来つて彼の生命と財産とを奪ひ去らん事を恐れ、新聞紙に地球と彗星との衝突ありと云ふ予報のあるのを読めば忽然として家族四散心身滅絶するを慮ひ煩ふが如きは果して我々万物の霊長たる者の為すべき事でありますか、神の存在を知らず、神の偉大なる能力を信ぜざればこそ、人は其品性を下げて自然の奴隷となり、其暴威に屈服し、其劫掠を恐れ、其結果終には我々の目を喜ばし、我等の心を天の高きにまで引上げ、雪の白きにまで潔むべき富士山を神として崇めたり、又は群星を拝し、日と月とに祭物を供へるが如きに至るのではありません乎、縦し亦理学者と成り済まして『理学宗』なるものより外には神も宗教も無いと信ずる人が厄運其身に迫り来つた際には彼の理学を信ぜず却つて売卜者に往て判断をして貰ふ事のあるは抑々何故でありますか、自然以上の勢力を信じない人は彼に学問の有る無しに関はらず、終には自然の奴隷と成り下るものではありませんか、素と我々人間たる者は天然を利用すべきものであつて、決して之に服従すべきものではありません、奇蹟を信ずるに至つて始めて我々は天然の上に立ち得るものとなるので御座います。
 奇蹟は天然以上の現象でありまして、亦人力以上の威力の発表とも云ふべきもので御座います、正義が何時でも其維持者の最少数なるにも関はらず、最大多数の罪悪に打勝ちつゝあるのは人間以上の勢力が常に正義の味方を為しつゝあるからでは御座いません乎、若し事物の真偽優劣が単に其賛成者の多少に依て決せらるゝものでありまするならば、世は疾くに暗黒の世と成つて居る筈で御座います、夫れだから御覧なさい、神を信ぜず、奇蹟を信ぜざる国民の中より社会の大改革なるものゝ興つた例の無い事を、彼の使徒保羅のやうに身は僻地の一平民(155)たるにも関はらず、自ら羅馬大帝国の根本的改造を以て任じ、種々なる目前の失敗に少しも希望を墜す事なく、終に欧洲今日の文明の基礎を据えたのは抑も何が故でありましたか、世にもし大胆不敵の人は誰であつたかと云ふならば第一に此人であつたらふと思ひます、然し彼は最初より此絶大の事業の成功を疑ひませなんだ、彼は其事柄が神の事業である事と信じましたから、彼の一生を殆んど此狂気的の事業に委ねて仕舞いました。
 亦たジヨン、ノツクスも爾うであります、コロムウヱルとても爾うです、ウヱスレーとても爾うです、ジヨン、ハワードのやふな監獄改良家に於ても爾うです 近くはムーデーのやうな人に於ても爾うであります、神の奇蹟を信じないで人生を其根本から革めた人は無い筈です、勿論無神論者でも所謂る『革命』なるものを起す事が出来ます、即ち単に破壊にのみ従事する事は出来ます、然れども善を信じて其実行を遂げる事は、是は唯だ神を信ずる者のみ能く為し得るの事業で御座います。
 若し奇蹟を信じない社会と云へば恐らく我国今日の社会の如き者はありますまい、今の日本人は神を信ぜず又基督教の奇蹟を信じませんから何事にも多数と方法と権力とに頼ります、何事にも彼等は「運動」と云ふ事に奔走致します、先づ金を作つて然る後に同志を募り、亦然る後に有志家間を奔走し其賛成を得て始めて事が成るものだと思ふて居ります、そして此事は何も無神論者や政治家の末流に計り限りません、此国に於て基督信者と自称し、時には基督の神性論を持出す人達でも、実際事を為す時分には神にも頼らず、基督にも頼らずして必ず先づ金力と人とに頼ります、彼等は日本人の中に基督教を伝ふるには上流社会の賛成が非常に大切であると思ふて居る者で御座います、故に若し貴顕紳士の賛成とあれば無上の神恩でも天より下つたやうに思ふて躍つて喜びます、彼等は貧しき信者より金を取立てまして貴顕方を帝国ホテルに招待して教勢の拡張を計らふと致しました、(156)彼等は信仰の甚だ薄い者でも金持か代議士とあれば撰んで彼等の青年会や教会学校等の名誉職に据えます、彼等は実に悧巧なる実務家で御座いまして、彼等の宗教なる者は畢竟彼等が事業を為す時の看板たるに過ぎません。
 斯う云ふ俗受けの好い彼等の事ですから、能く彼等の奇蹟に関する信仰を敲いて御覧なさい、彼等は決して明白なる答弁を与へません、彼等は爾う申します、「是は到底人智の及ぶ所ではありません」とか、又は「基督の奇蹟は虚偽《うそ》でありしにもせよ彼の伝へし道徳は最も高尚なものであります」とか、何とかツマラない理屈を附けて奇蹟説明の責任より免れんと致します、彼等は大胆に奇蹟を信じないとは言い得ません、若し爾うすると宣教師に見捨られて其好意を失はん事を恐れます、去りとて彼等も心中に確信せざる事柄を明白に表白する事は出来ませんから、種々の口実を作つて基督の奇蹟を基督教以外に追ひ遣らんと致しまする、実に卑しむべき彼等ではありいません乎。
 私は確かに信じます、基督教は奇蹟を離れて論ぜられるものではありません、奇蹟を引抜いて後に残つた基督の教訓が基督教であるなれば基督教とは実に微弱なる宗教であります、基督教の能力ある所以は最も高尚なる道徳を奇蹟を以て強ゆるからで御座います、若し其数訓が光《ライト》でありますならば其奇蹟は実に力《フオース》であります、力なきの光は個人と社会と国家とを全然改造し得るの光ではありません。
 
    第六回 霊魂の事
 
 日本人に基督教の話をする時の一つの大困難は其数義を伝へんとして適当の詞《ことば》のない事で御坐ひます、祈祷と云へば何だか私利冥福を祈るやうに聞へ、天国と云へば極楽往生のやうに思はれます、瑤の輿に乗り、君寵に与(157)かり、位人臣を窮める位の事を以て無上の栄華幸福と思ふて居る日本人に向つて基督教の事を談ずるのは容易の事ではありません。
 霊魂とは何んなものであります乎、私共が人に霊魂があると申ますのは何ふ云ふ事を謂ふので御坐いませう乎、之を英語でソールと申しますれば意味は判然して居ます、ソールは即ちソールであつて、マインド(心)とも違ひ、スピリット(精神)とも異なつて居ます、然らば英語のソールを日本語には何う訳すれば宜い乎、是れ学者の常に苦心する所で御坐います。
 先づ已むを得ず私共は之を霊魂と訳します、然し日本語で霊魂と申しますと何を意味するのであります乎、「たましひ」とは霊之火《たましひ》の義であるとも云ひ、又は「しい」とは「奇《く》しひ」の訛りであつて「たましひ」は「奇《くし》き心」の意であるとも申します、曾て黒川真頼氏が此事に就て学士会院に於て演説を為されましたが、今其一節を読んで見ませう
  元来我国には昔より霊《たま》、魂《たましひ》など云へることあるが魂は活用を云ふものにして其意義を云はゞ霊の方広し、又魂に荒魂《あらぎだま》和魂《にぎたま》の別あり、荒魂とは勇猛心、強暴心、濁穢心、悪心、邪心、異心の六を云ひ、和魂とは柔和心、慈悲心、清明心、善心、正心、共同心の六を云へり、即ち人の怒る時は此荒魂多く、人の楽しむ時は此和魂多し、古人は大功を樹るは此和魂にあるものなりと思惟し居れり、又|奇魂《くしみ》、幸魂《さきみ》と云へる事あり、是は魂の活用したる上の名目なり、
 之に依て見ますれば魂とは心の性質でありまして、其働きの状態を指して云ふものゝやうに見えます、若し霊が魂の主躰でありますならば霊とは如何なるものである乎は和学者の中には判然として居らぬやうであります、(158)然し以上は学者の説として、普通一般に我国人の中に行はれて居る霊魂の思想は実に粗相なるもので御坐いまして、夫れと私共が考へて居りまする霊魂との間には殆んど霄壌の差異が御坐ひます、燐火《おにび》の事を人魂と云ひ、時としては墓場から出るから死人の霊魂が飛び歩くものと思ひ、幽霊、生霊又は怨霊などと云ふて何やら霊魂にも形躰のあるものゝやうに思はれ、山の霊あり、河の霊あり、海の霊ありなど申しますれば霊とは必らずしも万物の長たる人に限つたものでなくして、禽獣、木石、何物にも宿るものゝやうに思はれて居ます。
 然し斯う云ふ思想は何にも日本人計りに限つたものでは御坐いません、孰れの国民も基督教を信ずる前には大抵同じやうな思考を以て居まして、英語で聖霊の事を Holy Ghost(聖き幽霊)と申まするのを見ましても霊とは元と幽霊の事を云ふた詞である事が解ります、ゴツス人の言語では霊魂と云ふ詞と胃の腑と云ふ詞と同だそうで御坐いまして、多分命は食にありなどゝ云ふ我国人の思考と同じもので御坐いませう、夫れですから何も日本語に英語のソールのやうな詞がないとて霊魂の事を日本人に語るの益がないとは申されません、人には誰にもソールがある筈でありますから、其何たるを知つた以上は之をソールと云はふが霊魂と云はふが、別に大切の事では御坐いません。
 然らば私共の申す霊魂、即ち英語で申すソールと云ふものは何でありませうか、之は単に精神と云ふものではありません、精神とはソールの精気で御坐いまして其活動の力を謂ふたものであると思ひます、勿論牛や馬に精神があるとは云ひませんが、然し精の善い馬とか、精の悪い馬とか申します、疲れた馬の事を精の尽きた馬と申します、其やうに人の精神と申しますれば何にも未来永劫にまで存在すると云ふ霊魂の事を云ふのではなくして、重に其活気を指して申すのであると思ひます。
(159) 又霊魂とは心では御坐いません、心とは霊魂の情を云ふ詞で御坐ひます、或は又思考力を指して云ふ事も御坐います、霊魂は感ずるもの、意ふもので御坐いますが、感情又は意思は霊魂其物では御坐いません。
 霊魂は勿論肉躰の生命ではありません、若し爾うならば、犬にも鳥にも鶏にも烏にも霊魂がある筈で御坐います、外国では此区別が判然して居まして、肉躰の生命の事を anima と申し(animal 動物なる詞の語原)、霊魂の事は前にも申した通りソールと申します。
 爾うして見ますれば霊魂とは何である乎と云ふに、精神でもなければ、感情でもなければ、意思でもなければ、又所謂生命でもありません、霊魂とは是等以上のもので御坐いまして、他に其何たるを示す好い詞がありませんから、先づ之を自我と申しませう、即ち霊魂とは肉躰は勿論、凡ての感情、凡ての意思の主で御坐います、之を英語では individual と申しまして、其意味は「分つべからざるもの」と云ふ事であります、言ひ換へて申せば人の本位でありまして、「私」と云ひ、「貴下」と云ふは私の霊魂又は貴下の霊魂を指して云ふので御坐います、私の肉躰も生命も私の霊魂の所有品でありまして、私は之を私の君の為めか、或は私の国の為めに献げる事が出来ます、然し私は私の霊魂を私より放す事は出来ません、私の霊魂の在る所に必ず私は在るので御坐いまして、私共は何と別るゝ事あるも、私共の霊魂と別るゝ事は出来ません。
 私共に霊魂の在る最も明白なる徴候は私共に附いて居る責任の念で御坐ひます、若し私が罪を犯しまするならば其責任は全く私一人に在るので御坐いまして、何物も何人も之を分担する事が出来ず、又私は之を彼等に分つ事も出来ません、支那や朝鮮では今日でも尚ほ一人の刑罰を其家族親戚に及ぼし、辜なき者までが一家血縁の者が罪を朝廷に得し為に酷刑に処せらるゝ事が御坐います、然し是は人智蒙昧の時代の事で御坐いまして、文明国(160)何処に到るも斯の如き無法な法律は行はるゝものではありません、文明国の法律は孰れも刑罰の責任の犯罪人一個人に留まる事を認めて居ります、又責任と云ふ事は人の霊魂に属するもので御坐いますから、霊魂以外のものに之を着せる事は出来ません、世には社学学者なる者がありまして頻りに社会の罪悪とか社会の責任とか云ふ事を唱へまして、個人の責任を社会に移そうと致しまするが、之は実際出来る事では御坐いません、若し罪は社会が作るものならば世に罪人は無い筈で御坐います、然し日本の今日の如き腐敗殆んど其極に達したる社会に於ても尚ほ多くの善人のあるのを見れば善悪は必しも周囲の境遇が作るものでない事は確かで御坐います、単に社会の罪ばかりを責めて、「私の罪」、「汝の罪」、「彼の罪」を糺さない社会は終には消えて仕舞います。
 責任は又人の身躰に属する者ではありません、法律が白痴や瘋癲病者の責任を問はないのは全く之が為めで御坐います、瘋癲病とは霊魂の意思が神経の破損に依て身躰に伝はらなくなつた病で御坐いまして、此場合に於ては身躰の為した事は本人の知らない事であります、勿論瘋癲病のやうな病を惹起すに至つたに就ては本人も多少責任を負はなくてはなりませんけれども、然し瘋癲病中の行為は全く彼の責任以外にあります、其他身躰不随の為め、又は不具の為めに人の為した事、又為さゞりし事は彼の責任以外にあります。
 又我々が犬や馬や猫や牛などの責任を問はないのは彼等に肉躰あるも霊魂のある事を認めないからで御坐います、禽獣のやうな物には欠点なるものはありまするが罪悪なるものは御坐いません、彼等の中に嫌ふべき物はありまするが悪むべきものは御坐いません。
 責任は霊魂に附属して居るものでありますから、境遇と肉躰との変遷と共に変化するものでは御坐いません、貧の時に犯した罪は富んでも失せません、小供の時に犯した罪は大人となつても消へるものでは御坐いません、(161)境遇は異なり歳月は経過しましても「我」は何処までも「我」で御坐います、此事を名附けて哲学者は personal identity 即ち個人の不変性と申します、爾うして霊魂とは実に人の此周囲と共に変らざる部分を称へるので御坐います。
 霊魂存在の証拠は尚ほ此外にも沢山にあります、正義を愛する念の如き、殊に良心の命令てふ一種異様の現象の如きは、確かに我々の肉躰以外に、また其以上に、一つの確固たる実在物の存する証拠で御坐ひます、私は私の肉躰ではありません、私の肉躰は是れ私の属《もの》で御坐いまして、私は或時は肉躰の欲せざる事を欲し、反つて肉躰の欲するところ即ち慾心なるものを抑へ附けます、肉躰は私の僕婢か家来で御坐いまして、私は之を頤使し、場合に依ては之を正義の為に犠牲に供する事の出来るもので御坐います。
 霊魂は勿論形躰のないもので御坐います、有るかも知れませんが、然し今日の科学の供する試験法で其量を定め形を確める事の出来るものではありません、然しながら秤《はかり》に載て量る事が出来ないからとて存在しないとは申されません、奥妙不思議の物は重い物の中に少くして、反つて軽いものゝ中に多いもので御坐いますから、此秤るべからざる霊魂こそ実に宇宙に存在する凡ての物の中で最も不思議なる最も貴重なるものであると思ひます。
 霊魂とは先づ斯う云ふものでありますから是は何よりも貴いもので御坐います、此世では貴いものと云へば直ぐに生命と財産であると申しますが、然し之とても霊魂ほどに貴いものでは御坐いません、夫れ故に聖書には『人若し全世界を得るとも其霊魂を喪はゞ何の益あらん乎』と書いて御坐います、霊魂を喪ふとは勿論之を汚す事でありまして、其結果終に其|沈淪《ほろび》を招くことで御坐います、若し身躰は之を裹《つゝ》む衣服より大切なるものであるとならば、霊魂は尚更ら之を裹む肉躰よりも大切なものである筈で御坐います「生命《いのち》有ての物種」と諺にも申(162)しまする通りに、世の人は生命の為とあれば其所有物を何なりとも差出しますが我々霊魂の貴い事を知るものは其為には縦令一命なりとも差出すべき筈のもので御坐います、故に聖書に又『身を殺して魂を殺すこと能はざる者を懼るゝ勿れ、唯汝曹魂と身とを地獄に滅し得る者を懼れよ』と書いてあります、即ち我々の首を切り、或は我等の食物を奪ふて我等を餓死せしむる者は左程懼るには足りません、然し我々の良心を腐らせ、我等の信仰を堕落せしめ、我等をして主義に勝《まさ》つて富と名誉とを愛せしむる者は実に懼るべき者で御坐います、剣や銃を以て我等を嚇す圧制家は敢て懼るゝに足りません、懼るべく、憎むべく、避くべき者は今の紳士や政治家の類でありまして、即ち我等の身を活かして我等の霊魂を殺さんとする者共で御坐います。
 元来道徳とは何でありますか、之は何も旨く此世に処する道ではありません、即ち道徳とは人たるものゝ道、即ち霊魂を有せる者の歩むべき道を斯く称へるので御坐います、社会の富を増す為に経済の学が必要であるやうに、霊魂をして其適当の発達を為さしむるが為には倫理の学が必要なので御座います、故に霊魂の存在を認めない倫理学は目的のない学科であります、丁度身躰の組織構造を知て後に衛生学があるやうに、霊魂の何たる乎を知て後に始めて倫理学があるので御座います。又私共は何故に宗教を信ぜんとするので御座いますか、基督教を信ずるのは何も或る俗的自称基督教徒が申しますやうに、外国人との交際を円滑にするが為ではありません、又必しも此教を信じなければ社会と国家とを改良する事が出来ないからでも御座いません、そんな目的を以て基督教を信じた者は大抵之を棄てゝ仕舞ます、御覧なさひ、日本今日の社会に堕落信者の多い事を、今日では何れの銀行、会社、外国商舘又は米穀取引所に往つても堕落基督信者の一人や二人は居らない処は御座いません、彼等の多くは一度は身に教職を帯びた事のある者でありまして亦、立派なる宗教々育を受けた者であります、然るに(163)其今日に至りましたのは抑も何の理由であるの乎と云ふに、是は始め彼等が基督教の目的を解らずして之を信仰したからで御座います、基督は私共の霊魂を救ふ為に来られたのに彼等は社会改良とか、又は国家救済とか云ふ政治家めきたる目的を以て彼に来ました、イスカリオテのユダが基督に従ひましたのも矢張り此目的でありました、然しユダと云ひ、今の日本の堕落信者と云ひ、基督が彼等の此卑しき目的を充たさないのを見て、皆な彼を棄てゝ仕舞ふたので御座います、霊魂を救はれんが為に基督に来らない者は皆な同一の運命に終るもので御座います。
 「如何にして我が霊魂を救はれん乎」、此の号叫《さけび》の声がなくしては到底基督教は解るものでありません、基督教は或人が謂ふ仏教のやうな哲学の一種では御坐いません、又は禅宗のやうな胆力鍛錬の為の工風でもありません、基督教とは霊魂を救はん為の神の大能《ちから》で御坐います、基督の降臨と云ひ、十字架上の罪の贖と云ひ皆な要するに霊魂を救はんが為の神の行為でありますれば、是等の出来事を霊魂以外の事柄に当て嵌めて其真義は少しも解らない で御坐います。若し我々の肉躰の病を治す事が基督の目的でありましたならば、彼は僅に医師の一種たるに過ぎない人でありまして左程尊重すべき人では御坐いません、若し亦た世に謂ふ社会の改良が基督の本職でありましたならば、彼は政治家の一種でありまして希臘のペリクリース、羅馬のシーザーと肩を併べる位の人でありましたでせう、然し基督は医者でもなければ亦た政治家でも御坐いません、彼の天職は霊魂の救主たる事でありまして、彼の為されし仕事の性質から申しても彼は人類中に比類の無い者で御坐いました、霊魂を救ふ者とは人の犯せし罪を赦し、其良心に満足を与へる者で御坐います、斯う云ふ人物は道徳家でもなければ又哲学者でもありません、如何なる君子碩徳鴻儒なりとも人の罪を贖ふて之を赦す事は出来ません、霊魂の存在と其(164)要求する物の何たるを知れば基督の何人なる乎を知るは難くないと思ひます、私共が霊魂を有する以上は基督の如き人物の降世と彼の為されし事業とは私共の生存上の大必要であると云はなければなりません。
 私共の肉躰を養ふに魚肉野菜穀類などの食料が御坐います、亦私共の智能を養ふに宇宙万象に現はれたる天然の理が御坐います、然し食物も天然も私共の霊魂を養ふには足りません、私共の霊魂を養ふに足るものは神が人類に下し給ひました霊の糧なる基督で御坐います、聖書に斯う書いてあります、
  イエス曰けるは我は生命《いのち》(霊魂)のパンなり、我に就《き》たる者は餓ず我を信ずる者は恒に渇くことなし
  我は天より降りし生けるパンなり、若し人このパンを食はゞ窮なく生くべし、我与ふるパンは我肉なり、世の生命の為めに我之を与へん
 基督の血を飲み其肉を食ふと云へば何やら食人々種の為す事のやうに聞へますが、実際我々が霊魂の苦悶と飢餓とを感ずる時には之を癒し、之を充たすものは彼の血と肉とより他はありません、其化学上の説明の如きは神聖に過ぎて茲に之を述べる事は出来ません、若し貴下方が聖アウガスチンや、詩人ミルトンや、偉人クロムウエルや、パンヤンや、グラツドストンが神を需めしやうな熱誠を貴下方の心に持つて御覧なさい、私が茲に述べました事が決して夢でもなければ幻でもなく、実の実、真の真である事が御解りになりませう、要は先づ霊魂の存在を確むる事でありまして、之を確かめて後に基督を信ずるに至るのは自然の順序で御坐います。
 
    第七回 復活の事
 
 基督教は実に大胆なる宗教であります、基督教がその教義を伝へまするに哲学者輩の批評を懼れません、唱ふ(165)べき真理のある時には基督教は如何なる教義でも大胆に之を唱道致します、若し私共の信ずるやうに基督教は神の示顕でありまするならば、之は哲学以上、科学以上のものであります、私共は近世科学の反対を懼れて私共の信仰を匿すやうな卑怯な事は致しません。
 私共は基督なる神の子の降世を信じます、又十字架上に於ける彼の贖罪の鴻業を信じます、爾うして亦彼に依て始められました肉躰の復活を信じまする、是等の事は実に基督教の根本的教義で御坐いまして、是を信じないで基督教の信者であるなどゝ世間に向つて吹聴するのは確かに偽善者の所為であると思ひます。
 肉躰の復活と云へば読んで字の如く肉躰の復活でございます、是は即ち基督が葬むられて第三日目に甦へり、先づペテロに現はれ、後に十二人の弟子に現はれ、其後にヤコブに現はれ、又凡ての使徒に現はれたと云ふ事であります、然し是は我国で申しまする幽霊のやうなものになつて基督が現はれられたと云ふのでは御坐いません、又は仏国の歴史批評家ルナンが申したやうに基督は実際十字架の上に於て死んだのではなく、彼は実は未だ生きて居つて弟子に現はたのであると云ふのでもありません、私共基督信者は使徒保羅と共に基督の死の確実なるを信じ、亦た彼の復活せし事の確実なるを信ずる者で御坐います。 斯く私が申しますると貴下方は仰りませふ「死せし者が如何して甦へらふ乎、死せし者は死せし者で墓に葬られて朽果つものである、夫れが復活するなどゝは迷信の極である」と。
 然し実際之は迷信でありますか、我々は誰でも死せる土壌《つち》が変じて或は美しき花となり、或は又麗しい鳥となる事を目撃して居るではありません乎、復活とは肉躰が化生すると云ふ義で御ざいます、丁度麦の粒が腐つて其内に蔵れて居る幼芽に同化されて新らしき植物を作るやうのものであります、若し不思議と云ふならば草一本の(166)生へる事が不思議であります、然し春雨に草木の萌出るのが当然であると云ふならば何故に死人の復活するのが奇怪《ふしぎ》で御ざいます乎。
 復活を迷信と云ふのは祈祷を迷信と云ふのと同一で畢竟その何たるを解しないからであります、基督教の教ゆる復活なるものは此肉躰が肉躰のまゝで甦ると申すのでは御坐いません、復活の真意は更生でありまして、生命が更に肉躰に加へらるゝ事であります、我等は死して復び此世に帰らんと望む者では御坐いません、我等は死して更に新らしき生命を与へられて新らしき世に行かんと願ふ者でありまする、勿論死者に新らしい生命を加へる事の出来る者には亦た之を再び此世に呼び還へす事が出来ます(約翰伝第十一章ラザロ復生の記事を参考せられよ、)然し我等は再び此世に呼び還された所が仕方がありません、我等は皆な一度は此世を逝るべきものでありまして、逝つて新らしい世に復活するにあらざれば我々の理想に達する事の出来ないもので御坐います、夫れ故に基督教の復活をば更生又は新生と見て理論上別に六ケ敷い事はないと思ひます。
 然し復活に関する疑惑は其理論の可否に依るのではなくして、其事実の証明如何に存ずるのであります、即ち復活は有るとして、其曾てありし、又は後に有らんとする証拠は何処にある乎と云ふのであります、世には随分有り得る事で無い事が沢山に御坐います、人が鳥のやふに空中に飛ぶ事は有り得る事ですが、其為し得る事である乎ない乎は実に大疑問であります、死物が化して生物となるは我々が日常目撃する所でありますが、人の屍躰が更に生命を受くるに至つた事は基督の直弟子を除くの外は何人も目撃した事のない事で御坐います、夫れ故に正直なる科学者があつて、彼が直に人の復活を目撃しない以上は、或は又充分信用の出来る科学者が目撃したとの証明の無い以上は決して之を信じないと申しまするも強ち無理とは申されません。
(167) 其処で私は白状致します、私もまた人の復活したのを見た事は御座いません、私は基督と彼の直弟子の言を篤く信ずる者でありますが、然りとて彼等の言を以て二千年後の今日に此の如き大問題に就て証明する為めに科学的に価値のあるものだと云ふのは少しく言ひ過る事であると思ひます、素より使徒達は皆な正直の人でありました、然し彼等は未だ]光線の応用も知らず、マルコニ式の無線電信の理をも弁へた人々では御坐いません、彼等の観察が科学上の精密を欠いて居つたと云ふても決して彼等に対して無礼の言ではないと思ひます。
 夫れならば私は何に依つて復活を信ずるのでありますか、
 第一 私が復活を信じまするのは私が神の大能を信ずるからであります、
 宇宙と其内にある凡ての物を造り、亦た人を造り、人の内に宿る霊魂を造つた神は容易に死者を甦《よみがへら》す事が出来ると信ずるからで御坐います、是は嘗て使徒パゥロがアグリツパ王に対つて述べました彼が復活を信ずるの理由であります、パウロは申しました
  神既に死し者を甦らせ給へりと云ふとも爾曹何ぞ信じ難しとする乎、
 即ちパウロの意は若し、人が甦らしたと云ふならば信じないが、大能の神が甦らしたと云ふならば決して信じ難い事ではないといふので御坐います。
 第二 私は既に私の心に復活の力を感じました故に同じ力の働きに依て又た私の肉躰も復活するものであると信じます、
 御承知の通り私共が物事を信じまするのに必しも眼を以て見、手を以て触れなければならぬと云ふ必要はありません、私共は太陽の中に水素、鉄、マンガン、ニッケル等の元素が有る事を信じます、然し誰も親く太陽に就(168)て之を試験した者はありません、唯此地球にも是等の元素があつて、其化学的固有性と徴候とを知つて居ますから、太陽の光線に同様の徴候の現はるゝを見て、私共は太陽にも同じ元素のあるのを知るので御坐います、又私共は珊瑚の小虫が海中に大島を築く事を信じますが、然りとて何人も其島が眼前に築かれたのを見た者は御座いません、唯だ私共は目前珊瑚虫が海中の水より石灰質を分泌するのを見ますから、小より大に推して同一の方法に依て大洋中に幾千個となく島嶼の珊瑚虫に依て築かれし事を信ずるので御坐います、若し此種の推理法が行はれませんければ世に天文学や地質学のやうな有益で且つ面白い学問はありません、私共が肉躰の復活を信じまするのも亦た同じ推理法に由るので御坐います、私共は心に神の大能を直感致しました、爾うして其結果として唯だ私共の霊魂計りではありません、私共の肉躰にまでが非常の復活力を感じました、疾病《やまい》の信仰治療法なるものは決して迷信計りでは御坐いません、現に近世の進歩したる心理化学の実験に由りますれば喜ばしき感情は血液の中に一種の興奮剤を醸し、亦悲しひ感情は其中に毒物を造るとの事であります、私共自身の経験に於きましても神の大能に依て私共の霊魂が其救済の途に就きまする時の歓喜の情と云ふものは実に物の譬ふべきはありません、其為めに何となく私共の肩上《かた》より重荷の下りし思が致しまして、其結果としては私共は中天へでも翔け昇らんかと思ふやうな事が御坐いまする、世に清き良心ほど身躰の薬に成るものはありません、基督は即ち我々の霊魂より罪の責任を全く取除いて下さるので御坐いますから其罪の消滅と同時に私等の肉躰が非常の活気を帯びて来るのは、基督の救済に与かりし者の何人でも実験する所で御坐います、是れが即ち聖書に謂ゆる『霊の質《かた》』でありまして、我々が此世を去て後に受べき生命の標本とでも申べきものであります、此の変化は生理学上の力に依るのでない事は我々が身躰の最も衰弱して居る時にも之を感ずるので能く解ります、基督が四十日四十夜食は(169)ず飲まず断食されたと云ふのも彼に此力が十分にあつたからで御座います、又パウロのやうな人が麁衣麁食寝るに家なく、同情を寄せて呉れる家族や友人とてもなくして能く三四十年の間断なき労働に堪へたのも全く多量に此力を享けて居つたからで御坐います、夫れ故に神が若し更に一層多量に此霊力を私共に注入さるゝならば、私共の肉躰は全く霊化されて終には霊躰と称する新らしき躰を組成するやうに至らん事は決して信じ難い事柄ではありません、肉躰の復活を疑ふものは未だ此『霊の質』を受けない者であります、之を受け之を感じて復活は最も信じ易い真理となるので御坐います。
 第三 復活は人類の希望であります、
 爾うして一般の希望の存する処には必ず之に応ずるの事実があるものです、何故に我々は人が死ぬる時に非常に悲しくあります乎、何故に死は人生悲惨の極であります乎、勿論一時の離別も涙の種でありますから、永遠の別れは悲しいものに相違ありません、然し人が死ぬ時の悲哀は全く別物であつて是は何うしても慰める事の出来ない悲嘆で御座います、普通の人に取ては死を慰むるには唯之を忘れるの一途あるのみであります、死とは実に怕ろしいもので御座いまして之を「恐怖の王」とは能く申しました、抑も此怕ろしひ理由は何故である乎と云ふに霊魂が肉躰を離れて他に宿るべき躰を得る目的がないからではありませんか、霊魂は躰なしには不完全なるものでありまして、其意思を外に表はすにも何か他に機関を要するものでありますから、死に依て一度び肉躰が腐れて仕舞つた以上は全く裸躰の姿になつて仕舞ふたのであります、元来霊魂と肉躰とは一つのものでありまして二者は容易に相離るべきものではありません、然るに罪悪の結果として人たるものは一度は霊肉其処を異にせねばならぬ悲運に陥りました、是れ実に世の罪人が死罪の刑に処せらるゝと同然でありまして、実に悲しむべき至(170)りで御座います、私共が啻に死を忌むのみならず亦之を非常に怕れまするのは、即ち私共人類たるものは罪の罰として死刑に処せらるゝを知るからで御座います、死の観念に非常の悲惨の情の附随して居るのは全く之が為であると思ひまする、アヽ人誰か死を怖れざらんやです、亦た人誰か復活を望まざらんやです、罪の結果として一度は死に遇はねばならないならば、罪の赦しの結果として新らしき躰を与へられん事は人の心の奥底に潜んで居る至当の祈願では御座いません乎。
 第四 復活は生物進化の理に叶ふて居ります、
 宇宙の万物は皆な死を以て始まり生を以つて終つて居ます、此麗はしい地球とても其始て瓦斯躰より凝結して固躰と成つた時には其内に一個の生物をも留めませんでした、然るに最初に先づアメーバのやうな原生動物が出でてから、無腸動物、環形動物、達環動物、軟躰動物、有脊椎動物と順序を追ふて生物は進歩して来ました、爾うして進化は人類を以て終るべきものでは御座いません、人類も又更に一段の進化を為して更に霊妙、更に不可思議なる躰を受くるに至るべきもので御座います、基督教で申しまする霊躰なるものは実に肉躰の進化したものでありまして、霊魂を宿す為めの一種の形躰たるには相違ありまんが、其組織と構造とは肉躰の夫れに優つて更に数層も精化したものであります。
 蝶は※[虫+占]※[虫+斯]《けむし》の復活したものであります、鳥類は爬虫、蛇類の進化したものでありまして、或る意味から申しますれば其復活したもので御座います、生命は常に引力に反対するものであります、草木が天を指して生《は》へ、動物が自由に地上を徘徊し、蝶と鳥とが地を離れて飛びますのは、皆な地球の引力に打勝つてゞあります、生命の薄い植物は唯だ一所《ひとゝころ》に留つて僅に上方を仰ぎて生長する計りでありますが、鳥の如き活力の盛んなるものは高く空中(171)に翔ける事が出来ます、亦同じ鳥類の中でも鶏や「ウミガラス」のやうに碌に飛べないものもあれば、鶴やアルバトロスのやうに飛翔の自在なるものもあります、蛇は地に匍ふ動物ゆへ往時より「泥土を食ふ獣」と呼ばゝれ、雲雀は一直線に上天を指して昇りますから希望昇天の鳥と称へられました、地に就くは活力の不足なる証拠でありまして、活力充溢して生物は漸次に地を離れて天に近づくもので御座います。
 同じやうな人間の肉躰も之に新生命を十分に注入致しますれば終には地を離れて天に昇る事が出来るやうになると思ひます、旧約聖書の創世記第五章の二十四節に書いてありまする『エノク神と偕に歩みしが神彼を取り給ひければ在らずなりき』と申すが如きは生きながらの復活を云ひしものであると一般に信ぜられます、此事を新約聖書には『信仰に由てヱノクは死なざるやうに移されたり』と書いてあります、『移されたり』は英語にては was translated と訳して御座ひまして、即ちエノクは死ぬることなくして直に此肉躰より霊躰に移されたりとの意であると思ひます。
 然し斯う申した処が世人が容易に復活を信じない事は私も能く承知して居ます、復活とは基督教の他の教義と同じく議論ではなくして実験で御座います、故に其力を少しなりとも自身心に感じた事のない人には到底此の大教義を侶ずる事は出来ません、世人の多くが(所謂基督信徒なる者をも含む)復活を信じないのは実に之を信ずる理由が無いからではなくして、彼等が之を信ずるの勇気に欠乏して居るからであります、彼等は罪の故を以て既に死刑を宣告されし者でありますから、新生命とか復活とか云ふやうな神の恩賜のあるを聞いても決して之を信じません、彼等は反つて殺さるゝを好む者でありまして、彼等をして斯くも不信の者と為らしめた罪の結果は何と恐しいものではありませんか。
(172) 然し復活を信じて宇宙と人生とを観じて御覧なさい、宇宙とは何と麗はしい処と成つて亦た人生とは何と喜ばしいものに成るではありません乎、『我儕悉く寝るには非ず、我儕皆な末《おはり》の※[竹/孤]《らつぱ》の※[口+句]《な》らん時忽ち瞬間に化せん、蓋は※[竹/孤]※[口+句]らん時死にし人甦へりて壊ちず、我等も亦化すべければなり』、此信仰があつてこそ死は其恐怖を脱り、世に怕《こわ》い事、悲い事は無くなつて仕舞ふのであります、冬が去て春の来まするのも、鶯が梅が枝に初春の曲を唱へまするのも、花の晨も月の夕も凡て皆な一点悲惨の分子をも交へざる希望、快楽の基となりまして、我等は天然の美を楽んで、其悲と惨とを意はざるに至るのであります、風の嘯きまするのは何も我々人類に悲しき事を伝へんが為めでは御座いません、我々自身が神より離れて、罪の穽《わな》に陥り、悲惨の境に居るものであるから、之を聴いて悲哀の感を起すのであります、人生に於けるも亦た同じ事であります、世には悲しい事は沢山御座います、然し「死」なるものを其根本より絶つて仕舞ひさへすれば他に悲しい事は一つも無いやうになる筈であります、
   なき人の煙となりし夕より
     いとなつかしき塩竈の浦
 是は復活を信じない人の其夫を荼毘に附した後の感でありました、
 又
   春の日に盛りの花の衣着て
     心うれしく帰るふる里
 是は即ち復活を信ずる者が其妻を春の日に城北の青山に葬りし時に彼女の心も斯くありしならんと独り唱へし(173)詞であります、復活を信ずると信ぜざるとに依て人々の生涯は非常に違つて来ます、死が生に入るの門となつて、悪人が世に跋扈する位いは何でもありません、「一言以て彼を殺すべし」であります、生命《いのち》が欲いければこそ我も彼を恐れ亦彼も我を嚇すなれども、我に彼の奪ふ事の出来ない生命のあるを知れば、我は金鉄の身躯《からだ》を有して居ると同然で御座います、此貴重なる生命! 是は俗人共が如何に寄つて集《たか》つて截《き》つても裂いても決して壊《こぼ》つ事の出来るものではありません、人の霊魂には彼が堅く神を信ずる以上は彼の肉躰をも取戻す丈けの能力が具へられて居ります、正義は矢張り最終の勝利者で御座います、不義の者は此世に勝ちても死して後其肉躰は腐れ其霊は消ゑ失せ、義しき者は之に反して縦し此世に負けても其霊は活き其肉は甦へりて霊躰と云ふ更に高尚なる躰を組成して此世以外に復たび進歩開発の時期を得る者で御座います。
 
    第八回 永生の事
 
 神の事、霊魂の事、復活の事が解れば、永生の事を知るのは別に六ケ敷くありません、永生とは肉躰の死後に霊魂が其新たに授かりし霊体を以て生命を継続する事でありまして、是も亦た基督教の伝ふる大教義の一つで御坐います。 神は生命の源であります、生きとし生ける者の中に神より生命を受けないものは御坐いません、如何なる分子の化合でも生命を作る事は出来ません、万物は皆な神の手に依て造られしものでありますが、生命は特別に神の生気の吹入に依て此世に現はれたもので御坐います、我々は神とは何である乎、確と之に定義を下す事は出来ませんが、然し彼は生命の最も高き者、最も純清なる者である事丈けは慥かで御坐います。
(174) 然し生命にも幾個か種類があります、植物もあります、動物もありまする、植物の中でも蕨歯朶のやうな低ひ階級に属するものもあり、或は柳、桜のやうな高等の植物も御坐います、動物にも下は海月、珊瑚の類から上は牛、馬、猿、人間までの差異があります、同じく生命でありますが、其上下の懸隔は雲泥も啻ならざるもので御坐います。
 人類は生物の中で最も発達したものであります、爾うして又彼の霊魂は彼の肉体に優る生命で御坐います、是は此宇宙に現はれて居る生命のうちで最も巧妙なるもので、亦最も卓絶した所のもので御坐います、神は人間以上のものでありますが、神の造つた物の中で神に最も能く肖て居るものは人の霊魂であります、霊魂は意思と云ふ力を有して居まして、独り定め独り行ふの能を与へられたものであります、人間以外の生物は或は土に頼り或は他の生物に依て存在するものでありますが、霊魂のみは神に依てのみ存在するものであります、基督が我が血を飲み我が肉を食ふにあらざれば、神の国に入ること能ずと申されたのは斯事を云はれたのであります。植物の営養物は無機物であり、動物の食料は有機物であり、霊魂の食料は神であります、故に若し何かの工風を以て植物に其需むる無機物を無限に供給する事が出来、何かの工風を以て其外因の境遇をして無限に適宜ならしむるを得るならば、植物にも無限の生命即ち永生を与へる事が出来ます、松柏科の植物で或は七百年又は一千年と云ふ生命を保つ物があるのを見ても、植物でも其周囲の境遇如何に依りては無限とまでは行かなくとも、永年の生命を持続するの難くない事が解ります。
 動物とても同じ道理で御坐います、馬にしては五十年以上も生きる者があり、象の如きは百年以上に達するものが度々あるそふであります、人でも百歳以上に達する者は罕ではありません、西洋の近時の学説に依りますれ(175)ば人命は三百年位までは持続の出来得べきものであるそふで御坐います、即ち四囲の境遇が其宜きに叶ひ、成るべき丈け肉体消耗の度を節減しますれば生命は案外に永く保存する事の出来るもので御坐います。
 霊魂も神に造られた生命でありますから、神のやうに独り他の物に頼らして生存する事の出来るものではありません、丁度動物が草木のやうに土や瓦斯を以て生活する事が出来ないが如くに霊魂は植物や動物の供給する食物を以て其存在を継続する事は出来ません、生物に夫れ々々適当の食物がありますやうに霊魂には霊魂相当の食物が御坐います。
 思想は霊魂の食物の一つたるに相違ありません、善き人に接し、良き書を読んで我々が一種特別の生気を感じまするのは全く之が為で御坐います、人は如何ほど住居に注意し、又は美食を致しましても健全なる思想を得なければ何んな人でも直に堕落して仕舞ひます、日本今日のやうな物質的社会に於ても著述業や出版業が全く廃らないのは肉体が食物を要求するやうに霊魂が思想を要求するからであります、往昔より唯今まで如何なる世にも道徳があり、宗教があるのは霊魂存在の打消すべからざる証拠で御坐います。
 然し人は水と塩とのみを以て生活する事が出来ないやうに、唯だ思想のみを以て生存する事は出来ません、壮美なる詩歌や高貴なる理論も霊魂の一時の奮興剤とは成りますが、之を以て永久の食糧とする事は出来ません、人は思想以外に何か活きたる霊の糧を要します、爾うして霊なる神に接しませんでも彼は彼の友人や又は妻子朋友より愛と称する一種の実物を要求します、彼は先づ之さへあれば他物がなくとも生存する事が出来ます、之を得んが為には彼は時としては彼の生命をも棄る事が御坐います、殊に神の愛の何たるを知らない者は人望と称へて公衆の愛を博せんと※[敝/心]《あせ》り、又は恋愛と云ふて婦女子の痴情を惹かんと苦心致します、如何に劣等なる愛であり(176)ましても愛は霊魂を有する人類の特有性でありまして、猴にも牛にも馬にも下等動物には人類の有するやうな愛なるものは御坐いません。
 然し人の愛には際限があります、人は大抵私慾に率かるゝ者でありますから全心全力を竭して他の人を愛する抔とは到底彼の出来ない事で御坐います、故に人の愛を以て我が霊魂の無窮の要求を充たさんと欲ふ者は必ず失望致します、世に失恋者の多いのは実に之が為であります、失恋者は全く人生を誤解した者であります、彼は到底人より望むべからざるものを望んだ者であります、婦人何者です、彼女は天使では御坐いません、彼女も矢張り罪に依て神より離れ私慾を追求する者であります、彼等の或る者は高慢であります、彼等の多くは嫉妬深くあります、亦た彼等は全体に虚栄を好む者で御坐います、然るに此の如き者より純潔無私の愛を要求する事でありますれば到底失恋は免がれません、亦た女性に取ても同じ事であつて、男も女と均しく私利を覓め私慾を願ふものであります、彼の愛なるものは自身の快楽と便利とを先にするもので愛の中で最も劣等なるものであります、彼に依て終生の安慰を得んとした者が元来間違ふて居るのであります、是は何も彼女が悪るい、此男が不実であると云ふのでは御坐いません、如何なる女でも如何なる男でも一人の霊魂を満足さするやうな愛心を供する事の出来るものではありません。
 霊魂の要求するものは愛であります、純潔無私の愛で御坐います、亦た宏大無辺の愛で御坐います、霊魂は実に莫大なる請求を為すものであります、彼は到底金殿玉楼位ひを以ては満足致しません、美衣美食位で彼の飢渇は決して癒さるゝものではありません、彼に侍せしむるに三千の宮女を以てしても、徒に彼の悲哀を増す計りであります、幸福なるホームを以てしても、善良なる友人を以てしても、是も亦た彼の満腔の慾望を充たすには(177)足りません、霊魂は実に其友として、亦た其父として、其救主として、宇宙万物の造主なる独一無二の活ける真の神の愛を要求致します、是れなければ彼は死んだものです、是れあれば彼は彼の欲する凡てのものを獲たものです。
 霊魂なる生物は実に斯う云ふもので御坐います、甚だ野卑なる云ひやうでありますが、霊魂とは神を食とする生物で御坐います、丁度蚕が桑葉に依てのみ生活するやうに霊魂は神に依てのみ生育する事の出来るものであります、桑の葉でなければ蚕は直きに死ぬやうに神でなければ霊魂も直きに餓死して仕舞います、ダビデの詩篇にも書いてある通り
  鹿の渓水を慕ひ喘ぐが如く我が霊魂も爾を慕ひ喘ぐなり
と、霊魂があつても神が無くば、禽獣あつて其渇を癒す水のなきやうなもので御坐いまして、若し果して爾うならば天然とは実に残酷無慈悲なものと云はなければなりません、然し茲に霊魂なる生命の最も進化上達したるものが御坐います、亦た之を養ふの神と神の愛とがあります、此二者が揃ふて有りまして永生はあり得難いものではありません、永生とは霊の方から見ても神の方から見てもなくてはならないもので御坐います。
 霊魂は神を食として永久に生存する事が出釆ると云ふと何だか訳の解らない事のやうでありますが、然し其事の何たる乎を実験して見れば是は決して妄誕無稽の言でない事が解ります、現に英語などにては Feed upon God(神を食する、即ち神を以て自から養ふ)の語は極て高尚なる語として用ひられます、其何となく無作法に聞へまするのは我に此霊魂上の実験が無いからであります。 然らば霊魂は如何にして神に依て自らを養ふ事が出来ますか。
(178) 神に依て霊魂を養ふ事を聖書では『神を知る』と申します、『知る』と云ふ詞は希伯来語では極く深い意味のある詞でありまして、今日で申しましたならば『同化する』とか、又は『一体となる』とか云ふ詞に訳すべきもので御坐いませう、約翰伝第十七章の三節を御覧なさい
  永生とは唯独りの真神なる爾と其遣はしゝイエスキリストを知る是れなりと書いてあります、而して基督の此言に依りますれば永生とは何である乎、而して之に達するの途は何んである乎が能く解ります。
 即ち永生とは神を知り、神の遣しゝ基督を知る事で御坐います、之を言ひ換へて見れば基督に顕はれたる神の愛を信仰を以て我が霊魂に同化すると云ふ義であります、基督教の伝ふる永生なるものは斯くも明白なるもので御坐います。
 神は愛であります、爾うして此愛は最も完全に基督の生涯に於て顕はれて居ます、此世に在て神を知るの途は基督を知るより外はありません、基督を見し者は即ち神を見し者でありまして、基督は実に神であります。
 故に永生に入るの途は聖書に顕はれたる基督を知るにあるので御坐います、基督が我等の神たるに至て、即ち彼が我々の理想となり、我々の崇拝物となりまして、我々は新生命の我々の霊魂に加へられるのを覚へるので御坐います、我々の神に関する観念が基督が我々に供する観念でない間は我々の心の中に永生なるものはありません。
 斯く申しますると私の言は甚だ独断的のやうに聞へます、然し是は事実で御坐いますから致し方はありません、基督が供するやうな神の観念が他の人に依て供された例《ためし》は決して御坐いません。
(179) 神は聖い者で御坐います、力の強い者で御坐います、智慧のある者で御坐います、然し此事を知つた丈けでは未だ永生は得られません。
 神は聖い計りでなく、賢い計りでなく、力強い計りでなく、彼は非常に謙遜なる者で御坐います、彼は天の高きに在りても人類を救はんが為には地の低きにまで降来る事をも厭ひ給はず、自ら心を低ふし給ふて我等如き罪人にまで懇願を以て改悔を迫り給ひます、彼に宇宙を主宰するの権力がありますけれども彼の心は柔和なる事小羊の如く、彼が世に臨み給ふや威厳堂々たる大王となつて来り給はずして貧家の子となりて来り給ひ、彼は大工を職とし、労働を以て耻と為し給はず、爾うして正義の唱道すべきものは諤々として帝王も及ばざるの威権を以て之を伝へ給ひました、亦た彼に一点の私慾が無かつたのに世人は彼を棄て、甚しく彼を辱しめ、終に彼を十字架に釘けて殺して仕舞ました、然し彼の口は一言の不平を吐かず、死に臨んで反つて彼の敵人の為に祈つて瞑せられました、基督の示せる神とは実に斯の如きもので御坐います、世人は神の名を聞きましたけれども、神とは斯の如きものであるとは基督に依らざれば決して知る事は出来ません。
 如何で御坐いますか、人が斯う云ふ神を信じて、此神に傚ふて彼の生涯を送つて、彼は永生を得る事が出来ませんでせう乎、基督のやうな生涯は悪人に殺さるれば夫れで終りに為るもので御坐いませう乎、若し基督が復活しないで、彼の生命も空くユダの山地の塵となつて消失せて仕舞ふたものならば此宇宙とは何と頼み少なき処ではありません乎。然し之は爾うでは御坐いません、謙遜なる事基督の如き者の生涯は永遠にまで存在する価値のあるもので御坐います、爾うして我々の生涯と雖ども基督の生涯に傚へば同じく永久の性を帯る事が出来ます、即ち永生とは実に謙の結果であります、基督のやうに謙遜なるを得れば我々も永生に入る事が出来ます。
(180) 然し如何したらば基督に傚ふ事が出来ませう乎。
 夫れは唯だ信仰に依てゞあります、是に依らずしては私共が如何やうに工夫鍛錬を凝らしましても基督のやうな行を為す事は出来ません、努めて為した行は人為的でありまして、自然と心の奥底から湧いて出る愛心のやうには行きません、世の所謂徳行家と申します者の行為の何となく機械的なるは全く之が為で御坐います、私共は聖賢君子の真似事位では永生を承け継ぐ事は出来ません、私共は真正の善人となり、慎んで罪悪を避け、努めて善を行ふのではなくして、心に悪を憎み善を愛するやうに成らなければなりません、爾うして斯うなるには基督に顕はれたる神の救を信じなければ成りません。
 扨て信仰と申しますことは嘗て拙著「求安録」に於て述べて置きました通り何も理屈を以て信ずる事の出来ない事を無理に信ずる訳ではありません、信仰とは即ち読んで字の通り信仰即ち上者を信じて此身を一切彼に任かす事で御坐います、亦た言ひ換へて申せば私共の有の儘を神の前に白状して彼より罪の治療を受ける事で御坐います、神に取ては至仁至愛は彼の特性でありますから、彼は努めずして仁慈たる事が出来ますけれども、私共人間は生れながらの罪人でありますから、神の救済に与からざる以上は公平無私の人と成る事は出来ません、基督教道徳の普通世に唱へらるゝ所の道徳と異なつて居ますのは実に此一点にあるので御坐います、私共が基督のやうな人に成るには基督を道徳の手本として、之を身に行て成るのではありません、私共は先づ身を基督に委ね、彼をして私共の罪を除かしめ、私共の心に彼の心を受け、斯くて私共は皆な小基督となつて、始めて此身に基督のやうな栄光を現はす事が出来るに至るので御坐います、即ち私共は私慾を去つた計りではいけません、私共は意志までをも全く去らなければなりません、詩人テニソンの申しました「我が意思は我が意志を爾の意思となす(181)にあり」との心を以て基督に抵らなければなりません、斯うなしてこそ始めて私共は身に基督のやうな行為を現はす事が出来て、確かに永生の我が裡に宿ることを信ずるに至るので御坐います。
 永生とは斯う云ふ事で御坐います、即ち基督に顕はれたる神の生命を信仰を以て我が心に受ける事で御坐います、其不死不朽のものなる事は之を私共の心に受けて私共自身に之を感ずる事が出来るのみならず、未だ之を受けない世人でも之を受けし人の身に現はるゝ行状を見て其永久朽ちざるものである事を否定する事は出来ません。
 斯く永生なるものは何にも人は皆な死を好まざるものでありますから有るものでは御坐いません、又或る人が信ずるやうに霊魂は元来不死の性を具へて居るものであるから有るのでもありません、唯だ私共の身に基督に現はれたる神の死せざる生命を受けて始めて有るもので御坐います、私共基督を信ずる者の永生の希望は決して確乎たる土台のない希望ではありません、私共は心に既に其一班を実験し、亦た私共の最も明白なる常識に照して見て此新生命の不朽なるを信ずるので御坐います。
 
    第九回 天国の事(上)
 
 神があり、霊魂があり、復活があり、永生があれば、天国のあるは当然の事で御坐います、天国とは神に依て救はれし霊魂が新たに肉躰の復活に依て成りし霊躰に宿つて永久に存在する処の名称であります。
 夫れでありますから私共の言ふ天国なるものは仏教で云ふ所の極楽とは違ひます、私共は敢て天国に往つて蓮の台《うてな》に意中の人と永久の娯楽を倶にせんとは願ひません、亦た私共は回々教徒に傚ふて天国に往て酒池肉林の間に美人の款待を受けやうとも思ひません、天国とは既に肉慾を去つた者の行く処で御坐いますから、天国に往つ(182)て安楽を為さふと望む人は到底其処に行く事は出来ません。
 私共は唯だ天国の道徳的境遇を知るまでゞありまして、其私共が今日此世に於て有する肉眼に何う映ずるものである乎、夫れは少しも存じません、新約聖書黙示録の第二十一章に天国の説明が書いてありまするが、夫れは譬喩《たとえ》であつて、実物を説き明かしたものでない事は誰でも知つて居る事で御坐います、天国とは無闇に宝石や何かを飾付けたやうなソンな詰まらない処ではありません、黙示録の記者は別に形容の辞がないから已を得ず、此地上に属せる最も美しきもの、最も貴きものを執つて書いたに過ぎません。
 天国は何処に有る乎、夫れも私は少しも知りません、所謂天国の地理学なるものは私の少しも知らない所で御坐います、詩人ダンテの「神曲」に由りますれば天国は太陰界、水星界、金星界、太陽界、火星界、木星界、土星界、恒星界、原動界、碧空界の大界に分れて居るそうでありますが、是も詩的想像に止つて、科学的の事実でない事はダンテ彼自身も承知して居ました、又宇宙の中心点はプラヤデスと云ふ星座の中のハリシオンと云ふ星の近所にあると云ふ事から神の宝座も其辺にあるべければ、天国も夫より程遠からぬ処に在らんなどゝ想像して居る人も御座います、然し是とても余り当てにならぬ説でありまして、私は此肉躰を去つて後に億万里外のハルシオンまで旅行しやうとは思ひません、若し天国の地理学的所在に就て少しなりと私の賛成を与へる事の出来まする説がありまするならば、夫れは天国とは此地球の改造された者であるとの説で御座います、私は折角この美はしい地球上に生れ出でまして之と永久に別れまするのは何となく物憂く感ずる者で御座います、此世の事をば憂世なりと申しまするが、夫は何も此地球の事を云ふたのではありません、此地をして斯くも悲惨なる処と致しましたのは其内に住する悪人共でありまして、悪人、俗物の類が悉く逝つて仕舞いますれば、此地は有の儘にて(183)立派なる天国と為すに足ると思ひます、日が山の端に没つた後、西天一面に紫を帯びる際、弦月低く遠霧の中に埋る時の景色は如何で御座いますか、天国とは是よりも美しい処でありませうか、山を見ても、海を眺めても、此地に一として欠点を見出す事は出来ません、悪しきものは唯だ人間計りで御座います、若し此日本も無慈悲なる華族や、傲慢なる藩閥政府の役人や、憎むべき教育家や、偽善的新聞記者や、其他牧師、伝道師、坊主、神主等凡ての悪人や、凡ての偽善者、凡ての幇間流の徒輩が悉く跡を絶つに至りましたならば、何んなに美はしい国土と為る事で御座いませう、私は悪人絶滅後の日本に是非一度帰つて来たく思ひます、斯くも麗はしき桜花国でありながら今日のやうに悪人の跋扈する処となつて居ますのは何んと勿躰ない次第では御座いません乎、然し私は度々爾う思ひます、若し私の此希望にして充たされずに、私共は永生を此地球に於て享くる事が出事ませんならば、天国とは此上如何《どれ》れほどに美はしい処であらふ乎と、若し神は悪人にさへ斯くも美はしき世界を賜ひましたならば、神に依て聖められし者の為に神が備へ給ひし世界とは何んなでありませう、富士山よりも立派な山、桜よりも麗はしい花の咲く処、鶯にも優る声を以て囀づる佳禽の飛ぶ処、……私は現在住まつて居る此国土を以てゞも十分に満足致しまするのに、尚ほ此地に勝るの国となれば多分その光耀の眩きが為に私は眼を閉ぢて其門に入らなければなるまい乎と思ひます。
 然し是は単に妄想であります、天国は何処にあらふか夫れは私共に取て大切なる問題では御座いません、私共は唯だその如何なる人の入るを得べき処である乎を知つて居ます、爾うして夫れ丈け知つて居れば沢山で御座います。
 天国に入り得るの資格は何である乎、何う云ふ人が天国に入り得る乎、天国とは如何なる人に依て組織せられ(184)たる社会である乎、此等の事を知るのは別に難い事ではないと思ひます。
 第一 勿論官や位階勲章は天国に入るの資格とはなりません、
 何も金持は必ずしも天国に入る事が出来ないと申すのではありません、基督は『富める者の神の国に入るは駱駝が針の眼を通るよりも難し』と申されました、決して入る事の出来ないのではありません、入る事が非常に難いので御座います、今日の処では此世は罪悪の世でありまして物事の順序が多くは顛倒して居ます、真の善人は此世の悪人でありまして、真の悪人でありながらも此世に在る間は栄耀栄華を為尽して貴族紳商と仰がれて居る者が沢山に御座います、基督教の天国は本願寺の極楽浄土とは違ひますから、金力や爵位で天国に入らふと思ひますると全く当てが外づれます。
 第二 天国は亦た学者の集合所ではありません、
 天国に入るは政府に入るのとは大変に違ひます、大学の卒業証書を持つて居るとて天国に入る時の何の役にも立ちません、勿論学殖は霊魂の一つの装飾たるに相違ありません、学は畢竟真理を学ぶの途でありますから、教育は適当に之を行へば天国に入るの資格を作る上に非常の力あるものに相違ありません、世には高慢なる学者、学を曲げ世に阿ねる学者、学位を一種の財産のやうに思ふて居る学者等が沢山に御座います、即ち無主義無節操で、金と云へば如何なる出版会社の命令にでも服従して詩なり、歌なり、論文なり、自由自在に書く事の出来る博士や学士達が御座います、然し天国は彼等の行き得べき処でない事は能く解り切つて居る事であります。
 第三 天国とは世に称する道徳家の往く処ではありません、
 元来道徳家とは極く窮屈な者でありまして、彼等は道徳と云ふ一種の縄を以て己れを縛り他人をも縛らんと欲(185)する者で御座いまして天国のやうに自由の空気の充溢して居る処へは決して足蹈みの出来る者ではありません、道徳家の本職は此世に在て圧制政府の下に学校教員たる位が上々で御座います。
 第四 天国は亦た宗教家の棲家ではありません、
 縦令基督教の教師でありましても、宗教専門或は専売の人は決して天国に入る事は出来ません、神学校を天国に入る門であると思ふと大間違で御座います、私共の実験しました処に依れば神学校とは天国ならで全く別の処へ抵るの門口であります、其証拠には神学校を通過して来て未だ此世に徨ふて居る人達を御覧なさい、彼等は実際天国に近きつゝありますか、或は銀行、或は米穀取引所、或は外国商館、……………是等は皆な天国とは最も縁故の薄い、否な全く反対なる処では御座いません乎、然るに神学得業生にして是等の場所に職を執るものゝ多いのは何故でありますか、之は神学校なる者が天国の市民の養成所でない事の十分の証拠では御座いません乎。
 第五 然らば慈善家ならば天国に入るを得る乎と云ふに必ず爾うとも限りません、素と慈善にも幾多の種類が御座います、広告的慈善もあります、政略的慈善もあります、商売的慈善もあります、今の世では慈善事業と申せば全く一種の利益ある商業でありまして多くの懶気者、ヤクザ者の喜んで取る職業で御座います、若し慈善に従事する者を悉く天国に収容しますとならば、公侯伯子男の華族方も、骨も血も涙も何にもない坊主や伝道師をも収容しなければなりますまい、貧乏人に金を与へて遣つたとて夫れで天国に入る事の出来るものではありません、天国に入るには慈善以上の功徳が必要で御座います。
 然らば天国は何人の入るべき処であります乎、
 或人が此事を使徒保羅に来つて聞きました『我儕救はれん為めに何を為すべき乎』と、其時保羅は何と答へま(186)したか、彼は慈善家になれとは申しません、又は青年会の事務に熟練して其幹事と為つて奔走せよとも申しませなんだ、保羅は斯く答へました『主イヱスキリストを信ぜよ、然らば爾及び爾の家族も救はるべし』と、即ち救はれて天国に入るには唯だ此一途あるのみであつて他の途は皆な虚偽のもので御座います。
 天国に入る事の出来るものは基督信者ばかりであると申しますると、或る人は怒りませうし、或人は哂ひませうし、又今日世に称する基督信徒なる者は喜びませう、然し何も怒るにも、哂ふにも、喜ぶにも及びません、基督を信ずる者とは今日世に称する基督教会なるものに入つて、牧師より洗礼を受けて其会員となり、其後は能く日曜日毎に教会に出席し、能く牧師や宣教師の命令に従ひ、日曜日には一切仕事を廃め、子供は宣教師学校へ遣って宗教的教育を受けさせ、何事にも従順で不平を唱へず、貴顕紳士の庇保を仰ぎ、激憤を避け、成るべく世と推移して之に反抗しないやうに努めさへすれば、夫れで教会の善男善女と称へられる者ではありません、彼等の名は基督信徒でありますが実は信者でも何でもありません、彼等は或は組合教会、或は監督教会、或はメソヂスト教会、或は日本基督教会、或は浸礼教会、或は普連土教会、或はクライスチヤン教会、或は宇宙神教会、或はユニテリヤン協会(何と沢山あるではありません乎)などゝ云ふ宗派的団躰の会員で外ありません、彼等を以て直に此地上に於ける天国の市民の代表者と見做すと大間違で御座います、彼等は俗人の上に少しく宗教のペンキを塗つた位いなものでありまして、彼等が天国に入るの資格を有つて居るなどゝは以ての外の次第で御座います。
 基督を信ずる者とは前回にも申しました通り、信仰を以て基督に現はれたる神の生命を我がものと為した者で御座います、少くとも其精神や行為が能く基督の行為精神に似た者であります、基督は天国の王でありまして、其市民は前にも述た通り小基督であります、一言以て之を云ひますれば天国の市民は赦されし罪人であります、(187)決して君子ではありません、道徳家ではありません、慈善家神学者の類ではありません、勿論金持でも貴族でもありません、自己の罪を悔ひ、之を神の前に白状し、終に神の救済に与かつて新らしき人と為つた者でありまして、基督教の伝ふる天国の市民とは実に斯の如き者を指して申すので御座います。
 斯う申すと或人は申しませう「天国は赦された罪人の行く処ならば出獄人収容所のやうな所であつて、実に不浄不潔な処である」と、
 然し之が即ち世人の意と神の意とが違ふ所であります、神の一番に愛し給ふ者は悔ひ改めたる罪人で御座います、爾うして実際世に悔ひ改めた罪人程美はしい者はないのであります、彼の聖賢君子を以て自から任じて居る人々を御覧なさい、彼等は何と高慢な何と冷淡な何と近づくべからざる者ではありません乎、彼等は身の穢れん事を恐れて罪人に近づきません、彼等は自身の清浄潔白を以て誇り、人の罪悪に陥る事があれば悦んで其堕落を談じます、彼等は贖罪の教義を聞くも、身に贖はるべき罪のある事を感じませんから、迷信なりとの一言の下に此教義を斥けます、彼の聖書に書いてあるパリサイの人なるものは此「聖賢君子」の類で御坐いまして、今の世にも今の教会にも此パリサイの人に似て居る者が沢山に御坐います。
 基督信者(真正の)即ち基督に依て罪を悔ひ改めたる者は全く之とは違つて居ます、彼も一度は罪人でありましたから彼は他の罪人に対つては非常に同情を有ちます 彼は神に救はれし者でありますから、彼の徳を以ては決して誇りません、彼が謙遜の人であるは勿論の事で御坐います、彼は彼自身の救済の為めに現はれたる神の大能を知りますれば、他の罪人の救済を疑ひません、彼は心の中に申します「我れ如き罪人を救ひ給ひし神は若し彼の聖意に叶はゞ如何なる罪人をも救ひ得べし」と、彼が感謝の人であるは申すまでもありません、既に彼の霊魂(188)を救はる、彼は他に何の求むる処もありません、彼は永久に死すべき者なりしに神の特別の恩恵に依て今は新たなる生命を受けた者で御坐います 彼は感謝せざらんと欲するも得ません、彼が寛容の人、宥恕の人であるのも全く之が為めであります、自身既に赦されたる罪人でありますから、他人の罪を赦すのは勿論の事で御坐います、彼は心の奥底より主の祈祷文を反覆して申します『我儕に罪を犯す者を我が免す如く我儕の罪をも免し給へ』と。
 基督信者(真正の)とは斯くも柔和で、斯くも慈悲深き者でありますが、然りとて彼は無主義無節操、骨のない海月のやうな者ではありません、彼は愛すべき者を愛すると同時に憎むべき者をば憎みます、彼は東洋流の君子英雄とは全く違ひ、善でも悪でも美でも醜でも之を容れて我がものと為す政治家的度量を有しません、彼は余りに潔くありますから罪を黙許し悪を友とする事は出来ません、彼は罪人を憫みます、然し罪に対しては彼の満腔の憎悪の情を発表し、少しなりとも悪を賛するが如き挙動を示しません、彼は亦た何よりも偽善を憎みます、彼は飲酒、喫煙、争闘等の過失は自由に免します、淫縦の罪も免さないではありません、然し偽善に至つては彼は忍ぶ事が出来ません、殊に神の名を利用して悪事を働らく者の上には彼は彼の満心満腹の憎悪を注ぎます、彼は縦し自分の身を引裂かるゝも怒りは致しますまいが、偽善者の跋扈を見ては彼は憤怒に耐へられません、彼は決して怒らない者ではありません、彼は政治家のやうに人を威嚇《おど》す為めには怒りません、然し神の為め、正義の為め、人類の為め、殊に無辜の民の為めには彼は全身を燃へ尽すが如きの熱火を以て怒ります。
 基督信徒とは斯う云ふ者で御坐います、其柔和なる事小羊の如く、其猛き事獅子の如く、其天真なる事小児の如く、謙遜にして亦た剛毅、涙脆くして亦た勇敢、情に篤くして亦た之に勝つの力を有し、使徒保羅の申しました『総ての事、是れ信じ、総ての事是れ忍ぶ』者であります、爾うして天国とは実に斯う云ふ者の行く処を云ふ(189)ので御坐います。
 
    第十回 天国の事(下)
 
 扨て我々は天国に往つて何を為すのでありませう、メソヂスト教会の信者は「我々は天国に行て常に讃美歌を歌ふのである」と申しますが、然し夫れは余り結構の事ではないと思ひます、勿論美音は天国生涯の一部分であるに相違ありません、音楽は調和であります、物事に調和なくしては喜悦は御坐いません、天国には争闘なく、悲惨なる事はない筈でありますから、其全体の様子の美音的なるは申すまでもない事で御坐います。
 又或人は「我々は天国に行て永久の休息をなすのである」と申します、常に貧と苦とに逐はれ、労働に伴ふに其適当の報酬なく、雇はれ人の勤労は単に雇主の懐を肥すに止まり、蚕を養ふ者は襤褸を纏ひて、宮殿に坐食する者は綺羅を着ると云ふ此世に在ては天国に於ける永久の休息は我々貧者の群に属する者に取つては偉大の恩恵でない事はありません、私は幾度となく左の聖書の句を読んで思はず涙に咽びます、
  彼処(未来の国)にては悪しき者虐遇を息め、倦み疲れたる者安息を得、彼処にては俘囚人《とらはれびと》皆な共に安然に居り、駆使者《おひつかふもの》の声を聞かず、小さき者も大なる者と同じく彼処にあり、僕《しもべ》も主の手を離る(約百《ヨツブ》記第三章十七節)
  我れ新しき天と新しき地を見たり、先の天と先の地は既に過ぎ去り、海も亦有ることなし……………神彼等の目の涙を悉く拭ひ取り、復た死あらず、哀み哭き痛み有ることなし(黙示録第二十一章)
 此世に在ては親に孝ならんと欲して反つて不孝の子と認められ、君に忠ならんと欲して反つて不忠の臣として(190)斥けられ、真正に国を愛する者にして国賊として窘めらるゝあり、真正に神を信ずる者にして反つて異端を以て目せらるゝ人があります、我々は幾度か約百と共に叫びて云ひます『如何なれば艱難に居る者に光を賜ひ、心苦しむ者に生命を賜ひしや』と、働いて働き甲斐のなきとは実に此の世の事にして、我々は宛ながら奴隷が笞を以て使役せらるゝが如く憂苦の中に辛き生涯を送る間に幾度か声を放ちて此歌を歌ひません乎、
   旅路の終くるまでの
   なほ暫時の疲れ足
   夕影暗くなるまでの
   なほ暫時の憂き仕事
   暮るれば床に息ひねて
   眠れば夜は直き明けて
   光り輝く讃美の里に
   我等は起てまた眠らじ
 天国は休息の処で御坐います、然し休息ばかりの処ではないと思ひます、我等は永久にまで息むの必要はありません、人生六七十年間の疲労は天国に於ける二三年間の休息を以て十分に癒す事が出来ると思ひます、元来我等は休む為めに働らくのではなくして、働く為に息むので御坐います、息んで疲労の去りし上は復た前の通り働くのみです。
 然らば天国に於ける労働とは如何のものでありませう乎、若し再び此世に帰り来て罪悪と戦へよとの命があり(191)ますれば私は決して之を辞さない積りで御坐います、神と共に闘ふ事でありますから、全世界を相手に復たび戦争を継続する事は敢て忌べき事では御坐いません、然し此大命は復たび我等には下るまいと思ひます、神は此世には他に沢山の兵士を有たれますから、天国に入つた者が復び帰り来て此処に戦ふの必要はありません、我等は天国に在ては地上の戦争を見物するまでゞありませう、其惨憺たる景状は多少我等の心を痛めるに相違ありますまいが、然し此世に在るとは違ひ天国に在ては我等の正義必勝の信仰が非常に固う御坐いますから、我等は戦争の結果を少しも心配する事なく之を見物する事が出来ませう。
 思ふに天国には天国相応の労働があるに相違ありません、爾うして其主なる者は神の真理を更に一層深く研究する事であらふと思ひます、我儕此世に在て天を望み、地を索ねて幾分か神の奥義を知る事を得ましたが、我等の智識の慾望は到底之にて充たさるゝ事は出来ません、曾てニユートンが申しましたやうに我等は此世に在ては智識の海辺に立ちて僅に其真砂の二三粒を拾ひ得たものたるに過ぎませんから、我等は天国に行きましたならば何の苦痛も障害もなく悠々と此無限の興味ある研究を継けたく思ひます、私は世界の歴史は細大漏らす事なく知りたく存じます、私は宇宙の事は、恒星の事も、礦物の事も、動物の事も、植物の事も、何もかも皆な知り尽したふ御座います、殊に神の愛の深さ広さは幾等究めても限りない事であると思ひます、私は未来に於て千年万年の生命を賜ふも私の学ばんと欲する万分の一をも知り尽す事が出来ないだらふと思ひます。
 又天国も一つの社会でありますから其市民たる者にも社交的義務のやうなものが附て居るだらふと思ひます、勿論天国には此世で云ふ政府なるものはありますまい、淫縦を好む総理大臣、無学文盲の文部大臣、傲慢無礼の外務大臣、偽善者の司法大臣などありやう筈は御座いません、又代義政躰の如きも此罪悪の世では必要かも知れ(192)ませんが、然し人々が相信任して其間に一点の疑の存せざる天国に於ては国会議院の如きも全くの不用物でありませう、陸軍は二十万を要さないのみならず、兵卒一人と雖も入用がありますまい、随て殺人術に妙を得たる人達は平和の郷なる天国に於ては全く無職業の人となりませう、警察も亦た此罪悪世界にのみ必要のものでありまして天国には何の必要もないもので御座います、随て典獄押丁の類、法学士、弁護士、執達吏、公証人の族は天国に於ては存在の理由が無いものであります、天国の社会は此世の社会とは全く違ひまして、此世で立身しやうと思ふて学問したり、丁稚奉公したりした者は天国に行たならば非常に失望するに相違ありません。
 然し天国にも或る労働は有ると思ひます、即ち教育の如きは確かに其一つであると思ひます、教育とは元々霊魂の発達を目的とするものでありますから此世限りで終るものでない事は明かで御座います、実に我々の教育の大部分は後の世に於て施さるべきものでありまして、此世で大学を卒業して、大学院に入て学術の蘊奥を極めた所が、得る所は僅に宇宙学、人生学の最小部分たるに過ぎません、天国は学問を以て入る事の出来ない処であるとは前にも述べた通りで御座いますが、然りとて学問は天国の市民の非常に貴ぶ所でありますから、天国に於ては何人も争ふて学問に従事するであらふと思ひます、爾うして其教授、講師等の役を勤める人の中にはニユートンの如き理学者がありまして、此世に於ける博士等のやうに政府に媚び国民に諂ふやうな卑劣な手段は毫も之を取る事なく、最も公平に最も謙遜に、宇宙の組織や、其構造、天躰の運行と其学則等を我等に説明して呉れるのであらふと思ひます、アガシの如き博物者があつて、生物界に有ると凡らゆるものを悉く我等の前に示し、其形躰、解剖、組織、発生、分類等に就て聡明闊大の意見を我等に伝へて呉れる事であらふと思ひます、カールリツテルは彼の得意の地理哲学を講じませう、マクスウェルは彼の微分子説の更に進歩せるものを述べませう、(193)教育学に就てはペスタロヂは今は地上に於ける彼の貧苦の生涯を忘れて、人心発育の原理を講じませう、史学に於てはニーブルとネアンデル、哲学に於てはカントとヘーゲル、神学に於てはパウロとアウガスチンとトーマスアクイナス、文学に於てはダンテとミルトンとオルヅオス、天国に集ふ学者は必しも博学多識の人ではありますまいが、然し此世の学者の中に在つて最も謙遜なりし人々でありますれば、其学問は一種言ふべからざる興味のあるものである事は申すまでもありません。
 爾うして以上が天国の大学に於ける主なる講師であると致しますれば、私共如き薄学の者には何も用はないかと云ふに、爾うではなからふと思ひます、天国に入来る人の中には一丁字すら解しない者も沢山にあらふと思ひます、此世に在ては神を信じ正義を愛せし外は之れぞと云ふ一つの専門学を修めし事なく、学士や博士達には常に無学迷信を以て罵られた者も沢山天国に行くであらふと思ひますから、爾う云ふ人達には私共如き浅識の者と雖も多少智識を分与する事が出来るであらふと思ひます、天国の楽しさには其処には博学を以て尊大を気取る者は一人もありませんから、誰も無学の故を以て人の前に羞を感ずる事なく、老人も気随に 「い、ろ、は」を学び習ひませうし、国会議員たりし人(若し彼等の中に天国に入る事の出来る人があるとしますれば)も今は恥辱も遠慮も打忘れて学年童子と共に遅れながらも A、B、C、を反覆するやうに至るでありませう、智識の交換と其分与は天国に於ける最も愉快なる労働の一であるとは私の信じて疑はない所で御座います。
 美術も亦た天国市民の労働の一つであらふと思ひます、勿論五感に快楽を与ふるを以て最大目的となす日本現時の「美術」の如きは天国に於ては用も価値もないものであります、元来美術とは物を以てする理想の発表であります、或は※[丹+杉の旁]管《いろふで》を以てして、或は鐫《のみ》を以てして、或は声を以てして、或は言語を以てして心の衷に示されし理(194)想を外部に発表したるものが即ち美術と云ふので御座います、人間とは奇態な者でありまして彼は理想を心に受けた計りでは満足致しません、彼は是非共理想の形式を造つて見たがります、丁度小供が親の為す事は何なりとも真似て見たがるやうに、人は彼を作りし造物主を何事に就け真似たがるもので御座います、人に美術心のあるは彼が神の子供たる確かな証拠であると言はなければなりません。
 夫れ故に美術は天国に於ては何人も必ず学ばんとし、且つ嗜まんとする技芸であると思ひます、国の文明が進めば進むほど其国民の美術心が上騰して来るものでありますれば、進歩の極度に達したる天国に於ては美術は社会全躰に普及して何人も之を嗜まない者はありますまい、絵画に於てはジヨツトーとラフアエルとレムプラント、彫刻に於てはミケルアンジエローとトーワルドセン、詩術に於てはダンテとミルトン、音楽に於てはヘイデンとモザートとメンドルソーンとベートーベン、是等を天国美術界の泰斗と仰ぎ、我々如き此世に於ては美的観念に於ては殆んど全く欠乏して居る者までも皆な美を賛し術を称へるに至るでありませう。
 若し天国にも政治があると申しましたら多くの真面目な人は定めて驚きませう、彼等は申します「若し政治があるならば政治家が居るに相違ない、又政治家が居るならば賄賂の贈与が行はれる、政治家の居るやうな処は決して清潔の士の行く処ではない」と、是は実に最な申分で御座いまして、私共も先づ能く政治家の何たるを究めない間は天国の政治を口に為ない積りであります。
 政治とは国を治める事で御座います、然し国を治めるとは必しも代議士を操縦し、政党を使役し、国威を宣揚して、位階勲章の恩典に与かると云ふ事ではありません、是は日本現時の政治かは知りませんけれども、天国の政治でない事は勿論西洋各国、印度、支那、亦た此日本に於きましても、其最もノーブルなる時に於て行はれた(195)政治ではありません、政治とは物の宜しき(Fitness of things)を定める術でありまして、是は応舟倫理学の一種で御座います、即ち国民各個に彼れ相応の職を与へ、彼をして他人の職を侵害せしめず、一意専心に天が彼に命ぜし職分を尽さしむること是が政治家の本職で御座います、故に人を見るが政治家第一の本分であります、学者をして学者たらしめ、美術家をして美術家たらしめ、工芸家をして工芸家たらしめ、又此世に在ては軍人をして軍人たらしめ、属吏をして属吏たらしむれば夫れで宜いので御座います、爾うして若し(矢張り此世に於ては)愚物、軟物、廃物があれば、彼が貴族の子弟たるに関せず、彼が大臣の姻戚たるに関はらず、遠慮会釈なく彼を放棄し、彼に換はらしむるに有為適当の人物を以てすれば夫で沢山なので御座います、政治家とは実は人物の撰択者であります、人物撰択の伎倆に欠けて、如何なる侯爵殿、如何なる伯爵様の上にも政治家の名を下す事は出来ません。
 撰ぶべきの人物を択び、之に為すべきの業務を命じ、斯くて一躰となりし社会を牽ひて人類の最大目的たる神の真理に向ひ進む事、是が即ち政治家の天職で御座います、爾うして往昔から今日まで此世に在て大政治家と称へられし人は多少此理想を実行した者であります、仏蘭西のシャーレマン王、英吉利のアルフレツド大王、印度のアクバー王、日本の仁徳天皇や北条泰時等は稍々此の理想に叶ふた政治家で御座いました、政治とは穢いものであるとの観念は明治今日の日本の政治を見て起る観念でありまして、決して政治其物の穢い理由では御座いません、米国ペンシルバニヤ州の建設者ウヰリヤム ペンは彼の施さんとする政治を称して「神聖なる政治」(Holy Politics)と申しました、政治其物は真正に之を行へば神聖のものでありまして、何も明治今日の日本の政治ばかりが政治と申すのでは御座いません。
(196) 夫れでありますから私は天国にも政治があると申すので御座います、上杉鷹山が米沢に於て行つたやうな政治に尚ほ十段百段千段の改良進歩を加へたものが天国に於て行はれる政治であらふと思ひます、人のある処には政治がなくてはなりません、悪人が居らなければ政治は要らぬなど云ふ人は未だ政治の何物たるを知らない人で御座います、警視総監と海陸軍大臣なしには政治の執れない政治家は政治家と称すべき者ではありません、今日此世に於て称する政治なるものは政治の消極的半面で外ありません、建設的政治、開発的政治なるものは到底今人の考へ及ばない処で御座います。
 基督は天国の王であると聖書に書いてあります、爾うして彼は何に依て彼の王位を得たかと云ふに勿論剣に依つたのではなく、威力を以てしたのでも御座いません、使徒保羅は基督即位の理由を述べて申しました。
  彼(基督)は神の体《かたち》にて居りしかども自ら其神と匹《ひとし》く在るところの事を棄難きことゝ意はず、反つて己を虚うし僕《しもべ》の貌《かたち》をとりて人の如くなれり、既に人の如き形状《ありさま》にて現はれ、己を卑くし死に至るまで順ひ十字架の死をさへ受るに至れり、是故に神は甚しく彼を崇めて諸の名に超《まさ》る名を之に予へ給へり、此は天に在るもの地に在るもの及び地の下に在るものをして悉くイエスの名に由て膝を屈めしめ、且つ諸《もろ/\》の舌をしてイエスキリストは主なりと称揚して父なる神に栄を帰せしめん為なり
と、之を一言して申しますればキリストが天国の王となられましたのは此世に於ける彼の謙譲の故でありまして、彼を纏ふ凡ての栄光は彼の謙徳の結果として当然彼に加へられたもので御座います。
 王既に謙譲の人でありますれば其臣下の者共が謙遜自卑の人であるは勿論で御座います、傲慢無礼、上あるを知て下あるを知らざる者の如きは到底天国の政治家となる事は出来ません、或人が嘗て米沢に参りまして、鷹山(197)の家老をみて「鷹山公の家老職は彼の家来の中で最とも麁末なる生計をなして居る」と申しましたそうでありますが(是は能く天国の政治家の状態を写したものであると思ひます、天国の総理大臣は其市民の中で最も微さき者でありまして、彼は常に自身の徳の足らざるを責め、栄光を総て主なる神に帰して自身は常に国民の公僕を以て任じて居るもので御座いませう、彼の侯爵だとか、従二位だとか、大勲位だとか云ふ彼を他の市民より区別する徽章を有たないは勿論、彼に若し之を与へんとする者があるとも決して之を受けないに相違ありません、彼は心に誓つて申しませう「我が主は十字架の恥辱を受けて我を罪より救ひ出せし者なり、我れ何の誇る所ありて此栄誉の号を受けんや」と、彼は英吉利のグラツドストン、ツランスバールのクルーゲルのやうに単純なるミストル(君《くん》)を以て無上の栄誉とし、衆と交はり、衆と万事を共にして普通の平民と少しも変りますまい。
 天国の話は大分長くなりましたから今回は先づ是れで仕舞に致しませう、天国の事は到底一回や二回の談話で尽くす事の出来るものではありません、私の有つて居る智識を皆んな絞り出し、私の想像力を天の高きにまで駆り立てました所が天国の栄光の百万分の一をも画く事は出来ません。
 然し此談話を終ります前に天国に就て尚ほ一つ述べ置き度い事が御座います、夫は私共が天国に行きました時に其市民の中に思ひ懸けない人の必ず多い事に就てゞあります、多分斯様な人は決して天国には居るまいと思ふ人が沢山に居りませうし、此人は必ず居るであらうと思て居た人が居りますまいと思ひます、此の世に於ては下司下郎の中に算へられ、其存在をさへ世に認められない人が思ひ懸けなくも天国に於ては高座を占めて居るかも知れず、又此の世に於ては聖賢と称へられ君子と崇められし人が反つて其処に影形を見せない乎も知れません、若し天国の門を開いて下界を瞰下しましたならば其処には天国に入るの希望を曾て抱いた事のない者が沢山居る(198)であらふと思ひます、金の為めに主義と良心とを売りし政治家や新聞記者、国民の人望欲しさに学を曲げて虚偽を唱へし偽哲学者と偽政法学者、代議士、小金貸し、無慈悲なる地主、盗賊に等しき御用商人、「教育家」、売僧等到底天の聖域に入るの見込なき者と予てより覚悟せし者共は地獄の深淵に在つて彼等の受くべき適当の刑罰に甘んじて居るであらうと思ひます、然し亦た茲に天国に入るの希望を懐いて其門口まで来て拒絶されし夥多の群集もあらうと思ひます、彼等の中の或者は申しませう「私は世に在ては宣教師となつて外国に伝道し、三位一躰の神の名に依て多くの人に洗礼を授け、教会を建て、伝道学校の建設を助け、異端を唱ふる者があれば、全身全力を竭して之を排斥し、正統的教義《オルソドツクス》を執つて今日まで渝りませんでした、私は確かに天国に入るの資格を具へた者であると信じまする」と、又た或人は申しませう、「私は世に在ては基督教的教育の任に当り、信徒の間に遊説して基督教主義の学校を興し、私の薫陶に依て信者となりし者は幾百千人も有る積りで御座います、私の功労は世間の人の一般に承認する所となり、私に贈るに大博士の称号を以てせし外国の大学もありました位でありますから、私は確かに天国に入るの特権を以て居る筈で御座います」と、又或人は申しませう「私の在世中の本職は慈善事業でありまして、私は多くの困難に打勝つて一大孤児院を起し、私は彼等の多くに職を授け、亦た満天下の賛成を得まして今は東西南北に私の名を知らない者は無いやうに成りました、私は確かに天国に入て永久の幸福を受くべき筈のものであります」と、又或人は申しませう「我は在世中には、監督の聖職を帯び、神学の教授を兼ね、厳格に自分の配下に在りし羊を牧し、教会の尊厳を維持しました 私は確かに天国に入つて私の在世中の職権を継続すべき筈の者で御坐います」と、爾うして彼等は一同に声を揚げて天国の門衛に迫つて申しませう、「彼人(天国の市民の一人を指して)は世に在ては曾て安息日に彼の職業に従事して神の聖日を汚した者であ(199)ります、彼が天国に在る理由はありません」と、亦彼等は他の天国の民を指して申しませう「此婦人は在世の間は碌々教会に出席した事もなく、且つ其行状には我々共の允可し発き事も沢山ありました、彼女は実は洗礼も未だ受けざる位の者でありまして、彼女が天国に在らんなどゝは以ての外の事であります」と、其他天国在住者に対しては彼等の批評が区々でありまして「彼は嘗て姦淫を犯した事がある」と云ひ、「此者は酒と煙草とを用ひし者である」と云ひ、「彼は洗礼の必要を否みし事があり」と云ひ、「此は嘗て外国宣教師に無礼を加へし事がある」などゝ申します、爾うして彼等が斯くも失望落胆の内に逡巡して居ります時に門内より大喝一声して彼等に告ぐる者があります、
  働らきに依るに非ず、其署名せし教義《ドクトリン》の如何に依るに非ず、其属せし教会の如何又は有無に依るに非ず、又必しも其行状の完全無欠なるに依るに非ず、凡て神を信じ、基督に於て現はれたる神の救済を信じ、其罪を悔ひ神に依り頼みし者は凡て此処に在り、然らざる者は其神学博士たると、牧師たると、宣教師たると、基督教的文学者たるとを問はず、彼等は皆な此国に入るの一つの資格をも有せざる者なれば彼等は速に此処を立ち去るべし
と、時に私共は彼等一同の人々が哀哭《かなしみ》歯切《はがみ》するのを見る事で御座いませう。
 
(200)     闇裡の光明
                      明治33年4月25日
                      『東京独立雑誌』65号
                      署名なし
 
 或る時は心緒懊悩の中に終日を送ることがある、政府を見て失望し、政党を見て失望し、新聞紙を見て失望し、教育家宗教家を見て失望し、亦我身を省て失望す、彼我孰れを見ても失望の種ならざるはない、或る時は実に身も霊も消入るばかりに失望する。
       *     *     *     *
 然しながら冀望は何時もながら上より来る、神の存在を認めて冀望は復び我等の心に帰り来る、神が在す間は此世界が全く俗化し去るの虞はない、ツランスバールの副大統領故ジユーベルトが英軍をマジユバの丘に攻めんとて家を出し時に彼の妻に語て曰ふた辞がある、即ち『英国は強けれども神は英国よりも強ひ』と、我等も孤独此罪悪社会に当る時に此信仰を懐かなければならない。       *     *     *     *
 何時か此社会も天然の法則に随て壊れて了ふであらう、何時か軍艦と兵隊と巡査とを以て維持されて居る政府は倒れて了ふであらう、正義発顕の時は屹度来る、神の裁判の日は必ず来る、我等は忍んで其佳節の到来を待つべきである。
 
(201)     百姓演説 金と幸福
                     明治33年4月25曰
                     『東京独立雑誌』65号「雑壇」                         署名 角筈生
 
 何が幸《さいはひ》で何が不幸である乎は誰にでも直ぐ解る問題のやうに見へる、世間の人は百人が百人まで幸とは金持になる事で、不幸とは貧に苦しむ事であると信じて居る、然し少し深く考へて見ると以上の定説は全く当てになるものではない事が分る、今少しく其理由を述べやう。
 金が沢山あればとて夫れで必しも幸福であると思ふのは大間違である、成る程金があれば旨いものも喰へる、美いものも着られる、金さへあれば家無し猴となつて、広い都を隅から隅まで家主に追ひ立てられる心配はない、金があれば旅行も出来る、夏は避暑、冬は避寒、金が沢山あつて茶代を沢山振り撒けばこそ今日の日本に於ては快楽なる旅行が出来るのであつて、金なくしては如何に東洋の君子国なればとて誰れ一人我等を顧みて呉れる者はない、夫れだから明治昭代の今日は誰も彼も金を欲しがる、位階勲章も金で買へなひ事はない、金権を握る事は実際政権を握る事であつて、金さへあれば堂々たる大政府をも自由にする事が出来るそふだ、今の学士や博士を始めとして教育家、宗教家、新聞記者に至るまでが何よりも金を欲しがるのは決して無理の事ではない。
 然し夫れならば金さへあれば何んでも買へるかと云ふに、夫れはそうではない、政府も政党も議院も代議士も買ふ事の出来る金で買へないものはない筈のやうに見へるが、実際は決してそうではない、先づ第一に健康は金(202)では買へない、金さへあれば医者が自由になるから健康も金で買へると思ふのは大間違だ、医者は健康を与へて呉れる者ではない、医者の為ることの出来る事は天然力の援助を借りて損ねた健康を少しく本に回へすまでゞある、若し金で健康を買ふ事が出来るならば、何故に金持に病身が多いか、常に医者の弗箱となつて医学社会を肥やすものは貴族や縉紳の類ではない乎、若し貧乏人のやうに上流社会の人達が皆んな健全であつたならば医者様達は大抵餓え死んで仕舞ふであらふ。
 金では健康を買ふ事は出来ないのみならず、金は全躰に健康を害ねるものである、ナポレオン大帝が云ふた事がある「食ひ過ぎて死ぬる人は食ひ足らずして死ぬる人よりも遙に多い」と、空腹は人躰に害はあるけれども満腹ほどは害はないそうだ、胃の腑を一つの化学機械のやうに思ふて、ビール、ブランデー、ホヰスキー、正宗と何んでも注ぎ込み、牛肉、鶏肉、羊肉、豚肉と何んでも詰め込んで、夫れで消化作用を強ゆる事だから金持の胃の腑は堪まらない、彼等の消化器が忽ち狂ひ出して終に又金を以て健康を回復せねばならぬやうになる、金を以て健康を害ねて金を以て之を回復する、貴族の身体は毀はしたり、作つたりする土人形のやうな物であつて、金あるが故に彼等は此起死回生の苦痛を受けねばならない。
 智識も亦必しも金で買へるものと思ふと大間違いだ、成る程金がなければ小学校へも這入れない、中学と大学とは今日の所では金の濫用所であつて、高い月謝を払ふてボート漕ぎや、兵式躰操を稽古すると云ふのが今の教育である、別に文部省の高等官に賄賂を贈ると云ふのではあるまいが、実際の所金が無くては博士の号は勿論、年俸僅々八百円しか価しない学士の号さへ得られない、貧と無学とは附きものゝやうに見へて、学とは金の智化したものゝやうに思はれるのが今日の社会の状態である。
(203) 然し之に引き換へて貴族金持の予弟にお白痴の多いのは我々の意注すべき事実である、学位さへ得らるゝならば、千万金をも惜まず投じやうと云ふ貴族達の子弟が自転車に乗る事と小鳥を撃つ事の外は学業更に進歩しないのは是れ何故である乎、我々の大に攻究すべき問題である、華族学校から大学者の出た例は未だ曾て我国にはない、華族と云へば大抵は「馬鹿」なる形容詞を附するが通常であつて、平凡の智識を具へたる者が華族社会では貴族院議員として撰挙せらるゝとの事である。
 縦し又金力を以て大学を卒業する事が出来、後は此の国の習慣に徒つて独逸に四五年間留学してドクトルの鍍金《めつき》を掛けたにもせよ、夫れで必しも学者となれる者ではない、学者とは活たる百科字典《エンサイクロベデイヤ》ではない、支那日本流の学者のやうに何んでも物事を博く知るのが学者の本分ではない、学者は物の理を弁へなければならない、即ち一物と他物との関係を明かに為さなければならない、只凡ての智識をゴッタ雑ぜに頭脳に押し込んだつて夫れで学者と成つたのではない、世には爾う云ふ学者はないではない、僕等の見る所では帝国大学辺の学者の多数は爾う云ふ種類の学者である、即ち活きたるエンサイクロペディヤである、引証の区域の広い者が学者として仰がれるのであつて、何故に石は石で人は人である乎など云ふ事を攻究する者は狂人の中に算へられる、夫れであるから常識の有る人から見ると是等の学者は飛んでもない事を云ふて居る、基督教は其経典が少いから学ぶに甚だ簡単なる宗教であるなどゝ云ふ説が彼等の中に行はれる、故に実は今日世に称する学者なるもの程迂遠なる者はない、事を知つて事を知らないとは今の多くの学者の謂ひであつて、彼等は矢張り明き盲人《めくら》の一種である。
 真正の学は天よりの賜物である、ニユートンは学識に依て引力の大理を発見したのではない、之はインスピレーシヨンとして天より彼に臨んだ真理である、勿論学識がなければ彼は其大真理なる事を認め得なかつたに相違(204)ない、然し学識計りで全宇宙を一統する此大真理を発見したのではない、高等科学は詩術の一種であることは少しく科学発見史を調べて見ると分る、アルキミデイスの比重量発見よりエヂソン、マルコニーの近世の発見に至るまで科学的大発見は皆なインスピレーシヨン作用に依て成つたものである、金を以て買はれたる詩に詩らしき詩のないやうに、金を以て募集されたる発見に文明に大進歩を供したる発見はない、金儲けを目的として明治政府の要求する倫理教科書を書く事は出来るし、源氏物語の註釈を綴る事は出来るけれども、金を目的としてダンテの「神曲」もミルトンの「失楽園」も書かれなかつた、世には学問以上の学問がある、爾うして此学問以上の学問は到底金で買へるものではない。
 名誉も亦必しも金で買へるものではない、見給へ、総選挙の時の政治家共の狼狽を、彼等は何を目的にして此馬鹿らしき競争の為めに祖先より譲り受けし貴重なる財産を蕩費するのであるか、彼等は何にも必しも代議士となつて節を売つて一儲け仕やうと云ふのではない、儲けづくでは容易に彼等の如く狂人じみたる事の出来るものではない、彼等は実に金よりも欲しい者がある、夫れは即ち名誉である、代議士となつて国政に参与する事が出来き大臣をも呼び棄てにする事の出来る名誉である、彼等は学問を有たざれば博士となりて天下に鳴るの野心を抱く事が出来ないから、セメては代議士の肩書を得て政界に狗走せんと頻りに※[敝/心]《あせ》るのである、世に名誉ほど高価なるものは無い、代議士の肩書を得んためには愚夫は万金をも惜しひとは思はない、金で名誉が買へるならば彼等は身代を傾けても之を得んと努めるのである。
 然し名誉は金では決して得られない、金で得られたものは代議士か県会議員の名称であつて名誉ではない、名称と名誉とは詞は能く似て居つても実は大に違ふて居る、名誉は人物の真価に伴ふて居るものであつて、是は迚(205)も金で買へるものではない、若し名誉が金で買へる者なれば株屋も釈迦や孔子と成る事が出来る、名誉とは真理の伝達者又は実行者と成る事の出来る品位であつて、是は造物主の外、何人も、何物も人に与へる事の出来るものではない、正三位の位と陸軍大将の職とが西郷隆盛の名誉ではなかつた、彼の名誉は維新の大理想を日本人に供したるにあつた、引力の法則を発見せしの名誉、阿弗利加の土蛮に福音を伝へしの名誉、平民主義を維持して之を実行せし等の名誉はあるけれども、代議士と成りしの名誉とか、正二位大勲位を賜はりしとか云ふ名誉のありやう筈はない、名誉とは精神的のものであるから、之は物質を代表する金で買へるものではない。
 勿論安心は金で買へるものではない、買へない所ではない、金は安心を取り去るものである、金は決して悪いものではない、然し安心を与へるもので無い事丈けは確かである、人は金を得て同時に責任を托される者であるから、若し安心が彼の欲するものならば彼は金を得ないが宜しい、仏蘭西の或る政治家が「何処《どこか》に安眠を売つて居る処はないか」と云ふた事がある、金持には土蔵もある、別荘もある、衣物もある、馬車もある、然し安心丈けは決して無い、金で安心が買へやうと思ふは余りに馬鹿気切つた思考であつて、此事に就ては茲で永々しく述べるの必要はない。
 夫れだから金持になる事は必しも幸の事ではない、多くの家は金の有りしが故に倒れた、多くの人は金を持ちしが故に身を崩した、金故に紛争の絶へない家はいくらもある、金あるが故に病を醸し、金あるが故に学問を怠たり、金あるが故に心に喜びも平安もない人は世間に沢山ある、金が幸福の基であるなどゝは虚《うそ》の絶頂である、勿論幸福は金に伴ふて居る、然し貧にも伴ふて居る、貧富の間に別はあるが、然し之は決して幸と不幸との別ではない。
 
(206)     〔思想と文士と報酬 他〕
                    明治33年5月5日
                    『東京独立雑誌』66号「思想園」                        署名 独立生
 
    思想と文士と報酬
 
〇思想の溢出を阻礙するものは慾念と名誉心とである、是れさへ相絶しすれば思想は滾々として湧き出で停止せざるものである。
〇思想を得んためには何にも必しもダンテやシエクスビヤを読むには及ばない、慾念のない人の思想は其れ自身にて既に詩歌的である、大家の言を引用したり、誰も知らない難字を使ふたりして文章家を以て自から気取る者の如きは到底取るに足らない文学者である。
〇世の要求する所のものは深い込入つたる思想ではなくして、清ひ透明なる思想である、そして是は無慾の人のみが供する事の出来る思想である、宇宙と人生とは無私無慾の人の眼に如何に映ずるものなる乎、是れ何人も知らんと欲する所である。
〇真理は万巻の書を読み悉したればとて解るものではない、心の眼を塞ぐものは実は慾念であつて学問の不足ではない、慾念を取り除いて見れば吾等は何んな麗はしい宇宙に棲息して居る者である乎が解る、そうなると路傍(207)の野草までが吾等の歓喜の種となる、棣棠花《やまぶき》の一枝が吾等に満腹の冀望を与へて呉れるやうになる、欲念の羈絆より脱して吾等は一丁字を解し得ざるも尚ほ大詩人大思想家となる事が出来る。
〇ホーマーの大作とても他ではない、是は希臘民族が未だ文明てふ人造的装飾術を発明せざる前の彼等の思想を綴つたものである、其内に哲学もなければ美術もない、希臘人有の儘がイリヤツドであり、オデシーである、純粋なる思想は実は文芸の発達と共に消滅するものである。
〇それであるから、若し大思想を得んとなれば、若し大文学を出さうと欲へば、吾等はルツソーの所謂天然有の儘に立帰らねばならない、即ち無邪気の野蛮人とならなければならない、文を以て世に鳴らんと欲するが如き慾念を絶たなければならない、即ち宗教の力を借りて吾等の邪意我慾を殺して了はなければならない、さうさへすれば文学の復興は吾等の間に期して俟つべきである、さうさへすれば吾等は清い大なる思想を出すまいと思ふては出さずには居られない様になる。
〇世には文士の不遇とか称して世が文人を待遇するに薄いと云ふて不平を鳴らして居る文学者があるさうだ、「文士の不遇」とは定めし社会が文士に金を払ふ事が足らないと云ふのだらうが、それは然し余り立派な不平とは思はれない。
〇文士の報酬とは実は金を以て算へる事の出来るものではない、ミルトンの一章を金に積つたら幾何であらうと思ふか、之を千万円と云ふた所が決して高くはない、思想と金とは全く原質が違ふて居るから、金の高を以て思想の価値を秤る事は出来ない、世には金を出して原稿を買はふと云ふ人があるが、之は実は文士に対して甚だ失敬なる申分である、吾等文士は全世界の富を与へられても吾等の思想を売る事の出来るものではない、吾等は吾(208)等の思想の使用を出版会社に許して遣るまでゞある、彼等が吾等に払ふ金は思想の代価ではなくして、彼等が吾等に対して抱蔵する欽慕の情を代表するものたるに過ぎない筈のものである、自から卑下して出版会社の雇人となりし文学者の如きは実は文士の礼を以て遇するに足らざる者なれば、不遇は彼の受くべき適当の待遇であつて、彼は之を以て不平を唱ふるの資格なき者である。
〇文士の報酬とは出版会社が彼に払ふ金ではない、又世が彼に向て呈する讃賞の辞ではない、文士の真正の報酬は彼が天より受くる思想其物である、之を受けし時の彼の歓喜、之を筆に綴りし時の彼の満足、又之を世に公にするを得て多少の同意者を得し時の彼の快楽、是れ千百万の金に勝るの報酬である、是さへあれば文士は満足すべき者であつて、是れ以上の報酬を要求する者の如きは筆を棄て何にか他の業に転ずるが宜しい。
〇斯く云ふて余輩は何にも文士たる者は世に所謂「お人好し」と為り、義侠を気取て出版会社の云ふが儘になれと云ふのではない、文士は文士の威厳を維持するが為めには自身額を定めて会社に出金を命ずる事があつても宜しひ、是を為すは何にも金が欲しいからではない、是は彼等俗物に吾人文士たる者の尊敬すべきものなる事を教へんが為めである、文士が報酬を要求するのは世の冷遇を歎じてゞはなくして其無礼を憤てゞある、彼は罰金を課するの心持を以て出版会社に報酬を迫るまでゞある。
〇斯くて主は実は文士であつて、従は実は出版会社であるべき筈である、会社は文士に事ふべき筈のものであつて、文士は会社に雇はるべき筈のものではない、文士と会社との関係は霊魂と肉躰との関係であるべき筈である、霊魂は肉躰を主るべきものであつて、肉躰に仕事して其命令に服すべきものではない、堕落人間とは霊魂を肉躰の奴隷となす者の謂ひであつて、堕落文士とは出版会社に雇使せらるゝ者の名称である。
 
(209)       ――――――――――
 
    責任と能力
 
 我等は責任の重いのを決して歎ずべきではない、責任の在る処には必ず之に伴ふ能力がある、意気地無し、ヤクザ者の類は責任の軽い者の中に多い。
       *     *     *     *
 責任は人を重くするものである、愚人も責任を負はせられると賢人となる、世に責任を免がれんと欲する人ほど馬鹿なものはない、彼は自から選んで馬鹿となるものである。
       *     *     *     *
 華族に馬鹿の多いのは彼に担ふべきの責任が寡いからである、日本の社会に放蕩者やヤクザ者が未ツ子の中に多いのも亦た之が為めである、責任のない処には智慧も決断力も勇気もない、貴族を庇保して政府は愚族を作りつゝあるのである、末ツ子を可愛がつて、多くの日本の親達は不幸児を養成しつゝあるのである。
       *     *     *     *
 今の日本人は何んでも責任の寡くして俸給の多ひ位置を欲しがる、即ち彼等は馬鹿になるに最も適したる位置を望む、そして実際馬鹿者の数が此国に於て年々増加しつゝあるは明白なる事実である、政府、会社、学校、教会孰れも馬鹿者の養成所でないのは尠ひ。
 
(210)     〔正直なる愚人 他〕
                    明治33年5月15日
                    『東京独立雑誌』67号「感慨録」                        署名 角筈生
 
    正直なる愚人
 
 世に正直なる愚人ほど憐れなるものは無ひやうに思はれる、彼は何人にも馬鹿にせられ、何人にも利用せらる、彼は自分が正直で爾かも愚であるから他の人は誰でも正直であると思ふて居る、故に彼を欺くは最も容易の業であつて、彼は常に世の才子の餌食となる者である。
       *     *     *     *
 然し正直であるから彼は頑固である、彼に人を見るの明が無い代りに、亦た人に許すの度量が無い、彼は正直一方で此世を渡る者であるから、如何ほど利益を以て誘導せらるゝも容易に之に応じない、彼は俗人に取ては甚だ与みし易い者であるが、然りとて彼は亦た御し易い者ではない、彼は実は俗社会の厄介物であつて、彼あるが故に多くの才子と策士とは屡々迷惑を感ずる者である。       *     *     *     *
 然し最終の勝利者は実は正直なる愚人であつて才子ではない、彼は一本鎗で一直線に進む者であるから多くの(211)間違は為すけれども、何うか斯うかして彼の目的点に達する、馬鹿正直の者が節を政府に売つた例しは無い、彼は之を売らないのではない、売れ得ないのである、馬車馬のやうな彼の事なれば彼は万障を飛越しても彼の目的地に達しやうとする。
       *     *     *     *
 余輩は信ず正直にして愚なる者は在天の神の特別に憐み且つ愛し給ふ者なる事を、聖書に斯う書いてある『正しき人に患難多し、然れど神は皆なその中より彼を助け出し給ふ』と。
 
    『小独立国』の宗教
 
〇小独立国には宗教的生涯なるものは絶へて無ひやうに思ふて居る人があるさうだが、夫れは大なる間違である、勿論我等の内に宣教師的基督教なるものは痕跡だも無い、我等は聖日を守るとか称して、日曜日には大工も左官も一切邸内に入れないなど云ふやうな愚は演じない積りである、我等は亦た宣教師の御機嫌を取らない計りではなく、彼等に向ては寧ろ反抗的態度を取るものである、若し声高く讃美歌を唱へ、常識に反する事とは知りながらもツマラなき儀式を固守する事が基督教であるならば、勿論我等の中にはそんなものは少しも無い。
〇然しながら若し我等が信ずる通り基督教とは神と彼の遺はし基督を信ずる事であるならば、我等は我等の宗教的生涯に於て世の牧師や伝道師の類に一歩も譲らない積りである、我等は毎朝毎夜祈祷を為る、我等は聖書を研究する、我等は一週三回宗教的集会を開く、爾うして我等は常に宗教的思念を以て我等の事業に従事する、我等は朝から晩まで神を離れない積りである、我等の談話の主なる題目は神と彼の真理とである、我等は神の聖書を(212)以て我等日常の出来事を判じ、病む時、癒ゆる時、喜ぶ時、悲しむ時、常に神の存在を認めて居る積りである。
〇我等は神を懼れ基督を愛する者であるから我等の中に明白なる悪人偽善者の存在を許さない、我等は此目的を以て我等の中より数人を放逐した、我等は会員の減ぜん事を懼れて或る基督教会の牧師に傚ふて、妾を蓄ふる者や不義の利を貪る者を我等の内に留めて置かない、我等は悪人とあれば面前に彼等を責める、我等は平和の破壊を恐れて俗人を庇保するが如きは一切為さない積りである。
〇若し我等の宗教的生涯を疑ふ者があれば、彼は宜しく木曜日か日曜日の晩に此小独立国に来て見るべしである、爾うすれば我等が如何なる福音を宣伝しつゝあるか、我等はドレ丈け神と基督とを信ずるか、我等は実際ドレ丈け神に頼りつゝある乎が能く解るであらう、他人の事に頭を悩ます我国の基督教徒も二三日我等と居を共にするならば我等の宗教的生涯に関する彼等の疑念も直きに解けるだらうと思ふ。
〇宗教的生涯とよ、之は何にも貴顕紳商を帝国ホテルに招待する事ではない、之は何にも青年会事業や教会事業に奔走して金と会員とを募集する事ではないと思ふ、之は何も亦讃美歌を歌つたり、儀式一偏の説教を為す事ではないと思ふ、我等の見る所にては宗教的生涯とは神の愛心を宇宙并に人生の凡てのものゝ中に視る事であると思ふ、神に依て動き、我等の生命を神に於て有つ事であると思ふ、若し我等に世人に示す為めの外見的宗教が無いならば、夫れは我等に宗教が無いからではなくして、我等の宗教が比較的に内心的であるからである、昔より今日に至るまで真正の宗教家は世の広告的宗教家より不信者視せられた者である、我等は勿論取るに足らない者であつて、到底昔の聖賢君子などゝ肩を比べる事の出来る者ではないが、然し我等も今の宣教師や信者共に不信者視せらるゝを見て、心密かに神に感謝せざるを得ない。
 
(213)     摂理の事
                  明治33年5月15・25日
                  『東京独立雑誌』67・68号「宗教談」                      署名 内村鑑三
 
 神は世界を造り人類を造り給ひて然る後之を見放して其成るが儘に任かし置き給ひません、神は是等のものを造り給ひし時の聖意を以て今尚ほ之を陶冶教導し給ひつゝあります、摂理(Providence)とは即ち創造(Creation)の継続でありまして、今日尚ほ私共の目前に於て行はれつゝある神の活動を意ふ詞であります。
 神は一つの明白なる目的を以て此世界と人類とを造り給ひました、神の意志は人の意志とは異なり、之を実行するに足る能力が之に伴ふて居りますから、神は万物創成の目的を達せずば止み給ひません、必ず之を達し給ひます。
 世には創造《クリヱーシヨン》を信じて摂理《プロビデンス》を信じない人が沢山あります、其人達の曰ふ所を聞きまするに、「神は時計師が時計師を作るやうに先づ宇宙と其中にある総てのものを作り、後は之を神の手より離し、之をして独り自動的発達を為さしめ給ひます」と、彼等は宇宙は何者の関渉をも受くべからざるものであると信じ、人は彼が思ふが儘に此世に処することが出来るものであると思ひ、神は彼が始めて此世界を造り給ひし時の如く今日も尚ほ此世に於て彼の特別の意志を実行し給ひつゝあると聞いても容易に信じません。
 然し若し神が在ると致しますれば理論上彼の摂理を疑ふことは出来ません、物を造て之を放棄するやうな事は(214)善き技工の為す事ではありません、著述家にして彼の一度著せし書を棄て顧ない者はありません、一度画きし絵画は更に之を顧みないと云ふ画家はありません、著述家が彼の著書を愛するのは丁度母がその生みし子を愛すると同じ事であります、美術家が其技術に成りし美術品に於けるも亦同じ事です、況んや神が彼の造り給ひし此完備せる宇宙に於てをやです、縦し又神は人間に優るの技工で在します故、彼が一たぴ造り給ひし物に二たび手を入るゝの必要はなからんなど曰ふ人もありますれど、之は未だ神の何たるを知らざる人の言であると思ひます、完全なるものは神のみでありまして、神以外のもので寸刻も神より自立し得るものはない筈です。
 然し斯う申しても摂理を信じない人は信じません、彼等は春夏秋冬の自づと循環し来るのを見て宇宙は無意識の機械の一種であると思ひます、彼等は悪人が其俗智を利用して此世に大利を占むるを見て、世に正義の神の関渉があるなどゝは夢にも思ひません、世人最大多数の宇宙観と人生観とは大抵斯んなものであります、今摂理の有無に就て御話を致す前に神の特性の二三を挙げませう。
 (一) 神は自身完全で在しますから、彼の造り給ひし万物の完全ならんことを望まるゝに相違ありません、製作品は之を造りし技工の理想を代表するものでありまして、何人も其作りしもの、又は生みしものゝ己れの理想の如くならん事を望むは当然であります、故に神も彼の造り給ひし此世界と人類とが彼が完全なる如く完全ならん事を求めらるゝに相違ありません、勿論完全は物に依て異なります、花の完全あり鳥の完全あり、獣の完全あり、人の完全があります、無機物の完全を調和と申しませう、生物の完全を美と申しませう、霊魂の完全を神聖《ホリネス》と申しませう、然し万物が各其完全に達せんことが神の聖意であることは疑ふ事は出来ません。
 (二) 神は慈悲深くありますから彼は常に上層少数のものよりも下層多数の者を庇保《かば》ひ給ふに相違ありません、(215)平民と貧民とは神が特別に愛し給ふ者でなくてはなりません。
 (三) 神は無私無慾の者でありますから、謙を貴び、譲を好み給ふに相違ありません、虚栄と傲慢とは神の最も嫌ひ給ふものであつて、自から高うするものを低くし、自から低うするものを高うするは神の本性でなければなりません。
 (四) 神は自由の神でましますから、彼は自由の発展と其拡張とを輔け給ふに相違ありません、神の自由とは勿論私利私慾を行ふの自由ではなくして、神の正義を実行するの自由であることは言ふまでもありません。
 神の本性に就て攻究しますれば勿論数限りはありません、以上は只其三四を掲げたまでゞあります、然し神として彼が以上の如き性質を備へないとは決して云ふ事は出来ません。
 今人類の歴史を其全躰に於て稽へて御覧なさい、上に述べたやうな神の聖意は其中に顕はれては居りません乎、勿論私共の観察を歴史の一部に留めすたならば或は文明退歩の時もありました、強者が専横を極めし時代もありました、正は圧せられて邪が時めきし時もありました、日本明治の今日は丁度斯う云ふ時代であります、偽善者は子弟教育の任に当り、無能の族《やから》が貴族となり政治家となりて社会の上流に立つ時であります、然し是は何にも人類歴史の趨勢でない事は能く解つて居ります、例へ日本国の如き小国でも其二千五百年間の歴史とは確かに進歩の歴史でありました、日本にも其自由史とも称すべきものがあります、顕正破邪は日本歴史をも貫徹して居る精神であります。
 斯う申すと或人は申します、「それは当り前の事であつて、何にも是は神の聖意に依て斯うなつたものではない、進歩は天然宇宙の理であるから国民が進歩し来りたればとて別に神に讃詞を奉るには及ばない」と。
(216) 然しそれは爾うではないと思ひます、能く考へて御覧なさい 何れの国何れの時代に於ても悪人の勢力は善人の勢力に勝て居ります、明治の今日のやうに佞人が権力を握て民の自由を奪ひし時は日本歴史に於ても決して一度や二度や三度ではありません、弓削の道鏡のやうな者が君寵を被りて大忠臣として仰がれた時もありました、平清盛のやうな獣慾漢が太政大臣(総理大臣)と成つた時もありました、足利直義や高師直のやうな者が栄華を極めて楠正成の首が獄門に懸つた事もありました、日本の国家も佞人奸物の手に落ちし事は幾度だか知れません、日本は君子国であつて、「※[草がんむり/盡]臣皆熊羆武夫尽好仇」などゝは虚の絶頂であります、満朝の臣は道鏡の鼻息を窺ひました時に彼に膝を屈しない者は唯一人の清麿があつた計りです、楠正戌が主従七百騎を以て湊川に陣を張りました時に足利直義に従つて此忠臣義士の群を鏖穀にしました九州中国の武士は三十万もあつたそうです、若し日本国が日本人大多数の思ふ通りの国になりましたならば此国は今は何んな国に成つて居りましたらう、然るに奸臣は幾何となく皇室を擁し、国賊は幾回となく天下の権を握りましたが、然し正は益々正、邪は益々邪たるを得て今日の日本は千年前の日本ではないやうに成つたのは確かに其内に正義の神の指導があつたからではありませんか、若し時々に天が泰時正成のやうな潔士を此国に給はりませんでしたならば日本は今日今頃何うなつて居つたか知れません、日本歴史に神の摂理などは少しも顕はれて居らないなど云ふ人はまだ此貴重なる歴史を本当に読んだ事のない人であると思ひます。
 日本歴史に於てさへ爾うですものを、世界歴史に於ては尚更の事です、世界の歴史は進歩の歴史であるとは我々が度々唱へる所であります、然し其事実を考ふれば世界の歴史は一名之を罪悪の歴史と云ふ事が出来ます、若しアダム、イーブが人類の始祖であると致しますれば人類の歴史は其堕落を以て始つて居ります、彼等の二子(217)はカインとアベルと申しましたが善人のアベルは悪人なるカインに嫉妬まれて其殺す所となりました、其後罪悪は非常に増進しまして、神は洪水を以てノアの一家七人を除くの外、人類を悉く淪し給ひしとの事であります、然し罪悪は洪水を以ても尽くす事は出来ませんでした、摩西《モーゼ》の如き義人は民の罪悪と闘ひつゝ彼の一生を終へました、神の特別の保護の下にありしと云ふユダ人の歴史でさへ其中に不義、悪慝、貪婪、暴很、妬忌、凶穀、争闘、詭譎、刻薄、讒謗、狎侮、傲慢、譏詐、不孝、頑梗、背約、不情、不慈等凡て聖書に書いてある罪悪の種類の一として載せてないものはありません、若し又バビロン史、アッシリヤ史、エジプト史等に至てはユダ史よりも更に一層甚だしいものであります、其他フイニシヤ史と云ひ、ペルシヤ史と云ひ、才能を以て万邦に卓越たりしと云ふギリシヤ人の歴史と云ひ、若し其中に一つの善事の記載すべきあれば罪悪の十も二十も書かねばならぬ程であります、又近世に至りまして欧羅巴文明なるものは幾度か破壊掃攘し去られんと致しました、一度は土耳古人の侵入に遭ひ、シヤーレマン以来幾多の大政治家が出で辛苦経営して作り上げし基督教国も東方の野蛮人の為めに全く毀たれんとするの危運に迫りました、而して漸く土耳古人よりの危険を免がれしと思へば西班牙王国なる殆んど世界大の大強国が起て、中央集権を主張し、欧洲人の自由と独立とを其根本より拭ひ去らんと致しました、和蘭の如きは八十年の戦争を続け、数十万人の生命を犠牲に供しまして、漸くサット其独立を全ふすることが出来たのであります、十六世紀以後の仏国史、英国史を読んで御覧なさい、罪悪は全力を尽し、有ると凡ゆる勢力を利用して正義の味方を潰さんと努めました、若し世に所謂優勝劣敗なるものが天然必然の理であつて、強者が必ず勝つ者で 者は必ず負けるものでありますものならば、今日此二十世紀の始めに於て世に共和国なるものは無い筈です、憲法政治なども無い筈です、今日今頃文明国の人が最も尊重する凡ての主義と信仰とは疾く(218)に消へて仕舞つたに相違ありません、国王が自由主義を嫌ひ、朝廷のオベッカ連が共和政治を忌みまするのは天下到る所同じ事でありまして、斯くも権門勢家に嫌はれし主義と政治とが今日の如き勢力を持つに至りましたのは何にか人力以外に原因があつたからで無くてはなりません。
 人類の全躰が悪に与みしつゝあるに善が段々と勢力を増しつゝあるのは私は確かに神の摂理が此世に行はれつゝある証拠であると思ひます、世に若し政治家の外頼むべきものはなく軍隊の外正義を護るの力がありませぬものならば我々は全然絶望して仕舞はなければなりません。
 然し今歴史の大躰を離れて其著名なる出来事、并に之に与かりし人物の事を考へて見ますれば神の摂理が此世に行はれつゝある事が一層明白に分るだらうと思ひます。
 人類の歴史には幾回か危機《クライシス》なるものがありました、之は人類全躰が善に帰するか悪に帰するか実に危機一髪、危急存亡の秋でありまして、若し一歩を愆まれば億兆は沈淪の淵に沈まねばならぬ機会であります、紀元前四百九十年九月十二日希臘国アチカ州の東岸マラソンの野に於て一万の希臘人が勇将ミルテイヤデスの下に十万の波斯人に対して陣を布きました時は実に人類の危機でありました、此戦に於て希臘人が敗れペルシヤ人が勝ちましたならば、欧羅巴文明は其幼芽の時に於て圧し潰され、亜細亜的圧制は全欧洲を掩ふに至て其結果或は二十世紀の今日に至るも人類は未だ自由の光明を見るに至らなか たかも知れません、此時に当てミルテイヤデスなる人物が希臘に出でませんでしたならば如何でしたらう、歴史家が一般に此人を以て人類の大恩人の一人に算へまするのは決して無理ではありませんと思ひます。
 英雄が此世に生れて来りまするのは決して偶然ではありません、彼は特別なる仕事を以て生れて来るものであ(219)ります、世は彼を要し、彼は亦世を要する時に丁度彼は此世に臨む者であります、アレキサンドル大王の如きは実に英一人でありました、彼が若し彼が生れし時より百年前か或は後に此世に来りましたならば彼は彼の為した大事業を決して為し得なかつたに相違ありません、彼れをして彼たらしめしものは彼の技量ばかりではありません、彼の時代、彼の周囲、彼の父祖、彼の敵、万事万物、悉く相寄て以て彼をして大征服者たらしめたのであります 英雄の生涯を能く考へて御覧なさい、彼は彼自身の計画、彼自身の勤労にのみ依て偉業を遂げたのではありません、彼は実に彼以上の者の機関となりて殆んど無意識の中に天意を実行した者であります。 〔以上、5・15〕
 曾て鳥尾得庵先生が私に申した事があります、「若し釈迦をして基督の生れし国と時とに生れしめしならば仏教は今は文明国の宗教であつて、欧米諸国の民は今は基督を戴かずして釈迦を崇めて居つたであらう」と、或は爾うかも知れません、然し釈迦が基督よりも五百年程前に印度迦※[田+比]羅蘇都に生れて羅馬アウガスタ シーザーの時に亜細亜、阿弗利加、欧羅巴三大陸の互接点なるユダヤ国に生れなかつた事は確かに彼は基督に劣るの教導師であつた事の一つの証拠であると思ひます、基督は自から神の子であつて人類の王であると証《あかし》せられました、若し彼が南洋諸島の中に生れて此大胆なる言を発せらるゝと誰も彼を信じないに相違ありません、世界を救ふべき人は文明世界の中心点に於て生れ来るべき筈であります、釈迦は「亜細亜の光」でありますから印度に生れました、孔子は「支那の光」でありますから魯の国に生れました、モハメツトは「亜刺此亜の光」であつて、彼の宗教は重に砂漠に住する民に適するものでありますから、彼はアラビヤのメツカに生れました、然し基督は世界の文明国を教化して終に人類全躰を救ふべき者でありましたから、彼はユダヤのベツレヘムに生れました、ベツレ(220)ヘムに生れたから基督は基督となり、メツカに入れたからモハメツトはモハメツトとなり、迦※[田+比]羅蘇都に生れたから釈迦は釈迦となつたのではありません、基督は彼の事業を為す為めにはユダヤに生れなければなりませんでした、モハメツトはメツカに生るべき者であつて、印度やユダヤに生るべき者ではありませんでした、若し鳥尾先生の曰はれしやうに釈迦がユダヤのベツレヘムに生れましたならば彼は何の為す所もなくして彼の一生を終つたかも知れません、神は矢鱈に何んの目的なしに英雄を造りません、基督をユダヤに送つた神は印度に釈迦を遣はし、亜拉此亜にモハメツトを送つて人類の救済を計られました、英雄は必ず時と所とを定めて此世に生れ来る者であると私は信じます。
 英雄が皆な天命を信じまするのも亦彼等が天上の聖意を受けて此世に臨み来りし者であるとの自覚を証明するものであると思ひます、彼等は此世に或る特別の事業を為さんが為めに生れて来た者でありますから、此事業を了へるまでは彼等は如何なる危険に遭遇するも決して死すべき者でないと自から信じて居ります、「我が時は未だ至らず」とは基督が屡々述べられた事でありまして、彼は天の父が彼に命ぜし人類救済の大事業を了へるまでは何人も彼の身に害を加ふる事は出来ないと信じて居られました、夫れ故に彼が法官ピラトの前に引き出れし時に、ピラトが彼に告げて「我に汝を十字架に釘る権威あり亦汝を釈す権威あり、汝此事を知らざる乎」と申しました時に、基督は「汝、上より権威を賜はらずば我に対つて権威ある事なし」と答へられました、即ち「上帝汝に我が生命を奪ふの権を与へ給ふ迄は汝は我を殺す能はず」との意を示されました、基督は死すべき時の到来する迄は決して死すべき者でないとは彼が屡々彼の弟子達に告られた事であります、「事成れり」telelestai とは十字架上に於て彼の発せられし最終の語でありました。
(221) 爾うして此確信を持ちし者は基督にのみ限りません、ナポレオンのやうな全く世俗的の人物でさへ彼の事業を了へるまでは彼の身は金鉄の堅きを以て包まれて居るものゝやうに考へて居りました、彼は弾丸なるものは決して彼の身に当るべきものではないと確信して居りました、彼の敵人は皆な彼の運の強いのを見て驚きました、彼の事業と申すは基督のそれとは違ひ全く破壊的のものでありましたが、然し彼とても彼の天職を了へるまでは彼の権力を失ひませんでした。
 紀元後千五百九十九年の四月廿五日に英国のハンチングトンと云ふ村にオリバー コロムウエルと云ふ人が生れました、若し此人が此時に此処に於て生れませんでしたならば今日の文明世界は決して今日のやうなものではなかつたに相違ありません、彼れありしが故に共和国も及ばざるの自由を享有する英吉利王国なるものが起り、彼れありしが故に北米合衆国なる古今未曾有の大自由国が地上に現はれたのであります、彼れなかりせばワシントンは生れても米国に独立戦争はなかつたでせう、彼れなかりせばリンコルンは世に出しも奴隷制度廃止の為めの大戦争は戦はれませんでしたらう、コロムウエルを離れて十七世紀以後の自由の進歩は論ぜられません。
 此人まだ襁褓の中にありし頃、彼の父の家に飼育され居りし一疋の猴は彼を抱へたまゝ高く家の梁に昇りました、若し猿猴誤つて此嬰児を床板の上に落しましたならば、英国民の自由は一撃の下に破毀されたでありませう、未来の英国と合衆国と、而して是等二国を透して全世界との自由は一時は猿猴の掌中に存しました、危機一髪とは実に此時でありました、嬰児オリバーは安然に再び彼の母の手に付たされませうか、母なるエリザベスは狂人のやうに成つて嬰児の安然を気遣ひました、然し天はオリバーを守りました、彼の一身には未来数百千年間に渉る人類の自由が懸つて居りました、然し猴は安然に彼を梁より下に持ち来りました、人類の自由は安然でありま(222)した、後世の王党の歴史家輩は幾回となく嬰児オリバー コロムウエルが此時猴の手を離れて床板の上に破砕されざりし事を恨みました、然し神は自由の神であつて、圧制の神ではありませんから彼は此自由の戦士を護りました。
 此人齢五十九歳にして千六百五十八年の九月三日に死にました、英国人に取ては五十九歳は決して高齢ではありません、殊に彼は麻拉利亜熱の一種を病みて死んだのであるそうでして是は今日の医学を以てすれば決して不治の病ではなかつたそうです、故に人は彼の早逝を悲しみ、英国民の自由の為めに彼の尚ほ十数年間此世に存在せん事を望みました。然し少しく彼の生涯と彼の時代とを考へて見れば彼は実に死すべき時に死んだものである事が分ります、彼は為すべき丈けの事をば悉く之を為して仕舞いました、彼は今は彼の死を以て彼の事業を封印するまでゞありました、彼の死は早くもなく、亦遅くもありませんでした、彼は他の英雄と同じく死すべき時に死にました。
 私共が英雄の伝記を読んで常に感ずるのは此事であります、即ち彼等は生るべき時に生れて死すべき時に死んだ事です、世に無名の英雄ありとは私共が度々聞く所であります、左様、世に無名の英雄はありませうが無用の英雄はない筈です、英雄は神が作り給ふものでありまして、名は人の附けるものであります、英雄は世人が彼の名を讃へると讃へざるとに関はらず彼の為すべきの事業は必ず之を為す者であります。
 時勢は英雄を作り、英雄は時勢を作ります、時勢と英雄とは進歩の二大原動力でありまして二者其一を欠いて社会に進歩なるものはありません、歴史は能く其内容を検すれば英雄の伝記であるとの言は此事を云ふたのであります、春が来ても農夫が居らなければ田も畑も植はりません、時機が来ても英雄が居らなければ人心の開拓は(223)行はれません、ルーテルは革命時期の為めに予め備へられし人物でありましで、革命時期は其の効果を結ばんが為めには丁度ルーテルのやうな人物を要しました、舞台あつて役者があります、役者の為めに舞台は備へられます、時勢の必要に応じて英雄が起るのは是れ取りも直さず舞台の道具立てが成つて、役者が其上に現はれて彼の技を演ずるの類であります、此事に関して私は拙著『地人論』に於て西班牙国自由党総理エミリオ カステラーがコロムブス時代を評するの言を載せましたが、今又此処に之を転載しませう
  良心は革進を要せり、基督教は改良を要せり、人類の信仰はその理想に達せんとせり、而して伝来の思想と信仰の条目とを棄却せずして此天職を充たさんが為に、名を不朽に伝へたるサボナローラの強健なる智能とルーテルの革命的教理とは世に出たり、而して天然も亦革新を要せり、コロムブス為めに世に現はれたり、発見者に関する記録を探り見よ、大航海家の世に出づるは天の指定せし時にありて吾人の地球と理性とが同時に之を要求する時にありき
 大航海家然り、大政治家然り、大美術家然り、大哲学者然り、大文学者然りです、大家偉人と称せられる人で『吾人の地球と理性とが同時に之を要求する時』に出なかつた者はありません、英雄の輩出は確かに神の特別なる御事業であります。
 然し神の摂理は国民の歴史と之を支配する英雄の生涯とに於てばかり現はれるものではありません、私共は之を探ぐるに遠き昔に遡り、又は深く英雄の伝記に稽ふるの必要はありません、私共日常の生涯が能く之を考へて見ますれば神の摂理の実現であります、誠実に一生を送らんと努める人で昊天の保護と教導とを信じない人はありません、我々は心に自づと我々も時勢の或る必要に応ぜんが為めに此世に生れ来た者である事を信じます、斯(224)く信ずるは我々は何も必ずしも大政治家又は大哲学者とならんが為め生れて来たと云ふのではありません、物に大小優劣の差があるやうに人にも夫れ相応の地位があります、国家の牛耳を執る大政治家もありますれば官庁の門を衛る為めの門番もあります、善く門を衛り得る者は善く国を治め得る者丈け必要であります、神は時勢の必要に応じて善き政治家と善き門番とを造り給ひますから、我等門番として造られた者は感謝して其職に就くべきであります、爾うして我等各自の過去の生涯を顧みますれば我等は皆な神の特別なる保護の下にありし事を感じます、我等に多くの困難がありました、然し能く考へて見ますれば此困難は皆な我等に無くてはならぬ困難でありました、或る困難は我等を光明の域に導いて呉れました、又或る他の困難は我等を罪悪の衢より外に救ひ出して呉れました、私共は時には私共の過去を振り向ひて見て斯くもあれかし、斯くもあらざれかしと思ふ事もありますが、然し又能々私共目下の安寧福祉を考へまする時に私共の通り来りし生涯の途は実に私共の通過すべき唯一の途でありし事を発見致しまする、喜楽必しも喜楽ではありまん、痛苦必しも痛苦ではありません、只花咲く道を辿りましたのも、涙の谷に徨ひましたのも、皆な私共をして今日神の愛を覚らしめ、今日私共の心の中に快楽と歓喜とをあらしめんとの神の摂理に依りしものなることを了りますれば私共は唯だ感謝する計りであります、貴下方の中で英語の御解りになる方は左のオルヅオスの詩を能く玩味して御覧なさい、其中に意味深長にして尽きざるものがあります、
 “Dust as we are,the immortal spirit grows
  Like harmony in music;tbereis a dark
  Inscrutable worlkmanship that reconciles
(225)  Discordant elements, makes them cling together
  In one society. How strange,tbat all
  The terrors,pains,and early miseries,
  Regrets,vexations,lassitudes intrefused
  Within my mind,should e'er have borne a part,
  And that a needful part,in making up
  The calm existence that is mine when I
  Am worthy of myself."――Prelude, 第一章
斯う云ふ塩梅に我々の一身にも全能全智の神の摂理が行はれて居ります、聖書に斯う書いてあります、
  五の雀は二銭にて售るに非ずや、然るに神は其一をも忘れれ給はず、爾等の首の髪また皆かぞへらる、故に懼るゝ勿れ、爾等は多くの雀よりも貴し(路可伝第十二章六、七節)
 神の許諾なしには一羽の雀も地に陥ざる此宇宙に存在する事でありますれば、我々は神を信ずる以上は何にも懼るゝ事はありません、我々は我々の定めし気儘勝手の目的に達する事は出来ないかも知れません、然し神が我々に於て定め給ひし目的は我々は之に達せずしては已みません、我に百万の敵あるも懼るゝには足りません、我が身躰の脆弱なるも意とするには足りません、我に友なく、富なく、援助なきも失望するには及びません、私共は私共の為すべき事は屹度為し遂げるに相違ありません、是れ何にも私共に山をも移し、巌をも透す力があるからではありません、是れ私共各自に神の定めし目的がありまして、私共が心身を挙げて神に任かします以上は、(226)神は神の力を以て私共をしてその天職を全ふせしめ給ふからであります、基督は申されました、「我父は今に至るまで働き給ふ、我もまた働くなり」と、我々の働くは活ける真の神が働き給ふが故でありまして、我々は宇宙の運行、人類の進歩、英雄の行動と共に働きつゝあるものでありますれば我々は安心して日常の業務に就くべきであります。 〔以上、5・25〕
 
(227)     伝道の決心
                    明治33年5月25日
                    『東京独立雑誌』68号「感慨録」                        署名 角筈生
 
 最もエライ事は大政治家と成つて国を治むる事でもなければ、大文学者と成つて国民の思想を左右する事でもなければ、又大道徳家と成つて人類を感化する事でもない、最もエライ事は謙遜なる心を以つて真の神を信ずる事である、凡て貴き事、凡て美しき事、凡て勇ましき事、凡て偉大なる事は此信仰に籠つて居る、然るに世には大政治家、大文学者、大道徳家とならんと欲ふ者が多くして真の神を信じやうと欲ふ者が少ない、世に英雄大家の少ないのは全く之が為めである。
       *     *     *     *
 我に慈愛の心なきは神が我が心に宿らないからである、我に恐怖の心あるは神が我と共に在まさないからである、我に美の観念乏しく、宇宙と人生とを楽しむ事が出来ないのは我の眼が閉ぢて神を見る事が出来ないからである、我に歓喜なく勇気なく希望なく、常に重荷を負ふて遠路を歩むが如き感あるは我れが神を離れて独りで歩むからである、而して惟り我のみならず、国民と雖も社会と雖も、神を信ぜず神を離れて之に活ける道徳と焔ゆる希望とのありやう筈はない、真の神を知る事は我一人に取りても我が国民に取りても最も肝要なる事である。
       *     *     *     *
(228) 余輩は今後一層明白に余輩の宗教に就て談らんと欲す、是れ何にも余輩に余輩が作りし信徒を収容する為めの教会あるが故ではない、余輩は余輩自身の為めに弟子を作るの必要は更にない、然し余輩は余輩の宗教を除いて此国を救ふの術を一つも知らない、余輩は経済を以ても政治を以ても亦世に称する教育なるものを以ても此社会は救へやうとは思はない、余輩の国家救済策なるものはルーテル、ノツクス、ウエスレーのそれに均しく、宗教宣伝の一事の外にはない、保羅は基督の福音を以て恥としないと云ふたが、余輩も彼に傚ふて今より一層大胆にて福音の伝播者とならふと思ふ。
       *     *     *     *
 然し言ふまでもなく余輩の之を為さんとするは余輩が教会や外国伝道会社の補助を受けんと望むからではない、是等の団躰に対する余輩の態度は今後も以前と同じ事である、則ち全くの無関係である、神の真理と世に所謂教会なるものとは全くの別物である。
 
(229)     〔神の愛するもの 他〕
                   明治33年6月5日
                   『東京独立雑誌』69号「感慨録」
                   署名 角筈生
 
    神の愛するもの
 
 神は平民を愛する、彼は平民を愛する貴族を愛する、彼は平民の権利を保護する王室を保護する、故に平民の幸福を増進せんと努めざる貴族にして永く其権威を維持せし者はない、平民の光栄を計らない王室にして長久に其尊栄を持続せしものあるを聞かない、平民の為である、平民の為である、尊栄と恥辱、幸福と不幸とは一に彼を愛すると愛せざるとに由て定まるものである。
       *     *     *     *
 偉大なる事とは平民の為めに尽す事である、貴族の特権を切り下げて平民の権利を伸ばした希臘のソロンは偉大なる政治家であつた、平民の味方となつて豪族の暴を挫ひた仏国のルイ第十一世は偉大なる国王であつた、平民の貧を歎かせられて難波の宮殿に推察の涙を灑がれし仁徳天皇は偉大なる天皇であつた、平民たるを以て無上の栄光なりと信じ、君王の与へんとせし位階勲章を糞土に此せし英国のグラツドストンは偉大なる人物であつた、平民の為めに世界最大の共和国を建設した米国のワシントンは偉大なる軍人であつた、平民の生涯を歌ひしバー(230)ンスは偉大なる詩人であつた、農家の状態を画くに妙を得し仏国のミレイは偉大なる画家であつた、平民の為である、平民の為である、平民の為に歌はない詩人、平民の為に戰はない軍人、平民の為めに※[丹+彡]筆を執らない画家、平民の為に楽器に手を触れない音楽者、平民の為に法を立てない代議士、平民の安全を計らない警察官、平民の権利を保護しない司法官、平民の心を以て心と為ない国王、彼等は凡て小さき人物である、彼等は人類の進歩歴史に名を留めざる人物である。
       *     *     *     *
 最も栄光ある冠冕《かむり》は金剛石を以て鏤られたる冠冕ではない、最も光栄ある冠冕は平民の感謝の涙を以て潤されたる冠冕である、世に最も貴きものは慈悲心であつて、最も卑しきものは自負心である、上を仰いで衰へ、下を腑して栄ふ、盛衰栄辱の岐るゝ処一目瞭然である。
       *     *     *     *
 平民を愛すれば天の神に近づき、貴族を崇むれば神より遠かる、凡ての高尚なる道徳は平民を友とするより来り、凡ての偽善と悪徳と腐敗とは貴族に媚従するに由て生ず、社会の腐敗を歎ずる者よ、汝は腐敗の原因を知るに難からず。
 
    平民の定義
 
 平民とは必しも貧乏人と云ふことではない、世には大金持で純粋なる平民がある、米国のアンドリユー カーネギーの如きは其一人である、又平民とは町人と云ふことでもない、英国のシヤフツベリー卿のやうな人は身は(231)貴族でありながら大の平民であつた、之に反して我国の御用商人の如きは身には一の官職をも帯びざれども其根性に至ては純粋の貴族である。
       *     *     *     *
 平民とは実に神と自力との外には何ものにも頻らざる者の称号である、強者の庇保に依て身を立てんとは為さず、政府の威力を利用して富を作らんとは為さず、位階勲章を以て其身の賤しきを掩はんとは為さず、唯だ公平なる競争と自己の力量の有り丈けを以て此世に処せんとする者の称号である。
 
    平民主義の真相
 
 平民主義とは何も必しも貴族と富者とに反対する事ではない、是は時と場合とに依て其為す所であるが、然し夫れは其消極的半面たるに過ぎない、平民主義の真相は実力の養成に在るのである、真の神を信じ、宇宙の真理を探り、智能を磨き、常識を強め、人に頼らずして神と己れとに頼つて事を為し得るの力量を蓄ふる事である、平民主義を以て単に貴族撲滅主義のやうに見做す者は未だ此主義の何たるを知らざる者である。
       *     *     *     *
 日本国に四千万以上の平民の籍に属する者があるからとて、同数の真平民が此国に有らふとは余輩は決して思はない、名は貴族でありながら実は平民である人が稀には有るやうに、名は平民でありながら実は貴族の未派である者は沢山有る、貴族の生涯を羨む者は実は皆な貴族の奴隷であつて、高貴なる平民の籍に連なるべき者ではない、真の平民とは平民の位置を以て満足するのみならず、平民たるを以て無上の栄とする者である、
(232) 然し真の平民は其数は甚だ少いが其勢力は非常に強いものである、彼は宇宙の大能を托せられたる者であつて、万物は凡て彼の命に従ふものである、彼は地上に於ける神の代表者であつて、人類は竟に彼の命を聴くに至る、此事はナザレの大平民イエスキリストが今や世界の王の王として仰がれつゝあるのを見ても分る、又英国や北米合衆国のやうな平民国の手に世界の全権が帰しっゝあるのでも分る、平民とは最も能く自然の法則に合ふたる民であるから、彼が地上に最上権を得るに至るは当然の次第である。
       *     *     *     *
 華族に列せられて数万円の金を政府より賜はるのは名誉の事でもあらうが、然し己れの腕に頼つて百円の金を稼ぎ出す事は之に勝るの名誉である、何故と云へば爵は一国の政府の与ふるものであつて、人造的であるのみならず、亦た局部的の名誉に過ぎない、然るに正直なる労働の結果は野に実る果穀の如きもの、即ち吾人が天然と共同して作るものである、贈物の価値は之を贈りし者の大小に依て異なるものなれば、宇宙万物の主宰なる神より賜はりし百円は一小国より貰ひし数万の金よりも貴い事は言ふまでもない。
       ――――――――――
 
    破壊者
 
 釈迦は婆羅門教の破壊者であつて、基督と保羅とは猶太教の破壊者であつた、ダンテとサボナローラとルーテルとは羅馬加特力教会を破壊し、ブラウンとウエスレーとジヨルジ フホツクスとは英国の監督教会を破壊した、(233)破壊することは時と場合とに依ては決して悪い事ではないのみならず、甚だ必要なる事である、若し西郷南洲や大久保甲東が旧幕時代の日本の社会を破壊しなかつたら如何であつたらふ、我等日本人は今日此頃も猶ほ中古時代の迷夢の裡に昏睡して居つたではあるまいか、破壊を恐れるのは老人根性である、進歩を愛する者は正当なる破壊を歓迎すべき筈である。
       *     *     *     *
 樹の芽が出る時には樹の皮を破つて出て来るではないか、筍が登天の勢を以て竹林に英気を放つ時には上層の土塊を破て来るではない乎、世に破壊なしの改良事業などゝ云ふ者の、ありやう筈はない、先づ破るにあらざれば新芽は発《ふ》かない、先づ毀つにあらざれば新社会を建設する事は出来ない。
       *     *     *     *
 曾てエドワード ケヤードなる人が詩人ダンテを評した語があるが、夫れに斯う云ふてある「ダンテは加特力教会の精神を透察して終に之を壊はした」と、凡て物は其精神を透察せられて其外形を維持する事の出来ないものである、基督が猶太数を壊はしたのも、レツシングがルーテルの建てた基督新教に大打撃を加へたのも皆な此法に依つたのである、宗教も政治も外部よりの攻撃位ひで容易に壊れるものではない、然し明白に其建設当時の精神を透察せられて、其之を蓋ふが為に作られたる教会又は制度なるものは微塵に毀はれて仕舞ふものである。
       *     *     *     *
 藩閥政府を毀はす者は維新当時の精神を発揮して之をして更に一層透明ならしむる者である、『五ケ条の御誓約』なるものをドヾの詰りまで論究すれば如何様なる自由制度でも此国に採用する事が出来る、親鸞蓮如の精神(234)を発揚して今日の本願寺は一日も永く其存在を続ける事の出来るものでは無い。
       *     *     *     *
 依て知る精神的事業なるものは其素質に於て破壊的事業なるを、前者を奨励すると称して後者を禁圧するは是れ恰も火を燃して然る後に之に水を注ぐの類である、破壊が怖はければ精神的事業を全く禁止するが宜しい、精神的活動と保守的苟安とは二者同時に得られるものでは無い、今の為政家や宗教家は此明瞭なる心理的事実を能く心に留めて置かねばならない。
 
(235)     〔第三年期に入る 他〕
                        明治33年6月15日
                        『東京独立雑誌』70号「感慨録」
                        署名なし
 
    第三年期に入る
 
 本号を以て本誌は其第三年期に入る、朝に人望を博して夕に廃刊の悲運に遭ふ新聞雑誌多き日本今日の社会に在て、三年は一小雑誌の生命として決して短き年月にあらず。
 余輩は此社会が余輩に何の求むる所有て今日まで本誌の存在を許せし乎を知らず、然れども其未だ之に向て死刑を宣告せざるを見れば、余輩より猶ほ何にか聞かんと欲する所あるが如し。
 余輩亦何をか曰はんや、余輩は更に一層明白に一層大胆に余輩の確信を語らんのみ、余輩は耳を人の言に閉ぢて心を天の黙示に開かんと欲す、智恵を授くるの人一人もなき日本今日の社会に於て余輩は人言を顧るの全く不必要なるを感ず。
 毀つべきものを毀ち、建つべきものを建て、教会を毀つも神の天国を建てんとし、藩閥政府に不忠なるも日本国に忠ならんと欲す、心に欺く所なくして、余輩は、不忠、不孝、乱臣、国賊、破壊者視せらるゝも決して意に介せざるべし。
(236) 余輩は勿論本誌の永続を預言せず、然れども其続かん限りは余輩の此決心は動かざるべし。
       ――――――――――
 
    『自由党』
 
 我日本国に自由党なる政党がある、是は板垣退助、片岡健吉など云へる人々の樹てた政党であつて、其党員の数から言へば、日本第一の政党であるとの事である、然し名が自由党であるから自由を唱道する党派であると思ふと大間違だ、日本国の自由党は自由を唱ふる党派ではなくして自由を売る党派である、斯んな自由党は伊太利へ行くも、西班牙へ行くも決して見る事は出来ない、実に世界の七奇《なゝふしぎ》の一つであつて、富士山の聳ゆる日本国に此党派ありとは亦奇異なる事である。
       *     *     *     *
 それも其筈よ、自由の何たる乎を少しも解しない国に出た自由党だものを、一躰自由党などゝ始めから名を附けたのが間違なのである、何故に『忠君愛国党』と名を附けなかつたのか、何故に『至誠党』とでも銘を打つて、支那の偽善道徳を代表しなかつたのか、※[(來+犬)/心]《なまじい》にコロムウヱルやワシントンの貴重した自由の名を取つて、之を自由でも何でもない彼等の党派に附けたのが、抑々彼等が今日の不始末を演ずるに至りし始めである、自由とは論語や孟子に載せてある語ではない、板垣伯達に此貴重なる名を濫用されては、清党祖先は地下に憤慨して居るに相違ない。
(237) 下落、下落、下落、日毎の下落、月毎の下落、明治の初年にはまさか斯くまでも自由は下落しては居らなかつた、自由の真似事ではあつたが、然し少しは自由らしい自由であつた、然し今日の自由は何んであるとも決して自由ではない、全党派の良心に熨斗を附けて、是をシーザル、コロムウエルならぬ伊藤博文公に奉らんとするに至ては、自由の滑稽劇も其極に達したと云はなければならない。
       *     *     *     *
 然しながら唯一つ困つた事には、国に自由がなければ其国は竟には亡びて了ふ、自由党は惜むに足らない、是れ既に死党であつて、斯んなものゝ失えて了ふのは、国家の為め返て賀すべき事である乎も知れない、然し嗚呼日本を如何せんである、其社会の堕落は、今年は昨年より甚だしく、来年は今年より甚しいに相違ない、猶太の預言者ヱレミヤが曰ふた「人々其友人を疑ひ、其兄弟に信を置かず」とは日本今日の状態ではないか、そうして自由の衰退と道徳の腐敗との間には、極々緻密なる関係があるではない乎、日本の道徳論者は、此明白なる事実を弁へないで、荐りに道徳の腐敗を歎息する、彼等は国に良心の自由がないからそれで其通徳が腐敗するのであることを知らない、彼等は強圧的教育を施して、而して此国を君子国となさうとして居る、彼等は種を蒔かずして実を得やうと為て居る、彼等の道徳論の日々に喧しきに係はらず、国民の道徳が日々に下落して来るのは全く是が為である。
       *     *     *     *
 然し何にも驚くには足らない、自由のない国に自由党のないのは、瓜の蔓に茄子が実らないのと同然である、自由なるものは実は日本国の大禁物である、日本国には蓄妾の自由はある、然し良心の自由はない、如斯き国に(238)於て自由が萎微して了ふのは決して奇異《ふしぎ》ではない。
       *     *     *     *
 然し我等は如何ともする事は出来ない、今や国民相一致して堕落に向て進みつゝある、日本人は今は堕落するのを名けて忠君といひ、穢濁に沈むのを称して愛国と云ふて居る、此勢を以て進めば、今年は自由党の死滅を見、明年は進歩党の絶息を見る事であらふ、我等が祖先より承け継ぎ来りし凡ての善き事は、年と共に消へ失せて、明治が齢五十を加へる頃は、日本人の精神なる者は影も形も無くなるのであらふ。
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 然しながら、嗚呼、然しながらゝゝゝゝゝ
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    支那主義
 
 陸軍は独逸式で、海軍は英式、美術は伊太利式で、衣服は仏蘭西式、外物は凡て欧羅巴式で、道徳丈けは支那(239)式とは実に驚く外ない、欧州人の身体に支那人の霊魂を注ぎ込んだ者、是が即ち今日の日本人である。
       *     *     *     *
 支那人なりし丁汝昌が率ひし北洋艦隊は、比較的に欧羅巴的なりし日本艦隊の為に全滅せられたではないか、然らば某侯某伯の如き重に支那的教育に依て成長せし人の統治を受けて居る日本の国家が、全然欧羅巴的なる英国や露国と衝突する折には、丁汝昌が威海衛に於て遭ひしやうな運命に遭ふの危険はあるまいか、二十世紀の競争場裡に於ては、支那的なるは総て敗北の徴候である、支那的政治、支那的教育、支那的道徳、是れ皆な国家を滅亡に導くものである。
       *     *     *     *
 心にもない誇大の言を放ち、言語が綺麗でさへあれば心までが清い事と思ひ、政府に対して反抗を唱へる者がなければ、夫れで国家が泰平であると想像し、何んでも無事に一生涯を送らんとする卑屈根性、是が即ち支那人の根性である、進歩よりも平和を愛し、真理よりも安穏を愛し、若し外患の我に迫るなくば、何時迄も安臥せんとする、是れ亦支那人の根性である、余輩は無謀なる共和主義、粗暴なる社会主義を懼れる者であるが、然し是等とても支那主義を懼れる程には懼れない、共和主義の為めに斃れた国の例はないが支那主義の為めに亡びた国の例は沢山ある、国家的生命を減殺するに最も効力のあるものは支那主義である、支那主義は支那人の愛喫する阿片の如きものであつて、其結果は昏睡的平和を来たすと同時に、亦国家的生命を弱め終には国民をして死に至らしむる者である。
(240) 西洋の自由主義、独立主義などは、神経を刺激して返て生命を強めるものである、之に反して支那の服従主義は、一時は吾人に平和と安眠とを供するなれども、然も吾人の神経を鈍らし、竟には吾人をして不能者たらしむる者である、日本に於ける支那主義の採用が、漸次に其国家的生命を減殺しつゝあるは、火を睹るよりも明かなる事実である。
       *     *     *     *
 人は曰ふ漢字を廃すれば日本の国家は滅亡せんと、余輩は曰ふ若し然らば日本の国家は終に亡びざるべからずと、支那文字に生命の基礎を据えし国家は禍なる哉、そは優勝劣敗の天則は支那文字の永続を許さゞればなり、死と浮沈を共にする者は死す、死すべき支那文字に依て国家的生命を繋がんと欲する者は竟に死せざるべからず。
       *     *     *     *
 文字は支那文字を用ひ、道徳は支那道徳に依る事なれば、其霊魂が支那霊魂である事は言ふまでもない、然し若し日本人の霊魂の入替が日本国の存在上必要であるとならば、日本人は支那文字と支那道徳とを全然排斥せねばならぬ。       ――――――――――
 
    人の愛と幸福
 
 君寵と人望とは一般に幸福の基ゐであるやうに思ふて居る人が多い、君に愛せられて民に仰がるれば、夫れで人生の幸福を総て身に亨けた者のやうに思ふ人がある、然し是は決して爾うではない。
(241) 如何なる君とても人であつて神ではない、君の心の変り易いのは普通一般の人と異なる所はない、朝に恩を承けて暮に死を賜ふとは、幾度となく東洋諸邦に於て行はれた事である、君に愛せらるゝには君の心に投じなければならない、賢人必しも君寵を蒙らない、獰人必しも君寵なしとは云へない、故に臣たる者の品性は君寵の有無を以て定める事は出来ない。人望とても同じ事である、君一人の寵が当てにならぬやうに民万人の仰望も頼みにはならない、国民の趣好なるものは流行衣《はやりぎ》の変るやうに常に変るものである、今年の愛国者は明年の国賊である、常に民の人望を失はない政治家は、大抵は世と共に移り行く幇間流の人物である、何時迄も人望を繋ぐ人で奸物でない者は滅多にない。
       *     *     *     *
 幸とは神に愛せらるゝ事であつて、不幸とは神に棄てられる事である、心の眼を以て神を見る事が出来て、彼を我が父と呼ぶ事が出来て、我等は始めて真正の幸福の何物たる乎を知る事が出来る、是は一点の不幸の伴はざる幸福であつて、貧富盛衰の変遷のない幸福である、神に愛せられし我等は、富んで一層深く彼の愛を知り、貧して亦彼の祝福を感ずる事が出来る、神に愛せらるゝ事は実に人生の幸福の総てゞある。
 
(242)     東洋の大地震
                    明治33年6月25日
                    『東京独立雑誌』71号「感慨録」                        署名 角筈生
 
 来たぞ、来たぞ、東洋の大地震が来たぞ、是は早晩何時か一度は必ず来なくつてはならぬものであるが、然し斯う早く来やうとは思はなかつた、是は一は天が南阿辺の自由の民の叫号の声を聴かれて、斯くも時機を早められたのかも知れない。
       *     *     *     *
 若し天山以東太平洋に至る迄の地を一体と見做すならば、支那は五臓を蔵する胸部腹部であつて、朝鮮や暹羅安南は其手足たるに過ぎない、日本の如きも東洋の脳髄であるかも知れないが、然し消化機と血液循環機とを具へない頭は役に立たない、支那は亡びても日本の独立は未来永劫変ることなけんなど云ふ人は、未だ生理学の初歩をも知らない人と言はなければならない。
       *     *     *     *
 然るに十九世紀の末期に方て日本に伊藤博文侯、陸奥宗光伯など云へる博学多才の人があつた、彼等は馬関条約なるものを結ぶに方て日本の利益ばかりを顧みて支那の利益を少しも考へなかつた、彼等は即ち当時の専門医の如き者であつて、脳病を癒す為めには肺や胃腸の健全を少しも思はない者である、彼等は東洋の主脳たる日本(243)に一時の全癒を来した、然し之が為にその胃腸たる支那は枯衰して其死滅は今や旦夕に逼つて来た、東洋復活を名として始めた日清戦争なるものは、今から見れば実は東洋死滅の為めの戦争であつた。
       *     *     *     *
 支那を啖て日本を肥さうとした日本の愛国者が目を醒すべき時は来つた、軍艦は出来上つた、陸軍は四十万に達した、サア是から如何して此大軍艦と大軍隊を使用して東洋と日本との独立を維持するだらう乎、此所日本の経綸家の手腕の見所である。
       *     *     *     *
 大兵を出さん乎、列国の感情を害するの恐れあり、出さゞらん乎、何の為に兵備を増せしぞ、民の膏血を絞つて軍備を拡張せしは軍人を悦ばす為めの方策にはあらざりしならん、軍備は遊戯としては余りに高価なり、日本の如き貧乏国は如斯き遊戯の為めの出費に耐ゆるものにあらず。
       *     *     *     *
 進取的態度を執らん乎、列国と衝突の虞れあり、保守的態度を取らん乎、国内の攻撃を如何せん、進まんとして進み得ず、退かんとして退き得ず、進退維れ谷るとは昨今夜毎に藩閥の老貉に悪夢を促す好題目ならん。
       *     *     *     *
 国家主義と称して外国のものは何んでも取れる丈け取て来て内国を富まさんとする大誤謬主義が、此悲むべき境遇を東洋の天地に来たせしなり、支那を救て以て日本を救はんなどゝ云ふ主義は、我が国人の笑斥する所となりし故に、支那は亡びて日本までも危機に迫るに至りし也、国家主義の害毒なるものは実に如斯、余輩が之を(244)蛇蝎視するも亦宜ならずや。
       *     *     *     *
 人は蒔きしものを刈り取らざるべからず、日清戦争は東洋に滅亡の種を蒔けり、而して戦、局を終て茲に五年、其実は熟して清朝の滅亡とならんとし、支那の分割として終らんとす、嗚呼是れ誰の※[衍/心]ぞや。
       *     *     *     *
 然れども支那と共に、多分東洋と共に、滅亡に帰するものは支那道徳なり、東洋主義なり、此道徳、此主義に依て成りし日本の藩閥政府の如きは支那と共に滅亡すべきものなり、亡ぶべきものゝ亡ぶる亦慶事ならずや、余輩は日本にも支那にも東洋にも列強、鋒を連ねて来るも亡すべからざるものあるを信ず、清朝亡びて後に、藩閥政府斃れて後に、総ての偽善、総ての虚偽虚礼、総ての人為的権威の東洋の天地より消え失せて後に、真正の日本国は東海の浜に立つに至り、真正の朝鮮と真正の支那は相和して白山崑崙の麓に起り、其時は東洋人は偽善者の支配を受けずして、真人の配下に服するに至らん。
       *     *     *     *
 来れ東洋の危機、余輩に之に耐ゆるの確信あり。
 
(245)     〔我の物 他〕
                    明治33年6月25B
                    『東京独立雑誌』71号「感慨録」                        署名なし
 
    ●我の物
 
 我に我の物あるべき筈なし、我は神の僕にして我が物は総て神の物なり、我の家、我の妻子、我の事業、我の生命、是を我の物と称ふは人と社会とに対して称ふに止て、神と万有に対して称ふに非ず、神に対して称はん乎、我は一物を有せざる者なり。
 
    ●我の事業
 
 人は我の事業を語る、過るかな、我に或る他の者より委托されたる事業あり、然れども我の事業なるもの一もあるなし、我は彼の番頭の如きものにして、我の責任は彼の家を処理するに方て忠実なるにあり、我の利を計らんが為めに働くに非ず、彼の栄光を顕はさんが為めに竭すなり。
 
(246)    ●聖憤
 
 ビスマークは曰く、「我を嘲る者あるも我れ彼を免すを得べし、然れども我が皇帝の名を損する者あらん乎、我は彼に仮借する所なかるべし」と、我も亦曰はんと欲す、「我の名を汚し、我の利を妨ぐる者あるも我れ自由に彼を恕するを得べし、然れども我が神の聖意に逆ひ、彼の摂理を妨げんとする者あれば我れ彼を排して息まざるべし」と、我に私忿なるものなからんと欲す、然れども我に神の為めの熱心なるものありて、我は彼の聖殿を清めん為には、彼の人類を救はんが為めには、金鉄を鎔しても猶余りあるの憤怒の我にあらん事を欲す。
 
(247)     我を作る二元素
                    明治33年6月25日
                    『東京独立雑誌』71号「思想園」                        署名 独立生
 
 我に東洋的、保守的、退嬰的、因循的、偸安的、恐怖的元素あり、我は之を我が祖先より受け、我の接触せし支那的思想より得たり、然れども我は之を悪み、之を賤しみ、如斯卑屈分子の我裏に在るを耻づ、我の進歩の遅々たるは、我に此東洋的元素あればなり、我が思想の常に沈鬱し易くして、我に登天的大希望なきは、我の社会と教育家とが、我に注入せし此支那的元素によれり、我の悲憤し易き懐慨し易きも、亦同一の圧抑的理由に依らずんばあらず、我にして若し我心裡の奥底より此東洋的元素を根絶するにあらざれば、我は快闊なる、希望に富み且つ歓喜に満つる進取有為の人たるを得ざるべし。
 然れども幸にして我に亦、西洋的、アリヤン的、進取的、遠望的、革新的、超自然的元素あり、我は之を我が多少学び得し西洋文学より得たり、オルヅオス、ブライアントの詩編より得たり、我は殊に之を我の信ぜし基督教の教訓より得たり、之あるが故に我は此絶望的社会に在るも其呑下する所とならず、夭氛地上を蔽ふて昼尚ほ暗き時と雖も、尚ほ雲層を排して日光を仰ぐを得るなり、我が悲哀の下に歓喜あり、我が憤怒を支ゆるに愛心あり、我は強圧を憚らずして自由を唱へ、我は死の後に望む、而して我の之を為すは、我が本来の性と周囲の境遇に依るに非ずして、我が幸にして接触するを得し輸入的新元素に因るなり。
(248) 嗚呼東洋的元素なるかな、是れ我を殺すものなり、嗚呼西洋的元素なるかな、是れ我を活かすものなり、而して我は信ず、洋の東にあるが故に、東洋ならず、洋の西に在るが故に西洋ならずして、後を顧る者は東洋にして、前を望むものは西洋なる事を。
 
(249)     予定の事
                    明治33年7月5日
                    『東京独立雑誌』72号「宗教談」                        署名 内村鑑三
 
 基督教に予定と云ふ教義があります、是は左の如き聖書の語に依て示さるゝ教義であります。
  我を遺はしゝ父もし引かざれば人よく我に就《きた》るなし(約翰伝第六章四四節)
  汝等我を選ばず、我汝等を選べり(仝第十五章十六節)
  夫れ神は予め知り給ふ所の者を其子の状に効はせんと予め之を定む、又予め定めたる所の者は之を召《まね》き、召きたる者は之を義とし、義としたる者は之に栄を賜へり、(羅馬書第八草二十九、三十節)
  神モーセに曰ふ、我れ恵まんと欲ふ者を恵み、憐まんと欲ふ者を憐れむと、然れば願ふ者にも趨る者にも由らず、惟恵む所の神に由れり、………………然れば神は憐まんと欲ふ者を憐れみ、剛愎《かたくな》にせんと欲ふ者を剛愎にせり(羅馬書第九章十五、十六、十八節)
  汝等恩恵に由て救を得、是れ信仰に依てなり、己《おのれ》に由るに非ず、神の賜なり、(以弗所書第二章八節)
  ヱホバの言我に臨みて云ふ、我汝を腹に造らざりし先に汝を知り、汝が胎を出ざりし先に汝を聖め、汝を立て万国の予言者となせりと(耶利米亜記第一章四、五節)
 其他此類の聖語は数ふるに遑ありません。
(250) 予定の教義を短く摘まんで申せば斯う云ふ事です、即ち人は何人も自から救はれんと欲して救はれるものでない、人の救はれるのは全く神の恩恵に依るのであつて、人の意思の如何に関はらず、神は救はんと欲ふ者を救ひ、
呪はんと欲ふ者を呪ひ給ふとの事であります。
 鳥渡聞きますると是れは甚だ不条理なる教義のやうに思へます、神は勝手次第に彼が救はんと欲ふ者を救ひ、呪はんと欲ふ者を呪ひ給ふとの事であれば、我々人類は救はれやうが呪はれやうが夫れは我々に取ては何の責任もない事であるは勿論、亦如何んともする事の出来ない次第であるやうに思へます、故に予定の教義は不信者の嘲る処であるのみならず、世に所謂基督信者なる者で之を不問に措くにあらざれば全然之を「保羅時代の神学思想」なればとて排斥する者もあります、彼等は申します、若し救はるべき者、罰せらるべき者は既に神の意中に於て定つて居るものならば、別に道を伝へて人を救はんとするの必要もなければ、亦彼等が地獄に落ちて永遠の刑罰を受くるの心配も要らないと、基督教の予定説なる者は回々教の宿命論に似たものであつて、若し之を信ずるに至れば世に改悔の必要もなくなり、随て克己自制も不用になるやうに思はれます、予定説は確に基督教を信ぜんとする者の一大障害物たるに相違ありません。
 然しながら前にも度々述べました通り基督教は事実其儘を述べるものでありまして、其説明の困難なるの故を以て事実の告白を避けません、予定の教義は復活の教義と同じく、私共基督を信ずるに至りし者の確乎動かすべからざる実験の上に立つものであります、私共は其説明の如何に関せず其事実を疑ふ事は出来ません。
 往昔《むかし》より今日に至りますまで自身の修養鍛錬の結果として神を信じ、神の愛を受くるに至りし人はありません、人は神に召されて彼に到りし者でありまして、彼は彼より進んで神に近いたのではありません、前に申しました(251)耶利米亜記の言の如きは能く此事を示して居ります、耶利米亜は自から好んで万国の予言者と成りし者でないのみならず、彼は幾度か彼の予言者たりしを歎きました、予言者たるべしとの命が彼に下りました時に彼は之を辞して申しました、「噫主エホバよ、我は幼くして語ることを知らず」と、彼は又幾回か彼が神の忠実なる僕となりて国民の罪悪を詰責した結果として天下の怒りを買ふに至りし事を悔みました、
  嗚呼我は禍なるかな、汝何故に我を生みしや、全国の人我と争ひ、我を攻む、我れ高利を以て人に貸さず、人また我に貸さず、然るに人皆我を詛ふなり(耶利米亜記第十五章十節)
 彼は実に神に強ひられて彼の職に就いた者であります、彼は勿論身に予言者の大任を負ひし事を無上の栄誉として感じましたらう、然し是は彼れが自から好んで授かつた天職ではなくして、彼が未だ母の胎に宿らざりし前に神が彼に授けしものであると彼は篤く信じて居りました。
 是は基督降世以前の人達の実験でありますが、基督信者の経験とても之と少しも異なりません、使徒保羅の確信は此談話の始めに引用しました彼の言に徴して明であります、
  夫れ神我等をして其前に潔く疵なからしめん為に世界の基礎を置ざりし先より我等をキリストの中に簡び給へり(以弗所書第一章三節)
とは驚くべき彼の表白でありまして、彼は彼の基督信徒たるを得しは世界の基礎の据へられし前より定まつて居つた事であると信じて居りました。
 使徒彼得の確信も亦同じ事でありました「神が其予じめ知り給ふ所に循ひ霊の聖潔を以て選び給ひし人々」とは彼の基督信徒なる者の定義でありました、或人は是等は皆なユダ人の人生観に依るものであると申しますけ(252)れども何れにしろ聖書は始めより終りまで神の予定撰択を充分に認めて居ること丈けは確かです。
 コロムウニルの臨終の時の語に「余は世に在る所ろの最も卑しき者の一人なりと思ふ、然れども余は神を愛す、否な余は言はんと欲す、余は寧ろ神に愛せらるゝ者なり」とありまするのを見ても彼れコロムウエルは彼は神を愛すと云はんよりは寧ろ神に愛せらるゝ者なりと云ふの真に近きを覚つて居つた事が分ります。
 詩人カウパーの牧師として有名なるニユートンと云ふ人は度々人に告げて申しました、「若し神が生前に於て私を選び給ひしにあらざれば、彼は私の生後の行為に於て一も私を簡び給ふに足る理由を発見し給はざりしならん」と、そして彼れニユートンの生涯の如何なるものでありしかを知る者は彼の此表白の決して過言ではない事を覚ります、彼は一時は奴隷売買にまで従事した人でありまして、阿弗利加在住中の彼の生涯と云ふものは実に惨憺たるものでありました、彼れの如きものがカウバー時代の英国に於て最も有力なる教師の一人となりし事は一種の奇蹟と見るより外はありません。
 其他ルーテルでも、バンヤンでも、ノックスでも、神に於ける信仰に依て此世に大事業を遂げた人で神の予定を信じない人は殆んどありません、「キリストは我等の猶ほ罪人たる時に我等の為めに死たまへり、神は之によりて其愛を彰はし給ふ」との使徒保羅の言は神の救済に与かつた者の心を能く言ひ彰はすものであります、若し我等の受けし救済なるものは我等の善行に酬ゆる神の賜物でありまするならば救済とは左程に有難いものではありません。
 扨て予定の事実は斯の如しと致しまして茲に此教義に就て一大疑問があります、即ち「若し神は或る人を択び他の人を棄て給ふとならば、神は甚だ不公平なるものであつて、斯う云ふ神は決して我々の神として崇むべから(253)ざる者である」と云ふ事であります、此反対論に対して保羅の与へた答は甚だ明白なるものであります、
  然れば爾我に言はん、神何ぞ猶ほ人を責《とがむ》るや、誰か其旨に逆ふことを為んと、嗟人よ、爾何人なれば神に言ひ逆ふや、造られし物は造りし者に向て爾何故に斯く造りしと云ふべけん乎、陶人《すえものし》は同じ土塊をもて一の器を貴く一の器を賤く造るの権あるに非ずや
 是は一寸と聞きますると随分独断的の答弁のやうに聞へまするけれども善く考へて見ますると決して爾うでない事が分ります、世に人爵なるものがありまして私共は之には大反対でありますが、然し争はれぬ事は世に天爵のある事で座ります、世に智者があり、愚人があり、大帝国を左右するに足る力量を具へられたる者があり、官衙の門番に適したる人があります、若し造物主が不公平であると云ふならば、世に賢愚の差別のあるのが不公平であります、或る人は蓄財の才能を有し、又或る人は作詩の天才を有します、彼を富豪となして是を高想妙句を出すの外何の見る影もなき者とならしめ給ふ神は実に不公平であると言はなければなりません、然し此事を以て神の不公平を責る人は誰もありません、そは是は神の特権に由る事でありまして、我々人間の云々すべき事ではないからです。
 救済の予定も同じ事であります、賢愚の差別は智識上の予定に由るものでありまして、清濁の差別は心霊上の予定に由るのであります、ナポレオンに軍略上の大天才を与へられました神は同じ仏国人中でパスカルやフェネロンのやうな人には心霊上の大達識を賜はりました、陣に臨む者は悉く大将軍ではないやうに世に生れ出る者は悉く大聖人ではありません、是は何故なる乎は吾人の知る所ではありません、然し其斯うである事は何人も疑ふ事の出来ない所であります。
(254) 夫れ故に若し世に貧富智愚の別あるが故に神を不公平なりと申しますならば彼が或人に彼の真理を覚るの力を与へ、又或人に此力を与へざるを以て彼を不公平なりと云ふ事が出来る乎も知れません、然し是は吾人々類の逆ふても甲斐のない不公平でありまして、吾人神ならぬ者の如何ともする事の出来ない事であります。
 然し神は神でありますから、彼は万一不公平でありまするとも決して無慈悲ではありません、不公平と無慈悲とは全く別物であります、そして無慈悲ならざる不公平は実は不公平ではありません。
 若し神が或る人に蓄財の天才を与へ置きながら彼をして富豪たるを得ざらしめ給ふならば神は実に残酷であります、何故ならば世に揮ふべきの天才を以て居りながら之を揮ひ得ない程苦しい事はありませんから。
 又若し神は或る人に詩才を与へて置きながら彼をして詩人たるを得ざらしめ給ふならば神は実に無慈悲であります、そは心に燬《もゆ》る詩想の有る時に之を裹《つゝ》んで言はない程辛らい事はないからです。
 然し蓄財家は必ず財産を作りますし、詩人は必ず詩を作ります、そして蓄財家は詩の作れないのを歎きませんやうに詩人は亦財産の作れないのを恨みません、二者は各自の天職に安んじ、蓄財家は彼の積みし金を見て喜び、詩人は彼の集めし詩を見て感謝します、歓喜満足の点に於ては金持も詩人も同じ事でありまして、神は此点に於ては決して不公平ではありません。
 神の予定に依て真理の光明を授かり未来の栄光を承け嗣ぐ義人も、又予定に洩れて肉慾の快楽の外に別に求むる所なき俗人も其満足を受ける点に於ては同じ事であります、義人は神の光明が雲を以て掩はれしを見て甚く歎きまするが、俗人には斯の如き苦痛は絶えてありません、予定と云ひ、救済と云ひ、是は義人の苦にする問題でありまして、俗人は之を耳にするも絶えて之に意を注ぎません、俗人が天国の事や神の事に無感覚なるは牛や(255)馬が数学や哲学の問題に無感党なるのと同じであり針す、俗人は金が有つて、世人に誉められて、位階とか勲章とか云ふ義人の眼より見れば小児の玩弄物同然のものが有れば夫れで充分に満足して居りまする、是れ恰も馬は豆と秣草とさへ沢山あればそれで何にも他に求める所がないと同然であります、そして馬に秣草を沢山に賜ふ神は俗人には彼の欲する金や位階勲章の類を有り余る程賜ひます、神は俗人に対して決して無慈悲ではありません、俗人の欲するもの丈けは神は彼等に充分与へます。
 爾うして俗人に金と位階と勲章とを沢山に与へ給ふ神は義人に真理と永世と天国とを与へ給ふのであります、俗人が其授かりし君恩に感泣するやうに義人も其賜はりし神の恩恵に就て感謝するのであります、両方共心を満たすに足るの恩恵を受くるのでありまして、只其受けし恩恵の種類が異なるまでであります、馬は其与へられし秣草の為めに喜び、俗人は其授けられし勲章の為めに喜び、詩人は其示されし思想の為めに喜び、義人は其与へられし永生の為めに喜ぶのであります、生を神より受けたもので喜ばないものはありません、神とは斯くも恵み深い者であります。
 夫れでありますから神が特別に義人に義人の要求する新生命を与へ給へばとて神は決して不公平ではありません、公平なる君とは何にも其臣下の者共に悉く正一位の位と最高等の勲章とを与へる者を称ふのではありません、公平なる君とは臣下各自の分に応じて其心に満足を供する者を称ふのであります、満足の一点より申しますれば、神の俗人を恵み給ふは義人を恵み給ふに劣りません。
 然らば神の予定に洩れし人とは如何なる人であるかと云ふに、是は予定とか、救済とか、未来とか、永生とか云ふ事は少しも之を苦にしない人であります、彼は此世以外に少しも目を注ぐことなく、生命とは唯此世に限る(256)ものと思ひ、若し安然に此世を通過し得ればそれで人生の目的は達せられし事と信じて居ります。
 彼は純然たる「世界の人」でありまして、彼に取りては道徳は処世の方法たるに止り、宗教は治国平天下の道具たるに過ぎません、彼は此世を以て満足し得る者でありまして、神に選ばれて天国に行く事が出来ないとて神をも人をも恨む者ではありません。
 よく牧師や伝道師が申す事でありますが、悪人とは常に良心の詰責を受け、死を懼れ、未来の刑罰に就て常に恐怖の念を懐いて居る者のやうに思ひますのは実は大間違であります、真正の悪人とは決してそんなものではありません、真正の悪人とは神を畏れず、人を怕れず、死を怖れず、生あるを知て死あるを知らない、実に幸福なる者であります、彼は丁度屠湯に曳き出さるゝまでは死の苦痛を感じない牧牛の如き者であります、若し世に真に満足の人と称すべき者がありまするならば彼は実は善人ではなくして真正の悪人であります。
 天路歴程の著者として有名なるジョン バンヤンと云ふ人は亦『悪人君の生涯並に死状』Life and Death of Mr.Badman と云ふ書を著はしました、是は今日では殆んど世人に忘れられて、特別にバンヤン文学を究めんと欲ふ人でなければ滅多に読まない書でありますが、然し非常に面白い書であります、バンヤンの眼に映じた悪人とは何んなものであつたかはよく此本に依て知る事が出来ます、彼の筆に成りし「悪人君」の死状とは左の如きものでありました
  彼(悪人君)の一生が罪悪の一生なりしが故に、彼の死は悔改なしの死なりし、彼は病中曾て一回も彼の罪業に就て感覚を起せしことなく、反て終生未だ曾て一回の罪をも犯せし事なき者の如くに平和なりし、彼は恰かも罪を知らざる天使の如くに安然なりき、彼の終焉に近くや、病に由て彼の肉躰に現はれし変化の外に(257)彼に何等の異状なかりき、彼は尚ほ名に於てのみならず、彼の心の状態に於て以前同様の悪人君なりき、而して彼は此状態を彼の最終の時まで持続せり、彼の病褥の傍に在りし者は彼に於て死の苦闘をさへも認めざりき、彼は小羊の如く平和に死せり、恰も無辜の小児の如く静かに且つ恐懼なくして死せり。
 斯う云ふ人が真正の悪人でありまして、是が神の予定に洩れた者の死状であります、死に臨んで過去の罪業を悔ひて煩悶する者の如きは未だ全く救済の希望の絶へたものではありません。
 そして是が神の予定に洩れし者の生涯でありますれば其予定に与かりし者は如何なる人である乎と云ふに、是れ亦世人一般の予想とは全く異つた者であります、神の予定に与かりし人は苦闘憂悶の人であります、彼に平和なるものはありません、彼は彼れ自身の為に歎き、彼は同胞の為に歎き、社会国家の為めに歎きます、「悲哀の人」とは実に彼の事を称ふのであります、不幸艱難は彼の身に絶ゆる事なく、彼は国を愛するも国賊なりとして彼の国人に追窮せられ、彼は親に孝なるも不孝の子なりとして父母に嫌はれ、彼は神を愛するも神を涜すものとして教会に迫害されます、彼は度々自から神に見棄られし者と思ひ、世人も亦彼の身に不幸の絶へざるを見て、神の怒に触れし者として彼を指斥《つまはじき》します、予言者エレミヤは歎じて申しました
  我は彼(神)の震怒の笞《しもと》によりて艱難に遭ひたる人なり、彼は我を導きて暗黒を歩ませ、光明に行かしめ給はず、実に屡々その手を向けて終日我を攻め悩ます、我が肉と肌膚とを衰へしめ、我が骨を摧き、我に対ひて患苦と艱難を築き、是を以て我を囲み、我をして長久に死し者の如く暗き処に住ましめ、我を囲みて出ること能はざらしめ、我が鏈索《くさり》を重くし給へり、………………彼れ我をして苦《にが》き物に飽かしめ、茵※[草がんむり/陳]《いんちん》を飲ましめ、………………汝我が霊魂をして平和を遠く離れしめ給へば我は福祉《さいわひ》を忘れたり。
(258) 是が基督以前のユダ人の中で最も深く神の聖旨を悟り、母の胎内に造られざる前より神の撰択にかゝりしと云ふ予言者エレミヤの言であるとは殆んど受取れない事であります、「嗚呼我れ我が首を水となし、我が目を涙の泉となし、我国民の殺されたる者の為めに昼夜哭かんかな」とは彼の悲嘆の極を述べた言であります、此エレミヤに比べて幸福なるホームの中に喜楽の讃美歌を唱へながら、安楽に日々を送る今日の牧師や宣教師を御覧なさい、若しエレミヤが神に選ばれし者でありましたならば是等の牧師や宣教師は何者でありませう。
 神に選ばれし者と云へば耶蘇基督に優りし人はない筈です、彼は神の独子でありまして、最も豊かに神の祝福を受けた者であります、「此は我が心に適ふ我が愛子なり」とは彼がバプテスマのヨハネより洗礼を受けし時に天より降りし声でありました、彼の表白に依れば彼は世界の原始より神と倶に在りし者でありました、祝福と栄光と智慧と感謝と尊貴と威権と才能とは彼に帰すべきものであると聖書に書いてあります、若し世に幸なる者があれば実に基督でなければなりません。
 然るに此世に於けるイエスキリストの生涯は何んなものでありました乎、彼は自から「王の子」であると申されましたが、彼は実に王子や王族のやうな安然気楽な生涯を送られし者でありましたか、平和は実に彼の特有性でありましたか、彼は絶へず神の祝福に与かりし人でありましたか、茲に旧約時代の大予言者が彼の生涯に就て予言せし者を御聞きなさい。
  われらが宜ぶるところを信ぜしものは誰ぞや、エホバの手はたれにあらはれしや。
  かれは主のまへに芽の如く、燥きたる土よりいづる樹株《きかぶ》の如くそだちたり、
  われらが見るべきうるはしき容なく、うつくしき貌はなく、われらがしたふべき艶色《つや》なし。
(259)  かれは侮られて人にすてられ、悲哀の人にして病患を知れり、
  また面をおほひて避くることをせらるゝ者のごとく侮られたり、われらも彼をたふとまざり。
  まことに彼はわれらの病患をおひ、我儕のかなしみを担へり、
  然るにわれら思へらく、彼はせめられ、神にうたれ苦しめらるゝなりと。  彼はわれらの※[衍/心]《とが》の為《た》めに傷けられ、われらの不義のために砕かれ、みづから懲罰をうけてわれらに平安をあたふ、
  そのうたれし痍《きづ》によりてわれらは癒されたり。
  われらはみな羊のごとく迷ひておの/\己が這にむかひゆけり、然るにエホバはわれら凡てのものゝ不義を彼のうへに置たまへり。
  彼はくるしめらるれどもみづから謙《へりくだ》りて口をひらかず、
  屠場にひかるゝ羊羔のごとく、毛をきる者のまへにもだす羊のごとくしてその口をひらかざりき。
  彼は虐待と審判とによりて取り去られたり、
  その代《よ》の人のうち誰かかれが活くるものゝ地より絶たれしことを思ひたりしや。
  彼は我民のとがの為にうたれしなり、
  その墓はあしき者とともに設けられたれど、死るときは富めるものとともになれり、
  かれは暴を行はず、その口には虚偽《いつはり》なかりき。
  されどエホバはかれを砕くことをよろこびて之をなやましたまへり、
(260)  斯てかれの霊魂、咎の献物《さゝげもの》をなすにいたらば、彼その末を見るを得、その日は永からん、
  かつエホバの悦びたまふことはかれの手によりて栄ゆべし。
  かれは己がたましひの煩労をみて心たらはん、わが義しき僕はその智識によりておほくの人を義とし、又かれらの不義をおはん、
  このゆゑに我かれをして大なるものとともに物をわかち取らしめん、
  かれは強きものとともに掠物をわかちとるべし、
  彼はおのが霊魂をかたぶけて死にいたらしめ、※[衍/心]あるものとともに数へられたればなり、
  彼はおほくの人の罪をおひ、※[衍/心]ある者の為にとりなしをなせり。                     (以賽亜書第五十三章)
 「狐は穴あり天空《そら》の鳥は巣あり然れど人の子(基督)は枕する処なし」、彼は彼の兄弟に誤解され、彼の郷人に見棄てられ、終に彼の国人の殺す所となりました、然うして彼の死状と云へば実に悲絶惨絶、筆にも紙にも書き尽すことの出来ない程のものでありました、「我が神、我が神、汝何故に我を見棄て給ふや」とは彼の臨終の言辞でありまして、此言辞に依て察すれば彼は苦痛の極に達して人生唯一の慰藉たる神の存在さへも疑はねばならぬやうになられたのであると見へます、多くの神学者は基督の此絶命の言辞の余りに彼に似合はしからぬのを見て之に種々なる弁解的の註解を下しますが、然し是は曾て英国の思想家ジエームス ヒントン氏が「苦痛の哲理」なる書に於て述べましたやうに、基督の苦痛の其絶頂に達せし時の感を表はせし言辞でありまして、神は其愛子を困しめて終には彼をして神の存在さへも疑はしむるに至らしめたのであると思ひます、基督に取りては貧乏や飢(261)渇は数ふるに足らなひ艱難であります、彼の国人に棄てられ、終には彼の弟子にまで棄てられましても、彼は神が彼と倶にするを知て自からを慰められました、然れども神は終に人生の最大苦痛を彼に味はしめ給ひました、神は基督の苦痛が其極に達せし時に彼の心を去て彼をして心に神を認め兼ぬるに至らしめ給ひました、基督は今は茫漠たる宇宙に唯独りになられました、彼は人生の苦痛を嘗め尽して、終には神にまで棄てられました、爾うして彼は神の独子で神に最も愛せられし者でありました。
 神に選ばれし者とは基督の如き者でありまして、神の予定に洩れし者とはバンヤンの画きし「悪人君」のやうな者であります、神に選ばれし者は不幸者で(世人の眼から見れば)、神に棄てられし者は幸福の者であります(同上)、故に神に選ばれしとて別に羨む事ではありません、又神に棄てられしとて悲しむ事ではありません、世の人の多くは実は神に棄てられんことを望む者でありまして、神に選ばれし者の状態を見ては気の毒に思ふにあらざれば甚だ彼を卑しみ且つ悪む者であります、心に罪の苦痛を感ぜざる者、人生を全然楽しみ得る者、基督の贖罪の教義を聴いても別に有難く感ぜざる者、伝道本部に虚偽の報告を為しながら別に心に痛痒を感ぜざる者、「政略家」、「経世家」、「実業家」、「教育家」、「忠臣」、「愛国者」、其他世の凡ての幸福なる者、君寵に沐浴する者、人望を博する者等此世に於て最も幸福なる者、最も人に羨まるゝ者は神の選定に洩れし者でありまして、実は神に棄てられた者であります。
 泣く者、悲しむ者、罪を悔ゆる者、神の刑罰を懼るゝ者、地獄に落んとて心配する者、神の予定に洩れやしまい乎とて時々絶望せんとする者、世に嫌はるゝ者、君と国人とに斥けらるゝ者、時には神にさへ棄てられしならんと疑ふ者、「逆臣」、「国賊」、貧に泣く者、飢餓に叫ぶ者等、此世に於て最も不幸なる者、世人に最も嫌はるゝ(262)者は神の予定に与かつた者でありまして最も多く神に愛せらるゝ者であります。
 神に選ばるゝとは斯くも辛い事でありまして神に棄てらるゝことは斯くも楽しい事でありまするから、神が其救はんと欲ふ者を救ひ給ふと聞ひて「神は不公平」なりとの小言は出べき筈のものではありません、神は不公平なりとは実は選ばれし者が選ばれざる者の境遇を見て発すべき不平であります。
 素々予定の教義は神に選ばれし者を慰め且つ強めん為めに説かれしものでありまして、之は彼等に取ては此上なき貴い教理であります、若し私共は自身の努力奮励に依て救はるべき者でありまするならば、私共は何時神を離れて元の罪悪に沈むかも知れません、若し私共の克己修養を以てしましたならば私共は迚も神の救済に与かるの価値《ねうち》のあるものではありません、世に神の愛を買ふに足るの宝はありません、神の愛を買ふに足るものとては唯だ神の愛のみであります、神は私共の徳行に余義なくせられて私共を救ひ給ふのではありません、神は神の聖旨の儘に私共を選び給ふのであります、夫れでありますから神の救済に与かるのは容易の事ではありません、是は実に神の特旨に出し事でありまして我等は是が為めに誇るべきではなくして唯感謝する計りであります。
 そして神の聖旨に由て救はれし者に再び堕落するの虞れは決してありません、神は如何なる障礙をも排して其聖旨を実行し給ふ者であります、神は一度始め給ひし事業は之を終へずしては歇み給ひません、神は必ず其選び給ひし者を救ひ給ひます、神の恩恵は私共の失敗と過失とを贖ひて余りあります、神は若し其聖意に合はゞ私共の罪あるに関はらず私共を救ひ給ひます、故に私共は此事に就て少しも心配するに及びません。
 斯う申しますと又或人は申します「夫れならば神の予定に与かりし者は勝手に罪を犯しても宜い乎」と、此質問に対して保羅は答へて申しました
(263)  然らば我等恩恵の増さん為めに罪に居るべき乎、否らず、我等罪に於て死し者なるに如何でか猶ほ其中に於て生きん乎(羅馬書第六章一、二節) 神に選ばれし事を知る者は感謝の余り罪を犯さなくなります、又神は其選び給ひし者をして何時までも罪を犯さしめ給ひません、神は種々の方法を以て其選び給ひし者をして罪を避けしめ給ひます、基督信徒(真正の)に悔改の苦痛、信仰復興の苦闘等のあるのは全く之が為めであります、即ち神は世人の少しも知らない斯う云ふ苦痛を神の選び給ひし者の上に降し給ひて彼の改善進歩を促し給ひます、彼に苦痛と憂慮との絶へない間は彼は確かに慈愛の神の懐の中にある者であります。
 夫れでありますから、私共が予定の事に就て非常に心配する間は私共の救済は確かです、亦私共に世人の迫害、憎悪、擯斥の絶へない間は私共の予定に就て心配するに及びません、私共が真正の基督信者であるか無いかは私共の身に受ける困難の多寡有無に由て分るべきものであります、私共に天国に入るの心配がなくなり、私共の罪の感覚が鈍りて罪を犯すも少しも其罪悪たるを感ぜざるに至て、私共の身に幸福が打続いて此世が天国のやうに思はれて永生も私共に用なきに至つて、私共は実に危険の地位に陥りつゝある者であります、夫れですから、私共の誇るべき事は身の幸福でなくして其不幸であります、世人に愛せられる事ではなくして、彼等に憎まれる事であります、富と栄誉とではなくして貧と汚辱とであります、宝玉を鐫《ちりば》めたる冠ではなく、刺《とげ》と荊棘《いばら》との冕であります、使徒保羅は申しました
  我は寧ろ欣びて自己の弱きに誇らん、是れキリストの能《ちから》の我に宿らん為めなり、之に因て我れキリストの為めに懦弱と空乏と迫害と患難に遭ふを楽とせり、蓋し我は弱き時に強ければなり、(264)予定と伝道との関係に就ては後で御話し申しませう。
 
(265)     独立雑誌の最後
                  明治33年7月5日
                  『東京独立雑誌』72号「訣別之辞」
                  署名 内村鑑三
 
 独立雄誌社員は皆な独想自信の人なり、彼等は正理と信ずれば天下を敵として立つを辞せず、矧んや社長の言の如きに於てをや、余は深く余の神に感謝す、余の統轄の下に筆を執られし諸氏にして一人も余の弟子《デサイブル》と成りし者のなかりし事を、余は諸子の正直と勇胆とに敬服し、諸子が能く独立雑誌記者たるの資格を終りまで全うせられしを喜ぶ。
 近頃余の女子独立学校に於ける或る公的行為にして社員諸氏の大に非難を表せられしものあり、故に余は止むを得ず、諸氏を以て余の判事となし、諸子に乞ふに余の行為に対して公平に審判せられん事を以てせり、諸氏は悦んで此の乞を容れ、精議三日の後、諸氏の判決を余に示されたり、然るに余は不幸にして諸氏の此判決に服するを得ず、諸氏の勤労を謝すると同時に之を諸氏に返上したりき。
 然れども事茲に至れば諸氏と予とは相共に同社を組織するを得ず、社員の分離は実に止むを得ざるに至れり、若し事の順序より云へば余一人去て本社を諸氏に委ぬるは最も適当なりしなるべし、然れども是れ事実上直に此社を破壊する事にして諸氏と雖も亦忍びざる所なるべし、然れども本社の共和的性質より考へて其社長は這般の如き理由を以て社員諸氏に退社を命ずるが如き権利を有せず、依て止むを得ず之を諸氏に協議し、余を以て社務(266)整理者と定め、先づ諸氏をして金銭的の損失なからしめ、次に読者諸氏をして損害を被る事なからしめんとせり、而して協議茲に成て余輩は涙を揮て相分れ、諸氏は各其適従の方向を取り、余は独り独立雑誌社に止り、而して後に一は諸氏に対する友誼上、二には余の年来の企図を充たさん為め茲に東京独立雑誌を廃刊す、読者諸氏に対しては余は又別に報ゆる所あらんと欲す。
 余輩清議公道を以て天下に立つ者、説を共にして相合し、之を異にして相別るゝは天下に対する余輩の義務なり、余は今諸氏と別るゝに臨み寂寥悲惨殆んど忍ぶ能はずと雖も、亦天父の余と共にあるを信ずれば余は余の有らん限りの力を竭して余の職責を充たさんと欲す、余輩の度々述べし如く余輩に別に余輩の事業なるものあるなし、余輩は単により高き者の奴僕にして唯恐懼謹慎して彼の委托に反かざらんと欲する者のみ、余輩は神の事業に従事して成功し、自身の業を目的として失敗す、神の事業ならんか、微力恐るゝに足らず、人の事業ならんか、百万の兵に一塵の力なし。
 語を旧同僚諸氏に寄す、諸氏願くは余にある多くの欠点を免せよ、余は頑愚にして怒り易く、幾度か諸氏の厚情に背きし事あらん、然れども余の祈祷は常に諸氏の後に従ふなり、諸氏亦余の為めに祈て止む勿れ、此世は実は誤解の世なり、真実の人も互に相解し得ざるは人世の大惨事と云はざるを得ず、然れども吾人の望む国は今世に於てあらずして来世に於てあり、而して凡て誠実なる者、凡て人の善を思うて悪しきを思はざる者、凡て愛を以て律とする者、凡て謙遜なる者、総て柔和なる者は、皆な何時か彼所に相会して、今世に於ける凡ての誤謬を悟り、驕を去り、謙を迎へ、神の如き者となりて、永久の友誼を継続するを得べし。
 諸氏それ健在なれ。
 
(267)     『偉人と読書』
                         明治33年9月1日
                         単行本
                         著名 内村鑑三 編
 初版表紙149×109mm
 
(268)     故黒田清隆伯
                     明治33年9月12日
                     『福音新報』272号
                     署名 内村鑑三
 
 黒田清隆伯逝く、余に深き感動なき能はず
 余は歳十七にして伯が曾て開拓使長官たりし頃、伯が設立せし札幌農学校に入りし者なり 嗚呼伯なかりせば農学校はなかりしなり、農学校なかりせば余は札幌に行かざりしなり、札幌に行かざりしならば余は聖書と基督教とに接せざりしなり、若し之に接し之を信ぜざりしならば余の今日の不幸と幸福とはなかりしならん、伯の生涯と余のそれとの間には深き関係ありて存す。
 伯、農学校を札幌に移すや、米国マツサチユーセツト洲々立農学校長 W・S・クラーク氏を聘して其臨時校長となす、二雄|東京《とうけい》に於て相会し、※[さんずい+氣]船玄武丸に同乗して北航す、船中談直ちに学生の徳育問題に入る、クラーク氏は彼の確信を述べて曰く「余の知る処を以てすれば彼等に聖書を教ゆるの外彼等を徳化するの途あるなし」と、長官襟を正ふして曰く「是れ余の賛同する能はざる所なり、我国に儒教あり、神道あり、何ぞ必ずしも外教を用ゆるの要あらん、君、余の学生に教ゆるに倫理を授くるも可なり、然れども彼等に耶酥教の聖書を教ゆるに至ては余は堅く之を謝絶せざるを得ず」と、クラーク氏は答へて曰く「若し然らば余は道徳を教えざるのみ、余の道徳は凡て聖書の中に存す、聖書を離れて余は道徳を教ゆる能はず」と、伯は日本陸軍の中将、クラーク氏は米(269)国陸軍の大佐なり、二雄其説を固持して相対す、其間豈に寛容の在るべけんや。
 船は尻矢崎を周行して函館港に入りぬ、而して将軍大佐共に其説を変へず、船は再び港を出で、竜飛、白神を左右に見て中の潮の荒波を蹴立てつゝ進みぬ、而して米の大佐は日の中将に此問題に就ては一歩も譲らざりき、
船は終に小樽港に入りぬ、而してクラーク氏は少しも其説を曲ぐるの様を示さず、両雄共に札幌に入りぬ、而して新設農学校の徳教問題は未決問題として存しぬ、然れども開校の時期は迫りぬ、而して二者孰れか一歩を譲らざるべからず、伯、クラーク氏に面して曰く「君終に君の意を曲げず、余は今如何ともする能はず、余は君に告げんと欲す、余は君に聖書を学生に授くるの許可を与へんと欲すと、唯君願くば余り公然に之を為す勿れ」と、大佐は答へて曰く「君に謝す、余は明日より倫理を余の学生に講ずべし」と、是れ北海道札幌に於ける基督教の濫觴なりとす。
 其翌年初年級廿余名悉く洗礼を在函館宣教師 M・C・ハリス氏より受け其翌々年、即ち明治十一年六月二日、余等同級六名は札幌市創成川の東岸にありし外国教師館内の一室に於て同じ宣教師より父と子と聖霊との聖名に依て洗礼を受けたり。
 嗚呼黒田伯とクラーク氏とハリス氏、彼等三個の記臆すべき名に依て余は此教を信ずるを得たり、余は個人的に伯を知る甚だ尠し、唯余の札幌農学校卒業証書に伯の名と印とを存すると、偶々札幌市街人行少き処に伯の偉貌を拝し、伯は馬上に烏を狙ひ打ち給ひし頃、余は歩行して鷸と啄木鳥との跡を逐ひき、伯は勿論終生宗教の人に非ざりき、余は亦た伯に迎へらるゝが如き性質の者にあらざれば伯は余の名さへも覚へざりしならんと信ず。
 クラーク氏を余は彼の米国アマストのホームに於て三四回訪問せり、彼は余に語るに南北戦争の事を以てし、(270)グランド将軍を激賞し又談幾度か彼自身の事業に及びき、而して日本札幌に於ける彼の短生涯を語る毎に彼は未だ曾て深き感動を示さざるはなかりき、彼は余がアマスト在留中此世を去れり、而して彼の牧師なりしチツキンリンと云へる人は余に直接語て曰へり、「余はクラーク氏の死の床に臨めり、」而して彼は余に幾度か告げて曰く「余の生涯の事業にして一として誇るに足るべきものあるなし、唯日本札幌に於ける八ケ月間の基督教|伝播《でんぱん》こそ余が今日死に就かんとする際余を慰むるに足るの唯一の事業なれど、君願くは此事を君の本国に伝へよ」と、此英雄死に臨んで戦勝を思はず、科学的発明を顧ずして僅に八ケ月間に渉りし聖書智識の伝播を思ふて慰むる所あり、両雄今は此世の人に非ず、然れども二者の余の心霊に対し如何に関係深きを思ふて余は感慨に堪ゆる能はず、
 逝けよ、偉人よ、恩人よ、余等今尚ほ今世に存して余等の戦争を継続せんと欲す世に誤解され、友に欺むかれ、辱められ、貧し、鈍し、泣き、死と墓とを思ひ乍らも余等は尚ほ汝等が余等に伝へし此真理を一人たりとも多くの人に伝へんと欲す、余は幾回となく聖書を繙きし事を歎ずる者なり、思へらく若し此大真理に接せざりしならば余に此大苦悶なかりしならんと、然れども日光は常に此暗雲を排して余に大歓喜を供するなり、天よりの声あり曰く「若し汝にして聖書に接せざりしならば汝は凡人たりしなり、汝はダンテを解せざりしなり、汝はオルヅオスを友とするに至らざりしなり、汝の苦痛は浅かりしと共に汝の喜楽も甚だ薄かりしなり、汝は敵を有せざりしならん、然れども汝は万国の民を友とするには至らざりしならん、喜べよ、慰めよ、汝は天の特別の恩寵に与かりし者なり」と。
 想ひ見る、明治九年秋九月※[さんずい+氣]船玄武丸が両雄を載て北海に向て品川湾を発錨せし時、是れ実に余の永遠の運命(271)の定まりし時にてありき、其時已にクラーク氏の行李中に五十冊の英訳聖書は氏の学生中に分配されんが為めに収められきと聞く、而して其一冊は確かに天国の道を余に伝へしもの、余は何を以てクラーク氏の此好意に酬ゆべけんや。
 伯は逝けり、世は伯の生前の行為を云々するならん、伯の完全の人にあらざりしは余の青年時代に屡次聞きし所なりき、然れども驚くべき神の摂理は伯を透して天の福音を数多の人に伝へしめたり、読者幸に伯の為めに一滴の涙を惜む勿れ。
 
(272)     帰来録
                       明治33年9月18日
                       『万朝報』
                       署名 客員内村鑑三
 
 余は万朝報を去て茲に二年と四ケ月、再び其紙面に於て読者諸君と相見るに及んで余に深き悲みと喜びとあり、余は余の愛児なりし東京独立雑誌が無惨の死を遂げて、余をして此処に余の旧家に客たらざるを得ざるに至らし
めしを悲むと同時に、余の旧家の尚ほ儼然として存在し、尚ほ余の如き者を記憶して、此冷淡惨忍なる社会に在て、余をして家なきの流浪人たらしめざるを喜ぶ、余にして若し語るに口あり、陳るに筆あらしむれば足れり、其独立雑誌なると、万朝報なるとは余の択ぶ所にあらず。
       *     *     *     *
 余は最早や再び藩閥政府に就て語らざるべし、そは是をなすの詮なければなり、余は再び肥後人を罵らざるべし、そは罵るべきは肥後人に限らずして、日本到る所に存すればなり、日本人の暗黒的半面は今や既に充分に暴露されて、余輩は彼等に就て既に耻羞の念を感ずるに至れり、余の女的本性は今や頻りに刺激せられて、余の国人に就ては余は今や泣き得て怒り得ず、癒し得て傷け得ず、撫で得て打ち得ざるに至れり。
       *     *     *     *
 余も日本人ならずや、彼等の腐敗せるは同時に余の不能を意味するにあらずや、余は何故に我が同胞を救ひ得(273)ざるか、彼を責むるを休めよ、彼の改めざるは我の熱心の足らざるに依るならん、彼の堕落を憤るを休めよ、彼の穢れたるは我の清浄に於て欠る所あるが故ならん、国民の悛むる時は我自身が先深く己に省る時にして、人々各々国民の腐敗を歎じながら自己の清潔を希《こひねが》はざる時に国民改悛時期の到来すべき筈なし。
 
(274)     主義の腐れ易き社会
                      明治33年9月19日
                      『万朝報』
                      署名 内村鑑三
 
 物の腐れ易きは日本の国土なり、印度洋よりする暖風の一度び其面を払ふや、肉として、野菜として、凡て滋気と窒素とを含む有機物にして、忽にして腐敗せざるはなし、建築師は云ふ、日本に於ける家屋七ケ年間の腐蝕は米国に於ける二十年間のそれに均しと、黴菌の蕃殖、腐蝕の速度に至ては、日本国は世界の第二等国とは下らざるべし。
       *     *     *     *
 窒素物然り、主義亦然り、日本国に於ては如何に神聖なる主義なりと雖も三ケ年より長く其神聖を維持する能はず、自由主義の腐るや既に久し、進歩主義腐り、平民主義腐り、国家主義腐り、帝国主義腐り、今や独立主義も、労働主義も亦同じく腐敗の徴を示すに至れり、是れ必しも之を唱道する者の腐敗するが故に非ずして、社会全体已に腐気を以て充たさるれば、如何に高貴なる主義と雖も一度び日本の社会に投ぜられて腐敗を免かるゝ者なきに至れり。
       *     *     *     *
 日本国に於て新主義を唱ふる者は禍なるかな。そは彼は忽にして俗人不平家の利用する所となり、彼の持愛の(275)主義は豚類の蹂躙する所となりて、彼自身は終に醜徒の犠牲となりて終る、余は世界の大主義に向て告んと欲す、「汝日本国に来る勿れ、汝は汝の本国に止て永く汝の清浄を保存せよ」と。
 
(276)     秋の初陣
                    明治33年9月27日−10月l日
                    『万朝報』
                    署名 内村鑑三
 
 秋風ならで涙香氏の筆に促がされて余は角筈の旧巣に居堪り得ずなりたれば、兼ての計画を実にせんため十七日の暮つかた余は西征の途に上りぬ。
 友人と児女とに送られて新宿の停車場を発し、品川にて神戸行の三等列車に乗替へ、鮨漬けの如き態たらくにて揺られながら程ケ谷まで進み行けば、一人の紳士の車中にて声高く余の名を呼ぶ者あり、誰ならんと頭を擡げ見れば余の知れる三河地方の或る政治家、何の為めの御上京かと聞けば、彼れ少しく耻かしげに「先生の兼々御嫌ひなさる政党事務の為めに」と答へられき。アヽ是は新政党加入の為めと余は直に合点したれば、余は問ふに某《その》内情を以てしたるに、彼の答弁の余の予想通りなりしを聞いて且つは悲み且つ喜びたり、即ち彼等政友会なる者も矢張り粘着力なき砂の粒の如き者の集合体なるを知れり。
 話頭はこゝに緒《こと》切れて余は三等列車中に純然なる平民に揉まれ、平民たるの辛さ嬉しさを感じつゝ翌朝四時半名古屋に下車し、此処に廃娼運動を以て有名なる余の友人なる米国人モルフを訪ひ、名古屋附近に於ける運動の打合せを為し、再び汽車に投じて其日の午後京都に入りぬ。
 京都は余の縁家の在る処、余の妻の父は純然たる三河武士なり、彼能く弓を彎き、関西或は此術に於て彼に優(277)る者はなけん、彼常に曰く「弓を彎くに汝の臍を見て的を見を勿れ」と、彼は彼の放つ矢の其目的物に命中すると否とを意はずして、深く意を之を放つ時の彼の意志如何に注ぐ、故に余を見る亦同一の精神を以てし、余の事業の失敗の故を以て余を責むるなく、反つて余の意志の那辺にあるを知るが故に、余の此行を迎ふるに満腔の同情を以てしたり。
 翌朝余は余の友人に伴はれて、彼の洛北の閑居に連れ行かれぬ、所は高野川の清流に沿ひ、比叡山に面し、洛陽を去る北に一里、閑雅幽邃言はむ方なし、是れ出陣にあらずして隠退なるが如し、戦争に非ずして、休養なるが如し、然れども待て新聞紙は既に余の演説の広告を載せて、ビラは市内|数《す》ケ所に貼り出されぬ、余は先づ身を高野川の水に洗ひ、腹を平八の料理に肥し、以て此夜の戦闘の準備を為せり。 〔以上、9・27〕
 独立雑誌は廃刊したれども又々万朝報に入りたりとの故を以てか此夜の聴衆は案外に多かりき、場所は余の同国人にして希伯来学者なるドクトル湯浅吉郎氏の牧する平安教会、題は「社会改良の秘訣」、会費は一|人《にん》前金十銭、京都に於ての無代価ならざる真理の伝播なれば余の責任は殊に重かりき、然れども長旅の疲労と厳しき残暑との故を以て.余の口と脳とが思ふ儘に働かざりしは残念なりき。
 有て無きが如きは社会なる者なり、之を改めんとするに適当の方を以てせざれば労多くして益尠なし、社会改良法とし云へば人必ず演説会の開設と雑誌の発行とを云ふ、然れども口を以てする改良は僅かに改良の声を高むるに止《とゞめ》て、其実を挙ぐるに至らず、筆を以てするの改良亦然り、若かず、鉄道を作らんには、詩人ヘンリー トローは云へり、「米国人に正確なる時間の観念を与へし者にして鉄道の如きはあらず」と、鉄道技師は多くの点に於て新聞記者に優る社会改良者なり。政府は其事業の挙がらざるを国民教育の不完全に帰し、(278)教育家は教育事業の揚らざるを我国家庭制度の不完全に帰す、人は罪を他人に嫁するを知て、自他を改むるの術を知らず、改良は唱へらるゝのみにして、其の曾て行はるゝものなきを奈何せん。
  弊害の源を究め得て、改良は始まれりと云ふを得ず、社会学者なる者の多くは病理学者の一種たるに過ぎず。政治の病源は教育にあり、教育の病源は家庭にあり、家庭の病源は之を組織する個人にあり、先づ個人に注ぐに無限の神の愛を以てせよ。彼は先づ無私の人となり、然る後に人面を懼れざる人となり、大胆の人となり、理想の人となり、終に断乎たる改良事業は彼より始まるなり、洗浄薬を直に個人の良心に投ぜずして、只国家を鞭ち、社会を責むるも其改良は決して来らず。
 平々凡々の演説、之に十銭の価値はあらざりしならん、然れども真理は重複に由てのみ伝へらるゝものなり、余の証明亦少しく同志の事業を援くるを得ん乎。
 二十日朝同志社公会堂に於て演説す、背後に故新島襄氏の肖像を戴きて、余は懐旧の感に打たれ、聊か氏に代て教員並に生徒諸氏に向て述べて曰く
  同志社は基督教主義の学校なり、之より基督教を取り去て同志社なるものは既に存在せざるなり、其教員と生徒にして、哲学、政治、文学を重ずる、基督教を重ずるより大なるに至て、同志社は既に死滅の兆を呈せしなり、同志社の振興は策士の敏腕を待て来るべきものに非して、信仰家の熱心を以て始めて望むべきものなり。
 少しく苛性的の言なりし乎も知らざれども余は之を語る時に当て背後の旧友新島君の肖像が「モット遣て呉れ給へ」と頻りに余に迫りしが如くに感じたり。 〔以上、9・29〕
(279) 二十一日朝京都を発し、名古屋にて友人モルフ氏と会し、共に尾張知多郡亀崎に到る、午後は衣ケ浦の風景に眼を喜ばせながら心身を休め、夜に入て敬神社楼上に於て又々演説を試む、来会者二百余名、此夜余を迎へし者の中に僧侶あり、神主ありしと聞き、余は望外の満足を感じたりき、
  米国の社会と日本の社会との異なる点は他にあらず、彼に在ては人々相互間の信任至て篤く、政治、商業、教育等、多くは「余は汝を信ず」の一言を以て行はるゝに此して、我に有ては猜疑の念熾にして、不信任問題なる者は到る処に起り、何人も安心して其位地に堪ふる能はず、文明社会とは鉄道あり、電信あるの社会に非ずして、人々相互問の信任篤き社会を云ふなり。他を信ぜんと欲せば先づ己れを信ぜざるべからず、己れを信ぜんと欲せば先づ己れ以上の者、即ち神を信ぜざるべからず、社会問題と宗教問題との間に直接の関係あり。
 後にて聞けば当時亀崎町に於ても町長不信任問題熾に行はれ、余の此演説は頗る其地の急所に入りし観ありしと云ふ。
 二十二日名古屋に帰り、夜久屋町の教会堂に於て演説す、聴者堂に満つ。
  今日の日本人の要するものは正義の念と云はんよりは、寧ろ歓喜と満足との念なりと云はざるべからず、今や不平家と称する痩犬の如き者は到る処に存在し、正義は彼等に依て到る処に唱へらる、金を得ざれば喜ぶ能はず、貧者は必ず不平と正義とを唱ふる社会は決して健全なる者に非ず。日本今日の社会は日光を視て喜び、秋風に触れて感謝し、秋の七草を手にして希望、心に湧くの人士を要するや切なり、吾人の発達を妨ぐるものにして吾人の心に存する悲的人生観の如きはあらず、吾人は何れの境遇にあるも歓喜措く能はざるの(280)信仰を懐き、以て悲哀と不平とを以て充ち満ちたる此社会を救はざるべからず。
 二十三日、日曜日なり、午後名古屋在留宣教師諸氏と一室に会し、且つ談じ、且つ祈る。余は幾回か宣教師攻撃を試みし者、而して彼等或者は今に至るも未だに余の此罪を赦さず、然れども或者は此攻撃の為めに反て余を信じ、余を遇するに兄弟《けいてい》の信任を以てす、彼等宣教師に亦我等日本人中に稀に見る所の宥恕せ寛裕とあり、此行余はモルフ氏夫妻と共に三日間寝食を共にす、久し振りにて純潔なるクリスチヤンホームの美を味ひ、再び米州に在て旧師と居を共にするの感ありき、モルフ氏は云へり、余は熱心廃娼運動に従事し、稍や日本人の賛成を得るに至りしも、未だ一人も資を投じて余の此業を授けんとする者あるなしと、余は彼の此言を聞き、余の兼て思ひし如く日本人の賛成なるものは多くはサハラの砂漠より吹来る乾風の如き者なる事を知り。
 夜又教会堂に於て説教し、夜半十二時発の汽車に投じて帰東の途に就けり。 以上は伊藤侯の出陣に似て何やら漫遊らしく見ゆれども、而かも七ケ日間働き詰めし事なれば、身も心も疲労を極めて、二十四日の昼頃余は余の角筈の旧巣に帰りぬ 〔以上・10・1〕
 
(281)     明治33年9月30日
      『聖書之研究』創刊
 
 『聖書之研究』創刊号・表紙と第1頁 222×152mm
 
(282)     〔宣言 他〕
                    明治33年9月30日
                    『聖書之研究』1号「感話」
                    署名なし
 
    宣言
 
  法律はモーセに由りて伝はり恩寵と真理はイエス、キリストに由て来れり(約翰伝第一章十七節)
 「聖書の研究」雑誌は「東京独立雑誌」の後身なり、彼なる者は殺さんが為めに起り、是なる者は活さんが為めに生れたり、彼なる者は傷けんが為めに剣を揮ひ、是なる者は癒さんが為めに薬を投ぜんと欲す、責むるは彼の本分なりしが、慰むるは是の天職たらんと欲す、義は殺す者にして愛は活かす者なり、愛の宣伝が義の唱道に次ぐべきは正当の順序なり、「聖書之研究」雑誌は当さに此時に於て起るべきものなり。
       *     *     *     *
 聖書に曰く生命の水の河あり、其水澄く徹りて水晶の如し、神と羔の宝坐より出づ、河の左右に生命の樹あり、其樹の葉は万国の民を医すべしと、(黙示録廿三章一二節)、余輩は天上天下此福音を除いて国民を医す者の他にあるを知らず、此誌豈今日に於て出でざるべけんや。
(283) 国家的道徳を説かずして個人的道徳を説くものは聖書なり、観内的道徳《イントロスペクチーブ》を軽んじて遠望的道徳《プロスペクチーブ》を奨励するものは聖書なり、罪を責むると共に之を赦すの実を供するものは聖書なり、正義に優て愛を貴重する者は聖書道徳なり、聖書豈日本の今日に於て説かざるべけんや。
       *     *     *     *
 愛と云ひ福音と云ふ是れ勿論屈服を謂ふに非ず、宣教師崇拝を指すに非ず、愛に恐怖なしと聖書は云へり、真正に独立たらんと欲せば、真正に勇ましからんと欲せば真正に人の面を恐れずして勇進猛行せんと欲せば、吾人は先づ人と神とを愛せざるべからず、人を愛せざる勇気、神を愛せざる独立、是れ虚偽なり、讃むるに足らず、頼るに足らず。
 
    主義と主我
 
  イエス曰ひけるは若し我に従はんと欲ふ者は己を棄てゝ其十字架を負ひて我に従へ、(馬太伝第十六章廿四節)
 世に所謂主義の人にして実は主我の人なる者多きは事実なり、彼等は自我の意見を遂行するをば称して主義を貫徴するとは云ふなり、然れども吾人は主義と主我とに霄壌の別あるを認めざるべからず。
 主義は我れ以外のものにして、自己とは何の関係なきものなり、否な、何の関係なきのみならず、主義は主我の正反対にして前者の貫徹は後者の圧殺を要する者なり、自己の名誉を感ずるに敏く、その存在を認められざるを以て無上の恥辱となす者の如きは主義を実行し得ざる者なり。
 
(284)    恥辱と栄光
 
  キリストは己を卑し、死に至るまで順ひ、十字架の死をさへ受くるに至れり、是故に神は甚しく彼を崇めて諸の名に超る名を之に予へ給へり(腓立比書二草八、九節)
 栄光は耻辱の後に来る、人に嘲けられ、践み附けられ、面前にて卑められ、悪人として、偽善者として、彼等の蔑視する所となりて、然る後に吾人に栄光は来るなり、然り、耻辱は栄光の先駆なり、開路者なり、春の夏に先立つが如く、月欠けて後に其満るが如く、耻に遭ふて吾人に栄光の冠を戴くの希望あり、吾人は喜んで人の辱めを受くべきなり。
 
    ガラス的人物
 
  人の怒は神の義を行はず(雅各香第一章廿節)
 世に亦ガラス的人物なる者あり、透明にして又剛毅、豪直を以て世に称せらる、然れども彼れ破砕し易くして彼に接するは甚だ危険なり、吾人不幸にして少しく彼を傷くるあれば彼れ尖片を飛ばして吾人を傷くるや太だし、透明なるは愛すべし、然れども吾人は冷泉の清らかなるが如くならざるべからず、剛毅なるは貴むべし、然れども吾人は金剛石の如く五光を八方に放つものならざるべからず、激し易くして亦砕け易きものは低価なるガラスたるのみ。
 
(285)    万全の策
 
  神その※[隔の旁+羽]《はね》を以て汝を庇ひ給はん、汝その翼の下に隠れん、その真実は盾なり干なり(詩篇第九十一篇四節)
 神の命を待てよ、然らば何事も行はれん、身を神に任かせよ、然らば凡ての力は汝に加へられん、汝は神の属《もの》にして汝の事業は神の事業たらざるべからず、是故に汝に計画なるものあるべからず、汝に焦心憂慮の要あるなし、神は彼れ自身にて活動する者、吾人は身を彼に献ぐれば足れり、自から計り、自かち行はんとして吾人は神より離絶する者なり、而して斯く為して偉大なる行為の吾人の手に依て成らざるは勿論なり、吾人若し人に対し活動的たらんと欲せば神に対しては全然受動的たらざるべからず。
 
    最も大なる慈善
 
  愛は人の悪きを念はず、(哥林多前書第十三章五節)
 最も大なる慈善は人を呼ぶに善き名を以てするにあり、人を呼ぶに奸物を以てせよ、彼は奸物たらざるも或は竟に奸物たるに至らん、盗賊たらざるに盗賊の名を以てせよ、彼は遂に盗賊たるやも計られず、吾人は人を呼ぶに善き名を以てして彼の善性を喚起し、悪しき名を以てして彼の悪性を増長せしむ。
       *     *     *     *
 神の神たるは人の善きを思ふて悪しきを思はざるにあり、悪魔の悪魔たるは人の悪しきのみを思ひ得て人の善きを思ひ得ざるにあり、神は人の善性を喚起奨励して世を救ひ、悪魔は彼の悪性を刺激増長して終に之を亡す、(286)救済と云ひ、改良と云ひ、善の奨励より他のものにあらず。
       *     *     *     *
 正義に二種あり、神の正義と人の正義と是なり、前者は愛の為めの正義にして後者は正義の為めの正義なり、前者は免さんが為めに責め、後者は罰せんが為めに責む、其責むるや酷なる点に於ては一なりと雖も、其終る所は大に異なる、打て而して和ぐは神の正義なり、殺さずんば息まざるは人の正義なり、前者は永久の平和を来し後者は悲憤絶ゆる間なし。
       ――――――――――
 
    本誌の性質
 
 是を「聖書之研究」と云ふ、然れども是れ必しも聖書の講義録の類にあらず、余輩の目的は聖書を広義的に解し、其伝ふる教義を吾人今日の実際的生涯に適用し、以て基督教の人生観を我邦人の中に吹入せんとするにあり、余輩は勿論号を逐ふて其文字的註釈にも従事せんと欲す、然れども聖書を古典の類と見做し、是を解するに当らず触《さ》はらずの方針を取るが如きは余輩の努めて為さゞる所なるべし。
       *     *     *     *
 聖書は過去の記録なれども実は今日の書なり、死せる書の如くに見ゆれども実は最も活ける書なり、是れに歴史あり、然れども是れ過去の出来事を伝へんが為めにあらずして、人類の進歩歴史に於ける神の直接の行為を示さんが為めなり、是れに科学あり、然れども是れネチユアの配列進化を教へんが為めに非ずして、天と地と其中(287)に存する総てのものに現はれたる神の聖旨を伝へんが為めなり、其美文は文の為めの文にあらずして、神の義と愛とを伝へんが為めの文なり、故に神の在さん限りは(而て宇宙は消え失するとも彼の在さゞる時はなきなり)聖書は人類の有する最も貴重なる書として存するなり、聖書は神に関する唯一の教科書なり、之を識るは歴史と天然と文学との泉源に達する事なり。
       ――――――――――
 
    基督教と師弟の関係
 
  汝等の師は一人なり、即ちキリストなり、汝等は皆兄弟なり(馬太伝第廿三章八節)
 世に師弟の関係なるものあり、然れども基督教に曾て是れあるなし、基督教に於ては師は唯一なり、神なる基督即ち是のみ、他は皆な兄弟の関係にして師弟の関係に非ず、我等の傚はんと欲する者は唯キリストあるに止て、牧師、或は伝道師、或は其他の教師にあらず、此一事を知らずして世に基督教を解し得ざる者多し。
       *     *     *     *
 罪より救はれし者が未だ罪に沈む者を救はんと欲す、是れ伝道なり、救済なり、我が救済を唱ふるは我が完全無欠の人たるが故に非ずして、我れ病みて癒されしが故に医療の快を他人に頒たんと欲するのみ、儒者が世を誨えんとすると、仏者が之を済度せんとすると、基督教信徒が之を救はんとすると其根本的思想に於て偉大の差あり。
(288) 我等は世を誨えんとする教師に非ずして、世に我等の実験を頒たんとする表白者なり、我等は人を我等自身に引かんとする者に非ずして我等に依て人を神に引き付けんと欲する者なり、故に我等は我等の欠点を摘指せらるゝを厭はず、そは我等の欠たるは返て神の完きを証し、我等の弱きは神の強きを確かむればなり、基督教の他の宗教に優るは其数徒の欠点に依て其教理を証明せらるゝにあり。
       *     *     *     *
 基督教徒とは赦されし罪人より他の者に非ず、清浄潔白の人、心に一点の疚しき処のなき人、神の宥恕の必要を感せざる人は、或は世に称する正義の人たるべけれども未だ基督信徒たる事能はざる者なり、未だ傷を負はざる者は基督の贖罪を解し得る者に非ず。
       *     *     *     *
 人間の中に師として仰ぐべき人物を求めんとする者は必ず失望すべし、そは彼等の中に師として仰ぐべき理想的人物は一人も存在せざればなり、然れども同情者を求めんと欲して、我等の如くに悩む者、我等の如くに光明を探求する者を求めて、我等は彼に遭遇するに難からず、理想的人物は之を肉眼を以て視る事能はざる霊なる神に於てのみ求むべし、之を肉を被る人に求めて如何なる聖人君子も吾人を満足するに足らず。
       *     *     *     *
 傑物の出るを待たざれば何事をも為し得ざるを非基督教国の状態なりとす、ワシントンの如き、リンコルンの如き寧ろ普通的人物とも称すべき人に依て大国家の建設並に改造を実行せし国民の心に東洋人の未だ曾て知らざるの秘義なくんば非ず。
 
(289)    片々
 
〇我を獰奸邪智の人なりと云ふ人あり、我或は然らむ或は然らざらむ、然れども是れ人の知る所にあらず、亦我自身の知る所にあらずして、之を知る者は我を造りし天の神あるのみ、故に我は誠実に神を信じ、我の善悪に関する裁判は、単に之を彼の手に委すべきなり。
〇悪魔は素と是れ小人なり、彼の眼光は事物の外形を視察するに止て其精神に及ばず、彼は機械的精密を貴んで生命的統一を解せず、彼に信仰なるもの一もなきが故に彼は疑懼を以て凡ての人と物とに対す、世を害する事最も多く、人生の快楽を減殺するに最も巧なる者は実に此悪魔の子供なる小人なりとす。
〇人物の大小は彼の信任力の多寡に依て定まる、神の無限的に偉大なるは彼が人の善のみを思ひ得て悪を思ひ得ざるに依る、小人は疑ひ、偉人は信ず、欺かるゝは偉人の一特性なり、世を知ると称して能く俗人の心腸を穿つ者の如きは、是れ彼れ自身が俗人たるの証にして、彼の如きは到底偉人の心事を解し得るものに非ず。
〇世に勝つは快事たるを失はず、然れども世に負けるに優るの名誉あるなし、一躍して帝冠を頭に戴きし那翁と、卑屈して十字架に釘けられし基督とは二者快を異にして亦栄光を異にせり、
 
(290)     聖書の話
                  明治33年9月30日−34年1月22日
                  『聖書之研究』1−5号「講話」
                  署名 内村鑑三 述
 
 聖書の大体に就ては是まで幾度もお話し致しました、その世界唯一の書なる事、その国民を救ふの唯一の力なる事、その文学の荘美なる事、その人生観の高貴なる事等に就ては今更ら茲に申述べる必要はないと思ひます、文明人士にして聖書に暗いのは丁度支那人にして論語に暗く、日本人にして教育勅語を暗誦して居らないと同様でありまして、聖書を知らずに世界文学を評するなどゝは何とも評しやうのない事であります。
 故に私は茲では重に聖書の内容並に組立に就てお話し致さうと思ひます、その如何《どう》いふ風に編まれたる書である乎、その誰が書いた書である乎、その内に何う云ふ事が書いてある乎、その何うして研究すべきものである乎、是等の事に就て極く解り易くお話し致したく思ひます。
 是を聖書と申しますと何んだか神様の御真筆にでも成りし書である様に思ふ人もありましやうが、夫れは決して爾うではありません、是を聖書と申しますのは其中に神の聖旨が書いてあるからです、斯ふ申すのは何にも聖書以外には神の聖意が少しも書いてないと云ふのではありません、宇宙万物は総て神の聖旨を表出したものでありますから正確に天然物の事柄を写し出した書は確かに神の聖意を写したものであると思ひます、ダルウィンの進化論の如きは実に其一つであると思ひます、孔子の教訓を集めたる論語、オルヅオスの詩集、カーライルの仏(291)国革命史等も皆一種の福音書でありまして、善く其意味を玩味して其中に存する大能者の大御心を知る事の出来ない人はない筈です。
 神の聖旨を人の手を以て写したもの、是が聖書であります、人の手に依て成りましたものでありますから、之に文字上の誤謬、歴史上の不明、科学上の欠点があるのは決して怪むには足りません、聖書を以て完全無欠、万事、万物を識別する為めの型典であると思ふ人は必ず此宝き書に就て躓く者であります、神は科学上の真理を聖書に於て示し給ひませんでした、歴史上の事実の如きも聖書に依てのみ分るものではありません、聖書を読めば天然と人類とに関する事は何んでも分るものであると思ふ人は未だ聖書の何たる乎を知らない人であります。
 聖書は神の心を伝へた書であります。神は宇宙万物を如何に具へ給ふ乎、神は人類間の出来事を如何に観じ給ふ乎、是れ聖書が特別に我等に訓ふる事柄であります、夫れでありますから我等は聖書より科学上の事実を学ぶ事は出来ませんが、然し科学研究の精神は之を聖書より得なければなりません、歴史の事実に至ては之を埃及、巴比倫、亜述《アツシリヤ》等の古跡旧記等に頼らなければなりませんが、然し歴史の何者たる乎、之を学ぶに当て我々は如何なる態度に出でねばならぬ乎、是を教ゆる書は聖書を除いては他にないと思ひます、聖書は人の手に成つたものでありますから、矢張り不完全なる書でありますが、然し神の特別なる指導に依て此不完全の中に真神の聖旨が最も明白に我々に伝へられました。
 斯う申すも何うやら甚だ独断的の様に聞えまして私が聖書を盲信するの余りに出でた語の様に思はれましようが、然し夫れは段々と此雑誌の号を重ぬるに従つて分る事であると思ひます、即ち聖書は天地と其中にある総てのものに就て記しまするが是は何にも博物学を授くる為めではなくして、神の宇宙観を伝ふる為であります、又(292)聖書は人の伝記並に国民の歴史を多く掲げまするが、是は其人の来歴や、其国の出来事を永久に保存せんが為めではなくして、神の人生観を伝へん為めであります、聖書は他の哲学書や倫理書とは違ひ、事実に依て根本的真理を伝ふる者であります、是れ其事実を掲ぐるに甚だ詳い理由でありまして深く此事を究めない人が聖書を以て博物書か又は歴史の一種の様に見做しまするのも全く是が為めであります。
 偖て基督教の聖書と申しますれば、先づ之を旧約、新約の二部に分ちます、旧約は創世記を以て始まり、馬拉基の預言書を以て終り、其中に三十九書ありまして、聖書の殆んど五分の四を占めて居ます、残り五分の一が新約聖書でありまして、是は馬太伝を以て始まり、約翰の黙示録を以て終り、其中に二十七書あります、故に聖書を研究せんと欲する者は先づ第一に聖書とは法華経や楞伽経と云ふが如き纏つたる一書でないと云ふ事を心に留めて置かねばなりません、聖書は書集でありまして一書ではありません、其内に歴史があります、乾燥無味の年代記があります、詩があります、歌があります、劇曲があります、預言と称しまする悲憤慷慨の言があります、伝記があります書翰があります、終りに黙示録と称し、謎語《なぞ》の如き風刺文の如き一種異様の文字があります、是を聖書と申せば何うやら厳《いかめ》しい書のやうですが、然し是を繙て見ると実に解し易い睦み易い書である事が分ります、ソロモンの雅歌と申せば恋愛の最も高尚なるものを述べた恋歌であります、約百記と申せば人心の深奥に起る大問題を解かんと苦心煩悶せる人の実験をドラマ的に綴つたものであります、創世記と申せば何うやら宇宙万物の創始《はじめ》に就てのみ書かれた書のやうに思はれますが、然し其中にはアブラハムが其子イザクを神の祭壇の上に献げんとするやうな心胆を寒からしむる実話もありますれば、彼アブラハムの僕が井戸の傍にイザクの為めに新婦を探がす佳詰もあります、殊に預言者の言の如きは、怒るかと思へば泣き、泣くかと思へば歌ひ、歴史と詩(293)歌と哲学とが相混和したるものゝやうに思はれて、之を読んで我々は章の長きを忘れ、句の難きを思ひません、聖書を以て世に所謂聖人君子なる者の読むべき書であると思ふのは大間違ひです、聖書は平民の書でありまして最も人情的《ヒユーマニタリアン》の書であります、唯其太古の作なると異国の人の書かれたる者なると、殊に其日本訳の甚だ不完全なるとに依り、其意味を解するに甚だ困難なるが故に人々が多く之を手に附けない迄でありまして、若し我々が一度び其示さんとする真意に達するを得ますれば、実は世に聖書ほど面白い書はないのであります。
 斯う云ふ書でありますから其研究法も他の経典に於てしまするとは自づと異なります、我々は先づ第一に其外形を学ばねばなりません、此書の作られた土地柄や、並に其時代、其土地の風土、人情物産、其時代の歴史、習慣、言語等、是等の大体を弁へねば其内に含まれ居る真理の核子を探ぐる事は甚だ困難であります、真理の探究と申せば理窟一法で出来る事と思ふ人が沢山あります、然し此処が聖書の供する真理と他の書の供する者とが根本的に違ふ所であります、神は実在者でありますから彼は彼の聖旨を顕はすに実物と事実とを以てせらるゝより他の法を取られません、論理は動くものでありますが事実は万世不易のものであります、神が彼の聖旨を伝へらるゝに或は岩を以てせられ、或は艸と木とを以てせられ、砂塵を揚ぐる旋風の中に顕はれ給ひ、湖面を乱す怒濤上に歩み給ふは彼が事実の神であるの証拠でありまして所謂天然を透ふして天然の神に達するとは聖書の神を探ぐる法でありまして、是れ亦実に近世の科学の精神であると思ひます。
 夫でありますから聖書を真正に学ばふと思ふ人は先づ、聖書地理を以て始めなければなりません、地理は歴史の物質的基本である(Geography is the physical basis of History)と申しまするが基督教のやうな歴史的宗教を学ぶには地理学の智識は最も必要であります、基督教は仏教や神道のやうな有りや無きや分らない空想国の事柄(294)を論じません、エルサレムと申せば高天ケ原とは違ひ、其経度も、緯度も、海面よりの高度も、気候も地質も能く分つた処であります、キリストの成長し給ひしナザレの村とは今でも存在する村でありまして、キリストの逍遥し給ひしならんと思はるゝ其周囲の小山も、彼が必ず摘み取り給ひしならんと思はるゝ其処に花咲く野草も能く分つた者であります、若し地理学なしの歴史は月の世界の政治論と同じ者でありまするならば地理学なしの聖書智識は金星或は木星の倫理学と称ふても宜いかも知れません、ユダ国を肥後の国や山城の国と同じやうの国と思ふて出来た宗教思想は飛んでもない事を唱へるものであります、
 次に究むべき事は聖書博物学であります、レバノンの香柏と申しましても其れは何様な木であるかゞ分らなければ之に関する聖書の記事は実に詰らないものであります、詩篇第百四篇十六節に「エホバの樹とその植たまへるレバノンの香柏とは飽足ぬべし」と書いてあつてもレバノンの香柏とは我邦の檜の類であつて幹の周囲時には四十七尺に達し、高さ九十尺乃至百尺に達するものである事が分つて始めて之をエホバの樹と称するの甚だ適称であることが分るのであります、又馬太伝の六章にありまする「ソロモンの栄華の極の時だにも其装この花の一に及ばざりき」と書いてある野の百合花とは我国の庭園に耕さるゝやうな大輪の花を結ぶ艸ではなくして多分毛※[草がんむり/艮]科の植物の一種であつて我邦の秋牡丹《しうめいきく》の類であるだらふとの事を心に留めてキリストの此語を読むと大分意味が面白く取れます、即ち野の百合花とは極く詰らない野草の一種でありまして、我国の産を以て称ひますれば桔梗か女郎花位のものを云ふのでありませう、即ち野にある極く普通の花でも其色香は大王ソロモンの装にも優るとの事であります、天然の美を人の装飾に比べて申されました最も適切な語であらふと思ひます。
 其他教会を葡萄樹に譬へられましたキリストの御言葉でも彼国に於ける葡萄樹栽培法の一斑を知らなければ能(295)くは分りません、羊とは如何なる動物である乎が能く分りませんければ、信者を羊に譬へられ、教師を牧者に譬へられしは何の理由か分りません、聖書博物学の智識は聖書記者のやうな天然物を非常に愛した人達の書いた書を研究致しまするには最も必要であります。 〔以上、9・30〕
 私共に亦聖書考古学を学ぶの必要があります、考古学とは昔の制度、文物、習慣、生活の状態等を究める学問でありまして、聖書のやうな古い書を解しまするのには此学の研究は非常に大切です、黙示録第二十一章に城の石垣を測りしに百四十四キユビトあつたと書いてあります(十七節)、然し一キユビトとはいくらであるか、それが解らなければ此事は解りません、キユビトは猶太人の尺度でありまして、臂より指の先きまでの距離を云ふたものであります、是は多分十八乃至十九|英吋《インチ》の長さであつたであらふとの事でありまして、之を我が日本の尺度に直しますれば一尺五寸七分余に当ります、故に約翰伝第二十一章八節に弟子等が小舟にて、五十間計り魚の入りたる網を曳いて来たと書いてありまするが、之は原語の二百キユビトを日本の間数に直した距離でありまして、一キユビトを我の一尺五寸と見做しての勘定であります。又昔時の猶太人の暦の事を知らなければ聖書に記してある多くの事柄が分りません、例へば逾越節《すぎこしのいはい》とか、除酵節《たねいれぬぱんのいはい》とか、ペンテコスト又は穡時《かりいれ》の節筵《いはい》とか、構廬《かりずまい》の節《いはい》とか云ふ事が所々に書いてありますが、其何の為の節であつて毎年何月何日に祝はれしものであるかが分らなければ、実に面白味のない事柄であります、ユダ人の暦は昔の日本の暦と同じでありまして矢張り太陰暦でありました、即ち普通は三百五十四日の一年でありまして三四年毎にヴエアダー(Veadar)と称えまして閏月を入れたものであると見えます 新年は春分前或は後の新月を以て始まり、正月をアビブ又はニサンと称し、其十四日に逾越の節筵があり翌十五日を以て除酵節の一週間が始まるのであります、三月六日及び七日がペンテコツテ(296)と申しまして是は彼国に於ける麦の穡時の節であります 六月の十五日に構廬の節が始まり、之も一週間続きます、以上を称してユダ人の三大節と申します、逾越の節はユダ人の独立日でありまして、彼等がモーゼの手に依てエジプト王パロの手より救ひ出されました事を記念する日であります、穡時の節は勿論収穫祝ひでありまして之は麦の刈入れを祝する節であります、構廬の節は一年中の感謝日でありまして、之はユダ人に取ては最も喜ばしい時であります、其他衣服の事、居住の事、医術の事等を知る事は聖書を解釈する上に於て非常に大切であります、是等の事柄を外形の事柄と見過しますると其中に含んである大切の真理を見遁すことがありまする。
 又聖書年代記も是非共一通りは知つて置かなければなりません、アブラハムとは何時頃の人であつたか、ソロモンがエルサレムに神殿を築いたのは何年頃であつたか、ユダ人が捕虜となつてバビロンに連れ行かれしは何時頃であつたか、基督の降世、彼の死並に復活、保羅の改宗、約翰の死など、此等は略ぼ分つたる年代でありまして、之を能く記憶に留めて置きまして、聖書を読みますると面白味が一層深くあります。
 聖書歴史の必要に就ては茲に再び述べるの必要はないと思ひます、聖書の多分は実は歴史でありまして、聖書を能く学んで古代史に精通することが出来ます、実に古代史なるものは聖書研究を目的として始つたものでありまして、若し聖書てふ今日の人類に関係の最も深い書がありませんでしたならば今日世に唱へられる埃及学だとか亜述《アツシリヤ》学だとか云ふものは決して世に出て来なかつたらふと思ひます、私自身に取りましては、世界歴史の趣味は聖書研究より得しものでありまして、聖書に示してあるやうな人生観を持ちませんならば歴史とは至て詰らない者であらふと思ひます、夫れ故に少しく過言かは知れませんが私は聖書を以て the history 即ち唯一の歴史と称へても宜しからふと思ひます。
(297) 聖書をよく解しやうと致しますれば是非共之を其原語に於て読まなければなりません、そして聖書の原語とは勿論英語でもなければ、独逸語、仏蘭語でもありません、聖書は素とユダ人に依て書かれた書でありますから之を充分に善く分らふと思へばユダ人の語に通じなければなりません、之は今日称ふ所の希伯来語なるものでありまして、英語や独逸語とは全く性質を異にしたものであります、其何う云ふ語である乎は聖書の中に書いてある地名並に人名に依て窺ふ事が出来ます、アブラハムとはアバ(父)並にラハム(群集)なる二つの詞より成りし名でありまして、「多数の民の父」即ち「大国民の祖先」の意であります、サレム(Salem 平和)なる詞がユダの幾多の地名に於て顕はれて居るかは少しく注意して聖書を読めば善く分る事であります、メルキゼデクが住ひしと云ふサレムの市、大王ソロモン、ダビデ王の第三子アブサロム、ユダ国の都なるエルサレム等は皆なサレム(平和)なる根字を元として出来た名でありまして、それを以て見ても平和はユダ人の最も追求したものであつた事が分ります。
 ユダ人の詞ばかりではありません、詞の組立に至りましても希伯来語は一方に於ては英語や独逸語と、他の一方に於ては日本語と全く異なつた語であります、馬可伝第一章の二節に「彼なんぢの面前に我使を遣さん」と書いてありますが、是は希伯来語特有の語法でありまして、単に之を前と読んで差支の無いものであります、又キリストの十二弟子の中ゼベダイの子ヤコブと其兄弟ヨハネこの二人をボアネルゲと名く之を訳《と》けば雷の子なりと書いてありますが、雷の子なればとて雷が産んだ子であると云ふのではなくして、雷の性を備へたるとか或は雷のやうな子であるとか云ふべきものでああります、是から考へて見て、キリストが御自身の事を人の子と称はれましたのは何う云ふ意味で曰はれたのであるかゞ分ります。
(298) 実に希伯来語を以て聖書を読んで見ますると之を解する為めに註釈なるものは殆ど要りません、之を今日我々が日常用ひて居る言語に訳して読みますればこそ奇異の感が起るのでありまして、演繹法であるとか、帰納法であるとか、種々の六ケ敷い哲学や科学の詞が発見せられない前の記録を其時代の言語有の儘で読で見ますれば別に何にも疑はしい事はありません。
 旧約聖書は希伯来語で書いたものでありまして、新約聖書は希臘語で書いたものであります、然し新約に於ても思想と語法とは希伯来的でありまするから、其之を書いた語は希臘でありますが、之を解するには希伯来人の心を以て致さなければなりません、若し日本人が英語を以て源平盛衰記か又は太平記を書いたと仮定致しますれば新約聖書なるものは何う云ふ心を以て之を解釈致さねばならぬかが分りましやう。
 斯う云ふやうに聖書を充分に解釈致しまするのは随分六ケ敷い事であります、日本の或る哲学者が基督教の教典は割合に少いから之を研究するのは至て容易であると申されましたが、然し是は未だ深く聖書研究に従事した事のない人の言ふた辞《ことば》であらふと思ひます、聖書学なるものは中々六ケ敷い学問でありまして、其研究の為めに一生涯を費しまするも決して長過ると思はれません。
 然しながら我等は決して失望するに及びません、此雑誌の他の所にも書いて置きましたが、聖書は実に実験の書でありまするから心に深き人世の実験を経し人に取ては至て解し易い書であります、如何ほど言語学に通じて居り、如何ほど聖書地理と博物学とに精しくあつても、如何ほど聖書考古学を調べましても、約翰伝第三章十六節に書いてありまする「それ神は其生み給へる独り子を賜ふほどに世の人を愛し給へり 此は凡て彼を信ずる者に亡ぶること無くして永生を受けしめんが為なり」との聖い高い語は分りません、之は神が直に彼の聖霊を(299)以て人の心に伝へ給ふ真理でありまして、之は科学的にも哲学的にも探究する事の出来るものではありません、基督教の真髄は決して学問を以て会得することの出来るものではありません、基督を充分に解するには基督のやうに苦しみ、彼のやうに国人や朋友や兄弟にまで捨てられ、終には盗賊と共に十字架にまで釘《つ》けられるやうな辛らい実験を経なければなりません、聖書は古い書でありまして、亦異国の書でありますが、然し亦それと同時に人の心の書でありまするから、深く之を己が心に味ふて見て決して分り難い書ではありません、
  あゝ神よ、鹿の渓水を慕ひ喘ぐが如く我が霊魂も汝を慕ひ喘ぐなり、我が霊魂は渇ける如くに神を慕ふ、活ける神をぞ慕ふ、何れの時にか我れ行きて神の聖前に出でん。(詩篇第四十二篇)
 之は何人でも分る語であります、勿論ユダ国の山地の模様と其夏景色とを想像して之を読みますれば一層美はしく読まれまするが、然し之を知らずとも我が霊魂が言ふべからざるの寂寥を感じて神を慕ひます時の状態は之より深く、之より美はしくは言はれません、此数句の中に「慕ふ」なる詞が三つあり、「神」なる詞が四つありて詩の恒則に外れて居るなど云ふ文学者もありましやうが、然し此深い人心の経験を語らんと致しまする時には我々は詩の規則などは措て問ひません、心の有の儘、それが最も貴い文学なのであります。
 それでありますから私共は無学であればとて聖書の研究を怠てはなりません、然ればとて亦無学を以て満足してはなりません、神の心は単に真心を以てのみ知る事が出来るかも知れませんが、然し其深さと闊さと高さとは私共の神に関する知識の多少に依て異なるものでありますれば、私共は出来得る丈け努めて私共の智識を進めなければなりません。
 序に私は茲に聖書の研究に就て尚ほ一つの注意を与へて置き度く思ひます、即ち之を先づ一二度通読すること(300)でありまして、之は聖書の大略を知るには最も必要であります、多くの人は聖書に就て知らん事を欲して、聖書其物を知らふと致しません、然し聖書其物を知らずして聖書に就ていくら知つても無益であります、勿論不完全なる日本訳に依て之を読みますることは全く愉快の事ではありません、然し英訳に於ても殆んど同じ事でありまして、殊に列王紀略、歴代志略、以西結書の或る部分の如きは殆んど読むに堪えないほど乾燥無味のやうに見えます、然し聖書の美は其或る部分に存すと云はんよりは寧ろ其全躰に在りと云はなければなりません、恰かも我々の棲息する此地球の如きものでありまして、此に松島があり天の橋立があるから完全なる地球であると云ふのではなくして、之れに亦サハラの砂漠があり、シベリヤの曠野がある故にライン河の沿岸もダニユーブの沃野も一層其の美を増すのであります、単にクリスト山上の垂訓をのみ味ふ人は未だ垂訓其の物の美をも充分に味ふことの出来ない人であります、旧約に於て正義の刃に接しない人は新約に於て恩恵の雨に浴するも其楽しさを感じない人であります、霊魂の救ひは聖書全体の研究を要します、聖書を通読しないで只其一部分にのみ熱注する者は彼の霊魂の一部分をのみ救ひ得て其全部を救ひ得ない人であらふと思ひます。
 聖書が章と節とに分けてありますが、是は勿論始より斯く成つて居つたものではありません、保羅が彼の建てた教会に宛て手紙を書いて遣りまするに之を章句に分けて、遣る必要のなかつたのは勿論であります、聖書を始めて章に分けた人はエジプト国アレキサンダリヤ市のアムモニアスと云ふ人でありまして、彼が之を為したのは基督降世後二百二十年頃の事であるとのことであります、アムモニアスは僅に四福音書丈けを章に分けた丈けでありまして、此区分法を聖書全体に施した人はセントカーロのユーゴと云ふ人でありまして、紀元千二百六十三年に死んだ人であります。
(301) 章を又節に分けたのはまだ後の事でありました、之は千五百五十一年にロバートソン、スチーブンと云ふ人が彼の出版した希臘文の新約聖書に採用した法でありまして、此法が聖書全体に用ひられまし のは千五百五十五年の事でありました 章と云ひ、節と云ひ、勿論研究上の便宜から来たものでありますから、私共は之に依て聖書に関する私共の判断を左右せられてはなりません。
 今聖書の章数を計算致しまするに旧約は九百二十九章で、新約は二百六十章でありますから新旧合せて千百八十九章であります、故に若し一年間に全聖書を通読致さうとすれば一日に三章半づゝ程を読めば宜しひのです、若し毎日一章づゝ読むと致しますれば三年と四ケ月程にして之を一回通読することが出来る割合であります、有名なる亜弗利加の宣教師リビングストンの如きは毎年一回づゝ聖書を通読するを以て彼の通則として居つたさうです。 〔以上、10・27〕
 聖書を学ぶ時の第一の困難は何にも語学の不足でもなければ、亦歴史に暗い事でもありません、聖書は精神の書《ほん》でありますから、我が精神さへ聖書の精神に合へば之を学ぶのは至て易い事であります、能く考へて御覧なさい、アブラハムは西方パレスチナに住つた人でありまして今から少くとも四千年前の人であります、人種と云ひ、時代と云ひ、境遇と云ひ、我等とは全く異つた人であります、今私共は明治の今日東洋の日本に於て此人の生涯を学ばんと致すのであります、縦令人情は古今東西変るものではないと致しましても、是は決して容易なる業ではありません。然し聖書の聖書たる所以は精神を語ることが多くして外形と境遇とを説くのが至て少いことであります、聖書には太平記や源平盛衰記にあるやうな武士の扮装《いでたち》に就ての詳細なる記事はありません、又エルサレムと云ひベスレヘムと云ひ、其名は幾度となく書き記るされて居りますが、其何う云ふ山であつて、其附近の景(302)色は何《ど》んなであつたか、そのやうな事は少しも書てありません、亦人物の容貌に就ても同じであります、摩西なり、保羅なり、基督なり、その肉体に関する記事は殆んど皆無でありまして、今日彼等の像を彫刻や絵画に顕はさうとして少しも頼る所のないのは全く之が為であります。
 それでありますから聖書を読むには我が心に聖書の理想を以て致さなければなりません、聖書より其理想を取り除いて了いますれば斯んな詰らない書は世界中にないのであります、私共は聖書を学ぶに其理想を学ばんと致すのでありまして 若し古代の歴史や哲学等を此書に於て探らふと致しまするならば唯失望する計りであります。
 サテ聖書の理想なるものは何う云ふものであるかと申しまするに、之は世人、殊に東洋の日本人の理想とは全く異つたものでありまして、私共日本人は容易に聖書の理想を以て我が理想となす事が出来ません。
 先づ試にエサウとヤコブなる二人の兄弟の事に就て考へて御覧なさい、聖書には「我(神)はヤコブを愛しエサウを悪めり」と録してありますから、私共はエサウとはさぞ悪人であつて、ヤコブとはさぞ善人であるであらふと思ひませふが、然しそれは正反対でありまして、エサウとは至て正い人でありまして、ヤコブとは不完全だらけの人でありました、兄のエサウを欺いてその家長権を奪ひし者はヤコブでありました、ハランの地に行きて伯父ラバンの家に客たりし時に、一つの策略を設けて主家の綿羊数多を己がものと為せし者も亦ヤコブでありました、又年を経て故郷カナンに帰り来ました時に兄エサウの復讐を懼れて進み得なかつた臆病者も亦此ヤコブでありました、然るにエサウは如何にと云ふに、甚だ独立の人でありまして、ヤコブは伯父の家に羊を飼ひし時に、彼エサウは野に獣《けもの》を狩り、ヤコブは伯父の承諾を得ずして故郷に逃げ帰りしに、エサウは土地の女を娶り、独力で立派な豪族となりました、然るに神は特別にヤコブを愛し、彼にイスラエルとて「神と争ふ」なる名を与へ、(303)彼の子孫に全世界を救ふの名誉職を賜はりました。
 斯う云ふ事は実に世間普通の人の眼を以て観ました時には少しも解し得ない事でありまして殊に胆力とか潔白とか云ふことを以て非常に貴い道徳のやうに思ふて居る日本人に取りましてはエサウはヤコブに勝り遙に上等の人物でなければなりません。
 然しながら聖書の人生観から見ましたならばヤコブは矢張りエサウに優る人物でありました、弱点は多くありましたがヤコブは神に頼る人でありました、独立を愛せしエサウは自信力の強い人でありまして、彼は何事も自身の思ふが儘に行つた人でありました、神がヤコブにイスラエル即ち「神と争ふ」の名を給はりましたのは実にヤコブの此愛すべき性質を認められたからでありまして、彼ヤコブは事を為すに自身で之を行ふの胆力なく先づ祈祷を以て神と争ひ、神の援助を得て後始めて之を為し遂ることが出来ました、之に反してエサウは世の謂所英雄でありまして、彼は神とか祈祷とか云ふ事には余り頓着せず、唯断々乎としてその所信を貫くとか申しまして、少しも女々しい所のない男でありました、夫れでありますから若し東洋人の眼を以て評しますればエサウは英雄でヤコブは意気地のない奴であります。
 然しながら聖書の理想的人物はヤコブの如き者でありまして、エサウの如き者ではありません、ダビデは繊弱婦人の如き者でありましたが神の援助を以て偉丈夫ゴリヤを殺しました、ダビデは神に頼て勝ち、ゴリヤは腕力に頼て負けたのであります、又預言者エレミヤのやうな人を御覧なさい、彼は旧約時代の理想的人物でありまして、キリストの予報者と称はるゝ人であります、然るに彼の一代の記事を読んで何人も彼の弱きに驚かない者はありません、「あゝ我わが首《かうべ》を水となし、我目を涙の泉となすことを得んものを、我民の女《むすめ》の殺されたる者の為(304)に昼夜|哭《なげ》かん」と、何んと女々しい事ではありません乎、又「嗚呼われは禍なるかな我母よ汝何故に我を生みしや、全国の人我と争ひ我を攻む」と、是れ決して英雄の言とは思はれません、然し彼が
  エホバ斯く云ひ給ふ、智慧ある者はその智慧に誇る勿れ、力ある者は其力に誇る勿れ、富める者はその富に誇る勿れ、誇る者は之を以て誇るべし、即ち明哲《さと》くして我を識る事と我がエホバにして地に仁恵と公道と公義とを行ふ者なるを知る事是なり、我是等を悦ぶなりとエホバ曰ひ給ふ(耶利米亜記九章二三、二四節)
と言ひしを見て彼エレミヤの有つた人以上の力は何処から来りしものでありしかゞ分ります、エレミヤ自身は極く弱い者でありました、然し彼がエホバを識りました故に大王をも威迫するほどの強い者と成つたのであります、エレミヤの強さを知らふと思へば先づ彼の弱さを知らなくてはなりません。
 又何故にキリストは特別にヨハネを愛し給ひしかと云ふに是れ亦ヨハネに小児のやうな神に依り頼むの心があつたからであると思ひます、ペテロのやうに何にか自身で一つ大功を立てゝキリストの賞誉に与らんと欲ひし者をキリストは厳しく誡しめられました、ペテロは先づ神に服従するの教訓と習錬とを要しました、「エホバは心の痛み悲む者に近く在して、霊魂の悔頽《くゐくづほ》れたる者を救ひ給ふ」とは聖書が幾回となく繰返す示明でありまして、キリストがペテロの精神よりもヨハネの精神を愛し、心忙はしく彼に事へんとせしマルタよりも単に彼の恩恵に与からんとせしマリヤを愛し給ひしのも全く之がためであります。
 実に此心を以て聖書を読まなければ聖書は詰らない本であります、多くの人が聖書を読んで少しも面白味を感じないのは全く之が為めであります、或人は東洋風の英雄をキリストに於て見んと欲します、故にキリストの伝を読んでも何にやら少しも解りません、唯偶々彼がエルサレムの殿《みや》に在りし時、縄をもて鞭を作り、牛羊鴿など(305)を売り、又両替をする者共を殿より逐出し給ひしを読んで快哉を叫ぶ位ひに止ります、彼が死に臨んで「吾神、吾神、何ぞ我を遺《す》てたまふ乎」の悲鳴を発せられしを読んで是れが即ち人類を救ふの声でありし事を理解致しません。
 聖書の神は義人の神ではなくして罪人の神であります、帝王貴族の神ではなくして平民の神であります、彼は特別に貧者を愛し病者を憐れむ神であります、夫れでありますから世の自ら忠臣、義士と称する者は必ず基督教を嫌ひます、聖書の教が先づ帝王や貴族に迎へられし例はありません、基督教は社会を化するに必ず其下層より致します、先づ之を王侯貴族の宗教となして然る後に下民に及ぼさんなど云ふ人は未だ基督教の何たるを知らない人であります。
 畢竟私共は聖書を読むに神の眼を以て致しまして人の眼を以て致してはなりません、エホバ宣給はく、「我|思《おもひ》は汝等の思と異り、我が道は汝等の道と異る」(以賽亜書五十五章八節)、聖書が他の書と全く異るのは是が為であります、何にも私共はカーライルが申したやうに世人と説を異にさへすれば大底誤謬はなきものではあるとは申しませんが、然し神の聖意と人間の思想とが何れ程異て居る乎は、簡易なる文字を以て書かれたる聖書が解釈するに最も六ケ敷い書であるので分ります。
 即ち聖書は其名の通り神の書です、人の為めに書かれたる書でありますが、神の主上権を人の上に施すために書かれたる書であります、之を人の利益のため、又国或は社会の便益のために書かれたものと思ふと必ず其意味を取違へます、神は其主上権を実行せんためには其特愛の民をも国をも罰して顧み給ひません、「我恵まんと欲ふ者を恵み、憐まんと欲ふ者を憐む」とは神の独裁的聖意を表白せられし語でありまして、私共は人の言として(306)は之に服従する事は出来ませんが、然し絶対無限の神の言としては之を遵奉せざるを得ません、私共は聖書に依て神の主権の絶対的に犯すべからざるものなるを知り、彼の前に立てばたゞ口を噤み、首を低れて其命維れ従ひ其言維れ信ずるに至るのであります、之より号を逐ふて此心を以て聖書を読んで見ませう、爾うしますればその何んと面白ひ、何んと有益なる書であるかゞ分ります。 〔以上、11・24〕
 
    聖書と花
 
 冬は花時ではありません、今や我等の庭を飾るものは紅白の山茶花と赤粒の実を垂れる南天燭《なんてん》と位ひのものであります、今の時節に花の事を語りまするは何にやら時節外れのやうに思はれます。然しながら私共キリスト信者に取り増しては歳末の今日は喜ばしい時であります、是はキリスト聖誕節の祝はれる時でありまして、年の中で最も楽い時であります、私共の希望は此時に始まるのでありまして、私共は世の人のやうに歳の暮であればとて悲歎慷慨する者ではありません。
 夫れでありまするから聖書の花の事をお話し申しまするのは今が一番好い時であると思ひます、花は希望を代表するのであります、花は生命です、歓喜です、故に凡てキリストの救済にあづかりまして、新らしき生命に入りし人は皆な花を愛します、是は何にも必しも花は美はしいものであるからではありません、花を愛するのは人間自然の人情であります、然しキリスト信徒が特別に花を愛しますのは花が彼の心の状態を最も好く写すからであります、心に萌《もゆ》る希望があり、罪悪の縲絏《なわめ》は解けて、生命の春風に固き蕾の綻びるやうな感覚はキリスト信徒の固有の性でありまして、彼に若し一言以て彼の人生観を語れと申しまするならば彼は「花なり」の一言を以て(307)答ふべきであると思ひます。
 国民の享有する文明の程度は其使用する花の多寡で分ると申します、さうして基督教国は全躰に最も多く花を用ゐる国であります、其埋葬地なるものは一つの花屋敷でありまして、其中に仏教国の寺院に於けるが如き凄い淋《さびし》いことは少しもありません、独逸語で墓場の事を Gottesacker(神の畑)と称ふるのを見ましても其麗はしき花の最も適当なる培養地であることが分ります。
 然し茲に一つの奇態なる事があります それは此復活の希望を伝へ、永生に入るの途を開きました聖書が花の事に就ては全躰に至て冷淡であることであります、之は皮相の見を以て視ますると甚だ意外なる事でありまして、是れ実に或る人が聖書の教訓に懐《なつ》き難き一つの理由であります、さうして是は何にも聖書の書かれましたパレスチナの国が植物に乏しい国であるからではありません、植物学者の調査に依りますれば、此六千方哩の小区域内に於て顕花植物ばかりが三千余種あるとの事でありまして、殊にパレスチナの土地が亜細亜、阿弗利加、欧羅巴三大陸の交叉点に当て居りまするが故に其植生は他国に於て見ることの出来ない程饒多であるとの事です、野には百合花あり、山慈姑《あまな》あり、「ハヤシンス」あり、白頭翁《おきなぐさ》あり、蕃紅《さふらん》あり、水仙あり、柘榴あり、巴旦杏、杏子ありて花には決して不足の無い国であります、ユダ国の花が余り多く聖書記者の注意を惹かなかつたのは何にか他に理由が無くてはなりません。
 爾うして其理由と云ふは他ではありません、聖書の記者が人類と其救済に就て余り熱心であつたからであります、彼等は道徳の美を求めるに余りに熱心でありましたから天然の美には余り注意を致しませんでした、彼等は実に花を見て日を暮らすやうな暢気《のんき》の人ではありませんでした、彼等は実に真面目に国の事を憂へ、人の罪悪を(308)悲んだ者でありまして花に憂愁を散ずるが如き浅墓な人ではありませんでした、聖書は殊更に道徳の書でありまして、美文の書でも、亦科学の書でもありませんから、殊更に花の事や鳥の事を載せません。
 然しながら聖書記者は誠実の人でありましたから天然に対しては非常に深い同情を有つて居ました、彼等は天然を以て神の造り給ひしものと見た計りでなく、亦人類の最も善き朋友であると信じて居ました、彼等の眼に映じた天然は人と共に歓び且つ悲しむの天然でありました、「山と岡とは声を放て前に歌ひ、野にある樹は皆な手を拍たん」(以賽亜書第五十五章十二節)と云ひ、「地は憂愁に沈み、之に棲む者は皆な野の獣、空の鳥と共に衰へ、海の魚もまた絶え果てん」(何西阿書第四章三節)と云ひ、実に天然と人類との間に存する深遠無量の同情を述べた言であります、夫れ故に聖書記者は天然の事に就て余り多くを語りませんでしたが、天然と人類との関係に就ては彼等程深く感じ且つ之を書き示した者はないと思ひます、所謂天然を霊化した者は彼等聖書記者でありました、花も彼等に依て特別の意味を以て我等の眼に映ずるに至りました、何にも花に関する記事の多少ではありません、花に関する福音です、是れ私共の最も聞かんと欲する所であります。
 聖書に於ても他の文学に於けるが如くに花は人世の栄枯盛衰の理を現はす例として沢山用ひられます、「沙羅桑樹の花の色、盛者必衰の理を現はす」との平家物語記者の有名なる語に能く似た語が聖書に於ても沢山あります、但だ聖書の語は仏教臭味の文学と違ひ優《はる》かに壮厳で優かに勇壮であると思ひます、
  婦の産む人はその日少なくして艱難《なやみ》多し、その来ること花のごとくにして散り其馳ること影のごとくにして止まらず、(約百記十四章十一、二節)
  人の齢は草の如く、その栄は野の花の如し、(詩篇百三篇十五節)
(309)  谷の首《かしら》にある凋《しぼ》まんとする花の美はしき飾は禍ひなるかな、(以賽亜書二十八章一節)
  人は皆な草なり、その栄華はすべて野の花の如し、草は枯れ花は凋む、エホバの息《いき》その上に吹きたればなり、
  実に民は草なり、草は枯れ、花は凋む、然れど我等の神の言は永遠《とこしへ》に立たん、(以賽亜書四十章六、七、八節)
 その言はんと欲する所は皆な一つであります、彼等は皆な草花の枯れ易きと凋み易きを語ります、これはユダの山地に於て春の末の頃南風の吹き始めます時節には春雨と共に一時に萌え上りし草が一時に凋んで了ふ状を述べたものでありまして、以賽亜書四十章の「エホバの息」と申しましたのは此南方の沙漠より吹き来る熱風を云ふたのであると思ひます、
 聖書の中で花の事を一番多く記しまするのは大王ソロモンの作なりとて伝へらるゝ雅歌の書であります、是は一種のドラマでありまして中に恋夫と恋婦とがあります、彼が彼女を頌讃する語にあります
  その(彼女の)頬は香《かぐは》しき花の床の如く、馨草《かほりぐさ》の壇の如し、その唇は百合花の如くにして没薬の汁を滴たらす、(雅歌五章十三節)
かの国に産する総ての美はしき、総ての馨はしき花類を取り集めて彼女になぞらへたる語であります、彼女が
  我はシヤロンの野花、谷の百合花なり、
と自身を紹介致しますれば、彼は之に答へてまた彼女を讃えて申しました
  女子等の中に我が佳※[藕の草がんむり無し]《とも》のあるは荊棘《いばら》の中に百合花のあるが如し、恋夫恋婦の花合戦とも称すべき問答でありまして、厳粛なる聖書の中に此優しき恋歌があらふとは実に思ひも依(310)らない事であります。
 然しながら花の福音とも称すべきものは馬太伝六章二十八節以下二節にあるキリストの御語《おことば》であります
  また何故に衣のことを憂慮ふや、野の百合花は如何にして長《そだ》つかを思へ、労《つと》めず紡《つむ》がざる也、われ爾曹に告げんソロモンの栄華の極《きはみ》の時だにも其|装《よそほひ》この花の一に及ばざりき。
植物の名誉と人間の耻辱とは収めて此数語の中にあると思います。
 此所に称ふ野の百合花なるものは何を指したるものなるかは聖書植物学者の頭脳を苦しめる問題であります、或人は之は真の百合花であつて植物学上 Lilium chalcedonicum と呼ぶものであると申しまするし、又此事に就て非常の熱心を以て調べられたるカノン、ツリスツラム氏は是れ全く百合科に属すべき植物ではなくして毛※[草がんむり/艮]科の一種なる Anemone coronaria(白頭翁?)であると申されました、其の他又 Narcissus tazetta(水仙)であるとの説もありまして、今日の所では孰れを何れとも定め難うあります、然し私の考へまするにキリストはこゝに特別の花を指して申されたのではなくして野の百合花類(lilies)と曰はれたのであると思ひます、即ち彼は山慈姑《あまな》、水仙、「クロユリ」、「ハヤシンス」等凡て百合花類其他類似の植物を指して曰はれしのであつて、何にも特別に一種の花を指されたのではないと思ひます。
 野花の長つや労めず紡がずとあります、たゞ其葉を日光に向けて開き、風をして其面を掃はしめ、雨をして其根を潤《うるほ》さしめ、全生涯を神と天然とに任かして野の百合花は其雪の如き白き衣を織り、竜胆は其空の如き碧《みどり》の装《よそおひ》をなします、草の草たるは其意ひ得ざるにありまして、人の人たるは其意ひ過《すご》すにあります、意志てふものゝ濫用が人類の総ての苦痛の原因でありまして、若し私共の意志をも神に献げることが出來ますれば私共も百(311)合花のやうな、竜胆のやうな美はしい者となることが出来ます。
 大王ソロモンの栄華の極の時の装も路傍に咲く野生の草花一つに及ばなかつたとの事であります、オフルの金を以て作りし冕《かんむり》を戴き、キテムの象牙を以て作りし宝座に座し、ツロの紫に身を装ひ、シバの宝石に身を扮《やつ》しました大王ソロモンも其装野花の一つに及ばなかつたとの事であります、能く注意して読んで御覧なさい キリストは人の中で最も貴き者と花の中で最も卑い者とを比べられたのであります、ユダの国王の中で最も大なる者とユダヤの草花の中でいと小さな者とを較べられたのであります、爾うして最も小さな花の方が最も大なる人よりも美いとの事であります、花を誉めた辞《ことば》で斯のやうな辞はありません、又人の栄華を賤めた辞で此のやうな辞はありません、
 爾うして是れ決して修辞上の譬喩《たとへ》ではありません、是れ実に科学上の事実であります、能く之を究めますれば桜草の一輪に王侯貴族も及ばない麗色があるのであります、美人を形容して花顔であるとか、花瞼であるとか、柳眉であるとか、緑黛であるとか申しまするのは皆な彼女を花に比べて申すのでありまして、「梨花一枝春帯雨」とは支那の理想的美人の形容でありますが、之を顕微鏡下に検しますれば如何なる西施も楊妃も其仙姿麗色に於て路傍の野草一茎に及ばないのであります。貧しき者は幸福なりと述べられて貧者に無量の同情を寄せられましたキリストは野花を大王ソロモンに比べられまして其優かに彼の美に優るを教へられました、キリストの天然観に依て蒲公英、藜《あざみ》、薺等の詰らない野草までが栄誉の地位に上《のぼ》せられました。 我はシヤロンの野花、谷の百合花なり(雅歌二章一節)とは実はソロモンの理想的婦人ではなくして、イエスキリスト其人であります、賤しき大工の家に生れ、遠きナザレの村里に長ち、身に栄位の誇るべきなく、智慧を都(312)城の師に仰がない天然有の儘の神の子、彼こそは実に仰ぐべき人、学ぶべき師、睦むべき友、崇むべき神であります、彼に依て沙漠の如き我等の心も蕃紅《さふらん》の花の如くに咲きます、(以賽亜書三十五章第一節)、彼に依て世の荊棘の中に在て我等は百合花の心を有てます、(雅歌二章二節)、シヤロンの野花に傚はんとする私共は冬は来るとも冬を知らず、常に春陽の希望を抱いて亦新らしい年を迎へやうと欲ひます。 〔以上、12・22〕
 
    聖書と宝石
 
 人は此世界は極く詰らない処であると申します、何事も淡味平凡で、卑猥なる事は多くして、高貴なる事は尠く、暗色を帯る物は多くして、光輝を放つものは尠く、国に三千の華族があれば四千万の平民がある、一粒の金剛石の女王の冠を飾るあれば砂礫の到る所に転ぶありとは実に此世界の状態でありまして、世に不平家なる者がありまして常に疳癪計り起して居りますのも原《もと》はと申しますれば世界が斯う云ふ詰らない世界であるからであると思ひます。 然し是は神を信じない、心に未だ神の救済を感じた事のない人の眼に映ずる世界であります、此世界は実はそんな詰らない世界ではありません、視る眼を以て看ますれば之は水晶宮の一つであります、我々人類は総て「王の子」でありまして、皆な宝石を以て鏤められたる宮殿に住つて居る者であります。
 人は宝石と申しますると必ず金剛石か紅玉の事であると思ひますが、然し之は必しも是等には限りません、金剛石は透明なる結晶躰でありまして、其光線を屈折する力の強いより人の珍重する所のものであります、然しながら透明なる結晶躰で光線を屈折分解する力を備へたるものは金剛石には限りません、貴下方は春の朝梢に留る(313)露の玉を見た事がありますか、其|朝暾《あさひ》の光を受けで之を分解し、私共の眼の置きやうに依て、或は紅、或は黄、或は緑、或は紺の玉となつて、私共の眼に映ずるのを見た事はありませんか、或時は物干竿の下に掛る露の滴が七色の光を放つに依て、之が宝石の数珠と成つて見ゆるのを視た事はありませんか、人は鉱物と申しますると何にか金か銀の化合物でなくてはならぬやうに思ひますが、然し鉱物学上より申しまして、水も空気も立派な鉱物である事を多くの人は知りません、金剛石とは炭素の結晶した者でありまして、紅玉と青玉とはたゞの粘土《ねばつち》の結晶躰で外ありません、爾うして金剛石と称ひ、紅玉と申しますれば人が非常に貴びまするが、然し何故に水素と酸素との化合物たる水を貴びませんか、実用の点を全く離れ、実の一点から観察を下しましても水は金剛石に劣らない鉱物であります、その湖水と成つて美人の眸のやうに松林の中に溜ります時も、又は河流と成つて、銀線を以て山の麓を縫ひます時も、水は実に美い鉱物であります。
 然し我々の周囲に在る鉱物は水と空気と計りではありません、我々は鉱物を呼吸し、鉱物を飲んで生きて居る者である計りでなく、我々は亦水晶の上を歩いて居る者であります、我等が普通「石」と呼びまするものは鉱物であるばかりでなく、其中には貴い美い結晶躰が沢山在ります、水晶とは桂酸の結晶したものでありまして、其純粋なるものは至て高価のものでありますが、然し小形の水晶で多少の不純物を含むものは岩石のある所には大抵存在し、路傍の石を割て見ても、庭の敷石を欠いて見ても六角柱の形をなした水晶を見出す事が出来ます、殊に御影石と称する極く普通の建築材の中には殆んど純粋なる水晶が沢山にあります 且其他に長石とて肉色を帯びたる結晶物もあり、雲母あり、輝石あり、角閃石ありて、私共が御影石の石段の上に立ちます時は実は五六の結晶躰を足の下に践んで居るものであります、大理石は貴いものでありまして之は帝王の宮殿を作るために用ひら(314)るゝ石材でありまするが、然し是れとても石灰の結晶したものでありまして、其之を構成する元素に至りましては、我等の家の壁を塗るために用ひらるゝ漆喰と少しも違ひません、其外紫水晶(amethyst)と云ひ、碧玉(jasper)と云ひ、縞瑪瑙(onyx)と云ひ、之を聖書の中に読みますれば如何にも貴い玉のやうに見えまするが、然し鉄槌を手にして河原に出で、手当り次第に石を割て見ますれば度々見当る鉱物であります。
 斯う申しまするのは何にも私が宝石を蔑視《みさげ》て申すのではありません、我々基督信者が帝王の冠に余り多くの価値《ねうち》を置きませんのは冠の貴くない理由に依るではなくして他にも貴い冠が沢山あるからであります、金剛石は貴い鉱物であります、然し水も石英も石灰岩も貴い鉱物でありまして、其実際の美に至ては女王の頭《いたゞき》に輝く金剛石も草葉の上に照る露も殆んど差違《ちがい》はありません、基督教は貴いものを卑くするのではなくして、卑いものを貴くするのであります。
 爾うして宝石其物が実に此貴き教訓を私共に告げ知らすものであります、「神は世の賤しき者を取てその強き者と貴き者とを愧《はづか》しめ給へり」との聖書の告知は金剛石、青玉、紅玉等の示す所の教訓でありまして、我等は鉱物学を研究致しまして、此真理の人間界に限らずして鉱物界にも適用すべきものである事を了ります、金剛石とは抑々何物ですか、たゞの炭素の結晶したものではありません乎、木炭も炭素なれば石炭も炭素であります、世に炭素程普通なるものはありません、然し此最も普通にして最も平凡なる炭素も若し神の或る秘密力に依て結晶致しますれば金剛石と云ふ最も珍らしき、最も貴重なる宝石となるのであります、紅玉、青玉とても同じ事であります、其之を組成する元素とては酸素とアルミニユムとでありまして是は普通の粘土を作る元素であります、粘土と青玉、一は瓦解《かわらけ》となつて乞丐《こつじき》が水を飲む時の器となり、他の者は王侯の頭と指とを飾つて世の崇敬を仰ぐ(315)の徽章となります、同じ酸化アルミニユムでありますが、之を作るの方法に依りますれば斯くも異なつたるものとなるのであります。
 爾うして人は金剛石をも青玉をも作る事は出来ません、(或る化学者は出来ると申しますが併し実際装飾品として用ゆるに足る結晶を作つた事を聞きません)、神の手に依てのみ炭の一片が帝王の冠を飾るに足る金剛石となるのであります、神の力に依て粘土が金よりも貴い紅玉、青玉となるのであります、爾うして平々凡々の我等如きものでも若し神の力に因りますれば大学者よりも、大聖人よりも貴い人となる事が出来るのであります。
  兄弟よ召を蒙れる爾曹を見よ、肉に依れる智慧ある者多からず、能ある者多からず、貴き者多からざる也、
  神は智者を愧しめんとて、世の愚《おろか》なる者を選び、強者を愧しめんとて世の弱者を選ぶ、また神は有者《あるもの》を滅さんとて世の賤者、蔑視《かろしめ》らるゝ者即ち無きが如き者を選び給へり、是れ凡ての人神の前に誇ることなからん為めなり。(哥林多前書第一章二六−二九節)、
 霊魂の理も鉱物の理も其源に於ては同じであります。
 扨て聖書は宝石の事に就ては余り多くを載せません、エデンの園の附近には金あり、又ブドラクと碧玉とありと書いてあります(創世記二章十一、十二節ブドラク(bdellium)とは何であるか能く解りません、或人は紅玉であるとも申します、然し宝石の一種であつた事丈けは確かであります、此処に碧玉と訳されし語は真の碧玉(jasper)を意《い》ひしものであるか、又は縞瑪瑙璃(onyx)を指したものであるか、又は黄緑玉(beryl)を示したものであるか能く分りません、何れにしろ金と共に記載してあるのを見ますれば貴い石であつた事丈けは確かであります。
 聖書の中に最も多く引用せらるゝ宝石は青玉と紅玉とであります、今日の所では青玉は錫蘭島の有名なる産物(316)でありまして、紅玉は緬甸《ビルマ》に多く産するとの事であります、青玉は空天の青きが如く青く、紅玉は珊瑚のやうに紅くして而も透明であります、約百記の二十八章十八節に 「智慧を得るは真珠を得るに勝る」と書いてありますが、之は紅玉の事を云ふたのであるとの事であります、青玉は殊にユダ人の珍重した宝石であつたやうに見えます、礦山の事を約百記には「青玉のある所」と書いてあります、青玉の色は空天《そら》色でありまして、其純粋透明なるものに至りましては曾て詩人ブライアントが青竜胆を賞しましたる歌にあるやうに
  Blue,blue,as if that sky let fall,
  A flower from its cerulean wall.
  恰かも天空が固まつて地に墜たやうなものであります、夫れでありますから聖書にては荘厳なる神の宝位《みくら》のある処の状《さま》を画きまするに度々此玉の事を引用致します、ゲバル河の辺にて予言者エゼキエルが見しと云ふエホバの出現に伴ふて「穹蒼の上に青玉の如き宝位《くらゐ》の状式《かたち》あり」(以西結書一書二六節)とあります、又モーゼがイスラエルの七十人の長老と共にエホバより契約の書を授けられん為めに山の麓に築かれし祭壇に近きし時に
  イスラエルの神を見るにその足の下には透明れる青玉をもて作れるごとき物ありて耀ける天空にさも似たり  (出埃及記廿四章十節)
とあります、天空の高きに在し給ふ神を青玉を以て作り上げたる宝位《みくら》に座し給ふ神と称へましたのは実に荘美にして且つ最も適当なる称号であると思ひます、天空が青玉であるか、青玉が天空であるか、天空の固結したものが青玉であつて、青玉の気化したものが天空であると思へば、ユダ人の此思想の如何に荘麗であるかゞ思ひ遣られます。
(317) 聖書に書き記されたる宝石の名を一処に集めたる所は出埃及記と黙示録とであります、出埃及記第二十八章十七節より二十節までに記してあるアロンの「審判《さばき》の胸牌《むねあて》」に嵌められたる宝石の配列は左の通りでありました、
 此表は英訳の聖書と日本訳の聖書とを対比して作つたものでありまして、決して正確なるものとは申されません、希伯来語の玉名を如何に近世語に訳すべきやは甚だ困難なる問題でありまして、希伯来語の odem は sardius であるか又は ruby であるかは判然致しません、原語の意味は只「赤色の宝石」と云ふのみでありまして、或は之を赤珊瑚と訳しても宜しいものかも知れません、殊に原語の nophek を emerald と訳しました如きは最も はしい訳であるのは改正英訳聖書に此名に carbuncle なる註を加へてあるのを見ましても能く分ります、若し emerald ならば緑玉でありまして、carbuncle ならば紅晶玉であります、緑と紅とは余りの相違であります、又金剛石と訳されし詞は吾人の今日称する金剛石であるか、又は sardonyx とて瑪瑙の一種で其中に紅色を混じたものであるかは能く分りません、是等は皆博物学上の問題でありまして、其解釈の如何は勿論聖書の伝ふる真理の奈何に関係はないものでありますが、然し改正日本訳聖書を編纂致しまする時には此事に就ても尚ほ一層の注意を致したいものであります。
 故に今旧来の英訳聖書に誤謬ない事と致しまして、左に此所に示されたる宝玉の極々大略を述べましやう
 一、Sardius、玉髄の一種であります、赤色なると褐色なるとがあります、赤
 
〔表〕1.赤玉.sardius. 2.黄玉Topaz. 3,瑪瑙.carbuncle. 4.紅玉.Emerald. 5.青玉.Sapphire. 6.金剛石.Diamond. 7.深紅玉.Ligyre. 8.白瑪瑙.Agate. 9.紫玉.Amethyst, 10.黄緑玉.Beryl. 11.葱※[王+行]Onyx. 12.碧玉.Jasper.
 
(318)色にして透明なるのを紅瑪瑙と申します。
 二、Topaz、黄玉です、硅酸、アルミニユム、弗素の化合物であります、酒黄、密黄、無色若くは青禄色等の種類があります。
 三、Calbuncle、多分柘榴石の事を云ふたのであらふとのことであります、其濃色透明なるものは至て美しい鉱物であります。
 四、Emerald、緑玉です、第十の黄緑玉と同じ成分より成る玉であります、緑玉はクロミユムを含んで其色は濃く、黄緑玉は鉄分を含んで其色は稍々淡くあります。
 五、Sapphire、青玉、酸化アルミニユムの結晶したものでありまして、金剛石に次での貴い鉱物であります。
 六、Diamond、金剛石、炭素の結晶したものでありまして、其玉石の王である事は何人も知る処であります。
 七、Ligure、何んな宝石を指して云ふたものであるか分りません、古人の説に依れば野猫の尿水の固精したものであるとの事であります、美しい透明なる玉である事だけは確かであります。
 八、Agate、白瑠璃、水晶と同じ成分の鉱物であります、只其結晶の状を異にして居るまでゞあります。
 九、Amethyst、紫水晶、普通の水晶の紫色を帯びたものであります。
 十、Beryl、黄緑玉、第四緑玉の所を御覧なさい、二者共に硅酸、アルミニユム并にグルシニユムの化合物であります。
 十一、Onyv、縞瑪瑙、白瑪瑙に黒、灰褐色等の縞のあるものであります。
 十二、Jasper、碧玉、瑪瑙と同じ組成分の鉱物であります、其質は緻密にして不透明であります、其色は赤若(319)くは褐であります。
 以上十二個の玉の中で金剛石、青玉、黄玉のやうに貴いものもありますれば、又瑪瑙、紫水晶、碧玉のやうに余り貴くないものもあります、何れも其当時アラビヤ附近に於て獲らるべき宝石であつたに相違ありません、其内青玉はアラビヤ半島の南部なるハビラの地に産せしと云ひ、黄玉はエシオピヤ産のものが有名でありました 金剛石は印度或は阿弗利加の東部ソマリランド辺より来りしならんと云ひます、古代に於ける宝石の貿易に就ては以西結書第二十八章を御覧なさい。
 是は祭司の長がエホバの前に出てその聖旨に授からんとする時に彼の胸に掛けしと云ふ胸牌《むねあて》にはめられし石の名であります、其上にイスラエルの十二の支族《わかれ》の名が彫刻《ほりつけ》けられたとの事でありますから、何にか是には深い意味があつたのかも知れません、然し是はキリストが新約の血を灑《そゝが》れました後は無用に帰した者でありますから、今となりては深く探究する必要のない事柄であらふと思ひます、宝石は高位高官の徽章でありまして、祭司の長が其胸に総ての貴重なる宝石を掛けましたのは国民の中に在て彼の職務の最高貴のものであるのを表はしたのでありましやう。
 然しながら世が其終極に達して、神の救済が普く世界の民に及んで、苦痛は総て取り去られて、涙は凡て拭はれて、栄光の主が人類の王となりて、キリストの僕《しもべ》等は神を拝するに宮殿(教会)の要を感ぜざるに至る時に、彼等の為めに備へらるゝ新エルサレムの城邑《まち》の石垣の基址《もとゐ》は亦|各様《さまざま》の玉にて飾られるとの事であります、
 第一の基址は金剛石 第二は青玉 第三は赤玉 第四は緑の玉 第五は紅の瑪瑙 第六は黄色の玉 第七は薄き黄色なる玉 第八は水色の玉 第九は紅の玉 第十は翡翠《みどりのたま》 第十一は深紅《こきくれない》の玉 第十二は紫の玉なり、(黙示録第(320)廿一章十九、二十節)、
 是を審判の胸牌にはめられし宝石に比べて見まするに其の配列の順序に於て違つて居るのみならず、後に有て前に無い宝石も大分あります、第三の赤玉(Chalcedony)は純粋の玉髄でありまして、赤色の一種ではないやうに見えます、第五の紅瑪瑙(Sardonyx)は縞瑪瑙の一種でありまして、其中に赤条《あかすじ》の在るものであります、第七の薄き黄色の玉(Chrysoite)は橄欖石と称ふものでありましやう、第十の翡翠《みどりだま》(Cbrysoprase)は是れ又玉髄の一種でありまして緑色を帯びたるものであります、第十一の深紅《こきくれない》の玉(Hyacinth)は何んであつたか能く分りませんが、今日風信子《ひやしんと》石と申しますればジルコン鉱(Zircon)の事を称ふのであります。然し宝石の種類の差異は実は瑣細な問題であります、私共の注目すべき点は宝石の使用法にあるのであります、旧約時代に於ては祭司の長の胸を飾りし宝石は未来の黄金時代に於ては城邑の垣の基址に用ひらるゝとの事であります、即ち貴族高官の装飾品は平民の実用品となるとの事であります、即ち宝石は富家の専有物たらざるに至て国民の共有品となるとの事であります、殊に宝石が瓦礫視せらるゝに至る状を御覧なさい、是れ実に天国の状態ではありません乎、宝石が有り余て之を以て石垣の基趾となすに足るとは何んと裕福の状態ではありません乎、利慾の念を悉く取り去りし天国の市民は金剛石、青玉、翡翠を以て頭や指の飾を作らんとはせずして、之を以て城邑の石垣の土台を据えんと致しまする、今日でも尚ほ同じ事でありまして、真にキリストの救済に与かつた者は宝石を以て身を飾るを廃めて其資を投じて社会の公益事業のために使ひます、金銀宝石に身を扮《やつ》す如きは未だキリストの心を知つた者ではありません。
 斯くて宝石は宝石でなくなり、神のみが我等の宝となり、我等が天空《そら》に青玉の宝座を認め、青山に緑玉を以て(321)敷き詰めたる天然の座敷を見、夕陽に黄玉の大輪を賞し 此平々凡々の世界が真の水晶宮となつて、我等は真に神に救はれたる者と称ふを得べく、又我等は此世よりして実に十二の宝石を以て石垣の基址となせる天国の市民の生涯を楽む事が出来ます。 (以上、明治34・1・22〕
 
(322)     基督教の真髄(馬太伝第二十七章)
                     明治33年9月30日
                     『聖書之研究』1号「説教」
                     署名 内村鑑三
 
 基督教は非常に六ケ敷い宗教であると多くの人は思ひます、是を能く解するには深い学問を要し、大学者でなければ到底此教を解し得ない事と思ふ人が沢山あります、勿論是は易さしい宗教ではありません、世界の全智識を悉くしても未だ充分に解する事の出来ない宗教であり升、基督教の神学者の中に一は大哲学者もありました、大科学者もありました、大文学者大政治家もありました、然し今日まで彼等一人として基督教の奥義を悉く究めたと云ふ人はありません、基督教神学なる者は日本の青年や学者が之を蔑視するに関はらず、学問の中で最も六ケ敷い者であります、基督教は其経典の比較的に少いが故に極く簡易なる宗教であるなどゝ云ふ人は、未だ其一斑をも窺ふた事のない人であると思ひます。
 然しそれはさうとして、基督教の何たるか其最大教理の何たる乎は、之を知るに決して難くはありません、是は普通の人の誰も知り得る事でありまして、神学者でなければ知る事の出来ないなど云ふやうなものでは決してありません、それは太陽の輝くが如く明々白々なものでありまして、六歳の小児も之を解し得れば鴻儒大家と仰がるゝ人でも之に敬服せざるを得ない者であります、基督教の真髄を知るには別に神学校の教授を要しません、我々普通一般の平民でめ充分に其何たる乎を解し得るものであります。
(323) 然らば基督教の真髄とは何である乎と申しますれば、それは此馬太伝第二十七章に掲げてあり升基督の受けられし苦痛と此場合に処しての基督の行為とより他ではありません、即ち人の子の中で最も清く最も正く其一生涯の事蹟の中に一点の非難を加ふべき事のない人が、十字架の刑罰と称する人間が曾て受けし刑罰の中で最も惨酷なる最も耻辱多き刑に処せられしと云ふ事であります、極悪の人が極刑に処せらるゝは適当の事であると云はれませう、然るに極善の人が極刑に処せられしと聞いては我等何人も人生に就て大疑問を起さゞるを得ません、神の子にして人類の王たりしイエスキリストが受けし十字架の刑罰は事実として現はれたる悲劇の最も甚いものであつたと云はなければなりません。
 然るに是は事実でありました、一点の瑕瑾なきイエスキリストは人間の受けし最も惨酪なる刑罰に処せられました、然るに此人は此刑に処せられながら一の怨恨の念を懐きませんでした、彼は十字架に在て却て彼の敵人の為めに祈りました『父よ彼等を赦し給へ、彼等は其為す所を知らざるが故なり(路加伝第二十三章卅三節)』と、此忍耐、此寛容、此宥恕、是が基督教の真髄であらふと思ひます。
 最も正しき人が最も苦しき刑罰を受けしとの事であります、然らば我等如き※[衍/心]《あやまり》多き者欠点多き者が多少の艱難辛苦に遭ふのは甚だ適当の事でありまして、我等は之が為めに決して呟くべき者ではありません、我が艱難をキリストの受けし艱難に比べますれば実に九牛の一毛、大海の一滴に過ぎません。我れキリストの艱難を思ひ遣りて我は甚だ幸福のものである事を了ります
 ※[衍/心]なき基督が如斯苦痛を受けられしを思ふて、※[衍/心]ある我等が如何なる辛惨を嘗むるも決して恨むべきではありません。
(324) 基督は彼の敵を赦しまた、彼に七度を七十倍する宥恕がありました、怨恨復讐の念は彼の弟子たる者の決して懐くべきものではありません、我等は基督の愛を以て我等に罪を犯せる者を総て赦すべきものであります、※[衍/心]なき基督にして彼を十字架に釘けし者を宥されましたならば況して我等※[衍/心]ある者に於てをやです、我等は如何なる敵と雖も喜んで宥すべきであります、神の存在を知るも敵人を宥す事の出来ない者は基督信者ではありません、如何程基督教の蘊奥を究め、其数理に於て一も知らざる所なきに至るも心に長く怨恨の念を貯ふる者の如きは基督信者ではありません、神とは永久の宥恕でありまして基督教とは此宥恕を教へた宗教であります、人の罪を宥さない者、赦し得ない者は基督信者ではありません。
 
(325)     伯ろしい世の中
                      明治33年9月30日
                      『聖書之研究』1号「説教」
                      署名なし
 
 爾曹は世に在ては患難を受けん、然れども懼るゝ勿れ我既に世に勝てり(約翰伝十六章卅三節)
 世に何が伯ろしいと云て人世ほど伯ろしいものはありません、能く考へて御覧なさい昨日の友人は今日の敵です、昨日までは膝を組んで心事を語りし人が今日は讐敵となつて我が※[衍/心]を算へ立つるに至るのであります、世に何が伯ろしいとて斯んな伯い事はありません、人は亦他人は他人で兄弟は兄弟、親戚は別物であると申しますけれども、それは必ずしもそうではありません、世に兄弟喧嘩なるものがあるばかりではありません、或る時は兄弟が相合して敵人と共に私共を攻め立つる事があります、預言者エレミヤの兄弟がアナトテの人達と合して彼を攻め立てましたのも此一例であります、戦争なるものがあつて、人類が互に相屠り、死別なるものがあつて、最愛の父子夫婦も永遠に相分れねばならぬと思へば、人世に何んな好い事があつても、人世ほど伯ろしいものは他にありやう筈はありません。
 然し是が人世であります、是を信任慈愛の世の中と見たのが我々の誤謬であつたのであります、人の信任なるものは朝の雲の如きものでありまして、是は東風の吹くと共に消え失するものであります、骨肉の慈愛すら利慾の魔鬼の襲ふ所となりますれば忽ちにして憎悪の牙を顕はすものであります、頼るべからざるは人の心でありま(326)して、是を思へば我等此世に在て実に淋しく感ぜざるを得ません
 然しながら世が斯くも伯ろしい世であればこそ、神は無限の愛を以て之を愛し玉ひ、神の独子を降し玉ひてまでも世を救はんと為し玉ふのであります。故に私共は世の伯ろしいのを知れば知る程神の愛すべきを悟るのであります、私共は今日よりは世の伯ろしいのを欺くべきではなくして、其斯の如き世なるが故に神が一層深く其愛を顕はし玉ひし事を感謝すべきであります、実に神を知らずして此世を渡るのは悲哀惨憺の極であります。
 赤神を識て頼むべからざる人の心も稍々頼むに足るやうになります、我れ神を信じて自身を信ずる益々篤くなると同時に亦他人を信ずることも益々深くなります、他人の亦我に対することも同じやうになりまして真正の相互的信任なるものが起ります、人間の関係にして実は罪を赦されて神の子となりし者の如き深き篤き関係はないのであります、神を信じて始めて人世は稍々耐え易きものとなるのであります。
 それでありますから我々は益々伝道の必要を感ずるのであります、我々は何も我々の弟子を作らんとて伝道を致しません、我々は神無しの人世の如何に伯ろしいものである乎を知りますから少したりとも其苦痛を減殺せんとて伝道に従事するのであります。
 斯んな耐え難い世の中に生れ来まして愛なる神を知らない事は不幸の極であると思ひます、私共は余りに世の辛さを感じますれば神に依て之を救はんとの念を起すのであります。
 
(327)     東京独立雑誌廃刊の真因
                      明治33年9月30日
                      『聖書之研究』1号「雑感」
                      署名なし
 
 東京独立雑誌が廃刊になつたればとて種々の臆説を立てる新聞記者や雑誌記者があつた、余輩は区々たる此小雑誌の廃刊が斯くも世間の評判の種となりしを見て実は意外千万に感じた、余輩は此雑誌が斯くも広く世間に知れ渡つて居つたとは自分でも知らなかつた、匿れたる者にして顕はれざるはなしとの事で、角筈村の隅から出て居つた斯雑誌も世間に多少の勢力を持つて居つた事は其廃刊を俟つて始めて知る事が出来た。
 然し余輩の見且つ聞いた所では未だ一人も其廃刊に至りし理由を明白に述べた者はないと思ふ、成程夫れには種々込入たる事情もあつたに相違ない、或は其廃刊に多少の悪感情の附随して居つたに相違ない、然しながら区々たる私情が其原因でなかつた事は能く解かつて居る、雑誌の廃刊になるのは国の亡びるのと同じ事で是は彼人の罪、是人の罪と云ふのではなくして、之には超人為的の理由があるのである、我等は物を判断するに常に此観念を以てせねばならない。
 東京独立雑誌は積極的真理の不足の故を以て廃刊に帰したのである、勿論其記者は心に此種の真理を蓄へない者ではなかつた、彼等は破壊を以て一種の積極的事業であると今でも信じて居る者である、然しながら此雑誌の起りし時が消極的真理の必要の時であつた、即ち公平なる態度を以て社会の暗黒的半面に鉄槌を加へねばならぬ(328)時であつた、其多少世に歓迎せられしは全く此時勢の必要に応じたからであつた、然しながら如何に日本国の社会なればとて之は立留りの社会ではない、日本国の社会でも多少は進歩する、多少どころではない、世界広しと雖も日本の社会ほど劇変する社会はない、日本に於ける三年は支那や英国に於ける三十年の変動を呈することがある、明治三十三年の日本は同三十年の日本とは大分違て来た。
 真理は勿論時勢と共に変遷する者ではない、然れども其応用に至ては時と場合とに依て異なる者である、悪を責むる時もあれば善を奨励する時もある、美術を奨励すべきレナセンス時代もあれば、之を破壊すべき清党時代もあつた、同一の真理が或は殺し、或は活かす事あるは何人も能く知つて居る所である。 東京独立雑誌は世の暗黒時代に生れた雑誌であつた故に、少しく光明の世に顕はれ来りし時に至ては其存在の理由はそれ丈け減少して来る訳である、勿論月や星は昼が来ると共に不用に成るべきものではない、夜は亦遠からずして来るものであれば東京独立雑誌の必要も亦遠からずして来るものであると思ふ、然しながら梟ばかりが神の造り玉ひし烏ではなくして鳥類の中には雲雀もあれば鶴もある そして我等詩人たる者(雑誌記者は詩人なり)は夜は梟の眼を以て見、昼は雲雀の声を以て囀るべき者と自から信ずるものである。
 日本の社会は殆ど失望の極に達して今は希望を要する時代となれり、其罪悪は摘指せられて全躰一点の真生命を留めざる耶の感あるに至れり、日本の社会を憎みし余輩も今は深く之れを憐むに至れり、彼に対する余輩の感は哲人トイフエルスドロツクの罪人に対する感あるに至れり。
 他の眼を以て余は亦余の同胞を見るを得べし、無限の愛を以て、無限の憐憫を以て、憐むべき迷へる人類よ、汝も亦我の如く試みられ且鞭打たるゝ者ならずや、汝の王たると乞食たるとに関はらず、常に疲れ且つ重荷を(329)負へる者ならずや、而して汝の有する唯一の休息の床は地下の墓場のみならずや、嗚呼我兄弟よ、我が兄弟よ、何故に我は汝を我が懐に匿し、汝の眼より凡ての涙を拭ひ得ざる乎。
 我の日本の社会を鞭しは之を殺さんが為めにあらずして、之を活さんが為めなりき、我の憤怒は我の愛心に基せしなり、我は元情夫が其愛人に於ける愛心を以て我が日本を愛せし者なり、而して我は今日より我が愛人を慰めんと欲する者なり、我が言ひ難きの艱難を忍び、友に誤解せられ、或は罵詈せられ、骨肉に迄で捨てられても再び東京独立雑誌を今日に於て復活し能はざりしは我が衷にある愛心が憤怒の情に勝ちて、我をして再び夜叉たり閻魔たるを得ざらしめしに因るなり、今は我が衷に存する女性は男性を圧せり、我は今は愛し得て憎み得ざるに至れり、泣き得て怒り得ざるに至れり、我は今は我が民の傷を癒さゞれば息ひ能はざるに至れり。是れ東京独立雑誌廃刊の理由なり、而して是れ亦此『聖書之研究』雑誌の発刊の理由なり、其之に伴ひし外面の出来事は細事のみ。
 
(330)     誤解と疑察
                     明治33年9月30曰
                     『聖書之研究』1号「雑感」
                     署名なし
 
 誤解に誤解に誤解に誤解、国は国を誤解し、政府は政府を誤解し、父は子を誤解し子は父を誤解し、兄弟相誤解し、友人相誤解し、此美はしき宇宙に棲息しながら誤解の暗霧の中に彷徨して憂愁の中に月日を送る、世にもし誤解てふものなかりせば此世は如何に好き世なるぞかし。
       *     *     *     *
 疑察に疑察に疑察に疑察、己れの心を以て他人を測り、他の欠点を挙げて自己の潔白を装はんと欲す、疑鬼は国家を亡し、社界を毒し、友人を離間し、家庭を紊乱し、楽園をして地獄たらしむるの力を有す、軍隊恐るゝに足らず、疾病恐るゝに足らず、恐るべきは実に吾人の心に疑察念を醸す疑鬼なり、若し此世より全然疑鬼を排除するを得んか、其清浄は期して俟つべきなり、
       *     *     *     *
 誤解は弁明を以て解くるものに非ず、疑察は疑察を以て応ずべきものに非ず、誤解は行為を以てのみ解き得るもの、疑察は信任を以てのみ応ずべきものなり、誤解と疑察とを以て苦しむ日本の社会は勇敢なる行為と確乎たる自信を要するや大なり。
(331)       *     *     *     *
 篤く神を信ずるが故に人の誤解する処となりて懼れず、人に善性の存するを信ずるが故に其悪を視て彼を捨てず、誤解を正すに正行を以てし、疑察に酬るに信任を以てす、神を信じ基督を信じて吾人は容易に誤解と疑察との夭霧を排するを得るなり。
 
(332)     〔創世記第一章−第八章〕
                明治33年9月30日−36年1月15日
                『聖書之研究』1−31号「研究」「註解」
                署名 内村鑑三
 
    創世記第一章
 
 第一節 元始《はじめ》に神天地を創造《つく》り給へり。
 儒教の総ては学而の一節に籠り居るとは余の曾て聞きし所なり、正当に之を解せば或は然るやも知れず、創世記は基督教聖書の最始の書にして其第一章第一節は其内に基督教の総てを含み居るやも知れず、其深淵量るべからざるの言なる事は之を一読して明かなり。
 「元始」は何の始め乎、若し始めあれば終なかるべからず、是れ神の存在の始めにあらざるは明かなり、そは始ありて終ある者は神にして神にあらざればなり、神は造て造られざる者なり、生んで生れざる者なり、始あるものは神にあらず、「元始」の一言の神に関係なきは勿論なり、
 然らば何の「元始」か、
 勿論天地の始めなり、此広大無辺の宇宙、是れ木の如く、草の如く、人間の如く、蜉蝣の如き姶ありて終りある者、即ち造られし者にして終には消ゆる者、即ち時限的のものなり、既に「元始」と云ふ、是れ其の曾て存在(333)せざりし時ありしを証明するの言なり。
 「神」、在て在る者、在さゞる処なきのみならず、在さゞりし又は在さゞらん時のなき者、霊にして又力、義にして又愛、言行一致して其言や行はれ、行はずしては言はざる者、唯一の完全者、万物の造主、人間の父にして又其友、天と地と其内に在る総てのものは如斯き者の造り給ひしものなり。
 神! 彼は実に存在する者なる乎、彼が宇宙を造りしとの証拠は何処にあるや、世に無神論を唱ふ者多きに非ずや、誰か肉眼を以て神を見し者ぞある、神が宇宙を造りしと云ふ、妄誕も亦甚しからずやと、然れ共創世記の記者は如斯き無益なる問題には頓着せざりしなり、彼は子が父の在るを識りしが如くに神の在るを知れり、彼に取りては神の存在ほど確かなる事実はなかりしなり、宇宙は幻なるやも知れず、然れども実の実は神なり、神の存在を疑はん乎、是れ存在其物を疑ふ事にして、神を信ぜずして実は確信なる者はなき筈なり、創世記々者は哲学者に非ず、又神学者にもあらざりしなり、彼は先づ神の存在を証拠立て然る後に彼の記述に着手せざりしなり、彼は神の実在を自明的真理《セルフエピデント》として受けたり、彼は或は迷信家なりしやも知れず、然れども彼が今日世に称する疑ふのみにして曾て信ぜしことなき哲学者の類にあらざりしは明かなり、
 若し神の実在が自明的真理なりとせば、何故に何人も直に之を信ずるに至らざる有神論者の小数にして無神論者の多数なるは是れ何の故ぞと、是れ吾人の屡々耳にする質議なり。
 人が神の実在を認め能はざるは彼の脳力に不足あるが為めに非ず、大学院に入て哲学を修め得る者が必しも神を認め得る者に非ずして、正直に農業に従事する昔時の予言者アモスの如き者が最も能く神の事に就て識る者なり、神は推理《ロジツク》にはあらざるなり、神は霊にして真《まこと》なり、故に霊ならず真ならざる者は如何に透明なる脳漿を有す(334)るにもせよ神を認むる事能はざるなり、利慾主義の哲学者はドコまでも利慾主義を主張す、余は未だ哲学に由て主義を更へし人のありしを知らず、彼れ或は非常の困難に際会して、或は積善家の愛心に感じて彼の主義と哲学とを変更するに至りし事はあらん、然れども単に推断(Ratiocination)に依てのみ神は認めらるべき者に非ず。
 「愚かなる者は心の中に神なしと云へり、彼等は腐れたり、善を行ふ者なし」と(詩篇第十四第一節)即ち聖書記者の説に依れば神の存在を信ぜざる者は愚かなる者腐れたる者なりとなり、言甚だ独断的に似たり、然れども能く其真意を探りて、記者の此言の真に事実に近きを知るべし、真に正義にして真に真面目なる者、真に愛心深くして真に無私なる者、真に人の書を思ふて其悪を意はざる者にして、神の存在を聞いて之を否む者あるべからず。
 「天地」 現象的宇宙の総て、天と地と其内にある総ての者、星と日と月とは勿論、地と其内に在る総ての鉱物と植物と動物と、而して人と彼の中に宿る霊魂と、是れ総て神の造りしものなりとなり。
 「創造り給へり」 希侶来語の Bara なり、創造の意なり、既に存在せるものを取て之を改造せりとの意にあらずして、天地万物を創作せりとの意なり、工匠が木と石とを以て家を作るが如くにあらずして、美術家が粘土を取て像を作るが如くに非ずして、彼の一言を以て、彼自身の中より神は天地を造り給へりとの意なり、Bara 必しも無より有を作りしとの意にあらざるべし、そは既に神在て後の創造なれば、是れ絶対的の創始にはあらざるなり、然れども神の創造の人のそれと異なる点は人は僅かに比較的にのみ創作的なるに止て絶対的に然る能はざるに比して、神は何人にも何物にも頼ることなく、自身、彼れ自身より総てのものを作り給ふなり、世に絶対的に独立なるものは神のみにして亦絶対的創作者たり得る者は彼のみ、神は一の宇宙を改造して他の宇宙を作り給(335)はざりしなり、彼は亦彼れ以外に存在すを者を取て彼の宇宙を作り給はざりしなり、又天地は神の造りしものなり、神自身又は神の一部分にはあらざるなり、神の作りし者なるが故に神聖なるは勿論なれども之を神なりとは云ふを得ず、神聖なることと神とを混同する者は物と物の性質とを混同する者にして如斯き者は反て神を涜す者なり、偶像崇拝の非理は此に存す。
 「元始に神天地を造り給へり」、此一節に基督信者の宇宙観と人生観の一部とあり、宇宙大なりと雖ども神に造られしもの、故に神が之を変更し、又は改造し、又或る場合に於ては其運行を中止し又は早め得るは勿論なり、こゝに於てか奇跡《ミラクル》なるものゝ信じ難き者に非るは明白となるなり、神に造くられたる宇宙が神の支配を受くるは当然にして、彼が一言の下に其波を静め、其地球の回転を一時中止したればとて決して怪しむに足らざるなり、基督教は宇宙万能説を取らず、基督教は神は宇宙の上に立つ者なるを知るが故に、其信者は神に依頼して宇宙の奴隷たらざるを得るなり、既に神の造りし宇宙、然れば是れ我父の園にして、我其中に住して恐怖ある可らず、我れ吾国を去て他国に行かんか、神必ず其所にあり、我此地球を去て木星又は水星に至らんか、彼必ず其処にあり、彼はオライオン星にあり、ブライアデス星にあり、而して遠く此宇宙を離れ他の宇宙に至るも我が父は亦其処にあり、神と和し神の子となりて、宇宙は美はしき楽園となり、我れ其所に彼の偉業を讃へ、口に彼の栄光を唱へながら死の睡眠に就く時は彼は再び彼の聖手に我を受けて、新らしき天地新らしきエルサレムに我は永久に彼の聖名を讃ふるに至らむ。
 
 第二節 地は定形なく曠空くして黒暗淵の面にあり、神の霊水の面を覆ひたり。 〔以上、9・30〕
(336) 「地」、此堅き地、岩を以て骨となし、川を以て脉となし、海を湛え、気を以て包まるゝ地球、週囲二万五千哩の大固形躰、天地の元始に方ては是れ如何なる物躰なりしぞ。「定形なく」、固形躰ならざりしのみならず、液躰ならざりしのみならず、地に形として認むべきものは一として存せざりしなり、定形なしとは無形の意にあらず、希伯来語のトーフー(tohu)に荒廃の意あり、又虚無を意味する事あり。
 「曠空しく」、ボーフー(bohu)、其原意に於てトーフーと異なることなし、二語相合して茫漠の甚だしきを示す、物の混沌たるを希伯来語にては「トーフー又ボーフー」と云ふ、社会混乱の状を示すに亦此聯語を用ゆることあり、(以賽亜書第三十四章十一節参考)。
 「黒暗」、光明の不足にあらずして、其皆無の状態を云ふ、神未だ光を呼び起し給はざりし時なれば、其闇黒の状は吾人の想像以外にあり、絶対的暗黒、星なく月なかりしのみならず、波濤の揚がると同時に海面を照らす燐光すらもなかりしなり、或は此状態を称して固形的闇黒と云ふことあり、即ち闇黒其全部全体を占めて、色なく光なく、暗き事錬銕の一塊、内に一罅の空虚を留めざるが如し。
 「淵」、河海又は沼沢の淵を云ふにあらず、此時未だ水の乾燥を潤すなく、河の生命を供するなし、淵は混沌の淵なり、底無き暗き空間の淵なり、其深き事限りなく、其凄き事限りなく、岸有て青苔の之を装ふなく、底有て砂礫の水を遮るなし、曠空の淵は無限より無限に渉りて、整育秩序の希望の絶えて其中に存するなし、山あり、川あり、花あり、泉ありて吾人の心身を歓ばす此宇宙も其元始は如斯き空漠の淵たりしなり。
 「神の霊水の面を覆ひたりき」、茲に云ふ水とは水素と酸素との化合物を云ふにあらず、そは此時未だ水なる者は造られざればなり、水は淵に対して云ふ、万物猶ほ曠空混沌の状態にありしを形容して云へるなり、恰も英(337)語の fluid なる詞の如し、必しも液躰を指すの詞にあらずして、瓦斯躰にして其分子の流動する者をも亦此詞を以て示す事あり、希伯来語のマイーム(水)にも亦此意味ありと云ふ。
 「覆ふ」は鶏が翅を以て其雛を覆ふの状を示すの詞なり、即ち愛育の意にして意味深長計るべからず。
 地は茫々漠々定形なくして空虚の如く、黒闇深淵を包みて(面にあり)万物混沌を極めし時、神の霊は牝鶏が翼を以て其雛を覆ふが如く、此暗き、希望なき、秩序なき、元始の宇宙を覆ひたれば、之に開発、啓導、進歩、改善の希望は存せしなり、神は凡てわ秩序の真元なり、神ありて平和あり、調和あり、美術あり、音楽あり、物質は其本性に於て戦乱的なり、之をして其本性の儘たらしめんか、整理なるもの其中より来るなし、神の霊の其中に注入せらるゝ丈け夫れ丈け物質は和合一致するなり、造化が其完全に達する時は神の霊が之を透通する時にして、進歩の多寡は此透通の度如何に依るなり、神の霊が僅かに其表面を覆ひし時は宇宙が混乱を極めし時にして、同一の霊が其真髄をまで感化せし時が其新天地となりて、新婦の如くその天より降る時なり、然れども如何に混乱を極めし時と雖も神の霊の之を放棄せし時はあらざりしなり。
 慰めよ、宇宙、慰めよ、人類、闇黒汝の面を覆ひ、汝に一点の希望の存せざる時、汝に一定の目的なく、汝は唯無限の淵に輾転する時、汝の父の霊は汝を覆ひ、汝を導きて汝をして終に光明の域に至らしめん。
 
 第三節 神光あれと言ひ給ひければ光ありき。
 整理第一着は光の現出にあり、其如何なる方法に出づべき乎は猶ほ未だ問ふべき所にあらず、先づ光明をしてあらしめよ、然らば秩序は始まらん、黒暗の宇宙に希望現はる。光なり、是を発する太陽にあらず、星にあらず、(338)かの黄道光《ゾジヤカルライト》の如きもの、或は彗星の後に従ふ長尾の如きもの、分子の衝動に依て生ずる微光なりしならん、黒暗静止の宇宙に運動の与へられて、分子は分化を始めて、光《ひかり》是が為めに発す。
 神に在ては言へば行はる、彼の力は彼の意志に伴ふ、彼は思ふて行ふ能はざる吾人人類の如き者にあらず、行はざらんと欲せば言はず、言へば行ふ、神に在ては彼の言を実行するに足る総ての力備はる、意志と行動との一致は最も完全に神に於て現はる。
 
 第四節 神光を善と観たまへり、神光と暗とを分ち給へり。
 「善と観たまへり」、満足し給へり、彼の聖意に適へりと認め給へり。
 光明なり、暗黒なり、光明は暗黒の裡に有て、其一小部分たるに止まりしも、然かも明は明、暗は暗、二者相混同して、黄昏薄暮の状を呈せず、朦朧たるは神の嫌ひ給ふ所、分化は天然の恒則にして亦神の聖旨なり。
 
 第五節 神光を昼と名け、暗を夜と名け給へり、夕あり、朝ありき、是れ首《はじめ》の日なり。
 昼と夜、光明の域と暗黒の世界、明きは昼にして神と義人との愛する所、暗きは夜にして悪魔と獰人との要むる所なり、光に昼なる名誉の名を授け、暗に夜なる汚辱の名を附し給ふ。
 「夕あり、朝ありき、是れ首の日なり」、ユダ人の一日は日没を以て始り、日没を以て終る、故に夕を先きにして朝を後にせりと云ふ人あり、然れども是れ未だ聖語の真意を穿ちしの解釈にあらざるべし。
 黒暗を以て始り、光明を以て終り、絶望を以て始り、希望を以て終る、神の行為に総て此順序あり、希望を約(339)して失望に終らしむるが如き、栄光の冠を戴きて、後に恥辱の死を遂ぐるが如き、平和と繁昌とを宣言して戦乱と貧困とを来すが如きは神の決して行し給はざる所なり、「歓喜は朝来る」Light cometh in the morning 戦闘の暗夜去て後に平和の昼は来るなり、若年を貧苦の中に過して老年を喜楽の中に送る、夕を以て始り、朝を以て終る、是れ善人の生涯にして亦神の事業の順序なり、夕陽西山に没して黒暗吾人の天地に臨む時に、吾人に新期限は臨《きた》るなり、夜は長からん、其戦闘は烈しからん、然れども歓喜は朝と共に来る、夕あり朝ありて、宇宙も吾人も歩一歩を進めしなり。
 「首の日なり」、第一日と読むべからず、初期なりとか、手始なりとか、開始、発端の意を以て読むべし。「日」は廿四時間の一日にあらざるは明かなり、此時未だ太陽なく、地球なく、吾人の今日称する時間なる者はなかりしなり、聖書に於て「日」なる詞が時期又は期限の意を以て用ひらるゝ事は度々なり、哥林多前書五章五節に主イエスの日に救を得せしめんとあり、是れ彼の来らん時の意なるは明かなり、或は「神の震怒の日」と云ひ、又は単に「主の日」と云ふ、共に神が世を裁判くの日を云ふものにして、二十四時間の時限を指すものにあらず。
 
 第六節 神言ひ給ひけるは水の中に穹蒼ありて水と水とを分つべし。
 「神言ひ給ひけるは」、其将さに就《な》らんとするの兆なり。
 「水中に」、万物未だ流離して一定の形をなさず、其輾の滑かなる、流水の盤中に動くが如し、前述英語の fluid を参考せよ。
 「穹蒼」希伯来語のラキヤー rakiah なり、之を穹蒼(firmament)と訳すべきかは学者間に存する問題なり、(340)希伯来人の天文説に依れば天は堅くして鋳たる鏡の如きものにして、日月星辰は其実体の中に鏤められ、之に窓ありて雨は之を通して降る、或は天を幕屋に此することあり、詩編に「汝光を衣の如くに纏ひ、天を幕の如くに張り」とあり、勿論地球中心説より打算したる説なれば其今日の科学と符合せざるは茲に之を言ふを要せず。
 然れどもラキヤーは必しも穹蒼と訳すべきの詞にあらず、原語に「打ち伸ばす」、「敷衍する」等の意あり、亦「稀薄」の意を存す、故に或る学者は之を訳するに単に広遠又は闊大(expanse)の詞を以てせり、其孰れが当を得たる訳字なるかは吾人の今日判定し得る所にあらず、そは太古時代に在ては言語の不完全なるより著者たる者は同一の詞を以て数多の意味を言ひ顕はさゞるを得ざればなり、余は古字を牽強附会し以て之を近世科学の学説に符合せしめんと努めざるべし。
 然れどもラキヤーの真意味は何であれ、之に依りて天躰の分子と地躰のそれとが相分離するに至りしは明かなり、而して此現象たる宇宙分化の一進歩たりし事は近世科学の充分に認る所なり、先づ同質の分子宇宙に散在し、光、其裏に現はれ、終に別れて天と地とになりぬとなり。
 
 第七節 神穹蒼を作りて穹蒼の下の水と穹蒼の上の水とを別ち給へり、即ち斯くなりぬ。
 第六節は命令にして第七節は実行なり、重複の如くに見えて実は意義を強むる大なり。
 
 第八節 神穹蒼(ラキヤー)を天と名けたまへり、夕あり、朝ありき是二日なり。
 茲に天地の判然たる別は成れり、明暗の別に続ぎて第二の進化なり、夕あり朝ありて是を造化の二日と称すべ(341)し。
 
 第九節 神言給ひけるは天の下の水は一処に集りて乾ける土顕はるべしと即ち斯くなりぬ。
 地躰は天躰より離れて、凝結順を逐ふて進み、気躰は水躰と成り、水躰は固躰と成れり、茲に於てか気界、水界、陸界の区別は判然たるに至れり、一時は水、全地を掩ひしも地の冷却と共に其表皮に皺を生じ、水は一処に集りて海となり、土は其内より顕はれて陸となれり。
 
 第十節 神乾ける土を地と名け水の集れるを海と名け給へり、神これを善しと観たまへり。
 前に明暗の別を定め、後に天と地とを分ち、今亦海と陸とを判別し給ふ、神之を昼と名け、夜と名け、天と名け、地と名け、海と名け給ふとは、之が区劃を定めて之を彼の支配の下に置き給ひしとの意なるべし、彼後に人を造り給ひて、彼(人)をして諸ての家畜と天空の鳥と野の諸ての獣に名を授けしめ、「アダムが生物に名けたる所は皆其名となりぬ」、(第二章十九、二十節)とあり、是れ即ち人をして鳥と家畜と昆虫とを治めしめんとの神の聖意に適はんためなり、之を命名するは之を我が属《もの》となすの意なり、人は彼以下の諸生物を支配するの権理を与へられしも、暗明、天地、水陸は彼の統治以外に在り、是れ神の直接に支配し給ふ所のもの、暗黒は彼の前に消え、怒れる海は彼の命を聴きて静まる。
 神は大能を帯び、その権力に由りて諸の山を固く立たしめ、海の響、狂瀾の響、諸《すべて》の民の喧囂を鎮め給へり。(詩篇第六十五篇六、七節)
(342)イエス起きて風を斥《いまし》め且海に静まりて穏かになれと曰ひければ風止みて大に和《なぎ》たり、かくて彼等に曰ひけるは何故かく懼るゝや、爾曹何ぞ信なきか、彼等甚しく懼れ互に曰ひけるは風と海とさへも順ふ是誰なるぞ耶。(馬可伝第四章三十九節以下)。
昴宿及び参宿を造り、死の影を変じて朝となし、昼を暗くして夜となし海の水を呼びて地の面に溢れさする者を求めよ、その名はエホバと云ふ。(亜麼士書第五章八節)
 
 第十一節 神言給ひけるは地は青草と実※[草がんむり/(瓜+瓜)]を生ずる草蔬と其類に従ひ自から核を有つ所の樹を地に発生すべしと、即ち斯くなりぬ。
 海陸の別成つて、陸上に草木顕はる、春草(deshe)草蔬(eseb)核を有つ所の樹(en-peri)の三種は植物学的に如何に区分すべきものなるや今之を審にする能はず、或人は曰ふ青草と訳せられし原語は植生一般を意ふものにして、之を草蔬(herb 草本)果実を結ぶ樹(tree 樹木)の二種に分てるなりと、或は然らむ。
 「自ら核《たね》を有つ」、訳語不明なり、「核を其内に蔵むる果実を供する樹」の意なり、高等顕花植物を指して云ふなり、
 地は植物を発生すべしとありて神植物を創造り給へりと言はず、蓋し植物は生物の最下等に位するものにして、地と動物との間に介して、前者を化して後者の餌料となすの地位にあるが故なるべし、車中創造(bara)造作(asah)の二語ありて、造化に顕はれたる神の力の強弱を示す、彼は地をして植物を発生せしめしも、天地を創造り、其像の如くに人を創造り給へり、植物勿論地が神の力に頼らずして独り自ら生ぜしものに非ず、然れども(343)地をして生ぜしめし植物は神の創造り給へる禽獣人類の如くに神の造化力を要せしものにあらざるは明かなり。
 地作つて青草其面に顕はれ、曠空たりし宇宙に今や新生命を迎ふるの準備は成れり、夕あり朝ありて造化の三日は終りぬ(十二、十三節略す)。
 十四、十五節 神言給ひけるは天の給蒼に光明ありて昼と夜とを分ち、又天象のため、時節のため、日のため年の為になるべし。又天の給蒼にありて地を照す光となるべしと、即ち斯くなりぬ
 地は将に完成を告げんとし、植生其面に表はれし後に天の諸躰成るとは妄誕も亦甚だしからずやと云ふ人あり、然れども是れ創世記々者が地の観察点より天躰顕出の順序を録せしに止る、聖書は科学を教ゆるの書にはあらざれども、此一事は最も善く科学の教示に適へりと云ふべし、所謂石炭時代と称して植生の蕃茂其極に達せし頃、地上の蒸気は概ね凝結し永久の雲霧は地の表面より去りて日月星辰は始めて天空に顕はるゝに至れり、若し地の発達の順序より言へば天躰の顕出は当に此時にあるべきものなり。
 人或は言はん、地は宇宙に於ける一小点たるに過ぎず、故に地は太陽の為に造られたりと言ふを得るも太陽は地の為に造られたりと言ふを得じ、天の諸体が皆な悉く此微小なる地のために造られしと云ふは是れ古代の地球中心説に伴ふ迷信の一ならずやと。
 然れども地の歴史を講ずるに当て万物を地の観察点より講ずるは決して不当の所為に非ず、殊に物の真価は其大小を以て定むべからざるに於てをや、太陽は地球に百三十万倍するの物躰なり、然れども之に桜てふ麗花の咲くなく、鶯てふ佳鳥の囀るなく、人類てふ貴重なる生霊の住するなく、随て之に文学なく美術なし、ナイル河辺(344)一条の耕地はサハラの砂漠三百万方哩よりも貴重なるにあらずや、地は人のために造られ、天躰又地のために造らると云ふも未だ必しも妄誕無稽の言と称ふを得ざるなり。
 「天象《しるし》」 黄道十二宮の天象を云ふなり、蒼穹に於ける太陽の位置を定む、之を以て年は月に分たれ、四期支干の別あり。
 
 第十六、七、八、九節 神二の巨なる光を造り大なる光に昼を司らしめ、小なる光に夜を司らしめたまふ、また星を造り給へり、神これを天の穹蒼に置て地を照さしめ、昼と夜とを司らしめ光と暗とを分たしめ給ふ、神之を善と観給へり、夕より朝ありき是四日なり。
 此処に天躰の創製を記せしは造化の順序よりしてこれを為せしに非ず、恰も三日目に植物の発生を記せしも其高等なるものは猶ほ後日に至て作られしが如し、創世記々者は造化の結果を示して其順序の詳細に渉らず、唯言ふ此時期に当て天に顕はれし日と月と星とは亦神の造り給ひし者にして、是れ地と人類との用をなすべきものなれば、人の之を拝し、神とし之に事ふべきものにあらずと、蓋し古代の民にして天躰を祭らざるものなく、バビロンの宗教なるものは概ね皆天躰崇拝にして、金星はイスターとして祭られ、太陽はシヤマスとして、月はシンとして民の敬崇を受けたり、此時に方て大胆にも諸天躰の人類の用を為すべきものにして、人の之に屈服する者にあらざるを教へし人は実に卓見の人と言はざるを得ず、天然崇拝を其根底に於て断ち、人をして宇宙の主人公たらしめて其下僕たらざらしめし者は実に神の黙示に因て成りし此聖書なりとす、此大教義を人類に伝へんがためには聖書は多少の科学約不明を厭はず。
(345) 「大なる光に昼を司らしめ、小き光に夜を司らしめ給ふ」と、語何んぞ詩歌的なる、日出て昼となり、月出て夜と成るとは是れ太古蒙昧時代の民なりと雖も教へらるゝの要なき事実なりしなるべし、然るに特にこゝに之を記せし記者に他に目的なくんばあらず、
 然り余は能く大光を以て昼を司らしめ給ひし神の聖意を解す、然れども小光を以て夜を司らしめ給ひし神の慈愛に至ては余の推測以外にあり、若し夜にして全くの暗黒ならん乎、惨憺寂漠何物か之に過るものあらんや、恰も頭上に黒板を伸べしが如きの状、晦瞑の真に一点の希望なく、日入てより日出るまで、宇宙は再び黒暗の淵と化して、夜来る毎に吾人は深淵の恐怖に圧せられて、青天の光輝もために其喜楽を失するに至らん 然れども神は夜の来ると同時に吾人を去らず、彼は蒼穹に月と無数の星とを懸けて黒暗の中尚ほ神助の灼々たるを知らしめ給ふ。
 夜然り、死亦然らざらんや、生命の太陽は没するならん、生を司るの太陽あらば死を司るの月と星と無からざらんや、黒暗の天に月と無数の星とを散布して夜をして希望と平和との時たらしめし神は死をして亦然かせざらん乎。
 
 第廿節 神言給ひけるは水には生物饒に生じ、鳥は天の穹蒼の面に地の上に飛ぶべしと。
 植物に次で地に顕はれし生物は水棲動物なり、即ち珊瑚、海百合及び軟躰動物の類にして、其饒多なるの状は今日尚ほ熱帯地方の海底に於て見るを得べし、其他魚類は先づ硬鱗類を以て顕はれ、爬虫は水陸両棲類を以て始まれり、造化の階段に於て水棲動物は全躰に陸棲動物の下に位する者にして其の発顕の順序に於ては前者は後者(346)に先んぜしものなるは近世科学の発見を俟て始めて知られ得し事実なりとす。
 魚と爬虫とに次で鳥類現はると、是亦能く天然的発生の順序と符合す、先に爬虫にして飛機を備えしもの現はれ、後に鳥類にして尾骨を備えしもの出で、終に羽族今日の完全を見るに至れり。
 
 第廿一節 神巨なる魚と水に饒に生じて動く諸ての生物を其類に従ひて創造り、又羽翼ある諸ての烏を其類に従ひて創造り給へり、神之を善と観給へり。 「巨なる魚」tanninim 巨獣、異形の動物なり、必しも魚類に限らず、或は長さ八十尺に達せしと云ふ Hadrosaurus の如き者を云ひしならんか、其他蛇首魚体の Elasmosaurus の如きを指せし者ならん乎、海中に巨獣ありとは古代より人の一般に信ぜし所、今日尚海蛇にして長さ数哩に達するものありと信ずる人あり、亦|〓魚《がくぎよ》の如き、鯨魚の如き其動物学的に魚類に属すべからざるものなるも亦此「海中の巨獣」の中に数へられしなるべし。
 「水に饒《さわ》に生じて動く諸の生物」、単虫類、滴虫類、水母類、硬殻類、烏賊、鯣、章魚、鸚鵡螺等の軟鉢動物類、鰊、鰛、鰍等の総ての魚類、総て水中に生息する有るを凡ゆる動物、水は彼等を以て充たされ、其饒多なる事顕微鏡下の一滴に尚ほ数百千の動物の群衆するを以て知るを得べし、滄海無窮なるが如しと雖も是れ亦生気の充満する所、千尋の底亦死陰の谷にあらず。
 水界然り、気界亦然り、水中に鰭を有するものありて気中に羽翼を有するものあり、神の霊は宇宙に充満す、到る処として生ならざるはなし。
 神は魚と鳥とを「創造り」給へりと、あり、地をして植物を「発生《いだ》」さしめしが如くならず、地上に於ける動(347)物の発顕は神の特別の姶造に因りしものなるを示す、本能、意志、智能を有する動物は僅に栄養力を備えたる植物に比して全く類を異にす、動物の創造を俟て生命は其固有の性を以て此地に臨めりと称ふを得べし。
 
 第廿二、三節 神之を祝して曰く生めよ繁息よ、海の水に充てよ、又禽烏は地に蕃息よと、夕あり朝ありき是五日なり。
 動物に至て始めて神の祝福あり、是れ造化の偉業の其終結に達せんとしつゝあるの兆なるが如し「生めよ、繁息よ」と、生物の蕃殖力に驚くべきものあり、鱈魚は一尾にして四百万粒の卵子を産す、若し之をして悉く孵化するを得せしめば二十年を出ずして一尾の雌魚より地球の重量に五百万倍するの鱈魚は産すべき筈なり、穹蒼有て之を飾るの星なかりせば宇宙は曠空の淵たるのみ、海有て之を充たすの魚なかりせば是れ「死海」の苦きに過ぎて四辺に荒癈を来たすの類なるべし、天の面に烏飛ぶなくんば吾人の頭上亦寂漠たる虚空たらん、生々たる宇宙の其内に生物の充満するが故に吾人は此地を称して「生者の地」とは云ふなり、斯くて死せる岩石より成りし地球が生物の棲家となるに及んで造化の五日はまた希望の朝を以て終れり。 〔以上、11・24〕
 
 第二十四節 神言給ひけるは地は生物を其類に従て出し、家畜と昆虫と地の獣を其類に従て出すべしと即ち斯くなりぬ、
 「生物」、地の生物なり、第二十節に於ける水の生物に対して云へるなり、〇「昆虫」、希伯来語の remesh の訳詞としては甚だ不適当なるものなり、之を利未記第十一章四十二節に於けるが如く「四足にて歩く者」と読む(348)べし、ゲセニユス氏の説に依れば remesh は鼠の如き小哺乳動物を意味する詞なりと云ふ、〇「家畜」は馴れたる動物にして「地の獣」は野獣なり、勿論人の未だ造られざる前に家畜の有るべき筈なけれども、是れ家畜たるべき獣類を指して云へるは明かなり、獣類全躰の受造を説けるが故に斯く区別して云ひしなるべし。
 
 第二十五節 神地の獣を其類に従て造り、家畜を其類に従て造り地の諸てのはふものを其類に従て造り給へり、神之を善と観給へり、
 「造り給へり」 創造と云はず、動物的生命は既に水産動物受造の時に此世に注入され、獣類の受造は英継続事業たればなり、〇「其類に従て」、瑞西国有名の博物学者ルイ アガシ(後に米国に帰化せり)の説に大模型的造化(archtypal creation)の語あり、即ち生物は凡て或る大模型に従て造られしとの説なり、創世記々者の説或はアガシ氏の此説に類せしものならんか、即ち神は動植物を造り給ふに方り先づ其模型を造り、然る後総て之に従て造化を行ひ給ひしとの意ならんか、是れ特別造化説の最も極端なるものなれども、然も其中に亦深き科学的真理なきにあらず、〇「神之を善と観給へり」是にて先づ人類以下の造化を終へ給へり、始に光現はれ、穹蒼成り、水と陸とは分たれ、陸上に草木出で、天躰の光明地上に達するに至り、水中に動物|饒《さは》に生じて、終に陸上に高等動物の繁殖するに至りぬ、若し造化にして之に止まりしならん乎、地上に罪悪なるものはなくして為めに涙と悲哀とはなかりしならん、吾人は無辜の天然物を愛する余り時には造化の茲に止まりしことを願ふことあり、然れども俟て、罪悪と共に救済は此世に臨みしなり、悲哀に勝つに足るの歓喜は吾人に供せられたり、若し地上に獣類以上の造化なかりしならば、ミルトンの「失楽園」は何処に於て歌はれし乎、ラフハエルの「聖母」は何処に(349)於て画かれし乎、花は咲き鳥は囀るも之を歌ふの詩人なかりせば彼等何の用かある、造化若し獣類に於て止まりしならば ッの意味なき隠語たるのみ、牛は之を飼ふの人を要し、馬は之を御するの人を要す、人なきの造化は首なきの躰なり、躰は首の予言にして、物質的宇宙は完全を告げて、人類の受造は必要に迫れり。
 
 第二十六、七節 神言給ひけるは我儕に象て我儕の像の如くに我等人を造り之に海の魚と天空の鳥と家畜と全地と地に匍ふ所の諸てのはふものを治めしめんと、神其像の如くに人を創造り給へり、即ち神の像の如くに之を創造り、之を男と女に創造り給へり。
 「我儕に象て我等の像の如くに」、の如くには前説に於けるが如く従てと読むべし、他の動物は其類に従て造られしもの、人のみは神の像に従て造られしとなり 〇神の像とは如何なるものぞ、神に実に像《かたち》あるや、神は霊にして像なきものならずや、是れ困難にして而も有益なる問題なり、神に像なしとならば宇宙は何物なるや、是れ神の躰躯にあらざるか、是れ神の衣裳に止まる乎、人は小天地なりと云へば天地は人の巨大なるものにあらざるか、余は人の手を以て作りし偶像を神として拝するを好まず、然れども若し此無辺の宇宙にして神の像なりとせば余は其説を拒むを好まず、宇宙とは勿論此塵埃大の地球を指して意ふにあらず、太陽系亦宇宙の一小部分たるに過ぎず、宇宙は宇宙の集合躰なり、吾人の属する宇宙あれば、亦吾人の宇宙外の宇宙あり、彼の星雲と称するものゝ或者は宇宙外の宇宙を遠距離より望みしものなりと云ふ、然らば宇宙は無限大にして、人類が曾て製作せし最も完全なる望遠鏡の視察区域内にある宇宙は全宇宙の一小部分たるに過ぎず、吾人は肉眼を以て宇宙の全部を見る能はず、然れども吾人は小宇宙より推して大宇宙の何たる乎をほゞ知り得るなり、宇宙の宇宙たるは(350)其部分は総て能く其全部分を代表するにあり、吾人若し宇宙を望遠鏡内に望むを得ずんば之を顧徴鏡下に察するを得るなり、宇宙は大にして完全なるのみならず亦小にして完全なるものなり、星雲も宇宙の一部分なれば董花《すみれ》も亦宇宙の一部分なり。
 「神はその像に従て人を造り給へり」と、又「真正の神殿は人なり」と、又「爾曹は神の殿《みや》にして神の霊爾曹の中に在す」と、然らば人の躰躯は宇宙に象て造られしものにあらざるや、而して宇宙若し神の躰にして人若し宇宙に象て造られしならば、人は彼の外形に於ても亦神の像を現はすものにあらざる耶、神よ、願くは我が此|気儘なる想像《ワイルドイマジネーシヨン》を免ぜよ、余は汝を人類視(anthropomorphize)せんとするに非ず、余は人を汝が彼に与へ給ひにし適当の高位にまで引き上げんとするなり、人は彼自身の肉躰を見るに常に卑賤の念を以てし、之を獣類のそれに比し、単に肉塊なりと称し、其如何に貴重にして如何に神聖なるものなる乎を知らざるなり、彼は彼の躰を汚す時に神の像を汚すものなる事を知らざるなり、聖なるかな、聖なるかな万軍の主ヱホバよ、我等の霊は実に汝の像に象られて造られし聖き神殿に宿るものならずや。
 若し吾人人類の躰躯の神形説(読者余の此不敬の語を許せよ)に就て疑を懐くことありとするも、吾人の意志並に思惟の神のそれ等に象られて造られしものなる事に就ては何人も疑を存すべきにあらず、若し肉躰にして動物的なりとするも霊魂とマインドとは確に神的なり、吾人は万物を感ずるのみならず亦之を識るの力を有す、之を知覚《ペルツーブ》し得るのみならず亦之を概念《コンシーブ》し得るなり、「我儕信仰に由て諸《すべて》の世界は神の言にて造られ、如此見ゆる所のものは見るべき物に由て造られざることを知る」(希伯来書第十一章三節)、是れ決して人類以下の動物の為し得る所のことにあらず、我等は物質以外に亦心的宇宙を有し、其処に思ひ、泣き、喜び、敬ひ、且つ憎むなり、吾(351)人は此霊性に於て確かに神に象られて造られし者なり。
 其躰は直立にして天を仰いで地を眺めず、其心は超物質的にして、之を包む躰躯を離れて其物自身にて完全し且つ満足す、彼が万物の長たるは彼の全部の構成に照して明かなり、神が彼をして「海の魚と天空の烏と家畜と全地と地に匍ふ所の諸てのはふものを治めしめ」給ふは彼の身心の共に証《あかし》する所なり、彼が時には牛に向て「汝は我が神なり」と云ふて之に事へ、帝王の乗る馬なればとて之に向て敬礼を表し、神の使者なればとて蛇を敬ひ、甚だしきに至ては金と銀とに使役せられて之を使役し得ざるに至るは是れ彼が人たるの威厳を放棄して罪悪の縲絏に縛られし時の状なりとす。
 「之を男と女に創造り給へり」、神は単独にて完全なる者なり、然れども人を造り給ふに方て彼は之を男女に創造り給へり、即ち完全を割きて二となし、二者相合するにあらざれば完全なること能はざらしめ給へり、結婚の神聖は実に此に原因す。
 「創造り給へり……創造……創造り給へり」、一節の中に創造を三度重複す、以て創世記々者が人の創造を如何に重要視せしかを知るに足る、無より有を創造りし神、死物より生物を創造りし神は、獣類の上に特別に人を創造り給ひしとなり、殊に「其像の如くに人を創造」を二度重複するを以て神と人との間に存する関係の親密なるを強言し給ひ、又「之を男と女に創造り給へり」と言ひて、男女の別は神の特に定め給ひしものなるを示し給ふ、万物は勿論皆な神の造化に成りしものなりと雖ども人は特別に彼の精工を凝せられし者なり、人を以て特別に「神の子供」と称するは之が故なり、聖書が其姶より終に至るまで人類の救済を以て神の最大事業なりとして吾人に教ゆる所以のものは吾人人類は神の特別に聖意に留め給ふ所のものなればなり。
 
(352) 第二十八節 神彼等を祝し、神彼等に言ひ給ひけるは生めよ、繁殖よ、地に満盈《みて》よ、之を服従《したがは》せよ、又海の魚と天空の鳥と地に動く所の諸の生物を治めよ、
 「生めよ、繁殖よ、地に満盈よ」、人口の増殖を怖るゝ勿れ、地は人の占有すべきものとして彼の為めに備へられたり、是に五千二百五十万方哩の陸面あり、而して其今日の人口は僅かに十四億八千万にして、一方哩僅かに二十八人に過ぎず、之を白耳義国に於ける一方哩内に任する三百五十人に比すれば世界の陸面は尚ほ今日の人口の十四倍を納るゝに足るなり、汝の住する一小邦を以て汝が神より賜ひし地球なりと思ふ勿れ、汝は週囲二万五千哩の地球を賜はりしなり、而してブラジルの平原、満州の平野亦汝の属なり、生めよ、繁殖よ、平和的に膨脹せよ、心に神を信じ、手に鋤を取りて世界至る所に汝の納れられざる所はなかるべし、汝マルクスの人口制限論なるものを信ずる勿れ、是れ貴族を保護せん為めに世に出でたる最も反聖書的の経済説なり、先づ膨脹の策を講ぜよ、然る後に生めよ、繁殖よ、箴言十四章二十八節に曰く「王の栄は民の多きにあり、牧伯の衰敗は民を失ふにあり」と、人口増殖の方法を講ずるは神の聖旨に適し、愛国の精神に合ふ。
 「之を服従せよ」、他人の国を奪へとの意にあらず、服従は此場合に於ては開拓の意なり、荒野を変じて田園となせよ、地の与へ得る総ての産物を獲よ、但之を卑賤なる肉慾のために消費する勿れ、且つ神の給ひし地を利用すると同時に其森を剥ぎ、其地を枯らして、造化の目的を妨ぐる勿れ。
 「詔ての生物を治めよ」、之を汝の属として利用するのみならず、走れ皆な神の造り給ひしものなれば之を保護し、其発達を助け、其生活をして可成丈け快楽ならしむべし、牛は人が其肉を食ひ其乳を飲まんが為めにのみ(353)造られしものにあらずして、亦彼の労働の友となりて彼を慰めんために造られしものなり、羊は彼に毛と肉とを供せんが為めにのみ造られしものにあらずして、彼の孤独の時の侶伴たり、又彼に服従信穎の教訓を伝へんために彼に与へられしなり、馬然り、犬然り、鶏然り、鵞然り、其他野を走る獣、天空を翔ける鳥にして然らざるものあらん歟、之を愛して之に就て学べば物として宇宙の大真理を吾人に伝へざるはなし、彼のダーウヰン氏が蚯蚓に就て土壌構成の理を学びし如き、是れ実に万物の長たる人が万物を治むるの途ならずや。
 
 第二十九節 神言ひけるは視よ我全地の面にある実※[草がんむり/(瓜+瓜)]のなる諸の草蔬と格ある木果の結る詔の樹とを汝等に与ふ、是は汝等の糧となるべし、
 此処に記されたる二種の植物に就ては本章第十一、十二節に対する註解を見らるべし 〇此処に人類の食物として肉類の記載されざるを見れば、創世記々者の説に依れば人類は元来菜食動物として造られし者なるが如し、今日西洋諸国に於て多くの有名なる慈善家が獣類の屠穀を非難するは実に深き人類的観念に基因することゝ云はざるべからず。
 
 第三十節 又地の諸の獣と天空の諸の鳥及び地に匍ふ諸の物等凡そ生命ある者には我食物として諸の青き草を与ふと、即ち斯くなりぬ。
 人類菜食説のみならず、諸の動物の非肉食説も前後両節に依て宣べられしが如し、世に肉食動物ありて地上に悲劇を演ずるに至りしは人類の堕落以後にありしとは古き神学者の唱へし所なるなれども吾人人は今や地質学の発(354)見に依て其全く妄説なるを知るに至れり、然れども人類の罪悪なるものは始祖の堕落を以て始まりしものにあらざるを知て、彼の古代の神学者の説も亦強ち直に放棄すべきものにあらざるを諒すべし、吾人をして古人の言を其儘になし置かしめよ、思想の進歩は或は吾人今日の結論をして亦妄説たらしむるに至るやも計られず(以賽亜書第十一章七節「獅子は牛の如く藁を食ひ」の語を参考せよ)。
 
 第三十一節 神其造りたる諸ての物を視給ひて甚だ善かりき、夕あり朝ありき是六日なり、
 造化の宏業終結を告げ、神之を視察し給ひて甚だ満足し給へり、善と見給ひしのみならず、善かりきと念じ給へり、勿論其完成は数十百世紀の後にあるならん、然れども神の像に象られたる人類の地上に出でゝより造化は茲に一段落を告げて其発達の第二期に入れり、是を称して神の安息日とは云ふなり。 〔以上、明治34・1・22〕
 
    創世記第二章 安息日〔第一節−第三節〕
 
  斯天地及び其衆群悉く成りぬ、《二》第七日に神其造りたる工《わざ》を竣《おへ》たまへり、即ち其造りたる工を竣て七日に安息《やすみ》たまへり、《三》神七日を祝して之を神聖《きよ》めたまへり、そは神其の創造り為し給へる工を尽く竣て此日に安息みたまへばなり。
 
 「衆群」 天に在ては日と月と星と、地に在ては草と樹と魚と鳥と獣と、単に空漠たる天地のみならず、其中に充※[牛+刃]《みて》る総ての物体を造り給ひぬ 〇「成る」は第二節に於ける「竣り」と同一の詞なり、完結を告げしの意なり
〇「工」、物質的造化を意ふ、人は神に象られて創造せられしも未だ神の生気の其鼻に嘘入《ふきい》れられざるが如し(第七節を見よ)、工を竣へりとは造化の最大目的たる霊気発育の準備は成れりとの意なり、恰も王子を入るゝに足(355)るの宮殿はその工を竣へりと云ふが如し、第七日に工を竣へりと云ふは勿論第七日までに之を竣へりとの意なるは前後の連続に照して明かなり 〇「安息たまへり」、疲労を癒さんがための休息にあらざるは明かなり、そは全能の神に懦弱《よわ》き人間に於けるが如く休息の必要なければなり(詩篇百二十一篇四節)、神に在ては安息は停止の意ならざるべからず、而して之れ亦余儀なくされての停止にあらずして、任意的停止なるは論を俟たず、造化の偉業一先づ完結を告げ、神之を善と観給ひて、茲に創剏の業を停止し給へりとの意なるべし 〇「神聖《きよめ》たまへり」、或は之を聖別すと云ふ、特別に神のものとして定め給へりとの意なり、万物皆な神のものなれども彼は特別に或る者を以て彼のものと定め給ふ、「ヱホバ、モーセに告げていひ給ひけるは、人と畜とを論はず、イスラヱルの子供の中に始めて生れたる首生《うひご》をば皆聖別めて我に帰せしむべし、是れ我が所属なればなり」と(出埃及記十三章一、二節) 又ヱホバ、預言者エレミヤに曰ひ給ひけるは「我れ汝が胎を出ざりし先に汝を聖め汝を立て万国の預言者となせり」と、而して神は人と畜《けもの》と物とを聖別し給ふのみならず、又時をも聖別し給ふなり、故に神が第七日を神聖め給ひしとは特別に之を神の日として定め給ひしとの意なり、安息日の制度は実に神の此聖旨に原因す、〇「そは神其創造り為し給へる云々」 是れ神が安息日制度を定め給ひし理由なりとす、即ち是れ宇宙の竣工を紀念するための祝日なりとの意なり、安息日の起因何ぞそれ宏遠なる。
 安息日は大問題なり、然れども此処は安息日制度に就て詳論する所にあらず、余輩は纔に左の考説を提するに止むべし。
 神が工を竣て七日に安息たまへりと云ふも是れ神が全くその創造的活動を中止し給へりとの意にあらざるは明かなり、そは宇宙は神なくして存在し得る者にあらざるのみならず、亦進歩と云ひ発達と云ふも是れ神なくして(356)行はるべきものにあらざればなり、十八世紀の末つ頃に自然神教徒《ヂースト》(Deist)なる者起りて神は創造を竣へて後宇宙を全く彼の手より離し、彼は今は全く其外に立て其運行発育には少しも干渉し給はずとの説を主張せり、是れ稍々理あるが如くに見ゆれども、然も吾人の深き心霊的実験に照して、亦人類の歴史の趨勢に稽へて其妄説たるを証するに難からず、宇宙は或る一方面に於てのみ完成を告げしものにして他の方面に於ては今猶ほ創造を続けられつゝある者なり。
 然らば何の意味に於ての「竣工」なりしやと云ふに、勿論形而下的造化の竣工を云ひしものなるは明かなり、山成り、河成り、地は人類発育の為に用意せられて茲に造化は其第一期を去て第二期に入りしなり、勿論其地層に於て多少の変遷はありしならん、或は二三の星は失せしならん、亦二三の星は新たに空天に建はれしならん、然れども人類受造以後の形而下的宇宙は其以前のそれの如く激変活動せしものにあらざるは之を天文地理の示す所に照して明かなり、人類出建以後の地球は実に或る地質学者の称する Psycozoic Era 即ち心的動物時代に入りしものにして、是れ特別に人類発育時代なるは識者の一般に承認する所なりとす。
 「工《わざ》」とは実に工《こう》なり、ナイルの河底は鑿《きざ》まれて、其水流の方向と氾濫の区域とは定められたり、アルプスは建立せられて其支脈は四方に渉りて、欧大陸は地質的に数箇の小邦に区画せられたり、菫花《すみれ》と桜草とは小山を飾て詩人の来て天の美想を謡ふを待てり、丘を走るの山羊と小羊、平野に彷ふの牛と馬、人類の発育に必要なる家屋と庭園と其中の凡ての器具と象群とは悉く具はりて、造化は其第二期に入れり、此に於てか神は彼の工事より安息み給ひて彼の教育事業を始め給へり。
 神の教育事業、是をば称して歴史と云ふなり、雨して歴史はヱデンの園に於ける人類始祖の試錬を以て始まり、(357)延て二十世紀の今日に至れり、歴史に戦争あり、国の興亡あり、悲劇は悲劇に次ぎ、流血淋漓、之を読む者をして酸鼻の念に堪えざらしむ、然れども是れ安息時期たるなり、是れ救済の期限たるなり、多くの聖賢君子は此期限に於て此世に顕はれ、終に神の子イヱスキリストは此世に降り給ひて、我儕人類に死して死せざるの途を開き給へり、人類の罪悪は神をして其独子を降し給ふほどに彼の心を傷ましめたり、然れども愛の無尽蔵なる神は悪に勝つに足るの善を己れに蔵し給へば、人類の救済は期して俟つべきなり、今は恩恵の時期なり、人の子が神の子となりつゝある時なり、是れ実に神の安息の時なり。
 人或は言はん救済は労働の一なり、之を安息と称すべからずと、然れども是れ未だ真正の安息の何たる乎を知らざる者の言なり、真正の安息は労働の中にあり、労働は重荷なりとの経済学者の言は高尚なる労働に就て云ひし言にあらず、イエス、ヤコブの井《ゐど》の辺にサマリヤの婦人に天国の道を説き給ひつゝありし時に弟子達行てパンを買ひ来り、イヱスに請ひてラビ食し給へと曰ひければ、イヱス彼等に曰ひけるは我に爾曹の知らざる食物あり、我を遣はしゝ者の旨に随ひ其|工《わざ》を成畢《なしをは》る是れ我が糧なりと(約翰伝第四章三一、三二、三三節)、イエス亦彼を窘めて殺さんと謀りしユダヤ人に告げて曰ひ給ひけるは我父は今に至るまで働き給ふ、我もまた働くなりと(仝五章一七節)、斯くてキリストに取ては労働は糧なりしなり、亦生命なりしなり、父の命じ給ひし工を成畢る、彼に取ては之に優るの快楽はなかりしなり、彼に取ては彼の全生涯が安息なりしなり、希望の播種たりしなり、善行の連続たりしなり、安息を以て労働を廃することなりと信ずる人は未だ安息労働両ながらの真意味を知らざる者なり。
 パウロは曰く「我れ若し福音を宣伝《のべつた》へ得ざれば禍なるかな」と、カーライル夫人曾て或人に語て曰く「我が夫(358)の快楽は彼の労働に伴ふて来る」と、労働は人の本性なれば働かずして彼に平和と安慰とあるなし。
 愛なる神の安息は愛の事業を為すことなり、物質的造化を竣へて心霊的事業に入り給ひし時に神の安息は始まりしなり、宇宙の創造亦神の歓び給ひし所なるに相違なし、若し然らずば彼は之を善と観給はざりしならん、然れども神の目的は物質的造化にあらざりしなり、彼が宇宙を造り給ひしは之に彼に象《かたどり》て造られし人を置て彼に彼の愛を示さんがためなりし、人にして未だ生きたる霊とならざりし間は神の特愛の事業は始まらざりしなり。
 安息日の真意如斯くなるを知て吾人は安息日を守るの途を知るに難からず、亦単に一週一日を安息日として守るのみならず、吾人の全生涯をして安息の連続たらしめざるべからず、そは神を信じ彼の救済に与かり、吾人の身も霊も全く之を神に捧ぐるに至て、吾人の労働は労苦たらざるに至り、走れども疲れず、歩めども倦まずヱホバを俟ち望むに由て新たなる力は吾人に加へられ鷲の如く翼を張りて天に昇るを得ればなり(以賽亜書四十章三一) 〔以上、明治34・2・22〕
 
    エデンの園(上)〔創世記第二章第四節−第一四節〕
 
  四、ヱホバ神地と天を造り給へる日に天地の創造られたる其由来は是なり。
 創世記、一名之を由来記又は伝の書と称ふを得べし、之に天地創造の由来記、アダムの伝の書(五章一節)、ノアの伝(六章九節)、ノアの子の伝(十章一節)、セムの伝(十一章十節)伝、総て十伝あり、第一章一節より二章二節に至るまでは之を全記の序文と見て可ならん、各伝おの/\其之れに先つ伝記の簡短なる再説を以て始まる、
〇前には神(Elohim)天地を創造り給へりと云ひて茲にはヱホバ神(Jehovah Elohim)地と天とを造り給へりと云(359)ふ、以て前後の記事の間に重要なる差異の存するを見るべし、エロヒムは能力の神にしてヱホバは恩恵《めぐみ》の神なり、前者は天然の神にして後者は特別に人類(歴史)の神なり、同一
の神にして宇宙を創造り給ふに方ては重に其|力《フオース》を顕はし給ひ、人類を導き給ふに方ては其|恩《グレース》を示し給ふ、創世記々者が本節に於て神を称ぶにヱホバの名を以てするを見て、以て彼が茲に始めて人類の歴史に入りしを知るべし、彼は第一章に於て主として物質的宇宙に就て語れり、彼は今より人類歴史と神の摂理とに就て述べんと欲す、彼が本節に於て「地と天と」と曰ひて「天と地と」と曰はざるを見ても今後の彼の観察点の全く人類の歴史に在るを知るを得べし、〇「ヱホバ」は自顕の神の名称なるは之を出埃記三章十三節以下に於て見るべし 〇本節以下七節までは亦第一章に於けるが如く天地創造の記なり、然れども人類のために造られたる天地創造の記なり、地理学者ライン(有名なる「日本論」の著者)曰く地を地其物のために講ずるを地学(地質学)と云ひ、之を人類の住所として講ずるを地理学と云ふと、本節以下に於て記者は天地を歴史の舞台として講じつゝあるなり、〇「是なり」 下の如し、即ち以下の記事を指して云ふ。
  五、野の諸ての灌木は未だ地にあらず、野の諸ての草蔬は未だ生ぜざりき、そはヱホバ神雨を地に降らせ給はず、亦土地を耕す人なかりければなり。
 「野」は耕地なり、荒野にあらず、故に野の灌木又は草蔬《くさ》とは野生のものを云ふにあらずして、栽培されたる植物を云ふなり、橄欖、無果樹、葡萄樹等、又麦、西瓜、扁豆《あじまめ》、栗、粗麦《はだかむぎ》等総て人類に衣食の料を供する者を指して云ふなり、即ち歴史以前、未だ地に犂鋤の入れられざりし前、麦も米も桑樹も葡萄樹も未だ野生植物として繁茂せし時の状を云ふなり、〇「雨を地に降らせ給はず」、今日吾人が称して雨となすものは是れ天地の始めよ(360)り此地上に降りしものにあらず、空中に存在する水蒸気が雨てふ有益なる流動躰となりて地の面を湿すに至りしは是れ地質学上最近の事に属す、石炭時代に蕃殖せし巨大なる棕櫚類は膏雨の灌漑を受けて成育せしものにあらず、水と水蒸気とは早くより存せしものなりと雖も、其雨となりて地上を湿ほすに至りしは実に人類現出に先つ遠からざる時にありき。〇「土地を耕すの人なし」、雨未だ降らず、人未だ顕はれず、故に地は天然有りの儘にして、山は森林を以て掩はれ、野は草原たりし、罪悪の地面を穢すことなかりしも而も地は人工に依らずして其完全に達し得べき者にあらず、処女林の人手を竢ちし時、是れ実に歴史の曙光時代なりし。
  六、霧地より上りて土地の面を遍く潤せり。
 雨の未だ降らざりし時の状を云ふ、深雲全地を蓋ひ、日光未だ地相を乾かすに至らず、水気常に空中に充満して凝て濃霧と成て万物を潤ほせり、是れ実に人類顕出以前の空気の状態たりしなり。
  七、ヱホバ神土の塵を以て人を造り生気を其鼻に嘘入れ給へり、人即ち生霊となれり。
 万物は人類の顕出を待ち、地と天とは彼を迎へんとする頃、神は土の塵を以て人を造り給へりとなり、神は如何にして彼を造り給ひしや、陶師《すえものし》が人形を造るが如くに瞬間にして彼を造り給ひしや、或は彫刻師が像を刻むが如くに永年に渉る技工の結果として彼を作り給ひしや、是れ吾人の能く知る所にあらず、吾人は唯一事を知る、即ち人は其躰質に於て確かに土の塵なる事を、彼の身躰髪膚皆な土より出て土に帰る者ならずや、吾等は天に属する者なるのみならず亦地の産なり、吾等が神は父と呼んで地を母と言ふは吾伝の地的起原を認めてなり、吾等或は猿猴の進化せし者なるやも知れず、吾等或は蠕虫を吾等の祖先と称すべき者なるやも知れず、吾等の産出の由来は吾等の茲に問はんと欲する所にあらず、吾等は紛ふべきなき地の産たるを知るのみ、〇「生気を其鼻に嘘(361)入」、人類は地の産なり、彼の肉躰に於て彼は猿猴、馬族と質を異にせず、彼は飲み、且つ食ふ者なり、彼は怒り又喜ぶ、動物学的に彼を観察して彼に特殊の栄誉あるを発見する能はず、然れども神は生気を其鼻に吹入れ給ひしとなり、而して人は生霊となれりとなり、即ち動物以上の者となれりとなり、人の人たるは其鼻に嘘入れられし此生気に存す、彼が猿猴と全く類を異にするも亦茲に存す、ソロモン曰く人の魂は上に昇り獣の魂は地に下ると(伝道之書三章廿一節)、二者の躰質に於て異るにあらず、其霊魂に於て異るなり、〇人は成れり、之より彼の歴史は始まりぬ。
  八、ヱホバ神エデンの東の方に園を設けて其造りし人を其処に置き給へり。
 園はエデンの東の方、或は東の方(著者所在の地より)エデンに設けられたり、「園」は灌漑の効に由て砂漠の中に造られし肥沃の地を指して云ふ、即ち伊蘭高原の地に多く散在する所の沃地《オエーシス》の如き者、メルブ、バルク、イスパハン地方等は其好例なり、(「興国史談」参考)、時には之を楽園と称するは之を週囲の荒漠に較べてなり、之を普通の庭園と解して本文の意を汲む難し、〇「人を其処に置き給へり」、人類(歴史的人種)の始祖は其始め亜非利加内部の叢林の中に置かれざりし、彼は亦欧洲北部の山嶽巍々たる間に産出されざりしなり、或はナイル河の沿岸ならんか、或はチグリス、ユフラテ間の沖積地ならんか、或はオクザス、シルダリヤ間の壌土ならんか、其孰れに於てせられしも彼の揺籃が耕すに易く、獲《か》るに難からざりし処に置かれしは論を俟たず、地学者カールリツテル曰く太古の文明は河的(Potamic)なりと、ヱデンの園は或る大河に沿ふて設けられしものなり。
  九、ヱホバ神観るに美麗しく、食ふに善き各種の樹を土地より生ぜしめ、又園の中に生命の樹および善悪を知る樹を生ぜしめたり。(362)「観るに美麗《うる》はしき樹」、桃金嬢《てんにんくわ》、夾竹桃の如く、果実のためにあらずして葉と花とのために耕さるゝ者、植物の用は経済的なるのみならず亦審美的なり、春桂の山を飾るあれば楓樹の岸を装ふあり、宇宙を代表せるエデンの園は此種の植物に於て甚だ富みしならん
 〇「食ふに善き樹」、海棗《デートハーム》の如き、胡桃の如き、安石榴《じたくろ》の如き、又|香※[木+縁]樹《ぶしゆかん》の如き、栗の如き観るに甚だ美はしからざるも食ふに甚だ佳き果樹は亦楽園の産なりしと云ふ、山林素是れ松、・檜欅等木材用の樹木に限るべきものにあらず、神の種え給ひし天然林に於ては栗あり、柿あり、梨ありて何人も之に甘味を取るを得るなり、果樹は之を囲むに必ず牆壁を以てせられ、人は額に汗するにあらざれば果実一つをも獲るを得ざるに至らしめしものは抑々是れ誰の業《わざ》ぞや 〇「生命の樹」、その何の樹なるやを知る能はず、或は所謂|※[麥+面]麭樹《ぱんのき》と称して南洋諸島に産する棕櫚の類なりしか、或はマナの樹と称してザクロス山中に生ずる※[木+解]《かし》の一種なりし乎、或は乳香、没薬等痍傷を癒すための薬品を生ずる霊木なりし乎、或は吾人を其下に導き天の微声を聴かしむる蔭樹なりし乎、「生命の樹は」一にして足らず、吾等は其エデンの園に在て著明の地位を占めしを知るのみ、〇「善悪を知るの樹」、是れ亦植物学的に指定する難し、只其果実が之を食ふ者に善悪鑑別の識を供せしものにあらざりしは明かなるが如し、「善悪を知るの樹」は之に接する人の善悪を判別するために植え附けられし者にして、其観るに美はしく食ふに善きも、身に害毒を及ぼす果実を結びし者なるが故に斯く名附けられしが如し、即ち一名誘惑の樹とも称すべき者にして人の智愚善悪を試すための樹なりしが如し。
  十、河エデンより出て園を潤し、彼処より別れて四の源となれり。
 エデン(edinn)はアツシリヤ語にて平原を意味すといふ、而して博士デリツチの説に依ればバビロニヤ平原を昔時はエデンと称へしことありと、それは兎もあれ、エデンは一箇所の名にあらずして一地方の名たりしは其四(363)川の水源たりしに由て明かなり、然れども四川の配布流域に就ては記事錯雑して之を判別する難し。
  十一、十二、其第一の名はピソンといふ、是は金あるハビラの全地を繞る者なり、其地の金は善し又ブドラクと碧玉彼処にあり。
 河エデンの地に発し、其中にある園を潤し、園内に於て分れて四川となり、其第一をピソンと云ひしとなり、是を古代地理に稽ふるにピソンなる河の曾て記録に止まる者あるなし、或は是れアルメニヤ洲に流がるゝアラキシス(Araxes)河の支流なるクル(Kur)なりと云ひ或はギホンはナイル河にしてピソンはインダス河なりととふ、然れども論拠薄弱にして孰れも頼るに足らず、ハビラと称せられし地は亜拉比亜半島の一部分たりしや明かなり、然れども其或は北部に或は西南部に指示せらるゝを見て以て其確乎たる地理的区域を定むるの難きを知るべし、ブドラクは普通護謨の一種として知らる、金並に宝石と共に亜拉此亜の特産物なり。
  十三、第二の河の名はギホンといふ是はクシの全地を繞る者なり。
 ギホンの名又之を古代地理に見る難し、ナイル河がエシオピヤ人(埃及南部の民)に依てゲウオン(Gewon)又はゲヨン(Geyon)と称はれしを見て或人はギホンは埃及のナイルなりと云ひたり、而して聖書にクシと称はるゝ地の常にナイル上流に指示せらるゝを知て此説の能く本節の記事に適合するを見るべし、唯困難なるは他の三河と比対して其位置の余りに一隅に偏したるにあり。
  十四、第三の河の名はヒデケルといふ、是はアツシリヤの東に流るゝものなり、第四の河はユフラテなり。
 ヒデケルは確かに今のチグリスなり、希伯来語のヒデケル(Hiddekel)はスメラニヤ語のイヂクラ(Idikla)にして、イヂクラ後にヂクラ(Dikla)と変じ、波斯人に依てチグラ(Tigra)と称せられ、希臘人に依て今のチグリス(364)(Tigris)と名附けられたり、此河名の変遷に六千年の歴史と四大文明の継承との顕はるゝあり、且つ其チグリス河なるはアツシリヤの東に流るゝことあるを見て疑を容るべきに非ず、〇第四の河はユフラテなり、今日尚ほ其名を存す。
 ピソン、ギホン、チグリス、ユフラテ、此等四河の源を発する所、是れ人類の始祖が置かれしエデンの園の在りし処なりと云ふ、今其地理学上の地位を指定せんとするに方て吾等は幾多の難問題の吾等の前に横たはるを見るなり、今左にエデンの園の所在地に就き聖書学者に依て提出されし仮説の四五を掲げん。
 一、アルメニヤの山中にありしとの説、
 チグリス、ユフラテの二流が其源を二者相違からざる所に於てアルメニヤの山中に発するは事実なり、而して若しクルをしてピソンならしめ、アラキシスをしてギホンならしむれば四河同所に発するの一事は此仮説を以て稍や説明するを得べし、然れどもクルはピソンにしてアラキシスはギホンなるの確証一つも存するなきが故に此説の以て取るに足らざるを知るべし。
 二、西方亜細亜全躰に渉りしとの説、
 此地域内にチグリス、ユフラスの二流あり、又ギホンと稍や同音なるゲウオン又はゲヨンの名を有したるナイル河の其西疆を限るあり、而して若しインダスを以てピソンと称し得べくんば、此説亦全く依る所なきものにあらずとせん、然れどもインダスが曾てピソンの名を帯びし事あるを聞かず、又創世記著者が埃及又はパレスチナの地にありながら「東の方ヱデン」と云ひしを見て其斯くも大区域に渉りし地方にあらざりしを知るに足る。
 三、土耳其斯丹地方にありしとの説
(365) オクザス(ジホン)をギホンに、シルダリヤ(シホン)をビソンに擬して成りし説なり、然れどもジホン、シホンの名或は此仮説に依て起りし名なるやも未だ以て知るべからず、且つ四河の水源地を一にするの重要なる一点の此仮説に依て些少の解釈だも得る能はざるを如何せん。
 四、バビロン城市附近にありしとの説、
 此仮説に依ればビソン、ギホンはユフラテス河より分岐せる大運河の名称にして之にチグリスを加へて四河の一所に相集まるを見るべしと、エデンが平原を意味してバビロニヤ平原が一時はヱデンと称へられし事は此仮説を強むるに足るの一証ならん、且つ大運河の一がグハナ〔(Guhana)ギホン(Gihon)に類す〕の名を帯びしは偶ま以て此仮説に学者の注意を喚ぶの一因とはなれり、殊に運河の西に流がるゝ者(Pallakopas Canal)が亜拉此亜砂漠の一端に沿ふて流がるゝを以て或は其辺を金属宝玉を産するバビラの地と称すべしと言ふ者あり、要するにバビロン附近説は前三者に此して依る所稍や多き者なるが如し。
 五、ペルシャ湾頭にありしとの説
 是れカルビンに依て始めて提出されし説にして今日に至るも尚ほ多くの有力なる賛成者を有する者なり、其説く所に依れば四の源とあるは水源の意にあらずして水流の義なりと、而して昔時ペルシャ湾頭の今日の如く沖積層を以て填充せられざりし時に当てはチグリス、ユフラテの二流は合して一水となり、後、また分れて二水となりて海に注げり、而して園は上下四水の一水と成りて流れし所にありたり、即ちピソン、ギホンは下の二流にしてチグリス、ユフラテは上の二流なりと。
 然れども以上諸説は孰れも創世記々者の叙述を悉く説明するに足らず、吾等は今日地理学的にエデンの園の(366)所在地を確定するに足るの材料を有せず、只二三左に読者の注意を促すべき要点を掲げん、
   一、エデンの園の実在せし事、其単に詩人の夢想に上りしものにあらざりし事
   一、エデンの園の西方亜細亜の或所に存在せし事、
   一、ヱデンの園のチグリス、ユフラテ両河に瀕せし事、
 而して近世に至てアツシリヤ学の進歩に由り最旧文明の両大河々辺に起りし者なる事の愈々明白なるに及んで吾等は創世記々者の此記録の何時か明瞭に解説せらるゝの日の至らん事を望んで止まず。 〔以上、明治34・10・20〕
 
    女性の創造エデンの園(中)〔創世記第二章第一五節−第二五節〕
 
  十五、ヱホバ神其人を挈て彼をエデンの園に置き之を理め之を守らしめ給へり。
 人は成り、園は設けられて神はその創造り給ひし人を挈て彼を其設け給ひし園に置き給ひぬ、之れ人をして園を理め且つ之を守らしめんためなりといふ、「理め」は整理なり、修飾なり、園をして荒廃に帰せざらしむることなり、之を利用して濫用せざることなり、「守る」は保存なり、天然の美を害はざることなり、園は人に委托せられたり、彼は之を理め之を守るの義務を担はせられたり、遊惰に耽けんがための庭園にあらず、福利と智能とを開発せんための神の労働園(task-garden)なり、〇始祖アダムは人類を代表し、エデンの園は地球を代表す、神は人類を地球に置き給ひし意味に於てアダムをエデンの園に置き給へり、五千二百五十万方哩の陸面はより大なるエデンの園にして十五億の生霊はより大なるアダムなり、人類も亦地球を理め之を守るの義務を委托された(367)り、彼は今ま如何に此義務を果たしつゝある乎、是れ世界歴史の教ゆる所なり。
  十六、十七、ヱホバ神其人に命じて言ひ給ひけるは園の各種の樹の果は汝意のまゝに食ふことを得、然れど善悪を知るの樹は汝その果を食ふべからず、汝之を食ふ日には必ず死すべければなり、
 園中に多くの樹木繁茂せり、其或者は漿果を生じ、或る他の者は梨果を生ぜり、桑果あり、球果あり、瓠果あり、堅果ありて、人は総て之を食ふの自由を許されたり、然れども彼に許されし自由は無条件の自由にはあらざりし、之に一つの厳命は附着せられたり、そは人は依頼的実在物にして、彼は絶対的自由を享くべき者にあらざればなり、人の享くべき完全の自由は彼が神に依て享くる自由なり、彼が神の如くなりて絶対的自由を楽まんとする時に彼は堕落し、彼れは精神的に死するなり、是れ道義学上の大問題、創世記の記事に深遠量るべからざる者なり 〇「善悪を知るの樹」は一には人の善悪を定るの樹なり、即ち彼の試験石なり、二には彼をして善悪を分別せしむるの樹なり、即ち其果を食ふ者は神に依らずして自身善悪を判分するを得べしとなり、即ち之を食ふの日には彼の目開けて、彼は神の如くなりて事物の善悪を識別するを得べしとなり(第三章五節を見よ)、人は小児的依顧(神に対して)を維持すべきか或は成人的独立に達すべきか、是れ此試錬の樹に由て定めらるべき実際的大問題なりし。
  十八、ヱホバ神言ひ給ひけるは人独なるは善からず、我彼に適ふ助者を彼のために造らんと。
 始めに創造られし人は男性なりき、彼は独り耕耘者として整理者としてヱデンの園に置かれたり、然れども彼は独り此聖業に従事すべき者にあらず、人、独なるは善からず、是れ第一に彼自身のために善しからず、男性は天然性の半分なり、其完全せんが為には之に適ふ補欠性《サツブルメタンリーキャラクター》を要す、第二に彼の事業の為めに善しからず、(368)天然に男性あり、亦女性あり、女性は女性を俟て始めて能く発達するを得べし、神は男のみを創造り給ひて未だ其創造の偉業を完ふせられしと云ふを得ず、彼は更に男に優る者を造らざるべからず。〇「助者」 男子の補助者なり、其翼賛者なり、其共働者なり、男子の玩弄具にあらず、彼を娯ませんための装飾品にあらず。
 十九、ヱホバ神土を以て野の諸の獣と天空の諸の鳥を造り給ひてアダムの之を何と名くるかを見んとて之を彼の所に率ゐいたり、給へり、アダムが生物に名けたる所は其名となりぬ。
 神が土を以て獣と鳥とを造り給ひしは彼が同一の物質を以て人を造り給ひしに同じ、聖書は創造の結果を述るに止て其手続に及ばず 〇「アダム」の名始めて此所に現はる、是れ前に「人」と訳されし希伯来語其儘なり、「アダム」は「土」の意にして彼は土の塵を以て造られしが故に斯く名けられしなり、土より出て土に帰る者、董花一朝の夢、たゞ其衷に神の生気を宿すが故に万物の長として崇めらるゝに至れり、〔希臘語の「人」(anthropos)は「上を仰ぎ瞻る者」の意なりと云ひ、英語の man は梵語の mnu より来りしものにして「思考する者」の義なりと云ふ、希臘語英語は人の理性を指し、希伯来語は彼の肉性を示す、卑くして貴く、貴くして卑しき者は人なり、アダム(土)の名に同情の涙の掬すべきあり。〇神はその造り給ひし獣と鳥とをアダムの前に率ゐいたり給ひて之に命名せしめ給へりとなり、「名を附ける」とは之を解説《デスクライブ》することなり、即ち物の関係を示し、類似殊異に依て之を分類することなり、是れ博物学の目的とする所なり。
 人は神に像られて造られし者、故に彼は神の意匠を究むるの理解力を有す、神が天然物を造り給ひし其目的の一は人智を発達修練せんとするにありたり、神の造り給ひし物を究めて吾人の智能を研磨するは吾人の当さに為すべき事なり、神はその造り給ひし獣と鳥とを率ゐ来りて之をアダムに示し、彼をして之を学ばしめ給ひしと(369)なり、依て知る博物学の研究は人類が創造の初めに於て神より直に示されし者なる事を、神の造り給ひし者を直接に神より受けて之を学ぶ、神を知り真理を究むるの方にして何物か之に勝る者あらん耶、博物学は人類最初の学問なり、哲学なり、政治学なり、経済学なり、是れ皆な人類の堕落を以て始まりしもの、造化の初期に方てエデンの園に樹花林葉の未だ尚ほ香ばしき時に人の苦悶せし問題にあらざりし、獣を分類すること、鳥を説明すること、見れアダムの受けし教育なりし、美はしきかな天然学、害なくして益多く、天然を通して直に天然の神に達す、来れ社会学者よ、汝は罪悪学者なり、来て森に禽鳥の声を聞け、出て山に野獣の常性を学べよ、天然詩人は言ひしにあらずや
   One impulse from venal wood
   Will teach us more of man
   Than all the sages can.
   (春の森より来る、感動の一閃が人類に就て教ゆるところは総ての哲人の教ゆる所に勝る)
  二十、アダム諸ての家畜と天空の鳥と野の諸ての獣に名を与へたり、然れどもアダムには之に適ふ助者見えざりき。
 アダムは総ての家畜と鳥と獣とを検査せり、彼は其美に驚きしならん、彼は之に造化の美妙を認めしならん、然れどもアヽ鳥は鳥にして人にあらざりき、鶯は善く囀るも彼に人に同情を寄するの心あるなし、馬はよく走るも彼に人を知るの智能なし、天然は人の善き友なり、然れども彼の助者にあらず、吾等は同情者を要す、吾等と性を同うし、目的を同うし、存在の理由を共にする助者を要す、獣は多し、鳥は多し、草木の種類に数限なし、(370)然れど天地万物何者も吾等の寂寥を慰むるに足らず、男子は女子を要するなり、而も卑猥なる意味に於てせずして、最も高潔なる意味に於て彼は彼女を要するなり。
  二一、二二、是に於てヱホバ神アダムを熟く睡らしめ睡りし時其肋骨の一を取り肉をもて其処を填塞《ふさ》ぎ給へり、ヱホバ神アダムより取たる肋骨を以て女を作り之をアダムの所に携れ来り給へり。
 雌雄両性の分化(differentiation of sexes)は生物学上の大問題なり、最下等動物に在ては両性の同一体に存するあり、其稍や進化せし者に至ては一体にして両性を具へながら時に依て雄のみの用をなし、亦雌のみの用をなす者あり、両性の全く分離するは之を比較的上等動物に於て見るを得べし、故に若し進化論の提議にして誤りなくば(而して余輩は其大躰に於て之に賛す)人類に於ける男女の分化はその創造以前に於て成りしものと見做さゞるべからず、女は直に男より取られし者にあらずして、二者の分化は生物学上人類以下の動物に於て成就されしものならざるべからず、茲に於てか創世記の女性創造の記は生物学の明白なる指示に反するが如しと云ふ者あり。
 然れども是れ未だ創世記々者の真意を知らざる者の言と云はざるべからず、記者は造化の結果を言ふに止て其方法を語らず、人は土の塵を以て造られたりと云ひて如何なる順序を経て土塊が生物の長たる人と成りし乎に就て言はず、女の創造に就ても亦然り、記者は言はんと欲す「男女は素と是れ一体なりしもの、其今分れて二者たるは創始《はじめ》より二者分離せるが故にあらず」と、両性一源の深き真理を世に伝へんが為めに記者は此事を茲に記載せしなり、然らば記者は何故に単に此事実を言はずして奇談に類したる肋骨※[宛+立刀]取の記事を載せしやと問ふ者あらん、吾人は之に答へて曰ふ、是れ幼稚の人類に両性一原の真理を伝ふるに最も簡易なる途なればなりと、神は最始の女子を最始の男子に紹介せんとするに方て、夫妻合同の大真理を示さんとし給へり、故に彼はアダムを(371)熟睡に導き彼に肋骨分取の幻景を示し、以て此深き真理を彼に示し給ひしなり、神は斯く為し給ひてアダム欺き給ひしにあらず、恰かも吾人が児童に深遠にして彼等の智識の程度を以てしては到底解し得べからざる真理を伝へんとするに方て卑近の例を引き又は簡易の実例を以て彼等を教へんとするも是れ彼等を欺くにあらざるが如し、要はアダムをして夫妻合同の神聖を知らしむるにありたり、而して彼が幻景に於て見し女性形成の現象は彼をして能く其真理なるを了らしめたり。
 女は男の肋骨より作られしとなり、アダムは此事を示されて女性に対して如何なる観念を懐くに至りしや、彼は(一)彼女の彼と同体なるを知れり、(二)彼女が彼の頭骨より出でしにあらざるを見て彼は彼女に服従すべき者にあらざるを知れり、然りとて彼女は彼の四肢より成りし者にあらざれば彼の使役すべき者にあらざるを教へられたり、男の胸部より出し女は彼と同等の者なり、彼の主にあらず、亦彼の婢にあらず、彼の妻なり、彼と栄光を共にする者なり、アダムは幻景に於て社会学上の此大真理を教へられたり、(三)胸部は情の存する所、肋骨より出し者なりとして示されたる女は特別に男の同情者なり、彼の愛を受け、彼に愛を供する者なり、単に労働の伴《とも》なるのみならず、単に智識の分配者なるのみならず、特別に愛情の共享者なり、女が男の助者たるは特別に愛の一点に於て然るなり、聖く愛せられんことは彼れの最も要求する所にして、神に在て彼を愛して女は男の偉大なる助者たるを得るなり、神の何たるを知らず、男性の何たるを知らざる女は男に頼るを知て彼を助くるを知らず、彼に愛せられんことを欲して彼を愛せんと欲せず、男の肋骨より成りし女は彼の心情を強めて彼の大補佐たるを得べし、亦彼を通して有力なる女王たるを得るなり。
  二三、アダム言ひけるは此こそはわが骨わが肉の肉なれ此は男より取たる者なれば之を女と名くべしと。
(372) アダム睡眠より覚めて之を言へり、彼の言に驚骸の調あり、彼は総ての獣と鳥とを視察せり、然れども彼に適合するの助者を其中に発見する能はざりし、然るに彼は今彼の前に立たる彼に類したる而も彼と異なりたる彼の生涯の伴を見たり、故に彼は叫んで此言を発せり。〇「骨の骨、肉の肉」、親近之に勝る者あるなし、同一体の分離せし者、自我の異体となりて現はれし者、是れ女なり、妻なり、創世記々者の言に詩人の理想あり、〇「男(ish)より取たる者なれば之を女(ishah)と名くべし」と、希伯来語の女は男の女性名詞なり、日本語の男(をとこ)は小之子《ヲツコ》の転にしてその女(をんな又をみな)は小見人《ヲミナ》の音便なりと云へば二者の間に根詞的関係なきが如し、英語の woman は wifmann 又は wife-man にして人の妻を指すの言葉なりと云ふ。
  二四、是故に人は其父母を離れて其妻に好合ひ二人一体となるべし。
 夫妻の関係は人類の関係中最も親密なるものにして親子の関係も之に及ばずとなり、是れ支那学者をして幾回となく躓かしめし基督教の倫理なりとす、彼等は憤て曰ふ是れ基督教の背倫たるの証なり、妻に厚くして父母に薄きが如き、是れ忠孝道徳を其根底に於て破壊する者なりと。
 或は然らん、然れども偏執は事実を曲る能はず、基督教の夫妻観は社会に健全にして幸福なるホームを供して不自然にして不愉快なる支那的家庭を排しつゝあり、善良なる夫と妻と父母と子とは前者に多くして、後者に尠きは何故ぞや、姑※[女+息]の嫉視争鬩は何に因て来るや、何故に支那風の家庭に礼多くして実尠きや、儒教的家庭を覗ひ見よ、何ぞ其中に不平多きや、悲憤多きや。
 支那的道徳は不自然なればなり、夫妻天然の愛情を妨げんと欲する者なればなり、故に見よ、支那学者は彼等の索めつゝある孝道をも得る能はざるを、然り彼等の得し孝道なる者は圧制的に得しものなるが故に偽善的なり、(373)夫妻に天然の要求する愛情を許さゞる支那道徳は子たる者并に※[女+息]たる者より満腔の愛心を買ひ得ざるなり、支那学者は子に愛せられんと欲して僅かに彼等に懼れらるゝ者、怕れらるゝを見て愛せられしと謬信して喜ぶ者なり、父母を離れて妻に好合へとは妻のために父母を捨てよとの意にあらず、又妻たる者の言とあれば何事も之を採用せよとの教訓にもあらず、是は之れ神の教理にして天然の声なり、即ち人は情に於ては其父母を離れても其妻に好合はんと欲すとの彼の本能を言ひ現はせし言なり、若し此本能あるが故に子を責る者あらば是れ天然を責る者なり、神の造化を責るものなり、吾人は信ず、最も高尚にして最も誠実なる孝道は此本能の中に存することを。「一体となるべし」、命令的動詞にあらず「ならん」と読む方返てよく原意に適ふならん、(独逸訳の werden sein Ein Fleisch を参考せよ、之を英訳の shall be one flesh と読んで原意を誤り易し、)いま全節を意訳して左の如くに為さんには原意は一層明瞭なるを得べし。
   此故に人は其情に於ては其父母を離れても其妻に好合ひ二人一体とならんと欲するなるべし。
  二五、アダムと其妻は二人共に裸体にして愧ぢざりき。
 裸体を愧るの念は人類堕落を以て始まれり(三章二十一節を見よ)、彼等が未だ罪の何たる乎を知らざりし時に、彼等の肉体に不浄なる情慾の現はれざりし前に、彼等は裸体を以て愧ぢざりしなり、若し審美的に之を評せん乎、何物か人の身体に優て美なる者あらんや、是れ神の形に象れて造られし者なりと云ふ、天使の姿も之に優るものにはあらざるべし、之を無辜の小児に於て見よ、宝玉の美も遙かに之に及ばざるにあらずや、綺羅を以て体を掩ふは実は襤褸を以て真珠を包むの類ならずや、此整備せる身体に就て吾等が耻づるに至りしは抑々何が故ぞや。吾等は大美術家の筆に就りし裸体画を見て些少の悪感を覚えざるなり、不浄の人に依て画かれし裸体画が不浄の(374)人の眼に触るゝに及んで汚穢の念は懐かるゝなり、保羅曰く「潔人には凡の物清く、汚れたる人と不信者には一として潔き物なし、既に彼等の心と良心ともに汚れたればなり」、(提多書一章十五節)、裸体の醜態に就て侃々する者は宜しく先づ其心と良心とを潔むべきなり。 〔以上、明治34・11・20〕
 
    人類の堕落〔創世記第三章〕
 
  第三章一、エホバ神の造りたまひし野の生物の中に蛇最も狡猾し蛇婦に言ひけるは神真に汝等園の諸の樹の果は食ふべからずと言ひたましや、二、婦蛇に言けるは我等園の樹の果を食ふことを得、三、然ど園の中央に在る樹の果実をば神汝等之を食ふべからず又之に捫るべからず恐くは汝等死んと言給へり、四、蛇婦に言ひけるは汝等必らず死る事あらじ、五、神汝等が之を食ふ日には汝等の目開け汝等神の如くなりて善悪を知るに至るを知りたまふなりと、六、婦樹を見ば食ふに善く目に美麗しく且智慧からんが為に慕はしき樹なるによりて遂に其果実を取て食ひ亦之を己と偕なる夫に与へければ彼食へり、七、是において彼等の目倶に開て彼等其裸体なるを知り乃ち無花果樹の葉を綴て裳を作れり、
 
 此処に所謂る「蛇」は蛇なり、蛇如何にして人を欺くを得んや、是れ聖書の此句に対して常に起る疑問なり。然れども今此問題を他の方面より考究し見よ、人類は何故に蛇類を忌み嫌ふや、何故に極悪の人を指して蛇蝎と称ふや、狂すれば蛇を想ひ、魘《うな》さるれば蛇を夢む、蛇其物が醜悪なる動物なるに非ず、其中に毒液を蓄ふる者あるも是れ彼等の中の小数のみ、人類(殊に女性)が蛇を嫌悪するは実に其本性に属す、是れ何に因て然る乎。
 悪鬼を指して蛇と言ふ、是れ孰れの国語に於ても見る所なり、「大なる竜、即ち悪魔と呼ばれ、サタンと呼ばるゝ者、全世界の人を惑はす老蛇」(黙示録十二章九節)、とあるを読んで吾人は悪魔、老蛇の同一物なるを知る、(375)素盞嗚尊が斬り給ひしと云ふ、妖蛇《おろち》は蛇なりし乎、賊なりしか、吾人は深く之を究むるを要せず、蛇是れ賊なり、賊是れ蛇なり、人類の言語に蛇と賊とは同意義たるに至れり。
 「蛇婦に言《ものい》」ひたりと読んで吾人は蛇に発音器なきが故に言ひ能はざるを知る、彼れ亦無智の生物、人を惑はす者にあらざるを知る、然らば人を欺きし者は誰ぞ、勿論蛇を以て代表されたる悪魔なり、吾人は彼れ悪魔の何たるを知る、彼は蛇の如く智く其|貌姿《すがた》は優しく、其挙動は温雅なり、未だ曾て彼の譎計に陥りしことなき者は必ず彼を指して義人なり、仁者なりと做す、而も彼は彼の腹中に利剣を蔵す、一度び彼の毒牙に触れて何物も其捕握より免かるゝ事能はず、彼は離間者なり、疑察者なり、彼に因て人類は今日の悲惨に陥りしなり。
 物界は霊界の模型なり、聖者を代表するための鴿あり、悪魔を代表するための蛇あり、聖霊は鴿の如く天より降りて基督の上に止りたりと云ふ、物を以て心を語る、之を詩歌と云ふ、詩歌は比喩にあらず、詩歌は物の真意を発見する者なり、悪魔を指して蛇と云へるは詩歌的言語なり、然れども詩歌的なればとて虚偽の言にあらず、能く聖書記者の天然観を解して、此種の語法を解する易し。
 人類の堕落は彼が制限外の智識を得んと欲せしに基因す、彼は園の中にありし都ての果を食ふことを許されしも其中央にありし善悪を知るの樹の果のみは之を食ふことを禁ぜられたり、是れ彼の為に計て最も有益なる神の規定なりしなり、彼は神と宇宙と人生とに関し都ての事を知る能はざるのみならず、亦之を知て返て彼に害あること尠からず、例へば生死の時期の如き、是れ彼の知り得べからざる事たるのみならず、知て返て彼に害を及す者なり「無学は幸福なり」との標語は文運隆盛の今日に於ても多くの場合に於て尚ほ真理たるを失はず、人の知るべきことあり、知るべからざることあり、人は万事万物を究め尽して神の如くならざるべからずとは是れ大望(376)の如くに聞えて実は虚望なり、彼は自身総ての事を知るを要せず 或る事は直に之を彼の神に聞き、神の命を受けて信じて之を行へば足れり、是れ人たるの彼の本分にして、此本分を捨て神を離れて独り立たんと欲せしが故に彼の堕落は来りしなり。
 而して善悪を知るの樹とは如何なる者なりしぞ、是れ「食ふに善く、目に美麗《うる》はしく且つ智慧《さと》からんが為めに慕はしき樹」なりしとぞ、噫、今日世に称せらるゝ無神主義なる者は如斯きものにあらざる乎、天地に我と万物とを支配するの主宰あるなく、我は独り此世に立て独り我が運命を形成するを得べしと、其主張の如何に勇壮にして、其志望の如何に遠大なる、是を有神主義が神に対する服従を教へ、我意の抑圧を説くに較ぶれば、二者の優劣は疑ふべくもあらじ、宜なり、人類の始祖が悪魔の此誘惑の言に接して強く之に抗すること能はざりしは、吾人今日心に此言に接して時に吾人の迷信を歎じ、神を棄て、基督を去て、無神哲学に身を委ねんとするに非ずや、アダムとヱバとは虚望、傲慢、自信の故を以て神より離れたり、而して神より離れて彼等は自己を守る能はずして、終に総ての罪悪を犯すに至れり、神、予言者ヱレメヤをして其国人に言はしめて曰く、「我が民は二つの悪事をなせり、即ち活ける水の源なる我を捨て、自《みづ》から水溜《みづため》を掘れり、即ち壊れたる水溜にして水を有たざる者なり」と(耶利米亜記二章十三節)、人類は其始祖に於て活ける水の源なる神を去て、壊れたる水溜なる自己に頼れり、是れ総ての悪事の根源にして、彼の総ての悲痛、困窮は是に素まれり。
 善悪を知る樹の果を食ふて人類は神の如くになれり、(五節)、彼等の目は開けて彼等は自己の裸体を恥るに至れり(七節)、彼等は知らざりし彼等の目の開けし時は即ち其閉ぢし時なりしを、基督パリサイの人に告げて曰く「爾曹もし瞽ならば罪なかるべし、然れど今我儕見ると言ひしに因りて爾曹の罪は存《のこ》れり」と(約翰伝九章四節)(377)或る事に就ては目の開けざるこそ幸なれ、我儕が万事を知悉せりと思ふ時に我儕の暗黒は実に大なり。
 愧恥の念は罪悪の結果なり、(七節)無辜の小児に此念あるなし、偉人多くは小児の如くなるは彼等に此念薄ければなり、潔人《きよきひと》には凡ての物潔し、心に其主たる神を棄てより人類は其神聖なるべき身躰に就て愧るに至れり、(第十五号二五頁参考)。
 女子は男子よりも誘惑に陥り易し、是れ彼女の虚栄《ヴアニチー》を愛するの心に因らずんばあらず、彼女の此心よりして滅亡に終りし家族甚だ多し 女子虚栄を要求し、男子彼女の愛に溺れて彼女の此要求を充たさんと欲し、而して沈淪《ほろび》は彼等の家に臨むなり 悪魔は此弱点に乗じて人類を堕落せしめたり、実に恐るべきは女性の虚栄心なり。 〔以上、明治35・1・25〕
 
  第三章八、彼等園の中に日の清涼《すゞし》き時分《ころ》歩み給ふヱホバ神の声を聞しかばアダムと其妻即ちヱホパ神の面を避て園の樹の間に身を匿せり、九、ヱホバ神アダムを召《よ》びて之に言ひ給ひけるは汝は何処にをるや、十、彼いひけるは我れ園の中に汝の声を聞き裸躰なるにより懼《おそ》れて身を匿《か》くせりと、十一、ヱホバ言ひ給ひけるは誰が汝の裸なるを汝に告げしや汝は我が汝に食ふ勿れと命じたる樹の実を食ひたりしや、十二、アダム言ひけるは汝が与て我と偕ならしめ給ひし婦彼れ其樹の果実《み》を我にあたへたれば我食へりと、十三、ヱホバ神婦に言ひ給ひけるは汝がなしたる此事は何ぞや、婦言ひけるは蛇我を誘惑《まどは》して我|食《くら》へりと、十四、ヱホバ神蛇に言ひ給ひけるは汝是を為したるに因りて汝は諸《すべて》の家畜と野の諸ての獣よりも勝りて詛《のろ》はる、汝は腹行《はらばひ》て一生の間塵を食ふべし、十五、又我汝と婦の間および汝の苗裔《すえ》と婦の苗裔の間に怨恨《うらみ》を置かん彼は汝の頭を砕き汝は彼の踵を砕かん、十六、又婦に言ひ給ひけるは、我大に汝の懐妊《はらみ》の劬労《くるしみ》を増すべし、汝は苦みて子を産まん、又汝は夫を慕ひ彼は汝を治めん、十七、又アダムに言ひ給ひけるは汝その妻の言を聴きて我が汝に命じて食ふ可らずと言ひたる樹の実を食ひしに縁りて土は汝の為に詛はる、汝は一生の間|労苦《くるしみ》て其より食を得ん、十八、土は荊棘《いばら》(378)と薊とを汝の為に生ずべし、また汝は野の草蔬《くさ》を食ふべし、十九、汝は面に汗して食物を食ひ終に土に帰らん、其は其中より汝は取られたればなり、汝は塵なれば塵に皈るべきなりと、
 
 愛すべきの神は罪を犯してより怖るべき者となれり(八節) 神在さゞるにあらず、人彼を怖れて身を匿さんとするなり、世に神を識らずと曰ふ者あるは神を知らずして之を曰ふに非ず、自己の罪の顕はれんことを怖れてなり、基督曰く、「凡て悪をなす者は光を悪み其行の責《とが》められざらんが為めに光に就《きた》らず」(約翰伝三章十九節)と、無神論の主《おも》なる原因は人が其罪の顕はれんことを怖れて神の存生を否まんと努むるに存す。
 アダムと其妻とは日の清冷《すゞし》き時分神の声を聞けりといふ(八節) 日中、日は午に当る時分は万物活動して心|自《おのづ》から静ならず、随て人亦た神の実在を感ずること尠し、然れども夏の夕、日光其猛威を失し、万有皆な休息に就かんと欲する時分、是れ良心の覚醒する時にして、神の細き微かなる声が其奥底に響く時なり、「汝は何処に在るや」と、噫何人か一度は神の此声を聞かざりし者ぞある、是れ罪人に取て怖るべき声なり、彼はその彼の造主の声なるを知る、然れども彼は之を認めざらんと努む、時に彼は独り清涼の樹下に此声を聞くに堪へずなり、此好個の祈祷の座を去て、罪悪の宴に彼の同類を求め、飲楽の間に彼の良心に響き渡る神の此声を消さんと計る。罪を犯せしの結果として人は其裸躰を恥づるに至れり(十節) 此に於てか虚礼の必要彼に生じ、彼は心の汚穢を蔽ふに身の衣服を以てせんとするに至れり、裸躰は今は彼が神の前を避くるための口実となれり、かの身を飾るに汲々たる者を看よ、彼等多くは心の美に於て欠くる所の有る者なり、心に潔くして人は多く意を装飾に注がず、修飾は常に堕落の徴なり。
 神はアダムの提出せし口実に対して曰ひ給へり、「汝何者なれば言を裸躰に藉りて我が前を避けんとするや、(379)汝は我が命に叛きし者に非ずや」と、(十一節) 神は託言を以て欺く可らず、彼は直に人の罪を指明して其良心を衝き給ふ、此言に接してアダムは答ふるに言葉なかりき。
 神に心中を看破されしアダムは今は自己の罪を他に嫁せんとせり(十二節) 曰く「婦我をして此罪を犯さしめたり」と、罪を他人に帰して自から其責を免かれんとするは罪人の常なり、彼れ逃るに途なきに至るや、彼れ之を彼の最愛の妻に帰するに躇躇せず、世に其罪を他人に負はしめて自身潔白を装ふ者多きを看て、其尚ほアダムの罪跡を継続しつゝあるを知らん。
 夫は其罪を妻に帰し、妻は之を蛇に帰す、(十三節) 罪悪の世は罪のナスリ合ひに外ならず、無責任の念は罪悪と共に世に臨めり、罪を除くにあらざれば責任の念を回復する能はず。
 堕落の原因は蛇にあり、(十四節) 彼は人を欺きし者なり、人の罪は欺かるゝに在りたり、故に神は蛇を憎み給ひて人を憐み給ふ、神の心に於ける人類救済の企画は早く既に其堕落の時に始まれり。
 悪魔を代表する蛇を看よ(十四節) 其血は冷かにして其舌は二枚なり、其眼に瞼なくして、其眼光は鋭し、其挙動は円滑にして曾て声を立てず、而かも脳中毒嚢を蔵し、腹行して塵を食ふ、彼は雲雀の太陽を指して昇るを解せず、一度び其獲物に接すれば一撃の下に彼を殺す、彼は紅雀《べにすゞめ》の清気に酔ふを了らず、彼は常に叢の中に匿れてたゞ奸策を施すのみ、友は彼のために離間されて敵となり、夫は彼のために愛情を奪はれて其妻と別る、「蛇、蛇、蛇」彼に注意せよ、彼は教会の中にあり、彼は我等を殺す者なり、世に怖るべく憎むべきものにして実に彼の如きはあらず。
 人類と蛇族との間に存する敵意怨恨は永久的なり、(十五節) 人は生れながらにして蛇の其固有の敵なるを知(380)る、荒蕪の開拓は先づ蛇類の剿滅を以て始まる、人は終に彼を絶さゞれば止まざるべし。
 蛇は婦の踵《くびす》を砕きたり、故に婦は終に彼の頭を砕くに至らん(十五節) 婦の胎に宿りし者は終にゴルゴタの丘に於て彼に勝てり、人類救済に関はる神の約束は茲に始まれり。
 然れども其勝利の実の挙るまでは人類は其犯せし罪のために苦しまざる可らず、女に懐妊の苦労はありしも、其堕落の結果として彼女は一層強く之を感ずるに至らん、(十六節) 必しも出産当時の苦痛に限らず、此れ比較的に軽き苦痛なり、失恋の苦痛なり、偽愛の苦痛なり、愛せざる者に彼女の愛を呈し、敬せざる者を彼女の夫として仰ぐ、誰か神を離れし婦人の心を知る者ぞある、人生莫v作2婦人身1、百年苦楽由2他人1、懐妊其者の劬労なるに非ず、愛せざる者を妊む、是れ愧恥の極なり、然れども之を如何せん、彼女は彼女の造主を棄てたり、故に彼女は愛ならぬ者の支配を受くるに至れり、神に還へれよ、我が姉妹よ、還つて彼を主と仰げよ、然らば神は再び汝を恵み、汝をして彼の定めし所に安んぜしめ給はん。
 女子然り、男子亦然らざらん耶(十七節) 此美はしき地は彼のために詛はれ、楽しかるべき労働は彼に取て労苦と化せり、彼れ利慾に駆られ濫りに山の林を断つや、洪水為に沃土に氾濫して田園忽に化して砂原となる、採鉱の術、染色の法、共に汚毒を醸して清流為めに魚介を宿さゞるに至る、世に天災なきにあらず、然れども地上の残害の十分の九は之を人為に帰せざる可らず、若し罪なきの人をして之を耕さしめしならば此地は今日の如き涙の谷にあらざりしならん。
 荊棘と薊とは廃棄せられし田畝の産なり、(十八節) 天然は創始《はじめ》より是等の有害植物を以て原野を掩はず、然れども人一度び之を拓き、之に植ゆるに有用植物を以てし而して後地の肥料を収取し尽して再び之を放棄するや、(381)荊棘と薊とは其面に生じ、彼の残忍の業を詛ふ、永く煙草の耕作に使用せられし土地にして此状態に在る者甚だ多し、かの二宮尊徳翁をして彼の心血を絞らしめし者は未開の山野にあらずして、民の懶惰と過慾とより来りし荒廃に帰せし田野なりし、之を渡良瀬川の沿岸に於て見よ、白茅黄葦満目惨憺たるの状は皆な是れ罪悪の結果たるに非ずや。
 園の実を食ひし者は神を離れてより野の草蔬《くさ》を食ふ者とはなれり(十八節)、人は直に父の恩賜に与かること能はざるに及んで自から食を野生の植物中に索めざるを得ざるに至れり、耕作の業勿論悪しきにあらず、然れども神の園を理《おさ》むるの心を以てせずして、地より食を竊取するの念を以て之に従事するに至りしは確に罪悪の結果と云はざる可らず、人類にして若し罪を犯さゞりしならば彼は衣食のために多く苦しむことなかりしならん、彼の労働はより貴きものゝために仕向けられ、彼は肉に足りて霊の為に彼れの主力を消費するを得しならん。
 労働は神聖なり、幸福なり、快楽なり、最も大なる神の賜物なり、額に汗せずして人生の快味を知る難し、神は遊惰の民として人を造り給はざりし、人は其創造の始めより汗を流す者なりし。
 然れども彼れ神の命に叛いてより労働は彼に取て苦しき者となれり(十九節) 彼は強ひられて之に従事するに至れり、彼は即ち奴隷の一種に化せり、彼の流す汗は今は温き熱心の汗にあらずして、冷たき苦役の汗たるに至れり、面に汗して食物を食ふとは此事を言ふなり、即ちイヤイヤながらに耕耘製作に従事するの状を云ふなり、罪悪の結果にして労働が其快味を去るに至りしが如く歎ずべきものあるなし、労働が苦痛と変ぜし時に人生は渋苦と化せしなり。
 「塵より出て塵に帰る」(十九節) 人は素と斯くあるべき者にあらざりしなり、彼は神の大能に因て塵より出(382)て霊に化するの特権を有せり、彼は皆なエノクの如く神と偕に歩みて此地に形骸を遺すことなく「居らずなる」べき者なりき(創世記五章二四節)、墓なる者は彼が自身撰んで作りし者なり、禽獣に死あるが如く彼も亦必ず死すべき者なりと惟ふは誤謬なり、人のみは素と死すべき者にあらざりし、彼は墓を望まずして此世を逝るべき者なりし、「死の刺《はり》は罪なり、」罪を犯せしに依て人は神より死刑を宣告せられしなり、恐怖の王なる死を看よ、而して罪の如何に怖るべきものなるかを覚れよ。 〔以上、明治35・2・22〕
 
   第三章廿、アダム其妻の名をヱバと名けたり、其は彼は群《すべて》の生《せい》の母なればなり、廿一、ヱホバ神アダムと其妻のために皮衣《かはごろも》を作りて彼等に衣せ給へり、廿二、ヱホバ神曰ひ給ひけるは視よかの人我等の一《ひとり》の如くなりて善悪を知る、然れば恐くは彼れ其手を舒べ生命の樹の菓実をも取りて食ひ限りなく生んと、廿三、ヱホバ神彼をエデンの園よりいだし、其取て造られたる所の土を耕さしめ給へり、廿四、斯くて神其人を逐出し、ヱデンの園の東にケルビムと自《おのづ》から旋転《まは》る焔《ほのほ》の剣を置て生命の樹の途を保守《まも》り給ふ。
 
 希伯来のエバ(Churrah《〔Chavvah〕》は其「生」なる詞なるエイ(Chai)の女姓名詞なり、即ち生命の女的側面の意なり、妻たる者の名としては不適当なるものに非ず、然れども群生の真の母は神なり、神に奉るべき名を以て其妻に附す、之れ亦堕落の一兆候と見做さゞるべからず、女人崇拝なる者は米国又は英国に於て素まりし者にあらず、人類が神を離れてエデンの園を逐れし時に既に此悪風ありたり、(廿節)。
 罪を犯せし人類の始祖は裸体を耻て無花果樹の葉を綴りて裳を作りて其体を掩へり、(七節)、然るに神は更に彼等のために獣を屠り、其皮を剥て衣を作り以て彼等に衣せ給へり(廿一節)、斯くて神は彼等に犠牲の必要を教へ、彼等は他の者に依て供せられし義の衣を着るにあらざれば再び義人として神の前に立つ能はざるを示し給へ(383)り、犠牲の念は犯罪と共に起るものなり、罪を犯さゞる所に犠牲の要なし、故に保羅は曰く、「爾曹主イエスキリストを衣よ」と(羅馬書十三章十四節)、又曰く、「我儕この幕屋に居り、重きを負ひて歎くなり、之を衣の如く脱んことを欲はず、彼を衣の如く着んことを欲ふ」と(哥林多後書五章四節)、罪を犯してより人類は何物かを着ざるべからざるに至れり、獣類の供する皮衣を以てか、或は神の羔の給する義の衣を以てか、彼は彼の愧耻を掩はざるべからず、贖罪の必要は堕落と同時に生ぜり。
 人は善悪を知るに至て(即ち知ると自から信ずるに至て)彼は神の如くなれり、即ち独り自から神に依ることなくして万事を処理するに至れり、而して自立と同時《とも》に彼は天与の自由を失へり、彼は今は生命の樹に触るゝ能はざるに至りぬ、然れども彼は彼の失ひし自由を慕ふて休まず、屡次彼の手を舒べて之を取て食はんとせり、或は彼の哲学を以て或は彼の発明に罹る宗教を以て彼は生命の樹の菓実を獲んとせり、然れども神の恩賜なる此菓実を彼は如何なる手段を尽すも獲る能はず、彼の熱心天を焦すに足るも、彼の深慮地を穿つに足るも彼は自から努めて限りなく、生ること能はず、永生は神の賜なり、人、神に依らずして之を竊み取らざらんがために神は旋転《まは》る焔の剣を以て之に達する途を防ぎ給へり。
 人終に園を逐はる、(廿三節)、荊棘と薊とは今は彼を迎へり、彼は自由を愛して却て束縛を得たり、彼は真の自由は神の束縛なるを悟らざりき、彼は独り世に処して彼の運命を完ふするの却て快楽なるを意へり、嗚呼如何なる失錯ぞ、彼の終生の悲痛は此に素まれり、彼は自誇自満の故を以て堕落せり、彼はこ1に漂流を始めたり、これより彼の身に重傷を負ふ無数、彼の涙を流し尽し、彼の腸は断たれ、彼の心は裂けて彼は始めて此世に於ける流浪者なるを了るに至らん、而して零落の極、彼の眼※[しんにょう+向の一画目なし]かに父の家を望み、「我れ起て我が父に往ん」と曰ひ(384)て彼の踵を回すに至るまでの彼の行路の如何に嶮しきよ、行路難、行路難、山にあらず、河にあらず、人、其本性を悟らざるにあり、神を離れて独り歩まんとするにあり、深く思はざるべからず。
 園の東は其正門のある所なり、(以西結書第四十章六節参考)、神は園の中央に在る生命の樹を守らんがために殊に其東門の守備を厳にし給ふ、ケルビムは威厳の現象なり、(以西結書第一章)、神は律法《おきて》の櫃なる二個《ふたつ》のケルビムの間よりしてイスラエルの民に諸の事を語らんと曰ひ給へり(出埃及記第廿五章廿二節) 慈愛を以て装ひ給ひし神は罪人に対しては威厳を以て現はれ給ふに至れり、生命の樹今やケルビムの守る所となれり、自由は血を流すことなくして得る能はざるに至りぬ。
 自から旋転《まは》る焔の剣の何なるかを知る難し、或ひは是れシエキナー(Shekinah)なる神の自顕ならんと云ふ或は然らん、威厳の威象なるケルビムと相対して其威風凛列の象なるは疑を容れず、自動的の焔の剣は断《き》る者なるが如くにして焼く者なり、機具なるが如くにして活物なり、恐怖を描出する辞にして此の如きは他にあるなし、而も言ふ生命の樹を守る者は此剣なりと。
 生命の樹は今猶ほ存す、エデンの園は未だ失せず、然れども威厳の之を囲むあり、恐怖の之を護るあり、吾等之に近かんと欲して近く能はず、人類の歴史なる者は楽園挽回の歴史に外ならず、政治たり、殖産たり、兵備たり、科学たり、皆な楽園を回復せんための手段に外ならず、如何にして最上の幸福に達するを得ん乎、如何にして生命の樹の菓実を食ひ得て限りなく生るを得ん乎、此難問題を解釈せんために総ての哲理と総ての方法とは講ぜらるゝなり、而して人生のスフインクスは声を揚げて言ふ、此問題を解けよ、然らざれば我れ汝を殺さんと、死と剣とは生命の樹を守て今日に至れり、我等之に近づかんとすれば、山鳴り、地震ひて我等の手の之に触るゝ(385)を許さず、嗚呼憐れむべきかな楽園を逐はれし人類。
 然れども一人あり、彼は我等のために再び生命の樹に達する途を開けり、ナザレのイエス彼なり、彼は自から血を流してケルビムと焔の剣の間に我等の歩むべき途を開き給へり、然り、血を流すにあらざれば途は開けざりし、然れども人が政治的自由を得んがために血を流すが如くにあらずして、彼は独り自から我等の科《とが》を担ひ、我等の罪の祭物《さゝげもの》として献げられ給へり、彼に由てエデン回復の端緒は開かれたり、我等は失望を去て可なり、神の愛は終にその律法《おきて》に勝てり、焔の剣、今は我等の身に害を加へざるに至りぬ。 〔以上、明治35・3・20〕
 
    最初の殺人罪〔創世記第四章第一節−第一五節〕
 
  一、アダム其妻エバを知る、彼女孕みてカインを生みて言ひけるは我ヱホバに上りて一箇《ひとり》の人を得たりと、二、彼女また其弟アベルを生めり、アベルは羊を牧ふ者カインは土を耕す者なりき、三、日を経て後カイン土より出る果《み》を携へ来りてヱホバに供物《そなへもの》となせり、四、アベル、彼も亦其羊の初生《うひご》と其肥えたる者を携へ来れり、ヱホバ、ア.ベルと其供物を看顧《かへりみ》たまひしかども、五、カインと供物をば看顧給はざりしかばカイン甚だ怒り其面落ちたり、六、ヱホバ、カインに言ひ給ひけるは汝何ぞ怒るや、汝の面何故に落るや、七、汝若し善を行はゞ其挙げられざることを得んや、若し善を行はずば罪|門戸《かどぐち》に伏す彼は汝を慕ひ汝は彼を治めん、八、カイン其弟アペルに語りぬ、彼等野に在りける時カイン其弟アベルに起《たち》かゝりて之を殺せり、
 
〇人類は堕落せり、然れども彼に猶ほ家庭の和楽は存せり、神は彼を逐放せられしと同時に彼より男女同室愛児養育の快楽を奪ひ給はざりし、愛は其最も下等なる状《かたち》に於て救済的なり、妻を愛し子を愛する者に復たび其造主(386)を愛するに至るの希望存す、人類救済の希望は其家庭にあり、愛の泉源此処に溢れて世は復たぴ楽園と化するに至らん。(第一節)。
〇ヱバ男子を生んで之をカインと名く、「賜物」の意なり、彼女に猶ほ感恩の念存せり、彼女は独り自から子を設けたりとは想はざりき。彼女は之をヱホバより得たりと云へり、人類の有する多くの感情の中に母が始めて其子を産みし時の感に優て聖く且つ深きはあらざるべし、宜なり、聖書に記載せらるゝ最も著名なる感恩歌は母が其|初子《うゐご》を産みし時に其口に唱へしものなりとは(撤母耳前書第二章ハンナの讃美歌) 総ての子はカインなり、即ちヱホバによりて得たる者なり、吾等何人たりとも此一事を忘るべからず。(第一節)。
〇ヱバ亦カインの弟アベルを生めり、アベル訳せば「疲労」の意なり、出産の劬労を想ふて斯く名けしならん、カインを生んで歓びしヱバはアベルを設けて痛く出産の労苦を感じたりしが如し、喜んで長子を迎かへしヱバは稍や困倦の念を以て次子を迎へたり、然れども曷んぞ知らん、彼女が喜んで迎へし者が却て彼女を苦めし者たらんとは、(第二節)。
〇弱きアベルは羊を牧ふ者となり。強きカインは土を耕す者となれり、牧畜必しも貴きにあらず、耕土必しも卑しきにあらず、二者共に神聖なる農業の両面にして、是に従事して人は労働の神聖を味ひ得て復たび労働の神に帰るを得べし、唯知る、牧畜の業は耕耘のそれよりも天然と交はること更に一層親しきが故に誘惑の之に伴ふ稍や少きを、牧畜の民が常に純撲の民にして、彼等の耕耘の業に移る時は其奢侈の程度を増す時なるは何人も能く知る所なり、其業の選択より考ふるもアベルは寡慾の人にしてカインは多慾野心の人たりしは明瞭なるが如し。(第二節)。
(387)〇供物は感恩の記念なり、之を神に献ぐるは是れ人たる者の至当の義務なり、神は之を自己《おのれ》のために要し給はず、彼は之を献ぐる人のために之を要し給ふなり、人に最も肝要なるものは酬恩の念なり、之れなくして彼は高貴なる天の恩賜に接する能はず、依頼すべきの人あり、依頼さるべきの神ありて供物の礼は二者を繋ぐための必要なり。(第三節)。
〇カインは土より出る果を携へ来り。アベルは其羊の初生《うひご》と其肥えたる者を携へ来れりと云ふ、乃ちカインは僅に土産の一を携へ来りしに止まると雖もアベルは其群羊の中より最善最美のものを撰び来りて之を神に献げたり。依て知る二者の供物の間に大なる差異ありしことを、同じく是れ供物なりしと雖も其之に依て.表証されし誠意に至てはアベルのものは※[しんにょう+向の一画目なし]かにカインのものに優れり、人は総てのものを神より受くる者なれば神に献ぐるに彼の受けしものゝ中より最も善きものを撰ばざるべからず、而かも知る、世の供物なるものゝ多くは是れカインのそれに似て僅に所有の残余を神に献ぐるに止まるものなることを。(三、四節)。
〇其供物に於て現はれし二者の誠意斯の如し、神がアベルの供物を喜び給ひてカインのそれを看顧《かへり》み給はざりしは敢て怪むに足らず、神は野の産を嘉《よみ》し給はず、亦山の産を喜び給はず、神の看顧み給ふものは 遜りたる誠実《まこと》の心なり。(詩篇第五十一篇第十七節)、神は勿論供物其物のためにカインを斥けてアベルを受納し給ひしにあらず、彼は人の心を観給ふ者なれば義務の念に強ひられて供物を献げしカインを斥けて感謝の意に駆られて之を彼に携ち来りしアベルを受容し給ひしなり、世に無益なるものとて感謝の念に基因せざる供物の如きはあらじ、是れ神を喜ばすに足らず、又自己と他人とを益せず、今日世に称する義務約慈善なるものは多くは是れカインの供物なり。(四、五節)。
(388)〇神に其心裡を看破せられて其供物を斥けらるゝやカイン甚だ怒り其面落ちたりと云ふ、彼は始めより好意を以て彼の供物を携ち来りしにあらず、故にその受納せられざるを見るや甚く怒り且つ絶望せり、納れらるれば喜び斥けらるれば怒る、其信ぜらるゝや羔の如く従順に、其信ぜられざるに至るや野猪の如くに狂暴なる。是れ悪人の常態なりとす、彼等は欽慕奉仕の巧言の下に毒蛇の剣を匿し持つ者なり。(五節)。
〇神カインを諭して曰く、「汝の憤怒と絶望とは汝自身の悪業に因る、汝にして若し汝の行為を改めんには汝の面挙げられざることを得んや」と、カインは彼の憤怒の原因を神に帰せり、彼は想へり、「我の供物に間然する所あるなし、神が之を受けざるの罪は神に在て我に在るなし」と、彼は神は完全の愛にましまして彼に憤怒なるものゝ無きを暁らざりし、彼は彼自身に愛の足らざりしが故に絶望に陥りしことを覚らざりし、憫むべきかなカイン、憫むべきかな凡の憤怒の子供、憤怒と絶望とは小心の結果なり、小心猜疑を醸し、猜疑公義に触れて憤怒となる、小心亦嫉妬を簇生し、而して嫉妬真正の愛心に接して絶望となる、故に神はカインの行為を怒り給はずして却て諄々彼を諭し給へり、吾人小人に対する亦爾かせざらんや。(六、七節)。
〇若し善を行はずば罪門戸に伏すと、怕るべきかな、罪を追遣るの法は善を行《な》すにあり。善を行さゞる時に悪は吾人の門戸に迫り来る、言ふを休めよ、吾人は悪を為さゞれば足ると、悪は招て来るものにあらず、善を為さゞる時に来るものなり、疾病を避くるための唯一の方法は健康を増すにあり、世の所謂消局的倫理なるものは徳を建て得ざるのみならず亦悪をも斥る能はず、聖書は其|巻首《はじめ》より積局的道徳を教ゆる書なり。(七節)。
〇神又宣く、「彼(罪)は汝を慕ひ、汝は彼を治めん」と、善を行はざるカインは罪を其門戸に招きしのみならず亦罪の慕ふ所となれり、愛情は之を圧殺する能はず、若し善を愛せざれば悪を愛せざるを得ざるに至る、かの(389)淫婦に恋慕せられて死滅に終る男児を見よ、彼に真美を愛するの心なかりしが故に彼は此悲境に陥りしなり、西諺に曰く「何事をも為さゞるは悪事をなすなり」と、世に遊惰に時を過すが如き危険あるなし、此時吾等は罪の慕ふ所となり、其罠に入る甚だ易し、茲に於てか吾等に警誡の必要生じ、吾等は罪を制御せざるを得ざるに至る。(七節)。
〇「彼を治めん」「罪を制御せざるを得ざるに至らん」、是れ罪悪の世に在ては吾等が為さゞるを得ざる所の事なれども、而かも是れ吾等が善を励みつゝある時に方ては為すの必要なき事なり、吾等が善を行すに多忙たる時は吾等が悪を不問に置く時なり、そは其時悪は吾等に近くを得ざるが故に、吾等は其制御に吾等の注意と精力とを奪はるゝことなくして一意専心以て善の遂行に従事し得ればなり、吾人は善を励みて悪と全く無関係の者となるべきなり、悪を近寄せず、悪に慕はれず、亦悪を治むるの要なき者となるべきなり。(七節)
〇然れどもカインは終に神の此聖諭を覚る能はざりし、彼は罪の慕ふ所となり、終に其捕虜となれり、嫉妬の焔今は彼の心に燃え、彼は今は此心中の苦悩を現実せざれば止み能はざるに至りぬ、彼は終に心に決せり、彼は辜なき彼の弟アベルを殺さんと、彼はアベルに罪なきを知れり、然れどもアベルの清浄に対比して彼は彼の汚濁に耐ゆる能はざりし、罪悪は自殺的なり、罪は罪を掩はんがために罪を作る、心中の嫉妬は外形の殺人罪となりて現はれたり、カインは終に辜なき其弟アベルを殺したり。(八節)。
〇嫉妬、憎悪、殺罪…カインはアベルを憎みて之を殺したり、「何故に之を殺しゝか、己の行ひし所は悪しく弟の行ひし所は義《たゞ》しかりしに因る」(約翰第一書三章十二節)、即ちカインの殺人罪は憎悪に基き、其憎悪は嫉妬に基けり、彼は自己の義を装はんがために其兄弟を殺したり、以て知るべし、彼の犯せし罪悪は殺人罪の最も極悪(390)なるものなりしことを、財を奪はんための殺人罪にあらず、亦情慾を充たさんための故殺にもあらず、高徳を嫉んでの殺人罪なり、信仰を憎んでの兄弟殺しなり、罪悪の最も心霊的なるものなり、即ち神に就て知りしことなき者、又は徳義に就て学びしことなき者の犯し能はざる罪悪なり、カインは即ち義人迫害者の祖先なり、義人サボナローラを殺せし羅馬法王アレキサンドル第六世はカイン正統の裔なり。而して今日猶ほ其兄弟姉妹のより高き信仰とより潔き行動を嫉み之を憎み之を罪に陥れんと計る基督教界無数の教師、牧師、伝道師、役者の類は皆な悉くカイン正統の子孫なり。(第八節)。 〔以上、明治35・4・20〕
 
  九、エホバ、カインに言ひ給ひけるは汝の弟アベルは何処に居るや、彼言ふ我知らず我豈我弟の守者《まもりて》ならんやと、十、ヱホバ言ひ給ひけるは汝何を為したるや、汝の弟の血の声地より我に叫べり、十一、されば汝は詛はれて此地を離るべし、此地其口を啓《ひら》きて汝の弟の血を汝の手より受たればなり、十二、汝地を耕すとも地は再び其力を汝に効《いた》さじ、汝は地に吟行《さまよふ》ふ流離子《さすらひゞと》となるべしと、十三、カイン ヱホバに言ひけるは我が罪は大にして我は之を負ふこと能はず、十四、視よ汝今日斯他の面より我を逐出し給ふ、我汝の面を瞻ることなきにいたらん、我れ地に吟行ふ流離子とならん、凡そ我に遇ふ者は我を殺さん、十五、ヱホバ彼に言ひ給ひけるは然らず、凡そカインを殺す者は七倍の罰を受んと、ヱホバ、カインに遇ふ者の彼を撃たざるため印誌《しるし》を彼に与へ給へり。
 
〇神は勿論カインの犯罪を知り給へり、然れども彼をして其罪を自白せしめて彼に赦罪の恩恵を施さんが為めに問を設けて彼に曰ひ給へり、「汝の弟アベルは何処に居るや」と、是れ確かに詰責の言辞に非ずして恩恵の言辞たりしなり、然れども憐むべきカインは神の慈恵を了らざりき、彼は神に告ぐるに虚偽を以てし、殺人の罪に加ふるに偽証の罪を似てせり、彼は曰へり、我知らず、我豈我弟の守者ならんやと(第九節)。
(391)〇「我豈我弟の守者ならんや」と、カインは同胞兄弟の関係義務を無視したり、彼は此語を吐て社会壊乱者の標語を作りたり、人は相互ひの保護者なり、是れ神の聖意にして社会存在の原則なり、我は独り存在する者にして我は我が隣人に何の負ふ所なしと云ふ者は社会を其根底に於て破壊する者なり、殺人罪を世に紹介せしカインは亦総ての社会擾乱の基《もとゐ》を開けり、(第九節)。
〇カインが其罪を自白せざるが故に神は彼に之を摘示し給へり、曰く「汝の弟の血の声地より我に叫べり」と、人の之を神に告げしに非ず、血に声ありて地より彼に叫びたりとなり、勿論血に声ある筈なし、声は此場合に於ては確証の意味ならざるべからず、血痕歴然として之に声あるが如しとの謂ひならん(第十節)。
〇兄弟の血を流して地を汚せし者は神と人とに詛はれしのみならず、亦地の詛ふ所となれり、地はカインの手より辜《つみ》なきアベルの死体を受けて其復活の日まで之を守ると同時に、亦カインに向ては呪咀を宣告せり、地は神の造り給ひし者なれば神と協同して働くなり、地は神の祝する者を祝し神の咀ふ者を咀ふ、カインは思ひしならん、我仮令禅の咀ふ所となりしも尚ほ地上に於ては安全なるを得べしと、彼は自から撰んで天の特権を放棄せしと雖も、地に在ては其主権を揮はんと欲へり、彼は天は聖徒に属するものなるも地は彼并に彼の同類の所有《もの》なりと思へり、彼は彼の望を属せし地までが彼を咀ふに至りしまでは地と其中にある総てのものも亦神の属《もの》たることを了らざりき、来らんとする天の希望を放棄して、目前の地の快楽に飽かんと欲して終に亦地の咀ふ所となり、天上天下身を容るゝに所なきに至り、失望落胆に生命を終る者は豈惟りカインのみならんや(第十一節)。
〇第十一節の訳文少しく粗なり、之を次の如く改訳するの必要あるを感ず、即ち、
  されば汝は其口を啓きて汝の弟の血を汝の手より受けし地より咀はれん。
(392)  「離るべし」の詞、原文にあるなし。
〇悪人は地を耕すを得べし、然れども地は彼に其力を効《いた》さず、是れ彼に果実を供せずとの謂ひにあらず、彼に歓喜と満足とを供して彼の心と霊とを養はずとの意なり、彼は飽くも餓え、満るも欠け、彼の倉廩に禾穀満ちて彼の心は常に憂愁を以て溢る、彼は広土を有するが如くに見えて、実は寸地を有する者に非ず、保羅は自身「何も有たざるに似たれども凡の物を有てり」と云へり、天を有すると同時に亦地をも有する者は無一物の如くに見ゆる基督信者(真正の)のみ(第十二節)。
〇神を失ひ人と離れ、天に希望を失して地に咀はる、彼れ今至るに所なし、故に世を終るまで彼は此地に吟行ふ流離子たらんのみ、僅に二十年に三倍する生命に身を託し、其短期限内に彼の総ての志望を圧縮し、飲み、食ひ、娶り、生み、時には友を売りて些少の名誉と利とを貪り、淫し、党し、憤り、義人を装ひ、而して耻辱の墓に下る、罪を天に得て訴ふるに所なし、神に咀はれて人は無辺の宇宙に身を寄するに所なきに至る、(第十二節)。
〇罪の宣告に接してカイン怖るゝ事甚だしく、重科の彼の身に罹るを自認し、偏に神の寛恕を乞へり、然れども彼の後悔なるものは保羅の謂ゆる「悔なきの救を得るの悔改」にはあらざりし、彼はたゞ恐怖の余り、神の寛恕を求《ねが》ひしのみ、彼は曰へり「我は之を負ふこと能はず」と、即ち我は我が受くべき刑罰に堪ゆる能はずと、彼はたゞ減刑を乞ひしのみ、喜んで刑に伏して心に罪の赦免を得んことを、求めしにあらず(第十三節)。
〇物質的なるカインは神の言辞を総て物質的に解せり、彼は地に咀はれしと聞き直に地の面より逐出ださるゝことゝ思へり、彼は神を以て肉躰を着けたる人とのみ想ひ、放蕩児が其父を想ふが如く、単に肉慾の供給者生命の保護者としてのみ神を解せり、故に彼も亦永久に神と偕に在らんことを求ひ、胡の面を瞻ること能はざるに至ら(393)んことを懼れたり、神の前より逐放されて彼の衣食供給の途は絶たれ、亦社会普通の法律に問はれて彼の罪の罰せられんことを恐れたり、神の聖旨《みむね》に徒はんとはせず、たゞ物質的に神の子たるの特権に与からんことを欲《おも》へり、斯く欲ひしは惟り殺人犯の始祖たるカインに止まらず、口に公然基督教を排斥するも尚ほ身を基督教国の国籍に置き基督教的国民を以て世界に誇る多くの似て非なる『基督教的市民《クリスチヤンシツゼン》』、交際上の利益を求め、子女の教育の便益を計り、妻女の淑徳の安全を期して、心に基督教の何たるを解せざるも自から進んで洗礼を受けて基督の教会に入りし我国数多の『基督信者』なる者は皆なカインの心を以て心とする者なり。(第十四節)。
〇躬《みづ》から進んで其兄弟を殺しながら自身は人に殺されんことを怖る、世に卑怯なる悪人の如きはあらず、彼に真勇ありて凶暴を行ふにあらず、彼は激情に駆られて之を行《な》すなり、故に情波一たぴ静まりて彼れ其本性に立還るや、彼は恐怖戦慄、身を処するに術なく、たゞ偏に有司の寛大を哀求し以て身の安全を計らんとするのみ 真正の勇者は正当の刑罰を避けず、彼は喜んで之に伏し、身に苛責を加へて心の洗浄を計らんと欲す(第十四節)。
〇兄弟を殺せしカインは人に殺されんことを怖れたり、然れども神は人をして彼を殺さしめずと誓ひ給へり、是れ一には死刑の非理を教へんためにして、二には犯人を永く此世に留めて罪悪の怕るべき結果を広く世に示さんがためならざるべからず、斯くて罪人には改悔の機会を供せられ、彼を瞻る者には罪を恐るゝの念を起さしめ給へり(第十五節)。
○「カインを殺す者は七倍の罰を受けん」と、是れ罪人を保護せんための神勅にあらず、カインの生命を保存するは公益のためなり、且つ生命は神の眼の前には罪人のものと雖も神聖なり、神に咀はれし者の生命なればとて徒らに之を奪ふ者は却て亦神の咀ふ所となる、殊にカインは今や既に刑を宣告せられ身に犯罪の印誌《しるし》を受けし(394)者なれば彼を殺すが如きは是れ保護なき者を殺すの類にしで、神の甚だ忌み給ふ行為たるや必せり、米国に今日行はるゝ罪人私罰《リンチ》の習慣は神の此禁制を犯すものにして、其極悪の行為たるや言を俟たずして明かなり、(第十五節)。
○「ヱホバ、カインに印誌を与へ給へり」と、其如何なる印象たりしや今知るに由なし、或は云ふ獰悪の顔貌にして一目以て彼の殺人犯たるを証するに足りしものならんと、或は然らん、今の世に在ては悪人の多くは天使の貌を装ひ、善く慈善を語り、革新を談じ、人に向ては深切にして其言辞に蜂の蜜の如きものある者あり、故に吾人は彼の真悪人たるを了し得ずして、彼の掌中に陥り易く、為めに惨絶の困苦に遭ふこと屡々なり、然れども蒙昧の時代に方て未だ内心を外に装ふの術を知らざる民の中に在ては、神は吾人が今日吾人の社会に於て目撃するが如き偽善虚飾を許し給はざりしならん、カインの罪悪は明瞭に彼の額と頬と唇とに印せられて、彼は至る処に彼の身に宿るヱホバの呪咀を示せしならん、我はカインを憎むと雖も而かも彼が罪悪を公表せしを嘉みす、カインに勝るの悪人とは今日吾人の社会に彷徨する善人義人を装ふ多くの「忠臣」「孝子」又は「基督信者」の類なりとす。 〔以上、明治35・5・20〕
 
    善悪二子の裔〔創世記第四章第一六節−第二六節〕
 
  十六、カイン、ヱホバの前を離れて出てエデンの東なるノドの地に住めり、十七、カイン其妻を知る、彼女《かれ》孕みてエノクを生めり、カイン邑《まち》を建て其邑の名を其子の名に循ひてエノクと名けたり、十八、エノクにイラデ生れたり、イラデ、メホヤエルを生み、メホヤエル、メトサエルを生み、メトサエル、レメクを生めり、十九、レメク二人の妻を娶れり、一《ひとり》の(395)名はアダと曰ひ、一の名はチラと曰へり、廿、アダ、ヤバルを生めり、彼は天幕に住みて家畜を牧ふ所の者の先祖なり、廿一、其弟の名はユバルと云ふ、彼は琴と笛とを把《と》る凡ての先祖なり、廿二、亦チラ、トバルカインを生めり、彼は銅《あかゞね》と鉄の諸の刃物を鍛ふ者なり、トバルカインの妹をナアマといふ、廿三、レメク其妻等に言ひけるは
     アダとチラよ我が声を聴け
     レメクの妻等よ我が言《ことば》は容れよ
     我れ我が創傷《いたで》のために人を殺す
     我が痍《きづ》のために少年《わかうど》を殺す
  廿四、若しカインのために七倍の罰あれば
     レメクのためには七十七倍の罰あらん。
  廿五、アダム復た其妻を知りて彼女《かれ》男子を生み其名をセツと名けたり、其は彼女《かれ》神我にカインの殺したるアベルのかはりに他の子を与へ給へりと云ひたればなり、廿六、セツにもまた男子生れたり、彼其名をエノスと名けたり、其時人々ヱホバの名を呼ぷことをはじめたり。
 
〇最初の善人は最初の悪人の殺す所となりて、地は竟に悪人の所有に帰せり、地上に於ける悪人の跋扈は今日始まりし事にあらず、彼は世の創始より既に其主人公たりしなり、善人の此世に在るは羈客の異郷に在るが如し、彼に土地なく、家屋なく彼はたゞ倚寓者《さすらひびと》として悪人の中に流寓するのみ、吾等何んぞ此地に於て吾等の受くる不遇虐待を歎くを須ゐん、之を義しきアベルに与へずして悪しきカインに賜ひし神は義人繁栄のために別に佳き所を備へ置き給はざらんや、(十六節)。
〇カインがヱホバの前を離れて後に住めりしといふノドの地は今之を知るに由なし、ノドは「追放」の意なり、(396)故に或は是れ単にカインの占領せし地域の全躰を指して云ふ言辞ならん、若し然らんにはノドの地は亜細亜大陸東半部に適用すべき名称なるやも計られず、カインの子孫は支那人なりとの断定は今日直に之を下すこと能はずと雖ども、而もカインの子孫がセツのそれに較べて全然物質的なるを思ふて、此断定の全く根拠なき者にあらざるを知らん、(十六節)。
〇カインの妻は其姉妹ならざるべからずと言ひて近親結婚を黙認するの罪を以て聖書を責むる者あり、然れども是れ聖書の関り知らざる問題たるや言を俟たず、聖書は(一)罪人の始祖たるカインの行為を弁護せず、(二)若し人類は一対の夫婦より生れし者なりとすれば兄妹の結婚は彼に取りては一度は免かるべからざることなり、故にカイン若し此事を為したりとするも彼は近親相姦罪を犯せりと言ふべからず、(三)人類は必ずしも一対の夫婦より生成せしものにあらずして、アダム、エバの外に尚ほ男女ありたりとの説は学者の往々唱ふる所の者なり、学識、信仰両つながらを以て嘖々たりし瑞西《スウイツル》の博物学者アガシの如きは固く此説を取て動かざりしと云ふ、吾等をして如斯き小問題に拘泥して聖書の伝ふる道徳上の大問題を看過せざらんことを努めしめよ、(十七節)。
〇始めて市邑《まち》を建てし者は始めて人を殺せし者なりき、依て知る都市と殺人罪との間に深き関係の存することを、都市は罪悪の枢府なる事は昔も今も変はることなし、バビロンなり、ローマなり、倫動なり、巴里なり、紐育なり、桑港なり、東京なり、横浜なり、名古屋なり、広島なり、一として罪悪の巣窟にあらざるはなし、言あり曰く神は村落を作り、人は市邑を作れりと、人々相接近して競争場裡に相互の生血を吸取するの社会は是れ神の定め給ひし者にあらざるや明かなり、カインが始めて邑を建てしや、彼は蓋し意ひしならん、「我れ既に神を離れたれば人と相接近して神より仰ぐ能はざる援助を人より得んと」、然れども人は、神より離れて如何で其(397)隣人と永久に相親むを得んや、人は神に託りてのみ互に相交はるを得る者なれば、神より離絶せし者が相集合して其数或は十万に及び百万に達することあるも、是れ単に利益の集合にして慈愛援助の集合にあらざるは勿論なり、誰か東京市は人口百万の市なりと聞て其愛憐和合の団躰なりと信ずる者あらんや、人は其形躰に於て互に相接近するに随て其衷心に於て益々相離隔する者なるが如し、若し人情の最も菲薄なる所を知らんと欲せば、之を都市人口稠密の所に於て探るに若かず、真個の孤独は山中人なき所に於てあらずして、市街に在て家々軒を接する所に於てあり、故に神に近かんと欲する者は必ず市街喧囂の所を去らんことを欲す、緑陰の下に軟風袖を払ふ所に於てのみ真個の愛心と友情とはあるなり、「カイン邑を建て其邑の名を其子の名に循ひてエノクと名けたり」と、殺人犯《ひとごろし》の始祖の創設に係る市邑は神の子の居住すべき所にあらず、(十七節)。
〇エノク、イラデ、メホヤエル、メトサエル、レメク等子々孫々罪悪の市邑に生長し、天然の美を知ること至て尠く、神を去ること益々遠く、唯だ俗智にのみ長じ、誠実に代ふるに虚礼を以てし、天真なるを野蛮なりと称せしならん、都人士とは人為的人物の称なり、人の作りし習慣を以て神の造りし天然の法則に代ふる者なり、彼等の挙動が優美なるが故に彼等を貴しと思ふべからず、彼等はカインの裔なり、殺人犯者《ひとごろし》の子孫なり、(十八節)。
〇市邑は罪人の創設せし者なるが如く、多妻も亦罪人に依て始められし悪習なり、罪悪と多妻とは其間に密接の関係を有するものなり、殺人犯の始祖なるカインの裔に多妻の開始者たるラメクありしは決して怪むに足らず、人を殺す者は多くの妻(妾)を有つ者なり、多くの妻を有つ者は多くの人を殺す者なり、昔時に於て然り、今日に於て然り、社会の現状に深き観察を下す者にして此一事を暁らざる者あるなし、(十九節)。
〇多妻は多淫より来り、多淫は神を信ぜざるより来る、神を信じて愛情は聖化され情慾は制限され、人は一人の(398)妻の外にその佳※[藕の草がんむりなし]《とも》を求めざるに至る、無信は家庭紊乱の姶めなり、惜を潔むるに神を信ずるに優る途あるなし、(十九節)。
〇婦人の名は其始めより優美なりし、アダは「装飾《かざり》」を意味し、チラは「影」の義なり、暴人ラメク「かげ」と「かざり」とをして其両側に侍らしめ、以て其憂愁を慰む、恰かも我国当今の富者を六千年前の昔時《むかし》に於て見るが如し、(十九節)。
〇悪人ラメク其妻の一人なるアダに依りてヤバルを生めり、彼は天幕に住みて家畜を牧ふ者の先祖となれり、後日ベドーウィン族となりて旅人の掠奪に従事せしものは此徒ならん、牧畜に二種あり、畜類を友とし、之に人類の保護を供して、之より綿毛乳汁の供給に与からんと欲する、是れ正当の牧畜なり、義人アベルが従事せしと云ふ牧畜業は蓋し此種のものなりしならん、多く豚牛の類を飼育し、之を屠り、其肉を鬻ぎて利を贏す、即ち血を流すことを以て家業となすもの、是れ不正の牧畜業にしてヤバルが創始せしものならん(廿節)。
〇殺伐的牧畜業の開始者ヤバルの弟にユバルあり、彼は琴と笛とを把る凡ての者の先祖なりといふ、以て知る、音楽なる者も亦悪人の家庭に於て発見されし者なることを、兄のヤバルは性兇猛なるが故に野に畜類を逐ふて快を取り、弟のユバルは性惰弱なるが故に琴と笛とに其惰情を訴へて其憂悶を遣らんとせり 天の真理の心琴に触れて独り黙想して宇宙の調和を楽しみ得ざるが故に、其憂愁を音声に顕はし之を楽器に移して、霊感の欠を補はんと欲す、深く感ずる能はず、故に口に歌ひ、楽に和す、沈黙に勝さる音楽なきに、糸と風との力を藉り来て微弱なる感想に力を添へんと欲す、ミルトンの「失楽園」中に魔族が琴を弾じて其悲痛を癒さんとするの一節あり、曰く其声は美はしく其調は悲しと、笛声秋空に響き渉る時に吾人は神を離れし孤児の悲鳴を耳にして、神の(399)懐に帰り来りし聖徒の凱旋の声を聞かず、(廿一節)。
〇音楽は悉く悪しきに非ず、ハイデン、ベートーベンの天の美音を吾人に伝ふるあり、然れども音楽の多くは娯楽の為なり、怨咽《えんえつ》の声に非ざれば遊蕩の譜、卑情を喚起し、劣想を促す者、狂歌に伴ふ者、飲酒を幇《たす》くる者なり、世の罪悪にして音楽に伴はれざるは稀なり、而して其一度び神の礼拝堂に採用されしや、人は教師の説教に意を注がずして楽人の音楽に耳を傾くるに至れり、宜なり、清教徒が神の聖殿を潔めんためには音楽の廃止を実行せざるを得ざるに至りしは、美術勝つの時は信仰の衰ふる時なり、昔時の予言者にして楽を其民に勧めし者ありしを聞かず、ヱレミヤなり、コロムウエルなり、ジヨージ フホツクスなり、彼等は皆な美術の排斥者なりし、正義は美術の之に附随することなくして其物自身に於て美なる者なり、街頭に琴と笛との懦夫の繊手に依て奏せらるゝを看よ、而して其カインの裔なるユバルの発見に罹りし者なるを知れよ、(廿一節)。
〇アダの二子は凶人と懦夫、チラに亦二子ありし、其一人をトバルカインと云へり、彼は銅と鉄の諸の刃物の発見者なりしと云ふ、是れ亦カイン族適当の発見たりしや論を俟たず、カインは多分棍棒を以て其弟アベルを打殺せしならん、然れども「文明」の進歩と同時に人は棍棒に優るの殺人具の必要を感ずるに至りしならん、茲に於てかレメクの子トバルカインは大なる発見を社会に供せり、銅と鉄とを以て製せられたる武器の発見是なり、カイン族は如何に大なる称讃の声を以て此発見を迎へしぞ、恰かも今日基督教を信ずると称する独逸に於て無煙火薬の発見が迎へられしが如き歓迎の声を以て、或は世界第一の新教国を以て世界に誇る英国が潜水水雷艇の発見を迎へしが如き歓呼の声を以て、彼れトバルカインはカインの子等に迎へられしならん、彼の大なる発見に由て殺人は容易なる業となれり、此利器の彼の手に依て発見せられてよりカイン族は更に地上に於ける其領土を拡張(400)し得て、威を彼等の近隣に在る神を畏れ人を愛する族《やから》の上に揮ひしならん、此地は創始《はじめ》より悪人に属する者、而して彼等は益々其武器を改良して、地上の覇権を失はざらんと力む、一手に聖書を握り、他手に剣を翳し、文明を蛮民に強ると称して殺伐に従事す クルツプ砲を以てするも、棍棒を以てするも殺人は殺人にして大罪悪なり、人を殺す者は凡てカインなり、其独過皇帝なると露西亜皇帝なると英国皇帝なるとを問はず、人を殺し、トバルカインの類を歓迎し、之を賞するに位階勲章を以てする者は凡てカインの例に傚て神に呪はれ且つ罰せらるゝ者なり、此事に関する聖書の教訓は其明瞭なること天日の空に輝くが如し、(廿二節)。
〇武器の発見者トバルカインの妹をナアマと云へり、ナアマ之を釈けば「愛嬌」の意なり、兄は軍人にして其殺人的勲功を以て世に歓迎され、妹は「愛嬌」を以て其名交際場裡に高し、世に幸福なるカインの一族の如きはなし、光栄一家に溢れ、勲章燦爛たり、然れども……(廿二節)。
〇彼の子に由て金属製の武器の発見せられて、ラメクは歓喜措く能はず、彼の意は昂し、彼の情は熱し、爰に最初の詩歌は成れり、之を名けて「ラメクの剣の歌」と云ふ、武器の効能を讃せし歌にして軍人の敵愾心を以て充たさる、(廿三、廿四節)。
   アダとチラよ我が声を聴け
   レメクの妻等よ我が言を容れよ
 自己の腕力を誇るに之を社会公衆の前に於て為さずして其妻(妾)に向て為す、軍人の自慢なる者は多くは是れ婦人の歓心を買はんがために言ひ顕はるゝ者、真勇の沈黙を守て天の称讃を待つの類に非ず、
   我れ我が創傷《いたで》のために人を殺す
(401)   我が痍《きづ》のために少年を殺す
 我に無礼を加へし者を我は罰せずして止まずとの軍人の精神なり、名誉を重ずると称し、耻を雪ぐと唱へて、復仇を敢てす、復讐を名誉なりと宣言せしはカインの裔なるラメクを以て始まる。
   若しカインのために七倍の罰あれば
   レメクのためには七十七倍の罰あらん、
 我が祖カインは彼の粗末なる武器を以て僅に七倍の復讐をなすを得たり、然れども我は精良なる近世発見の武器を以て我の尊厳を冒す者に七十七倍の罰を加ふるを得べしと、恰かも英国兵がリダイト砲の一発を以て杜兵百人を一時に鏖にせしが如き、又独逸皇帝が其精良なる陸軍に恃んで支那人厳罰の令をワルデルゼー将軍に下せしが如き、武器に頼る暴勇の発表なり、トバルカインの剣の歌は文明国今日の軍歌の濫觴なり、(廿三、廿四節)。
〇以上をカイン族が人類社会に供せる貢献物なりとす、都市の制なり、牧畜業なり、楽器なり、金属製の武器なり、軍歌なり、即ち文明の肉情的半面なり、即ち神に頼らずして単独を慰めんための制度(都市)、肉食して肉情を昂進せんための職業(牧畜)、娯楽の具(楽器)、殺人の機械城(武器)、敵愾心の発表(軍歌)、是なり、而して二十世紀の今日世の文明と称へらるゝものは多くは是れカイン族の此等の発見に更に改良を加へたるものに過ぎず、文明の進歩とは実はカイン族の進歩なり、英国はカイン族が僅に基督教の表面を採用して、世界の陸面五分の一以上に其領土を拡めし者なり、独逸国の陸軍とはトバルカインの武器改良の殆んど其極に達せし者なり、伊国の音楽とはユバルの美術が其巧妙の絶頂に達せし者なり、米国の牧畜とはヤバルのそれを大陸大になせしものにし(402)て、シカゴはヤバルの産を広く世界に鬻ぐための市場なり、而して巴里、倫動、東京、名古屋、大阪、広島等はエノクの邑を拡大せし者にして、罪悪の醸造所、偽善の繁栄地、美術の練習所、武器の製造所にあらざれば其貯蓄所、兵力の集合点、敵愾心の吹入所なり、之を文明と称すれば其名甚だ美なるが如しと雖も、その殺人犯の始祖なるカインの族に由て開始せられ、且つ発見されし制度文物の発達せしものなるを知て、吾人はその吾人の讃称の辞に値する者にあらざるを認めん。
〇然れども幸にして神は悪人にのみ此世を渡し給はざりしなり、彼はアベルに代て亦一人の義人を世に遣はし給へり、アダム亦其妻エバに依りて更に一子を生めり、其名をセツと名く、セツ之を解けば「代用」の意なり、アベルに代て正道を此世に伝ふべき者なれば斯く名けられしならん、(二十五節)。
〇セツにもまた男子生れたり、彼其名をエノスと名けたり、其時人々ヱホバの名を呼ぶことを始めたりと云ふ、即ちエデンに於ける其叛逆に由て人類が忘れんとせし神に対する信仰がセツの子エノスに依て回復され、茲に再びヱホバの聖名は人に依て称へらるゝに至りしが如し、是れ即ち最初の信仰復活にして、かの十六世紀の姶に方て羅馬教会の腐敗其極に達して、ルーテルの一声に欧洲人の信仰の忽焉として復興せしが如きはエノスの此信仰復興の継承ならずんばあらず、世に汚隆なきにあらず、正気時に光を放つ、神は永久に此地を悪人の手にのみ委ね給はず、彼れ時に正義の士を遣はして、世の罪悪を糾《たゞ》し給ふ、アベル殺されてセツ世に出たり、吾人何んぞ義人の煙滅に就て深く憂ふるを須ゐん、セツは既に吾人の中にあらん 吾人は遠からずして彼の声を聞かん、(廿六節)。 〔以上、明治35・6・20〕
 
(403)    長寿時代〔創世記第五章〕
 
  (一)アダムの伝の書《ふみ》は是なり、神人を創造り給ひし日に神に象りて之を造り給ひ(二)彼等を男女に造り給へり、彼等の創造られし日に神彼等を祝して彼等の名をアダムと名《なづ》け給へり(三)アダム百三十歳に及びて其|像《かたち》に循ひ己に象りて子を生み其名をセツと名けたり(四)アダムのセツを生みし後の齢は八百歳にして男子女子を生めり(五)アダムの生存《いきながらへ》へたる齢は都合《すべて》九百三十歳なりき、而して死ねり(六)セツ百五歳に及びてエノスを生めり(七)セツ、エノスを生みし後八百七年|生存《いきながら》へて男子女子を生めり(八)セツの齢は都合九百十二歳なりき而して死ねり(九)エノス九十歳に及びてカイナンを生めり(十)エノス、カイナンを生みし後八百十五年生存へて男子女子を生めり(十一)エノスの齢は都合九百五歳なりき而して死り(十二)カイナン七十歳に及びてマハラレルを生めり(十三)カイナン、マハラレルを生みし後八百四十年生存へて男子女子を生めり(十四)カイナンの齢は都合九百十歳なりき而して死ねり(十五)マハラレル六十五歳に及びてヤレドを生めり(十六)マハテレル、ヤレドを生みし後八百三十年生存へて男子女子を生めり(十七)マハラレルの齢は都合八百九十五歳なりき、而して死ねり(十八)ヤレド百六十二歳に及びてエノクを生めり(十九)ヤレド、ヱノクを生みし後八百年生存へて男子女子を生めり(廿)ヤレドの齢は都合九百六十二歳なりき而して死ねり(廿二)エノク六十五歳に及びてメトセラを生めり(廿二)エノク、メトセラを生みし後三百年神と共に歩み男子女子を生めり(廿三)エノクの齢は都合三百六十五歳なりき(廿四)エノク神と偕に歩みしが神彼を取り給ひければ居らずなりき(廿五)メトセラ百八十七歳に及びてレメクを生めり(廿六)メトセラ、レメクを生みし後七百八十二年生存へて男子女子を生めり メトセラの齢は都合九百六十九歳なりき而して死ねり(廿八)レメク百八十二歳に及びて男子を生み(廿九)其名をノアと名けて言ひけるは此子はヱホパの詛《のろ》ひ給ひし地に由れる我が操作《はたらき》と労苦《ほねをり》とに就て我等を慰めん(卅)レメク、ノアを生みし後五百九十五年生存(404)へて男子女子を生めり(卅一)レメクの齢は都合七百七十七歳なりき而して死ねり(卅二)ノア五百歳なりきノア、セム、ハム、ヤペテを生めり。
 
〇乾燥無味荒唐無稽の言なるが然し、然れども宝石又砂礫の中に混ずることあり、砂礫又之を精査すれば水晶の類なり、吾人は美文ならざるの故を以て軽しく聖書の言を看過すべからず。
〇「アダムの伝の書」とはアダムの伝記にあらず、伝は此場合に於ては子孫の意なり、伝は続なり、人の後を続ぐ者、之を伝と云ふ、支那訳の「亜当《アダム》世系之譜」に対照せよ、(一節)
〇神、人を男女に造り、彼等の名をアダムと名け給へりと云ふ、以て知るアダムは人類の総称なりしを、その最初の男子に適用せられしは彼が人類の代表者なりしが故なり、(二節)。
〇アダム百三十歳に及びてセツを生めりと云ふ、彼|前《さき》にカインとアベルとを生めり、カインは父の悪性を承けて其志を継ぐ能はず、アベルは父の善性を継て終に其兄弟の殺す所となれり、父の性質が善悪相分れて其子に顕はるゝの例多し、アダムの二子に由りて彼の両性は明白に分析せられたり、然るに悪なる者は存して善なはる者亡びたり、純善は到底永く此世に存する能はず、此に於てかセツの如く純善ならず亦純悪ならざる者に依て善道は纔に此地に維持さるゝなり。余輩は深くアベルの死を惜むと雖ども亦セツの生れしありて世に光明の全く絶えざりしを感謝す、(三節)。
〇アダムは其像に循ひ己に象りて其子セツを生めりと云ふ、像は肉体の像にして象は霊性の象なり、即ち彼は其子に彼の霊肉両つながらの性を伝へたりとの意なるが如し、セツはアダムの再生なり、彼は酷だ父アダムに肖たり、アベルの死に依て杜絶せんとせしアダムの象像はセツに依て後世に伝へられたり、(三節)。
(405)〇アダム歳百三十にして其第三の男子を生み、其後八百年存へて更に多くの男子女子を生み、齢都合九百十三歳にして死ねりと云ふ、今人にして少しく教育を受けたりと称する者は云はん、是れ作話なり、事実なるべからず、現代の人ですら百年の寿を保つ難し、況んや原人をや、医術の未だ開けざる原始時代に於て人は如何でか九百歳以上の齢を保ち得んやと(三、四、五節)。
〇然れども思へ、アダムは最初の人たりしなり。而うして聖書の示す所に依れば人は下等動物より徐々に進化し来りし者に非ずして、直に神より霊を受けて生霊《いけるもの》となりし者なり、又彼の肉体は彼の霊魂と共に永久に朽つべからざるものにして、彼にして若し罪を犯さゞりしならば、彼は死の苦痛を見ずして他界に移遷《うつ》さるべきものなりし、是れ聖書の吾人に示す所にして、学説としても決して信じ難きものに非ず、最始の人は野蛮人にして、現世紀に於て始めて英国人米国人の如き高貴なる人種を地上に見るを得るに至りしとの説は人類学者の普通一般に唱ふる所なれども、去りとて其説に亦非難すべきの点多く、之を主張する者と雖も完全無謬の学説として之を信ずるに非ず、所謂劣等人種なる者は実は堕落人種にして、人類は今や科学の進歩に由りて其性格を進化しつゝあるに非ずして、実は其堕落に由て失ひし原性を回復しつゝありとの説は多くの歴史上の事実に照らし、又人類の本能に稽え見て、真実に最も近き説なるが如し、故に聖書の人生観より視ればアダム九百十三歳の齢は決して長しと云ふを得ず、彼は永久に生くるに足るの体質を有せり、然るに罪の故を以て彼は死刑を宣告せられたり、而して罪が人類の中に宿りてより未だ若干ならず疾病の数も未だ多からず、殊に人類の社会てふ罪悪が制度の形を取て顕はれし者の未だあらざりし時なれば、人の長寿は最も保ち易かりしや明かなり、死は罪の結果にして、争闘疾病苦悶の類の皆な悉く同一の原因に出でしを知て、吾人は原人の長寿を聞て少しも怪まず、吾人は寧ろ人類の(406)始祖が僅々九百歳有余の齢に達して死の苦痛を見ざるを得ざるに至りしを悲まずんばあらず、(五節)。
〇此処に掲げられたるアダム世系の譜に循へばアダムよりノアまで凡て十代、歳を経ること凡べて一千六百五十六年なり、然れども是れ歴史的に違算なき年代記と見て可なるや否やに就ては多くの疑問なき能はず、ユダヤの歴史家が其国の歴史を編むに方て、読者の記憶を助けんために重に円数又は七数を用ひしことは聖書を読む者の能く知る処なり、創世記は十の「伝の書」より成る、聖マタイがキリストの系図を編むに方て、彼はアブラハムよりキリストまでを四十二代とし、之を三紀に分て一紀を各二七即ち十四代とせり、今マタイのキリストの系図を以て系図としては最も精密なる歴代史略の記事に較ぶる時は、マタイの記事に多くの脱漏あるを見る、今其一例を挙げんに、マタイ伝第一章の八節に「ヨラム、ウツヅヤを生み」とあれども、ウツヅヤはヨラムの子にあらずして其|玄孫《やしやご》なり、之を歴代史略上の第一章十一、十二節に対照すれば「ヨラム、其子はアハジヤ、英子はヨアシ、其子はアマジヤ、其子はアザリヤ(即ちウツヅヤ)」とあり、以て知る、ユダヤ人の記録に於て若し何の誰何の誰を生みとあるとも是れ必しも父子直接の関係を示すものにあらざるを。
〇アダムよりノアまで十代の名を記録しあるは、之を他の例より推して考ふるに、是れ二者の問に生れし著名の人十人を例拳せしものにあらざる乎、若し此仮説にして真実なりとすればヱノスは必ずしもセツの生みし子にあらずして其遠孫なるやも知るべからず、而してセツ百五歳にしてエノスを生みとあるを必しもヱノス彼れ自身を生みしとの意に解せずして、ヱノスの祖先の或者を生めりとの意なりと解するもユダヤ人の歴史編纂法に循へば敢て非難すべきにあらず、故に若し此の解釈法にして誤謬なくんば(而して余輩は其正当なる解釈法なるを信ぜんと欲す)、此処に記されたる「アダムの伝の書」なるものはアダムの創造よりノアの洪水に至るまでの年代を(407)定むるための史的材料として見るべからずして、是只僅に其間に此等著名の人物ありしを示し、併せて其長寿なりしことを伝へしに止まるならん、人類の始祖創造は基督降世前三千九百八十八年にありたりとの普通の年代記は「アダムの伝の書」を其儘遺漏なきものと見て成りし計算にして、人類は此世に顕れてより僅かに六千年を経過せしに過ぎずとの説の如きも亦此仮定説に基因する者なりとす。
〇此伝の書に記されし者の中に最も短命なりし者はエノクにして最も長命なりし者を彼の後に来りしメトセラとす、前者は三百六十五歳を以て此世を去り、後者は九百と六十九歳の高齢を以て死せりと云ふ、短くして三百年、長きは千歳に垂《なん/\》んとす、若し吾人を苦しむるに政治なる者なく、虚儀なく、虚礼なく、国民と国民との競争なく、父母兄弟の吾人を疾視する事なく、親戚の偽善的交際なく、友に売らるゝの恐怖なく、餓死の心配微りせば、吾人今日の体質を以てするも尚ほ容易に百歳以上の年齢を保つを得ん、況して原始時代に在て楽園の記憶未だ全く人の脳裡を去らず、創始の体格未だ甚だしく其精気を失はざる時に於てをや、来れや神の天国、来て再び楽園を吾等の間に回復せよ、僅々七十歳の齢を以て古来稀也と言ふに至りし我等罪悪に沈淪せる者の状態を憫めよ、罪は斯くも吾等の地上に於ける生命を短縮したり、蜉蝣の如き吾等は三百の長寿を聞て今や之を信ずる能はざるに至れり。
〇最も短命なりしエノクは神に最も近く歩みし人なりし、故に神は彼を取り給ひて「彼は居らずなりぬ」と云ふ、他の人々に就ては総て「死ねり」との言あるにエノクに就ては此不吉の言あるなし、彼は苦しき死の門を通過せずして他界に移遷せられしが如し、是れキリスト以前の昇天の実例ならずや、人類は素《も》と是れ総て移遷さるべきものなりしに非ずや、而してヱノクは罪の子供の中に在て特別に此恩恵に与かるを得しが如し、「一たび死ること(408)は人に定まれる事也」(希伯来書九章廿七節)と雖もエノクのみは此死の経験なくして往くべき所に往きしが如し、幸福なる哉エノク、吾等も皆爾の如くにあらんことを願ふ、然れども吾等には爾の知らざる仲保者の備へられしあり、彼れ我等と共にあれば吾等は恐怖なくして独り死の河を渡り得るなり、然り、彼あるが故に死は其総ての刺《とげ》を失ひ、吾等は涙を以て之に臨むと雖ども亦讃美を以之を迎ふるてを得るなり、死せざるは善し、然れどもイエスの如き救主ありて死するも亦善し、我等は此勝利を我等に賜ひしイヱスキリストの父なる神に謝す。(廿四節)。
〇レメクに至りて人類の腐敗堕落益々甚だしく、比較的に善良なりしセツの子孫すら甚《いた》くヱホバの呪詛を感ずるに至れり、メトセラの名、之を訳《と》けば「鎗《やり》の人」なり、ラメクは「掠奪者」の意なり、以て時代の如何に殺伐の気風を帯び来りしかを察すべし、今は革命の世に臨むべき時となりぬ、人は大災害の到来を予想し始めぬ、大洪水か、大地震か、何れにせよ世は改造せられざるべからず、然らざれば地は煙滅に帰せん、而うして正義と恩愛との神は何等かの方法を以て世を救はざれば歇み給はざるべし、嗚呼、誰か此恩恵を神より招く者ぞと。
〇レメクに一子生る、彼其名をノアと名く、之を訳《と》けば「安息」の意なり、彼曰く「此子はヱホバの詛ひ給ひし地に由れる我が操作《はたらき》と労苦《ほねをり》とに就て我等を慰めん」と、人の労働、動作悉く利慾的なるに及んで之に興味あるなく、慰藉あるなきに至る、神を忘れたる者の労働の結果は総て涙なり、空虚なり、伝道之書の言を藉りて言へば是れ「空の空、空の空なる哉、都て空なり、日の下に人の労して為す所の諸の動作《はたらき》はその身に何の益かあらん」(伝道之書一章二、三節)、誰か此無味の人生に芳味を加ふる者ぞ、地は塩を要し、世は光を求む レメクは斯かる新生命を望んで歇まざりき、而して神の霊感に依て彼は彼に生れし子の此慰藉を世に供する者なるを悟れり、(409)「安息」のノアに由りて神の安息は再び疲れたる此世に臨まん、ノアは其時代の人類の希望なりき、(廿九節)
〇然れども革命はレメクが望みしが如くに速かには来らざりし、ノア生れて五百歳、彼にセム ハム、ヤペテの三子生れて革命の時期は漸く迫り来りぬ、社会は終に改造せられざるべからず、悪人は終に一度は全滅せられざるべからず、是れ人類に臨みし最始の大改命なりし、而して最始の大革命大掃攘は勇士の剣に由て来らず、預言者の言を以て来らずして、天よりの大洪水を以て来れり、(卅二節)。 〔以上、明治35・7・20〕
 
    ノアの洪水〔創世記第六章−第八章第一四節〕
 
(一)人、地の面《おもて》に繁衍《ふえ》はじまりて女子之に生るゝに及べる時(二)神の子等人の女子《むすめ》の美しきを見て其好む所の者を取りて妻となせり(三)ヱホバ曰い給ひけるは我霊永く人と争はじ其は彼も肉なればなり、此れが故に彼の日は百二十年なるべし(四)当時《そのころ》地にネピリムありき、亦其後神の子輩《こたち》人の女の所に入りて子女を生ましめたりしが其等も勇士にして古昔《いにしへ》の名声ある人なりき(五)ヱホバ人の悪の地に大なると其心の思念《おもひ》の都て図維《はか》る所の恒に惟悪き事のみなるを見たまへり(六)是に於てヱホバ地の上に人を造りしことを悔いて心に憂へ給へり(七)ヱホバ言ひ給ひけるは我が創造《つく》りし人を我れ地の面より拭ひ去らん、人より獣《けもの》、爬虫《はふもの》、天空《そら》の鳥に至るまで滅《ほろぼ》さん其は我れ之を造りしことを悔ればなりと(八)然れどノアはヱホバの目の前に恩《めぐみ》を得たり。
 
〇人口繁殖は善き事なり、「生めよ繁殖《ふえ》よ地に満盈《みて》よ」とは其創造の時に方て神が人に命じ給ひし所なり(創世記一章二八節)、王の栄《さかえ》は民の多きにあり、牧伯《きみ》の衰敗《ほろび》は民を失ふにあり(箴言十四章二八節)、人口の増殖は祝ふべし、富の増加は感謝すべし、但敬神の伴はざる繁栄、是れ最も厭ふべき、最も怕るべきものなり、破滅は是(410)を以て始まり、毀爛は是に依て臨《きた》る、ノアの大洪水は仏国大革命其他の近時の大破乱と等しく信仰の伴はざる物質的文明の招きし所のものなり(第一節)。
〇世の創始《はじめ》より、人に「人の子」と「神の子」との別ありき 「人の子」とは現世《このよ》の人にして即ち所謂俗人なり、即ち斯世に於て大ならんとする者、人に崇められ、人を使役するを以て大なる名誉と信ずる者なり、「神の子」とは之と異なり、凡ての栄光を神に帰し、神に誉められ、神に使役せらるゝを以て最大幸福と做す者なり、人の子はカインを以て代表され、アベルは神の子の模範なり、二者素と同腹の兄弟たりしも其理想とする所の全く相違背したるがために、カイン族は地に属《つ》きて「人の子」となり、アベル族は天を望んで「神の子」となれり(第一節)。
〇神の子にして若し其純潔の性を永久に維持せんと欲せば彼は宜しく聖なる単独を守りて猥りに人の子と接触すべからざるなり、彼にして若し彼の交際の区域を広めんことを求め、斯世の勢力を借り来て彼の勢力を増さんことを計り、友を俗人の中に索め、縁を此世の権者と結ぶに至らんか、彼は其時既に神の子たるの資格を失ひ、鹹味を去りし塩の如くなりて神人の共に忌嫌ふ所の者となるなり、聖なる狭隘は神の子等の勉めて守るべきものなり、人類最始の大堕落も亦広量を装ひし神の子等の大失錯より来りしを知れ(一、二節)。
〇結婚素と是れ信と信との結合なり、是れ美を慕ひ利を望んで結ばるべきものにあらず 其神聖なる所以は全く此一事に存す、然るに神の子の俗化するや、彼は結婚の真義を忘れ、神の定め給ひし此聖なる制度を利用し、以て其身の栄進を計らんとす、世に卑むべき者にして神を信ずる者の政略的結婚の如きはあらず、然れどもノアの時に神の子に由て始められし此醜事は今日猶ほ盛に此世に行はれつゝあり 而して同一の原因は同一の結果を生(411)ず、婚を俗人と結ぶ者にして大堕落を其身と家とに招かざる者あるなし、謹むべきにあらずや。(第二節)。
〇其容貌の美なるが故に、英才識の優れるが故に、亦其家の富むが故に、彼女の志操の如何を問はず、亦其信仰の何たるを究めず、神の子は彼の神と人とに対する重責を忘れ、俗人の女たる彼女を娶て彼の妻とせり、茲に於て神は如何でか彼に就て失望し給はざるを得んや、「我霊永く人と争はじ」と彼は歎じ給へり、即ち我は永久に我霊を以て彼の意嚮に逆ひて彼を導かんとはせじとの意なり、神の忍耐茲に於て尽き彼は人に施すに適当の刑罰を以てせざるを得ざるに至れり(第三節)。
〇「彼も肉なり」、憐むべき彼れ、彼は神の性に肉の性を倶へし者、彼れ若し全く神に服従せしならんには彼は肉の要求を納れて降を現世に乞ふが如きことを為さゞりしものを、然れども既に神を離れし彼は肉に抗するの勇気あるなく、些々たる「人の子」の美色に耽りて其節操を売るに至れり、「肉の慾は霊に逆ひ霊の慾は肉に逆ひ、此二つのもの互に相|敵《もと》る」、肉の慾に牽かされて彼は神を棄てゝ現世と和せり。故に彼は神の霊の見放す所となれり(第三節)、「エフライムは偶像に結聯《むすびつらな》れり、その為すに任かせよ」(何西阿書四章十七節)。
〇「彼の日は百二十年なるべし」、彼の齢は百二十年を越えざるべし、彼に五百歳の齢を供するも何の要かある、彼はたゞ之を肉慾放縦のために浪費するに過ぎず、彼は神を崇めんがために之を消費せんとは為さず、彼は真理を探求せんがために之を使用せんとは為さず、長寿は彼に取ては無益なり、彼をして彼が欲するまゝに世の快楽を貪らしめよ、而して百二十年を一期として、然り、若し彼にして改めずんば更に之を短縮して五十年を一期として、彼の蜉蝣の如き生涯を終らしめよ、永遠の生命を承継ぐべき彼が茲に至りしことの憐れさよ(第三節)。
〇ネピリムは巨人なり、其寝台の長さ九キユビトに達せりと云ふバシヤンの王オグの如き者(申命記三章十一節)、
(412)或は其身の長六キユビト半(一丈〇五寸)ありしと云ふガテのゴリアテの如き者の類ならん(撒母耳前書十七章四節)「イシビベノブは巨人の子等の一人にて其槍の銅の重さは三百シケル(一貫三百匁)あり」とあるを見て彼国に巨人のありしを知るべし、女子は美人にして、男子は偉丈夫なり、「神の子」が「人の子」を慕ひしは故なきにあらず(第四節)。
〇ネピリムは偉丈夫なり、偉丈夫にして亦腐敗漢なり、彼等は自己の腕力を頼んで権威を恣にし、暴人ラメクの如く武器を以て世を圧せんとせり、或は言ふ、ネピリムは私生児又は堕落漢の意なりと、或は然らん、肉体に於て猛き者は多くは心に於て賤しき者なり、世界到る所に軍人は私生児の繁殖者なり、血を流すことを以て本職となす彼等の中に高貴なる人の多く存する筈なし(第四節)。
〇堕落生ネピリムは勿論「人の子」の産みし者なり、然れども「神の子輩《こたち》」も今や暴人の偉貌を羨んで止まず、其女を迎へて妻となし、之に子を生ましめて自らネピリムに類する勇士を設るを得たり、小なる体に大なる霊を宿すを以て足らずとなし、大なる体を得て人を威服せん事をのみ是れ求めたり、而して彼等は其目的を達するを得て、彼等が「人の子」の女に由て設けし子は其父に肖ずして其女の父に酷肖して偉丈夫にして堕落生なりき(第四節)。〇「名声ある人」は腕力を以て有名なる者なり、パウロの如く倭小なりしも霊能を以て名声ありし者に非ず、又パスカルの如く羸弱《よわ》かりしも智能を以て名声ありし者に非ず、其動物力の強大なりしが故に、其気猛くして其慾多かりしが故に其名天下に轟きし者なり、名声は必しも望むべきに非ず、たゞ高貴なる名声のみ是れ羨望すべきものなり(第四節)。
(413)〇地の塩たり、其光たるべき「神の子〕は「人の子」と和し、其女を娶り、其婿となるに及んで世は救ふべからざるまでに堕落せり、今や悪を為すも之に抗する者なく人の思念《をも》ふ所、図維《はか》る所は悪き事のみなるに至れり、是れ社会の堕落の極なり、悪人の勢力如何に強大なるも尚ほ少数の義人の毅然として悪に抗するある間は其社会に尚ほ救済の希望存す、然れども義人は悪人と和し、之と血縁を結び、之と其主義目的を偕にするに至て社会は全く其生存力を失し之を救ふに何の道なきに至る、斯かる場合に於て必然に臨むべきものは全滅なり、大破壊なり、ノアの洪水は之が為に来れり、総ての社会的大破瀾は之れがために来るなり(第五節)。
〇然れども愛なる神は世の破滅を以て喜悦となし給はず、彼は偏に地の上に人を造りしことを悔ひて心に憂へ給へり、地上の万物は皆な彼の命に順ふに、自由意志の賦与を受けし人のみは傲慢にも神に反し、其命を拒み、神より離絶して独り自ら其生を営まんとせり、神の後悔は憐愍の後悔なり、過失と※[衍/心]《とが》との後悔にあらず、其与へんとする恩恵を斥けらるゝ時の哀惜なり、彼は人類の堕落を思ふて甚《いた》く心に憂へ給へり、恚怒《いか》り給ひしに非ず、泣き給ひしなり、人の無情を憾み給ひしなり、其無智無謀を憐み給ひしなり(第六節)。
〇人類の堕落其極に達して神は終に一度びは之を地の面より拭ひ去らざるを得ざるに至れり、彼が此地を創造《つく》り給ひしは其上に正義の国を建設せんがためなり 神は斯かる美はしき天地を悪人を飼育せんが為には創造り給はざりしなり、若し人にして人たるの本分を尽さゞらん乎、彼は此地より拭ひ去られざるべからず、地は神聖なり、神は神聖なる目的を以て天地と其中にある万物を創造り給へり、彼が汚濁に沈める人類を地の面より拭ひ去り給ひしは聖なる神として止むを得ざるに出しなり、彼は神たる彼の本性に照らして悪人を永久に此地上に認容する能はざるなり(第七節)。
(414)〇人を拭ひ去ると同時に禽獣爬虫までを滅さんとすとは是れ無慈悲の極にあらずやと云ふ者あらん、然れども天然は人を離れて造られし者に非ず、若し万物の霊長たる人にして無きに至らん乎、何の用ありてか天然は此地に存せん乎、花は咲くも人の来て開化の理を探て之に無量の愛を読む者なく、鳥は囀るも人の耳を傾けて之に天の美楽を聞く者なくば、地上に存在する三十九万有余種の動物は皆な意味なき者とならん、著者が書を著はすは人の之を読むを期してなり、之を読むの人なきに至らんか、何人か書を著す者あらんや、天然は大なる書なり、人は其読者にして亦註釈者なり、然るに今や読者にして拭ひ去られんとす、著書の同時に焼き棄てられんとする亦怪しむに足らざるなり、又人は造化の首長なり、今や首長にして滅されんとす、其随従者の彼と運命を共にするは又怪むに足らざるなり、故に天然は常に深き同情を人に寄す、「それ受造者《つくられしもの》(天然物)の切望《ふかきのぞみ》は神の諸子《こたち》の顕はれんことを俟てるなり」と保羅は云へり(羅馬書八章十九節)、又神の子輩の救はれん時には「山と岡とは声を放て前に歌ひ野にある樹は手を拍たん」とあり(以賽亜書五十五章十二節)、人と天然との間に存する最も親密なる関係を知て、二者の間に共通の運命あるを覚るに難からず(第七節)。〇然れども破滅は全滅にあらず、茲に一人の救ふに足るの人ありき、彼の名をノアと称《い》へり、社会は彼に依て改造さるべし、天然物も彼に依て全滅を免るべし、神は一人の義人を留保《とど》め給へり、而して彼に依て彼の恩恵の下賜を継け給へり、失望の中に冀望存す、未だ洪水の到らざる前に改造とより大なる恩恵とは人類全殊に約束せられたり(第八節)。 〔以上、明治35・10・25〕
 
(九)ノアの伝は是なり、ノアは義人にして其世の完全《まつた》き者なりき、ノア神と偕に歩めり、(十)ノアはセム、ハム、ヤペテの三人の子を生めり(十一)時に地は神の前に乱れて暴虐地に満盈《みち》たりき、(十二)神地を視たまひけるに、視よ、乱れた(415)り、其は世の人皆其道を乱したればなり、(十三)神ノアに言ひ給ひけるは諸の人の末期我が前に近づけり、其は彼等に因て暴虐地に満盈ればなり、視よ、我れ彼等を地と偕に剪滅《ほろぼ》さん、(十四)汝ゴフルの木をもて汝のために方舟《はこぶね》を造り、方舟の中に房を作り、瀝青《やに》をもて其内外を塗るべし、(十五)汝かく之を作るべし、即ち方舟の長さは三百キユビト、其闊さは五十キユビト、其高さは三十キユビト(十六)又方舟に導光〓《あかりまど》を作り、上《うへ》一キユビトに之を作り終べし、又方舟の戸は其傍に設くべし、下牀《した》と二階と三階とに之を作るべし、(十七)視よ、我れ洪水を地に起して凡て生命《いのち》の息気《いき》ある肉なる者を天の下より剪滅し絶ん、地にをる者は皆死ぬべし、(十八)然れど我れ汝と我が契約をたてん、汝は汝の子等と汝の妻及ぴ汝の子等の妻と偕に其方舟に入るべし、(十九)又諸の生物、総て肉なる者をば汝各其|二《ふたつ》を方舟に携へいりて汝と偕に其生命を保たしむべし、其等は牝牡《めを》なるべし、(廿)鳥は其類に従ひ、獣は其類に従ひ、地の諸の爬虫《はふもの》は其類に従ひて各二つ汝の所に至りて其生命を保つべし、(廿一)汝食はるゝ諸の食品を汝の許に取りて之を汝の所に集むべし、是れ即ち汝と是等のものゝ食物となるべし、(廿二)ノア其如く為せり、都て神の彼に命じ給ひし如く彼は爾か為せり。
〇「伝」は系図にして又之に伴ふ略伝なり、ノアは其身に神の恩恵を受けて人類を改造するの栄を担ひたれば彼の略伝は人類の歴史の一部分とはなりぬ(九節)。
○ノアは義人なりし、然れども是れ完全無欠の義人なりしとの謂ひに非ず、彼は其世の完全き者なりしのみ、即ち邪《よこしま》なる彼の時代に在て比較的に義人なりしのみ、彼が特別に救はれしは彼の義のためならで、神が彼に由て神の義を世に顕はさんがためなりし、ノアが義のために誇るに足るの人物にあらざりしは後に至て明かなり(九節)。
〇ノアはエノクの如くに神と偕に歩めり(五章二四節)、即ち「神の子」が悉く「人の子」と和し、其女を娶り、其風を習ひし時に方てノアは単り儼然として彼の「神の子」たるの品性を維持したりき、彼は見る所に憑《よ》らず、信仰に憑りて歩めり(哥林多後書五章七節)、彼は権威を以て此世に事を為さんとはせざりき、彼は単に神の指命(416)を俟ち、神に憑りてのみ事を為さんとせり、彼は完全の人にはあらざりしも彼は神に愛せらるゝの人なりし、希伯来書の記者は曰く「ノアは未だ見ざる事の示《しめし》を蒙り、敬《つゝし》みて其家族を救はん為に舟を設けたり、之に由て世の人の罪を定め、また信仰に由れる義を受くべき嗣子《よつぎ》となれり」と(希伯来書十一章七節)、大洪水に関する凡ての教訓は此一節の中に存す(九節)。
〇ノアに三人の子ありき、セム、ハム、ヤペテと云へり、彼等は父と信仰を偕にせり、彼等は時勢の風潮に漂はされて婚を俗人と結びて世の大なる者と成らんとは欲せざりき、幸なる哉ノアの一族、父子相共に一団となりて不信の世に在りて信仰の孤城を保たんとせり、世に不幸なる事とて父は其子の主義信仰を解する能はず、子は其父の志望を覚り得ざるが如き事はあらず、我等願くは父子兄弟相共に同一の信仰の方舟の中に入りて救はれんことを、然れども聖旨《みこゝろ》の天に成るごとく地にも成させ給へ(十節)。
〇時に地は神の前に乱れて暴虐地に満盈たりきと、即ち人類社会の最始の大革命を招きしものは暴虐の罪なりしと云ふ、ネピリム族世に跋扈し(前号十六頁を見よ)、人は法を重んぜずして腕力(武力)にのみ頼るに至て、神は之に対して大洪水の如き暴力を下して彼等を圧せざるを得ざるに至れり、剣を執る者は剣にて亡ぶべし、軍人、偉丈夫、腐敗漢の種族《やから》が暴虐を以て世を乱すに方て、世を救ふに之に類するの暴力を以てするより他に途あるなし、而かも神に鉄を以て鍛へたる剣あるなし、神の剣は閃く電光なり、山をも裂《つんざ》く雷《いかづち》なり、暴風なり、暴雨なり、人に若し神に逆ふの力ありとすれば、神には亦人を圧するの猛威存す、暴漢の暴虐に対するに大洪水を以てす、高ぶる者よ、汝は何を以て神に逆はんとするか(十一節)。
〇地は乱れたり、蓋《そ》は世の人皆其通を乱したればなり、社会の乱るゝは個人が其道を乱すに原因す、世は自から(417)乱るゝものにあらず、之を乱す者あればなり、乱世は四季の如くに時期を定めて天然的に来るものに非ず、暴人上に在て権を握り、庶民天道に憑らんと欲せずして、単に暴人の風に習て其従順の民たらんと欲して、世は普通手段を以ては終に済ふべからざるに至るなり、圧制の結果は大洪水なり、大王ルイ第十四世死に臨んで大息して曰く「我が後に洪水来らん」と、而して彼の先覚は誤らずして仏国革命の大洪水は来れり、軍人の支配の下に立つ国民は或る種の洪水より免かるゝ能はず(十三節)。
〇暴虐は地に満盈り、世はネピリム(腕力家)の世と化せり、女は軍人を夫とし有たんと欲し、「神の子」すらも彼を婿とし迎へんとするに至れり、茲に於てか諸の人の末期は近づけり、人の人たる所以は彼に徳性なるもの存して、他を制するに徳を以てするにあり、威を以てするは野獣的なり、軍人は世を禽獣化せんとする者なり、基督の如き、保羅の如き者が人の模範たるべき世に在て、殺人の術に長けたる者が宰相よ貴顕よとて仰がるゝに至て、地は其創造られし目的を失ひ、人は存在するの理由なきに至るなり、地の神聖と人の高貴とを知て大洪水到来の理由を覚るに難からず、(十三節)。
〇人は地と偕に剪滅ぼさるべし、地を涜せし人と、人に涜されし地とは二者相関聯して離るべからざる者なり〔本巻四一四頁〕
(前号十九頁参考)、人の罪は英子孫三四代に及ぶに止まらずして、其耕す地、又飼ふ家畜にまで及ぶなり、圧制を蒙りし国土を見よ、山の林を殆んど全く褫奪されし西班牙を見よ、年毎に洪水を以て難《なや》まさるゝ伊太利を見よ、而して人の罪が如何に国土の上に見舞はるゝ乎を見よ、利根沿岸を見よ、尾濃平原を見よ、神通川の氾濫に徴し見よ、而して是れ亦罪悪の結果にあらざる乎を考へ見よ(十三節)。
〇ゴフルの木は香柏の変種ならんとの説あり、或は「いとすぎ」属の一種ならんとの説もあり、吾人は唯だ其西(418)方亜細亜に産する松杉科植物の一種たるを知るのみ(本誌第三巻百三十頁参考)。
〇浬青(Pitch)は礦物性の塗抹剤にして松脂、煤膠の如き植物性のものにあらず、ユフラテス河岸に沿ふて瀝青を産する所多し、ヒツト(Hit)は今日に至るも尚ほ其有名なる産地なり、方舟を造りし建築材より考へて、ノアの大洪水のチグリス、ユフラテス河岸なるバビロニヤの平原に起りしものなる事を知るを得べし(十四節)。
〇方舟は吾人が今日称する「舟」にはあらずして、方形の箱の大なる者なりし、其長さは三百キユビツト、其闊さは五十キユビツト、其高さは三十キユビツトなりしと、而して一キユビツトは掌《てのひら》の幅の六倍なりとの事なれば之を二十一呎と計算して可ならん、然る時はノアの方舟なる者は長サ五百二十五呎、闊サ八十七呎半、深サ五十二呎半の大浮游物なりしが如し、之を容積に算すれば即ち三百六十万立方呎、噸数に換算すれば(一噸を四十立方呎と見積り)九万噸なり、是れ曾て造られし最大※[さんずい+氣]船と称へらるゝ大東号《グレートイースターン》の四倍大の容量なり、今博士オスグード(Dr.Howard Osgood)の計算に依ればノアの方舟の容量を以てすれば今日世に知らるゝ二千四百種の哺乳動物と一万種の鳥類と一千種の蛇類と千弐百五十種の蜥蜴類と十万種の昆虫類とを悉く其中に容るゝも、尚ほ之を一年間飼育するに足るの食料を貯蔵するための充分の余地を存せりと、ノアの大洪水なるものは歴史的事実なりしや否やは別問題として、創世記々者が方舟の容積を記するに方て其適当の此準を失はざりしは吾人の注目すべきことなり(十五節)。
〇方舟に又|導光〓《あかりまど》ありし、「上一キユビツトに之を作り終《あぐ》べし」とは之を甲板に作りし者なるか、又は舷《ふなばた》に開きし者なるか審かならず、但しその導光〓にして亦空気流通のための設備なりしは云ふまでもなし、戸は勿論出入口にして其傍(舷)に設けられたり、之に下牀《した》と二階と三階とありしとあるを見て、その上、中、下の三甲板に(419)分たれしを知るべし(十六節)。
〇斯くて生命保存のための準備は成れり、其時存在せし凡ての人と凡て生命《いのち》の息気《いき》ある者とは今や将に 悉く剪滅《ほろぼ》されんとす、抑も是れ何のためなりしか、神は斯くて自から造り給ひしものを剪滅し絶たんとし給ひし乎、神は斯かる激烈なる手段に出るより他に悪人の罪悪を罰するの途を知り給はざりしか、ヱホバの神は残忍無慈悲の神ならずや、彼は復讐を好む神ならずや、永久に宥すが神の特性たるべきに茲に基督教の聖書に示されたる神は人の一族と諸生物の一番《ひとつがひ》づゝとを除くの外は悉く之を剪滅んとし給へり、然り、終に之を剪滅し給へりと云ふ、我等は斯かる残酷なる神を信ずる能はずと。
〇然らず、人よ、汝は未だ神の深意を知らざるなり、大洪水は神が自から慰まんための遊戯にはあらざりし、彼は深く「心に憂へ」給ひて(六節)此惨事を人類の上に降し給へり、而して刑罰は此惨事の唯一面なりし、神は今や此大惨事を降して世を永久に訓誡せんと為し給ひつゝあるなり、救はるべき者は誰なる乎、滅さるべき者は誰なる乎、世は如何にして救はるべきものなる乎、動物と人類との関係、人類の天然物に対する責任、社会成立の目的、正義の真価、律法の神聖、是等に関する大教訓を世に伝へんがために此世界的の悲劇は演ぜられしなり、滅されし個人は愍むべしとするも全人類は個人よりも大なり、地の表面を一時は荒廃に帰せしむるも、之を永久に保存せんがためには荒廃は却て悦ぶべきに非ずや、試に思へ、若し大洪水|微《なか》りせば如何と、若しネピリム族が永久に其暴威を揮ひ、義人は僻隅に貶せられて終に其声を揚るを得ざるに至りしならば如何と、然り、大洪水は大恩恵なりし、恩恵の万世に渉らんがために一時の剪滅は世に臨みしなり、救拯の万人に及ばんがために人類の一部は詛はれしなり、神の慈《いつくしみ》と厳《おごそか》なるとを観よ、其厳なることは躓者《たほれしもの》に顕はれぬ、爾、慈に居らば其慈は爾に(420)在らん(羅馬書十一章二二節)、慈は厳に比例して来る、世界的の厳罰を降せし神は亦世界的の慈愛を顕はし給はざらんや(十五節)。
〇諸の生物の一番づゝを一処に集むることは到底為し得べからざることなりとて創世記の此記事を嘲ける者あり、然れども此記事を嘲ける者は亦聖書全躰を嘲けるなり、彼は神子の降世を嘲けるなり、彼は肉躰の復活を嘲けるなり、彼は基督の昇天を嘲けるなり、既に奇跡其物を拒む者にして此記事を嘲けるは少しも怪むに足らざるなり(十九、廿、廿一節)。
〇然れども此所に記されたる動物の聚集は特に動物保存の目的に出しものにあらざることを吾人は予め識らざるべからず、大洪水と之に伴ひし総ての出来事は実物教授法を以て人類を教へんために起りしものなり、故に此目的を達せんためには必しも北極の白熊をも南米の王蛇をもバビロニヤの平原まで呼び寄するの要はなかりしなり、世界的たりしはノアの一族に取りての世界的たりしなり、即ち彼等の知れる凡ての人と凡ての生物とを意味してなり、神はノアの一族に救はるべき人類の全躰を代表せしめ給ひし如くに亦世界の一小部分たる其時代の開明国たるバビロニヤの附近をして全世界を代表せしめ給ひしなり、ノアの洪水が五大洲を蔽ひし証跡なしとて其歴史的事実たることを拒む者は未だ大洪水の目的を解せざる者なり、大洪水は世界的の意味を帯びたり、然れども今日吾人の知る所の全世界を蔽ひしものにはあらざりしならん、吾人をして聖書の記事の目的に注目して其枝葉に渉ることなからしめよ、然らば吾人は正当に其意を解するを得て子供らしき異論を提して其不滅の真理を隠蔽するに至らざるべし。 〔以上、明治35・11・10)
  (第七章十一節)ノアの齢の六百歳の二月、即ち其月の十七日に当り、大淵《おほわだ》の源《みなもと》皆な潰《やぶ》れ天の戸開けて(十二)雨四十日四(421)十夜地に注げり……(十八)而かして水瀰漫りてに地に増しぬ、方舟は水の面に漂へり、(十九)水非常に地に瀰漫りければ天下の高山皆な蔽はれたり……(二一)凡そ地に動く肉なる者は……皆死ねり(二三)斯くて地の表面《おもて》にある万物《あらゆるもの》は人より家畜《けもの》昆虫《はふもの》天空《そら》の鳥に至るまで尽く拭ひ去られたり、……唯ノア及び彼と偕に方舟にありし者のみ存《のこ》れり(二四)水は百五十日の間地に瀰漫《はびこ》りぬ。……(第八章四節)方舟は七月に至り其月の十七日にアララテの山に止まりぬ、(五)水次第に減りて十月に至りしが其月の一日に山々の巓《いただき》現はれたり(六)四十日を経て後ノア其方舟に作りし窓を啓きて(七)鴉を放出《はな》ちけるが水の地に涸《かる》るまで往来《ゆきゝ》し居れり(八)彼れ地の面より水の減少《ひき》しかを見んとて亦鴿を放出ちけるが(九)鴿は其足の跖《うら》を止むべき処を得ずして彼に還りて方舟に至れり其《そ》は水全地にありたればなり、彼れ即ち其手を舒《の》べて之を執へて方舟の中なる己れの所に接《ひ》き入れたり(十)尚又七日待ちて再び鴿を方舟より放出ちけるが(十一)鴿暮に及びて彼に還り来れり視よ其口に橄欖の新葉《わかば》ありき、是に於てノア地より水の減少《ひき》しを知れり(十二)尚又七日待ちて鴿を放出ちけるが再び彼の所に帰らざりき(十三)六百一年の一月の一日に水地に涸れたり、ノア乃ち方舟の蓋《おひ》を撒《のぞ》きて視しに視よ土の面《おもて》は燥《かは》きてありぬ(十四)二月の二十七日に至りて地は乾きたり。
〇大洪水は終に世に臨めり、義人ノアの声は終に聴れざりき、彼の忠告も諌戒も皆悉く衆人の斥くる所となれり、彼等はたゞ飲み、食ひ、嫁《とつ》ぎ、娶り、売り、買ひ、植へ、耕し構造《やづくり》して神の事と霊魂の事とには少しも意を留めざりき、彼等は大洪水を予言せるノアに対つて言へり、神罰何処にあるや、有らば之を来らしめよ、我等之を見んと、彼等の哲学者は彼等に教へて曰へり、万事万物皆な天然の法則に循て来る、神の刑罰を信ずるが如きは迷信の極なり、汝等智を磨き学を修め、狂人ノアの言の如きは決して之を信ずる勿れと、ネピリム族なる軍人政治家は堕落せる「神の子輩《こたち》」の讃辞を得て傲然として其淫縦奢侈の生涯を続けたり、正義人道は唯虚飾的にのみ唱へられ、宗教は嘲けられ、貧者は虐げられたり、大洪水の世に臨みしまでは地は宛然《さながら》俗人の占有物と化せしが(422)如き観ありたり。(馬太伝二十四章三十七節、彼得前書三章二十節、同後書二章五節等参考)。
〇然しながら感謝すべきかな神は存在せり、天地は神の命を聴けり、偽哲学者と軍人政治家と堕落信者とは宇宙に神の実在するの実証を見ざるを得ざるに至れり 大淵《おほわだ》は神の命を聴けり、彼は其源を開て洪波に続いて洪波を悪人の住する国土に注げり、天も亦神の命を聴けり、彼は其戸を啓いて暴風電影に沛雨を加へて四十日四十夜続けざまに悪人輩の頭上を撃てり、嗚呼悲惨、叫号の声、呪詛の声、嗚呼、哲学者よ、汝の智慧は何処にあるや、嗚呼政治家よ、汝の経綸は何処にあるや、今は天空と大淵は汝等に逆ふて戦ふなり、吾等今此破裂に関する汝等の「説明」を声かんことを欲す、(七章十一 十二節)。
〇波斯湾より海嘯来り、チグリス、ユフラテスの両大河は其岸に溢れ、而して猛雨は四十日四十夜天上より注げり、或は曰ふ、此時中央亜細亜の山脈に大欠潰を生じ、東方土耳其斯丹は乾土となりしと同時に其水は西方に流出してアラル裏海沿岸の高地を蓋ひたりと(独逸国の地質学者 Franz von Schwarz 氏の説)、斯くて六合の水は最始の物質的文明の創設地なるバビロニヤの平原に集まり、此所に非精神的の栄華に耽けりし悪人の社会を没了せり、草昧の世未だ彼等に匹敵して剣を以て剣に誇る彼等を滅すに足る他の国民なき時に方て、神は四方より水を呼び来りて虚偽と腕力とに誇るバビロニヤの民を泯《ほろぼ》し給へり、彼等のために悲むべし、人類のために悦ぶべし(七章十一、十二節)。
〇水は全地に瀰漫りたり、而かして悪人は家畜、昆虫、鳥類と偕に死ねり、彼等は其時神の名を詛ひて叫びしならん、残忍無慈悲の神よと、彼等は終まで彼等の罪を悔ひざりしならん、然り、彼等はノアの一族を除くの外は皆な悉く同一の水に蓋はれて溺死するを見て、同情の交換に稍々心中無限の寂漠を癒せしならん、彼等は神の(423)厳罰に耐ゆる能はず、故に人類の同情 humanity を口にして死に就きしならん、順境の時には無神論を唱へ、逆境の時には人情宗を語る、六百年間に渉る義人の諫戒を藐視して後に天罰の終に其頭上に臨むや、同情推察を口に唱へて神を怨む、是れ人情の常にして亦悪人の常なり、吾等其時に於ける彼等の悲鳴に対しては厳然たる態度に出て可なり(七章十八、十九、二十一節)。
〇剣に誇る者、智に誇る者、自己の義に誇る者は総て死して謙遜以て神に依り頼みしノアの一族のみは存《のこ》れり、彼の船は水上に漂へり、斯世の人を滅すの水は信仰の人を亡すの力なし、今はノアの時代となりぬ、彼は永らく嘲笑の中に立てり、彼は狂人として嘲けられ、亡国を予言する国賊として罵られ、天罰を唱導する迷信家として藐視《かりしめ》られたり、然れども視よ、信仰の人には亦信仰勝利の時代あり、貴族と豪商と其美はしき女と勇ましき男とが神の怒に遭ふて刑罰の水中に溺るゝ時に、神を敬ひし者は安然《やすらか》に信仰の船の中にありて、謹んで其|聖業《みわざ》を注視するを得るなり、悪人の滅亡なりと雖も之を傍観するは勿論惨事たるを免れず、然れども正義の終に地に勝利を占めて、暴虐、偽善の地の面より拭ひ去らるゝを看るは亦絶大の慰藉ならざるに非ず、洪水地に瀰漫しつゝありし間に舟中一族の感慨果して如何なりしぞ(七章二三節)。
〇大洪水は二月の十七日に始まり、四十日四十夜の猛雨の後、四面渺々たる海と化し、怒濤狂瀾又高山を越ゆるに至れり、水の地に瀰漫りしこと百有五十日、而かして七月十七日に至りてノアの方舟はアラヽテの山に止まれり、十月の一日に至りて山々の巓現はれ、更に四十日を経て水益々減退し、翌年の一月一日に至りて始めて乾燥の地を見るに至り、同じく二月の二十七日に至りて地は全く乾きて平常に復せり、大洪水始まりしより茲に一年と百有余日、地と社会とは是が為めに一変せり。
(424) 〇方舟の止まりしと云ふアララテの山は今のアララテ山を指して云ひしにあらず(今日地理学者の称するアララテ山 Mt.Ararat なるものは波斯と土耳其との境上にありて、高さ一万七千尺の高山なり)、アララテはアルメニヤ地方の総称にして、方舟は其諸山の一に止まりしなり、或はザグロス山脈のロワンヂズの峰(Mt.Rowandiz)こそ其山ならんと云ふ者あれども定かならず(八章四節)。
〇第十一月の十日ノア方舟の窓を啓き地の状態を探らんと欲し、鴉を放出ちて其復命を待てり、然れども人に懐かざる鴉は再び方舟に飛び帰らんとはせず、波浪の上を翔飛して、地の乾涸するまでに至れり、吾人に馴致せざる者の憐れさよ、彼等は吾人の心を知らず、故に暗流の上を翔飛するも吾人の温き懐に帰て其処に安息せんと欲せず、鴉は不信恐怖の鳥なり、彼は偵察者として用なきのみならず、慈者の恩恵にも与かる能はず、憐むべきかな(八章七節)。
〇然れども鴿は然らず、ノア鴿を放出つや、彼れ其足の跖を止むべき処を得ずして直にノアに還りて方舟に至れり、而して柔和なるノア其手を舒《の》べて之を執へて方舟の中なる己れの所に接《ひ》き入れたりと云ふ、鴿はノアを信ぜり、而してノア亦鴿を愛せり、二者共に柔和なる者の代表者、其交情実に嘆美すべきに非ずや(八章八、九節)
〇尚又七日を経てノア再び同一の鴿を送り出しければ鴿は暮夕《くれ》に及びてまた彼に還り来れり、而して視よ、其口に橄欖の新葉《わかば》ありたり、ノアの一族は方舟の中に在りて如何に鴿を待詫びしならん、而して暮方に至りて其再び帰り来りしや、彼等は互に相呼応して言へり「視よ」と、而して其口に平和の記号なる橄欖の新葉を啣《くわ》へ来るを視しや、彼等の中の女性の一人は直に彼を執りて其懐に入れ暫時は愛撫を禁じ得ざりしならん、平和の鳥は平和の徽号を持来れり、是れ神の怒は再び解けて恩寵の再び地に臨むの徴《しるし》ならずや、喜べよ、久しく怒濤狂瀾の上(425)に汝等の信仰を守りし者よ、悪人今は地より拭ひ去られて新天地は汝等を待てり、神は再び汝等と契約を立てん、地は円び洪水を以て毀たれざるべし(八章十、十一節)。
〇鴿は更に一週日の間ノアの家族と偕に方舟に止まれり、而して三たび彼等に送り出さるゝや軟風晴空の到る所に彼を迎へたれば、彼は青天白日を報ぜんがために彼等の許に帰らざりし、ノアは是を以て地の静穏に帰せるを知り、方舟の蓋を撒きて視しに視よ土の面は燥きて再び人類の住所に適しをれり、斯くて舟に入りてより茲に一週年を越ゆること十日を経て信仰の一族は感謝に溢れて乾きたる地上に立てり(八章十二、十三、十四節) 〔以上、明治35・11・25〕
 
    洪水後の新社会〔創世記第八章第一五節−第二二節〕
 
  (十五)爰に神ノアに語りて言ひ給はく(十六)汝及び汝の妻と汝の子等と汝の子等の妻共に方舟を出べし(十七)汝と偕にある諸の肉なる諸の生物、諸の肉なる者、則ち鳥、家畜及び地に匍ふ諸の昆虫を率ゐ出でよ、此等は地に饒《おほ》く生育《そだ》ち、地の上に生み且つ殖増《ふえま》すべし(十八)ノアと其子等と其妻及び其子等の妻共に出たり(十九)諸の獣、諸の昆虫、及び諸の鳥等凡そ地に動く者は種類に従ひて方舟より出たり(廿)ノア、ヱホバのために壇を築き諸の潔き獣と諾の潔き鳥を取り燔祭を壇の上に献げたり、(廿一)ヱホパ其|馨《かうばし》き香《にほひ》を聞《か》ぎ給ひてヱホバ其|意《こころ》に謂ひ給ひけるは我再び人の故に因りて地を詛ふことをせじ、其は人の心の図維《はか》る所其|幼少《をさなき》時《とき》よりして悪しかればなり、又我曾て為したる如く再び諸の生ける物を撃ち滅さじ(廿二)地のあらん限りは播種時《たねまきどき》収穫時《かりいれどき》、寒さ、熟さ、夏、冬、及び日と夜、息むことあらじ。
 
〇神の命に由りて方舟に入りしノアは神の命に由らでは其内より出で来らざりし、悪人は既に掃攘せられ、地は(426)乾き、全地は既に彼の専有物に帰せしと雖も、彼は自ら進んで之を彼が有となすが如き事を為さゞりし、彼は尚ほ慎んで彼の家族と偕に方舟の中に在て神の命を待てり、此信頼の心ありたればこそ彼は撰ばれて新社会の創設者とは定められたるなれば。(第十五節)。
〇時に神より声あり曰く、「ノアよ出で来れ、汝および汝の妻と汝の子等と汝の子等の妻と偕に方舟を出でよ、汝と偕にある総ての動物を率ひて出でよ、而うして創造の時に於けるが如く地に饒《おほ》く生育《そだ》ち其上に蓄殖すべし」と、大洪水は実に全地の改造にして第二の創造なりし、此時一大陶汰は行はれ、醜悪は取除かれ、善美は保存されたり、革命其物は悲惨たるを失はずと雖ども革命の結果は常に好良なり、世は洪水毎に進歩しつゝあるなり(第十六、十七、十八節)。
〇神の声に応じて彼等は今方舟より出で来れり、ノアと彼の家族と諸ての動物とは出で来れり、地は今や歓呼して彼等を迎へたり、神の聖業を涜せしネピリム(軍人政治家)の種族、神を畏れざる哲学者、偽の預言者と伝道師、彼等は今は全く地の面より剿滅せられて、茲に歴史の新紀元は開かれたり、神は其造り給ひし天地を永久に悪人の手に任ね給はず、彼は時々洪水と革命とを下して彼の造りしものを潔め給ふ、感謝すべきかな(第十八、十九節)。
〇新紀元は感謝祭を以て始まれり、ノア、ヱホバのために壇を築き諸の潔き獣と諸の潔き鳥を取て燔祭を壇の上に献げたり、祭物其物は勿論神の嘉みし給ふ所にあらず、林の諸の獣、山の上の千々の牲畜《けだもの》は凡て神の有《もの》なり、(詩篇第五十篇十節)、世界と其中に充つるものとは総て神の有なれば、彼は物を得んと欲して祭物を人より要め給はず、神の要め給ふ所のものは感謝の供物《そなへもの》なり、謙遜《へりくだ》りたる霊魂《たましひ》なり、祭物は心の表彰に外ならず、而う(427)してノアの献げし祭物はアベルのそれの如く感恩の祭物にして神の聖意に合《かな》ひしものなりき(第二十節)。
〇神はノアの祭物を享け給へり、是れ神の恩恵を感じ、其義を認め、其愛を慕ふの祭物たればなり、是れに誠心の馨香《かうばしきにほひ》ありたり、神は其|燻《けぶり》に感恩の香《か》を嗅ぎ給へり、故に彼は其|意《こゝろ》に誓ひて謂ひ給へり、我再び人の故に地を詛ふことをせじと(第二十、二十一節)。
〇ノアの祭物は挽回《なだめ》の祭物なりし(羅馬書三章廿五節参考) 神は之に由て人類の寧ろ憐むべくして憎むべき者にあらざるを認め給へり、故に彼は其心に誓て謂ひ給へり、我れ再び人の故に因りて地を詛ふことをせじと、総ての災難は宥和の性質を有す、之に因て悪人も神と人との同情を惹き、其当然受くべき刑罰を減軽せらる、神に人の情ありとて其神性を否むべからず、神性は人情の最も高潔なるものなり、神は罰するよりも赦すことを好み給ふ、神が人を罰し給ふ後に其罰を悔ひ給ふとあるは(出埃及記三二章一四節其他参考)我等父母たる者が子を罰して後に感ずると同一の悔改なり、神の心は親の心なり、彼は公義の外に情性を有す、神の我等に下し給ふ刑罰は我等の罪を矯むるのみならず亦神を宥和するの功を有す、(第廿一節)。
〇人の心の図維《はか》る所は其幼少の時より悪し、即ち人は性来の罪人なり、然れども彼の罪性は幾回洪水を下すと雖も拭はるべきものに非ず、是れ神の子の贖罪の死を待て始めて消滅さるべきものなり、故に神は人を懲し、彼を救はんがために再び地を詛ひ、其上に在る諸の生物を撃ち滅し給はざるべしと、即ち一たびは人と万物との間に存する緻密なる関係を示さんがために人の罪悪のために水を以て全地を掩ひ、其内に在る諸の生物を剿滅《ほろぼ》し給ひしと雖も、後は救済の方法を他に求め、神自身世に降り来て人の罪を負ふて彼を救ふことあるも、人の罪悪のために地と其中にある総てのものを撃ち滅し、辜《つみ》なき万物をして人の罪を負はしむることは再び為さゞるべしと(428)なり、神は人類の罪性に失望して此言を発し給ひしに非ず、彼の聖意に既に完全なる救済の途の存したれば、彼はノアと其家族に此言を告げてキリストの降世を約束し給ひしなり、(第二十一節)。
〇故に地をして地の発達を遂げしめよ、人類の罪悪をして天地の運行を妨げしむる勿れ、地のあらん限りは播種時、収穫時、四期の変、昼夜の別に移動あらしむる勿れ、人の罪は神の子の血を以て贖はれん、聖霊のパブテスマを以て洗はれん、大洪水は一回にて足れり、後は直に人の良心を責め、人のためには人を罰し、終に神自身彼の罪を負ふて、彼を天国の市民となし給ふべしと(第廿二節)。 〔以上、明治36・1・15〕
 
(429)     夏期講談会
                    明治33年9月30日
                    『聖書之研究』1号「伝道」
                    署名 内村生
 
 何が偖置き、一社で計画した大会合を一人で引受けた事だから溜らない、既に申込〆切期限なる七月十日までに百十有余名の申込あり、其一割は欠席するとしても九十名の友軍は押し寄せ来り玉ふ事と思へば会主の心配は一通りではなかつた、所が捨てる神あれば援ける神もあるもので、会主の此艱難を聞くや彼の友人は東西南北より馳せ附け呉れたり、先づ第一に彼の同窓の友なる大島正健氏は万事を打捨て奈良の旧都より馳せ上り、京都なる便利堂よりは其家人の一人を送り、信州上田なる同志会員は其目下切要なる業を捨てゝ援助に来らる、東京に在ては友人松村介石氏留岡幸助氏は満腔の同情を以て此会の成立を助けられ、阪入巌氏は救世軍より入り来て雑務を担当せられ、忽にして混雄は変じて整頓となり、多数の来客を遇する途は備はれり。
 斯くて七月廿四日に至れば先登第一として下野の国の住人其都賀の郡穂積村なる柴山由太氏入来る、彼の風采を見上れば学生に非ず、商人に非ず、手に雨傘一本を提げ、紛ふべきもなき田圃の子なり、彼が独立雑誌の愛読者なりし乎と思へば役員一同は奇異の感に打たれぬ、余輩は彼を女子独立学校内の指定の室に彼を送り込みぬ。
 次に玄関に顧はれ来りしは丹波国何鹿部志賀郷村の住人志賀真太郎氏なりき、昔時酒天童子が巣を作りしと云ふ大江山の近辺より態々此会に列せんが為め山川三百余里を遠しとせずして来られし者、彼れ身に一つの西洋的(430)修飾を附けず、只見る氏の双眼に一種云ふべからざるの歓喜と満足とを浮べて我等基督教を信ずる茲に二十有余年、爾も憂鬱に沈み易き者をして慚愧の念に堪へざらしめたり、氏は曾て昨年一度余輩を訪問せられし者、余輩は一ケ年の精神的修養が氏をして殆んど理想に近き農聖たらしめしを発見せり。
 伊豆国伊東よりは飯島忠造鈴木徳太郎氏来り、其賀茂郡三阪村よりは岡村誠之氏来り、或は農を業とし、漁を職とし、医に志す者、至誠は其満面に溢れ、余輩をして益々此会に於ける余輩の責任の重きを感ぜしめたり。
 信州は日本帝国の脊髄にして又此稀有の会合の真髄なりき、其上田よりは浅井敬吾氏は氏の国手たるの職を省みず、其数十名の患者を他に托し、来て此会に止まること六日、其滝沢一郎氏は少壮の身を以て蚕種改良に従事する者、亦吾人の中に在て活動の一中心点なりき、其飯田よりは小林洋吉氏は此会合に臨まんが為めに特に今年の夏蚕を半減せられ、其妹君と共に来て十有余日を吾人の中に送られ、其南安曇郡東穂高村なる井口喜源治、荻原守衛氏は同腹の兄弟の如き愛情を以て一日も欠くことなく此会に臨まれ、其上伊那郡は柴祖一氏を送り、小諸と飯田とは尚ほ一人づゝを送る筈なりしも事故ありて此事なかりしは残念の至りなりき。
 飛騨は長谷川勇、渡辺三蔵、柏原三郎の三氏を送り、以てかの山国に於ける独立雅誌の多少の感化力を表せられたり、曰く飛州に此誌に依て生涯を一変せし者尠なからずと、三氏共に実務の人、一は国に帰り、一は哲学館に入り、一は余輩と留まりて聖経を究めんとす。
 紀伊は梅北雪平氏を送れり、見る精神有て肉体なきが如きの士、七十有余の村童を相手に邦家の精神的改造を画す、曰く世を見れば悲憤に堪えざる事多しと雖も、亦自我を省みれば全身襤褸たるのみと、以て氏の謙と遜とを知るに足る、南海の精神界に亦希望多し。
(431) 山陽道は徳田浩司、妹尾福松、有元新太郎、森本慶三の四氏を以て代表されたり、中国人士にして爾も表裏の別を留めず、徳田君の円満なる、妹尾君の気骨稜々たる、殊に美作人士の信濃飛騨の人士に似て海無し国の性を帯び、超世俗的欲望を懐くに至ては強く余輩の尊敬を引けり、陰陽両道の革新或は此国より※[日+方]まらざるを得ん乎。
 長崎より池田福司氏は来れり、氏は造船を以て業とせらるゝ者、爾も深く意を心界の事に注ぎ、大舶を造て稠密せる我邦人を汎く洋面に散布するの策を講ぜらるゝと思へば、亦個人の心裏に天国を扶殖するの要を説かる、余輩は伝道師の宗教を語るを聞き厭きしも造船師の天国の事を談るを聞て新たに福音を耳にするの感ありき。
 下野の青木義雄氏は肥料商なり、沈黙にして席上曾て一語を吐かず、余輩時には氏の吾人の中に在りしや否を疑へり、爾も氏が実際的に氏の熱情を発表せらるゝの事実に至ては余輩をして感奮せしむる事多かりき、瑞西人の諺に曰く「雄弁若し銀ならば沈黙は金ならん」と、余輩弁士の位置に立ちし者は青木君の前に愧ぢたり。
 新田勝寛氏は磐城国白石より来らる、氏は知命に近き齢を以て炎天を冒して遠路此会に臨まる、夏期学校とし云へば世人必ず青年の会合と見做す今日、吾人の中に此年長者を見るを得て吾人の此会合の通常の夏期学校にあらざるを知れり、余輩は氏に先生と仰がるゝ者にあらざるを自覚し、返て総ての点に於て氏の後進者たるを認めたり。
 駒井権之助氏は京都洛北なる氏の幽居より来らる、氏は余輩の大阪時代よりの友人なり、能く英文学に通じ、多くの友人を英米人の中に有し、静粛にして又勤勉、独立雑誌上の華山白駒は彼なり、学博くして情熱きこと氏の如き者こそ真に世を救ふの力たるなれ。
 小川達氏は水戸より、佐藤武雄氏は浦和より公務の余暇を以て此会に臨まる、人は云ふ余輩に今日の日本官吏(432)を迎ふるの寛容なしと、然れども是れ余輩を知らざるの言、税吏たりしマタイを挙げて十二弟子の一人となせしキリスト、地方長官たりしテヨピロに使徒行伝を奉りしルカの迹を践まんとする者に絶対的に公吏を斥くるの理由なし、余輩は二氏に於て誠実謙遜なる官吏の好模範を認め、二氏の来会に依て余輩の意を強めし事大なりき。
 山内君と倉橋君と西沢君とは好青年の三幅対、曰ふ「後世への最大遺物」は三君を此会に引きしものなりと。其他立教中学、明治学院、高等商業、高等師範、何れも、代表せられざるはなかりき、越後あり、相模あり、日向あり、筑後あり、余輩は茲に一々諸氏に関する余輩の観察を述ぶる能はざるを遺憾とす。
 賄係は会主夫人其衝に当り、彼女を助くるに上田なる同志の姉妹あり、之に加ふるに近隣の老媼を以てし、少くも四十人前、多き時は六十人前、或は二回に或は三回に諸氏の広闊なる胃袋は充たされぬ、我等白米を尽す事六俵、魚を平ぐること十七円余、牛肉二十斤、茄子と南蕃瓜とは無数、五十有余の同志相共に会食する事なれば、我等の食慾は頓に増進し、麁飯に山海の珍味に勝る高味ありて、我等は十日間一回も減食の要を感ぜざりき、殊に此会合に於て注目すべきは樹下の饅頭会なりき、角筈村は遠く市外に在りて、都市の甘味の其附近に鬻がるゝなし、唯信長時代より伝はりしと云ふ麦粉と小豆粉とを以て製せられし此好物の盛に近隣に鬻がるゝあれば我等一日三食を以て尚ほ不足を感ずる時は清談高話の間に各金弐十厘を投じて幾回となく此中古的甘味を喫したり、共に食はざれば真正の親睦なしとの余輩の格言《モツト》にして異ならば我等が樹下の饅頭会は講師のクダラヌ説教演説に勝りて会員相互の心情を結び附けるが為めに幾倍か力強かりしならむ。
 
(433)     北信侵入日記
                      明治33年9月30日
                      『聖書之研究』1号「伝道」
                      署名 内村生
 
 夏とし云へば人士とも称すべき者は必ず一度は都市の黄塵を避けねばならぬやうに思はれ居る今日、予輩とても人士の中間入りを為したる以上は是非とも一度は夏期旅行を企てざるを得ず、去りとて独立雑誌社解散の後を受け、殊に夏期講談会てふ大責任を負ひし後なれば入浴静養などは思もよらず、「我に取りては世に在る事は戦ふ事なり」との或る羅馬人士の格言は余輩の生涯を述べしものにして、余輩に取りては夏なればとて必しも休むべきの時期にあらず、歳の首より歳の終りまで、母の胎内を出てより、ネチユアの胎内即ち墓に降るまで余輩は戦闘と度胸を定めし事なれば、講談会の疲労の去るや否や、余輩は夏陣と意を決しぬ、友人の或る者は云へり、宜しく此時機を利用し、西の方京都に攻め入り、以て大に羽翼を摂河泉地方に張るべしと、余輩は知れり余輩は彼地に少くとも百名以上の味方を有し、余輩の鞋底の彼地を印する時は其処に壮快なる夏期講談会の第二次会を開くに至らん事を、然れども又或る友人は云へり、義務は先づより近きものより果さゞるべからず、信州の地余輩の出陣を促すこと久し、今の時に当て之を後にして彼を先にするは義と情とに於て大に欠くる処あり、今日は北すべき時にして西すべき時にあらずと、余輩は此議に伏し、忽ち余輩の作戦計画を変更し、茲に信州侵入とは決しぬ。
(434) 「アス一バンユク、ハタラク」、是れ出陣の前夜余輩が上田なる余輩の同志に送りし唯一の通知なりき、八月十四日家を出で、北走八十哩、二十八箇の碓氷の隧道を過ぎ、海面を抜く三千八十六呎てふ標を立てたる軽井沢駅にて昼餐し、浅間の南麓を馳せて小諸に至れば余輩の名を呼んで頻に余輩を求むる者あり、車窓より首を出して脱帽すれば是ぞ其地の友人が已に上田よりの報を得て此所に余輩を迎へしなりき、「余は友人に乏しからず」と独心に念じて喜びつゝ尚一時問余の馳走を続くれば上田停車場には同志の一群余輩を待ちて余輩をして如何なる新婚旅行と雖之に優るの快はなけんと思はしめたりき。
 時は猛夏の最中、爾かも地方の中元に当り、人々多忙を極むるの際、人生問題攻究などとは思も依らず、然りとて其為に来りし余輩の事なれば聴衆の尠きが為めに余輩の目的を変更すべきに非ず、場所は上田城内の明倫堂、時は毎夜午後七時半より、聴講券は一枚弐十銭、四日に渉りて基督教的人生観の一斑を講ぜんとなりき。第一回は八月十五日夜を以て開かれぬ、来り聴く者五十余名、題は人心の開拓、先づ日本現時の経済問題より説き起し、肥料問題に渉り、日本国の土壌の歳に※[月+叟]せ行きつゝあるを論じ、富源の歳に月に減少しつゝあるを説き、終に人心の開拓は日本の富を増進するの唯一の途なるを述べ、以て経済学と倫理学との関係を明にせんと努めたり、余り面白き講演にはあらざりしも然かも聴衆に多少の実益を供せしならんと独り自ら慰めたりき。 翌十六日は同志五名と共に馬車を駆つて千曲川の対岸塩田郷なる別所の温泉に遊びたりき、途に桑葉の未だ成長を全ふせざるに夙く既に秋蚕の為めに摘み取らるゝを見て、談昨夜の講演に及び、土壌の枯※[月+叟]の止むを得ざるを語り、肥料問題の人心問題に次ぐの最大問題なるを語りつゝ午前十時目的の温泉地に達しぬ、宿に投じて先づ喫煙の利害を攻究し煙草を利用して之を濫用すべからざるを語れば一行少しく不快の容貌を呈するが如し、時に(435)其地の有志家倉沢運平氏の余輩を訪ね来るあり、氏は蠶種改良を以て有名なる人、然るに余輩に問ふに人心改良の大方針を以てしたれば余輩は何時《いつも》の通り明白に余輩の確信を述べ「神、人、罪、救、」の四字を書して余輩の真意の在る処を氏に示したりしに、氏はニコデモの如き半賛成を余輩に表し、厚礼を述べられて余輩を辞し去られぬ。
 余輩は半日の睡眠を楼上に貪り、午後六時再び上田なる友人の家に帰り、定時再び明倫堂に入りて昨夜の講演を続けぬ。人心の開拓は智識注入を以て為すべからず又儒教の如き微弱なる教義を以て行ひ得べきものにあらずして神の聖霊に依る人心の根本的改鋳に依らざるべからずとは此夜の講談の趣旨なりき、事勿論新説にあらず、然かも一顧の価ありし事ならんと信ず、殊に此夜祈祷と聖書の朗読とを以て余の講義を始めし事は太だ聴衆の注意を引けりとは余輩の後にて聞きし所なりき。
 十七日 炎熱甚し、午前八時※[さんずい+氣]車に乗じ、隣村坂城村に知己児玉女史を訪ふ、近隣の有志又相会し、静談午後四時に至て帰る、労多くして益尠きは公開演説なり、労少くして快多きは座談なり、余は以後は重に途を後者に取らんと欲す。
 夕に入て定刻開会、人心開拓用のダイナマイトは単に神の愛心なるを語る。 十八日 終日客に接し、又友を訪ふ、此日上田独立苦楽部の組織成る、部員僅に五名、然れども彼等の活動力は平凡会員の五百に匹敵するを見たり、午後部員と共に撮影す、夜に入て最終の講演あり、一題は羅馬書一章の十六節「我は福音を恥とせず」の一句に在りき、政治を語り、文学を論ずるの福音宣伝に比すれば愚極まるの業なるを説けり。
(436) 二十日 日曜日なり、上田メソヂスト教会に於て説教す、或る人は云へり、是れ余の平生の主義に反すと、然れども余は云へり、斯の如きは余の平生の主義とする所なりと、余は嘗て今の教会なる者其物を憎みし事なし、余の力のあらん限り之を助け又或る時は之に助けらるゝは余の最も望む所なりとす、夜明倫堂に余の為めに有志の慰労会は開かれぬ、席上立川雲平氏の快活なる演説あり、一同満足と感謝とを以て別る。
 二十日 上田を辞して小諸に至る、旧友木村熊二氏と相会せんとして得ず、残念なりき、午後二時より懐古園内湖月楼に於て演説す、来会者八十余名、題は「吾人の採用する道徳の種類」にして孝たり忠たるのみが必しも道徳には非ずして、如何なる動機よりして孝たるべき乎、忠たるべき乎、人生は如何に観ずべきやに就て述べたり、而して文明的道徳は先づ第一に国家的に非ずして個人的たるべき事、第二に上向的(貴族的)に非ずして下瞰的(平民的)たるべき事、第三に内顧的に非ずして遠望的たるべき事、第四に正義的に非ずして慈愛的たるべき事を述べたり、後茶話会あり、夜は有名なる政治家小山久之助氏の本家なる小山太郎氏の家に客たりき、氏は一家近親の児女十五六名を招き、彼等をして余の女子教育に関する意見を聞かしむ 朝起きてより夜眠るまで口の閉る暇はなかりき、
 二十一日 信州の夏陣は茲に終りて、朝八時小諸停車場を発し、碓氷を下り、関東平原を馳せて午後四時角筈の旧巣に帰りぬ、嗚呼信州、我は我が一生を彼の地の伝道に費やさんかな、角筈に在て偽善者と呼ばれ、泥棒と罵られ、悪人扱ひを受けんよりは、浅間山下に基督の福音を宣べ伝へんかな、是より余の注意は千曲川の岸に蒐まれり。
 
(437)     罵詈の注文
                      明治33年10月1日
                      『万朝報』
                      署名 客員 某
 
 更に罵詈の筆を続けよとは余の読者の多くよりの注文なり、然り、余は未だ全く罵詈の筆を収めず、時と場合とに依ては読者或は余より此種の言を聞くことあらん。
       *     *     *     *
 然れども今や誰をか罵らんかな、我国の華族をか、藩閥の老狸をか、彼等今既に廃物に等しき者として世人に目せらるゝ者、余輩は彼等を鞭つを好まず、彼等は既に筆誅せられし者、今に至て彼等を罵るは死屍を鞭つよりも愚なり。       *     *     *     *
 然らば今や誰をか罵らんかな、政治家をか、彼等豚類に近き者として世人に目せらるゝ者、獣心ありて人心なき者の如くに思はるゝ者、余輩彼等を罵りて、反て余輩の子供らしきを笑はれむ、今の政治家を罵らんよりは、田家を訪ふて其飼育する家畜の類を罵らむかな。
       *     *     *     *
 嗚呼然らば今や誰をか罵らんかな、
(438) 然り余は今は夫の不平家と称する無為無能労働を憎み、懶縦を愛し、唯社会の改良を口と筆とにするの外、他に一事の為すなき懶獣の一種を罵らん、彼等カーライルを読まずしてカーライルを評し、バーンスの詩篇一句をも碌々解し得ずして西洋詩歌と平民主義とを唱ふ、華族若し肥えたる豚の類ならば彼等は実に痩せたる犬なり、学閥若し学問の専売者ならば、彼等は実に無学の発売者なり、華族と紳商と僧侶と政治家とを嫌ふ余輩は亦彼等不平家を憎むや切也。
 
(439)     好ましからざる人物
                      明治33年10月6日
                      『万朝報』
                      署名 客員 某
 
 政事家なり、新聞記者なり、小説家なり、僧侶なり、牧師なり、伝道師なり、凡て消費して製作せざるもの、凡て語て働かざるもの、進軍を吹奏して自から進んで敵に当らざるもの、彼等は皆な好ましからざる人物にして、彼等の増殖は国家の不幸にして其幸福にあらず、其衰亡の兆にして振興の候にあらず。       *     *     *     *
 一|粒《りふ》の米を作り得ず、一尾の魚を捕へ得ず、只為し得る事は原稿を製造する事と社会改良を口にする事とのみ、是をば称して日本今日の操觚者とは云ふなり、箸よりも重き者を手に取りし事なき者を貴んで華族と崇め、筆よりも重き者を手に取りし事なき者を呼んで国民の鼓吹者なりと仰ぐ、虚を拝して虚に導かる、憐むべきの国民なるかな。
       *     *     *     *
 独立心なき者は人に頼るにあらざれば他人と相団結す、独り立つの勇気なし、故に何人にか頼《よ》らざるべからず、独り立て独り行ふ、是を独立の人とは云ふなり、他人と団結せざるにあらざれば、立つ能はざる者は徒党《モツブ》の類にして独立の人にあらず、而かも如斯の類は今日の日本に甚だ多し。
(440)       *     *     *     *
 役人たらんと欲する者は立憲政友会の醜類のみにあらず、幹事たらざれば直に脱会を申込む青年会員、評議員に加へられざれば常に攻撃の位地に立つ会社員、然り、日本国民は其本性に於て挙て猟官者たるなり、彼等は未だ労働者たり服従者たるの名誉を知らず、彼等は凡て労働者より納むる貢に依て衣食せんとする横着者なり、猟夫が猟犬と争ひつゝあるは日本今日の重なる出来事なり。
 
(441)     『興国史談』
                     明治33年10月11日
                     単行本
                     署名 内村鑑三 著
 初版表紙186×128mm
 
(442)    目次
 
第一回 興国と亡国
第二回 興国の要素
第三回 埃及
第四回 埃及と埃及文明
第五回 巴比倫尼亜
第六回 アツシリヤ(上)
第七回 同     (下)
第八回 新バビロニヤ(上)
      ネブカドネサルの王国
第九回 同     (下)
       同
第十回 フイニシヤ(上)
第十一回 同     (中)
第十二回 同     (下)
第十三回 ユダヤ(上)
第十四回 同    (中)
第十五回 同    (下)
第十六回 歴史的人種(上)
第十七回 同    (中)
第十八回 同    (下)
第十九回 伊蘭高原
第二十回 アリヤン人種の勃興
第二十一回 アリヤン人種の特性
第二十二回 メデヤ
第二十三回 ペルシヤ
 
(443)   自序
 
 興国史談其終結を告げんとして之を連載し来りし東京独立雑誌は亡びたり、故に人は曰ふ是れ他人を救ひ得て自己を救ひ得ざるの類なりと。
 或は然らん、或は然らざらん、然れども是れ人の知る処にあらず、亦我自身の知る処にあらずして、之を知る者は国民を活し亦之を殺し給ふ天の神あるのみ。
 然れども唯此一事は確かなり、即ち興国史談は其終りを告げし事是なり、余の始めて其稿を起すや、余は少くとも羅馬の衰亡、独逸民族の勃興にまで之を持続せんと思へり、然れども月を経る既に十、回を重る已に二十三、記者も読者も大に倦怠を感ずるに至れり、依て一先づ筆をアリアン人種の興起に止め、余は別冊となして之を世に公にする事となすべし。
 本書載する処の記事は主として太古史に属す、而して余の浅学なる此時代の記録に通ずる至て尠し、然れども本書に於ける余の貴任を明にせんため余は別に参考書目を附せり、是れ或は余の無学を表白するに止まらん乎なれども、或は亦多少後学者を益するやも計られず。
 終に臨んで余は茲に余の同国人にして友人なる隅谷八朔氏が此書に与へられし編輯并に校正の労を深謝せざるを得ず、吾等同志の為し得る事業は小にして少し、然れども之に深き友情の伴ふあり、此小冊子亦愛友との共同事業の一なり、若し是に依て史的精神の一片だも我国人に吹入するを得ば吾等の総ての希望は達せられしなり。
  明治三十三年九月十二日          東京市外角筈村に於て 内村鑑
 
(444)     参考書目 Reference Books.
 
Rawlinson,    G:The Seven Ancient Monarchies of tbe Ancient Eastern World,3vol.
―――――――――― Phoeni〔ci〕a.
―――――――――― Anciemt Egypt.
―――――――――― The Religion so fthe Ancient World.
―――――――――― The Origln Of Nations.
Sayce,    A. H:A Primer of Assyriology.
――――――――――:The Hittites.
――――――――――Assyrla,its Princes,etc.
――――――――――R〓clal〔Social〕Life among the Assyrians and Babylonians.
Baron C.J.Bunsen :God in History.
Lenormant,Francois :Chaldean Magic, its Origi nand Development.
Budge,E.A.Wallis :The Dwellers on the Nile.
――――――――――:Babylonian Life and History.
Dawson,Sir J.W. :Egypt and Syria.
Ragozin, Z. A. :Chaldea.
(445)        :Assyria.
――――――――――:Media.
――――――――――:Vedic India.
其他 Lord,Milman, Stamley,Labberten, 等の著書にして猶太史を論ずると同時に東洋史に及びし者は茲に略す、Ploetz の Epitome of History は総ての歴史の研究者に取り最も便利なる者なり、又 Encyclopedia Britannica 中にあるバビロン、アッシリヤ、ペルシヤ、アリヤン人種等に関する論文は尠からざる智識を余に供したり、米国ヒラデルヒヤに於て発行せらるゝ Sunda yTimes は太古史に関する多くの有益なる記事を掲ぐるを以て余の之に学びし所甚だ多し、人種学に関しては余は今尚ほ Dr.Max Muller に依る者なり、A.H.Sayce 氏の Races of tbe Old Testament 又新光明に富む、
 
(446) 〔『興国史談』訂正再版明治34年5月27日刊〕
 
    再版に附する自序
 
 嘲笑、辱罵の中に生れし此書、生れて漸く半年なるに第二版を要求さる、依て知る批評家の声は人民の声にあらざるを、依て知る吾人は正直なる労働の結果を世に供するに蹄躇すべからざるを。
 余が此書を思ひ立ちしは明治十八年、余が米国ペンシルヴハニヤ洲ヱルウヰンに於て白痴看護を習練しつゝありし時にてありき、其時費府の友人にして其市屈指の出版業者なる W.A.マツカラ氏は余に贈るにローリンソン氏の『古代宗教論』の一冊を以てせり、余は業務の余暇を以て此書をヱルウヰンの森林中岩石狼藉たる所に読みたり、而して何時か此趣味多き事実を余の邦人に紹介せんとの希慾は始めて此時に余の心に浮び出でぬ。
 依て知る取るに足らざる此書と雖も是れ余に取りては十七年間に渉る思惟の結果なるを、余は批評家の批評を懼れず、然れども未だレノーモンの名さへも知らず、ローリンソンの一頁も読みし事なき我国今日の批評家と称する人士は此書に対して一言の批評を加ふるの資格なき者と余は信じて疑はざるなり。
 行けよ我書、行て誠実なる読者を索めよ、而して若し不幸にして懶慢無識なる『批評家』の手に落ることあらば、彼の心を一層|頑《かたくな》にし、以て一縷の光明をも彼の心に伝ふる勿れ。
  明治三十四年四月十二日   東京市外、角筈村浄水池の辺に於て 著者
 
(447)     社会小観
                    明治33年10月13日−11月9日
                    『万朝報』
                    署名 内村鑑三
 
    日本人と金銭問題
 
 日本人は一般に商売を好んで商売を嫌ふ者である、彼等は即ち自身が商売するを好んで他人が商売するを嫌ふ者である、彼等は自身が商売人たるを耻とせずして、他の人が(殊に彼等の師として仰ぐ人が)商売に従事するを以て甚だ賤しとする者である、即ち彼等は自身の肥えん事を望んで他人の痩せん事を望む者である、実に奇態なるは日本人の商売に関する思想である。
       *     *     *     *
 若し商売が悪いものであるならば何故に商人が之に従事しても宜いか、商人だとて人間ではない乎、商人の為して宜い事を何故に他の人は為しては悪いか、勿論商売にも悪いのと善いのとがある、然し学問にも伝道にも文学にも同じ二つの種類がある、若し正当の商売なるものがあるならば(而して吾人はあると信ずる)、何故に之に孔子も釈迦もソクラテスも従事しては悪いか。
(448) 商売しては悪い、然し独立せよと云ふ、之れ恰かも食ふては悪い、然し活きて居れと云ふの類ではない乎、百姓だとて其作つた穀物や野菜を売らなければならない、何故に文士が彼の論文を売ては悪いか、若し牛乳配達を為しながら傍ら文学に従事すればとて、それで其文学が潔白でないとは言はれない、何故となれば此場合に於ては文士の心中に金銭以外に尚ほ求むる所がある乎も知れない。
       *     *     *     *
 米国の或る有名なる大学総長某は大学者でありながら然かも理財の術に長じ、学理を講じつ1あると同時に数万の富を作りしと云ふ、而して米国の社会は此故を以て彼を責めず、彼亦此事を以て耻となさず、学を講じ理を究めて今は静粛に彼の余生を送りつゝありと云ふ、余輩は何にも必ず米人に傚ふを要せず、然れども正当の商売を罪悪視せざる米国人に吾人の知らざる広量あるを知る。
       *     *     *     *
 商売を賤しむる国民は依頼を貴ぶの国民である、余輩米国にありし時に曾て或る婦人の家に客たりき、余輩は東洋人根性を現はし、手業に従事するの卑賤なるを語りしや、彼女は少しく憤怒の状を呈して曰く「然らば貴国に於ては何人も政府の養ふ所となるや」と、此時余輩は耻ぢて返すに一言もなかりき。
       *     *     *     *
 曾て W.S.クラーク氏が札幌農学校に長たりし時、彼れ一日彼の学生を一室に集め問ふに農業の目的如何を以
てす、時に或人は答て曰く「是れ国家を其根本に於て強めん為めなり」と、又或者は答へて曰く「是れ民の独立心を喚起せん為めなり」と、其他答案百出せしもクラーク氏は只頭を振りながら其然らざるを答ふ、学生は(449)一として彼の賛成を価するの答なきを知り、終に終に彼に問ふて曰く「然らば先生は何を以て農業の目的となす耶」と、時にクラーク氏は満面に笑を湛えながら、声を高めて答て曰へるやう「農業の目的は銭を獲るにあり」と衆時に黙然たりしと。 〔以上、10・13〕
 金銭の事に甚だ潔白のやうで実は甚だ穢いのは日本人である。賤妓の為に数百円の纏頭を投ずるに蹄躇しない日本の紳士は教育の為めとか、慈善の為めとか云と十円の金も容易に出さない、別荘建築の為めに数百万円を投じた日本の豪商はあるけれども、独立で大学校を建てた米国のジョンス、ホツプキンスやクラークの様な人は日本には一人も居らない、常に忠君と愛国を口にする日本の金持位ゐ当てにならぬ者はない
       *     *     *     *
 それと云ふのも日本人が未だ全体に金の何たると其の貴き理由とを知らないからである、金は政府が作るものではない、印刷機械があればそれで紙幣は出来るものであると思ふは大間違である、金は労働に依てのみ出来る者である、政治家が政府と結托して数万円の金を得たればとて、それで彼は金を作つたとは云へない、此場合に於ては彼は実は金を盗んだのであつて之を作つたのではない、我等が真面目に働いた時にのみ金は出来るものである、農夫の手に依て新たに穀物の実りし時、詩人の手に依て新たに天来の思想が世に臨みし時、此時にのみ金は新たに世に出《いで》しのである、金を以て世の中の廻り持であるとか、空に飛んで居るものであつて、誰でも勝手に取れるものであると思ふのが実は大間違ひなのである
       *     *     *     *
(450) 或人が曾てフランクリンの所へ行つて金の如何に詰らないものである乎を語し時に、フランクリンは答へて曰ふた「ソレならば今何処かへ行いて金を持つて来て御覧なさい」と、金は決して詰らないものではない、是を得るのは(正直の手段を以て)非常に六ケ敷い、金は労働を代表するものであつて、実は額の汗の固結《かたま》つたものである、夫れ故に金を賤しめる者は実は労働を賤しめる者である、正直なる労働を以て世に立つ者に取ては現世に於て金ほど貴いものはない。
       *     *     *     *
日本人が実は非常に金を欲しがりながら表面に之を賤しむのは彼等が貴族国の民であるからである。金は上より貰ふべきものと思ふて居つた民が額に汗して之を得んとはせずして、上者《じやうしや》に媚びて之を得んとするは当然である、日本人は実は身を君に奉じ其代りに金を貰ふの外に金を得るの術を知らないと見える、金を纏頭と見れば其親しむべきものなるは勿論である。 〔以上、10・16〕
 曾てモンテーンと云ふ仏蘭西人が云ふた事がある、「金を得るに三つの法がある、即ち盗むか、貰ふか、稼ぐかである」と、それで我等は盗むのも、貰ふのもイヤであるから是非共稼がなければならない、即ち何にか世の要求する必要品を作つて、以て世を益し、以て我身を養はなければならない、「産出せよ、産出せよ」とのカーライルの絶叫は吾人の服膺すべきものであつて、文でも詩でも米でも麦でも宜いから、我等は之を作つて人類全体の富に少しなりとも貢献する所がなくてはならない。
(451) 「如何にして余は余の最初の一弗を得しか」是れ多くの米国人が誇顔にて語る話柄である、大統領リンコルンが少時オハヨー河の辺に住みし頃、川蒸気船へ通ふ艀船《はしけ》の舟子《ふなこ》に雇はれしが、或日一|人《にん》の紳士を本船に送り届けた報酬として五十仙の銀貨を貰ひしとの事である、其時のリンコルンの歓喜は譬るに物なく、彼は岸に帰りて幾回か其銀貨を空に向て打上げ、大声《たいせい》にて叫んで云ふたさうだ「是は神が我に与へた金だ」と、亦スタンホールド大学の設立者なる有名なる富豪スタンホールド氏は少時彼の兄某と共に山に行て栗を拾ひ、之を市に売て二弗の金を得、それを資本として終に数千万弗の金を作り、今は世界中で最も善く整ひたりと云ふ大学校は彼一|人《にん》の手に依つて建てられるに至つた、勿論日本にも小資本から大財産を作つた者はないとは云はれない、然し之を以て神よりの依托と考へ、之を社会公衆の用に供する者の一人もまだ日本の金持の中から出て来ないのは如何にも残念である。
       *     *     *     *
 金を以て自分で得たものゝやうに考へるのが間違なのである。金は天才と同じやうに矢張り天よりの賜物である、我等は金を得て之と同時に大責任を担ふ者である、我等は之を最も有益に、最も能く道理に適ふやうに使はなければならない、金を使ふの道は実は之を得るの途より六ケ敷のである、曾て或る米国人が彼の有つて居つた数百万弗の財産を最も有益に使ふ方法を示して呉れる人があるならば其報酬として金五万弗を其人に与へんと新聞紙に広告した事があるとの事であるが、それは尤もの次第である、我日本に於ても金を儲けるの術に於ては随分長て居る人はあるが、之を使ふの途を知つて居る者は殆ど無いやうに見える。
       *     *     *     *
(452) 何故に金が欲しいかと云ふ問に答へてカーライルは「賤い人より賤い取扱を受けざらむためである」と曰ふた、殊に日本のやうな金貸の勢力の非常に強い国に在ては此用意は非常に大切である、節倹貯蓄の要は全く此為めであつて、丁度国として兵器軍艦の必要があると同じである、独立の為である、人たるの威厳を維持する為めである、是れ以外のためには我等は金は一文も欲しくはない。
 
    米国人の友誼
 
 曾て米人 W 某を友とした事がある、或る時余の敵対に立ちし者が彼の許に行て余の※[衍/心]《あやまち》を訴へた、其時に彼 W は答へて曰ふた「余は何君の友人である、夫れ故に余は彼の科に裁て君より聞くを好まない、君再び来て余を煩す勿れ」と、余は其時始めて米人の友誼の厚きに感じ、爾来一層の信を以て彼等と交際を継けた。
       *     *     *     *
 又或る時、人の米国の余の友人に余の過失を伝へて遺つた者があつた、友人驚きて直に書を余に寄て曰ふた「余は斯く/\の事を君に就て聞いた、然し余は直に君より聞くにあらざれば之を信ずる事が出来ない、君願くは余の為めに之を弁じて呉れ」と、余は勿論余の立場を彼に書き送り遣りたれば、彼は其後前日に優るの信任を以て余に接するに至つた。
       *     *     *     *
 又同じ頃であつた、同じ米国の友人の一|人《にん》、余に就て同じ報知を聞いた時に、彼れ余に書き送て曰ふた「余は君の処置と地位とを能く解する事が出来ない、然し余は前日の如くに君を信ずる、夫れ故に余は此場合に於ても(453)君の方正を信じて疑はない」と、爾来《そのゝち》彼は死に至るまで余を愛し、余をして彼に余の為に弁解するの必要なからしめた。
       *     *     *     *
 以上を日本人今日の友誼なるものに比べて実に天と地との差別があると云はなければならない。 〔以上、10・26〕
 M某は米国ヒラデルヒヤの或る有名なる印刷会社の主人である、余は彼が青年の頃よりの彼の友人であつて、余の彼地に在りし頃は余は幾回か彼の家を訪ふて食ひもし遊びもした事がある、彼は宗教家でもなければ文学者でもない、彼は純粋の商売人であつて、遭ふて話して見れば別に之ぞと云ふ説を持つて居る男ではない、然し彼の友誼の根強い事に至つては余の曾て見ない所である、余は本国に帰つてより或時は一年間も二年間も一度も彼に手紙を遣らない事がある、然し彼は夫れが為めに決して余を忘れない、彼は船便毎に必ず余に何にか送つて遣《よこ》す、又余が何にか彼に注文すれば彼は必ず余の注文に応ずる、彼は余の用を為すを以て名誉として居るやうだ、余は勿論日本に於て斯んな友誼を見たことはない。
       *     *     *     *
B某はミネソタ州ミネアポリスの或る有名なる資財家である、明治十八年の夏余が彼国慈善大会に列せんが為めにワシントン府に到りし時ウヰラード旅館の入口に於て僅か十五分間程余は彼と語を交へた事がある 然し是が縁となつて、爾来十五年間一日の如く彼と余とは兄弟も啻ならざる友人である、余の手紙の彼の手に落る時は(454)彼の一家に一大喜楽の臨む時であつて、日本人にして彼の家を訪ふた者は皆彼が余に対する友誼の篤いのを見て驚かない者はない、彼は余が今日まで彼に書き送りし手紙を活字を以て写し直し、之を一つの美本に綴ぢ、之を客室に置いて、誇顔に来客に示すとの事である、彼れ過る歳キリストの生国なるパレスチナに旅行せし時に、書を度々彼の旅行先より余に送り越し、ヨルダン河の岸に於て、ガリラヤの海の岸辺に立て、幾回となく余の事を思ひ出し、余の為めに祈り呉れしとの事である、彼は資財家であるけれども曾て一度も金を以て余を助けて呉れた事はない、是は彼は友誼の金銭の故を以て破れ易きを知るからであると思ふ、余も亦曾て此事を以て彼を煩はした事はない、多分彼と余との友誼は永遠にまで続くものであらう。
       *     *     *     *
G 某は米国メソヂスト教会の或る牧師である、余は彼地在留中幾回か彼の家に客となつた、或る日の事、余は思はずも余の或る秘密を彼の前に述べた事がある、余は後《あと》にてトンだ事を為したと思ふて心配した、然るに歳を経て再び彼に会ふた時に彼は心配さうに余に問ふて曰ふた、「君のかの件は何うなつた、余は秘密を守つて今日に至るまで余の妻にも之を語らない」と、余は彼が友人の秘密を守る斯くも厳格なるを見て実に感奮に堪へなかつた。 〔以上、10・27〕
 
    現世の地獄=日本
 
地獄とは何にも必しも血の池や針の山のある所ではない、地獄とは人々互に相疑ひ、彼等の中に信任なるものゝ絶えて無い所である、鬼とは角が生えて怖い顔をして居る者ではない、私利私慾の外に何にも考へない紳士、(455)学者、政治家の類は皆な鬼である 是等の点から考へて見ると今日の日本の社会が真正《ほんとう》の地獄であると思ふ、多分斯んな怖い怕しい国は隣邦の朝鮮を除くの外は天が下に何処にも無いと思ふ。
       *     *     *     *
 故グラツドストンは「政治の目的は善を為すに易くして悪を為すに難い社会を作るにある」と云ふた、然し日本今日の社会は是と丁度正反対であつて、悪を為すに易くして善を為すに甚だ難い社会である、友人を離間するに最も易い国は日本である、他人の善行を傷けるに最も易い国は日本である 不義の利と不正の名誉を博するに最も易い国も日本である、小才子が幅を利かして、正直真面目の人が引き込んで了ふ国も日本である、善と云ふ善は何も為す事が出来なくして、悪と云ふ悪は何んでも出来る国は日本である、実に薩長政府の作つた明治の日本は立派なる現世の地獄である。
       *     *     *     *
 世に怕しい者は虎でもなければ、獅子でもなければ大蛇でもない、世に怕しい者は人間である、猜疑心に富む人間である、即ち今日の日本人如き者である、彼等の中に住むは地獄に住むと同じである、不安心の極である。 〔以上、10・31〕
 
    国家と家庭と個人
 
 善き政治が有つて善き社会があるのではない、善き社会が有つて善き政治があるのである、社会は体質であつて、政治は之を外に顕はす表皮《うすかは》に過ぎない、腐た社会の上に貴い政治を建てんとするは賤しき女に貴族の衣物を(456)着せて真の貴婦人と為さうとすると同じである。
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 善き社会が有つて善き家庭が有るのではない、善き家庭が有つて善き社会が有るのである、社会とは家庭が相集て造るものであつて、社会とはより大なる家庭と称ふが適当であらうと思ふ、若し日本の社会は如何云ふ社会であるかを知らうと欲へば之を社会雑誌や社会新聞に於て見ても分らない、之を日本普通の紳士の家庭に於て見れば能く分る、道徳もなく、宗教もなく、只外面の礼儀が立派で、内部に主義と云ふ主義の一もないこと、是れが日本の家庭であつて亦其社会である。
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 善き家庭があつて書き個人があるのではない、善き個人があつて蕃き家庭があるのである、慈愛に富める父、清潔なる母、勤勉なる兄と姉、従順なる弟と妹、是れあればこそ善き家庭が作れるのであつて、父にして野心勃々たり、母にして虚栄を好み、兄と姉とにして遊惰に耽けり、弟と妹にして只己に求むる所ろを知つて他を悦ばすの心なし、高貴なる、清浄《しやうじやう》なる家庭の彼等に由て作れやう筈はない、日本の家庭なるものは実はホームではなくしてハウスである、即ち単に風雨を凌ぐための処である、是は其之を作る者が神を知らず真理を悦ばず、只愉快に面白く此世を渡るを以て人生の目的と見做して居る者であるからである。
       *     *     *     *
 改革は先づ個人を以て始まらなければならない、一人の善人を作りし者はそれ丈け国家を改造せしものである、然るに之を為さないで、政治を論じ、社会を云々する者の如きは、之れ単に空中に夢想を画く者であつて、如斯(457)き者は其国務大臣たると代議士たるに関はらず、太平洋の底に沈めて了ひたきものである。 〔以上、11・6〕
 
    義理
 
 日本の社会に義理なるものがある、是は外国に於ては決して見ない所であつて、是が為に苦められるものは東洋の日本人に限る
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 義理とは義務ではない。義務は宇宙の大道を尽すことであつて、是は極く高尚の事である、然し日本で称ふ義理なるものは詰らない社会の習慣に従ふ事であつて、是は極く卑屈の事である、さうして義務の念には至て薄い日本人は義理のためには殆んど全生涯を費しつゝあるのである。
       *     *     *     *
 何にも愛心から之を尽すのではない、亦爾うならばとて全く利慾心に駆られて之を為すのでもない、唯世間の評判を懼れて為すのである、不義理の人と称ばるゝが恐しさに為すのである、日本人は多くは忠臣、孝子、愛国者、義人、改革者など称はれて世間に誉め立てられんことを欲する看であるから、此名誉の称号を買はんが為には彼等は何んでも為すのである。
       *     *     *     *
 見給へ、東京の市中を歩いて、かの到る処に菓子屋が有つて、皆大抵繁昌して居るのは何が故であるか、是は「使ひ物」と称して人を訪問するに空手では行けぬなど云ふ詰らない習慣が此国に行はれて居るからではないか、(458)其他反物屋でも、烟草屋でも、酒屋でも、魚屋でも「進物」販売を目的として商売する者が多いではないか、日本人の中から義理なるものを取り除いたならば彼等の商売の半分はなくなるであらうと思ふ、然し之と同時に国民の富はそれ丈増して、我等は大分幸福なる民となるに相違ない。
       *     *     *     *
 義理は日本人の精神を縛る縄である、是あるがために彼等の思想も発達しなければ、政治も腐敗する、是れあるが為に日本には真正の忠臣も孝子も義士も出て釆ない、日本人の精力の大方は此義理と云ふ精神病の為に消磨せられて了ふから、之を偉大なる事業のために使ふことは出来ない、其義理の念が変じて義務の念となるまでは日本国は至て詰らない国であると思ふ。 〔以上、11・9〕
 
(459)     警世の発刊に際して友人松村介石に告ぐ
                      明治33年10月25日
                      『警世』1号
                      署名 内村鑑三
 
 雑誌『警世』、友人松村介石君の手に由て出でんとす、余は謹んで之を歓迎す。
 余は松村介石君を知る、茲に十有五年、余の宗教的信仰に於て、社会改良上の意見に於て、余は君と全く説を共にする能はずと雖も、而かも常に君の白き心と闊き量とに服し、君の教指を受くる事屡々なり、曾て友人大西祝君、或人に語て曰く「両村互に相似て亦大に異なる」と、余は松村君に於て潔白なる日本男子と宏量なる東洋の志士とを発見し、少くとも余の国家的関係に於て、余は君の同国人たり、同時代の人たり、且つ同希望の人たるを以て之を名誉に感ずる者なり。
 松村君は先づ国を革めて、然る後に個人に及ばんと欲す、余は先づ個人に真生命を注入するに非ざれば、国政は談ずるに足らざるものなりと信ず。松君勿論深き宗教心を有す、然れども君は余の如く未だ全く坊主主義に化せられざるが如し、君の現世に於ける希望は余のそれよりに優るや大なり。
 然れども余も亦肉の人、現世に存在する間は君の援助を借らざるを得ざる事数次なり、曾てスターリング其友カーライルに書を送て曰く「若し彼処にて君が用を為すを得ば何の幸か之に若かん」と、余も亦松君に同じ事を言はんと欲す、即ち余にして若し少したりとも君に供するに「彼処」に関する智識と実験とを以てし、君をして(460)足下の国土を看ると同時に頭上の霊の国を忘れざらしむるを得ば、余は君に対する余の友誼的義務の一部分を尽し得たりと信ず、君既に幾回か現世の迷路より余を救ひ出したり、余も又何にか君に報ずる所なくして可ならんや。 人は多くして友は尠し、今や信任なるもの殆んど此国土より跡を絶たんとする時に方て、余輩努めて友人の事業に出来得る丈けの賛成を表せざるべけんや。余は君が此挙に出でしを見て、新たなる勢力の余自身に加へられしが如くに感ず、故に余は自身の成功を祈るが如くに君の成功を祈らんと欲す。若し夫れ余の責を負ふ雑誌と新聞紙より幾干の時間を奪ひ得ば余は喜んで之を松君の事業に献げんと欲す、松君夫れ勇を鼓して進め!
  三たび信州に入らんとするの前夜しるす
 
(461)     教界近状
                     明治33年10月25日
                     『警世』1号
                     署名 社友 鮭鱒生
 
○人は我に依て利を得、名を挙げんと欲して、我を助けて我が聖想を遂げしめんとせず、嗚呼我は誰に依てか我が天職を全ふするを得む。
〇牧師は政治家たるを望んで其聖職を継続するを好まず、書店は社会雑誌の発兌を促して宗教雑誌の刊行を希はず、基督教界の近状斯の如し其味を失ひし塩たるは言ふを要せず。
〇大将と策士参謀官とは多くして兵卒は少し、幾多の事業は計画せられて、之を行ふが為めの資力と活働者とはなし、真正直に働く者は此社会に於ては馬鹿者なり、基督教界にて於ても亦然りとす。
〇疑ふを知て信ずるを知らず、人に利慾の念の存するを知て、彼に神を知る力あるを認めず、信任の念全く欠けて、彼等の人に彼等の心底を開くの確信あるなし、余輩彼等に接して実は氷塊に触れしの感あり、彼等に近きて余輩の熱心は冷却して自身石像と化せしの思ひあり。
〇社会に勢力を得るを以て最大目的となす、彼等は、一人の霊魂を救ふは天下を取るよりも大事業なるを知らず、教勢の拡張は画せられて、人霊の救済は計られず、彼等が勢力を望んで、之を得る能はざるは全く是が為めなり。
 
(462)     〔住谷天来訳『英雄崇拝論』書評〕
                        明治33年10月25日
                        『警世』1号
                        署名 内村鑑三 評
 
 哲人カーライルの著にして友人住谷天来氏の翻訳なり カ氏の著にして外国語への翻訳に堪ゆる者は唯此書のみなりと信ず、余は天来氏の原稿を以て数ケ所に於て原書と対照したりしに能く其精神を汲み意を通ずるを見たり、余が天来氏の文才に服するに至りしは実に此訳文に由るものなりとす、「英雄崇拝論」、其名既に我邦青年の心を引くに足る、然れどもカーライルの所謂崇拝なるものは東洋の日本に於けるが如き奴隷的崇拝にあらず、英雄崇拝すべし、然れども神を拝する如くに拝すべからず、此書蓋し此迷誤を解くに足らん乎、余は謹んで茲に此有益なる訳書を歓迎す(定価金五十銭)
 
(463)     〔日々の生涯 他〕
                      明治33年10月27日
                      『聖書之研究』2号「感話」
                      署名なし
 
    日々の生涯
 
 基督と共に起き、基督と共に働き、基督と共に眠に就く、今我れ肉体に在て生けるは我を愛して我が為めに己を捨てし者、即ち神の子を信ずるに由りて生けるなり(加拉太書第二章第二十節)。
       *     *     *     *
 此腐敗せる社会に棲息して、其腐気に触れざらんと欲せば、常に科《とが》なき、※[衍/心]《あやまり》なき、完全無欠の人なるイエス キリストと共に在らざるべからず、彼の光輝を受け、彼の温容を拝し、彼の心を以て我が心となして、我は彼が如く謙遜に、彼が如く柔和たるを得るなり、我が罪に陥る時は、我が道徳念の熾ならざる時に非ずして、我が我が主を離れ、独り自から君子たり、義人たらんと欲する時なり。
       *     *     *     *
 我が生涯の目的は我れが完全に基督を解せんとするにあり、我に歓喜あり、悲哀あり、成功あり、失敗あり、希望あり、失望あり、心身を裂かるゝに等しき苦痛あるは、是れ皆我れが完全に我が主イエス キリストを解せ(464)んが為めなり、故に我れ我が国人に誤解せられ、其石打つ所となり、ステパナの如き苦楚を嘗むる事あるも、我にして若し此辛らき経験に依て一層深くキリストを解するに至らば、我は益を受けし者にして害を蒙りし者にあらざるなり、我れ若し友の捨る所となり、彼等に罵られ、嘲けられ、面前に於て堪へ難きの耻辱を蒙らせらるゝ事あるも、我れ若し之に依て一歩たりとも我が主に近くを得ば、我は悲むべき者にあらずして、喜び且つ感謝すべき者なり、永遠無窮の生命とはキリストに於ける生涯に外ならざれば、我をしてキリストを識らしむるものは、其如何に苦き盃たるに関はらず、我は感謝して之を受くべきなり。
 我れが自由に我が敵人を赦し得るは我に度量大海を飲むに足るものあるが故にあらずして、キリスト我を愛して自由に我が科を赦し給ひしが故なり、我の宥恕、寛容、雅量、大度、之れ皆なキリストが我に賜ひしものにして、我れ時に之を有したればとて、我は之を以て我が本来の性なりと思はず、亦其欠乏の故を以て我は我が敵人を責めざるべし。
       *     *     *     *
 人は我に頼り、我はキリストに頼る、故に我は我が責任の重きを感ぜず、我は我が憂慮を悉く我が主に委ねて、時に或は独り天下を担ふて立つも尚ほ我に余裕あるを感ず。(彼得前書五章七節)。
       *     *     *     *
 イエス曰ひ給ひけるは我が父は今に至るまで働き給ふ我も亦働くなりと、我の働くは我れ独り働くにあらずして我が父が我を通して働き給ふなり。
(465) 我が名は汚さるゝも可なり、我が神の名にして崇めらるれば足れり、我は辱《はずかしめ》を受くるも可なり、我が神にして栄《さかえ》を受くれば足れり、願くは我が神の栄光の揚らんが為めには我をして無き者たらしめよ。
       *     *     *     *
 我は知る我が衷に何の善きものゝあらざるを、凡ての善賜《よきたまもの》と全き賜は皆な上より降るなり、基督信者はその有する富と智識との為めに誇らざるのみならず、亦其抱懐する主義の為め其履行する徳の為めに誇らず、我は罪なしと云ふ者は未だ神を知りし者にあらず、我に罪のほか何物もなきを了て吾人は始めて基督の僕たるを得るなり。
       *     *     *     *
 我が救主にして義人、善人の特別の友たらんか、我は彼の威厳を懼れて彼に抵る事能はざるべし、然れども彼が罪人の友たるが故に、我は容易に我が身と霊とを彼に委ねるを得るなり。
 
    余の敵人に謝す
 
 諸君ありしが故に余の友人は余に取りては一層愛すべき者となりぬ、諸君が余を苦しめしが故に余は一層天国に近くなりぬ、諸君が残忍なる嘲弄の剣を以て余の心臓を※[宛+立刀]《えぐ》りしが故に余は一層深く余の教主の心事を探り得て、余の人世に関する智識に於て、余の未来に関する観念に於て、余は前の日に優るの人とはなりぬ、諸君にして若し余を憎まざらんか、今世は余に取りては一つの楽園となりて、余は墓の彼方にある聖者の国を望まざりしならん、諸君の胸中に量るべからざるの宥恕ありて、余を過するに神の如きの愛心を以てせられしならん乎、余は終には諸君を神とし仰ぐに至て、天上に在す余の真正の神より離絶するに至りしならむ、諸君の無情は余に取りて(466)はギリアデの香料に勝るの薬品なりし、諸君の嘲弄はシロアムの池の水に勝るの洗滌剤なりし、諸君は多くの点に於て余の恩人なり、諸君願くは諸君の攻撃と罵詈と冷笑とを続けよ。余は愈々益々深く諸君に謝する所あらん。
 
    余の望む所
 
 余は余に人望なるものゝ少きを望む、然り、其全く無からん事を望む、余は世人がよく余の本性を看破し、余にして若し偽善者、悪人なりとならば、謹んで余と苦楽を共にせられざらんことを望む、余は余と友誼を結ばんと欲する者は、先づ余の公敵の許を訪ひ、余に関する彼等の凡ての批評を聞き、然る後に余に来らん事を望む、余の性質を誤解し、余を以て理想的人物なりと信じ、余を崇拝し、然る後に余の彼等の意に適はざるを以て後に余に対して罵詈雑言を極め、殆んど余の面に唾するの態度に出るは、余に取て、亦彼等に取て決して利益多き事にあらず、余は望むらくは岩間の桜草《プリムロース》の如く独り自から楽しみ、独り自から神が余に命ぜし事を就さんと欲する者なり、余は彼等が余を尋ね来るを須ゐず、余は彼等が余を不問に措て、余をして彼等の為めに余の心を煩はしめざらん事を欲す。
 
    最も善き聖書の註解
 
 最も善き聖書の註解はバーンスに非ず。マイヤに非ず、クラークに非ず、ランゲに非ず、最も善き聖書の註解は人生の実験其物なり、是れなからんか、凡ての学識、凡ての修養を以て聖書の根本的教義を探る能はず、是れあらん乎、以呂波四十八文字を読み得ば聖書の示す神の奥義を知るに難からず、教会より放逐され、国人に迫害(467)され、友人の裏切する所となりて、吾人は始めて基督教の真髄なる十字架の何たる乎を了るを得べし、聖書が神の書たるの確証は其学識の書にあらずして、実験の書たるに存す。
 
    天恩
 
  「我が恩恵汝に足れり」(哥林多後書十二章九節)
 人生の苦痛にして神の恩恵を以て癒し得ざる者あるなし 愛する者の失せし時、国人に捨てられし時、貧に迫りし時、不治の病に罹りし時、神を信じて吾人に有り余るの慰藉あり、世に何物か神の恩恵に優るの霊薬あらんや。
       *     *     *     *
 神に癒されし後の快さよ、神は或時は吾人を深く傷けて深く癒し、以て彼の医療の力の如何に大なる乎を吾人に知らしめ給ふ。
       *     *     *     *
 艱難は之を受くる時に決して悦ばしき者にあらず、然れどもその忍耐の実を結びてより高き信仰を吾人に供するに至て、吾人は艱難を我が姉妹なり、我が兄弟なりと呼ぶに至る、神の造りし者にして実は艱難に優る者はなけん、そは他の物は吾人に示すに神の力と智慧とを以てすれども、艱難は吾人を導きて直に神の心に抵らしむればなり。
 
(468)    辛らき事三つ
 
 辛らき事の一は同宗教の人に異端論者として目せらるゝ事なり、余は此時に教会を去て汎く同情を天下に求めたり。
 より辛らき事は国人に逆賊として捨てらるゝ事なり、余は此時に国家的観念を去て汎く万国を友とするに至れり。
 最も辛らき事は友人に偽善者として指さゝる事なり、余は此時に方て人世其物を疑ふに至り、思念を全く今世より絶て未来と天使とに余の希望を繋ぐに至れり。
 逝けよ教会、逝けよ国人、去れよ汝等友として余に附随し来りし者よ、汝等悉く余を去て余は始めて人世の如何に価値なき者なる乎を了れり。
 
    無感覚
 
 名誉を傷けられたりとて之を心に感ずるが如きは未だ全く我慾に死せざるの証なり、鉄面皮に二種あり、愧を知らざる其一なり、我慾を去て全く世の誹難以上に立つに至る其二なり、吾人は努めて第二種の鉄面皮たらざるべからず。
       *     *     *     *
 ヘルプス曰く、「自身に関する希望を全く絶ち、最早人に愛せられんとするの思念なく、慕はれんとするの欲(469)望なく、各誉を欲せず、威厳を求めず、恩に酬ひられんことを望まずして、其人の惟一の目的は他の人の為めに尽さんとするに有りて、亦彼等の為めに一生を終らんと欲するにある者は、甚だ強くして且つ威《ゐ》猛《たけ》き者なり」と、以て私慾の減殺も如何程までに運び得べきものなるやを知るを得べし。
 
(470)     本誌の発行に就て
                      明治33年10月27日
                      『聖書之研究』2号「感話」
                      署名 内村生 白す
 
 曾てジロラモ、サボナローラなる人が伊太利国フローレンスと申す市に共和政治を布きました時に、誰を其大統領に択ばんかと其市民が申し出でました、其時サボナローラが答へて申しましたに「是はキリストの国であるから其主たり大統領たる者は死して甦り今は天に在て父の右に座する主イエスキリストより他の者で有つてはならぬ」と申しまして別に大統領を置かせなかつたそうであります。
 其やうに私共キリストを信ずる者が何を致しまするにも必ずキリストを戴き、万事を彼の手に委ねて、私共は総てキリストの命維れ従ふの地位に立たなけばなりません、斯んなツマラない雑誌を出すにも同じ事でありまして、其法律上の主筆編輯人は誰であるにもせよ、其実際上の主筆はフローレンスの大統領と同じやうに矢張りイエスキリストでなければなりません、私共は只彼に代つて筆を取らなければなりません、私共は先づ己の意志を殺し、キリストの意志を以て私共の意志となし、然る後にキリストの思想を語り、キリストの慈愛を述べなければなりません そう致さないで、此雑誌を私共の意志を発表するの機関となし、私共の勢力を張るの道具と致しまするならば、其必ず神の呪詛ふ処となりまするのは解り切つた事であります、夫故に読者諸君もどうぞ此小さき雑誌の為めに祈つて下さい、どうぞ神が此憐れなる弱き編輯人を使ひ給ひて、神の思想を此国に宣べ伝へる事(471)の出来るやうに祈て下さい。
 実に「聖書の研究」など申せば此国に於ては不人望極まる名称でありまして、私が独りで此名を附けましてから誰れ一人として之を賛成して呉れた者はありませんでした、或は余り宗教臭い名で迚ても日本人には向かないとか、或は余り区域が狭くして、書く事も少ないから泣ても独立雑誌のやうには需要があるまいとか申されまして、私は実は一度も二度も其発行を中止致さうと思ひました、然し神の摂理は其中止を許し給はないと見えまして私は止むを得ず、其第一号を発行致しました所が、読者の予想外の歓迎を受け、今日の処では矢張り又多少社会を益する雑誌と成りそうであります。
 聖書は御承知の通り世界の書でありまして、之を学ぶの必要は論語や孟子を学ぶが如きものではありません、若し日本国が其文明を何処までも進めやうと思へば其国民に是非々々此書を精究致させなければなりません、聖書の必要は電信、電話、鉄道の必要と同じでありまして、是は文明の進歩と共に益々増すべき者でありまして減ずべき者ではありません、斯くも必要なる書でありまするのに、今日に至るまで此やうな雑誌が教会や、伝道会社や、基督教書類会社の手から出て来なかつたのは実に奇怪であります、今私如き此道に於ては殆ど素人である者が此聖業に徒事致す事の出来まするのは甚だ恐れ入つた事でありますが、去りとて亦之は私に取ては非常の名誉であると云はなければなりません。
 此雑誌を私が出しますやうに成つた次第に就て私の元の同僚でありまして今は私の反対に立たるゝ方々は、之は私が一時の事情に余義なくせられて出したものゝやうに云はれますが、然し夫れは決してそうではありません、これは実に私の殆ど十五年間計りの計劃でありまして、私がアマスト大学に在て勉学致しました頃より私の心に(472)起つた希望でありました、私は確に信じます、若し私の元の先生で今は此世を去られました、シーリー、フイールド、ビツセル等の諸氏が此雑誌を一目して呉れましたならば非常に悦で呉れたであらうと思ひます、現に此号の初に揚げて置きましたヱラスマスの辞は私がアマスト大学に在て聖書研究最中に私の古い英訳聖書の巻首に書き込んで置いた辞《ことば》でありまして、私はヱラスマスなる人物を余り好みは致しませんが然し彼の此の一言は私の肝に銘じて今日猶ほ消えざるものであります。
 私は勿論聖書学者ではありません、私の希伯来、希臘両語の智識は殆どお恥かしひ程僅少なものであります、私は亦神学なるものは僅か四ケ月程修めた計りでありまして、是れとても実に取るに足らない者であります、夫故に私の聖書智識なるものは実に組織無きものでありまして、為めに読者諸君を益する事は至て少いと思ひます、茲に至て私は益々私の任の重きを感ずると同時に前に申上ました通り諸君が本誌と不肖なる私の為めに祈つて下さるの必要が起るのであります、殊に私共は商売の法を知らず、第一号丈けは幸に京都なる或る書店の主人が援けて呉れまして、分配配送等には差支はありませんでしたが、然し以後は此事には少しも慣れない書生共が致す事でありますから、或は多少の御不便を諸君に与ふるかも知れませんがそれはどうぞ許して下さい、終に臨んで私共が本誌に就て、又私共が成さんとする総ての事業に就て私共を常に慰むる聖書の辞は次ぎの如きものであります。
 智者|安《いづこ》にある、学者安にある、世の論者安にある、神は此世の智慧をして愚かならしむるに非ずや(哥林多前書第一章二十節)。
 
(473)     公開演説の効力
                      明治33年10月27日
                      『聖書之研究』2号「座談」
                      署名 赤山生
 
 或る月曜日の午後、研究所生徒二名と饅頭会を開き、席上左の如き談話ありたり。
〇宗教は個人と家庭との事にして政治は国家と国民との事なり、其個人の事なるが故に深くして難し、其国家の事なるが故に浅くして易し、世に政治を談ずる者多くして、宗教を学ぶ者尠きは是が為めなり。
〇政治は是を高壇より述るを得べし、宗教は余りに神聖なるが故に之を多くの俗人を雑えたる公衆の前に語り得べきものにあらず、公開演説なるものが宗教伝播法として殆んど全く無効なるはその宗教の本性に甚だ不相応なるが故なり、余の実験に依れば余は余の公開演説に依て一人の人に新生命を注入せし事あるを知らず、蓋し雄弁術なるものは技芸の一種にして、之を以て精神上の事実なる宗教を述るに至ては、之を多少演劇化せざるを得ざるが故なるべし、重に高壇より述べられし日本今日の基督教が今日の衰態を現はすに至りしは決して怪しむに足らず。
〇宗教は霊魂の医術なり。故に之を施すに当て普通医術の法に傚はざるべからず、肉体の医師は百千人を一堂に集めて同時に之に医療を施さんとせず、然るに霊魂の医師たるべき伝道師は各種の患者を悉く一堂に会して之れに同一様の療法を施さんとす、後者の事業の前者のそれに速く及ばざるは此常識に於て欠くる所あるが故なり、(474)若し霊魂の医師にして肉体の医師の如く一々其患者の疾病を診察し其病に応じて適当の薬を投ぜんか、伝道師の必要は社会一般の認むる所となり、彼は其尊敬と歓迎とを受けて彼の境遇は今日の如くツマラナキものならざるべし。
〇愛国心に励まされたる時に余に大雄弁発す、然れども神に於ける大信仰の起る時に余に韻文あり、涙ありて、之を衆人の前に述べ立るの大演説なし能弁術は元是れ政治に適用すべき者なり、ペリクリス、シセロ、リヱンジ、グラッドストーンが能弁を揮ひしは政治に於て在て宗教に於てあらず、ボスエーの能弁が彼の宗教をして単に仏国王室の一装飾品たらしめ、近くはタルメージの能弁が彼の教会をして「日曜日の夕劇場」(Sunday evening theatre)の名を得るに至らしめしは人の均しく知る所なり、最も真面目なる宗教は弁術に依て其威厳を失ふ甚だし。
〇余は未だ曾て高壇より述べ伝へし余の説教にして、余を満足せしものあるを覚えず、聴衆の上に立つ数段にして余に既に余は聴衆以上のものたるの感あり、吾人は同等の地位に立てのみ始めて人と同情推察の情に入るを得べし、然るに高壇の上に立ち、聴衆を下瞰して、吾人に平民以上(貴族)たるの感ありて、此位地に立て平民の宗教たる基督教は容易に述べ得べきものにあらず。
〇ヤコブの井戸の辺にキリストがサマリヤの婦人と語りし時に最も完全なる説教は述べられしなり、漁舟に退きて海浜の砂上に立ちし人々に天国の福音が述べ伝へられし時に最も力強き説教は為されしなり、最も効力ある説教は座談なり、二人相対して語る事なり、各説教師にして此法を執るに至らんか、世は遠からずして基督の王国となるべし。
 
(475)     或人に告ぐ
                      明治33年10月27日
                      『聖書之研究』2号「座談」
                      署名 内村生
 
 私も今は宗教を強売する者であると前に私を先生と呼んだ人から云はれるやうになりました、若し茲に先師シイリー先生か、ケルリン先生が生きて居られましたならば私は此事に就て弁明を試みませうが、然し両先生既に青苔の下に眠られる今日、私は茲に何にも言はん方が可いと思ひます、旧友を攻撃するのも時には天下公道の為めになるかも知れませんが、然しそれよりも尚ほ宜しい事は真理を探究して之を世に伝布する事であります、私共は真理の深いのと、思想の高いのとを以て争ひは致しましやうが、然し人身攻撃に等しき事は成るべく避けたい者であります。
 此事で思ひ出します事は私共が友を撰ぶに多くの注意を要する事であります、「毋友不如己者」とは余り基督教的の教訓とは申されませんが、然し己れと同様の教育を受た事のない人を友と致しまする事は彼より非常の誤解を招く事でありまして、身の危険にして斯の如きものは他にはありません、私共バーンス、ジヨンソン、ゴールドスミス等の作や伝記を愛読せし者に取ては文を以て衣食の道を立てる事を以て左程悪い事とは思ひませんが、然し重に東洋文学に眼を曝らされし方々に取ては是れは大罪悪のやうに見えると思へます、私共政府にも頼らず、教会にも頼らず、又別に官立学校に教鞭を取りもせぬ者は止むを得ず筆を採て衣食して居るのであ(476)ります、然し是をも為さずして、文学を慈善的に計り講ぜらるゝ諸君の御潔白は実に羨ましき限りであります。
 
(477)     角筈村の今日此頃
                      明治33年10月27日
                      『聖書之研究』2号「雑録」
                      署名 角筈生
 
 至て静粛なり、女学校の関係絶えてより時遇《ときたま》旧生徒の余輩を訪れ来るの外に、今は余輩が曾て其長たり、教師たりしの紀念あるなく、余輩は今は其借地人にして月々定額の地代を之に支払ふの外、別に之と何等の関係なきに至れり、変り易きは実に秋の空と人世となるかな。
 然れども女学校地内の一隅に建てられし余輩の隘屋は実に喜楽の一団を蔵す、今は家族九人、中、上野二人、山城二人、信濃一人、参河一人、越後一人、伊豆一人、東京一人、九州あるなく、中国あるなく、故に我等は有の儘なるより外に世渡りの術とては一つも知らず、若し一人づゝ此智慧深き世に捨てられしならば、我等は生存競争の烈しさ、忽にして路傍の屑となる者なり、我等の団結は実に弱者の団結にして、我等は二百坪足らずの此地域に於てこそ威張りもすれ、世に出ては小児同様の弱虫たるのみ。
 朝は先づ一同五時半に起き、女子は厨房に就き男子は箒と鎌とを以て屋外に出づ 主人は此時を以て唯一の勉強時間なりと信ずれば書を手にして食前一時間余に其二三十頁を読むを常とす、朝飯終り、八時の祈祷会あり、それより一同の仕事は始まるなり、主人は筆を執り、会計主任は算盤を取り、児は学校に出行き、婦は針に就き原稿の浄書、雑誌の分配は他の二人の重なる仕事なりとす、午後は外出する者多し 大抵は都城に至り、其市人(478)と交はると共に遍身綺羅者、是れ蚕を養ふ人にあらざるを知り、黄昏頃家に帰り来る時は心に俗塵の厭ふべきを感じ、樹間の隘屋に心腸を洗はんと欲ふを常とす、夕飯終れば我等の最も愉快なる時は来るなり、山城は彼の京都弁を以て彼の商略を談ずれば、伊豆は彼の鍼黙を以て之に応じ上州の簡短なる批評あり、越後の奇笑を呈して之を賛するあり、参河と信濃とは婦人なれば茶を煮、甘味を調達するの外は傍聴人の位地に立つを以て常とす、斯くて政治と商業と哲学と宗教とは談ぜられ、時には夜間の義務を忘れて、笑談に夜を過さんと欲ふことあり。
 九時半に至て寝前の祈祷あり、此時最も多くの熱心は注がる、我等は総て悩める人、総て友なき知己なき人のために祈る、我等は亦我等の小なる事業の為めに祈り、雑誌の読者の為めに祈る、我等は又特別に我等の敵の為めに祈る、此祈祷会は実に我等が生命の水を天の泉より汲む時なり。
 祈祷終て若き部分は皆な眠に就く、然れども時々床中に笑声を発するあるは何にか公衆に示すべからざるの秘事の曝露せられしに依るならん、主人は猶ほ一時間原稿製造に従事し、十時と十一時との間に至て眠に就く。
 嗚呼幸福なるホームよ、朝より夕まで、床を出てより床に入るまで、神は我等と共にありて、我等に今世に於て此隠れ家を供し給ふを感謝す。
  因に記す、越後は我等の北越学館以来の友人なり、過る夏北海道より帰り来り、牛進的態度を取て此世に於て事を就さんとする者なり。
 
(479)     「研究」雑誌難産の実況
                      明治33年10月27日
                      『聖書之研究』2号「雑録」
                      署名 主筆先生
 
 凡そ難産と云ふて、「研究」雑誌の如き難産はあるまい、実は去る七月独立雑誌が廃刊となつてからと云ふものは、主筆は「研究」と腹を定めしものゝ、読者は容易に之を承知しない、彼等の中には「独立」再興説が甚だ盛んであつて、之を再興するならば我等の要する資金を寄附しやうと云ふ読者も大分あつた、我等も弱い人間であるから時には其説に動かされ一度となく二度となく之に応じやうと思ふた事があつた 勿論再興後の「独立」は聖書の研究を其大部分となす筈であつた、然し又我等の他の友人にして返て我等の最初の計画を賛成した者があつた、彼等は言ふた、『「独立」を尚ほ一千号まで継けた処が同し事を操り返すまでゞある、若かず今より断然聖経の研究に入らんには』と、此一言は我等に取ては他の百言に優るの重味があつた、然に八月の未つ方より我等の心に信州伝道の熱が湧き出した、我等はリビングストン、ジヤドソンの事を思ふて筆を執る事が何んとなく嫌やになつた、我等は実に断然意を決して坊主とならんと欲ふた、而して之を為すには雑誌を棄ても宜しいと思ふた、そこで種々の大胆なる計画が始まつた、先づ我等の持て居る凡てのものを売て一ケ年分の兵糧を作り、之を土台として信州に入り、其処に一ケ年間熱心に独立伝道を行つて見んとの愉快なる考が起つた、我等は実に此考を得て愉快で堪らなかつた、此時我等の心は既に千曲川の沿岸に在つた、我等の父も母も妻も子も皆んな其覚(480)悟になつた。
 所が神の摂理であつたか、之に就て思も依らぬ故障が起つて来た、其詳細は茲で云ふ必要がない、然し普通の常識に訴へて見てどうしても行く事が出来なくなつた 我等の此時の失望と云ふものは実に譬ふるに物がなかつた、我等は其為めに数日の間碌々飯も喰えなかつた、然し致し方がない、我等は当分の間此愉快なる理想を行ふ事が出来なくなつた。
 そこで計画が丸で狂つて了ふた、然し幸に「研究」雑誌の中止は広告しなかつた、亦丁度其頃よりして雑誌発行の催促が矢のやうに読者よりやつて来た、そこで亦我等の古い武器なる筆を執らんとの考が我等の心に浮んで来た、依て九月十三日と云ふに突然雑誌編輯と定まり、廿三日の発行と手筈が定まつた。 所が茲に又困つた事が出来て来た、それは名古屋と京都とに於ける演説の約束であつた、之も前約であるから是非共行かねばならぬ、然し雑誌も出さねばならぬ、然し同一の物躰が同時に同所を占むる事は出来ない、雑誌か演説か二者孰れかを取らねばならぬやうになつた、そこで致し方がないから雑誌は三十日まで延すことになして、直に秋の初陣と出掛けた、其記事は別項の通りであつた、随分愉快は愉快であつたが又随分難渋であつた、廿四日に家に帰つてそれから雑誌の校正を始めた 漸くサツと二十八日に了つた、所が是が初号であるから逓信省の許可を得なければならない、三十日は日曜で間に合はない、十月一日に許可を得んとて本省に出頭すれば認可規則の改正があつて特別に十円納めねばならなくなつた、二日漸く之を済し、三日は大雨で其日の朝漸く雑誌が市に列んだと云ふ始末である。
 是を為すに京都なる便利堂は特別に家人を送り越して我等を授けて呉れた、我等は最初は斯んな不人望の雑誌(481)は当底売れまいと思ふたから極く少数の印刷を注文した、所が決してそうではなかつた、我等が碓誌に従事してより未だ曾てない需要があつた、発行後半週間にして僅かに五十数部を余す丈けであつた、殊に地方の読者よりの同情と注文とは実に非常であつた、如何にも自分の雑誌でも出たやうに喜んで注文してよこした読者も大分あつた。
 案ずるよりも産むが安いとは実に此事である、大胆に行つて見れば何にも怖い事はない筈だ、日本人だとて人間だものを、真心を説いて之を聞かない筈はない、殊に世界最大宗教なる基督教の聖書の研究とならば之に対して彼等の同情の無い筈はない、唯恨むらくは我等の力足らず、識浅くして、読者を満足さするの雑誌を出す事の出来ない事である、読者願くは此難産児の健康を祈られよ。
 
(482)     久し振りの日曜
                      明治33年10月27日
                      『聖書之研究』2号「雑録」
                      署名 研究生
 
 夏の初より今日に至るまで日曜らしき日曜を持つた事がない、いつも演説だとか説教だとか、さなくば来客だとかにて静かに心を養ひし日は目ツ駄になかつた、然し今日初秋の日曜日暴風の時期は既に過ぎ去て、秋の空はいと清く、庭の木の葉は枯れ初めて若し基督の恩化を受けざりしならば何んとなく心淋しく感ずる頃、愛する家族と友人とに囲まれ、心静かに此一日を守るの嬉しさ、今朝身を清めんと屋外に出し時に頭の上に一羽の椋鳥が声鋭く鳴き渡りし時は身は何となく此世以外にありしやうに感ぜられた。
 我等に取ては夏は成育の時期であつて、秋は豊熟の時である、夏は此苦しき人世を代表するものであつて、秋は彼の楽しき天国を写したものである、嫉妬の苦熱、疑察の炎風が我等を悩まし、此身は或は溶けやしまいかと疑はるゝ許りの辛酸を嘗め尽した後に、此静かなる、涼き快き秋の至るを思ふて我等は思はずも眼を天外の彼方に遣り、彼処に我等の友を思ひ、人世の苦しき夏も何時までも続くものにあらざるを思ふて、眼に感涙を湛えざるを得ない。
 嗚呼信仰弱き我よ、我何が故に人世の苦を悩むぞ、縦令我を離れ去るの友あればとて我に猶ほ全人類の我が同情を表すべきあるにあらずや、縦し世は挙て我を捨て去るも我に我が神との切ても切れぬ関係あるにあらずや、(483)我は我が霊に於て我が神を拝す、我の生命は実は我霊に在て其以外に存せず、故に我が肉我が情に繋がるゝもの悉く我を去も我の生命は依然として存すべきものなり、神が時々我に殆んど忍び難きの艱難を下し、我に我が身を焼かるゝの思あらしめ給ふは我をして我が霊以外に我が生命を有たしめざらんが為めならざるべからず、故に焼けよ我が神よ、錬へよ救主よ、我にして猶ほ友に頼るあらば我より友を取り去れよ、我にして若し我の有する些少の財に頼るあらば、我より之をも取り去れよ、我をして汝のみを以て生存し得るに至るまでは我に於ける汝の試錬を止むる勿れ。
 然ども神は大なり、神は世の総ての悪人よりも大なり、神、我を守り給ふ間は神の許可なくして危害の我が身に及ぶべきあるなし、我の心配は無益なり、我れ我が神を支柱として、神は我が足を※[鹿/匕]《めじか》の足の如くし、我を我が高き処に立たせ給ふ(詩篇第十八篇三十三節)、我は自身我が敵に勝つ能はずと雖も、神は我が仇の前に我がために筵を設け、我が首《かしら》に油を灑ぎ給ふ、故に我が感謝の杯は溢るゝなり、(仝第二十三篇五節)、此静かなる貴き安息日、我は之を天国の前味と称ばん。
 
(484)     小善録
                    明治33年11月15、20日
                    『万朝報』
                    署名 内村鑑三
 
 此曲れる邪なる社会に在て我等は大善を為さんと欲して為すことが出来ない、此国家を根本的に改造せんことは最も望ましい事であるが、然し之は今日の日本の政治家を以て到底望むべからざる事である、大文学も駄目である、大慈善も駄目である、大と称する者にして此偉大ならざる国民に向ひ何一つとして望む事は出来ない、若かず小善を講ぜんには、善は小なるものと雖も為すべきである、殊に大事を為すことの出来ない日本今日の如き社会に在ては小善の外に吾人の為し得る善は無いと思ふ。
       *     *     *     *
 実は善に大小の別はないのである、小事に善ならざるものが大事に善なる筈はない、小事に忠ならざる者は大事を托するに足らざる者である、下婢と下男とに不信切なる政治家は国民に対しても亦不信切であるに相違ない、小善と称ふて之を顧ない東洋の英雄は実に頼むに足らざる人物である。
       *     *     *     *
 「曾て此地を践みし者の中で最も心切なる人、殊に貧乏人に対して心優しく、総ての正直なる人の友人で、其面に天の祝福は輝いて居る」とは西班牙の文豪セルヴハンテスのものせし或る小説の主人公の常性であるが、実(485)に偉大なる人とは総て斯う云ふ人でなければならない、コロムウエルでもワシントンでもリンコルンでも、総て人類を裨益し、国家の建設、社会の改築に大功を挙げた人は先づ家庭に在ては善き夫、善き父であり、村に在ては善き隣人であり、軍に在ては下卒の善き友人であつた人達である、偉人とは怕い人でもなければ亦近づくべからざる人でもない、彼等は皆な人類を愛する者であるから、誰にでも好意を表した人である、我等は虫螻にさへ心切でありし釈迦無尼仏が東洋第一の偉人でありし事を忘れてはならない。
       *     *     *     *
 トルストイ伯が曰ふた事がある、「余が文筆に従事し居る時と雖も若し盲人の来りて余に隣村までの案内を乞ふ者あれば余は何事を捨てもその乞ひに応ずべし」と、彼は露西亜皇帝の命を奉ぜざる事あるも貧乏人の依穎に応ずる者である、彼は天の神の像《かたち》を腰の曲れる乞食の面《おもて》に認めて、王侯貴族、其他世の以て高貴の人と崇むる者の姿に認めないのである、彼を偏見の人と云ふ人もあるが、然し彼の如きは大事に於てよりも小善に於て偉大なる人、即ち真正の偉人と云はなければならない人である。 〔以上、11・15〕
 
    小善の快楽
 
 若し快楽の一点より云へば小善の快楽は大善の快楽の如きものではない、勿論大善に伴ふ快楽は無いではない、国家に大功を立て、それが為に位を進められ勲章を賜はるのも愉快なる事に相違ない、「志す所功名にあり」とは東洋の志士とか称ふ横着者の皆な切望する所であつて、彼等が大善を為さんとするに急にして、小善は措て之を顧みないのは全く此功名と云ふ精神上の娯楽に与からんが為である。
(486) 然し功名なるものが純粋雑りのない快楽でない事は彼等功名に誇る者が功名以外に快楽を求めんと為しつゝあるので分る、見給へ、君寵身に余り、位人身を窮ると云ふ人で栄位の快楽に厭き足らずして別荘を作つたり、多く婢妾を蓄へたりして卑賤なる肉体の快楽に身の安慰を求めつゝあるを、若位階勲章が真正の快楽であるならば、侯爵殿や、伯爵殿、又は子爵男爵などゝて皇室の藩屏たる栄誉の位置に昇りし人は決して斯んな卑しい快楽に身と心とを慰めやうとはなさない筈である、功名なるものは実は毒物であつて安慰剤でない事は我国今日の高位高官に居らるゝ多くの人達の日常の境界を見て分る。
 然し小善の快楽は決して斯んな者ではない 先づ第一に小善は誰にでも為すことの出来る善であるから其|報《はう》を得たればとて誰も妬む者はない、若し一人の政治家が彼の猟官運動の結果として大臣の椅子に有り附いたとすれば、十人又は二十人の落第政治家は切歯扼腕して彼れ幸運児の成功を嫉む、一人の意気揚々として馬車の馬に鞭て登閣する者があれば、数十人の不平代議士等は辻車の車夫を叱り飛しながら議会の門前に乗り付けると云ふ状態である、実に日本の如き国に在ては大臣になるのは罪作りの極であると思ふ、若し大臣の椅子なるものを無くしたならば、何れ程の嫉妬、何れ程の悲憤懐慨を日本の此社会より取り除くに至るやも知れない。
 小善の快楽は嫉妬羨望の伴はない快楽である許りでない、是は人目に触れない快楽であるから何時までも消えない快楽である、言ふまでもなく、快楽と云ひ苦悩と云ひ皆な心の状態であるから、心を楽まし良心を満足させるものでなければ実は快楽と称《とな》ふことは出来ない、快楽は実に人に見られて消え失するものである、正何位に叙す、何勲章を賜ふと官報を以て布達され、新聞紙に載せられ、社会公衆にまで年俸が幾干であるか、それまで知られて、何の快楽もない筈である、快楽は人目の達せざる所にあるのである、天の神と我が心と、我が極く少数(487)の親友とが知ることの出来る所にのみあるのである、小善の快楽が真正の快楽であつて、大善の快楽が虚偽の快楽であるのは、大善は新聞紙の風聴《ふいちやう》するものであつて小善は神と我が心の外何人も知る事の出来ないものであるからである。 〔以上、11・20〕
 
(488)     埋葬の辞
                      明治33年11月22日
                      『万朝報』
                      署名 内村生
 
 此頃『新声』と云ふ文学雄誌を見たらば斯う云ふ事が書いてあつた、
  蘇峰子が社会から葬られ去つたのは早や過去の事であるが、内村鑑三子が今や其厄運の跡を襲ふとして居る云々
 鳥渡読むと何んだか薄意味《うすきみ》が悪いが、然し能く考へて見ると怖くも怕ろしくも何んともない、日本の社会に葬られるとは下糞《しもごえ》にでも葬られるやうで何にやら臭くて堪らないやうだが、是れは実は下糞の社会から脱する事であつて、少しく志を存する者に取りては幸福此上もない事である。
 日本の社会に葬られたならば何も為ることがあるまいとて心配して呉れる人もあらうが、余に取ては為る事は沢山ある、先づ第一に日本許りが社会ではない、社会とは人類の社会である、支那も印度も非律賓も、ツランスヴハールも、米国も布匯哇も皆社会の中である、日本の社会に葬られたらば金門《ゴールデンゲート》の彼方にある自由国に行ても宜い、或は東海を渡て支那の革命軍に投じても宜い、メキシコかブラジルに新日本国を建設するのも結構である、何も必らずしも伊藤内閣の支配を受けなければ愛国者でないと云ふのではあるまい、何も必らずしも此清廉潔白なる東京市会の御蔭を蒙らなければ善良なる日本帝国の市民でないと云ふのでもあるまい、日本人の霊魂さへ有(489)つて居つたならば世界何れの処へ到りても日本国の忠良なる臣民であると余は思ふ。
 然し日本の社会に葬られたればとて何も必らずしも日本を去るの必要はないと思ふ、日本に居つて其政府と市会とが課する総ての税を黙つて払ひ、新聞紙朱例に触れないやうに筆を慎しみ、政府の悪口を言はず、社会がいくら腐敗しても黙つて居つたならば此社会でも我慢して置いて呉れるだらうと思ふ、爾うすれば余は所謂『幽囚文学』に従事することが出来て、其時こそ余の得意の時代が来るのである、司馬遷に傚ふて歴史を書いても宜《い》い、バンヤンに傚ふて宗教実験談を綴つても宜い、まだ社会が余を葬つて呉れないものだから度々貴重なる朝報の紙面などへ首を出して俗人輩と語りもすれ、愈よ葬式となつて、此臭い、穢い、社会より放逐と事が定つた以上は、カーライル先生の命に従ひ樽を被つて筆と紙とを以て天国的の生涯を送る事が出来る。
 社会に葬られたならば何も面白い事がなくつて困るだらうと心配して呉れる人もあらうが、夫れは決して心配に及ばない、余は確に信ず、此日本の社会も遠からずして葬られなければならぬ社会である事を、若し日本の社会が余を葬るものであるとならば宇宙の大道は日本の社会を葬るであらう、余は密かに信ず、葬られんとするものは実は余に非ずして此日本の社会である事を、さうして墓の底(樽の中と申さん乎)から此社会の埋葬を拝見するのも亦一興ではない乎と思ふ、世の君子、仁人、愛国者、さては文学者、批評家が心に満足のなきより、互に擲り合ひを始め、其結果此父祖の国をメチヤ/\に砕《こわ》して了ふ時は遠からずして来る事であると思ふから、此厄運の我愛する日本の社会に臨む前に其葬る所となるのは甚だ結構の事であると思ふ。
 然しながら、嗚呼然しながら、……此国家も我が国家であるから、縦令墓の底からでも、又は十字架の上からでも、其衰亡に迫るを見て平気で見物は出来まい、否な、其時は墓の底からなりとも声を揚げて其悲運を嘆くで(490)あらう、預言者エレミヤの言を借りて「我が氏の女の殺されたる者の為に」哀歌一篇なりとも歌はうと欲ふ。
 
(491)     〔永生 他〕
                      明治33年11月24日
                      『聖書之研究』3号「所感」
                      署名なし
 
    永生
 
 永生他にあらず、神と共に在ることなり、天国他にあらず、神の在し給ふ処なり、神の霊我が心に宿りて、我れ我が神の造り給ひにし此宇宙に棲息して、我は今より既に永生を享け、神の天国に在る者なり。
 
    偉行
 
 作《な》るものゝ作《な》すものよりも善きは作るものは神の作し給ふ所のものにして、作すものは人の作すものなればなり、吾人身と心とを挙げて神に捧げ、吾人に計劃なるものなく、亦吾人の行為なるものなきに至て、偉行は吾人に由て成り、世は吾人を通して大改革を見るに至らん。
 
    表白
 
 余は基督を表白するに大胆なるべし、余は人の前に彼が余の神たり救主たるを言ひ顕すに躊躇せざるべし、余(492)は彼を世の聖人君子と混ぜざるべし、余は彼を孔子孟子老子釈迦ソクラテスと階級を共にして論ぜざるべし、余は彼に冠するに人類の王の冕を以てし、余の全身を彼に捧げて彼の謙遜なる僕たるを以て余の人たるの最上の名誉となすべし。
 
    クリスチヤンの勇気
 
 神に頼るにあらざれば何事をも為し得ざる者はクリスチヤンなり、神に頼れば何事をも為し得る者も亦クリスチヤンなり、世にクリスチヤンの如く弱き者あるなく、亦彼の如く強き者あるなし、彼が世人に怯夫視せらるゝと同時に亦彼等の想ひ及ばざる大胆なる行為に出るを得るは、彼の勇気と勢力とは彼以外、人以上の者より来るものなればなり。
 
    死生の別
 
 肉の事を念ふは死なり、霊の事を念ふは生なり(羅馬書八章六節)、地の事を念ふは死なり、天の事を念ふは生なり、利の事を念ふは死なり、義の事を念ふは生なり、人の事を念ふは死なり、神の事を念ふは生なり、嗚呼我れ何れの時か我が肉を離れて我が神を見ん(約百記第十九章二十六節)。
 
    我の祈願
                                    我に財を賜はざるも可なり、我は名と位とを求めず、我にインスピレーシヨンを降せよ、我に真理を見るの眼(493)を賜へよ、我をして我が神を宇宙と万物とに認めて、今世に在て既に来らんとする永久不滅の栄光を感ぜしめよ。
 
    真理
 
 真理は神の属《もの》なり、是れ必しも国の為に宣ぶべきものにあらず、吾人若し国を救ひ得ずんば、努めて真理を救はんのみ、真理を保存して国家は亡るも復起り、真理を放棄して国家は栄えて終に死す、世の国を念ふものは国家に対するよりもより多く真理に対して忠実なるを要す。
 
    宗教と政治
 
 今や宗教を去て政治に入るべき時にあらず、今や政治を去て宗教に入るべき時なり、政治は勢力の応用にして宗教はその製作なり、若し製作するものは消費する者よりも偉大なりとすれば、宗教は政治に勝て世に有功なるものと称はざるを得ず。
 
    救済
 
 人を救ふとは彼に衣食を給するの謂ひに非ず、彼の慾心を充たして彼に一時の快楽を供するの謂ひに非ず、人を救ふとは彼を彼の神なる在天の父に導く事なり、「我儕に父を示し給へ、然れば足れり」、我れ我が父の我が凡ての祈祷を受納するあるを知て我が凡ての希望は充たさるゝなり、我に我が父を示す者、是れ我が師なり、我が恩人なり。
 
(494)    目前の義務
 
 凡て汝の手に堪ふることは力を竭して之を為せ(伝道之書第九章十節)、其何たるを思ひ慮《わづら》ふに及ばず、凡て正直なること、凡て世を益して之に害を加へざること、是れ吾人が全心全力を尽して為すの価値ある者なり、世に事業の選択にのみ気力を消尽して之を其決行に用ひざる者多し、大事業の端緒は先づ目前の義務を果たす事なり。
 
    自救の難
 
 人を救ふは易し、自己を救ふは難し、ノアの方舟を造りし大工はノアと彼の家族とを救ひ得て、自身は他の罪人と共に洪水に溺れて死せり、人の教師たるは必しも自身救はるゝの謂ひにあらず、故に保羅は云へり「我が趨《はし》るは目的なきが如きに非ず、我が戦は空を撃が如きにあらず、(我は)己の体を撃て之を服せしむ、蓋は他の人を教へて自ら棄られんことを恐るれば也」と、(哥林多前書九章廿六、七節)。
 
    人の善を念ふの益
 
 我、人の善を意ふて人は我に由て励され、我は我が胸間の之がために開張するを覚ゆ、我或は彼の真相を誤認せしやも知れず、然れども我は彼の悪を念ふて彼と我との心に暗黒を増さんよりは、彼の善を念ふて彼の改善を援け亦我が霊の開発を促さんと欲す。
 
(495)    基督信徒の敵
 
 彼の家族の者なり、(人の敵は其家の者なるべし、――馬太伝十三章三十六節)、彼の親友なり、(我が親しき者はみな我|蹶《つまづ》くことあらんかと窺ふ、――耶利米亜記二十章十節)、彼の同国の人なり、(預言者はその故郷、その親戚、その家室の外に於ては尊ばれざることなし、――馬可伝六章四節)、基督を信ぜざりし者は彼の骨肉の兄弟なりし(約翰伝七章四、五節)、預言者エレミヤを殺さんとせし者は彼の同郷の者と兄弟となりし(耶利米亜書十二章九節)、ヨツブを嘲り罵りし者も亦た彼の近親の者なりし、(約百記三十章)、神を信じ基督を崇めんとせし者にして未だ曾て其兄弟に誤解され、友人に嘲けられ、世に狂人、偽善者視せられざる者ありしを聞かず、弟子は其師より大なる能はず、師にして国を売る者として、神を涜す者として十字架の耻辱を受けしならば況して吾人彼の弟子たる者に於てをや。
 
    敵人に対する基督教徒の態度
 
 爾曹の敵を愛み、爾曹を詛ふ者を祝し、爾曹を憎む者を善視《よく》し、虐《なや》め迫《せむ》る者の為に祈祷せよ(馬太伝五章四十四節)、爾曹を害ふ者を祝し之を祝して詛ふべからず(羅馬書十二章十四節)、我が愛する者よ其仇を報ゆる勿れ退きて主の怒を待て(仝十九節)、罵らるゝ時は祝し、窘めるらるゝ時は忍び※[言+肖]《そし》らるゝ時は勧をなせり(哥林多前書
四章十二、十三節)、彼(基督)※[言+后]《そし》られて※[言+后]らず、苦められて氏sはげ》しき言を出さず、只義を以て鞫《さば》く者に之を託《まか》せたり(彼得前書二章十三節)、悪を以て悪に報ゆる勿れ※[言+后]を以て※[言+后]に報ゆる勿れ、却て此の如き人の為に幸福を求む(496)べし、(仝三章九節)、是れ明白なる教訓なり、之を奉ぜずして、悪に報ずるに悪を以てし、罵詈を以て罵詈に応えんには吾人俗人と何の異なる所あらんや、「税吏も亦然かせざんや」。
 
(497)     三たび信州に入るの記
                      明治33年11月24日
                      『聖書之研究』3号「雑録」
                      署名 内村生
 
 原稿の間暇《あひま》には伝道に従事せんとの余の希望を充たさんため、余は十月十五日本誌第二号の原稿を悉く活版所に送り出せし後、直に信州伝道とは出掛けぬ。
 道はいつもの通り一本筋、只時期に因りて沿道の風景に変色あるのみ、碓氷の紅葉には時期未だ早くして、只巓に近き辺に於て早や既に錦を染め出せしを見しのみ、小諸停車場に於て旧友木村熊二氏がいとも粗相なる衣物《きもの》着て数年の勤労に頭に霜を混へ、而かも前年に変はらぬ愛心を満面に浮べながら余を迎へられしを見し時は、余の胸中に推察の情は頓に急き来て余は車中に暗涙を禁ずる能はざりき、二日後の再会を約して千曲川の右岸を馳せ下れば常例に依り上田の諸氏は停車場に余を迎へて余をしてまた里帰りの念を起さしめたりき。
 此夜明倫堂に親睦会を開かれたり、来り会して食膳を共にせられし者五十余名、余は京都名古屋に於ける戦状を報告し、合せて所感二三を述べ、諸氏の応答あり、歓を尽して九時に至て解散せり。
 小松繁司氏は上伊那郡河南村の人なり、旧独立雑誌初号以来の余輩の紙上に於ける友人なり、余の上田に来るを聞くや、山路二十三里を遠しとせずして、往復四日間の閑を竊んで来て余を迎ふ、余は氏に接して此好意に報ゆるの術なきに困しみたり、身は東都の一隅にありながら天竜川の上流に在る氏と共に親交を結ぶに至りしは之(498)を雑誌記者たるの一の幸福とや称すべき。
 翌十六日、天晴れ気冷かなり、午後一時より明倫堂に婦人会は開かれぬ、余も之に臨みて一場の感話を為しぬ、中に〇〇〇〇女史は居られぬ、亦紙上の友人なり、然り姉妹なり、然り母なり、女史が独立雑誌終刊に接せし時の感なりとて彼女の友人より伝へられしものは実に左の如きものなりき
   筆に見し美《び》をはしなくも行為《わざ》に見て 濡るゝたもとにあまる嬉しさ
 恰かも彼女の実子の壮行を賞め且つ悲しむが如し、余は此詩と此詩人ならざる詩人に接して何にやら広き天下が我が属《もの》になりしやうに感じたりき、男子何物ぞ、又弱き脆き動物ならずや、彼亦婦人の同情に依て動く者、此老実なる母の如き者の同情は余が今回信州より持ち帰りし最大最美の土産物なりき、余は余りの嬉しさに堪え兼ねて家に帰りてより左の如き素人歌を彼女に送りたり
   辛らき世に同じ情《なさけ》の人に遭ふは 沙漠に清き泉汲むなり
 蛮夫の伝道にも亦多少の詩歌的興味あり。
 此日夕七時より上田町神道事務局に学説演説会を開く、題は「日本の将来と信州人の天職」、来聴者堂に満ち、尚ほ外に立つ者多かりしやう見受けたり、昼は儒学を講ずる為に建てられし明倫堂に於て基督教徒の婦人会に臨み、夜は神官諸氏の集合所たる此処に此演説会を開く、実に奇と称すべし、然れども余輩の如き全く無教会の者に取りては勿論教会堂の利用すべきものなければ、余輩は到る所に余輩と宗教を異にする者の集合所を借り受けざるべからず、然れども是れ反て彼等と余輩との間に存する誤解を取り去るの機会となりて、其益は其害に勝る万々なり。
(499)国民の将来にして吾人の予知し得べきものと予知し得べからざるものとあり、余輩は百年後の日本が如何なる人に依て支配せらるゝや、如何なる法律と習慣とを有するに至るやを知らず、然れども善樹は善果を結び悪樹は悪果を結ぶの天則を知るが故に、若し日本の社会にして今日の儘に成行んには其終に如何に成行んかは予め之を知るを得るなり、世界歴史の研究は余輩の此推測を助け、社会学上の原理は余輩の此判定を確かむ、
〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
日本国の今日要する者は富に非ず、智識に非ず、才能に非ず、日本国の今日要する者は実に深き個人的観念なりとす、宇宙と永遠とに繋がる道念なりとす、人権の貴きと神聖なるとを自覚し、自ら心に足りて他に求めず、為に自己を信ずるに篤くして他を信ずるに吝ならざるの心の状態なりとす、而して余の思ふに信州は此貴重なる貢献物を日本国に供するの位地にありと。
山は自由を醸すとは何人も知る所なり、之を欧洲に於ける瑞西国の歴史に徴し、米国に於けるベルモント、ニューハムプシヤの事績に稽へて明かなり、曾てニユーハムプシヤの農夫某余に語て曰く、此洲別に産物として誇るに足るものなし、只岩石の間に能く硬骨男子の生長するあるのみと、日本の信州豈亦此特産物なからざらん乎。
『人国論』著者は信州人を以て頑にして野鄙なりと云へり、然れども彼は亦曰へり「当国の風俗は武士の風天下一なり、百姓町人の風儀も健かなる事他国の及ぶ所にあらず、其生得義理強くして臆す事なし」と、若し此風儀をして文明約に発達せしめんか、以て日本国に其要求する新元素を注入するに足らむ。
(500) 余は未だ多く信州人を知らず、然れども余の知る丈けの者は未だ曾て余を失望せしめし者なし、其中心的地位よりして、其山国的地勢よりして、其遺伝的風儀よりして信州人はクロムウエル、ワシントン、リンコルンの精神を消化して之を我が島帝国に供するの天職を授けられたる者なりと曰ふを得ざるか、余は其の然らん事を望む者なり。
 是にて上田に於ける余の今回の義務は終て、翌朝は世良田故海軍少将の未亡人を見舞ふて彼と彼女とに対する余の同情と尊敬とを表し、十八日午前十時半諸氏に送られて上田停車場を発し、車中に坂城より来られし友人に会し、共に小諸に至て下車しぬ。
 サテ之よりは小諸に於ける戦争なり、午後は木村熊二君と快談す、千曲川の辺に建てられし君の小なる別荘に会し、信州の過去と未来とを談ず、君有数の才と識とを以て、消ゆる名誉を都人士の中に求めず、夙に意を決して此地に退き伝道と青年薫陶とを以て職とす、小諸義塾は重に君の熱祷に依て成りし者、今や地方屈指の私立中学校なり、君の感化今や全郷に及び、農に工に商に多少君のインフルエンスを受けざるは稀なり、余は君に遭ふて実に君の地位を羨みたり、維新以来の君の経歴を以て、海外に於て受けられし君の教育を以て、君は一身を此一地方の為に捧げて惜まず、是れ基督の愛心に満たされし人のみ為し得るの事業なり、余は多くの若牧師、若伝導師、殊に洋行帰りの神学者が君の此行為に傚はん事を願ふ者なり、神若し許し賜はゞ余自身も何時か君の例に傚はん事を欲す。
 此日夜七時より小諸町光岳寺に於て学術演説会を開く、会する者六百余名と註せらる、然るに小諸諸氏の不注意に依て余の上田に於て為せしと同一の演題を広告せられたれば、余の如き一度為せし演説は如何なる場合に於(501)ても再び之を繰返す事の出来ぬ者に取ては実に迷惑千万なりき、然れども幸に木村君の援助を得て余り多くの失望を聴衆に与へずして此会を閉るを得たり、此夜又小山太郎氏の客となり氏及び全家の懇切なる接待を受けたり。
 翌朝近隣の女子二十余名来て余に基督教徒たるの途を聞かんと欲す、余は則ち之に応じ一時問に渉る談話をなせり、是れ前夜の公開演説に優るの有益なる会合にてありき、話す者も聴く者も一つの不自由を感ずる事なく、余は静かに基督教の真理を語るを得て数日の疲労を癒すに足るの快を此小なる会合より受けたり。
 十一時半停車場に至れば木村君と青年会諸君と今朝余に聴きし若き美はしき友人とは余を送らんとて既に其場にありき。※[さんずい+氣]笛一声諸友と別るれば左方に浅間岳は聳えて晴天に向て地中の憤怨を吐くが如く、雲冠其巓を繞らして関東の平野に対して其所信を述ぶるが如し。
       *     *     *     *
 此記事に筆を走らせつゝありし間に左の如き愉快なる親書は記者の机上に舞ひ来りぬ、此健児を本誌の読者として有する余輩の歓喜は如何計りぞ、西洋の或る歌に曰く
   世に善きものは沢山にあり、
    薔薇《ばら》花と燕と鶯とあり、
   小児の笑《えみ》と泡立つ酒と
    我と同志の人とあり、
 拝啓、述ば過日拝顔の折は種々御教訓を蒙り難有肝銘して忘れ申間數候、先生には御無事御着京被遊候御事と存候、小生も去る十七日朝先生に御別れ申してより和田峠にかゝり、ひたのぼりにのぼりて同四時頃迄に(502)は海抜一千五百九十七米突の頂上に達し候、それより更に右方の高峰によぢ登りて駒ケ嶽、御嶽、八ケ岳、浅間山等の天を摩するが如くなると、又西方遙に諏訪湖の明鏡の如くなるとを望みつゝ、巌上に直立して渾身の力をこめて神に感謝の祈を捧げ申候、それより下ること一里余、西餅屋に健啖を誇り、再び足に任せて馳せ下り、七時頃には下諏訪町に着き申條、其夜はこゝに一泊し、翌早朝湖辺を迂回して上諏訪町にいたり、神宮寺と云ふ処より再び杖突嶺を越え、夜に入りて無事帰宅仕り候、目下農事は粟、大豆、稲等穫入れの時節にて小生も毎日感謝して田畑にいそしみ居り候間乍憚御安心被下度祈上候。
先は御礼旁無事帰村の御報知迄 早々頓首
                      小松繁司
  内村先生
 
(503)     独立苦楽部
                      明治33年11月24日
                      『聖書之研究』3号「雑録」
                      署名なし
 
 是れ旧独立雑誌の読者にして過る夏講談会に参会せし者に依て組織せられし友誼的団合なりとす、会員七十余名を有し別に之ぞと云ふ主義も目的もなけれども然ればとて全く無益の団躰にもあらざるが如し、秋に入てより既に二回の会合ありたり、爾来毎月第二の日曜日に午後一時より角筈村なる聖書研究社に於て集合する筈なり、独立碓誌以来の本誌の読者にして之に加はらんと欲する者は研究社に申込まるべし、会費は一ケ年六十銭、別に開会毎に拾銭を要す、
 
(504)     宣教師大会
                     明治33年11月24日
                     『聖書之研究』3号「雑録」
                     署名なし
 
 十月廿四日より一週日の間、東京なる神田青年会館に於て日本在留新教諸外国宣教師の大会ありと聞き、余輩も其中の或一人を訪問せばやと思ひ、一日之に参会せり、日本に在て四百余名の外国人が一堂に会するを見るは甚だ稀なる事なれば、余輩も之に臨んで一種異様の感を以て打たれたり、余輩と同一の信仰を有する外国人にして斯くも多数人が此国に在留するかと思へば嬉れしくもあり、然れども彼等の中に余輩の友として呼ぶべきものは一手の指を以て算すべきを思ふて亦甚だ悲しくもありたり、然れども余輩の便益の有無に係はらず、イエス、キリストの教の此国に拡まらんが為めの此会合なれば、余輩は私に心の中に神の祝福の其上に加はらん事を祈りたり。
 
(505)     札幌独立教会
                      明治33年11月24日
                      『聖書之研究』3号「雑録」
                      署名 長足生
 
 明治の初年に農学校の青書生が血の涙を以て築き上げし、札幌教会は日本に於ける最初の独立教会なり、故に基督教と独立とを重んずる人士にして之に向て深き同情を懐かざるはなかるべし、日本人は其資力に於て、其教義に於て、外国伝道会社に頼らずして基督教会を建設し得るや、是れ小なりと雖も札幌独立教会が世界に向て証拠立つべき大問題なりとす。
 今や其創設者にして、札幌の地に在る者は甚だ尠し、無報給にて十八年間の長き其牧師たりし大島正健氏は今は去て奈良の旧都に在りて其中学校々長たり、伊藤一隆氏は内地に在て実業に従事し、本誌の主筆は読者の既に知るが如し、佐藤昌介氏は早くより独立教会を去てメソヂスト教会員たり、新渡戸稲造氏は普連土教会に属して今や再び海外にあり、内田某氏と黒岩四方之進氏とは共に忠実なる会員たりしと雖も速く札幌の地を離れて住す、故に今や教会の重荷は本誌主筆の旧友にして同室の友たりし植物学者ドクトル宮部金吾氏の肩上に落ち、氏は日本第一の植物学者たるに関はらず、奮て此責任の地位に立ち、此歴史的教会をして煙滅に帰せしめずとて、教会員諸氏と共に努力奮励しつゝあり。
 今や教会員中青年諸氏の奮起するありて、大に旧来の面目を改め教会当初の目的を達せんと欲し、其牧師の撰(506)定を本誌の主筆に一任したりしも、如何せん、無宗派の此教会、殊に其会員は博識を以て聞ゆとの事なれば、誰ありて此名誉の職に就かんと欲する者あるなし、然れども元々無牧を以て始まりし此教会の事なれば、牧師を有せざるの故を以て解崩すべき性質のものにあらず、茲に於てか会員諸氏も大に決する所ありて、余輩と共同して独立主義の宣伝を努め本誌を通して諸氏の宗教的研究の結果を世に公にし、又本誌の主筆を促して一年に一回又は二回彼地に到らしめて教会の進歩を計らるゝ筈なり、余輩は切に願ふ、世の此教会に同情を寄するの人は此時に当て特に此教会の為に祈られん事を。蓋は此教会の立つと否とは日本に於ける総ての独立教会の運命に大影響を及すべければなり。
 
(507)     十五銭では高いといふの説
                      明治33年11月24日
                      『聖書之研究』3号「雑録」
                      署名 主筆先生
 
 「研究」雑誌は十五銭では甚だ高値と云ふ人があるさうだ、成程「太陽」雑誌の廿五銭に較べて見て此|譏《そしり》は決して免かるゝ事は出来ない、十五銭とは決して少ない金ではない、十五銭あれば寄席が一晩聞かれるそうだ、十五銭あれば亦巻姻草が三箱位ひは買へるそうだ、鰻飯《うなぎめし》も極く易いものは一杯十五銭である、其他十五銭を投じて二時間又は三時間の快楽を得る途は沢山あるそうだ、然るに僅に八十頁の「研究」雑誌が十五銭とは高価の極であると呟くのも全く無理ではない。
 然し記者の方から言へば実は十五銭では余り有難くないのである、一ケ月三十日、其大抵三分の二以上を此小雑誌のために費すと云ふたら読者は驚くであらふが然し夫れは事実である、世に雑誌は非常に多いが然し主筆先生が其半分以上を書いて、投書と雖も一字も除かず熟読しなければ載せないと云雑誌は多く外にはないと思ふ、其外表紙の躰裁から、記事の配列に至るまで悉く主筆の手に成るのである、是は何も彼が吝嗇であつて、独りで利益を占めやうとするのではない、斯うするのは実に主筆たり、編輯人たるの義務であつて、只名許り編輯人であつて、実は懶け者であるのは余輩の決して賛成することの出来ない事である、又本誌の寄書家も同じである、是れ皆責任を重んずる人々であつて、義理半分遊び半分で書く人達ではない、彼等は金のために書く人ではない(508)が亦適当の尊敬を表すべき人であつて、此人等の書いた論文は決して寝気《ねむけ》半分に読むべきものではない。
 戌程主筆とても外にも仕事がある、彼は毎週二回づゝ彼の責任を有する或る新聞社へ行く、彼は亦大抵毎月一回づゝ地方へ伝道に出掛ける、彼は勿論是等の事業を「研究」雑誌のために利用は為ない積りだ、然し是等とても決して道楽仕事ではないから、之に従事して雑誌が利益を得ないとは云はれない、「研究」の比較的に高尚問題に渉るだけそれだけ他の正直なる事業は其成功を助けるのである。
 其外間暇の時間があればそれは皆んな聖書研究の為に捧げらるゝのである、※[さんずい+氣]車の中は勿論、友人を訪問して応接間に待つて居る時間までも悉く此の為に用ゐられるのである。若し天れ秋の夕暮独り静かに郊外に散歩する時などは、常に詩神の援助を呼んで寸暇たりとも他の事に思念を及ぼさないやうに努めつゝあるのである、其他校正の面到、発売の面到(読者と売捌店とに対して不正の所業なからざらしめんため)、広告の面到等に至ては実に読者の推量以外である、殊に無資本で然かも士族揚りの者共の商法であるから馬鹿の損を招く事も度々ある、然し日本人であつて武士であつて、基督信者であるから依頼は嫌ひで独立は大好きである、夫れであるから雑誌の編輯以外に大分精神を使ふのである、我等の思ふに何にも好い雑誌を出す計りが我等の本職ではない、之を正当に売り、他に迷惑を掛けざるやうに、亦不正の利を貪らないやうに努めるのも是れ亦雑誌記者たる者の本分であらふと思ふ。
 夫れであるから十五銭でも余り高くはないと思ふ、其内発売部数が増して沢山利益が上るやうになつたら其時は紙面を改良して更に一層読者の利益を計るまでゞある、夫れまではどうぞ寄席へ行くのを止めても烟草を吸ふのを廃めても此儘で我慢して呉れ給へ。
 
(509)     新聞紙の無勢力
                        明治33年11月28日
                        『万朝報』
                        署名 内村鑑三
 
 日本今日の新聞紙の無勢力と云ふものは実に言語同断である、之に誉められたればとて別に名誉でもなく、又之に罵られたればとて別に耻辱でもない、今の日本の新聞紙の記事なるものは之を雲姻過眼視するも少しも差支のないものである。
       *     *     *     *
 事の茲に至りし重なる原因は社会全体の腐敗であることは云ふまでもない、今や耻は耻でなくなり、名誉は名譽でなくなつた、人の面の皮は象の皮だけそれだけ厚くなり赤面であるとか、良心の詰責であるとか云ふ事は今は殆んど此君子国から跡を絶つに至つた、日本の今日の社会は丁度泥棒の社会と同然であつて、之に誉められるのは反て耻辱であつて、之に憎まれるのは反て名誉であるやうになつた、世界開闢以来羅馬帝国滅亡以前を除いては、日本の今日ほど社会の腐つた事はなからうと思ふ。
       *     *     *     *
 然し新聞紙の無勢力なるのは他にも原因がある、罵られる社会が悪い計りで新聞紙の記事に斯くも勢力が無いのではない、新聞記者彼等自身も此事に就ては大に責任があると思ふ、我等は実に我等の筆にせし記事に就て責(510)任を担ふ記者であるか、我等は実に毎日時を定めて人類と宇宙とに関する我等の知識を増さんと為しつゝある者であるか、我等は他人の評判と時勢の憤慨とに貴重なる光陰を消費しつゝあるやうに自身の修養に力を籠めつゝある者であるか、我等は世の腐敗を欺くやうに自身に瑕瑾多きを憂へつゝある者であるか、新聞記者とは世の木鐸であり、.社会の先導者であると云へば、斯くあるべきは勿論であるが、然し我等の綴りし新聞紙の記事が余り社会を覚醒するの力を有たないのを見れば、我等は余り勉強家でも修養家でもないやうに見える。
       *     *     *     *
 然し社会が斯くも乱脈に成つて来たからには是も無理な注文であるであらう、無責任の新聞記者が無責任の政治家に当り、さうして一日も早く此社会を打《ぶ》つ毀して了つたならば、新らしい社会が出来て来て、反て国家民衆の幸福と成るであらう。
 
(511)     沈黙国
                       明治33年11月29日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
 曾て或る宴会の席にて或る有名なる政治家に会合した、我等は頻りに彼より一場の演説を要求した、然し彼はどうしても我等の懇求に応じなんだ、彼は答へて曰ふた「今日まで幾回か演説を為して、幾回か言葉尻を捉へられて酷い目に遭ふたから以来は決して演説を為ないことに定めた」と、我等は彼の辞退の理由の尤も千万なるを知て我等の要求を取消した。
       *     *     *     *
 先頃松田文部大臣が帝国大学に行つた時にも教員生徒諸氏より一場の演説を依頼されたさうだ、其時に彼れ文部大臣閣下も前の政治家と同一の理由を以て此依頼を謝絶されたさうだ、斯くて日本の政治家は追々と演説を止め沈黙を守る様になるのであらう
       *     *     *     *
 「言葉尻を捉へられるのが怕い」、是は実に卑怯千万のやうであるが、然し悪人と小人とが屋根の瓦よりも沢山棲息して居る日本、今日の社会に在ては沈黙ほど賢い方法はない、日本の如き国に在ては何んでも黙つて居て他人の失敗するを待つて居つて、さうして彼を引き下して遣つて、我れ独り天下を取るのが一番好い方法である、(512)政治家たり、新聞記者たり、此方法に依るにあらざれば、此国に於ては立身成功は甚だ覚束ない。
       *     *     *     *
 文明の程度は公開演説の有無多寡に依て決せられるものであるさうだが、日本の如く公開演説の危険の非常に多いが為めに賢者たり、智者たる者が演説を全廃するに至らんとする国の文明は何んなものであるであらうか、之は確かに阿非利加の野蛮国ではないが、然りとてペリクリスの雅典《あてんす》国、ジヨンブライトやグラツドストンの英国のやうな国でない事は能く分つて居る。
(513)     怕るべき者
                       明治33年12月1日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
 怕るべきものは獅子でも虎でも蟒《うわばみ》でも何んでもない、怕るべきものは人である、日本人である、日本の青年である、青年文学者とか称する一種の懶け者である、自由を唱へ、正義人道を唱へ、愛国を唱へ、愛を説き、而かも勉強を嫌ひ、堅い書《もの》を読まず、人物を批評し、新躰詩を作り、世の中を夢と不平とで送る当代の文士と称する者である、彼等を身に近けて大厄難の吾人に及ばない事はない。
       *     *     *     *
 近頃或る米国《べいこく》の宣教師に遭ふたら彼は斯う云ふた
  私《わたくし》日本に来ましてから沢山|欺《だまさ》れました、今でも欺されます、同じ方法を以て欺されます、何うも可憐《かあいさう》であると思ふて青年を援けて遣りますと屹と欺されます、然し仕方がありません、夫れですから今では欺されると知りつゝ援けて遣ります
と、実に大なる国辱ではない乎。
       *     *     *     *
 或る青年が(彼は誠実なる者にして今の日本の青年中に稀に見る所の者なり)、或る神学校に行て基督教を研究(514)せんとしたらば、其管理者たる宣教師某は彼に斯う云ふたさうだ「足下も多分英語を学んだ後では宗教を止めるのでせう」と、彼れ宣教師は今日まで幾回となく日本の青年に欺された故に此無礼の言を発したるに相違ない、故に罪は彼れ宣教師に在りと云はんよりは彼を欺きし多くの日本の青年に在りと云はなければならない。
       *     *     *     *
 斯う云ふて勿論日本の青年の全体を蔑視《みくび》るのではない、我等も勿論多くの好い青年を知つて居る、好き青年とは青年らしい青年である、即ち勉強一方に熱心なる者である、好い青年は社会の改良だとか、人類の救済だとか云ふ事に口を出さない、彼等は修学に余り熱心であるから、斯んな事に口を出す間暇《ひま》がない、己れ学問を得んと欲するよりは、人に己れの学問を頒んと焦る青年は大抵|危難《あぶな》い青年である、而も今日の日本には斯う云ふ青年が沢山|居《を》る。
 
(515)     高野事件
                         明治33年12月2日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
 僕は法律を知らないから法理的に此事件の曲直を判断する事は出来ない、然し一つの社会的現象として此事件は日本人の本性を能く説明する者であらふと思ふ。
 今より五年前、此事件の始めて社会に顕はれし時は高野判事に同情を表した者は非常に多く、始めて富士見軒に於て彼の為に慰労会の開かれし時の如きは来会者六七百人に満ち、今の灰殻党の諸先生方を始めとして朝野の紳士にして彼に同情を表さない者は殆んど無い程であつた。
 然るに彼一度び彼の官を褫《は》がれ、一平民と成り下るや、彼を思ふ者は殆んどなきに至り、今日の処では彼の事件さへ殆んど全く忘却されんずる状態である、変り易きは人の心であると云ふが今の日本人の心ほど変り易いものはあるまい、斯んな社会の輿論なるものを頼んで事を為すほど馬鹿らしい事はない。
 今日は喝采、明日《みやうにち》は迫害、今日はホーザンナ、明日は十字架、今日は義人として担ぎ上げられ、明日は偽善者とて投《はふ》り出さる、今の日本人の心は昔時の暴君の心と同じであつて「朝承v恩暮賜v死」とは昔時の支那に於ても今日の日本に於ても同である、斯んな社会の為に身を粉にして尽すほど詰らない事はない。改行
 
(516)     日本人の敵
                       明治33年12月8日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
 日本人の敵は露西亜人でもなければ、英吉利人でもなければ、亦仏蘭西人でも亜米利加人でもない、日本人の敵は日本人である、四千五百万の同胞、是れ相互を食ひ、相互を屠《ほふ》り、相互を虐《しへた》げつゝあるものである。
       *     *     *     *
 貴族と政治家とは人民の膏血を絞り、文学者は互を相傷け、屠り、且つ葬らんとなしつゝあれば、哲学者と教育家とは互を相陥れ、一つは他の者の失敗に乗じて其地位を作らんとなしつゝある、友は友を売り、弟子は師を売り社会一般は其新聞紙に於て同胞の堕落を読むを以て最上の快楽となしつつある、若し之れが同胞であり、兄弟であるとならば、同胞とは何んと怕ろしい敵ではないか。
       *     *     *     *
 日本人の堕落を聞いて涙を翻《こぼ》して居る外国人は沢山ある、然るに日本では同胞の堕落を書き立てぬ新聞紙は売れ行きが悪いと云ふて居る、父は子の為めに匿し、子は父の為めに匿すと云ふが道徳であるさうだが、今日の日本に於ては同胞兄弟が相互の悪事を訐《あば》くのを以て道徳のやうに考へて居る、是は如何にも新しい道徳のやうに見える。
 
(517)     小新聞たるの名誉
                          明治33年12月12日
                          『万朝報』
                          署名 内村生
 
 人は小新聞《こしんぶん》なればとて卑める者があるが、余輩はその何にが故に卑しむべきである乎を解しない、小新聞たるは中以下の社会に多くの読者を有つことであつて、日本の如き社会に在ては新聞紙として是より大なる名誉はないと思ふ。
       *     *     *     *
 中以下の社会、是れ我が国の社会に於て最も正直《せいちよく》なる、最も勤勉なる、最も潔白なる社会ではないか、彼等は
実に未来の新日本を作る元素であつて、彼等と語り、彼等を教へ導くは、
もつとけつは最も潔白なる社会ではないか、彼等は実に未来の新日本を作《つく》る元素であつて、彼等と語り、彼等を教へ導くは、取りも直さず新日本の建設を助くる事である、余輩は小新聞なる者が此名誉を認めないで独り自から卑下するを見て実に怪訝《くわいが》の念に堪へない者である。
       *     *     *     *
 何故《なにゆゑ》に中以下の教導を以て自から任じない乎、何故に名利《めいり》一点張りの政治家に向て政論を吐くを以て新聞紙たるの惟一の義務であると思ふ乎、何故に文学者てふ天下の非生産的人物と共に文を議するを以て新聞紙たるものの本職となす乎、何故に左官大工に天の福音を伝へやうと欲はない乎、何故に車夫十万人の賛成を得んと努めない乎、職工十万は代議士三百頭に勝るの勢力ではない乎、農夫百万と文士一千と孰れが貴いか、余輩は日本に純(518)粋の平民新聞のないのを見て心密かに悲む者である、余輩は大胆に明白に中以下の弁護者を以て自から任ずるの小新聞が日本に起らむことを望む者である。
       *     *     *     *
 小新聞たる勿論下等新聞たることではない、小新聞なりとて必しも穢い記事を載するの必要はない、車夫とても人である、大工左官とても人である、爾うして多くの場合に於ては彼等は紳士紳商と称せらるゝ人に勝る人である、彼等は能く義理(高潔の意味に於て)を知て居る、彼等に深い道徳的観念が在る、余輩は余輩の抱く最も高尚なる思想と、最も神聖なる希望とを以て彼等に近く事が出来る、高潔なる小新聞、下民のマウスピース、是れ日本目下の大必要ではない乎。
 
(519)     余の学びし政治書
                   明治33年12月13日−34年1月13日
                   『万朝報』
                   署名 内村鑑三
 
 余は政治家に非ず、亦政治家たらんと欲する者に非ず、今日我国に於て称へらるゝ政治なるものは余の全然蔑視する所のものにして、余は之に触るゝを以て癩病患者に触るゝが如きの感を懐く者なり。
 然れども余も人なり、アリストートルが曾て唱へし「政治的動物」の一人なり、故に政治其者は余の嫌悪する所のものに非ず、世には高尚なる政治と下劣なる政治とあり、ミルトンの政治論とマキヤベリの政事策とあり、二者共に政治の名を附すべし、其間に天壌の差あり、前者は人たる者の何人も攻究すべきものにして、後者は吾人の謹んで手を触れざるやう努むべき者なり、不肖余の如き者と雖も前者に対しては今日まで多少の注意を払ひたり。
 政治の国家に於けるは倫理の個人に於けるが如きものなり、政治学一名之を国家的倫理学と云ふを得るなり、之に純理と応用とあるは個人的倫理に此両面あるが如し、而して個人的医術は之を社会全体に応用して社会的衛生となるが如く、個人的倫理を国家に応用して政治学はあるなり、政治学を以て殊更らに高尚紛雑の学と做す者は謬れり、政治は単純なる明白なる人道を国家全体に適用するの学と術とに外ならず、是れミルトンの政治なりし、コロムウエル、リンコルンの政治なりし、彼等は別に政治策なる者を知らざりし、彼等は明白なる常識を以(520)て彼等の施せし政治の規矩となせしのみ、公明正大の士にして彼等の政治を解するは甚だ易し。
 政治此の如き者なるが故に総ての偉大なる人は偉大なる政治家なりしなり、孔子、釈迦、基督は勿論、モハメツトの如き宗教家も、ダンテの如き詩人も、ミケル、アンゼローの如き美術家も、ワシントンの如き将軍も皆な偉大なる政治家なりしなり、彼等は特別に政治の学を研《きは》めし者にあらず、彼等は人生其物を解せり、故に彼等は政治家なりしなり、政治を以て一種の投機術の如くに見做す者、外交の技能とか称して之を演芸の一種と見做す者の如きは未だ大政治家の心事を解せざる者なり。
 政治何物ぞ、理想を国民と国土との上に画くものならずや、之を言語に顕はして詩歌と文章とあり、之を大理石に顕はして彫刻あり、之を画布に顕はして絵画あり、之を楽器に顕はして、音楽あり、而して之を国家の上に顕はして政治あるあり、人類の標本的政治家とも称すべき希臘雅典のペリクリースは詩人にして音楽家なりし、音楽と政治、音声上の調和と人事上の調和、心底に調和の大量を貯へざる者は身を政治に委ぬべからず。
 ルーテルは神学は音楽の一種なりと云へり 而してペリクリースの如きは政治を音楽の一種と見做せし者なり、之に接してハンデル、メンデルゾーンの大音曲を聞くが如きの観あり、其規模の偉大なる、其希望の宏遠なる、吾人は之を評するに唯スプレンヂツト(立派)の一語あるのみ、而《しかう》して凡て美を愛する者、凡て真を求むる者は此種の政治を探究せずして止むべけん乎。 〔以上、12・13〕
 
     其一 聖書
 
 余の学びし政治書中最も貴重なるものは基督教の聖書なりとす、余の邦人にして聖書を以て単に宗教的経文と(521)見做す者多し、然れども是れ其内容如何を知らざる者の言なり、聖書は其過半に於て最も高尚なる政治書なり、其旧約書なる者は猶太国民の発育史にして、其記事の目的とせし所は地上に理想的国家を建設するにありたり。
 聖書が欧米諾諸の政治に深遠なる関係を有ちし事は少しく彼国の歴史に通ずる所の者の普く知る所なり、チヤーレマンのフランク王国なるものは重に基督教を国家的に適用せしものにてありき、彼は彼の政治的教科書として重に聖アウガスチンの作になりし「神国論」を用ひしと云ふ、羅馬帝国壊滅以後チヤーレマンのフランク王国ほど規模の遠大なるはなかりし、彼が北欧の蛮民の上に基督教的愛心に則りし政治を施かんと試みし勇気と大胆とは総ての歴史家の敬虔を惹く者なり。
 アンセルム、アベラード、トーマス、アクイナス等中古時代の高僧は皆な著名なる宗教家たりしと同時に亦深く意を政治の学に用ひし人なりし、後日サボナローラが伊国フローレンスに適用せんと試みし新憲法はアクイナスの政治説に依りしものなりと云ふ、ダンテの「王国論」は彼の時代の政治に基督教の教義を応用せんとせしものにしてその詩人的インポシビリチーとも称すべきものゝ中に無量の智慧と先見とあるはダンテ学者の皆な能く知る所なり。
 基督教の聖書に暗くして欧洲の政治と法律とを究むる難し、バツサ家の瑞典国に於ける、オランジ家の和蘭国に於ける、アルパツド家の洪牙利国に於ける、多くは聖書の是等諸邦に於けるの関係なり、米国有名の法律家ルーフハス、シヨート氏は彼《か》の事務所に希臘文聖書二冊の外は一書の法律書を留めざりしと云ふ、彼の友人一日彼を訪ふて、彼の机上に聖書の外何の書籍をも備へざるを見て驚き問ふて曰く「法律家の机上に希臘文の聖書二冊とよ! 而して法律書一冊もなしとよ!」と、時にシヨート氏は声を正うして答へて曰く「我が友よ、君は知ら(522)ざるか、英米両国の政治と法律とは皆な此書に因るものなる事を」と、而して余輩は知る彼れシヨート氏は決して坊主臭き宗教家にはあらざりしを。 余が聖書を以て最良の政治書なりと見做すも決して故なきにあらざるなり。 〔以上、12・21〕
 聖書は勿論今日我国に於て行はるゝ政治なるものに就て教へず、如何にして投票と政党員とを買収せんか、如何にして上政権を擁し、下民衆の心を収攬せんか、如何にして自身を最も安楽なる地位に置きて天下を掌中に弄《もてあそ》ばん乎、是れ聖書の教へざる所たるのみならず、聖書は是の如きを称して譎計詐術と做し、是を用ふる者を呼ぶに豺狼、蛇蝎、狐狸の名を以てす、吾人は聖書を学んで今の政界に雄飛し得ざるは勿論なり、聖書は根本的に今日日本に於て行はるゝ政治なるものを拒絶す。
 然れども若し政治の目的にして故グラツドストンの曰ひしが如くに「善を為すに易くして悪を為すに難き社会を作る」にあらん乎、聖書は最良なる政治書なるを失はず、誰か日本今日の社会の状態を目撃して左《さ》のイザヤの言を思ひ出さゞらんや
  足のうらより頭に至るまで全きところなく、たゞ創痍《きず》と打傷と腫物とのみ、而して之を合す者なく、包む者なく、亦膏にて軟ぐる者なし。
 又今日余輩の目前に供せられつゝある幾多の収賄事件を見て同じイザヤの左の言を思ひ起さゞらんや。
  汝等(国民)の長輩《をさたち》(公吏)は反きて盗人の伴侶《かたうど》となり、各自|賄賂《まいなひ》を喜び、贓財《おくりもの》を追求め、孤子《みなしご》に公平を行はず、寡婦《やもめ》の訟《うつたへ》は彼等の前に出ること能はず
 聖書は無遠慮にも幾回か吾人に告げて云ふ「正義を追求せざる国民は其兵は如何に強きも、其富は如何に多き(523)も必ず滅亡に帰せん」と、而して例を時の強国たりしアツシリヤ、バビロン、エヂプトに引き、亦太古二千年間世界の商権を握りしツロ、シドンに鑑み、武に誇り富に頼るの民の終《つひ》には絶えて跡なきに至るを説けり、而して歴史的事実は聖書の此言の的中を証し、後世をして国家存亡の理の火を見るよりも瞭《あきら》かなるを知らしむ。
 然らば如何にして社会の此創痍を癒さんかと問ふに、聖書の社会治療策なるものは甚だ簡明にして且つ能く常識に適《かな》ふたるものなり。
  公道を水の如くに、正義を尽きざる河の如くに流れしめよ
 必しも新憲法の発布と云はず、亦新政党の樹立を語らず、是等は時には利なるも亦時には害あるものなり、法律は完成を告げて国家は滅亡に帰せし羅馬の如きあり、政党にして国民を悲惨の淵に沈めしものは挙げて算ふべからず、惟利有て害なき者は公道と正義とのみ、国家を維持する者は其政治家にあらずして高士と義人となり、「公道を水の如くに、正義を尽きざる河の如くに流れしめよ」と、即ち社会を救ふに滋養療法を以てせよとなり、腐蝕を割取《かつしゆ》せんよりは生気を注入せよとなり、罪悪を詰責せんよりは公義を奨励せよとなり、今や邦人は正義を唱ふる者を嘲けるなれども、然しながら三千年前の昔より今日に至るまで正義を除て国を救ふの力は他に存せざるなり。 〔以上、12・23〕
 聖書の理想的国家は武を蔑視するの国家なり、聖書記者は絶対的の平和論者なり。
  或者は戎車《いくさぐるま》に頼み、或者は馬に頼む、然れど我等は我がヱホバの神に頼らん。
 公道全地を掩ふに至て、人類が其進歩の極に達する時は、神、国と国との間を鞫《さば》き、宇内の民を治め、「斯くて彼等は其剣を鍛《う》ち換へて鋤となし、その槍をうちかへて鎌となし、国は国に向ひて剣を揚げず、戦闘のことを(524)再び学ばざるべし」と云へり、聖書の此理想を以て評せん乎、今の英国、米国を始めとして、仏、独、露、伊等、何れも基督教国たるを以て自から誇るの価値なき者たるを知るを得べし。
 聖書の理想的国家は又貧者を顧み弱者を扶けるの国家なり、神は弱き者の保砦《とりで》、乏き者の艱難の時の避所《さけどころ》として崇められ、彼等に冷水一杯を給するは神の甚だ嘉し給ふ所として教へられたり、聖書記者の忌み嫌ひし者にして無情なる政治家の如きはあらざりし、預言者アモスが時の為政家を罵りし言《げん》に曰く、
  彼等は災禍《わざはひ》の日を以て尚ほ遠しと為し、強暴の座を近け、自ら象牙の床に臥し、寝台の上に身を伸し、羊《こひつじ》と犢《こうし》とを食《くら》ひ、琴の音に合せて唄ひ騒ぎ、大杯を以て酒を飲み、最も貴き香油《かういう》を身に抹《ぬ》り、国民の艱難を憂へざるなり
此言を二十世紀に入らんとする今日東洋日本の東京に群集する幾多の政治家に応用して、一点一劃の誤謬なきを見るを得ん。
 聖書は亦亡国の兆候を示指して剰す所なし 其最も明白なるものとして預言者ヱレミヤは左の如く言へり
  汝等|各《おの/\》其隣人に心せよ、何《いづれ》の兄弟(同胞)をも信ずる勿れ、兄弟は皆な詐欺《いつはり》をなし、隣人は皆な讒《そし》りまはればなり、彼等は皆な其隣人を欺き且つ真実を云はず、汝の住居は詭譎《いつはり》の中にあり。
是を我国今日の社会に於ける日常の出来事に対照し見て吾人は其壊滅の時期の遠きにあらざるを察するを得ん。
 若し偉大なる、然かも慈悲深き、建国者を求んと欲せば之を神の人なるモーセに於て見るを得ん、若し宏遠雄大なる政治的意見を知らんと欲せば之をイザヤの預言に於て見るを得ん、憂国家の最も高尚にして最も深刻なる者はヒルキヤの子なるヱレミヤなり、主張を以て朝に事へんと欲する者は宜しくダニヱルの伝を読むべし、而し(525)て若し理想的国家の何たる乎を知らんと欲せば使徒ヨハネの筆に成りしと伝へらるゝ黙示録を学ぶべし。余は我国人が聖書なる此大政治書が不完全ながらも我国語に訳されあるに関はらず、宗教の書なりとて之を斥けて、僅かに新聞紙上に吐露せらるゝ蜉蝣的政治論に彼等の思想を養ひつゝあるを見て、常に驚き且つ怪む者なり。 〔以上、12・27〕
 
     其二 コロムウエル伝
 
 「雑誌の雑誌」記者ステツド氏曰く「余を裨益せし書は第一に基督教の聖書なり、第二にカーライルの著コロムウエル伝なり、第三に米国詩人ローエルの詩集なり」と、而してステツドと同一の経験を持ちしものは他にも多からん。 今日まで地上に顕はれし最も大なる国家は英国なり、而して英国の二大政治家とは一はエリザベス女王にして他の者はオリバー コロムウエルなり、二者共に政治を学ばざる天然的政治家なり、政治の術豈に之を政治書に於てのみ学ぶべきものならんや。
 カーライルの「コロムウエル伝」は彼の五十歳の時の作なり、是れ実に彼の著述中最も大なるものなり、「仏国革命史」は其ドラマ的修飾に於て、「フレデリツク大王伝」は其歴史的考証に於て之に優る所あらん、然れどもカーライルの精神は凡て彼のコロムウエル伝に籠れりと云はざるべからず、彼の崇敬を呈せし人、彼が真誠に崇拝せし人はオリバー コロムウエル其人なりし。
 二百五十年間|大逆無道《だいぎやくぶやう》の臣として英国人の脳裡に存在せし此の人を恥辱の墓の底より発掘し来り、彼を英国第(526)一の愛国者として再び世界に紹介せし歴史家カーライルの功績は偉大なるかな、余は惟ふ、若しカーライルにし
てコロムウエル伝を以て彼の著述事業を中止せしならば彼は益のみを後世に遺して害を伝へざりしならんと、彼のフレデリツク伝はあらずもがな、彼の「末世の冊子」は彼の公にすべからざりしものならん、彼の英雄崇拝論は多くの不健全なる思想を青年に供し、殊に其我日本に伝はりてより以来、此書に依て生涯を誤りし青年甚だ多し、之れカーライルの不平時代に成りし書にして之を読んで多少不平病に侵されざる者なし。
 然れどもコロムウエル伝に至ては全く然らず、是れカ氏の「愛の著述」なりと云ふ、彼をして此著を為さしめし動機は彼が彼の母より受けしものなりと云ふ、彼女の深き宗教心と強健なる常識とは此誤解されし偉人に於て真正の基督教的ヒローを発見せり、而して彼の幼時に於て彼女より注入されし此思想は後に此大著述となりて世に現はれしなり、カーライルのコロムウエル伝は実に一平民が一大平民を弁護せし書なり。 〔以上、明治34・1・10〕
 オリバー、コロムウエル、彼は英国セントアイブスの一農夫なりし、家は富めりとは称すべからざるも然りとて貧しからざりき、畜類の飼育を以て業とし、大に其道に熟達せりと云ふ、歳二十にして婚し、清き幸福なるホームを作るを以て彼の唯一の目的と為せり、斯くて彼は政治家と成るの必要も無く、亦其野心もなかりしなり、彼は心に神を拝し、手に正業を取り、以て此曲れる世に在て罪なき生涯を送らんとせり、
 彼が政治に入しは四十歳の時なりし、然も彼は大政治家となりて名誉を天下に博せんとて政治に入らざりしなり、彼は時の圧制を憤慨せり、殊に彼は彼と同郷の人なるジョン ブラインなる者が治安妨害的文書を分布せりとて獄に投ぜられしを憤り、彼の為めに弁ぜんとて国会に入りしと云ふ、茅屋の下に在て静かなる生涯を送らん(527)と企てし彼れコロムウエルは人類的観念に迫られて止むを得ず国会議員と成れり。
 然れども彼に政略なるものは一もあらざりしなり、有の儘なる実に彼の如きはあらざりし、彼に丈夫の勇気ありて亦処女のそれの如き涙と愛情とありし、敵と戦て曾て敗を取りし事なき彼は友人の反逆に会しては悲歎痛哭に憂き日月《つきひ》を送れり、朝《あした》にダンバーに敵の大軍を敗て夕に家郷の妻女に送るに心情溢るゝ計りの恋文を以てせり、人は彼を以て大偽善者と做せり、然れども彼は偽善者にはあらざりしなり、彼は余りに感情の人なりしなり、故に彼は偽善者の如く見えしのみ。
 彼の政策とは何ぞ、他なし、英国を以て地上に於ける天国となし、終に英国を通じて全世界を天国と成さんとするにありき、故に俗人の眼を以て評すれば彼の行為は狂的なりしなり、彼は為し得べからざる事を為さんとせり、而も彼は為し得べからずとは信ぜざりしなり、彼は若し英国人にして悉く彼の信仰を懐かば英国を以て真正の聖人国と為し得べしと確信せり、而してミルトンは彼の書記官として彼の此偉想を賛し、ブレークは彼の海軍を指揮して海上に彼の此理想を実にせんとせり、世の智者は云ふ「幸福なるは無学なり」と、特別に政治学を究めざりしコロムウエルと彼の補助者とは此のインポシビリチーを実行せんとせり、政治家の手を束ね足を縛るものにして実に彼の政治学の如きはあらざるなり。 〔以上、明治34・1・11〕
 「正しかれ、而して懼るゝ勿れ」、正義に因て進む大国何か懼るゝに足らん、コロムウエル時代の英国は欧洲第三等国に上ざりし、第一等国は西班牙にして仏と墺とは之に次ぎ、蘭亦新たに勢力を得たり、英と対比すべき国とては北欧の瑞典か独逸達邦の一二に止まりしなり、然れどもコロムウエル其主権を握りてより英国は一躍して欧洲大強国の一として算へらるゝに至れり、意志と信仰とに富める一偉人の勢力も亦た大ならずや。
(528) 時の大強国は凡て天主教国なりし、而して英国は新教国にしてコロムウエルは新教徒中の新教徒たりし、而して彼は強国に媚びん為に彼の信仰を曲げんとは為さゞりし、否な、彼は彼の信仰に基きて、弱き新教国を統一して強き天主教国を挫かんとせり、彼の外交政略なるものは唯此一事に存せり、彼が提督ブレークをして海上に西班牙の船舶を捕獲せしめ、西印度に其の領土を掠め、テネリフ島に其海軍を尽せしも皆な「大教敵西班牙」を挫かんとの方法に外ならざりし、彼がサボイ山中にある新教徒の虐殺を聞くや、直に仏国に通牒して無辜の血を償はしめしも亦彼の此信仰に基けり、彼は小にして新教国なる瑞典と同盟して大にして旧教国なる西班牙に当らんとせり、彼の宗教的信仰は吾人の問べき処にあらず、然れども彼の勇気と大胆とに至ては実に余輩の讃賞して措く能はざる所なり。
 コロムウエルは貴族の敵にして平民の友なりし、然れども彼は衆愚の友にはあらざりし、彼は貴族を憎が如くにモツブ(徒党)を憎みたり、然り、無政府党に等しき共和政治は彼の最も憎みし所のものなり、彼の共和政治は多数政治にはあらざりしなり、彼は平民政治を主張せしものにして多数政治を主張せし者にあらず、彼は進歩主義の人なりしも世の所謂自由主義の人にはあらざりし、是れ彼が終に彼の友人にまで誤解せられし理由にして、コロムウエルの此心を知らずして、彼を解し得ざる者今日尚ほ甚だ多し。
 進歩的保守家、洪牙利国の愛国者ルイ、コスートの如き人、米国のワシントンの如き人、然り、リンコルンの如き、グラツドストンの如き人、彼等は皆甚だしく国人に誤解されし人なり、而してコロムウエルは其最も甚だしき者なり、彼の情性に貴族的分子ありたると同時に亦平民的分子ありたり 彼は天稟《てんりん》の貴族が平民として生れ来りし者なり、彼の同情は平民にありし、然れども彼の平民なるものは凡俗の民の謂にはあらざりし、彼の平民と(529)は彼並に彼の書記生たりしジョン、ミルトンの如き者なりし、即ち人たるの品性を具へ、位階と勲章とに依ずして高貴なる人にてありし、彼が終に彼の国人の棄る所となりしは亦故なきに非ず。 〔以上、明治34・1・12〕
 世に平民は多数者にして貴族は少数者なりと思ふ者は誤れり、貴族は実は多数者にして平民は実は少数者なり、世に所謂平民なる者は実は貴族にして、彼等が平民的運動なるものを起す所以のものは、彼等が現在の貴族に代て自ら貴族と為らんが為なり、近くは東洋日本国の維新歴史に於て此事実を目撃するを得ん、薩長の族にして名なく位なき者、民の声なればとて四民平等を主張し、時の政府を斃《たふ》し、而して自身権威の位置に立つや、直に新華族の制度を定め、己れ自から貴族となりて天下に臨む、伊藤侯、松方伯、高島子、彼等は皆咋日の平民にして今日の貴族なり、四十年前の伊藤博文氏は眇たる一平民にて彼亦平民主義を唱へ、時の貴族制度を憤りし者なり、伊藤然り、山県然り、樺山然り、大隈然り、板垣然り、今の平民主義者亦然らざらんや、今の民間の政治家なる者も、一朝勢力の人となれば、直に貴族の中に列せん事を願ふ、彼等は貴族を嫌ふに非ず、彼等は貴族を嫌ふと称するのみ、彼等は実は生来の貴族にして、貴族たらんと欲して政海に乗出せし者なり、言《いふ》を休《やす》めよ、日本国の貴族は三千人にして平民は四千万人なりと、其平民四千万の最大多数は貴族根性を以て生れ来りし者にして彼等は機会あれば貴族たるを辞せざる者なり、吾人少しく史を繙きし者は彼等の平民主義に欺かるべきにあらず。
 平民は平民を迫害す、是れ隠語の如く見えて実は明白なる事実なり、英国民が終にコロムウエルを嫌悪するに至りしは、彼れコロムウエルが余りに真面目なる平民なりしが故なり、彼等は彼が少しく殿様然として天下に臨み、少しく国民の弱点に乗じ、其名誉心を充たし、其利慾心を満足せんことを要めたり、然れどもコロムウエルは巌として彼の平民的態度を守りたり、故に彼等は終に大偽善者として彼を記憶の外《ほか》の葬り去りぬ、彼等は再び(530)彼の如き政治家を有たざらんことを望めり、彼等はコロムウエルに勝て淫王チヤーレス第二世を愛したり。
 然れども少数なりと雖も此宇宙は平民の属《ぞく》なり、コロムウエルは死後三百年の、今日英国人の理想的政治家とは成れり、彼の肖像は今は英国々会議場の前に建てられたり、「コロムウエル再び出でよ」とは今は英国人の声となれり、英国永久の栄光はコロムウエルの理想を実行するにありとは其多数の政治家の所信となれり。
 「コロムウエル出よ」、英国に於てのみならず、支那に於ても朝鮮に於ても、緬甸に於ても安南に於ても、総て腐敗せる政治家の横行する国はコロムウエルの現出を要す、上、貴族を挫き、下、衆愚《モツブ》を抑へ、少数者なる平民の勢力を地上に扶植せんためには、コロムウエルは、幾回か此世に来らざるべからず。
 カーライルのコロムウエル伝は如斯き事を教ふる書なり。 〔以上、明治34・1・13〕
 
(531)     〔神の愛と人の愛 他〕
                      明治33年12月22日
                      『聖書之研究』4号「所感」
                      署名なし
 
    神の愛と人の愛
 
 人に憎まるゝ時は神に愛せられ、神に愛せらるゝ時は人に憎まる、神と人とは日と月との如し、人望の光輝の吾人の身を照す時は吾人が神を背にして立つ時なり。
 
    聖き捧物
 
 我は我が眼を造化と聖書とに顕はれたる神の栄光を瞻るために用ひんかな、我は我が耳を我が同胞の悲痛の声を聞くために用ひんかな、我は我が手を神の慈愛を我が憐人に頒つために用ひんかな、我は我が足を神の喜ばしき音信《おとづれ》を広く此土に伝ふるために用ひんかな、斯くて我が全体は美はしき神の器となりて、真理と歓喜とは永久に我がものとなるに至らん。
 
    我儕の意志
 
(532) 我儕は我儕の行為を以て神の摂理を補はんとせず、我儕は全身を神に捧げて其聖旨を遂行せんとするのみ、我儕は神の奴僕にして神の共同者に非ず、我儕に神の命に従はんとする他に意志あるなし。
 
    罪人の宗教
 
 我儕は我儕の徳行を以て身を潔めんと欲する者に非ず、我儕は我儕の全身を其汚れたる儘に神に捧げて、彼の洗浄に与からんと欲する者なり、修養鍛錬と称へて、自修自覚を教ふるものは人の教なり、信仰献身を説て罪科の消滅を伝ふるものは神の教なり、基督教が世の聖人君子の擯斥する所たるは其殊更に罪人の宗教たるが故なり。
 
    罪人の伝道
 
 神の義は我の罪に依て揚り、神の強きは我の弱きに依て顕はる、我れ我が罪と弱きとを神の前に表白し、彼をして我が義我が力たらしめて、我は彼の聖名を世に揚るの器と成つて其有力なる宣伝者たるを得るなり。
 
    罪人の神
 
 神は生れながらの義人よりも悔ひ改めたる罪人を愛す、神は聖浄潔白の心よりも罪を悲むの心を愛す、義人亦神を識るの能力を有す、然れども彼の眼に映ずる神は罪人がその心に感ずるが如き完全なる神に非ず、罪を癒し得るの神は義を悦び給ふの神よりも大なり。
 
(533)    我と神
 
 我の躬から企てし事業にして曾て成効せしものなし、神が我に強ひしものにして我が神の命なりと信じてなせし事業は皆な悉く成効なりし、我は今より躬から進んで我が為めに事業を計劃し、之に従事して再び失敗と耻辱とを我が身に招かざるべし。
       *     *   . *     *
 我の躬から尋ね得し友にして我に永久に忠実なる者はなかりし、我れ求めずして我に来りし友、即ち神が我に賜ひし友は我の永久の友にして、彼は我の失敗の故を以て我を棄てず、世が挙て我を疑ふ時に我を信ずるの友にてありし、我は今より躬から進んで社会群衆の中に我が友を探らざるべし。
       *     *   . *     *
 我の躬から作りし詩に世を慰むるに足るものはなかりし、我れ識らざるに我が心に浮び、我が以て神の黙示なりと信じて作りし詩は能く無辜を慰め貧者を医するに足るの美文なりし、我は今より躬から思想を我が燥きたる心裏に探て之を筆にして世の読者を煩はさゞるべし。
 
    聖書の力
 
 世の非難、讒謗の威力以外に立たんと欲せば世以上の者と霊交を結ぶに如かず、高潔の士を我が師とし友とするは世外に立つための最良法たるや論なし、然れども彼にして若し現世に存せざらん乎、余輩は之を書籍に於て(534)古人の中に求めんのみ
       *     *     *     *
 聖書を友とせよ、吾人は小事に意を留めざるに至らん、其示す所の者は宇宙の神なり、其説く所の者は救世の秘訣なり、其与へんとする所のものは永生なり、朝と夕と名と実と、生と死と、人類の総ての理想とを其中に探て、吾人は現世に存在して既に三階の天上にあるの感あり、幸にして此天書の吾人に供せられしあり、吾人何を苦んで朝咲て昼炉に投げ入らるゝ暫時的文学に吾人の目を曝すべけんや。
       *     *     *     *
 「神我と共に在りて何人か我に逆ふを得んや」、我れ聖書に於て我が神と共に在りて何人の威力か我を動すを得んや、聖書に依て我は鞫くものとなりて鞫かるゝ事なし、我は導く者となりて導かるゝ事なし、(哥林多前書六章二、三、四節参考)、我れ先づ我が名利の心をキリストと共に十字架に釘けて天下我に敵する者なきに至る。
 
    名実の関係
 
 名は実を作る能はず、名の上に実を建てんとする者は砂の上に家を建る者なり、雨降り、大水出で、風吹きて其家を撞《うて》ば終には倒れてその傾覆大なり、先づ広告を以て虚を風聴し、世の之を実とし受るを待て然る後に実を以て之に応ぜんとす、是れ智者の策なるが如くに見えて実は愚人の行為なり、而も世間此策に出る者甚だ多し
       *     *     *     *
 実は名に優て大ならん乎、其業は必ず栄えん、名は実に優て大ならん乎、其業は必ず衰へん、名を大にして亡(535)ぴ、実を大にして栄ふ、謙徳の実利は此二事に存す。
 
    隠退の快楽
 
 隠退の快楽は神と語る事比較的に多くして人と語ること比較的に少きにあり、時代的事実に接すること少くして永久的真理を学ぶこと多きにあり、表皮的交際を避けて誠実の友とのみ交はり得るにあり、此等の快楽ありて吾人は隠退の利益あるを知てその損失あるを知らず。
       ――――――――――
 
    クリスマス
 
 クリスマスは来りぬ、我等の友を記臆すべき時は来りぬ、
 我は先づ我を棄て去りし我が友を記臆せん、我は彼等が我に加へし凡ての苦痛を我が記臆の外に撤せん、我は彼等の善き事を我が記臆に留めて彼等の悪き事を凡て忘れ去らん、我は我が神の祝福が豊かに彼等の上に宿らんことを祈らむ。
 我は次に旗に此世を去りし我が友を記臆せん、我に多少の善き事有るは我が彼等と共に在る事を得たればなり、我は実に彼等の一部分にして、我は彼等に対しても善を為し義に勇むの大なる責任を担ふ、嗚呼新英洲の岡に眠る師よ、嗚呼ペン洲の森の中に永き休息に就きし者よ、嗚呼北辰の輝く下に我の希望を埋めし者よ、我は今独り此荒野に残されて寂寞の情に堪え難き感あり、幸福なる者は汝等にして我に非ず 我は今尚ほ嫉妬の里にあ(536)り、怨恨の国にあり、我は今年も幾回か汝等の家なる地下のサイレンスを想へり。
 我は又今年神が新たに我に賜ひにし友に就て記臆せん、我は実に一を失つて十を得たり、我は実に失ふべき者を失ふて得べき者を得たり、即ち我は友ならざる友を失ふて友たるべき友を得たり、北は宗谷、知床より南は台南、鳳山まで我が為めに祈る者は新たに与へられたり、願くは佳節の祝福彼等の上にあれよ。
 終に我は我が永久の友に就て記臆せん、彼等は世の我を疑ふ時に我を信じ、敵の我を殺さんとせし時に我を活かせし者なり、彼等は我の有する最も貴き宝なり、彼等在るが故に世は我に取て全くの暗夜たらざるなり、彼等の信任は金銀積んで山をなすも購ひ得ざるものなり、嗚呼貴き、愛すべき、敬すべき彼等、我は特別に彼等の為めに祈り且つ感謝せん。
 
(537)     詩篇第二十三篇
                     明治33年12月22日
                     『聖書之研究』4号「註解」
                     署名 内村鑑三
 
  ヱホバはわが牧者なり、われ乏しきことあらじ、ヱホパは我をみどりの野にふさせ、いこひの水浜《みぎは》にともなひたまふ、ヱホバはわが霊魂をいかし、名のゆゑをもて我をたゞしき路にみちびき給ふ、たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも禍害《わざはひ》をおそれじ、なんぢ我と共に在せばなり、なんぢの笞《しもと》なんぢの杖われを慰む、なんぢわが仇《あた》のまへに我がために筵をまふけ、わが首《かうべ》にあぶらをそゝぎたまふ、わが酒杯《さかづき》はあふるゝなり、わが世にあらん限りはかならず恩恵《めぐみ》と憐憫《あはれみ》とわれにそひきたらん、我はとこしへにヱホバの宮にすまん。
 
 牧羊詩人にして後に猶太国の大王たりし大闢《ダビデ》王の作として伝へらる、其内容実質より考へて其大王の作たるを疑ふ者なし。
 「ヱホバ」、猶太人の保護神の名なり、或は之と「ヤーベ」と称へしならんと云ふ、名は「ハヤー」(在る)なる名詞より来りし者にして「有て在る者」、即ち永遠の実在者の意なり、(出埃及記第三章十三、十四節参考)、隣邦のモアブ人はケモシの神を拝し、カナン人はバールの神に事へ、アモン人はモロクの神に其初児を燔祭に供せし時に、猶太人は永遠の実在者にして霊なる真の神を以て其保護神となせり。
 「わが故老なり」、詩人彼自身が善き牧者たりし、彼れ幼時父エサイの羊をベツレヘムの附近に飼ひし頃、一日(538)獅子と熊と来りて其群の羊を取たれば、彼其後を逐ひて之を搏ち羊を其口より援ひ出せり、(撒母耳前書十七章三四節) 彼は実に基督の述べられし善き牧者の資格を具へし者なり、(約翰伝十章十四 十五節)、彼は綿羊の如何に弱き者なるを知りしが故に世路の難に処する彼自身を羊に譬へ、彼の神なるヱホバを彼の牧者に譬へしなり。牧者なり、亦牧師なり、彼は野に在て独り無智の羊を友とせし者、彼に出席するの会堂はなかりしならん、彼に正道を説くの牧師はなかりしならん、彼は僅かに彼の腰笛に彼の心中無限の感を述べ、天上に輝く星に彼の寂漠を訴しに止りしならん、然れども彼は単独ならざるを知れり、彼は彼が彼の羊を導くが如くにヱホバの神の彼を導くあるを知れり、エルサレムの都城に在て荘厳なる神の殿に詣で其処に高僧の祝福に与かる者もあらん、然れども我の僧たり、教師たり、牧師たる者は朽つべき人にあらずして「有て在る者」、即ち夫の天上の星を造り地下に「死海」の窪地に沈め、岡を飾るに青草を以てせしヱホバの神なりと、然り、牧者ダビデは最良最善の牧師を有せしなり
 牧者なり、亦牧伯なり、政治家を称して牧民の職に在る者と云ふ、然れども世の牧伯亦世の牧師の如く己を愛するが如くに民衆と会衆とを愛せず、牧師にして「狼の来るを見れば羊を棄て逃ぐ、狼羊を奪ひて之を散す」底の者あれば、政治家牧伯にして預言者|以西結《イゼキヱル》の謂へる「羊群を牧はず、脂を食ひ、毛を纏ひ、肥えたる羊を屠り、其弱き者を強くせず其病める者を医さず、其傷ける者を裹《つゝ》まず、失せたる者を尋ねず、手荒に厳刻《きび》しく之を治む」(以西結書三十四章二、三、四節)る者多し、然れども彼れ詩人ヱホバを彼の牧師として仰ぎ、ヱホバを彼の牧伯即ち政治家として戴く、彼の心に平和満ちて、彼の生涯に歓喜多きはヱホバが彼の牧者なるが故なり。 「われに乏しきことあらじ」、我は欠乏を感ぜざらん、我の牧師たるヱホバの神は我に給するに常に新鮮強健(539)なる真理を以てすれば、我は我が霊の糧に於て欠くる所なかるべし、我の民牧たるヱホバの神は我が必要に応じて総ての善き物を我に賜へば、我は我の衣食に於て一つも欠くる所なけむ、我が身を彼の手に委ねて、唯彼の命維れ聞きて、我に不満あるなし、不足あるなし。
 「ヱホバは我を青緑《みどり》の野に臥させ」、青草繁茂の状を示す、我を乾燥無味の思想界に迷はしめて、我に真理の饑饉を感ぜしむることなく、我を恐荒の社会に置て、我に生命の不安を感ぜしむる事なし、善き牧師にして善き主宰なるヱホバは常に我を甘露滴るばかりの野に臥さしめて、我をして常に歓喜《よろこび》に堪えざらしむ。
 「憩息《いこひ》の水浜《みぎは》にともなひたまふ」、我を青緑の野に臥さしめて饒多の食に※[厭/食]かしむるのみならず、亦清流の辺に我を導きて、我に渇を感ぜざらしむ、かの哲学と称して人生の苦痛をして更に重からしむるもの、かの政見と称して存在の恐怖をして益大ならしむるもの、之を供する者は是れ世の牧師なり牧伯なり、清流に臨んで心思を休めしめ、天より霊の雨を招いて心の渇を医し、常に生命の水に沿せしめて我が意と肉とを滑かならしむる者は我の牧者なるヱホバたるなり。
 「ヱホバは我が霊魂を活かし」、絶望に沈める我が霊魂を起たしめ、世の迫害と誹謗とに遭ふて死と墓とを思ふに至りし我をして再び世と戦ふの決心を我が衷に起さしめ給ふ、世に肉躰は健全にして霊魂の既に死滅に帰せる人多し 而して彼の如きをして再び人生の興味を感ずるに至らしめ、生きて甲斐あるの思ひを懐かしむるものはヱホバの神が吾人に下し給ふ天の真理なり、我が父我が君は我が躰を養ふを得ん 然れども霊魂を活かしむるの力は惟りヱホバの手に存す。
 「聖名《みな》の故を以て我を義き路に導き給ふ」、恩恵の神、契約の神たるの名義の故を以つて、即はち彼が正義仁(540)愛の神たるの栄光を汚さゞらんが為めに我を義き路に導き給ふとなり、神は吾人に恩恵を彼より要求するの価値あるが故に吾人を恵み給はず、神は其衷に存する無量の慈愛のために我等を導き給ふなり、我れ先づ神に恵まるゝの格資を作りて然る後に彼の指導に与からんと欲する者は永久之に与かる能はじ、神の嘉し給ふものは悔ゆる砕けし心なり、彼をして彼の慈愛のために吾人を恵ましめよ、我れ義人なれば我を恵めと神に迫るも、神は其驕れる誇れる心を斥けて決して吾人を恵み給はざるべし、「主ヱホバ言ひ給ふ、我が之を為すは汝等のためにあらず、汝等是れを知れよ、イスラエルの家よ、汝等の途を愧て悔《くやむ》べし」(以西結書三十六章三十二節)、詩人ダビデの神に対して謙遜なりしは彼が神の恩恵に頼て彼自身の正義に頼らざりしを以て知るべし。
 「義き路に導き給ふ」、我れ努めて義人たるにあらず、然り、善なる者は我れ即ち我が肉に在らざるを知る(羅馬書七章十八節)、人の途は自己によらず、且つ歩む人は自らその歩履《あゆみ》を定むること能はざるなり(耶利米亜記第十三章二三節)、我等神に頼り基督を信ずる者は神の教導に依てのみ義人たるを得る者なり、故に我等は我等の義を以て誇る能はず、そは我等の義は神の義にして我等の義にはあらざればなり。
 「縦令我れ死の蔭の谷を歩むとも禍害を怖れじ」、「死の蔭の谷」、ユダの山地の「死海」に浜する辺に数多存する深谷の状を形容して云ひし言ならん、ダビデ幾度か彼の綿羊を導きて、此等暗黒の峡路に迷ひ、恐怖不安の心を懐きしならん、然れども彼れ自身能く迷羊を幽闇の裡に尋ね出し、再び光明の牧場に導きし如く、彼は彼の牧者たるヱホバが彼を世路の艱難より救ひ出して、禍害をして彼の身に及ばざらしめ給ふを信ぜり、虎吼へ、獅子猛り、王蟒毒言を吐いて吾人を恥辱の墓に葬らんとする時ヱホバは我が霊を守りて我をして失意的自殺を行はざらしむ。
(541) 「汝我と共に在せばなり」、世の忍び難きの艱難に処して禍害の我が身に及ばざるは我に胆力の洪波を凌ぐに足るものあるが故に非ずして、我が牧者なる汝ヱホバの神が我と共に在せばなり、友は悉く我を去るに至らん、我が総てのものは取り去られて、我は世路に彷徨するに至ることあらん、然り、汝の最終の召状は来りて我は我が愛する友と家とを去りて独り死蔭の谷に進入する時は来らん、然れども汝ヱホバ我と共にあり給ふが故に我は禍害を恐れざるなり、我は神と共に此無情なる人世を通過せんと欲し、我は神と共に死の眠に就かんと欲す、国人何物ぞ、友人何物ぞ、妻子父母兄弟眷属総て何物ぞ、我れ死蔭に入る時は我は独り入るべき者に非ずや、国人挙て我を攻むる時に其総ての苦痛を感じ得る者は我れ一人なり、我の骨肉にして我を攻むることあり、我の父と母とにして我を棄ることあり(詩篇二十七篇十節) 我が友は我に背き、我が近親の者さへ我を疑ふに至らん、此時に方て、我が友たり、我が父母たり、我が慰者たり得る者はヱホバの神を除て他にあるなし、人は独り此世に臨んで独り此世を去る者なり、神若し我と共ならずば我は如何に単独寂寞たる者ならずや。
 「汝我と共に在せばなり」、何等の光栄ぞ、何等の慰藉ぞ、宇宙を造り給ひし神は我と共に在すと云ふ、然らば我は何をか恐れん、葬れよ、社会、埋めよ、地、汝等が我が師にして我が友なる大なるヱホバの神を葬り得ざる限りは汝等は我を葬り能はざる也。
 「汝の笞《しもと》汝の杖我を慰む」、牧羊者に彼の杖あり、帝王の権柄の如きものなり、彼れ之を以て彼の羊を導く、其彼の命に従はざる者を懲らし、彼の道を歩まざる者を戻らす、ヱホバ亦我を導くに笞と杖とを以てす、笞は我を懲らすもの、杖は我を導ものなり、彼れ我を訓ゆるに時には笞を以てす、我れ時には其苦痛を感ず、然ども我れ彼れを恨まず、そは我は人のその子を懲戒《いましめ》る如くヱホバも我を懲戒め給ふを知ればなり(申命記八章五節)、 (542)亦主はその愛する者を懲め又凡て其納くる所の子を鞭てり(希伯来書十二章六節)と聖書に示しあればなり、我が神にして常に我を愛撫するのみならんには我は彼を信ぜざるべし、然れども彼れ時には、我の頑愚を怒り、我の罪過を憤り、我が身に加ふるに殆んど忍び難き程の懲戒を加へ給ふ故に我は彼の愛心の老婆のそれの如き者にあらざるを知り、我が苦痛を感じながら再び彼の許に至て彼の恩恵に与からんと欲するなり。
 然れども我神は憤怒と刑罰とのみの神に非ず、彼は亦宥恕の神なり、慈愛の神なり、父の其子を愛するが如く我を愛するの神なり、彼の一手に我を懲すための笞あれば他の手には我を教へ我を導くための杖あり、正義の笞と慈愛の杖、此二者を以て彼は我を救ひ且つ慰め給なり、然り慰藉は神の笞と杖とにあり、我が傷を癒し給ふのみならず、時には我に傷を負はしめ給ふの神、我を愛撫し給ふのみならず、時には我を鞭ち給ふの神、……慰藉を医療と抱撫とのみに求むるものは未だ神の慰藉の何たるを知らず、神に打たれ見よ、汝は彼の医術の汝の真髄にまで達するを知り彼の恩恵を讃えて永遠に至らん。
 「汝我が仇の前に我がために筵を設け」、神は終に我が耻辱を雪ぎ給ふとなり、我が仇は我が失敗を見て悦べり、彼等は我が堕落を企てたり、彼等は我が苦痛の上に苦痛を加へ、我の弱きに乗じて我を窘蕾め、我の骨肉の兄弟すら我が敵と和して我を攻めたり、我は時には疑へり「神も終には我が敵と与みし給はざりしや」と、我は我が仇の前に耻辱の泥中に転び、我は神の聖前より逐はれし者なりと思へり。
 然れども、「この苦むもの叫びたればヱホバこれを聴き、その総ての患難より救ひ出し給へり」(詩篇三十四篇六節)、彼は我をして永久に耻辱の淵に沈まざらしめたり、時至て我が懲罰の縲絏の我が身より取り去らるゝや、神は前日に優るの慈愛を以て我を顧み給ひ、美服を携《もち》来りて我に衣せ、我が指に環《わ》を中《は》め、我が足に履を穿かせ、(543)また我が為めに犢《こうし》を率き来りて宰《ほふ》り、楽あり舞ありて我がために勝利の大祝筵を開き給へり(路可伝第十五章)、而して我が敵は之を視て驚けり、然り彼等は憤れり、彼等は我の神の愛子にして、彼等が我を窘めしは我が神の特命に依りしことを知らざるなり、斯くて神は我を我が敵の前に義とし給ひ、我に賜ふに我が敵をも宥すの心を以てし給ひ、我をして我が神に謝して歓喜措く能はざらしめ給ふ、我は其時にサムエルの母なるハンナと共に歌ふり、
 
  我が心はヱホバによりて喜び
   我が角はヱホバによりて高し
  我が口は我が敵の上にはりひらく
   是は我れ汝の救拯《すくひ》によりて楽むが故なり
 
  ヱホバの如く聖き者はあらず
  そは汝の外に有る者なければなり
  又我等の神の如き磐《いは》はあることなし
 
  汝等重ねて甚く誇りて語る勿れ
  汝等の口より慢言《ほこりごと》を出す勿れ
(544)  ヱホバは全智の神にして行為《わざ》を裁度《はか》り給ふなり
 
  勇者《ますらを》の弓は折れ
   倒るゝ者は勢力《ちから》を帯ぶ
  飽き足る者は食のために身を傭はせ
   飢たる者は憩へり
  石女は七人を生み
   多くの者を有てる者は衰ふるに至る
 
  ヱホバは殺し又生し給ひ
   陰府《よみ》に下しまた上らしめ給ふ
  ヱホバは貧しからしめ又富ましめ給ひ
   卑《ひく》くし又高くし給ふ
 
  荏弱者《よわきもの》を塵の中より挙げ
  窮乏者《まづしきもの》を埃の中より升せて
  王公の中に坐せしめ栄光の位を継がしめ給ふ
(545)   地の柱はヱホバの所属《もの》なり
   ヱホバ其上に世界を置き給へり
 
  ヱホバ其聖徒の足を守り給はん
   悪しき者は黒暗《くらやみ》にありて黙すべし
   そは人、力をもて勝つべからざればなり
 
  ヱホバと争ふ者は破砕《くだ》かれん
  ヱホバ天より雷を彼等の上に下し
  地の極《はて》を審き其王に力を与へ
  其膏そゝぎし者の角を高くし給はん
                 (撤母耳前書二章一節より十節まで)
 
 「我が酒杯は溢るゝなり」、我に此勝利ありて、我に此歓喜ありて、我が仇の前に我がために此大祝筵は開かれて、我が科は赦されて我は再び神の顧み給ふ所のものとなりて、我が恩謝の酒杯は溢れざらん耶、若し此大勝利にして我れ我が自身の力に頼りて得しものならんか、我は斯くも喜ばざるべし、然れども其我が神が我が為めに得しものなれば我の歓喜は大なるなり、我は単に我が敵の前に我の耻辱より雪《そゝ》がれしのみならず、我は我が神の(546)我が味方なるを知るを得たれば我は殊更に悦ぶなり、我は我が業の成功を見て我が力を誇らずして、我が神が我に賜ひし勢力《ちから》と栄威《さかへ》とを讃美するあり。
 「我が世にあらん限りは必ず恩恵と憐憫と我に添ひ来らん」、我は知る我を此危険より救ひし我が神は永久我を棄て給はざらんことを、誰かヱホバの恩恵深きを嘗《あぢは》ひし者にして再び彼を離れ得べけんや、神にして若し我を棄て給はんには此時に我を去り給ひしならん、然れど此大危難より我を救ひし神は永久我を去ることあらじ、其恩恵と憐憫とは我が身に添ひて我は終に神に於て眠るに至らん。
 クロムウエル将に瞑せんとするや彼の枕辺に侍べりし教友に問ふて曰く、「吾人は神の恩恵より落るを得る耶」と、教友答へて、曰く「無し」と、時に彼声を高めて曰く「然らば我は安然なり」と、吾人の希望は神が過去に於けりしが如く亦未来に於ても吾人を恵み給はんと信ずるにあり、斯くて神は艱難を下し給ふ毎に吾人の信仰を固ふし、終に千難万苦に勝て吾人は毫厘も神の恩恵を疑ひ得ざるに至る、信仰素と是れ経験の結果なり、友に売られ、国人に捨てられ、世に偽善者視せられ、凡ての悲惨を嘗め尽してのみ吾人は神は永久変らざるの愛なることを確信するに至る。
 「我は永久にヱホバの宮殿に住まん」、「ヱホバの宮」、神の在し給ふ処、必しも教会の意にあらず、ヱホバの宮に住むとは神と共に住むの意ならざるべからず、或は碧空の下、緑草の上に於てするも、或は古人を友とする著述家の書室に於てするも、或は若し神の命とならば錦繍の椅子に坐して民の政治を司ることあるも、或は野に耕すも、工に働くも、我が身心を神に委ね、神と共に働き、神と共に眠に就かんのみ、我は再び神を離れて王公の宮殿に消ゆる栄華を求めんとはせじ、我は再び真理を探ぐると称して、神を有せざる哲理に我の心を任かせ(547)じ、我は神以外に美と真とを尋ねざるべし、我は永久に神の宮に住まんと欲す、貧者の茅屋か、獄牢の裡か、神の在す所ならむには我は我が住所を択ばざるべし、幸福なるかな我、我は我が心に於て永久にヱホバの宮に住むを得るなり。
 
(548)     聖誕告知の解
                      明治33年12月22日
                      『聖書之研究』4号「註解」
                      署名 内村鑑三
〔画像有り〕
『聖書之研究』4号 巻首 (本文は巻首にあり)
 
 人生に悲痛多し、之に友人の疑察と裏切とあり、之に死あり、愛別あり、其義人は悪相を以て顕はれ、其悪魔は天使の如き貌を以て世に臨む、国民相互に食み、同胞相互に虐ぐ、干戈絶ゆる間なし、詐欺陥穽は日々の出来(549)事なり、誰か云ふ人生に喜楽多しと 耳を土に附けて聞けよ、寡婦と孤児とが天に向て訴ふの声は地の極より極まで達するに非ずや。
 天道は是か、非か、人生は悲か歓か、哲学者の解明頼むに足らず、詩人の夢想は待てども就らず、闇黒四面を掩ふて天上天下一点の希望を留めざるが如し。
 然れども余は失望せざるなり、光明は既に世に臨みたり、改造は既に始まれり、濁世の掃攘は既に其端緒を開かれて、天国は日々に此世に近きつゝあり。 千九百年余の昔、ユダヤの山地なるベツレヘム附近の牧場に於て、貧しき牧者の一群が羊を牧ひつゝありし時に、主の栄光は四近を充し、天よりの声ありて曰く
  最高き所には栄光神にあれ
  地には平安人には恩沢あれ
 余は今少しく天使の此言に就て余の註解を試みんと欲す。
 是れ実にダビデの裔《すへ》にしてヨセフの子なるイエスの降誕を告知せし天使の声なりし、誹難者は云はん、天使に口なし、彼れ如何でか声を発するを得んやと、然れども神其聖意を人に伝へんとするに方て彼は必しも声音を発するの要なし、神は霊なれば彼は直に人の霊に真理を伝ふるを得るなり、此聖き夜に於て牧者が受けし天よりの告知は客観的《オブジェクチーブ》たりしか主観的《サブジエクチーブ》たりしかは吾人の深く探求するの要なきなり。
 要は告知其物の真意を尋るにあり、是れ実に驚くべき告知たりしなり、是れ実に無意味の告知にはあらざりしなり、是れ実に人の捏造によりて成り得る者にあらざるなり 如何にして牧者が此声に接せしやは科学上の問題(550)として存するならんも其量るべからざる深遠の意味に於て吾人は確かに其天よりの声なりしを知るを得るなり。
 キリストの出生は実に人類の歴史に於ける最大の出来事なり、彼が此世に臨りしが故に人世は実に一変し、且つ一変しつゝあり、総ての善き事は彼の教訓と生涯とに依て人類の中に注入せられ、闇黒は彼の前より去り、罪悪と苦痛とは彼の感化に依て減少しつゝあり、人は彼の神の子たるを信じ能はざらん 然れども何人も彼の事業を疑ふ能はず、天使は実に此聖き夜にキリストの聖業の何たるかを告げしなり。
  天上《いとたかきところ》には栄光神にあれ
 「最と高き所」、勿論神の在す処を意ふなり、ユダヤ人の思想に従へば天に三階ありて神の座は其最高所にありしとの事なれば、或は其意味にて斯く伝へられしならん 天は地理学上、又は天文学上那辺に在るものなるや、是れ勿論吾人の知る所にあらず。
 然れどもキリストの降世に依て天上に於ては栄光の神に帰するは明かなり、神は宇宙万物を造りて之を善《よし》と観給へり、諸天《もろ/\のてん》は神の栄光を顕はし、穹蒼《おほぞら》はその手《みて》の事《わざ》を示すとなり(詩篇十九篇一節)、空の星と野の花と、烏と獣と匍行者《はふもの》とは神に栄光を帰せざるはなし、然れど神の最も大なる工《わざ》は人にして、人の中に最も大なる者はキリストなり、神の造り給ひしものにして英雄偉人烈婦潔士ほど神の栄光を顕はすものあるなし、キリストにして世に降り給はざりしならんか、造化の偉業は僅かに半ば其功を奏せしに止て神は未だ以て神たるの本性を全く自顕し給ひしと言ふを得ざらん、野の百合花は香ばしきも、空の鳥は麗はしきも、物質的造化に一つの欠くる所なきも、人にして死の恐怖あり、悲歎の熱涙あり、友人の離間あり、兄弟の謀叛あり、君父の圧制あり、獰人の跋扈ありて、造化は未だ完全なるものと称ふを得ず、然り人生の完成は造化最終の目的なれば、此目的にして(551)達せられざらんには神は無益に宇宙万物を造り給ひしと云ふを得ん、キリスト教世の事業は造化の最大最終の事業にして、之れ就《なつ》て神は総ての栄光を彼に納め得給ふべし、天上是が為めに天使の讃美の声を以て響き亙るに至らん。
  神昔は多くの区別をなし、多くの方を以て預言者により列祖《せんぞたち》に告げ給ひしが、この末日《すえのひ》には其子に託《よ》りて我儕に告げ給へり、神は彼を立て万物の嗣《よつぎ》とし、且つ彼を以て諸の世界を造りたり、彼は神の栄の光輝《かゞやき》、その質の真像《かた》にて己が権能《ちから》の言を以て万物を扶持《たも》ち我儕の罪の浄めをなして上天《たかきところ》に在す威光の右に座しぬ、(希伯来書一章一、二、三節)
 「栄光は神にあれ」、人に在る勿れ、又キリストも之を己に求め給はず、救世の大事業、彼は其成効の栄を皆な神に奉れり。
 キリストの神なるの証は彼の完全なる謙徳に在り、彼れ十字架に釘けられて、人類悔改の途を開き、神と人との間に存在する離乖を癒して、彼は自己に其功を収め給はず、その栄光を凡て父なる神に帰せしめ給ふ。
  地には平安
 天上には栄光の神に帰するあれば地には平安の臨むあり、上に対しては栄光を奉り、下に対しては平和を供す、是を世の知府たり大守たる者の職となす、地に平和を来す者は天に栄光を奉る者にして、和平を求むるにあらざれば神の子と称へられず(馬太伝五章九節)。
 然れども地の平安とは何を意味するものなるや、是れ必しも戦争の停息に止らざるは勿論なり、基督教伝播の結果が終に戦争の廃止に至るは何人も予期する所にして、基督教国と称する欧米詔邦に於て軍備に汲々たるは基(552)督の教訓に全然背戻するものなる事は言ふを要せず、「彼等はその剣を鋤に打ちかへ、その鎗を鎌に打ちかへん、国と国とは剣を挙げて相攻めず、また重ねて戦争を習はじ」とは預言者の預言せし所にして、其終に事実となりて此世に顕はれんことは、将軍グラントの如き大砲製造を以て世界に有名なるアームストロング氏の如きすら猶ほ且つ疑はざる所なりしと云ふ。
 然れども平安は単に戦争の廃止に止まらざるなり、地の平安は全地の平安にして惟り人類の平安に止まらず、知らず火山は噴火を止めて地は震動の災を免かるゝに至らんかを、知らず「狼は小羊と共に宿り、豹は小山羊と共に臥し、犢、牡獅子、肥えたる家畜共に居て小き童子に導かれ、牝牛と熊とは食物を同うし、熊の子と牛の子と共に臥し、獅子は牛の如く藁を食ひ、乳児《ちのみご》は毒蛇のほらにたはふれ、乳ばなれの児は手を蝮の穴に入」(以賽亜十一章六、七、八節)るゝに至るやを、平安とは必しも颶風の停止にはあらざるべし、波濤の声を収むる事にはあらざるべし、然れども地は人の完全なる発達を俟て始めて完全なるを得るものなれば、人類がキリストの救済に依て罪の縷絏より脱し、其完全の域に達するに至て、地が彼に依て発達を全ふするに至るは理の最も睹易きものなり、しかのみならず、罪悪は人を通して万物に及び、山林の濫伐が洪水を惹起するが如き、濫漁が介族の減少を来して為めに海中の動植生に異動を生ずるが如き、野に禽鳥を狩り尽して田畝に虫害を招くが如き、皆な人類の道徳と天然の現象との間に緻密なる関係あるを示す者にして、人の革らざる以上は地に災害を絶つに至らざるを証して余りあるものなり、保羅曰く  それ受造者《つくられしもの》の切望《ふかきのぞみ》は神の諸子《こたち》の顕はれんことを俟てるなり、そは受造者の虚空《むなしき》に帰せらるゝは其の願ふ所に非ず、即ち之れを帰らする者に因り、また受造者みづから敗壊《やぶれ》の奴《しもべ》たることを脱れ、神の諸子の栄なる自由(553)に入らんことを許されんとの望みを有たされたり、万の受造者は今に至るまで共に歎き共に労苦むことあるを我儕は知る(羅馬書八章十九節−二二節)
 虐待なるもの悉く廃んで禽獣は人に馴れて彼を恐れざるに至らん、奢侈悉く廃んで鶏犬尚は余食あるに至らん、知らずや若し日本人にして悉く酒を禁ずるに至らば全帝国に一人の貧者の空腹を訴ふる者なきに至らんことを、米国人にして若し悉く禁酒を実行するならんには数年を出ずして其資を以て其市府の道路に布くに大理石を以てし、亦其住民をして悉く大理石の家屋に住せしむるに至るを得んと、人世より罪悪を取り去り見よ、其病院と裁判所とは無用に帰し、其監獄は空屋となり、其薬店、其酒造倉、其烟草培養の為めに使用せらるゝ何千万町歩の耕地、其粧飾品の過半、然り其政府までも皆悉く用無きに至て、人は住する家屋の欠乏を感ずるなく、悪意を以てする競争は止み、怨恨は其根を絶たれ、万物は人類の社会と共に平安に帰して、秋の夕落葉地に達して吾人の之を耳にするが如きの清廉を此地に於て感ずるに至らん。
 言を休めよ、是れ詩人の夢想なりと、キリスト降臨の目的は之より以下のものにあらず、此平安を期すればこそ吾人は日夜神に懇求しつゝ働くなれ、其日は未だ遠き未来にありと云はん、然れども是れ吾人が想ふが如くに遠からざるべし、主の日は近し、吾人努力せざるべけんや。
  人には恩沢あれ
 天には栄光、地には平安、人には恩沢、キリストの恩恵は三界に達せんとなり。
 「恩沢」と訳せられし原語は亦「好意」を意味す、恩沢と云へば必ず神より来るが如くに思はるれども、此場合に於ては必しも其意を示さず、「人には恩沢あれ」と有つて「神の」又は「彼の」恩沢と云はざるを見て此一句(554)の意義を少しく変更して解するの必要あるを感ず。
 「人には」即ち人の中には恩沢あれ、即ち相互に対しての恩沢を云へるが如し、故に之を前述の好意と読んで意義の更に一層明瞭なるを覚ゆ、神の恩沢は創造の始めより人の上にありしもの、勿論キリストの降臨を俟て最も優渥に彼の上に下りしものなりと雖も、而も特に此時に至て下りしやうに解するは少しく神恩を減ずるの感なき能はず、殊に原語に於て人にはのにはは地にはのにはとは全く異りたる前置詞を用ゆるに於てをや。
 「人の中には好意あれ」、是れキリスト降臨の最大目的の一たりしに相違なし、是れ前句に於て述べし地上に平安を来す基因の一にして、人類間に好意なくして地に平安あるべき筈なし、
 入は人を敵とし、同胞相窘め、兄弟相争ひ、子を苦界に沈むるの父母あれば、民を苦しめ己れ楽しむの貴族と政治家とあり、行路難、山にあらず、河にあらず、たゞ人情反覆の間にあり、国は国を敵とし、党は党を敵とし、真理を伝へ、神の仁愛を世に宣ぶるを以て職とする教師牧師すら尚ほ且つ其同輩の堕落と失敗とを悦ぶ、若し神の恩恵にして特別に吾人々類の懇求すべきものあらば、是れ実に人類間に存する悪意の取り去られて好意の其場所を取らんことなり、而してキリスト降世の最大目的の一は実に人類間に存する此憎悪、讐敵、拮抗の念を取り去らんとするにありし。
 預言者馬拉基メシヤ(救世主)の事業の一つなりとて伸べて曰く「彼は父の心にその子女《こども》を慈《おも》はせ、子女の心にその父を思はしめん」と(馬拉基書第四章五節)、是を一読して救世主の事業となすに足らずと云ふ者もあらんかなれど、而かも、人情の深奥に入て、父は子を愛すると称して、実は先づ自己の便宜を謀て、子女数十年の未来を図らず、子は父を思ふと称して、実は外面の孝を呈するに止て、心に父の永久の善を企てざるを知て、預言(555)者の此言の能く人類の真情を穿ちしものなるを知るを得べし、人は家庭の団欒を口にすと雖も、父子相和し、夫婦相睦み、天国の状態を此世に移したる信頼和平の家庭は天下幾干かある、人は同胞を唱へ、同祖を説く、然れども妬忌 凶穀、争闘、詭譎、讒害、毀謗は同胞間日々の出来事ならずや、名は君子国にして実は小人国、名は大節を重んずるの民にして実は小利に走るの民、吾人日常の不平なるものは同胞骨肉の軽薄無情に依らざるはなし。
 然れどもキリストは人類の此大患を癒すの大能を以て生れ給へり、彼は大満足を人の心に与へて、争闘怨恩を其根底に於て絶つの途を開き給へり、救済の美果は一にして足らずと雖も、人、其憐人を自己を愛するが如くに愛するに至るは其最も大なるものなりと云はざるべからず、聖誕の当夜天よりの声ありて此福音を牧者に伝ふ、音はベツレヘムより延びて全世界に伝はり、二十世紀に入らんとする今日、吾人絶東の此孤島にありて、なほ其声を耳にして天を仰て躍り喜ぶなり。
  神には   栄光
  地には   平安
  人には   好意
 基督教宣伝の目的は此三者にあり、而して余輩の事業の如き、元より小の小なるものなりと雖も其期する所は亦此三者に外ならざるなり。
  因に記す、未句「人には恩沢あれ」の原文に就ては註釈者中に異説多し、或は「地には平安、恩沢に与かれる人の中にあれ」と読むべしと云ひ、或は「地には彼(神)の心に適ふ人類の中に平安あれ」と読むべしと云(556)ふ、若し斯く解せんには天使の告知は左の如き聯句として読むべきものならん。
 天上には栄光神にあれ
 地には平安神の恩沢に与かれる人にあれ
然れども何れの読方を取るも其大意に於ては異る所あるなし、余は余の常に使用するスクリベナー氏の校訂に係れる希臘文聖書に依て余の註釈をなせり。
 
(557)     国と人とを救ふ者
                      明治33年12月25日
                      『警世』5号
                      署名 内村鑑三
 
 人を救はんとする者が人を救ふ者ではない、国を救はんとする者が国を救ふ者ではない、人を救はふとも思はず、国を救はふとも思はず、唯一途に良心に映ずる天の神の命に従はんとする者が人をも国をも救ふ者である。
       *     *     *     *
 人の為めと言へば多くは彼の衣食の途を立てる事を称ひ、国の為めと言へば多くは富国強兵を称ふ、然しながら人は必しも衣食足りて礼節を知る者でなく、国は必しも富と兵との上に立つ者でない、或る時は人を苦境に置く事が彼の為めであつて、亦或る時は国を耻辱の淵に沈めるのが之を其真正の栄華に導くの途である、かの慈善家と云ひ、愛国家と云ひ、彼等の多くは善き老婆の種類で外ない。
       *     *     *     *
 今の時に方つて平和を予言する者は偽はりの預言者である、何故に国の為めに大胆に事実有の儘を予言しない乎、何故に国民に偽はりの希望を供して其復活の時期を遅くする乎、秋の木梢に一日も長く枯葉を留め置かんとする老婆的愛国家は春陽来復の期をそれ丈け遅くする者である。
 
(559) 別篇
 
  〔付言〕
 
 空谷「春の歌」への付言
      明治33年4月5日『東京独立雑誌』63号「詩壇」
 
 記者白す、余は又茲に一真詩人を得たるを悦ぶ、末節の如き真に希望の讃歌なり。
 
 中村諦梁「東上録」への付言
      明治33年6月5日『東京独立雑誌』69号「思想園」
 
 内村生白す、余の曾て危窮に迫りしや、余を救ひ呉れし者は、基督教徒に非ずして、或る仏教の僧侶なりき、今茲に余の微力を以て、仏教界の此志士を迎ふるを得るは、余の深く余の神に感謝する所なり。
 
 「同情」欄への付言
      明治33年9月30日『聖書之研究』1号「同情」
 
 東京独立雑誌廃刊するや、余輩に書を送て同情を寄せられし人士は百を以て算すべし、茲に其二三を掲げて同情者諸君に対する余輩の感謝を表す。   内村生 記す。
 
 「囚人の感慨」への付言
      明治33年11月24日『聖書之研究』3号「実験」
 
 余輩筆硯の業に従事し、別に是れぞと余輩を慰め且つ励すものあるなし、啻是なきのみならず時には悲憤を売るもの宗教談を鬻ぐものとして譏らるゝことあり、然るに皇天は常に余輩を疑懼の裏に置かず、時に光明を天の彼方より放て、余輩の弱き心を強め給ふ、茲に掲ぐる所の親書の如きは其一なり、我を十字架に釘ける友人あれば、我が傍に在て我と天国の快を共にせんと欲するの罪囚あり、我は心中一点の疾しき(560)所なしと誇る義人を友とせんよりは、其罪を悔ひて神の宥恕を絶叫する此囚人を友とするを喜ぶ。  鑑三識す
 
(561) 〔社告・通知〕
 
 【明治33年1月5日『東京独立雑誌』54号】
   謹賀新年
 明治三十三年一月  東京独立雑誌社 内村鑑三
                   安孫子貞治郎
                   坂井義三郎
                   日箇原繁
                   佐伯好郎
                   内村達三郎
                   西川光二郎
 【明治33年2月15日『東京独立雑誌』58号】
     東京独立雑誌読者 夏期講究会開設予告
 
来る七月廿五日より八月四日まで十日間本社に於て本誌読者諸君の為めに左記の課目を以て夏期講究会開設可致候、詳細之儀は追て広告可致、其課目は
  第一宗教、道徳、
  第二 外国語研究法(英語を主とす)
  第三 文学、地理、歴史、
右予告致候也
  東京府豊多摩郡淀橋町角筈百一番地  東京独立雑誌社
  読者諸君
 
 【明治33年6月5日『東京独立雑誌』69号】
   夏期講談会広告
 
予て広告せし通り来る七月廿五日より十日間当社に於て本誌読者の為め夏期講談会を開く。
其目的は主として読者と記者との親交を温むるに在り、気焔万丈は夏時に適せず、余輩は努めて之を避けんと欲す、余輩は此会合に於て緑陰の下に諸士と共に清談せんとするのみ、諸氏幸に其心して来れ。
談ぜんと欲する所のものは聖書、世界歴史、外国語研究の方法等なり。
会費は一名五十銭、有志の士は三十名を限り女子独立学校(夏期休業中)に於て寝食するを得べし、食費一日一人金弐拾五銭。
来会の士は七月十日までに申込るべし、其他詳細の事に関しては返信切手を添へ本社へ御問合あるべし。
  東京府豊多摩郡角筈百一番地(新宿停車場附近)
                  東京独立雑誌社
       (562) 【明治33年6月15曰『東京独立雑誌』70号】
   夏期講談会広告
 
一、入会申込者続々有之候に付き志望の方は至急申込有之度候。
二、七月十日以後の入会申込並に照会は一切御断り申條。
三、寄宿舎は専ら地方来会者の便に供せんとの目的なるを以て在京入会者は可成通会せられんことを希望す。
四、寄宿舎入舎の方は食料の外、別に夜具蚊帳料を要することゝ心得ありたし。
五、婦人の来会を諾す、尤も婦人の為めに特別寄宿舎を設く。
 
 【明治33年7月5日『東京独立雑誌』72号】
   夏期講談会に就き広告
 
今般東京独立雑誌は廃刊に相成候へども夏期講談会の儀は本社に於て引受け、聊か旧愛読者諸君に酬ゆる所あらんとす、依て入会志望の方は前以て広告の通り御来会被下度候
  明治三十三年七月五日
      東京府豊多摩郡淀橋町大字角筈百一番地
        聖書之研究社  社主 内村鑑三
 
    ●広告
夏期講談会は来る七月二十五日午前八時女子独立学校講堂に於て開会す
会主
   内村鑑三主幹 聖書之研究
   毎月一回二十日発兌〇毎号菊版八十頁以上定価一冊金拾五銭、六ケ月分前金八拾銭、一ケ年分同金壱円五十銭、総て郵税を要せず
 
基督教聖書の宗教的、文学的、歴史的、科学的、哲学的攻究を目的とする月刊雑誌なり、事古今六千年間の歴史に渉り、人生の最高問題に達し、其韻文の美、散文の荘、古今東西之に比対すべき者あるなし、殊に基督に現はれたる神の愛に至ては是れ実に個人と国家とを救ふの唯一の力なりと信ず、余輩は純正義を唱道する茲に三年、然るに今や時勢の変遷は正義に加ふるに更に愛の福音を以てせざるべからざるの要あるを感ぜしむ、依て茲に東京独立雑誌に筆を収むると同時に『聖書之研究』雑誌を発刊し、猛夏の去るを俟て更に人生の新たなる方面に於て読者諸君と相見えんと欲す、諸君幸に余輩に於ける従来の信任を継続せよ。
  明治三十三年七月五日
      東京府豊多摩郡淀橋町大字角筈百一番地
                   聖書之研究社
(563)   ●謹告●
 
東京独立雑誌廃刊に就ては後事は総て当社に於て引受け申候
東京独立雑誌購読者諸君にして既に前金御払込の方は可相成は之を『聖書之研究』雑誌へ御継続に相成度、尤も払戻しを要せらるゝ方へは御請求次第直に御返金可仕儀本社并に東京独立雑誌社発行の雑誌并に書籍は京橋区釆女町警醒社書店并に神田区南甲賀町内外出版協会に依托販売致させ候に付御便宜に依り本社同様両店へ御注文願上候
  明治三十三年七月五日
  東京府豐多摩郡淀橋町大字角筈百一番地 聖書之研究社
 
 【明治33年9月30日『聖書之研究』1号】
 
本所生徒十名ヲ限り募集ス 詳細ノ規則入用ノ方ハ郵券二銭ヲ封入シ問合セラルベシ
           聖書研究所所長 内村鑑三
 
   謹告
 
主筆夏期中多忙を極め、為めに本号は目的通りの整理を見る能はず、特に読者諸君の宥恕を乞ふ。
次号よりは湯浅吾郎、大島正健、駒井権之助、内村達三郎の諸氏は各々其独特の領分に於て独特の筆を揮はれ、以て本誌に光彩を添へらるべし。   編輯部白す
 
   聖書之研究概則
 
発行日 『聖書之研究』は毎月一回(二十)日発行す
定価及 一部金十五銭全国無逓送料 六部前金八十銭
郵税  全国無逓送料 十二部前金一円五十銭全国無逓送料
前金  前金にあらざれば一切発送せず。前金尽きたるときは帯封に朱書すべし。
為替  郵便小為替には払渡局欄内に内藤新宿郵便受取所、受取人欄内に町名番地と共に聖書研究社と記入せらるべし。
郵券代用 郵券代用は郵便為替局の無き地に限る。但一冊に付一銭増しとす。領収証 送金に対しては別に領収証を出さず、雑誌の到着を以て前金受領済と承知せらるべし。但領収証入用の方は別に郵券若くはハガキを送られたし。
住所及 住所姓名は楷書にて明瞭に認めらるべし。又転居
姓名  の節は、必ず新旧両住所とも通知せらるべし。
広告料 広告料は一行(五号活字二十弐字詰)前金拾銭、一段(三十行)前金三円、一頁(二段)前金五円とす。二ケ月以上連載特約のものに限り二割を減ず。其他一切割引なし。
 
(564) 【明治33年10月27日『聖書之研究』2号】
 
家屋狭隘を告ると所長多忙を棲むるとの故を以て当分の間生徒募集を中止す
  十月           聖書研究所
  ――――――――――
小生義専心以て受持の雑誌新聞に執筆せんため当分の間演説説教の依頼を謝絶す
                   内村鑑三
 
 【明治33年11月24日『聖書之研究』3号】
   読者諸君に告ぐ
 
善き雑誌は年末並に年始の最も善き贈物なり、友に贈るに雑誌一ケ年分を以てせよ、彼は其彼の手に達する毎に必ず贈者の厚誼を思ひ出すべし、斯くて贈者の友情を表し、受者の心霊を益し、合せて余輩の事業を援けらるゝならば、是れ一挙三得の策ならずや、読者諸君にして友を有せらるゝ方(而して何人か之を有せざる者あらんや)は彼等の宿所姓名を記し、之に前金を添へて申込まれよ、本社は直に受取証を受者に送り、以て贈者の好意を通じ、而して忠実に余輩委托の本分を尽さんと欲す、
第四号はクリスマス号なり、平常に勝るの光輝を放たんと欲す、十二月中に一ケ年分払ひ込まるゝ方へはクリスマス号に合せ明年一ケ年分の本誌を発送すべし、神若し許し賜はゞ明治卅四年中の本誌には主筆は「我主イエスキリスト」と題し彼の心に感ずるキリストを画かんと欲す、「亡国時代の予言者ヱレミヤの言」は真実国を愛する者の心を動かすに足らん乎、湯浅吉郎氏は氏の該博なる旧約文学研究の結果を寄せらるべく、駒井権之助氏の優麗なる訳文並に英和対照基督信徒書翰文は信仰と英語力とを養ふに足るべく、札幌独立教会員諸氏は諸氏の宗教的研究の結果を本誌に寄せらるべく、其他社友として大島正健氏、留岡幸助氏、松村介石氏、田村直臣氏、木村熊二氏、吉野臥城氏等は時々諸氏の深想の余片を投ぜらるべし、本誌の将来に希望多し。
                  聖書研究社
 
    謹告
 
地方の或る独立教会にて牧師を招聘したきものあり、有志の士にして何れの教会にも関係なき方は略歴を添へ本社まで御申込を乞ふ。
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地方の読者諸君にして売捌店より本誌を御購読なさるノ方は其御住所並に御姓名を本社まで御通知置きありたし、左すれ(565)ば社主或は社員の地方巡遊の節御訪問致す便宜にも相成候
  ――――――――――
前社員坂入巌氏去る九月退社せられ候間此段社友諸君に謹告仕候也
  ――――――――――
本誌に関する広告は総て万朝報紙上に掲載する事に致し候
                  聖書研究社
 
 【明治33年12月22日『聖書之研究』4号】
   謹言
 
喜ばしきクリスマスと幸福なる新年とは読者諸君の上にあれ
 明治三十三年十二月  聖書研究社 関係者一同
〔2021年4月10日(土)午前11時40分、入力終了〕