内村鑑三全集9、岩波書店、557頁、4500円、1981.5.25
 
1901年(明治34年)
目次
凡例
1901年(明治34年)
隠士の新年……………………………………3
佐渡の新天地…………………………………5
ルーテル特愛の聖句…………………………6
新希願 他……………………………………8
 新希願
 新伝道
 新決断
 必勝の確信
 美文と名論
 批評家
 純粋なる愛
 神の事業
 罵詈の危険
 神僕
 指導の証
 感射の念
基督教的書翰文の標本………………………13
如何にしてキリスト信者たるを得ん乎……28
罪悪の探究……………………………………33
注告に答ふ……………………………………35
希望は那辺にある乎…………………………36
苦学に題す……………………………………37
正義は日本に於て行はれ得る乎……………38
日本現時の道徳………………………………40
寒中の快楽……………………………………41
新聞の無き国…………………………………43
預言者エレミヤ祈祷文の一節………………45
悪に勝つの法 他……………………………47
 悪に勝つの法
 棄てられたる石
 憤怒の害
 平靖
 信頼の益
 善悪の鑑別
 無力なる基督信徒
 一種の八方美人主義
 有と無
 義人と罪人
 基督教の女性
洗礼晩餐廃止論………………………………52
基督信徒の謙遜………………………………57
貧乏人と宗教…………………………………65
希望の区域……………………………………67
偶感三つ………………………………………69
無教会論………………………………………71
角筈だより……………………………………74
信者の生涯……………………………………76
札幌独立教会 他……………………………78
札幌独立教会………………………………78
信州上田独立苦楽部………………………78
東京独立苦楽部……………………………78
何人ぞ責任を思はざる………………………79
春色と復活……………………………………81
善を為さんがため 他………………………83
 善を為さんがため
 成功の秘訣
 内外の別
 悪人の真性
 善の景慕
 信仰と勘当
 真理の実力
 神のことば
 語るべき時
 福音の必要
 我のたすけ
 基督と沙翁
 信仰の試験石
 宗教雑誌
 無力の縁由
 不信者の実力
 誰にか往ん
死骨の復活……………………………………90
他人を議するの罪悪…………………………95
予言者の意義 他…………………………101
 予言者の意義
 今年の受難節
 夏期講談会の結果
春は来れり…………………………………104
人と天然……………………………………106
梅花と別る…………………………………108
日本人の不平病……………………………110
泣上戸にあらず……………………………113
桜……………………………………………116
横井時雄君の就官を聞て…………………117
『帝国主義』に序す………………………118
保羅の基督観………………………………119
快楽の生涯 他……………………………136
 快楽の生涯
 憤怨の所以
 刺激物
 福音の宣伝
 神を信ぜんのみ
 我が神
 思ふが侭
疑惑の声……………………………………141
キリスト信徒の勇気………………………144
鉱毒地巡遊記………………………………153
信仰のすゝめ………………………………160
思ふがまゝに四つ…………………………163
既に亡国の民たり…………………………165
警世之任務 他……………………………167
 警世之任務
 警世の理由
 美はしき名二つ
 日本
 日本国と基督
 ダニユーブ両岸の民
 日本人と基督
 東西両洋の別
 基督教と社会主義
 強健なる宗教
 死せる宗教
 伝道の精神
 平人の宗教
 国家的宗教
 刺激の種類
 世に憎まるゝ者
 善き事三つ
 真正の忠孝
我が理想の基督教…………………………174
今の基督信者………………………………181
国を活かすの法……………………………184
坊主の必要…………………………………186
信仰の勝利…………………………………190
『独立雑談』〔序文・目次のみ収録〕…193
 自序………………………………………194
国の為めに祈る 他………………………196
 国の為めに祈る
 救済の希望
 救済の真意
 二種の道徳
 敵と味方
カナの婚筵…………………………………203
赦さるべからざる罪………………………212
憤死…………………………………………218
不可能事……………………………………219
奮励…………………………………………221
佐々木豊寿姉を葬る………………………223
友人論………………………………………228
我が理想の日本……………………………229
犠牲 他……………………………………230
 犠牲
 所有
 偉業
 事業
 忍耐
 決心
 聖望
 招待
 行路易
孤独…………………………………………234
復活の希望…………………………………237
猶太人の愛国歌……………………………259
基督教は何んである乎……………………267
勢力論………………………………………272
休養…………………………………………274
第二回夏期講談会…………………………276
平民の銷夏…………………………………277
茶代廃止に就て……………………………281
第二回夏期講談会に於て読まれし聖書の部分並に其略註……283
今日の最大要求物…………………………295
基督教とは何ぞや…………………………301
第二回夏期講談会…………………………306
会場…………………………………………311
香取の杉の樹………………………………313
『無教会』雑誌 他………………………316
 『無教会』雑誌
 銷夏
生活の快楽…………………………………320
秋の用意……………………………………322
成る事 他…………………………………324
 成る事
 同前
 世の要求(応ずべからず)
 世の要求(応ずべし)
 皮相
 徒食の人
 恥ぢざれ
 恥ぢよ
燈下独想……………………………………327
第二週年に入る……………………………329
基督信徒と社会改良………………………332
伝道…………………………………………338
予が聖書研究に従事するに至りし由来…340
理想談………………………………………345
入信日記……………………………………347
愛のはたらき………………………………360
入信の記……………………………………363
『基督信徒の特徴』〔表紙〕……………365
理想団は何である乎………………………366
神の有無 他………………………………368
 神の有無
 有神論の証明
 神を識るの途
 神は如何なる者ぞ
 懐疑の解
 何を信ずる乎
 無教会
 真理の自存
 破壊者
 伝道唯一の方法
 迷信と信仰の区別
 基督と保羅
 師弟の関係
聖貧…………………………………………373
クロンウエルの宗教………………………376
北上録………………………………………383
『無神無霊魂論』…………………………385
我等の基督教………………………………387
日本人の注文………………………………389
我主耶蘇基督………………………………391
少数義人の勢力……………………………451
今秋の運動…………………………………457
社会改良の最良策…………………………462
二種の日本…………………………………464
悪に抗する勿れ……………………………465
憂慮…………………………………………466
信仰と行ひ…………………………………467
余の従事しつゝある社会改良事業………469
クリスマス雑感……………………………483
我儕の確信…………………………………486
キリストの系図……………………………489
信州東穂高講談会講演大意………………496
第二回夏期講談会の地(信州小諸)……504
別篇
 〔付言〕…………………………………507
 〔社告・通知〕…………………………519
 〔参考〕…………………………………522
  くろんうゑる伝…………………………522
解題……………………………………………527
 
一九〇一年(明治三四年)四一歳
 
(3)     隠士の新年
                     明治34年1月1日
                     『万朝報』
                     署名 客員内村鑑三
 
 家の外には風が吹く、雪が降る、霰が飛ぶ、人情が冷い、批評犬が吠える、競争がある、喧嘩がある、嫉妬がある、忘年会と新年宴会とがある、悪い事は総て家の外にある。
 之に反して家の内には木炭の余燼は琥珀の如き色を放つて居る、鉄瓶は其上に歓喜の汽笛を吹いて居る、林檎の如き紅き頬を有つたる小児は家中を駈廻つて居る、茶がある、菓子がある、家人の情は炬燵の火よりも温かくある、怨恨と嫉妬とは其跡を絶て、残りしものは唯微笑と満足とである、加留多会は開かれ、牛飯会《ぎうめしくわい》は設けらる、詩は誦《そらん》ぜられ、且つ作らる、新著述は机の上にありて水仙と南天竹《なんてん》とは床の間の上にある、総ての善き事と清き事とは家の内にある。
 人は新年の晴れ衣《ぎ》の事を語る、然れども我等に其要あるなし、善き衣物は交際のために必要ならん、然れども寒を防いで体躯を温むるには旧衣《ふるぎ》にて沢山なり、フロツクコートに六十円の金を消費せんよりは其半額を以てブラウニングの詩集を揃へんかな、温かき外套に七十円を投ぜんよりは其十分の一を家内一同に分与して彼等と喜楽を共にせんかな、思想の高きは衣類の美しきに優り、交情の温かきは錦繍を以て身を包むよりも快し、家の内に在て我等は少額の金を以て多大の快楽を買ひ得るなり。改行
(4) 跳よ、躍れよ、酒を飲んで唄へよ、交際を広くせよ、政友を沢山求めよ、汝等家を外にして外を家と為る者よ、汝等は此二十世紀に於て新憲法と新政党とを以て此国家を改良せんと欲し、我等は清き喜ばしき家庭を以て仏国大革命にも勝る大改革を此国に来さんと欲す、汝等は外より為さんと欲し、我等は内より為さんと欲す、第二十世紀は我等と汝等との競争場裡たるべし。
 
(5)     佐渡の新天地
                       明治34年1月1日
                       『佐渡新聞』
                       署名 内村鑑三
 
 年は改まれり、世紀は革まれり、然れども人心は改まりし乎、思想は高まりし乎、
 政治、殖産、商業の改まらざるを歎くを休めよ、そは是れ枝葉問題なればなり、佐渡の孤島に一大道徳風を吹かしめよ、北海の波上に一聖人国を起らしめよ、黄金を日本国に供する佐渡は、之に黄金の思想をも供せよ、
 昔時は地中海の極東パトモスの孤島に聖ヨハネは一つの理想国を夢み、之を黙示録に載せて後世に伝へしより、幾多の政治的大試験は行はれて人類の進歩に多大の致動力を加へたり、知らず金剛山の麓、加茂湖の辺は此大理想を夢《ゆめみ》るに適せざる乎を、
 余の佐渡人士に望む所のものは之より以下のものにあらず、
  第二十世紀始  東京市外角筈村に於て
 
(6)     ルーテル特愛の聖句
                    明治34年1月22日
                    『聖書之研究』5号「題語」
                    署名なし
 
〔画像略〕『聖書之研究』5号1頁
 
 平穏にして、即ち沈黙を守りて、依り、頼まば、即ち自から努めずして神の行働を待たば、汝力を得べし、即ち強くなるべし、即ち汝の敵に勝つを得べし、即ち救はるべし。
(7) 嫉妬の毒矢に身を曝す時、国人挙て我を迫害する時、我れ一人羊が狼の群中に在るが如き地位に立つ時、我は唯静寂を守り、凡ての救済を神より望み、彼をして我が城砦たり、守衛たり、武器たらしむべきなり、我は弱けれども彼は強し、我れ彼と共に在りて我一人は全世界よりも強し、救はヱホバにあり、願くは恩恵汝の民の上にあらんことを アーメン。
 
(8)     〔新希願 他〕
                      明治34年1月22日
                      『聖書之研究』5号「所感」
                      署名なし
 
    新希願
 
 何人に対しても悪意を懐くことなく、万人に対して好意を表し、総ての機会を利用して善を為し、我が残余の生涯をして祝福の連続たらしめんと欲す、神よ願くば我が此希願を助けよ。
 
    新伝道
 
 汝等我を罵り見よ、我汝等を祝し見ん、汝等我を窘め見よ、我能く忍び見ん、汝等我を※[言+肖]《そし》り見よ、我れ汝等に就て善を語り見ん、我は最と徽き者なりと雖も亦ナザレのイエスを師として仰ぐ者なり、我は汝等が我に向て表する敵意を利用して我師の恩恵の如何に大なるかを表彰せんと欲す、汝等は実に我が為めに伝道の途を新たに開く者なり。
 
    新決断
 
(9) 我は寛容の美を讃するの余り基督教以外にも我同胞救済の途を求めんとせり、我は仏教にも尚ほ新生命を我が邦人に注入するに足るの潜勢力は存せりと思へり、我は儒教亦済世の一動力なりと信ぜり、我も多くの理想家と同く総ての宗教を綜合して我が国人を救はんとせり、然れども我は今は此迷夢より醒めざるを得ざるに至れり、我は今よりは彼得 保羅と同じく基督の十字架以外に人類救拯の途を求めざるべし、我は今よりは甘じて狭隘の譏を受け、基督を以て人霊唯一の救主となし、彼の福音を宣伝するを以て同胞救済唯一の法となすべし、我は勿論他教を排せざるべし、然れども我が救済の途は今より更に一層単純なるべし。
 
    必勝の確信
 
 我にして若し我自身を世に紹介し、名利を我自身に収めんと欲する者ならんか、我の失敗に終るや必せり、然れども我日毎に我肉躰を十字架に釘け、我にあらざる者の栄光を世に顕はさんと努めて我が事業の成功は期して待つべきなり、我をして日毎に我が我慾に死せしめよ、然らば我は終に世に勝つを得て万軍の主と栄光を共にするを得ん。
 
    美文と名論
 
 文の美なるを要せず、想の美なるを要す、論の高妙なるを要せず、目的の確実なるを要す、之を平文字に訳して美ならざる文は美文に非ず、之を実地に応用して適切ならざる論は名論にあらず、美文たり、名論たり、是れ皆な清き偽りなき心より湧き出るものなり。
 
(10)    批評家
 
 批評せらるゝ者と成れよ、批評する者と成る勿れ、前者は或る物を社会に供せしが故に批評せらるゝなり、後者は何物をも供する能はざるが故にたゞ他の人が供せし物に就て批評を加ふるのみ、二者の別は製作者と消散者との別なり。
 
    純粋なる愛
 
 愛は純粋なるを要す、其中に些少の不純物をも留むべからず、愛は怒らず、人の悪きを念はず、凡そ事信じ凡そ事忍ぶなり、己を愛する者を愛し、愛せざる者を憎むが如きは是れ愛にして愛に非ず、夫の恋愛と称して忽にして激烈なる嫉妬と憎悪とに変ずるものゝ如きは基督教の唱道する愛に非ず、世は愛の文字を知て未だ愛の実を知らず。
 
    神の事業
 
 他を傷けるにあらざれば自身を全ふすること能はざる者は禍なるかな、他の墜落を待て自身の昇進を計る者は禍なるかな、吾人の事業は万人を益するの事業ならざるべからず、一つの邪念をも懐かざる事業ならざるべからず、他を進めて亦自身をも進むるの事業ならざるべからず、神の事業とは実に斯の如きものなり。
 
(11)    罵詈の危険
 
 吾人は人の善を語て心に富を感じ、悪を述べて貧を覚ゆ、罵詈を継続せんか、吾人は終に思想的に貧死するに至らむ、罵詈時には義務ならざるに非ず、然れども罵詈に従事して吾人は大危険に臨むものなる事を忘るべからず。
 
    神僕
 
 余輩を援けんと欲する者は余輩に来れ、余輩に援けられんと欲する者は余輩に来る勿れ、余輩は自身既に神の属《もの》にして余輩の属にあらず、余輩に就て失望する者多きは未だ余輩の宗教の何たるかを知らざる者多きに依る、既に他人(神)の僕(奴隷)となりし者、如何でか人の好意に投ずるを得んや、余輩の人を喜ばし得ざるは余輩が余輩の主人を喜ばせんと欲するが故なり。
 
    指導の証
 
 神の行働をして顕著ならしめんためには吾人は広告を用ふること可成丈け少く、可成丈け外形を素にし、可成丈け人の援助と賛成とを仰がざるやう努めざるべからず、神の与へ給ふ友人を以て満足し、虚飾を以て真理の美を蓋はんと為さず総て心の単純を以て世に臨み、而して成功若し斯の如くにして吾人に臨み来らば、是れ吾人が神の事業に従事しつゝあるの証にして、吾人は是を以て神が直に吾人の手を執て吾人を現世に於て導き給ひつゝ(12)あるを知るなり。
 
    感謝の念
 
 神の既に下し給ひにし恩恵に就て感謝せよ、然らば神は更に新たなる恩恵を下し給はん、旧恩に就て感謝せずして新恩に与かる難し、かの不平家と称する者が終生満足を感じ得ざるは彼が感謝の念に於て欠くる所あればなり。
 
(13)     基督教的書翰文の標本
        腓利門書と其註解
                   明治34年1月22日−3月22日
                   『聖書之研究』5・6・7号「註解」
                   署名 内村鑑三
 
 新約聖書は其最終の黙示録を除くの外は皆な悉く伝記にあらざれば書翰なり、是れ吾人の深く注意すべき事なり、個人の救済は新約第一の目的とする所にして、其始めより終に至るまで皆な霊と霊との関係なり。一片の書翰、之を聖経の中に編入すべからずと云ふ者もあらん、然れども是れ書翰の何たるを知らざる者の言なり、書翰は我が国に所謂る用文にあらず、亦見舞文、挨拶文の類にあらず、書翰は意中を親友に伝ふる文なり、神聖なる実は書翰の如きはあらざるなり。
 余は曾て聞けり東洋詔邦に文通(correspondence)なる者なしと、文通とは其文字の通り単に報告の取交を云ふものにあらず、英語のコルレスボンデンスに反応の意あり、即ち我れ、彼を愛して彼れ我に応ずるに同一の愛を以てするの意なり、愛の反応、是れ文通の意なり、吾人は書翰を以て週囲の出来事を吾人の友人に通ぜんとせず、是れ新聞紙の為す所なり、吾人は亦書翰に依て新智識を吾人の友人より得んとせず、是れ書籍の為す所なり、吾人は書翰に依て吾人に対する友人の愛情を知らんことを欲す、是れ書翰の貴き所以なり、愛心のなき所には書翰はあらざるなり、書翰は愛心の溢れて文字となりしものなり、若し世に愛の福音なるものあらば之れ書翰文を除(14)いて他にあらざるべし。
 基督教有て始めて真正の友情あり、利益を共にして友となるにあらず、情性を共にして友たるにあらず、学問上の交際に成りし友誼にあらず、同一の主より同一の生命を受けて始めて真正の友たり得るなり 『同体を両分せしものを夫婦と云ひ、同心を両分せしものを友人と云ふ』と、同一の幹より養汁を吸収して生活する基督信徒は真正の兄弟にして真正の友人なり。
 基督教的書翰文、是れ他に見ること能はざる文字なり、是れ決して優麗の文にあらざるべし、是に外形的礼節に於て欠る所あらむ、是れ勿論卑賤なる恋愛文学にあらず、愛の最も高尚なるもの、其最も純粋なるもの、愛の要求と愛の哲学、是れ皆な基督教的書翰文にあり、基督教徒が以て其経典となす所の書が堅硬解し難きの経文より成らずして、断てば鮮血を出すが如き真情の満ち充ちたる書翰文よりなりしを見て、吾人は其真に神の黙示に依て成りし書なるを知るなり。
 使徒保羅の手に成りし書翰として聖書に揚げらるゝものは凡て十四通なり、其中希伯来書は多数の批評家の説に従て彼の手に成りしものにあらずとして余の十三通は彼の書翰と見て可ならん、其羅馬人に送れる書は彼の神学系統を述べしもの、哥林多人に送りし前後二回の文は牧会学の経典として知らる、ルーテルが「我が書翰なり」とて縋がりし加拉太書あり、慰藉の福音と称せらるゝ腓立比書あり、十三通の書翰文、吾人は其中に偉人の心に働きし基督の愛の結果を其総ての方面に於て覗ふを得るなり。
 腓利門書は十三通中最も簡短なるものなり、之に一つの神学論なし、其中に一言の教会政治に及ぶなし、羅馬書の如きは公的文書の躰裁をなすと雖ども腓利門書は純粋の親展なり、而も其内に大福音は籠れり、基督に於け(15)
る変心は其面に溢る、読者余輩の註解を開かんとする前に先づ両三回其全文を熟読せられよ。 〔以上、1・22〕
  イエス キリストの為めに囚人となれるパウロ及び兄弟テモテ我儕が愛する者〔われらが勤労《はたらき》の侶《とも》なるピレモン〕、我儕が姉妹アピア、我儕と共に戦争をなせるアルキポ、並に爾の家内の教会に書《ふみ》を贈る、願くは爾曹我儕の父なる神及び主イエス キリストより恩寵と平康《やすき》を受けよ、
 「イエスキリストの為に囚人となれるパウロ」、拝啓と言はず、時候の挨拶を述べず、直に彼自身を紹介す、東洋風の礼に於ては欠る所あらん、然れども愛は無用の礼を打ち消すものなり、〇パウロ常に基督の使徒たるを以て誇る、然るに茲には単に「キリストの為に囚人となれる」者と云ふ、是れ彼が此書の受信者たるピレモンより彼自身の為めに特別の哀を乞はんが為めに非ず、彼は反つて幾度か彼が彼の主イエスキリストの為めに縲絏の栄誉に与かれるを誇れり、(哥林多後書十二章九、十節参考)彼は今は囚人として羅馬の監獄に繋れ居れり、然れども彼は書中一言の獄中の彼の艱苦に及ぶなし、但し獄中より此信書を発して書中記載する所の彼の願意の貫徹せんことを期せしなり、
 「兄弟テモテ」、パウロの愛弟子なり、彼曾て彼を「我が真子《まことのこ》なるテモテ」と呼べり、亦「我が愛子主に在て忠なるテモテ」とも称せり、基督教信徒(真正の)間の関係は兄弟姉妹の関係なるのみならず亦親子の関係なり。「我儕が愛する者、われらが勤労の侶なるピレモン、」ピレモンは小亜細亜フルギア洲コロサイの人なり、(哥羅西書第四章九節参考)、パウロに依て改信せし者の一人なり、家富みて屡々パウロの肉躰上の欠を補ひし人なるが如し、パウロの勤労の友なりと云へば彼れ富豪の身を以て屡々パウロに随従して伝道に従事し、使徒と共に(16)布教の危険を分ちしが如し、彼は真正の基督教的実業家にして、彼の身心と共に彼の産業を挙げて悉く之を主に捧げ、主の乏しき者を慰むるを以て彼の唯一の目的と做せしが如し、幸福なるかな彼れピレモン、彼の富は彼を堕落せしめずして、反つて彼に聖徒の交際を供せり。
 「我儕の姉妹アピヤ」 ピレモン夫人なり、夫妻相共に基督教を信じ、聖徒を慰む基督教は其|始初《はじめ》より喜ばしきホームを建設するに適したり、パウロを慰めし者は此ピレモン夫妻の外にアキラ、プリスキラの夫婦ありたり(使徒行伝第十八章一−三節)、自身家庭を有せざりしパウロは彼の導きし信徒の中に多くの美はしき家庭を作れり、彼の地上の快楽なるものは蓋し是等の家庭に於て師として優遇せられし事ならん。
 「我儕と共に戦争をなせるアルキポ」、ピレモン夫婦の実子ならんとの説あり、何れにしろピレモン家に深き関係を有せし勇壮の一青年なりしが如し、(哥羅西書第四章十七節参考)、パウロ、テモテと共に信仰の戦争に従事せし者なり、ピレモン家は単に聖徒に肉躰上の慰藉を供するの名誉を有せしのみならず、亦教界に此信仰の一戦士を供せり、富家の子弟にして基督教の伝道に従事して耻となさず、羨むべきかな。
 「爾曹の家内の教会」、基督言ひ給はく「我が名の為めに二三人の集れる処には我も其中にあらん」と(馬太伝十八章二十節)既に一家眷族の主の名に依て集れるあり、是れ真正の教会ならずや、教会を以て牧師あり、執事あり、楽人あるを要するものと思ふは非なり、総ての基督教的家庭は皆な主の教会たるなり、我等社交的教会を起し得ずとて失望すべきにあらず、基督を霊魂の主と仰ぐ我等の家庭は立派なる教会たるなり、我等正式の教会を起す前に我等のホームをして先づ小教会たらしめよ。
 「父なる神及び主イエスキリストより恩寵と平康とを受けよ」。恩寵、希臘語の charis の訳字なり、英語に之(17)を grace と訳せり、基督信徒がその心に感ずる歓喜の充実を意ふ詞なり、普通 grace《グレース》を美容又は温雅と訳すれども是れグレースの結果を指して意ふものにしてグレース其物に非ず、グレースは基徒信徒の美徳其物なり、而して是れ彼の生来の本性に具はりしものにあらず、亦儒教に於けるが如く彼が克己勤勉の結果として得しものにあらず、グレースは恩寵にして基督なる曰ふべからざる神の恩賜を心に受け、其結果として彼の心に湧き来る総ての喜ばしき意と情とを指して云ふ詞なり、此恩寵を有するが故に我儕は容易に我儕に害を加ふる我儕の敵人を赦すを得るなり、此恩寵あるが故に貧困も縲絏も世の誤解も迫害も我儕に取ては反つて喜ばしきものとはなるなり、基督信徒の面に耀く温雅は此恩寵の表顕に外ならず、我儕は恩寵に由て救はれたりと聖書は記せり(以弗所書第二章五節、)而して我儕基督の救済に与かりし者のみが此恩寵の何たる乎を知るなり。
 「平康」、希臘語の eirene 英語の peace 勿論世の所謂安泰安楽の意に非ず、神の救済に与かつて吾人の心の中よりお恐怖の念の悉く取り去られし時の感、即ち「我は最早大丈夫なり」との安心調和は全身に恢復せられて意志と感情との間に一の衝突なきに至り、四肢五感は一団結を為して我が天職を尽さんとて我が猛進する時の心の状態なり、基督降世の目的は人心内部の分離を癒すにありたり、而して彼に由て吾人は始めて身心の調和なるものゝ何たる乎を知るを得るなり、
 恩寵も平康も父なる神及びキリストより来るべきものと見做す、キリストを神と同等の位地に置て彼の神なるを証明す、キリスト神性論なるものは此辺に存す。
 美はしき師弟と美はしき夫婦、美はしき親子と美はしき家庭、愛と同情と勤労と一致、其望む処のものは神より来る恩寵と平康となり、福祉を語らず、幸運を求めず、慾を全く離れたる一社会、是れ此短かき書翰の発端に
 
          (18)於て示されたる実画なりとす、真実なる清浄なる書翰とは実に斯の如きものなり。
  我れ祈る時に常に爾の事を陳て我神に謝す、蓋われ爾が愛と信仰をもて主イエスに向ひまた諸《すべて》の聖徒に向ふことを聞けばなり、我が祈る所は爾と偕に信仰を有てる人、爾曹の中なる凡ての善事を知るに因り、その信仰|功効《はたらき》をなしキリストの光栄を顕はすに至らんこと也
 「我れ祈る時に常に爾の事を陳て我神に謝す」、基督信徒の祈祷は祈願のみにあらずして亦感謝なりとは余輩の屡々述べし所なり、祈祷は人と神との交通にして其多分は感謝たるべきは論を俟たず、殊に我自身に就て感謝するのみならず、亦他の人に就て感謝す、基督教のどこまでも排慾的なるに注意せよ。
 「蓋われ爾が愛と信仰とをもて主イエスに向ひまた諸の聖徒に向ふことを聞けばなり」、是れパウロがピレモンに就て神に感謝するの理由なり、彼れピレモンの神に対して人に対して欠くる所なきを聞いて喜ぶの意なり、「信仰をもて………聖徒に向ふ」は意義少しく曖昧なれども而も愛情に溢れたる書簡文の文句として此種の曖昧は深く咎むべきにあらず。
 「我が祈る所は云々」、是れ訳者の考案になりし意訳なり、必しも原文の示す所にあらず、原文は至て簡短なり、之を直訳すれば左の如きものなるべし。  我が祈る所は爾の信仰の供給《たすけ》が爾曹の中に存する総ての善事の識認に由て基督の為めに功効をなすに至らんことを
 「信仰を偕に有《もて》る人」と訳せられし語(koinonia)は「共に分つ」を意味する語にして羅馬書十五章二十六節には「供給」と訳せられ、哥林多後書九章十三節には「施しすること」と訳せられたり、即ち産業を共にするの意(19)にして聖徒の欠乏を補ふの意ならざるべからず、信仰の供給とは基督に於ける信仰に励まされて為せし補給の意にして基督教的慈善の特質を示せし語なり、〇「善事の識認」(epignosis)は「善行の動機の何たる乎を知て」の意なり、我が名を広告せんがための善行にあらず、社会の詰責に余儀なくせられて為せし慈善にあらず、全く基督の愛に励まされてなせし善事たるを人が識認するに至ての意なり 〇「基督の為めに功効をなすに至らんことを」、即ち爾曹の善行が栄光を爾曹に帰せずして之を基督に帰するに至らんことをとの意なり、基督信徒は総て基督の奴僕なれば彼等の善行も亦彼等のものに非ずして基督のものたるなり、彼等は曰ふ「我の之を為すを得しは我自身の之を為せしにあらずして我衷に働き給ふ基督之を行し給へるなり」と、馬太伝五章十六節の「然れば人々爾曹の善行を見て天に在す爾曹の父を栄むべし」との語はパウロの此言の書き註解なり。〇「爾」と云ひ又「爾曹」と云ふ、或はピレモン一人を指し、或は夫妻並に全家族を指す、書簡文としては適当の用語なり、家内和合一致の状を示し、複雑反つて意味を深長ならしむ。〇日本訳本文も其大意に於ては余輩の茲に掲げし註釈と多く異なる所あるなし。
  兄弟よ我爾の愛に由て大なる喜楽と安慰を得たり 蓋《そは》聖徒の心、爾に由て安《やすん》ぜられたれば也、是に由て我キリストに在て憚る所なく爾に其作すべき事を命ずることを得ると雖も、愛の故に因て寧ろ爾に求む、我既に年老ひ、今キリストイエスの為めに囚人となれるパウロ此の如き状にて、我が縷絏の中にて生し子なるオネシモの事を爾に求む。
 之より徐々と書簡の要事に入る、「兄弟」とは殊に主人ピレモンを指して云ふなり、「我爾の愛に由て云々」は前に述べし所を重複して彼の願意の透徹を計る、彼パウロ哀求の術を知る、之を他人のために行ふに至て彼は巧(20)妙なる修辞家なり。〇「我キリストに在て憚る所なく爾に其作すべき事を命ずることを得」、近親の極を示せし語なり、我れ汝の愛心を知れば我は爾に事を命じて爾が喜んで之に服従するを知るとなり、愛其度を進むれば義務となる、而して愛の義務は法のそれと異りて其自由なると同時に其緊束力は更に強し、パウロ今や愛を以て彼の友人ピレモンに迫らんとす、然れども彼は彼の要求する所のものゝ余れに重大なるを知るが故に要求の特権を棄て哀願の途に出づ、此所読者の特別なる注意を要す。〇「愛の故に因て寧ろ爾に求む、」 愛に由て爾に迫るを得ると雖も愛に因て寧ろ爾に求む、愛にも亦義務の特権なきに非ず、然れども愛の特性は好意なり、我は寧ろ爾に哀求せんものをとの意なるが如し、意味微妙にして之に註解を附して反つて原意を害ふの虞れあり。「我既に年老ひ、今キリストイエスの為めに囚人となれるパウロ、」 パウロ曾て悲哀の言を出せし事なし、「我は寧ろ欣びて自己の弱きに誇らん、是れキリストの力我に寓《やど》らん為めなり」とはパウロ普通の口調にして、老を訴へ凌辱《はづかしめ》を述ぶるが如きは彼の曾て為さゞりし所なり、然れども此場合に於ては彼は少しく彼に対する彼の友人の憫察を惹くの必要を感ぜり、そは彼は今彼自身の事を語りつゝあるにあらずして或る一人の弱者の為めを計りつゝあれば也。〇「年老ひ」 パウロは此時歳六十位なりしならんと云ふ、故に基督を信ずる者としては未だ以て老人と称すべからず、歳四十に達して初老に入りしなど称する東洋人の思想は使徒パウロの心に存せざりしは明かなり、然れども彼キリストの為めに働く茲に三十年、五たびユダヤ人に四十に一を減じたる鞭を受け、三たび条《えだ》にて撲たれ、一たび石にて撃たれ、三たび破船に遭ひ、河の難、盗賊の難、同族の難、異邦人の難、野の難、海中の難、偽はりの兄弟の難に遭ひ、今や異郷獄牢の中にありて、彼の信仰は如何に強かりしも彼歳六十に達して時に或は老を感ぜざらんや、コロムウヱル歳五十にしてダンバーの戦勝後、彼の妻に書を贈て彼の老衰を訴へたり、両者共に(21)キリストに在ては幼児たるに過ぎず、然れども人生の悲惨なる筆紙に尽し難きを見て時に或は此言を発す、れパウロの懦弱を示すが如くにして実は彼のヒユーマニチーを顕はすものなり、吾人此言を彼の筆に見て彼の為めに一滴の涙を灑がざるを得ず。
 「囚人となれる」、年老ひて獄屋に授ぜらる、人生の不幸何物か是に勝るものあらんや、然れども是れ盗を為しての故にあらず、人を誹謗しての故にあらず、基督の為めなり、彼の福音を伝へんとてなり、名誉なる入獄。
 「我が縲絏の中にて生し子なるオネシモ」、身は縲絏の中に在て尚ほ伝道に従事す、蓋しパウロ羅馬に至りて正式の裁判を俟ちつゝありし際、彼の普通の犯罪人にあらざるを司直の人に知られてより、彼は自由に訪問者を彼の監房に受くるの特権を附与せられ、此所に彼の許を問ふて彼の教導に与かりし者甚だ多きが如し、(使徒行伝二十八章、十七、廿三節参考)、オネシモも亦此所にパウロの指導に与かり終にキリスト信徒となりし者なるが如し、〇「生し子」 人をキリストに導くを彼を生むと云ふそは是れ彼に新生命を供する事なればなり、基督ニコデモに語て曰く「人もし新たに生れずば神の国を見ること能はず」と、天より来る此新生命を人に供し而して彼れ之を受けて新しき天と地とを見るに至る、是れ新生にあらずして何ぞ、我を此世に生みし者は我が父母なり、我を天国に生みし者は我に基督を示せし我が恩師なり、我に肉の父母あり、亦た霊の父母あり、パウロは茲に彼がオネシモの霊の父なるを曰ふなり。
 「オネシモ」、ピレモンの奴僕なり、奴隷制度の行はれし当時、奴僕の人権なるものは全く無視せられ、彼は彼の所有主の機具としてのみ取扱はれたり、彼は人にして人にあらず、彼を殺すも殺人罪を構成せざりしなり、アウガスタス帝の時代に於てポリオ(Pollio)なる或る貴人は彼の怒に触れし彼の奴僕を庭内の池水に投じて其中に(22)飼育せられし鰻魚を養ふを以て常とせりと云ふ、而して国法の此残忍なる貴人に及ぶなし、曾て我日本国にありし中間又は下司下郎と雖も羅馬時代の奴僕《スレーブ》の如き無権力の者にはあらざりしなり、奴僕に人権を認めしが如きはアリストートルを始め希臘羅馬の公法学者の曾て為さゞりし所、奴僕を呼んで我が子なり、我兄弟なりと云ひしが如きは人の以て狂人視せし所なり、 殊にオネシモはフリギヤ人なり、而してフリギヤ産の奴僕と云へば羅馬の奴隷市場に於て最も賤しめられし者、其性質の陰悪なるより其価値至て安く、彼は天下の廃棄物として世に存在し、人の彼を買はんと欲する者さへ稀なりしと云ふ。
 然れども此奴僕、而もフリギヤ産の奴僕、牛馬視せられし者、機具視せられし者、而も主人の産を窃んで逃走せし者(後に詳かなり)、人間の屑、社会の泡渣《うきかす》、彼れオネシモさへも彼の罪を悔ひ基督に由て神に来りしが故に彼は時の偉人タルソのパウロに子とし兄弟として敬愛せらるゝに至れり、基督教の平等力の絶大なるは最も明白に奴僕オネシモの改信に由て顕はれたり、イエスキリストに於て男あるなし、女あるなし、ユダヤ人あるなし、異邦人あるなし、貴族あるなし、奴僕あるなし、そは彼等は皆な栄光の主の宝血に由て贖はれし同じ罪人にして今は彼に在て兄弟姉妹と成りし者なればなり、人は云ふ世に奇蹟なるものあるなしと、然れどもフリギヤの奴僕オネシモをしてパウロ ピレモンと同等の人たらしめし基督教の功績は奇蹟中の奇蹟にあらずして何ぞや。
 「オネシモの事を爾に求む」、是れ此書翰の書かれし目的なり、此改信せし奴僕を其旧主なるピレモンに送り帰さんとてパウロは茲に此書を贈りしなり、是れ実に一片の紹介文なり、然れども此簡短なる書翰の中に奴隷廃止の大福音は籠りしなり、後日英のウヰルバーフホースをして彼の熱血を注がしめし大問題、米のリンコルンと(23)ガリソンとグランド将軍とをして彼等の生命を自由の祭壇の上に捧げしめし大精神は実にパウロの此一片の新書の中に包まれたり、而して奴隷問題のみならず、労働問題、貧民救助問題、下婢問題、廃娼問題等凡て人類の自由に関する問題は其原理を此簡短なる書翰文の中に於て求めざるべからず、余輩の此研究豈惟り一書翰文の研究のみならんや。 〔以上、2・22〕
  かれ先には爾に益なき者なりしが今は爾にも我にも益ある者となれり、我れ彼を爾の所へ帰す、爾これを納れよ、彼は我が心なり、われ彼をして我所に留め我が福音の為に受たる縲絏の中に爾に代りて我に事へしめんと欲《おも》へり、然れども我なんじの肯《うけが》はざる事は何をも行《な》すを好まず、是れ爾が供給止むを得ざるに出でずして心より出でんことを望めば也
 「益なき者」、オネシモ、之を訳せば「扶助者」の意なり、奴僕の名としては適当の名なり、主人を扶くべき者その財を窃み去て「益なき者」となれり、然れども彼はパウロの説教に依て再び「益ある者」となれり、幾多の不用人物は基督を信ずるに因て有用人物となれり、基督教は社会の不用物にあらず。
 「我彼を爾の所へ帰す、」 我が福音に依て「益ある者」となりたれば、我は彼を我が許に留め置ずして爾の許に帰すと、パウロ此処に彼の友人に対し彼の宣伝しつゝありし福音の効力に就て稍々誇る所あるが如し。
 「爾これを納れよ、」 歓迎せよとの意なり、父が其悔改めし放蕩児を迎ふるが如く、爾此一度びは死て復た生き、失ひて復た得たる爾の此家僕を迎へよ。(路可伝第十五章参考)。.
 「彼は我が心なり」、我が五臓に均しき者なり、我が愛子なり、意中の人なり、我自身なり、彼を受るは我を受くるなりと、偉人パウロがオネシモに対して懐く愛心の熱度に注意せよ。
(24) 「われ彼をして我所に留め云々、」羅馬よりピレモンの住所なるフリギヤのコロサイまで直径一千二百哩、海路を取らんには二千哩以上に出づ、※[さんずい+氣]車なく※[さんずい+氣]船なき時代に在ては危険多き長旅程なり、然れども義務の果すべきあり、長路何んぞ意とするに足らんや、人は信仰を改めたればとて彼の旧債より免るゝこと能はず、パウロ、オネシモを改宗せしめて、彼を先づ彼の旧主の処に送り、その免を乞ひ、その怒を宥めしむ、是れ一つはオネシモをして彼の神と旧主とに対して悔改の実を表せしめんためにして、亦二には彼パウロとピレモンとの間に存する友誼に一つの間然する所なからざらんためなり。
 「我爾の肯はざる事は何を為すを好まず云々、」パウロは友誼を濫用せず、彼は親友に対しても強て其好意に与からんとせず、彼は彼に対するピレモンの愛心深きを知ると雖も、而も尽すべきの義務を尽して親交の持続を努む、吾人、永く友を保持せんと欲せば此細心注意あるを要す。
  彼が暫く爾を離れしは爾をして永遠に彼を留め置き、此後彼を僕の如くせず、僕に超《まさ》るもの、愛する兄弟と作さしむる為に非ざりしを知んや、我彼を殊に愛す、況んや爾肉に由ても主に由ても之を愛せざらんや。
 彼オネシモが一度び不義を犯して汝を去りしは爾をして永久に爾の家人として彼を留め置かしめんとの神の摂理にあらざりしを知らんやと、罪悪も神の恩寵に由れば幸福の基となる、神は罪悪をも利用してその聖意を行し給ふなり〇「奴僕の如くせずして愛する兄弟と作さしむ」、主耶蘇に在て男あるなし、女あるなし、ギリシヤ人あるなし、ユダヤ人あるなし、主人あるなし、従者あるなし、人権を認められざりし奴僕も主の救済に与かつて旧主の兄弟となれり、之をしも奴僕の放免と云はずして何をか云はん、奴隷廃止運動は英のウヰルバーフホース、米のガリソン、リンコルンを以て始まらずしてタルソのパウロを以て始まれり〇「我殊に彼を愛す云々」奇遇の(25)我すら殊に彼を愛す、況んや曾て彼の主人たり、今は彼と教主を共にする爾に於てをや、我は爾が彼を変遇するを疑はず。
  爾もし我を侶《とも》となさば請ふ我を納る如く彼を納れよ、彼もし爾に不義をなし、又爾に負債あらば爾之を我に帰せよ、我パウロ親子《てづから》これを書けり、我必ず償はん、爾は身をもて償ふべき負債われに有り 去れど我これを言はず。
.彼オネシモは我が心なり、我が半身なり、爾願くは我れを納るゝが如く彼を納れよ、彼の不義と負債とは我之を償はん、我が此自筆の証明を見よ、我は彼に代て誓ふ、爾は我に依て福音を信じたる者なれば身を以て我が恩に報ゆるの責あり、然れども我は今之を言はず、我は唯我が愛子オネシモの爾に納れられんことを願ふと、余輩は未だ曾て友人の為めに書かれし言にして如斯く懇切なるものゝ他にあるを知らず、而も之を為せしは使徒パウロにして之を為されしはフリギヤの一奴僕オネシモなりし、奇異なる友誼、基督を信ぜざる者の推量し能はざる所。
  兄弟よ、我爾より益を主に由て得んことを望む、爾わが心をキリストに由て息《》やすましめよ、われ爾が従ふことを深く信じて之を爾に書き贈る、爾の行ふ所は必ず我いふ所よりも勝らんことを知れり。
 我は爾が我が懇求を納れて我をして我が主に在て喜ばしめんことを願ふ、爾オネシモを扶けて彼は爾に再び益をなすに至り、我も亦汝に益せられて益を我が主に由て得るに至らん、斯くて一人の「益なき者」の悔改は彼に関係する凡ての者の益となり、一人の罪人の悔故に由て天に大なる喜歓あるが如く、彼も我も爾も共に主に在て感謝するに至らん。
(26)  又爾我がために寓所《やど》を備へよ、蓋《そは》われ爾曹の祈祷に由て終に我が身は爾曹に予へられんと意へば也。
 感謝は之に止まざるべし、我も亦爾曹の祈祷に由て我が縲絏より脱するを得て再び爾曹に至るを得む、我が再び爾と爾の家族との款待に与からんとするは蓋し遠きにあらざるべし 〇パウロの直訴其効を奏して彼は一度びは自由の身となりしは聖書学者の一般に信ずる所なり。
  イエスキリストに在て我と偕に囚人となれるエパフラス爾の安を問ふ、我が勤労の侶なるマコ、アリスタルコ、デマス、ルカも同じく安を爾に問ふ、願くは吾主イエス、キリストの恩恵常に爾曹の霊とあらんことを アーメン
 エパフラスはコロサイ人なりしか(哥羅西書一章七節参考) 又ピリピ人にしてピリピ教会の贈物を携へてパウロを彼の羅馬なる囹圄に訪ひしエパフロデト(腓立比章第四章十八節)と同人なるか審ならず 〇マコは馬可福音書の記者として一般に認めらるゝ者、始めペテロに従ひ、今はパウロと共に勤労を頒ちしが如し 〇アリスタルコはパウロ伝道の侶なり、彼と共にヱベリに在り、後共に海に航して羅馬に至り、今は偕に囚人なれる者 〇デマスはテサロニカ人なり、後パウロを捨て去りし者(デマスこの世を愛し我を棄てテサロニケに往けり) 〇ルカ、路可伝並に使徒行伝の記者として伝へらるゝ医師なり、パウロの侍医を以て自任し、至る所に彼の後に従ひ、彼の伝道を扶け、彼の相談人となり、又時には彼の筆記者となりしが如し、パウロ彼を「我儕が愛する医者ルカ」と称べり、以て彼ルカが如何に善良且つ忠実なるパウロの扶助者なりしかを知るべし、〇「安を問ふ」 サロームアレーヘム、平安爾にあれ、とはユダヤ人普通の挨拶の辞なり 以て彼等の平生の理想の那辺にありしを察すべし〇「キリストの恩恵常に爾曹の霊と偕にあらんことを」、殊更に爾曹の霊と云ふ、以て此書翰の始より終に至るま(27)で全然排慾的なるを知るを得べし、肉体の為めに恩恵を祈るは決して悪しき事にあらず、然れどもピレモンは富者なり、肉の恩恵は彼と彼の家族との求むる所のものにあらず、富者の特別に要するものは霊の恩恵なり、パウロは其親友の要求を知れり、故に此祈願を附して彼の此の書翰を終れり、〇「アーメン」 実に、誠に、斯くあれかし、此祈願の必ず成就せんことを、祈祷文に附するに最も適当なる詞なり。
 祈願を以て始まり、祈願を以て終ふ、中に一言の利慾問題に亘るあるなし、純潔の文字、純愛の思想、其簡短なる文字の中に社会を其根底より改造するに足るの主義ありて存す。 〔以上、3・22〕
 
(28)     如何にしてキリスト信者たるを得ん乎
                      明治34年1月22日
                      『聖書之研究』5号「説教」
                      署名 内村鑑三
 
  過る日信州小諸町の或る友人の家に客たりし時近隣の女子十四五名来て余に此質問を掛けたれば余は大略左の如く答へぬ。
 キリスト信者に成ることは難いやうで実は易しい事であります、易しいやうで実は難い事であります、何故に易いかと申しまするに、何にも別に深い学問や辛い修業は要らないからです、何故に難いかと云ふに、私慾を根こそげ絶たなければならないからであります。
 キリスト信者と成る事はキリストのやうな生涯を送る事であります、彼のやうな謙遜なる、柔和なる、無慾なる生涯を送る事であります、新約聖書の四福音書に書き記してあるやうな美はしい勤勉なる生涯を送る事であります、之は貴嬢《あなた》方誰にも送る事の出来る生涯であります、キリスト信者と成る事を以て何にか特別の儀式でも守り、特別の修業でもなさなければならないやうに思ふのはまだキリスト教の何たる乎を知らないからです。
 今茲にキリストのやうな生涯を送る妙齢の女子があると考へて御覧なさい、彼女は真正の美を愛する者でありますかち、世の称ふ粧飾には余り意を留めません、彼女は人間の作つたものよりも神の造り給ふた天然物を貴びます、彼女は髪に金剛石《ダイヤモンド》を附けんよりも夜な々々天上に輝く数知れぬ星を見て之を我属《わがもの》と思ふて楽みます、彼女(29)は頭に野薔薇の一輪を插んで之を小間物商の手より買ひ取りし高価なる花簪よりも貴びます、彼女は天然有の儘を愛する者でありますから、何事も質素なるを喜びます、私共はキリストを信じて始めて虚飾虚栄なるものより全く脱する事が出来るのであります。
 何故に婦人は一般に芝居を好みますか、是は何んでもありません、彼等が人生の有の儘に面白味を感じませんで、何にか他《ほか》に人生の真似事を見たく欲《おも》ふからであります、彼等は人間日常の生涯が真正の芝居である事を知りません、何《ど》れ程上手なる俳優《やくしや》でも私共が毎日演じて居る芝居を演ずる事は出来ません、私共は人の泣くのを見るために別に芝居に行くの必要はありません、大抵の人の生涯は深く之を察しますれば涙の生涯であります、貴嬢方は人の死ぬのを見た事がありますか、其辛らさ怕ろしさは筆にも紙にも尽されるものではありません、貴嬢方は俳優が泣く真似をするのを見て悦ぶのでありますか、それならば貴嬢方は未だ真正に泣いた事がないのです、涙とはそんな安価《やす》いものではありません、貴嬢方が真正《ほんとう》に他人の困難に向て同情を表されまするなれば、俳優が困難の真似をするのを見て決して悦ばない筈であります、芝居を好むは実は浮気の証拠でありまして、キリストを信じてキリストのやうな真面目なる人となりますれば、芝居と云ふ人生の真似事を見んと欲ふよりも、真正の人生を見て之に同情を表し、困しむ人を救はんとの念が起る筈であります。
 キリスト信者となるのは実は真正の人間に立帰るのであります、私共は皆生れながらにして罪に沈んで居るものでありまして、皆な虚偽《いつはり》の生涯を送つて居る者であります、それでありますから私共の好き嫌ひが皆んな狂ふて居ります、私共は好むべからざる者を好んで嫌ふべからざる者を嫌ふて居ます、私共は快楽を家庭に求めんとせずして、之を家庭以外に何にか私共に愛相を曰ふて呉れる者の中に求めんと致しまする、私共は神の造り給ふ(30)た天然の景色を賞めずして、園丁《にわし》の作つた庭を貴びます、私共は真の兄弟姉妹の中に善人があつても彼を貴びませんで、たゞの他人にして正義を唱道する者がありますれば頻りに彼を尊重致しまする、嫁は姑を嫌つて、姑は嫁を憎みます、私共は毎日太陽と云ふ大光を見て居ますが、目ツ駄に之が為に感謝の祈祷を捧げる事はありません、私共は日々香はしい空気を呼吸して居ながら、それが為に特別に有難いと思ふ事はありません、頭の上に数万の星を戴く女子はそれが為に有難いとは思はないで、他の女子が髪に宝石を嵌めたる簪を插すを見ては頻りに羨みまする、野辺に出れば到る処に野菊や菫花《すみれ》が咲て居るのを見ても別に嬉れしくは感じないで、小間物商より花簪を買ふて之を朋輩に示して誇りまする、彼等は家庭日々の生涯が最も有益なる教育である事を知らないで、何んでも学校へ入て卒業証書を取て来なければならないと思ふて居ります、彼等は神様が賜ふた皮膚有の儘が最も美しいものである事を知らないで毒物を以て製したる白粉を面《かほ》に塗てそれで美人に成つたと思ふて喜びます、実にキリストの恩化を受けない者の生涯は斯くも狂ふた者でありまして、之を神様の眼から見給ふたら狂人《きちがい》の生涯であると思はれるに相違ありません。
 然るに私共がキリストを信ずるに至つて此偏見が全く取り去られます、私共は神様が此世に降られし時は大工を以て職業となされました事を知りまして、労働なるものゝ実に貴いものである事を悟りまする、普通の日本人の考へに依りますれば一番に貴い者は民の膏血に衣食して居る貴族であります、其次ぎは働かないで只遊んで居る御役人様、其他下女や侍婢《こしもと》に用を命じて自身は蒲団の上に坐て居る奥様の類であります、然しキリストの御目から見られましたならば是等は極く卑ひ者でありまして人間たる者の品性を殆んど備えて居らない者であります、世に労働ほど貴いものはありません、座して人を使ふ人よりも立て人に使はるゝ人の方が幸福であります、台所(31)に出て飯を炊き、野に出て稲を刈るのは決して卑い事ではありません、他人の働く時に家に在て小説を読み、何を食ひ何を衣《き》んとて思ひ煩ふて居る人、是が実に卑い人であります、私共キリスト信者と成りますると働く事が好きに成ります、箒を取て園《にわ》に出で、鎌を取て畑に出るのを以て名誉と思ふやうになります、キリスト信者となるを以て女学生となり貴婦人と成りて交際社会に立つ事と思ひ、家政を整へ、台所の始末をする事を以て耻とするやうな者は未だキリストの心を知らない者であります。
 キリストは先づ他人を悦ばせん事を思ふて自身楽しまむ事を思ひ給ひませんでした、それでありますから私共キリストの心を知らんと欲へば先づキリストの心を以て私共の心と致さなければなりません、「我儕おの/\隣人の徳を建てんために善をもて之を悦ばすべし、キリストすら尚ほ己を悦ばす事をせざりき」と聖書に記してあります、貴嬢方若しキリスト信者に成りたければ先づ此道にお従ひなさい、何にも必しも教会へ行くに及びません、何にも必しも洗礼を受けるに及びません、何にも又必しも深く聖書を究めるに及びません、先づ貴嬢方の友人か、或は兄弟か姉妹かに対して此道を尽して御覧なさい、貴嬢方はキリストの心が分つて、キリストを友とし終には彼を師として仰ぐに至ります、父兄に強願《ねだ》るに自身の衣物の新調を以てせずして先づ弟か妹かの衣類を以てして御覧なさい、貴嬢方は古き衣類に満足して心に言ふべからざるの喜悦を感じます、日本国の何れの家庭に於ても嫁なる者は最も憐むべき地位に立つ者であります、彼女は彼女の家を去て他人の家を己が家となす者であります、若し同情の寄すべきあれば実に日本の嫁であると思ひます、然るに小姑一人は鬼千疋とか申しまして日本の家庭におきましては家内挙て此弱き嫁を責めるものであります、日本の嫁はその夫と夫の父母とに事ふるは勿論、夫の兄にも弟にも、姉にも妹にも事へなければなりません、日本の家庭の不和なるものは多くは嫁と姑と(32)の感情の行違ひより起るものでありましで、此悪い習慣を直すにあらざれば日本に幸福なる家庭は決して出来ないと思ひます。
 此時に方て貴嬢方キリストの心を以て此可憐の地位に立つ貴嬢方の義理ある姉や妹に深切を尽して御覧なさい、彼等の友となり、蔭となり日向となりて彼等の為に弁護して御覧なさい、貴嬢方は家庭に於ける大慈善家となられまして、平和は貴嬢方に由て貴嬢方の家庭に臨み、貴嬢方は天使のやうな者となりて、神と人との祝福を受くるに至ります。
 斯う云ふ生涯を貴嬢方は送りたくはありませんか、節倹と云ひ、勤勉と云ひ、柔和と云ひ、婦徳と云ふ婦徳は総てキリスト信者の生涯に籠つて居ります、是が真正の美人ではありません乎、天然の景色と花とを悦び、労働を惜まず、責任を避けず、己を後にして他人を先きにする、是に優るの美は他にはない筈です、斯う云ふ心が面に輝いてこそ真正の美は顕はるゝのであります。
 
(33)     罪悪の探究
                       明治34年1月25日
                       『警世』7号
                       署名 内村生
 
 罪悪の探究も宗教や哲学の探究と同じやうに深く為《なさ》なければならない、世間の人が悪人であると云ふから悪人であると思ひ、善人であると云ふから善人であると思ふならば誰れにでも善悪を区別する事が出来る、然し日本今日の社会は非常に悪い社会であるから従て善悪を区別するのは非常に六ケ敷い、今日の日本に於ては世間が以て悪人となす者は実は左程の悪人でなくして、大悪人は実は世間が以て大善人と思ふて居る人の中に在る。
       *     *     *     *
 日本では悪人は滅多に面を出さない、日本に於ては真正の悪人は他の人を使つて悪を行ふ、彼は悪事の総ての利益を己が身に収めて、自身は決して其責に当らない、彼は悪事の露顕する時に、世間の人と一所になつて、彼の使役に依て悪事を行《な》せし人を、責める、さうして世間は亦た彼の挑撥《おだて》に乗つて、悪人ならぬ悪人を責める、悪事の内幕を知て居る者から見る時には日本に於ける悪人征伐ほど面白いものはない。
       *     *     *     *
 昔し希臘のプラトーは政治家たる者は皆な哲学者でなければならぬと云ふたが、余は今の雑誌新聞記者なる者は皆な心理学者《サイコロジスト》でなくてはならぬと云ひ度い、只罪悪の表面計りを見て居て、盲目の社会と判断を共にするやう(34)では迚も社会の木鐸たるの職務は勤まるまいと思ふ、能く罪悪の本源を究め、その如何に込み入りたるものにして如何に微妙なるものなるかを知らなければ迚も真正の悪人を見出す事は出来ない。
 
(35)     注告に答ふ
                       明治34年1月28日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
人は余輩に告げて曰ふ「汝気焔を揚よ」と、然れども余輩は気焔を揚る能はず、そは気焔を気焔として受けて之を実行に現はさんとして努めざる社会に向て気焔を揚ぐるの要無ければなり。
 人は亦余輩に告げて曰ふ「汝希望を歌へよ」と、然れども余輩に歌ふべき希望なし、三十年間忠君愛国てふ支那的偽善教育を施され来りし社会が今や死に瀕しつゝあるは是れ天然の法則の然らしむる所にして、縦令造物主たりとも此社会を如何ともする能はざるは明白なり、悪を蒔いて悪を苅る、露国をして満洲を占領せしむるに至らしめしも、国政市政両つながら腐敗を極むるに至りしも、皆な是れ虚を蒔いで虚を苅るに至りし結果にして、余輩幇間的詩人たらざる以上は此の国民に向つて希望を歌ひ得ざるなり。
 去らば余輩は何を為し得る乎と云ふに、余輩は先づ第一に努めて余輩自身を潔《きよ》うするを得べく、第二に真理を聞く耳と心とを有する同感の士に向て余輩の有する些少の真理を伝ふるを得るなり、即ち余輩今日の立場は「我と社会と」の関係にあらずして「我と汝と」の関係なり、多数の同意を得んと欲するにあらずして少数の賛成を得んと欲するにあり、而して社会若し如斯くにして救ひ得ずんば之れを其の成るが儘に成し置かんのみ。改行
 
(36)     希望は那辺にある乎
                         明治34年1月31日
                         『万朝朝』
                         署名 内村生
 
薩長人士に依て建設せられし此政府になきは勿論なり、政社、政党、貴衆両院、政治家、教育家にあらざるは何人も知る所なり、日本国の希望は上流社会にもなし、亦下流社会にもなし、社会と云ふ社会、団体と云ふ団体、宗教と云ふ宗教、教会と云ふ教会は一として希望を留むるなし。
 然らば全く失望かと云ふに必しも爾かならざるべし、四千五百万中独り自から心に過失を感じ、社会の改良に先て自己の革新を計り、国家を憂ふるよりも自身の徳の足らざるを悲み、天を仰ぎ地に伏して光明の心に臨まんことを絶叫する小数にして而も正真《しやうしん》なる日本人は実に名誉ある未来の日本を形作りつゝある者なり、而して余輩は如斯き日本人が今日尚ほ此傲慢にして而も下劣なる社会に存在するを見て大に心を強くする者なり、農家茅屋の下に、或は汽関車の挺手《レバー》を握る者の中に、或は丁稚番頭の中に、或は門番の中に、或は水夫日雇人の中に、此種の人物あるを見て日本の将来に大に望を嘱《ぞく》する者なり。
 来れ地震と暴風と海嘯《かいせう》と噴火とよ、来《きたつ》て総て紙製の城と人物とを吹き倒せよ、此美はしき父祖の国より総ての藁人形を取去り、之に代ふる、謙遜にして正直なる真正の日本人を以てせよ。
 
(37)     苦学に題す
                   明治34年1月
                   昭和七年版『内村鑑三全集』19巻
                   署名不詳
 
 苦学せよ、然れども自己の苦学に就て世に訴ふる勿れ、苦学は美徳なり、是れ世に向て誇るべき事にして其憐憫を乞ふべき事にあらず。
 苦学とは必しも学の謂ひにあらず、学は都て苦学なり、苦学ならざる学は学にして学にあらざるなり、真理を究むるに真珠を探る時の注意と苦慮となかるべからず、真理は如何なる場合に於ても額に汗せずして究め得る者にあらず、学生は労働者の一種なり、彼は手を以てし脳を以てして苦闘勝利を得る者なり。
 労苦其物が重要なる学問なり、万巻の書も労働が吾人に供し得るが如き教訓を与へず、故に吾人は好んで貧苦を友とし師とすべきなり、往昔は伊国アツシシの聖フランシスは貧を彼の花嫁と呼べり、而して中古時代の欧洲は彼の声に応じて起てり、吾人今日の日本人亦貧を愛人として迎ふるの要なき乎。
 苦学を喜べよ、然らば苦学は苦労たらざるに至らむ。
 
(38)     正義は日本に於て行はれ得る乎
                       明治34年2月1日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
 近き頃千葉地方に或る友人を訪問せし時に彼は余に題目の如き質問を掛けたれば余は大略左の如く答へぬ。
 然り全く行はれ難きに非ず、今日の日本人なればとて良心を有する人間なれば、彼等とても正義に賛成せざるに非ず、然れども病的社会の悲さに今日の日本に於ては正義は永くは成効せざるなり、其成効すると見るや、多くの俗人は直に之を真似んと欲し、猫も杓子も正義を唱道するに至り、為めに正義の価値は忽に下落して瓦礫同様たるに至る、亦嫉妬深き此社会は寄て集《たかつ》て正義を引き下さんと欲し、彼に多くの悪名を附し、彼に多くの悪意を帰し、彼に就て多くの悪評を捏造《でつざう》して之を伝布し、彼をして正義に就て嫌悪の念を懐《いだい》て終に之を放棄するに至らしむ、加之《しかのみならず》今日の日本には正義を利用して私慾を充たさんと欲する者甚だ多く、彼等は種々の方法を尽して之に接近し、その名に依て自己の罪悪を掩ひ、大に社界に雄飛せんと欲す、而して一朝彼等の目的を達し得ざると見るや、正義敵対の位置に立ち、彼の弱点を捉へ、之を社会に曝露し、其嫉妬的賛成を得て己れの名を作らんと欲す、斯くて正義は内外の攻撃に遭ひ終に之に堪へずなりて全く社会を棄去るに至る、日本今日の社会に在て其何れの方面に於てするも正義は到底此厄難より免る能はず、故に余は云ふ今日の日本に於ては正義の永続は決して望むべからずと。
(39) 時に友人は亦余に問ふて曰く「然らば吾人は正義を放棄すべきや」と、余は彼に答へて曰く「否な、然らず、決して然らず、吾人は失敗と嘲弄と虐待とを期して正義に服従すべきなり、吾人は如斯き国人に義人として誉られんと欲すべからず、否な、彼等に斯く称揚せらるゝ事を以て吾人の大恥辱と見做すべきなり、斯の如き社会に在ては吾人は国民の輿論なるものを全く蔑視し、彼等に大不忠、大不孝、大偽善者として名指さるゝことを以て此上なき名誉と信じ、静かに謙遜に此世を終るべきなり」と、時に友人は嘆じて曰く、「嗚呼然るか、然らば余に於ても大に満足する所あり」と。改行
 
(40)     日本現時の道徳
                       明治34年2月2日
                       『万朝報』
                       署名 不動
 
 孝行とは親の云ふが儘に任かし、彼が毒を飲まんとするも薬なりとて是を勧むることなり。
 友誼とは友人の尻拭を為し、彼が監獄に入らんとする時に法官と代言人との間に周旋し、彼をして再び罪悪を犯し得るの地位に帰らしむることなり。
 愛国とは自身金を儲けて国益なりと世に風聴《ふいちやう》することなり。 恭謙とは上官に向てペコ/\然として腰を曲げ、彼の愛顧に依て昇進の恩恵に与からんと欲することなり。
 其他忠君なり、勤倹なり、概ね此類にあらざるはなし。
 
(41)     寒中の快楽
                        明治34年2月7日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
 夏は貧乏人の季節にして冬は金持の時節なりと云ふ、然れども冬季亦我等下層の民に多くの快楽を供せざるにあらず、余は今茲に其二三を述ぶべし。
 第一は朝早く起き冷水に手拭を浸し寒風骨にまで透達せんとする時に捷然皮膚を摩擦することなり、全身に新生命の注入せらるるが如き感ありて其快楽身を黄金水に浸さるゝに勝る。
 第二は天文の快楽なり、十八の第一等星中其十二は冬期の空天《そら》に於て北半球に住する吾人の頭上に輝くなり、殊に天上第一の光栄を有すると云ふ参宿《しんしゆく》即ちオライオン星は冬期に於て吾人の頂点近く来るものなれば冬夜《ふゆのよ》雲霧《もや》晴れて空中一塵を留めざる時の如きは其燦爛中秋の満月に勝る万々なり、ペテルギユースは上にあり、ライゲルは下にあり、共に一等星にして前者は赤光を放ち後者は青光を雑ふ、二者の中間に三星の一列をなして帯状《たいじやう》をなすあり、其下に刀星《スオード》の一列珠珞の如くに懸るあり、参宿の西北にアルデパランあり、東南にシリアス(天狼星)あり、共に亦一等星にして宿の荘実に更に清輝を加ふ、殊に秋夜月に対して酒を汲む者あるに比して惰夫は皆な悉く戸を閉ぢて娯楽に耽ける此なれば、冬夜の美に更に一層の清興ありと云ふべし。
 第三は家庭の快楽なり、家に暖炉なきも可なり、炬燵の微温亦以て家人の心を繋ぐに足る、之を中心に放光的(42)に座を占め、人生を談じ或は嘆じ或は笑ふ、詩人ホイチヤーの名作「雪籠り《スノーバウンド》」の一団に及ばずと雖も而も此の日本的の団欒に亦欧米人の知らざる快楽あり。
 其他読書の快楽、焼芋の快楽、大福餅の快楽等ありて、余輩は寒中なればとて其速かに去らんことを好まず。
 
(43)     新開の無き国
         (勿論今日の日本)
                         明治34年2月15日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
 日本国に新聞雑誌の数は甚だ多い、第十九統計年鑑に依れば全国に八百二十九種あるさうだ、然しながら新聞なるものは日本には殆んど無いと云ふても宜い、新聞とは読で字の通り新聞である、耳新らしい事であるは勿論、何にか人類が今日まで知らなかつた事でなくては新聞とは云はれない、同じ事の繰り返しは決して新聞ではない、コペカスの地動説であるとか、ハムプデンが身は富豪でありながら民の自由の為めに国王より命ぜられし税金二十五銭を払はなかつたと云ふ事であるとか、ガリソンが全社会に反対して独力独身で奴隷廃止主義の新聞紙を発行したと云ふ事であるとか、又近くは米国の電気学者なるニコラ、テスラが火星より発せし電信に接したと云ふ事であるとか、斯う云ふ事が真正の新聞である。
 然るに日本の今日には斯んな事は少しもない、日本で云ふ新聞なるものは決して新聞ではない、日本政府で増税案を出せば其議会は之に賛成すると極つて居るから此事に就て別に新聞紙を見るの必要はない、日本には義人君子は一人も居ないと極つて居るから或る剛直の士が身を政府に売たとか、或は外人を欺して金を貪つたとか云ふ事を聞いても決して珍らしくはない、自殺する情夫淫婦の名こそ異なれ、同じく是れ此宗教も道穂も消えて了(44)つた絶望せる社会の現象と見れば決して奇な事ではない、此国で廃娼運動であるとか、労働問題であるとか騒ぎ立つる者があつても、遠からずして直に消えて了ふものと極まつて居るから其成行に就て別に注意するの必要はない、大著述の出でやう筈がないから新刊批評に眼を注ぐの必要はない、広告と云へば大抵|虚偽《うそ》八百と極つて居るから、之を読まない方が反て欺さるゝの憂はない、只折々気象台の報告と梅信《ばいしん》と白米小売相湯の上下位を見て置けば事が足りるのであつて、其の外日本の新聞紙を読むの要は一つもないと云ふても宜い。
 斯う云ふ新聞の無い国であるから、何にも八頁だとか、附録附き十六頁だとか云ふ大新聞を出すの必要もなければ亦之を読むの必要もない、夫れであるから日本国に在ては新聞は万朝報一枚を読んで居れば沢山である。
 
(45)     預言者エレミヤ祈祷文の一節
                      明治34年2月22日
                      『聖書之研究』6号「題語」
                      署名なし
 
〔画像略〕『聖書之研究』6号1頁
 
 人の途は自己によらず、且つ歩む人は自らその歩履《あゆみ》を定むること能はず、彼は自身己が欲するまゝに世に処するを得ず、彼に彼の前途を定むるの明と力とあるなし、彼は彼の欲せざることを為さゞるべからず、彼は彼の欲(46)することを放棄せざるべからず、彼は彼の運命の支配人にあらず、彼は憫むべき迷ふ羊の如き者、纔に寸前を探り得て遼遠を知らず、神よ願くは我をして時々刻々爾の指導に依らしめよ。
 
(47)     〔悪に勝つの法 他〕
                      明治34年2月22日
                      『聖書之研究』6号「所感」
                      署名なし
 
    悪に勝つの法
 
 聖書は吾人に教へて云ふ、汝悪に勝《かた》るゝ勿れ善を以て悪に勝つべしと(羅馬書十二章廿一節)、然れども悪は強くして善は弱し、故に一の善は一の悪に勝つ能はず、若し善を以て悪に勝んと欲せば吾人は百の善を以て一の悪を征服せざるべからず、若し悪が吾人に対して憎悪の小銃を発つ時は吾人は之に応ずるに好意の大砲を以てせざるべからず、若し彼れ吾人に注ぐに怨恨の毒水一杯を以てすれば吾人は之に酬ゆるに愛心の洪水を以てせざるべからず、吾人が多数を以て少数を圧せんとするは吾人が善を以て悪を征服せんとする時に限る。
 
    棄てられたる石
 
 工匠《いへつくり》の棄てたる石は家の隅の首石《おやいし》となれり(馬太伝二十一章四十二節)、父母に棄てられたる子は家を支ゆるの柱石となり、国人に棄てられたる民は国を救ふの愛国者となり、教会に棄てられたる信者は信仰復活の動力となる、「是れ主の行《な》し給へることにして我儕の目に奇《あやし》とする所なり」、舜然り、ダンテ然り、ルーテル、ウエスレ(48)ー皆な然らざるなし、之に反して寵子は父母を悩まし、寵臣は国家を危ふし、教会の愛児は無神論を唱ふ、吾人は父母と兄弟と国人と教会とに嫌悪せられて反て吾人の名誉を感ずべきなり
       ――――――――――
 
    憤怒の害
 
 憤怒は一時的発狂なり、精神を害ふのみならず、亦脳を害し、胃を害し、心臓を害す、世に憤死する者あるは身に毒素を醸して自殺するに依る、吾人は怒て害を他人に加ふるのみならず、亦更に大なる危害を吾人自身に加ふ、怒る者は愚人なり、彼は己を鞭ち、他を責めんとして反て己れを罰しつゝある者なり。
 
    平靖
 
 平靖ならざる悲憤は浅き悲憤なり、平靖ならざる愛は浅き愛なり、平靖ならざる歓喜は浅き歓喜なり、激せざれば怒る能はず、熱せざれば愛する能はず、躍らざれば喜ぶ能はざる者の喜怒哀楽の度は知るべきのみ。
 
    信頼の益
 
 吾人が神に頼る間は吾人に逆ふ者は神に逆ふ者なり、而して神は彼に逆ふ者を罰せざれば止まざれば、吾人慎んで彼の裁判を待て可なり。
 吾人が神に頼る間は吾人に頼る者は神に頼る者なり、而して神は彼に頼る者を恵まざれば止まざれば、吾人は(49)宜しく吾人を信穎する者を神の手に委ねて彼の指導を待つべきなり。
 吾人をして先づ神に頼らしめよ、然らば神は吾人に代て鞫き、吾人に代て彼の恩恵を分与し給はん。
 
    善悪の鑑別
 
 喜んで人の悪事を語る者は悪人なり、喜んで人の善事を語る者は善人なり、喜んで人の悪事を聴く者は悪人なり、喜んで人の善事を聴く者は善人なり、善人は悲痛を感ずることなくして人の悪事を語る能はず、悪人は不快の念を懐くことなくして人の善事を聞く能はず、人の悪事を聴て吾人は先づ其之を語りし人の悪を信ずべきなり。
 
    無力なる基督信徒
 
 真正の基督信徒たらんと欲せば論語を講ずるよりも多く聖書を究むべし、政治を談ずるよりも多く宗教を学ぶべし、釈迦、孔子、ダンテ トルストイの心を知らんと欲するよりも深く基督の心を探るべし、然るに世には往々にして論語を繙読するに忙はしくして聖書を塵挨の下に埋め、政治の万能を説て信を宗教の実力に置かず、トルストイ文学の普及を計て世の改善を計らんとするが如き基督信者あり、宜なり彼等叫べども彼等の声に応ずる者なく、彼等撃てども彼等の打撃に痛痒を感ずる者なきは、
 
    一種の八方美人主義
 
 パウロ哥林多人に書き送て日く
(50)  ユダヤ人には我ユダヤ人の如くなれり、是れユダヤ人を得んためなり、又律法の下にある者には我律法の下に在ざれども律法の下にある者の如くなれり、是れ律法の下にある者を得ん為めなり、律法なき者には我律法なき者の如くなれり 是律法なき者を得んためなり、……柔弱者《よはきもの》には我れ柔弱者の如くなれり、是れ柔弱者を得んためなり、又総ての人には我その総ての人の状に循へり、是れいかにもして彼等数人を救はんためなり、(哥林多前書九章二十、二一、二二、節)。
と、是れ確に一種の八方美人主義なり、而も道を伝へんと欲する者に此慈愛的大度あるを要す、詩人ホツトマン曰く「我が衷に矛盾あり、そは我は大なればなり」と、人類を抱括するに足るの愛心ありて吾人は何人に向ても彼のあるが如くに成り得るなり。
 
    有と無
 
 有るが如くに見えて実は無きに等しき者は人なり、無きが如くに見えて実は最も確実なる実在者は神なり、然るに人は人の評言を苦慮して神の裁判を思はず、彼等は空砲の音に怖《おぢ》て実弾の飛来を意とせず。
 
    義人と罪人
 
 余輩は未だ曾て義人を以て自から任ぜし事なし、然るに世には余輩の仮面を剥ぐと称し余輩の非を挙げて得々たる者ありと聞く、世は未だ神の前には罪人の首《かしら》を以て自から任ずる基督信徒の心を知らず。
(51) 義人とは儒教或は仏教を以て養成されし者の理想的人物ならん、然れども余輩の称する義人なる者は神に由て義とせられし者にして自ら義を立てんと欲する者に非ず、基督教の義人とは「贖はれし罪人」にして是れ儒教も仏教も未だ曾て夢想だもせざりし人物なるべし。
       *     *     *     *
 世の義人は余輩に就て失望すべし、亦余輩は永く彼等の希望を繋がんとは為ず、然れども来れ世の幾多の罪人よ、吾等は吾等の罪と瑕瑾とに就て語らん、吾等は先づ罪に於て兄弟姉妹となり、然る後に手に手を執て共に救主の許に至り、彼の贖罪の恩恵に与からん、吾等は世の義人に唾《つばき》せらるゝも可なり、たゞ偏に教主の哀を乞はんと欲す、余輩は義人の群を去り、罪人と伍を共にせんことを願ふ。
       *     *     *     *
 我は善なりと思ふ時は我の悪なる時なり、我は悪なりと思ふ時は我の善に立ち帰りし時なり、我は善なれば他人の悪を矯めんとする時は我の極悪に陥りし時なり、自己の善悪を判別するの法は是を除て他にあるなし。
 
    基督教の女性
 
 善は女性にして悪は男性なり、善は弱くして強し、悪は強くして弱し、善は負けて勝ち悪は勝て負く、基督教が女性的なるは其最終の勝利者たるの証なり。
 
(52)     洗礼晩餐廃止論
                      明治34年2月22日
                      『聖書之研究』6号「思想」
                      署名 内村鑑三
 
 二十年前の昔、余が建設の特権に与かりし札幌独立教会に於て今般洗礼晩餐両式の存廃問題起りたりしとて此の事に関する余の意見を問はれたれば余は大略左の如く答へぬ。
 第一に余自身は深く教会問題に関与するを好まず、余は信ず余の天職は福音宣伝に在つて教会設立になきを、余は余の天職以外の此の事に関与して多くの兄弟を礙《つまづく》し、之れが為めに多くの世の反抗を招き、以て余の福音宣伝事業に障害を生ぜんことを怖る、余は勿論反抗其物を怖るゝ者にあらず、然れども基督教信徒として不必要なる反抗は総て之れを避けんと欲す、洗礼晩餐両式の存廃は余の今日の事業に何の関はる所あるなし。
 第二に余は洗礼晩餐の両式を以て救霊上の必要とは信ずる能はず、余自身は過る十五年間未だ曾て一回も晩餐の式に列りし事なし、然れども余は之が為めに余の信仰の冷却するを覚えざるのみならず、神の特別なる恩恵に由て日に月に益々神に近きを感ず、而して之れに反して正式の洗礼晩餐を受け、又は之れを授けし人士にして今は全く宗教を去りし人尠しとせず、樹は其の果を以て知らる、洗礼晩餐の両式にして必しも信徒の信仰を維持するの力を有せず、亦其教師の心をキリストの心の如く柔和温順なるものとならしめざる以上は余は之を以て救霊上の必要と見做すこと能はざるなり。
(53) 第三、然れども余は此の両式を蔑視する者にあらず、否な反つて余は之れに対して非常の尊敬を表するものなり、洗礼は基督御自身がバプテスマのヨハネより授かり給ひし式として、晩餐は基督受難の紀念として余は其の非常に美はしき式なることを知る、故に余は之れを以て救霊上の必要とは見做すこと能はざるも之れを受けて我等の信仰養成上尠なからざる利益あるを疑はず、故に若し余にして兄弟を礙することなくして之れを施すことを得ば余は之れを施さんと欲す、亦若し余の尊敬する教師ありて之を余に授けんとなれば余は感謝して之れに与からんと欲す、然れども若し人ありて水の洗礼を受けず、教会の晩餐式に列なるにあらざれば余は救はれざるべしと云ふ者あれば余は余の聖書に従つて余の精神的自由を唱へ如斯き説に服従せざらんとす、我儕は信仰に由て救はる、行為《おこない》(儀式的)に由て救はるゝにあらず、之れに与かるは可し、与からざるも可し、要は十字架に釘けられし神の子の罪贖を信ずるにあり、其他の事は細事のみ。
 第四、然ら幌独立教会の如き何れの教派にも関係を有せざる教会に於ては此事を如何に所直すべきやと云ふに余の思ふ所は左の如し。
 若し他の教会全躰が喜んで独立教会の撰定する教師を識認し、兄弟的好意を以て彼を迎へ、其の為す所(両式の執行をも含む)に何の故障をも唱へざるに至らば余は教会が此等の聖式を保存し、適宜に之れを施して信徒の信仰養成を計らんことを勧む、然れども今日の如く如斯き事の到底行はれざる場合に於ては教会は全然此等両式を廃して可なり、そは吾人は出来得る丈け総ての人と平和を守り、福音の進歩に妨害を加へざるやう努めざるべからざればなり、事若し教理上の大問題ならん乎、例令ば基督の人格《ペルソナリチー》に関するが如き大問題ならん乎、吾人は何人と争ふても吾人の確信を守るべきなり、然れども事外形上の儀式に関す、之れ兄弟と争ふてまでも吾人の主(54)張を維持すべき事にあらず、吾人は喜んで洗礼其他の式を現在の諸数会に任かせ、彼等を以て洗礼を授ける者(baptizers)となし、而して我等は福音宣伝者(evangelists)の職を以て満足し、感謝して熱心に之に従事すべきなり。
 第五、然れども人或は云はん、洗礼晩餐はキリストの定め給ひし聖式なり、之を守らざるは信者にして信者にあらずと、而して彼等は馬太伝第廿八章十九節を引き、又路可伝第廿二章十九節を引て彼等の説を維持するならん、然れども是れ彼等と余輩と説を異にする所にして、此点に就ても他の点に就ての如く余輩も彼等と等しく自身の判断力を使用すの特権を有す、余輩も人を救ふに洗礼を施さんとす、然れども是れ教会に於てする水の洗礼なるや否やは余輩の疑問を插む所なり、洗礼と訳られし希臘語は其中に浸すとか湿すとかの意味を存するならん、然れとども事実は人を救ふに足るの洗礼は水の洗礼にあらざるを示して明かなり、或は火の洗礼と云ひ、雲と海にてバプテスマを受けてモーゼに属せり(哥林多前書第十章二節)と云ふ、洗とは心の汚穢を洗ふの意なり、而して縦令ヨルダン河の水なりと雖も心を洗ひ浄むるの能力を有せざるなり、洗礼が救霊上の必要なりとは是れ勿論神の霊を以てする霊魂の洗礼を云ひしものなることは余り明瞭に過ぎて余輩の弁論を要せざるなり。
 晩餐に於けるも亦然り、余輩は基督の言に従ひ、人の子の肉を食はず其血を飲まざれば我儕に生命なきを信ず(約翰伝第六章五十三節)、然れども是れ如何なる意味に於て然るかは基督の救済に与かりし者のみ知る也、余輩は晩餐なるものゝ此余輩の心中の実験の表彰に過ぎざるを知る、而して其表彰の方法に至ては人各其撰ぶ処に順て可なり、之を教会に於て会衆と共に教師の手よりパンと葡萄酒を受けて食ひ且つ飲むも可なり、或は心に深くキリストの贖罪の恩恵を感ずる時に親友二三名と共に深林人無き処に到て此処にパンを割き清水を飲むも可(55)なり、然れ共基督の聖意に適ふ最も善き聖餐は貧者と共に飲食を分てキリストの心を喜ばすにあり、晩餐の方法は一つにして足らず、何んぞ必しも銀の皿に盛れるパンを食ひ銀の杯に盈る葡萄酒を飲むことのみ晩餐式と称ふを得んや。
 第六、斯く論ずるも世には水の洗礼を受けざれば信徒となりし心地せず、会堂に於ける晩餐式に与からざれば心に不足を感ずるの信徒もあらん、而して余輩は如斯き兄弟姉妹に対しては彼等の心を満足するための凡ての援助を供し、余輩自身は今日此聖式に与かるの必要を感ぜざるも、余輩は彼等を之を施行する教会に紹介し、之に転会を勧め、以て永く彼等の信仰を維持せんことを努むべきなり、余輩は自から此式を司て現在の諸数会と争論を開始するを好まず、然りとて之に与からんと欲する者をして強ひて余輩と行為を共にせしむるをも好まず、故に今日の所平和を重ぜんとすれば教会一部の分離を敢てするのみ。 第七、或人は云はん、洗礼晩餐は細事のみ、故に教会の分離を断行してまでも其存廃を決すべきにあらずと、然れども是れ細事にあらざるなり、余輩は之を細事と見做す、然れども現在の教会全躰は之を教会存在上の最大事と見做すなり、彼等は之を施すの特権を以て容易に他に附与すべきものにあらずとなし、彼等の或る一定の宗式に服従せざる以上は何人にも此特権を分与せんとは為さゞるなり、而して如斯き場合に於て洗礼晩餐を彼等に依頼するは余輩が以て福音の自由と信ずるものを否定することにして、是れ余輩に取ては重大事なり、余輩は現在の教会にキリスト信徒とし見做されざるも可なり、亦余輩の教会を以て基督の教会にあらずとして名指さるゝも可なり、然れども余輩の信仰の自由を犠牲に供せんことは余輩の死すとも能はざる所なり、故に洗礼晩餐を彼等に依頼して彼等は余輩の独立を認めざるべく、亦此依頼の必要ありて余輩は未だ全く独立せりと云ふべかざる(56)なり。
 第八、教会と名附けらるゝも可なり、名附けられざるも可なり、要は心に主イヱスキリストを信ずるにあり、洗礼を受けずして熱心にキリストを信ずる人あり、晩餐式に列つてキリストの聖名を涜す人あり、而して二者執れを撰ばんとあれば余輩は勿論前者を撰ぶなり、聖式に与からざるが故に堕落の危難を感ずる者は之に与かるも何時か必ず堕落する者なり、之に反して主の撰び給ひし者は之に与からざるも最終まで信仰を維持する者なり、故に吾人をして茲に断然聖式不必要論を実行せしめよ、而して之を実行して世の形式に誇る者に主の恩恵の愈豊かなるを知らしめよ、余輩は信ず聖式に附着する多くの迷想誤信を排し、之をして再び其真正の効果を奏せしめん為には先づ一度之を廃し、霊の力のみに頼て然る後にその霊の実力の表彰なるを知らしむるにあり、独立教会の天職或は此辺に存せざるなき乎。
 
(57)     基督信徒の謙遜
                      明治34年2月22日
                      『聖書之研究』6号「説教」
                      署名 内村鑑三
 
 キリスト教は忠に就て、又は孝に就て、又は愛国に就て余り多く説きません、之は何にも忠孝に重きを置かないからではありません、キリスト教が忠孝に冷淡なるやうに見えまするのは之を以て枝葉の道徳と見做すからであります、キリスト教は人類に根本的道徳を教ふるために世に顕はれたものでありますから先づ混濁を其源に於て清めまして余は之を自然の成行に任かします。
 爾《さう》して斯くも忠孝に冷淡なる様に見えるキリスト教は謙遜の穂に就ては非常に力を籠めて説きます、是は実に奇態な事でありまして、聖書は其始より終に至りまする迄、謙遜を励まし、傲慢を責むるの語は殆んど其中に連続して居ると云ふても宜い程であります、故にカーライルは基督教に定義を下して「之れ謙徳を教ふるの宗教なり」と申しました、恰も儒教が忠孝を説き、仏教が慈悲を教へまするやうに基督教は謙遜を説きます、謙遜は実に基督教の要石《かなめいし》とも称すべき者でありまして、其説く所の謙遜なる者の何たる乎を知て始めて基督教の何たる乎が分るのであると思ひます。
 故に私は先づ茲に基督教で申しまする謙遜とは如何なる者である乎に就てお話し致さうと思ひます、支那文字では謙は慊と同じでありまして「アキタラヌ」の意であると申します、即ち己れに就て不満足を感ずることであ(58)ると申します、或は謙は抑であるとも申します、即ち己れを抑ゆることであると申します、故に謙遜とは己れを抑へて人の前より引き退くの意であるやうに思はれます、即ち俗に云ふ「デシヤバラヌ」と云ふことであまして、殊に内気の婦人などに就て東洋人が一般に重んずる美徳であります。
 勿論キリスト教の謙遜にも此譲退又は卑下の意のないことはありません、哥林多前書第十四章三十四節にある「爾曹の婦女等は教会の中に黙すべし、彼等の語るを許さず、彼等は律法《おきて》に云へる如く順ふべき者なり」との保羅の言は確かに此支那風の謙遜を教へたものであります、謙譲謹慎は何人に取り何れの場合に於ても美徳でありまして私共は縦令外面だけたりとも己れに勿体を附けぬやう努めねばなりません。
 然し基督教で云ふ謙遜はこれ丈けではありません、英語のヒユーミリチー(humility)は漢語の謙遜よりも尚一層基督の理想に近い詞であります、ヒユーミリチーはヒユーマニチー(人道)と同じくヒユーマス(humus)即ち「土」なる根詞より来りし詞であるさうです、即ち「地に就く」或は「地を見る」の意でありまして、「身を土に附ける」とか、又は「下を見る」とか云ふ義であるさうです、即ち貴人の前に出て自己の卑賤なることを悟りし時の感、又は己れに耻ぢて面を擡げ得ずして下を見る時の状を云ひし詞であると思ひます、ペテロがキリストの奇蹟を見て忽ち自身の不能を悟り、イエスの足下に俯して「主よ我を離《さ》り給へ我は罪人なり」と曰ひしは此種の謙遜を感じてゞあります、(路可伝五章八節)、又神が棘《しば》の中よりモーセに現はれ彼に神の使命を伝へ給ひし時に「モーセ神を見ることを畏れてその面を蔽《かく》せり」とありまするのも亦此種の謙遜に打れたからであると思ひます、聖書は高ぶることを面を上げるとか角を高くするとか申しまして、其反対なる謙りくだることを「面を土に附ける」と云ふのは適当であると思ひます、
(59) 「デシヤバラヌ」と云ひ又は「控へる」と云ふが如き外形的の行為ではありせん、又は己れの不浄を耻て身を蔽くすに止まりません、基督教の謙遜とは自身の価値《ねうち》を知ることであります、語を替へて申しますれば神に対して己れの零屑なることを悟ることであります、私共が之を謙遜と申しまするのは英語で矢張り之をヒユーミリチーと言ふのと同じでありまして、其字義に於ては足りない所がありますが、其普通私共の用ゆる詞でありまするが故に之に特別の意味を附して用ゆるのであります、漢語に謙虚なる熟字があるさうですが之は確かに謙遜と云ふよりは基督教の理想に近い語であります。
 空虚《むな》くなることであります、心中無一物になることであります、我に我が属《もの》と称ふべきもの、一つも無くなることであります、是が基督教で称ふ謙遜であります、爾うして斯くなりまするのは何にも謙遜の美と益とを知るが故に無理にならふとするのではありません、空虚は実は我々人類の本性でありまして、我々に何にか我が属と称ふべきものがあると思ふのが抑々誤謬の根原であるのであります、「我れ裸にて母の胎を出たり、又裸にて彼処に帰らん」、(約百記一章二十一節)、私共に財産があると申しますが之は私共が人に対して云ふのでありまして神に対して云ふのではありません、神に対しては私共の財産は依托であります、即ち神より預けられたものであります、其証拠に如何なる豪農豪商でも死んでその財産を持行くことは出来ません、経済学上の凡ての難問題は人が皆な「財産是れ依托なり」とのキリスト教の真理を悟つて始めて解けるものであります。
 爾うして依托は財産に限りません、私共の身躰、私共の智識、私共の霊魂、私共の道徳、私共の謙遜其物までが皆な神の賜物でありまして、是れ皆な私共が我が属と云ふことの出来るものではありません、自由とはわれが(60)我が身を自由にする事であると思ふ人は未だ自由の何たるかを知らない人であります、ヱホバの神を自由の神と称へまするのは彼は亦自由の持主であるからであります、自由とは神に服従することでありまして、神の律法を離れて私共は罪の奴隷となるものであります。
 然し世には富と体とは神の賜物であることを知る者は有りますが、徳も亦神の賜物であることを知て居る者は実に尠くあります、然し能く考へて見ますれば我々人間は我々の徳に就ても誇ることの出来るものではありません、我は正直である、我は潔白である我は高尚《ノーブル》であると誇る人は実は正直でも、潔白でも、高尚でもない人であります、私共が比較的に正直なるは私共の教育が其宜しきを得たからでありませう、又は私共の境遇が私共を詐欺の罪に誘はないからであるかも知れません、殊に神が私共に良心なるものを賜ひまして、私共をして悪を怖れ善を貴ばしめ給ふのは是れ確かに神の恩恵に由るのであります、使徒パウロが申しました「善なる者は我れ即ち我肉に居らざるを知る、そは願ふ所われに在れども善を行ふことを得ざれば也」とは完全無欠の生涯を送らんと努る人の凡て実験する所であります、私共は善を為し得て神が特別に私共を助け給ふのを知るのであります。
 爾うして人は又彼の謙遜に就て誇ります、彼は彼の所有物に就て誇るを止めて、彼の肉体に就て誇るを止めて、彼の学問に就て誇るを止めて、彼の徳と信仰に就て誇るを止めて、彼は終りに彼が誇らぬ事に就て誇ります、即ち彼の謙遜に就て誇ります、故に聖書には偽はりの謙遜に就て誡めてあります、(哥羅西書二章十八節を見られよ)、私共は謙遜其物となりまして、私共の謙遜に就ても謙遜にならなければなりません、即ち私共は十字架のキリストの他は何にも心に留めざるやうになりまして、私共の誇りは惟彼一ツにならなければなりません。
 基督教の救済と云ふことに就ては種々の解釈があります、然し其最も明白なる意味に於て救済とは私共を全く(61)謙遜ならしむる事であると云ふ事が出来ます、先づ第一に人世に幾多の悲惨なる事があるのは是れ皆私共を謙りくだらせる為めではありません乎、私共が些かの財産に就て誇ります故に火災があり、震災があり、虫害があり、盗難がありまして、私共に世の宝財なるものゝ如何に果なき者であるかを知らしまする、又私共が肉体に就て誇りまする故に神は多くの疾病なるものを下し給ひ、玉の如き美人も一朝にして醜悪見るに堪へざるものとなり、鬼神を哭かしむるが如き大丈夫も羸弱扶けを人に借りざるを得ざるに至ります、若し疾病なるものがありませんでしたならば人間とは如何に傲慢なる者でありましやう、爾うして時には側にも寄り附かれぬやうな威張つた人が病の為めに打ち萎れ、それが為めに打つて変て小羊のやうな柔和なる人となるのを見まして、私共は病なるものゝ必しも悪しきものではない事を了るではありません乎。
 又私共が学問に就て誇りまする故に学者間に嫉妬競争が起り、信仰に就て誇りまするが故に教会と教会と牧師と牧師との間に嫉妬怨恨を生じ、徳に就て誇る大儒碩学と称する人も亦猜疑の魔鬼の追ひ立つる所となります、人世の悲劇を悉く其根原に於て調べて御覧なさい、皆な我等人類の傲慢を矯めるためである事が分ります、我等が以て苦痛と見做しますものは皆な我儕の救拯を全ふせんための神の恩恵に出しものでありまして、私共は所謂「苦痛の哲理」なるものを攻究致しまして神の恩恵の測るべからざるを知るのであります。
 是は人間の方面より観ての事であります、若し亦神の方面より同一の問題を攻究致しますれば人を謙遜ならしむる事は我等人類に関する神の大御心の存する所であることが分ります、キリストの降世とは何の為めでありますか、是も矢張り我等人類に謙遜の美徳を促す為めではありません乎、至高《いとたか》き者が至低き者となりて生れ、宇宙の主宰が此世に生れ来て枕する所だもなく、愛の泉源なる神の独り子が人に憎まれて十字架の死を遂げ、栄光の(62)主が耻辱の極を味ひ給ひしとは是れ何を我等に教ふるためでありましやう、キリストは我等に謙遜を促して我等を救ひ給ふのであります、キリストの十字架上の死を贖罪の死と申しますのは何にか此辺に深い意味を存して居るのではありますまいか、人はキリストの神なる証拠を彼の行し給ひし奇蹟に於て求めます、然し私の考へまするに奇蹟は必しも之を行ふ人の神性を証拠立てるものではないと思ひます、奇蹟を行《な》すの能《ちから》は使徒達にも与へられました、聖書は奇蹟の故を以てのみキリストは神であるとは教へません、私が常に以て誤なきキリスト神性論の証拠と致しまするものは腓立此章第二章六節以下にある使徒パウロの言であります、
  彼(基督)は神の体にて居りしかども自から其神と匹《ひとし》く在るところの事を棄難きことゝ意はず、反て己を虚うし、僕《しもべ》の形状《ありさま》にて現はれ、己を卑くし、死に至るまで順ひ、十字架の死をさへ受るに至れり、是故に神は甚しく彼を崇めて諸の名に超《まさ》る名を之に予へ給へり、此は天に在るもの地に在るもの及び地の下に在るものをして悉くイエスの名に由て膝を屈めしめ、且つ諸の舌をして悉くイエスキリストは主なりと称揚して父なる神に栄を帰せしめん為めなり。
 キリストの如き謙遜は神ならでは行し得ざる謙遜でありまして、此謙遜に由て彼は今は人類の教主として父なる神の右に座し給ふとの事であります。
 故に私共キリストを信ずる者は先づ第一に彼の如く己を虚うしなければなりません、主にして其栄を棄て我等人類の中に住み給ひしとならば我等彼の僕たる者は世に所謂栄華快楽なるものを悉く去て主の命じ給ふ所とあれば何処なりとも行かねばなりません、主にして十字架の耻辱を受け給ひしならば我等は世の嘲弄迫害位に辟易してはなりません、我等の崇むべき神とは惟り天の高きに在して栄光を以て己れを繞囲し給ふ者ではなくして、反(63)て卑しき労働者となりて此世に降り給ひし者なるを知て、私共の神に関する思想は一変し、従て私共の生涯も其根本より一変すべき筈であります。
 爾して又美はしき楽しき生涯とは謙遜の生涯であります、謙遜でなくては平和も満足もありません。詩人ハイネの語に「汝の蝸廬をば谷に造れ山巓に於てする勿れ」と云ふがあります、即ち幸福は世人の仰望注目する処に於ては無いとの意であります、人望を博するとか申しまして人に誉められんとすることがどれ程の嫉妬と憎悪との源因であるかは人世に少しく通ずる人の能く知る所であります、猜疑、貪婪、暴很、争闘、讒害、毀謗の諸悪を我等の心の根底より排除致さんとしますれば我等は先づ基督教的に謙遜、即ち虚にならなくてはなりません。
 我等は何故に他人を嫉みまするか、我は彼より勝つた者であるのに、彼に臨《きた》りし幸福の我に臨らぬを憤るからではありません乎、然しながら我の無一物なるを知て、神の我に与へ給はざるものに我がものと称すべきものゝ一もなきを知て、私共は何にも他の人を猜む理由はありません、神の聖意に順て彼は彼たるを得、我は我たるのであります、此事を知つて私共は他人の幸運に依て少しも私共の心を煩はさないやうになります。
 又何故に私共は怒りますか、私共の欲ふことが其やうに行はれないからではありません乎、然しながら慾なるものが全く私共の心に無くなりまして私共に怒る原因がなくなります、憤怒とは短気の結果でありまして、神の心を以て我が心となす者は希望を永遠に繋ぐ者でありますから、如何なる反対妨害に遭ひましても苦もなく之に勝つことが出来ます。
 又何故に私共に不平が多くあります乎、私共の心に盈たされぬ慾望が多くあるからではありません乎、然しながら先づ慾望なるものを退治しまして不平は自から消え失すべきものであります、単数も若し零を以て除すれば(64)不限に等し(1/0=8)との哲人ノーバリスの言は実に大なる真理であります、富を増す方法の第一は世間普通の法、即ち富を増殖《ふや》す方法であります、第二は基督信徒の方法でありまして即ち慾を減ずる法であります。
 さうして偉大なる人とは実に皆な謙遜なる人であります、神の人モーセは「その人為温柔(謙遜)なること世の中の諸の人に勝れり」と書いてあります(民数紀略十二章三節)、冷水一杯と※[麥+面]麺一片の他に何も求むる所なかり
しソクラトスは希臘第一等の人物でありました、裏店に蟄居して人智論を著はした哲学者ロツクは大革命を惹き起すに足るの人物でありました、珊瑚虫や蚯蚓など人が一般に蔑視す小虫に終生の研究を積みしダーウヰンは十九世紀の思想界を一変した人物でありました、キリストは申されました
  凡て労《つかれ》たる者、また重きを負へる者は我に来れ、我爾曹を息ません、我は心柔和にして謙遜者なれば我軛を負ひて我に学べ、爾曹心に平安を獲べし、そは我が軛は易く我が荷は軽ければ也(馬太伝十八章二八、二九節)と、凡て競争に労れたる者、凡て心配の重荷を負へる者、凡て憤怒の火に己れの身を焦す者、凡て怨恨の焔に己れの心を焼き尽しつゝある者、凡て不平の毒素に侵されて学も徳も少しも進まざる者は速にキリストに来り、其柔和なる謙遜なる心を学んで、心に平安を獲べきであります。
 
(65)     貧乏人と宗教
                      明治34年2月22日
                      『万朝報』
                      署名 内村生
 
 貴族は頼るに政府あり、富者は頼るに財貨あり、彼等病まん乎、或は威厳を以て、或は金銭を以て彼等は自由に医師の技術を使用するを得べし、彼等若し死することあらん乎、政府は特に彼等の位階を進め恩賜を増し、彼等の遺族をして彼等死せしが故に返て一層の栄光に誇らしむ、彼等死して自身奈落に行くの恐怖あるの外、彼等の後事に就て一つも慮る所あるなし、彼等が一般に不道徳にして且つ無宗教なるは彼等は人間以外、金銭以外に頼るの要を感ずること甚だ少なければなり。
 然れども貧者は全く之と異る、彼に一日の予蓄あるなく、彼は今日の収得を今日消費せざるべからず、彼一日病まん乎、彼と彼の妻子とは一日の断食を実行せざるべからず、彼れ死するも彼の為めに悲む者は彼の妻子と極く少数の彼と境遇を同うする者とあるのみ、乞食死するとも天に彗星現はれずとかや、彼は悲しまれずして独り墓に降り、而して彼れ逝て後彼れの遺族は直ちに饑餓に泣く。
 貴族と富者と博士とは無神論を唱ふるも可し、彼等は既に神と仏とを有す、政府是れ彼等の神なり、財貨是れ彼等の仏なり、彼等は未来に極楽又は天国を望むの要なし、一日も長く此土に存在して、一杯たりとも多くの酒を飲み、彼等に取ては現世是れ彼等の楽土たるなり 彼等は一片たりとも多くの肉を啖ひ、一個たりとも多くの(66)勲章を胸に下げて此短生命を楽まんと欲す、彼等は故に神なしと云ひ、未来なしと説く、然れども彼等は未だ貧者の心を知らざるなり。
 貧者にして若し宗教なくば彼は何を以てか楽まん、彼は政府と富者との無情を知るが故に天に在す父なる神の愛を探らんとするなり、彼は此土に在て一寸の地も彼の所属とし称すべきものなきが故に彼は墓の彼方に幸福の浄土を求むるなり、彼は現在に於て一の望むべきものなきが故に彼の総ては希望を未来に繋ぐなり、彼とても早く此世を去るを好まず、然れども彼れ死に瀕して彼に労働者が一日の業を終へて家に帰る時の感喜あり、彼は現世の苦役を終へて今より地下の安息に就かんとす。
 忠君愛国を名として貧者よりその宗教を奪はんと欲する哲学者は彼貧者よりその衣を褫《は》ぎ取らんとする高利貸の如きものにして無情無慈悲なる実に彼(哲学者)の如きは他にあらざるなり。
 
(67)     希望の区域
                        明治34年3月2日
                        『万朝報』
                        署名 内村鑑三
 
 日本国許りが我が国であると思へば失望する、然し我は世界の市民で有つて日本国許りの市民ではない、北亜米利加の草原も、南亜米利加の林原《シルバス》も、西比利亜の荒野も、クロンダイタの金鉱地も、ポトシの銀産地も、ミシガンの銅域も、亦今度新たに発見になりしと云ふ百十八万六千方哩(日本帝国の八倍)に拡がると云ふ加奈多の森林地も皆な我国であると思へば我は未だ此地の狭きを歎つに及ばず、亦貴族と豪商の跋扈を憤るにも及ばない、僅々十五万方哩の中に四千五百万と云ふ大勢が鮨漬のやうに押詰められて居ると思へばこそ不平も起るなれ、肘の支《つか》へるやうに感ずるなれ、全世界が我家であり我が国であると思へば我は大国の君主であるやうな心地して此世に存在することが出来る。
 日本人許りが我が同胞であると思へば我は失望する、然れども人たる者はその皮膚の色の如何に関はらず、其言語の何たるに関はちず、総て真を真とし、偽を偽とする者は我が同胞であると思へば我は決して失望するに及ばない、かの南阿非利加に在て自由と独立との為めに苦闘しつゝあるブアー人も我が同胞である、かの非律賓に在て既に三年の永き米人の猛威に屈服することなく東洋に於ける最始の自由国を建設せんと戦ひつゝあるタガル人種も我同胞である、かの欧洲の北部に在て他の黄色民族は皆な露西亜皇帝の隷属たらんとしつゝある間に独(68)り人権の重きを主張し、為めに国民挙て逐放《つゐはう》の厄難に罹らんとしつゝある芬蘭土人も我が同胞である、日本国の政治家はその政府の政策とあれば悉く之に盲従し、其哲学者に忠君愛国の外に何に一つとして主張なきにもせよ、我は人類全躰に就て決して失望するに及ばない、四海皆兄弟である以上は他の国の善き事はいまに此の国にも来る、我が国の政治家と哲学者より望むことの出来ない事を吾等は世界の他の国の政治家と哲学者とより望むことが出来る。
 今世許りが我世であると思へば失望する、然し我は此世限りで終る者ではなくして、仮令我の霊魂に未来はなきにもせよ、我の行為は我が肉躰と同時に死する者でない事を知て我は決して失望するに及ばない、今の世には同情者は無くも宜い、我は後世に友人を有つ事が出来る、今の世に偽人と呼ばれても宜い、後世の人の裁判は今の人の裁判のやうな不公平なるものではない、我は此世界はまだ千年や二千年で消ゆるものではないと知て居るから今日に於て失敗したればとて何も別に心配するに及ばない。
 
(69)     偶感三つ
                      明治34年3月13日
                      『万朝報』
                      署名 内村生
 
 政治は小善なり、然れども是れ亦全く無用のものに非ず、余は勿論シーザーたらんよりは使徒保羅たらんことを欲する者、ナポレオンたらんよりは詩人オルヅオスたらんことを願ふ者なり、然れども時に際してシーザー、ナポレオンの世に出づるあれば余は満腔の同情を以て彼等を迎へんと欲する者なり。
       *     *     *     *
 不平に浅きものと深きものとの二つあり、政府又は社会に対する不平の如きは浅き不平なり、不平若し懐くべくんば人生其物に就て懐くべし、吾人自身に就て抱くべし、吾人イプセン、カーライルの如き不平家たるも伯夷叔斉又は蘇東坡の如き不平家たるべからざるなり。
       *     *     *     *
 外部の刺戟に依て動く者は是れ馬と牛との類なり、内部の信仰に依て動く、是れ人たるの特権なり、吾人は新聞紙の記事に由て吾人の決心を定むべからず、吾人は独り心に定めて.然る後に新聞紙の記事を吾人参考の料として用ふべきなり。改行
 
(70)                      明治34年3月14日
                        『無教会』創刊
 
  『無教会』創刊号 第1頁 305×230mm〔画像略〕
 
(71)     無教会論
                      明治34年3月14日
                      『無教会』1号「社説」
                      署名なし
 
 「無教会」と云へば無政府とか虚無党とか云ふやうで何やら破壊主義の冊子のやうに思はれますが、然し決して爾んなものではありません、「無教会」は教会の無い者の教会であります、即ち家の無い者の合宿所とも云ふべきものであります、即ち心霊上の養育院か孤児院のやうなものであります、「無教会」の無の字は「ナイ」と訓むべきものでありまして、「無にする」とか、「無視する」とか云ふ意味ではありません、金の無い者、親の無い者、家の無い者は皆な可憐な者ではありません乎、さうして世には教会の無い、無牧の羊が多いと思いますから茲に此小冊子を発刊するに至つたのであります。
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 世には名は立派で実は穢い者があります、表紙が立派で中の極く詰らない書があります、面が美くして心の極く醜い婦人があります、外貌が極く優しくして心は鬼のやうな男があります、之に反して名は平凡でも実はヱライ人がありますし、表紙は渋紙《しぶかみ》でも中は金玉を列ねた書があります、奸婦は美人の内に多く、獰人《ねいじん》は多くは美男子であるさうです、物は何んでも名と外形と許りでは分りません、或人が英国有名の学者ドクトル、ジヨンソンを評しまして、「彼は皮膚丈けの熊である」と申しました、熊のやうな面をして居り、熊のやうな素振をして居つた(72)ドクトル、ジヨンソンは英国中に一番|優《やさし》い人でありました。
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 「無教会」も丁度そんなものになりたいと欲います、壊すやうに見えて実は建る者、怖いやうに見せて実は愛らしい者、熊の皮を被つて居て小羊の心を有ち、社会に大革命を起す者のやうに見えて実は小女と老人の友となりたいと欲います、世に般若の面を被つた者は皆な般若であると思ふものが多くありまするから、私共は態と般若の面を被つて、物の外形に許り注意して居る人共を逐散《おいちら》し、心の中を探る者を引付て茲に無教会なる大教会を建てやうと欲います、
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 斯う云ふと何にやら私共も亦野心を懐く者のやうに思ふ人もありませうが、夫れは決して爾うではありません、真正《ほんとう》の教会は実は無教会であります、天国には実は教会なるものはないのであります、「われ城《まち》(天国)の中に殿《みや》(教会)あるを見ず」と約翰の黙示録に書いてあります、監督とか、執事とか、牧師とか教師とか云ふ者のあるは此世限りの事であります、彼所《かしこ》には洗礼もなければ晩餐式もありません、彼所には教師もなく、弟子もありません。
  我れ新しき天と新しき地を見たり、先の天と先の地は既に過ぎさり海も亦有ることなし、我れ聖域《きよきまち》なる新しきエルサレム備整《そなへとゝの》ひ神の所を出て天より降《くだ》るを見る。その状は新婦《はなよめ》その新郎《はなむこ》を迎ん為に修飾りたるが如し。
 「無教会」は斯う云ふ教会を世に紹介せん為めに働く積りであります。
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 然し此世に居る間は矢張り此世の教会が必要であります、爾うして或人は人の手を以て作つた教会に参し、其(73)処に神を讃美し、其処に神の教を受けます、或教会は石を以て作られ、或教会は錬瓦を以て作られ、又或教舍は木を以て作られます、然し私共何人も出席する教会を有つといふわけではありません、世に無教会信者の多いのは無宿童子《むしくどうじ》の多いのと同じであります、茲に於てか私共無教会信者にも教会の必要が出て来るのであります、此世に於ける私共の教会とは何であつて何処にあるのでありましようか。
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 神の造られた宇宙であります、天然であります、是れが私共無教会信者の此世に於ける教会であります、其天井は蒼穹《あをぞら》であります、其板に星が鏤めて有ります、其床は青い野であります、その畳は色々の花であります、其楽器は松の木梢であります、其楽人は森の小鳥であります、其高壇は山の高根でありまして、其説教師は神様御自身であります、是が私共無教会信者の教会であります、羅馬や竜動にあると云ふ如何に立派なる教会堂でも、此私共の大教会には及びません、無教会是れ有教会であります、教会を有たない者のみが実は一番善い教会を有つ者であります。
 
(74)     角筈だより
                      明治34年3月14日
                      『無教会』1号「通信」
                      署名 角筈生
 
〇別に変つた事はありません、一同至て丈夫であります、事にして流行感冒にも罹らず、聖書と天然と歴史の研究に毎日愉快に暮して居ります、
〇日曜日には午前十時より聖書の講義があります、家族の者の外に近所の友人が来られまして此頃は中々賑かなる集合《あつまり》となりました、猶《ま》だ二十人位ひ参られても家は狭くはありませんから有志の方には御出なさつても宜う御座います。
〇午後は大抵散歩を致します、梅は咲き出し、菫、木瓜の類は徐々《そろそろ》花の用意を始め、何んとなく心が浮き立ちます、遠からずして又森の樹芽《きのめ》に復活論の実証を見ることが出来るやうになるのでありましよう。
。二週間に一度づゝ東京の市《まち》に降《くだ》ります、降て塵埃《ほこり》を浴び、汚気を吸ひます、実に心悪しく感じます、西洋の諺に「人は市を作り神は村を造り給へり」と云ふ事がありますが、私共村に住つて居る者は実に此語の真理なるを感じます。
〇毎朝起きて讃美歌を頌《うた》ふ代りにオルヅオスの詩を一頁づゝ読みます、之は心を静めるための一番善ひ法方であります、「無教会」の紙面に於て度々彼の小編を読者に紹介致したく思ひます。
(75)〇去月廿六日には友人巌本善治氏の主《つかさど》らるゝ明治女学校に於て演説を致しました、久振りの女生徒へ対しての演説でありまして、甚だ心嬉しく感じました。其内生徒方より提出《いぇいしつ》されました。題の中に「日本地理と日本人の気質」と云ふのがありました、之に対する私の答弁に就ても他日本誌に於て読者諸君に語りたく思ひます。
〇何にしろ人生は愉快なものであります、一日は是れ短い一生涯であります、私共各自に一年間に三百六十五回の新生涯があると思へば何んと愉快ではありませんか、私は毎朝太陽の面を見る毎に嬉くて堪りません サヨナラ。
 
(76)     信者の生涯
                        明治34年3月14日
                        『無教会』1号「夜話」
                        署名 内村鑑三
 
 キリストを信じない人の眼から見ましたならば、私共信者の生涯はさぞ詰らないものゝやうに見えましよう、芝居の快楽もなく、小説の快楽もなく、酒や煙草は薬として用ゆる外は用ひず、世の功名心なるものは全く跡を絶ち、世に誉められたくもなければ譏らるゝも左程苦痛を感ぜず、只日日祈祷と聖書の研究と神の命じ給ひし労働との他に為すことのないのは実に単調無味の生涯の様にに見えましよう、
 然し亦私共信徒の眼から見ますと世の人の生涯は実に推察の至りであります、僅々五十年の生涯を希望の極と定め、苦労があれば之を慰めるに唯酒と名誉とがある許りで、少しの事に憤り、人の成功を羨み、妻は夫を猜《そね》み、夫は妻を信ぜず、父子相争ひ兄弟相疑ひ、世の変遷と共に移り行く生涯は実に気の毒千万の生涯ではありません乎、私共は何にも私共許りが神に恵まれて宇宙の真理を有つ者であるとは思ひません、然し私共キリストの教を信じましてより世の人の云ふ快楽とか名誉とか云ふものは実に夢のやうなものであつて、空《くう》の空《くう》、虚の虚であることを知るに至つたのであります。爾して私共信者の生涯は決して詰らないものではありません、私共キリスト信者は決して隠遁者の類ではありません、隠遁者でない許りではなく、私共はキリストを信ずるに依て始めて世に出たと云ふても宜しい程であります、生涯が全くの快楽となりますのはキリストを信じて後の事であります、(77)世の人は天然の美を楽むと申しますが然し決して私共が楽しむやうには楽むまいと思ひます、私共は花が美しいとか、月が清らかだとか云ふて天然を楽しむのではありません、私共は神様の家と思ふて此世界が慕はしくなるのであります、又私共はキリストを信ずるに依て始めて人を愛するとは何う云ふ事であるかゞ解りました、人てふものはキリストを信ずるに依て愛らしき者となりました、敵を敬するとか愛するとか云ふことは決してキリストを信じない人の為る事ではありません、夫れでありますから私はキリスト信者となりましたことを決して後悔致しません。
 
(78)     〔札幌独立教会 他〕
                        明治34年3月14日
                        『無教会』1号「雑報」
                        署名なし
 
 札幌独立教会 当分洗礼晩餐式中止すとの報導あり 余輩は素より形式を卑んで実質を尊《たつと》ぶもの、今日の教会にして往々会員の増数を努めて毫も其実質如何を問はざるものあり、同教会にして果して此意に出でしとならば余輩は遙かに是れが断行を賀するものなり。
 信州上田独立苦楽部 是れ同地少壮の士を以て組織せる団躰なり、部員少数なりと雖も各自主義の集合なれば是れが永遠に持続を計らば亦以て活動するの時あるを疑はざるべし、毎月一回有益なる集合ありと、余輩は信ず、現今の日本必ずかくの如き会合を要するを、望むらくは諸土建全以て冥々の間衆与の儀表とならんことを。
 東京独立苦楽部 是れは本社内に設立せる家庭的団躰なり、前者の母躰とも謂つべきか、必ずしも活動の団躰にあらざるも其間自ら一道の軌轍あり、今回部員三十余名を限とし尚入会を望むものは書面或は部員の照会を以てせば入会を許すことあるべし、毎月第二日曜日を以て会合の機とす、尚従来本社の事務に従事せる岡村誠之氏は今回学事専勉の為再び都下に移住せられ嘗て浦和に在りし佐藤武雄氏来て其後に投ぜり 此外会計専務として山岸壬五氏あり倶に牛進的態度を取て徐々として進行しゝあり、故に本社を一名牛進社と号せり
 
(79)     何人ぞ責任を思はざる
        (東洋青年会に臨んでの感)
                         明治34年3月20日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
 日本は東洋全体を救ふの責任を有すとは我国人にして少しく万国の事情に暁通する者の等しく承認する所なり。
 日本は日本のためにのみ存在する者にあらず、其政治上の領土は東亜彩花島の一連に過ずと雖も共通徳上の版図は少くも葱嶺以東太平洋岸にまで達すべきものなり。若し東洋にして復活するの希望ありとすれば日本の救援啓導を待つより他に道なきは何人も知る処なり、是れ無益の壮言大語に非ず、是実に事実中の最も確実なるものなり。
 然るに此大責任を双肩に担ふの国民は今や何を為しつゝある乎、猜疑、嫉妬、陥擠、財産の増殖、友人の離間、独り自から大ならんことにのみ屈托して天賦の大責任を尽さんことを意はず、故に政治は萎靡して纔に野心家の卑望を充たすための格闘場《アリーナ》たるに過ず、其文学は情熱を喚発する者にあらざれば不平家に一時の快哉を叫ばしむるに過きず、其商業に大計画と一団結なく、其著大なる軍備すら宏遠の大目的を以て設けられしものにあらず、大と称すべきものは悉く吾人の中《うち》より去て、世界の半分を領土として天より譲り受けし日本人は太平洋の一隅に蟄居して同胞の詆謗堕落に些少の快楽を貪りつゝあるなり。
(80) 着任の大を感じて小人も偉人たるを得、小国も大国たるを得るなり、大国たる必ずしも大領土を有するの要なし、大責任を感じで大理想起り、大理想起つて大計画生ず、吾人は思想を大にして大国民《たいこくみん》たるを得るなり、日本の地位に在り、日本の責任を有して大国民たるを得ざるはそれ誰《た》れの罪ぞや。
 
(81)     春色と復活
                      明治34年3月22日
                      『聖書之研究』7号「題語」
                      署名なし
 『聖書之研究』7号1頁〔画像略〕
 
 我が愛する者よ、我が美はしき者よ、我が希望よ、我が救主よ、起てよ、起て汝の墓より出で来れ、見よ、恥辱の冬は既に過ぎ栄光の春は来りぬ、雨もやみてはや去りぬ、憤怒、猜疑、嫉妬の寒風のはや汝の身に及ぶなし、(82)鳥の囀ずる時は既に至れり、班鳩《やまばと》と雲雀と草雀《あをじ》との声我等の野に聞ゆ、無花果樹《いちゞくのき》はその芽を赤らめ、桜花の爛※[火+曼]たるも将さに近きにあらんとす、葡萄の樹は花咲きてその馨はしき香気を放ち、春林到る処に錦綉を装はんとす、我が愛するものよ、我が美はしき者よ、我が希望よ、我が教主よ、起てよ、起て汝の墓より出で来れよ、愛を以て汝の敵に勝ち恩恵を以て忿怒を癒し、野に春色の臨みしと同時に世に温情の春を来らしめよ。
 
(83)     〔善を為さんがため 他〕
                      明治34年3月22日
                      『聖書之研究』7号「所感」
                      署名なし
 
    善を為さんがため
 
 雑誌を発行するは筆を以て善を為さんがためなり、演説を為すは舌を以て善を為さんがためなり、殖産に従事するは富を以て善を為さんが為なり、政治に瘁尽するは権力を以て善を為さんが為なり、善を為さんが為めに哲理を攻究し、善を為さんがために詩歌を学ぶ、名を売るがための学問にあらず、娯楽に耽けんがための富にあらず、権威に誇らんがための政治にあらず、人望を博せんがための弁舌と文章とにあらず、キリスト信徒の生涯は当さに斯くあるべきものなり。
 
    成功の秘訣
 
 何事も憤怒に駆られて為すべからず、何事も競争のために為すべからず、事を為す必ず愛に励まされて為すべし、神の栄光を顕はさんがため、隣人の渋苦を拭はんがため、真理の発揚を計らんがため、常に喜ばしき、且つ平穏なる心を以てなすべし、恩寵と平康、歓喜と感謝、奪ふべからざるの満足、是れなくして成功あるなし、永(84)遠に亘るの事業あるなし。
 
    内外の別
 
 人は興奮を欲し、キリスト信徒は平康を索む、人は激して事を為さんと欲し、キリスト信者は静に神の命を待つ、党を結んで強きを感ずる者は世の人なり、人を離れて力を得る者は神の人なり、世と神との別は実に外と内との別なり。
 
    悪人の真性
 
 悪人とは神に恵まれざる者の称なり、善人とは神に恵まれし者の称なり、神の恩恵に富むが故に善人なるなり、之に欠乏するが故に悪人なるなり、悪人は貧者の一種なり、彼は憫むべき者にして憎むべき者にあらず。
 
    善の景慕
 
 人に一つの善と九十九の悪ありと雖も我は其一つの善のために彼を愛し、彼の匡正と誘導とを計て止まざるべし。
 世に一人の善人と九十九人の悪人ありと雖も我は其一人の善人のために之を愛し、我の有する総ての善きものを其ために供し、以て其改善と救済とを祈て止まざるべし。
 我は我が総ての行為の愛心と景慕との念より出て、嫌厭と憎悪との意に出でざらむ事を祈る。
 
(85)    信仰と勘当
 
 基督教を信ぜしが故に家を勘当されし者あり、家を勘当されしが故に基督教を信ぜし者あり、信ぜしは一なり、勘当されしは一なり、然れども其前後の差に依て其信仰に天地の別あり、前者信ずべし、後者信ずべからず、而も今日の教会に後者の甚だ多きを見る。
 
    真理の実力
 
 汝のパンを水の上に投げよ、多くの日の後に汝再び之を得ん(伝道之書第十章一節) 汝の真理を社会の中に投ぜよ、年を経て汝は其偉大なる結果を見るを得ん、之を蒔きし者の弱きが故に真理の種子は其本来の精気を失はず、天より雨降り、雪落ちて復た帰らず、地を潤して物を生《はえ》しめ芽を出さしめて播く者に種を与へ食ふ者に糧を与ふるが如く、我が口より出る言は空く我に帰らず、我が喜ぶ所を成し、我が命じ遣《おく》りし事を果たさんと主は曰ひ給ふ(以賽亜書第五十五章十、十一節)。
 
    神のことば
 
 単に是れ言《ことば》なり、故に之に力あるなしと云ふ勿れ、若し夫れ神の言ならん乎、是れ活て且つ力あり、両刃《もろは》の剣《つるぎ》よりも利く気《いのち》と魂、また筋節骨髄まで刺《とほ》し剖ち心の念《おもい》と志意《こゝろざし》を鑑察《みわく》るものなり(希伯来書第四章十二節)、是れ万民と万国とを或は抜き毀ち或は減し或は覆《たふ》し或は建て或は植ゆるものなり(耶利米亜書第一章十節)、人の言なる(86)が故に沈黙の金に比して僅に銀たるなり、神の言ならんか、金剛石の貴きも之に及ばざる遠し。
 
    語るべき時
 
 黙すべき時あり、語るべき時あり、幽谷に蝸廬を結ぶべき時あり、山巓に城を築くべき時あり、密室に蟄居すべき時あり、屋上に大声を発つべき時あり、神の言の欠乏の故を以て国家が滅亡に瀕しつゝある時、是れ吾人の語るべき時にして亦街頭に疾呼すべき時なり。
 
    福音の必要
 
 善行必しも福音に因らず、天下到る処に善人ありとは吾人の屡耳にする所なり、然り、世に善人あり、然れども彼等の善は宇宙の神の善に励されざる善なるが故に小善なり、世に義人あり、然れども彼等の義は万軍の主の義にあらざるが故に小義なり、福音に因らずして人類全躰を抱懐するが如き愛は望むべからず、福音に因らずして国家を犠牲に供しても義を立てんと欲するが如き大義あるなし、然り、福音に因らずして小善と小義とはあり、然れども福音に因らずしてデビツト、リビングストンあるなし、オリバー、コロムウエルあるなし、福音の必要は今も昔も、彼にあるも我にあるも変ることなし。
 
    我のたすけ
 
 此懦弱き肉体、是れ何をか為し得ん、此罪悪の社会、是れ亦何をか為し得ん、此身に省み、此社会に以り頼で(87)吾等は失望せざるを得ず、我が扶助《たすけ》は天地《あめつち》を造り給へるエホバより来る(詩篇百廿一篇二節)。彼に量り知られざる能力のありて存す、而して我は亦我が心の門戸を開きて我を充たすに彼の大能を以てするを得べし、彼亦火と霊とを以て、天の変と地の異とを以て我が業を扶く、我に内外の此援助ありて我は独り宇内に当る時と雖も疑懼の念を懐くべからず。
 
    基督と沙翁《シエークスピヤ》
 
 雑誌「警世」は其標語として、哲人ヱマソンの言を掲げて曰く「基督も沙翁も素と心霊の一部分のみ、愛に由て我は之を我意識の領域中に占取融合するを得る也、彼の徳は我が徳に非ず乎、彼の智も若夫れ我物たらしむる能はずんば其は智に非ざる也」と。
 ヱマソンに劣らざる英国の文士チヤーレス、ラムは曰へり「若し沙翁にして吾人の前に起たん乎、吾人は起立して彼に敬礼を表せんのみ、若し基督にして吾人の前に顕れ給はん乎、吾人は跪て彼を崇拝せんのみ」と
 余輩は余輩の基督観に於て文士チヤーレス、ラムと信を同くする者なり。
 
    信仰の試験石
 
 保羅曰く人聖霊に感ぜざればイエスを主と謂ふあたはず(哥林多前書第十二章二節)と、人聖霊に感ぜざるもイエスを聖人なりと云ふを得べし、偉人なり、博愛家なりと云ふを得べし、然れども聖霊の恩化に依るにあらざれば彼を主、即ちヱホバの神として認む能はず、人の信仰を試すに唯此一事あるのみ、約翰も亦曰く、凡そイエス(88)キリストの肉体となりて臨り給へることを認《いひあら》はさゞる霊は神より出るに非ず(約翰第一書四章二、三節)と。
 
    宗教雑誌
 
 宗教雑誌! 何ぞ其名の女々しくして其規模の狭隘なる、何ぞ政治雑誌と云はざる、何ぞ文学と哲学とを講ぜざる、何ぞ広く人事に亘らざる、何ぞ剴切ならざる、何ぞ意気昂然たらざると。然り、然れどもシヤロンの薔薇の花は脆く且つ移い易かりしも、而かも彼は世界を教化して今日に至れり、傷める葦を折ることなく煙れる麻を熄《け》すことなかりき神の羔は実に人類の凡ての罪悪を身に担ひし者なり、剴切なる者必しも世を益する者にあらず、奇抜なる者必しも人を真理に導く者にあらず、小にして完全なるは大にして粗俗なるに勝る、宗教雑誌の名亦深く耻とするに足らず。
 
    無力の縁由
 
 世は基督教の感化力を求めて基督教其物を求めず、而して基督の信徒と称する者も亦世の此要求に応ぜんと欲して基督教の感化力を説て基督教其物を説かず、曰く基督教的政治、日く基督教的文学、将亦基督教的社会、基督教的家庭と、然れども感化は枝葉にして根本にあらず、末流にして泉源にあらず、樹を植ゑずして実を供せんと欲す、井を穿たずして田に漑《そゝが》んと欲す、今の基督教なるものが他を化することあたはずして亦自からも涸渇せんとしつゝあるは基督教其物を世に給するに大胆ならざるが故なり。
 
(89)    不信者の実力
 
 基督を信ぜざるものを見よ、其哲学は綜合的哲学にして独創的意見を世に供するものに非ず、其政治は勢力の拡張に止て下民の幸福を増すものにあらず、其科学は新事実の発見に止て慈愛的応用に至らず、其美術は名誉を博せんとするに止て美の発揚を努めず、其文学は優麗なるに汲々として真理の宣伝に従事せず、其実業は財貨の増殖にのみ注目して幸福の普及を意はず、其慈善すら讒に名を後世に貽さんとするに止て深き愛の泉源より湧き出し善行にあらず、彼等の学は深きが如く見えて浅し、彼等の力は強きが如くに見えて弱し、余輩は彼等の名の高きが故に彼等を怖るべからざるなり。
 
    誰にか往ん
 
 シモン ペテロ(イエスに)答へけるは主よ我儕は汝を去て誰に往んや、永生《かぎりなきいのち》の言《ことば》を有る者は爾なり(約翰伝第六章六十八節)と、我儕イエスを去て仏教に入らん乎、儒教に帰らん乎、スピノーザに往て哲学者たらん乎、ハイネに就て詩人たらん乎、殖産を以て我生涯の唯一の目的となさん乎、政治に我が総ての満足を索めん乎、イエスを信ずるに苦楚と辛惨なきに非ず、然れども永生の言は彼を措て他に有るなけん、余輩は彼を捨て去りし人にして彼の恩寵に優るの幸福を他に探り得し者あるを知らず。
 
(90)     死骨の復活
         以西結書第三十七章
                     明治34年3月22日
                     『聖書之研究』7号「註解」
                     署名 内村鑑三
 
  (一)、爰にヱホバの手我に臨みヱホバ我をして霊にて出行かしめ谷の中に我を置き給ふ、其処には骨充てり。「爰に」、予言者エゼキエル人心の腐敗の甚しきを見て心に大に失望し、救済の見込全く絶へし時に、〇「ヱホバの手我に臨み」、ヱホバ我を強ひて、我は願はざるに、我が意に反して〇「我をして霊にて出行かしむ」、訳文少しく曖昧なり、「ヱホバの霊を以て我を連れ行き、」と読む方稍々穏当ならん、即ち前の句を受けて、我れ意はざるにヱホバその霊を以て我を連れ行き給へりと解すべし、予言者の行為の全く他意的なりしを示す、〇「谷の中に我を置き給ふ、」是れ事実然りしもの耶、或は夢か幻に於て見しものなる耶判然せず、然れども其伝へんとする教訓に至つては二者執れに出しとするも差支あるなし〇「其処には骨充てり」ヱルサレムの南方に方て広き谷あり、ヒノムの谷と名附く、アハズ、マナセ等の悪王屡々モロクの偶像を此処に建て之を祭るに無辜の小児の燔祭を以てせり、其骨谷の中に充ち、人をして酸鼻の念に堪へざらしめたり、予言者の心の眼に映ぜしと云ふ骨の谷は蓋しヒノムの谷を聯想して起りしものならん。
  (二)、彼その周囲に我を引き繞り給ふに谷の表には骨甚だ多くあり、皆甚だ枯れたり。
(91) 訳文甚だ粗なり、支那訳反て原意に近し、之を和訳すれば左の如し。
  彼我をして谷の周囲を経過せしむ、而して視よや谷の面には骨甚だ多くあり、又視よや其骨甚だ枯れたり。「視よや」の間投詞を重複して文意を強むること大なり、今やヱホバは一大奇を死骨の上に施して予言者に一大教訓を伝へんと欲す、而して之を為す前に彼をして其荒敗の状の如何に甚だしきかを了らしむ。
  (三)、彼われに言ひ給ひけるは人の子よ是等の骨は生《いく》るや、我言ふ主ヱホバよ汝知り給ふ。
 「生るや」は「生き得るや」なり、「生るものなるや」に非ず、「生を其の中に注入するを得るものなるや」の意なり、死骨、而かも枯れ果たる死骨、これ再び生を受けて活ける人と成すを得ると思ふやとの神の問なり 〇予言者は之に答へて曰く「汝神のみ之を知り給ふ、是れ我の知る処に非ず、亦人の力の能く為し得る処に非ず」と、ヱゼキエルは之れ学術上全く為し得ざる事なりとは答へざりき、彼は其大難事たるを知れり、然れども神の力を以てすれば此事をも為し得べしと彼は心の中に信じたりき、〇「人の子」とは予言者が自身を卑下して称《よ》べる名称なり、無位無爵の一平民を指して云ふ詞なり。
  (四)、彼亦我に言ひ給ふ、是等の骨に向て予言し、之に言ふべし「枯れたる骨よヱホバの言を聞け、(五)、主ヱホバ斯く言ひ給ふ、視よ我汝等の中に気息を入らしめて汝等を生かしめん、(六)、我筋を汝等の上に作り肉を汝等の上に生ぜしめ皮をもて汝等を蔵ひ、気息を汝等の中に与へて汝等を生かしめん、汝等我がヱホバなるを知らん」と
 「骨に向て予言し」とは之に向て神の言を伝ふるの意なり、予言とは必しも先知の意にあらず、巻末に於ける「予言者の意義」なる一篇を参考せよ、〇以下皆ヱゼキエルが神に命ぜられて死骨に向て発すべき言なりとす、(92)其一聞して奇怪の言たるは論を俟たず、若しヱゼキエルにして信仰薄き者たりしならんには彼は神の此言を聞くも其到底行はれ難きを意ふて之を宣伝せざりしならん、
  (七)、我れ命ぜられし如く予言しけるが我が予言する時に音あり、骨動きて骨と骨相聯る、(八)、我見しに筋其上に出来り、肉生じ皮上より之を蔽ひしが気息其中にあらず、
 然れども予言者ヱゼキエルは神の言の能力を信じたり、彼は其事実となりて顕はるゝを疑はざりき、故に彼は死骨に向て予言せり、而して視よや、骨は動き始めぬ、筋は其上に出で来れり、肉は生じたり、皮上より之を蔽ひたり、予言者の一言能く枯木に花を咲かしめたり、能く死骨を血ある肉ある躯《むくろ》となしたり、然れども気息未だ其中にあらざりき、創世記第二章七節に曰く「神土の塵を以て人を造り生気を其鼻に嘘入《ふきい》れ給へり、人即ち生霊《いけるもの》となりぬ」と、肉は肉なり未だ生霊に非ず、血あり骨ありて未だ生ける人ありとは云ふべからず、国民の復活を二段に解く処、識者の注意を要する所なり。
  (九)、彼また我に言給ひけるは人の子よ気息に予言せよ、人の子よ予言して気息に言へ主ヱホバ斯く言給ふ、
  気息よ汝四方の風より来り此殺されし者等の上に呼吸《いきふ》きて、是を生かしめよ、(十)、我命ぜられし如く予言せしかば気息之に入りて皆生きその足に立ち甚だ多くの群衆となれり、
 体は成れり、今は気息(霊)に命じ体に入てこれを生霊となすべき時なり霊よ四方より吹き来れ、風は己《おの》がまゝに吹き人その声を聞けども何処より来り何処へ往くを知らず、霊に由て生るゝ者も此の如し(約翰伝三章八節)、霊は眼に見えざるものなり、然れども其体に入て生気となるや、生霊始めて茲に顕はれ、茲に始めて人らしき人は出で来るなり、ヱゼキエル又命ぜられし如く為して立《たちどころ》に多くの群衆は生れ来れり。
(93)       *     *     *     *
 比喩か奇績か、吾人今此処に之を断定せざるべし、然れども其死せる国民の復活を説くに至ては是れ実に至大の教訓を吾人に伝ふる者ならずや、予言者は民の堕落を目撃して失望せり、彼は人力の以て到底之を救ふに足らざるを悟れり、彼は将に彼の救済事業を放棄せんとせり、然れども彼は未だ能く神の能力の無限なるを解せざりし、故に此大教訓は彼に降りしなり。
 神の言を説くことなり、信じて之を説くことなり、然らば死骨も之に由て生を得るに至らん、神は其言の力に由て土の塵より人を造り給ひしと云ふ、彼などか同一の言を以て死屍を復活し得ざらんや、倫理を説くも死せる国民は復活せざるなり、哲理を講ずるも何の益かあらん、美術文学両ながら生命の力にあらず、神の言なり、神の言なり、人の生命は是れのみ、之を大胆に宣べ伝ふること、是れ国民唯一の救済策なり、而して見よや多の国民は之に由て復活せしに非ずや、ルーテルの予言に由て独逸国は復活せり ウエスレーの予言に由て英国は復活せり、ムーデーの予言に由て米国は復活せり、何故に吾人の社会に生気なきや、何故に倫理は毎日講ぜらるゝに国民の堕落は日々に甚しきや、何故に吾等は腐敗を歎じつゝ腐敗を増しつゝあるや、神の言を宣べ伝ふる予言者の吾等の中に出でざればなり、人は皆な政治を語るを好んで神の言に耳を傾るを好まざればなり、美術家、哲学者、機械師、文学者たらんと欲するものは挙て算ふべからざるも真面目なる伝道者とならんと欲するものは寥々として雨夜の星よりも少なければなり、生命の唯一の泉源なる神の言に欠乏す、吾人の腐敗は敢て怪しむに足らざるなり。
 立てよ予言者、大胆に神の言を伝へよ、其絶大の復活力を信ぜよ、吾等は之を少数の個人の上に試みて其超自(94)然的の効果に驚けり、是を国民全躰の上に試みよ国家の救済未だ全く失望すべきに非ず。
 
(95)     他人を議するの罪悪
                      明治34年3月22日
                      『聖書之研究』7号「説教」
                      署名 内村鑑三
 
 基督の宜べられし教訓で世人は勿論基督信者までが之に注意することの至て少ないものがあります、是は人を議すること勿れとの教訓でありまして、其如何に大切なる誡《いましめ》である乎、それを能く弁へて居る者は至て少ないやうに見受けます。
 議するとは裁判することであります、人の曲直を定むる事であります、その善悪を断定することであります、之を小にしては人の行為に就て彼是評判を立つる事であります、之を大にしては自分の憎愛に順て人に法律上の裁判を宣告することであります、さうして聖書、殊に新約聖書は幾回となく此事に就て深く私共を警て居ります、
 人を議すること勿れ恐くは爾曹もまた議せられん(馬太伝第七章一節)、人を議すること勿れ、然ば爾曹も議せられず 人を罪すること勿れ、然らば爾曹も罪せられず、人を恕せ然らば爾曹も恕さるべし(路可伝第六章三十七節)、爾何人なれば他人《ひと》の僕《しもべ》を審判するか、彼の或は立ち或は倒るゝことは其主に由る(羅馬書第十四章四節)、兄弟よ互に謗る勿れ兄弟を謗り或は兄弟を議する者は律法《おきて》を謗り律法を議するなり、(雅各書第四章十一節)、其他同じ事を教ゆる聖書の句は沢山あります。
(96) 斯くも聖書は他人を誹議することを強く警めて居りますが、基督信徒にして他人の行為を云々するは左程の罪悪ではないやうに思ふて居る者の沢山有るのは実に奇《ふし》ぎな事であります、聖書に姦婬を犯す勿れと誡めてありますから姦婬を犯すものは教会から放逐されます、聖書に窃む勿れと教へてありますから窃む者は信者としては世に迎へられません、然かのみならず、聖書には明白に禁じてない飲酒喫煙ですら之に耽ける者は信者の仲間から遠けられると云ふ次第であります、然るに他人を誹議するの罪悪に至ては其明白に而も繰り返し/\、聖書に誡めてあるに関はらず、之を犯すも人の多く之を咎るなく、信者相会すれば世の人同然に他人の悪事を語るを以て一つの快楽として居ります、爾うして夫れ許りではありません、牧師とか、教師とか、神学者とか云ふ人でも此事丈けは罪悪以外に置くやうに見えまして、普通の信者が此罪を犯すも甚く之を咎めない許りでなく、御自身も自由に之に従事せられて少しも悪い事とは思はれないやうに見えます、是は実に奇怪千万の事でありまして、私共には一向分らない事であります。
 然し少し心の眼の開けた人から見ますと好んで他人の短所を挙げて語る人程醜い者はありません、聖書にもある通り他人を議する者は自己を議する者でありまして、彼は他人の悪事を語り居るやうに見えますが実は彼自身の悪事を他人にかこ附けて語て居る者であります、潔い者は悪事を知らない筈であります、清い小児や乙女の口より他人の悪評の出ないのは彼等が他人の悪事を知らないからではなくして彼等の心に邪念がないからであります、他人の悪事を聞き且つ之を語て喜ぶ者は実は同じ悪事の自己の心の裡に在るを承知して居て常にそれに就て良心に咎められつゝあるからであります、不義をなす者は義者《たゞしきもの》を悪み、義しき者は悪者《あしきもの》を悪むと聖書に書いてあります(箴言第二十九章末節)、人は他人の富を猜む許りではなく又其の徳をも妬む者であります、自己の富に誇(97)らんと欲ふものは他人の貧を聞いて喜びますやうに自己の徳に誇らんとする者は他人の堕落を聞いて悦びます、世が挙て少しく名あり徳ある人を引き下げやうとして努めて居ますのは全く罪悪に沈める人類の此常性に因るのであります、今日の社会が全然堕落して居るの証拠は沢山ありますが、其最も明白なるものは社会一般が人の堕落を聞いて悦び、又説教師や新聞記者などが社会匡正を名として悦んで罪悪の曝露に従事することであります。
 然し或人は申します、何故に他人の悪事を語るのは悪いか、事実は事実なれば之を語りたればとて別に悪い事はない、若し悪事を語らるゝのが厭ならば之を為さなければ宜しいと、是れ誠に立派なる議論のやうに聞えます、私は斯う云ふ議論を世の批評家から許りではなく立派なる基督教の教師の口からも聞きました、然し是は世の文士、政客、又は或る一派の教界の名士の説かは知れませんが、基督と聖書とは之と全く反対の教訓を私共に与へます、今少しく聖書の語に照して人は何故に他人を誹議してはならぬかに就て述べましやう。
 一、私共が他人を誹謗してはならないのは私共自身も同じ誤謬に陥り易い者であるからであります、若し私共が神のやうな完全無欠の者でありましたならば或は他人の行為に対して誹議を試ても宜いかも知れません、然し私共自身が何れも不完全だらけの者でありますから、私共は他人の欠点を指摘審判するの権利を有たない者であります、「汝兄弟の目にある物屑《ちり》を視て己が目にある梁木《うつばり》を知らざるは何ぞや、己の目に梁木あるに如何で兄弟に向ひて爾が目にある物屑を我に取らせよと曰ふことを得んや」(馬太伝七章三、四節)若し世に能く己が心を監察して其中に一つの瑕瑾《きづ》をも発見しない人がありまするならば其人は神にあらざれば狂人《きちがひ》であります、私共は皆盲人にあらざれば唖人であります唖人《あうし》にあらざれば聾人《つんぼ》であります、何にか一つの欠点の無い者は世に一人もありません、私共が互を誹議しますのは丁度聾人が盲人の欠点を算へ上げるやうな者でありまして、実に不当の極で(98)はありません乎。
 二、縦令世に己に劣るの人物があるにもせよ、私共は単に憐憫の心よりして其短処を述べ立てゝはなりません、「是故に爾曹の天の父の憐憫の如く亦憐憫を為すべし、…處人を恕せ、然らば爾曹も恕さるべし」と(路可伝六章、三六、三七節)
 試に考へて御覧なさい、若し天の神がその潔き眼を以て私共各自の心を監《み》られ、容赦なく私共の短処を述べられましたならば、如何でありませう、是れ私共の到底耐え得ない所ではありません乎、然し神は憐憫に富み給ひます、神は私共は土の塵にて造られ罪に胎《はら》まれた者である事を知り給ひます、神は私共を鞫《さば》き給ふに私共が小児か不具者を鞫くやうな心を以て為し給ひます、神とは憐憫あり恩恵あり、怒ること遅く、恩恵を千代までも施し、悪と過《とが》と罪を赦す者であるとは聖書の屡々私共に示す所であります、(出埃及記三十四章、六、七節)、さうして如斯き神を信ずる私共は亦私共に劣る人を見るに同じ寛容を以てせねばなりません。
 三、私共は他人の悪事を語りつゝある間に如何程の大罪悪を犯しつゝあるか自から知りません、私共は誹謗は人を殺すものであると云ふ事を曾て心に留めた事がありますか、私共は左の如き聖書の教訓は意味の無い詞であると思ふのでありますか。
  凡そ兄弟を憎む者は即ち人を殺す者なり 凡そ人を殺す者は窮なき生命その衷に存ることなし(約翰第一書三章十五節)。
  舌は即ち火すなはち悪の世界なり、舌は百体の中に備りありて全体を汚し又全世界を燃すなり、舌の火は地獄より、燃出づ(雅各書三章六節)。
 一寸と之を読みますると余り過激の詞のやうに思はれますが然し能く考へて見ますとそれは決して爾うでない(99)事が分ります、舌は実に人を殺すものであります。
 多くの人は実に舌にて殺されました、剣を以てするやうに肉体の生命を奪はれたのではありません、然し之よりも更に一層恐しい死を遂げました、舌は霊魂を殺す者であります、さうして若し肉体の生命を奪ふ者は地獄に陥さるゝことならば霊魂の生命を奪ふ者は如何なる刑罰を受くべきでありましよう。
 善良無垢の人が罪なきに罪ありと人に呼ばれて終に真正の罪人に成つた例を貴下方は知りません乎、熱心に福音の宣伝に従事して居つた若き伝道師が年長の教師の冷き批評に遭ふて全く伝道を放棄するに至つた許りではなく、終にはその信仰までも棄てゝ極悪の世人とまで堕落した例を私は知つて居ります、個人に関する悪口誹謗は決して彼を改良するものではなくして反て彼を悪に陥れるものであります、殊に面前に於てする詰責でなくして陰密《かげ》で詆※[言+毀]《そし》る事は此恐るべき結果を来たすに最も力有るものであります、基督教会は人の霊魂を救ふものであると申しまするが、私の考へまするに幾人《いくたり》の霊魂は其会員の無慈悲なる批評に由て地獄へ落ちたか知れないと思ひます、最も頑固なる無神論者は基督教会の造つた者であります、最も狡猾なる商人は牧師の養成と讒誣とに由て成つた者であります、多分未来の裁判に於て最も重き殺人罪の刑罰を受くる者は基督教の教師の中より出るであらふと思ひます。
 四、然し之は之として私共が他人を議すべからざるは他にも深い理由が有ります、私共は他人を議してはならない許りでなく決して正当に議することの出来る者ではありません、「心は万物よりも深し誰かこれを知るを得んや」と聖書に書いてあります(耶利米亜書十七章九節、日本訳に偽はる者とあるは誤訳なり)、我が自身の心すら我は之を知ることの出来ない者であります、況して他人の心をやです、之を知るは宇宙の奥義を知るよりも難(100)い事でありまして全能の神にあらざれば決して量り知ることの出来るものではありません、此出来ない事を私共は為さんとするのであります、是は実に越権と云ふ事ではありませんか、故に聖書には他人を誹議することを他人の僕を審判くことゝ称ふて居ます、他人とは即ち神のことでありまして、私共同胞の事を彼是非難するのは実は神の僕を非難するのであります、僕を鞫く者は其主人であります、人を鞫く者は其造主であります、私共は他人を鞫くの権利も能力も有つ者ではありません。
 殊に人には夫れ/”\特別の況遇があるものです、彼の欠点は彼一人の欠点ではありません、彼は彼の身に彼の父母の罪悪、彼の祖先代々の罪悪、彼の社会の罪悪を総て担ふて居るものであります、人一人を知り悉くさうと思へば人類全鉢の歴史を悉く知らなければならないものであります、さうして是は誰にも出来る事ではありません、然るを私共は自分は全能の神であるやうに思ふて矢鱈に他人の行為に裁判を下すのであります、私共は何んと高慢の者ではありません乎、我国の歴史さへ碌々知らない者が人類の歴史を凡て知つて居るやうな顔をして私共は私典の朋友知人を誹謗するのであります、之を思ふて私共は耻て面を蔽したくはなりません乎。
 斯くて他人を議することは大罪悪であります、是れ盗む事、殺す事、姦婬する事と同等の罪悪であります、それでありますから私共此罪を犯して実は人の前にも神の前にも立つ事の出来べき筈の者でありません、又教会は此罪を犯す者を直に放逐すべき筈であります、殺人罪を犯した教師を決して教師として戴かないやうに、好んで朋友知人の悪事を語るやうな教師は直に之を解職して了はなければなりません、他人を議するの罪、之れ人を殺すの罪であることを私共は決して忘れてはなりません。
 
(101)     〔予言者の意義 他〕
                      明治34年3月22日
                      『聖書之研究』7号「雑記」
                      署名なし
 
    予言者の意義
 
 予言者と云へば事の起らざる前に 予め之に就て語る者の如く信ぜらる、予言者勿論先知者なるに相違なし、然れども予言者の天職を以て予言の一事に限るは未だ以て彼の活動の区域を悉したるものと云ふを得ず、
 希伯来語にては予言者をナビー(nabi)と称ふ、而して或人は之れ「沸騰」を意味する根詞より来りしものなるを以て予言者とは其心中に沸騰する高想妙思を有の儘に吐露する者なるを説けり、或はナビーは単に告知者の意にして神の聖旨を人類に告知する者なりと曰ふ、今其意義を明白に定むるは頗る難しと雖も而も其単に先知者たるに止まらざりしは疑ふべきに非ず。
 予言者の何たる乎は能く英語の proophet なる詞に於て顕はる、Prophet は pro(前に、代りに)并に phemi(語る)なる二個の希臘語より来りし詞にして前に語る者、又は代つて語る者の意なり。
 予言者は事の起らざる前に之を知て、人に語る者なり、彼は学んで之を知るに非ず、又他の事実より※[糸+寅]繹し又は帰納して知るに非ず、彼は直に神より彼の心に聴て之を知るなり、前知者なるに相違なけれども、世に所謂先(102)見者の類にあらず。
 予言者は人の前に語る者なり、彼は密室に籠て神の真理を独り自から楽しむ者に非ず、彼は亦或る神秘学者が為す如く、心に人の知らざる秘伝を蔵すと称して、公衆に向て之を宣伝することを吝む者にあらず、彼は公的人物なり、彼は人の前に立て其面を懼ず、其威権に臆せず、大胆に明白に神の裁判を彼等に宣告する者なり。
 予言者は神に代りて語る者なり、天に口なし、人をして言はしむ、神は其聖旨を人に伝ふるに予言者の心と口を用ひ給へり、彼は神の代表者なるのみならず、亦その代言人なり。
       ――――――――――
 
    今年の受難節
 
 ユダ人の新年は春分前又は後の新月を以て始まるものなれば、今年は三月二十日を以て始まるべきものなり、其第一月をアビブと云ひ、我の旧暦二月に当る、而して逾越節《すぎこしのいはひ》はアビブの十四日夕を以て始まるものなれば今年は四月二日を以て始まる、而して所謂|除酵節《たねいれぬぱんのいはひ》なるものはアビブの十五日を以て始まり一週日続くものなれば四月三日を以て始まり、九日を以て終るべきものなり、故に若しユダ暦に照して今年の受難節の順序を記さんには大略左の如くなるべし、
  四月二日タ イエス弟子と偕に逾越《すぎこしの》の節筵《いはひ》を守る、食終へてのち 橄欖山に往く、ゲツセマネの苦祷、イスカリオテのユダの裏切等は皆な此夜の出来事なり。
  四月三日 ピラトの裁判、十字架の死刑。
(103)  四月五日朝、復活、此日、日曜日に当れり、故に若し今年キリストの復活日を記憶せんと欲せば之を四月の第一日曜日、即ち七日に於てなすべし。
 
    夏期講談会の結果
 
 昨年七月当角筈村に於て旧東京独立雑誌購読者の夏期講談会を開きし結果として新たに基督教に於ける信仰を起し、夫れ/”\洗礼を受け或は受けずして既成の教会に入りし者は余輩の知る所にても今日まで既に四名に達せり、即ち美作の森本慶三君はメソヂスト教会に入り、越後の渡辺水太郎君は英国派の監督教会に入り、同逢坂信吾君は札幌独立教会に入り、羽前の佐藤武雄君は東京番町組合教会に入りたり、其他講談会来会者の中にて今や熱心に基督教を攻究しつゝあるものは他にもあり、余輩は諸氏に此事ありしを喜び、亦諸氏が各其所属の教会に忠実ならんことを望むと同時に亦世の教会信者にして余輩を以て教会の敵と見做す者の考一考を煩はさんと欲す。
 
(104)     春は来れり
                        明治34年3月22日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
 来た、来た、待ちに待たる春は来た、花は咲く、鳥は囀る、自由なる嬉き春は来た。
 今や雪王《スノーキング》は彼の従者なる霜、霰、氷の族《やから》を率き具して北極指して引き退いた、彼の猛威圧制の跡は絶えて、山に丘に河に海に春の女神の足跡は歴然として現はれる。
 然し是は政治家の運動の結果として来たのではない、又新聞記者の論文が其効を奏して来たのでもない、是は天然自然の行動の結果として来たのである、即ち来るべき時が来た故に来たのである、我等は冬の真中《まなか》に梅花の一輪もまだ綻びざる頃ろに天候の意外に暖かなりしが故に春は吾等の予想せしよりも早く来たかと思ふた、然るに吾等の其希望は寒風一陣のために全く破毀せられて、吾等は絶望の淵に沈まんとした事がある、又季節は既に春に入りしも余寒久しく去らず、池水《ちすゐ》の氷堅くして其解開は何時の頃ならんと待ちわびた事がある、然し春は遂に来た、政治家の群衆も、国王も、金持も終に其来るを妨げる事は出来ない。
 夫れ故に我等は忍耐して待つて居れば宜しい、自由の春はいまに来る、宇宙の進化は人力に由て支配せらるゝものではない、宇宙には宇宙の生命がある、之は個人の生命よりも国家の生命よりも強いものである、故に宇宙に春の臨む時には国会の議決も国王の命令も之を如何ともする事は出来ない 爾うして宇宙の春はキツト来る、(105)是は平民の春である、貧乏人の春である、爾うして是は貴族、豪商博士達の冬であらふと思ふ。
 来た、乗た、待ちに待たる春は来た、花は咲く、鳥は囀る、自由なる嬉き春は来た。
 
(106)     人と天然
                         明治34年3月24日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
 朝新聞紙を読んで失望し、午後|野行《のらある》きをして希望を恢復する、政友会であるとか進歩党であるとか云ふ名を聞いて日本国が忌になり、富士山や筑波岳を望んで日本国が愛らしくなる、憎《につく》き者は政治家と云ふ人達であつて、愛らしき者は菫だとか桜草だとか云ふ花である、             *     *     *     *
 政治で政治を改良しやうとするのは毒で毒を消さうとするのと同然である、消えない事はないかも知れぬが消えた跡は火事の焼跡のやうなものである、若し社会の健全を計らんとすれば政治を改良するに政治以外の力を以てせねばならぬ、深き趣味ある天然物の観察の如きは確かに此勢力の一である、英国にバーンス、オルヅオスがありしやうに、米国にブライアント、トローのありしやうに日本にも天然詩人の出る必要がある。
       *     *     *     *
 天然詩人とは酒を飲みながら花を見るやうな者を称ふのではない、支那日本の天然詩人は大抵此類である、赤壁の下に月を看て「是れ造物者の無尽蔵」なりと吟じた蘇東坡は直に「盞を洗て更々酌み肴核既に尽て杯盤狼藉たり」など云ふて居る、斯んな心では到底天然の秘密を探る事は出来ない、天然は神の衣裳であるから之に触る(107)ゝに神のやうな清潔な心を以てせねばならない、爾うして真面目に天然物に接して吾等の心は清潔ならざらんと欲するも得ない、天然詩人とは天然物に神と人との心を読む者である。改行
 
(108)     梅花と別る
                       明治34年3月28日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
 春はまだ寒く、氷はまだ張りし頃君が咲いて呉れたに由て余は春が来りつゝあるのを知る事が出来た、君は春ではない、春の予言者である、春は桜である、杜鵑花である、藤である、然し彼等が来るにまだ間があつた故に天は君を送つて、吾等の言んとする春の希望を繋いで呉れたのである。
 余は君を愛するとは曰はれない、余は寧ろ君を懼れる、君は余りに厳粛である、君は青葉に伴はれずして独り直に枝に附て咲く君は見て余り美はしい花ではない、君の香《か》は余りに鋭い、君の花片は余りに硬《こは》い、誰も君の下《もと》に俗歌《ぞくか》を謡ふものはない、誰も君の傍に酒に狂ふて躍る者はない、君は予言者ヱレミヤである、バプテスマのヨハネである、余は君の前に立て厳師の前にあるやうな心地がする。
 然し君在るが故に吾等は冬は早や既に去て駘蕩の春の将さに近きにあるを知る事が出来る、君は圧制の冬を叱咤し去る春の先鋒である、先づ君に依て意なき情なき法律一|途《と》の冬の威力を挫《ひし》いで然る後に錦綉を纏ひたる春の女王は現はれ来るのである、君の面《おも》は怒気を含めるやうなれども君の心は涙の貯水池である、君は実に誤解され易き花である、君は春の娘にして女性なるに男装を帯びて冬の暴漢を挫がんために世に送られたる丈夫《ぢやうふ》である、余は寒月の下に君を見て幾回か涙に咽んだ事がある。
(109) 今や春方に盛ならんとするに当て君が尚も芳香を放つて春陽の至るを報ずるの必要はない、今や桃や桜は云ふに及ばず路傍の繁縷《はこべ》、薺までが春と正義と独立を唱ふるに至つた、君は今は花を収め香を裹みて果実を初夏の候に遺して花の社会を去て可《よろし》い、見給へ、世の志士とか批評家とか云ふ者共を、彼等は君が初めて春の声を揚げし時は拍手喝采を以て君を迎へしなれど、今や春至て世は君の予言を要せざるに至て、或は君の予言に聴き倦みて、君に就て多くの非難を述べ立て、君を以て時代後れの者なりなど呼ぶに至つた、然し君彼等を赦せよ、彼等は衆愚なり、俗人なり、彼等は春到れば冬を忘れ、夏来れば春を忘れる族《やから》である、彼等は国の亡ぶるのさへ知らない愍むべき者である、彼等は趣好を全く世と共にし、世が目して以て美なりとするものを美なりと做し、醜なりとするむのを醜なりとする者である、君願くは彼等の闇愚のために彼等を忘るゝことなく、厳寒の再び彼等の地に臨む時に(而《しかう》して余は信ず彼等の未だ曾て経験せし事なき西比利亜の冬は遠からずして彼等の邦土を襲はんとするを)君亦た君の郁々たる清香を放ちて是等迷羊の群を慰められよ。
 
(110)     日本人の不平病
                        明治34年4月5日
                        『無教会』2号「社説」
                        署名なし
 
 英国の博物学者カノン、ツリスツラムと云ふ人が日本に漫遊して其見し所の事を故郷の人に書き送つた書翰《てがみ》の中に斯う云ふがありました
  日本人の容貌は全躰|悲悽的《ひさう》で小児を除くの外は彼等の中に喜ばしい満足したる顔を見る事は至て稀である
と、亦私共外国に遊んだ者が日本に帰つて来て久振りで同胞の顔を見る時にも此英国の学者の感じた事と同じ事を感じます。
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 殊に注意すべきは日本の青年の容貌であります、其顔は何んとなく凄く、其眼と云ひ唇と云ひ不平を以て満ち充ちて居るやうに見えます、彼等が正義を語る下《もと》には冷たき刃のやうなものが蔵《かく》してあります、彼等の所謂憤慨悲憤なるものは私共外国に在てその青年間に於て曾て見たことのない所のものであます、彼国に於ける青年なる者は全躰に至て無邪気なる且つ遊び好きのものであります。
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 斯くて不平とは脚気病と同じく日本人独特の病気ではあるまい乎と思ひます、勿論不満足は世界到る処にない(111)処はありませんが然し日本人の所謂不平、即ち藤田東湖先生の云ひし鋭利|鑿《さく》を断つ可しだとか侃々瞿曇を排すだとか云ふやうな狭くして鋭く、其中に少しも春の海の洋々たる所のないものは是れ日本か左なくば支那朝鮮に限るものであると思ひます。
       *     *     *     *
 日本の気候が日本人の不平病の一源因であるは確であります、其湿気多き鬱陶しき空気は憂愁不満を醸すには最も適合したものであります、紐育に在りましては華氏百度の炎熱も傘なしに凌ぐことが出来ますが、東京に在りましては七十度の薄暑《はくしよ》も日除《ひよけ》なしに過すことは出きません、日本人が一躰に内気であつて、其遊戯なるものは碁であるとか将棋であるとか大方は室内的であるのも全く日本の空気のためであらふと思ひます。
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 喫茶の習慣も亦日本人の不平病の一源因であるに相違ありません、茶素即ちテインなるものが如何に激烈なる神経刺戟剤であるかは人の能く知る所であります、然るに日本人は朝から晩まで此毒素に其身躰を浸しつゝあるのであります、其胃の腑は茶中に在る鞣表《タンニン》にて鞣皮同様になつて居るのであります、其脳は茶毒に浸されて休むこと至て尠く、為めに常に奮興して居るのであります、日本人に肥満の人の尠いのも一つは確に茶を飲むためであらふと思ひます。
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 日本人の米食も確かに此不平病の一源因であると思ひます、余り多量の澱粉貿を消化せねばならぬ故に胃は非常の疲労を感じ、それが為めに脳に要すべき血液を多く腹部に呼び寄せますから、自然と中枢神経に貧血も起し、(112)為めに憂鬱症を醸すのではないかと思ひます、殊に不平家が青年学生の中に多いのを見れば、此説明は真理に近いやうに見えます。
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 支那文学の研究が不平病昂進の大漁因であることも疑ふことは出来ません、支那文学に希臘文学や、希伯来文学に於て見るやうな喜ばしい人生観を見る事は出来ません、支那人は其始めて歴史面に現はれし時より早や既に老ひぼれたる人種でありしやうに思はれます、彼等の文学に希臘人や、印度人の文学にあるやうな小児《こども》らしい喜悦満々たる時代はなかつたやうに見えす、支那人は成人にあらざれば老人でありまして、彼等は青年時代を有せざる国民であると称ふても宜しいと思ひます。
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 蘇子瞻であるとか韓退之であるとか云へばヱライ文人でありしに相違ありません、然し彼等が所謂歓喜満足の人ではなくして不平忿懣の人でありし事丈けは確であります、「世に伯楽有り、然る後に千里の馬有り、千里の馬常に有り、而して伯楽常に有らず」との語を一読しまして其大不平の文字であるを知る事が出来ます、爾うして斯う云ふ文学を以て育て上げられし日本人でありますから彼等が不平満々遣る方のないやうな人民になつたのは当然であると思ます。
 
(113)     泣上戸にあらず
                        明治34年4月5日
                        『無教会』2号「社説」
                        署名 内村生
 
 此頃古雑誌を片付て居る最中フト目が中央公論と云ふ仏教雑誌に触れましたから取て開いて見ますと、中に哄堂隠士と云ふ人の書いた「教界の人物」と題したる一編がありました、如何なる人達の批評ならんと読み下しますると第一番が真宗僧侶哲学館主井上円了氏の批評でありまして、其次は明治女学校長巌本善治氏の批評でありました、其次ぎは驚いた事には『聖書之研究主筆基督信者』なる私《わたくし》の批評でありました、私は世には私如き者を「人物」の中に数へて呉れる有難い人もあるかと思ふて其評を読んで見ましたらば実に奇々妙々に感じました、我も余所目から看たらば斯う見へる者かと思ひ自分ながら奇怪の念に堪えませんでした、其中に斯う云ふ一節がありました、
  世には泣上戸あり、笑上戸あり、氏の如きは即ち泣上戸の類也、その聞見するもの悉く不平不満の料ならざるなく、終日プン/\として怒り散らして止む、云々
 哄堂隠士とは如何なる明僧達識かは知れませんが其人は確かにまだ私の家に来たことのない人であります、勿論私も人間でありまするから泣きも致しますれば笑も致しまする、然し私が泣上戸であるとは虚偽《うそ》のス天辺《てんぺん》であります、隠士は未だ私の一番好きな雑誌は米国紐育で出版せらるゝ「ライフ」とて彼国第一のボンチ雑誌であ(114)ることを知りません、彼は亦私の机の上を離れない書は聖書の外にオルヅオスの詩集であることを知りません、爾《さう》してオルヅオスの詩を嗜む人で泣上戸のありやう筈はありません、亦隠士は私が私の友人中で諧謔家を以て許されて居ることも知りません、若し隠士なり誰なりが私の家に来られて私共一家が師も弟子も下婢《かひ》も主婦も同一の膳台で食事を為る時の状態を見られたならば決して斯んな馬鹿な批評を書かれまいと思ひます、近頃或る地方の友人が一日私の家に留まられて後、故郷に帰て礼状を遣《よこ》されましたが其内に左の一節がありました
  拝啓、此程は久し振りにて拝眉の栄を得且御馳走に相成り難有奉謝候
  先生の人生観が何時も悲的なるに引換へ先生の家庭の快談沸騰し横隔膜以下の笑を以て充たさるゝは最も愉快を感ずる処に有之候云々
 其他私の家に宿泊《とまつ》た人は誰でもその仏法の寺院のやうな笑のない処でない事丈は知つて居られるであらうと思ひます、
 斯んな鎖細な事に就て斯くも長々書き立るは私は何も自分を弁護しやうとして為るのではありません、私は目ツ駄に他人の批評に答へた事はありません、私は今の日本人に泥棒と云はれやうが、偽善者と云はれやうが別に気に掛るに足る事ではないと思ひます、然しながら私は泣上戸であると云はれては耐えられません、私が基督信者である以上は私は決して泣上戸たるべき者ではありません、泣上戸でありながら仏教信者たることは出来るかも知れませんが、基督信者たることは決して出来ません。
 私は勿論|偶《たま/\》には怒ります、若し私が怒らない者でありましたならば、私は今日私が有つて居るやうな好き友人を有つことは出来ないと思ひます、世には怒らない人があります、然し爾う云ふ人は極く危い人であります、(115)カーライルも怒りました、ダンテも怒りました、パウロも怒りました、キリストも怒りました、私を真理に導いて呉れた先生達は皆な怒る人でありました、私は怒らない人を決して信じません、然し斯う云ふ人は今の日本には大分多く居ります。
 然し怒るにも怒りやうがあります、私共キリスト信者は私情のために怒りません、否な怒つてはなりません、他人が打拳《げんこつ》を揚げて私の頭を撲つても私は怒りません、私の友人が私に叛いて公然私を駁撃しても私は怒りません、私はキリストに於て私自身に死すべき者でありますから私自身の事に就ては努めて怒らない積りであります。
 然し爾うした所でまだ怒る場合があります、それはなんである乎、今茲に之を云ふ必要はありません。
 惟ふに世の人は未だ幸福なる生涯の何たる乎を知りません、私共キリストを信ずる者の微笑なる者は何にも私共が善き況遇に会したからとて私共の面《かを》に溢れるものではありません、之は心の裡の千仞の深い所から湧いて出る歓喜の外《ほか》に現はれたものでありまして、その何が故の微笑であるかはキリストの恩恵の深さ広さを味ふた事のない人の知る所ではあやません。
 永生を信じ、復活を信ずる者は泣上戸でもなければ怒上戸でもありません。 私は世の批評家に申します、若し喜ばしき生涯の何たる乎を知りたければ私の間暇《ひま》の時に二三度私を訪問して御覧なさい、私はキリストの恩寵の山よりも高く海よりも深きを語つて私の心の裡にある希望と歓喜との幾分かを其人に分配する事が出来るであらふと思ひます。
 
(116)     桜
                         明治34年4月5日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
 開《ひら》いたり、開いたり、桜の花は開いたり、日本魂《やまとだましひ》は開いたり、嗚呼何んと美いかな。
 開いたり、開いたり、桜の花は開いたり、然れども三日を出でずして散去らんため、人畜を養ふに足る実一つをも遺さずして。
 開いたり、開いたり、桜の花は開いたり、日本魂は開いたり、然れども余は栗、柿(渋柿にても可なり)林檎、香橙《ゆづ》(刺あるも可なり)たらんと欲するも桜たらんと欲せざるなり。
 
(117)     横井時雄君の就官を聞て
                          明治34年4月10日
                          『万朝報』
                          署名 内村生
 
 横井時雄君が逓信省の官房長となりて余は臍の緒切て以来始めて此愛すべくして且つ憎むべき明治政府に余の友人の一人を其高等官の一人として有つに至れり。
 惟り怪む横井時雄君の如き腹の白き人が明治政府の如き腹の黒き政府の官吏とならるる事を、然れども余は信ず、是れ横井君の心が黒くなりし故にあらずして、其余りに白きに過るに依り黒き政府が君を欺くに人道愛国を以てせし事を、故に余は信ず此收府にして改むれば止む、然れども若し改めざるに於ては(而《しかう》して其改むるの希望更にあるなし)吾人は再び吾人平民の仲間に君を有つの喜びを有するに至らん事を。
 余は此政府を以て日本国を救ひ得べしと信ずる横井君の頑是無き心を愛す、余は宗教に失望して政治に入りし君の心を憐む、余は此事に就て深く君を咎めざるべし、そは宗教界今日の泥濁は政治界のそれに一歩も譲らざればなり、故に若し世に変節を以て君を責むるが如き者あらば余は余の全力を注て君の為に弁ずべし、斯く云ふは勿論余も君の迹を逐はんと欲するが為にあらず、そは余に取りては朝報社の客となりて其机一基を領するは藩閥政府の大臣の椅子を悉く余のものとなすに勝ればなり、余は切に泥海に於ける横井君の成功を祈る者なり。
 
(118)     『帝国主義』に序す
                       明治34年4月16日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
 人類の歴史は其始めより終りに至るまで信仰と腕力との競争史なり、或時は信仰腕力を制し、又或時は腕力信仰を制す、ピラトがキリストを十字架に釘けし時は腕力が信仰に勝ちし時なり、ミランの監督アムボローズが帝王シオドシアスに懺悔を命ぜし時は信仰が腕力に勝ちし時なり、信仰、腕力を制する時に世に光明あり、腕力、信仰を圧する時に世は暗黒なり、而して今は腕力再び信仰を刺する暗黒時代なり。
 朝に一|人《にん》の哲学者ありて宇宙の調和を講ずるなきに、陸には十三師団の兵ありて剣戟至る処に燦然たり、野《や》には一人の詩人ありて民の憂愁を医するなきに海には二十六万噸の戦艦ありて洋上事なきに鯨波を揚ぐ、家庭の紊乱《ぶんらん》其極に達し、父子相怨み、兄弟相|鬩《せめ》ぎ、姑息相侮るの時に当て外《ほか》に対ては東海の桜国《あうこく》世界の君子国を以て誇る、帝国主義とは実に如斯きものなり。
 友人事徳秋水君の『帝国主義』成る、君が少壮の身を以て今日の文壇に一旗幟を揚るは人の能く知る処なり、君は基督信者ならざるに世の所謂愛国心なるものを憎むこと甚しく、君は嘗て自由国に遊びしことなきも真面目《しんめんもく》なる社会主義者なり、余は君の如き士を友として有つを名誉とし、茲に此独創的著述を世に紹介するの栄誉に与りしを謝す。
 
(119)     保羅の基督観
         羅馬書と其註解
                    明治34年4月22曰・5月20日
                    『聖書之研究』8・9号「註解」
                    署名 内村鑑三
 
    緒言
 
 余は今より羅馬書に就て余の註解を試んとするに当て余の無学、不信、不浄を感ずるや切なり、余は基督教を信じてより茲に二十有余年、幾回となく此書を通読せり 或る時は註解書を以て、或る時は註解書なしに 而して余は或る時は余自身が書きし書翰の如くに容易に此書を解するを得たり、又或時は最も精密なる註解書に依りしも少しも其真義を解すること能はざりし、余の基督教的信仰の厚薄は余の羅馬書の註解力如何に由て判別せられたり、過去然り今も亦然り。
 羅馬書は難書たるに相違なし之を正解するは容易の業にあらず、基督教の神学なるものは実に此書に淵源す、羅馬書は神学書の最始のものにして亦最高のものなり、聖アウガスチンの神学なる者は此書より出で、ルーテル、カルビンの革命亦此書に依て起れり、人多くは神学なるものゝ高遠なる到底凡人の智能の及ぷ所にあらずと信ず、然れども如何に高遠なる神学と雖も羅馬書の高遠なるに及ばず、若し吾人にして羅馬書の真髄に達するを得ば、(120)大神学者の神学も決して懼るゝに足らざるなり。
 羅馬書は難事なり、使徒保羅の博識は総て収めて此書に在りと云ふを得べし、然れども是れ素哲理を伝へんために書かれし書にあらざるなり、是れ保羅の実験の書なり、故に之を解するの困難は保羅の有せし学識の有無に関せずして、彼の経過し来りし心霊的実験の有無に由るなり、保羅と共に罪を感じ、基督の贖罪の力を感じて此書を解するは決して難事にあらずと信ず。
 余は羅馬書に関する多くの註解書を読めり、然れども余は茲に余の独立的見解を読者に供せんために此註解を草するに当て故らに他人の作になりし註解書の一をも手にせず、唯千八百七十年英国ケムブリツヂ大学刊行 博士スクライブナー(F.H.Scrivener)の編纂に成りし希臘語新約聖書本文と千八百九十八年費府ウエスミンスタ−印刷所刊行博士デビス(John D.Davis)著聖書辞典に頼るのみ、然れ共若し夫れ此書の健全なる解釈に余を導きし故人の名を掲げんには余は主としてバーンズ、ホツヂ、ライトフート(重に彼の加拉太書註解に依れり)并にミユルレル(彼の『基督教罪悪論』に依り)の四者を指名せざるを得ず、曾て正式の神学を修めしことなき余は茲に長き書目を掲げて読者の信用を買ふの便宜を有せず。
 願くは聖霊余の心を導き、余の心の苦闘に於て人類全躰の苦悶を認め、此偉大なる書に依て余自身を慰るを同時に亦世間幾多の罪に悩む者をして基督教の平康を得るに至らしめんことを。
 
    第一章 第一節
 
  イエス、キリストの僕パウロ召れて使徒となり神の福音の為に選まる。
(121) 「イエス、キリスト」イエスはヨシユア(約書亜)の転訛なり、「救は神にあり」との意なり、ユダ人中普通の名なり〇「キリスト」は希臘語にして希伯来語のメシヤ(Meshiah)の訳辞なり、受膏者《じゆかうじや》を意味す、神の使命を帯びて聖民の上に王たる者の称なり、ダビデ、ソロモンの後を承け、永遠無窮の霊の王国に王たる者の尊称なり、〇ナザレの工匠《だいく》ヨセフの子イエス、神を涜す者、国を売る者として十字架に釘けられしイエス、彼は神の子にして人類の王なりと云ふ、「イエス、キリスト」の名称に基督教の総ては籠れりと謂ふべし。
 「僕」、家僕又は家来の意に止まらず、「僕」doulos は奴僕なり、奴隷なり、即ち意志なき、自由なき、権利なき、機具同然の者なり、オネシモがピレモンに於ける関係、奴隷廃止以前に於ける米国に於ける阿非利加産の黒人の位置なり、而してパウロは曰ふ、彼は人に対しては自主自由独立の者なれどもキリストに対しては奴僕なりと、パウロの基督観は能く此一字に現はる、キリストは人ならん乎、其奴僕なりと自から称せし使徒パウロは自己の人格を否定せし者なり、然れども自由思想の張本人なりしパウロにして此言を発す、キリストは神にあらずして何ぞや、キリスト神性論なるものゝ根拠は此辺に存す。
 「パウロ」、初めサウロと称せり、小亜細亜キリキヤ州タルソの人なり、ユダヤ人なり、紀元一年頃に生る(キリストより若きこと三歳余)、同七十年頃に死せり、熱誠なる愛国者なりし、初め甚しく基督教徒を迫害せり、然れども後ダマスコ途上に死して甦りしキリストを視てより終にその忠実なる僕となれり、豹はその斑駁《まだら》を変ふること能はずと云ふ、然れども迫害者サウロは使徒パウロと成れり、パウロの改信は最も著明なる奇績の一なり。
 「召れて」、自から進んで使徒と成りしにあらず、神の召命を受けてなり、我は使徒たるの価値なき者なり、然れども神強ひて、我を召し給ひたれば我は辞《いな》むに辞なくして使徒の聖職に就きし者なりと、偽はりの伝道師は自(122)から進んで其職に就き、真正の伝道師は神の召命に余儀なくせられて伝道に従事す。
 「使徒」 遺されし者の意なり、キリストの特命を帯びて万国の民に福音を伝へんが為に送られし者の称なり、然れども凡ての伝道者は使徒(apostolos)にあらざるなり、アポロ、マコ、ルカ、テモテ、テトス、シラス等は皆忠実なる福音の宣伝者なりしも彼等は使徒とは称へられざりしなり、使徒はキリストの直弟子の称なり、即ちキリストが曾て定め給ひし十二弟子をば斯く称びしなり、(馬太伝十章二、三、四節参照) 後其一人なりしイスカリオテのユダ、主を売りしに由り使徒の栄職を失ひてより自余の使徒は鬮を取てマツテアなる者を選びて其欠を補へり、使徒とは其一人なるペテロの言に依ればキリストの復活の証人を指して云ひしが如し、(行伝一章二十二節)、然れども主の復活を目撃せし者は使徒を除きて他にもありし事なれば復活証明の一事のみが使徒たるの資格を作りしとは云ふを得ざるべし、若しキリストの陳べられしが如く汚《けがれ》たる鬼を逐出し、又凡ての病、すべての疾《わずらひ》を医すの権《ちから》を賜ひし者のみが使徒たりしとならば余は未だ十二弟子以外に使徒たりし者なしと断言するを得ず、惟ふに使徒の職は之を信条的に判別し得べきものにあらざるべし、然れども其初代の信徒間に於て特別の意味を以て認められし職なりしことは疑を挟むべきにあらず、又直接にキリストの口より福音の宣伝に与からざりし者を斯く称へざりしも明かなり、〇然れどもキリストの死後彼の福音を信ぜしパウロが自から称して使徒なりと云ひしは是れ多くの信徒の肯ぜざりし所ならん、彼がペテロ、ヨハネ輩と同時にキリストの膝下に在てその教訓に与からざりしは明かなり、彼は亦マツテヤの如く使徒の選択に依て其中に席を列するに至りし者にあらざるも明かなり 然らばパウロは独り免許の使徒にはあらざりしか、彼の敵対に立ちし時の牧師伝道師輩は斯く信じたり、然れども彼れパウロ自身は断乎として言へり、「人よりに非ず、又人に由らず、イエスキリストと彼を死よ(123)り甦らしゝ父なる神に由て立られたる使徒パウロ」と(加拉太書一章一節)彼は又曰へり「我は使徒に非ずや、我は自主に非ずや、我は我儕の主イエスキリストを見しにあらずや」と(哥林多前書九章一節)、彼は告白して「最後《いやはて》に月たらぬ者の如く」に生れし者なりと云ひしも而も彼の使徒たるの職権を維持して一歩も譲らざりし、大胆なるパウロよ、汝は狂ひしにあらずや 或は汝の目実にキリストを見しか、汝の耳実に死して甦りしキリストの言を聞きしか、汝は汝の告白の真偽を定むるに汝の行為を以てせり 汝は羅馬帝国を教化せり、故に余は他に汝の使徒たりし現実的証拠を発見する能はざるも、汝に超人問的権能のありしを知るが故に汝の実《まこと》に誠に使徒たりしを信じて疑はざるなり。
 「神の福音」、福音(euangelion)喜ばしき又美はしき音づれ、即ち神自身此世に降り給ひて人類をその罪の縲絏より救ひ給ひて之に心霊の自由を与へ給ふとの音《おとづれ》、是れ実に喜ばしき、美はし音信ならずや、彼を信じて涙あることなし死あることなし」と、何物か之に勝るの福祉《さいわい》あらんや、英語に福音のことを Gospel と云ふ、之を訳せば God's spell 即ち「神の音信」なり、而して神の音信とは金礦の発見、又は肺病治療特効簗の発見の如き吾人に暫時的歓喜を伝ふる音信にあらず、是れ神の音信にあらず、神の音信とは宇宙万物の造主なる神は永遠の愛を以て吾等罪悪に沈める人類を愛し、その永久に淪《ほろ》びざらんが為めに其独子を此世に降して書等の為めに救済の道を開き給ひしとの事是なり、是れ実に余り善きに過ぎて信じ難き音信なり、然れども是れ事実中の事実なり、パウロ曰く「キリストイエス罪人を救はんために世に臨れりとは信ずべく亦疑はずして納《う》くべき話なり」と(提摩太前書一章十五節)博士ムンゲル曰く「キリストの降らざる処として此世を観る勿れ」と、キリストを究めず、キリストを信ぜずして此世に就て失望する者は名薬を懐にして苦悶死に就く者の類なり。
(124) 「選ばる、」特別に抜擢されしとの意なり、予言者エレミヤが母の胎内に造られざりし先に万国の予言者として定められし如くに彼れパウロも母の胎を出し時より神は彼を簡び置き恩恵を以て彼を召し給へりと確信せり、(加拉太書一章十五節)、彼は召されて使徒となりし者なるのみならず、亦世の基《もとゐ》を置ざりし先より神の選択に罹りし者なりと信じたり、是れパウロの妄断なりとて笑ふ者は笑へ、然れども此確信なくしてパウロは羅馬帝国を、ルーテルは独逸国を、コロムウヱルは英国を其根底より改造する能はざりしなり、遇然に此世に生れ来りしが如くに信ずる当世の「志士」の如き者が此世に於て何事をも為し得ざるは当然なり。
 
    二、三節
 
  この福音は従前より其予言者たちに託りて聖書に誓ひ給へるものにて其子我儕の主イエスキリストを指して示せり。
 「予言者」、prophetes《プロフエテース》、神に代て語る者なり、必ずしも事の起らざる前に之を予言する者の謂ひにあらず、之を予言者と訳して其真意を誤り易し、解義者、示顕者の訳字稍や真に近し、之を代言人と云ふは、能く原意に通ふと雖も、而も余り通俗に過ぎてプロフエテスの威権を害ふの懼れあり、故に吾人は予言者の字を存して之に代言者の意義を附して用ひんと欲す。〇「予言者」とは普通予言者と称せらるゝ者、即ちイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、アモス、ホセヤ等に限らず、サミユエル、ナタン、ヱリヤ、エリシヤ等も正統の予言者なりしのみならず、アブラハム、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ダビデ等も亦予言者の職を帯びし者なり、キリストの降臨はキリスト以前の神の忠実なる下僕の等しく望み且つ予言せし所なり。
(125) 「託《よ》りて」、神に口なし、彼は人に託りて語り給ふ、彼に手なし、人に託りて誓ひ給ふ、神の託る所となる、人類の栄誉之に過るなし。
 「聖書」、吾人の今日称する旧約聖書を指して云ふ、其歴史、詩歌、劇曲、予言は皆なキリストを以て理想とす、新約は旧約の解答なり、予言者のみならず、旧約全躰はキリストに向て注集す。
 「従前より……誓ひ給へるもの」 キリストの降臨の誓約は始祖堕落の時に始まれり 「ヱホバ神蛇に言ひ給ひけるは我汝と婦《をんな》の間および汝の苗裔《すえ》も婦の苗裔の間に怨恨を置ん。彼は汝の頭を砕き汝は彼の踵《きびす》を砕かん」と(創世記三章十五節) 神は人類をして終に其罪に死せざらしむべしとは彼が多くの区別《わかち》をなし、多くの方を以て予言者によりユダ人の列祖に告げ給ひし所なり。(希伯来書一章一節)。
 「其子我儕の主イエスキリスト」、キリストは神の子にして人類の王なり、彼が神の子たりしは単に人として此世に生れ給ひしが故のみに由らず、彼は世の創始より父と栄光を共にせし者、彼の存在し給はざりし時あるなく、亦た存在し給はざる時はなきなり、三位三躰の語は神学者の鋳造に係りし者なりと雖も、其事実は能く道理に適ひ、神の真性を究むるに当て免かるべからざる結論なりと言はざるべからず、事、後に詳論すべし。
 「指して示せり」、希臘語の前置詞 peri の解訳なり「就て」又「関して」と訳す方返て明瞭ならん、然れどもその「予言者」に関聯して解すべきものなるや或は、第一節に溯て「神の福音」に関係すべき詞なるや詳かならず、訳文の少しく曖昧なるは原文の明瞭ならざるに依る、然れども二者執れに関聯して読むも其意味に於て大差なきは明かなり、原文に在ては第一節より第七節の終りに至るまで一つの欠点の認むべきなし、此の如き長文章を日本語の如き関係代名詞の使用を許さゞる国語に訳するの困難は読者の予め意に留め置くべき事なり。英(126)訳に傚ひ第一節第二節を左の如く訳したらんには稍や明瞭なるべしと信ず
  イエスキリストの僕パウロ召れて使徒となり、神の福音の為めに選まる(この福音は従前より彼が其予言者たちに託りて聖書に誓ひ給へるものなり)、其福音たる其子我儕の主イエスキリストに関するものにして、彼は肉体に由ればダビデの裔より生れ云々以下
 
    第二 三節
 
  彼は肉体に由ればダビデの裔より生れ聖善の霊性に由れば甦りし事によりて明かに神の子たること顕はれたり。
 キリストは人にして神なり、彼は人なりしも吾等の如く罪に汚れし者にあらず、彼は神なり、然れども独り高きに在まして吾等の荏弱《よわき》を思遣ること能はざるが如き無情無感の神にあらず、彼は人なりしが故に弱き吾等の兄弟たり、朋友たり得るなり、而して神たるが故に吾等の教主たるなり、吾等は推察を要す、然れども推察のみは吾等を済ふに足らざるなり、吾等は救主を索む、然れども彼は其身に於て吾等の悲痛を感ずるものならざるべからず、イエスキリストは実に吾等人類の此大要求に応ずる者なり、彼が天下唯一の救主たるは彼の神人両性に存す、キリストを世の聖人君子と同視する者は未だ人類の要する救済の何たる乎を知らざる者なり。
 「肉体」 希臘語の sarx、筋肉、血、骨等をのみ指して云ふ詞にあらず、肉体に附随する総ての感情、是をば称して「肉の事」と云ふなり、キリストが肉体を有せりとは彼に手を以て触るべき形躰の有りしを云ふに止まらずして、彼に亦喜怒哀楽の情の喚起、圧抑すべきありしを示す、彼は友人の死に会ふて泣けり、彼はパリサイ人(127)の肉体の然らしめし処にして、彼を称して「人なるキリストイエス」(提摩太前書二章五節)と云ふ所以のものは彼に此深き人情の存したればなり、
 「ダビデの裔」、キリストがダビデの裔たるべしとは予言者の屡々告げし所なり、而して彼が一工匠の家に生れしに係はらず大王ダビデの裔たることは馬太路可両伝の詳載する所なり、其如何なる意味に於てダビデの裔なる乎、其マリアの子たりしが故か、或は戸籍上ヨセフの嗣子たりしが故か、是れ茲に余の詳論するを得ざる所なり然れども血統を重んずるユダ人の中に在て何人も彼のダビデ的血統を疑はざりしを見て、此一事の明瞭なる歴史的事実なりしを知るを得べし。
 然れども何故に人類の救主たるべき者はダビデ王の裔たるべきか、是れ吾等の大に攻究すべき問題なりとす、血統は重ずべしとするも人の価値は彼の血統に依て定まる者に非ず、貴族の家に愚人多きは社会学者の一般に認むる所にして亦ルーテル、フォツクス等民の圧制の桎梏を砕きし者は多くは賤の伏屋に人と成りし者なることは歴史の恒則とも称すべき事柄なり、若し人類の救済は其最下層の民より始まるべきものとすれば、キリストの王家に生れ来りしは返てキリストたるの効力を薄くするものならずや。
 余は信ず聖書記者がキリストを以てダビデの裔なりと做す所以のものは仏教者が釈迦を以て浄飯王の子なりと稱すると同一の理由に出でしものにあらざる事を、ダビデ自身がエサイの子にして、エサイの家又ユダ国に在て特に名家と称するものにあらざりし、又ダビデ王の行蹟如何を知るものは其子孫たるを以て決して道徳的名誉の地位にあらざるを知るべし、之を修飾なき列王紀略の記事に読んでダビデ王統の歴史の決して名誉の歴史にあ(128)らざるは明かなり、
 キリストが、ダビデ王の裔たるは彼が彼の肉体に由れば摸範的ユダ人の一人たらんが為めならざるべからず、彼は即ち紛ふべきなきユダ人にして彼の肉体にユダ人の総ての強点と弱点とを鍾めし者ならざるべからず 彼は生れながらにして彼の遺伝性に於て、彼の理想に於て最も純粋なるユダ人なりしならん、而して此ユダ的特性を養成し且つ保存せんが為めに神は特別にダビデの家を指導し給ひしなるべし。
 人は社会を救ひ、国は人類を救ふ、自由を人類に供せし者はリンコルンに非ずして米国なり、然れども米国はリンコルンに由らずして自由を世界に普からしむる能はざりし、米国の権化《インカルネーシヨン》とも称すべきリンコルンは能く米国をして其天職を全うせしむる聖職を帯びたり、而してユダ国をして此職を全うするを得せしめし者は摸範的ユダ人たりしナザレのイエスなりし、彼れ若し印度人として生れ来りしならば彼は東洋を救ふに止て全世界を救ふに至らざりしならん、彼れ若し日本人として生れ来りしならば日蓮、親鸞と其勢力の区域を同うせしならん、彼が人類の王たらんが為めには彼はガリラヤの地ナザレの村に生るゝの必要ありしのみならず亦アブラハム、イサク、ヤコブ、ダビデ、ソロモンを父祖として有つの必要ありしなり、キリストがダビデの裔たりしは人類の歴史上必要ありてなり。
 「聖書の霊性」 訳字甚だ弱し、「神聖の霊」或は「成聖の霊」と訳すべし、之を聖き霊と解するも又は聖ならしむる霊と釈くも原語の意味を害ふことなし、〇「明かに」 訳字足らず支那訳に「大能を以て明かに」とあり、能く原語の意義も写すものと謂ふべし、〇「甦り」 死より起つの意なり、復活の論理并に現象に就ては余は他に論ずる所ありたり、(『宗教坐談』参考)。
(129) 朽る肉体に由ればダビデの裔にして模範的ユダ人なり、然れども其神聖なる霊に由れば、彼は天より降り臨りし神の子にして、彼が神の聖子たりしは彼が死より起ちし事に由て大能を以て明かに顕はれたり 彼若し霊に於ても内に於けるが如く人なりしならん乎、彼は死より起つこと能はざりしならん、彼は生命の王なり、故に死は彼に勝つこと能はざりし、彼の復活は彼の神性の実証なり。
 単に「霊」と云はずして「神聖」又は「清浄の霊」と云ひ、「大能を以て明かに」と云ふが如き共にパウロ独特の文躰にして其クド/\敷に関はらず、彼の感情の激越にして彼の信念の深厚なりしを示して余りあり、後編此類の章句甚だ多し、読者其文法的に解し難きの故を以て其中に存する言外の真意を逸すべからず。 〔以上、4・22〕
 
     五節
 
  我儕彼より恩恵と使徒の職を受くこれ其名の為めに万国の人々をして信仰の道に従はせんと也
 「我儕」、「我」と云はずして「我儕」といふ、使徒全体を代表して云へるなり、彼パウロは恵の事を語る時に彼一人之を専有せんとせずして彼の朋輩と共に之を分有せんとす、彼の愛心と謙遜とは是等の小さき言葉の上に現はる。 「彼より」、イエス、キリストより、よりの訳字弱し、「彼に託りて」と読むべし、キリストの降誕が予言者達に託りて予め人類に伝へられし如く、総ての恩恵と特権とはキリストに託りて父なる神より吾等に与へらる キリストは吾等の中保者なり、神より出る総ての善き賜はキリストを通して我等に与へらる、我等の祈祷の父なる神(130)に達するも亦キリストに託てなり、我等はキリストに託て祈り、神亦彼に託りて其恩恵を我等に降し給ふ〇人或は言はん、是れ神と人との間を離隔するものなりと、然り、人は既に其自から簡みし罪の生涯に依て彼自身神と離絶せし者なり、彼にして神に至らんと欲し、神にして彼を恵まんと欲せば必ず二者の間に介立する中保者に依らざるべからず、基督教の中保説を嘲ける者は未だ良心の呵責に遭ふて忿怒の神の前に立ちし事なき者なり。
 「恩恵と使徒の職」、使徒の職に伴ふの恩恵、即ち之に耐ゆるの総ての能力と智識と信仰、使徒たるは大任なり、「誰か之に堪んや」とパウロは曰へり(哥林多後書二章十六節)、然れども昴宿及び参宿を造り、死の蔭を変じて朝となし、昼を暗くして夜となし給ふ神は荏弱き人にも使徒たるに足る恩恵を与へ給ふなり、「汝の能力は汝が日々に需るところに循はん」と主は曰ひ給へり(申命記三十三章二十五節)、神は決して恩恵の伴はざる責任を吾人に下し給はず、彼が使徒達に病を癒すの能力、悪鬼を逐出すの権能を給ひし如くに、亦二十世紀の今日、吾人が此社会に処して彼の福音を宣伝するに足るの権能を吾人に下し給ふなり、「恩恵と使徒の職」、「恩恵と雑誌記者の職」、「恩恵と政治家の職」、吾等キリストを信ずる者は彼に託りて神より来る恩恵に依るにあらざれば何事をも為し能はず、亦神の恩恵に依て吾等の為し得ざる事一つもあるなし、パウロは曰く「我は我を愛する者の力に託りて何事をも為し得べし」と〇「使徒の職」の何たる乎は既に前節の註解に於て詳にせり。
 「其名の為に」、「彼の為めに」と云ふと同じ、神の為めキリストの為めと云はずして其名の為めと云ふ、希伯来人の語法に則りしものにして、他に深き意味の存するにあらず、バプテスマは之を父と子と聖霊の名に依て施すべしと云ひ、(馬太伝廿八章十九章)、ヱホバは彼の大なる名を指して誓ひ給ふと云へり(耶利米亜記四十四章二六節)、勿論名其物に特別の権能の存するにあらず、然れども名は之を負ひし人の総てを代表するものなり、キリ(131)ストの名と云へば彼の教訓、彼の行跡、彼の心情の総てを指して云ふに均し、斯く解して基督信者が父なる神に祈祷を捧るに其|聖名《みな》に託ることの最も適当なるを知るなり。
 「万国の人々をして」、万国とはユダ国以外の国々を指して云ふ、基督教の世界的なるを示すの言葉なり、ユダは孤立の国なりしも其生みし基督教は宇内を教化統一するの天職を以て生れたり、之を其天稟の性に循て普く万国の民に伝へんことは使徒パウロの聖望なりし、彼は哥羅西人に書き送て曰く「此福音は即ち爾曹の聞きし所にして且つ既に天下の万人に伝はりしものなり」と、宗教に人類的なると、人種的なると、国家的なるとあり、日本の神道の如きは国家的宗教にして何人も之を普く天下の万人に伝へんとする者なし、回々教の如きは人種的宗教なり アラビヤ人に由て建てられて重にアラビヤ人と同人種の民の間に信ぜらる、仏教の如きは稍や人類的たるに近しと雖も而も其亜細亜的臭味より全く脱する能はず、其建設の当時より万国の民の教化救済を以て目的と定め、人類全躰を其教徒の中に算入せし宗教は基督教を除いて他にあるなし。而して事実は宣言に合ひ、今や基督の聖名は水の大洋を掩ふが如く全世界を蓋ひつゝあり、言語は異なり、政躰は異なり、人種は異なるも主は一、信仰は一、バプチスマは一なり、基督教開発の当時に於けるパウロの此確信は謬らざりしなり。
 「信仰の道に従はせんと也」、原文を直訳すれば「信仰の服従の為め」といふに止る、是を意訳して反て原意を害ふの虞れあり、故に余は全節を左の如く改訳するの要あるを見る、
  我儕彼に託りて恩恵と使徒の職とを受く、これ.其名の為めに万国の人々の中に信仰の服従を説かんためなり。
 「信徒の服従」とは神を信仰して彼に服従することなり、即ち彼の恩恵を信じ、慈愛を信じて孝子が其父に事ふるが如くに神に遵従することなり、神の刑罰を恐れての服従に非ず、又其威力に圧せられての服従にあらず、(132)神は暴君にあらざれば彼は吾人より此種の服従を要求し給はず、神の要め玉ふ服従は信仰の服従なり、即ち彼の愛に励まされて独り心に定めて喜んで彼に順ふの服従なり、服従は服従たるに相違なきも神の要求し給ふ服従と世の君主帝王の要求する服従との間に天地の差あり、基督教が服従を説くに関はらず、常に自由の友にして圧制の敵たるは其要求する服従の全く自由的なるに因る。
 
     六節
 
  爾曹も其人々の中に在てイエスキリストの召を受けし者なり
 「爾曹」 羅馬に在りし信徒を指して云ふ、〇「其人々の中に在りて」、曾ては異邦人たりし者、神なく希望なく、キリストなき者なりしとの意なり(以弗所書二章十二節参考)、パウロは都会に在るの信徒なればとて彼等に阿諛の言葉を呈して其異邦人たりし事を包まんとはせず、〇「召を受けし者なり」、彼パウロ自身が召されて使徒となりしが如く、彼等羅馬にありし信徒も神の特別の撰択を蒙りて神の聖徒たるを得し者なり。
 
     七節
 
  我すべてロマに在るところの神に愛《いつく》しまれ、召を蒙り、聖徒と為れる者にまで書を贈る、爾曹願くは我儕の父なる神及び主イエスキリストより恩恵と平康とを受けよ
 「ロマ」、羅馬帝国の首府なり、地中海の中心点に位し、当時文明と呼ばれし国は皆悉く此海に浜せし頃は実に宇内の大権を掌握するの地位に居れり、殊にパウロが此書翰を綴りし頃(紀元五十八年)には帝王ネーロ位に在り、(133)帝国の統治に一つの欠くる所あるなく、衆星の北辰を指すが如くに天下の民は悉く眼をタイバー河辺の此帝都に注げり、其人口は四百万と称せられ、世界の富と智識と権力とは凡て此所に集れり、パウロ今や此書を其地の信徒に送りて後、自身単独、心に十字架の福音を齎して其所に赴かんとす、基督教の起原とパウロの生涯とを究めんと欲せば汎くロマの歴史に渉らざるべからず。
 「禅に愛《いつくしま》まれ」、我儕神を愛するに非ず、神に愛せられしなり、我儕神に至りしにあらず、神、我儕を彼に引き附け給ひしなり、我儕人に対しては発動的たり得るも神に対しては受動的たり得るのみ(約翰第一章四章十節参考)。
 「召を蒙り聖徒と為れる者」、或は「聖徒として召を蒙りし者」と訳するも可なり、即ち聖徒(信徒)たる者の全く神の任意的撰択に罹りし者なるを示して云へる言辞なり、吾等は自身努めて富者又は智者又は学者又は君子となるを得べし、然れども吾等が基督信徒たるを得しは全く神の恩恵に依るなり、世に「信者を作る」の言辞ありと雖も、是れ基督教の教義と全然背馳するの言辞なり。
 「我儕の父なる神および主イエスキリスト」、神は我儕の父にして恩恵は彼より出で、キリストは我儕の主にして恩恵は彼に託りて下る、キリストは我儕に父を顕はせし者なり、神を父とし呼ぶに至りしは基督信者の特権なりとす
 「恩恵」、神を信ずるの力、真理を見分るの力、善を為すの力、難儀を忍ぶの力、迫害に耐ゆるの力、敵人をも愛するの力、是皆我儕の要する恩恵なり、而して我儕クリスチヤンは神に愛しまれ、召を蒙りて聖徒となりし者なるが故に、亦我儕の信仰的生涯を継続せんためには恩恵の絶えざる注入を要するものなり、我儕は恩恵に由て(134)信じ恩恵に由て生き、恩恵に由て救はるゝ者なり、(以弗所書二章八節)永遠の生命とて永遠に渉る恩恵の継続に外ならざるなり。
 「平康」、恩恵の結果をいふなり、神の恩恵に接して我儕に始めて満足あり、即ち聖書に所謂る「神より出て人の凡て思ふ所に過る平康」あり、是れ必しも世の所謂る平和なるものにあらざるなり、信仰の平康は時に或は境遇の争乱を起す事あり、是れ我儕が好んで起す所ろの争乱に非ず、不安は神を知らざる者の常態なり、彼等は永遠の厳に頼りて無窮の平康を得し者を見て心安からず感じ、自己の不安を増すと同時に我儕主に在て安き者の平康を奪はんとするなり、茲に於てか争乱生ず、基督教が時には世に擾乱を惹き起すを見て吾等は其之を信ずる者に供する平康の実体的《サヌスタンシヤル》なるを知るなり。
       *     *     *     *
 以上僅に七節、而もパウロの基督観なるものは歴然として其中に現はる 彼は基督の人間以上の実在者なるを認めたり、彼は其奴隷なりと表白するを耻とせざりし 彼は神より来る恩恵は総て基督に託りて(基督を通して)来るものなるを言へり、彼は基督のユダ人なりしも自から甦りし事に由りて明かに神の子たることを証明せられしを示せり、彼は亦基督信者なるものゝ性格を明かにせり、彼の信ぜし処に依れば彼等信者なるは世の所謂聖人君子と類を同うする者に非ず、彼等は自から努めて善人となりし者にあらず、彼等は召を蒙りし者、神の特別の撰択に与りし者なりとなり、彼は亦神は我儕の父なりと云へり、即ち我儕の造主、裁判人たるに止まらずして彼の無窮の愛に由てイヱスキリストに在て我儕を生みし者なるを示せり、パウロが「我儕の父なる神」と云ひしは基督教以外の詩人や哲学者等が神は人類の父なりと云ひしと異る、是れ後に彼が本書に於て詳論する所なり。
(135) 以上は勿論本書の一小部分たるに過ず、然れども部分が能く全体を代表する全体の始終が一貫するの証なり、吾等は漸を逐ふてパウロの深所を探らんと欲す、然れども彼の偉想の一片に接して其既に純然たるパウロ的香気を放つを覚ゆ、彼の神学説を非難する者あらむ、彼の基督観なるものは彼パウロの基督観にして四福音者が吾人に伝へしものにあらずと云ふ者あらん、然れども些一事は確なり、即ち彼の基督観なるものゝ終姶二一して其間に些少の曖昧なる所なき事是なり、吾人は殆んど天文学を学ぶの精密を以て彼の神学を窺ふを得るなり、ルーテル云へるあり曰く「神学は音楽の一種なり」と、而して音楽は調和なり、吾人パウロの神学を究めて其実に宇宙を調和するに足る一大美音たるを知るなり。 〔以上、5・20〕
 
(136)     〔快楽の生涯 他〕
                      明治34年4月22日
                      『聖書之研究』8号「雑感」
                      署名なし
 
    快楽の生涯
 
 得るの快楽あり、失ふの快楽あり、生るゝの快楽あり、死するの快楽あり、愛さるゝの快楽あり、憎まるゝの快楽あり、而して若し快楽の性質より云はんには失ふの快楽は得るの快楽より高く、死するの快楽は生るゝの快楽より清く、憎まるゝの快楽は愛さるゝの快楽より深し、神を信じて如何なる境遇に処するも吾等に快楽なき能はず、只悲痛の快楽の快楽の快楽に優る数層なるを知るのみ。
 
    憤怨の所以
 
 是れ神の造り給ひし世界なり、悪人の思ふが儘になるものと思ふ勿れ、神には神の計画あり、彼は之を実行せざれば止み給はざるべし、吾等が悪人の成功を見て憤り且つ怨む所以のものは吾人が神を信ずること猶ほ甚だ薄ければなり。
 
(137)    刺激物
 
 酒精、煙草、茶、伽排、胡椒、芥子、是れ皆な害の伴ふ刺激物なり、吾人は薬品としての外は一切之を用ゆべからざるなり。
 害の伴はざる刺激物は日光なり、清水なり、淡白なる食物なり、神の真理なり、吾人疲労倦怠を感ずる時、後者に行て前者に至るべからざるなり。
 
    福音の宣伝
 
 我は人に悪人と呼ばるゝも福音の宣伝に従事すべし、善人と呼ばるゝも之に従事すべし、世が我が福音に耳を傾くるも伝道に従事すべし、傾けざるも之に従事すべし、我が生国に如何なる政変が起り来るも我は之に従事すべし、仮令世界は消滅するに至るも我は之に従事せんと欲す、福音は我が生命なり、我は我が生涯中我れが福音の宣伝に従事せざる時あるを思意する能はず。
 
    神を信ぜんのみ
 
 如何なる境遇に遭遇するも神を信ぜんのみ、富むも貧するも、成功するも失敗するも、徳を建るも罪に陥るも、世に迎へらるゝも友に捨てらるゝも、生《いき》るも死するも、天に昇るも陰府《よみ》に降るも我は神を信ぜんのみ、斯くて我に未来あるなく、過去あるなく、悲哀あるなく、失望あるなく、時は総て現在となり、事は総て歓喜となり、我(138)が生涯は信、望、愛の相連不絶と化すべし、欣ぶべきかな。
 
    我が神
 
 悲しき時は貧する時にあらず、国人に捨てらるゝ時にあらず、孤独此世に存在する時にあらず、無学を以て人に嗤はるゝ時にあらず、悲しき時は我が心の眼に神が見ずなる時なり、我が霊魂が欣慕する者の面が疑の雲を以て蔽はるゝ時なり、其時我が蔵は充つるも我に歓喜なし、我が名は万国の民の讃むる所となるも我に満足あるなし、我が首の上に太陽は照るも我は独り暗夜に辿るが如き心地するなり、我れ我が神を見失ふて我は死せると同然なる者となるなり、我の愛する者、我の恋ひ慕ふ者、我の生命よりも貴き者は我が神なり。
 
    思ふが儘
 
 我は彼《か》の人に失望し、此人に慊焉たらずして常に其依らんと欲する理想的人物を捜索しつゝある人を愍む、我は道を伝ふる者の不完全の故を以て完全の神に到る能はざる者を憫む、彼の如きは人の不完全を以て彼が神を信ぜざるの口実となす者にして、終に自身も不完全の域を脱すること能はずしてその一生を終る者なり。
       *     *     *     *
 我は我自身何事をか為さんと欲するの希望を絶つべきなり、我は我が神をして我を通して何事をか為さしめんと欲するの希望を起すべきなり、我の為し得る最大事業はわれ我が身を神の意に適ふ聖き活ける祭物《そなへもの》となして神に献る《さゝぐ》る事なり(羅馬書十二章一節)
(139)       *     *     *     *
 我を信ずる勿れ、我の信ずる我が神を信ぜよ、我も矢張り罪悪に沈淪する人類の子にして同じく神の潔めと救済とを要する者なり、我は人を救はんと欲する者にあらずして、人が我が神に由て救はれんことを欲する者なり、人物崇拝の盛に行はるゝ東洋諸邦に於て我は幾回となく此事を重複するの要あるを感ず。
       *     *     *     *
 牧師根性とは善き説教と多くの信徒を得んと欲する事なり、記者根性とは善き論文と多くの読者を得んと欲する事なり、此根性ありて牧師の教会は栄えず、此根性ありて記者の新聞と雑誌とに生命あるなし、先づ此根性より脱するを得て記者も牧師も始めて社会的勢力たるを得るなり。
       *     *     *     *
 キリストは昨日も今日も永遠変らざる也(希伯来書十三章八節)、第一世紀に於てパウロを救ひしキリストは第十六世紀に於てルーテルを救ひしキリストにして、亦第二十世紀の今日に於て吾等を救ひ得るキリストなり、吾等救はれんため今日新らしきキリストを索むるの要なし、そは彼は父なる神と供に永遠に存在し、今日猶ほ吾等求哀の声に応じ、吾等に新らしき生命を給へばなり。
       *     *     *     *
 「青年よ、汝自身を見ることなく、キリストを見よ」とは英国有名の説教師スポルジヨンをして彼の青年時代に於て彼の全身を神に献るに至らしめし一言なりと云ふ 日常自己の瑕瑾にのみ注目して之を去り得ざるが故に悲痛日も又足らざる者は其志|嘉《よみ》すべしとするも未だ神の嘉し給ふ所の者と云ふを得ず、吾人の瑕瑾はキリストを(140)見て始めて吾人より取り去らるゝもの、是れ吾人が日に百度び己を省るも吾人を去るものにあらず、救済の秘訣は実に此一事に存す、今日の青年亦英国のスポルジヨンに傚はざるべからず。
       *     *     *     *
 或人は政事を改良して国を救はんと欲し、亦或人は社会を改良して人を救はんと欲す、然れども我は我が救主キリストイエスを世に紹介し、以て政事と社会と同胞とを其根底に於て潔めんと欲す、先づ社会を潔めて然る後にキリストを迎へんと欲する者は永遠にキリストを社会の中に見ること能はざるべし、キリストをして社会を改良せしめよ、然らば社会は実際に改良せられてキリストは其救主として永く其中に存し給はん。
       *     *     *     *
 教会が人物を評し計策を講じつゝある間は其信仰の日々刻々堕落しつゝある時なり、教会が十字架に釘けられしキリストに就ての外何事をも語らざるに至て始て其復興の時期に達せりと云ふを得べし、キリスト纔に其理想たるに止て其実際的活動力たらず、其信徒は社会改良に忙はしくして基督の表白を懼るゝ時に当て其中に生命の麪酵《ぱんだね》の働きつゝある筈なし。
 
(141)     疑惑の声
                      明治34年4月22日
                      『聖書之研究』8号「雑感」
                      署名 一信徒
 
〇或時は基督信者たるの生涯が詰らなく見える、他人に撲られても黙つて耐えて居らねばならず、他人に彼の思ふ存分に悪口を言はれても彼の悪事に就ては一言も語つてはならない、実に或時は基督信者たるの生涯は意気地のない生涯のやうに見えて、我ながら我が択びし宗教の我の活動を束縛するものゝやうに感ぜられる事がある。
〇人、汝の右の頬を撃たば亦ほかの頬をも転《めぐ》らして之に向けよ、爾を訟へて裏衣《したぎ》を取んとする者には外服《うはぎ》をも亦取らせよ、と、爾うして斯の如き者が終には地を嗣ぐことを得べしとの基督の教訓は真理であるであらふか、斯くしつゝあれば我が些少の財も我が名誉も、終には我が生命までも持ち掠《さら》はるゝのではあるまいか、又斯く為さねば基督信者たるを得ないと云ふならば基督信者とは何処に居る者であらふか、我が見る所の基督信者なる者は其数師たると普通の信者たるとを問はず大抵は「目にて目を償ひ歯にて歯を償ふ」人達であるではないか、彼等は世の探偵と異ることなく、他人の秘密を嗅ぎ出し、是に就て彼是語り合ふを以て無上の快楽となし、且つ其躓くを見れば直に走て彼の面に唾《つばき》し、以て万歳を叫ぶ人達ではない乎、然るを忍耐に忍耐を加ふるを以て基督信徒の生涯であるなどゝ思ふて真面目に聖書の言辞《ことば》其儘を実行しやうと努めるのは是れ実に時代後れの事ではあるまい乎 我は実に或る時は基督の教訓に就て疑なき能はずだ。
(142)〇斯く疑ふて見ると基督教は根本的に忌《いや》になる、又基督教其物は一つの倫理組織として貴ぶべきものとして置ても之を伝播し、之を以て我が同胞を救はんなどすることは全く忌になる、何にも伝道を職とするものではなく、又何れの教会又は教師より伝道の免許を得た者ではないから、今日直に之を歇めた所が誰も我を責むる者はない、我は何を好んで此無益の業に従事して居るのであらふか、伝道は伝道本職の伝道師に委ねて我は農なり漁なりへ帰つた方が我に取つても大利益である許りでなく、伝道師達も大に喜ばるゝに相違ない、我れが我が国人に向て基督を紹介せんと努めるなどとは抑も越権の事ではあるまいか。
〇嗚呼、我は神学を専問に研究した者ではない、伝道は我の免許を受けた仕事ではない、亦我の余り好む所のものではない、我の特愛の仕事は天然物の研究である、詩歌の諳誦である、之を究め之を誦すれば我も楽しく人も喜ぶに定つて居る、然るに之を棄て伝道に従事するなどゝは抑々物好きの極ではないか、嗚呼我は何が為めに斯んな事業を択んだのであるか。
〇「嗚呼エホバ汝、我を欺き給へり」と予言者耶利米亜は叫んだ、我も実に同一の叫号の声を発せざるを得ない、我は神に欺かれて伝道事業に入り亦宗教文学を我がものと為した、「汝はその目に見るところの事によりて心狂ふに至らん」と申命記の二十八章三十四節に書いてあるが我も基督教の美を見て心狂ふに至つたのではあるまいか、何れにしろ基督教に接せしは我に取ては大不幸福の事であつた、我は之を信じた故に我が親戚古友を敵として有つに至り、去りとて亦牧師宣教師をも友となすに至らなかつた、我は実に基督教を信ずるに由て総てを失ふて何に一つを得なかつたではない乎。
〇親戚とは※[目+癸]離し、国人には嫌がられ、亦同宗教の人にまで誹難憎悪せらるゝとは如何なる因果の報ひである乎、(143)之が基督教であるとならば之を世人に伝ふるのは無慈悲の絶頂ではないか、是れ実に世人が謂ふ基督教が邪教であるの所以ではない乎 嗚呼我は今日に至つて基督教を信じたるを悔ゆと曰ふべきではない乎、我は或時は此事を思ふて実に堪え兼るほど苦しくある。
       *     *     *     *
 斯く思ひ詰めて我は又聖書を開いて見る、爾うすると中に斯んな事が書いてある
  われ爾曹を遺すは羊を狼の中に入るが如し、………兄弟は兄弟を死に付《わた》し、父は子を付し、子は両親を訴へ……又爾曹我名の為に凡ての人に憎まれん、然れど終まで忍ぶ者は救はるべし(馬太伝十章十六節より二十二節まで)。
  我が兄弟よ、若爾曹各様の試誘に遇はゞ之を喜ぶべき事とすべし、蓋《そは》爾曹の受る信仰の試錬は爾曹をして忍耐を生ぜしむると知ればなり(雅各書一章二、三節)。
  爾曹の信仰を試みらるゝは壊る金の火に試みらるゝよりも貴くして爾曹イエスキリストの顕はれ給はん時に称讃と専貴と栄光を得るに至らん(彼得前書一章七節)
 我は是等の言詞《ことば》を読んで涙を呑んで忍ぶ、我れ若し我が忍耐を続くるならば神はその聖意に適ふ時に我に此試錬の理由を示し給ふ事ならんと信じ、我は涙の中にも、悲痛の中にも、疑惑の中にも、我が信仰を継続せんとするの決心を起す。
 
(144)     キリスト信徒の勇気
                      明治34年4月22日
                      『聖書之研究』8号「説教」
                      署名 内村鑑三
 
 愛を説き慈悲を勧め、宥恕を強ゆる基督教は勇気に就ては余り多くを語りません、勿論聖書の或る所には「心を強くし且つ勇め」とか「汝等勇しかれ」とか云ふ事が書いてあり、又たヨシヤ、ギデオン、サムソン、ダビデ等の人の記事を載せて読者の勇気を励ましては居りまするが、然し聖書の記事の全躰より評を下しますれば聖書は太平記や水滸伝のやうな特に勇気、豪邁の気風を奨励するために書かれた書でない事は能く分ります、聖書が私共に供する理想的人物の中に樊※[口+會]又は武林唯七のやうな勇者はありません、或は悪源太義平と云ひ、或は悪七兵衛景清と云ひ、或は能登守教経と云ひ、或は篠塚伊賀守と云ひ、私共日本人が幼少の頃より勇者の手本として仰ぎ来りし人物は之を聖書の中に発見する事は出来ません、聖書的人物は全躰に温和なる人物であります、血を嫌ふ人物であります、何方《どちら》かと云へば寧ろ臆病なる人物であります、アブラハムの如きすら時に或は家の子三百十八人を率き具してエラムの王の侵入軍を追撃したる事もありましたが、然し彼の一生は平和の生涯でありまして、彼に関する主なる記事は彼の妻と子とに関する記事であります、其の子イサクの如きは全く家庭的人物でありまして、彼は順良なる夫でありしと云ふの外彼に就て語るべき事は何にもありません、イサクに二人の男子がありまして長男のエソウは武勇を好む人であり、次男のヤコブは至つて内気な人物でありましたが、神の選択は(145)懦弱なるヤコブの上に落ちてエソウは終に其家長権を奪はれたとの事であります、次に来りしヨセフは平和時代の政治家でありまして彼は曾て一度も戈を採て戦場に臨みし事のない人であります、神の人モーセに於ても同じ事であります、彼は多くの戦争を目撃致しましたが然し自づから手を下して敵を屠つた事は一度もありません(彼が青年の時、彼の同胞を救はんがため誤つて埃及人を殺せし事の外は)、其他サムソンの如き荒武者でも妻デリヤの愛に惹かされて敵の捕虜《とりこ》となつたやうな人物でありました、予言者ヱレミヤは涙の人でありまして、彼は国人の迫害に遭ふて苦痛に堪えずして幾何か悲鳴を発した者であります、ヨブは忍耐の勇者でありまして、彼の勇気なるものは敵に勝つの勇気でなくして能く己に克つて終に神に救はれし勇気でありました、大王ソロモンが賞め立つた人は敵の砦を攻取る勇気を備へた人物ではなくして能く自己の心を治むることの出来る人物でありました。
 今旧約時代を去て新約時代に入りますれば此事が一層明白に分ります、人類の摸範的生涯として吾等に与へられました、神の子イヱスキリストの生涯は決して私共日本人が謂ふ勇敢、剛気の生涯ではありませんでした、彼は武士の家に生れ来らずして大工の家に生れ来りました、故に敵愾の精神であるとか、復讎の気風であるとか云ふものは彼の幼な心に曾て注ぎ入られた事のないものであると思ひます、彼は友人の死を聞いて泣き、婦女と友として其家に客たるを好み、静粛なる処に独り在るを愛し成るべく喧噪の処を避けました、彼は敵人の手に付《わ》たさるゝの前夜ゲツセマネの園に入て声を揚げて泣きました、爾うして彼の死状《しにざま》は決して勇者の死状ではありませんでした、「吾神、吾神、なんぞ我を遺《すて》たまふ乎、」是れ決して勇者の臨終の語とは思はれません、若し単に勇気の一点から申しまするならばステパノの死はキリストの死に勝る勇ましい死でありしと思ひます、「我れ既に善(146)戦《よきたゝかひ》を戦ひたり」の一言を遺して静かに死に就きし使徒パウロの死はキリストの死に優る死状ではない乎と思ひます。
 爾うして又基督教の信仰を以て有名なる人達は大概涙脆い女らしき人でありました、伊太利の革命者サボナローラが拷問の苦痛に堪ずして一度は彼の主義の取消を諾しました如き、英国の監督リツドレーが火にて焼かれんとして一度は彼の信仰を曲げんとせし如き、亦コロムウエルが彼の愛児を失ふて短刀を胸に刺されしやうに感じたりとて彼の友人に彼の苦悶の状を語りしとの如き、リビングストンが其妻マリヤを失ひし時に他の人の多く居合せしにも係はらず大声を揚げて小児の如くに泣きしが如き、アマスト大学の前教頭シーリー先生が医師に説教を禁止されし時に物の譬へやうなき声を放ちて失望落胆されしとの如きは、皆な基督信徒なる者は情に脆きものなることを示す事柄でありまして、私共之を聞いて同情推察の涙に咽びますると同時に亦此人達を東洋的英雄の標準に較べて見まして勇敢剛気の人とは少し評し兼るであります。
 基督信徒は人に撲られても彼を打返しません、故に世の人は彼は臆病であると申します、基督信徒は人に謗られても口を噤んで語りません、故に世の人は彼は意気地が無いと申します、基督信徒は妻子を愛します、故に世の人は彼は懦弱であると申します、基督信徒は亦涙を流すことを以て耻と致しません、故に世の人は彼は女々しいと申します、基督信徒は血を見て戦慄《ふる》へます、故に世の人は彼は男気《おとなげ》がないと申します、彼は亦生命を大切に思ふて死を懼れます、故に世の人は彼は卑怯者であると申します、柔和なる、愛心深き、平和を愛する基督信徒は決して世の以て男者剛の者と見做す者ではありません。
 然らば基督信者に勇気がない乎と云ふに決して爾うではありません、基督信徒には基督信者の勇気があります、(147)是は世の人の知らない勇気であります、是は涙の無い勇気ではありません、是は情を殺して来る勇気ではありません、是は眼に苦痛を認めない盲人の勇気ではありません、是は亦智覚を失ふたる歇私的里《ヒステリ》性の勇気ではありません、世が基督信者の苦痛の深さ広さを知らないやうに其勇気の強さ高さを解《さと》りません。
 基督信者は世の人の勝つことの出来ない敵に勝んと欲する者であります、私共基督を信ずる者の勁敵は露西亜人でもなければ英吉利人でもなければ亦独逸人でもありません、私共の勁敵は私共自身であります「怒を遅くする者は勇士に愈り、己の心を治むる者は城を攻取る者に愈る」とはソロモンの箴言第十六章三十二節に書いてある所の辞《ことば》でありまして、私共は私共の心を治むるを以て第一の要務と致して居る者であります。
 歴山王《アレキサンドル》は世界第一の勇将として世に称《たゝ》へられる人であります、彼は小勢を以てイサスにアーベラに波斯の大軍を殲《つく》しました、彼の向ふ処には欧亜何れの地にも一人の強敵とてはありませんでした、勝利の連続とは実に彼の軍事上の一生涯でありました、然し彼は彼の知らない一人の勁敵を有ました、彼は彼の飲慾を支配することが出来ませんでした、波斯の大軍を容易く破り得し歴山王は酒の為めにバビロンの旧都に於て三十三歳を一期として最《いと》も哀れなる最後を遂げました、軍人の目から見ましたならば歴山王は勇者であるかも知れませんが、然し吾等基督信者の目から見れば彼は大の意気地無であります、爾うして私共の観る所に由りますれば世には大小の歴山王が沢山有ると思ひます、即ち胸に金鵄勲章を下げて過去の軍功に誇る勇士の中に酒慾、食慾、姪慾を少しも支配する事の出来ない卑怯者が沢山居ると思ひます、牙山、平壌、又は旅順 蓋平に敵を鏖《みなごろし》にする事は比較的に容易い事であつたと思ひます、然れども利慾の一小軍が胸中の城壁を襲ふ時に能く之を撃退することの出来る将軍は誠に少ないと思ひます、基督信者に勇気がないのではありません、彼はより強き敵に対て彼の勇気を用ゆるの(148)であります。
 詩人シルレルは申しました、「独り立つ時に強き者は真正の勇者なり」と、大勢と共に立つ時には懦夫も勇者となる事が出来ます、所謂エスプリ、デ、コープと申しまして世には軍隊的勇気と称すべきものがあります、是は職工や土方や、又今日に至りましては雑誌記者や、裁判官までが同盟罷工を行ふ時に顕はす勇気であります、即ち一人としては極くの臆病者でも六七人又は数十百人と群をなして為す時には如何なる非紳士的の行為にでも出る事の出来る勇気であります、爾うして其団合一致の力の強きより、又猛進勇行の当るべからざるよりして世は以て彼等同盟罷工者を目して勇者となします、然し彼等は勇者ではありません、彼等は実に大《だい》の卑怯者であります、彼等は一人としては極くの弱虫であります、その姶て雇主の許を訪ふて衣食の道を求めし時は彼は頭を垂れ尾を擺《ふ》つてその憐哀を乞ふた者であります、彼は到底独で立つ事の出来ない者であります、故に彼は始めは彼の雇主に依頼し、今は彼の朋輩に依頬する者であります、神に頼る能はず、自己に頼る能はず、故に雇主にあらざれば朋輩に頼る者であります。
 勇者は独り立つ時に強し(Der Starke ist machtigsten allein)天下を敵として独り其信仰に依て立たねばならぬ時に真正の勇気は顕はれるものであります、世を挙て彼方に立つも我れ独り是方に立つ時に私共の勇気の有無は試めさるゝものであります、軍隊的の勇気はその真偽を判別し難い勇気であります、真正の勇気は個人的であります、爾うして基督の勇気は個人的でありました、爾うして亦基督が私共彼を信ずる者に賜ふ処の勇気も個人的であります。
 我国人の前に愛国心を語る必要はありません、吾等は外国人の中に在て愛国を唱へ難き時に之を唱ふべきであ(149)ります、教会内に於て教師并に信徒の前に信仰を表白するの必要はありません、不信者の中に在て信仰の表白は多くの嘲弄と軽侮とを以て迎へらるゝ時に之を表白すべきであります、「ピラト、彼(イエス)に曰ひけるは然ば爾は王なる乎、イエス答へけるは爾の言ふ所の如し」と、是が真正の勇気であります、「爾の言ふ所の如し」、「然り」、「yes」基督の此一言にアレキサンドルもシーザーもナポレオンも有つ事の出来ざりし勇気がありました。
 基督信者の勇気は己に存する勇気ではありません、彼は自身の力なるものは総て之を否定し、且つ取り去つた者であります、彼は嚢中無一物であるばかりではなく、亦心中無能力の者であります、身を彼の救主と共に十字架に釘けて彼に頼るべきの勢力は一つもありません、世に実は基督信者ほど弱い者は無いのであります、基督御自身がシヤロンの野薔薇のやうに脆い者でありしやうに私共彼を信ずる者も亦路傍の翁草又は庭の瞿麦のやうな極く弱い者であります、基督信者を窘《くるし》めるほど容易い事はありません、彼は決して抵抗を試みません、彼は微笑を以て忿恚に応ずるまでゞあります、彼を撲つて御覧なさい、彼は撲りし人の為に天の祝福を求めます、彼を悪しき様に書き立て、御覧なさい、彼はその人の悪事をいくら知て居つても之を世に公にして怨恨に酬ゆるに怨恨を以てするやうな事を致しません、基督信者を攻立つるほど安全なる事はありません、故に世の多くの臆病者は彼を窘めて自分の勇気を衒ひます。
 然し彼れ基督信者が斯くも無能力になりし所以は全能なる神が彼に宿らんためであります、即ち彼の弱きに由て神の強きが顕はれんためであります、彼の愚かなるに由て神の智が顕はれんためであります、故にパウロは申しました、「我は弱き時に強し」と、又「神は智者を愧しめんとて世の愚なる者を選び、強者を愧しめんとて世の弱者を選び給へり」と、私共に我意我力の存する間は私共は神の完全なる器となる事は出来ません、故に神は多(150)くの艱難辛苦を私共に降し給ひまして、私共をして柔弱|便《たよる》なきものとならしめ給ふのであります、基督信者は弱くなくてはならぬ者であります、猶ほ誇るべきの力ある者が基督信者たる事は至て難い事であります。
 然しながら斯くも援けない私共の心に神の聖霊の降られまする時には私共は私共以上、否な人間以上の者となります、頼るべきの力なき私共は他に怕るべき者は何一つ無くなります、私共は自分ながらも自己の勇気に感服するやうになります、是は確に私共自身の勇気ではなくして、私共以外、即ち天から来る勇気でなくてはなりません、私共或時はパウロの如き人が如何して羅馬全帝国を相手にして単独《ひとり》立て彼の奇異なる信仰を述べ伝へたかと考へて驚きますが、然し自身此超自然的の能力に接しまして私共はパウロの場合を聞いて決して驚きません、又ルーテルが時の政権、教権を敵に有つて如何して独りで信仰自由を唱へたかと思ふて奇異《ふしぎ》に感じますが、然し自身聖霊の降臨に遭ふて是は何にも私にも出来ない事ではないかと思ふに至ります、パウロが何うした、ルーテルが何うしたと云ひまするから非常に難い事のやうに思はれまするが、然し全能の神が彼等を通して働き給ふたと知りますれば決して奇異ではありません、世に超天然的超人間的の大事業の行はれましたのは是は皆な神が人に依て行ひ給ふたからであります、此事を知らないで荐《しき》りに大英雄の世に出んことを待ちまするのは実に愚の極であります、最も大なる英雄は神御自身であります、爾うして私共は自己に死して神の行ひ給ふ業《わざ》を此身に於て行ひ遂ぐる事が出来ます。
 ルーテルは申しました、「若し我等の力に頼らば、我等は直に失はれむ、然れど一人の聖き者の我等の為めに戦ふあり、彼何人と尋ぬる乎、イエスキリスト其人なり、サバオスの神にましまして、彼の外に神あるなく、彼我等と共に戦ふ」と(『愛吟』参考)、若し私共自身が此社会を改良せねばならぬと云ふならば私共は失望せざるを得(151)ません、私共は自分一人をさへ改むることの出来ない者であります、況んや他人をや、況して四千万の同胞をや、私共が努めて努めて日夜此事のみを苦慮して何事も為し能はざるのは私共が自身の限りある能力《ちから》に頼て何事をか為さんと焦るからであります、然れども天と地と其中に在る総てのものを造り給ひし神の力を以て致しますれば日本全国は愚か全世界なりとも之を動かす事の出来ない筈はありません、爾うして吾等人間の貴さには吾等も自己《おのれ》に死して此大運動を起すに足る動力となる事が出来るのであります。
 然らば吾等は如何にして勇気を得べき乎と申まするに、腕力を鍛た所が夫れまでゞあります、剣は一人の敵を殺すに止て万人の敵を挫ぐの術とはなりません、或は勢力の増殖とか称へまして多くの同志を募て大団結を作りました所が、矢張り弱き自分勝手の強い人間の集合躰でありますから其為す所知るべきであります、多数を議会に得た所が、政府を味方に有つた所が、矢張り死すべき人間を味方に有つた迄でありまして、之を以て全社会を其根底より動かす事は出来ません、真正の勇気鍛錬法は決して爾んなものではありません、私共は神の勇気を私共の勇気となさなければなりません。
 神に頼る事であります、自己に死する事であります、予言者イザヤの申しました「平穏にして依頼《よりたの》まば力を得べし」との語を躰して我れと我が身の支配を全く神に委る事であります、爾うすれば弱き此身も金鉄を以てするも挫くことの出来ない身となります、茲に又予言者イザヤの言を掲げて私共信仰的生涯の進軍の標語と致さうと思ひます。
  汝知らざるか、汝聞かざる乎、エホバはとこしへの神地のはての創造者にして倦たまふことなく、また疲れたまふことなく、その聡明《さと》き測りがたし。
(152)  疲れたるものには力を与へ、勢力なき者には強きを増加へ給ふ。
  年少き者も疲れ倦み、壮んなるものも衰へおとろふ、然はあれどヱホバを俟望むものは新なる力を得ん、また鷲の如く巽を張りて昇らん、走れども疲れず歩めども倦ざるべし。(以賽亜書四十章二八より三一節まで)。
 
(153)     鉱毒地巡遊記
                      明治34年4月25−30日
                      『万朝報』
                      署名 内村生
 
〇去る廿一日栃木県足利なる友愛義団の招きに応じ、その社会改良演説会に出席せんため彼地に到れり、其日の主なる弁士は明治女学校の巌本書治氏并に毎日新聞の木下尚江氏なりき、余は不幸にして(或は幸にして)当日咽喉を病み、演説者としては負傷者の一人なりしが故に二氏と共に大に舌剣を揮ふ能はざりしは残念なりき。
〇殊に当日の会場は足利第一の劇場なる末広座なりければ之に臨んで余の熱心は頓に冷却したりき、そは余に取りては劇場に於て余の意見を述るは待合茶屋に於て日本帝国の代議士に道徳を説き聞かすやうな心地して、清想浄思は決して余の心に湧き来らざればなり、然れども約束の義務は果さゞるべからず、故に木下巌本の二氏が凡そ四時間余に渉る長演説に於て十二分の感動を聴衆諸氏に与へし後に、余は纔に演壇(芝居の舞台にして常にはお染久松 お半長右衛門の演ぜらるゝ所)に現はれ二十分間余の詰らぬ所感を述べたりき、然し此二十分間は余に取りては二十時間の長きが如くに感ぜられて余は演壇(舞台)を下りし時に地獄の淵より逃れ出しやうに感じたりき、余は到底芝居の人にはあらざるなり
〇嗚呼劇場、劇場、トーマス カーライルの大嫌ひなりし劇場、余は過去二十五年間、劇場の門を潜りし事は曾て米国に在りし時彼国の劇場なるものゝ如何なるものなる乎を見んために金二十五仙を投じ凡そ三十分間其桟敷に(154)昇り見し事と、日本に帰てより是も社会学研究の目的を以て凡そ十分間程此身を本郷春木座の汚気に曝せし事ありしのみ、然るに足利人士の無慈悲なる、余がカーライル先生の小なる弟子の一人なるを知りながら余を当日劇場の舞台に引き上げられしは怨ても尚余りありと云べし。
余は諸氏并に全国の友人に告げんと欲す、諸氏は仏国の革命者がルイ十六世を斬首台の上に連れ行きし時の心を以てせらるゝにあらざれば余を再び舞台の上に曝し給はざらんことを。
〇余は序に何故にカーライル先生は芝居を嫌ひ給ひし乎に就て述べ置かん、芝居は虚偽を演ずる所なり、勇者ならざる者が勇者の真似を為す所なり、偽善者が真善を装ふ所なり、故に先生は倫動なるドウニング街に在る英国中央政府の建築物を「芝居小屋」と評し給ひしなり、又吾等も先生の精神に傚て東京なる日比谷門内の帝国議会の議事堂をば「芝居小屋」とは名くるなり、而して東京の議事堂に於ても足利の末広座に於ても真面目なる事を述るは甚だ困難なり、先づ末広座の天井を見上れば牛肉屋、しやも屋、料理星、化粧品屋等の広告は歴々と各種の染料を以て絵かれたり、此下に立て余輩に社会改良を談ぜよと命ぜらる、若し余輩をして筆を以てするが如く口を以て無遠慮ならしめば余輩は先づ余輩の友人に告て「先づ此劇場を改良せられよ」と言《いは》ま欲しかりき、然れども余は勿論斯は言はざりし。 〔以上、4・25〕
〇足利の地に観るに価するもの多し、其足利学校は小野篁の創立に係るものなりと云ひ、我国の教育歴史に特筆大書すべきものなり、其|鑁阿寺《ばんなじ》は足利義兼の建立せしものにして鎌倉歴史と深き関係を有するものなり、北条泰時の一|驍将足利義氏の墓も此地にあり、彼も亦標本的関東人士の一人、民を愛すること深く、公卿を憎むこと甚だしく、故に承久の乱に於て時の所謂官軍なるものを尾張川に宇治川に心地よくも打破りし故に、文有て勇なき(155)京都の公卿学者輩は亦泰時義氏等の関東人士を憎むこと甚だしく、彼等公卿輩のものせし歴史は是等自由民権の主張者に被らすに必ず国賊逆臣の名を以てす、而して闇愚なる日本国民の多数は是等京都歴史家の言を信じ、北条と云ひ、足利と云へば必ず忌むべく嫌ふべき名なりと信ず、嗚呼、彼等未だ能く世界の進歩歴史に通ぜざる者、ルーテル、ワシントンが進歩の大動力たりしことを知らざる者、彼等は日本国に泰時義氏ありしを以て誇らずして、優柔なること女人《ぢよじん》の如き公卿輩の「誠忠」を以て誇る、吾人足利に遊び、其織姫山に登り、足下に渡良瀬川の流るゝを見、関東の平原の太平洋の水の如く際限なきを望みて豈新日本を思はざらんや、関東は天下を制すべき者、然るに関東平原の尽る処なる東京に於ては誰が天下を制しつゝありや、関東人か将た長州人か、将た薩摩人か、起てよ義氏、汝の墓より起てよ、起て汝の勇気を吾人に伝へよ、若し汝の如く剣を以てせざるも、吾人をして剣よりも強き筆を以て、人の良心を貫くに足る天よりの真理を以て、民のために国のために関東人士の天職を尽さしめよ
〇然し今の足利人は義氏尊氏を以て天下に誇らざるが如し、彼れ尊氏不幸にして国賊の名を被り、楠正成が唯一の愛国者として讃め立たるゝ今日何人も亦逆臣の名を被らんことを懼れて尊氏の名を唱へざるなり、然れども尊氏は確に日本が曾て生ぜし大英傑の一人なり、彼は無慾の人なりし、彼は友情に篤き人なりし、彼は忍耐の人なりし、彼は亦或意味に於ては誠忠の人なりし、彼れ不幸にして時の朝廷に反対せざるを得ざるの地位に立てり、然れども神ならずして誰か能く彼の心事を知りし者ぞある、余は足利人が其富を投じて一大石碑を『逆臣』足利尊氏のために足利又は鎌倉の地に建てざるを怪む、余は足利人が尊氏の如き大英雄を産し置きながら彼を以て誇らずして絹糸《きぬいと》綿糸《めんし》の産出高多きを以て誇るを怪む、嗚呼、物質的日本よ、汝の今日求むる所のものは人物にあら(156)ずして物品なり、正義にあらずして金力なり、尊氏を出せし土地は尊氏を以て誇らずして、否な返て彼を産せしを以て耻として、其機業、其織物を以て誇るなり、嗚呼、関東八州、汝等も終には中国人九州人に物質化せられたり、見よ、汝を貫通して流るゝ渡良瀬川を、其河流の優麗なる、遠く山上より之を望めば銀河が天上より降り来て関東平野を潤すが如し、然れども近く之に接して手に其水を汲み見れば是れ毒流民を殺すものならずや、義氏の骨《こつ》は古城松林の下に眠る、而して渡良瀬川は毒素を沃野に散布しつゝあり、而して国民は金力銅力の抗し難きを念ふて此大非道に向て一声をも揚げざるなり、嗚呼、義氏、嗚呼、泰時、余は汝等の名を慕ふ愈よ切なり。 〔以上、4・26〕
〇劇場演説を終へて余が足利地方に於て余す所は僅に半日なりき、余は廿二日の夕刻までには是非共東京京橋弓町なる朝報社に於て二三の社友と会合せざるを得ざるの義務を有したり、故に余は如何にして最も有益に此半日を消費せん乎と思慮したりき、古跡を尋ねん乎、工業を巡視せん乎、将た又友人を訪問せん乎、然れども貴重なる半日之を二三の事に分配するを得ず、余の眼は既に足利町背後の織姫山の頂より渡良瀬川を望みたり、而して渡良瀬川を望みて鉱毒被害地を聯想せざるものは日本人にして日本人にあらざるなり、小野篁の事蹟は古代史に属す、是を帝国大学辺の史学専門家に任すも可なり、工業視察には古河市兵衛氏に足尾銅山の採掘を許し、且つ彼を保護して今日に至りし農商務省と其無数の官吏とあり、余の巡察一も工業家を益する所なかるべし、余は農学を修めし者なり、雑誌記者なり、新聞記者なり、即ち最も深き関係を現代と農民とに有する者なり、余に足利学校、鑁阿寺を見るの要なし、工業の視察は之を他日に譲るも差支なし、余は行て被害民を見舞んと、是れ二十一日の夕刻、余が苦しき劇場演説を終りし後に余の心に定めし余の決心なりき、而して毎日新聞社の木下氏も(157)余と此決心を共にせられ、友愛義団幹事原田定助氏、も余等と同行を約せられたれば余は明日の田圃歩きを夢みつゝ安き旅宿の眠に就きぬ。
〇二十二日朝早く起きて天候を※[手偏+僉]すれば雲低くして雨水の凝下将に近きにあるが如し 然れども悲惨の状を見んが為めには悲凄の天候亦益なきにあらずと思ひ、一番列車に投じ、富田《とんだ》駅にて降車し、此処に被害地の情況に精通せる佐野町なる山田友次郎氏の出迎を受け、余等三人彼に尾《び》して行けり、時に小雨既に到りたれば木下君は身に纏ふに薦一枚を以てし、杖を手にし、草履を穿ち、一見して被害民の一人の如くに装ひ、雨を被りつゝ歩まれぬ、斯くて雨を冒して進むこと一里余にして余等は所謂被害激甚地に入りぬ。
〇而して其実況は?、百聞一見に若かず、余は農学を修めて茲に二十有余年、未だ曾て殊更に之を修めし利益を感ぜし事なし、然れども此日農学は余に善き用を務たり、若し余が土壌学を学ばざりしならば余も多くの被害地巡視者と同じく被害の激度を知ること能はざりしならん、渡良瀬川沿岸の地は埃及国ナイル河沿岸の地の如し、即ち最も沃饒なる沖積層にして、天下之に優るの土壌あるなし、是れ金鉱、銀鉱にも優る宝鉱なり、金銀宝石こそ産せざれ、之を勤勉なる農夫の手に委ね、之に人為的妨害を加ふることなくば幾千年を経るも尚ほ好良なる穀類を産出して止ざるの無尽蔵なり。 〔以上、4・29〕
〇余は特別の目的を以て被害地を巡視せしにあらず、然れども之を視て余は喜び且つは悲めり、余は余が曾て耳に聞きし所のものを眼を以て視て其悉く事実なるを知て喜べり、然れど此悲惨の状を視て余の同情は頓に喚起せられて余は緘黙を守る能はざるに至りしを悲めり、殆んど全く此政治と社会とに失望せる余は幾回か緘黙の中に残余の生命を送らんと決心せり、然れども茲に余の十|数《す》万の同胞が家を失ひ地を失ふを見て余は黙し能はざる(158)に至れり、嗚呼余は被害地を巡視せざりしものを、余の天然歌は為めに其稿を全うする能はざるに至りぬ。
〇世に災害の種類多し、震災の如き、海嘯《かいせう》の如き、洪水の如き災は災たるに相違なきも爾かも之れ諦め難きの災にあらず、最も耐へ難き災は天の下せし災にあらずして人の為せし災なり、天為的災害は避け得べからず、人為的災害は避け得べし、而して鉱毒の災害は後者に属し、爾も其最も悲惨なる者なり。
〇悲しむ者は一府四県の民|数《す》十万人なり、喜ぶ者は足尾銅山の所有者一人なり、一人が富まんが為めに万人泣く、之を是れ仁政と言ふべき乎。
〇余等は被害民の家を訪へり、彼等の額に「絶望」の二字の印せらるゝを見たり、民に菜色ありとは多分彼等の如き者を形容しての言ならん、而して余のイマジネーシヨンは直に走て古河市兵衛氏の家宅に入れり、余は日々に積る氏の家産に就て想へり、余は我国の貴族紳商間に於ける氏の広き交際と勢力とに就て想へり、余は故陸奥宗光氏が彼の姻戚なるを思ひ出せり、一人が栄華に誇らんが為めに万人は饑餓に泣かざるを得ざる乎、優勝劣敗は実に人道なる乎、新文明とは実に如斯き者なる乎、王政維新の結果は終に茲に至りし乎と、斯く思ふて余の頭《かうべ》を擡げ見れば日光山脈の諸峰は雲霧の裡に包まれて余と憂愁を分つが如し。
〇如何にして悲哀に沈める此民を救はん乎 勢《せい》を以て政府に迫らん乎、筆を以て社会に訴へん乎、跪て天に祈らん乎、既に七年の長きに渉る民の間断なき哀訴に傾くるの耳を有せざる此政府に尚ほ幾回《いくたび》迫るとも何の益あらんや、聞くも信ぜず、信ずるも行はざる此社会は其一部分が萎縮死に就くも何の同情をも寄せざるべし、然らば如何《いかに》して此民を救はんかな、祈るの外別に途なき乎、唯泣て同情を表するに止まる乎。
〇語を寄す、せの宗教家よ、一|日《じつ》の間を窃んで行《ゆい》て被害地を目撃せよ、諸氏は信仰上大に益する所あらん、世の(159)小説家よ、杖を渡良瀬川沿岸に曳き見よ、諸氏は新なる趣向を得て一大悲劇を編むを得ん、詩人よ、農夫の貧と工家の富とを此対し見よ、諸氏の韻文に新たに生気の加へられるを得ん、足尾銅山鉱毒事件は大日本帝国の大汚点なり、之を拭はずして十三師団の陸兵と二十六万噸の軍艦を有するも帝国の栄光は那辺にある、之を是れ一地方問題と做す勿れ、是れ実に国家問題なり、然り人類問題なり、国家或は之が為めに亡びん、今や国民挙て眼を西方満洲の野に注ぐ、我の艨艟《まうしよう》は皆な悉く其舳を彼に対けて向く、然共何ぞ知らんや敵は彼にあらずして是にあるを、何ぞ初瀬艦を中禅寺湖に浮べざる、何ぞ朝日艦をして渡良瀬川を溯らしめざる、而して足尾銅山を前後両面より砲撃せざる、余をして若し総理大臣たらしめば余は斯くなさんものを。 〔以上、4・30〕
 
(160)     信仰のすゝめ
                       明治34年5月5日
                       『無教会』3号「社説」
                       署名なし
 
 宗教を道楽となし給ふなよ、宗教は之を真面目に信ぜられよ、世に宗教道楽の多きは事実である、即ち冗談半分に宗教を信ずる者は多い、諸君と我等とは斯く為さゞるべし。
       *     *     *     *
 洗礼を受けて教会に入らずとも可いから真心を以て神とキリストとを信ぜられよ、晩餐の席に列ならずとも可いから他人《ひと》を譏り友を害ひ給ふな、我等は洗礼を受けて信徒となるのではなくして神を信じて信者と成るのであり、又晩餐式に与つて天国に入るのではなくして神の律法を実行して神の国に再び生れるのである、日々の家業と時々刻々の交際が神に事へるの途であるから、教会に属せぬとて不信者であると自から思ひ給ふな、亦教会の内にのみ神は存在し給ふと思ひ給ふな、
       *     *     *     *
 何にか毎日善事を為されよ、日々又は月々の収入の幾分かを必ず慈善事業のために溜め置かれよ、さうして貧苦に迫る人か又は社会の公益が之を要求する時には何時にても之に応ずるの用意を常に為し置かれよ、我等は収入の幾分を国税又は町村税として政府又は役場に納むる如くに、其又幾分を神に納めなくてはならぬ、若し国税(161)があれは神税もある筈である、さうして神税は慈善事業の為めに使ふ金である。
       *     *     *     *
 我等に行くべき教会はない、然し此世が我等の教会である、我等に信仰の友はない、然し人類が我が教会の会員である、此教会に忠実にして此教会に深切なる是が無教会主義と云ふものである。
       *     *     *     *
 いくら立派な信仰を有つても友に忠実ならず、約束を重ぜず、職務に勤勉でなくて其信仰は何の用にも立たない、宗教とは上は上帝に事へ、下は人類同胞の為に尽す事である、信仰は宗教の半分である、我等は行為を以て信仰を補ひ、以て我等の宗教を完全ならしめなくてはならない、
       *     *     *     *
 人の誹謗に耳を傾け給ふな、毒言は之を吐きし者を毒し、之を吐き附けられし者を害す、恰も毒蛇の毒が之に噛《は》まるゝ者のみならず、毒蛇其物をも毒すると同然である、誹謗と苦言との間にはおのづから別がある、苦言は愛心より出づるものであつて誹謗は毒舌の分泌物《ぶんぴつぶつ》とでも云ふべきものである、詩篇第一篇第一節にある通り義人《たゞしきひと》は嘲けるものゝ座にすわるべからざるなり。
       *     *     *     *
 悪人に罪を着せられた時には黙て神の公平なる裁判を待つべきである、いくら疑察の雲は深くとも其晴るゝ時はキツト来る、神は肉眼を以て見る事の出来る者ではないが、彼が悪人の深き智慧に勝つて終に善人を栄光に導き給ふのを見て、吾等は其存在を確かめることが出来る、善人は矢張り善人であつて、悪人は矢張り悪人である、(162)神の存在の最も確かなる証拠は悪人が寄つて集つて善人を殺さうと欲ふ時に神が善人を活かし給ふことである。
 
(163)     思ふがまゝに四つ
                        明治34年5月5日
                        『無教会』3号「交感」
                        署名 赤山生
 
 此涙と苦痛とは何の為ぞ、是れ我が罪を洗はんが為めなり、我が欠点を補はんが為めなり、我をして神の如き完全の者たらしめて、永久の栄光を担はしめんが為めなり、是れ我が霊魂の医師が我が病を癒さんが為めに投ぜし薬品が其効を奏しつゝあるの兆候なり、我は如斯き苦痛を受けんが為めに此世に来りし者にして、此試錬、此苦悶なくして我は此世に生れ来りし甲斐なき者なり、嗚呼我は此苦痛の為めに感謝せん。
       *     *     *     *
 念ずべき事は人の無情なる事に非ずして神の恵深き事なり。人類の堕落せる事に非ずして彼の衷に今尚ほ存する神の栄光なり、思念は行為の母なりと云へば、慈恵と栄光とを念じて吾人の行為の柔和且つ高貴ならざるを得ず、
       *     *     *     *
 義人なる乎、偽人なる乎、是れ世の始めより今日に至るまで凡て義を唱へ正を践みし人に対して起りし疑問なり、基督なり、孔子なり、釈迦なり、ルーテルなり、コロムウエルなり、彼等は皆な此疑問を免るゝ能はざりし、猶太民族七百万人は今日に至るも猶ほ救世主耶蘇基督を以て偽はりの預言者なりしと信じ、彼の十字架上の死を(164)以て神の適当なる刑罰なりしと見做す、天主教徒一億九千万人は今尚ほ改革者ルーテルを以て此世に現はれし魔鬼の代表者なりと信じ、彼の名を憎むこと蛇蝎のそれよりも甚だし、義人と偽人とは其名に於ては区別甚だ明瞭なれども其実に於ては二者を分明すること甚だ難し。
 然れども吾人は此事に就て深く己を苦るを要せず、吾人若し幸にして義人ならん乎。吾人はその為めに厚く神に感謝すべきのみ、若し偽人ならん乎、吾人は神に義人たらんことを祈るのみ。
       *     *     *     * 
 我儕を離れて彼等出たりと雖も素より我儕の属《もの》ならざる也、もし我儕の属ならんには恒に我儕と偕なるべし、彼等出去れるは衆ての者の悉くは我儕の属ならざることを顕さんが為なり、(約翰第一書第二章十九節)、神が我儕に与へ給ひし友人は如何なる場合に臨むも我儕を去らず、我儕を去りし者は神が我儕に賜はざりし友人にして、我儕はその為めに深く歎くを要せず、基督は彼の弟子に就て日ひ給はく、「我に彼等を賜ひし我父は万有《すべてのもの》よりも大なり、又我父の手より(彼等を)奪ふ者なし」と、我儕は永久に我儕の友(真正の)を保持し得るなり
 
(165)     既に亡国の民たり
                          明治34年5月18日
                          『万朝報』
                          署名 内村生
 
 国が亡るとは其山が崩れるとか、其河が乾上るとか、其土地が落込むとか云ふ事ではない、縦令日本国は亡びても其富士山は今の通りに蒼空に聳え、其利根川も木曾川も今の通りに流れ、其田畑は今の通りに米麦を産するに極つて居る。
 亦国が亡るとは亦必ずしも外国人が其政治家と成ると云ふ事ではない、我々の総理大臣が伊藤侯であらうが、サリスベリー侯であらうが、其事は余り国の興亡に関係する事ではない、我々は或る場合に於ては外国人を雇ひ来て大臣や官房長の賤業を彼等に授ける時がある乎も知れない。
 国は土地でもなければ亦官職でもない、国は其国民の精神である、此精神さへあれば其土地は他人の手に落ることが有ても其国は亡るものではない、恰も今日の猶太人《ゆだじん》が其本国は土耳其人の手に在るに関はらず、有力なる国民である如く、又米国人が其洲長又は市長として外来の独逸人又は愛蘭人を戴くことあるにも関はらず立派なる独立の民であるが如きものである。
 国民の精神の失せた時に其国は既に亡びたのである、民に相愛の心なく、人々互に相猜疑し、同胞の成功を見て怒り、其失敗と堕落とを聞て喜び、我一人の幸福をのみ意ふて他人の安否を顧みず、富者は貧者を救はんとせ(166)ず、官吏と商人とは相結托して辜なき援助なき農夫職工等の膏を絞るに至ては、其憲法は如何に立派でも、其軍備は如何に完全して居ても、其大臣は如何に智《かしこ》い人達であつても、其数育は如何に高尚でも、斯の如き国民は既に亡国の民であつて、只僅に国家の形骸を存して居るまでゞある、故に若し国の興亡を見んと欲へば其陸軍は何十万である乎、其海軍は何十万噸である乎を知るの必要はない、其国民は浮薄であつて、其商業の多くは欺偽に類する者であつて、其数育は知識の売買であつて、其政治は政権の掠奪であつて、其倫理と称する者は政略より打算したる政令の如きものであつて、其国は既に精神的に亡びたものである、爾うして既に精神的に亡びた国が終には其形骸までも失ふに至るのは自然の勢ひである、実に痛歎の至ではない乎。
 
(167)     〔警世之任務 他〕
                      明治34年5月20日
                      『聖書之研究』9号「時感」
                      署名なし
 
    警世之任務
 
 誰か主の恩恵を味ひし者にして好んで政治と国家とに就て語らんと欲する者あらんや、余輩が時に之を為す所以のものは神意の亦人事に顕はるゝあるを知ればなり、若し余輩の欲望を言はしめば余輩は信仰の山上に在て長久に栄光の神と共にあらんことを願ふ者なり、警世の任務は余輩の自から簡びし業にあらず。
 
    警世の理由
 
 余輩は国の為めに神を信ぜず、神の為めに国を愛す、余輩は現世のために来世を説かず、来世のために現世を警む、余輩は肉体のために霊魂を語らず、霊魂のために肉体を潔む、余輩若し地上の事を議すれば是れ天国の其中に臨らんがためなり、余輩若し政治と社会とを論ずれば神の聖意の天に成る如く地にも成らんためなり、余輩が喙を時事に容るゝは此世の宰たり主たらんと欲するためにあらざるなり。改行
 
(168)    美はしき名二つ
 
 二つの美はしき名あり、其一は基督にして其二は日本なり、前なる者は理想の人にして後なる者は理想の国なり、吾人彼と是との為めに尽して吾人の生涯は理想的ならざるを得ず。
 
    日本
 
 日本国は其王室にあらず、王室は日本の頭脳なり、日本国は其富士山にあらず、富士山は日本の頭額なり、日本国は琵琶湖にあらず、琵琶湖は日本の眼眸なり、日本国はまた其民衆にあらず、民衆は日本の手足なり、日本国は山にあらず、河にあらず、湖水にあらず、亦其民にあらず、日本国は精神にしてソールなり、吾人は先づ彼に忠実ならざるべからず、然らば彼に属する総てのものに向て真正に忠実なるを得べし。
 
    日本国と基督
 
 日本国は基督を要す、彼に依るにあらざれば其家庭を潔むる能はず、日本国は基督を要す、彼に依らずして其愛国心は高尚なる能はず、基督に依てのみ真正の自由と独立とあり、そは彼は霊魂に自由を与ふる者なればなり、基督に依らずして大美術と大文学とあるなし、そは彼は人類の理想なればなり、基督降世二千年後の今日吾人は彼に依らざる真正の文明なるものを思惟する能はず。
 
(169)    ダニユープ両岸の民
 
 同一の黄色人種に基督教を供すればコスート、ヨーカイを出せし洪牙利国あり、之に之を供せざれば「東方の病人」たる土耳其国あり、二者等しく欧洲に在て其物質的文明に沐浴するもの、而も一つは基督教を受納せし故に世界的勢力たり、他は之を拒絶せし故に亜細亜的懦夫たるのみ、吾人眼をダニユープ河辺に注て、其両岸に住する二国の民を比対し見て、吾人脚下の状態に思ひ及ばざるを得ず。
 
    日本人と基督
 
 若し日蓮に授くるに法華経を以てせずして聖書《バイブル》を以てせしならば彼はルーテルなりしならん、若し馬琴にしてナザレのイエスの心を知るを得しならば彼はサカレー又はヂツケンスたりしならん、日本人にラファエルの画才なきにあらず、唯彼の理想なきのみ、我にコロムウエルの義憤なきにあらず、唯彼を導きし光明の吾等の心を照さゞるのみ、吾等に人類の生命たる基督を与へよ、然らば吾等は欧米の民に一歩を譲らざるべし。
 
    東西両洋の別
 
 西洋歴史より其基督教を取り除き見よ、是れ一個の東洋歴史たるのみ、其民は君に盲従し、僧侶を盲拝し、意志なき、理想なき、白色の東洋人たりしのみ、西洋、東洋の別は白色黄色の別にあらずして基督教と儒教との別なり、聖書と論語との別なり、吾人は洋の東方に在て尚ほ西洋人たるを得るなり。
 
(170)    基督教と社会主義
 
 吾等は基督教の上に立たざる社会主義を取らず、吾等は基督に万事を捧げざる共産主義を頼まず、基督教無しの社会主義は最も醜悪なる君主々義よりも危険なり、社会主義奨励すべし、然れども之を基督教的に奨励すべし、之をして改心和合一致の結果たらしむべし、制度法律の結果たらしむべからず。
 
    強健なる宗教
 
 宗教は個人的ならざるべからず、個人的ならざる宗教は基礎なき、根底なき宗教なり。
 宗教は社会的ならざるべからず、社会的ならざる宗教は私人的宗教と成り易し、根底を深き個人性に据え、幹と枝とを以て広く社会の生気に触るゝ者、是れ渇くも枯れず、撼《ゆす》るも倒れざる宗教なり。
 
    死せる宗教
 
 神に対しては受動的なれ、人に対しては活動的なれ、汝の宗教を以て単に汝の身を修むるの要具とのみなす勿れ、宗教は社会的勢力なり、国家的生命なり、伸びて隣人に及ばざる宗教は死せる宗教なり。
 
    伝道の精神
 
 我は必しも我が国人に聴かれんが為めに神の正義を唱へず、亦必しも彼等を救はんが為めに其宣伝に従事せず、(171)我は神の正義なるが故に之を唱ふるなり、彼、其宣伝を我に命じ給ふが故に之に従事するなり、而して其此腐敗せる社会を殺すに至る耶、或は之を活かすに至る耶は我の与り知る処にあらざるなり。
 
    平人の宗教
 
 基督教は貴族の宗教にあらずして平民の宗教なり、富者の宗教にあらずして貧者の宗教なり、学者の宗教にあらずして愚者の宗教なり、僧侶の宗教にあらずして平人の宗教なり、基督教に由て社会は転倒せらるゝなり、即ち其高き者は卑き者となり、其貴き者は賤き者となり、其賢き者は愚かなる者となるなり、基督教出でゝ社会の大革命は期して待つべきなり。
 
    国家的宗教
 
 基督教は政治を語らず、然れども偉大なる国家は其上に建設せられたり、基督教は美術を説かず、然れども荘厳なる絵画と彫刻とは其中より出たり、基督教は哲学を講ぜず、然れども真理の探究を促すものにして基督教の如きは他にあるなし、若し料るに其名を以てせずして其実を以てすれば世に基督教に優るの国家的宗教あるなく、亦之に優るの美術と科学との奨励者あるなし。
 
    刺激の種類
 
 外よりするの刺激あり、内よりするの刺激あり、下よりするの刺激あり、上よりするの刺激あり、世の罪悪を(172)憤て立つ、是れ外よりの刺激に因るなり、神の愛に励まされて動く、是れ内よりの刺激に因るなり、情慾の駆る処となる、是れ下よりの刺激に因るなり、純美の惹く所となる、是れ上よりの刺激に因るなり、吾人何人も刺激を要せざるはなし、然れども外と下とよりする刺激は吾人を毒し、内と上とよりの刺激は吾人を益す、吾人は内に顧み、上を仰て、外に望み、下に求むべからざるなり。
 
    世に憎まるゝ者
 
 世を愛すること最も深くして世に憎まるゝこと最も甚だしき者は基督信者なり、世を益すること最も多くして世に全く無益物視せらるゝ者は基督信者なり、彼は世を愛すること余りに深きが故に世の厭ふ所となり、世を益すること余りに大なるが故に世の斥る所となる、嫌はるゝことは彼の本性にして、世に愛せられて彼は基督信徒たること能はざるなり。
 
    善き事三つ
 
〇健康のみが善き事ではない、病気も亦た善き事である、同情と推察とはより多く病気の時に起るものであつて、多年の怨恨も一朝の病気の為めに解ることがある。
〇得する事のみが善き事ではない、損することも亦善き事である、財貨の損失に由て利愁の※[巾+白]子《おほひ》が取り去られ、曾て見えざりし神と天国とがそれがために心の眼に映ずるに至ることがある。
〇愛せらるゝ事のみが善きことではない、憎まるゝ事も亦善き事である、民の輿望なるものが吾人の身を去るに(173)及んで、吾人は始めて死と未来に望みを嘱して、神と聖徒とを友とするに至ることがある。
 
    真正の忠孝
 
 基督の曰はれた言辞の中に「凡そ我に来りてその父母妻子兄弟姉妹また己の生命をも憎む者に非れば我弟子と為ることを得ず」といふことがある、是は実に強い言辞であつて、或は之を書き記せし者の誤謬に出しものではあるまい乎と疑はれることがある、然し能く考へて見ると斯くも明白に曰はれたればこそ基督の基督たりし事が能く分るのであると思ふ、吾等は実に吾等の父母妻子兄弟姉妹を憎むにあらざれば基督の善き弟子となることが出来ないのみならず、亦真正に吾等の父母妻子兄弟姉妹をも愛することが出来ないのである、憎むとは情実の羈絆を断つ事である、即ち最も乾燥なる眼を以て彼等の利害を看ることである、即ち彼等の希慾の成されんことを望まずして彼等に関する神の聖意の就らんことを欲することである、斯くならなくては真正の孝子となることは出来ない、斯くならなくては真正の父でもなければ夫でも兄弟でも姉妹でもない、君父の命とならば何事にても従はんと欲する支那的の忠孝は甚だ不実なる忠孝である、若し東洋人の忠孝なるものが国と家とを興したることがありとすれば同じ忠孝に由て滅びた国と家とは沢山あらふと思ふ、毒物と知りつゝ老父の欲する酒を勧めて彼を死に至らしめし孝子もあらふ、毒婦と知りつゝ主君の愛する妾婢を彼に許して彼と彼の家とを転覆せしめし忠臣もあらふ、時に由ては君を鞭つ位の臣でなければ真正の忠臣と云ふことは出来ない、東洋の天地に大忠臣と大孝子の出来ないのは共道徳の甚だ浅薄なるに由るのであると言はなければならない。
 
(174)     我が理想の基督教
                    明治34年5月20日
                    『聖書之研究』9号「教界時言」
                    署名 内村生
 
〇外国宣教師に頼らざる福音的基督教、是れ吾人の理想であつた 此理想を実にせんため吾人は或る宣教師的教会より脱し、今日に至るまで外国伝道会社と直接間接の関係ある基督教会には何れの教会へも曾て身を寄せたことはない、勿論日本国の如き仏教や儒教の盛なる国に在てこの事を行ふのは非常の難事である、現に吾人と共に此理想を探て立ちし人々の中にも今は信仰を捨てゝ不信者となりし者もあれば、亦教籍を宣教師的教会に移した者も多い、二十四年間の此信仰的戦争、吾人は時に之を想ふて涙潸然たらざるを碍ない。
〇何にも外国宣教師は悪人であると云ふのではない、吾等の知る処に依れば彼等の多くは善き人である、若し吾等自身の為めを計れば彼等と共に働き彼等の力を頼んで道を伝ふるに優ることはない、基督教は宇宙的の宗教であるから何にも之に内外人の別のあるべき筈はない、吾等の最も善き友人は外国人の中に在て吾等は彼等に負ふ所の甚だ多いものである、吾等の独立説なるものは決して外国人を嫌ふから来たものではない。
〇然し基督教の為めを思ふて、亦日本国の為めを思ふて吾人はドコまでも独立説を主張せねばならぬ、基督教は宇宙的宗教であるから独立的でなくてはならないのである、若し是が英吉利の宗教であるか、或は亜米利加の宗教であるならば英人や米人に頼るの必要もあるかなれども、然し是が宇宙の宗教である以上は是れ亦日本の宗教(175)であるから、是れ決して外国人の世話になるべき性質の者ではない、依頼的の基督教は実は基督教ではないのである、見給へ基督教はユダヤから出来たものであるか。ピリピやコリントの教会が曾てユダヤの教会から補助金を仰だと云ふ事がない計りではなく、反て其本元の教会なるヱルサレムの教会を補助したではないか、若し吾等に伝へられし基督教が保羅がコリントやピリピ、テサロニケに伝へたやうな基督教であつたならば、吾等之を信ぜし者に外国の補助を受けやうとの心は決して起らなかつたに相違ない、亦之を伝へし宣教師も其如何に効力多き者なる乎を知りし故に決して金銭や物品を以て吾等を助けやうとは為なかつたに相違ない。
〇夫れであるから見給へ、伝道会社の補助を受けて、成立つた教会又は学校にして精神的に成効した者は殆んどない、西京の同志社如きですら其建設者が非常の人物であり、其補助者と賛成家とは内外屈指の人達でありしに関はらず、建設以来未だ三十年に至らざるに其宗教的行績として見るべきものは実に僅少である、同志社其物が今は微々として殆んど昔時の俤を留めない計りではない、其養成せし人々にして今は基督教とは縁の甚だ遠い人と成つた者が沢山ある、米国の伝道会社が同志社の為めに消費した金額は百万円以上に達せしと云ふに、其養成せし人々にして今は全く伝道の事業を放棄して、或は商界に或は官界に職を索むるに至りし者ありとは実に遺憾千万の事ではないか、然し是れ決して怪しむに足らない、貰つたものは何物に限らず貴くないものである、吾等は自身金を払ふて買ふた書《ほん》は之を熟読するなれども他人から貰つた書は其甚だ貴重なる書たるに関らず、常に之を書棚の隅に放棄して置き易いものである、是は普通の人情であつて書籍に於けるも宗教に於けるも同じ事である。
〇爾うして是は同志社に限らない、今や日本国は基督教の伝道師を要する実に切なるに宣教師学校にて養成され(176)し幾百千人の伝道師中進で其任に当らんと欲するものは幾人ある乎、若し吾人が日本国に於ける外国宣教師の基督教伝道なるものは失敗なりと云ふならば吾人を非難する宣教師諸君は沢山あるであらふが、然し吾人独力(神の恩恵に由て)を以て此聖業に従事せし者の眼から見れば諸氏の事業は失敗なりしと云はざるを得ない、勿論失敗と云ひて全く無効なりしと云ふのではない、失敗と無効との間には自から別がある。
〇若し吾人に宣教師一人を支ゆるに足るの金力あらしめば吾人が為し得べしと信ずる宗教的事業は実に挙て算ふることは出来ない、吾人は百万円を要しない、万円で沢山である、万円を要しない、千円で沢山である、若し吾人独立信者の眼から見るならば宣教師的信者は貴族権門の子弟のやうな者である、我等の貧と彼等の富とは到底較べ物にならない、然るに神の恩恵は反て我等如き者に豊かにして彼等に乏しきは抑々何の故であるか。
〇日本国は独立国である、独立国である以上は其財政に於ては勿論其兵備に於て、其教育に於て其総ての事柄に於て独立でなくてはならない、然るに国民の精神たるべき其基督教丈けが外国人に依頼しなければならぬとならば日本国は其最も深淵なる意味に於て独立国ではないのである、肉躰は独立でも精神に於て依頼する人は奴隷である、制度文物に於ては独立でも宗教に於て依頼する国は亡国である、是を思ふて吾等日本国を愛する日本人にして吾等の宗教の為めに外国人の補助を受くるなどとは到底出来得べき筈のものではない、吾等は場合に依ては我国の殖産事業の発達を助けんため外国人の補助を仰いでも宜しい、非常の場合に於ては外国兵を借りて内乱を平るの必要もないとは言はれまい、然し国民の精神に最も深い関係のある宗教事業に外国人の資力を借るに至ては是れ実に危険の最も大なるものであつて遠く国民の未来を思ひ、深く国家の安危を察するものは身は西山に餓死するに至るも宗教伝布の為めに決して外国人の補助を仰ぐべきではないと思ふ。
(177)〇殊に今の宜教師なるものは英、米、仏、独、露等諸強国から送らるゝ者である、爾うして物質的に強大なる国民は宣教師を造り且つ之を送り出すに最も不適当なる国民である、吾等が斯く云ふは強大国が其宣教師を利用して他国を掠奪すると云ふのではない、宣教師は間諜《スパイ》ではない、彼等の多くは最も高尚なる目的を以て人類の救済に従事して居る者である、然しながら国民なる者が今日の如く一個人体として成立して居る間は、彼等宣教師をも福音の宣伝者としてのみ見る事は出来ない、彼等も彼等の属する国家の保護の下に外国に伝道する者であるから彼等の行動が国際問題と成ることが往々ある、是れ彼等の為め亦彼等の宣伝する基督教の為に最も悲むべきことであつて、是がために彼等の目的は妨げられ、彼等が益せんと計りし非基督教国が彼等の故を以て非常の危害を被りしことは度々ある、吾等は近世紀に於ける基督教の宣教史なる者を読んで未だ一回も宣教師が新国家を興せし事なきを見て実に痛歎に堪えない者である、彼等宣教師は多くの個人を救ふたに相違ない、然し彼等が国家を救ふた事は曾てない、ジヤツドソンの熱誠を以てしても緬甸は終に亡びて英国の領土と成つて了つた、ケーレー、シユワーツ、の熱心を以てしても印度は今日の如くである、リビングストンが血を注ひで救はんとせし阿弗利加は彼の同国人なるセシルローヅのやうな野心家のために実際は全く投機商の所有と成り了らんとしつゝある、太平洋中の布哇王国の如き一時は米国宣教師の手を借りて文明世界に中間入りは為したものの今は全く同じ米国人の属領地と成つて了つたではないか、前にも云ふた通り是は何にも宣教師が悪いからではなくして、今日の国家組織なるものが悪いからである、亦国家組織なるものゝ全く非基督教なるを知りながら其支配の下に在る伝道会社なるものが之に応ずるの策を講じないからである、故に今の伝道会社なるものより伝道を受くるは何れの国民に取ても非常に危険なることであつて、此事を能く知て外国伝道会社の補助を拒まない人達の心を吾等は推測(178)することが出来ない。
〇それ計りではない、強大国の伝道は精神の伝道に止らないで、其国風、習慣、国民的偏癖の伝道にまで及ぶ、英国人の伝道を受けし者は其基督教を受くるに止らずして英国人の気風、特性、常習までを学ぶに至る、是れ或は必しも悪い事ではないかも知れない、然しながら基督教は基督教であつて、英国教ではない、英国にも悪い事は沢山ある、其貴族制度の如き、英国教たる天主教に能く類似したる監督教会の如き、是れ単純なる基督の教訓に較べて見て決して望ましい者ではない、吾等の欲する所のものは基督教であつて、監督教会ではない、吾等の霊魂も肉躰も死して甦りし主イエスキリストの支配を受くべき者であるが、然し英国の監督や執事の配下に属すべき者ではない、殊に監督教会なるものが英国の政府と浅からぬ関係を有つて居るのを見て、吾等は我が国家に対しても之に入会するのを大に遠慮しなけれでならないと思ふ、爾うして此事は勿論英国の監督教会に限らない、露西亜の正教会、独逸のルセラン教会も皆な同じことである、吾等をして茲に重複せしめよ、吾等が斯く云ふは此等の諸教会に対して吾等が悪意を挾むからではない、吾等は基督教其物のために斯く云ふのである。
〇吾等は度々思ふた、神が猶太国の如き微弱なる国を簡び給ひて之に世界教化の大任を授け給ひしは実に神の深遠なる摂理に由りしことであるを、若し所謂伝道の成功なるものを目的とせられしならば神は此大任をアツシリヤの如き又は羅馬の如き強大国に委ねられしならん、然し是が人間の意ふ所と神の意ふ所とが異なる点である、最も書き宣教師とは神の外何にも頼る所のない者である、試に思へ、若し保羅が羅馬人であつたならば如何であ
つたらふ、若し彼を護るに百夫の長と千人の頭《かしら》と彼等の配下に属する軍隊とがあつたならば如何であつたらふ、若し以弗所に於て彼が侮辱を加へられたればとて直に羅馬政府がその艦隊と陸軍とを之に指し向けたならば如何(179)であつたらふ、勿論保羅の身はそれで安然であつたに相違ない、然し保羅の基督教は? ……………丁度今の独逸皇帝が支那に於ける独逸宣教師を保護せんがために艦隊を送り、膠州湾を占領せしめしと同然で羅馬も異邦の領土を得しかは知れないが然し其宣教師は異邦の民の霊魂を救ふことは出来なかつたに相違ない、嗚呼幸福なる以弗所人と幸福なる保羅、彼等は政治的干渉を受けざりしために以弗所の人は基督の福音を聞くを得て、保羅も亦其最大目的を達するを得た、政治的干渉と軍隊的保護とは伝道の大妨害である、懦弱と凌辱と空乏と迫害と患難のほかに何も診るものなく、キリストと彼の十字架の外に何も頼るべきものなかりし使徒保羅は理想的の宣教師であつた、軍隊と軍艦と公使と領事との保護の下に働く英、米、独、仏の今日の宣教師なるものが亡国の民たりしタルソの保羅の事業を為し得ないのは何よりも明白なることである。
〇若しポーランド人が宣教師となるならば基督教の伝道は成功するであらふ、かのモラビヤの宣教師と称して十八世紀の中頃より十九世紀の初めに掛けて伝道上大成功を奏した者は特に依るべきの政府を有たない者であつた、今日に至るもスカンダナビヤの宣教師のやうに其後楯となる政府の強大ならざる者は十字架の福音を宜べ伝える上に反て効力の多い者である。
〇斯の如く何れの点より考へて見ても吾等は外国伝道会社の補助を絶たなければならない、斯くするは基督の為めであつて亦国の為めである、又斯くするは今や伝道師を異教国に送りつゝある諸強国の為めであると思ふ、吾等日本人は非基督教国民の首《かしら》に立つ者であるから、吾等は率先して独立を実行し、一方に於は非基督教国民に向て独立の標本を示して依頼の害毒を絶たしめ、他の方面に於ては基督教国民に向て、彼等をして今日の伝道組織を改革せしめ、外国伝道に従事せんとする者は其本国との政治的関係を絶ち、籍を其在留せんとする国に移さし(180)むべきである。是れ至難の事業たるには相違ないが、然し吾等神の子にして人類の王なるイエスキリストを信ぜし以上は此位ひの理想を懐きたいものである。
〇然し外国宣教師より独立すればとて吾等は彼等の唱へる基督教の根本的教義より独立してはならない、宣教師は宣教師であつて基督教は基督教である、吾等は仏教徒や儒教徒と与みして宣教師より独立してはならない、吾等の基督教はドコまでも福音的でなくてはならない、儒教的基督教であるとか、仏教的基督教であるとか云ふものは決して基督の基督教ではない、基督教は絶対的宗教である、之は他の宗教と混合して成立するものではない、外国宣教師の補助を絶ちし吾等は如何なる名義の下にも仏教の僧侶や神道の神主の補助を受けてはならない、
〇此国に在て此事をなすは非常の難事であるに相違ない、然しながら虎の子は虎の穴に入らなければ得られない、国民は吾等が此位ひの艱難を忍ばなければ救へるものではない、外国伝来の宗教を信じ、給を之を宜べ伝なる外国人に仰ぎ、衣食に不自由を感ぜざるのみならず、変遷饑餓の憂とては更になくして吾等の事業に見るに足るべきもののないのは勿論である、今の宣教師的基督教なるものの甚だ不能なるのは全く之が為である。
       *     *     *     *
 外国人に頼らざる福音約基督教、是れ今日に至るも吾等の理想とする所である。
 
(181)     今の基督信者
                    明治34年5月20日
                    『聖書之研究』9号「教界時言」
                    署名 聖書生
 
 今の日本の基督信者ほど当てにならない者はない、彼等は何にが故に自身を基督信者なりと称ぶのであるか少しも分らない、或る教会で洗礼を受ければ夫れで基督信者と成つたと思ふは間違である、亦或は人道を唱へ、慈善事業に従事すればとてそれで基督信者であるとは云はれない、善人は誰でも基督信者であると云ふのは甚だ寛い説のやうに聞えるが然しそれは精密を欠ける思想であると思ふ、基督教に二三或は五六の明白なる教義がある、そうして之を信じない者は善人である乎も知れないが然し基督信者であると称ふことは出来ない。 吾等は勿論酒を飲む人、煙草を吸ふ人はキリスト信者でないとは云はない、吾等は芝居を見に行くキリスト信者があると聞いても別段に驚かない、吾等は亦キリスト信者なればとて此弱き肉体に宿る間は完全無欠の人であるとは思はない、然しキリスト信者はキリスト信者であつて、彼は儒教信者でもなければ仏教信者でもない、彼は亦コムトの如きヒユーマニタリヤンでもなければゲーテの如き修養家でもない、キリスト信者とは其名の通り聖書に明白に示してある主耶蘇基督を信ずる者である、即ち其根本的教義に於てパウロ、ベテロ、ヨハネと信仰を共にする者である、然るに日本に於てキリスト信者と称へらるる人々の中には基督を以て一の大人物のやうに見做て居る者が沢山ある、然しながら基督を以て釈迦の更に大なる者であると思ふ者は未だ聖書に明白に示して(182)ある基督を解らない者であると云はなければならない、基督はヒユーマニチーの首《かしら》であるが、然し我儕キリスト信者の云ふヒユーマニチーなる者は基督より出たヒユーマニチーであつて基督はヒユーマニチーより出たものではない、成程基督を以て全能全智の神であると云ふのは大分困難である乎も知れない、然しながら以弗所書の第一章二十一節にあるやうな「諸ての 政と権威と宰治、また此世のみならず来らんとする世にも凡て称ふる所の名の上に置」かれしと云ふ基督は人間以上の者であつて又天の使以上のものであることは聖書に依て明かである、爾うして吾等キリスト信者は斯う云ふ基督を信ずる者である。
 吾等は殊に儒教と基督教との大区別を認むるのである、勿論二者執れも善を勧め悪を懲す者たるに相違ない、然しながら儒教はドコまでも此世の宗教であつて、(それ故に儒教を宗教と称ぶことは出来ない)、基督教はドコまでも天の宗教である、彼なる者は地より出しが故に土につき、是なる者は天より出たるが故に天に属くものである、儒教を以て養はれし人は到底政略的たるを免かれない、彼の胸中には大度があるやうに見ゆれども然し之は基督教で云ふ寛容(toleration)なる者とは全く別物である、儒教に誠実がないとは云はれない、然し神を信ぜず永生を信じない教に基督教で云ふやうな誠実(sincerity)があらふとは思はれない、然るに日本今日のキリスト信者と称ふる者の中には基督教の神を支那人の神明と同視し、来世の事を語るを以て何やら耻かしく思ふて居る者がある、吾等は勿論儒教信者なればとて悪人であるとは云はない、然しながら其人生観は全く儒教的であるにも関はらず基督教の多少の感化を受けたればとて自から基督信者を以て称する者あるを見て基督教の為めに甚だ迷惑に感ずる者である。
 斯く云へば人は余輩独りがキリスト信者を気取りて他は皆な悉く之を排斥するやうに思ふなれどもそれは決し(183)てそうではない、余輩が若し自身を指してキリスト信者であると云ふならば是れ決して余輩の高徳を誇て云ふのではない、キリスト信者とは名誉の名のやうに思ふて居るのが抑々真正のキリスト信者でない一番よい証拠である、キリスト信者は罪人の一種である、自身の罪深きを認めて神の赦免を乞ふんがために基督の十字架に縋る者である、今でこそパウロが信者であり、ペテロが信者であつたと聞けば如何にも彼等の名誉でありしやうに思ふなれども其当時に於ては是は彼等に取て社交的には大不名誉の事であつたのである、人の前に自分の罪人なるを表白し得ない者は決してキリスト信者ではない、然るをキリスト信者となりしとて文明的君子となりしやうに思ふ人は未だ基督教の初歩をも知らない人であると云はなければならない。
 思想の漠然たる日本の今日に在ては吾等は明白に孔子の弟子と基督の弟子とを区別するの必要があると思ふ、爾うして今の日本の基督教界より其儒教的分子を取り去つたならば残る所のものは実に微々弱々実に憐むべきものであると思ふ、然しながら斯く二者の判別が附いてからでなくては我国に於ける基督教の健全なる進歩を望むことは出来ない、今日の処では日本に於ては基督教は有つて無いやうなものである。改行
 
(184)     国を活かすの法
                          明治34年5月22日
                          『万朝報』
                          署名 内村生
 
 前にも述べた通り国は精神であつて、土地ではないから、いくら殖産工業を盛にして其物産を増した所で既に精神的に死亡したる国を活かす事は出来ない、世界歴史を※[手偏+僉]するに貧のために亡びた国とては曾て聞いた事はない、羅馬帝国の滅びたのは富と之に伴ふ奢侈婬縦のためであつて、決して貧のためではなかつた、一時は西班牙ほど富んだる国はなかつたが、其富が返て其今日の悲運を来たすの基となつた、其他貧しき希臘は起て富みたる波斯を亡し、貧しき普魯士は今日大陸第一の国となつた。
 亦国は精神であるから必しも今日世に所謂教育を盛にした所が活る者ではない、今日の所謂教育なるものは知識の注入である、さうして知識其物は国を興すものでなくして返て之を亡す者であることは近世の社会学者の一般に唱ふる所である、知識は正義にも罪悪にも均く応用されるものである、悪人は漢法医の中に少くして返て日新の医学を修めたる今日の医者社会の中に多いのは全く是れがためである、工学上の新知識に依て足尾銅山は開かれ、それがために三十万の民は饑餓に迫らんとしつゝある、又今の政治家なる者の中に多くの博士や学士のあるを見て仁政は決して知識の産出物でない事が分る。
 国を活かすには其政治を革むるに若かずなどいふ者は未だ政治の何たる乎を知らない者ではない乎と思ふ、若(185)し政治が国を活かすことが出来るならば、何が腐つたる政治を活かすのであるか、仁政とは泥棒にも行ふことの出来るものである乎、政治を以て国家救済の特効薬のやうに思ふて居る人の多いのは国家の為に実に歎ずべき事である。
 国は精神である以上は之を活かす者は精神でなくてはならない、爾うして精神とは今日の軍人が云やうな敵を愾《いか》る心ではない、精神とは争闘殺伐の心を云ものではない、精神、精神、其の名は到る処に聞ゆれども其の実の何たるかを知つて居る者は天下に幾人ある乎。
 
(186)     坊主の必要
                       明治34年5月25・26・28日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
 日本国で坊主と云へば読んで字の如く寺の番をする者と一般に考へられて居る、然し余輩の称ふ坊主とはそんな者ではない、成程寺の番をすることゝ経を読むことの外何にも為ることの出来ない坊主の多いのは社会のため実に歎ずべきことである、吾等は勿論こんな坊主より何をも望む者ではない。
 然し真正の坊主は国家の必要物である、坊主即ちプリーストなる者は国の精神であつて彼なくして国は遠からずして精神的に滅亡する者である。
 吾等の所謂坊主なるものは天と人との間に立て、天に代て語り、天の霊を取て人に伝へ、人の辛惨を癒すに天よりの慰藉《ゐせき》を以てし、亦天よりの烈火に接して社会の腐敗を焼き払ふ者である、彼は勿論政治家の上に立つべき者である、羅馬人は彼を呼んで「帝王の帝王」といふた、彼は地上に於ける神の代表者である、彼は人類中最も貴《たつと》い者である。
 ルーテルは坊主であつた、彼があつたからこそ今日の独逸民族があるのである、ノックスは蘇蘭土の坊主であつた、彼なくしては今日の英国も米国もなかつたであらう、米国にもジヨナサン エドワーヅと云ふ坊主が居た、爾うして米国の思想歴史を知つて居る者は此坊主の感化力の如何に偉大なりし乎を知らない者がない筈だ、若し(187)伊太利にサボナローラと云ふ坊主が出なかつたら其今日は如何であつたらう、若し仏蘭西にフエネロンやラコーデヤのやうな坊主が居らなかつたならば仏人の今日の堕落は更に一層甚しいものであつたに相違ない、偉大なる坊主を出さない国に偉大なる国はない 国の大小は大抵其産出せし坊主の大小を以て定めることが出来る。
 幸に日本にも偉大なる坊主があつた、日蓮、親鸞、蓮如等皆な万国に対しても余り恥しくない坊主であつた、然し是等は皆な東洋流の坊主であつた、故に多く今日を感化するの坊主ではない、今日は今日の坊主を要する、爾うして斯う云ふ坊主は日本には居ないのである。 〔以上、5・25〕
 日本人の理想的人物は政治家である、是は彼等が支那人から学んだ理想であつて、甚だ賤むべきものであると云はなければならない、彼等の得意の人とは「利沢人に施し、名声時に昭かに、廟堂に坐し、百官を進退し、天子を佐けて令を出《いだ》す」底の者である、彼は即ち坊主とは正反対の者である。
 之に反して坊主とは必ず失意の人である、政治家に成らんと欲して成る事の出来なかつた者が坊主となるのである「窮居して野処し、高きに升て而して遠く望む、茂樹に坐して以て日を経《を》へ、清泉に濯ふて以て自から潔うす」とか称へて何でも世の事に関係しない者を称して坊主と云のである。
 即ち日本の政治家なる物は俗物の標本であつて、其坊主なる者は隠遁者の類である、故に人が坊主となると云へば如何にも生きながら埋められたやうに思ふて彼も人も彼のために愛惜の涙を注ぐのである。
 斯う云ふ思想を有て居る国民であるから坊主の貴い事も分らなければ、随て彼等の中にエライ坊主も起つて来ない、彼等は英の平民大宰相グラツドストーン氏が政治家と成りし前には坊主とならんと欲し、終生坊主の学を捨てず、殊に死する前の二三年を宗教書類の編纂に消費したと云ふ事を聞いても容易に信じない、彼等は亦コロ(188)ムウエルの如き人が大宗教家でありしと聞けば彼は政略のために宗教を信じたのであると思ふ、世に真面目に神に祈る大政治家や大文学者があらうとは日本人の多数の到底信ずることの出来ない事である。
 然し是は極く卑賤な観察である、文明国に在ては偉大なるものとて宗教に関係ない者は殆んどないのである、伊太利の愛国者ガリボルヂーの自伝を読んだ者は皆な彼れが如何に深遠なる宗教信者であつたかを知つて居る 最も偉大なる人は坊主であつて、坊主的特性を具へない政治家、美術家、文学者で偉大なる人は無い。
 日本に偉大なる坊主が出ない、日本人は坊主を擯斥する、故に日本人は偉大なる国民となることが出来ない。 〔以上、5・26〕
 近頃の日本人で坊主を廃めて政治家になられし人達は仏教界に在ては金尾稜厳君、菅《すげ》了法君等、基督教界に在ては横井時雄君、岡部次郎君等である、又金森通倫君の如きは一時最も熱心なるプリーストであられしが今は之を廃めて実業に従事せられ、其他同志社出身の人達にして伝道を目的に主として神学を究められ、其或る者は斯道の研磨を海外に於てまで積まれし人々にして今は全く法衣を抛たれて或は銀行に或は商館に職を執らるゝ者は甚だ多い。
 余輩は勿論是等の人々を指して悪人であるとは云はない、政治も商業も其物其れ自身は決して悪いものではない、余輩が只国家のために悲むことは斯くも多くの名士が坊主を廃めて政治家又は商人となられしに比べて一人の名士の釈迦ゾロアスタルの迹を践んでせの顕位を捨て坊主と成りし者の無い事である。 日本には実は政治家は有り過るほど有る、政治の外は何にも為ることの出来ない者は薩長の閥族中には勿論、何れの政党に於ても、朝にも野にも春の池の蝌蚪《おたまじやくし》のやうに蠕々《うよ/\》して居る、若し一つの次官か官房長の椅子が空(189)にならば之を狙ふ者は百も千もある、実業海も亦同じ事である、金を儲けて自身と国家とを利益しやうと云ふ万全の策を講ずる者は四千万の同胞概ね皆な然りと云ふても宜い程である。
 之に此べて日本のルーテルたらんと欲する者は何処にある乎、法学士、文学士、工学士の製造は夜となく昼となく東西の帝国大学に於て行はれつゝあれども、日本のヂーン、スタンレー又はデビツド、リビングストンは何処に於て養成されつゝありや、文明的坊主の養成を以て主なる目的とせし同志社すら政治家実業家を産出せしことなれば帝国大学より精神的英雄の出て来ないのは無理ではないが、去りとて日本今日の社会ほど精神的分子に欠乏して居る者は開闢以来曾て無い事であらふと思ふ、昔し希臘の歴史家ヘロドータスと云ふ人は世界を巡歴して視て政治も商売も無い国は見た事はあるが宗教の無い国は見た事がないと云ふたさうだ、彼が若し今日生きて居つたならば多分之を日本に於て見て非常に奇《ふし》ぎに思ふたであらふ、爾うして彼は健全なる国家は健全なる宗教の上にのみ立つ者であると信じて居た故に日本今日の状態を見て彼の歴史哲学の立場より日本国の滅亡を予言したであらふ。 〔以上、5・28〕
 
(190)     信仰の勝利
                       明治34年6月5日
                       『無教会』4号「社説」
                       署名なし
 
〇神は活きて居られます、神は働て居られます、神は善人を授けつゝあります、彼は悪人を亡しつゝあります、悪人の奸計は神の聖意の実行を妨げる事は出来ません、故に私共は安心して善と意ふことを為すべきであります。
○此世に在て最も強いものは清い良心であります。世に之に勝つの勢力はありません、政府も教会も各其全力を尽して之を滅さんと致しましても滅すことは出来ません、私共何人を敵に持ても宜う御座います、信仰の上に立つ良心は全宇宙の勢力を挙げても之を逐ひ退《しりぞ》けることは出来ません。
〇今の人は基督信者までが頻りに「勢力」といふことに就て語ります、彼等は信仰以外に何にか勢力なるものがあるやうに思ふて、議会に多数を有つから勢力があるとか、政府の有力家を賛成を得たから勢力が附いたとか、外国人の援助を得たから事業の成効は疑ひないとか申しまして、善を為すにも悪を為すにも是非共勢力なるものが必要であるやうに思ふて居ります、然し私共キリストを信ずる者に取てはキリスト以外には別に何にも勢力のあるべき筈はありません、私共の友人と賛成家とはキリストのみでありまして、私共キリストを主と仰で世の賛成家は一人も要らない筈であります。
〇「運動」、「運動」、私共は此二字を甚だ嫌ふ者であります、是は神を信ぜずして自己の謀略《はかりごと》に頼る者の為る仕事(191)であります、其人達は神は眠で居給ふて、私共人間が働くにあらざれば何事をも為し給はざる者のやうに思ふて居ます、然し私共キリストを信ずる者は「運動」を致しません、私共は神は休息なく活動し給ふと信じます、故に私共は静かに神の命を待ち、彼をして私共の裏《うち》に働かしめて私共から先に手を出して神の事業を助くるやふなことを致しません、此点に於ては私共は今の教界の諸君とは大分信を異にして居ります。
〇私共は此宇宙はそんな込入つたる宇宙ではないと思ひます、是は神が創造り給ふた宇宙でありますから、私共は其中に棲息して唯だ神を信ずればそれで宜いのであります、さうすれば万事悉く私共の善のために働き、私共の脳中に智慧も湧いて来、私共の肉躰も健康になり、私共に纏綿する総ての情実も解けて神の栄光を顕はすに至るのであります、私共は世に伝道策であるとか、政治策であるとか云ふ事を講じて居る人の多いのを見て、其人達は何のために宗教を信じたのであるかと甚だ怪訝《かいが》に堪えない者であります。
〇嗚呼、愉快なるは信仰の生涯であります、私共は何物をも恐るゝに及びません、私共は何にも心配するに及びません、私共の全生涯は勝利を以て終るに相違ありません、多くの人は起て私共を毀たうと致しまする、彼等は世の力あるものゝ手を借り来て私共を潰さうと致しまする、然し神は大国家よりも大教会よりも強くあります、私共は神に頼て私共に勝つ勢力の世に一つもないことを信じまする、私共は詩篇の言葉を引いて申します。
   何《いか》なれば諸の国人はさわぎたち
   諸民《たみら》は虚しきことを謀るや
   地の諸の王はたちかまへ
   群伯《おさら》は共に議《はか》り
(192)   ヱホバと其受膏者にさからひていふ
   我儕その械《かせ》を毀ち
   その縄を捨てんと
   天に坐する者笑ひ玉はん
   主、かれらを嘲りたまふべし 云々
 
(193)     『独立雑談』
                        明治34年6月10日
                        単行本
                        署名 内村鑑三 述
〔画像略〕初版表紙147×105mm
 
(194)   自序
 
 今を去る三千五百年前の昔し、ユダの大王ソロモンは曰へり、「多く書を作れば竟《はてし》なし」と、蓋し著作者の愚を憐みての言ならん、然るに余に取りては此は是れ第十七回目の編著なるを知て余も亦大王の前に漸色なき能はず。
 然れども此明治の暗黒時代に生れ来て余の如き者に取ては著述は独立生涯の惟一の方法なるを如何せん、余は乞食たるを好まざるのみならず、官吏となりて薩長政府の俸に衣食するを耻とし、亦伝道師となりて時に虚偽に等しき言を述べて外国宣教師の賞讃に与からんことを悪む、去りとて思想の外他に何ものをも世に供し得ざる余の如きものは王子深川に大製造所を起して国益増進の恩賞に与かるの希望なし、書を作るに竟なけん、然れども是れ乞食たるに優る万々ならん、余は今日の読書社会が其汗牛充棟も啻ならざる著作中に又此小冊子を加ふるを宥されんことを望む
  明治卅四年五月卅日
           東京市外角箸村緑陰深き所に於て  内村 鑑三
 
〔目次〕 〔本全集収録巻を示す〕
 
 今日の困難……………………………………………6巻
 日本の今日……………………………………………7巻
 〔原題「神田演説『日本の今日』」〕
 カーライルの婦人観…………………………………7巻
 百姓演説(一)人と人………………………………8巻
(195) 仝  (二)金と幸福…………………………8巻
 如何にして夏を過さん乎……………………………7巻
 摂理と歴史……………………………………………8巻
 〔原題「摂理の事」〕
 予定の教義……………………………………………8巻
 〔原題「予定の事」〕
 
(196)     〔国の為めに祈る 他〕
                      明治34年6月20日
                      『聖書之研究』10号「時感」                          署名なし
 
    国の爲めに祈る
 
 我に思想なしアヽ神よ、我に能力なし、我は如何にして爾と我が国とに事ふべき耶を知らず、願くは我を恵むに爾の光明と大能とを以てせよ。
       *     *     *     *
 善なるものは我が裡に一として居らざるのみならず、亦我の属する此社会此国家に我の仰ぐべき且つ望むべき者あるなし、彼等と雖も亦我に等しく真理と希望とに渇する者、我れ如何に彼等に迫るとも彼等は己れに有せざるものを以て我の要求に応ずる能はざるなり。
       *     *     *     *
 願くは我をして我が同胞を憎むことなく、返て彼等を憫ましめよ、願くは我をして彼等の貧を責むることなく、返て其空乏を補はしめよ、願くは爾先づ我を恵みて、我を彼等の中に遣はして爾の祝福を頒たしめよ。
       *     *     *     *
(197) 我は知る彼等は倨傲の民なるを、然れども爾の恩恵は彼等の剛愎なる心を挫くに足る、彼等は虚栄を好むの民あり、然れども爾の誠実を以てするにあらざれば何物か彼等の虚偽の旧慣を破るを得ん耶、若し爾にして爾の正義と憐恤とを以て彼等を恵み給ふにあらざれば彼等は竟に死灰と化して地の表面より拭ひ去られんのみ、爾願くは彼等を憫めよ。
       *     *     *     *
 我は知る彼等は爾に向て大罪を犯せる者なるを、彼等は虚偽の政府を戴て羞ざりし、彼等は其誘惑に抗すること能はずして、不義の師を起して、海の彼方に無辜の同胞を屠りたり、彼等は彼等の中に起りし義人を窘《くるし》めたり、彼等は兇漢を迎へて以て彼等を鞫《さば》かしめたり、若し彼等の罪を悉く挙げんには万巻の書も之を載せ尽すこと能はざるなり。
       *     *     *     *
 故に爾は多くの刑罰を以て彼等を見舞ひたり、其為政者の激変、産業の不振、道心の壊頽、一つとして彼等に対する爾の聖憤を表さざるはなし、而も彼等は之を以て爾の激怒に出《いで》しものとなさず、唯彼等の計策の足らざる為めに此等大患の彼等の上に臨めりと思ふ、彼等は今や死に瀕しつゝあるに死を意はず、今尚栄光開発を夢想して爾の真理を索めざるなり。
       *     *     *     *
 願くは神よ、今日に至て此国民を捨て給ふ勿れ、爾は驚くべき摂理を以て過去二千年間に此国民を導き給へり、爾は幾回か清士潔人を此国に下し、暴を挫き、猛を矯め給へり、其民の自由の消え失せんとする時に爾は奉時 正(198)成の如き自由と正義との戦士を賜へり、我は二十世紀の今日に至て爾が終に此美はしき国を見棄て給ふと信ずる能はず。
       *     *     *     *
 仰ぎ願くは神よ、吾等の中にも爾が他の国民に賜ひしが如き今日に応ずるための偉人を下せよ、吾等はルーテルの如き者を要す、吾等はコロムウヱルの如き者を渇望す、吾等はワシントンの如き者を要する切なり、吾等にレムブラントの如き平民の理想を画くための画師を下せよ、吾等はオルヅオスの如き貧者の心を歌ふ詩人を要す、吾等はジラードの如き孤児のために富を蓄へて之を挙げて其救済の用に供せし慈善家を要す、吾等は奴僕の自由のために生命を犠牲に供せしリンコルンの如き政治家を要す、神よ我等の爾より要求する所は実に斯の如く大なり。
       *     *     *     *
 神よ我は爾が富貴を以て我が国民を恵み姶はんことを願はず、彼等は既に有り余るの富を有す、見よ、彼等は隣邦の支那人より其辜なき傭兵を屠りし価値として二億万の金を奪へり、然れども彼等は早や既に之を使用し※[聲の耳が缶]くして債を増すこと更に数億万に及びたり、而して尚ほ之を以て足らずして、今や彼等の宝庫は空乏を告げて国民挙て悲鳴を揚げつゝあり、此上彼等に金銀を給するも全く無益なり、富は彼等を甚だしく堕落せしめたり、而して愛なる神は尚ほ此上に罪悪の科を彼等に給して堕落の上に堕落を加へ給はざるべし、然り神よ、若し聖意ならば彼等の上に饑饉を下し給ふも可なり、彼等の茶と蚕とをして黴菌の腐蝕する所とならしむるも可なり、若し止むなくんば新火山を起して灰粉を全国に散布せしむるも可なり、只神よ、此国民の霊魂を潔め給へ、其法方の(199)如何に就ては偏に之を爾の聖旨に任かす、唯願ふ神よ、此国に精神的大革命を有らしめよ、此国をして真正の聖人国たらしめよ、日本をして十七世紀の英国の如きものと成らしめよ。
       *     *     *     *
 神よ、我は或る時は此国民に就ては全く失望するなり、而して失望の極我は我国の将来に就ては全く思念を絶たんとするなり、然れども神よ、是れ爾が我に賜ひし国なり、其亡ぶるは我れ自身の死するなり、然り神よ、我は我れ自身を愛するよりも我国を愛するなり、我も時には我は咀はるゝとも我国の救はれんことを欲するなり 我は我れ独り救はれて爾の国に到らんとは欲せざるなり。
       *     *     *     *
 山の聳えん限り爾の祝福をして此邦土の上にあらしめよ、河の流れん限り爾の恩恵をして朝の露の如くに此国を霑さしめよ、此国を以て未来の人類に亡国の実例を示し給ふことなく、爾の限りなき慈愛のために吾等の衷に爾の精霊を下し、死者は甦て爾の大能を唱へ、罪者は其罪を悔ひて永久に爾の聖名を讃へんことを アーメン
 
    救済の希望
 
 若し堕落を以て言はんか、吾人自身が堕落せる者なりし、然るに神はその大能を以て吾人如き者をさへ救ひ給へり、吾人を救ひ給ひし神が吾人の同胞を救ひ給はざるの理あらん、吾人は神が特別に吾人を救ひ給ひし理由を発見する能はず、吾人は亦神が吾人に勝るも劣る所なき吾人の同胞を救ひ給はざるの理由を発見する能はず、吾人は日本国の救済に就て充分の希望を懐て可なり。
(200) 堕落せる者は今日の日本人に限らず、英国人然り、米国人然り、仏国人然り、露国人然り、人類其物が既に堕落せる者なり、之に真神の真理を供せずして、堕落せざるの民とては全世界にあるなし、既に生命の福音の吾人の手に委ねられしあり、吾人は我が同胞今日の堕落を見て直に失望すべからざるなり。
 
    救済の真意
 
 吾人にして若し吾人の同胞を救ひ得ずんば吾人自身をも救ひ得ざるなり、吾人の救済の吾人同胞の救済と相関聯するや甚だ深し、吾人は独り天国に昇らんと欲して昇り得る者にあらず、吾人の救はれしは吾人の同胞を救はんがためならざるべからず、独り閑居して自身の救済を全ふせんと欲する者の如きは未だ救済の何たる乎を知らざる者なり。
 
    二種の道徳
 
 日に三たび吾身を省るとは儒教的道徳なり、其常に退歩的にして、保守的にして、萎縮的なるは自抑内省を以て其重なる教義となすに因らずんばあらず。 『爾曹我(神)を仰ぎ瞻よ、然らば救はれん』とは基督教的道徳なり、其常に進歩的にして革命的にして、膨脹的なるは信頼仰望を以て其中心的教理となすに因らずんばあらず。
 パウロ曰く、善なる者は我れ即ち我が内に居らざるを知ると、吾等自己を省みて唯慚愧あるのみ、失望あるの(201)み、新希望と新決断とは内省回顧より来らざるなり。
       ――――――――――
 
    敵と味方
 
〇友人に愛せらるゝ事に次いで最も幸福なることは敵人に憎まるゝ事である、世に不幸なる事は沢山あるが、誤て敵人に愛せらるゝ事は其最も大なるものゝ一つである。
〇基督信者には敵と称ふべき者は無いといふのは間違いである、若し爾うならばキリストは吾等に教へて「爾曹の敵を愛せよ」とは曰ひ給はざりしならん、世に敵もなく味方もなく、憎愛の念の更に判然しない者があるが基督信者は決して爾んな者ではない、有名なる博士ジョンソンは善く憎まない人をば彼の友人の中に加へなかつたそうだ。
〇吾等の敵とは何う云ふ者である乎と云ふに、勿論吾等を尊敬しない人、多くの場合に於ては吾等を激しく憎む人達である、吾等の敵とは必しも吾等と宗教上の信仰を異にする者ではない、否な、多くの湯合に於ては吾等の最も激烈なる敵は吾等と同宗教の人である、吾人の害を計るに最も陰険で、吾等の肉躰計りでなく、吾等の霊魂までをも殺さんと計りし人を吾等は基督信者と称する人の中に見た、是は甚だ奇態な事であるが、然し是は誤りなき事実である
〇吾等にも敵がある、沢山ある、然し敵なればとて吾等は彼等を憎まない、(基督の教訓に順て)、吾等は吾等の友人を憎むことがある、友人とあれば吾等は彼等の行為に就て怒ることがある、吾等は吾等の友人を詰責するに(202)躇躇しない、友人の論駁とならば吾等は熱心に反駁する、然れども敵人に対しては吾等は之と全く正反対の態度に出る、敵人が吾等に加ふる害に就ては吾等は決して怒らない、其嘲弄、侮辱に対しては吾等は唯好意感謝を表するのみである、吾等は敵人の攻撃に対しては吾等の主イヱスキリストの例に較ひ努めて沈黙を守らふとする、敵人に殴らるゝ時には吾等は彼が吾等に対ふて揚げし手の上に神の祝福の下らんことを祈る、敵人に対しては吾等に寛裕と忍耐と恕宥とあるのである、吾等は友人を憎むことあるも敵人は絶対的に之を愛するのみである。
〇然り吾等は敵なればこそ彼を愛するのである、友ならんには彼を憎むこともあらふ、吾等は彼を全く憎まざるに至て、彼は全く吾等の属《もの》にあらざるを知る、「爾の敵を愛せよ」との教訓は「爾の敵なればこそ之れを愛せよ」との教訓でなくてはならない。
 
(203)     カナの婚筵
                      明治34年6月20日
                      『聖書之研究』10号「註解」                          署名 内村鑑三
 
    約翰伝第二章一節
 
  第三日にガリラヤのカナにて婚筵ありしがイエスの母も此に居れり。
 「第三日に」 ヨルダンの彼方なるベタバラの地に於てイヱス、ヨハネより洗礼を受けられ、其処にペテロ、ピリポ、アンデレ、ナタナヱルの諸弟子を獲られし後、居村ナザレに向け帰途に就かれしより第三日、故にイヱスに此時既に五六人の弟子ありしと知るべし。
 「ガリラヤのカナ」、ナザレの東北四五哩の処にある小村なり、使徒ナタナエル生育の地なり、彼れナタナエルが「真のイスラエルの人にして其心詭譎なき者」とキリストに評せられしを見て其村民の如何に純樸なりし乎を知るを得べし。
 「イヱスの母」 勿論マリヤなり、勤勉なる貧家の主婦、口碑に依ればイヱスは十八歳にして其父を失ひしとの事なれば此時彼女は寡婦となりてより既に十三四年を経過せしならん、「此に居れり」とはカナの村に居合せしとのことならん乎、或は手伝ひの為めに其地に至りしと見るも差支なけむ。
 
(204)    第二節
 
  イヱスも其弟子と婚筵に請かる。
 小村カナの婚筵是れ王侯貴族の宴席と異る、イヱス之に請かれて喜んで行けり、行て其喜楽を援けんためなり、若し紳商公吏の婚筵なりしならんには彼は決して之に臨み給はざりしならん、彼紳商公吏の類に貴賓の阿諛を述るある、楽人の楽を奏するあり、酒の※[聲の耳が缶]《つ》きるの患あるなく、従てイヱスの之に臨むの要あるなし、世の註解者はイヱスが此筵に臨まれしを以て婚姻の神聖を認めんためなりしとなす、然れども余は信ず、是れ婚姻の神聖を認めんよりは寧ろ貧の神聖を認めんためなりしを、此一事を心に留めずして前後数節の真意を解する難し。
 
    第三節
 
  葡萄酒※[聲の耳が缶]きければ母イヱスに曰けるは彼等に葡萄酒なし。 貧者の宴会、察するに余りあり、如何に予想外の客を請きたればとて忽にして葡萄酒の飲み尽されんとは空乏の悲しき亦推量すべきにあらずや 是れ家主の恥辱、若し此事にして暴露せられんには一座興を失ふて佳燭の興楽も失意を以て終らん 言ふを休めよ、是れ僻村の一小事のみと、家主彼自身に取ては是れ終生の一大事なり、言ふを休めよ、天の神は小民の私事に疼痛を感じ給はずと、彼れ或は帝王の大軍の危機に迫る時に一指を挙げて之を援け給はざることもあらん、然れども辜なき村民の此会合に彼れ彼等の中に在りて一大奇蹟を施さずして止まんや。
 
(205)    第四節
 
  イヱス彼に曰けるは婦よ爾と我と何の与《かゝはり》あらんや、我時は未だ至らず。
 是れ彼が其母に対する言としては少しく無礼の言なるが如し、何ぞ母御と言はざる、「爾と我と何の与あらんや」とは母子の情としては忍び難きの言ならずや。然り、是れイヱスが尋常一様の人にあらざりし主なる証拠の一なり、マリヤは彼の生母なりし、故に彼はよく彼女に「順へり」、然れども彼は亦神の子なりし、故に彼は彼女の救主なりしなり、人類の救主としてのイヱスは其公職を何人にも左右せらるべきにあらず、マリヤは如何なる場合に於ても其子の超自然的能力を私用すべからざるなり、然るに彼女目前の繁劇に逐はれ、彼女の聖子の何たるかを忘れて、彼より非常の援助を藉らんとせり、彼は勿論之を貸すに吝ならざるべし、然れども之を為すに方て彼は此軟かき譴責の言を以て彼女の注意を促せり、「婦よ」、(希臘語の gunai 英語にて woman と云ふが如き激烈なる言にあらず)、汝は単に我が母のみなりと思ふ勿れ、汝は我の何たるを知る、我には我の天与の公職あり、是れ人の私用すべきものにあらず、汝繁劇の裡にあるも此事を忘るゝ勿れと。
〇イヱスに於て然り、吾人平凡人に於ても亦或る度合までは然らざらんや、吾人も亦父母の遺躰のみにあらず、吾人も亦或る天職を以て此世に生れ来りし者なり、吾人は勿論及ぶべき丈け吾人の父母に服従すべし、吾人は私慾私憤のために彼等に逆はざるべし、然れども歳既に三十に達し、略ぼ吾人の公職を自覚するに至て、吾人の能力は吾人自身のためにのみ私用さるべきものにあらざるは勿論、吾人の父母たりと雖も彼等の便益のために吾人を使用するの権利を有せず、子は牛馬機具と異なり私有品にあらず、之れ養育の任を以て神より托せられし者、(206)既に其天よりの使命を果たすべき時に方ては父母たる者は謹んで其聖職を翼賛せんことを努むべきなり、真正の孝道とは父母の命唯維れ従ふ事のみを謂ふにあらず、我れ我が天与の公職に忠実にして始めて真正の孝子たるを得るなり、イヱスの此言、吾人の敬読深思すべきものならずや。
 「我が時は未だ至らず」、公然救主として世に顕はるゝの時を云ふ、イヱスは母の願を聴けり 然れども彼の這般の行為は彼を弟子達に顕はすに 止て広く彼を世に紹介するに至らざるべし。
 
    第五節
 
  その母僕等に向て彼が爾曹に命ずる所の事を行よと曰ひおけり。
 イエスの其母に対する言に少しく平常ならざる所ありたり、然れども母なるマリヤは直に其子の真意を解せり、彼女は彼が非難の声を揚げしと同時に彼女の願意を納れられしを見たり、故に家人に命ずるに此言ありしなり、「彼が爾曹に命ずる所の事を行よ」、我が子の為す所に誤謬あるなし、彼の命維れ従へとなり、〇善良なる母よ、汝は其の子の非難の声を聞て恚らず、返て彼を信じて人をして彼の命に従はしむ、世に汝の如き母ありて真正の孝子はあり得るなり、子の真意を察するに速に、曾て彼を怒らせることなく(以弗所書第六章四節参考)其善を励まし、職を賛く、願くは我利私慾を以て充たされたる此世に汝の如き母多かれかし、〇「僕等」、希臘語の diakonoi の訳字なり下僕又は奴僕の意にあらず、教会の執事も後には此名を以て呼ばれたり、即ち事を処理する者の称にして此場合に於ては手伝人を指して云へるなり、故に此内にイヱスの弟子をも含み居りしを知るべし、是を「僕等」と読んで家主の貧を覗ふ難し。
 
(207)    第六、七、八、節
 
  ユダヤ人の潔めの例に従ひて四五斗盛りの石甕六つかしこに備へ有しがイヱス彼等(僕等)に水を甕に満せよと曰ひければ彼等口まで満せたり、又之を今※[手偏+邑]取て持行き筵を司る者に与せよと曰ひければ彼等わたせり。
 「潔めの例」 ユダヤ人は日本人と同じく清潔を愛せし民なり、彼等が食前に手足を洗ひしは聖書の屡ば記載する所なり、此所にいふ石甕なる者は食前に手を洗ふために用ひられし者ならん。
 「四五斗盛りの石甕」、少しく大に過るが如し、希臘語の一メトレーテスを英量八ガルロン半程に見積ての計算なり、古代の度量権衡を今日のそれに換算するの難きは何人も知る処なり。
 「彼等口まで満せたり云々」、イヱスの命令は総て行はれたり、助手等はその何のためなるを知らざりし、其葡萄酒に変ぜられんことは勿論何人も予想せざりし所なり、然れどもイヱス自身は水に手を触れ給はざりし、これ彼が之に施せし奇績の完全明瞭ならんためなり。
 
    第九節
 
  筵を司る者酒に変りし水を嘗めて其何処より来りしを知らず、然れど水を※[手偏+邑]みし僕等は知れり。
 「筵《ふるまひ》を司る者」 必しも家主にあらず、亦新郎にあらざりしは勿論なり、婚筵の席の如きに於ては斯の如き役目の特別に設けられしならむ。
 「酒に変はりし水」、此時はや既に水は葡萄酒に変りしなり、其如何にして変りし乎を問ふを休めよ、そは是れ(208)無益の問題なればなり、水は水素と酸素との化合物なり 而して葡萄酒にはアルコホルなる炭素物あり、糖分あり脂肪ありて其中に亦窒素物の痕迹を留るあり、如何なれば水素を変じて炭素窒素となし得ん乎、妄誕、迷信、化学の法則に戻り、出来得べからざることなりとて嘲ける者多からむ。
 然れども「如何にして」は吾人の茲に攻究すべき問題にあらず、科学の進歩は未だ其終りを告げず、凡ての元素は水素又はアルミニウムの変形なりとは曾て或る有力なる科学者の唱へし所、水素を変じて炭素となすの術の発見せらるゝ時なしと今日断定するは難し、要は茲に一大事実を認むるにあり、即ち無味の冷水の忽に変じて甘味嗜むべきの葡萄となりしこと是れなり、筵《ふるまひ》の司は之を嘗めて喜べり、新郎新婦は之あるに由て恥辱を免れたり、客は悉く之を賞味して家主を頌揚せり、一大慈善的奇績は行はれたり、而して宴に与かりし者は一人も残らず満足を得たり。
 懐疑者は吾人に問ふて曰ふ「何故に」と、吾人は彼等に答へて曰ふ「味ひ見よ」と、無為平凡の人がキリストを信ずるに由て忽にして有為非凡の人となるや、哲学者と比較宗教学者は驚て曰ふ「何故に」と、彼等は順序《オウロセス》を知るにあらざれば結果を信ずる能はず、彼等は彼等の哲学に適はざる事実とあれば死者が更生することあるも之を信ぜざるなり。
 「筵を司る者は……知らず、然れども水を※[手偏+邑]みし者は知れり」、飲む者は只其味を知るに止て其何人の手に依て如何にして造られし者なるやを知らず、然れども水を※[手偏+邑]みし者は之を知れり、伝道に従事せざる者は懺悔悔改の何たるを知らず、只前の放蕩子が今は謹直にして神を讃美する者となりしを見るのみ、直にイヱスの命に聴き、直に彼に役せらるゝにあらざれば彼の功績の絶大なるを知る能はず、世は僅かに基督教の結果を見るのみ(209)にして其行動の秘訣を知らず、憐むべきかな。
 
     第十節
 
  筵を司る者新郎を呼て彼に曰ひけるは凡そ人はまづ旨《よ》き酒を進《いだ》し、酒酣なるに及びて魯《あし》き酒を進すに爾は旨き酒を今まで留め置けり。
 主に恵まるゝ者は総て皆な斯の如し、先に魯き物ありて後に旨き物あり、是れ世の吾人を待つ法と正反対なり、黄金時代を約束せる政治家は概ね墜落敗滅を以て終り、先に平民主義を唱へし者は後には閥族の奴僕と成り、希望を以て教会と宣教師とに迎へられし青年は汚俗に沈淪して主の聖名を涜すに至る、希望を以て始め失意を以て終る、竜頭にして蛇尾、世間万事皆な是れならざるはなし。
 然れども主の法は全く是と異る、例へば彼の忠僕なりし英の宰相故グラッドストーン氏の如し、彼れ青年にして保守主義を唱へ、老年に及びて進歩主義に移る、又英の無冠王コロムウエルの如し、彼は国賊として其墓を発かれ、而して三百年後の今日大愛国者として彼の国人の心に祀らる、先には教会を毀つ者として斥けられし者が後には之を築くための礎となる、前には豺狼として避けられし者が後には聖者として崇めらる、前に旨き物を約束する者に注意せよ、そは彼は俗人なればなり、死に近くに随て香気を放つこと益々多き者、是れ真に主に恵まれし者なり、かの始めて世に臨むや拍手喝采を以て歓迎せらるゝものゝ如きは前には旨き酒を供して後には魯き酒を飲ましむる無情不実の家主の類のみ。
 
(210)     第十一節
 
  此事をイヱスがガリラヤのカナに行《なせ》は休徴《しるし》の始にして其栄をはせり、弟子彼を信ぜり。
 「休徴」、奇績の謂ひなり、之を休徴と謂ふは奇績はイヱスのキリストなるを証拠立る者なればなり、イエスの神性を証明せんためには奇績は不必要なりと云ふ者は未だ奇績キリスト両つながらを解せざる者なり。
 「其栄を顕はせり」、如何なる栄ぞ、王侯の前に於て顕はせし栄光にあらず、民の輿望を博せし栄光にあらず、貧家の宴席に於て、而も婚筵の席に於て、新郎新婦を恥辱より救ひ出さんための超天然的行為を以て顕はされし此栄光、是れ実に神たる者の行為にして亦彼の栄光ならずや、イヱスをして若し此偉功をエルサレムなるヘロデの宮殿に於て奏せられしならば是れ彼に取ては栄光ならざりしなり、栄光は奇績の偉大なるよりも寧ろ其之を施されし場合如何に存せり、其大慈善的行為なりしが故に栄光は之に伴ひしなり、水を酒に変ずるは偉績なりしに相違なし、然れども之を貧家の婚筵に於て新郎新婦に赧顔なからしめんがために行はれて、イヱスは自身キリストにして神の指名せし人類の救主たるを証明せられたり。
 「弟子は彼を信ぜり」、酒を味ひし者は筵の司を始めとし新郎新婦、家主、賓客等其数決して少小ならざりしならむ、然れども水を変じて酒となせしイヱスキリストを信ぜし者は纔に彼の弟子のみなりき、憫むべき人達よ、酒は一夜の快に過ず然れどもイヱスを識るは永遠の生命なり、是を味ふて彼を信ずる能はず、彼等は奇績を見るに単に実利の一方よりせり。
 然れども愚かなる者は彼等に留らず、世人概ね皆な彼等の類のみ、彼等は此壮大なる宇宙に栖息して其実利に(211)のみ注目して之を造り給ひし神を知らんと欲せず、神の之を造り給ひしは彼の聖意を人に伝へんためなり、而も人は其金銀宝玉穀類を愛して之を彼等に授けし神を愛せず、言ふを休めよ、「我等も若し眼に奇績を見るを得ば神を信ぜん」と、神を信ぜざる者は千度び百度び奇績を目撃するも彼を信ぜざるなり、先づ信ずるの心を神より求めよ、然らば奇績ならざる宇宙の此大奇績を見て直に神を信ずるを得む。
 
(212)     赦さるべからざる罪
                     明治34年6月20日
                     『聖書之研究』10号「思想」
                     署名 内村鑑三
 
  人々の凡て犯す所の罪と神を涜すことは赦されん、然れど人々の聖霊を涜すことは赦さるべからず、言を以て人の子に背く者は赦さるべし、然れど言を以て聖霊に背く者は今世に於ても亦来世に於ても赦さるべからず、(馬太伝十二章三一、三二節)、
  人の凡ての罪と涜す所の褻涜《けがし》は赦さるべけれど聖霊を涜す者は限りなく赦さるべからず、限りなき刑罰に干からん(馬太伝二章二八、二九節)。
  凡そ人の子を謗る者は赦さる可けれど聖書を褻す者は赦さるべからず(路可伝十二章十節)。
 聖書に赦さるべからざる罪として記さるゝもの唯一なり、即ちイヱスの言として以上の三個所に掲げらるゝ所のものなり、即ち聖霊を涜すの罪にして、此罪を犯す者は今世に於ても亦来世に於ても赦さるべからずと云ひ(馬太)、亦限なき刑罰に千からんと記さる(馬可)。
 此一事は明白なり、然れども聖霊を涜すの罪とは如何なるものか、是れ吾人の精究を要する問題なり、神の寛大なる、彼は吾人の凡て犯す所の罪を赦し給ふと宣べらる、姦婬の罪、懶惰の罪、友を売るの罪、約束を破るの罪、是れ皆な罪は罪にして聖き神の前には実に醜むべき罪悪として認めらるべきものなれども、而も恩恵に富み(213)給ふ神は之を以て赦さるべからざる罪と見做し給はず、マグダリヤのマリアの婬婦たりしにも係はらず、彼女を赦して聖徒の一人となし、ベテロの彼の聖主を否みしことありしにも係はらず彼を赦して貴き使徒の首《かしら》となし給へり、因て知る吾人時には神を疑ふことあるも神は寛裕を以て吾人を迎へ、亦甚しきに至てはタルソのパウロの如く或る時はキリストの名を涜し、彼の聖徒を窘《くる》しむるために吾人の熱血を注ぎしことあるも、神は敢て吾人を敵視することなく、尚ほ吾人を諭すに吾人の闇愚を以てし、「荊ある鞭を蹴る」ことの全く無益なるを示し、吾人をして彼に就て吾人の腐れたる霊魂の医癒を懇願せしむ、「神の慈《いつくしみ》と厳《おごそか》なることを観よ」、彼はたゞ一つの罪の吾人を永遠の刑罰に導くあるを示し給ふと同時に自他の百千万の罪の一つとして彼の永遠の忿恚を価するものなきを宜べ給ふ。
 吾人は神を涜すことの何たる歟を知る、即ち彼の造り給ひし此宇宙と其中に在る凡ての物を濫用し、亦彼の像《かたち》に象《かたど》られて造られし人を害ふ事是なり、吾人は亦人の子(基督)を謗ることの何たるを知る、即ち彼の愛する最《いと》も微《ちいさ》き者を窘しめ、彼の命召を蔑《ないがしろ》にし、彼が幾回となく吾人に降し給ふ所の恩恵を斥け、以て恬として耻ざること是なり、吾人は是等の罪の凡て赦さるべしと聴て吾人の心を剛愎《かたくな》にすべからず、そは知て従はざるは赦さるべからざるの罪に近づくの第一歩なればなり。
 吾人は亦知る、聖霊を涜すの罪は必しも良心の命に逆ふの罪にあらざることを、そは罪として良心の譴責を感ぜざるもの殆んどあるなく、随て良心の命に逆ふの罪にして今世来世に於ても赦さるべからざるものとせば世に赦さるべきの人は一人も存すべからざればなり。
 神を涜すことにあらず、基督を謗ることにあらず、亦良心の命に逆ふことにあちずとせばキリストの此所に謂(214)はるゝ赦さるべからざるの罪とは抑も如何なる罪ぞ、是れ吾人の切に知らんと欲する所のものなり。
 いまこの惶るべき罪の何たる乎を知らんと欲せば之をキリストが此言を発せられし時の事情に稽へざるべからず、是れ彼が瞽の※[病垂/音]《おふし》なる者を医《いや》せし時パリサイの人が彼は鬼の王ベルゼブルを役ふて此事を行《な》せりと云ひし時に、キリストが其然らざるを説明せし後に発せられし言なりとす、(馬太伝第十二章二二節以下)、即ちキリストを鬼に譬へ、善行を悪人に帰せしパリサイ人を評せられし言なりとす、キリストは亦語を続けて曰へり「善人は心の善庫《よきくら》より善きものを出し、悪人はその悪庫より悪きものを出せり」(三五節)と、即ち善行の悪人より到底出づべからざるものなるを示されしなり。
 斯くて前後の連続より察して吾人は聖霊を涜すの罪の意識上の大罪悪なるを推測するに難からず、即ち善と知りつゝ悪を語り悪を行ふの罪にあらずして(是れ偽善なり)、善を悪なりと断定するの罪ならずんばあらず、是れ勿論誤想以上(或は以下と云はんか)の罪にして其深遠なる実に量るべからざるものあり。
 善を為せるキリストを悪人なりと云ひしのみならず亦彼を以て鬼の王の力を慰る者なりと做し、病者の癒されしを見て喜ばずして返て之を医せし者の真意を疑ふ、是れ実に極悪ならずや、故に馬可は之に附記して云へり「斯くいへるは人々イヱスを悪鬼に憑れたりと言ひしが故なり」と(二章三十節)、彼等パリサイ人はイヱスは単に狂せりと曰ひしにあらず、是れイヱスの兄弟の曰ひし所にして彼等の此言に大に恕すべき所あり、亦彼等パリサイ人はイヱスは国威を害する者なりとして彼を窘めざりしなり、是れパウロの為せし処にして彼パウロの愛国心に賞すべき所あり、パリサイ人が此言を発せしは彼等が精究琢磨の結果(パリサイ人は皆な該博なる学者なりし)イヱスの如きを以て鬼に憑かれし者なりと固く信ぜしに因る、勿論彼等が此確信に達せしは彼等の獰悪の意(215)志が彼等をして茲に至らしめしに因ると雖も、而も智識上の研究鍛錬を堆まずして彼等は此冷静にして而も大胆なる結論に達せざりしなり。
 彼等がイヱスに就て此断評を下すに方て一つの感情の彼等の判定力を乱すあるなし、彼等は静かに、熟慮して、イヱスは悪鬼に憑かれたりと断定せり、而も記憶せよ眼前に医されし瞽を控へつゝ。是れ実に赦さるべからざる罪ならずや、彼等は感情に駆られて此判断を下せしにあらず、彼等に遺伝貧困の此結論を促すありしにあらず、彼等は神学者として、教師として、牧師として、伝道師として、神より秘密を授けられし者として、安らかも、穏かも、偏する所少しも無きが如くに、最も公平なるが如くに、こゝにイヱスは悪鬼に憑かれたりと断定せしなり。
 而して余輩は如斯き人が如何にして赦さるべき乎を思惟する能はざるなり、意志の根底まで腐りしに加へて之を賛くるに該博なる智識を以てす、若し神にして悪を善と為し得べき者と做さばいざ知らず、善を善とし悪を悪とする者にして斯くも意識の両方面より全心の硬化せる者を救はんことは余輩の想像以外にあり、意にして狂はんか、識を以て之を正すを得ん、識にして足らざらん乎、之に新智識を注入して其闇冥を展くを得ん、然れども邪悪的に発達せる意志に加ふるに枉屈的に上達せる智識を以てす、人、此淵に沈淪して彼の救済は望むべからず。
 聖霊を涜すの罪とは斯の如きものなりとせば吾人は聖霊行働の区域の意志其物にあらずして主として其|智能《インテレクト》にある事を認めざるべからず、之を聖書に稽ぶるに聖霊は常に智能の開明者として示さる、イヱス曰く「我が名に託りて父の遺さんとする訓慰師《なぐさむるもの》即ち聖霊は衆理【すべてのこと】を爾曹に教へ」ん(約翰伝十四章二六節)と、以て聖霊は神が吾人に下し給ふ智識上の大教師なるを知るべし、パウロは又曰く霊《みたま》は万事《すべてのこと》を究知【たずねし】りまた神の深事《ふかきこと》をも究(216)知るなりと(哥林多前書二章十節)、以て聖霊が神に関する万事の探究者なるを得るべし、予言者イザヤは之を智慧聡明の霊、謀略才能の霊、智識の霊と称へり、(以賽亜書十一章二節)、故に聖霊が万事を吾等に顕はすと云へるは之を吾等の理会力に示すの謂ひなるを知らざるべからず、霊は霊に感ずとか称して神が人と相通ずるに方ては吾人の智能に依らざるが如く思ふは聖書の吾人に示す所の教義に反す。
 人多くは新約聖書に於て聖霊の訓慰師《なぐさめるもの》と称せらるゝを観てその行働の区域の吾人の感情に在りとなす、然れども是れ未だ吾等基督信者の神より給はる慰藉の何たる乎を知らざる者の言なり、吾等は酔客が婬謡に臥するが如く、或は支那人が阿片に酔ふが如くに只僅かに一時吾等の悲痛を忘れんと欲する者にあらず、吾人は宇宙の大道に則り、苦痛の大理を解し、酔ふて寝る者の如くならずして醒めて働く者の如くに慰められんことを欲ふ、因て知る吾等を慰むる者は吾等の理性に訴ふる者ならざるべからざることを、因て知る神が吾等を慰められんとするや先づ神の真理を吾等の智能に伝へ以て吾等の霊魂を慰めらるゝことを。
 聖霊行動の区域は主として吾人の智能にありとせば聖霊を涜すの罪とは罪に眩まされし吾人の智識を以て聖霊の明白なる告知を打消すことならざるべからず、而して其如何に重大なる罪過なる歟は吾人の生命に於ける信仰の勢力の如何に高且つ遠なる歟を知て始めて知るを得べし。
 信仰は心の事にして智の事にあらずと做す者は謬れり、信仰は聴て始めて起る者にして、耳に聞かず眼に読まずして信仰を起せし者曾てあるなし、聖霊を否むは其数訓を否むなり、而して之を涜すとは之をして終に吾人の霊魂に神の真理を伝ふるを得ざらしむるに至ること是なり、即ち神と善悪とに関する吾人の判断力が全く転倒せられて善は悪となりて現はれ、悪は善とし認められ、神御自身を視て鬼の王なりと信ずるに至ること是なり。
(217) 故に怕るべきは智能の濫用なり、感情遺伝の罪悪は之を医すに途あり、然れども硬化せる智能の罪悪に至ては之を精神上不治の病と称するの外なし、是れカタラクト症の眼球に於けるが如きもの、光明の心髄に通ずべき途なきに至る、故に聖書は云へり「是故に聖霊の云へる如くせよ、爾曹もし今日其声を聴かば野に在て主を試みたる日その怒を惹きし時の如く爾曹心を剛愎《かたくな》にする勿れ」と(希伯来書第三章七、八節)、聴て之を拒み、拒で止まざれば神を識るの理会力は硬化して終には聖霊の声に全然無感覚なるに至らん。
 因て知る聖霊を涜すの罪は神を識りしことなき者の犯す罪にあらざるを、是れ福音を耳にし、神学を究め伝道に従事する者の最も陥り易き罪なりとす、余輩が屡ば若し世に永久の刑罰に干かるべき者ありとせば彼は今日世に教役者と称せらるゝ者の中にあらんと云ひしは之がためなり。
 是れ罪悪の最も深遠なるもの、其最も精神的なるものなり、其全く内心的なるが故に之を外面に認る難し、然れども其之に陥りし者をして道徳的不具者たらしむるを見て、吾人は略ぼ之が捕虜となりし者の何人なる乎を識別するを得べし。
 然れども慎めよ、吾人之を識るも之を口外すべからず、そは斯くして吾人は他人の僕を鞫く者とならんことを恐るればなり。
 
(218)     憤死
                     明治34年6月20日
                     『聖書之研究』10号「雑記」
                     署名 平凡生
 
 世に憤死と云ふことあり、是は至て見ともなき事なり、是れ憤怒の余り、他人を罵て罵て、終に其躰力も財力も精力も尽きて死することなり、恰も南亜米利加産の電気鰻が野馬の水中に飛込むに会ふて其電気を放出し尽して終に容易《たやす》く漁夫の捕ふる所となると同然なり、死は決して懼るべきことに非ず、亦耻かしき事にもあらず、然れども憤死と罵死とは死の最も馬鹿らしきものなり、吾人何人も一度は死すべきものなり、然れど吾人は決して此馬鹿らしき死を遂げざるやう常に心掛け置くべきなり。
 
(219)     不可能事
                         明治34年6月26日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
〇不可能事の第一は地球の構造に大変動が来り、鴨緑江が逆流するに至る事である、是《こ》は長白山《ちやうはくざん》が窪んで海となり、黄海が起《おき》て山となるにあらざれば到底望むべからざる事である。
〇不可能事の第二は太陽が西より出る事である、是は地球が其廻転の方向を変へ、それがために全宇宙に大混乱を来すにあらざれば到底|行《な》し得べからざる事である。
〇不可能の第三は古河市兵衛氏の心の衷に大慈悲心が湧き来り、彼が任意的に彼の足尾銅山の採掘事業を中止し、去に自から進んで日本帝国の大汚点を拭ふに至る事である、若し此事にして行はるゝを得ば最も容易に、最も平穏に此大問題は解決せられて、二十有余万の農夫は彼の名を崇むるに至り富と貧とは相接吻して其間に怨恨嫉妬の迹を留めざるに至るに相違ない、是れ実に国家の大慶事にして、又市兵衛君彼自身に取ても年に百万円の純益を銅山より収むるに優るの快楽であると思ふ、然し是れ山を平げて池となし、太平洋の底に富士山を築くと同じ大難事にして吾人の到底望むべからざる事であらう。
〇不可能事の第四は日本国の軍人が国民のためを思ふて自ら進んで軍備縮少説を唱道する事である、若し此事にして事実となりて顕はるゝに至らば日本目下の大困事なる財政整理問題は晩春の霜の朝噸の前に解けるが如くに(220)何の苦もなく消失するに相違ない、悪事とは知りつゝ軍備の膨脹に賛成を為ないではならない日本の政治家輩は実に憐むべき者ではあるが、然し剣を帯ぶる幾十万の圧制家が側《かたはら》に在て之を強ふる事なれば政治家の臆病も決して無理ではない、
       *     *     *     *
 鴨緑江の逆流と太陽の西より出る事は望んでも益のない事であるが、然し古河市兵衛氏の悔改と軍人の猛省とは社会民衆のために最も望ましき事である。
 
(221)     奮励
                         明治34年6月29日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
正義は終に勝つ、今は負けて居る、今は九州の偽善や中国の詭譎の方が正義よりも強い、然し是《こ》は永久《いつ》までも続くことではない、日本に於ても宇宙の他の部分に於けるが如く正義は最終の勝利者である。
 是は何にも日本人は特別に正義を愛する民であるからではない、否な日本人は元来正義を嫌ふ民である、彼等は利の為めとなれば何んでも為る、同胞の生血をも歃《すゝ》る、正義其物を利用しても利を計らんとする、日本人の嫌ふもので実は正義にまさるものはない。
 夫れ故に若し日本人の欲ふ通りに成行けば正義は到底此国には行はれない、不義を愛するの民が正義を実行しやう筈はない、然し幸にして此宇宙は今の日本人の宇宙ではない、宇宙は宇宙の主宰の宇宙であつて、彼は今の日本人とは違ひ正義を愛する者である、彼は正義を行はないでは止まない、彼は彼の造りし此宇宙(日本をも含む)が虚偽の蹂躙する所となるを許さない、彼は総ての法方を尽して、時には地震、海嘯、噴火山を用ひて、亦時には大革命を来しても彼の正義を実行せんとする、天に日月の懸る間は、地に山川の横はる間は正義の実行は確である。
 故に我等は失望するに及ばない、我等は正義を唱へて宇宙の主宰者の意志を伝へつゝあるのである、我等は人(222)の反対を意に留るに及ばない、正義は人に由て来るものではない、輿論とか称して人の賛成を求めやうとするからこそ我等は失望するのである。
 世人は同音一斉に我を拒むとも、彼等は彼方に立て、我独り此方《こなた》に立む、
 
(223)     佐々木豊寿姉を葬る
         (運動主義の犠牲)
                        明治34年7月5日
                        『無教会』5号「社説」
                        署名 内村鑑三
 
 茲に一人の婦人がありました、彼女は甚だ正直なる婦人でありました、彼女は東北の仙台に生れまして、虚偽|詭譎《いつわり》の何たる乎を知らない婦人でありました。
 此婦人は夙くより基督教を信じました、爾うして信じた以上は非常に真面目に之を信じました、彼女は半信半疑を以て満足するやうな婦人ではありませんでした、彼女は全身全力を罩《こめ》めて此教を信じました。
 然し不幸にも彼女は婦人でありました、彼女の学問は至て浅くありました、彼女の信仰は彼女の智識に勝ちました、故に彼女は惑はされました。
 或る基督教の教師は彼女に社会運動の必要を説きました、爾うして彼女は真面目に其教を受けました、彼女は直に意を決して社会改良家となりました、彼女はそれが為めに婦人の身を以てしながら種々の男らしき事業に従事致しました、彼女は人の嘲弄をも省みず禁酒演説を致しました、彼女は我が邦人の結団力に全く欠乏して居るのをも察せずに婦人矯風会なるものを興しました、彼女は純然たる女丈夫となりました、爾うして彼女は基督の為めに総て是等の事を為さんと致しました。
(224) 私は其頃彼女の名を聞いて怒りました、私は彼女の如き者は基督教の女徳を欠く者であると思ひました、私は私の非理想的婦人の一人として彼女の名を私の国人に紹介するに躊躇致しませんでした。
 彼女も亦私の名を聞いて怒りました、彼女は私を以て女権の伸張を妨害する者であると思ひました、彼女は私が彼女を嫌ひしやうに私を嫌ひました。
 年経て後に私は東京独立雑誌なるものを発行して私の所信を世間に向て発表しました、時に褒貶は交々起て私の身に鍾り来り、私は多くの友人を得しと同時に亦多くの敵を有つに至りました、爾うして私は勿論彼女の如きは私の激烈なる敵人の一人であると思ひました。
 然るに豈計らんや、曾て雑誌の発送帳簿を調べて見ました所が彼女は殆んど其初号よりの忠実なる読者の一人でありしことを発見致しました、私は之は虚ではあるまいかと思ひました。
 其後昨年の六月に独立雑誌を廃刊せねばならぬやうになりました、之を聞いて勿論私の敵対に立つ人は非常に喜びました、誹謗讒誣の声は四方に揚りました、私も其時は余り好い心地は致しませんでした。
 然し之と同時に亦多くの同情者も起りました、多くの同情推察の手紙は私の所に届きました、其或る者の如きは私の眼より万斛の涙を惹いたと曰ふても宜しい程のものでありました、私の敵と味方とは此時に判然分れました、爾うして其中に同情に最も富める手紙を送られし者は此婦人でありました、其手紙は実に左の如きものであります。
  先生并御全家の御幸福を奉祈候、小妹未拝眉の栄を得ざるも御高名を敬慕する十有余年、尤も小妹在京中徳富氏が度々先生に紹介せんと申呉れ候も其意を果申ざるは残念に堪ず候、去れど一昨年独立雑誌御発(225)刊相成しを聞き、同十一月より愛読致候而已ならず諸友人にも勧め居り申候処、計らざりき本月五日を以て終刊とは失望の余り同雑誌を手にするを欲せず、精神の落付くを待て拝読せんと存じ居候処、宿痾なる脳症四五日前より起り休養中一昨日はとゞろく胸を抑へつゝ通読致し候処、予定説の御高論によりて小妹が長年宗教上に於ての苦痛は此御名文によりて頓に取り去られ、大に悟る処有之申候、小妹は元来信仰上其他に於ても所謂教会々員諸氏と意見を異にし、牧師諸君の行為も感服せざる事とて此社界よりは罪人視せられ居る事に候得ば、殆んど二年間教会員に加はらず、独り我家に子女を合手に静に神を拝し、基督の御恵みを蒙り居るものに候も、余り多くの人々に誤解せらるゝの結果失望落胆自己をも疑ひ頗る苦痛に沈み居り候処一咋日後大に快復致候得ば不文をも耻ず一書を呈し感謝の意を奉表候匆々不一
    七月廿七日        病床に認む 佐々城豊寿
  尚聖書之研究発刊の日千秋の想あるを御推察被下度奉願候
 此手紙を受取て後二三ケ月程にして彼女は北海道の家を畳んで東京に参りました、私は始めて其時に彼女に面会致しました、爾うして其時にはまだ彼女に私の意に合はぬ所がありました、然し一面して彼女が正直真面目の人であること丈けは分りました。
 彼女は都合に由て私の家の近隣に家を持ちました、故に其後私は幾回《いくたび》となく彼女に面会致しました、彼女は日曜日毎に殆んど欠くことなく私の聖書講義会に出席致しました、爾うして私が哥林多前書を講読するを聞いて何にか非常に感じたやうに見受けました。
 彼女は曰《まう》しました、「私は今度始めて面白く聖書を聞くことが出来ます」と、又「聖書は今私に新らしい書とな(226)りました」と、私は彼女のやうな熱心なる研究者を私の講読会に於て持つた事はありません。
 然るに不幸は彼女の身に迫り来りました、彼女は幾許もなくして私の近隣の家を引き払はねばならぬやうになりました、爾うして去て後旬日にして彼女の夫は死ました、次いで彼女は彼女の子息を米国に送らねばならぬやうになりました。
 私は其時彼女を慰めんため彼女の家を訪ひました、爾うして斯く彼女に告げました。
 「アナタは今迄基督教を全く取り違へて居られました、アナタは神に事へやうと許り思ふて神に愛せられやうと思ひませんでした、アナタは神の事業を助けやうと欲ひました、アナタは勤労の外に神を喜ばすの途を知りませんでした、アナタは今日より之を改めなければなりません。」
 「人に向ては私共は活動的でなくてはなりません、然し神に向ては私共は全く受動的でなくてはなりません、私共は神様をして私共を動かさしめなければなりません、アナタの如き婦人が社会運動に率先さるゝ如きは神の聖意に合ふたことではありません。」
 私は斯う申しました、爾うして将来の彼女の生涯として静粛《しづか》なる田舎住居を彼女に勧めました、彼女は喜んで之を承諾しました、今よりは新しき生涯を送て彼女の神を喜ばせんと彼女は私に誓ひました。
 然し此新希望が彼女の生涯の終焉でありました、彼女は最終の希望を心に懐いて終に起たざるの病に就きました、彼女の五十年の生涯は苦闘奮戦の生涯でありました、而して今や平和の生涯の彼女の眼の前に供せられまして、彼女は終に永き眠に就きました。
 嗚呼憐むべきは彼女であります、彼女は彼女の教師より受けし教訓を余りに真に受けて、それがために悲痛誤(227)解の中に彼女の生涯を終へました、彼女の教師は彼等自身が為すを憚かる事を彼女に命じました、爾うして彼女が一生懸命に之に服従するや、返て多くの悪評を立てゝ彼女を苦しめました、彼女は彼女の教師に教へられた通りに活溌に働かふとしたのであります、爾うして彼女は余りに熱心に余りに正直に働きました故に人に擯斥されたのであります、私は実に深い同情を彼女に寄するものであります。
 然し彼女は今は主に於て眠りました、彼女の理想的の生涯を彼女は今は此|壊《くつ》る世に於てゞはなくして壊《くち》ざる神の国に於て始めることが出来ます。
 かの国にはもう彼女を惑はすの教師はありません、かの国には彼女を誤解し、彼女の失敗を聞いて快しとする世人も基督信者もありません、彼女は今よりは過労なるマルタの運動的生涯を歇めて平和なるマリヤの信仰的生涯を始めるでありましよう、私共は今彼女の遺骸《なきがら》に対《むかつ》て歎きます、然し彼女の霊魂のためには彼女が最早此猜疑誤解の里を去りました事を悦びます、彼女の如きは今世に在ては到底悲み痛《いたみ》なき生涯を送ることの出来るものではありません、彼女は此不正直の世には余りに正直でありました、故に恩恵《めぐみ》深き主は今日彼女を我等の中より取り給ふたのであります、私も彼女を失ふて歎きます、然し彼女の心には今は世の冷かなる疑察の風も何の感覚なきを知て私は彼女を羨みます、願くは栄光の主の長久《とこしなへ》に彼女の霊魂を護り給はんことを アーメン
                        (六月十五日誌す)
(228)     友人論
                        明治34年7月7日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
 世には友人の多いのを以て誇る人がある、然し余輩は爾う云ふ人を信じない。
 友人の多い人は主義の無い人である、「誰でも好い」主義の人である、広量のやうで実は情の極く薄い人である。
 人の友情にも限りがある、彼は無限の富を有たないやうに亦無限の友情をも有たない筈の者である、故に之を多くの人に頒け与へんと欲して其一人の受くる所の部分が甚だ軽少になるのは分り切つた事である。
 多分世に最も多くの友人を有つ者は娼婦と幇間《たいこもち》とであらう、然しながら誰も彼等の友情なるものを信ずる者はない、彼等は誰にでも愛せられんとして実は誰にも愛せられない、世の才子にして多くの友人を有つ者は実は彼等の如き者である。
 昔し希臘の或る哲学者が僅に五六人を容るに足るの小さな家を作て酷く隣人に嗤はれた事がある、其時彼は答へて曰ふた、「余に若し此家に容るゝの友人あれば足れり」と、彼は善く友情の何たるを知つた者であつたと思ふ。博士ジヨンソンは善く憎まない者をば彼の友人の中に算へなかつたそうだ、善く憎まない者は善く愛さない者である、誰をも愛する者は誰をも愛さない者である 憎愛の別の判然せざる者は友人としては至て価値の少ない者である。
 
(229)     我が理想の日本
                         明治34年7月12日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
 我が理想の日本はいまに来る、必ず来る、百年の後か、二百年の後か、三百年の後か、千年の後か、それは吾等の知る処ではない、然れども其来るのは必然である、昼が夜に次いで来るやうに、春が冬に次いで来るやうに、我が理想の日本は此腐敗せる、堕落せる、不公平なる、無慈悲なる日本に次いで必ず来る。
 其時には芸妓《げいしや》は総理大臣夫人となつて国民の亀鑑となる事は出来ない、其時には一人の工業家が数人の妾を蓄へ、世に富豪を以て称せられ、王侯貴族の優遇する処となりつゝある間に、彼に富を供給する鉱山より流れ出る毒水の為めに頑是なき赤児までが乳汁の不足の故を以て饑餓に泣くやうな悲惨な事は無くなるに相違ない、其時には山師に位階を賜はるの政府も無くなる、其時には徳のある者のみが為政家たるに至て酒に溺れる者淫に耽ける者が社会の上位に立つやうなことは全く出来なくなる。
 理想の日本、我はその来らんために働かんかな、今は何うでも宜い、今は逆臣と云はれても国賊と云はれても宜しい、民を害ふ者が従五位、正五位を賜はるの世に在て吾等は忠臣たり、愛国たりとて世に誉められたくはない、吾等は斯う云ふ世では乱臣賊子と称はれたい、吾等はたゞ理想的日本の来る時に少しく其民の記憶に留つて居れば宜しい。
 
(230)     〔犠牲 他〕
                      明治34年7月20日
                      『聖書之研究』11号「時感」                          署名なし
 
    犠牲
 
 我が名は消ゆるも可なり、願くは我が神の聖名の崇められん事を、我が教会は失するも可なり、願くは我が同胞の救はれんことを、我と我に属する凡てのものは消尽されるも我が神の栄光の日々に益々揚らんことを。
 
    所有
 
 我が事業と言ふ勿れ、我が品性と言ふ勿れ、是をも悉く神に献げしめよ、我に我の属たるもの一つもなからしめよ、然らば神は我が属たるに至て我は神に憑て彼と共に万物を有つに至らん。
 
    偉業
 
 我れ事を作すにあらず、之を作さしめらるゝなり、我は神の奴隷なり、機械なり、我は我の欲する事を為し得ずして、欲せざる事を為さしめらる、神は我をして我以上の思想を語らしめ、我れ以上の事を為さしめ給ふ、神(231)に頼る我は小なりと雖も甚だ大なる者なり。
 
    事業
 
 意を事業に注いで事業は成らず、眼を神に注いで事業は自から成る、神は事業の神なれば吾等は神を信じて無為の生涯を送らんと欲するも得ず。
 
    忍耐
 
 神は永遠に在す者なり、彼は天地と其中にある万物を造り、之を支へて今日に至り給ふも未だ曾て疲労倦怠を感じ給ひしことなし、彼は彼の宏遠なる理想を実行し給ひて未だ曾て弛み給ひしことなし、忍耐は神の特性の一なり、吾等彼を信じて走れども疲れず歩めども倦まざるに至らん。
 
    決心
 
 世の需要に応じて此業を執りしにあらず、神の命を奉じて之に就きしなり、世の賛成を得て之を持続するにあらず、神の愛に励まされて之に耐ゆるなり、幸にして我に世の知らざる食物あり、神命の更に我に降るにあらざれば我は我が今日の業を廃てじ。
 
(232)    聖望
 
 我は神に憑て、我と同時に消えざるの事業を就さん、我は今日の人に聴れざるも後世の人に聴かるゝの言を述べん、我は我が事業を永遠の上に築いて、短き我の此一生をして万世を益するものとならしめん、基督信者たる栄誉の一は荏弱取るに足らざる此身を以てして尚ほ大望を懐いて其一部分を遂行し得るにあり。
 
    招待
 
 来れ我が友、来て我と共に済世の業に従事せよ、我等の愛する此邦土は神の真理の欠乏の故を以て死滅に瀕しつゝあるにあらずや、腐敗と堕落とは到る所に喊ばるゝに正義は微々として振はざるにあらずや、見よ、世を救ふの能力は既に世に臨めり、済世の利器は既に人類の手に委ねられたり。
 友よ来れ、何故に躊躇するぞ、来て生命の水を飲めよ、飲んで之を同胞に頒てよ、如何なれば君等は悲哀に沈むぞ、君等は失望するの要なきなり、君等は聖書は如何なる福音を伝ふる乎を探り見しや、之に眼未だ曾て見ず、耳未だ曾て聞かざるの天よりの歓喜の音信あり、之を聞いて吾等の涙は総て拭はるゝなり、之を信じて吾等の悲痛は総て消え失するなり、世にキリストの福音を以て癒し得ざるの苦悩あるなし、君等は直に吾等の此言を信じ得ざるべし、然れども来り見よ、来て主が如何に大なる事を我等の上に行し給ひし乎を見よ、吾等も曾ては失望の人なりし、然れども今は希望の人となれり、吾等も曾ては悲哀の人なりし、然れども今は歓喜の人となれり、我等も曾ては非常に死を懼れたり、然れども我等に取ては死は今は刺《とげ》なきに至れり、我等は今は完全の人と成れ(233)りとは言はず、然れども我れキリストに在て罪てふものは其勢力を挫かれて善は甚だ為し易きものとなれり、我等は知る罪を絶つの力はキリストを除いて他にあらざるを、君等は来て奚ぞ速に此|能力《ちから》を君等の心に試みざる。
 言ふ勿れ、君等は罪に破れたる者なるが故に聖なる神の子たる能はずと、神はキリストに於て汚濁を洗ひ潔むるの途を具へ給へり、来て福音の洗浄力を試みよ、「爾曹の罪は緋の如くなるも雪の如く白くなり、紅《くれない》の如く赤くとも羊の毛の如くにならん」と神は宜給へり、是れ詩人の夢想にあらざるなり、是れ実験されし事実なり、而して吾等も其実験者の一人なり、君等は吾等に就て其事を見るを得べし、吾等神の恩恵の証人たらん。
 人を怨むを止めよ、社会を責るを廃めよ、来て主の恩恵を受けて君等の心に慰藉を受けよ、子を責むるも老は慰められず、師を恨むも不平は癒されず、世を憤るも不幸は取り去られざるなり、只来て神を信ぜよ、信じて其恩恵を受けよ、然らば君等が人より受くること能はざりしものを神より受くるに至らん。
       *     *     *     *
 来れ我が友、来て我と共に済世の業に従事せよ。
 
    行路易
 
 神を信ずるまでは行路難を歎ずる勿れ、神を信じて人生の行路は至て易きものとなるなり、我を我が神に委ねて我の為すべき事は我に由て成り、我を去るべきの友は逐はずして去り、我に来るべきの友は尋ねずして来り、我の失ふべきものは失せ、我の得べきものは索めずして我に来るに至らん、基督信徒の生涯は一種の自動的機械なり、彼は、唯神を信ずれば足る、然らば神は彼の為めに凡ての事を為し給はむ 頌むべきかな。改行
 
(234)     孤独
                     明治34年7月20日
                     『聖書之研究』11号「時感」
                     署名 A、B、生
 
〇我は独りである、我の行くべきの教会はない、我を教え導くべき教師も牧師もない、我と哀楽を共にするの会友もない、我は至て淋しき者である。
〇然し我は独りではない、神は我と共に在る、(約翰伝八章二十九節)、彼は時々彼の聖霊を以て我を見舞ひ、彼の偉大なる奥義を我に示し、我れ独り在るも万有をして我の侶伴たらしむ、神は松籟を以て我と語り、飛蝶を以て我と談ず、我は独り彼の黙示に接して万有の我と武歩を共にするを感じ、之を心に念ひて感涙数行我が両頬を湿すことがある。
〇我は亦孤独ではない、我には天下数万の孤独の朋友がある、孤独なるは我れ独りではない、基督も孤独で在した、又多くの基督の弟子は孤独である、人類は素々孤独の動物である、彼は社交的動物なりと云ふたのは彼の霊性を指して云ふたのではない、世界十二億の人口を我が朋友とした所が我が霊性の要求を充たす事は出来ない、我が霊を満たす者は神のみである、世に頼みなきものとて友人の如きはない、彼等は如何に富むとも、如何に賢くとも我儕の死を妨げる事は出来ない、我儕は各独り此世に来て独り此世を逝る者である、孤独は我儕の本性であつて、交友とは我儕が存命中暫時の間の事である。
(235)〇我は孤独である、然し孤独ではない、我にも我の友がある、然り我は孤独であればこそ、斯くも多くの友を有つのである、孤独とは何んである乎、孤独とは心を友とする事である、爾うして心を友とする者は天下宇内総て心を友とする者を友とする者である、世の交際場裡に友を求むる者は会場に容るゝに足る丈けの人を友とするに過ぎない、然し心に友を探る者は之を広き宇宙に探る者である、総て我と共に悲む者、我と理想を共にする、我が神を拝する者、我の救主に救はれし者、是れ皆な我の友である、未来の交友は心霊的でなくてはならない、「今より後我儕肉体に依て人を識るまじ」と保羅は云ふた、人と面のあたり談じたり語たり為なければ友でないやうに思ふのは未だ基督に於ける友の何たる乎を知らないからである。
〇此世では孤独でも宜い、孤独の方が宜い、真正の友人と偽はりの友人とを判別し難い此世に於ては多く友を索めるのは多くの危険を冒す事である、我儕は何人に対ても深切を尽すべきである、我儕は敵人までも愛すべきである、或る意味から云へば我儕に取りては四海皆な友人であつて、我儕が悪意を表すべき人とては広き世界に一人もない筈である、然し友として我儕の心情を打明かし、苦楽を頒ち、事業を共にすべき者は此虚偽の世の中に於ては容易に見当るべき者ではない、此世に我儕の友人は多く在るに相違ない、然し麦が稗子《からすむぎ》と混じて居るやうに真の友人は偽はりの友人と混じて居る、爾うして若し急いで真の友人を得んとすれば過つて偽はりの友人を取り納れる事が度々ある、「収穫《かりいれ》まで麦、稗子、二つながら長《そだ》て置け、我れ収穫の時先づ稗子を抜き集めて焚かんために之を束ね、麦をば我が倉に収めん」と基督は曰ひ給ふた(馬太伝十三章三十節)、麦なる真正の友人と稗子なる偽はりの友人との判然別るゝ時は来る、「火は之を試めさん」と保羅は曰ふた、其時まで我等は待つて居れば宜い。
(236)〇友人、友人、世の謂ふ友人とは何んである乎、遊戯を闘はすの友人、時世を共に談ずるの友人、事業を共にするの友人、……然れども是れ我等の特別に要求する友人ではない、我等は真理を交換するの友人が慾しい、我等は之に接触して我が全性に新光明を伝受するの友人が慾しい、我等は救はれんための真理を探求せんために常に神と角闘しつゝある友人が欲しい、我等は運動の友は欲しくない、運動の友は戦場の友と同じであつた、只僅に我等に外面の勇気を附ける丈けである、一人としては何事をも為し得ざる悪徒も五人十人或は百人と相合すれば如何なる悪事をも為して憚からない、運動に組して我等に勇気を加ふる者は悪徒と組すれば同盟罷工を起して資本家に無礼を加へて快を貪る者であるかも知れない、我等の欲する友は「独りで強き者」である、即ち神に籟むが故に運動に加はらずして独りで活動するものである、即ち完成せる個人である、即ち友を求めざる人である、是れ我等の索むべき頼むべき友人である。
〇然るが故に我は孤独を以て満足する、我は友に囲まれて居る者であるから独りであるも少しも淋しくない、基督は天に在り、聖霊は我が心に宿り、数万の我が真友は我と共に信仰の戦ひを戦ひつゝあると思へば我に取ては此世は実に賑かなる処である、昇るべき麓の途は多けれど同じ高嶺の月を見て、我等主の再来を望む者は神の聖国に詭譎なき聖き交際を楽まんとて独り孤独を忍びつゝ此世の淋しき旅途を辿り行く者である。
 
(237)     復活の希望
        哥林多前書第十五章
                 明治34年7月20日−10月20日
                 『聖書之研究』11・13・14号「註解」
                 署名 内村鑑三
 
  一、兄弟よ前に我爾曹に伝へし福音を今また爾曹に告ぐ、こは爾曹が受けし所、之に因て立ちし所なり
 福音の宣伝は幾回となく重復せらるゝを要す、罪悪の事、救拯の事、復活の事は、一度び之を信ずるも二度び之を棄て易し、吾等は時には自身義人なりと思ひ、救拯の必要を感ぜずなり、其結果として終に復活の希望をも失ふに至る、吾等は福音其儘を受け、之に因て安心立命を得し者なり、然るに吾等は世の才子の言に惑はされ、基督の明白なる教訓に多くの気儘なる解釈を附し、為めに心の平和を失ひしこと幾回ぞや、吾等をして幾回となく前に吾等に伝へられし単純なる福音に就て思念する所あらしめよ。
  二、爾曹もし我が伝へし言を固く守り徒らに信ずることなくば之に因て救はれん、
 「我が伝へし言」、福音を指して云ふ、肉躰の復活、未来の裁判等は其中の重なる条目なりし、〇「徒らに信ずる云々」、之を冗談半分に信ずることなくば、即ち今日も多くの信者の為す如く基督教を信ずるに僅かに社交的又は修養的の理由を以てするが如き事なくばとの意なり、信者は多し、真面目に信ずる者は尠し、保羅の時代に於ても然り今日も亦然り、噫々、〇「之に因て救はれん」、基督教を真面目に信じて救はれざることあるなし、之(238)を全身全力を以て信ぜずして救はるゝことあるなし、僅かに其倫理のみを信じて、或は僅に之を社会改良の用具に供するに止つて、自身救はれざるは勿論、其人は社会をも改良する能はず、真面目に基督教を信ぜよ。
  三、我が爾曹に伝へしは我が受けし所の事にて其第一は即ち聖書に応ひてキリスト我儕の罪のために死「我が……伝へしは我が受けし所の事」 我が福音は我が神より直に受けし所の事なり、(加拉太書第一章十一、十二節)、其我が脳裡より我の織出《おりいだ》せし者にあらざるは勿論なり、我は我の思想を説かず、我は天の啓示の伝達者たるに過ずと、世に「保羅の基督教」に就て論ずる者ありと雖も保羅彼自身は彼が受けし所の福音の外に特別の教義を有たずと曰へり、〇「其第一は云々、」 保羅の伝へし福音の第一はキリスト我儕の罪のために聖書に応ひて死に給ひしと云ふ事なりき、キリストは単に彼の奉持せし主義の為に死せしに非ず、キリストの死は吾人の生涯に直接の関係なき者にあらず、キリストの死に何にか人類的世界的の意味存せしなり、之れ聖書(旧約)が彼に就て預言せし事に応へり、之を創世記の二十二章に読み見よ、之を以賽亜の預言書五十三章に学び見よ、神は人類より罪の犠牲を要求し給ふと同時に、亦此犠牲たる者は聖き辜なき神の僕たる事を知るを得ん、旧約聖書は特別に名を指してイエスキリストの死を預言せず、然れども神の何たると罪の何たるとを示して贖罪の救世上必要なるを説けり、旧約全躰はキリストの預言なり、之を一節づゝに解剖して或は明白ならざる所もあらん、然れども総ての光線を集め見よ、微弱なる個々別々の預言も相集つては一大光明となりて顕はれん。
  四、また聖書に応ひ葬られ第三日に甦り。
 詩篇十六篇十節(そは汝わがたましひを陰府《よみ》に棄て給はず、汝の聖者を墓のなかに朽しめ給はざる可ればなり)、以賽亜書五十三章九、十節、何西亜書第六章二節(ヱホバは二日の後我儕を活き復へし、三日に我儕を起《たゝ》せ給はん、(239)われその前に生きん)等を参考すべし、原語には葬られ第三日に甦りて今日に至れりの意あり、即ちキリストの復活して今は天上に父なる神の右に座し給ふをいふ、復活の理論は別問題とし、其初代基督教徒の重なる信条の一なりしは疑ふべくもあらず(『使徒信経』参考)
  五、ケパに現はれ後十二の弟子に現はれ給へること也。
 ケパはペテロなり、共に「岩」を意味す、前者はアラム語にして後者はギリシヤ語なり、アラム語はキリスト時代に於て普通パレスチナ地方に用ひられしものなり、〇「十二の弟子」 勿論十二使徒を意ふ。
  六、如此現はれ給へるのち五百の兄弟の共に在る時亦これに現はれ給へり、其兄弟のうち多くは今尚ほ世にあり、然れども既に寝りたる者もあり。
 キリストの復活は理論にあらず、亦単に宗教上の信仰箇条にあらず、復活は歴史上の事実なり、一人二人のみならず、五百人の同時に目撃せし事実なり、之を科学的に信ずるは難しと言ふ者あらん、然れど保羅は事実有の儘を伝へしに過ぎず、而して彼は彼の時代に於て彼の宣伝せし此大事実に就て多くの生ける証人を有せり、彼は小説家の妄想に成りし奇談《あやしきはなし》を伝へしにあらず、彼は五百人以上の証拠人を有する歴史的事実を伝へしなり、能く此一事に注意せよ、其証拠人なる者が斯かる大事実に就て証明するに足るの科学的資格を備えしや否や、是れ故博士ハツクスレー氏等の提出せし疑問なりとす、然れども是れ別問題に属すれば茲に曰はず。
  七、此後ヤコブに現はれ又凡ての使徒に現はれ
 キリストの兄弟(従兄弟?)ヤコブに現はれ又凡ての使徒に現はれ給へりと、此所に謂ふ使徒なる者は前節に謂ふ所の十二の弟子に限らざるが如し、十二弟子以外に使徒と称はれし者ありしは羅馬書十六章七節に照して明か(240)なり。
  八、最後に月たらぬ者の如き我にも現はれ給へり
 保羅の謙遜なる態度に注意せよ、彼は他の使徒より独立して働けり、然れども彼は一言の曾て彼等を誹毀して己れの潔白を装ひしことなし、彼は月足らずして生れし不具児として己れを紹介せり、然れども彼も亦自身の眼を以て復活せるキリストを見たりと云へり、彼は他人の証明に依てのみ復活を信ぜしにあらず、使徒(apostolos)とは単に宣教者の意にあらず、之に証明者の義ありて存す、即ちキリストの復活を目撃して之を証明する者を斯く称せしなり(使徒行伝一章二二節参考)、而して此意味に於て保羅は立派なる使徒たりしなり、彼は不具児なりと自白せり、然れども自から卑うして使徒たるの彼の職権を否まざりし。
  九、蓋は我れ神の教会を迫害せし故に使徒と称ふるに足らざる者にして使徒の中に至微者《いとちひさきもの》なれば也。
 使徒なり、然れども其至微者なり、神の教会を迫害せし使徒なり、一度は神のため国のためにキリストの聖名を穢せし者なり、われが使徒たるを得しは神の特別の恩恵に由るなり、然り、我は使徒なり、多くの懺悔すべき経歴を有する使徒なり、我に於て人の卑きと神の貴きとを見よ、我れ復活の事を述ぶるに方て茲に再び我が過去の罪業を告白せざるを得ずと。
  十、然れど我がかくの如くなるを得しは神の恩恵に由てなり、我に賜ひし神の恩恵は徒然《むなし》からず、我は衆ての使徒よりも多く労《つと》めたり、此は我に非ず、我と偕にある神の恩恵なり。
 保羅は自身に就て一つの誇る所あるなし、然れども彼は彼の作せし事業に就て誇るなり、蓋は斯くするは神の恩恵を示す事なればなり、いと微き者はいと大なる事を作せり、之れ何に由る乎、神彼に由て働き給ひたればな(241)り、神は卑しき器を用いて貴き事を為し給ふ、彼の名は頌むべきかな。
  十一、是故に我も彼等も此の如く宣べ伝へ爾曹も亦かくの如く信ぜり。
 「是故に」、斯くも疑ふべからざる事実なるが故に、〇「我も彼等も」、復活は保羅一人の宣べ伝へし教義にあらず、是れ使徒全躰が殊に重きを置て宣べ伝へし福音の根本的教義の一なり、他の点に就ては使徒中多少の異論ありしならん、然れども復活の大事実に就ては彼等は異口同音に之を唱道し、一人の之に就て疑を挟む者とてはなかりき、初代の信者間に於ては斯くも重きを置かれし此教義は今の信者間に於ては如何に待遇さるゝや、曰く是れ今日の科学に適はざる事実なりと、曰く復活を否定するも基督教の倫理をさへ信ずれば足ると、吾等は人が復活を信ぜざるを妨げず、然れども之を信ぜずして自からキリスト信者なりと称して世に立つを者あるを怪む、〇「此の如く宣べ伝へ云々」、即ち使徒等はキリストの死て葬られ第三日に甦へりし事を伝へたり、而して信徒も亦斯く信じたり、此事に就ては世界の全教会は一致せり、其時復活を否みながら自からキリスト信者なりと称する者はあらざりし、キリスト信者とは実にキリストの復活を信ずる者の謂ひなりき。
  十二、キリストは死より甦りしと宣べ伝ふるに爾曹のうち死より甦ることなしといふ者あるは何ぞや
 復活の事実を述べ終て後に其理論に入る、然れども之を為すに先ちて復活の信仰が使徒等の宣伝せし福音の根拠たりしを説く、曰ふ我等キリストの復活を語れば爾曹のうち或者は死者の復活てふ者は無しと云ふ、然れども斯く云ひて爾曹は我がキリスト教の根本を毀たんとするなりと。
  十三、もし死より甦ることなくばキリストも亦甦らざりしならん。
 是れ大問題なり、甦生はあるや、なきや、若しなからんにはキリストの甦生もなかりしならん、是れ論理学に(242)謂ゆる一般より一部に及ぼす論鋒なり、保羅は如何にして之に当らんとする乎、三十七節以下を見よ、然れども彼は先づ此問題の彼の信ずる基督教に於て如何に重要なるもの乎を語らんとす、以下三十四節までは以上三節より十一節までの重複敷衍と見るも可なり、如此きは屡々保羅の論法に於て見る所なり。
  十四、キリストもし甦らざりしならば我儕の宣るところ徒然《むなし》また爾曹の信仰も徒然しからん。
 復活はキリスト教の死活問題なり、若しサドカイ人の唱へしが如く生命は死を以て終る者ならん乎、勿論キリストの復活は荒唐虚誕たりしに相違なし、若し亦希臘哲学の唱へしが如く、霊魂は肉体を離れて来世に於いて存在することあるも肉体は死を以て全く消え失する者ならん乎、然らばキリストの復活は使徒の捏造せし奇談にあらざれば使徒の脳裡に浮びし夢幻なりしならん、生命の全滅を信ずるは易し、霊魂の不滅を信じて肉体の腐壊を信ずるも難からず、然れども霊魂の不滅に加ふるに肉体の復活を信ずるに至ては是れ難中の難と云はざるを得ず、然れども是れ保羅の唱へし基督教の根拠なりし、彼は単に霊魂の不滅を信ずるに止まらざりしなり、彼れは誤解し難き言葉を以て肉体の復活を伝へたり、吾人は之を信ずる乎、之を信じ得る乎、言ふを休めよ、基督教道徳を信ずれば基督の復活(肉体の)を信ぜざるも可なりと、保羅は云ふ、若し復活(肉体の)を信ぜざらんには彼の信仰は徒然なり(無きものとなるとの意)と、即ち基督教なる者は其土台より破壊さると、保羅の強き言葉に注意せよ。  十五、且つ我儕神の為に妄《いつはり》の証をなす者とならん、我儕神はキリストを甦らしゝと証すればなり、若し死者の復活なくば福音は無きものとなるのみならず、使徒たちは妄証の罪を免る能はざるべし、そは彼等は幾回となく公然キリストの復活を伝へたればなり(使徒行伝一章二二節、二章二四節、三章十五節等参考)、保羅何人たるも嘘言者にはあらざるべし、吾人は彼の誠実を疑はんとする乎、彼は彼の本心を賭して茲に復活の事(243)実を証明せり、世の復活を信ぜざる「基督信者」は如何なる眼を以て保羅を観んとする乎、〇博士ハツクスレー氏は曰く「使徒の真実は疑ふべからず、然れども彼等の科学的資格に至ては大に間然する所ありたりと云はざるべからず」と、憫むべき哉使徒と五百の信徒とよ、彼等は同様に欺かれし乎、彼等の視感と触感とは信ずるに足らざる者なりし乎、彼等は夢みし乎、或は空幻を見て実物と做せし乎、基督教は夢幻の上に建つ者なる乎、哲学者よ、汝等の註釈を乞はん。
  十五、十六、もし死し者よみがへる事なくば神キリストを甦らしむる事なかるべし、もし死し者甦る事なくばキリストも甦ること無りしならん。
 重複に加ふるに重複、殆んどクドき程の重複なり、然れども重複は事実の重要を示す、保羅が幾回となく之を重複するを見て復活の事実が彼の信仰上如何に重要なる地位を占め居りし乎を知るべし、若し更生にして無きものと証明されん乎、是れ彼に取ては最大事件なり、彼は基督の品性の卓絶なるに感じて彼を信ぜしにあらず、彼は眼に甦へれる基督を見たればこそ彼の総てのものを捧げて其福音の宣伝者となりしなれ、やリストにして甦り給はざりしならん乎、噫々禍なる哉保羅よ、彼は虚偽のために彼の貴重なる一生を尽したり。
  十七、若しキリスト興らざりしならば爾曹の信仰はむなし、爾曹は尚ほ罪に居らん。
 信徒の信仰のむなしきは前に述べたるが如し、然れど事は茲に止まらざるなり、彼等は尚ほ罪に居るなり、彼等が救はれしと思ひしは誤謬《あやまり》なりしなり。
 人或は云はん、復活と救拯《すくひ》と何の関係あらんやと、吾人は答へて曰はん、大にありと、贖罪と云ひ救拯と云ひ罪の芟除に外ならず、而して死を無きものとなすにあらざれば救拯はなきと同然なり、聖書に憑れば肉体の死は(244)罪の結果なり、而して神は基督に於て人の罪を赦し給はんと誓ひ給へり、然れども其罪を赦して罪の結果たる死を芟除せざれば是れ単に赦免を宣告して其実を行はざるに均し、神は如何でか人を欺く者たるを得んや、故に吾人は曰ふ、復活を否むは神の公義を否むに等しと、神にして在さん乎、彼は人類の恐怖の極なる死を芟除せずして止み給はざるべし、斯く観じ来て吾人は復活の有無は倫理上の大問題なるを知るなり。
  十八、又キリストに在りて寝たる者も沈淪しならん。
 かのステパノの如くキリストを信じて石にて撃たれて死し者は矢張り人類全躰と共に塵埃と化し終る者なる乎、若し然らんには是れ忍ぶべからざる事ならずや、人或は云はん、彼の事業と精神とは生くと、然り、然れども如何なる事業、如何なる精神ぞや、復活の希望を懐いて死し者の事業は復活を証明するものならざるべからず、然るに若し復活にして無きものならんには、彼の事業は無益なりしなり、是れ希望に応はざる事業なり、吾人は如此きを称して虚業と云ふを得ん、而して其精神とよ、保羅の福音を信ぜずして其精神を汲むを得ん乎、保羅の如くならんと欲せば保羅の如く信ぜざるべからず、復活を基礎に其信仰を築きし保羅の精神は復活を信ぜずして吾人の有となすを得るや、汝等|判決《さば》き見よ。
  十九、若しキリストに由る我儕の望たゞ此世のみならば我儕は衆ての人の中にて尤も憐むべき者なり。
 若し此世のみが我儕の活動区域ならば、若し死者の甦ることなくして我儕も世の偽善者、権謀家と共に消え失する者ならば、何者か世にキリスト信者(真正の)の如く憐むべき者あらん乎、国を逐はれ、父母兄弟朋友に憎まれ、不孝の子として、不忠の臣とし七、乱臣として、賊子として、到る処に忌み嫌はれ、終に貧苦誤解の中に一生を終る、而して尚ほ我儕に来世なし、復活なしとならば噫憐れむべき者は実に我儕基督を信ずる者ならずや、(245)世には純粋倫理を唱ふると称して来世の希望を以て愚者の夢想なりとなす者あり、吾等は彼等の高潔に服せん、然れども高潔なりと称する彼等の生涯を見よ、若し純潔なりとすれば消極的の純潔なり、彼等は悪を避けんとするのみ、善を為さんとせず、彼等は不平の人なり、歓喜の人にあらず、彼等は世を卑む、之を愛せざるなり、而して消極的の彼等は永く彼等の無味の生涯に耐ゆる能はずして、彼等の中或者は世に降参して或は其俗吏となり或は又其番頭となり了るにあらずや、来世の希望は神が人類に賜ひし最大最美の賜物なり、天の下せし者を受けざれば返て其咎を受く、来世を望まずして吾人は心霊的に死するなり、基督信者の復活の希望は人類の懐くべき最も高尚なる希望なり。 〔以上、7・20〕
  二十、然れど今キリスト死より甦へりて寝りたる者の復生の首となれり。 訳文少しく非なりと信ず、余は原文を直訳すること左の如し。
  今キリストは甦らされて寝りたる者の初穂となれり
 「然れど」、前節を承けて言ふ、我儕に復活の希望あれば我儕は世に尤も憐むべき者に非ずとなり〇「今」 「既に」の意を含む、キリストの復活は今や既に歴史上の事実なり我儕は失望すべからずとなり〇「甦らされ」 受動働詞なり、「甦へり」にあらず、復活はキリストの場合に於ても父なる神の作為なり、(加拉太書一章一節「キリストと彼を死より甦へらしゝ父なる神」を参考せよ)、父は生命の源なり、彼先づキリストを死より甦らし、後、彼に託りて吾等を甦らし給ふ 〇「寝りたる者」 死して墓に降りたる者なり、死を睡眠と見做すはキリスト教独特の教義なり 〇「初穂」、利未記二十三章十節を参考せよ、初穂は収穫最始の礼物《そなへもの》なり、之を神に献げて当年の豊穣を謝す、現世は神の田圃なり、而して人類は之に植え附けられし禾穀なり、其実りて美き実を結ぶや神は之を(246)天国の倉庫に収め給ふ、キリストは此収穫の初穂なり、彼に次いで多くの彼の弟子は同じ倉庫に収めらるべし、既に初穂の倉に収められしあり、高廩の充実は疑ふべきにあらずとなり。
 キリストの復活は今や既に歴史上の事実なり、而して我儕キリストの心を以て心となす者も亦復活の希望なくんばあらず、若しキリストにして復生者の初穂となりて神の高廩に収められざらん乎、我儕或は疑懼する所もあらん、然れども既に使徒達に依て、又五百の弟子達に依て目撃されし復活の大事実の我儕に供せられしあり、我儕復活の希望は空しからざるなり。
  廿一、それ人に因て死ること出で人に因て甦ること出たり。
 死は人なるアダムに因て此世に来り、復活も亦人なる第二のアダム即ち神の子イエスキリストに因て此世に臨めり、人は人に因て淪び人に因て救はる、神は人に帰するに人以外の受造物の罪を以てし給はざる如く、亦人を救ふに人の性を具へざる者を以てし給はず、人の罪は人に因てのみ贖はる、神なるキリストは亦人なるキリストイエスなりし(提摩太前書二ノ五)、我儕の救主は血なき涙なき我儕の荏弱《よわき》を体恤《おもいや》ること能はざるが如き者にあらず、彼は凡の事に於て我儕の如く誘はれし者、我儕の如くに死の苦痛を感じ、死して而して後に父なる神に因て甦へされし者なり、(希伯来書五章十五節参考)復活の恩恵はナザレのイエスに因て世に臨めり、我儕は彼の弟子なるのみならず、亦彼の兄弟なれば彼に因て彼の受けし同一の恩恵に干かるを得るなり。
  廿二、アダムに属ける衆の人の死る如くキリストに属る衆の人は生くべし。
 アダムの性を享け、アダムの心を以て心となす者は死す、是れ当然の事なり、アダムは神の心を以て心とするを廃めて己れの心を似て心とするに至りて神より死の宣告を受けたり(創世記二章) アダムに属ける人とはアダ(247)ム主義の人なり、即ち私慾を以て生涯の大方針となす者なり、如斯き者は既に心霊の生命を失ひし者にして随て彼の肉体は再び自然の法則の支配する所となりて土より出し者なるが故に再び土に帰るべき者なり、キリストに属ける者は全く之と異なる、彼は始終一徹神の心を以て心となし給へり、彼に一点の私慾なるものはあらざりき、彼は総て穏順にして総て謙遜なりき、故に神は彼を崇めて諸の名に超《まさ》る名を之に予へ給へり、彼の如くにして霊は肉に勝ち、肉は一度びは敗壊《くちはつ》ると雖も墓は永久に之を保つ能はず、そは彼がキリストに託て得し無私無慾の霊は新生命の原動力となりて死せる肉躰より活ける霊躰(霊に適する躰を組成するに至るべければなり、肉躰の復活は道徳の勝利なり、復活によりて正義は始めて最終の勝利者たるを得るなり。
  廿三、然れど各人其|次序《ついで》に循ふ、初はキリスト次はキリストの来らんとき彼に属する者也
 「初めはキリスト」 「キリストは初穂」と読むべし。
 更生に順序あり、吾等キリストに属ける者は死して後直に復活するにあらず、吾等は暫くは地下に眠るなり、岩に枕し、青苔に纏はれ、野の小花に飾られてキリスト再来の日を待つなり、或は百年ならん乎、或は千年ならん乎、然れども主に在て寝て千年は一日の如くならん。
 人或は曰はん死者にして若し甦る者ならば彼は何故に死て後直に甦らざる、既にモーセの例のあるあり(申命記三十四章六節)、吾等復活せんに何ぞ末日を待つの要あらんやと、余は之に答て曰はんと欲す、余は能く之を知らず、然れども聖書は幾回となく明白に末日復活の事を記す(馬太伝二十四章三十節、帖撒羅尼迦前書四章十五、十六、十七節、黙示録二十章等参考) 聖書は其理由を示さず、唯事実を記すのみと、然れども若し余の臆測を逞うするを得ば余は更に日はんと欲す、是れ境遇が現象に伴はんが為ならんと。果実は秋と偕に熟すれども其(248)萌芽は初冬温暖の日に於てせずして厳冬去て後の春暖陽和の日に於てす、是れ勿論春陽の境遇が植生発芽の現象に応ぜんがためなり、晩秋の開花に一種の興味なきに非ず、然れども其無効の開花なるは其果を結ばざるを見て知るを得べし、吾等の復活も亦然らざらんや、吾等死して直に再び生れ来るも何の益かある、吾等は既に一度びは此悲惨の世を闘ひ通せし者、何を好んで再び此修羅の街に生れ来らんや、吾等は生命其物のために復活を望む者に非ず、吾等は正義の王国に於て再び生涯せんことを望む者なり、故に吾等の復活のキリスト再来の時にあるを聴て吾等は歓喜の上に更に歓喜を感ずるなり、是れ霊躰に適する境遇に生れ来るなり、其発達活動は此時を期して始めて待つべきなり、吾等が暫時地下に眠るは厳冬の狂暴を避けてなり、春の弥生の曙に景雲四方に靉靆《たなび》く頃、吾等眼を開て見れば、見よ、万物は悉く新しく、旧事は去て其痕跡だも留めず、暴虐は去り、詐欺は失せて、キリストの王国は既に此世に臨み居らん。
  廿四、後かれ詔の政及び諸の権威と能《ちから》を滅して国を父の神に付さん是れ終なり。
 「後」 キリストは栄光の雲に纏はれて再び此世に臨み、吾等彼を愛する者は墳墓の眠より醒めて後に 〇「かれ」、キリスト〇「諸の政及び諸の権威と能」、総ての政府と総ての制度と、此世に於ける総ての権能とは総て皆な一時的の者なり、是等は皆な神に代て一時世を治むる者、天地と共に永久に存在すべきものにあらず、董花一朝の夢は平家一代の栄華に限らず、バビロン然り、羅馬然り、ナポレオン大帝の仏国然り、世に永遠を期して其希望を達せし王統と政治とあるなし、永遠なるは耻辱の十字架に釘けられて、死して後甦りしキリストの王国あるのみ、而して謙遜なる彼の天より再び来らんとき世の諸ての政と権威と能との失せんことは人類進歩の通則より見るも最も当然なることにして、吾人は斯くあらんことを望むが如く、神は亦斯くあらしめ給ふなり、〇「滅(249)して」は少しく厳に過る訳字なるが如し、之を「停止して」と読む方穏当ならん、。「国」 キリストに依て救はれ且改造されし人類の社会、聖書に之を「キリストの王国」といふ、〇「父の神に付さん」 キリストの此世に降り給ひしは世を救はんが為めなり、救済の偉業成て之を父の神に渡し給ふ、是れ子たる者の本分なり、万物はキリストの為めにして、キリストは父のためなり、子は是が為に父よりも小ならず、子は子たるの道を尽して彼は父と栄光を偕にするを得るなり、三位一躰の教義に量るべからざるの真理ありて存す、〇「是れ終なり」、完結也、即ちキリスト救済の事業が其終結を告る時なり、キリストは父より委任されし業を終へ、救ふべきを救ひ、罰すべきを罰し、万物悉く整理に復して此世の終は来るなり、終と云ひ末期と云へば必ず世界の全滅を謂ふが如くに思ふは世の常なれども、基督教は世界の完結を説て其破滅を語らず、人世は堕落を以て始まりしも復興救済を以て終るべしとは基督教の説く所なり。
  廿五、蓋かれ諸の敵を其足の下に置く時までは王たらざるを得ざるなり。 是れ旧約聖書の屡々予言せし所、斯くならざるを得ざるなり、(詩篇第百十篇参考)キリストは其敵を乎げざれば止み給はざるべし、そは彼の敵は神の敵にして亦人類の敵なればなり 世がキリストのみを王とし戴くに至て完全なる平和は此地に臨むなり、羔の如き者、傷める葦を折ることなく煙《けぶ》れる麻を消すことなく、総て柔和にして総て謙遜なる者が金の冠にあらで棘《いばら》の冕を其|首《かうべ》に戴て人類の王位に即くに及んで黄金時代は始めて吾等の中に臨むなり、「王たらざるを得ず」とは勿論王たるの権威を揮はざるを得ずとの意なり、而も兵力を以てせずして、権柄を握るにあらずして、律するに唯宇宙の法則を以てして、頼るに唯神の聖旨あるのみ、キリストの勝利は世の将帥帝王の勝利と異なる、彼は勝つに義を以てし、治むるに愛を以てす、改行
(250)  廿六、最後に滅さるゝ敵は死なり。
 敵は人に非ず、国に非ず、政に非ず、権威に非ず、能に非ず、是等を悉く滅し尽して敵中の敵は尚ほ存するなり、貧困を拭ひ尽して、暴虐を排ひ尽して、圧制なる者全く無きに至て、衣食に不足なく、社会に不満なきに至て、然かも若し死にして尚ほ存するならば敵の大将は未だ失せざるなり、世に死を殺すの勇者なかるべからず、而して彼はキリストなり、支那人を屠るの勇者は有り、無辜の台湾人を殺すの勇者も有り、然れども死を殺すの勇者はなし、キリストを以て臆病者と見做す者は彼が死を滅するの能に注意せよ、〇「死を滅す」とは勿論人類并に其他の生物に死することなからしむることなり、死の苦痛を去り、其懼怕を除くのみならず、死其物を芟除することなり、読者は如斯き事は有り得べからずと做すや、然り、自身死せざるを得ざる罪に在る荏弱《よわ》き人に託ては有り得ざるなり、然れども神の神たる所謂は彼が「在て在る者」たるにあり、彼は特別に「生る者」なり、故に死を滅し得る者は神あるのみ、而して吾等神を信ずるは永久に生んためなり、而して神を信じて我等生ざるを得ず、基督教の救済とは終に死をして無からしむることなり。
  廿七、そは神すべての物をキリストの足下に置給へばなり、万物を其下に置けりと云ひ給へるときは万物を其下に置く所の者は其内にあらざること明かなり。
 キリストが万物を其足下に置き給ふに至るは神既に万物を其(キリスト)の足下に置き給ひたればなり、父は子に託て万物を造り、之を其配下に置き給へり、(馬太伝二十八章十八節)故に子が終に世に勝て総て彼に敵する者を克服するに至らんことは期して俟つべきなり、キリストが世に勝てるは事実なり、彼が終に死をも滅すに至らんことは予言なり、予言は終に事実となりて顕はるゝに至らんと、是れ保羅が茲に言はんと欲する所なるが如し。
(251) 万物はキリストに服従するに至るべし、然れども父の神のみは其例外なるは言を俟ずして明かなり、万物は子に従ひ、子は父に順ふ是れ正当の順序なり。
  廿八、万物かれに服ふときは子も亦みづから万物を己に服はしゝ者に服ふべし、是神すべての物の上に主たらんためなり
 「かれ」はキリストなり「神」は父の神なり、父すべての物の上に主となりて世は其完結を告るなり。遠大なる未来の預察! 死者は甦るのみならず、神と人類との敵は悉く淪び、万物は悉く子に帰服して、子も亦終には父に帰服せんとすとなり、罪に因て乱されざりし宇宙は斯くありしならん、父は子に依て世を治め、子は人に因て其の旨を行ひ、人は畜類を使役し、風を使ひ、水を用ひて神の聖意を地上に実行せしならん 然るに罪の此世に臨むや、万物悉く其次序を転倒し、人は神を離れて独り事を為さんと欲し(創世記三章十五節)其結果たるや地上の万物悉く人の濫用する所となりて、人は其兄弟隣人を敵とするに至りしのみならず、万物互に相離反して調和の宇宙に不和争闘の人世は現はれたり、茲に於てか救済の必要生じ、神は其独子を降して破れし此調和を恢復せざるを得ざるに至れり、一方には罪と其結果たる死の猛威を逞うするあり、他方には神愛の人を救はんとするあり、二者の衝突、是をば称して六千年間の人類の歴史とは云ふなり、人類は既に絶望の淵に沈み、彼等は神は存在せずと言ひ、正義は終に不義に勝つ能はずと喊べり、然れども神は昔は予言者を降し、終には其子を遣し人に諭すに天に無限の愛あるを以てし、而して罪を其根本に於て挫き人類をして全く罪の羈絆より脱せしめんがためにその愛子を十字架の苦刑に附し、以て人類をして罪の此犠牲を仰ぎ見て良心の呵責より免れ得せしめ給へり、斯くて救済の途は開かれ、人は再び其天の父に帰服し得るに及んで万物の回復は其緒に就けり、キリスト救済の(252)偉業は今日未だ全く効を奏せざれども其成効は期して俟つべきなり、罪の為めに設けられし世の「政、権威、能」等の仮政府の悉く無用なるに至り、不義の徒は悉く滅され、死其物さへ無くなるに至て万物は再びキリストに服従し、キリストは亦之を父に付し、彼自身も亦父に服ひ、罪は全く除かれ、宇宙万物の調和は恢復せらるゝに至らんと、是れ使徒保羅の人生観なるが如し、是を無益の議論と称ふ者あるか、是を痴者の夢想と唱ふる者あるか、世に神学を嘲ける者あり、曰く是れ事実なきの空論なり、学ぶに足らずと、然り神学は経済学にあらず、機械学に非ず、神学は人生学なり、宇宙学なり、歴史の淵源を探る者は神学なり、宇宙の調和を索むる者は神学なり、神学は音学なりとの有名なるルーテルの言は此事を指して言ふなり、神あり、正義あり、人あり、罪悪ありて神学なき能はず、人生の秘密を探らんと欲せざる者に神学の要あるなし、罪の根本的芟除を画せざる者に神学の要あるなし、故に浮薄なる人は神学を蔑視して経済学を貴ぶ、胃の腑を神とし仰ぐ者は神学を修めずして農学を究む、然れども罪は経済学に依て消滅せず、死は殖産の振興を以て冷びず、人はパンのみを以て生る者にあらず、人に霊魂のあらん限り神学は最も高き、最も深き、最も広き、最も聖き学として残るならん。 〔以上、9・20〕
  二九、もし死し者全く甦らずば死し者の為にバプテスマを受けて何の為にせんとする乎、彼等死し者の為めにバプテスマを受るは何故ぞや。
 「死し者の為にバプテスマを受」、其如何なる事なりしや今日之を確知し難し、或は曰ふ、是れ其当時死者に代てバプテスマの礼を受けし習慣を指して云ふなりと、若し然らんには是れ迷信の一にして保羅の伝へし教義にあらざりしは明かなり、故に保羅がこゝに此事を引証せしは其謬りなきを承認してにあらず、彼は唯反対論者の(253)所為に訴へて、彼の論拠を固ふせんとせしのみ、曰ふ、「若し汝等が言ふ如く死者にして全く甦らざる者ならば汝等は何が故に死者に代つて洗礼を受くるや、汝等は之を為して暗々裡に死者の復活を証明しつゝあるにあらずや」と。
  三十、また何が為に我儕常に危険に居るや。
 若し死者にして甦ることなく、我儕の生命にして単に此世を以て終る者ならば我儕は何を目的に常に危険を冒すや、基督信者は野猪の類にあらず、亦世に所謂冒険者にあらず、我儕は或る確乎たる信仰に依て総ての危険を冒しつゝある者なり、肉躰の復活なり、基督の再来なり、天国の建設なり、万物の改造なり、正義最終の勝利なり、此等の信仰あるに因て、我儕は貧して喜ぶなり、罪悪の暫時的勝利を見て失望せざるなり、既勝の戦に臨むが如き勇気を以て戦ふなり、我儕が喜んで常に危険に居るは我儕に更生の大希望あればなり。
  卅一、我儕の主キリストイエスに在て爾曹につき我が有てる歓喜を指して誓ひて我日々に死ると言ふ。
 「キリストに在て爾曹につき我が有てる歓喜」、奇異なる歓喜、然れども最も清潔にして最も確実なる歓喜、彼等哥林多人が保羅に由て神を信じ罪より救はるゝに至りし歓喜、是れ現世に於ける保羅唯一の歓喜なりし、而も彼は独り之を彼の心に懐くにあらず、彼はキリストに於て(在て)之を懐くなり、彼にも成功の歓喜ありたり、然れどもキリストの忠僕なる彼はキリストを離れて独り之を楽まんとは為さず「キリストに在て有てる歓喜、」! 彼保羅は心の歓喜をも一度は之をキリストに返納し、再び之を其手より受くるにあらざれば彼の属として之を楽まざりしなり、服従も茲に至て其極に達せりと言ふべし。〇「歓喜を指して誓ふ」、是れ亦奇異なる誓言ならずや、天を指して誓ふことあり、ヱルサレムの聖殿を指して誓ふことあり、然れども歓喜を指して誓ふとは是れ無意義(254)の言ならずや、然れども保羅の此奇言を発せしに深き意義の存せずんばあらず、彼は誓言に関するキリストの教訓を識れり、(馬太伝五章三三−三七)、故に彼は何物をも指して誓はざるべし、故に彼は無形の歓喜を指して誓はんのみ、之を指して誓ふに何等の害あるなし、何等の害なきのみならず、彼は此処に歓喜を指して誓ふの特別の理由を有せしなり、彼は福音の為めに遭遇する彼の危険に就て語りつゝあり、彼は亦幾回か彼が身に受けし艱難に就て語らんと欲す、(哥林多後書十一章二三−三三)然れども彼は之を為して歓喜なき者として彼の読者に認められんことを懼る、彼は日はんと欲す「我は苦む者なり、然れども我は亦歓喜の人なり、我は日々に死すると言ふ、然れども我は絶望の人にあらず、我が難苦を語るは我がキリストに在て有てる歓喜を指して云ふなり、我の艱苦の確実なるは我の歓喜の深遠なるが如し」と。〇「我日々に死る」(羅馬章八章三六節、哥林多後書四章十節等参考)、我は日毎に死るなり、今日は肉慾に死し、明日は名誉心に死す、今日は身に国人の侮辱を受けて此世の頼むべからざるを知り、明日は友人の謀反に遭ふて人情の如何に墓なきものなる乎を悟る、父母に捨てられて真正の父は単に在天の神のみなるを知り、兄弟に苦められて骨肉の返て我が敵なるを暁れり、我は日々情に於て死し、慾に於て滅ぶ、然れども肉情に於て日々に死つゝある我は霊性に於て日々に成長しつゝあり、是れ亦復活の一実証ならずやと。
  卅二、若し我れ人の如くエペソに於て獣と共に闘ひしならば何の益あらん乎、もし死し者甦らずば飲食するに若かず、我儕明日死ぬべき者なればなり。 「人の如く」 普通の人の如く、即ち来世復活の希望を有たざる人の如く〇「エべソに於て獣と共に闘」 此事に就き聖書は他に記載する所なし、故に吾人は其詳細に就て知る能ず、獣とは真に獅子虎等の猛獣を指して云へ(255)るにや、或は獣の如き人を指して云へるにや今之を明言する能はず、初代の基督信者が度々猛獣の餌食に供せられし事は正史の伝ふる所に由て明かなり、然れども獣にも劣る獣慾漢が繊弱寄るべなき基督信者を苦むるを以て至大の功名となす事は今も昔も異ならざる事にして、保羅の如きも此等人面獣心の族と屡々格闘せざるを得ざりしは決して疑ふべきにあらず〇「何の益あらん乎」 若し我に更生の希望なかりしならば我は何に由て猛獣輩の虐待を忍びしぞ、獣漢に対して我に天使の如き忍耐ありしは我に復活の希望存したればなり〇「若し死し者甦らずば飲食するに若かず云々」、以賽亜書第二十二章十三節を引いて云へるなり、言ふ意は若し死者に復活なるものなくんば或る絶望せる古人に傚ひ飲み且つ食ひて明日の死滅を俟つに若かずと、既に未来の賞罰なしとすれば我儕はたゞ今世を楽まんのみと〇人或は曰はん、「是れ劣等の思念なり、吾人が今世に於て善を為すに方て何ぞ未来賞罰の有無を問はんや、善は其物自身に於て美なり、義は其物自身に於て真なり、吾人が之を追求するは其報酬を望んでにあらず、更生の希望なくんば娯楽を以て身を終らんとの保羅の思観は決して敬服すべき者にあらず」と〇或は然らん、純粋倫理学者の説に常に敬服すべき者多し、然れども其実行如何に至ては………未来観念を懐かざる者の実行に真に真、善、美を追求して止まざる所あるや、彼等は実に彼等の理想を実行し得る者なるや、彼等の純粋倫理的生涯に多くの悲哀の伴ふあるにあらずや、哲人ヒユームが死に際して亡妻の傍に葬られんことを以て唯一の祈願となせしが如き、故博士ハツクスレー氏が不可思議論を唱ふると同時に幾回か悲哀の言を発せられしとの事実の如き、偶々以て未来の希望を懐かざる者の心中の状を表白せし者にあらずや、殊に現世の外頼るべきものを有せざる東洋英雄の心事を見よ、「天運|苟《まことに》如v此。且進2盃中物1、」「生年不3満2百1、常懐2千歳憂1、昼短苦2夜長1、何不2秉v燭遊1」「夫天地者万物之逆路、光陰者百代之過客、而浮生若v夢、為歓幾何」、僅(256)々百年に充たざる生涯の中に永生の希望を収縮せざるを得ざる英雄の心事に憫むべきもの多きにあらずや、吾人或は未来の希望を懐かずして、消局的の清浄を守るを得ん、然れども進んで人世の痛涙を拭ひ、死に臨んで尚ほ勝利を叫ぶが如きは此希望なくして為し得らるべき事なりと信ずる能はず。
  三三、爾曹自から欺く勿れ、悪交《あしきまじはり》は善行《よきおこない》を害ふなり。
 「欺かるゝ勿れ」と読むべし、余は原文に「自から欺く」の意を看出し能はず。「悪交は善行を害ふ」とは希臘の古文メナンデルの“Thais”より引用されし者、以て保羅が希臘文学に精通せるを見るべし〇言ふ意《こゝろ》は古人の言に悪交は善行を害ふと云ふことあり、爾曹も亦世の哲学者輩の言を受けて彼等に欺かるゝ勿れ、世の所謂人生哲学なるものは多くは是れ現世哲学なり、彼等の説く所は多くは此世の事に関し、若し未来復活の事に至れば彼等はたゞ嘲笑以て之に応ずるのみ、爾曹常に彼等の言を耳にするもの、謹んで彼等に欺かるゝ勿れと〇保羅の時代に於て然り、今の世に於て亦然り、政治は重ぜられ、宗教は軽ぜられ、哲学は貴ばれ、信仰は賤められ、世は拳て心を現世の改良にのみ心を傾る此時に際して、復活の信仰の如きが其歓迎する所とならざるは勿論なり、然り如此き信仰を嘲ける者は単に彼等俗社会の人に止まらず、教会の牧師と神学者、執事と監督にして身命を賭しても此教義を争はんと欲する者今や洵に尠し、肉躰の復活に関する信仰は今や多くの基督教会に受け入れられんための必要条件にあらず、彼等は現世的基督教を以て誇る者、吾人の此信仰を賛くる者にあらざるは勿論なり、此時に方て吾人は保羅の此忠言を心に留め、彼等と交はりて吾人の此貴重なる信仰を害はれざるやう、且又墳墓の彼方に達せざる彼等の宗教に欺かれざるやう努めざるべからず。
  三四、爾曹醒めて義を行ふべし罪を犯す勿かれ、爾曹の中神を知らざる者あり我かく言ひて爾曹を愧かしむ(257)るなり。
 是等偽哲学者偽宗教家に欺かるゝことなく、爾曹の絶望的人生観を去て、信仰の睡眠より醒めて大胆に義を行ふべし、偽はりの教義に誘はれて知らず識らず、無為懶惰の罪を犯す勿れ 我れ爾曹に言はんと欲す、爾曹神を信ずると言ふ者の中に実は神を知らざる者あり、復活の希望たる活ける神を信ずるより来たる必然の結果なり、然るに之れをも否定して或は否定に均しき議論を唱へて神の存在を無視する者あり、我れかく言ひて爾曹を愧かしむるなり、そは爾曹の中に斯の如き者の確かに存在するを我れ知ればなりと。
 嗚呼、保羅の此譴責、是れ哥林多に在りし基督信者にのみ適用すべき者なるや、紀元二千年後の今日に至て尚ほ之を受くるに催する基督信者の多きにあらずや、爾曹に絶えて活気なるものなきは何故ぞや、爾曹の伝道なるものが常に病的なるは何に因するや、爾曹は噪ぎ、高く喇叭を吹き、虚勢を張り、伝道の方法を講じ、教勢の拡張を計る、然れども爾曹の城塁が築いても又壊れ、爾曹の兵卒が数に於て増すと同時に力に於て滅するは何が故ぞ、爾曹欺かるゝ勿れ、爾曹何を信じつゝある乎、省りみよ、爾曹の宗教は現世的なる乎将た無限の未来にまで到達する者なるか、商曹の目的は社会改良にある乎、将た新ヱルサレムの降臨にある乎、爾曹は爾曹の教師に何を教えられし乎、嗚呼、醒めよ、直に聖書其物に就て学べよ、基督に聞け、保羅、約翰、彼得に学べ、古き旧き聖書の中に未だ爾曹が曾て夢想だもせざりし真理の存することもあらん、爾曹知らずや、今の哲学者、社会学者が嘲笑して止まざる復活の希望こそ是れ旧世界を打破して新世界を現出せしめし者なる事を、保羅は社会改良に熱注して彼の大伝道に従事せざりしなり、彼は愛国心に駆られて福音を宜べ伝へざりしなり、彼は死して甦へれるキリストを見しなり、之を見て彼の万国改造の大計画は起りしなり、彼と彼の朋輩とより復活の希望を取り去(258)りて見よ、彼等の伝道の動機なるものは失せて跡なきに至るなり、醒めよ明治時代のキリスト信者よ、醒めて罪を犯す勿れ、爾曹の中復活を知らず、為めに神の神たるを知らざる者なり、保羅が斯く言ひしは亦爾曹をも愧かしめんためなるやも知れず。 〔以上、10・20〕
 
(259)     猶太人の愛国家
          詩篇第百三十七篇
                     明治34年7月20日
                     『聖書之研究』11号「註解」
                     署名 内村鑑三
 
  一、我等バビロンの河の浜《ほとり》に坐はり、シオンを憶ひ出て涙を流しぬ、
  二、我等その辺の柳に我が琴を懸けたり、
  三、そは我等を虜にせしもの我等に歌を索めたり、我等を掠めし者我等に己れを歓ばせんとてシオンの歌一つ謳へといへり、
  四、我等|外邦《とつくに》にありていかでエホバの歌を謳はんや、
  五、エルサレムよ、もし我れ汝を忘れなば、我が右の手にその巧を忘れしめよ、
  六、もし我れ汝を憶ひ出ず、もし我れエルサレムを我が総ての歓喜《よろこび》の極《きわめ》となさずば我が舌を我が※[月+咢]《あぎ》に貼《つ》かしめよ、
  七、ヱホバよ願くはエルサレムの日にヱドムの子輩《こら》がこれを掃ひ除け、その基礎《もとゐ》までも排ひ除けといへるを聖意《みこころ》に留《と》め給へ、
  八、滅さるべきバビロンの女《むすめ》よ、汝が我等に作《なし》し如く汝に報ゆる者は福《さいはひ》なるべし、
(260)  九、汝の嬰児《みどりご》を取りて岩の上に投げ打つ者は福なるべし。
 
 其何人の作なる耶を知る能はず、或は預言者ヱレミヤの作なりと曰ふものあれども彼が曾て彼の国人と共にバビロンに下りしことあるや疑はし、其句調の余りに感情的なるより推して之を法律的なりし預言者ヱゼキエルの作と見るは難し、吾人は其ネブカドネザル大王に擒はれてバビロンに下りし数万人の猶太人中の一人の作なるを知るのみ、其他を知らず、蓋し彼の如き愛国者は彼一人に止まらざりしならん。
 
   我等バビロンの河の浜に坐はり
 紀元前五百八十六年|耶路撤冷《エルサレム》城ネブカドネザル王の陥る所となり、其民は捕はれてバビロン附近の地に還されたり、彼等彼地に止る五十余年、故国の山河を望んで歇まず、バビロン国にユーフラチス、チグリスの両大河あり、国中亦到る処に運河を通ず「バビロンの河」とは蓋し是等を指して云へるなるべし、ユダは山国なるにバビロンは平原国なり、山国の民擒はれて一峰の視線を遮るものなき平々坦々たるバビロンの地に遷さる、誰か故国を憶はざらんや、月は山端に昇らずして、草より出て草に入る、水は渓問を走らずして、葺茅蘆葦の間を流る、翠巒の間に養はれし民は草原の無味に堪ゆる能はず、ために此悲声を発す。
 
   シオンを憶ひ出て涙を流しぬ、
 シオンはシオン山なり、ヱルサレム城市の建てられし処なり、水辺に在て山上の故園を憶ふ、是処に圧制あり、(261)偶像崇拝あり、気は隠密にして水濁る、彼処に自由ありたり、真神の礼拝ありたり、気は晴朗にして水清し、我が今日の悲況を顧みて曩日の快を憶ひ出さゞるを得ずと、
 
   我等其辺の柳に我が琴を懸けぬ、
 
 憂極つて楽輟む、今や琴瑟の要我にあるなし、雅歌我の心に絶えて我は我が琴を取て河辺の柳に懸けぬ、楊柳は我の悲哀を代表する者、河流に臨で独り憂愁に沈む、昔時はレバノン山の香柏と共に山頂に自由の空気を呼吸せし者、今はヱホバの憤怒に触れてバビロンの河辺に柳楊を伴とす、水は滔々たり緑楊の津、涙は滴々たり捕虜の情。
 
   そは我等を虜にせし者我等に歌を索めたり、
 無情なる我等の征服者よ、彼等は我等の自由を奪ひ我等を故国より逐ひながら我等より歌を索めたり、彼等は未だ歌の何たるを知らず、歌は心情の発動なり、歓喜の溢れて音調となりしものなり、奴隷の民に詩歌あるなし、彼等の称して歌となすものは我等の称する歌にあらず、歌は遊戯にあらず、技術にあらず、我等を虜にして我等に歌を索む、奚ぞユフラテ河辺に生ずる夾竹桃の根を絶て之に濃紅色の花輪を索めざる、汝等の無情と無識とは亦甚だしからずやと。
 
   我を掠めし者云々、
(262) 其意に於て前句と異なるなし、バビロン人はユダ人を悲惨の境遇に沈め置きながら己れを歓ばせんとて彼等に歌を索めたり、是れ残虐の最も甚だしき者なり、世の放蕩者と雖も淫楽を索めんが為には多くの纏頭を散じて吝まず、然るに茲にバビロン人は其掠奪を悉にせし民より聖歌を要求せり、何ぞ思はざるの甚だしき、何ぞ察せざるの甚だしき、然れども粗野失儀バビロン人の如きは今の世にも乏しからず、利慾は彼等の良心を鈍らし、武功は彼等の詩心を減せり、彼等は詩人の心を知らず、故に詩歌は何時にても彼等の要求に応じて出で来るべきものなりと信ず、彼等と詩歌の事を談ずるは猫犬の類と宝石の価値を議するに均し、詩人は俗了せる政治家軍人の支配の下に盛へず、純潔なる処女が悪漢の前を厭ふが如く詩人は俗人の接触を忌む、「シオンの歌」、聖歌なり、真神の恩恵を讃《たと》ふる歌なり、之を俗人の前に歌へと迫まらる、是れ強圧の最も甚しきものならずや。
 
   我等外邦にありていかでエホバの歌を謳はんや、
 我等の歌は愛国の歌なり、愛国の歌は愛神の譜なり、我等に国を離れて神あるなし、神を離れて讃美あるなし、国と神と希望、シオンとヱホバと讃美歌、我等を外国《とつくに》に連れ来りて我等にヱホバの歌を謳へと迫る、是れ豆を煮るに豆の箕《まめがら》を燃くの類ならずや。
 問ふを休めよ、神は宇宙的なるが故に宇宙到る所に讃歌あらんと、神は宇宙的なるも我は国家的なり、我身、我肉、我霊は我が国を離れて存在するものに非ず、神はユダ人として我を造り給へり、故にユダ国を離れて我は我れ自身にあらず、ユダ国を逐はれて我は廃人の如き者なり、新郎、新婦を失ふて雅歌を揚げ得んや、我れ我がシオンを逐はれてエホバの歌を謳ひ得んや。
(263)
   エルサレムよもし我れ汝を忘れなば、我が右の手にその巧を忘れしめよ、
 ヱルサレムよ我れ若し汝を忘れなば我が右の手をして其巧を忘れしめ、之をして琴絃に触るゝこと能はざらしめて清響一韻だも揚げ得ざらしめよ、我が音楽は総て我が国のためなり、ヱルサレムを忘れし我に雅調なし、我れ若し故山を忘れんには我は我が弾琴の技を廃てんものをと。
 外邦に在りて異邦人を歓ばせんために彼等の前にヱホバの歌を謳ふは是れ神と国とを敵人の手に売《わた》す事なり、是れ故国を忘るゝにあらざれば為す能はざる所なり、国を忘れて国歌を奏せよと要求さる、詩人之に慨して彼の悲憤を故山に対て訴ふ。
 
   もし我れ汝を憶ひ出ず……我が舌を我ガ※[月+咢]に貼かしめよ、
 我が舌をして揺《うご》き得ざらしめよ、我をして唖者たらしめよ、清音の我が口より洩るゝことなからしめよ、我の歌は我が国を頌はんためなり、我が声はヱルサレムを讃めんためなり、我に我が国に就て誇る所なきに至て我の舌は不要となるなり。
 
   ヱルサレムを我が総ての歓喜の極となさずば。
 利得の歓喜あり、名誉の歓喜あり、愛慕の歓喜あり、読書の歓喜あり、勤学の歓喜あり、音楽の歓喜あり、然れども何者か愛国の歓喜に及ぶ者あらんや、友の幕はしきも国の慕はしきに若かず、世の総ての善きものを合す(264)るも故山一瞥の快に若かず、我が歓喜の極は我が国なり、我が妻に優りて愛らしき者、我が身、我が霊、我が全性を献ぐるも尚ほ足らざる者は我が国なり、我にして若しヱルサレムを我が愛慕の第一位に置くを得ずば我は寧ろ唖者となりて永久の緘黙を守らんものをと。
 
   ヱルサレムの日にエドムの子輩が云々、
 「ヱルサレムの日」とはヱルサレム全盛の時を指して云ふ、即ち其再びユダヤ人の手に回復されてメシヤ(受膏者)が来て其王となり、万邦其光輝に搭するの時をいふ、エドムはユダ国の南方に在りし国なり、其民はユダ人の祖先なりしヤコブの兄弟エサウの子孫にして人種的関係より云へば二者は骨肉の間柄なり、然るにユダ人の其国を逐はるゝや、彼等に対て無限の同情を表すべき此等ヱドムの子輩は返て其不幸を見て喜び、ヱルサレム城市の陥落を見て尚ほ飽き足らずして、これを掃ひ除けその基礎までも排ひ除けと喊べり、世に慷慨すべき事多しと雖も艱難に遭遇する際に方て兄弟骨肉の嘲罵する所となるに優るの苦痛あるなし、バビロン人の残虐は忍ぶを得ん、然れどもヱドムの子輩の嘲弄は忍ぶべからず、詩人の愛国的心情は迸て隣邦ヱドムに及びぬ、其呪咀の辞なるが故に詩人の狭量を責る者あり、然れども詩は真情有の儘を貴しとす、怒る時に怒を抑ふるは詩にあらず、たゞ野卑なる私慾的の憤怒にあらざれば可なり。
 
   滅さるべきバビロンの女よ、
 城市を指して女《むすめ》と称ふはユダ人の語法に合へり、其時尚ほ文明世界の財権政権両つながらを握りし彼女を指し(265)て減さるべきバビロンといふ、恰も今日のロンドンに在て之を「滅さるべきロンドン」と呼ぶに異ならず、詩人の大胆と確信とに信服すべきものあり。
 
   汝が我に作し如く汝に報ゆる人は福ひなり、
 是れ目にて目を償ひ歯にて歯を償ふの語調なり、基督教的倫理としては受取り難し、而も敵愾心の盛なる今日、何人も詩人を責るに非倫を以てする者はなけむ、イエスキリストの教化を受けざりし旧約時代の預言者に此呪咀報仇の言ありしを見て以て愛敵の精神の如何に高貴なるものなる乎を知るべし。
 
   汝の嬰児を取りて岩の上に投げ撃つ者は福ひなり。
 是れ実に残忍なる祈願なり、嬰児何の罪かある、之を岩上に打付け、其頭脳を砕き得たればとて吾人の心に何の快かある、之を願ふは疾病的愛国心なり、吾人は此事の聖書に記載しあればとて神の教示として之を受けず、否な、返て詩人の理想のなほ低きを憫み、吾人は彼に傚ふことなくして同じ旧約聖書に示さるゝ「十二万の左右を弁へざる大なる府ニネベをわれ惜まざらんや」と宣べ給ひて預言者ヨナの祈願を斥け給ひてニネベの市《まち》を救ひ給ひし恩恵の神の命に従はんと欲す。
 然れども信仰は信仰にして詩は詩なり、理は理にして情は情なり、情をして理を曲げしむべからず、然れども理をして時には情を恕する所あらしめよ、掠奪を被ること前後二回、最愛の城市は毀たれ、全国拳て外邦に捕虜となることこゝに五十年、父は絶望の裡に失せ母は悲痛の間に眠れり、嬰児の目前に屠られしもの其の数を知ら(266)ず、報仇の念は悪念ならん、然れどもその時には詩人の胸中に湧き来りしは事実なり、彼は故なくしては怒らざりしなり、彼は害を加へられずして加害を願はざりしなり、我に罪を犯す者を七次《なゝたび》を七十倍するまで赦すべしとはキリストの教訓なり、而して吾等は謹んで此教訓に従て歩まんと欲す、たゞ神よ、吾等の荏弱《よわき》を赦し給へ、吾等時には敵人の遂迫する所となり、我れ温顔を以て彼に対するも彼は我が面に唾して快哉を喊べり、我れ彼に就て善を意へば彼は我に就て悉く悪を念ぜり、彼は我の死滅を計画し、我の堕落を聞いて喜べり、故に我も窮迫の余り、時には報怨の念を懐けり、然れども神よ、是れ我が本心にあらざるなり、我は汝の恩恵に由て彼等我の讎敵をも愛せんと欲す、汝願くは我が心に汝の限りなき愛心を注ぎ、我をして我を売りし友、我が為めに総ての耻辱を企画せし者を我が心の深底より愛することを得しめよ。
 
(267)     基督教は何んである乎
                      明治34年7月20日
                      『聖書之研究』11号「講演」                          署名 内村鑑三
 
 基督教は何んである乎、之は一態何う云ふ事を教ゆる宗教である乎、若し之に種々の宗教がありとすれば其根本的教義は如何なるものである乎、基督教には実に確固不抜動かすべからざる教義なるものがある乎、是れ今日の日本人が何人も知らんと欲する所であらふ。
 基督教とは勿論基督の教訓である、基督は勿論基督教の中心である、基督を離れて基督教はない、基督教は摩西の十誡ではない、又イザヤ、ヱレミヤの預言でもない、保羅の神学でもない、亦山上の垂訓許りではない、其プラトーの哲学、ヱマソン、カーライルの時論でない事は言ふまでもない、斯く云ふは余り分り切つたる事をいふやうであるが決して爾うではない、今の世には基督を離れた基督教(所謂)が大分ある、仏教を離れ、神道を棄て而かも全くの無神論者でなくして、生命の神聖であるとか、家庭の清浄であるとか、社会の改良であるとか、神人合体であるとか云ふ事を唱へればそれで基督数信者であると躬から思ふて居る人が沢山ある、吾等は聖書を読むこと至て尠くしてヱマソン集を読しこと至て多き人で基督信者の中に算へられて居る人を知て居る、或は仏教に非常に熱心にして釈迦と基督とを同等の地位に置く人で基督教信者を以て世に称せられて居る人を知て居る、日本の如き東洋国に於ては基督信者と西洋信者との別が至て不明である、然し基督信者とは西洋主義を執る者の(268)謂ひではない、日曜日に業務を取らない者、日曜日毎に会堂に集ふ者、或は更に一歩を進めて其会員となりて洗礼聖餐の式に干かりし者とても未だ一概に基督信者であると云ふことは出来ない、基督教とは基督の教訓であつて、基督信教とは基督に直接の、且つ最も緻密なる関係を有つ者でなくてはならない。
 基督教は独一無二の神の存在を教へる、爾うして之を教へるに方て何にも学説の一として之を唱へない、基督教は有神論の一であるが、然し其最も emphatic《エムフハチツク》 のものである、基督教は神の存在を証拠立てやうとは為ない、基督教は神は在るものと前提して宇宙人生の諸問題を説いて居る、「元始に神天地を創造り給へり」とは聖書の最始に記さるゝ言葉である、神の存在に就て少しなりと疑を挾む者は基督信者ではない、政府の勢力を信ずるも神の実力に就ては疑念を懐き、金銭の万能を信じて神の全能を疑ふ者の如きは基督信者ではない、基督信者は神は一つであると信ずるから神の外に人類の敬崇を奉るべき者はないと信じて居る、「神は在る」とは至て平易なる教義であるやうに思ふて居る人があるが、然しそれは決して爾うではない、神が在る以上は正義は必ず勝つに相違ない、神が在る以上は虚偽と権謀とは如何なる場合に於ても決して行つてはならない、神が在る以上は正を践んで決して懼るゝに及ばない 「神が在る」とは実に偉大なる教義である、之を真面目に信じて吾等の全生涯に大変動が来なくてはならない、世に神の存在を信じると称ふ者にして全く神は在さゞるかのやうに其生涯を送つて居る者があるのは甚だ奇怪な事である、神は在る、実に在る、昔し在つた計りではなく、今日今在る、彼は吾等の心の中を見る、人には見えぬ事が神には見える、故に善人は喜ぶ可きである、悪人は怕るべきである、神はある、キツト在る、眼に見ゆるもの、手に触るゝものは幻であつても神のみはキツト実在してる。
 基督教には聖書と云ふ書がある、是は神の啓示を載せたものであつて、此書を能く窮めなければ基督教は解ら(269)ない、或人は基督教は聖書以外にもあると云ふ、成程或る意味から云へば歴史も基督教であれば科学も基督教であるかも知れない、然しながら基督教がなくても歴史と科学とはあるが、聖書がなくては基督教はない、故に如何に基督教を解釈するかは別問題であるとして、聖書を学ばなくして基督教を知ることは出来ない、是は最も明白なる事実であつて、此事に反対する人は天下一人もない筈である、然しながら事実は多く是に反対して居る、世にはダンテ、オルヅオスの詩集に全注意を注いで余り深く聖書をば窮めんと欲しない「基督信者」も在る、又孔子や孟子の言に重きを置いて聖書に就ては至て暗い「基督信者」も在る、何にが何んでも基督信者たらんと欲せば一通りや二通りは是非共聖書を読まなくてはならない、只僅に聖書の一部分のみを解つて基督教が解つたとは曰はれない、摩西の十誡、山上の垂訓、羅馬書の十二章、哥林多前書の十三章は誰が読でも敬服せざるを得ない言葉たるに相違ない、然しながら是が解つたらばとてそれで基督教が解かつたとは云はれない、吾等は少くとも聖書全躰の大意が解らなければならない、其人世観は何んである乎、其宇宙観は何んである乎、其特別に教へんとする事は何んである乎、是等の事柄が解らずして我等は基督教を解つたとは云へない、世には聖書以外に基督教を索める人が沢山在る、或は牧師の説教に於て、或は基督教書類に於て、或は宗教雑誌に於て基督教を探りつゝある者が沢山ある、然し吾等は人が聖書を独りで嗜み得るに至る迄は其人の基督教的信仰を信じない、爾うして是は彼が儀式的になすのではなくして、亦迷信に駆られて為すのではなくして、彼の理会力を用ひて智覚的に為すのでなくてはならない、基督教は聖書であると云ふたらば余り云ひ過るかも知れない、然れども聖書を離れて基督教は無いと云ふことは出来る、聖書に暗い基督教は薄弱なる基督教であつて、聖書を研めずして基督教を窮めんと欲する者は天を覗かずして天文学を窮めんとすると同じである。
(270) 基督教は霊魂の不滅を信ずる、然し此点に於ては基督教の教ゆる所はプラトー、ソクラテスの教へし所と多く異る所はない、人にその肉体を支配するための霊魂があつて、是は肉体と生死を共にする者でない事は基督教に於けるも、ゾロアスター教、婆羅門教等に於けると同じである。
 基督教は霊魂不滅の上に肉体の復活を信ずる、是は基督教独特の教義と云ふても宜しい、基督教でいふ更生復活なるものは単に霊魂の不滅を謂ふのではない、基督教は死せる我等の肉躰が再び生を受けて活ける形体となることを信ずるのである、是は信ずるに至て困難なる教義であるに相違ない、故に多くの曖昧信者は多くの工夫を凝らして此教義を説き去らんとする、然し聖書を公平に解釈して此教義を否むことは出来ない、復活は嘘である乎も知れない、然し是は聖書が特別に教へんとする教義であること丈けは確かである、復活を信じないで聖書を解かんとすれば多くの無理な解釈を試みなければならない、爾うして其結果として聖書は至て曖昧なる書となつて終には其研究は至て味の無いものとなる、吾等は聖書を信ずる以上は何うしても復活を信じなくてはならない、世には基督教を信ずる上に於て復活の信仰は必要でないと云ふて居る教師も信者も在る、然し何うして彼等が馬太伝の廿八章や、路加伝の廿四章や、約翰伝の終りの二章や、使徒行伝の一章や、哥林多前書の十五章や、黙示録の全躰を解し得るや吾等の甚だ怪しむ所である、聖書は其多くの部分に於て信ずべからざる書であると謂ふならば格別、若し聖書の全躰を信ずると云ひて肉体の復活を信ぜざれば是れ己れを欺くことであるといはなければならない。
 復活を教へる基督教はまた来世を説く、来世とは復活を受けたる肉体の(今は之を霊体と称す)栖息する世界である、その此世界の改造されたものである乎、或は此世に優りて一層完全なる世界である乎、是れ吾等の判然と(271)知る所でない、然し何れにしろ生命は肉体の死と同時に絶ゆるものでなくして、世も亦現世を以て失せるものでない事丈けは基督教の明白に教ゆる所である、来世とは現世の更に進歩せる、更に完全せる者である、現世に於ては正義は只一少部分行はるゝのみであるが来世に於ては正義は悉く行はれる、現世に於ては死あり、涙あり、此完備せる天然も自づと悲惨の状を帯るなれども、来世に於て罪てふものゝ全く消え失せて、人に良心の詰責あるなく、又悪魔の誘惑なきに至ては春陽の桃花、秋空の輪影、皆な悉く喜悦と希望とを伝へて、吾等は永久に神の笑顔を拝するに至ることであらふ、今の人は吾等が来世を望むと言へば仏徒が極楽浄土を望むやうに考ふるなれども、是れ全く吾等の待ち望む神の国の何たる乎を知らないより起る誤謬である、来世とは理想の実行される所である、現世に欺騙多く、矛盾多きが故に吾等は清明調和の国を索むるのである、基督教は吾等に来世を説いて利を以て吾等を善道に惹かんとは為ない、基督教の来世なるものは利慾の観念の全く消失せし所である。
 其外基督教は未来の裁判を説く、「万物の復興」を説く、基督の再来を説く、基督教は実に今日世に賞揚せらるゝ哲学の立場より見れば甚だ解し難い多くの教理を説く者である、然し基督教は哲学を恐れない、基督教は神の啓示《しめし》であつて人の考へ出した哲理でないから、事実有の儘を説いて其理屈を語らない、哲学は尚ほ肉体の復活、来世の存在を証明すべきである、基督教は哲学を恐れて其明白なる教義を譲るに及ばない、我儕は見る所に憑らず、信仰に憑て歩むべきである、即ち、理屈に憑らずして直覚に憑て歩むべきである、基督教が永久不変の真理であるは我儕の曇らざる直覚の証明する所である、故に我儕は其宣言を聞いて喜び、其光明に照らされて消えんとする我儕の希望を復興するのである。
 
(272)     勢力論
                       明治34年7月22日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
 今の人は頻りに勢力を欲しがる、然し彼等の多くは勢力の何たる乎を知らないやうに見える、勢力とは抑も何んである乎、社会多数の賛成ではない乎、爾うして社会多数とは何んである乎、『二千六百万多くは是れ無智の人なり』とはカーライルが彼の時代の英国を評した言葉ではない乎、爾うして若し英国人の多数が無智の人であるならば日本人の多数は何う云ふ人であらう乎、吾等はよく此事を考ふべきである。
 浅草の観世音に行《ゆい》て見よ、而して此処に来る多数の顔貌を覗き見よ、爾うして彼等の賛成を得るは何等の勢力なる乎、能く考へ見よ。
 神田本郷を歩き見よ、而して其処に彷徨ふ多くの青年を※[手偏+僉]べ見よ、爾うして彼等の賛成を得るは何等の勢力である乎考へ見よ。
 全国到る処の市会或は郡会或は村会に到り見よ、而して其処に集り来る議員諸氏の言論を傍聴し見よ、爾して彼等の賛成を得るは何等の勢力である乎、考へ見よ。
 然り、帝都日比谷門内の帝国議会に抵り見よ、而して一星亨君の為めに万事を左右されし国会議員諸氏を見よ、商うして彼等の賛成を得るは釈迦ソクラテス等の諸賢が名誉とする所であらう乎、能く考へ見よ。
(273) 然り、真正《ほんとう》の勢力は多数の賛成を得ることではない、真正の勢力は智者賢人の賛成を得ることである、云ふまでもなく一|人《にん》の智者の賛成を得るは万人の無智の人の賛成を得るに優るの勢力である、吾等は誰の賛成を得やう乎、帝国議会の賛成を得やう乎、ミルトン、コロムウエルの賛成を得やう乎、今日の日本人多数の賛成を得やう乎、昔しの公平を愛し、平民を愛したるエライ日本人の賛成を得やう乎、是れ吾等の殊に今日考ふべき事であらうと思ふ。
 
(274)     休養
                        明治34年8月5日
                        『無教会』6号「社説」
                        署名 内村生
 
 私共の休養はヱホバにあります、何にも精神の休養ばかりではありません、身躰の休養も亦ヱホバにあるのであります、私共は或時に眠られません、亦或時は食事も進みません、或時は実に之で死んで了ふのではない乎と思ひます、然しヱホバは私共に世人の知らない能力を給ひます、私共はそれに因て復活致します、
       *     *     *     *
 夏になれば多くの教師達や、官員や、豪商《かねもち》は必ず避暑に行きます、或は軽井沢に或は叡山に或は逗子に箱根に鎌倉に暑を避けます、然るに私共年の始めより年の終りまで働らき通して居りまして、それで何うして身躰が続くだらふと思ふ事があります、宣教師も人なれば私共も人であります、彼と我との身躰に差異《ちがひ》はありません、然し私共には休息《やすみ》はありません、
       *     *     *     *
 然しヱホパは私共と伴に在られます、ヱホバの精気の一度び私共の心に臨む時に私共は百日も休息した時のやうな生気を感じます、ヱホバに於ける平和は山に於ける平和に優ります、ヱホバに於ける快楽は海に於ける快楽に優ります、私共ヱホバの顔を眺めて苦しい事は一つも無くなります、
 「我に取りては働くことは神を拝することなり」と古昔《むかし》の人は云ひましたが、私共は「我に取りては働くことは休むことなり」と云はんと欲ひます、基督は申されました、「我を遺はしゝ者の旨に随ひ其|工《わざ》を成畢る是わが糧なり」と、ヱホバの事業を成す事、是れ私共の糧であります、快楽であります、歓喜であります、之に従事して私共は山と海とに遊ぶに優るの休息を感ずるのであります、(夏期講談会開設中認む)
 
(276)     第二回夏期講談会
                        明治34年8月5日
                        『無教会』6号「社説」
                        署名なし
 
 西は長崎福岡より、北は青森山形より、美作より飛弾より、信濃より、山城より、六十余名の教友は今は東京市外角筈村の※[木+國]林の中に毎日神の道を研究しつゝあります、我等は同じ釜の飯を食ひ同じ井戸の水を飲みつゝあります、世に愉快の事は沢山ありましようが信仰を共にする兄弟姉妹が共に神の聖旨に従ひつゝ衣食して居るに優るの快楽はありません。
       *     *     *     *
 我等は此処に会して地方遠隔の地に在らるゝ多くの同志の人を忘れません、我等は毎日諸氏のために祈りつゝあります、我等は諸氏も皆な此処に集はれんことを願ひました、然し之は望んで行はれない事であります、然し角筈村に於ける此会合は神の国に於ける未来の会合の標本に過ぎません、我等はいまに皆な悉くキリストの前にこのように集るのであります、其時には世の誤解もありません、親戚友人の猜疑もありません、其時には皆な罪より洗はれて喜悦に充たされて神の聖前に集ふのであります、角筈村の会合は天国の真似事であります。
 
(277)     平民の銷夏
                      明治34年8月12・13・14日
                      『万朝報』
                      書名 内村生
 
 平民と雖も華族や紳商と同じ人間であるから暑い時には矢張り暑い、彼等とても時には都の黄塵を避けて海浜か温泉に睡を貪りたく思ふ事がある、然し之を為さないのには理由がある、先づ其二三に就て語らう。
       *     *     *     *
 平民が避暑に出掛けないのは必しも金が無いからではない、我等は今の日本国に在ては金が有つても避暑には行《ゆ》かない、それは何故となれば肺結核の黴菌と俗人とが嫌ひであるからである、若し今日の所謂避暑場なる所が仙人や君子の行く所ならば我等は如何に都合しても其所に行きたく欲ふ、然し今日のやうに避暑場と云へば肺病患者と博奕打の行く処と殆んど定まついてゐる時には我等は家に留つて身体と霊魂の清浄《しやうじやう》を守らうとする、我等は暑を避けんが為めに体と心の病を迎ふるを好まない、避暑場は病菌の醸造地である。
       *     *     *     *
 逗子、鎌倉、大磯、小田原、須磨、明石……其風景は何れも立派なるに相違ない、然しそこに別荘を構へて居る人物は?……疲等は立派なる人物である乎、彼等の中にオルヅオスは居《を》る乎、彼等の中にグラツドストンは居る乎、彼れ等の中にラスキンは居る乎、否な、否な、逗子より望む富士山ほ美しいけれど之を歌ふのオルヅオス(278)は居らない、鎌倉に北条時代の古跡はあれども其処に別荘を構へて居る者は明治政府の役人共であつて平民の自由を少しも重ぜざる者共である、小田原に伊藤侯は居らるゝ由なれどもラスキンの自然歌が其松林より出で来つたことはない、即ち風景はあれども皆な俗人に占領されて居る、我等は人物の居らない避暑地を好まない。
       *     *     *     *
 オルヅオスは逗子に在らずして我が書斎に居る、ラスキンは政友会の人達とは共も在らずして我等暑中労働に従事して居る者と共に在る、泰時、時宗の霊は今は俗化せる鎌倉の地を去つて平民主義を唱ふる新聞社の編輯室に居る、今や君子国の勝地は貴族紳商と彼等の妾輩との奪ふ所となつて、此所に暑を避る者は汚辱に沈む者となつた故に我等は其群に加はらざらんために家に在て先祖伝来の大和霊を守らうとして居る、是が我等が避暑に出掛けない主なる理由である。 〔以上、8・12〕
 朝は四時に起き、大運動を試み、若し自転車の備あれば市街未だ行人なきの時に快走を試み、家に帰て直に井戸端に臨み、冷水二三杯を頭より浴び、胃中に大空虚を生じて後に米飯と味噌汁とより成る朝飯を喫し後ち一先づ休息す、時未だ日蔭多き頃なれば軽き業に従事し、若くは軽き書を読み(但し小説を避くべし)、十一時に至て止む、それより昼食を終へ、新聞紙を手にして半睡の内に之を通読し、未だ之を読み終らざるに眠に就く、斯くて現世の苦を忘れて午後三時に至れば再び此奇態なる世に生れ来りしの感ありて煎茶一杯に睡気を払ひ、後は樹下に亦読書を試む、夕影梢や催す頃行水の釜に水を汲み入れて火を燃き付け、庭前に水を打ち、牽牛花をして明朝の開花の用意をなさしめ、それにて先づ一日の業を終る、夜に至れば雑談を試み腹を抱へて笑ひ而して笑の未だ醒めざる時に筆を執て貴族紳商輩の愚を文に綴り、之を新聞紙に送て紙面填充の料となさしむ、斯くて朝より(279)夜まで愉快に時を送り、暑を忘れ、身と心を肥し、感謝して眠に就く、是ぞ平民的銷夏法の一なるぞかし。 〔以上、8・13〕
 人生は平均三十三四年、長きも百歳に充たず、而して一年は三百六十五日而して夏は其四分の一を占む、故に若し夏は之を避暑に消費して働かぬと定むれば是人生の四分の一を無益に消費するに等し、而も斯人生を濫費するの徒は今の世には甚だ多し。
 曰く貴族、曰く紳商、曰く博士、曰く文学者、曰く牧師と宣教師、彼等は皆な甚だしく暑を恐るゝ者にして人生の四分の一を避暑場に消費する者なり、彼等が夏を怕るゝは悪魔を怕るゝよりも甚だし、彼等は夏と聞けば何事を措いても山か海かへ逃げ隠るるなり。
 然れども夏は彼等が怕るゝが如き有害物に非ず、視よ、植物は凡て夏期に於て成長する者なることを、動物の身体も亦然らざらん乎、夏期の炎熱は確かに動物の体躯に利益あり、生命は熱にあり、熱を受くるは身体に大なる利益なくんばあらず。
 かの夏を恐るゝ者を見よ、彼等の多くは冬に至るも多く働らかざるなり、彼等は屡ば避暑場に在て病に罹り、家に帰てより亦医師に貢を払ふて止まず、逗子、葉山に於て赤痢に罹りし者多く、須磨、舞子に於て肺病の黴菌に接せし者も尠しとせず、天然の夏を避けんと欲する者は天然の追窮する所となりて、其罰する所となる。
 試に思へ、若し日本国の三千余万の農夫が悉く暑を避けんがために業を廃するならば誰か翌年を支ふるの米穀を産せん、若し一千万の漁夫が暑を恐れて海に漁せざるならば誰か懶族輩の胃の腑に供するに海中の美味を以てせむ、避暑は是れ特別の人が特別の場合に於てのみ為すべきことなり、今の紳士と称せらるゝ者が避暑を以て(280)一種の義務の如くに信ずるは、彼等が未だ天然、人生両ながらを能く解せざるに因る也。
 慰めよ、暑中家に在て働く平民よ、汝等は却て天意に適ふ者なり、かの貴族、紳商、宣教師の輩を羨む勿れ、亦彼等を真似る勿れ、天の職に従事する是れ休養なり、我等は夏期たりと雖も避暑|場《ぢやう》に在て懶族と生涯を共にするを要せざるなり。 〔以上、8・14〕
 
(281)     茶代廃止に就て
                        明治34年8月17日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
  枯川君足下
 茶代廃止会御発起に相成り大悦の至りに存じ候、小生も其大賛成者の一人なるは申上ぐるまでも御坐なく候。
 御承知の通り茶代は一種の賄賂に有之、其今日の如く我国に於て盛に行はるゝに至り候は賄賂を以て成立せし薩長政府の施政の然らしめし処と存じ憤慨の至りに存候。
 何事も特別なるは東洋諸国の常例かと思はれ候、位階は特旨を以て進められ、官吏は特旨を以て採用さる、何事も公平なるなく、又公明あるなし、茶代の制たる元々此特旨主義の実行に外ならずして、其国民全躰に及ぼす悪結果は実に量るべからざるものと存候。
 今日の日本国は茶代制度の実行に依て実際は小数の貴族と金持の所有物と相成り居り侯事と存候、箱根の如き、日光の如き、実は国家的公園と見做すべきものすら今は少数上流者(精神的の下流者)の占領する所となり、富士山すら伊藤侯の別荘の築山たるに至りしは国家の不面目此上もなき事と存候、依て茲に大に茶代廃止会を拡張し、賄賂の精神を其根本より排除し、旅行遊歴を国民的快楽となし以て日本国を日本人の日本国たらしめんとは小生の熱望に御座候。
(282) 斯くて茶代廃止の事たる小事の如くに見えて小事には御坐なく、其終局の目的は日本国の根本的改造に外ならざれば御互に此事の為めには充分尽力仕り度存候、敬具。
 
(283)     第二回夏期講談会に於て読まれし聖書の部分並に其略註
                      明治34年8月25日
                      『聖書之研究』12号「註解」                          署名 内村鑑三
 
    第一日 馬太伝第十六章一より三節まで
 
  パリサイとサドカイの人きたりてイエスを試んとて天の休徴《しるし》を我儕に見せよと曰ひければ、彼等に答へけるは爾曹暮には夕紅《ゆうやけ》に由りて晴ならんと言ひ、晨には朝紅《あさやけ》また曇に由りて今日は雨ならんといふ、偽善者よ空の景色を別つことを知りて時の休徴を別ち能はざる乎、
 
       略註
 時勢の休徴を知るは空の景色を別つが如く易し、只之を解するの心を要するのみ、夕紅は晴を意味し、朝紅は雨を示す、是れパレスチナに於けるも日本に於けるも異なることなし、然れども天候を予知し得るの世の人は時勢を覚るの明を有せず、是れ彼等の心の頑愚なるに由らずんばあらず。日本今日の時勢の休徴、是れ解し難きの休徴にあらず、文明の利器は備はつて社会人心の腐敗は其底止する所を知らず、今は正直なる事は何事も成功せざる時とは成りぬ、社会改良其物すら画し得て就し難き事とはなりぬ、是れ如何なる休徴なる乎。
(284) 是れ人心が神を要求するの休徴ならざるべからず、信仰、熱心、誠実、是れ我邦今日の最大要求物ならざるべからず、宗教問題は我国刻下の最大問題なり、我国の志士たる者今や大に此事に目を注がざるべからず。
 
    第二日 馬可第六章第十四節より二十九節まで
 
  イエスの名|播《ひろが》りければへロデ王(ヘロデ大王の子にしてアンチパスと称せられし者、時にガリラヤを領せり)これを聞いて曰けるはパブテスマを施しゝヨハネ死より甦りたる故に奇異《ふしぎ》なる能《わざ》をなす也、或人は之をエリヤなりといひ或は往昔の預言者の如き預言者なりと曰ふ、ヘロデ之を聞て曰ひけるは是れ我が首斬りし所のヨハネ也、彼れ死より甦りたる也、曩にヘロデその兄弟ピリポの妻ヘロデヤの事に因て人を遺しヨハネを捕へて獄に繋げり、蓋はヘロデがかの婦を娶りしをヨハネ諌めて爾兄弟の妻を納るは宜からずと曰へるに因てなり、ヘロデヤ彼を怨みて殺さんと欲ひしかど能はざりき、ヘロデはヨハネを義く且つ善なる人と知りて彼を敬ひ彼を護り、彼に聞て多くの事を行ひ、且つ喜びて彼に聴くことをせり、斯くてヘロデその誕生の曰に諸の大臣千人の長及びガリラヤの尊き人々に享宴《ふるまひ》をなせる機会《おり》好き日いたりければヘロデヤの女《むすめ》(先の夫なるピリポに由て持ちし子)きたりて舞をなし、ヘロデと其席に列れる人々を楽ましむ、王その女に曰ひける何にても我に求《ねが》へ爾が望む所の者は我爾に与ふべし、又彼に凡そ爾が求るものは我が領分の半に至るとも爾に与へんと誓ふ、女出て其母に何を求ふべき乎と曰ひければ母乃ちパブテスマのヨハネが首と曰へり、女直に急ぎ王に来り求ふてバプテスマのヨハネが首を盆に載せて即時に我に賜へと曰ふ、王甚だ憂へけれども既に誓ひたると同席の者の故とを以て之を拒む事を欲まず、王直にヨハネの首を携来《もちきた》れと命じて兵卒を遺(285)しければ彼往きて獄に於て之を斬り、其首を盆に載せ、携来りて女に与ふ、女は之を其母に与へたり、ヨハネの弟子等この事を聞て来り其屍を取て墓に葬りぬ
 
       略註
 是れ義人の最後の状なり、「婦の生《うみ》たる者の中に未だバプテスマのヨハネより大なる者は起らざりき」とキリストの評し給ひし程の義人は一姦婦の憤怒に触れ、其忿恚を癒さんが為めに首を刎ねられたり、義人の生命も亦|価《ねうち》安き者ならずや、義人ヨハネと姦婦ヘロデヤ、若し正法を以て律すべくんば勿論殺さるべき者は後者にして前者たるべからざるなり、然れども事実は之に反し、義人の首は刎ねられて姦婦は女王の位に座せり、誰か社会の不公平を憤らざる者ぞある。然れど是れ此世の習慣なり、キリストの時代に於て然り、今の世に於て亦然り、姦婦は栄えて義人は屠らる、現世とは斯くも価なき所なり、而して其然るは神は義人のために更に好き世を備え置き給ふが故なり。
 神が今世を軽じ給ふは彼が来世を重じ給ふに因らずんばあらず、義人ヨハネの斬首は来世存在の主《おも》なる証拠の一なり、この悲惨なる事実は大なる希望を吾人に伝ふるものなり。
 
    第三日 馬太伝第一章一節より十六節まで、
 
  アブラハムの裔なるダビデの裔イエスキリストの系図
  アブラハムイサクを生み、イサクヤコブを生み、ヤコブユダとその兄弟を生めり、ユダタマルに由てパレス(286)とザラを生み、パレスエスロンを生み、エスロンアラムを生み、アラムアミナダプを生み、アミナダブナアソンを生み、ナアソンサルモンを生み、サルモンラハブに由りてボアズを生み、ボアズルツに由てオベデを生み、オベデエツサイを生み、エツサイダビデ王を生み、ダビデ王ウリヤの妻に由りてソロモンを生み、ソロモンレハベアムを生み、レハベアムアビアを生み、アビアアサを生み、アサヨサパテを生み、ヨサパテヨラムを生み、ヨラムウツズヤを生み、ウツズヤヨタムを生み、ヨタムアカズを生み、アカズヘゼキヤを生み、ヘゼキヤマナセを生み、マナセアモンを生み、アモンヨシアを生めり、バビロンに徙さるゝ時ヨシアエホヤキンと其兄弟を生み、バビロンに徙されたる後エホヤキンシアテルを生み、シアテルゼルバベルを生み、ゼルバベルアビウデを生み、アビウデエリアキンを生み、エリアキンアゾルを生み、アゾルザドクを生み、ザドクアキムを生み、アキムエリウデを生み、エリウデエリアザルを生み、エリアザルマツタンを生み、マツタンヤコブを生み、ヤコブマリヤの夫ヨセフを生めり、此のマリヤよりキリストと称ふるイエス生れ給ひき。
 
       略註
 乾操無味の記事として之に注目する者少し、然れども是れ亦聖書の記事なり、且つ新約の巻首に掲げらるゝ者なり、其中に黄金の真理なくんばあらず。
 斯くも精密なる系図を有ちしイエスキリストは確かに歴史的人物たりしなり、彼は福音記者の想像に成りし小説的人物にはあらざりしなり、彼は確実なる祖先を有せり、彼は神の化権なりしのみならず、又肉躰の人たりしなり、彼は実に「人なるイエスキリスト」にして、彼に関する記録は実録なり、世に系図を以て始まる稗史小説(287)あるなし、福音書はイエスの実伝なり。
 系図中婦人の名を留る四つ、タマルなり、ラハブなり、ルツなり、ウリヤの妻なり、而してタマルは如何にしてヤコプのためにバレスとザラとを生みしか、其耻づべき記事は之を創世記第三十八章に見よ、ラハブはエリコの娼婦なりし、ルツは異邦モアブの婦人なりし、而してウリヤの妻とて茲に掲げられたる者はバテシバと称へてダビデの辱かしむる所となりし者ならずや、「吾等は姦淫の子にあらず」とはパリサイ人の誇りし所なり、然るに茲に神の子として生れ来りしイヱスキリストは其祖先の中にパレス、ソロモンの如き姦淫に由て姙まれし父を有てり、且つ彼れキリストは其肉躰にユダ人が擯斥して止まざりしモアブ人の血を受け、爾かのみならず、最も賤むべき娼婦すら神の子の祖母たるの栄誉に与かれり、而して記者馬太は此事を記掲するに躊躇せざりしのみあらず、五十二人の祖先の名を記するに当て只僅に此耻辱の歴史を有する四人の婦人の名を掲げぬ、是れ抑々何が故ぞ、吾人の大に攻究すべき問題ならずや。
 是れ一にはキリストは万国の民の救主たるを示んが為ならざる可らず、ユダ人のみならず、ルツの国人たるモアブ人も、ラハブの国人たるカナン人も、亦バテシバの国人たるヘテ人(加奈太の学者ライト氏の説に依れば今の日本人は往昔のヘテ人の子孫ならんと)も皆な彼の救済に与かるべき者なることを示さんためならざるべからず。
 二にはキリストは罪人の救主たるを示めさんが為めならざるべからず、異邦人は勿論娼婦も妾も、私生児も総て彼の救済に与かるの資格を有する者なり、馬太はイエスの実伝を綴るに当て劈頭第一先づ事実を以て此大福音を述ぶ、耳ありて聴ゆる者は聴くべし。
(288) 爾かのみならず、五十二名の祖先中ソロモンの如く堕落せし者もあれば、マナセ、アモン、エホアキンの如く偶像崇拝に沈淪し、ヱホバの目の前に総ての悪を為せし者もあり、イエスは其祖母に於てのみならず、亦其祖父に於ても名誉あるの歴史を有せず、若し其系図を以てせば救主イエスキリストは他の人類と少も異なる所あるなし、系図に就て誇るは愚なり、悪人の子に善人あれば善人の子に悪人あり、人は彼自身の価値に以て鞫《さば》かる、イエスは吾等と均しく罪の肉体を受けて生れたり、然れども彼の聖善の霊に由て之を聖め給へり、吾等の肉の汚るゝが故に失望すべからず、そはイエスは彼の霊を以て之を潔め給へばなり
 
    第四日 馬太伝第五章三節より十二節まで
 
  心の貧きものは福なり、天国は即ち其人の有なれば也。
  哀む者は福なり、其人は安慰《なぐさめ》を得べければ也。
  柔和なる者は福なり、其人は地を嗣ぐことを得べければなり。
  餓え渇く如く義を慕ふ者は福なり、其人は飽くことを得べければなり。
  矜恤《あわれみ》ある者は福なり、其人は矜恤を得べければなり。
  心の清き者は福なり、其人は神を見ることを得べければ也。
  和平《やはらぎ》を求むる者は福なり、其人は神の子と称へらる可ればなり。
  義きことの為めに責めらるゝ者は福なり、天国は即ち其人の者なれば也、我が為めに人爾曹を詭※[言+卒]《のゝし》り、また迫害《せめ》、偽はりて各様《さま/”\》の悪き言をいはん、其時は爾曹福なり、喜び、楽め、天に於て爾曹の報賞《むくひお》多ければなり、(289)そは爾曹より前の予言者をも如此く責めたりき。
 
       略註
 是れ曾て美訓の名を付して独立雑誌に掲げし者なり、イエスの教訓中精華を以て称せらる、人、其佳麗を讃して止まず、然れども之を賞讃する者多くは福を受くるに至る心の状態に留意して、其何故に福なる乎に注目せず、即ち福祉の源因に留意して其結果に注目せず、故に美訓の半面を解し得て其全部を了るに至らず。
 「天国」、「地」、是れ何を意味する言葉なる乎、天国とは単に幸福なる心の状を云ふに止る乎、「地を嗣ぐ」とは詩人的比喩なる乎、之を聖書の他の部分に較べ見て其然らざるを知るに難からず、基督教は明白に未来永遠の実在を説く、基督教は人生五十年を以て存在の範囲と見做さず、基督教は復活を信じ、来らんとする神の王国を望む、故に天国と云へば此聖浄純潔なる神の王国を指して云ふならざるべからず、之を辞義通りに解せずして美訓の純美を味ふ難し。
 柔和なる者(或は蹂《ふ》み附けらるゝ者と読むべし)は福なり、其人は地を嗣ぐ事を得べければ也と、此美はしき天地、富士山の聳ゆる国、琵琶湖の月光を映ずる土は終に今は権門勢家のために蹂み附けらるゝ者の手に附《わた》るべしとなり、是如何なる福音ぞ、地は永久に俗人に依て穢さるべき者にあらず、正義の王国は終に此地上に建設せらるべしとの約束なり、吾等は俗人に蹂み附けられて永遠に此世を逝るべき者にあらず、嗚呼、誰れか此大福音を信じ得る者ぞある。
 
(290)    第六日
 
  それ人の子は父の栄光を以て其|使等《つかいたち》と偕に来らん、其時おの/\の行《おこない》に由て報ゆべし(馬太伝第十六章二十七節)。
  其時人の子の兆《しるし》天に現はる、また地上にある諸族は哭き哀み且つ人の子の権威と大なる栄光をもて天の雲に乗り来るを見ん、(馬太伝二十四章三十節)。
  白衣を着たる二人の人ありて旁に立ち、(弟子達に)曰ひけるはガリラヤ人よ、何故に天を仰ぎて立てるや、爾曹を離れて天に挙げられし此イエスは爾曹が彼の天に昇るを見たる其如く亦来らん(使徒行伝第一章十一節)
  其他使徒行伝第三章二十一節、哥林多前書第一章七節、腓立比書第三章二十節、帖撒羅尼迦前書一章十節、同二章十九節、同三章十三節、同後書一章七節、希伯来書九章二十八節、彼得前書五章四節、仝後書三章三、四節、黙示録第一章七節、仝三章十一節、仝二十章四より六節まで等
 
       略註
 キリストの再来に関しては聖書の掲ぐる所は之に止まらず、之れ聖書記者の意中に存せし一大事項たりしや疑ふべからず、其哲学的、歴史的に如何に解すべきものなるや、余は茲に之を弁ぜざるべし、然れども之を等閑に附して聖書の大部分を解し得ざるに至るは疑を挾むべきにあらず、
(291) キリストの再来は改革者の希望なり、若し此事なしとすれば世の完全なる改新は到底望むべからず、吾人の改革なる者は単に一部的たるに止る、且つ一方を改むれば他の方面に害を及さゞるを得ず、人類全躰を改むるが如きは是れ神以下の実在者の完成し得る事業にあらず。
 今日までキリストの再来を予言して其言の当らざりし事幾回なるを知らず、故に世の智者を以て自から任ずる者は此説を嬉笑して止まず、然れども其今日まで成就せざりしを以て其終に行はれざるの兆となすべからず、予言者の予言使徒等の希望は常に此一事にありき、是れ迷信家の夢想にあらず、歴史家の結論なり、改革者唯一の慰藉なり、世に人類の堕落を見て失望に沈む者多きは聖書が吾人に伝へたる此大希望を心に受けざる者多ければなり。
 
    第八日 希伯来書第十一章、殊に其三十六節より四十節まで
 
  また或人は嬉笑《あざけり》を受け、鞭打たれ縲絏《なわめ》と囹圄《ひとや》の苦みを受け、石にて撃たれ、鋸にてひかれ、火にて焚かれ、刀にて殺され棉羊と山羊の皮を衣て経あるき、窮乏《ともしく》して難苦《なやみくるし》めり、世は彼等を居くに堪へず、彼等は曠野《あれの》と山と地の洞と穴とに周流《さまよ》ひたり、彼等は皆信仰に由て美名《ほまれ》を得たれども約束の所を得ざりき、そは彼等も我儕と偕ならざれば成全《まつたう》すること能はざる為めに更に愈れる者を神預め我儕に備へ給へり。
 
       略註
 現世を以て幸福《ハピネス》を得る所なりと見做すは誤りたる人生観なり、現世は幸福を得る所にあらずして、試錬を受く(292)る所なり、今や人何人も「幸福」を説く、曰く「最大多数の最大幸福」、曰く「幸福なる家庭」と、而して之を説く者は世俗的政事家に限らず、宣教師然り、牧師然り、彼等は皆な人世の最大目的は幸福を得るにあるかの如くに説く、然れども基督教の人生観は全く之と異なる、基督教は幸福を来世に置て之を現世に求めず、基督信徒は冕を望む者なれども之を神の王国に於て戴かんことを欲す、彼に取ては現世は試錬の場所たるのみ、義の為めに忍び且つ戦ふの処たるのみ、彼にこの世に於て枕するの所なきは当然なり、彼が世に憎まれ、嬉笑《あざ》けられ、時には石にて撃たれ、鋸にてひかれ、火にて焚かるゝは決して怪むに足らず、基督教を信ずると称して此世に幸福を追ひ求むる者は未だ基督教の何たる乎を知らざる者なり。
 
    第九日 馬太伝第五章十三より十六節まで
 
  爾曹は地の塩なり、塩若し其味を失はゞ何を以てか故《もと》の味に復さん、後は用なし、外に棄てられて人に践るゝ而已、爾曹は世の光なり、山の上に建られたる城は隠るゝことを得ず、燈を燃して斗の下に置く者なし、燭台に置きて家に在る凡ての物を照らさん、此の如く人々の前に爾曹の光を輝かせ、.然れば人々爾曹の善行を見て天に産ます爾曹の父を栄《あが》むべし。
 
       略註
 吾等キリストを信ずる者は地の塩なり又其光なり、塩は其量少しと雖も多量の腐蝕物の腐敗を止むるの力を有す、一個の燈光は広き室を輝らすの力を有す、故に少量なるが故に無能なりと做すべからず、小数なるが故に無(293)力なりと做すべからず、然り、世の腐敗を止むる者は常に少数の義人なり、世の暗黒を輝らす者は常に二三の聖人なり、多数にのみ依頼する今の人は深く此事に注意せざるべからず。
 キリスト信者は世の少数なり、亦真正にキリストを信ずる者はキリスト信徒中の小数なり、吾等此事を見て時には大に失望す、然れども此最小数のキリスト信徒こそ、実に教会を救ひ世を救ふの力なるなれ、吾等をしてキリストに忠実ならしめよ、然らば吾等は確かに此腐敗せる大社会を潔むるを得ん。
 
    第十日
 
  イエス彼等(弟子達)に曰ひけるは※[行人偏+扁]く世界を廻りて凡ての人に福音を宣べ伝へよ(馬可伝第十六章十五節)
 
       略註
 吾等がキリスト教を信ずるは特に吾等自身が救はれん為に非ず、神が我等を救ひ給ひしは吾等が世の人を救はん為也、伝道は基督信者の身に添ふ義務なり、伝道せざる者は基督信者に非ざるなり。
 我に美はしき名二つあり、二者共にJを以て始まる、イエス(Jesus)なり、日本(Japan)なり、我は之を称して二つのJ(two j's)と云ふ、我の宗教は此二者を離れて存在せず、イヱスの為めなり、日本の為めなり、イヱスの栄光を顕はさんため、日本の名誉を傷けざらんためなり、我が夏期講談会も此等二つの美しき名のために開かれしなり、吾等は是より各々家に帰らんと欲す、然れども吾等は大重任を負はずしては此所を去らじ、イヱスの為め、日本の為、イヱスの為めに不義に陥る勿れ、日本の為めに外国宣教師の補助を受くる勿れ、日本を救ふに日(294)本人の力を以てせよ、二つのJを忘る勿れ。
 
(295)     今日の最大要求物
                      明治34年8月25日
                      『聖書之研究』12号「講演」                          署名 内村鑑三
 
      せめて、大要なりともと鉛筆を走らせては見たものゝ、熱血迸る如き大演説に幾度か電流をあびせらるゝ心地がして、多血性の我れ、不憶も普通の聴者《きゝて》に反り、只啻に眼と耳ばかり活動《はたら》かせる事の不尠あつたので、誌上に耳《のみ》風生の議論を窺はうとせらるゝ諸君に取つては、木に竹を接いだ様な箇処が往々にしてみゆるに相違ない、筆記者も太甚だ残念ではあるが御互に「後の祭」と諦めておかう。      黒木耕一
 
 こゝに此会場に於て、予定通り、諸君と相会するは、満足に禁へぬ次第である、「独立雑誌」以来、「聖書之研究」とても、多分は一人の仕事であつて、友人の同情は有るものゝ、乍併予の今日迄執り来つた方針、信仰の性質より見れば、至て孤独の位地に在りしといふが至当の見であらう。其孤独なる一雑誌の編輯者が催ふせる講談会に、かく遠近より集ひ来られしは、これ全く神の恩恵に藉《よ》るもの、予は自己の責任の重きを感ずると同時に、感謝の祈祷を捧げざるを得ない。
 振返て、開会に至りし迄の成行きをみれば、種々の心配もあつた、先づ第一の当惑は会場を何処にするかといふことであつた。昨年講談会の報告が誌上に現はれてより、続いて本年もとの注文が烈しいので、一は喜び一は甚だ心配した。何故此校舎の借用が、しかく、面倒であるか、地方の方々には奇怪の感もあらう、が此校の持主(296)は、いつも不定であつて誰に申込んで宜しいやら分らないのである、そこで鎌倉行きを思ひついて、同地の津田仙君に相談して大賛成は得たものゝ、さてこれには、少からぬ入費を要するので、終局信州小諸の友人の誘ひに従ひ、同地に駈込んで、一旗揚げ様とも思うてみたが、夫等の遣損じが今は却て幸福の基となつた。講師も今年は沢山の筈であつたが永々会場の不定で当方より断つたる向きもありて、乍遺憾不着、松村介石君も京都行きで間に合はぬが、大島君は孰れ二三日中に出京あるべく、在巣鴨の巌本、田村、留岡三君も日を異にして参ぜらるゝ約束である。
 却説《さて》、本年は別にこれぞと申す馳走も無いが、吾等は時勢の大問題を考究すると同時に世に得られぬ能力《ちから》と生命《いのち》とを有せんが為め集つた者である。さればクロンウヱル時代の人々が神意を受くるに非ずんば此場を去らぬと叫びし如く、吾等も其生命に一大変化を得ざれば、誓て此会を立退かざる大決心を以て、祈祷と研鑽とを試みんと思ふのである。
 昨年は初日に Pro christo et patlia の談話《はなし》をした、今日は此語句の意味を如何に解すべき乎、又今日の我国の状態、我同胞の心の状態は、此の語句を何れ程迄に迎へ得べき程度にきて居る乎を少々調べて見たい。先づ馬太伝十六章の最初数節を読んで見やう。「パリサイとサドカイの人来りてイヱスを試んとて天の休徴《しるし》を我儕に見せよと曰ひければ、彼等に答へけるは爾曹暮には夕紅に由て晴ならんと言ひ、晨には朝紅また曇に由て今日は雨ならんといふ、偽善者よ空の景色を別つことを知て時の休徴を別ち能はざる乎、姦悪なる世は休徴を求るとも預言者ヨナの休徴の外休徴を予られじ遂に彼等を離れて去りぬ」 短かい問答ではあるが此語の中には種々の意味が含まつて居る、「パリサイとサドカイの人」 これは今の所謂俗人である、渠等はイエスの力を試みんとて、天の(397)体徴を以て世の中が如何なることか我儕に知らせよと質問した、そこでイヱスは直に汝等天気のよしあしを知て何故に時の休徴を知り能はざる乎と反問した。キリストは渠等が大嫌ひであつた、罪人は恕しても彼等に対ては少しも仮借する所がなかつた。「晨には朝紅また曇に由りて今日は雨ならんといふ偽善よ空の景色を別つことを知て時の休徴を別ち能はざる乎」 此一節はソツクリ其儘今日の社会に応用することが出来る、すなはち今日の時勢を知るの易きは、朝紅又は曇に由りて今日は雨ならんと別つが如くに容易くある。単刀直入して言へば其は即人心腐敗である、新聞の記者もかく唱へ、雑誌の記者もかく唱へ、道徳家、政治家、代議士、医者、商売人も皆かく叫んで居る、我等に理想は有るが人心腐敗で何事も出来ないとは一般人士の歎声ではないか、これについては誰も異論を唱ふる者はあるまい、今日は鉱山事業の勃興もある、商売の口もある、新著述新雑誌も表装勇しく現はれてはくるが、それにも関せず人生に希望ありてふ声は何処を撃ても叩いても出ては来ない。絶望の奥の奥には大なる希望が潜んで居つてこれぞ即ち喜の中の喜びであるといふ事を喝破し来るものは只の一人も無い。口伝へに口真似に半分位ひいふ人は出てきた、然れど其人世観に於て確に此世は憤悶憔悴の死せ以て終るものに非ずといふ信仰を有せる英雄は蓋し一人もない、人心の腐敗−大失望−大悲観、これが今日の特徴ではないか、毎朝チリンチリンと鈴を鳴らして新聞配達が走て来るから、何か喜ばしい報知でもあるかと取て見ればいつもかはらぬ大失望、嗚呼と歎息して新聞を擲き付ける計りである。ニユスを見た一日は甚だ不快である、悪事を載せぬといふ新聞紙もまづその如くである、斯くも希望と歓喜とを与ふる言論文章の欠如たるは抑何等の因縁であらうか、これ全く同胞四千五百万人の胸中に毫末も希望の光が存して居ない故ではないか、多くの人の中には、音楽もある、美術もある、朋友も有る、社交でも盛にやればそれでよいと云ふて居るものもあるが、西洋人と雖(298)決して単にそれのみで慰められては居ない、音楽美術の源は我等の心の底に在る、心の底に天の高きより何物かゞ下り、何にか喜ばしいものがここにこもればこそそれが則ち口に発するの声律となり又は手腕に触れて美しい物が写し出さるゝのである、然るに今の世は到処此生命の原理に欠亡して居るではないか、之を詳述する前に二三の実例を挙げて今少しく時の徴候を繰返し説明して見たい、先づ其一つは今年の大挙伝道である、友人の口よりきけば、今度の大挙伝道程活気を帯びたものは無いといふて居るが、併し此伝道が何も牧師の真理発見や信徒の懺悔改悔等より起つたのではなく、言はゞ人世は如何するか、金と義理との両責《ふたつぜめ》は堪らないといふ社会自然の必要から吾れ先きにと人々が押寄せてきたので、これは全く社会全躰が失望に沈淪《しづ》んで居る証拠である。其二は万朝報の発起に罹る理想団、これ亦非常の勢力であつて発起会の状況の如きは実に盛んなものであつた、此中には案外な人物も居つたそうであるが、然し是等も全く社会の腐敗に辟易失望して入り来た人達であつて、要するに現社会が如何に精神上の飢渇に苦んで居るか、如何に新事物に接せんともがいて居るかは此二例に仍て見るも明白である。又予は他の方面から社会の腐敗を目撃した、それは即彼鉱毒事件である、乍併予は田中正造君の受けつぎではない、又鉱毒事件の為に鉱毒事件を喋舌るのではない、是は即鉱毒以上の大問題国民全般の大問題である。聖書の研究には間接かも知れぬが余程近い関係を有て居る。被害地の模様については諸君も種々伝承して居られるであらうが、実地に行て見れば可驚日本帝国の中央しかも東京より三時間たてば達せらるゝ処にあんな悲劇が行はれて居るとは、予輩は今更の如く茫然として自失せざるを得ない。日本唯一の沃饒地−埃及ナイル河辺の土地に比すべき処、而も何万町歩といふ広漠たる土地が一面の荒野と化したとは実に々々此上《こよ》なき悲劇ではないか。それで地面は十ケ年間もかくの如く曝されてある、有力家も実見した、が救はうとする人はない、(299)否な救はうとしても救ふことが出来ないとは実に々々奇怪究まる現象ではないか。若しかゝる事件が英米に在りとせんかそは実に国家社会の大問題である、三年五年の間には屹度戦争が始るにちがひない。かゝる明白なる罪悪−普通人が普通の肉眼を以て見れば分り切たる罪悪に対し治療方は承知して居ながら、如何ともすること能はざる今日の社会は其生命の源に何か大変な狂ひがきて、其為めに療治の力を失うて居るのではない乎。一個人の問題家庭の問題事業上の問題皆然り、病源は分つて居る、療治法は分つて居る、が悲哉之を療治する力が全く無い。吾々は折々盗賊に追はれて一生懸命逃げ様としてもどうしても逃げられぬ仲々苦しい夢を見ることがあるが、夢ではない、吾々は今実際かゝる境遇に彷徨て居る。昨晩家庭改良の法を講ぜよとの注文を受けたが乍併改良の方法は今や残らず言ひ尽されてある、唯肝緊なは其方法を動かすモーチブ、パワー電気電流である。如何すれば機械が動くか、それは能く分て居る、されど非常な大きい発電所があつてそこから電気がやつてこなければ全く無効である。機械を動かす方、悪を蛇蝎視する力、喜んで善を遂行する力、吾等の欲求は一に此偉大なる力を獲るに存して居るのである。足尾問題もつまる所は一身問題国家間題で、被害人民に生命なく、社会に何等の動力なきは今更言ふを待たない。それで吾々は今救済の方法を講究すべき必要はない、方法の詮索は博士学士たちに委せて置いて充分である、唯吾々は方法よりも方法を使ふ能力が欲しいのである。今日の日本には種々雑多の器械が備はつてある、茲に器械といふは必しも鉄や木で作つたものを指すのではない、法文、命令、宣教師学校、日曜学校、これらも亦一の器械に過ぎない、先日一青年から書面が参つた、披て見と私は神を信じたいがどうしても信ずることが出来ぬ、何か旨い工夫はあるまいかといふ問合せであつた。支那の儒者は心に脱罪の工夫を按じ、口には修養々々と論じて居るが、基督の道よりいへば別に工夫、修養といふものゝ必要はない、唯吾(300)儕は吾儕の汚穢《けが》れたる身躰に新生命を吹入れる丈の事である。吾人が聖書を研究する目的は即茲に在る、彼の新なる社会改良法を講ずるとか、聖書文学を社会に供するとかは敢て吾人の目的とする所ではない。吾人不肖なりと雖願くは此目的を高く標榜して進み以て日本国が要求する最大必要物を此会場より発見致したい。予は予の目の前にある浄水溜池を見て常に考へる、それは何かといふに、東京の人士は毎日毎夜此処から輸送《おく》る水を飲で生命を緒《つな》いで居る、処で若し此池の中に毒薬を注ぎ込まんか東京の人士は忽ちにして死んで仕舞ふ、これは即東京人士の生命の水である。此の如くに吾々の小雑誌(聖書之研究)も一つの水道浄水池でなければならないと思ふ。今日に於て日本人士の要求するものは学問でもなければ器械でもない、即生命の泉である。それだから此淀橋水道の水が東京幾百万の住民を救ふが如く、精神界には此小雑誌が一条の泉水となつて溢れ出で流れ出で以て社会の生命を新にする様にとひたすらに祈祷るのである。御承知でもあらうが榛名山に登る男女は必ず其巓の湖水から清水を酌んで、それを携へて行く、吾々も此世に於て万丈高き険山を攀躋るものとすれば、どうか一滴なりとも清列の水を得て而る後此十日間の会同を屑よく離れたいものである。
 
(301)     基督教とは何ぞや
                      明治34年8月25日
                      『聖書之研究』12号「講演」  
                      署名 内村鑑三
 
 此問題に就いては、雑誌上にも一度披露をしたが、尚ほ、少々談話を試みたい。嘗て予が米国の或ユニテリアン信徒の家に寓せるや、一日日本の一友人が予を訪問れたことがある。あとで寓居《やど》の妻君に今の御方はクリスチアンかと問はれたので、否な彼はユニテリアンですと答へた。それで細君大立腹の態でユニテリアンは基督教ではないかと大喝した、予は口論の無益なるを思ひ一時の沈黙を守て居たが、其実、予は今にもユニテリアンは基督教に非ずと思うて居る。
 クリスチヤンなる語は甚だ立派な語であるから皆然う呼ばれたいと望んで居る。カーライルはクリスチヤンでは無かつた、が或時卿は何信者ですとの問に答へて、十九世紀の人に向つてそんな質問を発する必要はあるまいといふた程である。
 基督教は新約全書の中にある、新約聖書を公平に解釈して其教義を信仰する人はクリスチヤンである、然るに唯人類の為に尽し社会の為に務めさへすれば、それでクリスチヤンであると心得て居る人は世の中に多い。吾等は何にもユニテリアンや慈善事業に竭す人を悪魔と見做すといふのではない、又不善の人とも見做さない。併乍明瞭に聖書に記してないことを基督教と云ふは大に紛らはしい事であらうと思ふ。l am a christian といへば(302)今は西洋でも名誉の語であるが、然しクリスチヤンなる名は元々名誉の名ではなかつた。併し嘲弄的の言葉が却て高尚な貴い言葉となつたのは其例あへて西洋にも珍らしくない。曹て和蘭の愛国者は乞食党と嘲られたを名誉として、其印しにお椀を胸に懸けて大道を歩行いた。今日南亜戦争の有力者は皆此乞食党の子孫である。メソヂストは今は名誉の称であるが、其本をたゞせばメソドは即 method で methodist とは四角四面唯規則にのみ拘泥する連中を指したので有つた。Christian とても Chrestian の転訛で、お互に善行を励み合ふのを人々が忌嫌つて chrest と嘲り Chrestian と罵た其言葉が今は立派なる名誉の標号となつて居るのである。されど実際今日のクリスチヤンが如何なる人物であるかを見るに及んで吾等は屡々惘然として自失することがある。彼等の中には「新約」の教へに合はぬことを信じて居る者が頗る多い、故に我等は先づ歴史家の位置に立て公平に何なる人が真のクリスチヤンであるかを観察して見度い。
 基督教徒と呼ばるゝ人の中には随分君子と称すべき人がある。然れど其等の人と雖肉躰の復活は容易に信ぜない、肉躰の復活は所謂霊魂不滅とは違ふ、霊魂不滅は肉身は腐れて仕舞て唯だ霊魂のみ生存《いきのこ》ると云ふ議論である。此説は嘗て神道者も唱へた、嘗て希臘印度の哲学者も唱へた。独り肉躰の復活説は新約全書特得の教義であって、世に是程大胆なる教義はない、之を信ぜざる基督信者は有名無実のクリスチヤンであると思ふ。復活の第一の証拠はキリストの更生である。キリストは十字架上手と足とを釘付けにせられ、剣で其胸を刺され全く絶息して三日目に甦つたのである、其後キリストは弟子等の己れを疑ふを見て爾曹何ぞ騒くや我手我足を見て我なることを知れ、来て我にさはれよこれ我身躰なりと明言した、かくして彼は弟子と共にパンを食ひ魚を食つて汝等福音を此世に伝へよと言ひ渡しつゝ天に挙げられたのである。これ聖書の中にある有の儘の記事であつて更生(303)復活のことは聖書の至る処に記されてある、然るに所謂基督信者の中には吾は肉躰の復活は信ぜぬが基督教の倫理は大に嘉みすべきであると論じて居る人がある、これは実に奇態な話であつて、之は丁度人が私に向てアナタの主義は悪いがアナタの顔や手足は立派であると云ふと同じであると思ふ、人の頼て立つ所は其 heart にある、heart を外にして人を論ずれば馬鹿気たことになつて仕舞ふ、願くは吾々は吾々の heart を信じて貰ひたい。抑も福音とは不死不朽を伝ふるの声である、此肉躰は復生して天国に昇るのであるとの事を伝ふる者である、天国が星の世界であるかどこの世界であるかは姑く別問題とするも、兎に角貧や死の怕れなく、誤解偽察の恐れなく、腐敗の声をきく心配もなく、理想的の生涯を送ることの出来る聖境であることは聖書の上に於て疑ふ可らざる事実である。処が先日予は一地方に行て極くよいクリスチヤンに会した、其クリスチヤンが予に対つて先生私はキリストの神なること并にキリストの道徳をも信ずるが復活丈は信ずることが出来ない、復活問題の如きは信仰と何の関係もありますまいねと宛然自明の理の如くに問ひかけられたので、予は甚だ其返答に困窮した。若しかゝる質問が保羅の耳に入つたとすれば、彼は何と答へたであらうか、それは実に大変な誤解です、それではキリストは無益に此世に降たことになる、飛んでもない事だ、吾々はそんな考で伝道をして居るのではないといふたで有らう。乍併かゝるありますまいね的の質疑は今日の基督教会間に於て別に怪しむべき語ではない、説教を聴きに行けば信徒は熱心に慈善事業や社会改良の必要を唱へて居る、会々復活論を質ぬれば彼等は頭を掻いてあれは容易に決せられない大問題であるなど云ふて居る。於是乎予輩は常に疑ふ、復活を信ぜざる人にして洗礼を受くるの資格ありや否やと、これは一つの大問題である。バプテズマを洗礼と訳したは甚だ穏当でない、バプテズマとは「浸す」といふ意味、水を潜るといふ語である、単に水をくゞりさへすれば救はれるか、それは勿論そうでは(304)ない、バプテズマは一の特別の儀式である。精しく云はゞ、水に浸たさるゝは死して墓下に埋まりし表彰で、其水上にあがり来るは勿論新生命を受けて更生するの表彰に外ならぬ、即これは復活の信仰を表白する厳重なる儀式である。然るに復活を信ぜざる人が容易に洗礼なる者を受けて教会に入るは、これ実に洗礼の儀式を濫用したものであつて、全く基督教の根本的教義を蔑如した行為ではあるまいかと思ふ。現今にては復活の信仰は基督教の信仰と伴ふて居ない、キリストの人格をさへ信ずればそれで基督信徒となつたやうに思ふて居るが、然しそれは最も基督の教に反して居る。序にいふが今の日本人は主として基督教の倫理を説き、又基督教の倫理的ならざる可らざることを論じて居る。然れど基督教が倫理を教ふるのは倫理の為に倫理を語て居るのではない、或特別なる教理を示さんが為めに倫理道徳を語て居るのである。言をかへていはゞ、キリストは倫理道徳を教へん為に態々此世に降つたのではない。仏僧は地獄極楽の説を唯の善巧方便として説教して居るが基督教はそれと全く正反対である、キリストは確に未来天国を説き、未来復活を証した、キリストの復活昇天は即人間の復活昇天であつて、吾等は吾等の信仰に由て必ず神の栄光に与ることを得るのである、それだから現世の不幸に我慢せよ、忍耐せよと保羅は絶えず叫んだのである。天国の児は現世に於てこそ、泥土の如く踏付けらるゝが、併し彼等は遠からずして天国を受けつぐものであるから現世の苦は将来の栄であるといふのであつて、キリスト教の倫理道徳は這般の第一教義より生れ来たもの、即基督教の倫理道徳は基督教人世観の結果に過ぎない。然るに今の人は此事を顛倒して慈善事業、社会改良を真先に善の至極と考へて居る、これで果して人が喜んで善を為すものであらうか。永生の観念だもない五十年一生の人に向て、イヤ金を出せ宝を出せと迫るのは全く無理なはなしではないか、聖人君子も人情を破壊することはできぬ、出さぬといふ人が無理か、出せと迫る人が無理か、一寸考へて(305)見ても分り切た話である。されど永生の眼より見れば現世の死は即一時の睡眠である、現世の死は即人間新生涯の発端である、而して此確信ある者にはいまに必ず永遠の冠が来るものだとすれば、彼等は何うして現世の浮華眩栄に顛動することがあらうか、自分の物をすてゝ人に恵む位のことは何でもない。使徒保羅は不幸の人であつた、彼は一生親兄弟に誤解せられ、又殺され様としたことも回々であつた。それにも拘はらず、彼には内心いふに忍びざる大慰藉があつた、彼れ羅馬の獄屋に馘られんとする数日前、書を或方に送て、吾れはこれから永遠の冠を頂くのであるといふた、世人の最怕れて居る死といふ考は毛頭彼れの頭に存して居らなかつたのである。世の学者はよくいふ、曰く未来の希望の為めに、善を為さんといふは、嘉みすべき心ではない、道徳は道徳それ自身の為に為すべき者であると、一見難有い教のやうではあるが併し其等の人に保羅の如き大希望大歓喜があらうか。況んや善悪応報の関係は人世の原則である、これが不正の原則であるならば、天皇陛下より御褒美を戴くこともやめなくてはならぬ。現世に於て義の為に命を棄つるものが、未来に於て栄誉を受くるは不動の天則ではないか。其天則を曖昧に附すればこそ妄に天を怨み人を咎めて、失望悲哀の生涯を送るに至るのではないか。神は善人を殺すとのみ見て、原因結果の理屈は頗る解し難い、神が善人を殺すは殺す様に見ゆるのであつて、其実、真に善人を殺し給ふのではない。我等は倫理学者より見て如何にも哀れに思はるゝかも知れぬが併し我等は純粋倫理のみに頼て此世の中を渡て行くことは出来ない。基督教倫理は飽迄も其教義に附帯したもので基督教の教ゆる所と倫理学者の主張とには其間に雲泥月鼈の相異が存して居る。
 
(306)     第二回夏期講談会
                      明治34年8月25日
                      『聖書之研究』12号「伝道」                          署名 内村生
 
 待ちに待たる七月廿五日は来りぬ、友は国の四方より来りぬ、或者は鳥海山の麓より、或者は、瓊の浦の岸より、博多より、美作より、伊予より、京都より、近江より、名古屋より、信濃より、越後より、皆な吾等を見舞はんために来りぬ。
 之を講談会と称ふは不可なり、是れ「研究」雑誌の読者の大懇親会なればなり、而も普通の懇親会にあらず、其会員は千里を遠しとせずして来る者、日本国に会合の種類は多けれども多分斯の如き会合は他にあらじ、之に一つの金銭的利益の伴ふあるなく、之に一つの肉躰的快楽の約束せらるゝなし、只単に純粋に精神的同情を求めんため、且つ之を頒たんため此奇異なる会合は開かるゝなり。
 是れ懇親会なり、亦た代議的集合なり、「聖書之研究」雑誌の読者は年に一回其代表者を本社に送て其実況を視察せしむ、親しく其記者に接し、彼が常に口にする所を直に彼の口より聞かしめ、而して之を誌上に報告して事実の真相を全国に伝へしむ、斯くて余輩執筆に従事する者は欺かんと欲して欺く能はず、読者も亦其意志のある所を記者に伝へて出来得る限りは彼をしてその要求に服従せしむ、是れ実に記者の利益にして亦た読者の特権なり、是れ「研究」雑誌の特殊の「政体」なりとす。
(307) 而して如何なる者が「研究」誌の読者を組成するぞ、是れ講談会が明白に吾人に示す所の事実なりとす、勿論其中に一人の貴族あるなし、是れ当然の事なり、大工の子なりしナザレのイヱスの福音が今日の我国の貴族に受け納れられやう筈なし、若し彼等に受け納れられんか、是れ偽りの福音たるなり、余輩の講談会に貴族の代表者の一人もなかりしは余輩の此会合のキリストの聖意に適ひし者なるの一証ならずんばあらず、貴族の在る所にキリストは在さず、余輩の此会合は幸にして一人の貴人を有せざりし。
 然れども貴族と乞食とを除くの外は余輩は総ての正直なる労働者の代表者を有たりと信ず、農夫は勿論其多数を占めたり、信濃の小山君の如き、上総の三須君の如き、上野の永島君の如き、陸奥の藤本君の如き、美作の有元君と森本君の如き、皆な我国に於ける確実なる農家の代表者にして余輩は「研究」誌が多く農家に読まるゝを知て其軽佻浮薄の雑誌にあらざるを自認せずんばあらず。
 工業家の代表者としては伊予の北脇筍次君と名古屋の広島外三君とは来られぬ、二君共に我国に所謂実業家にはあらざるも、而も多くの労働者を使役する位地に立たるゝ人にして単に空を論じ漠を議するの士にあらず、殊に北脇君が資本家に接して温良なる、広島君が労働者に近て謙遜なる余輩をして余輩理想の製造業の決して貧富の衝突にあらざるを思はしむ。
 上田の滝沢君は蚕種商なり、大阪の小泉君は雑貨商なり、京都の川村君は桶商なり、共に正品を商ふを以て業とする者、聖書の研究と商売とは其関係甚だ遠きが如くに見えて実は甚だ近し 余輩諸氏と飲食を共にする十日にして曾て一回も商を卑しとするの念慮を発せしことなし。
 教育家を代表しては筑前の末次君と下野の小西君と武蔵の宮崎君と信濃の高橋君とは来られぬ、小西君の謙遜(308)は少しく其度を過ぎやせまじ乎と思はれ、宮崎君の誠実は氏の同郷の故人熊谷直実を想はしめ、高橋君の沈黙は信山の鬱蒼たるを覗はしめたり、身を今日の教育界に置きながら聖書の神を探り求むるが如きは甚だ奇なるが如くに見えて、而も今日の教界必しも神を求むるの心に乏しからざるを示せり。
 官吏は亦余輩の歓んで迎ふる処、昨年は茨城の小川君と埼玉の佐藤君と在て余輩の心を強くせられたりき、今年は千葉よりは小田米太郎君来られ、埼玉よりは小野郷二君臨まれ、共に十日間余輩と共に書生的生涯を送られたり、而して二君の研究の精神に至ては今尚ほ学を教室に求むる学生諸氏に一歩を譲る所あるを見ざりき、税吏のマタイと宰《つかさ》のニコデモを愛せし基督は今尚ほ正直なる官吏を愛して止まず。
 越後柏崎の品川君は牧牛家なり、君は牛を牧場に誘ふに手風琴を以てす、君の此会に臨まるゝや亦此琴を携へられたり、曰ふ余輩の講じ且つ談ぜし所の真理は君が牛より聞きし所のものと異ならずと、君は幾回となく君の牧牛歌を以て余輩を慰められ、満面悲哀の痕跡だも留めず、君は総て幸福にして総て喜悦なりき、而も君も亦た悲哀を知らざるの人にあらず、君は福音に因て斯くも喜ばしき人とはなりしなり、若し日本にダビデありせば彼は君の如き人なりしならん、聖書と牛と風琴、嗚呼是れ詩人の理想ならずや、而して此貴き活ける絵画は喜ばしき十日を余輩と共に送られき。
 昨年は丹波より志賀真大郎君臨まれて吾人に農聖人の何たる乎を示されたりき、今年は不幸にして君を見ること能はざりし故に神は君に代ふるに羽前の梅木達治君を以てせられたり、同一の理想と同一の境遇は二君をして同腹の兄弟の如き者たらしめたり、「我に一つの宝物あり、眼を病める我の妻なり」と、全会之を聞て涙潸然、基督教こゝにあり、此人をして此聖者たらしむ。
(309) 学生は来会者の大部分を占めたり、而して如何なる学生よ、其一人をして普通の教会に在らしめば彼は活動の中心たるべき者なり、諸氏各々の紹介は之を感想録の「註」に於てせん。
 六十余人の同志、居を偕にする十日、一回の喧噪あるなく、一杯の酒を飲む者なく、新聞紙はたゞの一枚万朝報の其間に読まれしを見しのみ、建議の一言半句も来会者の唇を穢せしを聞かず、厨房に働く一人の姉妹の病の為めに倒れるあれば会員相代て炊事を援く、其中に二三の不平ありしは之を感想録に徴して知るを得しと雖も、而も一人の荒言を吐いて非紳士的行為に出でし者はなかりき、余輩は信ず不完全なる人間に依て組織されし会合にして是よりも聖く是よりも睦まじき者は他に望むべからざるを。惟り悲む、余輩の徳足らず信薄きが故に遠来の友をして欠を感ぜしめしこと極めて多かりしことを。
 待ちに待ちし十日は去れり、友は相続いて其故郷に帰れり、余輩は独り後に留て孤島に捨て置かれしの感あり、余輩は十日間の接待にいたく疲れぬ、然れども深淵より深淵に渉る歓喜は余輩の心の底より湧き出でぬ、余輩は十日間伝道に従事せりヽヽヽ嗚呼幸福なる事業よヽヽヽ声を以てのみならず、鍋を以て、釜を以て、箸を以て、皿を以て、椀を以て、即ち全家を挙げて伝道に従事しぬ、余輩の伝道とは実に斯の如き者なり、婦に楽を奏するの才能なければ彼女は飯を炊いて主に事へんとせり、児に貴公子の風采なきも彼等は客に接するに家人に接するの信任を以てせり、吾等貧家の者、我が主に事ふるにに他に途あるなし。
 殊に七月三十一日の夜はヽヽヽ天は蒼空に明月を懸けて罪なき我等の園遊会を助けられぬ、六十の同士こゝに相会して吾等は地を離れて天の楽園にありしには非ずやと感じたりき、「ペテロ答へてイエスに曰ひけるはラビ、我儕こゝに居るは喜し」と(馬可伝九章五節)、我等は実に永久に此会を続けんことを望みたりき、人の一生に喜(310)ばしき瞬間あり、かの夜の二時間、是れ余に取ては栄光の瞬間なりき、ナポレヲン大帝が彼の頂に仏国の冠を戴きし時も斯くも歓ばしき時にはあらざりしならん、我も此世に生れ来りて此栄光の一瞬時を持つを得たり、我れ死すとも何の悔ゆる所かあらん。
 然れどもより大なる栄光は我を待てり、吾等は更に進んで此天よりの音信を我が同胞に伝へざるべからず。
 来れ秋風、吾等の疲労は既に癒えんとして労働の精神は再び我が裏に動き始めぬ、今秋は如何なる戦利品を我が神に奉らんか、亦明年は如何にして何処に講談会を開かん乎、若し第三十回の会合を終へしならば、吾等は休息の床に就くを得ん乎、嗚呼、希望、歓喜、感謝、我は未だ基督信徒となりしを悔ひず。  八月十四日角筈村書斎に於て
 
(311)     会場
                      明治34年8月25日
                      『聖書之研究』12号「伝道」                          署名 内村生
 
 「狐は穴あり、天空《そら》の鳥は巣あり、然れど人の子は枕する所なし」、吾等に教へられんとするの学生あり、亦教へんとするの講師あり、然れども吾等は教授を施すの校舎を有せず、是れ今に至るも吾等を離れざるの困憊なり。
 夏期講談会は公広せられたり、勿論「神若し許し給はゞ」の条件を附して、而して友人は援助を約されたり、読者は続々と入会を申込まれたり、然るに憐むべき吾等は開会二週日前までは集会の場所を有せざりき。
 或は之を鎌倉に開かんとせり、而して彼地に於ける友人は甚く吾等の此挙を賛成せり、然れども如何せん入費の嵩むを、貧なる吾等は規定の出費以外に堪ゆる能はず。
 或は信州に入らんとせり、而して彼地の同志は喜んで吾等を迎へんとせり、然れども意外の故障は吾等の此企画を実行し能はざらしめたり、吾等は開会を約して開会の場所を有せざりし。終に本誌主幹の狭隘なる家屋を会場に宛てんと決議せり、僅々二百坪余の地面に建てられし二十四坪半の建家、然れども若し一畳敷に三人を納るゝことゝすれば此狭屋も七十余人を容るゝに足らんと、且若し之を補ふに屋外の天幕を以てすれば優に百余の来客を迎ふるを得んと。 然れども恩恵ある神は我儕により好き場所を与へ給へり、曾て余輩の管理せし女子独立学校、今は角筈女学校(312)と名を変へて余輩と関係甚だ遠き人の手に在りしが、近頃其役員に大更迭ありしに由りて余輩に其借用を申込むの機会を供せられたれば、余輩は其校長なる在越後村上加藤勝弥氏に校舎十日間借用の件を申納れしに、氏は喜んで之を諾せられ、茲に再び懐かしき女学校の講堂に於て此会を開き得るに至りぬ、此恩恵の余輩に供せられし時は余輩は独り櫟林の中にたゞずみ、感謝の暗涙に咽びたりき。
 然れども会場の不定は余輩をして来会者の数を制限せざるを得ざらしめ、亦講師たるを約せられし諸氏に向て一時は其約を解かれんことを乞はざるを得ざらしめたり、是れ今回の会合に昨年のそれに較べて来会者の数の較々少き主なる源因なりしなるべし。
 無宿猿の悲しさ実に此の如し、然れども宿なきは宿るべき者なきに勝る、校舎有て学生なきの基督教主義の学校多き今日、余輩の如く学生あるも校舎なきの境遇にある者は決して悲むべきの境遇に在る者と云ふべからず。余輩は茲に再び加藤勝弥君に向て余輩をして雨露に曝さるゝ事なくして此愉快なる十日間を此地上に有つ事を得せしめられしを感謝す。
 
(313)     香取の杉の樹
                        明治34年8月29日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
 去る二十四日下総佐原に於て常総理想団支部の発開式があつたので、之に臨まんがために涙香兄と共に彼の地に赴《ゆ》いた。
 途は本所より、千葉、佐倉、成田を経ての汽車道、両総の山河に見るに足る者なく、只|途端《みちばた》に生る藩閥の薩摩芋許り、印旛沼は名は沼なれども実は湖水であつて賤むべからざる風景、成田は偶像崇拝の中心で、仏法は盛なれども風俗は甚だ下劣、佐原は利根河に浜する富裕の小都会、是に道徳が高かければ嘸ぞかし四隣を風靡するならんと思はるゝ所、然し商業が旺んでは道徳は高からずとは土地の人の唱る所であつた。
 佐原の停車場《すていしよん》より三十二丁にして有名なる香取神社がある、是は神武天皇の十八年に始めて立てられた社であるさうで至て古い社である、其境内に天下無双の杉の林がある、直立十数丈、之を見て直に思ひ出したのは詩人ブライアントの「林中の祈祷」の一節、此所に吹く風の何やら明治今日の日本帝国に吹く風とは自から異なるやうに感ぜられて、日本国未だ全く腐敗せずとの感念はフト余の心の中に浮んだ。
 寒香亨は此杉の林の傍に建てられし小さき茶亨、北は一面の利根平原、坂東太郎は眼の下に流るゝと云ふ風景、此茶亭に集りし常総の理想団員は二十有余名、此少数の人達が常陸と両総とを革正せんとする有志者である(314)かと思へば嬉くもあり、亦悲しくもあり、先づ関口氏の開会の辞あり、次で書記の祝電祝詞の朗読あり、涙香兄の演説あり、児玉篁南君の勧言《すゝめ》あり、終に余が何か語らねばならぬ順が来た。
  諸君、右に利根の流れを望み、左に香取神社の杉の林を控へて、私にも少しく云ひたい事があります、利根は坂東太郎と称へまして、最も日本的の河であります、杉は亦日本固有の植物でありまして、之は善く日本人の理想を顕はす者であります、日本魂は三日見ぬ間に散り果つるやうな桜ではありません、又は松の操とか称へて頻りに松を賞め立つる人はありまするが、然し松はヒネクレた植物でありまして、其の操は変らぬかは知れませんが、其幹と枝との曲れるのを見て吾人の理想とするに足らない者である事が分ります、日本人の理想は桜ではありません、又松でもありません、日本人の理想は杉であります、神代の往昔《むかし》より植え伝へられました正直|真面目《まじめ》の杉であります、そうして理想団は杉のやうな心を持つた者の団体であります。
  私の今日索むる者は実に杉のやうな人物であります、才子でも佳人でも桜のやうな外面計りの人物は真平御免であります 又誠忠の士とか唱へて天下を慷慨する漢学者流のヒネクレた松の樹的の人物も御免であります、私は私と宗教を異にしても又は政治を異にしても宜う御坐いますから、たゞ杉の樹のやうな真直ぐな人物が欲しいのであります、私が理想団に入つたのは斯う云ふ人物を索めんためであります。
  理想団第一の支部が利根川と杉の林の間で生れた事は実に記念すべき事であると思ひます、私は諸君が利根の如く宏闊で杉の如く実直ぐならんことを祈ります。
 是れで式は終て後に理想団子と云ふ団子の御馳走があり、申合せの通り酒は一滴もなく、実に清い美はしい集会であつた。
(315) 後は再び佐原の町に下り、余れ一|人《にん》は利根の水流に至り、小舟に乗て二たび之を横ぎり、太陽が黄金色《こがねいろ》の雲に包まれて広き関東の平原の草の中に入るの偉観を眺め、旅宿に帰て諸氏と夕餐を共にし、後は増田亭と云ふ狭き臭き寄席《よせゝき》に於て黒岩、児玉の両君と再び演説を試みたが、暑さと臭さとに辟易して別に宏遠なる思想も出ず、佐原人士には甚だ気の毒なりしもまた来ん時の機会を期して其夜の職務は是れで終つた。 翌朝涙香君と別れ、君は常陸に入り、余は独り成田を経て千葉に到り、そこに一泊して茶代廃止主義を実行し、夜は千葉教会にて坊主の職を務め、翌廿六日昼少し前に角筈の古巣へ帰つた、別に大した遠征ではなかつたが、然し何《な》にも別に悪い事はなさなかつたと思ふ。
 
(316)     〔『無教会』雑誌 他〕
                       明治34年9月5日
                       『無教会』7号「社説」
                       署名なし
 
    『無教会』雑誌
 
 本誌は元々教友の交通機関を目的として発行した者でありまして、一名之を『紙上の教会』と称へても宜しい者であります、即ち私共行くべき教会を有たざる者が天下の同志と相互に親愛の情を交換せんために発行された雑誌であります、夫れ故に本誌は独立雑誌や聖書之研究とは違ひ記者が筆を執ること割合ひに少く読者が報《はう》と感とを伝《つと》ふること割合に多かるべき性質の雑誌であります、読者諸君は能く此事を心に留めて居いて下さい。
       *     *    *     *
 然るに今日までは諸君の多くは余り遠慮に過ぎて、諸君の御思想を多く送られませんでしたのは遺憾千万であります、諸君は常に読者に計りなつて居つてはいけません、諸君も時には記者にならなくてはなりません、信仰と云ふ者は聴いて計り居ては決して上達する者ではありません、私共は度々之を他に頒け与へなければなりません、『無教会』雑誌が此機会を諸君に供しまするのに、諸君が之を御用ひなさらないのは如何いふ訳でありまするか。
(317)       *     *    *     *
 決して明文は要りません、普通有の儘の文で沢山です、私とても決して文章家ではありません、然し心に感じたる儘を書けば、それが世を益する文章となるのであります、「聖書之研究」第十二号に於ける講談会感想会を御覧なさい、其中の或者は実に立派な文章であります、十六才の女子なる西沢八重子嬢の書かれた文ですら、心の赤誠《まこと》より湧き出した文でありますから、何人に見せても決して恥かしからぬ文章であります、私共は所謂文章家の文章なるものは大キライであります、文は何でも宜う御座います、分りさえすれば沢山であります、只諸君の感じた其儘を聞かして下さい。
       *     *     *     *
 諸君は記者と計り語るではなくして、亦広く信仰上の友人を天下に御求めなさい、諸君は何にも孤独を歎くの必要はありません、諸君の同志は天下に尠くはありません、之を「無教会」の紙上に於てお求めなさい、諸君は最も聖い教会を此少さき雑誌に於て発見せらるゝであらふと思ひます。
       ――――――――――
 
    銷夏
 
 暑い夏も半は過ぎました、私共に取ては実に忙がしい、亦喜ばしい夏でありました、私共には百姓と同じやうに、夏が一番忙しい時であります、夏期講談会は十日で終りましたが、其準備は十日以上かゝり、其|整理《あとかたづけ》も確かに十日はかゝりました、其外にいつもの通り雑誌も出さなければならず、新聞紙へも書かなければなりません(318)でしたから、私共には暑中休課など云ふものは一日もありませんでした。
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 然し私共は多く疲れません、疲れません計りではなく、至て強壮で、身躰も大分肥えたやうであります、神のために働くことは決して苦労ではありません、苦労でない計りでなく世に楽しいことゝて実は斯んな事はありません、神を信じまして、私共の苦楽が転倒するのであります、即ち今日まで苦労と思ひし事が楽しくなり、楽と思ひし事が苦労になるのであります、神を信ずる者に取てはたゞ眠て遊んで居る程辛らい事はありません、私共は休養と称へて死んだ真似をするのは嫌であります、私共は活きて居る動物でありまするから、活きて居る間は常に活動して居りたいものであります。
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 又先日千葉県へ演説に参りまして、下総の佐原に常総理想団支部の発開式がありまして、私は之に臨みました、私の非常に喜ばしく感じましたのは、斯かる社交的の会合に於きましても「聖書之研究」読者の割合に多い事であります、我々基督を信ずる者は希望を此世に置く者ではありませんが、去りとて此世の隠遁者ではありません、聖書の教訓に与つて我々は世の改良に従事するなと云はれても従事せずには居られるものではありません、国家の改造の如きは我々に取ては義務と云はんよりは寧ろ道楽仕事であると云はなければなりません、然し道楽仕事ではありまするが其効果の多い事に至ては世人の熱誠奮励を以てするも到底及ばない処ではないかと思ひます。
(319) 帰途千葉町に立寄りまして、其処で誌友小田米太郎、長谷川文哉両君の兄弟的接待に与かりました、聖き安息日を或る旅亨に守り、夜は其地の教会に於て演説を致しました、聴く者百二三十名もありまして、其地に在ては稀に見る盛会であつたとの事であります。
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 斯くて私共の取つた夏期旅行なるものは是れ丈けでありまして、私共に取ては甚だ愉快なる旅行でありました、神が私共に賜ひました最も大なる恩恵《めぐみ》の一つは到る所に精神上の兄弟の私共を迎へらるゝ事であります、是は億万の富を積んでも得ることの出来る宝ではありません、私共は此世に於ても決して貧しい者ではありません、私共は実に楽しい夏を過しました。
 
(320)     生活の快楽
                        明治34年9月5日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
〇今の人は頻りに生活の快楽を欲しがる、然し何が快楽である乎を能く弁へなければ欲しがつても無益である。
〇佳き物を食ひ、善き家に住ひ、出るに車あり、坐するに錦褥あるのは快楽であるに相違ない、然し人間の快楽は之に止らないのは誰も知つて居る。
〇書を読むのも快楽である、哲理を講ずるのも快楽である、天然を究むるのも快楽である、詩を作るのも快楽である、この快楽なくして車馬妻妾の快楽があつても、人生の快楽を得たとは云はれない、而も今の人の云ふ快楽なる者はソクラトス、プラトーの望んだ快楽ではなくして、古河市兵衛君や平沼専蔵君の有つ快楽である。
〇人類を愛し、之に愛せられ、位階勲章の報酬に干《あづ》からずして国家を愛し、夫婦相愛し、父子相信じ、朋友相扶け、兄弟相親むのも亦人生の快楽であつて、其最も高き且つ貴きものである、此快楽は金が有つても得られる快楽でなく、亦学問に秀でたればとて必ず達せられる快楽ではない、故に若し此快楽を得んと欲せば金以上、学問以上のものを得なければならない。
〇それであるから若し人生の快楽を得んと欲はゞ必しも金持になる必要はない、妾を幾人持つたらばとて一家の平和は得られない、別荘を幾個持つても心の安心を得る事は出来ない、真理は酒でもなければ肉でもない、余は(321)今の人が、殊に今の日本人が、生活の快楽を得んとて金を獲ることに許り齷齪して居るのがサツパリ分らない、若し何にか外に目的があるのならば沢山金を持つの必要がある乎も知れぬが、然し若し生活の快楽が目的なれば金が無くても之を得る途は他に沢山ある。
 
(322)     秋の用意
                         明治34年9月13日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
 秋が来た、何を為さうか。
 猟銃を買て無慈悲なる貴族と共に辜なき小鳥を殺さうか、否な、否な、貴族の為すことは何事によらず為すべきでない、殊に天然は保存すべきものであつて、害ふべき者でない、民の膏血に徒食する貴族は聖き天然の調和を破て罪悪の上に罪悪を加ふるも宜いかは知らねど、我等両腕の外に頼るの途なき平民は鳩にも、鴫にも、鶉にも深き同情を有つ者であるから、我等は如何なる場合に於いても彼等を打殺すやうな事は為すまい。
 辜なき小鳥をば殺さゞるべし、然らば我等は何を為さうか、遠足を試みやうな、自転車の遠乗に出掛けやうな、近郊の花壇に花を賞でやうか、或は落葉《らくえふ》の下に紫竜胆を探らふ乎、然り、何を為しても宜しい、只貴族に真似て辜なき民の労働に衣食し、辜なき森の小鳥を殺さなければ宜い、秋の快楽は沢山ある、秋は貴族計りの秋ではない、秋は亦平民と小鳥との秋である。
 然し猶《ま》だ良い事がある、それは書を読む事である、今からランプは我等の最も良い友人である、然し小説は読むまいぞ、秋は年に一度しか来ない、是を小説の懶読に消費して我等は天と人類とに対して済まない、亦「社会改良家」の時論は読むまいぞ、秋は静かなる時であるから頭脳を沸騰すやうな不平家の論文には眼を曝すまい(323)ぞ。
 然らば何を読まふか、アヽ、歴史を読まう、大歴史家の書いた歴史を読まう、人類進歩の原則を究めやう、世界の進歩に顕はれたる天の聖意を探らう、即ち哲学的に歴史を研究しやう、爾うして今の政治家輩の経綸策なるものなどに騙されないやうにならふ 東洋流の忠君愛国主義なるものは国家を滅《ほろぼ》すものである事を尚ほ一層深く究めやう、我等は秋丈けなりと深く静なる歴史家とならふ。
 
(324)     〔成る事 他〕
                     明治34年9月20日
                     『聖書之研究』13号「所感」
                     署名なし
 
    成る事
 
 我が成さんと欲する事の成るに非ず、神が我に於て成し給はんと欲する事のみ成るなり、我が大事を成し得る時は我に我が意志なるものゝ一つも存せざる時なり。
 
    同前
 
 人は我に政治社会雑誌を勧む。然れども我はその何のためなる乎を知るに困む、身は衣を更へて潔まる者にあらず、人は境遇を革めて聖者たる能はず、我は人其物を改めんと欲す、故に再び社会雑誌に帰らざるべし。
 
    世の要求(応ずべからず)
 
 世の要求に応ずべからず、蓋は世は快楽を要求する者なればなり、吾等は世に供するに苦味を以てすべし、苦闘を以てすべし、然らば世は吾等を厭ふと同時に終に自らを改むるに至らむ。
 
(325)    世の要求(応ずべし)
 
 世の要求に応ずべし、即ち吾等が以て世の要求なりと認むる所の者に応ずべし、世が絶叫して以て要求する所のものは多くは世の要求する所のものにあらず、吾等は賢き医者の如く、患者の要求以外に更に重且大なる要求あるを知て、世の病を癒さんと欲して其意嚮に投ぜんと欲すべからず。
 
    皮相
 
 彼等はコロムウエルに就て聴かんことを欲す、然れどもコロムウエルが主として事へしイエスキリストに就て聴かんことを欲せず、彼等はグラツドストンの政治に就て学ばんと欲す、然れどもグラツドストンの経綸を生みし彼の宗教に就て学ばんと欲せず、ラフハエルの美術に傚はんとは欲すれどもラフハエルの理想を求めんとは欲せず、彼等は到底皮相の民たるの譏を免かるゝこと能はず。
 
    徒食の人
 
 彼等の欲する所のものは文明にして文明の元素にあらず、彼等の索むる所のものは道徳にして、道徳の基礎にあらず、彼等は現世を楽まんと欲する者にして来世を嗣がんと欲する者にあらず、故に彼等の文明は進まず、彼等の道徳は日々に廃頽し彼等は現世に就て不平を唱へて止まず、彼等は惟|実《み》を食はんと欲する者にして樹を植えんと欲する者に非ず、彼等は労働を好まざる徒食の人なり。
 
(326)    恥ぢざれ
 
 保羅曰く我は福音を以て恥とせず、そは此福音はユダヤ人を始めギリシヤ人、凡て信ずる者を救はんとの神の大能なれば也と(羅馬書一章十五節) 基督曰く、我と我道を恥る者をば人の子も亦おのが栄光と父と聖使《きよきつかひ》の栄光をもて来る時これを恥づべしと(路可伝九章二六節)。声高くして想低き哲学者の前に、多く約束して寡く実行する政治家の前に、倫理を説て尚ほ其無能を自認する教育家の前に、富を積んで尚ほ窮迫を訴ふる実業家の前に、文を綴て思想の空乏を歎ずる文学者の前に、吾等基督を信じてその救済の実力を実験する者は何の恥る所かあらん、吾等の羞恥は無益なり、吾等は彼等に優て幸福且つ健全なる者なり。
 
    恥ぢよ
 
 恥ぢよ、然り宣教師的基督教に就て恥ぢよ、然り音のみにして実なき基督教に就て恥ぢよ、然り貴族と富者とに阿る基督教に就て恥よ、然ども基督の基督教に就て恥る勿れ、救霊唯一の大能なる基督教に就て恥る勿れ、平民の友たる基督教に就て恥る勿れ、是れ神の福音なり、天より臨みし光明なり、人類唯一の慰藉なり、若し基督教に就て恥んか、我は天上に輝く星に就て恥ん、秋天に懸る芙蓉の峯に就て恥ん。
 
(327)     燈下独想
                     明治34年9月20日
                     『聖書之研究』13号「所感」
                     署名 くぬぎ生
 
 神を信ずるとは読んで字の如く神を信ずる事なり、人に頼て神を信ずるといふ者は偽はりを云ふ者なり、神を信ずるに策略を講ずるの必要あるなく、神を信ぜんと欲せば全く彼を信ぜざるべからず、半ば神を信じて半ば世と己とに頼るが如きは神を涜すことゝ云はざるべからず。
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 神は直に吾等と語り得るなり、或時は明白なる事実を以て、又或時は明瞭にして誤るべからざる良心の声を以て、而して吾等は之を識認するに只信仰の力を要するのみ、此力を有して吾等は宇宙の造主と直に語るを得るなり。
       *     *     *     *
 我に文(かざりと訓む)あるなし、我に単だ信仰(神の恩恵に依て得し)あるのみ、我は我が信仰の有の儘を語るなり、而して之が文を為して世の悩める者を慰むるなり、我は文を学ばんとせずして信仰を追ひ求む。
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 ペテロ跛者《あしなへ》に曰ひけるは金銀は我になし、惟われに有るものを爾に与へんと(使徒行伝三章六節)、吾等より富(328)を求むる者あるも吾等は之を有たざれば之を与ふるに由なし、吾等に智略なければ之を吾等より要求するも無益なり、一つの権威をも有たざる吾等は亦た世の便利を人に供する能はず、世に無力なる者多しと雖も蓋し吾等基督に頼る者の如きはあらじ。
 然れども吾等に亦有るものあり、ナザレのイエス是なり、彼の名に依て吾等は艱める者に慰めを与へ得るなり、彼の福言を以て吾等は罪人に心の平和を与へ得るなり、彼の復活の希望を説て吾等は死せんとする者に歓喜を供し得るなり、吾等に有るものは唯是れのみ、而して吾等は全く無力なる者なりとは思はず。
       *     *     *     *
 世の所謂改革者は世の罪悪を責めて之を矯めんと欲し、吾等基督を信ずる者は世の悲痛を癒して之を救はんと欲す、人は罰せんと欲し、神は赦さんと欲す、吾等神の子供と称へらるゝ者は裁判官たらんことを欲せずして天使たらんことを希ふべきなり。
       *     *     *     *
 平康の民たらんことを希ふべし、革命の民たらんことを求むべからず、平和の白旗を翻す者は正義の剣を揮ふ者よりも福《さいはい》なり。
 
(329)     第二週年に入る
                     明治34年9月20日
                     『聖書之研究』13号「所感」
                     署名 聖書生
 
〇「聖書の研究」、名既に不人望なり、其非基督教的なる日本今日の社会に於て存在するを得るは一の奇蹟と云はざるを得ず。
〇然れども其存在するは事実なり、而も何れの教会又は教派より一の輔助をも受けずして、否な受けざるのみならず、多くの教会と教師と信徒とに嫌はれながら存在するは事実なり、世に大監督の賛助の下に成る宗教雑誌あり、大教会の機関雑誌あり、然るに此孤立無援の小雑誌にして恙なく第二週年を迎ふるを得しは何たる天佑ぞ。
〇其始めて産声を発するや、敵は之を殺さんと欲し、友は其夭折を予言せり、而して罵詈嘲笑の四面に揚るや余輩は沈黙を守るの外、之に応ずるの術を知らざりき、敵は思ふ存分に其攻撃を逞うせり、而して余輩は黙《もだ》す羊の如く彼等の毒筆に身を曝らせり、而して見よ、神は此憐れなる者を救ひ給ひて今日あるに至らしめ給へり。
〇其紙数より云へば日本第一の高価の雑誌、而して其唱ふる所の者は政治にあらず、社会改良にあらずして此国に在ては最も不人望なる基督教の聖書なり、此国に於て、而も財界不振の今日に於て、此雑誌が独立的存在を保ち得る事は何人も奇異に感ずる所なるべし。
〇余輩の之を曰ふは余輩の力を誇てにあらず、否な余輩は余輩の無能を感ずるや益々切なり、余輩に文の才なし、(330)亦神学の智識なし、該博なる近世の聖書学は余輩の曾て専門的に攻究せし所のものにあらず、余輩に徳の誇るべきなし、信仰の頼るべきなし、余輩の此事業にして若し多少の実益を此失望に沈める日本今日の社会に供するを得ば、是れ神が殊更に余輩の荏弱《よわき》を簡び給ひて其栄光を顕はさんと為し給ふが故ならざるべからず。
〇「聖書の研究」は前金にあらざれば一切発送せず、是れ読者諸氏の真実を疑ふてにあらず、諸氏の意向を重じてなり、世に強売の盛に行はるゝ今日余輩は諸氏の正確なる注文に接せずして余輩の製作物を諸氏に向て発送するを好まず。
〇読者諸氏より払込まれし前金は本社は決して之を流用せず、之を或る正確なる銀行に預け置き以て読者万一の要求に応ぜんための準備となす、余輩は本誌を以て余輩一己人の私有物と見做さず、是れ神の属たり、亦余輩と読者諸氏との共有物たるなり、余輩が公平を重んじ、親疎の別を問はずして本誌の規定を励行する所謂のものは余輩が其公的所有権を重ればなり。
〇「聖書之研究」は孰れの新聞又は雑誌とも交換せず、余輩は他人の作を批評せざる如く又他人に余輩の作を批評せられんことを好まず 批評なるものゝ全く其跡を絶ちし日本今日の社会に在ては孤独は文士の本分なりと信ず。
〇終に臨んで一事読者諸氏に乞ふべきあり、即ち諸氏が本誌のために殊に祈られんこと是なり、世に祈祷を無用視する者多し、然れども余輩は堅く其実効を信じて疑はず、祈祷は天地を動かすの能力《ちから》なり、金銀を以てするも為す能はざるの大事を吾等は吾等の祈祷を以て為し能ふなり、余輩は諸氏より金銭的援助を求めざるべし、然れども余輩の為にせらるゝ諸氏の熱祷は余輩の最も懇請する所のものなり、余輩は信ず、諸氏は此援助を余輩に供(331)するに吝ならざるを、願くは干百の読者より上る祈祷の力が余輩の弱き手と心とを支えて此いと微さき雑誌をして世を救ひ人を悔故に導くの道具たらしめんことを。
 
(332)     基督信徒と社会改良
                     明治34年9月20日
                     『聖書之研究』13号「思想」
                     署名 内村鑑三
 
 吾等が社会改良に従事するのは何にも此社会を改良するにあらざれば吾等に他に居る社会がないからではない、吾等の国は天に在るのであつて、吾等は最早此世の者ではない、吾等の希望も栄光も幸福も総て来らんとする基督の王国に在るのであるから、吾等は別に善きものを此世から望む必要はない、吾等基督信者は決して世の所謂不平家ではない、吾等は政権が欲しいとて決して謀叛を企てない、吾等は金が欲しさに富の平分や社会主義を唱へない、吾等には世の人の推量する能はざる歓喜と満足とがある、故に若し吾等自身のために計るならば吾等に別に此社会を改良するの必要はない。
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 成程此社会には辛らい苦しい事が沢山あるに相違ない、然し吾等は幸にして基督を信ずる事が出来た、爾うして彼を信じて死ぬことさへも左程怕ろしい事でないやうになつた、況して貧をや、無位無官をや、幸にして眼は朦せずして宇宙の荘美を窺ふ事が出来き、幸にして耳は聾せずして禽鳥の楽を聞く事が出来る、手足は労働に堪へ、胃と腸とは消化を能くす、基督を信ずるに至て貧しき卑しき此生涯は楽しき嬉しき者となつた、吾等何を好んで社会改良者たらんや、吾等自身に取りては惟だ感謝と喜悦とあるのみである。
(333)       *     *     *     *
 故に此世に於ける吾等の重なる事業は此希望、此歓喜、此満足、即ち此福音を吾等の同胞に伝ふることである、是が人類の生命であるから是を与へずして真正の慈善なるものはない筈である、若し人生の終局の目的なるものがあるならば、是は福音の宣伝であると思ふ、金を儲ける事でなく、君寵に与かることでなく、学者となつて智識に誇ることでなくして、富も権も智も皆なイエスキリストなる言ふべからざる神の恩恵を同胞に頒与することであると思ふ、伝道と称へば何やら空気を商ふやうな仕事に聞ゆれども、是は教会の会員を殖さんと焦慮る伝道を称ふのであつて、人を生命に導くの伝道をいふのではない。
       *     *     *     *
 然し吾等は伝道の他にも社会改良に従事する、而も最も熱心に、又世の人に率先して之に従事する、社会改良は吾等の本職ではないが、然し吾等独特の仕事である、此世を重ぜざる基督信者が最も有力なる此世の改革者であるとは逆説《パラドツクス》の如くに聞えて実は最も著明なる事実である。
       *     *     *     *
 社会改良は善事である、善事であるから吾等は之に賛成して亦身親からそのために尽力する、吾等は聖書の明白なる教訓に従て此事の為に尽力する、腓立比書第四章の八節に斯う書いてある
  兄弟よ、凡そ真実なること、凡そ敬ふべきこと、凡そ公義《たゞし》きこ上、凡そ清潔《いさぎよ》き事、凡そ愛すべき事、凡そ善称《よききこえ》なる事、凡て何《いか》なる徳、何なる誉《ほまれ》にても爾曹これを念ふべし 世の善事に対ては満腔の同情を表するのが基督信者の特性である、「吾は基督信者なり、故に人類に関するこ(334)とにして吾の注意を惹かざる者なし」とは或る中古時代の聖者の言ふた事である、吾等は吾等と宗教を異にする者の発起に係りたればとて世の善き事業に向て反対を表しない、何人に依て発起されても宜しい、総ての書き事業は吾等の賛成を要求する価値がある、吾等は基督の忠実なる僕として総ての善事に向て厚き同情を表し、そのために瘁尽するの義務を有つ。
       *     *     *     *
 然し義務の念から計りではない、吾等は亦同情推察の念から社会改良に従事する、世には吾等の有つやうな天国の希望を有たない者が沢山居る、即ち此世の所有《もちもの》の不足なるより心も乱れ想《おもひ》も圧せられ、不満慷慨遣る方なく、惟鬱々として此短き生涯を費しつゝある者が沢山居る、勿論彼等とても霊魂を有つ人間であるから衣食が足りたればとて心の満足を得ることの出来る者ではない、然しながら境遇の苦痛が彼等に天の光明を遮る一つの重なる源因であることを知れば、吾等は努めて彼等の境遇の改善を計り彼等が身に余裕を得るに随て心に天の慰藉を求むるに至らんやう吾等は彼等の為に尽さんとするのである。
       *     *     *     *
 それ計りではない、社会改良は神の聖旨《みこゝろ》である、「聖旨の天に成る如く地にも成せ給へ」とは吾等の日々の祈祷である、「万物の復振」と称へて此地上に於ける人も物も皆な悉く神の聖旨に通ひて調和の完実に達せんことは神がその予言者達に由て吾等人類に約束し給ひし所であつて、吾等は幾分なりとも、何れの方面からなりとも此完成を賛くべきである、万物の復振(Restitution of all things)とは勿論宗教の復興に限らない、之は政治も教育も実業も美術も、人類に関する総ての事の復振を含んで居る、勿論真正の改革は衷より始まる者であつて外より(335)来るものではないから、社会改良と称して多くは外より為さんとする改革の到底永久的のものでない事は善く分って居るが然りとて外よりするの改革も亦多くの場合に於ては内よりするの改革を助くるものであるから、仮令皮相の改革であるとは知りつゝも吾等は熱心に其実行を計るべきである。
       *     *     *     *
 西洋の諺に Cleanliness is next to godliness 之を訳せば「清潔は神聖に次ぐの美徳である」と云ふ事がある、即ち内に聖《きよ》い者は外にも亦た清からざるを得ないといふ事である、吾等心に聖き神を認めて、吾等の周囲の不潔に堪えられなくなる、売婬、賄賂、強飲、争闘等は吾等の本性に訴へて耐えられなくなる、基督教は酒を飲む事を以て罪悪とは認めない、然し基督を信じて酒を飲んで醜態を演ずること等は全く出来なくなる、吾等の霊魂と肉躰とは二つ全く別物ではないから、霊魂が清まれば肉躰も自づと潔まるのは当然である、故に基督信者が社会改良に熱心になるのは自然の勢であつて、彼は敢て義務に強ひられて之を為さんとするのではなくして、彼の本性が彼をして之を為さゞるを得ざらしむるのである、基督を信じて家庭が清まるのみならず、其中に飼ひ置きし犬猫までが何んとなく狂猛の性を脱して柔和の性に立戻るは吾等のよく注意する事実であつて、社会に基督信者が出来て其風儀の多少改まらない事は決してない筈である、基督信者は実に改革者ならざる改革者である、即ち改革者たらんと努めずして世を改革する改革者である、爾うして世に実功多き改革者にして基督信者の如きはない。
       *     *     *     *
 社会改良は基督信者の道楽の一つである、彼は義務に逐はれて慈善事業には従事しないが、慈善は彼の最も耽(336)けり易き道楽の一つである、有名なるジヨン、ハワードは監獄改良は彼の道楽(hobby)であると云たそふだが、実にそうであつたらふと思ふ、既に神より永生の希望を賜はりて吾等は此世に在て吾等の此同胞のために何にか善き事を為さずには居られなくなる、吾等は所謂脾肉の歎に堪なくなるのである、此溢るゝ計りの歓喜、吾等は之を何処かに於て散ぜなければ耐えられないのである、故に吾等は悲哀に沈める吾等の同胞の幸福を計て吾等の心中の喜悦の圧迫を減さんとするのである、基督を信じて善事を為さゞるが如きは到底出来難い事である、吾等は此事を称して「信仰の行為」と云ふ、是は殆ど世人の推量以外にある能力であるが、然し其効力の確実なることは吾等基督を信ずる者の何人も認る所である。
       *     *     *     *
 斯う云ふ訳であるから、吾等の社会改良事業に徒事するのは之を吾等の伝道の方便に用ひんとするのではない、伝道は前にも曰ふた通り吾等の最大目的であるが、然し之を為すに当て吾等は別に社会改良に従事するの必要はない、否な、多くの場合に於て慈善事業の如きは純粋なる伝道の妨害をなすものである、基督に由て肉躰を養はれし四五千人の人達は彼が彼等に与へんとせし真理を求めんとはせずして反て彼に取てはいと小なる慈善なりしパンの施与に与からんとした、世人の多数に取ては財界不振の挽回は真理復興に優るの幸福であるから社会改良は真理伝播に優りて彼等に歓迎せらるゝに相違ない、故に吾等は社会改良に従事するにも大に注意しなければならない、基督教が社会改良と化した時はその大に堕落した時である、即ち我国今日の基督教の如き者であつて、希望もなく、歓喜もなく、精神もない、乾燥無味、味を失ふた塩のやうな無為無能の者である、基督教の社会改良は任意的の者でなくてはならない、即ち右の手の為すことを左の手に知らざらしむる底のものでなくてはなら(337)ない、基督が盲者の眼を開き、跛者《あしなへ》の足を立たせた後に此事を人に告る勿れと厳しく命じ給ひしも全くこのためである、社会改良を以て伝道の一つの法便と見做す者の如きは未だ基督教の何たる乎を知らない者である。
       *     *     *     *
 政治、法律、文学、美術、殖産、工業等、何んでも来れ、吾等は及ぶ丈けの力を其発達に注がん、然れども吾等の生命はこんなものゝ中にあるのではない、政治は吾等に取ては最大事件ではない、基督信者の一人が衆議院の議長に撰れたればとて左程感謝すべき事ではない、感謝すべきことは神の子が此世に降り来りて吾等人類のために贖罪の血を流し給ふたと云ふ事である、吾等の生命は是であつて、其他の事は吾等に取ては細事である、然し吾等も此世に生れ来りし序に感恩報謝の余り楽しみ半分に吾等の能力のあらん限り吾等の同胞のために其渋苦の幾分なりとを拭はんと欲するのである、基督信者の社会改良とは斯う云ふ精神から出るものであると思ふ。
 
(338)     伝道
                     明治34年9月20日
                     『聖書之研究』13号「思想」
                     署名 独立生
 
 伝道とは神の道を伝ふる事である、故に之は重に舌と筆とを以て為さるゝ仕事である、故に一見すれば至て容易なる且つ皮相《うはべ》の仕事のやうである、即ち米を作り衣を織るに比べて不生産的の仕事のやうに見える。
 成程伝道は重に言葉の伝播であるに相違ない、然し言葉とて必しも音声ばかりではない、言葉にも色々の種類がある、意味のある言葉がある、意味のない言葉がある、重い言葉がある、軽い言葉がある、飴の如き言葉がある、剣の如き言葉がある、同じ舌を以て語る言葉に貴きもあれば卑しきもある、人を活かすものもあれば殺すものもある、世に言葉ほど安価《やす》くして言葉ほど高価《たか》きものはない。
 伝道は言葉の仕事である、即ち信仰(確信)を発表する言葉の仕事である、言葉とは「事の端《は》」であつて我が衷に大事実の存するにあらざれば出るものではない、「夫れ心に充るより口に言はるゝ也」と聖書に書いてある、吾等は心に溢れて語るのである、言葉は信仰の溢出である。
 仏国革命者の一人なるモンテーンといふ人は曰ふた「言葉は物である」と、伝道師は言葉を売る者であるから彼は世に供するに惟空を以てするものである、と思ふのは大間違である、伝道師の言葉は空ではない物である、実物である、彼は決して社会の無用物ではない。
(339) 世に実は言葉ほど貴いものはない、シエクスピヤの劇曲は印度帝国よりも貴いとは世に能く知れ渡つたカーライルの言である、伊太利国第一の所有たるダンテの神曲も矢張り言葉である、霧西亜皇帝の所有に罹る Codex Sinaiticus と称へて何千万の富を積むとも獲ることの出来ない聖書の写本も矢張り言葉である、若し独逸にルーテルの言葉がなかつたならば、縦令百のビスマルク、千のモルトケがあつても今日の独逸はなかつたに相違ない、マンチエスターの製造や濠洲の牧畜業のみが今日の英国を作つたのではない、ウエスレー、ヰツトフィールドの説教の言葉は英国に取てはヨークの鉄山ランカスターの炭鉱に優るの富源である、国に真正の言葉がないために其亡びた例は沢山ある、国家の不幸とて実は言葉の饉饑の如きはない(亜麼士書八章十一節参考)
 故に保羅は「殊に慕ふべきは預言する事なり」と云ふて居る、神の言葉を語る事(預言)ほど世に貴い仕事はない、人も国家も実は之に由て起つのであつて、金や銀や剣や軍艦で建つのではない、風よりも軽き言葉の中に生命与奪の権が籠つて居る。
 伝道師と成れよ、青年よ、伝道師と成つて人と国とを救へよ。
 
(340)     予が聖書研究に従事するに至りし由来
                      明治34年9月20曰
                      『聖書之研究』13号「講演」                          署名 内村鑑三
 
 聖書を研究せんとせらるゝ諸君の為に、予が聖書を研究するに至りし来歴を述べ置くもあへて無益のことではあるまいと信ずる、元来余は農業教育を受けたる者であつて聖書については特別に講釈などを聞たことは無い、然るに基督教を信じてより二十余年を経て益々聖書の研鑽を重要視し大胆にもこれに関する雑誌迄公刊するに至つた其間には短からぬ経歴もあれば複雑《こみいつ》た因縁も有る、勿論予は之を宣教師に強ひられし事もなければ又聖書を説かねばならぬといふ世上の義務も有して居なかつた、父母も之を要求せず友人もあへて之を勧誘しなかつた、それにも関せず予が聖書研究を畢生の事業とするに至つたは蓋し已むを得ざる事情より出たのであつた、甚だ高慢な申し様ではあるが少くとも此事は極く清潔なる思想より湧いてきたのであつて私的欲情がこれを促したので無いことは明確に断言することが出来る。
 第一に予を聖書の研究に引き入れたるは矢張り自分が専門として居た実業問題であつた、予は常々感じて居つた、それは他《ほか》でもない日本実業の不振は資本の欠乏や実業教育の不完全にあらずして一に人心道義の頽廃に在るとの意見であつた、結局《つめ》て云はゞ実業問題は即宗教道徳の問題であるとの考で有つた、忘れもせぬ予が本職として従事せし実業を抛擲《なげう》つたのは明治二十三年の夏――恰度《てうど》今頃で会々漁業調査の為房州に出張した時のことであ(341)つた、当所《こゝ》に神田吉右衛門と呼ぶ老人があつて毎夕二人で種々の雑談を試みた、然るに或夜の事神田老人切に歎息して幾許《いくら》鮑魚《あわび》の繁殖を図つても、幾許漁船を改良し新奇の網道具を工夫しても彼等漁夫共を救助《たすけ》てやることは出来ぬと熱心に話し出した、予は甚《いた》く為之に脳漿を刺激された、この事について深く考込んで居た最中に如上《こん》な談話《はなし》をきかされては堪らない、予は忽ち或決心を強固《つよ》めたのである、夫れと同時に今迄の職業に何だか張合がなくなつてきて空気を打つ様な気持が仕た、如何にも漁夫の生涯程不憫極まるものはない、今年は大漁猟《だいれう》だから定めし有福にならうと思て居ると鮭魚《さけ》が網に入れば直ぐ其儘料理屋へ駈込で一夜に百も二百も費やすといふ始末、儲けた金銭《かね》で借金を払はうといふ心懸もなければ貯蓄しやうと云ふ考も無い、名案、新法、大骨折、大利益、是等は凡て皆彼等の放蕩を増長せしむる許り、東西到る処の海辺、鯡捕《にしんと》り、鮑捕り孰れも絶望の状態であつた、於是予は斯る者共に金銭を与ふるのは却て国家を貧弱に陥るゝ源《もと》ではないかとの疑問を起した、それから越後や佐渡島も巡回つて見たが何処も同じ秋の夕暮、いつも同感慨同結論に達した、予は最早実業を遣るべき勇気を失つて了たのである、それから予は慈善事業を研究したいと考へて亜米利加に渡航し白痴病院内に白痴の尻迄拭つて見たがこゝにも亦一つの疑感が生じてきた、調べて見れば見る程慈善其者は利益《つま》らないものである、慈善事業とは放蕩息子の梅毒《かさ》を治療してやる様なものでこれには梅毒以上の治療物がある、慈善は一の方法であつて最後の目的では無いと考へた、そこで復び空気をたゝいて居る様な気持がしてアマスト大学のシーリー先生を訪うて遠廻しに教育の方針を質問した、先生徐かに口を開いて私に教育の方針といふものはない、唯私は主の導きに頼るのみであると答へられた、先生の書斎に行くと、先生は一枚の写真を出して見せて此女は二年以前に逝去《なくな》つた荊妻《つま》の面影である、彼女《かれ》は既に天国に行いて貴君《あなた》や私しの来るのを待て居るのだと不思《おもはず》両の眼に涙をたゝへられ(342)た、余はモウ堪らない様な心持がした、併しそれと同時に今迄の疑念が全く霽れて了つた、学問の目的も分明つた、事業の目的も分明つた、政治歴史を研究しても慈善事業を調査ても同胞兄弟が救出されて神の栄光に与ること能はずんば何の為の学問か何の為の慈善事業かと一図に考込んだ、然れど尚ほ特別に聖書を解釈しやうといふ観念は起らなかつた、聖書の註釈は之を他人に任せて余は矢張実業に尽力しやう、記者にならう教育をやらうといふ考のみであつたが段々日本現時の宗教界を観察して見ると真面目に熱心に聖書を研究しやうといふ人は寥々暁天の星の如くであつて殊に外国神学校の卒業先生が日本に帰つて銀行の支配人や商店の番頭や政府の官吏となる傾向を看ては不肖予の如きものと雖伝道の一念俄然として動かざるを得なかつたのである、故に予が諸君の前に聖書の解釈を試るは父母の要求、教師の誘導、肉躰上の境遇よりして然するにあらずして実に已むを得ざる事情因縁より来たものである。
 昨年まり「聖書研究」を発刊して戦闘を開始したが今日に至ては何か手応へがある様に感ずる、特に昨夜の祈祷会は予にとつて洵に/\嬉しかつた、予の演説の力で鮭魚《さけ》が百万石あがつてもそれは嬉しくはない、人間一人を神に紹介した方が数十倍以上の大満足である、
 聖書々々といへば多数の人々はうるさく考へて、たまには社会事業をやれとか慈善事業をやれとか催促される、それは遣る積りである、新聞社でも一生懸命になることがある、けれども遣つて見て一番手応への有ることは何かといふに即天国の福音を説くことである、然もこれより有益な仕事はない、死際になつて公債証書が幾許《いくら》になつたとか大器械を発明したとか学校をいくら設立《たて》たとかそんなことでは安心しては死ねぬ、どれ丈の人間が罪業を悔改め、どれ丈の人間が吾々の紹介にょりてキリストの救に預つたか、それをきゝ乍ら死ぬるより愉快なこと(343)はない、クラーク氏といへば札幌の農学校に来て基督教を吾々に伝へて呉れた恩師である、かれの歴史は明治の日本宗教史の肝要なる一部分を占めて居る、クラーク先生なくんば此夏期講談会もなかつた、クラーク先生なくんば乍失礼大島君も一生意地の悪い人で終り余も亦西野文太郎の二の舞をして死んで仕了つたかも知れぬ、先生札幌に留まること僅に八ケ月であつた、聖書五十冊を横浜に購求《もと》むるや人は大に其無謀を笑つた、先生は顧みずして聖書を学生に配付つた、今にして往事を追懐すれば実に感懐に堪へない、彼は鉱物学者――殊に無機化学は頗る得意の科目であつた、南北戦争には少尉より大尉に昇級して後には大佐クラークと称呼れた、加之《しかのみならず》彼はマツサチユーセツト州に農学校を建立て生理植物学者として評判を揚ぐるかと思へば忽ちアマストの市街に水道を引くといふ千変万化の英傑であつた、彼が札幌の学校を辞して帰米した後の経画は船の上に世界大学校を築くといふに在たので彼の計画は玄茲に教員生徒を搭載て世界を週航しつゝ学問を研究するといふに在つた、彼は実に野心勃々家の好代表者であらう、されど終には鉱山に失敗して彼の最後は甚だ悲惨なる状況であつたとの話しである、彼は臨終の床に唯アマストの牧師一人を呼んだ、而していふには予が六十年の生涯にたゞ喜びといふのは日本の農学校に八ケ月間居て聖書を広めた一事のみである、といふた、諸君よ学術上の発見や有名なる第廿一聯隊を率ゐて奮闘した事は彼に取て生前の一愉快であつたに相違ない、併しそれ等は臨終の床に於て毫《すこし》も彼を慰藉るには足らなかつた、然れども小日本――日本北海の一部にたゞ数十冊の聖書をひろげた其一事が彼が一生の死を慰めたのである、吾人が現世の苦闘を終て死を迎ふる時に吾々の説いた福音が耳より耳に伝はつて多くの人々が宇宙の神を見付けたことを聞いたならばどんなに愉快な心持がしやうか、予は顕微鏡を扱ふこともすき、測量器械をかゝへて駈廻ることも好きである、今の政治界に入てもまさか牛尾につかうとは考へない、諸君も代議士(344)となつて国会にのぼる事はあへて困難しい仕事ではない、併しやつた所で何の価値があるか甚つまらないはなしではないか、
 尚進んでいはゞ予が今日やつて居る聖書の研究は農学士といふ卒業証書に対して行《や》つて居ると云うても差支はない、実業の振興も究竟《つまり》は此処に存し社会の改良も究竟は此処に存して居る、社会改良、実業振興の最良策は即聖書を解釈して其大精神を明白に表白することである、この精神を外にしては予にクロンウエルを紹介することは出来ない、カーライルを紹介することは出来ない、昨晩の集会、あれが社会の改良法である、於是乎予は明にいふ聖書の研究は予に取ての必要であつて又国家社会に対しての義務であると、かくいへばとて余は諸君に向てすべて余に傚へと勧告するのではない、諸君が聖書研究の為に筆を援《と》り、口を費すこと能はざるもそれは咎むる所ではない、たゞ願くは人生の目的に二つはないといふことを合点して薪を割て米を炊ぎ、学問を研究して之を実地に試るに当ても皆其最大目的を同一にして相共に勇しく進軍の喇叭を吹奏《ふき》つゝ戦闘《たゝかう》て行き度いものである。
 
(345)     理想談
                          明治34年9月20日
                          『万朝報』
                          署名 内村生
 
〇自分の事業にのみ他人の賛成を求めんと欲すべからず、他人の事業にも賛成せんことを努むべし、自分は他人の事業に少しも賛成せずして、他人が自分の事業に賛成せずとて世の無情を責むるは非なり、世は無情なるやも知れず、然れども其無情は我れ自身無情なるに因るやも未だ以て知るべからず、世は無情なるも我自身は無情なるべからず。
〇世界は自分一人の世界にあらず、是れ生霊十五億人の世界なり、故に我れ一人我が意を就さんと欲するも得べからず、我は総ての人に其の善意を遂げしめんことを努むべきなり、我れは到る処何人にも善を為すべきなり。
〇日本国に於ては人に善を為すことは其人に阿ることゝして認めらる、曰く「偽」の字は人編に「為」の字より就る、故に人の為めに尽すなどゝは偽善者の所業ならざるべからずと、是れ最も悲むべき現象なり、今日の日本国に於ては善を為すの危険は悪を為すのそれに十倍す。
〇日本に於て善を為すは甚だ危険なり、然りとて善人は善を為さずには居られず、恰も酒飲家《さけのみ》は酒を飲まずには居られざるが如し、故に吾人は大に善を為すの術を攻究すべきなり、詐欺師が同胞を欺くの術を攻究すると同じ熱心を以て吾人は隣人に善を為すの術を攻究すべきなり。
(346)〇与ふる者は受くる者よりも幸福なり、援くる者は援けらるゝ者よりも幸福なり、世の賛成と同情とのみを渇望して自身世に供すべき大慈大悲を懐かざる者は最も憐むべき者なり、世の無情をのみ慷慨して自身の愛なきを嘆かざる者は世の同情を値せざる者と謂ふべし
 
(347)     入信日記
                       明治34年10月1−8日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
 昨日信州より帰つた、実に愉快であつた。
       *     *     *     *
 余は天然を愛する者である、殊に山を愛する者である、東京のやうな山のない所に居つては余も何時かな長州政治家の感化を受けて人間の軟体動物と化するの虞があるから、度々都城を去て信州の地に入るのである、山の有る処には必ず岩がある、岩の有る所には必ず岩のやうな硬い骨を有《もつ》たる人が居る、余が信州を愛するのは一つには其岩の為である、二つには其人の為である。
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 余は去る十八日古き友人なる津田仙君と同車して東京を立つた、車中に君と日本の過去現在を談じつゝ未だ信州の地に達せられざる廿里の此方に於て遙かに西の空を眺むれば黒雲一群高く山頂に上るを見た、是なん即ち浅間岳が関東平原に向て地中の悲憤を放つたのであつて、其壮観実に筆にも言葉にも尽されぬ程であつた、其時余は独り車窓に凭りかゝつて心に叫んだ、嗚呼、信州、その如く天下に向て叫べよ、その如く薩長政府の罪悪を唱へよ、その如く大地の義憤を吐けよと。
(348)       *     *     *     *
 碓氷の関門も今は土木術の進歩に依て二十六箇の隧道《トンネル》を以て貫《つらぬ》かれ、汽車と云ふ文明の輸送者にして而かも罪悪の媒介者は日々十数回此難道を上下《しやうか》しつゝある、碓氷があつた故に信州は今日迄武州、上州、野州、相州、総州のやうに腐らなかつたのである 信州に今日尚ほ多少の気骨の存するのは全たく碓氷峠の比蔭《おかげ》であると思ふ、世に薩長人の建てた明治政府ほど腐敗力の強い者はない、之を防ぐに唯天然の山があるのみである、然るに今や碓氷は貫通せられて、信州の地にも伊藤侯の政友会もあれば大隈伯の進歩党もある、実に堪らない事である、然し致し方がない。       *     *     *     *
 十八日には上田に泊つた、此処に松平《しようへい》神社とて旧城内に祀つた社がある、其傍に明倫堂とて曾て旧藩主が孔孟の支那道徳を講ぜしめしと云ふ八十畳敷きの大広間と之に添ふ建物がある、余は今日まで幾度となく此明倫堂に支那道徳ならぬ余の所信を講じた者である、故に今回も亦此堂に招かれ、ここに余の宿泊を許されたれば余の満足限りなく、八十畳敷きの大広間《おほびろま》独占と来ては余に取ては何よりの大馳走と心に躍り喜び、こゝに真田幸村に代りて三日の間上田城を守つたのである。(二十八日夜稿) 〔以上、10・1〕
 前に千曲の流を擁し、後に太郎山を控へ、右は塩尻の郷を以て限られ、左は田中、小諸に通じ、山を以て繞られ、野に於て欠る所なく、上田は確かに一つの独立郷である、其本丸を守りし余は夜々有志の者に宗教と真理に就て語るの外は別に為すこともなく東京よりの腐敗談を耳にせず、いとも静かなる三日を消費した、余は此間に(349)神学書一冊を読了り、尚ほ持来りし中古史を繙き、思を七百年の昔に走らせ、明治の日本を見ずして十三世紀の伊太利を想ひ、聖《せんと》フランシスの宗教、ダンテの詩歌《しか》、ジヨツトの美術に幸村の上田城までをも忘れんとした、時に暮雲塩田の郷《さと》を掩ひて四隣暗黒に包まれんとする頃何者か古城の土手の上に美音《びおん》を揚ぐる者があつた、耳を澄して聞けば是れ明治時代の謡歌にあらず、また学校唱歌にもあらず、去りとて普通の教会にて聞き慣れし讃美歌にもあらず、然しながら濠に響き、杉に応へ、何とも云へぬ音《ね》であつた、アヽ解つた、是はお睦《むつ》さんが彼女《かれ》の天主教会の聖歌を歌つて居るのである、中古時代の天主教会の教訓《をしへ》を丁度余の読んで居つた中古史に和せんためであつたらう、お睦さんは多分其歌の深い意味を知らないであらう、然し彼女の無邪気なる清い心は其意味を知らずして之を余に伝へて居つたのであらう、嗚呼ダンテのビヤトリスはあのやうな歌をこのやうに歌ふたのであらう、爾うして之を聞いたるダンテは終にあのやうな高い美はしい思想を得たのであらう、アヽ若し此聖歌をして信州人を感化せしむれば千曲河辺の上田はアルノ河辺《かへん》のフロレンスのやうな者となつて、日本のダンテは其|中《うち》から出て来るであらう。
       *     *     *     *
 明倫堂に止る二日|三夜《みよさ》、其の主人の※[疑の旁が欠]待に与かり、赤腹魚《あかはら》の味噌焼、香魚の塩焼等の御馳走に与かり、二十一日の朝余の今回入信の目的地なる南安曇|郡《ごほり》穂高《ほたか》の地に向て上田城を発した、篠井までは信越線を取り、是より中央線に乗更へ左に折れて松本平に向ふのである、有名なる姥捨山の中腹を添ふてロツキー山を昇るやうにソロ/\と昇るのである、汽関車は如何にも気息苦しさうに廻り繞つて姥捨ステーシヨンに達する眼下に見下す千曲の平原、稲は色附きて黄波《くわうは》を揚げ、彼方なるは善光寺にして如来と北信政友会支部の在る所、此方《こなた》は葛尾山《かつらをさん》にして(350)村上義清の城址である、景色《けいしよく》は東北|無双《ぶさう》と云ふても宜からう、若し対岸の鏡台|山《さん》に一輪高く懸るならばそれこそ天使が舞ふて来るであらう、嗚呼日本も悪い国ではない、斯んな好い景色がある、時には好い人物もある、悪い者は明治政府である、政友会である、進歩党である、其他総ての政党、政治家である、教育家である、哲学者である、是さへなければ日本国は姥捨山の秋月である、是に優るの国は世界にあるまい、嗚呼、愛すべき日本、憎むべき政治家と其附属物。 〔以上、10・2〕
 
 姥捨より上ること尚ほ一二哩にして冠着《かむりき》の隧道に入る、是は今日《こんにち》の所では日本第一の長き隧道であるとのことであつて、之を通り抜けるには凡そ七分間程かゝる、一寸とダンテの地獄に降つたやうな心地がして七分が三十分のやうに思はれる、穴を通れば犀川の水域で、これで北信を去て南信に入つたのである、北信とは千曲の水域を謂ひ、南信とは犀、木曾、天竜のそれを謂ふのださうだ。
       *     *     *     *
 北信は東京に近く、越後に接して居る故、其風俗人情は自づと関東的で亦東北的である、然るに南信は日本国の大淫婦なる名古屋の市《まち》に続いて居る故、彼女《かれ》の魔力を感ぜざるを得ないと見える、幸福なる松本平は二重三重の山を以て繞られ、創成時代の単純潔白を守り得べき地位にあれども、東京と名古屋とを東西に控かへては如何なる聖地も堪るものではない、日本の瑞西《スヰツルランド》なる筑摩安曇の郷《さと》にも今や三味線《さみせん》の音も聞ゆれば政党員の演説会も開かれる。
(351) 麻績を経て西条《にしでう》の停車場に達すれば茲に二|人《にん》の兄弟の歓迎を受けた、二氏共に純潔の信州人、有明山が人間となりて現はれし者、T君は郷先生にしてM君は百姓である、余輩は両君に接して始めて真正の信州に入つたやうな心地がした。
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 西条より松本街道を右に折れ、峠を二つ越えて潮沢《うしほざは》に入り、谷川に沿ふて二里程下れば犀川の岸に出る、潮沢峠の絶頂より西に見ゆるは信飛両国の境であつて、是ぞ即ち日本国の脊骨である、若し京都の東山も山なれば信濃の鎗ケ岳も山である、恰も平宗盛も日本人であれば木曾の義仲も日本人であると同じである、然し鎗ケ岳と東山との別は関東武士と公卿華族との別である、壮大威厳、粧飾もなければ猜疑もない、位階もなければ勲章も有たない、天然有の儘の岩と岩のやうなる心、只早く朝暾を受けて遅く落陽に接するまでゞある。
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 然し鎗ケ岳は単独《ひとり》ではない、彼に隣りして蝶ケ岳もあれば有明|山《ざん》もある、乗鞍岳もあれば獅子ケ岳もある、皆一万尺内外の英傑であつて、若し彼等の一人をして中国近畿の地にあらしめば大英雄大人物として仰がれるものである、彼等の中に侏儒《ピグミー》は一人も居らない、小早川隆景、毛利元就的の小策士は中枢山脈の産物ではない、余は始めて此等の山に近いて余の意を強ふせしと同時に日本の未来に就て多くの希望を懐くに至つた。 〔以上、10・3〕
 
 爾うして此山々より流れ出る水の清さよ、高瀬は青木の湖水より来るものである、糸魚川街道なる高瀬橋の上(352)に立て四方を眺むるの景色は五条橋の上から三十六峰を臨むに十倍して居ると云ふても決して差支はない、其外穂高川、烏川、殊に万水《よろづみ》、……万水は山に依て養はれずして地中より噴出する泉に依て養はれる、斯んなに水に富んだ国は日本中に又とあるまい。
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 二十二日の朝から南安曇郡東穂高の研成義塾に於て三日間に渉る余の講演を始めた、題は「真理と其攻究法」、聴く者は其地方選抜の好青年、天気は日本晴れの好天気、山は高く水は清く、友情は温く、熱心は溢る、如何に魯鈍の余なりと雖も多少の天火《てんくわ》に接せざるを得なかつた。
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 第一日目には大略左のやうなる講演をなした。
  吾等は真理其物を追求すべきである、真理の結果の欲《ねが》ふてはならない、真理を究むるは進歩である、真理の結果に着目するは退歩である、東洋主義とは真理を利用せんとすることである、西洋主義とは真理其物に達せんとすることである、東洋人は治国平天下を思ひ、西洋人は単に真理の発顕を欲ふ、東洋の退歩と西洋の進歩とは単に此一事に関して居ると思ふ。又俗人とは真理の実利応用にのみ注目する者であつて、非俗人とは其結果如何に関せず、直に真理其物を求めんと欲する者である、俗非俗の別は実用と超実用との別である。
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 第二日日には
  真理は単純でなくてはならない、込入つたるものは真理ではない、真理は山間の湖水のやうなものである、(353)明にして深い、多くの証明を引き来らざれば証拠立つることの出来ないやうなものは真理ではない、真理の証明は真理其物である、真理は三才の童子も能く解するを得て大博士にも探り尽すことの出来ないものである。
  真理は書物の知識を以てのみ解し得らるべきものでない、真理は清き謙遜なる心を以てするにあらざれば解し得らるゝ者ではない、万巻の書を読み尽したとて威張る哲学博士も幼児の如き謙遜なる心を有たざれば真理を見ることは出来ない、世に高慢なる穢れたる心を有《もつ》たる哲学者宗教家あるを聞いても吾等は決して彼等の言を信じてはならない。
  真理は又之を行はざれば知ることの出来ないものである、是を書物に読み、是を独り心に考へた所が真理は暁《さと》れるものではない、かの書籍館《しよじやくゝわん》に入て真理を探らんと欲する者、又は禅寺に入て坐禅を組んで真理を究めんと欲するものは未だ真理の何たるを知らない者である、真理は之を身に行はなければ解らない、之を実行的に同胞の救済に施さなければ暁《さとれ》ない、斯くして始めて吾人はその真理なるを知ることが出来るのである云々、
 第三日日の講演は余り長くなるから略す。 〔以上、10・4〕
 
 廿四日の朝を以て講演は終結を告げ、其の日の午後二時より兼ねて本紙に於て広告されたる朝報読者の会合が開かれた、講演会に臨みし者は大抵読者会に臨まれ、亦彼れに臨まない者で是れに臨んだ者も大分あつた、近く(354)は三里、遠くは十二里の外より此会に来られし者があつた。
       *     *     *     *
 午後二時少く過る頃より此会は開かれた、発起人相馬愛蔵氏は開会の主意を述られ、理想団の美挙なる事、美挙なるが故に之に賛成する事、団員たるは万朝報の提燈持を為るにあらざる事等を述べられた、次に望月直弥氏
は理想団宣言書を朗読され、氏に次いで立ちしは職人体の人、山路《さんろ》十二里を遠しとせずして更級郡稲荷山より来たられt木村某氏、熱心胸に溢れて発するに語《ことば》なかりし所、返て雄弁の如くに聞えた、次に朝報に対して種々の注文があつた、曰く「朝報が悪に強きやうに善にも強からんことを」と、曰く「新刊批評を尚ほ一層叮重にせられんことを」と、曰く「世界各国の欄を五号文字に直されんことを」と、曰く「三面記事を改められんことを」と、余は一々之を本社に通ぜんことを約し、終に立て余は大略左の如き演説をなした。
  諸君、私は今は朝報社の客員であつて正社員ではありません、然し客員でありますから私の朝報に対する観察は正社員でありますよりは稍や公平であらうと思ひます、私は勿論朝報を以て私の理想的の新聞紙であるとは思ひません、然し私は多くの点に於て朝報と主義を共にする者で有ます、其第一は平民主義であります、第二は非帝国主義であります、或る人は朝報を以て重に下等社会に読まるゝ新聞であると云ひて之を賤しめまするが、私が目下の処朝報の外他の新聞に一切関係しないのは朝報が多く百姓、職人、労働者|等《ら》、世に所謂下流社会の人に依て読まるゝからであります。
  却説《さて》理想団に就て一|言《げん》致したく思ひます 理想団は朝報の機関ではありません、否な、朝報が返て理想団の機関であるのであります、理想団と朝報とは全く別物であります、理想団は朝報の上座に位すべきものであ(355)ります。
  理想団は社会改良を目的として成つたものであります、然し世間に多くある社会改良団とは全く性質を異にした者であります、理想団は或る殊別の方法を以て社会を改良せんと欲するものであります、即ち先づ自己を改めて然る後に社会に及ぼさんと欲する者で有ます、社会の悪事にのみ注意し、其|欠然《けつてん》をのみ責めて之が改良を計らんとするは理想団の目的方法ではありません、先づ第一に自己を改むることであります、之を努めない者は理想団員ではありません云々。
 是にて演説を止め、入団者の調印あり、後に梨と菓子との饗応あり、清談に時を費し午後五時を以て散会した、理想団の加盟者は凡て二十一名、皆な正直真面目の人々であつて、其中に壮士めきたる空言者流、又は懶惰文学者等の非生産的人物は一人も見当らなかつた、朝報の読者には貴族も金持も居ない乎も知れない、居つても彼等は斯う云ふ会へは決して出ては来ない、朝報を重んずる、又朝報の重んずべき読者は中以下の紳士的人士である、爾うして余は信州東|穂高《ほだか》の地に於て斯う云ふ読者に沢山遭ふた、朝報の記者たるものはその責任の重且大なるを自覚すべきである。 〔以上、10・6〕
 
 若し信州に山と水との他に見るものがないならば信州は極く詰らない所である、人は山よりも大なるものである、余が信州に於て見んと欲せしものは信州人と其の事業とである。
       *     *     *     *
 勿論信州にも悪人は沢山居る、それは伊藤侯の政友会や大隈伯の進歩党が此地に於て非常の勢力を占めて居る(356)のでも能く分る、松本の町は人口三万に過ぎないが其中に妾宅が三百軒もあるさうだ、長野の市は善光寺の比蔭《おかげ》で風儀は甚だ悪いさうだ、上田人は祭礼的の喧嘩が好きで深く考へる事は大嫌ひださうだ、其他余の眼を以てしても信州人の悪い所は沢山見える。
       *     *     *     *
 然し喜ばしい事にはまだ善光寺にも政友会にも感化されない信州人が残つて居る、即ち曾て「人国論」の著者が評せし「愚にして頑なる」信州人は残つて居る、彼等に眼光人を欺くに足る中国人士の愛嬌はないが、彼等の顔貌に嘘偽《うそ》を吐かんと欲するも能はざる所の馬鹿正直な所がある、是れが信州人の最も貴《たつと》い所であつて、若し是を失ふて長州人の伊藤侯や佐賀人の大隈伯などを真似るに至らば信州人はその存在の理由を失ふて有つても無きと同然のものとなるのであらう。
       *     *     *     *
 南安曇郡東穂高の地に研成義塾なる小さな私塾がある、若し之を慶応義塾とか早稲田専門学校とか云ふやうな私塾に較べて見たならば実に見る影もないものである、其建物と云へば二|間《けん》に四間の板屋葺の教場一つと八畳二|間《ま》の部屋がある許りである、然し此小義塾の成立を聞いて余は有明|山《やま》の巍々たる頂を望んだ時よりも嬉しかつた、此小義塾を開いた意志は蝶ケ岳の花崗石《みかげいし》よりも硬いものであつた、亦之を維持するの精神は万水の水より清いものである。
       *     *     *     *
 信州の如き山国にも依頼派と独立派との二派がある、依頼派とは政府万能力を信ずる派であつて、何事に依ら(357)ず、議会、又は県会、又は郡会、又は村会の補助を仰がんと欲する者である、人は独り立て天の神と己れの腕に頼て大事を為し得べしとの確信は今や悲いかな信州の山中に於ても多く見ることの出来ないものとなつた、然しながら信州人未だ悉く人間の軟体動物とはならない、安曇の地にも小数のハムプデンは居る、郡費にも村費にも頼《よ》らない私塾を立てんとの大胆なる聖望は井口喜源治氏なる或る学校教師の心に起つた、機械的ならずして精神的自由的なる教育を施さんと欲するのが此若き郷《きやう》先生の目的である、爾うして如何に勇ましく彼は戦ひしよ、亦今に尚ほ戦ひつゝあるよ。
       *     *     *     *
 然し彼は亦単独ではない、彼を援くるに彼と同じ志を有つたる百姓が有る、町人が有る、彼等は相|集《よつ》て小額の金を集め、爾うして金の足らざる処は彼等の労力を寄附して茲に純粋なる独立学校がなつたのである 私立学校とし云へば京都の同志社、東京の青山学院、明治学院のやうに外国伝道会社の補助を仰ぐ者もあれば、女子大学のやうに貴顕紳士の賛助に由て成る者もある、然し安曇の研成義塾は小なりと雖も全く平民と日本人との力に由て成りし学校である 余は小にして大なる此義塾を信州の地に於て発見して心窃に信州万歳を絶叫せざるを得なかつた、嗚呼、広き天下に此小義塾に同情を寄するものは他にあるまい乎。 〔以上、10・7〕
 
 二十五日に安曇を切上げて松本町に来た、是は其人口より云ふも亦地理学上の位地より云ふも信州の首府である、若し賄賂に由て決せられずして道理を以て定められしならば県庁は松本に置かるべきものであつて長野に置かるべきものではない。然し何事も「運動」に由て決せらるゝ明治の昭代に在ては此位の事は致し方がない。
(358)       *     *     *     *
 松本で見しものは武田時代に築かれし有名なる天主閣、松本尋常中学校、其他市街全鉢の景況であつた 驚いたのは学校の盛なるのと、此地にも政友会とか憲政本党とか云ふ二派があつて相争ふとの事であつた、学校の盛なるのは甚だ結構ではあるが、政党の盛なるのは甚だ結構ではない。
       *     *     *     *
 其日の午後に宇川亭《うがはてい》と云ふ蕎麦屋で其地百有余名の有志の歓迎を受けた、余の如き流浪者を斯くも叮重に扱はれし松本人士の好意は謝するに言葉がなかつた、余は席上余の心中を吐露し、余の実業家にあらず、又社会改良家にもあらずして、一種の耶蘇坊主なることを白状した、諸氏は余の其日の演説に不満足であつたかも知れない、然し余は余の友人の前に立て余の有の儘より他の事を云ふ事は出来ない。
       *     *     *     *
 翌二十六日友に送られて松本を立ち、両脛に頼て馬飼立峠《まがひたちたふげ》の二峠を越え、西条に至て再び汽車に投じ、姥捨を経て善光寺平に下り、其日の夕刻に小諸に至り、友人小山太郎氏の家に泊つた、氏の家は小山|久之助君《きうのすけくん》の本家であつて、君の重病の故を以て何んとなくヒツソリとして居つた、尚ほ此処に同志の会合と会食とがあつて、翌日小諸を立て、其日の暮方に角筈の旧巣《ふるす》に帰つた。
       *     *     *     *
 帰つて見れば矢張り楽しきホーム、東京は悪い所であるが其中にある余のホームは美はしい所である(余に取ては)、信州は好い所であるが余のホームは信州よりも好い所である(余に取ては)、嗚呼、ホーム、ホーム、美は(359)しき美はしきホーム、如何に貧しきホームなりとも世にホームに優る所あるなし、世にホームに優る所あるなし。 〔以上、10・8〕
 
(360)     愛のはたらき
                        明治34年10月6日
                        『無教会』8号「社説」
                        署名なし
 
 何事も義務の念に駆られて為してはいけません、愛に励まされて為さなくてはいけません、義務は私共を縛るものであります、義務を以て為した事に、温かなる緩かなる所はありません。
       *     *     *     *
 人の悪を責むればとて其人は直るものではありません、若し人を直さんとすれば其善を認め、之を奨励するに若くはありません、善の大洪水を起して悪の毒流を洗ひ去るのが基督信徒の社会改良法であります。
       *     *     *     *
 愛は人の悪を念はずと書いてあります、即ち愛は人の悪に意を留めないと云ふ事であります、他人の悪事にのみ眼のつく人は愛の人ではありません、私共心に神の愛を受けますれば人の悪が見えなくなります、即ち悪に就ては盲人《めくら》となります、丁度「親馬鹿」とか申しまして、親には其子の悪が見えないやうに、私共も「神馬鹿」とでも申しませうか神の子となりて同胞の悪が見えなくなります、私共は神の愛に充たされて悪に対しては全くの馬鹿者とならなくてはなりません。
(361) 神を愛して此人世を見て御覧なさい、人世とは決して救済の希望のないものではありません、此世には善人は沢山居ります、亦その悪人と云ふ者でも多少の善性を具えない者とては有りません、若し世に善なるものが全く無ければ私共は絶望すべきでありますが、然し善なるものが斯くも沢山ある以上は私共の失望は全く無用であります。
       *     *     *     *
 世の改良とは人の善を認めて其悪に意を留めない事であります、さうすると善は段々と勢力を占めて悪は段々と自然に消えて了います、若し人が善を以て私共に対しますれば私共は厚く之を謝すべきであります、然し若し彼が悪を以て私共に対しますれば私共は善を以て之を迎へ、水が火を消すやうに善を以て悪を消さなければなりません、悪に反対して私共は悪を増長させる計りであります、悪を殺すの法は悪に逆はない事であります。
       *     *     *     *
 神は此世を救ひ給ふに懲罰の剣を以てしません、神は無限の愛を以て我等人類を救ひ給ひます、私は神とは決して怒らない者であると思ひます、私共が若し神を辱める事があれば神は私共のために泣き給ふのみであると思ひます、キリストは実に斯う云ふ人でありました、彼に世に謂ふ憤怒なる者はありませんでした、彼は総て柔和に総て謙遜でありました、世に彼を怒らせる方法とてはありませんでした、彼は世を救ふの途として私共に無限の忍耐を教えられました。
       *     *     *     *
 故に私共はキリストに習はなければなりません、今日此時より私共の心の中に憤怒なるものゝ全く無くなるや(362)うに致したいものであります、今日此時より私共は悪に対しては全くの馬鹿になり、笑顔を以て瞋恚に対し、祝福を以て怨恨に応じ、世に善の奨励蕃殖を計て悪を消滅致したいものであります。
 
(363)     入信の記
                       明治34年10月6日
                       『無教会』8号「社説」
                       署名 内村鑑三
 
 私は昨日信州南安曇郡東|穂高村《ほだかむら》に於て特別に私を招かれて開かれました講談会を終へて帰りました、穂高村と申しますれば、松本町より北四里に当り、有明山の麓、犀川の西岸にある宿《しゆく》であります、こゝには井口喜源治氏とて最も敬すべき最も愛すべき兄弟が居られます、彼は昨年当角筈村の講談会に臨まれた人でありまして、其前より、亦殊更に其後は私共の信愛する友人であります、彼は穂高の地に一つの私立学校を起され、之を研成義塾と名て村童の教授に従事せられます、彼はまだ三十前後の人であります、然し彼に厳然たる君子の風采があります、或人が彼に就て申しました、近江聖人中江藤樹とは実に彼のやうな人でありましたらふと、私も実にさう思ひます、私は同志中に井口氏のやうな人を有つ事を神に向て感謝致します。
       *     *     *     *
 私は彼の地に三日四夜滞在致しました、さうして多くの友人に会ひました、南信の地、有明山《ありあけざん》鎗岳の麓には多くの正直なる我が党の人が居られます、彼等は世に謂ふ悲憤慷慨の人ではありません、彼等は皆な謙遜なる而も勤勉なる人達であります、彼等の多くは教会に属するキリスト信者ではありません、然し最も熱心に聖書を研究せんと欲する人達であります、彼等の多くは農夫であります、亦商人であります、学校教師であります、文学者(364)であるとか、政治家であるとか云ふやうな不生産的人物は彼等の中には一人もありません。
       *     *     *     *
 読者諸君よ、喜ばれよ、諸君の同志は天下到る処に有ります、信州の地に於ては穂高に於て、其附近の村々に於て、松本に於て、篠井に於て、上田に於て、小諸に於て、其他まだ行ては見ませんが諏訪に於て、高遠に於て、坂下に於て、飯田に於て、又長野にも松代にも必ず三四人又は十数人の真面目なる同志の人があります、彼等は皆な私共の兄弟姉妹であります、彼等は満腔の同情を以て私共を迎へられます、彼等は私共と希望を共にし人生の方針を共にする者であります、何んと喜ばしい事ではありませんか。
       *     *     *     *
 私は信じます、同じ同志は全国到る処に居られますことを、北海道にも、台湾にも、琉球にも、朝鮮にも、清国にも、米国にも居られます、彼等は皆な精神上の兄弟姉妹であります、彼等に一面して私共は旧友の如くに感じます、嗚呼若し彼等と共に地上に一度び会合致しましたならばさぞかし楽しい事でありませう、然し此事はかないませんが、我等皆な神の国に会合することは確であります、天国とは如何に楽しい処であるか今より予察することが出来ます、信州に於ての労働の結果に就ては次号の「聖書之研究」を見て下さい。(九月二十八日誌す)
 
(365)     『基督信徒の特徴』
                        明治34年10月8日
                        単行本
                        署名 内村鑑三 者
〔画像略〕 初版表紙151×108mm
 
(366)     理想団は何である乎
        (千葉演説大要)
                       明治34年10月16日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
 理想団は政治的団体ではない。
 理想団は宗教的団体ではない。
 理想団は万朝報の機関ではない。
 理想団は社会改良を目的として成つた団体である、然し普通の社会改良的団体ではない、理想団は或る一つの特別の方法を以て社会を改良せんとする団体である、即ち先づ第一に自身を改良して然る後に社会を改良せんとする団体である。
 自己を改良するとは社会国家を顧みないと云ふことではない、自己にも下劣《かれつ》なると高尚なるとの二つの種類がある、下劣なる自己とは古川市兵衛氏のそれの如き自己である、即ち自己のための自己である、然し高尚なる自己は国家人類のための自己である 而して如斯き自己を改良するのは社会の重要なる一部分を改良することであつて、殊に我れ自身に取ては改良するに最も易き部分である。
 自己一|人《にん》を改良するは最も有効なる社会改良法である、禁酒論を唱へるよりは酒宴の席に於て断然酒を飲まな(367)い方が禁酒主義を他人に伝ふるに方《あたつ》て優《はる》かに有力である、廃娼論を唱へる者は己れ先づ身を穢さゞる者でなくてはならないのみならず、穢い事は口にも為さない者でなくてはならない、一人の義人は百人の悪人を制するに足るの勢力である、一人が断然正義を実行すればそれがために社会は動く。
 故に理想団は多くの団員を有つに難いのは能く分り切つて居る、他人の弊を矯めんと欲する人は沢山あるが、先づ第一に自己の欠点を正さんと欲する者は至て尠い、然し理想団員とは斯くあるべき者である、我等は自己を責むるに厳にして他人に対して寛なる者にあらざれば理想団員として迎へる事は出来ない。
 
(368)     〔神の有無 他〕
                      明治34年10月20日
                      『聖書之研究』14号「所感」                          署名なし
 
    神の有無
 
 或る人は神は有りと云ひ、亦或る人は神は無しと云ふ、而して有りと云ふ証拠なしとすれば無しと云ふ証拠も亦あるなし、余輩は有りと信じて行ふなり、而して行ふて有りと云ふ実証を得るなり、神の存在は科学的に之を言へば仮説の一なるに相違なし、然れども最も多くの蓋然性《プロバビリチー》を有する仮説にして亦最も多くの事実を説明するに足るの仮説なり。
 
    有神論の証明
 
 神を信ぜずと云ふ人あり、然れども余輩は其人に問はんと欲す、「然らば君は何を信ずるや、君は四海皆な兄弟なりと云ふ 然れども同一の父を有せざる者が如何にして兄弟たるを得んや、君は正義は最後の勝利者なりと云ふ、然れども正義は誰に依て最後の勝利を獲んとするや、君は神を信ぜずと言ひて神を信ずる者の如くに語るにあらずや、神を信ぜずと称して君は君自身に対て抗論しつゝあるにあらずや」と。
 
(369)    神を識るの途
 
 神を識らんと欲せば新たに其存在の証拠を求むるを要せず、神を識らんと欲せば行を改めよ、義のために勇なれ、慾を減ぜよ、心を清ふせよ、殊に自己の真価を知て謙逢なれ、然らば神は事実となりて吾人の心に現はれ、吾人は其存在の証明を求むるを歇めて、吾人の身を以て彼を世に示さんと欲するに至らん、神は道徳的に之を発見するを得べし、智識的に之を看出す能はず。
 
    神は如何なる者ぞ
 
 キリストは此問に答へて曰く「神とは我れの如き者なり、我を見し者は神を見しなり」と(約翰伝第十四章九節)、即ち神とは宇宙の大権を握る者なりと雖も人の下に立て其足を洗ふことを耻と為さず、其聖き事天使も其前に立て翼を以て其面を蓋はざるを得ずと雖も而も人界に降り来ては罪人と食を共にし、其友人を以て自任し給ふ、彼に一つの私慾あるなく、私憤あるなく、万人を一時に養ひ得るも自身の渇を癒す能はず、無限の愛、無辺の慈悲、智に於て絶大なるよりは寧ろ愛に於て至大なる者、怒らず、嫉まず、傷める葦を折ることなく、煙れる麻を熄すことなし、吾人は宇宙の大権を握る者の斯くも女らしき者なるを知て吾人の宇宙と人生とに関する観念の全く一変するを見るなり。改行  
 
(370)    懐疑の解
 
 懐疑は疑懼なり、吾人は説明を得ずして疑ふにあらず、正義を懼れて躊躇するなり 吾人にして断行の勇気あらんか、脳中の迷霧は拭ひ去られて、吾人は宇宙万物の和音を奏して神の栄光を讃ふるを見ん。
 
    何を信ずる乎
 
 「凡ての事是れ信じ」とは何事によらず之を信ずとの意に非ず、凡ての事是れ信じとは凡ての善き事は是れ信ずとの意なり、余輩は天に愛の父の在すを信ず、余輩は罪の赦免を信じ、霊魂の不滅と肉躰の復活とを信ず、余輩は又万物の復興と天国の来臨とを信ず、余輩の信ずべからざることは悪が終に世に勝たんとのことなり、此世が全滅に帰して混沌の再び宇宙を掩ふに至らんとのことなり、信仰は希望なり、善を望まざる信仰は信仰にして信仰にあらず。
 
    無教会
 
 我は我が主イエスキリストに傚ふて教会なるものを建てざるべし、教会は真理を制限するものなり、而して制限せられて真理の蕃殖を計る難し、我は真理其物を伝へて其保存扶植を画せざるべし、我は単純なる伝道者たらんと欲す。
 
(371)    真理の自存
 
 真理は其物自身の証明者なり、真理は亦其物自身の拡張者にして且つ保存者なり 単純なる真理其物を伝へて吾人は其衰退煙滅を懼るゝの要なし、真理は其物自身の気附けを取るべし、吾人は之を天の雨と地の風とに任かして其成長発育を疑ふべからず。
 
    破壊者
 
 真理は一種の破壊者なり、真理の破壊性を懼れて其伝播に従事する難し、真理は能く毀て能く建る者なり、世に焼かざるの火を求むる者あるなし、然れども毀たざるの真理を需むる者の往々にしてあるを如何せん。
 
    伝道唯一の方法
 
 伝道の方法を講ずる者多し、然れども余輩は其浅慮に驚かざるを得ず、伝道唯一の方法は福音有の儘を確信して之を此饑えたる社会に供するにあり、此確信に乏くして伝道せんと欲す、是れ弾薬に乏くして戦略を講ずるの類ならずや、
 
    迷信と信仰の区別
 
 道徳に関係なきもの、又は道徳に違反するもの、是れ迷信なり、道徳と相離れざるもの、又は道徳を助くる者(372)是れ信仰なり、福利を祈ること是れ迷信なり、正義を懇求すること是れ信仰なり、迷信、信仰の別は智識的ならずして道徳的なり。
 
    基督と保羅
 
 基督は我儕の主なり、保羅は我儕の友なり、我儕は基督に服従して保羅に賛成す、基督は我儕の崇むるもの、保羅は我儕の愛するものなり、我儕は基督に於て完全無欠の神を見、保羅に於て我儕と同じ懦弱に困む肉体の兄弟を認む、我儕豈保羅に師として事ふる者ならんや。
 
    師弟の関係
 
 人は我に頼り、我は神に頼る、故に我に頼るは神に頼るなり、我は我が荷担の重きを感ぜず。
       *     *     *     *
 我を師と称ぶ者あり、然れども我にも亦た我の師と称ぶ者あり、斯くて我を師とする者は我の師とする者を師とする者なれば、我は彼等に師とせらるゝを懼れず。
       *     *     *     *
 月を仰ぐ者は日を仰ぐ者なり、然れども月は夜を照らすための日の代表者たるに過ぎず、月の望む所は夜の一刻も早く過ぎ去て人々が直ちに栄光の日を仰ぐに至らんことなり。
 
(373)     聖貧
                      明治34年10月20日
                      『聖書之研究』14号「所感」                          署名 角筈生
 
〇「何も有たざるに似たれども凡の物を有てり」とは基督信者の事である、我等に土地一寸もなけれども宇宙万物は凡て我等の属である 我等の家は雨を漏らし、風に脆きも我等は千代経し岩を隠家となす者である、我等を養ふに美味はなけれども我等は天の霊を呼吸して生きる者である、世に実は我等に優る富者はないのである。
〇我等は貧者である、然れども貧に就て泣き且つ世に訴ふる者ではない、我等は貧を喜び且貧に就て神に感謝する者である、我等の主イエスキリストは殊更に貧を択び給ふた者である、是れ何にも必しも貧者に向て同情を表せんため計りではない、キリストの如き人に取ては貧は生涯の必要であつたからである。〇貧は自由の侶伴《とも》である、束縛は富に伴ふ者である、富を獲るの心配、之を保存するの心配、之を消費するの心配、是れ聖者の甚だ厭ふ所のものである、富は人の作つた者である、故に富んで人世の束縛より離るゝ事は甚だ難い、貧者の一つの幸福は世が彼の交際を要求しない事である、貧せざれば精神の独立なる者を得るは甚だ難い。
〇世より独立するに容易なるが故に貧者は天然と交る益々深いのである、貧とは勿論貧窮の意味ではない、貧とは人の作つた富に依らずして神の与へ給ふ恩恵に依ることである、故に貧とは空の鳥や野の百合花のやうに成ることである、即ち日光を楽み、清風に浴し、労めず、憂《おも》ひ慮《わづら》はざるやうに成ることである、天然の快楽なるもの(374)は実に貧せざれば得られないものである、詩人オルヅオスのやうに「高き思想」を楽まんと欲すれば彼の如くに「低き生涯」に甘じなければならない。
〇貧窮は懶惰の結果であつて、貧は反て勤勉の結果である、我等は労働を愛するが故に富まざらんと欲するのである、倉庫に百年の糧を蓄へ、侍べるに許多の婢僕ありて我等働かんと欲するも能はず、故に聖人は余計の富を有すれば故らに之を散じて身の自由を計るのである、恰も軽気球に乗る者が天に向て昇らんと欲する時に其重量を減ずるが如きである、金銭の快楽は、自由労働の快楽に及ばざる甚だ遠い、労働を愛する者は時には返て金銭を憎む者である。
〇子孫のために計ると称して蓄財に汲々たる者は世に多い、然し是れ亦余計の心配であると思ふ、子孫も神が吾等に給ふた者であるから、吾等神に忠実に事へて神は必ず吾等の子孫の気附を取り給ふと思ふ、且金銭計りが子孫への遺産ではない 品性も遺産であれば独立心も遺産である、若し世に百人の財産を子孫に遺す者があれば一人の神聖なる父母の記憶を彼等に遺す者はない、聖貧者の最も大なる遺産は彼が神に在て有たる希望と歓喜と信仰とである。
〇若し「病んだらば」とて心配する者がある、然り、働かざる者には病気の危険が多い 然しながら働く者には病気の危険は至て尠い、彼は第一メツタに病まない、第二に病む前には応分の用意が為てある、第三には友人同士の同情がある、世に実は正直にして働く者の如き安心なる者はない、貯蓄も保険も神聖なる労働ほどの保険ではない、
〇故に働くのみである、死ぬまで働くのみある、働かざる者は最も大なる罪悪を犯しつゝある者である、貧を歎(375)ずる者は実は働かない者である、善く働く者で社会に向て貧を訴ふる者はない筈である、聖貧の快楽を知て吾等は世の富豪なる者を憫むべきである、貧は自由の侶伴なりと知つて吾等は喜んで貧てふ花嫁を迎ふべきである。
 
(376)     クロンウエルの宗教
                     明治34年10月20日
                     『聖書之研究』14号「講演」
                     署名 内村鑑三
 
 昨晩もタロンウエル伝を著述せよとの注文が出た、幸にも集会られた方々には皆其希望が有る様であるから、今日は特にクロンウェルの宗教に就いて講演して見やう、併し我輩は講壇に立てクロンウェルの信仰ケ条を話さうとするのではない、我輩の話さうとするのは宗教の応用――即基督教が如何に応用せられて如何に大革命が成立つたかを談話《はな》さうと思ふのである。
 却説、毎々繰返す事ではあるが吾人はクロンウェルを英雄と称呼ではならぬ、英雄といふ文字には頗る語弊が存して居る、英雄々々と云へば日本人は直に西郷、大久保、太閤などを想ひ浮ぶるのであるが、併しオリバー、クロンウェルは之を西郷大久保等と此して其人物に天地黒白の相異がある、成程カアライルは渠を hero と呼んだが乍併英雄崇拝などゝきては実に不幸極まる熟字であると云はなければならぬ、英雄崇拝々々々々、基督信徒の眼光より見ればソンナ大不都合な又ソンナ大不賛成ナ言葉は無い、吾々無知と雖クロンウェルを崇拝はしない、保羅をも崇拝はしない、崇拝てふ言葉を用ゐるに値する者は真正基督信徒の眼より観れば洪たる六合の裏唯一人ある許りである。
 偖てクロンウェルを我日本人に紹介するに際つての第一困難はクロンウェル的の――少くともクロンウェルに(377)類似た人物が我歴史上に一人も無いことである、渠は信長、秀吉の如き武将であつたか、渠は甲東、南洲の如き豪傑であつたか、曰く否な、彼は全く東洋人の夢想だもすること能はざりし異人物で有つたのである、西洋にもクロンウェル程の偉人は滅多に現はれない、がそれに類似した人物はあへて乏しくはない、先づクロンウェルに近い好代表者の一人は同国のグラツドストーンであつた、一は武人他は純粋の政治家、其活動した区域に異同は有つたが其根本的特質に至つては双方甚よく類似して居つた、諸君の已に知れるが如く虞翁は三度も四度も英国の主権を掌握した。英物であつた、政党の操縦、一切の国家的運動を処する上に於て彼は近世罕れなる大政治家であつた、然るに此大政治家に日本政客の解釈し能はざる性行があつた、それは先づ何んなことかといふに、彼れ一日誤つて召仕女を叱り後で大に後悔したといふ話がある、主人が何かの間違で下女を叱る位は世に有り触れたことであつて別に咎むるにも当るまい、されど此一失策は直に彼虞翁をして朝夕の食膳を離るゝに至らしめた、数夜の安眠を妨ぐるに至らしめたの事である、大功は細瑾を顧みず区々たる小事に齷齪して大事を忘るゝは男児の本領に非ず況んや天下に号令すべき大政治家が一下婦を叱して兢々如此くなるは如何にも愚の至りであるとは日本人特に権数機変を以て人を籠路したがる政客策士の異口同音に嘲笑する所であらう、けれども彼は政治家たりしが為に恭謙の徳を棄てなかつた、大政治家々々々々これは勿論名誉の言葉であつたに相違ない、されど彼は之に対して何の満足をも感じなかつた、渠は基督教の伝道師たらんことを望んだ者である、渠は自白した自分の目的は伝道師たるに在ると、若し強て渠の所謂野心なるものを求めんか、其は唯神の福音を多くの人々に伝ふるてふ一点に存して居たのである、渠の台閣を退て野に下るや彼は直に田を耕し樹木を伐り悠然として其間に宗教の研究を始めた、聖書の註釈をも試みれば聖書文学にも熱中した、而して死ぬる迄一生懸命に勉強した、(378)盃を酌んで気※[陷の旁+炎]を吐くは彼の長所では無かつた、美人を枕として絃音《さみせん》をきくは彼の嗜好《この》む所では無かつた、バトラーの Analogy の註釈は未完ではあるがこれ彼が最後の絶筆であつた、而して其死際には侍べる者共に「千代へし岩よ」を歌はしめて安らかに八十年の現生涯を終つた、言ふ迄もなく彼の希望は常に耶蘇基督にあつたのであつて其死ぬる時には肉をも霊魂をもこの人に任して眠についたのであつた、斯る政治家の生涯を今の伊藤侯や松方伯等に聴かせたならば彼は恐らくアーと云ふて不思議がる許りであらう。
 欧洲大陸迄も震動せしめたクロンウェルの一生は即グラツドストーンの一生であつた、如何にして英国は世界第一の州たらんか、如何にして英人の自由は復興すべきかはクロンスウェルに取ての大問題で有つたに相違ない、併し彼の胸中には夫等に優るの大問題が横はつて居た、地獄の火――永遠の刑罰、如何にして我はそれより救はるべきぞ、これ実に彼を苦しめし最大問題であつて彼が束の間も忘却《わする》ゝこと能はざりし所であつたのである、彼が四十二三歳の折自分の従妹に送つた書翰を読んで見ると其中には何卒《どうぞ》此憫れなる罪人の為に祈祷て呉れよといふことのみが巨細《こま/”\》と書きつらねてあつて、国家救済なんどの文字は始にも終りにも全く見当らない、又彼は地方の伝道師に滞なく月給を払ふことに運動をした、其時やりとりした書翰の中に神様は如此《こん》な憫れな奴をも御救け下さつたのであるから自分は其神様の為めとならば粉骨韲身如何なる難行をも辞することではないと云様な熱心の言葉が認めてある、彼が終りの十年間許りは実に惨憺《ひど》い生活であつた、乍併其臨終最末の祈祷は甚だ清美なる者であつた、日本の英傑とは一個人のことには糸毫も懸念憂慮しない者を称ふのであつて妻子眷族と親むのは却て英傑の品位を下すものだと考へられて居る、それであるから自分の罪悪に苦悶するクロンウェル的の英傑は日本人普通の眼から見れば唯愚痴を溢して居る婦女子の亜流としか思はれないのである、ダンバーの戦に大(379)捷を獲るや彼は国会議長に送るべき報告書を認め同時に同じペンを以て最愛の妻に与ふる書状を認めた、其書中の文言は洵に人情有の儘を写したものである、「汝《おまへ》は私が書面を送らなかつたのを大変|怨憤《うらん》だそうだが私は決して汝に怨憤るゝ覚えはない、私は片時も汝のことを忘れた折はなかつた、私は最も汝を愛す」と云ふ様な言葉が繰返し/\書かれてあつて其次には善く子供を養育して呉れよといふ依瀬なぞが認めてある、渠は娘にも書き婿にも書いた、而して何の蘊《つゝ》みかくす所もなく、湧くが如き人情を人の前にさらけ出した、彼は之を以て自己の恥と見做さゞるのみならず却て之を以て自分を慰め人を喜ばしたのである、斯る性行のクロンウェルが英吉利に生れて日本に生れなかつたのは実に彼の幸福であつたらうと思ふ、若し彼の如き人物が日本に生れて来たとすれば渠は一般の笑物となつて卑怯者よ怯懦者よと罵られたに相違ない。
 細君には艶文《いろぶみ》を書く、而して死際には神に向て「我魂を爾に任す」と叫んだ、或時はフイと居なくなる、兵卒が探して見ると彼は室内に籠りて一心に祈祷を捧げて居るのである、日本人には全て奇怪不思議、力のない弱武者としか見えない、がそれは幕の内のことである、其一旦幕外に現はるゝや彼は全く別種の人間の如く其沈静剛毅殆んど当る可らざるの勢であつた、ダンバー戦争に於る彼の行動に観よ、引率せる病兵纔に一万、人少なく糧乏しくして味方の軍勢は忽ち蘇蘭の大兵に取巻かれた、乍併彼は寸毫も動ずる色が無かつた、神色自若として彼は一意に神の救助あることを信じ而して敵陣の揺動するのを窺つて居つた、案に違はず敵方の陣列は俄に狼狽《いろめい》てきて我の一撃に敵は木の葉の如くに遁竄した、さてプレストンの戦は如何であるか 画策百中敵将ハミルトンは降伏して馘られたにも係はらず彼は切りにクロンウェルの天才を称賛し又クロンウェルが紳士たるの処置に感服したる礼状を送つたではないか、今の軍人でもブレストンの戦争位巧く効を奏したのはないと驚歎して居る(380)位である、若し彼を英雄といふべくんば彼は実に意外の英雄であつた、非常に弱くして又非常に強い英雄であつた、西郷板垣星などゝは全く其性質を異にした英雄であつた、彼は到底日本人の解釈し能はざる疑問物である。
 西洋の文明を解する亦クロンウェルを解するが如くに困難《むずか》しい、東洋唯一の李鴻章も尚泰西の文物を解するに苦んだ、そこで或有名な画工は李鴻章の肖像を描いて其老雄の眼鏡にクエスチヨン、マークの(?)をクツ付けたといふことである、然れどもクロンウェルの心の宗教を観て而してクロンウェルを解するはあへて困難しいことでない、基督教の教義を悟つて而して後に西洋の文明を解するは敢て困難しいことではない、基督教を外にして彼を知り此れを了せんとすれば到底それは奇怪不可思議のものたるに留まるのである、クエスチヨンマークを附せざるの已むを得ざるに至るのである。
 クロンウェルは十字架上の贖罪を認め未来の存在を信じた、其大信仰と大慰藉とを彼より取去つたならば彼は即彼にして彼れでなかつたのである、日本人たる予が今日に於て聊かクロンウェルの心事を解しクロンウェルの性行を評するを得るは実に愉快の至りと云はなければならぬ、若し山県、川上、山口等の諸将をしてプレストンの戦を評せしめば彼等は一同に彼が軍事上の天才を称へ、彼が機敏なる立廻りを賞して実に※[しんにょう+南]れの武人なりと言ふであらう、併しこれは真にクロンウェルを知た者の賛辞ではない、又クロンウェル其人に取て左程名誉の言葉ではない、蓋しクロンウェルにしてケ様な評論を聴たならば彼は呵々として大笑したに相違ない、而してかく返答したに相違ない、曰く「己れがあの戦争で大勝利を得たのは何も軍学を知て居たからでは無い、己《お》れには方法とか術数とか云ふものはよく分らぬ、がたゞ朝夕の祈祷によつて此|幼《いとけな》き心に神の強き命令が加つた為めかゝる全捷を占めたのである」といふたに相違ない、実に彼は陣営に在つて絶えず熱心に祈祷をした、彼の将官も祈祷(381)り彼の軍卒も草原に跪いて一生懸命に祈祷した、彼の勝利は已に此時に現はれて居たのである、故に予輩はクロンウェルの勢力を観て神の全智全能を観 神の全智全能を知てクロンウルの勢力を解し得るのである、吾々が常に信仰の力を説く所以は即此所に在る、今日で勢力と云へば金力と人力との二つである、三井や古川は大なる権力者であつて、大政党とは沢山の代議士を有するものと定つて居る、併し吾々は金がないからとて歎息するには及ばぬ、味方が少いからとて辟易するには及ばぬ、クロンウェル、ミルトンは一生金銭や人間に依頼しなかつた、タロンウェルは唯神をのみ畏るゝ兵卒を募集《あつめ》た、吾々基督信者は大に此点に於てクロンウェルを真似ねばならぬと思ふ。
 予輩は已に日本の英雄なる者を看た、彼は常に精神一到何事か成らざらんと意張つて居る、予輩はこゝに泰西の英雄なる者を観た、是れはたゞ虔《つゝし》んで神を恐れ一心に神の大能を信じて居る、彼の大言は小人の喜ぶ所、此れの謙遜は真紳士の本領である、彼は切りに黄金を集め人心を収攬するに係はらず此れは専ら心を上帝の慈愛に維いで居る、失礼ながら今諸君は余り豪富《かねもち》の人では無い、諸君一同の財布をたゝいた所で大砲一門も仲々買ふことは出来まい、又人数の上からいふても諸君の数は僅か四十人か五十人かである、五十人の諸君が千両にも足らぬ金を握つて社会改良などゝ叫んでも成蹟のあがる道理は無い、併しクロンウェル主義からいへばそれで充分である、事業の成否は全く信仰の有無に在るのである、諸君に牢たる信仰の力さへあらば地方に帰へつて其地の有志者に負けない仕事をやることが出来るに違ひない、一人々々が宇宙の力を自分の腹中に貯へてさへ帰れば天下を覆へすも肯て難むづ《》かしいことではないと信ずるのである、吾々の首は直《すぐ》に落ちる、吾々の手足は直に切れる、されど吾々の心身は永遠の支配者を宿らしむるを得る立派な道具である、諸君よ願くはクロンウェルの宗教によつて(382)クロンウェルを知れ、クロンウェルを諸君に紹介するものは英語の力でもなければ又歴史や地理の力でもない、諸君にして果してクロンウェル伝を読まうとの希望があるならば深く此点に於て省る所がなくてはならぬ。
 
(383)     北上録
                        明治34年11月3日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
 去月《きよげつ》十四日朝東京を発し、白河にて初めて秋に接し、尻内《しりうち》 野辺地にて蕭条の山野に見え、青森よりは薩摩丸てう実は実にして名は醜なる汽船にて室蘭に渡り、此処に久振にて北海の処女林を望み、敷生、錦多布《にしたつぷ》、苫小牧等懐かしき名の停車場を過ぎ、十六日の午後旧き故郷の札幌に友人諸氏の歓迎を受けぬ。
       *     *     *     *
 思へば北海の地を去てより茲に十有七年、世界の諸邦を徨ひ廻《めぐ》り、故国に帰てよりも常に異郷に在るの感ありて、容貌こそは同じけれ、心は異る大和民族の中に住み、所信を行へば国賊として罵られ、真実を語れば偽善者として殴《たゝ》かれ、礼多くして実尠き此社会に処するの途に殆んど困じ果たる余も、久振りにて石狩の流に臨み、ヱニハの頂を望みし時は、子が其母の懐に帰りし感ありて、我にも未だ此世に棲家ありと思ひ、喜び、涙は胸に溢れぬ。
       *     *     *     *
 変りしは札幌の市街、曾て校舎の中より鷸を狙撃《ねらひうち》にせし光景は全く消えて今は一角の都会を豊平河辺に見るに至りぬ、「札幌は既に無し」とは余が今回其地の友人に会せし毎に語りし所にして、日本国の俗化も既に此処ま(384)で達せしかと思へば其心細さ言はん方なかりき、然れども幸にして俗人の勢力未だ全道を掩ふに至らず、山には森林|古《もと》の如く繁茂し、天然は依然として彼等俗人の掠奪に抗しつゝありき。
       *     *     *     *
 土地の開けしと共に熊は減ぜり、狼は減ぜり、然れども熊にも勝る悪獣は現れたり、彼等を称して政治家と云ふ、熊は人の肉を食ふに過ぎず、然れども政治家は人の霊魂を滅す者、札幌市街創成通りに政友会支部の看板を見し時に余は戦慄せり、彼等悪獣既に此地に襲へる乎と、既に内地を食ひ荒せし此獣類は彼等の饑渇を癒すの術尽きて今や山を食はんため海を呑まんため北海に徨ひ来る者甚だ多しと云ふ。
 
(385)     『無神無霊魂論』
                      明治34年11月5日
                      『万朝報』
                      署名 内村鑑三
 
〇神も無し、霊魂も無しと云ふ、是れ今日の日本人に取りて偉大の慰藉《ゐせき》を供する言ならずや、生れて茲に五十年或は六十年、妻をして泣かしめしこと幾度、子をして断腸の思あらしめしこと幾度、世を欺きしことあり、自己を欺きしことあり、然も神無きが故に良心の詰責あるなし、霊魂なきが故に死後に刑罰を受るの憂なし、無神無霊魂の信仰を懐いて何人も安心して死に就くを得べし、今日の日本人を慰むる信仰にして如斯きは他にあるなし。
〇神無し、霊魂無し、古河市兵衛君も安心して彼の鉱毒を流し得るなり、故に伊藤博文侯も老境に入て改悔《かいしゆん》の必要を感ぜざるなり、故に平沼専三君も生前に大慈悲を為すの必要を認ざるなり、今日の日本国に大英雄の多きは彼等がソクラテス、コロムウエル、グラツドストンに傚ふて神を信じ未来を信ずるが如き愚を学ばざればなり、是れ実に日本国のため慶すべき弔すべき事にあらずや。
〇往昔は英国の文学者ドクトルジヨンソン死に瀕して大声を放て泣く、友人来て其理由を問ふ、ジヨンソン答へて曰く「余は地獄に落ちん事を懼る」と、嗚呼善良なるジヨンソンは鋭敏なる良心を有せり、彼は最も高潔なる生涯を送りしも而も天に対し人に対し尚ほ負ふ所なるを懼れたり、安心して死に就く者は必しも善人にあらず、有名なる稲妻強盗は平然として絞殺台に上れり 死を懼れて泣きしジヨンソンこそ吾人の敬し愛すべき師にあら(386)ずや。
〇神の存在を証明せよとて吾人に迫る人多し、嗚呼吾人は之を証明し能はざるなり、世に証明するに難き最も明白なる事実の如きはなし、風は吹くにあらずや、山は聳ゆるにあらずや、不義と偽善とは明治政府の如き大勢力を以てするも終に維持する能はざるにあらずや、星は大空に懸るにあらずや、悪人は大言壮語するに係はらず、心の奥底に悲痛と寂寞とを感ずるにあらずや、而も神は無しと云ふ、嗚呼吾人は何を以てか神の存在を説明せん。
〇神無し、霊魂無し、然り霊魂は胃の腑なり、神は伊藤侯なり、古河市兵衛氏なり、行て跪て彼等を拝せよ、インスピレーシヨンは是をブランデーに得よ、不死とは多くの妾を蓄へて多くの子孫を遺す事なり、何故に来世を望むぞ、是れプラトー、ダンテ、ミルトンの在る所、今日の日本人の行くべき又は行得べき所にあらず、天国は参宿昴宿の輝く天の彼方にあるにあらず、天国は新橋に在り、柳橋にあり、天使とは翼を以て面を掩ふケルビム、セルムの類にあらず、天使とは淫売婦なり、飲めよ、食へよ、欺けよ、而して亡びよ、そは世に汝等に生命を供する神あるなく、汝等を迎ふるの天国なければなり。
 
(387)     我等の基督教
                       明治34年11月7日
                       『無教会』9号「社説」
                       署名なし
 
 私共の基督教は第一に福音的であります、即ち基督を拝すべき神なりと信じ、奇績を信じ罪の贖ひを信ずる基督教であります、私共は神の有ち給ふ天然以上の能力を信じます、私共は神の聖旨に適ふて私共の世に於て為すことの出来ない事は一つもないと信じます、
       *     *     *     *
 私共の基督教は第二に常識に適ふた基督教であります、即ち奇績を信ずると同時に天然常道の遂行を信ずる基督教であります、神に於て為し能はざる事は一つもありません、然し神は容易に奇績を行ひ給ひません、奇績は非常の場合に於て神が取り給ふ非常の手段であります、神が取り給ふ普通の手段は天然自然の方法であります、私共は普通の場合に於ては樹が一夜の中に生長して実を結ぶに至らないと信じますやうに、一度の説教にて不信者が改悔の実を結ぶに至るとは信じません、私共は総ての物に順序があると信じて居ますやうに、人の信仰にも成長の順序があると信じます、故に私共は世によく有るリバイバルなる者を信じません、亦リバイバリストと称へて常に神の奇績に由てのみ人を感化せんと試みつゝある人を信じません、
(388) 第三に私共の基督教は愛国的であります、愛国とは勿論外国人を嫌ふと云ふ事ではありません、愛国とは其国の天職を信じて之を総ての事業に現はさうとする事であると思ひます、日本国は世界人類に対して大なる天職を帯びて居ります、日本人は西洋人の真似を為してそれで足る者ではありません、日本人は欧米人の文明に更に一歩の改善を加へなければなりません、私共は外国直輸の基督教を以て満足して居てはなりません、私共は欧米より譲り受けし基督教の上に更に一層の光輝を加へなければなりません、やれメソヂストだの、やれ監督だの、やれ長老(今の「日本基督」)だの、やれ組合だのと称へて西洋に於ても既に困じ果て居る宗派を日本に於てまで蕃殖なさしめてはなりません、日本人の基督教は一致和合の基督教でなくてはなりません、日本に於ては宗派は根絶しに為《し》さなければなりません、
       *     *     *     *
 愛国的の基督教であれば独立は勿論であります、外国人から金を貰ふのは罪悪ではありますまい、然し国を愛する者が外国の補助を避けんとするのは当然であります、私共の基督教が全く外国宣教師より離れた者であるのは私共が日本国の天職を重ずるからであります、外国人に頼る教会が何時まで待つても健全なる成長を為さないのは全く此一事を忘れて居るからであります。
 
(389)     日本人の注文
          (無神無魂説の一節)
                       明治34年11月15日
                       『万朝報』
                       署名 内村生
 
〇神も欲しくはない、霊魂も欲しくはない、只社会を改良して欲しい、生涯を安くして欲しい、日本国は今や滅亡に瀕して居る、如何かして之を救て欲しい。
〇神の奴僕となるのは嫌だ、然りとて人間であるから全然独立することは出来ない、政友会に入て伊藤に属しやうか、或は進歩党に入て大隈に使はれやうか、或は古河の番頭となつて農民を苦しめやうか、文学士となれば博文館より糧を仰がねばならず、工学士となれば鉄道会社の厄介にならずばならず、何に成つても何人かに使はれねばならぬ我れ日本人、嗚呼我は憫むべき者なるかな、我は日本人として生れて、神として生れざりしを悲む。
〇我は理想が欲しい、然し求むべき理想がない、我は支那人を嫌ふ、然し我は東洋人であるからイヤでも支那人を師として戴かねばならない、グラツドストンは我が理想に近き政治家である、然し彼は耶蘇教信者であつて、神を信じ霊魂を信じた者であるから我の模範となす事は出来ない、我は無神無霊説を信じて而かも朝鮮人か支那人である、グラツドストンを要求すれども然しそんな者は宇宙広しと雖も一人も見当らない。
〇ダンテの「神曲」を解りたい、然し其有神有魂説が邪魔になる、ミルトンの「失楽園」が読みたい、然し其基(390)督教が気に喰はない、カントの哲学も神の存在を証拠立んために書かれたものだ、ヘーゲルの如きすら「高潔なる行働を為すものは来世の存在を信ぜざるを得ず」と云ふて居る、実に困つたものだ、世界の大文学は大抵、有神有魂説だ。
〇今の日本人は大抵は無理な注文をして居《を》る者である、彼等は其本を探らんとせずして其結果を得んとて焦慮つて居る看である 彼等は何を為して好いかを知らない、彼等は只怒つて居る、悲憤慷慨して居る、然り悲憤慷慨は彼等の精神の唯一の食物《しよくもつ》である 彼等に信仰とては一ウもない、彼等の有つものは皆な疑問である、彼等は家族団欒を唱へながら憐れなる家庭に呻吟して居る、彼等は理想的国家を夢みながら社会の壊頽 国家の滅亡を目撃しつゝある、彼等は神を信じない、霊魂を信じない、さうして其結果として彼等に高遠なる希望と雄大なる歓喜とは一《い》つもない、敬友幸徳君、君は如何思ふ。
 
(391)     我主耶蘇基督
                    明治34年11月20日-35年7月20日
                    『聖書之研究』15-23号「所感」
                    署名 内村鑑三
 
     其一 喚求(lNVOCATION).
 
  彼の人たる事〇彼の神たる事〇批評学〇彼の神性は智的証明以外の事実なる事〇良心と歴史との証明〇良心の医癒〇贖罪と世界歴史。
 ア、我が主よ我が神よ、余れ爾に召されてより茲に二十有三年、而も爾を識ること至て浅く、今茲に爾に就て余の信仰を世に表白せんとするに方て、余は余の不徳不信を感ずる切なり、余は今日迄幾回となく余の心に顕は
れ給ひし爾を世に示さんと欲へり、然れども余の不浄なる到底其器にあらざるを意へり、想ふ爾は世の創造られざりし前より父と栄光を共にせし者、爾は輝く曙の明星なり(黙示録二十三章十六節)、宇宙も爾を包含む能はず、若し清浄《きよき》を言はんか、天使も爾の前に立てば翼を以て其面を掩はざるを得ず、曾て良心に責められし事なき爾世の罪悪《つみ》を身に負ひ給ひしも自身曾て罪てふものに穢されしことなき爾、シヤロンの白薔薇、シロアムの泉水と其清浄を競ひ給ひし爾、若し爾の眼を以て余の心を観じ給はん乎、余は余の汚濁に堪え得ずして爾の前より逋《のが》れ去らんのみ、故に主よ、余は爾と同等の者として爾の前に来らざるなり、余が爾を識れりと云ふは余が余の朋輩を(392)知ると云ふと異る、余は余の救主として爾を識るのみ、神として爾を崇るのみ、罪人の救はれんことを嘉みし給ふ主よ、余をして爾の衣の裾にだに捫はることを得さしめよ。
 余は白状す、主よ、余は未だ全く爾の何者たるを知らず、余は使徒約翰の言に従ひ、爾は肉体となりて臨り給へることを認む、(約翰第一書四章二節)、爾は幻にあらざりしなり、爾は爾の崇拝家の心に浮ぶ想像的人物にあらざるなり、爾は眼を以て見るを得べき、手を以て捫はるを得べき歴史的人物たりしなり、爾に奇績ありしが為めに、爾に一つの汚点の指摘すべきなかりしが為めに爾を以て単に理想なりと做す者は未だ爾を識らざる者なり、爾は理想なり、然れども事実となりて世に顕はれし者なり、爾が天の宝座を去て事実となりて此世に現はれ給ひしが故に世に救済の遣は開かれ、理想は吾等罪に沈める人類の追求到達し得るものとはなりしなり、故に余が爾に就て語るは余の空想に就て語るにあらざるなり、余は曾て詩人ゲーテが嘲けりて言へりしが如くに総ての禽鳥の善き羽毛を取て余の意中の人を飾らんとはせざるなり、爾は爾自身の性格を具へ給へり、爾は完全なる人として吾等の中に住み給へり、爾の敵人も爾に就ては一つの罪悪をも指摘する能はざりし、如何なる詩人も小説家も福音書が爾に就て語るが如き神らしき品性を想像し、抽象し能はざるなり、然り爾は詩人の理想なり、爾在てより詩人は彼の理想を得たり、余は再び詩人ゲーテに傚て云ふ
  Let mental culture go on advancing,let science gO on gaining in depth and breadth,and the human intellect expand and as it may,it will never go beyond the elevation and moral culture of Christianity as it shines frth in the Gospels.(英訳)
 余は余の神に感謝す、余の信ぜし宗教の巧なる奇談にあらざる事を、(彼得後書一章十六節)、余の救主の事業を(393)証明するために明瞭にして欺くべからざる世界歴史あり、余は彼の時代を究め得るなり、余は彼の生地を践み得るなり、彼は彼の父母として呼び給へる人を有てり、彼は亦肉体の兄弟を有てり、彼は泣けり、喜べり、饑たり、充たされたり、彼は実に人なるキリストイエスなりし(提摩太前書二章五節)、故に彼は余の如き者をも兄弟と呼び友と称へて恥ぢ給はざるなり(約翰伝十五章十五節)、彼は凡の事に余の如く誘はれたり、彼はたゞ余の如く誘はれて罪を犯さざりしのみ、若し彼にして肉躰を有てる人ならざりしならん乎、彼は余の荏弱を体恤《おもひや》ること能はざりしならん、(希伯来書四章十五節)、キリストは肉躰なりしてふ事は彼は神なりしてふ信仰を転覆せんための事にあらずして、彼が人たりし事を拒む人に偉大の慰藉を与へんための天よりの福音なる事を吾等は忘るべからざるなり。 余の救主イエスキリストは肉躰を着けたる人たりしなり、然れども余は彼は余が人たるの意味に於て人たりしとは信ぜざるなり「勿論余に於ても神聖なる所あり、余は真理を愛し、正義を追求す、余は宇宙を観察し之を理解し得るの智能を有す、余は肉躰を有てる人なればとて単に下等動物の進化せる者にあらず、余は余の霊能に於て動物以上の者たるを自覚す、余は自から人なりと称して余に遠大の希望と責任との供せられしを知る。
 然れども余の救主イエスキリストは単に神聖なるに止まらざるなり、彼は神聖なりしのみならず、亦神性を具へ給へり、彼は即ち神の有ち給ふ権威を有ち、神の如くに行ひ給へり、彼は即ち吾等が感ずるが如き罪に源因する荏弱を感じ給はざりし、彼はマリヤの子にしありしも天然は彼の命に従へり、彼のみは人間の中に在て天然を支配して天然に支配せらるゝ者にはあらざりし、彼は特別なる意味に於て神を父と呼べり、彼はアブラハムの在らざりし前に在れりと自から言へり 彼は亦人の罪を赦すの権を有せり、彼は父の真像《かた》なりとて彼自身を世に紹(394)介し、彼を見し者は神を見しなりとてその弟子達を教へ給へり、若し彼にして人ならん乎、彼は如何に傲慢にして如何に僭越の人なりしよ。
 人或は言はん、余の此信仰たる、素是れ聖書の言其儘を信じてより起りし者なり、然るに今や批評学の進歩と共に聖書の記事にして信憑すべき者の日々に減少しつゝあるにあらずや、現に博士シユミツトの説に依れば福音書中真正にイエスの言として認むべき者は只僅に五六に止て、「一人の外に善者はなし即ち神なり」(馬可伝十章十八節)の如きは其一なりと言ふにあらずや、若し聖書の言にして信ずべからざるに至らば汝は何を以てイエスは神なりてふ汝の信仰を維持せんとする乎と。
 然り批評学とよ、余は其刃の鋭きを知る、然れども余は亦批評学者なる者の無謬無欠の人にあらざるを知る、批評学は多くの雲霧を排せり、余はその為めに神に感謝す、余は固陋の保守家に傚ふて批評学を斥けて之に手を触れざるが如き事を為さゞるべし、余の信仰は元是れ事実に由て素まりし者なり、批評学を以て消散するが如き者は事実の上に立つ信仰と称すべからず、来れ批評学、来て吾等の信仰を試めせよ、其土台を発掘せよ、其金なる乎銅なる乎を、試せよ、かの感情の発動に依て起りしリバイバル的信仰、かの破壊を懼るゝ宣教師的基督教、かの一学者の新著述に依て希望を奪ひ去るゝが如き薄弱なる信仰、嗚呼、余は余の信仰の舟に余の生命を托して此世を去らんと欲する者、若し此舟にして水を漏さん乎、余の危険之に勝るなし、余は批評学者を歓迎する者なり、余は彼が彼の鉄槌を以て余の信仰を叩き見んことを欲す、ナザレのイエスは余の罪を贖ふ主にあらざる乎、彼は余の救主にあらざる乎、彼は余の祈祷を聴く者にあらざる乎、彼の弟子トマスは彼を呼んで「我が主、我が神なり」と言へり(約翰伝二十章二十八節)、而して彼はトマスの此言を咎め給はざりし、彼は実に亦余の主、余(395)の神にあらざる乎。
 試みに独逸批評学家の言をして真ならしめよ、若し福音書の多分は記者の想像に成りし者にして、其歴史的根拠は甚だ薄弱なる者たらしめよ、若し然らんには是れ世界の大事なり、罪を贖はるゝの希望は人類の脳裡より撤去されざる可らず、世の俗人は知らざらん、然れども過去二千年間の人類の進歩なる者は精神的自由の進歩なりしなり、而して自由とは脱罪の意なり、罪の羈絆より脱すること、是をば称して自由とは云ふなり、而して今キリストの贖罪を離れて自由を考へ見よ、何物がダンテに天国の歓を歌はしめしぞ、何物がミルトンの眼を開きて彼に天上の栄光を示せしぞ、何物がダンバーの凱歌を奏せしめしぞ、ルーテル何処にある、コロムウエル何処にある、イエスを人なりと信じて和蘭の自由は起らざりしなり、イエスを神なりと信じて新自由国は大西洋の西岸に起れり、批評学は批評学者頭脳中の出来事なり、歴史は全世界全人類の出来事なり、イエスの神性は全世界の証明を待て然る後に確定すべき者なり、吾等をして批評学者に彼れ適当の位地を与へしめよ、然れども彼の学説を以て世界歴史と混ずべからざるなり、若し批評学者の説にして真ならば………然り若し! 若し真ならずば如何、若し中江兆民氏の説にして真ならば神もなけん、霊魂もなけん、然りとて神あり霊魂ありと信ぜし人の中にはイザヤありたり、ソクラテスありたり、プラトーありたり、カントありたり、ヘーゲルありたり、コロムウエルありたり、ワシントンありたり、ピツトありたり、グラツドストーンありたり、軽しく一日本人の説を信じて世界の大哲学者、大詩人、大政治家の所信に反対するが如き危険を冒す勿れ、若しキリストにして神ならずば如何、然り、然れども是れ総ての批評学者が懐く所の説にあらず、キリストを神として拝する人にニユートンありたり、ハアラデーありたり、グラツドストンもヴイクトリヤ女皇も彼に彼等の霊魂を委ねて世を逝れり、之をデ(396)リツチに就て学べよ、之をローテ、シユライエルマーヘルに就て聴けよ、之をシェツド、クイペルに行て稽へよ、キリストの神性説なる者は世人が推察するが如き浅薄々弱なる者にあらざるなり。
 キリストの神たる証明! 是れ神の存在を証明するが如く難し、そは是れ証明以外にあるものなればなり、証明は智能の行働《はたらき》なり、神は証明的に(theoretically)に発見すべき者にあらずとはカント哲学の定言なり、吾人は神に就て知るを得べし、神を知ること能はず、吾人はキリストに就て知る、キリストを知らず、キリストの救拯、キリストの贖罪、キリストの品性、是れ吾人の智識以内にあり、余は彼に就て信ずるのみ、彼は吾人の罪を赦すの権能を有す、吾人は吾人の実験に依て此事を知る、而して人は何人も罪を赦すの権能を有せず、故にキリストは人にあらず、又天の使にもあらず、キリストは吾人に取りては実際的の神なり、吾人は人に祈祷を捧る能はず、是れ吾人の常識の許さゞる所なり、吾人が祈祷を奉る者は神のみ、然るに吾人は神に祈るが如くキリストに祈るを得るなり、而してキリストなる崇拝物は直に吾人の祈祷に応へて吾人の心に平和を与へ給ふ、故に吾人は又云ふ、キリストは吾人に取りては実際的の神なりと、吾人始めは聖書の言に依てキリストは神なりと信ぜり、然れども今は聖書に依てのみ彼を爾か信ずるにあらず、吾人は今は吾人自身の実験に依て彼を爾か信ずるなり。
 人は又言はん、「汝の此信仰たる全く主観的なり、汝はキリストは神なりと前提して彼に祈る、故に汝は彼に聴かるゝ如くに感ずるなり、彼れ神なるに非ず、汝彼を神となすなり」と。
 嗚呼、然る乎、然れども主観的なるは必ずしも空想的なるの意にあらず、余も宇宙の一部分なり、余も亦実在者の一なり、故に余とても宇宙に全く実在せざる者に就て主観し得べき者にあらず、余の衷に理想の存するは余の外に理想に適ふ事実の存在する証拠ならずや、主観の謬り易きは客観の謬り易きが如し、然れども詩人の理想(397)が多くの場合に於て科学者の実験を以て証明されるが如く、吾人の主観も亦客観的事実を以て証明さるゝにあらずや、殊に余一人の主観たるに止まらずして、多くの常識に富める人の主観たるに至ては主観は益々事実に近きものたるを証し得べし、又客観的実物なき主観は永続すべき者にあらず、吾人は欺かるゝ事あり、然れども永久に欺かるゝ者にあらず、人類がイヱスを神と呼んで茲に一千九百有余年、而してリビングストンの如き常識に富し人が彼に神とし事へながら暗黒大陸開発の偉業を遂げしを見ても、イエスを神なりと観ずる主観の目的なき、実物なき主観として考ふること能はざるを知るべし。
 故に主イエスよ、余は爾は神なりと信ず、而して余は斯く信ずるに方て多くの理由と証人とを有す、爾の僕たりし伊太利の愛国者マツチニが曾て言へりし如く吾等の語る所に良心と歴史との証明なかるべからず、而して余は爾は神なりと信ずるに方て余の良心と世界の歴史との証明を有するなり、余は罪の裡にありたり、余は良心の詰責に堪る能はざりし、余は幸にして世に所謂法律上の罪悪を犯せしとは信ぜず、然れども神の光明に輝らされし時、余の心の隈は日光に曝されし如き感ありて余は余自身の汚穢に耐ゆる能はざるに至れり、余はヨツブと共に叫べり。
  仮令われ義しかるとも我口われを悪しと為さん、仮令われ完全《まつた》かるとも尚われを罪ありとせん……………われ雪水を以て身を洗ひ、灰汁を以て手を潔むるとも、汝われを汚はしき穴の中に陥いれ給はん、而して我衣
も我を厭ふにいたらん(約百記第九章二十………三十、三十一節)
 此時に方て余は誰に行ん乎、世の師たる者は余に便宜の方を教へ呉るゝも余の此苦悩を去るに於て何にかあらん、英雄の伝記もこゝに於ては全く無用のものと化せり、神学も哲学も詩歌も美術も罪人の良心を癒すための秘(398)薬にあらず、此時に方て嗚呼我主キリストよ、爾は余の良心の空天《そら》に現はれ給へり、爾を仰ぎ瞻て余の良心は平和を得たり、其何故に然りしかは余の未だ全く知悉する所にあらず、然れども其然りしは事実中の大事実なり、爾は良心の大医師なり、爾に由てのみ余は心霊的に蘇生せり、故に余に良心のあらん限り、余は爾の贖罪力を疑ふ能はず、余は爾に由て生涯の危機より免るゝを得たり。
 余の良心の証明する所斯の如し、而して歴史は亦其大事実を以て余の此良心の証明に和するなり、爾に由て此歓喜の声を揚げし者は余一人に止まらざるなり、余は幾回となく爾の誠実なる僕聖アウガスチンの『告白《コンフエツシヨン》』を読めり、余は彼の実験に於て余自身の実験を認めたり、彼は第五世紀の中頃亜弗利加のニユミデイヤに生れし人なり、然れども十九世紀の中頃亜細亜の日本に生れし余は彼と同一の実験経過せり、余は亦英国バンヤンの『恩恵記』を読めり、而して彼の実験亦アウガスチンと余とのものと異ならず、独のルーテル、米のエリオット、其他良心の活歴史を有する世界文明国の多くの聖者仁人も亦余と経験を共にせり、余はこゝに於てか知れり、世に社会を其根底より潔むる者にしてイエスの救済力の如きはなしと、故に爾が此世に現はれ給ひてより人類の革新史に爾の名の伴はざるはなし、爾が伊国フローレンスの市にジロラモサボナローラなる者の心に現はれ給ひしに依て彼国中世の大改革は起れり、独逸ツーリンギヤの森の中にマルチンルーテルの心に現はれ給ひて文明世界は終に震動するに至れり、セントアイブス河の辺に爾の霊に接してコロムウエルは英民族を改造するに至れり、偉大なるかな爾の行動、爾に見《まみ》えて人は其良心の根底より改造され、社会為めに動き、国家為めに振ふ、僻陬の地ユダヤに生れ給ひし大工の子なりし爾の勢力にのみ人類救済の能力は存するなり。
 故に爾を知て余は始めて世界人となるを得たり、グラツドストンは余の兄弟となれり、余はミルトンの真意を(399)解し得るに至れり、美術思想に欠乏したる余は爾を知てラハァエル、アンゼロの作を稍や味ひ得るに至れり、和蘭の福音的画家レムブラントの作は幾度か余の眼より同情の涙を引けり、又余が和蘭復興史を読み、英国革命史を繙き、近くは南阿の独立戦争史を聞いて余自身の戦闘を聞くが如くに感ずるに至りしは是れ皆な余が爾に於て得し自由脱罪の実験に因らずんばあらず、爾を讃賞するの声は今や世界億兆の口より揚るなり、爾は心霊の放免者なり、爾は神の子イエスキリストなり、爾は人類の王にして彼等の崇拝を受くべき者なり、余は爾を信ずるを得たり、嗚呼如何なる幸福ぞ、余の国人未だ多く爾を知らず、故に彼等は爾を目するに単に「宗旨家」の一人を以てす、彼等は爾を信ずるより来る世の迫害を以て苦痛の如くに見做す、然れども彼等は未だ爾の何たるを知らず、一度び爾を知て何人か爾を去り得ん乎、アヽ我主イエスキリストよ、余の生涯の終りまで爾の愛を以て余を爾に繋げよ、爾余より何物を取去り給ふとも余の爾に於ける信仰を取り去り給ふ勿れ、余をして爾を以て余の栄光の極となさしめよ、余の終生の事業をして爾の偉業を余の愛する国人に紹介することたらしめよ、余の筆は拙し、余の舌は鈍し、然れども爾の愛心に励まされて余をして茲に爾の清き生涯を余の国人に伝へしめよ、余の心の眼を開いて爾の心の奥底を探らしめよ、罪深きが故に余を捨ることなく、余の身にある総の力量《ちから》を喚起して、余をして茲に余の心に現はれ給ひし爾の真像を誤りなく画かしめよ。 〔以上、11・20〕
 
     (二) イヱスの誕生
 
 世に神の降臨の事実を疑ふ者はあらむ、然れども神の降臨を望まざる者とてはあらじ、そは人類は其無言の間に神の降臨を俟つ者なればなり。
(400) 「ユダヤ人の王とて生れ給へる者は何処に在すや」と、是れ東方の博士がイエスを尋ねんとて来りし時の声なりし、「人類の救主として生れ給へる神は何処に在る乎」、是れ何人も其心の奥底に於て独り発する声ならざるべからず、吾人何人も厳父と慈母とを要するが如く亦霊魂の救主を要す、神の降臨は人類の最大希望なり、若し此事なしとすれば人生は失望の極なり。
 余は信ず、神は千九百年の昔し、ユダヤの山地なるベツレヘムの僻村に降り給へりと、然れども世人多くは此事を信ぜず、曰ふ神如何かで人類の中に降り得んやと。然れども爾が云ふ世人は神の降臨を唱へて止まず、或は人に天子の尊号を奉り、神として之に事へ、或は僧侶を仰いで之に神に呈するの敬崇を呈す、碑の降臨を信ずるに於ては吾人彼等と異らず、唯吾人の神の彼等のそれとその性質を全く異にするのみ。
 神若し此世に降り給はゞ彼は如何なる状にて降り給ふべき者ぞ、或者は思へり、神は宇宙の主宰なれば彼が此世に降り給ふや必ず皇帝の像を以てせざるべからずと、羅馬人は斯く思へり、支那人も朝鮮人も斯く思へり、故に彼等は彼等の皇帝を神に崇めたり、而うして見よ、彼等の中にニーロの如き夏桀の如き者出でゝ彼等を失望せしめたり、或者は亦思へり、神は神聖なる者なれば彼が此世に顕はるゝや必ず祭司又は僧侶の像を以てせざるべからずと、西蔵人は斯く思へり、日本人の或者も斯く思へり、故に彼等は慾情の人を捉へ来りて刺麻として之を祭り、法主として之を崇めたり 而うして見よ、彼等の中に多くの破誡僧顕はれて、彼等の此思想を毀ちたり、彼等は皆な人として顕はれたる神を求むる者なれども、彼等は之を国王の中に又は祭司神主僧侶の中に発見すること能はざりし。
 彼等の此謬見たる彼等の神に関する誤想に基かざるべからず、悪魔の欺く所となりし彼等は神ならざる者の中(401)に神を索めたり。
 神は如何なる者ぞ、彼は宇宙万物を造りたる者たるに相違なし、彼は神聖なる者たるに相違なし、然れども彼は世の所謂有力者にあらざるなり、帝たり、王たり、僧侶たり、学者たり、是れ此世に於て神を代表する者にあらざるなり。
 神は如何なる者なるぞ、神は謙遜なる者なり、彼は壮麗威風を忌む者なり、彼は柔和なる者なり、彼は隠れたるに在て善を為さんと欲する者なり、彼は労働を愛する者なり、彼は貧民の友なり、世に彼を代表する者は王侯貴族にあらずして平民なり、彼れ若し世に降ることあれば彼は平民として生るべき者なり。
 未だ神を見し人あらず、惟神の生み給へる独子即ち父の懐に在る者のみ之を彰はせり(約翰伝一章十八節)、人は皆な神を帝王に擬せり、然るにイヱスのみは之を平民として彰はせり、イエスに由て人類の神に関する思想は一変せり、平民主義なるものはイエスと共に世に出しものなり。
 喜べよ、平民、我等の救主は降り給へり、我等の弁護者、我等の代表人は神が人と成りて世に顕はれし者なり、彼は天上《いとたかきところ》に在ては父と栄光を共にせしもの、世は彼に造られ、彼は天のうち地の上の凡ての権棒を握る者なり、彼は万民の救主なるも特別に我等の救主なり、彼に依て救はれんと欲する者は先づ平民を救はざるべからず、彼は曰へり「是等小さき者(我等を指して云へり)の一人に冷水一杯にても飲する者は其報賞を失はじ」と、我等の特権も亦大ならずや。
 人類の歴史に於て幸福なる日の一は九月廿一日なり、そは紀元の一千四百五十二年の此日に於てサボナローラはポー河辺のフエレラの市《まち》に生れて伊太利の自由と独立とは茲に始まりたればなり、又十一月十日なり、そは千(402)四百八十三年の此日にルーテルはアイスレーベンの村に生れて、新宗教は此月を以て欧洲の天地に臨みたればなり、又四月の廿五日なり、そは千五百九十九年の此日を以てコロムウヱルは英国ハンチングトンに生れて、英民族の自由は彼と共に世に出たればなり、又二月の廿日なり、そは千七百三十二年の此日を以て世界の最大共和国はジヨージ、ワシントンと共に呱々の声を揚げたればなり、是等は皆な特別に神に恵まれし日なり、天の祝福永くそれ等の日の上にあれかし。
 然れども此地球ありてより其終結に至るまで、最も幸福なりし日は神の独子にして人類の王なるナザレのイエスが此世に生れ来りし日なり、是れ世界の自由の生れし日なり、此日に新生命は世に臨めり、人類の救済は此日を用て※[日+方]まれり、此日罪に悩まされし人と天然とは始めて其放免の声を聞けり、是れ歴史の新期限なり、太古は此日を以て終り、近代は此日を以て始まれり、万国民の均しく記憶すべき日は実に此日なり。
 此日は何月何日なりしか、吾等は確かに之を知らず、或者は五月の二十日なりしと云ひ、或人は十二月の廿五日なりしと云ふ、然れども四世紀以来の輿論は後者を以て人類の此大祝日と定めたり、吾人仮りに此日を以て新紀元の第一日と定めん、大光明の暗夜に顕はれしは事実なり、吾人は只其日其時を詳細に知らざるのみ。
 吾人亦細密に其現出の歳を知らず、之を今より千九百一年前となすは僧デイオニシアスの違算に依りし事は今や歴史家の証明する所となれり、吾人はヘロデ王死去の歳を知る、是れ羅馬の建国七百五十年にして今日吾人の称する紀元の前四年に当る、吾人は亦知る彼れヘロデはイヱスの降誕後久しからずして失せし事を、故に降誕若し死亡と同年に起りしとすればヘロデを葬りし、歳はイエスを迎へし歳なり、若し其間に一年の差ありとすればイエスはヘロデの死に先づる一年に生れ給ひしなり、是れ羅馬の建国七百四十九年にして、今を去る千九百六年(403)の昔なり。而うして人類の王たるイヱスは誰の子として生れしぞ、彼は時の文明世界を統一せし皇帝アウガスタスの子として生れ給ひしか、否な、否な、然らざるなり、アウガスタスに一女ありたり、彼女を称してジユリアスと云へり、彼女は著明なる婬婦なりし、彼に一人の養子ありたり、彼をチベリオと称せり、彼は暴虐の君なりし、帝王の宮殿に生るゝ者は概ね皆な此の如し、我主イエス、キリストは人類の救主なれば彼は王子としては生れ給はざりし。
 彼はユダヤの王とて生れ給ひし者なれば時のユダ王ヘロデの子として生れ給ひしか、否な、否な、然らざるなり、ヘロデは掠奪者なり、彼はユダ国正統の王にあらず、彼は詭《いつ》はりてユダの王位を奪ひし者なり、彼に十人の妻ありたり、彼は其一人にして淑徳を以て名高かりしマリヤムを殺せり、彼に十二人の子ありたり、其三人は父に叛いて殺されたり、ヘロデ王の家庭は修羅の街に能く類せり、王者の家庭概ね皆な此の如し、我主イヱスキリストに王者の家庭に成育ち給はざりし。
 然らば彼は誰の家に生れしや。
 ナザレの一小工ヨセフの家に生れたり、彼の母をマリヤと云へり、清浄無垢の処女聖霊に感じて彼を姙めりと記さる、世の穢れたる人は此事を聞いて、穢れたる念を懐く、然れども余輩聖霊の恩化を受けし者は此事ありしを聞いて疑はず、聖なる哉、聖なる此奥義、吾人をして之を聖き記録に読んで独り深かく吾人の心に念はしめよ。
 此人亦羅馬に生れず、ヱレサレムに生れず、彼はユダヤの郡中にて至《いと》小きベツレヘムの村に生れ給へり、言あり曰く、人は都会を作り、神は村を造れりと、神は其子を村に降して其純樸を祝し給へり。
 而うして誰か此人類の王を迎へしぞ、ヘロデは彼の出生を聞いて直に彼を殺さんとせり、彼れ生れて国民歓呼(404)して彼を迎へず、時の歴史家も亦此歴史的大事実を其記録に留めず、王侯の来て彼に玉帛を献ずるなし、学者の来て彼に賀状を奉るなし 彼は貧家の児として生れ給へり、世は彼の栄光を認めざりし。
 然れども彼を知る者は知れり、正直素朴なる牧羊者は急ぎ来て嬰児に尋遇《たづねあ》へり、曰ふ天使来て野にて此事を彼等に告げたりと、祭司と学者と長老とは彼を認めざりしに異邦の博士は星に導かれて来て彼を拝せり、智者反て己の智慧を恃みて神を知らず、神は反て其奥義を世の愚かなる者に示し給ふ、誠実なる迷信は高慢なる学問に優る、東方の博士とは波斯MAGl《マガイ》の徒なり、素《もと》アゼルビジヤンの山中に起りし者(『興国史談』参考)、後移て迦勒底《カルデー》の巴比倫にあり、星を見て吉凶を卜す、古代の所謂占星学者なり、彼等天を覗ひて救世主の降誕を覚りしと云ふ、彼等何を見て之を知りしや、或は是れ木星土星の会合して燦爛たる光輝を放ちし者なりと云ひ、或は此時大狼星が太陽に接近して大に天文学者の注意を惹けりと云ふ、ベツレヘムの星なるものは天然的現象なりしか、将たまた奇蹟的異象なりしか、吾人茲に之を断定する能はず、只知る東方の学者中誠意神の降臨を望む者ありし事を、熱誠は知識の本源なり、熱誠を以て万象を見る、当らずと雖も遠からざる事多し、衷に神を索むるの心有て、宇宙万象は皆な吾人を導いて彼に至らしむ、パリサイ人の神学を以てするも看出し能はざりし者をマガイの徒は其占術に均しき星学に依て発見するを得たり、熱誠の力も亦偉大ならずや。
 老ひたるシメオンも亦イヱスを認めし者の一人なりき、
  偖ヱルサレムにシメオンと云へる人あり、此の人は義く且つ敬《つゝしみ》ありてイスラエルの民の慰められん事を俟てる者なり、聖霊その上に臨《おれ》り、また主のキリストを見ざる間は死なじと聖霊にて示さる、かれ聖霊に感じて神殿に入れり、両親《ふたおや》その子イエスを携へ来りしにシメオン嬰児《おさなご》を抱き神を讃美《ほめ》ていひけるは
(405)   主よ今爾の言に従ひて
   爾の僕を安然に世を逝らせ給へ
   我目すでに爾の救を見たり、
   是れ爾が万民の前に設け給ひしもの
   異邦人を照さんための光
   また爾の民イスラエルの栄《ほまれ》なり
               (路可伝二章)
 神を敬ひて寿域に就く者は幸福なるかな、其|※[目+毛]《かす》める目には天の栄光現はれ、其鈍れる耳には地の勝利響く、老鶴一声を放て高く天に飛び去る、吾人後進、敬んで彼の声に聴かざらんや。
 老ひたるアンナ亦彼を認めたり
  パヌエルの女にアンナと云へる預言者あり、彼女は齢凡そ八十四歳の※[釐の里が女]《やもめ》贅なりしが、神殿《みや》を離れず、夜も昼も断食と祈祷を為して神に事ふ、此時この老女も側《かたはら》に立て主を讃美し、亦ヱルサレムにて罪の贖《あがなひ》を望める凡ての人に此子の事を語れり。
 翁と嫗《あむな》、情念既に絶え、頂に千秋の雪を湛へて心に万古の神を映す、彼等は真個の詩人なり、学者の推理し能はざる事を彼等は直覚す、智者安くにある、学者安くにある この世の論者安くにある、神は此世の智慧をして愚かならしむるに非ずや。(哥林多前書一章二十節)。
 アヽ天地の主なる父よ、此事を智者《かしこきもの》、達者《さときもの》に隠して赤子《をさなご》に顕はし給ふを謝す、父よ然り、それ此の如きは聖(406)旨《みこころ》に適へるなり(馬太伝十一章二五、二六節)、ヱルサレムにヒレル、ガマリヱルの徒ありて深き神学を講ぜしにあらずや、羅馬にヴアジル、ホレス、オビツト、リビーの文星顕れて、金章玉句は彼等に由て綴られしにあらずや、然れども神学者は爾を認めず、文学者は爾を識らざりき、爾を索め、来て爾を拝せし者は野に居れる牧羊者《ひつじかひ》なりき、異邦の儒者なりき、シメオンなりき、アンナなりき、世が以て無智迷信の徒として嘲ける者なりき、然り神よ、それ此のごときは爾の聖旨に適へるなり、往昔に於て然り、今日に於て亦然り、智者は爾を識る能はず、彼等の智慧は彼等を欺く、爾は野に咲く雛菊の如き者、吾等の心の清き時のみ、其秀美を探り得るなり、爾謙遜なる者よ、余れにも雛菊の心を与へて布に裹まれて槽《むまぶね》に臥し給ひし爾に於て人類の王を認めしめよ。
 
 神は此の世に降り給へり、嗚呼余れも行て彼に事へん、彼は王宮に於て在らず、彼は亦金冠を戴かず、彼は今尚ほ襤褸に裹まれてあり、億万の貧児は皆な彼なり、余は余の黄金乳香没薬を彼等に捧げん、痛き棘の冕《かんむり》を冠《かむ》り、貴族の強圧に泣く無辜数千万の民は都て彼なり、余は余の救主に傚ふて余の生命を彼等のために捨てん、我主イヱスは天の宝座《みくら》を去て我等の間に降り給へり、彼の値価《ねうち》なき僕《しもべ》の一人なる余も余の幸福なるホームを去ても世の憐れなる者を救はん、嗚呼余は何を以て神子降誕の佳節を祝せん乎、歌を以てか宝を以てか、否な、否な、新らしき決心を以てなり、彼の心を以て世の難事に臨むの決心を以てなり、彼に代て此国民と闘ふの決心を以てなり、ナザレのイヱスよ、今年今日再び余の心に降りて余の此決心を堅くせよ。 〔以上、12・20〕
 
     (三) イヱスの教育
 
(407)  天然的なり〇其第一は聖書〇第二は天然〇第三は家庭〇此三者ありて完全なる教育あり
 我主イヱスキリストは如何にして成長し給ひしか、彼は如何にして彼の自覚に達し給ひし乎、余は今茲に此事に就て考へんと欲す。
 イヱスの成長は天然的なりし、彼は学校的教育に負ふ所なかりし、彼は彼の弟子保羅の如くに聖都ヱルサレムに上りヒレル、ガマリヱル輩の足下に座して時の神学を攻究し給はざりし、彼は亦海を渡り、雅典城外橄欖林中アカデミヤにピサゴラス プラトー等の哲学を探り給はざりし、彼亦埃及に下り、メムフイス、タペスにナイル河辺の古智を索め給はざりし、彼は巴比倫のベローサスに負ふ所なかりし、彼はフイニシヤのサンコニヤトンの跡を尋ね給はざりし、彼の時代は文運隆盛の時代なりし、ピサゴラス死して後五百年、政事家ペルクリースを教へしアナクサゴラスがラムプサカスの地に眠てより四百二十年、ソクラトス出で、プラトー生れ、アリストートル、近世科学の基礎を据えてより三百年後の時代に生れ給ひて、キリストは若し学ばんと欲すれば学ぶべきの多くの哲学を有ち給ひしなり、殊にアウガスタス帝の治世に生れ給ひて同時代の文星ヴハージル、ホレス、オビッド、リヴィー等の作に眼を曝らさゞるが如きは識者の蔑視する所たりしならん、而かも我主イヱスキリストは身は世界の大教師にて有り給ひしなれども、曾て是等の大家の著に意を注がれしを聞かず、学其物を卑しめ給ひしと云ふにあらざれども、学に就ては至て無頓着なりしが如し、或人曾て我主を評して曰く「学に於てはイヱスはシエークスピヤに及ばざる遠し、彼(イヱス)はマクベス劇を作る能はざりし」と、然りイヱスは学を以て自から任じ給はざりし、彼に吾人の称する学なるものはなかりし、然れども彼は権威を有てる者の如く教へ給へり(馬太伝七章二九節)。
(408) 然れども彼は無学の人にはあらざりし、彼は善く一書を解せり、聖書是れなり、彼は彼の母の懐に在りし時より之を学び始め給ひしならん、彼は之を彼の父なるヨセフより授けられしならん、彼亦村童と共に之をナザレの会堂に於て学び給ひしならん、彼は神学的に之を究め給はざりし、然れども彼は善く之を解し給へり、彼れ後日パリサイ人と論ぜらるゝや、聖書を引証し給ふに於て些少の渋滞を示し給はざりし、悪魔彼を誘ふに聖書の言を以てすれば、彼も亦聖書の言を以て之に応へ給へり、「爾之を聖書に読まざる乎」とは彼が屡ばパリサイ人と論弁せられし時の常語なりし、而して彼れ天父の命を全ふし、彼の地上に於て為すべきの業を終へ、罪人として二人の盗賊と共に十字架上にあげらるゝや、彼が生気絶ゆる前に大声に発し給ひし一言も亦聖書の一句なりし、ヱリ、ヱリ、ラマ、サバクタニと、是れ彼がナザレの地に在て、其母マリヤの唇より直に学び給ひし詩篇第二十二篇中の一語なりしならん、聖書は実にイヱスの生命なりし。
 而して我等は知る聖書は最良の教科書なることを、人、此書に暁達して彼の才能の総てを発育し得べし、之に歴史あり、詩歌あり、科学あり、熱炭の如き預言者の言あり、小女の心を奪ふに足るソロモンの雅歌の如きあり、聖書に依て養はれし人は完全に最も近き人なり、聖書は単に歴史として歴史を教へず、神の摂理として之を教ゆ、聖書は単に詩歌として詩歌を唱へず、聖書の詩歌は讃美歌なり、預言は神が人に託《より》て語り給ひし言葉なり、天然は神の聖工《みしごと》なり、総ての事と物とを透して神を顕はす者は聖書なり、是れ此書の他の書と異なる所以、而して是れ此書が之を学ぶ者に特殊の感化を与ふる所以なり、聖書は神の深事《ふかきこと》を探る、是に依て人は始めて其智覚に達するを得べし、是れ此書のみを以て養成されし人の中に往々にして偉人を見る所以なり。
 イヱスは此最上の教科書を以て教へられたり、彼が人たり、世界の救主たるに於て彼に希臘哲学、羅馬文学を(409)究め給ふの必要はなかりし、文学それ何物ぞ、哲学それ何物ぞ、其吾人に伝へて真理となせし者は幾度か誤謬に終りしにあらずや、美文の名を以て顕はるゝ優麗の文字にして吾人の心に害毒を注入する者何ぞ多きや、神は一書を人類に供し給へり、彼の聖書之なり、彼は亦一子を世に賜へり、イヱスキリスト彼れなり、彼は彼の一書を以て彼の一子を教へ給ひ、以て吾人に完全なる教育の何たる乎を教へ給へり、聖書なり、又聖書の如くに人類の歴史を伝ふる歴史なり、聖書の如くに天然を観ずる科学なり、聖書の如くに人生を歌ふ詩歌なり、預言者の如くに神の言を語りし者の言なり、是れのみが人の霊能を発育するに足るの智識なり、其他は総て有害なり、之に触れて危険多し、見よ、今日の学校教育なる者を、其不具者を造る何ぞ多きや、是を詩人バンヤンに於て見よ、政治家リンコルンに於て見よ、彼等は重に聖書のみに依て作られし人、彼等の常識と深情とは人の嘆称して止まざる所、而かも彼等は之を彼等の聖書に於て得たり。
 
 学は之を聖書に得給ひ、識は之を天然に得給へり、若し視る眼を以て之を見れば天然は大著述なり、若し聴く耳を以て之を聞けば天然は大教師なり、山あり、川あり、谷あり、樹あり、草あるは、是れ人類が之に依て衣食の料を得んためのみにあらず、是れ皆な神の聖意を伝ふる者なり、即ち第二(或は第一)の聖書なり、而して猶太の神学、希臘の哲学に重きを置き給はざりしイヱスは野の百合花と空天《そら》の鳥に神の真理を探り給へり。
 ガリラヤの地、山水美なり、北にヘルモンの白頂聳えて高きと潔きとを愛する者の視望を惹き、ヨルダン其麓に発し、湛えてはメロムの小湖となり、又下てはガリラヤの海となる、ガダラの断岸其東を限り、ヘルモンの清姿其面に映ず、魚族に富み、沃野に浜し、長さ十三哩に充たざる湖面は其西岸に数万の民を宿すを得たり、湖(410)畔を西に行く遠からずしてターボルの孤丘は聳ゆ、※[木+解]林を以て蔽はれ、四隣に冠たり、キシヨンの水此辺に発し、遠く流れて東の方「大海」に注ぐ、キシヨンの両岸之をヱスドレロンの平原と称す、無比の沃壌なり、豊かに麦と橄欖と葡萄樹とを産す、沃原の東に尽る所はカーメル山なり、樹林を以て黒く、亦石灰岩を以て白し、カーメル山嘴をなして海に突出し、湾弓こゝに姶て東北に折れてアコーの小港に終る、此辺大海の怒涛岸を噛み、硬土之に抗して約百記の言を借りて曰ふ、「此までは来るべし、此を越ゆべからず、汝の高浪こゝに止まるべし」と(約百記第三十八章十一節) イエスの居住の地たりしナザレの郷は大海と大湖との中間にあり、ナザレの称、素と是れ其背後の高丘より起りしものなりとの説あり、ナザレは即ち「高楼」の意にして、之に登れば一眸の中にガリラヤ全土を収め得べしと云ふ、是れ疑ひもなくイヱスの屡ば攀《よじ》り給ひし巓にして、彼れ此に北の方ヘルモンの夏尚ほ白冠を戴くを望み、眼を東に転ずればカーメルの海角波に打たれて白く、偶ま頭を擡げて天空を仰ぎ瞻れば海鴎の西海の波を去てガリラヤ湖畔に通ふを観給ひしならん、ナザレの邑《まち》は彼の眼下に眠り、橄欖其週囲を包て青し、野の百合花(翁草の一種)彼の足下に咲き、葡萄樹到る所に彼を迎ふ、彼れ時には狐狸の跡を窮め、又母鶏の常性を探り給へり、彼は天然と偕に交はり、天然の父と接し給へり。
 是れなん我主をして後日彼の大訓を世に伝へ給ふに方て彼が引証し例証して止み給はざりし比喩の好材料となれり、野に穀類の生ずるを観て、彼は天国の地上に建てらるゝ亦植生の例に傚はざるべからざるを教へ給へり、「初には苗、次に穂いで、穂の中に熟したる穀を結ぶ」と(馬可伝四章二八節)人の衣食を得るに汲々たるを見て、一輪の野花のソロモンの栄華の時にだも装ふこと能はざりし美服を以て纏はるゝを示し賜へり、人、彼に彼の住所を問へば、彼は彼の孤独を嘆じて宣べ給へり、「狐は穴あり、天空の鳥は巣あり、然れども人の子は、枕する所(411)なし」と(馬太伝八章二十節) 彼れヱルサレム城外の橄欖山に登り、谷の彼方に都城の其罪に沈淪して、滅亡の到来を俟ちつゝあるを見給ひしや、彼の心に浮び出でしは彼が未だ故郷に木匠《たくみ》たりし頃、彼の庭園に雛を育《はごく》みし牝鶏なりしが如し、「噫ヱルサレムよ、ヱルサレムよ、……母鶏の雛を翼の下に集むる如く我なんじの赤子《こども》を集めんと為《せ》しこと幾回ぞや」と(路可伝十三章三四節) 天国の成長を説くに方て彼は之を芥種《からしだね》に喩へ給へり、伝道の希望を示すに方て彼は熟《いろづ》きたる畑を指し給へり、天然物は其最微のものに至るまで彼に大教訓を授けたり 天然は実に彼に取ては聖書に次ぐの大教科書なりし、有名なる詩人ゲー(John Gay)の一句はイヱスに取て最も適切なるものなり。
 
   Pride often guides the author's pen;
   Books as affected are as men;
   But he who studies Nature's laws,
   From certain trutP his maxims draws;
   And those,without our schools,suffice
   To make man moral,good,and wise.
 
   倨傲時には記者の筆を導き
   著書時には著者の仮扮を伝ふ
   然れども深く意を天然の法則に注ぐ者は
   其教訓に依て彼の格言を定む
(412)   而して若し是れあれば吾等の学校なくして
   人は真、善、且智たるを得べけん
 
 イヱスに尚ほ第三の学校ありたり、彼の家庭是なり、彼の父はヨセフ、木匠なりき、彼の母はマリヤ、其兄弟はヤコプ、ヨセ、シモン、ユダ、亦彼に姉妹ありたり、彼は早くより労働に従事し、ヨセフ死して後に彼は家長となりて彼の一家を支へしが如し、彼は父の愛に由て天父の愛を悟り、母の慈恵に依て献身の何たる乎を智覚し給ひしならん、世に神の存在と其愛とを知らしむる者にして愛に富む父母の如きはあらず、我等は肉体の父に於て霊魂の父の代表人を認む、我は神学書に神の愛を読んで之を信ずるに非ず、我は我が地上の父に愛せられて天上の父の愛なるを知るなり、無神論者を作るに於て無慈悲なる父母の如く有力なるはあらず、其子を責むるに不孝を以てするの外父たるの権能を示すこと能はざる父は其子に神を彰はす能はず、残虐なる父母を有つ者は多くは残虐なる神を信ず、世に無神論者多きは信なき慈なき父母多きに因る。
 我等は聖父ヨセフに就て多くを知らず、然れども彼が端正の人にして、神を畏れ義を慕ひ、善く緘黙の間に神の委托を全ふせし人なりしは聖書が彼に就て示す所の数語より推測するを得べし、マリヤはユダ的賢婦人なりし(箴言第三十一章十節以下参考) 彼女の前例は之をサミユヱルの母ハンナに於て見るを得べし、謙遜にして神を敬ひ、勤倹にして能く貧家を処理し、彼女の聖子の肩に世界の大任の懸るを智覚し、常に彼の背後に立て彼の偉業を助けたり、偉人多くは賢母を有す、マリヤは女の中に最も福《さいはい》なる者なりし(路可伝一章四二節)、剣《つるぎ》彼女の心を刺せしも(二章三五節)人類の救主は一時は彼女の繊手に委ねられたり、我等天主教徒に傚ひ彼女を崇めて神と(413)して拝し能はざるも、彼女に理想的婦人を認め、イエスに最も近かゝりし者として彼女の愛を慕はざるを得ず。
 斉家の術、易きに似て甚だ難し、忠実に其任に当て誰か人生の真味を悟らざる者ぞある、是れ人生の習練所なり、能く之に耐えて済世の術に達せりと謂ふべし、其中に服従の要あり、信愛あり、友誼あり、又権能の施すべきあり、忍耐の鍛ふべきあり、殊に活計の一事に至ては心血を絞り、天に叫ぶこと幾回ぞや、イヱスの確信なるものは多くは是れ此常人の任に当て自《おのづ》から得給ひし者にあらずや。
 
 聖書と天然と家庭、此三者ありて完全なる教育あり、恩恵のイヱスよ、願くは我等も爾に傚ふてこの三者に我等の神を索め、此に彼を探り得て我等の全性の発育を計らんことを、願くは我等書を読むこと多からざるが故に恥ることなく、亦学を講筵に聞くこと尠きが故に呟くことなく、能く神の与へ給ひし所に満足し、聖書一巻に総て爾の聖意を探り、自由の天然に爾の霊能を読み、日毎の糧を得んが為めに我等が日々従事する我等の卑しき労働に貴き爾の恩恵に接して、平凡なる我等の生涯も我等をして完全の爾に到らしめんことを。 〔以上、明治35・1・25〕
 
     (四) イエスの自覚
 
  イエスの天職と其撰定〇聖書に依て〇彼の時代と歴史に依て〇彼自身の智覚に依て
 我主イエスキリストよ、余は爾に頼て凡ての事を為す者なり、余は爾を離れて何事をも為し能はず、爾は余の能力《ちから》にして亦た余の生命なり、余に邇《ちか》き者にして爾の如きはあらず、余の妻も子も、然り、余自身も、爾が余に(414)近きが如く近き者にあらず、余は爾に依て自己を発見する者、爾を知らずして、余は余自身さへも知る能はざる者なり。
 故に主よ、余れ如何にして余の口、余の手を以て爾を世に紹介するを得んや、余は愚かにも屡次《しば/\》爾を余の書斎に於て看出さんとせり、又或る時は清涼人無き所に入て余の心の裡に爾を画かんと努めたり、然れども理想の実躰たる爾は余の学んで探り得る者にあらず、余の念じて画き得る者にあらず、爾自身余の此穢れたる心に降り給ひて爾を余に顕し給ふにあらざれば余は爾に就て何事をも識る能はざるなり、謙遜なるイエスよ、茲に復び余の心に降り給ひて余をして爾に就て信実を語り得しめよ。
 ナザレの閑居に三十年間無名の生涯を送り給ひし爾は如何にして爾の自覚に達し給ひし乎、余は知る爾は好んで公的生涯を索め給はざりしを、シヤロンの薔薇花に均しき爾は爾の日毎の職務の外に何の求むる所あらざりし、太陽は日毎に汝の為にバシヤンの丘に登り、キシヨンの谷を照して、西の方カーメルの山嘴《はな》に没せり、爾に虚日なる者はなかりし、爾の家のため、爾の友のため、爾の郷里のため、爾は爾の手に有り余る程の為すべき善事を有ち給へり、爾は人類の救主として完全なりしのみならず、人の子として、又その兄として、而して亦市民として完全なりしなり、聖書が爾の始めの三十年に就て語ること至て尠きは、是れ爾の此完全に就て吾等を教へんためならん、ナザレのイエスよ、吾等も爾に傚ふて、父が吾等を召び給ふまでは喜んで彼が吾等の為めに定め給ひにし所に安じ、其処に労働し、其処に同情の香気を放ち、吾等の小なる区域に於て小なる救主たらんことを。
 然れどもナザレの幽居は永久に爾を保つべきにあらざりし、世は爾の出廬を要求せり、世界の民は爾の出顕を待てり、爾は呼ぶ者の声に余儀なくせられて爾の谷間の家を出で給へり、爾の中なる声は言へり、「行て救霊の途(415)を備へよ」と、而して世界の億兆は叫んで曰へり、「来て死せる我等を救へよ」と。
 余は信ず、爾は爾の学びし聖書に依て爾の天職を覚り給ひしことを、聖書は吾等に告るに人世の無意義のものにあらざるを以てす、吾等信ずる者に取ては歴史は摂理なり、大なる意志は歴史を通して一徹す、是れ人類を救はん為の神の聖工《みしごと》なり、一羽の雀も神の許容《ゆるし》なくして地に墜ち来らざるが如く、一人の人も聖意に依らずして此世に生れ来たることあるなし、人各々神の授け給ひし彼の天職を有す、即ち此世に於ける神の聖業《みわざ》を輔けんための各自独特の業務を有す、人は何人たりとも彼の天職を知らざるべからず、而して天職の撰定に於て吾等を助くるに最も力あるものは聖書なり、聖書の歴史観有て初めて明白なる天職の観念は起るなり、歴史を「出来事の偶然の流合」(fortuitous concourse of events)と見做す者に天職の念あるべき筈なし。
 ユダヤ人として生れし者はユダヤ人の天職を全ふせざる可らず、神が国民を地上に配置して世を理め給ふは世をして総ての方面に於て神の完全を認めしめんがためなり、ユダヤ人の前にアツシリヤ人ありて、「力」の何たる乎を世に示したり、希臘人は智を以てし、羅馬人は法を以てし、以て人類の発育を計りたり、然れどもユダヤは歴史の精神なり、巴比倫に天躰が窺はれつゝありし間に、埃及に数理が講ぜられつゝありし間に、希臘に哲学が究められつゝありし間に、神は猶太亜に於て良心を鍛へつゝあり給へり、模範的猶太人はユークリツドの如き数学者にあらず、フィディアスの如き彫刻者にあらず、亦たシーザーの如き政治家にあらず、模範的猶太人は道徳的改革家たるべきなり、即ち預言者イザヤの如き者、アモス、エレミヤの如き者、即ち人類を其霊魂に於て癒し、彼を神の足下に連れ来りて之に天よりの平和を与ふる者ならざるべからず。
 イエスは猶太人なりし、故に彼の志望は模範的猶太人たるにありし、彼は預言者の類たらん、其最も大にして(416)最も完全なる者たらん、而して聖書は模範的猶太人の如何なる者なるかを明白に彼に示せり、イエスは幾回か眼を預言者の書《ふみ》に曝して、彼の使命に就て深く考ふる所ありしならむ、
 彼は之を預言者米迦の書に読めり、
   汝ベツレヘム エフラテよ、
   汝はユダの郡中にて小き者なり、
   然れどもイスラエルの君となる者汝の中より我がために出づべし
   その出る事は永遠の古昔より永遠の日よりなり(米迦書五章二節)
 之を読みしイエスは如何なる感を起し給ひけむ、惟ふ、我はダビデの裔にして、我が母は我をベツレヘム、エフラテに於て生めり、我は即ちイスラエルの君となるべき者にあらざる乎、我は永遠の古昔より神が其民に約束し給ひし者にあらざる乎、我の系図と我の出所とは確に我の何たる乎を示せり、嗚呼、我は実に来るべき彼ならざる乎と。
 以賽亜書五十三章はイエス特愛の聖書の部分たりしに相違なし、彼は字毎に之を彼の記憶に留めしならむ、猶太人の理想は此一章に存す、然れども大預言者に依て此の天来の理想の画かれし以来、未だ曾て之に適ひたる人物の出し事なし、猶太人を巴比倫に於ける羈絆より救ひ出だせしゼルバベルも此理想を距る甚だ遠し、シリヤ王アンチオカス、エビフハネスの虐政より彼等を脱せしめしマカビス兄弟も此理想の人にはあらざりし、然らば預言は廃《すた》るべきか、是れ啻に理想画に止るか、イエスは幾回となく其解釈に苦み給ひしならん。
 嗚呼、我は理想的猶太人たり能はざる乎、嗚呼、我は人類の病患を負ひ、其悲痛《かなしみ》を担ひ、其|愆《とが》のために傷けら(417)れ、其不義のために砕かれ能はざる乎(四、五節)、我は神が其民のために供へ給ひし羊羔《こひつじ》にして彼等の罪の献物《そなへもの》として献げらるゝ者にあらざる乎(七節)、我は即ちエホバの義しき僕にして多くの人を義とし又彼等の不義を負ふ者にあらざる乎(十一節)、我れ大なる者とならんために我は我の祖先たるダビデの如く剣を以て異邦の民を征服すべきにあらず、亦ソロモンの如く錦繍を以て纏はれ、玉白を以て飾られて、以て世の栄華に誇るべきにあらず、我は罪人の為めに屠られて我の栄光に達すべきなり、我は悪人の虐待《しえたげ》を受けて我の王たるの権能を全ふすべきなり(八、十二節)、然り、我は猶太人の王と成らん、権柄を握る者にあらずして、荊棘《いばら》の冠を戴く王とならん、万卒枯れて我一人栄ふるの王にあらずして、我一人殺されて彼等の痍《きず》を癒し、彼等に永生の冠を与ふるの王とならんと、沈思黙考して茲に至り給へばイエスは彼の目前にカルバリー丘上既に十字架の挙げらるゝを見給ひしならん。
 聖書は彼に理想を供せり、之に依て彼の天職は稍や明かなるに至れり、然れども彼は人として生れ給ひし者、肉の弱きは屡次霊の強きに勝て、彼の確信も時には其快明を失ひしならん、其時彼の時代と境遇とは彼に迫て、更に彼の確信を促がせしならん、今や諸ての文明は綜合せられ、凡ての国民は統一せられ、進歩は一大段落を告げて、歴史は茲に一転すべき時とはなれり、今や文明は一にして政治は一なり、一の国語は以て万邦に通ずべし、今にして神の奥義を世に投ぜんには世は永久に救はるゝを得ん、我の伝へんとする此宇内的の福音、是を今日に於て伝へずして何れの日を待たんや、神の人を此世に降し給ふや、彼は国を簡《えら》び給ふと同時に必ず時を択び給ふ、我をユダヤ国に送りし者は又今日に我を遣はせし者ならざる可らず、今は神の王国を建設すべき時なり、今は神の福音の種を世に下すべき時なり、神は我の為めに世を準備《そな》へ給へり、アツシリヤが興て亡びしも、ペルシヤが(418)栄えて衰へしも、希臘が文化の春を呈せしも、而して羅馬が今や世界を一統するに至りしも是れ皆な我がために道を備へんがためならざるべからず、天父の智慧と能力は大なるかな、彼が万国の民を練る、恰かも陶工が粘土を煉るが如し、彼は我を送らんために世界を用意し給へり、我にして今日出ずんば我は彼の摂理を無視する者なり、造化はために其目的を失し、歴史は終に無意味に終らん、然り、我は歴史の中心なり、造化の終局なり、我の天職は万有と人との促す所のものなり。
 嗚呼、然らば我は実に「彼」なる乎、我は予言者の夢想せし所の者なる乎、世の創始より万民のために備へられし者なる乎、聖書は爾か云へるが如し、天然も歴史も爾か云へるが如し。
 而して我れ亦我自身を省みるに我に此大能あるが如し、我は肉の荏弱《よわき》を感ず、然れども何人も我を罪に定むる能はず(約翰伝八章四六節参考)、天然も我の命に従ふが如し、我は心に罪念を覚えず、我は人にして人にあらざるが如し、奇異なるかな、我れ、我は世に在て唯だ一人なり、人、我を解《さと》らざるは我が彼等と本性を異にすればなり、我は木匠《たくみ》の家に生れたり、然れどもユダヤ人の王にして人類の教主なり、我は確かに是事を我が衷に智覚す、然り我は彼なり、神の子なり、万民が之を否定するも我は確かに彼たるを疑ふ能はず、天地は失することあらん、然れども我と我が言詞《ことば》とは永遠に失することなしと。
 斯くて我主イエスキリストは容易に彼の自覚に達し給はばりし、然れども之に達し給ふに方て彼は之を人に諮り給はざりし、彼は彼の弟子と同じく、彼の天職を択ぶに方て、直に之を彼と彼の天父との間に於て定め給へり、「蓋は我れ之を人より受けず、亦教へられず、唯だイエスキリストの黙示《しめし》に由て受けたればなり」とはパウロが彼の天職を発見せし時の感なりき、イエス亦此点に於て彼の弟子と異なる所あるなし、彼は三十年間の永き之を(419)彼の良心に問ひ、時代と歴史と天然とに稽へ、聖書の明白なる指命に鑑みて終に彼の本性を自覚し給ひしなり、其間勿論父の聖霊彼を導きしは云ふまでもなし、然れども彼は瞬間にして此決心に出でしに非ず、亦境遇の潮流に強ひられて欲《おも》はざるに此大任を負ひしにあらず、彼の献身は彼の計較熟慮の結果たりしなり、イエスは深慮と決心と先見とを以て世の罪人のために彼の身を屠られ給へり。
       *     *     *     *
 誠実なるイエスよ、我等も各自その天職を教へられんことを、我等も爾に傚ひ、聖書に於て歴史の真義を解し、我等各自の此世に於ける本務を了り、亦時代に鑑み、境遇に照し見て、爾が理想的猶太人として千九百年の昔、爾の聖職を尽し給ひしが如く、我等も理想的日本人として二十世紀の今日、我等の本分に忠実ならむことを、我等勿論爾の如く罪なき者にあらず、我等は爾の救拯を要する者、我等の素質に於て爾と全く性を異にする者なるは我等の能く知る所なり、然れどもイエスよ、我等に亦我等のために備へられし天職あり、我等は之に忠実なれば足れり、我等は光明を爾に仰ぐ者、勿論爾の義の太陽なるが如く、自身光を放ち得る者にあらず、然れどもイエスよ、我等爾の光に輝されて我等も光輝を放ち得るなり、爾に頼るべき我等は此国此民に爾の生命を頒ち得るなり、爾願くは我等を恵みて我等凡てをして小基督たるを得さしめよ。 〔以上、明治35・2・22〕
 
     (五) イヱスの出顕 
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 イエスは既に自覚し給へり、彼は人類の救主たるを意識し給へり、彼は今より世に出て彼の父の命を行はんと欲す、然れど意識が実行となりて顕はるゝ前にそが確信と化するを要す、意識は自信にして主観なり、而して(420)確信は自信に他信を加へたる者なり、主観は客観を以て確められざるべからず、然らざれば事業其中より来らず。
 イエスは神の子なれども亦此心理的法則の外に立ち給はざりし、看よ、神に三位ありて彼は一躰に於て主観客観を兼ね給ふに非ずや、万物皆な相互的動作の結果なり、天あり地ありて草木生じ、男あり女ありて世は愛情の鏈鎖たり 人に朋友なかるべからず、彼は孤独にして人にあらず、吾等は神と偕に働く者なり、而して神は人を以て吾等と偕に働き給ふ、イエスは神の独子にして世の創始より父と栄光を共にせり、然れども彼れ人類の中に降り給ひて神の事業に従事し給ふや、彼は独り之に従事し給はざりし、彼は歴史の一部分として世に顕はれ給へり、彼は人世を専用し給はざりし、彼は喜んで他の人と共に彼の事業を頒ち給へり、彼も亦吾等と等しく、友人同志、証明者を要し給へり、彼の自覚も亦友人の証明を得るにあらざれば確信となりて現はれざりし、而して神は特別に彼の要求する此友人、此証明者を彼の為めに備へ給へり、バプテスマのヨハネ是なり。
 イエスが北方ガリラヤのナザレに於て温良従順の成長をなしつゝありし間に彼の親戚なるザカリヤの子ヨハネは南方ユダヤの曠野《あれの》に在て峻厳苛刻の修養を積みつゝありし、二者未だ曾て互に相見し事なしと雖も各自其父母の告ぐる所に由て彼等の間に深き心霊的関係の存するあるを知りしならん、若し性質の異同を以て談ずればイエスとヨハネとは正反対の人物なりし、イエスが忍容にして能く鳥獣をも其身に近け給ひしに対してヨハネに端厳にして近くべからざる所ありたり、イエスが神を其無限の愛に於て認めしに対してヨハネは彼を公義の方面に於て解せり、イエスは喜ぶ者にしてヨハネは憂ふる者なりき、イエスは感謝して食ふ者にしてヨハネは悔ひて断食する者なりき、ガリラヤの山野に花鳥を友とせし者とユダヤの曠野に駱駝の毛衣《けごろも》を着、腰に皮帯を束ね、蝗虫《いなご》と野蜜《のみつ》を食ひし者とは其間に和解し能はざる所ありしが如し。
(421) 然れども同一の希望を懐て反対性は反て相近づき易し、吾等の最も好き友人は吾等と性を全く異にする者なり、柔和なるイエスは厳格なるヨハネに於て嘆称敬畏すべき友を見しならん、而して義を追求して止まざりしヨハネはイエスに於て始めて彼の理想たる神の羔を認めたり、ヨハネを識て彼の為に世に弁明せし者はイエスなりし(馬太伝十一章)而して始めてイエスの救主なるを認めて彼を世に紹介せし者はヨハネなりし、(約翰伝一章)、イエス有てヨハネは其自信を確められ、ヨハネ有てイエスは其知覚の指明に就て些少の疑惑をも懐かざるに至り給へり、貴きかな、友人相互の奉仕、是有つてのみ人は其天の使命を全うするを得るなり、我を知る者、是を友人と云ふ、彼は我の半性にして我の完成者なり、我は彼に認められて我自身を認む、我は彼の証明に由て世界に出つ、我れ惟り事を作すに非ず、友人に援けられて作すなり、神はイエスのためにヨハネを備へて友誼の神聖を世に示し給へり。
 羅馬帝テペリオ カイゼルの在位十五年、即ち吾人の紀元二十六七年頃、イエス歳凡そ三十にして彼の故園なるナザレの地を出んとし給ふや、忽ち聞くヨルダンの外なるベタニヤの地に於て声を放て喊ぶ者あり曰く「天国は近けり悔改め」と、而して其声ヨルダンの四方に響き亘りて彼に就て悔改のバプテスマを受くる者多し、イエス此声をガリラヤに在て聞き、天国の此地に開始されしを知り、自から歩を進めてベタニヤの地に向ひ給ふ、ヨハネ遙かにイエスの己に来るを見てその傍人に告げて曰く「世の罪を任《お》ふ神の羔を観よ」と、蓋し彼れイエスの聖貌を仰ぎ、瞻て其彼が待望みし人類の救主なるを直覚せしならん、ヨハネ亦たイエスに就て証《あかし》して曰く「我に後れて来らん者は我より優れる者なり、其は彼は我より以前《さき》に在りし者なればなりと我が言ひしは此人なり」と、又言ふ「我は其|履《くつ》の紐を解くにも足らざる者なり」と、二聖相会して其間に些少の確執あるなし、謙遜なるヨハ(422)ネの前に謙遜なるイエスは立てり、イエスは其処に集へる罪人に傚ふてヨハネより悔改のバプテスマを受けんと求め給ふ、而してヨハネ辞みて彼の其任にあらざるを語ればイエスは彼に答へて曰ふ「暫く許せ、如此凡ての義き事は我儕尽す可なり」と、蓋しイエスはヨハネの神の人たるを知りたれば彼を敬するの余り、茲に躬から身を卑くして辜なきに洗罪の礼に与かり、以て衆人の前にヨハネの聖職を証明し、併せて身を罪人と伍して彼とヨハネとを環視せし幾多のパリサイ、サドカイの徒に驕傲自尊の害毒を示し給ひしならん、イエスに悔改の必要なかりしは言を俟たず、然るに茲に己を虚うして身を罪人に擬して浸礼の式に与かり給ふ、是れ自遜の極、而かも是れ神子降世の精神にして父の喜び給ふ所なり、宜なり、彼れバプテスマを受けて水より上れる時、天忽ち之が為めに開け、神の霊鴿の如く降て其上に止りしとは。
 吾等茲にバプテスマの何なる乎を深く究むるを要せず、其悔改の必要条件に非ずして単に其|表号《シムボル》に止ることは言ふを俟たず、往昔はモーセ其民を聖むるに其衣服を濯はしめたり(出埃及記十九章十四節)、今又茲に天国の創立を軍吉するに方て其市民たらんと欲する者を河水流清き所に浸して洗浄の式を行ふ、之を佳礼と称せずして可ならんや、然れども要は心の洗滌に在て肉躰の清洗にあらず、即ち聖霊と火とを以てするイエスのバプテスマに在て水を以てするヨハネのそれにあらず、後者は之を廃するも可なり、前者は永久に之を棄つべからず、吾等は実を貴び名を軽ず、而して吾等は確知す、是れ亦バプテスマのヨハネの精神なりしことを。
 イエス水より上り来れば天は彼が為めに開けて聖霊は鴿の如くに彼の上に止まり、又天上より声ありて此は我が心に適ふ我が愛子我が悦ぶ所の者なりと言へりと云ふ、以て知るバプテスマの聖式はイエスが天の嘉納に与かる大なる機会なりし事を、彼れ後日ユダヤの曠野に在て悪魔の誘惑を悉く斥け給ひし時に之に類する父の嘉納(423)ありて「天使来りて彼に事へたり」と云ふ、大なる謙遜は常に大なる称讃を神より喚ぶ者なり、吾等が一段卑く下る時は吾等が一段高く上げらるゝ時なり、罪人と共に水中に下りてイエスは聖霊一層の恩賜に与かれり、彼れ此世に於ける彼の使命を完うして世の罪を任ふて罪人として墓に下り給ふや神は甚だしく彼を崇めて諸の名に超《まさ》る名を彼に与へ給へり、バプテスマはイエスに取りては自遜の行為なりし、故に神の称讃之に伴へり、吾人此聖式に由て神に嘉納せられんと欲する者に亦此心なかるべからず。 聖霊に形なし、然れども其吾人の心に臨むや鴿の其巣に帰るが如し、雷火の岩を撃つが如くにあらずして、春雨の乾土を潤すが如し、吾等を歓ばしめ、亦吾等を安からしむ、之れに思ふ所に過る平安あり(腓立比書第四章七節)、鴿の如くなるは鴿の如く柔和なればなり、吾等時に電光の人を射るが如き聖霊の降臨を耳にする事あるも、而かも其ベタニヤの地に於てイエスの上に降りし霊にあらざるを知る。
 「天よりの声」、吾等又其何たるを知る、「我が心に適ふ我が愛子、我が悦ぶ所の者」、嗚呼、我も時には微かに天よりの此声を聞くを得たり、我れ我が利慾の念に勝て我の有する些少のものをいと微《ちい》さき者に与へし時に我は天よりの此声を聞けり、我れ怯懦の意《おもひ》を脱し、我に不利なるを顧みず、大胆に立て人の前に我が主を表白せし時に我は我が心の深底に於て天よりの此声を聞けり、我れ一つの疑懼する所なく、神の約束有の儘を信じ、直に彼の足下に走て罪の赦免を乞ひし時に我は又我が全身に響き亘りて天よりの此声を聞けり、勿論イエスの場合に於ては此声に特別の意味ありしは言ふを俟たず、イエスは神の生み給ひし独子にして吾等はイエスに依て神の子たるを許されし者なり、然れども神が其子と語り給ふに当て彼の使用し給ふ言語に異なる所あるべからず、是れ霊の言語なり、良心の応答なり、吾等如斯き言語を聖書に読んで其意義を解するに難からず。(424) イエスはヨハネに行て彼の自覚に証明を得たり、彼れ是を彼の家人に求めて得る能はざりし、彼の父も彼の母も、彼の兄弟も彼の姉妹も、彼が人類の罪を任ふ神の羔なるを認むる能はざりし、是を始て証明せし者は世界を挙りてザカリヤの子ヨハネ一人のみなりし、然れども如何なる一人よ、一人のヨハネは万人の普通のユダヤ人よりも重し、神の使命を証明するに方て羅馬の皇帝、猶太亜の牧伯共に何の価値あるなし、霊を知る者は霊なり、肉は霊の事を知る能はず、骨肉如何に親近なりと雖も吾等の霊の事を識る能はず、吾等と信仰を共にする者のみ吾等の霊を知るなり、ヨハネ一人の賛同承認はイエスに取りては全世界の賛同に勝りて力ありき、ヨハネにして彼は神の羔なりと言へり、彼れ今何の疑懼する所かある、死せる預言者なるミカ、イザヤ等の言は今は活ける預言者なるヨハネに依て証明されたり、好し、今より人類救済の途に上らん、然れども確信は更に確かめられざるべからず、我は我に関する神の聖旨に就て更に一層の明瞭を要す、我は如何なる意味に於て人類の救主なる乎、我は屠られずして世を救ひ得ざるか、十字架上の耻辱の死は救主なる我に取り、亦救はるべき人類に取て実に我の受くべきものなる乎、我れ我が心に存する最後の疑問を解かんがために独りユダヤの野に行かんと。
 斯くてイエス聖霊に導かれ悪魔に試られん為めに野に往けり(馬太伝四章一節)
       ――――――――――
 ナザレのイエスよ、我は知る我は汝と全く素性を異にする者なる事を、汝は神の栄《さかえ》の光輝《ひかり》、その質の真像《かた》(希伯来書一章三節)なりと雖も余は罪に由て孕まれ罪の中に成育《そだち》し者なり、故に余は余の救主として汝を仰ぎ視て余の模範として汝を学ばざるなり、然れども、主よ、汝は余に近かんために懦弱き肉躰を取り、余に類したる者として世に降り給へり、余は汝に於て罪の聖浄《きよめ》を得るのみならず、亦人生の恒態を探り得るを感謝す、汝自身友を(425)要し給へり、況して余に於てをや、自覚するに甚だ鈍き余は友の援助を要する如何に大なるぞ、而して余は汝に感謝す、汝は余にも亦余の要する友人を賜ひし事を、余は余の心の信念に応じて余を汝に導きし二三の友人に就て殊更に汝に感謝す、彼等|微《なか》りせば余の生涯は如何に成行きしぞ、彼等若し余に適恰の援助を与へざりしならば余は今尚ほ人生の路頭に徨ひしならん、余は汝が余に下し給ひし多くの恩恵《めぐみ》の中に殊更に余の心霊的友人に就て汝に感謝せざるを得ず。
 而して主よ、余の友人が余に対して忠実なりしが如くに余をして亦彼等に対して誠実ならしめよ、余も亦彼等の従事する総ての義き業に向て余の満腔の同情を表し、汝が汝自身の威権を去てヨハネの悔改のバプテスマを受け給ひし如く、余も亦友人の義を立てんがためには世の侮辱冷笑を顧ざらんことを。
 又余が身を投ずる社会を択ぶに就てもパリサイの義人、サドカイの智者と列を偕にせんことを望むことなく、進んで罪人の群に入り其救済の為めに汝に使役せられんことを。
 イエスよ、余は今に至て少しくバプテスマの真意を了り得しを感謝す、余は之を以て余の身を浄め、自から義人、と称するを得て世の罪人と交際を絶つの式なりと思へり、何んぞ計らん、是れ罪人の群に己を投ずるの式ならんとは、主よ余をして汝の霊火に接して茲に新たに罪人救助のバプテスマを受けしめ給へ。アーメン。 〔以上、明治35・3・20〕
 
     (六) イエスの誘試《こゝろみ》
 
 地上に於ける天国建設の業はイエスが父より授かりし天職なりし、然れども如何にして之を建設せん乎、其方(426)法を定決《さだ》めんが為めに霊たゞちにイエスを野に往かしめたり(馬可伝一章十二節)。
 野とはユダヤの野にして其山地と死海との間にあり、其荒漠たる状はユダ文学の屡々記述する所、ダビデ七年の間此所に彷徨してサウロの毒手より免るゝを得、アモス此所に羊を牧ふて天来の偉想に接せり、人を離れて直に神と交はらんと欲せし者は多くは此所に往けり、是れ天然の祈祷場なり、好良なる断食場なり、神は彼の撰民を鍛錬せんがために特別に此荒野を造り給ひしが如し、而してイエス今や彼の偉業を開始せんとするに方て、ユダ民族の此大祈祷場に入り給へり。
 此所に在ること四十日四十夜、彼は沈思黙考に食を忘れ給へり、彼今や語るに人なく、只野獣の彼と共に在りしのみ、心に寂寞を感ずること甚しく、我と我に向ひて我に答へ、絶壁の下、断崖の麓、惟り無覚の岩を友とし給へり、地上に於ける天国の建設、是れ難中の難事業なり、我れ此岩に向て語るも其我に応へぜざるが如く、我れ世に告るに父の愛を以てするも其容易に之を受けざるや必せり、寂寞なるは此荒野に限らず、我に取ては全世界は之に勝るの荒野なり、我は此|巌《いわ》に人の心の頑愚なるを見る、我は此獣に我国人の兇猛なるを認む、寂寞なるかな我が生涯、至難なるかな我が事業、而かも我は父の命を奉じて天国を此地に建設せざるべからず、嗚呼我如何にして之を就さん乎と。
 時に声あり彼に告げて曰ふ、「爾もし神の子ならば此石に命じてパンと為らせよ」と、試者の意蓋しイエスをして一瞬間に彼の此苛厳なる境遇を変じて至楽極喜のものたらしめんとするにありたるが如し、彼は神の子なれば此事を為し得ざるにあらず、若し之を為し得ずとすれば彼は神の子にあらざるなり、何ぞ彼の大慈悲心に訴へて、石を変じて、パンと為らしめ、彼刻下の饑餓を癒すは勿論、広く天下の餓民を養ひ、是に鼓腹撃壌の快を与(427)へて一瞬間に天国を此世に来さゞると、是れイエスに取ては大誘惑たりしに相違なし、彼は神子たるの実証を得んと欲する切なり、彼は地上に天国を建設せんと欲する急なり、而して万民饑餓に迫り、憂苦に泣くを体恤《おもいや》り給へば彼は総ての方法を尽して彼の仁政を世に布かんことを欲《おも》ひ給ひしならん、「此は我心に適ふ我が愛子」なりとは彼がベタバラに於てヨハネよりバプテスマを受けし時に天より聞きし声なり、彼何ぞ茲に大異績を行ふて彼が神子たるの実証を得ると同時に奇績的に天国を建設せざると。
 イエスは試みられたり、即ち悪魔の誘試の力あるを感じ給へり、然れども罪なきイエスは直に誘試の誘試たるを看破し給へり、彼は此言の詭計ある悪魔の言にして、深智ある神の言にあらざるを解《さと》り給へり、奇績は如斯き場合に於て施すべきものに非ず、亦天国は如斯き手段を以て建設さるべきものにあらず、天国の天国たるは万物を直に神より待ち望むにあり、天国は食にあらず、亦異績にあらず、天国は愛心なり、信仰なり、故に彼は直に申命記第八章三節を引いて答へ給へり、曰く「人はパンのみにて生る者にあらず、唯神の口より出る凡ての言に因る」と。
 斯くてイエスは世に所謂慈善なるものを以てする天国の建設を斥け給へり、慈善其者の悪きにあらず、然れども之れ隠密になすべきものにして、是を以て天国建設のための機関となすべきものにあらず、天国は神の口より出る言の権能に依て建設さるべきものなり、即ち一巻の聖書と一個の確信とを以て設立さるべきものなり、之に伴ふに慈善学校あり、慈善病院ありて、神の恩恵の其言に於てあらずして、却て其食物と学問とに於てあるが如くに思はしめし、今日の伝道事業なる者が全然其目的を愆《あやま》りしは決して怪むに足らざるなり。
(428) イエスは富を以て欺くべからず、故に悪魔は彼を聖京に携へ行き、其所に更に奇異なる誘惑を試みたり、彼れイエスを神殿の頂上《いただき》に立たせて曰ひけるは
  爾若し神の子ならば(彼又此言辞《ことば》を重複して曰ふ、其中に嘲弄の語気存す)、……爾若し神の子ならば己が身を下に投げよ、其は爾がために神その天使等《つかひたち》に命ぜん、彼等手にて支へ爾が足の石に触れざるやうすべしと聖書に録されたり。
 彼は詩篇第九十一篇より此言を引いて曰へり、彼はイエスに神の約束を覆誦して茲に更に天国建設のための一奇法を彼に授けんとせり、即ちイヱスをして万民凝視の中に神殿の頂上より飛下せしめ、彼の全く無害にして地に達せしを彼等に示し、以て彼等の驚嘆を惹き、異観以て民の心を収攬し、然る後に彼等に説くに天国の福音を以てし、直に速かに地上に天国を建設せしめんとせり、是れ一見してイエスの目的を成就するがための最捷径なるが如く思はれたり、是れ政略を以てする天国の建設法なり、而して政略亦必しも悪しき者にあらず、人に由て人を導く、是れ仁政ならずや、小児は大人の如くに教ゆべからず、頑愚の民に天の福音を伝へんと欲するに方つて先づ其心を収攬して然る後に之をして天の福祉に与からしめんと欲す、何の悪しきことか之あらん、慈愛は之を施すに方て方法を選ばず、殊に身を高所より投下するが如きは、何人も之が為めに害を蒙ることあるなく、天使はイエスの足を支えて彼に傷なからしめ、民は唯奇行を視て之を嘆賞するに過ず、而して其結果たるや彼等に天国の福音を伝へて永久に彼等を済ふを得ん、神の子よ、汝の愛心に訴へて此事を為せよと。
 然れども智慧に富み給ふイヱスは亦此甘言に悪魔の譎計を認め給へり、彼は民を愛する余りに深かりしが故に、計略を以て彼等を済ひ給はざるべし、彼は彼の福音を彼等に注入するに方て彼等の良心の正門よりして彼等の恐(429)怖驚駭の念なる側門よりせざるべし、人は何人たりとも素是れ神の像に象りて造られし者なれば我等は如何なる場合に於けるも彼に向て深厚の礼意を表せざるべからず、率直なるより他に人を済ふの途はあるべからず、若し策略を施すにあらずんば之を済ふ能はずんば之を済はざらんのみ、永久に渉るべき天国は時と共に消失すべき世の王国の如くに虚威を以て建設さるべき者にあらず、故にイエスは復た聖書の言を以て答へ給へり曰く、「主たる爾の神を試むべからず」と、(申命記六章十六節)。
 神を試むとは神を濫用することなり、神以外の事に神の権能を用ひんとすることなり、即ち神を其栄光の宝座より引き下して之に神以外の事をなさしめんとすることなり、是れ僭越の最も甚きものなり、神の命ぜざるに高きに登て飛下するの際彼をして我が足を支えしめんとす、是れ僭越の第一なり、神の福音を伝ふるに方て良心の直道に由らずして恐懼の間道に由らんとす、是れ僭越の第二なり、神の導かざるに我より進んで天国の民を作らんとす、是れ僭越の第三なり、僭越の上に僭越を加へ、自己に依て万事を就さんとす、是れ神に対しての大罪悪なり、天国は斯くして来るべきものにあらず、天国は神に由て建らるべき者、其民は神に召され神に撰まるべき者、而して是れ我より進んで詣造すべき者にあらず、悪魔は天国の何たるを知らず、彼はイヱスの意にして成らばイヱスの王国は就るべしと思ひたり、然れどもイヱスにイヱスの計画なる者あらざりき、イヱスの意志はたゞ父の意志を為すにありき、彼はたゞ父の命を待ち之を遂行すれば足れり、彼は自から進んで父の業を助くるに己の画策を以てすべからず、彼は神を試むべからずと。
 偉大なるかな、イヱスの此自抑、此自抑なきが為めに失敗に終りし教法師何ぞ多きや、自から神の聖旨を奉ずると称し、神の命ぜざるに多くの事を計画し、神の導かざる者に濫りに洗礼を施して之を信徒の列に加へ、独り(430)自から以為らく、我が智を以て神の王国の建設を賛するにあらずんば何れの時を期してか地上に之を見るを得んやと、茲に於てか「目的は手段を義とする」との政略生じ、種々の神聖ならざる方法は講ぜられて天国の降臨は人力に依て早めらるゝが如くに思はる、然れども見よ、天国は神の賜物にして人の製作物に非ず、ヨハネは聖城《きよきしろ》なる新しきヱルサレム備え整ひ神の所を出て天より降るを見たりと(黙示録第二十一章二節)、天より降るべき者を地より組立てんと欲す、世の伝道政治家なるものゝ愚は此一事を知らざるに存す。
 
 食を以て民を誘ふべからず、声望を以て之を導くべからず、去らば権力を以て之を教化するは悪しきか、悪魔は終にイヱスを最高き山に携へ行き、世界の諸国とその栄華とを見せて彼に言ひけるは「爾もし俯伏《ひれふ》して我を拝せば我此等を悉く爾に与へん」と。
 斯くて悪魔はイヱスに政治的王国の建設を想はしめたり、政権素是れ神より出し者、之を用ひて民を教化せんとす、何の悪しきことか是れあらん、政権に神聖なるものあり、神聖ならざる者あり、之を聖化すれば政治は善のための偉大なる勢力なり、ダビデ之を用ひてヱホバの聖名四隣に普く、ヨシヤ之に依て改革の業一時に就れり、倏にして大事を成さんと欲せば政治に干与して民を風靡するに若かず、天国素是れ王国の一種、之を建設するに方て政権の利用は免かるべからずと。
 然れども政権の利用に就て悪魔はイヱスより一事を直すこと能はざりし、彼(悪魔)は世界の王なれば之を征服せんと欲する者は俯伏して彼を拝せざるべからず、毫も彼に頼ることなくして、全然彼を排除して世に王たらんことは不可能事なり、若し帝王に臣服せずんば衆愚心に諂従ざるべからず、剣を揮はざるべからず、法を施かざ(431)るべからず、神の言と良心の命とをのみ以て此世に王たらんことは望んで達すべからざることなり、政権を以て世を治めんと欲する者は悪魔に此一歩を譲らざるべからず、然れども譲る所はたゞ此一歩のみ、而して此譲歩に由て得る所は世界の権威と栄華となり、汝国家民衆のために、将た亦汝の理想的王国の建設のために我に此一歩を譲らざる耶と。
 然れども是れイエスに取りては最も看破し易き誘惑なりし、既に慈善を斥け、声望を排せしイエスは政権を抛棄するに何の躊躇する所あらざりし、彼は一言以て彼の試者に答ふれば足れり、即ち「サタンよ我後に退け、独《ただ》主たる爾の神に拝跪し之にのみ事ふべし」と(申命記六章十三節)、悪魔に拝跪して善事を為し得べしとは背理の最も甚だしきものなり、イエスは如何なる場合に於けるも之を信じ給はざるなり。去らば天国は何を以て建設せん乎。
 十字架を以てなり、絶対的愛心と服従とを以てなり、終結まで耐え忍ぶことを以てなり、是れ永遠に築くの方法なり、是れ神たる者の王国建設法なり、我は至極まで此法に則らんと。
 悪魔の誘惑茲に悉く敗れたれば彼終に暫くイエスを離れたり、彼は他の境遇に於て復たび彼を試ることあらん、然れども天国建設発途の此時に方て彼は終に我主に勝つこと能はざりし、こゝに於てか天国は悪魔の最初の襲撃に耐え、茲に其基礎を堅固《かた》められたれば天使等は来りて餓えし我主に事へ、彼は聖霊の能力を以て彼の故郷なるガリラヤに帰り給へり。
       ――――――――――
 ナザレのイヱスよ、余は汝に此誘試と勝利ありしが故に汝に感謝す、余は之に由て汝の余の如く試られし者な(432)るを知る、汝は凡ての事に就て余の如く誘はれたり、故に汝は能く余の荏弱を躰恤り給ふなり、(希伯来書四章十五節)、汝自から悪魔と戦ひ給ひて能く其威力の強大なるを知り給ふ、我等幾回か彼の欺く所となり、方略を講じ、声望を求め、汝に事へんと欲して却て屡々彼に拝跪せり、願くは汝の智慧を我等に賜ひ、我等も汝に傚ふて能く神の声と悪魔のそれとを判別するを得、瞭かなる眼を以て汝の正道を践み(馬太伝六章二二節)、右にも左にも曲ることなく(約書亜記一章七節)、汝に依て総ての誘惑に勝ち、此所に汝の天国の建設を賛助け、彼所《かしこ》に汝の栄光に与からんことを、アーメン。 〔以上、明治35・4・20〕
 
     (七) イエスの弟子
 
 天国の建設は宣言せられ、イエスは凡ての誘試に勝て其王たるの資格を得給ひければ彼は茲に其市民の選択に着手せられぬ。
 人は何人も自から望んで天国の市民たる能はず、血肉は神の国を嗣ぐこと能はず、人の智も才も富も位も彼を神の子となすに足らず、たゞ神の簡び給ひし者のみ主を其栄光に於て見るを得べし、天国の建設は神の事業なり、人の之に千与するは啻に其労役者たるに止まる、其計画、其進行、其完成は総て神の聖旨に従ふ、神には神の意思在て存す、人は之を変更し又は伸縮する能はず、神の召し給ひし者のみが、其子と称せらるゝを得るなり、彼の召を蒙ることなくして、智慧ある者も、能《ちから》ある者も、貴き者も天国の市民たること能はず。
 イエスは天国の王なり、然れど、彼の此世に在るや、彼に見るべきの美はしき貌《かたち》あるなく、慕ふべきの艶色《みばえ》あるなし、彼は侮られ、人に棄てられ悲哀《かなしみ》の人にして病患《なやみ》を知れり、(以賽亜書五十三章)彼を王とし称するは彼の(433)特別の行為に依てなり、手に権柄を握るが故に王なるに非ず、身に錦繍を纏ふが故に王なるに非ず、万卒の彼の四辺を衛るが故に王なるに非ず、彼の王なるは彼が神の子たるに因るなり、即ち苦しめらるれども謙遜にして口を啓かず、屠場に引かるゝ羊羔《こひつじ》の如く、従ふを知て逆ふを知り給はざりしに因る。
 誰か此王に臣事する者ぞ、誰か一切《すべて》を棄て彼に従ふ者ぞ、弟子は師より優る能はず、荊棘《いばら》の冕を冠らしめられし王は其臣下に安寧福利を給する能はず、故に自から好んでイエスに来て其弟子たらんと欲する者あるなし、イエスは曰ひ給へり「我を遣しゝ父引かざれば人よく我に就《きた》るなし」と(約翰伝六章四四節)、人は聖霊に感ぜざればイエスを主と謂ふ能はず(哥林多前書十二章三節)、血肉は吾儕にイエスの活神《いけるかみ》の子たるを示す能はず、(馬太伝十六章十七節)、福利を求むる者、権威を欲する者、此世に於て大なり、又貴からんと欲する者はイエスの弟子たらんとは欲せざるなり。
 然れども神はイエスを独り此世に送り給はざりしなり、彼に王国を賜ひし神は彼に亦弟子を賜へり、イヱスは弟子を作り給はざりし、彼は既に神の召を蒙りし彼等に遭ひ給ひしのみ、摂理は時を期して彼をユダヤの地に遣はせり、而して摂理は彼の偉業を助けんために彼のために彼の弟子を遣はせり、遣はされし者が遣はされし者と相会して茲に師弟の関係は成れり、嗚呼、神聖なるかな、神に依て成りし師弟の関係、師が特別に招きしに非ず、弟子が特別に尋来しに非ず、神に導かれて師弟相合す、彼等は世の創始より師弟として定められしもの、死も生も天使も執政《つかさ》も今ある者も後あらん者も、高きも深きも我儕を我主イエスキリストに頼れる神の愛より、絶《はな》らすること能はず、(羅馬書八章三八、三九節)。
 始めてイエスを主として認め之に従ひし者をシモン ペテロの兄弟アンデレなりとす、彼れ素バプテスマのヨハ(434)ネの弟子なりしがイエスに関するヨハネの証言を聞き直に去てイエスに従へり、大胆なるかなアンデレ、木匠《たくみ》の子なりしナザレのイエスを始めて人類の救主と認めし汝の勇気は吾等の讃称して止む能はざる所なり、吾等今や十九世紀間に渉る歴史の証明を以てせらるゝもイエスのキリストなるを知るに苦む、然るに汝は始めて彼に接して直に彼の彼たるを識れり、歴史は多く汝に就て語らず、而かも汝は最始の基督信者として永く信仰の模範たらん、偉人に次ぐの偉人は偉人を偉人として認むる者なり、光明独り此世に臨みし時に汝は世に先じて独り始めて之を仰げり、聖アンデレの名は蓋し真勇の表号として永く天上の記録に輝かん。
 アンデレの次にイエスに就《きた》りし者を其兄弟ベテロとす、輿論を排して新来の師を迎へし勇気に至ては兄弟相譲らず、而かもアンデレが内に秘して沈勇なるに比してベテロは外に表はして稍や猛勇なりき、彼れペテロは信仰の発表者となり、地上に於ける教会の礎となれり、彼の信仰の外形的なりしに非ず、而かも彼の性たる内に包むこと能はざるものなりしが故に彼は自《おのづ》から対外的運動の率先者となれり、福ひなるはガリラヤ海の漁夫ヨナなりし、彼は其二子をイエスに献げて地上に於ける天国創設の栄誉を其家に収めたり。
 ヨナの二子に次でイエスに来りし者を彼と同郷の人なりしピリボとす、「イエスガリラヤに往かんとしてピリポに遭ひ、我に従へと曰へり、」と(約翰伝一章四三節)、此簡短なる記事に無量の意義存す、遭ふて従へりと、深く相互の真偽を探るの要あるなく、両聖一面して神の定め給ひし師弟なるを智覚せり、此師ありて此弟子ありしならんも、亦此弟子ありて此師ありしならん、此一面識にピリボの運命は定められ、彼亦一切を棄てイエスに従へり。
 ピリボ、ナタナエルに遭ひて曰けるは、「我儕モーセと予言者等が記しゝ所の者に遇へり、即ちヨセフの子ナ(435)ザレのイエスなり」と、ナタナエル之を信ぜざりしかばピリボは曰へり「来り観よ」と、来て其聖貌を仰ぎ視よと、其神の如き風采を拝せよと、而してイエス、ナタナエルの己が所に来るを見て、彼を指して曰ひ給ひけるは「視よ真のイスラエルの人にして、其心詭譎《いつはり》なき者ぞ」と、以て知る、彼れナタナエルは正直一方の猶太人なりしことを、彼に才略ありしに非ず、彼に博識ありしに非ず、彼に於て貴きは単に彼の欺かざる心にありき、天国は才学に非ずして謙徳なり、イエス、ナタナエルを其弟子として受け給ひて世界幾万の正直なる心の外、何の頼む所なき者に対する彼の同情と特愛とを表し給へり。
 ガリラヤ海の漁夫は既に二人の弟子をイエスに供せり、彼等に次いでイエスに従ひし者を同じく漁夫《すなとりびと》なるゼベタイの二子にしてボアネルゲ即ち雷の子と名けられしヤコブと其弟ヨハネなりとす、雷子の名称、彼等の雷性を示す、即ち発怒し易く、激憤し易く、敵を責むるに酷に、友に交はるに厚し、後日愛の福音の使徒として人に仰がれし者が其始めてイエスに来りしや雷子の称号を値せし者なりしを知て、福音の人の常性に及ぼす感化力の如何に深厚偉大なる乎を知るを得ん。
 余は税吏のマタイと疑惑のトマス、アルパイの子ヤコブとゼロデと云へるシモン、(ゼロデ之を訳せば熱血児にして猶太国当時の頑陋激烈なる愛国者なり)、ヤコブの兄弟ユダとイエスを売りしイスカリオテのユダ、以上をイエスの十二弟子と称せり、外に七十の弟子ありたり、又多くの婦人の彼に従へるありたり、マグダリヤのマリヤは娼婦なりしが如し、漁夫の子と税吏と娼婦、社会が称して以て廃物となす者を以て天国の基礎は定められたり。
 是れ基督教会なる者の濫觴なりき、其中に未だ一人の権者あるなく、一人の哲学者あるなく、一人の能弁家と(436)称すべき者あるなし、此弱羊の一群を以て不信の世界に当る、是れ神の事業に非ずして何ぞ、羅馬の国教を護るに四十七聯隊の精兵あり、之に地方の守兵を合せて現役四十七万と称す、若し皇帝に向て頭を低れざる者あれば之を罰するにリクトルの職あり 若しジウスの神を拝せざる者あれば之を懲らすに国法を以てす 権能と威厳とを以て保持せられし羅馬の世界帝国に対して茲に愛と信仰とを以てのみ結ばれし新王国の建てられしあり、而してヨナの子ペテロ会衆に代り、イエスはキリストなりとの信条を告白するや、イエスはペテロに告げて此信仰の上にこそ新王国は建つなれと宣言せられぬ(馬太伝十六章)。
       *     *     *     *
 ナザレのイエスよ、余をして亦茲に爾に就て深く学ぶ所あらしめよ、余をして爾に傚ふて自から進んで教会を作らんとせず、爾の聖国《みくに》の父の聖旨に順て時を定めて此世に顕はるべきものなるを知り、爾の予め簡び給ひし者に爾の福音を伝ふるを以て足れりとなし、之を隠すことなく、亦之を強ることなく、只謙遜に大胆に爾の聖語《みことば》を世に伝ふるを得さしめよ、斯くて世が爾の福音に耳を傾けざるも深く失望することなく、福音の進歩を福音に委ね、福音をして世の権勢に当らしめ、之を挫かしめ、之を葬らしめ、而して吾等はたゞ其伝播発揚の器具となり、其勝利を以て吾等の勝利となさんことを。
 殊に主よ、余をして特に権威あるもの、智慧ある者に爾の福音を伝へんと欲せざらしめよ、余をして世の所謂る勢力なるものゝ爾の勢力にあらざるを知らしめ、爾の愛子を寧ろ弱き者、貧しき者、愚かなる者の中に尋ねて、此等の間に地上に於ける天国の基礎の据えられんことを祈らしめよ。アーメン 〔以上、明治35・5・20〕
 
(437)     (八) イヱスの教訓
 
 イエスの教訓は倫理に非ず、然れども倫理を離れたるものに非ず、イエスは先づ神と人と人生の何たるかを明かにし、然る後に人の之に処するの道を示し給へり、故に彼の教訓は倫理学者のそれと異りて教義的《ドクトリナル》なり、即ち先づ人生の説明ありて然る後に人道の垂示ありたり、人道の主なる彼は道を前にして説を後にし給はざりし。
 イエス一生の事跡は之を彼の教訓と見做すを得べし、真理は彼の言葉にのみ存せずして彼自身に在りたり、我は真理なりと彼は宣べ給へり(約翰伝十四章六節)、彼の証生は大なる真理なり、彼の死と復活とは最大の真理なり、イエスに在ては教訓は事跡を離れて論ずべからず。
 然れども彼亦人類の大教師として多くの教訓を垂れ給へり、語るよりも行ふに敏かりし彼も亦口舌を其神聖なる用に供し給へり、彼の山上の垂訓なる者は聖マタイに依て記されしが如くに、一時に順を逐ふて宣べられし者なるや未だ審かならずと雖も、其善く彼の教訓の要略を伝へし者なるや敢て疑を容るべきに非ず、余輩は今より後数回謹んで其考察に従事せん。
  イエス許多の人を見て山に登り坐し給ひければ弟子等も其下に来れり、イヱス口を啓きて彼等に教へ曰ひけるは
   心の貧き者は福なり、天国は即ち其人の有なれば也
 イヱスの垂訓の場所と方法と内容とは能く馬太伝の此数句に於て現はる、場所は山上なり、或は海岸なり、ナザレの教会堂より逐はれ給ひてより以来、彼は彼の教を宜ふるための講壇なるものを有ち給はざりし、教会は(438)彼を逐へり、然れども天然は彼を受けたり、今や荘厳を極むる世界幾多の大会堂より宣べ伝へらるゝイヱスの教訓なるものは其始めはガリラヤ海の風に送られて聴者の耳に達せし者、或はテルハムの山に響きて罪奴の心に沈みし者なり、天真は最も善く天然に縁りて伝へらる、イヱスの教訓に清風の香味在て存す。
 方法は自由なり、イヱスの垂訓に組織立たる順序あるなし、彼は学者の如く熟思して真理を発見し給はざりし、彼は世の創始より之を彼自身に於て有ち給へり、熟せる果実が枝より落つるが如くに真理は彼の口より落ちたり、彼は真理其物なれば彼れ口を啓き給へば教訓は自由に彼より流れ出たり、而して真理とは実に如此きものならざるべからず、野の百合花の労めず紡がずして色を呈し香を放つが如くにイヱスは学ばず究めずして深き真理を世に供し給へり、雪山十二年の苦業の結果にあらず、ナザレ三十年の曇りなき成育の余韻なり、之に清風の香気あるが如く亦た山を走る羚羊の自由あり。
 而うして其内容は真理の実躰なる満身の確信なり、之に些少の疑義の存するあるなし、彼が学者の如くならず、権威を有する者の如く教へ給ひしは是がためなり、彼の教訓は彼自身なり、之を断て生血其中より流るとは彼の言の如きを指して云へる語なり、若し総ての誠実は天地と共に存すとならばイヱスの如き聡明なる誠実は天地は失すると雖も失する者に非ず、全身を以て信じ得ざる真理は真理にして真理に非ず、心の信ずる所を脳能く之を賛し、口能く之を唱へ、手能く之を伝へ、足能く之を運ぶものにあらざれば之を真理と称すべからず、イヱスの真理に鑑みよ、是に全性の賛同あり、感情のみに非ず、道理なり、道理のみにあらず、溢るゝ斗りの熱誠なり、之に接して電流の我が全身に伝はるを覚ゆ。
   心の貧しき者は福なり、天国は即ち其人の有なれば也。
(439) 是れ教訓にあらずして宣言なり、貧を勧めし言辞に非ず、亦之を命ぜし訓令にあらず、貧を讃美せし詩歌の一句の如き者なり、イエスは貧者は幸福なりと曰ひ給へり 而して彼は其幸福なる理由を述べ給へり。
 心の貧しき者とは心に貧しき者なり、即ち心より貧しき者なり、単に身に於てのみ貧しき者にあらず、貧を深く其心に感ずる者なり、世には身に貧して却て心に傲慢なる者あり、又身に富んで心に貧しき者あり、イヱスの茲に謂ひ給へる心よりの貧者は前者にも非ず亦後者にも非ずして、身に貧して又心にも貧する者なり、即ち貧困の極に達せし者なり、(路可伝六章二十節は「心の」の二字を欠けり)。
 而うしてイエスは斯かる貧者は不幸なる者に非ずして却て幸福なる者なりと曰ひ給へり、幸福なるは富者に非して却て貧者なりと宣べ給へり、彼は仏者に傚ひて貧困は人が前世に於て犯せる罪業の結果なりとは称へ給はず、彼は却て貧困を祝福し給へり、彼は貧は神が吾人に降し給へる多くの恩恵の中に在て首座を占むべき者なるが如くに唱へ給へり。
 貧困は幸福なり、何故に?、之を享けし者を天国の所有者となすべければなりと、即ち彼をして此世より離絶せしめ、其財を蠹《しみ》くひ銹《さび》くさり盗《ぬすびと》穿て窃まざる所に求めしむべけばなりと、イヱスの教訓は其発端より来世的なり、来世に関係せずして彼は彼の最も簡短なる教訓をも宣べ給はざりし。
 来世的なるは計算的にしてイヱスの教訓を下落せしむと云ふ者あり、然れども計算的なる来世観あり、計算的ならざる来世観あり、現世に於ける善業を奨励せんために無理に案出せし来世観は計算的なり、人生の事実有の儘を伝へ、在るべきものを在りと伝へ、人をして天然の法則に順て其身を処せしむるための来世観は計算的にあらず、イヱスは宗教家たるに先ちて博物学者たりし、彼は先づ天然を知て、然る後に天然の堅固なる土台の上(440)に彼の教理を築き給へり、彼は過敏なる慈悲心に駆られて彼の教理を案出するが如き常識に欠けたる者にては在り給はざりし、事実は最大の教訓なり、イヱスは近世の科学者の如くに事実に依らずしては何事をも人に教へ給はざりし。
 イヱスは未来を熟知し給へり、彼は吾人が明日あるを知るが如くに来世あるを知り給へり、故に吾人が明日の計をなすが如くに来世の計をなすべきことを吾人に教へ給へり、彼の教訓の他の教師のそれと異なる所は彼の卓越せる宇宙観に存す、彼は常識を無限の未来にまで伸張し給へり、而うして此伸張に依て常識は常識以上に達し、簡短明瞭なる教訓も天来の新思想となりて深く吾人の心裡に穿入するに至れり。
 「心の貧しき者は福なり」、彼は先天的に幸福なるにあらず、神より特別に福祉を受けし者なりと、希臘語の makarios に此受動的の意味存す、祝福されし者、特に神に恵まれし者、貧しき者は如此き者なりとイヱスは曰ひ給へり、富める者の神に恵まれしに非ず、神に特別に恵まれし者は富者に非ずして貧者なりと、彼は単に貧者を慰め給ひしにあらずして、之を称美し給へり、彼は貧者に向て能く其貧に耐えよと語り給ひしにあらずして貧に就て神に感謝せよと宣べ給へり、来世存在の一事を知て人生は斯くも転倒して吾人の眼に映ずるに至る、即ち其苦しきものは喜ばしきものとなり、其咒はれしと思ひし事は恵まれし事となる。
   哀む者は福なり、其人は安慰《なぐさめ》を得べければ也。
   柔和なる者は福なり、其人は地を嗣ぐことを得べければ也。
   饑渇く如く義を慕ふ者は福なり、其人は飽くことを得べければ也。
   心の清き者は福なり、其人は神を見ることを得べければ也。
(441)   和平《やはらぎ》を求る者は福なり、其人は神の子と称へらるべければ也。
   義しきことのために責めらるゝ者は福なり、天国は即ち其人の有なれば也。
   我がために人汝等を詬※[言+卒]《のゝし》りまた迫害《せ》め、詐はりて様々の悪しき言をいはん、其時は汝等福なり、喜び楽しめ、天に於て汝等の報賞多ければ也、そは汝等より前の予言者をも斯く迫害たりき。
 困難は総て此世に有て其報賞は総て天国にあり、現在に於て苦しむは未来に於て楽まんためなり、人に迫害らるゝは神に安慰られんための準備なり、苦しむ者よ、人に践み附けらるゝ者(柔和なる者の真義)よ、喜べ楽しめ天に於て汝等の報賞多ければなりと。
 斯くてイヱスは吾等の眼の前に天国の扉を開き、下界の苦痛に対して安慰の理由を示し、之に耐ゆるの動機を供し、目を挙げて天の栄光を望み瞻て地の患苦を忘れしむ、彼の教訓の如何に単純なるよ、彼に倫理を講ずるの要あるなし、彼にして天の屏を開けば足る、去れば万物は炳然たるを得て、吾等は涙の谷に在て人生を楽しみ得るに至る。
       ――――――――――
 ナザレのイヱスよ、我儕は多く知るが如くなれども実は何事をも知らざる者なり、我儕は倫理を知り、道義を解し、哲学に通ずるが如くなれども、人生の何物たる乎を知らざるが故に多くの智識を懐て陰密の暗夜に彷徨ふ者なり、我儕は空想を空天《そら》に高く画くを知ると雖も、信仰を地に堅く築くを知らず、我儕の該博なりと称する倫理学は我儕の人生観の狭隘なるがために我儕に何の用をも為さず、我儕は知て知らざるが如き者なり、願くは我儕の「聡明なる無識」を憫めよ、汝のみが未来を知り給ふ、汝に由てのみ人生は明瞭なるを得べし、我儕柔和の(442)美なるを知れり、然れども其美なる理由を解せざりし、我儕は和平の善を知れり、然れども其善なる理由を暁らざりし、天より降り給ひし汝が我儕の眼の前に天の扉を開き給ひしに由て我儕は我儕の学び来りし普通道徳の真義を解し得るに至れり、余は知る、汝は特別に新らしき道義を人に教へんために世に降り給はざりしを、汝は道義の註解者として我儕の間に臨み給へり、而して看よ汝に由て道義は新らしき者となりて、之に順ふは労苦に非ずして快楽なることゝなれり。
 願くは我儕汝に迫て新倫理を学ばんと欲することなく、唯汝に依て閉ぢたる我儕の眼を開かれ、来らんとする天の栄光を望み得て、喜んで道義の要求に応ずるを得、我儕の現今の地位に安んじ、笑顔を以て総ての困苦を迎へ、而して生命終へて後に汝の天国に迎へられんことを、アーメン。 〔以上、明治35・6・20〕
 
     (九) イエスの教訓其二
 
 美訓九箇条を以て世の不幸者を慰められし後、イヱスは更に語を継けて特に其弟子等を教へて曰く
  爾曹は地の塩なり、即ち国籍を天に置く者なれども、此地に在る間は其防腐剤の用をなすべき者なり、故に塩たる爾曹にして万一其鹹味を失ふことあらば地は何を以てか其芳味を維持するを得んや、又爾曹は誰に由て爾曹の能力《ちから》を回復するを得んや、塩若し其味を失はゞ後は用ゐる所なく、唯途上に棄てられて、通行の人に践まるゝのみならずや、其如く爾曹にして若し防腐の用をなゞるに至らば世に不用なる人物にして爾曹の如きはあらず爾曹は堕落信者として世の軽蔑藐視する所とならん。
  爾曹は又世の光なり、即ちたゞに地に香味を供し、其腐敗を防ぐべき者なるのみならず、亦世を照らし、之を(443)教へ之を神の救拯に導くべき者なり、山の上に建られたる城は隠れんと欲して隠るゝことを得ず 爾曹既に福音の証明者として世に立てらる、爾曹世の注意を惹かざらんと欲するも得ず、誰か燈を燃《とも》して斗《ます》の下に置く者あらんや、彼は必ず之を燭台の上に置て家に在る凡ての物を照さしむるにあらずや神が爾曹をたてゝ世の燈たらしめしも亦之がためなり、即ち爾曹をして独り退て孤節を守り、心に惟り神の恩恵を楽ましめんがためにあらずして爾曹をして大胆に民の前に立ち之を誡め、之を慰め、之を教へ之を導き、以て父の慈愛を普く世に示さしめんためなり、故に爾曹臆することなく人々の前に爾曹の光を輝かせよ、注意せよ、我れ爾曹に爾曹自身を確かせよと云はず、是れ傲慢なり、神の嘉し給ふ所にあらず、爾曹は爾曹の中に在る神の光をして輝かしむべきなり、此の如くにして爾曹謹んで自己の栄光を求めずして爾曹に栄光を賜ひし神をして爾曹を通して輝かしめんには、人々は爾曹の善行を見て爾曹を栄《あが》めずして天に在す爾曹の父を栄むるに至らん
と、(馬太伝第五章十三節より十六節まで)。
 是れ福音書の載する所の簡潔なるイヱスの言に少しく余輩の義解を加へたるものなり、基督教徒の此世に於ける地位と責任とを明かにして遺憾あるなし。 イヱス天国の福音を述べ給ふや、人、彼の真意を解する能はず、或人は彼は旧信仰の破壊者なりと云ひ、又或人は彼は新宗教の設立者なりと云へり、故に彼の下に集ひ来りし者の中に過激なる破壊者もありしならん、又|万事《すべてのこと》に於て新珍を趁ふ好奇者の類もありしならん、然かもイヱスは世に所謂革命者に非ず、又今日世に称せらるゝ社会改良者の如き者にあらず、彼が過去を貴び、歴史を重んじ、古人の事績を継がんと欲せし点に於ては彼(444)は純然たる保守主義の人なりし、又新天地の建設を唱へ旧習古例を排して世に真理の自由を注入せんとせられし点に於ては彼は殆んど急進主義の人なりし、然れども保守的なれ、進歩的なれ、イヱスは道徳と宗教とを離れ、たゞに社会の制度を革めんとする政治家、改革家の類にはあらざりしイヱス若し革命者ならば彼は宗教的革命者なり、彼若し革新者ならば彼は道徳的革新者なり、彼は彼の聴衆に誤解せられざらんことを欲す、故に彼は更に語を継げて彼の地位を明かにして曰ひ給はく
  我れ旧約の律法と予言者とを廃《すつ》る為に来れりと意ふ勿れ、我は此の如き破壊者にはあらず、我は之を廃るために来りし者に非ず、我の世に臨みしは之を成就せんためなり、我誠に爾曹に告げん、律法は神聖なり、是れ天地と存亡を共にすべきものなり、故に天地の在らん限り律法は存すべし、而して天地の廃たる時は律法が其最小最徴の条件に至るまで悉く遂行《なしとげ》られし時なり、我が旧来の律法を敬ひ且つ尊ぶこと此の如くなるを見て、以て我の旧教の破壊者にあらざるを知れ。
  律法の重きこと此の如し、是故に人もし其|訓誡《いましめ》の至《いと》微《ちいさ》き一を壊《やぶ》り、又その如く人に教へて彼をして亦之を壊らしめば彼は縦し天国に入るを得るとするも其至微き者と謂はれん、之に反して小なりと称して小事を輕ぜず、之を行ひ且つ之を人に教るものは天国に於て大なる者と謂はるべし、大善は之を為すに易くして小善は之を行ふに難し、大悪は之を避るに易くして小悪は之を慎むに難し、神の律法の完備せる、之を遵奉せんと欲するに方て其訓誡に軽重大小の別あるべからず、我は律法全部の遵奉を要求する者なり、我は人が其荏弱を訴へて律法或る一部の要求より免かれんと欲することを許さず、渠《か》の学者とパリサイの人を見よ、彼等は或は伝説に拘泥み、或は宗式に頼り、律法を極めて安易なる意義に解釈し、以て彼等の遵法上の欠を補はん(445)とす、然れども我爾曹に告げん、爾曹の義にして此等神学者並に神職輩の義に勝るにあらずんば爾曹は必ず天国に入ること能はず、
と、(馬太伝第五章十七節より十九節まで)。
 是を聞きしイエスの聴衆はイヱスの端厳精密なる遵法者なるに驚きしならん、彼等の或者は彼の理想の余りに高遠にして常人の到底追及し能はざるを見て彼を棄て去りしならん、然れども是れ却て彼の望みし所なり、彼は多くの弟子を得んことよりは人に誤解せられざらんことを求めたり、彼は学者に非ず、又祭司にあらず、彼は厳格なる道義の厳格なる実行者なり、彼を此資格に於て仰がざる者は彼の弟子と成ること能はず。
 斯くて皮相的の革新を彼より要求せし彼の聴衆の多数に一驚を喫せしめて後にイヱスは彼の解する律法なるものゝ時流のそれと如何に相乖離するかを示さんために、茲に彼等の前に摩西の十誡に対する彼の註解を試みられたり、十誡は二部に分たる、其前半部は神に対する人の本分を明かにしたるものにして、其後半部は人に対する其責任を教へたる者なり、而してイヱスが茲に人と神との関係に就て語り給はずして人と人との間に存する義務と責任とに就て説き給ひしは、人道の神道に勝つて平易にして解し易きが故なり、世に無神論者ありと雖も無人論者なるものあるなし、人は皆な悉く人道を口にす、故にイエスは茲に彼の人道の註釈を試みられたり。
  十誡第六条に日く汝殺すこと勿れと、而して学者は之に解釈を附して殺す者は審判《さばき》に干《あづ》からんと曰へり、是れ古人の言なりとて爾曹が屡々爾曹の教会堂に於て学者等の口より聞きし処なり、然れども我は爾曹に告げんと欲す、カインの如くに血を流して人を殺す者のみが審判に干るに非ず、凡て其兄弟を怒る者、是れ当に審判(地方裁判)に附《わた》さるべき者なり、そは殺人は忿怒の結果にして人を怒る者は既に其心に於て彼を殺した(446)る者なればなり、而して心に忿怒を醸すに止まらずして、之を語に発して其兄弟をラカ(愚者)よと称ぶに至りし者は宜しくシネドリオン(中央会議)の審判に附さるべきなり、而して彼れ若し尚ほ一歩を進めて其兄弟を狂妄《しれもの》よと称ぶに至らんには彼の犯罪は到底世の公判を以て鞫かるべきにあらず、彼の身は宜しくヱルサレム城外のヒノムの谷に投ぜられて其処に熄えざる火にて焼かるべきなり、忿怒其物が殺人罪なり、忿怒の軽重は殺人罪の軽重を以て論ぜらるべきものなり、我の見解に由れば殺すこと勿れてふ誡は其中に怒る勿れてふ誡をも含むなり。
  忿怒怨恨の斯くも大罪なるを知らば爾之を心に懐きて神に近かんと欲すべからず、彼は燔祭に勝りて慈悲を愛し給ふ者なれば、彼は忿怒の焔《ほむら》に心を焦す彼の崇拝者を接《う》け給はざるべし、故に爾若し礼物《そなへもの》を携へて神の祭壇に往きたる時、彼処《かしこ》にて爾の兄弟に恨まるゝことあるを憶ひ起さば、その礼物を壇の前に留め置き、先づ往きて爾の兄弟と和《やはら》ぎ、然る後来りて爾の礼物を献げよ、兄弟と和ぐとは必しも理を非に枉げて彼の免《ゆるし》を乞ふことに非ず、先づ心に於て彼を宥し、罪の謝すべきあれば之を彼に謝し、彼に関して何の悪意をも挟《さしはさ》まざるに至て爾は彼と真正に和ぎたりと曰ふを得るなり。
  爾を訟ふる者ある時は彼と未だ出訴の途上にある間に速かに彼と和げよ、蓋訴訟爾の敗に帰する時は爾の敵は爾を審官《しらべやく》に附し、審官また爾を下吏《したやく》に附し、終に爾は獄舎に入れられて爾が有する分釐の貨幣までも償はざれば其所を出ること能はざるべければなり、その如く忿怒終に爾の心の中に於て解けずして、爾に宥恕の美質全く絶ゆるに至らん時には、神も亦爾の罪を赦さゞるに至て、爾は終に天の裁判に於て永久の刑罰を受くるに至らん、怖るべきは実に殺人の罪にして亦忿怒の罪にぞある(447)
と、(馬太伝第五章廿一節より廿六節まで)。
 以上は殺す勿れてふ簡短なる解に対するイヱスの深遠なる註解なりき、彼は人を鞫くに其表面に現はれたる行為を以てせずして、行為の動機たる意志を以てし給へり、是ぞ之れ律法の精神的解釈とも称えらるべきものにして、両刃《もろは》の剣《つるぎ》よりも鋭きイヱスの言辞《ことば》を以てしては人として聖なる神の前に立て殺人の兇悪を犯さゞる者は一人もなきに至れり、嗚呼神よ我等は爾の言を聴きて戦慄《おのゝ》く(以賽亜書第六十六章五節)。
 世に若し殺人の刑を値せざる者一人もなしとせば姦淫の罰に当らざる者ありや、イヱスは語を継げて宜べ給はく
  十誡第七条に曰く姦淫すること勿れと、是れ又古人に伝へられし言として爾曹が聞きし所なり、然れど我爾曹に告げん、凡そ色情を懐きて婦人を見る者は中心既に姦淫したる也、此場合に於て爾が現行に出でざりしは爾が世の制裁を怖れたればなり、爾にして既に心に劣情を懐きし以上は他に爾を防ぐる者なからんには爾は必ず爾の卑慾を充たせしならむ、不正の淫慾は総て姦淫なり、我の十誡第七条を解する此の如し。若し爾の右の眼爾を罪に陥さば抉出《ぬきいだ》して之を棄てよ、蓋百体の一を失ふは全身を地獄に投入れらるゝには勝されり、又若し爾の右の手爾を罪に陥さば之を断て棄てよ、蓋は百体の一を失ふは全身を地獄に投ぜらるゝよりは勝されり、爾が如何に鍾愛する者なりと雖も爾を危殆に誘ふ者あらば爾は断て之を棄てざるべからず、右の眼然り、右の手然り、況して爾の霊魂を滅す者に於てをや、爾|分封《わけもち》の君ヘロデを見ずや、彼は其兄弟ピリポの妻ヘロデヤの愛に溺れて其身と霊とを滅しつゝあるにあらずや、爾不正の愛を慎めよ、爾の右の眼を抉出すの決心を以て爾の邪慾を爾の心の衷に圧し、併せて爾を誘ふ者を遠く爾の身辺より斥けよ
(448)と(馬太伝第五章廿七節より三十節まで)。
 是を開きし聴衆は甚く羞恥の感に打たれしならん、彼等は眼を挙げて彼等の前に立ちし聖き説教師の顔貌を仰ぎ見ること能はざりしならん、「我儕は奸淫に由りて生れず」とは彼等ユダ人が常に異邦人に向て誇りし所、然るに其貪恋の罪を面責せられて、彼等は答ふるに言辞なかりしならん、姦淫の事を語られし序にイエスは離婚問題に論及し給へり。
  又曰へることあり、凡そ人その妻を出さんとせば之に離縁状を与ふべしと、然れども我爾曹に告げん、姦淫の故ならで其妻を出す者は之に姦淫なさしむる也、又出されたる婦を娶る者も姦淫を行ふなり
と(馬太伝第五章三十一節より三十二節まで)。
 イエスが茲に此言を発せられしや、彼の意中に存せしものは其当時の大問題なりしガリラヤの領主分封の君ヘロデの其妻に対する措置なりしや敢て疑を容るべからず、彼ヘロデは其正当の妻たるエドム王アレタスの女を故なくして離別し其兄弟ピリボの妻ヘロデヤを娶て妻とせり、彼は斯くして二重の姦淫罪を犯したり 彼は故なくして其正当の妻を逐へり、彼は亦他人の(然かも其兄弟の)妻を迎へて彼の妻とせり、然るに学者とパリサイの人とは王の威力を懼れ、習俗の離縁状一通を以て夫妻の縁を断つを楯に取りて、王の行為を弁護せんとせり、然れどもイヱスの公平なる眼を以て見れば国王たりと雖も其犯せし罪は罪にして赦すべからず、凡ての故なき離婚は姦淫なり、自己の意に適はざればとて妻を逐ふ者、三年にして子なしとの故を以て彼女を去る者、病に罹りたればとて彼女を棄つる者、或は政略上又は理財上の理由よりして其妻を出す者は皆な姦淫罪を犯す者なり、離婚を正しとするに唯一の理由在て存す、「姦淫(porneia《ポルネイア》)の故」是なりと。
(449) イエスは斯くて十誡二個条の新註解を彼の聴衆に供し給へり、彼は既に彼の註解の方法と精神とを明示し給へり、故に彼は更に進んで十誡全部の義釈を彼等の前に述るを要せず、我儕は一斑を以て全斑を窺ふを得べし、我儕はイヱスの此註解法を以て旧約全部を解釈すべきなり。
       ――――――――――
 ナザレのイエスよ、我儕爾の教誡に接して我儕の心の暗黒に耻て爾の前に堪ゆる能はざるなり、我儕は人を殺す者なり、我儕は姦淫を行ふ者なり、我儕が無罪なりと云ふはたゞ此世の不完全なる律法に照してのみ、我儕怒りしこと幾回ぞ、我儕兄弟を恨みしこと屡々なり、我儕は友を愚者と呼び、狂妄《しれもの》と罵て却て快を取りしことあり、我儕は亦邪念を以て婦人を見たり、淫話は我儕の唇を汚したり、アヽ聖き救主よ、我儕を審判《さば》くに過厳なる勿れ、我儕は罪の子供なり、爾の慈悲のために我儕を赦せよ、爾の血を以て我儕を潔めよ、我儕若し我儕の眼を抉き出して我儕の罪を拭ひ得ば我儕は断じて之を為さん、然れども罪は我儕の眼に在らず、手に在らずして、我儕の生来《うまれつき》の性にあり、我儕は我儕の心の汚穢よりして我儕の百体を以て爾の聖き律法を犯すなり、こゝに於てか我儕は爾の贖罪《あがなひ》を要する益々切なり、我儕は爾に頼りて我儕の全性を潔められんと欲す、我儕は怒らざらんに達せんと欲す、我儕は淫せざらんに至らんことを欲す、而して我儕は信じて疑はず、爾は我儕の身に於て此奇績を行ひ得るを、アヽ我儕は最早爾の前に弁解の辞を述べて我儕自身を義とせんとはせざるべし、我儕は罪人として、人を殺せし者として、姦淫を犯せしものとして只管に爾の赦免を願ふなり、然り、我儕はカインなり、ヘロデなり、我儕は他人の悪を述べて自己の義をば飾らざるべし、爾我儕の罪の懺悔を受けよ。
 而かして斯く爾に潔められて我儕も地の塩、世の光となるを得て、此世に在ては防腐放光の用を為し、来らん(450)とする爾の聖国《みくに》に入るを得て後は爾の聖名を永久に栄讃する者とならんことを、アーメン。 〔以上、明治35・7・20〕
 
(451)     少数義人の勢力
                      明治34年11月20日
                      『聖書之研究』15号「講演」                          署名 内村鑑三 述
 
 キリスト山上の垂訓は諸君の常に聴かるゝ所であるが、予は今日此中の十三節以下数行を読んで而してキリストの真意の存する所を咀嚼発露したい考である、一躰此章句は信徒は更なり世人一般が膾炙して居る丈に深く味はれて居るかと云ふに決してそうではないと思ふ、大抵の人は一瀉干里文字通りに誦し去て至深至妙の教訓が此裏に籠つて居ることを悟得して居ない様である。
 予は昨日人世に就いての一般の誤解に就て話した、即ち人生五十年は決してハツピネス(幸福)の生涯ではない、苦痛悲惨が其当然の道筋であるとの判断を下した、然れど衆人の耳目を眩ます迷雲は一朝一夕に消失し去るものではない、故に彼等は些々たる不幸にあへば憂悶苦悩措く所を知らず愈々益々災害を加ふるに至るのである。
 社会改良なるものに就ても今の人は大変誤解して居る様である、現にクリスチヤンの多数が矢張り同じ誤謬に陥つて居る、それは何かといふに彼等は社会の多数を基督信者や正義の士になさねば社会の改良策は到底行はれぬと諦めて居ることである、更に言を換へていへば百人中少くとも六十人を聖人君子にせねば真理は到底実現さるゝものでないと考へて居ることである、何時になれば善人が多数を占むるに至るか、何時になれば悪人が減却するか、冠履顛倒かくも澆季の世となりてはいくら這を唱へ義を叫ぶも何かせんとは今の俗人否な先見者といは(452)るゝ人迄が言ふ所の口癖である、然し如此き歎息は果して吾曹が同感すべき言葉であるか、動かす可らざる事実であるか、一人の善行は所詮三人の悪業に敵す可らざるか、信者、有徳の士其数を加へざれば社会の改良は出来難きものであるか、既に二千年以前に於て其質問に応へられたる教主イエス、キリストの答弁は実に予輩の忘る可らざる至重至要の大訓戒である。
 諸君にして如上の疑問に会せんか、願くは之に対するキリストの教訓を読め、其大教訓こそ実に馬太伝第五章十三節以下の数行である、「爾曹は地の塩なり、爾曹は世の光なり、」光と塩、塩と光、執れも甚だ大切なる者である、光なくんば此世は千歳の常闇である、塩なくんば万物の腐蝕をとゞめることは出来ぬ、乍併一切のものを塩となし、一切のものを光とせよとはキリスト自身の訓戒ではなかつた、腐敗をとめる塩の量と腐敗物其物の目方とは常に平均したものではない、一個の洋燈は赫灼として優に十畳を照すことができるではないか。
 社会の事亦然り、社会の暗黒を照すも亦然り、社会を改良するに凡ての人が世を照す光となるには及ばぬ、百人中六十人が働かないでもよい、百人中廿人の働き手があればそれで充分である、百人中一人のルーテルかグラツドストーンがあればそれで充分である、善くキリストの教訓を味つて見よ、爾曹は地の塩なり、爾等よく其本務を竭し信仰有の儘を為せばそれで世の腐敗はとまる、爾曹は世の光なり、社会の闇黒は少数の爾曹が照してやればよい、決して多数の頭数を集むるには及ばぬとの意味が隠然顕然、此衷に含まつてあるではないか。
 然るに世には足を空にして我と同派の人を駆立て、切りに教会員の頭を殖さうとあせつて居る人達がある、是等の人は全く聖書読みの聖書知らずである、吾々五十人否な時としては僅か十人の力で千万人の腐敗を防ぐことが出来ると云はゞ彼等は舌を捲いて其大胆に駭くであらうが併しこれ決して驚くべき事実ではない。
(453) 亜米利加はクリステンドム(基督教国)であるが、これは必しも多数の人がクリスチヤンだと云ふ意味ではない、其実教会の塩となり、光となつて居るものは僅か其中の八人か五人、下つては一二人位のものである、されど夫れ等の人は常に教会の全躰を指導し、而して其小なる教会が常に厖大の社会を庄へ付けて居る、又亜米利加には合衆党《デモクラツト》と共和党《レパブリカン》といふ二大政党があるが、悲しいことにはどちらも利益一方に支配せられて居る、されど其間には極少数の正士より成れる独立党なるものがあつて、これは仲々買収などされる醜漢の集合躰ではない、常に前二党の仲裁者《ミヂエーター》となり、天秤となり塩梅よく軽重を定め勝敗を左右して居る。
 かく言へば諸君は或は答へていふかも知れぬ、亜米利加の如き国では少数の義人が巧に勝を刺することもあらう、が腐敗の極に達したる今日の日本は亜米利加とは全く別物である、現に我日本に於て正義の議論は風に舞へる蝴蝶の如く果敢なき有様ではないかと、乍併これ未だ一を知て二を知らざる議論といはなければならぬ、正義は神の最愛し給ふものである、今日本に於て正義の力の振はざるはこれ即正義其者の微々たるが為に非ずして全く正義を唱ふる人の元気奮発が足らぬからである、吾々が今少し大胆に正義を唱へ、天上の福音を説いたならば神は喜んで我々に最後の勝利を与へ給ふに相違ない、神は喜んで此美はしき日本国を浄め給ふに相違ない、ミルトンの筆勢は確に此国に在つた、クロンウエルの刃光は確に此国に閃いた、若し正義なるものが我日本に行はれぬものならば欧米にも行はるゝ筈はない、一人が正義を唱へて全社会の根蔕がそれに由て揺動いたと云ふことは決して亜米利加や欧羅巴にのみ限つたことではない、近い例を以ていへば一人の青年が断然盃を手にせなかつた為に宴席の凡てが遠慮して献酬を廃めたことがある、思ひ切て「飲みません」との一言を放てば後は必ず大能の御救助《おたすけ》が在る、此事について予はなほ一つの実歴談を語りたい、或地方に極悪い風習があつた、それは会場で(454)人の演説を聴き乍ら悠々と烟草を吹かして居ることであつた、此悪風は今尚東京にも全く消滅したとは考へられぬ、小使が会席にズツト烟草盆を列べて置く、演説が始まると煙草ずきの会員は皆煙を吐き灰吹を扣いて、怠惰散漫如何にも暢気な有様である、予は疾うから之を矯正し度いと考へて居た、処が一朝機会あり其地方に某政客と出演することになつた、行いて見ると相も異らず会場には白い烟が臭い匂ひを放て口と鼻とより揚つて居た、そこで予は予が演説の劈頭一番に憚る所なく聴衆の喫煙を断つた、一同は思はず其顔色をかへたのであつたが、仕方なく多数の人はやめて了つた、然し中には頑固な者があつて尚ほ手より烟管を放さないものもあつた、するとヤメロ々々々の声は忽ち彼等を葬つて了つた、予は当時洵によい仕事をしたと喜んだ、然るに予は昨年、其会場に出席した一人に邂逅つたのである、処が其人の話の中に先生のあの時の一言が大変な薬剤《くすり》となつて今、吾々が勢力を占めて居る界隈に於ては演説会に於ては一切喫煙を全廃《やめ》て了つたとの言葉が有つた、諸君よ勇気ある一言は実に如此《こんな》ものである、勇気ある一言、これが先輩の口より発しようが、貧措大の口より発しようがそれに決して頓着する所は無い、唯侃々諤々其言ふべき所を言つて実際にそれを行つてさへゆけば神は必ず永遠之を援け給ふに決定て居る、若し教師中の一人が善良であるならば其学校全躰の風儀は自然とよい方に革つてくる、吾等は時に蹉跌することがあつても決して味方の少数なるを歎息してはならぬ、正義の団躰は十人でも宜しい、五人でも宜しい、三人でも宜しい、否な一人でもよろしい、吾々が自己を頼むことなく唯神の大命に従て其天職を尽しさへすれば悪魔は追はずとも逃げ去くのである、吾曹は時として案外に風儀の治まつた田舎を観ることがある、就いて其所以を質せば郡長や村長さんの御蔭ではなく、全く一人の青年か或は一人の婦人が正義を行つて居るのに由来してをることが多い、近江聖人一人の道徳は其郷全鉢を風靡した、虚言を云ふなとのカーライルの一(455)言は英の二千七百万人を感化した、それを解せずして徒に世間多数の賛成同情を俟たんとするはこれ洵に痴人の夢と一般であらう。
 吾々が斯く論ずれば或人々は冷笑する、而してこれ絶望の声なりと評して居る、果して左様であるか、カルビンの如きも世に救はれるものは少数の士であるといふたではないか、亜米利加の如きも教会の名簿にのれる信者の数は僅に人口の二割にしか及んで居ないのみならず真正の信者といふは尚其中の二割にも足らぬといふ状況である、矧んや我今日の日本に於て真のキリスト信者が多数を占むるに至るは何時の事であらうか、又かゝる希望は将来に於て成遂げらるべき事実であるか、甚だ疑はしい問題である。
 更に予輩をして謂はしむれば善人大多数を占むる世界は試錬の世の中ではない、聖人君子が大多数であれば、それは決して吾人の心身を鍛錬する処にはならない、そんな結構な処は即未来の王国、神の玉座に限つたことであつて此世に在て吾人の望むべきものではない、現世とは義しき人や清き人の詬※[言+卒]《のゝし》られ、蹂みつけらるゝ修羅場である、現世とは収賄者や好色漢の跋扈を極むる遊戯場である 乍併これが現世の面白いところである、これだからこそ吾々に奮戦勇闘の気慨が生じて来るのである、嗚呼「同士の集合」、予輩は已に幾度か此語に厭き果てたりと云はざるを得ない、多数を頼むといふは決して基督信者其人の本領ではない、吾等ボーロに傚はんか、ルーテルに傚はんか、ポーロ、ルーテルの声は確に羅馬独逸全国民のそれよりも偉大《えら》かつたではないか。
 諸君の志若し神の業を助くるに在らば願くは此講談会に会する五十人を一団として奮闘し給へ、正義一団の勢力は確に社会の腐敗を根底より排除するに足りるのである、諸君は自分一個の平和を求めんが為に此会に臨まれたのではあるまい、即クリスチヤンとしての大責任を尽さんが為に来られたのであらう、予輩は確に信ずる諸君(456)は人の為神の為に其身を捧げん準備にとて態々来られたのであると、果して然らんか予は恭しく諸君にキリスト山上の垂訓を呈する、山上の垂訓――これを活かすか殺すかは、これ一々諸君の肩上にかゝつて居るではないか。
 
(457)     今秋の運動
                      明治34年11月20日
                      『聖書之研究』15号「雑録」                          署名 内村生
 
 滅多に公衆の前では口を啓くまいと幾度となく決心した余も今年の秋は義理と人情とに引かされて大分諸方に伝道演説をさせられました、夏期講談会に於て十日間一日二回又三回の講話を為した後に、千葉県に入りしこと二度、信州に滞留せしこと十日、終には北海道まで引出されまして、安き編輯の椅子に腰を落付けたのは漸く此一週間であります、勿論到る処に友人に歓迎される事でありますから何にも苦しい事ではありませんが、然し余り好まない演説を到る処にさせられる事でありますから、外出を終へて家に帰つて来ました時には実にホツト一息付くので御座います。
 下総の佐原に千葉に、信濃の上田に、東穂高に、松本に、小諸に、石狩の札幌に、陸中の盛岡に、到る所に神の福音に就て語る事の出来たのは実に栄誉の事であります、昔しは基督教の伝道と申しますれば石にて撃たれ、獄屋に繋がれ、総ての侮辱を受ける事でありましたが、今は然らずして、私共到る所に款待優遇され、殊に私に於きましては先方より旅費まで支弁され、御馳走され、時には別に謝礼までも受くる事がありますので、このやうな基督教の伝道は開闢以来未だ曾て有つた事のない事であると思ひます、教会に属するのでもなく、伝道会社に送られるのでもなく、先方より特別に招かれて主の福音を宣べ伝ふることの出来るのは是は此国に於て私が(458)神より給ふた特別の恩恵であると思ひまして、私は此事を考へて実に感謝の念に堪えません、疲労位ひの事は当然であります、私は深く神に謝するのみならず私に斯くも伝道の機会を与へて呉れられました地方の諸友人に深く感謝致さねばなりません。
 佐原 千葉に於ける運動の実況は之を万朝報に掲げましたから茲には述べません、又信州東穂高に於ける講談会の模様は「無教会」第九号に於ける井口兄の記事に委しく書いてあります、松本に於ける諸友人歓迎の有様は之を別項旧知相原英賢君の筆に於て読んで下さい、私は今茲には特別に北海道札幌に於ける運動に就て語らふと欲ひます。
 札幌は私の第二の故郷であります、其山も河も皆な私の古き友人であります、私は其処に始めて基督教を信じた者であります、私が創立の栄誉に与かつた日本最始の独立教会も其処にあります、私の学友の多くは今にまだ其地に居ります、札幌と聞けば私の心の臓は躍り立ちます。
 此処に十年振りで行たことであります故私は丁度嫁が里帰りをした時のやうに思ひ、又私の友人は母が其娘を迎へるやうに私を迎へて呉れました、内地に在ては私は多くの敵を有ち、私の出席する教会とてはなく、教友と称する人の中にも頓でもない悪い人が有りまして、彼等に少しも気を許せませんが、然し札幌に行けば自分の作た教会もあり、二十五年来の友人もありますれば遠慮心配とては更になく、思ふ存分に所信を語つても言葉尻を捉まへて私を攻撃するやうな者は教友の中に一人もありません、夫れ故彼地に行きましてより天地が一時に広くなつたやうに感ぜられまして其愉快は実に筆にも紙にも尽されない程でありました。
 札幌に着て直に旧友宮部金吾氏の家に迎へられました、氏は外国語学校以来の友人でありまして明治の十年に(459)共に札幌に赴き、同校同級同室の交りを為した人であります、私は彼と同時にキリスト教を信じました、さうして彼は始めより植物学に志されまして今は日本屈指の植物学者であります、私は今此人に就て多くを語りません、語りますと彼は怒ります、彼は彼の友人として雑誌記者を有つた事を頻りにコボして居りました、然し一事彼は私が彼に就て言ふことを許して呉れませうと思ひます、即ち彼は彼の該博なる科学的智識の故を以て彼が私と共に二十三年前に信じた基督教を捨てません、彼は尚ほ今日基督の聖名に依て父なる神に祈祷を捧げて居ります、彼と彼の令閨とは札幌独立教会の忠実なる会員であります、宗教は彼の頭脳を占むる最大問題であります、世に科学と宗教とは同伴する能はずなど云ふ人がありますが、さう云ふ人は彼に就て学ぶべきであります、彼は実に有力なる基督の証人《ウイツトネス》であります。
 爾うして私共の立てた独立教会は? 私は此教会に招かれて今度北上したのであります、其伝道事業を助けんために私は多くの障害を排して今度彼地に行つたのであります、私は実は此教会に就て多く心配致しました、多くの宣教師と宣教師的基督信徒とは私に度々告げて申しました、「札幌独立教会は到底駄目である、一日も早く之を解散するに若かず」と、私も時にはそれは止むを得ないことではないかと思ひました、然し仮令札幌独立教会は駄目であるとも其一員たりし私は何処までも孤独で其主義を貫かんと決心しました、私は幾回か札幌独立教会を見捨ました、然し是は私に取ては非常にツライ事でありました、日本に於ける唯一の独立教会が消ゆると云ふ事であります、若しさうなれば宣教師と其信徒との勢力は一層増すのでありまして、私共独立を唱ふる者共はそれ見よがしに彼等に評せらるゝのであります。
 然し頌むべきかな、自由独立の神、札幌独立教会は大丈夫であります、札幌独立教会は潰れません、札幌独立(460)教会は解散致しません、二十三年前に植え附けられし独立の樹は少しも衰へずして今に尚ほ健全で居ります、勿論斯う云ふ孤独の教会でありますから牧師もなく伝道師もなく其点に於ては常に困つて居ります、然し教会は牧師伝道師に依て成立つ者ではありません、誠実なる信仰のある所には真正の教会があるのであります、今は聖餐洗礼の式までも中止した此教会に基督の心があります、故に札幌独立教会は潰れません、此教会の会員は皆な名々教師であります、彼等は日曜日毎に講壇に立て代はる/\説教して居ります、彼等は亦責任を重んずる人達でありまして彼等を牧する牧師を有ちませんでも彼等は出金の義務を怠りません、故に彼地滞在の或米国宣教師は此教会を評して Rich,Coldchurch の(富める冷たき教会)と云ふたさうです、何故に冷たき乎は知りませんけれども、その宣教師的教会に比べて富んで居る事丈けは確かであります、そは依頼を知らざる此教会の会員は亦金を出すことも割合に多いからであります。
 斯くて私は此日本最始の独立教会の講壇に上りまして七日七夜何の遠慮する所なく思ふ存分に私の所信を述べる事が出来ました、他の所へ行きましては基督教を述べる事は出来ましても独立を述べる事は出来ません、然し私に取りましては独立は私の信仰の半分であります、私に取りましては私の基督教を信じて呉れましても私の独立を信じて呉れないものは私の言葉を半分しか聴いて呉れない者であります、さうして斯う云ふ人は此国に沢山あります、私より基督教を聴いて宣教師的教会の会員に成つた者は今日まで沢山あります、私は勿論此事を聞いて喜びます、然し私のためのみならず、日本国のために、基督教のために最も書き事は基督教を信じてさうして独立の日本的教会を立てることであります、然し斯う云ふ人は滅多にありません。
 今秋札幌に於て私が為しました講演は之を一冊として世に公にする積りでありますから茲には別に之を載せま(461)せん、私は只私に取ては札幌に於ける今度の一週日は終生忘るべからざる自由と快楽とであつたこと丈けを茲に言ひ残して置かねばなりません。
 何しろ札幌の地に独立の種は植え附けられました、是は実に貴い種でありまして私共は今より後に日本全国に之を移植致さねばなりません、天の神は私共の祈祷を聴かれまして、私共二十有余年の労働の結果として少くとも一つの純粋なる独立教会を日本の地に見ることを得さしめ給ひました、二十三年に一教会とは甚だ遅い進歩のやうでありますが、然し之れを培養するの如何に難い乎を知る時は其決して小なる事業でない事が分ります。
 斯くて最も喜ばしき一週日の運動を終へまして、有り余る程の好意と※[疑の旁が欠]待とを受けました後に私は多くの兄弟姉妹に送られまして、彼地を背にして東京に帰つて来ました、途中青森にて本誌の愛読者吉崎俊雄君の喜ばしき訪問を受け、盛岡に下車して半日の談話を為し、東北の山野に目を悦ばしながら心は神の恩恵に充たれまして勇気凛々として角筈村に凱旋致ました。
 「喜びの音信を山の上に運ぶ者の足は福なるかな」、三ケ月の連戦に身躰は大分疲れましたが心に残る美はしき記憶は私に亦出陣を促します、願くは神の恩恵全国の同志の上にあらんことを アーメン。(十一月六日夜誌す)
 
(462)     社会改良の最良策
                         明治34年11月23日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
〇社会改良とよ、社会とは抑々誰が造りしものなるぞ、人類が始めて地上に置かれし時に社会なるものは在らざしなり、其時にホームありたり、友誼的団合ありたり、然れども今日世人の称する情もなき愛もなき社会てふ一つの死的機関は存せざりし也
〇社会一改良とよ、然らば社会を無きものとせよ、社会てふ名と実とを排除せよ、之に代ふるに大小のホームを以てせよ、今日の所謂社会なるものは殺すべきものにして改良すべきものにあらず、社会其物が罪悪の結果たりしなり、社会なる者の無きに至て世は黄金時代に入るなり
〇上《かみ》に貴族あり、下に平民あり、富者あり、貧民あり、陸軍あり、海軍あり、警察あり、裁判所ありて今日の所謂社会なる者は存立するなり、然れども是れ孰れも天然が命じて世に現はれし者にあらず、人に傲慢ありて貴族なるもの現はれ、彼の慾心長けて富者なるもの世に出たり、貴族と富者となからんか、陸海軍はなかりしならん、そは平民と労働者とは戦争を好む者にあらざればなり、貴族と富者となからんか、世に警察、裁判所の要はなからむ、そは世に懶族と寄生物となきに至て貧てふものは全く跡を絶ち随て犯罪てふものは世に無きものとなるべければなり
(463)〇社会改良とよ、先づ自己を改良せよ、自己をして社会の必要を感ぜざる者たらしめよ、目に王侯なく、心に慾心の蟠るなく、天然と労働とを愛し、家庭に楽園の喜楽を得て社会なるものは我に於ては全く要なきものたるに至らん、而《しかう》して億兆我に傚ふて此歓喜と満足とを懐くに至て世は始めて理想の世とは化するなり。
 
(464)     二種の日本
                         明治34年11月26曰
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
〇亡ぶべき日本あり、亡ぶべからざる日本あり、貴族、政治家、軍隊の代表する日本、是れ早晩必ず亡ぶべき日本にして、余輩が常に予言して止まざる日本国の滅亡とは此種の日本を指して云ふなり
〇然れども之と同時に亦亡ぶべからざる日本あり、即ち芙蓉千古の雪と共に不変不動の日本あり、是れ勤勉|正直《せいちよく》なる平民の日本なり、天壌と共に無窮なる日本とは此日本を指して云ふなり、是れ蜻※[虫+廷]洲《せいていしう》が太平洋の底となるまでは決して滅びざる日本なり
〇余輩が忠実ならんと欲するは此不朽不滅の日本に対してなり、彼の暫時的にして、蜉蝣的なる貴族、政治家、相場師の日本に対しては余輩にたゞ憤怒あるのみ、憎悪あるのみ。
 
(465)     悪に抗する勿れ
                         明治34年11月28日
                         『万朝報』
                         署名 内村生
 
〇悪に抗する勿れ、古河市兵衛氏をして彼の荒廃的事業を益す拡張せしめよ、彼をして渡良瀬沿岸のみならず、関八州はさて置き日本全国までを悉く害毒せしめよ、彼が無辜の民三十万よりその食と住とを奪ひし功労に由り、彼の為めに政府に請願して、彼の正五位を進めて正一位たらしめ、彼に賜はるに菊花大綬章を以てせしめ、彼の妾をして七人に止めずして七十人たらしめ、彼をして更に広く日本貴族と結姻せしめ、而して彼が死せし後には彼が為めに古河大明神を起して之を官幣大社に列せしめよ、是れ実に彼の欲する所、亦彼の保護者《はうごしや》なる明治政府の願ふ所、而して我等日本国の蒼生も亦此恩典の彼の上に加へられんと欲する者なり、既にこゝまで腐敗堕落し来りし日本の社会は古河市兵衛氏を神として祭るに至らずんば満足せざるべし。
〇民を屠れよ、益す多くの雑税を彼等の上に課せよ、砂糖税の上に塩税を課せよ、米税を課せよ、水税を課せよ、下足税帽子税亦可なり、汝等何の躇躇する所あるぞ、何故に一日も早く蒼生四千五百万を殺し尽さざる、若し日本国に貴族と貴族的商人とのみ残るに至らば彼等は嘸かし満足するならん。
 
(466)     憂慮
                           明治34年11月29日                              『万朝報』
                           署名 内村生
 
〇耶蘇教でも、仏教でも、儒教でも何でゞも好い、此社会の病根を除いて貰ひたい、冗談ではない、此儘で行けば国家は終には亡びて了ふ、真正に日本国を愛する人で此事の看えない人はなからうと思ふ。
〇智慧と学問のある人は年々殖ゑて行が、信仰ある、信用の出来る人は年々減つて行く、今や才子才筆は捨てる程あるが、固い人は甚だ得難い、正直人士の饑饉とは実に日本の現今を云ふのである。
〇人の真面目でないのには実に驚く、熱血を注いで演説しても演説の技倆を評する者のみ多くして其旨意を実行しやうと欲ふ者は一人も見当らない、今日の日本に於ては演説は演劇と同じである、志士と壮士とは、同一視されて、志士が演壇に現はるゝのも壮士が舞台に昇るのも日本の公衆に取ては同じ事である。
〇社会改良の声は到る処に揚るが改良の成つた例は何処にもない、人は各々其隣人の改良のみを要求して自身の改良には少しも意を用ひない、今日の所では社会改良とは同胞相互の欠点の挙つくらであつて、此分で行けば社会改良は終に社会壊乱を以て了るのであらう。
 
(467)     信仰と行ひ
                        明治34年12月5日
                        『無教会』10号「社説」                            署名なし
 
 聖書に斯う云ふ事が書いてあります
  わが兄弟よ、人、自ら信仰ありと言ひて若し行なくば何の益あらん乎、その信仰いかに彼を救ひ得んや……
  ………或人いはん爾信仰あり我行あり、請ふ爾が信仰を我に示せ、我は我が行に由りて我が信仰を爾に示さん(雅各書二章)
 即ち私共の信仰は私共の行に由て現はるゝのでありまして、私共の行を除いて私共の信仰を真個《ほんとう》に世に表はすものとては一つもありません、人が教師より洗礼を受けて教会に入りたればとて其人の信仰の有無は定まりません、其人が月毎に聖餐の式に列なればとて彼は真個のキリスト信者であるか無いかは分りません。
 人の信仰は其人の日常の行に由て分るのであります、其人は他人の悪事を語る事を忌む人である乎、其人は義務約束を果たす人である乎、其人は涙多い者である乎、其人は業務に忠実勤勉の人である乎、是等の行為が人の信仰を試すものでありまして、若し是がなければ其人の表白する信仰箇条がいくら立派であつても、其人の属する教会がいくら正統正式の者であつても、彼は神とキリストとに信仰を有たない者であると云はなければなりません。
(468) 我等無教会信者には我等の信仰を承認して呉れる教師も教会も何にもありません、我等が署名して世に表白せし信仰箇条とては別にありません、我等の多くは洗礼を受けない者であります、我等に教会的儀式とては一つもありません、然しながら我等はそれ故にキリスト信者でないとは申しません、若し私共に少しなりともキリストの精神と行とがありますれば、それは私共に取て、私共がキリスト信者たるの何よりも好い証拠であります、私共は教会員でなくとも兄弟の悪事を語りますまい、私共は洗礼を受けずとも出来得る丈けの慈善を為しませう、私共は監督より堅信礼を受ずとも私共の業務を励んで私共の信仰を進めませう、さうして若し世の教師、牧師、宣教師達が私共の信仰に就て問ふ事がありますれば私共は使徒雅各の言葉を以て答へませう
  請ふ爾の信仰を我に示せ、我は我が行に由りて我が信仰を爾に示さん。
 
(469)     余の従事しつゝある社会改良事業
                        明治34年12月19−30日
                        『万朝報』
                        署名 内村生
 
〇余は明治政府を戴く日本今日の社会とは縁の至て薄い者である、余は彼等とは主義 方針、目的、道徳、信仰を全く異にする者であつて、彼等の利害は余の利害でなく、彼等の歓喜は反て余の悲痛である、余は陣を敵地に張るの心を以て彼等の中に棲息する者である。
〇余は度々思ふ、余にして若し貞応貞永年間に此国に生れて来たならば嘸かし幸福であつたらう、然れば余も不及ながら鎌倉武士の中に加はつて、少しは真面目なる日本人らしき行動を為したものをと、若し松葉が谷に日蓮上人が独り天下を相手に戦つて居つたならば余も日朗上人に傚ひ千里を遠しとせずして彼の許を訪ふて、彼の弟子となつたものをと、然しながら何たる不幸か此偽善政府を戴く此偽善社会に生れ来て、余の心に存する天賦の良性は少しも発達するの機会を与へられず、馬を見ては之を鹿なりと言はざるを得ず、虚《うそ》を吐くのが反て忠臣である義士であると称へらるゝことなれば、余は人類の一人として如何にして此世に処せん乎と、殆んど途方に暮れる者であつて、幾回か天を仰ぎ、地に伏して余の不幸を嘆ずる者である。
〇然し嘆いても仕方がない、今となつて、七百年の昔に帰て、泰時、時頼を地下に迎ふることも出来ない、去りとてツランスヴハールに移住して其独立軍に投ずる事も出来ない、余は勿論自から択んで明治の日本に生れて来(470)た者ではない、是れ天運の然らしめし処であつて、余は唯余の不幸を諦めるまでゞある。
〇斯くて余は日本今日の社会を甚だ嫌ふ者である、余は其政府を嫌ひ、其貴族を嫌ひ 其議会と政治家とを嫌ひ、其数育家と哲学者と文学博士とを嫌ひ、其僧侶と神主と牧師と宣教師とを嫌ひ、其文学と技術と宗教と実業とを嫌ふ者である、余に取ては日本今日の社会に在ては嫌ふべき者は多くして愛すべき者は至て尠い、余は実に現今の日本の社会に対しては言ひ尽くされぬ程の不快の念を懐く者である。 〔以上、12・19〕
〇余は日本今日の社会を嫌ふ者である、然し余は日本国を憎む者ではない、否な、余は良夫が其最愛の妻を愛するの愛を以て日本国を愛する者である、日本国は余の故郷である、余は人として此世に生れ来た以上は日本国以外の国へ生れ来らんことを欲する者ではない、余は日本国の山を愛し、河を愛し、谷を愛する、秋至る毎に其富士が新たなる純白の肩掛《しよーる》を着けた時の風情は天が下に二つとはない姿である、楓と山漆樹《やまうるし》とに紅《べに》を以て其両岸を彩られたる千曲又は利根上流の風景は余は渾身の歓喜を惹起する者である、狭しとは云へ関東、石狩の平原は率直醇樸の熊谷直実的の人物を産するに足る、何も日本国が悪いのではない、日本人が悪いのである、何も日本人が悪いのではない、薩摩人、長州人、肥後人等が悪のである、然り、何にも彼等が悪いのではない、明治政府と其奴僕とが悪いのである。
〇余は日本国を愛し、亦日本人を愛する、余は公卿華族を嫌ひ、大名華族を嫌ひ、新華族を嫌ふ、然し余は純粋なる日本国の平民を愛する、余は其百姓と漁夫とを愛する、余は其|老爺《ぢゞ》と老婆《ばゞ》とを愛する、余は其強壮なる青年と無垢の少女とを愛する、余は都城の市街に於て馬車の中に惰眠を貪り行く日本貴族を見る毎に彼の面《めん》に唾《つばき》したく思ふ者なれども、郊外に出て田甫《でんぽ》を耕す農夫を見る時には彼等と接吻したく欲ふ者である 然り、余の情夫情(471)婦は是等下流(実は上流)の日本人の中に在る、余は彼等の同胞たるを以て栄誉とし、彼等のためとならば余の総てを捧げたく欲ふ者である。
〇然しながら此愛すべき部分はかの憎むべき部分に圧倒されて居る、美はしき日本国は醜き明治政府のために汚《けが》されて居る、愛すべき日本人は憎むべき貴族、政治家、教育家等に誑かされて居る、今や日本国と日本人とは其天然の性を失ふて、全く天意に違ふたる最も憎むべき者となつて居る、余が日本今日の社会を嫌ふのは全く之が為めである、余は日本らしくない此日本には全く愛想《あいさう》を尽かした者である。 〔以上、12・20〕
〇余の生涯の目的は明治政府の総理大臣となることではない、余に取ては明治政府の呉れる位階なるものは草鞋《わらんぢ》一足を貰ふよりも有難くない、今日の所では日本政府の与ふる位階なるものは悪を賞するための位階であつて、善を励すためのものではないやうに思はれる、古河市兵衛氏は無辜の良民三十万人を饑餓に迫らしめた功労に依て日本政府より正五位に叙せられた、其他の人人の叙位授爵も能く其真相を調べて見たならば、大抵そんなものではあるまいかと思ふ、余不肖なりと雖も古河市兵衛氏と列を同うするを好む者ではない、往昔《むかし》希臘のソクラテスと云ふ人は天に祈つて言ふた「神よ願くは余に悪人の有つ事能はざる者を与へ賜へ」と、古河市兵衛氏さへ有つ事の出来る日本政府の位階なるものは彼れソクラテスの有たんと欲したものではなくして、亦余の有たんと欲する者ではない。
〇故に余の終生の目的は正一位に叙せられ菊花大綬章を賜はり、国家の元勲として今日の日本に誉め立てられんことではない、余は今日の日本の社会よりは何をも望まない者である、余は彼等に誤解され、憎まれるのを以て此上なき名誉と見做す者であつて、彼等に愛せられ、正解せらるゝを以て、人間たる者の、亦真正の日本人たる(472)者の大耻辱なりと信ずる者である。
〇然しながら何の望む所なしとて余も此時と所とに生れて来た以上は何にか善き事を為さなければならない、曾て英国の天文学者のハーシエルと云ふ人が其青年時代に朋友と相約して云ふたやうに「我等も死ぬ時は生れた時よりも此世界を幾分なりとも好くして行かねばならぬ」、唯此世に生れて来て、華族学校に通学して、華族の家を相続して、シヤムペ−ン酒を飲む事と小鳥を殺す事と民の膏血を絞る事丈けを為して、それで死ぬる前に位一級を進められて、墓に下つて了ふのは人間たる者の此上なき大耻辱であつて、吾等縦令人力車夫となるとも、此日本貴族のやうな生涯を送つてはならない、故に余も何にか人類と社会のために為さなくてはならない、余は何を為して、余の人間たり、日本人たるの本務を尽さうか、是れ余の幼時より余を苦しめし大問題であつた。 〔以上、12・23〕
〇余は武士の家に生れた者であるから、余の父は余の幼少の時より余を役人に為さんと欲した、彼が其貧しき家財を投じて余に僅か計りの学問をさせて呉れたのも所謂る余の青雲の志を達せしめんためであつた それ故に余が明治の初年に大学予備門(今の第一高等学校)に通学し居る頃は余は専ら政府の役人に取り立てられんことを欲した者である、余の父は余が大学に入て政治又は法律の学を修めんことを望んだ者であつて、余も亦出来得る丈け父の志に従はんと欲した。
〇然しながら余は其頃より何にやら政治に対して興味を有たなんだ、政治など有つて無きが如きものに心を寄するのを何んとなく無益のやうに感じた、故に余は父の志に叛いて政治を学ぶの念を放棄した、余の同級の諸士にして、其後政治法律を修められた人々は今は夫れ/”\大政府の弁護者の地位に居らるゝなれども、余は断然其(473)時政治に暇を告げて、今日に至るまで未だ曾て日本国の政治家となり、又は其憲法学者となり、又は其裁判官とならんと欲するの慾望を懐《いだ》いたことはない。
〇余は今に至るも此断念を悔ゐたことはない、余にして若し其時政治学に志したならば余は今日今頃は実に此世に生きて居る甲斐のない者であつたらうと思ふ、政治学は余を冷たき、残忍なる、石の如き、氷の如き者となしたであらうと思ふ、余の脳髓は機械となつて、余の心臓は化石となつたらうと思ふ、余は伊藤侯の編んだ憲法を弁護せんがために造物主の定めた宇宙の大道に目を注がなくなつたらうと思ふ、余が其時政治学を棄てたのは余に取ては最上の幸福であつたのである、余は天助に依て此決心に出でたのであらうと思ふ、爾後余は未だ曾て一回も日本国の政治に喙を容れたことなく、また終生容れざらんと欲す、誰か糞塊に鼻先を突き入れんと欲する者ぞある、誰か明治政府の政治に喙を容れんと欲する者ぞある、二者共に臭の臭、蛆虫にあらざらんよりは此事を為さんと欲する者は他に無い筈である。
〇故に余は政治を以て此社会を改良せんと勗《つと》むる者ではない、日本国の政治は之を伊藤大隈等の清士に任かし置ば沢山である、死者をして死者を葬らしめよ、政治家をして政治を司らしめよ、余は糞尿は之を余自身取扱はんことを好まないから肥取をして之を汲み取らせる、政治に於ても亦同じである、伊藤侯の如き、大隈偶の如き、桂子の如き、其他貴衆両院六百の野心家の如きは皆な進んで余輩のために社会の糞尿なる政治を扱はんと欲する人達である、余輩は喜んで此臭事を彼等に委托すべきである 〔以上、12・24〕
〇余は政治を棄《すて》て農業を以て国家民衆を益せんとした、余は思ふた政治の目的は名誉を得るにあつて、農業の目的は饑を癒すにあると、さうして実物は空虚よりも估値《ねうち》があるゆゑに農業は政治よりも大切であると思ふた。
(474)〇余は一時は熱心に農学の研究に徒事した 余は偏に国の富を増進せんと勗めた、水産は殊に余の注意を惹いたものであつた、余は日本第一の水産学者とならんと欲した、余は信ず、日本国に於て水産調査なるものを最初に主張した者は余であつた事を、余は日本国は島国であるから其富の過半は水より得ねばならぬものであると思ふた、故に其頃の余の脳中には鰊、鮭、鱒、青魚《さば》等鰭の生えたものゝ外何にもなかつた、農商務省で出版した日本魚類目録なるものは余が調製した者である事は今の水産課の人々も承知して呉れるであらうと思ふ。
〇然し余は日本の実業に失望した、余は第一に農商務省の役人達に失望した、彼等が事を為さんと欲するよりも官等を進められんことに汲々たるを見て余は役人たるのが実にイヤになつた、余は思ふた、役所に来ては坐睡を為し、家に帰つては酒を飲み、其他は長官に阿諛を呈するのが人生最大の目的ならば人生とは何んと詰らない者ではないかと、それより余は益す辞職の念を発した、さうして海外留学を機会として余が辞表を呈出した時に、或る薩摩産の役人を局長に戴いて居つた其時の水産局は何の惜気もなく余の職を解いて呉れた、余も亦是ぞ藩閥政府との最後の離別であると思ふたから、何んの惜気もなく農商務省の門を出て来た、今より是を思へば是ぞ余が官海の濁水を出た時の佳節であつて、余に取ては余が天国に昇らんか、地獄に落ちん乎の岐路であつたのである。
〇余は第二に日本国の漁夫に失望した、彼等の捕獲術に就ては唯嘆賞するの外はない 然しながら彼等の道徳の低いには実に驚いた、故に彼等は金銭の真価を知らない、彼等は唯取て、飲んで、淫して、博奕を打つ丈けである、そこで余は考へた、如斯き漁夫に富を与ふるのは彼等に罪悪を犯すの機会を与ふるのではない乎と、余は彼等の為めに捕獲の量を増すのを以て、返て放蕩息子に放蕩費を給するやうな心地がした、余の実業心なるものは茲に(475)全く冷却し去つた 余は其時終に亦実業を放棄した。
〇徳なき民に富を給する、是れ無利有害の業である、其事は日清戦争後の日本の状態で能く分る、淫売婦の勢力の盛なる実に今日の如きはない、是れ皆な徳に乏しい日本人が一時に金を得たからである、古河市兵衛氏を見よ、平沼専蔵氏を見よ、其他幾多の日本紳士を見よ、彼等工学を利用し、理学を利用して今日の富を致せる者、即ち富のために良心を失へる者である、嗚呼彼等のために使役せらるゝ工学士、理学士、農学士は禍なるかな。 〔以上、12・25〕
〇余は実業を去て教育に入つた、余は米国に在つて幸に彼国知名の教育家に就て此術を修練するを得たれば、今は偏に此仁術を余の邦人に施さんとした、余は教育を以て人を作らんとした、先づ人物を養成するにあらざれば富も智も識も全く無用であると思ふた。
〇然るに余は亦教育に於ても失敗した、越後の新潟に在ては十一人の米国宣教師を相手に大戦争を為した、彼等は余が仏教徒を庇ふものゝ故を以て強《いた》く余を攻撃した、余は又教育は宗教と混同すべきものにあらずとて余の自説を固守した、然るに新潟県の有志家とも云はるゝ人は余の主義をば賛成したれど、政略上外国人に組した、余は止を得ず這々《はふ/\》の態《たい》で東京へ逃げて帰つた、余は自身基督教を信ずる者なれども此時を以て全く外国宣教師と絶縁した。
〇余は宗教の故を以て余の教育事業に失敗したれば、此次は余の愛国心を以て之に従事せんと欲ふた、依て通伝《つて》を得て第一高等中学校の嘱托教師となつた、余はこゝに余の教育的技倆を挙て之を余の愛する日本国に献ぜんとした、然るに日本国は之を余の手より受けざりしのみならず、反て余に多くの侮辱を加へて之を斥けた、新潟に(476)在ては余は余の愛国心の故を以て基督教宣教師に逐はれ、東京に在ては余の基督教の故を以て文部省の忠臣義士達に逐立てられた、余は実に教育界の不幸児である。
〇其後余は二三の学校を彷徨《うろつい》た、然し余の教育熱なるものは第一高等学校の倫理室に於て冷却して了つた、余は其時に日本の教育なるものゝ何んである乎を悟つた、是れ名は人物養成ではあるが実は役人又は職人養成であることを覚つた、永遠に渉る真理を究めんと欲するのが学生の希願でもなければ、之を彼等の脳裡に吹入して彼等を真個のゼントルメンに仕立てんとするのが教師の目的でもない、勅語に向て低頭しないとて余を責めた人は酒も飲むし、芸妓も揚げるし、酒に酔ふた時には馬族同然の言語を発する人達であつた、余は到底是等の人達と教育を談ずることは出来ないと思ふた、彼等はペスタロジを口にするがペスタロジの心を有つた人ではない、余が米国に於てケルリン、シーリー等の諸先生より学び受けた教育なるものは今の文部省の諸聖賢の唱へらるゝものとは全く別物である。
〇然し今となりては余は深く余の不忠を責められし文部の諸聖賢に感謝せざるを得ない者である、同僚の前に鶏姦を誇られし諸賢の一人は今尚ほ日本国の子弟薫陶の聖職に居らるゝ時に方て余が此職に居るを得ざるに至りしは是れ宇内万国に対して余の耻辱ではないと思ふ、余は官海、並に実業界より救ひ出されし如くに亦教育界より救ひ出された、余は日本国の教育家たるの資格を剥がれてより、稍や人間らしき人間となるを得た。 〔以上、12・26〕
〇教育界を逐はれたる余は日本に於て全く無要の人間となつた、此事を聞いたる米国の余の友人(宣教師ではない)は余のために非常に心配しで、交々書を寄せて余に彼国への移住を促がし来つた、余も亦た思ふた 日本許り(477)が世界ではない、亦日本人許りが人類ではない、余の愛心と勤労とは之を世界何れの処に用ひても可いと、余は此時すんでのことにアツレガニー山下の人とならんとした。
〇然し余は終に富士山の聳ゆる日本国を捨てることが出来なかつた、余は死んでも此土地に踏み留まることに決心した、日本国は余に取りては余りに懐敷かつた、此時に方て余も感情の日本人たるを免れなんだ、世界主義を唱ふる余も日本以外の国に余の生命を供するに忍びなんだ、余は余の父母と国土とに引かされて、終に亦藩閥政府の治下に余の身を置くことに定めた、余も亦愚鈍なる感情家なる哉。
〇口を噤まれし余に取ては今は筆を執るより外に生存の途がなくなつた、然し文は余の曾て修めしことなき術であつた、札幌在学中英文学の講義録焼捨を主張した者は余であつた、日本産五百九十九種の魚《うを》の名ならば何んでも知つて居つた余は文学と云ふ事は少しも知らなんだ、余が筆を執らざるを得ざるに至つたのは百姓が耕作を止て漁業《すなどり》に従事するに至つたのと同然であつた。
〇然し余は或る思想を有つて居つた、余は亦普通の日本語を知つて居つた、故に余は思ふた、余は余の友人に余の思想を語るやうに之れを普通の日本語に綴り見んと、茲に於て余は大胆にも著述に徒事した、爾うして今日までに二十五種余の著述を世に公けにした。
〇勿論|修飾《かざり》もなく、愛想もなき余の著書の事なれば洛陽の紙価をして高からしむるなどいふやうな愉快なる経験を余は曾て有つた事はない、然し世は智者賢人計りにはあらずと見え、余の著書を購読する人も少しはあつた、爾うして之を読んで多少の利益を得た人もあつた、現に或人の如きは其最愛の妻を失ふて将に発狂せんとする時に方て余の著書の一冊を読んで全く本気に復して自殺を思ひ止つた人もあつた、余の著書にして多くの病人の枕(478)辺に供へらるゝ者もある、亦僻地の家庭に鰥寡孤独の唯《ゐ》一の慰藉《ゐせき》となつて居る者もある、日本の教育界を逐はれし余は斯くて余の運《ま》はらぬ筆を以て邦人一部の安慰者《なぐさめて》たるを得た。
〇日本の文学界に雄飛せんなどとは余の曾て懐いたことのない野心である、余と均しき境遇にある者に同情の歓喜を頒たんことが余の執筆の唯一の目的である、此事を知らないで余の文章(若し之を文章と称すべくんば)を批評する者は大に余を誤らざるを得ない、余は文なる者を知らない、余は余の思想を口に言ふ代りに筆に綴つたまでである、余の著述は文学の中に算へらるべきものではない。 〔以上、12・27〕
〇余を始めて広く日本の読書界に紹介した者は徳富蘇峰君である、余は此事に関する君の好誼を忘れない積りである、若し余が後日朝報の紙上に於て強く君に反対せしならば、是れ余が君に於ける信任の厚かりし故であつたのであると云はなければならない、余は涙香兄に招かれて名古屋より東京に上りし時に、余の主義上の友人として第一に蘇峰君を心の中に留めた者である、余は君の欧米漫遊中君の健康を祈つて怠らない者であつた、余は君の帰朝を俟て君の後に附いて大に平民主義のために戦はんと思ふた、然るに何んぞ計らん、君は帰朝後直に薩摩蛮勇内閣の官吏となられた、其時の余の失望といふものは実に譬るに物がなかつた、余の愛は変じて憤怒となつた、余はボヘミヤの愛国者ハツスの言を思ひ出た。
  パレツも我友なれば真理も我友なり、而して二者孰れかを択ばざるを得ざる場合には余は真理を択ばざるべからず
と、余は平民主義を択んで蘇峰徳富君に反対した、とは云へ余は今日尚ほ蘇峰君当年の好誼を忘れない。
〇然し世に紹介されしは余に取て幸《かう》でありしか、不幸でありしか余は未だ断定することが出来ない、余は著述に(479)従事すると同時に隠退を決した者である、文学的平康《リテラリーピース》は余の簡びし生涯であつて、余は之を以て友を後世に求めんと欲した、然るを『国民之友』紙上に余の運はらぬ筆を揮ふに方て余は反て余の追求せし平安を奪はられしを感じた 殊に余の大矢錯とも称すべきことは日神戦争の際に余の拙き鉄筆《ぺん》を揮《ふるつ》て世界に向て日本の行為を弁護した事である、余は其当時は日清戦争は日本に取ては確かに義戦であると思ふた、然るに其局を結ぶに及んでその全く利慾のための戦争でありしを悟て、余は良心に対し、世界万国に対し、実に面目なく感じた、余は余の筆を揮ふて日本人の罪悪を幇助したことを悔ゐた、余は爾来一切明治政府の行動に就て弁護の任に当るまいと決心した。
〇後、招かれて朝報社に入つた、亦た独り独立雑誌を発刊して専ら筆を以て社会改良の任に当らんとした、其間に余は多少の善を為したらふとも思ふ、然し常に攻撃的態度に出て、社会を外面より改革せんとする改良事業なるものゝ利害相半するものなるは人のよく知る所である、世の罪悪を責むるのみが之を矯正する途ではない、罪悪の詰責は多くの場合に於ては悪人の心を頑にし、詰責者に対して彼《か》の憎悪を招くと同時に、亦た世に他人の誹謗攻撃を快とする多くの偽《にせ》改革者を起し、自から善をなすことなしに他人の悪を語るの故を以て義人を装ふ者を続出するに至る、今や正義人道の満天下に唱へらるゝに関はらず、一つの改革事業の挙らざるを見ても、社会改良なるものが今や一つの流行物となつて、多くの懶惰書生を駆つて、其唱道者たるに至らしめしことは争ふべからざる事実である。 〔以上、12・28〕
〇余は改革事業の俗化せらるゝを見て早く之に対して嫌気を生じた、余は何か他に俗化されない事業に就かんとした、爾うして余は之を基督教の伝道に於て発見した。
(480)〇此に於て余は余の基督教に就て一言し置かねばならない、余は基督と聖書とを信ずる者ではある、然しながら何れの教会又は教派に属する者ではない、余を支配するに法王もなければ監督も牧師も何にもない、従て余は何人より伝道の許可を得たる事もなければ、又信者を作りたればとて之を収容するための教会を有たない、余の伝道なるものは単に教理伝播に止まつて、人の之を受ると受けざるとに就ては余は全く無頓着なる者である、現に今日に至るまで余は未だ曾て一人の信者に洗礼を授けしことなく、又一人の弟子の余に師事する者はない。
〇斯う風の伝道の俗化するの危険は殆んどないと思ふ、基督教其物が我国に於ては甚だ不人望なる宗教である、殊に余の如く外国宣教師并に彼等の補助に依て立つ教会と何等の関係なき者に取ては基督教は余の処世の妨害たるに止て其|便宜《びんぎ》とはならない、然し是がために基督教は余に取ては日本現今の社会に在て腐敗を免かるゝための唯一の利器となつた、実業、教育、政治、文学皆な悉く腐敗に感染し易しと雖も、宣教師と教会とに関係なき基督教のみは之に一つの利益の伴はざるが故に此腐敗し易き日本の社会に在ても腐敗の危険の至て尠い者である。
〇外国宣教師に頼らざる基督教、是さへ守つて居れば大丈夫である、是には邦人も不賛成なれば外国人も不賛成である、余は其不人望の一点からでも之を信じ其伝播に従事せんと欲する者である、爾うして是ぞ余が主として目下従事しっゝある社会改良事業である。 〔以上、12・29〕
〇平民主義は之を唱ふるに易くして行ふに難い、日本人は生来の貴族であるから、口に平民主義を唱へても一旦得意の地位に達すれば純然たる貴族と化して平民を蔑視する、斯う云ふ国民に向て平民主義をいくら説いても無益である、真個の平民を作らんと欲はゞ人を直に大平民の模範なる耶蘇基督に導くに若くはない、余は平民主義を説て一|人《にん》の平民を作つたことはないが、基督なる人物を紹介して多くの真面目なる平民を作つたことが幾度も(481)ある。
〇謙遜は美徳の王である、いくら勤勉でも、いくら正直でも、謙遜でなければ敬ふべく専むべき人ではない、世に人を謙遜ならしむること程六ケ敷い事はない、かの清貧潔白を誇る人でも謙遜の段に至ると大いに欠乏する人が多い、儒者仏者の中で学深く、徳高しと称せらるゝ人で、自己を他人に較べて我こそは罪人の首であると云ひ得る人に、余は今日まで此国で出会たことがない。
〇基督教は特別に謙徳を教ふる宗教である 人をして心中無一物たらしむるものは基督教である、基督教を信じて他人の短所計りを見てその長所に対して無感覚なるが如きは到底為し得べからざる事である、吾人の最も要求する平和なるものは人々の此謙徳より来るものである、争闘は驕慢の結果であつて、此心中の病疾を根絶するにあらざれば社会の平和なるものは望めない、爾うして余は基督教を説いて多くの家庭に平和を来し、為に其犬と猫までをして仁慈謙遜の恩沢を蒙るに至しめし事が幾度もある。
〇其次ぎは家庭問題である、如何にして之を改良せん乎、是れ我国目下の最大問題である、然し家庭は之に善き音楽と文学とを供したればとて改良することの出来るものではない、富足りて礼節を知るかは知らねど、富足りたればとて心に好意《グードウヰル》の起る者ではない、殊に富の足らざる場合に於ては家庭に無形の歓喜を供する者にして聖き美はしき人生観の如きは無い、爾うして文明国二千年間の経験として聖き美はしき家庭を作るに方て基督教に優るの勢力はない、儒教は政治家を作り、仏教は哲学者を作るかも知らないが、然し温良なる夫と、常識に富む妻と、従順なる子と勤勉なる僕《ぼく》を作るものにして基督教に優るものはない、日本人は基督教なしに他の事は出来るかも知らぬが、家庭の改良のみには基督教に依らなくてはなるまいと思ふ、爾うして余は基督教を説いて多く(482)の場合に於て家庭の幸福を来たし、妻たる者の涙を拭ひ、弟たる者妹たる者に新らしき希望と歓喜とを頒け与へた事が幾度もある。
〇基督教は声を放たざる救拯の天使である 高声に正義を唱へずして正義を実行せしむるものは基督教である、是れ春の日光の如きものである、其達する所に新生命は萌し、吾等が知らざる間に新天地は来る、緘黙の中に善を為さんと欲する者は必ず此教に由らなければなるまいと思ふ。 〔以上、12・30〕
 
(483)     クリスマス雑感
                      明治34年12月20日
                      『聖書之研究』16号「所感」                          署名なし
 
 聖なるかな聖、万軍の神ヱホバよ、爾の栄光は全地に満つ、天も地も爾を容るに足らず、誰か爾に就て完全に語り得んや、我は穢れたる唇の民の中に住みて穢れたる唇の者なるに、我れ如何でかイスラエルの聖き者に就て語り得んや、来れセラピム、聖壇の上より其|熱炭《あつきひ》を携へ来り我が心に触れてその悪を除き、我が眼をして我が救主を彼の栄光に於て見ることを得さしめよ(以賽亜書六章)
       *     *     *     *
 神が此世に降り給ひしとよ、嗚呼是れ如何なる報知ぞ、余り善きに過ぎて我は之を信ずるに甚だ苦むなり、然れども是れ事実なりしなり、事実ならざるべからざるなり、我儕が之を信じ得ざるは我儕が我儕自身を知らざるに由るなり、神の降臨は人類最大の希望なり、若し此事微かりせば人生は絶望なりしなり。
       *     *     *     *
 若しキリストにして世に降り給はざりせば如何、若し世に孔子あり、荘子あり、釈迦あり、モハメツトあり、プラトーあり、アレキサンダーあり、シーザーありしも、若しキリスト微せば如何、嗚呼イヱスなき我は勇士たるを得て戦場に屍を露すを得しならん、壮士たるを得て国賊を刺すを得しならん、隠士たるを得て世を歎《かこつ》を得し(484)ならん、学者たるを得て宇宙の妙理を探り得しならん、或は慈善家たるを得て貧者のために我が身を予ふるを得しならん、然れども罪を贖はるゝの感謝、神の子たるを得しの歓喜、自己に死して神に生きるの快楽、復活の希望、永生の約束、嗚呼是れイヱスなく、して我が受くるを得し天の賜にあらず。
       *     *     *     *
 若しキリストにして生れざりせば此世は如何、シーザー、アレキサンドルの徒は尚は陸続として世に顕はれしならん、君一人のために屍を其馬前に暴らすの忠臣義士は出しならん、然れども下民の為めに剣を抜きしコロムウエル、ワシントンの如き武人は出ざりしならん、ルーテル、サボナローラの如き所謂|社会的勇士《ソシアルヒーロー》なる者は生れざりしならん、ホレス、ヴアージルの如き宮廷に媚を呈するの詩人は出でしならん、然れどもダンテ、ミルトンの如き平民的詩人は出ざりしならん、キリストの生れざる世界は貴族帝王の世界なり、人を奉て神とし仰ぎ、一人の栄光を致さんが為めに万民の枯死する世界なり、キリストに依て筆も剣も脳も腕も貴族の用を為ずして平民の用を為すに至れり。
       *     *     *     *
 キリストを見ざりし前に我に驕慢ありたり、我は思へり、我は清浄潔白の士、俯仰天地に耻る所なしと、然れどもキリストを見て我は我の汚濁を悟れり、我は罪人の頭となれり、我は世を責むるよりも我を責むるに厳なる者となれり、我はキリストの奴僕と成れり、而して見よ、我は始めて自由の人となりたり。
       *     *     *     *
 キリストを見ざりし前に我は絶望の人なりし、我は思へり、我は貧家の児、せに我を顧るの権者家族あるなし、(485)我は此世に於て何を為し得んやと、然れどもキリストを見て我は大胆有望の者となれり、我は小事の反て大事なるを悟れり、我は隠れたる善事の顕はれたる偉業に優る者なるを知れり、我は神に依て人類全鉢を益するを得るを解せり、我は世の権者に依ることなくして世に大事を為し得るを暁れり、我はキリストの弟子となりて、始めて世と自身とに勝つを得たり。
       *     *     *     *
 誉むべきかな、イヱスキリスト、吾等の総ての善き事は爾にあり、貧にして富むの術、弱くして勝つの法、総てを捨てゝ総てを得るの途、是れ皆な爾の蔵《かく》し給ふもの、爾は心の謙遜る者に総て是等の宝物《たから》を与へ給ふ。
 
(486)     我儕の確信
                      明治34年12月20日
                      『聖書之研究』16号「所感」                          署名 くぬぎ生
 
〇今や社会を憤る者は甚だ多くして、之を愛し之を憫む者は甚だ尠い、一時は世界唯一の君子国と思はれし日本国は今や何人にも咒詛される者となつた。
〇今や何人も社会改良の必要を説くなれども如何にして之を為さん乎、何に依て之を遂げん乎と云ふ事に就て確信し居る者に出会ふた事がない、彼等は政治の万能を説きながら政治を罵る、彼等は宗教の必要を叫びながら宗教を信じない。
〇吾等は迷信家である乎も知ない、然しながら吾等は彼等と異つて一つの確信を有つて居ると思ふ、「爾曹の拝する者を爾曹は知らず、我儕の拝する者を我儕は知る」と、キリストはサマリヤの婦に告げ、給ふた、吾等は少くとも、我儕が為さんと欲することを知つて居る。
〇彼等は多くの疑問を提出する、然れども彼等に確信とては一つも無い、彼等は唯疑ふ許りであり、悲み憤る許りである、国家も社会も彼等如き懐疑者に依て改良される者ではない。
〇吾等は神を信ずる、亦神が此世に遣されし彼の独子にして世の救主なるキリストを信ずる、我儕は亦神の福音を信ずる、又福音の至大なる能力《ちから》を信ずる、爾うして我等は二千年間の文明諸国の実験を経し此福音を以て我邦(487)今日の腐敗を救はんと欲する者である、我儕は空気を撃つが如き目的のない事業に従事する者ではない、我儕の事業を証明するに文明国二千年間に渉る歴史がある、亦我儕の心の奥底に於て我儕が実験せし救霊の事実がある、我儕は天然と歴史との賛成を得て我儕の事業に従事する者である。
〇我儕は新奇の事業に従事するのではない、我儕の為さんと欲する所は古代の偉人が彼等の時代に処して幾回か効を奏したる者である、我儕の同志者は偉人保羅である、聖アウガスチンである、アムブロースである、聖フランシスである、サボナローラである、詩人ダンテである、ルーテルである、コロムウエルである、ウェスレーである グラッドストンである、彼等は日本の今日よりも更に甚だしき腐敗に処してキリストの福音を以て救済上の大勝利を得た、我儕も同じ武器を以て日本の今日を救ふと欲ふのである。
〇今や新宗教や新神学や新教会や新運動を企るの必要はない、日本人も欧米人も其人間たるの弱点に於ては全く同じである、日本人は日本独特の宗教を要するなどゝ称へて仏教基督教の混和を唱ふる如きは過去二千年間の文明国の歴史を攻究した事のない人の為す所であると思ふ、勿論世の進歩と共に外形に於ても多少の進歩のあるは当然である、然しながら人を罪の羈絆より救ひ出す原理に於て古今東西変るべき筈はない。
〇我儕は儒教と基督教とを混じて日本国を救ふとは為さない、我儕は儒教を用ふる乎も知ない、然れども世と人とを罪より救ふものは基督教のみである、然り、世に基督教を除いて罪てふものゝ何たる乎を教ふる者は他にないと思ふ、世の外形の風儀位ひは儒教を以て革める事が出来る乎も知ない、然し罪を根本的に拭ひ去る者は基督教のみである。
〇故に吾等は世の改革事業には孰れも賛成を表するが、然し吾等の惟一の救済事業とはキリストの福音の伝播で(488)ある、我儕は外国宣教師などの賛成反対等には少しも意を留めずして此事業に従事する、我儕は我儕の愛国心に訴へて(それのみではないが)此事業に従事する、伊太利に於ても独逸に於ても、英国に於ても、和蘭に於ても其最大なる愛国者は基督教の伝道者ではない乎、我儕は日本のサボナローラとならんと欲するのである、ルーテル、ノツクス、ウヱスレー、ジヨナサン ヱドワードとならんと欲するのである、我儕は日本国を心霊的に救ふて之を世界第一の国となさんと欲するのである、故に我儕は耶蘇坊主の名を以て耻と為ない、我儕は大政治家とは成りたくないが、忠実なるキリストの弟子と成りたい、我儕は大哲学者とは成りたくはないが、大伝道師(教会や伝道会社に頼らざる)となりたい、我儕は此我儕の愛する日本国を救はない間は休まない積りである、我儕は大希望を抱いて我儕の戦場に臨む者である。
 
(489)     キリストの系図
                      明治34年12月20日
                      『聖書之研究』16号「註解」                          署名 内村鑑三
 
       馬太伝第一章
  一、アブラハムの裔なるダビデの裔イエスキリストの系図
 是れ福音の始めなり、乾焼無味の記事にあらず、其中に貴き福音の伝へらるゝあり、吾等は眼を開いて之を発見すべきなり、〇「系図」 キリストは神の子なり、彼は人以上の者なり、然れども彼は霊のみの人にあらざるなり、彼は肉躰を具へたる者なりし、彼は「人なるキリスト」なりし、故に彼は吾等と均しく系図を有せり、彼も亦肉の人なりし、彼は歴史的に攻究し得べき人物なり〇「アブラハム……ダビデ」ユダ人物中の両璧なり、前者は其信仰に依て国民の基礎を据え、後者は武勇を以て一時之を実成せり、アブラハムはユダ国の精神にしてダビデは其形躰なり、而してイヱスは其身に於て両者の粋を鍾めし者なり、〇「イヱスキリスト」、「イヱス」は「救は神にあり」の意なり、ヨシユア(約書亜)と同義なり、天使ヨセフに告げて曰く「かれ(マリヤ)子を生まん其名をイヱスと名くべし、蓋はその民を罪より救はんとすればなり」と、ナザレのイヱスは人類のヨシユアなり、即ち万民の救主なり〇「キリスト」、受膏者の意なり、希臘語の〓(沃《そゝ》ぐ)より来る、希伯来語の messiah(メシヤ)の訳字なり、受膏者は神の特命を拝せし者なり、イヱスは独特の受膏者(the Christ)なり、依て知る、イヱスは通(490)称にしてキリストは其尊号なることを。
 
  二、アブラハムイサクを生みイサクヤコプを生み、ヤコブ、ユダとその兄弟を生む
 信仰のアブラハム、修養のイサクを生み、修養のイサク、策略のヤコブを生み、策略のヤコブ、ユダと其十一人の兄弟を生んで彼の一家に煩累絶えず、高きを以て始まりて漸次低きに就く、是れ人生の常なり、キリストの祖先のみ然らざりしにあらず。
  三、ユダ、タマルに由りてパレス ザラを生み、パレス、ヱスロンを生み、ヱスロン、アラムを生み、
 「ユダ……タマル」、事、創世記三十八章に詳かなり、就て見るべし、是れ名誉の歴史にあらず、然れども事実は事実なり、福音記者はキリストの完全を飾らんがために其祖先の恥辱を掩はず、殊にタマルなる婦の名を揚げて更に事の真相を審かにす、以て此系図の確実なるを知るべし、〇「パレス……エスロン……アラム」、共に無名の人、唯系図に其名を留むるのみ、名有て功なき人、唯血統の鏈鎖たるに過ぎず、然れ共総ての人は偉人にあらず能く其職に耐えて無為の生涯を送りし者も亦能く神に仕へし人なり
 
  四、アラム、アミナダブを生み、アミナダプ、ナアソンを生み、ナアソン、サルモンを生み。
 アミナダブとナアソン、同じく是れ血統の二鏈鎖 〇「サルモン」、聖書に彼の事績を留めず、然れども彼れラハブを娶りて妻となせしを見れば彼はヨシユアの旗下に属せし将官の一人にはあらざりし乎、彼亦我国の和田義(491)盛の如き者、賢婦を娶て健児を挙げんと欲せし者にあらざる乎。
 
  五 サルモン、ラハブに由りてボアズを生み、ボアズ、ルツに由てオベデ、を生み、オベデ、エツサイを生み。
 「ラハブ」、エリコの妓婦《あそびめ》なり、イスラエルの神を信じ、其民に与みしてヨシユアの救ふ所となりし者なり、(約書亜記六章)、彼女の功績はユダ人の称揚して已まざる所、彼女の名はアブラハム、モーセの名と併び称せらる(希伯来書十一章三一節)、妓婦たる必しも天国に入る能はざるの資格にあらず、マグダリヤのマリヤもイヱスに其心より七の悪鬼を逐はれてより終に聖女たるを得しにあらずや、福音記者がタマルの名に次いで此娼婦の名を掲げしは、其中に深き理由の存せしに非ずや、キリストの祖先に娼婦ありしと聞いて何人か一驚を喫せざらんや、然れども是れ亦神の聖旨なり、多くのアブラハムの女は斥けられて娼妓は反て神の国に迎へられんとはキリストの宜べ給ひし所にあらずや、(馬太伝廿一章三一節)、懽べよ、娼婦、悔いて再び罪を犯す勿れ、爾も亦神の子たるの資格を有す、爾の同類は曾て世の教主の祖母の一人として算へられたり、身に万民の罪を担ひて之を十字架に釘けしキリストは亦爾曹を憐れみ給ふなり、然りエリコの娼婦ラハブの名がキリストの系図に掲げられて天下幾十万の娼婦に救済の門は開かれたり、〇「ボアズ」、貞婦ルツを娶りし人なる事は路得記に明かなり、思慮深くして慈愛に富める人、聖書人物中、余輩の敬崇を惹く者の一人なり、〇「ルツ」、異邦モアブの女なり、彼女亦「メシヤの母」たるの栄誉に与かれり、左に拙著『路得記』の一節を掲げん、
  遊女ラハブと共にダビデ王の祖母として列せられ「救世主の母」たるの栄誉に与かりしものは此モアブの婦(492)人ルツなり、此異教国の賤婦にして特種の撰択にかかり、終にダビデ大王の曾祖母たるに至りしは、エホバは心徳を顧み玉ふ神にして、人種宗教等の区別は彼の前には至少の価値をも有せざるものなることを世に示せしにあらずして何ぞや。
 「エツサイ」、ベツレヘム人なり、ダビデ王の父として有名なり、彼に八子ありたり、ダビデは其季子なり、彼れ農を以て業とし、ダビデは野に其羊を飼ひたり、「エツサイの根」なる称号後にはイエスにまで適用せらるゝに至れり、善き子孫を有つ者は自身偉大ならざるも後世の称揚する所となる、エツサイは其一人なりき。
 
  六、エツサイダビデ王を生み、ダビデ王ウリヤの妻に由りてソロモンを生み、
 「ダビデ王」、ユダヤ人の理想的国王なり、武人にして又詩人、能く剣を採り、又楽を弄べり、堅忍不抜にして又懦弱、敵に当て強く、友に対して脆く、神を信ずるに篤くして罪を犯すに速かなり、ユダヤ人の総ての長所と短所とは彼に由て代表されたり、彼の子孫たる決して名誉の資格にあらず、心の潔きを望む者は彼の裔たるを以て誇らざるべし、而してイヱスは一回も彼がユダヤ人の王たるを証明するに方て、自身の血統に論及せざりし 〇「ウリヤの妻に由り」、事、撒母耳後事第十一章に詳なり、就て見るべし、王の背倫不徳恕するに途なし、福音記者も之を記するに恥ぢたりけん、バテシバなる婦人の名を掲げずして単に「ウリヤの妻」とのみ記せり、然れども他人の妻に由りて子を生めりと云ふ、事既に汚辱なり、世に義人なし、一人もあるなし、世の以て理想的国君として崇むる者も神の眼を以て其行為を探れば概ね皆な斯の如し、誰か王子たることを以て誇る者ぞ、彼も亦罪人の子なり、真正の名誉は神の子たるにあり、人、何人も肉に於て誇る能はず、ダビデ自身も彼の犯せし此罪(493)悪に就て神に懺悔して叫んで曰く
  我は我が※[衍/心]《とが》を知る、我が罪は常に我が前にあり……視よ我れ邪曲《よこしま》の中に生れ罪にありて、我が母我を姙みたり。
 「ソロモン」、智慧の王なり、ユダヤ国が其栄華の極に達せし時に其王位に在りし者なり、然れども彼の智慧は罠となりて反て彼を陥れ、彼の末路は憐むべき品性の破財者のそれなりき、帝王の宮殿に潔士を求むるは豈夫れ難いかな。
  七、八、九、十、十一、ソロモン、レハベアムを生み、レハベアム、アビヤを生み、アビア、アサを生み、アサ、ヨサパテを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨラム、ウツズヤを生み、ウツズヤ、ヨタムを生み、ヨタム、アカズを生み、アカズ、ヘゼキヤを生み、ヘゼキヤ、マナセを生み、マナセ、アモンを生み、アモン、ヨシアを生めり、バビロンに徙さるゝ時ヨシア、エホアキンと其兄弟を生めり、
 以上十三人皆な南方ユダ王国の王なり、中七人は悪しき王にして六人は善き王なりし、中、ヨラム、マナセの如きは極悪の王にしてヨサパテ、ヨシアの如きはやゝ同族の積悪を贖ふに足れり、然れども悪を為せし者は多くして善を為せし者は尠かりき、ダビデ王族の歴史も亦罪悪史の一節たるに過ぎず。
 
  十二、十三、十四、十五、バビロンに徙されたる後、エホヤキン、シアテルを生み、シアテル、ゼルバベルを生み、ゼルバベル、アビウデを生み、アビウデ、エリアキンを生み、エリアキン、アゾルを生み、アゾル、(494)サドクを生み、サドク、アキムを生み、アキム、エリウデを生み、エリウデ、エリアザルを生み、エリアザル、マツタンを生み、マツタン、ヤコブを生み。
 以上十一人中、特に記載すべきの歴史を有つ者なし、ヱホヤキンの兄弟ゼデキアの下に国民バビロンに徙されてより、紀元前六十三年羅馬の属邦となるに至りしまで六百余歳の間、民に流離散乱多く、為めにソロモンの栄華を極むる者なかりしと同時に亦其放肆婬逸に陥りし者もなかりしならん、而して其ヨセフの代に至て国王の継承者が木匠《たくみ》とまで変化せしを見て以て其落魄の状を察するに足る。
 
  十六、ヤコブ、マリヤの夫ヨセフを生めり、此マリヤよりキリストと称ふるイヱス生れ給ひき。
 王家の落魄其極に達して真個のユダヤ人の王は終に生れ給ひき、アブラハムの系統聯綿として繋がれ来りしこと二千余歳、而して茲に始て約束の子を見るを得たり、今試にキリストの血脉に走流せし血を分析し見んか、之に娼婦ラハブの血も流れ居れり、異邦人ルツの血も流れ居れり、姦婬のダビデの血も、彼の汚す所となりしヘテ人(黄色人種なりしとの説あり)ウリヤの妻バテシバの血も、一千の妻妾を畜へしと云ふソロモンの血も、偶像に赤子を燔祭に供せしと云ふマナセ、アモンの血も皆な神の子の肉躰の中に流れ居れり、嗚呼、彼れ如何でか之を十字架に釘けずして已まんや、彼は人類の罪を負へりとは蓋し此事を指して云ひしならん、イヱスの此系図を見て是れ彼の栄光を顕はさんために記されし者なりと做す者は未だ福音記者の真意を知らざる者なり、イエスの栄光は直に神より来りし者、故に彼の弟子も彼を頌讃するに方て曾て彼の系図を引証せしことなし、「彼は肉体に由ればダビデの裔より生れ、聖書の霊性に由れば甦りし事によりて明かに神の子たること顕はれたり」とは使徒(495)保羅の彼れに関する告白なりし、イエスは総ての汚辱を其身に受けて之を其聖善の霊性に由て洗ひ潔め給ひしなり、人類救済の希望は此驚くべき神の恩恵に於て存す、故に慰めよ、姦婬に由りて孕まれたる者よ、娼婦よ、偶像を拝する者よ、盗人よ、総て世の有りと凡ゆる罪人よ、爾等救済の途は開かれたり、イエスの系図に爾等の希望は存す。
   因に記す、キリストはヨセフと直接の血肉的関係なかりしより此系図を以てキリストの受けし遺伝性を論定すること能はずと云ふ者あらん、今此疑問に対して二要点の吾人の注目すべきあり、左に略記す、
  一、聖書記者の総躰はキリストのダビデの血族より出たる者なる事を信認せり。(行伝二章三十節、羅馬書一章三節等参考)。
  二、マリヤ亦ヨセフの血縁にして両者共にダビデ王の裔たりしは馬太伝一章十六節、路可伝三章二十三節に依り稍々察するを得べし、又彼等の結婚は本家相続の必要上、利未《リビ》律の或る条項に依て成りし者なるが如し、即ち路得記に記されたるルツとボアスとの関係の如きものなりしならん、
馬太の掲げし系図と路可の載せしものとの間に差異あること、并に二者の調和に就ては別に論究する所あるべし。
 
(496)     信州東穂高講談会講演大意
                  明治34年12月20日
                  『聖書之研究』16号「講演」
                  署名 内村鑑三講述 井口喜源治筆記
 
     第一回、真理の攻究
 
 真理とは真の理であります、故に多くの人の云ふ真理なるものは私共の云ふ真理とは違ひます、勿論動物学にも植物学にも政治学にも真理があります、牛と馬との関係を知るのも真理であります、血液の循環の理を知るのも真理であります、然し私共の云ふ真理とはそんな者を指すのではありません、私共のいふ真理なるものは真の理であつて又中心の理であります、真理とは総ての物の中真でありまして丁度地球の中心点の様な者であります、若し如何にかして我々が此万物の中心点に達することが出来ますならば是に依て総ての理を尽く知ることが出来るのであります。
 世に俗人といふ者があります、彼は何であるかといひますに、俗人とは只目前の実益よりほかのものに目を着けない者であります、例へば養蚕家にしましても唯養蚕で利益を得たいと計り欲ふ者は俗的養蚕家でありまして、利益を得る得ないに関らず蚕其物を研究の目的とする者が非俗的養蚕家であります、政治家などにしましても同じ事であります、日本は仏教国であるから仏教で治める方がいゝと云ひ、それならば仏教と云ふ教は善い教であ(497)るか或は悪い教であるかと問へばそれはしらないが只仏法の方が都合が善いではないかと答へます、かういふ風に常に実益応用にばかり目を付けて居る者は俗的政治家でありまして、都合の善い悪いに拘らず人間はかく治むべきものである斯く支配さるべき者であるといふことを研究する者を非俗的政治家と申すのであります。
 私は俗人は必ず悪人であるとは云ひません、只俗人非俗人の別は応用を目的とすると真理其物を目的とするとの別でありまして、是れは実に進歩と退歩、興隆と滅亡との岐路《わかれみち》であると云ふことを茲に断言するに躊躇致しません。
 東洋西洋と地理上で云ひますのはパミール高原を中心として其東西を指すのでありますが、東洋人と西洋人との性質には著しい差別があります、一は退歩で他の者は進歩、一は渋滞で他の者は活動であります、何故に東洋は渋滞で西洋は活動であるかと云ひますに、東洋は応用を代表し、西洋は真理を代表して居るからであります、斯くすれば旨く行くからやれと云ふのは東洋の精神でありまして、都合は善いか悪いかは知らぬが真理であるからやれと云ふのが西洋の精神であります、独逸の哲学家バロンプンセン氏の支那論を見ますと其結論に「支那人とは応用にのみ注目する人民である、支那人は只揚子江の沿岸や北京などにばかりに住んで居る者ではない、彼等は倫敦にも伯林にも住んで居る、此眼の碧い毛髪の紅い白哲人種の支那人は実に吾々の文明を妨害する者であつて彼等は総ての事を単に目前の利害にのみよつて定むる者である」と云て大に自国の人を罵て居ます。
 今年の夏期講談会に於きまして会員の質問の十中の八九は如何にして日本の家庭を改革せんかと云ふことでありました、又私が所々へ参りまして多くの人から尋ねられる問題も亦此家庭問題であります、然るに此日本国は昔から忠孝の教の盛なる君子国であると云はれて居りまするに、此国で第一に改革しなければならないものは家(498)庭であると云ふのは真に不思議の事ではありませんか、仁義忠孝を重ずると云ふ日本に真個《ほんとう》のホームの無いと云ふのは如何いふわけでありませうか、勿論日本人にも美点はあります、よく質素な生活をなし、能く客をもてなすなど礼義正しく外から見れば其家庭は如何にも立派な様に見えますが、其内部に入つて見ますと嫁と姑と争ひ、兄と弟の争論といふ様なことが実に多くありまして、彼等の家庭は楽しい処ではなくして却て苦い処のやうになつて居ります、待合茶屋のやうな不潔な所が繁昌するといふのも畢竟家庭が不愉快であるからであります、日本のやうな夫婦相和し、君に忠父母に孝といふ教の唱へられる国でありながら、そこに真個のホームは無くして反て「爾曹の父をにくみ、爾曹の母をにくみ、爾曹の兄弟をにくむにあらざれば、我よき弟子にあらず」と教ふる基督教の行はれて居る西洋に真正のホームのあると云ふのは実に不思議のことであります、そこで如何にして日本人の家庭を造り直すべきかといひますと其方法とては一つもありません、心の中に一致和合の泉がないから家庭に平和の来やう筈がない、それならば西洋にては何故にホームが整つて居るかと云ひますに之れはこれまで多くの人が真理のために殺され、多くの子供がその為めに勘当された結果でありまして、之は初めから今日の如くあつたのではありません、家庭改良の秘訣は家庭の平和に優りて真理其物を貴ぶ事であります、此精神なくして幸福なるホームは迚も得られません、国家の改良も同じ事であります、治国平天下を最大目的とする者は国に最も忠なる者ではありません、真正の愛国者は平和よりも真理を貴ぶ者であります、コロムウヱルの如き、ワシントンの如き、グラッドストンの如きは皆な斯う云ふ人でありました、吾々は利益に目を留めてはならない計りでなく、平和に目を注いでもなりません、真理一途の人のみが真個に国家を改造することの出来る人であります。
 
(499)     第二回、真理の特質
 
 昨日は真理と云ふものは真の理であつて又中心の理である、真理の応用にばかり注目するは退歩するわけであつて真理其物を目的とするは進歩するわけである、応用を目的とする者は俗人であつて真理其物に注目する者は非俗人である、又社会家族并に国家を改革せんと欲ふ者は真理其物にのみ着目しなければならないといふ事を御話致しましたが、今日は如何にして真理を得んか、真理は果して得られるものであるかといふ事に就て述べやうと思ひます。
 世の中に随分之れは真理である、正義であると思つてもそれが反て真理で無い事が沢山あります、例へば西野文太郎が森文部大臣を刺した時に彼は正義を行つた事と信じました、伊庭想太郎が星亨を刺しましたのも真理の為め正義の為めであると信じたでありませう、又人が私共に申しますことは「あなたが自分で真理であると信じて居ることも実は自分免許の真理であつて、若もあなたが年少《ちい》さい時より仏教信者の家庭に育てられて仏教の書を読まれたならば仏教信者になられたに相違ない、あなたの基督教を信じたのはあなたの境遇によつてそうなられたのである」と云ひます、しかし若し真理が境遇によつて支配さるゝものであるならばそれは真理ではありません、真理の真理たるわけは真理の外に何にも証明を要さないからであります、若し私共が2+2=4といふ真理に達しますればそれ以上の証明はいりません、その時は私共の脳と心と私共の全躰とが之れに同意を表します、真理といふものは在りのまゝのもの、清くして而かも深く、清き心を以て見れば誰にでも分かるものであります、何故に真理なるか、透明にして単純、之によれば何れの疑問も解釈することが出来るからであります、世の中に(500)は非常に困難して漸くサツト其信仰を維持して居る人があります、さういふ人の顔を見ますと常に心配さうな顔付をして今にも其真理がくづれはしないかと心配して居るやうであります、然し真に真理に達することを得ました人は悠然として安心して居ります、其時は自分が真理を持つのでは無くして真理が自分を持ち、自分が真理を抱へるのでなくして真理が自分をかゝへてくれるのであります、又世の中には真理を指して幽邃玄妙など云ふ人がありまして如何にも真理とは木の下でもくゞつてゆく細路のやうなものであつて普通の者には知れにくい所のものゝ様に思つて居る人がありますけれども、真理とは大道であつて細道ではありません、真理は誰でも行くことが出来き、又何処にでも応用することが出来るものであります、これは日本人に適した道徳であるとか、これは今日に適した主義であるといふやうなものは真理でありません、真理とは何れの時代にも何れの国にも応用することの出来るものであります。
 又茲に真理の攻究に於て大に吾々の参考になることがあります、それは何んであるかと云ふに之は世界の輿論と云ふ者であります、これは世界の輿論であります、英国又は米国の輿論ではありません、世界の輿論とは人類に歴史有つて以来世に顕はれた偉人、大英雄の輿論であります、是等の人達はどう云ふ事を信じて居つたか、是れ吾々の知らねばならない事であります、英国の大政治家ピツトと云ふ人は申ました、「偉人の言葉は有力なる議論なり」と、ソクラトス、プラトー、コロムウエル、ルーテル、ワシントンなど人類の歴史に大関係を有つた人の言ふた事、信じた事は大抵真理でなくてはなりません、若し私共の持説が是等の人々の人生観と異つて居ますならば私共は大に自己に顧みて、深く再び私共の所信を検査致さなければなりません、之に反して若し幸にして私共が彼等の信ぜし通りに信ずる事が出来ましたならば私共は大に安心して宜う御座います、私共は古人に対し(501)て深き尊敬の念を懐き、彼等の信仰に依て私共の信仰を験《た》めさねばなりません。
 真理の第三の試験石は実行であります、学問を修むれば真理は得らるゝ者であると思ふのは間違ひであります、真理は大学にも大学院にもありません、斯う云ふて私は学問を見下げる者ではありません、然しながら実行に由らずして発見することの出来るもの、又は知て直に善行となつて現はるゝものでなければ真理ではありません、真理を哲学と同視するのは大間違であります、真理は真理、善行は善行などゝ云ふのは未だ真理の何たる乎を知らない人の言であります、謙遜なる心、潔白なる精神、寛大なる行為、是れ皆な真理に達するための必要条件であります、樹は其果実を以て知らる、真理は其結果に由て分ります、常識に則れる善行は真理を判分するための最も正確なる試験石であります。
 
     第三回、基督教と真理
 
 昨日御話申しました真理の要素に基督教が符合して居るか、基督教は果して真理であるかと考へて見ますと、基督教は単純で明白なる宗教であるといふことは誰も能く知て居ることであると思ひます、釈迦牟尼といふ人は実にエライ人であつて仏教は実に宏大なる宗教であります、然し仏教について誰も異論のあるまいと思ひますことは仏教とは甚だ複雑したる宗教であると云ふ事であります、例へば鉄瓶がこゝにあるとして之を有ると思ふのも間違であると云ひ、無いと思ふのも間違であると云ひ、有るが如く無きが如く考ふるのが真理であると申して居ます、有ると考へるのが小乗で、無いと考へるのが大乗の入口で、有るでもなく無いでもないと考へるのが大乗の奥の手であると云ふ事であります、丁度八幡の森へ入つた様なもので何方へ行つていゝか分りません、井上(502)博士が仏教が宏大なる宗教であることは其経文の多いので分る基督教の浅薄なるのは其経典が只一冊しかないので分ると申されましたけれども、是れ複碓と深遠とを混同した説であります。神は愛也、God is love 言葉としては僅に三つ、これほど単純な言葉はありません、併し又これほど深い言葉はありません、宇宙を尽しても此言葉を入れ尽す事は出来ません、神は 愛で ある、といふ何れも実に深い重い言葉であります、基督教とは斯くも単純明白なるものであります。
 さて基督教に就ての世界の輿論は如何である乎と申しまするに、基督教ほど昔から今日に至りますまで世界の偉人の賛同を得た宗教はありません、若し世にコロムウエルが無いと致しましたならば今日の英国はないのみならず、今日の米国も亦今日の日本も無いでありましたらふ、コロムウエルは実に世界的の大人物でありました、然しながら此人をして斯くも偉大なる者たらしめし者は何でありましたらふ、コロムウエルより彼の基督教を取り除いて御覧なさい、彼は殆んど無い同然の人であります、基督教とコロムウエルとの関係は精神と肉躰との関係であります、基督教なくしてコロムウエルはありませんでした。 又グラツドストンを御覧なさい、彼は実は政治家ではないのであります、彼は実は基督教の伝導師であつたのであります、彼は其全身全力を英国のために捧げたのではなくして、之を基督に献げたのであります、基督を離れてグラツドストンは論ぜられません、彼に取りましては基督は彼の善行の都ての原動力でありました。
 又ダンテの如き詩人に於きましても、ラフエル、アンゼロの如き美術家に於きましても、文明世界の第一流の人物の最大多数は基督を救主として仰いだ者であります、又フランクリンやジヱフアソンのやうに基督信者とは称ふべからざる人でも基督の人物に対しては皆な非常の尊敬の念を懐いた者であります、若し偉人の輿論のみが(503)真理を定むるものでありまするならば基督教の真理たるは何人も疑ふことの出来ないことであります。
 又第三の実行の点に就ては如何にといふに、日本に於て何れの地が最も腐敗して居る乎と云ひまするに、神社仏閣の盛なる地ほど腐敗して居る所はありません、例へば下総の成田であるとか、尾張の熱田であるとか、伊勢の山田であるとか、讃岐の金此羅、信濃の善光寺など、神仏が盛なれば、盛なるほど其土地は腐敗してそこに淫走の風が盛に行はれて居ます、信仰は道徳と併行すべきものであるのに、神仏の場合に於ては二つの者は逆行して居ります、今日の基督教は如何に腐敗して居ましてもまさかに其会堂附近に妓楼の設置を許すまでには腐敗して居りません、道徳と離れて研究の出来る宗教は決して真個の宗教ではありません、清き心と潔き行為に由るにあらざれば到底解するを得ない者でなければ真個の宗教と称ふことは出来ません、世には能く神の存在が解らない、基督の神性が分らないとて私共の所へ質問に来る人が度々ありますが斯う云ふ人に対て私共の答ふべきことは「爾の行為の改めよ」との一言であります、自己を慎み、利慾の念を断ち、心の穢れを洗はんと努むるにあらざれば基督教の真理は分るものではありません、基督教は理屈を以てのみ分るものではありません、是れ其真理なるの最も明白なる証拠であります、さうして亦基督教を理解して其人の行為に大変動の来らない理由はありません、基督教に於ては信仰と行為とは同一物であります。
 単純で、明白で、世界偉人の輿論であつて、亦之を学ぶに高潔なる行為を要する基督教は宇宙の真理でなくてはならないと思ひます。         
 
(504)     第二回夏期講談会の地
            (信州小諸)
                   明治34年執筆
                   昭和七年版『内村鑑三全集』10巻
                   署名なし
 
 信州は日本の最高所なり、日本の大河は概ね信州を中心として国の四方に向て流る、其信濃河は勿論此地に生れ、其千曲、筑摩に養はれて西の方日本海に入る、其木曾河も此地に起り、尾張美濃の汚地を洗ふて東の方伊勢の海に入る、其天竜は仏のローンの如く、其諏訪湖は瑞のゼネヴに似たり、其他利根なり、大井なり、多少此地に養はれざるはなし。
 日本を潔めんと欲せば先づ信州を潔めんとは余輩の宿論なり、水の最も清きは信州なり、山の最も高きも亦信州なり、亦人の最も純撲にして而も時には憐むべき程までに正直なるも信州なり、若し日本に精神的大革命の臨むあらば是れ信州よりならん、恰も欧洲を潔めし宗教と政治とは瑞西山中ルセルン、ゼネヴの湖辺に起りしが如し、今や四方悉く腐り、広島の如き、名古屋の如き、日本国の掃き溜めと称せらるゝに至り、大阪に骨髄なく、東京に熱血なく、神戸、横浜、仙台、金沢、皆悉く悪臭紛々たるに至て惟り浅間山麓に尚ほ日本人らしき日本人の痕迹を留るあるを見る。
 余輩茲に惟ふ処あり、第二回夏期講談会の地を信州小諸に移さんと欲す、浅間の中麓に位し、千曲の上流に臨(505)み、遠く飛越の山岳の夏尚ほ白冠を戴くを望み、武田信玄の猛将山本勘助が縄張りせしと云ふ小諸城址を擁し、冷泉は至る処に湧出し、松林到る所に抜爾撒謨《バルサム》香を放つ、此処に全国の同志相会し、イザヤ、ヱレミヤの警告を聴き、キリスト。パウロの福音に接せんと欲す、若し夫れ上田、小諸、伊那地方の同志の歓迎接待に至ては更に間然する所なけん、敢て乞ふ全国の友人よ、来て余輩と彼処に会せよ、若し夫れ真理を聴くの余暇に浅間の登山と千曲の垂釣とを試みられんことは勿論諸氏の勝手たるべし、謹んで告ぐ。
 
(507)   別篇
 
  〔付言〕
 
  在一ノ関 宮川巳作
  「史料として使徒行伝の価値」への付言
         明治34年1月22日『聖書之研究』5号「研究」
 編輯生白す、論者身は実地伝道の難局に当り而かも斯の如きの精論を綴るの余裕と学識とを有す、余は地方僻陬の地に此聖書学者あるを喜び、彼の筆と信仰との益々旺ならんことを祈る
 
  「丹波だより」への付言
         明治34年3月14日『無教会』1号「夜話」
 余は人に師と呼れて誇る者にあらず、否な余は人に師と呼ばるゝの価値なき者なり、然れども、此寂しき社会に在て我が此愛する日本国に亦数多の同志あるを知つて大に心強く感ずるものなり、志賀真太郎君は丹波の人、今日まで既に二回、三百余里の山河を遠しとせずして態々余を角筈の居寓に訪はれたる仁《ひと》なり、今茲に此愛友あるを他の誌友に告げ、以て諸氏と共に君の如き篤実の士を侶《とも》とせんことを欲す、 記者誌す
 
  白浪子「出埃及歌」への付言
         明治34年4月5日『無教会』2号「詩歌」
 編輯子白す、余輩は此新詩人を吾が読者に紹介するの名誉を有す。改行
 
(508)  新井奥邃「真道之感(一)」への付言
         明治34年4月22曰『聖書之研究』8号「思想」
 (記者白す、新井君は仙台の人、幕末の頃より米国に航し、彼地に留ること三十有余年、深く基督教の奥義を究めらる、君の信仰にして余輩の及ばざる所のもの多し、余輩今君に乞ふて君の所感を茲に掲ぐるに際して読者諸君が深く敬虔の念を以て此老錬の士を迎へられんことを希望す。)
 
  神田 行田生「孤児のおひたち(承前)」への付言
         明治34年5月5日『無教会』3号「実験」
 記者云ふ、慰めよ、慰めよ、此位ひの事は人生の常なり、キリストは既に世に降れり、彼に在て慰められ得ぬ苦痛はなきなり、同情の余り一言を附す。
 
  湘川漁夫訳「フロリアン物語」への付言
         明治34年6月5日『無教会』4号「夜話」
 記者白す 左の物語は曾て東京独立雑誌上に掲載したるものなるも其後中絶したるを以て這度再び次を逐ふて本誌に掲載せんとするものなり 故に茲に訳者の序文と共に掲げ記す
 
  トルストイ伯駒井権之助訳
  「悔改める罪人」への付言
         明治34年6月20日『聖書之研究』10号「雑記」
  記者の註
 吾人が神に救はるゝは神の憐憫に因るにあらず、憐憫は道理なき感情にして、神は道理なくして吾人を赦し給はざるなり。
 吾人が神に救はるゝは神の愛心に因るなり、愛は心情の道理に伴ふものなり、然り愛は道理其物なり、神は道理に基ゐて吾人を救ひ、亦吾人に聖霊を下して彼の道理に順はしめ給ふ、吾人は神の道理(愛)に基かざる救済に信を置くべからざ(509)るなり。
 
  事務員佐藤武雄「第二回夏期講談会経費収入支出決算報告」への付言
         明治34年8月25日『聖書之研究』12号「伝道」
 註、炊事方の経済其宜しきを得たるが為か食費収入八拾参円六拾銭に対して拾円余の剰余を生じたり、是れ寄宿員諸氏に対して一言謝せざるべからざる処なり、然共一方に於て校舎借料及炊事方労働報酬として前記報告書之通りなる支出ありしを閲覧せられて幸ひに是れを諒せられよ、又会員諸氏の内にて一回或は二封の出席ありしのみにて尚会費を全納せられしは深く本会の感謝する処なり。
 
  「講談会感想録」への付言
         明治34年8月25日、9月20日
         『聖書之研究』12・13号「伝道」「雑録」
 「注」は会主の附する所、次序は略ぼ原稿到来の順に従ふ、尚ほ本号に洩れし者は之を次号に掲ぐべし。
〔「美作津山 森本慶三」の感想文の末尾に〕
 註、嗚呼是れなりしか、是れなりし乎、余は事務に忙殺せられて斯くも快楽の多かりしとは知らざりき、然れども円満なる月下の園遊会に於ては余自身もこは天の上の事にはあらずやと独り自から疑ひたりき。
〔「小山内薫」の感想文の末尾に〕
 註、嗚呼第二回夏期講談会よ、汝は少くとも此一青年を救へり、十日間の苦熱何かあらん、一人の霊魂を救ひ得ば百年の労も惜むべきにあらず、嗚呼基督教! 我は其宣伝者となりしを喜ぶ。
〔「第一口頭学校生徒 生国鹿児島市 大河平隆光」の感想文の末尾に〕
 註、若し麑島人なる大河平君に此抱負と謙遜とあらば日本国第二の維新の功績も亦薩摩人の手に落ちざるべからず、「再生の西郷南洲は之れ日本のヲリヴアー、コロムウエルに非ずや」、然り実に然り、君それ彼たれよ、神は君の弱きを助けん、神に頼りて吾人は西郷に勝るの偉人たり得るなり、余は祈て君の将来を待たん。
〔「静岡市紺星町 学生 倉橋惣三」の感想文の末尾に〕
 註、正直なる表白、神は不正直なる信仰よりも正直なる懐疑を愛し給ふ、他人の歓喜を羨む勿れ、神が己れに賜ひしも(510)のを以て満足せよ、たゞ信仰の上達を祈れ、今日の信仰を以て満足する勿れ。
〔「事務員 佐藤武雄」の感想文の末尾に〕
 註、悲的人生観を永久に退治すること、是れ基督教が此世に存在する主なる理由なり、復活、昇天、再来、一つとして悲感の殺消剤たらざるはなし、人は喜的人生観を懐く丈けそれ丈け深く基督教に入りしなり、死を一つの帷幄如くに見るに至て天国は吾等より遠からざるなり。
〔「千葉県山武郡大和村三須兵三郎」の感想文の末尾に〕
 註、三須君に謝す、余が此度び来会者に与へんと欲せしものを君は能く悉く収得せられしを、君は講談会の全部を感得せられしが如し。
〔「美作古町 平民農 有元新太郎」の感想文の末尾に〕
 註、聖書の言其儘を賞味するに至る、是れ真理を聴くより来る最も美はしき結果なり、一を聞いて十を知るを得るに至るは聖書智識の特質なり、君は余の伝へざりし所にまで余の主張を読み給へり。
〔「大阪市東区備後町三丁目 洋反物商 小泉精三」の感想文の末尾に〕
 註、私共もごくつまらない者であります、然し神の光に輝されて幾分か光を放つことが出来るやうになりました 是はそれ故に私共の光ではありません、神の光であります 神を讃めてください 私共如き卑き者に由てまで光を放たるゝ神を讃美してください、
〔「東京 浅野猶三郎」の感想文の末尾に〕
 註、復活の希望、夢にあらず、幻にあらず、聖書の証言する事実なり、天然の指明する事実なり、楽園の回復は詩人の夢想にあらず、神の誓約なり、喜ぶべきにあらずや。
〔「信濃小諸 小山英助」の感想文の末尾に〕
 註、四十名の同志者あれば天下を一変せん、然り十二名の使徒は全世界を一変せり、キリスト教は此地上に現はれたる最大勢力なり、六十余名の講談会来会者は若しキリスト教を有の儘に信ずるを得ば遠からずして日本国を一変し得るなり、是れ青年の壮言にあらず、ソーバーなる歴史的事実なり、諸君余の言を信じ得るや否や。
〔「信州小諸 渡辺寿」の感想文「講談会感謝録」の末尾に〕
 註、謝するに及ばず、努めよ、先づ小諸人を悉くキリストのために※[手偏+虜]《とりこ》にせよ、然る後に信濃全国を平げよ、然る後に心霊的の天竜河となり、木曾川となり、信濃河となりて精神的(511)に日本全国を灌漑せよ、是れ出来難きの業にあらず、万軍の主ヱホバは我等と伴に在り給ふ。
〔「栃木県下都賀郡稲葉村 小西曾次郎」の感想文の末尾に〕
 註、小西君に白す、余も憐れなる罪人の一人なり、余も幾回となく「噫われなやめる人なるかな」を叫ぶ者なり、余は君の敬崇を価する者にあらざるは勿論、多くの点に於て君に劣る者あり、只幸にして神の顧る所となりて「困苦人《なやめるひと》なる哉」を嘆ずると同時に「是れ我儕の主イヱスキリストなるが故に神に感謝す」を喊ぶを得し者なり、余の如き者をさへも救ひ玉ふ神は必ず大に君を恵み給ふべし、君決して落胆する勿れ。
 唯一事君に忠告すべきあり、若し人ありて復活を信ぜざるも、又来世の存在を認めざるも君はキリスト信徒たるを得べしと君に告ぐる者あるも君其人の言を信ずる勿れ、キリスト教は倫理にあらざるなり、キリスト教は教義に伴ふ倫理なり、君願くは復活を信ぜざれば止み給はざれ、そは大なる倫理は復活の信仰に因て君の心に湧き来ればなり、余は重複して君に云ふ、「君ユニテリヤン的信仰を以て満足する勿れ」と。
〔「長野県南佐久郡田口村 高橋周助」の感想文の末尾に〕
 註、沈黙を守れる此信州人士、余輩は彼の心底に量るべからざる深所のあるを認めたり、願くは千曲水源に於て彼に依て大光明の揚らんことを。
〔「埼玉県比企郡玉川村 宮崎貞吉」の感想文の末尾に〕
 註、余を恨み給ふな宮崎君、君は確に此講談会に於て最も多く利益せし者の一人なり、君は大疑問を供せられたり、是れ神が君を光明に導かんがための階段なるを知られよ、一度は大苦痛を感ぜしめざる医師は深切なる医師にあらず、余は神に謝す、彼が余を使役して君をして苦痛の上に更に苦痛を感ぜしめしことを、君の医癒の時は遠からず、祈れよ、闘へよ、最終まで忍ぶ者は救はるべし、余は君の為めに祈て怠らざるべし。
〔「備前岡山 生駒鉄男」の感想文の末尾に〕.
 註、予を誤解せらるゝも可なり、然れども神とキリストに関する誤解は全く排除せざるべからず、君は人を通してキリストを信ずべからず、キリスト彼自身に就て彼を信ずべきなり、而して彼の深さと高さとよ………而して吾人は如何にして之を知らん乎、謙遜なるに由て、自我の罪悪を認るに由て、灰を被り衣を裂て我の欠所を嘆ずるに由て、天国は自遜なる河の彼岸にあり、是れ吾人の一日も忘るべからざるもの。
(512)〔「岩代福島 矢村ヒデ」の感想文の末尾に〕
 註、女子独立学校斃れて其三十余名の生徒は四散し、今や余を訪づる者甚だ稀なるに茲に彼等の中の一人ありて、来て余の家族と共に婢僕の労働に従事せられしを感謝す、労働の神聖を唱ふる者は多し、之を行ふ者は尠し、余の真正の弟子は余の教訓を行ふ者にして之を口にする者にあらず、余は尠くとも一人の弟子を余の女生徒中に得しを神に感謝す。
〔「福岡県鞍手郡中村 当時千葉県庁在勤 小田米太郎」の感想文の末尾
に〕
 註、馬可伝第八章二十二節より二十四節までを参考せられよ、而て君も医癒の途に就れしを知て感謝せられよ、若し忍で怠ずば「庶物《すべてのもの》あきらかに視」ゆるに至らん。
〔「群馬県邑楽郡西谷田村 永島与八」の感想文の末尾に〕
 註、永島君は足尾銅山鉱毒事件が産出せし最も有益なる結果の一なり、悪魔は竟に真理を圧服する能はず、二十余万の無辜の民より衣食の料を奪ひし古河市兵衛氏と雖も人の良心を奪ふは難し、願ふ永島君の精神の全被害地に布及して、其大不幸は変じて大幸福となり、日本国の革新が渡良瀬河沿岸の地より始まらんことを。
〔「茨城県筑波郡田水山村 飯村覚次郎」の感想文の末尾に〕
 註、ハレルーヤ アーメン 感謝、感謝、感謝、世の悩める人よ、何ぞ此人に学びて今日直にイエスに来らざる、彼に医癒あり、生命あり、噫何んぞ速に彼に来らざる。
〔「東京浅草 中村新太郎」の感想文の末尾に〕
 註、平静なる生涯、是れ神の甚だ愛し給ふ生涯なり、君必しも偉人たるを要せず、激変の生涯、亦必しも君の追求すべきものにあらず、平和なれ、而して平和の神の栄光を顕はせよ。
〔「信濃上田 栗山信夫」の感想文の末尾に〕
 註、是れ今回の夏期講談会に於ける惟一の不平の声なり、惟り怪む此不平の声が益富君の如き肥後の人より、或は大河平君の如き鹿児島の人より来らずして、栗山君の如き信州の人、而も其上田の人、而も其独立苦楽部員の一人より来りし事を。
 又怪む君の不平は余輩の説きし真理の如何に由るに非ずして余輩が君に割宛てし室の善悪に由りし事を、埼玉の宮崎君は神の光明の心に臨まざるを以て泣けり、然るに上田の栗山君は居室の暗黒なりしが故に呟《つぶや》けり、余輩は栗山君が他に不(513)乎を唱ふるの源因を有せざりしを悲む。
 余輩は特別に信州人士を虐待せしと思はず、否な、多くの点に於て余輩は多くの特別の信任を以て諸氏を迎へしと思ふ、若し余輩が諸氏に校舎第一等の室を供せざりしならば是れ余輩が諸氏に特別の親任を置きたればなり、然るに今にして此人より此不平の声を聞く、余輩は栗山君が余輩の親愛を空うせられしを惜む。
 余輩の不行届に就ては余輩の重々来会諸君に向て免を乞はんと欲する所なり、若し他の諸氏にして不平を述べんと欲すれば蓋し栗山君のそれに勝る者多からん、今君の明白なる言を聞いて余輩は深く己に責る所なくんばあらず。
 尚一事記載すべきあり、室の撰択は余(内村生)自身の決行せし所にして事務員佐藤君の責に任すべき所のものにあらず、故に栗山君の「薄謝」は余(内村生)謹んで拝受す。
〔「東京浅草 篠崎篤三」の感想文の末尾に〕
 註、予輩に基督教の外宗教あるなし、余輩は基督の外に救主を求めず、世或は余輩の狭隘を笑はん、然れども是れ余輩の信仰なり、余輩は斯く表白するを恥ぢず。
 人類は既に六千年間の宗教的経歴を有す、而して孰れが有力なる宗教なるか、又孰れが無力なる者なる乎、既に歴史家の定論あり、今は宗教を作るべきの時に非ず、之を適要すべき時なり、如何なる偉人も彼の一生涯に於て大宗教を編み出すの能力を有せず、基督教を産むに四千年間の用意を要せり、而して之を完全ならしむるに尚ほ二千年間の鍛錬を要せり、余輩は信ず、既に英国を救ひ、米国を救ひ、独逸を救ひ、地球面上五千三百万方哩の地域を占め五億万の民を教化しつゝある基督教は今日の日本国を救ふて尚ほ余力あるを。
 余は信ず、若し篠崎君にして君の心を全く基督に捧げ得るならば君は彼の救拯の完全なるを認めて他に生命を求むるの要を感じ給はざらんことを。
〔「事務員 岡村誠之」の感想文の末尾に〕
 註、善良なる友よ、余は余りに高遠なる思想を述べて君をして失望せしめしを悲む、然れども余は信ず、君の憂ひは「悔ひなきの救ひを得るの悔改めに至らしむ」る者なる事を(哥林多後書第七章十節)、君は勿論「ヱホバ信者」を以て満足すべきにあらず、君は速に再び「キリスト信者」たるべきなり、然り、君は既にキリスト信者たるなり、そはたらずと思ふ事がたるの重なる証拠なればなり。
(514)〔「東京麹町 吉川一水」の感想文の末尾に〕
 註、二歳の童子の実験としては余りに早熟なり、謹んで神の栄光に眩れて盲する勿れ、進めよ、然れども静かに、闘へよ、然れども理解力を以て、主が君に賜ひし総ての能力を使用せんことを努めよ、願くは君の全生涯をして全人類を益するが如き大感想録たらしめよ。
〔「伊予国新居浜 住友別子鉱業所傭貞 北脇筍次」の感想文の末尾に〕
 註、若し生活の境遇を以て語らんには北脇君と余とは異域の人なり、然るに此貴公子的一紳士、暑を冒して予州より来て此会に列せらる、而して君は粗野なる余と余の家庭の裏面に神の働き給ふを認めらる、吾等深く神と君とに感謝せざるを得んや、言ふを止めよ、富める者の神の国に入るは駱駝の針の孔を穿るよりも難しと、そは全能なる神に為し能はざること一つともなければなり。〔「東京越前堀 時計職 加藤恒吉」の感想文の末尾に〕
 註、加藤君は年齢と書物上の智識とでは余の弟子であるが、心の清きことゝ自転車に乗ることゝでは君は余の先生である、今回の会合に於て余は君と語ること最も多く(重に自転車の事に就て)、君の無邪気なる想に接して余の益する所は甚だ多かつた、余は信ず去る三日の夕刻君が余の言を納れて伝道師たるを止めて工手学校入学を期して余の許を去られし時に、君の後髪を引張し者は確に余自身なりし事を。
〔「日向穂北 黒木耕一」の感想文の末尾に〕
 註、書記先生に斯く見抜かれて僕も大満足、人を愛せざれば彼を識る能はずとはカーライル先生の言、黒木君余を愛す、故に聊か余を識るを得たりと申さんか、然し敵人の眼から見るならば余の少しく多面的なる所が余の偽善者たる所謂であるかも知れない、何れにしろ他人の批評には善きも悪しきも余り深く眼を留めない方が宜しい、吾等は地獄へ落されても神に縋るまでゞある、日本帝国の臣民に悪人視せらるゝ位ひの事は屁の河童と申さんのみ。
〔「熊本県球磨郡藍田村 益富政助」の感想文の末尾に〕
 註、肥後人でありながら此炎天に九州より遙るばると此会合に臨まる、其志既に感謝すべし、而して就て彼に接すれば一個の好平民、顔は満月の如く円く、心は蒼空の如く清らかなり、得し者は実は彼にあらずして我なり、噫、九州男子、日本の未来は矢張り西にある乎、天下を思ふの心、人類を想ふの念は今尚ほ東に於てよりは西に於て旺なるが如し、心せ(515)よ、東北人士、愛国者は矢張り西方に多きぞ。
〔「但馬 小出満二」の感想文の末尾に〕
 註、神を認みるに何ぞ信者未信者の別あらんや、神は人類の父なり、神を説くは人類に其父を紹介するなり、誰が誠実を愛する者にして神を聴いて之を斥けんとする者あらんや、余輩は益々神を説くに躊躇せざるべし、そは世には君の如く神を強ひざるに喜んで彼を受けんと欲する人の多かるべければなり。
〔「鹿児島県姶良郡西国分村真孝 土木科 野村清次郎」の感想文の末尾に〕 註、講談会よりの帰途車中に卒倒し、まさに生気絶えんとせし君は蘇生して復活の事実を吾等の前に述べられぬ、復活勿論蘇生にあらず、然れども蘇生に類する者なり、君の実験亦た吾等の信を強むること大なりき。
〔「名古屋市 広島外三」の感想文の末尾に〕
 註、基督教は学問にあらず、然れども学問を奨励するものにして基督教の如きは他にあらざるなり、永生の希望を得て新たに勤学の念を起せし者は甚だ多し、広島君は其一人なり、見よや基督教の勧学の能力《ちから》を。
〔「東京麹町 西沢八重子 十六歳」の感想文の末尾に〕
 註、八重子嬢は余の恩人の一人なり、昨年余の女生徒が悉く余を去りし時に嬢一人は余を信じ、余と進退を共にせられき、爾来嬢の辜なき温貌が余の寂寞を慰めし事幾度びぞや、余は神が永く此|天使《アンゼル》を守り、彼女をして世の多くの悩める者を慰むる者とならしめ給はらんことを祈る。 〔以上、8・25〕
〔「越後国刈羽郡柏崎町牛乳店 品川豊次」の感想文の末尾に〕
 註、一個の牧牛詩人、涙あり、笑ひあり、音楽あり、頓智あり、彼れ我等と共にありて、我れ彼を化せしか、彼れ我を化せし乎を知らず、世の歓喜なき者よ、彼に就て学べよ、聖書と牛と音楽とは彼を幸福なる者となせり、吾人何人も深く彼に就て学ぶ所なかるべからず。
〔「京都 川村六三郎」の感想文の末尾に〕
 註、川村君は京都の桶屋さんなりと云はゞ普通の人ならば怒りもせん、然れども桶屋にして神の真理を索めんために其槌を箍とを投じて来て此会に会するに来りしは是れ天国が此日本国に臨みし一兆候ならずや、天国の福音は始めて大工の子に依て此世に伝へられ、漁夫之を世界に宣布し、錫職工(516)のバンヤンは天路歴程を著はし、靴職工のケリーは印度に宜教師たり、畿内に戦士なしとは空事なり、京都に義侠の士あるは、木戸菊松の実験せし所のみならず、亦余自身の実証する所なり、曰く川村君、曰く便利堂兄弟、余は京都人士を忘れず。
〔「飯泉生」の感想文「講談会号を読む」の末尾に〕
 記者白す、尚ほ此外にも寄贈多けれども本誌に余白なければ止むを得ず「無教会」雑誌に掲載することとせり、寄贈家并に読者諸君幸に之を諒せられよ。 〔以上、9・20〕
 
 第二回夏期講談会
         明治34年9月5日『無教会』7号「交感」
 夏期講談会は実に美はしい集会でありました、其委細は「聖書之研究」に載せて置きましたから茲には繰り返しません、只羽後国飽海郡遊佐村の梅木達治君が鳥海山の麓より遠路遙々此会に臨まれまして、此会に就て感ぜられし事共を細々と書いて送られましたから「研究」雑誌に載すべき者を茲に掲げる事に致しました、其中にある私共を賞められし言葉は甚だ不当のものと思ひますが、然し之を削て文の真面目《まじめ》を傷けるの怕れがありますから、君の文章有の儘を掲げることゝ致しました、其積りで読でください。(内村生)
 
 「紀州だより」への付言
         明治34年9月5日『無教会』7号「通信」
 記者申す、若し世に愛すべく、敬すべき人あれば是れ紀伊の梅北雪平氏なる、純粋なる日本人、其衷に一の詭詐《いつはり》あるなり、読者諸君にして若し氏と交通せんと欲する者あらば直に書を高野山麓なる氏の家に馳せよ、必ずや梅よりも香はしき、雪よりも清き思想に接するを得ん、謹んで告ぐ。
 
 「陸中より」への付言
         明治34年9月5日『無教会』7号「通信」
 記者申す、高野山麓に梅北君あり、北上河岸に斉藤君あり、共に教鞭を小学の教室に執らる、誰か知らん、両君の指教せらるゝ幾多の児童中一人のルーテイ又はカーライルなき乎を、(517)日本の将来は未だ全く絶望的ならず。
 
 悲痛子「愛児と訣別後筆のまにまに」への付言
         明治34年9月20日『聖書之研究』13号「実験」
 記者白す、読終て涙数行、現時の社会に彼女に同情を寄する者は多からん。
 「講談会の余韻」への付言
         明治34年10月6日『無教会』8号「交感」
〔「麹町区霞ケ関三番地 小野保之」の感想文の末尾に〕
 註、善くも基督教の一面を解せられたり、基督教に二種あり、manly(男らしき)なると、womamly(女らしき)なると、而して今の世は男らしき基督教を要す、深く思ひ、遠く計り、強く行ふの基督教を要す、君それ努よや。
〔「静岡県庵原郡袖師村嶺 学生 沢野通太郎」の感想文の末尾に〕
 註、然かせよ、然かせよ、童子が狼と豹と熊と獅とを導く時は至らん(以賽亜書十一章六節)、天国に属けるいと微けき者は此世のいと大なる者よりも強し、励げめよ。
〔「甲府 矢崎恒蔵」の感想文の末尾に〕
 註、君は講談会より其総ての利益を収められし者の一人なりと云はざるべからず、余輩峡中に道を宣べんと欲するの希望を懐くや久し、今や君にして此希望を齎らして帰らる、余輩の希望は空しからず、深く君の来会を謝す。
〔「東京牛込 小松英一」の感想文の末尾に〕
 註、基督の弟子たれよ、又彼の羊たれよ、基督を真似よ、又彼を信ぜよ、基督に教へられよ、又彼に購はれよ、基督の如くなれ、亦彼に使役せられよ、砂一粒づゝ除きつゝ天国を我が者とせよ
 「長崎だより」への付言
         明治34年10月6日『無教会』8号「通信」
 左のやうな手紙が在長崎の肥後人から来た、実に愉快なる手紙である、
 
(518) 井口生「信州東穂高講談会日誌大略」への付言
         明治34年11月7曰『無教会』9号「通信」
 内村生白す、東穂高に於ける諸友人の※[疑の旁が欠]待優遇謝するに言葉なし、信仰薄き余の事なれば諸氏を益する至て尠かりし事は余の信じて疑はざる所なり、余は至《いと》高き者の恩恵が諸氏の上に降りて余の諸氏に頒つ事能はざりし多くの善き者を諸氏に与へられんことを祈る。
 
  松本 相原英賢
 「信州松本に於ける内村鑑三君」への付言.
        明治34年11月20日『聖書之研究』15号「雑録」
 内村生白す、松本に於ける諸教兄の歓迎は実に近頃の快事であつた、其処には教派的悪感情なる者は少しもなかつた、我等は一躰となつて基督と日本との為めに働いた、終には相合同して日本的大教会を作らんとは彼地に於ける我等の重なる談柄であつた、我等は真木重遠君の最も熱心なる祈祷を以て別れた。
 札幌 竹内余所次郎
 「札幌に於ける内村鑑三先生」への付言
          明治34年12月5日『無教会』10号「感想」
 内村生白す、讃辞は都て之を受けず、事実は都て之を拝受す、夏期講談会に黒木耕一君ありしが如く、札幌講演に竹内君ありしを感謝す
 
(519)  〔社告・通知〕
 
 【明治34年1月22曰『聖書之研究』5号】
    謹言
 左の読者諸君より年賀状を賜はりたり、茲に諸君の好意を深く謝し、併せて我が誌友総躰の健康を祈る(【但し一月九日までの分】)
 明治三十四年一月
                  聖書研究社
                   内村鑑三
 
    謹告
 投書を歓迎す、可成丈け簡短なるを要す、清浄なる感情の発表、精細なる聖書研究の結果、改信の事実等皆な可なり、但し其採否の権は之を主筆に附与せられたし。
 余輩は信ず、今や真正の宗教は都下の先輩の中にあらずして地方の無垢の信徒の中にあるを。
                  聖書研究社
 【明治34年3月14日『無教会』1号】
    読者諸君に告ぐ
 「無教会」は本誌并に「聖書之研究」読者の交通機関なり、故に読者は何人も其紙面に投書するの特権を有す、但し余り長言を避くべし、地方の状態甚だ可なり、且つ心中の憂愁を訴へよ、或は読者中之を癒すを得る者あらん、願くば其紙面をして実物的教会たらしめんことを、  主筆白す
 【明治34年3月22日『聖書之研究』7号】
    謹告
 神若し許し給はゞ来る七月二十五日より十日間東京に於て第二回夏期講談会を開く、但し会場の義は追て広告可仕候
 来会申込七月一日限り、会費金壱円、滞在費一日凡そ金参拾銭
 明治三十四年三月
               会主 聖書研究社
(520)                予定講師
                 大島正健
                 湯浅吉郎
                 留岡幸助
                 松村介石
                 田村直臣
                 丹羽清次郎
 
 【明治34年4月22曰『聖書之研究』8号】
    謹告
 本誌義是迄内務省の管理の下に出版条令に依り発行し来り候処今や時勢は余輩をして政治、社会、文学、宗教の現状に対し時々予言者的警告を発するの要あるを感ぜしめ候に付き次号即ち第九号よりは本誌を警視庁の管轄に移し新聞紙条令の下に発行することに致し候間此旨読者諸君に於て予め御承知置被下度候也
 
  明治三十四年四月        聖書研究社
 【明治34年7月20日『聖書之研究』11号】
    予告
 次号即ち第十二号は第二巻の終りにして夏期講談会号なり、講談の筆記を載する外に来会者七十余名各自の筆に成る「講談会感想録」なるものを掲ぐべし、角筈山上如何なる楽園が組織されしか就て見られよ、編輯の都合により八月廿五日発兌す。
 
 【明治34年8月25日『聖書之研究』12号】
    謹言
 本号を以て本誌第一週年を終る、余は其余の理想とする所と相距る甚だ遠かりしを悲む、余は其第二年期に於て多きを約束せざるべし、然れども其幾分なりとも努むる所なるべし、更に読者諸君の寛容と賛助とを待つ。
                  内村鑑三
 
(521) 【明治34年11月20日『聖書之研究』15号】
    読者諸君へ謹告
 次号は復た「クリスマス」号なり、主筆は彼の基督伝に於て「イエスの誕生」を掲ぐべく、湯浅君また君の独特の聖誕歌を贈らるゝならん、年将さに暮れんとする頃、本誌の読者は多くの希望と歓喜とを以て供せられん。
 昨年の例に傚ひ、愛読者諸君に本誌を年末年始の贈物として用ひられんことを勧む、昨年は余輩の此勧誘に応ぜられし諸君多かりき、余輩は今年も諸君が進で此一挙三得(諸君を益し、余輩を益し、諸君の友人を益す)の善を為されんことを祈る。
 諸君の此美挙を賛せんため本社は昨年に傚ひ本年中に一ケ年分の前金を払込まるゝ諸君には本年のクリスマス号を無代価にて献ずべし、且つ之を友人のために為さるゝ諸君へは別に独立雑談一冊を添ゆべし。
 殊に合本は好良なる贈品なりと信ず、二巻一時に御注文の方へは今年中は定価の一割を減ず。
 来る明治三十五年の『聖書之研究』は主筆の『我主耶蘇基督』を連載すべし、彼に就て心霊的に且つ智識的に基督伝を攻究せられんと欲する方は必ず之を歓迎せらるゝならん。
 外に別所氏の『聖書植物学』あり、湯浅氏の『予言論』あり、主筆亦『聖書地理』を講ぜんと欲す 『英雄の死状』亦彼の考案中にあり。謹んで告ぐ。
  明治三十四年十一月       聖書之研究社
 
 【明治34年12月20日『聖書之研究』16号】
 楽しきクリスマスと喜ばしき新年との読者諸君の上にあらんことを希ふ
  明治卅四年十二月        内村鑑三
                  社員一同
 
(522)  〔参考〕
 
   くろんうゑる伝
         明治34年1月1日
         『新人』6号「史伝」
         署名 内村鑑三先生口演 長谷川孝太郎筆記
 
   去歳夏期講習会を独立女学校にて開かれし時余は会員なりし人から伝へ聞き感ずる所あり茲に記載することとなしぬ
 
 英国の国会議事堂の前に此度ヲリバー、クロンウエルの銅像が建ちました 世界の数多の人はクロンウエルと云ふ名を聞くと同時に彼を想像するのは容貌魁偉で厳格なる風采で鎧を着け剣を提さげ万軍を叱咤しつゝある将軍であるかと思ふのです 勿論ダンバーの陣営にあつては其様の姿であつたでしようが此銅像は其様な厳しき肖像でなく誠に優しく柔和なる風姿であつて実に数多の人の想像外であります 而も此銅像なる者は英国の或る貴人が彼クロンウエルを敬慕するのあまり彼の肖像を秘蔵して居りましたがかゝる偉人の肖像を独りで愛して居ても益が少ないと云ふ公益心より国会に寄贈したのです 其肖像を模形として鋳造されし所のものであります 彼は正義を実行しては徹頭徹尾厳格で無告の民を愛憐しては涙の泉源のある如く映ずるのは戦でなく平和で同情推察に富みし如く思はれる 彼れの銅像は即ち幾多の人の予想せし者と異なるに驚ひたが熟視するに目口等一点も違はなのである 此銅像の撰文については種々の論議がありました 彼の名高きトンペーンの碑文を作りし伯父のカロンーと云ふ人はカライルにより大英国民に起想されしクロンウエルと云ふ事も書かんと云ふたが終に其議は否決せられました 蓋し三百年間誤解された人物の標本であつて譬へばグラッドストンの如きは彼は悪しき巨人であると云ふた程であります 英人は大悪人と云ふたらクロンウエルと云ふ事が胸中に自然と浮み来る程であつて日本人が悪人と云ふたら直に道鏡 尊氏を思ふ如く英人も彼を憎んだのであります 彼を弁護し彼を復活させ我国人が道鏡 尊氏を憎む事程左様に英人が憎みし彼を一転して清麿 楠公を尊敬する如く英人に彼クロンウエルを義人として人類の友として尊敬なさしめ彼の無罪を宣告したのはカライルの功労であります 如何なればカライルが彼を弁護したかと云ふ事に就て少しく繁雑にはなりますがカライルの事を御話して置きたしと思ひます。或る日カーライルが(523)馬車に乗ると所謂脱穀党然たる若紳士が同車して居りまして先生を見て大に笑ふた事がある 脱穀党は有名なるカライルたる事は知らなかつたのであります 以て彼カライルの風采は挙らず質素で流行を追はざりし事を思はれます 而し馬丁が先生を知つて居たと見へて彼の人は紳士である彼の人の頭には神の秘密が宿つておると云ふた事があります ろんどんに住居しても近傍の人は決して之れ世界の大詩人であると云ふ事は知らない 彼が人に云ふのに余が死を惜む者は僅少の人であると 諸君よ其少数の人は幾多の人に優る偉人であるといふことを記臆して置き給へ 故に彼の有名なる米国の大詩人エマルソンがわざ/\英国に彼を訪問した程である 先生着類でも一つの衣を敵の様にきて破れてしまはないと決して他を着なかつたと云ひます 世人はカライルは剛毅厳正で寛容のない寧ろ病人的詩人の様に思ふのであります 尤も先生は不義に対しては決して寛容を与へず病犬どころか猛虎の飢へたるが如く皮肉に攻撃したと共に誤解する勿れ他方面を観察せよ彼の攻撃は人類進歩と自由を迫害する者に対する義憤の戦闘であつて只其手段が極端のみで筆鋒深刻に過ぐるのみ若し漢学先生の口調をかりて謂はゞ英雄の胸裡閑日月ありて彼も自然の恋人で自由の友である 彼は毎日読書に撓むと一志即ち二拾五銭を以て散歩して飴を買つて双袖に入れて童女に与へて其溢るゝばかり※[口+喜]々として戯むれつゝあるを見てカライルの先生楽しんで居る 其心の内では童児を見て如何なる事を思ふて居るのでありますよ 蓋し野心なき自然の児の野の百合花の如き実に之れ天使が面影をとゞめて居るが他日英雄偉人に成つて人類を救ふのも此童子の中にあらんと観察したかと思はれます 此事は其飴を買ふてもらふ飴屋の婆さんの話しであつて婆さんが最も能く彼れの紳士たる事を知つてゐたのである 諸君よ勿論日本の紳士とは大違ひでありあす 日本の紳士とは不敬事件で人を迫害し賄賂をとる事に妙を得し者を意味するのであります 彼の幼時彼の母がトムよ世の人がコロンウエルを偽善者と云ふが彼れが真正のくりすすちやんかも知れないと度々話したのが脳に染て他日彼を弁護した原動力となつたのである 其反対者即ち彼コロンウエルを悪人と云ふ者を先生得意に罵て曰く世のコロンウエルを誤解する者よ汝は豚である 何故に彼の義人を悪人の標本であると思ふか 汝等は汝自己の位置と境遇との凡ての歴史を彼れコロンウエルの歴史の上に置きて精細なる観察を下(524)したる事のなき馬鹿者である畢竟門外漢でると なる程門外より家の中の批評は出来ません 英雄にあらずば英雄を知らずで偉人カーライルで巨人のクロンウエルを知りしは当然の事です 故にカライルの焼くが如き熱誠の著書の中にてクロンウエル伝が最も傑作であつて彼は全身全力を尽して書ひた血痕の文字である 其後の作は良くなければならんが却て劣つて居るのが事実であります カライルの事が長くなりました 私も先生の著書によりクロンウエルの事を御話しゝます
 クロンウエルは四十三歳までは牧畜を業として居ましたが唯衣食に安んじてあつた許りかと云ふに決してそんな浅薄の訳でない 此牧畜時代は実に彼の精神裡の血戦最中で誠に惨烈の時代であつた 彼は幾度も憂悶苦絶した 嗚呼今余は死すと云つて医師の診察を受けたが脉は常の如く身体にも異状がないから沈静剤を服して安眠したこともある 彼は真の宗教心よりして自己の身の潔からんことに苦心したのであります 親友なる或る婦人に送りました手紙の中に余は罪深き者である我親愛なる女史よ我が為めに罪の救ひを神に祈り給はれよとありました 此等の事が反対歴史家より彼が攻撃せらるゝ武器となりました 即ち彼は青年時代に罪を犯したものである 良心にせめられ悶絶して医者を招き罪の救を友人の祈に求めたのは何よりの証拠であると云ふのであります
 彼は自然の児である 嘗て戦場で雑兵一人が兜で汁を煮て居つた時に俄かに進軍の命令が下つた故に雑兵大に狼狽して汁のあることを忘れて兜を冠りましたから全身に熱き汁をあびました 否寧ろ雑兵が汁の身となつたころを見て彼クロンウエル将軍はさも愉快げに天地も崩るゝ許りに笑つたのは実に臍の下より出し所の声である 慥かに横隔膜以下の笑である 東洋では剛傑の笑ひがわつはゝ商人の笑ひがへゑ/\御姫様や御嬢様の笑ひがほゝ/\と云ふて何か物でももらつた時にはにこ/\笑である 誠に馬鹿気た話である 品性とか人品とかゞ下がると云つて無理に喉以上で気取てはんかちいふで口の辺の押さへて笑はなくても随分日本の今日は人の性格も物価の騰貴に反して下落して居る 地平線以下である 此上は下がる気づかいはないから笑ふべき時には笑ひ怒るべき時には怒るべし 敢て容易になさゞるのみ そこでクロンウエルが英国の主権者となつた原因とも云ふべき者は彼れの親友の一人で無実の罪に苦しめられたる者がある 気節に富み義憤燃ゆるが如き彼は之れを救はんため国会に入りて親友の(525)弁護演説をしました 其時の言葉は玉を列ねし如く美麗ではなかつたが誠に真摯で熱情は溢ふるゝ如くであつた 諸君よ如何程美麗でも菊人形は余輩に幽趣の感を与へる事が少ない源氏物語や枕の草紙が詞の美麗を以て世界的大文学とは申されません如く如何に美詞を弄びましても至誠なき者は俳優の豪傑に装ふと等しひのである 故に真正の雄弁とは熱誠の泉源より迸りし真理を羅列せし言葉である 国会議員の多くは彼れの雄弁を解し得なかつたが僅かに数名の議員は彼が真正の雄弁家である彼れが天来の声であると思つたのであります 此事が他日主権者となる分子であり潜勢力であつた 彼れが主権者となつて後幾度も人に余は神の命令により止むを得ず此位置にあるが余の代理者があるならば余は以前の牧畜者に帰り羊と共に生活したいと言ひました 処が適任者が無かつたと証拠には彼れ泉下の人となりて後英国の乱れたので明である 彼は人生を悲観したのは実事である 蓋し彼の宗教はぴゆりたんと云ふ惨烈狭隘なる教でありし故であります 其主権者となりて悲劇の人となり誤解される様になつたのは此宗教の故である 彼は自信の深き人である 神が余を英国の主権者となし給ひしは英国を理想の天国にせよとの命令であると懼ろしき大決心を抱きまして其の理想の天国を造るには敵となる者は人類と雖も之を亡ぼすべしと確信せし故にダンバーにありし如き惨烈なる戦を幾度もなせし訳である其れがためには憲法すら無視し貴族を非常に制しました 彼の無二の親友ハリーベンヒーと云ふ宗教家にて憲法学者なる人が憲法を無視するを諌めし時に余は神の命により此国を天国となさんとするのである若し之を諌めるならば卿も神の御意にかなはず神の敵で悪魔の使であるぞと終に彼を獄屋に投じたのは実に彼が彼たる処にして吾人の容易に彼を批評する事の出来ぬ所である 然し彼れの理想程には社会は進歩して居ないのみならず容易に進歩に向はなかつた故に彼の存生中には理想の天国とはならなかつた 彼は之をなさんとて苦心惨憺を極めた次第である 彼の理想は少なくとて幾百年の後に成る事であつた故に近来の英国が彼れが理想に向つて進みつゝあることは英国人の彼に恩とするのであります 而して彼が晩年理想の実行に就て失意したのは実際であります 斯くの如く彼を研究したき者でありまして之れはクロンウエルの真の略伝であります 最早時間でありますから諸君も御労れで御座いましようし私も労れました故に失礼します
〔2021年6月4日(金)午前11時30分、入力終了〕